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4,840 | 横山エンタツ | 横山 エンタツ(よこやま エンタツ、本名:石田 正見(いしだ まさみ)、1896年〈明治29年〉4月22日 - 1971年〈昭和46年〉3月21日)は、大正・昭和期の漫才師・俳優。
花菱アチャコとのコンビ(横山エンタツ・花菱アチャコ)によって、それまでの「萬歳」に代わる現在の(全国的に流布した)「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。
「横山」の亭号を名乗る漫才師一門はエンタツを始祖とする。横山ノックらは弟子にあたる(一門については下記)。吉本新喜劇初期の出演者でもある。
兵庫県有馬郡三田町横山で生まれた(長沖一は、その著書『上方笑芸見聞録』の中で姫路としている)。祖父は元藩医で、父も医師であった。近所に軍人が多い環境で、父も軍医になって日露戦争へ出征したため、祖父母のもとに預けられる。終戦後、復員した父は姫路市で医院を開業。それにともない一家は姫路に移り住んだ。
旧制兵庫県立伊丹中学校(現在の兵庫県立伊丹高等学校)を2年で中退し、「馬賊になる」と言って家出。大正の初め頃、ソウル(京城)に住む叔父を頼り朝鮮へ渡ったが、「面倒をみられない」と言われ、叔父宅での居住を断念。その後、職を転々とした(このころ関西大学の夜間部に通ったという説もある)。演歌師に弟子入りしたり、炭坑で働いていたこともあったという。
1914年、新派の「綾田五郎一座」に入り初舞台。役者としての活動をはじめた。満州・大連で新派連鎖劇の一座に入り、旅順、奉天、長春と巡業をしていたとき、座長が裁判官に拘引され一座を解散、残った仲間で満州で小中村千代兵衛の一座に転じたのち、鉄嶺では活動写真巡業隊に入って声色師をやったがうまくいかず、帰国した。その後、時田一瓢一座に入り「横山瓢()」を名乗った。「横山」は出身地から採ったもの。堀越一蝶一座に転じて「横山太郎」と改名、多くの巡業劇団に参加した。
1919年、花菱アチャコと一座を組み、幕間に「しゃべくり漫才」を試演するが、このときは不評に終わった。1922年、本格的に漫才を始める。 東京を拠点に活動をはじめた。1923年夏に横浜の朝日座と契約し漫才、民謡、安来節の芸人らと合流。同年9月、巡業中の横浜の旅館で関東大震災に遭遇し、倒壊した旅館の3階部分から地面へ投げ出され、鼻を骨折するなどの重傷を負ったため、一時帰阪している。
1928年ごろから、「横山エンタツ」を名乗りはじめた。東京・蔵前に住んでいた当時のエンタツの痩せた風貌が、蔵前のランドマークであった東京高等工業学校の煙突を思わせたことから、芸人仲間に「エンタツ(煙突の大阪訛り)」と呼ばれていたことが由来とされる。初期には「円辰」の字を充てていたとも、「横山エントツ」と名乗っていたともされる。1929年に自身の一座を結成し、同年8月31日から漫才師、浪曲師、踊り子など9人を引き連れて半年間アメリカ巡業に出る。興行的に失敗したが、そこで見たチャップリンなどの喜劇に大きな影響を受けた。
1930年に吉本興業に入社。
秋田實の助言で、漫才師として初めて背広姿で舞台に上がった。玉子屋円辰や砂川捨丸に代表されるように、従来の「万才(萬歳から呼び名が変わっていた)」は鼓を脇に持ち、和装であったものを、当時流行し始めた背広姿で、当時人気のあった東京六大学野球からネタをとった『早慶戦』などのネタに代表されるように、サラリーマンの日常会話を思わせる話題選びと展開の形式は画期的で、当初は舞台に出ると「ホンマの万才をやれ」と野次が飛んだというが、やがて、勃興したばかりの中産階級層を中心に人気を博していった。コンビが1934年に東京の新橋演舞場に出演した頃には、漫才は「落語と並ぶ地位を得た」と言われるようになる。
この東京公演の期間中、アチャコが中耳炎を悪化させ、それがもとで大阪に戻って間もなく入院してしまう。そのためエンタツはアチャコとのコンビを解消し、杉浦エノスケと組んだ。その後も舞台でエンタツ・アチャコのコンビが復活することはなかった。エンタツ・アチャコの本格的な活動期間は、のべ3年9か月であった。1941年、エンタツは「爆笑エンタツ劇団」を旗揚げし、全国巡業を開始した。
戦後、エンタツはNHKで『気まぐれショウボート』(1950年 - 1952年)、『エンタツちょびひげ漫遊記』(1952年 - 1953年)、『エンタツの名探偵』(1953年 - 1954年)など、長期にわたってラジオ番組のレギュラーを務めた。これらの番組は東映で映画化され、こちらもヒットとなった。ただし、アチャコの戦後のしたたかな大成功と比較すると見劣りがし、漫才コンビ時代と立場が逆転することとなった。息子である花紀京には「自分には芸の力がない」と弱音を吐いていたこともあったという。
1953年12月24日に千日前グランド劇場改築の杮落し公演で、エンタツはアチャコと久しぶりに客の前で漫才『僕の家庭』を披露した。同演目は1963年にはNHKで放送された「漫才の歴史」の番組『漫才繁盛記』(構成:小林信彦)においても披露された。
エンタツは1969年、大阪市から市民表彰を受けた。1971年に脳梗塞で死去した。74歳没。
中村種春(砂川捨丸の最初の相方。中村春代の師匠)、花菱アチャコ、杉浦エノスケと組んだ。
他多数
1936年の公開の「あきれた連中」を皮切りにアチャコとのコンビで多くの映画に出演。
出演シーンは決まって、演技中に突然往年のヒット漫才を始めるというものだった。当時は揶揄されたが現在ではコンビの芸を記録した貴重な資料となっており、「上方漫才黄金時代」のCDボックスで、このとき演じた「早慶戦」が収録された。 | [
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] | 横山 エンタツは、大正・昭和期の漫才師・俳優。 花菱アチャコとのコンビ(横山エンタツ・花菱アチャコ)によって、それまでの「萬歳」に代わる現在の(全国的に流布した)「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。 「横山」の亭号を名乗る漫才師一門はエンタツを始祖とする。横山ノックらは弟子にあたる(一門については下記)。吉本新喜劇初期の出演者でもある。 | {{Infobox お笑い芸人
| 名前 = 横山 エンタツ
| 画像 = [[File:Entatsu Yokoyama (1930s).JPG|300px]]
| キャプション =
| 本名 = 石田 正見<ref name="koto">[https://kotobank.jp/word/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84-168208 横山エンタツ] [[コトバンク]] - 典拠は『[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』、[[講談社]]『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』など</ref>
| 生年月日 = [[1896年]][[4月22日]]<ref name="koto" />
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1896|4|22|1971|3|21}}<ref name="koto" />
| 国籍 = {{JPN1947}}
| 出身地 = [[兵庫県]][[有馬郡]][[三田市|三田町]]横山
| 最終学歴 = [[兵庫県立伊丹高等学校|兵庫県立伊丹中学校]]中途退学
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| 相方 = [[花菱アチャコ]]
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| 立ち位置 = 左
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| 受賞歴 =
}}
[[File:Entatsu Achako Scan10036.JPG|thumb|左が[[花菱アチャコ]]、右が横山エンタツ<br />本来の立ち位置とは逆である]]
'''横山 エンタツ'''(よこやま エンタツ、本名:石田 正見(いしだ まさみ)<ref name="koto" />、[[1896年]]〈[[明治]]29年〉[[4月22日]] - [[1971年]]〈[[昭和]]46年〉[[3月21日]]<ref name="koto" />)は、大正・昭和期の[[漫才師]]・[[俳優]]。
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「横山」の[[亭号]]を名乗る漫才師一門はエンタツを始祖とする。[[横山ノック]]らは弟子にあたる(一門については下記)。[[吉本新喜劇]]初期の出演者でもある。
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[[兵庫県]][[有馬郡]][[三田市|三田町]]横山<ref>現在の[[三田市]][[横山町 (三田市)|横山町]](〒669-1534)、[[南が丘]](〒669-1535)。[[横山駅 (兵庫県)|横山駅]]が所在する。</ref>で生まれた(長沖一は、その著書『上方笑芸見聞録』の中で姫路としている)。祖父は元[[藩医]]で、父も[[医師]]であった。近所に軍人が多い環境で、父も[[軍医]]になって[[日露戦争]]へ出征したため、祖父母のもとに預けられる。終戦後、復員した父は[[姫路市]]で医院を開業。それにともない一家は姫路に移り住んだ。
旧制兵庫県立伊丹中学校(現在の[[兵庫県立伊丹高等学校]])を2年で中退し、「[[馬賊]]になる」と言って家出。[[大正]]の初め頃、[[ソウル特別市|ソウル]]([[京城]])に住む叔父を頼り[[朝鮮]]へ渡ったが、「面倒をみられない」と言われ、叔父宅での居住を断念。その後、職を転々とした(このころ[[関西大学]]の夜間部に通ったという説もある)。[[演歌師]]に弟子入りしたり、[[炭坑]]で働いていたこともあったという。
[[1914年]]、[[新派]]の「[[綾田五郎]]一座」に入り初[[舞台]]。[[俳優|役者]]としての活動をはじめた。[[満州]]・[[大連]]で新派[[連鎖劇]]の一座に入り、[[旅順]]、[[奉天]]、[[長春]]と巡業をしていたとき、座長が[[裁判官]]に拘引され一座を解散、残った仲間で[[満洲|満州]]で[[小中村千代兵衛]]の一座に転じたのち、[[鉄嶺]]では[[活動写真]]巡業隊に入って[[ものまねタレント|声色師]]をやったがうまくいかず、帰国した。その後、[[時田一瓢]]一座に入り「{{読み仮名|横山瓢|よこやま ひさご}}」を名乗った。「横山」は出身地から採ったもの。[[堀越一蝶]]一座に転じて「横山太郎」と改名、多くの巡業劇団に参加した。
[[1919年]]、花菱アチャコと一座を組み、[[幕間劇|幕間]]に「しゃべくり漫才」を試演するが、このときは不評に終わった。[[1922年]]、本格的に漫才を始める。
東京を拠点に活動をはじめた。[[1923年]]夏に[[横浜市|横浜]]の[[伊勢佐木町東映|朝日座]]と契約し漫才、[[民謡]]、[[安来節]]の芸人らと合流。同年9月、巡業中の[[横浜市|横浜]]の[[旅館]]で[[関東大震災]]に遭遇し、倒壊した旅館の3階部分から地面へ投げ出され、鼻を骨折するなどの重傷を負ったため、一時帰阪している<ref>[[小島貞二]]『漫才世相史 改訂新版』 [[毎日新聞社]]、1978年 pp.130-133「震災以前の万才」 - エンタツの著書『漫才読本』(柳香書院、1936年)からの引用。</ref>。
[[1928年]]ごろから、「横山エンタツ」を名乗りはじめた。東京・[[蔵前]]に住んでいた当時のエンタツの痩せた風貌が、蔵前のランドマークであった[[東京工業大学#沿革|東京高等工業学校]]の[[煙突]]を思わせたことから、芸人仲間に「エンタツ(煙突の大阪訛り)」と呼ばれていたことが由来とされる<ref name="kojima">小島貞二『漫才世相史 改訂新版』 毎日新聞社、1978年 pp.108-112「医者と坊主の息子」。同資料では、エンタツの出身を「姫路の生まれ」としている</ref>。初期には「[[玉子屋円辰|円辰]]<ref name="kojima" />」の字を充てていたとも、「横山エントツ」と名乗っていたともされる。[[1929年]]に自身の一座を結成し、同年[[8月31日]]から漫才師、[[浪曲師]]、[[踊り子]]など9人<ref name="kojima" />を引き連れて半年間[[アメリカ合衆国|アメリカ]]巡業に出る。興行的に失敗したが、そこで見た[[チャーリー・チャップリン|チャップリン]]などの喜劇に大きな影響を受けた。
[[1930年]]に[[吉本興業]]に入社。
[[秋田實]]の助言で、漫才師として初めて背広姿で舞台に上がった。[[玉子屋円辰]]や[[砂川捨丸]]に代表されるように、従来の「万才([[萬歳]]から呼び名が変わっていた)」は[[鼓]]を脇に持ち、[[和服|和装]]であったものを、当時流行し始めた背広姿で、当時人気のあった[[東京六大学野球連盟|東京六大学野球]]からネタをとった『[[早慶戦]]』などのネタに代表されるように、[[サラリーマン]]の日常会話を思わせる話題選びと展開の形式は画期的で、当初は舞台に出ると「ホンマの万才をやれ<ref name="kojima" />」と野次が飛んだというが、やがて、勃興したばかりの[[中産階級]]層を中心に人気を博していった。コンビが[[1934年]]に東京の[[新橋演舞場]]に出演した頃には、漫才は「落語と並ぶ地位を得た」と言われるようになる。
この東京公演の期間中、アチャコが[[中耳炎]]を悪化させ、それがもとで大阪に戻って間もなく入院してしまう。そのためエンタツはアチャコとのコンビを解消し、[[杉浦エノスケ]]と組んだ。その後も舞台でエンタツ・アチャコのコンビが復活することはなかった{{efn|ただし、後述の映画においてはエンタツ・アチャコのコンビを一部継続している。}}。エンタツ・アチャコの本格的な活動期間は、のべ3年9か月であった<ref>矢野誠一『昭和の演藝 二〇講』p.68</ref>。[[1941年]]、エンタツは「爆笑エンタツ劇団」を旗揚げし、全国巡業を開始した。
[[Image:Entatsu and Roppa 1935.JPG|300px|thumb|左から横山エンタツ、秋田實、[[古川ロッパ]](1935年撮影)。]]
戦後、エンタツは[[日本放送協会|NHK]]で『[[気まぐれショウボート]]』([[1950年]] - [[1952年]])、『[[エンタツちょびひげ漫遊記]]』(1952年 - [[1953年]])、『[[エンタツの名探偵]]』(1953年 - [[1954年]])など、長期にわたって[[ラジオ番組]]のレギュラーを務めた。これらの番組は[[東映]]で映画化され、こちらもヒットとなった。ただし、アチャコの戦後のしたたかな大成功と比較すると見劣りがし、漫才コンビ時代と立場が逆転することとなった。息子である[[花紀京]]には「自分には芸の力がない」と弱音を吐いていたこともあったという。
[[1953年]][[12月24日]]に[[なんば花月|千日前グランド劇場]]改築の[[こけら落し|杮落し]]公演で、エンタツはアチャコと久しぶりに客の前で漫才『僕の家庭』を披露した。同演目は[[1963年]]にはNHKで放送された「漫才の歴史」の番組『漫才繁盛記』(構成:[[小林信彦]])においても披露された。
エンタツは[[1969年]]、[[大阪市]]から市民表彰を受けた。[[1971年]]に[[脳梗塞]]で死去した。74歳没。
== 歴代相方 ==
[[中村種春]]([[砂川捨丸・中村春代|砂川捨丸]]の最初の相方。[[砂川捨丸・中村春代|中村春代]]の師匠)、[[花菱アチャコ]]、[[杉浦エノスケ]]と組んだ。
== 人物・芸風・エピソード ==
[[ファイル:Entatsu Achako 1935.JPG|サムネイル|服部時計店前を歩く横山エンタツと花菱アチャコ。]]
* 2本の指でちょび髭を押さえて「ハッハー、照れくさー」と言うのが唯一用いた[[ギャグ]]{{efn|[[ザ・ドリフターズ]]の[[加藤茶]]が用いた「[[加藤茶#持ちギャグ|加トちゃん、ペッ!]]」とほぼ同じ動作であるが、これは加藤がエンタツのギャグを改作したわけではない(加藤のは、ちょび髭を付けるのに使用していた糊の力が弱くたびたび剥がれそうになったのを抑えていた仕草が転じたもので偶然の一致)。<br />もともとこの当時のドリフはあくまでミュージシャンであり他のコメディアンのギャグを拝借するようなことはしていなかった。}}。
* アメリカ巡業からの帰国後、エンタツはアメリカで見た、店で買い物をしたときに渡される「買い物袋(=紙製の[[:en:Shopping bag|ショッピングバッグ]]のこと)」を日本で生産して当てようとし、原料の厚紙を輸入し、職人に作らせてデパートに売り込みに行ったが、「日本には[[風呂敷]]があるので不要です」と断られたという(アチャコ談<ref>[[祖田浩一]](編)『昭和人物エピソード事典』([[東京堂出版]]、1990年)pp.305-306 - 典拠は『[[週刊女性]]』昭和46年4月10日号</ref><ref>立川談志ひとり会特典CD「とっておきの二大対談・花菱アチャコ/手塚治虫」</ref>)。
* [[横山ホットブラザーズ]]の「横山」は本名であり、エンタツ一門とは無関係である。
* 男女4人組の昭和歌謡バンド[[猫夜叉]]に「横山エントツ」と名乗る人物がいるが、他のメンバー(全員の芸名が横山姓)も含めてエンタツとは無関係である。
* [[オール阪神・巨人]]に「二代目エンタツ・アチャコ」を継がせる話が持ち上がったが、本人たちが「畏れ多い」と固辞した。二人はエンタツ・アチャコの物真似を得意としている。
* 長男は[[関西テレビ放送|関西テレビ]]の元プロデューサー。長男の妻は[[吉本新喜劇]]の[[中山美保]]。次男は吉本興業に所属した喜劇俳優の[[花紀京]]<ref>{{Cite web|和書|date=2015-08-06 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/08/06/kiji/K20150806010884510.html |title=花紀京さん死去 横山エンタツさん次男 新喜劇全盛期を支える |publisher=[[スポーツニッポン]] |accessdate=2015-08-06}}</ref>。
== 一門 ==
=== 直弟子 ===
* [[横山ノック]]
* [[青芝フック・キック|青芝フック]](旧名・横山フック(2代目))
* 横山アウト
* 横山エンタ
* 横山芳子
* 横山カイジ
他多数
=== 孫弟子 ===
; 横山ノックの弟子
* [[横山やすし]]
* [[横山プリン]]
* [[乃木貴寛]]
* [[旭堂南北]]
* [[横山なつ吉]]
* [[横山ひとり]]
* [[横山ワン・ツー]]
* [[横山アラン・ドロン]]
* [[横山トク]]
* [[横山トンガ]]
=== 曾孫弟子 ===
; 横山やすしの弟子
* [[横山たかし・ひろし]]
* [[横山ひとし]]
; 横山プリンの弟子
* [[高井ギャラ]]
=== 玄孫弟子 ===
; 横山たかし・ひろし(いずれか)の弟子
* [[とんぼ・まさみ|横山まさみ]] - ひろしの弟子
* [[横山アッチ]]
* [[横山ともや・たきや]] - たかしの弟子
* [[幸助・福助|福助]] - たかし・ひろしの弟子を経て、1988年頃、[[レツゴー三匹]]の門下に移った。
* [[横山チョップ]] - ひろしの弟子 [[ボディビルダー]]
== 出演 ==
=== 映画 ===
[[1936年]]の公開の「あきれた連中」を皮切りにアチャコとのコンビで多くの映画に出演。
出演シーンは決まって、演技中に突然往年のヒット漫才を始めるというものだった。当時は揶揄されたが現在ではコンビの芸を記録した貴重な資料となっており、「上方漫才黄金時代」のCDボックスで、このとき演じた「早慶戦」が収録された。
* [[東京五人男]](1945年 [[東宝]])
* 幽霊列車(1949年 [[大映]]京都) - 藤木
* [[殺陣師段平]](1950年 [[東横映画]]) - 医者
* 腰抜け巌流島(1952年 大映京都) - 沢庵和尚
*[[水戸黄門 (1957年の映画)|水戸黄門]](1957年 東映京都) - 田川大六
* 野良猫(1958年 東宝([[宝塚映画製作所|宝塚映画]]製作))
*
{{節スタブ}}
== 横山エンタツを演じた俳優 ==
* [[岸部一徳]](1984年 - 1985年・[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[心はいつもラムネ色]]』 役名は「横川エンタツ」)
* [[オール巨人]](1988年・[[関西テレビ放送|関西テレビ]] [[花王名人劇場]]『[[にっぽん笑売人]]』)<ref>[http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-24193 にっぽん笑売人] - テレビドラマデータベース</ref>
* [[青野敏行]](2012年・[[東海テレビ放送|東海テレビ]]『[[鈴子の恋|鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記]]』)
* [[板尾創路]]([[130R]])(2012年・舞台『[[吉本百年物語]] キミとボクから始まった』)
* [[海部剛史]](2012年・舞台『吉本百年物語 笑う門には、大大阪』)
* [[大野拓朗]](2017年 - 2018年・NHK連続テレビ小説『[[わろてんか]]』、役名は「舶来屋キース」)
* [[中川剛 (お笑い芸人)|中川剛]]([[中川家]])(2021年 - 2022年・NHK連続テレビ小説『[[カムカムエヴリバディ]]』)<ref>[https://web.archive.org/web/20211022104332/https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=31438 「おかえりモネ」から「カムカムエヴリバディ」へ!] NHK PR([[NHKオンライン]])、2021年10月22日配信、10月23日閲覧</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 出典 ==
{{参照方法|date=2018年11月|section=1}}
* [[長沖一]]『上方笑芸見聞録』[[九芸出版]]、1978年
== 外部リンク ==
* [http://www.jmdb.ne.jp/person/p0046400.htm 日本映画データベース 横山エンタツ]
* {{NHK放送史|D0009060032_00000|東西寄席めぐり 「早慶戦」エンタツ・アチャコ}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:よこやま えんたつ}}
[[Category:お笑い芸人]]
[[Category:日本の男優]]
[[Category:19世紀日本の俳優]]
[[Category:20世紀日本の俳優]]
[[Category:過去の吉本興業所属者]]
[[Category:吉本新喜劇]]
[[Category:横山一門|えんたつ]]
[[Category:日本の男性コメディアン]]
[[Category:関西大学出身の人物]]
[[Category:兵庫県出身の人物]]
[[Category:1896年生]]
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4,841 | 1745年 | 1745年(1745 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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] | 1745年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1745}}
[[ファイル:William Hogarth - David Garrick as Richard III - Google Art Project.jpg|サムネイル|『{{仮リンク|リチャード三世に扮するデイヴィッド・ギャリック|en|David Garrick as Richard III}}』1745年 [[ウィリアム・ホガース]]画 ]]
{{year-definition|1745}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[乙丑]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[延享]]2年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2405年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[乾隆]]10年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]21年
** [[檀君紀元|檀紀]]4078年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]6年
* [[仏滅紀元]] : 2287年 - 2288年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1157年 - 1158年
* [[ユダヤ暦]] : 5505年 - 5506年
* [[ユリウス暦]] : 1744年12月21日 - 1745年12月20日
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1745}}
== できごと ==
[[ファイル:Friedrich2 jung.jpg|サムネイル|『プロイセン国王フリードリヒ2世の肖像』 1745年 [[アントワーヌ・ペーヌ]]筆]]
*[[日本]]
**将軍[[徳川吉宗]]が[[丹羽正伯]]らに博物書である『[[庶物類纂]]』の再編纂を命じる{{要出典|date=2021-04}}。
**[[富永仲基]]が、仏教経典を文献学的に研究・批判した『[[出定後語]]』を刊行<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E4%BB%B2%E5%9F%BA-105852 富永仲基【とみなが-なかもと】]デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説</ref>。
**[[1739年]]([[元文]]4年)に禁止された[[宮古路豊後掾#豊後節の特徴|豊後節]]が大流行。
*[[ペンシルベニア植民地]] - [[アメリカ合衆国]]に現存するものでは最古の[[ルーテル教会]]、{{仮リンク|オーガスタス・ルーサラン教会|en|Augustus Lutheran Church}}が[[聖別]]を受ける(建物は1743年に完成)。
*[[アラビア半島|アラビア]] - [[ワッハーブ運動]] - [[ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ]]が[[サウード家]]と盟約を結ぶ。
*[[中央ユーラシア]] - [[ジュンガル]]の[[ホンタイジ (称号)|ホンタイジ]](副王)、[[ガルダンツェリン]]が崩御。ジュンガルおよび[[オイラト]]部族連合が分裂する。
*[[チベット]] - [[ゲルク派]]によって、[[宣教師]]が[[ラサ]]から追放される<ref name=":02">{{Cite book|last=Li|first=Qing|url=https://books.google.com/books?id=zZA-DwAAQBAJ&dq=catholicism+in+lhasa&pg=PA153|title=The Evolution and Preservation of the Old City of Lhasa|publisher=Springer|year=2017|isbn=978-981-10-6735-8|location=|pages=153–154|language=en}}</ref>。
=== 1月-3月 ===
* [[1月7日]] - オーストリア継承戦争:陸軍[[元帥 (ドイツ)|元帥]][[カール・ヨーゼフ・バッチャーニ]]率いる[[オーストリア大公国|オーストリア軍]]が、[[アンベルク|アンベルク市]]と[[バイエルン選帝侯領|バイエルン軍]]の冬営を奇襲し、守備にあたっていたバイエルン軍を潰走させた後、首都である[[ミュンヘン]]を攻略する<ref>"War of the Austrian Succession (1740-1748)", in ''Wars That Changed History: 50 of the World's Greatest Conflicts: 50 of the World's Greatest Conflicts'', ed. by Spencer C. Tucker (ABC-CLIO, 2015) p214</ref>。
* [[1月8日]] - [[ワルシャワ]]で、[[グレートブリテン王国|イギリス]]、オーストリア、[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]、[[ザクセン選帝侯領|ザクセン選帝侯]]が{{仮リンク|ワルシャワ条約 (1745年)|en|Treaty of Warsaw (1745)|label=ワルシャワ条約}}([[四国同盟]])を結び、[[国事詔書]]を承認した<ref>"Treaty of Quadruple Alliance", ''International Military Alliances, 1648-2008'', ed. by Douglas M. Gibler (Congressional Quarterly Press, Oct 15, 2008) p94</ref>。
* [[1月20日]] – バイエルン公国の陥落をもたらしたアンベルクでの壊滅的な敗北から2週間足らずののちに、[[選帝侯]](そして[[神聖ローマ皇帝]]を兼ねた)[[カール7世 (神聖ローマ皇帝)|カール・アルブレヒト]]が、痛風の悪化によって[[ニンフェンブルク宮殿]]で失意のまま、47歳で崩御する。成人済みの継承者がいない状態であった<ref>{{Cite journal|和書|author=[[古川誠之]] |date=2005-02 |title=年少者は18歳をもって選帝侯とみなされる:金印勅書7条1項における相続年齢の意味 |url=https://hdl.handle.net/2065/27664 |journal=早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第4分冊 |ISSN=1341-7541 |publisher=早稲田大学大学院文学研究科 |volume=51 |pages=49-56 |naid=120000785820}}</ref>。当時17歳であった、カール・アルブレヒトの息子、[[マクシミリアン3世ヨーゼフ (バイエルン選帝侯)|マクシミリアン3世ヨーゼフ]]が選帝侯位を嗣ぎ、同年4月にはオーストリアと[[フュッセン条約]]に調印、単独講和に踏み切った。
* [[2月22日]] - [[ジャマイカ島]]の{{仮リンク|ジャマイカ植民地|en|Colony of Jamaica|label=白人植民地政府}}が、900人の黒人奴隷が計画していた白人住民相手の武装蜂起と虐殺を頓挫させる<ref>William Reed, ''The History of Sugar and Sugar-yielding Plants'' (Longmans, Green, and Co., 1866) p50</ref>。
* [[ファイル:Bal des Ifs-galerie des glaces.jpg|サムネイル|『{{仮リンク|イチイの舞踏会|en|The Yew Tree Ball}}』― 2月25日から26日に渡って、ヴェルサイユで開催された[[仮面舞踏会]]。国王ルイ15世が従者たちと共に[[ヨーロッパイチイ]]の[[トピアリー]]に扮していたことからこの名がついた。また、この舞踏会はルイ15世がジャンヌ=アントワネット・ポワソン(のちの[[ポンパドゥール夫人|ポンパドゥール侯爵夫人]])と知り合ったきっかけでもあった。[[ルーヴル美術館]]蔵]][[2月23日]] - [[ドーファン|フランス王太子]](ドーファン)の結婚式が[[ヴェルサイユ]]で行われる。[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の長子[[ルイ・フェルディナン (フランス王太子)|ルイ・フェルディナン]]と、スペイン国王[[フェリペ5世 (スペイン王)|フェリペ5世]]の娘[[マリー=テレーズ=ラファエル・ド・ブルボン|マリア・テレサ・ラファエラ]]の婚姻であった<ref>Marion F. Godfroy, ''Kourou and the Struggle for a French America'' (Springer, 2015) p193</ref>。王太子はフランス王位に就くことなく、[[1765年]]、父ルイ15世の死に遡ること8年前に薨去した。
* [[2月27日]] - [[ピエール・ブーゲ]]が[[科学アカデミー (フランス)|フランス科学アカデミー]]に出席し、[[フランス科学アカデミーによる測地遠征]]によって集められた調査結果についての報告を行った。報告は、史上初の[[地球]]の円周についての正確な計測にも言及している<ref>Larrie D. Ferreiro, ''Measure of the Earth: The Enlightenment Expedition That Reshaped Our World'' (Basic Books, 2011) p253</ref>。ブーゲは調査の結果、地球の赤道周長は40,000.00キロ、[[極地]]から赤道までの距離はおよそ10,000キロであると結論づけた。この発表を受けて、アカデミーは後年[[メートル]]と[[メートル法]]を算定することとなる。
* [[3月1日]] - [[ポーランド王国]]国王にして[[ザクセン選帝侯]]であった[[アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト3世]]が[[神聖ローマ皇帝|皇帝選挙]]に立候補する。が、同年7月、トスカーナ大公フランシスコ(のちの[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|皇帝フランツ1世]])に選挙で敗れる<ref name=Fragile>Maureen Cassidy-Geiger, ''Fragile Diplomacy'' (Yale University Press, 2007) p66-74</ref>。
*[[3月14日]](延享2年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]]) - [[江戸]]で「[[六道火事]]」<ref name=":1">{{Cite book|和書|title=見る、読む、調べる 江戸時代年表|date=2007-10-6|publisher=[[小学館]]|page=120|author=山本博文|isbn=9784096266069}}</ref>。死者1323人、焼失家屋2万8000棟。
=== 4月-6月 ===
* [[4月14日]](延享2年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - 将軍徳川吉宗、[[江戸城]]内[[紅葉山 (東京都)|紅葉山]]で[[講|法華八講]]を執行<ref name=":1" />。
* [[5月11日]] -
**[[オーストリア継承戦争]]:[[フォントノワの戦い (1745年)|フォントノワの戦い]]。[[モーリス・ド・サックス]]率いる[[フランス王国|フランス]]軍が、[[ウィリアム・オーガスタス (カンバーランド公)|カンバーランド公ウィリアム・オーガスタス]]を中心とするイギリス・オランダ・オーストリア連合軍を破り、[[フランドル]]制圧を進める<ref name="Cassell's Chronology310311">{{cite book|last=Williams|first=Hywel|title=Cassell's Chronology of World History|url=https://archive.org/details/cassellschronolo0000will/page/310|url-access=registration|location=London|publisher=Weidenfeld & Nicolson|year=2005|isbn=0-304-35730-8|pages=[https://archive.org/details/cassellschronolo0000will/page/310 310–311]}}</ref>。イギリスの軍勢には{{仮リンク|ブラックウォッチ連隊|en|Black Watch}}も参加していた。これをもって[[国事軍]]は解散する。
**[[ジョージ王戦争]]:[[ルイブールの戦い (1745年)|ルイブールの戦い]]。ニューイングランド軍を載せたイギリス艦隊が、ロワイヤル島(現在の[[ケープ・ブレトン島]])にある、ルイブール要塞への攻撃を開始。
* [[6月2日]](延享2年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[大岡忠相]]、代官支配を罷免され、実質的権限を失う。[[ファイル:Hohenfriedeberg - Attack of Prussian Infantry - 1745.jpg|サムネイル|[[ホーエンフリートベルクの戦い]]で行進するプロイセンの[[巨人連隊]]。[[1913年]] [[カール・レヒリンク]]作]]
* [[6月4日]] - オーストリア継承戦争:[[ホーエンフリートベルクの戦い]]。プロイセン国王[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]率いる[[プロイセン王国|プロイセン]]軍が、[[カール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲン|カール公子]]率いる[[オーストリア大公国|オーストリア]]軍を破り、オーストリアによる[[シレジア|シュレジエン]]奪還を阻止する。この戦いをもってフリードリヒ2世は「フリードリヒ大王」と呼ばれるようになる。
*[[6月16日]] - ジョージ王戦争:[[ルイブールの戦い (1745年)|ルイブールの戦い]]。イギリス軍が[[ノバスコシア州|ノバスコシア]]のロワイヤル島をフランスから奪取<ref name="Cassell's Chronology310311" />。
=== 7月-9月 ===
* [[7月9日]] - [[7月の魔法使い|オーストリア継承戦争]]:[[メレの戦い]]。フランス軍が同盟軍に勝利し、同月11日には[[ヘント]]を、19日には[[ブルッヘ]]と[[アウデナールデ]]を占領した。
* [[8月6日]]([[ユリウス暦]]7月26日)- イングランド、[[サリー (イングランド)|サリー]]で、記録上初の{{仮リンク|女子クリケットの歴史|en|History of women's cricket|label=女子クリケット}}の試合が行われる<ref name="CBH217218">{{cite book|last=Palmer|first=Alan|author2=Veronica|year=1992|title=The Chronology of British History|publisher=Century Ltd|location=London|pages=217–218|isbn=0-7126-5616-2}}</ref>。
* [[File:Jacobite Standard (1745).svg|thumb|ジャコバイトの[[戦旗]](1745年)]][[8月19日]] -[[1745年ジャコバイト蜂起]]がスコットランド、{{仮リンク|グレンフィナン|en|Glenfinnan}}で起こる。 [[チャールズ・エドワード・ステュアート]]が自身の名を関する戦旗を翻す。
*8月(延享2年8月) - [[文楽]]『[[夏祭浪花鑑]]』初演。
* [[9月1日]] - [[サンクトペテルブルク]]で[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]と[[ピョートル3世 (ロシア皇帝)|ピョートル3世]]が結婚。
* [[9月11日]] - [[1745年ジャコバイト蜂起]] - ジャコバイト軍が[[エディンバラ]]に入城。6日後、チャールズ・エドワード・ステュアートは彼の父、[[ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート]]がスコットランド王ジェームズ8世であると宣言する<ref name="Cassell's Chronology310311" />。
* [[9月12日]] - [[トスカーナ大公国|トスカーナ]][[トスカーナの支配者一覧|大公]][[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランチェスコ・ステファーノ]]が、妻であった[[マリア・テレジア]]の支援を受けつつ、9人の[[選帝侯]]([[バイエルン大公|バイエルン]]、[[ハノーファー君主一覧|ハノーヴァー]]、[[ボヘミア王|ボヘミア]]、[[ブランデンブルク辺境伯領|ブランデンブルク]]、[[マインツ大司教|マインツ]]、[[ライン宮中伯|プファルツ]]、[[ザクセン選帝侯|ザクセン]]、[[トリーア選帝侯|トリーア]]、[[ケルン大司教|ケルン]])の投票を経てフランツ1世として[[神聖ローマ皇帝]]に即位する。フランツは、[[ハプスブルク家]]の仇敵であり、同年1月20日に崩御したバイエルン大公[[カール7世 (神聖ローマ皇帝)|カール・アルブレヒト]]の後継者となった。[[ファイル:Jean-Marc Nattier, Madame de Pompadour en Diane (1746).jpg|サムネイル|『ディアナに扮したポンパドゥール夫人』 1746年 [[ジャン=マルク・ナティエ]]筆]]
* [[9月14日]] - [[ポンパドゥール夫人]]が公式に[[公妾]]と認められ、[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の宮廷に入る。
* [[9月16日]] - [[1745年ジャコバイト蜂起]]:"Canter of Coltbrigg" - エディンバラ近郊で、{{仮リンク|第13竜騎兵連隊 (イギリス)|en|13th Hussars|label=第13竜騎兵連隊}}と{{仮リンク|第14国王ハサー連隊(イギリス)|en|14th King's Hussars|label=第14ハサー連隊}}がジャコバイトから敗走する。
* [[9月21日]] - 1745年ジャコバイト蜂起:{{仮リンク|プレストンパンズの戦い|en|Battle of Prestonpans}}。イギリス軍がジャコバイトに敗れる。
* [[9月28日]] - {{仮リンク|ドルリー・レーン王立劇場|en|Theatre Royal, Drury Lane}}で、現在の[[イギリス]][[国歌]]「[[国王陛下万歳]]」が演劇「{{仮リンク|錬金術師 (演劇)|en|The Alchemist (play)|label=錬金術師}}」の公演後に初奏される。
=== 10月-12月 ===
[[ファイル:Tokugawa Ieshige.jpg|サムネイル|第9代将軍徳川家重 伝[[狩野派|狩野英信]]([[御用絵師]])]]
* [[10月4日]] - [[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]]が[[神聖ローマ帝国]]皇帝に即位<ref>"War of Austrian Succession", in ''Germany at War: 400 Years of Military History'', ed. by David T. Zabecki (ABC-CLIO, 2014) p1371</ref>。
* [[10月8日]] - ロシア皇帝[[エリザヴェータ (ロシア皇帝)|エリザヴェータ]]が[[ザクセン選帝侯領|ザクセン選帝侯]]に対し、[[プロイセン王国|プロイセン]]相手の戦争に支援を行うことに同意するが、実際にはすでに手遅れであった<ref name="Fragile2">Maureen Cassidy-Geiger, ''Fragile Diplomacy'' (Yale University Press, 2007) p66-74</ref>。
* [[10月11日]] - ケスリーン(現[[ポーランド]]の[[コシャリン|コシャリン市]]) でプロイセンの科学者[[エヴァルト・ゲオルク・フォン・クライスト]]が史上初の[[キャパシタ]]を独自に発明。[[ライデン瓶]]と通称されるこの装置は、3ヶ月に同様の発明を行った[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]、[[ライデン]]の[[ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク]]の功績に帰せられた。
* [[10月14日]] - [[パンジャーブ]]、アムリットサルで、[[シク教|シク]]議会({{仮リンク|サルバット・カールサー|en|Sarbat Khalsa}})が、シク連合軍({{仮リンク|ダール・カールサー|en|Dal Khalsar}})<ref group="注釈">ダール・カールサーとは、18世紀頃に組織されたシク教団の軍隊組織。12の{{仮リンク|ミシル|en|misl}}と呼ばれるシク国家の連合であった。</ref> の本格的な再編成を、{{仮リンク|ナワーブ・カプール・シング|en|Nawab Kapur Singh}}将軍の指揮下の元、25の騎兵連隊と援軍を以って行うことを決定する <ref>Mahinder N. Gulati, ''Comparative Religious And Philosophies: Anthropomorphlsm And Divinity'' (Atlantic Publishers, 2008) p307</ref>。(当時、シクの勢力圏は、[[バルーチスターン]]の[[アフシャール朝]]と接していた。)
* [[10月18日]] - [[オランダ西インド会社]]管理下の{{仮リンク|エセキボ植民地|en|Essequibo (colony)|label=}}([[ギアナ地方]])から[[デメララ|デメラリ植民地]]が別個の植民地として自立{{Sfn|Hartsinck|1770|pp=267-268}}。両植民地の領域は現在の[[ガイアナ]]の一部を構成する。
* [[10月20日]] - 徳川吉宗、将軍職を辞し、[[西の丸]]に移る。「[[享保の改革]]」の終わり([[1735年]]、[[享保]]20年をもって終わりとする説もある)。
* [[11月1日]] - 教皇[[ベネディクトゥス14世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス14世]]が[[回勅]]"''[[:en:Vix pervenit|Vix pervenit]]''"(「高利貸し[<nowiki/>[[高利貸し|ウスラ]]]とその他の不正な利得について」)を公布する。この回勅は、[[利息]]の徴収は[[ローマカトリック教会]]に背く罪であると非難する内容であった<ref>Mark Anielski, ''The Economics of Happiness: Building Genuine Wealth'' (New Society Publishers, 2007) p197</ref>。
* [[11月2日]] - [[松平乗邑]]、新たに将軍となった[[徳川家重]]によって[[老中]]職を罷免され、隠居を命じられる。
* [[11月8日]] - 1745年ジャコバイト蜂起:「いとしのチャールズ王子」として知られる[[チャールズ・エドワード・ステュアート]]が、[[ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート|彼の父]]を[[ジャコバイト王位継承者の一覧|王位]]に就けんがための戦争を開始して以来、初めて[[スコットランド]]から[[イングランド]]に越境する。[[カンブリア (イングランド)|カンブリア]]、{{仮リンク|ロングタウン (カンブリア州)|en|Longtown, Cumbria|label=ロングタウン}}に到着したチャールズは、近隣の村であったRddingsで一夜を過ごし、明くる日には軍勢を率いて[[エデン川]]右岸を進軍していった<ref name="Buckler">"The White Rose on the Border", by Alison Buckler, in ''The Gentleman's Magazine'' (July 1896) p28</ref>。
* 11月23日 - [[オーストリア継承戦争]]:[[ヘンネルスドルフの戦い]]。[[ハンス・ヨアヒム・フォン・ツィーテン|ツィーテン将軍]]の指揮のもと、プロイセン軍がザクセン軍を急襲し勝利。この敗戦によって、ザクセンの同盟軍であったオーストリアの軍勢が[[ベーメン]]へと撤退する。
* [[11月24日]](延享2年[[11月2日 (旧暦)|11月2日]]) - 徳川家重が[[将軍宣下]]によって正式に[[江戸幕府]]第9代将軍となる。
* [[11月28日]] - [[ジョージ王戦争]]:[[フランス陸軍|フランス]]と{{仮リンク|ワバナキ連邦|en|Wabanaki Confederacy}}([[ミクマク|ミクマク族]]、{{仮リンク|マリシート|en|Maliseet|label=マリシート族}}、[[パサマクォディ|パサマクォディ族]]、[[アベナキ族]]、{{仮リンク|ペノブスコット|en|Penobscot|label=ペノブスコット族}})の連合軍が[[サラトガ郡 (ニューヨーク州)|サラトガ要塞]](現[[ニューヨーク州]]、{{仮リンク|シュイラーヴィル (ニューヨーク州)|en|Schuylerville, New York|label=シュイラーヴィル}})の[[英領アメリカ|イギリス植民地]]を破壊し、要塞と周囲の建物を焼き討ちにし、15人を殺害した<ref>David R. Starbuck, ''The Great Warpath: British Military Sites from Albany to Crown Point'' (University Press of New England, 1999) p28</ref>。他103名の生存者は捕虜とされた。
* [[ファイル:William_Hogarth_007.jpg|代替文=ホガースの『衛兵隊のフィンチリーへの行進』|右|サムネイル|『{{仮リンク|衛兵隊のフィンチリーへの行進|en|The March of the Guards to Finchley}}』、[[ウィリアム・ホガース]]筆。ジャコバイト軍からロンドンを守るべく兵士が召集された。]][[12月4日]] - 1745年ジャコバイト蜂起:スコットランド人のジャコバイト軍がイングランド、[[ダービー (イギリス)|ダービー]]の南端の村、スワークストーンまで侵攻<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=浦田早苗 |date=2010-03 |title=英国ジャコバイト紀行 |url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/29802/ |journal=駒澤大學法學部研究紀要 |issn=03899896 |publisher=駒澤大学 |volume=68 |pages=112-94 |naid=120006616884}}</ref>。この報を受けて[[ロンドン]]は恐慌状態に陥ったが、ジャコバイトの軍勢はこの2日後に撤退を開始した<ref name="Cassell's Chronology3103112">{{cite book|last=Williams|first=Hywel|title=Cassell's Chronology of World History|url=https://archive.org/details/cassellschronolo0000will/page/310|url-access=registration|location=London|publisher=Weidenfeld & Nicolson|year=2005|isbn=0-304-35730-8|pages=[https://archive.org/details/cassellschronolo0000will/page/310 310–311]}}</ref>。[[トレント川]]流域に、このできごとを記念した石碑が作られた<ref name=":0" />。
* [[12月15日]] - オーストリア継承戦争:[[ケッセルスドルフの戦い]]。[[レオポルト1世 (アンハルト=デッサウ侯)|デッサウ侯]]率いるプロイセン軍が、[[ザクセン選帝侯領|ザクセン]]とオーストリア(実際にはほぼザクセンのみであった)の軍勢を潰走させる。
* [[12月17日]] - ザクセンの首都[[ドレスデン]]陥落<ref name="Fragile2" />、プロイセン国王[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]が同市に入城する。
* [[12月18日]] - 1745年ジャコバイト蜂起: {{仮リンク|クリフトン・ムーアの戦い|en|Clifton Moor Skirmish}} - ジャコバイトが[[イギリス軍]]に勝利<ref name="Cassell's Chronology3103112" />。イングランド本土で[[正規軍]]同士で行われた最後の戦闘となった<ref group="注釈">ただし、[[バトル・オブ・ブリテン]]の最中に発生した、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]パイロットと{{仮リンク|ロンドン・アイリッシュ小銃兵連隊|en|London Irish Rifles}}が繰り広げた{{仮リンク|グレイブニー・マーシュの戦い|en|Battle of Graveney Marsh}}を除いた場合。</ref>。
* [[12月23日]] - 1745年ジャコバイト蜂起:{{仮リンク|インヴァルリーの戦い (1745年)|en|Battle of Inverurie (1745)|label=インヴァルリーの戦い}} - ジャコバイトがイギリス軍に勝利。
* [[:en:December_25|12月25日]] - [[ドレスデン条約]]締結。[[第二次シュレージエン戦争]]プ終結しロイセンによる[[シュレジエン]]領有と神聖ローマ皇帝フランツ1世承認が確認された。
* [[12月28日]] - [[イスタンブール]]で[[火災]]が5日間に渡って続く<ref>{{Cite web|url=https://istanbultarihi.ist/393-istanbul-fires-during-the-ottoman-period-and-their-effect-on-the-citys-topography|title=ISTANBUL FIRES DURING THE OTTOMAN PERIOD AND THEIR EFFECT ON THE CITY’S TOPOGRAPHY|accessdate=2021-12-21|publisher=History of Istanbul - Mehmet Akif Aydın|author=Kenan Yıldız|language=en}}</ref>。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1745年生}}
[[ファイル:Ino Tadataka stamp.jpg|サムネイル|伊能忠敬 元絵は青木勝次郎画]]<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* ([[英祖 (朝鮮王)|英祖]]21年) - [[金弘道]]、[[李氏朝鮮]]の[[画家]](+ [[1805年]]以降?)
* [[2月11日]]([[延享]]2年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]) - [[伊能忠敬]]、地理学者(+ [[1818年]])
* [[2月18日]] - [[アレッサンドロ・ボルタ]]、[[イタリア]]の[[物理学者]](+ [[1827年]])
* [[2月20日]] - [[ヨハン・ペーター・ザーロモン]]、[[指揮者]]・[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](+ [[1815年]])
*[[2月24日]] - [[フョードル・ウシャコフ]]、[[ロシア帝国]]の[[海軍大将|提督]]・[[守護聖人]](+[[1817年]])
* [[7月15日]] - [[ジャン=ピエール・ノルブラン・ド・ラ・グルデーヌ]]、[[画家]]・[[彫刻家]](+ [[1830年]])
* 11月9日<ref>{{Cite web |url=http://judaisme.sdv.fr/histoire/rabbins/sintzhei/sintzhei.htm |title=David Sintzheim |access-date=2022-10-08 |language=fr}}</ref><ref>{{Cite web |title=SINZHEIM David (1745-1812), President of the Great Sanhedrin and First Chief Rabbi of the Consistory |url=https://www.napoleon.org/en/history-of-the-two-empires/biographies/sinzheim-david-1745-1812-president-of-the-great-sanhedrin-and-first-chief-rabbi-of-the-consistory/ |website=napoleon.org |access-date=2022-10-08 |language=en-US}}</ref> - {{仮リンク|ダーヴィド・ジンツハイム|en|Joseph David Sinzheim|fr|David Sintzheim}}、[[フランス]]の[[ラビ]]、{{仮リンク|グラン・サンヘドリン|en|Grand Sanhedrin}}の長(+ [[1812年]])
*月日不明 - [[長谷川宣以]]、[[旗本]]・[[火付盗賊改方|火付盗賊改役]]、『[[鬼平犯科帳]]』主人公のモデル(+ [[1795年]])
*月日不明 - トマス・ペテルス、[[オランダ]]の[[スーパーセンテナリアン]](+ [[1857年]])
{{Clear}}
== 死去 ==
{{see also|Category:1745年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->[[ファイル:Robert Walpole, 1st Earl of Orford by Arthur Pond.jpg|サムネイル|ロバート・ウォルポール。{{仮リンク|アーサー・ポンド|en|Arthur Pond|label=}}筆。]]
*[[3月18日]] - [[ロバート・ウォルポール]]、[[イギリスの首相|イギリスの初代首相]](* [[1676年]])
* [[5月9日]] - [[トマソ・アントニオ・ヴィターリ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](* [[1663年]])
* [[5月30日]] - [[ヨハン・アダム・クルムス]]、[[解剖学者]](* [[1689年]])
* [[10月19日]] - [[ジョナサン・スウィフト]]、[[作家]](* [[1667年]])
*[[12月23日]] - [[ヤン・ディスマス・ゼレンカ]]、作曲家(*[[1679年]])
*月日不明 - [[ガルダンツェリン]]、[[ジュンガル]]の[[ホンタイジ (称号)|ホンタイジ]](* 生年不詳)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|25em}}
== 参考文献 ==
* {{citation|和書|ref={{SfnRef|Hartsinck|1770}}|title=Beschryving van Guiana, of de wilde kust in Zuid-America|last=Hartsinck|first=J.J.|year=1770|url=https://www.dbnl.org/tekst/hart038besc01_01/hart038besc01_01_0024.php|publisher=Gerrit Tielenburg|location=Amsterdam|language=nl}}
* {{Cite web|和書|url=https://www.weekly-economist.com/2015/06/02/%E7%89%B9%E9%9B%86-%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E9%87%91%E5%88%A9-2015%E5%B9%B46%E6%9C%882%E6%97%A5%E5%8F%B7/#:~:text=%E9%87%91%E5%88%A9%E3%81%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%B3%E8%AA%9E%E3%81%A7%E3%80%8C%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%A9,%E9%AB%98%E5%88%A9%E3%80%8D%E3%81%A8%E8%A8%B3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82|title=特集:世界史を動かす聖書と金利 2015年6月2日号|accessdate=2021-03-01|publisher=週間エコノミスト|author=[[柳沢哲哉]]|date=2015-06-02}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1745}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}}
{{デフォルトソート:1745ねん}}
[[Category:1745年|*]] | 2003-03-22T08:14:13Z | 2023-11-14T09:34:54Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1745%E5%B9%B4 |
4,842 | 1827年 | 1827年(1827 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。 | [
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] | 1827年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1827}}
{{year-definition|1827}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[丁亥]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]])
** [[文政]]10年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2487年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[道光]]7年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]27年
** [[檀君紀元|檀紀]]4160年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[阮朝]] : [[明命]]8年
* [[仏滅紀元]] : 2369年 - 2370年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1242年6月2日 - 1243年6月12日
* [[ユダヤ暦]] : 5587年4月2日 - 5588年4月13日
* [[ユリウス暦]] : 1826年12月20日 - 1827年12月19日
* [[修正ユリウス日]](MJD) : -11643 - -11279
* [[リリウス日]](LD) : 89198 - 89562
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1827}}
== できごと ==
* [[4月10日]] - イギリスで[[ジョージ・カニング]]内閣([[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]・一部[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]連立政権)が成立。
* [[6月15日]] - イギリス軍艦の{{仮リンク|ブロッサム号|en|HMS Blossom (1806)}}が[[小笠原諸島]][[父島]]に来航し、艦長の[[フレデリック・ウィリアム・ビーチー]]が小笠原諸島の領有宣言を行う。
* [[8月8日]] - カニング首相が在職のまま死去。
* [[8月31日]] - [[フレデリック・ロビンソン (初代ゴドリッチ子爵)|ゴドリッチ子爵]]内閣(トーリー党・一部ホイッグ党連立政権)成立(-[[1828年]])
* [[10月20日]] - [[ナヴァリノの海戦]]。
* [[ジョン・ジェームズ・オーデュボン|オーデュボン]]が「[[アメリカの鳥類]]」を出版した。アメリカの鳥類は1枚ずつ彩色された435枚の図版を特徴とし、視覚的な美しさで幅広い大衆の興味を引いた。{{Sfn|クレッグ|2020|pp=147}}
== 誕生 ==
{{see also|Category:1827年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月27日]](文政10年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[河井継之助]]、[[越後長岡藩|長岡藩]]家老、陽明学者(+ [[1868年]])
* 1月27日(文政10年1月1日) - [[ジョン万次郎]]、[[通訳]](+ [[1898年]])
* [[4月2日]] - [[ウィリアム・ホルマン・ハント]]、[[画家]](+ [[1910年]])
* [[4月5日]] - [[ジョゼフ・リスター]]、[[医学者]](+ [[1912年]])
* [[5月4日]] - [[ジョン・ハニング・スピーク|スピーク]]、[[イギリス]]の[[アフリカ]][[探検家]](+ [[1864年]])
* [[5月10日]] - [[ウィリアム・ウィンダム (財務長官)|ウィリアム・ウィンダム]]、第33・39代[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1891年]])
* [[5月11日]] - [[ジャン=バティスト・カルポー]]、[[彫刻家]]・画家(+ [[1875年]])
* [[5月14日]](文政10年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[中林梧竹]]、[[書道|書家]](+ [[1913年]])
* [[5月31日]](文政10年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[楠本イネ]]、[[医師]](+ [[1903年]])
* [[6月12日]] - [[ヨハンナ・シュピリ]]、[[小説家]](+ [[1901年]])
* [[7月16日]] -(文政10年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[小栗忠順]]、[[江戸幕府]]陸軍奉行(+ [[1868年]])
* [[7月17日]] - [[フレデリック・エイベル]]、イギリスの[[化学者]](+ [[1902年]])
* [[7月28日]](文政10年[[閏]][[6月5日 (旧暦)|6月5日]]) - [[松平慶倫]]、第9代[[津山藩|津山藩主]](+ [[1871年]])
* [[8月20日]] - [[ヨーゼフ・シュトラウス]]、[[作曲家]](+ [[1870年]])
* [[8月30日]] - [[ギーゼラ・フォン・アルニム]]、[[児童文学]]作家(+ [[1889年]])
* [[9月16日]] - [[アルベール・ゴードリー]]、[[地質学者]]・[[古生物学者]](+ [[1908年]])
* [[10月13日]] - [[トマス・ボスウェル・ジーター]]、[[サウスカロライナ州知事の一覧|サウスカロライナ州知事]](+ [[1883年]])
* [[10月16日]] - [[アルノルト・ベックリン]]、画家(+ [[1901年]])
* [[10月29日]] - [[マルセラン・ベルテロ]]、化学者(+ [[1907年]])
* [[11月24日]](文政10年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]) - [[重野安繹]]、[[漢学|漢学者]]・[[歴史家]](+ [[1910年]])
* [[11月27日]](文政10年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]) - [[山内容堂]]、第15代[[土佐藩|土佐藩主]](+ [[1872年]])
* [[12月15日]] - [[ジョゼフ・アレヴィ]]、[[言語学|言語学者]](+ [[1917年]])
* [[12月23日]] - [[ヴィルヘルム・フォン・テゲトフ]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の海軍軍人(+ [[1871年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1827年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月17日]] - [[ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ]]、スイスの教育実践者(* [[1746年]])
* [[2月22日]] - [[チャールズ・ウィルソン・ピール]]、[[画家]]・[[軍人]]・[[博物学|博物学者]](* [[1741年]])
* [[2月24日]]([[文政]]10年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[笠森お仙]]、[[美人画]]のモデルとして知られる女性(* [[1751年]])
* [[3月5日]] - [[アレッサンドロ・ボルタ]]、[[物理学者]](* [[1745年]])
* 3月5日 - [[ピエール=シモン・ラプラス]]、[[数学者]](* [[1749年]])
* [[3月17日]](文政10年[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]) - [[徳川治済]]、[[一橋徳川家]]第2代当主(* [[1751年]])
* [[3月26日]] - [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]、作曲家(* [[1770年]])
* [[4月3日]] - [[エルンスト・クラドニ]]、物理学者(* [[1756年]])
* [[4月25日]](文政10年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[大槻玄沢]]、[[蘭学|蘭学者]](* [[1757年]])
* [[4月30日]](文政10年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[高田屋嘉兵衛]]、[[江戸時代]]後期の廻船業者、海商(* [[1769年]])
* [[5月5日]] - [[フリードリヒ・アウグスト1世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト1世]]、[[ザクセン王国|ザクセン王]](* [[1750年]])
* [[6月20日]] - [[トーマス・ワージントン]]、[[オハイオ州知事]](* [[1773年]])
* [[6月26日]] - [[サミュエル・クロンプトン]]、[[発明家]](* [[1753年]])
* [[7月14日]] - [[オーギュスタン・ジャン・フレネル]]、フランスの物理学者、土木技師(* [[1788年]])
* [[8月2日]](文政10年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[徳川斉明]]、[[清水徳川家]]第4代当主(* [[1810年]])
* [[8月8日]] - [[ジョージ・カニング]]、[[イギリスの首相]]・[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]員(* [[1770年]])
* [[8月12日]] - [[ウィリアム・ブレイク]]、[[画家]]・[[詩人]](* [[1757年]])
* [[9月6日]](文政10年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[市川鰕十郎 (初代)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1777年]])
* [[10月3日]](文政10年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]) - [[菅茶山]]、[[儒学者]]・[[漢詩|漢詩人]](* [[1748年]])
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=ブライアン・クレッグ |translator=石黒 千秋 |title=世界を変えた150の科学の本 |date=2020-02-20 |publisher=創元社 |isbn=978-4-422-40045-7 |ref={{Sfnref|クレッグ|2020}} }}<!-- 第1版第1刷 -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1827}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}}
{{デフォルトソート:1827ねん}}
[[Category:1827年|*]] | null | 2021-12-15T03:20:43Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1827%E5%B9%B4 |
4,844 | 1852年 | 1852年(1852 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。 | [
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] | 1852年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。 | {{年代ナビ|1852}}
{{year-definition|1852}}
== 他の紀年法 ==
* [[干支]]:[[壬子]]
* 日本([[天保暦]])
** 嘉永4年12月10日 - [[嘉永]]5年11月21日
** [[皇紀]]2512年
* [[清]]
** [[咸豊]]元年11月11日 - 咸豊2年11月21日
* [[朝鮮]]
<!--* [[李氏朝鮮]]:独自の年号なし-->
** [[李氏朝鮮]] : [[哲宗 (朝鮮王)|哲宗]]3年
** [[檀君紀元|檀紀]]4185年
* [[阮朝]]([[ベトナム]])
** [[嗣徳]]5年
* [[仏滅紀元]]:2394年 - 2395年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1268年3月8日 - 1269年3月19日
* [[ユダヤ暦]]:5612年4月9日 - 5613年4月20日
* [[修正ユリウス日]](MJD):-2512 - 2147
* [[リリウス日]](LD):98329 - 98694
<div style="font-size:smaller">
※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br />
※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定に伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用禁止。
</div>
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1852}}
== できごと ==
* [[1月17日]] - イギリスが[[トランスヴァール共和国|トランスヴァール]]の独立を承認
* [[2月23日]] - イギリスで第1次[[エドワード・スミス=スタンリー (第14代ダービー伯爵)|ダービー伯爵]]内閣([[保守党 (イギリス)|保守党]]政権)成立
* [[3月20日]] - [[ハリエット・ビーチャー・ストウ|ストウ夫人]]『[[アンクル・トムの小屋]]』出版
* 4月 - イギリスと[[コンバウン朝|ビルマ]]の間で[[第2次英緬戦争]]が勃発。
* [[7月7日]]-[[7月30日]] - イギリスで{{仮リンク|1852年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1852}}。与党[[保守党 (イギリス)|保守党]]、安定した政権運営に必要な議席数得られず。
* [[8月29日]] - 露船[[メンチコフ号]]、下田来航。
* 10月 - 露太平洋艦隊司令官 [[エフィム・プチャーチン|プチャーチン]]中将が極東に向けて[[クロンシュタット]]を出港
* 11月 - 米[[東インド艦隊 (アメリカ海軍)|東インド艦隊]]司令官[[マシュー・ペリー|ペリー]]提督が日本に向けて[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]を出港
* [[11月4日]] - カミッロ・カヴールがサルデーニャ王国首相に就任。
* [[12月2日]] - ルイ=ナポレオン・ボナパルト、[[国民投票]]により皇帝に即位し[[ナポレオン3世]]となる([[フランス第二帝政]])
* [[12月17日]] - イギリスで財務大臣[[ベンジャミン・ディズレーリ|ディズレーリ]]作成の予算案が否決される。ダービー伯爵内閣総辞職不可避に。
* [[12月26日]] - イギリスで[[ジョージ・ハミルトン=ゴードン (第4代アバディーン伯)|アバディーン伯爵]]内閣([[ピール派]]・[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ]]・{{仮リンク|急進派 (イギリス)|label=急進派|en|Radicals (UK)}}連立政権)成立
* [[大英博物館]]完成(1823年着工)
* [[モンテネグロ公国]]が成立。
* [[ピーター・マーク・ロジェ]]が英語語句宝典を出版した。英語語句宝典はロジェが1805年から作り始めた類義語の分類体系をまとめたもの。{{Sfn|クリスチャンソン|2018|p=108|ps=「ロジェの『英語語句宝典』」}}
== 誕生 ==
{{see also|Category:1852年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月26日]] - [[ピエール・ブラザ]]、[[探検家]](+ 1905年)
* [[2月16日]] - [[チャールズ・テイズ・ラッセル]]、[[宗教家]](+ [[1916年]])
* [[2月24日]](嘉永5年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]) - [[寺内正毅]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]]・第18代内閣総理大臣(+ [[1919年]])
* [[3月8日]](嘉永5年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[高村光雲]]、[[彫刻家]](+ [[1934年]])
* [[3月15日]] - [[オーガスタ・グレゴリー]]、[[劇作家]]・[[詩人]](+ [[1932年]])
* [[3月18日]] - [[オーガスタス・ハリス]]、[[俳優]]・興行主・劇作家(+ [[1896年]])
* [[3月22日]] - [[オタカール・シェフチーク]]、[[ヴァイオリニスト]](+ 1934年)
* [[4月4日]] - [[アーサー・コールマン]]、[[地質学者]](+ [[1939年]])
* [[4月14日]](嘉永5年閏[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[児玉源太郎]]、陸軍軍人・[[政治家]](+ [[1906年]])
* [[4月17日]] - [[キャップ・アンソン]]、[[メジャーリーガー]]、(+ [[1922年]])
* [[5月4日]] - [[アリス・リデル|アリス・プレザンス・リデル]]、[[不思議の国のアリス]]・[[鏡の国のアリス]]の主人公のモデル(+ [[1934年]])
* [[5月22日]] - [[エミール・ソーレ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](+ [[1920年]])
* [[6月23日]] - [[ラウール・プーニョ]]、音楽教師・作曲家・[[オルガニスト]](+ [[1914年]])
* [[6月25日]] - [[アントニ・ガウディ]]、[[建築家]](+ [[1926年]])
* [[7月4日]] - [[アルフレート・グリュンフェルト]]、[[ピアニスト]]・作曲家(+ [[1924年]])
* [[7月13日]] - [[ジョージ・ブラッドリー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1931年]])
* [[8月13日]] - [[クリスチャン・クローグ]]、[[画家]]・著述家・[[ジャーナリスト]](+ [[1925年]])
* [[8月19日]](嘉永5年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - [[矢吹璋雲]]、[[画家]](+ [[1927年]])
* [[9月4日]] - [[エイリッフ・ペーテシェン]]、画家(+ [[1928年]])
* [[9月5日]] - [[ハンス・ロイシュ]]、[[地質学者]](+ [[1922年]])
* [[9月12日]] - [[ハーバート・ヘンリー・アスキス]]、[[イギリスの首相]](+ [[1928年]])
* [[9月27日]](嘉永5年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[伊集院五郎]]、[[大日本帝国海軍|海軍]]軍人(+ [[1921年]])
* [[9月28日]] - [[ジョサイア・コンドル]]、[[鹿鳴館]]などを手がけた[[お雇い外国人]]の[[建築家]](+ [[1920年]])
* [[10月2日]] - [[ウィリアム・ラムゼー]]、[[イギリス]]の[[化学者]]、[[ネオン]]などを発見 (+ [[1916年]])
* [[11月3日]](嘉永5年[[9月22日 (旧暦)|9月22日]]) - [[明治天皇]]、第122代[[天皇]](+ [[1912年]])
* [[11月26日]](嘉永5年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[山本権兵衛]]、海軍軍人・第16・22代内閣総理大臣(+ [[1933年]])
* [[12月19日]] - [[アルバート・マイケルソン]]、[[物理学者]](+ [[1931年]])
* [[新村信]]、[[徳川慶喜]]の側室(+ [[1905年]])
<!--
=== 日付不詳 ===
* [[彰仁親王妃頼子]]
* [[浅野一摩]]
* [[葦原金次郎]]
* [[ヴィクトル・アドラー]]
* [[阿部浩]]
* [[阿部正桓]]
* [[荒川邦蔵]]
* [[有坂成章]]
* [[アルヌルフ・フォン・バイエルン]]
* [[ジョシュア・ウィリス・アレグザンダー]]
* [[キャップ・アンソン]]
* [[カールル・イェッセン]]
* [[育徳帝]]
* [[池田博愛]]
* [[石川光明]]
* [[石川総脩]]
* [[市川鰕十郎 (5代目)|市川鰕十郎]]
* [[伊藤伝七 (10代目)|伊藤伝七]]
* [[伊東茂右衛門]]
* [[イポリト・イリゴージェン]]
* [[岩倉具定]]
* [[岩永省一]]
* [[エミリー・ソーン・ヴァンダービルト]]
* [[ダニエル・ウールフォール]]
* [[マックス・カール・ヴィルヘルム・ヴェーバー]]
* [[上田聴秋]]
* [[フランク・ワシントン・ヴェリー]]
* [[歌川国鶴 (2代目)]]
* [[永樂妙全]]
* [[グスタフ・エクマン (海洋学者)|グスタフ・エクマン]]
* [[フランツ・エッケルト]]
* [[大江正路]]
* [[大谷光瑩]]
* [[大森治豊]]
* [[岡村平兵衛]]
* [[岡本柳之助]]
* [[奥村篤輝]]
* [[小倉久]]
* [[押川方義]]
* [[小島範一郎]]
* [[エンリキ・オスワルド]]
* [[織田長猷]]
* [[小野梓]]
* [[小花万次]]
* [[アルフレード・オリアーニ]]
* [[オールドバルディー]]
* [[鹿島秀麿]]
* [[上代知新]]
* [[勝小鹿]]
* [[アーネスト・カッセル]]
* [[門脇重雄]]
* [[金丸鉄]]
* [[ジョン・ガビンズ]]
* [[ヘルマン・カフカ]]
* [[オクターブ・カランドロー]]
* [[川村清雄]]
* [[北田豊三郎]]
* [[木村吉兵衛]]
* [[ジョージ・ギャレット (発明家)|ジョージ・ギャレット]]
* [[ジェイムズ・ミルトン・キャロル]]
* [[ギヨーム4世 (ルクセンブルク大公)|ギヨーム4世]]
* [[ジェームス・クヴァスト]]
* [[楠本高子]]
* [[久保田米僊]]
* [[熊野雄七]]
* [[グリゴレ・クライニチャヌ]]
* [[マンフレート・フォン・クラリー=アルトリンゲン]]
* [[黒崎研堂]]
* [[ゲオルギー・マクシミリアノヴィチ・レイフテンベルクスキー]]
* [[ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ]]
* [[フレデリック・コーウェン]]
* [[高宗 (朝鮮王)|高宗]]
* [[鴻池忠治郎]]
* [[フレデリック・コーダー]]
* [[小林富次郎]]
* [[小松原英太郎]]
* [[小室信介]]
* [[ハーマン・ゴランツ]]
* [[エストゥールネル・ド・コンスタン]]
* [[フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ]]
* [[酒井峰冶]]
* [[櫻井房記]]
* [[佐々木直 (陸軍軍人)|佐々木直]]
* [[佐双左仲]]
* [[ワシーリー・サフォーノフ]]
* [[鮫島晋]]
* [[沢山保羅]]
* [[ハインリヒ・フォン・シーボルト]]
* [[フリッツ・シェール]]
* [[篠崎桂之助]]
* [[島田三郎]]
* [[島津久宝 (加治木家)|島津久宝]]
* [[ダーフィット・シュヴァルツ]]
* [[アドルフ・シュルツ=エヴラー]]
* [[春風亭柳枝 (3代目)|春風亭柳枝]]
* [[春風亭柳朝 (3代目)|春風亭柳朝]]
* [[ジョゼフ・ジョフル]]
* [[新宮凉園]]
* [[チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード]]
* [[瀬木博尚]]
* [[相馬誠胤]]
* [[ウラジーミル・ソコロフスキー=アフトノモフ]]
* [[タウフィーク]]
* [[高木豊三]]
* [[高田慎蔵]]
* [[高野瀬宗則]]
* [[高松豊吉]]
* [[武富邦鼎]]
* [[ダシ=ドルジョ・イチゲロフ]]
* [[伊達宗敦]]
* [[谷沢竜蔵]]
* [[田村邦栄]]
* [[フランシスコ・タレガ]]
* [[千葉卓三郎]]
* [[千葉貞幹]]
* [[土屋挙直]]
* [[坪井玄道]]
* [[テオフィル・デルカッセ]]
* [[ダニエル・デ・レオン]]
* [[田艇吉]]
* [[アーノルド・トインビー]]
* [[東郷実武]]
* [[東郷正路]]
* [[ジョゼフ・ドゥニケール]]
* [[遠山景三]]
* [[ウジェーヌ・ドマルセー]]
* [[豊川良平]]
* [[豊島陽蔵]]
* [[ジョン・ドレイヤー]]
* [[レオナルド・トーレス・ケベード]]
* [[内藤杏圃]]
* [[内藤政挙]]
* [[永井久一郎]]
* [[長澤鼎]]
* [[長島五郎作]]
* [[永見林三郎]]
* [[中村重兵衛]]
* [[中村太郎 (大久保利通従者)|中村太郎]]
* [[中村雄次郎]]
* [[丹羽五郎 (開拓者)|丹羽五郎]]
* [[野崎啓造]]
* [[野沢鶏一]]
* [[ヨーゼフ・バイヤー]]
* [[パウル・フリードリヒ・ツー・メクレンブルク]]
* [[アルトン・パーカー]]
* [[長谷川喬]]
* [[早川省義]]
* [[ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ]]
* [[ヴェーラ・フィグネル]]
* [[エミール・フィッシャー]]
* [[ハンス・フーバー]]
* [[チャールズ・W・フェアバンクス]]
* [[コンスタンティン・フェーレンバッハ]]
* [[深野一三]]
* [[福島安正]]
* [[福原豊功]]
* [[藤田茂吉]]
* [[アルフレッド・ブライアン (風刺画家)|アルフレッド・ブライアン]]
* [[ジョージ・ブラッドリー]]
* [[フレデリック・フランソン]]
* [[フリードリヒ・アウグスト (オルデンブルク大公)|フリードリヒ・アウグスト]]
* [[ヴィルヘルム・プリュショー]]
* [[古谷安民]]
* [[エドワルド・プレスケ]]
* [[ジョン・ヘンリー・ポインティング]]
* [[ジョン・フレンチ]]
* [[アンリ・ベクレル]]
* [[ユリウス・リヒャルト・ペトリ]]
* [[ホセ・グアダルーペ・ポサダ]]
* [[本因坊秀栄]]
* [[本多忠伸]]
* [[エドウィン・マーカハム]]
* [[ジョン・マキム]]
* [[クロード・マクドナルド]]
* [[真島襄一郎]]
* [[ジョージ・アーサー・マシューズ]]
* [[益田克徳]]
* [[パーシー・マッコイド]]
* [[松下久吉]]
* [[松田秀彦]]
* [[松平信正 (丹波亀山藩主)|松平信正]]
* [[松野勇雄]]
* [[松室致]]
* [[ガブリエル・マリ]]
* [[マリー・フォン・バッテンベルク]]
* [[マリア・ダス・ネヴェス・デ・ブラガンサ]]
* [[ウィリアム・マルドゥーン]]
* [[丸毛利恒]]
* [[宮城浩蔵]]
* [[宮地堅磐]]
* [[三好胖]]
* [[村岡平吉]]
* [[村上正路]]
* [[チャールズ・サンガー・メレン]]
* [[アンリ・モアッサン]]
* [[毛利親直]]
* [[餅原平二]]
* [[森下岩楠]]
* [[矢代操]]
* [[矢部善蔵]]
* [[山崎直胤]]
* [[山田才吉]]
* [[山本信行 (陸軍軍人)|山本信行]]
* [[吉川泰次郎]]
* [[吉田正春]]
* [[ヨゼフ・フライナーデメッツ]]
* [[ビール・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ]]
* [[サンティアゴ・ラモン・イ・カハール]]
* [[廖平]]
* [[フェルディナント・フォン・リンデマン]]
* [[フリードリヒ・レフラー]]
* [[アーサー・ロイド]]
* [[和久正辰]]
-->
== 死去 ==
{{see also|Category:1852年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月6日]] - [[ルイ・ブライユ]]、[[フランス]]の[[点字]]開発者(* [[1809年]])
* [[3月4日]] - [[ニコライ・ゴーゴリ]]、[[ロシア]]の[[小説家]](* [[1809年]])
* [[3月22日]] - [[オーギュスト・マルモン]]、[[フランス元帥]](* [[1774年]])
* [[5月15日]] - [[ルイーザ・アダムズ]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](* [[1775年]])
* [[6月21日]] - [[フリードリヒ・フレーベル]]、ドイツの[[教育者]]、幼児教育の祖(*[[1782年]])
* [[6月23日]] - [[カール・ブリューロフ]]、[[画家]](* [[1799年]])
* [[7月9日]] - [[トマス・マッキーン・トンプソン・マッケナン]]、第2代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1794年]])
* [[7月24日]]([[嘉永]]5年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[真田幸貫]]、[[大名]]、[[松代藩]]第8代藩主(* [[1791年]])
* [[7月30日]](嘉永5年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[帆足万里]]、[[儒学者]]・[[経世家]](*[[1778年]])
* [[9月14日]] - 初代[[ウェリントン公爵]][[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|アーサー・ウェルズリー]]、イギリスの[[軍人]]・[[政治家]](*[[1769年]])
* [[11月12日]](嘉永5年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[桜井梅室]]、[[俳人]](*[[1769年]])
* [[12月31日]](嘉永5年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]]) - [[銭屋五兵衛]]、[[加賀藩]]の[[豪商]]・[[北前船]]経営者(*[[1774年]])
<!-- == 注釈 ==
{{Reflist|group="注"}} -->
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book ja-jp |author={{仮リンク|スコット・クリスチャンソン|en|Scott Christianson}} |year=2018 |title=図説 世界を変えた100の文書 |publisher=創元社 |isbn=978-4-422-21530-3 |ref={{Sfnref|クリスチャンソン|2018}}}}<!-- 2018年6月20日第1版第1刷 発行 -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1852}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}}
{{デフォルトソート:1852ねん}}
[[Category:1852年|*]] | 2003-03-22T08:15:15Z | 2023-11-12T12:19:09Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1852%E5%B9%B4 |
4,845 | 1788年 | 1788年(1788 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる閏年。 | [
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] | 1788年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる閏年。 | {{年代ナビ|1788}}
{{year-definition|1788}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[戊申]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[天明]]8年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2448年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[乾隆]]53年
*** [[林爽文]]{{Sup|*}} : [[順天 (林爽文)|順天]]2年(旧正月まで)
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]12年
** [[檀君紀元|檀紀]]4121年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[昭統]]2年
** [[西山朝]] : [[泰徳]]11年、[[光中]]元年11月 -
* [[仏滅紀元]] : 2330年 - 2331年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1202年 - 1203年
* [[ユダヤ暦]] : 5548年 - 5549年
* [[ユリウス暦]] : 1787年12月21日 - 1788年12月20日
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1788}}
== できごと ==
* [[1月1日]] - [[タイムズ]]紙創刊(デイリー・ユニバーサル・レジスターより改名){{要出典|date=2021-04}}
* [[1月18日]] - [[ファースト・フリート]]のサプライ号が[[オーストラリア]]の[[ボタニー湾]]に到着
* [[3月7日]]([[天明]]8年[[1月30日]]) - [[天明の大火]]により[[京都]]の大半が焼失
* [[6月26日]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]が[[交響曲第39番 (モーツァルト)|交響曲第39番]]を作曲
* 6月 - [[第一次ロシア・スウェーデン戦争]]開戦。(-[[1790年]])
* [[7月25日]] - モーツァルトが[[交響曲第40番 (モーツァルト)|交響曲第40番]]を作曲
* [[8月8日]] - [[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]が1789年5月の[[三部会]]開催に同意
* [[8月10日]] - モーツァルトが[[交響曲第41番 (モーツァルト)|交響曲第41番]]を作曲
* [[エドワード・ギボン]]、『ローマ帝国衰亡史』を完結
* 10年間に渡って、南米のペルーとチリの植物調査を行った、[[イポリト・ルイス・ロペス]]らがスペインに帰還した。3,000種の植物などを収集した。
=== アメリカ ===
* [[1月2日]] - [[ジョージア州|ジョージア]]が4番目の州となる
* [[1月9日]] - [[コネチカット州|コネチカット]]が5番目の州となる
* [[2月6日]] - [[マサチューセッツ州|マサチューセッツ]]が6番目の州となる
* [[3月21日]] - {{仮リンク|ニューオーリンズ大火|en|Great New Orleans Fire (1788)}}により[[ニューオーリンズ]]の大半が焼失
* [[4月28日]] - [[メリーランド州|メリーランド]]が7番目の州となる
* [[5月23日]] - [[サウスカロライナ州|サウスカロライナ]]が8番目の州となる
* [[6月21日]] - [[ニューハンプシャー州|ニューハンプシャー]]が9番目の州となる
* [[6月25日]] - [[バージニア州|バージニア]]が10番目の州となる
* [[7月26日]] - [[ニューヨーク州|ニューヨーク]]が11番目の州となる
== 誕生 ==
{{see also|Category:1788年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月22日]] - [[ジョージ・ゴードン・バイロン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Lord-Byron-poet Lord Byron English poet] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[イギリス]]の[[詩人]](+ [[1824年]])
* [[2月5日]] - [[ロバート・ピール]]、[[イギリスの首相]](+ [[1850年]])
* [[2月22日]] - [[アルトゥル・ショーペンハウアー]]、[[哲学者]](+ [[1860年]])
* [[5月10日]] - [[オーギュスタン・ジャン・フレネル]]、フランスの物理学者、土木技師(+ [[1827年]])
* [[6月21日]] - [[アウグステ・フォン・バイエルン]]、[[ロイヒテンベルク公|ロイヒテンベルク公妃]](+ [[1851年]])
* [[9月21日]] - [[ヘアート・アドリアーンス・ブームハールト]]、[[オランダ]]、110歳を迎えた人物として初めての確証のある人物(+ [[1899年]])
* [[11月28日]]([[天明]]8年[[11月1日 (旧暦)|11月1日]])- [[菊池容斎]]、[[絵師]]・『[[前賢故実]]』作者(+ [[1878年]])
* [[12月29日]] - [[クリスチャン・トムセン]]、[[考古学者]](+ [[1865年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1788年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月14日]] - [[フランソワ・ド・グラス]]、フランスの貴族、海軍提督(* [[1722年]])
* [[1月31日]] - [[チャールズ・エドワード・ステュアート]]、[[ジャコバイト]]の王(* [[1720年]])
* [[2月18日]] - [[ジョン・ホワイトハースト]]、時計職人・[[科学者]](* [[1713年]])
* [[4月16日]] - [[ビュフォン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Georges-Louis-Leclerc-comte-de-Buffon Georges-Louis Leclerc, count de Buffon French naturalist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[博物学者]]・[[数学者]](* [[1707年]])
* [[8月2日]] - [[トマス・ゲインズバラ]]、[[画家]](* [[1727年]])
* [[12月14日]] - [[カルロス3世 (スペイン王)|カルロス3世]]、[[スペイン君主一覧|スペイン王]](* [[1716年]])
* [[12月19日]] - [[フアン・バウティスタ・デ・アンサ]]、[[開拓者]](* [[1736年]])
== フィクションのできごと ==
* [[1638年]]で地球の周回軌道に乗せたネメシスが地球に接近する。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1788}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}}
{{デフォルトソート:1788ねん}}
[[Category:1788年|*]] | null | 2022-03-12T14:55:58Z | false | false | false | [
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"Template:十年紀と各年"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1788%E5%B9%B4 |
4,846 | 1714年 | 1714年(1714 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。 | [
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] | 1714年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1714}}
{{year-definition|1714}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[甲午]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[正徳 (日本)|正徳]]4年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2374年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[康熙]]53年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]40年
** [[檀君紀元|檀紀]]4047年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[永盛 (黎朝)|永盛]]10年
* [[仏滅紀元]] : 2256年 - 2257年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1125年 - 1126年
* [[ユダヤ暦]] : 5474年 - 5475年
* [[ユリウス暦]] : 1713年12月21日 - 1714年12月20日
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1714}}
== できごと ==
* [[8月1日]] - [[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]が即位し、[[イギリス]]・[[ハノーヴァー朝]]が成立。
* [[8月7日]] - ([[大北方戦争]])[[ハンゲの海戦]](ガングートの海戦)、[[ロシア海軍]]が[[スウェーデン海軍]]に勝利。
* 9月-10月、ジョージ1世の主導でイギリスで政権交代。閣僚トーリー党からホイッグ党へ入れ替え。
* [[ラシュタット条約]]、[[スペイン継承戦争]]終結。
=== 日本 ===
* [[2月26日]](正徳4年[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]) - [[御年寄|大奥御年寄]]の[[絵島]]が[[江戸城]]の門限に遅刻し、[[生島新五郎]]との密通や[[大奥]]の緩みが暴露され、大奥に対する大粛正が行なわれる。([[江島生島事件]])
* [[4月7日]](正徳4年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]]) - [[井伊直興|井伊直該]]が隠退により[[大老]]を辞任。
* [[4月18日]](正徳4年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - 江島生島事件: [[大奥]][[御年寄]][[絵島]]の[[信濃国]]高遠への配流が決定。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1714年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月2日]]([[正徳 (日本)|正徳]]3年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]) - [[松平武元]]、[[老中]](+ [[1779年]])
* 2月2日 - [[ゴットフリート・アウグスト・ホミリウス]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]](+ [[1785年]])
* [[3月8日]] - [[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Carl-Philipp-Emanuel-Bach Carl Philipp Emanuel Bach German composer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J・S・バッハ]]の次男、作曲家(+ [[1788年]])
* [[6月6日]] - [[ジョゼ1世 (ポルトガル王)|ジョゼ1世]]、[[ポルトガル]][[国王|王]](+ [[1777年]])
* [[7月2日]] - [[クリストフ・ヴィリバルト・グルック]]、作曲家(+ [[1787年]])
* [[9月10日]] - [[ニコロ・ヨンメッリ]]、作曲家(+ [[1774年]])
* [[12月18日]] - [[ニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージ]]、[[元帥]](+ [[1790年]])
* [[12月31日]](正徳4年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]) - [[有馬頼徸]]、[[筑後国]][[久留米藩]][[藩主|主]](+ [[1783年]])
* 月日不明 - [[ミハイル・ヴォロンツォフ]]、[[政治家]]、[[外交官]](+ [[1767年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1714年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[5月1日]] - [[アン (イギリス女王)|アン]]、[[グレートブリテン王国]][[女王]](* [[1665年]])
* [[9月3日]] - [[ピエトロ・アントニオ・フィオッコ]]、作曲家(* [[1654年]])
* [[9月22日]](正徳4年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[秋元喬知]]、老中(* [[1649年]])
* [[10月5日]](正徳4年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]) - [[貝原益軒]]、[[本草学|本草学者]]、[[儒学者]](* [[1630年]])
* [[10月18日]](正徳4年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]) - [[竹本義太夫]]、[[義太夫節]]開祖(* [[1651年]])
* [[11月27日]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ]]、[[宣教師]](* [[1668年]])
* [[12月5日]](正徳4年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]) - [[池田綱政]]、[[岡山藩]]主(* [[1638年]])
* [[12月8日]](正徳4年[[11月2日 (旧暦)|11月2日]]) - [[柳沢吉保]]、[[側用人]]、[[大老]](* [[1658年]])
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1714}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}}
{{デフォルトソート:1714ねん}}
[[Category:1714年|*]] | null | 2021-06-01T13:42:32Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1714%E5%B9%B4 |
4,847 | 1870年 | 1870年(1870 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。 | [
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] | 1870年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。 | '''1870年'''(1870 ねん)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])による、[[土曜日から始まる平年]]。
== 他の紀年法 ==
* [[干支]]:[[庚午]]
* [[日本]]([[天保暦]])
** [[明治]]2年[[11月30日 (旧暦)|11月30日]] - 明治3年[[11月10日 (旧暦)|11月10日]]
** [[皇紀]]2530年
* [[清]]:[[同治]]8年11月30日 - 同治9年11月10日
* [[朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]7年
** [[檀君紀元|檀紀]]4203年
* [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]22年11月30日 - 嗣徳23年11月10日
* [[仏滅紀元]]:2412年 - 2413年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1286年9月28日 - 1287年10月7日
* [[ユダヤ暦]]:5630年4月28日 - 5631年4月7日
* [[修正ユリウス日]](MJD):4063 - 4427
* [[リリウス日]](LD):104904 - 105268
<div style="font-size:smaller">
※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br />
※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定に伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用禁止。
</div>
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1870}}
== できごと ==
=== 1月 ===
* [[1月3日]] - ニューヨークで[[ブルックリン橋]]着工([[1883年]]完成){{要出典|date=2021-03}}
* [[1月6日]] - ウィーンで[[ムジークフェライン]]開場{{要出典|date=2021-04}}
* [[1月10日]] - [[スタンダード・オイル]]設立([[ジョン・ロックフェラー]]ら)
* [[1月21日]](明治2年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[江藤新平]]暗殺未遂
* [[1月22日]](明治2年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]) - [[ジャパン・ウィークリー・メイル]](The Japan Weekly Mail)創刊
* [[1月26日]](明治2年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - 東京・横浜間に[[電信]]開通
=== 2月 ===
* [[2月3日]](明治3年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]])
** [[大教宣布の詔]]
** 米国で[[アメリカ合衆国憲法修正第15条|憲法修正第15条]]批准
* [[2月9日]] - 米国で気象局(後の[[アメリカ国立気象局|国立気象局]])設立
* [[2月14日]] - [[エスター・モリス]]が初めての女性判事となる。
* [[2月26日]] - アルフレッド・ビーチの手により、ニューヨーク市で初の[[:en:Beach Pneumatic Transit|地下鉄路線]]が開通する。
* [[2月27日]](明治3年[[1月27日 (旧暦)|1月27日]]) - [[日章旗]]が国旗となる(商船規則)
=== 3月 ===
* [[3月14日]](明治3年[[2月13日 (旧暦)|2月13日]]) - [[樺太開拓使]]設立
* [[3月18日]] - 米国初の[[米国国定野生動物保護区|国定野生動物保護区]]([[:en:National Wildlife Refuge|National Wildlife Refuge]])指定([[メリット湖]])
* [[3月19日]](明治3年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - 横浜・新橋間の[[日本の鉄道開業|鉄道]]着工([[1872年]]開業)
=== 4月 ===
* [[4月13日]] - ニューヨークで[[メトロポリタン美術館]]創立([[1872年]]開館)
=== 5月 ===
* [[5月12日]] - [[マニトバ]]が[[カナダ自治領]]に加入
* [[5月15日]](明治3年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[玉川上水]]通船許可(水質汚濁が問題になり[[1872年]]禁止)
* [[5月23日]](明治3年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[私塾立命館]]に閉鎖命令
* [[5月24日]](明治3年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[種痘]]の全国実施を施行
=== 6月 ===
* [[6月5日]] - [[イスタンブール]]で大火(焼失三千戸、死者九百名)
* [[6月11日]](明治3年[[5月13日 (旧暦)|5月13日]])
** [[庚午事変]]
** [[アムステルビール]]創立
* [[6月26日]]
** [[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]楽劇「[[ワルキューレ (楽劇)|ワルキューレ]]」初演
** 米国で[[クリスマス]]が連邦休日となる
=== 7月 ===
* [[7月1日]] - 米国で[[アメリカ合衆国司法省|司法省]]設立
* [[7月8日]](明治3年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[樫野埼灯台]]点灯
* [[7月13日]] - [[エムス電報事件]]
* [[7月15日]] - [[ハドソン湾会社]]が[[ルパート・ランド]]を[[カナダの歴史#自治領カナダ|自治領カナダ]]に委譲
* [[7月18日]] - {{仮リンク|パストル・エテルヌス|en|Pastor aeternus}}: ローマ教皇[[ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世]]が[[教皇不可謬説]]を宣言
* [[7月19日]] - [[普仏戦争]]: [[フランス第二帝政|フランス]]が[[プロイセン王国]]に宣戦布告
=== 8月 ===
* [[8月24日]](明治3年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - 日本は[[普仏戦争]]に対して局外[[中立]]を宣言([[常備艦隊]])
=== 9月 ===
* [[9月1日]] - [[普仏戦争]]: [[セダンの戦い]]。プロイセン王国が完勝。フランス皇帝ナポレオン3世が捕虜となる。
* [[9月4日]] - [[ナポレオン3世]]を廃位し[[フランス第三共和政]]成立
* [[9月15日]](明治3年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - 大坂・神戸間に[[電信]]開通
* [[9月17日]](明治3年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[東京府]]下に中学校開設
* [[9月19日]] - [[普仏戦争]]: パリの包囲が始まる( - [[1871年]])
* [[9月20日]] - [[イタリア王国]]軍が[[ローマ]]に進軍し[[教皇領|教皇国家]]滅亡([[イタリア]]の領土が現在とほぼ同様に)
* [[9月26日]](明治3年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[築地ホテル館]]民間払下げ
* 英語塾(後の[[フェリス女学院中学校・高等学校|フェリス女学院]])開校([[メアリー・キダー]])<!--和暦9月のいつか-->
=== 10月 ===
* [[10月6日]] - [[ローマ]]が[[イタリア王国]]の首都となる
* [[10月13日]](明治3年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[苗字]]許可令(庶民苗字差許)
* [[10月20日]] - [[第1バチカン公会議]]が無限延期
* [[10月26日]](明治3年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - 兵制統一布告(陸軍:フランス式、海軍:英国式)
*太政官布告745号により[[陰陽道]]廃止
=== 11月 ===
* [[11月16日]] - [[アマデオ1世 (スペイン王)|アマデオ1世]]がスペイン王となる
* [[11月29日]] - 英国で[[義務教育]]導入
=== 12月 ===
* [[12月12日]](明治3年閏[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]) - [[工部省]]設立([[民部省]]より分離)
* [[12月25日]](明治3年[[11月4日 (旧暦)|11月4日]]) - 東京海軍所を[[海軍兵学寮]]、大坂兵学寮を[[陸軍兵学寮]]と改称
* [[12月26日]] - [[フレジュス鉄道トンネル]]開通(最初のアルプス貫通トンネル)
* [[12月28日]] - 元スペイン首相[[フアン・プリム]]暗殺(12月30日死亡)
* [[仮名垣魯文]]「[[西洋道中膝栗毛]]」刊行開始
=== 日付不詳 ===
* ロンドンで[[ヴィクトリア・エンバンクメント]]完成([[1864年]]着工)
* [[横浜グランドホテル]]開業(英国公使館跡地)
== 誕生 ==
{{see also|Category:1870年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月2日]] - [[エルンスト・バルラハ]]、[[彫刻家]]・[[画家]]・[[劇作家]](+ [[1938年]])
* [[1月5日]] - [[ビル・ダーレン]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1950年]])
* [[1月16日]] - [[ジミー・コリンズ]]、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の[[プロ野球選手]]・[[ボストン・レッドソックス]]初代監督(+ [[1943年]])
* [[2月7日]] - [[アルフレッド・アドラー]]、[[精神科医、心理学者、社会理論家]] (+ [[1937年]])
* [[2月13日]] - [[レオポルド・ゴドフスキー]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](+ 1938年)
* [[3月10日]](明治3年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]) - [[中馬庚]]、教育家(+ [[1932年]])
* [[3月24日]](明治3年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]])- [[本多光太郎]]、[[物理学者]]・冶金学者(+ [[1954年]])
* [[4月10日]] - [[ジョーゼフ・ピューリツァー]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1911年]])
* [[4月17日]](明治3年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[三田村鳶魚]]、[[江戸]]文化研究家(+ [[1952年]])
* [[4月19日]] - [[幸田延]]、[[音楽家]](+ [[1946年]])
* [[4月22日]]([[ユリウス暦]]4月10日) - [[ウラジーミル・レーニン]]、[[ロシア]][[ボリシェビキ]]の指導者(+ [[1924年]])
* 4月22日 - [[ダク・パワーズ]]、メジャーリーガー(+ [[1909年]])
* [[4月30日]] - [[フランツ・レハール]]、[[作曲家]](+ [[1948年]])
* [[5月1日]](明治3年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[濱口雄幸]]、[[大蔵省|大蔵]][[官僚]]・第27代[[内閣総理大臣]](+ [[1931年]])
* [[5月4日]](明治3年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[鳥居龍蔵]]、[[考古学者]]・[[人類学者]]・[[民俗学者]](+ [[1953年]])
* 5月4日 - [[アレクサンドル・ベノワ]]、[[美術家]]・舞台[[デザイナー]](+ [[1960年]])
* [[6月12日]] - [[エルンスト・シュトローマー]]、[[古生物学者]](+ [[1952年]])
* [[6月13日]] - [[ジュール・ボルデ]]、[[細菌学者]](+ [[1961年]])
* [[6月14日]](明治3年[[5月16日 (旧暦)|5月16日]]) - [[今村明恒]]、[[地震学者]](+ [[1948年]])
* 6月14日 - [[イヴァン・ハリトーノフ]]、[[コック (家事使用人)|料理人]](+ [[1918年]])
* [[6月17日]](明治3年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]) - [[西田幾多郎]]、[[哲学者]](+ [[1945年]])
* [[7月1日]](明治3年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[坂田三吉]]、[[将棋棋士]](+ [[1946年]])
* 7月1日(明治3年6月3日)- [[井上剣花坊]]、[[川柳]]作家(+ [[1934年]])
* [[7月4日]](明治3年[[6月6日 (旧暦)|6月6日]]) - [[巖谷小波]]、[[児童文学作家]](+ [[1933年]])
* [[7月23日]](明治3年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]])- [[梶田半古]]、[[日本画家]](+ [[1917年]])
* [[7月25日]] - [[マックスフィールド・パリッシュ]]、[[画家]](+ [[1966年]])
* [[8月2日]](明治3年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]])- [[鈴木禎次]]、[[建築家]](+ [[1941年]])
* [[8月23日]] - [[ジョージ・デイヴィス (内野手)|ジョージ・デイヴィス]]、メジャーリーガー(+ [[1940年]])
* [[9月2日]](明治3年[[8月7日 (旧暦)|8月7日]]) - [[笹川臨風]]、[[歴史家]]・美術[[評論家]](+ [[1949年]])
* [[9月13日]](明治3年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - [[斎藤隆夫]]、[[国会議員|衆議院議員]](+ [[1949年]])
* [[9月17日]](明治3年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[横田千之助]]、[[政治家]](+ [[1925年]])
* [[10月4日]](明治3年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]) - [[木村栄]]、[[天文学者]](+ [[1943年]])
* [[10月8日]](明治3年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[土方久徴]]、[[財政家]]、第12代[[日本銀行総裁]](+ [[1942年]])
* [[10月26日]](明治3年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[加藤寛治]]、[[日本海軍]]の[[連合艦隊司令長官]]・[[軍令部|軍令部長]](+ [[1939年]])
* [[10月27日]](明治3年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]) - [[久保田権四郎]]、[[実業家]]、[[クボタ]] 創業者(+ [[1959年]])
* [[11月8日]](明治3年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[細野正文]]、[[タイタニック (客船)|タイタニック号]]の唯一の日本人乗客 (+ [[1939年]])
* 11月8日(明治3年10月15日) - [[安保清種]]、[[軍人]]、[[海軍大将]](+ [[1948年]])
* [[11月11日]](明治3年[[10月18日 (旧暦)|10月18日]]) - [[鈴木大拙]]、[[仏教学者]](+ [[1966年]])
* [[11月20日]](明治3年[[10月27日 (旧暦)|10月27日]]) - [[菊池幽芳]]、[[小説家]](+ [[1947年]])
* [[11月25日]] - [[モーリス・ドニ]]、[[画家]]・著述家(+ [[1943年]])
* [[11月30日]] - [[フランク・キレン]]、メジャーリーガー(+ [[1931年]])
* [[12月5日]] - [[ヴィーチェスラフ・ノヴァーク]]、[[作曲家]](+ [[1949年]])
* [[12月18日]] - [[サキ (小説家)|サキ]]、[[小説家]](+ [[1916年]])
* [[12月23日]] - [[ジョン・マリン]]、[[画家]]・[[版画家]](+ [[1953年]])
* [[12月31日]] - [[トム・コナリー]]、[[メジャーリーグ]]審判(+ [[1961年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1870年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月10日]] - [[イグナーツ・モシェレス]]、[[作曲家]](* [[1794年]])
* [[3月26日]] - [[チャールズ・グリーン (気球乗り)|チャールズ・グリーン]]、[[気球|気球家]](* [[1785年]])
* [[4月8日]] - [[シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](* [[1802年]])
* [[5月25日]] - [[フェルディナント・フォン・ウランゲル]]、[[軍人]]・[[探検家]](* [[1796年]])
* [[6月9日]] - [[チャールズ・ディケンズ]]、小説家(* [[1812年]])
* [[6月20日]] - [[ジュール・ド・ゴンクール]]、小説家・美術評論家(* [[1830年]])
* [[7月22日]] - [[ヨーゼフ・シュトラウス]]、作曲家(* [[1827年]])
* [[8月16日]](明治3年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[小松清廉]]、[[薩摩藩]]士、[[政治家]](* [[1835年]])
* [[11月24日]] - [[ロートレアモン伯爵]]、[[詩人]]・[[作家]](* [[1846年]])
* [[12月5日]] - [[アレクサンドル・デュマ・ペール]]、小説家(* [[1802年]])
== フィクションのできごと ==
* [[4月7日]] - [[ネモ船長]]らが[[ミステリアスアイランド#プロメテウス火山|プロメテウス火山]]で地底世界へと通じる洞窟を発見する。(アトラクション『[[センター・オブ・ジ・アース (アトラクション)|センター・オブ・ジ・アース]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author = |title = 子どもといく東京ディズニーシー ナビガイド 2015-2016 |publisher = [[講談社]] |year = 2014 |page = 128 |isbn = 978-4-06-270695-7}}</ref>
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1870}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}}
{{デフォルトソート:1870ねん}}
[[Category:1870年|*]] | null | 2023-07-18T04:50:46Z | false | false | false | [
"Template:仮リンク",
"Template:See also",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite book",
"Template:Commonscat",
"Template:十年紀と各年",
"Template:年間カレンダー",
"Template:Reflist",
"Template:要出典"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1870%E5%B9%B4 |
4,848 | 604年 | 604年(604 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 | [
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"text": "604年(604 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。",
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}
] | 604年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 | {{年代ナビ|604}}
{{year-definition|604}}
== 他の紀年法 ==
* [[干支]] : [[甲子]]
* [[日本]]
** [[推古天皇]]12年
** [[皇紀]]1264年
* [[中国]]
** [[隋]] : [[仁寿 (隋)|仁寿]]4年
* [[朝鮮]]
** [[高句麗]]:[[嬰陽王]]15年
** [[百済]]:[[武王 (百済)|武王]]5年
** [[新羅]]:(王)[[真平王]]26年、(元号)[[建福 (新羅)|建福]]21年
** [[檀紀]]2937年
* [[ベトナム]] :
* [[仏滅紀元]] :
* [[ユダヤ暦]] : 4364年 - 4365年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=604|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[日本]]で初めて[[暦]]を使用。[[十七条憲法]]を制定。
* [[隋]]で[[煬帝]]が第2代皇帝として即位する。
== 誕生 ==
{{see also|Category:604年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[李智雲]]、[[中国]]の[[唐]]の高祖[[李淵]]の五男(+ [[617年]])
* [[李道玄]]、中国の唐の[[宗室]](+ [[622年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:604年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月12日]] - [[グレゴリウス1世 (ローマ教皇)|グレゴリウス1世]]、第64代目[[教皇|ローマ教皇]](* [[540年]])
* [[8月13日]]([[仁寿 (隋)|仁寿]]4年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[楊堅|楊堅(文帝)]]、[[隋]]の初代[[皇帝]](* [[541年]])
* [[12月16日]](仁寿4年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]]) - [[陳叔宝|陳叔宝(後主)]]、[[陳 (南朝)|陳]]の末代[[皇帝]](* [[553年]])
* [[張煚]]、[[中国]]の[[西魏]]、[[隋]]の[[政治家]](* [[531年]])
* [[豆盧毓]]、中国の隋の[[軍人]](* [[577年]])
* [[楊勇]]、隋の皇子(* 生年不明)
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|604}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=7|年代=600}}
{{デフォルトソート:604ねん}}
[[Category:604年|*]] | 2003-03-22T08:17:59Z | 2023-09-04T16:01:02Z | false | false | false | [
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"Template:年間カレンダー",
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"Template:脚注ヘルプ",
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"Template:年代ナビ",
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"Template:See also"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/604%E5%B9%B4 |
4,849 | 540年 | 540年(540 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 | [
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"text": "540年(540 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。",
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] | 540年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 | {{年代ナビ|540}}
{{year-definition|540}}
== 他の紀年法 ==
* [[干支]]:[[庚申]]
* [[日本]]
** [[欽明天皇]]元年
** [[皇紀]]1200年
* [[中国]]
** [[梁 (南朝)|梁]]:[[大同 (梁)|大同]]6年
** [[東魏]]:[[興和 (東魏)|興和]]2年
** [[西魏]]:[[大統]]6年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高句麗]]:[[安原王]]10年
** [[百済]]:[[聖王 (百済)|聖王]]18年
** [[新羅]]:(王)[[法興王]]27年、[[真興王]]元年、(元号)[[建元 (新羅)|建元]]5年
** [[檀紀]]2873年
* [[ベトナム]]:
* [[仏滅紀元]]:
* [[ユダヤ暦]]:
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== カレンダー ==
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== できごと ==
* [[12月30日]](欽明天皇元年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]]) - 第29代[[天皇]]・[[欽明天皇]]が即位
* [[大伴金村]]、[[任那]]問題を巡り失脚
* [[渡来人]](秦氏・漢氏)の戸籍を作成
== 誕生 ==
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* [[クレオダ (マーシア王)|クレオダ]]、[[七王国時代]]の[[マーシア王国]]の国王(+ [[593年]])
* [[高構]]、[[隋]]の[[政治家]](+ [[611年]])
* [[薛道衡]]、[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]][[北斉]]、隋の文学者(+ [[609年]])
* [[ティベリウス2世]]、[[東ローマ帝国]][[ユスティニアヌス王朝]]の第4代[[皇帝]](+ [[582年]])
== 死去 ==
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* 7月 - [[法興王]]、[[新羅]]の第23代の王(* 生年不詳)
* [[ウィティギス]]、[[東ゴート王国]]の第5代国王(* 生年未詳)
== 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
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4,850 | 朝比奈隆 | 朝比奈 隆(あさひな たかし、1908年(明治41年)7月9日 - 2001年(平成13年)12月29日)は、大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた日本の指揮者。位階は従三位。
左利き(指揮棒は右だが、包丁は左(木之下晃の写真集より))。朝比奈の出生には謎があり、中丸美繪著『オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練』が詳しい。
著名な家族に、長男の朝比奈千足(指揮者、クラリネット奏者)。
東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷砂土原町の小島家に生まれ、生後まもなく鉄道院技師朝比奈林之助 の養子となり朝比奈姓となる。
虚弱児だったため乳母と共に神奈川県国府津の漁村に預けられ、国府津町立国府津尋常小学校(現:国府津小)を経て小田原町立第三尋常小学校(現:新玉小)に学ぶ。小学校3年の3学期から東京に呼び戻され、麻布尋常小学校(現:港区立麻布小学校)に転入学。まもなく中学受験に有利ということで東京府青山師範学校附属小学校(現:学芸大附属世田谷小)に転じた。旧制中学校受験では、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大附属中・高)や東京府立・東京市立の有名校にことごとく不合格となり、裏口入学のような形で私立高千穂中学校に進む。1922年(大正11年)3月、7年制高等学校である官立旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)尋常科2年の編入試験に合格して同校に転入学した。中野区南台に通学する。
1923年(大正12年)に養父を亡くし、1925年(大正14年)には養母も病歿したため、朝比奈姓のまま生家の小島家に戻る。この養父母の死によって、朝比奈は実父が渡辺嘉一と知る。また、実母に関しても朝比奈の長男朝比奈千足は、朝比奈隆伝の著者・中丸美繪に「父が、嘉一と小島里との間の子供であること、父が里の三男であることに関しては確証がありません」と証言している。同年9月の関東大震災で焼け出されて朝比奈家で同居していた父方の親戚の岡部左久司(当時、早稲田高等学院在学中。のち内務省技官)の影響でヴァイオリンの魅力に惹かれ、朝比奈家の祖母からヴァイオリンの焼け残りの中古品を買い与えられたことがきっかけで音楽に興味を示すようになった。当初は東京高等学校尋常科の音楽教師田中敬一にヴァイオリンを習っていたが、やがて田中の紹介で橋本国彦に師事するに至る。ヴァイオリンの練習の傍ら、サッカーや登山、スキー、乗馬、陸上競技などのスポーツにも熱中していた。当時の同級生かつヴァイオリン仲間に篠島秀雄がいる。
旧制東京高等学校高等科文科乙類では同級に日向方斎や清水幾太郎、宮城音弥、内田藤雄、平井富三郎、出淵国保がいた。友人と弦楽四重奏団を結成したり、1927年2月20日の新交響楽団(現:NHK交響楽団)の第1回定期演奏会を聴いたりもした。
1928年(昭和3年)、旧制東京高等学校高等科を卒業し、京大音楽部の指導者であるロシア人指揮者エマヌエル・メッテルを目当てとして京都帝国大学法学部に進学。法学部在学中には同大学のオーケストラ(京都大学交響楽団)に参加し、ヴィオラとヴァイオリンを担当。やがて指揮をメッテルに師事、その他、レオニード・クロイツァーやアレクサンドル・モギレフスキーの影響を受けた。
1931年に京都帝国大学法学部を卒業。鉄道省勤務の実兄の推薦により、月給60円で2年間阪神急行電鉄(現阪急電鉄)に勤務。電車の運転や車掌、百貨店業務、盗電の摘発 などを行う傍ら、チェリストの伊達三郎の誘いで大阪弦楽四重奏団のヴァイオリン奏者として大阪中央放送局 (JOBK) に出演。1933年(昭和8年)、会社員生活に飽き足らず「もう一度学問をやり直したい」という理由で退社し、改めて京都帝国大学文学部哲学科に学士入学し、1年留年して1937年(昭和12年)に卒業。卒論は中世音楽史を扱った内容だった。この間、1936年(昭和11年)2月12日に初めてオーケストラ(後の大阪フィルハーモニー管弦楽団)を指揮。また、1934年(昭和9年)より月給30円で大阪音楽学校(現:大阪音楽大学)に非常勤講師として勤務し、一般教養課程でドイツ語・英語・音楽史・心理学を教えていたが、卒業後の1937年(昭和12年)より教授となった。
1940年(昭和15年)1月31日、新交響楽団の演奏会でチャイコフスキー交響曲第5番他を指揮し、プロデビューを果たす。1941年(昭和16年)、田辺製薬創始者田辺五兵衛会長の実弟、武四郎の長女で東京音楽学校ピアノ科卒の町子と結婚し、神戸市灘区篠原町に居を定める。同年、日米開戦。1942年(昭和17年)からは月給200円で大阪放送管弦楽団の首席指揮者となり、戦意高揚のため『荒鷲に捧げる歌』『海の英雄』などを演奏。1943年(昭和18年)11月末、中川牧三 の推薦で大陸に渡り、同年12月8日の「大東亜戦争二周年記念演奏会」を皮切りに上海交響楽団(1943年)で指揮。上海滞在中、1944年(昭和19年)1月、タラワ、マキン両島で玉砕した兵士を弔う歌の作曲を海軍省から命じられ、一晩で書き上げる。1944年(昭和19年)、日本に戻ってからは再び大阪中央放送局に戻り、時おり慰問や軍歌放送の仕事をしていたが、同年5月、要請を受けて大木正夫と満洲国に行き、満洲映画社長の甘粕正彦と会い、約1ヶ月間新京音楽団(新京交響楽団)とハルビン交響楽団を視察。同年秋に再び要請され、妻と伊達三郎を伴って渡満し、大木の交響曲『蒙古』を指揮。同年12月にも渡満。1945年(昭和20年)には関東軍の嘱託を命ぜられ、満洲全土を演奏旅行。大阪と神戸が空襲で被災した上、満洲での活動が波に乗ったこともあり、関東軍報道部長の誘いで1945年(昭和20年)5月には妻と長男を呼び寄せて本格的に満洲に移住、ハルビン特務機関の指揮下に入りハルビンのヤマトホテルに居住したが、8月に終戦を迎えた。ソ連占領軍進駐後、弟子の林元植(朝鮮語版)(後述)や朝比奈ファンの歯科医、小畑蕃などによって日本人狩りの暴徒から匿われつつ、1年以上ハルビンに蟄居。この間、国民政府からの依頼で中国人のオーケストラを編成し、アンサンブルの指導を行っている(1945年10月-1946年4月)。1946年(昭和21年)8月から2ヶ月かけて神戸の自宅に引き揚げた。
引き揚げ後は、大阪音楽学校および大阪音楽高等学校に勤務しつつ、1947年(昭和22年)4月、大阪放送管弦楽団出身者などを集め、現在の大阪フィルハーモニー交響楽団の母体となる関西交響楽団を結成する。結成にあたり鈴木剛ら関西経済人の尽力があった。同時に、参加団体として関西オペラ協会も設立した。1950年代からはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や北ドイツ放送交響楽団などヨーロッパの主要なオーケストラに招かれるようになった。1960年(昭和35年)に関西交響楽団を大阪フィルハーモニー交響楽団に改称(定期演奏会の回数は、改称時に数え直している)。同楽団の常任指揮者を経て音楽総監督となり、ヨーロッパ公演を3回、北米公演を1回行い、亡くなるまでその地位にあった。1つのオーケストラのトップ指揮者を54年間務めたことになる。
1973年(昭和48年)、大阪フィルが東京公演を行った。この公演で取り上げた曲目の中には、ブルックナーの交響曲第5番も含まれていた。1954年(昭和29年)以来しばしばブルックナーを取り上げていた朝比奈であったが、それまでは納得のできる演奏ができなかった。しかし、この東京公演で取り上げた第5番は、朝比奈も上出来と思うほど出来栄えが素晴らしく、聴衆も大喝采を浴びせた。
その聴衆の中に、渋谷で前衛的なライヴハウス「渋谷ジァン・ジァン」を経営している高嶋進がいた。彼は寺山修司などの前衛演劇に傾倒する一方で、大のブルックナーファンであった。この公演に感動した高嶋は、朝比奈&大阪フィルを起用してブルックナーの交響曲全集を作ろうと思い立ち、1978年(昭和53年)にディスク・ジァン・ジァンから全集LPを発売した。この全集は大評判となり、朝比奈は一躍「巨匠」「日本のブルックナー解釈の第一人者」として注目を集めるようになった。
ブルックナーの交響曲で問題になる楽譜の「版」であるが、朝比奈は基本的にハース版を使用している。1975年(昭和50年)の大阪フィルの欧州公演中、10月12日リンツの聖フローリアン教会で交響曲第7番を指揮した際、会場にノヴァーク版の校訂者レオポルト・ノヴァークが来ており、終演後朝比奈を訪れた。ノヴァークは演奏を称賛し、ノヴァーク版で演奏しなかったことを詫びた朝比奈に、名演の前に版は大した問題ではない旨答えたという。
ブルックナー全集の件以降、在京の主要オーケストラからの客演依頼が殺到するようになり、また、レコーディング活動も増加するようになった。1980年代以降朝比奈が出演する演奏会の人気は凄まじく、チケットは即売り切れになることもあった。ブルックナーの交響曲の演奏のほかに、もう一つの主要レパートリーであったベートーヴェンの交響曲の連続演奏会や全集の制作も盛んに行った(ベートーヴェンの交響曲連続演奏会は、1951年から2000年の間に9回行っている)。この頃より、朝比奈はしきりに「時間がない」を口癖にするようになり、録音も多くなった。
1995年(平成7年)に阪神・淡路大震災に遭遇した(朝比奈は1923年の関東大震災にも遭遇している)。また、同年6月には終戦以来50年ぶりにハルビンを訪問し、満洲時代に朝比奈の下で演奏していた元楽員と再会した。1996年(平成8年)にはシカゴ交響楽団に客演。これはピエール・モントゥーの記録を抜く同オーケストラの最高齢の客演であった。
朝比奈は90代以降、「ストコフスキーの最高齢記録を抜く」と公言し、一見では特に大きな身体の故障もなかったため、記録達成は容易と見られていたが、2001年(平成13年)10月24日の名古屋公演におけるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ:小山実稚恵)、交響曲第5番が最後の舞台となり、演奏会後、体の不調を訴えて入院。そのまま復帰することなく12月29日に死去した。93歳没。「立つことが私の仕事」「立って指揮が出来なくなったら引退」として、練習中でも椅子の類を使わず、最後まで立ったまま指揮をした。生涯現役であった。墓所は神戸市長峰霊園。
長く日本指揮者協会会長も務めた。
没後、大阪フィルハーモニー交響楽団創立名誉指揮者となった。訃報は2001年(平成13年)12月31日付各紙の1面を大きく飾った。朝比奈の棺に納められたものは、指揮棒と2001年(平成13年)11月の大阪フィル定期演奏会で指揮する予定であったブルックナーの交響曲第3番の楽譜であった。燕尾服も荼毘に付された。当のブルックナーの交響曲第3番は2002年(平成14年)7月に東京と大阪で若杉弘が指揮、朝比奈の追悼とした。
2002年(平成14年)2月7日にザ・シンフォニーホールで行われた「お別れの会」では朝比奈千足の指揮で、遺志に従ってベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が演奏され、無宗教で行われた。また参列者は朝比奈千足の発声により拍手で故人を見送った。
2007年(平成19年)12月11日から16日まで、リーガロイヤルホテルにて「永遠のマエストロ 朝比奈隆展」が開催された。これは大阪フィル創立60周年記念行事として行われた。
2008年(平成20年)7月9日、生誕100年の日にザ・シンフォニーホールで大阪フィルは記念演奏会を行った。指揮は朝比奈の後任の音楽監督大植英次で、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ピアノ:伊藤恵)、ブルックナーの交響曲第9番が演奏された。演奏終了後、聴衆は最晩年の朝比奈の多くの演奏会同様にスタンディング・オベーションを行った。
朝比奈はベートーヴェンを演奏する時はドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章の略綬を、ブルックナーを演奏する時はオーストリア共和国一等科学芸術名誉十字章の略綬をつけて指揮台に上がっていた。
また、文化功労者顕彰に関しては次のような逸話がある。後述のオール日本人キャストによる『ニーベルングの指環』全曲のCDを聴いた中島源太郎文部大臣(当時)が、「日本人もようやくこのレベル(「指環」を全曲演奏できる)まで到達することが出来た」と涙し、顕彰が内定したと言われている。もっとも、当の中島は顕彰前に亡くなった。
朝比奈自身、1970年(昭和45年)に発表した文章の中で「私は、いわゆる世間で言う弟子とか門下生とかいうものを、少なくとも今の職業である指揮者としては持ったことがない」と述べている が、朝比奈の影響下にある指揮者として林元植(朝鮮語版)(韓国人指揮者、1919年 - 2002年8月26日)がおり、朝比奈自身も1973年(昭和48年)の『私の履歴書』の中では林を「私の弟子で、私が退いたあとしばらく指揮棒を振っていた韓国人の林元植君」と呼んでいる。彼は朝比奈のハルピン時代、朝比奈の人柄に感服し影響を受け、朝比奈が満洲を脱出する際いろいろ便宜を図った。朝比奈の「お別れの会」にも参加、献奏したが、ほどなく後を追う様に死去した。朝比奈ともどもサッカーの大ファンであり、2002年(平成14年)のワールドカップ日韓大会にちなんだ、2人が出演する演奏会も企画されていたが、朝比奈の死で幻となった。
他に外山雄三が「私は朝比奈先生の弟子だと思っている」と発言したことがあり、これに対し朝比奈は「先輩の顔を立ててくれたものと考えている」と新聞紙上に書いている。また朝比奈の晩年にあたる1997年(平成9年)から1999年(平成11年)まで下野竜也が大阪フィルの指揮研究員になり、朝比奈の指揮ぶりに接している。また、大阪市音楽団名誉指揮者の木村吉宏も、朝比奈の指導を受けている。
50年以上にわたって朝比奈の薫陶を受けた大阪フィルは、現在でも独特の「大フィルサウンド」を身上としている。
自らが創設・育成した関西交響楽団 - 大阪フィルが断然多いが、それ以外にも国内のほとんどのプロ・オーケストラ、ヨーロッパの多くのオーケストラを指揮している。
関東では、新日本フィル・NHK交響楽団・東京交響楽団・東京都交響楽団を、晩年に至るまで指揮し続けた。読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、新星日本交響楽団についても客演歴がある。
関西並びに中国地方では、大阪フィル以外には京都市交響楽団や倉敷音楽祭祝祭管弦楽団を多く指揮した。倉敷ではベートーヴェンの全交響曲を演奏したが、それと共にモーツァルトの交響曲も取り上げた。関西フィルハーモニー管弦楽団は、経営的には大阪フィルと非友好的な関係にあるにもかかわらず、一度だけ客演した。
海外では、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団、北ドイツ放送交響楽団等にも客演している。1987年(昭和62年)には、北ドイツ放送交響楽団の来日公演の一部の公演も指揮した。
アマチュア・オーケストラの客演歴はあまり多くない。1976年(昭和51年)には名古屋大学交響楽団を指揮して、ブルックナーの交響曲第8番を演奏した(このときにはワーグナーチューバが入手できず、ユーフォニアムを用いたという話が有名である)。1981年(昭和56年)にはジュネス・ミュージカル・シンフォニー・オーケストラも指揮し、ベートーヴェンの第9を演奏した。朝比奈自身が学生時代に在籍していた京都大学交響楽団については、戦前には常任指揮者の地位にもあったが、1982年(昭和57年)には客演の立場で、ブラームスの交響曲第2番などを指揮した。これらが、朝比奈が演奏会でアマチュア・オーケストラを指揮した最後の機会であり、それ以降は(一部の非公式な場・TV放送企画等を除き)アマチュア・オーケストラとの接点を持っていない。
オーケストラ以外では、吹奏楽団である大阪府音楽団、大阪市音楽団(現楽団名Osaka Shion Wind Orchestra)を指揮し、演奏会やレコーディングを行っている。また、かつての全日本吹奏楽コンクール連続最優秀校・西宮市立今津中学校吹奏楽部で熱心な客演指導も行った。
1989年(平成元年)、朝比奈を師と仰ぐ鈴木竹男が率いる阪急百貨店吹奏楽団の第1回定期演奏会において客演指揮を務めた。
1995年(平成7年)には、大阪フィルメンバーを中心とした室内楽を指揮し、ブランデンブルク協奏曲第5番、『音楽の捧げもの』を演奏した(ただし後者の演目で、実際に朝比奈が指揮をしたのは「6声のリチェルカーレ」の部分のみである)。
朝比奈自身の意向もあり、生前より、スタジオ編集ではなくライヴ録音として残された録音が多い。大阪フィルやNHK交響楽団、倉敷音楽祭祝祭管弦楽団などとのライヴ録音がポニーキャニオンやオクタヴィア・レコード、フォンテック、東武レコーディングスなどからリリースされている。ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲については、全集録音が複数種類残されており、特にベートーヴェンの交響曲については、同曲異演のCDが多く残されている。没後はマーラー、リヒャルト・シュトラウス、ヒンデミットなどの作品を指揮した音源が発掘され、CD発売されている。他に北ドイツ放送交響楽団とベートーヴェンの他フランク、レスピーギ、ラヴェルなどを演奏したCDも発売された。2010年(平成22年)6月には、東武レコーディングスよりモーツァルトの後期交響曲のCDがリリースされている(倉敷音楽祭のライヴ)。
吹奏楽にも造詣があり、吹奏楽曲の録音もいくつか残されている。親交の深かった大栗裕の作品の他、ウィリアム・フランシス・マクベス、ハロルド・ワルターズなどの録音も残っている。没後、大阪市音楽団を指揮したライブ音源が発掘され、CD発売された。
最初の録音は1940年(昭和15年)に京都大学交響楽団を指揮して録音した、母校の京都大学学歌(テイチク)であり、この事実は朝比奈が没する直前に判明した(それまで最初の録音とされてきたものは、1943年に日本交響楽団を指揮して録音した、深井史郎作曲『ジャワの唄声』であった。恐らく各地の放送局で放送するために製作されたものであろうという説もある)。京都大学学歌については、現在京都大学のサイト の中で鑑賞できる。深井史郎『ジャワの唄声』については、「ローム ミュージック ファンデーション 日本SP名盤復刻選集」の中でCD収録された。 | [
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"text": "引き揚げ後は、大阪音楽学校および大阪音楽高等学校に勤務しつつ、1947年(昭和22年)4月、大阪放送管弦楽団出身者などを集め、現在の大阪フィルハーモニー交響楽団の母体となる関西交響楽団を結成する。結成にあたり鈴木剛ら関西経済人の尽力があった。同時に、参加団体として関西オペラ協会も設立した。1950年代からはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や北ドイツ放送交響楽団などヨーロッパの主要なオーケストラに招かれるようになった。1960年(昭和35年)に関西交響楽団を大阪フィルハーモニー交響楽団に改称(定期演奏会の回数は、改称時に数え直している)。同楽団の常任指揮者を経て音楽総監督となり、ヨーロッパ公演を3回、北米公演を1回行い、亡くなるまでその地位にあった。1つのオーケストラのトップ指揮者を54年間務めたことになる。",
"title": "人物・来歴"
},
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"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "1973年(昭和48年)、大阪フィルが東京公演を行った。この公演で取り上げた曲目の中には、ブルックナーの交響曲第5番も含まれていた。1954年(昭和29年)以来しばしばブルックナーを取り上げていた朝比奈であったが、それまでは納得のできる演奏ができなかった。しかし、この東京公演で取り上げた第5番は、朝比奈も上出来と思うほど出来栄えが素晴らしく、聴衆も大喝采を浴びせた。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "その聴衆の中に、渋谷で前衛的なライヴハウス「渋谷ジァン・ジァン」を経営している高嶋進がいた。彼は寺山修司などの前衛演劇に傾倒する一方で、大のブルックナーファンであった。この公演に感動した高嶋は、朝比奈&大阪フィルを起用してブルックナーの交響曲全集を作ろうと思い立ち、1978年(昭和53年)にディスク・ジァン・ジァンから全集LPを発売した。この全集は大評判となり、朝比奈は一躍「巨匠」「日本のブルックナー解釈の第一人者」として注目を集めるようになった。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "ブルックナーの交響曲で問題になる楽譜の「版」であるが、朝比奈は基本的にハース版を使用している。1975年(昭和50年)の大阪フィルの欧州公演中、10月12日リンツの聖フローリアン教会で交響曲第7番を指揮した際、会場にノヴァーク版の校訂者レオポルト・ノヴァークが来ており、終演後朝比奈を訪れた。ノヴァークは演奏を称賛し、ノヴァーク版で演奏しなかったことを詫びた朝比奈に、名演の前に版は大した問題ではない旨答えたという。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "ブルックナー全集の件以降、在京の主要オーケストラからの客演依頼が殺到するようになり、また、レコーディング活動も増加するようになった。1980年代以降朝比奈が出演する演奏会の人気は凄まじく、チケットは即売り切れになることもあった。ブルックナーの交響曲の演奏のほかに、もう一つの主要レパートリーであったベートーヴェンの交響曲の連続演奏会や全集の制作も盛んに行った(ベートーヴェンの交響曲連続演奏会は、1951年から2000年の間に9回行っている)。この頃より、朝比奈はしきりに「時間がない」を口癖にするようになり、録音も多くなった。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "1995年(平成7年)に阪神・淡路大震災に遭遇した(朝比奈は1923年の関東大震災にも遭遇している)。また、同年6月には終戦以来50年ぶりにハルビンを訪問し、満洲時代に朝比奈の下で演奏していた元楽員と再会した。1996年(平成8年)にはシカゴ交響楽団に客演。これはピエール・モントゥーの記録を抜く同オーケストラの最高齢の客演であった。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "朝比奈は90代以降、「ストコフスキーの最高齢記録を抜く」と公言し、一見では特に大きな身体の故障もなかったため、記録達成は容易と見られていたが、2001年(平成13年)10月24日の名古屋公演におけるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ:小山実稚恵)、交響曲第5番が最後の舞台となり、演奏会後、体の不調を訴えて入院。そのまま復帰することなく12月29日に死去した。93歳没。「立つことが私の仕事」「立って指揮が出来なくなったら引退」として、練習中でも椅子の類を使わず、最後まで立ったまま指揮をした。生涯現役であった。墓所は神戸市長峰霊園。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "長く日本指揮者協会会長も務めた。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "没後、大阪フィルハーモニー交響楽団創立名誉指揮者となった。訃報は2001年(平成13年)12月31日付各紙の1面を大きく飾った。朝比奈の棺に納められたものは、指揮棒と2001年(平成13年)11月の大阪フィル定期演奏会で指揮する予定であったブルックナーの交響曲第3番の楽譜であった。燕尾服も荼毘に付された。当のブルックナーの交響曲第3番は2002年(平成14年)7月に東京と大阪で若杉弘が指揮、朝比奈の追悼とした。",
"title": "人物・来歴"
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"paragraph_id": 19,
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"text": "2002年(平成14年)2月7日にザ・シンフォニーホールで行われた「お別れの会」では朝比奈千足の指揮で、遺志に従ってベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章が演奏され、無宗教で行われた。また参列者は朝比奈千足の発声により拍手で故人を見送った。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "2007年(平成19年)12月11日から16日まで、リーガロイヤルホテルにて「永遠のマエストロ 朝比奈隆展」が開催された。これは大阪フィル創立60周年記念行事として行われた。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "2008年(平成20年)7月9日、生誕100年の日にザ・シンフォニーホールで大阪フィルは記念演奏会を行った。指揮は朝比奈の後任の音楽監督大植英次で、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ピアノ:伊藤恵)、ブルックナーの交響曲第9番が演奏された。演奏終了後、聴衆は最晩年の朝比奈の多くの演奏会同様にスタンディング・オベーションを行った。",
"title": "人物・来歴"
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"text": "朝比奈はベートーヴェンを演奏する時はドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章の略綬を、ブルックナーを演奏する時はオーストリア共和国一等科学芸術名誉十字章の略綬をつけて指揮台に上がっていた。",
"title": "受賞・栄典"
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"text": "また、文化功労者顕彰に関しては次のような逸話がある。後述のオール日本人キャストによる『ニーベルングの指環』全曲のCDを聴いた中島源太郎文部大臣(当時)が、「日本人もようやくこのレベル(「指環」を全曲演奏できる)まで到達することが出来た」と涙し、顕彰が内定したと言われている。もっとも、当の中島は顕彰前に亡くなった。",
"title": "受賞・栄典"
},
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"text": "朝比奈自身、1970年(昭和45年)に発表した文章の中で「私は、いわゆる世間で言う弟子とか門下生とかいうものを、少なくとも今の職業である指揮者としては持ったことがない」と述べている が、朝比奈の影響下にある指揮者として林元植(朝鮮語版)(韓国人指揮者、1919年 - 2002年8月26日)がおり、朝比奈自身も1973年(昭和48年)の『私の履歴書』の中では林を「私の弟子で、私が退いたあとしばらく指揮棒を振っていた韓国人の林元植君」と呼んでいる。彼は朝比奈のハルピン時代、朝比奈の人柄に感服し影響を受け、朝比奈が満洲を脱出する際いろいろ便宜を図った。朝比奈の「お別れの会」にも参加、献奏したが、ほどなく後を追う様に死去した。朝比奈ともどもサッカーの大ファンであり、2002年(平成14年)のワールドカップ日韓大会にちなんだ、2人が出演する演奏会も企画されていたが、朝比奈の死で幻となった。",
"title": "「弟子」"
},
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"text": "他に外山雄三が「私は朝比奈先生の弟子だと思っている」と発言したことがあり、これに対し朝比奈は「先輩の顔を立ててくれたものと考えている」と新聞紙上に書いている。また朝比奈の晩年にあたる1997年(平成9年)から1999年(平成11年)まで下野竜也が大阪フィルの指揮研究員になり、朝比奈の指揮ぶりに接している。また、大阪市音楽団名誉指揮者の木村吉宏も、朝比奈の指導を受けている。",
"title": "「弟子」"
},
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"text": "50年以上にわたって朝比奈の薫陶を受けた大阪フィルは、現在でも独特の「大フィルサウンド」を身上としている。",
"title": "「弟子」"
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"text": "自らが創設・育成した関西交響楽団 - 大阪フィルが断然多いが、それ以外にも国内のほとんどのプロ・オーケストラ、ヨーロッパの多くのオーケストラを指揮している。",
"title": "演奏活動(演奏団体)"
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"text": "関東では、新日本フィル・NHK交響楽団・東京交響楽団・東京都交響楽団を、晩年に至るまで指揮し続けた。読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、新星日本交響楽団についても客演歴がある。",
"title": "演奏活動(演奏団体)"
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{
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"text": "関西並びに中国地方では、大阪フィル以外には京都市交響楽団や倉敷音楽祭祝祭管弦楽団を多く指揮した。倉敷ではベートーヴェンの全交響曲を演奏したが、それと共にモーツァルトの交響曲も取り上げた。関西フィルハーモニー管弦楽団は、経営的には大阪フィルと非友好的な関係にあるにもかかわらず、一度だけ客演した。",
"title": "演奏活動(演奏団体)"
},
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"text": "海外では、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団、北ドイツ放送交響楽団等にも客演している。1987年(昭和62年)には、北ドイツ放送交響楽団の来日公演の一部の公演も指揮した。",
"title": "演奏活動(演奏団体)"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "アマチュア・オーケストラの客演歴はあまり多くない。1976年(昭和51年)には名古屋大学交響楽団を指揮して、ブルックナーの交響曲第8番を演奏した(このときにはワーグナーチューバが入手できず、ユーフォニアムを用いたという話が有名である)。1981年(昭和56年)にはジュネス・ミュージカル・シンフォニー・オーケストラも指揮し、ベートーヴェンの第9を演奏した。朝比奈自身が学生時代に在籍していた京都大学交響楽団については、戦前には常任指揮者の地位にもあったが、1982年(昭和57年)には客演の立場で、ブラームスの交響曲第2番などを指揮した。これらが、朝比奈が演奏会でアマチュア・オーケストラを指揮した最後の機会であり、それ以降は(一部の非公式な場・TV放送企画等を除き)アマチュア・オーケストラとの接点を持っていない。",
"title": "演奏活動(演奏団体)"
},
{
"paragraph_id": 32,
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"text": "オーケストラ以外では、吹奏楽団である大阪府音楽団、大阪市音楽団(現楽団名Osaka Shion Wind Orchestra)を指揮し、演奏会やレコーディングを行っている。また、かつての全日本吹奏楽コンクール連続最優秀校・西宮市立今津中学校吹奏楽部で熱心な客演指導も行った。",
"title": "演奏活動(演奏団体)"
},
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"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "1989年(平成元年)、朝比奈を師と仰ぐ鈴木竹男が率いる阪急百貨店吹奏楽団の第1回定期演奏会において客演指揮を務めた。",
"title": "演奏活動(演奏団体)"
},
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"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "1995年(平成7年)には、大阪フィルメンバーを中心とした室内楽を指揮し、ブランデンブルク協奏曲第5番、『音楽の捧げもの』を演奏した(ただし後者の演目で、実際に朝比奈が指揮をしたのは「6声のリチェルカーレ」の部分のみである)。",
"title": "演奏活動(演奏団体)"
},
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"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "朝比奈自身の意向もあり、生前より、スタジオ編集ではなくライヴ録音として残された録音が多い。大阪フィルやNHK交響楽団、倉敷音楽祭祝祭管弦楽団などとのライヴ録音がポニーキャニオンやオクタヴィア・レコード、フォンテック、東武レコーディングスなどからリリースされている。ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲については、全集録音が複数種類残されており、特にベートーヴェンの交響曲については、同曲異演のCDが多く残されている。没後はマーラー、リヒャルト・シュトラウス、ヒンデミットなどの作品を指揮した音源が発掘され、CD発売されている。他に北ドイツ放送交響楽団とベートーヴェンの他フランク、レスピーギ、ラヴェルなどを演奏したCDも発売された。2010年(平成22年)6月には、東武レコーディングスよりモーツァルトの後期交響曲のCDがリリースされている(倉敷音楽祭のライヴ)。",
"title": "録音"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "吹奏楽にも造詣があり、吹奏楽曲の録音もいくつか残されている。親交の深かった大栗裕の作品の他、ウィリアム・フランシス・マクベス、ハロルド・ワルターズなどの録音も残っている。没後、大阪市音楽団を指揮したライブ音源が発掘され、CD発売された。",
"title": "録音"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "最初の録音は1940年(昭和15年)に京都大学交響楽団を指揮して録音した、母校の京都大学学歌(テイチク)であり、この事実は朝比奈が没する直前に判明した(それまで最初の録音とされてきたものは、1943年に日本交響楽団を指揮して録音した、深井史郎作曲『ジャワの唄声』であった。恐らく各地の放送局で放送するために製作されたものであろうという説もある)。京都大学学歌については、現在京都大学のサイト の中で鑑賞できる。深井史郎『ジャワの唄声』については、「ローム ミュージック ファンデーション 日本SP名盤復刻選集」の中でCD収録された。",
"title": "録音"
}
] | 朝比奈 隆は、大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィル)の音楽総監督を務めた日本の指揮者。位階は従三位。 左利き(指揮棒は右だが、包丁は左)。朝比奈の出生には謎があり、中丸美繪著『オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練』が詳しい。 著名な家族に、長男の朝比奈千足(指揮者、クラリネット奏者)。 | {{簡易区別|画家の朝比奈隆}}
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
|名前 = 朝比奈 隆
|画像 = Takashi Asahina 1951 IMG 20230817 0001.jpg
|画像説明 = 1951年ごろ
|画像サイズ = 250px<!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
|画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
|背景色 = classic
|出生名 = 小島 隆
|別名 =
|出生 = {{生年月日と年齢|1908|7|9|no}}<br />{{JPN1947}}・[[東京府]][[東京市]][[牛込区]][[市谷砂土原町]]
|出身地 =
|死没 = {{死亡年月日と没年齢|1908|7|9|2001|12|29}}<br />{{JPN}}・[[兵庫県]][[神戸市]][[東灘区]][[鴨子ケ原]]・[[甲南医療センター|甲南病院]]
|学歴 = [[京都大学大学院法学研究科・法学部|京都帝国大学法学部]]卒業<br />[[京都大学大学院文学研究科・文学部|京都帝国大学文学部]]卒業
|ジャンル = [[クラシック音楽]]
|担当楽器 = [[指揮者]]
|活動期間 = [[1940年]] - [[2001年]]
|レーベル =
|事務所 =
|共同作業者 = [[大阪フィルハーモニー交響楽団]]
|公式サイト =
|著名使用楽器 =
}}
{{Portal クラシック音楽}}
'''朝比奈 隆'''(あさひな たかし、[[1908年]]([[明治]]41年)[[7月9日]] - [[2001年]]([[平成]]13年)[[12月29日]])は、[[大阪フィルハーモニー交響楽団]](大阪フィル)の音楽総監督を務めた[[日本]]の[[指揮者]]。[[位階]]は[[従三位]]。
[[左利き]]([[指揮棒]]は右だが、[[包丁]]は左([[木之下晃]]の写真集より))。朝比奈の出生には謎があり、[[中丸美繪]]著『オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練』が詳しい。
著名な家族に、長男の[[朝比奈千足]](指揮者、[[クラリネット]]奏者)。
== 人物・来歴 ==
=== 誕生から満洲時代 ===
[[東京府]][[東京市]][[牛込区]](現在の[[東京都]][[新宿区]])[[市谷砂土原町]]の小島家に生まれ、生後まもなく[[鉄道院]]技師朝比奈林之助<ref>経歴については [{{NDLDC|946084/222}} 『大日本実業家名鑑. 上巻』](国立国会図書館デジタル化資料)</ref> の[[養子]]となり朝比奈姓となる。
虚弱児だったため[[乳母]]と共に[[神奈川県]][[国府津町|国府津]]の漁村に預けられ、国府津町立国府津尋常小学校(現:[[小田原市立国府津小学校|国府津小]])を経て小田原町立第三尋常小学校(現:[[小田原市立新玉小学校|新玉小]])に学ぶ。小学校3年の3学期から東京に呼び戻され、麻布尋常小学校(現:[[港区立麻布小学校]])に転入学。まもなく[[中学受験]]に有利ということで[[東京第一師範学校|東京府青山師範学校]]附属小学校(現:[[東京学芸大学附属世田谷小学校|学芸大附属世田谷小]])に転じた。<br/>[[旧制中学校]]受験では、[[東京高等師範学校]]附属中学校(現:[[筑波大学附属中学校・高等学校|筑波大附属中・高]])や[[東京府|東京府立]]・[[東京市|東京市立]]の有名校にことごとく不合格となり、[[入学|裏口入学]]のような形で[[高千穂大学|私立高千穂中学校]]に進む<ref>『私の履歴書:文化人』第13巻(日本経済新聞社、1984年)p.17</ref>。[[1922年]]([[大正]]11年)[[3月]]、[[旧制高等学校#7年制高等学校の登場|7年制高等学校]]である官立[[東京高等学校 (旧制)|旧制東京高等学校]](現:[[東京大学教育学部附属中等教育学校]])尋常科2年の編入試験に合格して同校に[[編入学|転入学]]した<ref>[http://kyodaioke.com/blog/2014/04/16/195th-asahina01/ 朝比奈隆の一生~誕生から高校まで~] [[京都大学交響楽団]]</ref>。中野区南台に通学する。
[[1923年]](大正12年)に養父を亡くし、1925年(大正14年)には養母も病歿したため、朝比奈姓のまま生家の小島家に戻る。この養父母の死によって、朝比奈は実父が[[渡辺嘉一]]<ref>隆の生まれた頃林之助は[[北越鉄道]]で支配人をしており渡邊は取締役会長 [{{NDLDC|780119/428}} 『日本全国諸会社役員録. 明治40年』] で[[東洋電機製造]]設立時には取締役と社長の関係であった [{{NDLDC|936467/124}} 『日本全国諸会社役員録. 第27回』]</ref>と知る。また、実母に関しても朝比奈の長男[[朝比奈千足]]は、朝比奈隆伝の著者・[[中丸美繪]]に「父が、嘉一と小島里との間の子供であること、父が里の三男であることに関しては確証がありません」と証言している<ref>『オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練』p.46</ref>。同年[[9月]]の[[関東大震災]]で焼け出されて朝比奈家で同居していた父方の親戚の岡部左久司(当時、[[早稲田大学高等学院・中学部|早稲田高等学院]]在学中。のち[[内務省 (日本)|内務省]]技官)の影響で[[ヴァイオリン]]の魅力に惹かれ、朝比奈家の[[おばあさん|祖母]]からヴァイオリンの焼け残りの中古品を買い与えられたことがきっかけで[[音楽]]に興味を示すようになった。当初は東京高等学校尋常科の音楽教師田中敬一にヴァイオリンを習っていたが、やがて田中の紹介で[[橋本国彦]]に師事するに至る。ヴァイオリンの練習の傍ら、[[サッカー]]や[[登山]]、[[スキー]]、[[乗馬]]、陸上競技などのスポーツにも熱中していた。当時の同級生かつヴァイオリン仲間に[[篠島秀雄]]がいる。
旧制東京高等学校高等科文科乙類では同級に[[日向方斎]]や[[清水幾太郎]]、[[宮城音弥]]、[[内田藤雄]]、[[平井富三郎]]、[[出淵国保]]がいた。友人と[[弦楽四重奏団]]を結成したり、[[1927年]][[2月20日]]の新交響楽団(現:[[NHK交響楽団]])の第1回定期演奏会を聴いたりもした。
[[1928年]]([[昭和]]3年)、旧制東京高等学校高等科を卒業し、京大音楽部の指導者である[[ロシア]]人指揮者[[エマヌエル・メッテル]]を目当てとして[[京都大学大学院法学研究科・法学部|京都帝国大学法学部]]に進学。法学部在学中には同大学の[[オーケストラ]]([[京都大学交響楽団]])に参加し、[[ヴィオラ]]とヴァイオリンを担当。やがて指揮をメッテルに師事、その他、[[レオニード・クロイツァー]]や[[アレクサンドル・モギレフスキー]]の影響を受けた。
[[1931年]]に京都帝国大学法学部を卒業。[[鉄道省]]勤務の実兄の推薦により、月給60円で2年間[[阪神急行電鉄]](現[[阪急電鉄]])に勤務。[[電車]]の運転や[[車掌]]、[[百貨店]]業務、盗電の摘発<ref>日本では[[1942年]]に戦時体制による[[電力会社]]統制が実施されるまで電力会社が公営企業も含め各地に乱立していた。また阪急のように電車を運行する私鉄が、副業で自社用[[発電所]]・高圧送電線の余力を利用して沿線住民に電力供給するビジネスをする事例も多々あった。</ref> などを行う傍ら、チェリストの伊達三郎の誘いで大阪弦楽四重奏団のヴァイオリン奏者として[[NHK大阪放送局|大阪中央放送局]] (JOBK) に出演。[[1933年]](昭和8年)、会社員生活に飽き足らず「もう一度学問をやり直したい」という理由で退社し、改めて[[京都大学大学院文学研究科・文学部|京都帝国大学文学部]]哲学科に[[学士入学]]し、1年留年して[[1937年]](昭和12年)に卒業。卒論は中世音楽史を扱った内容だった。この間、[[1936年]](昭和11年)[[2月12日]]に初めてオーケストラ(後の大阪フィルハーモニー管弦楽団)を指揮。また、[[1934年]](昭和9年)より月給30円で大阪音楽学校(現:[[大阪音楽大学]])に非常勤講師として勤務し、一般教養課程で[[ドイツ語]]・[[英語]]・音楽史・[[心理学]]を教えていたが、卒業後の[[1937年]](昭和12年)より[[教授]]となった。
[[1940年]](昭和15年)[[1月31日]]、[[NHK交響楽団|新交響楽団]]の演奏会で[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]][[交響曲第5番 (チャイコフスキー)|交響曲第5番]]他を指揮し、プロデビューを果たす。[[1941年]](昭和16年)、[[田辺三菱製薬|田辺製薬]]創始者田辺五兵衛会長の実弟、武四郎の長女で[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]ピアノ科卒の町子と結婚し、[[神戸市]][[灘区]]篠原町に居を定める。同年、日米開戦。[[1942年]](昭和17年)からは月給200円で[[大阪放送管弦楽団]]の首席指揮者となり、戦意高揚のため『荒鷲に捧げる歌』『海の英雄』などを演奏。[[1943年]](昭和18年)11月末、[[中川牧三]]<ref>[[1902年]]([[明治]]35年)生まれ。[[京都府]]出身の声楽家、陸軍中尉。当時、陸軍報道部専任の将校として新聞検閲官を兼ね、文化担当の権限を一手に掌握していた。[[近衛秀麿]]や[[オットー・クレンペラー]]、[[パウル・ヒンデミット|ヒンデミット]]に指揮を学び、[[2004年]](平成16年)に101歳で指揮台に立ち、「現役の世界最高齢指揮者」として話題を集めた。[[2008年]](平成20年)[[3月18日]]、105歳で死去。</ref> の推薦で大陸に渡り、同年[[12月8日]]の「大東亜戦争二周年記念演奏会」を皮切りに[[上海交響楽団]]([[1943年]])で指揮。上海滞在中、[[1944年]](昭和19年)1月、タラワ、マキン両島で玉砕した兵士を弔う歌の作曲を海軍省から命じられ、一晩で書き上げる。1944年(昭和19年)、日本に戻ってからは再び大阪中央放送局に戻り、時おり慰問や軍歌放送の仕事をしていたが、同年5月、要請を受けて[[大木正夫]]と[[満洲国]]に行き、満洲映画社長の[[甘粕正彦]]と会い、約1ヶ月間[[新京]]音楽団(新京交響楽団)と[[ハルビン交響楽団]]を視察。同年秋に再び要請され、妻と伊達三郎を伴って渡満し、大木の交響曲『蒙古』を指揮。同年[[12月]]にも渡満。[[1945年]](昭和20年)には関東軍の嘱託を命ぜられ、満洲全土を演奏旅行。大阪と神戸が空襲で被災した上、満洲での活動が波に乗ったこともあり、関東軍報道部長の誘いで1945年(昭和20年)[[5月]]には妻と長男を呼び寄せて本格的に[[満洲]]に移住、ハルビン特務機関の指揮下に入りハルビンのヤマトホテルに居住したが、[[8月]]に終戦を迎えた。ソ連占領軍進駐後、弟子の{{仮リンク|林元植|ko|임원식}}(後述)や朝比奈ファンの歯科医、小畑蕃などによって日本人狩りの暴徒から匿われつつ、1年以上ハルビンに蟄居。この間、国民政府からの依頼で中国人のオーケストラを編成し、アンサンブルの指導を行っている(1945年10月-1946年4月)。[[1946年]](昭和21年)[[8月]]から2ヶ月かけて神戸の自宅に[[引き揚げ]]た。
=== 大阪フィル設立 ===
引き揚げ後は、大阪音楽学校および[[大阪音楽大学付属音楽高等学校|大阪音楽高等学校]]に勤務しつつ、[[1947年]](昭和22年)4月、大阪放送管弦楽団出身者などを集め、現在の大阪フィルハーモニー交響楽団の母体となる関西交響楽団を結成する。結成にあたり[[鈴木剛 (経営者)|鈴木剛]]ら関西経済人の尽力があった。同時に、参加団体として関西オペラ協会も設立した。[[1950年代]]からは[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]や[[NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団|北ドイツ放送交響楽団]]など[[ヨーロッパ]]の主要なオーケストラに招かれるようになった。[[1960年]](昭和35年)に関西交響楽団を大阪フィルハーモニー交響楽団に改称(定期演奏会の回数は、改称時に数え直している)。同楽団の常任指揮者を経て音楽総監督となり、ヨーロッパ公演を3回、[[北米]]公演を1回行い、亡くなるまでその地位にあった。1つのオーケストラのトップ指揮者を54年間務めたことになる。
=== ブルックナーの巨匠 ===
[[1973年]](昭和48年)、大阪フィルが東京公演を行った。この公演で取り上げた曲目の中には、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]も含まれていた。[[1954年]](昭和29年)以来しばしばブルックナーを取り上げていた朝比奈であったが、それまでは納得のできる演奏ができなかった。しかし、この東京公演で取り上げた第5番は、朝比奈も上出来と思うほど出来栄えが素晴らしく、聴衆も大喝采を浴びせた。
その聴衆の中に、[[渋谷]]で前衛的なライヴハウス「[[渋谷ジァン・ジァン]]」を経営している高嶋進がいた。彼は[[寺山修司]]などの前衛演劇に傾倒する一方で、大のブルックナーファンであった。この公演に感動した高嶋は、朝比奈&大阪フィルを起用してブルックナーの交響曲全集を作ろうと思い立ち、[[1978年]](昭和53年)にディスク・ジァン・ジァンから全集LPを発売した。この全集は大評判となり、朝比奈は一躍「巨匠」「日本のブルックナー解釈の第一人者」として注目を集めるようになった。
[[ブルックナーの版問題|ブルックナーの交響曲で問題になる楽譜の「版」]]であるが、朝比奈は基本的に[[ハース版]]を使用している。[[1975年]](昭和50年)の大阪フィルの欧州公演中、[[10月12日]][[リンツ]]の[[ザンクト・フローリアン修道院|聖フローリアン修道院]]で[[交響曲第7番 (ブルックナー)|交響曲第7番]]を指揮した際、会場にノヴァーク版の校訂者[[レオポルト・ノヴァーク]]が来ており、終演後朝比奈を訪れた。ノヴァークは演奏を称賛し、ノヴァーク版で演奏しなかったことを詫びた朝比奈に、名演の前に版は大した問題ではない旨答えたという<ref>同演奏のライヴCD(ビクター発売)ライナーノートによる。執筆は[[宇野功芳]]</ref>。
=== 1980年代から晩年 ===
ブルックナー全集の件以降、在京の主要オーケストラからの客演依頼が殺到するようになり、また、レコーディング活動も増加するようになった。[[1980年代]]以降朝比奈が出演する演奏会の人気は凄まじく、チケットは即売り切れになることもあった。ブルックナーの交響曲の演奏のほかに、もう一つの主要レパートリーであった[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の交響曲の連続演奏会や全集の制作も盛んに行った(ベートーヴェンの交響曲連続演奏会は、[[1951年]]から[[2000年]]の間に9回行っている)。この頃より、朝比奈はしきりに「時間がない」を口癖にするようになり、録音も多くなった。
[[1995年]](平成7年)に[[阪神・淡路大震災]]に遭遇した(朝比奈は[[1923年]]の[[関東大震災]]にも遭遇している)。また、同年6月には終戦以来50年ぶりに[[ハルビン]]を訪問し、満洲時代に朝比奈の下で演奏していた元楽員と再会した。[[1996年]](平成8年)には[[シカゴ交響楽団]]に客演<ref>{{NHK放送史|D0009043768_00000|87歳のアメリカデビュー 朝比奈隆・シカゴ響を振る}}</ref>。これは[[ピエール・モントゥー]]の記録を抜く同オーケストラの最高齢の客演であった。
朝比奈は90代以降、「[[レオポルド・ストコフスキー|ストコフスキー]]の最高齢記録を抜く」と公言し、一見では特に大きな身体の故障もなかったため、記録達成は容易と見られていたが<ref>朝比奈はストコフスキーが亡くなった年齢・95歳を意識していたが、ストコフスキーが公開の演奏会に出演したのは93歳までであり、以降の活動はレコーディングに専念している。大阪フィルハーモニー交響楽団は、[[2014年]]11月22日・24日の「第483回定期演奏会」においてその時94歳8ヶ月の[[ヘルムート・ヴィンシャーマン]]の指揮で[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の[[マタイ受難曲]]を演奏している。</ref>、2001年(平成13年)[[10月24日]]の名古屋公演における[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]の[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]](ピアノ:[[小山実稚恵]])、[[交響曲第5番 (チャイコフスキー)|交響曲第5番]]が最後の舞台となり、演奏会後、体の不調を訴えて入院。そのまま復帰することなく12月29日に死去した。{{没年齢|1908|7|9|2001|12|29}}。「立つことが私の仕事」「立って指揮が出来なくなったら引退」として、練習中でも[[椅子]]の類を使わず、最後まで立ったまま指揮をした。生涯現役であった。墓所は神戸市長峰霊園。
長く[[日本指揮者協会]]会長も務めた。
=== 没後 ===
没後、大阪フィルハーモニー交響楽団創立名誉指揮者となった。訃報は2001年(平成13年)[[12月31日]]付各紙の1面を大きく飾った。朝比奈の棺に納められたものは、指揮棒と2001年(平成13年)11月の大阪フィル定期演奏会で指揮する予定であった[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の[[交響曲第3番 (ブルックナー)|交響曲第3番]]の楽譜であった。[[燕尾服]]も[[荼毘]]に付された。当のブルックナーの交響曲第3番は[[2002年]](平成14年)7月に東京と大阪で[[若杉弘]]が指揮、朝比奈の追悼とした。
2002年(平成14年)[[2月7日]]に[[ザ・シンフォニーホール]]で行われた「お別れの会」では朝比奈千足の指揮で、遺志に従ってベートーヴェンの[[交響曲第7番 (ベートーヴェン)|交響曲第7番]]第2楽章が演奏され、無宗教で行われた<ref>他にもゆかりの指揮者の指揮で献奏があった。</ref>。また参列者は朝比奈千足の発声により拍手で故人を見送った。
[[2007年]](平成19年)[[12月11日]]から[[12月16日|16日]]まで、[[リーガロイヤルホテル]]にて「永遠のマエストロ 朝比奈隆展」が開催された。これは大阪フィル創立60周年記念行事として行われた。
[[2008年]](平成20年)[[7月9日]]、生誕100年の日にザ・シンフォニーホールで大阪フィルは記念演奏会を行った。指揮は朝比奈の後任の音楽監督[[大植英次]]で、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の[[ピアノ協奏曲第23番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第23番]](ピアノ:[[伊藤恵]])、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の[[交響曲第9番 (ブルックナー)|交響曲第9番]]が演奏された。演奏終了後、聴衆は最晩年の朝比奈の多くの演奏会同様にスタンディング・オベーションを行った。
== 受賞・栄典 ==
* [[1969年]] - [[紫綬褒章]]
* [[1972年]] - [[モービル音楽賞]]
* [[1974年]] - [[NHK放送文化賞]]
* [[1976年]] - [[日本芸術院賞]]<ref>『朝日新聞』1976年4月6日([[朝日新聞東京本社|東京本社]]発行)朝刊、p.22。</ref>
* [[1977年]] - [[ドイツ連邦共和国功労勲章]]大功労十字章
* [[1979年]] - [[朝日賞]]<ref>{{Cite web|和書|title=朝日賞 1971-2000年度|website=朝日新聞社|url=https://www.asahi.com/corporate/award/asahi/12738070 |accessdate=2022-09-08}}</ref>
* [[1984年]] - [[毎日芸術賞]]
* [[1986年]] - ザ・シンフォニーホール国際音楽賞クリスタル賞
* [[1987年]] - [[勲三等旭日中綬章]]、キワニス大阪賞
* [[1989年]] - [[文化功労者]]<ref>上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 28頁。</ref>、[[オーストリア共和国]]一等科学芸術名誉十字章、関西大賞大指揮者賞、飛驒古川音楽大賞
* [[1994年]] - [[文化勲章]]、[[神戸市]][[神戸市#名誉市民|名誉市民]]<ref>{{Cite web|和書|title=神戸市名誉市民|website=神戸市|url=https://www.city.kobe.lg.jp/a24533/shise/about/honorary.html|accessdate=2022-08-01}}</ref>
* [[2001年]] - [[従三位]]
朝比奈はベートーヴェンを演奏する時はドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章の略綬を、ブルックナーを演奏する時はオーストリア共和国一等科学芸術名誉十字章の略綬をつけて指揮台に上がっていた。
また、文化功労者顕彰に関しては次のような逸話がある。後述のオール日本人キャストによる『[[ニーベルングの指環]]』全曲のCDを聴いた[[中島源太郎]][[文部大臣]](当時)が、「日本人もようやくこのレベル(「指環」を全曲演奏できる)まで到達することが出来た」と涙し、顕彰が内定したと言われている{{要出典|date=2010年5月}}。もっとも、当の中島は顕彰前に亡くなった。
== 「弟子」 ==
朝比奈自身、[[1970年]](昭和45年)に発表した文章の中で「私は、いわゆる世間で言う弟子とか門下生とかいうものを、少なくとも今の職業である指揮者としては持ったことがない」と述べている<ref>『楽は堂に満ちて』所収「師と弟子」pp.161-162</ref> が、朝比奈の影響下にある指揮者として{{仮リンク|林元植|ko|임원식}}(韓国人指揮者、[[1919年]] - [[2002年]][[8月26日]])がおり、朝比奈自身も[[1973年]](昭和48年)の『私の履歴書』の中では林を「私の弟子で、私が退いたあとしばらく指揮棒を振っていた韓国人の林元植君」と呼んでいる<ref>『楽は堂に満ちて』p.97</ref>。彼は朝比奈のハルピン時代、朝比奈の人柄に感服し影響を受け、朝比奈が満洲を脱出する際いろいろ便宜を図った。朝比奈の「お別れの会」にも参加、献奏したが、ほどなく後を追う様に死去した。朝比奈ともども[[サッカー]]の大ファンであり、2002年(平成14年)の[[2002 FIFAワールドカップ|ワールドカップ日韓大会]]にちなんだ、2人が出演する演奏会も企画されていたが、朝比奈の死で幻となった<ref>林は報道で「朝比奈隆に師事」と表現されることもあるが、岩野裕一著『王道楽土の交響楽』での林自身の談話として、朝比奈の「通訳や身の回りの世話」を担当していたというのが本当のところである。もっとも、続いて「押し掛けるような形で弟子になったのです」とも言っている。</ref>。
他に[[外山雄三]]が「私は朝比奈先生の弟子だと思っている」と発言したことがあり、これに対し朝比奈は「先輩の顔を立ててくれたものと考えている」と新聞紙上に書いている<ref>『楽は堂に満ちて』所収「師と弟子」pp.162</ref>。また朝比奈の晩年にあたる[[1997年]](平成9年)から[[1999年]](平成11年)まで[[下野竜也]]が大阪フィルの指揮研究員になり、朝比奈の指揮ぶりに接している。また、[[Osaka Shion Wind Orchestra|大阪市音楽団]]名誉指揮者の木村吉宏も、朝比奈の指導を受けている。
50年以上にわたって朝比奈の薫陶を受けた大阪フィルは、現在でも独特の「大フィルサウンド」を身上としている。
== 演奏活動(レパートリー) ==
* 若い頃は非常にレパートリーが広く、ロシア音楽に堪能な指揮者という評価もあった。
* 次第に、限られたレパートリーを繰り返し演奏するようになった。特に[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]および[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]の交響曲は、繰り返し演奏してきた。
* ベートーヴェンの[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]は251回<ref>報道や各種評論では251回とされることが多いが、大阪フィルハーモニー協会が[[2010年]](平成22年)に発行した『大阪フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」演奏記録(1948年〜2009年)』では、大阪フィル・その他楽団合わせて247回と書かれている(大阪フィル分についてはこの他に第4楽章のみが6回ある)。演奏の中には1日2回公演、同一プログラムを2日間行った、等がある。</ref>、ブルックナーの交響曲は197回指揮した。ベートーヴェンの全交響曲を短期間に演奏するチクルス(連続演奏会)も、9回行った。
*ベートーヴェン交響曲全集を7回、ブルックナー交響曲全集を3回、ブラームス交響曲全集を4回録音している。特にベートーヴェンは本場ドイツ・オーストリアの指揮者たちと比べても突出した数字である。
* [[グスタフ・マーラー|マーラー]]の交響曲は[[交響曲第2番 (マーラー)|第2番]]以降の作品を、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]の交響曲は[[交響曲第3番 (シューマン)|第3番]]以降の作品を指揮した。{{要出典|date=2021-4|マーラーの[[交響曲第1番 (マーラー)|交響曲第1番『巨人』]]については「単なる歌曲のアレンジ」と}}、{{要出典|date=2021-4|シューマンの[[交響曲第1番 (シューマン)|第1番]]、[[交響曲第2番 (シューマン)|第2番]]に対しては「箸にも棒にもかからない」と、低い評価を下しており}}、特に1980年代以降は演奏しようともしなかった。一方で、記念的な演奏会では、[[リヒャルト・シュトラウス]]の[[アルプス交響曲]]をしばしば演奏した。
* [[オペラ]]公演も数多くこなし、歌詞の翻訳も朝比奈自ら行った。また[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の『[[ニーベルングの指環]]』をオール日本人キャストで4年がかりで演奏した([[新日本フィルハーモニー交響楽団]]。1984 - 1987年。『[[神々の黄昏 (楽劇)|神々の黄昏]]』は日本初演)<ref>[https://opera.tosei-showa-music.ac.jp/search/Search/Results?lookfor=%E6%9C%9D%E6%AF%94%E5%A5%88%E9%9A%86%E3%80%80%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター]</ref>。
* 日本の作曲家の作品として、大阪フィルの[[ホルン]]奏者であった[[大栗裕]]の作品の多くを初演した。[[服部良一]]の『おおさかカンタータ』、[[松下真一]]の交響幻想曲『淀川』などの、祝典的な作品の演奏も行った。
* 朝比奈が日本初演した作品としては、[[オットリーノ・レスピーギ|レスピーギ]]の『[[ローマの祭]]』、[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]]の[[管弦楽のための変奏曲 (シェーンベルク)|管弦楽のための変奏曲]]、[[ガブリエル・フォーレ|フォーレ]]の[[レクイエム (フォーレ)|レクイエム]]、ブルックナーの[[交響曲第0番 (ブルックナー)|交響曲第0番]]と『[[ヘルゴラント (ブルックナー)|ヘルゴラント]]』、大栗裕の『[[管弦楽のための神話]]』などがある。
== 演奏活動(演奏団体) ==
自らが創設・育成した関西交響楽団 - 大阪フィルが断然多いが、それ以外にも国内のほとんどのプロ・オーケストラ、ヨーロッパの多くのオーケストラを指揮している。
関東では、[[新日本フィルハーモニー交響楽団|新日本フィル]]・[[NHK交響楽団]]・[[東京交響楽団]]・[[東京都交響楽団]]を、晩年に至るまで指揮し続けた。[[読売日本交響楽団]]、[[日本フィルハーモニー交響楽団]]、[[東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団]]、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]、[[新星日本交響楽団]]についても客演歴がある。
関西並びに中国地方では、大阪フィル以外には[[京都市交響楽団]]や倉敷音楽祭祝祭管弦楽団を多く指揮した。倉敷ではベートーヴェンの全交響曲を演奏したが、それと共にモーツァルトの交響曲も取り上げた。[[関西フィルハーモニー管弦楽団]]は、経営的には大阪フィルと非友好的な関係にあるにもかかわらず、一度だけ客演した。
海外では、[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]、[[ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団]]、[[NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団|北ドイツ放送交響楽団]]等にも客演している。1987年(昭和62年)には、北ドイツ放送交響楽団の来日公演の一部の公演も指揮した。
アマチュア・オーケストラの客演歴はあまり多くない。[[1976年]](昭和51年)には名古屋大学交響楽団を指揮して、ブルックナーの[[交響曲第8番 (ブルックナー)|交響曲第8番]]を演奏した(このときには[[ワーグナーチューバ]]が入手できず、[[ユーフォニアム]]を用いたという話が有名である)。[[1981年]](昭和56年)にはジュネス・ミュージカル・シンフォニー・オーケストラも指揮し、ベートーヴェンの[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第9]]を演奏した。朝比奈自身が学生時代に在籍していた[[京都大学交響楽団]]については、戦前には常任指揮者の地位にもあったが、[[1982年]](昭和57年)には客演の立場で、ブラームスの[[交響曲第2番 (ブラームス)|交響曲第2番]]などを指揮した。これらが、朝比奈が演奏会でアマチュア・オーケストラを指揮した最後の機会であり、それ以降は(一部の非公式な場・TV放送企画等を除き)アマチュア・オーケストラとの接点を持っていない。
オーケストラ以外では、[[吹奏楽]]団である[[大阪府音楽団]]、大阪市音楽団(現楽団名[[Osaka Shion Wind Orchestra]])を指揮し、演奏会やレコーディングを行っている。また、かつての[[全日本吹奏楽コンクール]]連続最優秀校・西宮市立今津中学校吹奏楽部で熱心な客演指導も行った。
1989年(平成元年)、朝比奈を師と仰ぐ鈴木竹男が率いる阪急百貨店吹奏楽団の第1回定期演奏会において客演指揮を務めた。
[[1995年]](平成7年)には、大阪フィルメンバーを中心とした室内楽を指揮し、[[ブランデンブルク協奏曲]]第5番、『[[音楽の捧げもの]]』を演奏した(ただし後者の演目で、実際に朝比奈が指揮をしたのは「6声のリチェルカーレ」の部分のみである)。
== 録音 ==
朝比奈自身の意向もあり、生前より、スタジオ編集ではなくライヴ録音として残された録音が多い。大阪フィルや[[NHK交響楽団]]、倉敷音楽祭祝祭管弦楽団などとのライヴ録音が[[ポニーキャニオン]]や[[オクタヴィアレコード|オクタヴィア・レコード]]、[[フォンテック]]、東武レコーディングスなどからリリースされている。[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の交響曲については、全集録音が複数種類残されており、特にベートーヴェンの交響曲については、同曲異演のCDが多く残されている。没後は[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[リヒャルト・シュトラウス]]、[[パウル・ヒンデミット|ヒンデミット]]などの作品を指揮した音源が発掘され、CD発売されている。他に北ドイツ放送交響楽団とベートーヴェンの他[[セザール・フランク|フランク]]、[[オットリーノ・レスピーギ|レスピーギ]]、[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]などを演奏したCDも発売された。2010年(平成22年)6月には、東武レコーディングスより[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の後期交響曲のCDがリリースされている(倉敷音楽祭のライヴ)。
[[吹奏楽]]にも造詣があり、[[吹奏楽曲]]の録音もいくつか残されている。親交の深かった[[大栗裕]]の作品の他、[[ウィリアム・フランシス・マクベス]]、[[ハロルド・ワルターズ]]などの録音も残っている。没後、大阪市音楽団を指揮したライブ音源が発掘され、CD発売された。
最初の録音は[[1940年]](昭和15年)に京都大学交響楽団を指揮して録音した、母校の[[京都大学]]学歌([[テイチクエンタテインメント|テイチク]])であり、この事実は朝比奈が没する直前に判明した(それまで最初の録音とされてきたものは、[[1943年]]に日本交響楽団を指揮して録音した、[[深井史郎]]作曲『ジャワの唄声』であった。恐らく各地の放送局で放送するために製作されたものであろうという説もある)。京都大学学歌については、現在京都大学のサイト[http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/profile/intro/symbol/song.htm/] の中で鑑賞できる。深井史郎『ジャワの唄声』については、「ローム ミュージック ファンデーション 日本SP名盤復刻選集」の中でCD収録された。
== 逸話など ==
* 朝比奈の指揮者デビューは遅かったが、師であるメッテルからは「一日でも長く生きて、一回でも多く舞台に立て」と言われた。
* [[サッカー]]好きで、高等学校時代から大学初期は日本でも少しは名の知れたサッカー選手であった、としている。東京高等学校時代の[[1926年]]([[大正]]15年)と[[1928年]](昭和3年)の[[全国高等学校ア式蹴球大会]]に[[フルバック]]として出場している。[[篠島秀雄]]はチームメイト。しかし骨折とその後遺症でクラブ活動は断念した。また大学時代はサッカー中に負傷して楽器が弾けなくなり、メッテルに手ひどく怒られたことがある。
* 「[[河上肇]]に学んだろう」という理由で、[[徴兵検査]]はいきなり丙種合格とされた。学部が違うので学んでいないという返事をしたが、検査官に一喝されている<ref>朝比奈が京都帝国大学法学部に入学した1928年(昭和3年)4月に、河上は同経済学部を辞職している。河上が京都を離れたのは1930年(昭和5年)であり、[[1929年]](昭和4年)に[[第三高等学校 (旧制)|第三高等学校]](現:京都大学大学院人間・環境学研究科、総合人間学部)に入学した[[日野原重明]]が京都大学の河上の授業にもぐり込んで聞いたと述懐した記録もある(「京大広報」710号, 2015.4)。</ref>。
* 若い頃はがさつさから「がさ」というニックネームだった。大阪フィルの団員には「オッサン」あるいは「親方」と呼ばれた。
* 利き手の他、酒好きという点でも左利きであり、[[阪神・淡路大震災]]の際、自宅に駆けつけた音楽評論家の知人を前に泰然として酒を勧めたという。飲んで絆を強めるのは海外で指揮するときにも使った。ただし朝比奈も最初は[[下戸]]で阪急時代の上司である[[正岡忠三郎]]に飲めるようにしてもらった。
* 食通で料理好きであり、しばしば自ら厨房に立った。
* 大の[[ネコ|猫]]好き。[[タクシー]]に乗っている時に[[野良猫]]を手なずけるために停車させて車外に出ることがあった。
* 自宅近辺の[[阪急タクシー]]の運転手たちとは懇意の仲で、晩年に至ってもお年玉を渡していた。
* 演奏中に指揮棒を落としてしまうことが多かった。そのため楽譜台には指揮棒が多めに置かれていた。さらに大阪フィルの演奏会ではヴィオラ最前列がしばしば落ちた指揮棒を拾っていた。
* 最後の言葉は「引退するには早すぎる」であった(毎日放送で放映された朝比奈千足へのインタビューより<ref>実際はこれに対して朝比奈千足の応答などが若干あるので、厳密さで注意は要る(時期も2001年(平成13年)12月上旬頃とした記事もある)。</ref>)。
* 朝比奈の使っていた楽譜には、テンポなど演奏上の覚え以外に演奏日や場所などの記録が日本語・英語・ドイツ語が混在して書き込まれているが、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]の楽譜には演奏日の空欄が2行ある。世を去った当日である2001年(平成13年)[[12月29日]]とその翌日の[[12月30日|30日]]に毎年恒例となっていた大阪フィルの「第9シンフォニーの夕べ」を自らが指揮する予定であらかじめ欄を作っていたためである。これらの書き込みは全て朝比奈の手書きである。
* 朝比奈は1964年から死去前年の2000年まで、大阪フィルとの12月の演奏会で毎年必ずベートーヴェン「第9」を演奏、日本人の「暮れの第9」イメージ定着に一役買った指揮者の一人でもある。特に1985年からは12月29日・30日に朝比奈/大阪フィルによる「第9」演奏会の日程が固定化(演奏会場も毎年フェスティバルホール)され、大阪の暮れの恒例演奏会として親しまれた(先述通り2001年も同日に「第9」演奏会が企画されていた)。朝比奈の死後も同日の大阪フィルによる「第9」演奏会は開催が続いている。
* また毎年「第9」で仕事納めの後、新春仕事初めとなる大阪フィルとの演奏会(こちらも会場はフェスティバルホール)では1975年の新春から2001年まで毎年必ず[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]『[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|新世界より]]』を演奏、こちらも恒例として親しまれていた。1982年から1998年新春は『新世界より』に女性ピアニストを招いてのピアノ協奏曲を組み合わせており、独奏に[[中村紘子]](1985年 - 1994年)、後に朝比奈最後の共演ピアニストともなる[[小山実稚恵]](1995年 - 1997年/3回とも曲目は小山の十八番・チャイコフスキーの[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]])らが招かれた。
*小惑星の「[[朝比奈 (小惑星)|5023 朝比奈]]」は朝比奈隆にちなんで名付けられた。
*本人が晩年まで居住地に定めていた[[兵庫県]]では、[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけて、兵庫県内の小学校の校歌を[[白川渥]]と共に多数作曲している([[神戸市立摩耶小学校]]や[[相生市立双葉小学校]]など)。
== 著書 ==
* 『楽は堂に満ちて:[[私の履歴書]]』[[日本経済新聞社]]、1978年/中公文庫、1995年
* 『朝比奈隆 音楽談義』(小石忠男との共著)芸術現代社、1978年
* 『朝比奈隆 わが回想』(聞き手[[矢野暢]])、[[中央公論新社|中央公論社]]〈[[中公新書]]〉、1985年/[[徳間書店|徳間文庫]]、2002年
* 『朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る』[[音楽之友社]]、1990年/[[中公文庫]]、2020年(東条碩夫編)
* 『この響きの中に:私の音楽・酒・人生』[[実業之日本社]]、2000年
* 『指揮者の仕事:朝比奈隆の交響楽談』実業之日本社、2002年、ほか<ref>Webcatをもとにした親本の情報による。</ref>
== テレビドラマ出演 ==
* [[日立テレビシティ]]『昭和ラプソディ』(1985年、[[TBSテレビ|TBS]])※ 特別出演
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈・出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* [[中丸美繪]]『オーケストラそれは我なり 朝比奈隆 四つの試練』文藝春秋、2008年。中公文庫、2012年
* NHK交響楽団『NHK交響楽団40年史』日本放送出版協会、1967年。
* NHK交響楽団『NHK交響楽団50年史』日本放送出版協会、1977年。
* 岩野裕一『王道楽土の交響楽 ― 満洲 ― 知られざる音楽史』音楽之友社、1999年。
* 岩野裕一「NHK交響楽団全演奏会記録・「日露交歓交響管弦楽演奏会」から焦土の《第9》まで」『Philharmony 99/2000SPECIAL ISSULE』NHK交響楽団、2000年。
* 岩野裕一「NHK交響楽団全演奏会記録2・焼け跡の日比谷公会堂から新NHKホールまで」『Philharmony 2000/2001SPECIAL ISSULE』NHK交響楽団、2001年。
* 岩野裕一「NHK交響楽団全演奏会記録3・繁栄の中の混沌を経て新時代へ-"世界のN響"への飛躍をめざして」『Philharmony 2001/2002SPECIAL ISSULE』NHK交響楽団、2002年。
* 『朝比奈隆の軌跡』演奏会プログラム 各号、ザ・シンフォニーホール。
* 『大阪人』第56巻4号(2002年4月号)、大阪都市協会、2002年。
* 『[[月刊島民|月刊島民 中之島]]』13号、月刊島民プレス、2009年。
== 関連文献 ==
* 渡辺佐(たすく)『オーストリア辺境の旅』[[サンライズ出版]]、2010年(現在はKindle版あり、本書のオリジナルは『聖フロリアンの鐘──大阪フィル欧州公演の記録』第一法規版、1977年で、その新訂・一部削除・増補版となっている。〕
== 関連項目 ==
* [[ローベルト・ハース]]
* [[レオポルト・ノヴァーク]]
== 外部リンク ==
* {{NHK人物録|D0009072262_00000}}
* [http://kyodaioke.com/featuretop/ 京都大学交響楽団ホームページ「朝比奈隆の一生」]
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4,851 | 6世紀 | 6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す世紀。
華北を統一していた北朝北魏の政権中枢が前世紀末に南遷し漢化政策を推し進めた結果、モンゴル高原から南下する柔然の侵攻からの国土防衛を担っていた六つの軍事駐屯地、すなわち鎮の軍隊が著しい地位低下に見舞われ不満を募らせた末に反乱を起こす(六鎮の乱)。戦乱の末に北魏は東西に分裂し、懐朔鎮出身の高歓率いる六鎮の主力と山東系の漢人貴族が結びついて北魏皇族を戴く東魏と、武川鎮出身の宇文泰率いる武川鎮軍閥が関中に拠って北魏皇族を戴く西魏が成立する。やがて東魏では高氏、西魏では宇文氏が皇位に登り北斉、北周が成立する。当初の劣勢を跳ね返した北周が北斉を下して華北を再統一するが、北周政府の実権を掌握したやはり武川鎮軍閥軍閥出身の楊氏(普六茹氏)への禅譲が行われて隋が成立し、この政権のもとで柔然に代わって北方から圧力をかけてくる突厥に内部離間を誘って東西分裂により弱体化させることに成功するとともに南朝の陳が征服され、西晋滅亡以来の南北朝統一が成る。
日本では古墳時代後期にあたる。ただし、泊瀬部大王(後の崇峻天皇)が暗殺され異母姉の額田部皇女(後の推古天皇)が立てられた崇峻天皇5年(592年)以降、または厩戸王(後の聖徳太子)が摂政になった推古天皇元年(593年)以降は、飛鳥時代に区分される場合もある。 | [
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] | 6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す世紀。 | {{出典の明記|date=2013年6月}}
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[[ファイル: Meister von San Vitale in Ravenna 003.jpg |thumb|300px|right|地中海の再統一。ゲルマン系諸国家を滅ぼし、イタリアと北アフリカを回復して、東ローマ帝国の勢威は地中海周辺に轟いた。画像は[[ラヴェンナ]]の[[サン・ヴィターレ聖堂]]の東ローマ皇帝[[ユスティニアヌス1世]]と随臣のモザイク。]]
[[ファイル:Khusro Plate.png|thumb|250px|right|サーサーン朝の栄光。画像は[[ホスロー1世]]を描いたサーサーン朝時代の大皿で、パリの[[フランス国立図書館]]{{仮リンク|メダル陳列室(コイン・メダル博物館)|en|Cabinet des Médailles}}所蔵のもの。]]
[[ファイル:Khosrau I Textile.jpg|thumb|right|200px|{{仮リンク|アクスム・ペルシア戦争|en|Aksumite–Persian wars}}。東ローマ帝国とサーサーン朝の対立から、[[紅海]]周辺の諸国家も複雑な国際関係から紛争に巻き込まれた。画像は[[イエメン]]をめぐる[[エチオピア]]の[[アクスム王国]]とサーサーン朝の衝突を描いたエジプトの毛織物。]]
[[ファイル:Antarah on horse.jpg|thumb|right|200px|[[ジャーヒリーヤ|無明時代]]のアラビア語詩人たち。イスラム教勃興直前のこの時代にアラビアでは優れた詩人たちが活躍した。画像はその代表的な詩人{{仮リンク|アンタラ・イブン・シャッダード|en|Antarah ibn Shaddad}}の細密画で、勇猛な戦士の姿で描いている。]]
[[File:Thiruvalluvar Statue At Kanyakumari (197523127).jpeg|thumb|right|250px|タミル文学の展開。南インドでは紀元前以来の伝統を持つタミル文学が体系化された。画像は
インド南端[[カンニヤークマリ]]港に近年建てられた、箴言詩集『[[ティルックラル]]』でタミル文学を代表する[[ティルヴァッルヴァル]]の巨像。]]
[[ファイル:Vishnu image inside cave number 3 in Badami.jpg|thumb|200px|right|[[前期チャールキヤ朝]]。デカン地方から南インドに展開した王朝で都はバーダーミにあった。画像はキールティヴァルマン1世の弟マンガレーシャにより建立されたバーダーミのヒンドゥー教石窟寺院第3窟でヴィシュヌ神の像が安置されている。]]
[[ファイル:Bodhidharma.and.Huike-Sesshu.Toyo.jpg|thumb|right|180px|[[禅宗]]の祖師[[達磨]]。仏教の保護者として有名な[[梁 (南朝)|梁]]の[[蕭衍|武帝]]との問答でも知られるが、経歴に不明な点も多い。画像は[[雪舟]]の『[[慧可断臂図]]』。]]
[[ファイル:Xiao Hui - eastern bixie, seen from S - P1070581.JPG|thumb|250px|right|[[六朝]]の都[[建康 (都城)|建康]]。現在の[[南京]]であるこの地は中国南朝の歴代の都となり、貴族による文化が花開いた。画像は南京にある梁の武帝の異母弟[[蕭恢]]の墓を守る辟邪の石刻。]]
[[ファイル:Sui Wendi Tang.jpg|thumb|200px|right|[[隋]]の[[楊堅|文帝]]。南北朝時代を終わらせて300余年ぶりに中国を統一し、「開皇の治」と呼ばれる安定期をもたらした。[[閻立本]]の「歴代帝王図巻([[ボストン美術館]]蔵)」に描かれた隋の文帝。]]
[[ファイル:Periodo kofun, haniwa, guerriero con armatura keiko, VI sec, 02.JPG|thumb|200px|right|関東の人物[[埴輪]]。6世紀に畿内での埴輪作成は減少するが、関東では最盛期を迎える。画像は「[[国宝]]武装男子立像(群馬県太田市出土)」で[[東京国立博物館]]蔵となっている。]]
[[File:Takehara kofun.png|thumb|225px|right|九州の[[装飾古墳]]。古墳時代後期には九州で独特な古墳が展開した。画像は[[福岡県]][[宮若市]]諏訪神社の境内から発見された[[竹原古墳]]の[[横穴式石室]]に描かれた装飾絵画で、馬を引いた人物や竜が特徴的である。]]
[[File:Shikishima-no-Kanasashi-no-Miya.jpg|thumb|250px|right|[[仏教公伝]]。日本に仏教が伝わったのは『[[上宮聖徳法王帝説]]』などの[[538年]]([[宣化天皇]]3年)、『[[日本書紀]]』の[[552年]]([[欽明天皇]]13年)の二説があるが、6世紀であることは間違いない。画像は欽明天皇の磯城嶋金刺宮伝承地([[奈良県]][[桜井市]])に建てられた宮殿の址の石碑と、並び立つ仏教公伝の碑。]]
[[File:백제 금동대향로.jpg|thumb|200px|right|[[扶余]]時代の[[百済]]。朝鮮半島南西部の百済が[[扶余]]に遷都したのは538年のことである。以来この地に独特で繊細な造形文化が発達した。画像は扶余陵山里から出土した「{{仮リンク|百済金銅香炉|en|Gilt-bronze Incense Burner of Baekje}}({{仮リンク|国立扶余博物館|en|Buyeo National Museum}}蔵)」。]]
[[File:Huaca de la Luna Août 2007 - Peintures 3.jpg|thumb|right|250px|[[モチェ文化]]。ペルー北部海岸地帯に成立した文化で、紀元前1世紀から紀元後7世紀まで続くが、6世紀半ば以降には急速に衰退した。画像はトルヒーヨ近郊にある「太陽のワカ、月のワカ」の神殿基壇部レリーフに極彩色で描かれた最高神アイアパエクの像。]]
[[ファイル:Mausoleum of Theodoric (Ravenna) - Exterior.jpg|サムネイル|266x266ピクセル|[[東ゴート王国]]の盛衰。[[オドアケル]]を倒した東ゴート王[[テオドリック]]のもとイタリアはつかの間の平和を享受した。やがてこの国は6世紀半ばには東ローマ帝国の膝下に屈服することになる。画像は[[ラヴェンナ]]にある[[テオドリック廟]]。]]
[[ファイル:RossanoGospelsChristBeforePilate.jpg|thumb|200px|right|『{{仮リンク|ロッサーノの福音書|en|Rossano Gospels}}』。[[古代末期]]の混乱で散逸した写本は数知れないが、この福音書は『ウィーン創世記』や『シノペの福音書』と並び現存するこの世紀に造られた数少ない写本で、「コデックス・プルプレウス」という紫染めの羊皮紙を用いた豪華なものである。現在は{{仮リンク|ロッサーノ聖堂|en|Rossano Cathedral}}[[教区]]博物館が所蔵する。]]
[[ファイル:Mother of God (portrayed as a Byzantine empress).jpg|thumb|200px|right|エジプトの[[コプト正教会]]。歴代東ローマ皇帝の妥協にもかかわらず、エジプトでは[[非カルケドン派正教会]]が主流派であり、この時期には帝国からの分離傾向が強まった。画像は6世紀に作られた[[コプト|コプト織]]でエジプトで熱心に崇敬された「神の母(テオトコス)」がデザインされている([[クリーブランド美術館]]蔵)。]]
[[File:The Antioch "Chalice" MET DT113.jpg|thumb|right|200px|[[アンティオキア]]の繁栄と凋落。東ローマ帝国シリアの要衝であり、[[総主教]]座が置かれたのがアンティオキアである。しかしこの都市も526年の大地震で多数の死傷者が出て、以後かつての賑わいは戻らなかった。画像はこの世紀前半に作られた鍍金銀細工「{{仮リンク|アンティオキアの聖杯|en|Antioch chalice}}」([[メトロポリタン美術館]]蔵)。]]
[[File:Beit Alpha.jpg|thumb|right|200px|{{仮リンク|ベイト・アルファ遺跡|en|Beth Alpha}}。現在のイスラエル北部にあるユダヤ教の[[シナゴーグ]]の遺跡。画像は東ローマ帝国支配の時代に作られた床面の[[モザイク画]]で黄道帯(ゾディアック)の輪が十二宮の象徴を伴って描かれている。]]
[[File:Helgö Buddha 18137.jpg|thumb|right|200px|北欧の仏像。[[スカンディナヴィア半島]]南部では[[メーラレン湖]]周辺に多くの砦が築かれ、他地域との経済交流が行われた。画像はメーラレン湖の湖島の{{仮リンク|ヘリエー|en|Helgö}}から出土した6世紀ごろに北インドで作られた青銅の仏像([[スウェーデン国立歴史博物館]]蔵)。]]
'''6世紀'''(ろくせいき)とは、[[西暦]][[501年]]から西暦[[600年]]までの100年間を指す[[世紀]]。
== できごと ==
=== 500年代 ===
{{main|500年代}}
* 502年 - [[南朝 (中国)|南朝]]の[[斉 (南朝)|斉]]に代わり[[蕭衍]](武帝)が[[梁 (南朝)|梁]]を建てる
* 503年 - 「癸未年八月」の[[干支]]銘をもつ[[隅田八幡神社人物画像鏡|人物画像鏡]]が[[和歌山県]][[橋本市]]の[[隅田八幡神社]]に伝わる(癸未年を[[443年]]とする説もある)。
* 504年 - [[東ゴート王国|東ゴート国王]][[テオドリック (東ゴート王)|テオドリック]]が[[ゲピド族]]をカルパティア山脈周辺から放逐する。
* 506年 - [[アルメニア使徒教会]]の全主教会議により、[[カルケドン信条]]の不採択が決定される(アルメニア使徒教会の独立)。
* 507年
** 応神天皇の5世の子孫とされる男大迹王が[[河内国]][[樟葉宮]]にて[[治天下大王]]に即位。
*** 後に[[奈良時代]]に至り「[[継体天皇]]」の[[漢風諡号]]が撰進される。
** [[鍾離の戦い]]で、梁が北魏に勝利する。
** [[ヴイエの戦い]]でフランク王国が西ゴート王国に勝利。西ゴート王国は南ガリアの領土を喪失。
* 507年-511年頃 - フランク国王[[クローヴィス1世 (フランク王)|クローヴィス1世]]のもとで「[[サリカ法典]]」が編纂される。
* 507年頃 - [[バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群|バーミヤンの大仏(東大仏)]]が建造される(西大仏は551年頃)。
=== 510年代 ===
{{main|510年代}}
* 510年代 - [[エフタル]]のトラマーナ王と続く{{仮リンク|ミヒラクラ|en|Mihirakula}}王が[[インド]]にたびたび侵入する。
** インドに定着したミヒラクラ王により大規模な[[インドにおける仏教の弾圧]](破仏)が行われる。
* 511年
** フランク国王クローヴィス1世が死去し、領土は[[ソワソン]]・[[パリ]]・[[ランス (マルヌ県)|ランス]]・[[オルレアン]]の各王国に分割される。
** 西ゴート国王[[アマラリック]]が即位。外祖父の東ゴート王[[テオドリック (東ゴート王)|テオドリック]]が摂政となり、両ゴート王国を統治。
** 梁の武帝が僧侶に向けて「断酒肉文」を布告。
* 512年
** 『[[ウィーン写本]]』が作成される。
*** 古代ローマの医師[[ディオスコリデス]]が著した『薬物誌』の[[写本]]のひとつで、[[西ローマ]]帝国の皇女であった貴婦人{{仮リンク|アニキア・ユリアナ|en|Anicia Juliana}}(462年 - 527/528年)に献上されたもの。
** 日本が百済に対し任那の四県二郡を割譲する。
* 513年 - 百済から[[五経博士]]の[[段楊爾]]が来日する(日本最古の五経博士の記録)。
* 515年 - [[北魏]]で[[大乗の乱]]が起こる。
* 518年 - [[ガリラヤ湖]]畔の{{仮リンク|ベト・アルファ|en|Beth Alpha}}の[[シナゴーグ]]の床モザイク壁画が作成される( - 527年)。
=== 520年代 ===
{{main|520年代}}
* 520年
** インドの[[グプタ朝]]が分裂し統一王朝は崩壊。グプタ朝の版図は北ベンガルとビハールに限定される。
** 北魏の使者である[[宋雲]]と恵生がバダフシャン付近でエフタル王ミヒラクラに謁見する。
** インド出身の[[達磨]]が海路を通って[[広州]]に到着する。
** [[ラヴェンナ]]に東ゴート国王のための[[テオドリック廟]]が建立される。
* 520年頃
** スウェーデン・[[ウプサラ大学]]カロリーネ図書館所蔵の[[ゴート語]]訳『{{仮リンク|コデックス・アルゲンティウス|en|Codex Argenteus}}(銀文字聖書)』が作成される。
* 523年
** 北魏で[[六鎮の乱]]が起こる。
** 百済の[[武寧王]]が死去し、[[聖王 (百済)|聖王]]が即位。
*** 武寧王は[[忠清南道]][[公州市]]([[熊津]])の宋山里古墳群の[[武寧王陵]]に葬られる。
** 南アラビアの[[ヒムヤル王国|ヒムヤル国王]]ズー・ヌワースがユダヤ教に改宗し、キリスト教徒を弾圧([[ナジュラーン]]の迫害)。
* 524年頃 - 東ゴート王国の執政官であった[[ボエティウス]]が処刑される。この時期までに『[[哲学の慰め]]』が執筆される。
* 525年
** [[東ローマ帝国]]の援助を得た[[アクスム王国]]がヒムヤル王国を滅ぼす。
** 東ローマ帝国の[[シャンルウルファ|エデッサ]]で大洪水の被害、後にユスティノポリスと改名し再建される。
*** 城壁の再建の途中でキリストの「[[自印聖像]](マンディリオン)」が発見される。
* 525年頃
** [[ナスカの地上絵]]が作成される([[コロンビア大学]]のストロング(W. Duncan Strong)による[[C14法]]年代測定では誤差は±80年)。
** コンスタンティノポリスで象牙製の[[ディプティク|二連板]]浮き彫り「{{仮リンク|大天使ミカエルの像|en|Archangel ivory}}([[大英博物館]]蔵)」が作成される( - [[550年]]頃)。
* 526年
** 東ローマ帝国の[[アンティオキア]]で被害者25万人以上の大地震が発生。
** 東ゴート王テオドリックが死去。テオドリックの娘[[アマラスンタ]]の息子[[アタラリック]]が即位。
* 526年 - 539年
** 南朝梁の武帝の王子[[蕭繹]](後の梁の元帝)が『[[職貢図|梁職貢図]]』の原本を作成させる。
* 527年
** [[筑紫国造磐井の乱]]起こる(『[[日本書紀]]』継体天皇21年)。
** 梁の[[蕭衍|武帝]]が[[建康 (都城)|建康]]の[[鶏鳴寺|同泰寺]]で最初の捨身を行う。
** 東ローマ皇帝[[ユスティニアヌス1世]]が即位( - [[565年]])。
* 527年 - 565年頃
** 皇帝ユスティニアヌス1世の命令で[[シナイ山]]に[[聖カタリナ修道院]]が建てられる
* 528年
** [[筑紫国造]][[磐井 (古代豪族)|磐井]]斬殺される(『日本書紀』継体天皇22年)。
*** 磐井の墓は[[福岡県]][[八女市]]吉田の[[岩戸山古墳]]に比定される。
** [[新羅]][[法興王]]が仏教を公認。
** [[河陰の変]]で、北魏の[[爾朱栄]]が[[霊太后]]を倒し[[孝荘帝]]を擁立。
** [[マールワー]]王ヤショーダルマンが[[エフタル]]王ミヒラクラを破って、[[カシミール]]に敗走させる。
** [[サーサーン朝]]皇太子ホスロー(後の[[ホスロー1世]])が教祖[[マズダク]]ら[[マズダク教]]信者を殺害する。
* 529年
** 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が[[アテネ]]の[[アカデメイア]]を閉鎖し非キリスト教の哲学者を追放する。
*** 追放された哲学者たち([[ダマスキオス]]、[[シンプリキオス]]、プリスキアノスら)はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命し、[[ホスロー1世]]の庇護を受ける。
** [[ヌルシアのベネディクトゥス|ベネディクトゥス]]が[[イタリア]]の[[モンテ・カッシーノ]]に修道院を創設。
=== 530年代 ===
{{main|530年代}}
* 530年 - ユスティニアヌス1世が古代[[ローマ法]]の集大成である『[[ローマ法大全]]』編纂を命じる(533年完成)。
* 531年
** フランク王[[テウデリク1世]]とザクセン族の連合が{{仮リンク|テューリンゲン族|de|Thüringer|en|Thuringii}}を攻撃( - [[533年]])。
** サーサーン朝ペルシア帝国で[[ホスロー1世]]が即位( - 579年)し、サーサーン朝が最盛期を迎える。
** 継体天皇死去、[[安閑天皇]]即位。
*** 継体天皇の陵墓として宮内庁は[[大阪府]][[茨木市]]の[[太田茶臼山古墳]]を指定しているが、近年の考古学界では[[淀川 (近畿)|淀川]]水系に位置する[[今城塚古墳]]が有力視されている。
* 532年
** 東ローマ帝国で[[ニカの乱]]。
*** 皇帝ユスティニアヌス1世は退位逃亡寸前まで追いこまれるが、皇后[[テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)|テオドラ]]の助力で反徒を武力鎮圧。
*** この後コンスタンティノポリス市街の再建が進められ、巨大な[[イスタンブール地下宮殿|地下貯水池]](バシリカ・シスタン)もこの時期に造られる。
** 東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアとの間に「永久平和条約」が結ばれ国境が固定化される。
* 533年
** 東ローマ帝国が北アフリカの[[ヴァンダル王国]]を征服。
** フランク王[[テウデリク1世]]が、[[チューリンゲン]]王{{仮リンク|ヘルマンフリート|en|Hermanafrid}}を{{仮リンク|ツェルピッヒ|en|Zülpich}}城で殺害し王国を滅ぼす。
* 534年
** フランク王国(パリ・ソワソン)が[[ブルグント王国]]を征服。
** 東ゴート王国女王[[アマラスンタ]]が廃位される。
** 北魏の[[孝武帝 (北魏)孝武帝]]が洛陽から出奔し、長安の[[宇文泰]]に招かれる。
*** [[高歓]]が[[鄴]]で[[孝静帝]]を擁立し、北魏は[[東魏]](鄴)と[[西魏]](長安)に分裂する。
** 西魏の宇文泰が郷兵を結集し、[[府兵制]]が成立する。
*** これに伴い十二大将軍・八柱国の軍団が整備され、[[武川鎮軍閥]](関隴集団)が結集する。
* 535年
** [[インドネシア]]の[[クラカタウ]]火山爆発による{{仮リンク|地球規模の異常気象|en|Extreme weather events of 535–536}}が起きる。
*** 世界各地の古文書・年代記・伝承などに異常寒波・自然災害・飢饉・疫病が発生し、その結果政変や文明の崩壊が起きたことが記されている<ref>石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 84ページ</ref>。
*** インドネシア・[[ジャワ島]]西部にあった[[タルマヌガラ王国]](訶羅単(からたん))の衰退の原因とされる。
** 東ゴート元女王アマラスンタが殺害され、東ローマ帝国が軍事介入を開始([[ゴート戦争]])。
* 536年 - 安閑天皇死去、[[宣化天皇]]即位。
** 安閑天皇陵は[[大阪府]][[羽曳野市]][[高屋築山古墳]]とされており、サーサーン朝ペルシア産のカットガラス「白瑠璃埦([[東京国立博物館]]蔵)」が出土したと伝わる。
* 537年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によりニカの乱で焼失した[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]が再建される。
** 現存する[[イスタンブール]]の「アヤソフィア」は再建されたこの3代目の建物を指す。
* 538年
** 日本に[[仏教公伝|仏教伝来]](『[[上宮聖徳法王帝説]]』による)。
** 百済の[[聖王 (百済)|聖王]]が都を[[熊津]]から[[泗沘]](現・忠清南道[[扶余郡]])に遷す。
* 539年
** 宣化天皇死去、[[欽明天皇]]即位。
** ゴート人の[[ミラノ]](メディオラヌム)略奪。
=== 540年代 ===
{{main|540年代}}
* 540年
** [[メキシコ]]の[[エルチチョン]]火山の爆発。
** [[物部尾輿]]らに[[任那]]4県割譲の責任を問われ、[[大伴金村]]が失脚する。
* 540年頃 - ベネディクトゥスが「{{仮リンク|ベネディクトゥスの修道規則|en|Rule of Saint Benedict}}」を定める。
* 541年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世がローマ共和政以来の[[執政官]](コンスル)を廃止する。
* 542年 - 570年 - [[ヨルダン]]西部[[マダバ]]の[[聖ゲオルギオス]]教会の床[[モザイク]]に中東地域の地図が描かれる([[マダバ地図]])。
* 543年
** 東ローマ帝国で「{{仮リンク|ユスティニアヌスのペスト|en|Plague of Justinian}}」が大流行。
** [[東ゴート王国|東ゴート国王]][[トーティラ]]がヌルシアのベネディクトゥスを訪問。
** [[ヌビア]]の{{仮リンク|ノバティア王国|en|Nobatia}}がキリスト教に改宗する。
* 543年頃
** [[デカン高原]]に[[前期チャールキヤ朝]]が成立する。
* 546年
** 東ゴート国王トーティラの軍勢が[[ローマ略奪 (546年)|ローマを略奪]]。
** 修道士コルンバがアイルランドの{{仮リンク|ダロウ修道院|en|Durrow Abbey}}を創設。
* 546年頃 - [[ラヴェンナ]]の[[サン・ヴィターレ聖堂]]が献堂される。
* 548年 - 梁で[[侯景の乱]]。翌年には[[建康 (都城)|建康]]が陥落し梁の武帝が憤死。
* 549年 - ラヴェンナ近郊の[[サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂]]が献堂される。
=== 550年代 ===
{{main|550年代}}
* 550年
** 東魏を滅ぼした[[文宣帝|高洋]](文宣帝)が[[北斉]]を建国。
** エジプトの[[フィラエ神殿]]が東ローマ皇帝ユスティニアヌスの命により閉鎖される。
* 550年頃
** インドでグプタ朝が完全に滅亡。
** [[ネストリウス派]]の修道士により中央アジアから東ローマ帝国に[[絹]]の製法が伝えられる([[東ローマ帝国の養蚕伝来]])。
* 552年
** 北アジアで[[柔然]]が分裂する。柔然から独立した[[伊利可汗]]が[[突厥]]を建国。
** 日本に[[仏教公伝|仏教伝来]](『[[日本書紀]]』による)、[[疫病]]の流行、[[崇仏論争]]が起きる。
** {{仮リンク|アスフェルドの戦い|en|Battle of Asfeld}}でランゴバルドの[[アルボイーノ]]がランゴバルド族に勝利。
* 553年 - [[第2コンスタンティノポリス公会議]]で「{{仮リンク|三章問題|en|Three-Chapter Controversy}}」が討議されその著作が排斥される。
* 554年
** 東ローマ帝国がイタリアの[[東ゴート王国]]を征服。
*** {{仮リンク|国事詔書 (554年)|ru|Прагматическая санкция (554)|label=国事詔書}}が発布され、イタリアは東ローマ帝国領に編入される。
** 東ローマ帝国が西ゴート王国領イスパニア南部に進軍。
** ドゥヴィン教会会議で、アルメニア使徒教会がキリスト[[両性説|両性論]]を拒否し、[[非カルケドン派正教会|非カルケドン派]]を宣明する。
** 西魏が[[荊州区|江陵]]を陥落させ、梁の[[元帝 (南朝梁)|元帝]]を殺害。
** 管山城の戦いで新羅の[[真興王]]が百済の聖王を倒す。
* 555年
** 北斉の文宣帝が柔然を撃破。西魏に亡命した柔然の一派も[[突厥]]により殲滅される。
** [[アギラ1世]]を倒して[[アタナギルド]]が西ゴート王に即位。
*** この王位継承争いで東ローマ帝国軍が[[カルタゴ・ノヴァ]]や[[マラガ]]そして[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]を征服。
* 556年
** 西魏を滅ぼした[[孝閔帝|宇文覚]](孝閔帝)が[[北周]]を建国。
* 557年
**梁を滅ぼした[[陳霸先]](武帝)が[[陳 (南朝)|陳]]を建国。
** [[コンスタンティノープル地震 (557年)|コンスタンティノポリス大地震]]。
*** [[コンスタンティノープルの城壁|コンスタンティノポリス城壁]]や、[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]ドーム部分(翌558年に崩壊)に大きな被害が生じる。
* 558年
** サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥の[[室点蜜]](イステミ)と同盟し、{{仮リンク|ゴル・ザリウンの戦い|en|Battle of Gol-Zarriun}}([[ブハラ]]の戦い)で[[エフタル]]を滅ぼす。
** [[クロタール1世 (フランク王)|クロタール1世]]によりフランク王国が再統一される( - 561年)。
=== 560年代 ===
{{main|560年代}}
* 560年 - 西ゴート国王[[アタナギルド]]が[[トレド]]に遷都。
* 562年
** [[カラクムル]]の「空を見る者」王が[[ティカル]]のワク・チャン・カウィール王を倒し[[マヤ]]の覇権を握る。
** [[任那]]地方を含む[[加羅]]諸国が新羅の支配下におかれ、日本の勢力は後退する。
** 北斉[[太寧 (北斉)|太寧]]2年のこの年に死去した庫狄廻洛の墓([[山西省]][[寿陽県]])から最古の[[白磁]]の祖型とみられる低火度鉛釉陶磁が出土している。
* 563年 - 修道士[[コルンバ]]が[[スコットランド]]西海の[[ヘブリディーズ諸島]][[アイオナ島]]に新たな[[アイオナ修道院]]を創建する。
* 564年 - [[大英博物館]]所蔵の[[トゥルム]]遺跡出土の「{{仮リンク|トゥルム石碑1|en|Tulum Stela 1}}」に刻まれている年はこの年のもの。
* 565年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が死去。
* 567年 - [[ゲピド族|ゲピド王国]]がランゴバルド人に征服され、国王クニムンドが殺害される。
* 568年
** ランゴバルド人がイタリアに侵入し、[[アルボイン]]を王とする[[ランゴバルド王国]]を建国。
** 突厥の室点蜜が東ローマ帝国にソグド人首領マニアクの使節団を派遣する。
* 569年
** ヌビアの{{仮リンク|マクリア王国|en|Makuria}}と{{仮リンク|アロディア王国|en|Alodia}}がキリスト教に改宗する。
=== 570年代 ===
{{main|570年代}}
* 570年
** 福岡県元岡古墳群で出土した「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」の銘文を持つ鉄製大刀([[庚寅銘大刀]])が作られる。
** 北斉の軍人[[婁叡]]の墓が[[山西省]][[太原]]に作られる。
** ランゴバルド系の[[スポレート公国]]・[[ベネヴェント公国]]が成立し、東ローマ帝国領南イタリアと拮抗する。
** {{仮リンク|アクスム・ペルシア戦争|en|Aksumite–Persian wars}}( - 578年)。
*** エチオピアの[[アクスム王国]]配下の[[イエメン]]総督アブラハが[[戦象]]を率いて[[メッカ]]を攻撃する。
**** メッカは市街を守り抜き、記念にこの年を「[[象 (クルアーン)|象の年]]」と呼んでいる。
**** なおこの時のメッカ側の[[クライシュ族]]指導者はアブドゥルムッタリブで、孫に当たる[[預言者]][[ムハンマド]]が事件の50日後に生まれている。
** [[イエメン]]の{{仮リンク|マアリブ・ダム|en|Marib Dam}}が決壊し以後修復されず。
*** 灌漑システムの崩壊により[[イエメン]]などアラビア南部の農耕民が[[ベドウィン]]化し、アラビア北部に移動する。
* 571年 - 北斉の高官{{仮リンク|徐顕秀の墓|zh|徐显秀墓}}が山西省太原に作られる。
* 572年
** [[欽明天皇]]死去、[[敏達天皇]]が即位。
** {{仮リンク|ティキヌム攻略戦|en|Enlink|Siege of Pavia (569–72)}}でランゴバルド人が[[パヴィーア]]を陥落させる。
* 574年 - 北周の[[武帝 (北周)|武帝]]の廃仏が始まる(建徳の廃仏、[[三武一宗の法難]]の一つ)。
* 576年 - 新羅の[[真興王]]によって[[花郎]]が組織される。
* 577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。
* 578年 - 世界最古の会社である[[金剛組]]([[大阪市]])が創設される。
* 579年 - 西ゴート王子[[ヘルメネギルド]]のカトリック改宗と、父王レオヴィギルドへの反乱。
=== 580年代 ===
{{main|580年代}}
* 580年頃 - [[スラヴ人]]が北ギリシャに侵入する。
* 581年
** 中国で[[楊堅]](文帝)が北周を滅ぼして[[隋]]を建国。「{{仮リンク|開皇律令|zh|开皇律}}」が公布される。
** 突厥の[[阿史那菴羅|菴羅可汗]]が[[ソグド語]]による[[ブグト碑文]]を建立。
* 582年
** 隋で都の[[長安|大興城]]が整備され、[[仏教治国策]]として[[大興善寺]]が国寺として置かれる。
** [[阿波可汗]]が西走し、突厥が[[東突厥]]と[[西突厥]]に分裂する。
* 583年
** 隋の文帝が郡を廃止し、[[州県制]]を導入。
** スラブ人やアヴァール人に追われた避難民により[[ペロポネソス半島]]の[[モネンバシア]]市が建設される。
* 584年
** 東ローマ皇帝[[マウリキオス]]が[[ラヴェンナ]]に[[ラヴェンナ総督府|総督府]]を設置。
** [[司馬達等]]の娘[[善信尼]]らが日本最初の出家者となる。
* 585年
** 西ゴート王国が[[スエビ王国]]を滅ぼす。
** 敏達天皇死去、[[用明天皇]]即位。
* 586年 - メソポタミア北部ザグバの聖ヨハネ修道院で「{{仮リンク|ラブラの福音書|en|Rabbula Gospels}}([[フィレンツェ]]・ラウレンツィアーナ図書館蔵)」が作られる。
* 587年 - 用明天皇死去、[[蘇我馬子]]が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす([[丁未の乱]])、[[崇峻天皇]]即位。
* 588年 - 蘇我馬子の発願による日本最初の本格寺院の法興寺([[飛鳥寺]])の造営が始まる( - [[596年]])。
* 589年
** 隋が南朝の陳を滅ぼし、南北朝時代が終わり、中国が統一される。
** 第3回[[トレド教会会議]]で西ゴート国王[[レカレド1世]]がカトリックに改宗する。
=== 590年代 ===
{{main|590年代}}
* 590年
** ローマ教皇に[[グレゴリウス1世 (ローマ教皇)|グレゴリウス1世]]が即位。
** [[アイルランド]]の修道士[[コルンバヌス]]が[[ヴォージュ山脈]]に{{仮リンク|リュクスイユ修道院|en|Luxeuil Abbey}}を建てる。
** サーサーン朝で{{仮リンク|バフラーム・チョービン|en|Bahram Chobin}}の反乱。
* 590年頃 - [[エルサルバドル]]の[[ホヤ・デ・セレン]]遺跡がロマ・カルデーラ山の噴火によって埋没する。
* 591年 - 東ローマ皇帝マウリキオスが[[カルタゴ]]に総督府を設置。
* 592年
** 隋で[[均田法]]が施行される。
** [[太原]]南郊にソグド人を統括する検校薩保府の虞弘が埋葬される(隋代[[虞弘墓]]遺跡)。
** 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位。[[聖徳太子]]が推古天皇の摂政となる。
* 593年 - 聖徳太子の発願による[[四天王寺]]の造営が始まる。
* 594年
** [[法隆寺]]五重塔心柱のヒノキ材の伐採年代が年輪年代法によりこの年(推古2年)のものと判明している。
** [[トゥールのグレゴリウス]]が『{{仮リンク|歴史十巻|fr|Histoire des Francs}}(フランク史)』を完成させ、この年に死去。
* 596年 - 教皇グレゴリウス1世により修道士[[カンタベリーのアウグスティヌス|アウグスティヌス]]がイングランド宣教に派遣される。
* 597年 - ケント王[[エゼルベルト (ケント王)|エゼルベルト]]によりアウグスティヌスは布教を許され、初代[[カンタベリー大司教|カンタベリー司教]]に任ぜられる。
* 598年 - 隋で[[科挙]]が行われる。[[高句麗]]遠征([[隋の高句麗遠征]])に失敗する。
* 599年 - [[東突厥]]の[[啓民可汗]]に隋の[[義成公主]]が嫁ぐ。
* 599年頃 - [[西突厥]]の[[泥利可汗]]を記念する[[ソグド語]]碑文が[[イリ地方]]の[[モンゴルキュレ県|昭蘇]]石人に刻まれる。
=== 600年代 ===
{{main|600年代}}
* 600年
** 日本が第1回[[遣隋使]]を派遣(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない)。
** 隋で[[三階教]]が邪教とされ弾圧される。
== 伝説・架空のできごと ==
* [[502年]] - [[514年]] - 梁の武帝は風狂の僧[[宝誌]]を尊崇し、その肖像画を描かせるべく三人の画家を遣わした。宝誌が画家たちの前で自らの顔に裂け目を入れ、顔の皮を左右に拡げると、中から十一面観音菩薩の顔が現れた。かくして画家たちが描いた肖像画を見て武帝は再度宝誌を追うが、その姿を二度と見ることはなかった(原型は南朝梁の[[慧皎]]『[[高僧伝]]』巻10。『[[宇治拾遺物語]]』他の記述に発展。京都市西住寺の宝誌和尚像も有名)。
* [[502年]] - [[549年]] - 梁の武帝の治世に活躍した画家の張僧繇が金陵安楽寺の壁画に龍を描き、ややあって目を書き入れたところ龍が画中から動き出し瞬く間に天上に駆け上っていった([[張彦遠]]『[[歴代名画記]]』「画竜点睛を欠く」の故事。他の出典として『水衡記』)。
* [[507年]] - [[越前国]]味真野に住んでいた、[[応神天皇]]の子孫である大迹部皇子(男大迹皇子・[[継体天皇]])のもとに急使が届き、次の帝の候補として白羽の矢が立てられた。皇子は都への旅路を急ぐかたわら、この地に残すことになる恋人照日の前に使者を送り、手紙と愛用した花筐(はながたみ(花籠))を届けさせる([[世阿弥]]の謡曲「[[花筐]]」)。
* [[528年]] - [[コネチカット州]]ハートフォード出身のハンク・モーガンは、兵器工場の職長であった。ある日モーガンは部下に殴られて気絶する。意識を取り戻すと目の前には騎士がいて、騎士に連れて行かれた先は[[キャメロット]]だった。モーガンは自分がかの[[アーサー王]]宮廷にいることを知る([[マーク・トウェイン]]の小説『[[アーサー王宮廷のヤンキー]]』)。
* [[537年]] - アーサー王の遠征中に[[モルドレッド]]が反乱を起こし、[[カムランの戦い]]で王が討伐した。しかし王は激戦の末、瀕死の重傷を負い、治療のため[[アヴァロン]]へ赴き、この地で最期を迎えることとなる。またアーサー王は未来のいつかに目覚めて人々を救うために帰ってくるため、ここで眠っているだけだという(「{{仮リンク|アーサー王帰還伝説|en|King Arthur's messianic return}}」。最古の記述は『[[カンブリア年代記]]』、[[ジェフリー・オブ・モンマス]]の『[[ブリタニア列王伝]]』などで発展)。
* [[564年]] - [[洛陽]]が北周軍に包囲された時、敵の策謀を疑い門は閉じられたままだった。救援に来た北斉の将軍[[高長恭]](蘭陵王)が門前で兜を脱ぎ顔を晒したところ、類いまれな美貌を見て門兵が扉を開いた。以後もその美貌が兵卒たちの士気を下げることを恐れ、高長恭は常に異形の仮面をつけて戦い続けた([[雅楽]]「[[蘭陵王 (雅楽)|蘭陵王]]」)。
* [[557年]]以降 - [[581年]]頃 - [[北周]]から[[隋]]の間に[[長安]]にいた若者杜子春が財産を使い果たし、仙人の鉄冠子のもとで修行に励むが、ふとした過ちで不老長寿の夢を絶たれてしまう(原作は唐の李復言の伝奇小説『続玄怪録』の「杜子春伝」。日本の[[芥川龍之介]]の翻案小説、『[[杜子春]]』は時代・場所のほか物語に大きく変更あり)。
* [[562年]]以降 - ゲルマン諸族を打ち破り、帝国領土の回復に顕著な貢献したにもかかわらず、思いがけぬことで東ローマ皇帝[[ユスティニアヌス1世]]の寵を失った歴戦の勇士・老いた将軍[[ベリサリウス]]は、追放されて盲目にされたばかりでなく、陋巷で物乞いをして人々の慈悲にすがるような哀れな最期を迎えることになった({{仮リンク|ジャン・フランソワ・マルモンテル|en|Jean-François Marmontel}}の歴史小説『{{仮リンク|べリゼール|en|Bélisaire}}』、この小説に想を得た[[ジャック・ルイ・ダヴィッド]]の油彩画「施しを乞うベリサリウス([[リール美術館]]蔵)」も有名)。
* [[565年]] - [[アイルランド]]人で[[アイオナ]]修道院長でもあった[[コルンバ]]は、[[スコットランド]]北部を布教する際に、人々を苦しめていた[[ネス川]]に潜む怪物を聖なる力で追い払った(ローナ修道院長{{仮リンク|アダムナン|en|Adomnán}}による『聖コルンバ伝(Vita Columbae)』。[[ネス湖]]の[[未確認生物]]「[[ネッシー]]」の最古の記録ともされる)。
* [[581年]]以降 - [[広東省]]の羅浮山麓は梅の名所で、隋の[[開皇]]年間に将軍趙師雄がここである清楚な美女に出会い、歓談し酒を酌み交わした。酔いが覚めるとただ一人。美女は梅花の精霊であった([[柳宗元]]「龍城録 趙師雄酔憩梅花下」に見える「羅浮仙伝説」)。
* [[585年]]以前 - 日本の[[敏達天皇]]の時代、[[元興寺]](飛鳥寺)の童子が怪死する事件が相次いだ。[[雷神]]により授かったとされる[[尾張]]出身の怪力の童子がその[[元興寺 (妖怪)|元興寺の妖怪]]を倒し、怪異は収まった。この童子こそ[[道場 (僧)|道場]]法師の前身である([[景戒]]『[[日本霊異記]]』)。
* [[590年]]以降 - 若きペルシア王子ホスロー(後の皇帝[[ホスロー2世]])は[[アルメニア]]に赴き、その王女シーリーンと運命的な出会いを果たす。互いに惹かれ合うもホスローは、帝国の内乱を鎮圧するのに忙殺され、その鎮圧のため助力を仰ぐ東ローマ皇帝(カエサル)の王女マルヤムとの縁組を承諾せざるを得なくなる。互いにすれ違う二人を待ち受ける波乱万丈な運命はまだまだ続く([[ニザーミー]]『[[ホスローとシーリーン]]』)。
== 時代の動向 ==
=== 東アジア ===
==== 大陸 ====
[[華北]]を統一していた北朝[[北魏]]の政権中枢が前世紀末に南遷し漢化政策を推し進めた結果、[[モンゴル高原]]から南下する[[柔然]]の侵攻からの国土防衛を担っていた六つの軍事駐屯地、すなわち[[鎮]]の軍隊が著しい地位低下に見舞われ不満を募らせた末に反乱を起こす([[六鎮の乱]])。戦乱の末に北魏は東西に分裂し、懐朔鎮出身の[[高歓]]率いる六鎮の主力と山東系の漢人貴族が結びついて北魏皇族を戴く[[東魏]]と、武川鎮出身の[[宇文泰]]率いる[[武川鎮軍閥]]が[[関中]]に拠って北魏皇族を戴く[[西魏]]が成立する。やがて東魏では高氏、西魏では宇文氏が皇位に登り[[北斉]]、[[北周]]が成立する。当初の劣勢を跳ね返した北周が北斉を下して華北を再統一するが、北周政府の実権を掌握したやはり武川鎮軍閥軍閥出身の楊氏(普六茹氏)への禅譲が行われて[[隋]]が成立し、この政権のもとで柔然に代わって北方から圧力をかけてくる[[突厥]]に内部離間を誘って東西分裂により弱体化させることに成功するとともに南朝の[[陳 (南朝)|陳]]が征服され、[[西晋]]滅亡以来の[[南北朝時代 (中国)|南北朝]]統一が成る。
==== 朝鮮半島 ====
==== 日本 ====
[[日本]]では[[古墳時代]]後期にあたる。ただし、泊瀬部大王(後の[[崇峻天皇]])が暗殺され異母姉の額田部皇女(後の[[推古天皇]])が立てられた崇峻天皇5年([[592年]])以降、または厩戸王(後の[[聖徳太子]])が[[摂政]]になった推古天皇元年([[593年]])以降は、[[飛鳥時代]]に区分される場合もある。
* それまでの[[ヤマト王権]]の王統嫡流が断絶し、誉田別尊大王(後の[[応神天皇]])五世の子孫とされ[[越前国|越前]]と[[近江国|近江]]に地盤を持ち[[尾張連草香]]の娘を妃としていた男大迹王(後の[[継体天皇]])が、[[大伴氏]]、[[物部氏]]、[[巨勢氏]]らにより畿内に迎えられて前王統の[[手白香皇女]]を皇后に迎え、[[治天下大王]]として擁立される。やがてこの継体系の王家は新興の[[蘇我氏]]と結びつき、[[武川鎮軍閥]]系の政権によって大陸が華北の再統一から南北朝の統一へと向かう中、前世紀の「[[倭の五王]]」後に途絶えていた活発な東アジア外交を再開する。
* 考古学の発掘研究によればこの世紀の半ばになって日本列島での[[鉄鉱石]]からの[[製鉄]]遺構が初めて出現する。同時期に大陸では倭国が[[弥生時代]]以来鉄素材の供給源としていた[[弁韓]]の後身[[加羅]]諸国が[[新羅]]に併合されている。
* 前世紀に九州などで造られ始めていた[[古墳]]の[[横穴式石室]]が全国規模で普及する。
* この世紀の後期になると畿内では[[前方後円墳]]がつくられなくなり、前方後円墳の伝統を保持していた天皇陵含む大型古墳も渟中倉太珠敷大王(後の[[敏達天皇]])の陵墓を最後に以後[[方墳]]となる。関東でも[[群集墳]]が盛んに造られるようになる。ヤマト王権中央、さらには地方首長の統治下でも[[仏教]]の導入が進行し、前方後円墳と結びついていた首長祭祀は以後[[氏寺]]における仏教儀礼が担うようになる。
=== 西アジア ===
=== 南アジア ===
=== 東南アジア ===
=== ヨーロッパ ===
== 人物 ==
=== 地中海世界とヨーロッパ ===
==== イタリア(東ゴート王国からランゴバルド王国まで) ====
* [[ディオニュシウス・エクシグウス]]([[470年]]頃 - [[544年]]) - ローマの神学者・教会法学者・キリスト紀元([[西暦]])を案出。
* [[ヌルシアのベネディクトゥス]]([[480年]]頃 - [[547年]]) - 西方教会における修道制の創設者・モンテ・カッシーノ修道院を建立。
* [[スコラスティカ]]([[480年]]頃 - [[547年]]頃) - ヌルシアのベネディクトゥスの双子の姉妹・ベネディクト女子修道院の創設者。
* [[ボエーティウス|ボエティウス]]([[480年]]頃 - [[524年]]頃) - 東ゴート王国の[[執政官]]で[[哲学者]]・[[神学者]]。著作に『[[哲学の慰め]]』がある。
* [[カッシオドルス]]([[485年]]頃 - [[585年]]頃) - 東ゴート王国の[[執政官]]で[[哲学者]]・[[神学者]]。ウィウァリウムの修道院に隠棲する。
* [[トーティラ]](? - [[552年]]) - 東ゴート国王(在位[[541年]] - [[552年]])・[[ゴート戦争]]で東ローマ帝国軍に抵抗しタギナエの戦いで戦死。
* [[アルボイン]]([[526年]]? - [[572年]]) - [[ランゴバルド王国]]の初代国王(在位[[560年]] - [[572年]])・東ローマ支配を覆す。
* {{仮リンク|フォルトゥナトゥス|en|Venantius Fortunatus}}([[530年]]頃 - [[610年]]頃) - イタリアのラテン詩人・聖十字架の賛歌「王の旗が進む」や『聖ラデグンディス伝』がある。
* [[グレゴリウス1世]]([[540年]] - [[604年]])- ローマ教皇(在位[[590年]] - [[604年]])・ゲルマン系諸民族への宣教を推進。
==== フランク王国 ====
* [[クロタール1世 (フランク王)|クロタール1世]]([[497年]] - [[561年]]) - [[メロヴィング朝]][[フランク王国]][[ソワソン]]の王(在位[[511年]] - [[561年]])・[[ブルグント王国]]を滅ぼす。
* [[テウデベルト1世]]([[500年]]頃 - [[547年]]/[[548年]]) - [[メロヴィング朝]][[フランク王国]]のランス([[アウストラシア]])王。
* [[テウデバルド]]([[535年]] - [[555年]]) - メロヴィング朝フランク王国のランス(アウストラシア)王・テウデベルト1世の子。
* [[フレデグンデ]](? - [[597年]]) - フランク王国[[ネウストリア]]王[[キルペリク1世]]の王妃・ブルンヒルデの政敵。
* [[ブルンヒルド]]([[543年]]頃 - [[613年]]) - フランク王国[[アウストラシア]]王[[シギベルト1世]]の王妃・フレデグンデの政敵。
* {{仮リンク|パリのゲルマヌス|en|Germain of Paris}}([[496年]] - [[576年]]) - パリ司教・フランク王国のキリスト教化につとめ{{仮リンク|サンジェルマン・デ・プレ修道院|en|Church of Saint-Germain-des-Prés}}にその名が残る。
* [[トゥールのグレゴリウス]]([[530年]]頃 - [[594年]]頃) - [[フランク王国]]の司教・年代記作家で『歴史十巻(フランク史)』の著者。
* アルルのカエサリウス([[468年]]/[[470年]] - [[542年]]) - [[レランス島|レランス]]の修道院長・[[アルル]]の司教・ガリア教会の復興を指揮する。
==== イングランド・アイルランド ====
* [[クロンファートのブレンダン]]([[484年]]頃 - [[578年]]頃) - アイルランドの修道士・各地への宣教で知られ『聖ブレンダンの航海』で伝説化される。
* [[ギルダス]]([[494年]]/[[516年]] - [[570年]]) - イングランドの司祭・その知識と文才で「賢明なるギルダス」と呼ばれ著作『ブリトン人の没落』を残す。
* [[コルンバ]]([[521年]] - [[597年]]) - アイルランド出身の修道士・[[アイオナ修道院]]を創建し各地へ宣教・コルンバヌスは弟子。
* [[カンタベリーのアウグスティヌス]](? - [[604年]]/[[605年]])- 初代[[カンタベリー大司教]]・[[ケント王国|ケント国王]]エゼルベルフトを洗礼する。
==== 西ゴート王国 ====
* セビリャのレアンデル([[549年]]以前 - [[599年]]/[[601年]]) - セビリャ大司教・国王レカレド1世の改宗に活躍・後継の大司教[[イシドールス]]は実弟。
* [[レカレド1世]]([[559年]]頃 - [[601年]]) - [[西ゴート王国]]国王(在位[[586年]] - [[601年]])・アリウス派からカトリック教会に改宗。
==== 東ローマ帝国 ====
* [[ユスティニアヌス1世]]([[482年]] - [[565年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[527年]] - [[565年]])。東ローマ帝国の最大版図を築いた。
* [[テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)|テオドラ]]([[500年]]頃? - [[548年]])- 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の皇后。ニカの反乱で窮地に至った皇帝を励ます。
* [[マウリキウス]]([[539年]] - [[602年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[582年]] - [[602年]])・帝国再建のため各地に[[総督府]]を設置・[[フォカス]]に暗殺される。
* [[ベリサリウス]]([[505年]] - [[565年]]) - 東ローマ帝国の将軍・サーサーン朝やヴァンダル王国/東ゴート王国との戦いに勝利。
* [[ナルセス]]([[478年]] - [[573年]]) - 東ローマ帝国の政治家・宦官・将軍。解任されたベリサリウスを継ぎイタリアの東ゴート王国を征服。
* [[カイサリア・マリティマ|カイサレイア]]の[[プロコピオス]](生没年不詳) - 東ローマ帝国の歴史家。ユスティニアヌスの再征服に関する『戦史』『秘史』の著者。
* [[ヨルダネス]](? - [[578年]]頃) - 東ローマ帝国の歴史家。『ゴート人の歴史』はゴートに関する最重要史料。
* [[トリボニアヌス]](? - [[543年]]/[[545年]]) - 東ローマ帝国の法務官僚。『ローマ法大全』を編纂。
* [[アンティオキアのセウェロス]]([[465年]]頃 - [[538年]]) - [[アンティオキア]]総主教・[[非カルケドン派正教会]]を指導し[[合性論]]を構築する。
* ヤコボス・バラダイオス([[500年]]頃? - [[578年]]) - 東ローマ帝国の[[シャンルウルファ|エデッサ]]主教・[[合性論]]の[[シリア正教会]](ヤコブ派)をシリアで組織する。
* [[ダマスキオス]]([[458年]]頃 - [[538年]]以降) - アテネの[[アカデメイア]]学園最後の学頭。ユスティニアヌス帝の学園封鎖に立ち会う。
* [[ヨハネス・ピロポノス]]([[490年]] - [[570年]]) - アレクサンドリアの哲学者・アリストテレスの注釈批判を行う・後年は神学者として『証人』を執筆
* [[トラレスのアンテミオス]]([[474年]] - [[534年]]) - 東ローマ帝国の建築家・数学者・[[アヤソフィア|ハギア・ソフィア大聖堂]]を設計し建立する。
* [[ミレトスのイシドロス]](生没年不詳) - 東ローマ帝国の建築家・数学者・トラレスのアンテミオスと協力しハギア・ソフィア大聖堂を建立。
* [[カエサレアのプリスキアヌス]](生没年不詳) - 東ローマ帝国で活躍した北アフリカ出身のラテン文法学者・『文法学教程』は後世に影響。
* [[コスマス・インディコプレウステース]](生没年不詳) - エジプト出身の商人・修道士・[[インド洋]]貿易にまつわる『キリスト教地誌』を残す。
=== 西アジア ===
* マズダク(? - [[524年]]/[[528年]]) - サーサーン朝の宗教家・[[マズダク教]]の開祖・カワードに庇護されるがホスロー1世に弾圧される。
* [[ホスロー1世]](? - [[579年]]) - サーサーン朝ペルシア帝国の[[シャー]](在位[[531年]] - [[579年]])・中央アジアや東ローマへの対外遠征を行う。
* {{仮リンク|アンタラ・イブン・シャッダード|en|Antarah ibn Shaddad}}([[525年]] - [[608年]]) - [[ジャーヒリーヤ]]時代の[[アラビア]]の英雄・詩人としても有名で『アンタラ物語』のモデル。
=== 中央アジア ===
* {{仮リンク|ミヒラクラ|en|Mihirakula}}(? - [[533年]]以降) - [[エフタル]]の王(在位[[512年]] - [[528年]]頃)・大規模な[[インドにおける仏教の弾圧|仏教弾圧]]を実施。
* [[伊利可汗]](? - [[552年]]) - 突厥の可汗(カガン)(在位[[552年]])・[[柔然]]から独立・[[西魏]]に遣使し長楽公主と婚姻する
* [[木汗可汗]](? - [[572年]]) - 突厥の可汗(カガン)(在位[[553年]] - [[572年]])・柔然を滅ぼしエフタルを攻略して突厥に最盛期をもたらす。
* バヤン(? - [[602年]]) - [[アヴァール]]の王(カガン)(在位[[562年]] - [[602年]])・ドナウ川を渡り[[ゲピド族|ゲピド王国]]を倒しアヴァール王国を建国。
=== 南アジア ===
* [[アリヤバータ]]([[476年]] - [[550年]]頃) - インドのグプタ朝の数学者・天文学者・著作『アーリヤバティーヤ』では円周率の近似値などに言及。
* [[陳那|ディグナーガ]](陳那)([[480年]]頃 - [[540年]]頃) - インド仏教の有相[[唯識]]派の学僧・「[[因明]]学」と呼ばれる仏教論理学を確立した。
* プラケーシン1世(? - [[566年]]) - インド・デカン高原の[[前期チャールキヤ朝]]の初代君主(在位[[543年]]頃 - [[566年]])。
* [[清弁|バーヴァヴィヴェーカ]](清弁)([[490年]]頃 - [[570年]]頃) - インド仏教の[[中観]]派の学僧・空の思想を積極的に論証する(自立論証派)。
* [[ダンディン]](6 - [[7世紀]]) - インドの文人・小説『[[ダシャクマーラチャリタ]](十王子物語)』や詩論『カーヴィヤーダルシャ(詩作の鏡)』がある。
=== 東アジア ===
==== 南朝 ====
* [[蕭衍]]([[464年]] - [[549年]]) - 南朝梁の初代皇帝(武帝)(在位[[502年]] - [[549年]])・仏教保護政策により「皇帝菩薩」と称される。
* [[達磨]](ボーディダルマ)(? - [[528年]]頃?) - インド出身の僧侶で[[禅宗]]の開祖。梁の武帝と交流があったか。
* [[朱异]]([[483年]] - [[549年]]) - 南朝の梁の政治家・東魏から亡命した将軍[[侯景]]を受け入れ[[侯景の乱|反乱]]を誘発させた。
* [[侯景]]([[503年]] - [[552年]]) - 北朝[[東魏]]から南朝梁へ降った軍人・侯景の乱を起こし[[建康 (都城)|建康]]を占領・梁の武帝を餓死させる。
* [[宝誌]]([[418年]] - [[514年]]) - 南朝宋から梁の僧侶・神異や予言で知られ「[[野馬台詩]]」の作者に擬せられる。
* [[陶弘景]]([[456年]] - [[536年]]) - 南朝梁の医学者・科学者・梁の武帝の信任が厚く「山中宰相」とも呼ばれる。著作に『[[真誥]]』など。
* [[劉勰]]([[466年]]? - [[532年]]) - 南朝梁の文学評論家。中国で最初の体系的な文芸理論書『[[文心雕竜]]』を著す。
* [[周興嗣]]([[470年]]? - [[521年]]) - 南朝斉から梁の官僚・文章家・初学者の漢字習得用テキスト『[[千字文]]』の撰者。
* [[慧皎]]([[497年]] - [[554年]]) - 南朝梁の僧侶・後漢から梁までの中国僧の事跡を集めた『[[高僧伝]]』の撰者。
* [[真諦]]([[499年]] - [[569年]]) - インド出身の訳経僧・四大訳経家の一人・梁から陳の時代に『[[摂大乗論]]』『[[倶舎論]]』を翻訳。
* [[蕭統]](昭明太子)([[501年]] - [[531年]]) - 南朝梁の武帝の皇太子・文章家・詩文のアンソロジー『[[文選 (書物)|文選]]』の撰者。
* [[王僧弁]](? - [[555年]]) - 南朝梁の将軍・侯景の反乱を鎮圧し元帝を擁立・江陵失陥後は陳霸先と対立し敗死する。
* [[陳霸先]]([[503年]] - [[559年]]) - 南朝陳の初代皇帝(武帝)(在位[[557年]] - [[559年]])。王僧弁の残党の反乱に苦慮する。
* [[徐陵]]([[507年]] - [[583年]]) - 南朝梁から陳の文学者・政治家・梁の太子蕭綱(後の[[簡文帝 (南朝梁)|簡文帝]])の命で『[[玉台新詠]]』を編纂。
==== 北朝 ====
* [[鄭道昭]](? - [[516年]]) - [[北朝 (中国)|北朝]]北魏の官僚・書家・[[六朝楷書]]の代表作である「[[鄭文公碑]]」が残る。
* [[宋雲]](活躍時期[[518年]] - [[522年]]) - 北朝北魏の官僚(僧官か)・西域からインドに赴き経典を求めた・『宋雲行記』が残る。
* [[酈道元]]([[469年]] - [[527年]]) - 北朝北魏の官人・地理学者として『[[水経注]]』をまとめる。
* [[曇鸞]]([[476年]] - [[542年]]) - 北朝北魏の僧侶・中国[[浄土教]]の祖・[[道綽]]や[[善導]]さらに[[法然]]や[[親鸞]]に影響・著作に『[[無量寿経優婆提舎願生偈註|浄土論註]]』がある。
* [[爾朱栄]]([[493年]] - [[530年]]) - 北朝北魏の軍人・河陰の変で[[霊太后]]を倒し[[六鎮の乱]]を鎮圧して北魏の全権を掌握。
* [[高歓]]([[496年]] - [[547年]]) - 北朝北魏の政治家・[[孝静帝]]を擁立し[[鄴]]に[[東魏]]政権を立てる・子孫は[[北斉]]の皇帝となる。
* [[宇文泰]]([[505年]] - [[556年]]) - 北朝北魏の政治家・[[孝武帝 (北魏)|孝武帝]]を擁立し[[長安]]に[[西魏]]政権を立てる・子孫は[[北周]]の皇帝となる。
* [[賈思勰]](活躍時期[[532年]]頃 - [[549年]]頃) - 北朝北魏の官僚・中国最古の総合的農書『[[斉民要術]]』をまとめる。
* [[楊衒之]](生没年不詳) - 北朝北魏末から東魏の人・[[洛陽]]の仏寺の繁栄を記録した『[[洛陽伽藍記]]』の撰者。
* [[斛律光]]([[515年]] - [[572年]]) - 北斉の将軍・宰相・高長恭とともに北斉を支えるが後主によって粛清される・「落鳥都督」と呼ばれる
* [[高長恭]]([[541年]] - [[573年]]) - 北斉の皇族(蘭陵王)・武勲がありながら「音容兼美」と称され[[雅楽]]「[[蘭陵王 (雅楽)|蘭陵王]]」のモデルとなる。
* [[武帝 (北周)|宇文邕]](武帝)([[543年]] - [[578年]]) - 北周の皇帝(在位[[560年]] - [[578年]])・北斉を滅ぼし北中国を統一・[[三武一宗の法難|周武の法難]](廃仏)を実施。
* [[衛元嵩]](生没年不詳) - 北周の廃仏論者・もとは[[予言]]をする[[風狂]]の僧として知られ後に還俗・北周武帝の廃仏に影響を与える。
==== 隋 ====
* [[顔之推]]([[531年]] - [[591年]]以降) - 南北朝時代から隋の学者・著書に『[[顔氏家訓]]』がある。孫は唐に仕えた[[顔師古]]。
* [[智顗]]([[538年]] - [[597年]]) - 南北朝時代から隋の僧侶・[[天台宗]]の第三祖(事実上の開祖)・智者大師・著書に『[[摩訶止観]]』がある。
* 信行([[540年]] - [[594年]]) - 北斉から隋の僧侶・[[三階教]]の開祖・長安[[化度寺|真寂寺]](化度寺)に招かれるが死後に宗派は弾圧される。
* [[楊堅]](文帝)([[541年]] - [[604年]]) - 隋の初代皇帝(在位[[581年]] - [[604年]])・陳を滅ぼし南北朝を統一・その治世が「開皇の治」。
==== 朝鮮 ====
* [[武寧王]]([[462年]] - [[523年]]) - 百済の第25代国王(在位[[502年]] - [[523年]])・宋山里古墳群の武寧王陵からは墓誌や副葬品が発見される。
* [[聖王 (百済)|聖王]](聖明王)(? - [[554年]]) - 百済の第26代国王(在位[[523年]] - [[554年]])・日本に仏教を伝える(仏教公伝)・新羅との戦いで戦死。
==== 日本 ====
* [[継体天皇]]([[450年]]? - [[531年]]) - 第26代天皇(在位[[507年]] - [[531年]])。
* [[筑紫君磐井]](? - [[528年]]?) - 古墳時代末の九州北部の豪族・[[磐井の乱]]を起こす。
* [[物部麁鹿火]](? - [[536年]]) - 古墳時代の豪族・継体天皇の擁立に貢献・磐井の乱を鎮圧。
* [[大伴金村]](生没年不詳)- 古墳時代末の豪族・[[大連 (古代日本)|大連]]・朝鮮半島での[[任那]]滅亡に伴い失脚。
* [[欽明天皇]]([[509年]] - [[571年]]) - 第29代天皇(在位[[539年]] - [[571年]])・この時代に仏教公伝。
* [[物部守屋]](? - [[587年]]) - 飛鳥時代の豪族・大連・崇仏論争で排仏を唱え[[丁未の乱]]で滅ぼされる。
* [[蘇我馬子]]([[551年]]? - [[626年]]) - 飛鳥時代の豪族・[[大臣 (古代日本)|大臣]](嶋大臣)・崇仏論争で崇仏を唱え[[丁未の乱]]に勝利。
* [[司馬達等]](生没年不詳) - 飛鳥時代の渡来人・娘に日本最初の出家者[[善信尼]]、孫に仏師[[鞍作止利]]がいる。
* [[推古天皇]]([[554年]] - [[628年]]) - 第33代[[天皇]](在位[[592年]] - [[628年]])・日本最初の女帝。
* [[聖徳太子]](厩戸皇子)([[574年]] - [[622年]]) - 推古天皇の摂政・[[用明天皇]]の皇子。
== 脚注 ==
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<!--=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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<!--== 参考文献 ==-->
== 関連項目 ==
* [[年表]]
== 外部リンク ==
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4,852 | 自由ソフトウェア運動 | 自由ソフトウェア運動(じゆうソフトウェアうんどう、英: free software movement、FSM)は、自由ソフトウェアの原則を支援する活動である。リチャード・ストールマンは、その創始者の一人であり代表者でもある。彼を支持する人たちは自分達を自由な世界に属すと考えている。
自由ソフトウェア運動の手法については合意が取れているとは言い難い。手法の大きな一つは、コピーレフトの啓蒙とそのライセンスの普及促進である。コピーレフトはコピーライトでは無視されているソフトウェアの自由を守ると信じている。その他、法律制定をすることでソフトウェアを自由化するべきだと考える者もいれば、独占的ソフトウェアのボイコットによって行おうとする者もいる。自由ソフトウェアは独占的ソフトウェアよりも技術的に優れているのだから、最終的には自由市場において独占的ソフトウェアを打ち負かすに違いない、だから何もしなくても時間が問題を解決してくれる、と考えている人もいる。
GNU宣言は、GNUプロジェクトの目標を定義し説明し、支援と参加を呼びかける文書である。フリーソフトウェア運動において大勢の人びとが、基本的な哲学の祖と考えている。
フリーソフトウェアの歌とは、リチャード・ストールマンによる自由ソフトウェアをテーマにしたフィルク(英語版)プロパガンダソングである。この歌は自由ソフトウェア運動家により様々リミックスされ、テクノバージョン、デスメタルバージョン、リズミカルバージョンなどが存在する。
Defective by Design(DbD)は、DRMやソフトウェア特許は「自由である権利を奪い、制限するよう設計されている」という見解から、「発想からして欠陥(Defective by Design)」として在り方の再定義を推進するDRMやソフトウェア特許へ対抗する先駆けとなった運動である。
この運動では、DRM(Digital Rights Management、デジタル著作権管理)はDRM(Digital Restrictions Management、デジタル制約(制限)管理)と再定義されている。
BadVistaは、Microsoft Windows Vistaへの移行に反対し、Defective by Designの問題を社会に広めて自由ソフトウェアへの置き換えを促進する運動である。
PlayOggは、Ogg+Vorbisを推進する運動を提起して、MP3やAACなどのプロプライエタリフォーマットに取って代わるべき自由なデジタル音声ファイルフォーマットであるとし、それらの楽曲フォーマットを推進する運動である。
DRMやソフトウェア特許のために特定権限でしかソフトウェアが実行できない環境を作ることは利用者の自由を阻害するものであり、そのような行為をTiVo化と呼称しそれに対抗する多くの社会運動を支援している。GPLv3ではTiVo化を不可能とする条文を取り入れている。
ルック・アンド・フィールなどをはじめとするユーザインタフェースの著作権などを含むソフトウェア特許は「ソフトウェア利用者の自由」を阻害するものであるとして、ソフトウェア特許に対抗する多くの社会運動を支援している。
リチャード・ストールマンは、オープンソースという語は自由ソフトウェアの意図を表せていないため、「オープンソースおよびのソフトウェアの総称」を呼称する際は、オープンソースのソフトウェアのみを表すように読める「OSS(Open Source Software)」ではなく、自由ソフトウェアとオープンソースを重ねて表す「FLOSS(Free/Libre and Open Source Software)」を用いるよう推奨している。
オープンソース支持者は、自由ソフトウェア(彼らの言う「オープンソースソフトウェア」)の「道徳的な価値」についてよりも、「実利的な価値」について盛んに議論している。彼らはフリーソフトウェア財団が独占的ソフトウェアを十把一からげにして非難していることについて全く同意していない。自由ソフトウェアを使ったり、その開発を手助けしたり、あるはそれを楽しんだりしているプログラマの中にも、生計を立てるために独占的なソフトウェアを開発している多くのプログラマがいる。彼らは自分の行動は道義に反しているとは考えていない。定義より、自由ソフトウェアはオープンソースソフトウェアの部分集合である。
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] | 自由ソフトウェア運動は、自由ソフトウェアの原則を支援する活動である。リチャード・ストールマンは、その創始者の一人であり代表者でもある。彼を支持する人たちは自分達を自由な世界に属すと考えている。 | '''自由ソフトウェア運動'''(じゆうソフトウェアうんどう、{{lang-en-short|free software movement}}、'''FSM''')は、[[自由ソフトウェア]]の原則を支援する活動である。[[リチャード・ストールマン]]は、その創始者の一人であり代表者でもある。彼を支持する人たちは自分達を自由な世界に属すと考えている。
== 手法 ==
自由ソフトウェア運動の手法については合意が取れているとは言い難い。手法の大きな一つは、[[コピーレフト]]の啓蒙とそのライセンスの普及促進である。コピーレフトはコピーライトでは無視されているソフトウェアの自由を守ると信じている。その他、法律制定をすることでソフトウェアを自由化するべきだと考える者もいれば、独占的ソフトウェアのボイコットによって行おうとする者もいる。自由ソフトウェアは独占的ソフトウェアよりも技術的に優れているのだから、最終的には自由市場において独占的ソフトウェアを打ち負かすに違いない、だから何もしなくても時間が問題を解決してくれる、と考えている人もいる。
== 活動事例 ==
=== GNU宣言 ===
[[GNU宣言]]は、[[GNUプロジェクト]]の目標を定義し説明し、支援と参加を呼びかける文書である。フリーソフトウェア運動において大勢の人びとが、基本的な哲学の祖と考えている。
=== フリーソフトウェアの歌 ===
[[フリーソフトウェアの歌]]とは、[[リチャード・ストールマン]]による自由ソフトウェアをテーマにした{{仮リンク|フィルク音楽|en|Filk music|label=フィルク}}プロパガンダソングである。この歌は自由ソフトウェア運動家により様々リミックスされ、テクノバージョン<ref>{{cite web|url=http://www.jwz.org/blog/2003/08/why-cooperation-with-rms-is-impossible-part-3/ | title=why cooperation with RMS is impossible, part 3|accessdate=2012-02-07}}</ref>、デスメタルバージョン<ref>{{cite web|url=http://www.lastfm.com/music/Jono+Bacon/_/Free+Software+Song |title=Jono Bacon - Free Software Song|accessdate=2012-02-07}}</ref>、リズミカルバージョン<ref>{{cite web|url=http://www.gnu.org/music/free-software-song.html |title=Free Software Song |accessdate=2008-10-30 }}</ref>などが存在する。
=== Defective by Design ===
[[Defective by Design]](DbD)は、[[デジタル著作権管理|DRM]]や[[ソフトウェア特許]]は「自由である権利を奪い、制限するよう設計されている」という見解から、「発想からして欠陥(Defective by Design)」として在り方の再定義を推進するDRMやソフトウェア特許へ対抗する先駆けとなった運動である<ref>
{{cite web
| url = http://www.linux.com/archive/articles/54587
| title = FSF launches anti-DRM campaign outside WinHEC 2006
| author = Bruce Byfield
| date = 2006-05-23
| publisher = NewsForge, Linux.com
| accessdate = 2011-02-23
}}</ref><ref>
{{Cite web|和書
| url = http://sourceforge.jp/magazine/06/05/30/1341219
| title = FSF、WinHEC 2006会場外で反DRMキャンペーンを開始
| author = Bruce Byfield
| date = 2006-05-29
| publisher = NewsForge, Linux.com, [[SourceForge.JP]] Magazine
| accessdate = 2011-02-23
}}</ref>。
この運動では、DRM(Digital Rights Management、[[デジタル著作権管理]])はDRM(Digital '''Restrictions''' Management、デジタル'''制約(制限)'''管理)と再定義されている<ref>
{{cite web
| url = http://www.fsf.org/campaigns/drm.html
| title = Digital Restrictions Management and Treacherous Computing
| date = September 18, 2006
| accessdate = 2007-12-17
| publisher = Free Software Foundation
}}</ref>。
=== BadVista ===
[[BadVista]]は、[[Microsoft Windows Vista]]への移行に反対し、[[Defective by Design]]の問題を社会に広めて自由ソフトウェアへの置き換えを促進する運動である<ref name="Linux Journal">
{{cite news
| title = Looking into the FSF's BadVista campaign
| url = http://www.linuxjournal.com/node/1000148
| author = Bruce Byfield
| date = 2006-12-21
| publisher = linuxjournal.com
| accessdate = 2011-02-23
}}</ref>。
=== PlayOgg ===
[[PlayOgg]]は、[[Ogg]]+[[Vorbis]]を推進する運動を提起して、[[MP3]]や[[AAC]]などの[[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリフォーマット]]に取って代わるべき自由なデジタル音声ファイルフォーマットであるとし、それらの楽曲フォーマットを推進する運動である<ref>
{{cite web
| url = https://www.fsf.org/campaigns/playogg/en/
| title = PlayOgg!
| accessdate = 2018-03-08
}}</ref>。
=== TiVo化への対抗 ===
{{see also|TiVo化}}
[[デジタル著作権管理|DRM]]や[[ソフトウェア特許]]のために特定権限でしかソフトウェアが実行できない環境を作ることは利用者の自由を阻害するものであり<ref>
{{cite web
| url = http://www.gratisoft.us/tivo/bigdisk.html
| title = Using large disks with TiVo
| accessdate = 2011-04-29
}}</ref>、そのような行為を[[TiVo化]]と呼称しそれに対抗する多くの[[社会運動]]を支援している。[[GPL|GPLv3]]では[[TiVo化]]を不可能とする条文を取り入れている<ref>
{{cite web
| url = http://fsfe.org/projects/gplv3/brussels-rms-transcript#tivoisation
| title = Richard Stallman explains the new GPL provisions to block "tivoisation"
| accessdate = 2011-04-29
}}</ref>。
=== ソフトウェア特許への対抗 ===
{{see also|ソフトウェア特許とフリーソフトウェア}}
[[ルック・アンド・フィール]]などをはじめとする[[ユーザインタフェース]]の著作権などを含む[[ソフトウェア特許]]は「ソフトウェア利用者の自由」を阻害するものであるとして<ref>
{{cite web
| url = http://www.ifso.ie/documents/rms-2004-05-24.html
| title = Richard M. Stallman: The Dangers of Software Patents (2004-05-24)
| author = Richard Stallman
| authorlink = リチャード・ストールマン
| publisher = www.ifso.ie
| accessdate = 2011-05-11
}}</ref>、[[ソフトウェア特許]]に対抗する多くの[[社会運動]]を支援している。
=== FLOSS呼称の推進 ===
{{see also|FLOSS}}
リチャード・ストールマンは、[[オープンソース]]という語は自由ソフトウェアの意図を表せていないため、「オープンソースおよびのソフトウェアの総称」を呼称する際は、オープンソースのソフトウェアのみを表すように読める「[[オープンソースソフトウェア|OSS]](Open Source Software)」ではなく、自由ソフトウェアとオープンソースを重ねて表す「[[FLOSS]](Free/Libre and Open Source Software)」を用いるよう推奨している<ref name="gnu-floss">{{Cite web |url=https://www.gnu.org/philosophy/floss-and-foss.html |title=FLOSS and FOSS |access-date=2018-02-09 |author=Richard Stallman |authorlink=リチャード・ストールマン |date=2016-11-18}}</ref>。
== 批評 ==
=== オープンソース支持者の評価 ===
{{出典の明記|date=2021年5月|section=1}}
オープンソース支持者は、自由ソフトウェア(彼らの言う「オープンソースソフトウェア」)の「道徳的な価値」についてよりも、「実利的な価値」について盛んに議論している。彼らは[[フリーソフトウェア財団]]が独占的ソフトウェアを十把一からげにして非難していることについて全く同意していない。自由ソフトウェアを使ったり、その開発を手助けしたり、あるはそれを楽しんだりしているプログラマの中にも、生計を立てるために独占的なソフトウェアを開発している多くのプログラマがいる。彼らは自分の行動は道義に反しているとは考えていない。定義より、自由ソフトウェアはオープンソースソフトウェアの部分集合である。
さらに、彼らは「自由ソフトウェアという言葉を、「オープンソース」ソフトウェアは独占的ソフトウェアよりも常に優れている」といった主張から距離を置く為に用いるかもしれない(少なくとも短期的にはそうではない場合もある)。
== 出典 ==
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==関連項目==
{{ウィキポータルリンク|FLOSS|break=yes|[[ファイル:FLOSS_logo.svg|none|36px]]}}
*[[自由ソフトウェア]]
*[[フリーソフトウェア財団]]
== 外部リンク ==
* [https://www.fsf.org/campaigns/ Current campaigns — Free Software Foundation]
* [https://www.gnu.org/philosophy/free-software-intro.html Free Software movement - GNU Project - Free Software Foundation]
{{FOSS}}
{{Intellectual property activism}}
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[[Category:フリーソフトウェア文化・運動]]
[[Category:文化運動]]
[[Category:啓発活動]] | 2003-03-22T08:27:08Z | 2023-12-26T07:23:15Z | false | false | false | [
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4,853 | 江國香織 | 江國 香織(えくに かおり、1964年3月21日 - )は、日本の小説家、児童文学作家、翻訳家、詩人。
1987年の『草之丞の話』で童話作家として出発、『きらきらひかる』『落下する夕方』『神様のボート』などの小説作品で人気を得る。2004年、『号泣する準備はできていた』で直木賞受賞。詩作のほか、海外の絵本の翻訳も多数。父はエッセイストの江國滋。
東京都世田谷区出身。出生地は東京都新宿区。順心女子学園(現:広尾学園中学校・高等学校)、目白学園女子短期大学国文学科卒業。アテネ・フランセを経て、デラウェア大学に留学。
1985年、20歳で『ユリイカ』に詩作品「綿菓子」を初投稿、「今月の作品」に選ばれ掲載される。1986年、児童文学雑誌『飛ぶ教室』に投稿した「桃子」が入選。翌年に『草之丞の話』で、《小さな童話》大賞大賞。1989年、アメリカ留学時の体験を題材にした小説『409ラドクリフ』で第1回フェミナ賞(学習研究社『季刊フェミナ』による)受賞。同年に初の短編小説集『つめたいよるに』を刊行。1991年、童話集『こうばしい日々』で産経児童出版文化賞、翌年坪田譲治文学賞受賞。
1992年、アルコール使用障害の妻と同性愛者の夫との生活を描いた『きらきらひかる』で紫式部文学賞を受賞、映画化もされる。1999年、『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞受賞。2001年、描き下ろし短編集『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞。2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞受賞。『がらくた』で島清恋愛文学賞受賞。
夫は銀行員。喫煙者で、阪神ファンであり、好きな選手は中野佐資(1986年 - 1993年阪神)である。ギャンブルでは競艇のファンでもある。チョコレートが大好きで、結婚する際夫に、「他の女性にチョコレートを贈らない」という約束をさせた。雨が大好きで、子どもの頃は雨が降ると母や妹とずっと一緒に眺めていたという。また、入浴が長時間に及ぶことも多いため、夫からその様子を「籠城」と形容されることもあったという(『とるにたらないものもの』の記述より)。ペットは、アメリカン・コッカー・スパニエルの「雨」(オス)。エッセイ『雨はコーラがのめない』では、雨と音楽との生活を丁寧に綴っている。
父の江國滋を訪ねてよく遊びに来ていた色川武大を、香織ら子供たちは「色ちゃん」と呼んでいた。
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] | 江國 香織は、日本の小説家、児童文学作家、翻訳家、詩人。 1987年の『草之丞の話』で童話作家として出発、『きらきらひかる』『落下する夕方』『神様のボート』などの小説作品で人気を得る。2004年、『号泣する準備はできていた』で直木賞受賞。詩作のほか、海外の絵本の翻訳も多数。父はエッセイストの江國滋。 | {{存命人物の出典明記|date=2015年2月1日 (日) 05:11 (UTC)}}
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'''江國 香織'''(えくに かおり、[[1964年]][[3月21日]]<ref name="rirekisho"/> - )は、[[日本]]の[[小説家]]、[[児童文学作家]]、[[翻訳家]]、[[詩人]]。
1987年の『草之丞の話』で童話作家として出発、『きらきらひかる』『落下する夕方』『[[神様のボート]]』などの小説作品で人気を得る。2004年、『号泣する準備はできていた』で[[直木賞]]受賞。詩作のほか、海外の絵本の翻訳も多数。父はエッセイストの[[江國滋]]。
== 来歴 ==
[[東京都]][[世田谷区]]出身<ref name="rirekisho"/>。出生地は東京都[[新宿区]]<ref>『江國香織とっておき作品集』 182p マガジンハウス 2001年</ref>。順心女子学園(現:[[広尾学園中学校・高等学校]])<ref>{{Cite web|和書|title=江國香織が語った青春時代 中2で書き始めた小説「かっこつけて書いていた」 〈dot.〉|url=https://dot.asahi.com/articles/-/99352|website=AERA dot. (アエラドット)|date=|accessdate=2020-11-30|language=ja|last=|publisher=}}</ref>、[[目白大学短期大学部|目白学園女子短期大学]][[日本文学|国文学科]]卒業<ref name="rirekisho"/>。[[学校法人アテネ・フランセ|アテネ・フランセ]]を経て、[[デラウェア大学]]に留学<ref>[http://www.hakusensha.co.jp/moe/book/net/ekuni/ 江國香織の本]</ref>。
1985年、20歳で『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』に詩作品「綿菓子」を初投稿、「今月の作品」に選ばれ掲載される。1986年、児童文学雑誌『[[飛ぶ教室 (雑誌)|飛ぶ教室]]』に投稿した「桃子」が入選。翌年に『草之丞の話』で、[[《小さな童話》大賞]]大賞。1989年、アメリカ留学時の体験を題材にした小説『409ラドクリフ』で第1回フェミナ賞([[学習研究社]]『季刊フェミナ』による)受賞<ref>{{Cite web|和書|title=フェミナ賞 受賞作候補作一覧|url=https://prizesworld.com/prizes/novel/femn.htm|website=文学賞の世界|date=|accessdate=2021-2-2|language=ja|last=|publisher=}}</ref>。同年に初の短編小説集『つめたいよるに』を刊行。1991年、童話集『こうばしい日々』で[[産経児童出版文化賞]]、翌年[[坪田譲治文学賞]]受賞。
1992年、[[アルコール使用障害]]の妻と[[同性愛者]]の夫との生活を描いた『[[きらきらひかる (小説)|きらきらひかる]]』で[[紫式部文学賞]]を受賞、映画化もされる。1999年、『ぼくの小鳥ちゃん』で[[路傍の石文学賞]]受賞。2001年、描き下ろし短編集『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で[[山本周五郎賞]]。2004年『号泣する準備はできていた』で[[直木賞]]受賞。『がらくた』で[[島清恋愛文学賞]]受賞。
== 人物 ==
夫は銀行員。喫煙者で、[[阪神ファン]]であり、好きな選手は[[中野佐資]]([[1986年]] - [[1993年]]阪神)である。ギャンブルでは[[競艇]]のファンでもある。[[チョコレート]]が大好きで、結婚する際夫に、「他の女性にチョコレートを贈らない」という約束をさせた。雨が大好きで、子どもの頃は雨が降ると母や妹とずっと一緒に眺めていたという。また、[[入浴]]が長時間に及ぶことも多いため、夫からその様子を「[[籠城]]」と形容されることもあったという(『とるにたらないものもの』の記述より)。ペットは、[[アメリカン・コッカー・スパニエル]]の「雨」(オス)。エッセイ『[[雨はコーラがのめない]]』では、雨と音楽との生活を丁寧に綴っている。
父の江國滋を訪ねてよく遊びに来ていた[[色川武大]]を、香織ら子供たちは「色ちゃん」と呼んでいた。
== 受賞歴 ==
*[[1987年]] - 『草之丞の話』で[[《小さな童話》大賞]]大賞。
*[[1989年]] - 『409ラドクリフ』で第1回[[フェミナ賞 (日本)|フェミナ賞]]。
*[[1991年]] - 『こうばしい日々』で第38回[[産経児童出版文化賞]]。
*[[1992年]] - 『こうばしい日々』で第7回[[坪田譲治文学賞]]。
*[[1992年]] - 『きらきらひかる』で第2回[[紫式部文学賞]]。
*[[1999年]] - 『ぼくの小鳥ちゃん』で第21回[[路傍の石文学賞]]。
*[[2002年]] - 『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で第15回[[山本周五郎賞]]。
*[[2004年]] - 『号泣する準備はできていた』で第130回[[直木三十五賞|直木賞]]。
*[[2007年]] - 『がらくた』で第14回[[島清恋愛文学賞]]。
*[[2010年]] - 『真昼なのに昏い部屋』で第5回[[中央公論文芸賞]]。
*[[2012年]] - 「犬とハモニカ」(『新潮』2011年6月号)で第38回[[川端康成文学賞]]。
*[[2015年]] - 『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で第51回[[谷崎潤一郎賞]]。
== 著書 ==
=== 小説・童話 ===
==== 長編 ====
*『[[きらきらひかる (小説)|きらきらひかる]]』([[新潮社]] 1991年5月 / [[新潮文庫]] 1994年4月)
*『ホリーガーデン』(新潮社 1994年9月 / 新潮文庫 1998年3月)
*『なつのひかり』([[集英社]] 1995年11月 / [[集英社文庫]] 1999年5月)
*『流しのしたの骨』([[マガジンハウス]] 1996年7月 / 新潮文庫 1999年10月)
*『[[落下する夕方]]』([[角川書店]] 1996年11月 / [[角川文庫]] 1999年7月)
*『ぼくの小鳥ちゃん』([[あかね書房]] 1997年11月 / 新潮文庫 2001年12月)
*『[[神様のボート]]』(新潮社 1999年7月 / 新潮文庫 2002年7月)
*『[[冷静と情熱のあいだ]] Rosso』(角川書店 1999年10月 / 角川文庫 2001年9月)
**[[辻仁成]]が男性側の視点から『冷静と情熱のあいだ Blu』を執筆
**『愛蔵版 冷静と情熱のあいだ』(角川書店 2001年6月) - 2編を往復書簡のように再編成したもの
*『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』(集英社 2000年4月 / 集英社文庫 2003年6月)
*『ウエハースの椅子』([[角川春樹事務所]] 2001年1月 / [[ハルキ文庫]] 2004年5月 / 新潮文庫 2009年11月)
*『ホテルカクタス』([[ビリケン出版]] 2001年4月 / 集英社文庫 2004年6月)
*『[[東京タワー (小説)|東京タワー]]』(マガジンハウス 2001年12月 / 新潮文庫 2006年3月)
*『[[スイートリトルライズ]]』([[幻冬舎]] 2004年3月 / [[幻冬舎文庫]] 2006年8月)
*『[[思いわずらうことなく愉しく生きよ]]』([[光文社]] 2004年6月 / [[光文社文庫]] 2007年6月)
*『[[間宮兄弟]]』([[小学館]] 2004年9月 / [[小学館文庫]] 2007年11月)
*『すきまのおともだちたち』絵:[[こみねゆら]]([[白泉社]] 2005年6月 / 集英社文庫 2008年5月)
*『がらくた』(新潮社 2007年5月 / 2010年3月 新潮文庫)
*『左岸』(集英社 2008年10月 / 集英社文庫 2012年2月【上・下】)
**対する男性側『右岸』を辻仁成が執筆
*『雪だるまの雪子ちゃん』絵:[[山本容子]]([[偕成社]] 2009年9月 / 新潮文庫 2013年12月)
*『真昼なのに昏い部屋』([[講談社]] 2010年3月 / [[講談社文庫]] 2013年2月)
*『抱擁、あるいはライスには塩を』(集英社 2010年11月 / 集英社文庫 2014年1月【上・下】)
*『金米糖の降るところ』(小学館 2011年9月 / 小学館文庫 2013年10月)
*『ちょうちんそで』(新潮社 2013年1月 / 新潮文庫 2015年6月)
*『はだかんぼうたち』(角川書店 2013年3月 / 角川文庫 2016年1月)
*『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』([[朝日新聞出版]] 2014年11月 / [[朝日文庫]] 2017年11月)
*『なかなか暮れない夏の夕暮れ』(角川春樹事務所 2017年2月 / ハルキ文庫 2019年8月)
*『彼女たちの場合は』(集英社 2019年5月)
*『去年の雪』([[KADOKAWA]] 2020年2月)
==== 短編集 ====
*『つめたいよるに』([[理論社]] 1989年8月 / 【サイズ変更】理論社 1991年7月 / 新潮文庫 1996年5月)
**つめたいよるに / デューク / 夏の少し前 / 僕はジャングルに住みたい / 桃子 / 草之丞の話 / 鬼ばばあ / 夜の子どもたち / いつか、ずっと昔 / スイート・ラバーズ
*『こうばしい日々』([[あかね書房]] 1990年10月 / 新潮文庫 1995年5月)
*『綿菓子』(理論社 1991年2月 / 【新装版】理論社 1993年3月)
**新潮文庫『こうばしい日々』(1995年5月)に併録
**綿菓子 / 絹子さんのこと / メロン / 昼下がり、お豆腐のかど / 手紙 / きんのしずく
*『温かなお皿』(理論社 1993年6月)
**新潮文庫『つめたいよるに』(1996年5月)に併録
**温かなお皿 / 朱塗りの三段重 / ラプンツェルたち / 子供たちの晩餐 / 晴れた空の下で / さくらんぼパイ / 藤島さんの来る日 / 緑色のギムガムクロス / 南ケ原団地A号棟 / ねぎを刻む / コスモスの咲く庭 / 冬の日、防衛庁にて / とくべつな早朝
*『すいかの匂い』(新潮社 1998年1月 / 新潮文庫 2000年7月)
**すいかの匂い / 蕗子さん / 水の輪 / 海辺の町 / 弟 / あげは蝶 / 焼却炉 / ジャミパン / 薔薇のアーチ / はるかちゃん / 影
*『江國香織とっておき作品集』(マガジンハウス 2001年8月)
**409ラドクリフ / 放物線 / 九月の庭 / があこちゃん / 夜と妻と洗剤 / とろとろ / ラブ・ミー・テンダー / ぬるい眠り / 夕闇の川のざくろ
*『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』([[ホーム社]] 2002年3月 / 集英社文庫 2005年2月)
**泳ぐのに、安全でも適切でもありません / うんとお腹をすかせてきてね / サマーブランケット / りんご追分 / うしなう / ジェーン / 動物園 / 犬小屋 / 十日間の死 / 愛しいひとが、もうすぐここにやってくる
*『いつか記憶からこぼれおちるとしても』(朝日新聞出版 2002年11月 / 朝日文庫 2005年11月)
**指 / 緑の猫 / テイストオブパラダイス / 飴玉 / 雨、きゅうり、緑茶 / 櫛とサインペン
*『号泣する準備はできていた』(新潮社 2003年11月 / 新潮文庫 2006年7月)
**前進、もしくは前進のように思われるもの / じゃこじゃこのビスケット / 熱帯夜 / 煙草配りガール / 溝 / こまつま / 洋一も来られればよかったのにね / 住宅地 / どこでもない場所 / 手 / 号泣する準備はできていた / そこなう
*『赤い長靴』([[文藝春秋]] 2005年1月 / [[文春文庫]] 2008年3月)
**東北新幹線 / 買い食い / マミーカー / 旅 / シール / 膜 / 煙草 / テニスコート / 結婚式 / 箱 / 夜 / ゴルフと遊園地 / 足枷 / 熊とモーツァルト
*『ぬるい眠り』(新潮文庫 2007年2月)
**ラブ・ミー・テンダー / ぬるい眠り / 放物線 / 災難の顛末 / とろとろ / 夜と妻と洗剤 / 清水夫妻 / ケイトウの赤、やなぎの緑 / 奇妙な場所
*『犬とハモニカ』(新潮社 2012年9月 / 新潮文庫 2015年1月)
**犬とハモニカ / 寝室 / おそ夏のゆうぐれ / ピクニック / 夕顔 / アレンテージョ
*『江國香織童話集』(理論社 2018年2月)
**九月の庭 / 十月のルネッサンス / あかるい箱 / 七月の卵 / モンテロッソのピンクの壁 / 夕闇の川のざくろ / があこちゃん / おさんぽ
**残りの27編は『つめたいよるに』『綿菓子』『温かなお皿』からの再録
=== エッセイ ===
*『都の子』([[文化出版局]] 1994年6月 / 集英社文庫 1998年11月)
*『泣かない子供』([[大和書房]] 1996年5月 / 角川文庫 2000年6月)
*『絵本を抱えて部屋のすみへ』(白泉社 1997年6月 / 新潮文庫 2000年12月)
*『いくつもの週末』([[世界文化社]] 1997年10月 / 集英社文庫 2001年5月)
*『泣く大人』(世界文化社 2001年7月 / 角川文庫 2004年8月)
*『日のあたる白い壁』(白泉社 2001年7月 / 集英社文庫 2007年6月)
*『とるにたらないものもの』(集英社 2003年7月 / 集英社文庫 2006年5月)
*『雨はコーラがのめない』(大和書房 2004年5月 / 新潮文庫 2007年7月)
*『やわらかなレタス』(文藝春秋 2011年2月 / 文春文庫 2013年8月)
*『物語のなかとそと 江國香織散文集』(朝日新聞出版 2018年3月 / 朝日文庫 2021年3月)
*『旅ドロップ』(小学館 2019年7月)
=== 絵本 ===
*『あかるい箱』絵:[[宇野亜喜良]](マガジンハウス 1992年6月 / マガジンハウス 2002年10月)
*『モンテロッソのピンクの壁』絵:[[荒井良二]]([[ほるぷ出版]] 1992年12月 / 集英社文庫 2004年7月)
*『夕闇の川のざくろ』絵:[[守屋恵子]](八曜社 1993年6月 / [[ポプラ文庫]] 2008年4月)
*『デューク』絵:[[山本容子]](講談社 2000年11月)
*『桃子』絵:[[飯野和好]]([[旬報社]] 2000年11月)
*『草之丞の話』絵:飯野和好(旬報社 2001年7月)
*『おさんぽ』絵:[[こみねゆら]](白泉社 2002年7月)
*『ジャミパン』絵:[[宇野亜喜良]]([[アートン]] 2004年9月)
*『いつか、ずっと昔』絵:荒井良二(アートン 2004年12月)
*『ふりむく』絵:[[松尾たいこ]](マガジンハウス 2005年9月 / 講談社文庫 2010年9月)
*『カエルの王さま―あるいは鉄のハインリヒ グリム童話』絵:宇野亜喜良(フェリシモ出版 2009年7月)
*『ちょうちょ』絵:[[松田奈那子]]([[白水社]] 2013年9月)
=== 詩集 ===
*『すみれの花の砂糖漬け』(理論社 1999年11月 / 新潮文庫 2002年12月)
*『活発な暗闇』(いそっぷ社 2003年4月)
**【新装改訂版】いそっぷ社 2015年11月)
*『パンプルムース!』絵:[[いわさきちひろ]](講談社 2005年2月 / [[講談社+α文庫]] 2008年11月)
*『いちねんせいになったあなたへ』絵:[[井口真吾]](小学館 2011年3月)
===その他===
*『僕はジャングルに住みたい』(全国学校図書館協議会 2003年4月)
===共著・対談集===
*『対談集 素直にわがまま』(偕成社 1990年12月)
**【改題】『対談集 絵本のこと話そうか』(アノニマ・スタジオ 2018年8月)
*『性愛を書く!』(ビレッジセンター出版局 1998年10月)
*『十五歳の残像』(新潮社 1998年10月) - 対談集
*『恋するために生まれた 辻仁成往復書簡』(幻冬舎 2001年5月)
*『[[エドワード・ゴーリー]]の世界』([[河出書房新社]] 2002年8月 / 河出書房新社 2020年4月【改訂増補新版】)
**[[柴田元幸]]らとの共著
*『本の話をしよう』([[晶文社]] 2002年9月)
**[[長田弘]]との対談を収録
*『恋の魔法をかけられたら 恋愛対談(角川春樹事務所 2003年7月 / ハルキ文庫)
**[[唯川恵]]との対談「恋をするほどドラマチックなものはない」収録
*『なぜ売れないのかなぜ売れるのか』(講談社 2005年7月)
**田中和雄との対談「ほんとうの価値とはなにか」収録
*『[[田辺聖子]]全集 別巻1』(集英社 2008年6月)
**対談「瞬景の小宇宙」収録
*『児玉清の「あの作家に会いたい」 人と作品をめぐる25の対話』([[PHP研究所]] 2009年7月)
**[[児玉清]]との対談「本には『積ん読』だけでも不思議な力がある」収録
*『文学の器 現代作家と語る昭和文学の光芒』([[扶桑社]] 2009年8月)
**[[坂本忠雄]]・[[柳美里]]との鼎談「[[太宰治]]『[[斜陽]]』」収録
*『ロバート キャンベルの小説家神髄 現代作家6人との対話』([[NHK出版]] 2012年2月)
**[[ロバート・キャンベル]]との対談「フツーなんて、ないのです。」収録
*『作家の履歴書 21人の人気作家が語るプロになるための方法』(角川書店 2014年2月 / 角川文庫 2016年4月) - インタビュー・アンケートを収録
*『新しい[[須賀敦子]]』(集英社 2015年12月)
**[[松家仁之]]・[[湯川豊]]との対談・講演・評論を収録
*『扉のかたちをした闇』(小学館 2016年11月 / 小学館文庫 2021年7月)
**[[森雪之丞]]とのコラボレーション詩集
*『小泉放談』([[宝島社文庫]] 2017年12月)
**[[小泉今日子]]との対談「スローダウンはまだ早い」収録
*『あの映画見た?』(新潮社 2018年6月)
**[[井上荒野]]との対談集
=== アンソロジー(収録) ===
「」内が江國香織の作品
==== 小説 ====
*『アリスの国 vol.1』(河出書房新社 1990年7月)「ぬるい眠り」
*『現代童話 5』([[福武書店]] 1991年3月)「草之丞の話」
*『新潮現代童話館』(新潮文庫 1992年1月)「亮太」
*『くだものだもの』(福武書店 1992年10月 / ランダムハウス講談社 2007年9月)「メロン」
*『いじめの時間』(朝日新聞出版 1997年4月 / 新潮文庫 2005年3月)「緑の猫」
*『LOVE SONGS』(幻冬舎 1997年12月 / 幻冬舎文庫 1999年4月)「Cowgirl blues」
*『恋愛アンソロジー・LOVERS』([[祥伝社]] 2001年6月 / [[祥伝社文庫]] 2003年7月)「ほんものの白い鳩」
*『銀座24の物語』(文藝春秋 2001年8月 / 文春文庫 2004年12月)「カステラ」
*『恋愛アンソロジー・Friends』(祥伝社 2003年7月 / 祥伝社文庫 2005年8月)「ザーサイの思い出」
*『ナナイロノコイ』(角川春樹事務所 2003年8月 / ハルキ文庫 2006年5月)「ドラジェ」
*『こんなにも恋はせつない 恋愛小説アンソロジー』(光文社文庫 2004年1月)「焼却炉」
*『with you』(幻冬舎 2004年3月 / 幻冬舎文庫 2005年8月)「突き進む娘」
*『君へ。 つたえたい気持ち三十七話』([[メディアファクトリー]] 2004年3月)「そばにいてくれた?」
*『ただならぬ午睡』(光文社文庫 2004年5月)「十日間の死」 - 編纂も担当
*『文学2005』(講談社 2005年5月)「寝室」
*『めぐり逢い 恋愛小説アンソロジー』(ハルキ文庫 2005年7月)「テイスト・オブ・パラダイス」
*『男の涙 女の涙 せつない小説アンソロジー』(光文社文庫 2006年1月)「デューク」
*『[[齋藤孝 (教育学者)|齋藤孝]]のイッキに読める!名作選 中学生』(講談社 2006年4月)「デューク」
*『翳りゆく時間』(新潮文庫 2006年8月)「りんご追分」
*『[[肥田美代子]]が選ぶラブストーリー集』([[学習研究社]] 2007年2月)「デューク」
*『Vintage '07』(講談社 2007年9月)「壬生夫妻」
*『日本の童話名作選 現代篇』(講談社 2012年12月)「草之丞の話」
*『JOY!』(講談社 2008年4月)「テンペスト」
**【改題】『彼の女たち』(2012年4月)
*『夏ものがたり ものがたり12か月』(偕成社 2008年6月)「七月の卵」
*『甘い記憶 6 Sweet Memories』(新潮社 2008年8月)「おそ夏のゆうぐれ」
**【改題】『甘い記憶』(新潮文庫 2011年2月)
*『[[ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ]]』(新潮社 2008年10月)「夕顔」
**【改題】『源氏物語 九つの変奏』(新潮文庫 2011年5月)
*『金原瑞人YAセレクション みじかい眠りにつく前にI 真夜中に読みたい10の話』([[ピュアフル文庫]] 2008年11月)「十月のルネッサンス」
*『短篇ベストコレクション 現代の小説2009』([[徳間文庫]] 2009年6月)「女友達」
*『Invitation』(文藝春秋 2010年1月)「蛾」
**【改題】『甘い罠 8つの短篇小説集』(文春文庫 2012年7月)
*『チーズと塩と豆と』(ホーム社 2010年10月 / 集英社文庫 2013年10月)「アレンテージョ」
*『それはまだヒミツ 少年少女の物語』(新潮文庫 2012年2月)「亮太」
*『女がそれを食べるとき』(幻冬舎文庫 2013年4月)「晴れた空の下で」
*『手のひらの恋 けれど、いちばん大切なあの人との記憶。』(角川文庫 2014年1月)「女友達」
*『読まずにいられぬ名短篇』([[ちくま文庫]] 2014年5月)「デューク」
*『夏休み』(角川文庫 2014年6月)「あげは蝶」
*『日本文学100年の名作第9巻 1994-2003 アイロンのある風景』(新潮文庫 2015年5月)「清水夫妻」
*『100万分の1回のねこ』(講談社 2015年7月 / 講談社文庫 2018年12月)「生きる気まんまんだった女の子の話」
*『齋藤孝のイッキによめる!名作選 小学6年生』(講談社 2015年7月)「草之丞の話」
*『現代小説クロニクル 2005〜2009』(講談社 2015年10月)「寝室」
*『20の短編小説』(朝日文庫 2016年1月)「蒸籠を買った日」
*『ショートショートの缶詰』(キノブックス 2016年5月)「草之丞の話」
*『冒険の森へ 傑作小説大全2 忍者と刺客』(集英社 2016年12月)「草之丞の話」
*『短編伝説 愛を語れば』(集英社文庫 2017年10月)「ごはん」
*『心に風が吹いてくる 青春文学アンソロジー』([[三省堂]] 2018年7月)「弟」
*『「いじめ」をめぐる物語』(朝日文庫 2018年8月)「緑の猫」
*『1日10分のごほうび NHK国際放送が選んだ日本の名作』(双葉文庫 2020年3月)「南ヶ原団地A号棟」
==== エッセイ・その他 ====
*『犬の話』(角川文庫 2002年9月)「アメリカンな雨のこと」
*『こころの羅針盤』(光文社文庫 2005年10月)「知る余地のこと」
*『過ぎゆくもの』(マガジンハウス 2007年10月)「トーマス・クックとドモドッソラ」
*『エロティックス』(新潮文庫 2009年9月)「詩集『すみれの花の砂糖づけ』より」 - 詩
*『いつも一緒に 犬と作家のものがたり』(新潮文庫 2012年12月)「アメリカンな雨のこと」
*『アンソロジー お弁当。』(パルコ 2013年8月)「のり弁の日」
*『アンソロジー おやつ』(パルコ 2014年2月)「静岡まで、ようかんを」
*『直木賞受賞エッセイ集成』(2014年4月)「恋愛は無敵だと書きたい私としては」- インタビュー
*『ずるずる、ラーメン』(河出書房新社 2014年6月)「最近の至福」
*『なんたってドーナツ 美味しくて不思議な41の話』(ちくま文庫 2014年10月)「ニューヨーク・大雪とドーナツ」
*『ぐつぐつ、お鍋』(河出書房新社 2014年12月)「鱈のこと」
*『あのひと 傑作随想41編』(新潮文庫 2015年1月)「父の小言」
*『ひんやりと、甘味』(河出書房新社 2015年7月)「スイカシェイクとひろみちゃん」
*『本なんて! 作家と本をめぐる52話』(キノブックス 2015年7月)「書斎の匂い」
*『こんがり、パン』(河出書房新社 2016年5月)「フレンチトースト」
*『まるまる、フルーツ』(河出書房新社 2016年8月)「果物、果物、果物!」
*『うなぎと日本人』(角川文庫 2016年9月)「薔薇と蒲焼」
*『うっとり、チョコレート』(河出書房新社 2017年1月)「よその女」
*『ちょこっと、つまみ おいしい文藝』(河出書房新社 2020年3月)「九州@東京」
=== アンソロジー(編纂のみ) ===
*『女性作家が選ぶ太宰治』([[講談社文芸文庫]] 2015年2月)
== 翻訳作品 ==
*『天使のクリスマス』[[ピーター・コリントン]](ほるぷ出版 1990年11月)
*『てろんてろんちゃん』[[ジョイス・デュンバー]](ほるぷ出版 1992年4月)
*『いちにち』[[ハイディ・ゴーネル]](PARCO出版局 1992年10月)
*『くまのプーさんのクリスマス』[[ブルース・トーキントン]](講談社 1992年11月 / 【サイズ変更】講談社 2000年10月)
*『ときにはひとりもいいきぶん』ハイディ・ゴーネル(PARCO出版局 1992年10月)
*『そとはただ春』[[E・E・カミングス]] (PARCO出版局 1992年12月)
*『ペンギンかもしれないな』ハイディ・ゴーネル(PARCO出版局 1992年12月)
*『おひるねのいえ』[[オードリー・ウッド]](ブックローン出版 1993年5月)
*『1999年6月29日』[[デヴィッド・ウィーズナー|デイヴィッド・ウィーズナー]](ブックローン出版 1993年8月 / [[BL出版]] 1998年9月)
*『おおきなペットたち』[[レイン・スミス]](ほるぷ出版 1993年2月)
*『おふろじゃおふろじゃ バスタブ王ビドグッド』オードリー・ウッド(ブックローン出版 1993年2月 / BL出版 2000年10月)
*『こぶたちゃん』ドン&オードリー・ウッド(ブックローン出版 1994年12月 / BL出版 1998年10月)
*『大あらし』ディヴィッド・ウィーズナー(ブックローン出版 1995年8月)
*『しろいゆきあかるいゆき』[[アルビン・トレッセルト]](ブックローン出版 1995年10月 / BL出版 2000年7月)
*『おとなになること』[[サラ・ミッダ]](ほるぷ出版 1995年10月)
*『夜がくるまでは』[[イヴ・バンティング]](ブックローン出版 1996年3月)
*『きつねおくさまのごけっこん』[[グリム兄弟]](講談社 1996年4月)
*『海辺のくま』[[クレイ・カーミッシェル]](BL出版 1997年7月)
*『ふるびたくま』クレイ・カーミッシェル(BL出版 1999年8月)
*『しょうぼう馬のマックス』[[サラ・ロンドン]](岩波書店 1998年11月)
*『レターズ・フロム・ヘヴン』[[レイチェル・アンダーソン]](講談社 1999年6月 / 講談社文庫 2009年12月)
*『心の小鳥』[[ミハル・スヌニット]](河出書房新社 1999年6月)
*『マーサのいぬまに』[[ブルース・イングマン]](小学館 1999年6月)
*『きんいろのとき ゆたかな秋のものがたり』アルビン・トレッセルト(ほるぷ出版 1999年9月)
*『シェイカー通りの人びと』アリス&マーティン・プロベンセン(ほるぷ出版 1999年10月)
*『マドレーヌのクリスマス』[[ルドウィッヒ・ベーメルマンス]](BL出版 2000年11月)
*『あたしの一生 猫のダルシーの物語』[[ディー・レディー]]([[飛鳥新社]] 2000年7月 / 小学館文庫 2016年3月)
**【改題】『あたしの一生 猫のダルシーの贈り物』(飛鳥新社 2006年1月)
*『おおきなあかいなや』[[マーガレット・ワイズ・ブラウン]](偕成社 2001年9月)
*『ロンドンのマドレーヌ』ルドウィッヒ・ベーメルマンス(BL出版 2001年11月)
*『ねこたちの夜 ブルース・イングマン』(小学館 2001年6月)
*『どうして犬が好きかっていうとね』[[キム・レヴィン]]([[竹書房]] 2002年7月)
*『3びきのぶたたち』デイヴィッド・ウィーズナー(BL出版 2002年11月)
*『オキーフの家』[[クリスティン・テイラー・パッテン]](メディアファクトリー 2003年2月)
*『おひさまパン』[[エリサ・クレヴェン]]([[金の星社]] 2003年7月)
*『ステラもりへいく』[[メアリー=ルイーズ・ゲイ]]([[光村教育図書]] 2003年7月)
*『ホンドとファビアン』[[ピーター・マッカーティ]]([[岩崎書店]] 2003年9月)
*『ゆきのひのステラ』メアリー=ルイーズ・ゲイ(光村教育図書 2003年10月)
*『カプチーヌ』[[タンギー・グレバン]]([[小峰書店]] 2003年10月)
*『小さな魔女のカプチーヌ』タンギー・グレバン(小峰書店 2003年10月)
*『しつれいですが、魔女さんですか』[[エミリー・ホーン]](小峰書店 2003年10月)
*『イングリッシュローズィズ』[[マドンナ (歌手)|マドンナ]](ホーム社 2003年11月)
*『おはようサム』メアリー=ルイーズ・ゲイ(光村教育図書 2004年4月)
*『おやすみサム』メアリー=ルイーズ・ゲイ(光村教育図書 2004年4月)
*『うみべのステラ』メアリー=ルイーズ・ガイ(光村教育図書 2004年6月)
*『ジベルニィのシャーロット』 [[ジョアン・マックファイル・ナイト]](BL出版 2004年4月)
*『さびしいくま』クレイ・カーミッシェル(BL出版 2004年8月)
*『おへやのなかのおとのほん』マーガレット・ワイズ・ブラウン(ほるぷ出版 2004年9月)
*『アメリカのマドレーヌ』ルドウィッヒ・ベーメルマンス(BL出版 2004年10月)
*『マドレーヌのメルシーブック いつもおぎょうぎよくいるために』ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ(BL出版 2005年4月)
*『なつのいなかのおとのほん』マーガレット・ワイズ・ブラウン(ほるぷ出版 2005年7月)
*『ステラのほしぞら』メアリー=ルイーズ・ゲイ(光村教育図書 2005年8月)
*『いやはや』メアリー=ルイーズ・ゲイ(光村教育図書 2006年5月)
*『とんでもないおいかけっこ』[[クレメント・ハード]](BL出版 2006年5月)
*『マドレーヌとどうぶつたち』ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ(BL出版 2006年7月)
*『クリスマスのまえのばん』[[クレメント・クラーク・ムーア]](BL出版 2006年10月)
*『おぞましいりゅう』デイヴッド・ウィーズナー&キム・カーン(BL出版 2006年10月)
*『イングリッシュローズィズ2 とてもほんとうとは思えないくらいすてき』マドンナ(ホーム社 2007年2月)
*『なにしてるの、サム?』メアリー=ルイーズ・ゲイ(光村教育図書 2007年6月)
*『うみべのおとのほん』マーガレット・ワイズ・ブラウン(ほるぷ出版 2007年8月)
*『マリーのお人形』[[ルイーズ・ファティオ]](BL出版 2007年8月)
*『[[竹取物語]](現代語訳)かぐや姫の物語』(新潮社 2008年8月)
*『[[オズの魔法使い]]』[[ライマン・フランク・ボーム|ライマン・フランク・ボウム]](BL出版 2008年11月 / 小学館 2013年3月 / 小学館文庫 2015年2月)
*『マドレーヌとローマのねこたち』ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ(BL出版 2009年7月)
*『ステラがうんとちいさかったころ』メアリー=ルイーズ・ゲイ(光村教育図書 2010年2月)
*『よくぞごぶじで きつねのかぞくのおはなし』ルドウィッヒ・ベーメルマンス(BL出版 2010年10月)
*『しんとしずかな、ほん』[[デボラ・アンダーウッド]](光村教育図書 2011年1月)
*『マドレーヌ、ホワイトハウスにいく』ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ(BL出版 2011年3月)
*『にぎやかなほん!』デボラ・アンダーウッド(光村教育図書 2011年4月)
*『ゴールデン・バスケットホテル』ルドウィッヒ・ベーメルマンス(BL出版 2011年4月)
*『アートとマックス ゴキゲンなゲイジュツ』デイヴィッド・ウィーズナー(BL出版 2011年8月)
*『バティストさんとハンガーブルグ=ハンガーブルグ伯爵のおはなし』ルドウィッヒ・ベーメルマンス(BL出版 2012年1月)
*『しずかな、クリスマスの ほん』デボラ・アンダーウッド(光村教育図書 2012年11月)
*『マールとおばあちゃん』ティヌ・モルティール(ブロンズ新社 2013年4月)
*『[[青い鳥]]』[[モーリス・メーテルリンク]](講談社 2013年10月 / 講談社青い鳥文庫 2013年10月 / 講談社文庫 2016年12月)
*『おやゆびひめ』[[リスヴェート・ツヴェルガー]](BL出版 2013年11月)
*『マドレーヌとパリのふるいやしき』ジョン・ベーメルマンス・マルシアーノ(BL出版 2014年10月)
*『ぼくはきみで きみはぼく』モーリス・センダック(偕成社 2014年10月)
*『パールストリートのクレイジー女たち』[[トレヴェニアン]](ホーム社 2015年4月 / 集英社文庫 2018年5月)
*『ナイアガラの女王』[[クリス・ヴァン・オールズバーグ]](河出書房新社 2015年9月)
*『[[池澤夏樹=個人編集 日本文学全集]]03 [[竹取物語]] / [[伊勢物語]] / [[堤中納言物語]] / [[土佐日記]] / [[更級日記]]』(河出書房新社 2016年1月 / 河出文庫 2023年11月)- 更級日記の現代語訳を担当(文庫は単著)
*『ゆき、まだかなあ』マーシト・ダイアン・アーノルド(光村図書出版 2016年12月)
*『とてもとてもサーカスなフロラ』ジャック・センダック(集英社 2017年10月)
*『アンデルセンのおはなし』[[エドワード・アーディゾーニ]](のら書店 2018年5月)
*『ぼくにまかせて!』デイヴッド・ウィーズナー(BL出版 2018年7月) - タイトル訳
== メディア出演 ==
=== テレビ ===
*[[一枚の写真]]([[1992年]][[7月15日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])
*ETV特集『[[須賀敦子]] 霧のイタリア追想 ~自由と孤独を生きた作家~』([[2009年]][[10月18日]]、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]])
*[[ボクらの時代]]([[2012年]][[2月19日]]、フジテレビ)
== 映像化作品 ==
=== 映画 ===
* [[きらきらひかる (小説)|きらきらひかる]](1992年10月24日公開、配給:[[日本ヘラルド映画]]、監督:[[松岡錠司]]、主演:[[薬師丸ひろ子]])
* [[落下する夕方]](1998年11月7日公開、配給:[[松竹]]、監督:[[合津直枝]]、主演:[[原田知世]])
* [[冷静と情熱のあいだ]](2001年11月10日公開、配給:[[東宝]]、監督:[[中江功]]、主演:[[竹野内豊]])
* [[東京タワー (小説)|東京タワー]](2005年1月15日公開、配給:東宝、監督:[[源孝志]]、主演:[[黒木瞳]])
* [[間宮兄弟]](2006年5月13日公開、配給:[[アスミック・エース]]、監督:[[森田芳光]]、主演:[[佐々木蔵之介]])
* [[スイートリトルライズ]](2010年3月13日公開、配給:[[ブロードメディア・スタジオ]]、監督:[[矢崎仁司]]、主演:[[中谷美紀]])
=== テレビドラマ ===
* 温かなお皿(2001年12月25日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系「江國香織Xマスドラマ」、主演:[[今井美樹]])
* ほんものの白い鳩(2002年10月2日、[[BS日本|BS日テレ]]「ドラマ・ブック」、主演:[[ともさかりえ]])
* デューク(2006年7月17日、[[TBSテレビ|TBS]]系「恋愛小説」、主演:[[優香]])
* [[思いわずらうことなく愉しく生きよ#テレビドラマ|カレ、夫、男友達]](2011年11月1日 - 12月20日、全8話、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]、主演:[[真木よう子]]、原作:思いわずらうことなく愉しく生きよ)
* [[神様のボート#テレビドラマ|神様のボート]]<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010475 番組エピソード 愛の形はさまざま!『恋愛ドラマ特集』-NHKアーカイブス]</ref>(2013年3月10日 - 3月24日、全3話、[[NHK BSプレミアム|BSプレミアム]]、主演:[[宮沢りえ]])
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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{{島清恋愛文学賞|第14回}}
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{{DEFAULTSORT:えくに かおり}}
[[Category:江國香織|*]]
[[Category:20世紀日本の女性著作家]]
[[Category:21世紀日本の女性著作家]]
[[Category:20世紀日本の女性翻訳家]]
[[Category:21世紀日本の女性翻訳家]]
[[Category:20世紀日本の女性随筆家]]
[[Category:21世紀日本の女性随筆家]]
[[Category:20世紀日本の詩人]]
[[Category:21世紀日本の詩人]]
[[Category:日本の女性詩人]]
[[Category:日本の女性小説家]]
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[[Category:21世紀日本の小説家]]
[[Category:日本の女性児童文学作家]]
[[Category:直木賞受賞者]]
[[Category:谷崎潤一郎賞受賞者]]
[[Category:川端康成文学賞受賞者]]
[[Category:目白大学短期大学部出身の人物]]
[[Category:広尾学園中学校・高等学校出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1964年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-03-22T08:29:52Z | 2023-11-26T15:38:21Z | false | false | false | [
"Template:存命人物の出典明記",
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"Template:Cite web",
"Template:直木賞",
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"Template:Infobox 作家",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%9C%8B%E9%A6%99%E7%B9%94 |
4,854 | 大宮アルディージャ |
大宮アルディージャ(おおみやアルディージャ、英: Omiya Ardija)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
1969年に大宮アルディージャの前身である電電関東サッカー部が設立される。1985年に民営化により日本電信電話公社がNTTとなったことに伴い、NTT関東サッカー部へと改名。1999年にJリーグに加盟。
運営会社は東日本電信電話、NTTドコモ、NTTデータなど、NTTグループ18社が出資するエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社(NTTスポーツコミュニティ)。クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」はスペイン語でリスを表す「Ardilla」に由来し、それを読みやすいように変更した造語であり(Ll参照)、リスは旧・大宮市が1990年の市制施行50周年記念時に制定したマスコットである。
クラブカラーであるオレンジとネイビーは大宮氷川神社の色であり、ホームスタジアムは大宮氷川神社に隣接している。大宮氷川神社のお守りと御朱印帳には大宮アルディージャ柄が存在する。
クラブマスコットはリスがモチーフの「アルディ」と「ミーヤ」で、1998年にアルディ、2008年にミーヤが登場した。2009年に公式マスコットとして認定され、2012年よりゆる玉応援団のメンバーとなっている。
アカデミーは大宮アルディージャユース、大宮アルディージャジュニアユース、大宮アルディージャジュニアを、女子チームとして大宮アルディージャVENTUSを保有している。
同じくさいたま市が本拠地の浦和レッズとのダービーマッチである「さいたまダービー」が存在する。
クラブの伝統は堅守であり、「SPEEDY」「ACTIVE」「AGGRESSIVE」をキーワードに掲げている。エンブレム内の5本ストライプはスピード、ロゴはリスの素早い動き、エンブレム内のリスの尻尾に見立てた盾形は堅守とバランスを表現している。
大宮は元々は堅守速攻のクラブではなく、ピム・ファーベークと三浦俊也が構築したトータルフットボールを主軸にしていたが、守備や堅守自体はその当時から重視していた。2005年からはJ1の強豪クラブと互角に戦うために堅守速攻を主軸にし、2013年度まで堅守速攻が大宮の伝統として確立していた(2008年度のみ攻撃的ポゼッションフットボール)。堅守速攻の中でも特に守備を徹底した監督はズデンコ・ベルデニックである。
1969年に大宮アルディージャの前身である電電関東サッカー部(本拠地は埼玉県浦和市)が設立される。1985年に民営化により日本電信電話公社がNTTとなったことに伴い、「NTT関東サッカー部」へと改名。1987-1992年に日本サッカーリーグ2部、1993年からはジャパンフットボールリーグに在籍した。
1997年に佐々木則夫が監督に就任後、紆余曲折を経てチームのプロ化を決定し、1998年に誘致のあった埼玉県大宮市に本拠地を移し、チーム名を「大宮アルディージャ」に改名。同年7月に佐々木が監督を退任し(普及強化部長に異動)、ピム・ファーベークが監督に就任し、トータルフットボールと組織力を重視した。同年12月にNTT東日本を中心としたNTTグループと関連企業18社の出資による運営会社である「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された。1999年のJリーグ2部制導入に合わせ、旧JFLからのJリーグ新参加8クラブの1クラブとしてJリーグに加盟。
渋谷体制2年目。渋谷は自らがコーチとして師事した初代監督のピム・ファーベークのスタイルであるポゼッションフットボールを志向し、攻撃的スタイルを採用した。前年度では不調であった家長昭博を司令塔MFからFWへ変更させ、最前線に配置し、得点力を大幅に向上させるなど、家長の潜在能力を開花させた。また家長はこの年を機にFWとしてプレーすることが主となっていった。序盤はスタートダッシュに失敗したが、その後はチームが安定し、第15節に首位になると首位を一度も譲ることなく勝利を積み重ね、圧倒的な勢いで快進撃を続けた。第41節大分戦にて家長の逆転PKで勝利し、J2優勝とJ1復帰を果たした。
ホームスタジアムは、さいたま市大宮区高鼻町の大宮公園内にあるNACK5スタジアム大宮(さいたま市大宮公園サッカー場)で、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でもホームゲームが開催される。練習場はさいたま市西大宮サッカー場(さいたま市西区西大宮の高木第二最終処分場跡地をさいたま市が整備して開設)を「アルディージャ練習場」として使用しており、敷地内にクラブハウスである「オレンジキューブ」を設けている。2004年3月からは秋葉の森総合公園サッカー場(さいたま市西区中釘)も使用しており、2012年以前にはNTT東日本志木総合グラウンド(志木市上宗岡)も使用していたことがあった。
大宮アルディージャが運営するクラブ公式フットサルコートである「オレンジコート ステラタウン」をさいたま市北区宮原町のステラタウン内に保有しており、ロングパイル人工芝のコートが2面ある(アルディコート、ミーヤコート)。 | [
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"text": "1997年に佐々木則夫が監督に就任後、紆余曲折を経てチームのプロ化を決定し、1998年に誘致のあった埼玉県大宮市に本拠地を移し、チーム名を「大宮アルディージャ」に改名。同年7月に佐々木が監督を退任し(普及強化部長に異動)、ピム・ファーベークが監督に就任し、トータルフットボールと組織力を重視した。同年12月にNTT東日本を中心としたNTTグループと関連企業18社の出資による運営会社である「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された。1999年のJリーグ2部制導入に合わせ、旧JFLからのJリーグ新参加8クラブの1クラブとしてJリーグに加盟。",
"title": "歴史"
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"text": "渋谷体制2年目。渋谷は自らがコーチとして師事した初代監督のピム・ファーベークのスタイルであるポゼッションフットボールを志向し、攻撃的スタイルを採用した。前年度では不調であった家長昭博を司令塔MFからFWへ変更させ、最前線に配置し、得点力を大幅に向上させるなど、家長の潜在能力を開花させた。また家長はこの年を機にFWとしてプレーすることが主となっていった。序盤はスタートダッシュに失敗したが、その後はチームが安定し、第15節に首位になると首位を一度も譲ることなく勝利を積み重ね、圧倒的な勢いで快進撃を続けた。第41節大分戦にて家長の逆転PKで勝利し、J2優勝とJ1復帰を果たした。",
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"text": "ホームスタジアムは、さいたま市大宮区高鼻町の大宮公園内にあるNACK5スタジアム大宮(さいたま市大宮公園サッカー場)で、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でもホームゲームが開催される。練習場はさいたま市西大宮サッカー場(さいたま市西区西大宮の高木第二最終処分場跡地をさいたま市が整備して開設)を「アルディージャ練習場」として使用しており、敷地内にクラブハウスである「オレンジキューブ」を設けている。2004年3月からは秋葉の森総合公園サッカー場(さいたま市西区中釘)も使用しており、2012年以前にはNTT東日本志木総合グラウンド(志木市上宗岡)も使用していたことがあった。",
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"text": "大宮アルディージャが運営するクラブ公式フットサルコートである「オレンジコート ステラタウン」をさいたま市北区宮原町のステラタウン内に保有しており、ロングパイル人工芝のコートが2面ある(アルディコート、ミーヤコート)。",
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] | 大宮アルディージャは、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 | <!-- 削除についての議論が終了するまで、下記のメッセージ部分は除去しないでください。もしあなたがこのテンプレートを除去した場合、差し戻されます。またページが保護されることもあります。 -->
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{{サッカークラブ
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|原語表記 = 大宮アルディージャ
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|創設=1969
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|クラブライセンス = [[J1リーグ|J1]]
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{{基礎情報 会社
| 社名 = エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社
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| 種類 = [[株式会社]]
| 市場情報 = 未上場
| 略称 =
| 本社所在地 = [[埼玉県]][[さいたま市]][[大宮区]][[高鼻町]]1-20-1{{R|jleague}}<ref name="aboutus">{{Cite web|和書|url=https://www.ardija.co.jp/club/company/|title=会社概要|publisher=大宮アルディージャ|accessdate=2014-01-18}}</ref>
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[[ファイル:Omiya Ardija Supporter 2010.10.24.JPG|thumb|right|300px|大宮アルディージャサポーター]]
'''大宮アルディージャ'''(おおみやアルディージャ、{{Lang-en-short|Omiya Ardija}})は、[[日本]]の[[埼玉県]][[さいたま市]]をホームタウンとする、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
== 概要 ==
1969年に大宮アルディージャの前身である[[NTT関東サッカー部|電電関東サッカー部]]が設立される。1985年に民営化により[[日本電信電話公社]]が[[日本電信電話|NTT]]となったことに伴い、[[NTT関東サッカー部]]へと改名。1999年にJリーグに加盟。
運営会社は[[東日本電信電話]]、[[NTTドコモ]]、[[NTTデータ]]など、NTTグループ18社が出資する[[NTTグループ#NTT東日本|エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社(NTTスポーツコミュニティ)]]。クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」はスペイン語で[[リス]]を表す「Ardilla」に由来し、それを読みやすいように変更した造語であり([[Ll]]参照)、リスは旧・[[大宮市]]が1990年の市制施行50周年記念時に制定したマスコットである<ref name="club">{{Cite web|和書|url=https://www.ardija.co.jp/club/|title=クラブ|publisher=大宮アルディージャ|accessdate=2023-12-29}}</ref>。
クラブカラーであるオレンジとネイビーは[[大宮氷川神社]]の色であり、ホームスタジアムは大宮氷川神社に隣接している。大宮氷川神社の[[お守り]]と[[御朱印帳]]には大宮アルディージャ柄が存在する<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=3220|title=大宮アルディージャ大願成就お守りの販売について|publisher=大宮アルディージャ|date=2012-12-30|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=18030|title=新商品販売のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-12-02|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.meijiyasuda.co.jp/brand/ld/jimotonogenki/tsunageru/article/ardija/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210421163248/https://www.meijiyasuda.co.jp/brand/ld/jimotonogenki/tsunageru/article/ardija/|title=大宮アルディージャ|publisher=[[明治安田生命]]|date=2020-10-28|archivedate=2021-04-21|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/ar0216/|title=勝負ごとは勝つ!大宮アルディージャ 武蔵一宮氷川神社にて必勝祈願|publisher=Acoreおおみや|date=2016-02-17|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/ard0127/|title=武蔵一宮氷川神社にて必勝祈願 大宮アルディージャが2017シーズンに向けて始動|publisher=Acoreおおみや|date=2017-01-26|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/ard02/|title=すべては勝利のために 大宮アルディージャ 武蔵一宮氷川神社にて必勝祈願|publisher=Acoreおおみや|date=2018-02-18|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/ardi02/|title=大宮アルディージャ 新たなスタート。2020年、武蔵一宮氷川神社へ必勝祈願|publisher=Acoreおおみや|date=2020-02-10|accessdate=2022-01-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://acore-omiya.com/hikar12/|title=必勝を祈る 大宮アルディージャと武蔵一宮 氷川神社がコラボした御朱印帳|publisher=Acoreおおみや|date=2021-12-05|accessdate=2022-01-16}}</ref>。
クラブマスコットはリスがモチーフの[[アルディ (大宮アルディージャ)|「アルディ」と「ミーヤ」]]で、1998年にアルディ、2008年にミーヤが登場した。2009年に公式マスコットとして認定され、2012年より[[ゆる玉応援団]]のメンバーとなっている{{R|club}}。
アカデミーは大宮アルディージャユース、大宮アルディージャジュニアユース、大宮アルディージャジュニアを、女子チームとして[[大宮アルディージャVENTUS]]を保有している。
同じくさいたま市が本拠地の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]とのダービーマッチである「[[さいたまダービー]]」が存在する。
== スタイル ==
クラブの伝統は[[堅守速攻|堅守]]であり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/opening-game_2015/analysis/omiya.html|title=J1&J2クラブの戦力を徹底分析|publisher=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2023-12-29}}</ref>、「SPEEDY」「ACTIVE」「AGGRESSIVE」をキーワードに掲げている{{R|club}}。エンブレム内の5本ストライプはスピード、ロゴはリスの素早い動き、エンブレム内のリスの尻尾に見立てた盾形は堅守とバランスを表現している{{R|club}}。
大宮は元々は堅守速攻のクラブではなく、[[ピム・ファーベーク]]と[[三浦俊也]]が構築した[[トータルフットボール]]を主軸にしていたが、守備や堅守自体はその当時から重視していた。2005年からはJ1の強豪クラブと互角に戦うために堅守速攻を主軸にし、2013年度まで堅守速攻が大宮の伝統として確立していた(2008年度のみ[[ポゼッションフットボール|攻撃的ポゼッションフットボール]])。堅守速攻の中でも特に守備を徹底した監督は[[ズデンコ・ベルデニック]]である<ref name="nikkei_20130503">{{Cite web|和書|title=大宮、堅守で初の首位 「もしかしたら…」に現実味|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZZO54569130R00C13A5000000/|publisher=[[日本経済新聞]]|author=[[大住良之]]|date=2013-05-03|accessdate=2021-05-26}}</ref><ref name="number2016003">{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/826591|title=「大宮=アトレティコ」という仮説。最後の一押しは、監督の黒シャツ!?|publisher=[[Sports Graphic Number|Number Web]]|author=松本宣昭|date=2016-10-03|accessdate=2021-05-26}}</ref>。
== 歴史 ==
=== Jリーグ参入前 ===
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1969年に大宮アルディージャの前身である'''[[NTT関東サッカー部|電電関東サッカー部]]'''(本拠地は[[埼玉県]][[浦和市]])が設立される。1985年に民営化により[[日本電信電話公社]]が[[日本電信電話|NTT]]となったことに伴い、「'''NTT関東サッカー部'''」へと改名。1987-1992年に[[日本サッカーリーグ]]2部、1993年からは[[ジャパンフットボールリーグ]]に在籍した。
1997年に[[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]]が監督に就任後、紆余曲折を経てチームのプロ化を決定し、1998年に誘致のあった埼玉県[[大宮市]]に本拠地を移し、チーム名を「'''大宮アルディージャ'''」に改名。同年7月に佐々木が監督を退任し(普及強化部長に異動)、[[ピム・ファーベーク]]が監督に就任し、[[トータルフットボール]]と組織力を重視した。同年12月に[[東日本電信電話|NTT東日本]]を中心とした[[NTTグループ]]と関連企業18社の出資による運営会社である「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された<ref group="注">法人設立当時は[[持株会社]]移行前で[[日本電信電話]](NTT)本体が株主だったが、[[1999年]][[7月]]の持株会社移行後はNTT東日本が親会社となった</ref>。1999年のJリーグ2部制導入に合わせ、旧JFLからのJリーグ新参加8クラブの1クラブとしてJリーグに加盟。
=== 1999年 - 2004年(J2) ===
; 1999年
: [[ピム・ファーベーク]]体制2年目。序盤は首位争いをしていたが、5月に得点源・牽引役であった[[ヨルン・ブーレ]]が深夜に暴漢に襲われ、左眼失明の重傷を負って引退。その後に大宮は失速し、最終順位6位。
; 2000年
: [[三浦俊也]]が監督に就任。[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]がJ2に降格し、リーグ戦初の[[さいたまダービー]]が開催された。
; 2001年
: 三浦体制2年目。第11節から12連勝、第8節から17戦無敗を記録し、前半戦は勝点50の首位だったが、後半は[[ジョルジェ・ルイス・デ・アモリン・シルヴァ|ジョルジーニョ]]と[[ホルヘ・デリー・バルデス|バルデス]]が重傷を負い、得点力が低下。新加入の[[ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー|バレー]]が活躍したが、チームは不調に陥り、最終順位5位。
; 2002年
: [[ヘンク・デュット]]が監督に就任。年間を通じて4-8位の間を行き来する順位となり、1度も昇格圏内に入れずに最終順位6位。
; 2003年
: [[菅野将晃]]が監督に就任。序盤は6戦無敗で一時2位に上がると、その後は昇格圏に入れず、10月に菅野が退任し、ゼネラルマネージャーの[[清雲栄純]]が監督に就任。最終順位6位。
; 2004年
: [[三浦俊也]]が2001年度以来となる監督に就任。前半は一時8位であったが、第19節から6戦無敗で2位に上がると、第32節からは年度終了まで13連勝し、最終順位2位で初J1昇格を果たした。
=== 2005年 - 2014年(J1) ===
;2005年
:* クラブスローガンは「'''「Departure」→走り出す大宮→'''」。
:三浦体制2年目。元ブラジル代表の[[クリスティアン・コヘア・ディオニシオ|クリスティアン]]や日本代表の[[藤本主税]]などを補強したが、シーズン中のクリスティアンの移籍や故障者続出によりチームは不調に陥り、第28節時点で16位に下がったが、[[レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ|レアンドロ]]や[[若林学]]の活躍により第29節より4連勝し、最終順位13位。[[Jリーグカップ|ナビスコ杯]]ベスト8、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]ベスト4。
;2006年
:* クラブスローガンは「'''OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂'''」。
: 三浦体制3年目。各ポジションに選手を補強したが、外国人選手が機能せずに最終順位12位。
;2007年
:* クラブスローガンは「'''シンカ ~進化、真価、深化'''」。
: [[ロバート・ファーベーク]]([[ピム・ファーベーク|ピム]]の弟)が監督に就任。前半で16位となり、ロバートが退任し、強化育成部長の[[佐久間悟]]が監督に就任したが、チームは不調が続き、最終順位15位。
;2008年
:* クラブスローガンは「'''シンカ NEXT~進化、真価、深化'''」。
: 三浦の監督退任時から監督就任を依頼していた[[樋口靖洋]]が監督に就任。攻撃的サッカーを志向し、第5節から5戦無敗であったが、その後に5試合未勝利となり低迷。その後に連勝したが、第24節からは6連敗を喫し、降格圏の17位に下がる。しかし終盤に再度5戦無敗となり、最終順位12位。
;2009年
:* クラブスローガンは「'''橙想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009'''」。
: [[張外龍]]が監督に就任。開幕から5戦無敗であったが、怪我人が続出し、第6節からの8試合で4連敗と低迷し、苦境が続いた。最終順位13位。
;2010年
:* クラブスローガンは「'''橙想心 より強く、より高く、より深く'''」。
: 張体制2年目。[[塚本泰史]]の右大腿骨[[骨肉腫]]が判明。7試合未勝で17位に下がり、張が退任。[[鈴木淳 (1961年生のサッカー選手)|鈴木淳]]が監督に就任すると、チーム状態は上昇し、第15節から5戦無敗となった。10月2日の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦にて観客数の水増しが発覚。クラブ側は当初全面否定したが、翌日にリーグ事務局による本格調査が入ると一転して事実を認め、その後の調査で2007年11月以降の主催58試合で各試合4000人以上、合計111737人の水増しが行われていたことが明らかになった<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/archive/detail/d/index.php?id=../information/clubplayer/201010/cinfo20101019-02.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140711213522/https://www.ardija.co.jp/news/archive/detail/d/index.php?id=../information/clubplayer/201010/cinfo20101019-02.html|title=ホームゲーム開催時の入場者数に関する調査結果等のご報告|publisher=大宮アルディージャ|date=2010-10-19|archivedate=2014-07-11|accessdate=2023-12-29}}</ref>。10月に[[渡邉誠吾]]の代表取締役退任と[[鈴木茂]]の代表取締役就任を発表<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?75581-65809-fl|title=観客水増し問題の大宮、新社長を発表|newspaper=[[ゲキサカ]]|date=2023-01-11|accessdate=2023-01-11}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.saitama-np.co.jp/news/2016/06/09/02.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160814232627/https://www.saitama-np.co.jp/news/2016/06/09/02.html|title=J1大宮・新社長に森氏、取締役会で正式決定へ 鈴木氏は6月末退任|newspaper=[[埼玉新聞]]|date=2016-08-14|archivedate=2016-08-14|accessdate=2023-01-11}}</ref>。11月16日に譴責(始末書提出)と制裁金2000万円の処分が課せられた<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/archive/detail/d/index.php?id=../information/clubplayer/201011/cinfo20101116-01.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140711161227/http://www.ardija.co.jp/news/archive/detail/d/index.php?id=../information/clubplayer/201011/cinfo20101116-01.html|title=Jリーグからの制裁について|publisher=大宮アルディージャ|date=2010-11-16|archivedate=2014-07-11|accessdate=2023-12-29}}</ref>。最終順位12位。
;2011年
:* クラブスローガンは「'''上昇宣言 ~リスの木登り~'''」。
: 鈴木体制2年目。東日本大震災の影響でレギュレーションに変化があった。後半では第18節から5試合未勝利、第19節から5試合未勝利と15位まで下がった。最終順位13位。
;2012年
:* クラブスローガンは「'''上昇宣言2012 ~リスの木登り~'''」。
: 鈴木体制3年目。現役復帰を断念した[[塚本泰史]]が大宮アンバサダーに就任し、7年間在籍したエースの[[藤本主税]]が熊本に移籍。 第12節からの連敗で15位に下がると、鈴木とヘッドコーチの[[石井知幸]]を解任。[[ズデンコ・ベルデニック]]が監督に就任し、ユースコーチの[[井上卓也 (サッカー指導者)|井上卓也]]がヘッドコーチに就任。ベルデニックは監督就任早々に守備の立て直しに着手した{{R|nikkei_20130503}}<ref name="sakadai_20200430">{{Cite web|和書|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=72298|title=【番記者コラム】大宮の歴史に強烈なインパクトを刻んだ「不敗街道」|publisher=[[サッカーダイジェスト|サッカーダイジェストWeb]]|date=2020-04-30|accessdate=2021-12-05}}</ref>{{R|number2016003}}v。大宮監督就任以前のベルデニックは3バックを使用していたが、大宮ではフォーメーションを4-4-2に固定した{{R|nikkei_20130503}}{{R|number2016003}}。最前線からの守備を徹底し、選手全員が最前線からハードワークを行い、中盤を詰めてチームをコンパクトに保ち、ハイプレスでボールを奪ってシンプルにFWに繋ぐ[[堅守速攻]]スタイルの訓練を積み重ねた{{R|nikkei_20130503}}{{R|sakadai_20200430}}{{R|number2016003}}。選手の役割は柔軟にさせるのではなく、予め固定し、戦い方はシンプル・簡潔で「ボールを奪ったらFWを見ろ」と選手に徹底した{{R|nikkei_20130503}}{{R|sakadai_20200430}}。[[アトレティコ・マドリード]]の[[ディエゴ・シメオネ]]が使用する4-2-2-2の強固ブロックも採用した(ただしベルデニックはハイライン、シメオネはローラインである){{R|nikkei_20130503}}。夏の移籍期間に絶対的エースであった[[ラファエル・マルケス・マリアーノ|ラファエル]]を移籍させるなどの大鉈を振るった。補強面ではスロベニア代表の[[ズラタン・リュビヤンキッチ|ズラタン]]と[[ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチ|ノヴァコヴィッチ]]を獲得{{R|nikkei_20130503}}。[[金澤慎]]によると、ベルデニックは短期間でチームに自分のサッカースタイルを浸透させたというが{{R|sakadai_20200430}}、どちらも効果が早く表れず、降格圏の17位に下がった{{R|nikkei_20130503}}。しかしその後に効果が表れ始め、リーグ戦11試合が5勝6分の無敗・複数失点0となり{{R|nikkei_20130503}}、最終順位13位。
;2013年
:* クラブスローガンは「'''大宮共闘'''」。
: ベルデニック体制2年目。[[堅守速攻]]スタイルが昨シーズンよりも浸透した{{R|sakadai_20200430}}。[[曺永哲|チョ・ヨンチョル]]、ズラタン、ノヴァコヴィッチなどの各国代表クラスの選手が在籍していたが、日本代表未経験選手らを中心としたハードワークで勝利を積み重ね{{R|nikkei_20130503}}、前年度終盤から続いた合計21戦無敗を記録し、当時のJ1リーグ連続無敗記録を更新した(それ以前の最高記録は2009年の[[鹿島アントラーズ|鹿島]]による17試合連続無敗{{R|nikkei_20130503}})。その後、真夏が近づくに連れ、ハードワークを要求される大宮の選手達の疲労が蓄積し、選手間でもハードな練習メニューに対する不満の声が出るようになった<ref name="soccerking201308132">{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20130813/128685.html|title=「電撃」解任ではなかった監督交代劇…試される大宮の団結力|newspaper=[[フロムワン|サッカーキング]]|author=上野直彦|date=2013-08-13|accessdate=2022-01-23}}</ref>。第17節 川崎戦にて逆転負けの3敗目後に首位から転落すると、ヘッドコーチの[[小倉勉]]がテクニカルディレクターに就任したが<ref name="soccerking201308132" />、チームは連敗を続け、8月11日にベルデニックを解任<ref name="soccerking201308132" />。ゼネラルマネージャーの[[岡本武行]]が監督代行で1試合指揮を取った後、小倉が監督に就任。しかしその後に8連敗するなど失速し、最終順位14位。シーズン終了後に岡本と強化部長の[[古矢武士]]が退任。
;2014年
:* クラブスローガンは「'''大宮共闘'''」。
: [[大熊清]]が監督に就任。海外クラブに在籍していた日本代表の[[家長昭博]]を完全移籍で獲得するなど戦力補強を進めた。大宮は長年[[堅守速攻]]を採用していたが、大熊は[[ポゼッションフットボール]]を採用し、これを起点に大宮は毎年スタイルが変わり続けるようになっていった。前半では8位となったが、その後に7戦未勝となり、降格圏に下がる。その後に10戦未勝となり、8月31日に大熊を解任。コーチの[[渋谷洋樹]]が監督に就任し、6戦で5勝1敗となったが、第29節からの5戦未勝で低迷。残留を争っていた[[清水エスパルス|清水]]が引き分けたためにJ2降格となった。
=== 2015年(J2) ===
{{See also|2015年のJ2リーグ#リーグ概要}}
* クラブスローガンは「'''挑む 頂点へ、未来へ'''」。
渋谷体制2年目。渋谷は自らがコーチとして師事した初代監督の[[ピム・ファーベーク]]のスタイルである[[ポゼッションフットボール]]を志向し、攻撃的スタイルを採用した<ref>{{Cite web|和書|url=http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201508250005-spnavi|title=首位独走を支える2人の偉大なGK J2・J3漫遊記 大宮アルディージャ|author=[[宇都宮徹壱]]|publisher=スポーツナビ|date=2015-08-26|accessdate=2022-01-23}}</ref>。前年度では不調であった[[家長昭博]]を司令塔MFからFWへ変更させ、最前線に配置し、得点力を大幅に向上させるなど、家長の潜在能力を開花させた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/formation/?year=2015|title=大宮アルディージャ 2015 フォーメーション|publisher=Football LAB|accessdate=2022-01-23}}</ref>。また家長はこの年を機にFWとしてプレーすることが主となっていった。序盤はスタートダッシュに失敗したが、その後はチームが安定し、第15節に首位になると首位を一度も譲ることなく勝利を積み重ね、圧倒的な勢いで快進撃を続けた。第41節[[大分トリニータ|大分]]戦にて家長の逆転PKで勝利し、J2優勝とJ1復帰を果たした<ref>{{Cite news|url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151114/369955.html|title=大宮がJ1昇格&J2優勝…磐田と福岡が自動昇格を争う/J2第41節|newspaper=サッカーキング|date=2015-11-14|accessdate=2022-01-23}}</ref>。
=== 2016年 - 2017年(J1) ===
;2016年
:* クラブスローガンは「'''挑む より高みへ、未来へ'''」。
: 渋谷体制3年目。「勝ち点48」「年間順位7位から12位」を目標に掲示し、後の日本代表である[[江坂任]]などを補強。前年度の[[ポゼッションフットボール|攻撃的ポゼッションフットボール]]を止め、自陣へと退いて堅守し、ボールを奪ってロングカウンターで得点する[[堅守速攻|ロングカウンター型堅守速攻]]で手堅く勝利を積み重ねていった{{R|number2016003}}。またその戦術が[[アトレティコ・マドリード]]の[[ディエゴ・シメオネ]]の戦術と類似していたため、大宮とアトレティコは報道機関から比較されることがあった{{R|number2016003}}。6月に[[鈴木茂]]が代表取締役を退任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=10897|title=代表取締役社長 鈴木茂より退任のご挨拶|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-11|accessdate=2023-01-11}}</ref>、7月1日に[[森正志]]が代表取締役に就任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=10900|title=代表取締役社長 森正志より就任のご挨拶|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-11|accessdate=2023-01-11}}</ref>。2nd第10節[[川崎フロンターレ|川崎]]戦の試合終了後に選手間での乱闘、サポーター間での衝突が発生<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.frontale.co.jp/info/2016/0924_1.html|title=9/17 大宮戦でのトラブルについて【報告】|publisher=[[川崎フロンターレ]]|date=2021-09-06|accessdate=2023-01-13}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160917/494355.html|title=大久保退場で10人の川崎、一時は逆転も乱打戦落とす 大宮MF江坂が劇的決勝弾|newspaper=サッカーキング|date=2021-11-12|accessdate=2023-01-13}}</ref>。2nd第14節[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦にて勝利し(カシマサッカースタジアムでのクラブ史上初勝利)、目標の「勝ち点48」以上の勝ち点50を達成。最終順位5位でクラブ史上最高順位を記録。Jリーグカップでは予選トーナメント2位により2005年以来の決勝トーナメント進出となり、準々決勝の[[横浜F・マリノス|横浜FM]]戦ではホーム第1戦は勝利、アウェー第2戦は敗北し、アウェーゴール差で準々決勝敗退となった。天皇杯では2005年以来2度目のベスト4まで勝ち上がったが、川崎に敗北。
;2017年
:* クラブスローガンは「'''挑む ~より強く、未来へ。~'''」。
: 渋谷体制4年目。前年度までのエースの[[家長昭博]]が[[川崎フロンターレ|川崎]]、[[泉澤仁]]が[[ガンバ大阪|G大阪]]に移籍したが、家長の穴を埋める新エースの[[大前元紀]]と期限付き移籍で在籍していた[[マテウス・ドス・サントス・カストロ|マテウス]]を完全移籍加入で獲得。
: この年は前年度の[[堅守速攻]]から2015年度の[[ポゼッションフットボール]]にスタイルを戻したが、開幕より6連敗で最下位となり、G大阪戦では6失点の大敗を喫した。さいたまダービーの[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和戦]]にて年度初勝利となったが、チームは不調を脱することはできず、5月28日に渋谷とヘッドコーチの[[黒崎久志]]を解任、コーチの[[伊藤彰 (サッカー選手)|伊藤彰]]が監督、[[海本慶治]]がヘッドコーチに就任。伊藤はフォーメーションを4-1-4-1に変え、ポゼッションフットボールを継続し、1トップの[[江坂任]]が得点源となり<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/828475|title=大宮降格回避へ得点量産モード! 江坂任の“消えてから決める”技。|publisher=Number Web|author=佐藤俊|date=2017-07-17|accessdate=2022-01-23}}</ref>、一時は降格圏を脱出するが、中断期間に補強した[[カウエ・セシリオ・ダ・シルバ|カウエ]]、[[マルセロ・アパレシド・トスカーノ|マルセロ・トスカーノ]]、[[金東秀 (1995年生)|キム・ドンス]]が機能せず、チームは再度降格圏に入った。残試合3節となった11月5日に伊藤と強化本部長の[[松本大樹 (サッカー選手)|松本大樹]]の解任、[[石井正忠]]の監督、スカウトの[[西脇徹也]]の強化本部長就任を発表<ref name="sakadai_20171108">{{Cite news|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=32213|title=大宮・石井新監督が涙を浮かべ決意。“古巣”の窮地救うべく伝統の「堅守速攻」回帰へ|newspaperサッカーダイジェストWeb|date=2017-11-08|accessdate=2018-11-27}}</ref>。石井は監督就任会見時に涙を浮かべ、残留のためにポゼッションフットボールから堅守速攻へとスタイル変更するなど大舵を切ったが{{R|sakadai_20171108}}、第32節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦と第33節[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦での敗北によりJ2降格が決定<ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171126/673372.html|title=大宮、2014年以来2回目のJ2降格…石井監督招聘も立て直せず|newspaper=サッカーキング|date=2017-11-26|accessdate=2022-01-23}}</ref>。最終節[[川崎フロンターレ|川崎]]戦では0-5で大敗を喫し、奇しくも前年度までの大宮のエースであった家長が川崎の選手として出場しており、川崎はこの試合でJ1優勝が決定し、大宮は最下位でのJ2降格となった。
=== 2018年 - 2023年(J2) ===
;2018年
:* クラブスローガンは「'''ONE 勝利のために'''」。
: 石井体制2年目。スローガンは石井を中心に考案された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=13894|title=2018シーズン チームスローガン決定のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2018-01-14|accessdate=2018-07-16}}</ref>。[[江坂任]]、[[黒川淳史]]、[[瀬川祐輔]]、[[和田拓也 (サッカー選手)|和田拓也]]などの主力選手が移籍したが、[[奥抜侃志]]、[[笠原昂史]]、[[酒井宣福]]、[[佐相壱明]]、[[嶋田慎太郎]]、[[ロビン・シモヴィッチ]]、[[富山貴光]]、[[中村太亮]]、[[三門雄大]]が加入し、シーズン途中では[[畑尾大翔]]が加入するなど、後に大宮の主力になっていった有力選手が多く加入した。
: 石井はエースの[[大前元紀]]を軸とした4-4-2のフォーメーションを採用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/formation/?year=2018|title=大宮アルディージャ 2018 フォーメーション|publisher=Football LAB|accessdate=2019-12-27}}</ref>。前年度終盤の守備的な[[堅守速攻|堅守速攻フットボール]]とは異なり「まずは自ら前に出てアクションを起こす」というようなアグレッシブさを徹底し、ハードワーク、ハイプレス、中央突破のショートカウンター、DFの裏を狙う事を重視し、[[ポゼッションフットボール]]と[[カウンターアタック]]を取り入れたシンプルでアクティブな躍動感のある積極的フットボールを志向した<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/829863?page=3|title=大宮のJ1復帰は「誰」なのか。戦う男・三門雄大と大前元紀の復活。|publisher=Number Web|author=佐藤俊|date=2018-02-08|accessdate=2022-01-30}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.targma.jp/omiya/2018/11/03/post9982/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181127193733/https://www.targma.jp/omiya/2018/11/03/post9982/|title=石井正忠監督「自分から前にアクションを起こすというところを数多くやってほしい」【練習コメント】|newspaper=タグマ!|date=2018-11-03|archivedate=2018-11-27|accessdate=2018-11-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/style/?year=2018|title=<nowiki>大宮アルディージャ 2018 チームスタイル[攻撃セットプレー]</nowiki>|publisher=Football LAB|accessdate=2023-01-13}}</ref>。前半は守備面では浸透に時間がかかり<ref>{{Cite web|和書|url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2018/04/16/j2_2/index.php|author=[[小宮良之]]|title=大宮アルディージャ、降格のJ2でも崖っぷち。本当に浮上できるのか|publisher=[[Sportiva|web Sportiva]]|date=2018-04-16|accessdate=2022-01-30}}</ref>、19位に下がったが、攻撃面では大前を軸とし、シモヴィッチや富山なども含めた2トップが徐々に功を奏し、第10節から第12節まで3連勝したことでシーズン初連勝を記録。守備面でも三門と[[大山啓輔]]のダブルボランチが活躍し始め<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E5%A4%A7%E6%B7%B7%E6%88%A6%E3%81%AEj2%E4%B8%8A%E4%BD%8D%E9%99%A37%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%8C%E7%B5%A1%E3%82%80%E7%99%BD%E7%86%B1%E3%81%AEj1%E6%98%87%E6%A0%BC%E4%BA%89%E3%81%84%E3%81%AE%E8%A1%8C%E6%96%B9%E3%82%92%E5%8D%A0%E3%81%86/jxdx7b7hj5y01bs5dfbok9t4k|title=大混戦のJ2。上位陣7チームが絡む白熱のJ1昇格争いの行方を占う|publisher=[[Goal.com]]|date=2018-11-19|accessdate=2022-01-30}}</ref>、CBの畑尾大翔を期限付き移籍で獲得するなど守備陣を補強した。第16節から第23節まで8戦無敗を記録するなど好調を取り戻し、順位を徐々に上げていき、J1昇格プレーオフ圏内に入った。最終節[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]戦にて数的不利の状況で勝利し、[[J1参入プレーオフ]]進出を果たしたが、1回戦で[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に敗れた。大前が24得点でリーグ得点王に輝き、チーム総得点も65と大分・千葉に続くリーグ3位となる一方、失点48(優勝の[[松本山雅FC|松本]]を14点下回る)と守備面の問題が浮き彫りになったシーズンであった。
;2019年
:* クラブスローガンは「'''121%ORANGE'''」。
: [[高木琢也]]が監督に就任。大規模改革や人事異動などは行われずにコーチ陣は続投し、移籍も少数に留まった。
: 高木は前年度の[[石井正忠]]による前線を重視するアグレッシブな積極的スタイルとは打って変わり、冷静な守備的フットボールを採用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/style/?year=2019|title=<nowiki>大宮アルディージャ 2019 チームスタイル[攻撃セットプレー]</nowiki>|publisher=Football LAB|accessdate=2023-01-13}}</ref>。大宮が長年採用した4バックではなく3バックを採用し、3-4-2-1をフォーメーションとした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/formation/|title=大宮アルディージャ 2019 フォーメーション|publisher=Football LAB|accessdate=2020-01-06}}</ref>。3バックへの変更によりサイド攻撃が減少し、カウンターによる中央突破が多くなり、前年度よりもポゼッション比率が減少<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/style/|title=<nowiki>大宮アルディージャ 2019 チームスタイル[攻撃セットプレー]</nowiki>|publisher=Football LAB|accessdate=2019-12-27}}</ref>。序盤4試合はスタートダッシュに失敗したが、第5節[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦から第20節[[ツエーゲン金沢|金沢]]戦までの3ヶ月間で16戦無敗を記録。最終順位3位で2年連続の[[J1参入プレーオフ]]出場となったが、一回戦の[[モンテディオ山形|山形]]戦にて敗北。
;2020年
:* クラブスローガンは「'''WIN☆WIN'''」。
: 高木体制2年目。[[原崎政人]]と[[藤原寿徳]]がコーチを退任、[[北嶋秀朗]]と[[松本拓也 (サッカー選手)|松本拓也]]がコーチに就任。開幕前からシーズン終了までの入団選手は19名に上り、開幕前退団選手においては主将・エース・背番号10番を兼任していた[[大前元紀]]を始め、得点源の[[フアンマ・デルガド]]、ベテラン選手、成績不振の選手を放出し、合計17名の大量放出となった。補強面では期限付き移籍していた新エースの[[黒川淳史]]が復帰。基本フォーメーションは3-4-2-1を継続し、[[ポゼッションフットボール]]を採用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-lab.jp/omiy/style/?year=2020|title=<nowiki>大宮アルディージャ 2020 チームスタイル[攻撃セットプレー]</nowiki>|publisher=Football LAB|accessdate=2021-05-26}}</ref>。主力放出やポゼッションフットボールへのスタイル変更などが大きく影響し、この年からチームは最終順位を毎年大きく下げるなど、急激に弱体化をし始めることとなった。開幕から4連勝とスタートダッシュに成功したが、その後に徐々に低迷し、第9節[[アビスパ福岡|福岡]]戦から7戦未勝となった。シーズン途中で[[アブドゥラーヒム・ラーヤブ|イバ]]を補強したが、その後も低迷を続けた。後半も第24節[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦から7戦未勝となり、第28節終了時点で17位まで転落。怪我人も続出し、他チームへの期限付き移籍中選手を呼び戻すなどの緊急補強が行われたが、最終順位15位でクラブ史上最低順位を記録。
;2021年
:* クラブスローガンは「'''SHOW 勝つ、笑う、昇格する'''」。
: [[森正志]]が代表取締役を退任、2月1日付で[[佐野秀彦]]が代表取締役に就任。[[大分トリニータ|大分]]でヘッドコーチを務めていた[[岩瀬健]]が監督に就任<ref>{{Cite news|url=https://soccermagazine.jp/j2/17425379|title=【大宮】岩瀬健監督はただ勝利のために。「すべての試合に勝って昇格するつもりです」|newspaper=[[サッカーマガジン|サッカーマガジンWEB]]|date=2021-01-17|accessdate=2021-05-25}}</ref>。[[馬渡和彰]]、[[櫛引一紀]]、[[松本大弥]]、[[矢島輝一]]、[[松田詠太郎]]、[[中野誠也 (サッカー選手)|中野誠也]]といった実力者や、[[後藤大輝]]、[[佐相壱明]]、[[上田智輝]]といった若手が加入(期限付きを含む)、大宮U-18から[[柴山昌也]]と[[大澤朋也]]が昇格<ref>{{Cite news|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=84910|title=【大宮|新体制】新指揮官の下、4度目の正直へ――。“変革のシーズン”がいよいよスタート|newspaper=サッカーダイジェストWeb|date=2021-01-17|accessdate=2021-05-25}}</ref>。岩瀬はチームの将来を見据えて様々なスタイルを試したものの、岩瀬の志向する能動的なサッカーが機能せず、第7節で最下位に転落、クラブ側が緊急声明を発表した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17400|title=大宮アルディージャを愛する全ての皆さまへ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-04-28|accessdate=2023-11-15}}</ref>。以後も状況は好転せず、第15節[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦終了時点で2勝5分8敗(20位)かつ10試合未勝利となり、5月25日に岩瀬とフットボール本部長の[[西脇徹也]]を解任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17476|title=岩瀬健監督 解任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-05-25|accessdate=2023-11-15}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17477|title=西脇徹也 フットボール本部長 解任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-05-25|accessdate=2023-11-15}}</ref>。大宮トータルアドバイザー・[[大宮アルディージャVENTUS|VENTUS]]総監督の[[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]]が暫定的に監督に就任、[[秋元利幸]]が強化部長代理に就任し、代表取締役の佐野自らが本部長と強化部長を兼任する事態となった<ref">{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17475|title=トップチーム体制変更について|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-05-25|accessdate=2023-11-15}}</ref>。長期的視点に立っていた岩瀬に対し、佐々木は「現実的なサッカー」を掲げた<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202105270000611.html|title=大宮暫定指揮の佐々木則夫氏「現実的なサッカーを」 “ノリさん”呼ばせる|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2021-05-27|accessdate=2021-05-29}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://soccermagazine.jp/j2/17456050|title=【大宮】理想に振れたチームを立て直す。佐々木則夫監督「現実的に戦って勝ち点3を積む!」|newspaper=サッカーマガジンWEB|date=2021-05-28|accessdate=2021-05-29}}</ref>もののリーグ戦で2敗。6月9日の[[天皇杯 JFA 第101回全日本サッカー選手権大会#2回戦|天皇杯2回戦]][[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦にて佐々木は[[三門雄大]]をベンチキャプテンに指名したが<ref name="sakadai_20210615">{{Cite news|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=92909|title=まさかの大不振に陥った大宮が新体制でリスタート! 早速効果が見えた“霜田マジック”に「確実に変わっている」|newspaper=サッカーダイジェストWeb|accessdate=2021-06-16}}</ref>、敗戦となり、佐々木体制は全敗で終了した。
: 天皇杯直前の6月7日に[[レノファ山口FC|山口]]などで指揮経験のある[[霜田正浩]]の監督就任を発表<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=17506|title=霜田正浩 監督 就任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2021-06-07|accessdate=2021-06-07}}</ref>。霜田は選手のメンタル面の改善と、前を向いて戦う姿勢をチームに求め{{R|sakadai_20210615}}<ref>{{Cite news|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/113065|title=<国吉好弘の埼たまNOW>大宮新体制 引き分け発進に光明も|newspaper=[[東京新聞]]|date=2021-06-27|accessdate=2021-06-27}}</ref>、主将も[[渡部大輔 (サッカー選手)|渡部大輔]]から三門へ変更。[[栃木SC|栃木]]・[[松本山雅FC|松本]]相手の2分を挟み、第20節・山口戦にて16戦ぶり(リーグ戦15戦ぶり)に勝利<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202106270001265.html|title=J2大宮公式戦16試合ぶり白星 霜田監督就任3戦目で初勝利「感動した」|newspaper=日刊スポーツ|date=2021-06-27|accessdate=2021-06-28}}</ref>。
: 後半戦では中断期間に補強した[[南雄太]]と[[河田篤秀]]が活躍したが、リーグ終盤になると勝ち点3を目指す攻撃的なポゼッションスタイルが相手カウンターの餌食になり再び失点が増加<ref name="u-soccer_20211208">{{Cite web|和書|url=https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=408532|title=J3降格危機に陥った大宮の原因/六川亨の日本サッカーの歩み|publisher=[[超ワールドサッカー|超ワールドサッカー!]]|date=2021-12-08|accessdate=2023-11-15}}</ref>。最終6試合は勝ち点を手堅く稼ぐ現実的なスタイルに切り替えてJ2残留を目指し、第42節・[[ザスパクサツ群馬|群馬]]戦にて7試合ぶりに勝利したことでJ2残留が確定{{R|u-soccer_20211208}}。最終順位16位でクラブ最低順位である昨シーズンの15位を下回った。
;2022年
:* クラブスローガンは「'''ひたむき'''」。
: 霜田体制2年目。[[河本裕之]]の現役引退を始め、大宮一筋の[[渡部大輔 (サッカー選手)|渡部大輔]]、エースの[[黒川淳史]]、[[アブドゥラーヒム・ラーヤブ|イバ]]、[[翁長聖]]、[[笠原昂史]]、[[河面旺成]]、[[櫛引一紀]]、[[フィリップ・クリャイッチ]]、[[ネルミン・ハスキッチ]]、[[松田詠太郎]]、[[馬渡和彰]]、長きに亘ってチームを支えたコーチの[[大塚真司]]及びGKコーチの[[渡邉英豊]]など、多くの主力選手や長期在籍スタッフが退団。一方で2016年まで大宮に所属していた[[泉澤仁]]や元日本代表の[[矢島慎也]]が完全移籍で加入。[[秋元利幸]]が正式に強化部長に就任し、2019年に大宮にて引退した[[金澤慎]]がコーチに就任。大宮は毎年豊富な資金力で外国籍選手を揃えていたが、この年は方針を転換しクラブ史上初となる外国籍選手の開幕時無在籍となった<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2022/01/09/kiji/20220109s00002180038000c.html|title=大宮 今季外国人なし 霜田監督「リスタートの年にしたい」|newspaper=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|date=2022-01-09|accessdate=2023-11-15}}</ref>。
: シーズン前に「攻守共にひたむきにハードワークして走り勝つフットボール」のスタイルを掲げ<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=18161|title=「2022大宮アルディージャトップチーム新体制発表記者会見」実施レポート|publisher=大宮アルディージャ|date=2022-01-15|accessdate=2022-01-16}}</ref>、前年シーズン終盤以前のスタイルを継続したものの、失点の多さは改善できず、怪我人が続出するなど悪い流れの歯止めがきかなくなり成績は低迷<ref name="zadankai_2023">{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/digitalvamos/?id=39087|title=緊急開催! 番記者座談会 前編|publisher=大宮アルディージャ|date=2022-06-29|accessdate=2023-01-11}}</ref>。第15節[[いわてグルージャ盛岡|岩手]]戦での敗戦が引き金となり{{R|zadankai_2023}}、4勝5分9敗の20位となった第18節終了後の5月26日に霜田を解任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=38914|title=霜田正浩 監督 解任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2022-05-26|accessdate=2022-05-26}}</ref>。後任に前[[鹿島アントラーズ|鹿島]]監督の[[相馬直樹]]を招聘する<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=38915|title=相馬直樹 監督 就任のお知らせ|publisher=大宮アルディージャ|date=2022-08-04|accessdate=2023-01-12}}</ref>。相馬は高い運動量や強度、素早く攻守を切り替えて戦う姿勢を重視した<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20220615-OHT1T51156.html?page=1|title=J2大宮・相馬監督「遊びじゃないんだ」「やってほしいのは切り替えだ!」 大声張り上げ熱血指導|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2023-01-12|accessdate=2023-01-12}}</ref>が、シーズン中のスタイルの大転換はシーズン途中から主将を務めたFW[[富山貴光]]がシーズン終了後に「チームとしてすごく迷いが生じました」と語る<ref name="spnavi20221111">{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/2022111000001-spnavi|title=J2で過去最低成績の大宮に何が起きていたのか? 主将・富山が語る「迷い」|publisher=スポーツナビ|date=2022-11-11|accessdate=2023-11-16}}</ref>ように、チーム状況が大きく改善することはなかった。8月にはエース[[奥抜侃志]]の海外移籍など苦境は続いたが、冨山と矢島の「前線からプレスをかける守備をやりたい」との提案でようやく方向性が定まり、最終的に残留を果たした<ref>{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/local/saitama/news/20221123-OYTNT50256/|title=大宮なんとか残留 J2・19位|newspaper=[[読売新聞]]|date=2022-11-24|accessdate=2023-11-16}}</ref>。最終順位19位でクラブ最低順位である2021・2022年の順位を下回った{{R|spnavi20221111}}。
;2023年
:* クラブスローガンは「'''UNITE ONE ~限界の先へ~'''」。
: 相馬体制2年目。クラブ創立25周年。2020年15位、2021年16位、2022年19位と、2020年から急激に弱体化していったチームは2018年度から毎年目標に定めていたJ1昇格は強調しなかった<ref name="sponichi_20230110">{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2023/01/10/kiji/20230110s00002180180000c.html|title=J2大宮 相馬監督が気合「挑戦者として失敗しながら成長を」|publisher=Sponichi Annex|date=2023-01-09|accessdate=2023-01-11}}</ref>。クラブスローガンには「クラブが勝利するにはまず全員が団結することが必要であり、最後の一分一秒まで戦い続け、全力を出していく」という趣旨が込められている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=40028|title=2023シーズントップチーム体制ならびにスローガンについて|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-09|accessdate=2023-01-11}}</ref>。
: スタッフ面では2019年度までヘッドコーチを担当していた[[原崎政人]]がヘッドコーチに再任。前年度まで問題のあった守備面補強に注力し、[[山岸範之]]がGKコーチに就任。選手面では[[ロドリゴ・ルイス・アンジェロッティ|アンジェロッティ]]が柏から期限付き移籍で加入、2年ぶりに外国籍選手が所属することとなった。
: 相馬はチーム始動開始に際し「我々はチャレンジャー。失敗しながら成長していきたい。ハードワークは必要になってくる。運動量で上回れるようになりたい」と力を込め、気合を語った{{R|sponichi_20230110}}。キャンプでは初日に「チャレンジャーとして今シーズンを戦っていくチームの土台をしっかりと作り上げる」と、念入りな準備に注力した趣旨の内容を宣言し<ref name="camp_2023">{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=40077|title=2023沖縄キャンプレポート 1月18日(水)|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-19|accessdate=2023-01-22}}</ref>、例年よりも強度の高いハードなトレーニングに取り組んだという{{R|camp_2023}}<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=40080|title=2023沖縄キャンプレポート 1月19日(木)|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-20|accessdate=2023-01-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=2023沖縄キャンプレポート 1月20日(金)|url=https://www.ardija.co.jp/news/?id=40081|publisher=大宮アルディージャ|date=2023-01-22|accessdate=2023-01-22}}</ref>。開幕後はチームは攻撃的なサッカーを志向し、得点力はあったが守備が崩壊する事が多く、失点が上回る状況となっていた。第9節[[ザスパクサツ群馬|群馬]]戦で敗れて以降は8試合連続未勝利となり、第16節[[いわきFC|いわき]]戦に敗戦した事で最下位に転落、いわき戦の2日後となる5月19日に相馬の監督解任と原崎の監督就任が発表された。監督の年度途中解任は3年連続となった。しかしその後も状況は好転せず16試合連続未勝利となったが、7月には2017年まで大宮の監督であった[[渋谷洋樹]]がヘッドコーチに就任し、2021年まで大宮所属であった[[黒川淳史]]や[[サッカーポーランド代表|ポーランド代表]]の[[ヤクブ・シュヴィルツォク|シュヴィルツォク]]らを補強し巻き返しを図った。
: 第24節[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦でリーグ戦久々の勝利を挙げる。8月27日に強化部長を務める秋元利幸との契約解除が発表された。千葉戦での勝利以降は、連敗こそあるものの第26節栃木戦からの5戦負けなしや第36節[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦からの4連勝など調子が上向いたに見えたが、第40節[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦と第41節[[清水エスパルス|清水]]戦で連敗したことで[[J3リーグ|J3]]降格圏となる21位が確定した。最終戦終了時点ではJ3リーグでJ2ライセンスを交付されなかった[[FC大阪]]がJ3の2位以内に入ることでのみ残留する事になったものの<ref>{{Cite news|url=https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=452809|title=クラブ史上最低のJ2・21位確定、凋落の大宮に残されたJ2残留の唯一の道はFC大阪に託されることに|newspaper=超ワールドサッカー!|date=2023-11-05|accessdate=2023-11-05}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/jleague-j3-md35-sagamihara-fcosaka-20231112/blt46c5c329a48d2e5e|title=FC大阪が相模原に5失点大敗で大宮のJ2残留が遠のく…J3残3試合で2位と勝ち点差6|newspaper=Goal.com|date=2023-11-12|accessdate=2023-11-12}}</ref>、11月25日、J3リーグ第37節でFC大阪が敗れ2位以内に入る可能性が消滅、同時にクラブ史上初のJ3降格が決まった。J1在籍歴のあるクラブがJ3降格するのは、2015年の大分、2021年の松本に次ぐ3例目となった。
== 成績 ==
{{main|大宮アルディージャの年度別成績一覧}}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #003F77; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan="4"|記録<br/>(入場者数の上段は水増し発覚後である2010年J1第25節以降の数値で、下段は水増し発覚前である2010年J1第24節以前の数値。)
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|項目||数字||時期||詳細
|-
|J1リーグ戦<br/>クラブ最高・最低最終順位||最高:5位<br/>最低:18位||最高:2016年<br/>最低:2017年||
|-
|J2リーグ戦<br/>クラブ最高・最低最終順位||最高:1位<br/>最低:21位||最高:2015年<br/>最低:2023年||
|-
|最多連勝||13連勝||2004年 J2 第32-44節||
|-
|最長無敗期間||21試合||2012年 J1 第24節-2013年 J1 第10節(引分8試合)<ref group="注">J1 1位記録。なお、この間に天皇杯で柏レイソル、ナビスコ杯でジュビロ磐田とヴァンフォーレ甲府に敗れている</ref>||
|-
|最多連敗||8連敗||2013年 J1 第16-23節、第25-32節||
|-
|最長未勝利期間||10試合||2003年 J2 第8-17節(引分4試合)||
|-
|最多得点試合||6得点||2019年 J2 第22節||[[鹿児島ユナイテッドFC]]、6-0、NACK5スタジアム大宮
|-
|rowspan="3"|最多失点試合||rowspan="3"|6失点||2000年 J2 第14節||[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]、0-6、大宮公園サッカー場
|-
|2003年 J2 第21節||[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、2-6、札幌ドーム
|-
|2017年 J1 第8節||[[ガンバ大阪]]、0-6、市立吹田サッカースタジアム
|-
|rowspan="2"|最多入場者数||29,575人||2010年 J1 第25節||浦和レッズ、埼玉スタジアム2002
|-
|bgcolor="#CCCCCC"|42,346人||bgcolor="#CCCCCC"|2009年 J1 第29節||bgcolor="#CCCCCC"|[[川崎フロンターレ]]、埼玉スタジアム2002
|-
|rowspan="2"|最少入場者数||5,627人||2011年 J1 第18節||[[ヴィッセル神戸]]、NACK5スタジアム大宮
|-
|bgcolor="#CCCCCC"|844人||bgcolor="#CCCCCC"|2000年 J2 第35節||bgcolor="#CCCCCC"|[[モンテディオ山形]]、大宮公園サッカー場
|}
== タイトル ==
=== クラブ ===
* '''[[J2リーグ]]:1回'''
** [[2015年のJ2リーグ|2015]]
* '''[[さいたまシティカップ]]:2回'''
** 2010, 2011
* '''[[関東ユース (U-15)サッカーリーグ]]:2回'''(アカデミー)
** 2010, 2012
=== 個人 ===
* '''[[J1リーグ]]'''
** '''[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]]'''
*** [[ズラタン・リュビヤンキッチ|ズラタン]](2013年4月)
* '''J2リーグ'''
** '''得点王'''
*** [[大前元紀]]
** '''月間優秀監督賞'''
*** [[高木琢也]](2019年4月)
** '''月間MVP'''
*** [[家長昭博]](2015年6・7月)
*** 大前元紀(2018年6月)
** '''月間ベストゴール'''
*** [[大山啓輔]]
== 施設 ==
[[ファイル:Kumagayasogo1.JPG|thumb|240px|熊谷スポーツ文化公園陸上競技場]]
[[File:Akiba Forest General Park Soccer Field 2.jpg|thumb|240px|秋葉の森総合公園サッカー場]]
ホームスタジアムは、[[さいたま市]][[大宮区]][[高鼻町]]の[[大宮公園]]内にある[[さいたま市大宮公園サッカー場|NACK5スタジアム大宮(さいたま市大宮公園サッカー場)]]{{R|jleague}}<ref name="stadium">{{Cite web|和書|url=https://www.ardija.co.jp/ticket/stadium/|title=スタジアム|publisher=大宮アルディージャ|accessdate=2022-01-19}}</ref>で、[[熊谷スポーツ文化公園陸上競技場]]でもホームゲームが開催される<ref name="stadium" />。練習場はさいたま市西大宮サッカー場(さいたま市[[西区 (さいたま市)|西区]][[西大宮]]の高木第二最終処分場跡地をさいたま市が整備して開設<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.saitama.jp/006/007/002/015/005/p008536_d/fil/shiryou11040101.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220118223759/https://www.city.saitama.jp/006/007/002/015/005/p008536_d/fil/shiryou11040101.pdf|title=アルディージャ練習場の整備について|publisher=さいたま市スポーツ企画課|date=2009-11-04|archivedate=2022-01-18|accessdate=2023-12-29}}</ref>)を「[[アルディージャ練習場]]」として使用しており、敷地内にクラブハウスである「オレンジキューブ」を設けている{{R|jleague}}<ref name="clubhouse">{{Cite web|和書|url=https://www.ardija.co.jp/club/clubhouse/|title=クラブハウス・練習場|publisher=大宮アルディージャ|accessdate=2023-12-29}}</ref>。2004年3月からは[[秋葉の森総合公園サッカー場]](さいたま市西区[[中釘]])も使用しており、2012年以前にはNTT東日本志木総合グラウンド([[志木市]][[上宗岡]])も使用していたことがあった{{R|clubhouse}}。
大宮アルディージャが運営するクラブ公式[[フットサル]]コートである「オレンジコート ステラタウン」をさいたま市[[北区 (さいたま市)|北区]][[宮原町 (さいたま市)|宮原町]]の[[ステラタウン]]内に保有しており、ロングパイル[[人工芝]]のコートが2面ある(アルディコート、ミーヤコート)。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #003F77; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan="8"|年度・スタジアム別ホーム試合
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|rowspan="2"|年度||colspan="5"|リーグ||rowspan="2"|Jリーグ杯||rowspan="2"|備考
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|大宮/<br/>NACK||[[さいたま市駒場スタジアム|{{font|駒場/<br/>浦和駒場|color=#FFFFFF}}]]||[[埼玉スタジアム2002|{{font|埼スタ|color=#FFFFFF}}]]||熊谷陸||その他
|-
|2001||21||0||0||rowspan="3"|-||[[鴻巣市立陸上競技場|鴻巣]] 1||大宮 1||
|-
|2002||rowspan="2"|20||1||1||rowspan="22"|なし||rowspan="3"|不参加||
|-
|2003||rowspan="2"|0||rowspan="2"|2||
|-
|2004||19||1||J1昇格
|-
|2005||5||2||8||3||大宮 1<br/>埼スタ 2<br/>駒場 1<br/>熊谷陸 1||大宮は当時J1規格外であったため試合数を制限し、<br/>埼スタを事実上準本拠地とした。
|-
|2006||-||10||5||2||rowspan="2"|駒場 3||大宮改修のため駒場が暫定本拠地。
|-
|2007||2||13||2||rowspan="13"|1||10月まで駒場を暫定本拠とし、11月よりNACKに本拠復帰した。
|-
|2008||16||rowspan="2"|0||0||NACK 2<br/>熊谷陸 1||
|-
|2009||13||3||rowspan="2"|NACK 3||
|-
|2010||15||rowspan="2"|-||1||
|-
|2011||rowspan="4"|16||rowspan="13"|0||NACK 1||
|-
|2012||rowspan="12"|0||rowspan="3"|NACK 3||
|-
|2013||
|-
|2014||J2降格
|-
|2015||20||不参加||J1昇格
|-
|2016||rowspan="2"|16||NACK 4||当初Jリーグ杯グループリーグはNACKで5試合を行う予定だったが、<br/>FC東京のACL本戦出場のために1試合減少した。
|-
|2017||NACK 3||J2降格
|-
|2018||rowspan="2"|20||rowspan="6"|不参加||
|-
|2019||
|-
|2020||rowspan="4"|21||rowspan="4"|0||
|-
|2021||
|-
|2022||
|-
|2023||J3降格
|}
== ユニフォーム ==
{{ユニフォームの色2
| F正シャツ=オレンジ|F正パンツ=ネイビー|F正ストッキング=ネイビー
| F副シャツ=ホワイト|F副パンツ=ホワイト|F副ストッキング=ホワイト
| G正シャツ=サックスブルー|G正パンツ=サックスブルー|G正ストッキング=サックスブルー
| G副シャツ=イエロー|G副パンツ=イエロー|G副ストッキング=イエロー
| G第3シャツ=ネイビー|G第3パンツ=ネイビー|G第3ストッキング=ネイビー
| pattern_la1 = _Omiya Ardija 2023 HOME FP
| pattern_b1 = _Omiya Ardija 2023 HOME FP
| pattern_ra1 = _Omiya Ardija 2023 HOME FP
| pattern_sh1 = _Omiya Ardija 2023 HOME FP
| pattern_so1 = _Omiya Ardija 2022 HOME FP
| leftarm1 = F45C08| body1 = F45C08| rightarm1 = F45C08| shorts1 = 0D0D31| socks1 = 0D0D31
| pattern_la2 = _Omiya Ardija 2023 AWAY FP
| pattern_b2 = _Omiya Ardija 2023 AWAY FP
| pattern_ra2 = _Omiya Ardija 2023 AWAY FP
| pattern_sh2 = _Omiya Ardija 2023 AWAY FP
| pattern_so2 = _Omiya Ardija 2022 AWAY FP
| leftarm2 = FFFFFF| body2 = FFFFFF| rightarm2 = FFFFFF| shorts2 = 0D0D31| socks2 = FFFFFF
| pattern_la3=
| pattern_b3=
| pattern_ra3=
| pattern_sh3=
| pattern_so3=
| leftarm3= 42a7f5| body3= 42a7f5| rightarm3= 42a7f5| shorts3= 42a7f5| socks3= 42a7f5
| pattern_la4=
| pattern_b4=
| pattern_ra4=
| pattern_sh4=
| pattern_so4=
| leftarm4= f5ef42| body4= f5ef42| rightarm4= f5ef42| shorts4= f5ef42| socks4= f5ef42
| pattern_la5=
| pattern_b5=
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| pattern_sh5= _Omiya Ardija 2023 HOME FP
| pattern_so5= _Omiya Ardija 2022 HOME FP
| leftarm5= 121c47| body5= 121c47| rightarm5= 121c47| shorts5= 121c47| socks5= 121c47
}}
=== ユニフォームスポンサー ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #003F77; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考
|-
!胸
|[[NTTドコモ]]||{{smaller|NTT}}<br/>docomo||2007年 - ||2000年 - 2006年は背中上部<br/>2006年9月 - 2007年はパンツ前面<br/>表記変遷は[[大宮アルディージャ#歴代ユニフォームスポンサー表記|後述]]を参照
|-
!鎖骨
|[[武蔵野銀行]]||武蔵野銀行||2018年 - ||両側に掲出<br/>2012年 - 2016年はパンツ前面<br/>2016年7月 - 2017年は背中下部<br/>2018年は鎖骨左側
|-
!背中上部
|[[東日本電信電話]]||NTT東日本||2007年 - ||1999年7月 - 2006年は胸<br/>2004年 - 2006年は「[[フレッツ|FLET'S]]」表記<br/>2007年 - 2014年は「[[フレッツ|FLET'S 光]]」表記
|-
!背中下部
|[[しまむら]]||しまむら||2018年 - ||2017年はパンツ前面
|-
!袖
|[[富士薬品]]||富士薬品||2005年 - ||
|-
!パンツ前面
|[[武蔵コーポレーション]]||武蔵コーポレーション||2020年 - ||
|-
!パンツ背面
|[[インバースネット]]||FRONTIER||2022年 - ||
|}
=== ユニフォームサプライヤーの遍歴 ===
* 1999年 - 2006年:[[ミズノ]]
* 2007年 - 2008年:[[ロット (企業)|ロット]]
* 2009年 - 現在:[[アンダーアーマー]]
=== 歴代ユニフォーム ===
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:3px solid #191970; font-size:smaller; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|colspan=5|FP 1st
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2000 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|1999 - 2000}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2001 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2001}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2002 - 2003 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2002 - 2003}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2004 - 2005 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2004 - 2005}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2006 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2006}}}}
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2007}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2008 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2008 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2008 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2007 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2008}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2009 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2009}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2010 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2010}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2011 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2011 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2011 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2011 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2011}}}}
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2012 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2012}}}}
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|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2014 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2014}}}}
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|-
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|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2022}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2023 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FF8000|socks=FF8000|title={{Center|2023 - }}}}
|-
||||||||||
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:3px solid #191970; font-size:smaller; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|colspan=5|FP 2nd
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|pattern_b=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|pattern_so=_Omiya Ardija 1999 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|1999 - 2000}}}}
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|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2007 AWAY FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2007 AWAY FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2007 AWAY FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2007 AWAY FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2007 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2007}}}}
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|-
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|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_ardija15a|pattern_b=_ardija15a|pattern_ra=_ardija15a|pattern_sh=_Omiya Ardija 2015 AWAY FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2015 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2015}}}}
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|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya17a|pattern_b=_omiya17A|pattern_ra=_omiya17a|pattern_sh=_omiya17a|pattern_so=_Omiya Ardija 2015 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2017}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya18a|pattern_b=_omiya18a|pattern_ra=_omiya18a|pattern_sh=_omiya18a|pattern_so=_omiya18a|leftarm=000040|body=000040|rightarm=000040|shorts=000040|socks=000040|title={{Center|2018 }}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya19a|pattern_b=_omiya19a|pattern_ra=_omiya19a|pattern_sh=_omiya19a|pattern_so=_Omiya Ardija 2019 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=|socks=|title={{Center|2019}}}}
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|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2021 AWAY FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2021 AWAY FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2021 AWAY FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2021 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2021 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2021}}}}
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2022 AWAY FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2022 AWAY FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2022 AWAY FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2022 HOME FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2022 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2022}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2023 AWAY FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2023 AWAY FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2023 AWAY FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2023 AWAY FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2022 AWAY FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2023 - }}}}
|-
||||||||||
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:3px solid #191970; font-size:smaller; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|colspan=3|FP Other
|-
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_omiya18t|pattern_b=_omiya18t|pattern_ra=_omiya18t|pattern_sh=_omiya18t|pattern_so=_Omiya Ardija 2019 AWAY FP|leftarm=fff|body=fff|rightarm=fff|shorts=|socks=|title={{Center|2018 3rd}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|pattern_b=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|pattern_ra=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|pattern_sh=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|pattern_so=_Omiya Ardija 2018 SPECIAL FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=000040|socks=fc6000|title={{Center|2018<br/>創立20周年記念}}}}
|{{Football kit|filetype=png|pattern_la= _Omiya Ardija 2023 SP FP|pattern_b= _Omiya Ardija 2023 SP FP|pattern_ra= _Omiya Ardija 2023 SP FP|pattern_sh= _Omiya Ardija 2023 SP FP|pattern_so= _Omiya Ardija 2023 SP FP|leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=000040|socks=fc6000|title={{Center|2023<br/>創立25周年記念}}}}
|-
||||||
|}
=== 歴代ユニフォームスポンサー表記 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #003F77; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|rowspan="2"|年度||colspan="8"|箇所||rowspan="2"|サプライヤー
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面
|-
|1998||[[日本電信電話|NTT]]||colspan="2" rowspan="20"|解禁前||rowspan="2"|-||rowspan="18"|解禁前||rowspan="2"|-||rowspan="4"|-||rowspan="22"|解禁前||rowspan="9"|[[ミズノ|Mizuno]]
|-
|1999||[[日本電信電話|NTT]] / <br/>[[東日本電信電話|NTT東日本]]<ref group="注">1999年7月1日を持って持株会社移行。それに伴い7月以降の試合はNTTのロゴをNTT東日本に変更している。</ref>
|-
|2000||rowspan="4"|[[東日本電信電話|NTT東日本]]||rowspan="5"|[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}DoCoMo]]||[[三国コカ・コーラボトリング|{{smaller|Enjoy}}<br/>Coca-Cola]]
|-
|2001||[[ブロードメディア|Club iT]]
|-
|2002||rowspan="3"|-||rowspan="2"|[[NTTファイナンス|NTTオートリース]]
|-
|2003
|-
|2004||rowspan="3"|[[フレッツ|FLET'S]]||-
|-
|2005||rowspan="2"|[[FOMA|{{bigger|FOMA}}<br/>{{smaller|NTT}}DoCoMo]]||[[富士薬品]]||[[アイダ設計|アイダ<br/>設計]]
|-
|2006||rowspan="18"|[[富士薬品|富<br/>士<br/>薬<br/>品]]||- / <br/>[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>DoCoMo]]
|-
|2007||[[dカード|{{bigger|DCMX}}<br/>{{smaller|NTT}}DoCoMo]]||rowspan="8"|[[フレッツ|FLET'S 光]]||[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>DoCoMo]]||rowspan="2"|[[ロット (企業)|lotto]]
|-
|2008||[[dカード|{{bigger|DCMX}}<br/>{{smaller|NTT}}DoCoMo]] / <br/>[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>docomo]]||[[NTTコミュニケーションズ|NTTCommunications]]
|-
|2009||rowspan="3"|[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>docomo]]||rowspan="2"|[[ぷらら|ひかりTV]]||rowspan="15"|[[アンダーアーマー|UNDER ARMOUR]]
|-
|2010
|-
|2011||-
|-
|2012||[[NTTドコモ|{{smaller|With Gratitude NTT}}<br/>20th docomo]]||rowspan="5"|[[武蔵野銀行]]
|-
|2013||rowspan="3"|[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>docomo]]
|-
|2014
|-
|2015||rowspan="9"|[[東日本電信電話|NTT東日本]]
|-
|2016||[[NTTドコモ#インターネットサービスプロバイダ及び公衆無線LAN事業|ドコモ 光]]||- / <br/>[[武蔵野銀行]]
|-
|2017||[[dポイントクラブ#dポイント|d<br/>{{smaller|d POINT}}]]||[[武蔵野銀行]]||[[しまむら]]
|-
|2018||[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>docomo]]<br/>(FP 1st)<br/>[[dポイントクラブ#dポイント|d {{smaller|d POINT}}]]<br/>(FP 2nd / 3rd・GK)||[[武蔵野銀行]]||-||rowspan="6"|[[しまむら]]||rowspan="2"|-
|-
|2019||[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>docomo]]<br/>(1st・GK 2nd( - 途中))<br/>[[dポイントクラブ#dポイント|d {{smaller|d POINT}}]]<br/>(FP 2nd・GK 2nd(途中 - )/ 3rd)||colspan="2" rowspan="5"|[[武蔵野銀行]]
|-
|2020||rowspan="2"|[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>docomo »5G]]||rowspan="4"|[[武蔵コーポレーション]]||rowspan="2"|-
|-
|2021
|-
|2022||rowspan="2"|[[NTTドコモ|{{smaller|NTT}}<br/>docomo]]||rowspan="2"|[[インバースネット|FRONTIER]]
|-
|2023
|}
*2018年は鎖骨右側にクラブ創設20周年の記念ロゴが表記されていた。
== 決算 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #003F77; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan="28"|損益<!--「-」は損失。金額の単位は百万円で2005-2010年度人件費は事業費に含まれる。--><ref name="club_mgmt">{{Cite web|和書|url=https://aboutj.jleague.jp/corporate/management/club/|title=クラブ個別経営情報 - 経営情報|publisher=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2023-01-15}}</ref>
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|rowspan="2"|年度||colspan="7"|営業収益||colspan="10"|営業費用||colspan="3"|営業利益||colspan="3"|経常利益||rowspan="2"|未処分<br/>利益||rowspan="2"|税引前<br/>利益||rowspan="2"|法人税<br/>住民税等||rowspan="2"|純利益
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|総営業<br/>収益||広告料||入場料||配分金||育成<br/>関連||物販||その他||総営業<br/>費用||事業費||人件費||試合<br/>関連経費||トップ<br/>運営経費||育成<br/>運営経費||女子<br/>運営経費||物販<br/>関連費||販売費||一般<br/>管理費||総営業<br/>利益||営業外<br/>収益||営業外<br/>費用||総経常<br/>利益||特別<br/>利益||特別<br/>損失
|-
|2005||2,242||1,359||311||256||rowspan="6"| ||rowspan="11"| ||316||2,232||1,648||||colspan="4" rowspan="6"| ||rowspan="11"| ||rowspan="6"| |||584||10||colspan="2" rowspan="6"| ||9||colspan="2" rowspan="6"| ||-188||colspan="2" rowspan="7"| ||2
|-
|2006||2,376||1,470||254||231||421||2,518||2,041||1,246||477||-142||141||rowspan="16"| ||-146
|-
|2007||2,842||1,960||305||248||329||2,840||2,403||1,384||437||2||0||8
|-
|2008||3,059||2,165||324||228||342||3,046||2,591||1,565||455||13||1||-2
|-
|2009||3,553||2,396||379||rowspan="2"|220||558||3,546||3,090||1,954||456||7||6||0
|-
|2010||3,308||2,286||375||427||3,290||2,802||1,850||488||18||0||-1
|-
|2011||2,775||1,924||325||218||150||158||2,770||rowspan="11"| ||1,314||313||354||61||rowspan="10"|0||colspan="2"|728||5||2||6||rowspan="3"|1||colspan="2" rowspan="11"|0||1
|-
|2012||3,344||2,172||329||208||143||492||3,348||1,787||288||387||59||colspan="2"|827||-4||12||7||colspan="2" rowspan="2"|1||rowspan="10"|0
|-
|2013||3,228||2,296||341||214||142||235||3,226||1,606||226||472||68||colspan="2"|854||2||9||10
|-
|2014||3,422||2,405||347||205||164||301||3,423||1,720||207||561||67||colspan="2"|868||-1||20||8||11||colspan="2"|11
|-
|2015||3,005||2,183||315||100||157||250||3,003||1,360||204||496||63||colspan="2"|880||2||12||14||rowspan="2"|0||0||-1
|-
|2016||3,203||2,077||398||216||174||165||173||3,194||1,411||229||487||73||142||colspan="2"|852||9||3||12||colspan="2"|0
|-
|2017||3,685||2,296||397||445||189||138||220||3,675||1,792||252||548||80||99||colspan="2"|904||10||2||8||4||colspan="2"|4
|-
|2018||3,972||2,611||339||282||189||156||395||3,965||1,915||271||682||78||107||colspan="2"|912||7||1||8||rowspan="2"|0||colspan="2" rowspan="2"|0
|-
|2019||3,454||2,464||332||151||215||129||163||3,458||1,547||272||625||78||96||colspan="2"|840||-4||15||11
|-
|2020||3,034||2,452||96||152||162||85||87||3,046||1,300||254||315||87||98||colspan="2"|992||-12||20||8||rowspan="2"|0||colspan="2" rowspan="2"|0
|-
|2021||3,115||2,281||200||161||225||125||123||3,082||1,354||181||309||100||50||136||colspan="2"|952||33||19||52
|}
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{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #003F77; box-shadow:4px 4px 4px #ED6D00;"
|- style="background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan="11"|資産<!--金額の単位は百万円。-->{{R|club_mgmt}}
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|rowspan="2"|年度||colspan="3"|資産||colspan="3"|負債||colspan="4"|資本
|- style="text-align:center; background-color:#ED6D00; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|総資産||流動資産||固定資産||総負債||流動負債||固定負債||純資産||資本金||資本剰余金||利益剰余金
|-
|2005||753||colspan="2" rowspan="6"| || 602||colspan="2" rowspan="6"| ||151||rowspan="17"|100||rowspan="6"| ||
|-
|2006||612||608||4||335
|-
|2007||1,044||1,031||12||327
|-
|2008||1,015||1,004||rowspan="2"|11||328
|-
|2009||661||650||rowspan="2"|329
|-
|2010||441||430||rowspan="2"|10
|-
|2011||976||409||567||966||920||46||rowspan="11"|240||-330
|-
|2012||1,505||414||1,091||1,494||853||641||rowspan="3"|11||rowspan="10"|-329
|-
|2013||1,236||324||912||1,225||587||638
|-
|2014||1,155||383||772||1,145||494||rowspan="2"|651
|-
|2015||1,184||431||753||1,174||523||10
|-
|2016||1,310||412||898||1,299||645||654||rowspan="6"|11
|-
|2017||1,670||642||1,028||1,659||981||678
|-
|2018||2,722||1,862||860||2,711||2,031||680
|-
|2019||1,512||701||811||1,501||827||674
|-
|2020||1,351||590||761||1,340||667||rowspan="2"|673
|-
|2021||1,144||547||596||1,133||460
|}
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}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[大宮アルディージャの選手一覧]]
* [[大宮アルディージャVENTUS]]
* [[Ole! アルディージャ]]([[テレビ埼玉]])
* [[ARDIJA HOT LINE]]([[NACK5]])
* [[さいたまシティカップ]]
* [[さいたまダービー]]
* [[ロアッソ熊本]](旧・[[日本電信電話公社熊本サッカー部]])
* [[ベンターナAC]](旧・NTT四国サッカー部)
== 外部リンク ==
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4,855 | 徳川家康 | 徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名。江戸幕府初代将軍。三英傑の1人である。
家系は三河国の国人土豪・松平氏の内、安祥松平家5代当主。幼名は竹千代。諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)、次いで元康(もとやす)と名乗るが、今川氏から独立した際に家康と名乗る。仮名 (通称)は当初次郎三郎、元康と名を改めた際に蔵人佐と改めている。
近衛家に系図作成を依頼し、勅許の上、永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は源氏や藤原氏を称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるが、天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の祖である。
幼少期を織田氏ついで今川氏の下で人質として過ごす。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いでの今川義元の討死を機に今川氏から独立して織田信長と同盟を結び、三河国・遠江国に版図を広げる。
信長が天正10年(1582年)に本能寺の変において死亡すると天正壬午の乱を制して甲斐国・信濃国を手中に収める。
信長没後に勢力を伸張した豊臣秀吉と小牧・長久手の戦いで対峙するが、後に秀吉に臣従。小田原征伐後は後北条氏の旧領関東への転封を命ぜられ豊臣政権下で最大の領地を得る。秀吉晩年には五大老に列せられ大老筆頭となる。
秀吉没後の慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いにおいて西軍に勝利。慶長8年(1603年)に征夷大将軍に任命され武蔵国江戸に幕府を開く。慶長20年(1615年)の大坂の陣で豊臣氏を滅亡させ、日本全国を支配する体制を確立。安土桃山時代が終結した。
没後は東照大権現の神号を贈られるなど神格化され、江戸幕府の祖として「神祖」・「烈祖」などとも称されるなど、江戸時代を通じて崇拝された。
家康がその礎を築いた江戸幕府を中心とする統治体制は、後に幕藩体制と称される。
※ 日付は、太陰暦による和暦。西暦の暦法は便宜上、ユリウス暦とする。
天文11年(1542年)12月26日、岡崎城主松平広忠の嫡男として岡崎城において生まれる。生母は緒川城主水野忠政の娘・大子(伝通院)。幼名は竹千代(たけちよ)。胞刀の役は酒井政家、蟇目の役は石川清兼が務めた。
3歳のころ、水野忠政没後に水野氏当主となった水野信元(大子の兄)が尾張国の織田氏と同盟する。織田氏と敵対する駿河国の今川氏に庇護されている広忠は大子を離縁。竹千代は3歳にして母と生き別れになる。
天文16年(1547年)8月2日、竹千代は数え6歳で今川氏への人質として駿府へ送られることとなる。しかし、駿府への護送の途中に立ち寄った田原城で義母の父・戸田康光の裏切りにより、尾張国の織田信秀へ送られた。だが広忠は今川氏への従属を貫いたため、竹千代はそのまま人質として2年間尾張国熱田の加藤順盛の屋敷に留め置かれた。このとき織田信長と知り合ったという伝説があるが、史料にはない。また、近年の研究では、天文16年9月に岡崎城が織田氏によって攻略されたとする文書(「本成寺文書」『古証文』)の存在が指摘され、松平広忠が織田氏への降伏の証として竹千代を人質に差し出した可能性も浮上している。
2年後に広忠が死去する。今川義元は織田信秀の庶長子・織田信広との人質交換によって竹千代を取り戻す。しかし竹千代は駿府に移され、岡崎城は今川氏から派遣された城代(朝比奈泰能や山田景隆など)により支配された。墓参りのためと称して岡崎城に帰参した際には、本丸には今川氏の城代が置かれていたため入れず、二の丸に入った。
なお、安城松平家の家督は、広忠が亡くなった時点で竹千代が継承していたと考えられている。そのことが今川家中において、既に領主となっていた竹千代に対する人質として扱いが領主の子に対する通常の人質の例とは異なった理由として考えられる。
天文24年(1555年)3月、14歳のとき、駿府の今川義元の下で元服し、次郎三郎元信と名乗った。義元の偏諱「元」の字を与えられており、これは改めて今川氏の配下になったことを意味した。
弘治3年(1557年)もしくは2年(1556年)、今川義元の姪とされる関口親永の娘(築山殿)を娶る。これにより、今川一門に準じる立場となった。
弘治4年(1558年)頃に、祖父・松平清康の名の一字をとり、元康と改め、仮名も蔵人佐と改めている。
なお、松平元康(徳川家康)の今川氏との関係については吉良氏との関係を考慮する必要があるとする指摘もある。吉良氏は三河国幡豆郡を根拠とした足利氏御一家の一つで、今川氏の宗家筋であった。吉良氏は守護ではないものの、三河の国主に准じられて国内の国衆にも影響を与え、松平信忠は吉良義信、松平清康は吉良持清、松平広忠は吉良持広の偏諱を得たと推定されている。今川義元は吉良氏に代わって安祥松平氏当主に対して自らの偏諱を与えるとともに自らの一門に組み込むことによって吉良氏の三河国主としての地位を間接的に否定するとともに、今川氏の三河支配の安定化を実質上の三河最大の勢力である松平氏を介して図ったと考えられる。
当時、三河国では国衆の間で大規模な反乱が起きており(三河忩劇)、永禄元年(1558年)2月5日には今川氏から織田氏に通じた加茂郡寺部城主・鈴木重辰を攻めた。これが初陣であり、城下を焼いて引き揚げ、転じて附近の広瀬・挙母・梅坪・伊保を攻めた(寺部城の戦い)。この戦功により、義元は旧領のうち山中300貫文の地を返付し、腰刀を贈った。永禄2年(1559年)に駿府の元康は7か条からなる定書を岡崎にいる家臣団との間で交わしている。これは、将来的に今川氏直臣の岡崎城主となるであろう元康と今川氏による間接統治下で希薄化した家臣団との間の主従関係を再確認する性格を持っていた。
永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いで先鋒を任され、大高城の鵜殿長照が城中の兵糧が足りないことを義元に訴えたため、義元から兵糧の補給を命じられた。しかし織田軍は大高城を包囲しており、兵糧を運び込むには包囲を突破する必要があった。そこで5月18日、鷲津砦と丸根砦の間を突破して、小荷駄を城中に送り込み、全軍無事に引上げた。5月19日、丸根の砦を攻め落とし、朝比奈泰朝は鷲津の砦を攻め落とした。
5月19日昼頃、今川義元は織田信長に討たれた。織田方の武将の水野信元は、甥の元康のもとへ、浅井道忠を使者として遣わした。同日夕方、道忠は、元康が守っていた大高城に到着し、義元戦死の報を伝えた。織田勢が来襲する前に退却するようとの勧めに対し、元康はいったん物見を出して桶狭間敗戦を確認した。同日夜半に退城。岡崎城内には今川の残兵がいたため、これを避けて翌20日、菩提寺の大樹寺に入った。ほどなくして今川軍は岡崎城を退去。23日、元康は「捨城ならば拾はん」と言って岡崎城に入城した。岡崎城に入る際、大樹寺住職の登誉天室と相談の上、独自の軍事行動をとり、今川からの独立を果たそうとしたとされる。また桶狭間の戦いの直後から、元康は今川・織田両氏に対して軍事行動を行う両面作戦を行ったとする説もある。さらに近年の新説として、桶狭間での勝利に乗じた織田軍の三河侵攻を警戒した今川氏真がこれに備えるために元康の岡崎城帰還を許したとする説も出されている。
永禄4年(1561年)2月、元康は将軍・足利義輝に嵐鹿毛とよばれる駿馬を献上して室町幕府との直接的な関係を築くことで、独立した領主として幕府の承認を取り付けようとしている。4月、元康は東三河における今川方の拠点であった牛久保城を攻撃、今川氏からの自立の意思を明確にした。
折しも今川氏の盟友であった武田信玄、北条氏康は、関東管領・上杉憲政を奉じた長尾景虎(上杉謙信)の関東出兵(小田原城の戦い)への対応に追われており、武田・北条からの援軍は来ないという判断があったとされる。また、桶狭間の戦い直後は三河の今川方をまとめて織田方の侵攻と対峙していた元康が三河への軍事的支援を後回しにして同盟国の武田・北条支援に動く氏真に失望して、援軍を得られないまま織田氏に抵抗を続けるよりも織田氏と結んで独立を図った方が領国維持の上で得策と判断したとする見方もある。この事態は義元の後を継いだ今川氏真には痛恨の事態であり、後々まで「松平蔵人逆心」「三州錯乱」などと記して憤りを見せている。その後も元康は藤波畷の戦いなどに勝利して、西三河の諸城を攻略する。
永禄4年(1561年)先に今川氏を見限り織田氏と同盟を結んだ伯父・水野信元の仲介もあって、信長と和睦し、今川氏と断交して信長と同盟を結んだ(清洲同盟)(『史料総覧』巻10)。同年4月西三河で今川氏との戦いが開始された。
永禄5年(1562年)には、元康と信長が会って会談し、同盟の確認をして関係を固めている。一方、今川氏真の要請を受けた将軍・足利義輝は松平・今川両氏の和睦を図り、義輝から北条氏康らに対しても和睦の仲介を指示しているが、和睦は実現しなかった。
永禄6年(1563年)には、義元からの偏諱である「元」の字を返上して元康から家康と名を改めた。「家」を選んだ理由は明確ではない。ほぼ同じ時期に今川義元に倣った花押の形を変更している。改名以前の花押が「元」の字を変形させたものである以上、花押の変更は当然のことであったとも言えるが、これも今川氏からの決別を示したことと言える。こうした動きが桜井・大草の両松平家をはじめとする親今川派を刺激して、翌年の一斉蜂起につながったとする見方がある。同年3月には、同盟の証として嫡男・竹千代(信康)と信長の娘・五徳との婚約が結ばれる。
永禄7年(1564年)、今川氏真が家康討伐の意向を示すと、酒井忠尚や吉良義昭ら三河国内の反家康勢力の国衆が挙兵し、続いて三河一向一揆が勃発するも、これを鎮圧。こうして岡崎周辺の不安要素を取り払うと、対今川氏の戦略を推し進めた。東三河の戸田氏や西郷氏といった土豪を抱き込みながら、軍勢を東へ進めて鵜殿氏のような敵対勢力を排除していった。遠江国で発生した国衆の反乱(遠州忩劇)の影響で三河国への対応に遅れる今川氏との間で宝飯郡を主戦場とした攻防戦を繰り広げた後、永禄9年(1566年)までには東三河・奥三河(三河国北部)を平定し、三河国を統一した。この際に家康は、西三河衆(旗頭:石川家成(後に石川数正))・東三河衆(旗頭:酒井忠次)・旗本の三備の制への軍制改正を行い、旗本には旗本先手役を新たに置いた。
永禄9年(1566年)、家康は朝廷から藤原氏として従五位下三河守に叙任され、その直前、あるいは同時に苗字を「徳川」に改めている。
この改姓を朝廷に願い出る際にはいくらかの工夫を要した。松平家は少なくとも清康の時代から新田氏支流世良田氏系統の清和源氏であると自称していたが、当初は正親町天皇が清和源氏の世良田氏が三河守に任官した先例がないことを理由にこの叙任を認めなかった。そこで家康は三河国出身で京誓願寺住持だった泰翁を介して近衛前久に相談した。
前久の対処により、吉田兼右が万里小路家で先例に当たる系譜文書「徳川(根元は得川)は源氏だがもう一つの流れに藤原氏になった例がある」を発見し写しが譲渡され申請に使用した。この得川の末だと藤原氏を名乗る特例ともいえる措置を得て、家康は従五位下三河守に叙任された(近衛家文書)。この先例とされたのは松平氏の祖とされる新田氏庶流の世良田三河守頼氏で、藤原氏となったのは嫡男有氏とその弟教氏で、松平清康の世良田改姓とつなげたとの説がある。この勅許に関連した改姓で当面は徳川姓を名乗るのは家康一人であり、松平氏一族や家臣団統制に役立った。この改姓に伴い家康は「本姓」を「藤原氏」としているが、後に源氏に復している(#源氏への「復姓」時期について)。
永禄10年(1567年)5月、長男の竹千代と信長の娘である徳姫を結婚させ、共に9歳の形式の夫婦とはいえ岡崎城で暮らさせる。竹千代は、7月に元服して信長より偏諱の「信」の字を与えられて信康と名乗る事になった。
永禄11年(1568年)、信長が室町幕府13代将軍・足利義輝の弟・義昭を奉じて上洛の途につくと、家康も信長への援軍として松平信一を派遣した。同年1月11日、家康は左京大夫に任命されている(『歴名土代』)。左京大夫は歴代管領の盟友的存在の有力守護大名に授けられた官職であり、これは義昭が信長を管領に任命する人事に連動した武家執奏であったとみられる。だが、信長は管領就任を辞退したことから、家康も依然として従来の「三河守」を用い続けた。
同年12月6日、甲斐国の武田信玄が今川領駿河への侵攻を開始すると(駿河侵攻)、家康は酒井忠次を取次役に遠江割譲を条件として武田氏と同盟を結び、13日、遠江国の今川領へ侵攻して曳馬城を攻め落とし、軍を退かずに遠江国で越年する。
武田氏との今川領分割に関して、徳川氏では大井川を境に東の駿河国を武田領、西の遠江国を徳川領とする協定を結んでいたとされる(『三河物語』)。しかし永禄12年(1569年)1月8日、信濃国から武田家臣・秋山虎繁(信友)による遠江国への侵攻を受け、武田氏とは手切となった。
5月に駿府城から本拠を移した今川氏真の掛川城を攻囲。籠城戦の末に開城勧告を呼びかけて氏真を降し、遠江国を支配下に置く(遠江侵攻)。氏真と和睦すると家康は北条氏康の協力を得て武田軍を退けた。以来、東海地方における織田・徳川・武田の関係は、織田と他2者は同盟関係にあるが徳川と武田は敵対関係で推移する。
元亀元年(1570年)、岡崎城から遠江国の曳馬城に移ると、ここを浜松と改名し、浜松城を築いてこれを本城とした。なお、岡崎城は長男の信康に譲った。また信長を助け、金ヶ崎の戦いに参戦したほか、朝倉義景・浅井長政の連合軍との姉川の戦いでは活躍を見せた。
家康は北条氏康・氏政父子と協調して武田領を攻撃していたが、武田信玄は氏康没後の元亀2年(1571年)末に北条氏政との甲相同盟を回復し駿河国を確保する。信長と反目した将軍・足利義昭が武田信玄、朝倉義景・浅井長政・石山本願寺ら反織田勢力を糾合して信長包囲網を企てた際、家康にも副将軍への就任を要請し協力を求めた。しかし家康はこれを黙殺し、信長との同盟関係を維持した。
元亀3年(1572年)10月には武田氏が徳川領である遠江国・三河国への侵攻(西上作戦)を開始した。これにより武田氏と織田氏は手切となった。家康は信長に援軍を要請するが、信長も包囲網への対応に苦慮しており、武田軍に美濃国岩村城を攻撃されたことから十分な援軍は送られず、徳川軍はほぼ単独という形で武田軍と戦うこととなる。
徳川軍は遠江国に侵攻してきた武田軍本隊と戦うため、天竜川を渡って見附(磐田市)にまで進出。浜松の北方を固める要衝・二俣城を取られることを避けたい徳川軍が、武田軍の動向を探るために内藤信成・本多忠勝らを偵察隊として遣わせるも武田軍と遭遇し、一言坂で敗走する(一言坂の戦い)。遠江方面の武田軍本隊と同時に武田軍別働隊が侵攻する三河方面への防備を充分に固められないばかりか、この戦いを機に徳川軍の劣勢は確定してしまう。そして12月、二俣城は落城した(二俣城の戦い)。
ようやく信長から佐久間信盛、平手汎秀率いる援軍が送られてきたころ、別働隊と合流した武田軍本隊が浜松城へ近づきつつあった。対応を迫られる徳川軍であったが、武田軍は浜松城を悠然と素通りして三河国に侵攻するかのように転進した。これを聞いた家康は、佐久間信盛らが籠城を唱えるのに反して武田軍を追撃。しかしその結果、鳥居忠広・成瀬正義や、二俣城の戦いで開城の恥辱を雪ごうとした中根正照・青木貞治といった家臣をはじめ1,000人以上の死傷者を出し、平手汎秀といった織田軍からの援将が戦死するなど、徳川・織田連合軍は惨敗した。家康は夏目吉信に代表されるように、身代わりとなった家臣に助けられて命からがら浜松城に逃げ帰ったという。(三方ヶ原の戦い)武田勢に浜松城まで追撃されたが、帰城してから家康は「空城計」を用いることによって武田軍にそれ以上の追撃を断念させたとされているが、信憑性に疑問も呈されている。
その後家康は、三方原の失敗を戒めとするため、合戦直後の自身の姿を描かせ、それが徳川家康三方ケ原戦役画像であるとするのが通説とされてきた。ただし近年上記通説に対し疑問が呈されている(詳細は「徳川家康三方ケ原戦役画像」を参照)。
浜名湖畔の堀江城攻略を断念して一旦浜名湖北岸で越年した後、三河国への進軍を再開した武田軍によって三河国設楽郡の野田城を2月には落とされ、城主・菅沼定盈が拘束された。ところがその後、武田軍は信玄の発病によって長篠城まで退き、武田信玄の死去(享年51歳)により撤兵した。
武田軍の突然の撤退は、家康に信玄死去の疑念を抱かせた。その生死を確認するため家康は武田領である駿河国の岡部に侵攻・放火し、三河国では長篠城を攻めるなどしている。そして、これら一連の行動で武田軍の抵抗がほとんどなかったことから信玄の死を確信した家康は、武田氏に与していた奥三河の豪族で山家三方衆の一角である奥平貞能・貞昌親子を調略し、再属させた。奪回した長篠城には奥平軍を配し、武田軍の再侵攻に備えさせた。
武田氏の西上作戦の頓挫により信長は反織田勢力を撃滅し、家康も勢力を回復して長篠城から奥三河を奪還し、駿河国の武田領まで脅かした。これに対して信玄の後継者である武田勝頼も攻勢に出て、天正2年(1574年)には東美濃の明智城、遠江高天神城を攻略し、家康と武田氏は攻防を繰り返した。同年、家康は犬居城を攻めるが、城主天野景貫の奇襲により敗退する。同時期、武田に内通していたとして、家臣の大岡弥四郎らを捕え、鋸挽きで処刑した。この大岡弥四郎事件については、築山殿も参画しており武田氏への内通の中心人物だったとの説も唱えられている。
信長の家康への支援は後手に回ったが、天正3年(1575年)5月の長篠の戦いでは主力を持って武田氏と戦い、武田氏は宿老層の主要家臣を数多く失う大敗を喫し、駿河領国の動揺と外交方針の転換を余儀なくさせた。一方家康は戦勝に乗じて光明・犬居・二俣といった城を奪取攻略し、殊に諏訪原城を奪取したことで高天神城の大井川沿いの補給路を封じ、武田氏への優位を築いた。
なお、家康は長篠城主の奥平信昌(信昌の諱「信」は従来は信長の「信」をこの時に拝領したものとされていたが、近年は信玄に従属した時に一字拝領を受けた説もある)の戦功に対する褒美として、名刀・大般若長光を授けて賞した。そのうえ、翌年には長女・亀姫を正室として嫁がせている。だが、このころから、信長との関係が対等ではなくなり、信長を主君とする「一門に準ずる織田政権下の一大名」の立場になる。軍事行動でもこれ以前は将軍足利義昭の要請での軍事援助という形式だったが、以後は信長臣下としての参軍となる。
天正3年(1575年)、家康は唐人五官(五官は通称か)に浜松城下の屋敷と諸役免除を認める朱印状を発行しており、懸塚湊や上流の馬込川に中国商船が来航して浜松城下にて貿易を行っていたことが知られている。五官の名は『慶長見聞録』にも登場しており、五官の名を持つ唐人はその後家康に従って江戸に移住したとみられている。天正5年(1577年)2月以降、遅くても翌年4月までに花押を改めている。家康は元服以来、永禄6年の家康改名に伴う全面的な変更(前述)を含めて度々花押の変更を行ってきたが、この時変更された花押が最晩年まで用いられることになる。
天正6年(1578年)、越後上杉氏で急死した上杉謙信の後継者を争う御館の乱が発生し、武田勝頼は北信濃に出兵し乱に介入する。謙信の養子である上杉景勝(謙信の甥)が勝頼と結んで乱を制し、同じく養子の上杉景虎(謙信の姪婿で後北条氏出身)を敗死させたことで武田・北条間の甲相同盟は破綻した。翌天正7年(1579年)9月に北条氏は家康と同盟を結ぶ。この間に家康は横須賀城などを築き、多数の付城によって高天神城への締め付けを強化した。
また同じころ、信長から正室・築山殿と嫡男・松平信康に対して武田氏への内通疑惑がかけられたとされる。家康は酒井忠次を使者として信長と談判させたが、信長からの詰問を忠次は概ね認めたために信康の切腹が通達され、家康は熟慮の末、信長との同盟関係維持を優先し、築山殿を殺害し、信康を切腹させたという。だが、この通説には疑問点も多く、より信頼性の高い史料では信長は「信康を殺せ」とは言っておらず「家康の思い通りにせよ」と言っており、近年では築山殿の殺害と信康の切腹は家康・信康父子の対立が原因とする説や、築山殿や信康は実際に武田氏に内通して家康への謀反を企んだとする説も出されている。なお家康本人は堀秀政宛に「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処、種々御懇ろ之儀、其の段お取りなし故に候。忝き意存に候。よって三郎不覚悟に付いて、去る四日岡崎を追い出し申し候。猶其の趣小栗大六・成瀬藤八(国次)申し入るべきに候。恐々謹言」としている(松平信康#信康自刃事件についての項を参照)。
岩村城の戦い以降に織田氏と武田氏は大規模な抗争をしておらず、後北条氏との対立をも抱えることにもなった勝頼は人質にしていた信長の五男・勝長を返還するなど織田氏との和睦(甲江和与)を模索している。しかし、信長はこれを黙殺し、天正9年(1581年)、降伏・開城を封じた上での総攻撃によって家康は高天神城を奪回する(高天神城の戦い)。高天神城落城、しかも後詰を送らず見殺しにしたことは武田氏の威信を致命的に失墜させ、国人衆は大きく動揺した。木曾義昌の調略成功をきっかけに、天正10年(1582年)2月に信長は家康と共同で武田領へ本格的侵攻を開始した。織田軍の信濃方面からの侵攻に呼応して徳川軍も駿河方面から侵攻し、甲斐南部の河内領・駿河江尻領主の穴山信君(梅雪)を調略によって離反させるなどして駿河領を確保した。勝頼一行は同年3月に自害して武田氏は滅亡した。最後まで抵抗した武田方の蘆田信蕃(依田信蕃)が守る田中城は成瀬正一らの説得により大久保忠世に引き渡された。
家康は3月10日に信君とともに甲府へ着陣しており、信長は甲斐の仕置を行うと中道往還を通過して帰還している(甲州征伐)。
家康はこの戦功により駿河国(庵原郡江尻は穴山信君領)を与えられ、駿府において信長を接待している。家康はこの接待のために莫大な私財を投じて街道を整備し宿館を造営した。信長はこの接待をことのほか喜んだ。
また遅くともこのころには、三河一向一揆の折に出奔した本多正信が、徳川家に正式に帰参している(正式な帰参時期は不明で、姉川の戦いのころに既に帰参していたとも)。
天正10年(1582年)5月21日、駿河拝領の礼のため、信長の招きに応じて降伏した穴山信君とともに居城・安土城を訪れ、大接待を受けた。この際、秀吉より援軍要請があった信長は自ら出陣することを決めたが、家康もこれに従い帰国後に軍勢を整えて西国へ出陣する予定だった。
6月2日、堺を遊覧中に京で本能寺の変が起こった。このときの家康の供は小姓衆など少人数であったため極めて危険な状態となり、一時は狼狽して信長の後を追おうとするほどであった。しかし本多忠勝に説得されて翻意し、服部半蔵の進言を受け、伊賀国の険しい山道を越え加太越を経て伊勢国から海路で三河国に辛うじて戻った(神君伊賀越え)。帰国後、家康は直ちに兵を率いて上洛しようとしたが、鳴海で秀吉が光秀を討った報を受けて引き返した。穴山信君が帰国途中で戦死したため、駿河国江尻を併呑した。
一方、織田氏の領国となっていた旧武田領の甲斐国と信濃国では大量の一揆が起こった。さらに、越後国の上杉氏、相模国の北条氏も旧武田領への侵攻の気配を見せた。旧武田領国のうち上野一国と信濃小県郡・佐久郡の支配を担っていた滝川一益は、旧武田領を治めてまだ3か月ほどしか経っておらず、軍の編成が済んでいなかったことや、武田遺臣による一揆が相次いで勃発したため、滝川配下であった信濃国の森長可と毛利秀頼は領地を捨て畿内へ敗走した。また、甲斐一国と信濃諏訪郡支配を担った河尻秀隆は一揆勢に敗れ戦死するなど緊迫した状況にあった。追い打ちをかけるように、織田氏と同盟関係を築いていた北条氏が一方的に同盟を破り、北条氏直率いる6万の軍が武蔵・上野国境に襲来した。滝川一益は北条氏直を迎撃、緒戦に勝利するも敗北、尾張国まで敗走した。このため、甲斐・信濃・上野は領主のいない空白地帯となり、家康は武田氏の遺臣・岡部正綱や依田信蕃、甲斐国の辺境武士団である武川衆らを先鋒とし、自らも8,000人の軍勢を率いて甲斐国に攻め入った(天正壬午の乱)。
一方、甲斐・信濃・上野が空白地帯となったのを見た北条氏直も、叔父・北条氏規や北条氏照ら5万5,000人の軍勢を率いて碓氷峠を越えて信濃国に侵攻した。北条軍は上杉軍と川中島で対峙した後に和睦し、南へ進軍した。家康は甲府の尊躰寺・一条信龍屋敷に本陣を置いていたが、新府城(韮崎市中田町中條)に本陣を移すと七里岩台上の城砦群に布陣し、若神子城(北杜市須玉町若神子)に本陣を置く北条勢と対峙した。
ここに徳川軍と北条軍の全面対決の様相を呈したが、依田信蕃の調略を受けて滝川配下から北条に転身していた真田昌幸が徳川軍に再度寝返り、その執拗なゲリラ戦法の前に戦意を喪失した北条軍は、板部岡江雪斎を使者として家康に和睦を求めた。和睦の条件は、上野国を北条氏が、甲斐国・信濃国を徳川氏がそれぞれ領有し、家康の次女・督姫が氏直に嫁ぐというものであった。こうして、家康は北条氏と縁戚・同盟関係を結び、同時に甲斐・信濃(北信濃四郡は上杉領)・駿河・遠江・三河(碧海郡(矢作川以西)を除く)の5か国を領有する大大名へとのし上がった。
信長死後の織田政権においては織田家臣の羽柴秀吉が台頭し、秀吉は信長次男・織田信雄と手を結び、天正11年(1583年)には織田家筆頭家老であった柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、勝家と手を結んだ信長三男・織田信孝を自害させることで、さらに影響力を強めた。家康は賤ヶ岳の戦いで勝った秀吉に、戦勝祝いとして松平親宅が入手した茶器の初花を贈った。また本能寺の変で光秀に加担した疑いで京都から逃れてきた元関白の近衛前久を家康は保護していたが、秀吉と交渉して近衛を無事帰洛させることができた。
しかし天正壬午の乱において家康と北条氏の間を仲裁した織田信雄が、賤ヶ岳の戦い後の織田政権においては信長嫡孫・三法師(織田秀信)を推戴する秀吉と対立するようになると、信雄は家康に接近して秀吉に対抗することとなった(『岩田氏覚書』)。
天正12年(1584年)3月、信雄が秀吉方に通じたとする家老を粛清した事件を契機に合戦が起こり、家康は3月13日に尾張国へ出兵し信雄と合流する。当初、両勢は北伊勢方面に出兵していたが、17日には徳川家臣・酒井忠次が秀吉方の森長可を撃破し(羽黒の戦い)、家康は28日に尾張国小牧(小牧山)に着陣した。
秀吉率いる羽柴軍本隊は、尾張犬山城を陥落させると楽田に布陣し、4月初めには森長可・池田恒興らが三河国に出兵した。4月9日には長久手において両軍は激突し、徳川軍は森・池田勢を撃退した(小牧・長久手の戦い)。「家康公の天下を取るは大坂にあらずして関ケ原にあり。関ケ原にあらずして小牧にあり」といわれた。
小牧・長久手の戦いは羽柴・徳川両軍の全面衝突のないまま推移し、一方で家康は北条氏や土佐国の長宗我部氏ら遠方の諸大名を迎合し、秀吉もこれに対して越後国の上杉氏や安芸国の毛利氏、常陸国の佐竹氏ら徳川氏と対抗する諸勢力に呼びかけ、外交戦の様相を呈していった。秀吉と家康・信雄の双方は同年9月に和睦し、講和条件として、家康の次男・於義丸(結城秀康)を秀吉の養子(徳川家・本願寺の認識、秀吉側の認識は人質)とした。
戦後の和議は秀吉優位であったとされる。越中国の佐々成政が自ら、厳冬の飛騨山脈を越えて浜松の家康を訪ね、秀吉との戦いの継続を訴えたが、家康は承諾しなかった。天正13年(1585年)に入ると、紀伊国の雑賀衆や土佐国の長宗我部元親、越中国の佐々成政ら、小牧・長久手の戦いにおいて家康が迎合した諸勢力は秀吉に服属している。さらに秀吉は7月11日に関白に補任され、豊臣政権を確立する。
これに対して家康は、東国において武田遺領の甲斐・信濃を含めた5か国を領有し相模国の北条氏とも同盟関係を築いていたが、北条氏との同盟条件である上野国沼田(群馬県沼田市)の割譲に対して、沼田を領有していた信濃国上田城主・真田昌幸が上杉氏・秀吉方に帰属して抵抗した。家康は大久保忠世・鳥居元忠・平岩親吉らの軍勢を派兵して上田を攻めるが、昌幸の抵抗や上杉氏の増援などにより撤兵している(第一次上田合戦)。
勢力圏拡大の一方で、徳川氏の領国では天正11年(1583年)から12年(1584年)にかけて地震や大雨に見舞われ、特に天正11年5月から7月にかけて関東地方から東海地方一円にかけて大規模な大雨が相次ぎ、徳川氏の領国も「50年来の大水」に見舞われた。その状況下で北条氏や豊臣政権との戦いをせざるを得なかった徳川氏の領国の打撃は深刻で、三河国田原にある龍門寺の歴代住持が記したとされる『龍門寺拠実記』には、天正12年に小牧・長久手の戦いで多くの人々が動員された結果、田畑の荒廃と飢饉を招いて残された老少が自ら命を絶ったと記している。徳川氏領国の荒廃は豊臣政権との戦いの継続を困難にし、国内の立て直しを迫られることになる。
家康の豊臣政権への臣従までの経緯は『家忠日記』に記されているが、こうした情勢の中、同年9月に秀吉は家康に対してさらなる人質の差し出しを求め、徳川家中は酒井忠次・本多忠勝ら豊臣政権に対する強硬派と石川数正ら融和派に分裂し、さらに秀吉方との和睦の風聞は北条氏との関係に緊張を生じさせていたという。同年11月13日には石川数正が出奔して秀吉に帰属する事件が発生する。この事件で徳川軍の機密が筒抜けになったことから、軍制を刷新し武田軍を見習ったものに改革したという(『駿河土産』)。
天正14年(1586年)に入ると秀吉は織田信雄を通じて家康の懐柔を試み(『当代記』)、4月23日には臣従要求を拒み続ける家康に対して秀吉は実妹・朝日姫(南明院)を正室として差し出し、5月14日に家康はこれを室として迎え、秀吉と家康は義兄弟となる。さらに10月18日には秀吉が生母・大政所を朝日姫の見舞いとして岡崎に送ると、24日に家康は浜松を出立し上洛している。ただし、天正14年正月に織田信雄が岡崎城に訪問した際に家康は秀吉に臣従する内意を表明し(『貝塚御座所日記』)、2月には秀吉から一柳直末に対して家康を赦免することにしたので家康討伐命令が中止になったことを伝える朱印状が送付されている(『一柳家文書』)。このため、朝日姫との婚姻は家康の臣従を受けた対応とも考えられる。なお、家康の臣従から上洛までの間隔が開いた背景として、家康から秀吉に離反した信濃国の国衆3名(木曽義昌・小笠原貞慶・真田昌幸)の取り扱いを巡る調整を必要としたことも考えられる。実際に7月に家康に従わない真田昌幸討伐の動きがあり、翌8月に上杉景勝の嘆願で家康が昌幸を赦免して昌幸が家康の与力大名となることが確定している。柴裕之は大政所の岡崎訪問は家康の上洛中に秀吉方に危害を加えられることを恐れる家康や徳川家中に対する配慮であったとしている。また、同年9月11日に家康が本拠地を浜松城から駿府城に移しているのも、秀吉が臣従と引き換えに5か国安堵を認めたことをきっかけにしているとしている。
家康は10月26日に大坂に到着、豊臣秀長邸に宿泊した。その夜には秀吉本人が家康に秘かに会いにきて、改めて臣従を求めた。こうして家康は完全に秀吉に屈することとなり、10月27日、大坂城において秀吉に謁見し、諸大名の前で豊臣氏に臣従することを表明した。この謁見の際に家康は、秀吉が着用していた陣羽織を所望し、今後秀吉が陣羽織を着て合戦の指揮を執るようなことはさせない、という意思を示し諸侯の前で忠誠を誓った(徳川実紀)。
天正14年(1586年)11月1日、京へ上り、11月5日に正三位に叙される。このとき、多くの家康家臣も叙任された。11月11日には三河国に帰還し、11月12日には大政所を秀吉の元へ送り返している。12月4日、本城を17年間過ごした浜松城から隣国・駿河国の駿府城へ移した。これは、出奔した石川数正が浜松城の軍事機密を知り尽くしていたため、それに備えたとする説がある。
天正15年(1587年)8月、再び上洛し、秀吉の推挙により、朝廷から8月8日に従二位・権大納言に叙任され、所領から駿河大納言と呼ばれた。この際、秀吉から羽柴の名字を下賜された。
同年12月3日に豊臣政権より関東・奥両国惣無事令が出され、家康に関東・奥両国(陸奥国・出羽国)の監視が託された。12月28日、秀吉の推挙により、朝廷から左近衛大将および左馬寮御監に任ぜられる。このことにより、このころの家康は駿府左大将と呼ばれた。
家康は北条氏と縁戚関係にある経緯から、北条氏政・氏直父子宛ての5月21日付起請文で、以下の内容で北条氏に秀吉への恭順を促した。
家康の仲介は、氏政の弟であり家康の旧友でもある北条氏規を上洛させるなど、ある程度の成果を挙げたが、北条氏直は秀吉に臣従することに応じなかった。天正18年(1590年)1月、家康は嫡男とみなされていた三男の長丸(後の秀忠)を上洛させて事実上の人質とさせることで改めて秀吉への臣従の意思を明確にして北条氏と事実上断交し、これを受けた秀吉は北条氏討伐を開始。家康も豊臣軍の先鋒を務めると共に自分の城を提供し、4月には吉川広家が豊臣家の城番として岡崎城に入城している(小田原征伐)。
なお、これに先立って天正17年(1589年)7月から翌年にかけて「五ヶ国総検地」と称せられる大規模な検地を断行する。これは想定される北条氏討伐に対する準備であると同時に、領内の徹底した実情把握を目指したものである。この直後に秀吉によって関東へ領地を移封されてしまい、成果を生かすことはできなかったが、ここで得た知識と経験は新領地の関東統治に生かされた。
天正18年(1590年)7月5日の北条氏降伏後、秀吉の命令で、駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国(上杉領の川中島を除く)の5か国を召し上げられ、北条氏の旧領である武蔵国・伊豆国・相模国・上野国・上総国・下総国・下野国の一部・常陸国の一部の関八州に移封された。石高は約240万石で、さらに上洛の際の費用(在京賄領)として、近江国・伊勢国・遠江国・駿河国のうちで約11万石が与えられた。家康の関東移封の噂は戦前からあり、家康も北条氏との交渉で、自分には北条領への野心はないことを弁明していたが、結局北条氏の旧領国に移されることになった。
秀吉は関東・奥羽の惣無事という目的を達成するために家康に関東の安定と奥羽の抑えを期待したと考えられている。一方、家康は豊臣政権から政治的・軍事的保護を得ている以上、移封を拒絶することは出来なかった。ただし、関東移封に関しては流動的な側面があり、その後も奥羽情勢の悪化に伴って陸奥国への再移封の噂が徳川家中に流れている(『家忠日記』天正20年2月6日条)。
この移封によって三遠駿と甲信(上杉の北信を除く)119万石(徳川家内の「五ヶ国総検地」では実高150万石とも)から関東250万石(家康240万石および結城秀康10万石の合計)への類を見ない大幅な加増を受けたことになるが、徳川氏に縁の深い三河国を失い、さらに当時の関東には北条氏の残党などによって不穏な動きがあり、しかも北条氏は四公六民という当時としては極めて低い税率を採用しており、これをむやみに上げるわけにもいかず、石高ほどには実収入を見込めない状況であった。こういった事情から、この移封は秀吉の家康に対する優遇策か冷遇策かという議論が古くからある。阿部能久は、鎌倉幕府の成立以来西国政権が東国を一元支配した例は無く、古河公方の断絶とともに機能停止していた室町幕府の鎌倉府と同様の役割を東国に通じた家康によって担わせようとしたと考察している。この命令に従って関東に移り、北条氏が本城とした相模小田原城ではなく、武蔵江戸城を居城とした。なお、小田原合戦中に秀吉が自らの「御座所」を江戸に設ける構想を示しており(「富岡文書」)、江戸城を家康の本拠地としたのも秀吉の積極的な意向が関与していた。
天正18年(1590年)8月1日、家康は江戸へ入城した(江戸御打入)。この日は正式に入城した日であり、これ以前にも、視察のため江戸に入っている。
家康は、関東の統治に際して、有力な家臣を重要な支城に配置するとともに、100万石余といわれる直轄地には大久保長安・伊奈忠次・長谷川長綱・彦坂元正・向井正綱・成瀬正一・日下部定好ら有能な家臣を代官などに抜擢することによって難なく統治し、関東はこれ以降現在に至るまで大きく発展を遂げることとなる。ちなみに、関東における四公六民という北条氏の定めた低税率は、徳川吉宗の享保の改革で引き上げられるまで継承された。
家康によって配された有力家臣たちは以下の通りである。
なお、小田原攻め直前の天正18年1月14日、前年より京都の聚楽第で病に臥せっていた朝日姫が病死した。朝日姫の死で徳川家との婚姻関係が亡くなることを憂慮した秀吉は同月に自分の養女である小姫(実父は織田信雄)を長丸(秀忠)と婚姻させている(一説には婚約とも)。しかし、小姫も天正19年(1591年)7月に早世している。後に豊臣秀勝と死別した別の養女達子(実父は浅井長政)を秀忠に嫁がせたのも、秀吉が家康及び徳川家を親族として引き留めたいという考えがあったと推測される。
天正19年(1591年)6月20日、秀吉は奥州での一揆鎮圧のため号令をかけて豊臣秀次を総大将とした奥州再仕置軍を編成した。家康も秀次の軍に加わり、葛西大崎一揆、和賀・稗貫一揆、仙北一揆、藤島一揆、九戸政実の乱などの鎮圧に貢献した。
文禄元年(1592年)から秀次に関白を譲り太閤となった秀吉の命令により朝鮮出兵が開始されるが、家康は渡海することなく名護屋城に在陣しただけであった。『家忠日記』にはこの時に伊達政宗・南部信直・上杉景勝・佐竹義宣が家康の指揮下にあったと記してある。このころの家康は武蔵大納言とよばれた。
文禄4年(1595年)7月に「秀次事件」が起きた。豊臣政権を揺るがすこの大事件を受けて、秀吉は諸大名に上洛を命じ、事態の鎮静化を図った。家康も秀吉の命令で上洛した。これ以降、開発途上の居城・江戸城よりも伏見城に滞在する期間が長くなっている。豊臣政権における家康の立場が高まっていたのは明らかだが、家康自身も政権の中枢に身を置くことにより中央政権の政治制度を直接学ぶことになった。
慶長元年(1596年)5月8日、秀吉の推挙により内大臣に任ぜられる。これ以後は江戸の内府と呼ばれる。
慶長2年(1597年)、再び朝鮮出兵が開始された。日本軍は前回の反省を踏まえ、初期の攻勢以降は前進せず、朝鮮半島の沿岸部で地盤固めに注力した。このときも家康は渡海しなかった。
慶長3年(1598年)、秀吉は病に倒れると、自身没後の豊臣政権を磐石にするため、後継者である豊臣秀頼を補佐するための五大老・五奉行の制度を7月に定め、五大老の一人に家康を任命した。8月に秀吉が死ぬと五大老・五奉行は朝鮮からの撤退を決め、日本軍は撤退した。結果的に家康は兵力・財力などの消耗を免れ、自国を固めることができた。しかし渡海を免除されたのは家康だけではなく、一部の例外を除くと東国の大名は名護屋残留であった。
豊臣秀吉の死後、内大臣の家康が朝廷の官位で最高位になり、また秀吉から「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」という遺言を受けていたため五大老筆頭と目されるようになる。また生前の秀吉により文禄4年(1595年)8月に禁止と定められた、合議による合意を得ない大名家同士の婚姻を行う。婚約した娘は、全て家康の養女とし、その内容は次の通りである。
このころより家康は、細川忠興や島津義弘、増田長盛らの屋敷にも頻繁に訪問するようになった。こうした政権運営をめぐって、大老・前田利家や五奉行の石田三成らより「専横」との反感を買い、慶長4年(1599年)1月19日、家康に対して三中老の堀尾吉晴らが問罪使として派遣されたが、吉晴らを恫喝して追い返した。利家らと家康は2月2日には誓書を交わし、利家が家康を、家康が利家を相互に訪問、さらに家康は後述する伏見城治部少丸の直下にある自身の屋敷から、対岸の向島城へ移ることでこの一件は和解となった。
3月3日の利家病死直後、福島正則や加藤清正ら7将が、大坂屋敷の石田三成を殺害目的で襲撃する事件が起きた(石田三成襲撃事件)。三成は佐竹義宣の協力で大坂を脱出して伏見城内治部少丸にある自身の屋敷に逃れたが、家康の仲裁により三成は奉行の退任を承諾して佐和山城に蟄居することになり、退去の際には護衛役として家康の次男・結城秀康があたった。結果として三成を失脚させ、最も中立的と見られている北政所の仲裁を受けたことにより、結論の客観性(正当性)が得られ、家康の評価も相対的に高まったと評価され、同時に三成を生存させることによって豊臣家家臣同士の対立が継続することになる。もっとも、家康と三成は対立一辺倒ではなく協調を模索する時期もあり、家康は中立的な立場からの解決を図り双方の均衡を保とうとしたが、それが却って政争を悪化させたとする見方もある。
9月7日、「増田・長束両奉行の要請」として大坂に入り、三成の大坂屋敷を宿所とした。9月9日に登城して豊臣秀頼に対し、重陽の節句における祝意を述べた。9月12日には三成の兄・石田正澄の大坂屋敷に移り、9月28日には大坂城・西の丸に移り、大坂で政務を執ることとなる。
9月13日付毛利秀元宛輝元書状には、家康が大坂入りした理由として次の3つを挙げている。
9月9日に登城した際、前田利長・浅野長政・大野治長・土方雄久の4名が家康の暗殺を企んだと増田・長束両奉行より密告があったとして、10月2日に長政を隠居の上、徳川領の武蔵府中で蟄居させ、治長は下総国の結城秀康のもとに、雄久は常陸国水戸の佐竹義宣のもとへ追放とした。さらに利長に対しては加賀征伐を企図するが、利長が生母・芳春院を江戸に人質として差し出し、出兵は取りやめとなる。これを機に前田氏は完全に家康の支配下に組み込まれたと見なされることになる。
またこのころ、秀頼の名のもと諸大名への加増を行っている。
慶長5年(1600年)3月、豊後国に南蛮船(オランダ船)のリーフデ号が漂着した。家康はリーフデ号を大阪へ移し、航海長のウィリアム・アダムス(後の三浦安針)や船員のヤン・ヨーステンは家康に厚遇され、外交上の諮問にこたえるようになる。特にウィリアム・アダムスは航海や水先案内の技術だけでなく、数学と天文学も得意としていたことから家康にヨーロッパの科学知識や技術を伝えたり、西洋船を作ったりして、家康から寵愛された。
慶長5年(1600年)3月、越後国の堀秀治から会津の上杉景勝の重臣・直江兼続に越後にあった年貢の下半期分まで持ち出された訴えを、出羽国の最上義光らからは会津の軍備を増強する不穏な動きがあるという知らせを受けた。さらに上杉氏の家臣で津川城城代を務め家康とも懇意にあった避戦派の藤田信吉、栗田国時の二人が、会津から江戸の徳川秀忠の元へ上杉の行動に関する釈明をしようとする途中で、兼続の仕向けた使者達に襲撃され、国時が殺害される事件まで起きた。
これに対して家康は、伊奈昭綱を正使として景勝の元へ問罪使を派遣した。ところが、既に徳川との一戦を固めていた兼続が、『直江状』(真贋諸説有り。詳細は直江状#真贋論争参照。)と呼ばれる挑発的な文書を記した書簡を返書として送ったことから家康は激怒。景勝に叛意があることは明確であるとして会津征伐を宣言した。これに際して後陽成天皇から出馬慰労として晒布が下賜され、豊臣秀頼からは黄金2万両・兵糧米2万石を下賜された。これにより、朝廷と豊臣氏から家康の上杉氏征伐は「豊臣氏の忠臣である家康が謀反人の景勝を討つ」という大義名分を得た形となった。
6月16日、家康は大坂城・京橋口から軍勢を率いて上杉氏征伐に出征し、同日の夕刻には伏見城に入った。ところが、6月23日に浜松、6月24日に島田、6月25日に駿府、6月26日に三島、6月27日に小田原、6月28日に藤沢、6月29日に鎌倉、7月1日に金沢、7月2日に江戸という、遅々たる進軍を行っている。
この出兵には、家康に反感をもつ石田三成らの挙兵を待っていたとの見方もある。実際、7月に三成は大谷吉継とともに挙兵すると、家康によって占拠されていた大坂城・西の丸を奪い返し、増田長盛、長束正家ら奉行衆を説得するとともに、五大老の一人・毛利輝元を総大将として擁立し、『内府ちかひ(違い)の条々』という13か条におよぶ家康の弾劾状を諸大名に対して公布した。三成が挙兵すると、家康古参の重臣・鳥居元忠が守る伏見城が4万の軍勢で攻められ、元忠は戦死し伏見城は落城した(伏見城の戦い)。
さらに三成らは伊勢国、美濃国方面に侵攻した。家康は下野国小山の陣において、伏見城の元忠が発した使者の報告により、三成の挙兵を知った。家康は重臣たちと協議した後、上杉氏征伐に従軍していた諸大名の大半を集め、「秀頼公に害を成す君側の奸臣・三成を討つため」として、上方に反転すると告げた。これに対し、福島正則ら三成に反感をもつ武断派の大名らは家康に味方し、こうして家康を総大将とした東軍が結成されていった(小山評定)。
東軍は、家康の徳川直属軍と福島正則らの軍勢、合わせて10万人ほどで編成されていた。そのうち一隊は、徳川秀忠を大将とし榊原康政、大久保忠隣、本多正信らを付けて宇都宮城から中山道を進軍させ、結城秀康には上杉景勝、佐竹義宣に対する抑えとして関東の防衛を託し、家康は残りの軍勢を率いて東海道から上方に向かった。それでも家康は動向が不明な佐竹義宣に対する危険から江戸城に1か月ほど留まり、7月24日から9月14日までの間に、関ヶ原合戦に関する内容の文書だけでも外様の諸将82名に155通、家康の近臣に20通ほどの文書を送っている。
正則ら東軍は、清洲城に入ると、西軍の勢力下にあった美濃国に侵攻し、織田秀信が守る岐阜城を落とした。このとき家康は信長の嫡孫であるとして秀信の命を助けている。
9月、家康は江戸城から出陣し、11日に清洲、14日には美濃赤坂に着陣した。前哨戦として三成の家臣・島左近と宇喜多秀家の家臣・明石全登が奇襲し、それに対して東軍の中村一栄、有馬豊氏らが迎撃するが敗れ、中村一栄の家臣・野一色助義が戦死している(杭瀬川の戦い)。
家康は自らの軍師で臨済宗の禅僧である閑室元佶(関ヶ原の戦いに従軍していた)に易による占筮()を行わせ、大吉を得た。
9月15日午前8時ごろ、美濃国関ヶ原において東西両軍による決戦が繰り広げられた。開戦当初は高所を取った三成ら西軍が有利であったが、正午ごろかねてより懐柔策をとっていた西軍の小早川秀秋の軍勢が、同じ西軍の大谷吉継の軍勢に襲いかかったのを機に形成が逆転する。さらに脇坂安治、朽木元綱、赤座直保、小川祐忠らの寝返りもあって大谷隊は壊滅、西軍は総崩れとなった。戦いの終盤では、敵中突破の退却戦に挑んだ島津義弘の軍が、家康の本陣目前にまで突撃してくるという非常に危険な局面もあったが、東軍の完勝に終わった(関ヶ原の戦い)。
9月18日、三成の居城・佐和山城を落として近江国に進出し、9月21日には戦場から逃亡していた三成を捕縛。10月1日には小西行長、安国寺恵瓊らと共に六条河原で処刑した。その後大坂に入った家康は、西軍に与した諸大名の殆どを処刑・流罪・改易・減封に処し、召し上げた所領を東軍諸将に加増分配する傍ら自らの領地も250万石から400万石に加増。秀頼、淀殿に対しては「女、子供のあずかり知らぬところ」として咎めなかったが、論功行賞により各大名家の領地に含めていた太閤蔵入地(豊臣氏の全国に散在していた直轄地)は東軍の諸将に恩賞として分配された。また太閤蔵入地のうち、堺、長崎、生野銀山の管理には家康の家臣が派遣され、家康の直轄領となっていくことになる。
その結果、豊臣氏は摂津国・河内国・和泉国の3か国65万石の一大名となり、家康は天下人としての立場を確立した。だが、まだ西国大名は新年の挨拶に大坂城に伺候し豊臣家が西国を支配する二重公儀体制との説がある。
鈴木かほるの研究によれば、秀吉の没後、家康が五大老の筆頭として表舞台に立ったとき、どの国よりもいち早く対外交渉をもったのは、当時、世界最強国と称されたスペインであったという。その目的はスペイン領メキシコで行われている画期的な金銀製錬法であるアマルガム法の導入であり、スペイン人を招致するため浦賀湊を国際貿易港として開港し、西洋事情に詳しいウィリアム・アダムスを外交顧問としたという。
家康はフィリピン(スペイン領)近海における私貿易船を絶滅させるため、慶長6年(1601年)正月、フィリピン総督に宛てて公貿易船の証として日本からフィリピンへ渡海する朱印状を交付することを伝えた。日本では古来から難破船の漂着は龍神の祟りとして積荷を没収し、その売り上げをもってその土地の寺社の修復に充てる習わしであったが、家康はこの仕来りを破り、慶長7年(1602年)8月に漂着船の積荷を保証することを伝え、安心して浦賀湊に商船を派遣するようフィリピン総督に通告した。つまり家康の朱印船制度創設は浦賀ースペイン外交にあったのである。浦賀にはウィリアム・アダムスの尽力により慶長9年にスペイン商船が初めて入港し、以後、毎年入港している。
メキシコ側の思慮によりアマルガム法の導入の実現には至らなかったが、慶長6年秋に上総大多喜浦に漂着した司令官ジュアン・エスケラや、慶長14年(1610年)9月に上総国岩和田沖に漂着したフィリピン総督ドン・ロドリコ・デ・ビベロをアダムスが建造した船で帰国させたが、その返礼大使としてセバスチャン・ビスカイノが浦賀湊に入港している。このときのビスカイノは日本の東西の港の測量および金銀島探検の使命を帯びて来航したのであるが、金銀島の発見には至らず、そのうえ船は破船してしまう。ビスカイノは帰国のための船の建造を家康に請うたが断られた。そこでビスカイノは奥州の港の測量の際、伊達政宗がメキシコとの貿易を希望していたことを思い起こし、宣教師ルイス・ソテロを介して政宗に帰国の大型帆船の建造を依頼し、これが実現してサン・ファン・バウティスタ号の遣欧に至るのである。このとき将軍・秀忠は向井忠勝に政宗遣欧船の随行船として船を造船させている。この船は江戸内海の口で座礁してしまったが、このように秀忠が遣欧船を造船していた事実や、向井忠勝が公儀大工を伊達政宗のもとに派遣している事実、また幕府は禁教令によりビスカイノ一行を本国に帰国させなければならなかったことを考えれば、政宗遣欧船は幕府の知るところであったことは疑う余地もない。
元和元年(1615年)6月、サン・ファン・バウティスタ号がビスカイノの返礼大使ディエゴ・デ・サンタ・カタリナを乗せ浦賀湊に帰帆した。この船には政宗の家臣・横沢将監吉久や日本商人らが同船していた。しかし、家康が死去するとサンタ・カタリナに国外退去令が出され、彼らは元和2年(1616年)8月に浦賀を発航した。これがメキシコへ向かう最後の貿易船となった。こうして浦賀湊は国際貿易港としての生命を絶たれ、スペイン人鉱夫の招聘は実現することなく訣別を迎えたのである。
長崎や平戸は貿易港としてよく知られるが、江戸初期に家康によって浦賀がスペイン商船の寄港地として開港され、貿易が行われていたことは教科書にも記されていない。この史実を伝えようと、地元の住民によって市民団体が結成され賛助金が集められ、平成31年(2019年)4月、神奈川県横須賀市東浦賀の東叶神社境内に「日西墨比貿易港之碑」が建てられ除幕式が行われた。
慶長5年(1600年)12月19日、文禄4年(1595年)に豊臣秀次が解任されて以来空いたままになっていた関白に九条兼孝が家康の奏上により任じられた。このことにより、豊臣氏による関白職世襲を止め旧来の五摂家に関白職が戻る。
関ヶ原の戦いの戦後処理を終わらせた慶長6年(1601年)3月23日、家康は大坂城・西の丸を出て伏見城にて政務を執り、征夷大将軍として幕府を開くため、徳川氏の系図の改姓を行った。
慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いの戦後処理で唯一処分が決まっていなかった常陸国水戸の佐竹義宣を出羽国久保田に減転封。代わりに佐竹氏と同じく源義光の流れをくむ武田氏を継承した五男・武田信吉を水戸に入れた。これによって確定した徳川氏の領域は一門・譜代大名の所領も含めると、東は岩城領から関東一円、北は南信濃から美濃国・越前国、西は近江国・山城国・大和国と北伊勢の桑名領をほぼ一円支配しつつ、西国では長崎や堺、石見銀山、生野銀山の直轄領が点在する内容であった(秋田氏や里見氏などの小規模な外様大名の支配地は除く)。
慶長8年(1603年)2月12日、後陽成天皇が参議・勧修寺光豊を勅使として伏見城に派遣。朝廷より六種八通の宣旨が下り、家康を征夷大将軍、右大臣、源氏長者、淳和奨学両院別当に任命した。
同年3月12日、伏見城から二条城に移り、3月21日、衣冠束帯を纏い行列を整えて御所に参内し、将軍拝賀の礼を行い、年頭の祝賀も述べた。3月27日、二条城に勅使を迎え、重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行った。また4月4日から3日間、二条城で能楽が行われ諸大名や公家衆を饗応した。
なお家康の将軍宣下の数ヵ月前の、慶長7年12月4日(新暦では1603年1月15日)に、秀吉の造立した方広寺大仏殿が失火のため全焼し、京中を騒然とさせた。この火事について、豊臣氏の権威を失墜させるために徳川方が故意に放火したのではないかという風説も流れたという。
慶長10年(1605年)4月16日、将軍職を辞するとともに朝廷に嫡男・秀忠への将軍宣下を行わせ、将軍職は以後「徳川氏が世襲していく」ことを天下に示した。同時に豊臣秀頼に新将軍・秀忠と対面するよう要請したが、秀頼はこれを拒絶。結局、六男・松平忠輝を大坂城に派遣したことで事は収まった。なお、このとき次世代の家臣である井伊直孝と板倉重昌も叙任された。同7月23日、近衛信尹を関白に推挙する。
慶長12年(1607年)には駿府城に移って、東国大名や幕府の制度整備を進める「江戸の将軍」秀忠(御所)に対して、前将軍の家康は「駿府の大御所」として主に朝廷・寺社・西国大名・外交を担当した(大御所政治)。ただ明確に線引きされていたわけではなく、越後福嶋騒動では当事者たちを駿府城に召喚して弁論させ、越後高田藩堀氏の改易を命じた。
同年、朝鮮通信使と謁見し、文禄・慶長の役以来断絶していた李氏朝鮮との国交を回復した。
慶長13年(1608年)、大坂方が朝廷に働きかけ秀頼を左大臣にする兆候を事前に捉え、これを阻止する(しばらく左大臣は空位)。同年、右大臣九条忠栄を関白に推挙する。
慶長14年(1609年)、オランダ使節と会見。オランダ総督(使節は国王を自称)マウリッツからの親書を受け取り、朱印状による交易と平戸にオランダ東インド会社の商館の開設を許可した。
慶長15年(1610年)、足尾銅山を開山。1600年に天領にした石見銀山等の銀、1601年に天領にした佐渡金山等の金と併せ、銅もその後の江戸幕府の主要な財源となる。
慶長16年(1611年)3月20日に九男・徳川義利(義直)、十男・頼将(頼宣)を参議中将に、十一男・鶴松(頼房)を少将に叙任させた。「御三家」体制への布石といえよう。3月22日には、自らの祖先と称する新田義重に鎮守府将軍を、実父・松平広忠には権大納言を贈官した。
同年3月28日、二条城にて秀頼と会見した(二条城会見)。当初、秀頼はこれを秀忠の征夷大将軍任官の際の要請と同じく拒絶する方向でいたが、家康は織田有楽を仲介として上洛を要請し、ついには秀頼を上洛させることに成功した。この会見により、天下の衆目に、徳川公儀が豊臣氏よりも優位であることを明示したとする見解があり、4月12日に西国大名らに対し三カ条の法令を示し、誓紙を取ったことで、徳川公儀による天下支配が概ね成ったともいわれる。
同年、ヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)副王ルイス・デ・ベラスコの使者セバスティアン・ビスカイノと会見し、スペイン国王フェリペ3世の親書を受け取る。両国の友好については合意したものの、通商を望んでいた日本側に対し、スペイン側の前提条件はキリスト教の布教で、家康の経教分離の外交を無視したことが、家康をして禁教に踏み切らせた真因である。この後も家康の対外交政策に貿易制限の意図が全くないことから、この禁教令は鎖国に直結するものではない。
慶長17年(1612年)、九条忠栄を左大臣に、鷹司信尚を関白に推挙する。
慶長18年(1613年)、イギリス東インド会社のジョン・セーリスと会見。イングランド国王ジェームズ1世からの親書と献上品を受け取り、朱印状による交易と平戸にイギリス商館の開設を許可した。
晩年を迎えていた家康にとって豊臣氏は脅威であり続けた。なお特別の地位を保持していて実質的には徳川氏の支配下には編入されておらず、関ヶ原の戦い後に西国に配置した東軍の大名は殆ど豊臣恩顧の大名であった。また、家康の将軍宣下時には、同時に秀頼が関白に任官されるとの風説が当然のこととして受け取られていた。秀忠の将軍宣下時の官位は内大臣であったが、秀頼は家康の引退で空いた右大臣を譲られており、秀忠を上回っていた。
家康は大坂の周囲にある伏見、堺や大和郡山を直轄領にしつつも、当初、徳川氏と豊臣氏の共存を模索しているような動きもあり、秀吉の遺言を受けて孫娘・千姫を秀頼に嫁がせてもいる。しかし、豊臣氏の人々は政権を奪われたことにより次第に家康を警戒するようになっていった。さらに豊臣氏は、徳川氏との決戦に備えて多くの浪人を雇い入れていたが、それが天下に乱をもたらす準備であるとして一層幕府の警戒を強めた。
そのような中、慶長12年(1607年)には結城秀康、慶長16年(1611年)に加藤清正・堀尾吉晴・浅野長政、慶長18年(1613年)には浅野幸長・池田輝政など、豊臣恩顧の大名が次々と死去したため、次第に豊臣氏は孤立を深めていった。
そして、慶長19年(1614年)の方広寺鐘銘事件をきっかけに、豊臣氏の処遇を決するべく、動き始める。
3月9日、秀忠は右大臣に就任し、豊臣秀頼に官位が追いついた。
大坂の陣の契機となった方広寺鐘銘事件は、秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)の再建にあたり発生したものだが、方広寺大仏・大仏殿が何故滅失していたかは以下の通りである。
秀吉は焼損した東大寺に代わる新たな大仏として、京都に大仏・大仏殿を造立した(京の大仏)。「国土安全万民快楽」をスローガンに、刀狩で民衆から奪取した刀剣類を大仏造立のための釘・鎹(かすがい)に利用した。この大仏は一応完成したが、開眼供養前に文禄5年閏7月13日(1596年9月5日)の慶長伏見地震で大破し、その後秀吉の命で破却された。大仏殿は地震での倒壊を免れたので、慶長2年(1597)には当時甲斐国にあった善光寺如来が、大仏に代わる新たな本尊とするため方広寺大仏殿に遷座させられ、大仏殿は「善光寺如来堂」と称されるようになったが、翌慶長3年には善光寺如来が本国(信濃善光寺)に還された。豊臣政権は秀吉没後に大仏の再建に取り掛かったが、慶長7年(1602年)12月に大仏鋳造中の失火で火災が発生し、大仏のみならず大仏殿も滅失してしまった。
豊臣氏は秀吉の死後、秀吉の追善供養として、戦乱で荒廃した多数の寺社に寄進を行い、伽藍・社殿の整備を図った(豊臣秀頼の寺社造立も参照)。主なもので東寺金堂・延暦寺横川中堂・熱田神宮・石清水八幡宮・北野天満宮・鞍馬寺毘沙門堂など、多数にのぼった。慶長12年(1607年)には、豊臣秀頼により、豊臣家家臣の片桐且元を奉行として、再び銅製大仏および大仏殿の再建が企図されるようになった。通説では、家康が秀頼に方広寺大仏・大仏殿の再建を勧め、それを豊臣方が受け入れて再建工事の運びとなったとされるが、それは豊臣家の財力を蕩尽させるための家康の謀略とされてきた。しかし歴史学者の河内将芳は、豊臣氏に大仏・大仏殿再建工事費を負担させたのは事実だが、「大仏再建は秀頼と徳川の共同事業で、徳川もかなりの労力を注いだ。幕府は大仏を豊臣一色とは認識せず、東大寺の代わりになるものとして重視したのではないか。」とし、豊臣と徳川の共同事業であったとしている。河内は『新大仏殿地鎮自記』に以下の記述があることをその証左としている。慶長15年(1610年)6月12日に義演を導師として大仏殿の地鎮祭が行われたが、この時のことを義演が著した書が『新大仏殿地鎮自記』である。その書では、工事の大檀那(発注者)について「前将軍昨年(慶長14年)当堂御再興を御下知す、造作料においては、右大臣豊臣朝臣秀頼御下行なり」とあり、先将軍の家康が大仏殿再建の命令を発し、工事費は豊臣秀頼が負担することになっていた。また工事の棟梁については「番匠大和守(中井正清) 前将軍御大工なり、ことごとくみなこの大工がままなり」とあり、家康お抱えの大工中井正清が工事の全てを取り仕切ることになっていた。上記の記述より河内は、大仏再建にかかる費用は豊臣氏が負担するが、大仏・大仏殿再建工事そのものについては徳川氏が主導権を握ったとしている。
大仏の再建工事については史料に乏しく、いつ行われたか詳細は不明である。大仏殿再建工事については史料が多く残っており、それらによれば、大仏殿の立柱工事は慶長15年(1610年)8月22日から行われ、慶長17年(1612年)1月29日から大仏殿に屋根瓦を葺く作業が始まった。慶長17年(1612年)中に大仏殿はほぼ完成し、工事着工から2年足らずという異例の速さで大仏殿の再建が完了したことが分かる。
方広寺大仏・大仏殿の再建が完了したため、落慶供養の段取りを進めることになった。段取りは片桐且元が進め、武家間では京都所司代の板倉勝重や、家康との協議がなされた。しかし落慶供養は武家側だけで決定できるものではなく、朝廷や公家・寺社勢力との協議も必要であった。方広寺は、正式な寺号を持たず(「方広寺」という寺号は江戸時代中期以降に自然発生的に生じたもので、当時は単に「大仏」もしくは「東山大仏」「京大仏」などと呼称されていた)、朝儀を経て創立された寺院ではなかったため(悪く言えば豊臣氏の私的な建造物であった)、正式な寺院となるよう、朝廷との協議がなされた。寺号については「東大寺」とするか、もしくは新たに定めるかなどが候補として挙がっていたが、方広寺の寺号を「東大寺」と定め、方広寺を東大寺の継承寺院とする案も検討されていた。
方広寺再建落慶供養の出席者について、各種史料の記述から、家康が落慶供養に出席するため、上洛する計画であったことが窺える。また『本光国師日記』には、「秀頼公供養に御上洛」については「いかようにも心次第と」と家康が仰せ出したとあり(慶長19年7月18日条)、秀頼と家康の双方が落慶供養に参加する可能性もあった。
慶長19年(1614年)には梵鐘も完成し、片桐且元は梵鐘の銘文を南禅寺の文英清韓に作成させ、梵鐘に銘文を入れた。ところが幕府は、方広寺の梵鐘の銘文中に不適切な語があると供養を差し止めた。問題とされたのは「国家安康」で、大御所・家康の諱を避けなかったことが不敬であるとするものであった。「国家安康」を「家康の名を分断して呪詛する言葉」とし、「君臣豊楽・子孫殷昌」を豊臣氏を君として子孫の殷昌を楽しむとし、さらに「右僕射源朝臣」については、「家康を射るという言葉だ」と非難したとする説もあるが(「右僕射源朝臣」の本来の意味は、右僕射(右大臣の唐名)源家康という意味である)、これは後世の俗説である>。
さらに8月18日、京都五山の長老たちに鐘銘の解釈を行わせた結果、五山の僧侶たちは「みなこの銘中に国家安康の一句、御名を犯す事尤不敬とすべし」(徳川実紀)と返答したという。
これに対して豊臣氏は、家老・片桐且元と鐘銘を作成した文英清韓を駿府に派遣し弁明を試みた。ところが、家康は会見すら拒否し、逆に清韓を拘束し、且元を大坂へ返した。且元は、秀頼の大坂城退去などを提案し妥協を図ったが、豊臣氏は拒否。そして、豊臣氏が9月26日に且元を家康と内通しているとして追放すると、家康は豊臣氏が浪人を集めて軍備を増強していることを理由に、豊臣氏に宣戦布告したのである。
この事件は、豊臣氏攻撃の口実とするために家康が以心崇伝らと画策して問題化させたものであると考えられているが、当時の諱の常識からすれば不敬と考えられるものであり、また近年研究では問題化に崇伝の関与はなかったとされている。なお歴史学者の河内将芳は、以心崇伝が著した『本光国師日記』に、以下のような通説とは逆の記述があることを指摘している。 以心崇伝が板倉勝重に宛てた書状(8月22日条)には「文言以下の善悪、市(片桐且元)存ぜられざることも、もっともとの御諚」「鐘をば銘をすりつぶしそうらえとの御内証」とあり、鐘銘文は重大な問題だが、片桐且元に責任はなく、梵鐘から問題の銘文をすりつぶせば良いとの家康の内意があったとしている。
その後、梵鐘は太平洋戦争中の金属供出を免れ、鋳潰されることもなく方広寺境内に残されている(重要文化財)。なお江戸時代に、梵鐘は懲罰的措置として地面に置かれ鳴らないようにされていたとする俗説があるが、それは誤りである(詳細は方広寺の記事を参照のこと)。
慶長19年(1614年)11月15日、家康は二条城を発して大坂城攻めの途についた。そして20万人からなる大軍で大坂城を完全包囲したが、力攻めはせずに大坂城外にある砦などを攻めるという局地戦を行うに留めた。徳川軍は木津川口・今福・鴫野・博労淵などの局地戦で勝利を重ねたが、真田丸の戦いでは敗戦を喫した。とはいえ戦局を揺るがすほどの敗戦ではなく、徳川軍は新たな作戦を始動した。午後8時、午前0時、午前4時に一斉に勝ち鬨をあげさせ、さらに午後10時、午前2時、午前6時に大砲(石火矢・大筒・和製大砲)を放たせ、これがきっかけとなり和睦交渉が行われた。
和睦の締結後、徳川方は和睦の条件に反して内堀までも埋め立てたため、結果、慶長20年(1615年)1月中旬までに大坂城は本丸だけを残す無防備な裸城となった。
従来の説では、豊臣方は二の丸、三の丸の破壊を形式的なもので済ませ、時間稼ぎを狙っていたが、徳川方が惣構を全ての廓と曲解することで強引に工事に参加して、豊臣側が行うとされた二の丸の破却作業も勝手に始め、さらに和議の条件に反して内堀までも埋め立てたため、豊臣側は抗議したが、最初から和議を守るつもりの無い家康はこれを黙殺したとされる。
このころ、豊臣氏は主戦派と穏健派で対立。主戦派は和議の条件であった総堀の埋め立てを不服とし、内堀を掘り返す仕儀に出た。そのため幕府は「豊臣氏が戦準備を進めている」と詰問、大坂城内の浪人の追放と豊臣氏の移封を要求。さらに、徳川義直の婚儀のためと称して上洛するのに合わせ、近畿方面に大軍を送り込んだ。そして、豊臣氏に要求が拒否されると、再度侵攻を開始した。
これに対して豊臣氏は大坂城からの出撃策をとったが、兵力で圧倒的に不利であり、幕府方は各戦闘で勝利を収めた。最終戦の天王寺・岡山の戦いにおいても徳川軍は大軍ゆえに混乱が起きて一時は本陣を下げたが、結果は大勝を収め、豊臣方は大坂城に退却・内部の裏切りにより放火もあり落城した。5月8日、秀頼と淀殿、その側近らは自害、ここに豊臣宗家は滅亡した。
その後、大坂城は完全に埋め立てられ、その上に徳川氏によって新たな大坂城が再建されて、秀吉へ死後授けられた豊国大明神の神号が廃され、豊國神社と秀吉の廟所であった豊国廟は閉鎖・放置されている。明治維新の後に豊国大明神号は復活し、東照宮にも信長や秀吉が祀られるようになっている。
慶長20年(1615年)6月28日、後陽成天皇の第八皇子である八宮良純親王を猶子とする。元和元年(1615年)7月17日、禁中並公家諸法度17条を制定して、朝幕関係を規定した。また、諸大名統制のために武家諸法度・一国一城令が制定された。こうして、徳川氏による日本全域の支配を実現し、徳川氏264年の天下の礎を築いた。
同年、自らの本格的な隠居の城として駿河沼津の柿田川の湧水にある古城泉頭城の縄張り・再整備を命じたが、翌年の病に倒れる直前に中止し、竹腰正信屋敷の改築に方針転換したが、何れも死去により立ち消えになっている。
元和2年(1616年)1月21日、病のため鷹狩に出た先で倒れた。
3月21日、朝廷から太政大臣に任ぜられたが、これは武家出身者としては、平清盛、源義満(足利義満)、豊臣秀吉に次いで史上4人目であった。これ以後は駿府の相国様と呼ばれる。
元和2年(1616年)4月17日巳の刻(現在の午前10時ごろ)、家康は駿府城において75歳(満73歳4か月)で死去した。即夜、久能山に遺体は移された。死去に際して幕府は、大名・旗本に対して家康弔問のための下向は無用と伝え、寺院に対しても後述する遺言で法事を行う増上寺以外の法要は不要である旨を伝達している。
『東照宮御実記』が伝えるところでは、以下の2首を辞世として詠んでいる。
死因については、鯛をかやの油で揚げ、その上にすった韮をすりかけた天ぷらによる食中毒説が長く一般化されてきた。しかし、家康が鯛の天ぷらを食べたのは、1月21日の夕食で、死去したのは4月17日と日数がかかり過ぎていることから、食中毒を死因とするには無理があった。替わって主流となっているのは胃癌説である。『徳川実紀』が家康の病状を「見る間に痩せていき、吐血と黒い便、腹にできた大きなシコリは、手で触って確認できるくらいだった」と書き留めていること、および、係る症状が胃癌患者に多く見受けられるものである事実が、その論拠となっている。
後代、江戸城内にては天ぷらを料理することが禁止されており、これは家康の死因が天ぷらによる食中毒であるために生まれた禁忌であるという説明がなされることもあるが、実際には、大奥の侍女の一人が天ぷらを料理していて火事を出しかけたために禁止されたものである。
当時、殉死は彼の子忠吉や秀康の死去時にも行われたように、既に流行の兆しが見えていたが、家康自身が殉死を嫌い禁じていた。このため名のある者の殉死はなかったが、老齢で古くから仕えた小者2人が殉死したという逸話がある。
『本光国師日記』によると、家康は「臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。勧請し候へ。」と遺言したとされる。この遺言に従い、葬儀は5月17日に増上寺で行われ「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士(院殿号)(蓮社号)(誉号)(戒名)(位号)」という浄土宗の戒名がつけられた。この葬儀は神として祀られたため内々で行われ、諸大名の参列・香典は無用、僧も近国からのみの参集であった。
遺体は駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られ、遺言通り、一周忌を経て関東平野の最北部にある日光の東照社に分霊された。天海指揮による日光への改葬説が、幕府文献などにも「改葬」と記述されていたため広く信じられてきたが、近年になってその矛盾を指摘する議論・研究が盛んとなり、日光へ運ばれた「神柩」の中に遺体はなかったとする説が有力となっている。
神号は側近の天海と崇伝、神龍院梵舜の間で、権現と明神のいずれとするかが争われたが、秀吉が「豊国大明神」だったために明神は不吉とされ、山王一実神道に則って薬師如来を本地とする権現とされた。この後、壬生孝亮が二条関白邸で「日本大権現」「東光大権現」の二つを示し、また一説によると菊亭晴季も「威霊大権現」「東照大権現」の二案を勧進した。日本大権現が有力候補であったが、元和3年(1617年)2月21日に東照大権現の神号、3月9日に神階正一位が贈られる。
また、東照社は今川直房と酒井忠勝の尽力により正保2年(1645年)11月3日に宮号宣下があり、東照宮となり、さらに東照宮に正一位の神階が贈られ、家康は江戸幕府の始祖として東照神君、権現様とも呼ばれ江戸時代を通して崇拝された。徳川家中においては明治維新後も権現様として崇拝され続けた。
徳川家康の埋葬地としての「墓所」は一般に、久能山東照宮の廟所宝塔(神廟)と、日光東照宮の奥社宝塔の2つとされる。徳川宗家第18代当主の徳川恒孝は、「徳川家康公顕彰四百年記念事業」に際して静岡商工会議所の広報誌に連載したコラムで、「日本各地で開催された家康公の四百忌の大祭は、駿府で築かれた公の御墓所である久能山東照宮の大祭からスタートし」と書き記した。徳川将軍15人中寛永寺か増上寺のどちらにも墓所がないのは家康以外には徳川家光と徳川慶喜がいる。
※天正15年(1587年)8月8日付の「従二位権大納言昇叙転任」の宣旨では豊臣家康の名義でなされた可能性がある。同日付で息子・徳川秀忠も侍従に任官しているが、これは豊臣秀忠名義となっている(「秀忠公任官位記宣旨宣命下書留」(宮内庁書陵部蔵本))。同様に、同年12月28日付の「左近衛大将左馬寮御監両官職兼帯」の宣旨、慶長元年(1595年)5月8日付の正二位内大臣の昇叙転任の宣旨についても豊臣家康の名義であったと考えられる。現存の日光東照宮所蔵の徳川家康の任官叙位の宣旨は、元の宣旨が遺失したため(徳川実紀正保2年5月8日条)、正保2年(1645年)に将軍・徳川家光の要請により朝廷が再発行した文書として伝わっており、この再発行手続きの段階で豊臣から源に変更した可能性がある。
※天正15年(1587年)12月某日、従一位行左大臣近衛信輔、左近衛大将兼帯を辞す(公卿補任)。同月28日、従二位行権大納言徳川家康、左近衛大将・左馬寮御監を兼帯(日光東照宮文書)。天正16年(1588年)正月13日、従二位行権大納言鷹司信房、左近衛大将兼帯(公卿補任)。これにより、同日までに徳川家康、左近衛大将および左馬寮御監の兼帯を辞すと想定出来る。なお、文禄5年(1596年)5月8日付、家康に対する内大臣宣旨(日光東照宮文書)においては、家康の官位は、正二位行権大納言兼左近衛大将源朝臣家康となっているが、公卿補任では、家康の左近衛大将の兼任記事は無く、権大納言鷹司信房が左近衛大将を兼任している記事となっている。
※文禄3年(1594年)9月21日付、「文禄三年徳川家康宛豊臣秀吉知行方目録」(三重県関町の関地蔵院文書:四日市市史第8巻史料編近世I 四日市市編・発行所収)によれば、宛名(家康)は、「羽柴江戸大納言殿」となっており、この時点では、羽柴の苗字を賜わっていたと考えられる。
さらに、その前年、文禄2年(1593年)5月20日に羽柴姓を使用している。東京国立博物館所蔵文書。
平野明夫は家康宛の信長書状は元亀四年四月六日までは書止文言は恐々謹言で宛名の脇付も進覧ないし進覧之候とあるが天正五年一月二十二日付以後の書止は謹言になり、脇付は無くなっている。これを等輩に対する書札礼から下様への書札礼に変化していると分析している。 また家康から信長への書状は天正二年九月十三日付けの書止文言は恐々謹言だが、天正二年閏十一月九日付以降は最高位の恐惶謹言が用いられていてしかも脇付は最高の敬意を示す「人々御中」が用いられている。 これを持って平野は家康は一門に準ずる織田政権下の一大名であったと締め括っている。 谷口克広も武田家滅亡の際に駿河が信長から家康に宛行いを受けたと書いてあるのは信長公記だけでなく当代記にも「駿河国家康下さる」とあるうえ、三河物語でさえも、「駿河をは家康へ遣わされて」という表現を用いているとし家忠日記でもこの頃の信長を「上様」と呼んでおり、家康の家臣でさえ、縦の関係が生じていることを認めざるをえなかったとしている。
家康は永禄4-6年ごろの文書では本姓として「源氏」を使用しており、永禄9年(1566年)に「徳川」を名乗った際に藤原氏に改姓しているが、氏を源氏に復姓した時期については、はっきりしない。かつては近衛前久による年代不明の書状が「(改姓は)将軍望に付候ての事」としていることから、関ヶ原の戦いの勝利後、征夷大将軍任官のため吉良氏系図を借用して系図を加工し、源氏に戻したというのが通説であった。
しかし米田雄介が官務壬生家の文書を調査したところ、天正20年9月の清華成勅許の口宣案において源氏姓が用いられているなど、秀吉生前からの源氏使用例が存在している。笠谷和比古は、天正16年4月の後陽成天皇の聚楽第行幸の様子を収めた『聚楽行幸記』には、家康が「大納言源家康」と誓紙に署名しているという記述があることから、源氏への復姓は少なくともこの時期からではないかと見ている、
他に天正14年(1586年)、安房国の里見義康(新田一族)に送った同年3月27日付の起請文では、徳川氏と里見氏は新田一族の同族関係にあることを主張している。ただし、これ以降も「藤原家康」名義の書状が現存しており、この起請文は偽文書の可能性が指摘されている。また、天正14年には藤原氏を用いた寺社への朱印状も残っている。天正19年(1591年)、家康が発給した朱印状で姓が記されているものは「大納言源朝臣」ないし「正二位源朝臣」と記されており、藤原氏は使用されていない。
笠谷は家康が源氏復姓の時期が将軍であった足利義昭の出家時期と重なっており、左馬寮御監・左近衛大将など将軍家しか許されてこなかった官をうけていることから、“豊臣政権下で家康はすでに源氏の公称を許され将軍任官の動きが公然化し、豊臣関白政権の下での徳川将軍制を内包する形での、権力の二重構造的な国制を検討していた”と記述している。阿部能久は、天正16年は足利義昭が正式に征夷大将軍を辞任した年であり、豊臣秀吉は家康が将来の「徳川将軍体制」を見越して源氏改姓をしたことを認識しつつ、それを逆手に取って関東地方を治めさせたと捉え、さらに清和源氏(河内源氏)の正統な末裔である足利氏の生き残りと言える喜連川家に古河公方を再興させることで、家康と喜連川家+佐竹氏など関東諸大名との間に一定の緊張関係をもたらすことで家康の野心を封じ込めようとしたと推測している。
家康が礎を築いた徳川将軍家を頂点とする江戸幕府の支配体系は、それまでの日本を統治したどの組織よりも極めて完成度の高いものである。江戸幕府は京、大坂、堺など全国の幕府直轄主要都市(天領)を含め約400万石、旗本知行地を含めれば全国の総石高の1/3に相当する約700万石を独占管理(親藩・譜代大名領を加えればさらに増加する)し、さらには佐渡金山など重要鉱山と貨幣を作る権利も独占して貨幣経済の根幹もおさえるなど、他の大名の追随を許さない圧倒的な権力基盤を持ち、これを背景に全国諸大名、寺社、朝廷、そして皇室までをもいくつもの法度で取り締まり支配した。これに逆らうもの、もしくは幕府に対して危険であると判断されたものには容赦をせず、そのため江戸幕府の初期はいくつもの大名が改易(取り潰し)の憂き目にあっており、これには譜代、親藩大名も含まれる。これは朝廷や皇室でさえも例外ではなく、紫衣事件などはその象徴的事件であった。
幕府に従順な大名に対しても参勤交代などで常に財政を圧迫させ幕府に反抗する力を蓄えることを許さず、また、特に近世初期は多くの転封をおこない「鉢植え」にした。些細な問題でも大名を改易、減封に処し、神経質に公儀の威光に従わせるように仕向けた。大名への叙位任官、松平氏下賜(授与)で、このように圧倒的な権力基盤を背景にして徳川将軍家を頂点に君臨させた。全国の諸大名・朝廷・皇室を「生かさず殺さず。逆らえば(もしくはその危険があるならば)潰す」の姿勢で支配したのが江戸幕府であった。
このように徳川将軍家を頂点とする江戸幕府の絶対的な支配体系については「保守的・封建的」との見方もできる一方、強固な支配体系が確立されたからこそ、戦国時代を完全に終結させ、そして江戸幕府が250年以上におよぶ長期安定政権となったことは否定できない事実である。
後の鎖国政策につながるような限定的外交方針を諸外国との外交基本政策にしたことから、幕末まで海外諸国からの侵略を防げたという評価もある。ただし、これらの「業績」は家康の死後に、当時の情勢において行われたものである。また明が海禁策をとるなど、当時の世界的な趨勢であるとも言える。
家康は朝廷を幕府の支配下におこうとした。慶長11年(1606年)には幕府の推挙無しに大名への官位の授与を禁止し、禁中並公家諸法度を制定するなどして朝廷の政治関与を徹底的に排除している。大坂冬の陣の最中である12月17日、朝廷は家康に勅命による和睦を斡旋したが、家康はこれを拒否した。さらに家康は秀忠の五女・和子を入内させ、外祖父として皇室まで操ろうとしたのである(入内の話は慶長17年(1612年)から始まっていたという。和子の入内が元和6年(1620年)まで長引いたのは、家康と後陽成天皇が死去したためである)。家康の死後、幕府は紫衣事件などを経て、天皇および朝廷をほぼ完全に支配することに成功した。この力関係は幕末の尊王運動が起こるまで続いた。
息子や家臣に対しても冷酷非情な面を見せる人物だったとされることが多いが、情に流されず息子や一族に対しても一律に公平であったと見る向きもある。
長男・信康の切腹に関しては、信長の要求によるものではなく、家康自らの粛清説も近年唱えられている。また、生母の身分が低い次男・結城秀康、六男・忠輝を、出生の疑惑や容貌が醜いなどの理由で常に遠ざけていたとされるが、これには異論もある。
関ヶ原の戦いにおいて江戸留守居役を命じられた秀康は、戦功を挙げるために秀忠に代わり西上したいと申し出たが容れられなかった。かねてから秀康には石田三成との交流があり、豊臣方に内通する恐れがあったとも考えられる一方で、武将として実績のある秀康に三成と友誼が深く西軍に呼応する恐れが強い佐竹義宣を監視させ、東北戦線で上杉氏と戦う伊達政宗・最上義光らの後詰め役として待機させたとされる。秀康は後の論功行賞において破格の50万石を加増、官位も権中納言まで昇進しており、最終的に67万石もの大封を与えられ、江戸への参勤免除、幕府からの使役の免除、関所を大砲で破壊しても黙認されるなど、別格の扱いを受けている。将軍継嗣がならなかったのは、豊臣秀吉の養子で、後に結城家に養子に入り名跡を継いでいることなどが理由とされる。また秀康の子・松平忠直には、秀忠の娘・勝姫を嫁がせている。
忠輝についても嫌われ、冷遇されたといわれたが、それを示す史料はなく、改易前には御三家並の所領(越後国・高田55万石)が与えられていた。
しかし秀康はともかく、嫡子・忠直や忠輝は家康よりもむしろ秀忠と不仲であったとされる。松平忠直は大坂の陣で真田信繁(通称、幸村)らを討ち取る功績を挙げたが、論功行賞に不満を言い立てた。家康の死後は幕政批判や乱行が目立ったために秀忠によって隠居させられ、越前福井藩を継いだのは忠直の弟・忠昌であった。忠輝も秀忠により数々の不行状を追及されて改易させられた。
徳川四天王である本多忠勝や榊原康政を関ヶ原の戦い後に中枢から外し、この2人に次ぐ大久保忠隣を改易・失脚させている。しかし、榊原康政は老臣が要職を争うことを嫌い自ら老中職を辞退していることに加え、康政の跡を継いだ榊原康勝が大坂の陣で没した後に起こった騒動を家老の処分にとどめ、本多忠勝に対しては、その子・本多忠政と孫・本多忠刻に自分の孫・熊姫(松平信康の娘)と千姫を嫁がせるなど、譜代大名に相応の配慮は示しており、その例は例外も多いが鳥居家、石川家など枚挙に暇がない。大久保氏も忠隣の孫・忠職は大名として復権し、家康の死後は加増が行われ次代・大久保忠朝は旧領小田原への復帰と、11万石という有力譜代大名としての加増を受けている。ただし、忠職が家康の曽孫であるから、という見方もできるのも否めない。しかし、忠隣自身が家康死後に家康の誤りを示すとして秀忠からの赦免要請を拒否していることから、大久保氏を避けていたわけではないと思われる。
家康は吏僚の造反行為には厳しく、三河時代に武田勝頼と内通した寵臣・大岡弥四郎を鋸引きという極刑で処刑している。大久保長安についても、幕府中枢にある者の汚職・不正蓄財と扱い殊更に厳しくすることで、綱紀粛正を促したとする見方もできる。さらには、人材の環流は組織の活性化に必須であり、一連の行為はあくまで幕府の体制固めとして行われた政治的行為として解釈することもできる。また、松平信康を含め、秀康・忠輝に共通するのは武将としての評価が高かったことにあり、武将としては凡庸とされ失敗もあり兄を差し置いて将軍となった秀忠の手前彼らを高く評価することは憚られたことが背景にある。
また、家康はかつて敵対していた今川氏・武田氏・北条氏の家臣も多く登用し、彼らの戦法や政策も数多く取り入れている。『故老諸談』には家康が本多康重に語った言葉として「われ、素知らぬ体をし、能く使ひしかば、みな股肱となり。勇功を顕したり」と記されている。
家康は、武田信玄を尊敬し、武田氏の遺臣から信玄の戦術や思想を積極的に学んだ。その反面、信長のように身分や序列を無視した徹底的な能力主義をとることはなく、秀吉のように自らのカリスマ性や金、領地を餌に釣って家臣を増やすこともなかった。家康の重臣のほとんどは三河以来の代々仕えてきた家臣たちであった。
そのためか、彼らに天下を統一され遅れをとったが、代わりに自身は信頼できる部下だけで周囲を固め、豊臣政権の不備もあって天下人となった。とはいえ、その部下の中には今川氏・武田氏・北条氏等の自身が直接(主導)的には滅ぼしてはいない大名の家臣も含まれているため一種の漁夫の利(統一の際の汚れ役を信長・秀吉が被ってくれた)ともいえる。一方で偉大な先人から学びとり、それを取捨選択しその時流や自分の状況にあう行動をとったことは十分に名君と呼ぶに値するという見方もできる。
その戦振りに関しては、秀吉から「海道一の弓取り」と賞賛されたと伝わる。 家康は常に冷静沈着な知将だったとされているが短気で神経質な一面も持ち、関ヶ原の戦いでは開戦間際において一面に垂れ込める霧の中で使番の野々村四郎右衛門が方向感覚を失い陣幕に馬を乗り入れた際に苛立ち、門奈長三郎という小姓に侵入者が何者か尋ねるが、門奈は侵入者が誰だか知っていたが当人に責任が掛からないように配慮し答えなかった。家康は門奈のこの態度に腹を立て、門奈の指物の竿を一刀のもとに切り捨てたという。さらに家康は苛立ったり、自分が不利になったりすると、親指の爪を常に噛み、時には皮膚を破って血を流すこともあったという。その一方怒りに任せ家臣や領民を手打ちにするようなことは生涯ほとんどなかった。幼少期に今川家の人質だったころ自分に辛く当たった今川方の孕石元泰を後年探しだし切腹させた(『三河物語』)のは例外的処置である。
情を排する冷徹な現実主義者との評価がある一方、法よりも人情を優先させた事例もある。例えば三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討死した夏目吉信の子が規律違反を犯しても超法規的に赦し、関ヶ原の合戦後に真田信之、本多忠勝らの決死の嘆願で真田昌幸と真田幸村を助命している。特に苦労を共にしてきた三河時代からの家臣たちとの信頼関係は厚く、三方ヶ原の戦いで三河武士が背を向けず死んで行ったという俗説をはじめ、夏目吉信・鳥居元忠らの盲目的ともいえる三河武士たちの忠節ぶりは敵から「犬のように忠実」と言われたこと(『葉隠覚書』)から、少なくとも地元である三河武士が持つ家康への人望は非常に厚かったようだが、一向一揆を起こされたことも考慮する必要がある。無論、有能な人材も重視し、安祥・岡崎譜代だけでなく今川氏・武田氏・北条氏の旧臣を多く召抱え、大御所時代には武士のみならず僧・商人・学者、さらには英国人ウィリアム・アダムス(外国人に武士として知行を与えたのは家康のみ)と実力も考慮して登用し、江戸幕府の基礎を作り上げていった。
戦国時代最大の武装宗教勢力であった一向宗は第11世門主・顕如の死後、顕如の長男・教如と三男・准如が対立し、教如が独立する形で東本願寺(真宗大谷派)を設立、後にこれに対して准如が西本願寺(浄土真宗本願寺派)を設立し、東西本願寺に分裂するが、この分裂劇に関与しているのも家康である。一説によると、若き日に三河一向一揆に苦しめられたことのある家康が、本願寺の勢力を弱体化させるために、教如を唆して本願寺を分裂させたと言われているが、明確にその意図が記された史料がないため断定はできない。しかし、少なくともこの分裂劇に際し、教如を支持して東本願寺の土地を寄進したのが家康であることは確かである(真宗大谷派も教如の東本願寺の設立に家康の関与があったことは認めている)。
現在の真宗大谷派は、このときの経緯について、「教如は法主を退隠してからも各地の門徒へ名号本尊や消息(手紙)の配布といった法主としての活動を続けており、本願寺教団は関ヶ原の戦いよりも前から准如を法主とする一派と教如を法主とする一派に分裂していた。徳川家康の寺領寄進は本願寺を分裂させるためというより、元々分裂状態にあった本願寺教団の現状を追認したに過ぎない」という見解を示している。
東西本願寺の分立が後世に与えた影響については、『戦国時代には大名に匹敵する勢力を誇った本願寺は分裂し、弱体化を余儀なくされた』という見方も存在するが、前述の通り本願寺の武装解除も顕如・准如派と教如派の対立も信長・秀吉存命のころから始まっており、また江戸時代に同一宗派内の本山と脇門跡という関係だった西本願寺と興正寺が、寺格を巡って長らく対立して幕府の介入を招いたことを鑑みれば、教如派が平和的に公然と独立を果たしたことは、むしろ両本願寺の宗政を安定させた可能性も否定出来ない。
ちなみに、三河一向一揆が起こった際、敵方の一向宗側には本多正信や夏目吉信など、家康の家来だった者もいた。だが家康は彼らを怨まず、逆に再び召抱えている。彼らは家康に恩を感じ、本多正信は家康の晩年まで参謀として活躍し、夏目吉信は三方ヶ原の戦いで家康の身代わりになって戦死した。
また、同様に町衆に対し強い影響力を有する日蓮宗に対しても、秀吉が命じた方広寺大仏殿の千僧供養時に他宗の布施を受けることを容認した受布施派と、禁じた宗義に従った不受不施派の内、後者を家康は公儀に従わぬ者として日蓮宗が他宗への攻撃色が強いことも合わせて危険視した。そのため、後の家康の出仕命令に従わぬ不受不施派の日奥を対馬国に配流したり、他宗への攻撃が激しい日経らを耳・鼻削ぎの上で追放した。家康死後も不受不施派は江戸幕府の布施供養を受けぬことを理由として、江戸時代を通じて弾圧され続けた。
これら新興の宗派以外の古い天台宗・真言宗・法相宗にも独占した門跡を通じ朝廷との深い繋がりを懸念し、新たに浄土宗の知恩院を門跡に加え、さらに天台宗の関東における最高権威として輪王寺に門跡を設けた。これら知恩院・輪王寺は江戸幕府と強い繋がりを持った。
一方でキリスト教に対しては秀吉の死後、南蛮貿易による収益などの観点から当初は容認しており、実際に江戸時代初期にキリスト教は東北地方への布教を行っている。しかしマードレ・デ・デウス号事件や岡本大八事件を経て、慶長18年(1613年)にバテレン追放令を公布する。
家康の死後、幕府は寺請制度等により、寺社勢力を完全に公儀の下に置くことに成功している。また、家康自身が東照神君として信仰対象になった。
家康は江戸期を通じて神格化され、否定的評価は禁じられており、自由な評価が解禁されたのは江戸幕府が崩壊した明治維新後である。山岡荘八の小説『徳川家康』では、幼いころから我慢に我慢を重ねて、逆境や困難にも決して屈することもなく先見の明をもって勝利を勝ち取った人物、泰平の世を願う求道者として描かれている。この小説をきっかけに家康への再評価が始まっている。
司馬遼太郎は家康について記した小説『覇王の家』あとがきで、家康が築いた江戸時代については「功罪半ばする」とし、「(日本人の)民族的性格が矮小化され、奇形化された」といった論やその支配の閉鎖ないし保守性については極めて批判的である。但し、司馬は家康本人に対しては、必ずしも否定的では無い。初陣を15歳で経験し、大坂夏の陣では73歳でありながら総大将として指揮を採り、その生涯では三方ヶ原の戦いなど大敗も経験したが、晩年まで幾多もの戦争を経験し、指揮も執り、戦死しなかったことを、「歴史上、古今東西見渡しても滅多に類を見ない」とし、「戦が強くはなかったが、戦上手であった」と評している。
2000年に朝日新聞社が実施した識者5人(荒俣宏、岸田秀、ドナルド・キーン、堺屋太一、杉本苑子)が選んだ西暦1000年から1999年までの「日本の顔10人」において、家康が得票数で1位を獲得した。
死去時における家康の遺品は「駿府御分物」として秀忠や側室・娘・孫に一部が、残りの大部分が御三家に分与された。尾張家と水戸家にはその目録があり、大雑把な分類を下記する。
これらの大半は長い年月の内に使用・贈答・破損等で失われたが、それでも多くの遺品が残存している。この他に生前家臣等へ下賜したものを含めれば、他の人物とは比較にならない多種多様な遺品が伝来している。
「駿府御分物」目録に記載された刀剣・薙刀・槍の総数は1,172点を数える。この内、目録の記述が簡略なため現存品と確認できるのは少なく100点、刀剣85点中国宝・重要文化財・重要美術品指定42点、御物4点、また名物は40点を数える。
家康は、武家の棟梁として古い名刀を蒐集し、「日光助真」(国宝、東照宮蔵)など多くの名物がその手元にあった。また、晩年の慶長19年(1614年)春には、大坂冬の陣に備えるために、伊賀守金道という刀工に1,000振りの陣太刀を急造発注し、その政治的見返りとして朝廷に対し金道を「日本鍛冶惣匠」に斡旋している。
一方で、家康を始めとする徳川家臣団が、戦場で使う武器として愛用していたのが、当時の「現代刀」だった伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)の刀工、千子村正(せんご むらまさ)と千子派(村正の一派)、そしてその周辺流派の作である。
家康自身も村正の打刀と脇差を所有し、これらは尾張徳川家に「村正御大小(むらまさおだいしょう)」として伝来した。脇差は大正期に売却されたが、打刀は現在も徳川美術館に所蔵され、村正に珍しい皆焼(ひたつら)刃の傑作として名高い。家康がこの大小を一揃いで差し実戦で使用したのか確実なところは不明だが、少なくとも今も打刀にはわずかに疵の跡が残っている。この「皆焼」の刃文を持つ村正は相当な稀少品で、現存するのは他に短刀「群千鳥(むらちどり)」や短刀「夢告(むこく)」などの数点しかなく、そのいずれもが評価の高い名作とされている。
お膝元の駿河には村正と作風を共有する島田義助(元今川氏のお抱え刀工)がいて、六代目の義助に御朱印を与えるなど厚遇している。村正と義助は直接の師弟関係ではないが、お互いの派で技術的交流を続けていたから、作風が近づくことがよくあった。
なお、かつては家康が村正を忌避していたという俗説があったが、現在では完全に否定されている。村正は徳川家に祟るとする妖刀伝説が江戸時代に広く流布していたことそのものは事実(村正#妖刀村正伝説)で、村正は銘を潰されるなどの悲惨な被害を受けたが、そうした伝説は家康の死後に発生したものである。徳川美術館は、家康が村正を忌避していたとするのは後世の創作、家康は実際は村正を好んでいた、と断言している。
妖刀伝説が広まった理由としては、以下の理由が考えられる。
家康所用とされる甲冑は多数伝来しており、記録伝承が確実なものだけで10領が現存する。
代表的なものとして上述の「南蛮胴具足」(下賜品含め5領、他兜のみも有)、「伊予札黒糸威胴丸具足(歯朶具足)」(2領、内1領は兜欠)、「金溜塗具足」(2領)などが伝来している。
当時の武将は存在を誇示するため派手な甲冑や前立を好んでいたが、家康が大坂の陣で使用した歯朶具足は飾りが少ない漆黒の甲冑は「現代刀」と共に家康の気質を表しているとされる。一方で、金色の「金溜塗具足」や「金小札緋縅具足」、水牛の角を立物として熊毛を植えた「熊毛植黒糸威具足」、一の谷と大釘を組み合わせた立物に銀箔と白糸による総白色の「白糸威一の谷形兜」、華麗な姿や桐紋から当初は秀吉所用と思われた「花色日の丸威胴丸具足」等派手な甲冑も多数伝来しており、実際には多種多様な甲冑を着用・所持した。
また家康は秀吉と同様に欧州に甲冑を贈っているが、オーストリアアンブラス城にある「文字威胴丸具足」は「日本の皇帝及び皇后が神聖ローマ皇帝ルドルフ2世」に贈った品と記録がある。この具足は先述の「花色日の丸威胴丸具足」や1613年に秀忠がイギリス国王ジェームズ1世に贈った甲冑等の家康やその近辺の甲冑と同一の特徴があり、1608年から1612年に家康が贈った甲冑とされる。この甲冑は胴前面と左袖に「天下」、胴後面と右袖に「太平」の文字が紅糸で縅してある。
目録記載の主な衣類として小袖2,746領、単物2,258領、糸490貫がある。生前の下賜品を含めた現存品は180点を超え、その種類も羽織・胴服・陣羽織・小袖・綿子・下着・カルサン・小袴・襟巻・長裃・裃・肩衣・帷子・浴衣・紙子・下帯・足袋、素材も絹・天鵞絨・羅紗・革・麻・紙と多彩である。
衣類の中でも辻ヶ花の小袖は技術的・美術的にも価値が高い遺品が多く、「葵梶葉文染分辻が花染小袖」のように重要文化財に指定された品も多い。『慶長板坂卜斎記』には家康が家臣へ数多くの小袖(年間に9から14・15領)を下賜した結果、天正末から文禄に掛けて小袖が天下に広まったとして、日本衣装が結構な事は家康に始まるとして、日本建築が結構な事は秀吉に始まると対比させている。
例として「練緯地白紫段葵紋散辻が花染陣羽織」は天正10年(1582年)伊賀越え時の下賜品とされ時期が判明する最も古い衣装であり、慶長15年(1610年)に下賜された「白練緯地松皮菱竹模様小袖」は半世紀以上後に流行した寛文小袖とする説も出た斬新なデザインである。また大破した残欠を化学分析した結果、黄金色に復元された「黄金色地葵紋波兎文辻ケ花染羽織」は地味と言われる家康の趣向に対する認識を大きく変えた。
家康の駿府城中にあった文庫「駿府御文庫」に収められた蔵書は、「国内の旧記・稀覯本」は将軍家に収められ「紅葉山文庫」の基となった。残りは前述のように御三家に相続され、この内尾張家に収められた分は「蓬左文庫」の基となった。
将軍家相続分は「先代旧事本紀」・「古事記」・「釈日本紀」等国書が多く、史書・故実書が大半を占めるが、漢詩文集や漢籍(史書が殆ど)もある。これらの多くは社寺・公家・院御所等から得られたもので、概算で51部1,200冊を数える。御三家の内、目録のある尾張家の分は378部2,838冊、水戸家の分は180部907冊とされる。「駿府御文庫」の収蔵数は約1,000部7,800冊と推測され、これとは別に林羅山へ預けた分は記録がある漢籍800部に和書を加えれば1,000部になると推測される。
蔵書の分類は漢籍が8割、和書が2割とされ、学問書が多くを占めている。これらの蔵書は江戸幕府による文治政策の基礎を成したと見られる。
家康は2代将軍・徳川秀忠の父、3代将軍・徳川家光・水戸藩主水戸光圀らの祖父、4代将軍・徳川家綱、徳川綱重(6代将軍・徳川家宣の父)、5代将軍・徳川綱吉、8代将軍・徳川吉宗の曽祖父に当たる。家康の子で六男松平忠輝が一番長生きしている。家康の存命中に玄孫も生まれており、家康の曽孫の敬台院が蜂須賀至鎮に嫁いで産んだ三保姫と蜂須賀忠英と正徳院のほか、家康の曽孫同士で結婚した小笠原忠脩と円照院の子の齢昭院と小笠原長次、家康の曽孫の栄寿院が有馬直純に嫁いで産んだ有馬康純が該当する。
功績のあった臣や元服する者に自分の名の一字(太字)を与えた。
※上記三作品は「家康三部作」とも呼ばれる。
※影武者としての家康の主題作品は「徳川家康の影武者説」参照。 | [
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"text": "徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名。江戸幕府初代将軍。三英傑の1人である。",
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"text": "家系は三河国の国人土豪・松平氏の内、安祥松平家5代当主。幼名は竹千代。諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)、次いで元康(もとやす)と名乗るが、今川氏から独立した際に家康と名乗る。仮名 (通称)は当初次郎三郎、元康と名を改めた際に蔵人佐と改めている。",
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"text": "近衛家に系図作成を依頼し、勅許の上、永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は源氏や藤原氏を称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるが、天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の祖である。",
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"text": "幼少期を織田氏ついで今川氏の下で人質として過ごす。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いでの今川義元の討死を機に今川氏から独立して織田信長と同盟を結び、三河国・遠江国に版図を広げる。",
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"text": "信長が天正10年(1582年)に本能寺の変において死亡すると天正壬午の乱を制して甲斐国・信濃国を手中に収める。",
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"text": "信長没後に勢力を伸張した豊臣秀吉と小牧・長久手の戦いで対峙するが、後に秀吉に臣従。小田原征伐後は後北条氏の旧領関東への転封を命ぜられ豊臣政権下で最大の領地を得る。秀吉晩年には五大老に列せられ大老筆頭となる。",
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"text": "秀吉没後の慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いにおいて西軍に勝利。慶長8年(1603年)に征夷大将軍に任命され武蔵国江戸に幕府を開く。慶長20年(1615年)の大坂の陣で豊臣氏を滅亡させ、日本全国を支配する体制を確立。安土桃山時代が終結した。",
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"text": "没後は東照大権現の神号を贈られるなど神格化され、江戸幕府の祖として「神祖」・「烈祖」などとも称されるなど、江戸時代を通じて崇拝された。",
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"text": "家康がその礎を築いた江戸幕府を中心とする統治体制は、後に幕藩体制と称される。",
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"text": "※ 日付は、太陰暦による和暦。西暦の暦法は便宜上、ユリウス暦とする。",
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"text": "天文11年(1542年)12月26日、岡崎城主松平広忠の嫡男として岡崎城において生まれる。生母は緒川城主水野忠政の娘・大子(伝通院)。幼名は竹千代(たけちよ)。胞刀の役は酒井政家、蟇目の役は石川清兼が務めた。",
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"text": "3歳のころ、水野忠政没後に水野氏当主となった水野信元(大子の兄)が尾張国の織田氏と同盟する。織田氏と敵対する駿河国の今川氏に庇護されている広忠は大子を離縁。竹千代は3歳にして母と生き別れになる。",
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"text": "天文16年(1547年)8月2日、竹千代は数え6歳で今川氏への人質として駿府へ送られることとなる。しかし、駿府への護送の途中に立ち寄った田原城で義母の父・戸田康光の裏切りにより、尾張国の織田信秀へ送られた。だが広忠は今川氏への従属を貫いたため、竹千代はそのまま人質として2年間尾張国熱田の加藤順盛の屋敷に留め置かれた。このとき織田信長と知り合ったという伝説があるが、史料にはない。また、近年の研究では、天文16年9月に岡崎城が織田氏によって攻略されたとする文書(「本成寺文書」『古証文』)の存在が指摘され、松平広忠が織田氏への降伏の証として竹千代を人質に差し出した可能性も浮上している。",
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"text": "2年後に広忠が死去する。今川義元は織田信秀の庶長子・織田信広との人質交換によって竹千代を取り戻す。しかし竹千代は駿府に移され、岡崎城は今川氏から派遣された城代(朝比奈泰能や山田景隆など)により支配された。墓参りのためと称して岡崎城に帰参した際には、本丸には今川氏の城代が置かれていたため入れず、二の丸に入った。",
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"text": "なお、安城松平家の家督は、広忠が亡くなった時点で竹千代が継承していたと考えられている。そのことが今川家中において、既に領主となっていた竹千代に対する人質として扱いが領主の子に対する通常の人質の例とは異なった理由として考えられる。",
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"text": "天文24年(1555年)3月、14歳のとき、駿府の今川義元の下で元服し、次郎三郎元信と名乗った。義元の偏諱「元」の字を与えられており、これは改めて今川氏の配下になったことを意味した。",
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"text": "弘治3年(1557年)もしくは2年(1556年)、今川義元の姪とされる関口親永の娘(築山殿)を娶る。これにより、今川一門に準じる立場となった。",
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"text": "弘治4年(1558年)頃に、祖父・松平清康の名の一字をとり、元康と改め、仮名も蔵人佐と改めている。",
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"text": "なお、松平元康(徳川家康)の今川氏との関係については吉良氏との関係を考慮する必要があるとする指摘もある。吉良氏は三河国幡豆郡を根拠とした足利氏御一家の一つで、今川氏の宗家筋であった。吉良氏は守護ではないものの、三河の国主に准じられて国内の国衆にも影響を与え、松平信忠は吉良義信、松平清康は吉良持清、松平広忠は吉良持広の偏諱を得たと推定されている。今川義元は吉良氏に代わって安祥松平氏当主に対して自らの偏諱を与えるとともに自らの一門に組み込むことによって吉良氏の三河国主としての地位を間接的に否定するとともに、今川氏の三河支配の安定化を実質上の三河最大の勢力である松平氏を介して図ったと考えられる。",
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"text": "当時、三河国では国衆の間で大規模な反乱が起きており(三河忩劇)、永禄元年(1558年)2月5日には今川氏から織田氏に通じた加茂郡寺部城主・鈴木重辰を攻めた。これが初陣であり、城下を焼いて引き揚げ、転じて附近の広瀬・挙母・梅坪・伊保を攻めた(寺部城の戦い)。この戦功により、義元は旧領のうち山中300貫文の地を返付し、腰刀を贈った。永禄2年(1559年)に駿府の元康は7か条からなる定書を岡崎にいる家臣団との間で交わしている。これは、将来的に今川氏直臣の岡崎城主となるであろう元康と今川氏による間接統治下で希薄化した家臣団との間の主従関係を再確認する性格を持っていた。",
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"text": "永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いで先鋒を任され、大高城の鵜殿長照が城中の兵糧が足りないことを義元に訴えたため、義元から兵糧の補給を命じられた。しかし織田軍は大高城を包囲しており、兵糧を運び込むには包囲を突破する必要があった。そこで5月18日、鷲津砦と丸根砦の間を突破して、小荷駄を城中に送り込み、全軍無事に引上げた。5月19日、丸根の砦を攻め落とし、朝比奈泰朝は鷲津の砦を攻め落とした。",
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"text": "5月19日昼頃、今川義元は織田信長に討たれた。織田方の武将の水野信元は、甥の元康のもとへ、浅井道忠を使者として遣わした。同日夕方、道忠は、元康が守っていた大高城に到着し、義元戦死の報を伝えた。織田勢が来襲する前に退却するようとの勧めに対し、元康はいったん物見を出して桶狭間敗戦を確認した。同日夜半に退城。岡崎城内には今川の残兵がいたため、これを避けて翌20日、菩提寺の大樹寺に入った。ほどなくして今川軍は岡崎城を退去。23日、元康は「捨城ならば拾はん」と言って岡崎城に入城した。岡崎城に入る際、大樹寺住職の登誉天室と相談の上、独自の軍事行動をとり、今川からの独立を果たそうとしたとされる。また桶狭間の戦いの直後から、元康は今川・織田両氏に対して軍事行動を行う両面作戦を行ったとする説もある。さらに近年の新説として、桶狭間での勝利に乗じた織田軍の三河侵攻を警戒した今川氏真がこれに備えるために元康の岡崎城帰還を許したとする説も出されている。",
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"text": "永禄4年(1561年)2月、元康は将軍・足利義輝に嵐鹿毛とよばれる駿馬を献上して室町幕府との直接的な関係を築くことで、独立した領主として幕府の承認を取り付けようとしている。4月、元康は東三河における今川方の拠点であった牛久保城を攻撃、今川氏からの自立の意思を明確にした。",
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"text": "折しも今川氏の盟友であった武田信玄、北条氏康は、関東管領・上杉憲政を奉じた長尾景虎(上杉謙信)の関東出兵(小田原城の戦い)への対応に追われており、武田・北条からの援軍は来ないという判断があったとされる。また、桶狭間の戦い直後は三河の今川方をまとめて織田方の侵攻と対峙していた元康が三河への軍事的支援を後回しにして同盟国の武田・北条支援に動く氏真に失望して、援軍を得られないまま織田氏に抵抗を続けるよりも織田氏と結んで独立を図った方が領国維持の上で得策と判断したとする見方もある。この事態は義元の後を継いだ今川氏真には痛恨の事態であり、後々まで「松平蔵人逆心」「三州錯乱」などと記して憤りを見せている。その後も元康は藤波畷の戦いなどに勝利して、西三河の諸城を攻略する。",
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"text": "永禄4年(1561年)先に今川氏を見限り織田氏と同盟を結んだ伯父・水野信元の仲介もあって、信長と和睦し、今川氏と断交して信長と同盟を結んだ(清洲同盟)(『史料総覧』巻10)。同年4月西三河で今川氏との戦いが開始された。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "永禄5年(1562年)には、元康と信長が会って会談し、同盟の確認をして関係を固めている。一方、今川氏真の要請を受けた将軍・足利義輝は松平・今川両氏の和睦を図り、義輝から北条氏康らに対しても和睦の仲介を指示しているが、和睦は実現しなかった。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 26,
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"text": "永禄6年(1563年)には、義元からの偏諱である「元」の字を返上して元康から家康と名を改めた。「家」を選んだ理由は明確ではない。ほぼ同じ時期に今川義元に倣った花押の形を変更している。改名以前の花押が「元」の字を変形させたものである以上、花押の変更は当然のことであったとも言えるが、これも今川氏からの決別を示したことと言える。こうした動きが桜井・大草の両松平家をはじめとする親今川派を刺激して、翌年の一斉蜂起につながったとする見方がある。同年3月には、同盟の証として嫡男・竹千代(信康)と信長の娘・五徳との婚約が結ばれる。",
"title": "生涯"
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"text": "永禄7年(1564年)、今川氏真が家康討伐の意向を示すと、酒井忠尚や吉良義昭ら三河国内の反家康勢力の国衆が挙兵し、続いて三河一向一揆が勃発するも、これを鎮圧。こうして岡崎周辺の不安要素を取り払うと、対今川氏の戦略を推し進めた。東三河の戸田氏や西郷氏といった土豪を抱き込みながら、軍勢を東へ進めて鵜殿氏のような敵対勢力を排除していった。遠江国で発生した国衆の反乱(遠州忩劇)の影響で三河国への対応に遅れる今川氏との間で宝飯郡を主戦場とした攻防戦を繰り広げた後、永禄9年(1566年)までには東三河・奥三河(三河国北部)を平定し、三河国を統一した。この際に家康は、西三河衆(旗頭:石川家成(後に石川数正))・東三河衆(旗頭:酒井忠次)・旗本の三備の制への軍制改正を行い、旗本には旗本先手役を新たに置いた。",
"title": "生涯"
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"text": "永禄9年(1566年)、家康は朝廷から藤原氏として従五位下三河守に叙任され、その直前、あるいは同時に苗字を「徳川」に改めている。",
"title": "生涯"
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"text": "この改姓を朝廷に願い出る際にはいくらかの工夫を要した。松平家は少なくとも清康の時代から新田氏支流世良田氏系統の清和源氏であると自称していたが、当初は正親町天皇が清和源氏の世良田氏が三河守に任官した先例がないことを理由にこの叙任を認めなかった。そこで家康は三河国出身で京誓願寺住持だった泰翁を介して近衛前久に相談した。",
"title": "生涯"
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"text": "前久の対処により、吉田兼右が万里小路家で先例に当たる系譜文書「徳川(根元は得川)は源氏だがもう一つの流れに藤原氏になった例がある」を発見し写しが譲渡され申請に使用した。この得川の末だと藤原氏を名乗る特例ともいえる措置を得て、家康は従五位下三河守に叙任された(近衛家文書)。この先例とされたのは松平氏の祖とされる新田氏庶流の世良田三河守頼氏で、藤原氏となったのは嫡男有氏とその弟教氏で、松平清康の世良田改姓とつなげたとの説がある。この勅許に関連した改姓で当面は徳川姓を名乗るのは家康一人であり、松平氏一族や家臣団統制に役立った。この改姓に伴い家康は「本姓」を「藤原氏」としているが、後に源氏に復している(#源氏への「復姓」時期について)。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "永禄10年(1567年)5月、長男の竹千代と信長の娘である徳姫を結婚させ、共に9歳の形式の夫婦とはいえ岡崎城で暮らさせる。竹千代は、7月に元服して信長より偏諱の「信」の字を与えられて信康と名乗る事になった。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "永禄11年(1568年)、信長が室町幕府13代将軍・足利義輝の弟・義昭を奉じて上洛の途につくと、家康も信長への援軍として松平信一を派遣した。同年1月11日、家康は左京大夫に任命されている(『歴名土代』)。左京大夫は歴代管領の盟友的存在の有力守護大名に授けられた官職であり、これは義昭が信長を管領に任命する人事に連動した武家執奏であったとみられる。だが、信長は管領就任を辞退したことから、家康も依然として従来の「三河守」を用い続けた。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 33,
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"text": "同年12月6日、甲斐国の武田信玄が今川領駿河への侵攻を開始すると(駿河侵攻)、家康は酒井忠次を取次役に遠江割譲を条件として武田氏と同盟を結び、13日、遠江国の今川領へ侵攻して曳馬城を攻め落とし、軍を退かずに遠江国で越年する。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 34,
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"text": "武田氏との今川領分割に関して、徳川氏では大井川を境に東の駿河国を武田領、西の遠江国を徳川領とする協定を結んでいたとされる(『三河物語』)。しかし永禄12年(1569年)1月8日、信濃国から武田家臣・秋山虎繁(信友)による遠江国への侵攻を受け、武田氏とは手切となった。",
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},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "5月に駿府城から本拠を移した今川氏真の掛川城を攻囲。籠城戦の末に開城勧告を呼びかけて氏真を降し、遠江国を支配下に置く(遠江侵攻)。氏真と和睦すると家康は北条氏康の協力を得て武田軍を退けた。以来、東海地方における織田・徳川・武田の関係は、織田と他2者は同盟関係にあるが徳川と武田は敵対関係で推移する。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "元亀元年(1570年)、岡崎城から遠江国の曳馬城に移ると、ここを浜松と改名し、浜松城を築いてこれを本城とした。なお、岡崎城は長男の信康に譲った。また信長を助け、金ヶ崎の戦いに参戦したほか、朝倉義景・浅井長政の連合軍との姉川の戦いでは活躍を見せた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "家康は北条氏康・氏政父子と協調して武田領を攻撃していたが、武田信玄は氏康没後の元亀2年(1571年)末に北条氏政との甲相同盟を回復し駿河国を確保する。信長と反目した将軍・足利義昭が武田信玄、朝倉義景・浅井長政・石山本願寺ら反織田勢力を糾合して信長包囲網を企てた際、家康にも副将軍への就任を要請し協力を求めた。しかし家康はこれを黙殺し、信長との同盟関係を維持した。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 38,
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"text": "元亀3年(1572年)10月には武田氏が徳川領である遠江国・三河国への侵攻(西上作戦)を開始した。これにより武田氏と織田氏は手切となった。家康は信長に援軍を要請するが、信長も包囲網への対応に苦慮しており、武田軍に美濃国岩村城を攻撃されたことから十分な援軍は送られず、徳川軍はほぼ単独という形で武田軍と戦うこととなる。",
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{
"paragraph_id": 39,
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"text": "徳川軍は遠江国に侵攻してきた武田軍本隊と戦うため、天竜川を渡って見附(磐田市)にまで進出。浜松の北方を固める要衝・二俣城を取られることを避けたい徳川軍が、武田軍の動向を探るために内藤信成・本多忠勝らを偵察隊として遣わせるも武田軍と遭遇し、一言坂で敗走する(一言坂の戦い)。遠江方面の武田軍本隊と同時に武田軍別働隊が侵攻する三河方面への防備を充分に固められないばかりか、この戦いを機に徳川軍の劣勢は確定してしまう。そして12月、二俣城は落城した(二俣城の戦い)。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 40,
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"text": "ようやく信長から佐久間信盛、平手汎秀率いる援軍が送られてきたころ、別働隊と合流した武田軍本隊が浜松城へ近づきつつあった。対応を迫られる徳川軍であったが、武田軍は浜松城を悠然と素通りして三河国に侵攻するかのように転進した。これを聞いた家康は、佐久間信盛らが籠城を唱えるのに反して武田軍を追撃。しかしその結果、鳥居忠広・成瀬正義や、二俣城の戦いで開城の恥辱を雪ごうとした中根正照・青木貞治といった家臣をはじめ1,000人以上の死傷者を出し、平手汎秀といった織田軍からの援将が戦死するなど、徳川・織田連合軍は惨敗した。家康は夏目吉信に代表されるように、身代わりとなった家臣に助けられて命からがら浜松城に逃げ帰ったという。(三方ヶ原の戦い)武田勢に浜松城まで追撃されたが、帰城してから家康は「空城計」を用いることによって武田軍にそれ以上の追撃を断念させたとされているが、信憑性に疑問も呈されている。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "その後家康は、三方原の失敗を戒めとするため、合戦直後の自身の姿を描かせ、それが徳川家康三方ケ原戦役画像であるとするのが通説とされてきた。ただし近年上記通説に対し疑問が呈されている(詳細は「徳川家康三方ケ原戦役画像」を参照)。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "浜名湖畔の堀江城攻略を断念して一旦浜名湖北岸で越年した後、三河国への進軍を再開した武田軍によって三河国設楽郡の野田城を2月には落とされ、城主・菅沼定盈が拘束された。ところがその後、武田軍は信玄の発病によって長篠城まで退き、武田信玄の死去(享年51歳)により撤兵した。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "武田軍の突然の撤退は、家康に信玄死去の疑念を抱かせた。その生死を確認するため家康は武田領である駿河国の岡部に侵攻・放火し、三河国では長篠城を攻めるなどしている。そして、これら一連の行動で武田軍の抵抗がほとんどなかったことから信玄の死を確信した家康は、武田氏に与していた奥三河の豪族で山家三方衆の一角である奥平貞能・貞昌親子を調略し、再属させた。奪回した長篠城には奥平軍を配し、武田軍の再侵攻に備えさせた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "武田氏の西上作戦の頓挫により信長は反織田勢力を撃滅し、家康も勢力を回復して長篠城から奥三河を奪還し、駿河国の武田領まで脅かした。これに対して信玄の後継者である武田勝頼も攻勢に出て、天正2年(1574年)には東美濃の明智城、遠江高天神城を攻略し、家康と武田氏は攻防を繰り返した。同年、家康は犬居城を攻めるが、城主天野景貫の奇襲により敗退する。同時期、武田に内通していたとして、家臣の大岡弥四郎らを捕え、鋸挽きで処刑した。この大岡弥四郎事件については、築山殿も参画しており武田氏への内通の中心人物だったとの説も唱えられている。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "信長の家康への支援は後手に回ったが、天正3年(1575年)5月の長篠の戦いでは主力を持って武田氏と戦い、武田氏は宿老層の主要家臣を数多く失う大敗を喫し、駿河領国の動揺と外交方針の転換を余儀なくさせた。一方家康は戦勝に乗じて光明・犬居・二俣といった城を奪取攻略し、殊に諏訪原城を奪取したことで高天神城の大井川沿いの補給路を封じ、武田氏への優位を築いた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "なお、家康は長篠城主の奥平信昌(信昌の諱「信」は従来は信長の「信」をこの時に拝領したものとされていたが、近年は信玄に従属した時に一字拝領を受けた説もある)の戦功に対する褒美として、名刀・大般若長光を授けて賞した。そのうえ、翌年には長女・亀姫を正室として嫁がせている。だが、このころから、信長との関係が対等ではなくなり、信長を主君とする「一門に準ずる織田政権下の一大名」の立場になる。軍事行動でもこれ以前は将軍足利義昭の要請での軍事援助という形式だったが、以後は信長臣下としての参軍となる。",
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"paragraph_id": 47,
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"text": "天正3年(1575年)、家康は唐人五官(五官は通称か)に浜松城下の屋敷と諸役免除を認める朱印状を発行しており、懸塚湊や上流の馬込川に中国商船が来航して浜松城下にて貿易を行っていたことが知られている。五官の名は『慶長見聞録』にも登場しており、五官の名を持つ唐人はその後家康に従って江戸に移住したとみられている。天正5年(1577年)2月以降、遅くても翌年4月までに花押を改めている。家康は元服以来、永禄6年の家康改名に伴う全面的な変更(前述)を含めて度々花押の変更を行ってきたが、この時変更された花押が最晩年まで用いられることになる。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "天正6年(1578年)、越後上杉氏で急死した上杉謙信の後継者を争う御館の乱が発生し、武田勝頼は北信濃に出兵し乱に介入する。謙信の養子である上杉景勝(謙信の甥)が勝頼と結んで乱を制し、同じく養子の上杉景虎(謙信の姪婿で後北条氏出身)を敗死させたことで武田・北条間の甲相同盟は破綻した。翌天正7年(1579年)9月に北条氏は家康と同盟を結ぶ。この間に家康は横須賀城などを築き、多数の付城によって高天神城への締め付けを強化した。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 49,
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"text": "また同じころ、信長から正室・築山殿と嫡男・松平信康に対して武田氏への内通疑惑がかけられたとされる。家康は酒井忠次を使者として信長と談判させたが、信長からの詰問を忠次は概ね認めたために信康の切腹が通達され、家康は熟慮の末、信長との同盟関係維持を優先し、築山殿を殺害し、信康を切腹させたという。だが、この通説には疑問点も多く、より信頼性の高い史料では信長は「信康を殺せ」とは言っておらず「家康の思い通りにせよ」と言っており、近年では築山殿の殺害と信康の切腹は家康・信康父子の対立が原因とする説や、築山殿や信康は実際に武田氏に内通して家康への謀反を企んだとする説も出されている。なお家康本人は堀秀政宛に「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処、種々御懇ろ之儀、其の段お取りなし故に候。忝き意存に候。よって三郎不覚悟に付いて、去る四日岡崎を追い出し申し候。猶其の趣小栗大六・成瀬藤八(国次)申し入るべきに候。恐々謹言」としている(松平信康#信康自刃事件についての項を参照)。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "岩村城の戦い以降に織田氏と武田氏は大規模な抗争をしておらず、後北条氏との対立をも抱えることにもなった勝頼は人質にしていた信長の五男・勝長を返還するなど織田氏との和睦(甲江和与)を模索している。しかし、信長はこれを黙殺し、天正9年(1581年)、降伏・開城を封じた上での総攻撃によって家康は高天神城を奪回する(高天神城の戦い)。高天神城落城、しかも後詰を送らず見殺しにしたことは武田氏の威信を致命的に失墜させ、国人衆は大きく動揺した。木曾義昌の調略成功をきっかけに、天正10年(1582年)2月に信長は家康と共同で武田領へ本格的侵攻を開始した。織田軍の信濃方面からの侵攻に呼応して徳川軍も駿河方面から侵攻し、甲斐南部の河内領・駿河江尻領主の穴山信君(梅雪)を調略によって離反させるなどして駿河領を確保した。勝頼一行は同年3月に自害して武田氏は滅亡した。最後まで抵抗した武田方の蘆田信蕃(依田信蕃)が守る田中城は成瀬正一らの説得により大久保忠世に引き渡された。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "家康は3月10日に信君とともに甲府へ着陣しており、信長は甲斐の仕置を行うと中道往還を通過して帰還している(甲州征伐)。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "家康はこの戦功により駿河国(庵原郡江尻は穴山信君領)を与えられ、駿府において信長を接待している。家康はこの接待のために莫大な私財を投じて街道を整備し宿館を造営した。信長はこの接待をことのほか喜んだ。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "また遅くともこのころには、三河一向一揆の折に出奔した本多正信が、徳川家に正式に帰参している(正式な帰参時期は不明で、姉川の戦いのころに既に帰参していたとも)。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "天正10年(1582年)5月21日、駿河拝領の礼のため、信長の招きに応じて降伏した穴山信君とともに居城・安土城を訪れ、大接待を受けた。この際、秀吉より援軍要請があった信長は自ら出陣することを決めたが、家康もこれに従い帰国後に軍勢を整えて西国へ出陣する予定だった。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "6月2日、堺を遊覧中に京で本能寺の変が起こった。このときの家康の供は小姓衆など少人数であったため極めて危険な状態となり、一時は狼狽して信長の後を追おうとするほどであった。しかし本多忠勝に説得されて翻意し、服部半蔵の進言を受け、伊賀国の険しい山道を越え加太越を経て伊勢国から海路で三河国に辛うじて戻った(神君伊賀越え)。帰国後、家康は直ちに兵を率いて上洛しようとしたが、鳴海で秀吉が光秀を討った報を受けて引き返した。穴山信君が帰国途中で戦死したため、駿河国江尻を併呑した。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "一方、織田氏の領国となっていた旧武田領の甲斐国と信濃国では大量の一揆が起こった。さらに、越後国の上杉氏、相模国の北条氏も旧武田領への侵攻の気配を見せた。旧武田領国のうち上野一国と信濃小県郡・佐久郡の支配を担っていた滝川一益は、旧武田領を治めてまだ3か月ほどしか経っておらず、軍の編成が済んでいなかったことや、武田遺臣による一揆が相次いで勃発したため、滝川配下であった信濃国の森長可と毛利秀頼は領地を捨て畿内へ敗走した。また、甲斐一国と信濃諏訪郡支配を担った河尻秀隆は一揆勢に敗れ戦死するなど緊迫した状況にあった。追い打ちをかけるように、織田氏と同盟関係を築いていた北条氏が一方的に同盟を破り、北条氏直率いる6万の軍が武蔵・上野国境に襲来した。滝川一益は北条氏直を迎撃、緒戦に勝利するも敗北、尾張国まで敗走した。このため、甲斐・信濃・上野は領主のいない空白地帯となり、家康は武田氏の遺臣・岡部正綱や依田信蕃、甲斐国の辺境武士団である武川衆らを先鋒とし、自らも8,000人の軍勢を率いて甲斐国に攻め入った(天正壬午の乱)。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "一方、甲斐・信濃・上野が空白地帯となったのを見た北条氏直も、叔父・北条氏規や北条氏照ら5万5,000人の軍勢を率いて碓氷峠を越えて信濃国に侵攻した。北条軍は上杉軍と川中島で対峙した後に和睦し、南へ進軍した。家康は甲府の尊躰寺・一条信龍屋敷に本陣を置いていたが、新府城(韮崎市中田町中條)に本陣を移すと七里岩台上の城砦群に布陣し、若神子城(北杜市須玉町若神子)に本陣を置く北条勢と対峙した。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "ここに徳川軍と北条軍の全面対決の様相を呈したが、依田信蕃の調略を受けて滝川配下から北条に転身していた真田昌幸が徳川軍に再度寝返り、その執拗なゲリラ戦法の前に戦意を喪失した北条軍は、板部岡江雪斎を使者として家康に和睦を求めた。和睦の条件は、上野国を北条氏が、甲斐国・信濃国を徳川氏がそれぞれ領有し、家康の次女・督姫が氏直に嫁ぐというものであった。こうして、家康は北条氏と縁戚・同盟関係を結び、同時に甲斐・信濃(北信濃四郡は上杉領)・駿河・遠江・三河(碧海郡(矢作川以西)を除く)の5か国を領有する大大名へとのし上がった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 59,
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"text": "信長死後の織田政権においては織田家臣の羽柴秀吉が台頭し、秀吉は信長次男・織田信雄と手を結び、天正11年(1583年)には織田家筆頭家老であった柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、勝家と手を結んだ信長三男・織田信孝を自害させることで、さらに影響力を強めた。家康は賤ヶ岳の戦いで勝った秀吉に、戦勝祝いとして松平親宅が入手した茶器の初花を贈った。また本能寺の変で光秀に加担した疑いで京都から逃れてきた元関白の近衛前久を家康は保護していたが、秀吉と交渉して近衛を無事帰洛させることができた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "しかし天正壬午の乱において家康と北条氏の間を仲裁した織田信雄が、賤ヶ岳の戦い後の織田政権においては信長嫡孫・三法師(織田秀信)を推戴する秀吉と対立するようになると、信雄は家康に接近して秀吉に対抗することとなった(『岩田氏覚書』)。",
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{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "天正12年(1584年)3月、信雄が秀吉方に通じたとする家老を粛清した事件を契機に合戦が起こり、家康は3月13日に尾張国へ出兵し信雄と合流する。当初、両勢は北伊勢方面に出兵していたが、17日には徳川家臣・酒井忠次が秀吉方の森長可を撃破し(羽黒の戦い)、家康は28日に尾張国小牧(小牧山)に着陣した。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "秀吉率いる羽柴軍本隊は、尾張犬山城を陥落させると楽田に布陣し、4月初めには森長可・池田恒興らが三河国に出兵した。4月9日には長久手において両軍は激突し、徳川軍は森・池田勢を撃退した(小牧・長久手の戦い)。「家康公の天下を取るは大坂にあらずして関ケ原にあり。関ケ原にあらずして小牧にあり」といわれた。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "小牧・長久手の戦いは羽柴・徳川両軍の全面衝突のないまま推移し、一方で家康は北条氏や土佐国の長宗我部氏ら遠方の諸大名を迎合し、秀吉もこれに対して越後国の上杉氏や安芸国の毛利氏、常陸国の佐竹氏ら徳川氏と対抗する諸勢力に呼びかけ、外交戦の様相を呈していった。秀吉と家康・信雄の双方は同年9月に和睦し、講和条件として、家康の次男・於義丸(結城秀康)を秀吉の養子(徳川家・本願寺の認識、秀吉側の認識は人質)とした。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "戦後の和議は秀吉優位であったとされる。越中国の佐々成政が自ら、厳冬の飛騨山脈を越えて浜松の家康を訪ね、秀吉との戦いの継続を訴えたが、家康は承諾しなかった。天正13年(1585年)に入ると、紀伊国の雑賀衆や土佐国の長宗我部元親、越中国の佐々成政ら、小牧・長久手の戦いにおいて家康が迎合した諸勢力は秀吉に服属している。さらに秀吉は7月11日に関白に補任され、豊臣政権を確立する。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 65,
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"text": "これに対して家康は、東国において武田遺領の甲斐・信濃を含めた5か国を領有し相模国の北条氏とも同盟関係を築いていたが、北条氏との同盟条件である上野国沼田(群馬県沼田市)の割譲に対して、沼田を領有していた信濃国上田城主・真田昌幸が上杉氏・秀吉方に帰属して抵抗した。家康は大久保忠世・鳥居元忠・平岩親吉らの軍勢を派兵して上田を攻めるが、昌幸の抵抗や上杉氏の増援などにより撤兵している(第一次上田合戦)。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 66,
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"text": "勢力圏拡大の一方で、徳川氏の領国では天正11年(1583年)から12年(1584年)にかけて地震や大雨に見舞われ、特に天正11年5月から7月にかけて関東地方から東海地方一円にかけて大規模な大雨が相次ぎ、徳川氏の領国も「50年来の大水」に見舞われた。その状況下で北条氏や豊臣政権との戦いをせざるを得なかった徳川氏の領国の打撃は深刻で、三河国田原にある龍門寺の歴代住持が記したとされる『龍門寺拠実記』には、天正12年に小牧・長久手の戦いで多くの人々が動員された結果、田畑の荒廃と飢饉を招いて残された老少が自ら命を絶ったと記している。徳川氏領国の荒廃は豊臣政権との戦いの継続を困難にし、国内の立て直しを迫られることになる。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 67,
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"text": "家康の豊臣政権への臣従までの経緯は『家忠日記』に記されているが、こうした情勢の中、同年9月に秀吉は家康に対してさらなる人質の差し出しを求め、徳川家中は酒井忠次・本多忠勝ら豊臣政権に対する強硬派と石川数正ら融和派に分裂し、さらに秀吉方との和睦の風聞は北条氏との関係に緊張を生じさせていたという。同年11月13日には石川数正が出奔して秀吉に帰属する事件が発生する。この事件で徳川軍の機密が筒抜けになったことから、軍制を刷新し武田軍を見習ったものに改革したという(『駿河土産』)。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 68,
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"text": "天正14年(1586年)に入ると秀吉は織田信雄を通じて家康の懐柔を試み(『当代記』)、4月23日には臣従要求を拒み続ける家康に対して秀吉は実妹・朝日姫(南明院)を正室として差し出し、5月14日に家康はこれを室として迎え、秀吉と家康は義兄弟となる。さらに10月18日には秀吉が生母・大政所を朝日姫の見舞いとして岡崎に送ると、24日に家康は浜松を出立し上洛している。ただし、天正14年正月に織田信雄が岡崎城に訪問した際に家康は秀吉に臣従する内意を表明し(『貝塚御座所日記』)、2月には秀吉から一柳直末に対して家康を赦免することにしたので家康討伐命令が中止になったことを伝える朱印状が送付されている(『一柳家文書』)。このため、朝日姫との婚姻は家康の臣従を受けた対応とも考えられる。なお、家康の臣従から上洛までの間隔が開いた背景として、家康から秀吉に離反した信濃国の国衆3名(木曽義昌・小笠原貞慶・真田昌幸)の取り扱いを巡る調整を必要としたことも考えられる。実際に7月に家康に従わない真田昌幸討伐の動きがあり、翌8月に上杉景勝の嘆願で家康が昌幸を赦免して昌幸が家康の与力大名となることが確定している。柴裕之は大政所の岡崎訪問は家康の上洛中に秀吉方に危害を加えられることを恐れる家康や徳川家中に対する配慮であったとしている。また、同年9月11日に家康が本拠地を浜松城から駿府城に移しているのも、秀吉が臣従と引き換えに5か国安堵を認めたことをきっかけにしているとしている。",
"title": "生涯"
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"text": "家康は10月26日に大坂に到着、豊臣秀長邸に宿泊した。その夜には秀吉本人が家康に秘かに会いにきて、改めて臣従を求めた。こうして家康は完全に秀吉に屈することとなり、10月27日、大坂城において秀吉に謁見し、諸大名の前で豊臣氏に臣従することを表明した。この謁見の際に家康は、秀吉が着用していた陣羽織を所望し、今後秀吉が陣羽織を着て合戦の指揮を執るようなことはさせない、という意思を示し諸侯の前で忠誠を誓った(徳川実紀)。",
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"text": "天正14年(1586年)11月1日、京へ上り、11月5日に正三位に叙される。このとき、多くの家康家臣も叙任された。11月11日には三河国に帰還し、11月12日には大政所を秀吉の元へ送り返している。12月4日、本城を17年間過ごした浜松城から隣国・駿河国の駿府城へ移した。これは、出奔した石川数正が浜松城の軍事機密を知り尽くしていたため、それに備えたとする説がある。",
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"text": "天正15年(1587年)8月、再び上洛し、秀吉の推挙により、朝廷から8月8日に従二位・権大納言に叙任され、所領から駿河大納言と呼ばれた。この際、秀吉から羽柴の名字を下賜された。",
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"text": "同年12月3日に豊臣政権より関東・奥両国惣無事令が出され、家康に関東・奥両国(陸奥国・出羽国)の監視が託された。12月28日、秀吉の推挙により、朝廷から左近衛大将および左馬寮御監に任ぜられる。このことにより、このころの家康は駿府左大将と呼ばれた。",
"title": "生涯"
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"text": "家康は北条氏と縁戚関係にある経緯から、北条氏政・氏直父子宛ての5月21日付起請文で、以下の内容で北条氏に秀吉への恭順を促した。",
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"paragraph_id": 74,
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"text": "家康の仲介は、氏政の弟であり家康の旧友でもある北条氏規を上洛させるなど、ある程度の成果を挙げたが、北条氏直は秀吉に臣従することに応じなかった。天正18年(1590年)1月、家康は嫡男とみなされていた三男の長丸(後の秀忠)を上洛させて事実上の人質とさせることで改めて秀吉への臣従の意思を明確にして北条氏と事実上断交し、これを受けた秀吉は北条氏討伐を開始。家康も豊臣軍の先鋒を務めると共に自分の城を提供し、4月には吉川広家が豊臣家の城番として岡崎城に入城している(小田原征伐)。",
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"text": "なお、これに先立って天正17年(1589年)7月から翌年にかけて「五ヶ国総検地」と称せられる大規模な検地を断行する。これは想定される北条氏討伐に対する準備であると同時に、領内の徹底した実情把握を目指したものである。この直後に秀吉によって関東へ領地を移封されてしまい、成果を生かすことはできなかったが、ここで得た知識と経験は新領地の関東統治に生かされた。",
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"text": "天正18年(1590年)7月5日の北条氏降伏後、秀吉の命令で、駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国(上杉領の川中島を除く)の5か国を召し上げられ、北条氏の旧領である武蔵国・伊豆国・相模国・上野国・上総国・下総国・下野国の一部・常陸国の一部の関八州に移封された。石高は約240万石で、さらに上洛の際の費用(在京賄領)として、近江国・伊勢国・遠江国・駿河国のうちで約11万石が与えられた。家康の関東移封の噂は戦前からあり、家康も北条氏との交渉で、自分には北条領への野心はないことを弁明していたが、結局北条氏の旧領国に移されることになった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 77,
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"text": "秀吉は関東・奥羽の惣無事という目的を達成するために家康に関東の安定と奥羽の抑えを期待したと考えられている。一方、家康は豊臣政権から政治的・軍事的保護を得ている以上、移封を拒絶することは出来なかった。ただし、関東移封に関しては流動的な側面があり、その後も奥羽情勢の悪化に伴って陸奥国への再移封の噂が徳川家中に流れている(『家忠日記』天正20年2月6日条)。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 78,
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"text": "この移封によって三遠駿と甲信(上杉の北信を除く)119万石(徳川家内の「五ヶ国総検地」では実高150万石とも)から関東250万石(家康240万石および結城秀康10万石の合計)への類を見ない大幅な加増を受けたことになるが、徳川氏に縁の深い三河国を失い、さらに当時の関東には北条氏の残党などによって不穏な動きがあり、しかも北条氏は四公六民という当時としては極めて低い税率を採用しており、これをむやみに上げるわけにもいかず、石高ほどには実収入を見込めない状況であった。こういった事情から、この移封は秀吉の家康に対する優遇策か冷遇策かという議論が古くからある。阿部能久は、鎌倉幕府の成立以来西国政権が東国を一元支配した例は無く、古河公方の断絶とともに機能停止していた室町幕府の鎌倉府と同様の役割を東国に通じた家康によって担わせようとしたと考察している。この命令に従って関東に移り、北条氏が本城とした相模小田原城ではなく、武蔵江戸城を居城とした。なお、小田原合戦中に秀吉が自らの「御座所」を江戸に設ける構想を示しており(「富岡文書」)、江戸城を家康の本拠地としたのも秀吉の積極的な意向が関与していた。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 79,
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"text": "天正18年(1590年)8月1日、家康は江戸へ入城した(江戸御打入)。この日は正式に入城した日であり、これ以前にも、視察のため江戸に入っている。",
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"paragraph_id": 80,
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"text": "家康は、関東の統治に際して、有力な家臣を重要な支城に配置するとともに、100万石余といわれる直轄地には大久保長安・伊奈忠次・長谷川長綱・彦坂元正・向井正綱・成瀬正一・日下部定好ら有能な家臣を代官などに抜擢することによって難なく統治し、関東はこれ以降現在に至るまで大きく発展を遂げることとなる。ちなみに、関東における四公六民という北条氏の定めた低税率は、徳川吉宗の享保の改革で引き上げられるまで継承された。",
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"paragraph_id": 81,
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"text": "家康によって配された有力家臣たちは以下の通りである。",
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"paragraph_id": 82,
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"text": "なお、小田原攻め直前の天正18年1月14日、前年より京都の聚楽第で病に臥せっていた朝日姫が病死した。朝日姫の死で徳川家との婚姻関係が亡くなることを憂慮した秀吉は同月に自分の養女である小姫(実父は織田信雄)を長丸(秀忠)と婚姻させている(一説には婚約とも)。しかし、小姫も天正19年(1591年)7月に早世している。後に豊臣秀勝と死別した別の養女達子(実父は浅井長政)を秀忠に嫁がせたのも、秀吉が家康及び徳川家を親族として引き留めたいという考えがあったと推測される。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 83,
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"text": "天正19年(1591年)6月20日、秀吉は奥州での一揆鎮圧のため号令をかけて豊臣秀次を総大将とした奥州再仕置軍を編成した。家康も秀次の軍に加わり、葛西大崎一揆、和賀・稗貫一揆、仙北一揆、藤島一揆、九戸政実の乱などの鎮圧に貢献した。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "文禄元年(1592年)から秀次に関白を譲り太閤となった秀吉の命令により朝鮮出兵が開始されるが、家康は渡海することなく名護屋城に在陣しただけであった。『家忠日記』にはこの時に伊達政宗・南部信直・上杉景勝・佐竹義宣が家康の指揮下にあったと記してある。このころの家康は武蔵大納言とよばれた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "文禄4年(1595年)7月に「秀次事件」が起きた。豊臣政権を揺るがすこの大事件を受けて、秀吉は諸大名に上洛を命じ、事態の鎮静化を図った。家康も秀吉の命令で上洛した。これ以降、開発途上の居城・江戸城よりも伏見城に滞在する期間が長くなっている。豊臣政権における家康の立場が高まっていたのは明らかだが、家康自身も政権の中枢に身を置くことにより中央政権の政治制度を直接学ぶことになった。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 86,
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"text": "慶長元年(1596年)5月8日、秀吉の推挙により内大臣に任ぜられる。これ以後は江戸の内府と呼ばれる。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 87,
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"text": "慶長2年(1597年)、再び朝鮮出兵が開始された。日本軍は前回の反省を踏まえ、初期の攻勢以降は前進せず、朝鮮半島の沿岸部で地盤固めに注力した。このときも家康は渡海しなかった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 88,
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"text": "慶長3年(1598年)、秀吉は病に倒れると、自身没後の豊臣政権を磐石にするため、後継者である豊臣秀頼を補佐するための五大老・五奉行の制度を7月に定め、五大老の一人に家康を任命した。8月に秀吉が死ぬと五大老・五奉行は朝鮮からの撤退を決め、日本軍は撤退した。結果的に家康は兵力・財力などの消耗を免れ、自国を固めることができた。しかし渡海を免除されたのは家康だけではなく、一部の例外を除くと東国の大名は名護屋残留であった。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 89,
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"text": "豊臣秀吉の死後、内大臣の家康が朝廷の官位で最高位になり、また秀吉から「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」という遺言を受けていたため五大老筆頭と目されるようになる。また生前の秀吉により文禄4年(1595年)8月に禁止と定められた、合議による合意を得ない大名家同士の婚姻を行う。婚約した娘は、全て家康の養女とし、その内容は次の通りである。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "このころより家康は、細川忠興や島津義弘、増田長盛らの屋敷にも頻繁に訪問するようになった。こうした政権運営をめぐって、大老・前田利家や五奉行の石田三成らより「専横」との反感を買い、慶長4年(1599年)1月19日、家康に対して三中老の堀尾吉晴らが問罪使として派遣されたが、吉晴らを恫喝して追い返した。利家らと家康は2月2日には誓書を交わし、利家が家康を、家康が利家を相互に訪問、さらに家康は後述する伏見城治部少丸の直下にある自身の屋敷から、対岸の向島城へ移ることでこの一件は和解となった。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "3月3日の利家病死直後、福島正則や加藤清正ら7将が、大坂屋敷の石田三成を殺害目的で襲撃する事件が起きた(石田三成襲撃事件)。三成は佐竹義宣の協力で大坂を脱出して伏見城内治部少丸にある自身の屋敷に逃れたが、家康の仲裁により三成は奉行の退任を承諾して佐和山城に蟄居することになり、退去の際には護衛役として家康の次男・結城秀康があたった。結果として三成を失脚させ、最も中立的と見られている北政所の仲裁を受けたことにより、結論の客観性(正当性)が得られ、家康の評価も相対的に高まったと評価され、同時に三成を生存させることによって豊臣家家臣同士の対立が継続することになる。もっとも、家康と三成は対立一辺倒ではなく協調を模索する時期もあり、家康は中立的な立場からの解決を図り双方の均衡を保とうとしたが、それが却って政争を悪化させたとする見方もある。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "9月7日、「増田・長束両奉行の要請」として大坂に入り、三成の大坂屋敷を宿所とした。9月9日に登城して豊臣秀頼に対し、重陽の節句における祝意を述べた。9月12日には三成の兄・石田正澄の大坂屋敷に移り、9月28日には大坂城・西の丸に移り、大坂で政務を執ることとなる。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "9月13日付毛利秀元宛輝元書状には、家康が大坂入りした理由として次の3つを挙げている。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "9月9日に登城した際、前田利長・浅野長政・大野治長・土方雄久の4名が家康の暗殺を企んだと増田・長束両奉行より密告があったとして、10月2日に長政を隠居の上、徳川領の武蔵府中で蟄居させ、治長は下総国の結城秀康のもとに、雄久は常陸国水戸の佐竹義宣のもとへ追放とした。さらに利長に対しては加賀征伐を企図するが、利長が生母・芳春院を江戸に人質として差し出し、出兵は取りやめとなる。これを機に前田氏は完全に家康の支配下に組み込まれたと見なされることになる。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 95,
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"text": "またこのころ、秀頼の名のもと諸大名への加増を行っている。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "慶長5年(1600年)3月、豊後国に南蛮船(オランダ船)のリーフデ号が漂着した。家康はリーフデ号を大阪へ移し、航海長のウィリアム・アダムス(後の三浦安針)や船員のヤン・ヨーステンは家康に厚遇され、外交上の諮問にこたえるようになる。特にウィリアム・アダムスは航海や水先案内の技術だけでなく、数学と天文学も得意としていたことから家康にヨーロッパの科学知識や技術を伝えたり、西洋船を作ったりして、家康から寵愛された。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 97,
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"text": "慶長5年(1600年)3月、越後国の堀秀治から会津の上杉景勝の重臣・直江兼続に越後にあった年貢の下半期分まで持ち出された訴えを、出羽国の最上義光らからは会津の軍備を増強する不穏な動きがあるという知らせを受けた。さらに上杉氏の家臣で津川城城代を務め家康とも懇意にあった避戦派の藤田信吉、栗田国時の二人が、会津から江戸の徳川秀忠の元へ上杉の行動に関する釈明をしようとする途中で、兼続の仕向けた使者達に襲撃され、国時が殺害される事件まで起きた。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 98,
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"text": "これに対して家康は、伊奈昭綱を正使として景勝の元へ問罪使を派遣した。ところが、既に徳川との一戦を固めていた兼続が、『直江状』(真贋諸説有り。詳細は直江状#真贋論争参照。)と呼ばれる挑発的な文書を記した書簡を返書として送ったことから家康は激怒。景勝に叛意があることは明確であるとして会津征伐を宣言した。これに際して後陽成天皇から出馬慰労として晒布が下賜され、豊臣秀頼からは黄金2万両・兵糧米2万石を下賜された。これにより、朝廷と豊臣氏から家康の上杉氏征伐は「豊臣氏の忠臣である家康が謀反人の景勝を討つ」という大義名分を得た形となった。",
"title": "生涯"
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"text": "6月16日、家康は大坂城・京橋口から軍勢を率いて上杉氏征伐に出征し、同日の夕刻には伏見城に入った。ところが、6月23日に浜松、6月24日に島田、6月25日に駿府、6月26日に三島、6月27日に小田原、6月28日に藤沢、6月29日に鎌倉、7月1日に金沢、7月2日に江戸という、遅々たる進軍を行っている。",
"title": "生涯"
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"text": "この出兵には、家康に反感をもつ石田三成らの挙兵を待っていたとの見方もある。実際、7月に三成は大谷吉継とともに挙兵すると、家康によって占拠されていた大坂城・西の丸を奪い返し、増田長盛、長束正家ら奉行衆を説得するとともに、五大老の一人・毛利輝元を総大将として擁立し、『内府ちかひ(違い)の条々』という13か条におよぶ家康の弾劾状を諸大名に対して公布した。三成が挙兵すると、家康古参の重臣・鳥居元忠が守る伏見城が4万の軍勢で攻められ、元忠は戦死し伏見城は落城した(伏見城の戦い)。",
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"text": "さらに三成らは伊勢国、美濃国方面に侵攻した。家康は下野国小山の陣において、伏見城の元忠が発した使者の報告により、三成の挙兵を知った。家康は重臣たちと協議した後、上杉氏征伐に従軍していた諸大名の大半を集め、「秀頼公に害を成す君側の奸臣・三成を討つため」として、上方に反転すると告げた。これに対し、福島正則ら三成に反感をもつ武断派の大名らは家康に味方し、こうして家康を総大将とした東軍が結成されていった(小山評定)。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 102,
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"text": "東軍は、家康の徳川直属軍と福島正則らの軍勢、合わせて10万人ほどで編成されていた。そのうち一隊は、徳川秀忠を大将とし榊原康政、大久保忠隣、本多正信らを付けて宇都宮城から中山道を進軍させ、結城秀康には上杉景勝、佐竹義宣に対する抑えとして関東の防衛を託し、家康は残りの軍勢を率いて東海道から上方に向かった。それでも家康は動向が不明な佐竹義宣に対する危険から江戸城に1か月ほど留まり、7月24日から9月14日までの間に、関ヶ原合戦に関する内容の文書だけでも外様の諸将82名に155通、家康の近臣に20通ほどの文書を送っている。",
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"text": "正則ら東軍は、清洲城に入ると、西軍の勢力下にあった美濃国に侵攻し、織田秀信が守る岐阜城を落とした。このとき家康は信長の嫡孫であるとして秀信の命を助けている。",
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"paragraph_id": 104,
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"text": "9月、家康は江戸城から出陣し、11日に清洲、14日には美濃赤坂に着陣した。前哨戦として三成の家臣・島左近と宇喜多秀家の家臣・明石全登が奇襲し、それに対して東軍の中村一栄、有馬豊氏らが迎撃するが敗れ、中村一栄の家臣・野一色助義が戦死している(杭瀬川の戦い)。",
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"paragraph_id": 105,
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"text": "家康は自らの軍師で臨済宗の禅僧である閑室元佶(関ヶ原の戦いに従軍していた)に易による占筮()を行わせ、大吉を得た。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 106,
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"text": "9月15日午前8時ごろ、美濃国関ヶ原において東西両軍による決戦が繰り広げられた。開戦当初は高所を取った三成ら西軍が有利であったが、正午ごろかねてより懐柔策をとっていた西軍の小早川秀秋の軍勢が、同じ西軍の大谷吉継の軍勢に襲いかかったのを機に形成が逆転する。さらに脇坂安治、朽木元綱、赤座直保、小川祐忠らの寝返りもあって大谷隊は壊滅、西軍は総崩れとなった。戦いの終盤では、敵中突破の退却戦に挑んだ島津義弘の軍が、家康の本陣目前にまで突撃してくるという非常に危険な局面もあったが、東軍の完勝に終わった(関ヶ原の戦い)。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 107,
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"text": "9月18日、三成の居城・佐和山城を落として近江国に進出し、9月21日には戦場から逃亡していた三成を捕縛。10月1日には小西行長、安国寺恵瓊らと共に六条河原で処刑した。その後大坂に入った家康は、西軍に与した諸大名の殆どを処刑・流罪・改易・減封に処し、召し上げた所領を東軍諸将に加増分配する傍ら自らの領地も250万石から400万石に加増。秀頼、淀殿に対しては「女、子供のあずかり知らぬところ」として咎めなかったが、論功行賞により各大名家の領地に含めていた太閤蔵入地(豊臣氏の全国に散在していた直轄地)は東軍の諸将に恩賞として分配された。また太閤蔵入地のうち、堺、長崎、生野銀山の管理には家康の家臣が派遣され、家康の直轄領となっていくことになる。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "その結果、豊臣氏は摂津国・河内国・和泉国の3か国65万石の一大名となり、家康は天下人としての立場を確立した。だが、まだ西国大名は新年の挨拶に大坂城に伺候し豊臣家が西国を支配する二重公儀体制との説がある。",
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"paragraph_id": 109,
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"text": "鈴木かほるの研究によれば、秀吉の没後、家康が五大老の筆頭として表舞台に立ったとき、どの国よりもいち早く対外交渉をもったのは、当時、世界最強国と称されたスペインであったという。その目的はスペイン領メキシコで行われている画期的な金銀製錬法であるアマルガム法の導入であり、スペイン人を招致するため浦賀湊を国際貿易港として開港し、西洋事情に詳しいウィリアム・アダムスを外交顧問としたという。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 110,
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"text": "家康はフィリピン(スペイン領)近海における私貿易船を絶滅させるため、慶長6年(1601年)正月、フィリピン総督に宛てて公貿易船の証として日本からフィリピンへ渡海する朱印状を交付することを伝えた。日本では古来から難破船の漂着は龍神の祟りとして積荷を没収し、その売り上げをもってその土地の寺社の修復に充てる習わしであったが、家康はこの仕来りを破り、慶長7年(1602年)8月に漂着船の積荷を保証することを伝え、安心して浦賀湊に商船を派遣するようフィリピン総督に通告した。つまり家康の朱印船制度創設は浦賀ースペイン外交にあったのである。浦賀にはウィリアム・アダムスの尽力により慶長9年にスペイン商船が初めて入港し、以後、毎年入港している。",
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"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "メキシコ側の思慮によりアマルガム法の導入の実現には至らなかったが、慶長6年秋に上総大多喜浦に漂着した司令官ジュアン・エスケラや、慶長14年(1610年)9月に上総国岩和田沖に漂着したフィリピン総督ドン・ロドリコ・デ・ビベロをアダムスが建造した船で帰国させたが、その返礼大使としてセバスチャン・ビスカイノが浦賀湊に入港している。このときのビスカイノは日本の東西の港の測量および金銀島探検の使命を帯びて来航したのであるが、金銀島の発見には至らず、そのうえ船は破船してしまう。ビスカイノは帰国のための船の建造を家康に請うたが断られた。そこでビスカイノは奥州の港の測量の際、伊達政宗がメキシコとの貿易を希望していたことを思い起こし、宣教師ルイス・ソテロを介して政宗に帰国の大型帆船の建造を依頼し、これが実現してサン・ファン・バウティスタ号の遣欧に至るのである。このとき将軍・秀忠は向井忠勝に政宗遣欧船の随行船として船を造船させている。この船は江戸内海の口で座礁してしまったが、このように秀忠が遣欧船を造船していた事実や、向井忠勝が公儀大工を伊達政宗のもとに派遣している事実、また幕府は禁教令によりビスカイノ一行を本国に帰国させなければならなかったことを考えれば、政宗遣欧船は幕府の知るところであったことは疑う余地もない。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "元和元年(1615年)6月、サン・ファン・バウティスタ号がビスカイノの返礼大使ディエゴ・デ・サンタ・カタリナを乗せ浦賀湊に帰帆した。この船には政宗の家臣・横沢将監吉久や日本商人らが同船していた。しかし、家康が死去するとサンタ・カタリナに国外退去令が出され、彼らは元和2年(1616年)8月に浦賀を発航した。これがメキシコへ向かう最後の貿易船となった。こうして浦賀湊は国際貿易港としての生命を絶たれ、スペイン人鉱夫の招聘は実現することなく訣別を迎えたのである。",
"title": "生涯"
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"text": "長崎や平戸は貿易港としてよく知られるが、江戸初期に家康によって浦賀がスペイン商船の寄港地として開港され、貿易が行われていたことは教科書にも記されていない。この史実を伝えようと、地元の住民によって市民団体が結成され賛助金が集められ、平成31年(2019年)4月、神奈川県横須賀市東浦賀の東叶神社境内に「日西墨比貿易港之碑」が建てられ除幕式が行われた。",
"title": "生涯"
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"tag": "p",
"text": "慶長5年(1600年)12月19日、文禄4年(1595年)に豊臣秀次が解任されて以来空いたままになっていた関白に九条兼孝が家康の奏上により任じられた。このことにより、豊臣氏による関白職世襲を止め旧来の五摂家に関白職が戻る。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "関ヶ原の戦いの戦後処理を終わらせた慶長6年(1601年)3月23日、家康は大坂城・西の丸を出て伏見城にて政務を執り、征夷大将軍として幕府を開くため、徳川氏の系図の改姓を行った。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 116,
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"text": "慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いの戦後処理で唯一処分が決まっていなかった常陸国水戸の佐竹義宣を出羽国久保田に減転封。代わりに佐竹氏と同じく源義光の流れをくむ武田氏を継承した五男・武田信吉を水戸に入れた。これによって確定した徳川氏の領域は一門・譜代大名の所領も含めると、東は岩城領から関東一円、北は南信濃から美濃国・越前国、西は近江国・山城国・大和国と北伊勢の桑名領をほぼ一円支配しつつ、西国では長崎や堺、石見銀山、生野銀山の直轄領が点在する内容であった(秋田氏や里見氏などの小規模な外様大名の支配地は除く)。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "慶長8年(1603年)2月12日、後陽成天皇が参議・勧修寺光豊を勅使として伏見城に派遣。朝廷より六種八通の宣旨が下り、家康を征夷大将軍、右大臣、源氏長者、淳和奨学両院別当に任命した。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "同年3月12日、伏見城から二条城に移り、3月21日、衣冠束帯を纏い行列を整えて御所に参内し、将軍拝賀の礼を行い、年頭の祝賀も述べた。3月27日、二条城に勅使を迎え、重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行った。また4月4日から3日間、二条城で能楽が行われ諸大名や公家衆を饗応した。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "なお家康の将軍宣下の数ヵ月前の、慶長7年12月4日(新暦では1603年1月15日)に、秀吉の造立した方広寺大仏殿が失火のため全焼し、京中を騒然とさせた。この火事について、豊臣氏の権威を失墜させるために徳川方が故意に放火したのではないかという風説も流れたという。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "慶長10年(1605年)4月16日、将軍職を辞するとともに朝廷に嫡男・秀忠への将軍宣下を行わせ、将軍職は以後「徳川氏が世襲していく」ことを天下に示した。同時に豊臣秀頼に新将軍・秀忠と対面するよう要請したが、秀頼はこれを拒絶。結局、六男・松平忠輝を大坂城に派遣したことで事は収まった。なお、このとき次世代の家臣である井伊直孝と板倉重昌も叙任された。同7月23日、近衛信尹を関白に推挙する。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "慶長12年(1607年)には駿府城に移って、東国大名や幕府の制度整備を進める「江戸の将軍」秀忠(御所)に対して、前将軍の家康は「駿府の大御所」として主に朝廷・寺社・西国大名・外交を担当した(大御所政治)。ただ明確に線引きされていたわけではなく、越後福嶋騒動では当事者たちを駿府城に召喚して弁論させ、越後高田藩堀氏の改易を命じた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "同年、朝鮮通信使と謁見し、文禄・慶長の役以来断絶していた李氏朝鮮との国交を回復した。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "慶長13年(1608年)、大坂方が朝廷に働きかけ秀頼を左大臣にする兆候を事前に捉え、これを阻止する(しばらく左大臣は空位)。同年、右大臣九条忠栄を関白に推挙する。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "慶長14年(1609年)、オランダ使節と会見。オランダ総督(使節は国王を自称)マウリッツからの親書を受け取り、朱印状による交易と平戸にオランダ東インド会社の商館の開設を許可した。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "慶長15年(1610年)、足尾銅山を開山。1600年に天領にした石見銀山等の銀、1601年に天領にした佐渡金山等の金と併せ、銅もその後の江戸幕府の主要な財源となる。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "慶長16年(1611年)3月20日に九男・徳川義利(義直)、十男・頼将(頼宣)を参議中将に、十一男・鶴松(頼房)を少将に叙任させた。「御三家」体制への布石といえよう。3月22日には、自らの祖先と称する新田義重に鎮守府将軍を、実父・松平広忠には権大納言を贈官した。",
"title": "生涯"
},
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"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "同年3月28日、二条城にて秀頼と会見した(二条城会見)。当初、秀頼はこれを秀忠の征夷大将軍任官の際の要請と同じく拒絶する方向でいたが、家康は織田有楽を仲介として上洛を要請し、ついには秀頼を上洛させることに成功した。この会見により、天下の衆目に、徳川公儀が豊臣氏よりも優位であることを明示したとする見解があり、4月12日に西国大名らに対し三カ条の法令を示し、誓紙を取ったことで、徳川公儀による天下支配が概ね成ったともいわれる。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 128,
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"text": "同年、ヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)副王ルイス・デ・ベラスコの使者セバスティアン・ビスカイノと会見し、スペイン国王フェリペ3世の親書を受け取る。両国の友好については合意したものの、通商を望んでいた日本側に対し、スペイン側の前提条件はキリスト教の布教で、家康の経教分離の外交を無視したことが、家康をして禁教に踏み切らせた真因である。この後も家康の対外交政策に貿易制限の意図が全くないことから、この禁教令は鎖国に直結するものではない。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 129,
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"text": "慶長17年(1612年)、九条忠栄を左大臣に、鷹司信尚を関白に推挙する。",
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"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "慶長18年(1613年)、イギリス東インド会社のジョン・セーリスと会見。イングランド国王ジェームズ1世からの親書と献上品を受け取り、朱印状による交易と平戸にイギリス商館の開設を許可した。",
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"paragraph_id": 131,
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"text": "晩年を迎えていた家康にとって豊臣氏は脅威であり続けた。なお特別の地位を保持していて実質的には徳川氏の支配下には編入されておらず、関ヶ原の戦い後に西国に配置した東軍の大名は殆ど豊臣恩顧の大名であった。また、家康の将軍宣下時には、同時に秀頼が関白に任官されるとの風説が当然のこととして受け取られていた。秀忠の将軍宣下時の官位は内大臣であったが、秀頼は家康の引退で空いた右大臣を譲られており、秀忠を上回っていた。",
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"paragraph_id": 132,
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"text": "家康は大坂の周囲にある伏見、堺や大和郡山を直轄領にしつつも、当初、徳川氏と豊臣氏の共存を模索しているような動きもあり、秀吉の遺言を受けて孫娘・千姫を秀頼に嫁がせてもいる。しかし、豊臣氏の人々は政権を奪われたことにより次第に家康を警戒するようになっていった。さらに豊臣氏は、徳川氏との決戦に備えて多くの浪人を雇い入れていたが、それが天下に乱をもたらす準備であるとして一層幕府の警戒を強めた。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 133,
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"text": "そのような中、慶長12年(1607年)には結城秀康、慶長16年(1611年)に加藤清正・堀尾吉晴・浅野長政、慶長18年(1613年)には浅野幸長・池田輝政など、豊臣恩顧の大名が次々と死去したため、次第に豊臣氏は孤立を深めていった。",
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"text": "そして、慶長19年(1614年)の方広寺鐘銘事件をきっかけに、豊臣氏の処遇を決するべく、動き始める。",
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"paragraph_id": 135,
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"text": "3月9日、秀忠は右大臣に就任し、豊臣秀頼に官位が追いついた。",
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"text": "",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 137,
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"text": "大坂の陣の契機となった方広寺鐘銘事件は、秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)の再建にあたり発生したものだが、方広寺大仏・大仏殿が何故滅失していたかは以下の通りである。",
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"paragraph_id": 138,
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"text": "秀吉は焼損した東大寺に代わる新たな大仏として、京都に大仏・大仏殿を造立した(京の大仏)。「国土安全万民快楽」をスローガンに、刀狩で民衆から奪取した刀剣類を大仏造立のための釘・鎹(かすがい)に利用した。この大仏は一応完成したが、開眼供養前に文禄5年閏7月13日(1596年9月5日)の慶長伏見地震で大破し、その後秀吉の命で破却された。大仏殿は地震での倒壊を免れたので、慶長2年(1597)には当時甲斐国にあった善光寺如来が、大仏に代わる新たな本尊とするため方広寺大仏殿に遷座させられ、大仏殿は「善光寺如来堂」と称されるようになったが、翌慶長3年には善光寺如来が本国(信濃善光寺)に還された。豊臣政権は秀吉没後に大仏の再建に取り掛かったが、慶長7年(1602年)12月に大仏鋳造中の失火で火災が発生し、大仏のみならず大仏殿も滅失してしまった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 139,
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"text": "豊臣氏は秀吉の死後、秀吉の追善供養として、戦乱で荒廃した多数の寺社に寄進を行い、伽藍・社殿の整備を図った(豊臣秀頼の寺社造立も参照)。主なもので東寺金堂・延暦寺横川中堂・熱田神宮・石清水八幡宮・北野天満宮・鞍馬寺毘沙門堂など、多数にのぼった。慶長12年(1607年)には、豊臣秀頼により、豊臣家家臣の片桐且元を奉行として、再び銅製大仏および大仏殿の再建が企図されるようになった。通説では、家康が秀頼に方広寺大仏・大仏殿の再建を勧め、それを豊臣方が受け入れて再建工事の運びとなったとされるが、それは豊臣家の財力を蕩尽させるための家康の謀略とされてきた。しかし歴史学者の河内将芳は、豊臣氏に大仏・大仏殿再建工事費を負担させたのは事実だが、「大仏再建は秀頼と徳川の共同事業で、徳川もかなりの労力を注いだ。幕府は大仏を豊臣一色とは認識せず、東大寺の代わりになるものとして重視したのではないか。」とし、豊臣と徳川の共同事業であったとしている。河内は『新大仏殿地鎮自記』に以下の記述があることをその証左としている。慶長15年(1610年)6月12日に義演を導師として大仏殿の地鎮祭が行われたが、この時のことを義演が著した書が『新大仏殿地鎮自記』である。その書では、工事の大檀那(発注者)について「前将軍昨年(慶長14年)当堂御再興を御下知す、造作料においては、右大臣豊臣朝臣秀頼御下行なり」とあり、先将軍の家康が大仏殿再建の命令を発し、工事費は豊臣秀頼が負担することになっていた。また工事の棟梁については「番匠大和守(中井正清) 前将軍御大工なり、ことごとくみなこの大工がままなり」とあり、家康お抱えの大工中井正清が工事の全てを取り仕切ることになっていた。上記の記述より河内は、大仏再建にかかる費用は豊臣氏が負担するが、大仏・大仏殿再建工事そのものについては徳川氏が主導権を握ったとしている。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "大仏の再建工事については史料に乏しく、いつ行われたか詳細は不明である。大仏殿再建工事については史料が多く残っており、それらによれば、大仏殿の立柱工事は慶長15年(1610年)8月22日から行われ、慶長17年(1612年)1月29日から大仏殿に屋根瓦を葺く作業が始まった。慶長17年(1612年)中に大仏殿はほぼ完成し、工事着工から2年足らずという異例の速さで大仏殿の再建が完了したことが分かる。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "方広寺大仏・大仏殿の再建が完了したため、落慶供養の段取りを進めることになった。段取りは片桐且元が進め、武家間では京都所司代の板倉勝重や、家康との協議がなされた。しかし落慶供養は武家側だけで決定できるものではなく、朝廷や公家・寺社勢力との協議も必要であった。方広寺は、正式な寺号を持たず(「方広寺」という寺号は江戸時代中期以降に自然発生的に生じたもので、当時は単に「大仏」もしくは「東山大仏」「京大仏」などと呼称されていた)、朝儀を経て創立された寺院ではなかったため(悪く言えば豊臣氏の私的な建造物であった)、正式な寺院となるよう、朝廷との協議がなされた。寺号については「東大寺」とするか、もしくは新たに定めるかなどが候補として挙がっていたが、方広寺の寺号を「東大寺」と定め、方広寺を東大寺の継承寺院とする案も検討されていた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "方広寺再建落慶供養の出席者について、各種史料の記述から、家康が落慶供養に出席するため、上洛する計画であったことが窺える。また『本光国師日記』には、「秀頼公供養に御上洛」については「いかようにも心次第と」と家康が仰せ出したとあり(慶長19年7月18日条)、秀頼と家康の双方が落慶供養に参加する可能性もあった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "慶長19年(1614年)には梵鐘も完成し、片桐且元は梵鐘の銘文を南禅寺の文英清韓に作成させ、梵鐘に銘文を入れた。ところが幕府は、方広寺の梵鐘の銘文中に不適切な語があると供養を差し止めた。問題とされたのは「国家安康」で、大御所・家康の諱を避けなかったことが不敬であるとするものであった。「国家安康」を「家康の名を分断して呪詛する言葉」とし、「君臣豊楽・子孫殷昌」を豊臣氏を君として子孫の殷昌を楽しむとし、さらに「右僕射源朝臣」については、「家康を射るという言葉だ」と非難したとする説もあるが(「右僕射源朝臣」の本来の意味は、右僕射(右大臣の唐名)源家康という意味である)、これは後世の俗説である>。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "さらに8月18日、京都五山の長老たちに鐘銘の解釈を行わせた結果、五山の僧侶たちは「みなこの銘中に国家安康の一句、御名を犯す事尤不敬とすべし」(徳川実紀)と返答したという。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 145,
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"text": "これに対して豊臣氏は、家老・片桐且元と鐘銘を作成した文英清韓を駿府に派遣し弁明を試みた。ところが、家康は会見すら拒否し、逆に清韓を拘束し、且元を大坂へ返した。且元は、秀頼の大坂城退去などを提案し妥協を図ったが、豊臣氏は拒否。そして、豊臣氏が9月26日に且元を家康と内通しているとして追放すると、家康は豊臣氏が浪人を集めて軍備を増強していることを理由に、豊臣氏に宣戦布告したのである。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 146,
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"text": "この事件は、豊臣氏攻撃の口実とするために家康が以心崇伝らと画策して問題化させたものであると考えられているが、当時の諱の常識からすれば不敬と考えられるものであり、また近年研究では問題化に崇伝の関与はなかったとされている。なお歴史学者の河内将芳は、以心崇伝が著した『本光国師日記』に、以下のような通説とは逆の記述があることを指摘している。 以心崇伝が板倉勝重に宛てた書状(8月22日条)には「文言以下の善悪、市(片桐且元)存ぜられざることも、もっともとの御諚」「鐘をば銘をすりつぶしそうらえとの御内証」とあり、鐘銘文は重大な問題だが、片桐且元に責任はなく、梵鐘から問題の銘文をすりつぶせば良いとの家康の内意があったとしている。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "その後、梵鐘は太平洋戦争中の金属供出を免れ、鋳潰されることもなく方広寺境内に残されている(重要文化財)。なお江戸時代に、梵鐘は懲罰的措置として地面に置かれ鳴らないようにされていたとする俗説があるが、それは誤りである(詳細は方広寺の記事を参照のこと)。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "慶長19年(1614年)11月15日、家康は二条城を発して大坂城攻めの途についた。そして20万人からなる大軍で大坂城を完全包囲したが、力攻めはせずに大坂城外にある砦などを攻めるという局地戦を行うに留めた。徳川軍は木津川口・今福・鴫野・博労淵などの局地戦で勝利を重ねたが、真田丸の戦いでは敗戦を喫した。とはいえ戦局を揺るがすほどの敗戦ではなく、徳川軍は新たな作戦を始動した。午後8時、午前0時、午前4時に一斉に勝ち鬨をあげさせ、さらに午後10時、午前2時、午前6時に大砲(石火矢・大筒・和製大砲)を放たせ、これがきっかけとなり和睦交渉が行われた。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "和睦の締結後、徳川方は和睦の条件に反して内堀までも埋め立てたため、結果、慶長20年(1615年)1月中旬までに大坂城は本丸だけを残す無防備な裸城となった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "従来の説では、豊臣方は二の丸、三の丸の破壊を形式的なもので済ませ、時間稼ぎを狙っていたが、徳川方が惣構を全ての廓と曲解することで強引に工事に参加して、豊臣側が行うとされた二の丸の破却作業も勝手に始め、さらに和議の条件に反して内堀までも埋め立てたため、豊臣側は抗議したが、最初から和議を守るつもりの無い家康はこれを黙殺したとされる。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 151,
"tag": "p",
"text": "このころ、豊臣氏は主戦派と穏健派で対立。主戦派は和議の条件であった総堀の埋め立てを不服とし、内堀を掘り返す仕儀に出た。そのため幕府は「豊臣氏が戦準備を進めている」と詰問、大坂城内の浪人の追放と豊臣氏の移封を要求。さらに、徳川義直の婚儀のためと称して上洛するのに合わせ、近畿方面に大軍を送り込んだ。そして、豊臣氏に要求が拒否されると、再度侵攻を開始した。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 152,
"tag": "p",
"text": "これに対して豊臣氏は大坂城からの出撃策をとったが、兵力で圧倒的に不利であり、幕府方は各戦闘で勝利を収めた。最終戦の天王寺・岡山の戦いにおいても徳川軍は大軍ゆえに混乱が起きて一時は本陣を下げたが、結果は大勝を収め、豊臣方は大坂城に退却・内部の裏切りにより放火もあり落城した。5月8日、秀頼と淀殿、その側近らは自害、ここに豊臣宗家は滅亡した。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 153,
"tag": "p",
"text": "その後、大坂城は完全に埋め立てられ、その上に徳川氏によって新たな大坂城が再建されて、秀吉へ死後授けられた豊国大明神の神号が廃され、豊國神社と秀吉の廟所であった豊国廟は閉鎖・放置されている。明治維新の後に豊国大明神号は復活し、東照宮にも信長や秀吉が祀られるようになっている。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 154,
"tag": "p",
"text": "慶長20年(1615年)6月28日、後陽成天皇の第八皇子である八宮良純親王を猶子とする。元和元年(1615年)7月17日、禁中並公家諸法度17条を制定して、朝幕関係を規定した。また、諸大名統制のために武家諸法度・一国一城令が制定された。こうして、徳川氏による日本全域の支配を実現し、徳川氏264年の天下の礎を築いた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 155,
"tag": "p",
"text": "同年、自らの本格的な隠居の城として駿河沼津の柿田川の湧水にある古城泉頭城の縄張り・再整備を命じたが、翌年の病に倒れる直前に中止し、竹腰正信屋敷の改築に方針転換したが、何れも死去により立ち消えになっている。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 156,
"tag": "p",
"text": "元和2年(1616年)1月21日、病のため鷹狩に出た先で倒れた。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 157,
"tag": "p",
"text": "3月21日、朝廷から太政大臣に任ぜられたが、これは武家出身者としては、平清盛、源義満(足利義満)、豊臣秀吉に次いで史上4人目であった。これ以後は駿府の相国様と呼ばれる。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 158,
"tag": "p",
"text": "元和2年(1616年)4月17日巳の刻(現在の午前10時ごろ)、家康は駿府城において75歳(満73歳4か月)で死去した。即夜、久能山に遺体は移された。死去に際して幕府は、大名・旗本に対して家康弔問のための下向は無用と伝え、寺院に対しても後述する遺言で法事を行う増上寺以外の法要は不要である旨を伝達している。",
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{
"paragraph_id": 159,
"tag": "p",
"text": "『東照宮御実記』が伝えるところでは、以下の2首を辞世として詠んでいる。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 160,
"tag": "p",
"text": "死因については、鯛をかやの油で揚げ、その上にすった韮をすりかけた天ぷらによる食中毒説が長く一般化されてきた。しかし、家康が鯛の天ぷらを食べたのは、1月21日の夕食で、死去したのは4月17日と日数がかかり過ぎていることから、食中毒を死因とするには無理があった。替わって主流となっているのは胃癌説である。『徳川実紀』が家康の病状を「見る間に痩せていき、吐血と黒い便、腹にできた大きなシコリは、手で触って確認できるくらいだった」と書き留めていること、および、係る症状が胃癌患者に多く見受けられるものである事実が、その論拠となっている。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 161,
"tag": "p",
"text": "後代、江戸城内にては天ぷらを料理することが禁止されており、これは家康の死因が天ぷらによる食中毒であるために生まれた禁忌であるという説明がなされることもあるが、実際には、大奥の侍女の一人が天ぷらを料理していて火事を出しかけたために禁止されたものである。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 162,
"tag": "p",
"text": "当時、殉死は彼の子忠吉や秀康の死去時にも行われたように、既に流行の兆しが見えていたが、家康自身が殉死を嫌い禁じていた。このため名のある者の殉死はなかったが、老齢で古くから仕えた小者2人が殉死したという逸話がある。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 163,
"tag": "p",
"text": "『本光国師日記』によると、家康は「臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。勧請し候へ。」と遺言したとされる。この遺言に従い、葬儀は5月17日に増上寺で行われ「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士(院殿号)(蓮社号)(誉号)(戒名)(位号)」という浄土宗の戒名がつけられた。この葬儀は神として祀られたため内々で行われ、諸大名の参列・香典は無用、僧も近国からのみの参集であった。",
"title": "没後"
},
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"paragraph_id": 164,
"tag": "p",
"text": "遺体は駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られ、遺言通り、一周忌を経て関東平野の最北部にある日光の東照社に分霊された。天海指揮による日光への改葬説が、幕府文献などにも「改葬」と記述されていたため広く信じられてきたが、近年になってその矛盾を指摘する議論・研究が盛んとなり、日光へ運ばれた「神柩」の中に遺体はなかったとする説が有力となっている。",
"title": "没後"
},
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"paragraph_id": 165,
"tag": "p",
"text": "神号は側近の天海と崇伝、神龍院梵舜の間で、権現と明神のいずれとするかが争われたが、秀吉が「豊国大明神」だったために明神は不吉とされ、山王一実神道に則って薬師如来を本地とする権現とされた。この後、壬生孝亮が二条関白邸で「日本大権現」「東光大権現」の二つを示し、また一説によると菊亭晴季も「威霊大権現」「東照大権現」の二案を勧進した。日本大権現が有力候補であったが、元和3年(1617年)2月21日に東照大権現の神号、3月9日に神階正一位が贈られる。",
"title": "没後"
},
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"paragraph_id": 166,
"tag": "p",
"text": "また、東照社は今川直房と酒井忠勝の尽力により正保2年(1645年)11月3日に宮号宣下があり、東照宮となり、さらに東照宮に正一位の神階が贈られ、家康は江戸幕府の始祖として東照神君、権現様とも呼ばれ江戸時代を通して崇拝された。徳川家中においては明治維新後も権現様として崇拝され続けた。",
"title": "没後"
},
{
"paragraph_id": 167,
"tag": "p",
"text": "徳川家康の埋葬地としての「墓所」は一般に、久能山東照宮の廟所宝塔(神廟)と、日光東照宮の奥社宝塔の2つとされる。徳川宗家第18代当主の徳川恒孝は、「徳川家康公顕彰四百年記念事業」に際して静岡商工会議所の広報誌に連載したコラムで、「日本各地で開催された家康公の四百忌の大祭は、駿府で築かれた公の御墓所である久能山東照宮の大祭からスタートし」と書き記した。徳川将軍15人中寛永寺か増上寺のどちらにも墓所がないのは家康以外には徳川家光と徳川慶喜がいる。",
"title": "没後"
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{
"paragraph_id": 168,
"tag": "p",
"text": "※天正15年(1587年)8月8日付の「従二位権大納言昇叙転任」の宣旨では豊臣家康の名義でなされた可能性がある。同日付で息子・徳川秀忠も侍従に任官しているが、これは豊臣秀忠名義となっている(「秀忠公任官位記宣旨宣命下書留」(宮内庁書陵部蔵本))。同様に、同年12月28日付の「左近衛大将左馬寮御監両官職兼帯」の宣旨、慶長元年(1595年)5月8日付の正二位内大臣の昇叙転任の宣旨についても豊臣家康の名義であったと考えられる。現存の日光東照宮所蔵の徳川家康の任官叙位の宣旨は、元の宣旨が遺失したため(徳川実紀正保2年5月8日条)、正保2年(1645年)に将軍・徳川家光の要請により朝廷が再発行した文書として伝わっており、この再発行手続きの段階で豊臣から源に変更した可能性がある。",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 169,
"tag": "p",
"text": "※天正15年(1587年)12月某日、従一位行左大臣近衛信輔、左近衛大将兼帯を辞す(公卿補任)。同月28日、従二位行権大納言徳川家康、左近衛大将・左馬寮御監を兼帯(日光東照宮文書)。天正16年(1588年)正月13日、従二位行権大納言鷹司信房、左近衛大将兼帯(公卿補任)。これにより、同日までに徳川家康、左近衛大将および左馬寮御監の兼帯を辞すと想定出来る。なお、文禄5年(1596年)5月8日付、家康に対する内大臣宣旨(日光東照宮文書)においては、家康の官位は、正二位行権大納言兼左近衛大将源朝臣家康となっているが、公卿補任では、家康の左近衛大将の兼任記事は無く、権大納言鷹司信房が左近衛大将を兼任している記事となっている。",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 170,
"tag": "p",
"text": "※文禄3年(1594年)9月21日付、「文禄三年徳川家康宛豊臣秀吉知行方目録」(三重県関町の関地蔵院文書:四日市市史第8巻史料編近世I 四日市市編・発行所収)によれば、宛名(家康)は、「羽柴江戸大納言殿」となっており、この時点では、羽柴の苗字を賜わっていたと考えられる。",
"title": "年表"
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"paragraph_id": 171,
"tag": "p",
"text": "さらに、その前年、文禄2年(1593年)5月20日に羽柴姓を使用している。東京国立博物館所蔵文書。",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 172,
"tag": "p",
"text": "平野明夫は家康宛の信長書状は元亀四年四月六日までは書止文言は恐々謹言で宛名の脇付も進覧ないし進覧之候とあるが天正五年一月二十二日付以後の書止は謹言になり、脇付は無くなっている。これを等輩に対する書札礼から下様への書札礼に変化していると分析している。 また家康から信長への書状は天正二年九月十三日付けの書止文言は恐々謹言だが、天正二年閏十一月九日付以降は最高位の恐惶謹言が用いられていてしかも脇付は最高の敬意を示す「人々御中」が用いられている。 これを持って平野は家康は一門に準ずる織田政権下の一大名であったと締め括っている。 谷口克広も武田家滅亡の際に駿河が信長から家康に宛行いを受けたと書いてあるのは信長公記だけでなく当代記にも「駿河国家康下さる」とあるうえ、三河物語でさえも、「駿河をは家康へ遣わされて」という表現を用いているとし家忠日記でもこの頃の信長を「上様」と呼んでおり、家康の家臣でさえ、縦の関係が生じていることを認めざるをえなかったとしている。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 173,
"tag": "p",
"text": "家康は永禄4-6年ごろの文書では本姓として「源氏」を使用しており、永禄9年(1566年)に「徳川」を名乗った際に藤原氏に改姓しているが、氏を源氏に復姓した時期については、はっきりしない。かつては近衛前久による年代不明の書状が「(改姓は)将軍望に付候ての事」としていることから、関ヶ原の戦いの勝利後、征夷大将軍任官のため吉良氏系図を借用して系図を加工し、源氏に戻したというのが通説であった。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 174,
"tag": "p",
"text": "しかし米田雄介が官務壬生家の文書を調査したところ、天正20年9月の清華成勅許の口宣案において源氏姓が用いられているなど、秀吉生前からの源氏使用例が存在している。笠谷和比古は、天正16年4月の後陽成天皇の聚楽第行幸の様子を収めた『聚楽行幸記』には、家康が「大納言源家康」と誓紙に署名しているという記述があることから、源氏への復姓は少なくともこの時期からではないかと見ている、",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 175,
"tag": "p",
"text": "他に天正14年(1586年)、安房国の里見義康(新田一族)に送った同年3月27日付の起請文では、徳川氏と里見氏は新田一族の同族関係にあることを主張している。ただし、これ以降も「藤原家康」名義の書状が現存しており、この起請文は偽文書の可能性が指摘されている。また、天正14年には藤原氏を用いた寺社への朱印状も残っている。天正19年(1591年)、家康が発給した朱印状で姓が記されているものは「大納言源朝臣」ないし「正二位源朝臣」と記されており、藤原氏は使用されていない。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 176,
"tag": "p",
"text": "笠谷は家康が源氏復姓の時期が将軍であった足利義昭の出家時期と重なっており、左馬寮御監・左近衛大将など将軍家しか許されてこなかった官をうけていることから、“豊臣政権下で家康はすでに源氏の公称を許され将軍任官の動きが公然化し、豊臣関白政権の下での徳川将軍制を内包する形での、権力の二重構造的な国制を検討していた”と記述している。阿部能久は、天正16年は足利義昭が正式に征夷大将軍を辞任した年であり、豊臣秀吉は家康が将来の「徳川将軍体制」を見越して源氏改姓をしたことを認識しつつ、それを逆手に取って関東地方を治めさせたと捉え、さらに清和源氏(河内源氏)の正統な末裔である足利氏の生き残りと言える喜連川家に古河公方を再興させることで、家康と喜連川家+佐竹氏など関東諸大名との間に一定の緊張関係をもたらすことで家康の野心を封じ込めようとしたと推測している。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 177,
"tag": "p",
"text": "家康が礎を築いた徳川将軍家を頂点とする江戸幕府の支配体系は、それまでの日本を統治したどの組織よりも極めて完成度の高いものである。江戸幕府は京、大坂、堺など全国の幕府直轄主要都市(天領)を含め約400万石、旗本知行地を含めれば全国の総石高の1/3に相当する約700万石を独占管理(親藩・譜代大名領を加えればさらに増加する)し、さらには佐渡金山など重要鉱山と貨幣を作る権利も独占して貨幣経済の根幹もおさえるなど、他の大名の追随を許さない圧倒的な権力基盤を持ち、これを背景に全国諸大名、寺社、朝廷、そして皇室までをもいくつもの法度で取り締まり支配した。これに逆らうもの、もしくは幕府に対して危険であると判断されたものには容赦をせず、そのため江戸幕府の初期はいくつもの大名が改易(取り潰し)の憂き目にあっており、これには譜代、親藩大名も含まれる。これは朝廷や皇室でさえも例外ではなく、紫衣事件などはその象徴的事件であった。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 178,
"tag": "p",
"text": "幕府に従順な大名に対しても参勤交代などで常に財政を圧迫させ幕府に反抗する力を蓄えることを許さず、また、特に近世初期は多くの転封をおこない「鉢植え」にした。些細な問題でも大名を改易、減封に処し、神経質に公儀の威光に従わせるように仕向けた。大名への叙位任官、松平氏下賜(授与)で、このように圧倒的な権力基盤を背景にして徳川将軍家を頂点に君臨させた。全国の諸大名・朝廷・皇室を「生かさず殺さず。逆らえば(もしくはその危険があるならば)潰す」の姿勢で支配したのが江戸幕府であった。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 179,
"tag": "p",
"text": "このように徳川将軍家を頂点とする江戸幕府の絶対的な支配体系については「保守的・封建的」との見方もできる一方、強固な支配体系が確立されたからこそ、戦国時代を完全に終結させ、そして江戸幕府が250年以上におよぶ長期安定政権となったことは否定できない事実である。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 180,
"tag": "p",
"text": "後の鎖国政策につながるような限定的外交方針を諸外国との外交基本政策にしたことから、幕末まで海外諸国からの侵略を防げたという評価もある。ただし、これらの「業績」は家康の死後に、当時の情勢において行われたものである。また明が海禁策をとるなど、当時の世界的な趨勢であるとも言える。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 181,
"tag": "p",
"text": "家康は朝廷を幕府の支配下におこうとした。慶長11年(1606年)には幕府の推挙無しに大名への官位の授与を禁止し、禁中並公家諸法度を制定するなどして朝廷の政治関与を徹底的に排除している。大坂冬の陣の最中である12月17日、朝廷は家康に勅命による和睦を斡旋したが、家康はこれを拒否した。さらに家康は秀忠の五女・和子を入内させ、外祖父として皇室まで操ろうとしたのである(入内の話は慶長17年(1612年)から始まっていたという。和子の入内が元和6年(1620年)まで長引いたのは、家康と後陽成天皇が死去したためである)。家康の死後、幕府は紫衣事件などを経て、天皇および朝廷をほぼ完全に支配することに成功した。この力関係は幕末の尊王運動が起こるまで続いた。",
"title": "人物・逸話"
},
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"paragraph_id": 182,
"tag": "p",
"text": "息子や家臣に対しても冷酷非情な面を見せる人物だったとされることが多いが、情に流されず息子や一族に対しても一律に公平であったと見る向きもある。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 183,
"tag": "p",
"text": "長男・信康の切腹に関しては、信長の要求によるものではなく、家康自らの粛清説も近年唱えられている。また、生母の身分が低い次男・結城秀康、六男・忠輝を、出生の疑惑や容貌が醜いなどの理由で常に遠ざけていたとされるが、これには異論もある。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 184,
"tag": "p",
"text": "関ヶ原の戦いにおいて江戸留守居役を命じられた秀康は、戦功を挙げるために秀忠に代わり西上したいと申し出たが容れられなかった。かねてから秀康には石田三成との交流があり、豊臣方に内通する恐れがあったとも考えられる一方で、武将として実績のある秀康に三成と友誼が深く西軍に呼応する恐れが強い佐竹義宣を監視させ、東北戦線で上杉氏と戦う伊達政宗・最上義光らの後詰め役として待機させたとされる。秀康は後の論功行賞において破格の50万石を加増、官位も権中納言まで昇進しており、最終的に67万石もの大封を与えられ、江戸への参勤免除、幕府からの使役の免除、関所を大砲で破壊しても黙認されるなど、別格の扱いを受けている。将軍継嗣がならなかったのは、豊臣秀吉の養子で、後に結城家に養子に入り名跡を継いでいることなどが理由とされる。また秀康の子・松平忠直には、秀忠の娘・勝姫を嫁がせている。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 185,
"tag": "p",
"text": "忠輝についても嫌われ、冷遇されたといわれたが、それを示す史料はなく、改易前には御三家並の所領(越後国・高田55万石)が与えられていた。",
"title": "人物・逸話"
},
{
"paragraph_id": 186,
"tag": "p",
"text": "しかし秀康はともかく、嫡子・忠直や忠輝は家康よりもむしろ秀忠と不仲であったとされる。松平忠直は大坂の陣で真田信繁(通称、幸村)らを討ち取る功績を挙げたが、論功行賞に不満を言い立てた。家康の死後は幕政批判や乱行が目立ったために秀忠によって隠居させられ、越前福井藩を継いだのは忠直の弟・忠昌であった。忠輝も秀忠により数々の不行状を追及されて改易させられた。",
"title": "人物・逸話"
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{
"paragraph_id": 187,
"tag": "p",
"text": "徳川四天王である本多忠勝や榊原康政を関ヶ原の戦い後に中枢から外し、この2人に次ぐ大久保忠隣を改易・失脚させている。しかし、榊原康政は老臣が要職を争うことを嫌い自ら老中職を辞退していることに加え、康政の跡を継いだ榊原康勝が大坂の陣で没した後に起こった騒動を家老の処分にとどめ、本多忠勝に対しては、その子・本多忠政と孫・本多忠刻に自分の孫・熊姫(松平信康の娘)と千姫を嫁がせるなど、譜代大名に相応の配慮は示しており、その例は例外も多いが鳥居家、石川家など枚挙に暇がない。大久保氏も忠隣の孫・忠職は大名として復権し、家康の死後は加増が行われ次代・大久保忠朝は旧領小田原への復帰と、11万石という有力譜代大名としての加増を受けている。ただし、忠職が家康の曽孫であるから、という見方もできるのも否めない。しかし、忠隣自身が家康死後に家康の誤りを示すとして秀忠からの赦免要請を拒否していることから、大久保氏を避けていたわけではないと思われる。",
"title": "人物・逸話"
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{
"paragraph_id": 188,
"tag": "p",
"text": "家康は吏僚の造反行為には厳しく、三河時代に武田勝頼と内通した寵臣・大岡弥四郎を鋸引きという極刑で処刑している。大久保長安についても、幕府中枢にある者の汚職・不正蓄財と扱い殊更に厳しくすることで、綱紀粛正を促したとする見方もできる。さらには、人材の環流は組織の活性化に必須であり、一連の行為はあくまで幕府の体制固めとして行われた政治的行為として解釈することもできる。また、松平信康を含め、秀康・忠輝に共通するのは武将としての評価が高かったことにあり、武将としては凡庸とされ失敗もあり兄を差し置いて将軍となった秀忠の手前彼らを高く評価することは憚られたことが背景にある。",
"title": "人物・逸話"
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{
"paragraph_id": 189,
"tag": "p",
"text": "また、家康はかつて敵対していた今川氏・武田氏・北条氏の家臣も多く登用し、彼らの戦法や政策も数多く取り入れている。『故老諸談』には家康が本多康重に語った言葉として「われ、素知らぬ体をし、能く使ひしかば、みな股肱となり。勇功を顕したり」と記されている。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 190,
"tag": "p",
"text": "家康は、武田信玄を尊敬し、武田氏の遺臣から信玄の戦術や思想を積極的に学んだ。その反面、信長のように身分や序列を無視した徹底的な能力主義をとることはなく、秀吉のように自らのカリスマ性や金、領地を餌に釣って家臣を増やすこともなかった。家康の重臣のほとんどは三河以来の代々仕えてきた家臣たちであった。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 191,
"tag": "p",
"text": "そのためか、彼らに天下を統一され遅れをとったが、代わりに自身は信頼できる部下だけで周囲を固め、豊臣政権の不備もあって天下人となった。とはいえ、その部下の中には今川氏・武田氏・北条氏等の自身が直接(主導)的には滅ぼしてはいない大名の家臣も含まれているため一種の漁夫の利(統一の際の汚れ役を信長・秀吉が被ってくれた)ともいえる。一方で偉大な先人から学びとり、それを取捨選択しその時流や自分の状況にあう行動をとったことは十分に名君と呼ぶに値するという見方もできる。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 192,
"tag": "p",
"text": "その戦振りに関しては、秀吉から「海道一の弓取り」と賞賛されたと伝わる。 家康は常に冷静沈着な知将だったとされているが短気で神経質な一面も持ち、関ヶ原の戦いでは開戦間際において一面に垂れ込める霧の中で使番の野々村四郎右衛門が方向感覚を失い陣幕に馬を乗り入れた際に苛立ち、門奈長三郎という小姓に侵入者が何者か尋ねるが、門奈は侵入者が誰だか知っていたが当人に責任が掛からないように配慮し答えなかった。家康は門奈のこの態度に腹を立て、門奈の指物の竿を一刀のもとに切り捨てたという。さらに家康は苛立ったり、自分が不利になったりすると、親指の爪を常に噛み、時には皮膚を破って血を流すこともあったという。その一方怒りに任せ家臣や領民を手打ちにするようなことは生涯ほとんどなかった。幼少期に今川家の人質だったころ自分に辛く当たった今川方の孕石元泰を後年探しだし切腹させた(『三河物語』)のは例外的処置である。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 193,
"tag": "p",
"text": "情を排する冷徹な現実主義者との評価がある一方、法よりも人情を優先させた事例もある。例えば三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討死した夏目吉信の子が規律違反を犯しても超法規的に赦し、関ヶ原の合戦後に真田信之、本多忠勝らの決死の嘆願で真田昌幸と真田幸村を助命している。特に苦労を共にしてきた三河時代からの家臣たちとの信頼関係は厚く、三方ヶ原の戦いで三河武士が背を向けず死んで行ったという俗説をはじめ、夏目吉信・鳥居元忠らの盲目的ともいえる三河武士たちの忠節ぶりは敵から「犬のように忠実」と言われたこと(『葉隠覚書』)から、少なくとも地元である三河武士が持つ家康への人望は非常に厚かったようだが、一向一揆を起こされたことも考慮する必要がある。無論、有能な人材も重視し、安祥・岡崎譜代だけでなく今川氏・武田氏・北条氏の旧臣を多く召抱え、大御所時代には武士のみならず僧・商人・学者、さらには英国人ウィリアム・アダムス(外国人に武士として知行を与えたのは家康のみ)と実力も考慮して登用し、江戸幕府の基礎を作り上げていった。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 194,
"tag": "p",
"text": "戦国時代最大の武装宗教勢力であった一向宗は第11世門主・顕如の死後、顕如の長男・教如と三男・准如が対立し、教如が独立する形で東本願寺(真宗大谷派)を設立、後にこれに対して准如が西本願寺(浄土真宗本願寺派)を設立し、東西本願寺に分裂するが、この分裂劇に関与しているのも家康である。一説によると、若き日に三河一向一揆に苦しめられたことのある家康が、本願寺の勢力を弱体化させるために、教如を唆して本願寺を分裂させたと言われているが、明確にその意図が記された史料がないため断定はできない。しかし、少なくともこの分裂劇に際し、教如を支持して東本願寺の土地を寄進したのが家康であることは確かである(真宗大谷派も教如の東本願寺の設立に家康の関与があったことは認めている)。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 195,
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"text": "現在の真宗大谷派は、このときの経緯について、「教如は法主を退隠してからも各地の門徒へ名号本尊や消息(手紙)の配布といった法主としての活動を続けており、本願寺教団は関ヶ原の戦いよりも前から准如を法主とする一派と教如を法主とする一派に分裂していた。徳川家康の寺領寄進は本願寺を分裂させるためというより、元々分裂状態にあった本願寺教団の現状を追認したに過ぎない」という見解を示している。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 196,
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"text": "東西本願寺の分立が後世に与えた影響については、『戦国時代には大名に匹敵する勢力を誇った本願寺は分裂し、弱体化を余儀なくされた』という見方も存在するが、前述の通り本願寺の武装解除も顕如・准如派と教如派の対立も信長・秀吉存命のころから始まっており、また江戸時代に同一宗派内の本山と脇門跡という関係だった西本願寺と興正寺が、寺格を巡って長らく対立して幕府の介入を招いたことを鑑みれば、教如派が平和的に公然と独立を果たしたことは、むしろ両本願寺の宗政を安定させた可能性も否定出来ない。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 197,
"tag": "p",
"text": "ちなみに、三河一向一揆が起こった際、敵方の一向宗側には本多正信や夏目吉信など、家康の家来だった者もいた。だが家康は彼らを怨まず、逆に再び召抱えている。彼らは家康に恩を感じ、本多正信は家康の晩年まで参謀として活躍し、夏目吉信は三方ヶ原の戦いで家康の身代わりになって戦死した。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 198,
"tag": "p",
"text": "また、同様に町衆に対し強い影響力を有する日蓮宗に対しても、秀吉が命じた方広寺大仏殿の千僧供養時に他宗の布施を受けることを容認した受布施派と、禁じた宗義に従った不受不施派の内、後者を家康は公儀に従わぬ者として日蓮宗が他宗への攻撃色が強いことも合わせて危険視した。そのため、後の家康の出仕命令に従わぬ不受不施派の日奥を対馬国に配流したり、他宗への攻撃が激しい日経らを耳・鼻削ぎの上で追放した。家康死後も不受不施派は江戸幕府の布施供養を受けぬことを理由として、江戸時代を通じて弾圧され続けた。",
"title": "人物・逸話"
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{
"paragraph_id": 199,
"tag": "p",
"text": "これら新興の宗派以外の古い天台宗・真言宗・法相宗にも独占した門跡を通じ朝廷との深い繋がりを懸念し、新たに浄土宗の知恩院を門跡に加え、さらに天台宗の関東における最高権威として輪王寺に門跡を設けた。これら知恩院・輪王寺は江戸幕府と強い繋がりを持った。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 200,
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"text": "一方でキリスト教に対しては秀吉の死後、南蛮貿易による収益などの観点から当初は容認しており、実際に江戸時代初期にキリスト教は東北地方への布教を行っている。しかしマードレ・デ・デウス号事件や岡本大八事件を経て、慶長18年(1613年)にバテレン追放令を公布する。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 201,
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"text": "家康の死後、幕府は寺請制度等により、寺社勢力を完全に公儀の下に置くことに成功している。また、家康自身が東照神君として信仰対象になった。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 202,
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"text": "家康は江戸期を通じて神格化され、否定的評価は禁じられており、自由な評価が解禁されたのは江戸幕府が崩壊した明治維新後である。山岡荘八の小説『徳川家康』では、幼いころから我慢に我慢を重ねて、逆境や困難にも決して屈することもなく先見の明をもって勝利を勝ち取った人物、泰平の世を願う求道者として描かれている。この小説をきっかけに家康への再評価が始まっている。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 203,
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"text": "司馬遼太郎は家康について記した小説『覇王の家』あとがきで、家康が築いた江戸時代については「功罪半ばする」とし、「(日本人の)民族的性格が矮小化され、奇形化された」といった論やその支配の閉鎖ないし保守性については極めて批判的である。但し、司馬は家康本人に対しては、必ずしも否定的では無い。初陣を15歳で経験し、大坂夏の陣では73歳でありながら総大将として指揮を採り、その生涯では三方ヶ原の戦いなど大敗も経験したが、晩年まで幾多もの戦争を経験し、指揮も執り、戦死しなかったことを、「歴史上、古今東西見渡しても滅多に類を見ない」とし、「戦が強くはなかったが、戦上手であった」と評している。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 204,
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"text": "2000年に朝日新聞社が実施した識者5人(荒俣宏、岸田秀、ドナルド・キーン、堺屋太一、杉本苑子)が選んだ西暦1000年から1999年までの「日本の顔10人」において、家康が得票数で1位を獲得した。",
"title": "人物・逸話"
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"paragraph_id": 205,
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"text": "死去時における家康の遺品は「駿府御分物」として秀忠や側室・娘・孫に一部が、残りの大部分が御三家に分与された。尾張家と水戸家にはその目録があり、大雑把な分類を下記する。",
"title": "遺品"
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"paragraph_id": 206,
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"text": "これらの大半は長い年月の内に使用・贈答・破損等で失われたが、それでも多くの遺品が残存している。この他に生前家臣等へ下賜したものを含めれば、他の人物とは比較にならない多種多様な遺品が伝来している。",
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"text": "「駿府御分物」目録に記載された刀剣・薙刀・槍の総数は1,172点を数える。この内、目録の記述が簡略なため現存品と確認できるのは少なく100点、刀剣85点中国宝・重要文化財・重要美術品指定42点、御物4点、また名物は40点を数える。",
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"text": "家康は、武家の棟梁として古い名刀を蒐集し、「日光助真」(国宝、東照宮蔵)など多くの名物がその手元にあった。また、晩年の慶長19年(1614年)春には、大坂冬の陣に備えるために、伊賀守金道という刀工に1,000振りの陣太刀を急造発注し、その政治的見返りとして朝廷に対し金道を「日本鍛冶惣匠」に斡旋している。",
"title": "遺品"
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"text": "一方で、家康を始めとする徳川家臣団が、戦場で使う武器として愛用していたのが、当時の「現代刀」だった伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)の刀工、千子村正(せんご むらまさ)と千子派(村正の一派)、そしてその周辺流派の作である。",
"title": "遺品"
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"text": "家康自身も村正の打刀と脇差を所有し、これらは尾張徳川家に「村正御大小(むらまさおだいしょう)」として伝来した。脇差は大正期に売却されたが、打刀は現在も徳川美術館に所蔵され、村正に珍しい皆焼(ひたつら)刃の傑作として名高い。家康がこの大小を一揃いで差し実戦で使用したのか確実なところは不明だが、少なくとも今も打刀にはわずかに疵の跡が残っている。この「皆焼」の刃文を持つ村正は相当な稀少品で、現存するのは他に短刀「群千鳥(むらちどり)」や短刀「夢告(むこく)」などの数点しかなく、そのいずれもが評価の高い名作とされている。",
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"text": "お膝元の駿河には村正と作風を共有する島田義助(元今川氏のお抱え刀工)がいて、六代目の義助に御朱印を与えるなど厚遇している。村正と義助は直接の師弟関係ではないが、お互いの派で技術的交流を続けていたから、作風が近づくことがよくあった。",
"title": "遺品"
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"text": "なお、かつては家康が村正を忌避していたという俗説があったが、現在では完全に否定されている。村正は徳川家に祟るとする妖刀伝説が江戸時代に広く流布していたことそのものは事実(村正#妖刀村正伝説)で、村正は銘を潰されるなどの悲惨な被害を受けたが、そうした伝説は家康の死後に発生したものである。徳川美術館は、家康が村正を忌避していたとするのは後世の創作、家康は実際は村正を好んでいた、と断言している。",
"title": "遺品"
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"text": "妖刀伝説が広まった理由としては、以下の理由が考えられる。",
"title": "遺品"
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"text": "家康所用とされる甲冑は多数伝来しており、記録伝承が確実なものだけで10領が現存する。",
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"text": "代表的なものとして上述の「南蛮胴具足」(下賜品含め5領、他兜のみも有)、「伊予札黒糸威胴丸具足(歯朶具足)」(2領、内1領は兜欠)、「金溜塗具足」(2領)などが伝来している。",
"title": "遺品"
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"text": "当時の武将は存在を誇示するため派手な甲冑や前立を好んでいたが、家康が大坂の陣で使用した歯朶具足は飾りが少ない漆黒の甲冑は「現代刀」と共に家康の気質を表しているとされる。一方で、金色の「金溜塗具足」や「金小札緋縅具足」、水牛の角を立物として熊毛を植えた「熊毛植黒糸威具足」、一の谷と大釘を組み合わせた立物に銀箔と白糸による総白色の「白糸威一の谷形兜」、華麗な姿や桐紋から当初は秀吉所用と思われた「花色日の丸威胴丸具足」等派手な甲冑も多数伝来しており、実際には多種多様な甲冑を着用・所持した。",
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"text": "また家康は秀吉と同様に欧州に甲冑を贈っているが、オーストリアアンブラス城にある「文字威胴丸具足」は「日本の皇帝及び皇后が神聖ローマ皇帝ルドルフ2世」に贈った品と記録がある。この具足は先述の「花色日の丸威胴丸具足」や1613年に秀忠がイギリス国王ジェームズ1世に贈った甲冑等の家康やその近辺の甲冑と同一の特徴があり、1608年から1612年に家康が贈った甲冑とされる。この甲冑は胴前面と左袖に「天下」、胴後面と右袖に「太平」の文字が紅糸で縅してある。",
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"text": "目録記載の主な衣類として小袖2,746領、単物2,258領、糸490貫がある。生前の下賜品を含めた現存品は180点を超え、その種類も羽織・胴服・陣羽織・小袖・綿子・下着・カルサン・小袴・襟巻・長裃・裃・肩衣・帷子・浴衣・紙子・下帯・足袋、素材も絹・天鵞絨・羅紗・革・麻・紙と多彩である。",
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"text": "衣類の中でも辻ヶ花の小袖は技術的・美術的にも価値が高い遺品が多く、「葵梶葉文染分辻が花染小袖」のように重要文化財に指定された品も多い。『慶長板坂卜斎記』には家康が家臣へ数多くの小袖(年間に9から14・15領)を下賜した結果、天正末から文禄に掛けて小袖が天下に広まったとして、日本衣装が結構な事は家康に始まるとして、日本建築が結構な事は秀吉に始まると対比させている。",
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"text": "例として「練緯地白紫段葵紋散辻が花染陣羽織」は天正10年(1582年)伊賀越え時の下賜品とされ時期が判明する最も古い衣装であり、慶長15年(1610年)に下賜された「白練緯地松皮菱竹模様小袖」は半世紀以上後に流行した寛文小袖とする説も出た斬新なデザインである。また大破した残欠を化学分析した結果、黄金色に復元された「黄金色地葵紋波兎文辻ケ花染羽織」は地味と言われる家康の趣向に対する認識を大きく変えた。",
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"text": "家康の駿府城中にあった文庫「駿府御文庫」に収められた蔵書は、「国内の旧記・稀覯本」は将軍家に収められ「紅葉山文庫」の基となった。残りは前述のように御三家に相続され、この内尾張家に収められた分は「蓬左文庫」の基となった。",
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"paragraph_id": 222,
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"text": "将軍家相続分は「先代旧事本紀」・「古事記」・「釈日本紀」等国書が多く、史書・故実書が大半を占めるが、漢詩文集や漢籍(史書が殆ど)もある。これらの多くは社寺・公家・院御所等から得られたもので、概算で51部1,200冊を数える。御三家の内、目録のある尾張家の分は378部2,838冊、水戸家の分は180部907冊とされる。「駿府御文庫」の収蔵数は約1,000部7,800冊と推測され、これとは別に林羅山へ預けた分は記録がある漢籍800部に和書を加えれば1,000部になると推測される。",
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"text": "蔵書の分類は漢籍が8割、和書が2割とされ、学問書が多くを占めている。これらの蔵書は江戸幕府による文治政策の基礎を成したと見られる。",
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"paragraph_id": 224,
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"text": "家康は2代将軍・徳川秀忠の父、3代将軍・徳川家光・水戸藩主水戸光圀らの祖父、4代将軍・徳川家綱、徳川綱重(6代将軍・徳川家宣の父)、5代将軍・徳川綱吉、8代将軍・徳川吉宗の曽祖父に当たる。家康の子で六男松平忠輝が一番長生きしている。家康の存命中に玄孫も生まれており、家康の曽孫の敬台院が蜂須賀至鎮に嫁いで産んだ三保姫と蜂須賀忠英と正徳院のほか、家康の曽孫同士で結婚した小笠原忠脩と円照院の子の齢昭院と小笠原長次、家康の曽孫の栄寿院が有馬直純に嫁いで産んだ有馬康純が該当する。",
"title": "一族縁者"
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"text": "功績のあった臣や元服する者に自分の名の一字(太字)を与えた。",
"title": "偏諱を与えた人物"
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"paragraph_id": 226,
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"text": "※上記三作品は「家康三部作」とも呼ばれる。",
"title": "関連作品"
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"paragraph_id": 227,
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"text": "※影武者としての家康の主題作品は「徳川家康の影武者説」参照。",
"title": "関連作品"
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] | 徳川 家康は、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名。江戸幕府初代将軍。三英傑の1人である。 | {{otheruses}}
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 徳川 家康
| 画像 = Tokugawa Ieyasu2.JPG
| 画像サイズ = 270px
| 画像説明 = 徳川家康像([[狩野探幽]]画、[[大坂城|大阪城]]天守閣蔵)
| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[江戸時代]]初期
| 生誕 = [[天文 (元号)|天文]]11年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]([[1542年]][[1月31日]])<ref>[[先発グレゴリオ暦]]だと[[1542年]][[2月10日]]。</ref>{{Sfn|中村|1965|p=55}}
| 死没 = [[元和 (日本)|元和]]2年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]([[1616年]][[6月1日]])<ref>[[ユリウス暦]]だと[[1616年]][[5月22日]]。</ref>{{Sfn|中村|1965|p=682}}<br>[[享年]]75(満74歳没)
| 改名 = 松平竹千代(幼名)→ 元信(初名) → 元康 → 家康 → 徳川家康
| 別名 =[[仮名 (通称)|仮名]]:次郎三郎、[[蔵人|蔵人佐]]<br/>敬称:[[大御所 (江戸時代)|大御所]](将軍辞任後)<br />尊称:[[神君]](死後)<ref name="kokusitaijien">[[尾藤正英]]「徳川家康」『[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]]』[[吉川弘文館]]</ref>
| 神号 = 東照大権現
| 戒名 = 東照大権現安国院殿徳蓮社崇譽(誉)道和大居士
| 墓所 = [[久能山東照宮]]<br />[[日光東照宮]]<br />[[大樹寺]]<br />[[高野山]]
| 官位 = [[従五位下]]、[[三河国司|三河守]]、[[左京大夫]]、[[従五位上]]、[[侍従]]、[[正五位下]]、[[従四位下]]、[[右近衛権少将]]、[[従四位上]]、[[正四位下]]、[[左近衛権中将]]、[[従三位]]、[[参議]]、[[権中納言]]、[[正三位]]、[[従二位]]、[[権大納言]]、[[左近衛大将]]、[[左馬寮御監]]、[[正二位]]、[[内大臣]]、[[従一位]]、[[右大臣]]、[[征夷大将軍]]、[[太政大臣]]、[[源氏長者]]、[[贈位|贈]][[正一位]]
| 幕府 = [[江戸幕府]] 初代[[征夷大将軍]]<br>(在任[[1603年]] - [[1605年]])
| 主君 = [[今川義元]] → [[今川氏真]] → [[足利義昭]] → [[織田信長]]{{Sfn|谷口|2012|pp.=229 -233|ps=、“織田家「一門に準ずる織田政権下の一大名」の立場になる。” 引用先は平野明夫『徳川権力の形成と発展』第2章「織豊大名徳川氏」}}→ [[豊臣秀吉]] → [[豊臣秀頼]]→[[後陽成天皇]]→[[後水尾天皇]]
| 氏族 = [[松平氏]] → [[徳川氏]]
| 父母 = 父:[[松平広忠]]<br />母:[[於大の方|水野大子]](伝通院)<br/>[[継父]]:[[久松俊勝]]<ref>『東照宮御実紀』巻二</ref>
| 兄弟 = '''家康'''、[[松平家元]]?、[[内藤信成]]?、[[恵最|樵臆恵最]]?、[[松平忠政 (松平広忠の子)|松平忠政]]、[[市場姫]]、[[矢田姫]]<ref>新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史 2 (中世)』新編岡崎市史編さん委員会、1989年3月31日、696-697頁、{{NDLJP|9540743}}{{要登録}}。</ref><br/>異父弟:[[松平康元]]、[[松平康俊]]、[[松平定勝]]<br/>異母姉妹:[[多劫姫]]
| 妻 = [[正室]]:'''[[築山殿]]'''<br/>[[継室]]:'''[[朝日姫]]'''<br />[[側室]]:[[雲光院]][[#一族縁者|ほか]]
| 子 = [[松平信康]]、[[亀姫 (徳川家康長女)|亀姫]]、[[督姫]]、[[結城秀康]]、'''[[徳川秀忠|秀忠]]'''、[[松平忠吉]]、[[正清院|振姫]]、[[武田信吉]]、[[松平忠輝]]、[[徳川義直|義直]]、[[徳川頼宣|頼宣]]、[[徳川頼房|頼房]][[#一族縁者|など]]
| 特記事項 =
| 花押 =Tokugawa Ieyasu kao.jpg
}}
'''徳川 家康'''(とくがわ いえやす、{{旧字体|'''德川 家康'''}})は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]初期の[[日本]]の[[武将]]、[[戦国大名]]。[[江戸幕府]]初代[[征夷大将軍|将軍]]。[[三英傑]]の1人である。
== 概要 ==
[[家系]]は[[三河国]]の[[国人]][[土豪]]・[[松平氏]]の内、[[松平氏|安祥松平家]]5代当主。幼名は[[竹千代]]<ref name="kokusitaijien" />。諱は[[今川義元]]より[[偏諱]]を受けて'''元信'''(もとのぶ)、次いで'''元康'''(もとやす)と名乗るが、[[今川氏]]から独立した際に'''家康'''と名乗る。[[仮名 (通称)]]は当初'''次郎三郎'''、元康と名を改めた際に'''蔵人佐'''と改めている<ref name="endoutamaki">{{Cite web|和書|title = #2 「わが子も同様」松平次郎三郎元信の登場|url = https://steranet.jp/articles/-/1326|website = ステラnet|author=[[遠藤珠紀]]|accessdate = 2023-4-23}}</ref>。
近衛家に系図作成を依頼し、[[勅許]]の上、[[永禄]]9年12月29日([[1567年]][[2月18日]])に[[徳川氏]]に改姓。[[本姓]]は[[源氏]]や[[藤原氏]]を称し、[[豊臣政権]]では豊臣氏を称した形跡もあるが、[[天正]]16年(1588年)以降に源氏を再び称している{{Sfn|笠谷|1997|p=44}}。[[徳川氏|徳川家]]や[[徳川将軍家]]、[[徳川御三家]]の祖である。
幼少期を[[織田氏]]ついで[[今川氏]]の下で人質として過ごす<ref name="kokusitaijien" />。[[永禄]]3年([[1560年]])、[[桶狭間の戦い]]での[[今川義元]]の討死を機に今川氏から独立して[[織田信長]]と同盟を結び<ref name="kokusitaijien" />、[[三河国]]・[[遠江国]]に版図を広げる。
信長が天正10年([[1582年]])に[[本能寺の変]]において死亡すると[[天正壬午の乱]]を制して[[甲斐国]]・[[信濃国]]を手中に収める<ref name="kokusitaijien" />。
信長没後に勢力を伸張した[[豊臣秀吉]]と[[小牧・長久手の戦い]]で対峙するが<ref name="kokusitaijien"/>、後に秀吉に臣従。[[小田原征伐]]後は[[後北条氏]]の旧領関東への転封を命ぜられ豊臣政権下で最大の領地を得る。秀吉晩年には[[五大老]]に列せられ[[大老]]筆頭となる<ref name="kokusitaijien"/>。
秀吉没後の[[慶長]]5年([[1600年]])に[[関ヶ原の戦い]]において西軍に勝利。慶長8年([[1603年]])に[[征夷大将軍]]に任命され[[武蔵国]][[江戸]]に[[江戸幕府|幕府]]を開く。慶長20年([[1615年]])の[[大坂の陣]]で豊臣氏を滅亡させ、日本全国を支配する体制を確立。[[安土桃山時代]]が終結した。
没後は'''東照大権現'''の[[神号]]を贈られるなど[[神格化]]され、江戸幕府の祖として「神祖」<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E7%A5%96-466699 |title = 「神祖」『デジタル大辞泉』 |publisher = 小学館 |accessdate = 2015-10-15}}</ref>・「烈祖」<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.expo2005.or.jp/jp/J0/J2/J4.0/J0/J4.0_01368.html |title = 烈祖殿跡の碑 |publisher = [[愛・地球博]] |accessdate = 2015-10-15}}</ref>などとも称されるなど、江戸時代を通じて崇拝された。
家康がその礎を築いた[[江戸幕府]]を中心とする統治体制は、後に[[幕藩体制]]と称される。
== 生涯 ==
[[ファイル:Okazakijo-5.jpg|thumb|220px|[[岡崎城]]天守]]
[[ファイル:Shogun-Tokugawa-Ieyasu.png|thumb|220px|[[歌川芳虎|孟齋芳虎]]画「三河英勇傳」より『従一位右大臣 征夷大将軍源家康公』]]
[[File:Rinzai-ji1.jpg|thumb|220px|竹千代時代を過ごした[[臨済寺 (静岡市)]](2016年8月14日撮影)]]
<small>※ 日付は、[[太陰暦]]による[[和暦]]。[[西暦]]の暦法は便宜上、[[ユリウス暦]]とする。</small>
=== 生い立ち ===
[[天文 (元号)|天文]]11年([[1542年]])12月26日、岡崎城主[[松平広忠]]の[[嫡男]]として[[岡崎城]]において生まれる{{Sfn|中村|1965|p=55}}{{Efn|徳川家譜でも松平記でも天文11年12月26日の生まれと記されているが、家康自身は慶長8年(1603年)に作成したまじないに使う願文に自らの年齢を『六十一歳癸卯歳』と記しており、生年を天文12年(癸卯)としている。[[徳川美術館]]学芸部部長代理を務めた[[原史彦]]はこのズレについて、家康が生まれたとされる天文11年12月26日は寅年、寅の日、寅の刻であり、誕生日すらも帝王になる資質を備えていたことを強調するため誕生日をわざと書き換えたと推測され、本来の生年は家康自身の言う通り天文12年であるとする説を唱えている。歴史学者の[[磯田道史]]も原の説に近い立場を取っており、勇敢にみせるイメージ戦略をとるため卯年ではなく寅年生まれであることにしたと推測する他、家康の幼名である竹千代は父・広忠が天文12年2月26日夜の[[連歌]]会で詠んだ句にちなんでおり、嫡男である家康が2カ月以上も命名されなかったのは不自然であるとして、家康本来の誕生日は天文12年2月26日からそう遠くない日であるとの可能性を指摘している<ref>[[磯田道史]]の古今をちこち『読売新聞』2023年1月11日朝刊、19面</ref>。その後、歴史学者の[[遠藤珠紀]]が家康の生年が卯年であるとする史料が全て陰陽道関係のものであることに注目し、陰陽道では実際の暦日に基づく暦月と異なって立春をもって正月とする節月(節切り)を採用しており、天文11年は12月21日に立春を迎えていることからそれ以降(12月26日)に生まれた家康は暦月では寅年・節月では卯年生まれとなるため、陰陽道に関する文書では卯年として扱われたとしている(遠藤は家康と同様の事例として南北朝時代の公家で暦応4年12月23日に生まれた[[広橋仲光]]の例を挙げている)<ref>遠藤珠紀「徳川家康の誕生年について」『戦国史研究』第86号、2023年9月、P34-35.</ref>。}}。生母は[[緒川城]]主[[水野忠政]]の娘・[[於大の方|大子]](伝通院){{Sfn|中村|1965|p=55}}。幼名は'''竹千代'''(たけちよ){{Sfn|中村|1965|p=55}}{{Sfn|新編岡崎市史編集委員会|1989|p=694}}。胞刀の役は[[酒井政家]]、[[蟇目]]の役は[[石川清兼]]が務めた{{Sfn|新編岡崎市史編集委員会|1989|p=692}}。
3歳のころ、水野忠政没後に[[水野氏]]当主となった[[水野信元]](大子の兄)が[[尾張国]]の[[織田氏]]と同盟する。織田氏と敵対する[[駿河国]]の[[今川氏]]に庇護されている広忠は大子を離縁。竹千代は3歳にして母と生き別れになる{{Efn|松平氏では天文12年(1543年)に長く松平広忠の[[名代]](家督代行)を務めていた[[松平信孝 (戦国時代)|松平信孝]](広忠の叔父)が広忠や重臣の[[阿部定吉|阿部大蔵]]らによって追放されているが、広忠と大子の婚姻自体が水野氏と連携関係にあった信孝主導による縁組であり、信孝を排除した結果として水野氏との同盟関係が終了したと新説も出されている{{Sfn|小川|2020|pp=166-168}}。なお、当時の水野氏は複数の流れに分かれており、信元(緒川家)の水野氏が織田方についたことが明確になるのは織田信長が織田氏を継承して知多郡への支配の立て直しを意図した後であり、可能性の1つとして松平広忠の死後に今川氏が安祥松平家を断絶させずに竹千代(家康)を後継者とする方針を決めたことに対する反発が信元離反の一因になったとする指摘もある{{Sfn|小川|2020|pp=168-171}}。}}。
=== 人質として今川家、そして織田家へ ===
[[天文 (元号)|天文]]16年([[1547年]])8月2日{{Sfn|中村|1965|p=65}}、竹千代は数え6歳で今川氏への人質として[[駿府]]へ送られることとなる。しかし、駿府への護送の途中に立ち寄った[[田原城 (三河国)|田原城]]で義母の父・[[戸田康光]]の裏切りにより、[[尾張国]]の[[織田信秀]]へ送られた。だが広忠は今川氏への従属を貫いたため、竹千代はそのまま人質として2年間尾張国[[宮宿|熱田]]の[[加藤順盛]]の屋敷に留め置かれた。このとき[[織田信長]]と知り合ったという伝説があるが、史料にはない<ref>{{Cite book|和書|author = 谷口克広 |authorlink = 谷口克広 |year = 2017 |title = 天下人の父親・織田信秀 信長は何を学び、受け継いだのか |series = 祥伝社新書 |pages = 126-127}}</ref>。また、近年の研究{{Efn|この説では、松平広忠が叔父・信孝、戸田氏が牧野氏と争った際に今川義元・織田信秀が共に信孝および牧野氏を支援したことで今川・織田両氏の間に一時的な連携が生じたとする{{Sfn|柴|2017|pp=40-41}}。また、重臣の[[酒井忠尚]]も信孝陣営にあったとされる{{Sfn|黒田|1996|pp=276-277|loc=柴裕之「松平元康との関係」}}。なお、天文期の今川・織田両氏による三河侵攻については[[村岡幹生]]の「織田信秀岡崎攻落考証」<ref name="muraoka">{{Cite journal|和書|author=村岡幹生|title=織田信秀岡崎攻落考証|journal=中京大学文学論叢|issue=1号|year=2015}}</ref>をきっかけに岡崎城が織田氏に攻め落とされたことが新たな有力説になっているが、その際の松平広忠の政治的立場については依然として今川方にあったとする村岡と今川からの離反を図ったために今川・織田両氏による三河侵攻が生じたとみる[[平野明夫]]<ref>{{Citation|和書|author=平野明夫|chapter=家康は、いつ今川氏から完全に自立したのか|editor=平野明夫|title=家康研究の最前線ーここまでわかった「東照神君」の実像|series=洋泉社新書|publisher=洋泉社|year=2017}}</ref>や糟谷幸裕<ref>{{Citation|和書|author=糟谷幸裕|chapter=天文十五年~永禄三年|editor=大石泰史|title=今川史年表ー氏親・氏輝・義元・氏真|publisher=高志書院|year=2017}}</ref>らとの議論がある<ref>{{Citation|和書|author=糟谷幸裕|chapter=国衆の本領・家中と戦国大名ー今川領国を事例に|editor=戦国史研究会|title=戦国時代の大名と国衆 支配・従属・自立のメカニズム|publisher=戎光祥出版|year=2018|isbn=978-4-86403-308-4|page=145}}</ref>。その後、村岡も説を修正し、両者の連携を認めた上で岡崎城の陥落に前後して連携が破綻してしまったことが、今川義元の行動を不可解にしている(松平広忠との和睦と今川方への帰参誘引)と推測している<ref>村岡幹生『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年)「織田信秀岡崎攻落考証」追記、P291-295.</ref>。}}では、天文16年9月{{Efn|なお、当時の情報伝達の状況から、実際の松平広忠の織田氏への降伏と人質の差出が8月であった可能性も指摘されている<ref name=ohishi2023-56>大石泰史「国衆松平氏と今川氏」黒田基樹 編『シリーズ・戦国大名の新研究 第3巻 徳川家康とその時代』(戎光祥出版、2023年5月) ISBN 978-4-86403-473-9 P56-59.</ref>ため、時期的には竹千代が人質に出されたと伝えられる時期と被ることになる。}}に岡崎城が織田氏によって攻略されたとする文書(「本成寺文書」『古証文』)の存在が指摘され、松平広忠が織田氏への降伏の証として竹千代を人質に差し出した可能性も浮上している{{Sfn|柴|2017|pp=41-42}}。
2年後に広忠が死去する{{Efn|家臣の[[岩松八弥]]の謀反によって殺害されたとする説がある(『岡崎市史』は暗殺説を採る)一方で、暗殺説は信頼性の低い史料からの付会に過ぎず、岩松による襲撃が事実としてもそれが死因と断定できる根拠はなく、病死を否定する理由はないとする意見もある<ref name="muraoka" />。}}。[[今川義元]]は織田信秀の[[庶長子]]・[[織田信広]]{{Efn|前年の天文18年([[1549年]])、[[安祥城]]を[[太原雪斎]]に攻められ生け捕りにされていた。}}との人質交換によって竹千代を取り戻す。しかし竹千代は駿府{{Efn|『東照宮御実紀』では少将宮町、『[[武徳編年集成]]』では宮カ崎とされている。}}に移され、岡崎城は今川氏から派遣された[[城代]]([[朝比奈泰能]]や[[山田景隆]]など)により支配された{{Efn|松平広忠の嫡男である竹千代を人質にとった処遇は、今川氏による松平氏に対する過酷な処遇であるというのが通説である。しかし近年、むしろ今川義元の厚意(もちろん義元の側の思惑もあるが)によるものだという説もある<ref>「今川義元一代記」『[[歴史群像]]』2002年8月号。</ref>。また、そもそもの話として幼少の竹千代では松平家中・領国の存続は不可能であり、松平領の安定のためにも駿府で保護する必要性があった{{Sfn|黒田|2019|p=278|loc=柴裕之「松平元康との関係」}}{{Sfn|黒田|2019|pp=298-300|loc=柴裕之「桶狭間合戦の性格」}}。}}{{Efn|近年の研究では、岡崎城そのものには今川氏の城代が入っていたものの、松平領はあくまでも将来的には竹千代が継ぐものであり、今川義元は安祥松平家で唯一岡崎城に残されていた[[随念院]](松平信忠の娘、竹千代の大叔母)を擁した松平家臣団による政務を承認する形で実際の統治が行われたと考えられている<ref>新行紀一「城代支配下の岡崎と今川部将松平元康」『新編 岡崎市史 中世』第3章第4節第5項・第6項、1989年。/所収:{{Harvnb|大石|2019|pp=134-141}}</ref>。}}{{Efn|『武徳編年集成』によると今川家の家臣の中でも岡部家は息子([[岡部正綱]])が同年齢の家康と仲良くなったことから、家康に極めて好意的かつ協力的であったようである。後に岡部正綱は家康の家臣となり、甲州制圧作戦でその外交手腕を発揮することになる。}}{{Efn|なお、この駿府人質時代に[[北条氏規]]も駿府で人質となっていたため、このころから二人に親交があったとする説があり、『大日本史料』などはこの説を載せている。また、住居が隣同士だったという説もある<ref>『駿国雑誌』(19世紀前期の駿河国の地誌、[[阿部正信]]著)</ref>。さらに[[浅倉直美]]は北条氏規は関口親永の婿養子であったとする説を唱えている(つまり、氏規の妻とされる女性は築山殿の姉妹ということになる){{Sfn|黒田|2019|p=226-228|loc=浅倉直美「北条氏との婚姻と同盟」}}。後に後北条氏と同盟を結んだ際に氏規はその交わりの窓口となった。氏規の系統は、[[狭山藩]]として小藩ながらも廃藩置県まで存続。}}。墓参りのためと称して岡崎城に帰参した際には、[[本丸]]には今川氏の城代が置かれていたため入れず、[[二の丸]]に入った。
なお、安城松平家の家督は、広忠が亡くなった時点で竹千代が継承していたと考えられている。そのことが今川家中において、既に領主となっていた竹千代に対する人質として扱いが領主の子に対する通常の人質の例とは異なった理由として考えられる<ref>『愛知県史』通史編中世2・織豊1(2018年)第1章第3節「織田氏・今川氏の勢力拡大と尾張・三河」の説(執筆:平野明夫)。</ref>{{Efn|なお、天文16年の政治的混乱の中で、広忠の存命中に竹千代へ家督を譲らされた可能性も指摘されている<ref>小林輝久彦「〈駿遠軍中衆矢文写〉についての一考察」『静岡県地域史研究』11(2021年)</ref>が、現時点では結論が出せないとされている<ref name=ohishi2023-56/>。}}<ref>大石泰史「国衆松平氏と今川氏」黒田基樹 編『シリーズ・戦国大名の新研究 第3巻 徳川家康とその時代』(戎光祥出版、2023年5月) ISBN 978-4-86403-473-9 P55.</ref>。
=== 元服・初陣 ===
天文24年([[1555年]])3月、14歳のとき、駿府の今川義元の下で[[元服]]し、'''次郎三郎元信'''と名乗った<ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/contents1_02/ |title=元服と婚姻 |access-date=2023-08-20 |publisher=国立公文書館 |website=徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー}}</ref>。義元の偏諱「元」の字を与えられており、これは改めて今川氏の配下になったことを意味した<ref name=":2" />。
[[弘治 (日本)|弘治]]3年([[1557年]])もしくは2年([[1556年]])、今川義元の姪とされる[[関口親永]]の娘([[築山殿]])を娶る<ref name=":2" />{{Efn|近年では築山殿の母親を義元の近親または養妹とする説に否定的な説もあるが、それでも関口氏自体が今川氏一門として遇された家であり、関口氏の婿になることはそのまま今川氏の親類衆に加えられることを意味していた{{Sfn|黒田|2019|p=286|loc=柴裕之「松平元康との関係」}}。}}。これにより、今川一門に準じる立場となった<ref name=":2" />。
弘治4年([[1558年]])頃に、祖父・松平清康の名の一字をとり、'''元康'''と改め<ref name=":2" />、仮名も'''蔵人佐'''と改めている<ref name="endoutamaki"/>{{Efn|祖父の清康、父の広忠の官途名は確認されておらず(名乗る前に早世したためか)、曽祖父である信忠の左近蔵人佐を継ぐ形で今川義元から与えられたものと考えられる<ref>新行紀一「城代支配下の岡崎と今川部将松平元康」『新編 岡崎市史 中世』第3章第4節第5項・第6項、1989年。/所収:{{harvnb|大石|2019|p=144}}</ref>。}}。
なお、松平元康(徳川家康)の今川氏との関係については[[吉良氏]]との関係を考慮する必要があるとする指摘もある。吉良氏は三河国幡豆郡を根拠とした足利氏[[御一家]]の一つで、今川氏の宗家筋であった。吉良氏は守護ではないものの、三河の国主に准じられて国内の国衆にも影響を与え、[[松平信忠]]は[[吉良義信]]、松平清康は[[吉良持清]]、松平広忠は[[吉良持広]]の偏諱を得たと推定されている。今川義元は吉良氏に代わって安祥松平氏当主に対して自らの偏諱を与えるとともに自らの一門に組み込むことによって吉良氏の三河国主としての地位を間接的に否定するとともに、今川氏の三河支配の安定化を実質上の三河最大の勢力である松平氏を介して図ったと考えられる<ref name="天文・弘治年間の三河吉良氏">[[小林輝久彦]]「天文・弘治年間の三河吉良氏」『安城市歴史博物館研究紀要』12号、2012年。/所収:{{harvnb|大石|2019|pp=273-276}}</ref>。
当時、三河国では国衆の間で大規模な反乱が起きており([[三河忩劇]])、[[永禄]]元年([[1558年]])2月5日には今川氏から織田氏に通じた加茂郡[[寺部城]]主・[[鈴木重辰 (日向守)|鈴木重辰]]を攻めた。これが[[初陣]]であり、城下を焼いて引き揚げ、転じて附近の広瀬・挙母・梅坪・伊保を攻めた([[寺部城の戦い]])。この戦功により、義元は旧領のうち山中300貫文の地を返付{{Efn|山中は岡崎城が織田軍に落とされたとされる天文16年9月から間もない天文17年(1548年)1月に今川義元によって奥平貞能に与えられていたが、その貞能は三河忩劇において反今川派に属していた<ref>大石泰史「今川氏と奥平氏-〈松平奥平家古文書写〉の検討を通じて」『地方史静岡』21号、静岡県立中央図書館、1993年。/所収:{{Harvnb|大石|2019|pp=162-164・169-170}}</ref>。}}し、腰刀を贈った{{Sfn|中村|1965|p=92}}。永禄2年(1559年)に駿府の元康は7か条からなる定書を岡崎にいる家臣団との間で交わしている。これは、将来的に今川氏直臣の岡崎城主となるであろう元康と今川氏による間接統治下で希薄化した家臣団との間の主従関係を再確認する性格を持っていた<ref>新行紀一「城代支配下の岡崎と今川部将松平元康」『新編 岡崎市史 中世』第3章第4節第5項・第6項、1989年。/所収:{{harvnb|大石|2019|pp=149-151}}</ref>。
=== 清洲同盟から三河国平定 ===
[[ファイル:Mitsubaaoi.svg|thumb|徳川家の[[家紋]]"[[三つ葉葵|丸に三つ葉葵]](徳川葵)"]]
永禄3年([[1560年]])5月、[[桶狭間の戦い]]で先鋒を任され、[[大高城]]の[[鵜殿長照]]が城中の兵糧が足りないことを義元に訴えたため、義元から兵糧の補給を命じられた。しかし織田軍は大高城を包囲しており、[[兵糧]]を運び込むには包囲を突破する必要があった。そこで5月18日、[[鷲津砦]]と[[丸根砦]]の間を突破して、小荷駄を城中に送り込み、全軍無事に引上げた。5月19日、丸根の砦を攻め落とし、[[朝比奈泰朝]]は鷲津の砦を攻め落とした{{Sfn|中村|1965|p=96}}。
5月19日昼頃、今川義元は織田信長に討たれた。織田方の武将の[[水野信元]]は、甥の元康のもとへ、[[浅井道忠]]を使者として遣わした。同日夕方、道忠は、元康が守っていた大高城に到着し、義元戦死の報を伝えた。織田勢が来襲する前に退却するようとの勧めに対し、元康はいったん物見を出して桶狭間敗戦を確認した。同日夜半に退城。岡崎城内には今川の残兵がいたため、これを避けて翌20日、[[菩提寺]]の[[大樹寺]]に入った。ほどなくして今川軍は岡崎城を退去。23日、元康は「捨城ならば拾はん」と言って岡崎城に入城した<ref>{{Cite web|和書| url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1170586/1/206 | title=『岡崎市史別巻 徳川家康と其周圍』上巻、1934年、p. 304-305 | website=国立国会図書館デジタルコレクション | date= | accessdate=2023-2-7 }}</ref><ref>{{Cite web|和書| url=https://dl.ndl.go.jp/pid/1170586/1/207 | title=『岡崎市史別巻 徳川家康と其周圍』上巻、1934年、p. 306-307 | website=国立国会図書館デジタルコレクション | date= | accessdate=2023-2-7 }}</ref>{{Sfn|新編岡崎市史編集委員会|1989|p=809}}。岡崎城に入る際、[[大樹寺]]住職の[[登誉天室]]と相談の上、独自の軍事行動をとり、今川からの独立を果たそうとしたとされる<ref name="hirano-akio-1995">{{Cite journal|和書|author=平野明夫 |title=戦国期徳川氏の政治的立場--織田氏との係わりを通して |journal=国史学 |issn=03869156 |publisher=国史学会 |year=1995 |month=dec |issue=158 |pages=97-128 |naid=40001320547
}}</ref>。また桶狭間の戦いの直後から、元康は今川・織田両氏に対して軍事行動を行う両面作戦を行ったとする説もある<ref>{{Cite journal|和書 |author = 宮本義己 |date = 2001 |title = 松平元康<徳川家康>の器量と存在感 |journal = 大日光 |issue= 71号}}</ref>。さらに近年の新説として、桶狭間での勝利に乗じた織田軍の三河侵攻を警戒した[[今川氏真]]がこれに備えるために元康の岡崎城帰還を許したとする説も出されている<ref name=marushima2018>{{Cite journal|和書|author=丸島和洋|authorlink=丸島和洋|title=松平元康の岡崎城帰還|journal=戦国史研究|issue=76号|year=2016|pages=24-25}}</ref>。
永禄4年(1561年)2月、元康は将軍・[[足利義輝]]に嵐鹿毛とよばれる駿馬を献上して[[室町幕府]]との直接的な関係を築くことで、独立した領主として幕府の承認を取り付けようとしている<ref>{{Cite journal|和書 |author = 宮本義己 |date = 2003 |title = 松平元康<徳川家康>の早道馬献納―学説とその典拠の批判を通して― |journal = 大日光 |issue= 73号}}</ref>。4月、元康は東三河における今川方の拠点であった[[牛久保城]]を攻撃、今川氏からの自立の意思を明確にした{{Efn|永禄10年(1567年)に今川氏真が[[鈴木重勝]]と[[近藤康用]]に所領を宛行した判物<ref>『愛知県史』資料編11・566号</ref>の中で氏真が「酉年四月十二日岡崎逆心之刻」における両者の戦功を評価する文言があり、氏真が酉年にあたる永禄4年(1561年)4月に岡崎城の松平元康が(今川氏視点から見て)反逆を起こしたと認識していたことが分かる。}}。
折しも今川氏の盟友であった[[武田信玄]]、[[北条氏康]]は、[[関東管領]]・[[上杉憲政]]を奉じた長尾景虎([[上杉謙信]])の関東出兵([[小田原城の戦い (1560年)|小田原城の戦い]])への対応に追われており、武田・北条からの援軍は来ないという判断があったとされる{{Sfn|柴|2005}}。また、桶狭間の戦い直後は三河の今川方をまとめて織田方の侵攻と対峙していた元康が三河への軍事的支援を後回しにして同盟国の武田・北条支援に動く氏真に失望して、援軍を得られないまま織田氏に抵抗を続けるよりも織田氏と結んで独立を図った方が領国維持の上で得策と判断したとする見方もある<ref name=marushima2018/>。この事態は義元の後を継いだ今川氏真には痛恨の事態であり、後々まで「松平蔵人逆心」「三州錯乱」などと記して憤りを見せている{{Sfn|柴|2005}}。その後も元康は[[藤波畷の戦い]]などに勝利して、西三河の諸城を攻略する。
永禄4年([[1561年]])先に今川氏を見限り織田氏と同盟を結んだ伯父・水野信元の仲介もあって、信長と和睦し、今川氏と断交して信長と同盟を結んだ('''[[清洲同盟]]''')(『史料総覧』巻10){{Sfn|谷口|2012|p=82-89}}{{Efn|近年、永禄4年の合意は松平・織田間の和睦の合意に過ぎず同盟の性格を持っていない<ref name=shiba2023-225>柴裕之「室町幕府・織田政権との政治関係」黒田基樹 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P225-226.</ref>、実際の同盟締結は永禄10年5月の信康と徳姫の婚姻に伴って成立したとする柴裕之の説もある<ref>柴裕之「室町幕府・織田政権との政治関係」黒田基樹 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P231-233.</ref>。}}。同年4月[[西三河]]で今川氏との戦いが開始された。
永禄5年([[1562年]])には、元康と信長が会って会談し、同盟の確認をして関係を固めている{{Efn|一般的に場所は清州城と言われ同盟の名になっているが、史実上の場所は不明である{{Sfn|谷口|2012|p=83-86}}。会談自体の存在を疑問視する見解もある<ref name=shiba2023-225/>。}}{{Sfn|谷口|2012|p=82-89}}。一方、今川氏真の要請を受けた将軍・足利義輝は松平・今川両氏の和睦を図り、義輝から北条氏康らに対しても和睦の仲介を指示しているが、和睦は実現しなかった{{Sfn|柴|2021|pp=22-23|loc=「総論 戦国・織豊期の徳川家康の動向と研究」}}。
永禄6年([[1563年]])には、義元からの偏諱である「元」の字を返上して元康から'''家康'''と名を改めた。「家」を選んだ理由は明確ではない<ref>[[中村孝也]]『新訂 徳川家康文書の研究』上巻、吉川弘文館 2017年「第二篇 岡崎在城の時代」</ref>{{Efn|経営史学者の[[菊地浩之]]は大子の再婚相手である[[久松俊勝]]が「長家」と名乗っていた時期があることを指摘し、久松長家(俊勝)を父親代わりとみなしてその[[諱#偏諱授与の風習|偏諱]]を用いたが、[[徳川家光|家光]]以後に「家」の[[諱#通字|通字]]が[[徳川将軍家]]として重要になりその由来は隠された。また長家も家康が大名となり、その権勢が拡大して逆に「家」のつく名「長家」をはばかり「俊勝」と改名したという説を唱えている<ref name="菊池「家」由来説">菊地浩之『徳川家臣団の謎』角川書店<角川選書>、2016年 {{ISBN2|978-4-04-703598-0}} pp.100-101</ref>。日本史研究家の[[渡邊大門]]は「根拠不詳で説得力に欠ける」<ref>{{Cite web|和書|author=渡邊大門|title = 【深掘り「どうする家康」】松平元康が「家康」に改名した最大の決め手とは|url = https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20230220-00337204|date = 2023-02-20|website = Yahoo!ニュース|accessdate = 2023-2-25|ref=harv}}</ref>、日本史家の[[平山優 (歴史学者)|平山優]]は「何らの裏づけもない、印象論としかいいようがなく、まったく検討に値しません。松平・徳川氏の研究者は、そもそもこれを学説と認定すらしていません」と述べている<ref>{{Cite tweet|title = (2)家康の「家」は何に由来するのか 家康の諱にある「家」とは何に由来するのかをめぐっては、古来から議論があります。そもそも家康自身が、「家」の字の由来について語り残すことも、書き残すこともしていないため、彼の思惑は謎のままです。ただ、継父久松長家の影響によるものだという説は、|user = HIRAYAMAYUUKAIN|number = 1628058799864176640|accessdate = 2023-2-25}}</ref><ref>{{Cite tweet|title =何らの裏づけもない、印象論としかいいようがなく、まったく検討に値しません。松平・徳川氏の研究者は、そもそもこれを学説と認定すらしていません。最も可能性が高いのは、源氏の祖である、八幡太郎義家にあやかったというものでしょう。このことは、ドラマの台詞で触れられています。家康は、松平氏|date = 2023-2-22|user = HIRAYAMAYUUKAIN|number = 1628058851512827905|accessdate = 2023-2-25}}</ref>}}。ほぼ同じ時期に今川義元に倣った[[花押]]の形を変更している。改名以前の花押が「元」の字を変形させたものである以上、花押の変更は当然のことであったとも言えるが、これも今川氏からの決別を示したことと言える<ref name="徳川家康の花押">播磨良紀「徳川家康の花押」名古屋市博物館他 編『三英傑と名古屋』(平成26年度特別展図録)、2014年。/所収:{{Harvnb|柴|2021|pp=109-113}}</ref>。こうした動きが桜井・大草の両松平家をはじめとする親今川派を刺激して、翌年の一斉蜂起につながったとする見方がある{{Sfn|柴|2021|p=23|loc=「総論 戦国・織豊期の徳川家康の動向と研究」}}。同年3月には、同盟の証として嫡男・竹千代([[松平信康|信康]])と信長の娘・[[徳姫|五徳]]との婚約が結ばれる。
永禄7年([[1564年]])、今川氏真が家康討伐の意向を示すと{{Efn|永禄7年4月に今川氏真は「三州急用」すなわち家康討伐を理由に免税特権を無視した臨時徴収を実施し、更に武田信玄にも援軍を要請しているが、同年7月に北条氏康の要請で氏康の太田資正討伐に援軍を派遣した結果、家康討伐は先送りにされた。その結果、三河側では氏真による家康討伐に期待して反家康勢力が挙兵し、遠江側では臨時徴税をしながら家康討伐を起こさなかった氏真への不信感が高まったことによって遠州忩劇が引き起こされたと指摘されている。しかし、前後して発生した2つの反乱は「今川氏真の来援を期待していた三河の反乱軍は氏真が遠江の反乱鎮圧に専念したために支援を得られず家康に敗れる」「松平家康の来援を期待していた遠江の反乱軍は家康が三河の反乱鎮圧に専念したために支援を得られず氏真に敗れる」という皮肉な形で終結することになった<ref>{{Cite book|和書|author=平山優|title=新説 家康と三方原合戦-生涯唯一の大敗を読み解く-|publisher=NHK出版|year=2022|pages=14-21|isbn=978-4-14-088688-5}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=平山優|title=徳川家康と武田信玄|publisher=KADOKAWA|series=角川選書|year=2022|pages=34-45・53・92-94・97-98・327-329|isbn=978-4-04-703712-0}}</ref>。}}、酒井忠尚や吉良義昭ら三河国内の反家康勢力の国衆が挙兵し、続いて[[三河一向一揆]]が勃発するも、これを鎮圧。こうして岡崎周辺の不安要素を取り払うと、対今川氏の戦略を推し進めた。東三河の[[戸田氏]]や[[西郷氏]]といった土豪を抱き込みながら、軍勢を東へ進めて[[鵜殿氏]]のような敵対勢力を排除していった。遠江国で発生した国衆の反乱([[遠州忩劇]])の影響で三河国への対応に遅れる今川氏との間で[[宝飯郡]]を主戦場とした攻防戦を繰り広げた後、永禄9年([[1566年]])までには東三河・奥三河(三河国北部)を平定し、三河国を統一した{{Efn|正確には以前より織田領であった加茂・碧海両郡の西部地域はそのまま織田領となっている{{Sfn|柴|2021|p=25|loc=「総論 戦国・織豊期の徳川家康の動向と研究」}}。}}。この際に家康は、西三河衆(旗頭:[[石川家成]](後に[[石川数正]]))・東三河衆(旗頭:[[酒井忠次]])・旗本の三備の制への軍制改正を行い、旗本には[[旗本先手役]]を新たに置いた。
=== 「徳川」への改姓 ===
永禄9年([[1566年]])、家康は[[朝廷 (日本)|朝廷]]から[[藤原氏]]として[[従五位|従五位下]][[三河国司|三河守]]に[[叙階|叙任]]され、その直前、あるいは同時に苗字を「[[徳川氏|徳川]]」に改めている。
この改姓を朝廷に願い出る際にはいくらかの工夫を要した。松平家は少なくとも清康の時代から[[新田氏]]支流[[世良田氏]]系統の[[清和源氏]]であると自称していたが、<!--徳川と事前に改姓していたか、この藤原氏への乗り換えと同時かは不明だが、-->当初は[[正親町天皇]]が清和源氏の世良田氏が三河守に任官した先例がないことを理由にこの叙任を認めなかった<ref name="taniguchi1994">{{Cite book|和書|author=谷口研語|title=流浪の戦国貴族 近衛前久 - 天下一統に翻弄された生涯|series=中公新書|year=1994|pages=167-176}}</ref>。そこで家康は三河国出身で京[[誓願寺]]住持だった[[泰翁慶岳|泰翁]]を介して[[近衛前久]]に相談した<ref>[https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/contents1_04/ 「「徳川」への改姓と「家康」への改名」『徳川家康 将軍家蔵書からみるその生涯』国立公文書館]</ref>。
前久の対処により、[[吉田兼右]]が[[万里小路家]]で先例に当たる系譜文書「徳川(根元は得川)は源氏だがもう一つの流れに藤原氏になった例がある」を発見し写しが譲渡され申請に使用した。この得川の末だと藤原氏を名乗る特例ともいえる措置を得て、家康は[[従五位]]下[[三河守]]に叙任された(近衛家文書)<ref name="taniguchi1994" />。この先例とされたのは[[松平氏]]の祖とされる[[新田氏]]庶流の[[世良田頼氏|世良田三河守頼氏]]で、藤原氏となったのは嫡男[[世良田有氏|有氏]]とその弟[[世良田教氏|教氏]]で、[[松平清康]]の世良田改姓とつなげたとの説がある<ref name="taniguchi1994" />{{Efn|引用元は『岡崎市史』。}}。この勅許に関連した改姓で当面は徳川姓を名乗るのは家康一人であり、松平氏一族や家臣団統制に役立った<ref>[[上野秀治]]「徳川氏」『[[大日本百科全書]]』16巻 [[小学館]] 1987年、875頁。</ref>。この改姓に伴い家康は「[[本姓]]」を「[[藤原氏]]」としているが、後に[[源氏]]に復している([[#源氏への「復姓」時期について]])。
=== 今川領遠江への侵攻 ===
永禄10年([[1567年]])5月、長男の竹千代と信長の娘である[[徳姫]]を[[結婚]]させ、共に9歳の形式の夫婦とはいえ岡崎城で暮らさせる。竹千代は、7月に[[元服]]して信長より[[偏諱]]の「'''信'''」の字を与えられて'''信康'''と名乗る事になった。
永禄11年([[1568年]])、信長が室町幕府13代[[征夷大将軍|将軍]]・足利義輝の弟・[[足利義昭|義昭]]を奉じて[[上洛]]の途につくと、家康も信長への援軍として[[松平信一]]を派遣した。同年1月11日、家康は[[京職|左京大夫]]に任命されている(『[[歴名土代]]』)。左京大夫は歴代[[管領]]の盟友的存在の有力守護大名に授けられた官職であり{{Efn|[[細川氏]]嫡流の当主は管領の地位に就くとともに代々右京大夫に任じられたことから「京兆家」と称されていた。これに対して管領を支える盟友的存在の守護大名が左京大夫に任じられており、[[足利義澄]]-[[細川政元]]期の[[赤松政則]]、[[足利義稙]]-[[細川高国]]期の[[大内義興]]、[[足利義晴]]-[[細川晴元]]期の[[六角義賢]]がこれに該当する。}}、これは義昭が信長を管領に任命する人事に連動した[[武家執奏]]であったとみられる。だが、信長は管領就任を辞退したことから、家康も依然として従来の「三河守」を用い続けた<ref>{{Cite book|和書|author=木下聡|title=中世武家官位の研究|publisher=吉川弘文館|year=2011|pages=114-116|isbn=978-4-642-02904-9}}。</ref>{{Efn|ただし、家康が左京大夫任命そのものを辞退していないことは、公家側の日記に「徳川左京大夫(家康)」<ref>『言継卿記』永禄11年11月10日条</ref><ref>『言経卿記』天正14年10月26日条</ref>という記述があることより確認できる。また、家康自身が延暦寺に充てて「左京大夫家康」と自書した文書<ref>「延暦寺文書」『大日本史料第十一編之二十』255頁。</ref>も現存しているため、朝廷や寺社に対しては三河守よりも格上とみなされている左京大夫を称した可能性もある<ref>{{Cite book|和書|author=木下聡|title=中世武家官位の研究|publisher=吉川弘文館|year=2011|pages=134-135}}</ref>。}}{{Efn|一方で義昭が家康の徳川改姓を認めていなかったとする説もある。元亀元年(1570年)9月に[[三好三人衆]]討伐のために足利義昭から家康に宛てられたとみられる御内書<ref>「武田神社文書」九月十四日付足利義昭御内書</ref>の宛名が徳川改姓・三河守任官以前の「松平蔵人」になっており、これは松平改姓が将軍不在時に行われ、かつ義昭の従兄弟でありながら不仲だった近衛前久の推挙であったことに、義昭が不満を抱いていたとみられている<ref>{{Cite journal|和書|author=木下昌規|authorlink=木下昌規|title=室町幕府将軍足利義昭と徳川家康|journal=戦国史研究|issue=63号|year=2012}}/所収:{{Cite book|和書|author=木下昌規|title=戦国期足利将軍家の権力構造|publisher=岩田書院|year=2014|isbn=978-4-87294-875-2}}</ref><ref group="注釈">後年、義昭は天下の実権をめぐって信長との間に対立を深めると、義昭の家康に対する呼称も「徳川三河守」と変わっている。</ref>。}}。
同年12月6日、[[甲斐国]]の武田信玄が今川領駿河への侵攻を開始すると([[駿河侵攻]])、家康は[[酒井忠次]]を取次役に遠江割譲を条件として[[武田氏]]と同盟を結び、13日、[[遠江国]]の今川領へ侵攻して[[浜松城|曳馬城]]を攻め落とし、軍を退かずに遠江国で越年する。
武田氏との今川領分割に関して、徳川氏では[[大井川]]を境に東の駿河国を武田領、西の遠江国を徳川領とする協定を結んでいたとされる(『[[三河物語]]』)。しかし永禄12年([[1569年]])1月8日、[[信濃国]]から武田家臣・[[秋山虎繁]](信友)による遠江国への侵攻を受け、武田氏とは手切となった{{Efn|なお、武田氏は友好的関係にある織田信長を通じて信長の同盟相手である家康に武田との協調再考を持ちかけているが家康はこれを退けており、家康は信長からも一定程度独立した立場であったと考えられている。ただし、元亀元年の4月頃までは双方の取次である榊原康政と[[土屋昌続]]の間で外交交渉が行われており、公式に手切が宣言されたのは、同年10月の上杉謙信との同盟締結時であったとみられている<ref>丸島和洋「武田・徳川同盟に関する一史料」『武田氏研究』56号、2017年。/所収:{{harvnb|柴|2021|pp=185-189}}</ref>。}}。
5月に駿府城から本拠を移した今川氏真の[[掛川城]]を攻囲。[[籠城|籠城戦]]の末に開城勧告を呼びかけて氏真を降し、遠江国を支配下に置く(遠江侵攻)。氏真と和睦すると家康は北条氏康の協力を得て武田軍を退けた。以来、東海地方における織田・徳川・武田の関係は、織田と他2者は同盟関係にあるが徳川と武田は敵対関係で推移する。
[[元亀]]元年([[1570年]])、岡崎城から遠江国の曳馬城に移ると、ここを[[浜松]]と改名し、[[浜松城]]を築いてこれを本城とした{{Efn|『当代記』によれば、当初は見附に本拠地を移す予定で普請を行っていた([[城之崎城]]がその跡という)が、織田信長の要望を受けて浜松に変更したという。信長からすれば、織田と徳川の本拠地が離れすぎてしまうことを望まなかったと推測される<ref>阿部浩一「家康の遠江平定と三方原合戦」『静岡県史』通史編2中世 第3編第7章第1節、1997年。/所収:{{harvnb|柴|2021|p=190}}</ref>。}}。なお、岡崎城は長男の信康に譲った。また信長を助け、[[金ヶ崎の戦い]]に参戦したほか、[[朝倉義景]]・[[浅井長政]]の連合軍との[[姉川の戦い]]では活躍を見せた。
=== 武田氏との戦い ===
家康は北条氏康・氏政父子と協調して武田領を攻撃していたが、武田信玄は氏康没後の元亀2年(1571年)末に北条氏政との[[甲相同盟]]を回復し駿河国を確保する。信長と反目した将軍・足利義昭が武田信玄、朝倉義景・浅井長政・[[石山本願寺]]ら反織田勢力を糾合して[[信長包囲網]]を企てた際、家康にも[[副将軍]]への就任を要請し協力を求めた。しかし家康はこれを黙殺し、信長との同盟関係を維持した。
元亀3年([[1572年]])10月には武田氏が徳川領である遠江国・三河国への侵攻([[西上作戦]])を開始した{{Efn|これを遡る元亀2年4月には武田氏による三河・遠江への大規模な侵攻があったとされているが、近年は根拠となる文書群の年代比定の誤りが指摘され、これは天正3年(1575年)の出来事であったことが指摘されている<ref>鴨川達夫『武田信玄と勝頼』</ref>。}}。これにより武田氏と織田氏は手切となった。家康は信長に援軍を要請するが、信長も包囲網への対応に苦慮しており、武田軍に[[美濃国]][[岩村城]]を攻撃されたことから十分な援軍は送られず、徳川軍はほぼ単独という形で武田軍と戦うこととなる。
[[ファイル:Mikatagaharasenekizou.jpg|thumb|200px|『[[徳川家康三方ヶ原戦役画像]]』([[徳川美術館]]所蔵)。]]
徳川軍は遠江国に侵攻してきた武田軍本隊と戦うため、[[天竜川]]を渡って[[見附宿|見附]]([[磐田市]])にまで進出。浜松の北方を固める要衝・[[二俣城]]を取られることを避けたい徳川軍が、武田軍の動向を探るために[[内藤信成]]・本多忠勝らを偵察隊として遣わせるも武田軍と遭遇し、一言坂で敗走する([[一言坂の戦い]])。遠江方面の武田軍本隊と同時に武田軍別働隊が侵攻する三河方面への防備を充分に固められないばかりか、この戦いを機に徳川軍の劣勢は確定してしまう。そして12月、二俣城は落城した([[二俣城の戦い]])。
ようやく信長から[[佐久間信盛]]、[[平手汎秀]]率いる援軍が送られてきたころ、別働隊と合流した武田軍本隊が浜松城へ近づきつつあった。対応を迫られる徳川軍であったが、武田軍は浜松城を悠然と素通りして三河国に侵攻するかのように転進した。これを聞いた家康は、佐久間信盛らが籠城を唱えるのに反して武田軍を追撃。しかしその結果、[[鳥居忠広]]・[[成瀬正義]]や、二俣城の戦いで開城の恥辱を雪ごうとした[[中根正照]]・[[青木貞治]]といった家臣をはじめ1,000人以上の死傷者を出し、平手汎秀といった織田軍からの援将が戦死するなど、徳川・織田連合軍は惨敗した。家康は[[夏目吉信]]に代表されるように、身代わりとなった家臣に助けられて命からがら浜松城に逃げ帰ったという。([[三方ヶ原の戦い]])武田勢に浜松城まで追撃されたが、帰城してから家康は「[[空城計]]」を用いることによって武田軍にそれ以上の追撃を断念させたとされているが、信憑性に疑問も呈されている。
その後家康は、三方原の失敗を戒めとするため、合戦直後の自身の姿を描かせ、それが[[徳川家康三方ヶ原戦役画像|徳川家康三方ケ原戦役画像]]であるとするのが通説とされてきた。ただし近年上記通説に対し疑問が呈されている(詳細は「[[徳川家康三方ヶ原戦役画像|徳川家康三方ケ原戦役画像]]」を参照)。
[[浜名湖]]畔の[[堀江城]]攻略を断念して一旦[[浜名湖]]北岸で越年した後、三河国への進軍を再開した武田軍によって三河国[[設楽郡]]の[[野田城 (三河国)|野田城]]を2月には落とされ、城主・[[菅沼定盈]]が拘束された。ところがその後、武田軍は信玄の発病によって[[長篠城]]まで退き、武田信玄の死去(享年51歳)により撤兵した。
武田軍の突然の撤退は、家康に信玄死去の疑念を抱かせた。その生死を確認するため家康は武田領である駿河国の岡部に侵攻・放火し、三河国では長篠城を攻めるなどしている。そして、これら一連の行動で武田軍の抵抗がほとんどなかったことから信玄の死を確信した家康は、武田氏に与していた奥三河の豪族で[[山家三方衆]]の一角である[[奥平定能|奥平貞能]]・[[奥平信昌|貞昌]]親子を調略し、再属させた。奪回した長篠城には奥平軍を配し、武田軍の再侵攻に備えさせた。
武田氏の西上作戦の頓挫により信長は反織田勢力を撃滅し、家康も勢力を回復して長篠城から奥三河を奪還し、駿河国の武田領まで脅かした。これに対して信玄の後継者である[[武田勝頼]]も攻勢に出て、[[天正]]2年([[1574年]])には東美濃の[[明智城]]、遠江[[高天神城]]を攻略し、家康と武田氏は攻防を繰り返した。同年、家康は[[犬居町|犬居城]]を攻めるが、城主[[天野景貫]]の奇襲により敗退する。同時期、武田に内通していたとして、家臣の[[大岡弥四郎]]らを捕え、[[鋸挽き]]で処刑した。この大岡弥四郎事件については、築山殿も参画しており武田氏への内通の中心人物だったとの説も唱えられている。
信長の家康への支援は後手に回ったが、天正3年([[1575年]])5月の[[長篠の戦い]]では主力を持って武田氏と戦い、武田氏は宿老層の主要家臣を数多く失う大敗を喫し、駿河領国の動揺と外交方針の転換を余儀なくさせた。一方家康は戦勝に乗じて光明・犬居・二俣といった城を奪取攻略し、殊に[[諏訪原城]]を奪取したことで高天神城の大井川沿いの補給路を封じ、武田氏への優位を築いた。
なお、家康は長篠城主の奥平信昌(信昌の諱「信」は従来は信長の「信」をこの時に拝領したものとされていたが、近年は信玄に従属した時に一字拝領を受けた説もある)の戦功に対する褒美として、名刀・[[大般若長光]]を授けて賞した。そのうえ、翌年には長女・[[亀姫 (徳川家康長女)|亀姫]]を正室として嫁がせている。だが、このころから、信長との関係が対等ではなくなり、信長を主君とする「一門に準ずる織田政権下の一大名」の立場になる。軍事行動でもこれ以前は将軍足利義昭の要請での軍事援助という形式だったが、以後は信長臣下としての参軍となる{{Sfn|谷口|2012|pp=229-233|ps=、“織田家「一門に準ずる織田政権下の一大名」の立場になる。”引用先は平野昭夫『徳川権力の形成と発展』第2章「織豊大名徳川氏」}}。
天正3年(1575年)、家康は唐人五官(五官は通称か)に浜松城下の屋敷と諸役免除を認める朱印状を発行しており、懸塚湊や上流の[[馬込川]]に中国商船が来航して浜松城下にて貿易を行っていたことが知られている。五官の名は『慶長見聞録』にも登場しており、五官の名を持つ唐人はその後家康に従って江戸に移住したとみられている<ref>{{Citation|和書|author=久保田昌希|authorlink=久保田昌希|chapter=中世後期東日本への唐船来航|title=戦国・近世初期 西と東の地域社会|editor=橋詰茂|publisher=岩田書院|date=2019-06|isbn=978-4-86602-074-7|pages=414-416}}</ref>。天正5年([[1577年]])2月以降、遅くても翌年4月までに花押を改めている。家康は元服以来、永禄6年の家康改名に伴う全面的な変更(前述)を含めて度々花押の変更を行ってきたが、この時変更された花押が最晩年まで用いられることになる<ref name=徳川家康の花押/>。
天正6年([[1578年]])、[[越後国|越後]][[上杉氏]]で急死した[[上杉謙信]]の後継者を争う[[御館の乱]]が発生し、武田勝頼は[[北信地方|北信濃]]に出兵し乱に介入する。謙信の養子である[[上杉景勝]](謙信の甥)が勝頼と結んで乱を制し、同じく養子の[[上杉景虎]](謙信の姪婿で後北条氏出身)を敗死させたことで武田・北条間の甲相同盟は破綻した。翌天正7年([[1579年]])9月に北条氏は家康と同盟を結ぶ。この間に家康は[[横須賀城]]などを築き、多数の付城によって高天神城への締め付けを強化した。
また同じころ、信長から[[正室]]・築山殿と嫡男・[[松平信康]]に対して武田氏への内通疑惑がかけられたとされる。家康は酒井忠次を使者として信長と談判させたが、信長からの詰問を忠次は概ね認めたために信康の[[切腹]]が通達され、家康は熟慮の末、信長との同盟関係維持を優先し、築山殿を殺害し、信康を切腹させたという。だが、この通説には疑問点も多く、より信頼性の高い史料では信長は「信康を殺せ」とは言っておらず「家康の思い通りにせよ」と言っており、近年では築山殿の殺害と信康の切腹は家康・信康父子の対立が原因とする説や、築山殿や信康は実際に武田氏に内通して家康への謀反を企んだとする説も出されている<ref>{{Cite book|和書|author = 典厩五郎 |authorlink = 典厩五郎 |year = 1998 |title = 家康、封印された過去 |publisher = PHP研究所}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author = 盛本昌広 |authorlink = 盛本昌広 |year = 1999 |title = 松平家忠日記 |series = 角川選書 |pages = 26-28}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author = 谷口克広 |year = 2012 |title = 信長と消えた家臣たち |series = 中公新書 |pages = 200-211}}</ref><ref>[[柴裕之]]『徳川家康 <small>境界の領主から天下人へ</small>』平凡社、2017年</ref><ref>[[本多隆成]]『徳川家康と武田氏 <small>信玄・勝頼との十四年戦争</small>』吉川弘文館 歴史文化ライブラリー、2019年</ref><ref>[[黒田基樹]]『家康の正妻 築山殿 <small>悲劇の生涯をたどる</small>』平凡社新書、2022年</ref>。なお家康本人は[[堀秀政]]宛に「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処、種々御懇ろ之儀、其の段お取りなし故に候。忝き意存に候。よって三郎不覚悟に付いて、去る四日岡崎を追い出し申し候。猶其の趣小栗大六・成瀬藤八(国次)申し入るべきに候。恐々謹言」としている{{Sfn|谷口克広|2019|p=170}}([[松平信康#信康自刃事件について]]の項を参照)。
[[岩村城の戦い]]以降に織田氏と武田氏は大規模な抗争をしておらず、後北条氏との対立をも抱えることにもなった勝頼は人質にしていた信長の五男・[[織田勝長|勝長]]を返還するなど織田氏との和睦([[甲江和与]])を模索している。しかし、信長はこれを黙殺し、天正9年([[1581年]])、降伏・開城を封じた上での総攻撃によって家康は高天神城を奪回する([[高天神城の戦い]])。高天神城落城、しかも後詰を送らず見殺しにしたことは武田氏の威信を致命的に失墜させ、国人衆は大きく動揺した。[[木曾義昌]]の調略成功をきっかけに、天正10年([[1582年]])2月に信長は家康と共同で武田領へ本格的侵攻を開始した。織田軍の信濃方面からの侵攻に呼応して徳川軍も駿河方面から侵攻し、甲斐南部の河内領・駿河江尻領主の[[穴山信君]](梅雪)を調略によって離反させるなどして駿河領を確保した。勝頼一行は同年3月に自害して武田氏は滅亡した。最後まで抵抗した武田方の蘆田信蕃([[依田信蕃]])が守る[[田中城]]は[[成瀬正一 (戦国武将)|成瀬正一]]らの説得により[[大久保忠世]]に引き渡された。
家康は3月10日に信君とともに甲府へ着陣しており、信長は甲斐の仕置を行うと[[中道往還]]を通過して帰還している([[甲州征伐]])。
家康はこの戦功により駿河国([[庵原郡]]江尻は穴山信君領)を与えられ、駿府において信長を接待している。家康はこの接待のために莫大な私財を投じて街道を整備し宿館を造営した。信長はこの接待をことのほか喜んだ。
また遅くともこのころには、三河一向一揆の折に出奔した[[本多正信]]が、徳川家に正式に帰参している(正式な帰参時期は不明で、姉川の戦いのころに既に帰参していたとも)。
=== 本能寺の変と天正壬午の乱 ===
天正10年(1582年)5月21日、駿河拝領の礼のため、信長の招きに応じて降伏した穴山信君とともに居城・[[安土城]]を訪れ、大接待を受けた。この際、秀吉より援軍要請があった信長は自ら出陣することを決めたが、家康もこれに従い帰国後に軍勢を整えて西国へ出陣する予定だった。
6月2日、[[堺]]を遊覧中に[[京都|京]]で[[本能寺の変]]が起こった。このときの家康の供は[[小姓]]衆など少人数であったため極めて危険な状態となり、一時は狼狽して信長の後を追おうとするほどであった。しかし[[本多忠勝]]に説得されて翻意し、[[服部正成|服部半蔵]]の進言を受け、[[伊賀国]]の険しい山道を越え[[加太越]]を経て[[伊勢国]]から海路で三河国に辛うじて戻った([[伊賀越え|神君伊賀越え]])。帰国後、家康は直ちに兵を率いて上洛しようとしたが、鳴海で秀吉が光秀を討った報を受けて引き返した。[[穴山信君]]が帰国途中で戦死したため、駿河国江尻を併呑した。
一方、織田氏の領国となっていた旧武田領の甲斐国と信濃国では大量の[[一揆]]が起こった。さらに、越後国の上杉氏、相模国の北条氏も旧武田領への侵攻の気配を見せた。旧武田領国のうち[[上野国|上野]]一国と信濃小県郡・佐久郡の支配を担っていた[[滝川一益]]は、旧武田領を治めてまだ3か月ほどしか経っておらず、軍の編成が済んでいなかったことや、武田遺臣による一揆が相次いで勃発したため、滝川配下であった信濃国の[[森長可]]と[[毛利秀頼]]は領地を捨て畿内へ敗走した。また、甲斐一国と信濃諏訪郡支配を担った[[河尻秀隆]]は一揆勢に敗れ戦死するなど緊迫した状況にあった。追い打ちをかけるように、織田氏と同盟関係を築いていた北条氏が一方的に同盟を破り、[[北条氏直]]率いる6万の軍が武蔵・上野国境に襲来した。滝川一益は北条氏直を迎撃、緒戦に勝利するも敗北、尾張国まで敗走した。このため、甲斐・信濃・上野は領主のいない空白地帯となり、家康は武田氏の遺臣・[[岡部正綱]]や依田信蕃、甲斐国の辺境武士団である[[武川衆]]らを先鋒とし、自らも8,000人の軍勢を率いて甲斐国に攻め入った([[天正壬午の乱]])。
一方、甲斐・信濃・上野が空白地帯となったのを見た北条氏直も、叔父・北条氏規や[[北条氏照]]ら5万5,000人の軍勢を率いて[[碓氷峠]]を越えて信濃国に侵攻した。北条軍は上杉軍と[[川中島]]で対峙した後に和睦し、南へ進軍した。家康は甲府の[[尊躰寺]]・[[一条信龍]]屋敷に本陣を置いていたが、[[新府城]](韮崎市中田町中條)に本陣を移すと[[七里岩]]台上の城砦群に布陣し、[[若神子城]](北杜市須玉町若神子)に本陣を置く北条勢と対峙した。
ここに徳川軍と北条軍の全面対決の様相を呈したが、依田信蕃の調略を受けて滝川配下から北条に転身していた[[真田昌幸]]が徳川軍に再度寝返り、その執拗な[[ゲリラ]]戦法の前に戦意を喪失した北条軍は、[[板部岡江雪斎]]を使者として家康に和睦を求めた。和睦の条件は、上野国を北条氏が、甲斐国・信濃国を徳川氏がそれぞれ領有し、家康の次女・[[督姫]]が氏直に嫁ぐというものであった。こうして、家康は北条氏と縁戚・同盟関係を結び、同時に甲斐・信濃(北信濃四郡は上杉領)・駿河・遠江・三河(碧海郡([[矢作川]]以西)を除く<ref>[[刈谷城]]の[[水野忠重]]は天正10年([[1582年]])まで織田信忠、本能寺の変以降には織田信雄に属す(『織田信雄分限帳』)。小牧の戦いにも信雄方として従軍、天正13年(1585年)以降は秀吉直臣。</ref>)の5か国を領有する大大名へとのし上がった。
=== 小牧・長久手の戦いから豊臣政権への臣従 ===
[[ファイル:Toyotomi_Hideyoshi_c1598_Kodai-ji_Temple.png|thumbnail|200px|豊臣秀吉]]
信長死後の[[織田政権]]においては織田家臣の羽柴秀吉が台頭し、秀吉は信長次男・[[織田信雄]]と手を結び、天正11年([[1583年]])には織田家筆頭[[家老]]であった[[柴田勝家]]を[[賤ヶ岳の戦い]]で破り、勝家と手を結んだ信長三男・[[織田信孝]]を自害させることで、さらに影響力を強めた。家康は[[賤ヶ岳の戦い]]で勝った秀吉に、戦勝祝いとして[[松平親宅]]が入手した茶器の[[初花]]を贈った。また本能寺の変で光秀に加担した疑いで京都から逃れてきた元[[関白]]の[[近衛前久]]を家康は保護していたが、秀吉と交渉して近衛を無事帰洛させることができた。
しかし天正壬午の乱において家康と北条氏の間を仲裁した織田信雄が、賤ヶ岳の戦い後の織田政権においては信長嫡孫・三法師([[織田秀信]])を推戴する秀吉と対立するようになると、信雄は家康に接近して秀吉に対抗することとなった(『岩田氏覚書』)。
天正12年([[1584年]])3月、信雄が秀吉方に通じたとする家老を粛清した事件を契機に合戦が起こり、家康は3月13日に尾張国へ出兵し信雄と合流する。当初、両勢は北伊勢方面に出兵していたが、17日には徳川家臣・酒井忠次が秀吉方の森長可を撃破し(羽黒の戦い)、家康は28日に尾張国小牧([[小牧山]])に着陣した。
秀吉率いる羽柴軍本隊は、尾張[[犬山城]]を陥落させると楽田に布陣し、4月初めには森長可・[[池田恒興]]らが三河国に出兵した。4月9日には[[長久手市|長久手]]において両軍は激突し、徳川軍は森・池田勢を撃退した([[小牧・長久手の戦い]])。「家康公の天下を取るは大坂にあらずして関ケ原にあり。関ケ原にあらずして小牧にあり」といわれた<ref>『日本外史』</ref>。
小牧・長久手の戦いは羽柴・徳川両軍の全面衝突のないまま推移し、一方で家康は北条氏や[[土佐国]]の[[長宗我部氏]]ら遠方の諸大名を迎合し、秀吉もこれに対して越後国の上杉氏や[[安芸国]]の[[毛利氏]]、[[常陸国]]の[[佐竹氏]]ら徳川氏と対抗する諸勢力に呼びかけ、外交戦の様相を呈していった。秀吉と家康・信雄の双方は同年9月に和睦し、講和条件として、家康の次男・於義丸([[結城秀康]])を秀吉の養子(徳川家・本願寺の認識、秀吉側の認識は人質)とした。
戦後の和議は秀吉優位であったとされる。[[越中国]]の[[佐々成政]]が自ら、厳冬の[[飛騨山脈]]を越えて浜松の家康を訪ね、秀吉との戦いの継続を訴えたが、家康は承諾しなかった。天正13年([[1585年]])に入ると、[[紀伊国]]の[[雑賀衆]]や土佐国の[[長宗我部元親]]、越中国の佐々成政ら、小牧・長久手の戦いにおいて家康が迎合した諸勢力は秀吉に服属している。さらに秀吉は7月11日に関白に補任され、豊臣政権を確立する。
これに対して家康は、東国において武田遺領の甲斐・信濃を含めた5か国を領有し相模国の北条氏とも同盟関係を築いていたが、北条氏との同盟条件である上野国沼田(群馬県[[沼田市]])の割譲に対して、沼田を領有していた信濃国[[上田城]]主・真田昌幸が上杉氏・秀吉方に帰属して抵抗した。家康は大久保忠世・[[鳥居元忠]]・[[平岩親吉]]らの軍勢を派兵して上田を攻めるが、昌幸の抵抗や上杉氏の増援などにより撤兵している([[上田合戦#第一次上田合戦|第一次上田合戦]])。
勢力圏拡大の一方で、徳川氏の領国では天正11年(1583年)から12年(1584年)にかけて地震や大雨に見舞われ、特に天正11年5月から7月にかけて関東地方から東海地方一円にかけて大規模な大雨が相次ぎ、徳川氏の領国も「50年来の大水」<ref>『家忠日記』天正11年7月20日条</ref>に見舞われた。その状況下で北条氏や豊臣政権との戦いをせざるを得なかった徳川氏の領国の打撃は深刻で、三河国田原にある[[龍門寺 (田原市)|龍門寺]]の歴代住持が記したとされる『龍門寺拠実記』には、天正12年に小牧・長久手の戦いで多くの人々が動員された結果、田畑の荒廃と飢饉を招いて残された老少が自ら命を絶ったと記している。徳川氏領国の荒廃は豊臣政権との戦いの継続を困難にし、国内の立て直しを迫られることになる<ref>{{Citation|和書|author=柴裕之|chapter=戦国大名徳川氏の徳政令|editor=久保田昌希|title=松平家忠日記と戦国社会|publisher=岩田書院|year=2011}}/改題所収:{{Citation|和書|author=柴裕之|chapter=徳川氏の領国支配と徳政令|title=戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配|publisher=岩田書院|year=2014}}</ref>。
家康の豊臣政権への臣従までの経緯は『[[家忠日記]]』に記されているが、こうした情勢の中、同年9月に秀吉は家康に対してさらなる人質の差し出しを求め、徳川家中は酒井忠次・本多忠勝ら豊臣政権に対する強硬派と[[石川数正]]ら融和派に分裂し、さらに秀吉方との和睦の風聞は北条氏との関係に緊張を生じさせていたという。同年11月13日には石川数正が[[出奔]]して秀吉に帰属する事件が発生する。この事件で徳川軍の機密が筒抜けになったことから、軍制を刷新し武田軍を見習ったものに改革したという(『駿河土産』)。
天正14年([[1586年]])に入ると秀吉は織田信雄を通じて家康の懐柔を試み(『[[当代記]]』)、4月23日には臣従要求を拒み続ける家康に対して秀吉は実妹・[[朝日姫]](南明院)を正室として差し出し、5月14日に家康はこれを室として迎え、秀吉と家康は義兄弟となる{{Efn|家康と朝日姫の婚姻について、当初家康側は朝日姫が家康の男子を生んだ場合、秀吉が徳川家の家督問題に干渉することを警戒していた。同時代史料では確認できないものの、『三河後風土記』や『武徳編年集成』にはこの時家康が、
# 朝日姫が家康の子を産んでも嫡子とはしないこと。
# 長丸(後の秀忠)を秀吉の人質としないこと。
# 万一、家康が死去しても秀吉は徳川領5か国を長丸に安堵して家康の家督を継がせること。
を婚姻の条件にしたとされる。(1)と(3)は実際起こらなかったものの、(2)については家康が秀吉の小田原征伐に従って北条氏と断交することを決めた天正18年1月に家康自身の意向で長丸を人質に差し出したものの、秀吉は同月のうちに長丸を帰国させている。秀吉は他の大名の妻子と異なる扱いを長丸に対して行ったのは、(2)の条件に基づく判断であったと考えられ、(1)と(3)の条件も実在した可能性が高い<ref name=katayama2017-a>{{Harvnb|片山|loc=「豊臣政権の対北条政策と家康」}}</ref>。}}。さらに10月18日には秀吉が生母・[[大政所]]を朝日姫の見舞いとして岡崎に送ると、24日に家康は浜松を出立し上洛している。ただし、天正14年正月に織田信雄が岡崎城に訪問した際に家康は秀吉に臣従する内意を表明し(『貝塚御座所日記』)、2月には秀吉から一柳直末に対して家康を赦免することにしたので家康討伐命令が中止になったことを伝える朱印状が送付されている(『一柳家文書』)。このため、朝日姫との婚姻は家康の臣従を受けた対応とも考えられる。なお、家康の臣従から上洛までの間隔が開いた背景として、家康から秀吉に離反した信濃国の国衆3名(木曽義昌・小笠原貞慶・真田昌幸)の取り扱いを巡る調整を必要としたことも考えられる。実際に7月に家康に従わない真田昌幸討伐の動きがあり、翌8月に上杉景勝の嘆願で家康が昌幸を赦免して昌幸が家康の与力大名となることが確定している。柴裕之は大政所の岡崎訪問は家康の上洛中に秀吉方に危害を加えられることを恐れる家康や徳川家中に対する配慮であったとしている。また、同年9月11日に家康が本拠地を浜松城から駿府城に移しているのも、秀吉が臣従と引き換えに5か国安堵を認めたことをきっかけにしているとしている<ref>柴裕之「本能寺の変後の政局と秀吉への臣従」黒田基樹 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P267-270.</ref>。
家康は10月26日に大坂に到着、[[豊臣秀長]]邸に宿泊した。その夜には秀吉本人が家康に秘かに会いにきて、改めて臣従を求めた。こうして家康は完全に秀吉に屈することとなり、10月27日、[[大坂城]]において秀吉に謁見し、諸大名の前で豊臣氏に臣従することを表明した。この謁見の際に家康は、秀吉が着用していた[[陣羽織]]を所望し、今後秀吉が陣羽織を着て合戦の指揮を執るようなことはさせない、という意思を示し諸侯の前で忠誠を誓った(徳川実紀){{Efn|もっとも、初期における家康の秀吉への臣従は不完全であったとする見方もある。軍事力によって家康を服属させた訳ではない秀吉は、徳川・北条両氏の同盟関係を破棄させる強制力を持たず、家康は秀吉と北条氏の間では「中立」的存在であった。このため、秀吉は西国平定を優先にし、家康との調整が必要となる北条氏討伐は先延ばしにされることになった<ref name=katayama2017-a/><ref name=katayama2017-b>{{Harvnb|片山|loc=「豊臣政権の統一過程における家康の位置付け」}}</ref>。}}。
=== 豊臣家臣時代・関東への移封 ===
天正14年([[1586年]])11月1日、京へ上り、11月5日に[[正三位]]に叙される。このとき、多くの家康家臣も叙任された{{Sfn|村川|2000}}{{Sfn|村川|2013}}。11月11日には三河国に帰還し、11月12日には大政所を秀吉の元へ送り返している。12月4日、本城を17年間過ごした浜松城から隣国・駿河国の[[駿府城]]へ移した。これは、出奔した石川数正が浜松城の軍事機密を知り尽くしていたため、それに備えたとする説がある。
天正15年([[1587年]])8月、再び上洛し、秀吉の推挙により、朝廷から8月8日に[[従二位]]・[[権大納言]]に叙任され、所領から駿河大納言と呼ばれた。この際、秀吉から[[羽柴氏#羽柴名字を称した人物|羽柴の名字]]を下賜された{{Sfn|村川|2000}}{{Sfn|村川|2013}}。
同年12月3日に豊臣政権より[[惣無事令|関東・奥両国惣無事令]]が出され、家康に関東・奥両国([[陸奥国]]・[[出羽国]])の監視が託された。12月28日、秀吉の推挙により、朝廷から[[左近衛大将]]および[[左馬寮御監]]に任ぜられる{{Efn|この官職は武家の名誉職で、一般の大名が帯びられるものではなく、将軍の嫡子および実弟などのみに許されていたものである{{要出典|date=2023年8月}}。}}。このことにより、このころの家康は'''駿府左大将'''と呼ばれた{{要出典|date=2023年8月}}。
家康は北条氏と縁戚関係にある経緯から、[[北条氏政]]・氏直父子宛ての5月21日付起請文<ref name="sengoku4534">『[[戦国遺文|戦國遺文]] 後北條氏編 第五巻』 「○四五三四 徳川家康起請文 ○[[鰐淵寺]]文書」 p.302</ref>で、以下の内容で北条氏に秀吉への恭順を促した。
#家康が北条親子のことを讒言せず、北条氏の分国(領国)を一切望まない
#今月中に兄弟衆を京都に派遣する
#豊臣家への出仕を拒否する場合、娘(氏直に嫁いだ[[督姫]])を離別させる
家康の仲介は、氏政の弟であり家康の旧友でもある[[北条氏規]]を上洛させるなど、ある程度の成果を挙げたが、北条氏直は秀吉に臣従することに応じなかった。天正18年([[1590年]])1月、家康は嫡男とみなされていた三男の長丸(後の秀忠)を上洛させて事実上の人質とさせることで改めて秀吉への臣従の意思を明確にして北条氏と事実上断交し、これを受けた秀吉は北条氏討伐を開始。家康も豊臣軍の先鋒を務めると共に自分の城を提供し、4月には[[吉川広家]]が豊臣家の城番として岡崎城に入城している([[小田原征伐]])<ref name=katayama2017-a/>。
なお、これに先立って天正17年([[1589年]])7月から翌年にかけて「五ヶ国総検地」と称せられる大規模な[[検地]]を断行する。これは想定される北条氏討伐に対する準備であると同時に、領内の徹底した実情把握を目指したものである。この直後に秀吉によって[[関東地方|関東]]へ領地を[[移封]]されてしまい、成果を生かすことはできなかったが、ここで得た知識と経験は新領地の関東統治に生かされた。
[[天正]]18年(1590年)7月5日の北条氏降伏後、秀吉の命令で、駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国(上杉領の川中島を除く)の5か国を召し上げられ、北条氏の旧領である[[武蔵国]]・[[伊豆国]]・相模国・上野国・[[上総国]]・[[下総国]]・[[下野国]]の一部・常陸国の一部の関八州に移封された。石高は約240万石で、さらに上洛の際の費用(在京賄領)として、[[近江国]]・伊勢国・遠江国・駿河国のうちで約11万石が与えられた{{Sfn|市原市教育委員会|1986|p=193}}。家康の関東移封の噂は戦前からあり{{Efn|[[ルイス・フロイス]]によると、[[グネッキ・ソルディ・オルガンティノ|オルガンティーノ]]は[[1588年]][[5月6日]]付の書簡で、「坂東の戦は、7月にはすでに(挙行される)と言い触らされており、坂東の北条殿(の領地)が家康の領国に(加えられることに)なっていますから、それも暴君(秀吉)にとっては喜ばしいことではありません(原文:e o Fonjodano do Bandou vai entrando pelos reynos de Yyeyasu, couza de que o tirano se nâo pode alegrar.)」と書いている<ref>フロイス『[[フロイス日本史|日本史]]』第63章</ref>。ただし、1588年には結局出兵は無く、2年後に持ち越しとなった。またこの訳文は[[松田毅一]]・[[川崎桃太]]によるが、原文は家康の関東移封ではなく、北条の侵攻を意味するという異論もある<ref>{{Cite journal|和書|author=フロイス, [[服部英雄]], 曽田菜穂美 |title=翻訳・フロイス『日本史』3部1-4章 |url=https://doi.org/10.15017/1456058 |journal=比較社会文化 : 九州大学大学院比較社会文化学府紀要 |publisher=九州大学大学院比較社会文化学府 |year=2014 |volume=20 |pages=31-52 |issn=1341-1659 |naid=120005456972 |doi=10.15017/1456058}}</ref>。}}、家康も北条氏との交渉で、自分には北条領への野心はないことを弁明していたが<ref name="sengoku4534" />、結局北条氏の旧領国に移されることになった。
秀吉は関東・奥羽の惣無事という目的を達成するために家康に関東の安定と奥羽の抑えを期待したと考えられている。一方、家康は豊臣政権から政治的・軍事的保護を得ている以上、移封を拒絶することは出来なかった{{Sfn|柴|2017|p=188}}。ただし、関東移封に関しては流動的な側面があり、その後も奥羽情勢の悪化に伴って陸奥国への再移封の噂が徳川家中に流れている(『家忠日記』天正20年2月6日条){{Sfn|柴|2017|p=191}}。
この移封によって三遠駿と甲信(上杉の北信を除く)119万石<ref>太閤検地『当代記』、『大日本六十六国並二島絵図』、『日本賦税』、慶長3年(1598年)など。wikipedia「石高」記事も参照。</ref>(徳川家内の「五ヶ国総検地」では実高150万石とも)から関東250万石(家康240万石および結城秀康10万石の合計)への類を見ない大幅な加増を受けたことになるが、徳川氏に縁の深い三河国を失い、さらに当時の関東には北条氏の残党などによって不穏な動きがあり、しかも北条氏は四公六民という当時としては極めて低い税率を採用しており、これをむやみに上げるわけにもいかず、[[石高]]ほどには実収入を見込めない状況であった。こういった事情から、この移封は秀吉の家康に対する優遇策か冷遇策かという議論が古くからある。阿部能久は、鎌倉幕府の成立以来西国政権が東国を一元支配した例は無く、[[古河公方]]の断絶とともに機能停止していた室町幕府の[[鎌倉府]]と同様の役割を東国に通じた家康によって担わせようとしたと考察している<ref name="Abe">{{Cite book |和書 |author= 阿部能久 |year= 2006 |title= 戦国期関東公方の研究 |chapter= 喜連川家の誕生 |publisher= 思文閣 |pages= 198-274}}</ref>。この命令に従って関東に移り、北条氏が本城とした相模[[小田原城]]ではなく、武蔵[[江戸城]]を居城とした。なお、小田原合戦中に秀吉が自らの「御座所」を江戸に設ける構想を示しており(「富岡文書」)、江戸城を家康の本拠地としたのも秀吉の積極的な意向が関与していた{{Sfn|柴|2017|pp=194-195}}。
天正18年(1590年)8月1日、家康は江戸へ入城した(江戸御打入){{Sfn|市原市教育委員会|1986|p=192}}{{Efn|ただし、『家忠日記』によれば、7月18日には家康が江戸城に入城している。8月1日は佐竹氏の領国画定によって、徳川氏を含めた関東諸将の国分が確定した日であり、それが八朔の祝いと結びつけられたと考えられている{{Sfn|柴|2017|p=193}}。}}。この日は正式に入城した日であり、これ以前にも、視察のため江戸に入っている{{Sfn|市原市教育委員会|1986|p=192}}。{{See also|八朔}}
家康は、関東の統治に際して、有力な家臣を重要な[[支城]]に配置する{{Efn|井伊直政・本多忠勝・榊原康政の知行割に関しては、川田貞夫が豊臣政権によって配置・石高を指定されたとする説を唱えて、以後通説となっている。ただし、川田が主張した鳥居元忠・大久保忠世にも適用されたとする考えには、通説を支持する学者の間でもこれは認めないとする市村高男らの反論(井伊・本多・榊原家のみとする)がある。なお、こうした豊臣政権の大名家内部の知行割に対する関与自体は、上杉家における直江兼続の事例などがあり徳川家に限ったことではなかった<ref>平野明夫「関東領有期徳川氏家臣と豊臣政権」、佐藤博信 編『中世東国の政治構造 中世東国論:上』、岩田書院、2007年 {{ISBN2|978-4-87294-472-3}}</ref>。}}とともに、100万石余といわれる直轄地には[[大久保長安]]・[[伊奈忠次]]・[[長谷川長綱]]・[[彦坂元正]]・[[向井正綱]]・成瀬正一・[[日下部定好]]ら有能な家臣を[[代官]]などに抜擢することによって難なく統治し、関東はこれ以降現在に至るまで大きく発展を遂げることとなる。ちなみに、関東における四公六民という北条氏の定めた低税率は、[[徳川吉宗]]の[[享保の改革]]で引き上げられるまで継承された。
家康によって配された有力家臣たちは以下の通りである。
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!国名!!領地名!!石高!!家臣名!!備考
|-
!rowspan="10"|上野国
![[箕輪藩|箕輪]](後に[[高崎藩|高崎]])
|12万石||[[井伊直政]]||
|-
![[館林藩|館林]]
|10万石||[[榊原康政]]||
|-
![[前橋藩|厩橋]]
|3.3万石||[[平岩親吉]]||
|-
![[白井藩|白井]]
|3.3万石||[[本多康重]]||ただし、1.3万石は父[[本多広孝|広孝]]分とされる。
|-
![[上野宮崎藩|宮崎]]([[小幡藩|小幡]])
|3万石||[[奥平信昌]]||
|-
!藤岡
|3万石||[[依田康勝]]||
|-
![[大胡藩|大胡]]
|2万石||[[牧野康成 (大胡藩主)|牧野康成]]||
|-
![[吉井藩|吉井]]
|2万石||[[菅沼定利]]||
|-
![[総社藩|総社]]
|1.2万石||[[諏訪頼水]]||[[諏訪頼忠|頼忠]]説もある。
|-
![[那波藩|那波]]
|1万石||[[松平家乗]]||
|-
!|下野国
![[皆川藩|皆川]]
|1万石||[[皆川広照]]||
|-
!rowspan="11"|下総国
![[結城藩|結城]]兼[[土浦城|常陸国内土浦]]
|10.1万石||[[結城秀康]]||
|-
![[矢作藩|矢作]]
|4万石||[[鳥居元忠]]||
|-
![[臼井藩|臼井]]
|3万石||[[酒井家次]]||
|-
![[古河藩|古河]]
|3万石||[[小笠原秀政]]||
|-
![[関宿藩|関宿]]
|2万石||[[松平康元]]||
|-
![[下総山崎藩|山崎]]
|1.2万石||[[岡部長盛]]||康綱説もある。
|-
!蘆戸(阿知戸)
|1万石||[[木曾義昌]]||
|-
![[守谷藩|守谷]]
|1万石||[[土岐定政|菅沼定政]]||
|-
![[多古藩|多古]]
|1万石||[[保科正光]]||
|-
![[佐倉藩|佐倉]]
|1万石||[[三浦重成|三浦義次]]||[[久能宗能]]説もある。
|-
![[岩富藩|岩富]]
|1万石||[[北条氏勝]]||
|-
!rowspan="12"|武蔵国
![[岩槻藩|岩付(岩槻)]]
|2万石||[[高力清長]]||
|-
![[騎西藩|騎西(寄西)]]
|2万石||[[松平康重]]||
|-
![[河越藩|河越]]
|1万石||[[酒井重忠]]||
|-
![[武蔵小室藩|小室]]
|1万石||[[伊奈忠次]]||
|-
![[武蔵松山藩|松山]]
|1万石||[[松平家広]]||
|-
![[忍藩|忍]]
|1万石||[[松平家忠]]||
|-
!羽生
|1万石||[[大久保忠隣]]||2万石とも。
|-
![[深谷藩|深谷]]
|1万石||[[松平康忠]]||
|-
!東方
|1万石||[[戸田康長]]||
|-
![[本庄藩|本庄]]
|1万石||[[小笠原信嶺]]||
|-
![[阿保藩|阿保]]
|1万石||[[菅沼定盈]]||
|-
![[八幡山藩|八幡山]]
|1万石||[[松平清宗]]||
|-
!rowspan="4"|上総国
![[大多喜藩|大多喜]]
|10万石||[[本多忠勝]]||当初は[[万喜城|万喜]]とも。
|-
![[久留里藩|久留里]]
|3万石||[[大須賀忠政]]||
|-
![[佐貫藩|佐貫]]
|2万石||[[内藤家長]]||
|-
!鳴戸(成東)
|2万石||[[石川康通]]||
|-
!rowspan="2"|相模国
![[小田原藩|小田原]]
|4.5万石||[[大久保忠世]]||
|-
![[甘縄藩|甘縄]]
|1万石||[[本多正信]]||
|-
!伊豆国
!韮山
|1万石||[[内藤信成]]||
|-
|}
なお、小田原攻め直前の天正18年1月14日、前年より京都の聚楽第で病に臥せっていた朝日姫が病死した。朝日姫の死で徳川家との婚姻関係が亡くなることを憂慮した秀吉は同月に自分の養女である[[小姫]](実父は織田信雄)を長丸(秀忠)と婚姻させている(一説には婚約とも)。しかし、小姫も[[天正]]19年([[1591年]])7月に早世している。後に[[豊臣秀勝]]と死別した別の養女[[崇源院|達子]](実父は浅井長政)を秀忠に嫁がせたのも、秀吉が家康及び徳川家を親族として引き留めたいという考えがあったと推測される<ref>黒田基樹「羽柴(豊臣)政権における家康の地位」黒田 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P288-292.</ref>。
天正19年(1591年)[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]、秀吉は奥州での一揆鎮圧のため号令をかけて[[豊臣秀次]]を総大将とした奥州再仕置軍を編成した。家康も秀次の軍に加わり、[[葛西大崎一揆]]、[[和賀・稗貫一揆]]、[[仙北一揆]]、藤島一揆、[[九戸政実の乱]]などの鎮圧に貢献した。
[[文禄]]元年([[1592年]])から秀次に関白を譲り太閤となった秀吉の命令により[[文禄・慶長の役#文禄の役|朝鮮出兵]]が開始されるが、家康は渡海することなく[[名護屋城]]に在陣しただけであった{{Efn|『[[常山紀談]]』には、本多正信の「殿は渡海なされますか」との問いに家康が「[[箱根]]を誰に守らせるのか」と答えたエピソードが書かれている。}}。『家忠日記』にはこの時に[[伊達政宗]]・[[南部信直]]・[[上杉景勝]]・[[佐竹義宣 (右京大夫)|佐竹義宣]]が家康の指揮下にあったと記してある。このころの家康は'''武蔵大納言'''とよばれた。
文禄4年([[1595年]])7月に「[[豊臣秀次#三好孫七郎|秀次事件]]」が起きた。豊臣政権を揺るがすこの大事件を受けて、秀吉は諸大名に上洛を命じ、事態の鎮静化を図った。家康も秀吉の命令で上洛した。これ以降、開発途上の居城・江戸城よりも[[伏見城]]に滞在する期間が長くなっている。豊臣政権における家康の立場が高まっていたのは明らかだが、家康自身も政権の中枢に身を置くことにより中央政権の政治制度を直接学ぶことになった<ref name="owada" />。
===徳川内府===
[[慶長]]元年([[1596年]])5月8日、秀吉の推挙により[[内大臣]]に任ぜられる。これ以後は江戸の内府と呼ばれる。
慶長2年([[1597年]])、再び[[文禄・慶長の役#慶長の役|朝鮮出兵]]が開始された。日本軍は前回の反省を踏まえ、初期の攻勢以降は前進せず、[[朝鮮半島]]の沿岸部で地盤固めに注力した。このときも家康は渡海しなかった。
慶長3年([[1598年]])、秀吉は病に倒れると、自身没後の豊臣政権を磐石にするため、後継者である[[豊臣秀頼]]を補佐するための[[五大老]]・[[五奉行]]の制度を7月に定め、五大老の一人に家康を任命した。8月に秀吉が死ぬと五大老・五奉行は朝鮮からの撤退を決め、日本軍は撤退した。結果的に家康は兵力・財力などの消耗を免れ、自国を固めることができた<ref name="owada">{{Cite book |和書 |author=小和田哲男|authorlink=小和田哲男 |year= 2007 |title= 駿府の大御所 徳川家康 |publisher= 静岡新聞社 |series= 静新新書}}</ref>。しかし渡海を免除されたのは家康だけではなく、一部の例外を除くと[[東国]]の[[大名]]は[[名護屋]]残留であった。
=== 秀吉死後 ===
豊臣秀吉の死後、内大臣の家康が朝廷の官位で最高位になり、また秀吉から「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」という遺言を受けていたため五大老筆頭と目されるようになる。また生前の秀吉により文禄4年(1595年)8月に禁止と定められた、合議による合意を得ない大名家同士の婚姻を行う。婚約した娘は、全て家康の養女とし、その内容は次の通りである。
* [[伊達政宗]]の長女・[[五郎八姫]]と家康の六男・[[松平忠輝]]。
* [[松平康元]](家康の甥)の娘と[[福島正之]]([[福島正則]]の養子)。
* [[蜂須賀至鎮]]([[蜂須賀家政]]の世子)と[[小笠原秀政]]の娘(家康の外曽孫で養女)。
* [[水野忠重]](家康の叔父)の娘と[[加藤清正]]。
* [[保科正直]]の娘・[[栄姫]](家康の姪で養女)と[[黒田長政]]([[黒田孝高]]の嫡男)。
このころより家康は、[[細川忠興]]や[[島津義弘]]、[[増田長盛]]らの屋敷にも頻繁に訪問するようになった。こうした政権運営をめぐって、[[大老]]・[[前田利家]]や五奉行の[[石田三成]]らより「専横」との反感を買い、慶長4年([[1599年]])1月19日、家康に対して[[三中老]]の[[堀尾吉晴]]らが問罪使として派遣されたが、吉晴らを恫喝して追い返した。利家らと家康は2月2日には誓書を交わし、利家が家康を、家康が利家を相互に訪問、さらに家康は後述する伏見城治部少丸の直下にある自身の屋敷から、対岸の[[向島 (伏見区)|向島城]]へ移ることでこの一件は和解となった。
3月3日の利家病死直後、[[福島正則]]や[[加藤清正]]ら[[七将|7将]]が、大坂屋敷の石田三成を殺害目的で襲撃する事件が起きた([[七将#石田三成襲撃事件|石田三成襲撃事件]])。三成は[[佐竹義宣 (右京大夫)|佐竹義宣]]の協力で大坂を脱出して伏見城内[[伏見城#城郭|治部少丸]]にある自身の屋敷に逃れたが<ref>{{Cite journal|和書|author=笠谷和比古|title=豊臣七将の石田三成襲撃事件―歴史認識形成のメカニズムとその陥穽―|journal=日本研究|issue=22集|year=2000}}</ref>、家康の仲裁により三成は奉行の退任を承諾して[[佐和山城]]に[[蟄居]]することになり、退去の際には護衛役として家康の次男・結城秀康があたった。結果として三成を失脚させ、最も中立的と見られている[[高台院|北政所]]の仲裁を受けたことにより、結論の客観性(正当性)が得られ、家康の評価も相対的に高まったと評価され<ref>{{Cite journal|和書 |author = 宮本義己 |date = 2000 |title = 徳川家康の人情と決断―三成"隠匿"の顛末とその意義― |journal = 大日光 |issue= 70号}}</ref>、同時に三成を生存させることによって豊臣家家臣同士の対立が継続することになる。もっとも、家康と三成は対立一辺倒ではなく協調を模索する時期もあり、家康は中立的な立場からの解決を図り双方の均衡を保とうとしたが、それが却って政争を悪化させたとする見方もある<ref name="tani">{{Citation|和書|author=谷徹也|authorlink=谷徹也|chapter=総論 石田三成論|editor=谷徹也|series=シリーズ・織豊大名の研究 第七巻|title=石田三成|publisher=戎光祥出版|year=2018|isbn=978-4-86403-277-3|paegs=60-61}}</ref>。
9月7日、「増田・長束両奉行の要請」として大坂に入り、三成の大坂屋敷を宿所とした。9月9日に登城して豊臣秀頼に対し、[[重陽]]の[[節句]]における祝意を述べた。9月12日には三成の兄・[[石田正澄]]の大坂屋敷に移り、9月28日には大坂城・西の丸に移り、大坂で政務を執ることとなる。
9月13日付毛利秀元宛輝元書状には、家康が大坂入りした理由として次の3つを挙げている。
#秀忠が江戸へ下向したため正室お江と離れるので、彼女以外の女性が秀忠の子を生む可能性があり両者の仲が悪くなるのを避けるため、お江も下向させようとしたが淀殿周辺から反対されたこと。
#後陽成天皇が譲位の意向を示したが、秀吉の遺言とは異なる子を指名したため、家康が譲位の断念を申し入れざる得なかったこと。
#秀吉遺言で東国の大名は大坂、西国の大名は伏見にいることが求められたが、宇喜多秀家は大坂に留まったため家康の抗議で伏見に移ることを承諾したが、同様の者がまだ複数いること。
9月9日に登城した際、[[前田利長]]・[[浅野長政]]・[[大野治長]]・[[土方雄久]]の4名が家康の[[暗殺]]を企んだと増田・長束両奉行より密告があったとして{{Efn|他にも加藤清正や宇喜多秀家および細川忠興の計画への関与の噂もあった。また、石田三成は増田・長束両奉行とともに家康に協力的な立場を取ったという<ref name=tani/>。}}、10月2日に長政を隠居の上、徳川領の武蔵府中で[[蟄居]]させ、治長は下総国の結城秀康のもとに、雄久は常陸国[[水戸市|水戸]]の佐竹義宣のもとへ追放とした。さらに利長に対しては加賀征伐を企図するが、利長が生母・[[芳春院]]を江戸に人質として差し出し<ref>高沢裕一「前田利長」『国史大辞典』吉川弘文館。</ref>、出兵は取りやめとなる{{Efn|ただし、加賀征伐そのものが当時流布した根拠の無い風説に過ぎないとし、家康の大坂城入城とそれに伴う新体制(家康による事実上の専権)構築をめぐって、家康と利長の意見の相違が生じて一時的な緊迫をもたらしたとする説もある<ref>{{Citation|和書|author=大西泰正|authorlink=大西泰正|chapter=織豊期前田氏権力の形成と展開|editor=大西泰正|series=シリーズ・織豊大名の研究 第三巻|title=前田利家・利長|publisher=戎光祥出版|year=2016|isbn=978-4-86403-207-0|pages=28-36}}</ref>。}}。これを機に[[前田氏]]は完全に家康の支配下に組み込まれたと見なされることになる。
またこのころ、秀頼の名のもと諸大名への加増を行っている。
* [[対馬国]]の[[宗義智]]に1万石を加増。その家臣の柳川智永を従五位下豊前守に叙任(豊臣姓){{Sfn|村川|2000}}{{Sfn|村川|2013}}。
* [[遠江国]]・[[浜松]]12万石の[[堀尾吉晴]]に[[越前国]]・府中5万石を加増。
* [[美濃国]]・[[金山]]7万石の[[森忠政]]を[[信濃国]]・[[川中島]]13万7,000石に加増移封。
* [[丹後国]]・[[宮津]]の[[細川忠興]]に[[豊後国]]・[[杵築藩|杵築]]6万石を加増。
* [[薩摩国]]・[[大隅]]の[[島津義久]]に5万石を加増。
[[慶長]]5年([[1600年]])3月、[[豊後国]]に[[南蛮貿易|南蛮船]](オランダ船)の[[リーフデ号]]が漂着した。家康はリーフデ号を[[大阪]]へ移し、航海長の[[ウィリアム・アダムス]](後の三浦安針)や船員の[[ヤン・ヨーステン]]は家康に厚遇され、外交上の諮問にこたえるようになる。特にウィリアム・アダムスは航海や水先案内の技術だけでなく、数学と天文学も得意としていたことから家康にヨーロッパの科学知識や技術を伝えたり、西洋船を作ったりして、家康から寵愛された<ref>{{Cite book|和書|author=北島正元|title=徳川家康―組織者の肖像―|publisher=中央公論社|year=1963年|page=186}}</ref>。
=== 関ヶ原の戦い ===
[[ファイル:The-Battlefield-of-Sekigahara-2.jpg|thumb|250px|[[関ヶ原の戦い|関ヶ原]]古戦場。[[徳川家康の馬印|家康の馬印]]に用いられたとされる「[[厭離穢土|厭離穢土欣求浄土]]」の旗<ref name="hirano-akio-1995"/>が跡地に掲げてある。]]
{{Main|関ヶ原の戦い}}
慶長5年([[1600年]])3月、越後国の[[堀秀治]]から会津の上杉景勝の重臣・[[直江兼続]]に越後にあった年貢の下半期分まで持ち出された訴えを、[[出羽国]]の[[最上義光]]らからは[[会津]]の軍備を増強する不穏な動きがあるという知らせを受けた{{要出典|date=2021年12月}}。さらに上杉氏の家臣で[[津川城]][[城代]]を務め家康とも懇意にあった避戦派の[[藤田信吉]]、[[栗田国時]]の二人が、会津から江戸の[[徳川秀忠]]の元へ上杉の行動に関する釈明をしようとする途中で、兼続の仕向けた使者達に襲撃され、国時が殺害される事件まで起きた{{要出典|date=2021年12月}}。
これに対して家康は、[[伊奈昭綱]]を正使として景勝の元へ問罪使を派遣した。ところが、既に徳川との一戦を固めていた兼続が、『直江状』(真贋諸説有り。詳細は[[直江状#真贋論争]]参照。)と呼ばれる挑発的な文書を記した書簡を返書として送ったことから家康は激怒。景勝に叛意があることは明確であるとして[[会津征伐]]を宣言した{{要出典|date=2021年12月}}。これに際して[[後陽成天皇]]から出馬慰労として晒布が下賜され、豊臣秀頼からは黄金2万両・[[兵糧米]]2万石を下賜された{{要出典|date=2021年12月}}。これにより、朝廷と豊臣氏から家康の上杉氏征伐は「豊臣氏の忠臣である家康が[[謀反]]人の景勝を討つ」という大義名分を得た形となった。
6月16日、家康は大坂城・[[京橋 (大阪市)|京橋]]口から軍勢を率いて上杉氏征伐に出征し、同日の夕刻には伏見城に入った。ところが、6月23日に浜松、6月24日に[[島田市|島田]]、6月25日に駿府、6月26日に[[三島市|三島]]、6月27日に[[小田原市|小田原]]、6月28日に[[藤沢市|藤沢]]、6月29日に[[鎌倉市|鎌倉]]、7月1日に[[金沢区|金沢]]、7月2日に[[江戸]]という、遅々たる進軍を行っている{{要出典|date=2021年12月}}。
この出兵には、家康に反感をもつ石田三成らの挙兵を待っていたとの見方もある。実際、7月に三成は[[大谷吉継]]とともに挙兵すると、家康によって占拠されていた大坂城・西の丸を奪い返し、増田長盛、長束正家ら奉行衆を説得するとともに、五大老の一人・[[毛利輝元]]を総大将として擁立し、『内府ちかひ(違い)の条々』という13か条におよぶ家康の[[弾劾]]状を諸大名に対して公布した。三成が挙兵すると、家康古参の重臣・鳥居元忠が守る伏見城が4万の軍勢で攻められ、元忠は戦死し伏見城は落城した([[伏見城の戦い]])。
さらに三成らは[[伊勢国]]、[[美濃国]]方面に侵攻した。家康は下野国[[小山城 (下野国)|小山]]の陣において、伏見城の元忠が発した使者の報告により、三成の挙兵を知った。家康は重臣たちと協議した後、上杉氏征伐に従軍していた諸大名の大半を集め、「秀頼公に害を成す君側の奸臣・三成を討つため」として、[[上方]]に反転すると告げた。これに対し、福島正則ら三成に反感をもつ武断派の大名らは家康に味方し、こうして家康を総大将とした[[関ヶ原の戦い#東軍|東軍]]が結成されていった([[関ヶ原の戦い#東軍諸大名の反転|小山評定]])。
東軍は、家康の徳川直属軍と福島正則らの軍勢、合わせて10万人ほどで編成されていた。そのうち一隊は、徳川秀忠を大将とし[[榊原康政]]、[[大久保忠隣]]、本多正信らを付けて[[宇都宮城]]から[[中山道]]を進軍させ、結城秀康には上杉景勝、佐竹義宣に対する抑えとして関東の防衛を託し、家康は残りの軍勢を率いて[[東海道]]から上方に向かった。それでも家康は動向が不明な佐竹義宣に対する危険から江戸城に1か月ほど留まり、7月24日から9月14日までの間に、関ヶ原合戦に関する内容の文書だけでも外様の諸将82名に155通、家康の近臣に20通ほどの文書を送っている<ref>{{Cite book|和書|author=二木謙一|authorlink=二木謙一|title=関ケ原合戦―戦国のいちばん長い日―|publisher=中央公論社|year=1982|page=41}}</ref>。
正則ら東軍は、[[清洲城]]に入ると、[[関ヶ原の戦い#西軍|西軍]]の勢力下にあった美濃国に侵攻し、織田秀信が守る[[岐阜城]]を落とした。このとき家康は信長の嫡孫であるとして秀信の命を助けている。
9月、家康は江戸城から出陣し、11日に清洲、14日には美濃赤坂に着陣した。前哨戦として三成の家臣・[[島清興|島左近]]と[[宇喜多秀家]]の家臣・[[明石全登]]が奇襲し、それに対して東軍の[[中村一栄]]、[[有馬豊氏]]らが迎撃するが敗れ、中村一栄の家臣・[[野一色助義]]が戦死している([[杭瀬川の戦い]]){{Efn|なお出典の定かでない話ではあるが、これに先立ち、伊尾川(現・[[揖斐川]])で家康自身が銃撃されたという伝承もあるという。詳しくは[[神戸町]]の項を参照のこと。}}。
家康は自らの[[軍師]]で[[臨済宗]]の禅僧である[[三要元佶|閑室元佶]](関ヶ原の戦いに従軍していた)に易による{{読み仮名|占筮|せんぜい}}を行わせ、大吉を得た。
9月15日午前8時ごろ、美濃国[[関ケ原町|関ヶ原]]において東西両軍による決戦が繰り広げられた。開戦当初は高所を取った三成ら西軍が有利であったが、正午ごろかねてより懐柔策をとっていた西軍の[[小早川秀秋]]の軍勢が、同じ西軍の大谷吉継の軍勢に襲いかかったのを機に形成が逆転する。さらに[[脇坂安治]]、[[朽木元綱]]、[[赤座直保]]、[[小川祐忠]]らの寝返りもあって大谷隊は壊滅、西軍は総崩れとなった。戦いの終盤では、敵中突破の退却戦に挑んだ[[島津義弘]]の軍が、家康の本陣目前にまで突撃してくるという非常に危険な局面もあったが、東軍の完勝に終わった('''[[関ヶ原の戦い]]''')。
9月18日、三成の居城・佐和山城を落として近江国に進出し、9月21日には戦場から逃亡していた三成を捕縛。10月1日には[[小西行長]]、[[安国寺恵瓊]]らと共に[[六条河原]]で処刑した。その後大坂に入った家康は、西軍に与した諸大名<!--をことごとく--><!--井伊軍と戦闘した島津義弘、丹後田辺城攻撃の織田信包、鍋島勝茂を伏見城攻めに参加させた龍造寺高房らが所領安堵されている<ref>藤野保『佐賀藩の総合研究 藩制の成立と構造』(吉川弘文館、1981年)など</ref>。-->の殆どを[[処刑]]・[[流罪]]・[[改易]]・[[減封]]に処し、召し上げた所領を東軍諸将に加増分配する傍ら自らの領地も250万石から400万石に加増。秀頼、[[淀殿]]に対しては「女、子供のあずかり知らぬところ」として咎めなかったが、論功行賞により各[[大名家]]の領地に含めていた[[太閤]][[蔵入地]](豊臣氏の全国に散在していた直轄地)は東軍の諸将に恩賞として分配された。また[[太閤]][[蔵入地]]のうち、[[堺]]、[[長崎]]、[[生野銀山]]の管理には家康の家臣が派遣され、家康の直轄領となっていくことになる。
その結果、豊臣氏は[[摂津国]]・[[河内国]]・[[和泉国]]の3か国65万石の一大名となり、家康は[[天下人]]としての立場を確立した{{Sfn|今谷|1993|p=113}}。だが、まだ西国大名は新年の挨拶に大坂城に伺候し豊臣家が西国を支配する二重公儀体制との説がある{{Sfn|笠谷|2007|p=175}}。
=== 家康のスペイン外交と浦賀 ===
鈴木かほるの研究によれば、秀吉の没後、家康が五大老の筆頭として表舞台に立ったとき、どの国よりもいち早く対外交渉をもったのは、当時、世界最強国と称されたスペインであったという。その目的はスペイン領メキシコで行われている画期的な金銀製錬法であるアマルガム法の導入であり、スペイン人を招致するため浦賀湊を国際貿易港として開港し<ref>{{Cite journal|和書|author=鈴木かほる|date=1994|title=徳川家康の浦賀開港とその意図|journal=神奈川地域史研究|issue=12号}}</ref>、西洋事情に詳しい[[ウィリアム・アダムス]]を外交顧問としたという。
家康はフィリピン(スペイン領)近海における私貿易船を絶滅させるため、慶長6年(1601年)正月、フィリピン総督に宛てて公貿易船の証として日本からフィリピンへ渡海する朱印状を交付することを伝えた。日本では古来から難破船の漂着は龍神の祟りとして積荷を没収し、その売り上げをもってその土地の寺社の修復に充てる習わしであったが、家康はこの仕来りを破り、慶長7年(1602年)8月に漂着船の積荷を保証することを伝え、安心して浦賀湊に商船を派遣するようフィリピン総督に通告した{{Sfn|鈴木|2010|pp=32, 78}}。つまり家康の朱印船制度創設は浦賀ースペイン外交にあったのである。浦賀にはウィリアム・アダムスの尽力により慶長9年にスペイン商船が初めて入港し、以後、毎年入港している。
メキシコ側の思慮によりアマルガム法の導入の実現には至らなかったが、慶長6年秋に上総大多喜浦に漂着した司令官ジュアン・エスケラや{{Sfn|鈴木|2010|p=69}}、慶長14年(1610年)9月に上総国岩和田沖に漂着したフィリピン総督[[ロドリゴ・デ・ビベロ|ドン・ロドリコ・デ・ビベロ]]をアダムスが建造した船で帰国させたが、その返礼大使として[[セバスティアン・ビスカイノ|セバスチャン・ビスカイノ]]が浦賀湊に入港している。このときのビスカイノは日本の東西の港の測量および金銀島探検の使命を帯びて来航したのであるが、金銀島の発見には至らず、そのうえ船は破船してしまう。ビスカイノは帰国のための船の建造を家康に請うたが断られた{{Sfn|ビスカイノ|p=8}}。そこでビスカイノは奥州の港の測量の際、[[伊達政宗]]がメキシコとの貿易を希望していたことを思い起こし、宣教師[[ルイス・ソテロ]]を介して政宗に帰国の大型帆船の建造を依頼し、これが実現して[[サン・ファン・バウティスタ号]]の遣欧に至るのである。このとき将軍・秀忠は[[向井忠勝]]に政宗遣欧船の随行船として船を造船させている。この船は江戸内海の口で座礁してしまったが{{Sfn|ビスカイノ|p=152}}、このように秀忠が遣欧船を造船していた事実や、向井忠勝が公儀大工を伊達政宗のもとに派遣している事実、また幕府は禁教令によりビスカイノ一行を本国に帰国させなければならなかったことを考えれば、政宗遣欧船は幕府の知るところであったことは疑う余地もない。
[[ファイル:家康が開港したスペイン貿易港浦賀.jpg|代替文=|サムネイル|家康が開港したスペイン貿易港浦賀の記念碑が建つ横須賀市東浦賀の東叶神社]]
元和元年(1615年)6月、サン・ファン・バウティスタ号がビスカイノの返礼大使[[ディエゴ・デ・サンタ・カタリナ]]を乗せ浦賀湊に帰帆した。この船には政宗の家臣・横沢将監吉久や日本商人らが同船していた。しかし、家康が死去するとサンタ・カタリナに国外退去令が出され、彼らは元和2年(1616年)8月に浦賀を発航した。これがメキシコへ向かう最後の貿易船となった。こうして浦賀湊は国際貿易港としての生命を絶たれ、スペイン人鉱夫の招聘は実現することなく訣別を迎えたのである{{Sfn|鈴木|2010|p=170}}。
{{要出典|長崎や平戸は貿易港としてよく知られるが、江戸初期に家康によって浦賀がスペイン商船の寄港地として開港され、貿易が行われていたことは教科書にも記されていない。この史実を伝えようと、地元の住民によって市民団体が結成され賛助金が集められ、平成31年([[2019年]])4月、神奈川県横須賀市東浦賀の東叶神社境内に「日西墨比貿易港之碑」が建てられ除幕式が行われた。|date = 2020-6}}
=== 征夷大将軍 ===
慶長5年(1600年)12月19日、文禄4年(1595年)に豊臣秀次が解任されて以来空いたままになっていた関白に[[九条兼孝]]が家康の奏上により任じられた。このことにより、豊臣氏による関白職世襲を止め旧来の五摂家に関白職が戻る{{Efn|豊臣家は摂家の一つにすぎないとされただけで、将来の豊臣秀頼の関白職就任が完全に否定されたということではない。}}。
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
|枠幅= 200px
| 1=Fushimi momoyaja jyou 40.jpg
| 2=『洛中洛外図』の徳川時代の伏見城
| 3=Nijo Castle J09 24.jpg
| 4=二条城の唐門
}}
関ヶ原の戦いの戦後処理を終わらせた慶長6年([[1601年]])3月23日、家康は大坂城・西の丸を出て伏見城にて政務を執り、征夷大将軍として[[幕府]]を開くため、徳川氏の[[系図]]の[[改姓]]を行った{{Efn|家康の源氏復姓の時期については諸説がある([[徳川家康#源氏への「復姓」時期について|後述]])。
清和源氏の出自でなくとも将軍職への就任には問題がなく、過去には[[摂家将軍]]や[[皇族将軍]]の例もあり、将軍になるには清和源氏でなければならないというのは[[江戸時代]]に作られた俗説である。}}。
慶長7年([[1602年]])、関ヶ原の戦いの戦後処理で唯一処分が決まっていなかった常陸国水戸の佐竹義宣を出羽国[[久保田藩|久保田]]に減転封。代わりに[[佐竹氏]]と同じく[[源義光]]の流れをくむ[[武田氏]]を継承した五男・武田信吉を水戸に入れた{{Efn|関ヶ原の戦い後の戦後処理で家康の五男である武田信吉と娘婿である蒲生秀行の新しい所領が確定していなかった。このため、上杉氏・佐竹氏の処分との関連性が言われ、島津氏家臣[[鎌田政近]]が国元に充てた書状では、「武田信吉が直江兼続の娘を娶って上杉景勝の養嗣子となる」という風説を記している(『旧記雑録後編』)。しかし、武田信吉の病気もあってこの風説は実現されず、慶長6年8月の上杉氏の減封確定後に没収された旧上杉領の中から会津60万石が蒲生秀行に与えられた<ref>尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年。/所収:{{Citation|和書|editor=谷徹也|series=シリーズ・織豊大名の研究 第九巻|title=蒲生氏郷|publisher=戒光祥出版|year=2021|isbn=978-4-86403-369-5|pages=206-208}}</ref>。その後、減転封の処分を受けた佐竹氏の旧領が信吉に与えられることになる。}}。これによって確定した徳川氏の領域は一門・譜代大名の所領も含めると、東は岩城領から関東一円、北は南信濃から美濃国・越前国、西は近江国・山城国・大和国と北伊勢の桑名領をほぼ一円支配しつつ、西国では[[長崎]]や[[堺]]、[[石見銀山]]、[[生野銀山]]の直轄領が点在する内容であった(秋田氏や里見氏などの小規模な外様大名の支配地は除く){{Sfn|柴|2017|loc=p.242-243図表}}。
慶長8年([[1603年]])2月12日、<!--後陽成天皇が[[参議]]・[[勧修寺光豊]]を[[勅使]]として伏見城に派遣。朝廷より六種八通の[[宣旨]]が下り、{{要出典|date=2023年12月}}。-->[[右大臣]]に任じられる{{Sfn|黒板|1936|p=520}}。同日、征夷大将軍、[[源氏長者]]、奨学淳和院等別当、[[牛車宣旨|牛車]][[兵仗]]等の[[宣下]]があった{{Sfn|黒板|1936|p=520}}{{Efn|{{quotation|'''徳川家康征夷大将軍補任の宣旨'''
内大臣源朝臣 左中辨藤原朝臣光廣傳宣、權大納言藤原朝臣兼勝宣、奉 勅、件人宜爲征夷大將軍者 慶長八年二月十二日 中務大輔兼右大史算博士小槻宿禰孝亮奉
(訓読文)<br/> 内大臣源朝臣(徳川家康、正二位) 左中弁藤原朝臣光広([[烏丸光広]]、正四位上・蔵人頭兼帯)伝へ宣(の)る、権大納言藤原朝臣兼勝([[広橋兼勝]]、正二位)宣(の)る、勅(みことのり)を奉(うけたまは)るに、件人(くだんのひと)宜しく征夷大将軍に為すべし者(てへり) 慶長8年(1603年)2月12日 中務大輔右大史算博士小槻宿禰孝亮(壬生孝亮、従五位下)奉(うけたまは)る
|日光東照宮文書、壬生家四巻之日記}}
※同日、右大臣に転任し、源氏長者、牛車乗車宮中出入許可、兵仗随身、淳和奨学両院別当の宣旨も賜う。}}。
同年3月12日、伏見城から[[二条城]]に移り、3月21日、[[衣冠束帯]]を纏い行列を整えて[[御所]]に参内し、将軍拝賀の礼を行い、年頭の祝賀も述べた。3月27日、二条城に勅使を迎え、重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行った。また4月4日から3日間、二条城で[[能楽]]が行われ諸大名や公家衆を饗応した。
なお家康の将軍宣下の数ヵ月前の、慶長7年12月4日(新暦では1603年1月15日)に、秀吉の造立した[[方広寺]]大仏殿が失火のため全焼し、京中を騒然とさせた{{Sfn|河内|2008|p=207}}。この火事について、豊臣氏の権威を失墜させるために徳川方が故意に放火したのではないかという風説も流れたという。
慶長8年10月16日、右大臣を辞退した{{Sfn|黒板|1936|p=520}}。
=== 大御所政治 ===
[[File:KingJamesLetter.jpg|thumb|イギリス王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]の徳川家康への書簡(1613年)]]
慶長10年([[1605年]])4月16日、将軍職を辞するとともに朝廷に嫡男・秀忠への将軍宣下を行わせ、将軍職は以後「徳川氏が世襲していく」ことを天下に示した。同時に豊臣秀頼に新将軍・秀忠と対面するよう要請したが、秀頼はこれを拒絶。結局、六男・[[松平忠輝]]を大坂城に派遣したことで事は収まった。なお、このとき次世代の家臣である[[井伊直孝]]と[[板倉重昌]]も叙任された{{Sfn|村川|2013|pp=120-121}}。同7月23日、[[近衛信尹]]を関白に推挙する。
慶長12年([[1607年]])には駿府城に移って、東国大名や幕府の制度整備を進める「江戸の将軍」秀忠(御所)に対して、前将軍の家康は「駿府の[[大御所 (江戸時代)|大御所]]」として主に朝廷・寺社・西国大名・外交を担当した([[大御所政治]])。ただ明確に線引きされていたわけではなく、[[越後福嶋騒動]]では当事者たちを駿府城に召喚して弁論させ、[[越後高田藩]][[堀氏]]の[[改易]]を命じた。
同年、[[朝鮮通信使]]と謁見し、文禄・慶長の役以来断絶していた[[李氏朝鮮]]との国交を回復した{{要出典|date=2021年8月}}。
慶長13年([[1608年]])、大坂方が朝廷に働きかけ秀頼を[[左大臣]]にする兆候を事前に捉え、これを阻止する(しばらく左大臣は空位)。同年、右大臣[[九条忠栄]]を[[関白]]に推挙する。
慶長14年([[1609年]])、[[オランダ]]使節と会見。[[オランダ総督]](使節は国王を自称{{Efn|当時のオランダは公式には共和制であった([[ネーデルラント連邦共和国]])。オランダが正式に王制となるのは19世紀初めの[[ウィーン会議]]後である。}})[[マウリッツ (オラニエ公)|マウリッツ]]からの親書を受け取り、[[朱印状]]による交易と[[平戸]]に[[オランダ東インド会社]]の[[オランダ商館|商館]]の開設を許可した。
慶長15年(1610年)、[[足尾銅山]]を開山。1600年に[[天領]]にした[[石見銀山]]等の[[銀]]、1601年に天領にした[[佐渡金山]]等の[[金]]と併せ、[[銅]]もその後の[[江戸幕府]]の主要な財源となる。
慶長16年([[1611年]])3月20日に九男・[[徳川義直|徳川義利]](義直)、十男・[[徳川頼宣|頼将]](頼宣)を[[参議]]中将に、十一男・[[徳川頼房|鶴松]](頼房)を少将に叙任させた。「御三家」体制への布石といえよう{{Sfn|村川2013-2|p=117}}{{Full citation needed |date=2019-02-15 |title=この脚注は参考文献節へリンクしません。村川浩平「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜の事例」(2013年)を指しているようにも思われますが、それで正しいか不明です。}}。3月22日には、自らの祖先と称する[[源義重|新田義重]]に鎮守府将軍を、実父・松平広忠には権大納言を贈官した{{Sfn|村川2013-2|p=118}}。
同年3月28日、二条城にて秀頼と会見した([[二条城会見]])。{{要出典範囲|date=2023年2月|当初、秀頼はこれを秀忠の征夷大将軍任官の際の要請と同じく拒絶する方向でいたが、家康は[[織田長益|織田有楽]]を仲介として上洛を要請し、ついには秀頼を上洛させることに成功した}}。この会見により、天下の衆目に、徳川公儀が豊臣氏よりも優位であることを明示したとする見解があり<ref>本多隆成「Ⅴ.大所政治の展開-慶長十六年の画期」『定本 徳川家康』吉川弘文館、2010年、pp236-239。</ref>、4月12日に西国大名らに対し三カ条の法令を示し、誓紙を取ったことで、徳川公儀による天下支配が概ね成ったともいわれる{{Sfn|村川2013-2|pp=117-118}}。
同年、[[ヌエバ・エスパーニャ]](現在の[[メキシコ]])副王[[ルイス・デ・ベラスコ・イ・カスティーリャ|ルイス・デ・ベラスコ]]の使者[[セバスティアン・ビスカイノ]]と会見し、スペイン国王[[フェリペ3世]]の親書を受け取る。両国の友好については合意したものの、通商を望んでいた日本側に対し、スペイン側の前提条件はキリスト教の布教で、家康の経教分離の外交を無視したことが、家康をして禁教に踏み切らせた真因である。この後も家康の対外交政策に貿易制限の意図が全くないことから、この禁教令は鎖国に直結するものではない<ref name="宮本1992">{{Cite journal|和書 |author = 宮本義己 |date = 1992 |title = 徳川家康公の再評価 |journal = 大日光 |issue= 64号}}</ref>。
慶長17年([[1612年]])、九条忠栄を左大臣に、[[鷹司信尚]]を関白に推挙する。
慶長18年([[1613年]])、[[イギリス東インド会社]]の[[ジョン・セーリス]]と会見。イングランド国王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]からの親書と献上品を受け取り、朱印状による交易と平戸に[[イギリス商館]]の開設を許可した。
=== 大坂の陣 ===
{{main|大坂の陣}}
晩年を迎えていた家康にとって豊臣氏は脅威であり続けた{{Efn|家康はこの時期、主筋である豊臣氏を滅ぼすことの是非を[[林羅山]]に諮問しているともいわれるが{{Sfn|笠谷|2007|pp=204-215}}、この時期の林羅山は家康に対して、そのような大きな発言権はないとする近年研究もある<ref name="watanabehokoji">{{Harvnb|渡邊|2012|p=68-82}}</ref>。}}。なお特別の地位を保持していて実質的には徳川氏の支配下には編入されておらず、関ヶ原の戦い後に[[西国]]に配置した東軍の大名は殆ど豊臣恩顧の大名であった。また、家康の将軍宣下時には、同時に秀頼が関白に任官されるとの風説が当然のこととして受け取られていた。秀忠の将軍宣下時の官位は内大臣であったが、秀頼は家康の引退で空いた右大臣を譲られており、秀忠を上回っていた。
家康は大坂の周囲にある[[伏見]]、[[堺]]や[[大和郡山]]を直轄領にしつつも、当初、徳川氏と豊臣氏の共存を模索しているような動きもあり、秀吉の遺言を受けて孫娘・[[千姫]]を秀頼に嫁がせてもいる。しかし、豊臣氏の人々は政権を奪われたことにより次第に家康を警戒するようになっていった。さらに豊臣氏は、徳川氏との決戦に備えて多くの浪人を雇い入れていたが、それが天下に乱をもたらす準備であるとして一層幕府の警戒を強めた{{Sfn|笠谷|2007|pp=204-215}}<ref name="watanabehokoji"/>。
そのような中、慶長12年([[1607年]])には結城秀康、慶長16年([[1611年]])に加藤清正・堀尾吉晴・浅野長政、慶長18年([[1613年]])には[[浅野幸長]]・[[池田輝政]]など、豊臣恩顧の大名が次々と死去したため、次第に豊臣氏は孤立を深めていった。
そして、慶長19年([[1614年]])の[[方広寺鐘銘事件]]をきっかけに、豊臣氏の処遇を決するべく、動き始める。
3月9日、秀忠は[[右大臣]]に就任し、豊臣秀頼に官位が追いついた。
==== 方広寺鐘銘事件 ====
{{main|方広寺鐘銘事件}}
[[ファイル:Hokoji-BellDetail-M1767.jpg|200px|thumb|現在も残る方広寺の鐘銘の「国家安康」「君臣豊楽」の文字]]
[[File:Hōkōji Daibutsu Kaempfer.png|thumb|200px|[[エンゲルベルト・ケンペル]]の[[方広寺]]大仏([[京の大仏]])のスケッチ<ref>{{Cite book|和書|author=ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー|title=ケンペルと徳川綱吉 ドイツ人医師と将軍との交流|publisher=中央公論社|year=1994|page=95}}</ref>。ただしこのスケッチに描かれている大仏は[[寛文]]7年(1667年)再建の3代目大仏で、秀頼の再建した2代目大仏ではない。]]
[[大坂の陣]]の契機となった[[方広寺]]鐘銘事件は、秀吉の発願した方広寺大仏([[京の大仏]])の再建にあたり発生したものだが、[[方広寺]]大仏・大仏殿が何故滅失していたかは以下の通りである。
秀吉は焼損した東大寺に代わる新たな大仏として、京都に大仏・大仏殿を造立した([[京の大仏]])。「国土安全万民快楽」をスローガンに、[[刀狩]]で民衆から奪取した刀剣類を大仏造立のための釘・鎹(かすがい)に利用した。この大仏は一応完成したが、開眼供養前に[[文禄]]5年閏7月13日([[1596年]]9月5日)の[[慶長伏見地震]]で大破し、その後秀吉の命で破却された{{Sfn|河内|2008|p=73}}。大仏殿は地震での倒壊を免れたので、慶長2年(1597)には当時[[甲斐国]]にあった[[善光寺如来]]が、大仏に代わる新たな本尊とするため方広寺大仏殿に遷座させられ、大仏殿は「善光寺如来堂」と称されるようになったが、翌慶長3年には善光寺如来が本国(信濃[[善光寺]])に還された{{Sfn|河内|2008|p=73}}。豊臣政権は秀吉没後に大仏の再建に取り掛かったが、慶長7年(1602年)12月に大仏鋳造中の失火で火災が発生し、大仏のみならず大仏殿も滅失してしまった{{Sfn|河内|2008|p=77}}。
豊臣氏は秀吉の死後、秀吉の追善供養として、戦乱で荒廃した多数の寺社に寄進を行い、伽藍・社殿の整備を図った([[豊臣秀頼#秀頼の寺社造立|豊臣秀頼の寺社造立]]も参照)。主なもので[[東寺]]金堂・[[延暦寺]]横川中堂・[[熱田神宮]]・[[石清水八幡宮]]・[[北野天満宮]]・[[鞍馬寺]]毘沙門堂など、多数にのぼった。慶長12年([[1607年]])には、[[豊臣秀頼]]により、豊臣家家臣の[[片桐且元]]を奉行として、再び銅製大仏および大仏殿の再建が企図されるようになった。通説では、家康が秀頼に方広寺大仏・大仏殿の再建を勧め、それを豊臣方が受け入れて再建工事の運びとなったとされるが、それは豊臣家の財力を蕩尽させるための家康の謀略とされてきた{{Sfn|村山|2003|p=116}}。しかし歴史学者の[[河内将芳]]は、豊臣氏に大仏・大仏殿再建工事費を負担させたのは事実だが、「大仏再建は秀頼と徳川の共同事業で、徳川もかなりの労力を注いだ。幕府は大仏を豊臣一色とは認識せず、東大寺の代わりになるものとして重視したのではないか<ref>{{Cite web|和書|title=豊臣の盛衰刻んだ大仏の梵鐘 方広寺(京都市)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASHC1901G_Q3A220C1000000/|work=NIKKEI STYLE 古きを歩けば(47)|date=2013-02-26|accessdate=2023-05-26}}</ref>。」とし、豊臣と徳川の共同事業であったとしている。河内は『新大仏殿地鎮自記』に以下の記述があることをその証左としている。慶長15年(1610年)6月12日に[[義演]]を導師として大仏殿の地鎮祭が行われたが{{Sfn|河内|2023|p=138}}、この時のことを[[義演]]が著した書が『新大仏殿地鎮自記』である。その書では、工事の大檀那(発注者)について「前将軍昨年(慶長14年)当堂御再興を御下知す、造作料においては、右大臣豊臣朝臣秀頼御下行なり」とあり、先将軍の家康が大仏殿再建の命令を発し、工事費は[[豊臣秀頼]]が負担することになっていた{{Sfn|河内|2023|p=139}}。また工事の棟梁については「番匠大和守([[中井正清]]) 前将軍御大工なり、ことごとくみなこの大工がままなり」とあり、家康お抱えの大工[[中井正清]]が工事の全てを取り仕切ることになっていた{{Sfn|河内|2023|p=139}}。上記の記述より河内は、大仏再建にかかる費用は豊臣氏が負担するが、大仏・大仏殿再建工事そのものについては徳川氏が主導権を握ったとしている{{Sfn|河内|2023|p=137}}。
大仏の再建工事については史料に乏しく、いつ行われたか詳細は不明である。大仏殿再建工事については史料が多く残っており、それらによれば、大仏殿の立柱工事は慶長15年(1610年)8月22日から行われ{{Sfn|河内|2023|p=142}}、慶長17年([[1612年]])1月29日から大仏殿に屋根瓦を葺く作業が始まった{{Sfn|河内|2023|p=145}}。慶長17年([[1612年]])中に大仏殿はほぼ完成し、工事着工から2年足らずという異例の速さで大仏殿の再建が完了したことが分かる{{Sfn|河内|2023|p=145}}。
方広寺大仏・大仏殿の再建が完了したため、落慶供養の段取りを進めることになった。段取りは[[片桐且元]]が進め、武家間では[[京都所司代]]の[[板倉勝重]]や、家康との協議がなされた。しかし落慶供養は武家側だけで決定できるものではなく、朝廷や公家・寺社勢力との協議も必要であった{{Sfn|河内|2023|p=153}}。方広寺は、正式な寺号を持たず(「方広寺」という寺号は江戸時代中期以降に自然発生的に生じたもので、当時は単に「大仏」もしくは「東山大仏」「京大仏」などと呼称されていた)、朝儀を経て創立された寺院ではなかったため(悪く言えば豊臣氏の私的な建造物であった)、正式な寺院となるよう、朝廷との協議がなされた。寺号については「東大寺」とするか、もしくは新たに定めるかなどが候補として挙がっていたが、方広寺の寺号を「東大寺」と定め、方広寺を東大寺の継承寺院とする案も検討されていた{{Sfn|河内|2023|p=158}}。
方広寺再建落慶供養の出席者について、各種史料の記述から、家康が落慶供養に出席するため、上洛する計画であったことが窺える{{Sfn|河内|2023|p=159}}。また『[[本光国師日記]]』には、「秀頼公供養に御上洛」については「いかようにも心次第と」と家康が仰せ出したとあり(慶長19年7月18日条)、秀頼と家康の双方が落慶供養に参加する可能性もあった{{Sfn|河内|2023|p=159}}。
{{未検証|date=2023年2月}}
慶長19年([[1614年]])には[[梵鐘]]も完成し、[[片桐且元]]は梵鐘の銘文を[[南禅寺]]の[[文英清韓]]に作成させ、梵鐘に銘文を入れた。ところが幕府は、方広寺の梵鐘の銘文中に不適切な語があると供養を差し止めた。問題とされたのは「'''国家安康'''」で、大御所・家康の諱を避けなかったことが不敬であるとするものであった<ref name="宮本1992"/>{{Sfn|笠谷|2007|pp=204-215}}<ref name="watanabehokoji"/>。「国家安康」を「家康の名を分断して[[呪詛]]する言葉」とし、「君臣豊楽・子孫殷昌」を豊臣氏を君として子孫の殷昌を楽しむとし、さらに「右僕射源朝臣」については、「家康を射るという言葉だ」と非難したとする説もあるが(「右僕射源朝臣」の本来の意味は、右僕射(右大臣の[[唐名]])源家康という意味である)、これは後世の俗説である{{Sfn|笠谷|2007|pp=204-215}}><ref name="watanabehokoji"/>。
さらに8月18日、[[京都五山]]の長老たちに鐘銘の解釈を行わせた結果、五山の僧侶たちは「みなこの銘中に国家安康の一句、御名を犯す事尤不敬とすべし」(徳川実紀)と返答したという。
これに対して豊臣氏は、家老・[[片桐且元]]と鐘銘を作成した[[文英清韓]]を駿府に派遣し弁明を試みた。ところが、家康は会見すら拒否し、逆に清韓を拘束し、且元を大坂へ返した。且元は、秀頼の大坂城退去などを提案し妥協を図ったが、豊臣氏は拒否。そして、豊臣氏が9月26日に且元を家康と内通しているとして追放すると、家康は豊臣氏が[[浪人]]を集めて軍備を増強していることを理由に、豊臣氏に[[宣戦布告]]したのである。
この事件は、豊臣氏攻撃の口実とするために家康が[[以心崇伝]]らと画策して問題化させたものであると考えられているが、当時の諱の常識からすれば不敬と考えられるものであり、また近年研究では問題化に崇伝の関与はなかったとされている{{Sfn|笠谷|2007|pp=204-215}}<ref name="watanabehokoji"/>{{Efn|『摂戦実録』によれば、撰文をした文英清韓は「国家安康と申し候は、御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也」と弁明し、家康の[[諱]]を「かくし題」とした意識的な撰文であると認め、五山の僧の答申はいずれも諱を避けなかったことについて問題視したという{{Sfn|笠谷|2007|pp=204-215}}。ただし『摂戦実録』の成立年代は江戸時代・1752年である[http://maizuru-k.com/yorozu/situmon_r_33.htm]。}}。なお歴史学者の[[河内将芳]]は、[[以心崇伝]]が著した『[[本光国師日記]]』に、以下のような通説とは逆の記述があることを指摘している。 [[以心崇伝]]が[[板倉勝重]]に宛てた書状(8月22日条)には「文言以下の善悪、市([[片桐且元]])存ぜられざることも、もっともとの御諚」「鐘をば銘をすりつぶしそうらえとの御内証」とあり、鐘銘文は重大な問題だが、[[片桐且元]]に責任はなく、梵鐘から問題の銘文をすりつぶせば良いとの家康の内意があったとしている{{Sfn|河内|2023|p=162}}。
その後、梵鐘は太平洋戦争中の金属供出を免れ、鋳潰されることもなく方広寺境内に残されている(重要文化財)。なお江戸時代に、梵鐘は懲罰的措置として地面に置かれ鳴らないようにされていたとする俗説があるが、それは誤りである(詳細は[[方広寺]]の記事を参照のこと)。
==== 大坂冬の陣 ====
{{Main|大坂の陣#大坂冬の陣}}
慶長19年([[1614年]])11月15日、家康は二条城を発して大坂城攻めの途についた。そして20万人からなる大軍で大坂城を完全包囲したが、力攻めはせずに大坂城外にある砦などを攻めるという局地戦を行うに留めた。徳川軍は[[木津川口の戦い (1614年)|木津川口]]・[[今福の戦い|今福]]・[[鴫野の戦い|鴫野]]・[[博労淵の戦い|博労淵]]などの局地戦で勝利を重ねたが、[[真田丸の戦い]]では敗戦を喫した。とはいえ戦局を揺るがすほどの敗戦ではなく、徳川軍は新たな作戦を始動した。午後8時、午前0時、午前4時に一斉に[[勝ち鬨]]をあげさせ、さらに午後10時、午前2時、午前6時に[[大砲]]([[石火矢]]・[[大筒]]・[[和製大砲]])を放たせ、これがきっかけとなり和睦交渉が行われた。
和睦の締結後、徳川方は和睦の条件に反して内堀までも埋め立てたため、結果、慶長20年([[1615年]])1月中旬までに大坂城は本丸だけを残す無防備な裸城となった。
従来の説では、豊臣方は二の丸、三の丸の破壊を形式的なもので済ませ、時間稼ぎを狙っていたが、徳川方が[[総構え|惣構]]を全ての廓と曲解することで強引に工事に参加して、豊臣側が行うとされた二の丸の破却作業も勝手に始め、さらに和議の条件に反して内堀までも埋め立てたため、豊臣側は抗議したが、最初から和議を守るつもりの無い家康はこれを黙殺したとされる{{Efn|ただし当時の記録には和議の条件は大坂城の「惣構と内堀を含む二の丸、三の丸の破壊」であることが記されており、二の丸・内堀の破壊を行わないという記述は後世の書でのみ確認できる。また惣構を徳川方が、二の丸・三の丸を豊臣方が破壊する予定だったが、後者の作業も徳川方が行ったことは当時の記録にも記されている。しかし、これに対して豊臣方が抗議を行ったこと、時間稼ぎが目的だったこと、家康が騙すことを目的としたこと等も、後世の書でしか確認はできない。}}。
==== 大坂夏の陣 ====
{{Main|大坂の陣#大坂夏の陣}}
このころ、豊臣氏は主戦派と穏健派で対立。主戦派は和議の条件であった総堀の埋め立てを不服とし、内堀を掘り返す仕儀に出た。そのため幕府は「豊臣氏が戦準備を進めている」と詰問、大坂城内の浪人の追放と豊臣氏の移封を要求。さらに、徳川義直の婚儀のためと称して上洛するのに合わせ、近畿方面に大軍を送り込んだ。そして、豊臣氏に要求が拒否されると、再度侵攻を開始した。
これに対して豊臣氏は大坂城からの出撃策をとったが、兵力で圧倒的に不利であり、幕府方は各戦闘で勝利を収めた。最終戦の[[天王寺・岡山の戦い]]においても徳川軍は大軍ゆえに混乱が起きて一時は本陣を下げたが、結果は大勝を収め、豊臣方は大坂城に退却・内部の裏切りにより放火もあり落城した。5月8日、秀頼と淀殿、その側近らは自害、ここに豊臣宗家は滅亡した。
その後、大坂城は完全に埋め立てられ、その上に徳川氏によって新たな大坂城が再建されて、秀吉へ死後授けられた[[豊臣秀吉|豊国大明神]]の神号が廃され、[[豊國神社 (大阪市)|豊國神社]]と秀吉の廟所であった[[豊国神社 (京都市)|豊国廟]]は閉鎖・放置されている。[[明治維新]]の後に豊国大明神号は復活し、[[東照宮]]にも信長や秀吉が祀られるようになっている。
=== 最晩年 ===
[[ファイル:Statue of Tokugawa Ieyasu in Sumpu Castle.jpg|thumb|[[鷹狩り]]姿の徳川家康公之像([[駿府城]]本丸跡)]]
慶長20年([[1615年]])6月28日、後陽成天皇の第八皇子である[[良純法親王|八宮良純親王]]を猶子とする。[[元和 (日本)|元和]]元年([[1615年]])7月17日、[[禁中並公家諸法度]]17条{{Sfn|中村|1965|p=519}}を制定して、朝幕関係を規定した。また、諸大名統制のために[[武家諸法度]]{{Sfn|中村|1965|p=492}}・[[一国一城令]]が制定された。こうして、徳川氏による日本全域の支配を実現し、徳川氏264年の天下の礎を築いた。
同年、自らの本格的な隠居の城として駿河沼津の[[柿田川]]の湧水にある古城泉頭城の縄張り・再整備を命じたが、翌年の病に倒れる直前に中止し、[[竹腰正信]]屋敷の改築に方針転換したが、何れも死去により立ち消えになっている。
[[元和 (日本)|元和]]2年([[1616年]])1月21日、病のため[[鷹狩]]に出た先で倒れた。
3月21日、朝廷から[[太政大臣]]に任ぜられたが、これは武家出身者としては、[[平清盛]]、源義満([[足利義満]])、豊臣秀吉に次いで史上4人目であった。これ以後は駿府の相国様と呼ばれる。
=== 最期 ===
元和2年([[1616年]])[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]巳の刻(現在の午前10時ごろ)、家康は駿府城において75歳(満73歳4か月)で死去した。即夜、[[久能山]]に遺体は移された{{Sfn|中村|1965|p=682}}。死去に際して幕府は、大名・旗本に対して家康弔問のための下向は無用と伝え、寺院に対しても後述する遺言で法事を行う増上寺以外の法要は不要である旨を伝達している。
{{Anchors|辞世の句}}『[[徳川実紀|東照宮御実記]]』が伝えるところでは、以下の2首を[[辞世]]として詠んでいる。
* 「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
* 「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」
{{Anchors|死因}}死因については、[[鯛]]をかやの油で揚げ、その上にすった韮をすりかけた[[天ぷら]]による[[食中毒]]説が長く一般化されてきた。しかし、家康が鯛の天ぷらを食べたのは、[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]の夕食で{{Efn|[[京都|京]]で評判になっている目新しい料理として[[茶屋四郎次郎]]清次が紹介し、[[田中城]](現・[[静岡県]][[藤枝市]])にて供したものである<ref>{{Cite news|title=生類憐みの令“野良犬天国”の「その後」 江戸を築いた徳川家・4つの後日談|url=https://president.jp/articles/-/24965|work=PRESIDENT Online|publisher=プレジデント社|date=2018-04-23|accessdate=2019-09-26}}</ref>。なお、「天ぷら」とは呼ばれているが、衣は無く、実際は[[から揚げ]]に近い。''cf.'' [[天ぷら#逸話]]。}}、死去したのは4月17日と日数がかかり過ぎていることから、食中毒を死因とするには無理があった。替わって主流となっているのは[[胃癌]]説である。『徳川実紀』が家康の病状を「見る間に痩せていき、[[吐血]]と黒い便、腹にできた大きなシコリは、手で触って確認できるくらいだった」と書き留めていること、および、係る症状が胃癌患者に多く見受けられるものである事実が、その論拠となっている<ref>[[富士川遊]]「徳川家康の身體に就いて」、『史学雑誌』18編12号、1907年。</ref><ref>{{Cite book|和書|author=篠田達明|authorlink=篠田達明|title=徳川将軍家十五代のカルテ|series=[[新潮新書]]|date=2005-05|isbn=978-4-10-610119-9}}</ref>。
後代、江戸城内にては天ぷらを料理することが禁止されており、これは家康の死因が天ぷらによる食中毒であるために生まれた[[タブー|禁忌]]であるという説明がなされることもあるが、実際には、[[大奥]]の[[侍女]]の一人が天ぷらを料理していて火事を出しかけたために禁止されたものである{{Efn|江戸城内に限った話ではなく、温度計による油温管理ができなかった時代、食用油は容易に引火し、かつ消火は困難であった。それゆえにそれ以外の建物内においても、天ぷらは火災予防のため忌避され、専ら屋台で調理人により料理される時代が太平洋戦争まで続いた<ref>[https://www7b.biglobe.ne.jp/%7erakusyotei/sawakai38.html 加藤昇「亭主の寸話」38 『てんぷら店の移り変わり』])</ref>。}}。
当時、[[殉死]]は彼の子忠吉や秀康の死去時にも行われたように、既に流行の兆しが見えていたが、家康自身が殉死を嫌い禁じていた。このため名のある者の殉死はなかったが、老齢で古くから仕えた小者2人が殉死したという逸話がある。
== 没後 ==
=== 家康の神格化 ===
『本光国師日記』によると、家康は「臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。勧請し候へ。」と遺言したとされる。この遺言に従い、葬儀は5月17日に増上寺で行われ「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士(院殿号)(蓮社号)(誉号)(戒名)(位号)」という浄土宗の戒名がつけられた。この葬儀は神として祀られたため内々で行われ、諸大名の参列・香典は無用、僧も近国からのみの参集であった。
[[死体|遺体]]は[[駿府]]の南東の[[久能山]](現[[久能山東照宮]])に葬られ、遺言通り、[[一周忌]]を経て[[関東平野]]の最北部にある[[日光市|日光]]の[[東照社]]に分霊された<ref>興津諦『余ハ此處ニ居ル〜家康公は久能にあり〜』静岡新聞社、2019年12月、{{ISBN2|978-4-7838-1094-0}}</ref>。天海指揮による日光への改葬説が、幕府文献などにも「改葬」と記述されていたため広く信じられてきたが、近年になってその矛盾を指摘する議論・研究が盛んとなり、日光へ運ばれた「神柩」{{Efn|『[[東武実録]]』では、久能での埋葬の段では「神柩」とし、日光への「改葬」の段では「霊柩」として、柩の呼称を区別している。}}の中に遺体はなかったとする説が有力となっている。
神号は側近の[[天海]]と[[以心崇伝|崇伝]]、[[神龍院梵舜]]の間で、[[権現]]と[[明神]]のいずれとするかが争われたが、秀吉が「豊国大明神」だったために明神は不吉とされ、[[山王神道#山王一実神道|山王一実神道]]に則って[[薬師如来]]を本地とする権現とされた。この後、[[壬生孝亮]]が二条関白邸で「日本大権現」「東光大権現」の二つを示し、また一説によると[[今出川晴季|菊亭晴季]]も「威霊大権現」「東照大権現」の二案を勧進した{{Sfn|今谷|1993|pp=157-158}}。'''日本大権現'''が有力候補であったが、元和3年(1617年)2月21日に'''東照大権現'''の神号、3月9日に[[神階]][[正一位]]が贈られる。
また、東照社は[[今川直房]]と[[酒井忠勝 (小浜藩主)|酒井忠勝]]の尽力により[[正保]]2年([[1645年]])11月3日に宮号宣下があり、[[日光東照宮|東照宮]]となり{{Efn|[[野村玄]]によれば、当時国内では[[寛永飢饉]]、国外では[[明]][[清]]交替と鎖国令に伴う[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の報復の可能性によって江戸幕府は緊迫した状況にあり、将軍であった徳川家光は単なる家康への崇敬のみならず、[[元寇]]のときの[[風日祈宮|風宮]]改号の故事を先例として東照社を東照宮と改号して「敵国降伏」を祈願したとする<ref>{{Cite book|和書|author=野村玄|title=日本近世国家の確立と天皇|publisher=清文堂|year=2006|paes=38-45}}</ref>。}}、さらに東照宮に正一位の神階が贈られ、家康は江戸幕府の始祖として'''東照神君'''、'''権現様'''とも呼ばれ江戸時代を通して崇拝された。徳川家中においては明治維新後も権現様として崇拝され続けた。
=== 墓所・霊廟 ===
徳川家康の埋葬地としての「墓所」は一般に、[[久能山東照宮]]の廟所宝塔(神廟)と、[[日光東照宮]]の奥社宝塔の2つとされる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.visit-shizuoka.com/gokuraku/content.php?t=2 | title=四百年前の輝きを取りもどした家康公の墓所。国宝 久能山東照宮 | website=【公式】静岡のおすすめ観光スポット |publisher=公益財団法人するが企画観光局 | date= | accessdate=2022-6-8 }}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.sankei.com/article/20211013-BR54KQAEWRNG5DBZQRMFT4QAOI/ | title=【日光東照宮外伝】家康公の墓所 遺体はどこに もう一つの遺言 | newspaper=産経新聞 | date=2021-10-13 | accessdate=2022-6-8 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tochigi-seeds.com/nikko-toshogu-okumiya | title=日光東照宮 奥宮(奥社)徳川家康のお墓 | website=栃木のしゅし |publisher=Yoriyork | date=2017-3-10 | accessdate=2022-6-8 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005310085_00000 | title=日光東照宮 | website=NHK for School | date= | accessdate=2022-6-8 }}</ref>。[[徳川宗家]]第18代当主の[[徳川恒孝]]は、「徳川家康公顕彰四百年記念事業」に際して静岡商工会議所の広報誌に連載したコラムで、「日本各地で開催された家康公の四百忌の大祭は、駿府で築かれた公の御墓所である久能山東照宮の大祭からスタートし」と書き記した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shizuoka-cci.or.jp/_files/ugd/374586_6bcd1a80c7e349b9ab2bfa95fd4258ff.pdf | title=『Sing』2016年3月号 |page=1 |publisher=静岡商工会議所 |format=PDF |date= | accessdate=2022-6-8 }}</ref>。徳川将軍15人中[[寛永寺]]か[[増上寺]]のどちらにも墓所がないのは家康以外には[[徳川家光]]と[[徳川慶喜]]がいる{{Efn|徳川慶喜の墓地がある「[[谷中霊園|谷中墓地]]」と称される区域は、都立谷中霊園の他に天王寺墓地と寛永寺墓地も含まれており、寛永寺墓地に属する。}}。
;久能山東照宮の廟所宝塔
:元和2年(1616年)に創建された。創建当初は木造桧皮葺の造りであったが、寛永17年(1640年)に家光により現在の石造宝塔に造替された。「神廟」ともいう。家康の遺命により西向きに建てられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toshogu.or.jp/worship/precincts.php | title=境内のご案内 | publisher=久能山東照宮 |date= | accessdate=2022-6-8 }}</ref>。1955年6月22日に重要文化財に指定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/122127 | title=久能山東照宮 廟所宝塔 | website=[https://bunka.nii.ac.jp/db/ 文化遺産データベース] |publisher=[[文化庁]] | accessdate=2022-6-8 }}</ref>。
;日光東照宮の奥社宝塔
:元和3年(1617年)4月に日光の社殿が完成し、4月8日に家康は奥院廟塔に改葬された。そして一周忌にあたる4月17日に遷座祭が行われた。1908年8月1日に旧国宝(重要文化財)に指定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/188133 | title=東照宮 奥社宝塔 | website=[https://bunka.nii.ac.jp/db/ 文化遺産データベース] |publisher=[[文化庁]] | accessdate=2022-6-8 }}</ref>。
;その他
: 寛永20年(1643年)、将軍家光は[[高野山]]に10年の歳月をかけて、家康と秀忠を祀る[[霊屋]]([[徳川家霊台]])を建てた。向かって右の建物が家康霊屋である。1926年4月19日に旧国宝(重要文化財)に指定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2884|title=家康霊屋/金剛峯寺徳川家霊台|accessdate=2020.2.7|publisher=国指定文化財等データベース/文化庁}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/2885|title=秀忠霊屋/金剛峯寺徳川家霊台|accessdate=2020.2.7|publisher=国指定文化財等データベース/文化庁}}</ref>。
:1969年4月、[[松平氏]]の[[菩提寺]]である[[愛知県]][[岡崎市]]の[[大樹寺]]において、松平八代墓の隣に家康の墓碑が建てられた{{Sfn|大樹寺の歴史|p=105}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.okazaki.lg.jp/1550/1575/1662/p021678.html | title=市指定:史跡 松平八代墓 | publisher=岡崎市ホームページ | date=2020-9-8 | accessdate=2021-7-19 }}</ref>。形は久能山東照宮の廟所宝塔にも日光東照宮の奥社宝塔にも似ているが、実際には日光東照宮の宝塔を模して制作された<ref>「三五三年ぶり〝郷土の土〟に 家康公墓碑 きのう開眼供養法要」 『愛知新聞』1969年4月17日。</ref><ref>「小雨の中、開眼供養法要 大樹寺 家康公の墓碑を除幕」 『東海新聞』1969年4月17日。</ref>。
{{Gallery
|width=200
|height=150
|File:Kunosan Toshogu11b.jpg|[[久能山東照宮]]の神廟
|File:Japan 140416 Nikko 04.jpg|[[日光東照宮]]の奥社宝塔
|File:Tokugawagoreidai01.jpg|[[徳川家霊台]]の家康霊屋
|File:Okazaki-Daijuji-4.jpg|[[大樹寺]]の家康公墓碑
}}
== 年表 ==
{| class=wikitable
|-
!style="width:4.3em;"|[[和暦]]
!style="width:4.1em;"|[[西暦]]<ref name="暦" group="注釈">年は、1582年10月4日以前は[[ユリウス暦]]、それ以降は[[グレゴリオ暦]]に基づく。日付は[[宣明暦]]長暦。</ref>
!style="width:5.5em;"|月日<ref name="暦" group="注釈"/>
!style="width:4.5em;"|数え年
!内容<!--内容は簡潔に記してください-->
|-
|[[天文 (元号)|天文]]11年
|[[1542年]]
|12月26日
|1歳
|誕生([[三河国]][[岡崎城]])
|-
|[[永禄]]3年
|[[1560年]]
|5月19日
|19歳
|[[桶狭間の戦い]]
|-
|永禄5年
|[[1562年]]
|1月15日
|21歳
|[[清洲城]]を訪問し[[織田信長]]と同盟を結ぶ。
|-
|永禄9年
|[[1567年]]
|12月29日
|25歳
|藤原徳川氏に改姓。従五位下に[[叙爵]]し、[[三河守]]に任官
|-
|永禄11年
|[[1568年]]
|1月11日
|27歳
|[[左京大夫]]
|-
|[[元亀]]元年
|[[1570年]]
|6月28日
|29歳
|[[姉川の戦い]]
|-
|rowspan="2"|元亀2年
|rowspan="2"|[[1571年]]
|1月5日
| rowspan="2" |30歳
|従五位上
|-
|1月11日
|[[侍従]]
|-
|rowspan="2"|元亀3年
|[[1572年]]
|10月16日
| rowspan="2" |31歳
|[[二俣城の戦い]]
|-
|[[1573年]]
|12月22日
|[[三方ヶ原の戦い]]
|-
|[[天正]]2年
|[[1574年]]
|1月5日
|33歳
|正五位下
|-
|天正3年
|[[1575年]]
|5月
|34歳
|[[長篠の戦い]]
|-
| rowspan="2" |天正5年
| rowspan="2" |[[1578年]]
|12月10日
| rowspan="2" |36歳
|従四位下
|-
|12月29日
|[[右近衛権少将]]
|-
|天正8年
|[[1580年]]
|1月5日
|39歳
|従四位上
|-
|天正10年
|[[1582年]]
|6月2日
|41歳
|[[本能寺の変]]、[[伊賀越え|神君伊賀越え]]
|-
|rowspan="2"|天正11年
|rowspan="2"|[[1583年]]
|10月5日
| rowspan="2" |42歳
|正四位下(遡及){{Efn|天正14年の段階で遡及的に叙位されたと考えられる。以下同じ<ref>[https://web.archive.org/web/20161009155534/http://202.231.40.34/jpub/pdf/js/IN1602.pdf 笠谷和比古「補論」]</ref>。}}
|-
|10月7日
|[[左近衛権中将]](遡及)
|-
|rowspan="2"|天正12年
|rowspan="2"|[[1584年]]
|2月27日
| rowspan="2" |43歳
|従三位[[参議]](遡及)
|-
|3-4月
|[[小牧・長久手の戦い]]
|-
|rowspan="3"|天正14年
|rowspan="3"|[[1586年]]
|10月4日
| rowspan="3" |45歳
|[[中納言|権中納言]]
|-
|10月27日
|[[大坂城]]にて[[豊臣秀吉]]に臣従
|-
|11月5日
|正三位
|-
|rowspan="2"|天正15年
|[[1587年]]
|8月8日
| rowspan="2" |46歳
|従二位[[大納言|権大納言]]。羽柴氏を下賜される(豊臣姓もか?)
|-
|[[1588年]]
|12月28日
|[[左近衛大将]]・[[左馬寮御監]]両官職兼任
|-
|天正16年
|[[1588年]]
|1月13日までに
|47歳
|左近衛大将・左馬寮御監両官職兼帯辞す。
|-
|天正18年
|[[1590年]]
|8月
|49歳
|関東移封。八月朔日、江戸城に入る。
|-
|天正20年
|[[1592年]]
|9月16日
|51歳
|豊臣秀吉の執奏により[[清華家]]の家格勅許。
|-
|[[慶長]]元年
|[[1596年]]
|5月8日
|55歳
|正二位[[内大臣]]
|-
|慶長5年
|[[1600年]]
|9月15日
|59歳
|[[関ヶ原の戦い]]
|-
|慶長7年
|[[1602年]]
|1月6日
|61歳
|従一位
|-
|rowspan="2"|慶長8年
|rowspan="2"|[[1603年]]
|2月12日
| rowspan="2" |62歳
|[[右大臣]]、[[征夷大将軍]]宣下・[[源氏長者]]宣下
|-
|10月16日
|右大臣辞任
|-
|慶長10年
|[[1605年]]
|4月16日
|64歳
|征夷大将軍辞職・源氏長者は留任
|-
|rowspan="2"|慶長19年
|[[1614年]]
|3月8日
| rowspan="2" |73歳
|朝廷よりの太政大臣または准三后の内旨を辞退。
|-
|1614年 - [[1615年]]
|11月-12月
|[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]
|-
|rowspan="3"|慶長20年/[[元和 (日本)|元和]]元年
|rowspan="3"|[[1615年]]
|5月
| rowspan="3" |74歳
|[[大坂の陣#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]
|-
|7月7日
|[[武家諸法度]]制定
|-
|7月17日
|[[禁中並公家諸法度]]制定
|-
|rowspan="2"|元和2年
|rowspan="2"|[[1616年]]
|3月17日
| rowspan="2" |75歳
|[[太政大臣]]
|-
|4月17日
|死去
|-
|元和3年
|[[1617年]]
|3月9日
|
|贈正一位
|-
|}
※天正15年(1587年)8月8日付の「[[従二位]][[権大納言]]昇叙転任」の[[宣旨]]では'''豊臣家康'''の名義でなされた可能性がある。同日付で息子・徳川秀忠も[[侍従]]に[[任官]]しているが、これは'''豊臣秀忠'''名義となっている(「秀忠公任官位記宣旨宣命下書留」([[宮内庁書陵部]]蔵本))。同様に、同年12月28日付の「[[左近衛大将]][[左馬寮御監]]両[[官職]]兼帯」の宣旨、慶長元年(1595年)5月8日付の[[正二位]][[内大臣]]の昇叙転任の宣旨についても'''豊臣家康'''の名義であったと考えられる。現存の[[日光東照宮]]所蔵の徳川家康の任官[[叙位]]の宣旨は、元の宣旨が遺失したため(徳川実紀正保2年5月8日条)、[[正保]]2年([[1645年]])に将軍・徳川家光の要請により[[朝廷 (日本)|朝廷]]が再発行した文書として伝わっており、この再発行手続きの段階で'''豊臣'''から'''源'''に変更した可能性がある。
※天正15年(1587年)12月某日、従一位行左大臣近衛信輔、左近衛大将兼帯を辞す(公卿補任)。同月28日、従二位行権大納言徳川家康、左近衛大将・左馬寮御監を兼帯(日光東照宮文書)。天正16年(1588年)正月13日、従二位行権大納言鷹司信房、左近衛大将兼帯(公卿補任)。これにより、同日までに徳川家康、左近衛大将および左馬寮御監の兼帯を辞すと想定出来る。なお、文禄5年(1596年)5月8日付、家康に対する内大臣宣旨(日光東照宮文書)においては、家康の官位は、正二位行権大納言兼左近衛大将源朝臣家康となっているが、公卿補任では、家康の左近衛大将の兼任記事は無く、権大納言鷹司信房が左近衛大将を兼任している記事となっている。
※文禄3年(1594年)9月21日付、「文禄三年徳川家康宛豊臣秀吉知行方目録」(三重県関町の関地蔵院文書:四日市市史第8巻史料編近世Ⅰ 四日市市編・発行所収)によれば、宛名(家康)は、「羽柴江戸大納言殿」となっており、この時点では、羽柴の苗字を賜わっていたと考えられる<ref name="村川1996,2000">村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1996年。『日本近世武家政権論』、近代文芸社、2000年、30頁。</ref>。
さらに、その前年、文禄2年(1593年)5月20日に羽柴姓を使用している。東京国立博物館所蔵文書<ref name="村川1996,2000"/>。
== 人物・逸話 ==
[[ファイル:Tokugawa Ieyasu handprint.jpg|thumb|220px|[[久能山東照宮]]にある、徳川家康の[[手形・足形|手形]]]]
[[ファイル:Edo-Tokyo Museum - statue of Tokugawa Ieyasu 01 (15585494009).jpg|thumb|220px|徳川家康像([[芝東照宮]]蔵)]]
[[ファイル:Okazaki-Park-Tokugawa-Ieyasu-1.jpg|thumb|260px|徳川家康像([[岡崎公園 (岡崎市)|岡崎公園]])]]
[[ファイル:Okazaki-Kamimyodaijicho-10.jpg|thumb|260px|徳川家康像([[東岡崎駅]]前)]]
=== 人物 ===
; 容貌
: 家康に謁見したルソン総督[[ロドリゴ・デ・ビベロ]]は、著作の『[[ドン・ロドリゴ日本見聞録]]』で、家康の外貌について「彼は中背の老人で尊敬すべき愉快な容貌を持ち、太子(秀忠)のように、色黒くなく、肥っていた」と記している。下腹が膨れており、自ら下帯を締めることができず、[[侍女]]に結ばせていたとされている(『岩淵夜話』){{Sfn|宮本|1992|p=142}}。家康着用の辻ヶ花染の[[小袖]]は、身丈139.5cm、背中の中心から袖端まで59cmの長さがあるため、身長は155cmから160cmと推定される{{Sfn|宮本|1992|p=151}}。
; 武術の達人
:* 剣術は、新当流の有馬満盛、[[上泉信綱]]の[[新陰流]]の流れをくむ神影流{{Efn|『奥平家譜』、直心影流伝書による。なお『急賀斎由緒書』では奥山流。}} 剣術開祖で家来でもある奥平久賀(号の一に急賀斎)に元亀元年(1570年)から7年間師事。[[文禄]]2年([[1593年]])に[[小野忠明]]を200石([[一刀流]]剣術の[[伊東一刀斎]]の推薦)で秀忠の指南として、文禄3年([[1594年]])に新陰流の[[柳生宗矩]]{{Efn|[[柳生宗厳]]と立ち会って無刀取りされたため宗厳に剣術指南役として出仕を命ずるも、宗厳は老齢を理由に辞退。}} を召抱える。[[塚原卜伝]]の弟子筋の[[松岡則方]]より一つの太刀の伝授を受けるなど、生涯かけて学んでいた。ただし、家康本人は「家臣が周囲にいる貴人には、最初の一撃から身を守る剣法は必要だが、相手を切る剣術は不要である」と発言したと『三河物語』にあり、息子にも「大将は戦場で直接闘うものではない」と言っていたといわれる。
:* 馬術も、室町時代初期の大坪慶秀を祖とする[[大坪流]]を学んでいる。小田原征伐の際に橋をわたるとき、周囲は家康の馬術に注目したが、家康本人は馬から降りて家臣に負ぶさって渡った(『武将感状記』)。
:* 弓術については[[三方ヶ原の戦い]]において退却途中に、前方を塞いだ武田の兵を[[騎射]]で何人も射ち倒して突破している(『信長公記』)。
:* 鉄砲も名手だったと云われ、浜松居城期に5.60間(約100m)先の櫓上の鶴を長筒で射止めたという。また鳶を立て続けに撃ち落としたり、近臣が当たらなかった的の中央に当てたという(『徳川実紀』)。
; 好学の士
: 家康は実学を好み、板坂卜斎は家康について「『[[論語]]』『[[中庸]]』『[[史記]]』『[[貞観政要]]』『[[延喜式]]』『[[吾妻鑑]]』を好んだ」と記載している{{Sfn|宮本|1992|p=33}}。家康はこれらの書物を関ヶ原以前より[[木版印刷|木版]]([[伏見版]])で、大御所になってからは銅活字版(駿府版)で印刷・刊行していた。特に『吾妻鑑』は散逸した史料を集めて後の「北条本」を開板し<ref>「今又北条本ヲ得サセラレテ、校正開板ノ命アリシナルヘシ、」『御本日記続録』</ref>、また林羅山に抄出本を作成させており<ref>「右東鑑綱要一冊、奉釣命所為撰抄者也、」『羅山先生文集』</ref>、吾妻鑑研究の草分け的存在と言える。また『[[源氏物語]]』の教授を受けたり、[[ウィリアム・アダムス|三浦按針]]から[[幾何学]]や[[数学]]を学ぶなど、その興味は幅広かった。
: 古典籍の蒐集に努め、駿府城に「駿河文庫」を作り、約一万点の蔵書があったという。これらは御三家に譲られ、「[[紅葉山文庫#富士見亭御文庫|駿河御譲本]]」と呼ばれ伝わっている。
: 南蛮から贈られた薄石が[[瑪瑙]]と知らされたおり、『[[本草綱目]]』で確認させたように実証的であった{{Sfn|宮本|1992|p=33}}。
; 多趣味
: [[鷹狩]]と[[薬]]作りが家康の趣味として特に有名であるが、他にも非常に多くの趣味があった。
:* 鷹狩は、[[武蔵国府跡|府中御殿]]に滞在しながら{{Efn|家康は、将軍即位後も鷹狩や鮎漁の際に、頻繁に府中御殿に滞在<ref>[https://f-env.sakura.ne.jp/pdf/2010aki.pdf 秀吉を迎えた家康府中御殿]</ref>。}} [[お鷹の道・真姿の池湧水群|お鷹の道]]で行われたとの記録が残っているほか、家康の鷹狩にちなむ地名<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/net-tv/kankou/fusanokuni-070425.html|title=徳川家康ゆかりの地を訪ねて 東金市/千葉県|accessdate=2017-12-29|date=2017-08-01|author= 千葉県|authorlink= 千葉県|work= ウィークリー千葉県|publisher= 千葉県}}</ref>や[[青山忠成]]や[[内藤清成]]の駿馬伝説などの伝説を各地に残すことになった。家康の鷹狩に対する見方は独自で、鷹狩を慰め(気分転換)のための遊芸にとどめずに、政治的・軍事的視察も兼ねた、身体を鍛える一法とみなし、内臓の働きを促して快食・快眠に資する摂生(養生)と考えていた(『中泉古老諸談』){{Sfn|宮本|1995}}<ref>{{Cite journal|和書|author = 工藤 英三|title = 013106 徳川家康の鷹狩(1.体育史,一般研究)|date = 1985-08-20|publisher = 社団法人日本体育学会|journal = 日本体育学会大会号|doi = 10.20693/jspeconf.36.0_97|naid = 110007676616}}</ref>。
:* [[薬]]作りは、[[八味地黄丸]]など生薬調合を行い、この薬が、俗に「八の字」とよばれていたことから、頭文字の八になぞらえ、八段目の引き出しに保管していた{{Sfn|宮本|1995}}。「薬喰い」とも言われる[[獣肉]]を食すなど記録が多い。駿府城外には家康が開いた薬園があり、死後に廃れたが享保年間に復興した。
:* [[猿楽]](現在の名称は[[能]])は、若いころから[[世阿弥]]の家系に連なる観世十郎太夫に学び、自ら演じるだけでなく、故実にも通じていた。このためもあってか、能は江戸幕府の式楽とされた。特に[[幸若舞]]を好んだという。駿府城三の丸には能楽専用の屋敷があり、家康は度々家族や大名・公家と共に観覧した。
:* [[囲碁]]の[[本因坊算砂]]を天正15年(1587年)閏11月13日、京都から駿府に招いている。家臣の[[奥平信昌]]が京都で本因坊の碁の門下となり下国の際に駿府へ連れてきたとされる{{Sfn|宮本|1992|p=151}}。自身で嗜んだのみならず家元を保護し、確立した功績から、家康は[[囲碁殿堂]]に顕彰されている。
:* [[将棋]]は一世名人・[[大橋宗桂 (初代)|大橋宗桂]]に慶長17年([[1612年]])に扶持を与える。この功績により、平成24年([[2012年]])の名人制度400年を記念して、将棋十段の推戴状が贈呈される<ref>[https://www.shogi.or.jp/event/2012/04/70_3.html 第70期名人戦前夜祭の模様]日本将棋連盟オフィシャルサイト</ref>。
:* [[香道]]を好み{{読み仮名|[[抹香|薫物]]|たきもの}}の用材として、東南アジア各国へ宛てた国書の中で特に極上とされた[[伽羅]]を所望する記述があり、遺品にも高品質の香木が多数遺されている<ref name="宮本2016">宮本義己「徳川家康と本草学」、笠谷和比古編『徳川家康―その政治と文化・芸能―』宮帯出版社、2016年</ref>。なお有名な[[蘭奢待]]については、慶長7年6月10日、東大寺に奉行の[[本多正純]]と[[大久保長安]]が派遣されて正倉院宝庫の調査を実施し<ref name="正倉院紀要2016" />、現物の確認こそしたものの、切り取ると不幸があるという言い伝えに基づき切り取りは行わなかった(『当代記』)。同8年2月25日、開封して修理が行われている(続々群書類従所収「慶長十九年薬師院実祐記」)<ref name="正倉院紀要2016">飯田剛彦[https://web.archive.org/web/20211129075918/https://shosoin.kunaicho.go.jp/api/bulletins/38/pdf/0385089113 「正倉院宝庫修理の歴史と自然災害」]『正倉院紀要』第38号、2016年 宮内庁正倉院事務所 p.107、2018年6月15日閲覧</ref>。
; 新しいもの好き
[[File:Sekigahara armour.jpg|thumb|関ケ原の戦いに行くまでの道中で着用したとされる南蛮胴具足]]
: [[南蛮胴]]、南蛮[[時計]]など新しい物好きだった。
:* 日光東照宮には関ヶ原の戦いに行くまでの道中で着用したとされる南蛮胴具足が、[[紀州東照宮]]には徳川頼宣が奉納した防弾性能を試したらしい弾痕跡が数箇所ある南蛮胴具足があり、[[渡辺守綱]]や[[榊原康政]]・[[皆川広照]]には南蛮胴を、黒田長政には南蛮兜を下賜し伝世している<ref group="注釈">渡辺守綱伝世品は個人蔵、榊原康政伝世品は[[東京国立博物館]]蔵([https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=zh&webView=null&content_base_id=100509&content_part_id=001&content_pict_id=019 南蛮胴具足] e国宝)</ref>。
:* 晩年の家康は、[[日時計]]、唐の時計、[[砂時計]]などを蒐集しており<ref>『久能山東照宮博物館一〇〇選』図録、1995年</ref>、時計が好きだったようだ。
:* [[遺品]]として、けひきばし([[コンパス]])、[[鉛筆#徳川家康の鉛筆|鉛筆]]、[[眼鏡]]、ビードロ薬壺などの舶来品が現存している。
; 芸事は好まない
:* 今川家での人質時代に[[今川義元]]に舞を所望されたが、[[猿楽]]にして欲しいと請い唖然とさせた。家臣が代わりに舞っている。
:* 家康は幼少期より[[茶の湯]]の世界が身近にあったが、信長や秀吉と異なり茶の湯社交に対する積極性は見られない<ref>[[佐藤豊三]]「徳川家康と茶の湯」、笠谷和比古編『徳川家康 -その政治と文化・芸能-』宮帯出版社、2016年</ref>。家康の遺産である『駿府御文物』には足利将軍家以来の[[唐物]]の名物・大名物が目白押し<ref>『家康の遺産 駿府御分物』展図録、[[徳川美術館]]、1992年</ref>だが、久能山東照宮にある家康が日常に用いた手沢品はそれらに比べ質素な品が多い。
:* ただし茶を飲むこと自体は好んでおり、天正12年(1584年)に[[松平親宅]]と[[上林政重]]に製茶支配を命じ、毎年茶葉を献上させている。なお、親宅は家康へ肩衝茶入『[[初花]]』を献上し、政重は後に[[宇治茶|宇治の茶畑]]の支配を任せられ、伏見城の戦いで戦死している。
; 家康が尊敬していた人物
: 家康は、中国の人物として[[劉邦]]、[[太宗 (唐)|唐の太宗]]、[[魏徴]]、[[張良]]、[[韓信]]、[[呂尚|太公望]]、[[文王 (周)|文王]]、[[武王 (周)|武王]]、[[周公旦|周公]]を尊敬している。着目すべきはすべて[[周]]・[[漢]]・[[唐]]時代の人物で前王朝の暴君を倒して長期政権を樹立した王(皇帝)とその功臣の名が挙げられている。日本の人物では[[源頼朝]]を尊敬していた(『慶長記』)。
; 師は武田信玄
: [[武田信玄]]に大いに苦しめられた家康ではあるが、施政には軍事・政治共に武田家を手本にしたものが多い。軍令に関しては重臣・[[石川数正]]の出奔により以前のものから改める必要に駆られたという事情もある。天正10年(1582年)の武田氏滅亡・本能寺の変後の天正壬午の乱を経て武田遺領を確保すると、武田遺臣の多くを家臣団に組み込んでいる。自分の五男・信吉に「武田」の苗字を与え、[[武田信吉]]と名乗らせ[[水戸藩]]を治めさせている。
; 書画
: 『[[翁草]]』([[神沢貞幹]])や『永茗夜話』([[渡辺幸庵]])には「権現様(家康)は無筆同様の悪筆にて候」とある。しかし、少年から青年期の自ら発給した文書類には、規矩に忠実で作法通りの崩し方を見せ、よく手習いした跡が察せられる。特に岡崎時代の初期の書風には力強い覇気が溢れ、気力充実した様子が窺える。こうした文書類には、普通[[右筆]]が書くべき公文書が含まれており、初期には専属の右筆が置かれていなかったようだ。[[天正年間]]には、家臣や領土も増えて発給する文書も増加し、大半は奉行や右筆に委ねられていく。しかし、近臣に宛てた書状や子女に宛てた消息、自らの誠意を披露する誓書は自身で筆を執っている。家康は筆まめで、数値から小録の代官に宛てたとみられる金銭請取書や年貢皆済状が天正期から晩年まで確認できる。家臣や金銀に関する実務的な内容なものから、薬種や香合わせなどの趣味的な覚書、さらに駿府城時代の鷹狩の日程を記した道中宿付なども残っている。
: 文芸として家康の書を眺めると、家康は[[日本の書流#定家様|定家流]]を好み、[[藤原定家]]筆の[[百人一首|小倉色紙]]を臨模し、手紙でも定家流の影響を受けたやや癖の強い筆跡が窺えるようになるが、一方で連綿とした流麗な書風を見せる和歌短冊も残っており、家康が実学ばかりでなく古典や名筆にも学んだ教養人でもあった一面を表している<ref>{{Citation|和書|author = 徳川義宣 |chapter = 家康の書 現はれた新たな人間像 |year = 1983 |title = 家康の書と遺品 |editor = 徳川黎明会・[[五島美術館]]}}</ref>。ただし『慶長記』には、先述の実学との対比で、根本・詩作・歌・連歌は嫌ったとある。絵も簡略な筆致の[[水墨画|墨画]]が10点余り伝わっているが、確実に家康の遺品と言われるものはなく、伝承の域を出ない。しかし、『[[寛政重修諸家譜]]』に家康が描いた絵を拝領した記録があり、余技として絵を描いていたことが窺える。
; 健康指向
: 家康は健康に関する指向が強く、当時としては長寿の75歳(満73歳4ヵ月)まで生きた。これは少しでも長く生きることで天下取りの機会を得ようとした物と言われ、実際に関ヶ原の合戦は家康59歳、豊臣家滅亡は74歳のときであり、長寿ゆえに手にした天下であった。
: その食事は質素で、戦国武将として戦場にいたころの食生活を崩さなかった。[[麦飯]]と[[魚類|魚]]を好み、[[野菜]]の煮付けや[[納豆]]もよく食べていた。決して過食することのないようにも留意していたといわれる。[[酒]]は強かったようだが、これも飲みすぎないようにしていた。
: 和漢の[[生薬]]にも精通し、その知識は専門家も驚くほどであった。海外の薬学書である[[本草綱目]]や[[和剤局方]]を読破し、慶長12年([[1607年]])から、本格的な本草研究に踏みだした<ref name="宮本2016">宮本義己「徳川家康と本草学」、笠谷和比古編『徳川家康―その政治と文化・芸能―』宮帯出版社、2016年</ref>。調合の際に用いたという小刀や、青磁鉢と乳棒も現存する。腎臓や膵臓によいとされている[[八味地黄丸]]を特に好んで処方して日常服用していたという。[[松前慶広]]から精力剤になる{{読み仮名|[[海狗腎]]|オットセイ}}を慶長15年([[1610年]])と慶長17年([[1612年]])の2回にわたり献上されており、家康の薬の調合に使用されたという記録も残っている(『当代記』){{Sfn|宮本|1995}}<ref name="宮本2016" />。欧州の薬剤にも関心を示しており、関ヶ原の戦いでは、怪我をした家来に[[石鹸]]を使用させ、感染症を予防させたりもしている。東照大権現の[[本地仏]]が[[薬師如来]]となった所以は家康のこの健康指向に由来している。
: 致命的な病を得た際にも自己治療を優先し、異を唱えた侍医の与安を追放するほど{{Sfn|宮本|1995}}、見立に自信を持っていた。本草研究も、後の幕府の薬園開設につながることから、医療史上に一定の役割を果たしたといえる{{Sfn|宮本|1995}}。家康の侍医の一人、呂一官が創業した[[柳屋本店 (化学)|柳屋本店]]は今も現存する。
: 晩年には心身の健康のために東南アジアから香木を集めていたという<ref>[https://president.jp/articles/-/67526 日本史上最強の健康オタクだった…徳川家康が75歳という異例の長寿で死ぬまで情熱を傾けていたこと]</ref>。
; 寡黙な苦労人
: 幼少のころから、十数年もの人質生活をおくり、譜代家臣の裏切りにより祖父と父を殺されており、家督相続後は三河一向一揆において多数の家臣に裏切られている。また、[[小牧・長久手の戦い]]後には重臣・[[石川数正]]にも裏切られている。働き者で律儀者・忠義者が多く、結束が固い強兵と賞賛される三河国人だが反面、頑固で融通が利かず利己的でプライドが高い。結束も縁故関係による所が大きい。腹心以外の家臣団との交流は少なく家臣たちの家康評には「なにを考えているかわからない」「言葉数が非常に少ない」といった表現が多い。
; 倹約
: 家康の倹約にまつわる逸話は多い。
:* 侍が座敷で相撲をしているときに畳を裏返すように言った(『駿河土産』)。
:* 商人より献上された[[蒔絵]]装飾を施した[[御虎子]](便器)の悪趣味さに激怒し、直ちに壊させた(『膾餘雑録』)。
:* 代官からの金銀納入報告を直に聞き、貫目単位までは蔵に収め、残りの匁・分単位を私用分として女房衆を集めて計算させた(『翁草』)。
:* 三河にいたとき、夏に家康は麦飯を食べていた。ある時部下が米飯の上に麦をのせ出した所、戦国の時代において百姓にばかり苦労させて(夏は最も食料がなくなる時期)自分だけ飽食できるかと言った(『正武将感状記』)。
:* 厩が壊れても、そちらのほうが頑強な馬が育つと言い、そのままにした(『明良洪範』)。
:* 家臣が華美な屋敷を作らないよう与える敷地は小さくし、自身の屋敷も質素であった(『前橋旧聞覚書』『見聞集』)。
:* [[蒲生氏郷]]は秀吉の後に天下を取れる人物として[[前田利家]]をあげ、家康については人に知行を多く与えないので人心を得られず、天下人にはなれないだろうといった(『老人雑話』)。
: この結果、家康は莫大な財を次代に残している。『落穂集追加』では家康のは吝嗇でなく[[倹約]]と評している。例えば『信長公記』に記された[[織田信長]]の接待においては京から[[長谷川秀一]]を招いて趣向を凝らした接待を行っている。
; 家康公遺訓
: 家康の遺訓として「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。及ばざるは過たるよりまされり」という言葉が広く知られているが、これは偽作である。[[明治]]時代に元500石取りの幕臣・池田松之介が[[徳川光圀]]の遺訓と言われる『人のいましめ』を元に、家康63歳の自筆[[花押]]文書に似せて偽造したものである。これを[[高橋泥舟]]らが[[日光東照宮]]など各地の東照宮に収めた<ref>{{Citation|和書|author = 徳川義宣 |authorlink = 徳川義宣 |chapter = 一連の徳川家康の僞筆と日課念佛-僞作者を周る人々- |year = |title = 金鯱叢書 第8輯 |editor = 徳川黎明会 |publisher = 思文閣出版}}</ref>。
: また、これとよく似た『[[東照宮御遺訓]]』(『家康公御遺訓』)は『松永道斎聞書』、『井上主計頭聞書』、『万歳賜』ともいう。これは松永道斎が、井上主計頭([[井上正就]])が[[元和 (日本)|元和]]の初め、二代将軍・徳川秀忠の使いで駿府の家康のもとに数日間滞在した際に家康から聞いた話を収録したものという。江戸時代は禁書であった。一説には[[偽書]]とされている。
=== 織田家との関係 ===
平野明夫は家康宛の信長書状は元亀四年四月六日までは書止文言は恐々謹言で宛名の脇付も進覧ないし進覧之候とあるが天正五年一月二十二日付以後の書止は謹言になり、脇付は無くなっている。これを等輩に対する書札礼から下様への書札礼に変化していると分析している{{Sfn|谷口克広|2019|p=173}}。
また家康から信長への書状は天正二年九月十三日付けの書止文言は恐々謹言だが、天正二年閏十一月九日付以降は最高位の恐惶謹言が用いられていてしかも脇付は最高の敬意を示す「人々御中」が用いられている。
これを持って平野は家康は一門に準ずる織田政権下の一大名であったと締め括っている{{Sfn|谷口克広|2019|p=174}}。
[[谷口克広]]も武田家滅亡の際に駿河が信長から家康に宛行いを受けたと書いてあるのは信長公記だけでなく当代記にも「駿河国家康下さる」とあるうえ、三河物語でさえも、「駿河をは家康へ遣わされて」という表現を用いているとし家忠日記でもこの頃の信長を「上様」と呼んでおり、家康の家臣でさえ、縦の関係が生じていることを認めざるをえなかったとしている{{Sfn|谷口克広|2019|p=185}}。
=== その他 ===
=== 居城 ===
: 家康の生誕地は、三河国・岡崎だが、生涯を通じて現在の静岡県(浜松・駿府)を本城あるいは生活の拠点としている期間が長く、岡崎にいたのは、尾張国の織田氏のもとで人質として過ごした2年を含め、幼少期および桶狭間の戦い後10年と極めて短い。
=== 幼少から持っていた洞察力 ===
[[ファイル:Kyodō risshi no motoi, Tokugawa Takechiyo.jpg|200px|right|thumb|「教導立志基」より『徳川竹千代』、[[小林清親]]筆]]
:10歳のころ、竹千代(家康)は駿河の[[安倍川]]の河原で子供達の[[石合戦]]を見物した。150人組と300人組の二組の対決で、付添いの家臣は人数の多い300人組が勝つと予想した。だが竹千代は「人数が少ない方が却ってお互いの力を合わせられるから(150人組が)勝つだろう」と言った。家臣は「何をおかしなことを言われるのですか」と取り合わなかったが、竹千代の予想通り、150人組が勝ったので、竹千代は家臣の頭を叩き、「それ見たことか」と笑ったという。
=== 肖像画 ===
: 平成24年([[2012年]])、徳川記念財団が所蔵している歴代将軍の[[肖像画]]の[[紙形]](下絵)が公開された<ref>[https://web.archive.org/web/20120810121502/http://www.asahi.com/culture/intro/TKY201208070563.html 将軍の肖像画、下絵はリアル 徳川宗家に伝来、研究進む]:朝日新聞2012年8月8日</ref>。家康の紙形は「東照大権現像」(白描淡彩本)とされており、よく知られている肖像画とは違った趣で描かれている。
=== 信長の兄弟 ===
: 『[[フロイス日本史]]』では、「信長の姉妹を娶り」とあり<ref>{{Cite book |和書 |author= ルイス・フロイス |translator= 松田毅一、川崎 桃太 |year= 2000 |title= 完訳フロイス日本史4 秀吉の天下統一と高山右近の追放 |chapter= 第12章 |publisher= 中央公論新社|series= 中公文庫}}</ref>、家康は一貫して「信長の義弟」と書かれている。しかし現在のところ、この女性の存在を裏付ける史料は見つかっていない。
=== 神君伊賀越え ===
:[[本能寺の変]]直後の[[伊賀越え|神君伊賀越え]]では[[伊賀流|伊賀]]・[[甲賀流|甲賀忍者]]の力添えを受けて[[三河国]]まで逃走した。その道中、甲賀忍者の[[多羅尾氏]]の居館に着いたとき、家康は警戒して城に入ろうとしなかったが、城主・[[多羅尾光俊]]が[[赤飯]]を与えたところ、信用して城で一泊した。その後は伊賀の[[豪族]]・百地氏、[[服部氏]]、稲守氏、[[柘植氏]]の[[柘植清広]]等の護衛で白子まで辿り着き、この功で多羅尾氏は近江国で8,000石を領する[[代官]]に、柘植氏は江戸城勤めの旗本となった。他の伊賀・甲賀忍者らは「伊賀同心」として召し抱えられ後に[[江戸]]へ移った。また、このときの礼として百地氏には仏像を与え、これは現在も一族の辻家が所有している。
=== 影武者説 ===
: [[大坂の陣#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]の際に家康は[[真田信繁]]に討ち取られ、混乱を避け幕府の安定作業を円滑に進めるために[[影武者]]が病死するまで家康の身代わりをしていたとされる説。一説に異母弟の[[恵最|樵臆恵最]]もしくは[[小笠原秀政]]ではないかといわれる。大阪府堺市の[[南宗寺]]には家康の墓とされるものがある。[[徳川家康の影武者説]]も参照。
=== 源氏への「復姓」時期について ===
家康は[[永禄]]4-6年ごろの文書では[[本姓]]として「源氏」を使用しており、永禄9年([[1566年]])に「徳川」を名乗った際に藤原氏に改姓しているが、氏を源氏に復姓した時期については、はっきりしない。かつては近衛前久による年代不明の書状が「(改姓は)将軍望に付候ての事」としていることから{{Sfn|笠谷|1997|p=34}}、[[関ヶ原の戦い]]の勝利後、征夷大将軍任官のため吉良氏系図を借用{{Efn|吉良氏は安城松平家(徳川宗家)にも影響を与えた三河の名族というだけではなく、足利氏の有力な庶流として御一家に列せられた一族であった<ref name=天文・弘治年間の三河吉良氏/>。[[谷口雄太]]は「新田氏流」という概念は『太平記』の影響によって後世作り出されたフィクションで、室町・戦国期には新田氏は足利氏の庶流・一門として扱われていたとする(当然、世良田氏や得河氏も足利一門ということになる)認識から、家康は徳川氏を(新田氏ではなく)将軍・足利氏の一門として位置づけるために実際に有力一門である吉良氏の系図の借用を行ったと主張している<ref>谷口雄太「足利一門再考 -[足利的秩序]とその崩壊-」『史学雑誌』122巻12号、2013年。/所収:{{Cite book|和書|author=谷口雄太|title=中世足利氏の血統と権威|publisher=吉川弘文館|year=2019|isbn=978-4-642-02958-2|pages=184-191・202}}</ref>。}}して系図を加工し、源氏に戻したというのが通説であった<ref name="taniguchi1994" />{{Sfn|笠谷|1997|pp=33–42}}。
しかし[[米田雄介]]が[[官務]][[壬生家 (小槻氏)|壬生家]]の文書を調査したところ、天正20年9月の[[清華家|清華成]]勅許の口宣案において源氏姓が用いられているなど{{Sfn|笠谷|1997|p=44}}、秀吉生前からの源氏使用例が存在している。[[笠谷和比古]]は、天正16年4月の[[後陽成天皇]]の[[聚楽第]]行幸の様子を収めた『聚楽行幸記』には、家康が「[[大納言]]源家康」と誓紙に署名しているという記述があることから、源氏への復姓は少なくともこの時期からではないかと見ている{{Sfn|笠谷|1997|pp=44–46}}、
他に[[天正]]14年([[1586年]])、[[安房国]]の[[里見義康]](新田一族)に送った同年3月27日付の起請文では、徳川氏と里見氏は新田一族の同族関係にあることを主張している。ただし、これ以降も「藤原家康」名義の書状が現存しており{{Sfn|笠谷|1997|p=40}}、この起請文は偽文書の可能性が指摘されている<ref>[[滝川恒昭]]「里見氏にあてた家康の起請文」『季刊ぐんしょ』58号、2002年。後に滝川恒昭編『房総里見氏』〈中世関東武士の研究13〉[[戎光祥出版]]、2014年10月、{{ISBN2|978-4-86403-138-7}} に収む。</ref>。また、天正14年には藤原氏を用いた寺社への[[朱印状]]も残っている{{Sfn|笠谷|1997|p=42}}。天正19年([[1591年]])、家康が発給した朱印状で姓が記されているものは「大納言源[[朝臣]]」ないし「正二位源朝臣」と記されており、藤原氏は使用されていない{{Sfn|笠谷|1997|p=42}}。
笠谷は家康が源氏復姓の時期が将軍であった[[足利義昭]]の出家時期と重なっており、[[馬寮監|左馬寮御監]]・[[近衛大将|左近衛大将]]など将軍家しか許されてこなかった官をうけていることから、“[[豊臣政権]]下で家康はすでに源氏の公称を許され将軍任官の動きが公然化し、豊臣関白政権の下での徳川将軍制を内包する形での、権力の二重構造的な国制を検討していた”と記述している{{Sfn|笠谷|1997|pp=46-47}}。阿部能久は、天正16年は足利義昭が正式に征夷大将軍を辞任した年であり、豊臣秀吉は家康が将来の「徳川将軍体制」を見越して源氏改姓をしたことを認識しつつ、それを逆手に取って関東地方を治めさせたと捉え、さらに清和源氏([[河内源氏]])の正統な末裔である足利氏の生き残りと言える[[喜連川氏|喜連川家]]に古河公方を再興させることで、家康と喜連川家+佐竹氏など関東諸大名との間に一定の緊張関係をもたらすことで家康の野心を封じ込めようとしたと推測している<ref name="Abe" />。
=== 江戸幕府の支配に関して ===
[[ファイル:Dutch-Japanese trading pass 1609.jpg|250px|right|thumb|徳川家康の名で発行されたオランダとの通商許可証(慶長)14年[[旧暦7月25日|7月25日]]([[1609年]][[8月24日]])付]]
家康が礎を築いた[[徳川将軍家]]を頂点とする[[江戸幕府]]の支配体系は、{{独自研究範囲|それまでの日本を統治したどの組織よりも極めて|date=2021年12月}}完成度の高いものである。江戸幕府は[[京都|京]]、[[大坂]]、[[堺]]など全国の幕府直轄主要都市([[天領]])を含め約400万石、[[旗本]][[知行]]地を含めれば全国の総[[石高]]の1/3に相当する約700万石を独占管理([[親藩]]・[[譜代]]大名領を加えればさらに増加する)し、さらには[[佐渡金山]]など重要[[鉱山]]と[[貨幣]]を作る権利も独占して[[貨幣経済]]の根幹もおさえるなど、他の[[大名]]の追随を許さない圧倒的な権力基盤を持ち、これを背景に全国諸大名、[[寺社]]、[[朝廷 (日本)|朝廷]]、そして[[皇室]]までをもいくつもの[[法度]]で取り締まり支配した。これに逆らうもの、もしくは幕府に対して危険であると判断されたものには容赦をせず、そのため江戸幕府の初期はいくつもの大名が[[改易]](取り潰し)の憂き目にあっており{{Efn|中には福島家のような取り潰され方{{要出典|date=2021年12月}}をした大名もあり、徳川政権の安定を優先させていたと思われる。}}、これには譜代、親藩大名も含まれる。これは朝廷や皇室でさえも例外ではなく、[[紫衣事件]]などはその象徴的事件であった。
幕府に従順な大名に対しても[[参勤交代]]などで常に財政を圧迫させ幕府に反抗する力を蓄えることを許さず、また、特に近世初期は多くの転封をおこない「鉢植え」にした。些細な問題でも大名を改易、減封に処し、神経質に公儀の威光に従わせるように仕向けた。大名への叙位任官、松平氏下賜(授与)で、このように圧倒的な権力基盤を背景にして徳川将軍家を頂点に君臨させた{{Sfn|村川|2000}}。全国の諸大名・朝廷・皇室を「生かさず殺さず。逆らえば(もしくはその危険があるならば)潰す」の姿勢で支配したのが江戸幕府であった。
このように徳川将軍家を頂点とする江戸幕府の絶対的な支配体系については「保守的・封建的」との見方もできる一方、強固な支配体系が確立されたからこそ、戦国時代を完全に終結させ、そして江戸幕府が250年以上におよぶ長期安定政権となったことは否定できない事実である。
後の[[鎖国]]政策につながるような限定的外交方針を諸外国との外交基本政策にしたことから、[[幕末]]まで海外諸国からの侵略を防げたという評価もある。ただし、これらの「業績」は家康の死後に、当時の情勢において行われたものである。また[[明]]が海禁策をとるなど、当時の世界的な趨勢であるとも言える。
家康は朝廷を幕府の支配下におこうとした。慶長11年(1606年)には幕府の推挙無しに大名への[[官位]]の授与を禁止し、[[禁中並公家諸法度]]を制定するなどして朝廷の政治関与を徹底的に排除している。[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]の最中である12月17日、朝廷は家康に[[勅|勅命]]による和睦を斡旋したが、家康はこれを拒否した。さらに家康は秀忠の五女・[[徳川和子|和子]]を入内させ、外祖父として皇室まで操ろうとしたのである(入内の話は慶長17年(1612年)から始まっていたという。和子の入内が元和6年([[1620年]])まで長引いたのは、家康と後陽成天皇が死去したためである)。家康の死後、幕府は紫衣事件などを経て、天皇および朝廷をほぼ完全に支配することに成功した。この力関係は幕末の尊王運動が起こるまで続いた。
=== 一族・譜代の取り扱いに関して ===
息子や家臣に対しても冷酷非情な面を見せる人物だったとされることが多いが、{{誰範囲|情に流されず息子や一族に対しても一律に公平であったと見る向きもある。|date=2023年1月}}
長男・信康の切腹に関しては、信長の要求によるものではなく、家康自らの粛清説も近年唱えられている。また、生母の身分が低い次男・結城秀康、六男・忠輝を、出生の疑惑や容貌が醜いなどの理由で常に遠ざけていたとされるが、これには異論もある。
関ヶ原の戦いにおいて江戸留守居役を命じられた秀康は、戦功を挙げるために秀忠に代わり西上したいと申し出たが容れられなかった。かねてから秀康には石田三成との交流があり、豊臣方に内通する恐れがあったとも考えられる一方で、武将として実績のある秀康に三成と友誼が深く西軍に呼応する恐れが強い佐竹義宣を監視させ、東北戦線で上杉氏と戦う伊達政宗・最上義光らの後詰め役として待機させたとされる。秀康は後の論功行賞において破格の50万石を加増、官位も権中納言まで昇進しており、最終的に67万石もの大封を与えられ、江戸への参勤免除、幕府からの使役の免除、関所を大砲で破壊しても黙認されるなど、別格の扱いを受けている。将軍継嗣がならなかったのは、豊臣秀吉の養子で、後に結城家に養子に入り名跡を継いでいることなどが理由とされる。また秀康の子・[[松平忠直]]には、秀忠の娘・[[天崇院|勝姫]]を嫁がせている。
忠輝についても嫌われ、冷遇されたといわれたが、それを示す史料はなく、改易前には[[徳川御三家|御三家]]並の所領([[越後国]]・高田55万石)が与えられていた。
しかし秀康はともかく、嫡子・忠直や忠輝は家康よりもむしろ秀忠と不仲であったとされる。松平忠直は大坂の陣で[[真田信繁]](通称、幸村)らを討ち取る功績を挙げたが、論功行賞に不満を言い立てた。家康の死後は幕政批判や乱行が目立ったために秀忠によって隠居させられ、[[越前国|越前]][[福井藩]]を継いだのは忠直の弟・[[松平忠昌|忠昌]]であった。忠輝も秀忠により数々の不行状を追及されて改易させられた。
[[徳川四天王]]である[[本多忠勝]]や[[榊原康政]]を関ヶ原の戦い後に中枢から外し、この2人に次ぐ[[大久保忠隣]]を改易・失脚させている。しかし、榊原康政は老臣が要職を争うことを嫌い自ら老中職を辞退していることに加え、康政の跡を継いだ[[榊原康勝]]が大坂の陣で没した後に起こった騒動を家老の処分にとどめ、本多忠勝に対しては、その子・[[本多忠政]]と孫・[[本多忠刻]]に自分の孫・熊姫([[松平信康]]の娘)と[[千姫]]を嫁がせるなど、譜代大名に相応の配慮は示しており、その例は例外も多いが鳥居家、石川家など枚挙に暇がない。[[大久保氏]]も忠隣の孫・[[大久保忠職|忠職]]は大名として復権し、家康の死後は加増が行われ次代・[[大久保忠朝]]は旧領小田原への復帰と、11万石という有力譜代大名としての加増を受けている。ただし、忠職が家康の曽孫であるから、という見方もできるのも否めない。しかし、忠隣自身が家康死後に家康の誤りを示すとして秀忠からの赦免要請を拒否していることから、大久保氏を避けていたわけではないと思われる。
家康は吏僚の造反行為には厳しく、三河時代に武田勝頼と内通した寵臣・[[大岡弥四郎]]を[[鋸挽き|鋸引き]]という極刑で処刑している。大久保長安についても、幕府中枢にある者の汚職・不正蓄財と扱い殊更に厳しくすることで、[[綱紀粛正]]を促したとする見方もできる。さらには、人材の環流は組織の活性化に必須であり、一連の行為はあくまで幕府の体制固めとして行われた政治的行為として解釈することもできる。また、松平信康を含め、秀康・忠輝に共通するのは武将としての評価が高かったことにあり、武将としては凡庸とされ失敗もあり兄を差し置いて将軍となった秀忠の手前彼らを高く評価することは憚られたことが背景にある。
また、家康はかつて敵対していた今川氏・武田氏・北条氏の家臣も多く登用し、彼らの戦法や政策も数多く取り入れている。『故老諸談』には家康が[[本多康重]]に語った言葉として「われ、素知らぬ体をし、能く使ひしかば、みな股肱となり。勇功を顕したり」と記されている。
=== 家康と同時代の人々 ===
家康は、武田信玄を尊敬し、武田氏の遺臣から信玄の戦術や思想を積極的に学んだ{{Efn|天正13年(1585年)の石川数正の寝返りにより、様々な制度を改めざるを得なくなったという事情もある。}}。その反面、信長のように身分や序列を無視した徹底的な能力主義をとることはなく、秀吉のように自らのカリスマ性や金、領地を餌に釣って家臣を増やすこともなかった{{Efn|とはいえ、秀吉・家康の天下人となった二人とも信長の元にいたことから、その影響を排除して考えることはできない。信長の姪達である[[浅井三姉妹]]から秀吉は自身の側室に長女の[[淀殿|茶々]]を、家康は後継者である秀忠の正室に三女の[[崇源院|江]]を迎えており、信長の血縁が重みをもっていたことが窺える。}}。家康の重臣のほとんどは三河以来の代々仕えてきた家臣たちであった。
そのためか、彼らに天下を統一され遅れをとったが、代わりに自身は信頼できる部下だけで周囲を固め、[[豊臣政権]]の不備もあって[[天下人]]となった。とはいえ、その部下の中には今川氏・武田氏・北条氏等の自身が直接(主導)的には滅ぼしてはいない大名の家臣も含まれているため一種の漁夫の利(統一の際の汚れ役を信長・秀吉が被ってくれた)ともいえる。一方で偉大な先人から学びとり、それを取捨選択しその時流や自分の状況にあう行動をとったことは十分に名君と呼ぶに値するという見方もできる。
その戦振りに関しては、秀吉から「[[海道一の弓取り]]」と賞賛されたと伝わる<ref>[[新井白石]]の『藩翰譜』。</ref><ref>『[[徳川実紀]]』〈第1編・巻三〉、経済雑誌社。54頁。</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2016-02-23 |url =http://www.asahi.com/articles/ASJ2Q3HR5J2QOBJB001.html |title =馬上で弓 25歳の家康像、東岡崎駅前に設置へ |work=朝日新聞デジタル |publisher = 朝日新聞社 |accessdate = 2016-09-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161001193538/http://www.asahi.com/articles/ASJ2Q3HR5J2QOBJB001.html|archivedate=2016-10-01}}</ref>。
家康は常に冷静沈着な知将だったとされているが短気で神経質な一面も持ち、[[関ヶ原の戦い]]では開戦間際において一面に垂れ込める霧の中で使番の野々村四郎右衛門が方向感覚を失い陣幕に馬を乗り入れた際に苛立ち、門奈長三郎という[[小姓]]に侵入者が何者か尋ねるが、門奈は侵入者が誰だか知っていたが当人に責任が掛からないように配慮し答えなかった。家康は門奈のこの態度に腹を立て、門奈の[[指物]]の竿を一刀のもとに切り捨てたという。さらに家康は苛立ったり、自分が不利になったりすると、親指の爪を常に噛み、時には皮膚を破って血を流すこともあったという。その一方怒りに任せ家臣や領民を手打ちにするようなことは生涯ほとんどなかった。幼少期に今川家の人質だったころ自分に辛く当たった今川方の[[孕石元泰]]を後年探しだし切腹させた(『三河物語』)のは例外的処置である。
情を排する冷徹な現実主義者との評価がある一方、法よりも人情を優先させた事例もある。例えば[[三方ヶ原の戦い]]で家康の身代わりとなって討死した[[夏目吉信]]の子が規律違反を犯しても超法規的に赦し、関ヶ原の合戦後に[[真田信之]]、[[本多忠勝]]らの決死の嘆願で[[真田昌幸]]と[[真田幸村]]を助命している。特に苦労を共にしてきた三河時代からの家臣たちとの信頼関係は厚く、三方ヶ原の戦いで[[三河武士]]が背を向けず死んで行ったという俗説をはじめ、夏目吉信・鳥居元忠らの盲目的ともいえる三河武士たちの忠節ぶりは敵から「'''犬のように忠実'''」と言われたこと(『葉隠覚書』)から、少なくとも地元である三河武士が持つ家康への人望は非常に厚かったようだが、[[一向一揆]]を起こされたことも考慮する必要がある。無論、有能な人材も重視し、[[譜代大名#譜代大名の一覧|安祥・岡崎譜代]]だけでなく今川氏・武田氏・北条氏の旧臣を多く召抱え、大御所時代には武士のみならず僧・商人・学者、さらには英国人[[ウィリアム・アダムス]](外国人に武士として[[知行]]を与えた<ref>[http://sorairo-net.com/rekishi/jimbutsu/williamadams.html ウィリアム・アダムス(三浦按針)]</ref>のは家康のみ)と実力も考慮して登用し、江戸幕府の基礎を作り上げていった。
=== 家康と宗教 ===
戦国時代最大の武装宗教勢力であった[[浄土真宗|一向宗]]は第11世門主・[[顕如]]の死後、顕如の長男・[[教如]]と三男・[[准如]]が対立し、教如が独立する形で[[東本願寺]]([[真宗大谷派]])を設立、後にこれに対して准如が[[西本願寺]]([[浄土真宗本願寺派]])を設立し、東西本願寺に分裂するが、この分裂劇に関与しているのも家康である。一説によると、若き日に三河一向一揆に苦しめられたことのある家康が、本願寺の勢力を弱体化させるために、教如を唆して本願寺を分裂させたと言われているが、明確にその意図が記された史料がないため断定はできない。しかし、少なくともこの分裂劇に際し、教如を支持して東本願寺の土地を寄進したのが家康であることは確かである(真宗大谷派も教如の東本願寺の設立に家康の関与があったことは認めている)。
現在の真宗大谷派は、このときの経緯について、「教如は法主を退隠してからも各地の門徒へ名号本尊や消息(手紙)の配布といった法主としての活動を続けており、本願寺教団は関ヶ原の戦いよりも前から准如を法主とする一派と教如を法主とする一派に分裂していた。徳川家康の寺領寄進は本願寺を分裂させるためというより、元々分裂状態にあった本願寺教団の現状を追認したに過ぎない」という見解を示している<ref>上場顕雄『教如上人-その生涯と事績-』東本願寺出版部</ref>。
東西本願寺の分立が後世に与えた影響については、『戦国時代には大名に匹敵する勢力を誇った本願寺は分裂し、弱体化を余儀なくされた』という見方も存在するが、前述の通り本願寺の武装解除も顕如・准如派と教如派の対立も信長・秀吉存命のころから始まっており、また江戸時代に同一宗派内の本山と脇門跡という関係だった[[西本願寺]]と[[興正寺]]が、寺格を巡って長らく対立して幕府の介入を招いたことを鑑みれば、教如派が平和的に公然と独立を果たしたことは、むしろ両本願寺の宗政を安定させた可能性も否定出来ない。
ちなみに、三河一向一揆が起こった際、敵方の一向宗側には本多正信や夏目吉信など、家康の家来だった者もいた。だが家康は彼らを怨まず、逆に再び召抱えている。彼らは家康に恩を感じ、本多正信は家康の晩年まで参謀として活躍し、夏目吉信は三方ヶ原の戦いで家康の身代わりになって戦死した。
また、同様に[[町衆]]に対し強い影響力を有する[[日蓮宗]]に対しても、秀吉が命じた[[方広寺]]大仏殿の千僧供養時に他宗の[[布施]]を受けることを容認した受布施派と、禁じた宗義に従った[[不受不施派]]の内、後者を家康は公儀に従わぬ者として日蓮宗が他宗への攻撃色が強いことも合わせて危険視した。そのため、後の家康の出仕命令に従わぬ不受不施派の[[日奥]]を[[対馬国]]に配流したり、他宗への攻撃が激しい[[日経]]らを耳・鼻削ぎの上で追放した。家康死後も不受不施派は江戸幕府の布施供養を受けぬことを理由として、江戸時代を通じて弾圧され続けた。
これら新興の宗派以外の古い[[天台宗]]・[[真言宗]]・[[法相宗]]にも独占した[[門跡]]を通じ朝廷との深い繋がりを懸念し、新たに[[浄土宗]]の[[知恩院]]を門跡に加え、さらに天台宗の関東における最高権威として[[輪王寺]]に門跡を設けた。これら知恩院・輪王寺は江戸幕府と強い繋がりを持った。
一方でキリスト教に対しては秀吉の死後、南蛮貿易による収益などの観点から当初は容認しており、実際に江戸時代初期にキリスト教は東北地方への布教を行っている。しかし[[マードレ・デ・デウス号事件]]や[[岡本大八事件]]を経て、慶長18年(1613年)にバテレン追放令を公布する。
家康の死後、幕府は[[寺請制度]]等により、寺社勢力を完全に公儀の下に置くことに成功している。また、家康自身が東照神君として信仰対象になった。
=== 近現代における評価 ===
家康は江戸期を通じて神格化され<ref>{{Cite book|和書|editor=|author=曽根原理|title=徳川家康神格化への道 : 中世天台思想の展開|year=1996|month=11|publisher=吉川弘文館|series=|isbn=4-642-03330-0|ref=}}</ref><ref>{{Cite book|和書|editor=|author=野村玄|title=天下人の神格化と天皇|year=2015|month=02|publisher=思文閣|series=|isbn=978-4-7842-1781-6|ref=}}</ref>、否定的評価は禁じられており、自由な評価が解禁されたのは江戸幕府が崩壊した[[明治維新]]後である。[[山岡荘八]]の小説『[[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]]』では、幼いころから我慢に我慢を重ねて、逆境や困難にも決して屈することもなく先見の明をもって勝利を勝ち取った人物、泰平の世を願う求道者として描かれている。この小説をきっかけに家康への再評価が始まっている。
[[司馬遼太郎]]は家康について記した小説『[[覇王の家]]』あとがきで、家康が築いた[[江戸時代]]については「功罪半ばする」とし、「([[日本人]]の)民族的性格が矮小化され、奇形化された」といった論やその支配の閉鎖ないし保守性については極めて批判的である。但し、司馬は家康本人に対しては、必ずしも否定的では無い。初陣を15歳で経験し、大坂夏の陣では73歳でありながら総大将として指揮を採り、その生涯では三方ヶ原の戦いなど大敗も経験したが、晩年まで幾多もの戦争を経験し、指揮も執り、戦死しなかったことを、「歴史上、古今東西見渡しても滅多に類を見ない」とし、「戦が強くはなかったが、戦上手であった」と評している。
[[2000年]]に[[朝日新聞社]]が実施した識者5人([[荒俣宏]]、[[岸田秀]]、[[ドナルド・キーン]]、[[堺屋太一]]、[[杉本苑子]])が選んだ西暦1000年から1999年までの「日本の顔10人」において、家康が得票数で1位を獲得した<ref>[https://web.archive.org/web/20001017120937/http://www.asahi.com/y2000/kao.html 識者5人が選んだ日本の顔10人家康・信長に支持]、[[朝日新聞|asahi.com]]([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。
== 遺品 ==
死去時における家康の遺品は「駿府御分物」として秀忠や側室・娘・孫に一部が、残りの大部分が御三家に分与された。尾張家と水戸家にはその目録があり、大雑把な分類を下記する<ref>徳川義宣「家康の遺品」『徳川家康事典』新人物往来社、1990年。</ref>。
*武具類 刀剣・薙刀・槍・弓・鉄砲・拵装剣具・甲冑・旗幟・幕・法螺貝・陣太鼓・軍配・采配・馬印・陣中使用調度・馬具・鷹狩道具
*金銀道具 風炉・釜・天目茶碗等の茶の湯道具一式・香箱・香盆・盃等
*御数寄屋道具 茶壺・茶入・茶碗・釜・花活等の茶の湯道具・掛物・歌書・香道具類・文房具類
*能狂言道具 面・衣装・腰帯・髷帯・被服・小道具・楽器等
*振舞道具 茶碗・皿・徳利・盃・盆・膳・椀等
*調度類 碁将棋道具・屏風・各種箱類・敷物・鋏・爪切・望遠鏡・ビードロ鏡等
*衣類反物類 小袖・羽織・帷子等衣服類、絹・木綿・麻等反物類、糸・綿類
*その他 紙・蝋燭・香木・薬類・薬道具等
これらの大半は長い年月の内に使用・贈答・破損等で失われたが、それでも多くの遺品が残存している。この他に生前家臣等へ下賜したものを含めれば、他の人物とは比較にならない多種多様な遺品が伝来している。
=== 刀剣 ===
「駿府御分物」目録に記載された刀剣・薙刀・槍の総数は1,172点を数える。この内、目録の記述が簡略なため現存品と確認できるのは少なく100点、刀剣85点中国宝・重要文化財・重要美術品指定42点、御物4点、また名物は40点を数える。
家康は、武家の棟梁として古い名刀を蒐集し、「[[日光助真]]」(国宝、東照宮蔵)など多くの名物がその手元にあった。また、晩年の慶長19年(1614年)春には、[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]に備えるために、伊賀守金道という刀工に1,000振りの陣太刀を急造発注し、その政治的見返りとして朝廷に対し金道を「日本鍛冶惣匠」に斡旋している{{sfn|福永|1993|loc=2巻, pp. 30-33}}。
一方で、家康を始めとする徳川家臣団が、戦場で使う武器として愛用していたのが、当時の「現代刀」だった[[伊勢国]][[桑名]](現在の[[三重県]][[桑名市]])の刀工、千子[[村正]](せんご むらまさ)と千子派(村正の一派)、そしてその周辺流派の作である<ref name="西日本新聞">{{ Cite news | title=「尾張徳川家の至宝」展 妖刀 伝説から史実へ | newspaper= [[西日本新聞]] | date = 2013-11-21 | url=http://www.nishinippon.co.jp/feature/kyuhaku/article/53703 | accessdate= 2018-08-22 }}</ref>。
家康自身も村正の[[打刀]]と[[脇差]]を所有し、これらは[[尾張徳川家]]に「村正御大小(むらまさおだいしょう)」として伝来した{{sfn|原|2017}}。脇差は大正期に売却されたが、打刀は現在も[[徳川美術館]]に所蔵され、村正に珍しい皆焼(ひたつら)刃の傑作として名高い{{sfn|原|2017}}。家康がこの[[大小 (日本刀)|大小]]を一揃いで差し実戦で使用したのか確実なところは不明だが、少なくとも今も打刀にはわずかに疵の跡が残っている{{sfn|原|2017}}{{efn|2013年の時点では無疵の健全作と思われていたが<ref name="西日本新聞" />、その後の調査で疵をならして修復した形跡が発見されている{{sfn|原|2017}}。}}。この「皆焼」の刃文を持つ村正は相当な稀少品で{{sfn|原|2017}}、現存するのは他に短刀「群千鳥(むらちどり)」{{sfn|川田|古川|2017}}や短刀「夢告(むこく)」{{sfn|田畑|1989|pp=523-570}}などの数点しかなく、そのいずれもが評価の高い名作とされている{{sfn|田畑|1989|pp=523-570}}。
お膝元の駿河には村正と作風を共有する島田[[義助]](元[[今川氏]]のお抱え刀工)がいて、六代目の義助に御朱印を与えるなど厚遇している{{sfn|福永|1993|loc=5巻, pp. 272-273}}。村正と義助は直接の師弟関係ではないが、お互いの派で技術的交流を続けていたから、作風が近づくことがよくあった{{sfn|田畑|1989|pp=523-570}}。
なお、かつては家康が村正を忌避していたという俗説があったが、現在では完全に否定されている{{sfn|徳川美術館|2008}}<ref name="西日本新聞" />。村正は徳川家に祟るとする妖刀伝説が江戸時代に広く流布していたことそのものは事実([[村正#妖刀村正伝説]])で、村正は銘を潰されるなどの悲惨な被害を受けたが、そうした伝説は家康の死後に発生したものである<ref name="西日本新聞" />。徳川美術館は、家康が村正を忌避していたとするのは後世の創作、家康は実際は村正を好んでいた、と断言している{{sfn|徳川美術館|2008}}。
妖刀伝説が広まった理由としては、以下の理由が考えられる。
* 『[[三河後風土記]]』で、家康が村正を忌避し、[[織田長益|織田有楽斎]]が家康を憚って村正の槍を打ち捨てたという逸話が捏造された{{sfn|平岩親吉(伝)|1648|loc=38巻|ps=(国文学研究資料館の資料では2298-2302コマ(/全2427コマ))}}。これは[[正保]]年間(1645-1648年)後に書かれた著者不明の偽書だが、江戸時代後期までは[[慶長]]15年(1610年)に[[平岩親吉]]が自ら著した神君家康の真実と信じられていた{{sfn|新行|1997}}。
* 家康の親族が村正で傷つけられたという妖刀伝説の逸話も、出処が怪しいものが多くそもそもどこまでが真実か極めて疑わしい{{sfn|福井|2016}}。主家の家康自身が村正を好んだように、徳川家の重臣には村正や千子派(村正派)の作を持つ者が多かった<ref name="西日本新聞" />。仮にそれらの傷害事件が事実としても、確率の問題でたまたま用いられたのが村正だったとしても不思議はなく<ref name="西日本新聞" />、また、嘘だとしても、家臣団に普及していた村正を物語に登場させるのは説得力があった。家康の村正愛好のせいで逆に忌避伝説につながった皮肉な例と言える。
=== 甲冑 ===
{{Double image aside|right|Shida gusoku of Tokugawa Ieyasu at Kunōzan Tōshō-gū.jpg|150|Kindami gusoku.jpg|100|伊予札黒糸威胴丸具足|金溜塗具足}}
[[File:Ambras Wunderkammer - Samurai Rüstung.jpg|thumb|200px|文字威胴丸具足(兜は別品)]]
家康所用とされる甲冑は多数伝来しており、記録伝承が確実なものだけで10領が現存する。
代表的なものとして上述の「[[南蛮胴]]具足」(下賜品含め5領、他兜のみも有)、「伊予札黒糸威胴丸具足(歯朶具足)」(2領、内1領は兜欠)<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=徳川家康の甲冑(かっちゅう)の金物~漆黒の謎に迫る彫金師~ {{!}} NHK {{!}} WEB特集 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220421/k10013589711000.html |website=NHKニュース |access-date=2022-04-25 |last=日本放送協会}}</ref>、「金溜塗具足」(2領)などが伝来している。
当時の武将は存在を誇示するため派手な甲冑や前立を好んでいたが、家康が[[大坂の陣]]で使用した歯朶具足は飾りが少ない漆黒の甲冑は「現代刀」と共に家康の気質を表しているとされる<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=【国宝・久能山東照宮展】 家康吉祥の具足、歯朶具足(しだぐそく) |url=http://shizubi.jp/blog/1475/ |website=静岡市美術館 |access-date=2022-04-25 |language=ja}}</ref><ref name=":0" />。一方で、金色の「金溜塗具足」や「金小札緋縅具足」<ref>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215727 「金小札緋縅具足」]、文化遺産オンライン</ref>、水牛の角を立物として熊毛を植えた「熊毛植黒糸威具足」<ref>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/82046 「熊毛植黒糸威具足」]、文化遺産オンライン</ref>、一の谷と大釘を組み合わせた立物に銀箔と白糸による総白色の「白糸威一の谷形兜」<ref>[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/489101 「白糸威一の谷形兜」]、文化遺産オンライン</ref>、華麗な姿や桐紋から当初は秀吉所用と思われた「花色日の丸威胴丸具足」<ref>[https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=TAM000194 「花色日の丸威胴丸具足」]DNPアートコミュニケーションズ</ref>等派手な甲冑も多数伝来しており、実際には多種多様な甲冑を着用・所持した。
また家康は秀吉と同様に欧州に甲冑を贈っているが、[[オーストリア]][[アンブラス城]]にある「文字威胴丸具足」は「日本の皇帝及び皇后が[[神聖ローマ皇帝]][[ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ2世]]」に贈った品と記録がある。この具足は先述の「花色日の丸威胴丸具足」や1613年に秀忠がイギリス国王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]に贈った甲冑等の家康やその近辺の甲冑と同一の特徴があり、1608年から1612年に家康が贈った甲冑とされる。この甲冑は胴前面と左袖に「天下」、胴後面と右袖に「太平」の文字が紅糸で縅してある<ref>『家康の遺産-駿府御分物-』徳川美術館、1992年、口絵</ref>。
=== 衣服 ===
目録記載の主な衣類として小袖2,746領、単物2,258領、糸490貫がある。生前の下賜品を含めた現存品は180点を超え、その種類も羽織・胴服・陣羽織・小袖・綿子・下着・カルサン・小袴・襟巻・長裃・裃・肩衣・帷子・浴衣・紙子・下帯・足袋、素材も絹・[[ベルベット|天鵞絨]]・[[羅紗]]・革・麻・紙と多彩である。
衣類の中でも[[辻ヶ花]]の小袖は技術的・美術的にも価値が高い遺品が多く、「[[葵梶葉文染分辻が花染小袖]]」のように重要文化財に指定された品も多い。『慶長板坂卜斎記』には家康が家臣へ数多くの小袖(年間に9から14・15領)を下賜した結果、天正末から文禄に掛けて小袖が天下に広まったとして、日本衣装が結構な事は家康に始まるとして、日本建築が結構な事は秀吉に始まると対比させている。
例として「練緯地白紫段葵紋散辻が花染陣羽織」<ref>[https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0059506 「練緯地白紫段葵紋散辻が花染陣羽織」]東京国立博物館</ref>は天正10年(1582年)伊賀越え時の下賜品とされ時期が判明する最も古い衣装であり、慶長15年(1610年)に下賜された「[[白練緯地松皮菱竹模様小袖]]」<ref>[https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0013854 「白練緯地松皮菱竹模様小袖」]東京国立博物館</ref>は半世紀以上後に流行した[[小袖#寛文小袖|寛文小袖]]とする説も出た斬新なデザインである<ref>福島雅子『徳川家康の服飾』中央公論美術出版、2018年</ref>。また大破した残欠を化学分析した結果、黄金色に復元された「黄金色地葵紋波兎文辻ケ花染羽織」<ref>[https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=TAM000616 「黄金色地葵紋波兎文辻ケ花染羽織」]DNPアートコミュニケーションズ</ref>は地味と言われる家康の趣向に対する認識を大きく変えた。
=== 蔵書 ===
家康の駿府城中にあった文庫「駿府御文庫」に収められた蔵書は、「国内の旧記・稀覯本」は将軍家に収められ「[[紅葉山文庫]]」の基となった。残りは前述のように御三家に相続され、この内尾張家に収められた分は「[[蓬左文庫]]」の基となった。
将軍家相続分は「[[先代旧事本紀]]」・「[[古事記]]」・「[[釈日本紀]]」等国書が多く、史書・故実書が大半を占めるが、漢詩文集や[[漢籍]](史書が殆ど)もある。これらの多くは社寺・公家・院御所等から得られたもので、概算で51部1,200冊を数える。御三家の内、目録のある尾張家の分は378部2,838冊、水戸家の分は180部907冊とされる。「駿府御文庫」の収蔵数は約1,000部7,800冊と推測され、これとは別に林羅山へ預けた分は記録がある漢籍800部に和書を加えれば1,000部になると推測される。
蔵書の分類は漢籍が8割、和書が2割とされ、学問書が多くを占めている。これらの蔵書は江戸幕府による文治政策の基礎を成したと見られる<ref>徳川義宣「徳川家康の遺産」『家康の遺産-駿府御分物-』徳川美術館、1992年</ref>。
== 一族縁者 ==
家康は2代将軍・[[徳川秀忠]]の父、3代将軍・[[徳川家光]]・[[水戸藩主]][[徳川光圀|水戸光圀]]らの祖父、4代将軍・[[徳川家綱]]、[[徳川綱重]](6代将軍・[[徳川家宣]]の父)、5代将軍・[[徳川綱吉]]、8代将軍・[[徳川吉宗]]の曽祖父に当たる。家康の子で六男松平忠輝が一番長生きしている。家康の存命中に[[玄孫]]も生まれており、家康の曽孫の[[敬台院]]が[[蜂須賀至鎮]]に嫁いで産んだ[[三保姫]]と[[蜂須賀忠英]]と[[正徳院]]のほか、家康の曽孫同士で結婚した[[小笠原忠脩]]と[[円照院]]の子の[[齢昭院]]と[[小笠原長次]]、家康の曽孫の[[栄寿院]]が[[有馬直純]]に嫁いで産んだ[[有馬康純]]が該当する。
*正室:[[築山殿]](清池院) - [[関口親永]]娘
**長男:[[松平信康]]
**長女:[[亀姫 (徳川家康長女)|亀姫]] - [[奥平信昌]]室
*継室:[[朝日姫]](南明院) - [[豊臣秀吉]]妹
*側室:[[西郡局]](蓮葉院) - [[鵜殿長持]]娘
**次女:[[督姫]] - [[北条氏直]]正室のち[[池田輝政]]継室
*側室:[[長勝院|於古茶]](長勝院) - [[永見吉英]]娘
**次男:[[結城秀康]] - [[越前松平家]]
*側室:[[西郷局|於愛]](竜泉院) - [[西郷清員]]養女、戸塚忠春娘
**三男:'''[[徳川秀忠|秀忠]]''' - [[江戸幕府]]第2代[[征夷大将軍]]
**四男:[[松平忠吉]] - [[松平家忠 (東条松平家)|松平家忠]]養子
*側室:[[良雲院|於竹]](良雲院) - 市川昌永娘{{Efn|他に穴山信君や秋山虎康、または武田信玄の娘などという説もある。}}
**三女:[[正清院|振姫]]{{Efn|一説に母は下山殿ともいわれる。}} - [[蒲生秀行 (侍従)|蒲生秀行]]室のち[[浅野長晟]]室
*側室:[[下山殿|於都摩]](妙真院) - [[穴山信君]]養女、[[秋山虎康]]娘
**五男:[[武田信吉]] - [[穴山勝千代]]養子
*側室:[[茶阿局|於茶阿]](朝覚院)
**六男:[[松平忠輝]] - [[松平康忠]]養子
**七男:[[松平松千代]]
*側室:[[お亀の方|於亀]](相応院) - [[志水宗清]]娘
**八男:[[松平仙千代|平岩仙千代]] - [[平岩親吉]]養子
**九男:[[徳川義直|義直]] - [[尾張徳川家]]
*側室:[[普照院|於久]](普照院) - [[間宮康俊]]娘
**四女:[[松姫 (徳川家)|松姫]]{{Efn|一説に母は於梶ともいわれる。}}
*側室:[[養珠院|於万]](養珠院) - [[蔭山氏広]]養女、[[正木頼忠]]娘{{Efn|他に蔭山氏広や冷川村百姓の娘などという説もある。}}
**十男:[[徳川頼宣|頼宣]] - [[紀州徳川家|紀伊徳川家]]
**十一男:[[徳川頼房|頼房]] - [[水戸徳川家]]
*側室:[[英勝院|於梶]](英勝院) - [[太田康資]]娘{{Efn|他に[[江戸重通]]の娘などという説もある。}}
**五女:[[市姫]]
*側室:[[信寿院|於富]](山田氏・信寿院)
*側室:[[清雲院 (徳川家康側室)|於夏]](清雲院) - [[長谷川藤直]]娘
*側室:[[養儼院|於六]](養儼院) - [[黒田直陣]]娘
*側室:[[泰栄院|於仙]](泰栄院) - [[宮崎泰景]]娘
*側室:[[蓮華院 (徳川家康側室)|於梅]](蓮華院) - [[青木一矩]]娘
*側室:[[雲光院|阿茶局]](雲光院) - [[飯田直政]]娘
*側室:[[正栄院|於牟須]](正栄院)
*側室:[[法光院|於松]](法光院)
*側室:[[三条氏 (徳川家康側室)|三条氏]]
*側室:[[松平重吉]]娘
*猶子
**[[良純法親王|八宮良純親王]] - [[後陽成天皇]]第八皇子
*養子
**[[松平家治]] - [[奥平信昌]]二男
**[[奥平忠政|松平忠政]] - 奥平信昌三男
**[[松平忠明]] - 奥平信昌四男、奥平松平家祖
*養女
**[[小松姫]](大蓮院) - [[本多忠勝]]の娘、[[真田信之]]正室{{Efn|[[松代藩]]主[[真田幸道]]が江戸幕府に提出した諸系図には台徳院殿([[徳川秀忠]])娘となっている。}}
**[[満天姫]](葉縦院) -家康の異父弟 [[松平康元]]の娘、[[福島正之]]妻のち[[津軽信枚]]正室
**[[栄姫]](大涼院) - [[保科正直]]と家康の異父妹[[多劫姫]]の娘、[[黒田長政]]継室
**[[阿姫]](光照院) - 家康の異父弟[[松平定勝]]の娘、[[山内忠義]]正室
**[[蓮姫]](長寿院) - 家康の異母妹[[矢田姫]]の子の[[松平康直]]の娘、[[有馬豊氏]]室
**[[栄寿院|国姫]](栄寿院) - [[本多忠政]]の娘、家康の曽孫、[[堀忠俊]]妻・[[有馬直純]]継室
**[[円照院|亀姫]](円照院) - 本多忠政の娘、家康の曽孫、[[小笠原忠脩]]・[[小笠原忠真]]室
**[[敬台院|万姫]](敬台院) - [[小笠原秀政]]娘、家康の曽孫、[[蜂須賀至鎮]]室
**[[孝勝院|振姫]](孝勝院) - [[池田輝政]]娘、家康の孫、のちに[[徳川秀忠]]養女、[[伊達忠宗]]正室
**久松院 - 家康の異父弟 松平康元の娘、[[田中忠政]]室のち[[松平成重]]継室
**浄明院 - 家康の異父弟 松平康元の娘、[[中村一忠]]室のち[[毛利秀元]]継室
**流光院 - 家康の異父弟 松平康元の娘、[[菅沼定仍]]正室
**[[唐梅院]] - [[松平康親]]娘、[[井伊直政]]正室
**[[高源院 (鍋島勝茂正室)|菊姫]](高源院) - [[岡部長盛]]娘、[[鍋島勝茂]]継室
**[[清浄院 (加藤清正室)|清浄院]](清浄院) -家康の母の弟 [[水野忠重]]の娘、[[加藤清正]]継室
**[[貞松院 (小出吉英正室)|貞松院]] - [[保科正直]]と家康の異父妹[[多劫姫]]の娘、[[小出吉英]]室
**清元院 - [[保科正直]]と家康の異父妹[[多劫姫]]の娘、[[安部信盛]]室
**昌泉院 - [[牧野康成 (大胡藩主)|牧野康成]]娘、[[福島正則]]継室
**名前不詳 - 松平家清の娘、[[浅野長重]]室
**名前不詳 - 家康の異父弟 松平康元の娘、松平忠政(大須賀忠政)妻・[[菅沼定芳]]正室
**名前不詳 - 家康の異父弟 松平康元娘、岡部長盛継室
**[[松尾君]] - 家康の異父弟 松平定勝娘、[[服部正就]]正室
**[[紀為君]] - 家康の異父弟 松平定勝娘、[[中川久盛]]正室
*落胤説
**[[鈴木一蔵]](母:[[見附宿]]の旅籠の娘)
**[[永見貞愛]](母:小督局){{Refnest|group="注釈"|『柳営婦女伝系』(『徳川諸家系譜』第1巻 続群書類従完成会)の長勝院(小督局)の項に結城秀康が双子であったことが記載されており、また、高野山にある小督局の墓には永見貞愛の名も刻まれている<ref>秋元茂陽 『徳川将軍家墓碑総覧』星雲社、2008年</ref>。}}
**[[松平民部]](母:法光院)<ref name="soinden">『[[幕府祚胤伝]]』(『徳川諸家系譜』第2巻、続群書類従完成会)</ref>
**[[小笠原権之丞]](母:三条氏)<ref name="soinden" />
**[[井伊直孝]](母:)<ref>[https://web.archive.org/web/20070228224331/http://hikone-400th.jp/retsuden/contents/6.php 国宝・彦根城築城400年祭 列伝井伊家十四代 第6回 鬼を継ぐ夜叉〜井伊直孝 其の壱〜]</ref>
**[[土井利勝]](母:) <ref name="soinden" /><ref group="注釈">『[[徳川実紀]]』に落胤説があったとの記述がある。</ref>
**2代後藤庄三郎(母:大橋局)<ref group="注釈">『後藤庄三郎由緒書』、寛政10年([[1798年]])ころの史料なので信憑性には疑問がある。</ref>
**[[徳川家光]](母:[[春日局]])<ref group="注釈">日光山輪王寺所蔵にある重要文化財の守り袋の考察の一説。</ref>
== 偏諱を与えた人物 ==
功績のあった臣や元服する者に自分の名の一字(太字)を与えた。
{{div col |colwidth=25em}}
*[[二条康道|二条'''康'''道]](公家・[[摂関家]]の[[二条家]])
*[[松平信康|松平信'''康''']](長男)
*[[結城秀康|結城秀'''康''']](二男)
*[[松平家元|松平'''家'''元]](異母弟?)
*[[松平康元|松平'''康'''元]](異父弟)
*[[松平康俊|松平'''康'''俊]](異父弟、康元の弟)
*[[松平家清|松平'''家'''清]]
*[[松平家忠|松平'''家'''忠]]([[深溝松平家]])
*[[松平家忠 (東条松平家)|松平'''家'''忠('''家'''次)]]([[東条松平家]])
*[[松平家次|松平'''家'''次]]([[桜井松平家]])
*[[松平家乗|松平'''家'''乗]]
*[[松平家広|松平'''家'''広]]
*[[松平康忠|松平'''康'''忠]](従弟・義弟)
*松平'''康'''忠([[矢田松平家]]、[[松平張忠]]の嫡男)
*[[松平康親|松平'''康'''親]](松井忠次より改名)
*[[松平康重|松平'''康'''次('''康'''重)]](康親の子)
*[[松平康長|松平'''康'''長]](戸田康長)
*[[松平康安|松平'''康'''安]]([[大草松平家]])
*[[天野康景|天野'''康'''景]]
*[[有馬康純|有馬'''康'''純]](家康の玄孫にあたる)
*[[石川家成|石川'''家'''成]]
*[[石川康通|石川'''康'''通]](家成の子)
*[[伊丹康直|伊丹'''康'''直]]
*[[伊丹康勝|伊丹'''康'''勝]](康直の子)
*[[太田資宗|太田'''康'''資]](側近、のちの[[太田資宗|資宗]])
*[[奥平家昌|奥平'''家'''昌]]
*[[松平家治|松平'''家'''治]](養子・[[奥平家昌]]の実弟)
*[[西郷家員|西郷'''家'''員]]
*[[酒井家次|酒井'''家'''次]]
*[[榊原康政|榊原'''康'''政]]
*[[島津忠恒|島津'''家'''久]](初名:忠恒)
*[[田中康政|田中'''康'''政]]
*[[最上家親|最上'''家'''親]](初名:義親)
*[[最上義俊|最上'''家'''信]](家親の子・義俊の初名)
*[[本多忠政|本多'''家'''忠]](本多忠政の別名)
*[[本多康重|本多'''康'''重]]
*[[牧野康成 (大胡藩主)|牧野'''康'''成]]
*[[来島康親|来島'''康'''親]]
*[[山内康豊|山内'''康'''豊]](別名:'''家'''豊)?
*[[依田康国|依田'''康'''国]]([[依田信蕃]]の長男)
*[[依田康勝|依田'''康'''勝]]([[依田信蕃]]の二男、のち加藤'''康'''寛と名乗る)
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== 関連史料==
=== 同時代の人物による記録 ===
* [[家忠日記]]([[松平家忠]])
* [[信長公記]]([[太田牛一]]) - 織田信長についての記事が主だが、同盟者の家康についての情報も多い。
* 慶長記(板坂ト斎)
* [[本光国師日記]]([[以心崇伝]])
* [[駿府政事録]]([[駿府記]]とも、[[後藤庄三郎光次]]?[[林羅山]]?)
* [[当代記]]([[松平忠明]]?)
* [[三河物語]]([[大久保忠教]]) - 元和8年成立、覚書。
* [[言経卿記]]([[山科言経]]) - 公家の日記だが、公私に渡って家康と交流があり、その様子が記されている。
=== 編纂物(資料的価値が高いとされるもの) ===
* [[朝野旧聞裒藁]]
* [[徳川実紀]]
* [[武徳編年集成]]
== 関連作品 ==
<!--[[Wikipedia:関連作品]]より「記事の対象が、大きな役割を担っている(主役・準主役・メインキャラクター・キーパーソン・メインレギュラー等)わけではない作品」や未作成記事作品を追加しないこと。-->
=== 小説 ===
[[File:Sohachi-Yamaoka-2.jpg|thumb|150px|[[山岡荘八]]著『[[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]]』第1巻]]
*[[山岡荘八]]
**『[[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]]』
:::明治時代以降に形成されていた老獪な陰謀家という家康像を、その一生涯を通じて描くことによって一新した長編小説。
:::本作を原作としたメディア展開作は多く、最初の映像化は[[1964年]]のNET(現・テレビ朝日)テレビドラマ『徳川家康』で主演は[[市川右太衛門]]、青年期を市川の息子の[[北大路欣也]]が演じている。[[1965年]]公開の映画『[[徳川家康 (1965年の映画)|徳川家康]]』(東映、監督:[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]])では再び北大路欣也が家康を演じた。[[1970年]]には[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で『竹千代と母』という題名で放送されて家康を[[中村又五郎 (3代目)|中村光輝]]が演じ、[[1975年]]にはNETで少年期が『[[少年徳川家康]]』としてアニメ化、[[1982年]]から[[1984年]]には[[横山光輝]]によって漫画『徳川家康』が連載された。[[1983年]]には[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]『[[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]』が[[滝田栄]]を主演として1年間放映され、[[1992年]]には[[テレビ朝日]]の『[[戦国最後の勝利者!徳川家康]]』で再び北大路欣也が家康を演じている。
:
*[[門井慶喜]]
**『[[家康、江戸を建てる]]』 - 2019年1月に「[[NHK正月時代劇]]」にて[[市村正親]]をキャストとしてテレビドラマ化された。
:
*[[司馬遼太郎]]
**『[[覇王の家]]』
**『[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]』
***『[[関ヶ原 (テレビドラマ)|関ヶ原]]』(1981年、[[TBSテレビ|TBS]]、出演:[[森繁久彌]]、上記小説を原作としたテレビドラマ)
***『[[関ヶ原 (映画)|関ヶ原]]』(2017年公開、[[東宝]]、出演:[[役所広司]]、監督:[[原田眞人]]、上記小説を原作とした映画)
**『[[城塞_(小説)|城塞]]』
<small>※上記三作品は「家康三部作」とも呼ばれる。</small>
*[[高橋直樹 (作家)|高橋直樹]]
**『最後の総領・松平次郎三郎』 (1995年、講談社、後に『若獅子家康』と改題されて講談社文庫)
*[[伊東潤]]
**『峠越え』(2016年、講談社、徳川家康最大の切所「伊賀越え」を描いた小説)
**『天地雷動』(2016年、KADOKAWA、長篠合戦を描いた小説)
*[[上田秀人]]
**『夢幻』(2020年、中央公論新社、徳川家と織田家の因縁を描いた小説)
*[[今村翔吾]]
**『幸村を討て』(2022年、中央公論新社、大坂の陣の謎に探偵役として家康自身が迫る小説)
*[[安部龍太郎]]
**『家康』(2020年~、幻冬舎時代小説文庫)
=== 映画 ===
*『家康公 徳川栄達物語』(1911年、横田商会、監督:[[牧野省三]])
*『徳川家康』(1919年、日活、出演:[[尾上松之助]])
* 『[[群青戦記#実写映画|ブレイブ -群青戦記-]]』(2021年、映画、出演:[[三浦春馬]])
: 主人公達を導き、主人公の人生を転換させる重要人物であり、戦国時代の世を治める者として描かれている。
:
=== テレビドラマ ===
:'''主役作品'''
:*『[[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]』(1983年、[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]、出演:[[滝田栄]])
:*『[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]』(1988年、[[TBS大型時代劇スペシャル]]、出演:[[松方弘樹]])
:*『[[葵 徳川三代]]』(2000年、NHK大河ドラマ、出演:[[津川雅彦]])
:*『[[徳川家康と三人の女]]』(2008年、テレビ朝日、出演:[[松平健]])
:*『[[どうする家康]]』(2023年、NHK大河ドラマ、出演:[[松本潤]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2182172/full/|title=松本潤、2023年大河ドラマの主役に決定 『どうする家康』脚本は古沢良太氏|website=ORICON NEWS|date=2021-01-19|accessdate=2021-01-19}}</ref>
:*『[[家康と三成のスマホ]]』(2023年、NHK、出演:[[安田顕]])
:
:'''登場作品'''
:*『[[太閤記 (NHK大河ドラマ)|太閤記]]』([[1965年]]、NHK大河ドラマ、出演:[[尾上菊蔵]])
:*『[[国盗り物語 (NHK大河ドラマ) |国盗り物語]]』(1973年、NHK大河ドラマ、出演:[[寺尾聰]])
:*『[[関ヶ原 (テレビドラマ)|関ヶ原]]』(1981年、TBS、演:[[森繁久彌]])
:*『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ) |独眼竜政宗]]』(1987年、NHK大河ドラマ、出演:[[津川雅彦]]、山岡荘八の小説を原作としたテレビドラマ)
:*『[[信長 KING OF ZIPANGU]]』(1992年、NHK大河ドラマ、出演:[[郷ひろみ]])
::主人公である[[織田信長]]の盟友として登場し、情に厚く、哀愁漂う人物として描かれている。
:*『[[琉球の風]]』(1993年、NHK大河ドラマ、出演:[[小林旭]])
:*『[[秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉]]』(1996年、NHK大河ドラマ、出演:[[西村雅彦]])
:*『[[利家とまつ〜加賀百万石物語〜]]』(2002年、NHK大河ドラマ、出演:[[髙嶋政宏]])
:*『[[武蔵 MUSASHI]]』(2003年、NHK大河ドラマ、出演:[[北村和夫]])
:*『[[大奥 (フジテレビの時代劇)#2004年版『大奥〜第一章〜』|大奥〜第一章〜]]』(2004年、フジテレビ時代劇シリーズ、出演:[[藤田まこと]])
:*『[[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻]]』(2006年、NHK大河ドラマ、出演:[[西田敏行]])
:*『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』(2007年、NHK大河ドラマ、出演:[[坂本慶介|坂本恵介]]) 松平元信→松平元康として登場。
:*『[[天地人 (NHK大河ドラマ)|天地人]]』(2009年、NHK大河ドラマ、出演:[[松方弘樹]])
:: 主人公である[[直江兼続]]にとっての好敵手として家康が登場し、悪役ではあるが人間味のある姿が描かれている。
:*『[[江〜姫たちの戦国〜]]』(2011年、NHK大河ドラマ、出演:[[北大路欣也]])
:: 主人公である[[崇源院|江]]にとっての後見人的存在として家康が登場する。
:*『[[軍師官兵衛]]』(2014年、NHK大河ドラマ、出演:寺尾聰)
:*『[[信長協奏曲]]』(2014年10月、フジテレビ「[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9]]枠」、出演:[[濱田岳]])
:*『[[真田丸 (NHK大河ドラマ) |真田丸]]』(2016年、NHK大河ドラマ、出演:[[内野聖陽]])
:: 主人公・[[真田信繁]]にとっての生涯の宿敵として登場するが、単純な悪役ではなく、喜怒哀楽を交え戦国大名として悩み苦しみ成長しながら真田家に対峙していく様子が描写されている。真田家の人物が直接関与しない事項は歴史上重要な事象でも大胆に割愛する作品構成にあって、家康側の事情は(真田家の人物が登場しなくとも)一続きの場面として取り上げられている。
:*『[[おんな城主 直虎]]』(2017年、NHK大河ドラマ、出演:[[阿部サダヲ]])
:: 主人公は[[井伊直虎]]。家康は、共に今川家配下であった時代から、その動向の如何が井伊家にとって影響の大きい人物として設定されており、遠江への侵攻による井伊家の消滅や、直虎の養子である[[井伊直政|井伊虎松]]の出仕など、幼少時から天正壬午の乱後の北条との同盟までの関わりが描かれている。
:* 『[[麒麟がくる]]』(2020年、NHK大河ドラマ、出演:[[風間俊介]])
:: 主人公・[[明智光秀]]との関わりがあった重要人物として登場する。家康の幼少期から今川氏や織田氏との関わりが描かれている。
:* 『[[青天を衝け]]』(2021年、NHK大河ドラマ、出演:[[北大路欣也]])
:: ドラマの案内役として主に番組冒頭で登場して、歴史上の出来事やその背景についてカメラ目線で視聴者に解説する。幕末から大正時代までを描いている作中で、江戸幕府の祖として、その終焉とその後の日本を視聴者と共に見守っていく役割になっている。
:*『[[鎌倉殿の13人]]』(2022年、NHK大河ドラマ、出演:[[松本潤]]) 最終回において次回作『どうする家康』より先行登場。『[[吾妻鏡]]』を読む姿が描かれている。
=== 漫画 ===
<!--メインストーリーに関わる重要性をもった作品のみ-->
*『[https://www.amazon.co.jp/%E6%8C%89%E9%87%9D%E3%81%A8%E5%AE%B6%E5%BA%B7-%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E4%BA%BA%E4%BE%8D-%E4%B8%89%E6%B5%A6%E6%8C%89%E9%87%9D-%E6%BF%A4%E6%B1%9F%E5%B1%B1-%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA-ebook/dp/B0828D2DWR/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7%E3%81%A8%E6%8C%89%E9%87%9D&qid=1582461365&s=books&sr=1-1 按針と家康: イギリス人侍 三浦按針]』
*『[[あずみ]]』([[小山ゆう]])
*『[[へうげもの]]』([[山田芳裕]])[[NHKBSプレミアム]]テレビアニメ版の声は[[鶴見辰吾]]。
*『[[ねこねこ日本史]]』([[そにしけんじ]])
*: 度々登場している。[[Eテレ]]のテレビアニメ版での徳川家康役は[[小林ゆう]]。
:
=== ゲーム ===
* 『[[戦国BASARA]]』シリーズ([[カプコン|CAPCOM]]、声:[[大川透]])- [[関ヶ原の戦い]]をモチーフとした「3」と、そのアニメ映像化作品『劇場版 戦国BASARA -The Last Party-』で主人公の一人として描かれている。
:
=== 舞台 ===
* 『[[TEAM NACS]] ニッポン公演「[[WARRIOR〜唄い続ける侍ロマン]]」』([[2012年]]、出演:[[安田顕]])
* 劇団砂喰社『鶴姫亀姫伝説~瀬名姫と椿姫~』([[2011年]]-[[2013年]])
* 劇団砂喰社『徳川信康物語』([[2012年]]-[[2014年]])
* 劇団砂喰社『徳川家康と井伊直虎』([[2014年]]-[[2017年]])
* 劇団静岡県史『徳川家康と山内一豊~鶴姫亀姫物語~』([[2021年]])
※影武者としての家康の主題作品は「[[徳川家康の影武者説#関連項目|徳川家康の影武者説]]」参照。
=== 音楽 ===
* 絶頂〜徳川家康(1973年、作詞:[[佐伯孝夫]]、作曲:[[冬木透]]、歌:[[三田明]]。コンピレーション・アルバム『戦国の武将』(規格品番:SJX-155)収録)
== 展覧会 ==
*「夏季特別展 徳川家康―天下人への歩み―」、2023年7月23日~2023年9月18日、徳川美術館・名古屋市蓬左文庫・[[読売新聞社]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/planned/2023/0723/ |title=夏季特別展 徳川家康―天下人への歩み― |access-date=2023-08-20 |publisher=徳川美術館}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
== 参考文献 ==
=== 古典 ===
* {{ Citation | 和書
| author=平岩親吉(伝)
| author-link=平岩親吉
| title=三河後風土記
| year=1648
| url = https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100163127/1?ln=ja
}}
* {{ Citation | 和書
| author=利倉屋喜兵衛(出版)
| title=古今銘尽
| publisher=利倉屋喜兵衛
| year=1702
| url=https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i13/i13_00769/index.html
}}
* {{Citation | 和書
| last = 大久保
| first = 忠教
| author-link = 大久保忠教
| title = 三河物語 (日本戦史材料 ; 第2巻)
| publisher = 日本戦史会
|year=| publication-date = 1890
| url = https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992777
| doi = 10.11501/992777
| id = {{NDLJP|992777}}
}}
=== 書籍 ===
* {{Citation|和書|title=市原市史|volume=中巻|publisher=[[市原市]]|editor=市原市教育委員会|date=1986-03-20|id={{NDLJP|9643783}}|ref={{SfnRef|市原市教育委員会|1986}}}}{{要登録}}
* {{Citation|和書|date=1936-08-30|title=[[国史大系]]|volume=第五十五巻|volume-title=[[公卿補任]] 第三篇|edition=新訂増補|editor=[[黒板勝美]]|publisher=国史大系刊行会|id={{NDLJP|3431668}}|ref={{SfnRef|黒板|1936}}}}{{要登録}}
* {{Cite book|和書 |editor =[[柴田顕正]] |date= 1972年10月5日 |title= 岡崎市史別巻 徳川家康と其周圍 |volume=上巻 |publisher = 名著出版 |ref= {{SfnRef|『徳川家康と其周圍』上巻|1972}} }}
* {{Cite book|和書 |editor =柴田顕正 |date= 1972年10月5日 |title= 岡崎市史別巻 徳川家康と其周圍 |volume=中巻 |publisher = 名著出版 |ref= {{SfnRef|『徳川家康と其周圍』中巻|1972}} }}
* {{Cite book|和書 |editor =柴田顕正 |date= 1972年10月5日 |title= 岡崎市史別巻 徳川家康と其周圍 |volume=下巻 |publisher = 名著出版 |ref= {{SfnRef|『徳川家康と其周圍』下巻|1972}} }}
* [[中村孝也]] 『徳川家康文書の研究』全4巻、日本学術振興会、1958-61年。
* {{Cite book|和書 |author = 中村孝也 |year = 1965 |title = 徳川家康公伝 |publisher = 東照宮社務所 |ref = {{SfnRef|中村|1965}}}}
* [[北島正元]] 『徳川家康―組織者の肖像―』、[[中央公論社]]、1963年6月。
* 北島正元 『江戸幕府』、[[小学館]]、1975年。
* [[藤野保]] 『徳川幕閣 ─武功派と官僚派の抗争』、中央公論〈[[中公新書]] 88〉、1965年。
* [[徳川義宣]]編 『徳川家康真蹟集』、[[角川書店]]、1983年。
*{{Citation|和書| last=田畑 | first=徳鴦 | title=三重県刀工・金工銘鑑 | publisher=三重県郷土資料刊行会 | year=1989 }}
* {{Cite book|和書|author=宮本義己|authorlink=宮本義己 |year = 1992 |title = 徳川家康の秘密 |publisher = KKベストセラーズ |isbn = 978-4-584-30294-1 |ref = {{SfnRef|宮本|1992}}}}
* {{Cite book|和書|author=今谷明|authorlink=今谷明|date=1993年6月|title=武家と天皇―王権をめぐる相剋―|series=[[岩波新書]]|publisher=[[岩波書店]]|isbn=4-00-430286-2|ref={{SfnRef|今谷|1993}}}}
* {{Citation|和書| last = 小笠原 | first = 信夫 | contribution = 村正 | title = [[日本大百科全書]] | publisher = [[小学館]] | publication-date = 1994 }}
* {{ Citation|和書| last=福永 | first=酔剣 | title=日本刀大百科事典 | publisher=[[雄山閣]] | year=1993 | isbn = 4-639-01202-0 }}
* 『二条城』、[[学研パブリッシング]]〈[[歴史群像]] 名城シリーズ 11〉、1996年5月。
* {{Cite book|和書 |year = 1996 |title = ビスカイノ金銀島探検報告 |others = [[村上直次郎]](訳) |publisher = 雄松堂出版 |series = 異国叢書 8 |ref = {{SfnRef|ビスカイノ}}}}
* {{Citation|和書|last = 新行| first = 紀一 | contribution = 三河後風土記 | title = [[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]] | publisher = [[吉川弘文館]] | publication-date = 1997 }}
* {{Cite book|和書 |author=新行紀一 |title=大樹寺の歴史 |publisher=大樹寺 |date=1983-4-17 |ref= {{SfnRef|大樹寺の歴史}} |isbn= }}
* {{Citation|和書|last=村川|first=浩平|title=日本近世武家政権論|year=2000|publisher=近代文芸社}}
* {{Citation|和書|last=笠谷|first=和比古|authorlink=笠谷和比古|chapter= |title=関ヶ原合戦と大坂の陣|year=2007|month=10|publisher=[[吉川弘文館]]|series=戦争の日本史17|isbn=978-4-642-06327-2}}
* {{Citation|和書|editor-last=笠谷|editor-first=和比古|title=徳川家康 ─その政治と文化・芸能─|publisher=宮帯出版社|date=2016-06|isbn=978-4-80-160047-8}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h20/03/obj04.html |title=刀 銘 村正 徳川家康所用|夏休み子ども教室 徳川家康と戦国のたたかい|企画展案内|徳川美術館 |publisher=徳川美術館 |year=2008 |accessdate=2018-09-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081205080758/www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h20/03/obj04.html |archivedate=2008-12-05 |deadlinkdate=2018-09-04 |ref = {{harvid|徳川美術館|2008}} }}
* {{Citation|和書|last=河内|first=将芳|authorlink=河内将芳|title=秀吉の大仏造立|publisher=[[法藏館]]|year=2008}}
* {{Citation|和書|last=河内|first=将芳|title=秀吉没後の豊臣と徳川 京都・東山大仏の変遷からたどる|publisher=[[淡交社]]|year=2023}}
* {{Citation|和書|last=本多|first=隆成|authorlink=本多隆成|title=定本 徳川家康|publisher=吉川弘文館|year=2010}}
* {{Cite book|和書 |author=鈴木かほる|authorlink=鈴木かほる |year = 2010 |title = 徳川家康のスペイン外交 -向井将監と三浦按針- |publisher = 新人物往来社 |ref = {{SfnRef|鈴木|2010}}}}
* {{Cite book|和書|editor=|author=渡邊大門|authorlink=渡邊大門|chapter= |title=大坂落城 戦国終焉の舞台|year=2012|month=9|publisher=[[角川学芸出版]]|series=角川選書|isbn=978-4-04-703512-6 |ref={{SfnRef|渡邊|2012}}}}
* {{Cite book|和書 |author = 谷口克広 |authorlink = 谷口克広 |year = 2012 |title = 信長と家康 清州同盟の実体 |publisher = [[学研パブリッシング]] |series = 学研新書 |isbn = 978-4-05-405213-0 |ref = {{SfnRef|谷口|2012}}}}
** {{Cite book|和書|url=|title=信長と家康の軍事同盟-利害と戦略の二十一年|series=|author=谷口克広|publisher=[[吉川弘文館]]|year=2019|month=11|isbn=978-4642071116|ref=harv}}【改題】「補論」追加、出版社変更、単行本で再刊
* {{Cite book|和書|author = 片山正彦 |year = 2017 |title = 豊臣政権の東国政策と徳川氏 |series = 佛教大学研究叢書 |publisher = 思文閣出版 |isbn = 978-4-7842-1875-2 |ref = {{SfnRef|片山}}}}
* {{Cite web|和書| title=日本名刀展第1部 見どころ学べる!目で観る刀の教科書 展 | author=川田千沙 | coauthors=古川幹夫 | websiter= インターネットミュージアム | date = 2017-05-10 | url=https://www.museum.or.jp/report/947 | accessdate= 2018-09-25 | ref = {{sfnref|川田|古川|2017}}}}
* {{Citation|和書|last=柴|first=裕之|date=2017-06|title=徳川家康 境界の領主から天下人へ|series=中世から近世へ|publisher=[[平凡社]]|isbn=978-4-582-47731-3}}
* {{Citation|和書|editor-last=柴|editor-first=裕之|title=徳川家康|series=シリーズ・織豊大名の研究 第十巻|publisher=戎光祥出版|year=2021|isbn=978-4-86403-407-4}}
* {{Cite book|和書|author=興津諦|year = 2015 |title = 余ハ此處ニ居ル〜すんぷ特別版〜 |publisher = アドマック出版 |isbn = 978-4-9907261-1-9}}
* {{Cite book|和書|author=興津諦|year = 2019 |title = 余ハ此處ニ居ル〜家康公は久能にあり〜 |publisher = [[静岡新聞社]] |isbn = 978-4-7838-1094-0}}
* {{Citation|和書|date=1989-03-31|title=岡崎市史|volume-title=中世 2|editor=新編岡崎市史編集委員会|edition=新編|publisher=新編岡崎市史編さん委員会|id={{NDLJP|9540743}}|ref={{SfnRef|新編岡崎市史編集委員会|1989}}}}{{要登録}}
* {{Citation|和書|editor-last=大石|editor-first=泰史|title=今川義元|series=シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻|publisher=戎光祥出版|date=2019-06|isbn=978-4-86403-325-1}}
* {{Citation|和書|editor-last=黒田|editor-first=基樹|title=今川義元とその時代|series=シリーズ・戦国大名の新研究 第1巻|publisher=戎光祥出版|date=2019-06|isbn=978-4-86403-322-0}}
* {{Citation|和書|editor-last=黒田|editor-first=基樹|title=徳川家康とその時代|series=シリーズ・戦国大名の新研究 第3巻|publisher=戎光祥出版|date=2023-05|isbn=978-4-86403-473-9}}
* {{Citation|和書|last=村山|first=修一|authorlink=村山修一|title=京都大仏御殿盛衰記|publisher=法藏館|year=2003}}
* 宮下玄覇編『徳川将軍家 御三家 御三卿 旧蔵品総覧』[[宮帯出版社]]、2023年。{{ISBN2| 978-4-8016-0014-0}}。
=== 論文 ===
*富士川遊「徳川家康の身體に就いて」、『史学雑誌』18編12号、1907年。
* {{ Citation | 和書 | last=本間 | first=薫山 | author-link=本間薫山 | chapter=文献に見る村正の年代その他 | pages=1-2 | editor-last=佐藤 | editor-first=寒山 | editor-link=佐藤寒山 | title=伊勢の刀工 | publisher=財団法人 日本美術刀剣保存協会 | year=1963}}
* {{Cite journal|和書 |author = 宮本義己 |date = 1995 |title = 徳川家康公と医学 |journal = 大日光 |issue= 66号 |ref = {{SfnRef|宮本|1995}}}}
* {{Cite journal|和書 |author = 笠谷和比古 |date = 1997-09-30 |title = 徳川家康の源氏改姓問題 |journal = 日本研究 |volume= 16巻 |publisher = [[国際日本文化研究センター]] |naid= 40004808755|url=https://doi.org/10.15055/00000770 |accessdate = 2019-06-05|ref = {{SfnRef|笠谷|1997}}}}
* {{Cite journal|和書|author=平野明夫 |title=戦国期徳川氏の政治的立場--織田氏との係わりを通して |journal=国史学 |issn=03869156 |publisher=国史学会 |year=1995 |month=dec |issue=158 |pages=97-128 |naid=40001320547
}}
* {{Cite journal|和書|author=滝川恒昭|title=里見氏にあてた家康の起請文|journal=季刊ぐんしょ|issue=58号|year=2002}}/所収:{{Citation|和書|editor=滝川恒昭|title=房総里見氏|series=中世関東武士の研究13|publisher=戎光祥出版|date=2014-10|isbn=978-4-86403-138-7}}
* {{Cite journal|和書|author=柴裕之|title=永禄期における今川・松平両氏の戦争と室町幕府―将軍足利義輝の駿・三停戦令の考察を通じて―|journal=地方史研究|issue=315号|year=2005|ref={{SfnRef|柴|2005}}}}/改題所収:{{Cite book|和書|author=柴裕之|chapter=今川・松平両氏の戦争と室町幕府将軍|title=戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配|publisher=岩田書院|year=2014}}
* {{Cite journal|和書|author=赤坂恒明|url=http://akasakatsuneaki.c.ooco.jp/h/buryak1571.html|title=元亀二年の『堂上次第』について ─特に左京大夫家康(三川 徳川)に関する記載を中心に ─|journal=十六世紀史論叢|issue=創刊号|pages=58-78|date=2013-03}}
* {{Cite journal|和書|author=村川浩平|authorlink=村川浩平|url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/33306/ |title = 天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜の事例 |year = 2013 |publisher =駒澤大学文学部 |journal = 駒沢史学 |volume = 80 |pages=112-129|ref = {{SfnRef|村川|2013}}}}
* {{ Citation |和書|last=福井 |first=款彦 |chapter=【総説】伊勢国桑名の名工 村正〜その虚と実〜 |pages=41-46 |editor=桑名市博物館 |title=特別企画展「村正 ―伊勢桑名の刀工―」 |publisher=桑名市博物館 |year=2016}}
* {{cite journal |和書 |last=原 |first=史彦|year=2017 |title=「刀 銘 村正」の伝来と妖刀村正伝説 |journal=金鯱叢書 |publisher=徳川美術館 |volume=45 |pages=27-57 |url=https://www.tokugawa-art-museum.jp/academic/publications/kinkososho/items/f8b3e3319ed707936b7575e956800bc715095cda.pdf |ref = harv}}
* {{Citation|和書|last=小川|first=雄|chapter=今川氏の三河・尾張経略と水野一族|editor=戦国史研究会|title=論集 戦国大名今川氏|publisher=岩田書院|year=2020|978-4-86602-098-3}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat}}
{{Wikiquote|徳川家康}}
* [[松平状]]
* [[ウィリアム・アダムス]]
* [[徳川家康の影武者説]]
* [[東照宮]] - [[日光東照宮]] [[久能山東照宮]] [[仙台東照宮]]
* [[徳川家康の馬印]]
* [[徳川四天王]] - 徳川家康の功臣。[[酒井忠次]]・[[本多忠勝]]・[[榊原康政]]・[[井伊直政]]の4人。
* [[徳川十六神将]]
* [[久能山御蔵金銀]]
* [[平塚八幡宮]] - 徳川家康が御朱印地50石を寄進、慶長年間(1596年 - 1615年)には自ら参拝し、同年間の末ごろに伊奈備前守忠次へ命じて戦火で荒廃していた社殿を再建させる。
* [[葵梶葉文染分辻が花染小袖]]
* [[白練緯地松皮菱竹模様小袖]]
* [[徳川家康の洋時計]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* [https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/ 徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー] - [[国立公文書館]]
* [https://ieyasu.nagoya-info.jp/ 家康と名古屋 BEYOND DRAMA] - 名古屋市
* [https://news.mynavi.jp/article/20211103-2164543/ 徳川家康とはどんな人? 有名なエピソードや名言、死因などわかりやすく解説] - [[マイナビニュース]]
* [https://www2.nhk.or.jp/school/watch/bangumi/?das_id=D0005120211_00000 歴史にドキリ|徳川家康〜戦国から江戸へ〜] - [[NHK for School]]
* [https://www.touken-world.jp/tips/29925/ 初代将軍/徳川家康の歴史] - [[名古屋刀剣ワールド|刀剣ワールド]]
* [https://www.aichi-now.jp/features/detail/231/ 徳川家康ゆかりの地巡り] - 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now([[一般社団法人]] 愛知県[[観光協会]])
* [http://sanpai-japan.com/tokugawa/ 徳川家康公の足跡をたどる 平和の礎を築いた男] - SANPAI JAPAN(一般社団法人 全日本社寺観光連盟)
* [https://rurubu.jp/andmore/article/19058 【愛知】徳川家康ゆかりの地をめざして、岡崎・新城・清須・長久手へ] - [[るるぶ]]&more.([[JTB]])
* [https://sanadada.com/4272/ 【どうする家康】徳川家康と城郭(概要編)]~居城の変遷を探究する
{{徳川家康の系譜}}
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'''4月6日'''(しがつむいか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から96日目([[閏年]]では97日目)にあたり、年末まであと269日ある。
== できごと ==
[[File:Battle_of_Thapsus.jpg|thumb|[[タプススの戦い]](BC46)。画像は1619年の再現図|180x180ピクセル]]
[[File:Battle_of_Shiloh_Thulstrup.jpg|thumb|[[南北戦争]]初期の大規模戦闘、[[シャイローの戦い]](1862)|180x180ピクセル]]
[[File:5jo1.gif|thumb|[[五箇条の御誓文]]発布(1668)|321x321ピクセル]]
[[File:1896_Olympic_opening_ceremony.jpg|thumb|180x180px|第1回[[近代オリンピック]]、[[アテネオリンピック (1896年)|アテネオリンピック]]開催(1896)]]
[[File:Pioneer_G_%28Pioneer_11%29_launch.jpg|thumb|180x180px|初の土星探査機、[[パイオニア11号]]打ち上げ(1973)]]
* [[紀元前46年]] - [[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内戦]]: [[タプススの戦い]]で[[ユリウス・カエサル]]が[[元老院派]]の軍を破る。
* [[1199年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]](獅子心王)が死去。後継に指名された弟の[[ジョン (イングランド王)|ジョン]]が即位。
* [[1320年]] - [[スコットランド]]で[[アーブロース宣言]]を採択。[[イングランド]]からの独立がほぼ成る。
* [[1385年]] - [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]が[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王に選出され即位。
* [[1591年]]([[天正]]19年[[2月13日 (旧暦)|2月13日]]) - [[豊臣秀吉]]が[[千利休]]を京都から堺へ追放。
* [[1633年]]([[寛永]]10年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - 第一次[[鎖国]]令。江戸幕府が、[[奉書船]]以外で海外渡航・海外に長期在住した日本人の帰国を禁止。
* [[1782年]] - [[ラーマ1世]]が、乱心をきたした[[タイ王国|シャム]]国王[[タークシン]]を処刑し、自ら王位に就く。[[チャクリー王朝]]の始まり。
* [[1805年]]([[文化 (元号)|文化]]2年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - 長崎に来航中のロシア使節[[ニコライ・レザノフ]]に通商拒絶を通告。
* [[1814年]] - [[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]]がフランス王に即位。[[フランス復古王政]]が始まる。
* [[1825年]]([[文政]]8年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[江戸幕府]]が[[異国船打払令]](無二念打払令)を発布。
* [[1830年]] - [[末日聖徒イエス・キリスト教会]](モルモン教)が創設される。
* [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[シャイローの戦い]]が始まる。
* [[1865年]] - 南北戦争: [[セイラーズクリークの戦い]]
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - 前日から続く2度目の[[西郷隆盛]]と[[勝海舟]]の会談により、官軍による江戸総攻撃の中止と[[江戸開城|江戸城の無血開城]]が決定<ref>{{Cite web|和書|url=https://visit-minato-city.tokyo/ja-jp/articles/430 |title=【港区歴史さんぽ】「江戸無血開城」へと続く西郷隆盛・勝海舟会談の舞台になった港区 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=Tokyo Minato City Travel & Tourism Association |date=15 Sep 2021}}</ref>。
* 1868年(慶応4年3月14日) - [[五箇条の御誓文]]発布<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kodomo.go.jp/yareki/archive/archive_04.html |title=五箇条の誓文 / 五箇条の御誓文 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[国立国会図書館]] 国際子ども図書館 |work=中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典}}</ref>。
* [[1882年]] - [[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]党首の[[板垣退助]]が遊説中に暴漢に襲われる。([[岐阜事件]])
* [[1896年]] - 第1回[[近代オリンピック]]([[アテネオリンピック (1896年)|アテネオリンピック]])開幕。[[4月15日]]まで。
* [[1909年]] - アメリカ人探検家[[ロバート・ピアリー]]隊6名が初めて[[北極点]]に到達する<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/pearys-expedition-reaches-north-pole |title=Robert Peary almost reaches the North Pole |access-date=6 Apr 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC.}}</ref>。
* [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]: アメリカ合衆国がドイツに対して[[アメリカ合衆国の対独宣戦布告 (1917年)|宣戦布告]]。
* [[1919年]] - [[インド]]で[[マハトマ・ガンディー]]により第1次サティヤーグラハ(非暴力・不服従)運動が開始される。
* [[1921年]] - 東京の[[浅草]]で大火<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p343 河出書房新社 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。 住家や店舗1227戸全焼、同73戸半焼。市民が494人、消防隊50人が負傷<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.bosaijoho.jp/reading/item_5993.html |title=○東京浅草大正の大火(90年前) 1921年(大正10年)4月6日 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=防災情報新聞}}</ref>。
* [[1928年]] - 多摩湖線国分寺駅〜萩山駅間で、[[西武多摩湖線]]開業。
* [[1931年]] - [[東京放送局]](現在の[[NHK放送センター]])が[[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2放送]]を開始。
* [[1933年]] - [[中国国民政府]]が[[銀元#廃両改元|廃両改元]]を行い、[[銀錠]]による[[両|銀両]]制度を廃して[[銀元]]を導入する。
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]・[[バルカン戦線 (第二次世界大戦)]]: [[ナチス・ドイツ]]が[[ユーゴスラビア]]および[[ギリシャ]]に侵攻。([[ユーゴスラビア侵攻]]・[[ギリシャの戦い]])
* 1941年 - 第二次世界大戦: イギリス軍が[[エチオピア]]の首都・[[アディスアベバ]]を陥落し、[[イタリア]]の占領から解放。
* 1941年 - [[琵琶湖遭難事故]]: [[第四高等学校 (旧制)|旧制四高]][[ボート競技|漕艇部員]]11名が[[琵琶湖]]で練習中に突風で遭難。流行歌「[[琵琶湖哀歌]]」の題材となる。
* [[1943年]] - [[サン=テグジュペリ]]作『[[星の王子さま]]』(仏語)が[[ニューヨーク]]で出版される<ref>{{Cite web |url=https://frenchculture.org/books-and-ideas/4378-70th-anniversary-publication-little-prince |title=70th Anniversary Of The Publication Of The Little Prince |access-date=6 Apr 2023 |publisher=CULTURAL SERVICES FRENCH EMBASSY IN THE UNITED STATES}}</ref>。
* [[1944年]] - [[愛知県]]に[[大府飛行場]]が竣工する。
* [[1947年]] - 初の[[トニー賞]]授賞式が行われる。
* [[1952年]] - [[大村競艇場]]にて[[競艇]]が初開催される<ref>{{Cite web|和書|url=https://nagasaki-bunkanet.jp/institution/ボートレース発祥の地記念館/ |title=ボートレース発祥の地記念館(ボートレース大村) |access-date=6 Apr 2023 |publisher=長崎県文化振興・世界遺産課}}</ref>。
* [[1955年]] - 最高裁が、[[帝銀事件]]の[[平沢貞通]]の上告を棄却する判決。
* [[1964年]] - [[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]で人形劇『[[ひょっこりひょうたん島]]』放送開始。
* [[1965年]] - [[インテルサット]]の最初の衛星「{{仮リンク|インテルサットI|en|Intelsat I}}アーリバード」が打ち上げられる。
* [[1968年]] - [[スタンリー・キューブリック]]監督の映画『[[2001年宇宙の旅]]』がアメリカで公開。
* [[1973年]] - [[パイオニア計画]]: 「[[パイオニア11号]]」が打ち上げられる。
* [[1975年]] - [[朝日放送テレビ|朝日放送]]制作([[テレビ朝日|NET→テレビ朝日]]系列)の『[[パネルクイズ アタック25]]』が放送開始。
* [[1977年]] - [[イラン]]の[[エスファハーン]]近郊を震源とする[[地震]]が発生。死者500人を超す被害となった<ref>イランでまた地震 死者五百人を超す『朝日新聞』1977年(昭和48年)4月8日朝刊、13版、23面</ref>。
* [[1978年]] - [[東京都]][[豊島区]][[東池袋]]の旧[[東京拘置所]]の跡地に60階建の[[超高層ビル]]「[[サンシャイン60]]」の展望台がオープン。当時は東洋一の高さを誇った<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000742.000020364.html |title=~サンシャインシティ開業から45周年~「誇りや愛着を抱く“まち”を創る“共創ディベロッパー”」を新たなビジョンに |access-date=6 Apr 2023 |publisher=PR TIMES |date=1 Mar 2023}}</ref>。
* 1978年 - [[第1回日本アカデミー賞]]授賞式が行われる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO57616410T00C20A4EAC000/ |title=4月6日 第1回日本アカデミー賞、山田監督が最優秀賞 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=3 Apr 2020}}</ref>。
* 1978年 - [[東京都]]練馬区中荒井で1時間に62mmの局地的強雨<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1979/1979_02_0083.pdf |title=1978年4月6日の大雨の局地的強化 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[日本気象学会]] |page=1 |format=[[PDF]]}}</ref>。[[神田川 (東京都)|神田川]]が[[下落合 (新宿区)|下落合]]、[[高田馬場]]付近で氾濫して約580戸が床上浸水、床下浸水。[[石神井川]]が[[大谷口 (板橋区)|大谷口]]で氾濫して約200戸が床上浸水、約850戸が床下浸水<ref>いだてん春のあらし「子供があぶない」父母が背負って避難『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月7日朝刊、13版、23面</ref>。
* [[1987年]] - [[メジャーリーグベースボール|MLB]]、[[ロサンゼルス・ドジャース]]の[[ゼネラルマネージャー]]である[[アル・キャンパニス]]が黒人差別と疑われる発言を行い、2日後に辞任。
* [[1994年]] - [[死刑廃止を推進する議員連盟]]が発足。
* 1994年 - [[ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件]]: [[ルワンダ]]大統領と[[ブルンジ]]大統領が、搭乗していた飛行機を何者かに撃墜され死亡。
<!-- * [[1999年]] - この日初めて、外国産[[クワガタムシ]]である[[ニジイロクワガタ]]の生体が他の外国産クワガタムシに先駆けて合法的に日本に輸入される。 -->
* [[1999年]] - [[ロンドン]]で[[ミュージカル]]『[[マンマ・ミーア!]]』が初演。
* [[2002年]] - 多くの公立小・中学校、高等学校にて[[学校週5日制]]を適用。
* [[2004年]] - [[リトアニア]]で[[ロランダス・パクサス]]大統領の弾劾が成立し、辞任。
* 2004年 - この年メジャー移籍した[[松井稼頭央]](当時[[ニューヨーク・メッツ]])が[[アトランタ・ブレーブス]]戦で、メジャー史上初の[[開幕戦]]・新人・初打席・初球[[本塁打]]を記録。
* [[2009年]] - [[ラクイラ地震]]が発生。 309人が死亡、6万人以上が被災した<ref>{{Cite web|和書|date=23 Oct 2012 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2204V_S2A021C1CR8000/ |title=地震予知失敗で禁錮6年 伊の学者ら7人実刑判決 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=6 Apr 2023}}</ref>。
* [[2012年]] - [[アザワド独立宣言]]が出される<ref>{{Cite web|和書|date=6 Apr 2012 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2869930 |title=西アフリカのマリ、反政府勢力MNLAが北部独立を宣言 |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=6 Apr 2023}}</ref>。
*[[2023年]] - 宮古島で自衛隊ヘリが墜落する
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[File:"The School of Athens" by Raffaello Sanzio da Urbino.jpg|thumb|盛期[[ルネサンス]]の画家[[ラファエロ・サンティ]](1483-1520)は4月6日生、4月6日没。画像は代表作『[[アテナイの学堂]]』(1509-1510)|180x180ピクセル]]
[[File:Nadar_selfportrait.jpg|thumb|写真家[[ナダール]](1820-1910)誕生。画像は[[肖像画|セルフポートレート]](1910)|221x221ピクセル]]
[[File:GustaveMoreau02.jpg|thumb|180px|[[象徴主義|象徴派]]の画家[[ギュスターヴ・モロー]](1826-1898)。画像は自画像]]
[[File:Gustave_Moreau_Salom%C3%A9_1876.jpg|thumb|180px|[[象徴主義|象徴派]]の画家[[ギュスターヴ・モロー]](1826-1898)。画像は『サロメ』(1871)]]
[[File:Rooster_by_Ren%C3%A9_Jules_Lalique.jpg|thumb|286x286px|[[ガラス工芸]]家[[ルネ・ラリック]](1860-1945)。画像は『鶏』]]
[[File:James_Watson.jpg|thumb|[[DNA]]の[[二重螺旋]]構造を発見した[[分子生物学]]者、[[ジェームズ・ワトソン]](1928-)|217x217ピクセル]]
* [[1483年]] - [[ラファエロ・サンティ]]、[[画家]](+ [[1520年]])
* [[1564年]]([[永禄]]7年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[山口重政]]、[[常陸国]][[牛久藩]]主(+ [[1635年]])
* [[1632年]] - [[マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル]]、[[神聖ローマ帝国]][[皇后]](+ [[1649年]])
* [[1660年]] - [[ヨハン・クーナウ]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]]、[[チェンバロ]]奏者(+ [[1722年]])
* [[1664年]] - [[アルヴィド・ホルン]]、[[スウェーデン]]の[[政治家]](+ [[1742年]])
* [[1671年]] - [[ジャン=バティスト・ルソー]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Jean-Baptiste-Rousseau |title=Jean-Baptiste Rousseau|French author |access-date=6 Apr 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[詩人]](+ [[1741年]])
* [[1773年]] - [[ジェームズ・ミル]]、[[経済学者]]、[[歴史家|歴史学者]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1836年]])
* [[1801年]] - [[ウィリアム・ハロウズ・ミラー]]<ref>{{Cite web |url=https://www.lindahall.org/about/news/scientist-of-the-day/william-allen-miller-and-william-hallowes-miller |title=WILLIAM ALLEN MILLER AND WILLIAM HALLOWES MILLER |access-date=6 Apr 2023 |publisher=Linda Hall Library}}</ref>、[[鉱物学|鉱物学者]]、[[結晶学|結晶学者]](+ [[1880年]])
* [[1810年]] - [[フィリップ・ヘンリー・ゴス]]<ref>{{Cite web |title=Philip Henry Gosse {{!}} British naturalist |url=https://www.britannica.com/biography/Philip-Henry-Gosse |website=Britannica |access-date=6 Apr 2023}}</ref>、[[自然科学|自然科学者]](+ [[1888年]])
* [[1812年]] - [[アレクサンドル・ゲルツェン]]、[[文学者]]、[[思想家]](+ [[1870年]])
* [[1815年]] - [[ローベルト・フォルクマン]]、作曲家(+ [[1883年]])
* [[1820年]] - [[ナダール]]、[[写真家]](+ [[1910年]])
* 1820年([[文政]]3年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]) - [[土屋寅直]]、常陸国[[土浦藩]]主(+ [[1895年]])
* [[1826年]] - [[ギュスターヴ・モロー]]、画家(+ [[1898年]])
* [[1836年]]([[天保]]7年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]) - [[山名義済]]、[[但馬国]][[村岡藩]]主(+ [[1871年]])
* [[1849年]] - [[ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス]]、画家(+ [[1917年]])
* [[1860年]] - [[ジョルジュ・ビゴー]]、[[挿絵|挿絵画家]]、[[漫画家]](+ [[1927年]])
* 1860年 - [[ルネ・ラリック]]、[[フランス]]の[[ガラス工芸]]家、[[宝飾デザイナー]](+ [[1945年]])
* [[1861年]] - {{仮リンク|スタニスラス・ド・ガイタ|en|Stanislas de Guaita}}、薔薇十字カバラ団の創設者(+ [[1897年]])
* [[1878年]] - [[長與又郎]]、[[医学|医学者]](+ [[1941年]])
* [[1884年]] - [[ウォルター・ヒューストン]]、[[俳優]](+ [[1950年]])
* [[1888年]] - [[高畠華宵]]、画家(+ [[1966年]])
* 1888年 - [[市川厚一]]、[[病理学者]](+ [[1948年]])
* 1888年 - [[ハンス・リヒター (画家)|ハンス・リヒター]]、画家(+ [[1976年]])
* [[1890年]] - [[アントニー・フォッカー]]、[[フォッカー]]社設立者(+ [[1939年]])
* [[1892年]] - [[平良辰雄]]、政治家(+ [[1969年]])
* [[1894年]] - [[ガートルード・ベインズ]]、元世界最高齢者(+ [[2009年]])
* [[1898年]] - [[ジャンヌ・エビュテルヌ]]、[[画家]](+ [[1920年]])
* [[1899年]] - [[兵頭精]]、[[パイロット (航空)|飛行家]](+ [[1980年]])
* [[1900年]] - [[白井鐵造]]、[[演出家]](+ [[1983年]])
* 1900年 - [[齋田梅亭]]、[[截金|截金師]](+ [[1981年]])
* [[1902年]] - [[久生十蘭]]、[[小説家]](+ [[1957年]])
* [[1903年]] - [[赤岩栄]]、[[思想家]]、[[牧師]](+ [[1966年]])
* 1903年 - [[八住利雄]]、[[脚本家]](+ [[1991年]])
* 1903年 - [[ミッキー・カクレーン]]、元[[プロ野球]]選手(+ [[1962年]])
* [[1904年]] - [[クルト・ゲオルク・キージンガー]]、[[ドイツの首相|ドイツ連邦首相]](+ [[1988年]])
* 1904年 - [[ジョルジュ・ゴーチ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1985年]])
* 1904年 - [[常書鴻]]、[[画家]](+ [[1994年]])
* [[1906年]] - [[和田芳恵]]、小説家(+ [[1977年]])
* [[1908年]] - [[アーニー・ロンバルディ]]、元プロ野球選手(+ [[1977年]])
* [[1911年]] - [[フェオドル・リュネン]]、[[化学者]](+ [[1979年]])
* [[1915年]] - [[亀倉雄策]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[1997年]])
* 1915年 - [[綿貫惣司]]、[[プロ野球選手]](+ 没年不詳)
* [[1917年]] - [[服部富子]]、[[歌手]](+ [[1981年]])
* [[1919年]] - [[高木文雄]]、[[財務事務次官|大蔵事務次官]]、第8代[[日本国有鉄道]]総裁(+ [[2006年]])
* [[1920年]] - [[小野明]]、[[政治家]](+ [[1990年]])
* 1920年 - [[エドモンド・フィッシャー]]、[[生化学|生化学者]](+ [[2021年]])
* [[1924年]] - [[飯田徳治]]、プロ野球選手(+ [[2000年]])
* [[1925年]] - [[桂米丸 (4代目)|桂米丸]]、[[落語家]]
* [[1927年]] - [[ジェリー・マリガン]]、[[サクソフォーン|バリトンサックス]]奏者(+ [[1996年]])
* 1927年 - [[増岡重昂]]、実業家、[[増岡組]]・[[鉄鋼ビルディング]]社長(+ [[1998年]])
* [[1928年]] - [[ジェームズ・ワトソン]]、[[遺伝学|遺伝学者]]
* 1928年 - [[阪田正芳]]、元プロ野球選手(+ [[1992年]])
* 1928年 - [[ピーター・タウンゼント (社会学者)|ピーター・タウンゼント]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[2009年]])
* [[1929年]] - [[小沢昭一]]、[[俳優]](+ [[2012年]])
* 1929年 - [[大塚雄司]]、政治家(+ [[2010年]])
* 1929年 - [[アンドレ・プレヴィン]]、[[指揮者]]、作曲家(+2019年<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM313RRPM31UCVL012.html |title=世界的指揮者アンドレ・プレヴィンさん死去 映画音楽も |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=1 Mar 2019 |accessdate=6 Apr 2023}}</ref>)
* 1929年 - [[エディソン・デニソフ]]、作曲家(+ 1996年)
* 1929年 - [[アート・テイラー]]、[[ジャズ]][[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1995年]])
* [[1930年]] - [[桂木洋子]]、[[俳優|女優]](+ [[2007年]])
* [[1932年]] - [[ヘルムート・グリーム]]、俳優(+[[2004年]])
* 1932年 - [[フョードル・ドルジーニン]]、[[ヴィオリスト]]、作曲家(+ 2007年)
* [[1934年]] - [[アントン・ヘーシンク]]、[[柔道家]]、[[プロレスラー]](+ [[2010年]])
* [[1935年]] - [[中西勝己]]、元プロ野球選手(+ [[2009年]])
* 1935年 - [[石本隆]]、[[水泳選手一覧|水泳選手]]
* [[1937年]] - [[別役実]]、[[劇作家]](+ [[2020年]])
* [[1939年]] - [[岸香織]]、[[宝塚歌劇団卒業生]](+ [[2012年]])
* [[1941年]] - [[田嶋陽子]]、[[フェミニスト]]、[[政治家]]
* 1941年 - [[バーバラ・ロールズ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1941年 - [[ゲオルゲ・ザンフィル]]、[[パンフルート]]奏者
* [[1942年]] - [[バリー・レビンソン]]、映画監督
* 1942年 - [[上月晃]]、女優(+ [[1999年]])
* [[1944年]] - [[林俊宏]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[坂井寿美江]]、[[声優]]
* 1945年 - [[野島昭生]]、声優
* 1945年 - [[山田英介]]、政治家、元[[衆議院議員]](+ [[2012年]])
* [[1946年]] - [[ダニー・コーチマー]]、ミュージシャン
* [[1947年]] - [[伊東ゆかり]]、[[歌手]]
* 1947年 - [[ジョン・ラッツェンバーガー]]、声優
* [[1948年]] - [[長戸大幸]]、[[音楽プロデューサー]]
* 1948年 - [[佐藤義和]]、[[テレビプロデューサー]](+ [[2020年]])
* 1948年 - [[山本晴三]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[フィリップ・ガレル]]、[[映画監督]]
* [[1949年]] - [[ホルスト・ルートヴィヒ・シュテルマー]]、[[物理学者]]
* [[1950年]] - [[加藤安雄]]、元プロ野球選手
* 1950年 - [[東出康博]]、元プロ野球選手(+ [[2012年]])
* [[1951年]] - [[バート・ブライレブン]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[玉木正之]]、スポーツライター
* [[1953年]] - [[宇津木妙子]]、元[[ソフトボール]]選手、監督
* 1953年 - [[ジャネット・リン]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1953年 - [[鳥坂九十九]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[マイケル・ルーカー]]、俳優
* 1955年 - [[小泉泰重]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[松本竜助]]、[[漫才師]](+ [[2006年]])
* [[1960年]] - [[東利夫]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[石川晃]]、元プロ野球選手
* [[1962年]] - [[秋山幸二]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/players/51153863.html |title=秋山 幸二(福岡ダイエーホークス) |access-date=6 Apr 2023 |publisher=日本野球機構}}</ref><ref name="卒業,P50">秋山幸二著、卒業、西日本新聞社、2003年、P50</ref>、元プロ野球選手、元監督
* 1962年 - [[谷川浩司]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* 1963年 - [[高橋ひろし]]、声優
* [[1963年]] - [[ラファエル・コレア]]、政治家、55代[[エクアドル]][[大統領]]
* 1963年 - [[デリック・メイ (ミュージシャン)|デリック・メイ]]、ミュージシャン、[[ディスクジョッキー|DJ]]
* [[1964年]] - [[加藤公一]]、政治家
* 1964年 - [[デビッド・ウッダード]]、指揮者
* [[1965年]] - [[ブラック・フランシス]]、ミュージシャン([[ピクシーズ]])
* 1965年 - [[サラ・カサノバ]]、実業家、日本マクドナルド株式会社代表取締役社長兼CEO
* [[1966年]] - [[大塚義樹]]、元プロ野球選手
* [[1967年]] - [[熊澤尚人]]、映画監督
* [[1969年]] - KO-HEY、[[ドラマー]]([[Skoop On Somebody]])
* 1969年 - [[ポール・ラッド]]、俳優
* 1969年 - [[ブレット・ブーン]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[ルー・メローニ]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[千綿ヒデノリ]]、ミュージシャン
* 1972年 - [[そめやゆきこ]]、元[[タレント]]、元歌手
* [[1973年]] - [[宮沢りえ]]、女優
* 1973年 - [[萩原誠]]、元プロ野球選手
* 1973年 - AZU、ミュージシャン、[[サクソフォーン|テナーサックス]]奏者([[GELUGUGU]])
* [[1974年]] - [[ロベルト・コヴァチ]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* [[1975年]] - [[ロッシー]]、[[お笑い芸人]]([[野性爆弾]])
* 1975年 - [[ザック・ブラフ]]、俳優
* [[1976年]] - [[乙武洋匡]]、スポーツライター
* 1976年 - [[若旦那 (ミュージシャン)|若旦那]]、[[レゲエ]]ミュージシャン([[湘南乃風]])
* 1976年 - [[こじまいづみ]]、ミュージシャン([[花*花]])
* 1976年 - [[キャンディス・キャメロン・ブレ]]、女優
* 1976年 - {{仮リンク|ゲオルグ・ホルム|en|Georg Hólm}}、ミュージシャン([[シガー・ロス]])
* [[1977年]] - [[アンディ・フィリップス]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[吉もと誠]]、漫画家
* 1977年 - [[森本智子]]、アナウンサー
* [[1978年]] - [[中尾祐之]]、俳優
* 1978年 - [[イゴール・セムショフ]]、元サッカー選手
* 1978年 - {{仮リンク|マイリーン・クラス|en|Myleene Klass}}、[[歌手]]、女優
* [[1979年]] - [[みちよ]]、歌手
* 1979年 - [[中村エミ]]、元女優、元[[タレント]]
* [[1980年]] - [[フアン・フェリシアーノ]]、元プロ野球選手
* [[1982年]] - [[野口綾子]]、フリーアナウンサー
* 1982年 - [[達淳一]]、俳優、タレント
* 1982年 - [[西村優子]]、[[グラビアアイドル]]
* 1982年 - {{仮リンク|ブレット・ハリソン|en|Bret Harrison}}、俳優
* 1982年 - {{仮リンク|マイケル・ガイ・チスレット|en|Michael Guy Chislett}}、ミュージシャン([[The Academy Is...]])
* [[1983年]] - 大林健二、[[お笑い芸人]]([[モンスターエンジン]])
* 1983年 - [[永田充]]、[[サッカー]]選手
* 1983年 - [[ボビー・スター]]、ポルノ女優
* [[1984年]] - [[瀬尾秋子]]、元グラビアアイドル
* 1984年 - [[川保麻弥]]、元野球選手
* [[1985年]] - [[加治前竜一]]、元プロ野球選手
* [[1986年]] - [[京本有加]]、元タレント、元グラビアアイドル
* 1986年 - [[豪栄道豪太郎]]、元[[大相撲]][[大関]]、年寄14代[[武隈 (相撲)|武隈]]
* 1986年 - [[cosMo]]、ミュージシャン
* [[1987年]] - [[ディエゴ・フランカ]]、元野球選手
* 1987年 - [[今村美乃]]、女優
* [[1988年]] - [[久本彩奈]]、グラビアアイドル
* 1988年 - [[吉川光夫]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[坂本詩緒里]]、プロボウラー
* 1988年 - [[栃乃若導大]]、元大相撲力士
* [[1989年]] - [[中島安里紗]]、プロレスラー
* 1989年 - [[七瀬由紀子]]、タレント、アイドル
* [[1990年]] - [[田邉草民]]、サッカー選手
* 1990年 - [[佐野有美]]、詩人、随筆家
* 1990年 - [[ソ・イェジ]]、女優
* 1990年 - [[マイケル・ウッズ (サッカー選手)|マイケル・ウッズ]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[エカテリーナ・リャザーノワ]]、元フィギュアスケート選手
* 1991年 - [[香山良太]]、元ラグビー選手
* 1991年 - [[安田早紀]]、女優、モデル
* [[1992年]] - [[下田奈奈]]、[[ファッションモデル]]、女優
* 1992年 - [[菊池萌水]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://kikuchimoemi.com/profile/ |title=ショートトラック・スピードスケーター 菊池 萌水 |access-date=6 Apr 2023 |website=菊池萌水 公式ホームページ}}</ref>、スピードスケート選手
* 1992年 - [[満田美紀]]、元プロボクサー
* [[1993年]] - [[石川優菜]]、タレント、モデル、歌手
* 1993年 - [[春日沙也加]]、タレント、グラビアアイドル
* 1993年 - ユナ、アイドル、ミュージシャン([[Brave Girls]])
* 1993年 - [[松浦耕大]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[青島拓馬]]、元サッカー選手
* [[1994年]] - [[石堂天山]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/1000058939/ |title=石堂天山 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |website=[[WEBザテレビジョン]]}}</ref>、子役
* 1994年 - [[弓削隼人]]、プロ野球選手
* [[1995年]] - [[森本龍太郎]]、元タレント(元[[Hey! Say! JUMP]])
* 1995年 - [[マーティン (タレント)|マーティン]]、タレント
* [[1996年]] - [[小野寺天汰]]、空手家
* [[1997年]] - [[内木志]]、女優、元アイドル(元[[NMB48]])
* 1997年 - [[愛斗]]、プロ野球選手
* 1997年 - [[ミンギュ|キム・ミンギュ]]、アイドル([[SEVENTEEN]])
* 1997年 - [[たけうちほのか]]、モデル
* 1997年 - [[唯月優花]]、元AV女優
* [[1998年]] - [[勝田里奈]]、歌手、アイドル(元[[アンジュルム]])
* 1998年 - [[ペイトン・リスト (1998年生の女優)|ペイトン・リスト]]、女優
* 1998年 - 相笠萌、アイドル(元[[AKB48]])
* [[2000年]] - [[黒長桃可]]、元女子プロ野球選手
* [[2003年]] - [[森田愛生]]、女優、アイドル([[FAVO|FAVO♡]])
* [[2004年]] - [[田村朋輝]]、プロ野球選手
* [[2005年]] - KOROMO、アイドル(元[[ミームトーキョー|meme tokyo.]])
* 生年不明 - [[いせひなた]]、声優
* 生年不明 - [[寸石和弘]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1965年]] - [[キタノダイオー]]、[[競走馬]](+ 不明)
* [[1967年]] - [[ダテテンリュウ]]、競走馬(+ [[1977年]])
* [[1968年]] - [[オンワードガイ]]、競走馬(+ [[1985年]])
* 1968年 - [[ニホンピロムーテー]]、競走馬(+ [[1984年]])
* [[1973年]] - [[コーヨーチカラ]]、競走馬(+ 不明)
* [[1982年]] - [[スダホーク]]、競走馬(+ [[2003年]])
* [[1987年]] - [[ゴーフォーワンド]]、競走馬(+ [[1990年]])
* [[1993年]] - [[エアグルーヴ]]、競走馬(+ [[2013年]])
* [[1994年]] - [[ゴッドスピード (競走馬)|ゴッドスピード]]、競走馬(+ [[2019年]])
* [[1995年]] - [[ツルマルツヨシ]]、競走馬
* [[1997年]] - [[マイネルビンテージ]]、競走馬
* [[1998年]] - [[ヴィニーロー]]、競走馬
* 1998年 - [[ロードバクシン]]、競走馬
* [[2000年]] - [[ゴーストザッパー]]、競走馬
* [[2002年]] - [[インティライミ]]、競走馬
* 2002年 - [[ローゼンクロイツ (競走馬)|ローゼンクロイツ]]、競走馬(+ [[2008年]])
* [[2003年]] - [[フサイチリシャール]]、競走馬
* 2003年 - [[ブラックバースピン]]、競走馬(+ [[2010年]])
* [[2004年]] - [[マンハッタンスカイ]]、競走馬
* [[2006年]] - [[シーザスターズ]]、競走馬
* [[2012年]] - [[レッツゴードンキ]]、競走馬
== 忌日 ==
[[File:Richard1Rouen.jpg|thumb|180x180px|イングランド王[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]](1157-1199)、[[クロスボウ]]の矢傷により没]]
[[File:HUF_1000_1998_obverse.jpg|thumb|180x180px|中世[[ハンガリー]]の最盛期を築いた[[マーチャーシュ1世]](1443-1490)没]]
[[File:D%C3%BCrer_Melancholia_I.jpg|thumb|229x229px|[[ルネサンス]]期の画家・版画家[[アルブレヒト・デューラー]](1471-1528)没。画像は[[銅版画]]『[[メランコリア I]]』(1514)]]
[[File:Niels_Henrik_Abel.jpg|thumb|数学者[[ニールス・アーベル]](1802-1829)、26歳で[[肺結核]]のため夭折|219x219ピクセル]]
{{multiple image
| caption1 = 作曲家[[イーゴリ・ストラヴィンスキー]](1882-1971)没
| image1 = Stravinskygrave.jpg
| width1 = 90
| alt1 = イーゴリ・ストラヴィンスキー
| image2 = Kazuo_Hasegawa_as_Zenigata_Heiji.jpg
| width2 = 90
| caption2 = 俳優[[長谷川一夫]](1908-1984)没。画像は『[[銭形平次 捕物控|銭形平次]]』
| alt2 = 長谷川一夫
}}
* [[1199年]] - [[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]、[[イングランド王国|イングランド]]国王(* [[1157年]])
* [[1490年]] - [[マーチャーシュ1世 (ハンガリー王)|マーチャーシュ1世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王(* [[1441年]]?)
* [[1520年]] - [[ラファエロ・サンティ]]、[[画家]](* [[1483年]])
* [[1528年]] - [[アルブレヒト・デューラー]]、画家(* [[1471年]])
* [[1570年]]([[永禄]]13年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[三淵晴員]]、[[武将|戦国武将]](* [[1500年]])
* [[1580年]]([[天正]]8年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[木脇祐守]]、戦国武将(* [[1526年]])
* [[1590年]] - [[フランシス・ウォルシンガム]]、[[イングランド]]の[[政治家]](* [[1532年]])
* [[1634年]]([[寛永]]11年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - [[大橋宗桂 (初代)]]、[[将棋指し]](* [[1555年]])
* [[1782年]] - [[タークシン]]、[[タイ王国|タイ]]の[[トンブリー王朝]]・唯一の王(* [[1734年]])
* [[1790年]] - [[ルートヴィヒ9世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ9世]]、[[ヘッセン=ダルムシュタット方伯領|ヘッセン=ダルムシュタット方伯]](* [[1719年]])
* [[1803年]] - [[ウィリアム・ダグラス・ハミルトン]]、[[考古学|考古学者]]、[[外交官]](* [[1730年]])
* [[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[木内石亭]]、奇石収集家、[[本草学|本草学者]](* [[1725年]])
* [[1829年]] - [[ニールス・アーベル]]、[[数学者]](* [[1802年]])
* [[1830年]] - [[ルートヴィヒ1世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ1世]]、[[ヘッセン大公]](* [[1753年]])
* [[1834年]]([[天保]]5年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[水野忠成]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[駿河国|駿河]][[沼津藩]]第2代藩主(* [[1763年]])
* [[1860年]] - [[ジェイムズ・ポールディング]]、第11代[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1778年]])
* [[1875年]] - [[モーゼス・ヘス]]、[[思想家]](* [[1812年]])
* [[1889年]] - [[板倉勝静]]、江戸幕府老中、[[備中国|備中]][[備中松山藩|松山藩]]第7代藩主(* [[1823年]])
* [[1902年]] - [[グレープ・ウスペンスキー]]、[[小説家]](* [[1843年]])
* [[1915年]] - [[カーティス・ギルド]]、第43代[[マサチューセッツ州知事]](* [[1860年]])
* [[1918年]] - [[松本捨助]]、[[新選組]]隊士(* [[1845年]])
* [[1927年]] - [[志賀重昂]]、[[地理学者]]、[[評論家]](* [[1863年]])
* [[1946年]] - [[宮入慶之助]]、[[寄生虫学|寄生虫学者]](* [[1865年]])
* [[1951年]] - [[ロバート・ブルーム]]、[[人類学|人類学者]](* [[1866年]])
* [[1961年]] - [[ジュール・ボルデ]]、[[細菌学|細菌学者]](* [[1870年]])
* [[1963年]] - [[オットー・シュトルーベ]]、[[天文学者]](* [[1897年]])
* [[1964年]] - [[川上嘉市]]、[[実業家]]、[[参議院議員]](* [[1885年]])
* 1964年 - [[アロイーズ・コルバス]]、[[画家]](* [[1886年]])
* [[1966年]] - [[エミール・ブルンナー]]、[[神学|神学者]](* [[1889年]])
* [[1969年]] - [[エドゥアルト・シュトラウス2世]]、[[指揮者]](* [[1910年]])
* [[1971年]] - [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]、[[作曲家]](* [[1882年]])
* [[1972年]] - [[ハインリヒ・リュプケ]]、第2代[[連邦大統領 (ドイツ)|西ドイツ大統領]](* [[1894年]])
* [[1976年]] - [[ワイルダー・ペンフィールド]]、[[医師]](* [[1891年]])
* [[1977年]] - [[木戸幸一]]、[[政治家]](* [[1889年]])
* [[1979年]] - [[ノーマン・トーカー]]、[[映画監督]](* [[1919年]])
* [[1980年]] - [[ジョン・コリア (作家)|ジョン・コリア]]、作家(* [[1901年]])
* [[1984年]] - [[長谷川一夫]]、[[俳優]](* [[1908年]])
* [[1986年]] - [[ライムンド・オルシ]]、[[サッカー]]選手(* [[1901年]])
* 1986年 - [[山口豪久]](山口暁)<ref>{{Harvnb|OFM仮面ライダー4|2004|p=20|loc=「主演俳優の横顔 山口暁」}}</ref>、[[俳優]](* [[1945年]])
* [[1990年]] - [[坊城俊民]]、[[国文学者]](* [[1917年]])
* [[1992年]] - [[安孫子藤吉]]、[[政治家]](* [[1904年]])
* 1992年 - [[アイザック・アシモフ]]、[[SF作家]](* [[1920年]])
* [[1993年]] - [[安永沙都子]]、[[声優]](* [[1963年]])
* [[1994年]] - [[ジュベナール・ハビャリマナ]]、[[ルワンダの大統領一覧|ルワンダ大統領]](* [[1937年]])
* 1994年 - [[シプリアン・ンタリャミラ]]、[[ブルンジの大統領一覧|ブルンジ大統領]](* [[1956年]])
* [[1998年]] - [[エドガー・アブロビッチ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1913年]])
* [[1999年]] - [[ウィリアム・プリース]]、[[チェリスト]](* [[1916年]])
* 1999年 - [[落合茂一]]、[[アニメーション]]プロデューサー(* [[1940年]])
* [[2000年]] - [[本田弘慈]]、[[伝道者]]、[[牧師]](* [[1912年]])
* [[2002年]] - [[ノブ・マッカーシー]]、女優(* [[1934年]])
* [[2004年]] - [[加山又造]]、[[日本画家]](* [[1927年]])
* 2004年 - [[リック・ジェームス]]、[[ファンク]][[ミュージシャン]](* [[1948年]])
* 2004年 - [[篠田荘平]]、元[[プロ野球選手]](* [[1942年]])
* [[2005年]] - [[レーニエ3世]]、[[モナコ]][[大公]](* [[1923年]])
* 2005年 - [[長江録弥]]、[[彫刻家]](* [[1926年]])
* [[2006年]] - [[鳥飼欣一]]、[[物理学者]](* [[1925年]])
* [[2007年]] - [[中村浩道]]、[[プロ野球審判員]]、[[野球解説者|解説者]](* [[1935年]])
* 2007年 - [[園田英弘]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1947年]])
* [[2008年]] - [[多田小餘綾]]、[[民謡]]歌手(* [[1907年]])
* 2008年 - [[川内康範]]、[[作詞家]]、[[脚本家]](* [[1920年]])
* 2008年 - [[五十嵐邁]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20080407000202 |title=五十嵐邁氏死去/チョウ類研究家 |publisher=[[四国新聞社]] |date=7 Apr 2008 |accessdate=6 Apr 2023}}</ref>、[[昆虫学|昆虫学者]](* [[1924年]])
* 2008年 - [[内山秀夫]]、[[政治学者]](* [[1930年]])
* [[2015年]] - [[ガートルード・ウィーバー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLAS0040006_X00C15A4000000/ |title=世界最高齢の米女性死去、116歳 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=7 Apr 2015 |accessdate=6 Apr 2023}}</ref>、元世界最高齢者(* [[1898年]])
* 2015年 - [[稲垣正夫]]、元プロ野球選手(* [[1935年]])
* [[2017年]] - [[京唄子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2017/04/07/0010074209.shtml |title=京唄子さん死去 鳳啓助さんとの夫婦漫才で人気 09年には腰椎骨折も |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=7 Apr 2017}}</ref>、[[漫才師]]、女優(* [[1927年]])
* 2017年 - [[安部憲幸]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/04/10/kiji/20170410s00041000172000c.html |title=元ABCアナ安部憲幸さん死去 伝説の「10・19」や「パワプロ」実況 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=10 Apr 2017}}</ref>、アナウンサー(* [[1945年]])
* [[2022年]] - [[ウラジーミル・ジリノフスキー|ウラジミール・ジリノフスキー]]、政治家(* [[1946年]])
{{clear}}
== 記念日・年中行事 ==
[[File:Castle Himeji sakura01.jpg|thumb|180x180px|[[城]]の日。画像は[[サクラ|桜]]の[[姫路城]]]]
* 公立学校[[始業式]]({{JPN}})(この日が休みだと直後の平日)
*: 多くの公立小中学校・高校ではこの日から始業式が行われ、新しい学年になった生徒にとっての初めてのイベント。この日から学校での教育活動が開始される。
* [[新聞]]をヨム日({{JPN}})
*: 日本新聞協会販売委員会が[[2003年]]に制定。「よ(4)む(6)」の語呂合わせ。4月は転勤や入学等で住まいを移す人が多いことから、「これを機会に新聞を読み始めませんか」というキャンペーンが行われる。
* 城の日({{JPN}})
*: 財団法人[[日本城郭協会]]が[[1974年]]度に定めた城の記念日([[城#城の日|城]]を参照)。「し(4)ろ(6)」の語呂合わせ。
* 春巻きの日({{JPN}})
*: [[香川県]][[三豊市]]に本社を置く株式会社味のちぬやが制定。新年度を迎えるこの季節に春巻きを食べて幸せを巻きとってほしいという思いから。日付は「春巻き」の春で4月、巻きをロール(6日)と読ませる語呂合わせから。
*開発と平和のためのスポーツの国際デー({{UN}})
*: スポーツが平和と開発を促し、寛容と相互理解を育む側面に着目し、[[2013年]]9月に国際連合が制定。日付は、近代オリンピックが初めて開催された1896年4月6日から。
*[[卓球]]の日
*:「開発と平和のためのスポーツの国際デー」にあたるこの日、特に開発途上国において卓球を始めるきっかけになればと願いを込め、[[2015年]]に[[国際卓球連盟]](ITTF)が制定。
* [[北極]]の日({{USA}})
*: [[1909年]]のこの日にアメリカ海軍の軍人[[ロバート・ピアリー]]が、世界で初めて[[北極点]]に到達したことから。
* コンビーフの日({{USA}})
*: [[1875年]]のこの日、[[コンビーフ]]のパッケージである[[錐台|台形]]の[[缶]]「枕缶」が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で[[特許]]登録された。同年中に同国の食品会社リビー([[:en:Libby's|Libby's]])により、枕缶に詰められたコンビーフが世界で初めて製造・販売が開始された。
* 開拓者の日({{RSA}})
*: [[オランダ東インド会社]]の[[ヤン・ファン・リーベック]]の船団が、[[喜望峰]]に到達し、[[ケープタウン]]を建設した日である。[[アパルトヘイト]]時代の南アフリカでは公的な祝日となっていたが、アパルトヘイト体制が廃止された後、公的な祝日ではなくなった。しかし、今でも、[[アフリカーナー]]の町である[[オラニア]]では、この日を祝日としている。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0406|date=2023年4月}}
* 1984年(昭和59年)- [[七曲署|七曲警察署]]の春日部一[[刑事]]が[[刺殺]]される。(『[[太陽にほえろ!]]』第597話「戦士よさらばボギー最後の日」)
* 年不明 - 北条麗華、二ノ宮駿護と再会する。その際の彼女の変調は「4・06事件」として神宮寺学園生徒に語り継がれることになる。(小説・アニメ『[[ご愁傷さま二ノ宮くん]]』)
* 2089年 - ガイチ帝国が月に軍隊を送り、ほぼ全土を占領。(ゲーム『[[ネクタリス]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1983年]] - 獅堂未加/セイザーミトラス、[[超星神シリーズ]] 『[[超星神グランセイザー]]』の登場人物
*[[1995年]] - 押切時雨/キラメイブルー、[[スーパー戦隊シリーズ]]『[[魔進戦隊キラメイジャー]]』の登場人物
*生年不明 - 鴨川茉凜、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/kamogawa_marin |title=千葉 鴨川茉凜 |work=『温泉むすめ』 |accessdate=6 Apr 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref>
*生年不明 - 一之瀬花名、漫画・アニメ『[[スロウスタート]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://slow-start.com/#character |title=Character 一ノ瀬 花名 |publisher=[[篤見唯子]] [[芳文社]]/スロウスタート製作委員会 |accessdate=6 Apr 2023 |work=『スロウスタート』}}</ref>
*生年不明 - ハトのヨメ、漫画・アニメ『[[ハトのおよめさん]]』の主人公
*生年不明 - 海野凪、漫画・アニメ『[[カッコウの許嫁]]』の主人公<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://shonenmagazine.com/info/entry/20220404cuckoo |title=【海野 凪・天野 エリカの誕生日を一緒にお祝いしよう!】凪&エリカのミニ複製色紙プレゼントキャンペーン! |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[講談社]] |date=2022-04-04 |website=週刊少年マガジン}}</ref>
*生年不明 - 天野エリカ、漫画・アニメ『カッコウの許嫁』のヒロイン<ref name=":0" />
* 生年不明 - 磯端ウキ、漫画・アニメ『[[それでも町は廻っている]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 江藤耕造、漫画・アニメ・ドラマ『[[のだめカンタービレ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Nodame_Official|1643811011470950400}}</ref>
* 生年不明 - [[海賊 (ONE PIECE)#エドワード・ニューゲート|エドワード・ニューゲート(白ひげ)]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/edward_newgate.html |title=エドワード・ニューゲート(白ひげ) |work=『ONE PIECE』 |accessdate=6 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=尾田栄一郎|authorlink=尾田栄一郎|title=ONE PIECE BLUE DEEP CHARACTERS WORLD|series=[[ジャンプ・コミックス]]|date=2012-03-02|publisher=[[集英社]]|page=34|isbn=978-4088704456}}</ref>
* 生年不明 - スピード・ジル、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/speed_jill.html |title=スピード・ジル |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - ジャンバール、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Jean_Bart.html |title=ジャンバール |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - ワラジ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクタ<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2002-07-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=137|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088732886}}</ref>
* 生年不明 - 白蛇仙人、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1511358008814895107}}</ref>
* 生年不明 - 城ヶ崎充、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 我妻絹衣、漫画・アニメ『SKET DANCE』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#信楽こゆず|信楽こゆず]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=146|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref>
* 生年不明 - サーティ(No.30)、漫画・アニメ『[[A・Iが止まらない!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 橘陽菜、漫画・アニメ『[[ドメスティックな彼女]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 小湊亮介、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 巣山尚治、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|date=2008-05-01|title=おおきく振りかぶって|page=14|publisher=[[主婦と生活社]]|series=生活シリーズ―PASH!アニメーションファイル|isbn=978-4391626438}}</ref>
* 生年不明 - 比嘉かなた、漫画・アニメ『[[はるかなレシーブ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|SAKI_MIYASHITA|1511371142057332737}}</ref>
* 生年不明 - [[暁のヨナ#キジャ|キジャ(白龍)]]、漫画・アニメ・舞台『[[暁のヨナ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|KusanagiMizuho|1643922616850485248}}</ref>
* 生年不明 - ダクネス、漫画・アニメ『[[この素晴らしい世界に祝福を!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|konosubafd|1511516540406927363}}</ref>
* 生年不明 - タム・ビセンテ、漫画・アニメ『[[爆走兄弟レッツ&ゴー!!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 千鳥ヶ淵愛音、小説・アニメ『[[魔装学園H×H]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.masou-hh.com/character/ |title=CHARACTER 千鳥ヶ淵 愛音 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[久慈マサムネ]]・Hisasi/[[KADOKAWA]]/魔装学園製作委員会 |work=『魔装学園H×H』}}</ref>
* 生年不明 - 植松太郎、小説・アニメ『[[銀河へキックオフ!!|銀河のワールドカップ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 北大路さくら、アニメ『[[アイカツ! (アニメ)|アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aikatsu.net/02/character/06.html |work=『アイカツ!』 |title=北大路さくら |accessdate=6 Apr 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]]}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author1=サンライズ|authorlink1=サンライズ (アニメ制作ブランド)|author2=バンダイ|authorlink2=バンダイ|date=2014-07-23|title=アイカツ! アイドル名鑑|page=137|publisher=[[小学館]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4092805019}}</ref>
* 生年不明 - 河原ベー、アニメ『[[うちタマ?! 〜うちのタマ知りませんか?〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://uchitama.com/character/#5 |title=河原ベー |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[ソニー・クリエイティブプロダクツ]]/「うちタマ?!」製作委員会 |work=『うちタマ?! 〜うちのタマ知りませんか?〜』}}</ref>
* 生年不明 - 花咲茜、ゲーム・アニメ『[[D.C.II 〜ダ・カーポII〜|D.C.II ~ダ・カーポII~]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://circus-co.jp/product/dc12-p/dc2_heroine_details.html#akn |title=花咲 茜 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[CIRCUS (ブランド)|CIRCUS]] |work=『D.C.I&II P.S.P. ~ダ・カーポ I&II~ プラスシチュエーション』}}</ref>
* 生年不明 - 花咲藍、ゲーム・アニメ『D.C.II ~ダ・カーポII~』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ハクメン、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BLAZBLUE_PR|1379267620202029057}}</ref>
* 生年不明 - 篝、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/kagari.php |title=篝 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#喜多日菜子|喜多日菜子]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20046 |title=喜多 日菜子(きた ひなこ) |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 澄原サトカ、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/satoka.html |title=澄原 サトカ |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=6 Apr 2023}}</ref>
* 生年不明 - 言祝(コトホギ)、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=61&cate=name&cont=Kotohogi |title=言祝(コトホギ) |access-date=10 Sep 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - サキア、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=66&cate=name&cont=Sakia |title=サキア |access-date=10 Sep 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 朱桜司、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/suou_tsukasa/ |title=朱桜 司 |work=『あんさんぶるスターズ!!』 |accessdate=6 Apr 2023 |publisher=[[Happy Elements]]}}</ref>
* 生年不明 - 四谷ゆみ、ゲーム・アニメ『[[アリス・ギア・アイギス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|alice_anime_nzm|1643827691253280771}}</ref>
* 生年不明 - エアグルーヴ、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=airgroove |title=エアグルーヴ |publisher=[[Cygames]] |accessdate=6 Apr 2023 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - ツルマルツヨシ、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=tsurumarutsuyoshi |title=ツルマルツヨシ |publisher=[[Cygames]] |accessdate=6 Apr 2023 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - 杉浦碧、メディアミックス『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sunrise-inc.co.jp/my-hime/web/character/chara/midori.html |title=杉浦 碧 |access-date=6 Apr 2023 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] |work=『舞-HiME 風華学園』}}</ref>
* 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#Pastel*Palettes|白鷺千聖]]、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/shirasagi-chisato/ |title=白鷺 千聖 |website=『BanG Dream! ガールズバンドパーティ! 』 |publisher=BanG Dream! Project [[Craft Egg|Craft Egg Inc.]] [[ブシロード|bushiroad]] |accessdate=10 Sep 2023}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%886%E6%97%A5 |
4,857 | 1532年 | 1532年(1532 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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] | 1532年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 | {{年代ナビ|1532}}
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[壬辰]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[享禄]]5年、[[天文 (元号)|天文]]元年7月29日 -
*** [[宝寿]]元年([[私年号]])
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2192年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]] : [[嘉靖]]11年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[中宗 (朝鮮王)|中宗]]27年
** [[檀君紀元|檀紀]]3865年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[莫朝]] : [[大正 (莫朝)|大正]]3年
* [[仏滅紀元]] : 2074年 - 2075年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 938年 - 939年
* [[ユダヤ暦]] : 5292年 - 5293年
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== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1532|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[5月16日]] - イングランドの政治家トマス・モアが大法官を辞職。
* [[君主論]] が著者 [[ニッコロ・マキャヴェッリ]] の死後5年経ってから出版された。
* [[ガルガンチュワとパンタグリュエル|パンタグリュエル物語、ガルガンチュワ物語]]が出版された。著者は[[フランソワ・ラブレー]]。
=== 日本 ===
* [[7月22日]]([[享禄]]5年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[三好元長]]が[[一向一揆]]に攻められ、[[和泉国|和泉]]の[[顕本寺 (堺市)|顕本寺]]にて自害。これにより[[堺公方]]は消滅、[[足利義維|足利義冬]]は[[阿波国|阿波]]に逃れる。
* [[8月29日]](享禄5年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[改元]]して[[天文 (元号)|天文]]元年
== 誕生 ==
{{see also|Category:1532年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[オルランド・ディ・ラッソ]] [[フランドル]]地方出身の[[作曲家]]・[[音楽家]](+ [[1594年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1532年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[7月22日]]([[享禄]]5年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[三好元長]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]における[[阿波国]]の[[守護代]](* [[1501年]])
<!--== 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1532}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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4,858 | 1510年 | 1510年(1510 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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] | 1510年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 | {{年代ナビ|1510}}
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[庚午]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[永正]]7年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2170年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]] : [[正徳 (明)|正徳]]5年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[中宗 (朝鮮王)|中宗]]5年
** [[檀君紀元|檀紀]]3843年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[端慶]]5年11月21日 - 12月3日、[[洪順 (黎朝)|洪順]]元年12月4日 - 2年12月1日
* [[仏滅紀元]] : 2052年 - 2053年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 915年 - 916年
* [[ユダヤ暦]] : 5270年 - 5271年
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== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1510|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[7月25日]](永正7年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[長森原の戦い]]、[[関東管領]][[上杉顕定|山内上杉顕定]]が[[越後国|越後]][[守護代]][[長尾為景]]に討たれる。([[永正の乱]]){{要出典|date=2021-04}}
* [[三浦の乱]]{{要出典|date=2021-04}}
* [[安化王の乱]]
* イタリアの画家「[[ラファエロ・サンティ]]」が[[フレスコ|フレスコ画]]「[[アテナイの学堂]]」を制作する。アテナイの学堂は[[ユリウス2世 (ローマ教皇)|ローマ教皇ユリウス2世]]の依頼により制作されたバチカン宮殿内の部屋の壁画の1つ。古代の異教の哲学者とルネサンスの新プラトン主義の思想を融合した傑作とされる。{{Sfn|ファータド|2013|p=262|ps=「ラファエロ、『アテネの学堂』を完成」}}
== 誕生 ==
{{see also|Category:1510年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[松永久秀]]、[[戦国大名]](+ [[1577年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1510年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月1日]] - [[フランシスコ・デ・アルメイダ]]、探検家(* [[1450年]])
* [[5月17日]] - [[サンドロ・ボッティチェッリ]]、画家(* [[1445年]])
* [[11月11日]] - [[ボフスラフ・ハシシュテインスキー=ロプコヴィツ]]、人文主義者(* [[1460年]]頃)
* [[7月25日]](永正7年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[上杉顕定]]、[[室町時代]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[関東管領]]、[[守護]](* [[1454年]])
<!-- == 注釈 ==
{{Reflist|group="注"}} -->
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book ja-jp |author=ピーター・ファータド(編集) |year=2013 |title=世界の歴史を変えた日 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-4198-8 |ref={{Sfnref|ファータド|2013}}}}<!-- 2013年10月15日初版1刷 -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1510}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}}
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[[Category:1510年|*]] | null | 2021-06-17T06:47:46Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1510%E5%B9%B4 |
4,860 | 1838年 | 1838年(1838 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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] | 1838年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1838}}
{{year-definition|1838}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[戊戌]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]])
** [[天保]]9年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2498年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[道光]]18年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]4年
** [[檀君紀元|檀紀]]4171年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[阮朝]] : [[明命]]19年
* [[仏滅紀元]] : 2380年 - 2381年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1253年10月4日 - 1254年10月14日
* [[ユダヤ暦]] : 5598年4月4日 - 5599年4月14日
* [[ユリウス暦]] : 1837年12月20日 - 1838年12月19日
* [[修正ユリウス日]](MJD) : -7625 - -7261
* [[リリウス日]](LD) : 93216 - 93580
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1838}}
== できごと ==
[[File:Sir George Hayter (1792-1871) - The Coronation of Queen Victoria in Westminster Abbey, 28 June 1838 - RCIN 405409 - Royal Collection.jpg|thumb|[[ヴィクトリア女王の戴冠式 (絵画)|ヴィクトリア女王の戴冠式を描いた絵画]]]]
* [[4月4日]] - 蒸気船[[シリウス (蒸気船)|シリウス号]]が[[アイルランド]]の[[コーク (アイルランド)|コーク]]を出港し、22日にニューヨークに到着。[[ブルーリボン賞 (船舶)|ブルーリボン賞]]を獲得。
* [[4月30日]] - [[ニカラグア]]が[[中央アメリカ連邦共和国]]からの独立を宣言。
* [[5月8日]] - [[ロンドン]]労働者協会「人民憲章」を発表。[[イギリス]]全土で選挙法改正運動([[チャーチスト運動]])が始まった。
* [[6月28日]] - イギリス女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]の戴冠式。
* [[7月12日]] - [[フランス]]、[[メキシコ]]に宣戦する。10月に[[アンゴラ]]を開城。11月に[[ベラクルス]]を占領。
* [[10月1日]] - [[イギリス]]軍が[[アフガニスタン]]に宣戦布告([[第一次アフガン戦争]])。
* [[11月5日]] - [[ホンジュラス]]と[[コスタリカ]]が[[中央アメリカ連邦共和国]]からの独立を宣言。中央アメリカ連邦が崩壊。
* [[11月27日]] - [[メキシコ共和国]]で[[菓子戦争]]が勃発。
* [[10月 (旧暦)|10月]] - [[中山みき]]が[[天理教]]を開く。
=== 日付不詳 ===
* [[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]が[[トラファルガー広場]]で開館。
* [[ウエストミンスター大学|王立科学技術会館]]成立。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1838年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月6日]] - [[マックス・ブルッフ]]、作曲家(+ [[1920年]])
* [[2月14日]] (天保9年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]])-[[岡田以蔵]]、[[土佐藩]]、[[岡田以蔵|人斬り以蔵]]
* [[2月18日]] - [[エルンスト・マッハ]]、[[オーストリア]]の[[物理学]]者・[[哲学]]者(+ [[1916年]])
* [[3月10日]](天保9年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[島地黙雷]]、[[浄土真宗]]の[[僧侶]](+ [[1911年]])
* [[3月11日]](天保9年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[大隈重信]]、第8・17代内閣総理大臣・東京専門学校(現、[[早稲田大学]])創立者(+ [[1922年]])
* [[3月12日]] - [[ウィリアム・パーキン]]、[[化学者]](+ [[1907年]])
* [[3月15日]] - [[カルル・ダヴィドフ]]、[[チェリスト]](+ [[1889年]])
* [[3月20日]] - [[フェルディナント・ツィルケル]]、[[地質学者]](+ [[1912年]])
* [[3月27日]] - [[リロイ・ランシング・ジェーンズ]]、アメリカ人教師・[[お雇い外国人]]・[[熊本洋学校]]の設立者(+ [[1909年]])
* [[4月13日]](天保9年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[後藤象二郎]]、[[土佐藩]]士・[[政治家]](+ [[1897年]])
* [[4月2日]] - [[レオン・ガンベタ|ガンベタ]]、フランスの政治家(+ [[1882年]])
* [[4月16日]] - [[エルネスト・ソルベー]]、ベルギーの[[化学者]]・[[実業家]](+ [[1922年]])
* [[5月6日]](天保9年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]])- [[中岡慎太郎]]、[[志士]]、[[陸援隊]]隊長(+ [[1867年]])
* [[5月10日]] - [[ジェームズ・ブライス]]、[[法学者]]・[[歴史学者]](+ [[1922年]])
* [[6月6日]] - [[トーマス・ブレーク・グラバー]]、イギリスの[[商人]](+ [[1911年]])
* [[6月14日]](天保9年閏[[4月22日 (旧暦)|4月22日]])- [[山縣有朋]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]]・第3・9代内閣総理大臣(+ 1922年)
* [[6月18日]] - [[エドワード・S・モース]]、アメリカの[[動物学者]](+ [[1925年]])
* [[6月24日]] - [[グスタフ・フォン・シュモラー|シュモラー]]、ドイツの[[経済学]]者(+ [[1917年]])
* 6月24日 - [[ヤン・マテイコ]]、[[画家]](+ [[1893年]])
* [[7月8日]] - [[フェルディナント・フォン・ツェッペリン|ツェッペリン]]、ドイツの[[軍人]]・[[硬式飛行船]]開発者(+ [[1917年]])
* [[7月23日]] - [[エドゥアール・コロンヌ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[指揮者]](+ [[1910年]])
* [[7月30日]](天保9年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]])- [[村田経芳]]、[[陸軍軍人]]、[[村田銃]]の開発者(+ [[1921年]])
* [[9月2日]] - [[リリウオカラニ]]、第8代[[ハワイ王国]]女王(+ [[1917年]])
* [[9月27日]](天保9年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[田中芳男]]、博物学者(+ [[1916年]])
* [[10月8日]] - [[ジョン・ヘイ]]、アメリカの政治家・[[門戸開放政策]]の提唱者(+ [[1905年]])
* [[10月15日]](天保9年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]])- [[上野彦馬]]、[[写真家]](+ [[1904年]])
* [[10月16日]](天保9年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[長与専斎]]、[[医学者]]・[[官僚]](+ [[1902年]])
* [[10月25日]] - [[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]]、フランスの[[作曲家]](+ [[1875年]])
* [[10月31日]] - [[ルイス1世 (ポルトガル王)|ルイス1世]]、[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル王]](+ [[1889年]])
* [[11月1日]] - [[ダライ・ラマ11世]](+ [[1856年]])
* [[11月25日]](天保9年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[安田善次郎]]、[[実業家]]・[[安田財閥]]の祖(+ [[1921年]])
* [[11月29日]](天保9年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[市川團十郎 (9代目)]]、[[歌舞伎]]役者(+ [[1903年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1838年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月3日]] - [[マクシミリアン・フォン・ザクセン (1759-1838)|マクシミリアン・フォン・ザクセン]]、[[ザクセン王国]]の王太子(* [[1759年]])
* [[5月17日]] - [[ルネ・カイエ]]、[[探検家]](* [[1799年]])
* [[7月15日]] - [[ジャン・イタール]]、[[医師]]・教育者(* [[1774年]])
* [[9月1日]] - [[ウィリアム・クラーク (探検家)|ウィリアム・クラーク]]、探検家(* [[1770年]])
== フィクションのできごと ==
* [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の戴冠式にドクターが出席する。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』)
* [[海底二万里]]の[[ネモ船長]]が[[ノーチラス号]]を造る
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1838}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}}
{{デフォルトソート:1838ねん}}
[[Category:1838年|*]] | 2003-03-22T08:59:32Z | 2023-09-23T02:05:00Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1838%E5%B9%B4 |
4,861 | 1823年 | 1823年(1823 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
| [
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"title": "死去"
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] | 1823年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1823}}
{{year-definition|1823}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[癸未]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]])
** [[文政]]6年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2483年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[道光]]3年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]23年
** [[檀君紀元|檀紀]]4156年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[阮朝]] : [[明命]]4年
* [[仏滅紀元]] : 2365年 - 2366年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1238年4月17日 - 1239年4月27日
* [[ユダヤ暦]] : 5583年4月18日 - 5584年4月29日
* [[ユリウス暦]] : 1822年12月20日 - 1823年12月19日
* [[修正ユリウス日]](MJD) : -13104 - -12740
* [[リリウス日]](LD) : 87737 - 88101
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1823}}
== できごと ==
* [[中米連邦]]が結成される{{要出典|date=2021-04}}。
* [[アメリカ合衆国|アメリカ]]大統領[[ジェームズ・モンロー|モンロー]]が[[ヨーロッパ]]との相互不干渉を提唱([[モンロー主義]])
* [[ローマ]]のサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂が火災で焼失。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1823年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月1日]] - [[ペテーフィ・シャーンドル|ペテーフィ]]、[[ハンガリー]]の[[詩人]](+ [[1849年]])
* [[2月8日]](文政5年[[12月28日 (旧暦)|12月28日]])- [[佐野常民]]、[[佐賀藩]]士・[[政治家]](+ [[1902年]])
* [[2月14日]](文政6年[[1月4日 (旧暦)|1月4日]])- [[板倉勝静]]、[[老中]]首座、備中[[備中松山藩|松山藩]]第7代藩主(+ [[1889年]])
* [[2月15日]]([[道光]]3年[[1月5日 (旧暦)|1月4日]])- [[李鴻章]]、清国の政治家(+ [[1901年]])
* [[2月23日]] - [[グスタフ・ナハティガル]]、[[探検家]](+ [[1885年]])
* [[2月28日]] - [[エルネスト・ルナン]]、宗教史家・思想家(+ [[1892年]])
* [[3月3日]] - [[アンドラーシ・ジュラ|アンドラーシ]]、ハンガリーの[[政治家]]・初代[[首相]](+ [[1890年]])
* [[3月12日]]([[文政]]6年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]) - [[勝海舟]]、[[江戸幕府]][[海軍奉行]](+ [[1899年]])
* [[3月14日]] - [[テオドール・ド・バンヴィル]]、[[詩人]]・[[劇作家]]・[[批評家]](+ [[1891年]])
* [[3月23日]] - [[ジョージ・ヘンリー・ウィリアムズ]]、第32代[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1910年]])
* [[3月24日]](文政6年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]])- [[吉成勇太郎]]、[[水戸藩]]士、[[剣術|剣客]](+ [[1885年]])
* [[3月24日]](文政6年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]])- [[下岡蓮杖]]、[[写真家]](+ [[1914年]])
* [[4月23日]](又は25日) - [[アブデュルメジト1世]]、[[オスマン帝国]]の第31代[[スルタン]](+ [[1861年]])
* [[5月16日]] - [[ハイマン・シュタインタール]]、[[言語学者]](+ [[1899年]])
* [[6月5日]]([[文政]]6年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]])- [[九条幸経]]、[[江戸時代]]後期の[[公卿]](+ [[1859年]])
* [[7月1日]](文政6年[[5月23日 (旧暦)|5月23日]]) - [[松前良広]]、[[蝦夷地]][[松前藩]]第10代藩主(+ [[1839年]])
* [[8月4日]] - [[オリヴァー・ハザード・ペリー・スロック・モートン]]、第14代[[インディアナ州知事]](+ [[1877年]])
* [[8月21日]] - [[ナサニエル・E・グリーン]]、[[画家]](+ [[1899年]])
* [[9月28日]] - [[アレクサンドル・カバネル]]、画家(+ [[1889年]])
* [[12月6日]] - [[フリードリヒ・マックス・ミュラー]]、[[東洋学]]者(+ [[1900年]])
* [[12月21日]] - [[ジャン・アンリ・ファーブル|ファーブル]]、フランスの[[昆虫学]]者(+ [[1915年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1823年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月3日]] - [[ヨハン・アルガイエル]]、[[チェス]]プレイヤー(* [[1763年]])
* [[1月26日]] - [[エドワード・ジェンナー]]、[[医学者]](* [[1749年]])
* [[2月16日]] - [[ピエール=ポール・プリュードン]]、[[画家]](* [[1758年]])
* [[5月16日]](文政6年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[大田南畝]](蜀山人)、[[文人]]・狂歌師(* [[1749年]])
* [[9月11日]] - [[バルタザール・カンペンガウゼン]]、[[政治家]](* [[1772年]])
* 9月11日 - [[デヴィッド・リカード]]、イギリスの[[経済学者]](* [[1772年]])
* [[10月30日]] - [[エドモンド・カートライト]]、[[実業家]]・[[発明家]](* [[1743年]])
* [[12月3日]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニ]]、[[探検家]](* [[1778年]])
<!--== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1823}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}}
{{デフォルトソート:1823ねん}}
[[Category:1823年|*]] | null | 2023-03-04T05:11:43Z | false | false | false | [
"Template:Year-definition",
"Template:他の紀年法",
"Template:年間カレンダー",
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"Template:See also",
"Template:Commonscat",
"Template:十年紀と各年",
"Template:年代ナビ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1823%E5%B9%B4 |
4,862 | 1894年 | 1894年(1894 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。明治27年。
※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。 | [
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] | 1894年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。明治27年。 | {{年代ナビ|1894}}
{{YearInTopic
| BC =
| 千年紀 = 2
| 世紀 = 19
| 年代 = 1890
| 年 = 1894
}}
{{year-definition|1894}}
== 他の紀年法 ==
* [[干支]]:[[甲午]]
* [[日本]](月日は一致)
** [[明治]]27年
** [[皇紀]]2554年
* [[清]]:[[光緒]]19年11月25日 - 光緒20年12月5日
* [[朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]31年
** [[開国 (李氏朝鮮)|開国]]503年6月27日(グレゴリオ暦7月29日) - 開国503年12月5日
** [[檀君紀元|檀紀]]4227年
* [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[成泰]]5年11月25日 - 成泰6年12月5日
* [[仏滅紀元]]:2436年 - 2437年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1311年6月23日 - 1312年7月3日
* [[ユダヤ暦]]:5654年4月23日 - 5655年4月4日
* [[修正ユリウス日]](MJD):12829 - 13193
* [[リリウス日]](LD):113670 - 114034
<div style="font-size:smaller">
※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。
</div>
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1894}}
== できごと ==
=== 1月 ===
* [[1月1日]] - 英国で[[マンチェスター運河]]([[:en:Manchester Ship Canal|Manchester Ship Canal]])開通
* [[1月4日]] - [[露仏同盟]]成立
* [[1月22日]] - 葉山[[御用邸]]完成
=== 2月 ===
=== 3月 ===
[[File:Hozumi Utako in 1894.png|thumb|明治天皇大婚25周年記念祝典に参列した[[穂積歌子]]([[渋沢栄一]]長女)]]
* [[3月1日]] - [[第3回衆議院議員総選挙]]
* [[3月2日]] - 英国で第4次[[ウィリアム・グラッドストン|グラッドストン]]内閣総辞職
* [[3月5日]] - 英国で[[アーチボルド・プリムローズ (第5代ローズベリー伯)|ローズベリ]]内閣成立
* [[3月9日]] - [[明治天皇]][[大婚満二十五年祝典]]挙行(日本で[[銀婚式]]が広まる)。これにより日本初の記念切手・明治天皇銀婚記念切手が発行される。
* [[3月21日]] - [[金星]]で[[水星の太陽面通過 (金星)|水星の太陽面通過]]、[[土星]]で[[水星の太陽面通過 (土星)|水星の太陽面通過]]と[[金星の太陽面通過 (土星)|金星の太陽面通過]]。
* [[3月28日]] - [[金玉均]]が上海にて[[閔妃]]の刺客により暗殺される
* [[3月29日]] - [[甲午農民戦争]](東学党の乱): [[李氏朝鮮|朝鮮]][[全羅道]]で蜂起
* 横浜で[[鉄桟橋]]完成
=== 4月 ===
* [[4月2日]] - [[日英通商航海条約]]交渉開始(ロンドン,調印7月16日)
* [[4月8日]] - [[アントン・ブルックナー|ブルックナー]][[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]初演([[グラーツオペラ座]]([[:de:Grazer Oper|Grazer Oper]])) <!-- 9日説あり-->
* [[高山樗牛]]「[[滝口入道]]」連載開始([[讀賣新聞]])
=== 5月 ===
* [[5月12日]] - [[帝国議会|第6特別議会]]召集
* [[5月14日]] - 英国で[[ブラックプール|ブラックプールタワー]]公開
* [[5月16日]] - [[北村透谷]]が自殺([[縊死]])
* [[5月31日]] - [[甲午農民戦争]](東学党の乱): 乱徒が[[李氏朝鮮|朝鮮]]全州を占領
=== 6月 ===
* [[6月20日]] - [[東京湾]]北部でM7.0クラスの地震発生([[明治東京地震]])
* [[6月23日]] - [[国際オリンピック委員会]]設立
* [[6月24日]] - 仏[[マリー・フランソワ・サディ・カルノー|カルノー]]大統領{{仮リンク|サディ・カルノー暗殺事件|fr|Assassinat de Sadi Carnot|label=暗殺}}
* [[6月28日]] - [[労働者の日]]が[[アメリカ合衆国]]の公式の[[祝日]]として制定
* [[6月30日]] - 英国で[[タワーブリッジ]]開通
=== 7月 ===
* [[7月4日]] - ハワイが[[ハワイ共和国|共和国]]を宣言(大統領[[サンフォード・ドール]])
* [[7月6日]] - 米[[グロバー・クリーブランド|クリーブランド]]大統領がストライキ([[:en:Pullman Strike|Pullman Strike]])鎮圧のため軍隊を派遣
* [[7月16日]] - [[日英通商航海条約]]調印([[領事裁判権]]撤廃)
* [[7月17日]] - [[海軍軍令部長]]が[[中牟田倉之助]]から[[樺山資紀]]に交代
* [[7月19日]] - 日本海軍が初の[[聯合艦隊]]を編成(司令長官[[伊東祐亨]]中将)
* [[7月23日]] - 日本軍が[[李氏朝鮮|朝鮮]]王宮を占領し[[興宣大院君]]を擁立
* [[7月25日]] - [[日清戦争]]: [[豊島沖海戦]]
* [[7月27日]] - 朝鮮で第一次[[金弘集 (政治家)|金弘集]]政権成立(第一次[[甲午改革]]開始)
* [[7月28日]] - 日清戦争: [[成歓の戦い]]
* [[7月29日]] - [[東京府]]庁舎新築落成式([[麹町区]][[有楽町]])
=== 8月 ===
* [[8月1日]] - 日清戦争: 日本と[[清]]が相互に宣戦布告
* [[8月25日]] - [[北里柴三郎]]が[[腺ペスト]]菌の発見を発表([[ランセット]]誌)
=== 9月 ===
* [[9月1日]] - [[第4回衆議院議員総選挙]]
* [[9月15日]]
** 日清戦争: [[平壌の戦い (日清戦争)|平壌の戦い]]
** 日清戦争: 大本営([[明治天皇]]親栽)が皇居から第5師団司令部([[広島城]])に進出([[広島大本営]])
* [[9月17日]] - 日清戦争: [[黄海海戦 (日清戦争)|黄海海戦]]
=== 10月 ===
* [[10月15日]] - [[ドレフュス事件]]: [[アルフレド・ドレフュス]]仏陸軍大尉が反逆罪で逮捕される(冤罪)
* [[10月24日]] - [[志賀重昂]]の著書『[[日本風景論]]』の初版が出版される。
* [[10月25日]] - 日清戦争: [[鴨緑江作戦]]
* [[10月29日]] - [[ハワイ共和国]]で第1回選挙
=== 11月 ===
* [[11月1日]] - ロシア皇帝[[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]逝去、[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]即位
* [[11月15日]] - [[帝国議会|第7臨時議会]]召集
* [[11月21日]] - 日清戦争: [[旅順口の戦い]]
* [[11月22日]] - 日清戦争: [[旅順虐殺事件]]
=== 12月 ===
* [[12月15日]] - [[第一次エチオピア戦争]]始まる
* [[12月17日]] - [[李氏朝鮮|朝鮮]]で第二次[[金弘集 (政治家)|金弘集]]政権成立([[朴泳孝]]と連立)
* [[12月22日]]
** [[帝国議会|第8議会]]召集
** [[クロード・ドビュッシー]]「[[牧神の午後への前奏曲]]」初演(パリ)
* [[樋口一葉]]「[[大つごもり (小説)|大つごもり]]」([[文学界 (明治)|文学界]])
=== 日付不詳 ===
* オーヴィル・ヘンリー・ギブソンが大手ギターメーカーの[[ギブソン (楽器メーカー)|ギブソン・ギター・コーポレーション]]を創業
== 誕生 ==
{{see also|Category:1894年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
=== 1月 ===
* [[1月1日]] - [[サティエンドラ・ボース]]、[[物理学者]](+ [[1974年]])
* [[1月8日]] - [[マキシミリアノ・コルベ]]、[[カトリック教会]][[司祭]]・[[ホロコースト]]犠牲者(+ [[1941年]])
* [[1月11日]] - [[きだみのる]]、[[作家]]・[[翻訳家]](+ [[1975年]])
* [[1月17日]] - [[北川民次]]、[[洋画家]](+ [[1989年]])
* [[1月18日]] - [[高群逸枝]]、[[詩人]]・[[民俗学|民俗学者]](+ [[1964年]])
* [[1月20日]] - [[西脇順三郎]]、詩人・[[英文学|英文学者]](+ [[1982年]])
* 1月20日 - [[ウォルター・ピストン]]、[[作曲家]](+ [[1976年]])
* [[1月26日]] - [[蓑田胸喜]]、[[思想|思想家]](+ [[1946年]])
* [[1月30日]] - [[ボリス3世 (ブルガリア王)|ボリス3世]]、[[ブルガリア|ブルガリア王]](+ [[1943年]])
* [[1月31日]] - [[小島政二郎]]、[[小説家]]・[[随筆家]](+ [[1994年]])
=== 2月 ===
* [[2月1日]] - [[ジョン・フォード]]、[[映画監督]](+ [[1973年]])
* 2月1日 - [[太田垣士郎]]、[[実業家]](+ [[1964年]])
* [[2月2日]] - [[片岡鉄兵]]、[[小説家]](+ [[1944年]])
* 2月2日 - [[ダムディン・スフバートル]]、[[革命家]]、[[軍人]] (+ [[1923年]])
* [[2月3日]] - [[ノーマン・ロックウェル]]、[[画家]](+ [[1978年]])
* [[2月10日]] - [[ハロルド・マクミラン]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1986年]])
* 2月10日 - [[ハーブ・ペノック]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1948年]])
* [[2月16日]] - [[菅原通済]]、[[実業家]](+ [[1981年]])
* [[2月18日]] - [[アレクサンドル・オパーリン]]、[[生化学|生化学者]](+ [[1980年]])
* [[2月20日]] - [[左卜全]]、[[俳優]](+ [[1971年]])
* [[2月21日]] - [[神田茂]]、[[天文学者]](+ [[1974年]])
* [[2月25日]] - [[メヘル・バーバー]]、[[宗教家]](+ [[1969年]])
* [[2月28日]] - [[真鍋八千代]]、[[実業家]](+ [[1975年]])
=== 3月 ===
* [[3月3日]] - [[古海卓二]]、[[映画監督]](+ [[1961年]])
* [[3月11日]] - [[オットー・グローテヴォール]]、[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)首相(+ [[1964年]])
* [[3月12日]] - [[葉山嘉樹]]、[[小説家]](+ [[1945年]])
* 3月12日 - [[植村甲午郎]]、財界人・官僚(+ [[1978年]])
* [[3月14日]] - [[ヘイッキ・リーマタイネン]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1980年]])
* [[3月19日]] - [[ビル・ワムズガンス]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1985年]])
* [[3月21日]] - [[荒川豊蔵]]、[[陶芸家]](+ 1985年)
* [[3月23日]] - [[吉田甲子太郎]]、[[翻訳家]]・[[児童文学者]](+ [[1957年]])
* [[3月31日]] - [[林家正蔵|7代目林家正蔵]]、[[落語家]] (+ [[1949年]])
=== 4月 ===
* [[4月4日]] - [[瀧井孝作]]、[[俳人]]・[[小説家]](+ [[1984年]])
* [[4月6日]] - [[ガートルード・ベインズ]](+ [[2009年]])
* [[4月7日]] - [[宮城道雄]]、[[箏|箏曲家]](+ [[1956年]])
* [[4月8日]] - [[三好栄子]]、[[俳優|女優]](+ [[1963年]])
* [[4月10日]] - [[ベン・ニコルソン]]、[[画家]](+ [[1982年]])
* [[4月13日]] - [[アーサー・ファデン]]、[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](+ [[1973年]])
* 4月13日 - [[徳川夢声]]、[[漫談|漫談家]](+ [[1971年]])
* [[4月15日]] - [[ベッシー・スミス]]、[[ブルース]][[歌手]](+ [[1937年]])
* [[4月17日]] - [[ニキータ・フルシチョフ]]、ソ連の[[政治家]](+ [[1971年]])
* [[4月19日]] - [[山田守]]、[[建築家]](+ [[1966年]])
* [[4月26日]] - [[ルドルフ・ヘス]]、ドイツの政治家・[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]副総統(+ [[1987年]])
* [[4月29日]] - [[パウル・ヘルビガー]]、俳優(+ [[1981年]])
=== 5月 ===
* [[5月11日]] - [[マーサ・グレアム]]、[[舞踏家]]・[[振付師]](+ [[1991年]])
* [[5月18日]] - [[吉田鉄郎]]、[[建築家]](+ [[1956年]])
* [[5月21日]] - [[豊永常代]]、日本最[[長寿]]だった女性(+ [[2008年]])
* [[5月24日]] - [[花柳章太郎]]、[[女形]][[役者]](+ [[1965年]])
* [[5月27日]] - [[ダシール・ハメット]]、[[推理作家]](+ [[1961年]])
* 5月27日 - [[ルイ=フェルディナン・セリーヌ]]、小説家(+ 1961年)
* [[5月29日]] - [[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]、映画監督(+ [[1969年]])
=== 6月 ===
* [[6月5日]] - [[ロイ・トムソン]]、[[実業家]](+ [[1976年]])
* [[6月9日]] - [[ネド・ナジ]]、[[フェンシング]]選手(+ [[1940年]])
* [[6月11日]] - [[ダイ・バーノン]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](+ [[1992年]])
* 6月11日 - [[豊田喜一郎]]、経営者・[[トヨタ自動車]]創設者(+ [[1952年]])
* [[6月14日]] - [[マリー=アデライド (ルクセンブルク大公)|マリー=アデライド]]、[[ルクセンブルク大公]](+ [[1924年]])
* [[6月15日]] - [[米川文子]]、[[地歌]]・[[生田流]][[箏曲家]](+ [[1995年]])
* [[6月20日]] - [[竹鶴政孝]]、[[ニッカウヰスキー]]創業者・[[実業家]](+ [[1979年]])
* [[6月23日]] - [[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]、[[イギリス|イギリス王]](+ [[1972年]])
* 6月23日 - [[アルフレッド・キンゼイ]]、[[性科学者]]・[[動物学]]者(+ [[1956年]])
* [[6月25日]] - [[武井武雄]]、[[童画]]家(+ [[1983年]])
* [[6月28日]] - [[フランシス・ハンター]]、[[テニス]]選手(+ [[1981年]])
* [[6月29日]] - [[ヘルマン・オーベルト]]、[[ロケット]]工学者(+ [[1989年]])
=== 7月 ===
* [[7月5日]] - [[ガヴリロ・プリンツィプ]]、[[フランツ・フェルディナント大公]]暗殺者(+ [[1918年]])
* 7月5日 - [[大屋晋三]]、[[政治家]]・[[実業家]](+ [[1980年]])
* [[7月9日]] - [[ピョートル・カピッツァ]]、物理学者(+ [[1984年]])
* 7月9日 - [[アンドレアス・クログ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1964年]])
* [[7月10日]] - [[武知勇記]]、政治家(+ [[1963年]])
* [[7月24日]] - [[マグダ・ユーリン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1990年]])
* [[7月26日]] - [[オルダス・ハクスリー]]、小説家(+ 1963年)
=== 8月 ===
* [[8月2日]] - [[速水御舟]]、[[日本画家]](+ [[1935年]])
* [[8月3日]] - [[ハリー・ハイルマン]]、元[[メジャーリーガー]](+ [[1951年]])
* [[8月11日]] - [[城戸四郎]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1977年]])
* [[8月21日]] - [[クリスチャン・シャド]]、[[芸術家]](+ [[1982年]])
* [[8月22日]] - [[澤田政廣]]、[[彫刻家]](+ [[1988年]])
* [[8月25日]] - [[アルフレート・ベルガー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1966年]])
* [[8月28日]] - [[カール・ベーム]]、[[指揮者]](+ [[1981年]])
=== 9月 ===
* [[9月2日]] - [[ヨーゼフ・ロート]]、小説家(+ [[1939年]])
* [[9月12日]] - [[徳田球一]]、政治家・[[日本共産党]]書記長(+ [[1953年]])
* [[9月12日]] - [[ビリー・ギルバード]]、コメディアン、俳優(+ [[1971年]])
* [[9月13日]] - [[J・B・プリーストリー]]、[[著作家]]・[[劇作家]]・[[司会者]](+ [[1984年]])
* [[9月15日]] - [[ジャン・ルノワール]]、[[映画監督]](+ [[1979年]])
* 9月15日 - [[オスカル・クライン]]、物理学者(+ [[1977年]])
* 9月15日 - 2代目[[柳家小せん]]、落語家(+ [[1959年]])
* [[9月18日]] - [[中村三之丞]]、政治家(+ [[1979年]])
* [[9月27日]] - [[ロタール・フォン・リヒトホーフェン]]、[[エース・パイロット]](+ [[1922年]])
=== 10月 ===
* [[10月5日]] - [[ベビル・ラッド]]、陸上競技選手(+ [[1948年]])
* [[10月13日]] - [[岸一郎]]、元[[プロ野球監督]](+ 没年不詳)
* [[10月14日]] - [[ハインリヒ・リュプケ]]、[[連邦大統領 (ドイツ)|西ドイツ大統領]](+ [[1972年]])
* [[10月15日]] - [[モシェ・シャレット]]、[[イスラエルの首相|イスラエル首相]](+ [[1965年]])
* [[10月20日]] - [[オリーヴ・トーマス]]、[[俳優|女優]]・[[ソーシャライト]](+ [[1920年]])
* [[10月21日]] - [[江戸川乱歩]]、推理作家(+ [[1965年]])
* [[10月23日]] - [[福原麟太郎]]、英文学者(+ [[1981年]])
* [[10月30日]] - [[ピーター・ウォーロック]]、[[作曲家]]・[[音楽評論家]](+ [[1930年]])
=== 11月 ===
* [[11月2日]] - [[アレクサンダー・リピッシュ|アレキサンダー・マルティン・リピッシュ]]、[[流体力学|流体力学者]](+ [[1976年]])
* [[11月3日]] - [[腰本寿]]、[[野球選手]](+ [[1935年]])
* [[11月5日]] - [[ハロルド・イニス]]、[[経済学者]]・[[社会学者]](+ [[1952年]])
* [[11月9日]] - [[メエ・マーシュ]]、女優(+ [[1968年]])
* [[11月16日]] - [[リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー]]、汎欧州主義の提唱者(+ [[1972年]])
* [[11月26日]] - [[ノーバート・ウィーナー]]、[[数学者]](+ [[1964年]])
* [[11月27日]] - [[松下幸之助]]、実業家・[[パナソニック|松下電器]]創業者(+ [[1989年]])
* [[11月28日]] - [[小穴隆一]]、[[洋画家]]・随筆家(+ [[1966年]])
=== 12月 ===
* [[12月8日]] - [[ジェームズ・サーバー]]、作家・[[漫画家]](+ [[1961年]])
* [[12月9日]] - [[浜田庄司]]、[[陶芸家]](+ [[1978年]])
* [[12月16日]] - [[久松潜一]]、[[国文学者]](+ [[1976年]])
* [[12月17日]] - [[アーサー・フィードラー]]、指揮者(+ [[1979年]])
* 12月17日 - [[ハンス・ヘニー・ヤーン]]、[[作家]]・[[オルガン]]制作者(+ [[1958年]])
* [[12月19日]] - [[吉田五十八]]、建築家(+ [[1974年]])
* 12月19日 - [[加藤顕清]]、[[彫刻家]](+ [[1966年]])
* 12月19日 - [[リヒャルト・フォークト]]、航空エンジニア(+ [[1979年]])
* 12月19日 - [[フォード・フリック]]、MLB[[コミッショナー]](+ [[1978年]])
* [[12月20日]] - [[ロバート・メンジーズ]]、オーストラリア首相(+ [[1978年]])
* [[12月24日]]-[[ジョルジュ・ギンヌメール]]、フランスのパイロット(+[[1917年]])
=== 日付不詳 ===
* 日付不詳 - [[近藤伊与吉]]、俳優(+ [[1944年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1894年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
=== 1月 ===
* [[1月1日]] - [[ハインリヒ・ヘルツ]]、[[物理学者]](*[[1857年]])
* [[1月8日]] - [[レオポルト・フォン・シュレンク]]、[[動物学者]]・[[地理学者]]・[[民族誌学]]者(*[[1826年]])
* [[1月13日]] - [[ナジェジダ・フォン・メック]]、作曲家[[ピョートル・チャイコフスキー]]の支援者(*[[1831年]])
* [[1月21日]] - [[ギヨーム・ルクー]]、作曲家(*[[1870年]])
=== 2月 ===
* [[2月4日]] - [[アドルフ・サックス]]、[[サクソフォーン]]開発者(*[[1814年]])
* [[2月6日]] - [[テオドール・ビルロート]]、初めて[[胃癌]]切除手術に成功した[[医師]](*[[1829年]])
* [[2月12日]] - [[ハンス・フォン・ビューロー]]、[[指揮者]](*[[1830年]])
* [[2月21日]] - [[尾崎谷斎]]、[[根付|根付師]](*[[1835年]])
* 2月21日 - [[ギュスターヴ・カイユボット]]、[[画家]](*[[1848年]])
=== 3月 ===
* [[3月20日]] - [[コシュート・ラヨシュ]]、[[ハンガリー]]の民族主義運動指導者(*[[1802年]])
* [[3月23日]] - [[ジョージ・ロマネス]]、[[生物学者]](*[[1848年]])
* [[3月28日]] - [[金玉均]]、[[李氏朝鮮]][[開化派]]の指導者(*[[1851年]])
=== 4月 ===
* [[4月12日]] - [[エドワード・ドリンカー・コープ]]、[[古生物学|古生物学者]](*[[1840年]])
* [[4月15日]] - [[ジャン・マリニャック]]、[[化学者]](*[[1817年]])
=== 5月 ===
* [[5月3日]] - [[ボブ・ファーガソン]]、[[メジャーリーガー]](* [[1845年]])
* [[5月15日]] - [[フィリップ・パロット]]、画家(*[[1831年]])
* [[5月16日]] - [[北村透谷]]、[[詩人]]・[[文芸評論|文芸評論家]](*[[1868年]])
* [[5月21日]] - [[嵐璃寛 (4代目)]]、[[歌舞伎]]役者(*[[1837年]])
* 5月21日 - [[アウグスト・クント]]、物理学者(*[[1839年]])
* 5月26日 - [[三遊亭萬橘#初代|三遊亭萬橘]](初代)、[[落語家]](*[[1847年]])
=== 6月 ===
* [[6月3日]] - [[オスカル・テーノ]]、[[画家]](*[[1842年]])
* [[6月8日]] - [[麗々亭柳橋 (3代目)]]、[[落語家]](*[[1826年]])
* [[6月10日]] - [[松尾多勢子]]、[[尊皇論|尊皇派]][[志士]](*[[1811年]])
* [[6月16日]] - [[鈴木岩治郎]]、[[鈴木商店]]創業者(*[[1837年]])
* [[6月24日]] - [[マリー・フランソワ・サディ・カルノー]]、[[フランスの大統領|フランス大統領]](*[[1837年]])
=== 7月 ===
* [[7月6日]] - [[高橋由一]]、画家(*[[1828年]])
* [[7月17日]] - [[ヨーゼフ・ヒルトル]]、[[医学者]](*[[1810年]])
* [[7月29日]] - [[白神源次郎]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[信号ラッパ|喇叭手]](*[[1868年]])
* 7月29日 - [[木口小平]]、日本陸軍の喇叭手(*[[1872年]])
=== 8月 ===
* [[8月1日]] - [[ジョセフ・ホルト (政治家)]]、[[アメリカ合衆国陸軍長官]]・[[アメリカ合衆国郵政長官|郵政長官]](*[[1807年]])
* 8月1日 - [[ヒューゴ・サルムソン]]、[[画家]](*[[1843年]])
* [[8月17日]] - [[満宮輝仁親王]]、日本の[[皇族]](*[[1893年]])
=== 9月 ===
* [[9月2日]] - [[柳原前光]]、公卿・[[外交官]]・[[元老院 (日本)|元老院]]議長・[[枢密院 (日本)|枢密顧問官]](*[[1850年]])
* [[9月8日]] - [[ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ]]、[[生理学者]]・物理学者(*[[1821年]])
* [[9月11日]] - [[榊原鍵吉]]、[[剣術|剣客]](*[[1830年]])
* [[9月13日]] - [[エマニュエル・シャブリエ]]、作曲家(*[[1841年]])
=== 10月 ===
* [[10月8日]] - [[オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニア|オリバー・ウェンデル・ホームズ]]、作家(*[[1809年]])
* [[10月30日]] - [[フアン・コルティナ]]、[[メキシコ]]民衆の英雄として知られる人物(*[[1824年]])
=== 11月 ===
* [[11月1日]] - [[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]、[[ロシア帝国|ロシア]][[ツァーリ|皇帝]](*[[1845年]])
* [[11月8日]] - [[仮名垣魯文]]、作家(*[[1829年]])
* 11月8日 - [[キング・ケリー]]、[[メジャーリーグベースボール]]選手(*[[1857年]])
* [[11月20日]] - [[アントン・ルビンシテイン]]、作曲家・[[ピアニスト]](*[[1829年]])
=== 12月 ===
* [[12月2日]] - [[ヘルマン・ロエスレル]]、[[法学者]]・[[経済学者]](*[[1834年]])
* [[12月3日]] - [[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]、[[小説家]](*[[1850年]])
* [[12月7日]] - [[フェルディナン・ド・レセップス]]、[[スエズ運河]]の開発者として知られる[[外交官]]・[[実業家]](*[[1805年]])
* [[12月8日]] - [[パフヌティ・チェビシェフ]]、[[数学者]](*[[1821年]])
* 12月8日 - [[島津源蔵 (初代)]]、[[島津製作所]]創業者(*[[1839年]])
* 12月8日 - [[小泉信吉]]、[[慶應義塾]]塾長・[[横浜正金銀行]]支配人(*[[1853年]])
* [[12月29日]] - [[クリスティーナ・ロセッティ]]、[[詩人]](*[[1830年]])
* [[12月30日]] - [[アメリア・ジェンクス・ブルーマー]]、[[フェミニズム]]運動家(*[[1818年]])
== フィクションのできごと ==
* 7月 - 9月17日 - ジャスティ・ウエキ・タイラー少将らを乗せた惑星連合宇宙軍の[[装載艇#内火艇|内火艇]]が、事故によって[[9千年紀|宇宙歴7000年]]から同年の日本へとタイムワープ。10年前に明治時代へタイムワープし、日清戦争にて清を支援していた神聖ラアルゴン帝国の巡洋艦2隻を撃破すべく、タイラーらは日本海軍と共同戦線を張り、[[黄海海戦 (日清戦争)|黄海海戦]]に参加する。(小説『[[宇宙一の無責任男]]』)<ref>{{Cite book |和書 |author=吉岡平|authorlink=吉岡平 |title = 宇宙一の無責任男シリーズ2 明治一代無責任男 |publisher = [[富士見書房]] |year = 1989 |pages = 7,77-119,161-165,194-244 |isbn = 978-4-8291-2313-3}}</ref>
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1894}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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[[Category:1894年|*]] | null | 2023-06-24T15:27:06Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1894%E5%B9%B4 |
4,864 | 4月9日 | 4月9日(しがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から99日目(閏年では100日目)にあたり、年末まではあと266日ある。 | [
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== できごと ==
[[Image:La_Expulsi%C3%B3n_en_el_Puerto_de_Denia._Vicente_Mostre.jpg|thumb|180px|[[イベリア半島]]に残留した[[ムスリム]]である[[モリスコ追放]]の勅令(1609)]]
[[Image:Appomattox courthouse.jpg|thumb|240px|[[アポマトックス・コートハウスの戦い]]で[[南部連合]]司令官[[ロバート・E・リー|ロバート・リー]]が降伏し[[南北戦争]]終結(1865)]]
<!--[[File:Appomattox Centenial 1965 issue--5c.jpg|thumb|240px|[[アポマトックス・コートハウスの戦い]]で[[南部連合]]司令官[[ロバート・E・リー|ロバート・リー]]が降伏し[[南北戦争]]終結(1865)]] :終結100年の記念切手 -->
[[Image:Biwa_Canal_and_inclined_railroad_for_hoisting_the_boats.jpg|thumb|upright|[[琵琶湖疏水]]開通式(1890)。画像は1902年]]
[[Image:Mitsubishi_Ki15-Kamikaze.jpg|thumb|180px|[[朝日新聞社]]の[[九七式司令部偵察機#神風号|神風号]]、ロンドンに到着(1937)]]
[[Image:Jorge Eliécer Gaitán (1936).jpg|thumb|[[ホルヘ・エリエセル・ガイタン]]暗殺。[[コロンビアの歴史#ボゴタ暴動、コロンビア内戦|ボゴタ暴動]]の契機に(1948)]]
[[Image:SaddamStatue.jpg|thumb|180px|[[イラク戦争]]、[[バグダード]]が事実上陥落(2003)]]
* [[193年]] - [[セプティミウス・セウェルス]]が軍団の支持を得て[[ローマ皇帝]]に即位。
* [[702年]]([[大宝 (日本)|大宝]]2年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[文武天皇]]が、日本で初めて全国的に統一された計量単位([[度量衡]])を定める。
* [[1241年]] - [[ワールシュタットの戦い]]。[[モンゴル帝国]]軍がポーランド・ドイツ軍を敗る。
* [[1333年]]([[元弘]]3年/[[正慶]]2年閏[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]) - [[鎌倉幕府]]により[[隠岐島]]に流されていた[[後醍醐天皇]]が、島を脱出し京に向かう。
* [[1413年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]が戴冠。
* [[1440年]] - [[クリストファ3世 (デンマーク王)|クリストファ3世]]が[[デンマーク]]王に即位。
* [[1483年]] - イングランド国王[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]が死去。[[エドワード5世 (イングランド王)|エドワード5世]]が即位。
* [[1609年]] - [[フェリペ3世 (スペイン王)|スペイン王フェリペ3世]]が[[モリスコ追放]]の勅令に署名する。
* [[1782年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[セインツの海戦]]が始まる。
* [[1788年]]([[天明]]8年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - [[寛政の改革]]: 江戸幕府第11代将軍・[[徳川家斉]]が[[老中]]・[[松平定信]]を将軍輔佐とする。
* [[1834年]]([[天保]]5年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[天保の改革]]: [[水野忠邦]]が江戸幕府老中に就任。
* [[1858年]]([[安政]]5年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[飛越地震]]が発生する。
* [[1860年]] - [[フォノトグラフ]]により世界で初めて音声が記録される。
* [[1863年]]([[文久]]3年[[2月22日 (旧暦)|2月22日]]) - 京都で[[足利三代木像梟首事件]]が発生。
* [[1865年]] - アメリカの[[南北戦争]]で、南軍の[[ロバート・リー|リー将軍]]が降伏宣言し、戦争が終結。
* [[1890年]] - [[琵琶湖疏水]]の開通式を挙行。
* [[1922年]] - [[神戸市|神戸]]で[[全日本農民組合連合会|日本農民組合]]結成。
* [[1928年]] - [[トルコ]]が憲法から[[イスラム教]]を国教とする条項を廃止。
* [[1935年]] - [[天皇機関説事件]]:[[美濃部達吉]]の著書『憲法概要』など5点が出版法違反で発禁処分に。
* [[1937年]] - [[朝日新聞|朝日新聞社]]の「[[九七式司令部偵察機#神風号|神風号]]」が[[ロンドン]]に到着、亜欧連絡飛行を成功させる(現地時間)。<!-- 日本時間では4月10日 -->
* [[1939年]] - 天津イギリス租界事件。[[天津市|天津]]のイギリス[[租界]]で親日派の海関監督・程錫庚が抗日ゲリラにより暗殺される。
* [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ヴェーザー演習作戦]]。[[ナチス・ドイツ]]が[[ノルウェー]]・[[デンマーク]]へ侵攻。ノルウェー国王[[ホーコン7世]]がイギリスに亡命。
* [[1942年]] - 第二次世界大戦: [[日本軍]]が[[フィリピン]]の[[バターン半島]]を占領。([[バターン死の行進]])
* [[1945年]] - 第二次世界大戦: [[キール (ドイツ)|キール]]に停泊中のドイツの重巡洋艦[[アドミラル・シェーア (装甲艦)|アドミラル・シェーア]]がイギリス空軍機の爆撃を受け沈没。
* [[1948年]] - [[エルサレム]]西部のデイル・ヤシーン村を、[[ユダヤ人]]特攻隊が攻撃、多数の住民が犠牲になる。([[デイル・ヤシーン事件]])
* 1948年 - [[コロンビア]]の[[ボゴタ]]で自由党党首[[ホルヘ・エリエセル・ガイタン]]が[[暗殺]]される。[[コロンビアの歴史#ボゴタ暴動、コロンビア内戦|ボゴタ暴動]]の発端に。
* [[1952年]] - [[もく星号墜落事故]]。搭乗員37人全員死亡。
* [[1957年]] - [[第二次中東戦争]]以降閉鎖されていた[[スエズ運河]]の通行が再開。
* [[1959年]] - [[国民年金法]]成立。
* [[1965年]] - 世界初の[[ドーム球場]]・[[アストロドーム]]が開場。
<!-- * [[1969年]] - [[1968年]][[12月10日]]に発生した[[三億円事件]]で犯行に使われた[[トヨタ・カローラ|カローラ]]が発見される。 -->
* [[1972年]] - 埼玉県[[上福岡市]]が市制施行。
* [[1974年]] - 富士山頂所有権訴訟で[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]が国の上告を棄却。[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]八合目以上が[[富士山本宮浅間大社|富士山本宮浅間神社]]の[[境内地]]であることを確認。
* [[1977年]] - [[静岡県]][[水窪町]]の町道を走行中の[[国鉄バス|国鉄路線バス]]の屋根に5トンの岩が落下、中学生2人が死亡<ref>楽しみの週末帰宅暗転 静岡・水窪町バス落石事故『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月10日朝刊、13版、23面</ref>。
<!-- * [[1979年]] - [[読売ジャイアンツ]]が球団創設以来3000勝達成。 -->
* [[1981年]] - [[米原潜当て逃げ事件]]。
* [[1984年]] - [[東急田園都市線]]が全通。
* [[1988年]] - 翌日の[[瀬戸大橋]]の開通に伴い、宇野 - 高松の[[宇高連絡船]]が高速艇を除きこの日限りで廃止。
* [[1989年]] - [[グルジア・ソビエト社会主義共和国]](グルジアSSR・現[[ジョージア (国)|ジョージア]])の[[トビリシ]]で[[4月4日]]以降本格化した抗議運動に対して[[ソビエト連邦]]軍が攻撃、後に「[[4月9日の悲劇]]」と呼ばれる虐殺事件が起こる。
* [[1991年]] - [[グルジア]]が[[ソビエト連邦]]から独立。
* [[1995年]] - [[1995年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]で[[青島幸男]]が、[[1995年大阪府知事選挙|大阪府知事選挙]]で[[横山ノック]]が当選。
* [[2003年]] - [[イラク戦争]]: [[イラク]]の首都[[バグダード]]が事実上陥落。
* [[2005年]] - [[中華人民共和国]]各地で大規模な[[2005年の中国における反日活動|反日デモ]]が発生。
* 2005年 - イギリス王太子チャールズ(のちの[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]])が[[カミラ (イギリス王妃)|カミラ・パーカー・ボウルズ]]と結婚。
* [[2006年]] - [[阪神タイガース|阪神]]の[[金本知憲]]が904試合連続イニング出場で[[カル・リプケン・ジュニア]]を抜き、世界新記録を達成。
* [[2007年]] - [[らき☆すた]]の[[らき☆すた (アニメ)|テレビアニメ]]が放送開始。アニメによる町おこしの成功例として取り上げられる。
* [[2008年]] - [[オアシス香港航空]]が運行を停止。
* [[2018年]] - サッカー日本代表、[[ヴァイッド・ハリルホジッチ]]監督が解任。後任に[[西野朗]]が就任<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20180409-OHT1T50123.html|title=電撃解任・ハリルの後任は西野朗氏!田嶋会長「内部からの昇格しかないと思った」|newspaper=スポーツ報知|date=2018-04-09|accessdate=2018-04-10}}</ref>。
* [[2019年]] - [[2024年]]上期を目処に[[日本銀行券]](紙幣)を改刷することが発表された<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43505090Z00C19A4MM8000/|title=紙幣刷新へ 1万円は渋沢栄一、5000円は津田梅子|newspaper=日本経済新聞社|date=2019-04-09|accessdate=2019-04-12}}</ref>。
* [[2023年]] - [[第20回統一地方選挙]]。
{{clear}}
== 誕生日 ==
[[Image:Engraving_dragonetti.jpeg|thumb|upright|[[コントラバス]]奏者[[ドメニコ・ドラゴネッティ]](1763-1846)誕生。卓越した演奏技術でコントラバスの地位を高めた]]
[[Image:Baudelaire_crop.jpg|thumb|160px|[[近代詩]]の原点、詩人[[シャルル・ボードレール]](1821-67)誕生。{{Squote|詩人は嵐の中を飛び射手を嘲笑う/雲の帝王のようなもの/地上へと追放されて群集に罵られ/巨大な翼も歩く邪魔になるばかり――「信天翁」『[[悪の華]]』(1861)}}]]
<!--{{Squote|偽善者の読者、――俺の同類、――俺の兄弟よ!(「読者へ」『[[悪の華]]』』(1861)}}-->
[[Image:Launch-of-the-SS-GB.jpg|thumb|220px|<!--[[鉄道]]・[[蒸気船]]・[[橋梁]]などに多くの仕事を遺した-->エンジニア、[[イザムバード・キングダム・ブルネル]](1806-1859)。画像の蒸気船{{仮リンク|グレートブリテン (蒸気船)|label=グレートブリテン|en|SS Great Britain}}(1843)は当時世界最大]]
<!--[[Image:Leopold_ii_garter_knight.jpg|thumb|upright|ベルギー王[[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]](1635-1909)。[[コンゴ]]を植民地化し虐政を行った]]-->
<!-- [[Image:Amputated Congolese youth.jpg|thumb|240px|レオポルド2世の統治下で腕を切り落とされたコンゴの子供たち]] -->
[[Image:Jean-Paul_Belmondo_2001.jpg|thumb|upright|俳優[[ジャン=ポール・ベルモンド]](1933-2021)。[[ジャン=リュック・ゴダール|ゴダール]]の『[[勝手にしやがれ (映画)|勝手にしやがれ]]』(1959)で一躍スターとなった]]
=== 人物 ===
* [[1336年]] - [[ティムール]]{{要出典|date=2021-02}}、[[ティムール朝]]の創設者(+ [[1405年]])
* [[1676年]]([[延宝]]4年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[小笠原長円]]、[[豊前国|豊前]][[中津藩]]4代藩主(+ [[1713年]])
* [[1748年]]([[延宝]]4年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[毛利匡満]]、[[長門国|長門]][[長府藩]]9代藩主(+ [[1769年]])
* [[1757年]] - [[エドワード・ペリュー]]、軍人(+ [[1833年]])
* [[1770年]] - [[トーマス・ゼーベック]]、[[物理学者]]、[[医師]](+ [[1831年]])
* [[1771年]]([[明和]]8年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[片桐貞彰]]、[[大和国|大和]][[小泉藩]]7代藩主(+ [[1822年]])
* [[1794年]] - [[テオバルト・ベーム]]、楽器製作職人(+ [[1881年]])
* [[1796年]]([[寛政]]8年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[伊達周宗]]、[[陸奥国|陸奥]][[仙台藩]]9代藩主(+ [[1812年]])
* [[1806年]] - [[イザムバード・キングダム・ブルネル]]、[[技術者]](+ [[1859年]])
* [[1821年]] - [[シャルル・ボードレール]]、[[詩人]](+ [[1867年]])
* [[1830年]] - [[エドワード・マイブリッジ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Eadweard-Muybridge Eadweard Muybridge British photographer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[写真家]](+ [[1904年]])
* [[1835年]] - [[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]]、[[ベルギー]]国王(+ [[1909年]])
* [[1841年]] - [[ウィリアム・ジョージ・アストン]]、[[外交官]]、[[日本学|日本学者]](+ [[1911年]])
* [[1846年]] - [[フランチェスコ・パオロ・トスティ]]、[[作曲家]](+ [[1916年]])
* [[1865年]] - [[エーリヒ・ルーデンドルフ]]、[[軍人]]、[[政治家]](+ [[1937年]])
* [[1867年]] - [[クリス・ワトソン]]、政治家(+ [[1941年]])
* [[1869年]] - [[エリ・カルタン]]、[[数学者]](+ [[1951年]])
* [[1872年]] - [[レオン・ブルム]]、政治家、[[人民戦線]]指導者(+ [[1950年]])
* [[1878年]] - [[マルセル・グロスマン]]、数学者(+ [[1936年]])
* [[1879年]] - [[ドク・ホワイト]]、元プロ野球選手(+ [[1969年]])
* [[1881年]] - [[杉森孝次郎]]、[[評論家]]、[[政治学者]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[1968年]])
* [[1883年]] - [[水野葉舟]]、[[歌人]]、詩人、[[作家]](+ [[1947年]])
* [[1888年]] - [[ヒッポ・ボーン]]、元プロ野球選手(+ [[1966年]])
* [[1889年]] - [[エフレム・ジンバリスト]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1985年]])
* 1889年 - [[山下太郎 (アラビア石油)|山下太郎]]、[[実業家]](+ [[1967年]])
* [[1892年]] - [[佐藤春夫]]、詩人(+ [[1964年]])
* [[1898年]] - [[渡辺篤 (俳優)|渡辺篤]]、[[俳優]](+ [[1977年]])
* 1898年 - [[ポール・ロブスン]]、俳優、作家、[[公民権運動|公民権活動家]](+ [[1976年]])
* 1898年 - [[カーリー・ランボー]]、[[アメリカンフットボール]]元選手、元コーチ、元エグゼクティブ(+ [[1965年]])
* [[1899年]] - [[吉野源三郎]]、[[編集者]]、評論家(+ [[1981年]])
* [[1905年]] - [[J・ウィリアム・フルブライト]]、[[政治家]](+ [[1995年]])
* [[1906年]] - [[アンタル・ドラティ]]、[[指揮者]](+ [[1988年]])
* [[1907年]] - [[稲葉秀三]]、[[経済評論家]](+ [[1996年]])
* [[1908年]] - [[宗像誠也]]、[[教育学|教育学者]](+ [[1970年]])
* [[1910年]] - [[白川静]]、[[漢文学|漢文学者]](+ [[2006年]])
* [[1911年]] - [[野間省一]]、第4代[[講談社]]社長(+ [[1984年]])
* [[1916年]] - [[木下忠司]]、作曲家(+ [[2018年]]<ref>{{Cite news|url= https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201805070000562.html |title= 「人生楽ありゃ~」「カリメロ」作曲家102歳死去 |newspaper= 日刊スポーツ |publisher= 日刊スポーツ新聞社 |date= 2018-05-07 |accessdate= 2020-11-17 }}</ref>)
* [[1917年]] - [[大館勲]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2000年]])
* 1917年 - [[ブラッド・デクスター]]、俳優(+ [[2002年]])
* [[1918年]] - [[ヨーン・ウツソン]]、[[建築家]](+ [[2008年]])
* [[1919年]] - [[ジョン・プレスパー・エッカート]]、[[ENIAC]]開発者(+ [[1995年]])
* [[1921年]] - [[イツハク・ナヴォン]]、[[政治家]]、[[外交官]]、[[劇作家]](+ [[2015年]])
* [[1924年]] - [[村山定男]]、[[天文学者]](+ [[2013年]])
* [[1926年]] - [[ヒュー・ヘフナー]]、実業家、雑誌『[[PLAYBOY]]』発刊者(+ [[2017年]])
* [[1927年]] - [[金原亭馬の助|金原亭馬の助(初代)]]、[[落語家]](+ [[1976年]])
* 1927年 - [[瀧本敦]]、植物学者
* [[1928年]] - [[久里洋二]]、[[洋画家]]、漫画家、[[イラストレーター]]
* [[1929年]] - [[大川橋蔵 (2代目)|大川橋蔵]]、俳優(+ [[1984年]])
* [[1931年]] - [[広中平祐]]、数学者
* [[1932年]] - [[三谷昇]]、俳優(+ [[2023年]])
* 1932年 - [[大畑庄作]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]])
* 1932年 - [[カール・パーキンス]]、アメリカのミュージシャン(+ [[1998年]])
* [[1933年]] - [[ジャン=ポール・ベルモンド]]、俳優(+ [[2021年]])
* [[1934年]] - [[伊香輝男]]、元プロ野球選手(+ [[2009年]])
* [[1935年]] - [[清川元夢]]、[[声優]](+ [[2022年]])
* 1935年 - [[石黒誠作]]、元プロ野球選手
* [[1936年]] - 野島一郎、元アナウンサー
* [[1937年]] - [[石弘光]]、[[経済学者]]、第5代[[政府税制調査会]]長(+ [[2018年]])
* 1937年 - [[湊谷武雄]]、元プロ野球選手
* [[1938年]] - [[倉田寛之]]、政治家、第25代[[参議院議長]](+ [[2020年]])
* 1938年 - [[ヴィクトル・チェルノムイルジン]]、[[政治家]]、[[ロシアの首相|ロシア首相]](+ [[2010年]])
* [[1940年]] - [[小林研一郎]]、指揮者
* 1940年 - [[エルネスト・カブール]]、[[チャランゴ]]奏者(+ [[2022年]])
* [[1941年]] - [[岩永功]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[井置博文]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[成田アキラ]]、[[漫画家]]
* 1945年 - [[スティーヴ・ガッド]]、[[ドラマー]]
* 1945年 - [[佐藤修二]]、天文学者
* [[1946年]] - [[高樹のぶ子]]、[[小説家]]
* 1946年 - [[八田広子]]、政治家
* [[1947年]] - [[杉山佳寿子]]、[[声優]]
* 1947年 - [[永島義男]]、コントラバス奏者
* 1947年 - [[飯田幸夫]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[桜井憲]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[保野洋一]]、政治家
* [[1949年]] - [[フィリップ・サンソネッティ]]、[[微生物学|微生物学者]]
* [[1950年]] - [[ピエール・ガニェール]]、[[シェフ]]
* [[1952年]] - [[稲増龍夫]]、社会学者
* 1952年 - [[テッド・タリー]]、[[脚本家]]、[[劇作家]]
* [[1954年]] - [[デニス・クエイド]]、俳優
* 1954年 - [[山内としお]]、俳優
* [[1955年]] - [[寬仁親王妃信子]]、[[皇族]]
* [[1957年]] - [[セベ・バレステロス]]、[[プロゴルファー]](+ [[2011年]])
* 1957年 - [[マルタン・マルジェラ]]、[[ファッションデザイナー]]
* 1957年 - [[本多俊之]]、[[サクソフォーン]]奏者
* [[1958年]] - [[小柳友貴美]]、女優、[[歌手]]
* [[1960年]] - [[西崎緑]]、歌手、女優
* 1960年 - [[嶋田信敏]]、元プロ野球選手
* 1960年 - [[佐藤文彦 (投手)|佐藤文彦]]、元プロ野球選手
* [[1962年]] - [[天宮良]]、俳優
* [[1963年]] - [[マーク・ジェイコブス]]、ファッションデザイナー
* 1963年 - [[ECHOES#メンバー|伊藤浩樹]]、音楽プロデューサー、ギタリスト([[ECHOES]])
* [[1964年]] - [[金城鉄治]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[永島昭浩]]、元[[サッカー選手]]
* [[1966年]] - [[マリオ・ブリトー]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[シンシア・ニクソン]]、女優
* 1966年 - [[勅使瓦武志]]、ミュージカル俳優
* [[1967年]] - [[藤村一人]]、実業家
* [[1971年]] - [[伊藤美紀 (女優)|伊藤美紀]]、女優、歌手
* 1971年 - [[古里泰隆]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[谷口尚久]]、ミュージシャン、音楽プロデューサー
* 1971年 - [[ジャック・ヴィルヌーヴ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー
* [[1972年]] - [[ベルナール・アッカ]]、元[[格闘家]]、[[お笑いタレント]](元[[塩コショー]])
* 1972年 - [[山本保司]]、元プロ野球選手
* [[1973年]] - [[グラウベ・フェイトーザ]]、[[空手家]]
* [[1974年]] - [[伊藤さおり]]、お笑いタレント([[北陽 (お笑いコンビ)|北陽]])
* 1974年 - [[森中聖雄]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[松代直樹]]、元サッカー選手、指導者
* 1974年 - [[ジェナ・ジェイムソン]]、ポルノ女優
* [[1975年]] - [[ロビー・ファウラー]]、元サッカー選手
* [[1976年]] - ERICHI、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ZZ (バンド)|ZZ]])
* [[1977年]] - [[藤島じゅん]]、漫画家
* 1977年 - [[ジェラルド・ウェイ]]、ミュージシャン([[マイ・ケミカル・ロマンス]])
* [[1978年]] - [[天野浩成]]、俳優
* 1978年 - [[ジョルジュ・アンドラーデ]]、元サッカー選手
* 1978年 - [[大原崇]]、声優
* [[1980年]] - [[イェルコ・レコ]]、元サッカー選手
* 1980年 - [[ミラクルひかる]]、[[ものまねタレント]]、歌手
* [[1981年]] - [[デニス・サファテ]]、プロ野球選手
* [[1983年]] - [[井上治]]、レフェリー、元プロレスラー
* 1983年 - [[呉圭崇]]、声優
* 1983年 - [[福田岳洋]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[風見尚]]、陸上競技選手
* [[1984年]] - [[アダム・ローウェン]]、プロ野球選手
* [[1985年]] - [[山下智久]]、歌手、俳優、[[タレント]](元[[NEWS (グループ)|NEWS]])
* 1985年 - [[デビッド・ロバートソン (野球)|デビッド・ロバートソン]]、プロ野球選手
* [[1986年]] - [[厚切りジェイソン]]、お笑い芸人
* 1986年 - [[レイトン・ミースター]]、女優
* 1986年 - [[五戸美樹]]、[[アナウンサー]]
* [[1987年]] - [[新井寛乃]]、元タレント、元[[アイドル]] (元[[腐男塾]]・彩黄寛兵衛)
* 1987年 - [[ジェシー・マッカートニー]]、歌手、俳優
* 1987年 - [[藤吉佐緒里]]、元バスケットボール選手
* 1987年 - [[エリック・キャンベル (野球)|エリック・キャンベル]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[吉田靖直]]、歌手([[トリプルファイヤー]])
* [[1988年]] - [[杏野はるな]]、元アイドル、元タレント
* 1988年 - [[岡本賢明]]、元サッカー選手
* 1988年 - [[悠城早矢]]、元女優
* [[1990年]] - [[日向泉]]、元グラビアアイドル
* 1990年 - [[久場光]]、元サッカー選手
* 1990年 - [[高良亮子]]、元サッカー選手
* 1990年 - [[マティアス・アベロ]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[ガイ・アスリン]]、サッカー選手
* [[1992年]] - [[新美有加]]、アナウンサー
* 1992年 - [[エリザベス・ハードキャッスル|ハードキャッスル エリザベス]]、アナウンサー、元子役
* [[1993年]] - [[渡邊雄貴]]、元プロ野球選手
* 1993年 - ヘラン、アイドル、ミュージシャン(元[[Brave Girls]])
* 1993年 - [[もも (歌手)|もも]]、歌手([[チャラン・ポ・ランタン]])
* [[1996年]] - [[籾木結花]]、サッカー選手
* 1996年 - [[広瀬裕也]]、声優
* [[1997年]] - [[今井美桜]]、[[フリーアナウンサー]]、[[モデル (職業)|モデル]]、タレント
* 1997年 - [[廣岡大志]]、プロ野球選手
* 1997年 - [[押田岳]]、俳優
* 1997年 - [[後藤翼ジェニー|JENNI]]、歌手、YouTuber
* [[1998年]] - [[エル・ファニング]]、女優
* [[1999年]] - [[リル・ナズ・X]]、ミュージシャン
* [[2000年]] - [[坂本花織]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 2000年 - [[中村貴浩]]、プロ野球選手
* [[2003年]] - 小澤愛実、アイドル([[ラストアイドル#シュークリームロケッツ|シュークリームロケッツ]])
* 2003年 - [[結城りな]]、アイドル([[ukka]])
* [[2007年]] - [[森﨑美月]]、子役、ファッションモデル
* 生年不明 - [[乾萌]]<ref>{{Cite web|和書|title=乾萌:所属俳優:81produce
| url = http://www.81produce.co.jp/list.cgi?lady+0243026504000
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20110520113629/http://www.81produce.co.jp/list.cgi?lady+0243026504000
| archivedate = 2011-05-20
|date=2011-05-20|accessdate=2020-11-25}}</ref>、声優
* 生年不明 - [[加藤悦子]]、声優
* 生年不明 - [[高辻麗]]、アイドル、声優([[22/7 (アイドルグループ)|22/7]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1964年]] - [[ヒカルタカイ]]、[[競走馬]](+ [[1990年]])
* [[1969年]] - [[サンサン]]、競走馬(+ [[1994年]])
* [[1983年]] - [[メジロラモーヌ]]、競走馬(+ [[2005年]])
* 1983年 - [[ヤマニンアピール]]、競走馬
* [[1985年]] - [[リンドホシ]]、競走馬
* [[1986年]] - [[ムービースター (競走馬)|ムービースター]]、競走馬(+ [[2016年]])
* [[1992年]] - [[サクラキャンドル]]、競走馬(+ [[2019年]])
* [[1993年]] - [[サカモトデュラブ]]、競走馬(+ [[2004年]])
* [[1994年]] - [[オールウェイズロイヤル]]、競走馬
* [[1995年]] - [[エアジハード]]、競走馬
* 1995年 - [[ランドパワー (競走馬)|ランドパワー]]、競走馬(+ [[2017年]])
* [[1997年]] - [[エイシンプレストン]]、競走馬
* [[1998年]] - [[イブキライズアップ]]、競走馬(+ [[2005年]])
* 1998年 - [[テイエムオーシャン]]、競走馬
* [[2000年]] - [[ヴィータローザ]]、競走馬
* 2000年 - [[カーム]]、競走馬
* [[2001年]] - [[スウィフトカレント (競走馬)|スウィフトカレント]]、競走馬
* [[2002年]] - [[エイシンデピュティ]]、競走馬
* [[2004年]] - [[クィーンスプマンテ]]、競走馬
* 2004年 - [[ドラゴンファイヤー]]、競走馬
* [[2005年]] - [[インディアンブレッシング]]、競走馬
* 2005年 - [[タケミカヅチ (競走馬)|タケミカヅチ]]、競走馬(+ [[2010年]])
== 忌日 ==
[[Image:Tremissis-Zeno-RIC_0914.jpg|thumb|260px|[[東ローマ帝国]]皇帝[[ゼノン (東ローマ皇帝)|ゼノン]](426-491)没。生きたまま埋葬され、助けを求めるも無視されたという]]
[[Image:20040912-001-francis-bacon.jpg|thumb|100px|哲学者[[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]](1561-1626)没。知識<!--の体系化-->による自然の支配(「[[知識は力なり]]」)を志した]]
<!--[[Image:France-Britain-Freedom-Slavery-Gillray.jpeg|thumb|300px|[[フランス革命]]前後で3度財務長官を務めた[[ジャック・ネッケル]](画像左; 1732-1804)]]-->
<!--[[Image:Raiden_Tameimon.jpg|thumb|upright|21年間の力士生活で10敗しかせず史上最強とも言われる大関[[雷電爲右エ門]](1767-1825)]]-->
<!--[[Image:Falling_Water_01.jpg|thumb|250px|建築家[[フランク・ロイド・ライト]](1867-1959)没。画像は[[落水荘]](1937)]] -->
[[Image:Saneatsu_Mushanokoji_1_cropped.jpg|thumb|100px|[[白樺派]]の作家[[武者小路実篤]](1885-1976)没]]
* [[491年]] - [[ゼノン (東ローマ皇帝)|ゼノン]]、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]](* [[426年]])
* [[1024年]] - [[ベネディクトゥス8世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス8世]]、第143代[[教皇|ローマ教皇]]
* [[1483年]] - [[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]、[[イングランド王国|イングランド]]国王(* [[1442年]])
* [[1484年]] - [[エドワード・オブ・ミドルハム]]、[[プリンス・オブ・ウェールズ|ウェールズ公]](* [[1473年]]頃)
<!-- * [[1553年]] - [[フランソワ・ラブレー]]、[[作家]](4月9日死亡説があったが、3月14日付の遺産相続記録が発見されたため、正しくは3月はじめの死去である * [[1483年]])リンクがなくなるのも寂しいのと、一般に流布している説のようなので、ひとまず、このままとしておきます--->
* [[1557年]] - [[ミカエル・アグリコラ]]、[[フィンランド語]]最古の文献著者(* [[1510年]]頃)
* [[1626年]] - [[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベーコン]]<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p12827.htm#i128270|title= Francis Bacon, 1st and last Viscount Saint Alban1 |accessdate= 2021-04-28 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>、[[哲学|哲学者]](* [[1561年]])
* [[1754年]] - [[クリスティアン・ヴォルフ]]、哲学者(* [[1679年]])
* [[1780年]]([[安永]]9年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[松平頼真]]、第6代[[高松藩|高松藩主]](* [[1743年]])
* [[1789年]]([[寛政]]元年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[三浦梅園]]、[[思想家]](* [[1723年]])
* [[1804年]] - [[ジャック・ネッケル]]、[[フランス革命]]期の財政家(* [[1732年]])
* [[1806年]] - [[ウィレム5世 (オラニエ公)|ウィレム5世]]、[[オランダ総督]](* [[1748年]])
* [[1825年]]([[文政]]8年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]) - [[雷電爲右エ門]]、[[江戸時代]]の[[大関]](* [[1767年]])
* [[1879年]] - [[アントニオ・パニッツィ]]、第6代[[大英博物館]]館長(* [[1797年]])
* [[1889年]] - [[ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール]]、[[化学者]](* [[1786年]])
* [[1936年]] - [[フェルディナント・テンニース]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1855年]])
* [[1939年]] - [[加藤寛治]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[連合艦隊司令長官]]、[[軍令部|軍令部長]](* [[1870年]])
* [[1945年]] - [[ヴィルヘルム・カナリス]]、[[ドイツ海軍 (国防軍)|ドイツ海軍]]の[[大将]]、[[アプヴェーア|国防軍情報部]]部長(* [[1887年]])
* 1945年 - [[ゲオルク・エルザー]]、[[ヒトラー暗殺計画|1939年のヒトラー暗殺未遂事件]]首謀者(* [[1903年]])
* 1945年 - [[ディートリヒ・ボンヘッファー]]、[[ルター派]]の[[牧師]]、[[神学者]](* [[1906年]])
* [[1948年]] - [[ホルヘ・エリエセル・ガイタン]]、[[コロンビア]]の[[政治家]](* [[1903年]])
* [[1951年]] - [[ヴィルヘルム・ビヤークネス]]、[[気象学|気象学者]]、[[海洋学|海洋学者]](* [[1862年]])
* [[1952年]] - [[三鬼隆]]、[[八幡製鐵]]社長(* [[1892年]])
* 1952年 - [[大辻司郎]]、漫談家(* [[1896年]])
* [[1959年]] - [[フランク・ロイド・ライト]]、[[建築家]](* [[1867年]])
* 1959年 - [[アンリ=ピエール・ロシェ]]、[[小説家]](* [[1879年]])
* [[1961年]] - [[ゾグー1世]]、[[アルバニア王国 (近代)|アルバニア王]](* [[1895年]])
* [[1963年]] - [[ベンノ・モイセイヴィチ]]、[[ピアニスト]](* [[1890年]])
* [[1968年]] - [[島津忠重]]、日本海軍の[[少将]](* [[1886年]])
* [[1970年]] - [[高橋掬太郎]]、[[作詞家]](* [[1901年]])
* [[1971年]] - [[ウィル・ハリッジ]]、[[アメリカンリーグ]]会長(* [[1883年]])
* [[1972年]] - [[深見安博]]、元[[プロ野球選手]](* [[1919年]])
* [[1976年]] - [[福島正実]]、[[編集者]]、[[SF作家]](* [[1929年]])
* 1976年 - [[武者小路実篤]]、小説家(* [[1885年]])
* [[1980年]] - [[中山伊知郎]]、[[経済学者]](* [[1898年]])
* [[1981年]] - [[犬丸徹三]]、[[実業家]]、[[帝国ホテル]]社長(* [[1887年]])
* [[1984年]] - [[雨森雅司]]、[[声優]]、[[俳優]](* [[1930年]])
* [[1988年]] - [[田宮虎彦]]、小説家(* [[1911年]])
* [[1990年]] - [[成田三樹夫]]、俳優(* [[1935年]])
* [[1991年]] - [[モーリス・ビンダー]]、タイトル[[デザイナー]](* [[1925年]])
* 1991年 - [[ノリス・ボーデン]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1926年]])
* [[1998年]] - [[浅蔵五十吉]]、[[陶芸家]](* [[1913年]])
* [[1999年]] - [[イブライム・バレ・マイナサラ]]、[[軍人]]、政治家(* [[1949年]])
* [[2001年]] - [[ウィリー・スタージェル]]、元プロ野球選手(* [[1940年]])
* [[2004年]] - [[ジュリアス・サング]]、[[陸上競技]]選手(* [[1948年]])
* [[2005年]] - [[関屋晋]]、[[合唱]][[指揮者]](* [[1928年]])
* [[2008年]] - [[毛利彰]]、[[イラストレーター]](* [[1935年]])
* [[2009年]] - [[ニック・エイデンハート]]、元プロ野球選手(* [[1986年]])
* [[2010年]] - [[井上ひさし]]、小説家、劇作家(* [[1934年]])
* 2010年 - [[ばばこういち]]、[[ジャーナリスト]](* [[1933年]])
* [[2011年]] - [[シドニー・ルメット]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0031567|title=巨匠シドニー・ルメット監督、86歳で死去 『十二人の怒れる男』『狼たちの午後』など社会派ドラマで高い評価|publisher=シネマトゥデイ|date=2011-04-10|accessdate=2020-11-17}}</ref>、[[映画監督]](* [[1924年]])
* [[2012年]] - [[青野武]]<ref>{{Cite news|title=まる子祖父役 青野武さん、9日に永眠 死因は解離性胸部大動脈瘤術のあとの多発性脳梗塞|publisher=シネマトゥデイ|date=2012-04-10|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0041115|accessdate=2020-11-10}}</ref>、[[声優]](* [[1936年]])
* [[2016年]] - [[犬養智子]]、[[評論家]](* [[1931年]])
* [[2020年]] - [[関根潤三]]<ref name="sanspo">{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20200409-WUGINFG3AVNRBMS4G3RSUPQZSU/|title=元ヤクルト監督の関根潤三氏、死去、93歳 投打二刀流としても活躍|work=サンケイスポーツ|date=2020-04-09|accessdate=2020-10-31}}</ref>、元プロ野球選手、元[[プロ野球監督]](* [[1927年]])
* 2020年 - [[岡田公伸]]、[[テレビプロデューサー]]、[[実業家]](* [[1959年]])
* [[2021年]] - [[桑田茂 (実業家)|桑田茂]]、実業家(* [[1952年]])
* 2021年 - [[DMX (ラッパー)|DMX]]、[[ラッパー]](* [[1970年]])
* 2021年 - [[フィリップ (エディンバラ公)]]、[[女王]][[エリザベス2世]]の王配(配偶者)(* [[1921年]])
* [[2023年]] - [[リチャード・ン]]、俳優(* [[1939年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* 2010年 - [[オースミレパード]]、[[競走馬]]、日本競馬史上最高齢勝利記録(* [[1991年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:NaraTodaijiDaibutsu0212.jpg|thumb|200px|大仏の日。[[東大寺盧舎那仏像|奈良の大仏]]の開眼供養の日にちなむ]]
* [[フィンランド語]]の日({{FIN}})
*: 「フィンランド語の書き言葉の父」と呼ばれる[[ミカエル・アグリコラ]]の忌日。
* [[勇者の日]]({{PHL}})
*: [[1942年]]のこの日、日本軍がフィリピンの[[バターン半島]]を攻略した。バターン半島陥落の記念とその戦死者を追悼するために制定された休日。
* [[大仏]]の日({{JPN}})
*: [[天平勝宝]]4年[[4月9日 (旧暦)|旧暦4月9日]](新暦[[752年]][[5月26日]])に[[東大寺盧舎那仏像|奈良の大仏]]の開眼供養が行われたことにちなむ。
* [[大神神社]][[例祭]] ({{JPN}})
*:春の大神祭とも呼ばれ、同日午後に若宮神幸祭が続いて行われる。
* [[左官]]の日({{JPN}})
*: 日本左官業組合連合会が制定。「しっ(4)く(9)い」の語呂合せ。
* 反核燃の日({{JPN}})
*: [[青森県]]労働組合が制定。[[1985年]]のこの日、当時の[[北村正哉]]青森県知事が県議会の全員協議会で[[核燃料サイクル]]施設の推進を表明したことにちなむ。
* [[フォークソング]]の日({{JPN}})
*: 4を英語のfour、9をくと読む語呂合わせ。フォークソングをさらに広め、フォークソング文化の発展に寄与することを目的に、女性[[フォークデュオ]]の[[やなわらばー]]が発案し、所属レーベルPANAMが[[日本記念日協会]]に申請して、[[2015年]]に認定された<ref>「発案『やなわらばー』に『フォークの日』登録証」『スポーツニッポン』2015年4月10日p21、東京、スポーツニッポン新聞社。</ref>。
* 天皇皇后両陛下ご訪問の日({{PLW}}・[[ペリリュー州]])
*: [[2015年]]4月9日に[[明仁|明仁天皇]]・[[上皇后美智子|美智子皇后]](いずれも当時)が慰霊のため[[ペリリュー島]]を訪問するため、[[州]]の[[祝日]]として[[法律]]で制定<ref>{{cite news
| url = https://news.ntv.co.jp/category/society/272531
| title = 両陛下あすパラオへ 訪問の日が「祝日」に
| newspaper = 日テレNEWS24
| date = 2015-04-07
| accessdate = 2015-04-08
}}</ref>。
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0409|date=2011年6月}}
* [[20XX年]] - 主人公が四軒茶屋に訪れる。(ゲーム、漫画・アニメ『[[ペルソナ5]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[2000年]] - 祭神雷、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=4|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=215|isbn=978-4-7973-8818-3}}</ref>
* 人界歴361年 - アリス・ツーベルク / アリス・シンセシス・サーティ、小説・アニメ『[[ソードアート・オンライン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kunori|1112032605237473280}}</ref><ref>{{Twitter status|kunori|1116211887111192576}}</ref>
* 生年不明 - 雷門瞬、漫画・アニメ『[[星屑テレパス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=星屑テレパス 4|date=2023-09-27|publisher=[[芳文社]]|page=5|author=大熊らすこ|isbn=978-4-8322-7486-0}}</ref><ref>{{Cite tweet|user=rasuko_okuma|author=大熊らすこ|number=1644897932746067968|title=雷門瞬さん、お誕生日おめでとう! |date=2023-04-09|accessdate=2023-04-09|link=no}}</ref>
* 生年不明 - 久世政近、小説・漫画・アニメ『[[時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|title=時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん公式Twitter 2022年4月9日午前0時のツイート |url=https://twitter.com/roshidere/status/1512445164387713040 |website=Twitter |accessdate=2023-03-18 |language=ja}}</ref>
* 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#リアス・グレモリー|リアス・グレモリー]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』のメインヒロイン<ref>{{Twitter status|hdd_anime|983250299728027648}}</ref><ref>[https://twitter.com/ishibumi_ddd/status/582431415259660289/ 石踏一榮Twitter] 2015年3月30日閲覧。</ref>
* 生年不明 - シーザー・クラウン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/caesar.html |title=シーザー・クラウン |access-date=2022-09-20 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - マーガレット、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Marguerite.html |title=マーガレット |access-date=2022-09-20 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - オリバー・フィリップス、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1380174865379028998}}</ref>
* 生年不明 - 銀角、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1512445184923291648}}</ref>
* 生年不明 - 迅悠一、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1115268114575392769}}</ref>
* 生年不明 - 小美浪あすみ、漫画・アニメ『[[ぼくたちは勉強ができない]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=筒井大志|authorlink=筒井大志|year=2017|title=ぼくたちは勉強ができない|volume=4巻|page=116|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-881289-2}}</ref>
* 生年不明 - 鈴乃木凛、漫画・アニメ『[[ばくおん!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bakuon_anime|718457433111146496}}</ref>
* 生年不明 - 冬月コウゾウ、アニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://kumonoue-lib.jp/index.php/kyono-issatsu/814-2021-03-25-04-56-17 |title=4月9日は冬月コウゾウの誕生日 |access-date=2022-09-20 |publisher=ゆすはら雲の上の図書館}}</ref>
* 生年不明 - 山城由依、アニメ『[[刀使ノ巫女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tojitomo|1247902021727825927}}</ref>
* 生年不明 - 鷹野みゆき、キャラクターコンテンツ『[[鉄道むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tateishi_aoba|1512565963408875523}}</ref>
* 生年不明- カッタナー・ゴールドツイカー、[[スーパー戦隊シリーズ]]『[[機界戦隊ゼンカイジャー]]』の登場人物
* 生年不明- リッキー・ゴールドツイカー、スーパー戦隊シリーズ『機界戦隊ゼンカイジャー』の登場人物
* 生年不明 - 黛ゆきの、ゲーム『[[ペルソナシリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|p_kouhou|1512445172524757002}}</ref>
* 生年不明 - マリー・ルミアウラ、ゲーム『[[冬のロンド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite journal|和書|date=2008-10|journal=[[DENGEKI HIME]]|pages=150|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#荒木比奈|荒木比奈]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20012 |title=荒木 比奈(あらき ひな) |access-date=2022-09-20 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 押井知、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|1380173589337399299}}</ref>
* 生年不明 - アザリー、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=4&cate=name&cont=Azalee |title=アザリー |access-date=2023-01-22 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - ラス、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=161&cate=name&cont=Las |title=ラス |access-date=2023-01-22 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - サクラ、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド|publisher=KADOKAWA|year=2015|pages=36、240|isbn=978-4-04-869406-3}}</ref>
* 生年不明 - モーラ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-131 |title=モーラ |publisher=【公式】キングスレイド|超本格リアルタイム3DバトルRPG |accessdate=2022-09-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=131 |archivedate=2022-07-24}}</ref>
* 生年不明 - 佐藤春夫、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bunal_pr|850724965192048640}}</ref>
* 生年不明 - 皆木綴、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=〔春組〕皆木 綴 |accessdate=2022-09-20 |publisher=LIBER |website=【公式】A3!(エースリー)}}</ref>
* 生年不明 - ヴィル・シェーンハイト、アプリゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/vil |title=ヴィル・シェーンハイト |accessdate=2022-09-20 |publisher=Disney.Published by Aniplex |website=『TWISTED WONDERLAND』}}</ref>
* 生年不明 - 猿渡俊助、メディアミックス『[[博多豚骨ラーメンズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://note.com/kisakichiaki/n/n45700921bd7f |title=『博多豚骨ラーメンズ』のキャラクター設定について |accessdate=2022-09-20 |publisher=木崎ちあき |website=note}}</ref>
* 生年不明 - 寺光唯月、メディアミックス『[[B-PROJECT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://bpro-official.com/artists/killerking/ |title=KiLLER KiNG 寺光唯月 |accessdate=2023-01-22 |publisher=[[MAGES.]] |work=『B-PROJECT』}}</ref>
* 生年不明 - 寺光遙日、メディアミックス『B-PROJECT』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://bpro-official.com/artists/killerking/ |title=KiLLER KiNG 寺光遙日 |accessdate=2023-01-22 |publisher=[[MAGES.]] |work=『B-PROJECT』}}</ref>
<!-- * [[1986年]] - ブラド・キルステン、ゲーム『[[サイキックフォース]]』に登場するキャラクター -->
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 9|9 April}}
{{新暦365日|4|8|4|10|[[3月9日]]|[[5月9日]]|[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]|0409|4|09}}
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4,865 | 4月10日 | 4月10日(しがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から100日目(閏年では101日目)にあたり、年末まではあと265日ある。 | [
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'''4月10日'''(しがつとおか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から100日目([[閏年]]では101日目)にあたり、年末まではあと265日ある。
== できごと ==
[[Image:Prussian Army during battle of Mollwitz 1741.jpg|thumb|180x180px|[[モルヴィッツの戦い]](1741)]]
[[Image:Big-ben-1858.jpg|thumb|180x180px|[[イギリス]]国会議事堂の大時鐘完成、[[ビッグ・ベン]]と命名(1858)]]
[[Image:PGRK_members.JPG|thumb|180x180px|[[大韓民国臨時政府]]、上海に樹立(1918)。画像は要人たち]]
[[Image:GreatSetoBridge2.jpg|thumb|180x180px|[[瀬戸大橋]]開通(1988)]]
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| footer = [[佐々木朗希の完全試合]](2022)
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| alt1 = 佐々木朗希
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}}
* [[628年]]([[推古天皇]]36年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - 日本で記録([[日本書紀]])に残る最古の[[日食]]。
* [[823年]]([[弘仁]]14年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[嵯峨天皇]]の勅により比叡山寺の寺号を[[延暦寺]]に改める。
* [[879年]] - [[ルイ3世 (西フランク王)|ルイ3世]]が[[西フランク王国|西フランク]]王に即位。
* [[1246年]]([[寛元]]4年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - 鎌倉幕府[[執権]]・[[北条経時]]が重病のため、弟の[[北条時頼|時頼]]が5代執権に就任。
* [[1268年]]([[文永]]5年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[元寇]]: 鎌倉幕府が蒙古来襲に備えて西国御家人らに防備を命じる。
* [[1302年]] - フランス王[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]が初の三身分合同会議([[三部会]])を開催。
* [[1657年]]([[明暦]]3年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[徳川光圀]]が『[[大日本史]]』の[[編纂]]に着手。完成は250年後の[[1906年]]。
* [[1741年]] - [[オーストリア継承戦争]]: [[モルヴィッツの戦い]]。[[シュレージェン]]のモルヴィッツで[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]率いる[[プロイセン王国|プロイセン]]軍が[[マリア・テレジア]]率いる[[オーストリア]]軍を破る。
* [[1815年]] - [[インドネシア]]の[[タンボラ山]]で[[1815年のタンボラ山噴火|過去最大規模の噴火]]が始まる。この影響により翌年は世界各地で[[夏のない年]]と呼ばれる異常気象となる。
* [[1827年]] - [[ジョージ・カニング]]がイギリスの第23代首相に就任。
* [[1848年]] - [[ロンドン]]のケニントン・コモン広場での[[チャーティズム|チャーティスト]]集会と第三回国民請願
* [[1864年]] - オーストリアの[[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン大公]]が[[メキシコ帝国]]皇帝に就任。
* [[1858年]] - [[ウェストミンスター宮殿|イギリス国会議事堂]]の時計塔に重さ13.5トンの大時鐘が完成。工事責任者ベンジャミン・ホール卿にちなみ[[ビッグ・ベン]]と命名。
* [[1866年]] - [[アメリカ動物虐待防止協会]]設立。
* [[1874年]] - [[板垣退助]]らが高知で日本初の政治結社「[[立志社 (政治団体)|立志社]]」を結成。
* [[1876年]] - [[日蓮宗不受不施派]]の再興が認められる。
* [[1880年]] - 4月、東京駿河台に[[法政大学]]の前身となる[[東京法学校|東京法学社]]が設立。法律学研究を目的とする日本最初期の本格的な私立法律学校で「[[東京日日新聞]]」に設立広告が掲載された<ref>{{Cite web|和書|url=https://yab.yomiuri.co.jp/adv/hosei/history/vol42.php |title=創立者2人を介してつながった縁大分県杵築市 |access-date= 10 Jul 2023 |publisher=[[法政大学]][[読売新聞]] |website=HOSEI ONLINE}}</ref>。
* [[1886年]] - [[師範学校令]]・[[小学校令]]・[[中学校令]]公布。
* [[1912年]] - [[タイタニック (客船)|タイタニック号]]がイギリスのサウサンプトン港からアメリカの[[ニューヨーク]]港に向けての最初で最後の航海に出航。
* [[1916年]] - [[大蔵省]]銀行局を設置。
* 1916年 - [[全米プロゴルフ協会]] (PGA) 設立。
* [[1919年]] - [[李承晩]]らが上海に亡命政権である[[大韓民国臨時政府]]を樹立も承認得られず。
* 1919年 - [[メキシコ革命]]の指導者[[エミリアーノ・サパタ]]が暗殺される。
* 1919年 - [[地方鉄道法]]公布。
* 1919年 - [[史蹟名勝天然紀念物保存法]]公布。
* [[1925年]] - [[F・スコット・フィッツジェラルド]]の小説『[[グレート・ギャツビー]]』が刊行。
* [[1928年]] - [[日本商工会議所]]設立。
* 1928年 - [[治安警察法]]により[[労働農民党]]・[[日本労働組合評議会]]・[[全日本無産青年同盟]]に解散命令。
* [[1933年]] - [[ニューディール政策]]: 失業対策のための[[市民保全部隊]]創設。
* [[1934年]] - [[中国共産党]]が「全国民衆に告ぐるの書」を発表し、反日統一戦線の結成を呼びかける。
* [[1938年]] - [[灯火管制]]規則施行。
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: ナチス・ドイツにより[[クロアチア独立国]]が建国。
* [[1942年]] - [[広島電鉄]]設立。
* [[1946年]] - [[第22回衆議院議員総選挙]]投票日。[[大日本帝国憲法]]下最後で戦後初めての男女普通選挙。
* [[1947年]] - アメリカ[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]]に、メジャーリーグ初の黒人選手[[ジャッキー・ロビンソン]]が入団。
* [[1948年]] - ビルマの国際連合加盟に関する[[国際連合安全保障理事会決議45]]が採択される。
* [[1952年]] - [[日本放送協会|NHK]]で連続ラジオドラマ『[[君の名は]]』が放送開始。
* [[1953年]] - [[ダグ・ハマーショルド]]が[[国際連合事務総長]]に就任する。
* [[1954年]] - アジア初の国際[[見本市]]である第1回日本国際見本市が大阪で開催。
* [[1959年]] - [[皇太子]]・[[明仁|明仁親王]]と[[上皇后美智子|正田美智子]]が結婚、[[ミッチー・ブーム]]が最高潮に。
* [[1963年]] - アメリカの[[原子力潜水艦]][[スレッシャー (原子力潜水艦)|スレッシャー]]が沈没。初の原潜事故。
* [[1968年]] - [[小学館]]の[[少女漫画]]雑誌『[[少女コミック]]』が創刊される。
* [[1970年]] - [[ポール・マッカートニー]]が[[ビートルズ]]からの脱退を発表。ビートルズが事実上解散する。([[ビートルズの解散問題]])
* [[1972年]] - [[生物兵器禁止条約]]に47か国が調印。
* [[1988年]] - [[瀬戸大橋]]([[下津井瀬戸大橋]]、[[櫃石島橋]]、[[岩黒島橋]]、[[与島橋]]、北備讃大橋、南備讃大橋の6橋)が開通<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jb-honshi.co.jp/seto-ohashi/shoukai/rekishi4.html |title=まるごと体感「瀬戸大橋」|瀬戸大橋の歴史|開通から20周年まで |access-date= 10 Jul 2023 |publisher=[[本四高速]]}}</ref>。[[瀬戸大橋線]]([[児島駅|児島]] - [[坂出駅|坂出]]・[[宇多津駅|宇多津]]間)開通により[[JR]]7社の線路が全てつながった。
* [[1998年]] - [[イギリス]]と[[アイルランド]]の間で和平合意「[[ベルファスト合意]]」が締結。
* [[2000年]] - [[東京都交通局]]が都の増収策の一環として[[ラッピング車両|ラッピングバス(車体全面広告バス)]]の運行を開始。
* [[2006年]] - [[日本司法支援センター]](法テラス)が設立される。
* [[2008年]] - 当時国内最高齢だった[[アジアゾウ]]([[インドゾウ]])の[[諏訪子]]が65歳で死亡。
* [[2009年]] - 総事業費56兆8千億円の「経済危機対策」を政府・与党で正式決定。財政支出は過去最大の15兆4千億円で国民総生産 (GDP) の約8%に相当する。ちなみに1998年小渕内閣時には財政支出は7兆6千億円。
* 2009年 - [[広島東洋カープ]]の新本拠地[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]がオープン。
* [[2010年]] - [[ポーランド]]の[[政府専用機]]が[[ロシア]]・[[スモレンスク]]で墜落、[[レフ・カチンスキ]]大統領夫妻を含め96人全員が死亡。([[ポーランド空軍Tu-154墜落事故]])
* 2010年 - [[自由民主党 (日本)|自民党]]を離党した[[与謝野馨]]、[[平沼赳夫]]らが[[たちあがれ日本]]を結成。
* [[2017年]] - [[浅田真央]]が、自身のブログで現役引退を表明<ref>{{Cite web|和書|date=17 May 2017 |url=http://jp.reuters.com/article/figure-skating-asada-idJPKBN17E085 |title=フィギュア=浅田真央が引退会見、「悔いはない」 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |accessdate= 10 Jul 2023}}</ref>。
* [[2019年]] - [[イベントホライズンテレスコープ]]が[[M87 (天体)|M87]]にある[[超大質量ブラックホール]]の映像の撮影の成功を発表<ref>{{Cite web|和書|date=11 Apr 2019 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3220237 |title=これがブラックホールの姿! 史上初、撮影に成功 |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate= 10 Jul 2023 }}</ref>。
* [[2022年]] - [[千葉ロッテマリーンズ]]の[[佐々木朗希]]が史上最年少で16人目の[[完全試合]]を達成<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.marines.co.jp/special/220410perfectgame/ |title= 佐々木朗希投手完全試合達成特設サイト |access-date= 10 Jul 2023 |publisher=[[千葉ロッテマリーンズ]]}}</ref>。([[佐々木朗希の完全試合]])
<!--
=== 日本の自治体改編 ===
* [[1929年]] - 山口県[[山口市]]が市制施行。
* [[1937年]] - 静岡県[[熱海市]]が市制施行。
* [[1955年]] - 福岡県宇島市が市制施行。3日後に[[豊前市]]に改称。
* [[1959年]] - 山形県[[尾花沢市]]が市制施行。
* [[1972年]] - 埼玉県[[富士見市]]が市制施行。
* [[2005年]] - 高知県[[中村市]]・[[幡多郡]][[西土佐村]]が合併して[[四万十市]]に。-->
== 誕生日 ==
[[Image:Mierevelt_grotius_1608.jpg|thumb|[[国際法]]の父、[[法学者]][[フーゴー・グロティウス]](1583-1645)誕生|227x227ピクセル]]
[[Image:Matthewperry.jpg|thumb|日本を開国させたアメリカ軍人、[[マシュー・ペリー]](1794-1858)誕生|267x267ピクセル]]
[[Image:Pulitzer.jpg|thumb|[[ピューリツァー賞]]に名を残す[[ジャーナリスト]]、[[ジョセフ・ピュリッツァー]](1847-1911)。[[イエロー・ジャーナリズム]]を始めた人物ともされる|220x220ピクセル]]
[[Image:G_W_Russell_Bathers.jpg|thumb|180x180px|[[アイルランド]]文芸復興運動の中心、[[ジョージ・ウィリアム・ラッセル]](1867-1935)。画像はラッセル画の『海水浴客』]]
[[Image:Statue_of_Itaya_Hazan_Sensei in Chikusei.jpg|thumb|[[陶芸家]]、[[板谷波山]](1872-1963)|240x240ピクセル]]
[[Image:Robert_Burns_Woodward_in_1965.jpg|thumb|有機合成化学を研究した化学者[[ロバート・バーンズ・ウッドワード]](1917-1979)|180x180ピクセル]]
[[Image:MNirenberg.jpg|thumb|[[遺伝暗号]]の解読を成功させた[[生化学]]者、[[マーシャル・ニーレンバーグ]](1927-2010)|236x236ピクセル]]
[[Image:Steven seagalpa.jpg|thumb|アメリカ合衆国の俳優[[スティーヴン・セガール]](1951-)|245x245ピクセル]]
=== 人物 ===
* [[1512年]] - [[ジェームズ5世 (スコットランド王)|ジェームズ5世]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/James-V |title=James V|king of Scotland |access-date= 10 Jul 2023 |publisher=Britannica |language=En}}</ref>、[[スコットランド王]](+ [[1542年]])
* [[1583年]] - [[フーゴー・グロティウス]]、[[政治家]]、[[法律家]](+ [[1645年]])
* [[1651年]] - [[エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス]]、[[哲学者]]、[[数学者]]、[[磁器]]製作者(+ [[1708年]])
* [[1697年]]([[元禄]]10年閏[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - [[相馬尊胤]]、第7代[[相馬中村藩|相馬中村藩主]](+ [[1772年]])
* [[1713年]] - [[ジョン・ホワイトハースト]]、時計職人、[[科学者]](+ [[1788年]])
* [[1769年]] - [[ジャン・ランヌ]]<ref>{{Cite web |title=Jean Lannes, duc de Montebello {{!}} French general |url=https://www.britannica.com/biography/Jean-Lannes-duc-de-Montebello |access-date= 10 Jul 2023|publisher=Britannica}}</ref>、[[フランス]]の[[軍人]]・[[元帥]](+ [[1809年]])
* [[1794年]] - [[マシュー・ペリー]]、軍人、[[日米和親条約]]を締結(+ [[1858年]])
* [[1796年]] - [[ジェームズ・ボウイ]]、[[アメリカ州|アメリカ]][[テキサス州]]の[[開拓者]]、軍人(+ [[1836年]])
* [[1798年]]([[寛政]]10年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[榊原政養]]、第4代[[高田藩|高田藩主]](+ [[1846年]])
* [[1799年]](寛政11年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[松平近訓]]、第8代[[府内藩|府内藩主]](+ [[1852年]])
* [[1808年]] - [[オーギュスト・フランショーム]]、[[チェリスト]]、[[作曲家]](+ [[1884年]])
* [[1827年]] - [[ルー・ウォーレス]]、政治家、軍人、[[作家]](+ [[1905年]])
* [[1829年]] - [[ウィリアム・ブース]]、[[メソジスト]][[説教者]]、[[救世軍]]の創立者(+ [[1912年]])
* [[1847年]] - [[ジョセフ・ピュリッツァー]]、[[新聞]]発行者、[[ジャーナリスト]](+ [[1911年]])
* [[1863年]]([[文久]]3年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]]) - [[山極勝三郎]]、[[病理学|病理学者]](+ [[1930年]])
* [[1864年]] - [[オイゲン・ダルベール]]、[[ピアニスト]]、作曲家(+ [[1932年]])
* [[1866年]] - [[ジョージ・アーリス]]、[[俳優]](+ [[1946年]])
* 1866年([[慶応]]2年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[寺崎広業]]、[[日本画家]](+ [[1919年]])
* [[1867年]] - [[ジョージ・ウィリアム・ラッセル]]、[[詩人]](+ [[1935年]])
* [[1871年]]([[明治]]4年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[横山源之助]]、ジャーナリスト(+ [[1915年]])
* [[1872年]](明治5年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[板谷波山]]、[[陶芸家]](+ [[1963年]])
* [[1873年]] - [[下村観山]]、日本画家(+ [[1930年]])
* [[1885年]] - [[井上登 (裁判官)|井上登]]、[[裁判官]]、[[日本野球機構]][[コミッショナー (日本プロ野球)|コミッショナー]](+ [[1971年]])
* [[1886年]] - [[ジョニー・ヘイズ]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1965年]])
* [[1887年]] - [[ハインツ・ティーセン]]、作曲家(+ [[1971年]])
* 1887年 - [[バーナード・ウッセイ]]、[[生理学者]](+ 1971年)
* [[1890年]] - [[原久一郎]]、[[ロシア文学|ロシア文学者]](+ 1971年)
* [[1892年]] - [[エーゴン・アイクシュテット]]、[[人類学|人類学者]](+ [[1965年]])
* 1892年 - [[星野直樹]]、[[官僚]]、政治家(+ [[1978年]])
* [[1894年]] - [[ベン・ニコルソン]]、[[画家]](+ [[1982年]])
* [[1895年]] - [[川上澄生]]、[[版画家]](+ [[1972年]])
* [[1897年]] - [[山口俊雄 (新派俳優)|山口俊雄]]、俳優(+ [[1945年]])
* 1897年 - [[ロス・ヤングス]]、元プロ野球選手(+ [[1927年]])
* [[1909年]] - [[淀川長治]]、[[映画評論家]](+ [[1998年]])
* [[1910年]] - [[池田みち子]]、作家(+ [[2008年]])
* 1910年 - [[ポール・スウィージー]]、[[経済学者]](+ [[2004年]])
* [[1911年]] - [[マーティン・デニー]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2005年]])
* [[1914年]] - [[近衛十四郎]]、俳優(+ [[1977年]])
* 1914年 - [[岸田麗子]]、画家、[[岸田劉生]]の娘、「麗子像」のモデル(+ [[1962年]])
* [[1916年]] - [[深水藤子]]、[[俳優|女優]](+ [[2011年]])
* [[1917年]] - [[ロバート・バーンズ・ウッドワード]]、[[化学者]](+ [[1979年]])
* 1917年 - [[宇野光雄]]、元[[プロ野球選手]]・[[プロ野球監督|監督]](+ [[1994年]])
* [[1918年]] - [[原一朗]]、プロ野球選手(+ 戦死)
* 1918年 - [[安井鍵太郎]]、元プロ野球選手(+ [[2015年]])
* [[1920年]] - [[木下勇 (野球)|木下勇]]、元プロ野球選手(+ [[1997年]])
* [[1921年]] - [[平井啓之]]、[[フランス文学者]](+ [[1992年]])
* [[1925年]] - [[江藤隆美]]、[[政治家]](+ [[2007年]])
* [[1926年]] - [[大林辰蔵]]、[[宇宙物理学|宇宙物理学者]](+ [[1992年]])
* [[1927年]] - [[マーシャル・ニーレンバーグ]]、[[生化学|生化学者]](+ [[2010年]])
* 1927年 - [[矢代静一]]、[[劇作家]](+ [[1998年]])
* [[1928年]] - [[高橋揆一郎]]、[[小説家]](+ [[2007年]])
* [[1929年]] - [[マイク・ホーソーン]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(+ [[1959年]])
* 1929年 - [[マックス・フォン・シドー]]、俳優(+ [[2020年]])
* [[1930年]] - [[クロード・ボリング]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]] (+ [[2020年]])
* [[1932年]] - [[オマー・シャリフ]]、俳優(+ [[2015年]])
* [[1933年]] - [[永六輔]]、[[作詞家]]、[[タレント]](+ [[2016年]])
* 1933年 - [[内司正弘]]、元プロ野球選手(+ [[1992年]])
* [[1934年]] - [[デイヴィッド・ハルバースタム]]、[[ジャーナリスト]](+ [[2007年]])
* 1934年 - [[小林一喜]]、ジャーナリスト(+ [[1991年]])
* [[1936年]] - [[和田誠]]、[[イラストレーター]](+ [[2019年]])
* 1936年 - [[ジョン・マッデン (アメリカンフットボール)|ジョン・マッデン]]、元[[アメリカンフットボール]]指導者、元[[スポーツ解説者|解説者]](+ [[2021年]])
* [[1938年]] - [[松山恵子]]、[[歌手]](+ [[2006年]])
* 1938年 - [[村田元一]]、元プロ野球選手
* [[1939年]] - [[水島新司]]、元[[漫画家]] (+ [[2022年]])
* [[1940年]] - [[村松友視]]、[[作家]]
* [[1941年]] - [[垣添忠生]]、[[医者]]
* [[1942年]] - [[高松和夫]]、政治家
* 1942年 - [[イアン・キャラハン]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* [[1944年]] - [[桜井郁三]]、政治家(+ [[2013年]])
* [[1946年]] - [[リロイ・スタントン]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[福嶋久晃]]、元プロ野球選手
* 1947年 - [[室井邦彦]]、政治家
* 1947年 - [[バニー・ウェイラー]]、[[レゲエ]][[ミュージシャン]]
* 1947年 - [[樫出三郎]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[西村公一]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[保谷俊夫]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* [[1949年]] - [[中村喜四郎]]、政治家
* [[1950年]] - [[和田アキ子]]、[[歌手]]
* 1950年 - [[村上悦雄]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[スティーヴン・セガール]]、俳優
* 1951年 - [[舛田山靖仁]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄19代・21代[[千賀ノ浦]]
* 1951年 - [[星澤幸子]]、料理研究家
* [[1952年]] - [[さだまさし]]、シンガーソングライター
* 1952年 - [[竹村よしひこ]]、漫画家
* [[1953年]] - [[デューク更家]]、ウォーキングドクター
* [[1954年]] - [[六平直政]]、俳優
* 1954年 - [[ピーター・マクニコル]]、俳優
* [[1955年]] - [[渡邊孝好]]、[[映画監督]]
* 1955年 - [[有田二三男]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[朝松健]]、[[小説家]]
* [[1957年]] - [[長坂康正]]、政治家
* 1957年 - [[中村昭]]、元プロ野球選手
* 1957年 - [[小倉全由]]、高校野球指導者
* [[1958年]] - [[寺嶋民哉]]、[[作曲家]]
* 1958年 - [[イェフィム・ブロンフマン]]、ピアニスト
* 1958年 - [[ベイビーフェイス (ミュージシャン)|ベイビーフェイス]]、ミュージシャン
* [[1959年]] - [[ブライアン・セッツァー]]、ミュージシャン、[[ギタリスト]]
* 1959年 - [[高原兄]]、シンガーソングライター
* 1959年 - [[大橋志吉]]、脚本家
* 1959年 - [[福家雅明]]、元プロ野球選手
* [[1960年]] - [[筒井櫻子]]、[[アナウンサー]]
* 1960年 - [[葛川健司]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[羽仁知治]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]]
* [[1962年]] - [[広澤克実]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[須山浩継]]、スポーツライター
* 1963年 - [[石井かおる]]、[[アナウンサー]]
* [[1964年]] - [[箭内道彦]]、[[クリエイター]]
* [[1965年]] - [[山上万恵美]]、元キャスター
* [[1966年]] - [[有村肯弥]]、[[舞台芸術]]作家、[[パフォーマンスアーティスト]]
* [[1967年]] - [[松永幹夫]]、元[[騎手]]、[[調教師]]
* [[1968年]] - [[川村正太郎]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]])
* [[1970年]] - [[北澤鈴春]]、元ボクサー
* 1970年 - [[うちやえゆか]]、歌手
* 1970年 - [[川名慎一]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[栗田善太郎]]、[[ローカルタレント]]
* [[1972年]] - [[鈴木尚典]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[三剣もとか]]、漫画家
* 1972年 - [[鰐淵洋子]]、政治家
* [[1973年]] - [[ロベルト・カルロス・ダ・シウバ|ロベルト・カルロス]]、元サッカー選手、指導者
* 1973年 - [[ギヨーム・カネ]]、俳優
* [[1974年]] - [[米村和樹]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[井上浩司]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[渡辺光輝]]、元サッカー選手
* 1974年 - [[ナジャ・グランディーバ]]、タレント、[[女装|女装家]]、[[ドラァグクイーン]]
* [[1975年]] - [[川口信男]]、元サッカー選手、指導者
* 1975年 - [[ミッツ・マングローブ]]、女装家
* 1975年 - [[村上淳 (プロ雀士)|村上淳]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]]
* 1975年 - 山田ルイ53世、[[お笑いタレント]]([[髭男爵]])
* [[1976年]] - [[赤星憲広]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[加藤泰明]]、元サッカー選手
* 1976年 - [[木村佳乃]]、[[俳優|女優]]
* 1976年 - [[藤本貴之]]、情報デザイン学者
* [[1978年]] - [[春日井静奈]]、タレント、女優
* 1978年 - [[中濱裕之]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[高木貴行]]、政治家
* 1978年 - [[:zh:MC_HotDog|MC HotDog]]、[[MC (ヒップホップ)|ラッパー]]
* [[1979年]] - [[堂本剛]]、歌手([[KinKi Kids]])
* 1979年 - [[山田優子]]、ローカルタレント
* 1979年 - [[今村彩子]]、映画監督
* 1979年 - [[ソフィー・エリス・ベクスター]]、ミュージシャン
* [[1980年]] - [[福井強]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[飯尾和也]]、元サッカー選手
* 1980年 - [[久我未来]]、俳優
* [[1981年]] - [[上野弘文]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[マイケル・ピット]]、俳優
* 1981年 - 宇塚博之、ミュージシャン([[ストレンジドラマ]])
* [[1982年]] - [[高橋久美子 (作家)|高橋久美子]]、ミュージシャン(元[[チャットモンチー]])
* 1982年 - [[アンドレ・イーシアー]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[別府史之]]、[[自転車競技]]選手
* [[1984年]] - [[上原あずみ]]、元歌手
* 1984年 - [[金刃憲人]]、元プロ野球選手
* 1984年 - 田畑勇一、お笑い芸人(元[[田畑藤本]])
* 1984年 - [[吉田正樹 (サッカー選手)|吉田正樹]]、元サッカー選手、指導者
* 1984年 - [[ゴンサロ・ロドリゲス]]、元サッカー選手
* 1984年 - [[カルロス・アドリアーノ・デ・ジョス・ソアレス|カルロス・アドリアーノ・デ・ジョス・ソアレス(アレモン)]]、サッカー選手(+ [[2007年]])
* 1984年 - [[山本和幸]]、元騎手
* 1984年 - [[マンディ・ムーア]]、歌手、女優
* [[1985年]] - [[籾山幸徳]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[ドリュー・ミーキンス]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1985年 - [[イゴール・マチプラ]]、フィギュアスケート選手
* 1985年 - [[岩間よいこ]]、元お笑いタレント(元[[パルフェ (お笑いコンビ)|パルフェ]])
* [[1986年]] - [[中西健太]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[ヴァンサン・コンパニ]]、サッカー選手
* 1986年 - [[桜花 (お笑い芸人)|桜花]]、お笑いタレント(元[[トリコロール (お笑いトリオ)|トリコロール]])
* 1986年 - [[フェルナンド・ガゴ]]、サッカー選手
* 1986年 - [[コーリー・クルーバー]]、プロ野球選手
* [[1987年]] - [[大津尋葵]]、俳優
* 1987年 - [[末永仁志]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[マービンJr.]]、お笑いタレント、元大相撲力士
* 1987年 - [[ヘイリー・ウェステンラ]]、歌手
* 1987年 - [[水卜麻美]] 、アナウンサー
* 1987年 - [[マヤ・ガベイラ]]、サーファー
* 1987年 - [[六反勇治]]、サッカー選手
* [[1988年]] - [[ハーレイ・ジョエル・オスメント]]、俳優
* 1988年 - [[ウィルソン・マトス]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[太田弦貴]]、元サッカー選手
* 1988年 - [[ユニス・ジェプコエチ・サム]]、陸上競技選手
* 1988年 - [[Nao☆]]、アイドル([[Negicco]])
* [[1989年]] - [[チャーリー・カルバーソン]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[三上朋也]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[新実彰平]]、アナウンサー
* [[1990年]] - [[小林由未子]]、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー
* 1990年 - [[アレックス・ペティファー]]、俳優
* 1990年 - [[ベン・エイモス]]、サッカー選手
* 1990年 - [[フランチェスコ・ディ・タッキオ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ルイス・マルセロ・モライス・ドス・サントス]]、サッカー選手
* 1990年 - [[クリストフ・ハルティング]]、陸上競技選手
* 1990年 - [[平賀翔太]]、元陸上選手
* 1990年 - イワクラ、お笑いタレント([[蛙亭]])
* [[1991年]] - [[横山貴明]]、元プロ野球選手
* [[1992年]] - [[徳永祥尭]]、[[ラグビーユニオン]]選手
* 1992年 - [[デイジー・リドリー]]、女優
* 1992年 - [[サディオ・マネ]]、サッカー選手
* 1992年 - [[ミシェル=リー・アイ]]、陸上競技選手<ref>{{cite web|url=https://worldathletics.org/athletes/trinidad-and-tobago/michelle-lee-ahye-14302966|title=Michelle-Lee AHYE|publisher=World Athletics|accessdate= 10 Jul 2023}}</ref>
* [[1993年]] - [[井上尚弥]]、プロボクサー
* 1993年 - [[ソフィア・カーソン]]、女優
* 1993年 - [[柳川由玲奈]]、タレント
* 1993年 - [[宮澤茉凜]]、ギタリスト
* 1993年 - [[土屋まり]]、アナウンサー
* [[1994年]] - [[尾崎里紗 (テニス選手)|尾崎里紗]]、テニス選手
* 1994年 - [[鈴木マリナ]]、DJ
* [[1995年]] - [[石川倭]]、騎手
* 1995年 - [[阿部芳美]]、[[中京テレビ]][[アナウンサー]]
* [[1996年]] - [[黒沢ともよ]]、声優、元子役
* 1996年 - [[アンドレアス・クリステンセン]]、サッカー選手
* [[1997年]] - [[梶原悠未]]、自転車競技選手
* 1997年 - [[土屋櫻子]]、女優
* [[1998年]] - [[新井ひとみ]]、歌手([[東京女子流]])
* 1998年 - [[杉浦健二郎]]、元プロ野球選手
* [[1999年]] - [[北山亘基]]、プロ野球選手
* [[2002年]] - [[畑芽育]]、モデル、タレント(元[[Pocchimo]])
* [[2003年]] - [[国本梨紗]]、モデル、タレント
* 生年不明 - [[白井美香]]、声優
* 生年不明 - [[もりしげ]]、漫画家(+ [[2020年]])
* 生年不明 - [[森田鉄也]]、予備校講師、[[YouTuber]]
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1987年]] - [[アイネスフウジン]]、[[競走馬]](+ [[2004年]])
* 1987年 - [[ダイタクヘリオス]]、競走馬(+ [[2008年]])
* [[1991年]] - [[ヤシマソブリン]]、競走馬
* [[1996年]] - [[オースミブライト]]、競走馬
* [[1998年]] - [[アグネスゴールド]]、競走馬(+ [[2021年]])
* 1998年 - [[タガノテイオー]]、競走馬(+ [[2000年]])
* [[1999年]] - [[アドマイヤマックス]]、競走馬
* [[2001年]] - [[ダンスインザムード]]、競走馬
* [[2002年]] - [[ヴァーミリアン]]、競走馬
* [[2005年]] - [[アポロドルチェ]]、競走馬
== 忌日 ==
{{multiple image
| caption1 = [[俊寛]](1143-1179)、流刑地の[[鬼界ヶ島]]で没
| image1 = %E4%BF%8A%E5%AF%9B%E3%81%AE%E5%A2%93.jpg
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| alt1 = 俊寛
| image2 = Gregorianscher_Kalender_Petersdom.jpg
| width2 = 90
| caption2 = ローマ教皇[[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]](1502-1585)没
| alt2 = グレゴリウス13世
}}
{{multiple image
| caption1 = [[徳川家基]](1762-1779)没
| image1 = Tokugawa_Iemoto.jpg
| width1 = 90
| alt1 = 徳川家基
| image2 = Lagrange%27s_tomb_at_the_Pantheon.jpg
| width2 = 90
| caption2 = [[解析力学]]を創始した数学者[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]](1736-1813)没
| alt2 = ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ
}}
{{multiple image
| caption1 = [[ラファエル前派]]の画家・詩人、[[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ]](1828-1882)没。画像は『[[プロセルピナ]]』(1874)
| image1 = Dante_Gabriel_Rossetti_-_Proserpine.JPG
| width1 = 90
| alt1 = プロセルピナ
| image2 = Dante Gabriel Rossetti - Beata Beatrix, 1864-1870.jpg
| width2 = 90
| caption2 = [[ラファエル前派]]の画家・詩人、[[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ]](1828-1882)没。画像は『ベアタ・ベアトリクス』(1863頃)
| alt2 = ベアタ・ベアトリクス
}}
{{multiple image
| caption1 = 画家・作曲家、[[ミカロユス・チュルリョーニス]](1875-1911)。画像は『天地創造X』(1906-1907)
| image1 = Pasaulio_sutverimas_X.jpg
| width1 = 90
| alt1 = 天地創造X
| image2 = El_cad%C3%A1ver_de_Emiliano_Zapata%2C_exhibido_en_Cuautla%2C_Morelos.jpg
| width2 = 90
| caption2 = [[メキシコ革命]]の指導者[[エミリアーノ・サパタ]](1879-1919)暗殺
| alt2 = エミリアーノ・サパタ
}}
{{multiple image
| caption1 = [[カトリック]]の小説家[[イーヴリン・ウォー]](1903-1966)
| image1 = Evelynwaugh.jpeg
| width1 = 90
| alt1 = イーヴリン・ウォー
| image2 = Funeral of President Lech Kaczyński Wawel Castle.jpg
| width2 = 90
| caption2 = ポーランド大統領[[レフ・カチンスキ]](1949-2010)航空事故死。
| alt2 = レフ・カチンスキ
}}
* [[879年]] - [[ルイ2世 (西フランク王)|ルイ2世]]、[[西フランク王国|西フランク]]王(* [[846年]])
* [[1179年]]([[治承]]3年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[俊寛]]、[[真言宗]]の[[僧]](* [[1143年]]?)
* [[1533年]] - [[フレゼリク1世 (デンマーク王)|フレゼリク1世]]、[[デンマーク]]王(* [[1471年]])
* [[1546年]]([[天文 (元号)|天文]]15年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[龍造寺家兼]]、[[肥前国]]の[[戦国大名]](* [[1454年]])
* [[1585年]] - [[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]<ref>{{Cite web |title=Gregory XIII {{!}} Biography, Papacy, Gregorian Calendar, & Facts |url=https://www.britannica.com/biography/Gregory-XIII |access-date= 10 Jul 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[教皇|ローマ教皇]](* [[1502年]])
* [[1652年]]([[承応]]元年3月2日) - [[栗山利章]]、[[福岡藩|福岡藩士]](* [[1591年]])
* [[1709年]]([[宝永]]6年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[大石吉之進]]、[[赤穂藩]][[家老]][[大石良雄]]の次男(* [[1691年]])
* [[1752年]] - [[ウィリアム・チェゼルデン]]、[[外科医]]、[[解剖学者]](* [[1688年]])
* [[1756年]] - [[ジャコモ・アントニオ・ペルティ]]、[[作曲家]](* [[1661年]])
* [[1779年]]([[安永 (元号)|安永]]8年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]) - [[徳川家基]]、[[徳川家治]]の子(* [[1762年]])
* [[1813年]] - [[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]]、[[数学者]](* [[1736年]])
* [[1823年]] - [[カール・レオンハルト・ラインホルト]]、[[思想家|哲学者]](* [[1757年]])
* [[1882年]] - [[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ]]、[[画家]](* [[1828年]])
* 1882年 - [[ウィリアム・ハルバート]]、[[ナショナルリーグ]]第2代会長(* [[1832年]])
* [[1884年]] - [[ジャン=バティスト・デュマ]]、[[化学者]](* [[1800年]])
* [[1886年]] - [[木戸松子]]、[[木戸孝允]]の妻(* [[1843年]])
* [[1904年]] - [[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]、[[スペイン]][[女王]](* [[1830年]])
* [[1906年]] - [[ゲオルギー・ガポン]]、[[ロシア正教会|ロシア正教]][[司祭]](* [[1870年]])
* [[1910年]] - [[ジョージ・ヘンリー・ウィリアムズ]]、第32代[[アメリカ合衆国司法長官]](* [[1823年]])
* [[1911年]] - [[サム・ロイド]]、[[パズル]]作家(* [[1841年]])
* 1911年 - [[ミカロユス・チュルリョーニス]]、[[画家]]、作曲家(* [[1875年]])
* [[1919年]] - [[エミリアーノ・サパタ]]、[[メキシコ革命]]指導者(* [[1879年]])
* [[1923年]] - [[リーアム・リンチ]]、[[アイルランド内戦]]時の[[アイルランド共和軍|IRA]]指導者(* [[1893年]])
* [[1939年]] - [[新井領一郎]]、[[実業家]](* [[1855年]])
* [[1944年]] - [[下畑卓]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](* [[1916年]])
* [[1954年]] - オーギュスト・リュミエール、「[[映画]]の父」[[リュミエール兄弟]]の兄(* [[1862年]])
* [[1955年]] - [[ピエール・テイヤール・ド・シャルダン]]、[[カトリック教会|カトリック]]司祭、[[古生物学|古生物学者]]、思想家(* [[1881年]])
* [[1956年]] - [[ジンジャー・ビューモン]]、[[メジャーリーガー]](* [[1876年]])
* [[1961年]] - [[古海卓二]]、[[映画監督]](* [[1894年]])
* [[1962年]] - [[スチュアート・サトクリフ]]、[[ベーシスト]](* [[1940年]])
* [[1965年]] - [[リンダ・ダーネル]]、[[俳優|女優]](* [[1923年]])
* [[1966年]] - [[山下新太郎 (洋画家)|山下新太郎]]、[[洋画家]](* [[1881年]])
* 1966年 - [[川端龍子]]、[[日本画家]](* [[1885年]])
* 1966年 - [[イーヴリン・ウォー]]、[[小説家]](* [[1903年]])
* [[1975年]] - [[ウォーカー・エバンス]]、[[写真家]](* [[1903年]])
* [[1976年]] - [[エンリコ・マイナルディ]]、[[チェリスト]]、作曲家、[[指揮者]](* [[1897年]])
* [[1979年]] - [[ニーノ・ロータ]]、[[作曲家]](* [[1911年]])
* [[1982年]] - [[吉田猪佐喜]]<ref>森岡浩 『プロ野球人名事典2003』 [[日外アソシエーツ]]、2003年、620頁。</ref>、[[プロ野球選手]](* [[1915年]])
* [[1984年]] - [[神田喜一郎]]、[[歴史学者]]、[[書誌学者]](* [[1897年]])
* 1984年 - [[カール・スプーナー]]、プロ野球選手(* [[1931年]])
* 1985年 - [[田中義雄]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](* [[1909年]])
* [[1988年]] - [[桑原武夫]]、[[フランス文学者]](* [[1904年]])
* [[1989年]] - [[色川武大]](阿佐田哲也)、[[小説家]](* [[1929年]])
* [[1990年]] - [[フォーチュン・ゴーディエン]]、[[陸上競技]]選手(* [[1922年]])
* [[1992年]] - [[末松保和]]、歴史学者(* [[1904年]])
* 1992年 - [[扇谷正造]]、[[ジャーナリスト]](* [[1913年]])
* 1992年 - [[ピーター・ミッチェル]]、[[化学者]](* [[1920年]])
* [[1993年]] - [[ラフモン・ナビエフ]]、[[タジキスタン]]初代大統領(* [[1930年]])
* [[1995年]] - [[陳雲]]、[[中国共産党中央顧問委員会]]主任(* [[1905年]])
* 1995年 - [[アニー・フィッシャー]]、[[ピアニスト]](* [[1914年]])
* 1995年 - [[ギュンター・ギヨーム]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]][[情報機関]]の[[スパイ|情報員]](* [[1927年]])
* [[1997年]] - [[黛敏郎]]、[[作曲家]](* [[1929年]])
* 1997年 - [[大津あきら]]、[[作詞家]](* [[1950年]])
* [[1998年]] - [[笠原和夫 (野球)|笠原和夫]]、プロ野球選手、監督(* [[1920年]])
* [[1999年]] - [[山田泉]]、[[作曲家]](* [[1952年]])
* 1999年 - [[ジェームズ・マコーレー]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](* [[1938年]])
* [[2001年]] - [[ジャン=ガブリエル・アルビコッコ]]、映画監督(* [[1936年]])
* [[2002年]] - [[百武裕司]]、アマチュア[[天文学|天文家]](* [[1950年]])
* [[2003年]] - [[西田信一]]、[[政治家]](* [[1902年]])
* [[2005年]] - [[居作昌果]]、[[テレビプロデューサー]](* [[1934年]])
* [[2006年]] - [[菊池徹]]、[[南極]][[探検家]](* [[1921年]])
* [[2010年]] - [[レフ・カチンスキ]]、元[[ポーランドの大統領一覧|ポーランド大統領]](* [[1949年]])
* [[2011年]] - [[落合勤一]]、プロ野球選手(* [[1947年]])
* 2011年 - [[山下律夫]]、プロ野球選手(* [[1944年]])
* [[2012年]] - [[宮崎勇 (軍人)|宮崎勇]]、[[軍人]](* [[1919年]])
* [[2014年]] - [[星野行男]]、政治家、[[弁護士]](* [[1932年]])
* [[2015年]] - [[井上普方]]、政治家(* [[1925年]])
* 2015年 - [[志賀一夫]]、政治家(* 1925年)
* [[2016年]] - [[山岸章]]、[[労働運動]]家(* [[1929年]])
* [[2017年]] - [[本岡昭次]]、政治家(* [[1931年]])
* [[2020年]] - [[大林宣彦]]、[[映画監督]] (* [[1938年]])
{{clear}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:First Japanese Congresswomen.jpg|thumb|180x180px|女性の日。日本では[[第22回衆議院議員総選挙|1946年の総選挙]]で初めて[[婦人参政権]]が行使され、39名の女性代議士が誕生した]]
[[Image:US Sailing Team1.jpg|thumb|180x180px|[[ヨット]]の日]]
* 女性の日({{JPN}})
*: 労働省(現在の[[厚生労働省]])が[[1949年]]に「婦人の日」として制定。[[1998年]]に「女性の日」に改称。[[1946年]]のこの日、戦後初の総選挙で初めて[[婦人参政権]]が行使されたことにちなむ。この日から1週間が「女性週間」となっている。
* [[100]]の日({{JPN}})
*: 一般社団法人人生100年時代協議会が制定。シニアライフに貢献する事業を行う同協議会がこの日を「長寿を願い、老舗の商品(店舗・施設)を利用する日」として啓発活動を実施している。4月10日は1月1日から数えて100日目となることから(閏年では101日目)。
* [[建具]]の日(良い戸の日)({{JPN}})
*: 日本建具組合連合会が[[1985年]]に制定。「良い(4)戸(10)」の[[語呂合わせ]]。
* [[インテリア]]を考える日({{JPN}})
*: 日本インテリアファブリックス協会が制定。4月は入学・入社・新学期など新しいこと始まる月であり、10日は「住」と「十」が同音であることから。
* [[ヨット]]の日({{JPN}})
*: [[ヤマハ発動機]]が制定。「ヨッ(4)ト(10)」の語呂合わせ。
* [[駅弁]]の日({{JPN}})
*:日本鉄道構内営業中央会が[[1993年]]に制定。4月では駅弁の需要拡大が見込まれる行楽シーズンであり、「弁当」の「とう」から10日、さらに「4」と「十」を合成すると「弁」に見えることから。
* [[四万十川|四万十]]の日({{JPN}})
*: [[高知県]][[中村市]]の「四万十の日実行委員会」が[[1989年]]に制定。「し(4)まんと(10)」の語呂合わせ。(一般社団法人日本記念日評議会に公式認定済み)
* 交通事故死ゼロを目指す日({{JPN}})
*: [[2008年]]制定。統計が取られ始めた[[1968年]]以来、死亡事故の起きなかった日は1日も存在しないことに鑑み、[[内閣府]]中央交通安全対策会議交通対策本部で、交通死亡事故がこの1日だけは1件も起きないことを願い、全国的に死亡事故防止を呼びかける。
* 教科書の日({{JPN}})
*: 社団法人教科書協会が制定。「良(4)い図(十)書」の語呂合わせと、新しい教科書を手にして、教科書に関心が高い時期であることから。
* [[金刀比羅宮]]桜花祭({{JPN}})
*:[[香川県]][[琴平町]]の金刀比羅宮が鎮座する[[象頭山 (香川県)|象頭山]]が、桜色に染まるこの日に毎年開かれる神恩感謝の祭礼。神職が冠に桜の花を差し、巫女は桜の枝を手に、行列をなして大門から御本宮まで参進する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.konpira.or.jp/ARCHIVES/ritual/04_B/O-ka-sai/page.html |title=桜花祭と境内の桜 |access-date=10 Jul 2023 |publisher=[[金毘羅宮]]}}</ref>。
* ステンレスボトルの日({{JPN}})
*: [[象印マホービン|象印マホービン株式会社]]が制定。中国語の四の「スー」と英語の10の「テン」で「ステン」と読む語呂合わせ。
* シートの日({{JPN}})
*: [[萩原工業]]が制定。工事現場や建築現場、運動会、お花見、さらには災害時の防護用など幅広い用途で使われるブルーシートを、より多くの人にPRするのが目的。日付は4と10で「シー(4)ト(10)」の語呂合わせと、新年度の節目となることから。
* [[兄弟姉妹の日]] ({{USA}})
*: アメリカ合衆国の一部で開催されている。
* [[瀬戸大橋]]開通記念日({{JPN}})
*: [[1988年]](昭和63年)のこの日、本州の[[岡山県]][[倉敷市]]と[[四国]]の[[香川県]][[坂出市]]を結ぶ瀬戸大橋が開通し、本州と四国地方が橋で結ばれた。この橋は全長約9.4kmの海峡部を結ぶ橋で、道路・鉄道併用の6つの橋から構成されている。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0410|date=Jul 2023}}
* 年不明 - 日曜日、ルイザ・キャンピオンの[[卵酒]]に毒が盛られ、これを飲んだジャッキー・ハッターが中毒する。(小説『[[Yの悲劇]]』プロローグ第2場)
* 2017年 - レプリカントのリオンが製造される。(映画『[[ブレードランナー]]』)
* 年不明 - 五河士道が精霊の1人と出会う。(小説・アニメ『[[デート・ア・ライブ]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* アンダーワールド人界歴361年 - ユージオ、小説・アニメ『[[ソードアート・オンライン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kunori|1112032605237473280}}</ref><ref>{{Twitter status|kunori|1115909469622476801}}</ref>
* 生年不明 - 保登心愛、漫画・アニメ『[[ご注文はうさぎですか?]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=koi|authorlink=koi|year=2014|title=「ご注文はうさぎですか?」画集 Cafe de Lapin|page=12|publisher=[[芳文社]]|isbn=978-4-83-224448-1}}</ref>
* 生年不明 - しまむら(島村抱月)、小説・アニメ『[[安達としまむら]]』の主人公のひとり<ref>{{Twitter status|ganganonline|851344003521945600}}</ref>
* 生年不明 - 梓川咲太、小説・アニメ『[[青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない]]』の主人公<ref name=":0">{{Twitter status|aobuta_anime|1115811851693117440}}</ref>
* 生年不明 - 春野はるか(キュアフローラ)、アニメ『[[Go!プリンセスプリキュア]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/character/ |title=キュアフローラ 春野はるか |work=『GO!プリンセスプリキュア』 |accessdate=10 Jul 2023 |publisher=[[朝日放送グループホールディングス|ABC]]・[[東映アニメーション]]}}</ref><ref>{{Cite newspaper|title=プリキュア新聞 2015年春号|publisher=[[日刊スポーツ新聞社]]|date=2015-03-13}}</ref>
* 生年不明 - 夜刀神十香、小説・アニメ『[[デート・ア・ライブ]]』のメインヒロイン<ref>{{Twitter status|date_a_info|1512973642908545028}}</ref>
* 生年不明 - のらギツネ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/noragitune.html |title=のらギツネ |work=『ONE PIECE』 |accessdate= 10 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - 田代雅痔、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1248265698423590912}}</ref>
* 生年不明 - 宇野隼人、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1512808805146370052}}</ref>
* 生年不明 - 藤沢樹、漫画・アニメ『ワールドトリガー』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1115630515661549568}}</ref>
* 生年不明 - 花梨、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 桜小路きな子、アニメ『[[ラブライブ!スーパースター!!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 春日楠、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=若木民喜|authorlink=若木民喜|editor=キャラメル・ママ|date=2013-09-18|title=神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック|page=44|publisher=[[小学館]]|series=少年サンデーコミックススペシャル|isbn=978-4091244512}}</ref>
* 生年不明 - [[史上最強の弟子ケンイチの登場人物#馬連華|馬連華]]、漫画・アニメ『[[史上最強の弟子ケンイチ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=松江名俊|authorlink=松江名俊|year = 2014 |title = 史上最強の弟子ケンイチ 公式ガイドブック 史上最強の秘伝書|page = 116 |publisher = 小学館 |series = [[少年サンデーコミックス]] |isbn = 978-4-09-125016-2 }}</ref>
* 生年不明 - ロンブル、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009-03-10|title=EREMENTAR GERADアルティメットガイド|series=BLADE COMICS|page=60|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4861276163}}</ref>
* 生年不明 - 戒能良子、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=戒能 良子(かいのう よしこ) |work=『咲-Saki-』 |accessdate= 10 Jul 2023 |publisher=[[小林立]]}}</ref>
* 生年不明 - 柴崎芦花、漫画『[[ディーふらぐ!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 冴島くん、漫画・アニメ『[[氷属性男子とクールな同僚女子]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://icpc-anime.com/character/index.php |title=Character 冴島くん |access-date= 10 Jul 2023 |publisher=殿ヶ谷美由記/[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]]・氷属性製作委員会 |work=『氷属性男子とクールな同僚女子』}}</ref>
* 生年不明 - 周藤摩耶、小説・アニメ『[[護くんに女神の祝福を!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 御神楽星羅、小説・アニメ『[[ミカグラ学園組曲]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://mikagura-gakuen.com/chara02.html |title=御神楽星羅 |access-date=10 Jul 2023 |publisher=Last Note.・[[KADOKAWA|株式会社KADOKAWA]] [[メディアファクトリー]]刊/ミカグラ学園組曲製作委員会 |work=『ミカグラ学園組曲』}}</ref>
* 生年不明 - 鈴木さつき、小説・アニメ『[[響け! ユーフォニアム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_eupho|1512988748530651139}}</ref>
* 生年不明 - 牧之原翔子、小説・アニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』に登場するキャラクター<ref name=":0" />
* 生年不明 - 巣刈、アニメ『[[甲鉄城のカバネリ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|noitamina_shop|851094141807153155}}</ref>
* 生年不明 - 法斑静火、アニメ『[[PSYCHO-PASS サイコパス|PSYCHO-PASS サイコパス 3]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|noitamina_shop|1380535986631901187}}</ref>
* 生年不明 - シャルロット=ヘイゼルリンク、ゲーム・アニメ『[[プリンセスラバー!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 甘粕真与、ゲーム・アニメ『[[真剣で私に恋しなさい!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.minatosoft.com/majikoi-s/chara-mayo.html |title=甘粕 真与 |access-date=10 Jul 2023 |publisher=[[みなとそふと]] |work=『真剣で私に恋しなさい!S』}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#上条春菜|上条春菜]]、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20041 |title=上条 春菜(かみじょう はるな) |access-date= 10 Jul 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 新島衣舞紀、ゲーム・アニメ『[[D4DJ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://d4dj.bushimo.jp/unit/niijima-ibuki/ |title=新島衣舞紀 |access-date=10 Jul 2023 |publisher=[[ブシロード]] [[DONUTS (企業)|DONUTS Co. Ltd.]] |work=『D4DJ Groovy Mix』}}</ref>
* 生年不明 - スズナ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1512973671706488840}}</ref>
* 生年不明 - アイネスフウジン、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://umamusume.jp/character/detail/?name=inesfujin |title=アイネスフウジン |publisher=[[Cygames]] |accessdate=10 Jul 2023 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - ダイタクヘリオス、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://umamusume.jp/character/detail/?name=daitakuhelios |title=ダイタクヘリオス |publisher=[[Cygames]] |accessdate=10 Jul 2023 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - 伊泉忍、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_pos|718817321960079360}}</ref>
* 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#Afterglow|美竹蘭]]、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/mitake-ran/ |title=美竹 蘭 |publisher=[[ブシロード]] |accessdate= 10 Jul 2023 |work=『BanG Dream! ガールズバンドパーティ!』}}</ref>
=== 忌日(フィクション) ===
* [[2005年]] - 尾々井剛、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref name=DEATHNOTE>{{Cite book |和書 |author=小畑健|authorlink=小畑健|coauthors =[[大場つぐみ]] |date= 2006-10-13 |title = DEATH NOTE|volume = 13巻|pages = 28-30|publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4088740959 }}</ref>
* 2005年 - 樹多正彦、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター<ref name=DEATHNOTE/>
* 2005年 - 紙村英、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター<ref name=DEATHNOTE/>
* 2005年 - 鷹橋鋭一、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター<ref name=DEATHNOTE/>
* 2005年 - 奈南川零司、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター<ref name=DEATHNOTE/>
* 2005年 - 三堂芯吾、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター<ref name=DEATHNOTE/>
* [[2009年]] - 小沢清貴、ドラマ『[[アイシテル〜海容〜]]』に登場するキャラクター
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 10|10 April}}
{{新暦365日|4|9|4|11|[[3月10日]]|[[5月10日]]|[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]|0410|4|10}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T09:06:29Z | 2023-11-11T05:23:54Z | false | false | false | [
"Template:Cite book",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8810%E6%97%A5 |
4,866 | 4月11日 | 4月11日(しがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から101日目(閏年では102日目)にあたり、年末まではあと264日ある。 | [
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'''4月11日'''(しがつじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から101日目([[閏年]]では102日目)にあたり、年末まではあと264日ある。
== できごと ==
[[Image:Napoleon%27s_exile_to_Elba3.jpg|thumb|220px|[[フォンテーヌブロー条約 (1814年)|フォンテーヌブロー条約]]により[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の[[エルバ島]]への流刑が決定(1814)]]
[[Image:Truman-fires-mcarthur-49 04.gif|thumb|upright|[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]、[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]を更迭(1951)]]
[[File:1961-04-13_Tale_Of_Century_-_Eichmann_Tried_For_War_Crimes.ogv|thumb|160px|[[ホロコースト]]の責任を問う[[アイヒマン裁判]]はじまる(1961)。動画は[[12月2日]]の判決のニュース<!--。[[Help:音声・動画の再生]]-->]]
[[Image:Rwandan Genocide Murambi skulls.jpg|thumb|200px|[[ルワンダ虐殺]]:避難民2000名の大半が虐殺される[[公立技術学校の虐殺]](1994)]]
* [[491年]] - [[アナスタシウス1世]]が[[東ローマ帝国]]皇帝に即位{{要出典|date=2021-02}}。
* [[800年]]([[延暦]]19年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]が噴火。(延暦噴火)
* [[1241年]] - [[モヒの戦い]]。[[モンゴル帝国]]が[[ハンガリー王国]]に圧勝。
* [[1512年]] - [[カンブレー同盟戦争]]: [[ラヴェンナの戦い]]。
* [[1689年]] - [[イングランド王国|イングランド]]・[[スコットランド王国|スコットランド]]・[[アイルランド王国|アイルランド]]王[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]・[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]が戴冠。
* [[1713年]] - [[スペイン継承戦争]]・[[アン女王戦争]]の講和条約「[[ユトレヒト条約]]」を締結。
* [[1796年]]([[嘉慶 (清)|嘉慶]]元年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - [[白蓮教徒の乱]]。[[清]]で農民による弥勒信仰結社・[[白蓮教]]徒が叛乱。
* [[1814年]] - [[フォンテーヌブロー宮殿]]でフランスとヨーロッパ諸国がフランス皇帝[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]を退位させ[[エルバ島]]に[[流刑]]とする[[フォンテーヌブロー条約 (1814年)|フォンテーヌブロー条約]]に合意。
* [[1888年]] - [[アムステルダム]]のコンサートホール・[[コンセルトヘボウ]]が開場。
* [[1889年]] - [[甲武鉄道]]・[[新宿駅|新宿]] - [[立川駅|立川]]間(現在の[[中央本線]])が開業。
* [[1899年]] - [[スペイン]]が[[プエルトリコ]]をアメリカ合衆国に割譲。
* [[1919年]] - [[国際労働機関]](ILO)設立。
* [[1921年]] - 日本で改正[[度量衡法]]公布。[[尺貫法]]・[[ヤード・ポンド法]]との併用から[[メートル法]]への一本化を目指したが、反対運動により施行は無期延期に。
* 1921年 - [[イギリス委任統治領パレスチナ]]を分割して[[委任統治]]領[[トランスヨルダン]]を設置。
* [[1922年]] - 改正[[鉄道敷設法]]公布。149路線18,000キロの建設予定線を決定。
* [[1925年]] - 「陸軍現役将校学校配属令」公布。[[旧制中学校|中学校]]以上の公立学校で[[学校教練|軍事教練]]を開始。
* 1925年 - [[第二国立銀行|第ニ銀行]]横須賀支店で[[取り付け騒ぎ]]が発生<ref>第ニ銀行横須賀支店で取り付け『中外商業新報』大正14年4月12日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p143 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。銀行は営業を続けて持ちこたえた。
* [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: アメリカ軍が[[ブーヘンヴァルト強制収容所]]を解放。
<!-- 確認できず * 1945年 - [[スペイン]]が日本と断交。 -->
* [[1951年]] - [[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]米大統領が[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]元帥の極東全指揮権を{{仮リンク|ダグラス・マッカーサーの解任|en|Relief of Douglas MacArthur|label=解任}}。
* [[1952年]] - [[国共内戦]]: [[南日島戦役]]。
* 1952年 - 「[[ポツダム命令|ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令]]に関する件の廃止に関する法律」公布・施行。
* 1952年 - 日本で[[夏時刻法]]廃止。
* [[1955年]] - [[カシミールプリンセス号爆破事件]]。[[中華人民共和国]]政府がチャーターした[[インド航空]]機「カシミールプリンセス号」が空中爆発。死者16人。
* 1955年 - [[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]が[[ラッセル=アインシュタイン宣言]]に署名。
* [[1959年]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[王貞治]]がデビュー。[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄]]の[[金田正一]]投手の前に2三振1四球。
* 1959年 - [[伊豆急行|伊東下田電気鉄道]]設立。
* [[1961年]] - [[ユダヤ人]]に対する最終的解決の立案・責任者で元[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]大佐、[[アドルフ・アイヒマン]]に対する「アイヒマン裁判」をイスラエルで開始。
* [[1963年]] - ローマ教皇ヨハネ23世により[[回勅]]の[[パーチェム・イン・テリス]]が発表される。
* [[1967年]] - [[日本近代文学館]]が開館。
* [[1970年]] - アメリカの有人月探査機「[[アポロ13号]]」打ち上げ。
* [[1974年]] - 官公労など81単産600万人が[[ゼネラル・ストライキ]]。[[日本国有鉄道|国鉄]]が初の全面運休。
* 1974年 - ボクシングのWBC世界ライト級チャンピオン・[[ロドルフォ・ゴンザレス]]に[[ガッツ石松]]が勝利。「[[ガッツポーズ]]」が流行語となる。
* [[1977年]] - [[富山県]][[福光町]]で大火。負傷者41人、焼失家屋、工場116棟。
* [[1979年]] - [[ウガンダ]]民族解放戦線が首都[[カンパラ]]を占拠。独裁政治を行っていた[[イディ・アミン|アミン]]大統領が国外逃亡。
<!-- * [[1983年]] - 『[[水戸黄門_(東野英治郎)|水戸黄門]]』の[[徳川光圀]]役を演じた[[東野英治郎]]がこの回限りで降板。 -->
* [[1987年]] - [[坂本龍一]]が映画『[[ラストエンペラー]]』の音楽で日本人初の[[アカデミー賞]]オリジナル作曲賞を受賞。
* [[1988年]] - [[美空ひばり]]が[[東京ドーム]]で5万人を集めた「不死鳥コンサート」を開催。
* 1988年 - JR東日本[[真岡鐵道真岡線|真岡線]]が[[第三セクター鉄道]]・[[真岡鐵道]]に転換。
* [[1989年]] - [[川崎市]][[高津区]]の竹薮の中で現金1億4522万円が入ったバッグが捨てられているのが発見される。
* [[1990年]] - [[コンスタンディノス・ミツォタキス]]がギリシャの首相に就任。
* [[1994年]] - [[ルワンダ虐殺]]: [[国際連合平和維持活動]]にあたっていたベルギー軍が駐留先の公立技術学校から撤退後、学校が[[フツ族]][[民兵]]に襲撃され2000名の避難民の大半が虐殺。([[公立技術学校の虐殺]])
* [[1996年]] - [[アフリカ非核兵器地帯条約]](ペリンダバ条約)調印。
* 1996年 - [[池袋駅構内大学生殺人事件]]おこる。
* [[1999年]] - [[統一地方選挙]]。[[1999年東京都知事選挙|東京都知事]]に[[石原慎太郎]]が初当選。
* [[2001年]] - [[サッカー]]の[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]対[[サッカーアメリカ領サモア代表|アメリカ領サモア]]の試合が行われ、31-0でオーストラリアが大勝。国際Aマッチの最大得点差試合。
* [[2011年]] - [[ミンスク地下鉄]]でテロリストによる爆破事件発生。市民15人が死亡、外国人を含む204人が負傷。
* 2011年 - [[福島県]]浜通りで[[マグニチュード|M]]7.0の地震が起き、4人死亡。[[東北地方太平洋沖地震]]の余震。([[福島県浜通り地震]])
* [[2012年]] - [[インドネシア]]の[[スマトラ島]]沖で[[モーメントマグニチュード|Mw]]8.7の地震発生、5人が死亡した。同日にM8.2の余震も発生。([[スマトラ島沖地震 (2012年4月)|スマトラ島沖地震]])
* [[2018年]] - [[河瀬駅前交番警察官射殺事件]]が発生。
* [[2019年]] - [[2012年]]から[[ロンドン]]の在英[[エクアドル]]大使館に籠城していた[[ジュリアン・アサンジ]]が逮捕<ref>{{Cite news|url=https://www.bbc.com/japanese/47890260|title=ウィキリークス創設者、アサンジ容疑者を逮捕 英警察|newspaper=BBC|date=2019-04-11|accessdate=2019-04-12}}</ref>。
* 2019年 - [[スーダン]]で[[オマル・アル=バシール]][[スーダンの大統領一覧|大統領]]が同国国防軍により拘束、軟禁され辞任。([[2019年スーダンクーデター]])
* [[2021年]] - [[ゴルフ]]の[[松山英樹]]が日本人およびアジア人として史上初めて[[マスターズ・トーナメント]]で優勝。
== 誕生日 ==
[[Image:Septimius_Severus_busto-Musei_Capitolini.jpg|thumb|upright|初の[[アフリカ]]出身ローマ皇帝、[[セプティミウス・セウェルス]](146-211)誕生。[[セウェルス朝]]を開いた]]
[[Image:JoaoI-P.jpg|thumb|upright|ポルトガル王[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]](1357-1433)誕生]]
[[Image:Marguerite_d%27Angoul%C3%AAme_by_Jean_Clouet.jpg|thumb|upright|[[フランス・ルネサンスの文学|フランス・ルネサンス文学]]の庇護者[[マルグリット・ド・ナヴァル]](1492-1549)誕生。『[[エプタメロン]]』(1558)の作者でもある]]
[[Image:George Canning.jpg|thumb|upright|[[自由主義]]的外交を展開した[[イギリス]]の政治家、[[ジョージ・カニング]](1770-1827)]]
<!-- [[Image:Edward_Everett.jpg|thumb|upright|[[アメリカ合衆国]]の政治家[[エドワード・エヴァレット]](1794-1865)。[[ハーバード大学]]学長なども務めた]] -->
<!-- [[Image:Ferdinandlasalle.jpg|thumb|upright|[[青年ヘーゲル派|ヘーゲル左派]]の[[社会主義]]者、[[フェルディナント・ラッサール]](1825-1864)]] -->
[[Image:Kaneko_Misuzu.jpg|thumb|upright|[[童謡]]を多く残した詩人、[[金子みすゞ]](1903-1930)誕生]] <!-- 没日と同じ画像しかありませんでした… -->
[[Image:Andrew wiles1-3.jpg|thumb|upright|[[フェルマーの最終定理]]を証明した数学者[[アンドリュー・ワイルズ]](1953-)]]
*
* [[1230年]]([[寛喜]]2年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[北条長時]]、[[鎌倉幕府]]第6代[[執権]](+ [[1264年]])
* [[1348年]] - [[アンドロニコス4世パレオロゴス]]、[[東ローマ皇帝|東ローマ帝国皇帝]](+ [[1385年]])
* [[1357年]] - [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]、[[ポルトガル|ポルトガル王国]]創始者(+ [[1433年]])
* [[1492年]] - [[マルグリット・ド・ナヴァル]]、詩人(+ [[1549年]])
* [[1749年]] - [[アデライド・ラビーユ=ギアール]]、[[画家]](+ [[1803年]])
* [[1755年]] - [[ジェームズ・パーキンソン]]、[[医学者]](+ [[1824年]])
* [[1770年]] - [[ジョージ・カニング]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1827年]])
* [[1788年]]([[天明]]8年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[板倉勝氐]]、大名(+ [[1806年]])
* [[1794年]] - [[エドワード・エヴァレット]]、第20代[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1865年]])
* [[1798年]] - [[マセドニオ・メローニ]]、[[物理学者]](+ [[1854年]])
* [[1810年]] - [[ヘンリー・ローリンソン (初代準男爵)|ヘンリー・ローリンソン]]、[[楔形文字]]を解読(+ [[1895年]])
* [[1819年]] - [[チャールズ・ハレ]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]](+ 1895年)
* [[1825年]] - [[フェルディナント・ラッサール]]、[[政治学者]](+ [[1864年]])
* [[1850年]]([[嘉永]]3年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]]) - [[林董]]、[[外交官]](+ [[1913年]])
* [[1862年]] - [[チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ]]、政治家、法律家(+ [[1948年]])
* 1862年 - [[リチャード・オースティン・フリーマン]]、[[医師]]、[[推理作家]](+ [[1943年]])
* [[1880年]] - [[佐野利器]]、[[建築家]](+ [[1956年]])
* [[1883年]] - [[穂積重遠]]、[[日本の法学者一覧|民法学者]](+ [[1951年]])
* [[1885年]] - [[正力松太郎]]、[[読売新聞]]社主(+ [[1969年]])
* [[1886年]] - [[鳥居維]]、[[ヴァイオリニスト]]、作曲家(+ [[1966年]])
* [[1893年]] - [[ディーン・アチソン]]、第51代[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1971年]])
* [[1895年]] - [[中里無庵]]、[[陶芸家]](+ [[1985年]])
* [[1900年]] - [[中村汀女]]、[[俳人]](+ [[1988年]])
* [[1902年]] - [[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]、[[文芸評論家]](+ [[1983年]])
* 1902年 - [[東畑謙三]]、建築家(+ [[1998年]])
* [[1903年]] - [[金子みすゞ]]、[[童謡]][[詩人]](+ [[1930年]])
* 1903年 - [[橋本夢道]]、俳人(+ [[1974年]])
* [[1908年]] - [[カレル・アンチェル]]、[[指揮者]](+ [[1973年]])
* 1908年 - [[レオ・ロステン]]、[[作家]]、政治学者(+ 1997年)
* 1908年 - [[井深大]]、[[経営者]](+ [[1997年]])
* 1908年 - [[田中澄江]]、[[劇作家]](+ [[2000年]])
* [[1911年]] - [[間中喜雄]]、[[外科医]]、[[東洋医学|東洋医学者]](+ [[1989年]])
* [[1916年]] - [[高橋英辰]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者(+ [[2000年]])
* 1916年 - [[アルベルト・ヒナステラ]]、[[作曲家]](+ [[1983年]])
* [[1920年]] - [[楢崎弥之助]]、[[政治家]](+ [[2012年]])
* 1920年 - [[エミリオ・コロンボ]]、政治家(+ [[2013年]])
* [[1921年]] - [[田村芳朗]]、[[仏教学者]]、[[僧|僧侶]](+ [[1989年]])
* 1921年 - [[山根寿子]]、[[俳優|女優]](+ [[1990年]])
* [[1924年]] - [[三木のり平]]、[[俳優]](+ [[1999年]])
* 1924年 - [[ブルース・C・ヘーゼン (海洋学者)|ブルース・C・ヘーゼン]]、[[海洋学|海洋学者]](+ [[1977年]])
* [[1929年]] - [[竹西寛子]]、作家
* [[1930年]] - [[アントン・ラヴェイ]]、[[宗教家]](+ [[1997年]])
* [[1931年]] - [[すぎやまこういち]]、作曲家(+ [[2021年]])
* [[1932年]] - [[高史明]]、作家、[[評論家]]
* [[1933年]] - [[中西太]]、元[[プロ野球選手]]、元[[プロ野球監督]](+ [[2023年]])
* 1933年 - [[ジャック・ラドラ]]、元プロ野球選手
* [[1934年]] - [[斎田忠利]]、元プロ野球選手
* [[1935年]] - [[ダン池田]]、[[バンドリーダー]](+ [[2007年]])
* [[1936年]] - [[田中尊]]、元プロ野球選手(+ [[2005年]])
* [[1937年]] - [[青木新門]]、作家、[[詩人]](+ [[2022年]])
* 1937年 - [[加山雄三]]、[[歌手]]、俳優
* [[1938年]] - [[猪俣公章]]、作曲家(+ [[1993年]])
* 1938年 - [[藤本正一]]、プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1940年]] - [[トマス・ハリス]]、[[小説家]]
* 1940年 - [[加堂秀三]]、作家(+ 2001年)
* 1940年 - [[早瀬方禧]]、元プロ野球選手(+ [[2012年]])
* [[1941年]] - [[青山丘]]、政治家(+ [[2019年]]<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39863300Q9A110C1000000/|title=青山丘氏が死去 元衆院議員|newspaper=日本経済新聞||date=2019-01-10|accessdate=2020-10-30}}</ref>)
* [[1942年]] - [[吉野伊佐男]]、実業家
* [[1943年]] - [[池水通洋]]、[[声優]]
* 1943年 - [[ハーリー・レイス]]、[[プロレスラー]]
* [[1944年]] - [[ジョン・ミリアス]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]
* [[1945年]] - [[堀紘一]]、経営コンサルタント
* 1945年 - [[ジョン・クレブス]]、[[生物学者の一覧|生物学者]]
* 1946年 - [[三遊亭歌司]]、落語家
* 1946年 - [[水谷宏]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[小島太]]、[[騎手]]、[[調教師]]
* [[1948年]] - [[マルチェロ・リッピ]]、元サッカー選手、指導者
* 1948年 - [[山本益博]]、[[料理評論家]]
* [[1949年]] - [[武田鉄矢]]、歌手、俳優
* 1949年 - [[古賀正明]]、元プロ野球選手
* 1949年 - [[小田芳男]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[松本純]]<ref>{{Cite news |title=国会議員情報松本 純(まつもと じゅん) |newspaper=時事通信 |date=2021-1-29 |author= |url=https://www.jiji.com/jc/giind=0889d58e6a0ce9641e03f9607141290a&c=syu |accessdate= }}</ref>、政治家
* 1950年 - [[紀比呂子]]、女優
* 1950年 - [[詫摩和文]]、元プロ野球選手
* 1950年 - [[加藤譲司]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[石田真敏]]、政治家
* 1952年 - [[しばたはつみ]]、歌手(+ [[2010年]])
* 1952年 - [[芦岡俊明]]、元プロ野球選手
* 1952年 - [[池畑満也]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[アンドリュー・ワイルズ]]、[[数学者]]
* 1953年 - [[森しん]]、俳優、声優
* 1953年 - [[おおたか静流]]、歌手(+ [[2022年]])
* [[1955年]] - [[山村善則]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[辛坊治郎]]、ニュースキャスター
* 1956年 - [[居郷肇]]、[[野球選手]]
* 1956年 - [[入沢淳]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[岡部憲章]]、元プロ野球選手
* 1958年 - [[スチュアート・アダムソン]]、歌手(+ [[2001年]])
* 1958年 - [[谷良治]]、元プロ野球選手
* 1958年 - [[池田尊弘]]、宗教家
* [[1959年]] - [[秋山勝彦]]、ミュージシャン(元[[P-MODEL]])
* [[1960年]] - [[ジェレミー・クラークソン]]、テレビ司会者、ジャーナリスト
* 1960年 - [[叶木翔子]]、声優
* 1960年 - [[川野太郎]]、俳優
* 1960年 - [[富沢順]]、[[漫画家]]
* 1960年 - [[中島浩人]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[角田信朗]]、空手家
* 1961年 - [[ときた洸一]]、漫画家
* [[1962年]] - [[ヴィンセント・ギャロ]]、俳優、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[画家]]
* [[1964年]] - [[土井裕泰]]、[[演出家]]
* 1964年 - [[ブレット・セイバーヘイゲン]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[岩本千春]]、女優
* [[1966年]] - [[一条和矢]]、声優
* 1966年 - [[手塚一郎]]、小説家、[[ゲームシナリオライター]]、[[ゲームライター]]
* [[1967年]] - [[中森智佳子]]、元競泳選手
* 1967年 - [[桧山泰浩]]、元プロ野球選手、[[司法書士]]
* 1967年 - [[イゴール・ヤロシェンコ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1968年]] - [[岡林洋一]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[古賀久美子]]、元アナウンサー、ニュースキャスター
* [[1969年]] - [[森高千里]]、歌手
* 1969年 - [[新井潔]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[寺田千恵]]、[[競艇選手|ボートレーサー]]
* [[1970年]] - [[尾山敦]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[チャンコ増田|増田学]]、雑誌編集者
* 1970年 - [[ジョー・ビティエロ]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[ショーン・バーグマン]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[香田誉士史]]、[[学生野球]]監督
* 1971年 - [[樋口尚也]]、政治家
* [[1972年]] - [[ジェイソン・バリテック]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[桜井邦彦]]、[[アイスホッケー]]選手
* 1972年 - [[渡辺憲司]]、アナウンサー
* [[1973年]] - [[南真一郎]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[トミ・コイヴサーリ]]、[[ヘヴィメタル]]ミュージシャン
* 1973年 - [[味園博和]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[露崎春女]]、歌手
* 1974年 - [[熊前知加子]]、元[[バレーボール]]選手
* 1974年 - [[アレックス・コレチャ]]、[[テニス選手一覧|テニス選手]]
* 1974年 - [[アレクザンダー・クオファラ]]、ヘヴィメタルミュージシャン
* [[1975年]] - [[ヤン・ノルキヤ|ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ]]、[[キックボクサー]]
* [[1976年]] - KUMI、歌手([[LOVE PSYCHEDELICO]])
* 1976年 - [[筒井正也]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[琴光喜啓司]]、元[[大相撲]][[力士]]
* 1976年 - [[日吉辰哉]]、[[プロ雀士]]
* 1976年 - [[ケルビム・エスコバー]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[カケフくん]]、元子役
* [[1978年]] - [[松井陽子 (アナウンサー)|松井陽子]]、アナウンサー
* 1978年 - [[鴨志田一]]、[[ライトノベル]]作家
* [[1979年]] - 広田周、[[ドラマー]]([[TRIPLANE]])
* [[1980年]] - [[いとうまゆ]]、タレント、ダンスインストラクター
* 1980年 - [[玉田圭司]]、元サッカー選手
* 1980年 - [[マーク・テシェイラ]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[中沢純子]]、[[タレント]]
* 1981年 - [[鶴岡慎也]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[柳田美幸]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[小野綾子 (歌手)|小野綾子]]、歌手
*1981年 - [[ユ・テオ]]、俳優
* [[1982年]] - 毛利大亮、お笑いタレント([[ギャロップ (お笑いコンビ)|ギャロップ]])
* [[1983年]] - 川内亨、ミュージシャン([[12012]])
* 1983年 - [[境澤賢一]]、元大相撲力士
* 1983年 - [[村上純平]]、野球選手
* [[1984年]] - [[廣田遥]]、元トランポリン選手
* 1984年 - [[ケリ・ガーナー]]、女優
* 1984年 - [[アンドレス・ブランコ]]、プロ野球選手
* 1984年 - [[ニコラ・カラバティッチ]]、ハンドボール選手
* 1984年 - [[アレハンドロ・デアザ]]、プロ野球選手
* [[1985年]] - [[豊田陽平]]、サッカー選手
* [[1985年]] - [[伊達秀晃]]、陸上競技選手
* [[1987年]] - [[ジョス・ストーン]]、ミュージシャン
* 1987年 - [[山内秀一]]、タレント
* 1987年 - [[三井淳平]]、日本人初の[[レゴ]]認定プロビルダー
* [[1988年]] - [[前田健太]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[石川歩]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[副島貴司]]、元サッカー選手
* 1988年 - [[一真]]、俳優、歌手
* [[1989年]] - [[丸佳浩]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[エドアルド・パッツァーリ]]、サッカー選手
* [[1990年]] - [[アンソニー・フィリップス (野球)|アンソニー・フィリップス]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[江澤璃菜]]、女優
* 1990年 - [[大塚翔平]]、元サッカー選手
* 1990年 - [[桜木梨奈]]、女優
* 1990年 - [[チュラニ・セレロ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[戸柱恭孝]]、プロ野球選手
* 1990年 - 舟久保匠、お笑いタレント(元[[マカロン (お笑いコンビ)|マカロン]])
* 1990年 - [[最上莉奈]]、声優
* [[1991年]] - [[真野恵里菜]]、歌手
* 1991年 - [[岸明日香]]、タレント、グラビアアイドル
* 1991年 - [[松平健太]]、卓球選手
* [[1992年]] - [[富栄ドラム]]、元力士、俳優
* [[1995年]] - [[イ・ドヒョン]]、俳優
* [[1997年]] - [[和田昌士]]、サッカー選手
* 1997年 - [[關颯人]]、陸上選手
* [[1998年]] - [[山本賢太]]、[[フジテレビアナウンサー]]
* 1998年 - [[海月らな]]、アイドル
* [[1999年]] - [[美輪咲月]]、グラビアアイドル
* [[2000年]] - [[カリナ (歌手)|カリナ]]、アイドル([[aespa]])
* 2000年 - [[土屋怜菜]]、ファッションモデル
* [[2002年]] - [[麻倉瑞季]]、グラビアアイドル
* [[2005年]] - [[ダニエル (歌手)|ダニエル]]、アイドル([[NewJeans]])
* 生年不明 - [[種市桃子]]、声優
== 忌日 ==
[[Image:Romanos III Argyros -severely ill- dies inside the palace in 1034 In the picture, Romanos in a bath where he dies from the Chronicle of John Skylitzes.jpg|thumb|upright|[[東ローマ帝国]]皇帝[[ロマノス3世アルギュロス]](968-1034)、入浴中に不慮の死を遂げる]]
[[Image:SStanis%C5%82aw.JPG|thumb|upright|[[シュチェパヌフのスタニスラウス]](1030-1079)、殉教]]
[[Image:The_Death_of_Gaston_de_Foix_in_the_Battle_of_Ravenna.jpg|thumb|200px|[[ヌムール]]公[[ガストン・ド・フォワ (ヌムール公)|ガストン・ド・フォワ]](1489-1512)戦死]]
<!-- [[Image:Samuel_Heinrich_Schwabe.jpg|thumb|upright|天文学者[[ハインリッヒ・シュワーベ]](1789-1875)没。[[太陽黒点]]の増減の周期性を発見]] -->
[[Image:Josephmerrick1889.jpg|thumb|100px|[[エレファント・マン]]として知られた[[ジョゼフ・メリック]](1862-1890)没]]
<!-- [[Image:MetrokarlplatzWK.jpg|thumb|180px|[[ウィーン分離派]]の建築家[[オットー・ワーグナー]](1841-1918)没。画像はカールスプラッツ駅]] -->
[[Image:Lady_Godiva_by_John_Collier.jpg|thumb|240px|[[ラファエル前派]]の画家、[[ジョン・コリア (画家)|ジョン・コリア]](1850-1934)没。画像は『[[ゴダイヴァ夫人]]』(1898頃)]]
<!-- [[Image:Nakaya_Ukichiro_in_1946.jpg|thumb|upright|[[人工雪]]の製作を成功させた物理学者、[[中谷宇吉郎]](1900-1962)]] -->
<!-- [[Image:Abraham_robinson.jpg|thumb|upright|[[超準解析]]を考案した数学者、[[アブラハム・ロビンソン]](1918-1974)]] -->
* [[1034年]] - [[ロマノス3世アルギュロス]]、[[東ローマ皇帝]](* [[968年]])
* [[1079年]] - [[シュチェパヌフのスタニスラウス]]、[[キリスト教]]の[[聖人]](* [[1030年]])
* [[1313年]] - [[ギヨーム・ド・ノガレ]]、[[フィリップ4世 (フランス王)|フランス王フィリップ4世]]の法律顧問(* [[1260年]])
* [[1338年]]([[延元]]3年/[[暦応]]元年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[坊門清忠]]、[[公卿]](* [[1283年]]?)
* [[1512年]] - [[ガストン・ド・フォワ (ヌムール公)|ガストン・ド・フォワ]]、[[フランス]]の軍人(* [[1489年]])
* 1512年([[永正]]9年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[朝倉貞景 (9代当主)|朝倉貞景]]、[[戦国大名]](* [[1473年]])
* [[1568年]]([[永禄]]11年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[寿桂尼]]、[[今川氏親]]正室、[[今川義元]]の母親(* 生年不明)
* [[1615年]]([[慶長]]20年3月14日) - [[奥平信昌]]、[[武将|戦国武将]]、[[加納藩|加納藩主]](* [[1555年]])
* [[1617年]]([[元和 (日本)|元和]]3年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[最上家親]]、[[山形藩|山形藩主]](* [[1582年]])
* [[1659年]]([[万治]]2年[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]) - [[松平忠国 (播磨国明石藩主)|松平忠国]]、[[明石藩|播磨国明石藩]][[大名]](* [[1597年]])
* [[1853年]] - [[ルイ・エマニュエル・ジャダン]]、[[作曲家]](* [[1768年]])
* [[1875年]] - [[ハインリッヒ・シュワーベ]]、[[天文学者]](* [[1789年]])
* [[1888年]] - [[上野景範]]、[[外交官]](* [[1844年]])
* [[1890年]] - [[ジョゼフ・メリック]]、「エレファント・マン」として知られる人物(* [[1862年]])
* [[1895年]] - [[ロータル・マイヤー]]、[[化学者]]、[[物理学者]](* [[1830年]])
* [[1898年]] - [[エドアルド・キヨッソーネ]]、[[版画家]]、[[画家]](* [[1833年]])
* [[1906年]] - [[フランシス・チャーチ]]、[[ジャーナリスト]](* [[1839年]])
* [[1914年]] - [[駒ヶ嶽國力]]、元[[大相撲]][[力士]]・[[大関]](* [[1880年]])
<!-- この日は昭憲皇太后の公式の命日とされてきたが、正確には4月9日命日(当該項目参照)なのでにそちらに移動、* 1914年 - [[昭憲皇太后]]、[[皇族]]・[[明治天皇]]の[[皇后]](* [[1849年]])-->
* [[1918年]] - [[オットー・ワーグナー]]、[[建築家]](* [[1841年]])
* [[1934年]] - [[ジョン・コリア (画家)|ジョン・コリア]]、画家(* [[1850年]])
* [[1938年]] - [[ブロニスワヴァ・ケウプルリャン=ヴイチク]]、[[音楽学者]](* [[1890年]])
* 1938年 - [[クリストバル・トリエンテ]]、元[[野球選手]](* [[1893年]])
* [[1939年]] - [[S・S・ヴァン=ダイン]]、[[推理作家]](* [[1888年]])
* 1939年 - [[西原清東]]、[[政治家]](* [[1861年]])
* [[1941年]] - [[アルバート・スワード]]、[[植物学|植物学者]]、[[地質学|地質学者]](* [[1863年]])
* [[1945年]] - [[フレデリック・ルガード]]、[[軍人]]、[[探検家]]、[[香港総督]]、[[ナイジェリア]]総督(* [[1858年]])
* [[1950年]] - [[嶋田的浦]]、[[俳人]](* [[1893年]])
* [[1953年]] - [[キッド・ニコルズ]]、元プロ野球選手(* [[1869年]])
* [[1958年]] - [[コンスタンチン・ユオン]]、画家、[[舞台美術家|舞台デザイナー]](* [[1875年]])
* [[1962年]] - [[マイケル・カーティス]]、[[映画監督]](* [[1888年]])
* 1962年 - [[中谷宇吉郎]]、物理学者、随筆家(* [[1900年]])
* [[1966年]] - [[山下新太郎 (洋画家)|山下新太郎]]、画家(* [[1881年]])
* [[1969年]] - [[ルドヴィク・イルゲンス=イェンセン]]、作曲家(* [[1894年]])
* [[1970年]] - [[キャシー・オドネル]]、女優(* [[1923年]])
* [[1971年]] - [[ズビグニェフ・ジェヴィエツキ]]、音楽教師(* [[1890年]])
* [[1972年]] - [[佐藤武夫]]、建築家(* [[1899年]])
* [[1973年]] - [[上野直昭]]、[[美学|美学者]](* [[1882年]])
* [[1974年]] - [[アブラハム・ロビンソン]]、[[数学者]](* [[1918年]])
* [[1976年]] - [[内海安吉]]、政治家(* [[1890年]])
* [[1977年]] - [[ジャック・プレヴェール]]、[[詩人]]、[[脚本家]](* [[1900年]])
* [[1985年]] - [[エンヴェル・ホッジャ]]、[[アルバニア]]首相(* [[1908年]])
* [[1987年]] - [[アースキン・コールドウェル]]、[[小説家]](* [[1903年]])
* 1987年 - [[田中伊三次]]、政治家(* [[1906年]])
* 1987年 - [[プリーモ・レーヴィ]]、小説家、化学者(* [[1919年]])
* 1987年 - [[森井茂]]、元[[プロ野球選手]](* [[1915年]])
* [[1988年]] - [[木森敏之]]、作曲家(* [[1947年]])
* [[1989年]] - [[島岡吉郎]]、野球監督(* [[1911年]])
* [[1995年]] - [[西岡常一]]、[[宮大工]](* [[1908年]])
* [[1997年]] - [[吉村順三]]、建築家(* [[1908年]])
* 1997年 - [[王小波 (小説家)|王小波]]、小説家(* [[1952年]])
* [[2001年]] - [[朝倉季雄]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](* [[1909年]])
* [[2002年]] - [[高橋圭三]]、[[アナウンサー]]、司会者(* [[1918年]])
* [[2003年]] - [[松井康成]]、[[陶芸家]](* [[1927年]])
* [[2004年]] - [[鷺沢萠]]、作家(* [[1968年]])
* [[2005年]] - [[リュシアン・ローラン]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]](* [[1907年]])
* [[2006年]] - [[富永直樹]]、[[彫刻家]](* [[1913年]])
* 2006年 - [[小野彦之丞]]、実業家(* [[1914年]])
* 2006年 - [[鶴園哲夫]]、政治家(* [[1915年]])
* 2006年 - [[申相玉]]、映画監督(* [[1926年]])
* 2006年 - [[小笠原弘]]、[[俳優]](* [[1927年]])
* 2006年 - [[プルーフ (ラッパー)|プルーフ]]、[[MC (ヒップホップ)|ヒップホップMC]](* [[1973年]])
* [[2007年]] - [[カート・ヴォネガット]]、小説家(* [[1922年]])
* [[2009年]] - [[及川一夫]]、政治家(* [[1929年]])
* [[2013年]] - [[マリア・トールチーフ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1925年]])
* 2013年 - [[西沢利明]]、俳優(* [[1936年]])
* [[2014年]] - [[佐野実]]、実業家、支那そばや創業者(* [[1951年]])
* [[2019年]] - [[モンキー・パンチ]]<ref>{{cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20190417dog00m200000000c.html|title=モンキー・パンチさん:「ルパン三世」の生みの親が肺炎のため死去 81歳|newspaper=MANTAN WEB|date=2019-04-17|accessdate=2020-10-25}}</ref>、[[漫画家]](* [[1937年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Platinum-Iridium meter bar.jpg|thumb|240px|[[メートル法]]公布記念日。画像は[[メートル原器]]。現在は原器ではなく[[光速]]が基準]]
* リバス戦勝記念日(フアン・サンタマリーアの日)({{CRI}})
** [[1856年]]のこの日の{{仮リンク|第二次リバスの戦い|en|Second Battle of Rivas}}でコスタリカ軍がニカラグア軍に勝利したことを記念。この戦いで壮絶な戦死を遂げた{{仮リンク|フアン・サンタマリーア|en|Juan Santamaría}}はコスタリカの国民的英雄となっている。
* [[メートル法]]公布記念日({{JPN}})
** [[1921年]]のこの日、日本で改正「[[度量衡法]]」が公布され、法律によりメートル法を使用することが定められたことにちなむ。
* [[ガッツポーズ]]の日({{JPN}})
** [[1974年]]のこの日、[[ボクシング]][[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ライト級タイトルマッチで挑戦者[[ガッツ石松]]がチャンピオンの[[ロドルフォ・ゴンザレス]]にKOで勝利し、ガッツ石松の姿を新聞記者が「ガッツポーズ」と表現したことから、この言葉が一般に知られるようになった。
* [[大韓民国臨時政府]]樹立日({{Flagcountry|KOR}})
** 韓国が継承性を主張する大韓民国臨時政府樹立日。以前は4月13日だったが2019年から4月11日に変更された。
* [[フラワーデモ]]の日({{Flagcountry|JPN}})
** 2019年4月11日に第一回が開催され、毎月11日に各地で実施されるようになった。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0411|date=2011年6月}}
* [[2005年]] - ギャレオンが2年ぶりに覚醒。ガオガイガーが新宿でゾンダーロボEI-02を倒す。(アニメ『[[勇者王ガオガイガー]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 1979年 - 根岸逸郎、特撮『[[仮面ライダードライブ]]』の登場人物<ref>第29話より</ref>
* 1994年 - 美咲撫子、特撮映画『[[仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦MEGA MAX]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/characters/2242 |title=美咲撫子 |access-date=2022-10-02 |publisher=[[石森プロ]]・[[テレビ朝日]]・ADK EM・[[東映]]・[[東映ビデオ]]}}</ref>
* [[2007年]] - ダニエル・ディアス、ゲーム『[[ライフ イズ ストレンジ2]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 指南ショーコ、アニメ『[[革命機ヴァルヴレイヴ]]』に登場するヒロイン<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.valvrave.com/character/#c3 |title=指南 ショーコ |work=『革命機ヴァルヴレイヴ』 |accessdate=2022-10-02 |publisher=SUNRISE/VVV Committee, MBS}}</ref>
* 生年不明 - 平理とん平、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1248628065774821377}}</ref>
* 生年不明 - ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、小説・アニメ『[[Fate/Zero]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ufotable|851785526738735104}}</ref>
* 生年不明 - ヒーローっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=[[講談社]]|title=Tamagotchi iD L ぴかぴか育て方ガイド|year=2011|page=54|isbn=978-4-06-364876-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|others=[[ウィズ (玩具)|ウィズ]]、[[バンダイ]](監修)|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|publisher=[[小学館]]|year=2011|page=35|isbn=978-4-09-751048-2}}</ref>
* 生年不明 - ビンタ、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m04.html |title=住民名簿 4月 ビンタ |access-date=2023-01-26 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref>
* 生年不明 - 一十木音也、ゲーム・アニメ『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.utapri.com/character.php |title=キャラクター 一十木 音也 |access-date=2022-10-02 |publisher=早乙女学園 / Illustration 倉花千夏 |website=うたの プリンスさまっ 公式Webサイト}}</ref>
* 生年不明 - 荒井薫、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130809_205980/ |title=【ガールフレンド(仮)通信89】その手腕まるで神! 敏腕トレーナー 荒井薫先生 |publisher=ファミ通App |date=2013-08-09 |accessdate=2022-10-02}}</ref>
* 生年不明 - 京橋リオナ、ゲーム『[[ステーションメモリーズ!]]』の登場人物<ref>{{Twitter status|ekimemo|1381041808797536259}}</ref>
* 生年不明 - メジロライアン、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=mejiroryan |title=メジロライアン |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2022-10-02 |website=「ウマ娘 プリティーダービー」公式ポータルサイト}}</ref>
* 生年不明 - ヤエノムテキ、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=yaenomuteki |title=ヤエノムテキ |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2022-10-02 |website=「ウマ娘 プリティーダービー」公式ポータルサイト}}</ref>
* 生年不明 - 琴宮千寿、ゲーム『八月のシンデレラナイン』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/kotomiya|title=琴宮 千寿|キャラクター|publisher=八月のシンデレラナイン公式サイト|accessdate=2023-06-15}}</ref>
<!--* 生年不明 - アンギルダン・ゼイエン、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター-->
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 11|11 April}}
{{新暦365日|4|10|4|12|[[3月11日]]|[[5月11日]]|[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]|0411|4|11}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T09:08:26Z | 2023-11-11T12:45:50Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8811%E6%97%A5 |
4,867 | 4月12日 | 4月12日(しがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から102日目(閏年では103日目)にあたり、年末まではあと263日ある。 | [
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'''4月12日'''(しがつじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から102日目([[閏年]]では103日目)にあたり、年末まではあと263日ある。
== できごと ==
[[ファイル:Shimabara-Battle-Map-c17th-century.png|thumb|220px|[[島原の乱]]終結(1638)]]
[[ファイル:King of Na gold seal imprint 1935.jpg|thumb|140px|[[漢委奴国王印|倭奴国王印]]出土(1784)]]
[[ファイル:Bombardment_of_Fort_Sumter%2C_1861.png|thumb|300px|[[サムター要塞の戦い]](1861)。[[南北戦争]]はじまる]]
[[ファイル:Birthplace_of_Tokyo_University.jpg|thumb|160px|[[開成学校]]と[[東京医学校]]を統合し[[東京大学]]を設立(1877)]]
[[ファイル:Kwantung_Army_Headquarters.JPG|thumb|300px|[[関東軍]]設置(1919)。画像は新京の司令部]]
* [[467年]] - [[アンテミウス]]が[[西ローマ帝国]]皇帝に即位。
* [[601年]]([[推古天皇]]9年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - 推古天皇が[[高句麗]]・[[百済]]に使いを送り[[任那]]の復興を要請。
* [[646年]]([[大化]]2年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[薄葬令]]発布。
* [[1204年]] - [[第4回十字軍]]により[[コンスタンティノープルの陥落|コンスタンティノープルが陥落]]。
* [[1606年]] - [[イングランド]]・[[スコットランド]]同君連合の旗として[[イギリスの国旗|ユニオン・フラッグ]]が定められる。
* [[1633年]] - [[ガリレオ・ガリレイ]]の[[異端審問]]の正式な尋問が始まる。
* [[1638年]]([[寛永]]15年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - 島原・[[原城]]が落城し[[島原の乱]]が終結。
* [[1657年]]([[明暦]]3年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]]) - 江戸幕府が、[[明暦の大火]]で亡くなった10万余人の霊を供養するため、本所牛島新田に[[回向院]]を建立。
* [[1784年]]([[天明]]4年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]]) - [[筑前国]][[志賀島]]にて「[[漢委奴国王印]]」が出土。
* [[1861年]] - 南軍が北軍の[[サムター要塞]]([[サムター要塞の戦い]])を攻撃し、アメリカ[[南北戦争]]が開戦。
* [[1864年]] - 南北戦争: [[ピロー砦の戦い]]
* [[1877年]] - [[東京大学 (1877-1886)|東京大学]](後の帝国大学、東京帝国大学。現在の[[東京大学]])が設立される。
* 1877年 - イギリスが[[トランスヴァール共和国]]を併合。
* [[1883年]] - [[陸軍大学校]]開校。
* [[1905年]] - [[阪神電気鉄道]]が大阪([[出入橋駅]]) - 神戸([[三宮駅]])間で開業。日本初の[[インターアーバン|都市間電気鉄道]]。
* [[1919年]] - 関東軍司令部条例が公布され、[[関東軍]]が設置される。
* [[1924年]] - [[九州鉄道 (2代)|九州鉄道]]の[[西鉄福岡(天神)駅|福岡駅]]開業。
* [[1927年]] - [[上海市|上海]]で[[蔣介石]]が[[上海クーデター]](四・一二クーデター)を起こす。
* 1927年 - [[リトアニア]]の[[アンターナス・スメトナ|スメトナ]]大統領が第三国会を解散。
* [[1948年]] - [[日本経済団体連合会|日本経営者団体連盟]](日経連)結成。
* [[1945年]] - [[フランクリン・ルーズベルト]]米大統領が在任中に死去。副大統領[[ハリー・S・トルーマン]]が大統領に昇格。
* [[1954年]] - [[ビル・ヘイリー|ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ]]が[[ロック・アラウンド・ザ・クロック]]を録音。
<!-- 5月20日。4月12日はレコーディングされた日 * [[1954年]] - [[ビル・ヘイリー]]のシングルレコード『[[ロック・アラウンド・ザ・クロック]]』が発売。[[ロックンロール]]ブームとなる。 -->
* [[1955年]] - [[東京大学生産技術研究所]]が、[[国分寺市|国分寺]]にて[[ペンシルロケット]]の公開試射実験を行う<ref>[https://www.jaxa.jp/article/interview/sp1/episode-1_p2_j.html 的川泰宣~ペンシルロケット物語~ 第一章 国分寺のペンシル] [[宇宙航空研究開発機構|JAXA]]公式サイト、2003年。</ref>。
* [[1957年]] - [[西ドイツ]]の18人の物理学者が原子兵器の生産・実験・使用に協力しないことを宣言した[[ゲッティンゲンの18人|ゲッティンゲン宣言]]を発表。
* 1957年 - [[第五北川丸沈没事故]]。[[耕三寺]]参拝の連絡船が沈没事故を起こし、死者・行方不明113人。
* [[1961年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]が、[[ユーリイ・ガガーリン]]が乗った人類初の有人宇宙船「[[ボストーク1号]]」を打ち上げ。
* [[1964年]] - 財団法人[[日本科学技術振興財団]]テレビ事業本部(科学テレビ・東京12チャンネル。現在の[[テレビ東京]])が開局。
* [[1968年]] - 東京都千代田区に[[霞が関ビルディング|霞が関ビル]]完成。高さ147メートルで当時日本一。
* [[1973年]] - [[国民の祝日に関する法律|祝日法]]改正。[[振替休日]]が誕生。
* [[1980年]] - [[リベリア]]で[[サミュエル・ドウ]]らが軍事[[クーデター]]を起こし、[[ウィリアム・R・トルバート]]大統領を暗殺、政権を掌握する。
* 1980年 - [[テリー・フォックス]]が{{仮リンク|希望のマラソン|en|Terry Fox#Marathon of Hope|redirect=1}}を開始。
* [[1981年]] - 初の[[スペースシャトル]]ミッション[[STS-1]]でスペースシャトル「[[スペースシャトル・コロンビア|コロンビア]]」を打ち上げ。
* [[1990年]] - 韓国政府が[[大韓航空機爆破事件]]の犯人・[[金賢姫]]の[[特赦]]を決定。
* 1990年 - [[日本飛行機専務宅放火殺人事件]]。
* [[1992年]] - [[フランス]] マルヌ・ラ・ヴァレに[[ヨーロッパ]]初の[[ディズニー]][[テーマパーク]]、[[ユーロディズニーランド]](現名称:ディズニーランド)が開園。
<!-- 特筆性が低い * [[1997年]] - [[安部裕史]]が[[小惑星]]の「[[シジミ (小惑星)]]」を発見。 -->
* [[2009年]] - [[ジンバブエ]]政府が、ハイパーインフレの続く[[ジンバブエ・ドル]]の無期限発行停止を発表。
* [[2011年]] - 15歳未満の男性に対し、[[臓器の移植に関する法律|臓器移植法]]に基づく脳死判定(家族同意による)。日本国内における15歳未満への脳死判定は、同法改正後初。
* [[2012年]] - [[京都祇園軽ワゴン車暴走事故]]。[[京都市]]の[[祇園]]で運転手の[[てんかん]]発作により観光客らが次々と自動車にはねられる事件が発生。運転手を含む8人が死亡。
* [[2023年]] - [[ジャニー喜多川による性加害問題]]: 元[[ジャニーズJr.]]の[[カウアン・オカモト]]が[[日本外国特派員協会]]で性被害者として会見を行う。
{{clear}}
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[ファイル:Joseph_Lanner.jpg|thumb|upright|[[ワルツ]]の始祖、作曲家[[ヨーゼフ・ランナー]](1801-1843)誕生]]
[[ファイル:Karl_XIIs_likf%C3%A4rd_%281884%29%2C_m%C3%A5lning_av_Gustaf_Cederstr%C3%B6m_%281845-1933%29.jpg|thumb|300px|画家[[グスタヴ・セーデルストレム]](1845-1933)誕生。画像は『[[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]の葬送』(1884)]]
[[ファイル:Maunder_Edward_Walter.jpg|thumb|upright|[[太陽黒点]]を研究した天文学者[[エドワード・マウンダー]](1851-1928)]]
[[ファイル:HerbieHancock.jpg|thumb|upright|[[ジャズ]]・ピアニスト、[[ハービー・ハンコック]](1940-)]]
<!-- [[ファイル:1scottturow.jpg|thumb|upright|小説家・弁護士、[[スコット・トゥロー]](1949-)。代表作『推定無罪』(1987)]] -->
* [[紀元前549年]] - [[マハーヴィーラ]]{{要出典|date=2021-03}}、[[インド]]・[[ジャイナ教]]の開祖(+ [[紀元前477年]])
* [[959年]]([[天徳 (日本)|天徳]]3年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[円融天皇]]、第64代[[天皇]](+ [[991年]])
* [[1484年]] - [[アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネ]]、[[建築家]](+ [[1546年]])
* [[1538年]]([[天文 (元号)|天文]]7年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[鍋島直茂]]、[[武将|戦国武将]](+ [[1618年]])
* [[1577年]] - [[クリスチャン4世 (デンマーク王)|クリスチャン4世]]、[[デンマーク王]](+ [[1648年]])
* [[1725年]]([[享保]]5年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[伊達村信]]、[[伊予国]][[伊予吉田藩|吉田藩]]の第4代藩主(+ [[1765年]])
* [[1748年]] - [[アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー]]、[[植物学|植物学者]](+ [[1836年]])
* [[1777年]] - [[ヘンリー・クレイ]]、[[政治家]](+ [[1852年]])
* [[1797年]]([[寛政]]9年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[徳川斉脩]]、[[常陸国]][[水戸藩]]の第8代藩主(+ [[1829年]])
* [[1801年]] - [[ヨーゼフ・ランナー]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1843年]])
* [[1817年]]([[文化 (元号)|文化]]14年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[本多忠民]]、[[三河国]][[岡崎藩]]の第5代藩主(+ [[1883年]])
* [[1838年]]([[天保]]9年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[加藤泰令]]、伊予国[[新谷藩]]の第9代藩主・[[子爵]](+ [[1913年]])
* [[1845年]] - [[グスタヴ・セーデルストレム]]、[[画家]](+ [[1933年]])
* [[1851年]] - [[エドワード・マウンダー]]、[[天文学者]](+ [[1928年]])
* [[1852年]] - [[フェルディナント・フォン・リンデマン]]、[[数学者]](+ [[1939年]])
* [[1868年]]([[明治]]元年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[秋山真之]]、[[軍人]](+ [[1918年]])
* [[1871年]] - [[イオアニス・メタクサス]]、政治家、[[ギリシャの首相|ギリシャ首相]](+ [[1941年]])
* [[1872年]] - [[ジョルジュ・ユルバン]]、[[化学者]](+ [[1938年]])
* [[1876年]] - [[山岡萬之助]]、[[法学者]]、[[哲学|哲学者]]、[[日本大学]]第3代総長・[[総裁]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員(+ [[1968年]])
* 1876年 - [[ビック・ウィリス]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1947年]])
* [[1880年]] - [[アディ・ジョス]]、元プロ野球選手(+ [[1911年]])
* [[1884年]] - [[オットー・マイヤーホフ]]、[[生化学|生化学者]](+ [[1951年]])
* [[1885年]] - [[ロベール・ドローネー]]、[[画家]](+ [[1941年]])
* [[1886年]] - [[井上日召]]、[[国家主義者]](+ [[1967年]])
* [[1888年]] - [[ゲンリフ・ネイガウス]]、[[ピアニスト]](+ [[1964年]])
* [[1892年]] - [[ヘンリー・ダーガー]]、[[作家]]、画家(+ [[1973年]])
* [[1903年]] - [[ヤン・ティンバーゲン]]、[[経済学者]](+ [[1994年]])
<!-- 特筆性は? * [[1904年]] - 阿部六郎、[[ドイツ文学者]]、[[文芸評論家]](+ [[1957年]]) -->
* [[1908年]] - [[アンドレ・マルティネ]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1999年]])
* [[1909年]] - [[佐々木秀世]]、[[政治家]](+ [[1986年]])
* [[1914年]] - [[アルメン・アルキアン]]、経済学者(+ [[2013年]])
* [[1915年]] - [[ハウンド・ドッグ・テイラー]]、[[ブルース]][[ギタリスト]]、[[歌手]](+ [[1975年]])
* 1915年 - [[森井茂]]、元プロ野球選手(+ [[1987年]])
* [[1916年]] - [[ビバリー・クリアリー]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[2021年]])
* 1916年 - [[ベンジャミン・リベット]]、[[生理学者]](+ [[2007年]])
* 1916年 - [[菅利雄]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1917年]] - [[富永嘉郎]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* [[1919年]] - [[ビリー・ヴォーン]]、[[イージーリスニング]]の[[バンドマスター]](+ [[1991年]])
* [[1920年]] - [[森下重好]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]])
* [[1922年]] - [[森下元晴]]、政治家(+ [[2014年]])
* [[1923年]] - [[アン・ミラー]]、[[俳優|女優]](+ [[2004年]])
* [[1925年]] - [[エンベル・アルテンバイ]]、[[俳優]](+ 2004年)
* [[1928年]] - [[ハーディ・クリューガー]]、俳優(+ [[2022年]])
* [[1930年]] - [[桂文枝 (5代目)|桂文枝]](5代目)、[[落語家]](+ [[2005年]])
* [[1933年]] - [[荒巻義雄]]、[[小説家]]
* 1933年 - [[上村淳之]]、[[日本画家]]
* 1933年 - [[モンセラート・カバリェ]]、[[ソプラノ]]歌手(+ [[2018年]])
* [[1934年]] - [[堀田力]]、[[弁護士]]、元[[検察官]]
* 1934年 - [[松井やより]]、[[ジャーナリスト]](+ [[2002年]])
* [[1936年]] - [[島田光二]]、元プロ野球選手
* 1936年 - [[前田隣]]、[[コメディアン]](+ [[2009年]])
* 1936年 - [[フランケチエンヌ]]、作家、[[詩人]]、[[音楽家]]、画家
* [[1937年]] - [[田辺義三]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]])
* [[1938年]] - [[福井宏]]、[[プロ野球審判員]]
* [[1940年]] - [[坪内ミキ子]]、女優
* 1940年 - [[ハービー・ハンコック]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]]
* [[1941年]] - [[西村省一郎]]、元プロ野球選手(+ [[1988年]])
* 1941年 - [[ボビー・ムーア]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者(+ [[1993年]])
* [[1942年]] - [[上杉光弘]]、政治家
* 1942年 - [[ジェイコブ・ズマ]]、政治家、[[南アフリカの大統領|南アフリカ大統領]]
* 1942年 - [[カルロス・ロイテマン]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(+ [[2021年]])
* [[1944年]] - [[園まり]]、[[歌手]]
* [[1945年]] - [[沢峰次]]、[[調教師]]
* 1945年 - [[本條秀太郎]]、[[三味線]]奏者、作曲家
* 1945年 - [[村田喜代子]]、[[小説家]]
* [[1947年]] - [[トム・クランシー]]、小説家(+ [[2013年]])
* 1947年 - [[デイヴィッド・レターマン]]、コメディアン、[[司会者]]
* 1947年 - [[得津高宏]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - 中田ボタン、[[漫才師]]([[中田カウス・ボタン]])
* 1948年 - [[金田たつえ]]、[[演歌歌手]]
* 1948年 - [[川畑和人]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[桜井輝秀]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[ヨシュカ・フィッシャー]]、政治家
* [[1949年]] - [[スコット・トゥロー]]、[[小説家]]、ノンフィクション作家、[[弁護士]]
* 1949年 - [[マイティ井上]]、[[レフェリー (プロレス)|レフェリー]]([[プロレスリング・ノア]])、元[[プロレスラー]]
* [[1950年]] - [[藤田宜永]]、小説家(+ [[2020年]])
* 1950年 - [[亘信二]]、実業家
* [[1953年]] - [[佐藤文男 (1953年生の投手)|佐藤文男]]、元プロ野球選手
<!-- 特筆性は? * 1953年 - 三浦静加、実業家、[[セーラーズ (アパレル)|セーラーズ]]創業者 -->
* [[1954年]] - [[三雲孝江]]、[[アナウンサー]]、[[ニュースキャスター]]
* 1954年 - [[鮫島一歩]]、調教師
* 1954年 - [[福士秀樹]]、[[声優]]
* [[1956年]] - [[田中康夫]]、小説家、政治家
* 1956年 - [[アンディ・ガルシア]]、[[俳優]]
* [[1960年]] - [[御茶漬海苔]]、[[漫画家]]
* 1960年 - [[田中富生]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[リサ・ジェラルド]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* [[1962年]] - [[髙田延彦]]、[[格闘家]]
* 1962年 - [[中条善伸]]、元プロ野球選手
* 1962年 - [[カルロス・サインツ]]、[[ラリー]]ドライバー
* [[1963年]] - [[笠井信輔]]、アナウンサー
* 1963年 - [[森川由加里]]、歌手
* 1963年 - [[中森衣都]]、漫画家
* [[1964年]] - [[加藤哲郎 (野球)|加藤哲郎]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[高田雅博]]、映画監督、[[CMディレクター]]
* [[1966年]] - [[渡辺正和]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[佐藤康之]]、元サッカー選手
* 1966年 - [[広瀬香美]]<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://kotobank.jp/word/%E5%BA%83%E7%80%AC+%E9%A6%99%E7%BE%8E-1791509 |title=広瀬 香美 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-11-01}}</ref>、[[シンガーソングライター]]
* [[1967年]] - [[菊池新吉]]、元サッカー選手
<!-- 特筆性は? * [[1968年]] - 牟田昌広、[[ドラマー]] -->
* [[1968年]] - [[青柳徹]]、元[[スピードスケート]]選手
* 1968年 - [[五十嵐章人]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[石田ショーキチ]]、アーティスト([[Spiral Life]]、[[Scudelia Electro]])、音楽プロデューサー
* 1968年 - [[宇川直宏]]、[[グラフィックデザイナー]]、[[映像作家]]、[[ビデオジョッキー|VJ]]、[[近代美術と現代美術|現代美術家]]
* 1968年 - [[芹澤裕二]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[小寺康雄]]、アナウンサー
* [[1970年]] - [[鈴木浩文 (野球)|鈴木浩文]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[鍵山正和]]、元[[フィギュアスケート]]選手、コーチ
* 1971年 - [[加藤貴子 (バスケットボール)|加藤貴子]]、元[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* 1971年 - [[神田千絵]]、元バレーボール選手
* 1971年 - [[シャナン・ドハーティー]]、女優
* [[1972年]] - [[浜田賢二]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M09-0542|title=浜田 賢二|日本タレント名鑑|accessdate=2020-12-01}}</ref>、声優
* 1972年 - [[埴岡由紀子]]、声優
* [[1973年]] - [[高橋秀幸]]、[[アニメ・特撮ソング]]歌手
* 1973年 - [[デイモン・アレン (フィギュアスケート選手)|デイモン・アレン]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1973年]] - [[クリスティアン・パヌッチ]]、元サッカー選手
* [[1974年]] - [[シウヴィオ・メンデス・カンポス・ジュニオル|シウヴィーニョ]]、元サッカー選手
* 1974年 - [[浅井清己]]、声優
* 1974年 - [[安田美香]]、タレント
* 1974年 - [[山下智弘]]、実業家
* [[1975年]] - [[高宮智]]、漫画家
* 1975年 - [[五十嵐あぐり]]、漫画家
* [[1976年]] - [[瀬能優]]、[[ストリッパー一覧|ストリッパー]]
* [[1977年]] - [[ジョーダナ・スパイロ]]、女優
* 1977年 - [[紺野まひる]]、女優、タレント
* 1977年 - [[D.J.カラスコ]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[濱地正浩]]、[[タップダンサー]]
* 1977年 - 大介、ミュージシャン(元[[Aqua Timez]])
* [[1978年]] - ヴィクター・マインレンダー([[石原剛]])、[[写真家]]
* 1978年 - [[西条みつとし]]、[[脚本家]]、[[演出家]]、[[構成作家]]、元お笑いタレント
* [[1979年]] - [[小田嶋正邦]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[曲山英里]]、タレント
* 1979年 - [[クレア・デインズ]]、女優
* 1979年 - [[藤原基央]]、ミュージシャン([[BUMP OF CHICKEN]])
* 1979年 - [[天野浩一]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[マテヤ・ケジュマン]]、元サッカー選手
* [[1980年]] - [[ブライアン・マックファーデン]]、ミュージシャン
* 1980年 - [[楠瀬拓哉]]、ミュージシャン(元[[Hysteric Blue]])
* [[1981年]] - [[岩隈久志]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[新里賢]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[中川パラダイス]]、お笑いタレント([[ウーマンラッシュアワー]])
* [[1982年]] - [[丘乃愛唯]]、元ストリッパー
* 1982年 - [[甲斐雅人]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[エレナ・ドキッチ]]、[[テニス選手一覧 (女子)|テニス選手]]
* 1983年 - [[カイル・ヤマダ]]、サッカー選手
* 1983年 - [[佐藤彩]]、アナウンサー
* 1983年 - 新里英之、ミュージシャン([[HY (バンド)|HY]])
* [[1984年]] - [[松本高明]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[レビ・ロメロ]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[メリッサ・ブランネン]]、[[失踪者|失踪]]した[[少女]]
* [[1985年]] - [[吉澤ひとみ]]、元歌手(元[[モーニング娘。]])
* 1985年 - [[小窪哲也]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[アドニス・ガルシア]]、プロ野球選手
* 1985年 - [[青柳翔]]、俳優、歌手
* [[1986年]] - [[山本彩乃]]、声優、タレント
* [[1987年]] - [[古田恵]]、声優
* 1987年 - [[ブレンドン・ユーリー]]、ミュージシャン([[パニック!アット・ザ・ディスコ]])
* [[1988年]] - [[小原春香]]、歌手、タレント(元[[SDN48]])
* 1988年 - [[森公平]]、歌手、タレント(元[[新選組リアン]])
* [[1988年]] - [[吉田実代]]、プロボクサー、元[[総合格闘家]]
* 1988年 - [[ステファノ・デシモーニ]]、プロ野球選手
* [[1989年]] - [[ケイトリン・ウィーバー]]、フィギュアスケート選手
* 1989年 - [[ソーニャ・ムゴシャ]]、フィギュアスケート選手
* [[1990年]] - [[酒井宏樹]]、サッカー選手
* 1990年 - [[後藤晴菜]]、アナウンサー
* 1990年 - [[荒井賢太]]、元俳優
* 1990年 - [[須田泰大]]、元俳優
* 1990年 - [[江玟玟]]、フィギュアスケート選手
* 1990年 - [[出岐雄大]]、元陸上選手
* [[1991年]] - [[石川舜一郎]]、[[ラジオパーソナリティ]]
* 1991年 - [[菊池大介]]、サッカー選手
* 1991年 - [[森岡亮太]]、サッカー選手
* 1991年 - [[劉詩雯]]、卓球選手
* [[1992年]] - [[中西倫也]]、サッカー選手
* [[1994年]] - [[鈴木愛理 (歌手)|鈴木愛理]]、歌手(元[[℃-ute]])
* 1994年 - [[シアーシャ・ローナン]]、女優
* 1994年 - [[藤浪晋太郎]]、プロ野球選手
* [[1996年]] - [[川本璃]]、[[ボーカル]]、[[ダンサー|パフォーマー]]([[Happiness (グループ)|Happiness]]、元[[E-girls]])
* 1996年 - [[中川圭太]]、プロ野球選手
* 1996年 - [[晝田瑞希]]、プロボクサー
* [[1998年]] - [[奥菜ひかり]]、[[グラビアアイドル]]
* [[1998年]] - [[綿貫陽介]]、プロテニス選手
* [[2001年]] - [[湯上響花]]、ファッションモデル
* [[2004年]] - [[上村ひなの]]、歌手 ([[日向坂46]])
* [[紀元前]]98036年(公称) - [[ルーク篁]]、[[ミュージシャン]]([[聖飢魔II]])
* 生年不明 - [[西優子]]、声優
* 生年不明 - [[廣山和比古]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1990年]] - [[ノースフライト]]、[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]](+ [[2018年]])
* [[2011年]] - [[サウンズオブアース]]、競走馬(+ [[2023年]])
== 忌日 ==
[[ファイル:Gordian_I_Musei_Capitolini_MC475.jpg|thumb|100px|[[ローマ皇帝]][[ゴルディアヌス1世]](159-238)、自殺]]
[[ファイル:Juana_la_Loca_de_Pradilla.jpg|thumb|200px|カスティーリャ女王、[[フアナ (カスティーリャ女王)|フアナ]](1479-1555)、40年の幽閉生活の末に没。夫[[フェリペ1世 (カスティーリャ王)|フィリップ]]の死去で精神に異常を来たしたという(画像)]]
[[ファイル:Charles_Messier.jpg|thumb|100px|『[[メシエカタログ]]』を作った天文学者[[シャルル・メシエ]](1730-1817)没]]
[[ファイル:Edward_Drinker_Cope%E2%80%99s_study_in_1897.jpg|thumb|140px|[[古生物学]]者[[エドワード・ドリンカー・コープ]](1840-1897)。1000もの新種を報告した。画像は晩年の散らかった研究室]]
[[ファイル:FDR_Grave.JPG|thumb|220px|アメリカ合衆国大統領[[フランクリン・ルーズベルト]](1882-1945)、[[第二次世界大戦]]中に[[脳血管障害|脳卒中]]で没。{{audio|Roosevelt Pearl Harbor.ogg|ルーズベルトの対日宣戦布告演説(1941年12月8日)を聞く}}]]
<!-- [[ファイル:Baker_Banana.jpg|thumb|upright|「黒いヴィーナス」の異名を取った[[ジャズ]]歌手、[[ジョセフィン・ベーカー]](1906-1975)没]] -->
* [[238年]] - [[ゴルディアヌス1世]]、[[ローマ皇帝]](* [[159年]]頃)
* [[1455年]]([[康正]]元年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[畠山持国]]、[[室町幕府]]の[[管領]](* [[1398年]])
* [[1550年]] - [[クロード (ギーズ公)|クロード]]、[[ギーズ公]](* [[1496年]])
* [[1555年]] - [[フアナ (カスティーリャ女王)|フアナ]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王(* [[1479年]])
<!--武田信玄の没日4月12日は「旧暦」なので注意! -->
* [[1638年]]([[寛永]]15年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[天草四郎]](益田時貞)、[[島原の乱]]の指導者(* [[1621年]]?)
* [[1684年]] - [[ニコロ・アマティ]]、[[ヴァイオリン]]製作者(* [[1596年]])
* [[1774年]] - [[レジノー・ウーティエ]]、[[天文学者]]、[[地理学者]](* [[1694年]])
* [[1817年]] - [[シャルル・メシエ]]、天文学者(* [[1730年]])
* [[1894年]] - [[エドワード・ドリンカー・コープ]]、[[古生物学|古生物学者]](* [[1840年]])
* [[1902年]] - [[マリー・アルフレッド・コルニュ]]、[[物理学者]](* [[1841年]])
* [[1908年]] - [[アルトヴィグ・ドランブール]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](* [[1844年]])
* [[1910年]] - [[ウィリアム・グラハム・サムナー]]、[[社会学者]]、[[人類学|人類学者]](* [[1840年]])
* [[1922年]] - [[フランティシェク・オンドジーチェク]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](* [[1857年]])
* [[1938年]] - [[フョードル・シャリアピン]]、[[バス (声域)|バス]]歌手(* [[1873年]])
* [[1945年]] - [[フランクリン・ルーズベルト]]、第32代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1882年]])
* 1945年 - [[ヴィレーム・マテジウス]]、[[言語学|言語学者]](* [[1883年]])
* 1946年 - [[竹内悌三]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]](* [[1908年]])
* [[1962年]] - [[アントワーヌ・ペヴスナー]]、[[美術家]]、[[画家]](* [[1886年]])
* [[1967年]] - [[窪田空穂]]、歌人(* [[1877年]])
* [[1971年]] - [[イゴール・タム]]、物理学者(* [[1895年]])
* 1971年 - [[ウィントン・ケリー]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]](* [[1931年]])
* [[1974年]] - [[ウィリアム・ルベイ]]、[[地質学|地質学者]](* [[1898年]])
* [[1975年]] - [[ジョセフィン・ベーカー]]、[[ダンサー]]、歌手(* [[1906年]])
* [[1977年]] - [[清水善造]]、[[テニス]]選手(* [[1891年]])
* [[1979年]] - [[船田中]]、[[政治家]]、第51代・第56代[[衆議院議長]](* 1895年)
* [[1980年]] - [[ウィリアム・R・トルバート]]、政治家、[[リベリアの大統領|リベリア大統領]](* [[1913年]])
* [[1981年]] - [[朝香宮鳩彦王|朝香鳩彦]]、[[皇族]](* [[1887年]])
* 1981年 - [[ヘンドリク・アンドリーセン]]、[[作曲家]](* [[1892年]])
* 1981年 - [[ジョー・ルイス]]、[[プロボクサー]](* [[1914年]])
* [[1985年]] - [[宮口精二]]、[[俳優]](* [[1913年]])
* 1985年 - [[東儀祐二]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1928年]])
* [[1989年]] - [[ジョルジュ・セバスティアン]]、[[指揮者]](* [[1903年]])
* 1989年 - [[シュガー・レイ・ロビンソン]]、プロボクサー(* [[1921年]])
* 1989年 - [[アビー・ホフマン]]、政治運動家、[[青年国際党]]共同創設者(* [[1936年]])
* [[1990年]] - [[三輪裕章]]、[[プロ野球選手]](* [[1921年]])
* [[1992年]] - [[山村新治郎 (11代目)|山村新治郎]]、政治家(* [[1933年]])
* [[1994年]] - [[本名武]]、政治家(* [[1911年]])
* [[1995年]] - [[牟宗三]]、[[思想家]](* [[1909年]])
* [[1996年]] - [[関英雄]]、[[児童文学作家一覧|児童文学者]](* [[1912年]])
* [[1997年]] - [[ジョージ・ワルド]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](* [[1906年]])
* [[1998年]] - [[チャールズ・シブリー]]、生物学者(* [[1917年]])
* [[1999年]] - [[畦地梅太郎]]、[[版画家]](* [[1902年]])
* [[2000年]] - [[仁内建之]]、[[声優]](* [[1933年]])
* [[2001年]] - [[アルベルト・エレーデ]]、指揮者(* 1909年)
* 2001年 - [[ハーベイ・ボール]]、商業[[美術家]](* [[1921年]])
* 2001年 - [[大林太良]]、[[民族学|民族学者]](* [[1929年]])
* [[2003年]] - [[山本正美 (作曲家)|山本正美]]、作曲家(* [[1923年]])
* [[2004年]] - [[山田千里]]、[[津軽三味線]]奏者(* [[1931年]])
* [[2006年]] - [[黒木和雄]]、[[映画監督]](* [[1930年]])
* [[2008年]] - [[セシリア・カレッジ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1920年]])
* 2008年 - [[パトリック・ヒラリー]]、政治家、第6代[[アイルランドの大統領|アイルランド大統領]](* [[1923年]])
* [[2009年]] - [[境勝太郎]]、[[騎手]]、[[調教師]]、[[競馬評論家]](* 1920年)
* 2009年 - [[田中文雄]]、[[小説家]]、[[映画プロデューサー]](* [[1941年]])
* 2009年 - [[イヴ・セジウィック]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1950年]])
* 2009年 - [[マリリン・チェンバース]]、[[ポルノ女優]](* [[1952年]])
* [[2013年]] - [[大友工]]、元プロ野球選手(* [[1925年]])
* 2013年 - [[ロバート・バーン]]、[[チェスプレーヤーの一覧|チェスプレーヤー]](* [[1928年]])
* [[2016年]] - [[郷倉和子]]、[[日本画家]](* [[1914年]])
* 2016年 - [[大平透]]、俳優、[[声優]]、[[語り手|ナレーター]](* [[1929年]])
* 2016年 - [[アーノルド・ウェスカー]]、[[劇作家]](* [[1932年]])
* [[2017年]] - [[ペギー葉山]]、[[歌手]]、[[日本歌手協会]]会長(* [[1933年]])
* [[2020年]] - [[スターリング・モス]]、[[自動車競技#概要|レーシングドライバー]](* [[1929年]])
* 2020年 - [[藤原啓治]]<ref name="sponichi20200416">[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/04/16/kiji/20200416s00041000267000c.html 声優・藤原啓治さんが死去 55歳 「クレヨンしんちゃん」野原ひろし役など],スポーツニッポン,2020年4月16日</ref>、[[声優]]、[[俳優]](* [[1964年]])
* [[2022年]] - [[ギルバート・ゴットフリード]]、声優、俳優、[[コメディアン]](* [[1955年]])
* [[2023年]] - [[山﨑孝明]]、政治家(* [[1943年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Vostok_spacecraft.jpg|thumb|250px|[[世界宇宙飛行の日]]。人類初の有人宇宙飛行となった宇宙船[[ボストーク1号]]打ち上げ(1961)を記念]]
[[ファイル:Columbia_Launch.jpg|thumb|150px|[[スペースシャトル]]・[[スペースシャトル・コロンビア|コロンビア]]の初打ち上げ(1981)も4月12日であった]]
* [[世界宇宙飛行の日]]、[[ユーリーズナイト]]({{World}})、[[宇宙飛行士の日]]({{RUS}})
*: [[1961年]]のこの日、ソ連が世界初の有人宇宙衛星船「[[ボストーク1号]]」の打ち上げに成功したことにちなむ。
* [[パン]]の記念日({{JPN}})
*: パン食普及協議会が[[1983年]]3月に制定。[[天保]]13年[[4月12日 (旧暦)|旧暦4月12日]]([[1842年]][[5月21日]])、[[伊豆国|伊豆]][[韮山代官所|韮山代官]]の[[江川英龍]]が軍用携帯食糧として作った[[乾パン]]が、日本で初めて焼かれたパンだといわれることから。また、毎月12日を「パンの日」としている。
* シャイニーカラーズの日({{JPN}})<ref>{{Cite web|和書|title=【シャニマス】アイドルマスター シャイニーカラーズ 4月12日は「シャイニーカラーズの日」制定記念!新情報公開!|date=2020-04-12|url=https://idolmaster.jp/blog/?p=80940|publisher=THE IDOLM@STER OFFICIAL WEB |accessdate=2020-04-12}}</ref>
*: [[バンダイナムコエンターテインメント]]から配信されているスマートフォン向けブラウザゲーム「[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]」が2018年4月にサービスを開始したことを記念し、2020年に制定され日本記念日協会に認定された。4と12でシャイニーカラーズの公式の略称「シャ(4)イ(1)ニー(2)」と読む語呂合わせから来ている。
* [[ムアンチエンマイ郡|チエンマイ]]成立記念日{{要出典|date=2011年4月}}
*: 1296年のこの日、[[ラーンナー]]王朝の[[マンラーイ]]王により[[チエンマイ県|チエンマイ]]が成立したことを記念。[[1996年]]のチエンマイ700周年記念に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]が参加したことにより有名になった。
* ジェネレーション・[[人造人間キカイダー|キカイダー]]DAY({{USA}}[[ハワイ州]])<ref>{{Cite web|和書|title=ハワイの人々を魅了してやまないKIKAIDAとは?|date=2013-10-17|url=https://www.huffingtonpost.jp/my-hawaii/kikaida3_b_4112320.html|publisher=HuffPost |accessdate=2019-09-22}}</ref>
{{clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0412|date=2011年6月}}
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]736年 - クリフ・フィッター、ゲーム『[[スターオーシャン Till the End of Time]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=54|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref>
* 生年不明 - 星奈ひかる、アニメ『[[スター☆トゥインクルプリキュア]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/startwinkle_precure/character/ キュアスター/星奈ひかる |title= スター☆トゥインクルプリキュア|work=東映アニメーション|accessdate= 2020-05-06}}</ref>
* 生年不明 - パムパム、アニメ『[[デリシャスパーティ♡プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/delicious-party_precure/character/energy2.php|title=パムパム {{!}} キャラクター|website=デリシャスパーティ♡プリキュア|publisher=東映アニメーション|accessdate=2022-03-02}}</ref>
* 生年不明 - メロリーナ、アニメ『[[ジュエルペット]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 桜井梨穂子、アニメ『[[アマガミSS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.amagami.info/chara02.html|title=Main Character:桜井 梨穂子|work=アマガミ公式サイト|accessdate=2020-05-06}}</ref>
* 生年不明 - 鶴星座のユズリハ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 道蘭、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 赤木路成、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2018|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-881378-3|quote=|date=|volume=31巻|page=86}}</ref>
* 生年不明 - 寺泊基希、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2017|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-881194-9|quote=|date=|volume=27巻|page=84}}</ref>
* 生年不明 - 刻阪響、漫画・アニメ『[[SOUL CATCHER(S)]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 浅野學峯、漫画・アニメ『[[暗殺教室]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 千代、漫画・アニメ『[[トリコ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 鍋島竜平、漫画・アニメ『[[あひるの空]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ハンナ・ディアマント、漫画・アニメ『[[進撃の巨人]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 高畑和夫、漫画・アニメ『[[エスパー魔美]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ティラミス、漫画『[[南国少年パプワくん]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 香田美紀、漫画・アニメ『[[さすらいの太陽]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 峰のぞみ、漫画・アニメ『さすらいの太陽』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 光司陽太、漫画・アニメ『[[ACTORS]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 染谷誠、漫画・アニメ『[[number24]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 霜科十八、漫画・アニメ『[[ひめゴト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=佃煮のりお|authorlink=佃煮のりお|year = 2014 |title = ひめゴト |volume = 2 |page=138|publisher = 一迅社 |isbn = 978-4-7580-1368-0 }}</ref>
* 生年不明 - トーマ、ゲーム・アニメ『[[AMNESIA]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 浅見景、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 船久保浩子、漫画・アニメ『[[咲-Saki-|咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|author= [[小林立]] |url= http://sciasta.com/characters.html |title= 咲-Saki- Characters |publisher= 小林立公式サイト |accessdate= 2020-05-06}}</ref>
* 生年不明 - 上乃、小説・アニメ『[[火魅子伝]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - グッチー、漫画・アニメ『[[エルドライブ【ēlDLIVE】]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 結城つむぎ、漫画・アニメ『[[スクールランブル]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ニックス・チャイプラパット、漫画・アニメ『[[無限のリヴァイアス]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 神宮寺初音、ゲーム『[[グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 若葉ひなた、ゲーム『[[ジャスティス学園]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 大原みちる、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#伊瀬谷四季|伊瀬谷四季]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 猿渡宇希、漫画・アニメ『[[アニマエール!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= http://animayell.com/chara/uki.html |title=猿渡宇希 CV:井澤美香子 |work=TVアニメ『アニマエール!』公式サイト|accessdate=2022-07-18}}</ref>
* 生年不明 - 虎石和泉、漫画・アニメ『[[スタミュ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 宇佐美綾乃、漫画・アニメ『[[恋する小惑星]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 舞竹国海、漫画・アニメ『[[ラブ★コン]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - しみちゃん、漫画・アニメ『[[あたしンち]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 片岡壱成、漫画『[[プロミス・シンデレラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite tweet|author=TBS「プロミス・シンデレラ」|user=pc_tbs2021|number= 1513864574587781124|title= HAPPY BIRTHDAY 壱成 本日4月12日は壱成のお誕生日です|date=2022-04-12|accessdate=2022-04-13}}</ref>
* 生年不明 - [[黒川燈]]、ゲーム・アニメ『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 御影依子、漫画『きもちわるいから君がすき』の主人公<ref>『きもちわるいから君がすき』1巻 [[アニメイト]] 限定4Pリーフレット</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 12|12 April}}
{{新暦365日|4|11|4|13|[[3月12日]]|[[5月12日]]|[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]|0412|4|12}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T09:12:39Z | 2023-10-27T23:20:38Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8812%E6%97%A5 |
4,868 | 4月13日 | 4月13日(しがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から103日目(閏年では104日目)にあたり、年末まではあと262日ある。 | [
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'''4月13日'''(しがつじゅうさんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から103日目([[閏年]]では104日目)にあたり、年末まではあと262日ある。
== できごと ==
[[Image:Edit_de_Nantes_Avril_1598.jpg|thumb|140px|フランスで[[ナントの勅令]]発布(1598)。[[プロテスタント]]に[[信教の自由]]を認める]]
[[Image:Massacre_memorial_in_Amritsar.jpg|thumb|140px|インドで、イギリス軍による虐殺[[アムリットサル事件]]発生(1919)。画像は記念碑]]
[[Image:HMS_Warspite%2C_Norway_1940.jpg|thumb|200px|[[第2次ナルヴィク海戦]](1940)]]
[[Image:Matsuoka_signs_the_Soviet%E2%80%93Japanese_Neutrality_Pact-1.jpg|thumb|220px|[[日ソ中立条約]]締結(1941)。画像は署名する[[松岡洋右]]と、後ろに立つ[[ヨシフ・スターリン]]]]
[[Image:Kasukabe Angel-Dome Kasukabe Defense Corps Statue 1.jpg|thumb|220px|[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]放送開始。画像は春日部第1児童センターに設置されているかすかべ防衛隊の立体像
(左から佐藤マサオ・桜田ネネ・風間トオル・ボーちゃん)]]
* [[710年]]([[和銅]]3年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[元明天皇]]が[[藤原京]]から[[平城京]]に[[遷都]]。
* [[744年]]([[天平]]16年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[聖武天皇]]が[[恭仁京]]から[[難波京]]に遷都。翌年平城京に戻す。
* [[1111年]] - [[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]が[[神聖ローマ皇帝]]に即位。
* [[1179年]]([[治承]]2年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[平安京]]内で[[治承の大火]](次郎焼亡)。三十数町が全焼。
* [[1336年]]([[延元]]元年/[[建武 (日本)|建武]]3年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]: 九州に落ち延びていた[[足利尊氏]]が再び挙兵、[[多々良浜の戦い]]で南朝方の[[菊池武敏]]を破る。
* [[1598年]] - フランス国王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]が「[[ナントの勅令]]」を発布。プロテスタントにカトリックと同等の信教の自由を認める。
* [[1668年]]([[寛文]]8年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[宇都宮興禅寺刃傷事件]]が起こる。
* [[1742年]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]の[[オラトリオ]]「[[メサイア (ヘンデル)|メサイア]]」が[[ダブリン]]で初演<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/handels-messiah-premieres-in-dublin |title=Handel's “Messiah" premieres in Dublin |access-date=26 Mar 2023 |publisher=THE ARENA Group |date=April 9, 2020}}</ref>。
* [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[バウンドブルックの戦い]]行われる。
* [[1829年]] - [[イギリス]]で[[カトリック解放令]]が制定、これにより[[カトリック教会|カトリック教徒]]の[[信教の自由]]が公的に保障される。
* [[1856年]]([[安政]]3年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - 長崎・下田などの開港地での[[踏み絵]]を廃止。
* [[1888年]] - 東京・下谷黒門町に日本初の[[喫茶店|コーヒー専門店]]「可否茶館」が開店<ref>{{Cite web|和書|url=https://smart-flash.jp/sociopolitics/138939/1/ |title=【4月13日の話】初の喫茶店「可否茶館」を開いた男、「鹿鳴館を超えろ!」の夢 |access-date=26 Mar 2023 |publisher=[[光文社]] |website=Smart FLASH |date=13 Apr 2021}}</ref>。
* [[1903年]] - [[日本]]で[[小学校令]]が改正され[[国定教科書]]制度が取り入れられる。
* [[1917年]] - [[アメリカ海軍]]の戦艦「[[ニューメキシコ (戦艦)|ニューメキシコ]]」が進水。
* [[1919年]] - [[アムリットサル事件]]: [[インド]]で起こった独立運動弾圧事件。アムリットサル公園に祭りで集まった民衆を、イギリス軍が[[マハトマ・ガンディー|ガンディー]]の不服従運動と誤断して発砲。379名が死亡した<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/the-amritsar-massacre |title=1919 April 13 British and Gurkha troops massacre hundreds of unarmed demonstrators in Amritsar Massacre |access-date=26 Mar 2023 |publisher=THE ARENA Group |date=January 11, 2023}}</ref>。
* [[1922年]] - 少年団日本連盟(現在の[[ボーイスカウト日本連盟]])結成。
* [[1923年]] - [[大阪鉄道 (2代目)|大阪鉄道]]の[[大阪阿部野橋駅|大阪天王寺駅]]が開業。
* [[1940年]] - [[日本放送協会|NHK]]が日本初のテレビドラマ『[[夕餉前]]』の実験放送。
* 1940年 - [[第二次世界大戦]]: [[第2次ナルヴィク海戦]]がおこなわれる。
* [[1941年]] - [[モスクワ]]で[[日ソ中立条約]]が締結<ref>{{Cite web|和書|url=https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000076398 |title=レファレンス事例詳細 |access-date=26 Mar 2023 |publisher=[[国立国会図書館]] |website=レファレンス協同データベース}}</ref>。
* [[1943年]] - [[カティンの森事件]]: ドイツのラジオ放送が、[[ソビエト連邦|ソ連]]領内カティンの森でポーランド将校4,000人の遺体を発見と報じる。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[ウィーン攻勢]]: [[赤軍]]が[[ウィーン]]を占領。
* [[1948年]] - [[アミーン・フサイニー]]指揮下の[[アラブ人]]ゲリラが[[ヘブライ大学]]の医療スタッフを虐殺。([[ハダサー医療従事者虐殺事件]])
* [[1950年]] - [[静岡県]][[熱海市]]で火災。強風により延焼して熱海市役所、[[熱海市警察]]署、消防署、旅館47軒を含む約1500棟が全焼<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=77 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1960年]] - アメリカで世界初の[[衛星測位システム]]「[[トランシット (人工衛星)|トランシット1B]]」を打ち上げ。
* [[1970年]] - 発射されてから2日後の[[アポロ13号]]で機械船の酸素タンクが爆発し、月面着陸を断念、帰還の途につく。
* [[1975年]] - [[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]、[[キャロル (バンド)|キャロル]]が解散。
* [[1982年]] - 毎年[[8月15日]]を「[[終戦の日|戦歿者を追悼し平和を祈念する日]]」とすることが[[閣議 (日本)|日本の閣議]]で決定。
* [[1986年]] - [[ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]がローマ教皇として史上初めて[[シナゴーグ]]を訪問。
* 1986年 - [[長江裕明]]一家が[[ヨット]]での4年9か月の[[世界一周]]を経て[[蒲郡市|蒲郡港]]に帰港。
* [[1987年]] - [[ポルトガル]]と[[中華人民共和国]]が[[1999年]]に[[マカオ]]を返還する旨の共同声明に調印。
* [[1990年]] - [[ミハイル・ゴルバチョフ]]ソ連大統領が、[[カティンの森事件]]がソ連秘密警察の犯行であったことを認め陳謝。
* [[1991年]] - [[東海大学安楽死事件]]がおこる。
* 1992年 - [[テレビ朝日]]系テレビアニメ『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』放送開始。
* [[1994年]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系[[刑事ドラマ]]『[[古畑任三郎]]』放送開始。同シリーズは[[2006年]]の正月の特番で終了するまで約11年続いた。
* [[1997年]] - [[ゴルフ]]の[[タイガー・ウッズ]]が史上最年少の21歳3か月で[[マスターズゴルフトーナメント|マスターズ・トーナメント]]に初優勝<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/2096 |title=ご存知ですか? 4月13日はタイガー・ウッズが史上最年少21歳でマスターズ優勝した日です |access-date=13 Apr 2017 |publisher=[[文藝春秋]] |website=文春オンライン}}</ref>。
* [[2001年]] - 日本で[[配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律|DV防止法]]が公布される。
* [[2011年]] - [[東日本大震災]]に伴う[[津波]]の被害により閉鎖されていた[[仙台空港]]が、一部の国内線において運行を再開。
* 2011年 - [[大阪大学医学部附属病院]]で日本初の15歳未満が[[ドナー]]の[[心臓移植]]が行われる。
* [[2012年]] - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]が[[人工衛星]]と称した[[弾道ミサイル]]を打ち上げるが、失敗に終わる。
* [[2013年]] - 午前5時33分ごろ、[[マグニチュード]]6.3の[[淡路島地震]]が発生。34人が負傷、8,000棟以上の家屋が損壊した。
* [[2017年]] - [[南谷真鈴]]が[[北極点]]に到達。世界最年少で[[七大陸最高峰]]頂上・北極点・[[南極点]]の全てに到達する[[探検家グランドスラム]]を達成<ref>{{Cite web|和書|url=https://wired.jp/waia/2017/10_marin-minamiya/ |title=わたしは登山家でも冒険家でもない。 あえていうなら“触媒”になりたい。 |access-date=26 Mar 2023 |publisher=CONDE NAST JAPAN |website=WIRED Audi INNOVATION AWARD 2017}}</ref>。
* 2017年 - [[アメリカ合衆国]]が[[アフガニスタン]]で大規模爆風爆弾を使用<ref>{{Cite web|和書|date=14 Apr 2017 |url=https://sputniknews.jp/20170414/3536677.html |title=北朝鮮へのシグナル? トランプ大統領、大規模爆風爆弾の実戦使用を「成功」【動画】 |publisher=Sputnik |accessdate=26 Mar 2023}}</ref>。
* [[2018年]] - アメリカ、イギリス、フランスの合同軍が[[シリア]]の化学兵器施設に対する攻撃を開始<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.bbc.com/japanese/43763845 |title=米軍、シリア化学兵器施設への攻撃開始 英仏合同作戦 |date=14 Apr 2018 |accessdate=26 Mar 2023 |publisher=BBC NEWS JAPAN}}</ref>。
{{-}}
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Thomas_Wentworth_by_van_Dyck.jpg|thumb|upright|[[清教徒革命]]前夜の[[イングランド]]の政治家、[[ストラフォード伯爵トマス・ウェントワース]](1593-1641)誕生。画像は[[アンソニー・ヴァン・ダイク]]画]]
[[Image:Thomas_Jefferson22_Issue_of_1904-4c.jpg|thumb|250px|[[アメリカ独立宣言]]を起草した第3代大統領、[[トーマス・ジェファーソン]](1743-1826)誕生。]]
[[Image:Maguerite%2C_Countess_of_Blessington.jpg|thumb|180px|画家[[トーマス・ローレンス (画家)|トーマス・ローレンス]](1769-1830)。画像は『ブレッシントン伯爵夫人マーゲリートの肖像』(1819)]]
[[Image:TrevithicksEngine.jpg|thumb|upright|[[蒸気機関車]]の発明者、[[リチャード・トレヴィシック]](1771-1833)誕生]]
[[Image:Antonio_Meucci.jpg|thumb|upright|[[電話]]の発明者、[[アントニオ・メウッチ]](1808-1889)。資金不足が祟り特許は[[アレクサンダー・グラハム・ベル|ベル]]のものとなった]]
[[Image:Butchcassidy.jpg|thumb|upright|アメリカ合衆国の[[無法者|ギャング]]、[[ブッチ・キャシディ]](1866-1908)]]
[[ファイル:Goto Shojiro Photo Tosa Domain.png|thumb|upright|[[幕末]]の[[土佐藩|土佐]][[藩士]]、[[明治]]期の[[政治家]]、[[後藤象二郎]](1838-1897)。]]
[[Image:Musei Tokugawa January 1932.jpg|thumb|upright|[[大正]]から[[昭和]]期に活躍した[[活動弁士]]、[[漫談家]]、[[徳川夢声]](1894-1971)。]]
[[Image:Junnosuke_Yoshiyuki.jpg|thumb|upright|小説家、[[吉行淳之介]](1924-1994)。代表作に『砂の上の植物群』(1964)など]]
* [[1519年]] - [[カトリーヌ・ド・メディシス]]、[[フランス王国|フランス]][[王妃]](+ [[1589年]])
* [[1559年]]([[永禄]]2年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[松平信康]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]、[[徳川家康]]の嫡男(+ [[1579年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/miryoku/naotora/pr/plus/07_20160817.html |title=第7回 築山殿と松平信康の悲劇(2016年8月17日投稿) |access-date=26 Mar 2023 |publisher=[[浜松市]] |date=18 Aug 2016 |work=女城主井伊直虎ゆかりの地 浜松}}</ref>)
* [[1570年]] - [[ガイ・フォークス]]、[[テロリスト]]、[[火薬陰謀事件]]の実行責任者(+ [[1606年]])
* [[1593年]] - [[ストラフォード伯爵トマス・ウェントワース|トマス・ウェントワース]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Thomas-Wentworth-1st-Earl-of-Strafford |title=Thomas Wentworth, 1st earl of Strafford|English noble |access-date=26 Mar 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[イングランド]]の[[政治家]](+ [[1641年]])
* [[1607年]]([[慶長]]12年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]])- [[京極高三]]、初代[[丹後田辺藩|田辺藩主]](+ [[1636年]])
* [[1648年]] - [[ギュイヨン夫人]]、[[フランス]]の[[神秘家]](+ [[1717年]])
* [[1732年]] - 第2代[[ギルフォード伯爵]][[フレデリック・ノース (第2代ギルフォード伯爵)|フレデリック・ノース]](ノース卿)、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1792年]])
* [[1743年]] - [[トーマス・ジェファーソン]]、第3代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1826年]])
* [[1747年]] - [[ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)|ルイ・フィリップ2世]]、フランスの[[王族]]、[[革命]]指導者(+ [[1793年]])
* [[1768年]]([[明和]]5年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]])- [[土井利制]]、第3代[[刈谷藩|刈谷藩主]](+ [[1794年]])
* 1768年(明和5年2月26日)- [[前田利以]]、第9代[[七日市藩|七日市藩主]](+ [[1828年]])
* [[1769年]] - [[トーマス・ローレンス (画家)|トーマス・ローレンス]]、[[画家]](+ [[1830年]])
* [[1771年]] - [[リチャード・トレヴィシック]]、機械技師(+ [[1833年]])
* [[1797年]]([[寛政]]9年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[大原幽学]]、[[江戸時代]]後期の[[農学者]]、[[農民]]指導者(+ [[1858年]])
* [[1808年]] - [[アントニオ・メウッチ]]、[[発明家]](+ [[1889年]])
* [[1817年]]([[文化 (元号)|文化]]7年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]])- [[亀井茲方]]、第10代[[津和野藩|津和野藩主]](+ [[1846年]])
* [[1819年]]([[文政]]2年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]])- [[相馬充胤]]、第12代[[相馬中村藩|相馬中村藩主]](+ [[1887年]])
* [[1836年]]([[天保]]7年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]])- [[立花種恭]]、第3代[[下手渡藩|下手渡藩主]]、[[三池藩|三池藩主]]、[[子爵]](+ [[1905年]])
* [[1838年]]([[天保]]9年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[後藤象二郎]]、政治家(+ [[1897年]])
* [[1841年]]([[天保]]12年[[2月22日 (旧暦)|2月22日]]) - [[中井芳滝]]、[[浮世絵師]](+ [[1899年]])
* [[1844年]] - [[ヤン・フジマリー]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1915年]])
* [[1848年]]([[嘉永]]元年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[浅野総一郎]]、[[実業家]]、[[浅野財閥]]の創始者(+ [[1930年]])
* [[1860年]] - [[ジェームズ・アンソール]]、画家(+ [[1949年]])
* 1860年([[万延]]元年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]])- [[山口弘達]]、第3代[[牛久藩|牛久藩主]]、子爵(+ [[1932年]])
* [[1866年]] - [[ブッチ・キャシディ]]、[[ガンマン]](+ [[1908年]]?)
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[権藤成卿]]、[[思想家]](+ [[1937年]])
* [[1876年]] - [[高野辰之]]、[[国文学者]]、[[作詞家]](+ [[1947年]])
* [[1885年]] - [[ルカーチ・ジェルジ]]、[[哲学|哲学者]]、[[政治家]](+ [[1971年]])
* [[1889年]] - [[ハーバート・オズボーン・ヤードリー]]、[[暗号研究者の一覧|暗号学者]](+ [[1958年]])
* [[1891年]] - [[中林仁一郎]]、[[実業家]]、[[丸物]](現在の[[近鉄百貨店]])創業者(+ [[1960年]])
* [[1893年]] - [[伊藤道郎]]、[[ダンサー]]、[[振付師]](+ [[1961年]])
* [[1894年]] - [[徳川夢声]]、[[講談師]]、[[俳優]](+ [[1971年]])
* 1894年 - [[阿部謙夫]]、[[実業家]]、[[北海道放送]]初代社長(+ [[1972年]])
* 1894年 - [[アーサー・ファデン]]、[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](+ [[1973年]])
* [[1898年]] - [[森有一]]、[[俳人]](+ [[1984年]])
* [[1899年]] - [[アルフレッド・シュッツ]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[1959年]])
* [[1901年]] - [[ジャック・ラカン]]、[[精神分析学|精神分析学者]](+ [[1981年]])
* 1901年 - [[薩摩治郎八]]、[[実業家]](+ [[1976年]])
* [[1904年]] - [[木村秀政]]、[[航空工学|航空工学者]](+ [[1986年]])
* [[1905年]] - [[水田三喜男]]、政治家(+ [[1976年]])
* 1905年 - [[ブルーノ・ロッシ]]、[[宇宙物理学|宇宙物理学者]](+ [[1993年]])
* [[1906年]] - [[サミュエル・ベケット]]、[[劇作家]](+ [[1989年]])
* [[1907年]] - [[藤田隆治]]、[[日本画家]](+ [[1965年]])
* 1907年 - [[村川堅太郎]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1991年]])
* 1909年 - [[スタニスワフ・ウラム]]、[[数学者]](+ [[1984年]])
* [[1913年]] - [[大宮敏充]](デン助)、[[コメディアン|喜劇俳優]](+ [[1976年]])
* [[1915年]] - [[大山デブ子]]、[[俳優|女優]](+ 1981年)
* 1915年 - [[藤井勝志]]、政治家(+ [[1996年]])
* [[1916年]] - [[笠松実]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1970年]])
* [[1917年]] - [[鶴岡義雄]]、[[洋画家]](+ [[2007年]])
* 1917年 - [[安西愛子]]、[[童謡歌手]]、[[声楽家]]、政治家(+ [[2017年]])
* [[1919年]] - [[ハワード・キール]]、俳優、[[歌手]](+ [[2004年]])
* [[1920年]] - [[ロベルト・カルヴィ]]、[[銀行|銀行家]](+ [[1982年]])
* [[1924年]] - [[吉行淳之介]]、[[小説家]](+ [[1994年]])
* 1924年 - [[スタンリー・ドーネン]]、[[映画監督]](+ [[2019年]])
* [[1925年]] - [[時津山仁一]]、[[大相撲]][[力士]]、年寄14代[[押尾川]](+ [[1968年]])
* [[1926年]] - [[宮尾登美子]]、小説家(+ [[2014年]])
* [[1927年]] - [[モーリス・ロネ]]、[[俳優]](+ [[1983年]])
* 1927年 - [[アントニオ・ロッカ]]、[[プロレスラー]](+ [[1977年]])
* 1927年 - [[植田武彦]]、元プロ野球選手
* [[1928年]] - [[坪島孝]]、映画監督(+ [[2007年]])
* 1928年 - [[宇津徳治]]、[[地震学|地震学者]](+ [[2004年]])
* [[1931年]] - [[ロベール・アンリコ]]、映画監督(+ [[2001年]])
* 1931年 - [[ダン・ガーニー]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[2018年]])
* [[1932年]] - [[ジェニファー・ニックス]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1980年]])
* [[1933年]] - [[藤田まこと]]、俳優(+ [[2010年]])
* 1933年 - [[内田貞夫]]、実業家(+ [[2021年]])
* [[1936年]] - [[定方晟]]、[[仏教学者]]
* [[1937年]] - [[エドワード・フォックス]]、俳優
* [[1939年]] - [[シェイマス・ヒーニー]]、[[詩人]](+ [[2013年]])
* 1939年 - [[小川敏明]]、元プロ野球選手
* [[1940年]] - [[松永真]]、[[グラフィックデザイナー]]
* 1940年 - [[ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ]]、小説家
* [[1941年]] - [[マイケル・ブラウン (遺伝学者)|マイケル・ブラウン]]、[[遺伝学|遺伝学者]]
* [[1942年]] - [[森本潔]]、元プロ野球選手
* 1942年 - [[ビル・コンティ]]、[[作曲家]]
* [[1943年]] - [[ビル・プロンジーニ]]、[[推理作家]]
* [[1945年]] - [[ローウェル・ジョージ]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1979年]])
* [[1946年]] - [[アル・グリーン]]、[[ソウルミュージック|ソウル]]歌手
* 1946年 - [[中沢春雄]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[沢井孝子]]、女優
* 1949年 - [[五月女豊]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[ロン・パールマン]]、[[俳優]]
* 1950年 - [[ウィリアム・サドラー]]、俳優
* [[1951年]] - [[ピーボ・ブライソン]]、ミュージシャン
* [[1952年]] - [[林家とんでん平]]、[[落語家]]、元政治家
* 1952年 - [[原康義]]、[[声優]]、俳優
* 1952年 - [[王小波 (小説家)|王小波]]、小説家(+ [[1997年]])
* [[1953年]] - [[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]]、政治家
* [[1954年]] - [[鶴田一郎]]、グラフィックデザイナー
* [[1955年]] - [[上沼恵美子]]、[[タレント]]
* 1955年 - [[西城秀樹]]、歌手、俳優(+ [[2018年]])
* 1955年 - [[森口祐子]]、[[プロゴルファー]]
* [[1957年]] - [[エイミー・グッドマン]]、[[ジャーナリスト]]
* 1957年 - [[中西やすひろ (漫画家)|中西やすひろ]]、[[漫画家]]
* [[1958年]] - [[萬田久子]]、女優
* [[1959年]] - [[ジャン・ラヴェルナリヴ]]、政治家、[[マダガスカル]]首相
* [[1960年]] - [[なかいま強]]、漫画家
* 1960年 - [[ルディ・フェラー]]、[[サッカー選手]]
* 1960年 - [[オラフ・ルードヴィッヒ]]、[[自転車競技]]選手
* [[1961年]] - [[牛島和彦]]、元プロ野球選手、監督
* [[1962年]] - [[ヒレル・スロヴァク]]、ミュージシャン([[レッドホットチリペッパーズ]])(+ [[1988年]])
* 1962年 - [[大藤敏行]]、高校野球指導者
* [[1963年]] - [[白石文子]]、声優
* 1963年 - [[ガルリ・カスパロフ]]、[[チェス]]プレーヤー
* 1963年 - [[串原泰夫]]、元プロ野球選手
* [[1964年]] - [[石塚かおり]]、アナウンサー
* 1964年 - [[岐部公好]]、声優
* 1964年 - [[西崎幸広]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[平形雄策]]、官僚
* [[1965年]] - [[藤王康晴]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[ウェスリー・チェンバレン]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[名越美香]]、元タレント、元アイドル(元[[おニャン子クラブ]])
* [[1968年]] - [[中村智子]]、元アナウンサー
* 1968年 - [[ネクロブッチャー]]、ミュージシャン
* [[1969年]] - [[増田政行]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[リック・シュローダー]]、俳優
* 1970年 - [[古屋剛]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[つみきみほ]]、女優
* 1971年 - [[ケビン・オーミー]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[ヨルン・パウル・テセリン]]、ベーシスト
* [[1972年]] - [[桑山哲也]]、[[アコーディオン]]奏者
* 1972年 - [[齊藤努]]、元[[競輪]]選手、[[自転車競技]]選手
* [[1973年]] - [[吉田恵 (サッカー選手)|吉田恵]]、元サッカー選手
* 1973年 - [[若ノ城宗彦]]、元大相撲力士
* [[1974年]] - [[牧田勝吾]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[利根川朱里]]、元女優
* 1975年 - [[タチアナ・ナフカ]]、フィギュアスケート選手
* 1975年 - [[ルー・ベガ]]、歌手
* [[1976年]] - [[ジョナサン・ブランディス]]、[[俳優|映画俳優]](+ [[2003年]])
* 1976年 - [[吉村光示]]、元サッカー選手、指導者
* [[1977年]] - [[橋本泰由]]、元プロ野球選手
* [[1978年]] - [[カルレス・プジョル]]、サッカー選手
* 1978年 - [[稲葉健]]、タレント
* [[1979年]] - [[バロン・デイビス]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* [[1980年]] - [[ホセロ・ディアス]]、プロ野球選手
* [[1981年]] - [[神農幸]]、女優
* 1981年 - [[成田雅嗣]]、俳優、歌手
* [[1982年]] - [[イェレナ・ニコリッチ]]、[[バレーボール]]選手
* 1982年 - [[ヨハン・クロンジェ]]、陸上競技選手
* 1982年 - 森瞳、お笑いタレント(元[[キッチンパーク]])
* [[1983年]] - [[ハンター・ペンス]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[スティーブ・ピアース]]、プロ野球選手
* 1983年 - [[藤田祥史]]、プロサッカー選手
* 1983年 - [[桜井莉菜]]、ファッションモデル
* [[1984年]] - [[水嶋ヒロ]]、俳優、小説家
* 1984年 - [[高橋弘篤]]、[[スケルトン (スポーツ)|スケルトン]]選手
* 1984年 - [[アンデルス・リンデゴーア]]、サッカー選手
* [[1985年]] - [[加賀繁]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[祥子]]、タレント、女優、元グラビアアイドル
* [[1986年]] - [[おおつか麗衣]]、元女優
* 1986年 - 昴生、お笑い芸人([[ミキ (お笑いコンビ)|ミキ]])
* [[1987年]] - [[碧井椿]]、歌手(元[[PINC INC]])
* 1987年 - [[小石博孝]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[赤堀大智]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[井深克彦]]、俳優、モデル、タレント
* 1987年 - [[高橋優太 (陸上選手)|高橋優太]]、陸上選手
* 1987年 - [[おおえのたかゆき]]、ゲーム実況者
* [[1988年]] - [[會澤翼]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[アンデルソン・ルイス・デ・アブレウ・オリベイラ]]、サッカー選手
* [[1989年]] - [[柴田章吾]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[ゲラード・ファンデンヒーファー]]、ラグビーユニオン選手
* [[1990年]] - [[アナスタシヤ・セバストワ]]、テニスプレーヤー
* [[1992年]] - [[ルシアノ・フェルナンド]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[橋本大地 (プロレスラー)|橋本大地]]、プロレスラー
* [[1993年]] - [[多和田真三郎]]、元プロ野球選手
* [[1996年]] - [[中元日芽香]]、心理カウンセラー<ref>{{Cite web|和書|url=https://style.nikkei.com/article/DGXZQOKC286I40Y1A920C2000000/ |title=乃木坂46卒業してカウンセラーに トラウマ克服して今 中元日芽香さん |access-date=26 Mar 2023 |publisher=[[日本経済新聞社]] [[日経BP]] |website=NIKKEI STYLE}}</ref>、元アイドル(元[[乃木坂46]])
* [[1997年]] - [[岐洲匠]]、俳優
* 1997年 - [[田辺ひかり]]、プロゴルファー
* 1997年 - [[渡邊渚]]、アナウンサー、元タレント
* [[1998年]] - [[森山孔介]]、元プロ野球選手
* 1998年 - [[若林楽人]]、プロ野球選手
* [[2000年]] - [[大平祥生]]、アイドル([[JO1]])
* [[2001年]] - [[鈴木瞳美]]、アイドル([[≠ME]])
* [[2002年]] - [[深田竜生]]、アイドル ([[ジャニーズJr.#少年忍者|少年忍者]]、[[ジャニーズJr.]])
* [[2004年]] - 櫻井もも、アイドル(≠ME)
* 生年不明 - [[小川静香|佐倉りお]]、[[イラストレーター]]
* 生年不明 - [[手代木史織]]、漫画家
* 生年不明 - [[野広実由]]、漫画家
* 生年不明 - [[橋詰知久]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aoni.co.jp/search/hashizume-tomohisa.html |title=橋詰 知久 |access-date=26 Mar 2023 |publisher=[[青二プロダクション]]}}</ref>、声優
* 生年不明 - [[金子彩花]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://osawa-inc.co.jp/women/kanekosayaka/|title=金子 彩花|publisher=株式会社大沢事務所|accessdate=26 Mar 2023}}</ref>、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1979年]] - [[ホリスキー]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](+ [[2003年]])
* [[1986年]] - [[オサイチジョージ]]、競走馬、種牡馬(+ [[1999年]]?)
* 1986年 - [[カリブソング]]、競走馬(+ [[1994年]])
* 1988年 - [[ツインターボ (競走馬)|ツインターボ]]、競走馬(+ [[1998年]])
* [[1993年]] - [[ファビラスラフイン]]、競走馬(+ [[2013年]])
* [[1994年]] - [[ブロードアピール]]、競走馬(+ [[2021年]])
* 1994年 - [[マイネルマックス]]、競走馬(+ [[2008年]])
* [[1998年]] - [[アグネスタキオン]]、競走馬、種牡馬(+ [[2009年]])
* [[2018年]] - [[シャフリヤール (競走馬)|シャフリヤール]]、競走馬
== 忌日 ==
[[Image:Boris_Godunov.jpg|thumb|upright|[[モスクワ・ロシア]]の[[ツァーリ]]、[[ボリス・ゴドゥノフ]](1551-1605)急死]]
[[Image:Tombe.lafontaine.jpg|thumb|140px|寓話作家[[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]](1621-1695)没。]]
[[Image:Mamiya_Rinzo.jpg|thumb|upright|[[蝦夷地]]を測量した[[探検家]]、[[間宮林蔵]](1780-1844)没]]
[[Image:Shinpei_Eto.jpg|thumb|100px|維新期の政治家[[江藤新平]](1834-1874)、刑死]]
[[Image:Bruno_Bauer.jpg|thumb|100px|[[青年ヘーゲル派]]を主導した神学者・哲学者、[[ブルーノ・バウアー]](1809-1882)]]
[[Image:Takuboku_Ishikawa.jpg|thumb|140px|歌人[[石川啄木]](1886-1912)、肺結核で没。享年26。]]
=== 人物 ===
* [[1093年]] - [[フセヴォロド1世]]、[[キエフ大公国|キエフ大公]](* [[1030年]])
* [[1202年]]([[建仁]]2年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[藤原成経]]、[[平安時代]]の[[公卿]]
* [[1336年]]([[延元]]元年/[[建武 (日本)|建武]]3年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[阿蘇惟直]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[武将]]
* [[1605年]] - [[ボリス・ゴドゥノフ]]、[[ロシア]]の[[ツァーリ]](* [[1552年]])
* [[1695年]] - [[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ|ラ・フォンテーヌ]]、[[詩人]](* [[1621年]])
* [[1728年]] - [[サミュエル・モリノー]]、[[イギリス]]海相、[[天文学者]](* [[1689年]])
* [[1741年]]([[寛保]]元年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[近衛熙子]]、[[江戸幕府]]第6代将軍[[徳川家宣]]の正室(* [[1666年]])
* [[1794年]] - [[リュシル・デュプレシ]]、[[カミーユ・デムーラン]]の妻(* [[1770年]])
* [[1826年]] - [[フランツ・ダンツィ]]、[[作曲家]](* [[1763年]])
* [[1844年]]([[弘化]]元年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[間宮林蔵]]、[[探検家]](* [[1775年]])
* [[1853年]] - [[レオポルト・グメリン]]、[[化学者]](* [[1788年]])
* [[1874年]] - [[江藤新平]]、[[政治家]](* [[1834年]])
* 1874年 - [[島義勇]]、[[開拓使]]主席判官、[[秋田県|秋田県令]](* [[1822年]])
* [[1880年]] - [[ロバート・フォーチュン]]、[[植物学|植物学者]](* [[1812年]])
* [[1882年]] - [[ブルーノ・バウアー]]、[[哲学|哲学者]](* [[1809年]])
* [[1889年]] - [[ジョン・パーマー・アッシャー]]、第7代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1816年]])
* [[1903年]] - [[モーリッツ・ラーツァルス]]、哲学者(* [[1824年]])
* [[1904年]] - [[斎藤緑雨]]、[[小説家]]、[[評論家]](* [[1868年]])
* 1904年 - [[ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン]]、[[画家]](* [[1842年]])
* [[1905年]] - [[田口卯吉]]、[[経済学者]](* [[1855年]])
* 1905年 - [[鳥尾小弥太]]、[[枢密院 (日本)|枢密顧問官]]、[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](* [[1848年]])
* [[1906年]] - [[ウォルター・ウェルドン]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](* [[1860年]])
* [[1908年]] - [[松浦詮]]、第12代[[平戸藩|平戸藩主]](* [[1840年]])
* [[1912年]] - [[石川啄木]]、[[詩人]]、[[歌人]](* [[1886年]])
* [[1918年]] - [[ラーヴル・コルニーロフ]]、[[ロシア帝国]]の軍人、[[白軍|白衛軍]]の指導者(* [[1870年]])
* [[1920年]] - [[高木兼寛]]、[[医学|医学者]](* [[1849年]])
* [[1929年]] - [[後藤新平]]、政治家(* [[1857年]])
* [[1933年]] - [[島崎赤太郎]]、[[教育関係人物一覧|教育者]]、[[オルガニスト]](* [[1874年]])
* [[1936年]] - [[成瀬正一 (フランス文学者)|成瀬正一]]、[[フランス文学者]](* [[1892年]])
* [[1941年]] - [[アニー・ジャンプ・キャノン]]、天文学者(* [[1863年]])
* [[1943年]] - [[山田安民]]、実業家、[[ロート製薬]]創業者(* [[1868年]])
* 1943年 - [[オスカー・シュレンマー]]、[[芸術家]]、[[彫刻家]]、[[デザイナー]](* [[1888年]])
* [[1944年]] - [[セシル・シャミナード]]、作曲家、[[ピアニスト]](* [[1857年]])
* [[1945年]] - [[エルンスト・カッシーラー]]、哲学者(* [[1874年]])
* 1945年 - [[岩井粂三郎 (5代目)|九代目岩井半四郎]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1882年]])
* [[1949年]] - [[笹川臨風]]、歴史家(* [[1870年]])
* [[1955年]] - [[羽田亨]]、[[東洋史]]学者(* 1882年)
* [[1959年]] - [[エドゥアルト・ファン・ベイヌム]]、[[指揮者]](* [[1901年]])
* [[1960年]] - [[後藤誉之助]]、[[官僚]]、[[経済学者]](* [[1916年]])
* [[1966年]] - [[フェリクス・フォン・ルックナー]]、[[ドイツ海軍]]の軍人、[[冒険者|冒険家]](* [[1881年]])
* 1966年 - [[ジョルジュ・デュアメル]]、作家、詩人(* [[1884年]])
* 1966年 - [[高石勝男]]、[[競泳]]選手、元日本水泳連盟会長(* [[1906年]])
* 1966年 - [[カルロ・カッラ]]、[[画家]](* [[1881年]])
* [[1973年]] - [[ヘンリー・ダーガー]]、『[[非現実の王国で]]』の作者(* [[1892年]])
* [[1974年]] - [[ジェファーソン・キャフェリー]]、[[外交官]](* [[1886年]])
* [[1982年]] - [[吉田静一]]、[[経済学者]](* [[1930年]])
* [[1983年]] - [[中村鴈治郎 (2代目)|中村鴈治郎]](二代目)、[[俳優]](* [[1902年]])
* [[1984年]] - [[ラルフ・カークパトリック]]、[[音楽学者]]、[[チェンバロ]]奏者(* [[1911年]])
* [[1986年]] - [[フランク・デチッコ]]、[[マフィア]]の幹部(* [[1935年]])
* [[1987年]] - [[ハーバート・ジョージ・ブルーマー]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1900年]])
* 1987年 - [[立木勝]]、政治家、第45・46代[[大分県知事一覧|大分県知事]](* 1906年)
* 1987年 - [[エルヴィン・ニレジハジ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](* [[1903年]])
* [[1989年]] - [[西堀栄三郎]]、[[登山家]]、[[化学者]](* [[1903年]])
* 1989年 - [[篠田一士]]、[[文芸評論家]]、[[翻訳家]](* [[1927年]])
* [[1990年]] - [[木島則夫]]、[[アナウンサー]](* [[1925年]])
* [[1992年]] - [[フェザ・ギュルセイ]]、[[物理学者]](* [[1921年]])
* [[1997年]] - [[西田修平]]、[[陸上競技]]選手([[棒高跳]])(* [[1910年]])
* [[1999年]] - [[曽我廼家明蝶]]、俳優(* [[1908年]])
* 1999年 - [[清川正二]]、競泳選手、[[実業家]](* [[1913年]])
* [[2002年]] - [[オレステ・ピッキオーニ]]、物理学者(* [[1915年]])
* [[2005年]] - [[江頭匡一]]、実業家、[[ロイヤルホールディングス]]創業者(* [[1923年]])
* 2005年 - [[ドン・ブラッシンゲーム]]、元[[プロ野球選手]]、指導者(* [[1932年]])
* 2005年 - [[福士敬章]]、元プロ野球選手(* [[1950年]])
* [[2006年]] - [[ミュリエル・スパーク]]、小説家(* [[1918年]])
* [[2009年]] - [[ハリー・カラス]]、[[メジャーリーグベースボール]]の中継[[アナウンサー]](* [[1936年]])
* 2009年 - [[マーク・フィドリッチ]]、元プロ野球選手(* [[1954年]])
* 2009年 - [[小松則幸]]、[[プロボクサー]](* [[1979年]])
* [[2015年]] - [[ギュンター・グラス]]、[[小説家]]、[[劇作家]](* [[1927年]])
* 2015年 - [[エドゥアルド・ガレアーノ]]、[[ジャーナリスト]](* [[1940年]])
* [[2017年]] - [[塩山紀生]]、[[アニメーター]]、[[イラストレーター]](* [[1940年]])
* [[2019年]] - [[海部宣男]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM5J5H91M5JULBJ00N.html|title=ブラックホール撮影「ありがとう」 翌日逝った天文学者|publisher=朝日新聞デジタル|date=31 May 2019|accessdate=26 Mar 2023}}</ref>、天文学者(* [[1943年]])
* [[2023年]] - [[マリー・クヮント]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1930年]])
* 2023年 - [[クレイグ・ブリーン]]<ref>{{Cite web|和書|title=WRCのブリーン選手、テスト中に事故死 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3459979 |website=AFP通信 |access-date=2023-04-23 |language=ja}}</ref>、[[レーシングドライバー]](* [[1990年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2020年]] - [[ナリタタイシン]]、[[競走馬]](* [[1990年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Songkran in Wat Kungthapao 05.jpg|thumb|right|[[ソンクラーン]](水掛け祭り)]]
[[Image:Vincent Willem van Gogh - Cafe Terrace at Night (Yorck).jpg|thumb|right|[[喫茶店]]の日。画像は[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]『夜のカフェテラス』(1888)]]
* 東南アジア・南アジアの正月の祝日(4月13日 - [[4月15日|15日]])
*: 東南アジア・南アジアの多くの国では[[4月14日]]を[[正月|新年]]の始まりの日としており、いくつかの国ではその前後を含めて祝日としている。
** [[ソンクラーン]]({{THA}})
*: [[タイ王国|タイ]]における[[旧暦]]([[チャントラカティ]])の[[正月]]。
** {{仮リンク|ピーマイラーオ|en|Lao New Year}}(ラオス正月)({{LAO}})
** {{仮リンク|クメール正月|en|Cambodian New Year}}({{KHM}})
* [[喫茶店]]の日({{JPN}})
*: [[1888年]]のこの日、東京・下谷上野西黒門町に日本初のコーヒー専門店「可否茶館」が開店したことにちなむ。
* [[決闘]]の日({{JPN}})
*: [[慶長]]17年[[4月13日 (旧暦)|旧暦4月13日]]([[1612年]][[5月13日]])、船島([[巌流島]])で[[宮本武蔵]]と[[佐々木小次郎]]の決闘が行われたことにちなむ<ref>{{Cite web|和書|url=https://forbesjapan.com/articles/detail/46932 |title=勝負の行方を左右するアンガーマネジメント 決闘の日 {{!}} 4月13日 |access-date=26 Mar 2023 |publisher=Forbes JAPAN |date=13 Apr 2022}}</ref>。
* 水産デー({{JPN}})
*: [[1901年]]のこの日に旧[[漁業法]]が制定されたことにちなみ、[[大日本水産会]]が[[1933年]]5月に制定。現在の漁業法が施行された[[1949年]][[3月13日]]にちなみ、3月13日が「漁業法記念日」となっているが、これが「水産デー」と呼ばれることもある。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0413|date=2023年3月}}
* [[1921年]] - 藤川紡が桜川女学校の図書室で地震による本棚の倒壊に巻き込まれ気絶、気がつくとこの日の銀座へタイムスリップしていた。(漫画『[[紡ぐ乙女と大正の月]]』)<ref>{{Cite book|和書|title=紡ぐ乙女と大正の月 1|date=2020-06-26|publisher=[[芳文社]]|page=10|isbn=978-4832271999|author=ちうね}}作中の日付は同巻の目次より。</ref>
* [[2013年]] - ナイトシティで行われていたジョニー・シルヴァーハンドのコンサートが暴動に発展。暴動により旧アラサカ総合ビルが破壊される。(テーブルトークRPG『[[サイバーパンク2.0.2.0.]]』)<ref>{{Cite book|和書 |author=マイク・ポンスミス |authorlink=マイク・ポンスミス |year=2022 |title=サイバーパンクRED ルールブック |publisher=[[ホビージャパン]] |page=239}}</ref>
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1968年]] - ロッド・ロス、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]] |year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 33 |publisher= [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9 }}</ref>
* [[2001年]] - 瀬乃宮あき穂、ゲーム・漫画『[[ROBOTICS;NOTES]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author = 淺川圭司(漫画) |coauthors = [[5pb.]](原作) |year = 2012 |title = ROBOTICS;NOTES |volume = 第1巻 |page = 87 |publisher= [[マッグガーデン]] |series = [[ブレイドコミックス]] |isbn = 978-4-8000-0020-0 }}</ref><ref>{{Cite book |和書 |year = 2012 |title =ROBOTICS;NOTES 【ロボティクス・ノーツ】 公式設定資料集:Childhood Dreams |page = 74 |publisher= [[アスキー・メディアワークス]] |isbn = 978-4-04-886756-6 }}</ref>
* 生年不明 - [[諸星あたる]]、漫画・アニメ『[[うる星やつら]]』の主人公<ref>{{Twitter status|uy_allstars|1513894721030025221}}</ref>
* 生年不明 - [[前原圭一]]、ゲーム・アニメ『[[ひぐらしのなく頃に]]』の主人公<ref>{{Twitter status|higu_anime|1381654557617389569}}</ref>
* 生年不明 - 犬塚ハナ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史 |authorlink=岸本斉史 |year=2005 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |publisher=[[集英社]] |series=ジャンプ・コミックス |page=26 |isbn=4-08-873734-2}}</ref>
* 生年不明 - グゾル、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=星野桂|authorlink=星野桂|year = 2008 |title = D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃 |page = 112 |publisher= [[集英社]] |series = ジャンプ・コミックス |isbn = 978-4-08-874248-9 }}</ref>
* 生年不明 - 佐木咲、漫画・アニメ『[[カノジョも彼女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=ヒロユキ|authorlink=ヒロユキ|date=2021|title = カノジョも彼女 |volume=4巻 |page=2 |publisher = [[講談社]] |series = [[講談社コミックス]] |isbn= 978-4-06-521960-7}}</ref>
* 生年不明 - 青鬼院蜻蛉、漫画・アニメ『[[妖狐×僕SS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=藤原ここあ|authorlink=藤原ここあ|year = 2011 |title = 妖狐×僕SS |volume = 第4巻 |page = 212 |publisher= [[スクウェア・エニックス]] |series = [[月刊ガンガンJOKER#ガンガンコミックスJOKER|ガンガンコミックスJOKER]] |isbn = 978-4-7575-3146-8 }}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author = 藤原ここあ(原作) |year = 2012 |title = 妖狐×僕SS オフィシャルガイド 0 |page = 64 |publisher= スクウェア・エニックス |series = ガンガンコミックスJOKER |isbn = 978-4-7575-3500-8 }}</ref>
* 生年不明 - 児玉都、漫画・アニメ『[[やがて君になる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=やがて君になる |date=2018 |year= |publisher=[[KADOKAWA]] |author=仲谷鳰 |authorlink=仲谷鳰 |series=電撃コミックスNEXT |quote=カバー下 |isbn=978-4-04-912047-9 |volume=第6巻}}</ref>
* 生年不明 - 門倉霧子、[[読者参加型ゲーム|読者参加企画]]『[[おひめさまナビゲーション]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite journal|和書|date=2009-02|journal=[[電撃G's magazine]]|pages=51|publisher=アスキー・メディアワークス}}</ref>
* 生年不明 - 椎名京、ゲーム『[[真剣で私に恋しなさい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite journal |和書 |date = 2011-04 |publisher = [[サン出版]] |journal = [[BugBug]] |pages = 41 }}</ref>
* 生年不明 - 甘利燈、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|984446400359550976}}</ref>
* 生年不明 - エルフィ、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド |publisher=KADOKAWA |year=2015 |pages=36、262 |isbn=978-4-04-869406-3}}</ref>
* 生年不明 - 芽衣(雷電芽衣)、ゲーム『[[崩壊3rd]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|houkai3rd|1249612468143308800}}</ref>
* 生年不明 - 柳美音、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heaven-burns-red.com/character/31f/yanagi-mion/ |title=柳美音 |website=『ヘブンバーンズレッド 』 |publisher=[[WFS (企業)|WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS]] [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=29 Mar 2023}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 13|13 April}}
{{新暦365日|4|12|4|14|[[3月13日]]|[[5月13日]]|[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]|0413|4|13}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T09:14:45Z | 2023-10-17T13:34:40Z | false | false | false | [
"Template:カレンダー 4月",
"Template:脚注ヘルプ",
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"Template:フィクションの出典明記",
"Template:新暦365日",
"Template:LAO",
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"Template:1年の月と日"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8813%E6%97%A5 |
4,869 | 4月14日 | 4月14日(しがつじゅうよっか、しがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から104日目(閏年では105日目)にあたり、年末まではあと261日ある。 | [
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'''4月14日'''(しがつじゅうよっか、しがつじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から104日目([[閏年]]では105日目)にあたり、年末まではあと261日ある。
[[Image:The_Assassination_of_President_Lincoln_-_Currier_and_Ives.png|thumb|250px|[[リンカーン大統領暗殺事件]](1865)。リンカーンは翌15日に死亡]]
<!-- File:Titanic-New York Herald front page.jpeg : licence unknown -->
[[Image:St%C3%B6wer_Titanic.jpg|thumb|250px|豪華客船[[タイタニック (客船)|タイタニック号]]沈没(1912)]]
[[File:Kaminotaishi Station accident.jpg|thumb|250px|大阪鉄道(現・[[近鉄南大阪線]])[[上ノ太子駅]]での三重衝突事故(1929)]]
[[Image:Wellcome genome bookcase.png|thumb|140px|[[ヒトゲノム計画]]、全解読作業を終了(2003)。画像は書物となった[[ヒトゲノム|ヒト遺伝子]]]]
== できごと ==
<!-- File:Titanic-New York Herald front page.jpeg : licence unknown -->
* [[69年]] - [[ローマ内戦 (68年-70年)|四皇帝の年]]: [[ベドリアクムの戦い|第1次ベドリアクムの戦い]]。[[アウルス・ウィテッリウス|ウィテッリウス]]が[[オト]]を破り帝位に就く{{要出典|date=2021-03}}。
* [[969年]]([[安和]]2年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[安和の変]]。[[源満仲]]の密告により[[源高明]]が皇太子・守平親王(後の[[円融天皇]])廃立陰謀のかどで[[大宰権帥]]に左遷される。これにより[[藤原氏]]政権が確立する。
* [[1205年]] - [[第4回十字軍]]: [[ハドリアノポリスの戦い (1205年)|ハドリアノポリスの戦い]]。[[ラテン帝国]]軍が[[ブルガリア帝国]]軍に大敗し、皇帝[[ボードゥアン1世 (ラテン皇帝)|ボードゥアン1世]]が捕虜となる。
* [[1293年]]([[永仁]]元年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - 鎌倉幕府が、蒙古再来に備え九州の裁判と軍事指揮を行う[[鎮西探題]]を博多に設置。
* [[1471年]] - [[薔薇戦争]]: [[バーネットの戦い]]
* [[1603年]]([[慶長]]8年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]が開通。
* [[1670年]]([[寛文]]10年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[箱根用水]]の全長1,200メートルの[[トンネル|隧道]]が貫通。
* [[1828年]] - [[ノア・ウェブスター]]が『{{仮リンク|アメリカ英語辞典|en|Webster's Dictionary}}』初版を出版。
* [[1849年]] - [[コシュート・ラヨシュ]]が[[ハンガリー]]の[[オーストリア]]からの独立を宣言し、執政官に就任。
* [[1865年]] - [[アメリカ合衆国大統領]][[エイブラハム・リンカーン]]がワシントンの[[フォード劇場]]で狙撃される。翌日死亡。([[リンカーン大統領暗殺事件]])
* [[1879年]] - [[桜木町駅|横浜]] - [[汐留駅 (国鉄)|新橋]]の鉄道に日本人運転士が初めて乗務。翌年11月から全列車に乗務。
* [[1890年]] - 汎米連合([[米州機構]]の前身の一つ)が発足。
* [[1912年]] - 豪華客船[[タイタニック (客船)|タイタニック号]]が[[ニューファンドランド島]]沖で氷山に衝突。翌日未明に[[タイタニック号沈没事故|沈没]]。死者1,513人。
* [[1921年]] - [[軌道法]]公布。
* [[1922年]] - [[アイルランド共和軍]]が、[[フォー・コーツ]](アイルランド最高法廷)を襲撃。[[アイルランド内戦]]のきっかけに。
* [[1929年]] - 第1回[[モナコグランプリ]]開催。
* 1929年 - [[大阪鉄道 (2代目)|大阪鉄道]](現・[[近鉄南大阪線]])[[上ノ太子駅]]で [[日本の鉄道事故 (1949年以前)#大鉄電車三重衝突事故|大鉄電車三重衝突事故]]発生。
* [[1931年]] - [[スペイン]]国王[[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]が退位、王政が廃止され、[[スペイン第二共和政]]が成立。
* 1931年 - 日本で[[濱口雄幸]]首相が前年11月に狙撃されたことが元で病状が悪化し、[[濱口内閣]]が総辞職。[[若槻禮次郎]]が第28代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第2次若槻内閣]]が発足。
* [[1939年]] - [[ジョン・スタインベック]]の小説『[[怒りの葡萄]]』が発刊。
* [[1945年]] - 翌日にかけて連合国軍による[[ポツダム空襲]]。
* [[1947年]] - [[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律]](独占禁止法)公布。
* [[1949年]] - プロ野球の試合中に監督が相手選手を殴打。([[三原ポカリ事件]])
* [[1950年]] - 横須賀市で[[京浜急行電鉄|京急バス]]の[[トレーラーバス]]が走行中に炎上。車両の構造から運転手が火災に気付くのが遅れ、17人焼死。
* [[1955年]] - 日本初のテレビ[[クイズ番組]]とされる『[[私の秘密]]』が[[日本放送協会|NHK]]で放送開始。
* [[1963年]] - 「海苔漁民の救世主」[[キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー]]の功績を永遠に称えるため、有明海を一望できる住吉公園に、海苔漁民の手により記念碑が建立。以後、毎年4月14日、県内外の海苔養殖関係者が集まり「ドゥルー祭」が開催。
* [[1969年]] - [[文京区本郷兄弟決闘殺人事件]]。
* [[1970年]] - 03:07:53([[協定世界時|UTC]])、地球から321,860km上空にて、[[アメリカ航空宇宙局]](NASA)の[[アポロ13号]]で酸素タンク爆発事故が発生。月着陸中止も奇跡的に帰還。
* [[1979年]] - [[埼玉県]][[所沢市]]に[[西武ドーム|西武球場]]が開場。
* [[1981年]] - 東京大学宇宙研究所を文部省[[宇宙科学研究所]]に改組。
* [[1986年]] - [[バングラデシュ]]・{{仮リンク|ゴパルゴンジ|en|Gopalganj District (Bangladesh)}}で史上最大の1キログラムの[[雹]]が落下。92人が死亡。
* [[1988年]] - [[日本赤軍事件#ナポリ事件|ナポリ事件]]。ナポリの米軍クラブで車爆弾が爆発、22人死亡。
* [[1999年]] - [[光市母子殺害事件]]。
* [[2003年]] - 国際[[ヒトゲノム計画]]によって[[ヒトゲノム]]解読の全作業を完了。
<!-- 特筆性? * 2003年 - [[ルイジアナ州]][[ニューオーリンズ]]の[[ジョン・マクドノー高校]]で4人の少年が銃を乱射。生徒1人が死亡。 -->
* [[2005年]] - [[オレゴン州]]の最高裁判所が、[[マルトノマ郡 (オレゴン州)|マルトノマ郡]]が発行した[[同性結婚|男性同士の結婚]]許可証を無効と決定。
* [[2006年]] - [[ライブドア事件]]: [[東京証券取引所]]が[[ライブドア]]を[[上場廃止]]。
* [[2008年]] - アメリカ合衆国大手航空会社[[デルタ航空]]が、[[ノースウェスト航空]]の買収による[[合併 (企業)|合併]]合意を発表。
* [[2009年]] - [[平戸市]]舘浦[[漁業協同組合|漁協]]所属の巻き網[[漁船]][[第11大栄丸]]が転覆沈没。行方不明者12名。
* 2009年 - [[ジョージ・ハリスン]]が[[ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]]に名を刻まれる。
* [[2010年]] - [[2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火|アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル火山が噴火]]。
* 2010年 - 中国のチベット州自治区で[[モーメント・マグニチュード|Mw]]6.9の[[青海地震]]が発生。少なくとも2,698名が死亡し、10万名以上が家屋を失った。
* [[2012年]] - [[新東名高速道路]]の[[御殿場ジャンクション|御殿場JCT]] - [[浜松いなさジャンクション|浜松いなさJCT]]間(約162km)が開通。日本の高速道路の新規開通距離としては過去最長。
* [[2015年]] - 20時5分頃([[日本標準時]])[[広島空港]]にて韓国・仁川発のアシアナ航空の[[エアバスA320|エアバス]]機が着陸に失敗([[アシアナ航空162便着陸失敗事故]])
* [[2016年]] - 日本時間21時26分に[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の前震が発生、 [[熊本県|熊本]]・[[益城町]]で震度7。死者50人。
* [[2022年]] - [[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]]:[[ロシア海軍]][[黒海艦隊]][[旗艦]]である[[スラヴァ級ミサイル巡洋艦|スラヴァ級]][[ミサイル巡洋艦]]1番艦「[[モスクワ (ミサイル巡洋艦)|モスクワ]](旧称スラヴァ)」が沈没。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Andres_L%C3%B3pez_001.jpg|thumb|upright|[[スペイン黄金世紀|スペイン黄金時代]]のスペイン王[[フェリペ3世 (スペイン王)|フェリペ3世]](1598-1621)誕生]]
[[Image:Christiaan_Huygens-painting.jpeg|thumb|upright|数学者・天文学者・物理学者、[[クリスティアーン・ホイヘンス]](1629-1695)誕生]]
[[Image:Helen_Keller_with_Anne_Sullivan_in_July_1888.jpg|thumb|upright|[[ヘレン・ケラー]]に三重苦を克服させた「[[奇跡の人]]」、[[アン・サリヴァン]](写真右; 1866-1936)]]
[[Image:Ambedkar_speech_at_Yeola.png|thumb|upright|[[インド]]の政治家[[ビームラーオ・アンベードカル]](1891-1956)。反カースト運動の指導者]]
<!-- [[Image:Rainbow_27091977_02_500b.jpg|thumb|150px|[[ハード・ロック]]の立役者の一人、ギタリストの[[リッチー・ブラックモア]](1945-)]] -->
<!-- [[Image:Mikhail_Pletnev.jpg|thumb|upright|ピアニスト・指揮者、[[ミハイル・プレトニョフ]](1957-)]] -->
<!-- [[Image:Yukihiro Matsumoto.JPG|thumb|80px|プログラミング言語[[Ruby_(代表的なトピック)|Ruby]]を開発したプログラマ、[[まつもとゆきひろ]](1965-)]] -->
* [[1315年]] - [[ムハンマド4世 (ナスル朝)|ムハンマド4世]]、[[ナスル朝]][[スルターン]](+ [[1333年]])
* [[1527年]] - [[アブラハム・オルテリウス]]、[[地図学|地図製作者]]、[[地理学者]](+ [[1598年]])
* [[1578年]] - [[フェリペ3世 (スペイン王)|フェリペ3世]]、[[スペイン君主一覧|スペイン国王]](+ [[1621年]])
* [[1629年]] - [[クリスティアーン・ホイヘンス]]、[[物理学者]]、[[天文学者]](+ [[1695年]])
* [[1733年]] - [[ヒュー・マッシー (第2代マッシー男爵)|ヒュー・マッシー]]<ref name="Cokayne">{{Cite book2|editor-last=Cokayne|editor-first=George Edward|editor-link=ジョージ・エドワード・コケイン|editor-last2=Doubleday|editor-first2=Herbert Arthur|editor-last3=Howard de Walden|editor-first3=Thomas|editor-link3=トマス・スコット=エリス (第8代ハワード・デ・ウォルデン男爵)|title=The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times (Lindley to Moate)|volume=8|date=1932|edition=2nd|publisher=The St. Catherine Press|place=London|page=549}}</ref>、第2代マッシー男爵(+ [[1790年]])
* [[1738年]] - [[ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (第3代ポートランド公)|ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク]] <ref>{{Cite book2|editor-last=Cokayne|editor-first=George Edward|editor-link=ジョージ・エドワード・コケイン|year=1895|title=Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R)|volume=6|edition=1st|location=London|publisher=George Bell & Sons|language=en|pages=273–274|url=https://archive.org/details/completepeerage06cokahrish/page/n274}}</ref>、[[イギリス首相]](+ [[1809年]])
* [[1741年]]([[寛保]]元年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]]) - [[桃園天皇]]、第116代[[天皇]](+ [[1762年]])
* [[1824年]]([[文政]]7年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]) - [[徳川慶勝]]、第14・17代[[尾張藩|尾張藩主]](+ [[1883年]])
* [[1833年]]([[天保]]4年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[大鳥圭介]]、[[軍学者]]、[[技術者]]、[[外交官]](+ [[1911年]])
* [[1838年]](天保9年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[楠本正隆]]、[[政治家]](+ [[1902年]])
* [[1852年]]([[嘉永]]5年閏2月25日) - [[児玉源太郎]]、[[軍人]](+ [[1906年]])
* [[1862年]] - [[ピョートル・ストルイピン]]、政治家(+ [[1911年]])
* [[1861年]] - [[ジョン・カーティー]]、[[電子工学]]者(+ [[1932年]])
* [[1865年]]([[元治]]2年[[2月17日 (旧暦)|2月17日]]) - [[呉秀三]]、[[医学|医学者]]、[[精神科医]](+ [[1932年]])
* [[1866年]] - [[アン・サリヴァン]]、[[ヘレン・ケラー]]の家庭教師(+ [[1936年]])
* [[1867年]] - [[ファニー・トーマス]]、世界最高齢の人物 (+ [[1981年]])
* [[1868年]] - [[ペーター・ベーレンス]]、[[建築家]]、[[デザイナー]](+ [[1940年]])
* [[1882年]] - [[モーリッツ・シュリック]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1936年]])
* [[1884年]] - [[十河信二]]、第4代[[日本国有鉄道#歴代の国鉄総裁|国鉄総裁]](+ [[1981年]])
* [[1889年]] - [[アーノルド・J・トインビー]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1975年]])
* [[1890年]] - [[岡田資]]、軍人(+ [[1949年]])
* [[1891年]] - [[ビームラーオ・アンベードカル]]、[[思想家]]、政治家(+ [[1956年]])
* 1891年 - [[高倉輝]](タカクラ・テル)、[[劇作家]]、[[小説家]]、政治家(+ [[1986年]])
* [[1892年]] - [[ゴードン・チャイルド]]、[[考古学者]](+ [[1957年]])
* [[1895年]] - [[相良守峯]]、[[ドイツ文学者]](+ [[1989年]])
* [[1897年]] - [[富田木歩]]、[[俳人]](+ [[1923年]])
* 1897年 - [[エドガルド・ドナート]]、[[タンゴ]][[音楽家]](+ [[1963年]])
* [[1899年]] - [[黒田寿男]]、政治家(+ 1986年)
* [[1900年]] - [[中村芝鶴 (2代目)]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎役者]](+ [[1981年]])
* [[1902年]] - [[高橋貞次]]、[[刀工|刀匠]](+ [[1968年]])
* [[1904年]] - [[ジョン・ギールグッド]]、[[俳優]](+ [[2000年]])
* [[1907年]] - [[フランソワ・デュヴァリエ]]、[[ハイチ]][[大統領]](+ [[1971年]])
* [[1909年]] - [[依田義賢]]、[[脚本家]](+ [[1991年]])
* [[1910年]] - [[大和球士]]、[[野球評論家]](+ [[1992年]])
* [[1912年]] - [[古島敏雄]]、歴史学者(+ [[1995年]])
* 1912年 - [[ロベール・ドアノー]]、[[写真家]](+ [[1994年]])
* [[1913年]] - [[中村喜春]]、[[芸者]]、[[随筆家]](+ [[2004年]])
* 1913年 - [[ジャン・フルネ]]、[[指揮者]](+ [[2008年]])
* [[1914年]] - [[林屋辰三郎]]、歴史学者(+ [[1998年]])
* [[1917年]] - [[マービン・ミラー]]、MLB選手会会長(+ [[2012年]]<ref>{{Cite web|url=https://www.mlb.com/news/hall-of-fame-modern-baseball-era-announcement|title=Marvin Miller, Ted Simmons elected to Hall of Fame|language=英語||work=MLB.com |accessdate=2020年12月9日}}</ref>)
* [[1918年]] - [[神田隆 (俳優)|神田隆]]、[[俳優]](+ [[1986年]])
* 1918年 - [[周汝昌]]、文学研究者、詩人(+ [[2012年]])
* [[1921年]] - [[長井勝一]]、[[漫画編集者]]、『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』発刊者(+ [[1996年]])
* 1921年 - [[トーマス・シェリング]]、[[経済学者]]、[[政治学者]](+ [[2016年]])
* [[1923年]] - [[ジョン・ホルト (教育者)|ジョン・ホルト]]、[[教育関係人物一覧|教育者]](+ [[1985年]])
* 1923年 - [[出羽湊秀一]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]]11代[[藤島 (相撲)|藤島]](+ [[1979年]])
* [[1925年]] - [[ロッド・スタイガー]]、俳優(+ [[2002年]])
* 1925年 - [[ジーン・アモンズ]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン]]奏者(+ [[1974年]])
* [[1926年]] - [[宮井勝成]]、アマチュア野球指導者(+ [[2020年]])
* [[1927年]] - [[アラン・マクダイアミッド]]、[[化学者]](+ [[2007年]])
* [[1930年]] - [[辻村真人]]、[[声優]](+ [[2018年]]<ref name="sankei">{{Cite web|和書|work=産経ニュース|date=2018-11-29|url=https://www.sankei.com/article/20181129-R4VV5LNKJRO4PAS2OFKADH4WNE/|title=声優の辻村真人氏死去 「忍たま乱太郎」初代学園長|accessdate=2020-11-07}}</ref>)
* [[1933年]] - [[松岡文雄]]、声優(+ [[2022年]])
* 1933年 - [[清水宏員]]、元プロ野球選手
* [[1934年]] - [[ロレッタ・リン]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー]]歌手
* 1934年 - [[フレドリック・ジェイムソン]]、思想家、[[文学]]研究者
* 1934年 - [[マーティ・キーオ]]、元プロ野球選手
* [[1941年]] - [[ピート・ローズ]]、元プロ野球選手
* 1941年 - [[ジュリー・クリスティ]]、女優
* 1941年 - [[横尾和子]]、元[[最高裁判所裁判官]]
* [[1942年]] - [[ワレリー・ブルメル]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]](+ [[2003年]])
* [[1944年]] - [[西崎崇子]]、[[ヴァイオリニスト]]
* 1944年 - [[宮川泰夫]]、[[アナウンサー]]
* [[1945年]] - [[リッチー・ブラックモア]]、[[ギタリスト]]([[ディープ・パープル]]、[[レインボー (バンド)|レインボー]])
* [[1947年]] - [[弥永和子]]、声優(+ [[2014年]])
* 1947年 - [[倉田晃]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[木村裕一]]、[[絵本作家]]
* [[1949年]] - [[吉岡悟]]、元プロ野球選手
* 1949年 - [[中津川博郷]]、政治家
* [[1950年]] - [[松崎哲久]]、政治家、作家
* 1950年 - [[乱一世]]、[[タレント]]
* 1950年 - [[エステルハージ・ペーテル]]、小説家(+ [[2016年]])
* [[1951年]] - [[ジュリアン・ロイド・ウェバー]]、[[チェリスト]]
* 1951年 - [[ウィリー・ウィリアムス (格闘家)|ウィリー・ウィリアムス]]、[[空手家]]
* [[1953年]] - [[曾志偉|エリック・ツァン]]、俳優、[[映画監督]]
* 1953年 - [[根建忍]]、元プロ野球選手
* [[1954年]] - [[大友克洋]]、[[漫画家]]
* 1954年 - [[ブルース・スターリング]]、[[SF作家]]
* [[1956年]] - [[バーバラ・ボニー]]、[[ソプラノ歌手]]
* [[1957年]] - [[ミハイル・プレトニョフ]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]]
* 1957年 - [[葉千栄]]、[[ジャーナリスト]]
* [[1958年]] - [[桜田淳子]]、元[[歌手]]
* [[1959年]] - [[市川笑也 (2代目)]]、歌舞伎役者
* [[1961年]] - [[ロバート・カーライル]]、俳優
* [[1962年]] - [[サクラマコト]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* 1962年 - [[島田信行]]、[[格闘技]]トレーナー
* [[1963年]] - [[今井美樹]]、歌手
* 1963年 - [[松本豊]]、元プロ野球選手
* 1963年 - [[樫木裕実]]、ボディメイクトレーナー
* [[1964年]] - [[山崎たくみ]]、声優
* [[1965年]] - [[まつもとゆきひろ]]、[[プログラミング言語]][[Ruby_(代表的なトピック)|Ruby]]設計者
* [[1966年]] - [[グレッグ・マダックス]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[ボイ・ロドリゲス]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[デビッド・ジャスティス]]、元プロ野球選手
* [[1967年]] - [[一條裕子]]、漫画家
* 1967年 - [[渡辺道明]]、漫画家
* 1967年 - 土佐信道、アーティスト([[明和電機]])
* 1967年 - [[原口哲也]]、元プロ野球選手
* [[1968年]] - [[小沢健二]]、ミュージシャン
* 1968年 - [[長谷部裕]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[アンソニー・マイケル・ホール]]、俳優
* 1968年 - [[満園英二]]、ミュージシャン([[THE SLUT BANKS]])
* [[1969年]] - [[亜希]]、モデル
* 1969年 - [[ビセンテ・ガリバルド]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[八木政義]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[ブラッド・オースマス]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[工藤静香]]、歌手
* 1970年 - [[Mummy-D]]、ラッパー([[RHYMESTER]]、[[マボロシ (音楽ユニット)|マボロシ]])
* 1970年 - [[神野純一]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[奥野史子]]、[[アーティスティックスイミング]]選手
* 1972年 - [[片岡身江]]、女優、声優
* [[1973年]] - [[エイドリアン・ブロディ]]、俳優
* 1973年 - [[ロベルト・アジャラ]]、元[[サッカー選手]]
* [[1974年]] - [[植松寿絵]]、[[プロレスラー]]
* 1974年 - [[江原淳史]]、元俳優
* [[1975年]] - [[アンデウソン・シウバ]]、[[総合格闘家]]
* [[1976年]] - [[小泉享亮]]、ミュージシャン
* 1976年 - 森木俊介、お笑いタレント([[ラフ・コントロール]])
* 1976年 - [[クリスチャン・アルヴェスタム]]、ミュージシャン
* 1976年 - [[カイル・ファーンズワース]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[細根誠]]、生花店長、ミュージシャン(元[[ブリーフ&トランクス]])
* [[1977年]] - [[上坂太一郎]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[波当根弓彦]]、[[プロゴルファー]]
* 1977年 - [[山里亮太]]、お笑いタレント([[南海キャンディーズ]])
* 1977年 - [[安達しほり|あだち]]、お笑いタレント([[ワチュワナドゥ]])
* 1977年 - [[サラ・ミシェル・ゲラー]]、女優
* 1977年 - [[クリスティアーノ・ザネッティ]]、サッカー選手
* [[1978年]] - [[村治佳織]]、[[クラシックギター]]奏者
* [[1979年]] - [[シドニー・デヨング]]、元野球選手
* [[1980年]] - [[相沢まき]]、タレント
* 1980年 - [[伊藤歩]]、女優
* [[1981年]] - [[岩舘学]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[小泉進次郎]]、政治家
* [[1982年]] - [[神戸蘭子]]、[[ファッションモデル]]
* 1982年 - [[西村美樹]]、[[陸上競技]]選手
* 1982年 - [[安田直樹]]、スピードスケート選手
* 1982年 - [[ジョシュ・ホワイトセル]]、元プロ野球選手
* 1983年 - KIMI、歌手、ダンサー、ラッパー、振り付け師([[DA PUMP]])
* [[1983年]] - [[タチアナ・チュバエワ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1984年]] - [[日馬富士公平]]、元大相撲力士、第70代横綱
* 1984年 - [[クリス・ラルー]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[小島昌也]]、プロ野球選手(+ [[2011年]])
* [[1986年]] - [[杏 (女優)|杏]]、女優、ファッションモデル
* [[1988年]] - [[大島嵩弘]]、サッカー選手
* 1988年 - 野村尚平、お笑いタレント([[令和喜多みな実]])
* 1988年 - 林龍之介、ミュージシャン([[平川地一丁目]])
* 1988年 - [[前野貴徳]]、サッカー選手
* 1988年 - [[吉田明世]]、アナウンサー
* [[1989年]] - [[Candy (歌手)|Candy]]、歌手
* 1989年 - [[関口将平]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[益山武明]]、声優、俳優
* 1989年 - [[ELISA (歌手)|ELISA]]、歌手
* [[1990年]] - [[熊崎愛]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[田村翔子 (バレーボール)|田村翔子]]、バレーボール選手
* 1990年 - [[ファルハド・ヴァシエフ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[黒沢ジェニファー]]、元[[グラビアアイドル]]
* [[1993年]] - [[ブランドン・フィネガン]]、プロ野球選手
* [[1995年]] - [[日下怜奈]]、アナウンサー
* 1995年 - [[ベイカー・メイフィールド]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* [[1996年]] - [[アビゲイル・ブレスリン]]、女優
* 1996年 - [[松本裕樹]]、プロ野球選手
<!-- 特筆性は? * [[1998年]] - [[緒方遼太郎]]、[[卓球選手一覧|卓球選手]] -->
<!-- 特筆性は? * [[1999年]] - 市野成美、アイドル、[[SKE48]] -->
* [[1999年]] - [[加藤美優]]、卓球選手
* 1999年 - [[チェイス・ヤング]]、アメリカンフットボール選手
* [[2000年]] - [[鈴木美羽]]、ファッションモデル
* 2000年 - [[ソーズビー・キャメロン]]、タレント
* 2000年 - [[平野美宇]]、卓球選手
* [[2004年]] - [[川端結愛]]、ファッションモデル
* 生年不明 - [[長谷川明子]]、声優
* 生年不明 - [[大塚雅彦]]、[[アニメ監督]]
* 生年不明 - [[田沢智]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1977年]] - [[キョウエイプロミス]]、[[競走馬]](+ [[2003年]])
* [[1989年]] - [[サクラバクシンオー]]、競走馬(+ [[2011年]])
* [[1993年]] - [[シンコウウインディ]]、競走馬
== 忌日 ==
[[Image:Avvakum by Pyotr Yevgenyevich Myasoyedov.jpg|thumb|180px|[[古儀式派]]の指導者[[アヴァクーム]](1620もしくは1621-1682)、火刑に]]
<!--[[Image:DR_1935_575_Georg_Friedrich_H%C3%A4ndel.jpg|thumb|150px|[[バロック音楽|バロック]]の作曲家[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]](1685-1795)没]]-->
[[Image:DBP 1959 315 Georg Friedrich Händel.jpg|thumb|150px|[[バロック音楽|バロック]]の作曲家[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]](1685-1795)没。{{audio|Handel - messiah - 01 sinfony - New version (deleted 3 coughs).ogg|『メサイア』HWV.56より「シンフォニー」を聴く}}]] <!-- ハレルヤは4/13で使ったので -->
[[Image:Mitsukuni defying the skeleton spectre invoked by princess Takiyasha.jpg|thumb|300px|[[浮世絵師]]、[[歌川国芳]](1798-1861)没。画像は『相馬の古内裏』]]
<!-- [[Image:Swan_princess.jpg|thumb|180px|[[アール・ヌーヴォー]]〜[[象徴主義]]の画家、[[ミハイル・ヴルーベリ]](1856-1910)没。画像は『白鳥の女王』(1900)]] -->
[[Image:L.Zamenhof.jpg|thumb|100px|[[人工言語]][[エスペラント]]の考案者、[[ルドヴィコ・ザメンホフ]](1859-1917)]]
[[Image:Carnation_Lily_Lily_Rose_John_Singer_Sargent.jpg|thumb|180px|[[ジョン・シンガー・サージェント]](1856-1925)。画像は『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』(1885-1887)]]
<!-- [[Image:Rachel-Carson.jpg|thumb|200px|[[環境問題]]を告発した生物学者[[レイチェル・カーソン]](1907-1964)。代表作『[[沈黙の春]]』(1962)]] -->
<!-- [[Image:Minami_Haruo_Statue_001.jpg|thumb|250px|歌手、[[三波春夫]](1923-2001)]] -->
* [[923年]]([[延喜]]23年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[保明親王]]、[[平安時代]]の[[皇族]](* [[903年]])
* [[967年]]([[康保]]4年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[敦実親王]]、平安時代の皇族(* [[893年]])
* [[1132年]] - [[ムスチスラフ1世]]、[[キエフ大公国|キエフ大公]](* [[1076年]])
* [[1471年]] - [[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|リチャード・ネヴィル]]、第16代[[ウォリック伯]](* [[1428年]])
* 1471年 - [[ジョン・ネヴィル (初代モンターギュ侯)|ジョン・ネヴィル]]、初代モンターギュ侯(* [[1431年]])
* [[1578年]] - [[ジェームズ・ヘップバーン (ボスウェル伯)|ジェームズ・ヘップバーン]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]の[[王配]](* [[1535年]])
* [[1682年]] - [[アヴァクーム]]、[[司祭]](* [[1620年]]?)
* [[1711年]] - [[ルイ (グラン・ドーファン)|ルイ]]、[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の長男(* [[1661年]])
* [[1759年]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ジョージ・フレデリック・ヘンデル]]、[[作曲家]](* [[1685年]])
* [[1764年]]([[宝暦]]14年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[池田宗政]]、第4代[[岡山藩|岡山藩主]](* [[1727年]])
* [[1765年]]([[明和]]2年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[徳川宗将]]、第7代[[紀州藩|紀州藩主]](* [[1720年]])
* [[1807年]] - [[イェレミアス・リヒター]]、[[化学者]](* [[1762年]])
* [[1820年]] - [[レヴィ・リンカーン (1世)|レヴィ・リンカーン]]、第4代[[アメリカ合衆国司法長官]](* [[1749年]])
* [[1823年]]([[文政]]6年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - [[立原翠軒]]、[[水戸藩|水戸藩士]](* [[1744年]])
* [[1843年]] - [[ヨーゼフ・ランナー]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1801年]])
* [[1859年]] - [[ジョージ・ビブ]]、第17代[[アメリカ合衆国財務長官]](* [[1776年]])
* [[1861年]]([[文久]]元年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[歌川国芳]]、[[浮世絵|浮世絵師]](* [[1798年]])
<!-- * [[1872年]] - [[佐藤泰然]]、[[医師]](*[[1804年]]): [[佐藤泰然]]に「明治5年4月10日(1872年5月16日)」とあり、[[5月16日]]にも記載 -->
* [[1895年]] - [[ジェームズ・デーナ]]、[[地質学|地質学者]]、[[鉱物学|鉱物学者]](* [[1813年]])
* [[1910年]] - [[ミハイル・ヴルーベリ]]、[[画家]](* [[1856年]])
* [[1911年]] - [[アディ・ジョス]]、元[[プロ野球選手]](* [[1880年]])
* [[1917年]] - [[ルドヴィコ・ザメンホフ]]、眼科医、[[エスペラント]]創案者(* [[1859年]])
* [[1922年]] - 2代目[[立花家千橘]]、音曲師(* [[1873年]])
* 1922年 - [[キャップ・アンソン]]、元プロ野球選手(* [[1852年]])
* [[1924年]] - [[ルイス・サリヴァン]]、[[建築家]](* [[1856年]])
* [[1925年]] - [[平田東助]]、第19代[[農商務省 (日本)|農商務大臣]]、第26代[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]、[[内大臣]](* [[1849年]])
* 1925年 - [[ジョン・シンガー・サージェント]]、画家(* [[1856年]])
* [[1930年]] - [[ウラジーミル・マヤコフスキー]]、[[詩人]](* [[1893年]])
* [[1935年]] - [[エミー・ネーター]]、[[数学者]](* [[1882年]])
* [[1937年]] - [[ネッド・ハンロン]]、元プロ野球選手(* [[1857年]])
* [[1938年]] - [[ギリス・グラフストローム]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1893年]])
* [[1943年]] - [[ヤーコフ・ジュガシヴィリ]]、[[ヨシフ・スターリン]]([[ソビエト連邦]]指導者)の長男(* [[1908年]])
* [[1958年]] - [[佐藤市郎]]、[[軍人]](* [[1889年]])
* [[1963年]] - [[野村胡堂]]、[[小説家]](* [[1882年]])
* [[1964年]] - [[レイチェル・カーソン]]、[[生物学者]](* [[1907年]])
* [[1969年]] - [[ロベルト・フィルポ]]、[[タンゴ]]の[[ピアニスト]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1884年]])
* [[1975年]] - [[フレドリック・マーチ]]、[[俳優]](* [[1897年]])
* [[1978年]] - [[ジョー・ゴードン]]、元プロ野球選手(* [[1915年]])
* [[1980年]] - [[ジャンニ・ロダーリ]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](* [[1920年]])
* [[1981年]] - [[クリスティアン・ダーントン]]、作曲家(* [[1905年]])
* 1981年 - [[イヴァン・ガラミアン]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1903年]])
* [[1986年]] - [[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]、[[哲学|哲学者]](* [[1908年]])
* [[1994年]] - [[利根山光人]]、画家(* [[1921年]])
* [[1996年]] - [[高鐵山孝之進]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1942年]])
* 1996年 - [[綱淵謙錠]]、小説家、[[随筆家]](* [[1924年]])
* [[1997年]] - [[ジャムビィン・バトムンフ]]、[[政治家]](* [[1926年]])
* [[2000年]] - [[フィル・カッツ]]、[[プログラマ]](* [[1962年]])
* [[2001年]] - [[三波春夫]]、[[演歌歌手]](* [[1923年]])
* 2001年 - [[勅使河原宏]]、[[華道家]]、[[映画監督]](* [[1927年]])
* [[2002年]] - [[マルク・エルムレル]]、指揮者(* [[1932年]])
* [[2004年]] - [[桂喜丸]]、落語家(* [[1956年]])
* [[2006年]] - [[古川俊一]]、[[行政学者]](* [[1948年]])
* [[2007年]] - [[柴山薫]]、[[漫画家]](* [[1964年]])
* [[2008年]] - [[森中千香良]]、元[[プロ野球選手]](* [[1939年]])
* [[2009年]] - [[上坂冬子]]、[[ノンフィクション]]作家(* [[1930年]])
* 2009年 - [[ドミトリー・クリュコフ]]、[[実業家]](* [[1960年]])
* [[2012年]] - [[荒木しげる]]、[[俳優]](* [[1949年]])
* 2012年 - [[ピエルマリオ・モロジーニ]]、サッカー選手(* [[1986年]])
* [[2013年]] - [[下条進一郎]]、政治家(* [[1920年]])
* 2013年 - [[三國連太郎]]、俳優、[[映画監督]](* [[1923年]])
* 2013年 - [[コリン・デイヴィス]]、[[指揮者]](* [[1927年]])
* 2013年 - [[式守伊之助 (30代)|式守伊之助]]、立行司(* [[1936年]])
* [[2015年]] - [[パーシー・スレッジ]]、歌手(* [[1941年]])
* 2015年 - [[小島功]]<ref name="sa0417">{{Cite news |title=エロチックナンセンス、「現代の浮世絵師」 漫画家の小島功氏が死去 |url=https://www.sankei.com/article/20150417-VZND4N6L7BOH3FZMWVQAECJVS4/ |date=2015-04-17 |newspaper=産経ニュース |publisher=産業経済新聞社 |accessdate=2020-11-19}}</ref>、漫画家(* [[1928年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Kagura Tai Float.jpg|thumb|200px|春の[[高山祭]](14-15日)。画像は高山祭の屋台]] <!-- 祭の写真が欲しい -->
<!-- [[Image:Mary of egypt2.jpg|thumb|200px|[[エジプトのマリア]]の記憶]] -->
* 東南アジア・南アジアの[[正月]]
*: 東南アジア・南アジアの多くの国では4月14日を新年の始まりの日としている。本来は太陽が[[白羊宮]]に入る日で、グレゴリオ暦上の日付は年により異なるが、現在は多くの国で4月14日に固定されている。
* [[オレンジデー]]({{JPN}})
* パートナーデー({{JPN}})
*: [[佐賀県]][[佐賀市]]が[[1998年]]に制定。男女が共に参画する社会を目指す日。
* 椅子の日({{JPN}})
*: 大阪の家具販売会社「オフィスレット」が2006年に「4 1 4」(よい いす)の頃に合わせて制定。
* 柔道整復の日({{JPN}})
*: 1970年のこの日に柔道整復師法が公布されたことから、NPO法人・全国柔整鍼灸協会が制定。柔道整復を東洋医学に基づく医療として広く認識してもらうことが目的。
* [[ブラックデー]]({{KOR}})
*: バレンタインデー・ホワイトデーのどちらでも何ももらえず恋人ができなかった者同士が黒い服を着て集まり、チャジャン麺(麺に黒いあんをかけた料理)やコーヒーなど黒い物を飲食する日。
* 青年の日({{AGO}})
* [[高山祭|春の高山祭]]({{JPN}}・[[高山市]])
*: [[岐阜県]][[高山市]]で行われる[[日枝神社 (高山市)|日枝神社]]の例祭。[[日本三大一覧#祭り|日本三大美祭]]の一つに数えられる。
* [[エジプトのマリア|エジプトの聖マリア]]の記憶([[正教会]])
*: 正教会で第二の聖人とも言われるエジプトの聖マリアを記憶する。[[ユリウス暦|修正ユリウス暦]]使用教会では[[4月1日]]。[[カトリック教会]]では[[4月3日]]。
* [[SOS]]の日([[タイタニック号]]の日)
*: [[1912年]]のこの日、豪華客船[[タイタニック号]]が[[ニューファンドランド島]]沖で氷山に衝突。
*: この時に発せられたSOS信号が世界で初めてのSOS信号という誤った説が広まったことから(正しくは1909年6月10日スラボニア号が世界初)
* [[聖衆来迎練供養会式]]({{JPN}}・[[當麻寺]])
*: [[2019年]]以降の開催日。(元は[[中将姫]][[命日]]の[[3月14日 (旧暦)|旧暦3月14日]]、[[明治|明治時代]]からは[[5月14日]]に開催されていた。)
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0414|date=2011年6月}}
* 1947年(昭和22年)- [[信濃国|信州]][[霧ヶ峰]]で椿英輔[[子爵]]の遺体が発見される。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第1章)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 生年不明 - [[護廷十三隊#メンバー|荻堂春信]]、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=久保帯人|authorlink=久保帯人|year = 2006 |title = BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page = 119 |publisher=[[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 4-08-874079-3 }}</ref>
* 生年不明 - 尾長渉、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2014|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-880071-4|quote=|date=|volume=11巻|page=148}}</ref>
* 生年不明 - 熊谷友子、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1117080157997752320}}</ref>
* 生年不明 - 鷺森灼、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|author=[[小林立]] |url=http://sciasta.com/characters.html |title=鷺森 灼(さぎもり あらた) |publisher=小林立公式サイト |accessdate=2022-09-29 |work=咲-Saki-}}</ref>
* 生年不明 - 渡亮太、漫画・アニメ『[[四月は君の嘘]]』に登場するキャラクター<ref>TVアニメ『四月は君の嘘』op曲CD「光るなら」に付属した生徒証明書に記載。</ref>
* 生年不明 - 石崎大地、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/ishizaki.html |title=石崎 大地 |accessdate=2022-09-29 |website=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 鬼道有人、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref name="corocoro.jp_68074_p1">{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=2022-09-29}}</ref>
* 生年不明 - 源田幸次郎、ゲーム・アニメ『イナズマイレブン』シリーズに登場するキャラクター<ref name="corocoro.jp_68074_p1" />
* 生年不明 - [[赤城みりあ]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20005 |title=赤城 みりあ(あかぎ みりあ) |access-date=2022-09-29 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 -河北智恵、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/kawakita |publisher=Akatsuki Inc. |title=河北 智恵 |accessdate=2022-09-29 |work=八月のシンデレラナイン公式サイト}}</ref>
<!--* 生年不明 - [[BLEACHの登場人物#毒ヶ峰リルカ|毒ヶ峰リルカ]]、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター-->
* 生年不明 - メディア、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー|クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=109 |title=メディア |access-date=2022-09-29 |publisher=KONAMI |work=クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界}}</ref>
* 生年不明 - サクラバクシンオー、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://umamusume.jp/character/detail/?name=sakurabakushino |title= サクラバクシンオー|publisher=「ウマ娘 プリティーダービー」公式ポータルサイト |date= |accessdate=2022-08-06}}</ref>
* 生年不明 - 四十物十四(あいもの じゅうし)、メディアミックス『[[ヒプノシスマイク|ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://hypnosismic.com/character/nagoya/14th_moon/ |title=四十物十四 / 14th Moon |accessdate=2022-09-29 |publisher= |website=音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』オフィシャルサイト}}</ref>
* 生年不明 - 花里みのり、メディアミックス『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク|プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://pjsekai.sega.jp/character/unite02/minori/index.html |title=花里 みのり |access-date=2022-09-29 |publisher=セガ×Craft Egg/Colorful Palette |work=プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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== できごと ==
[[Image:Vigiles_du_roi_Charles_VII_32.jpg|thumb|180x180px|[[フォルミニーの戦い]](1450)、[[イングランド]]は[[ノルマンディー]]を失う]]
[[Image:Jackie_Robinson_No5_comic_book_cover.jpg|thumb|[[ジャッキー・ロビンソン]]、[[ネグロイド|黒人]]初の[[メジャーリーグベースボール|大リーガー]]としてデビュー(1947)。画像は1951年の雑誌表紙|257x257ピクセル]]
[[Image:USF-111_Libya1986.JPG|thumb|180x180px|[[アメリカ合衆国]]による[[リビア爆撃 (1986年)]]。画像は爆撃支援のため離陸する[[F-111 (航空機)|F-111]]]]
* [[1017年]]([[寛仁]]元年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[藤原道長]]の長男・[[藤原頼通|頼通]]が[[摂政]]に就任。
* [[1071年]] - [[東ローマ帝国]]の南イタリア最後の領地である[[バーリ]]が[[ノルマン人]]傭兵[[ロベルト・イル・グイスカルド]]により占領される。
* [[1245年]] - [[モンゴル帝国]]に対する[[ローマ教皇]]の使者として、修道士[[プラノ・カルピニ]]がモンゴルへ出発。
* [[1450年]] - [[百年戦争]]: [[フォルミニーの戦い]]。[[フランス]]が勝利し、[[イングランド]]は[[ノルマンディー]]から撤退。
* [[1632年]]([[ユリウス暦]][[4月5日]]) - [[三十年戦争]]: [[レヒ川の戦い]]。
* [[1865年]] 前日襲撃された[[エイブラハム・リンカーン]]が死亡。副大統領だった [[アンドリュー・ジョンソン]]が大統領に昇格した。
* [[1869年]]([[明治]]2年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - 明治政府が[[円 (通貨)|円貨]]の制度を定める。
* [[1870年]](明治3年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]) - 西村勝三が築地に伊勢勝造靴場を設立。日本初の西洋[[靴]]工場。
* [[1885年]] - [[巨文島事件]]。[[イギリス海軍]]が朝鮮の[[巨文島]]を占領。1887年3月に撤退。
* [[1892年]] - [[ゼネラル・エレクトリック]]創業。
* [[1896年]] - [[4月6日]]から開催されていた第1回[[近代オリンピック]]([[1896年アテネオリンピック|アテネオリンピック]])が閉幕。
* [[1897年]] - [[オーストリア=ハンガリー帝国]]の[[ボヘミア]]地方において[[ドイツ語]]と並んで[[チェコ語]]も[[公用語]]と定めた政令が発布([[バデーニ言語令]])。
* [[1900年]] - [[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万国博覧会]]が開幕。[[11月5日]]まで。
* [[1910年]] - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[第六潜水艇]]が[[広島湾]]でガソリン潜航の訓練中に遭難。乗組員14名全員が死亡。破損の修理をしていた2人を除く全員が配置についたまま殉職したことが世界に感銘を与える。
* 1910年 - [[京阪電気鉄道]][[京阪本線|本線]]の[[天満橋駅]] - 五条駅(現:[[清水五条駅]])間が開業。
* [[1912年]] - イギリスからニューヨークに向かっていた豪華客船[[タイタニック (客船)|タイタニック号]]が、前日の[[氷山]]衝突によって[[タイタニック号沈没事故|沈没]]。
* [[1913年]] - 京王電気軌道が[[笹塚駅]] - [[調布駅]]間の鉄道路線(現在の[[京王電鉄]][[京王線]])及び同線に接続する[[新宿駅]] - [[笹塚駅]]、[[調布駅]] - [[府中市 (東京都)|府中町]] - [[国分寺駅]]間の[[バス (交通機関)|バス]]路線(現在の[[東京都]]内初のバス路線)の運行を開始。
* [[1915年]] - [[ハイデラバード・ハイ・コート]]起工。
* 1915年 - [[武蔵野鉄道]]・[[池袋駅]] - [[飯能駅]]間(現在の[[西武池袋線]])が開業。
* [[1919年]] - [[提岩里教会事件]]。
* [[1920年]] - [[学校法人明治大学|明大]]、[[学校法人法政大学|法大]]、[[学校法人中央大学|中大]]、[[学校法人日本大学|日大]]、[[皇典講究所]]、[[同志社]]の[[大学令]]による[[旧制大学|私立大学]]設立が認可される。
* [[1921年]] - [[羽仁もと子]]が[[学校法人自由学園|自由学園]]を創立。
* [[1929年]] - [[阪急百貨店]]開店。日本初のターミナルデパート。
* 1929年 - 房総線(現在の[[外房線]]・[[内房線]])が全通。[[房総半島]]一周の列車が運行開始。
* [[1943年]] - [[ロスアラモス国立研究所]]設立。
* [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]]がイギリス軍により解放される。
* 1945年 - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: 米軍機が東京南部・川崎を無差別爆撃。死者841名。
* [[1947年]] - [[ジャッキー・ロビンソン]]が[[黒人]]初の[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーガー]]としてデビュー。
* [[1950年]] - [[公職選挙法]]公布。
* 1950年 - 旧皇族・元首相の[[東久邇稔彦]]が「ひがしくに教」を開教。
* [[1954年]] - 神奈川県[[逗子市]]が市制施行。
* [[1955年]] - [[レイ・クロック]]が[[イリノイ州]]{{仮リンク|デスプレーンズ|en|Des Plaines, Illinois}}に[[マクドナルド]]の最初の[[フランチャイズ]]店を出店。
* [[1958年]] - [[ガーナ]]で第1回アフリカ独立諸国会議開催。
* [[1960年]] - 三崎港と[[城ヶ島]]を結ぶ[[城ヶ島大橋]]が開通。開通時は、東洋一を誇った鋼床版箱桁形式の海橋。
* [[1969年]] - [[アメリカ海軍EC-121機撃墜事件]]が起こる。
* [[1971年]] - [[朝鮮中央放送]]の[[開城]]テレビジョン放送が放送開始。
* [[1980年]] - [[フランス]]の[[ラ・アーグ再処理工場]]で停電事故。[[高レベル放射性廃棄物]]貯蔵タンクで廃液が沸騰し爆発未遂。
* [[1983年]] - [[東京ディズニーランド]]開園<ref>{{Cite web |url=https://forbesjapan.com/articles/detail/46850 |title=39年前、東京ディズニーランドが開園した日|4月15日 |access-date=24 Sep 2023 |publisher=Forbes JAPAN |date=15 Apr 2022}}</ref>。
* [[1985年]] - 主人を守ろうとして自動車に轢かれた[[盲導犬]]・[[サーブ (盲導犬)|サーブ]]に「盲導犬は[[視覚障害者]]の身体の一部」として対人保険金の支払いが認められる。
* [[1986年]] - アメリカ軍が[[ムアンマル・アル=カッザーフィー]]暗殺のため[[リビア爆撃 (1986年)|リビアを爆撃]]。
* [[1989年]] - [[ヒルズボロの悲劇]]。イングランドサッカー史上最悪の事故。
* [[1994年]] - [[世界貿易機関を設立するマラケシュ協定]](WTO設立協定)調印。
* [[1995年]] - [[オウム真理教]]によって[[新宿]]に異変と予言されていた日([[4月15日予言]])だったため、新宿全域で厳戒態勢が敷かれる。
* [[2002年]] - [[中国国際航空129便墜落事故]]。[[北京市|北京]]発[[釜山広域市|釜山]]行きの[[中国国際航空]]129便[[ボーイング767]]型機が[[金海国際空港]]への着陸進入中に墜落、乗員乗客128名が死亡。
* [[2004年]] - [[イラク日本人人質事件]]で拘束されていた3人が8日ぶりに解放され、全員の無事が確認される。
* [[2005年]] - テレビアニメ『[[ドラえもん]]』で、声優陣の一新など大幅にリニューアルした[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|新シリーズ]]が放送開始。
* [[2007年]] - [[三重県]]中部で[[マグニチュード]]5.4の[[三重県中部地震]]が発生。
* [[2008年]] - [[そごう]]主要店舗に設置されていた「世界の人形時計」が同日閉店時刻を最後にからくり機能の使用を中止。
* [[2013年]] - [[ボストンマラソン爆弾テロ事件]]。
* [[2017年]] - [[中華人民共和国|中国]]の[[無錫市|無錫]]にて開催された[[アジア卓球選手権]]女子シングルで、[[平野美宇]]が日本人としては21年ぶりに優勝<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/04/15/kiji/20170415s00026000384000c.html |title=美宇アジア選手権初V!世界1位、2位、5位の中国勢破り日本女子21年ぶり |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=15 Apr 2017}}</ref>。
* [[2019年]] - [[ノートルダム大聖堂の火災]]: [[中央ヨーロッパ時間|現地時間]]午後6時50分頃、[[フランス]]の[[パリ]]にある[[ノートルダム大聖堂]]で大規模な火災が発生<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3220930 |title=仏ノートルダム大聖堂で大規模火災 尖塔が崩壊 |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=16 Apr 2019}}</ref>。
* [[2023年]] - [[内閣総理大臣]]の[[岸田文雄]]が、遊説先の[[和歌山市]]の[[雑賀崎漁港]]で、爆発物を投げられる事件が発生。岸田に怪我は無かった([[岸田文雄襲撃事件]])<ref>{{Cite web |url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230415-OYT1T50289/ |title=安倍元首相銃撃から1年足らず、首相襲撃に与野党衝撃…「抗議」「怒り」強い危機感 |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[讀賣新聞]]オンライン |date=17 Apr 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[Image:Possible_Self-Portrait_of_Leonardo_da_Vinci.jpg|thumb|180px|[[ルネサンス]]期の「万能人」、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]](1452-1519)誕生]]
[[Image:Sikh_Gurus_with_Bhai_Bala_and_Bhai_Mardana.jpg|thumb|シク教の開祖 [[グル・ナーナク]](1469-1539)誕生|238x238ピクセル]]
[[Image:Catherine_I_of_Russia_by_Nattier.jpg|thumb|ロシア初の女性皇帝、[[エカチェリーナ1世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ1世]](1684-1727)誕生|234x234ピクセル]]
[[Image:Leonhard_Euler_2.jpg|thumb|膨大な業績を残した数学者[[レオンハルト・オイラー]](1707-1783)誕生|225x225ピクセル]]
[[Image:CamargoLancret.jpg|thumb|180x180px|[[バレエ]]衣装に数々の革新をもたらしたダンサー、[[マリー・カマルゴ]](1710-1770)]]
[[Image:C_W_Peale_-_The_Artist_in_His_Museum.jpg|thumb|画家・博物学者、[[チャールズ・ウィルソン・ピール]](1741-1827)。最初期の博物館を設立した|235x235ピクセル]]
[[Image:John_Franklin.jpg|thumb|[[北極]]探検家、[[ジョン・フランクリン]](1786-1847)|227x227ピクセル]]
[[Image:Th%C3%A9odore_Rousseau_003.jpg|thumb|180x180px|[[バルビゾン派]]の[[風景画]]家、[[テオドール・ルソー]](1812-1867)。画像は『アプルモンの樫』(1852)]]
[[Image:Henry_James_by_John_Singer_Sargent_cleaned.jpg|thumb|upright|英米での[[心理主義]]小説の先駆者、作家[[ヘンリー・ジェイムズ]](1843-1916)。代表作『[[ねじの回転]]』(1898)]]
[[Image:Emile_Durkheim.jpg|thumb|upright|[[総合社会学]]の提唱者、[[エミール・デュルケーム]](1858-1917)]]
[[Image:Kim_Il-sung_1946.JPG|thumb|upright|[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)の最高指導者であった[[金日成]](1912-1994)。画像は1946年のもの]]
[[Image:Kunishige Kamamoto IMG 3322 20140110.JPG|thumb|upright|サッカー選手、[[釜本邦茂]](1944-1994)。Jリーグ開幕前に活躍した]]
=== 人物 ===
* [[1452年]] - [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]<ref>{{Cite web |title=Leonardo da Vinci|Italian artist, engineer, and scientist |url=https://www.britannica.com/biography/Leonardo-da-Vinci |access-date=24 Sep 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[画家]]、[[科学者]](+ [[1519年]])
* [[1469年]] - [[グル・ナーナク]]、[[シク教]]の[[教祖]](+ [[1539年]])
* [[1642年]] - [[スレイマン2世]]<ref>{{Cite web |title=Süleyman II|Ottoman sultan |url=https://www.britannica.com/biography/Suleyman-II-Ottoman-sultan |access-date=24 Sep 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、オスマン帝国第20代[[皇帝]](+ [[1691年]])
* [[1646年]] - [[クリスチャン5世 (デンマーク王)|クリスチャン5世]]、[[デンマーク王]](+ [[1699年]])
* [[1656年]]([[明暦]]2年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[丹羽長之]]、第6代[[二本松藩|二本松藩主]](+ [[1701年]])
* [[1684年]] - [[エカチェリーナ1世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ1世]]、[[ロシア皇帝]](+ [[1727年]])
* [[1688年]] - [[ヨハン・フリードリヒ・ファッシュ]]、[[作曲家]](+ [[1758年]])
* [[1707年]] - [[レオンハルト・オイラー]]、[[数学者]]、[[物理学者]](+ [[1783年]])
* [[1710年]] - [[マリー・カマルゴ]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[1770年]])
* 1710年([[宝永]]7年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[加藤泰広]]、第4代[[新谷藩|新谷藩主]] (+ [[1785年]])
* 1710年 - [[ウィリアム・カレン]]、[[化学者]](+ [[1790年]])
* [[1721年]] - [[ウィリアム・オーガスタス (カンバーランド公)|カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタス]]、[[イギリス]]の[[軍人]](+ [[1765年]])
* [[1738年]]([[元文]]3年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[蜂須賀重喜]]、第10代[[徳島藩|徳島藩主]] (+ [[1801年]])
* [[1741年]] - [[チャールズ・ウィルソン・ピール]]、画家、軍人、[[博物学|博物学者]](+ [[1827年]])
* [[1772年]] - [[エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレール]]、博物学者(+ [[1844年]])
* [[1786年]] - [[ジョン・フランクリン]]、[[海軍軍人]]、[[探検家]](+ [[1847年]])
* [[1793年]] - [[フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ]]、[[天文学者]](+ [[1864年]])
* [[1800年]] - [[ジェイムズ・クラーク・ロス]]、海軍軍人、探検家(+ [[1862年]])
* [[1809年]] - [[ヘルマン・グラスマン]]、数学者、物理学者、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1877年]])
* [[1812年]] - [[テオドール・ルソー]]、画家(+ [[1867年]])
* [[1820年]]([[文政]]3年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[内藤政義]]、第7代[[延岡藩|延岡藩主]] (+ [[1888年]])
* [[1832年]] - [[ヴィルヘルム・ブッシュ]]、画家、[[詩人]](+ [[1908年]])
* [[1843年]] - [[ヘンリー・ジェイムズ]]、[[小説家]](+ [[1916年]])
* [[1844年]]([[天保]]15年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[上杉茂憲]]、第13代[[米沢藩|米沢藩主]]・[[伯爵]] (+ [[1919年]])
* [[1858年]] - [[エミール・デュルケーム]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[1917年]])
* [[1874年]] - [[ヨハネス・シュタルク]]、[[物理学者]](+ [[1957年]])
* [[1877年]] - [[辻善之助]]、[[歴史学者]](+ [[1955年]])
* 1877年 - [[エド・アッバティッチオ]]、元プロ野球選手(+ [[1957年]])
* [[1878年]] - [[ロベルト・ヴァルザー]]、[[作家]](+ [[1956年]])
* [[1880年]] - [[マックス・ヴェルトハイマー]]、[[心理学者]](+ [[1943年]])
* [[1886年]] - [[アメデエ・オザンファン]]、画家(+ [[1966年]])
* [[1890年]] - [[ニコライ・トルベツコイ]]、言語学者(+ [[1938年]])
* [[1894年]] - [[ベッシー・スミス]]、[[ブルース]]歌手(+ [[1937年]])
* [[1895年]] - [[広瀬謙三]]、プロ野球公式記録員(+ [[1970年]])
* [[1896年]] - [[ニコライ・セミョーノフ]]、物理学者、化学者(+ [[1986年]])
* [[1897年]] - [[飯田蝶子]]、[[俳優|女優]](+ [[1972年]])
* [[1899年]] - [[吉野せい]]、[[文筆家]](+ [[1977年]])
* [[1900年]] - [[山本丘人]]、[[日本画家]](+ [[1986年]])
* [[1902年]] - [[日達|細井日達]]、[[僧|僧侶]]、[[日蓮正宗]]第66世法主(+ [[1979年]])
* [[1904年]] - [[アーシル・ゴーキー]]、画家(+ [[1948年]])
* 1904年 - [[遠藤三郎 (政治家)|遠藤三郎]]、[[政治家]](+ [[1971年]])
* [[1907年]] - [[ニコ・ティンバーゲン]]、[[動物行動学|動物行動学者]]、[[鳥類学|鳥類学者]](+ [[1988年]])
* [[1908年]] - [[リタ・グレイ]]、女優(+ [[1995年]])
* 1908年 - [[杉田屋守]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1972年]])
* [[1910年]] - [[保田與重郎]]、[[文芸評論家]](+ [[1981年]])
* [[1912年]] - [[金日成]]、政治家(+ [[1994年]])
* 1912年 - [[戸川幸夫]]、[[小説家]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[2004年]])
* 1912年 - [[古谷綱正]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1989年]])
* [[1913年]] - [[那須良輔]]、[[漫画家]](+ 1989年)
* [[1916年]] - [[松広金一]]、元プロ野球選手
* [[1917年]] - [[河邨文一郎]]、詩人、医師(+ [[2004年]])
* [[1918年]] - [[白石勝巳]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]])
* 1918年 - [[利根一郎]]、作曲家(+ [[1991年]])
* [[1919年]] - [[吉岡実]]、詩人(+ [[1990年]])
* 1919年 - [[式守伊之助 (24代)|24代式守伊之助]]、[[大相撲]][[立行司]](+ [[2013年]])
* [[1920年]] - [[リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー]]、[[連邦大統領 (ドイツ)|ドイツ連邦大統領]](+ [[2015年]])
* [[1923年]] - [[渡辺静 (野球)|渡辺静]]、元プロ野球選手(+ [[1945年]])
* [[1924年]] - [[佐藤泰三]]、政治家(+ [[2013年]])
* 1924年 - 海原小浜、[[漫才師]]([[海原お浜・小浜]])(+ [[2015年]])
* 1924年 - [[荒川昇治]]、元プロ野球選手(+ [[1997年]])
* 1924年 - [[ネヴィル・マリナー]]、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2016年]])
* [[1925年]] - [[五井孝蔵]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]])
* [[1927年]] - [[ロバート・ミルズ]]、物理学者(+ [[1999年]])
* [[1929年]] - [[加藤常昭]]、[[神学者]]
* [[1930年]] - [[ヴィグディス・フィンボガドゥティル]]、政治家、第4代[[アイスランドの大統領|アイスランド大統領]]
* [[1931年]] - [[戴国煇]]、[[農学者]]、[[著作家]](+ [[2001年]])
* [[1933年]] - [[エリザベス・モンゴメリー]]、女優(+ [[1995年]])
* 1933年 - [[デイヴィッド・ハミルトン]]、[[写真家]]、[[映画監督]](+ [[2016年]]<ref>{{Cite web |title=写真家D・ハミルトン氏、遺体で発見 元少女モデルへの暴行疑惑で注目 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3109236 |website=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=26 Nov 2016 |access-date=24 Sep 2023}}</ref>)
* 1933年 - [[矢田耕司]]、[[声優]](+ [[2014年]])
* 1933年 - [[黒木弘重]]、元プロ野球選手
* [[1934年]] - [[田原総一朗]]、[[ジャーナリスト]]
* 1934年 - [[久保山誠]]、元プロ野球選手(+ [[2022年]])
* [[1936年]] - [[レイモン・プリドール]]、[[自転車競技]]選手(+ [[2019年]])
* [[1937年]] - [[佐木隆三]]、[[作家]](+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJC01H0F_R01C15A1000000/ |title=直木賞作家の佐木隆三氏が死去 78歳 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=1 Nov 2015 |accessdate=24 Sep 2023}}</ref>)
* 1937年 - [[和田明]]、高校野球指導者(+ [[1992年]])
* 1937年 - [[小檜山博]]、小説家
* [[1938年]] - [[クラウディア・カルディナーレ]]、女優
* [[1939年]] - [[小出義雄]]、[[陸上競技]]指導者、佐倉アスリート倶楽部代表(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20190424-RQ7SSWNRLRNAXLGMFPJOSVK2CM/ |title=高橋尚子さん、小出監督のおかげ「これからは大好きなお酒をたくさん飲んで」/陸上 |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[産経デジタル|SANKEI DIGITAL INC.]] |date=24 Apr 2019 |website=[[サンケイスポーツ]]}}</ref>)
* [[1940年]] - [[ジェフリー・アーチャー]]、作家、政治家
* 1940年 - [[ウィリー・デービス (野球)|ウィリー・デービス]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* [[1942年]] - [[篠原勝之]]、[[芸術家]]
* 1942年 - [[十田敬三]]、[[歌手]]
* [[1944年]] - [[釜本邦茂]]、元[[サッカー選手]]、指導者
* 1944年 - [[成川哲夫]]、[[俳優]]、国際空手道連盟玄制流成道会会長(+ [[2010年]])
* 1944年 - [[デイブ・エドモンズ|デイヴ・エドモンズ]]、[[ギタリスト]]
* [[1947年]] - [[渋谷幸春]]、元プロ野球選手
* 1947年 - [[衛藤雅登]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[范文雀]]、女優(+ [[2002年]])
* 1948年 - [[ヨネスケ]]、[[タレント]]
* 1948年 - [[マイケル・ケイメン]]、作曲家(+ [[2003年]])
* [[1949年]] - [[たかもちげん]]、漫画家(+ [[2000年]])
* 1949年 - [[酒井和歌子]]、女優
* 1949年 - [[アーラ・プガチョワ]]、[[歌手]]
* [[1951年]] - [[ベアトリクス・シューバ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1952年]] - [[兵藤ゆき]]、タレント
* [[1953年]] - [[北原光広]]、高校野球指導者
* [[1954年]] - [[小林すすむ]]、[[俳優]]、タレント(+ [[2012年]])
* 1954年 - [[坂崎幸之助]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[THE ALFEE]])
* [[1955年]] - [[ドディ・アルファイド]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1997年]])
* [[1956年]] - [[モニク・ルディエール]]、[[バレリーナ]]
* [[1957年]] - [[エベリン・アシュフォード]]、[[陸上競技選手]]
* 1957年 - [[建部知弘]]、作曲家、編曲家
* [[1958年]] - [[山崎隆造]]、元プロ野球選手
* [[1959年]] - [[エマ・トンプソン]]、女優
* 1959年 - [[トーマス・F・ウィルソン]]、俳優
* [[1960年]] - [[マイク・ディアズ]]、元プロ野球選手
* 1960年 - [[ペドロ・デルガド]]、自転車競技選手
* [[1961年]] - [[キャロル・W・グライダー]]、[[分子生物学|分子生物学者]]
* [[1962年]] - [[河原崎國太郎 (6代目)]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎役者]]
* [[1963年]] - [[冴木杏奈]]、歌手
* [[1965年]] - [[野口聡一]]、[[宇宙飛行士]]
* 1965年 - [[鳴沢真也]]、天文学者
* 1965年 - [[クラウディア・ライストナー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1966年]] - [[矢野有美]]、歌手、タレント
* 1966年 - [[サマンサ・フォックス]]、歌手
* [[1967年]] - [[鹿野睦]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー
* 1967年 - [[上野智広]]、アナウンサー
* 1967年 - [[エンセン井上]]、[[格闘家]]
* 1967年 - [[原田楊子]]、元[[AV女優]]
* 1967年 - [[フランキー・ポーレイン]]、ミュージシャン(元[[ザ・ダークネス]])
* 1967年 - [[クリストフ・ピユー]]、[[騎手]]
* 1967年 - [[ダラ・トーレス]]、競泳選手
* [[1968年]] - [[エド・オブライエン]]、ミュージシャン([[レディオヘッド]])
* 1968年 - [[辻輝猛]]、俳優
* [[1969年]] - [[嶋村カオル]]、声優(+ [[2013年]])
* [[1970年]] - [[江藤智 (野球)|江藤智]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[清原幸治]]、野球選手
* [[1972年]] - [[椿鬼奴]]、お笑い芸人
* 1972年 - [[木村拓也]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* 1972年 - [[大島寛]]、元プロ野球選手
* [[1973年]] - [[ペドロ・ラソ]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[久保充広]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[岡田太郎]]、俳優
* [[1976年]] - [[楢﨑正剛]]、サッカー選手
* 1976年 - [[美川べるの]]、漫画家
* 1976年 - [[山内あゆ]]、[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]]
* [[1977年]] - [[DJ JURI]]、DJ
* 1977年 - 新道竜巳、お笑い芸人([[馬鹿よ貴方は]])
* [[1978年]] - [[ミルトン・ブラッドリー]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[荒神直規]]、シンガーソングライター(元[[Naifu]])
* 1978年 - [[ギオルギ・ラッザビゼ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]]
* 1978年 - [[ティム・コーコラン (投手)|ティム・コーコラン]]、プロ野球選手
* 1978年 - 渡辺隆、お笑い芸人([[錦鯉 (お笑いコンビ)|錦鯉]])
* 1978年 - [[クリス・ステイプルトン]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー]]歌手
* [[1979年]] - [[田口隆祐]]、[[プロレスラー]]
* 1979年 - [[村上博幸]]、[[競輪選手]]
* [[1980年]] - [[ラウル・ロペス]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* 1980年 - [[水田信二]]、お笑いタレント([[和牛 (お笑いコンビ)|和牛]])
* 1980年 - [[阿部彬名]]、声優
* 1980年 - [[阿部加奈江]]、声優
* 1980年 - [[パシンペロンはやぶさ]]、お笑いタレント(元[[パシンペロン]])
* 1980年 - [[マキシマム ザ ホルモン#メンバー|上ちゃん]]、ベーシスト([[マキシマムザホルモン]])
* [[1982年]] - [[阿竹智史]]、競輪選手
* 1982年 - [[森跳二]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[加藤光教]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[陳冠任]]、野球選手
* [[1983年]] - [[グラディス・オロスコ]]、フィギュアスケート選手
* [[1984年]] - [[陳玘]]、[[卓球]]選手
* [[1985年]] - [[黒瀬春樹]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[ジョン・ダンクス]]、プロ野球選手
* 1985年 - [[清水香苗]]、お笑い芸人
* 1985年 - [[JOY (ファッションモデル)|JOY]]、[[ファッションモデル]]、[[タレント]]
* 1985年 - [[アーロン・ラフィー]]、プロ野球選手
* [[1986年]] - [[岡山パセリ♪]]、[[AV監督]]
* [[1987年]] - [[小栗杏菜]]、AV女優
* 1987年 - [[謝和弦]]、[[歌手]]、[[俳優]]
* [[1988年]] - [[今井春奈]]、ファッションモデル、女優
* 1988年 - [[荻野貴幸]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[沼倉愛美]]、声優
* [[1989年]] - [[エミリー・ナフタル]]、フィギュアスケート選手
* 1989年 - [[アデイニー・エチェバリア]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[如月さや]]、[[グラビアアイドル]]
* [[1990年]] - [[谷口大智]]、バスケットボール選手
* 1990年 - [[川島亜依美]]、バレーボール選手
* 1990年 - [[山林芳則]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[秋野結]]、元グラビアアイドル
* 1990年 - [[有村千佳]]、元AV女優
* 1990年 - [[エマ・ワトソン]]、女優
* [[1991年]] - [[有岡大貴]]、アイドル([[Hey! Say! JUMP]])
* 1991年 - [[ハビエル・フェルナンデス]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1992年]] - [[河田直人]]、[[野球選手]]
* 1992年 - [[八角大智]]、元サッカー選手
* [[1993年]] - [[安田レイ]]、歌手
* [[1994年]] - [[下妻貴寛]]、元プロ野球選手
* 1994年 - [[星知弥]]、プロ野球選手
* [[1995年]] - [[高木和徹]]、サッカー選手
* [[1996年]] - [[川内康幹]]、フットサル選手
* 1996年 - [[飯塚麻結]]、声優
* 1996年 - [[渡部峻]]、TBSアナウンサー
* 1996年 - [[永山竜樹]]、[[柔道]]選手
* 1996年 - [[鈴木ロイ]]、プロアイスホッケー選手
* 1996年 - [[美谷朱音]]、AV女優
* [[1997年]] - [[堀内謙伍]]、プロ野球選手
* 1997年 - [[永谷暢章]]、野球選手
* 1997年 - [[メイジー・ウィリアムズ]]、女優
* 1997年 - [[中村海人]]、アイドル ([[Travis Japan]])
* [[1998年]] - [[小祝さくら]]、[[プロゴルファー]]
* 1998年 - [[兵頭功海]]、俳優
* 1998年 - [[石川達也 (野球)|石川達也]]、プロ野球選手
* 1998年 - [[笠木いちか]]、AV女優
* [[1999年]] - [[安田尚憲]]、プロ野球選手
* [[2000年]] - [[岡田結実]]、タレント
* [[2004年]] - [[松村和哉]]、俳優
* 2004年 - [[橋本智哉]]、元子役
* 生年不明 - [[東屋めめ]]、漫画家
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1973年]] - [[トウショウボーイ]]、[[競走馬]](+ [[1992年]])
* [[1987年]] - [[ダイイチルビー]]、競走馬(+ [[2007年]])
* [[1992年]] - [[フジキセキ]]、競走馬(+ [[2015年]])
* [[2001年]] - [[ハーツクライ]]、競走馬(+ [[2023年]])
* [[2017年]] - [[デアリングタクト]]、競走馬
{{-}}
== 忌日 ==
[[Image:View_of_the_Duomo%27s_dome%2C_Florence.jpg|thumb|270x270px|建築家[[フィリッポ・ブルネレスキ]](1377-1446)没。[[サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂]]の[[ドーム|クーポラ]](画像)が名高い]]
[[Image:Abraham_Lincoln_head_on_shoulders_photo_portrait.jpg|thumb|236x236px|[[エイブラハム・リンカーン]]大統領(在任期間:1861-1865)、前日の銃撃により没(1865)]]
[[Image:Fatherdamiengrave.jpg|thumb|[[ハンセン病]]患者のケアに生涯を捧げた[[ダミアン神父]](1840-1889)、自らもハンセン病で没|180x180ピクセル]]
[[Image:Jean-Paul_Sartre_FP.JPG|thumb|180x180px|[[実存主義]]哲学者、[[ジャン=ポール・サルトル]](1905-1980)没]]
[[Image:Graf_pol_pot.JPG|thumb|[[カンボジア]]、[[クメール・ルージュ]]の政治家[[ポル・ポト]](1928-1998)没|180x180ピクセル]]
=== 人物 ===
* [[628年]](推古天皇36年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[推古天皇]]、第33代[[天皇]](* [[554年]])
* [[1246年]]([[寛元]]4年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]) - [[菅原為長]]、[[平安時代]]・[[鎌倉時代]]の[[公卿]](* [[1158年]])
* [[1446年]] - [[フィリッポ・ブルネレスキ]]、[[建築家]](* [[1377年]])
* [[1473年]]([[文明 (日本)|文明]]5年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[山名宗全|山名持豊]](山名宋全)<ref>{{Kotobank|山名持豊}}</ref>、[[守護大名]]、[[応仁の乱]]の西軍総大将(* [[1404年]])
* [[1641年]] - [[ドメニキーノ]]、[[画家]](* [[1581年]])
* [[1659年]] - [[ジーモン・ダッハ]]、[[詩人]](* [[1605年]])
* [[1719年]] - [[マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ]]、[[ルイ14世 (フランス王)|フランス王ルイ14世]]の寵姫(* [[1635年]])
* [[1754年]] - [[ヤコポ・リッカチ]]、[[数学者]](* [[1676年]])
* [[1764年]] - [[ペーダー・ニールセン・ホレボー]]、[[天文学者]](* [[1679年]])
* 1764年 - [[ポンパドゥール夫人]]、フランス国王[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の[[公妾]](* [[1721年]])
* [[1765年]]([[ユリウス暦]]4月4日) - [[ミハイル・ロモノーソフ]]、[[科学者]](* [[1711年]])
* [[1855年]]([[安政]]2年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]]) - [[遠山景元]]、[[町奉行|江戸町奉行]]、[[大目付]]、『[[遠山の金さん]]』のモデル(* [[1793年]])
* [[1865年]] - [[エイブラハム・リンカーン]]、第16代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1809年]])
* [[1888年]] - [[マシュー・アーノルド]]、詩人(* [[1822年]])
* [[1889年]] - [[ダミアン神父]]、[[カトリック教会]]の[[司祭]](* [[1840年]])
* [[1909年]] - [[山川登美子]]、歌人(* [[1879年]])
* [[1912年]] - [[イジドー・ストラウス]]、[[実業家]](* [[1845年]])
* 1912年 - [[ジョン・ジェイコブ・アスター4世]]、実業家(* [[1864年]])
* 1912年 - [[ハリー・エルキンズ・ワイドナー]]、図書収集家(* [[1885年]])
* 1912年 - [[エドワード・スミス]]、[[船長]](* [[1850年]])
* 1912年 - [[ウォレス・ハートリー]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1878年]])
* [[1927年]] - [[ガストン・ルルー]]、[[小説家]](* [[1868年]])
* [[1933年]] - [[ジョージ・セーリング]]、[[陸上競技選手一覧|陸上選手]](* [[1909年]])
* [[1942年]] - [[ジョシュア・ピム]]、[[テニス]]選手(* [[1869年]])
* 1942年 - [[ロベルト・ムージル]]、小説家(* [[1880年]])
* [[1944年]] - [[ニコライ・ヴァトゥーチン]]、[[軍人]]
* [[1949年]] - [[ウォーレス・ビアリー]]、[[俳優]](* [[1885年]])
* [[1956年]] - [[エミール・ノルデ]]、[[画家]](* [[1867年]])
* [[1964年]] - 2代目[[広沢菊春]]、[[浪曲|浪曲師]](* [[1914年]])
* [[1969年]] - [[ヴィクトリア・ユージェニー・オブ・バッテンバーグ]]、[[アルフォンソ13世 (スペイン王)|スペイン王アルフォンソ13世]]の妃(* [[1887年]])
* [[1972年]] - [[フランク・ナイト]]、[[経済学者]](* [[1885年]])
* [[1980年]] - [[土岐善麿]]、[[歌人]]、国語学者(* 1885年)
* 1980年 - [[ジャン=ポール・サルトル]]、[[哲学|哲学者]]、[[小説家]](* [[1905年]])
* 1980年 - [[有馬頼義]]、小説家(* [[1918年]])
* [[1983年]] - [[コーリー・テン・ブーム]]、[[ホロコースト]]生還者(* [[1892年]])
* 1983年 - [[八田一朗]]、[[アマチュアレスリング]]指導者、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[参議院|参議院議員]](* [[1906年]])
* [[1986年]] - [[ジャン・ジュネ]]、小説家(* [[1910年]])
* [[1987年]] - [[中山正敏 (空手家)|中山正敏]]、[[空手家]](* [[1913年]])
* [[1988年]] - [[ユーリ・エゴロフ]]、[[ピアニスト]](* [[1954年]])
* [[1989年]] - [[胡耀邦]]、[[中国共産党]][[総書記]](* [[1915年]])
* [[1990年]] - [[グレタ・ガルボ]]、女優(* [[1905年]])
* 1990年 - [[スパーク・マツナガ]]、[[アメリカ合衆国上院|アメリカ合衆国上院議員]](* [[1916年]])
* [[1992年]] - [[オーティス・バートン]]、[[探検家]]、[[発明家]]、[[俳優]](* [[1899年]])
* [[1993年]] - [[ツゾー・ウィルソン]]、[[地球物理学|地球物理学者]]、[[地質学|地質学者]](* [[1908年]])
* [[1994年]] - [[ジョン・カリー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1949年]])
* [[1997年]] - [[西村晃]]、俳優(* [[1923年]])
* [[1998年]] - [[ポル・ポト]]、[[カンボジア]]の指導者(* [[1925年]])
* [[1999年]] - [[ハーベイ・ポスルスウェイト]]、[[フォーミュラ1|F1]][[技術者|エンジニア]](* [[1944年]])
* [[2000年]] - [[エドワード・ゴーリー]]、[[絵本作家]](* [[1925年]])
* [[2001年]] - [[ジョーイ・ラモーン]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1951年]])
* [[2004年]] - [[横山光輝]]、[[漫画家]](* [[1934年]])
* [[2005年]] - [[田中聖二]]、[[プロボクサー]](* [[1977年]])
* [[2006年]] - [[今野忠一]]、[[日本画家]](* [[1915年]])
* 2006年 - [[青木信光 (作家)|青木信光]]、小説家(* [[1932年]])
* [[2008年]] - [[辻清明 (陶芸家)|辻清明]]、[[陶芸|陶芸家]](* [[1927年]])
* 2008年 - [[デイヴィッド・キャス]]、経済学者(* [[1937年]])
* 2008年 - [[ブライアン・デヴィソン]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[ドラマー]]([[ナイス (バンド)|ナイス]])(* [[1942年]])
* [[2009年]] - [[濤川栄太]]、教育評論家(* [[1943年]])
* [[2011年]] - [[レノ・ベルトイア]]、[[プロ野球選手]](* [[1935年]])
* [[2012年]] - [[三重野康]]、第26代[[日本銀行総裁]](* [[1924年]])
* 2012年 - [[堀江ひとみ]]、反暴力団活動家
* [[2015年]] - [[愛川欽也]]、俳優、声優、司会者(* [[1934年]])
* [[2017年]] - [[エンマ・モラーノ]]、1800年代生まれの最後の生き残り(* [[1899年]])
* [[2018年]] - [[R・リー・アーメイ]]、アメリカ海兵隊の軍人、俳優(* [[1944年]])
* [[2022年]] - [[KOJI (ミュージシャン)|KOJI]]、ミュージシャン(元[[La'cryma Christi]]メンバー)(* [[1973年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2019年]] - [[ヒシアマゾン]]、[[競走馬]](* [[1991年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Leonardo helicopter.JPG|thumb|184x184px|[[ヘリコプター]]の日。画像は[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]によるヘリコプターの図案(15-16世紀)]]
[[Image:Ivory trade.jpg|thumb|237x237px|[[ゾウ|象]]供養の日。画像は[[ダルエスサラーム]]での象牙取引]]
* 世界医学検査デー({{World}})
*: 1996年6月の世界医学検査協会(IAMLT)代議員会で制定。
* [[Tax Day]]({{USA}})
*: アメリカ合衆国における[[確定申告]]の締切日。
* ジャッキー・ロビンソン・デー({{USA}})
*: 黒人初の[[メジャーリーガー]]・[[ジャッキー・ロビンソン]]がメジャー・デビューを果たした日。[[メジャーリーグベースボール]]が2004年に制定。この日(試合がない場合は以降の最初)の試合では出場選手全員が彼が付けていた背番号「[[42]]」を付ける。
* [[太陽節]]({{PRK}})
*: [[金日成]]主席の誕生日。
*[[国家安全保障]]の日({{PRC}})
*: [[2015年]][[7月1日]]、中華人民共和国第12回[[全国人民代表大会常務委員会]]の第15回会議で、中華人民共和国国家安全法が可決。そのうちの第14条は、毎年4月15日を国家安全保障の日と規定している。
* [[ヘリコプター]]の日({{JPN}})
*: ヘリコプターの原理を考え出した[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の誕生日にちなみ、[[全日本航空事業連合会]]が[[1986年]]に制定。
* [[ゾウ|象]]供養の日({{JPN}})
*: [[1926年]]のこの日に初めて象供養が行われたことにちなみ、[[象牙]]を扱う業界の団体・東京象牙美術工芸協同組合が制定。
* [[遺言]]の日({{JPN}})
*: 「ゆ(4)い(1)ご(5)ん」の語呂合わせ。
*: 近畿弁護士会連合会が制定。[[2007年]]から[[日本弁護士連合会]]が主催して全国で実施されるようになった。これとは別に[[11月15日]]が[[いい遺言の日]]となっている。
* [[イリオモテヤマネコ]]の日({{JPN}})
*: [[1965年]]のこの日に新種であることが公表されたことにちなみ、イリオモテヤマネコの生息地である[[竹富町]]が[[2015年]]に制定<ref>{{Cite web |url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-258010.html |title=竹富町、「イリオモテヤマネコの日」を宣言 |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[琉球新報]] |date=15 Apr 2015}}</ref>。
* よいこの日({{JPN}})
*: 4=よ、15=いこの語呂合わせ。
*梅若忌({{JPN}})
*: 梅若丸は、伝説上の少年で、京都の貴族吉田少将の子。父の死後、人買にさらわれ、隅田川の畔で亡くなる。梅若丸の死後1年、京都から訪ねてきた母親は、息子の死を知って悲しみにくれる。[[観世元雅]]の能「隅田川」で知られ、東京都墨田区の梅柳山[[木母寺]]には梅若丸を弔った梅若塚が再現されている。同寺では毎年4月15日、梅若忌として大念仏会が行われる<ref>{{Cite web |url=https://www.mokuboji.org/%E5%B9%B4%E9%96%93%E8%A1%8C%E4%BA%8B/ |title=年間行事 |access-date=24 Sep 2023 |publisher=梅柳山 墨田院 木母寺}}</ref>。
{{clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0415|date=Sep 2023}}
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[2009年]] - ニャル子、ライトノベル・アニメ『[[這いよれ! ニャル子さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite episode
|title=第8話『ニャル子のドキドキハイスクール』の婚姻届シーン(15:50付近)
|series=這いよれ! ニャル子さん TVアニメ
|series-link=テレビ東京
|network=[[テレビ東京]]
|airdate=2012-05-28
|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/nyaruko/episodes/episodes01/index.html}}</ref>
* [[2038年]] - [[バトルガールハイスクール#南ひなた|南ひなた]]、ゲーム『[[バトルガールハイスクール]]』に登場するキャラクター<ref>電撃オンライン編集部『バトルガール ハイスクール 公式ビジュアルファンブック』KADOKAWA/アスキー・メディアワークス、2016年4月27日。</ref><ref>{{Twitter status|bgirl_colopl|720804725533192192}}</ref>
* 生年不明 - 上杉風太郎、漫画・アニメ『[[五等分の花嫁]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |author=[[春場ねぎ]] |title=五等分の花嫁 |volume=9 |publisher=[[講談社]] |series=[[週刊少年マガジン]] |isbn=978-4-06-514879-2 |date=17 Apr 2019 |pages=129-145}}</ref><ref>{{Twitter status|5Hanayome_anime|1250076497001336834}}</ref>
* 生年不明 - アンディ、漫画・アニメ『[[アンデッドアンラック]]』のもうひとりの主人公<ref>{{Twitter status|undeadunluck_of|1686210265845727232}}</ref>
* 生年不明 - 平原陽桜莉、アニメ『[[BLUE REFLECTION シリーズ|BLUE REFLECTION 澪]]』の主人公<ref>{{Cite web |url=https://www.bluereflection-ray.com/character/chara01/ |title=平原 陽桜莉 |work=『BLUE REFLECTION 澪』 |publisher=[[コーエーテクモゲームス]]/AASA |accessdate=24 Sep 2023}}</ref>
* 生年不明 - 天魔星アルラウネのクィーン、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=75 |title=天魔星(てんませい)アルラウネのクィーン |work=『聖闘士星矢』 |accessdate=24 Sep 2023 |publisher=[[車田正美]] |website=MUSEUM聖闘士博物館}}</ref>
* 生年不明 - 首藤聡、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1514620756331741187}}</ref>
* 生年不明 - 猿山ケンイチ、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=矢吹健太朗|authorlink1=矢吹健太朗|author2=長谷見沙貴|authorlink2=長谷見沙貴|year = 2011 |title = To LOVEる -とらぶる-&To LOVEる -とらぶる- ダークネス公式データブック「ぱ〜ふぇくとらぶる! 」|page = 59 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874852-8 }}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=[[矢吹健太朗]] |year=2014 |title=To LOVEる-とらぶる-ダークネス 楽園計画ガイドブック「とらぶまにあ」 |page=127 |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |isbn=978-4-08-880260-2 |author2=[[長谷見沙貴]]}}</ref>
* 生年不明 - 川西太一、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2015|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-880566-5|quote=|date=|volume=19巻|page=118}}</ref>
* 生年不明 - 北添尋、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1117442468583235586}}</ref>
* 生年不明 - 尼倉亜澄、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1646892818051334144}}</ref>
* 生年不明 - 兵部京介、漫画・アニメ『[[絶対可憐チルドレン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zetchil_kousiki|1514619491254079490}}</ref>
* 生年不明 - 四辻拳、漫画『迷想区閾』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=方條ゆとり|authorlink=方條ゆとり|year=2002|title=迷想区閾|volume=第1巻|quote=裏表紙カバー下|publisher=[[エニックス]]|series=[[月刊ガンガンWING#ガンガンウイングコミックス|ガンガンウイングコミックス]]|isbn=4-7575-0804-2}}</ref>
* 生年不明 - 大柴健介、漫画・アニメ『[[ひとりじめマイヒーロー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|myhero_pr|985170816827580416}}</ref>
* 生年不明 - 南しずく、漫画・アニメ『[[桜Trick]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=タチ|year=2012|title=桜Trick|volume=第1巻|page=2|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムきらら#まんがタイムKRコミックス|まんがタイムKRコミックス]]|isbn=978-4-8322-4187-9}}</ref><ref>{{Cite book|和書|editor=まんがタイムきらら編集部|editor-link=まんがタイムきらら|title=桜Trick TVアニメ公式ガイドブック 〜ヒミツのシラバス〜|publisher=芳文社|series=まんがタイムKRコミックス|year=2014|page=24|isbn=978-4-8322-4438-2}}</ref>
* 生年不明 - 蛇賀池照、漫画・アニメ『[[うらみちお兄さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://uramichi-anime.com/character/ |title=Character 蛇賀池照 |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[久世岳]]・[[一迅社]]/「うらみちお兄さん」製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - 鈴木千春、漫画『佐藤さんはPJK』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=佐藤さんはPJK |date=27 Feb 2020 |publisher=[[芳文社]] |page=4 |author=わらびもちきなこ |volume=2}}</ref>
* 生年不明 - 吉川裕子、小説・アニメ『[[響け!ユーフォニアム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_eupho|1647072259440517121}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#相葉夕美|相葉夕美]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20003 |title=相葉 夕美(あいば ゆみ) |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 真白エリス、ゲーム・漫画『[[スタプラ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=東映アニメーション|authorlink1=東映アニメーション|author2=コロプラ(原案)|authorlink2=コロプラ|coauthors=[[長谷見沙貴]](原作)・[[宵野コタロー]](作画)|year=2013|title=スタプラ!NG♪|volume=第1巻|page=30|publisher=[[学研パブリッシング]]|series=[[月刊コミックNORA#ノーラコミックス|ノーラコミックス]]|isbn=978-4-05-607113-9}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#所恵美|所恵美]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30020 |title=所 恵美(ところ めぐみ) |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 七倉小春、ゲーム・アニメ『[[アイカツスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.aikatsu.net/aikatsustars_02/character/chara_koharu.html |title=七倉 小春 |access-date=24 Sep 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]] |work=『アイカツスターズ!』}}</ref><ref>{{Cite book|和書|editor=バンダイナムコピクチャーズ|title=アイカツスターズ!アイドル名かん(テレビ超ひゃっか ぷっちぐみ|publisher=小学館|year=2016|pages=14-15|isbn=978-4-09-750418-4}}</ref>
* 生年不明 - テオ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-151 |title=テオ |publisher=Vespa Inc. |work=『キングスレイド』 |accessdate=24 Sep 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=151 |archivedate=1 Nov 2021}}</ref>
* 生年不明 - 卯木千景、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=〔春組〕卯木 千景 |accessdate=24 Sep 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=『A3!』}}</ref>
* 生年不明 - フジキセキ、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=fujikiseki |title=フジキセキ |publisher=[[Cygames]] |accessdate=24 Sep 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - ダイイチルビー、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=daiichiruby |title=ダイイチルビー |publisher=[[Cygames]] |accessdate=24 Sep 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#Afterglow|宇田川巴]]、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/udagawa-tomoe/ |title=宇田川 巴 |work=『BanG Dream! ガールズバンドパーティ!』 |publisher=BanG Dream! Project [[Craft Egg|Craft Egg Inc.]] [[ブシロード|bushiroad]] |accessdate=24 Sep 2023}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 15|15 April}}
{{新暦365日|4|14|4|16|[[3月15日]]|[[5月15日]]|[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]|0415|4|15}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T09:19:09Z | 2023-11-26T16:59:14Z | false | false | false | [
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4,871 | 1687年 | 1687年(1687 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。 | [
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] | 1687年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1687}}
{{year-definition|1687}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[丁卯]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[貞享]]4年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2347年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[康熙]]26年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]13年
** [[檀君紀元|檀紀]]4020年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[正和 (黎朝)|正和]]8年
* [[仏滅紀元]] : 2229年 - 2230年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1098年 - 1099年
* [[ユダヤ暦]] : 5447年 - 5448年
* [[ユリウス暦]] : 1686年12月22日 - 1687年12月21日
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1687}}
== できごと ==
* 7月5日:[[アイザック・ニュートン]]がイギリスの[[ロンドン王立協会]]から[[自然哲学の数学的諸原理|プリンキピア]]を出版した。プリンキピアは10年で数100部しか売れなかったが、多くの言語に翻訳された。{{Sfn|ファータド|2013|p=383|ps=「ニュートン、『プリンキピア』を出版}}
* 日本で[[生類憐れみの令]](この後、[[1708年]]まで繰り返し出される)が出され、田畑永代売買禁令も再び出される{{要出典|date=2021-03}}。
* 日本で[[霊元天皇]]が譲位し、第113代[[東山天皇]]が即位。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1687年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月30日]] - [[バルタザール・ノイマン]]、[[建築家]](* [[1753年]])
* [[12月5日]] - [[フランチェスコ・ジェミニアーニ]]、[[作曲家]](* [[1762年]]<ref>{{Cite EB1911|wstitle=Geminiani, Francesco|volume=11|page=572-573}}</ref>)
* [[12月26日]] - [[ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル]]、作曲家・[[ヴァイオリニスト]](* [[1755年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1687年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月19日]] - [[ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール]]、[[探検家]](* [[1643年]])
* [[ニコラス・メルカトル]]、[[数学者]](* [[1620年]]頃)
<!-- == 注釈 ==
{{Reflist|group="注"}} -->
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book ja-jp |author=ピーター・ファータド(編集) |year=2013 |title=世界の歴史を変えた日 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-4198-8 |ref={{Sfnref|ファータド|2013}}}}<!-- 2013年10月15日初版1刷 -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1687}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}}
{{デフォルトソート:1687ねん}}
[[Category:1687年|*]] | 2003-03-22T09:19:45Z | 2023-09-23T02:18:45Z | false | false | false | [
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4,873 | 1703年 | 1703年(1703 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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] | 1703年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1703}}
{{year-definition|1703}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]]:[[癸未]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[元禄]]16年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2363年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]]:[[康熙]]42年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]]:[[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]29年
** [[檀君紀元|檀紀]]4036年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]]:[[正和 (黎朝)|正和]]24年
* [[仏滅紀元]]:2245年 - 2246年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1114年 - 1115年
* [[ユダヤ暦]]:5463年 - 5464年
* [[ユリウス暦]]:1702年12月21日 - 1703年12月20日
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== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1703}}
== できごと ==
* [[5月27日]] - [[ペトロパヴロフスク要塞]]の建設が起工、[[サンクトペテルブルク]]建都の日とされる{{要出典|date=2021-03}}。
* [[メシュエン条約]]調印{{要出典|date=2021-04}}
*{{仮リンク|第1次ジャワ継承戦争|en|First Javanese War of Succession}}
=== 日本 ===
* [[1月30日]]([[元禄]]15年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]) - [[浅野長矩]]の遺臣である[[赤穂藩]]元藩士47名が本所の吉良屋敷に夜討をかける([[赤穂事件]])
* [[3月20日]](元禄16年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]])- 赤穂事件に関与した浪士が預り元の[[大名屋敷]]にて[[切腹]]
* [[12月31日]](元禄16年[[11月23日 (旧暦)|11月23日]]) - [[江戸]]で[[巨大地震|大地震]]発生([[元禄大地震]])
* [[江戸幕府]]、[[大和川]]付替え工事を正式に決定
== 誕生 ==
{{see also|Category:1703年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月17日]](元禄15年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]) - [[島津忠雅]]、[[日向国|日向]][[佐土原藩]]の第7代藩主(+ [[1784年]])
* [[1月20日]] - [[ジョゼフ=エクトル・フィオッコ]]、[[ベルギー]]の[[バロック音楽]]の[[作曲家]](+ [[1741年]])
* [[3月6日]](元禄16年[[1月19日 (旧暦)|1月19日]]) - [[毛利元朝]]、[[長門国|長門]][[長府藩]]の第4代藩主(+ [[1721年]])
* [[3月23日]](元禄16年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]) - [[松平頼寛]]、[[陸奥国|陸奥]][[守山藩]]の第2代藩主(+ [[1763年]])
* [[4月18日]](元禄16年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[永井直期]]、[[摂津国|摂津]][[高槻藩]]の第6代藩主(+ [[1765年]])
* [[5月7日]](元禄16年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[相良長在]]、[[肥後国|肥後]][[人吉藩]]の第6代藩主(+ [[1738年]])
* [[6月28日]] - [[ジョン・ウェスレー]]、[[イングランド国教会]]の[[キリスト教]][[司祭]] (+ [[1791年]])
* [[7月23日]] - [[マリー・レクザンスカ]]、[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の妃(+ [[1768年]])
* [[8月4日]] - [[ルイ・ド・ブルボン=オルレアン (オルレアン公)|ルイ・ドルレアン]]、[[オルレアン公]](+ [[1752年]])
* [[9月21日]](元禄16年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[黒田継高]]、[[筑前国|筑前]][[福岡藩]]の第6代藩主(+ [[1775年]])
* [[9月22日]](元禄16年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]) - [[諏訪忠林]]、[[信濃国|信濃]][[諏訪藩|高島藩]]の第5代藩主(+ [[1770年]])
* [[9月29日]] - [[フランソワ・ブーシェ]]、[[フランス]]の[[ロココ]]時代の[[画家]](+ [[1770年]])
* [[10月5日]] - [[ジョナサン・エドワーズ (神学者)|ジョナサン・エドワーズ]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[神学者]]、[[牧師]]、[[宣教師]](+ [[1758年]])
* [[10月28日]] - [[ヨハン・ゴットリープ・グラウン]]、[[ドイツ]][[前古典派]]の作曲家、[[ヴァイオリン]]奏者(+ [[1771年]])
* [[12月3日]](元禄16年[[10月25日 (旧暦)|10月25日]]) - [[松平親純]]、[[豊後国|豊後]][[杵築藩]]の第4代藩主 (+ [[1739年]])
* [[12月8日]](元禄16年[[10月30日 (旧暦)|10月30日]]) - [[正親町三条実彦]]、[[江戸時代]]の[[公家]](+ [[1725年]])
* [[安藤昌益]]、江戸時代の[[医者]]、[[思想家]](+ [[1762年]])
* [[大槻伝蔵]]、[[加賀藩]]重臣(+ [[1748年]])
* [[奥村成象]]、加賀藩[[年寄]](+ [[1749年]])
* [[尾崎散木]]、江戸時代の[[書家]]、[[篆刻家]](+ [[1776年]])
* [[加賀千代女]]、[[江戸時代]]の[[俳人の一覧|俳人]](+ [[1775年]])
* [[酒井忠篤 (安房勝山藩主)|酒井忠篤]]、[[安房勝山藩]]の第3代藩主(+ [[1737年]])
* [[高橋宗直]]、江戸時代の公家、[[故実家]]、[[国学者]](+ [[1785年]])
* [[土井利庸]]、[[三河国|三河]][[西尾藩]]の第3代藩主(+ [[1734年]])
* [[北条氏貞]]、[[河内国|河内]][[狭山藩]]の第6代藩主(+ [[1758年]])
* [[松平正明]]、[[福井藩]][[家老]](+ [[1766年]])
* [[依田政次]]、江戸時代の幕臣、[[北町奉行]]、[[大目付]](+ [[1783年]])
* [[ジョン・フレデリック・ランプ]]、[[ドイツ]]出身の[[イギリス]]の[[音楽家]](+ [[1751年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1703年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月31日]]([[元禄]]15年[[12月15日 (旧暦)|12月15日]]) - [[吉良義央]]、[[旗本]](* [[1641年]])
* [[3月3日]] - [[ロバート・フック]]、[[自然哲学]]者・[[建築家]]・[[博物学]]者(* [[1635年]])
* [[3月20日]](元禄16年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[大石良雄]]、[[赤穂藩]]家老(* [[1659年]])
* [[5月16日]] - [[シャルル・ペロー]]、[[詩人]]・[[童話]]作家(* [[1628年]])
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1703}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}}
{{デフォルトソート:1703ねん}}
[[Category:1703年|*]] | null | 2022-12-02T08:47:12Z | false | false | false | [
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"Template:他の紀年法",
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"Template:See also",
"Template:十年紀と各年"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1703%E5%B9%B4 |
4,874 | 1600年代 | 1600年代(せんろっぴゃくねんだい)は、
17世紀の開始年 | [
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] | 1600年代(せんろっぴゃくねんだい)は、 西暦(グレゴリオ暦)1600年から1609年までの10年間を指す十年紀。本項で詳述する。
西暦1600年から1699年までの100年間を指す。17世紀とほぼ同じ意味であるが、開始と終了の年が1年ずれている。 | {{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 17 | 年代 = 1600 | 年 = 1600 }}
'''1600年代'''(せんろっぴゃくねんだい)は、
# [[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1600年から1609年までの10年間を指す[[十年紀]]。'''本項で詳述する'''。
# 西暦1600年から1699年までの100年間を指す。[[17世紀]]とほぼ同じ意味であるが、開始と終了の年が1年ずれている。
== できごと ==
=== 1600年 ===
{{main|1600年}}
* [[2月17日]]:[[ジョルダーノ・ブルーノ]]刑死。
* [[10月21日]]:[[関ヶ原の戦い]]。
* [[12月31日]]:[[イギリス東インド会社]]設立。
=== 1601年 ===
''17世紀の開始年''
{{main|1601年}}
* [[2月8日]]:[[ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)|第2代エセックス伯ロバート・デヴァルー]]、[[イングランド]]女王[[エリザベス1世]]に対し反逆、速やかに鎮圧される。
* [[イエズス会]]士[[マテオ・リッチ]]、[[中国]]に到着する。
* [[オランダ]]軍、[[マラガ]]から[[ポルトガル]]人を駆逐する。
=== 1602年 ===
{{main|1602年}}
* [[1月3日]]:キンセールの戦い - [[アイルランド]]軍と[[スペイン]]軍は[[グレゴリオ暦]]を使用していたので、この年の1月3日が開戦日とされるが、イングランド軍が使用していた[[ユリウス暦]]では、開戦日は1601年[[12月24日]]となる。
* [[3月20日]]:[[オランダ東インド会社]]が設立される。
* 6月:{{仮リンク|ジェームズ・ランカスター|en|James Lancaster}}旗下の東インド会社艦隊、地元の統治者と取引するため[[アチェ]]および[[スマトラ]]を来訪する。
* [[12月11日]]:[[サヴォイア公国|サヴォイア]]公[[カルロ・エマヌエーレ1世]]とその義弟のスペイン王[[フェリペ3世 (スペイン王)|フェリペ3世]]の旗下にある軍の攻撃が[[ジュネーヴ]]市民によって撃退される。
* [[ウィリアム・シェイクスピア]]作『[[ウィンザーの陽気な女房たち]]』が刊行される。
* [[プラハ]]でフロリアン・マティアスが胃から短剣を取り除く。内臓外科手術の最初の成功例。
* 個人の貿易会社が[[コペンハーゲン]]に設立され、[[アイスランド]]との貿易を独占する。
=== 1603年 ===
{{main|1603年}}
* [[江戸幕府]]完成。
* [[スコットランド]]王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]が[[イングランド]]王ジェームズ1世として即位し、両国の[[同君連合]]が成立。
=== 1604年 ===
{{main|1604年}}
* [[1月14日]]:イングランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]、[[イングランド国教会]]監督・[[清教徒]]代表を招聘し、[[ハンプトンコート会議]]を開く。
* [[9月20日]]:[[アンブロジオ・スピノラ]]旗下のスペイン軍、3年間の包囲を経て[[オーステンデ]]を占領する。
* [[11月1日]]:ウィリアム・シェイクスピアの悲劇『[[オセロー|オセロ]]』、[[ロンドン]]の[[ホワイトホール宮殿]]で上演される。
* [[顧憲成]]が[[無錫]]で[[東林学院|東林書院]]を復興する。
=== 1605年 ===
{{main|1605年}}
* [[動乱時代|ロシア大動乱]]始まる。
* [[4月13日]]:[[ロシア・ツァーリ国|ロシア]][[ツァーリ]]、[[ボリス・ゴドゥノフ]]崩御、[[フョードル2世]]即位。
* [[6月1日]]:[[モスクワ]]のロシア軍、フョードル2世と皇太后を拘束する。
* [[6月30日]]:偽ドミートリー皇子、ドミートリー2世としてロシア皇帝に正式に即位する。
* [[10月27日]]:スピノラ旗下のスペイン軍、ヴァハテンドンクを占領する。
* [[ローマ教皇]][[レオ11世 (ローマ教皇)|レオ11世]]即位、同年入寂。
* [[バルバドス]]にイングランドの植民地が建設される。
* 悪臭下劣新聞(''De Nieuwe Tijdinghen'')創刊、[[オランダ]]の新聞の祖。
=== 1606年 ===
{{main|1606年}}
* [[1月31日]]:[[火薬陰謀事件]] - [[ガイ・フォークス]]、[[イギリスの議会|イングランド議会]]およびジェームズ1世に対する陰謀の廉で処刑
* [[4月12日]]:[[ユニオンジャック]]、イングランド=スコットランド連合の国旗として採用される。
* [[12月26日]]:シェイクスピアの『[[リア王]]』、宮中で上演される。
=== 1607年 ===
{{main|1607年}}
* [[1月20日]]:[[ブリストル海峡]]に津波、2,000人死傷。
* [[4月26日]]:イングランド人入植者、[[ジェームズタウン (バージニア州)|ジェームズタウン]]設立のため[[ジェームズ川]]を上流、[[ヘンリー岬]]で上陸する。
* [[6月8日]]:ニュートンの反乱 - [[ノーサンプトンシャー州]]ニュートンの共有地の囲い込みに対する抗議中、地主トレシャム家が農夫40〜50人を殺害。
* [[6月29日]]:[[江戸時代]]になって最初の[[朝鮮通信使]]が徳川将軍のもとに派遣され、国交回復。
=== 1608年 ===
{{main|1608年}}
* [[ライン宮中伯|ファルツ選帝侯]]を盟主として[[プロテスタント同盟]]結成。
* [[カルヴィン対スミス|カルヴィン裁判]]。
* [[スウェーデン]]、ロシア大動乱に参戦。
* [[フランス]]が[[カナダ]]の[[ケベック]]植民地を形成。
* [[永楽通宝]]の流通禁止。
=== 1609年 ===
{{main|1609年}}
* [[マクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)]]が[[カトリック連盟]]を組織。
* [[ポーランド王国|ポーランド]]、ロシア大動乱に正式参戦。
* スペインとオランダが[[停戦]]([[八十年戦争]]、-[[1621年]])。
* [[薩摩藩]][[島津氏]]による[[琉球王国]]侵攻([[琉球侵攻]])。
* 1609年頃、[[ハンス・リッペルハイ]]が2枚の凹レンズを筒に取り付けた装置をオランダ軍に売ろうとし、実用的な望遠鏡をデザインして普及させた<ref group="※">望遠鏡を発明した功労者には、[[サハリアス・ヤンセン|ツァハリス・ヤンセン]]/{{仮リンク|ヤコブ・メティウス|en|Jacob Metius}}/{{仮リンク|レオナード・ディッグス|en|Leonard Digges (scientist)}}がおり意見が分かれている。</ref>。{{Sfn|チャロナー|2011|p=178|ps=「望遠鏡 リッペルスハイが、天体観測のための道具を開発する。」}}
== 注釈 ==
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== 出典 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite book ja-jp |author=ジャック・チャロナー(編集) |year=2011 |title=人類の歴史を変えた発明 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-3467-6 |ref={{Sfnref|チャロナー|2011}}}}<!-- 2011年1月31日初版1刷 -->
== 関連項目 ==
* [[十年紀の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
== 外部リンク ==
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4,878 | アルビレックス新潟 |
アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた、英: Albirex Niigata)は、日本の新潟県内全市町村(20市6町4村)をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
1955年、新潟明訓高校OBが中心となって創部した新潟イレブンサッカークラブが前身。1995年、一般公募によりはくちょう座にある二重星アルビレオに由来する『アルビレオ新潟FC』に改称したが、1997年、商標問題からクラブ名の改称を決定し、県民投票の結果"アルビレオ"とラテン語で「王」を意味する"レックス"を掛け合わせた造語である『アルビレックス新潟』に改称した。なお、他の候補名は新潟弁で「俺たちの」を意味する『オラッタ新潟』と「白鳥の騎士」を意味する『シスネーテス新潟』があった。1999年にJリーグへ加盟。
ホームタウンはホームスタジアム・デンカビッグスワンスタジアムがある新潟県新潟市とクラブハウスのある北蒲原郡聖籠町のみだったが、2019年7月30日より新潟県内の全市町村に拡大した。マスコットキャラクターは白鳥をモチーフに2000年に登場した『アルビくん』。
近隣にライバルクラブは存在していないが、2007年頃から企画先行ながらヴァンフォーレ甲府との対戦を川中島ダービー、モンテディオ山形との対戦を天地人ダービーと呼ぶようになった。
なでしこリーグに参加する女子チーム・アルビレックス新潟レディース(2002年創設・活動開始)を持つほか、会場の応援を彩るチアリーディングチームも運営している。
また、Jリーグ百年構想による総合型地域スポーツクラブを目指しており、バスケットボールのBリーグに新潟アルビレックスBBが、バスケットボール女子日本リーグ機構(WJBL)に新潟アルビレックスBBラビッツが参戦している他、2004年にスキー・スノーボードのチームアルビレックス新潟を、2005年に陸上競技の新潟アルビレックスランニングクラブを創設。更に、2006年にプロ野球独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグに参戦する新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが、2010年にモータースポーツのアルビレックスレーシングチームが創設されている。なお、各「アルビレックス」は事実上のオーナー企業でも有るNSGグループの参画で愛称とイメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等はない。
1955年、新潟イレブンサッカークラブとして創部。1982年には社会優良団体(優良スポーツクラブ)として文部大臣賞を受賞した。
1991年、新潟県サッカー協会は2002 FIFAワールドカップの開催地に立候補することを決定(翌1992年に新潟県議会でも可決)。ワールドカップ招致活動の一環として掲げられたプロサッカークラブの創設と短期間でのJリーグ加盟を実現するため、新潟県サッカーリーグからのスタートとなるクラブの新設ではなく、天皇杯や全国社会人サッカー選手権大会などの全国大会への出場経験を持つ北信越リーグの新潟イレブンSCを強化することになり、1995年、県サッカー協会の強化指定を受けた新潟イレブンSCを母体に新潟蹴友会の主力選手を加えてチーム名をアルビレオ新潟FCに改称した。新監督に県の外国人スポーツ指導者招聘事業により来県し、新潟イレブンSCのヘッドコーチを務めていたフランツ・ファン・バルコムが就任し、同チームの監督を務めていた若杉透は総監督に就任した。
1996年、チーム母体を法人組織として株式会社を設立しプロ化、日本初の地域リーグでのプロサッカークラブとなった。1997年、クラブ名をアルビレックス新潟に改称して臨んだシーズンは北信越リーグ連覇を果たし、日本サッカー協会及びJリーグより地域リーグ所属のクラブからは唯一となる1999年に開幕するJ2への参入を承認された。1998年、全国地域リーグ決勝大会を勝ち抜き、ジャパンフットボールリーグに昇格。(旧)JFLは永井良和監督の下で臨んだが、順位は11位と低迷。翌年からのJ2参入に向けてチームを強化するため、26名の選手のうち17名との契約を打ち切ることになった。
J2昇格後は秋葉忠宏や鈴木慎吾、寺川能人ら、各ポジションにJリーグ経験者を含む即戦力を補強した。2000年には新潟出身の元日本代表、神田勝夫が加入した。昇格初年度の1999年はJ2開幕から7連勝を記録してリーグ中盤戦まで首位をキープするなど健闘し、最終順位は4位となった。永井は2000年まで監督を務めたが、J1昇格はならなかった。
2001年、新監督に反町康治が就任。同年に完成し、ワールドカップの会場になった新潟スタジアム(ビッグスワン)を主な舞台に、元日本代表の山口素弘、船越優蔵、黒崎久志やマルクス、安英学らが活躍。2001年は4位、2002年は3位で惜しくもJ1昇格を逃すも、2003年に広島、川崎との熾烈な昇格争いを制してJ2優勝・J1昇格を決めた。優勝を決めた最終節大宮戦には、ビッグスワンに42,223人のサポーターが詰めかけた。詳細は「2003年J2第43節・最終節」を参照。マルクスは2002年(19得点)、2003年(32得点)と、2年連続でJ2得点王となった。
J1昇格後も2005年まで反町が指揮を執った。昇格1年目の2004年はエジミウソン、ファビーニョらブラジル人を中心としたカウンター戦術を採用した。1stステージは苦戦して14位に終わるも、2ndステージ第6節広島戦から第9節鹿島戦まで4連勝をマークするなど一時は上位争いを展開し、最終節を待たずに残留決定。2ndステージ7位、年間10位で終えた。また、新潟県中越地震の影響(余震及びスタジアム駐車場が自衛隊の前線基地となった)により、10月と11月に予定されていたビッグスワンでの2試合は、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場と平塚競技場で代替開催された。代替開催ながらも新潟サポーターは多数駆け付け、手製の横断幕を持って応援した。地震直後の試合となった柏戦では試合前に会場全体で黙祷が捧げられた。
2006年から2009年までの4年間は鈴木淳が監督を務めた。鈴木はマルシオ・リシャルデスや矢野貴章らを中心とした攻撃的なチームを作り上げ、2007年にJ1昇格後最高順位となる6位の成績を残した。また、この年には矢野がクラブ初の日本代表に選出。3月24日に行われたペルー代表戦で初キャップを記録し、後の南アフリカワールドカップに於いてクラブ初のワールドカップ本大会メンバーに選出された。中心選手だったエジミウソン、坂本將貴らが移籍した2008年は残留争いに巻き込まれるが、2009年には4-3-3の攻撃的なフォーメーションを敷いて上位争いに顔を出し、天皇杯では過去最高のベスト8進出を果たした。
鈴木の後任にはヘッドコーチから黒崎久志が昇格し、2シーズン連続でJ1残留に成功した。2010年は、第7節名古屋戦から第17節京都戦まで11試合連続無敗のクラブ記録を樹立、その間、第9節神戸戦から第12節山形戦にかけては、2004年以来6シーズン振りとなる4連勝を記録した。しかし黒崎の在任中、矢野やJリーグベストイレブンに選出されたマルシオをはじめ、代表経験のある酒井高徳、曺永哲ら、多くの主力選手が国内外へ流出し、2011年終盤から得点力不足に悩まされた。
2012年は開幕から3連敗を喫するなど降格圏内に沈み、黒崎は5月に辞任した。シーズン途中での監督交代はクラブ史上初のことだった。 黒崎の辞任後、柳下正明が監督に就任。一時は降格圏から脱出したが、残留争いからは抜け出すことはできなかった。勝てなければ降格決定という絶体絶命の状況で迎えた第33節で辛くも勝利して仙台の優勝を阻止したものの、降格圏内の17位で最終節を迎える事となった。新潟が勝利してもなお自力での残留は困難な状況の中、ホームで札幌に勝利。残留を争う神戸とG大阪が共に敗れ、逆転で15位に浮上してJ1残留を果たした。最終節に至る経緯は「2012年J1最終節」が詳しい。
J1連続在籍10年目を迎えた2013年は川又堅碁やレオ・シルバらの活躍とともに夏場から調子を上げ、J1残留を決めた第30節から最終節までクラブ新記録となる5連勝を記録、第33節では横浜FMの優勝を阻止した。3年ぶりの1桁順位となる7位でシーズンを終えた。
2014年はブラジルワールドカップの中断期間まで7位であったが、金珍洙、川又の退団やけが人の影響もあり12位で終了。
11年振りに2ステージ制に戻された2015年は終盤まで残留争いに加わってしまうものの、最終的に年間15位で残留を決めた。Jリーグカップでは、クラブ史上初の決勝トーナメントに進出し、ベスト4の成績を残した。シーズン終了後に柳下が監督を辞任した。
2016年は吉田達磨が監督に就任した。開幕戦は勝利を飾ったものの、それから成績が振るわず1stステージを13位で終える。2ndステージも開幕4連敗を喫するなど不調から抜け出せず、残留争いのライバルである甲府と名古屋に連敗。降格圏内まで勝点差1に詰め寄られた事が決定打となり、9月27日に吉田監督以下コーチ陣は4試合を残しての解任となった。後任はコーチを務めていた片渕浩一郎が就任した。その後残留争いは最終節までもつれ、勝てば残留という状況の中、広島戦も敗戦を喫し勝点で名古屋と並んだものの、得失点差で上回り辛うじて年間15位で残留を果たした。年間勝点30での残留は現行の18チーム制になってからは史上最少の記録である。
2017年は、前年長野の監督であった三浦文丈が新監督に就任。しかし開幕からリーグ戦10試合で僅か1勝と低迷し、その後三浦が辞任。後任に呂比須ワグナーを招聘した。 呂比須の初陣となった第12節札幌戦でリーグ2勝目を挙げたが、その後はリーグ戦16試合勝ち無しとクラブワースト記録を更新するなど成績は上向かず、第32節甲府戦で勝利したものの、他会場の結果により昇格14年目にして初のJ2降格が決定した。最終的には17位で終了。シーズン終了後、呂比須の退任と神田勝夫強化部長の退任が発表された。
鈴木政一が監督に就任。2018年は1年でのJ1復帰を目指したが、リーグ前半戦で7勝5分9敗、ホームでは僅か1勝と低迷。8月7日に鈴木が契約解除され、ヘッドコーチの片渕が2年ぶりに監督に就任した。以降はホームでも勝てるようになったが、上位争いに加わる事無く16位でシーズンを終えた。ルヴァンカップも予選リーグ3位で終わった。
2019年は開幕9試合で3勝3敗3分とスタートダッシュに失敗。4月14日に片渕が監督から解任され、アカデミーダイレクターの吉永一明が監督に就任、4シーズン連続での監督の途中交代となった。しかし、その後も第13節長崎戦から4連敗を喫し16位まで後退、第26節で9位に浮上した以外は2桁順位を脱することなく、10位でシーズンを終えた。レオナルドが28得点を挙げ得点王を獲得した。
2020年は新監督にスペイン人のアルベルト・プッチ・オルトネダが就任。ポゼッション主体の戦術に変貌を遂げた。開幕節群馬戦は3-0で快勝し首位に立ったものの、同シーズンの昇格圏内である2位以内に入ったのはこれが最初で最後となった。第27節から7戦負けなしで一時は4位まで浮上したものの、第37節終了時点で5試合を残し昇格の可能性が消滅。結局前年を下回る11位でシーズンを終えた。9月に所属選手2名の飲酒運転が発覚し、解雇処分を受けた。
2021年は開幕節北九州戦を4-1と快勝すると、開幕から5連勝とスタートダッシュに成功し、13戦負けなし(10勝3分)で首位を維持した。しかし、第18節岡山戦の敗戦でJ1昇格圏外の3位に後退、その後は昇格圏内の2位以上に戻ることなく最終的に2位京都とは勝点差16の6位でシーズンを終えた。シーズン終了後、アルベルトが監督を退任した。
2022年は前年コーチを務めていた松橋力蔵が監督に就任した。前監督のアルベルトが植え付けたポゼッション主体の戦術をベースに、縦の速さと相手との駆け引きを意識したサッカーを展開した。序盤は開幕7試合で2勝と出遅れたが、第8節から8試合連続負けなしを含む10勝3分1敗として、前半戦を首位で折り返す。後半戦は主力の本間至恩の海外移籍や高木善朗の負傷離脱といったアクシデントも有りながらも、伊藤涼太郎や三戸舜介らがその穴を埋める活躍を見せる。その後も着実に勝点を積み重ね、昇格圏内の2位以内をキープ。第35節で首位に返り咲き、シーズン初の4連勝のあと、引き分けを挟み迎えた第40節仙台戦で勝利し、6年ぶりのJ1昇格を決めた。翌第41節東京V戦では敗れたものの、2位の横浜FCが敗れたため新潟の2回目のJ2優勝が決定した。最終節町田戦での勝利で、J2通算200勝を達成した。最終成績は25勝9分8敗の勝点84。得点73、失点35、得失点差38は全てにおいてリーグ1位となった。
2023年は昨年のメンバーの殆どが残留して開幕を迎えた。リーグ前半戦は広島、川崎、横浜FMと昨年のJ1トップ3に勝利を挙げた一方で、鹿島、横浜FC、G大阪、京都と序盤下位に低迷していたチームに敗れるなど勝点を伸ばせず、13位で折り返す。主力の伊藤が海外移籍して迎えた後半戦も勝ち負けを繰り返していたが、9月から12月までの9試合を4勝5分の無敗で乗り切り、最終的に11勝12分11敗の10位でJ1残留を果たした。ルヴァンカップはグループステージ敗退、天皇杯は過去最高タイのベスト8進出を果たした。
ホームスタジアムは(旧)JFLに加盟した1998年から2000年までは新潟市陸上競技場のみだったが、2001年に新潟スタジアム(ビッグスワン。デンカ株式会社の施設命名権購入により、2014年からデンカビッグスワンスタジアム)の完成後は2か所併用となる。ただし登録上の本拠地は新潟市陸のみのままで、新潟スは「準本拠地」の扱いだったが、ビッグスワンでの試合比率を増やし、過半数の試合を開催して事実上の移転となった。
2004年のJ1昇格後のホームゲームはすべてビッグスワンで開催している(Jリーグへの登録上の本拠地は2004年から2012年まではこの2箇所を併記されていたが、2013年に新潟市陸上競技場の本拠登録を抹消した。また、Jリーグファンガイドでの掲載は2011年以後省略されている)。なお、2004年新潟県中越地震により、リーグ戦と天皇杯の新潟主管(扱い)のそれぞれ1試合ずつは、関東地方の競技場に振り替えられ、2014年最終節は大雪の影響で茨城県立カシマサッカースタジアムで開催した。(2004年-(J1)の項参照)
スタジアム内の場内アナウンスは新潟お笑い集団NAMARAから森下英矢、中村博和、大野まさやが歴任している。
練習場は北蒲原郡聖籠町にある新潟聖籠スポーツセンターを主に使用している。以前は新潟市陸上競技場や新発田市五十公野公園陸上競技場、同市サンスポーツランドしばたを使用する場合もあった。短期合宿は十日町市当間多目的グラウンドで行うことが多い。
Jリーグでも屈指の観客動員力を持ち、2003年はJ2所属ながらJ1、J2を通して最多の観客動員数約66万人を記録した。2004年は、浦和レッドダイヤモンズがJ2所属だった2000年(この年トップは鹿島アントラーズの約26万人)を除き、1996年度から守り続けていたJ1年間観客動員トップの座を初めて奪取する約56万5000人(1試合あたり約37,700人)の動員を記録した。 2005年には年間68万人までに伸び、2003年から3年連続でJリーグ(J1・J2含む)1位の観客動員数を記録した。この観客動員数が評価され、クラブは2003年、2004年と2年連続でJリーグアウォーズ・join賞 (チェアマン特別賞)を受賞している。
しかし観客動員は2006年をピークに減少が続いており、2011年には平均3万人を割り込んだ。同年7月13日のヴァンフォーレ甲府戦ではJ1昇格後最少となる13,644人を記録しており、クラブ側も観客動員数の回復を喫緊の課題と捉えている。2013年に動員の下落は下げ止まりの感を見せたものの、長らく浦和に次ぐ2番手だった観客動員数は横浜F・マリノスに抜かれて3位に転落した。2014年は最終節の延期の影響もあり4位となった。
アルビレオ新潟FCへの改称以降、クラブには200人を超える選手が在籍した。最長の在籍期間、最多の出場試合は共に新潟県内出身の本間勲で在籍15年半、出場試合数は316試合である。最多得点選手はブラジル国籍のエジミウソンで、116試合に出場して62得点を決めている。エジミウソンをはじめとした外国籍選手の国籍は8ヶ国を数え、最多は常駐のスカウトを派遣しているブラジル国籍選手である。
監督の交代はJリーグ昇格以前から少なかったが、2016年以降在任期間が1年未満での交代が続いている。アルビレオ改称後、最長の在任期間は反町康治の5年、最短は2016年の片渕浩一郎の3ヶ月である。J1での最高順位は鈴木淳が指揮を執った2007年の6位、最多勝点は柳下正明が指揮を執った2013年の55点である。
クラブのJ1昇格10周年を記念し、2013年11月から12月にかけ新潟日報紙上で「俺たちの夢のイレブン」が募集された。ファン投票の結果を受け、2014年1月4日の新潟日報紙上で発表された「夢のイレブン・監督」12人を以下に記す。最多得票はマルシオ・リシャルデスの507票だった。
(並びは投票数順)
現在、新潟県内を中心に164の企業・団体から出資を受けているが、具体的な出資者名は明らかにされていない。設立当初は県内に単独でJリーグクラブを支える体力がある企業が存在しないため、「広く薄く」の方針で多くの企業から出資を募った。事業規模は毎年23-24億円程度で、30億円程度とされるJ1クラブの平均予算と比較しても貧弱な数字になっている。現在の社長は5代目で、2008年からアルビレックス新潟シンガポールの代表取締役を務めていた是永大輔。後述する初代社長の池田弘、2代目社長の中野幸夫は、新潟社長退任後にいずれもJリーグ理事の役職に就いた。
1996年、アルビレオ新潟FCは県内企業30社が1000万円を出し合い、2億9500万円の資本金で設立された。経営の中心には、県内で多数の専門学校を展開するNSGグループ理事長の池田弘が据えられた。当初アルビレオのJリーグ挑戦はワールドカップ誘致活動の一環という性格が強く、経営状態も芳しくなかった為に誘致成功を手土産に解散の可能性もあったという。池田は私財を投じて窮地をしのぐ一方で、後援会組織を立ち上げて小口の個人出資を募った。さらにこの頃から「ばらまき作戦」とも揶揄された採算を度外視した無料招待券の大量配布が始まり、観客動員数は飛躍的に増加。収支は2000年に初めて黒字へ転換した。
しかし、J1昇格に伴う強化費の増加に加え、観客動員数の落ち込み等を要因とする営業収入の落ち込みもあり、2005年から公表されている収支報告では毎年営業赤字を計上した。チケット売り上げ等の興業収入は最大時の2005年に約12億円を計上したが、2012年は最大時から5億円減となる約7億円、興業収入の柱となるシーズンチケットの売り上げは最盛期の2万枚からおおよそ半減している。
2004年に創設され、シンガポールのシンガポールプレミアリーグに所属するチーム。アルビレックス新潟やそれ以外のJリーグクラブから若手の育成先として選手の派遣を受け入れている。
アルビレックス新潟シンガポールは、留学プログラムの拠点としてスペインのバルセロナにアルビレックス新潟バルセロナ(バルセロナフットボールアカデミー)を設立した。
また、2014年にアルビレックス新潟プノンペンを設立し、カンボジア・リーグに参入した。ただし、アルビレックス新潟プノンペンのトップチームは1年で活動停止となった。
北信越フットボールリーグに所属するチームで、アルビレックス新潟の運営母体であるNSGグループ(新潟総合学院、国際総合学園)の傘下にある。JSCに所属している選手は、アルビレックス新潟の練習へも参加でき、事実上のアマチュア組織のチームとなっている。
また、2005年にJSC高等部が設けられ、アルビレックス新潟ユースとともにユース部門を担っている。JSC高等部は開志学園高校と教育連携しており、高校選手権や高校総体に「開志学園JAPANサッカーカレッジ高等部」として出場している。
アルビレックス新潟の決算は、つぎのとおり。
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010
金額の単位: 百万円
人件費は事業費に含まれる。
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015
金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022
金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022
金額の単位: 百万円 | [
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"text": "",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "アルビレックス新潟(アルビレックスにいがた、英: Albirex Niigata)は、日本の新潟県内全市町村(20市6町4村)をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
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"text": "1955年、新潟明訓高校OBが中心となって創部した新潟イレブンサッカークラブが前身。1995年、一般公募によりはくちょう座にある二重星アルビレオに由来する『アルビレオ新潟FC』に改称したが、1997年、商標問題からクラブ名の改称を決定し、県民投票の結果\"アルビレオ\"とラテン語で「王」を意味する\"レックス\"を掛け合わせた造語である『アルビレックス新潟』に改称した。なお、他の候補名は新潟弁で「俺たちの」を意味する『オラッタ新潟』と「白鳥の騎士」を意味する『シスネーテス新潟』があった。1999年にJリーグへ加盟。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "ホームタウンはホームスタジアム・デンカビッグスワンスタジアムがある新潟県新潟市とクラブハウスのある北蒲原郡聖籠町のみだったが、2019年7月30日より新潟県内の全市町村に拡大した。マスコットキャラクターは白鳥をモチーフに2000年に登場した『アルビくん』。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "近隣にライバルクラブは存在していないが、2007年頃から企画先行ながらヴァンフォーレ甲府との対戦を川中島ダービー、モンテディオ山形との対戦を天地人ダービーと呼ぶようになった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "なでしこリーグに参加する女子チーム・アルビレックス新潟レディース(2002年創設・活動開始)を持つほか、会場の応援を彩るチアリーディングチームも運営している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "また、Jリーグ百年構想による総合型地域スポーツクラブを目指しており、バスケットボールのBリーグに新潟アルビレックスBBが、バスケットボール女子日本リーグ機構(WJBL)に新潟アルビレックスBBラビッツが参戦している他、2004年にスキー・スノーボードのチームアルビレックス新潟を、2005年に陸上競技の新潟アルビレックスランニングクラブを創設。更に、2006年にプロ野球独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグに参戦する新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが、2010年にモータースポーツのアルビレックスレーシングチームが創設されている。なお、各「アルビレックス」は事実上のオーナー企業でも有るNSGグループの参画で愛称とイメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等はない。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "1955年、新潟イレブンサッカークラブとして創部。1982年には社会優良団体(優良スポーツクラブ)として文部大臣賞を受賞した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "1991年、新潟県サッカー協会は2002 FIFAワールドカップの開催地に立候補することを決定(翌1992年に新潟県議会でも可決)。ワールドカップ招致活動の一環として掲げられたプロサッカークラブの創設と短期間でのJリーグ加盟を実現するため、新潟県サッカーリーグからのスタートとなるクラブの新設ではなく、天皇杯や全国社会人サッカー選手権大会などの全国大会への出場経験を持つ北信越リーグの新潟イレブンSCを強化することになり、1995年、県サッカー協会の強化指定を受けた新潟イレブンSCを母体に新潟蹴友会の主力選手を加えてチーム名をアルビレオ新潟FCに改称した。新監督に県の外国人スポーツ指導者招聘事業により来県し、新潟イレブンSCのヘッドコーチを務めていたフランツ・ファン・バルコムが就任し、同チームの監督を務めていた若杉透は総監督に就任した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "1996年、チーム母体を法人組織として株式会社を設立しプロ化、日本初の地域リーグでのプロサッカークラブとなった。1997年、クラブ名をアルビレックス新潟に改称して臨んだシーズンは北信越リーグ連覇を果たし、日本サッカー協会及びJリーグより地域リーグ所属のクラブからは唯一となる1999年に開幕するJ2への参入を承認された。1998年、全国地域リーグ決勝大会を勝ち抜き、ジャパンフットボールリーグに昇格。(旧)JFLは永井良和監督の下で臨んだが、順位は11位と低迷。翌年からのJ2参入に向けてチームを強化するため、26名の選手のうち17名との契約を打ち切ることになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "J2昇格後は秋葉忠宏や鈴木慎吾、寺川能人ら、各ポジションにJリーグ経験者を含む即戦力を補強した。2000年には新潟出身の元日本代表、神田勝夫が加入した。昇格初年度の1999年はJ2開幕から7連勝を記録してリーグ中盤戦まで首位をキープするなど健闘し、最終順位は4位となった。永井は2000年まで監督を務めたが、J1昇格はならなかった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "2001年、新監督に反町康治が就任。同年に完成し、ワールドカップの会場になった新潟スタジアム(ビッグスワン)を主な舞台に、元日本代表の山口素弘、船越優蔵、黒崎久志やマルクス、安英学らが活躍。2001年は4位、2002年は3位で惜しくもJ1昇格を逃すも、2003年に広島、川崎との熾烈な昇格争いを制してJ2優勝・J1昇格を決めた。優勝を決めた最終節大宮戦には、ビッグスワンに42,223人のサポーターが詰めかけた。詳細は「2003年J2第43節・最終節」を参照。マルクスは2002年(19得点)、2003年(32得点)と、2年連続でJ2得点王となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "J1昇格後も2005年まで反町が指揮を執った。昇格1年目の2004年はエジミウソン、ファビーニョらブラジル人を中心としたカウンター戦術を採用した。1stステージは苦戦して14位に終わるも、2ndステージ第6節広島戦から第9節鹿島戦まで4連勝をマークするなど一時は上位争いを展開し、最終節を待たずに残留決定。2ndステージ7位、年間10位で終えた。また、新潟県中越地震の影響(余震及びスタジアム駐車場が自衛隊の前線基地となった)により、10月と11月に予定されていたビッグスワンでの2試合は、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場と平塚競技場で代替開催された。代替開催ながらも新潟サポーターは多数駆け付け、手製の横断幕を持って応援した。地震直後の試合となった柏戦では試合前に会場全体で黙祷が捧げられた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 13,
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"text": "2006年から2009年までの4年間は鈴木淳が監督を務めた。鈴木はマルシオ・リシャルデスや矢野貴章らを中心とした攻撃的なチームを作り上げ、2007年にJ1昇格後最高順位となる6位の成績を残した。また、この年には矢野がクラブ初の日本代表に選出。3月24日に行われたペルー代表戦で初キャップを記録し、後の南アフリカワールドカップに於いてクラブ初のワールドカップ本大会メンバーに選出された。中心選手だったエジミウソン、坂本將貴らが移籍した2008年は残留争いに巻き込まれるが、2009年には4-3-3の攻撃的なフォーメーションを敷いて上位争いに顔を出し、天皇杯では過去最高のベスト8進出を果たした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "鈴木の後任にはヘッドコーチから黒崎久志が昇格し、2シーズン連続でJ1残留に成功した。2010年は、第7節名古屋戦から第17節京都戦まで11試合連続無敗のクラブ記録を樹立、その間、第9節神戸戦から第12節山形戦にかけては、2004年以来6シーズン振りとなる4連勝を記録した。しかし黒崎の在任中、矢野やJリーグベストイレブンに選出されたマルシオをはじめ、代表経験のある酒井高徳、曺永哲ら、多くの主力選手が国内外へ流出し、2011年終盤から得点力不足に悩まされた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "2012年は開幕から3連敗を喫するなど降格圏内に沈み、黒崎は5月に辞任した。シーズン途中での監督交代はクラブ史上初のことだった。 黒崎の辞任後、柳下正明が監督に就任。一時は降格圏から脱出したが、残留争いからは抜け出すことはできなかった。勝てなければ降格決定という絶体絶命の状況で迎えた第33節で辛くも勝利して仙台の優勝を阻止したものの、降格圏内の17位で最終節を迎える事となった。新潟が勝利してもなお自力での残留は困難な状況の中、ホームで札幌に勝利。残留を争う神戸とG大阪が共に敗れ、逆転で15位に浮上してJ1残留を果たした。最終節に至る経緯は「2012年J1最終節」が詳しい。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 16,
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"text": "J1連続在籍10年目を迎えた2013年は川又堅碁やレオ・シルバらの活躍とともに夏場から調子を上げ、J1残留を決めた第30節から最終節までクラブ新記録となる5連勝を記録、第33節では横浜FMの優勝を阻止した。3年ぶりの1桁順位となる7位でシーズンを終えた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "2014年はブラジルワールドカップの中断期間まで7位であったが、金珍洙、川又の退団やけが人の影響もあり12位で終了。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "11年振りに2ステージ制に戻された2015年は終盤まで残留争いに加わってしまうものの、最終的に年間15位で残留を決めた。Jリーグカップでは、クラブ史上初の決勝トーナメントに進出し、ベスト4の成績を残した。シーズン終了後に柳下が監督を辞任した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "2016年は吉田達磨が監督に就任した。開幕戦は勝利を飾ったものの、それから成績が振るわず1stステージを13位で終える。2ndステージも開幕4連敗を喫するなど不調から抜け出せず、残留争いのライバルである甲府と名古屋に連敗。降格圏内まで勝点差1に詰め寄られた事が決定打となり、9月27日に吉田監督以下コーチ陣は4試合を残しての解任となった。後任はコーチを務めていた片渕浩一郎が就任した。その後残留争いは最終節までもつれ、勝てば残留という状況の中、広島戦も敗戦を喫し勝点で名古屋と並んだものの、得失点差で上回り辛うじて年間15位で残留を果たした。年間勝点30での残留は現行の18チーム制になってからは史上最少の記録である。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "2017年は、前年長野の監督であった三浦文丈が新監督に就任。しかし開幕からリーグ戦10試合で僅か1勝と低迷し、その後三浦が辞任。後任に呂比須ワグナーを招聘した。 呂比須の初陣となった第12節札幌戦でリーグ2勝目を挙げたが、その後はリーグ戦16試合勝ち無しとクラブワースト記録を更新するなど成績は上向かず、第32節甲府戦で勝利したものの、他会場の結果により昇格14年目にして初のJ2降格が決定した。最終的には17位で終了。シーズン終了後、呂比須の退任と神田勝夫強化部長の退任が発表された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "鈴木政一が監督に就任。2018年は1年でのJ1復帰を目指したが、リーグ前半戦で7勝5分9敗、ホームでは僅か1勝と低迷。8月7日に鈴木が契約解除され、ヘッドコーチの片渕が2年ぶりに監督に就任した。以降はホームでも勝てるようになったが、上位争いに加わる事無く16位でシーズンを終えた。ルヴァンカップも予選リーグ3位で終わった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "2019年は開幕9試合で3勝3敗3分とスタートダッシュに失敗。4月14日に片渕が監督から解任され、アカデミーダイレクターの吉永一明が監督に就任、4シーズン連続での監督の途中交代となった。しかし、その後も第13節長崎戦から4連敗を喫し16位まで後退、第26節で9位に浮上した以外は2桁順位を脱することなく、10位でシーズンを終えた。レオナルドが28得点を挙げ得点王を獲得した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "2020年は新監督にスペイン人のアルベルト・プッチ・オルトネダが就任。ポゼッション主体の戦術に変貌を遂げた。開幕節群馬戦は3-0で快勝し首位に立ったものの、同シーズンの昇格圏内である2位以内に入ったのはこれが最初で最後となった。第27節から7戦負けなしで一時は4位まで浮上したものの、第37節終了時点で5試合を残し昇格の可能性が消滅。結局前年を下回る11位でシーズンを終えた。9月に所属選手2名の飲酒運転が発覚し、解雇処分を受けた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "2021年は開幕節北九州戦を4-1と快勝すると、開幕から5連勝とスタートダッシュに成功し、13戦負けなし(10勝3分)で首位を維持した。しかし、第18節岡山戦の敗戦でJ1昇格圏外の3位に後退、その後は昇格圏内の2位以上に戻ることなく最終的に2位京都とは勝点差16の6位でシーズンを終えた。シーズン終了後、アルベルトが監督を退任した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "2022年は前年コーチを務めていた松橋力蔵が監督に就任した。前監督のアルベルトが植え付けたポゼッション主体の戦術をベースに、縦の速さと相手との駆け引きを意識したサッカーを展開した。序盤は開幕7試合で2勝と出遅れたが、第8節から8試合連続負けなしを含む10勝3分1敗として、前半戦を首位で折り返す。後半戦は主力の本間至恩の海外移籍や高木善朗の負傷離脱といったアクシデントも有りながらも、伊藤涼太郎や三戸舜介らがその穴を埋める活躍を見せる。その後も着実に勝点を積み重ね、昇格圏内の2位以内をキープ。第35節で首位に返り咲き、シーズン初の4連勝のあと、引き分けを挟み迎えた第40節仙台戦で勝利し、6年ぶりのJ1昇格を決めた。翌第41節東京V戦では敗れたものの、2位の横浜FCが敗れたため新潟の2回目のJ2優勝が決定した。最終節町田戦での勝利で、J2通算200勝を達成した。最終成績は25勝9分8敗の勝点84。得点73、失点35、得失点差38は全てにおいてリーグ1位となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "2023年は昨年のメンバーの殆どが残留して開幕を迎えた。リーグ前半戦は広島、川崎、横浜FMと昨年のJ1トップ3に勝利を挙げた一方で、鹿島、横浜FC、G大阪、京都と序盤下位に低迷していたチームに敗れるなど勝点を伸ばせず、13位で折り返す。主力の伊藤が海外移籍して迎えた後半戦も勝ち負けを繰り返していたが、9月から12月までの9試合を4勝5分の無敗で乗り切り、最終的に11勝12分11敗の10位でJ1残留を果たした。ルヴァンカップはグループステージ敗退、天皇杯は過去最高タイのベスト8進出を果たした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "ホームスタジアムは(旧)JFLに加盟した1998年から2000年までは新潟市陸上競技場のみだったが、2001年に新潟スタジアム(ビッグスワン。デンカ株式会社の施設命名権購入により、2014年からデンカビッグスワンスタジアム)の完成後は2か所併用となる。ただし登録上の本拠地は新潟市陸のみのままで、新潟スは「準本拠地」の扱いだったが、ビッグスワンでの試合比率を増やし、過半数の試合を開催して事実上の移転となった。",
"title": "スタジアムと練習場"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "2004年のJ1昇格後のホームゲームはすべてビッグスワンで開催している(Jリーグへの登録上の本拠地は2004年から2012年まではこの2箇所を併記されていたが、2013年に新潟市陸上競技場の本拠登録を抹消した。また、Jリーグファンガイドでの掲載は2011年以後省略されている)。なお、2004年新潟県中越地震により、リーグ戦と天皇杯の新潟主管(扱い)のそれぞれ1試合ずつは、関東地方の競技場に振り替えられ、2014年最終節は大雪の影響で茨城県立カシマサッカースタジアムで開催した。(2004年-(J1)の項参照)",
"title": "スタジアムと練習場"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "スタジアム内の場内アナウンスは新潟お笑い集団NAMARAから森下英矢、中村博和、大野まさやが歴任している。",
"title": "スタジアムと練習場"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "練習場は北蒲原郡聖籠町にある新潟聖籠スポーツセンターを主に使用している。以前は新潟市陸上競技場や新発田市五十公野公園陸上競技場、同市サンスポーツランドしばたを使用する場合もあった。短期合宿は十日町市当間多目的グラウンドで行うことが多い。",
"title": "スタジアムと練習場"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "Jリーグでも屈指の観客動員力を持ち、2003年はJ2所属ながらJ1、J2を通して最多の観客動員数約66万人を記録した。2004年は、浦和レッドダイヤモンズがJ2所属だった2000年(この年トップは鹿島アントラーズの約26万人)を除き、1996年度から守り続けていたJ1年間観客動員トップの座を初めて奪取する約56万5000人(1試合あたり約37,700人)の動員を記録した。 2005年には年間68万人までに伸び、2003年から3年連続でJリーグ(J1・J2含む)1位の観客動員数を記録した。この観客動員数が評価され、クラブは2003年、2004年と2年連続でJリーグアウォーズ・join賞 (チェアマン特別賞)を受賞している。",
"title": "スタジアムと練習場"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "しかし観客動員は2006年をピークに減少が続いており、2011年には平均3万人を割り込んだ。同年7月13日のヴァンフォーレ甲府戦ではJ1昇格後最少となる13,644人を記録しており、クラブ側も観客動員数の回復を喫緊の課題と捉えている。2013年に動員の下落は下げ止まりの感を見せたものの、長らく浦和に次ぐ2番手だった観客動員数は横浜F・マリノスに抜かれて3位に転落した。2014年は最終節の延期の影響もあり4位となった。",
"title": "スタジアムと練習場"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "アルビレオ新潟FCへの改称以降、クラブには200人を超える選手が在籍した。最長の在籍期間、最多の出場試合は共に新潟県内出身の本間勲で在籍15年半、出場試合数は316試合である。最多得点選手はブラジル国籍のエジミウソンで、116試合に出場して62得点を決めている。エジミウソンをはじめとした外国籍選手の国籍は8ヶ国を数え、最多は常駐のスカウトを派遣しているブラジル国籍選手である。",
"title": "選手・監督"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "監督の交代はJリーグ昇格以前から少なかったが、2016年以降在任期間が1年未満での交代が続いている。アルビレオ改称後、最長の在任期間は反町康治の5年、最短は2016年の片渕浩一郎の3ヶ月である。J1での最高順位は鈴木淳が指揮を執った2007年の6位、最多勝点は柳下正明が指揮を執った2013年の55点である。",
"title": "選手・監督"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "クラブのJ1昇格10周年を記念し、2013年11月から12月にかけ新潟日報紙上で「俺たちの夢のイレブン」が募集された。ファン投票の結果を受け、2014年1月4日の新潟日報紙上で発表された「夢のイレブン・監督」12人を以下に記す。最多得票はマルシオ・リシャルデスの507票だった。",
"title": "選手・監督"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "(並びは投票数順)",
"title": "選手・監督"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "現在、新潟県内を中心に164の企業・団体から出資を受けているが、具体的な出資者名は明らかにされていない。設立当初は県内に単独でJリーグクラブを支える体力がある企業が存在しないため、「広く薄く」の方針で多くの企業から出資を募った。事業規模は毎年23-24億円程度で、30億円程度とされるJ1クラブの平均予算と比較しても貧弱な数字になっている。現在の社長は5代目で、2008年からアルビレックス新潟シンガポールの代表取締役を務めていた是永大輔。後述する初代社長の池田弘、2代目社長の中野幸夫は、新潟社長退任後にいずれもJリーグ理事の役職に就いた。",
"title": "運営会社"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "1996年、アルビレオ新潟FCは県内企業30社が1000万円を出し合い、2億9500万円の資本金で設立された。経営の中心には、県内で多数の専門学校を展開するNSGグループ理事長の池田弘が据えられた。当初アルビレオのJリーグ挑戦はワールドカップ誘致活動の一環という性格が強く、経営状態も芳しくなかった為に誘致成功を手土産に解散の可能性もあったという。池田は私財を投じて窮地をしのぐ一方で、後援会組織を立ち上げて小口の個人出資を募った。さらにこの頃から「ばらまき作戦」とも揶揄された採算を度外視した無料招待券の大量配布が始まり、観客動員数は飛躍的に増加。収支は2000年に初めて黒字へ転換した。",
"title": "運営会社"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "しかし、J1昇格に伴う強化費の増加に加え、観客動員数の落ち込み等を要因とする営業収入の落ち込みもあり、2005年から公表されている収支報告では毎年営業赤字を計上した。チケット売り上げ等の興業収入は最大時の2005年に約12億円を計上したが、2012年は最大時から5億円減となる約7億円、興業収入の柱となるシーズンチケットの売り上げは最盛期の2万枚からおおよそ半減している。",
"title": "運営会社"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "2004年に創設され、シンガポールのシンガポールプレミアリーグに所属するチーム。アルビレックス新潟やそれ以外のJリーグクラブから若手の育成先として選手の派遣を受け入れている。",
"title": "関連する組織"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "アルビレックス新潟シンガポールは、留学プログラムの拠点としてスペインのバルセロナにアルビレックス新潟バルセロナ(バルセロナフットボールアカデミー)を設立した。",
"title": "関連する組織"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "また、2014年にアルビレックス新潟プノンペンを設立し、カンボジア・リーグに参入した。ただし、アルビレックス新潟プノンペンのトップチームは1年で活動停止となった。",
"title": "関連する組織"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "北信越フットボールリーグに所属するチームで、アルビレックス新潟の運営母体であるNSGグループ(新潟総合学院、国際総合学園)の傘下にある。JSCに所属している選手は、アルビレックス新潟の練習へも参加でき、事実上のアマチュア組織のチームとなっている。",
"title": "関連する組織"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "また、2005年にJSC高等部が設けられ、アルビレックス新潟ユースとともにユース部門を担っている。JSC高等部は開志学園高校と教育連携しており、高校選手権や高校総体に「開志学園JAPANサッカーカレッジ高等部」として出場している。",
"title": "関連する組織"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "アルビレックス新潟の決算は、つぎのとおり。",
"title": "決算"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010",
"title": "決算"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "金額の単位: 百万円",
"title": "決算"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "人件費は事業費に含まれる。",
"title": "決算"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015",
"title": "決算"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "金額の単位: 百万円",
"title": "決算"
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"text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022",
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"text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022",
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] | アルビレックス新潟は、日本の新潟県内全市町村(20市6町4村)をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 | {{半保護}}
{{Otheruses||ほかの「'''アルビレックス'''」の名を冠する組織|アルビレックス新潟の関連組織一覧}}
{{サッカークラブ
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| background-color = #EA5404
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| 原語表記 = アルビレックス新潟
| 呼称 = アルビレックス新潟
| 愛称 = アルビレックス<br/>アルビ
| カラー = {{colorbox|#EA5404}} オレンジ、{{colorbox|#014099}} ブルー<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/club/niigata/day/#profile|title=クラブガイド:アルビレックス新潟|publisher=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2023-10-05}}</ref>
| 創設 = 1955
| リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]]
| ディビジョン = [[J1リーグ]]
| クラブライセンス = J1
| ホームタウン = [[新潟県]][[新潟市]]、[[阿賀野市]]、[[糸魚川市]]、[[魚沼市]]、[[小千谷市]]、[[柏崎市]]、[[加茂市]]、[[五泉市]]、[[佐渡市]]、[[三条市]]、[[新発田市]]、[[上越市]]、[[胎内市]]、[[燕市]]、[[十日町市]]、[[長岡市]]、[[見附市]]、[[南魚沼市]]、[[妙高市]]、[[村上市]]、[[北蒲原郡]][[聖籠町]]、[[東蒲原郡]][[阿賀町]]、[[三島郡 (新潟県)|三島郡]][[出雲崎町]]、[[南蒲原郡]][[田上町]]、[[中魚沼郡]][[津南町]]、[[南魚沼郡]][[湯沢町]]、[[刈羽郡]][[刈羽村]]、[[岩船郡]][[関川村]]、[[粟島浦村]]、[[西蒲原郡]][[弥彦村]]<ref name="jleague" />
| スタジアム = [[File:Niigata-Stadium20130911-04.JPG|250px|デンカビッグスワンスタジアム]][[新潟スタジアム|デンカビッグスワンスタジアム]]<ref name="jleague" />
| キャパ = 41,684<ref name="jleague" />
| 法人名 = 株式会社アルビレックス新潟<ref name="jleague" />
| 代表 = [[中野幸夫]]
| 監督 = {{flagicon|JPN}} [[松橋力蔵]]
| HP = https://www.albirex.co.jp/
| current = 2023年のアルビレックス新潟
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}}
'''アルビレックス新潟'''(アルビレックスにいがた、{{Lang-en-short|Albirex Niigata}})は、[[日本]]の[[新潟県]]内全市町村(20市6町4村)をホームタウンとする、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
== 概要 ==
[[ファイル:Albireo.jpg|thumb|クラブ名の由来となった[[二重星]][[アルビレオ]]。オレンジの星と青の星からなる。]]
1955年、[[新潟明訓中学校・高等学校|新潟明訓高校]]OBが中心となって創部した新潟イレブンサッカークラブが前身<ref name="jleague" />。1995年、一般公募により[[はくちょう座]]にある[[二重星]][[アルビレオ]]に由来する『'''アルビレオ新潟FC'''』に改称したが、1997年、[[商標]]問題からクラブ名の改称を決定し、県民投票の結果"アルビレオ"と[[ラテン語]]で「王」を意味する"レックス"を掛け合わせた造語である『'''アルビレックス新潟'''』に改称した<ref name="jleague" />。なお、他の候補名は[[新潟弁]]で「俺たちの」を意味する『オラッタ新潟』と「白鳥の騎士」を意味する『シスネーテス新潟』があった<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/morimori206/status/1110167924457664512|title=危うく「オラッタ新潟」になりそうだったアルビレックス新潟|publisher=@morimori206|date=2019-03-25|accessdate=2023-10-05}}</ref>。1999年に[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]へ加盟。
[[ホームタウン]]はホームスタジアム・[[新潟スタジアム|デンカビッグスワンスタジアム]]がある[[新潟県]][[新潟市]]とクラブハウスのある[[北蒲原郡]][[聖籠町]]のみだったが、2019年7月30日より新潟県内の全市町村に拡大した。[[マスコット|マスコットキャラクター]]は[[ハクチョウ|白鳥]]をモチーフに2000年に登場した『[[アルビくん]]』。
近隣にライバルクラブは存在していないが、2007年頃から企画先行ながら[[ヴァンフォーレ甲府]]との対戦を[[川中島ダービー]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00048332.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090531103943/http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00048332.html|title=【ヤマザキナビスコカップ 甲府 vs 新潟 レポート】決着はつかなかったが、真のダービーに近づいた『川中島ダービー』(07.05.10)|publisher=[[J's GOAL]]|author=松尾潤|date=2007-05-10|archivedate=2009-05-31|accessdate=2023-10-05}}</ref>、[[モンテディオ山形]]との対戦を[[天地人ダービー]]と呼ぶようになった。
=== 総合型地域スポーツクラブ ===
{{main|[[アルビレックス新潟の関連組織一覧]]}}
[[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]]に参加する女子チーム・[[アルビレックス新潟レディース]](2002年創設・活動開始)を持つほか、会場の応援を彩る[[アルビレックスチアリーダーズ|チアリーディングチーム]]も運営している。
また、[[Jリーグ百年構想]]による[[総合型地域スポーツクラブ]]を目指しており、[[バスケットボール]]の[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]に[[新潟アルビレックスBB]]が、[[バスケットボール女子日本リーグ機構]](WJBL)に[[新潟アルビレックスBBラビッツ]]が参戦している他、2004年に[[スキー]]・[[スノーボード]]の[[チームアルビレックス新潟]]を<ref name="jleague" />、2005年に[[陸上競技]]の[[新潟アルビレックスランニングクラブ]]を創設<ref name="jleague" />。更に、2006年に[[プロ野球]][[独立リーグ]]・[[ベースボール・チャレンジ・リーグ]]に参戦する[[新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ]]が<ref name="jleague" />、2010年に[[モータースポーツ]]の[[アルビレックスレーシングチーム]]が創設されている<ref name="jleague" />。なお、各「アルビレックス」は事実上のオーナー企業でも有る[[NSGグループ]]の参画で愛称とイメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等はない。
== 歴史 ==
{{main|Category:アルビレックス新潟のシーズン}}
=== 前史 ===
1955年、新潟イレブンサッカークラブとして創部<ref name="jleague" />。[[1982年]]には社会優良団体(優良スポーツクラブ)として[[文部大臣]]賞を受賞した。
1991年、新潟県サッカー協会は[[2002 FIFAワールドカップ]]の開催地に立候補することを決定(翌1992年に新潟県議会でも可決{{Refnest|group="注"|新潟県サッカー協会理事長(当時)の澤村哲郎は、賛同を得るにあたって、新潟県が[[長野オリンピック|1998年冬季オリンピック(後に長野での開催が決まる)]]の開催都市に立候補できずにいたことが大きな要因になったと述べている<ref>{{Cite book|和書|author=飯塚健司|year=2005|title=アルビレックス新潟の奇跡|publisher=[[小学館]]|isbn=4093553335}}</ref>。}})。ワールドカップ招致活動の一環として掲げられたプロサッカークラブの創設と短期間での[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]加盟を実現するため、[[新潟県サッカーリーグ]]からのスタートとなるクラブの新設ではなく、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]や[[全国社会人サッカー選手権大会]]などの全国大会への出場経験を持つ[[北信越フットボールリーグ|北信越リーグ]]の新潟イレブンSCを強化することになり、1995年、県サッカー協会の強化指定を受けた新潟イレブンSCを母体に[[グランセナ新潟FC|新潟蹴友会]]の主力選手を加えてチーム名を'''アルビレオ新潟FC'''に改称した。新監督に県の外国人スポーツ指導者招聘事業により来県し、新潟イレブンSCのヘッドコーチを務めていた[[フランツ・ファン・バルコム]]が就任し、同チームの監督を務めていた[[若杉透]]は総監督に就任した。
1996年、チーム母体を法人組織として株式会社を設立しプロ化、日本初の地域リーグでのプロサッカークラブとなった。1997年、クラブ名を'''アルビレックス新潟'''に改称して臨んだシーズンは北信越リーグ連覇を果たし、[[日本サッカー協会]]及びJリーグより地域リーグ所属のクラブからは唯一となる1999年に開幕する[[J2リーグ|J2]]への参入を承認された。1998年、[[全国地域サッカーチャンピオンズリーグ|全国地域リーグ決勝大会]]を勝ち抜き、[[ジャパンフットボールリーグ]]に昇格<ref name="jleague" />。(旧)JFLは[[永井良和]]監督の下で臨んだが、順位は11位と低迷。翌年からのJ2参入に向けてチームを強化するため、26名の選手のうち17名との契約を打ち切ることになった{{Refnest|group="注"|この決定を下した当時の代表取締役社長[[池田弘 (経営者)|池田弘]]は「人切り池田」として大きな非難を浴びた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ipcon.co.jp/interview/interview72.html|title=株式会社アルビレックス新潟 代表取締役社長 池田 弘氏|publisher=インタープライズ・コンサルティング|accessdate=2023-10-05}}</ref>が、その様子が[[川淵三郎]]の目に留まる。このことがきっかけとなり、池田は後にJリーグ理事に就任した。}}。
=== 1999年 - 2003年(J2) ===
J2昇格後は[[秋葉忠宏]]や[[鈴木慎吾]]、[[寺川能人]]ら、各ポジションにJリーグ経験者を含む即戦力を補強した。[[2000年のアルビレックス新潟|2000年]]には新潟出身の元日本代表、[[神田勝夫]]が加入した。昇格初年度の[[1999年のアルビレックス新潟|1999年]]はJ2開幕から7連勝を記録してリーグ中盤戦まで首位をキープするなど健闘し、最終順位は4位となった。永井は2000年まで監督を務めたが、J1昇格はならなかった。
[[2001年のアルビレックス新潟|2001年]]、新監督に[[反町康治]]が就任。同年に完成し、ワールドカップの会場になった[[新潟スタジアム|新潟スタジアム(ビッグスワン)]]を主な舞台に、元日本代表の[[山口素弘]]、[[船越優蔵]]、[[黒崎久志]]や[[マルクス・ビニシウス・デ・モライス|マルクス]]、[[安英学]]らが活躍。2001年は4位、[[2002年のアルビレックス新潟|2002年]]は3位で惜しくもJ1昇格を逃すも、[[2003年のアルビレックス新潟|2003年]]に[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]との熾烈な昇格争いを制してJ2優勝・J1昇格を決めた。優勝を決めた最終節[[大宮アルディージャ|大宮]]戦には、ビッグスワンに42,223人のサポーターが詰めかけた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00003640|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203084321/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00003640|title=<nowiki>【J2 第44節新潟 vs 大宮戦レポート】ついにJ1昇格決定。J2優勝も決めた新潟 [ J's GOAL ](03.11.24)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=元川悦子|date=2003-11-24|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-05}}</ref>。詳細は「[[2003年J2第43節・最終節]]」を参照。マルクスは2002年(19得点)、2003年(32得点)と、2年連続でJ2得点王となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00004303|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203082250/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00004303|title=<nowiki>マルクス選手獲得のお知らせ [ 川崎F ](03.12.25)</nowiki>|publisher=J's GOAL|adte=2003-12-25|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-06}}</ref>。
=== 2004年 - 2017年(J1) ===
[[ファイル:Gotoku sakai.jpg|サムネイル|[[酒井高徳]]]]
J1昇格後も[[2005年のアルビレックス新潟|2005年]]まで反町が指揮を執った。昇格1年目の2004年は[[エジミウソン・ドス・サントス・シルバ|エジミウソン]]、[[ファビオ・ジョゼ・ドス・サントス|ファビーニョ]]らブラジル人を中心としたカウンター戦術を採用した。1stステージは苦戦して14位に終わるも、2ndステージ第6節広島戦から第9節[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦まで4連勝をマークする<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00012632|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203083709/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00012632|title=<nowiki>【J1-2nd:第9節 新潟 vs 鹿島 レポート】新潟が粘り勝ちで4連勝。鹿島の一瞬の隙を突いてファビーニョが決勝ゴール [ J's GOAL ](04.10.18)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=斎藤慎一郎|date=2004-10-08|archivedate=2013-12-03|accessdate=2013-01-27}}</ref>など一時は上位争いを展開し、最終節を待たずに残留決定。2ndステージ7位、年間10位で終えた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00027289|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203083914/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00027289|title=<nowiki>【第85回天皇杯5回戦:磐田 vs 新潟 プレビュー】リーグでの対磐田初勝利を果たした新潟がもう一つの壁を突き破るか、それとも磐田が前回の借りを返せるか。 [ J's GOAL ](05.12.09)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=前島芳雄|date=2005-12-09|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-05}}</ref>。また、[[新潟県中越地震]]の影響(余震及びスタジアム駐車場が[[自衛隊]]の前線基地となった)により、10月と11月に予定されていたビッグスワンでの2試合は、[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]と[[平塚競技場]]で代替開催された。代替開催ながらも新潟サポーターは多数駆け付け、手製の横断幕を持って応援した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00013436|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203082447/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00013436|title=<nowiki>【J1-2nd:第11節 新潟 vs 柏 レポート】闘志が空回りした新潟はまさかの3連敗。気迫で上回った柏は残留へ1歩前進 [ J's GOAL ](04.11.11)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=斎藤慎一郎|date=2004-11-11|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-05}}</ref>。地震直後の試合となった[[柏レイソル|柏]]戦では試合前に会場全体で黙祷が捧げられた。
[[2006年のアルビレックス新潟|2006年]]から[[2009年のアルビレックス新潟|2009年]]までの4年間は[[鈴木淳 (1961年生のサッカー選手)|鈴木淳]]が監督を務めた。鈴木は[[マルシオ・リシャルデス・デ・アンドラーデ|マルシオ・リシャルデス]]や[[矢野貴章]]らを中心とした攻撃的なチームを作り上げ、[[2007年のアルビレックス新潟|2007年]]にJ1昇格後最高順位となる6位の成績を残した。また、この年には矢野がクラブ初の日本代表に選出。3月24日に行われた[[サッカーペルー代表|ペルー代表]]戦で初キャップを記録し<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00045951|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203084546/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00045951|title=<nowiki>矢野 貴章 選手 キリンチャレンジカップ2007 ~ALL FOR 2010!~(3/24 対 ペルー代表@横浜国際総合競技場 )日本代表メンバーに追加招集のお知らせ [ 新潟 ](07.03.22)</nowiki>|publisher=J's GOAL|date=2007-03-22|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-05}}</ref>、後の[[2010 FIFAワールドカップ|南アフリカワールドカップ]]に於いてクラブ初のワールドカップ本大会メンバーに選出された。中心選手だったエジミウソン、[[坂本將貴]]らが移籍した[[2008年のアルビレックス新潟|2008年]]は残留争いに巻き込まれるが<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00061304|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203083508/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00061304|title=<nowiki>【開幕直前!33クラブ別戦力分析レポート:新潟】目標は5位以内。チーム内の競争が「アグレッシブ」の質を高める。 [ J's GOAL ](08.02.28)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=斎藤慎一郎|date=2008-02-28|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-05}}</ref>、[[2009年のアルビレックス新潟|2009年]]には4-3-3の攻撃的なフォーメーションを敷いて上位争いに顔を出し<ref>{{Cite web|和書|url=http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/soccer090730_1_1.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100430123951/http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/soccer090730_1_1.html|title=鈴木淳監督の“秘密のレシピ”とは?(アルビレックス新潟)|publisher=OCNスポーツ|author=大中祐二|archivedate=2010-04-30|accessdate=2023-10-05}}</ref>、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では過去最高のベスト8進出を果たした。
鈴木の後任にはヘッドコーチから[[黒崎久志]]が昇格し、2シーズン連続でJ1残留に成功した。[[2010年のアルビレックス新潟|2010年]]は、第7節[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦から第17節[[京都サンガF.C.|京都]]戦まで11試合連続無敗のクラブ記録を樹立<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00105312|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131005021253/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00105312|title=<nowiki>【J1:第18節 山形 vs 新潟】レポート:北村が2試合連続決勝ゴール! 守備で術中にはめた山形が新潟の負けなしを11試合でストップ! [ J's GOAL ](10.08.14)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=佐藤円|date=2010-08-14|archivedate=2013-10-05|accessdate=2023-10-05}}</ref>、その間、第9節[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦から第12節[[モンテディオ山形|山形]]戦にかけては、2004年以来6シーズン振りとなる4連勝を記録した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00101450|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131004230955/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00101450|title=<nowiki>【J1:第12節 新潟 vs 山形】レポート:新潟が6年ぶりの4連勝。本間勲の決勝のミドルシュートで山形に逆転勝ち。 [ J's GOAL ](10.05.16)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=斎藤慎一郎|date=2010-05-16|archivedate=2013-10-04|accessdate=2023-10-05}}</ref>。しかし黒崎の在任中、矢野や[[Jリーグベストイレブン]]に選出されたマルシオをはじめ、代表経験のある[[酒井高徳]]、[[曺永哲]]ら、多くの主力選手が国内外へ流出し、[[2011年のアルビレックス新潟|2011年]]終盤から得点力不足に悩まされた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00131851|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131005020617/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00131851|title=<nowiki>【開幕直前!40クラブ別戦力分析レポート:新潟】大量の戦力補強でポジション争いが激化。競争を上位進出へのパワーに [ J's GOAL ](12.02.24)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=斎藤慎一郎|date=2012-02-24|archivedate=2013-10-05|accessdate=2023-10-05}}</ref>。
[[2012年のアルビレックス新潟|2012年]]は開幕から3連敗を喫するなど降格圏内に沈み、黒崎は5月に辞任した<ref>新潟日報 2012年5月22日</ref>。シーズン途中での監督交代はクラブ史上初のことだった<ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/20120521/19225.html|title=新潟、黒崎久志監督が辞任…J1の監督交代は今シーズン4クラブ目|publisher=[[フロムワン|サッカーキング]]|date=2012-05-21|accessdate=2013-01-27}}</ref>。
黒崎の辞任後、[[柳下正明]]が監督に就任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.albirex.co.jp/news/35891/|title=柳下正明監督 就任のお知らせ|publisher=アルビレックス新潟|date=2012-06-11|accessdate=2023-10-05}}</ref>。一時は降格圏から脱出したが、残留争いからは抜け出すことはできなかった。勝てなければ降格決定という絶体絶命の状況で迎えた第33節で辛くも勝利して[[ベガルタ仙台|仙台]]の優勝を阻止したものの、降格圏内の17位で最終節を迎える事となった。新潟が勝利してもなお自力での残留は困難な状況の中、ホームで[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]に勝利。残留を争う神戸と[[ガンバ大阪|G大阪]]が共に敗れ、逆転で15位に浮上してJ1残留を果たした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00147605|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203083505/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00147605|title=<nowiki>【J1:第34節 新潟 vs 札幌】レポート:新潟が4ゴールで大勝。逆転で残留を決める [ J's GOAL ](12.12.02)</nowiki>|publisher=J's GOAL|author=斎藤慎一郎|date=2012-12-02|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-05}}</ref>。最終節に至る経緯は「[[2012年J1最終節]]」が詳しい。
J1連続在籍10年目を迎えた[[2013年のアルビレックス新潟|2013年]]は[[川又堅碁]]や[[ウーゴ・レオナルド・シルバ・セレージョ|レオ・シルバ]]らの活躍とともに夏場から調子を上げ、J1残留を決めた第30節から最終節までクラブ新記録となる5連勝を記録、第33節では[[横浜F・マリノス|横浜FM]]の優勝を阻止した。3年ぶりの1桁順位となる7位でシーズンを終えた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/10/27/kiji/K20131027006892950.html|title=新潟、J1残留確定!川又ハットで視察ザックに代表入りアピール|publisher=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|author=斎藤慎一郎|date=2013-10-27|accessdate=2013-10-29}}</ref>。
2014年は[[2014 FIFAワールドカップ|ブラジルワールドカップ]]の中断期間まで7位であったが、[[金珍洙]]、川又の退団やけが人の影響もあり12位で終了。
11年振りに2ステージ制に戻された[[2015年のアルビレックス新潟|2015年]]は終盤まで残留争いに加わってしまうものの、最終的に年間15位で残留を決めた。[[2015年のJリーグカップ|Jリーグカップ]]では、クラブ史上初の決勝トーナメントに進出し、ベスト4の成績を残した。シーズン終了後に柳下が監督を辞任した。
[[2016年のアルビレックス新潟|2016年]]は[[吉田達磨]]が監督に就任した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.albirex.co.jp/news/47594/|title=2016シーズン監督に 吉田 達磨氏 決定のお知らせ|publisher=アルビレックス新潟|date=2015-12-02|accessdate=2015-12-04}}</ref>。開幕戦は勝利を飾ったものの、それから成績が振るわず1stステージを13位で終える。2ndステージも開幕4連敗を喫するなど不調から抜け出せず、残留争いのライバルである[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]と名古屋に連敗。降格圏内まで勝点差1に詰め寄られた事が決定打となり、9月27日に吉田監督以下コーチ陣は4試合を残しての解任となった。後任はコーチを務めていた[[片渕浩一郎]]が就任した。その後残留争いは最終節までもつれ、勝てば残留という状況の中、広島戦も敗戦を喫し勝点で名古屋と並んだものの、得失点差で上回り辛うじて年間15位で残留を果たした。年間勝点30での残留は現行の18チーム制になってからは史上最少の記録である。
[[2017年のアルビレックス新潟|2017年]]は、前年[[AC長野パルセイロ|長野]]の監督であった[[三浦文丈]]が新監督に就任<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.albirex.co.jp/news/50619/|title=2017シーズン監督に三浦 文丈氏決定のお知らせ|publisher=アルビレックス新潟|date=2016-12-12|accessdate=2023-10-05}}</ref>。しかし開幕からリーグ戦10試合で僅か1勝と低迷し、その後三浦が辞任。後任に[[呂比須ワグナー]]を招聘した<ref>{{Cite press release |和書 |url=http://www.albirex.co.jp/news/51783/|title=監督に呂比須ワグナー氏 内定のお知らせ|publisher=アルビレックス新潟|date=2017-05-11|accessdate=2023-10-05}}</ref>。 呂比須の初陣となった第12節札幌戦でリーグ2勝目を挙げたが、その後はリーグ戦16試合勝ち無しとクラブワースト記録を更新するなど成績は上向かず、第32節甲府戦で勝利したものの、他会場の結果により昇格14年目にして初のJ2降格が決定した。最終的には17位で終了。シーズン終了後、呂比須の退任と神田勝夫強化部長の退任が発表された。
=== 2018年 - 2022年(J2) ===
[[鈴木政一]]が監督に就任。2018年は1年でのJ1復帰を目指したが、リーグ前半戦で7勝5分9敗、ホームでは僅か1勝と低迷。8月7日に鈴木が契約解除され、ヘッドコーチの片渕が2年ぶりに監督に就任した。以降はホームでも勝てるようになったが、上位争いに加わる事無く16位でシーズンを終えた。ルヴァンカップも予選リーグ3位で終わった。
2019年は開幕9試合で3勝3敗3分とスタートダッシュに失敗。4月14日に片渕が監督から解任され、アカデミーダイレクターの[[吉永一明]]が監督に就任、4シーズン連続での監督の途中交代となった。しかし、その後も第13節[[V・ファーレン長崎|長崎]]戦から4連敗を喫し16位まで後退、第26節で9位に浮上した以外は2桁順位を脱することなく、10位でシーズンを終えた。[[レオナルド・ナスシメント・ロペス・デ・ソウザ|レオナルド]]が28得点を挙げ得点王を獲得した。
2020年は新監督にスペイン人の[[アルベル・プッチ・オルトネダ|アルベルト・プッチ・オルトネダ]]が就任。ポゼッション主体の戦術に変貌を遂げた。開幕節[[ザスパクサツ群馬|群馬]]戦は3-0で快勝し首位に立ったものの、同シーズンの昇格圏内である2位以内に入ったのはこれが最初で最後となった。第27節から7戦負けなしで一時は4位まで浮上したものの、第37節終了時点で5試合を残し昇格の可能性が消滅。結局前年を下回る11位でシーズンを終えた。9月に所属選手2名の飲酒運転が発覚し、解雇処分を受けた<ref> {{Cite press release|和書|url=https://www.albirex.co.jp/news/59838/|title=【ご報告】当クラブ所属選手の道路交通法違反について|publisher=アルビレックス新潟|date=2020-10-15|accessdate=2023-10-05}}</ref>。
2021年は開幕節[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦を4-1と快勝すると、開幕から5連勝とスタートダッシュに成功し、13戦負けなし(10勝3分)で首位を維持した。しかし、第18節[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]戦の敗戦でJ1昇格圏外の3位に後退、その後は昇格圏内の2位以上に戻ることなく最終的に2位京都とは勝点差16の6位でシーズンを終えた。シーズン終了後、アルベルトが監督を退任した。
2022年は前年コーチを務めていた[[松橋力蔵]]が監督に就任した。前監督のアルベルトが植え付けたポゼッション主体の戦術をベースに、縦の速さと相手との駆け引きを意識したサッカーを展開した。序盤は開幕7試合で2勝と出遅れたが、第8節から8試合連続負けなしを含む10勝3分1敗として、前半戦を首位で折り返す。後半戦は主力の[[本間至恩]]の海外移籍<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.albirex.co.jp/news/62866/|title=本間 至恩 選手 クラブ ブルージュ(ベルギー)に完全移籍のお知らせ|publisher=アルビレックス新潟|date=2022-07-16|accessdate=2023-10-05}}</ref>や[[高木善朗]]の負傷離脱といったアクシデントも有りながらも、[[伊藤涼太郎]]や[[三戸舜介]]らがその穴を埋める活躍を見せる。その後も着実に勝点を積み重ね、昇格圏内の2位以内をキープ。第35節で首位に返り咲き、シーズン初の4連勝のあと、引き分けを挟み迎えた第40節仙台戦で勝利し、6年ぶりのJ1昇格を決めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/news/article/23485/|title=3発快勝の新潟が6年ぶりのJ1昇格を決める! ゴールラッシュで大勝の熊本はプレーオフ進出【サマリー:明治安田J2 第40節】|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2022-10-08|accessdate=2023-10-05}}</ref>。翌第41節[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦では敗れたものの、2位の[[横浜FC]]が敗れたため新潟の2回目のJ2優勝が決定した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/news/article/23541/|title=横浜FCのJ1昇格決定も敗れた為、優勝は新潟に 共に敗れた琉球、岩手の21位以下が確定|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2022-10-17|accessdate=2023-10-05}}</ref>。最終節[[FC町田ゼルビア|町田]]戦での勝利で、J2通算200勝を達成した。最終成績は25勝9分8敗の勝点84。得点73、失点35、得失点差38は全てにおいてリーグ1位となった。
=== 2023年 - (J1) ===
2023年は昨年のメンバーの殆どが残留して開幕を迎えた。リーグ前半戦は広島、川崎、横浜FMと昨年のJ1トップ3に勝利を挙げた一方で、鹿島、横浜FC、G大阪、京都と序盤下位に低迷していたチームに敗れるなど勝点を伸ばせず、13位で折り返す。主力の伊藤が海外移籍<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.albirex.co.jp/news/64412/|title=伊藤 涼太郎 選手 シント=トロイデンVV(ベルギー)に完全移籍のお知らせ|publisher=アルビレックス新潟|date=2023-06-05|accessdate=2023-06-05}}</ref>して迎えた後半戦も勝ち負けを繰り返していたが、9月から12月までの9試合を4勝5分の無敗で乗り切り、最終的に11勝12分11敗の10位でJ1残留を果たした。ルヴァンカップはグループステージ敗退、天皇杯は過去最高タイのベスト8進出を果たした。
== 記録と成績 ==
{{main|アルビレックス新潟の年度別成績一覧}}
=== タイトル ===
* '''[[J2リーグ]]:2回'''
** [[2003年のJリーグ ディビジョン2|2003]]、[[2022年のJ2リーグ|2022]]
=== その他タイトル ===
* '''[[北信越フットボールリーグ]]''':3回
** 1986、1996、1997
=== 表彰 ===
; [[J1リーグ]]
:* '''[[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]]'''
:** [[2010年のJリーグ ディビジョン1|2010年]] {{Flagicon|BRA}} [[マルシオ・リシャルデス・デ・アンドラーデ|マルシオ・リシャルデス]]
:** [[2013年のJリーグ ディビジョン1|2013年]] {{Flagicon|JPN}} [[川又堅碁]]
:** [[2014年のJリーグ ディビジョン1|2014年]] {{Flagicon|BRA}} [[ウーゴ・レオナルド・シルバ・セレージョ|レオ・シルバ]]
:* '''[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]]'''
:** 2014年4月 {{Flagicon|BRA}} レオ・シルバ
:** [[2023年のJ1リーグ|2023年]]2月・3月 {{Flagicon|JPN}} [[伊藤涼太郎]]
:* '''[[Jリーグアウォーズ#ベストヤングプレーヤー賞|ベストヤングプレーヤー賞]]'''
:** [[2023年のJ1リーグ|2023年]] {{Flagicon|JPN}} [[三戸舜介]]
:* '''月間ベストゴール'''
:** 2023年5月 {{Flagicon|JPN}} 三戸舜介
:** 2023年9月 {{Flagicon|JPN}} 三戸舜介
:* '''[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|フェアプレー賞]]'''
:** 2014年、2023年
; [[J2リーグ]]
:* '''ベストイレブン'''
:** [[2022年のJ2リーグ|2022年]] {{Flagicon|JPN}} 伊藤涼太郎、{{Flagicon|JPN}} [[高宇洋]]、{{Flagicon|JPN}} [[小島亨介]]、{{Flagicon|JPN}} [[高木善朗]]、{{Flagicon|JPN}} [[堀米悠斗]]、{{Flagicon|JPN}} [[フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ|舞行龍ジェームズ]]
:* '''[[J2リーグ#得点王|得点王]]'''
:** [[2002年のJリーグ ディビジョン2|2002年]] {{Flagicon|BRA}} [[マルクス・ビニシウス・デ・モライス|マルクス]]:19得点
:** 2003年 {{Flagicon|BRA}} マルクス:32得点
:** [[2019年のJ2リーグ|2019年]] {{Flagicon|BRA}} [[レオナルド・ナスシメント・ロペス・デ・ソウザ|レオナルド]]:28得点
:* '''優勝監督賞'''
:** 2022年 {{Flagicon|JPN}} [[松橋力蔵]]
:* '''月間MVP'''
:** 2019年9月 {{Flagicon|BRA}} レオナルド
:** 2019年10月 {{Flagicon|BRA}} レオナルド
:** [[2021年のJ2リーグ|2021年]]2月・3月 {{Flagicon|JPN}} 高木善朗
:** 2022年5月 {{Flagicon|JPN}} 三戸舜介
:* '''月間ベストゴール'''
:** [[2020年のJ2リーグ|2020年]]2月・6月・7月 {{Flagicon|JPN}} [[本間至恩]]
:** 2020年10月 {{Flagicon|KOR}} [[鄭大世]]
:** 2021年4月 {{Flagicon|JPN}} [[矢村健]]
:** 2022年10月 {{Flagicon|JPN}} 伊藤涼太郎
:* '''フェアプレー賞'''
:** 2018年、2019年、2020年、2021年、2022年
; その他
:* '''[[Jリーグアウォーズ#功労選手賞|功労選手賞]]'''<ref group="注">新潟に在籍した経験がある選手</ref>
:** 2008年 {{Flagicon|JPN}} [[黒崎久志]]、{{Flagicon|JPN}} [[山口素弘]]
:** 2017年 {{Flagicon|JPN}} [[大島秀夫]]
:** 2022年 {{Flagicon|JPN}} [[田中達也 (1982年生のサッカー選手)|田中達也]]
:* '''[[Jリーグアウォーズ#Join賞|Join賞]]'''
:** 2004年 アルビレックス新潟<ref group="注">年間観客動員の新記録を達成したため。</ref>
:** 2005年 アルビレックス新潟<ref group="注">1試合平均観客動員数を大幅に更新したため。また、新潟県中越地震の復興支援に貢献したため。</ref>
:* '''[[Jリーグアウォーズ#Jリーグベストピッチ賞|ベストピッチ賞]]'''
:** 2007年 [[新潟スタジアム|東北電力ビッグスワンスタジアム]]
:** 2009年 東北電力ビッグスワンスタジアム
:** 2012年 東北電力ビッグスワンスタジアム
:** 2013年 東北電力ビッグスワンスタジアム
:** 2015年 [[新潟スタジアム|デンカビッグスワンスタジアム]]
:** 2016年 デンカビッグスワンスタジアム
==ユニフォーム==
{{ユニフォームの色2
|F正シャツ=オレンジ|F正パンツ=オレンジ|F正ストッキング=オレンジ
|F副シャツ=白|F副パンツ=白|F副ストッキング=白
|G正シャツ=青|G正パンツ=青|G正ストッキング=青
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}}
{{see also|[[:Category:アルビレックス新潟のシーズン]]}}
=== クラブカラー ===
* {{colorbox|#FF6600}} オレンジ、{{colorbox|#014099}} ブルー
:オレンジは新潟の夕日を、青は[[日本海]]を表している<ref name="jleague" />。
=== ユニフォームスポンサー ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #014099; box-shadow:4px 4px 4px #EA5404;"
|- style="background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考
|-
!胸
|[[亀田製菓]]||亀田製菓||1999年 - ||1996年途中 - 1998年は背中上部<br/>2016年および2017年 - 2018年1st・3rdは「[[ハッピーターン]]」表記
|-
!rowspan="2"|鎖骨
|[[デンカ]]||Denka||2018年 - ||左側に表記
|-
|[[NSGグループ]]||NSG<br/>GROUP||2018年 - 2019年<br/>2021年 - ||右側に表記<br/>2020年は背中下部
|-
!背中上部
|[[コメリ]]||コメリ||2011年 - ||
|-
!背中下部
|[[新潟日報社]]||[[新潟日報]]||2021年 - ||2002年 - 2020年はパンツ前面
|-
!袖
|[https://www.namics.co.jp/ ナミックス]||NΛMiCS||2018年 - ||
|-
!パンツ前面
|なし||-||-||
|-
!パンツ背面
|なし||-||-||
|}
=== ユニフォームサプライヤーの遍歴 ===
* - 1998年:[[ミズノ]]
* 1999年 - 2002年:[[Kappa|カッパ]]
* 2003年 - 現在:[[アディダス]]
=== 歴代ユニフォーム ===
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #014099; box-shadow:4px 4px 4px #EA5404;"
|- style="background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan=5|FP 1st
|-
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|-
||||||||||
|}
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|-
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|-
||||||||||
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #014099; box-shadow:4px 4px 4px #EA5404;"
|- style="background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan=5|FP Other
|-
|{{Football kit|filetype=png
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|-
|{{Football kit|filetype=png
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|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=FF8000|title={{Center|2018<Small><br/>本間勲<br/>引退試合}}}}
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|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=FF8000|title={{Center|2020<Small><br/>ONE NIIGATA<br/>メモリアル<br/>ブルー<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.albirex.co.jp/news/59834/|title=【超限定ユニフォーム】2020 ONE NIIGATAメモリアルブルーユニフォーム着用決定!|publisher=アルビレックス新潟|date=2020-12-24|accessdate=2020-10-25}}</ref>}}}}
|-
||||||||||
|}
=== 歴代ユニフォームスポンサー表記 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #014099; box-shadow:4px 4px 4px #EA5404;"
|- style="background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|rowspan="2"|年度||colspan="8"|箇所||rowspan="2"|サプライヤー
|- style="background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面
|-
|1995||-||colspan="2" rowspan="23"|解禁前||-||rowspan="21"|解禁前||-||rowspan="7"|解禁前||rowspan="25"|解禁前||rowspan="4"|[[ミズノ|Mizuno]]
|-
|1996||-/<br/>[[コロナ (住宅関連機器メーカー)|CORONA]]||-/<br/>[[亀田製菓]]||-/<br/>[[トップカルチャー|蔦屋書店<br/>{{smaller|RENTAL VIDEO RENTAL CD}}]]
|-
|1997||[[コロナ (住宅関連機器メーカー)|CORONA]]||rowspan="2"|[[亀田製菓]]||rowspan="2"|[[トップカルチャー|蔦屋書店<br/>{{smaller|RENTAL VIDEO RENTAL CD}}]]
|-
|1998||[[ディレクTV|DIRECTV]]
|-
|1999||rowspan="17"|[[亀田製菓]]||[[トップカルチャー|蔦屋書店]]||rowspan="4"|[[新潟県|新潟発<br/>世界に向けて<br/>キックオフ]]||rowspan="4"|[[カッパ|Kappa]]
|-
|2000||[https://bs-intl.jp/ B's {{smaller|INTERNATIONΛL}}]
|-
|2001||rowspan="2"|[https://bs-intl.jp/ B's INT'L]
|-
|2002||rowspan="19"|[[新潟日報]]
|-
|2003||rowspan="2"|[https://bs-intl.jp/ styles<br/>{{smaller|B's INT'L}}]||[[朱鷺メッセ]]||rowspan="21"|[[アディダス|adidas]]
|-
|2004||rowspan="6"|[[全国農業協同組合連合会|新潟米]]
|-
|2005||rowspan="3"|[[MSN|msn]]
|-
|2006
|-
|2007
|-
|2008||[[Tポイント|{{smaller|T-POINT]]}}<br/>[[トップカルチャー|TSUTAYA]]
|-
|2009||-/<br/>[https://xlarge.jp/ X-LARGE<br/>{{smaller|CLOTHING}}] [https://bs-intl.jp/ B's INT'L]
|-
|2010||[https://xlarge.jp/ X-LARGE<br/>{{smaller|CLOTHING}}] [https://bs-intl.jp/ B's INT'L]||rowspan="8"|[[全国農業協同組合連合会|新<br/>潟<br/>米]]
|-
|2011||rowspan="13"|[[コメリ]]
|-
|2012
|-
|2013
|-
|2014
|-
|2015
|-
|2016||[[ハッピーターン]]||rowspan="2"|-
|-
|2017||rowspan="2"|[[ハッピーターン]]<br/>(1st・3rd)<br/>[[亀田製菓]]<br/>(2nd)
|-
|2018||rowspan="6"|[[デンカ|Denka]]||rowspan="2"|[[NSGグループ|NSG<br/>{{smaller|GROUP}}]]||[[全国農業協同組合連合会|JA全農にいがた {{smaller|新潟米}}]]||rowspan="6"|[https://www.namics.co.jp/ NΛMiCS]
|-
|2019||rowspan="5"|[[亀田製菓]]||[[全国農業協同組合連合会|全農にいがた]]
|-
|2020||-||[[NSGグループ|NSG<br/>{{smaller|GROUP}}]]||rowspan="4"|-
|-
|2021||rowspan="3"|[[NSGグループ|NSG<br/>{{smaller|GROUP}}]]||rowspan="3"|[[新潟日報]]||-/<br/>[https://nextmeats.co.jp/ NEXT<br/>MEATS]
|-
|2022||[https://nextmeats.co.jp/ N≡XT<br/>M≡ATS]
|-
|2023||-
|-
|}
=== ユニフォームの補足 ===
*1997年からパンツが青になる。
*1999年からJ2昇格と共にカッパがサプライヤーとなると、シャツに青のストライプが加わった。
*2003年からサプライヤーがアディダスに変更された。
*2007年から上下ともオレンジがメインになった。
*2014年シーズンの新ユニフォームは「原点回帰」と銘打たれ、Jリーグ参入時の太いストライプ柄が復活した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.albirex.co.jp/pdf/goods2014.pdf|title=アルビレックス新潟2014新ユニフォーム|publisher=アルビレックス新潟|accessdate=2014-01-04}}</ref>。
*2015年にクラブ初のカップ戦専用ユニフォームとなる青をベースとした新ユニフォームを発表した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.albirex.co.jp/news/43848/|title=2015シーズン カップ戦1stオフィシャルオーセンティックユニフォーム先行予約受付 いよいよ開始!|publisher=アルビレックス新潟|date=2015-01-30|accessdate=2015-10-21}}</ref>。
*2016年は2ndユニフォームが緑ベースとなり、シャツはボーダー柄となった。
*2017年は2ndユニフォームが再び白ベースとなった。
== スタジアムと練習場 ==
[[File:Albirex Niigata vs Urawa Red Diamonds, 11 March 2007.JPG|thumb|200px|ゴール裏サポーター([[新潟スタジアム]])]]
ホームスタジアムは(旧)JFLに加盟した1998年から2000年までは[[新潟市陸上競技場]]のみだったが、2001年に[[新潟スタジアム]](ビッグスワン。[[デンカ]]株式会社の施設命名権購入により、2014年からデンカビッグスワンスタジアム)の完成後は2か所併用となる。ただし登録上の本拠地は新潟市陸のみのままで、新潟スは「準本拠地」の扱いだったが、ビッグスワンでの試合比率を増やし、過半数の試合を開催して事実上の移転となった。
2004年の[[J1リーグ|J1]]昇格後のホームゲームはすべてビッグスワンで開催している(Jリーグへの登録上の本拠地は2004年から2012年まではこの2箇所を併記されていたが、2013年に新潟市陸上競技場の本拠登録を抹消した。また、[[Jリーグオフィシャル書籍|Jリーグファンガイド]]での掲載は2011年以後省略されている)。なお、2004年[[新潟県中越地震]]により、リーグ戦と[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]の新潟主管(扱い)のそれぞれ1試合ずつは、関東地方の競技場に振り替えられ、2014年最終節は大雪の影響で[[茨城県立カシマサッカースタジアム]]で開催した。([[#2004年 - 2017年 (J1)|2004年-(J1)]]の項参照)
スタジアム内の場内アナウンスは新潟お笑い集団[[NAMARA]]から[[森下英矢]]、[[中村博和]]、[[大野まさや]]が歴任している。
練習場は[[北蒲原郡]][[聖籠町]]にある[[新潟聖籠スポーツセンター]]を主に使用している。以前は新潟市陸上競技場や[[新発田市五十公野公園陸上競技場]]、同市サンスポーツランドしばたを使用する場合もあった。短期合宿は[[十日町市当間多目的グラウンド]]で行うことが多い。
=== 観客動員 ===
Jリーグでも屈指の観客動員力を持ち、2003年はJ2所属ながらJ1、J2を通して最多の観客動員数約66万人を記録した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j2&t=c_visitor&y=2003|title=Jリーグ - 公式記録|publisher=Jリーグ |accessdate=2013-01-23}}</ref>。2004年は、[[浦和レッドダイヤモンズ]]がJ2所属だった2000年(この年トップは[[鹿島アントラーズ]]の約26万人)を除き、1996年度から守り続けていたJ1年間観客動員トップの座を初めて奪取する約56万5000人(1試合あたり約37,700人)の動員を記録した<ref name="jdata">{{Cite web|和書|url=http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1data&g=j1_0&t=t_visitor&y=2005|title=年度別入場者数推移(1993~2005)|publisher=Jリーグ |accessdate=2013-01-23}}</ref>。
2005年には年間68万人までに伸び、2003年から3年連続でJリーグ(J1・J2含む)1位の観客動員数を記録した<ref name="jdata" />。この観客動員数が評価され、クラブは2003年、2004年と2年連続で[[Jリーグアウォーズ]]・join賞 (チェアマン特別賞)を受賞している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00004043|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203082247/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00004043|title=<nowiki>【2003 J.LEAGUE Awards】Join賞(チェアマン特別賞):アルビレックス新潟受賞の様子 [ J's GOAL ](03.12.15)</nowiki>|publisher=J's GOAL|date=2003-12-15|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00014563|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131203083316/http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00014563|title=<nowiki>【2004 J.LEAGUE AWARDS】2004Jリーグベストピッチ賞/Join賞(チェアマン特別賞) [ J's GOAL ](04.12.13)</nowiki>|publisher=J's GOAL|date=2004-12-13|archivedate=2013-12-03|accessdate=2023-10-05}}</ref>。
しかし観客動員は2006年をピークに減少が続いており、2011年には平均3万人を割り込んだ<ref name="j2012">{{Cite web|和書|url=http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1data&g=j1_0&t=t_visitor&y=2012|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120318152648/http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1data&g=j1_0&t=t_visitor&y=2012|title=年度別入場者数推移(1993~2012) |publisher=日本プロサッカーリーグ|archivedate=2012-03-18|accessdate=2013-01-23}}</ref>。同年7月13日の[[ヴァンフォーレ甲府]]戦ではJ1昇格後最少となる13,644人を記録しており、クラブ側も観客動員数の回復を喫緊の課題と捉えている<ref name="sapocan">{{Cite web|和書|url=http://www.albirex.co.jp/pdf/121217_conference.pdf|title=サポーターカンファレンス議事録 |publisher=アルビレックス新潟 |accessdate=2013-01-23}}</ref>。2013年に動員の下落は下げ止まりの感を見せたものの、長らく浦和に次ぐ2番手だった観客動員数は[[横浜F・マリノス]]に抜かれて3位に転落した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2013010001_1_W0313_J.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130919075826/http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2013010001_1_W0313_J.html|title=2013Jリーグ ディビジョン1 クラブ別入場者数|publisher=日本プロサッカーリーグ|archivedate=2013-09-19|accessdate=2023-10-05}}</ref>。2014年は最終節の延期の影響もあり4位となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://data.j-league.or.jp/SFTD14/search?endDayNum=8&competition_year=2014&competition_frame=1|title=2014Jリーグ ディビジョン1 クラブ別入場者数|publisher=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2014-12-10}}</ref><ref group="注">最終節を除く16戦までの計算ではJ1で3位の水準であった。</ref>。
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; font-size:smaller; border:3px solid #014099; box-shadow:4px 4px 4px #EA5404;"
|- style="text-align:center; background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan="9"|年度別観客動員記録<ref name="j2012" />
|- style="text-align:center; background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|colspan="9" align="left"|
;略記について
:新潟ス→東北電ス→デンカS:[[新潟スタジアム|{{font|新潟スタジアム|color=#FFFFFF}}]](東北電力ビッグスワンスタジアム、デンカビッグスワンスタジアム)、新潟市陸:[[新潟市陸上競技場|{{font|新潟市陸上競技場|color=#FFFFFF}}]]、<br/>国立:[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|{{font|国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|color=#FFFFFF}}]]、カシマ:[[茨城県立カシマサッカースタジアム|{{font|茨城県立カシマサッカースタジアム|color=#FFFFFF}}]]
|- style="text-align:center; background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|所属||年度||試合数||合計||平均||最多||最少||試合会場||備考
|-
|style="text-align:center"|(旧)JFL||1998||15||37,721||2,696||11,136||1,180||新潟市陸15||
|-
|rowspan="5" style="text-align:center"|J2||1999||18||75,798||4,211||9,327||2,045||新潟市陸18||
|-
|2000||20||80,139||4,007||11,662||1,786||新潟市陸20||
|-
|2001||22||366,500||16,659||42,011||2,373||新潟ス14、新潟市陸8||
|-
|2002||22||472,507||21,478||42,211||9,125||新潟ス11、新潟市陸11||
|-
|2003||22||667,447||30,339||42,223||8,644||新潟ス15、新潟市陸7||
|-
|rowspan="14" style="text-align:center"|J1||2004||15||565,336||37,689||41,955||11,150||新潟ス14、国立1||
|-
|2005||17||681,945||40,114||41,988||35,337||新潟ス17||
|-
|2006||17||658,050||38,709||42,056||33,993||新潟ス17||
|-
|2007||17||650,698||38,276||42,015||31,500||東北電ス17||
|-
|2008||17||586,325||34,490||40,359||22,740||東北電ス17||
|-
|2009||17||568,582||33,446||40,268||24,392||東北電ス17||
|-
|2010||17||519,221||30,542||41,002||19,152||東北電ス17||
|-
|2011||17||442,836||26,049||37,830||13,644||東北電ス17||
|-
|2012||17||425,309||25,018||35,506||15,854||東北電ス17||
|-
|2013||17||443,906||26,112||33,378||18,919||東北電ス17||
|-
|2014||17||390,648||22,979||35,533||2,104||デンカS 16、カシマ1||カシマでの1試合は、デンカSで行われる予定だった第34節[[柏レイソル|柏]]戦が<br/>大雪で試合中止になったことによる代替開催
|-
|2015||17||372,908||21,936||31,324||16,068||デンカS 17|||
|-
|2016||17||360,076||21,181||29,692||14,627||デンカS 17||
|-
|2017||17||374,585||22,034||31,014||16,461||デンカS 17||
|-
|rowspan="5" style="text-align:center"|J2||2018||21||313,180||14,913||22,465||8,614||デンカS 21||
|-
|2019||21||304,445||14,497||20,486||8,777||デンカS 21||
|-
|2020||21||112,571||5,361||9,355||0{{Refnest|group="注"|新型コロナウイルスの感染拡大により無観客で開催}}||デンカS 21||
|-
|2021||21||228,452||10,879||14,759||7,617||デンカS 21||
|-
|2022||21||314,039||14,954||32,979||7,556||デンカS 21||
|-
|}
== 選手・監督 ==
{{main|アルビレックス新潟の選手一覧}}
アルビレオ新潟FCへの改称以降、クラブには200人を超える選手が在籍した。最長の在籍期間、最多の出場試合は共に新潟県内出身の[[本間勲]]で在籍15年半{{Refnest|group="注"|[[栃木SC]]への期限付き移籍期間を除く。}}、出場試合数は316試合である。最多得点選手は[[ブラジル]]国籍の[[エジミウソン・ドス・サントス・シルバ|エジミウソン]]で、116試合に出場して62得点を決めている。エジミウソンをはじめとした外国籍選手の国籍は8ヶ国を数え、最多は常駐のスカウトを派遣しているブラジル国籍選手である{{Refnest|group="注"|[[朝鮮籍]]の[[安英学]]、在籍時二重国籍の[[中島ファラン一生]]、[[日本国籍]]を取得した[[フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ|マイケル・ジェームズ]]を含める。}}。
監督の交代はJリーグ昇格以前から少なかったが、2016年以降在任期間が1年未満での交代が続いている。アルビレオ改称後、最長の在任期間は[[反町康治]]の5年、最短は2016年の[[片渕浩一郎]]の3ヶ月である{{Refnest|group="注"|成績不振により解任された[[吉田達磨]]の後任としてコーチから監督に昇格する形でシーズン終了まで指揮した。片渕は翌年からコーチに復帰した後、暫定監督を含めて2度指揮している。}}。J1での最高順位は[[鈴木淳 (1961年生のサッカー選手)|鈴木淳]]が指揮を執った2007年の6位、最多勝点は[[柳下正明]]が指揮を執った2013年の55点である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.niigata-nippo.co.jp/albirex/soccer/20131207082938.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131211034339/http://www.niigata-nippo.co.jp/albirex/soccer/20131207082938.html|title=17勝、勝ち点55、過去最多|publisher=[[新潟日報]]||date=2013-21-07|archivedate=2013-02-11|accessdate=2014-01-04}}</ref>。
=== 夢のイレブン ===
{| style="float:right; margin-left:0.5em; width:190px; border:#99B3FF solid 1px;"
|<div style="position:relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 10pt; color: #000;">'''夢のイレブン'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[反町康治|<span style="font-size: 10pt; color: blue;">監督 '''反町康治'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.41|y=1.09|scale=220|text=[[東口順昭|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''東口'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.71|y=0.80|scale=220|text=[[内田潤|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''内田'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.57|y=0.93|scale=220|text=[[鈴木大輔 (サッカー選手)|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''鈴木<small>大</small>'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.93|scale=220|text=[[金珍洙|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''金<small>珍洙</small>'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.10|y=0.80|scale=220|text=[[酒井高徳|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''酒井<small>高徳</small>'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.60|y=0.43|scale=220|text=[[マルシオ・リシャルデス・デ・アンドラーデ|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''マルシオ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.50|y=0.63|scale=220|text=[[ウーゴ・レオナルド・シルバ・セレージョ|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''レオ・シルバ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.26|y=0.63|scale=220|text=[[本間勲|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''本間'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.10|y=0.43|scale=220|text=[[田中亜土夢|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''田中<small>亜</small>'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.50|y=0.26|scale=220|text=[[エジミウソン・ドス・サントス・シルバ|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''エジミウソン'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.26|y=0.26|scale=220|text=[[川又堅碁|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''川又'''</span>]]}}
</div>
|-
|{{smaller|J1昇格10周年記念企画「俺たちの夢のイレブン」{{Refnest|group="注"|選手の配置は実際のポジションと異なる選手もいるが、紙面に掲載された順に配置した。}}}}
|}
クラブのJ1昇格10周年を記念し、2013年11月から12月にかけ[[新潟日報]]紙上で「俺たちの夢のイレブン」が募集された。ファン投票の結果を受け、2014年1月4日の新潟日報紙上で発表された「夢のイレブン・監督」12人を以下に記す<ref>新潟日報 2014年1月4日1版 17-18面 特集面</ref>。最多得票は[[マルシオ・リシャルデス・デ・アンドラーデ|マルシオ・リシャルデス]]の507票だった。
;GK
:[[東口順昭]]
;DF
:[[酒井高徳]]、[[鈴木大輔 (サッカー選手)|鈴木大輔]]、[[内田潤]]、[[金珍洙]]
;MF
:[[マルシオ・リシャルデス・デ・アンドラーデ|マルシオ・リシャルデス]]、[[本間勲]]、[[ウーゴ・レオナルド・シルバ・セレージョ|レオ・シルバ]]、[[田中亜土夢]]
;FW
:[[川又堅碁]]、[[エジミウソン・ドス・サントス・シルバ|エジミウソン]]
;監督
:[[反町康治]]
(並びは投票数順)<!--投票の全リストを載せてしまうと引用の範疇を超えてしまうおそれがあるため、ベストイレブンだけを載せました。これは私個人の判断であり、明確な基準はありません。-->
== 運営会社 ==
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社アルビレックス新潟
| 英文社名 = Albirex Niigata Inc.
| ロゴ =
| 種類 = [[株式会社]]
| 市場情報 =
| 略称 =
| 郵便番号 = 950-0954<ref name="jleague" />
| 本社所在地 = [[新潟市]][[中央区 (新潟市)|中央区]][[美咲町 (新潟市)|美咲町]]2-1-10<ref name="jleague" />
| 本社緯度度 = 37|本社緯度分 = 53|本社緯度秒 = 17|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 139|本社経度分 = 0|本社経度秒 = 57.3|本社E(東経)及びW(西経) = E
| 座標右上表示 = Yes
| 国籍 = {{JPN}}
| 設立 = [[1996年]][[4月]]<ref name="jleague" />
| 業種 = 9050
| 法人番号 = 8110001001177
| 事業内容 = サッカークラブの運営
| 代表者 = [[中野幸夫]]<ref name="jleague" />
| 資本金 = 7億1,200万円
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 発行済株式総数 =
| 売上高 = 25億3800万円<br/>(2023年01月31日時点)<ref name="fy">{{Cite web|和書|url=https://catr.jp/settlements/9c750/299916|title=株式会社アルビレックス新潟 第27期決算公告|publisher=官報決算データベース|accessdate=2023-10-06}}</ref>
| 営業利益 = ▲400万円<br/>(2023年01月31日時点)<ref name="fy" />
| 経常利益 = 1億8400万円<br/>(2023年01月31日時点)<ref name="fy" />
| 純利益 = 9900万円<br/>(2023年01月31日時点)<ref name="fy" />
| 純資産 = 8億4400万円<br/>(2023年01月31日時点)<ref name="fy" />
| 総資産 = 24億7200万円<br/>(2023年01月31日時点)<ref name="fy" />
| 従業員数 =
| 決算期 =
| 主要株主 =
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
| 外部リンク = https://www.albirex.co.jp/
| 特記事項 =
}}
現在、新潟県内を中心に164の企業・団体から出資を受けているが、具体的な出資者名は明らかにされていない<ref>{{Cite web|url=https://www.albirex.co.jp/club/outline/|title=会社概要|publisher=アルビレックス新潟|accessdate=2023-10-06}}</ref>。設立当初は県内に単独でJリーグクラブを支える体力がある企業が存在しないため、「広く薄く」の方針で多くの企業から出資を募った<ref name="大野" />。事業規模は毎年23-24億円程度で、30億円程度とされるJ1クラブの平均予算と比較しても貧弱な数字になっている<ref name="sapocan" />。現在の社長は5代目で、2008年から[[アルビレックス新潟シンガポール]]の代表取締役を務めていた[[是永大輔]]。後述する初代社長の[[池田弘 (経営者)|池田弘]]、2代目社長の[[中野幸夫]]は、新潟社長退任後にいずれもJリーグ理事の役職に就いた。
1996年、アルビレオ新潟FCは県内企業30社が1000万円を出し合い、2億9500万円の資本金で設立された<ref name="大野">{{Cite book|和書|author=大野貴司|title=プロスポーツクラブ経営戦略論|year=2010|publisher=三恵社|pages=118-129}}</ref>。経営の中心には、県内で多数の専門学校を展開する[[NSGグループ]]理事長の池田弘が据えられた。当初アルビレオのJリーグ挑戦はワールドカップ誘致活動の一環という性格が強く、経営状態も芳しくなかった為に誘致成功を手土産に解散の可能性もあったという<ref name="上田">{{Cite web|和書|url=http://vl-fcbiz.jp/article/ac016/a000735.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111027154532/http://vl-fcbiz.jp/article/ac016/a000735.html|title=<ベンチャースピリッツ>アルビレックス新潟会長 池田弘|publisher=Biz STYLE|author=上田里恵|date=2007-12-07|archivedate=2011-10-27|accessdate=2013-02-05}}</ref>。池田は私財を投じて窮地をしのぐ一方で、後援会組織を立ち上げて小口の個人出資を募った<ref name="上田" />。さらにこの頃から「ばらまき作戦<ref name="大野" />」とも揶揄された採算を度外視した無料招待券の大量配布が始まり、観客動員数は飛躍的に増加。収支は2000年に初めて黒字へ転換した<ref name="大野" />。
しかし、J1昇格に伴う強化費の増加に加え、観客動員数の落ち込み等を要因とする営業収入の落ち込みもあり、2005年から公表されている収支報告では毎年営業赤字を計上した。チケット売り上げ等の興業収入は最大時の2005年に約12億円を計上したが、2012年は最大時から5億円減となる約7億円、興業収入の柱となるシーズンチケットの売り上げは最盛期の2万枚からおおよそ半減している<ref name="sapocan" />。
{{-}}
== アカデミー ==
{{Main2|下部組織出身選手|アルビレックス新潟の選手一覧#下部組織出身者}}
{{Main2|アカデミーの年度別成績については「[[アルビレックス新潟の年度別成績一覧#アカデミー]]」を}}
* ユース
: 1998年4月創設・活動開始。本隊の他に過去には、提携チームとして中条ユース( - 2004年度)があった。
* ジュニアユース
: 2004年4月創設・活動開始。2004年4月、提携チームであった「アルビレックス新潟新潟ジュニアユース」を解消して新たに直属チームとして編成された。本隊の他に、提携チームとして'''柏崎ジュニアユース'''と'''中条ジュニアユース'''がある。過去の提携チームには新潟ジュニアユース( - 2004年度)の他に、加茂ジュニアユース( - 2005年度)があった。
* ジュニア
: 2007年4月創設・活動開始。
* サッカースクール
: 東新潟校・美咲校・駅南校・寺尾校・白根校・亀田校・アルビレッジ校がある。
== 関連する組織 ==
{{see also|アルビレックス新潟の関連組織一覧}}
=== アルビレックス新潟シンガポール ===
{{main|アルビレックス新潟シンガポール}}
2004年に創設され、[[シンガポール]]の[[シンガポールプレミアリーグ]]に所属するチーム。アルビレックス新潟やそれ以外のJリーグクラブから若手の育成先として選手の派遣を受け入れている。
アルビレックス新潟シンガポールは、留学プログラムの拠点として[[スペイン]]の[[バルセロナ]]に[[アルビレックス新潟バルセロナ]](バルセロナフットボールアカデミー)を設立した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.albirex.cat/press01.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130625144219/http://www.albirex.cat/press01.html|title=アルビレックス新潟バルセロナ 外務省公認事業プロジェクトに認定|publisher=[[アルビレックス新潟バルセロナ]]|date=2013-02-05|archivedate=2013-06-25|accessdate=2023-10-06}}</ref>。
また、2014年に[[アルビレックス新潟プノンペン]]を設立し、[[カンボジア・リーグ]]に参入した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.albirex.co.jp/news/40169/|title=アルビレックス新潟FCプノンペン、創立!|publisher=アルビレックス新潟|date=2013-10-16|accessdate=2023-01-06}}</ref>。ただし、アルビレックス新潟プノンペンのトップチームは1年で活動停止となった。
=== JAPANサッカーカレッジ(JSC) ===
{{main|JAPANサッカーカレッジ}}
[[北信越フットボールリーグ]]に所属するチームで、アルビレックス新潟の運営母体である[[NSGグループ]](新潟総合学院、国際総合学園)の傘下にある。JSCに所属している選手は、アルビレックス新潟の練習へも参加でき、事実上のアマチュア組織のチームとなっている。
また、2005年にJSC高等部が設けられ、アルビレックス新潟ユースとともにユース部門を担っている。JSC高等部は[[開志学園高等学校|開志学園高校]]と教育連携しており、[[全国高等学校サッカー選手権大会|高校選手権]]や[[全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会|高校総体]]に「開志学園JAPANサッカーカレッジ高等部」として出場している。
== 決算 ==
アルビレックス新潟の決算は、つぎのとおり。
=== 損益 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #014099; box-shadow:4px 4px 4px #EA5404;"
|- style="background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|年度||{{abbr|収入|営業収入}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||事業費||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|管理費|一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}}
|-
|style="font-weight:bold;"|2005||style="background-color:wheat"|2,639||840||1,185||266||348||style="background-color:wheat"|2,682||1,978||1,269||704||style="background-color:wheat"|-43||style="background-color:wheat"|-259
|-
|style="font-weight:bold;"|2006||style="background-color:wheat"|2,793||960||994||241||598||style="background-color:wheat"|2,857||2,169||1,248||688||style="background-color:wheat"|-64||style="background-color:wheat"|10
|-
|style="font-weight:bold;"|2007||style="background-color:wheat"|2,661||977||906||277||501||style="background-color:wheat"|2,953||2,272||1,374||681||style="background-color:wheat"|-292||style="background-color:wheat"|-202
|-
|style="font-weight:bold;"|2008||style="background-color:wheat"|2,590||950||831||245||564||style="background-color:wheat"|2,720||2,132||1,208||588||style="background-color:wheat"|-130||style="background-color:wheat"|-46
|-
|style="font-weight:bold;"|2009||style="background-color:wheat"|2,418||853||822||229||514||style="background-color:wheat"|2,470||1,975||1,038||495||style="background-color:wheat"|-52||style="background-color:wheat"|89
|-
|style="font-weight:bold;"|2010||style="background-color:wheat"|2,216||843||770||224||379||style="background-color:wheat"|2,341||1,850||910||491||style="background-color:wheat"|-125||style="background-color:wheat"|4
|}
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]
金額の単位: 百万円
人件費は事業費に含まれる。
</div>
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #014099; box-shadow:4px 4px 4px #EA5404;"
|- style="background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|年度||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}}
|-
|style="font-weight:bold;"|2011||style="background-color:wheat"|2,227||919||701||219||118||270||style="background-color:wheat"|2,270||809||276||256||117||26||786||style="background-color:wheat"|-43||style="background-color:wheat"|72
|-
|style="font-weight:bold;"|2012||style="background-color:wheat"|2,405||941||661||220||137||446||style="background-color:wheat"|2,450||940||281||282||122||34||791||style="background-color:wheat"|-45||style="background-color:wheat"|44
|-
|style="font-weight:bold;"|2013||style="background-color:wheat"|2,548||963||674||215||143||553||style="background-color:wheat"|2,636||1,077||283||277||128||39||832||style="background-color:wheat"|-88||style="background-color:wheat"|29
|-
|style="font-weight:bold;"|2014||style="background-color:wheat"|2,748||1,013||650||210||165||710||style="background-color:wheat"|2,853||1,085||267||377||144||48||932||style="background-color:wheat"|-105||style="background-color:wheat"|10
|-
|style="font-weight:bold;"|2015||style="background-color:wheat"|2,510||1,038||711||206||176||379||style="background-color:wheat"|2,795||1,138||285||267||147||51||907||style="background-color:wheat"|-285||style="background-color:wheat"|-120
|}
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]
金額の単位: 百万円
</div>
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:3px solid #014099; box-shadow:4px 4px 4px #EA5404;"
|- style="background-color:#EA5404; color:#FFFFFF; font-weight:bold"
|年度||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||物販||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||物販||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}}
|-
|style="font-weight:bold;"|2016||style="background-color:wheat"|2,908||1,049||679||218||194||277||491||style="background-color:wheat"|2,959||1,220||269||225||150||61||222||812||style="background-color:wheat"|-51||style="background-color:wheat"|97
|-
|style="font-weight:bold;"|2017||style="background-color:wheat"|2,762||1,085||629||452||196||224||176||style="background-color:wheat"|2,974||1,227||267||301||160||58||174||787||style="background-color:wheat"|-212||style="background-color:wheat"|-55
|-
|style="font-weight:bold;"|2018||style="background-color:wheat"|2,493||1,127||507||281||191||200||187||style="background-color:wheat"|2,728||1,108||267||268||137||65||166||717||style="background-color:wheat"|-235||style="background-color:wheat"|-149
|-
|style="font-weight:bold;"|2019||style="background-color:wheat"|2,247||949||500||149||178||231||240||style="background-color:wheat"|2,248||722||272||253||165||0||189||647||style="background-color:wheat"|-1||style="background-color:wheat"|170
|-
|style="font-weight:bold;"|2020||style="background-color:wheat"|2,194||1,828||189||159||110||227||354||style="background-color:wheat"|2,250||821||236||246||135||0||187||625||style="background-color:wheat"|-56||style="background-color:wheat"|52
|-
|style="font-weight:bold;"|2021||style="background-color:wheat"|2,208||954||475||174||155||314||136||style="background-color:wheat"|2,130||691||236||197||160||0||235||611||style="background-color:wheat"|78||style="background-color:wheat"|272
|-
|style="font-weight:bold;"|2022||style="background-color:wheat"|2,539||928||596||177||165||447||226||style="background-color:wheat"|1,815||756||255||219||269||0||316||728||style="background-color:wheat"|-4||style="background-color:wheat"|99
|-
|}
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji.pdf 2019]、
[https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2020]、
[https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021]、
[https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20230725.pdf 2022]
金額の単位: 百万円
</div>
{{Graph:Chart
|width=400
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|xAxisTitle=年度
|yAxisTitle=金額(百万円)
|legend=凡例
|type=line
|showSymbols=yes
|colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000
|y1Title=営業収益
|y2Title=営業費用
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|-
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|-
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|-
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|-
|style="font-weight:bold;"|2010||897||587||309||712
|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
|style="font-weight:bold;"|2016||1,403||959||444||712
|-
|style="font-weight:bold;"|2017||1,369||981||388||712
|-
|style="font-weight:bold;"|2018||1,228||989||239||712
|-
|style="font-weight:bold;"|2019||1,204||795||409||712
|-
|style="font-weight:bold;"|2020||1,829||1,347||462||712
|-
|style="font-weight:bold;"|2021||2,128||1,394||734||712
|-
|style="font-weight:bold;"|2022||2,472||1,628||844||712
|-
|}
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、
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[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji.pdf 2019]、
[https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2020]、
[https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021]、
[https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20230725.pdf 2022]
金額の単位: 百万円
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== 脚注 ==
;注釈
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;出典
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== 関連項目 ==
* [[アルビレックス新潟の選手一覧]]
* [[アルビレックス新潟レディース]]
== 外部リンク ==
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4,879 | サガン鳥栖 | サガン鳥栖(サガンとす、英: Sagan Tosu)は、日本の佐賀県鳥栖市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
1997年2月4日に創設され、1999年よりJリーグへ加盟している。ホームタウンの人口74,215人(推計人口、2022年2月1日現在)はJリーグの全58クラブの中で最も小さい。ただし、県庁所在地の佐賀市でホームゲームを開催したり(2014年度まで)、佐賀市内にクラブのオフィシャルスポーツバー「THE Sagan」を開設したこともある、佐賀県第二の都市である唐津市に下部組織(U-15唐津)を設置する、佐賀県全域でサッカースクールを開校するなど佐賀県全域での活動を行っている。さらには、同じ筑後川流域で鳥栖市と地理的に関連の深い福岡県筑後地方でも、鳥栖市が久留米市、小郡市などと組織する「筑後川流域クロスロード協議会」が共同してサガンを支援しているほか、スポンサーの一つであるブリヂストンが久留米市・朝倉市に設けた「ブリヂストン・サッカースクール」をサガンが運営する など、ホームタウン区域外での活動も行っている。
2016年のJリーグスタジアム観戦者調査報告書(鳥栖は2015年8月27日の対アルビレックス新潟戦で調査を実施)によると、佐賀県外からの観戦者は31.4%で、これは2016年度に同様の調査を行ったJリーグ加盟40クラブ中で、鹿島アントラーズ・ガンバ大阪・東京ヴェルディに次ぐ4番目に多い数値となっている。また、県内の観戦者分布に於いても、佐賀市からの観戦者が県内観戦者の21.1%と、ホームタウンの鳥栖市と同じ比率となっている。
チーム名の「サガン」は、砂粒が固まって砂岩になるように小さい力を集結させ、立ち向かうことを表す。また「佐賀の」にも通じている。運営母体は1997年から1998年シーズン途中まで任意団体「サガン鳥栖FC」、1998年途中から2004年までは株式会社サガン鳥栖、2005年以降は株式会社サガンドリームスである。また、セリエAの「ユベントス」と同じ抑揚で発音するのがJリーグ公認で統一されたアクセントとされている。
ホームスタジアムは駅前不動産スタジアム、練習場は鳥栖市北部グラウンド および鳥栖市陸上競技場 である。詳細は下記#スタジアム・練習場項を参照。クラブマスコットは佐賀県の県鳥である「カチガラス」をモチーフとした「ウィントス」。
2023年現在、J2からJ1へ昇格したのちにJ2への降格経験が一度もない唯一のクラブであり、オリジナル10としてJ1に在籍し続けている鹿島アントラーズ、横浜F・マリノスと並んで、J2への降格経験のない3つのクラブのうちの一つである。
1991年10月、佐賀県サッカー協会が、当時静岡県リーグ1部所属のPJMフューチャーズ(当時の本拠地は静岡県浜松市)の佐賀県への誘致を決定。1994年に鳥栖市へホームタウンを移転すると共に、翌年より『鳥栖フューチャーズ』(鳥栖F)に改名することとし、Jリーグ準会員としても承認された。しかし、PJMジャパンの撤退が原因となって深刻な経営難に陥り、1997年1月にチーム運営会社の株式会社佐賀スポーツクラブが解散を決議(1998年に破産廃止)。このときに存続を求める5万人を超える署名があったことなどを受け、鳥栖Fの受け皿となるチームとして1997年2月4日に佐賀県サッカー協会会長の中村安昭を代表とする任意団体として「サガン鳥栖FC」が発足した。
しかし、急遽設立したため事務所もなければスタッフもいなかった。Jリーグはフロント要員として関連会社で役員を務めていた元横浜M常務の熊地洋二をスーパーバイザーとして派遣した。また、監督にC大阪元監督代行の楚輪博が就任した他、C大阪からは元コーチの坪田和美がヘッドコーチに、佐賀県出身の佐藤真一は鳥栖に期限付き移籍した。
また、浦和と京都から練習着が、地元高校からビブス、用具メーカーからボールがそれぞれ寄贈された。2月13日に開かれたリーグ理事会で、組織が承継されていないことから準会員の資格は失ったものの、鳥栖Fが所属していた旧JFLと、同年のナビスコカップへの参加が特例的に認められた。選手については、鳥栖F解散から契約が宙に浮いていた8選手(高嵜理貴、鈴木俊、松田悦典、大森征之、森保洋、田中哲也、森純一、工藤圭司)と前述の佐藤らレンタル選手4人に加え、急遽行ったセレクションで獲得した8人の計20人となり、2月16日に新体制が発表された。さらにシーズン開幕直前には戦力補充と経費削減のため、関連会社が選手の人件費を負担し、チームは勝利給や出場給のみ支給する社員選手の制度を検討。これに市内の生花店と電気工事店が協力し、北内耕成と関本恒一が加入した。
1998年に「株式会社サガン鳥栖」として法人化(社長には引き続き中村が就任)。また、1999年から発足したJリーグ ディビジョン2への入会も決まった。
鳥栖F解散に対する反省から、新法人は大口のスポンサーは設けず、小口の株主を多くすることによって経営の安定化を図った。しかし、法人化初年度から赤字続き で随時小口の融資を集めて増資することで凌いだ結果、株主が多くなったことで経営の主導権争いや、会社の経営方針に対する株主や関係者からの批判が相次ぎ、狙いとは逆に経営の混乱が続いた。1998年オフにはJリーグから2年契約で斡旋されていた大口スポンサーとの契約が終了し次期運営予算が大幅に減少、主力選手を多数解雇する羽目となった。新戦力は補充したものの、入団テストの際に提示した条件は月給にしておよそ10万円で、予算不足は明らかだった。
当初から暫定的な社長就任であった中村の健康問題もあり、2001年9月には当時の監督であった高祖和弘がシーズン最終戦終了後に社長に就任する人事案を可決したが、後に撤回、年が明けた2002年に半年前から取締役に就任していた建設・解体会社社長の古賀照子が社長に就任した。しかし、古賀は自分の方針に反対する幹部、職員などを大量に解雇しスタッフを一新したが、大口スポンサーの撤退が相次ぎ経営は厳しくなる一方で、同年11月には早くも古賀は辞任を表明するも、結局留任するなど混迷をさらに深めた。
永らくの間、鳥栖の戦力補強の特徴として、新卒の選手や試合になかなか出るチャンスの少なかった若手選手を積極的に補強し、試合に多く出場させるというものがあった。特に特別指定選手制度や期限付き移籍制度が導入されて以降はこれらを積極的に活用し、そのまま翌年以降の完全移籍(正式加入)につなげているケースも少なくなかった。かつては鳥栖に加入する選手は長らく「他のチームから採ってもらえなかった選手」が多い傾向があり、特別指定選手も翌年以降の加入につながらなかったケースも多々あったが、ビジネスホテルとして使われていた建物を選手寮として借り上げるなど、環境も整備されつつある。
この理由として、鳥栖の財政力では多額の移籍金や契約金を投じた補強に頼れない点が挙げられる。鳥栖の人件費は、2014年で約11億7600万円 で、これはこの年のJ1所属18クラブ中14クラブ目であり、平均(約15億600万円)より低くなっている。このこともあり、若手を育てて主力に成長させるという方針により、指導スタッフを充実させて、徹底した走り込みをはじめとする猛練習に取り組んで鍛え上げている。
特にシーズン開幕前の毎年1月から2月には、鳥栖市内にある標高133mの朝日山の山頂まで反復して登る290段の「早朝石段トレーニング」 をはじめとした1日3回の練習(3部練習)が連日続き、このトレーニングの苛酷さは移籍選手も言及している。この3部練習は松本育夫監督の時に導入されたが、松本は1979年(昭和54年)に日本ユース代表の監督を務めた時、夜間の体育館練習を含めた4部練習を休み無しで1ヶ月続けた経験を持つ。なお、朝日山でのトレーニングは2015年を最後にチームとしては行っていないが、個人的に取り組んだり、移籍してきた選手がより鳥栖を知るために訪れるケースなどは見られている。
新人選手に関しては2016年シーズン以降は特別指定選手から、下部組織の選手を2種登録する方向に変化が見られる。2015年以降大口スポンサー契約もあって経営が安定してきた こともあり、代表クラスの選手を積極的に獲得するなどして総人件費は上昇し、2018年シーズンは26億7000万円、2019年シーズンは25億2800万円でこの年はリーグ8位となっている。しかし大型スポンサーの撤退などが影響したことで18年度は5億8100万円、19年度はJリーグ史上最も巨額となる20億1400万円もの赤字を計上した。そのため2020年の人件費は16人もの選手を引退または退団させ、前年の半分以下となる11億6900万円と大幅に圧縮している。
2009年(平成21年)度所属の選手の中には地元佐賀県の出身が1人もおらず(2007年まで所属していた蒲原達也が最後)、ホームタウンを置く都道府県の出身者がいないのはJリーグ36クラブ(当時)の中で唯一であった。その後も2種登録選手の田本宗平(2010年度)、月成大輝(2010-2011年度)、藤松航矢(2016-2017年度)、板橋洋青(2017年度)、特別指定選手の中島大貴(2015年度)以外には佐賀県出身選手のいない状態が続いていたが、2019年に樋口雄太が入団したことでようやく解消された。
ホームスタジアムは駅前不動産スタジアム であり、佐賀県総合運動場陸上競技場(佐賀市)でも不定期にホームゲームを開催している。また、2001年(第37節、甲府戦)に沖縄県総合運動公園陸上競技場(沖縄県沖縄市)で沖縄県初となるJリーグ公式戦を開催した。
練習場は鳥栖スタジアム北部グラウンド(鳥栖市北部グラウンド)、鳥栖市陸上競技場 であるが、佐賀県総合運動場陸上競技場、小郡市陸上競技場(福岡県)も利用する。また、2013年4月に鳥栖スタジアム北部グラウンド内にクラブハウスが完成した。
「サガン鳥栖」としてのエンブレムは2015年のもので3代目になる。
サガン鳥栖のアカデミーはU-18(第2種)、U-15・U-15唐津(第3種)、U-12(第4種)の育成部門「ユースセクション」と、普及部門「サッカースクール」で構成されている。U-18は鳥栖市ではなく佐賀市高木瀬町の佐賀市健康運動センター サッカー・ラグビー場(2014年完成)を練習拠点としている。また全寮制であり、健康運動センターそばと鳥栖市酒井西町の2カ所に選手寮を設けている。U-15の2チームとU-12は特定の練習拠点は所持していない。
U-18は2017年からプリンスリーグ九州に所属している。それまでは県リーグ所属で、トップリーグであるプレミアリーグの所属経験は無かった。トップへの昇格もユース1期生の古川隆志(2000年昇格)以外にはほぼ出場機会を得られなかった赤司大輔(2001年昇格)、守田創(2010年昇格)の2人のみで、日本代表を複数輩出した大分ユースやコンスタントにトップに選手を送り出している福岡ユースなど近隣のチームに対し育成力で後塵を拝していたが、2017年に年代別の代表経験のある石川啓人、田川亨介の2人がトップ昇格を果たした。この時、クラブ社長の竹原稔は「やっとここまできた。」とコメントしている。その後、2019年には日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会で初の決勝進出を果たし準優勝。さらに3回目の挑戦となるプレミアリーグ参入プレーオフで仙台ユースを制しプレミア昇格を果たした。
U-15の2チームは共に九州ユース (U-15)サッカーリーグに所属している。U-15唐津は県西部でのファン掘り起しを狙うクラブと中学世代の育成拠点を求める地元の思いから2007年に発足している。2017年にU-15が第32回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で優勝を果たし、全カテゴリーを通じて鳥栖に初の全国タイトルをもたらした。また、同年には高円宮杯第29回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会も制し、U-15世代の二冠を達成した。
クラブ設立から長期間に渡り育成部門は低迷していたが、クラブ経営が安定してからは県の支援なども活用して海外遠征も積極的に行っており、チーム単位や選手個人でイタリア・韓国・オーストリアなどでトレーニングを行ったり現地大会に参加したりしている。2018年にはオランダ・エールディヴィジに所属するアヤックスと育成アカデミーのシステム、指導者、選手のレベルアップを目的としたパートナーシップ契約(3年契約)を締結。同年、龍谷高等学校を運営する佐賀龍谷学園との間で龍谷高校がU-18に所属する選手を入学金免除且つ公式大会出場の際に出席扱いとする特待生として受け入れる協定を結ぶ、2020年にはECCと提携し日常会話にサッカーで使用する英会話を織り交ぜたオリジナルカリキュラムのレッスンをU-18の選手を対象に行うなど育成年代の体制強化を進めている。
またサッカースクールは鳥栖市内3カ所(鳥栖・北部・商工センター)のほか、基山・佐賀・川副・小城・武雄など県内各地で実施しているほか、県外の久留米市にもスクールを開校している。ただしクラブ本拠地のある県以外でのスクール開校はJリーグ規約に反するため、スポンサーでもあるブリヂストンがサッカースクールを開設して、それをサガン鳥栖が運営管理を受託する形での実施が特例として認められている。
なお、他クラブがサポーターナンバーを「12」としているのに対し、サガン鳥栖は「17」を同ナンバーとしている。これには、スタメン11人の選手と控え選手5人の計16名(制定当時。現在は18名)の「次」として「共に戦う17番目の選手」という意味合いもある。
クラブ経営が行き詰まり、クラブ解散が濃厚となった2004年(平成16年)9月、佐賀県と県内各市町村は、県内の企業・団体などと共同でサガンの後援団体・「佐賀県プロサッカー振興協議会」を立ち上げた。この会では、サガンを県民参加型のクラブ運営にするため、ホームゲーム(鳥栖スタジアム、佐賀県総合運動場陸上競技場で開催)に各市町村の市民を招待するほか、サガンの選手を招いた少年サッカー教室や各種イベントを展開するというもの。また、2005年(平成17年)のシーズン開幕前には鳥栖スタジアムにこの会の事務所を移転させた。クラブ事務所との併設となり、チームとの連携をより強化することになった。
2014年12月現在、52の企業・団体などが会員となっている。
サガン鳥栖の決算は、つぎのとおり。
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010
金額の単位: 百万円
人件費は事業費に含まれる。
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015
金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016
金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016 2017 2018 2019 金額の単位: 百万円 | [
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"text": "2023年現在、J2からJ1へ昇格したのちにJ2への降格経験が一度もない唯一のクラブであり、オリジナル10としてJ1に在籍し続けている鹿島アントラーズ、横浜F・マリノスと並んで、J2への降格経験のない3つのクラブのうちの一つである。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "1991年10月、佐賀県サッカー協会が、当時静岡県リーグ1部所属のPJMフューチャーズ(当時の本拠地は静岡県浜松市)の佐賀県への誘致を決定。1994年に鳥栖市へホームタウンを移転すると共に、翌年より『鳥栖フューチャーズ』(鳥栖F)に改名することとし、Jリーグ準会員としても承認された。しかし、PJMジャパンの撤退が原因となって深刻な経営難に陥り、1997年1月にチーム運営会社の株式会社佐賀スポーツクラブが解散を決議(1998年に破産廃止)。このときに存続を求める5万人を超える署名があったことなどを受け、鳥栖Fの受け皿となるチームとして1997年2月4日に佐賀県サッカー協会会長の中村安昭を代表とする任意団体として「サガン鳥栖FC」が発足した。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 7,
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"text": "しかし、急遽設立したため事務所もなければスタッフもいなかった。Jリーグはフロント要員として関連会社で役員を務めていた元横浜M常務の熊地洋二をスーパーバイザーとして派遣した。また、監督にC大阪元監督代行の楚輪博が就任した他、C大阪からは元コーチの坪田和美がヘッドコーチに、佐賀県出身の佐藤真一は鳥栖に期限付き移籍した。",
"title": "歴史"
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{
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"text": "また、浦和と京都から練習着が、地元高校からビブス、用具メーカーからボールがそれぞれ寄贈された。2月13日に開かれたリーグ理事会で、組織が承継されていないことから準会員の資格は失ったものの、鳥栖Fが所属していた旧JFLと、同年のナビスコカップへの参加が特例的に認められた。選手については、鳥栖F解散から契約が宙に浮いていた8選手(高嵜理貴、鈴木俊、松田悦典、大森征之、森保洋、田中哲也、森純一、工藤圭司)と前述の佐藤らレンタル選手4人に加え、急遽行ったセレクションで獲得した8人の計20人となり、2月16日に新体制が発表された。さらにシーズン開幕直前には戦力補充と経費削減のため、関連会社が選手の人件費を負担し、チームは勝利給や出場給のみ支給する社員選手の制度を検討。これに市内の生花店と電気工事店が協力し、北内耕成と関本恒一が加入した。",
"title": "歴史"
},
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"text": "1998年に「株式会社サガン鳥栖」として法人化(社長には引き続き中村が就任)。また、1999年から発足したJリーグ ディビジョン2への入会も決まった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 10,
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"text": "鳥栖F解散に対する反省から、新法人は大口のスポンサーは設けず、小口の株主を多くすることによって経営の安定化を図った。しかし、法人化初年度から赤字続き で随時小口の融資を集めて増資することで凌いだ結果、株主が多くなったことで経営の主導権争いや、会社の経営方針に対する株主や関係者からの批判が相次ぎ、狙いとは逆に経営の混乱が続いた。1998年オフにはJリーグから2年契約で斡旋されていた大口スポンサーとの契約が終了し次期運営予算が大幅に減少、主力選手を多数解雇する羽目となった。新戦力は補充したものの、入団テストの際に提示した条件は月給にしておよそ10万円で、予算不足は明らかだった。",
"title": "歴史"
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"text": "当初から暫定的な社長就任であった中村の健康問題もあり、2001年9月には当時の監督であった高祖和弘がシーズン最終戦終了後に社長に就任する人事案を可決したが、後に撤回、年が明けた2002年に半年前から取締役に就任していた建設・解体会社社長の古賀照子が社長に就任した。しかし、古賀は自分の方針に反対する幹部、職員などを大量に解雇しスタッフを一新したが、大口スポンサーの撤退が相次ぎ経営は厳しくなる一方で、同年11月には早くも古賀は辞任を表明するも、結局留任するなど混迷をさらに深めた。",
"title": "歴史"
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"text": "永らくの間、鳥栖の戦力補強の特徴として、新卒の選手や試合になかなか出るチャンスの少なかった若手選手を積極的に補強し、試合に多く出場させるというものがあった。特に特別指定選手制度や期限付き移籍制度が導入されて以降はこれらを積極的に活用し、そのまま翌年以降の完全移籍(正式加入)につなげているケースも少なくなかった。かつては鳥栖に加入する選手は長らく「他のチームから採ってもらえなかった選手」が多い傾向があり、特別指定選手も翌年以降の加入につながらなかったケースも多々あったが、ビジネスホテルとして使われていた建物を選手寮として借り上げるなど、環境も整備されつつある。",
"title": "戦力補強"
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"text": "この理由として、鳥栖の財政力では多額の移籍金や契約金を投じた補強に頼れない点が挙げられる。鳥栖の人件費は、2014年で約11億7600万円 で、これはこの年のJ1所属18クラブ中14クラブ目であり、平均(約15億600万円)より低くなっている。このこともあり、若手を育てて主力に成長させるという方針により、指導スタッフを充実させて、徹底した走り込みをはじめとする猛練習に取り組んで鍛え上げている。",
"title": "戦力補強"
},
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"text": "特にシーズン開幕前の毎年1月から2月には、鳥栖市内にある標高133mの朝日山の山頂まで反復して登る290段の「早朝石段トレーニング」 をはじめとした1日3回の練習(3部練習)が連日続き、このトレーニングの苛酷さは移籍選手も言及している。この3部練習は松本育夫監督の時に導入されたが、松本は1979年(昭和54年)に日本ユース代表の監督を務めた時、夜間の体育館練習を含めた4部練習を休み無しで1ヶ月続けた経験を持つ。なお、朝日山でのトレーニングは2015年を最後にチームとしては行っていないが、個人的に取り組んだり、移籍してきた選手がより鳥栖を知るために訪れるケースなどは見られている。",
"title": "戦力補強"
},
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"paragraph_id": 15,
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"text": "新人選手に関しては2016年シーズン以降は特別指定選手から、下部組織の選手を2種登録する方向に変化が見られる。2015年以降大口スポンサー契約もあって経営が安定してきた こともあり、代表クラスの選手を積極的に獲得するなどして総人件費は上昇し、2018年シーズンは26億7000万円、2019年シーズンは25億2800万円でこの年はリーグ8位となっている。しかし大型スポンサーの撤退などが影響したことで18年度は5億8100万円、19年度はJリーグ史上最も巨額となる20億1400万円もの赤字を計上した。そのため2020年の人件費は16人もの選手を引退または退団させ、前年の半分以下となる11億6900万円と大幅に圧縮している。",
"title": "戦力補強"
},
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"paragraph_id": 16,
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"text": "2009年(平成21年)度所属の選手の中には地元佐賀県の出身が1人もおらず(2007年まで所属していた蒲原達也が最後)、ホームタウンを置く都道府県の出身者がいないのはJリーグ36クラブ(当時)の中で唯一であった。その後も2種登録選手の田本宗平(2010年度)、月成大輝(2010-2011年度)、藤松航矢(2016-2017年度)、板橋洋青(2017年度)、特別指定選手の中島大貴(2015年度)以外には佐賀県出身選手のいない状態が続いていたが、2019年に樋口雄太が入団したことでようやく解消された。",
"title": "戦力補強"
},
{
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"text": "ホームスタジアムは駅前不動産スタジアム であり、佐賀県総合運動場陸上競技場(佐賀市)でも不定期にホームゲームを開催している。また、2001年(第37節、甲府戦)に沖縄県総合運動公園陸上競技場(沖縄県沖縄市)で沖縄県初となるJリーグ公式戦を開催した。",
"title": "スタジアム・練習場"
},
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"text": "練習場は鳥栖スタジアム北部グラウンド(鳥栖市北部グラウンド)、鳥栖市陸上競技場 であるが、佐賀県総合運動場陸上競技場、小郡市陸上競技場(福岡県)も利用する。また、2013年4月に鳥栖スタジアム北部グラウンド内にクラブハウスが完成した。",
"title": "スタジアム・練習場"
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{
"paragraph_id": 19,
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"text": "「サガン鳥栖」としてのエンブレムは2015年のもので3代目になる。",
"title": "ユニフォーム"
},
{
"paragraph_id": 20,
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"text": "サガン鳥栖のアカデミーはU-18(第2種)、U-15・U-15唐津(第3種)、U-12(第4種)の育成部門「ユースセクション」と、普及部門「サッカースクール」で構成されている。U-18は鳥栖市ではなく佐賀市高木瀬町の佐賀市健康運動センター サッカー・ラグビー場(2014年完成)を練習拠点としている。また全寮制であり、健康運動センターそばと鳥栖市酒井西町の2カ所に選手寮を設けている。U-15の2チームとU-12は特定の練習拠点は所持していない。",
"title": "アカデミー"
},
{
"paragraph_id": 21,
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"text": "U-18は2017年からプリンスリーグ九州に所属している。それまでは県リーグ所属で、トップリーグであるプレミアリーグの所属経験は無かった。トップへの昇格もユース1期生の古川隆志(2000年昇格)以外にはほぼ出場機会を得られなかった赤司大輔(2001年昇格)、守田創(2010年昇格)の2人のみで、日本代表を複数輩出した大分ユースやコンスタントにトップに選手を送り出している福岡ユースなど近隣のチームに対し育成力で後塵を拝していたが、2017年に年代別の代表経験のある石川啓人、田川亨介の2人がトップ昇格を果たした。この時、クラブ社長の竹原稔は「やっとここまできた。」とコメントしている。その後、2019年には日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会で初の決勝進出を果たし準優勝。さらに3回目の挑戦となるプレミアリーグ参入プレーオフで仙台ユースを制しプレミア昇格を果たした。",
"title": "アカデミー"
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"paragraph_id": 22,
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"text": "U-15の2チームは共に九州ユース (U-15)サッカーリーグに所属している。U-15唐津は県西部でのファン掘り起しを狙うクラブと中学世代の育成拠点を求める地元の思いから2007年に発足している。2017年にU-15が第32回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で優勝を果たし、全カテゴリーを通じて鳥栖に初の全国タイトルをもたらした。また、同年には高円宮杯第29回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会も制し、U-15世代の二冠を達成した。",
"title": "アカデミー"
},
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"text": "クラブ設立から長期間に渡り育成部門は低迷していたが、クラブ経営が安定してからは県の支援なども活用して海外遠征も積極的に行っており、チーム単位や選手個人でイタリア・韓国・オーストリアなどでトレーニングを行ったり現地大会に参加したりしている。2018年にはオランダ・エールディヴィジに所属するアヤックスと育成アカデミーのシステム、指導者、選手のレベルアップを目的としたパートナーシップ契約(3年契約)を締結。同年、龍谷高等学校を運営する佐賀龍谷学園との間で龍谷高校がU-18に所属する選手を入学金免除且つ公式大会出場の際に出席扱いとする特待生として受け入れる協定を結ぶ、2020年にはECCと提携し日常会話にサッカーで使用する英会話を織り交ぜたオリジナルカリキュラムのレッスンをU-18の選手を対象に行うなど育成年代の体制強化を進めている。",
"title": "アカデミー"
},
{
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"text": "またサッカースクールは鳥栖市内3カ所(鳥栖・北部・商工センター)のほか、基山・佐賀・川副・小城・武雄など県内各地で実施しているほか、県外の久留米市にもスクールを開校している。ただしクラブ本拠地のある県以外でのスクール開校はJリーグ規約に反するため、スポンサーでもあるブリヂストンがサッカースクールを開設して、それをサガン鳥栖が運営管理を受託する形での実施が特例として認められている。",
"title": "アカデミー"
},
{
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"text": "なお、他クラブがサポーターナンバーを「12」としているのに対し、サガン鳥栖は「17」を同ナンバーとしている。これには、スタメン11人の選手と控え選手5人の計16名(制定当時。現在は18名)の「次」として「共に戦う17番目の選手」という意味合いもある。",
"title": "クラブ情報"
},
{
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"text": "クラブ経営が行き詰まり、クラブ解散が濃厚となった2004年(平成16年)9月、佐賀県と県内各市町村は、県内の企業・団体などと共同でサガンの後援団体・「佐賀県プロサッカー振興協議会」を立ち上げた。この会では、サガンを県民参加型のクラブ運営にするため、ホームゲーム(鳥栖スタジアム、佐賀県総合運動場陸上競技場で開催)に各市町村の市民を招待するほか、サガンの選手を招いた少年サッカー教室や各種イベントを展開するというもの。また、2005年(平成17年)のシーズン開幕前には鳥栖スタジアムにこの会の事務所を移転させた。クラブ事務所との併設となり、チームとの連携をより強化することになった。",
"title": "クラブ情報"
},
{
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"text": "2014年12月現在、52の企業・団体などが会員となっている。",
"title": "クラブ情報"
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"text": "サガン鳥栖の決算は、つぎのとおり。",
"title": "決算"
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"paragraph_id": 29,
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"text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010",
"title": "決算"
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"text": "金額の単位: 百万円",
"title": "決算"
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"text": "人件費は事業費に含まれる。",
"title": "決算"
},
{
"paragraph_id": 32,
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"text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015",
"title": "決算"
},
{
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"text": "金額の単位: 百万円",
"title": "決算"
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"text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016",
"title": "決算"
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{
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"text": "金額の単位: 百万円",
"title": "決算"
},
{
"paragraph_id": 36,
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"text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016 2017 2018 2019 金額の単位: 百万円",
"title": "決算"
}
] | サガン鳥栖は、日本の佐賀県鳥栖市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 | {{サッカークラブ
| font-color = #FFF
| background-color = #00A1D3
| border-color = #EA549A
| 原語表記 = サガン鳥栖
| 呼称 =
| 愛称 = 鳥栖、サガントス
| カラー = {{color box|#00A1D3}} ブルー<ref name="jleague" />、{{color box|#EA549A}} ピンク<ref name="jleague" />
| 創設 = 1997
| リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]]
| ディビジョン = [[J1リーグ]]
| クラブライセンス = J1
| ホームタウン = [[佐賀県]][[鳥栖市]]<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=http://www.jleague.jp/club/tosu|title=クラブガイド:サガン鳥栖|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2015-11-07}}</ref>
| スタジアム = [[画像:Tosu Stadium 20110508.JPG|216px]]<br />[[鳥栖スタジアム|駅前不動産スタジアム]]<ref name="jleague" />
| キャパ = 24,130<ref name="jleague" />
| 法人名 = 株式会社サガンドリームス<ref name="jleague" />
| 代表 = {{Flagicon|JPN}} 小柳智之<ref name="jleague" />
| 監督 = {{Flagicon|JPN}} [[川井健太]]
| HP = https://www.sagan-tosu.net/
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{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社サガン・ドリームス
| 英文社名 = Sagan Dreams Co., Ltd.<ref name="clubguide"/>
| 種類 = 株式会社
| 市場情報 = 未上場
| 本社所在地 = [[佐賀県]][[鳥栖市]]京町812<ref name="jleague" />
| 設立 = [[2005年]]12月21日<ref name="clubguide">{{cite web|url=http://www.sagantosu.jp/club_guide_company.asp|title=会社概要|work=サガン鳥栖|accessdate=2013-12-08}}</ref>
| 業種 = 9050
| 事業内容 = サッカークラブの運営
| 代表者 = 小柳智之<ref name="jleague" />
| 資本金 = 3億9,445万円 (2021年8月時点)
| 発行済株式総数 = 234,770株(令和4年1月末現在)
| 売上高 = 22億6,758万円(2022年1月期)<ref name="release20220423">{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/6204/|title=(株)サガン・ドリームス 第18期 定時株主総会 事業報告概要のお知らせ|publisher=(株)サガン・ドリームス|date=2022-04-23|accessdate=2022-04-30}}</ref>
| 営業利益 = <!-- ▲8億9,600万円 (2022年1月期)<ref name="release20220423" /> -->
| 経常利益 = ▲1億7,070万円 (2022年1月期)<ref name="release20220423" />
| 純利益 = ▲2億2,094万円 (2022年1月期)<ref name="release20220423" />
| 純資産 = ▲4億6,402万円 (2022年1月期)<ref name="release20220423" />
| 総資産 =
| 従業員数 = 25名(令和4年1月31日現在)<ref name="release20220423" />
| 決算期 = 1月期
| 主要株主 = [[ベストアメニティ]](株) 47.92%<br />朝日I&Rホールディングス(株) 14.23%<br />(株)[[サガテレビ]] 7.14%<br />(株)イノセント 7.11%<br />澁谷食品 7.11%<br />(令和4年1月31日現在)<ref name="release20220423" />
| 主要子会社 =
| 関係する人物 = [[井川幸広]]
| 外部リンク = {{URL|https://www.sagan-tosu.net/}}
| 特記事項 =
| 郵便番号 = 841-0034<ref name="jleague" />
}}
'''サガン鳥栖'''(サガンとす、{{Lang-en-short|Sagan Tosu}})は、[[日本]]の[[佐賀県]][[鳥栖市]]をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
== 概要 ==
1997年2月4日に創設され、1999年よりJリーグへ加盟している。ホームタウンの人口74,215人([[推計人口]]、2022年2月1日現在)はJリーグの全58クラブの中で最も小さい<ref group="注">なお、サガン鳥栖(鳥栖市)の次にホームタウンの人口が少ないのは、Jリーグクラブでは[[FC今治]]([[今治市]]、150,222人)。Jリーグ百年構想クラブも含めてホームタウン人口が最も小さいのは[[コバルトーレ女川]]([[女川町]]、6,248人)。</ref>。ただし、県庁所在地の[[佐賀市]]でホームゲームを開催したり(2014年度まで)、佐賀市内にクラブのオフィシャルスポーツバー「THE Sagan」を開設したこともある<ref>{{Cite news|url=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/saga/article/59660|title=サガン鳥栖の公式スポーツバー、開店祝いイベント|newspaper=西日本新聞|date=2013-12-23|accessdate=2014-01-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131231041001/http://www.nishinippon.co.jp/nnp/saga/article/59660|archivedate=2013-12-31}}</ref>、佐賀県第二の都市である[[唐津市]]に下部組織(U-15唐津)を設置する、佐賀県全域でサッカースクールを開校するなど佐賀県全域での活動を行っている。さらには、同じ[[筑後川]]流域で鳥栖市と地理的に関連の深い[[福岡県]][[筑後地方]]でも、鳥栖市が[[久留米市]]、[[小郡市]]などと組織する「[http://www.city.kurume.fukuoka.jp/cross_road/ 筑後川流域クロスロード協議会]」が共同してサガンを支援しているほか、スポンサーの一つである[[ブリヂストン]]が久留米市・[[朝倉市]]に設けた「ブリヂストン・サッカースクール」をサガンが運営する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sagantosu.jp/youth_school.asp|title=サガントス・サッカースクール|work=サガン鳥栖|accessdate=2013-12-07}}</ref> など、ホームタウン区域外での活動も行っている。
2016年のJリーグスタジアム観戦者調査報告書<ref>{{PDFlink|[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/spectators-2016.pdf Jリーグ スタジアム観戦者調査2016 サマリーレポート]}} - Jリーグ公式サイト内、2018年1月1日閲覧。</ref>(鳥栖は2015年8月27日の対[[アルビレックス新潟]]戦で調査を実施)によると、佐賀県外からの観戦者は31.4%で、これは2016年度に同様の調査を行ったJリーグ加盟40クラブ中で、[[鹿島アントラーズ]]・[[ガンバ大阪]]・[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]に次ぐ4番目に多い数値となっている。また、県内の観戦者分布に於いても、佐賀市からの観戦者が県内観戦者の21.1%と、ホームタウンの鳥栖市と同じ比率となっている。
チーム名の「サガン」は、砂粒が固まって砂岩になるように小さい力を集結させ、立ち向かうことを表す<ref name="jleague" />。また「佐賀の」にも通じている<ref name="jleague" />。運営母体は[[1997年]]から[[1998年]]シーズン途中まで'''任意団体「サガン鳥栖FC」'''、[[1998年]]途中から[[2004年]]までは'''株式会社サガン鳥栖'''、[[2005年]]以降は'''株式会社サガンドリームス'''である。また、[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の「ユベントス」と同じ抑揚で発音するのがJリーグ公認で統一されたアクセントとされている。
ホームスタジアムは[[鳥栖スタジアム|駅前不動産スタジアム]]<ref name="jleague" />、練習場は[[鳥栖スタジアム北部グラウンド|鳥栖市北部グラウンド]]<ref name="jleague" /> および鳥栖市陸上競技場<ref name="jleague" /> である。詳細は下記[[#スタジアム・練習場]]項を参照。クラブマスコットは佐賀県の県鳥である「[[カササギ|カチガラス]]」をモチーフとした「[[ウィントス]]」<ref name="jleague" />。
2023年現在、J2からJ1へ昇格したのちにJ2への降格経験が一度もない唯一のクラブであり、[[オリジナル10]]としてJ1に在籍し続けている鹿島アントラーズ、横浜F・マリノスと並んで、J2への降格経験のない3つのクラブのうちの一つである。
== 歴史 ==
=== 1997年 - 2011年 (旧JFL、J2) ===
==== 1997年 - 2002年 ====
{{See also|鳥栖フューチャーズ}}
1991年10月、佐賀県サッカー協会が、当時[[静岡県社会人サッカーリーグ|静岡県リーグ]]1部所属の'''PJMフューチャーズ'''(当時の本拠地は[[静岡県]][[浜松市]])の佐賀県への誘致を決定。1994年に鳥栖市へホームタウンを移転すると共に、翌年より『'''[[鳥栖フューチャーズ]]'''』(鳥栖F)に改名することとし、[[Jリーグ準加盟制度|Jリーグ準会員]]としても承認された。しかし、PJMジャパンの撤退が原因となって深刻な経営難に陥り、[[1997年]]1月にチーム運営会社の'''株式会社佐賀スポーツクラブ'''が解散を決議(1998年に[[破産廃止]])。このときに存続を求める5万人を超える署名があったことなどを受け、鳥栖Fの受け皿となるチームとして1997年[[2月4日]]に佐賀県サッカー協会会長の中村安昭を代表とする[[権利能力なき社団|任意団体]]として「'''サガン鳥栖FC'''」が発足した<ref group="注">鳥栖Fの解散決議後に任意団体としてのサガン鳥栖が発足していることから、鳥栖Fとの間に法的な承継関係はなく、組織として鳥栖Fとサガン鳥栖の間に直接的な連続性は無い。このため、鳥栖F時代から所属していた選手は、手続き上前所属チームを「鳥栖フューチャーズ」としているため、実質「残留」も公式には「移籍」扱いとされている。</ref>。
しかし、急遽設立したため事務所もなければスタッフもいなかった<ref group="注">当初は熊地が滞在していた佐賀市内のビジネスホテルや佐賀県サッカー協会の事務所などで作業をしていた。</ref>。Jリーグはフロント要員として関連会社で役員を務めていた元[[横浜マリノス|横浜M]]常務の[[熊地洋二]]をスーパーバイザーとして派遣した。また、監督に[[セレッソ大阪|C大阪]]元監督代行の[[楚輪博]]が就任した他、C大阪からは元コーチの[[坪田和美]]がヘッドコーチに、佐賀県出身の[[佐藤真一 (サッカー選手)|佐藤真一]]は鳥栖に期限付き移籍した。
また、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]と[[京都サンガF.C.|京都]]から練習着が、地元高校から[[ゼッケン#ビブス|ビブス]]、用具メーカーから[[サッカーボール|ボール]]がそれぞれ寄贈された。[[2月13日]]に開かれたリーグ理事会で、組織が承継されていないことから準会員の資格は失ったものの、鳥栖Fが所属していた旧JFLと、[[1997年のJリーグカップ|同年のナビスコカップ]]への参加が特例的に認められた<ref>日本サッカー協会、サガン鳥栖承認 - 佐賀新聞1997年2月14日</ref>。選手については、鳥栖F解散から契約が宙に浮いていた8選手([[高嵜理貴]]、[[鈴木俊 (サッカー選手)|鈴木俊]]、[[松田悦典]]、[[大森征之]]、[[森保洋]]、[[田中哲也 (サッカー選手)|田中哲也]]、森純一、[[工藤圭司]])と前述の佐藤らレンタル選手4人に加え、急遽行ったセレクションで獲得した8人の計20人となり、[[2月16日]]に新体制が発表された<ref>新生「サガン鳥栖」スタート - 佐賀新聞1997年2月17日</ref>。さらにシーズン開幕直前には戦力補充と経費削減のため、関連会社が選手の人件費を負担し、チームは勝利給や出場給のみ支給する[[社員選手]]の制度を検討。これに市内の生花店と電気工事店が協力し、[[北内耕成]]と[[関本恒一]]が加入した<ref>サガン鳥栖に2選手入団、地場企業が確保 - 佐賀新聞1997年3月11日</ref>。
[[1998年]]に「'''株式会社サガン鳥栖'''」として法人化(社長には引き続き中村が就任)<ref name="jleague" />。また、1999年から発足した[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]]への入会も決まった。
{{基礎情報 会社
|社名 = 株式会社サガン鳥栖
|英文社名=
|種類 = 株式会社(法人消滅)
|市場情報 =
|郵便番号 =
|本社所在地 = [[佐賀県]][[鳥栖市]]養父町44-1<ref name="kanpo05"/>
|設立 =
|業種 = 9050
|事業内容 = サッカークラブの運営
|代表者 = 古賀照子(代表清算人)<ref name="kanpo05">[[官報]]、2005年4月20日</ref>
|資本金 = 1億2300万円<ref name="kanpo04">[[官報]]、2004年5月26日</ref>
|売上高 =
|経常利益 =
|営業利益 =
|純利益 = ▲5098万円 (2004年1月期<ref name="kanpo04" />
|純資産 = ▲362万円 (2004年1月期)<ref name="kanpo04" />
|総資産 = 6044万円 (2004年1月期)<ref name="kanpo04" />
|従業員数 =
|決算期 = 1月期<ref name="kanpo04" />
|主要株主 =
|主要子会社 =
|関係する人物 =
|外部リンク =
|特記事項 = 2005年1月17日開催の臨時株主総会決議により、2005年2月28日に法人解散<ref name="kanpo05"/>。
}}
鳥栖F解散に対する反省から、新法人は大口のスポンサーは設けず、小口の株主を多くすることによって経営の安定化を図った。しかし、法人化初年度から赤字続き<ref>サガン98年度赤字3173万円 - 佐賀新聞1999年3月22日</ref> で随時小口の融資を集めて増資することで凌いだ結果、株主が多くなったことで経営の主導権争いや、会社の経営方針に対する株主や関係者からの批判が相次ぎ、狙いとは逆に経営の混乱が続いた。[[1998年]]オフにはJリーグから2年契約で斡旋されていた大口スポンサーとの契約が終了し次期運営予算が大幅に減少、主力選手を多数解雇する羽目となった<ref>サガン鳥栖、田中ら7人解雇 - 佐賀新聞1998年11月17日</ref>。新戦力は補充したものの、入団テストの際に提示した条件は月給にしておよそ10万円で、予算不足は明らかだった<ref>サガン鳥栖に新戦力 - 佐賀新聞1999年1月19日</ref>。
当初から暫定的な社長就任であった中村の健康問題もあり、[[2001年]]9月には当時の監督であった[[高祖和弘]]がシーズン最終戦終了後に社長に就任する人事案を可決したが<ref>サガン臨時株主総会「高祖社長」を承認 - 佐賀新聞2001年9月21日</ref>、後に撤回<ref>サガン鳥栖、高祖氏が社長辞退へ - 佐賀新聞2001年10月23日</ref>、年が明けた[[2002年]]に半年前から取締役に就任していた建設・解体会社社長の古賀照子が社長に就任した<ref>サガン社長に古賀氏 - 佐賀新聞2002年3月29日</ref>。しかし、古賀は自分の方針に反対する幹部、職員などを大量に解雇しスタッフを一新したが、大口スポンサーの撤退が相次ぎ経営は厳しくなる一方で、同年11月には早くも古賀は辞任を表明するも<ref>サガン古賀社長辞任へ - 佐賀新聞2002年11月23日</ref>、結局留任するなど混迷をさらに深めた。
==== 2003年 - 2011年 ====
; [[2003年]]
: [[千疋美徳]]が監督に就任し<ref name="jleague" />、攻撃重視のサッカーを目指したが機能せず、第17節から最終の第44節まで1勝も出来ず最下位に終わった。勝ち点でもこの年のJ2所属12チーム中で11位の[[横浜FC]]の半分にも満たず、最終成績はシーズン3勝、28試合連続勝ち星なし(翌シーズンと合わせ連続30試合まで更新)で当時のJ2ワーストを記録した<ref>[https://web.archive.org/web/20120627184215/http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20101001-857912/news/20111207-OYS1T00194.htm 「叶った夢」サガンJ1昇格 <上> サポーターが支えた17年] - 読売新聞九州版2011年12月5日(2012年6月27日時点でのインターネットアーカイブ)</ref><ref group="注">後にこの2つの記録は[[ギラヴァンツ北九州]]が2010年から2011年にかけて更新した。</ref>。
:チームはシーズン中から存続すら危ぶまれる状態にあり、2003年10月には古賀が再度辞任を表明<ref>サガン、古賀社長ら辞任へ - 佐賀新聞2003年10月11日</ref>。次期取締役選任機関として改革委員会を立ち上げ、その会長であった元[[佐賀大学]]学長の[[楠田久男]]を新社長に選任した<ref>ニュースさがTOP サガン鳥栖、新社長候補に楠田氏 - 佐賀新聞2003年10月21日</ref>。しかし、新組織が制作した来季の経営計画は一試合の入場者が実績の5倍近い15,000人。過大な企業協賛金も盛り込むなど見通しの甘いもので、Jリーグ諮問委員会は当然改善を求めたが、楠田ら新経営陣は「資金繰りの目処が立たない」として次期取締役への就任を撤回した<ref>サガン鳥栖、新経営陣が就任撤回 - 佐賀新聞2003年12月10日</ref>。結局古賀が留任することとなったが、当時チェアマンの[[鈴木昌 (経営者)|鈴木昌]]は「このままの経営が続けばJリーグからの除名や退会勧告もやむをえない」とまで述べている。このような状態のチームを引き受けようという監督をなかなか見つけられずにいたが、最終的にはJリーグからの紹介で元[[川崎フロンターレ|川崎]]監督の[[松本育夫]]が就任した。
; 2004年
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2004年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[松本育夫|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''松本育夫'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=1.09|scale=220|text=[[シュナイダー潤之介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''シュナイダー潤之介'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.62|y=0.88|scale=220|text=[[朝比奈伸|<span style="font-size: 90%; color: white">'''朝比奈伸'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.88|scale=220|text=[[佐藤陽彦|<span style="font-size: 90%; color: white">'''佐藤陽彦'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[山道高平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''山道高平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.70|scale=220|text=[[中村祥朗|<span style="font-size: 90%; color: white">'''中村祥朗'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.50|scale=220|text=[[小石龍臣|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小石龍臣'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.53|y=0.70|scale=220|text=[[本橋卓巳|<span style="font-size: 90%; color: white">'''本橋卓巳'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=0.38|scale=220|text=[[伊藤彰 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''伊藤彰'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.53|y=0.20|scale=220|text=[[佐藤大実|<span style="font-size: 90%; color: white">'''佐藤大実'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[竹村栄哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''竹村栄哉'''</span>]]}}
</div>
|}
:[[2004年]]シーズン、松本は選手の約半分を入れ替えてシーズンに臨み、前半戦は記録的なペースで勝ち点を積み重ねていた松本の古巣である川崎に勝つなどほぼ五分の成績であったが、後半戦は故障者が続出したこともあり22試合でわずか1勝であった。
:この年、ピッチ外では、社長である古賀が選手・監督らを[[創価学会]]および[[公明党]]関連の行事、選挙活動へ出席させたり(松本らは2度参加したものの3回めに拒否<ref>創価学会「ニッポン洗脳」 の不気味 - 週刊文春2005年3月31日号</ref>)、株主からの決算書開示請求を放置<ref>算書開示請求を「放置」 サガン経営陣への告訴状提出 - 西日本新聞2003年12月4日</ref> した商法違反などを始めとしたクラブ経営の公私混同ぶりが露見。この件に抗議した松本を始めとした現場と古賀中心のフロントが対立し、古賀は松本をクラブハウス入室禁止処分とした<ref>J2鳥栖の松本育夫監督、球団事務所に出入り禁止 - 日刊スポーツ 2004年11月15日</ref>。経営面でも引き続き混迷を極めており、Jリーグでは抜本的な解決のため、一旦100%[[減資]]し、新スポンサーを獲得するという条件付きでJリーグの関連会社・Jリーグフォト株式会社が新しいメインスポンサーが見つかるまで暫定的に出資することを提案したが<ref>Jリーグ、サガンへの出資表明 - 佐賀新聞2004年2月15日</ref>、Jリーグの定めた6月末の期限までに全株主169人のうち、10人からの同意を取り付けることができず、Jリーグフォトからの出資も白紙に戻された<ref>ニュースさがTOP Jリーグ、鳥栖支援策を撤回 - 佐賀新聞2004年7月2日</ref>。さらに古賀はこのシーズンのサポーターミーティングにて、鳥栖スタジアムの解体案という前代未聞の経営整理案を提示、これにはスタジアムの出資元の鳥栖市から激しく抗議され自治体も古賀の退任を要求した。会社・サポーター・出資元という三つ巴の騒動となり、クラブ消滅も現実味を帯びていた。
:秋には古賀が三度目の辞任を表明<ref>ニュースさがTOP サガン鳥栖・古賀社長退任へ - 佐賀新聞2004年10月1日</ref>。それに代わる新しい経営陣を一旦決定したが、新社長に就任する予定の井上良一が別途運営する法人の経営体質について、Jリーグから疑問視する意見が上がり、このまま運営するようであれば除名(クラブ解散、あるいは存続したとしてもJFLなど下位リーグへの強制降格)も辞さない可能性があった。また、当時[[ライブドア]]社長だった[[堀江貴文]]もクラブ買収の意向を示したが、実現しなかった。
:その後、[[11月8日]]には古賀が新社長候補だった井上が辞退したことと、今後は県が推薦する企業を中心に話を進める考えを表明。[[11月12日]]に[[古川康]]知事が、佐賀県出身の元映像[[ディレクター]]で人材ネットワーク会社「[http://www.cri.co.jp/ クリーク・アンド・リバー社]」を経営する[[井川幸広]]にクラブ経営を要請し、20日には井川と古賀が県、Jリーグ関係者も同席して初めて顔を合わせ、スムーズな経営体制の移譲に向けた「第一歩」を踏み出したかと思われた。しかし、一部株主により12月5日に[[臨時株主総会]]を開き、井上ら4人を取締役に選任する議案が提案された(新組織に自らの影響力を残すため、あるいは移譲を妨害するためと見られている)<ref>サガン新体制なお混とん - 佐賀新聞2004年11月24日</ref>。同時期、[[永井隆幸|強化担当を兼ねる運営担当者]]を含む、広報・営業担当者など古賀に批判的な社員5人が30日付での解雇通告を受けていたことも発覚<ref>経営陣は迷走、社員5人解雇 - 日刊スポーツ2004年11月24日</ref>(11月30日に撤回)し前途に暗雲が漂った。しかし、これがチーム存続への最後のチャンスと見る鳥栖市は交渉が不調に終わった場合、ホームタウン返上とクラブへの支援打ち切りを表明<ref>サガン経営井川氏受諾、チェアマン「歓迎」 - 佐賀新聞2004年11月27日</ref>。新取締役の選任は否決された<ref>サガン鳥栖新取締役選任を否決 - 佐賀新聞2004年12月6日</ref>。
:結局、[[2005年]]1月に井川を中心に出資して設立された「'''株式会社サガンドリームス'''」に対し、経営権を2400万円(譲渡費用2100万円、[[2004年]]12月-[[2005年]]1月の運営費用など300万円)で譲渡することを発表した。旧法人は解散(清算)となり、ようやく経営問題は解決となる。「サガンドリームス」の社長に就任した井川は、経営譲渡にあたって「サガン鳥栖のクラブ名の継続使用」「松本の続投」の2つの条件を出したが、条件は2つとも受け入れられた<ref>{{Cite web|url=http://www.cri.co.jp/crinews/press/2004-1/cripress.2006-10-27.6884072109/view|title=サッカーJ2サガン鳥栖に関するお知らせ|publisher=株式会社クリーク・アンド・リバー社|date=2004-11-26|accessdate=2023-11-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071110090227/http://www.cri.co.jp/crinews/press/2004-1/cripress.2006-10-27.6884072109/view|archivedate=2007-11-10}}</ref>。
{{-}}
;2005年
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2005年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[松本育夫|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''松本育夫'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=1.09|scale=220|text=[[シュナイダー潤之介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''シュナイダー潤之介'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.80|scale=220|text=[[奈良﨑寛|<span style="font-size: 90%; color: white">'''奈良﨑寛'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.93|scale=220|text=[[八田康介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''八田康介'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.93|scale=220|text=[[井手口純|<span style="font-size: 90%; color: white">'''井手口純'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.99|scale=220|text=[[加藤秀典|<span style="font-size: 90%; color: white">(加藤秀典)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.80|scale=220|text=[[高地系治|<span style="font-size: 90%; color: white">'''髙地系治'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.43|scale=220|text=[[宮原裕司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''宮原裕司'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.50|scale=220|text=[[濱田武|<span style="font-size: 90%; color: white">(濱田武)</span>]]}}
{{Image label|x=0.53|y=0.63|scale=220|text=[[飯尾和也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''飯尾和也'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.27|y=0.63|scale=220|text=[[アンドレ・ルイス・デ・ソウザ・シルバ|<span style="font-size: 90%; color: white">'''ビジュ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.69|scale=220|text=[[矢野大輔|<span style="font-size: 90%; color: white">(矢野大輔)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.44|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.53|y=0.20|scale=220|text=[[鈴木孝明|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木孝明'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[新居辰基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''新居辰基'''</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''夢激闘'''」
:この年からのクラブスローガンは親会社のサガンドリームスに因んで、頭文字に「夢」を使用した漢字3文字のものが使われている。
:Jでの実績がある[[宮原裕司]]、[[氏原良二]]、[[アンドレ・ルイス・デ・ソウザ・シルバ|ビジュ]]を完全移籍、[[一柳夢吾]]、[[矢野大輔]]、[[八田康介]]などを期限付き移籍で獲得。また、[[新居辰基]]、[[飯尾和也]]、[[高地系治|髙地系治]]といった実力者を下部リーグから獲得した。ヘッドコーチには長年[[東京ヴェルディ1969|東京V]]を指導した[[岸野靖之]]、コーチに元[[鹿島アントラーズ|鹿島]]の[[内藤就行]]を招聘した。
:序盤は新加入の選手が多いことによる連携不足が目立ったものの尻上がりに調子を上げ、第15節終了時点では自動昇格圏内の2位にいた。しかし、第16節の[[ザスパクサツ群馬|草津]]戦での不可解なPK判定による敗戦([[家本政明]]参照)や、DFを中心とした故障者の続出などで、最終的には8位で終えたが、圧倒的な強さでJ1昇格を果たした [[京都サンガF.C.|京都]]から3勝を挙げる健闘も見られた。
:個人では、新居が17得点を挙げてJ2の日本人得点王となった。また、[[鈴木孝明]]も15点を挙げ、2人で2004年のチーム総得点分の得点(32点)を稼いだ。
{{-}}
;2006年
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2006年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[松本育夫|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''松本育夫'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=1.09|scale=220|text=[[シュナイダー潤之介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''シュナイダー潤之介'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.60|y=0.80|scale=220|text=[[長谷川豊喜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''長谷川豊喜'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.93|scale=220|text=[[金裕晋|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金裕晋'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.93|scale=220|text=[[飯尾和也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''飯尾和也'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.99|scale=220|text=[[加藤秀典|<span style="font-size: 90%; color: white">(加藤秀典)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.80|scale=220|text=[[高地系治|<span style="font-size: 90%; color: white">'''髙地系治'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.70|y=0.45|scale=220|text=[[濱田武|<span style="font-size: 90%; color: white">'''濱田武'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.53|y=0.63|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.63|scale=220|text=[[尹晶煥|<span style="font-size: 90%; color: white">'''尹晶煥'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.69|scale=220|text=[[衛藤裕|<span style="font-size: 90%; color: white">(衛藤裕)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.45|scale=220|text=[[山城純也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''山城純也'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.06|y=0.51|scale=220|text=[[廣瀬浩二|<span style="font-size: 90%; color: white">(廣瀬浩二)</span>]]}}
{{Image label|x=0.55|y=0.24|scale=220|text=[[山口貴之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''山口貴之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.30|scale=220|text=[[藤田祥史|<span style="font-size: 90%; color: white">(藤田祥史)</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[新居辰基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''新居辰基'''</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''夢超戦'''」
:元韓国代表で[[セレッソ大阪|C大阪]]でも活躍したMF[[尹晶煥]]や、DF[[金裕晋]]など、韓国人選手を3人補強。日本人選手も大幅に入れ替え、積極的な補強を行った。攻撃陣では新居がJ2の日本人得点王になるなど選手に成長が見られ始めたことで、松本は「上位5チームの中で争うところまでいきたい」と述べた。また、この時期に松本の「総監督」就任が一部報道で噂されたが、結局は監督を続投した(ただし、翌年の松本は実際の指揮をヘッドコーチの岸野に任せている)。
:シーズン序盤は新居でしか得点できない試合が続いて出遅れ、一時は最下位に転落した。後半戦では特に守備が安定したことで(第3クール以降の失点20はリーグ最少)優勝した[[横浜FC]]と同じ14勝を挙げ、第48節には4位に浮上。第49節の[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦に敗れてJ1昇格は無くなったが、最終順位は過去最高の4位となった。
{{-}}
;2007年
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2007年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[岸野靖之|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''岸野靖之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.09|scale=220|text=[[赤星拓|<span style="font-size: 90%; color: white">'''赤星拓'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.82|scale=220|text=[[鐡戸裕史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鐡戸裕史'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.95|scale=220|text=[[飯尾和也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''飯尾和也'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.21|y=1.01|scale=220|text=[[吉田恵 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">(吉田恵)</span>]]}}
{{Image label|x=0.18|y=0.95|scale=220|text=[[柴小屋雄一|<span style="font-size: 90%; color: white">'''柴小屋雄一'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[日高拓磨|<span style="font-size: 90%; color: white">'''日高拓磨'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.44|scale=220|text=[[高地系治|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高地系治'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.55|y=0.65|scale=220|text=[[尹晶煥|<span style="font-size: 90%; color: white">'''尹晶煥'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.53|y=0.71|scale=220|text=[[衛藤裕|<span style="font-size: 90%; color: white">(衛藤裕)</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.65|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.44|scale=220|text=[[山城純也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''山城純也'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.05|y=0.50|scale=220|text=[[廣瀬浩二|<span style="font-size: 90%; color: white">(廣瀬浩二)</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.20|scale=220|text=[[藤田祥史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田祥史'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.20|scale=220|text=[[金信泳|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金信泳'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.16|y=0.26|scale=220|text=[[盛礼良レオナルド|<span style="font-size: 90%; color: white">(レオナルド)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''夢必翔'''」
:松本が監督を勇退して[[ゼネラルマネージャー|GM]]に就任し、後任監督に岸野が昇格。[[水戸ホーリーホック|水戸]]からFW[[アンデルソン・アンドラージ・アントゥネス|アンデルソン]]を獲得。福岡大学からGK[[赤星拓]]が入団した。一方で、2年連続でJ2の日本人得点王となった新居が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]に移籍し、[[期限付き移籍]]中だった[[濱田武]]と[[金裕晋]]が所属元に復帰。さらには、GK[[シュナイダー潤之介]]が[[ベガルタ仙台|仙台]]へ移籍した。
:開幕戦の[[アビスパ福岡|福岡]]との[[九州クラシコ|ダービー]]で大敗。第1クールは前年以上に成績が悪かったが、第2クールからは、怪我人が復帰し、[[大分トリニータ|大分]]から移籍してきた[[柴小屋雄一]]を中心とした守備が安定し勝点25を積み上げたが、第3クールと第4クールと踏ん張れず、第47節の東京V戦に敗れてJ1昇格の可能性は消滅。
:しかし、24得点をあげ、日本人得点王となった[[藤田祥史]]や、FWから[[ディフェンダー (サッカー)|サイドバック]]にコンバートされた[[日高拓磨]]ら、若手選手が成長。また、天皇杯4回戦で[[アルビレックス新潟|新潟]]を破った。
{{-}}
;2008年
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2008年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[岸野靖之|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''岸野靖之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[室拓哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''室拓哉'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.36|y=1.15|scale=220|text=[[赤星拓|<span style="font-size: 90%; color: white">(赤星拓)</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.82|scale=220|text=[[日高拓磨|<span style="font-size: 90%; color: white">'''日高拓磨'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.94|scale=220|text=[[内間安路|<span style="font-size: 90%; color: white">'''内間安路'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.18|y=0.94|scale=220|text=[[飯尾和也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''飯尾和也'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.47|y=1.00|scale=220|text=[[柴小屋雄一|<span style="font-size: 90%; color: white">(柴小屋雄一)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[高地系治|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高地系治'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.62|y=0.44|scale=220|text=[[盛礼良レオナルド|<span style="font-size: 90%; color: white">'''レオナルド'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.55|y=0.65|scale=220|text=[[衛藤裕|<span style="font-size: 90%; color: white">'''衛藤裕'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.50|y=0.71|scale=220|text=[[船谷圭祐|<span style="font-size: 90%; color: white">(船谷圭祐)</span>]]}}
{{Image label|x=0.61|y=0.50|scale=220|text=[[鐡戸裕史|<span style="font-size: 90%; color: white">(鐡戸裕史)</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.65|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.44|scale=220|text=[[野崎陽介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''野崎陽介'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.06|y=0.50|scale=220|text=[[山城純也|<span style="font-size: 90%; color: white">(山城純也)</span>]]}}
{{Image label|x=0.55|y=0.20|scale=220|text=[[金信泳|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金信泳'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.20|scale=220|text=[[藤田祥史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田祥史'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.50|y=0.26|scale=220|text=[[廣瀬浩二|<span style="font-size: 90%; color: white">(廣瀬浩二)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''夢結蹴'''」
:オフには、[[尹晶煥]]・[[山口貴之]]・[[村主博正]]・[[吉田恵 (サッカー選手)|吉田恵]]といった30代の選手との契約を更新せずに、若手選手中心に補強を行った。その結果、最年長の選手は[[石田博行]]の28歳(1979年生まれ)となり、石田以外の選手は全員1980年代生まれとなった。
:開幕戦で[[モンテディオ山形|山形]]に勝ち、J2参戦10年目にして開幕戦初勝利を挙げると、その勢いでJ1昇格争いに絡んだ。この年は1度も首位を明け渡すことなく優勝した[[サンフレッチェ広島|広島]]との試合時間の兼ね合いで、クラブ史上初めて暫定首位に立った。8月にMF[[船谷圭祐]]を獲得したが、第3クールに入ると下位チームへの取りこぼしが目立ち、昇格争いから脱落。最終順位は6位。天皇杯は[[大分トリニータ|大分]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]とJ1勢に勝利し、ベスト8へ進出。
{{-}}
;2009年
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2009年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[岸野靖之|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''岸野靖之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[室拓哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''室拓哉'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.82|scale=220|text=[[柳沢将之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''柳沢将之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.62|y=0.50|scale=220|text=[[山田卓也|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(山田卓也)'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[渡邉将基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''渡邉将基'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.18|y=0.97|scale=220|text=[[飯尾和也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''飯尾和也'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.06|y=0.88|scale=220|text=[[日高拓磨|<span style="font-size: 80%; color: white">(日高拓磨)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[磯崎敬太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''磯崎敬太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.62|y=0.44|scale=220|text=[[武岡優斗|<span style="font-size: 90%; color: white">'''武岡優斗'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.63|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.18|y=0.63|scale=220|text=[[高地系治|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高地系治'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.69|scale=220|text=[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(ホベルト)'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.44|scale=220|text=[[島田裕介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''島田裕介'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.50|y=0.20|scale=220|text=[[ハーフナー・マイク|<span style="font-size: 90%; color: white">'''ハーフナー・マイク'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.21|y=0.20|scale=220|text=[[トジン|<span style="font-size: 90%; color: white">'''トジン'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.17|y=0.26|scale=220|text=[[山瀬幸宏|<span style="font-size: 80%; color: white">(山瀬幸宏)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''夢昇格'''」
:岸野体制3年目。[[藤田祥史]]が[[大宮アルディージャ|大宮]]に移籍し、期限付き移籍の船谷圭祐が所属元の[[ジュビロ磐田|磐田]]に復帰した一方、[[カンピオナート・ブラジレイロ|ブラジル2部・3部]]のクラブで42試合29得点のFW[[ウェリットン・デ・モライス・コインブラ|トジン]]、MF[[島田裕介]]、元[[サッカー日本代表|日本代表]]の[[山田卓也]]や、右SB[[柳沢将之]]、左SB[[磯崎敬太]]などを獲得した。
:しかし、開幕直後に3連敗、一時は最下位となった。5月に[[横浜F・マリノス|横浜FM]]より[[山瀬幸宏]]、[[ハーフナー・マイク]]を、8月に大分から[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|ホベルト]]を[[期限付き移籍]]で獲得。一時はJ1昇格争いに迫る位置に付けたが、終盤の上位対決(仙台、湘南、甲府)で1分け2敗に終わり、最終成績は5位。天皇杯は4回戦でG大阪に敗退。シーズン終了後に岸野が監督を退任した。
:また2009年より、九州地区のJリーグ加盟クラブなどが若手育成を目的として発足させた[[九州チャレンジャーズリーグ]]に参加を決めたため、[[Jサテライトリーグ]]から撤退した。
{{-}}
;2010年
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2010年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[松本育夫|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''松本育夫'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.39|y=1.08|scale=220|text=[[赤星拓|<span style="font-size: 90%; color: white">'''赤星拓'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.14|scale=220|text=[[室拓哉|<span style="font-size: 80%; color: white">(室拓哉)</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.82|scale=220|text=[[丹羽竜平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹羽竜平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[木谷公亮|<span style="font-size: 90%; color: white">'''木谷公亮'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.18|y=0.97|scale=220|text=[[呂成海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''呂成海'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.14|y=1.03|scale=220|text=[[飯尾和也|<span style="font-size: 80%; color: white">(飯尾和也)</span>]]}}
{{Image label|x=0.06|y=0.88|scale=220|text=[[磯崎敬太|<span style="font-size: 80%; color: white">(磯崎敬太)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[日高拓磨|<span style="font-size: 90%; color: white">'''日高拓磨'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.40|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''早坂良太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.65|scale=220|text=[[衛藤裕|<span style="font-size: 90%; color: white">'''衛藤裕'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.65|scale=220|text=[[藤田直之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田直之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.33|y=0.40|scale=220|text=[[山瀬幸宏|<span style="font-size: 90%; color: white">'''山瀬幸宏'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.09|y=0.40|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''夢一岩'''」
:岸野の後任監督には前年からコーチとして現場復帰していた尹晶煥が昇格する予定だったが、尹が取得しているAFCのA級ライセンスではJリーグで監督を行えないと判断されたことから、監督就任に必要な[[JFA 公認S級コーチ|S級ライセンス]]をチームスタッフで唯一取得していたGMの松本が4年ぶりに監督に復帰(GMは解職)。尹はヘッドコーチとなり、実際のチームの指揮を主として執っていくのと同時に、S級ライセンスの取得も並行して行っていくことになった<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.sagantosu.jp/news_release/2009/12/005157.html|title=2010シーズン 松本GMが監督就任、尹コーチがヘッドコーチ就任|publisher=サガン鳥栖|date=2009-12-07|accessdate=2014-01-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091212230436/http://www.sagantosu.jp/news_release/2009/12/005157.html|archivedate=2009-12-12}}</ref>。
:岸野は[[横浜FC]]の監督に就任し、[[高地系治]]、[[柳沢将之]]、[[武岡優斗]]、[[渡邉将基]]の4選手と一部のコーチが移籍。[[廣瀬浩二]]が[[栃木SC|栃木]]へ完全移籍したほか、[[ハーフナー・マイク]]、[[島田裕介]]なども期限付き移籍期間が終了し退団した。一方、[[福岡大学]]からMF[[藤田直之]]、韓国の大学からMF[[金民友]]とDF[[呂成海]]等が入団、[[本田技研工業フットボールクラブ|Honda FC]]からMF[[早坂良太]]を、[[ヴィッセル神戸|神戸]]からDF[[丹羽竜平]]を、[[ベガルタ仙台|仙台]]からDF[[木谷公亮]]をそれぞれ完全移籍で、[[京都サンガF.C.|京都]]からFW[[豊田陽平]]を期限付き移籍で獲得するなど、陣容は大きく入れ替わった。
:前半戦は上位に付けていたが中盤以降は失速。最終成績は9位。なお、この年は金民友が韓国代表となり、鳥栖から初めてのA代表選出となった。
{{-}}
;2011年
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2011年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[尹晶煥|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''尹晶煥'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.07|scale=220|text=[[室拓哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''室拓哉'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.82|scale=220|text=[[丹羽竜平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹羽竜平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[木谷公亮|<span style="font-size: 90%; color: white">'''木谷公亮'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.97|scale=220|text=[[呂成海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''呂成海'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[磯崎敬太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''磯崎敬太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.40|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''早坂良太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.65|scale=220|text=[[岡本知剛|<span style="font-size: 90%; color: white">'''岡本知剛'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.65|scale=220|text=[[藤田直之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田直之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.37|y=0.36|scale=220|text=[[池田圭 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''池田圭'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.40|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.71|scale=220|text=[[永田亮太|<span style="font-size: 80%; color: white">(永田亮太)</span>]]}}
{{Image label|x=0.29|y=0.45|scale=220|text=[[金秉析|<span style="font-size: 80%; color: white">(キム・ビョンスク)</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.13|scale=220|text=[[赤星拓|<span style="font-size: 80%; color: white">(赤星拓)</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.88|scale=220|text=[[田中輝和|<span style="font-size: 80%; color: white">(田中輝和)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''夢結束'''」
:前年S級ライセンスを取得した尹が監督に就任。またGKコーチに[[高嵜理貴]]が就任。なお、松本はアドバイザーに就任したが、任期途中の2011年5月末に退任した。
:元主将のDF[[飯尾和也]]、昨シーズン途中から期限付き移籍していたMF[[野崎陽介]]が[[横浜FC]]へ、DF[[日高拓磨]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ、MF[[衛藤裕]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ、MF[[長谷川博一 (サッカー選手)|長谷川博一]]が大分へそれぞれ移籍し、GK[[浅井俊光]]、DF[[市原大嗣]]、MF[[朴庭秀]]、MF[[金浩男]]、MF[[下地奨]]が退団、GK[[首藤慎一]]は引退、FW[[萬代宏樹]]は[[ザスパクサツ群馬|草津]]に期限付き移籍した。
:補強は、DF[[浦田延尚]]、DF[[金明輝]]、MF[[永田亮太]]、MF[[米田兼一郎]]、MF[[金秉析|キム・ビョンスク]]が完全移籍で、MF[[岡本知剛]]、MF[[國吉貴博]]が期限付き移籍で加入、GK[[奥田達朗]]、DF[[守田創]]、FW[[野田隆之介]]が新加入、DF[[田中輝和]]が完全移籍となり、また豊田の期限付き移籍期間を延長した。前年と異なり、この年は主力の多くを残留させることができた。さらにシーズン開幕後の4月30日に、故障の影響で前年限りで湘南を退団していた[[新居辰基]]が完全移籍で5年ぶりに復帰した。
:開幕戦は[[FC東京]]に惜敗したが、[[東日本大震災]]による中断明けとなった第8節(2試合目)の横浜FC戦で岸野が退団してから初めて勝利すると勢いに乗り、5月終了時点で2位に浮上した。6月と7月はともに1勝ずつとやや苦戦し、シーズン試合数の半分(19試合)を消化した時点では7勝6敗6分(勝ち点27)の7位で、J1昇格圏内の3位とは勝ち点10差が付いていた。しかし、第24節(20試合目)から16試合連続無敗(11勝5分)で第31節(29試合目)で2位に再浮上した。第36節ホーム北九州戦で逆転負けし3位の徳島に勝点で並ばれたが、続く第37節アウェーでの徳島との直接対決に3-0で勝利。[[2011年J2最終節|第38節]]は熊本に引き分けて、2位でシーズンを終了。
:12月の臨時理事会でJ1昇格が決定した。なお、1999年のJ2創設から13年目で初のJ1昇格となり、23得点を挙げた豊田がクラブ初のJ2得点王に輝いた。なお、鳥栖の昇格をもって、J2創設時の所属10チームは全て最低1回はJ1に昇格したことになる。
{{-}}
=== 2012年 - (J1) ===
;[[2012年のJリーグ ディビジョン1|2012年]]
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2012年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.32|scale=220|text=[[尹晶煥|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''尹晶煥'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.20|scale=220|text=[[赤星拓|<span style="font-size: 90%; color: white">'''赤星拓'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.82|scale=220|text=[[丹羽竜平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹羽竜平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[金根煥|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金根煥'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.94|scale=220|text=[[呂成海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''呂成海'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[磯崎敬太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''磯崎敬太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.40|scale=220|text=[[水沼宏太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''水沼宏太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.65|scale=220|text=[[藤田直之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田直之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.65|scale=220|text=[[岡本知剛|<span style="font-size: 90%; color: white">'''岡本知剛'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=0.36|scale=220|text=[[池田圭 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''池田圭'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.40|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.46|scale=220|text=[[野田隆之介|<span style="font-size: 80%; color: white">(野田隆之介)</span>]]}}
{{Image label|x=0.40|y=0.42|scale=220|text=[[ウェリットン・デ・モライス・コインブラ|<span style="font-size: 80%; color: white">(トジン)</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.71|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 80%; color: white">(高橋義希)</span>]]}}
{{Image label|x=0.18|y=1.00|scale=220|text=[[小林久晃 (1979年生のサッカー選手)|<span style="font-size: 80%; color: white">(小林久晃)</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.46|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: 80%; color: white">(早坂良太)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''超! 結戦'''」
:尹体制2年目で、チーム初のJ1での戦い。DF[[浦田延尚]]が[[愛媛FC|愛媛]]に、MF[[山瀬幸宏]]が[[カターレ富山|富山]]に、MF[[永田亮太]]が[[モンテディオ山形|山形]]に完全移籍、DF[[田中輝和]]、MF[[米田兼一郎]]、MF[[柳澤隼]]、MF[[金秉析|キム・ビョンスク]]が退団、DF[[金明輝]]とFW[[新居辰基]]が引退。昨シーズン[[ザスパクサツ群馬|草津]]に期限付き移籍していたFW[[萬代宏樹]]は[[モンテディオ山形|山形]]へ完全移籍した。
:一方で、期限付き加入していたFW[[豊田陽平]]とMF[[國吉貴博]]が完全移籍加入、MF岡本知剛は[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]からの期限付き移籍期間を延長した。また、[[ジュビロ磐田|磐田]]からMF[[船谷圭祐]]を、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]からDF[[犬塚友輔]]とDF[[小林久晃 (1979年生のサッカー選手)|小林久晃]]をそれぞれ完全移籍で獲得。[[ベガルタ仙台|仙台]]からMF[[高橋義希]]が、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]からDF[[金根煥]]とMF[[水沼宏太]]が、[[SCコリンチャンス・アラゴアーノ|コリンチャンス-AL]]からFW[[ウェリットン・デ・モライス・コインブラ|トジン]]が期限付き移籍で加入した。また、[[2011年]]の[[特別指定選手]]だったFW[[岡田翔平]]、MF[[黒木晃平]]、DF[[黒木恭平]]が新加入した。高橋とトジンは3年ぶり、船谷は4年ぶりの復帰となった。
:開幕戦はC大阪と引き分け、第3節の横浜FM戦でJ1初勝利を挙げた。「昇格で十分に快挙」と揶揄され、評論家の多くが最下位での「降格鉄板」を予想する中、リーグ戦では、豊富な運動量に前線からのプレスからのショートカウンターを組み合わせた戦術が機能し<ref name="number20121116">{{Citation|author=藤島大|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/293738|title=<スモールクラブのJ1サバイバル術> サガン鳥栖の浪漫飛行。~“降格候補筆頭”躍進の秘訣~|work=[[Sports Graphic Number]]|issue=816|date=2012年11月16日|accessdate=2012年12月9日}}</ref>、前半戦は6勝6分5敗の10位<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2244146.article.html|title=サガン鳥栖J1初参戦、前半回顧 健闘10位|newspaper=佐賀新聞|date=2012-07-10|accessdate=2015-04-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120711032411/http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2244146.article.html|archivedate=2012-07-11}}</ref>。後半戦に入り第27節から3連敗したが、第30節から4連勝。第31節の磐田戦でJ1残留を決め<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/sports/news/20121108k0000m050136000c.html|title=J1:鳥栖、残留確定 磐田の猛反撃しのぎ|newspaper=毎日新聞|date=2012-11-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131220034120/http://mainichi.jp/sports/news/20121108k0000m050136000c.html|archivedate=2013-12-20|accessdate=2015-04-08}}</ref>、第33節終了時には3位に浮上し、最終順位は初昇格初年度のチームとしてはJ1が18チームとなった2005年度以降では最高の5位であった<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp1-20121201-1054306.html|title=【鳥栖】初昇格チームとして最高順位5位|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-12-01|accessdate=2015-04-08}}</ref>。豊田が得点ランキング2位となる19得点を挙げ、[[Jリーグベストイレブン]]に選出された。なお、ホームゲームは11勝3分3敗で、これは2012年シーズンの全18クラブを通じて最高勝率であった<ref>{{Cite web|和書|url=https://data.j-league.or.jp/SFRT01/?search=search&yearId=2012&yearIdLabel=2012%E5%B9%B4&competitionId=322&competitionIdLabel=%EF%BC%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%80%80%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%91&competitionSectionId=0&competitionSectionIdLabel=%E6%9C%80%E6%96%B0%E7%AF%80&homeAwayFlg=1|title=2012Jリーグ ディビジョン1 順位表 【第34節】・ホーム|work=J.League Data Site|accessdate=2015-04-08}}</ref>。また、2023年現在、J1初昇格から初年度で残留できた最後のクラブである<ref group="注">鳥栖のJ1初昇格以降、[[2014年]]には[[徳島ヴォルティス]]、[[2015年]]には[[松本山雅FC]]、[[2018年]]には[[V・ファーレン長崎]]がそれぞれJ1初昇格したが、いずれも1年でのJ2降格となった。</ref>。
:[[2012年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]でグループ5位となりグループリーグ敗退。[[第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は、2回戦で[[日本フットボールリーグ|JFL]][[カマタマーレ讃岐]]に敗退。
{{-}}
;[[2013年のJリーグ ディビジョン1|2013年]]
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2013年開幕戦布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.32|scale=220|text=[[尹晶煥|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''尹晶煥'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.20|scale=220|text=[[赤星拓|<span style="font-size: 90%; color: white">'''赤星拓'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.82|scale=220|text=[[丹羽竜平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹羽竜平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[小林久晃 (1979年生のサッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小林久晃'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.97|scale=220|text=[[呂成海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''呂成海'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.40|scale=220|text=[[水沼宏太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''水沼宏太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.65|scale=220|text=[[藤田直之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田直之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.65|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=0.36|scale=220|text=[[池田圭 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''池田圭'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.40|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''早坂良太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.46|scale=220|text=[[岡田翔平|<span style="font-size: 80%; color: white">(岡田翔平)</span>]]}}
{{Image label|x=0.41|y=0.42|scale=220|text=[[ロニエリ・ゴメス・ドス・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white">(ロニ)</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.46|scale=220|text=[[清武功暉|<span style="font-size: 80%; color: white">(清武功暉)</span>]]}}
</div>
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2013年最終戦布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.32|scale=220|text=[[尹晶煥|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 '''尹晶煥'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.20|scale=220|text=[[林彰洋|<span style="font-size: 90%; color: white">'''林彰洋'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.82|scale=220|text=[[丹羽竜平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹羽竜平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[菊地直哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''菊地直哉'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.97|scale=220|text=[[坂井達弥|<span style="font-size: 90%; color: white">'''坂井達弥'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[磯崎敬太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''磯崎敬太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.40|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''早坂良太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.65|scale=220|text=[[藤田直之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田直之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.65|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=0.36|scale=220|text=[[池田圭 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''池田圭'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.40|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.42|scale=220|text=[[水沼宏太|<span style="font-size: 80%; color: white">(水沼宏太)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.46|scale=220|text=[[岡田翔平|<span style="font-size: 80%; color: white">(岡田翔平)</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.87|scale=220|text=[[ニルソン・リカルド・ダ・シルバ・ジュニオール|<span style="font-size: 80%; color: white">(ニルソン)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''超! 奮迅。'''」
:尹体制3年目。なお、尹と2014年までの2年契約を結んだ。また、2012年度の収入が約14億円となり、2011年からほぼ倍増した<ref>{{Cite news|url=http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20130105-OYS1T00368.htm|title=J1鳥栖収入倍増14億円、尹監督と新たに2年契約|newspaper=[[読売新聞オンライン]]|date=2013-01-05|accessdate=2023-11-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130110025349/http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20130105-OYS1T00368.htm|archivedate=2013-01-10}}</ref>。
:契約満了でDF[[犬塚友輔]]、DF[[守田創]]が、また期限付き移籍終了でMF[[岡本知剛]]([[サンフレッチェ広島F.C|広島]]に復帰)、DF[[金根煥]]([[横浜F・マリノス|横浜FM]]に復帰後[[アルビレックス新潟|新潟]]に完全移籍)、FW[[ウェリットン・デ・モライス・コインブラ|トジン]]が退団した。加えて2012年途中から期限付き移籍していたMF[[國吉貴博]]が[[カターレ富山|富山]]に完全移籍、DF[[黒木恭平]]が[[愛媛FC|愛媛]]へ、MF[[黒木晃平]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へそれぞれ期限付き移籍した。
:一方、他クラブからの獲得オファーもあった(中には海外からの高額オファーもあったと本人が後日語っている<ref>{{Cite news|url=http://www.hokkoku.co.jp/subpage/LS20130108601.htm|title=目指すはサッカーA代表 星稜高OBの豊田、鈴木が躍進誓う|newspaper=北國新聞|date=2013-01-08|accessdate=2023-11-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130211090132/http://www.hokkoku.co.jp/subpage/LS20130108601.htm|archivedate=2013-02-11}}</ref>)FW[[豊田陽平]]と契約を更新。また、2012年に期限付き加入していたMF[[高橋義希]]とMF[[水沼宏太]]がそれぞれ完全移籍で加入。このほか、[[アビスパ福岡|福岡]]からMF[[末吉隼也]]、[[ミジョナリオスFC|ミジョナリオス]]からMF[[ジョナサン・レストレポ|ジョナサン]]、[[オンセ・カルダス]]からFW[[ディエゴ・アンブイラ|ディエゴ]]を完全移籍で獲得し、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]からDF[[金井貢史]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]からDF[[金正也]]、[[サンパウロFC]]から[[ロニエリ・ゴメス・ドス・サントス|ロニ]]をそれぞれ期限付き移籍で獲得。新戦力としては、2012年に[[特別指定選手]]としてプレーしたMF[[清武功暉]]、DF[[坂井達弥]]、DF[[岸田翔平]]の大卒3選手と、地元[[佐賀県立佐賀東高等学校|佐賀東高]]出身のFW[[平秀斗]]が加入した。このうちFWディエゴは家庭の事情で2ヶ月で退団している。
:守備の軸となっていた岡本・金根煥が抜け、さらには前年までの戦術を各チームに研究されたこともあり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.footballchannel.jp/2013/05/17/post4584/|title=昨季の躍進はどこへ? 豊田・水沼らが語るサガン鳥栖が低迷した要因と復活のカギ|author=荒木英喜|work=フットボールチャンネル|publisher=[[サッカー批評]]編集部|date=2013-05-17|accessdate=2013-07-27}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news.0.2596727.article.10.html|title=サガン2013戦いの軌跡 佐賀新聞番記者|newspaper=佐賀新聞|date=2013-12-16|accessdate=2014-01-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140202195807/http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news.0.2596727.article.10.html|archivedate=2014-02-02}}</ref>、開幕3戦目でシーズン初勝利を挙げるも、第4節から6試合勝利なし(2分4敗)で15位まで順位を下げ、[[FIFAコンフェデレーションズカップ2013|FIFAコンフェデレーションズカップ]]によりリーグ戦が中断された第13節終了時点では、2勝4分7敗の勝点10、自動降格圏となる16位の[[湘南ベルマーレ|湘南]]との勝点差は僅か1、最下位の[[大分トリニータ|大分]]との勝点差すら僅か3であった。7月にリーグ戦が再開した後も、8月上旬までの7試合で2連敗2回を含む2勝1分4敗で、16位との勝点差が1から3という状態が続いており、前半戦だけで前年の総失点数を上回る40失点(リーグ最多)を喫するなど、調子は必ずしも上向かなかったが、7月後半に入り、FWロニとの期限付き移籍契約を解除し、MF[[ニルソン・リカルド・ダ・シルバ・ジュニオール|ニルソン]]をブラジル・メトロポリターノから完全移籍で、MF[[菊地直哉]]を新潟から、FW[[播戸竜二]]を[[セレッソ大阪|C大阪]]からいずれも期限付き移籍で相次いで獲得。さらに、8月上旬、相次ぐ負傷によりトップチーム登録のGK3人が戦線離脱し、残るのは特別指定選手のGK[[藤嶋栄介]]([[福岡大学サッカー部|福岡大学]])のみという事態<ref>{{Cite news|date=2013-08-07|url=http://web.gekisaka.jp/400451_123142_fl|title=鳥栖ピンチ!!GKがいない…奥田負傷でGKは特別指定の藤嶋のみに|publisher=ゲキサカ|accessdate=2013-12-08}}</ref> となったところで、急遽[[清水エスパルス|清水]]からGK[[林彰洋]]を期限付き移籍で獲得した。
:林獲得直後の第21節ホーム[[大宮アルディージャ|大宮]]戦で勝利し連敗を止めた後、3連勝2連勝各1回を含む6戦負けなしで一気に16位との勝点差を10に広げる。直後に3連敗した(うち2敗は菊地・林がそれぞれ契約で出場できない新潟戦、清水戦)ものの、その後のリーグ戦最終5節を4連勝を含む5戦負けなしで終え、結局13勝7分14敗の勝点46で12位となった。
:[[2013年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]ではBグループ6位の成績。[[第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はクラブ史上初となるベスト4の成績(準決勝で横浜FMに敗退)。
;[[2014年のJリーグ ディビジョン1|2014年]]
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2014年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.25|y=1.32|scale=220|text=<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 </span>[[尹晶煥|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">'''尹晶煥'''</span>]][[吉田恵 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">'''→吉田恵'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.20|scale=220|text=[[林彰洋|<span style="font-size: 90%; color: white">'''林彰洋'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.82|scale=220|text=[[丹羽竜平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹羽竜平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.94|scale=220|text=[[菊地直哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''菊地直哉'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.51|y=1.00|scale=220|text=[[坂井達弥|<span style="font-size: 80%; color: white">(坂井達弥)</span>]]}}
{{Image label|x=0.12|y=0.94|scale=220|text=[[金敏爀|<span style="font-size: 70%; color: white">'''キム・ミンヒョク'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[安田理大|<span style="font-size: 90%; color: white">'''安田理大'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.63|scale=220|text=[[藤田直之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田直之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.63|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=0.69|scale=220|text=[[岡本知剛|<span style="font-size: 80%; color: white">(岡本知剛)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.40|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=0.36|scale=220|text=[[池田圭 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''池田圭'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.77|scale=220|text=[[谷口博之|<span style="font-size: 80%; color: white">(谷口博之)</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.40|scale=220|text=[[水沼宏太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''水沼宏太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.64|y=0.46|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: 80%; color: white">(早坂良太)</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''超! 激翔。'''」
:尹体制4年目。MF[[ニルソン・リカルド・ダ・シルバ・ジュニオール|ニルソン]]と、[[愛媛FC|愛媛]]へ期限付き移籍中だったDF[[黒木恭平]]が契約満了で退団。FW[[野田隆之介]]が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]へ、GK[[室拓哉]]が[[大分トリニータ|大分]]へ完全移籍したほか、2013年途中から期限付き移籍していたDF[[木谷公亮]]が[[FC岐阜|岐阜]]へ、MF[[船谷圭祐]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]へそれぞれ完全移籍。また、期限付き移籍終了でDF[[金正也]]が[[ガンバ大阪|G大阪]]へ復帰。FW[[岡田翔平]]が[[湘南ベルマーレ|湘南]]へ、MF[[末吉隼也]]とMF[[ジョナサン・レストレポ|ジョナサン]]が大分へそれぞれ期限付き移籍となり、MF[[黒木晃平]]は[[ロアッソ熊本|熊本]]への期限付き移籍期間を延長した。
:一方、2013年に期限付き加入していたDF[[金井貢史]]と、2013年途中から期限付き加入したMF[[菊地直哉]]、FW[[播戸竜二]]、GK[[林彰洋]]がいずれも完全移籍で加入したほか、特別指定選手だったGK[[藤嶋栄介]]と元U-17韓国代表のDF[[金敏爀|キム・ミンヒョク]]が新加入。また、[[ジュビロ磐田|磐田]]からDF[[安田理大]]、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]から[[崔誠根]]をいずれも完全移籍で、磐田からMF[[菅沼実]]、[[柏レイソル|柏]]からMF[[谷口博之]]、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]からMF[[岡本知剛]]をいずれも期限付き移籍(岡本はシーズン途中で完全移籍に移行)でそれぞれ獲得した。岡本は2シーズンぶりの鳥栖復帰となった。
:7月5日、当該クラブ所属のサッカースクールコーチが無免許及び酒気帯び運転により逮捕された。この件に対し、クラブは同コーチを7月8日付で契約解除し、Jリーグからはけん責及び制裁金300万円の処分が下された<ref>{{Cite news|url=http://www.sagantosu.jp/news_detail.asp?c_idx=10002317&contents_code=100104|title=Jリーグよりクラブへの制裁について|newspaper=サガン鳥栖公式サイト|date=2014-08-29|accessdate=2014-08-30}}</ref>。
:開幕前に「上位争いをするだけではなく、何かしらのタイトルを狙う」と尹が語った<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00168677.html|title=【J1:第1節 鳥栖 vs 徳島】プレビュー:初タイトルを目指す鳥栖は、初昇格の徳島を迎えて開幕戦を戦う。お互いの堅守をいかにして強力な攻撃陣が打ち崩すのか。|author=[[サカクラゲン]]|work=[[J's GOAL]]|date=2014-03-01|accessdate=2014-12-08}}</ref> このシーズン、第12節には暫定ながらチーム初の単独首位に立ち<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20140507-1296970.html|title=鳥栖が昇格3年で初の首位|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2014-05-07|accessdate=2014-08-08}}</ref>、[[2014 FIFAワールドカップ|W杯ブラジル大会]]に伴う中断期間中にDF[[呂成海]]の[[Kリーグ]]・[[慶南FC]]への移籍こそあったもののルーキーのDFキム・ミンヒョクがその穴を埋める働きで前年後半からの好調を維持し、8月2日の第18節・名古屋戦でこのシーズン10度目の完封勝利で再び首位に立った<ref>{{Cite news|url=http://www.soccermagazine-zone.com/archives/2368|title=今季10度目の完封勝利で首位奪還 サガン鳥栖の強さの秘密|newspaper=[[SOCCER MAGAZINE ZONE]]|date=2014-08-03|accessdate=2014-08-08}}</ref> 直後の8月8日、クラブから監督の尹との契約を前日(8月7日)付けで解除したことが発表された<ref>{{Cite press release|和書|date=2014-08-08|url=http://www.sagantosu.jp/news_detail.asp?c_idx=10002244&contents_code=100100|title=尹晶煥監督 契約解除のお知らせ|publisher=サガンドリームス|accessdate=2014-08-08|archiveurl=}}</ref>。首位のチームが監督交代となる極めて異例の事態について、強化部長の[[永井隆幸]]は「(尹との間で)今後のチーム作りのビジョンや考え方がクラブと合わなかった」「ことし来年以降の戦いを見据えたなかで監督を交代する決断をした。お互いが新たなステップとして高めていくためだ」と説明し、チーム側から尹に退任を打診したことを明らかにした<ref name="NHK20140808">{{Cite news|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140808/k10013664721000.html|title=首位のサガン鳥栖 異例の監督交代|newspaper=[[NHKニュース]]|date=2014-08-08|accessdate=2014-08-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140811005050/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140808/k10013664721000.html|archivedate=2014-08-11}}</ref>。後任にはコーチの[[吉田恵 (サッカー選手)|吉田恵]]が昇格した<ref>{{Cite press release|和書|date=2014-08-08|url=http://www.sagantosu.jp/news_detail.asp?c_idx=10002247&contents_code=100100|title=吉田恵 監督就任のお知らせ|publisher=サガンドリームス|accessdate=2014-08-08}}</ref>。
:監督交代後、ポゼッションを取り入れた戦術への切り替えを試みたが十分に機能せず<ref name="sportiva20150106">{{Cite web|和書|url=http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2015/01/06/2014_2/index.php|title=豊田陽平が語る「2014年、鳥栖に何があったのか」|author=[[小宮良之]]|work=[[Sportiva]]|publisher=[[集英社]]|date=2015-01-06|accessdate=2015-01-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150402081606/http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2015/01/06/2014_2/index.php|archivedate=2015-04-02}}</ref>、逆に持ち前の堅守が鳴りを潜め、吉田体制始動後から[[第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第94回天皇杯]]2試合を含めて公式戦10試合連続失点(この間リーグ戦2勝1分5敗、8得点14失点、天皇杯も4回戦でJ2・[[モンテディオ山形]]に敗戦)を喫し<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/111845|title=【ハイライト】攻守連動、11戦ぶり完封劇|newspaper=[[佐賀新聞]]|date=2014-10-06}}</ref>、順位を5位にまで下げる。選手からの進言もあり従前の縦に速い攻撃重視の戦術に戻し、その後の8試合では5勝1分2敗と勢いを取り戻し<ref name="sportiva20150106"/>、最後の4試合は無敗(3勝1分)で乗り切ったものの、第33節のホーム最終戦・[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦で引き分けたことで優勝の可能性が消滅。最終節・[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦で勝利し試合終了時点では暫定4位をキープした<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/133214|title=「感動をありがとう」サガンサポーター1年間の激闘称賛|newspaper=[[佐賀新聞]]|date=2014-12-07}}</ref> が、天候の関係で最終節が後日開催となった[[柏レイソル|柏]]に勝ち点・得失点差で並ばれ、総得点で上回られたことで5位に後退してシーズン順位が確定、[[AFCチャンピオンズリーグ2015]]への出場機会を逃した<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2014120800866|title=柏は4位、ACLへ望み=J1全日程終了|newspaper=[[時事通信社|時事ドットコム]]|date=2014-12-08|accessdate=2014-12-08}}</ref>。
:翌年に発表された決算では、当期純損失3億6030万円を計上、2期連続の赤字となった。入場料収入の減少や、ユニホームの背中スポンサーだった「グラス・ワン・テクノロジー」の破産による貸倒引当金の計上などが影響しているという<ref>[http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/180853?area=ranking サガン鳥栖、売上高 過去最高19億円](佐賀新聞2015年4月27日 5月28日閲覧)</ref>。
;[[2015年のJ1リーグ|2015年]]
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2015年前半戦基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.32|scale=220|text=<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 </span>[[森下仁志|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">'''森下仁志'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.20|scale=220|text=[[林彰洋|<span style="font-size: 90%; color: white">'''林彰洋'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.82|scale=220|text=[[丹羽竜平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹羽竜平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.94|scale=220|text=[[菊地直哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''菊地直哉'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.10|y=0.94|scale=220|text=[[金敏爀|<span style="font-size: 70%; color: white">'''キム・ミンヒョク'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=1.00|scale=220|text=[[谷口博之|<span style="font-size: 80%; color: white">(谷口博之)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[吉田豊 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''吉田豊'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.40|scale=220|text=[[水沼宏太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''水沼宏太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.66|y=0.46|scale=220|text=[[白星東|<span style="font-size: 80%; color: white">(白星東)</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.65|scale=220|text=[[藤田直之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田直之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.65|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=0.36|scale=220|text=[[池田圭 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''池田圭'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.42|scale=220|text=[[鎌田大地|<span style="font-size: 80%; color: white">(鎌田大地)</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.40|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
</div>
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2015年後半戦基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.51|y=1.32|scale=220|text=<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 </span>[[森下仁志|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">'''森下仁志'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.20|scale=220|text=[[林彰洋|<span style="font-size: 90%; color: white">'''林彰洋'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.62|y=0.86|scale=220|text=[[丹羽竜平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹羽竜平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.94|scale=220|text=[[菊地直哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''菊地直哉'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.05|y=0.86|scale=220|text=[[金敏爀|<span style="font-size: 85%; color: white">'''キム・ミンヒョク'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.66|y=0.56|scale=220|text=[[吉田豊 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''吉田豊'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.66|scale=220|text=[[藤田直之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田直之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.72|scale=220|text=[[岡本知剛|<span style="font-size: 80%; color: white">(岡本知剛)</span>]]}}
{{Image label|x=0.19|y=0.66|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.56|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.22|y=0.36|scale=220|text=[[池田圭 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''池田圭'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.18|y=0.42|scale=220|text=[[鎌田大地|<span style="font-size: 80%; color: white">(鎌田大地)</span>]]}}
{{Image label|x=0.54|y=0.36|scale=220|text=[[水沼宏太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''水沼宏太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.53|y=0.42|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: 80%; color: white">(早坂良太)</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.37|y=0.24|scale=220|text=[[池田圭 (サッカー選手)|<span style="font-size: 80%; color: white">(池田圭)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''Next Stage〜挑戦〜'''」
:新監督に、元[[ジュビロ磐田|磐田]]監督・前[[京都サンガF.C.|京都]]コーチの[[森下仁志]]を招聘(前監督の[[吉田恵 (サッカー選手)|吉田恵]]はコーチに復帰)。コーチの[[金熙虎]]が新たに[[Kリーグチャレンジ]]に参入する[[ソウルイーランドFC]]に、[[清水智士]]・[[中村圭介]]の両コーチが元監督の[[尹晶煥]]が新たに監督に就任した[[Kリーグクラシック]]・[[蔚山現代FC|蔚山現代]]にそれぞれ移籍する一方で、2013年シーズン途中まで在籍し、2014年シーズンで現役引退した[[木谷公亮]]がコーチとして加入(復帰)。また京都から[[津越智雄]]、[[FC町田ゼルビア|町田]]から[[末藤崇成]]をトップチームコーチとして招聘、通訳の[[金正訓]]がコーチ兼任となった。
:選手ではDF[[安田理大]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]に、FW[[播戸竜二]]が[[大宮アルディージャ|大宮]]に、DF[[金井貢史]]が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]にそれぞれ完全移籍、期限付き移籍中だったMF[[黒木晃平]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]に、MF[[末吉隼也]]が[[アビスパ福岡|福岡]]にそれぞれ完全移籍、MF[[ジョナサン・レストレポ・ナランホ|ジョナサン]]は契約解除により退団、FW[[岡田翔平]]は[[湘南ベルマーレ|湘南]]への期限付き移籍期間を延長した。また、DF[[坂井達弥]]が[[松本山雅FC|松本]]へ、DF[[岸田翔平]]が[[V・ファーレン長崎|長崎]]へそれぞれ期限付き移籍となった。
:一方、期限付き加入していたMF[[谷口博之]]とMF[[菅沼実]]が完全移籍加入。[[清水エスパルス|清水]]からDF[[吉田豊 (サッカー選手)|吉田豊]]、磐田からMF[[白星東]]がいずれも完全移籍で、[[京都サンガF.C.|京都]]からFW[[田村亮介]]が期限付き移籍でそれぞれ加入。前々年から特別指定選手としてチームに加わっていたMF[[福田晃斗]]・FW[[山崎凌吾|山﨑凌吾]]の2名に加え、高卒のDF[[笹原脩平]]([[秀岳館高等学校|秀岳館高校]])・MF[[鎌田大地]]([[東山中学校・高等学校|東山高校]])の計4名が新加入となった。夏の移籍期間には、MF[[清武功暉]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]に期限付き移籍した一方で、DF坂井達弥とFW岡田翔平がいずれも期限付き移籍の期間を早めて復帰した。
:この年はクラブエンブレムをリニューアル(後述)、クラブスローガンも公募によりこれまでの「超! ◯◯」の形から一新された。
:尹時代の「守備重視+ショートカウンター」の戦術から「パスワークから崩していく攻撃」へのモデルチェンジを模索したこのシーズン、1stステージは序盤こそ連勝もあって3位まで順位を上げるものの、ホーム浦和戦の6失点をはじめとして守備が崩壊、終盤に4連敗し11位で終える。2ndステージもエース豊田をはじめとして怪我が相次いで浮上のきっかけを見いだせず順位を下げ続け、一時は降格圏寸前の年間14位にまで順位を下げる。終盤にかけて、それまでの「4-2-3-1」フォーメーションから「3-4-2-1」にシステムを変更して守備を安定させ、終盤は5戦負け無し(2勝3分け)で年間11位でシーズンを終えた。負け数は前年と同じ12敗ながら引き分けがリーグ最多の13試合で、得点力に課題を抱え(リーグ15位の37得点)勝ちきれない試合が増えたことが低迷の原因とされた<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/252887|title=サガン終盤まで残留争い 得点力課題|newspaper=佐賀新聞|date=2015-11-24|accessdate=2015-12-08}}</ref>。また、このシーズンはホームで4勝8分5敗とJ1昇格後初の負け越し。特に4月12日の1stステージ第5節・[[モンテディオ山形|山形]]戦から11月7日の2ndステージ第16節(ホーム最終戦)・[[ベガルタ仙台|仙台]]戦まで7ヶ月間ホームでの勝ち星を挙げることが出来なかった<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/247634|title=7カ月ぶり喜び爆発 「天皇杯で決勝へ」|newspaper=佐賀新聞|date=2015-11-08|accessdate=2015-12-08}}</ref>。
:[[2015年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]ではAグループ6位の成績。[[第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はベスト8の成績(準々決勝でG大阪に敗退)。
;[[2016年のJ1リーグ|2016年]]
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2016年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.25|y=1.32|scale=220|text=<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 </span>[[マッシモ・フィッカデンティ|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">'''フィッカデンティ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.38|y=1.20|scale=220|text=[[林彰洋|<span style="font-size: 90%; color: white">'''林彰洋'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.80|scale=220|text=[[藤田優人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田優人'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.66|y=0.85|scale=220|text=[[三丸拡|<span style="font-size: 80%; color: white">(三丸拡)</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.94|scale=220|text=[[谷口博之|<span style="font-size: 90%; color: white">'''谷口博之'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.10|y=0.94|scale=220|text=[[金敏爀|<span style="font-size: 70%; color: white">'''キム・ミンヒョク'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.80|scale=220|text=[[吉田豊 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''吉田豊'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.67|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[金民友|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金民友'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.36|scale=220|text=[[鎌田大地|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鎌田大地'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.50|scale=220|text=[[福田晃斗|<span style="font-size: 90%; color: white">'''福田晃斗'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.18|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''早坂良太'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.15|y=0.18|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.23|scale=220|text=[[富山貴光|<span style="font-size: 80%; color: white">(富山貴光)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''サガン魂〜砂'''」<small>(1stステージ)</small>、「'''サガン魂〜岩'''」<small>(2ndステージ)</small>
:今期のスローガンは、1stステージ用と2ndステージ用で別のものを用意するという形となった。
:新シーズンの監督として[[ハンブルガーSV]]や[[VfLヴォルフスブルク]]で指揮を執った[[フェリックス・マガト]]の招聘を試み、一時は鳥栖と1年契約で基本合意したと報じられた<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/258579|title=サガン次期監督、マガト氏と1年契約で基本合意|newspaper=佐賀新聞|date=2015-12-11|accessdate=2015-12-31}}</ref> が、最終的にマガト側がサガン鳥栖の監督就任要請を断る旨を2015年12月31日に自身の[[Facebook]]で表明、同日鳥栖側にも断りの連絡が入って招聘は実現せず<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/264749|title=サッカー、マガト氏が要請断る|newspaper=佐賀新聞|date=2015-12-11|accessdate=2015-12-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160309184606/http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/264749|archivedate=2016-03-09}}</ref>。鳥栖は急遽、前[[FC東京]]監督の[[マッシモ・フィッカデンティ]]にオファー、2016年1月7日に契約が発表された<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/266449|title=鳥栖、フィッカデンティ氏の監督就任を正式発表|newspaper=佐賀新聞|date=2016-01-07|accessdate=2016-01-07}}</ref>。フィッカデンティの腹心とも言える[[ブルーノ・コンカ]]がコーチに、イタリアの複数のチームでフィジカルコーチを務めた[[ジャンルーカ・コギ]]がフィジカルコーチにそれぞれ就任。クラブ史上初めてのイタリア人監督となる。一方、前シーズンの監督だった[[森下仁志]]は契約解除により退団。6年間コーチ・監督を務めた[[吉田恵 (サッカー選手)|吉田恵]]も[[FC岐阜|岐阜]]コーチに移籍。フィジカルコーチの[[津越智雄]]も契約満了で退団した。
:GK[[奥田達朗]]([[ジュビロ磐田|磐田]]に移籍)、MF[[菅沼実]](夏に[[ロアッソ熊本|熊本]]に移籍)、DF[[笹原脩平]]([[東海大学]]に進学)が契約満了により退団。4年間キャプテンを務めたMF[[藤田直之]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]に、前シーズン32試合出場のMF[[水沼宏太]]がFC東京にそれぞれ完全移籍。期限付き加入中だったFW[[田村亮介]]が[[京都サンガF.C.|京都]]に復帰。MF[[清武功暉]](熊本)とDF[[岸田翔平]]([[V・ファーレン長崎|長崎]])の期限付き移籍期間を延長したほか、FW[[山崎凌吾|山﨑凌吾]]が[[ヴォルティス徳島|徳島]]に、GK[[藤嶋栄介]]が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]にそれぞれ期限付き移籍となった。
:新戦力としては、[[栃木SC|栃木]]からMF[[中美慶哉]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]からMF[[楠神順平]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]からFW[[富山貴光]]、[[柏レイソル|柏]]からDF[[藤田優人]]をそれぞれ完全移籍で、磐田からGK[[牲川歩見]]を期限付き移籍で獲得。DF[[三丸拡]]([[筑波大学蹴球部|筑波大学]])とGK[[辻周吾]]([[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]U-18)が新加入。
:5月にFW[[平秀斗]]が[[ザスパクサツ群馬|群馬]]へ育成型期限付き移籍したほか、夏の移籍期間には、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]からMF[[青木剛]]を、[[FCステアウア・ブカレスト]]からMF[[アイメン・タハール]]を、元[[ゲンチレルビルリイSK]]のFW[[ムスタファ・エル・カビル]]をそれぞれ完全移籍で獲得した。一方で、MF中美慶哉が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ、DF[[坂井達弥]]とMF[[白星東]]が長崎へ、DF[[丹羽竜平]]が千葉へ、DF[[菊地直哉]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ、MF[[岡本知剛]]が[[湘南ベルマーレ|湘南]]へ、MF[[崔誠根]]が岐阜へそれぞれ期限付き移籍、MF楠神順平は[[Aリーグ]]・[[ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC|ウェスタン・シドニー]]へ完全移籍し、シーズン中に9人もの選手を放出する事態となった。
:フィッカデンティは[[尹晶煥]]時代から続く「[[サッカーのフォーメーション#4-2-3-1|4-2-3-1]]」スタイルを変え、中盤をダイヤモンド型にした「[[サッカーのフォーメーション#ダイアモンド型|4-4-2(4-1-2-1-2)]]」に変更し、それまでの縦に速いショートカウンター主体の攻撃から、緻密な守備から連動性ある攻撃につなげるポゼッション重視の戦い方を採用する<ref name="saga-np20161105">{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/373635|title=サガン鳥栖シーズン回顧 5年連続J1残留|newspaper=佐賀新聞|date=2016-11-05|accessdate=2016-11-05}}</ref>。しかしながら、長年培ったチームスタイルからの戦術変更は浸透に時間を要し、特に攻撃力が著しく低下。1stステージは失点数こそリーグ2位(15失点)と堅守がよみがえったものの、得点はリーグワーストの10得点にとどまり4勝のみ(5分け8敗)。降格圏まで勝ち点1差の15位にとどまる。しかし、2ndステージに入るとフィッカデンティの戦術が浸透。メンバーが固定され、特に守備的MF(アンカー)が[[高橋義希]]で固定されるようになると序盤は6戦負け無し(4勝2分け)でステージ優勝争いにも絡めるようになる。最終的には第11節からの4戦勝ち無し(1分け3敗)が響いて優勝争いから脱落し8位にとどまったものの、年間11位で5年連続のJ1残留を果たした<ref name="saga-np20161105"/>。
:[[2016年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]](準々決勝以降「YBCルヴァンカップ」に名称変更)では、Bグループで4分2敗と未勝利でグループ最下位に終わった。
:[[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、ラウンド16(4回戦)に進出したが、ホームで広島に0-3で敗れ、前年に続く準々決勝進出を逃した。
;[[2017年のJ1リーグ|2017年]]
:{| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #009eeb solid 1px"
|<div style="position: relative;">
[[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]]
{{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 90%; color: #000;">'''2017年基本布陣'''</span>}}
{{Image label|x=0.25|y=1.32|scale=220|text=<span style="font-size: 90%; color: #f39;">監督 </span>[[マッシモ・フィッカデンティ|<span style="font-size: 90%; color: #f39;">'''フィッカデンティ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=1.20|scale=220|text=[[権田修一|<span style="font-size: 90%; color: white">'''権田修一'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.80|scale=220|text=[[小林祐三|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小林祐三'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.87|scale=220|text=[[藤田優人|<span style="font-size: 80%; color: white">(藤田優人)</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=1.00|scale=220|text=[[金敏爀|<span style="font-size: 70%; color: white">'''キム・ミンヒョク'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.20|y=1.00|scale=220|text=[[鄭昇炫|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鄭昇炫'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.80|scale=220|text=[[吉田豊 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''吉田豊'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.67|scale=220|text=[[高橋義希|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋義希'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[原川力|<span style="font-size: 90%; color: white">'''原川力'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.36|scale=220|text=[[鎌田大地|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鎌田大地'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.35|y=0.42|scale=220|text=[[小野裕二|<span style="font-size: 80%; color: white">(小野裕二)</span>]]}}
{{Image label|x=0.63|y=0.50|scale=220|text=[[福田晃斗|<span style="font-size: 90%; color: white">'''福田晃斗'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.16|scale=220|text=[[ビクトル・イバルボ|<span style="font-size: 90%; color: white">'''イバルボ'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.52|y=0.23|scale=220|text=[[趙東建|<span style="font-size: 80%; color: white">(趙東建)</span>]]}}
{{Image label|x=0.15|y=0.16|scale=220|text=[[豊田陽平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''豊田陽平'''</span>]]}}
{{Image label|x=0.15|y=0.23|scale=220|text=[[田川亨介|<span style="font-size: 80%; color: white">(田川亨介)</span>]]}}
</div>
|}
::クラブスローガン :「'''PASSION+ONE'''」
:フィッカデンティ体制2年目。
:DF[[磯崎敬太]]とDF[[小林久晃 (1979年生のサッカー選手)|小林久晃]]が現役引退。[[ザスパクサツ群馬|群馬]]へ期限付き移籍していたFW[[平秀斗]]([[福島ユナイテッドFC|福島]]に移籍)、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]へ期限付き移籍していたDF[[丹羽竜平]]([[鹿児島ユナイテッドFC|鹿児島]]に移籍)が契約満了により退団。前年途中加入したFW[[ムスタファ・エル・カビル]]とMF[[アイメン・タハール]]との契約を解除。7年間所属しキャプテンも務めたMF[[金民友]]が兵役のため退団([[Kリーグクラシック]]・[[水原三星ブルーウィングス|水原三星]]へ完全移籍)、3年半レギュラーを務めたGK[[林彰洋]]が[[FC東京]]へ、7年間在籍したMF[[早坂良太]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ、FW[[岡田翔平]]が群馬へそれぞれ完全移籍。また、[[ロアッソ熊本|熊本]]に期限付き移籍していたMF[[清武功暉]]が千葉へ、[[V・ファーレン長崎|長崎]]に期限付き移籍していたDF[[岸田翔平]]が[[大分トリニータ|大分]]へ、[[ヴォルティス徳島|徳島]]に期限付き移籍していたFW[[山崎凌吾|山﨑凌吾]]がそのまま徳島へ、[[湘南ベルマーレ|湘南]]に期限付き移籍していたMF[[岡本知剛]]が[[松本山雅FC|松本]]へ、[[FC岐阜|岐阜]]へ期限付き移籍していたMF[[崔誠根]]がKリーグクラシック・水原三星へ、長崎に期限付き移籍していたMF[[白星東]]が[[Kリーグチャレンジ]]・[[水原FC]]へそれぞれ完全移籍した。またMF[[中美慶哉]]([[ツエーゲン金沢|金沢]])、DF[[菊地直哉]](札幌)の期限付き移籍期間をそれぞれ延長したほか、千葉に期限付き移籍していたGK[[藤嶋栄介]]は松本へ、長崎に期限付き移籍していたDF[[坂井達弥]]は大分へそれぞれ期限付き移籍となった。さらに期限付き加入中だったGK[[牲川歩見]]が期限付き移籍満了(群馬へ期限付き移籍)となった。
:新戦力としては、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]からMF[[小川佳純]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]からDF[[小林祐三]]、[[柏レイソル|柏]]からDF[[太田徹郎]]、[[ベルギー・ファースト・ディビジョンA|ジュピラー・プロ・リーグ]]・[[シント=トロイデンVV]]からFW[[小野裕二]]、[[ベガルタ仙台|仙台]]からMF[[水野晃樹]]、[[プリメーラB・ナシオナル]]・[[アトレティコ・トゥクマン]]からDF[[フランコ・スブットーニ]]、[[エアステリーガ]]・[[SVホルン]]からGK[[権田修一]]、Kリーグクラシック・水原三星からFW[[趙東建]]をそれぞれ完全移籍で、[[川崎フロンターレ|川崎]]からMF[[原川力]]を期限付き移籍で獲得。U-18から前年[[2種登録選手|2種登録]]されていたMF[[石川啓人]]とFW[[田川亨介]]がトップチーム昇格した。シーズン開始後の3月に[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[カリアリ・カルチョ|カリアリ]]からFW[[ビクトル・イバルボ]]を期限付き移籍で、4月に[[セリエB (サッカー)|セリエB]]・[[ACチェゼーナ|チェゼーナ]]からGK[[ファンティーニ燦]]を完全移籍で獲得。
:夏の移籍期間を前にMF[[鎌田大地]]が[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]・[[アイントラハト・フランクフルト|フランクフルト]]へ完全移籍。リーグ戦中断中にDFフランコ・スブットーニとの契約を解除し、DF太田徹郎が[[モンテディオ山形|山形]]へ、MF小川佳純とFW[[富山貴光]]が[[アルビレックス新潟|新潟]]へそれぞれ期限付き移籍した。一方で、[[Kリーグ1|Kリーグ]]・[[蔚山現代FC|蔚山現代]]からDF[[鄭昇炫]]、Kリーグ・[[全南ドラゴンズ|全南]]からMF[[安庸佑]]、FC東京からMF[[河野広貴]]をそれぞれ完全移籍で獲得、期限付き移籍だったFWビクトル・イバルボが一旦契約満了となった後に完全移籍で加入した。
:近年にない大型補強を敢行する一方で「継続性のある戦い」を目標に掲げたものの、好不調の波が激しく、ホームではリーグ3位タイの11勝(1分け5敗)を挙げながらアウェイではリーグ最少のわずか2勝(7分け8敗)にとどまり、連勝は第19・20節の1度のみ。MF原川の7得点をはじめ新戦力が攻守に活躍し、前年より順位を上げて8位でシーズンを終えた<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/articles/-/156091|title=サガン鳥栖シーズン回顧 新加入選手活躍目立つ 6年連続J1残留|newspaper=佐賀新聞|date=2017-12-05|accessdate=2017-12-06}}</ref>。
;[[2018年のJ1リーグ|2018年]]
::クラブスローガン :「'''ITADAKI(頂)'''」
:フィッカデンティ体制3年目。GKコーチの[[高嵜理貴]]が退団([[ギラヴァンツ北九州|北九州]]GKコーチに就任)。
:期限付き移籍中だったMF[[太田徹郎]]([[ラインメール青森FC|青森]]へ移籍)、DF[[坂井達弥]]([[モンテディオ山形|山形]]へ移籍)、GK[[藤嶋栄介]]([[レノファ山口FC|山口]]へ移籍)が契約満了で退団。同じく期限付き移籍中だったDF[[菊地直哉]]([[北海道コンサドーレ札幌|札幌]])、MF[[小川佳純]]([[アルビレックス新潟|新潟]])が各チームに、FW富山貴光(新潟)が[[大宮アルディージャ|大宮]]に、MF[[中美慶哉]]([[ツエーゲン金沢|金沢]])が[[松本山雅FC|松本]]に完全移籍したほか、DF[[青木剛]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ完全移籍した。またFW[[豊田陽平]]が[[Kリーグ1]]・[[蔚山現代FC|蔚山現代]]へ期限付き移籍となった。
:一方、期限付き加入中だったMF[[原川力]]が完全移籍加入。[[京都サンガF.C.|京都]]からDF[[高橋祐治]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]からDF[[安在和樹]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]からMF[[高橋秀人]]が完全移籍加入。MF[[伊藤遼哉]]([[フォルトゥナ・デュッセルドルフ]]U-19)が新加入。シーズン開始後の3月に、GK[[辻周吾]]が[[横浜FC]]に期限付き移籍すると同時に、横浜FCからGK[[高丘陽平]]が期限付き加入、さらに[[ブルガリアプロサッカーリーグ]]・[[PFCベロエ・スタラ・ザゴラ]]からMF[[加藤恒平]]を完全移籍で獲得した。
:[[2018年のJ1リーグ|リーグ戦]]では第6節からJ1昇格後ワーストとなる7連敗を喫し、[[2018 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]による中断前の第15節終了時点では3勝4分8敗勝点13、J2自動降格圏の17位と低迷。[[2018年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]でも、1勝2分3敗でグループD最下位に終わった。
:夏の移籍期間には、DF[[鄭昇炫]]が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]に完全移籍、MF[[水野晃樹]]が熊本に期限付き移籍した一方で、FW豊田が蔚山への期限付き移籍から復帰。また、[[V・ファーレン長崎|長崎]]からDF[[乾大知]]、[[アラブ首長国連邦|UAE]]・[[アル・ナスルSC]]からDF[[ジョアン・オマリ]]をそれぞれ期限付き移籍で、[[プリメーラ・ディビシオン|リーガ・エスパニョーラ]]・[[アトレティコ・マドリード]]からFW[[フェルナンド・トーレス]]、鹿島よりFW[[金崎夢生]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]からMF[[島屋八徳]]をそれぞれ完全移籍で獲得した。
:第20、21節でシーズン初のリーグ戦連勝により15位に上がるものの勝ちきれない試合が続き、再び自動降格圏の17位に転落した第29節後の10月18日付でフィッカデンティを解任し、U-18監督兼トップチームコーチの[[金明輝]]が監督に就任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/3427/|title=トップチーム監督交代のお知らせ|newspaper=サガン鳥栖|date=2018-10-18|accessdate=2087-12-24}}</ref>。監督交代後から最終節までの5試合を3勝2分無敗で乗り切り、10勝11分13敗の14位でシーズンを終えた。失点数34は優勝した川崎の27に次ぐ2位タイの少なさだったものの、得点数が29と次点の磐田より6ゴール少ないJ1最少であった。
:[[天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、[[第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2013年大会]]以来5年ぶりに準々決勝に進出したが、浦和に敗れた。
;[[2019年のJリーグ|2019年]]
::クラブスローガン :「'''砂岩魂'''」
:前[[ジムナスティック・タラゴナ]]監督の[[ルイス・カレーラス]]が監督に就任(前監督の[[金明輝]]はトップチームコーチに復帰)。[[FCバルセロナ]]のアカデミーコーチを長く務めた[[マルク・ヴェラスコ・ボレイ]]がコーチに就任し、2014年までコーチを務めていた[[湘南ベルマーレ|湘南]]コーチの[[金熙虎]]がコーチとして復帰。
:GK[[ファンティーニ燦]]、MF[[加藤恒平]]([[ヴィジェフ・ウッチ]]に完全移籍)が契約満了で退団、期限付き加入中のDF[[乾大知]]([[横浜FC]]に完全移籍)、DF[[ジョアン・オマリ]]([[アル・ナスル]]に復帰)が期限付き移籍満了で退団。期限付き移籍中だったGK[[赤星拓]](現役引退)、GK[[辻周吾]](横浜FCに移籍)、MF[[水野晃樹]]([[SC相模原]]に移籍)が退団。DF[[金敏爀|キム・ミンヒョク]]が[[全北現代モータース|全北現代]]に、DF[[吉田豊 (サッカー選手)|吉田豊]]が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]に、FW[[田川亨介]]が[[FC東京]]に、GK[[権田修一]]が[[ポルティモネンセSC]]に完全移籍。MF[[河野広貴]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に、FW[[池田圭 (サッカー選手)|池田圭]]が[[FELDAユナイテッドFC]]に期限付き移籍。
:一方、期限付き加入中だったGK[[高丘陽平]]が完全移籍加入。[[FCディナモ・ミンスク]]からDF[[ニノ・ガロヴィッチ]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]からDF[[原輝綺]]、FC東京からGK[[大久保択生]]、[[CFレウス・デポルティウ|CFレウス]]からMF[[イサック・クエンカ]]、[[FCアシュドッド]]からDF[[カルロ・ブルシッチ]]が完全移籍加入。MF[[樋口雄太]]([[鹿屋体育大学体育会サッカー部|鹿屋体育大学]])、GK[[金珉浩]]([[輔仁高等学校]])が新加入。U-18のFW[[石井快征]]がトップチーム昇格。U-18のGK[[板橋洋青]]とMF[[松岡大起]]を2種登録。
:前線に数多くのタレントを揃え、攻撃力の強化を目指し<ref>{{Cite news|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/370363|title=「課題明確にし克服を」サガン鳥栖監督交代・竹原社長一問一答|newspaper=佐賀新聞 |date=2019-05-06 |accessdate=2019-05-08}}</ref>、プレシーズンマッチ等で4-3-3の攻撃的布陣を構築しようとしたが、開幕戦の名古屋戦で急遽守備的布陣で臨み0-4の大敗を喫するなど、相手によってスタイルを変える戦い方が全く功を奏せず<ref name="saga-np20190508">{{Cite news|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/371035 |title=サガン金監督就任 攻守に不安、多難な船出 共通意識の熟成が急務|newspaper=佐賀新聞 |date=2019-05-08 |accessdate=2019-05-08}}</ref>、Jリーグワースト記録となる開幕10試合でわずか1得点<ref name="soccerking20190504">{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20190504/933816.html|title=“九州ダービー”は大分に軍配! 鳥栖は金コーチが暫定で指揮も再び無得点|newspaper=サッカーキング |date=2019-05-04 |accessdate=2019-05-08}}</ref> と目指した方向性とは逆の結果を招き、チーム内部からもカレーラスの戦術を不安視する声が噴出するなどしたこともあり<ref name="saga-np20190508"/>、第10節の大分戦はカレーラスの体調不良を理由に金明輝が暫定的に指揮を執り<ref name="soccerking20190504"/>、試合後にカレーラスの退任を発表、5月7日に金明輝の監督就任(復帰)が発表された<ref name="saga-np20190508"/>。第11節G大阪戦で7試合ぶりに得点、3-1で勝利し連敗を5で止めると、第13節まで3連勝し一旦14位まで順位を上げたが、第14節から3連敗し再び最下位、第17節清水戦に4-2で勝利し、17位松本と勝点および得失点差で並び、総得点で上回る16位で前半戦を終える。
:春の移籍期間にDF[[岩下敬輔]]が[[アビスパ福岡|福岡]]から期限付き移籍。4月にU-18のMF[[本田風智]]を2種登録、6月には2種登録だったMF松岡大起と正式契約を結び、MF[[伊藤遼哉]]とは契約を解除した。さらに夏の移籍期間にはGK大久保択生が[[清水エスパルス|清水]]に完全移籍。DFニノ・ガロヴィッチが[[FCディナモ・ミンスク]]に、MF[[島屋八徳]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]に、FW[[ビクトル・イバルボ]]が[[V・ファーレン長崎|長崎]]に期限付き移籍した。また、DFカルロ・ブルシッチとの契約を解除し、FW[[フェルナンド・トーレス]]は現役を引退した。
:一方、DF[[朴正洙|パク・ジョンス]]が[[柏レイソル|柏]]から、FW[[チアゴ・アウベス・サレス・デ・リマ|チアゴ・アウベス]]が[[全北現代モータース]]から、FW[[金森健志]]が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から、DF[[金井貢史]]が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から期限付き移籍した。また翌年の加入が内定したFW[[林大地 (サッカー選手)|林大地]]([[大阪体育大学]])を特別指定、U-18のDF[[大畑歩夢]]、MF[[相良竜之介]]を2種登録。
:第19、20節と連敗し両節で最下位となった後、第22、23節の連勝で16位となり、第29節には15位、第31節には14位まで順位を上げるが、最後まで残留争いに巻き込まれ、最終節、勝点で並ぶ15位清水に0-1で敗れたものの、勝てば順位が逆転する16位湘南が引き分けに終わったことで15位となり、2シーズン連続で16位と勝点で並びながら得失点差で上回る形でJ1残留を決めた。
;[[2020年のJリーグ|2020年]]
::クラブスローガン :「'''GO'''」
:金体制2年目(シーズン開始当初からは初めて)。MF[[谷口博之]]が現役引退。期限付き移籍中のFW[[ビクトル・イバルボ]]([[V・ファーレン長崎|長崎]])、MF[[島屋八徳]]([[徳島ヴォルティス|徳島]])、MF[[河野広貴]]([[東京ヴェルディ1969|東京V]])がそのまま期限付き移籍先へ、[[FCディナモ・ミンスク]]に期限付き移籍中のDF[[ニノ・ガロヴィッチ]]が[[HNKリエカ]]へ完全移籍、DF[[高橋祐治]]、DF[[三丸拡]](以上[[柏レイソル|柏]]へ)、MF[[イサック・クエンカ]]([[ベガルタ仙台|仙台]]へ)、MF[[福田晃斗]]([[湘南ベルマーレ|湘南]]へ)、DF[[藤田優人]]([[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]へ)、MF[[小野裕二]]、GK[[石川慧]](以上[[ガンバ大阪|G大阪]]へ)がそれぞれ完全移籍。期限付き加入中だったMF[[金井貢史]]が期限付き移籍満了([[名古屋グランパスエイト|名古屋]]→[[清水エスパルス|清水]]へ)、DF[[安在和樹]]が[[レノファ山口FC|山口]]に、MF[[石川啓人]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]にそれぞれ期限付き移籍。さらにシーズン開始後の3月にはFW[[金崎夢生]]が名古屋へ期限付き移籍した。
:一方、期限付き加入中のFW[[金森健志]]([[鹿島アントラーズ|鹿島]]から)とDF[[岩下敬輔]]([[アビスパ福岡|福岡]]から)が完全移籍加入。[[京都サンガF.C.|京都]]からMF[[小屋松知哉]]とMF[[湯澤洋介]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]](前年後半は[[水戸ホーリーホック|水戸]]に期限付き移籍)からDF[[宮大樹]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]からDF[[内田裕斗]]、[[松本山雅FC|松本]]からDF[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]とGK[[守田達弥]]、[[全北現代モータース]]からFW[[チアゴ・アウベス・サレス・デ・リマ|チアゴ・アウベス]]、[[広州富力足球倶楽部|広州富力]]からDF[[王嘉楠]]を完全移籍で獲得。また、仙台を退団したMF[[梁勇基]]が加入したほか、[[クルブ・プラサ・デ・デポルテス・コロニア|プラサ・コロニア]]からFW[[レンゾ・ロペス]]が期限付き加入、DF[[朴正洙|パク・ジョンス]]の柏からの期限付き加入期間を延長。DF[[森下龍矢]]([[明治大学体育会サッカー部|明治大学]])とFW[[林大地 (サッカー選手)|林大地]]([[大阪体育大学]])が新加入したほか、GK[[板橋洋青]]、DF[[大畑歩夢]]、MF[[本田風智]]がU-18からトップチーム昇格。さらにU-18の[[相良竜之介]]、[[兒玉澪王斗]]、[[中野伸哉]]を2種登録とした。
:大口スポンサーとの契約終了などから2019年度決算で20億円の巨額赤字を計上したこともあり、人件費圧縮のため主力選手を放出し若手中心のポゼッションスタイルに一変<ref>{{Cite news|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/582304|title=サガン鳥栖、前半戦回顧 若いチームの巻き返しに期待|newspaper=佐賀新聞|date=2020-10-03|accessdate=2020-10-26}}</ref>。開幕当初は5試合連続無得点と低迷し、さらに8月には選手や監督など10名が[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)]]に集団感染し、シーズン中に約2週間にわたってチーム活動の停止を余儀なくされるなどした<ref>{{Cite news|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/565695|title=<新型コロナ>サガン鳥栖、2週間ぶりに活動を再開 小林祐三主将「喜びとともに責任感じる」|newspaper=佐賀新聞|date=2020-08-26|accessdate=2020-10-26}}</ref> が、ルーキーら若手の躍動もあって前半を終えて暫定14位となった。
:シーズン途中の8月にU-18の[[永田倖大]]を2種登録、10月にはGK[[高丘陽平]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]に完全移籍した一方、GK[[朴一圭]]が横浜FMより期限付き移籍加入した。
:リーグ後半戦は4連敗・7戦勝ち無しがあるなど停滞期もあったものの、ユース出身の本田、大畑や2種登録のDF[[中野伸哉]]などの積極起用が徐々に功を奏し<ref>{{Cite web|和書|url=https://victorysportsnews.com/articles/7890/original|author=森雅史|title=ピッチ上は順調、経営は混沌。サガン鳥栖の未来は経営陣にかかっている|website=VICTORY|date=2020-12-18|accessdate=2021-01-06}}</ref>、この年リーグを圧倒した[[川崎フロンターレ|川崎]]に対して唯一勝利を許さず<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanaloco.jp/sports/soccer/frontale/article-333710.html|title=全チーム勝利ならず 川崎 鳥栖とドロー|website=神奈川新聞(カナロコ)|date=2020-12-13|accessdate=2021-01-30}}</ref>、ラスト5戦を無敗(1勝4分)で終え、13位でシーズンを終えた。なお、この年記録したシーズン15引き分けは、延長戦が廃止された2003年以降では、2005年のFC東京、2011年のベガルタ仙台、2012年の横浜F•マリノス、2014年のヴァンフォーレ甲府が記録した14引き分けを抜きJ1最多記録となった。
;[[2021年のJリーグ|2021年]]
::クラブスローガン :「'''Full Power'''」
:金体制3年目。DF[[岩下敬輔]]が現役引退、DF[[小林祐三]]がプロサッカー選手引退([[Criacao Shinjuku]]に移籍)。FW[[趙東建]]({{仮リンク|華城FC|ko|화성 FC}}へ移籍)、MF[[安庸佑]]([[大邱FC]]へ移籍)、DF[[王嘉楠]]が契約満了で、DF[[朴正洙|パク・ジョンス]]([[城南FC]]へ移籍)、FW[[レンゾ・ロペス]]([[クルブ・プラサ・デ・デポルテス・コロニア|プラサ・コロニア]]→[[モンテビデオ・ワンダラーズFC]]へ期限付き移籍)が期限付き移籍期間満了でそれぞれ退団。DF[[高橋秀人]]が[[横浜FC]]に、MF[[原川力]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]に、DF[[原輝綺]]が[[清水エスパルス|清水]]に、MF[[森下龍矢]]が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]に、DF[[宮大樹]]とFW[[金森健志]]が[[アビスパ福岡|福岡]]に、FW[[チアゴ・アウベス・サレス・デ・リマ|チアゴ・アウベス]]が[[ガンバ大阪|G大阪]]にそれぞれ完全移籍。期限付き移籍中のFW[[金崎夢生]]が名古屋に、MF[[石川啓人]]が[[レノファ山口FC|山口]]にそれぞれ完全移籍、DF[[安在和樹]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に期限付き移籍した。
:一方、期限付き加入中のGK[[朴一圭]]([[横浜F・マリノス|横浜FM]]から)が完全移籍加入。[[大宮アルディージャ|大宮]]からMF[[酒井宣福]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]からFW[[山下敬大]]、[[大分トリニータ|大分]]からMF[[島川俊郎]]、[[鹿児島ユナイテッドFC|鹿児島]]からFW[[和田凌]]、清水からDF[[黄錫鎬|ファン・ソッコ]]、横浜FM(前年途中から[[京都サンガF.C.|京都]]でプレー)からMF[[仙頭啓矢]]、[[栃木SC|栃木]]からDF[[田代雅也]]、[[ザスパクサツ群馬|群馬]]からMF[[飯野七聖]]、[[マッカビ・テルアビブFC]]からFW[[チコ・オフォエドゥ]]、[[FKヴラズニア]]からFW[[イスマエル・ドゥンガ]]を完全移籍で獲得。DF[[松本大輔 (サッカー選手)|松本大輔]]、DF[[今掛航貴]](以上[[中央大学学友会サッカー部|中央大学]])が新加入したほか、FW[[兒玉澪王斗]]、MF[[相良竜之介]]がU-18からトップチーム昇格。U-18のDF[[中野伸哉]]、DF[[安藤寿岐]]、MF[[福井太智]]を2種登録。
:また、シーズン開幕後に[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]からMF[[中野嘉大]]を期限付きで、韓国・[[輔仁高等学校]]からはGK[[嚴叡勳]]を新卒で獲得、[[立正大学]]のDF[[孫大河]]を特別指定、U-18のDF[[岡英輝]]を2種登録とする一方、GK[[金珉浩]]が[[AC長野パルセイロ|長野]]に期限付き移籍した。
:20年度決算は債務超過となり厳しい経営環境から補強は小規模だったが、ユースからの昇格組をはじめとした若手が台頭。3バックの3-5-2(あるいは5-3-2)の布陣を基本としながら、攻撃時には右WBの飯野がDFラインまで下がって左CBの中野伸哉または大畑が高めの左サイドバックのようなポジションに入って左右非対称の4バックのようになる独特の可変システム<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=97752|title=両者の“戦術”のぶつかり合いが面白い! 中断明け注目の一戦「鳥栖vs清水」をプロ分析官が徹底展望!|website=サッカーダイジェストweb|date=2021-09-10|accessdate=2022-02-13}}</ref>が浸透し、降格候補に挙げられた下馬評を覆して代表選によるリーグ中断前を9勝6分け3敗の勝ち点33で4位につけ上々の滑り出しを果たした。
:夏の移籍期間などでは、FW[[石井快征]]を[[愛媛FC|愛媛]]に、FW[[兒玉澪王斗]]を[[SC相模原|相模原]]に、DF[[今掛航貴]]を[[水戸ホーリーホック|水戸]]へ育成型期限付き移籍させたほか、長年チームを中心選手として支えてきたFW[[豊田陽平]]が[[栃木SC|栃木]]に、ユース出身でクラブ史上初となる高校3年生でのトップ昇格を果たしたMF[[松岡大起]]が[[清水エスパルス|清水]]に、前年のチーム内得点王で東京オリンピック代表にも選出されたFW[[林大地 (サッカー選手)|林大地]]がベルギーの[[シント=トロイデンVV]]に完全移籍した。対して[[鹿島アントラーズ|鹿島]]からMF[[小泉慶]]を完全移籍で、同じく鹿島からMF[[白崎凌兵]]、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]からFW[[岩崎悠人]]を期限付き移籍で獲得した。また、2種登録だったU-18のDF[[中野伸哉]]をトップに昇格させ、同じくU-18のFW[[二田理央]]は2種登録を経てプロ契約を結んだ後、オーストリアの[[FCヴァッカー・インスブルック]]U-23に期限付き移籍した。
:12月20日、金監督の退任と[[川井健太]]の後任監督就任が発表されたが、同月30日、Jリーグは同年8月に複数の告発を受け、かねてから疑惑のあった金前監督による選手・スタッフに対する[[パワーハラスメント]]を認定し、金について「JFA指導者に関する規則」第20条第7号の「暴言・暴力及びハラスメント行為を行わない」行為に違反したとして、公式試合への出場資格停止8試合、又は8試合に相当する期間の経過(公式試合に参加する立場の役職に就いていない場合は、公式試合8試合に相当する期間(2022年2月19日から3月26日まで)の経過をもって公式試合8試合の出場の資格停止を消化したものとみなす)と[[譴責]]処分を決定。また、クラブについても「クラブ自身で必要な調査を実施して事実を把握し、その原因究明、再発防止、適切な処分を行うことで、クラブの自浄能力を示すべきであった」とし、長期間に渡って問題を看過してきたとして、罰金300万円および譴責処分を科した<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/202112300000452.html Jリーグ 鳥栖金明輝前監督のパワハラ行為認定 クラブに罰金300万円] - 日刊スポーツ 2021年12月30日</ref>。
;[[2022年のJリーグ|2022年]]
::クラブスローガン :「'''道 -Dream Road-'''」
:金の後任監督として、[[モンテディオ山形|山形]]コーチで[[愛媛FC|愛媛]]での指揮経験がある[[川井健太]]を招聘。MF[[高橋義希]]が現役引退、DF[[安在和樹]]が契約満了で退団([[沖縄SV]]に移籍)。FW[[チコ・オフォエドゥ]]が契約解除で退団。MF[[白崎凌兵]]が期限付き移籍満了で退団([[清水エスパルス|清水]]に移籍)。MF[[酒井宣福]]とMF[[仙頭啓矢]]が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]に、FW[[山下敬大]]が[[FC東京]]に、MF[[樋口雄太]]が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]に、DF[[大畑歩夢]]が[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]に、DF[[内田裕斗]]とMF[[梁勇基]]が[[ベガルタ仙台|仙台]]に、MF[[小屋松知哉]]が[[柏レイソル|柏]]に、GK[[金珉浩]]が[[AC長野パルセイロ|長野]]に、DF[[今掛航貴]]が[[FC TIAMO枚方]]にそれぞれ完全移籍。FW[[兒玉澪王斗]]が[[レノファ山口FC|山口]]に、DF[[松本大輔 (サッカー選手)|松本大輔]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]に、GK[[板橋洋青]]が愛媛に、FW[[イスマエル・ドゥンガ]]が[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]に、FW[[和田凌]]が[[ブリスベン・ロアーFC]]にそれぞれ期限付き移籍。さらに開幕直前に前年キャプテンのDF[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]に完全移籍し、ユース出身者を含めた主力の多くが移籍となった。
:一方、期限付き加入中のMF[[中野嘉大]]が完全移籍加入。愛媛に期限付き移籍中だったFW[[石井快征]]が復帰。[[セレッソ大阪|C大阪]]からMF[[藤田直之]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]からMF[[福田晃斗]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]からMF[[小野裕二]]、FC東京からDF[[ジョアン・オマリ]]が完全移籍で復帰。[[品川CC横浜]]からGK[[深谷圭佑]]、[[FC今治|今治]]からDF[[原田亘]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]からDF[[ジエゴ・ジャラ・ロドリゲス|ジエゴ]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]からMF[[堀米勇輝]]、愛媛からGK[[岡本昌弘]]が完全移籍加入。鹿島(前年は徳島でプレー)からFW[[垣田裕暉]]、C大阪からMF[[西川潤 (サッカー選手)|西川潤]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]からFW[[宮代大聖]]を期限付き移籍で獲得。DF[[孫大河]]([[立正大学サッカー部|立正大]])、MF[[菊地泰智]]([[流通経済大学サッカー部|流通経済大]])、MF[[佐藤響]](流通経済大)、FW[[梶谷政仁]]([[国士舘大学サッカー部|国士舘大]])、FW[[荒木駿太]]([[駒澤大学体育会サッカー部|駒澤大]])、FW[[藤原悠汰]]([[明治大学体育会サッカー部|明治大]])の大卒新人6名が新加入。
:4月23日、定時株主総会において2021年度決算において、「4期連続赤字」(2億2000万円赤字)となったことと、[[債務超過]]は大幅に圧縮したが4億6000万円のそれが残ったことが発表された。同クラブは2020年度の段階で6億9000万円の債務超過と3期連続赤字状態であり、本来であれば[[Jリーグクラブライセンス制度]]の赤字経営と債務超過がある場合はライセンスの発行が認められず、[[日本フットボールリーグ]]以下への降格となるところであるが、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]による特例処置によりJ1ライセンスが維持された状態であるため、高額年俸が見込まれる選手を他クラブへ放出したり、人件費の圧縮などから他クラブからの加入補強などができない状態が続いているが、2022年度は新規のユニフォーム協賛スポンサーの獲得などにより黒字化を見込み、債務超過も2-3年後をめどに解消することを目指している<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/202204230000443.html 【鳥栖】4期連続赤字を発表 2、3年後の債務解消へ福岡社長「新しい取り組みの発表も予定」](日刊スポーツ)</ref>。
== 戦力補強 ==
永らくの間、鳥栖の戦力補強の特徴として、新卒の選手や試合になかなか出るチャンスの少なかった若手選手を積極的に補強し、試合に多く出場させるというものがあった。特に[[特別指定選手]]制度や[[期限付き移籍]]制度が導入されて以降はこれらを積極的に活用し、そのまま翌年以降の完全移籍(正式加入)につなげているケースも少なくなかった。かつては鳥栖に加入する選手は長らく「他のチームから採ってもらえなかった選手」が多い傾向があり<ref name="number20121116"/>、特別指定選手も翌年以降の加入につながらなかったケースも多々あったが、ビジネスホテルとして使われていた建物を選手寮として借り上げる<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1193660.article.html|title=設備充実 サガン鳥栖が元ホテルに選手寮|newspaper=佐賀新聞|date=2009-02-28|accessdate=2023-11-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150109201824/http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1193660.article.html|archivedate=2015-01-09}}</ref>など、環境も整備されつつある。
この理由として、鳥栖の財政力では多額の移籍金や契約金を投じた補強に頼れない点が挙げられる。鳥栖の人件費は、2014年で約11億7600万円<ref>{{PDFlink|[http://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014年度(平成26年度)Jクラブ個別情報開示資料]}} - 日本プロサッカーリーグ公表資料</ref> で、これは[[2014年のJリーグ ディビジョン1|この年のJ1]]所属18クラブ中14クラブ目であり、平均(約15億600万円)より低くなっている。このこともあり、若手を育てて主力に成長させるという方針により、指導スタッフを充実させて、徹底した走り込みをはじめとする猛練習に取り組んで鍛え上げている<ref name="number20121116"/>。
特にシーズン開幕前の毎年1月から2月には、鳥栖市内にある標高133mの[[朝日山 (佐賀県)|朝日山]]の山頂まで反復して登る290段の「早朝石段トレーニング」<ref>[[J's GOAL]]フォトレポート、[http://www.jsgoal.jp/photo/00126000/00126095.html (鳥栖:キャンプレポート2014)朝日山早朝トレーニング]、2014年1月22日。</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news.0.2613190.article.html|title=頂点へ激走 サガン名物、朝日山トレ|newspaper=佐賀新聞|date=2014-01-23|accessdate=2023-11-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140127001204/http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news.0.2613190.article.html|archivedate=2014-01-27}}</ref> をはじめとした1日3回の練習(3部練習)が連日続き<ref group="注">サガン鳥栖公式サイト内で発表された2014年のトップチーム練習日程によると、1月21日の全体練習開始日から1月31日までに7度の3部練習が実施された。サガン以外に3部練習を行うJリーグクラブは少ない。</ref>、このトレーニングの苛酷さは移籍選手も言及している<ref>一例として、安田理大の公式ブログ、2014年2月1日付、「[http://blog.lirionet.jp/yasuda/2014/02/post-6ab8.html シーサー。]」</ref>。この3部練習は松本育夫監督の時に導入されたが、松本は[[1979年]](昭和54年)に日本ユース代表の監督を務めた時、夜間の体育館練習を含めた4部練習を休み無しで1ヶ月続けた経験を持つ<ref>詳細は松本の項目参照、及び[[夕刊フジ]]・Zakzak、[[水沼貴史]]コラム「蹴球 7DAYS」内、2013年9月22日付、「[https://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20130922/soc1309220750000-n1.htm トコトン熱い栃木・松本新監督 J史上最高齢の71歳!!]」。水沼貴史はサガン所属選手の水沼宏太の父。</ref>。なお、朝日山でのトレーニングは2015年を最後にチームとしては行っていないが、個人的に取り組んだり、移籍してきた選手がより鳥栖を知るために訪れるケースなどは見られている<ref>[https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=75694 【THIS IS MY CLUB】“手と手を取り合ってきた”高橋義希と鳥栖「僕のすべて。なかったらゾッとする」] サッカーダイジェストweb - 2020年7月7日</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/605564/|title=J1鳥栖・高橋秀が語る秘話「朝日山」が呼んだ連敗脱出|newspaper=西日本スポーツ|date=2020-05-02|accessdate=2023-11-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200503122444/https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/605564/|archivedate=2020-05-03}}</ref>。
新人選手に関しては2016年シーズン以降は特別指定選手から、下部組織の選手を[[2種登録選手|2種登録]]する方向に変化が見られる。2015年以降大口スポンサー契約もあって経営が安定してきた<ref>{{Cite news|url=http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/287602|title=<ローカルクラブの挑戦 上>クラブ経営|newspaper=佐賀新聞|date=2016-03-10|accessdate=2017-01-10}}</ref> こともあり、代表クラスの選手を積極的に獲得するなどして総人件費は上昇し、2018年シーズンは26億7000万円、2019年シーズンは25億2800万円でこの年はリーグ8位となっている<ref>[https://www.football-zone.net/archives/264214 Jリーグ45クラブ「19年度人件費ランク」 “スター軍団”神戸が69億円超…”赤字”鳥栖は?] Football ZONE WEB - 2020年5月28日</ref>。しかし大型スポンサーの撤退などが影響したことで18年度は5億8100万円、19年度はJリーグ史上最も巨額となる20億1400万円もの赤字を計上した<ref>[https://diamond.jp/articles/-/238842 巨額赤字のサガン鳥栖は存続なるか?「攻撃型経営者」竹原社長の手腕] ダイヤモンド・オンライン - 2020年5月30日</ref>。そのため2020年の人件費は16人もの選手を引退または退団させ、前年の半分以下となる11億6900万円と大幅に圧縮している。
[[2009年]](平成21年)度所属の選手の中には地元[[佐賀県]]の出身が1人もおらず([[2007年]]まで所属していた[[蒲原達也]]が最後)、ホームタウンを置く都道府県の出身者がいないのはJリーグ36クラブ(当時)の中で唯一であった。その後も[[2種登録選手]]の[[田本宗平]](2010年度)、月成大輝(2010-2011年度)、[[藤松航矢]](2016-2017年度)、[[板橋洋青]](2017年度)、[[特別指定選手]]の[[中島大貴]](2015年度)以外には佐賀県出身選手のいない状態が続いていたが、2019年に[[樋口雄太]]が入団したことでようやく解消された。
<!--実際に採用された情報が確定するまでコメントアウトします。 [[2011年]]以降は大卒の選手数人について、チームスポンサーでホームスタジアムの命名権を取得している[[ベストアメニティ]]社が社員として雇用し、[[社員選手]]として在籍させる方針であると報じられている<ref>[http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1783959.article.html ベストアメニティ、サガン鳥栖選手を社員採用] - 佐賀新聞2010年12月10日</ref>。基本的にはチームの練習に参加し、月1回程度社員教育を行う予定で、引退後はベストアメニティの社員として雇用するという。-->
{| class="wikitable" style="border:double #EA549A; box-shadow: 4px 4px 4px #00A1D3; font-size:smaller;"
|+ 新加入選手・特別指定・2種登録選手(2004-2018年)
|- style="text-align:center; background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|年
|高卒
|大卒
|特別指定選手
|2種登録選手
|-
!2004
|[[高橋義希]]、[[下司隆士]]
|[[加藤秀典]]、[[小井手翔太]]、[[奈良崎寛]]
|[[田代有三]]
|
|-
!2005
|[[中林洋次]]、[[長谷川豊喜]]
|[[鈴木孝明]]
|
|
|-
!2006
|[[金正訓]]、栫大嗣
|[[浅井俊光]]、[[衛藤裕]]、[[蒲原達也]]、<br />[[廣瀬浩二]]、[[日高拓磨]]、[[藤田祥史]]
|[[栗山裕貴]]<sup>†</sup>、[[三原雅俊]]
|
|-
!2007
|[[太田弦貴]]、[[副島貴司]]、栗山裕貴、<br />[[谷口堅三]]、[[ジョズエ・ソウザ・サントス|ジョズエ]]
|[[赤星拓]]、[[内間安路]]、[[野崎陽介]]
|[[河田晃兵]]
|
|-
!2008
|
|[[島嵜佑]]、[[下地奨]]、[[朴チョン慧|朴炡慧]]
|河田晃兵、[[長谷川博一 (サッカー選手)|長谷川博一]]<sup>†</sup>
|
|-
!2009
|[[サムエル・エンリケ・シルバ・ギマラエス|サムエル]]
|[[渡邉将基]]、長谷川博一、[[武岡優斗]]、[[池田圭 (サッカー選手)|池田圭]]
|河田晃兵、本城宏紀
|
|-
!2010
|
|[[藤田直之]]、[[呂成海]]、[[金民友]]
|[[黒木晃平]]<sup>†</sup>、[[森本良 (サッカー選手)|森本良]]、[[野田隆之介]]<sup>†</sup>
|[[守田創]]<sup>†</sup>、[[田本宗平]]、月成大輝、[[大本貴博]]
|-
!2011
|守田創
|野田隆之介、[[奥田達朗]]
|黒木晃平<sup>†</sup>、[[岡田翔平]]<sup>†</sup>、[[黒木恭平]]<sup>†</sup>
|月成大輝、[[藤翔伍]]
|-
!2012
|
|黒木晃平、岡田翔平、黒木恭平
|[[坂井達弥]]<sup>†</sup>、[[清武功暉]]<sup>†</sup>、[[藤嶋栄介]]<sup>†</sup>、[[岸田翔平]]<sup>†</sup>
|
|-
!2013
|[[平秀斗]]
|坂井達弥、清武功暉、岸田翔平
|藤嶋栄介<sup>†</sup>、[[福田晃斗]]<sup>†</sup>、[[山﨑凌吾]]<sup>†</sup>
|
|-
!2014
|
|藤嶋栄介
|福田晃斗<sup>†</sup>、山﨑凌吾<sup>†</sup>
|
|-
!2015
|[[笹原脩平]]、[[鎌田大地]]
|福田晃斗、山﨑凌吾
|[[中島大貴]]、[[永石拓海]]
|
|-
!2016
|[[辻周吾]]
|[[三丸拡]]
|
|[[石川啓人]]<sup>†</sup>、[[田川亨介]]<sup>†</sup>、[[藤松航矢]]
|-
!2017
|石川啓人、田川亨介
|
|
|[[倉員宏人]]、藤松航矢、[[森山真伍]]、[[板橋洋青]]
|-
!2018
|[[伊藤遼哉]]
|
|
|[[石井快征]]<sup>†</sup>、[[松岡大起]]、[[平瀬大]]
|-
!2019
|石井快征、[[金珉浩]]、松岡大起
|[[樋口雄太]]
|[[林大地 (サッカー選手)|林大地]]<sup>†</sup>
|板橋洋青<sup>†</sup>、松岡大起<sup>†</sup>、[[本田風智]]<sup>†</sup><br />[[大畑歩夢]]<sup>†</sup>、[[相良竜之介]]
|-
!2020
|板橋洋青、本田風智、大畑歩夢
|[[林大地 (サッカー選手)|林大地]]、[[森下龍矢]]
|[[松本大輔 (サッカー選手)|松本大輔]]<sup>†</sup>
|[[兒玉澪王斗]]<sup>†</sup>、[[中野伸哉]]、[[相良竜之介]]<sup>†</sup>、[[永田倖大]]
|-
!2021
|兒玉澪王斗、相良竜之介
|松本大輔、[[今掛航貴]]
|[[孫大河]]<sup>†</sup>
|中野伸哉<sup>†</sup>、[[安藤寿岐]]、[[福井太智]]<br />[[岡英輝]]、[[二田理央]]<sup>†</sup>
|}
*「†」付きの選手は、後に新卒または在学中でサガン鳥栖に加入した選手(内定含む)。
*2019年の松岡大起、2021年の中野伸哉、二田理央は高校在学中にユースからトップ昇格。
== 成績 ==
{{main|サガン鳥栖の年度別成績一覧}}
== タイトル・表彰 ==
=== クラブ ===
*[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J1フェアプレー賞]]:4回
** [[2015年のJ1リーグ|2015年]]、[[2016年のJ1リーグ|2016年]]、[[2017年のJ1リーグ|2017年]]、[[2020年のJ1リーグ|2020年]]
=== 個人 ===
* フェアプレー個人賞
** [[2014年のJリーグ ディビジョン1|2014年]]:[[豊田陽平]]
* [[Jリーグベストイレブン]]
** [[2012年のJリーグ ディビジョン1|2012年]]:豊田陽平
* J1月間MVP
** [[2021年のJ1リーグ|2021年]]7月:[[酒井宣福]]
* J1月間ベストゴール
** 2021年7月:酒井宣福
* J1月間優秀監督賞
** 2020年9月:[[金明輝]]
* J2得点王
** [[2011年のJリーグ ディビジョン2|2011年]]:豊田陽平(23得点)
== スタジアム・練習場 ==
ホームスタジアムは[[鳥栖スタジアム|駅前不動産スタジアム]]<ref name="jleague" /> であり、[[SAGAサンライズパーク陸上競技場|佐賀県総合運動場陸上競技場]]([[佐賀市]])でも不定期にホームゲームを開催している。また、2001年(第37節、甲府戦)に[[沖縄県総合運動公園陸上競技場]]([[沖縄県]][[沖縄市]])で沖縄県初となるJリーグ公式戦を開催した。
練習場は[[鳥栖スタジアム北部グラウンド]](鳥栖市北部グラウンド)<ref name="jleague" />、鳥栖市陸上競技場<ref name="jleague" /> であるが、佐賀県総合運動場陸上競技場、[[小郡市陸上競技場]]([[福岡県]])も利用する<ref>{{cite web|url=http://www.sagantosu.jp/topteam_access_list.asp|title=会社概要|work=サガン鳥栖|accessdate=2013-12-08}}</ref>。また、2013年4月に鳥栖スタジアム北部グラウンド内にクラブハウスが完成した。
=== 年度・競技場別の試合数 ===
:※J2加盟の1999年以後。
{| class="wikitable" style="border:double #EA549A; box-shadow: 4px 4px 4px #00A1D3; font-size:smaller;"
|- style="text-align:center; background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|年度||鳥栖||佐賀陸||その他||Jリーグ杯||備考
|-
|1999||17||rowspan="3"|1||なし||rowspan="3"|鳥栖1||rowspan="9"|
|-
|2000||20||[[長崎県立総合運動公園陸上競技場|長崎]]1
|-
|2001||19||長崎1<br>[[沖縄県総合運動公園陸上競技場|沖縄県陸]]1
|-
|2002||22||2||rowspan="19"|-||rowspan="10"|(不出場)
|-
|2003||rowspan="3"|21||rowspan="3"|1
|-
|2004
|-
|2005
|-
|2006||rowspan="2"|22||rowspan="2"|2
|-
|2007
|-
|2008||20||1||鳥栖=[[命名権]]の採用により「ベアスタ」に
|-
|2009||24||2||rowspan="10"|
|-
|2010||17||1
|-
|2011||19||0
|-
|2012||14||3||rowspan="2"|ベアスタ3
|-
|2013||rowspan="8"|17||rowspan="8"|0
|-
|2014||ベアスタ1<br>佐賀陸2
|-
|2015||rowspan="4"|ベアスタ3
|-
|2016
|-
|2017
|-
|2018
|-
|2019||駅スタ3||鳥栖=命名権スポンサー交代により「駅スタ」に<br>佐賀陸=施設名の変更に伴いSAGAスタに<ref group="注">正式名・SAGAサンライズパーク陸上競技場</ref>
|-
|2020||駅スタ2
|}
:参考 - 1997年Jリーグ杯:鳥栖3
=== スタジアムDJ ===
*[[YUYA]](鳥栖F時代~)
*[[菊地祐馬]](2018年)
== 現所属選手 ==
{{See|サガン鳥栖の選手一覧#現所属選手}}
== ユニフォーム ==
{{ユニフォームの色
| F正シャツ=青|F正パンツ=青|F正ストッキング=青
| F副シャツ=白|F副パンツ=白|F副ストッキング=白
| G正シャツ=黄|G正パンツ=黄|G正ストッキング=黄
| G副シャツ=オレンジ|G副パンツ=オレンジ|G副ストッキング=オレンジ
| pattern_la1= _Sagan Tosu 2023 HOME FP
| pattern_b1= _Sagan Tosu 2023 HOME FP
| pattern_ra1= _Sagan Tosu 2023 HOME FP
| pattern_sh1= _Sagan Tosu 2023 HOME FP
| pattern_so1= _Sagan Tosu 2023 HOME FP
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| leftarm4=E53915|body4=E53915|rightarm4=E53915|shorts4=E53915|socks4=E53915
}}
=== クラブカラー ===
*{{color box|#00A1D3}} ブルー<ref name="jleague" />、{{color box|#EA549A}} ピンク<ref name="jleague" />
=== ユニフォーム ===
*アクセントやクラブエンブレムなどで使われているピンクは、鳥栖Fのクラブカラー(ピンクと紺)を継承"<ref name="maga2012.0221">エンブレムの世界 サガン鳥栖『[[サッカーマガジン]]』2012年2月21日号、[[ベースボール・マガジン社]]、2012年、[[雑誌コード|雑誌]]23883-2/21, 052頁。</ref>。<!-- {{要出典範囲|サガン鳥栖発足当時からユニフォームは紺系の青を基調としていたが、[[2006年]](平成18年)シーズンからは紺系から水色(やや緑がかった水色、R0%,G76%,B100%({{colorbox|#00c2ff}}))に変更された。この色は「サガンブルー」と名付けられ、[[佐賀平野]]の大地と澄んだ大空をイメージしている。|date=2015年11月}} -->
* 2011年・2012年シーズンで使用したユニホームは「ブルー・ピンク」という基本カラーはそのままだが、デザインアドバイザーとして[[有田焼]]の著名な陶芸家[[酒井田柿右衛門 (14代目)|14代酒井田柿右衛門]]が監修に携わり、ラインの入れ方などの提案を行なった。
* 2013年・2014年シーズンは、[[ニューバランス]]傘下のアメリカのスポーツ用品メーカー・{{仮リンク|ウォーリア・スポーツ|en|Warrior Sports}}とサプライヤー契約を締結した。サガン鳥栖との契約は同社にとって[[リヴァプールFC]]([[プレミアリーグ]])、[[セビージャFC]]([[プリメーラ・ディビシオン|リーガ・エスパニョーラ]])に次ぐ3クラブ目、アジアでは初のサプライヤー契約だという<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.sagantosu.jp/news_detail.asp?c_idx=10000674&contents_code=100104|title=2013シーズン ユニフォームサプライヤー決定のお知らせ|publisher=株式会社サガンドリームス|date=2012-12-21|accessdate=2012-12-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130522074223/http://www.sagantosu.jp/news_detail.asp?c_idx=10000674&contents_code=100104|archivedate=2013-05-22}}</ref>。2015年からはニューバランス本体のサッカー市場進出に伴い、サプライヤーがニューバランスに変更になっている<ref>{{Cite news|url=http://www.wwdjapan.com/business/2015/02/05/00015292.html|title=ニューバランスがサッカー市場に参入 「リバプールFC」やJリーグ2チームとサプライヤー契約|newspaper=WWD Japan|date=2015-02-05|accessdate=2015-02-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150215081749/http://www.wwdjapan.com/business/2015/02/05/00015292.html|archivedate=2015-02-15}}</ref>。
* 2015年シーズンのFP用2ndユニフォームには、シャツ・グレー、パンツ・黒、ストッキング・グレーを採用。
* 2019年5月11日には母の日にちなんだレディースデーが開催され、その際FP用限定ユニフォームが採用された<ref>{{Cite news|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/3801/
|title=5/11(土)『2019明治安田生命J1リーグ』第11節vsガンバ大阪「2019 サガン鳥栖 レディースデー」開催決定|newspaper=サガン鳥栖公式サイト|date=2019-05-08 |accessdate=2019-05-15}}</ref>。
=== ロゴ・エンブレム ===
「サガン鳥栖」としてのエンブレムは2015年のもので3代目になる。
* 初代(1997年 - 2005年):クラブ名の頭文字「S」と「T」の組み合わせと、佐賀県の地図をモチーフとしたもの<ref name="maga2012.0221" />。
* 2代目(2006年 - 2014年):「J1昇格への元年」と位置付け、ロゴとエンブレムを一新。新しいエンブレムは[[カチガラス]](筑紫平野に生息する天然記念物カササギ)を取り入れ、このカチガラスはsagantosuの隠し文字で描かれている<ref name="maga2012.0221" />。また、ピンクとサガンブルーと、更に5色(上から、青、黄、黒、緑、赤)の勝利(Victory)の頭文字であるVが描かれており、この5色は五大陸を意味し、『True champions in the hearts of all who love Sagantosu.』(日本語訳:「サガン鳥栖を愛する全ての人と共に、真のチャンピオンになる」)がエンブレムを引き締めている<ref name="maga2012.0221" />。新しいロゴは、今までよりシャープなイメージで強さを感じるデザインにし、ロゴの上下の飾りが「V」のイメージで、勝利にこだわっている。
* 3代目(2015年 - ):8年ぶりにエンブレムをリニューアル<ref>{{Cite news|url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20150115/271404.html|title=鳥栖がクラブエンブレムを一新…「前へと突き進むチームの力」を表現|newspaper=[[Jリーグサッカーキング|サッカーキング]]|date=2015-01-15|accessdate=2015-01-15}}</ref>。全体的な造形は大きく変わっていないものの、クラブから「力強く前に進むカチガラスを強調してデザイン」と説明されたとおり、これまで横向きだったカチガラスのシルエットが正面を向いて羽ばたいている様子に改められ、「常に前へ前へと突き進むチームの力」を表現した。また、5色のVラインの背景がこれまでの青地から白地に改められるなど、配色に一部変更がある。ロゴに変更はない。
=== ユニフォームスポンサー ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #EA549A; 4px 4px 4px #00A1D3;"
|- style="background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考
|-
!胸
|[https://www.k-idea.jp/ 木村情報技術]||K<br/>木村情報技術||2020年11月 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.k-idea.jp/news/201112_001345.html|title=サガン鳥栖ユニフォーム(胸部)スポンサー就任のお知らせ|publisher=木村情報技術|date=2020-11-12|accessdate=2020-11-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201117114746/https://www.k-idea.jp/news/201112_001345.html|archivedate=2020-11-17}}</ref>||
|-
!rowspan="2"|鎖骨
|[[エックスモバイル]]||X-mobile<br/>{{smaller|エックスモバイル}}||2022年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/5956/|title=エックスモバイル株式会社 様 ユニフォームスポンサー(鎖骨)協賛決定のお知らせ|publisher=サガン鳥栖|date=2022-01-14|accessdate=2022-01-15}}</ref>||左側に掲出
|-
|[https://www.animal-one.co.jp/ アニマル・ワン]||アニマル・ワン<br/>{{small|Aspire for The Best}}||2023年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/17636/|title=アニマル・ワン様 ユニフォームスポンサー(鎖骨)協賛決定のお知ら|publisher=サガン鳥栖|date=2023-01-11|accessdate=2023-01-12}}</ref>||右側に掲出
|-
!背中上部
|Octochain Fintech Limited||[https://www.zoomex.com/ja-JP/ ZOOMEX]||2023年 - ||2022年7月 - 同年10月は背中下部<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/6411/|title=Octochain Fintech Limited 様 トップチームユニフォームスポンサー(背中裾)および アカデミー〈U-12,U-15,U-15唐津,U-18〉 ユニフォームスポンサー(胸)協賛決定のお知らせ(7/22コメント追加)|publisher=サガン鳥栖|date=2022-07-22|accessdate=2022-07-29}}</ref>
|-
!背中下部
|[[ベストアメニティ]]||ベストアメニティ||2023年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/17640/|title=ベストアメニティ株式会社 様 ユニフォームスポンサー(背中裾)協賛決定のお知らせ|publisher=サガン鳥栖|date=2023-01-11|accessdate=2023-01-12}}</ref>||2010年 - 2013年はパンツ<br/>(「BEST AMENITY」表記)
|-
!袖
|[[SUMCO]]||SUMCO||2009年 - 2011年<br/>2022年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/5958/|title=株式会社SUMCO 様 ユニフォームスポンサー(袖)協賛決定のお知らせ|publisher=サガン鳥栖|date=2022-01-14|accessdate=2022-01-15}}</ref>||2008年はパンツ前面
|-
!パンツ前面
|[[原泰久]]||[[キングダム (漫画)|キングダム<br/>{{smaller|KINGDOM}}]]||2021年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/5228/|title=漫画『キングダム』作者・原泰久氏 ユニフォームスポンサー(パンツ裾)協賛決定のお知らせ|publisher=サガン鳥栖|date=2021-02-23|accessdate=2021-02-23}}</ref>||
|-
!パンツ背面
|[[モラージュ佐賀]]<br />([[双日商業開発]])||mallaɢe||2020年11月 - 同年12月<br/>2021年3月 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/5227/|title=モラージュ佐賀様 ユニフォームスポンサー(パンツ裏)協賛決定のお知らせ|publisher=サガン鳥栖|date=2021-03-05|accessdate=2021-03-05}}</ref>||
|}
=== トレーニングウェアスポンサー ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #EA549A; 4px 4px 4px #00A1D3;"
|- style="background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|掲出箇所||スポンサー名||表記
|-
!練習着胸
|[https://www.sekikagu.co.jp/ 関家具]||{{smaller|家具産地<br/>大川}} 関家具
|-
!練習着背中
|なし||-
|-
!練習着袖
|なし||-
|-
|}
=== ユースユニフォームスポンサー ===
<!-- !胸
|[[ブリヂストン]]||BRIDGESTONE||U-18・U-15・U-15唐津
|- -->
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #EA549A; 4px 4px 4px #00A1D3;"
|- style="background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出チーム
|-
!胸
|ベストアメニティ||べストアメニティ||U-18
|-
!背中
|なし||-||-
|-
!袖
|[http://www.hanayashiki.co.jp/ 花屋敷]||花やしき||U-12・U-15・U-15唐津・U-18
|}
=== ユニフォームサプライヤーの遍歴 ===
* 1997年 - 2002年:[[ナイキ]]
* 2003年 - 2004年:デレルバ(一般公募によるデザインを採用)
* 2005年:[[ミズノ]]
* 2006年 - 2012年:[[アンブロ]]
* 2013年 - 2014年:{{仮リンク|ウォーリア・スポーツ|en|Warrior Sports}}
* 2015年 - 現在:[[ニューバランス]]
=== 歴代ユニフォーム ===
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #EA549A; font-size:smaller; 4px 4px 4px #00A1D3;"
!colspan="5"|FP 1st
|-
|{{Football kit|filetype=png
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|{{Football kit|filetype=png
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|-
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|-
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|-
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|-
||||||||||
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #EA549A; font-size:smaller; 4px 4px 4px #00A1D3;"
!colspan="5"|FP 2nd
|-
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|-
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|-
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|-
||||||||||
|}
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #EA549A; font-size:smaller; 4px 4px 4px #00A1D3;"
!colspan="5"|FP Other
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|-
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|leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2022<br />25周年記念}}}}
|-
||||||||||
|}
=== 歴代ユニフォームスポンサー表記 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #EA549A; 4px 4px 4px #00A1D3;"
|- style="background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|rowspan="2"|年度||colspan="8"|箇所||rowspan="2"|サプライヤー
|- style="background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面
|-
|1997||rowspan="7"|-||rowspan="21" colspan="2"|解禁前||[[ディレクTV|DIREC TV]]||rowspan="19"|解禁前||rowspan="3"|-||rowspan="7"|-||rowspan="23"|解禁前||rowspan="6"|[[ナイキ|NIKE]]
|-
|1998||rowspan="3"|-
|-
|1999
|-
|2000||rowspan="2"|[[東洋新薬]]
|-
|2001||rowspan="2"|[[アサヒ緑健]]
|-
|2002||rowspan="3"|-
|-
|2003||-||rowspan="2"|DELL'ERBA
|-
|2004||[[プリンセス・テンコー|{{smaller|PRINCESS}}<br/>TENKO]]||[[鳥栖市|{{smaller|市制50周年}}<br/>TOSU]]||[[大江戸温泉物語|参勤交代の湯]]
|-
|2005||-||- /<br/>[https://www.cri.co.jp/ CREEK&RIVER]||- /<br/>Value Link||- /<br/>[[エイチ・エス証券]]||[[ミズノ|Mizuno]]
|-
|2006||- /<br/>[[九州電力|BBIQ<br/>{{smaller|ビビック}}]]<ref group="注">「BBIQ」は[[九州電力]]の子会社である[[九州通信ネットワーク]](QTNet)の光ブロードバンドサービスの名称だが、実際にスポンサードしていたのは九州電力佐賀支店である。</ref>||rowspan="8"|[[ブリヂストン|BRIDGESTONE]]||[[アンブロ|saganтino<br/>{{smaller|Supported by UMBRO}}]]||[https://btu.co.jp/ バランスセラピー]||rowspan="7"|[[アンブロ|UMBRO]]
|-
|2007||[[九州電力|BBIQ<br/>{{smaller|ビビック}}]]||-||[https://btu.co.jp/ BTU]
|-
|2008||rowspan="12"|[[DHC]]||[[九州電力|BBIQ<br/>{{smaller|ビビック}}]]||[[SUMCO]]
|-
|2009||rowspan="3"|[[SUMCO]]||-
|-
|2010||rowspan="4"|[[ベストアメニティ|BEST AMENITY]]
|-
|2011
|-
|2012||rowspan="10"|[[佐賀新聞]]
|-
|2013||rowspan="2"|[https://www.warrior.com/ Warrior Sports]
|-
|2014||Glass One||rowspan="7"|[[ブリヂストン|B]]
|-
|2015||[[ハウステンボス|{{smaller|九州人気観光地No.1}}<br/>ハウステンボス]] /<br/>[[Cygames]]<br/>(7月 - )||rowspan="9"|[[ニューバランス|New Balance]]
|-
|2016||rowspan="3"|[[Cygames]]||rowspan="4"|-
|-
|2017
|-
|2018||rowspan="2" colspan="2"|-
|-
|2019||-
|-
|2020||[[佐賀新聞]]{{Efn2|11月13日までの暫定的掲出<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.sagan-tosu.net/news/p/4493/|title=株式会社佐賀新聞社様 ユニフォームスポンサー協賛のお知らせ|publisher=サガン鳥栖|date=2020-02-03|accessdate=2020-02-06}}</ref>}} /<br/>[https://www.k-idea.jp/ K 木村情報技術]||rowspan="2"|[[竹下製菓|{{smaller|竹下の}}<br/>ブラックモンブラン]]||rowspan="2"|[[竹下製菓|{{smaller|竹下のMilcook}}<br/>ミルクック]]||- /<br/>[[双日商業開発|sojitz]]||- /<br/>[https://www.sekikagu.co.jp/ {{smaller|家具産地<br/>大川}} 関家具]||- /<br/>[[モラージュ佐賀|mallaɢe]]
|-
|2021||[https://www.k-idea.jp/ K 木村情報技術]||PRIDE {{smaller|OF}} 17<ref group="注">スポンサーはサガン鳥栖AID。佐賀県内の経済団体などによる支援組織。構成団体は佐賀県商工会議所連合会、佐賀県商工会連合会、佐賀県中小企業団体中央会、佐賀経済同友会、佐賀県経営者協会、佐賀県農業協同組合中央会、[[佐賀県医師会]]、佐賀県建設業協会、佐賀県サッカー協会、サガントス後援会、[[佐賀県]]、[[ベストアメニティ|ベストアメニティホールディングス]]の12団体・企業。</ref>||-||rowspan="3"|[[キングダム (漫画)|キングダム<br/>{{smaller|KINGDOM}}]]||- /<br/>[[モラージュ佐賀|mallaɢe]]
|-
|2022||rowspan="2"|[https://www.k-idea.jp/ K<br/>木村情報技術]||rowspan="2"|[[エックスモバイル|X-mobile<br/>{{smaller|エックスモバイル}}]]||[https://ja.tokyotoken.net/ TOKYO TOKEN]||[[ジャスミー|Jasmy]]||- /<br/>[https://www.zoomex.com/ja-JP/ ZOOMEX]||rowspan="2"|[[SUMCO]]||rowspan="2"|[[モラージュ佐賀|mallaɢe]]
|-
|2023||[https://www.animal-one.co.jp/ アニマル・ワン<br/>{{small|Aspire for The Best}}]||[https://www.zoomex.com/ja-JP/ ZOOMEX]||[[ベストアメニティ]]
|}
== アカデミー ==
サガン鳥栖のアカデミーはU-18([[日本サッカー協会チーム登録種別#第2種|第2種]])、U-15・U-15唐津([[日本サッカー協会チーム登録種別#第3種|第3種]])、U-12([[日本サッカー協会チーム登録種別#第2種|第4種]])の育成部門「ユースセクション」と、普及部門「サッカースクール」で構成されている<ref>[https://www.sagan-tosu.net/academy/organization.php アカデミー組織説明] サガン鳥栖公式ウェブサイト</ref>。U-18は鳥栖市ではなく佐賀市高木瀬町の[[佐賀市健康運動センター|佐賀市健康運動センター サッカー・ラグビー場]](2014年完成)を練習拠点としている<ref>[http://www1.saga-s.co.jp/news/saga.0.2657497.article.html 芝グラウンド完成 サガン若手強化拠点に] 佐賀新聞 - 2014年04月05日</ref>。また全寮制であり、健康運動センターそばと鳥栖市酒井西町の2カ所に選手寮を設けている<ref>[http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/135692 佐賀市高木瀬町にサガンユースの寮完成] 佐賀新聞 - 2014年12月14日</ref>。U-15の2チームとU-12は特定の練習拠点は所持していない。
U-18は[[2017年]]から[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ九州|プリンスリーグ九州]]に所属している。それまでは県リーグ所属で、トップリーグである[[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ|プレミアリーグ]]の所属経験は無かった。トップへの昇格もユース1期生の[[古川隆志]](2000年昇格)以外にはほぼ出場機会を得られなかった[[赤司大輔]](2001年昇格)、[[守田創]](2010年昇格)の2人のみで、日本代表を複数輩出した大分ユースやコンスタントにトップに選手を送り出している福岡ユースなど近隣のチームに対し育成力で後塵を拝していたが、2017年に年代別の代表経験のある[[石川啓人]]、[[田川亨介]]の2人がトップ昇格を果たした。この時、クラブ社長の竹原稔は「やっとここまできた。」とコメントしている<ref>[http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10104/390374 石川、田川「ここがスタート」 サガン入団会見] 佐賀新聞 - 2016年12月27日</ref>。その後、2019年には[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会]]で初の決勝進出を果たし準優勝<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?281027-281027-fl 「攻守一体」ここに結実。名古屋U-18、クラブユース選手権初制覇! 鳥栖準Vも史上初] ゲキサカ - 2019年8月1日</ref>。さらに3回目の挑戦となるプレミアリーグ参入プレーオフで仙台ユースを制しプレミア昇格を果たした<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?293243-293243-fl 仙台ユースに延長逆転勝ち!鳥栖U-18が3度目のプレーオフ挑戦で悲願のプレミア初昇格!] ゲキサカ - 2019年12月16日</ref>。
U-15の2チームは共に[[九州ユース (U-15)サッカーリーグ]]に所属している。U-15唐津は県西部でのファン掘り起しを狙うクラブと中学世代の育成拠点を求める地元の思いから2007年に発足している<ref>[http://www1.saga-s.co.jp/koremade/sagan_kako/sagantosu2006/sagan_news2006.0.347545.article.html 「U-15唐津」発足―県西部の育成拠点に] 佐賀新聞 - 2007年2月23日</ref>。[[2017年]]にU-15が[[第32回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会]]で優勝を果たし、全カテゴリーを通じて鳥栖に初の全国タイトルをもたらした<ref>[http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/457739 サガンU-15攻めて栄冠 クラブユース選手権] 佐賀新聞 - 2017年08月25日</ref>。また、同年には[[高円宮杯第29回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会]]も制し、U-15世代の二冠を達成した。
クラブ設立から長期間に渡り育成部門は低迷していたが、クラブ経営が安定してからは県の支援なども活用して海外遠征も積極的に行っており<ref>[http://www.saga-s.co.jp/sagantosu/news/296577 サガンU-15チーム、伊・遠征を知事に報告] 佐賀新聞 - 2016年04月04日</ref>、チーム単位や選手個人でイタリア・韓国・オーストリアなどでトレーニングを行ったり現地大会に参加したりしている。[[2018年]]にはオランダ・[[エールディヴィジ]]に所属する[[アヤックス・アムステルダム|アヤックス]]と育成アカデミーのシステム、指導者、選手のレベルアップを目的としたパートナーシップ契約(3年契約)を締結<ref>[https://web.gekisaka.jp/news/detail/?236772-236772-fl 鳥栖がアヤックスとパートナーシップ締結! ファン・デル・サールCEO「大きなポテンシャルを鳥栖に感じる」] ゲキサカ - 2018年1月25日</ref>。同年、[[龍谷中学校・高等学校|龍谷高等学校]]を運営する佐賀龍谷学園との間で龍谷高校がU-18に所属する選手を入学金免除且つ公式大会出場の際に出席扱いとする特待生として受け入れる協定を結ぶ<ref>[https://www.nishinippon.co.jp/item/n/397555/ J1鳥栖と佐賀龍谷学園 U-18選手育成で協定 特待生として入学] 西日本新聞 - 2018年2月28日</ref>、[[2020年]]には[[ECC総合教育機関|ECC]]と提携し日常会話にサッカーで使用する英会話を織り交ぜたオリジナルカリキュラムのレッスンをU-18の選手を対象に行う<ref>[https://www.sagan-tosu.net/news/p/4436/ 「佐賀県は日本一英語ができる県」を目指して ECC×サガン鳥栖 英会話レッスン開始のお知らせ]サガン鳥栖公式 - 2020年1月7日</ref>など育成年代の体制強化を進めている。
またサッカースクールは鳥栖市内3カ所(鳥栖・北部・商工センター)のほか、[[基山町|基山]]・佐賀・[[川副町|川副]]・[[小城市|小城]]・[[武雄市|武雄]]など県内各地で実施しているほか、県外の[[久留米市]]にもスクールを開校している。ただしクラブ本拠地のある県以外でのスクール開校はJリーグ規約に反するため、スポンサーでもある[[ブリヂストン]]がサッカースクールを開設して、それをサガン鳥栖が運営管理を受託する形での実施が特例として認められている<ref>[http://www1.saga-s.co.jp/news/saga.0.867460.article.html 元サガン選手も指導 久留米でサッカー教室] 佐賀新聞 - 2008年04月17日</ref>。
=== タイトル ===
;U-18
* [[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ]]:優勝(2022年)
* [[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会]]:優勝(2020年)
* [[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ九州]]:優勝(2017-2019年)
;U-15
* [[日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会]]:優勝(2017年、2019年)
* [[高円宮杯 JFA 全日本U-15サッカー選手権大会]]:優勝(2017年、2020年、2021年)
* [[九州ユース (U-15)サッカーリーグ]]:優勝(2014-2017年、2019年-2020年)
* 九州ユース (U-13)サッカーリーグ:優勝(2016年)
;U-15唐津
* 九州ユース (U-15)サッカーリーグ:優勝(2013年)
=== 海外遠征 ===
;U-18
* KリーグU-17チャンピオンシップ(韓国・浦項):準優勝(2017年)
;U-15
* ステファーノ・グッゼーラ国際大会(イタリア・トリノ):優勝(2019年)
=== アカデミー出身選手 ===
* [[サガン鳥栖の選手一覧#アカデミー出身者]]を参照
== クラブ情報 ==
=== 永久欠番 ===
* '''#17''' [[坂田道孝]]
**[[2005年]]1月30日、Jリーグ初の[[永久欠番]]に制定。
なお、他クラブがサポーターナンバーを「12」としているのに対し、サガン鳥栖は「17」を同ナンバーとしている。これには、スタメン11人の選手と控え選手5人の計16名(制定当時。現在は18名)の「次」として「共に戦う17番目の選手」という意味合いもある<ref>(株)サガン・ドリームス代表取締役会長・井川幸広よりサガントスを愛する全ての皆様へのご挨拶 - 『サガン鳥栖ニュースリリース』2011年12月12日</ref>。
=== 佐賀県プロサッカー振興協議会 ===
クラブ経営が行き詰まり、クラブ解散が濃厚となった[[2004年]](平成16年)[[9月]]、佐賀県と県内各市町村は、県内の企業・団体などと共同でサガンの後援団体・「佐賀県プロサッカー振興協議会」を立ち上げた。この会では、サガンを県民参加型のクラブ運営にするため、ホームゲーム(鳥栖スタジアム、佐賀県総合運動場陸上競技場で開催)に各市町村の市民を招待するほか、サガンの選手を招いた少年サッカー教室や各種イベントを展開するというもの。また、[[2005年]](平成17年)のシーズン開幕前には鳥栖スタジアムにこの会の事務所を移転させた。クラブ事務所との併設となり、チームとの連携をより強化することになった。
2014年12月現在、52の企業・団体などが会員となっている。<ref>[https://www.city.tosu.lg.jp/2931.htm 佐賀県プロサッカー振興協議会]</ref>
<!--データが古いため、コメントアウト
=== ホームゲーム招待事業 ===
{{更新|date=2013年12月|section=1}}
[[2005年]](平成17年)以降、「サガン・ドリームス」がチケットを提供する形で、佐賀県プロサッカー振興協議会によるホームゲームへの佐賀県民の無料招待事業が始まった。この事業により、それまでJ2で最低レベルの観客動員数が、[[2005年]](平成17年)には前年比2倍以上に伸び、J1経験のないJ2チームでトップクラスの観客動員となった。ただし、全入場者数の約半数は無料招待によるもので、有料入場者数を伸ばすことが課題であった。社長の井川は[[2006年]](平成18年)5月28日の株主総会で、Jリーグでは前例のない「有料入場者数の公表」を検討していると発表した([[2006年]](平成18年)には、公式ホームページのトップに「前節の入場者内訳」と題して、「公式入場者数」「有料入場者数」「地域招待者数」「招待地域」及び「累計有料入場者数」を公開した)。
-->
=== 集客活動の歴史 ===
{{複数の問題|section=1
|特筆性= 2013年12月
|内容過剰 = 2013年12月
}}
[[画像:Tosu Stadium 20110508a.JPG|thumb|right|300px|サガン鳥栖サポーター]]
;[[2003年]](平成15年)「Road To 25,000 In 鳥栖スタ」
:ゴール裏のサポーターを中心に立ち上げた「Road To 25,000 In 鳥栖スタ」という大集客キャンペーン。[[2003年]](平成15年)7月19日の[[アルビレックス新潟]]戦を皮切りに徐々に観客を伸ばす仕掛けだったが、[[アビスパ福岡]]とのダービー以外の客足は振るわなかった。
:*08/02 vs福岡 目標10,000人(結果 5,756人) ※[[2003年]](平成15年) 平均観客動員 3,172人
;[[2004年]](平成16年)「Road to 25000 震源地TOSU! 鳥栖スタを揺らせ」
:前年の反省を踏まえて「Road to 25000 震源地TOSU! 鳥栖スタを揺らせ」という新たなキャンペーンが始まる。これは[[9月4日]]の福岡とのダービーに焦点を当てた集客キャンペーンで、チケットバンクという新しいシステムを導入。全国のサッカーファンから寄付されたチケットで地元の小学生を招待する企画だった。各地のJクラブサポーターを始め40団体が支援、2111人の子供達を招待することに成功。満員とはならなかったが、後にクラブ運営を引き継ぐ[[井川幸広]]の初観戦を促した。
:*09/04 vs福岡 目標25,000人(結果 9,565人) ※[[2004年]](平成16年) 平均観客動員 3,610人
;[[2006年]](平成18年)「夢プラン21 鳥栖スタジアムを満員にしたい」
:鳥栖市が行っている子供の夢をかなえる青少年健全育成事業「[[夢プラン21]]」に鳥栖北小学校3年生の生徒の提案「鳥栖スタジアムを満員にしたい」が採用される。これによって行政、クラブのバックアップの元、スポンサーの1つである[[ブリヂストン]]も支援を表明。[[11月12日]]の[[湘南ベルマーレ]]戦を目標に活動を行い、鳥栖スタジアムでのJリーグ公式戦最多(当時)となる18,231人の観客を集め、このことがブリヂストンの支援継続と年間スポンサー料アップにつながった<ref name="J-NEWSPLUS">{{PDFlink|[http://www.j-league.or.jp/document/jnews-plus/001/vol001.pdf J.LEAGUE NEWS PLUS vol.1 - サガン鳥栖 史上最高入場者数達成の舞台裏・小学生の夢が紡いだ熱狂スタジアム]}} - Jリーグ公式サイト内</ref>。
:*11/12 vs湘南 目標20,000人(結果18,231人) ※[[2006年]](平成18年) 平均観客動員 7,465人
;[[2007年]](平成19年)「BSデー『どこまでも行こう!ブリヂストンサマーフェスタwith 吹奏楽団』」
:2006年の「夢プラン」を引き継ぐ形でブリヂストンは支援を継続、「夏休み最後の思い出づくり」をコンセプトに8月最後のホームゲームを冠マッチ「ブリヂストンデー」(BSデー)として支援を行った。[[2007年]](平成19年)8月25日の[[水戸ホーリーホック]]戦がBSデーに設定され、日本最高峰の企業吹奏楽団「ブリヂストン吹奏楽団久留米」と地元高校の吹奏楽団との協演など様々な企画が催され、当日は16,661人を動員する<ref name="J-NEWSPLUS"/> も、目標の2万人越えは達成できず、平均観客動員数も前年を下回った。
:*08/25 vs水戸 目標20,000人(結果 16,661人) ※[[2007年]](平成19年) 平均観客動員 6,114人
;[[2008年]](平成20年)「BSデー 2万人の夢結蹴」
:前年、2万人越えの目標を達成できなかった反省を踏まえて、サポーターも「×2運動」という新たな集客作戦を展開。ブリヂストン側もかつて無い規模の動員を[[2008年]](平成20年)も実施し、9月20日の[[ロアッソ熊本]]戦に21,029人という2万人越えを実現させる。その後、J1昇格を決めた[[2011年]](平成23年)[[12月3日]]の熊本戦で記録した22,532人という記録が出来るまではクラブレコードとして残り続けた。
:*09/20 vs熊本 目標20,000人(結果21,029人) ※[[2008年]](平成20年) 平均観客動員 7,261人
== メディア ==
=== テレビ ===
* かちスポ([[サガテレビ]]、月曜、金曜『[[かちかちPress]]』内)
* YUYAのオーレ!サガン鳥栖([[NHK佐賀放送局]]、月曜『ニュースただいま佐賀』内)
* [[KICK OFF! (テレビ番組)#各番組の詳細|KICK OFF! SAGA]](サガテレビ、土曜 10:25 - 10:40)
=== ラジオ ===
* YUYAのオーレ!サガン鳥栖(NHK佐賀放送局、月曜19:45-20:00)
* 週刊サガン鳥栖([[NBCラジオ佐賀]]、金曜18:00-18:10.18:20-18:30)
* Next Stage 挑戦 サガン鳥栖!!(NBCラジオ佐賀、火曜 『情報コンビニ 佐賀ですよ』内)
* sagantosu Heat Wave([[エフエム佐賀]]、金曜 『Friday Night Talkin' Radio』内)
* SaganBMX([[えびすFM]]、月曜20:00-21:00)
== その他 ==
:2018年3月1日から11月下旬まで、[[九州旅客鉄道|JR九州]][[南福岡車両区]]の[[JR九州885系電車|885系電車]]1編成がクラブの[[ラッピング車両]]として運行されている<ref>[http://railf.jp/news/2018/03/03/200000.html 885系SM9編成に「サガン鳥栖」ラッピング] - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース、2018年3月3日、同年3月4日閲覧。</ref>。なお、試合の開催日にはJR九州が[[江北駅 (佐賀県)|江北駅]](旧・肥前山口駅) - 鳥栖駅で臨時列車「サガン鳥栖号」を運行している。
== 決算 ==
サガン鳥栖の決算は、つぎのとおり。
=== 損益 ===
{| class="wikitable" style="border:double #EA549A; box-shadow: 4px 4px 4px #00A1D3;"
|- style="text-align:center; background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|年度||リーグ||{{abbr|収入|営業収入}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||事業費||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|管理費|一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}}
|-
|style="font-weight:bold;" |2005 ||J2 ||style="background-color:wheat" |428 ||143 ||148 ||102 ||35 ||style="background-color:wheat" |702 ||506 ||249 ||196 ||style="background-color:wheat" |-274 ||style="background-color:wheat" |-332
|-
|style="font-weight:bold;" |2006 ||J2 ||style="background-color:wheat" |705 ||281 ||152 ||108 ||164 ||style="background-color:wheat" |821 ||613 ||376 ||208 ||style="background-color:wheat" |-116 ||style="background-color:wheat" |-112
|-
|style="font-weight:bold;" |2007 ||J2 ||style="background-color:wheat" |572 ||237 ||136 ||117 ||82 ||style="background-color:wheat" |775 ||545 ||377 ||230 ||style="background-color:wheat" |-203 ||style="background-color:wheat" |-205
|-
|style="font-weight:bold;" |2008 ||J2 ||style="background-color:wheat" |702 ||263 ||170 ||121 ||148 ||style="background-color:wheat" |695 ||468 ||317 ||227 ||style="background-color:wheat" |7 ||style="background-color:wheat" |5
|-
|style="font-weight:bold;" |2009 ||J2 ||style="background-color:wheat" |676 ||278 ||174 ||110 ||114 ||style="background-color:wheat" |755 ||560 ||313 ||195 ||style="background-color:wheat" |-79 ||style="background-color:wheat" |0
|-
|style="font-weight:bold;" |2010 ||J2 ||style="background-color:wheat" |816 ||194 ||155 ||74 ||393 ||style="background-color:wheat" |829 ||659 ||290 ||170 ||style="background-color:wheat" |-14 ||style="background-color:wheat" |2
|}
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]
金額の単位: 百万円
人件費は事業費に含まれる。
</div>
{| class="wikitable" style="border:double #EA549A; box-shadow: 4px 4px 4px #00A1D3;"
|- style="text-align:center; background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|年度||リーグ||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}}
|-
|style="font-weight:bold;" |2011 ||J2 ||style="background-color:wheat" |689 ||253 ||166 ||99 ||37 ||135 ||style="background-color:wheat" |826 ||353 ||48 ||101 ||20 ||0 ||304 ||style="background-color:wheat" |-137 ||style="background-color:wheat" |-357
|-
|style="font-weight:bold;" |2012 ||J1 ||style="background-color:wheat" |1454 ||493 ||495 ||202 ||45 ||219 ||style="background-color:wheat" |1362 ||610 ||116 ||75 ||20 ||0 ||541 ||style="background-color:wheat" |93 ||style="background-color:wheat" |90
|-
|style="font-weight:bold;" |2013 ||J1 ||style="background-color:wheat" |1704 ||632 ||548 ||234 ||74 ||216 ||style="background-color:wheat" |2039 ||1012 ||273 ||129 ||23 ||0 ||602 ||style="background-color:wheat" |-335 ||style="background-color:wheat" |-299
|-
|style="font-weight:bold;" |2014 ||J1 ||style="background-color:wheat" |1885 ||789 ||535 ||222 ||72 ||267 ||style="background-color:wheat" |2266 ||1176 ||250 ||120 ||38 ||0 ||682 ||style="background-color:wheat" |-381 ||style="background-color:wheat" |-360
|-
|style="font-weight:bold;" |2015 ||J1 ||style="background-color:wheat" |2489 ||1203 ||576 ||193 ||91 ||426 ||style="background-color:wheat" |2432 ||1105 ||245 ||126 ||43 ||0 ||913 ||style="background-color:wheat" |57 ||style="background-color:wheat" |3
|}
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]
金額の単位: 百万円
</div>
{| class="wikitable" style="border:double #EA549A; box-shadow: 4px 4px 4px #00A1D3;"
|- style="text-align:center; background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|年度||リーグ||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||物販||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||物販||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}}
|-
|style="font-weight:bold;" |2016 ||J1 ||style="background-color:wheat" |2766 ||1631 ||553 ||190 ||95 ||152 ||145 ||style="background-color:wheat" |2785 ||1476 ||272 ||153 ||53 ||0 ||103 ||728 ||style="background-color:wheat" |-19 ||style="background-color:wheat" |9
|}
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]
金額の単位: 百万円
</div>
{{Graph:Chart
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|xAxisTitle=年度
|yAxisTitle=金額(百万円)
|legend=凡例
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|colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000
|y1Title=営業収益
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|y3Title=選手・チームスタッフ人件費
|x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016
|y1=428, 705, 572, 702, 676, 816, 689, 1454, 1704, 1885, 2489, 2766
|y2=702, 821, 775, 695, 755, 829, 826, 1362, 2039, 2266, 2432, 2785
|y3=249, 376, 377, 317, 313, 290, 353, 610, 1012, 1176, 1105, 1476
|yAxisMin=0
}}
=== 資産 ===
{| class="wikitable" style="border:double #EA549A; box-shadow: 4px 4px 4px #00A1D3;"
|- style="text-align:center; background-color:#00A1D3; color:#FFF; font-weight:bold;"
|年度||総資産||総負債||純資産||資本金
|-
|style="font-weight:bold;" |2005 ||151 ||311 ||-159 ||161
|-
|style="font-weight:bold;" |2006 ||312 ||308 ||3 ||294
|-
|style="font-weight:bold;" |2007 ||201 ||152 ||49 ||419
|-
|style="font-weight:bold;" |2008 ||215 ||89 ||126 ||454
|-
|style="font-weight:bold;" |2009 ||233 ||176 ||58 ||455
|-
|style="font-weight:bold;" |2010 ||240 ||81 ||59 ||454
|-
|style="font-weight:bold;" |2011 ||241 ||539 ||-298 ||455
|-
|style="font-weight:bold;" |2012 ||441 ||349 ||92 ||605
|-
|style="font-weight:bold;" |2013 ||217 ||425 ||-207 ||605
|-
|style="font-weight:bold;" |2014 ||421 ||419 ||2 ||890
|-
|style="font-weight:bold;" |2015 ||840 ||834 ||6 ||889
|-
|style="font-weight:bold;" |2016 ||1041 ||1026 ||15 ||889
|}
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji.pdf 2018]
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji.pdf 2019]
金額の単位: 百万円
</div>
{{Graph:Chart
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|showSymbols=yes
}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
== 関連項目 ==
*[[サガン鳥栖の選手一覧]]
*[[サガン鳥栖の年度別成績一覧]]
*[[九州ダービー]]
*[[鳥栖フューチャーズ]]
== 外部リンク ==
;公式サイト
* {{Official website}}
* [https://sagantosu.sagafan.jp/ サガントス広報ブログ]
* {{Twitter|saganofficial17|サガン鳥栖公式}}
* {{Facebook|495527923859368}}
* {{Instagram|sagantosu_official|SAGANTOSU | サガン鳥栖}}
* {{YouTube|user = officialsagantosu}}
;メディア
* [https://www.saga-s.co.jp/feature/sagantosu オーレ!サガン鳥栖] - [[佐賀新聞]]
* [https://www.nishinippon.co.jp/nsp/category/soccer/jleague/sagan/ サガン鳥栖] - [[西日本新聞]]
* [https://www.nikkansports.com/soccer/jleague/team/sagan/ サガン鳥栖] - [[日刊スポーツ]]
{{Navboxes|title =サガン鳥栖関連テンプレート|titlestyle=background-color:#00A1D3; color: #FFF;border:2px solid #EA549A;line-height:120%;
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[[Category:サガン鳥栖|*]]
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<!--事実上のフューチャーズは準会員だったが、全く違うチームなので[[:Category:過去のJリーグ百年構想クラブ]]には加えないこと--> | 2003-03-22T10:47:03Z | 2023-12-15T21:42:37Z | false | false | false | [
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4,880 | 4月17日 | 4月17日(しがつじゅうななにち、しがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から107日目(閏年では108日目)にあたり、年末まではあと258日ある。 | [
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] | 4月17日(しがつじゅうななにち、しがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から107日目(閏年では108日目)にあたり、年末まではあと258日ある。 | {{カレンダー 4月}}
'''4月17日'''(しがつじゅうななにち、しがつじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から107日目([[閏年]]では108日目)にあたり、年末まではあと258日ある。
== できごと ==
[[Image:Combat de la Dominique 17 Avril 1780 Rossel de Cercy 1736 1804.jpg|thumb|180x180px|[[マルティニーク島の海戦]](1780)勃発]]
[[Image:《马关条约》签字时的情景.jpg|thumb|180x180px|[[下関条約|日清講和条約]]締結(1895)]]
[[Image:Bundesarchiv Bild 146-1975-036-24, Jugoslawien, serbische Gefangene.jpg|thumb|180x180px|[[ユーゴスラビア侵攻]]、[[ユーゴスラビア]]が[[ナチス・ドイツ]]に降伏(1941)]]
[[Image:1964-mustang-rc.jpg|thumb|180x180px|乗用車[[フォード・マスタング]]初公開(1964)]]
[[Image:Chosundeahakkyo.jpg|thumb|180x180px|朝鮮大学校が[[各種学校]]として認可される(1968)]]
* [[69年]] - [[アウルス・ウィテッリウス]]が「四皇帝の年」における三番目の皇帝に即位する([[4月16日]]とする説もある)。
* [[667年]]([[天智天皇]]6年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[天智天皇]]が[[近江宮]]に[[遷都]]。
* [[674年]]([[天武天皇]]3年/[[白鳳]]2年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[対馬国|対馬]]の国司が、日本で初めて産出された[[銀]]を朝廷に献上。
* [[1332年]]([[元弘]]2年3月22日) - [[光厳天皇]][[即位礼]]。
* [[1594年]]([[文禄]]3年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[豊臣秀吉]]が[[吉野]]の[[花見]]を開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://par-ple.jp/pages/article_detail.php?report_no=5828&app_no=39&tab_no=0 |title=2月27日は「秀吉が吉野で花見の宴を行った日」【奈良的今日は何の日?】 |access-date=12 Jul 2023 |publisher=奈良のタウン情報 ぱーぷる |date=27 Feb 2022}}</ref>。
* [[1780年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[マルティニーク島の海戦]]
* [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[バージニア州]]が[[アメリカ合衆国]]を離脱。
* [[1872年]]([[明治]]5年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[文部省]]博物局(現在の[[東京国立博物館]])が[[湯島聖堂]]の大成殿を「文部省博物館」として初の官設[[博覧会]]を開催([[湯島聖堂博覧会]])。
* [[1888年]] - [[日本]]で[[市制]]・[[町村制]]公布。翌年[[4月1日]]に施行。
* [[1895年]] - [[日清戦争]]の講和条約である[[下関条約]]に調印。
* [[1912年]](ユリウス暦[[4月4日]]) - [[レナ虐殺事件]]。[[シベリア]]の[[レナ川]]付近でストライキを行っていた金鉱労働者を[[ロシア帝国]]軍が射殺。
* [[1917年]](ユリウス暦4月4日) - [[ロシア革命]]: 前日にロシアに帰国したばかりの[[ウラジーミル・レーニン]]が「四月テーゼ」を発表。戦争を続ける[[ロシア臨時政府|臨時政府]]の全権を[[ソビエト]]が握るべきと主張。
* [[1918年]] - [[東野鉄道]]が、西那須野駅〜黒羽駅間で開業。
* [[1924年]] - アメリカで3社の映画スタジオが合併して[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー]] (MGM) を設立。
* [[1927年]] - [[枢密院 (日本)|枢密院]]が[[昭和金融恐慌|金融恐慌]]対策の[[台湾銀行]]救済案を否決したことにより、[[第1次若槻内閣|若槻礼次郎内閣]]が総辞職。
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ユーゴスラビア侵攻]]: [[ユーゴスラビア]]が[[ナチス・ドイツ]]に降伏。
* [[1942年]] - 第二次世界大戦: [[フランス]]の[[アンリ・ジロー]]将軍が[[ドレスデン]]郊外の[[捕虜]]収容所から脱走。
* [[1946年]] - [[シリア]]が[[フランス]]から独立。
* 1946年 - 日本政府が[[日本国憲法#日本政府案の作成と議会審議|憲法改正草案]]を公表。
* [[1947年]] - [[地方自治法]]公布。
* 1947年 - [[日本]]で[[公共職業安定所]]発足<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/archives/jidai/special/today/0417/ |title=職安記念日 |access-date=12 Jul 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]]}}</ref>。
* 1947年 - [[宮城県]][[横山村 (宮城県)|横山村]]で大火。死者3人、家屋175戸が全焼<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=67 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1952年]] - 鳥取市にて大火([[鳥取大火]])。5,228戸が焼失、中心街が全滅。
* [[1956年]] - [[コミンフォルム]]が解散。
* [[1956年]](昭和31年) - 福島県常葉町で大火。町の中心部の住宅254戸などが全焼したほか、[[山火事]]となり19.8haが焼失した<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=112-113 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1961年]] - [[キューバ革命]]: [[ピッグス湾事件]]。[[キューバ]]のコチーノス湾に亡命キューバ人部隊が上陸。
* [[1964年]] - [[ニューヨーク万国博覧会 (1964年)|ニューヨーク万国博覧会]]の[[フォード・モーター]]のブースで新車種[[フォード・マスタング]]が初公開。
* 1964年 - [[シェイ・スタジアム]]が開場。
* [[1968年]] - [[美濃部亮吉]][[東京都知事]]が[[朝鮮大学校 (日本)|朝鮮大学校]]を[[各種学校]]として認可。
* [[1969年]] - [[プラハの春]]: [[アレクサンデル・ドゥプチェク]]が[[チェコスロバキア共産党]][[第一書記]]を辞任。
* 1969年 - この時期としては非常に強い寒気が流入したところに南岸低気圧が通過したため、東北から関東地方にかけての東日本で4月としては異例の降雪。東京都心では41年後の[[2010年]]と並んでこの日が終雪のもっとも遅い記録。
* [[1970年]] - 「[[アポロ13号]]」が地球に帰還。
* [[1971年]] - [[シエラレオネ]]が共和制に移行。
* [[1975年]] - [[カンボジア内戦]]: カンプチア民族統一戦線が[[プノンペン]]を制圧。[[ロン・ノル]]率いる[[クメール共和国]]が崩壊し、[[ポル・ポト]]率いる[[クメール・ルージュ]]が実権を掌握。
* 1975年 - [[イギリス]]のロックバンド、[[クイーン (バンド)|クイーン]]が初来日。
* [[1980年]] - [[中華人民共和国]]が[[国際通貨基金]] (IMF) に加盟。
* [[1982年]] - [[カナダ]]で[[1982年憲法]]が公布。建国115年目で初めて自主憲法を制定。
* [[1985年]] - [[阪神甲子園球場]]で行われた[[プロ野球]]、[[阪神タイガース]] - [[読売ジャイアンツ]]戦において、[[ランディ・バース]]、[[掛布雅之]]、[[岡田彰布]]が[[バックスクリーン3連発]]を放つ。
* [[1986年]] - [[オランダ]]と[[シリー諸島]]の間の[[三百三十五年戦争]]の終結が宣言。
* [[1987年]] - アメリカが日米半導体協定違反の理由で日本に対するパソコンなど3品目の100%[[関税]]実施を発表。
* [[1990年]] - [[永山則夫連続射殺事件]]で[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が[[永山則夫]]の上告を棄却し、死刑が確定。
* [[2007年]] - [[長崎市長射殺事件]]。[[長崎駅]]前で、[[長崎市]][[市長]]の[[伊藤一長]]が[[山口組]]系暴力団員に銃撃される。翌18日未明に胸部大動脈損傷等による大量出血により死亡。
* [[2009年]] - [[シアトル・マリナーズ]]の[[イチロー]]が[[ロサンゼルス・エンゼルス|アナハイム・エンゼルス]]戦において、日米通算3,086安打を達成。[[張本勲]]の持つ日本プロ野球最多記録を更新。
* [[2018年]] - [[安倍晋三]]首相が訪米、[[ドナルド・トランプ]]大統領と翌日にかけて日米首脳会談。[[日米貿易交渉 (2018年-2019年)]] を始めることなどを合意。
* [[2022年]] - [[パキスタン]]空軍が[[アフガニスタン]]の集落を[[爆撃]]。[[ホースト州]]と[[クナル州]]で47人以上が死亡<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3400713 |title=パキスタン軍がアフガン空爆 47人死亡 |publisher=[[フランス通信社]]|website=AFP BB News |date=17 Apr 2022 |accessdate=12 Jul 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[Image:KingTaksinfromItalymuseum.JPG|thumb|タイ王[[タークシン]](1734-1782)誕生|256x256ピクセル]]
[[Image:Alexander Cartwright (PP-69-3-004).jpg|thumb|現在の[[野球]]のルールを確立した[[アレクサンダー・カートライト]](1820-1892)誕生|284x284ピクセル]]
[[Image:Kasna Hygie.jpg|thumb|240x240px|[[都市計画]]家、[[カミロ・ジッテ]](1843-1903)。文化・芸術の場としての都市空間を強調した。画像は[[ヒュギエイア]]の噴水]]
[[Image:Morgan, Sam.jpg|thumb|180x180px|モルガン財閥を創始した投資家[[ジョン・モルガン]](1837-1913)誕生。その役割は政府よりも大きかったという(画像)]]
[[Image:ArturSchnabel.png|thumb|ピアニスト、[[アルトゥル・シュナーベル]](1882-1951)|242x242ピクセル]]
[[Image:Thornton Wilder (1948).jpg|thumb|劇作家[[ソーントン・ワイルダー]](1897-1975)|264x264ピクセル]]
[[Image:Nikita Khruchchev Colour.jpg|thumb|[[ソビエト連邦]]の第4代最高指導者、[[ニキータ・フルシチョフ]](1894-1971)誕生|230x230ピクセル]]
=== 人物 ===
* [[1277年]] - [[ミカエル9世パレオロゴス]]、[[東ローマ帝国の皇帝一覧|東ローマ帝国皇帝]](+ [[1320年]])
* [[1573年]] - [[マクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)|マクシミリアン1世]]、[[バイエルン大公|バイエルン選帝侯]](+ [[1651年]])
* [[1598年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョーリ]]、[[天文学者]](+ [[1671年]])
* [[1664年]] ([[寛文]]4年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]])- [[大村純尹]]、第5代[[大村藩|大村藩主]] (+ [[1712年]])
* [[1683年]] - [[ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン]]、[[作曲家]](+ [[1729年]])
* [[1734年]] - [[タークシン]]、[[タイ国王]](+ [[1782年]])
* [[1759年]] ([[宝暦]]9年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]])- [[板倉勝政]]、第4代[[備中松山藩|松山藩主]] (+ [[1821年]])
* [[1760年]] ([[宝暦]]10年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]])- [[加藤泰候]]、第9代[[大洲藩|大洲藩主]] (+ [[1787年]])
* [[1787年]] ([[天明]]7年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]])- [[岡部長慎]]、第9代[[岡部藩|岡部藩主]] (+ [[1859年]])
* [[1820年]] - [[アレクサンダー・カートライト]]、現代[[野球]]の確立者(+ [[1892年]])
* [[1833年]] - [[ジャン=バティスト・アッコーライ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]]、作曲家(+ [[1900年]])
* [[1837年]] - [[ジョン・モルガン]]、[[実業家]](+ [[1913年]])
* [[1843年]] - [[カミロ・ジッテ]]、[[建築家]]、[[画家]]、[[都市計画家]]、都市計画学者(+ [[1903年]])
* [[1852年]] - [[キャップ・アンソン]]、元プロ野球選手(+ [[1922年]])
* [[1859年]] ([[安政]]6年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]])- [[丹羽長裕]]、第14代[[二本松藩|二本松藩主]] (+ [[1886年]])
* [[1870年]]([[明治]]3年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[三田村鳶魚]]、[[随筆家]]、時代考証家(+ [[1952年]])
* 1870年(明治3年3月17日) - [[谷口尚真]]、軍人(+ [[1941年]])
* [[1877年]] - [[松平恒雄]]、[[外交官]]、[[政治家]](+ [[1949年]])
* [[1882年]] - [[アルトゥル・シュナーベル]]、[[ピアニスト]](+ [[1951年]])
* [[1885年]] - [[カレン・ブリクセン]](アイザック・ディネーセン)、[[小説家]](+ [[1962年]])
* [[1891年]] - [[朴春琴]]、政治家(+[[1973年]])
* [[1894年]] - [[ニキータ・フルシチョフ]]、[[ソビエト連邦]]共産党第一書記(+ [[1971年]])
* [[1895年]] - [[西光万吉]]、[[部落解放運動|部落解放運動家]]、[[社会運動家]](+ [[1970年]])
* [[1897年]] - [[ソーントン・ワイルダー]]、[[劇作家]](+ [[1975年]])
* 1897年 - [[ハラール・セーヴェルー]]、作曲家(+ [[1992年]])
* 1897年 - [[飯田蝶子]]、女優(+ [[1972年]])
* 1897年 - シュリー・ニサルガダッタ・マハラジ、[[覚者]](+ [[1981年]])
* [[1900年]] - [[衣笠十四三]]、映画監督(+ [[1976年]])
* [[1903年]] - [[グレゴール・ピアティゴルスキー]]、[[チェリスト]](+ [[1976年]])
* [[1906年]] - [[八木隆一郎]]、[[脚本家]](+ [[1965年]])
* [[1907年]] - [[嵐芳三郎 (5代目)]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎役者]]、[[俳優]](+ [[1977年]])
* [[1908年]] - [[三宅泰雄]]、[[地球化学者]](+ [[1990年]])
* 1908年 - [[小林秀恒]]、[[挿絵画家]](+ [[1942年]])
* [[1912年]] - [[マルタ・エゲルト]]、女優、[[歌手]](+ [[2013年]])
* 1912年 - [[山下好一]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1997年]])
* [[1914年]] - [[井口小夜子]]、歌手(+ [[2003年]])
* 1914年 - [[神谷尚男]]、検察官、元[[検事総長]](+[[2015年]])
* [[1916年]] - [[齊藤了英]]、実業家(+ [[1996年]])
* 1916年 - [[シリマヴォ・バンダラナイケ]]、政治家、[[スリランカの首相|スリランカ首相]](+ [[2000年]])
* [[1917年]] - [[三村庸平]]、実業家、元[[三菱商事]]社長(+[[2006年]])
* 1917年 - [[南村侑広]]、元プロ野球選手(+ [[1990年]])
* [[1918年]] - [[ウィリアム・ホールデン]]、俳優(+ [[1981年]])
* [[1919年]] - [[岡村孝雄]]、元プロ野球選手(+ [[2009年]])
* [[1922年]] - [[北村英三]]、俳優、演出家(+[[1997年]])
* [[1923年]] - [[リンゼイ・アンダーソン]]、[[映画監督]](+ [[1994年]])
* [[1924年]] - [[藤城清治]]、[[影絵]]作家
* [[1925年]] - [[チャールズ・ヤノフスキー]]、[[遺伝学|遺伝学者]](+ [[2008年]])
* [[1926年]] - [[小川宏]]、[[アナウンサー]]、[[司会者]](+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/12/05/kiji/K20161205013853320.html|title=小川宏さん死去、90歳 「小川宏ショー」司会でギネス記録|website=Sponichi Annex|date=5 Dec 2016|accessdate= 12 Jul 2023}}</ref>)
* [[1928年]] - [[久保田良作]]、ヴァイオリニスト(+ [[1997年]])
* [[1928年]] - [[石河清]]、指揮者(+[[2016年]])
* [[1931年]] - [[滝口順平]]、[[声優]](+ [[2011年]])
* [[1932年]] - [[矢島正明]]、声優
* [[1935年]] - [[畑正憲]]、[[作家]]、[[動物学|動物学者]](+ [[2023年]])
* 1935年 - [[桑田二郎]]、[[漫画家]](+ [[2020年]])
* [[1936年]] - [[矢野暢]]、[[政治学者]](+ [[1999年]])
* [[1937年]] - [[フェルディナント・ピエヒ]]、[[自動車]]技術者、[[実業家]](+ [[2019年]])
* [[1939年]] - [[戸梶正夫]]、元プロ野球選手
* [[1940年]] - [[ジークフリート・イェルザレム]]、[[テノール]]歌手
* [[1941年]] - [[市川森一]]、脚本家(+ [[2011年]])
* [[1942年]] - [[大泉逸郎]]、歌手
* 1942年 - [[バスター・ウィリアムス]]、[[ジャズ]][[ベーシスト]]
* 1942年 - [[高嶋秀武]]、[[フリーアナウンサー]]
* 1942年 - [[クラフト夫妻|カティア・クラフト]]、[[火山学|火山学者]](+ [[1991年]])
* 1942年 - [[関文彦]]、[[実業家]]・関家具創業者
* [[1943年]] - [[川島勝司 (野球)|川島勝司]]、元野球選手、[[アトランタオリンピック]][[野球日本代表|日本代表]]監督
* [[1944年]] - [[高野孟]]、[[ジャーナリスト]]
* [[1946年]] - [[ジョルジュ・J・F・ケーラー]]、[[生物学者の一覧|生物学者]]、[[免疫学|免疫学者]](+ [[1995年]])
* [[1947年]] - [[若松勉]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]]
* 1947年 - [[野崎恒男]]、元プロ野球選手
* 1947年 - [[花輪和一]]、漫画家
* 1947年 - [[緑川アコ]]、歌手
* [[1948年]] - [[福田昭夫]]、政治家
* 1948年 - [[ヤン・ハマー]]、[[キーボーディスト]]、作曲家
* 1948年 - [[山上烈]]、高校野球指導者
* [[1949年]] - [[福井ミカ]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* 1949年 - [[ロナルド・エヴァンス (生物学者)|ロナルド・エヴァンス]]、生物学者
* [[1950年]] - [[宮本孝男]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[オリビア・ハッセー]]、女優
* [[1953年]] - [[丸岡啓二]]、有機化学者
* [[1954年]] - [[あきやまるな]]、声優(+ [[2014年]])
* 1954年 - [[高見沢俊彦]]、ミュージシャン([[THE ALFEE]])
* 1954年 - [[リカルド・パトレーゼ]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* 1954年 - [[ロディ・パイパー]]、[[プロレスラー]]、俳優(+ [[2015年]])
* [[1957年]] - [[ニック・ホーンビィ]]、作家
* 1957年 - [[平尾仁]]、俳優
* [[1958年]] - [[谷崎重幸]]、ラグビー指導者
* [[1959年]] - [[山口哲治]]、元プロ野球選手
* 1959年 - [[ショーン・ビーン]]、俳優
* [[1960年]] - [[尾崎将也]]、脚本家
* [[1961年]] - [[前乃臻康夫]]、元[[大相撲]][[力士]]
* 1961年 - [[井ノ上美恵子]]、アナウンサー
* 1961年 - [[ブーマー・アサイアソン]]、元[[アメリカンフットボール]]選手
* [[1962年]] - [[船越雅史]]、元アナウンサー
* 1962年 - [[吉村元富]]、元プロ野球選手
* 1962年 - [[中村静香 (ヴァイオリニスト)|中村静香]]、バイオリニスト
* [[1964年]] - [[明貴美加]]、[[メカニックデザイン|メカデザイナー]]
* 1964年 - [[メイナード・ジェームス・キーナン]]、ミュージシャン
* [[1965年]] - [[武内陶子]]、アナウンサー
* 1965年 - [[黒田崇矢]]、声優
* 1965年 - [[黒田慶樹]]、[[紀宮清子]][[内親王]]の夫
* 1965年 - [[クレイグ・ワーシントン]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[立川俊之]]、ミュージシャン(元[[大事MANブラザーズバンド]])
* [[1967年]] - [[ゴルゴ松本]]、[[タレント]]([[TIM (お笑いコンビ)|TIM]])
* [[1968年]] - [[ファング鈴木]]、プロレスラー
* [[1969年]] - [[中道貴之]]、元陸上競技選手
* 1969年 - [[鎌仲政昭]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[ジェフ・ボール]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[本村賢太郎]]、政治家
* [[1971年]] - [[東郷哲也]]、政治家(+[[2021年]])
* 1971年 - [[浅野智治]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[ジェニファー・ガーナー]]、女優
* 1972年 - [[ムティア・ムラリタラン]]、クリケット選手
* [[1973年]] - [[海鵬涼至]]、元大相撲力士
* 1973年 - [[小林賢太郎]]、俳優、劇作家、漫画家([[ラーメンズ]])
* 1973年 - [[城石憲之]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[ヴィクトリア・ベッカム]]、歌手(元[[スパイス・ガールズ]])
* [[1975年]] - [[ステファノ・フィオーレ]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* 1975年 - [[トリフン・ジバノビッチ]]、フィギュアスケート選手
* 1975年 - [[林真里花]]、声優
* [[1976年]] - [[橘未稀]]、[[AV女優]]、[[ストリッパー一覧|ストリッパー]]
* 1976年 - [[遠藤竜志]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[上山龍紀]]、[[総合格闘家]]
* 1976年 - [[モリタイシ]]、漫画家
* 1976年 - [[ブラディミル・サムソノフ]]、卓球選手
* [[1977年]] - [[フレデリック・メーグル]]、作曲家
* 1977年 - 玉城千春、ミュージシャン([[Kiroro]])
* 1977年 - [[中山博子]]、タレント
* [[1978年]] - [[山口智 (サッカー選手)|山口智]]、元サッカー選手
* [[1979年]] - [[大沼綾子]]、元バレーボール選手
* 1979年 - [[松尾貴臣]]、シンガーソングライター
* 1979年 - [[荒井志乃]]、俳優
* 1979年 - [[ホルヘ・ピエドラ]]、元プロ野球選手
* [[1980年]] - [[大雷童太郎]]、大相撲力士
* 1980年 - [[森惠佑]]、元サッカー選手、[[サガン鳥栖]]指導者
* 1980年 - [[マックス・サンピエール]]、元プロ野球選手
* 1980年 - 山口教仁、ミュージシャン([[Chicago Poodle]])
* 1980年 - [[RINA (ファッションモデル)|RINA]]、[[ファッションモデル]]
* 1980年 - [[佐々木秀実]]、歌手
* 1980年 - [[今村卓博]]、声優
* [[1982年]] - [[林知花]]、女優
* 1982年 - [[アラン・ストリート]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1983年]] - [[大谷昌司]]、サッカー選手
* 1983年 - [[大谷圭志]]、元サッカー選手
* [[1984年]] - [[大久保裕樹]]、元サッカー選手
* [[1985年]] - [[本田拓也]]、元サッカー選手
* 1985年 - 今井優、アイドル、元[[AKB48]]
* 1985年 - [[ジョー=ウィルフリード・ツォンガ]]、テニス選手
* [[1986年]] - [[中村明花]]、タレント、元ファッションモデル
* 1986年 - [[福田俊介]]、サッカー選手
* 1986年 - [[白倉キッサダー]]、元[[野球選手]]
* [[1987年]] - [[板金立樹]]、サッカー指導者
* 1987年 - [[田沢由哉]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[ミレーヌ・ブロデューア]]、フィギュアスケート選手
* 1987年 - ヤマサキ セイヤ、ミュージシャン([[キュウソネコカミ]])
* [[1988年]] - [[Taka (ONE OK ROCKのメンバー)|Taka]]、歌手([[ONE OK ROCK]])
* 1988年 - [[にしね・ザ・タイガー]]、お笑い芸人
* 1988年 - [[水渕葵]]、元女優、元タレント
* [[1989年]] - [[アレクサンドル・エンベルト]]、フィギュアスケート選手
* 1989年 - [[チャルレス・アランギス]]、サッカー選手
* 1989年 - [[大谷麻衣]]、女優
* [[1990年]] - [[石部雅紀]]、元俳優
* 1990年 - [[石井美絵子]]、ファッションモデル
* 1990年 - [[ルカーシュ・マレチェク]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[今村猛]]、元プロ野球選手
* 1991年 - [[上杉晋作]]、[[チェスプレーヤーの一覧|チェスプレーヤー]]
* 1991年 - [[三浦天悟]]、サッカー選手
* 1991年 - [[千代丸一樹]]、大相撲力士
* [[1992年]] - [[宮國椋丞]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[ロニー・ロドリゲス]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[福田将儀]]、元プロ野球選手
* 1992年 - [[香妻琴乃]]、プロゴルファー
* [[1993年]] - [[若葉克実]]、俳優
* 1993年 - [[重信慎之介]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[ジノ|ジンホ]]、アイドル ([[PENTAGON (音楽グループ)|PENTAGON]])
* [[1995年]] - [[直田姫奈]]、声優
* 1995年 - [[相良茉優]]、声優
* 1995年 - [[三鈴晃幹]]、俳優
* 1995年 - [[熊江琉唯]]、モデル、レースクイーン
* 1995年 - チョン・フィイン、アイドル([[MAMAMOO]])
* [[1996年]] - [[佐藤ミケーラ]]、ファッションモデル、[[アイドル]](元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]35号)
* 1996年 - [[ホンソク]]、アイドル (PENTAGON)
* 1996年 - [[下堂竜聖]]、サッカー選手
* 1996年 - [[東白龍雅士]]、大相撲力士
* [[1997年]] - [[熊沢世莉奈]]、声優(元[[HKT48]])
* [[1998年]] - 野口由芽、アイドル(元[[SKE48]])
* 1998年 - [[高橋英也]]、フットサル選手
* [[1999年]] - [[中嶋春陽]]、女優
* 1999年 - [[萩原竜之介]]、元子役
* 1999年 - 遠藤光莉、アイドル([[櫻坂46]])
* [[2000年]] - [[吉田優利]]、ゴルファー
* [[2001年]] - [[黒川史陽]]、プロ野球選手
* 2001年 - [[佐藤瑠雅]]、俳優
* 2001年 - シン・リュジン、アイドル([[ITZY]])
* [[2003年]] - 川﨑桜<ref>{{Cite web|和書|title=川崎桜 |url=https://www.nogizaka46.com/s/n46/artist/55400?ima=1229 |website=乃木坂46公式サイト |access-date=12 Jul 2023 |language=ja}}</ref>、アイドル([[乃木坂46]])
* 2003年 - ペク・ジホン、アイドル([[fromis_9]])
* 2003年 - [[深澤めぐみ]]、バレーボール選手
* 2003年 - [[深澤つぐみ]]、バレーボール選手
* 2003年 - [[森木大智]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/players/03305155.html |title=森木 大智(阪神タイガース)|個人年度別成績 |access-date=12 Jul 2023 |publisher=日本野球機構}}</ref>、プロ野球選手
* [[2006年]] - [[西﨑美空]]、アイドル([[OCHA NORMA]])
* 生年不詳 - [[須加みき]]、声優
* 生年不詳 - [[魔王マグロナ]]、[[バーチャルYouTuber]]
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1972年]] - [[イシノアラシ]]、[[競走馬]](+ [[1981年]])
* [[1979年]] - [[オールアロング]]、競走馬(+ [[2005年]])
* [[1980年]] - [[ロンググレイス]]、競走馬(+ [[2002年]])
* [[1985年]] - [[メジロワース]]、競走馬
* [[1987年]] - [[ハクタイセイ]]、競走馬(+ [[2013年]])
* [[1988年]] - [[フジヤマケンザン]]、競走馬(+ [[2016年]])
* 1988年 - [[オースミダイナー]]、競走馬(+ [[2010年]])
* 1988年 - [[ブロードマインド]]、競走馬(+ [[2008年]])
* [[1991年]] - [[メルシーステージ]]、競走馬(+ [[1998年]])
* [[1993年]] - [[メジロファラオ]]、競走馬
* [[1996年]] - [[ラスカルスズカ]]、競走馬(+ [[2020年]])
* [[2002年]] - [[ジャイアントレッカー]]、競走馬(+ [[2014年]])
* [[2005年]] - [[ウォーパス]]、競走馬(+ [[2010年]])
== 忌日 ==
[[Image:Eugène Ferdinand Victor Delacroix 019.jpg|thumb|[[ヴェネツィア]]の第55代元首[[マリーノ・ファリエロ]](1285-1355)刑死。画像は[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]画(1827)|230x230ピクセル]]
{{multiple image
| caption1 = アメリカ合衆国の政治家、[[ベンジャミン・フランクリン]](1706-1790)没
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| width1 = 90
| alt1 = ベンジャミン・フランクリン
| image2 = Suzuki Kantaro.jpg
| width2 = 100
| caption2 = 第42代日本国内閣総理大臣、[[鈴木貫太郎]](1868-1948)没
| alt2 = 鈴木貫太郎
}}
[[Image:Antonio_Fontanesi_001.jpg|thumb|180x180px|日本で[[洋画]]を指導した[[お雇い外国人]]、[[アントニオ・フォンタネージ]](1818-1882)没。画像は『牧草地への道』]]
[[Image:Louise_Nevelson%2C_Transparent_Horizon_%281975%29%2C_MIT_Campus.JPG|thumb|286x286px|彫刻家[[ルイーズ・ネヴェルソン]](1900-1988)。画像は『透明な水平線』(1975)]]
* [[1355年]] - [[マリーノ・ファリエロ]]、[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]のドージェ(* [[1285年]])
* [[1669年]] - [[アントニオ・ベルターリ]]、[[作曲家]](* [[1605年]])
* [[1696年]] - [[セヴィニエ侯爵夫人マリー・ド・ラビュタン=シャンタル]]、作家(* [[1626年]])
* [[1711年]] - [[ヨーゼフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ1世]]、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1678年]])
* [[1742年]] - [[アルヴィド・ホルン]]、[[政治家]](* [[1664年]])
* [[1761年]] - [[トーマス・ベイズ]]、[[数学者]](* [[1702年]])
* [[1764年]] - [[ヨハン・マッテゾン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography//Johann-Mattheson Johann Mattheson German musician and writer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、作曲家(* [[1681年]])
* [[1790年]] - [[ベンジャミン・フランクリン]]、[[政治家]]、[[物理学者]](* [[1706年]])
* [[1882年]] - [[アントニオ・フォンタネージ]]、[[画家]](* [[1818年]])
* [[1892年]] - [[アレキサンダー・マッケンジー (カナダ首相)|アレキサンダー・マッケンジー]]、政治家、[[カナダ首相]](* [[1822年]])
* [[1898年]] - [[ボビー・マシューズ]]、元プロ野球選手(* [[1851年]])
* [[1902年]] - [[フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン]]、[[イサベル2世 (スペイン女王)|スペイン女王イサベル2世]]の[[王配]](* [[1822年]])
* [[1906年]] - [[磯部百鱗]]、[[日本画家]](* [[1836年]])
* [[1932年]] - [[藤沢友吉 (初代)]]、[[藤沢薬品工業]]創業者(* [[1866年]])
* 1932年 - [[パトリック・ゲデス]]、[[生物学者の一覧|生物学者]]、[[教育学|教育学者]](* [[1854年]])
* [[1937年]] - [[李箱]]、[[詩人]](* [[1910年]])
* [[1942年]] - [[ジャン・ペラン]]、[[物理学者]](* [[1870年]])
* [[1948年]] - [[鈴木貫太郎]]、政治家、第42代[[内閣総理大臣]](* [[1868年]])
* [[1954年]] - [[徳川頼貞]]、政治家、[[音楽学者]](* [[1892年]])
* [[1959年]] - [[川路柳虹]]、[[詩人]](*[[1888年]])
* [[1960年]] - [[諸口十九]]、[[俳優]](* [[1891年]])
* 1960年 - [[エディ・コクラン]]、[[ロカビリー]][[歌手]](* [[1938年]])
* [[1963年]] - [[徳川好敏]]、[[飛行機]][[パイロット (航空)|操縦士]]、[[中将]](* [[1884年]])
* [[1974年]] - [[ヒュー・テイラー]]、[[化学者]](* [[1890年]])
* [[1976年]] - [[カール・ピーター・ヘンリク・ダム]]、[[生化学|生化学者]]、[[生理学|生理学者]](* [[1895年]])
* [[1986年]] - [[戸田吉蔵]]、元[[プロ野球選手]](* [[1913年]])
* [[1987年]] - [[香川良介]]、俳優(* [[1896年]])
* 1987年 - [[福家俊一]]、政治家(* [[1912年]])
* 1987年 - [[武内つなよし]]、[[漫画家]]、[[小説家]](* [[1922年]])
* [[1988年]] - [[ルイーズ・ネヴェルソン]]、[[彫刻家]](* [[1900年]])
* [[1990年]] - [[南村侑広]]、元プロ野球選手(* [[1917年]])
* [[1993年]] - [[トゥルグト・オザル]]、政治家、第8代[[トルコの大統領|トルコ大統領]](* [[1927年]])
* [[1994年]] - [[宇野光雄]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]](* 1917年)
* 1994年 - [[ロジャー・スペリー]]、[[神経心理学|神経心理学者]](* [[1913年]])
* [[1997年]] - [[秋岡芳夫]]、[[インダストリアルデザイナー|工業デザイナー]](* [[1920年]])
* [[1998年]] - [[リンダ・マッカートニー]]、[[写真家]]、ミュージシャン(* [[1941年]])
* 1998年 - [[タイガー立石]]、[[画家]]、[[漫画家]]、[[絵本作家]]、[[陶芸家]](* 1941年)
* [[2000年]] - [[大塚正士]]、実業家(* [[1916年]])
* [[2001年]] - [[山田智彦]]、[[作家]](* [[1936年]])
* [[2002年]] - [[坂野重信]]、政治家(* [[1917年]])
* [[2003年]] - [[アール・キング]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]][[ギタリスト]]、[[シンガーソングライター]](* [[1934年]])
* 2003年 - [[今藤幸治]]、[[サッカー]]選手(* [[1972年]])
* [[2004年]] - [[アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィー]]、[[ハマース]]指導者(* [[1947年]])
* 2004年 - {{仮リンク|ベルナール・カトラン|en|Bernard Cathelin}}、画家(* [[1919年]])
* 2004年 - [[アール・マイナー]]、日本文学研究者(* [[1926年]])
* [[2005年]] - 中村翫之助(四代目)、[[歌舞伎]][[俳優]](* [[1935年]])
* [[2008年]] - [[エメ・セゼール]]、詩人(* [[1913年]])
* 2008年 - [[横山友美佳]]、[[バレーボール]]選手(* [[1987年]])
* [[2011年]] - [[出崎統]]、[[アニメ監督]](* [[1943年]])
* [[2012年]] - [[相田暢一]]、元[[野球選手]]、アマチュア野球指導者(* [[1921年]])
* 2012年 - [[小野坂清]]、元プロ野球選手(* [[1942年]])
* [[2013年]] - [[畠山武]]、経営者(* [[1924年]])
* 2013年 - [[陳僖儀]]、歌手(* [[1987年]])
* [[2014年]] - [[ガブリエル・ガルシア=マルケス]]、作家、小説家(* [[1928年]])
* [[2017年]] - [[渡部昇一]]、[[英語学者]](* [[1930年]])
* [[2019年]] - [[小池一夫]] 、[[漫画原作者]]、[[脚本家]]、小説家、[[作詞家]]、作家(* [[1936年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Herrerasaurusskeleton.jpg|thumb|180x180px|[[恐竜]]の日]]
* 世界ヘモフィリアデー(世界血友病の日)({{World}})
*: [[世界血友病連盟]]が[[1998年]]に制定。[[血友病]]およびその他の血液の病気についての啓発デー。世界血友病連盟を設立したフランク・シュネーベル(Frank Schnabel)の誕生日。
* 撤退記念日([[独立記念日]])({{SYR}})
*: [[1946年]]のこの日、[[フランス]]がシリアの独立を承認し、シリアからフランス軍が完全撤退した。
*[[恐竜]]の日
*:[[1923年]]のこの日、アメリカの動物学者[[ロイ・チャップマン・アンドリュース]]が人類の起源の手掛かりを探すべく[[ゴビ砂漠]]へ向けて北京を出発した。その後5年間に及ぶ旅行中に、恐竜の卵の化石を世界で初めて発見し、その後の本格的な恐竜研究の始まりになった。生涯にわたり何度も探検の旅に出た彼は、猛獣に襲われたり、盗賊に遭遇したり、危機一髪の状況に何度も遭遇し、その度に切り抜けてきた。そのことからアンドリュースは、映画「[[インディ・ジョーンズ シリーズ|インディ・ジョーンズ]]」シリーズの主人公のモデルとも言われている<ref>{{Cite web |url=https://forbesjapan.com/articles/detail/46990 |title=世界で初めて恐竜の化石を発見した人物は? 恐竜の日|4月17日 |access-date=16 Oct 2023 |publisher=[[Forbes]] JAPAN |date=17 Apr 2022}}</ref>。
*ハローワークの日(職安記念日)({{JPN}})
*:[[1947年]]のこの日、それまでの職業紹介所が「[[公共職業安定所]]」に改称したことによる。現在は「ハローワーク」という愛称で呼ばれている。
*飯田・下伊那の日、[[五平もち]]記念日({{JPN}})
*:「し(4)もい(1)な(7)」の語呂合せ。長野県飯田・下伊那地方の特産である五平もちをPRする日。
*少年保護デー({{JPN}})
*:[[1952年]]に、[[11月27日]]の「司法保護記念日」と統合され、[[9月13日]]の「更生保護記念日」となった。
*:
*[[ナス|なすび]]記念日({{JPN}})
*:冬春なす主産県協議会が[[2004年]]に制定。「ヨ(4)イ(1)ナ(7)ス」の語呂合わせ、4月が冬春ナスの最盛期であること、4月にナスが好物であった[[徳川家康]]に献上されていたこと、徳川家康の命日が[[4月17日 (旧暦)|旧暦の4月17日]]であることによる。
*[[徳川家康]]忌({{JPN}})
*:徳川家康は、[[元和 (日本)|元和]]2年([[1616年]])4月17日(新暦[[6月1日]])没。死因は鷹狩の先に寄った[[田中城]]([[静岡県]][[藤枝市]])で「鯛の天ぷらを食べて死んだ。」と伝わる。この日、[[静岡県]][[静岡市]][[駿河区]]の[[久能山東照宮]]では、全国から徳川家関係者が参集し、三品立神饌と呼ばれる特別な供物が供えられた社殿で「御例祭」が斎行される<ref>{{Cite web |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/20230417/3030019894.html |title=久能山東照宮 「御例祭」で徳川宗家 新当主が司祭 |access-date=16 Oct 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] 静岡 NEWS WEB |date=17 Apr 2023}}</ref>。
*[[二荒山神社]]弥生祭({{JPN}})
*:1200年有余年の伝統を持つ日光二荒山神社の例祭で、古くは3月(旧暦の弥生)に行われたことから「弥生祭」と呼ばれる。神社祭典は[[4月13日]]から17日まで行われ、大祭当日の17日に付祭として、花家体が繰り出される。この祭は、「ごた祭り」とも呼ばれ、古いしきたりを重んじ、格式通りに進められる。ひとつ間違うと町内単位の 『ごた=トラブル』になるため、参加者は全神経を働かせるが、何か支障があった場合には、祭りがストップすることもある<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.futarasan.jp/yayoi/ |title=二荒山神社 -弥生祭- |access-date=12 Jul 2023 |publisher=日光二荒山神社}}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0417|date=Jul 2023}}
* [[2016年]] - グレートアイザーが人間界への襲撃を開始する。(特撮ドラマ『[[仮面ライダーゴースト]]』)
* [[コズミック・イラ|C.E.]]70年 - 第一次ヤキン・ドゥーエ攻防戦勃発。(アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』)
* 年不明 - 皮村薫が愛読しているエロ本、『ぬるぬる天国』の増刊号が発売。(漫画『[[いでじゅう!]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1978年]] - [[火野レイ]]、漫画・アニメ・舞台『[[美少女戦士セーラームーン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sailormoon-official.com/world/mars.php |title=火野レイ セーラーマーズ |access-date=12 Jul 2023 |work=『美少女戦士セーラームーン』 |publisher=[[武内直子]]・PNP・[[講談社]]・[[東映アニメーション]] [[ネルケプランニング]]・[[ドワンゴ]]/ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」製作委員会・同乃木坂46板}}</ref>
* [[1998年]] - 供御飯万智、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|nankagun|1383422875391053835}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=5|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=125|isbn=978-4-7973-9009-4}}</ref>
* 2283年 - 神楽坂ユナ(神楽坂優奈)、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズの主人公<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/yuna.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:神楽坂優奈|date=20100920204239}}</ref>
* 生年不明 - 鬼怒川日向、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/kinugawa_hinata |title=栃木 鬼怒川日向 |access-date= 12 Jul 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref>
* 生年不明 - ぱわるぅ([[がおぱわるぅ]])、[[サンリオ]]のキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=がおぱわるぅ |url=https://www.sanrio.co.jp/characters/gaopowerroo/ |access-date=16 Oct 2023 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref>
* 生年不明 - カメレオン座のジュネ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|saintseiya_rc|1515344271351681030}}</ref>
* 生年不明 - シャーロット・アナナ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Charlotte_Anana.html |title=シャーロット・アナナ |access-date= 12 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |website=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - 小坂田朋香、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1383073964507996166}}</ref>
* 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#緋扇かるら|緋扇かるら]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=136|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref>
* 生年不明 - 宮村伊澄、漫画・アニメ『[[堀さんと宮村くん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|horimiya_anime|1383072942368509954}}</ref>
* 生年不明 - 井上大将、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://7o3x.com/char/profiles.html#3 |title=井上大将 |publisher=[[杉基イクラ]]/[[KADOKAWA]] 7○3×クイズ研究会 |accessdate= 12 Jul 2023 |work=『ナナマル サンバツ』}}</ref>
* 生年不明 - [[三ツ星カラーズ#赤松結衣|赤松結衣]]、漫画・アニメ『[[三ツ星カラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|3boshi_anime|1118443325273427969}}</ref>
* 生年不明 - 山本美波、漫画・アニメ『[[女子高生の無駄づかい]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://jyoshimuda.com/chara05.html |title=山本美波(ヤマイ) |access-date= 12 Jul 2023 |publisher=ビーノ/[[KADOKAWA]]/女子高生の無駄づかい製作委員会 |work=『女子高生の無駄づかい』}}</ref>
* 生年不明 - 星神凛音、特撮ドラマ『[[リズスタ -Top of Artists!-]]』の登場人物
* 生年不明 - 風祭鷹介、アニメ『[[元気爆発ガンバルガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1383253889357549576}}</ref>
* 生年不明 - 新山仁子、アニメ『[[キズナイーバー|キズナイバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kiznaiver.jp/character/niyama.html |title=新山仁子 |access-date=12 Jul 2023 |publisher=[[TRIGGER]]・[[岡田麿里]]/キズナイーバー製作委員会 |work=『キズナイバー』}}</ref>
* 生年不明 - [[ベガ (ストリートファイター)|ベガ]]、ゲーム『[[ストリートファイターシリーズ|ストリートファイター]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/130265 |title=キャラ図鑑113:ベガ |access-date= 12 Jul 2023 |publisher=CAPCOM:シャドルー格闘家研究所 |work=ストリートファイター}}</ref>
* 生年不明 - 朝門春日、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|1383072695198228483}}</ref>
* 生年不明 - ハルカ、ゲーム『[[消滅都市]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shoumetsutoshi|1251027612622712833}}</ref>
* 生年不明 - ガァルル、ゲーム・アニメ『[[プリパラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=柴崎恵美子|title=テレビ超ひゃっか プリパラ アイドルずかん|publisher=小学館|year=2016|page=31|isbn=978-4-09-750417-7}}</ref>
* 生年不明 - ティンプラ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=100&cate=name&cont=Tinpla |title=ティンプラ |access-date=2022-12-12 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - ジェーン、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-134 |title=ジェーン |publisher=Vespa Inc |work=『キングスレイド』 |accessdate=12 Jul 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=134 |archivedate=4 Nov 2021}}</ref>
* 生年不明 - ホマレ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1647781930086068231}}</ref>
* 生年不明 - 魈、ゲーム『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Genshin_7|1647812138377830400}}</ref>
* 生年不明 - [[ラブライブ!サンシャイン!!#渡辺曜|渡辺曜]]、メディアミックス『[[ラブライブ!サンシャイン!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://lovelive-as.bushimo.jp/member/you/ |title=Aqours 渡辺 曜 |publisher=プロジェクトラブライブ! プロジェクトラブライブ!サンシャイン!! プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] [[ブシロード|bushiroad]] |accessdate=12 Jul 2023 |work=『ラブライブ!オールスターズ』}}</ref>
* 生年不明 - [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#石動双葉|石動双葉]]、メディアミックス『[[少女☆歌劇 レヴュースタァライト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|starlightrelive|1118380283043155970}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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{{新暦365日|4|16|4|18|[[3月17日]]|[[5月17日]]|[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]|0417|4|17}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8817%E6%97%A5 |
4,881 | 4月18日 | 4月18日(しがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から108日目(閏年では109日目)にあたり、年末まではあと257日ある。
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'''4月18日'''(しがつじゅうはちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から108日目([[閏年]]では109日目)にあたり、年末まではあと257日ある。
== できごと ==
[[Image:Sfearthquake2.jpg|thumb|240px|[[サンフランシスコ地震]](1906)。アメリカ西海岸の中心地が[[ロサンゼルス]]へと移ることになる]]
[[Image:Field_of_Dreams.jpg|thumb|200px|旧[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]開場(1923)]]
[[Image:Army_B-25_%28Doolittle_Raid%29.jpg|thumb|200px|日本本土への初空襲、[[ドーリットル空襲]](1942)]]
[[Image:Gedung.Merdeka.jpg|thumb|180px|第1回[[アジア・アフリカ会議]](1955)開催]]
* [[1126年]]([[大治 (日本)|大治]]元年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[藤原清衡]]が[[中尊寺]]の金堂・三重塔の落慶法会を行う。
* [[1268年]]([[文永]]5年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[北条時宗]]が[[鎌倉幕府]][[執権]]に就任。
* [[1429年]]([[正長]]2年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]])- [[足利義教]]に[[将軍宣下]]が行われる。
* [[1506年]] - 現在の[[サン・ピエトロ大聖堂]]の基礎石の設置式典が行われる。
* [[1714年]]([[正徳 (日本)|正徳]]4年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[江島生島事件]]: [[大奥]][[御年寄]][[絵島]]の[[信濃国]]高遠への配流が決定<ref>{{Cite web|和書|url=https://konomanga.jp/guide/31253-2 |title=4月18日は「江島生島事件」の採決が下った日 『かぶく者』を読もう! 【きょうのマンガ】 |access-date=30 Mar 2023 |publisher=[[宝島社]] |website=このマンガがすごい!WEB |date=18 Apr 2015}}</ref>。
* [[1771年]]([[明和]]8年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - [[杉田玄白]]・[[前野良沢]]らが、死刑囚の解剖を見学。翌日から医学書『[[ターヘル・アナトミア]]』の翻訳にとりかかる。
* [[1835年]] - [[ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵)|メルバーン子爵ウィリアム・ラム]]がイギリスの第30代首相に就任。
* [[1847年]] - [[米墨戦争]]: [[セルロ・ゴードの戦い]]
* [[1863年]]([[文久]]3年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[壬生浪士|壬生浪士組]]のうち京都に残留した[[芹沢鴨]]ら24名が[[京都守護職]]・会津藩主の[[松平容保]]の配下に取立てられる(後の[[新選組]])。
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[大阪市|大坂]][[天保山]]沖で日本初の[[観艦式]]が行われる。
* [[1864年]] - [[第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争]]: [[ドゥッブル堡塁の戦い]]
* [[1881年]] - [[西部開拓時代]]: [[ビリー・ザ・キッド]]が[[リンカーン郡 (ニューメキシコ州)|リンカーン郡]]刑務所を脱走。
* [[1885年]] - 日本と清国が朝鮮出兵に関する[[天津条約 (1885年4月)|天津条約]]を締結。
* [[1897年]] - [[ギリシャ王国]]と[[オスマン帝国]]の間で[[クレタ島]]領有をめぐる[[希土戦争 (1897年)|希土戦争]]が開戦。
* [[1906年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]西海岸地区を中心とした大規模な[[サンフランシスコ地震]]が発生。
* [[1923年]] - [[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]開場。
* [[1925年]] - [[国際アマチュア無線連合]]がパリで結成。
* [[1927年]] - [[蔣介石]]を中心として[[蔣介石政権|南京国民政府(蔣介石政権)]]が樹立され、[[中国共産党]]が排除される。(国共分裂)
* [[1931年]] - アマチュアの考古学者[[直良信夫]]が[[明石市]]の海岸で[[明石原人]]の人骨を発見<ref>{{Cite web|和書|url=http://kdskenkyu.saloon.jp/tale15aka.htm |title=見果てぬ夢、「明石原人」 |access-date=30 Mar 2023 |publisher=神戸・兵庫の郷土史Web研究館(KDS)/地域創生・ツーリズム研究所}}</ref>。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[日本本土空襲]]: [[東京]]・[[名古屋市|名古屋]]・[[四日市市|四日市]]・[[神戸市|神戸]]に[[B-25 (航空機)|B-25]]爆撃機16機が初来襲。([[ドーリットル空襲]])
* 1942年 - [[ピエール・ラヴァル]]が[[ヴィシー政権]]の首相に就任。
* [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[山本五十六]]海軍大将が、搭乗機をアメリカ軍機により撃墜され戦死([[海軍甲事件]])。
* [[1946年]] - [[国際司法裁判所]]が開所。
* [[1947年]] - イギリス軍の爆撃訓練場となっていた[[ドイツ]]・[[ヘルゴラント島]]で、6800トンの爆弾を使用して旧ドイツ軍の防御設備を爆破。
* [[1949年]] - [[アイルランド共和国法]]の施行により[[アイルランド]]が[[共和制]]を宣言し、[[イギリス連邦]]を離脱<ref>{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/world/from-the-archive-blog/2020/apr/08/ireland-becomes-a-republic-april-1949 |title=The day Ireland became a republic - archive, April 1949 |access-date=30 Mar 2023 |publisher=The Guardian |date=8 Apr 2020}}</ref>。
* 1949年 - [[アメリカ海軍]]が空母「[[ユナイテッド・ステーツ (空母)|ユナイテッド・ステーツ]]」を起工。「[[提督たちの反乱]]」事件により5日後の4月23日に建造中止。
* [[1951年]] - 西欧6か国が[[欧州石炭鉄鋼共同体]] (ECSC) を設立する[[パリ条約 (1951年)|パリ条約]]に調印。
* [[1954年]] - [[ガマール・アブドゥン=ナーセル]]が[[エジプト]]の実権を掌握。
* [[1955年]] - 第1回[[アジア・アフリカ会議]](バンドン会議)開催。
* [[1956年]] - [[モナコ]]大公[[レーニエ3世]]がアメリカの映画俳優[[グレース・ケリー]]と結婚。
* [[1972年]] - 電子楽器メーカー[[ローランド]]設立。
* [[1973年]] - [[許諾を得ないレコードの複製からのレコード製作者の保護に関する条約]](通称ジュネーブ・レコード条約)発効。
* [[1980年]] - [[ジンバブエ]]がイギリスより独立。
* [[1983年]] - [[アメリカ大使館爆破事件 (1983年)|アメリカ大使館爆破事件]]:在ベイルート大使館で起こった[[自爆テロ]]。63人死亡120人負傷。
* [[1987年]] - [[大阪市営地下鉄御堂筋線]]・[[我孫子駅 (大阪府)|我孫子駅]] - [[中百舌鳥駅]]間が開業し、全通。
* [[1991年]] - 日本の[[海部俊樹]]首相とソ連の[[ミハイル・ゴルバチョフ]]大統領が日ソ共同声明に署名。[[北方地域|北方領土]]四島を領土画定協議の対象とすることで合意。
* [[1993年]] - [[岩手県]][[花巻空港]]において[[日本エアシステム451便着陸失敗事故]]発生。機体は大破炎上。重軽傷者58名。
* [[1997年]] - [[東京都]][[江東区]][[大島 (江東区)|大島]]六丁目の団地で[[JT女性社員逆恨み殺人事件]]が発生。7年前(1989年)に同事件の被害者女性([[日本たばこ産業]]〈JT〉社員)に対する強姦致傷事件を起こし、被害者から警察に被害届を出されたことで逮捕・起訴され懲役7年の刑に処された男(同年2月に[[札幌刑務所]]を出所)による犯行。
* [[2002年]] - 新東京国際空港(現[[成田国際空港]])において暫定平行滑走路の供用開始。
* [[2007年]] - [[富山県]][[立山]]の雷鳥沢で[[雪崩]]が発生。3人が巻き込まれ1人が死亡。
* [[2010年]] - 阪神タイガースの[[金本知憲]]が更新していた連続試合全イニング出場が、1,492試合で止まる。
* [[2020年]] - カナダで[[ノバスコシア州銃撃事件 (2020年)|ノバスコシア州銃撃事件]]が発生。死者23人は同国で発生した銃撃事件では最悪<ref>{{Cite web|和書|date=22 Apr 2020 |url=https://www.sankei.com/article/20200422-FIVK5K5BSVPWXN5REK53VCG5VY/ |title=カナダ乱射 死者23人に |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=30 Mar 2023}}</ref>。
<!-- === 日本の自治体改編 ===
* [[1876年]] - 日本で1回目の「第二次[[都道府県|府県統合]]」を実施。
**[[新治県]]の一部および[[千葉県]]の一部を[[茨城県]]に編入。茨城県が現在の形に。
**[[足柄県]]を分割して[[静岡県]]と[[神奈川県]]に編入。神奈川県が現在の形に。
**[[相川県]]を[[新潟県]]に編入。新潟県が現在の形に。
**[[度会県]]を[[三重県]]に編入。三重県が現在の形に。
**[[北条県]]を[[岡山県]]に編入、岡山県の旧[[備後国]]を[[広島県]]に編入。岡山県・広島県が現在の形に。
自治体の改編は記載するには数が多すぎるためコメントアウト-->
== 誕生日 ==
[[Image:Ritratto di donna del Cinquecento.jpg|thumb|upright|[[ルクレツィア・ボルジア]](1480-1519)誕生。政略結婚に翻弄された]]
[[Image:Middletn.jpg|thumb|upright|劇作家[[トマス・ミドルトン]](1580-1627)誕生]]
[[Image:Franz_von_Suppé.jpg|thumb|upright|[[オペレッタ]]の作曲家[[フランツ・スッペ]](1819-1895)誕生]]
[[Image:Lecoq_de_Boisbaudran.jpg|thumb|upright|[[ガリウム]]などを発見した化学者、[[ポール・ボアボードラン]](1838-1912)]]
[[Image:Stokowskiyoung.jpg|thumb|upright|指揮者[[レオポルド・ストコフスキー]](1882-1977)]]
[[Image:Goto_Keita.png|thumb|upright|[[東京急行電鉄]]の事実上の創業者、[[五島慶太]](1882-1959)]]
[[Image:Samuel_P._Huntington_%282004_World_Economic_Forum%29.jpg|thumb|200px|国際政治学者[[サミュエル・P・ハンティントン]](1927-2008)。{{Squote|西洋は思想や価値や宗教の優越によってではなく、組織化された暴力の適用の優越によって世界を勝ち取ったのである。西洋人はしばしばこの事実を忘れるが、西洋人以外は決して忘れない。――『[[文明の衝突]]』(1996)}}]]
[[Image:Joe_Goldstein.JPG|thumb|upright|[[コレステロール]]代謝研究の先駆者、[[ジョーゼフ・ゴールドスタイン]](1940-)]]
=== 人物 ===
* [[1480年]] - [[ルクレツィア・ボルジア]]、[[フェラーラとモデナの君主一覧|フェラーラ公]][[アルフォンソ1世・デステ|アルフォンソ1世]]の[[妃]](+ [[1519年]])
* [[1590年]] - [[アフメト1世]]<ref>{{Cite web |title=Ahmed I {{!}} Ottoman sultan |url=https://www.britannica.com/biography/Ahmed-I |website=Britannica |access-date=30 Mar 2023}}</ref>、[[オスマン帝国]]第14代[[皇帝]](+ [[1617年]])
* [[1622年]]([[元和 (日本)|元和]]8年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[盤珪永琢]]、[[臨済宗]]の[[僧|僧侶]](+ [[1693年]])
* [[1636年]]([[寛永]]13年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[狩野常信]]、[[画家]](+ [[1713年]])
* [[1703年]]([[元禄]]16年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[永井直期]]、第6代[[摂津国]][[高槻藩|高槻藩主]](+ [[1765年]])
* [[1746年]]([[延享]]3年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[徳川重倫]]、第8代[[紀伊国]][[紀州藩|紀州藩主]](+ [[1829年]])
* [[1755年]]([[宝暦]]5年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[松平頼謙]]、第6代[[伊予国]][[西条藩|西条藩主]](+ [[1806年]])
* [[1799年]] - [[ジョン・ヤング・メイソン]]、[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1859年]])
* [[1810年]]([[文化 (元号)|文化]]7年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]) - [[黒田直静]]、第7代[[上総国]][[久留里藩|久留里藩主]](+ [[1854年]])
* [[1815年]](文化7年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - [[稲葉幾通]]、第13代[[豊後国]][[臼杵藩|臼杵藩主]](+ [[1844年]])
* [[1819年]] - [[フランツ・スッペ]]、[[作曲家]](+ [[1895年]])
* 1819年 - [[カルロス・マヌエル・デ・セスペデス]]、[[キューバ]]の[[革命家]](+ [[1874年]])
* [[1838年]] - [[ポール・ボアボードラン]]、[[化学者]](+ [[1912年]])
* [[1842年]]([[天保]]13年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[川端玉章]]、[[日本画家]](+ [[1913年]])
* [[1880年]] - [[サム・クロフォード]]、元プロ野球選手(+ [[1968年]])
* [[1882年]] - [[五島慶太]]、[[実業家]]、[[政治家]](+ [[1959年]])
* 1882年 - [[レオポルド・ストコフスキー]]、[[指揮者]](+ [[1977年]])
* [[1888年]] - [[柳家小さん (4代目)|4代目柳家小さん]]、[[落語家]](+ [[1947年]])
* 1888年 - [[ダフィー・ルイス]]、元プロ野球選手(+ [[1979年]])
* [[1895年]] - [[大木惇夫]]、[[詩人]](+ [[1977年]])
* [[1902年]] - [[ジュゼッペ・ペッラ]]、[[イタリアの首相|イタリア首相]](+ [[1981年]])
* [[1903年]] - [[三岸好太郎]]、[[画家]](+ [[1934年]])
* 1903年 - [[芝不器男]]、俳人(+ [[1930年]])
* [[1904年]] - [[ジュゼッペ・テラーニ]]、[[建築家]](+ [[1943年]])
* [[1905年]] - [[中川信夫]]、[[映画監督]](+ [[1984年]])
* 1905年 - [[ジョージ・ヒッチングス]]、[[薬理学|薬理学者]](+ [[1998年]])
* 1905年 - [[高山岩男]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1993年]])
* [[1907年]] - [[ラース・ヴァレリアン・アールフォルス]]、[[数学者]](+ [[1996年]])
* 1907年 - [[ロージャ・ミクローシュ]]、作曲家(+ [[1995年]])
* [[1917年]] - [[島尾敏雄]]、[[小説家]](+ [[1986年]])
* [[1918年]] - [[橋本忍]]、[[脚本家]](+ [[2018年]])
* 1918年 - [[神島二郎]]、[[政治学者]](+ [[1998年]])
* 1918年 - [[ガブリエル・アクセル]]、映画監督(+ [[2014年]])
* [[1920年]] - [[エーリヒ・パウージン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1997年]])
* [[1923年]] - [[稲垣定雄]]、元[[プロ野球選手]]
* [[1924年]] - [[クラレンス・"ゲイトマウス"・ブラウン]]、[[ミュージシャン]](+ [[2005年]])
* [[1925年]] - [[國登國生]]、元[[大相撲]][[力士]](+ [[1995年]])
* [[1926年]] - [[李翰祥]]、映画監督(+ [[1996年]])
* [[1927年]] - [[サミュエル・P・ハンティントン]]、[[政治学者]](+ [[2008年]])
* [[1928年]] - [[佐藤幹夫 (数学者)|佐藤幹夫]]、数学者(+ [[2023年]])
* 1928年 - ハワード・ベッカー ([[:en:Howard S. Becker|Howard S. Becker]])、[[ラベリング理論]]提唱者
* 1928年 - [[愛野興一郎]]、政治家(+ [[1998年]])
* 1928年 - [[近藤乾之助]]、[[能楽師]](+ [[2015年]])
* [[1931年]] - [[荒木浩 (東京電力)|荒木浩]]、元[[東京電力]]社長(+ [[2021年]])
* 1931年 - [[犬養智子]]、[[評論家]]、[[作家]](+ [[2016年]])
* 1931年 - [[ダン・オルヴェウス]]、[[心理学者]]、いじめ研究の第一人者(+ [[2020年]])
* [[1932年]] - [[川合伸旺]]、[[俳優]](+ [[2006年]])
* [[1935年]] - [[蓬茨霊運]]、[[天文学者]](+ [[1999年]])
* 1935年 - [[橋本昌二]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](+ [[2009年]])
* 1935年 - [[若井はんじ・けんじ|若井けんじ]]、[[漫才師]](+ [[1987年]])
* [[1937年]] - [[青木宥明]]、元プロ野球選手(+ [[2001年]])
* 1937年 - [[安倍圭子]]、[[マリンバ]]奏者
* [[1940年]] - [[ウラジーミル・ワシーリエフ]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付家]]
* 1940年 - [[ジョーゼフ・ゴールドスタイン]]、[[生化学|生化学者]]、[[遺伝学|遺伝学者]]
* [[1942年]] - [[ヨッヘン・リント]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[1970年]])
* 1942年 - [[橋野昭南]]、元プロ野球選手
* 1942年 - [[池坊保子]]、[[華道家]]、政治家
* 1942年 - [[小松時男]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[上杉邦憲]]、[[宇宙工学|宇宙工学者]]、[[米沢藩]][[上杉氏]]第17代目当主
* 1943年 - [[吉村実子]]、[[俳優|女優]]
* 1943年 - [[鬼頭洋]]、元プロ野球選手
* [[1944年]] - [[溜池敏隆]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[大塚徹 (野球)|大塚徹]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]])
* [[1946年]] - [[摩利按世]]、声優、女優(+ [[2014年]])
* [[1947年]] - [[小阪修平]]、[[評論家]](+ [[2007年]])
* 1947年 - [[ジェームズ・ウッズ]]、俳優
* [[1949年]] - [[鈴木康二朗]]、元プロ野球選手
* 1949年 - [[谷口隆義]]、政治家
* 1949年 - [[つボイノリオ]]、[[歌手]]、[[タレント]]
* 1949年 - [[荒川洋治]]、詩人
* 1949年 - [[チャールズ・フェファーマン]]、数学者
* [[1950年]] - [[真夏竜]]、俳優
* 1950年 - [[ケニー・オルテガ]]、[[振付師]]、[[映画監督]]
* 1950年 - [[グリゴリー・ソコロフ]]、[[ピアニスト]]
* [[1951年]] - [[松永二三男]]、[[アナウンサー]]
* [[1952年]] - [[笹本信二]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[岸田敏志]]、[[シンガーソングライター]]、俳優
* 1953年 - [[森雅裕]]、小説家
* 1953年 - [[リック・モラニス]]、俳優
* [[1955年]] - [[河埜敬幸]]、元プロ野球選手
* 1955年 - [[ボビー・カスティーヨ]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[巨砲丈士]]、元[[大相撲]][[力士]]
* 1956年 - [[宅麻伸]]、俳優
* 1956年 - [[エリック・ロバーツ]]、俳優
* [[1957年]] - [[ジーニー (隔離児)|ジーニー]]、13歳まで部屋に監禁されていた少女
* [[1958年]] - [[小宮悦子]]、アナウンサー
* [[1959年]] - [[伊豆田洋之]]、[[ミュージシャン]]
* 1959年 - [[赤城徳彦]]、政治家
* [[1961年]] - [[ゴージャス松野]]、タレント、[[プロレスラー]]
* 1961年 - [[フランコ・チェザリーニ]]、[[作曲家]]、[[指揮者]]、[[フルート奏者]]
* [[1962年]] - [[緑健児]]、[[空手道|空手家]]
* 1962年 - [[鵜飼久美子]]、声優
* [[1963年]] - [[内多勝康]]、元アナウンサー
* 1963年 - [[片石千春]]、声優
* [[1964年]] - [[長原成樹]]、[[タレント]]
* [[1965年]] - [[高橋功一 (1965年生の投手)|高橋功一]]、元プロ野球選手
* 1965年 - [[高橋美穂 (政治家)|高橋美穂]] 、政治家
* [[1966年]] - [[八谷和彦]]、メディアアーティスト
* [[1967年]] - [[松山秀明]]、元プロ野球選手
* [[1968年]] - [[小野文恵]]、NHKアナウンサー
* 1968年 - [[黒崎めぐみ]]、元アナウンサー
* 1968年 - [[田中友英]]、[[RKB毎日放送]]アナウンサー
* [[1969年]] - [[黒田清子]]、元[[皇族]]
* 1969年 - [[みなみ鈴香]]、元プロレスラー
* 1969年 - [[ステファン・シュヴァルツ]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* [[1970年]] - [[佐伯貴弘]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[朝岡実嶺]]、[[俳優|女優]]、元[[AV女優]]
* 1970年 - [[高嶋徹]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]])
* [[1971年]] - [[片野坂知宏]]、元サッカー選手、指導者
* 1971年 - [[デイヴィッド・テナント]]、俳優
* 1971年 - [[鬼頭典子]]、声優
* [[1972年]] - [[薩川了洋]]、元サッカー選手、指導者
* [[1973年]] - [[ハイレ・ゲブレセラシェ]]、[[陸上選手]]
* 1973年 - [[北川哲也]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[阿波勝哉]]、[[競艇選手]]
* [[1974年]] - [[伊藤裕子]]、女優
* 1974年 - [[堀田一郎]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[斉藤秀光]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[天達武史]]、[[気象予報士]]
* 1975年 - [[鹿島千穂]]、アナウンサー、[[ディスクジョッキー|DJ]]
* [[1976年]] - [[Fayray]]、歌手
* 1976年 - [[内田謙一郎]]、元サッカー選手
* [[1978年]] - [[都築龍太]]、元サッカー選手
* [[1979年]] - [[上地雄輔]]、俳優、歌手
* 1979年 - [[石川直生]]、[[キックボクサー]]
* 1979年 - [[アンソニー・デビッドソン]]、レーシングドライバー
* 1979年 - [[マシュー・アップソン]]、サッカー選手
* 1979年 - [[コートニー・カーダシアン]]、[[ソーシャライト]]、タレント
* [[1980年]] - [[石堂克利]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[星村麻衣]]、シンガーソングライター
* 1981年 - [[花瀬めぐみ]]、女優、モデル
* 1981年 - [[滝田樹里]]、声優
* 1981年 - [[中本和希]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[唐鳳]]、[[プログラマー]]、政治家
* [[1982年]] - [[吉田拡郎]]、[[競艇選手]]
* [[1983年]] - [[富永旭]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[高村透]]、小説家
* 1983年 - [[ミゲル・カブレラ]]、プロ野球選手
* 1983年 - [[小西美加]]、[[野球選手]]
* [[1984年]] - [[アメリカ・フェレーラ]]、女優
* 1984年 - IKE、歌手([[SPYAIR]])
* 1984年 - [[ソクジュ]]、格闘家
* 1984年 - [[マルコス・マテオ]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[水落暢明]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[ウカシュ・ファビアンスキ]]、サッカー選手
* 1985年 - [[範田紗々]]、女優、元AV女優
* 1985年 - [[嶋村侑]]、声優
* [[1986年]] - 松清勇幸、俳優、ミュージシャン([[HIROZ]]、[[HIROZ SEVEN+]])
* 1986年 - [[岩本貴裕]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[ビリー・バトラー]]、元プロ野球選手
* [[1987年]] - [[さとう里香]]、元[[グラビアアイドル]]、元タレント
* [[1988年]] - 土井誠、元タレント(元[[ジャニーズJr.]])
* 1988年 - 土井龍二、元タレント(元ジャニーズJr.)
* 1988年 - [[荒浪和沙]]、声優
* [[1989年]] - [[熊代聖人]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[丹羽将弥]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[水谷太洋]]、[[フィギュアスケート]][[アイスダンス]]選手
* [[1990年]] - [[伊藤直人 (俳優)|伊藤直人]]、俳優
* 1990年 - [[峯村沙紀]]、バレーボール選手
* 1990年 - [[高田茜]]、[[バレエダンサー]]
* 1990年 - [[ヴォイチェフ・シュチェスニー]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ブルーノ・レオナルド・フォルミゴーニ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ヘンダーソン・アルバレス]]、プロ野球選手
* 1990年 - 石戸泰志、作曲家
* [[1991年]] - [[あいださくら]]、元AV女優
* 1991年 - [[松井ありさ]]、タレント
* [[1992年]] - [[小松美咲]]、女優
* 1992年 - [[江口実沙]]、テニス選手
* [[1993年]] - 清水真緒、タレント
* 1993年 - [[西川健太郎]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[髙山俊]]、プロ野球選手
* [[1994年]] - [[武田健吾]]、元プロ野球選手
* [[1996年]] - [[興津正太郎]]、俳優
* 1996年 - [[本橋優美]]、プロボウラー
* [[1997年]] - [[土橋晶]]、タレント
* 1997年 - [[鶴田玲美]]、陸上選手
* [[1997年]] - 岩田 涼太、[[YouTuber]]([[だいにぐるーぷ]])
* [[1998年]] - 三島遥香、タレント、元アイドル(元[[STU48]])
* [[1999年]] - [[谷山毅]]、俳優
* [[2000年]] - [[大園玲]]、アイドル([[櫻坂46]])
* 2000年 - 多田萌加、タレント、元アイドル(元[[SNOW CRYSTAL]])
* [[2001年]] - [[及川雅貴]]、プロ野球選手
* [[2003年]] - [[桜井美里]]、タレント、女優、元アイドル(元[[ukka]])
* 2003年 - [[鶴屋美咲]]、女優、歌手、ファッションモデル、パフォーマー([[Girls2]])
* 生年不詳 - [[Ayumi.]]、歌手、タレント
* 生年不詳 - [[さいとうつかさ]]、イラストレーター
* 生年不詳 - [[坂本次郎]]、漫画家
* 生年不明 - [[粟津貴嗣]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2001年]] - [[くぅ〜ちゃん]]、[[ペット]]モデル、ペットタレント
{{-}}
== 忌日 ==
[[Image:Hyakuninisshu_043.jpg|thumb|100px|歌人、[[藤原敦忠]](906-943)没。]]
[[Image:DBP_1953_166_Liebig.jpg|thumb|upright|[[有機化学]]の確立者の一人、[[ユストゥス・フォン・リービッヒ]]([[1803年]] - [[1873年]])没]]
[[Image:Respighi_1935.jpg|thumb|upright|作曲家[[オットリーノ・レスピーギ]]([[1879年]] - [[1936年]])。代表作に『[[ローマの噴水]]』など]]
[[Image:50 Slovak Koruna 1944 front Jozef Tiso.png|thumb|100px|[[独立スロバキア]]の大統領[[ヨゼフ・ティソ]](1887-1947)、絞首刑に]]
[[Image:Yamamoto%27s_airplane_crash.jpg|thumb|upright|連合艦隊司令長官[[山本五十六]]([[1884年]] - [[1943年]])、[[海軍甲事件]]で戦死]]
[[Image:Einstein1921_by_F_Schmutzer_2.jpg|thumb|160px|物理学者[[アルベルト・アインシュタイン]](1879-1955)没]]
* [[879年]]([[元慶]]3年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[正子内親王 (嵯峨天皇皇女)|正子内親王]]、[[淳和天皇]]の[[皇后]](* [[810年]])
* [[943年]]([[天慶]]6年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[藤原敦忠]]、[[平安時代]]の[[公卿]]、[[歌人]](* [[906年]])
* [[1802年]] - [[エラズマス・ダーウィン]]、[[医師]]、[[自然哲学|自然哲学者]](* [[1731年]])
* [[1853年]] - [[ウィリアム・R・キング]]、第13代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1786年]])
* [[1873年]] - [[ユストゥス・フォン・リービッヒ]]、[[化学者]](* [[1803年]])
* [[1882年]] - [[ヴィルヘルム・ファトケ]]、[[神学者]](* [[1806年]])
* [[1883年]] - [[エドゥアール・ロシュ]]、[[天文学者]](* [[1820年]])
* [[1898年]] - [[ギュスターヴ・モロー]]、[[画家]](* [[1826年]])
* [[1919年]] - [[上杉茂憲]]、第13代[[米沢藩|米沢藩主]](* [[1844年]])
* [[1928年]] - [[宮崎道三郎]]、[[法学者]](* [[1855年]])
* [[1930年]] - [[ジャック・スティベッツ]]、元プロ野球選手(* [[1868年]])
* [[1936年]] - [[オットリーノ・レスピーギ]]、[[作曲家]](* [[1879年]])
* [[1940年]] - [[カタリーナ・シュラット]]、[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世]]の愛人(* [[1853年]])
* 1940年 - [[キッド・マッコイ]]、[[プロボクサー]](* [[1870年]])
* [[1942年]] - [[ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニー]]、[[彫刻家]](* [[1875年]])
* [[1943年]] - [[山本五十六]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[軍人]]、[[連合艦隊]]司令長官(* [[1884年]])
* [[1945年]] - [[アーニー・パイル]]、アメリカ軍の[[従軍記者]](* [[1900年]])
* 1945年 - [[ジョン・フレミング]]、[[フレミングの法則]]発見者として有名な[[物理学者]](* [[1849年]])
* 1945年 - [[ヴィルヘルム・フリードリヒ・ツー・ヴィート]]、[[アルバニア公国|アルバニア公]](* [[1876年]])
* [[1947年]] - [[ヨゼフ・ティソ]]、[[第二次世界大戦]]期の[[スロバキア]]の指導者(* [[1887年]])
* [[1949年]] - [[レナード・ブルームフィールド]]、[[言語学|言語学者]](* [[1887年]])
* [[1951年]] - [[アントニオ・オスカル・カルモナ]]、[[ポルトガルの大統領]](* [[1869年]])
* [[1955年]] - [[アルベルト・アインシュタイン]]、[[物理学者]](* [[1879年]])
* 1955年 - [[オイゲン・ヘリゲル]]、[[哲学|哲学者]](* [[1884年]])
* [[1960年]] - [[フランクリン・S・ハリス]]、[[農学者]]、[[宣教師]](* [[1884年]])
* [[1962年]] - [[佐藤武夫 (野球)|佐藤武夫]]、元[[プロ野球選手]](* [[1916年]])
* [[1963年]] - [[夏目鏡子]]、[[夏目漱石]]の妻(* [[1877年]])
* [[1964年]] - [[朝倉文夫]]、[[彫刻家]](* [[1883年]])
* [[1970年]] - [[牧野英一]]、法学者(* [[1878年]])
* 1970年 - [[ミハウ・カレツキ]]、[[経済学者]](* [[1899年]])
* [[1973年]] - [[アルフレッド・ジョイ]]、天文学者(* [[1882年]])
* [[1974年]] - [[マルセル・パニョル]]、作家(* [[1895年]])
* [[1974年]] - [[里見岸雄]]、思想家(* [[1897年]])
* [[1981年]] - [[横森久]]、[[俳優]]、[[声優]](* [[1928年]])
* [[1982年]] - [[大栗裕]]、作曲家(* [[1918年]])
* [[1983年]] - [[八木治郎]]、[[フリーアナウンサー]](* [[1925年]])
* [[1993年]] - [[木村政彦]]、[[柔道家]](* [[1917年]])
* [[1999年]] - [[三岸節子]]、[[洋画家]](* [[1905年]])
* [[2002年]] - [[トール・ヘイエルダール]]、[[人類学|人類学者]]、[[探検家]](* [[1914年]])
* [[2003年]] - [[エドガー・F・コッド]]、[[計算機科学|計算機科学者]](* [[1923年]])
* [[2004年]] - [[野坂浩賢]]、政治家、[[内閣官房長官]](* [[1924年]])
* [[2007年]] - [[伊藤一長]]、[[政治家]]、[[長崎県]][[長崎市|長崎]][[市長]](* [[1945年]])
* 2007年 - [[小野兼弘]]、[[宗教家]]、釈尊会会長(* [[1953年]])
* [[2008年]] - [[吉野裕子]]、[[民俗学|民俗学者]](* [[1916年]])
* [[2011年]] - [[松野秋鳴]]、[[ライトノベル作家]](* [[1979年]])
* [[2013年]] - [[高橋国一郎]]、[[土木工学|土木工学者]]、建設官僚、[[日本道路公団]]総裁(* [[1921年]])
* [[2021年]] - [[チャーリー浜]]、お笑いタレント、喜劇俳優(* [[1942年]])
* [[2023年]] - [[インデペンデンスデイ (お笑いコンビ)|久保田剛史]]、お笑いタレント([[インデペンデンスデイ (お笑いコンビ)|インデペンデンスデイ]])(* 1987年)
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:SV8DTD.jpg|thumb|240px|世界[[アマチュア無線]]の日]]
* 世界[[アマチュア無線]]の日({{World}})
*:[[1925年]]4月18日、[[パリ大学]]で[[国際アマチュア無線連合]] (IARU) 結成総会が行われたことを記念し、IARUが[[1973年]]に制定。
* [[独立記念日]]({{ZWE}})
*: [[1980年]]のこの日にジンバブエが[[イギリス]]から独立。
* [[発明の日]]({{JPN}})
*: [[1885年]]のこの日に現在の「[[特許法]]」の元となる「専売特許条例」が公布されたことに由来し、[[発明協会]]が[[1954年]]に制定。
* [[お香の日]]({{JPN}})
*: [[595年]]4月に淡路島に[[香木]]が日本に漂着したという最初の記録が[[日本書紀]]にあることに由来する。4月と「香」を分解した「一十八日」にかけて、[[1992年]]4月4日に全国薫物線香組合協議会が制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/magazine/today/incense-day/ |title=お香の日(4月18日)|意味や由来・広報PRに活用するポイントや事例を紹介 |access-date=30 Mar 2023 |publisher=PR TIMES MAGAGINE}}</ref>。
* よい[[歯]]の日({{JPN}})
*:「よ(4)い(1)は(8)」の語呂合わせで[[日本歯科医師会]]が[[1993年]]に制定。他に[[11月8日]]が「いい歯の日」となっている。
* 三重県民の日({{JPN}}[[三重県]])
*:[[1876年]]4月18日に度会県を編入して現在の三重県の範囲が画定したことから。[[1976年]](昭和51年)[[3月29日]]に三重県条例第2号として制定。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0418|date=2023年3月}}
* 1942年([[艦隊シリーズの用語集#名称・通称|照和]]17年) - アメリカ軍重爆撃機「B30」が日本本土を空襲、[[東京都]]に達した部隊は日本海軍局地戦闘機「蒼莱」によって殲滅されるも[[大阪府]]、[[広島県]]等で被害。([[架空戦記]]『[[紺碧の艦隊]]』)
* [[2000年代|200X年]] - 四・一八事件。[[琵琶湖]]に地球外生命体アポストリが乗る宇宙船(十字架)が落下し、日本との間で戦闘が勃発。講和までに日本側は200万人の犠牲を被る。(小説『[[葉桜が来た夏]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1974年]]- 一条薫、[[仮面ライダーシリーズ]]『[[仮面ライダークウガ]]』の登場人物
* [[1986年]] - 神条芹華 、ゲーム『[[ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜]]』に登場するヒロインのひとり<ref>{{Cite book|和書|title = ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜 公式ガイドブック 完全版(コナミ完璧攻略シリーズ)|date = 2002-03-05|publisher = [[コナミホールディングス|コナミ株式会社]]|isbn = 978-4-575-16310-0|page = 156|chapter = キャラクター別攻略マニュアル}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title = 別冊宝島947 我が青春の『ときめきメモリアル』ヒロインズ|date = 2004-02-06|publisher = [[宝島社]]|isbn = 978-4-7966-3828-9|page = 49|chapter = Character Collection: ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜}}</ref>
* 生年不明 - 野々原のの、漫画・ゲーム『[[オレ様キングダム]]』の主人公
* 生年不明 - 天木恵子、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ガルバン、漫画・アニメ『キャプテン翼』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 天醜星デッドリービートルのスタンド、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=82 |title=天醜星(てんしゅうせい)デッドリービートルのスタンド |access-date=29 Mar 2023 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館 |work=『聖闘士星矢』 |author=[[車田正美]]}}</ref>
* 生年不明 - 伊角慎一郎、漫画・アニメ『[[ヒカルの碁]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 森辰徳、ゲーム『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=[[テニスの王子様]] |volume=10.5巻 |author=許斐剛 |authorlink=許斐剛 |publisher=[[集英社]] |page=277 |year=2001 |isbn=4-08-873193-X}}</ref>
* 生年不明 - 春永雪、漫画・アニメ『[[賢い犬リリエンタール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 春永桜、漫画・アニメ『賢い犬リリエンタール』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 照島遊児、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=古舘春一 |authorlink=古舘春一 |year=2014 |title=ハイキュー!! |publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉 |location= |isbn=978-4-08-880193-3 |quote= |date= |volume=13巻 |page=70}}</ref>
* 生年不明 - 発目明、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|heroaca_anime|1251344918561218560}}</ref>
* 生年不明 - 丹下茜、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 八木晴彦、漫画・アニメ『[[はじめの一歩]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|IPPO_FS|1383435330414542858}}</ref>
* 生年不明 - ヴァルカン・ジョセフ、漫画・アニメ『[[炎炎ノ消防隊]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|fireforce_pr|1251163510349811713}}</ref>
* 生年不明 - 倉臼征史郎、漫画・アニメ『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 翼宿候俊宇、漫画『[[ふしぎ遊戯]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 三木清良、漫画・アニメ・ドラマ『[[のだめカンタービレ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Nodame_Official|1383652039897485312}}</ref>
* 生年不明 - 百枝まりあ、漫画・アニメ・ゲーム『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |year=2008 |title=PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」 |page=18 |publisher=[[主婦と生活社]] |isbn=978-4-391-62643-8}}</ref>
* 生年不明 - 滝見春、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=滝見 春(たきみ はる) |publisher=[[小林立]] |accessdate=29 Mar 2023 |work=『咲-Saki-』}}</ref>
* 生年不明 - 霧島咲、漫画・アニメ『[[夢喰いメリー]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 小栗蛍、漫画『片翼のラビリンス』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 笹津やん菜、漫画・アニメ『[[八十亀ちゃんかんさつにっき]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 轟雷、漫画・アニメ『[[フレームアームズ・ガール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 水谷アイリ、アニメ『[[ファイ・ブレイン 神のパズル]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 折緒冬輝、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=29 Mar 2023}}</ref>
* 生年不明 - 高円寺つばめ、アニメ『[[せいぜいがんばれ!魔法少女くるみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|seizei_kurumi|1383616275167940611}}</ref>
* 生年不明 - グリシーヌ・ブルーメール、ゲーム・漫画・アニメ『[[サクラ大戦]]』に登場するキャラクター
*生年不明 - ココノエ、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/kokonoe.html |title=ココノエ |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS]] |accessdate=29 Mar 2023 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref>
* 生年不明 - 財前時子、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20069 |title=財前 時子(ざいぜん ときこ) |access-date=29 Mar 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
*生年不明 - 姫里マリア、ゲーム・アニメ『[[アイカツ! (アニメ)|アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aikatsu.net/02/character/11.html |title=姫里 マリア |work=『アイカツ!』 |accessdate=29 Mar 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]]}}</ref><ref>[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]](企画・原作)、[[バンダイ]](原案)、サンライズ、バンダイ(監修)『アイカツ! アイドル名鑑』[[小学館]]、2014年、74頁。{{ISBN2|978-4-09-280501-9}}</ref>
* 生年不明 - 川原雅司、ゲーム・アニメ『[[CHAOS;CHILD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kagakuadv|1515887844371226626}}</ref>
* 生年不明 - 我妻天、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/agatsuma |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title=我妻 天 |accessdate=29 Mar 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#桑山千雪|桑山千雪]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinycolors.idolmaster.jp/idol/alstroemeria/chiyuki.html |title=桑山千雪 |website=『アイドルマスター シャイニーカラーズ』 |accessdate=29 Mar 2023 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]]}}</ref>
* 生年不明 - ラギー・ブッチ、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/ruggie |title=ラギー・ブッチ CV.市川蒼 |work=『DISNEY TWISTED WONDERLAND』 |accessdate=29 Mar 2023 |publisher=[[ディズニー|Disney.]] [[Aniplex]]}}</ref>
=== 忌日(フィクション) ===
* [[2004年]]([[DEATH NOTE (アニメ)|アニメ版]]では[[2007年]]<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]] |year = 2007 |title = DEATH NOTE/A アニメーション公式解析ガイド |page = 11 |publisher = [[集英社]] |isbn = 978-4-08-874197-0 }}</ref>) - 宇生田広数、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author = 大場つぐみ |coauthors = 小畑健 |year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 23 |publisher = 集英社 |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9 }}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 18|18 April}}
{{新暦365日|4|17|4|19|[[3月18日]]|[[5月18日]]|[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]|0418|4|18}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T11:39:20Z | 2023-10-23T03:59:06Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8818%E6%97%A5 |
4,882 | 4月19日 | 4月19日(しがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から109日目(閏年では110日目)にあたり、年末まではあと256日ある。 | [
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'''4月19日'''(しがつじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から109日目([[閏年]]では110日目)にあたり、年末まではあと256日ある。
== できごと ==
<!-- メモ: [[新約聖書]]、[[サルバルサン]]、[[第二次山東出兵]]、[[オックスフォード英語辞典]]、[[エドウィン・ライシャワー]]、[[シエラレオネ]]、[[ドイツ連邦議会]] 記事に日付なし -->
[[Image:Battle_of_Lexington%2C_1775.png|thumb|260px|[[レキシントン・コンコードの戦い]]が起こり[[アメリカ独立戦争]]開始(1775)]]
[[ファイル:Haruna_1935.jpg|thumb|160px|戦艦[[榛名 (戦艦)|榛名]]竣工(1915)。第二次世界大戦末期まで生き延びた]]
[[ファイル:Stroop_Report_-_Warsaw_Ghetto_Uprising_06b.jpg|thumb|200px|[[ユダヤ人]]による対独蜂起、[[ワルシャワ・ゲットー蜂起]]始まる(1943)]]
[[ファイル:Douglas_MacArthur_speaking_at_Soldier_Field_HD-SN-99-03036.JPEG|thumb|180px|[[ダグラス・マッカーサー]]退役(1951)。{{Squote|老兵は死なず、ただ消え去るのみ。}}]]
<!--[[Image:Oklahomacitybombing-DF-ST-98-01356.jpg|thumb|140px|[[オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件]](1995)]]-->
* [[1160年]]([[永暦]]元年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[平治の乱]]に敗れた[[源頼朝]]が[[伊豆国|伊豆]]に流される。
* [[1326年]]([[嘉暦]]元年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[北条高時]]の出家に伴い、[[北条貞顕]]が[[鎌倉幕府]]第15代[[執権]]に就任。10日後に退任。
* [[1775年]] - [[レキシントン・コンコードの戦い]]: [[ボストン (マサチューセッツ州)|ボストン市]]北西のコンコードで[[イギリス|英]]軍と[[アメリカ合衆国|米]]植民地兵が武力衝突。[[アメリカ独立戦争]]開戦の契機となる。
* [[1783年]] - [[ロシア帝国によるクリミア・ハン国の併合]]。
* [[1880年]] - [[新約聖書]]の日本語訳が完成。<!-- 『雑学366日 今日は何の日事典』(大泉書店、1994年)に記載。ただし「新訳聖書」と書かれている。 -->
* [[1897年]] - 第1回[[ボストンマラソン]]開催。
* [[1903年]] - [[ロシア]]・[[キシナウ]]で大規模なユダヤ人迫害([[ポグロム]])が発生。
* [[1904年]] - [[トロント#歴史|トロント大火]]。
* [[1910年]] - [[パウル・エールリヒ]]と[[秦佐八郎]]が[[梅毒]]の治療薬[[サルバルサン]](606号)を発見。<!-- 『雑学366日 今日は何の日事典』(大泉書店、1994年)に記載。 -->
* [[1915年]] - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[巡洋戦艦]]「[[榛名 (戦艦)|榛名]]」・「[[霧島 (戦艦)|霧島]]」が竣工する。
* [[1926年]] - [[堤康次郎]]により[[国立学園小学校]]が設立される。
* [[1928年]] - [[田中義一内閣]]が中国・[[国民革命軍]]の[[北伐 (中国国民党)|北伐]]再開に対応して[[第二次山東出兵]]を決定。<!-- 『雑学366日 今日は何の日事典』(大泉書店、1994年)に記載。 -->
* 1928年 - 『[[オックスフォード英語辞典]]』の初版が刊行される。
* [[1938年]] - [[トルコ]]中部で[[マグニチュード|M]]6.7の地震。死者160人。
* [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ワルシャワ・ゲットー蜂起]]が勃発。
* 1943年 - [[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]]が[[LSD (薬物)|LSD]]の[[幻覚]]作用を発見。
* [[1948年]] - [[ミャンマー]]が国際連合に加盟。
* [[1950年]] - 公金1億円を[[横領]]して逃亡していた[[鉱工品貿易公団]]職員とその妻が出頭。会見で同公団総裁が「あれくらいは女中のつまみ食い程度」と発言したことから「[[つまみ食い]]」が[[流行語]]に。
* [[1951年]] - [[ダグラス・マッカーサー]]が軍を退役、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の一節で知られる記念演説を行う。
* 1951年 - 第55回[[ボストンマラソン]]で、日本人で初参加の[[田中茂樹]]が優勝。
* [[1953年]] - [[第26回衆議院議員総選挙]]。第1回総選挙以来63年間議席を守ってきた[[尾崎行雄]]が落選。
* [[1954年]] - [[文京区小2女児殺害事件]]: [[文京区立元町小学校]]に侵入した[[覚醒剤]]中毒者が、トイレで小学2年の女児を暴行・殺害。
* 1954年 - 映画『[[ローマの休日]]』が日本で封切り。
* [[1960年]] - [[四月革命 (韓国)|四月革命]]: [[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]で学生数千人が大統領選挙の無効と[[李承晩]]独裁政権打倒を叫び行進。
* [[1961年]] - [[ハーバード大学]]教授で知日派の[[エドウィン・ライシャワー]]が駐日大使に着任。<!-- 『雑学366日 今日は何の日事典』(大泉書店、1994年)に記載。 -->
* 1961年 - [[ピッグス湾事件|ピッグス湾への侵攻]]が失敗に終わる。
* [[1970年]] - [[コロンビア]]で大統領選挙。保守党のミサエル・パストラーナ・ボレロが[[軍事政権]]時代の指導者[[グスタボ・ロハス・ピニージャ]]将軍に僅差で勝利。野党勢力は不正選挙として大規模な抗議行動。[[ゲリラ]]組織[[4月19日運動]] (M-19) 結成の契機となる。
* [[1971年]] - [[ソビエト連邦]]が世界初の[[宇宙ステーション]]「[[サリュート1号]]」を打ち上げる。
* 1971年 - [[シエラレオネ]]が[[英連邦王国]]から[[共和制]]に移行する。
* [[1975年]] - [[インド]]初の[[人工衛星]]「[[アリヤバータ (人工衛星)|アリヤバータ]]」をソ連で打ち上げ。
* [[1983年]] - [[菅島事故]]: [[航空自衛隊]][[小牧基地]]所属の[[C-1 (輸送機)|C-1輸送機]]2機が[[三重県]][[鳥羽市]]沖の[[菅島]]に相次ぎ墜落、搭乗していた自衛官計14名が死亡。
* [[1984年]] - 俳優の[[長谷川一夫]]と冒険家の[[植村直己]]に[[国民栄誉賞]]が贈られる。
* 1984年 - 「[[アドヴァンス・オーストラリア・フェア]]」が[[オーストラリア]]の[[国歌]]と定められる。{{audio|U.S. Navy Band, Advance Australia Fair (abridged).oga|『アドヴァンス・オーストラリア・フェア』を聴く}}
* [[1988年]] - [[日本電信電話|NTT]]が東京・大阪・名古屋で[[ISDN]]のサービスを開始。
* [[1989年]] - [[京都市|京都]]で国連軍縮会議開幕、31か国が参加。<!-- 『雑学366日 今日は何の日事典』(大泉書店、1994年)に記載。 -->
* 1989年 - [[アメリカ海軍]]の[[戦艦]]「[[アイオワ (戦艦)|アイオワ]]」の2番砲塔内で爆発事故が起こり47名の死者を出す。({{仮リンク|戦艦アイオワ砲塔爆発事故|en|USS Iowa turret explosion}})
* [[1990年]] - [[フジネットワーク|フジテレビ系列]]で『[[世にも奇妙な物語]]』が放送開始される。
* [[1993年]] - 米[[テキサス州]]・[[ウェーコ (テキサス州)|ウェーコ]]の[[ブランチ・ダビディアン]]本部に[[連邦捜査局|FBI]]の特殊部隊が突入、本部が炎上し児童25名を含む81名が死亡した。
* [[1995年]] - [[オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件]]: 米[[オクラホマシティ]]の[[アルフレッド・P・マラー連邦ビル]]で爆弾テロが発生、168人が死亡。
* 1995年 - [[東京外国為替市場]]で1[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]=79.75[[円 (通貨)|円]]の当時としては史上最高値に達する。
* 1995年 - [[横浜駅異臭事件]]が発生。犯人は同年の[[7月6日]]に逮捕。
* [[1999年]] - [[ドイツ連邦議会]]が[[ボン]]から[[ベルリン]]に移転する。
* [[2012年]] - 前年に[[福島第一原子力発電所事故|事故]]が発生した東京電力[[福島第一原子力発電所]]の1号機から4号機が、[[電気事業法]]に基づき廃止<ref>{{Cite web|和書|date=2012年6月17日 |url=https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2012pdf/20120601137.pdf |title=東京電力福島第一原子力発電所事故の現況 |format=PDF |publisher=参議院 |accessdate=2019-01-10}}</ref>。
* [[2018年]] - [[宮崎県]][[えびの市]]の[[霧島山]]系・[[硫黄山 (宮崎県)|硫黄山]]が噴火<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/affairs/news/180419/afr1804190027-n1.html|date=2018-04-19|title=霧島連山・硫黄山が噴火、警戒レベル3に引き上げ 宮崎、鹿児島県境|newspaper=産経ニュース|agency=産業経済新聞社|accessdate=2018-04-19}}</ref>。
* [[2019年]] - [[東池袋自動車暴走死傷事故]]: [[ブレーキとアクセルの踏み間違い事故]]によって歩行者2人が死亡、9人が負傷<ref>{{Cite news|title=池袋暴走、元院長を書類送検 過失致死傷の疑い|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2019-11-12|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52053140S9A111C1CE0000/|publisher=[[日本経済新聞社]]|language=ja|archive-url=[https://web.archive.org/web/20200309100007/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52053140S9A111C1CE0000/|archive-date=2020年3月9日}}</ref>。日本で高齢ドライバー問題が社会的に注目される契機となった<ref>『日本経済新聞』2021年9月16日東京朝刊第12版第一社会面39頁「池袋暴走 実刑確定へ [[飯塚幸三|飯塚]]被告「遺族に申し訳ない」 刑務所への収監焦点 弁護側、停止求める可能性」「広がる高齢者の免許返納 代替手段 地方に課題 19年には過去最多の60万人」([[日本経済新聞東京本社]]) - 『日本経済新聞』[[新聞縮刷版|縮刷版]] 2021年(令和3年)9月号737頁。</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
<!--[[Image:Dudley_Moore.jpg|thumb|100px|イギリスの俳優、[[ダドリー・ムーア]](1935-2002)]]-->
* [[1573年]]([[元亀]]4年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[土井利勝]]、[[安土桃山時代]]の[[武将]]、[[江戸幕府]]の[[老中]]・[[大老]](+ [[1644年]])
* [[1749年]]([[寛延]]2年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[大田南畝]]、[[文人]]、[[狂歌|狂歌師]](+ [[1823年]])
* [[ファイル:David_ricardo.jpg|thumb|[[自由貿易]]を擁護した経済学者、[[デヴィッド・リカード]](1772-1823)誕生|201x201ピクセル]][[1772年]] - [[デヴィッド・リカード|デイビッド・リカード]]、[[経済学者]](+ 1823年)
* [[1776年]] - [[ヴァシーリー・ゴロヴニーン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography//Vasily-Mikhaylovich-Golovnin Vasily Mikhaylovich Golovnin Russian naval officer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ロシア海軍]]の軍人、[[探検家]](+ [[1831年]])
* [[1793年]] - [[フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)|フェルディナント1世]]、[[オーストリア帝国|オーストリア皇帝]](+ [[1875年]])
* [[1795年]] - [[クリスチャン・ゴットフリート・エーレンベルク]]、[[生物学者の一覧|生物学者]]、[[解剖学|解剖学者]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1876年]])
* [[1801年]] - [[グスタフ・フェヒナー]]、[[物理学者]]、[[心理学者]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1887年]])
* [[1821年]]([[文政]]4年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[伊達宗孝]]、伊代吉田藩主(+ [[1899年]])
* [[ファイル:Jos%C3%A9_Echegaray_y_Eizaguirre.jpg|thumb|[[スペイン]]の劇作家[[ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ]](1832-1916)誕生|270x270ピクセル]][[1832年]] - [[ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ]]、[[劇作家]](+ [[1916年]])
* 1832年 - [[ルクレティア・ガーフィールド]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]]([[ジェームズ・ガーフィールド]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]の妻)(+ [[1918年]])
* [[1833年]]([[天保]]4年[[2月30日 (旧暦)|2月30日]]) - [[毛利元承]]、[[清末藩|清末藩主]](+ [[1849年]])
* [[1834年]](天保5年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[橋本左内]]、[[福井藩|福井藩士]](+ [[1859年]])
* [[1845年]] - ミハイル・ムラヴィヨフ([[:en:Mikhail Nikolayevich Muravyov|Mikhail Nikolayevich Muravyov]])、[[政治家]](+ [[1900年]])
* [[1849年]] - [[エヴァ・ゴンザレス]]、[[画家]](+ [[1883年]])
* [[1855年]]([[安政]]2年3月3日) - [[杉浦重剛]]、[[思想家]]、[[教育関係人物一覧|教育者]](+ [[1924年]])
* [[1868年]] - [[マックス・フォン・シリングス]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](+ [[1933年]])
* [[1870年]]([[明治]]3年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[幸田延]]、[[音楽家]](+ [[1946年]])
* [[1879年]] - [[朝潮太郎 (2代)]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[1961年]])
* [[1880年]] - [[エヴゲニー・スルツキー]]、[[数学者]]、経済学者(+ [[1948年]])
* [[1882年]] - [[ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス]]、[[ブラジルの大統領|ブラジル大統領]](+ [[1954年]])
* [[ファイル:Richard_von_Mises.jpeg|thumb|諸分野に業績を残した科学者[[リヒャルト・フォン・ミーゼス]](1883-1953)誕生|255x255ピクセル]][[1883年]] - [[リヒャルト・フォン・ミーゼス]]、[[科学者]](+ [[1953年]])
* 1883年 - [[山口孤剣]]、[[ジャーナリスト]]、[[社会運動家一覧|社会運動家]](+ [[1920年]])
* [[1884年]] - [[志喜屋孝信]]、政治家(+ [[1955年]])
* [[1886年]] - [[大島浩]]、[[大日本帝国陸軍]]軍人(+ [[1975年]])
* [[1892年]] - [[ジェルメーヌ・タイユフェール]]、作曲家(+ [[1983年]])
* [[1894年]] - [[山田守]]、[[建築家]](+ [[1966年]])
* [[1896年]] - [[山下太郎 (山下汽船)|山下太郎]]、[[実業家]]、[[商船三井|山下汽船]]社長(+ [[1970年]])
* [[1897年]] - [[木村次郎右衛門]]、[[長寿|男性長寿世界一の人物]](本出生日は[[3月19日]])(+ [[2013年]])
* [[1899年]] - [[ロベルト・ルッサー]]、[[航空機]]技術者、[[パイロット (航空)|パイロット]](+ [[1969年]])
* [[1900年]] - [[アレクサンドル・プトゥシコ]]、[[アニメーション]][[映画監督]](+ [[1973年]])
* [[1901年]] - [[岡潔]]、[[数学者]](+ [[1978年]])
* [[1903年]] - [[エリオット・ネス]]、[[アメリカ財務省]][[代理人]](+ [[1957年]])
* [[1908年]] - [[ヨーゼフ・カイルベルト]]、[[指揮者]](+ [[1968年]])
* [[1909年]] - [[宮崎輝]]、[[実業家]](+ [[1992年]])
* 1909年 - [[バッキー・ウォルターズ]]、元プロ野球選手(+ [[1991年]])
* [[1912年]] - [[源氏鶏太]]、[[小説家]](+ [[1985年]])
* 1912年 - [[松本竣介]]、[[洋画家]](+ [[1948年]])[[ファイル:Glenn_Seaborg_-_1964.jpg|thumb|[[アクチノイド|アクチノイド系列]]の命名者、[[グレン・シーボーグ]](1912-1999)|223x223ピクセル]]
* 1912年 - [[グレン・シーボーグ]]、[[化学者]](+ [[1999年]])
* [[1916年]] - [[浅野賢澄]]、実業家(+ [[1997年]])
* 1916年 - [[高橋展子]]、労働[[官僚]](+ [[1990年]])
* [[1918年]] - [[中谷準志]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1970年]])
* [[1921年]] - [[坂本茂 (野球)|坂本茂]]、元プロ野球選手(+ [[1989年]])
* [[1922年]] - [[エーリヒ・ハルトマン]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1993年]])
* [[1923年]] - [[千宗室 (15代)]]、[[茶道家]]、[[裏千家]]第15代[[家元]]
* [[1924年]] - [[川崎優]]、作曲家、指揮者(+ [[2018年]])
* [[1928年]] - [[矢島文夫]]、[[言語学者]](+ [[2006年]])
* 1928年 - [[アレクシス・コーナー]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1984年]])
* [[1931年]] - [[フレデリック・ブルックス]]、[[計算機科学|コンピュータ科学者]]、[[ソフトウェア工学|ソフトウェア工学者]](+ [[2022年]])
* [[1932年]] - [[ズザーネ・ラウテンバッハー]]、[[ヴァイオリニスト]]
* [[1933年]] - [[ジェーン・マンスフィールド]]、[[俳優|女優]](+ [[1967年]])
* [[1934年]] - [[衆樹資宏]]、元プロ野球選手(+ [[1999年]])
* [[1935年]] - [[ダドリー・ムーア]]、[[映画俳優]](+ [[2002年]])
* 1935年 - [[久世光彦]]、[[演出家]]、[[作家]](+ [[2006年]])
* [[ファイル:Joseph_Estrada_1998.jpg|thumb|[[フィリピン]]の第13代大統領、[[ジョセフ・エストラーダ]](1937-)|261x261ピクセル]][[1937年]] - [[ジョセフ・エストラーダ]]、[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]]、[[俳優]]
* 1937年 - [[平井宜雄]]、[[法学者]](+ [[2013年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-acad.go.jp/japanese/news/2013/112701.html|title=会員の逝去について|publisher=日本学士院|accessdate=2020-11-23}}</ref>)
* 1937年 - [[庄司薫]]、[[小説家]]
* [[1938年]] - [[浅野勝人]]、政治家
* [[1939年]] - [[フェルナンド・ボテロ]]、[[画家]]、[[彫刻家]]
* [[1940年]] - [[小川康雄]]、元プロ野球選手
* [[1942年]] - [[アラン・プライス]]、ミュージシャン(元[[アニマルズ]])
* [[1944年]] - [[バーニー・ウォーレル]]、ミュージシャン
* 1944年 - [[ジェームズ・ヘックマン]]、経済学者
* [[1945年]] - [[村野武範]]、俳優
* 1945年 - [[漆間巌]]、元警察庁長官、元内閣官房副長官
* 1945年 - [[沼田義明]]、元[[プロボクサー]]
* [[1946年]] - [[日野日出志]]、[[漫画家]]
* 1946年 - [[ティム・カリー]]、[[コメディアン]]
* [[1947年]] - [[マレイ・ペライア]]、[[ピアニスト]]、指揮者
* 1947年 - [[小室光男]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[藤田雄山]]、政治家(+ [[2015年]])
* [[1950年]] - [[和田慎二]]、漫画家(+ [[2011年]])
* 1950年 - [[藤田幸久]]、政治家
* 1950年 - [[石川政雄]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[石川良三]]、政治家
* [[1952年]] - [[アレクシス・アルゲリョ]]、プロボクサー(+ [[2009年]])
* [[1953年]] - [[サラ・シメオニ]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]]
* 1953年 - [[宮園雅敬]]、実業家
* [[1954年]] - [[長谷部史親]]、[[文芸評論家]]
* 1954年 - [[松藤英男]]、[[ドラマー]]
* 1954年 - [[水江正臣]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[遠藤一彦]]、元プロ野球選手
* 1955年 - [[長谷川集平]]、[[絵本作家]]、ミュージシャン
* 1955年 - [[鮫島秀樹]]、ミュージシャン
* 1955年 - [[レゲーツィ・クリスチナ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1956年]] - [[奥平総一郎]]、実業家
* [[1957年]] - [[石原伸晃]]、政治家
* 1957年 - [[EBBY]]、ミュージシャン
* 1957年 - [[葛優]]、俳優
* [[1959年]] - [[根本りつ子]]、[[俳優|女優]]
* [[1960年]] - [[芦川誠]]、俳優
* 1960年 - [[佐々木潤子]]、漫画家
* 1960年 - [[R・J・レイノルズ (野球)|R・J・レイノルズ]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[廣瀬洋一]]、ミュージシャン
* [[1964年]] - [[中西一善]]、政治家
* 1964年 - [[田﨑竜太]]、映画監督、[[演出家]]
* [[1965年]] - [[城内実]]、政治家
* 1965年 - [[ナタリー・デセイ]]、[[声楽家]]
* [[1966年]] - [[エル・サムライ]]、[[プロレスラー]]
* [[1968年]] - [[ムスワティ3世]]、[[スワジランドの国王一覧|スワジランド国王]]
* 1968年 - [[アシュレイ・ジャッド]]、女優
* [[1969年]] - [[久慈照嘉]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[礒貝洋光]]、元サッカー選手、プロゴルファー
* 1969年 - [[柴田時江]]、女優
* [[1970年]] - [[菊田まりこ]]、[[絵本作家]]
* 1970年 - [[ケリー・ホームズ]]、陸上選手
* 1970年 - [[ルイス・ミゲル]]、歌手
* [[1971年]] - [[井出竜也]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[星奈優里]]、女優
* 1971年 - [[古池拓一]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[リバウド]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* 1972年 - [[ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ|ウェズレイ]]、元サッカー選手
* 1972年 - [[オリビエ・ドゥルーズ]]、[[騎手]]
* [[1973年]] - [[神野信也]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[中田一三]]、元サッカー選手、指導者
* 1973年 - [[御崎朱美]]、[[声優]]
* 1973年 - [[藤田優一]]、[[ラジオパーソナリティ]]
* [[1974年]] - [[玉力道栄来]]、元[[大相撲]][[力士]]
* 1974年 - [[ホセ・クルーズ・ジュニア]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[前田愛 (声優)|前田愛]]、声優
* 1975年 - [[諸岡なほ子]]、[[ファッションモデル]]、[[タレント]]
* 1975年 - [[吉田豊 (競馬)|吉田豊]]、騎手
* 1975年 - [[福田洋介]]、[[作曲家]]
* 1975年 - [[ユッシ・ヤースケライネン]]、元サッカー選手
* [[1976年]] - [[金村曉]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[坂下千里子]]、[[タレント]]
* 1976年 - [[藤沢文翁]]、[[劇作家]]、演出家
* 1976年 - [[きくりん]]、お笑い芸人
* [[1977年]] - [[デニス・レイエス]]、プロ野球選手
* 1977年 - [[黒田祐]]、元プロバスケットボール選手
* [[1978年]] - [[吉原慎也]]、元サッカー選手
* 1978年 - [[ジェームズ・フランコ]]、俳優
* 1978年 - [[ガブリエル・エインセ]]、元サッカー選手、指導者
* 1978年 - [[井上剛 (声優)|井上剛]]<ref name="goo">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/井上剛/#person-110112614|title=井上剛(いのうえごう)の解説|work=goo人名事典|accessdate=2020-11-23}}</ref>、声優
* [[1979年]] - [[古島清孝]]、声優
* 1979年 - [[ケイト・ハドソン]]、女優
* [[1980年]] - [[玉城ちはる]]、女優
* 1980年 - [[平松康平]]、元サッカー選手
* 1980年 - [[田村隆平]]、[[漫画家]]
* [[ファイル:Hayden-cfda2010-0004(1) (cropped).jpg|サムネイル|259x259ピクセル|カナダの俳優、[[ヘイデン・クリステンセン]](1981- )]][[1981年]] - [[ヘイデン・クリステンセン]]、俳優
* 1981年 - [[比嘉寿光]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[原竜太]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[カタリーナ・サンディノ・モレノ]]、女優
* 1981年 - [[トロイ・ポラマル]]、元アメリカンフットボール選手
* 1981年 - [[本間勲]]、元[[サッカー]]選手
* [[1982年]] - [[大野靖之]]、シンガーソングライター
* [[1983年]] - [[岡本秀寛]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[ジョー・マウアー]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[カーティス・シグペン]]、プロ野球選手
* 1983年 - [[ザック・デューク]]、プロ野球選手
* 1983年 - [[アルベルト・カヤスポ]]、プロ野球選手
* [[1984年]] - [[美紗央]]、女優
* [[1985年]] - [[ヴァロン・ベーラミ]]、サッカー選手
* 1985年 - [[平田真菜]]、声優
* [[1986年]] - [[キャンデース・パーカー]]、バスケットボール選手
* 1986年 - [[貞升南]]、棋士
* 1986年 - [[黒木渚]]、シンガーソングライター
* 1986年 - [[クレメンス・ブルマー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1986年 - [[西本泰承]]、元プロ野球選手
* [[1987年]] - [[マリア・シャラポワ]]、元[[テニス]]選手
* 1987年 - [[オクサナ・アキンシナ]]、女優
* 1987年 - [[片山博視]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[ジョー・ハート]]、サッカー選手
* 1987年 - [[富士東和佳]]、大相撲力士
* [[1988年]] - [[小嶋陽菜]]、タレント(元[[AKB48]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2141930/full/|title=小嶋陽菜、谷間チラリなワンピース姿公開「デコルテライン綺麗すぎ」|publisher=ORICON NEWS|date=2019-08-08|accessdate=2021-01-15}}</ref>)
* 1988年 - [[内田りりこ]]、声優
* 1988年 - [[ケビン・ベジスティック]]、野球選手
* 1988年 - [[岡根直哉]]、サッカー選手
* [[1989年]] - [[シム・リウ]]、俳優
* [[1990年]] - [[貴月芳将匡]]、元大相撲力士
* 1990年 - [[貴斗志将吏]]、元大相撲力士
* 1990年 - [[高橋礼華 (バドミントン選手)|髙橋礼華]]、[[バドミントン]]選手
* 1990年 - [[ジェシカ・パウレット]]、ファッションモデル
* 1990年 - [[デニス・ハルマシュ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ダミアン・ル・タレク]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[笠原美香]]、[[ファッションモデル]]
* 1991年 - [[ブライアン・ミッチェル (野球)|ブライアン・ミッチェル]]、プロ野球選手
* 1991年 - [[眞下貴之]]、元プロ野球選手
* 1991年 - [[松本美佳里]]、元タレント
* [[1994年]] - [[尾島知佳]]、元タレント、元アイドル(元[[Girl〈s〉ACTRY]]、元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]26号)
* 1994年 - [[カイオ・ルーカス・フェルナンデス|カイオ]]、サッカー選手
* 1994年 - [[小林ひかる (モデル)|小林ひかる]]、モデル、[[アイドル]](元[[PINK CRES.]])
* 1994年 - [[柳ゆり菜]]、グラビアアイドル、タレント
* [[1995年]] - [[鶴崎修功]]、クイズプレイヤー
* 1995年 - [[小室さやか]]、元歌手
* [[1996年]] - [[植田海]]、プロ野球選手
* [[1998年]] - [[中村咲哉]]、俳優
* [[1999年]] - [[松田元太]]、アイドル([[Travis Japan]])
* [[2000年]] - [[根尾昂]]、プロ野球選手
* 2000年 - [[羽月隆太郎]]、プロ野球選手
* 2000年 - [[是澤涼輔]]、プロ野球選手
* [[2001年]] - 清司麗菜、アイドル([[NGT48]])
* [[2002年]] - [[西川僚祐]]、プロ野球選手
* 2002年 - [[黒崎煌代]]、俳優
* [[2003年]] - [[早河ルカ]]、モデル
* 2003年 - [[西村拓哉]]、アイドル(ジャニーズJr.、[[Lil かんさい|Lilかんさい]])
* 2003年 - [[山岡愛姫|愛い姫]]、プロレスラー、元子役
* 2003年 - [[ジャクソン・メリル]]、プロ野球選手
* 生年不明 - [[大鐘則子]]、声優
* 生年不明 - [[梶山はる香]]、声優
* 生年不明 - TSUCHIYA<ref>[https://www.instagram.com/p/Bwbuhz8Hg37/?hl=ja TSUCHIYAの公式インスタグラム(2019年4月19日投稿分)]</ref>、ミュージシャン([[Qyoto]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1973年]] - [[テンポイント]]、[[競走馬]](+ [[1978年]])
* [[1989年]] - [[ニシノフラワー]]、競走馬、[[繁殖牝馬]](+ [[2020年]])
* [[1994年]] - [[メジロブライト]]、競走馬、[[種牡馬]](+ [[2004年]])
== 忌日 ==
[[ファイル:Uesugi_kenshin.jpg|thumb|100px|戦国武将、[[上杉謙信]](1530-1578)急死]]
<!-- [[Image:Paolo_Veronese_007.jpg|thumb|300px|[[ヴェネツィア派]]の画家[[パオロ・ヴェロネーゼ]](1528-1588)没。画像は『レヴィ家の晩餐』(1573)]] -->
<!-- [[Image:Martin_Kober_001.jpg|thumb|upright|ポーランド・スウェーデン王[[ジグムント3世]](1566-1632)没]] -->
<!-- [[Image:Canaletto Return of the Bucentoro to the Molo on Ascension Day, 1732. Royal Collection. Windsor..jpg|thumb|240px|ヴェネツィアの風景画家[[カナレット]]没。画像は『昇天日のブチェンタウロのモロへの帰還』(1732)]] -->
[[ファイル:Lord_Byron_on_his_Death-bed_c._1826.jpg|thumb|upright|詩人[[ジョージ・ゴードン・バイロン]](1788-1824)没。{{Squote|最初の恋では女は恋人に恋し、その後の恋では恋に恋する。<!-- In her first passion woman loves her lover. In all the others, all she loves is love. -->}}]]
<!--{{Squote|最も良き未来の予言者とは、過去である。(日記)}}-->
[[ファイル:Charles_Darwin_1880.jpg|thumb|upright|生物学者[[チャールズ・ダーウィン]](1809-1882)没]]
[[ファイル:Charles_Sanders_Peirce_theb3558.jpg|thumb|upright|[[プラグマティズム]]と[[記号論]]の創始者の1人、[[チャールズ・サンダース・パース]](1839-1914)没。{{Squote|<!--理性の第一の、そして「ある意味で唯一の」規則は、学ぶためには、人は学ぶことを、しかも自分が考えたいと思うことに満足して休むということなく学ぶことを、欲する必要があるということである。したがって、-->理性の必要条件は疑問に思うこと(wonder)である<!--、ということが論理学の第一規則である。-->――『論理学の第1規則』(1899)}}]]
<!-- [[Image:Konrad_Adenauer_1968.jpeg|thumb|upright|西ドイツの連邦首相[[コンラート・アデナウアー]](1876-1967)]] -->
<!-- [[Image:Paz0.jpg|thumb|upright|[[メキシコ]]の詩人[[オクタビオ・パス]](1914-1998)]] -->
* [[1054年]] - [[レオ9世 (ローマ教皇)|レオ9世]]、第152代[[ローマ教皇]](* [[1002年]])
* [[1390年]] - [[ロバート2世 (スコットランド王)|ロバート2世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* [[1316年]])
* [[1578年]]([[天正]]6年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[上杉謙信]]、[[武将|戦国武将]]、[[関東管領]](* [[1530年]])
* [[1579年]](天正7年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[上杉景虎]]、戦国武将(* [[1554年]])
* [[1588年]] - [[パオロ・ヴェロネーゼ]]、[[画家]](* [[1528年]])
* [[1598年]]([[慶長]]3年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[六角義賢]]、戦国武将(* [[1521年]])
* [[1604年]](慶長9年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[黒田孝高]]、戦国武将(* [[1546年]])
* [[1623年]]([[元和 (日本)|元和]]9年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[上杉景勝]]、[[大名]](* [[1556年]])
* [[1629年]] - [[シジズモンド・ディンディア]]、[[作曲家]](* [[1582年]]頃)
* [[1645年]] - [[アントニオ・ヴァン・ディーメン]]、[[オランダ領東インド]]総督(* [[1593年]])
* [[1689年]] - [[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]、スウェーデン女王(* [[1626年]])
* [[1768年]] - [[カナレット]]、画家(* [[1697年]])
* [[1824年]] - [[ジョージ・ゴードン・バイロン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Lord-Byron-poet Lord Byron English poet] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[詩人]](* [[1788年]])
* [[1854年]] - [[ロバート・ジェイムソン]]、[[博物学|博物学者]]、[[鉱物学|鉱物学者]]、[[地質学|地質学者]](* [[1774年]])
* [[1881年]] - [[ベンジャミン・ディズレーリ]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1804年]])
* [[1882年]] - [[チャールズ・ダーウィン]]、自然科学者(* [[1809年]])
* [[1897年]] - [[瓜生岩子]]、社会事業家(* [[1829年]])
* [[1906年]] - [[スペンサー・ゴア]]、[[テニス]]選手(* [[1850年]])
* 1906年 - [[ピエール・キュリー]]、[[物理学者]](* [[1859年]])
* [[1913年]] - [[フーゴー・ウィンクラー]]、[[考古学|考古学者]](* [[1863年]])
* [[1914年]] - [[チャールズ・サンダース・パース]]、[[哲学|哲学者]](* [[1839年]])
* [[1916年]] - [[コルマール・フォン・デア・ゴルツ]]、[[ドイツ陸軍]]の[[元帥]](* [[1843年]])
* [[1925年]] - [[桂文楽 (5代目)]]、[[落語家]](* [[1864年]])
* [[1935年]] - [[青木存義]]、[[作詞家]](* [[1879年]])
* [[1938年]] - [[永井武雄]]、[[プロ野球選手]](* [[1904年]])
* [[1939年]] - [[松本泰]]、[[小説家]](* [[1887年]])
* [[1946年]] - [[安藤利吉]]、第19代[[台湾総督府|台湾総督]](* [[1884年]])
* [[1949年]] - [[スティーヴン・サミュエル・ワイズ]]、[[ユダヤ教]][[改革派 (ユダヤ教)|改革派]]指導者(* [[1874年]])
* 1949年 - [[ウルリッヒ・サルコウ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1877年]])
* [[1957年]] - [[永井松三]]、[[外交官]](* [[1877年]])
* [[1964年]] - [[モーリス・マレシャル]]、[[チェリスト]](* [[1892年]])
* [[1967年]] - [[コンラート・アデナウアー]]、初代[[ドイツの首相|ドイツ連邦首相]](* [[1876年]])
* [[1970年]] - [[上野精一]]、[[朝日新聞社]]社主(* [[1882年]])
* [[1973年]] - [[ハンス・ケルゼン]]、[[法学者]](* [[1881年]])
* [[1982年]] - [[大中寅二]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]](* [[1896年]])
* [[1983年]] - [[中原淳一]]、[[挿絵画家]]、[[デザイナー]](* [[1913年]])
* [[1984年]] - [[賀子珍]]、[[毛沢東]]の妻(* [[1909年]])
* [[1987年]] - [[長谷川四郎 (作家)|長谷川四郎]]、小説家(* [[1909年]])
* 1987年 - [[宮永岳彦]]、[[画家]](* [[1919年]])
* [[1989年]] - [[ダフニ・デュ・モーリエ]]、小説家(* [[1907年]])
* [[1990年]] - [[小野明]]、第19代[[参議院|参議院副議長]](* [[1920年]])
* [[1993年]] - [[ブラス・ガリンド]]、作曲家(* [[1910年]])
* [[1996年]] - [[今井善衛]]、[[経済産業省|通商産業省]]事務次官(* [[1913年]])
* [[1998年]] - [[オクタビオ・パス]]、詩人、[[評論家]](* [[1914年]])
* [[1999年]] - [[桂枝雀 (2代目)|二代目桂枝雀]]、落語家(* [[1939年]])
* [[2000年]] - [[福田雅一]]、[[プロレスラー]](* [[1972年]])
* 2000年 - [[山崎諭]]、アマチュア野球指導者(* [[1922年]])
* [[2001年]] - [[エディット・ピヒト=アクセンフェルト]]、[[チェンバロ]]奏者(* [[1914年]])
* [[2004年]] - [[ジョン・メイナード=スミス]]、[[生物学|生物学者]](* [[1920年]])
* [[2005年]] - [[ナジ・ラースロー (フィギュアスケート選手)|ナジ・ラースロー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1927年]])
* [[2006年]] - [[アルバート・スコット・クロスフィールド]]、[[テストパイロット]](* [[1921年]])
* 2006年 - [[飯田善国]]、[[彫刻家]]、[[現代美術家]]、[[詩人]](* [[1923年]])
* [[2007年]] - [[高橋節郎|髙橋節郎]]、[[漆器|漆芸家]](* [[1914年]])
* 2007年 - [[ヘレン・ウォルトン]]、[[サム・ウォルトン]]([[ウォルマート]]創業者)の妻(* [[1919年]])
* 2007年 - [[ジャン=ピエール・カッセル]]、俳優(* [[1932年]])
* 2007年 - [[ボフダン・パチンスキ]]、[[天文学者]](* [[1940年]])
* [[2009年]] - [[J・G・バラード]]、[[SF作家]](* [[1930年]])
* 2009年 - [[荻原弘子]]、[[アナウンサー]]、チーフディレクター(* [[1954年]])
* [[2013年]] - [[E・L・カニグズバーグ]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](* [[1930年]])
* [[2015年]] - [[西本裕行]]、[[俳優]]、[[声優]](* [[1927年]])
* [[2016年]] - [[パトリシオ・エイルウィン]]、政治家(* [[1918年]])
* [[2019年]] - [[保岡興治]]<ref>{{Cite web|和書|title=元法相の保岡興治氏が死去|url=https://www.iwate-np.co.jp/article/kyodo/2019/4/20/254719|website=IWATE NIPPO 岩手日報|accessdate=2020-10-23|language=ja}}</ref>、政治家(* [[1939年]])
* [[2020年]] - [[松下三郎]]、[[柔道家]](* [[1935年]])
* [[2022年]] - [[田中カ子]]、世界最高齢女性(* [[1903年]])
* [[2023年]] - [[大橋勇武]]、[[ギタリスト]](* [[1967年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Okoshidaiko.jpg|thumb|240px|[[飛騨市|飛騨]]の[[古川祭]]]]
* 独立宣言の日({{VEN}})
*: [[1810年]]のこの日、カラカス市参事会がベネズエラ総督を追放し、スペインからの独立を宣言した。
* 国王誕生日({{SWZ}})
*: スワジランドの現国王[[ムスワティ3世]]の1968年の誕生日。
* 健康の日({{KIR}})
* {{仮リンク|プリムローズ・デー|en|Primrose Day}}({{GBR}})
*: イギリスの40・42代首相[[ベンジャミン・ディズレーリ]]の[[1881年]]の忌日。{{仮リンク|プリムラ・ブルガリス|en|Primula vulgaris|label=プリムローズ}}はディズレーリの好きな花であり、ヴィクトリア女王がよく、宮殿の庭で摘んだプリムローズをディズレーリに贈っていたというエピソードからこの名前がついている。
* 自転車の日 (Bicycle Day)
*: [[1943年]]のこの日にスイスの化学者[[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]]が[[LSD (薬物)|LSD]]の[[幻覚]]作用を発見したことを記念。ホフマンは研究室でLSDを服用する実験をした後、幻覚状態のまま自転車で帰宅したが、その間も視野にある全ての像が揺れ動き、自転車が一向に進んでいるように感じられなかったと記していることから、この名前がついている。
* 飼育の日({{JPN}})
*: [[日本動物園水族館協会]]が[[2009年]]に制定。「しいく」の語呂合せ。
* 地図の日(最初の一歩の日)({{JPN}})
*: [[寛政]]12年[[閏]][[4月19日 (旧暦)|4月19日]]([[1800年]][[6月11日]])、[[伊能忠敬]]が[[蝦夷地]]の[[測量]]を行うため江戸を出発したことにちなむ。
* [[古川祭]]({{JPN}})
*: [[岐阜県]][[飛騨市]][[古川町]]の[[気多若宮神社]]の例祭。[[日本三大一覧#祭り|日本三大裸祭り]]の1つに数えられ、起し太鼓・屋台行事が国の重要無形民俗文化財に指定されている。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0419|date=2011年6月}}
* [[1998年]]<ref>[[那須正幹]]『ズッコケ脅威の大震災』[[ポプラ社]]、1998年、195頁({{ISBN2|4-591-05596-5}})に「三年前の[[阪神・淡路大震災]]」という記述がある。</ref> - 稲穂県を中心にマグニチュード7.3の地震が発生(稲穂県南部地震<ref>『ズッコケ脅威の大震災』136頁。</ref>)、大きな被害が出る。(小説『[[ズッコケ三人組|ズッコケ脅威の大震災]]』)<ref>『ズッコケ脅威の大震災』まえがき。</ref>
* [[2019年]] - [[成歩堂龍一]]がこの日の法廷で、何者かによって捏造された証拠品を提出してしまい[[弁護士]]資格を剥奪される。(ゲーム『[[逆転裁判|逆転裁判4]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[2009年]] - リーファ/桐ケ谷直葉、小説・アニメ・ゲーム『[[ソードアート・オンライン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|saoif_gameinfo|1383963812068569088}}</ref>
* 2500年代 - ミッシェル・K・デイヴス、漫画『[[テラフォーマーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=貴家悠|authorlink1=貴家悠|author2=橘賢一|authorlink2=橘賢一|title= テラフォーマーズ|origyear= 2012|accessdate= 2016-03-13|publisher= 集英社|isbn= 978-4-08-879459-4|volume= 3巻}}</ref>
* [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]26年 - フィア・メル、ゲーム『[[スターオーシャン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=37|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref>
* 生年不明 - 水原千鶴、漫画・アニメ・ドラマ『[[彼女、お借りします]]』のヒロイン<ref>{{Cite web|和書|url=https://kanokari-official.com/news/396/ |title=本日・4月19日は水原千鶴のお誕生日! |publisher=TVアニメ『彼女、お借りします』公式サイト |date=2020-04-19 |accessdate=2022-09-03}}</ref>
* 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#ドイツ(西ドイツ)|マンフレート・マーガス]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year=2003|title=キャプテン翼 3109日全記録|publisher=集英社|isbn=4-08-782789-5|page=177}}</ref>
* 生年不明 - 本田ヒロト、漫画・アニメ『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋和希|title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書|publisher=集英社|series=Vジャンプブックス|year=2015|page=40|isbn=978-4-08-779722-0}}</ref>
* 生年不明 - シャム、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Siam.html |title=シャム |access-date=2022-09-03 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - フロワ・ティエドール、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|year=2008|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃|page=52|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-874248-9}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|title=D.Gray-man キャラクター ランキングブック キャラグレ!|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2011|page=89|isbn=978-4-08-870268-1}}</ref>
* 生年不明 - 佐伯竜司、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1516070295966150660}}</ref>
* 生年不明 - ポルチェリオ、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ(監修)|authorlink=東まゆみ|year=2009|title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド|page=63|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref>
* 生年不明 - 石戸明星、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=石戸 明星(いわと あきせ) |work=咲-Saki |accessdate=2022-10-01 |website=小林立公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - マキナ・中島、アニメ『[[マクロスΔ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|macrossd|986620627510493184}}</ref>
* 生年不明 - リースリット・ノエル、ゲーム『[[夜明け前より瑠璃色な]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://aria-soft.com/d_blue/character06.html |title=リースリット・ノエル |access-date=2022-09-03 |publisher=ARIA |work=夜明け前より瑠璃色な - Brighter than dawning blue -}}</ref><ref>『夜明け前より瑠璃色な -Moonlight Cradle-』小冊子「Moonlight Chronicle」[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]]、2009年、26頁。</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#白菊ほたる|白菊ほたる]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20088 |title=白菊 ほたる(しらぎく ほたる) |access-date=2022-09-03 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 総司、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave|閃乱カグラNew Wave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/souji.php |title=総司 |access-date=2022-10-14 |publisher=Marvelous |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - カンナ、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド|publisher=KADOKAWA|year=2015|pages=36,318|isbn=978-4-04-869406-3}}</ref>
*生年不明 - 夏目春、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_matori.html |title=マトリ 夏目春 |accessdate=2022-09-03 |publisher= |website=TVアニメ『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - メジロブライト、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=mejirobright |title=メジロブライト |access-date=2022-09-03 |publisher=Cygames |work=ウマ娘 プリティーダービー 公式ポータルサイト}}</ref>
* 生年不明 - ニシノフラワー、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=nishinoflower |title=ニシノフラワー |publisher=Cygames |accessdate=2022-09-03 |work=ウマ娘 プリティーダービー 公式ポータルサイト}}</ref>
* 生年不明 - [[ラブライブ!#西木野真姫|西木野真姫]]、メディアミックス『[[ラブライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/member/member06.html |title=西木野真姫 |access-date=2022-09-03 |publisher=ラブライブ!Official Web Site}}</ref>
* 生年不明 - 呉羽葵、メディアミックス『[[Paradox Live]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://paradoxlive.jp/character/visty/aoi.php |title=呉羽 葵 |access-date=2022-10-14 |publisher=Paradox Live}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 19|19 April}}
{{新暦365日|4|18|4|20|[[3月19日]]|[[5月19日]]|[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]|0419|4|19}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8819%E6%97%A5 |
4,884 | 4月21日 | 4月21日(しがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から111日目(閏年では112日目)にあたり、年末まではあと254日ある。 | [
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== できごと ==
* [[紀元前8世紀|紀元前753年]] - [[ロームルス]]が都市国家[[ローマ]]を建国<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/rome-founded |title=753 B.C. Rome founded |access-date=11 Sep 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |website=This day History |date=April 19, 2022}}</ref>。
* [[878年]]([[元慶]]2年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]) - [[元慶の乱]]が始まる。
* [[1509年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]が死去。[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]が即位。
* [[1519年]] - [[エルナン・コルテス]]が[[メキシコ]]本土(現在の[[ベラクルス]])に上陸。
* [[1526年]] - [[第一次パーニーパットの戦い]]。[[バーブル]]の軍が[[ローディー朝]]の軍を破る。ローディー朝[[スルターン]]・[[イブラーヒーム・ローディー]]が戦死してローディー朝が終焉。[[ムガル帝国]]建国の契機となる。
* [[1591年]]([[天正]]19年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[豊臣秀吉]]の命により、[[千利休]]が[[聚楽第]]で[[切腹]]する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20220327-SDVY5U5PBRLSXC4XDKEOP5D44U/ |title=【千利休500年】 突然の切腹 秀吉の怒りか 三成の陰謀か |access-date=11 Sep 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=27 Mar 2022}}</ref>。
* [[1701年]]([[元禄]]14年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - 京都から下向した[[赤穂藩|赤穂藩主]][[浅野長矩]]が、[[江戸城]][[松之大廊下]]で[[吉良義央]]を斬りつける<ref>{{Cite web|和書|url=http://kumonoue-lib.jp/index.php/kyono-issatsu/796-3-50 |title=3月14日は赤穂事件発端の日 |access-date=11 Sep 2023 |publisher=ゆすはら雲の上の図書館 |date=14 Mar 2021}}</ref>。取り押さえられた浅野長矩は即日[[切腹]]処分になり、浅野家は断絶した。
* [[1796年]] - [[フランス革命戦争]]: {{仮リンク|モンドヴィの戦い|en|Battle of Mondovì}}。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]率いるフランス軍が[[サルデーニャ王国]]に勝利。
* [[1798年]] - フランス革命戦争: [[ラ・ド・サンの海戦]]で[[イギリス]]が勝利。
* [[1836年]] - [[テキサス革命]]: [[サンジャシントの戦い]]
* [[1872年]]([[明治]]5年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[神祇省]]を廃止し[[教部省]]を設置。
[[ファイル:Fokker Dr.I Deutsches Museum.JPG|thumb|180x180px|「レッドバロン」リヒトホーフェンが搭乗していた[[フォッカーDr.I]]が撃墜され戦死(1918)]]
* [[1918年]] - [[第一次世界大戦]]: 「レッドバロン」ことドイツ陸軍の航空士官[[マンフレート・フォン・リヒトホーフェン]]が撃墜され戦死。
* [[1919年]] - [[堺利彦]]・[[山川均]]らが『社会主義研究』を創刊。
* [[1927年]] - [[昭和金融恐慌]]: [[十五銀行]]が休業。同銀行の[[株主]]や預金者には[[華族]]が多く多くの者が経済的打撃を受ける。
* [[1932年]] - 東京市内4か所に自動式[[公衆電話]]を設置。
* 1932年 - 静岡県大宮町(現在の[[富士宮市]])で大火。1000余戸焼失、被災者7500人<ref>被災七千五百人、町役場も焼ける『東京朝日新聞』昭和7年4月23日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p57-58 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
* [[1934年]] - [[渋谷駅]]前の[[忠犬ハチ公]]像が完成し、除幕式を挙行。ハチ自身も除幕式に出席。
* 1934年 - デイリー・メール紙が[[ネス湖]]で撮影された[[ネッシー]]の写真(「外科医の写真」)を掲載。のちの[[1994年]]に、これがトリック写真であったと撮影者が白状する。
* [[1951年]] - [[日本]]で[[民間放送]]16社に予備免許。(民放の日の由来)
* [[1952年]] - 日本で[[公職追放令]]廃止。最後まで追放解除にならなかった5,700人の公職追放が解除。
* 1952年 - [[日本民間放送連盟]](民放連)発足。
* [[1954年]] - [[造船疑獄]]で[[犬養健]][[法務大臣]]が[[指揮権 (法務大臣)|指揮権]]を発動、[[佐藤栄作]]自由党幹事長の逮捕を含めた強制捜査に対し逮捕中止と任意捜査への切り替えを[[検事総長]]に指示。
[[Image:Montagem Brasília.jpg|thumb|225x225px|[[ブラジル]]の首都が[[ブラジリア]]に遷都(1960)]]
* [[1960年]] - [[ブラジル]]の首都が[[ブラジリア]]に[[遷都]]。
* [[1961年]] - [[東南アジア]]視察で[[ラオス]]に滞在していた[[辻政信]]がこの日を最後に消息を絶つ(1968年7月20日付で死亡宣告)。
* [[1962年]] - [[シアトル万国博覧会]]が開幕。[[10月21日]]まで。
* [[1964年]] - [[ニューヨーク万国博覧会 (1964年)|ニューヨーク万国博覧会]]が開幕。[[1965年]][[10月17日]]まで。
* [[1966年]] - [[エチオピア]]皇帝[[ハイレ・セラシエ1世]]が[[ジャマイカ]]を訪問。([[ラスタファリ運動]]の記念日{{仮リンク|グラウネーション・デー|en|Grounation Day}})
* [[1967年]] - [[ギリシャ]]で陸軍による[[クーデター]]。[[ギリシャ軍事政権]]が発足。
* [[1977年]] - ミュージカル『[[アニー]]』が[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]で初演。2,377回の[[ロングラン公演]]となる。
* [[1989年]] - [[任天堂]]が[[携帯型ゲーム|携帯型ゲーム機]]「[[ゲームボーイ]]」を日本で発売。
* [[1990年]] - [[ステルス (軍事)|ステルス]][[攻撃機]][[F-117 (航空機)|F-117ナイトホーク]]が[[ネリス空軍基地]]で一般公開<ref>{{Cite web |url=https://www.reviewjournal.com/news/from-humble-roots-nellis-takes-flight/ |title=From humble roots, Nellis takes flight |access-date=11 Sep 2023 |date=June 1, 2014 |website=LAS VEGAS REVIEW-JOURNAL}}</ref>。
* [[2006年]] - 静岡県で[[伊豆半島東方沖地震]]発生。
* [[2011年]] - [[PlayStation Network]]にて世界規模の接続障害が発生。[[PlayStation Network個人情報流出事件|PSN個人情報流出事件]]の発端となる。
* [[2018年]] - [[田島ナビ]]([[1900年]]生まれ)が死去し、確実な証拠のある[[19世紀]]生まれの人間は全員この世を去った。
* [[2019年]] - スリランカの[[コロンボ]]のホテルと[[復活祭]]の祭典中の[[教会]]を中心に[[スリランカ連続爆破テロ事件]]が発生する<ref>{{Cite web|和書|date=22 Apr 2019 |url=https://www.bbc.com/japanese/48008834 |title=スリランカで連続爆発、死者290人に 日本人も1人死亡 |publisher=[[BBC]] NEWS JAPAN |accessdate=11 Sep 2023}}</ref>。
{{-}}
== 誕生日 ==
[[Image:Carracci_Lodovico_Madonna.jpg|thumb|278x278px|[[バロック]]初期の画家・版画家、[[ルドヴィコ・カラッチ]](1555-1619)誕生。画像は『バルゲリーニの聖母』(1588)]]
[[Image:John_Law-Casimir_Balthazar_mg_8450.jpg|thumb|経済学者[[ジョン・ロー]](1671-1729)誕生。[[貨幣]]は交換手段に過ぎぬとし、フランス初の[[紙幣]]を発行させた|231x231ピクセル]]
[[Image:Hippolyte_taine.jpg|thumb|哲学者・批評家、[[イポリット・テーヌ]](1828-1893)|220x220ピクセル]]
[[Image:Frederick-Froebel-Bardeen.jpeg|thumb|[[幼児教育]]の祖、[[フリードリヒ・フレーベル]](1782-1852)誕生。「[[幼稚園]]」(kindergarten)はフレーベルの造語である|244x244ピクセル]]
[[Image:Max_Weber_1894.jpg|thumb|240x240px|社会学者[[マックス・ヴェーバー]](1864-1920)]]
[[Image:Kyuzou_Mifune.jpg|thumb|「柔道の神様」、[[三船久蔵]](1883-1965)|261x261ピクセル]]
[[ファイル:Hikakin.png|thumb|180x180px|[[日本]]のトップ[[YouTuber]]、[[HIKAKIN]] (1989 - )。画像は2015年の写真である。]]
[[Image:Queen_Elizabeth_II_1929.jpg|thumb|[[イギリス]]女王[[エリザベス2世]](1926-2022)。画像は3歳のエリザベス|215x215ピクセル]]
[[Image:Michael_Freedman_2010.jpg|thumb|[[ポアンカレ予想]]を4次元において証明した数学者[[マイケル・フリードマン]](1951-)|263x263ピクセル]]
=== 人物 ===
* [[1488年]] - [[ウルリヒ・フォン・フッテン]]、[[作家]]、[[人文主義者]](+ [[1523年]])
* [[1555年]] - [[ルドヴィコ・カラッチ]]、[[画家]]、[[版画家]](+ [[1619年]])
* [[1608年]]([[慶長]]13年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[中江藤樹]]、[[陽明学|陽明学者]](+ [[1648年]])
* [[1647年]]([[正保]]4年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[建部政宇]]、[[林田藩|林田藩主]](+ [[1715年]])
* [[1765年]]([[明和]]2年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[山名義方]]、[[村岡藩|村岡領主]](+ [[1834年]])
* [[1671年]] - [[ジョン・ロー]]、[[経済思想|経済思想家]]、[[実業家]]、[[財政家]](+ [[1729年]])
* [[1774年]] - [[ジャン=バティスト・ビオ]]、[[物理学者]](+ [[1862年]])
* [[1782年]] - [[フリードリヒ・フレーベル]]、[[教育関係人物一覧|教育者]](+ [[1852年]])
* [[1809年]] - [[ロバート・マーサー・タリアフェロー・ハンター]]、[[政治家]](+ [[1887年]])
* [[1816年]] - [[シャーロット・ブロンテ]]、[[小説家]](+ [[1855年]])
* [[1820年]]([[文政]]3年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - [[大久保忠美]]、[[鳥山藩|鳥山藩主]](+ [[1864年]])
* [[1828年]] - [[イポリット・テーヌ]]、[[哲学者]]、[[文学史|文学史家]](+ [[1893年]])
* [[1834年]] - [[ヘンリー・スペンサー・アシュビー]]、[[実業家]]、[[書誌学|書誌学者]](+ [[1900年]])
* [[1837年]] - [[フレデリック・バイエル]]、政治家(+ [[1922年]])
* [[1843年]] - [[ヴァルター・フレミング]]、[[細胞学|細胞学者]](+ [[1905年]])
* [[1846年]]([[弘化]]3年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[柳沢保申]]、[[郡山藩|郡山藩主]]・[[伯爵]](+ [[1893年]])
* [[1848年]] - [[カール・シュトゥンプ]]、[[哲学|哲学者]]、[[心理学者]](+ [[1936年]])
* [[1855年]] - [[ハーディ・リチャードソン]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1931年]])
* [[1864年]] - [[マックス・ヴェーバー]]、[[経済学者]](+ [[1920年]])
* [[1869年]] - [[フィリップ・フルトヴェングラー]]、[[数学者]](+ [[1940年]])
* [[1871年]] - [[レオ・ブレッヒ]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](+ [[1958年]])
* [[1875年]] - [[高木貞治]]、数学者(+ [[1960年]])
* [[1880年]] - [[尾竹国観]]、[[日本画家]](+ [[1945年]])
* [[1881年]] - [[中村新太郎]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1941年]])
* [[1882年]] - [[生田長江]]、[[文芸評論家]]、小説家、[[劇作家]](+ [[1936年]])
* 1882年 - [[パーシー・ブリッジマン]]、物理学者(+ [[1961年]])
* [[1883年]] - [[三船久蔵]]、[[柔道家]](+ [[1965年]])
* [[1887年]] - [[ジョー・マッカーシー]]、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]][[プロ野球監督|監督]](+ [[1978年]])
* [[1889年]] - [[ポール・カーラー]]、[[化学者]](+ [[1971年]])
* [[1893年]] - [[ヴァルター・クリスタラー]]、[[地理学者]](+ [[1969年]])
* [[1902年]] - [[岡田嘉子]]、[[俳優|女優]](+ [[1992年]])
* [[1904年]] - [[ジャン・エリオン]]、[[画家]](+ [[1987年]])
* 1904年 - [[清元榮壽郎]]、[[清元節]][[三味線]]方(+ [[1963年]])
* [[1907年]] - [[渡辺義雄]]、[[写真家]](+ [[2000年]])
* [[1909年]] - [[アルフレッド・ライオン]]、[[ブルーノート・レコード|ブルーノート]]創設者(+ [[1987年]])
* 1909年 - [[宇野利泰]]、[[翻訳家]](+ [[1997年]])
* [[1910年]] - [[松下井知夫]]、[[漫画家]](+ [[1990年]])
* [[1911年]] - [[レナード・ウォーレン]]、[[バリトン]]歌手(+ [[1960年]])
* [[1912年]] - [[マルセル・カミュ]]、[[映画監督]](+ [[1982年]])
* [[1913年]] - [[イヴ・アーノルド]]、[[写真家]](+ [[2012年]])
* [[1915年]] - [[アンソニー・クイン]]、[[俳優]](+ [[2001年]])
* 1915年 - [[ギャレット・ハーディン]]、[[生物学者]](+ [[2003年]])
* [[1917年]] - [[辻井弘]]、元プロ野球選手(+ [[1993年]])
* [[1920年]] - [[大久保怜]]、[[芸人]]、[[司会者]](+ [[2007年]])
* 1920年 - [[ブルーノ・マデルナ]]、作曲家、指揮者(+ [[1973年]])
* 1920年 - [[芳村嵓夫]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1922年]] - [[ジョン・ブリットン]]、元プロ野球選手(+ [[1990年]])
* 1922年 - [[アリステア・マクリーン]]、小説家(+ [[1987年]])
* [[1924年]] - [[興津要]]、[[日本文学研究者|国文学者]]、[[落語]]研究家(+ [[1999年]])
* [[1926年]] - [[エリザベス2世]]、[[イギリス]]女王 (+ [[2022年]])
* 1926年 - [[山崎善平]]、元プロ野球選手(+ [[2005年]])
* [[1927年]] - [[小島禎二]]、元プロ野球選手(+ [[1997年]])
* [[1930年]] - [[渡辺省一]]、政治家(+ [[2000年]])
* 1930年 - [[シルヴァーナ・マンガーノ]]、女優(+ [[1989年]])
* [[1933年]] - [[鳳八千代]]、女優
* 1933年 - [[島原幸雄]]、元プロ野球選手(+ [[1995年]])
* [[1934年]] - [[佐々木重徳]]、元プロ野球選手
* [[1935年]] - [[チャールズ・グローディン]]、俳優、[[コメディアン]](+ [[2021年]])
* [[1935年]] - [[花川與惣太]]、政治家
* [[1936年]] - [[市村緑郎]]、[[彫刻家]](+ [[2014年]])
* [[1937年]] - [[須藤豊]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]]
* 1937年 - [[高木時夫]]、元プロ野球選手(+ [[2006年]])
* [[1938年]] - [[鈴木孝雄 (野球)|鈴木孝雄]]、元プロ野球選手
* [[1942年]] - [[唐崎信男]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[木村庄之助 (34代)]]、[[大相撲]][[立行司]]
* 1943年 - [[輪島功一]]、[[プロボクサー]]
* [[1944年]] - [[北城恪太郎]]、実業家
* 1944年 - [[芦田豊雄]]、[[アニメーター]]、[[アニメ監督]](+ [[2011年]])
* 1944年 - [[切通猛]]、プロ野球選手(+ [[2015年]])
* [[1946年]] - [[羽村起夫]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[イギー・ポップ]]、[[ミュージシャン]]
* 1947年 - [[加藤敬二 (競馬)|加藤敬二]]、[[調教師]]
* [[1948年]] - [[園田豪]]、[[作家]]、[[歴史研究家]]
* [[1949年]] - [[海野徹]]、政治家
* 1949年 - [[矢野立美]]、作曲家
* [[1950年]] - [[矢野俊一]]、元プロ野球選手
* 1950年 - [[芝博一]]、政治家
* [[1951年]] - [[曽祢まさこ]]、[[漫画家]]
* 1951年 - [[マイケル・フリードマン]]、数学者
* [[1952年]] - [[芳野藤丸]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* [[1953年]] - [[大町定夫]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[トニーニョ・セレーゾ]]、元[[サッカー選手]]、指導者
* [[1957年]] - [[兼光保明]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[臼井儀人]]、[[漫画家]](+ [[2009年]])
* 1958年 - [[君塚良一]]、[[脚本家]]
* 1958年 - [[保積ぺぺ]]、俳優
* 1958年 - [[アンディ・マクダウェル]]、女優
* [[1959年]] - [[ロバート・スミス (ミュージシャン)|ロバート・スミス]]、ミュージシャン([[ザ・キュアー]])
* 1959年 - [[畑中葉子]]、[[歌手]]
* 1959年 - [[矢野実]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[今井雅之]]、[[俳優]](+ [[2015年]])
* 1961年 - 千葉祐子、[[演歌歌手]]([[祐子と弥生]])
* 1961年 - 千葉弥生、演歌歌手(祐子と弥生)
* 1961年 - [[藤井佳代子]]、[[声優]]
* [[1962年]] - [[辻沢響江]]、歌手、女優
* 1962年 - [[南場智子]]、実業家、[[株式会社]][[ディー・エヌ・エー]]創業者
* [[1963年]] - [[菅浩江]]、[[SF作家]]
* 1963年 - [[ジョン・キャメロン・ミッチェル]]、[[映画監督]]
* [[1964年]] - [[リュドミラ・エンクイスト]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]]
* 1964年 - [[榎田健一郎]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[トーマス・ヘルマー]]、元サッカー選手
* 1965年 - [[山野井泰史]]、[[登山家]]
* [[1966年]] - [[クリス・ドネルス]]、元プロ野球選手
* [[1968年]] - [[西里幸喜]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[高畠真紀]]、元アイドル
* [[1969年]] - [[久宝留理子]]、歌手
* 1969年 - [[鈴木克美 (サッカー選手)|鈴木克美]]、元サッカー選手
* 1969年 - [[ジョゼ・シュイナール]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1969年 - [[トビー・スティーブンス]]、俳優
* [[1970年]] - [[佐藤秀樹]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[山本宏美]]、元[[スピードスケート]]選手
* [[1972年]] - [[クレイグ・ダーデン]]、[[騎手]]
* 1972年 - [[グウェンダル・ペーゼラ]]、フィギュアスケート選手
* 1972年 - [[セヴェリナ・ヴチュコヴィッチ]]、[[歌手]]
* 1972年 - [[ナルゲス・モハンマーディ]]、イランの女性人権活動家
* [[1973年]] - [[小西克幸]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/小西克幸/ |title=小西克幸 |work=goo人名事典 |accessdate=11 Sep 2023 |publisher=[[NTTドコモ|NTT DOCOMO]]}}</ref>、声優
* 1973年 - [[海原エレナ]]、声優
* 1973年 - [[上野良治]]、元サッカー選手
* [[1974年]] - [[吉川典雄]]、アナウンサー
* 1974年 - [[クリフ・ブランボー]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[カルロス・カスティーヨ]]、プロ野球選手
* 1975年 - [[平井正史]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[一宮里絵]]、[[タレント]]、女優
* 1976年 - [[醍醐大]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]]
* 1976年 - [[福山龍太郎]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[未希]]、ファッションモデル
* [[1977年]] - [[尾上由美]]、タレント
* 1977年 - [[ジェイミー・サレー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1978年]] - [[西本はるか]]、タレント(元[[パイレーツ (お笑いコンビ)|パイレーツ]])
* 1978年 - [[ユッカ・ネヴァライネン]]、[[ドラマー]]([[ナイトウィッシュ]])
* [[1979年]] - [[ジェームズ・マカヴォイ]]、俳優
* 1979年 - [[トビアス・リンデロート]]、サッカー選手
* [[1980年]] - [[下野紘]]、声優
* 1980年 - [[竹原直隆]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[星野桂]]、漫画家
* 1980年 - [[千葉涼子]]、[[将棋]][[棋士 (将棋)|棋士]]
* 1980年 - [[トニー・ロモ]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* [[1981年]] - [[及川奈央]]、タレント、元[[AV女優]]
* 1981年 - [[中嶋かねこ]]、[[俳優|女優]]、[[グラビアアイドル]]
* 1981年 - [[ロニー・ポーリーノ]]、元プロ野球選手
* [[1982年]] - [[前原絵理]]、女優
* 1982年 - [[安田美沙子]]、タレント
* 1982年 - [[マキシモ・ネルソン]]、プロ野球選手
* 1982年 - [[ウェイン・ラングレン]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[中西可奈]]、アナウンサー
* [[1983年]] - [[千代白鵬大樹]]、元大相撲力士
* 1983年 - [[和音美桜]]、女優、歌手
* 1983年 - ナオミチ、ドラマー([[KNOCK OUT MONKEY]])
* 1983年 - [[井上仁志]]、ギタリスト([[THE TON-UP MOTORS]])
* [[1984年]] - [[中村光 (漫画家)|中村光]]、漫画家
* 1984年 - [[大翔湖友樹]]、元大相撲力士
* 1984年 - [[赤星拓]]、元サッカー選手
* [[1985年]] - [[李綺欣]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1985年 - [[お見送り芸人しんいち]]、お笑いタレント
* [[1986年]] - [[堀井美月]]、グラビアアイドル
* 1986年 - [[橋本太郎 (野球)|橋本太郎]]、元プロ野球選手
* [[1987年]] - [[ブレント・モレル]]、元プロ野球選手
* [[1988年]] - [[進藤一宏]]、元子役、声優、[[ジャグリング|ジャグラー]]
* 1988年 - [[黒滝将人]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[李杜軒]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[小西杏奈]]、[[構成作家]]、[[脚本家]]
* 1988年 - HALCA、ミュージシャン([[HALCALI]])
* [[1989年]] - [[寺田有希]]、タレント、女優
* 1989年 - [[神谷さやか]]、グラビアアイドル
* 1989年 - [[HIKAKIN]]、[[ヒューマンビートボックス|ヒューマンビートボクサー]]、[[YouTuber]]
* 1989年 - 船引亮佑、お笑いタレント([[ガクヅケ]])
* [[1990年]] - [[藤子まい]]、グラビアアイドル
* 1990年 - [[中島芽生]]、アナウンサー
* 1990年 - [[富所悠]]、サッカー選手
* 1990年 - [[鄭成哲]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[Abroad in Japan|クリス・ブロード]]、[[映像作家]]、YouTuber
* 1990年 - [[太田裕二]]、俳優、タレント、気象予報士
* [[1991年]] - [[ARuFa]]、[[ブロガー]]、webライター
* [[1992年]] - [[夢子|夢子キャサリン]]、ファッションモデル
* 1992年 - [[ジョク・ピーダーソン]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[フランシスコ・ロマン・アラルコン]]、サッカー選手
* [[1993年]] - [[駒月仁人]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[斎藤慎太郎]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* [[1994年]] - [[朝日奈央]]、タレント、ファッションモデル、アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]15号)
* [[1995年]] - [[大滝友梨亜]]、タレント(元[[NGT48]])
* 1995年 - [[吉田雄人 (野球)|吉田雄人]]、元プロ野球選手
* [[1997年]] - [[ミケル・オヤルサバル]]、サッカー選手
* 1997年 - [[高木紗友希]]、[[アイドル]]、歌手(元[[Juice=Juice]])
* [[1998年]] - [[牧秀悟]]、プロ野球選手
* 1998年 - [[川上エドオジョン智慧]]、サッカー選手
* [[1999年]] - [[トラウデン直美]]、ファッションモデル
* 1999年 - [[チェ・ヒョンソク]]、アイドル ([[TREASURE (音楽グループ)|TREASURE]])
* [[2000年]] - [[古谷拓郎]]、プロ野球選手
* [[2003年]] - [[清水詩音]]、女優
* [[2008年]] - イ・ヘイン、アイドル([[NewJeans]])
* 生年不明 - [[河村梨恵]]、声優
* 生年不明 - [[深川和征]]、声優
* 生年不明 - [[山田智子]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1953年]] - [[ヘキラク]]、[[競走馬]](+ 不明)
* [[1962年]] - [[エイトクラウン]]、競走馬(+ [[1981年]])
* [[1963年]] - [[タウザー (猫)|タウザー]]、世界一[[ネズミ]]を捕った[[ネコ|猫]](+ [[1987年]])
* [[1966年]] - [[ハクエイホウ]]、競走馬(+ [[1971年]])
* [[1971年]] - [[イナリトウザイ]]、競走馬(+ [[2002年]])
* [[1974年]] - [[サンシャインボーイ]]、競走馬(+ 不明)
* [[1979年]] - [[アンドレアモン]]、競走馬(+ 不明)
* [[1980年]] - [[リードホーユー]]、競走馬(+ [[2009年]])
* [[1983年]] - [[ニッポーテイオー]]、競走馬(+ [[2016年]])
* [[1984年]] - [[コーセイ]]、競走馬(+ [[2014年]])
* [[1986年]] - [[アクチブハトリ]]、競走馬(+ [[1991年]])
* [[1990年]] - [[シクレノンシェリフ]]、競走馬
* [[1991年]] - [[エアダブリン]]、競走馬(+ [[2016年]])
* 1991年 - [[オフサイドトラップ (競走馬)|オフサイドトラップ]]、競走馬(+ [[2011年]])
* [[1993年]] - [[スギノハヤカゼ]]、競走馬(+ 2002年)
* [[1994年]] - [[ワシントンカラー]]、競走馬(+ 不明)
* [[1996年]] - [[ハギノハイグレイド]]、競走馬(+ [[2021年]])
* [[1998年]] - [[グランデラ]]、競走馬
* 1998年 - [[ロードプリヴェイル]]、競走馬
* [[2000年]] - [[サカラート]]、競走馬(+ [[2016年]])
* [[2005年]] - [[イイデケンシン]]、競走馬
== 忌日 ==
{{multiple image
| caption1 = [[スコラ学]]の父[[アンセルムス]](1033-1109)没
| image1 = Anselm of Canterbury, seal.jpg
| width1 = 90
| alt1 = アンセルムス
| image2 = Abelard_and_Heloise.jpeg
| width2 = 90
| caption2 = 神学者[[ピエール・アベラール]](1079-1142)没
| alt2 = ピエール・アベラール
}}
{{multiple image
| caption1 = 茶聖[[千利休]](1522-1591)切腹
| image1 = %E5%88%A9%E4%BC%91%E5%B1%85%E5%A3%AB%E4%B8%89%E7%99%BE%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%A2%91.jpg
| width1 = 90
| alt1 = 千利休
| image2 = Naganori_Asano.jpg
| width2 = 90
| caption2 = [[浅野長矩]](1667-1701)切腹
| alt2 = 浅野長矩
}}
[[Image:Jean_Racine_by_Savart_Head.jpg|thumb|180px|フランス[[古典主義]]の劇作家[[ジャン・ラシーヌ]](1639-1699)没]]
[[Image:John_Maynard_Keynes.jpg|thumb|216x216px|[[マクロ経済学|マクロ経済学者]][[ジョン・メイナード・ケインズ]](1883-1946)没]]
[[Image:Jean-Francois_Lyotard_cropped.jpg|thumb|upright|哲学者[[ジャン=フランソワ・リオタール]](1924-1998)]]
=== 人物 ===
* [[1109年]] - [[アンセルムス]]、[[カンタベリー大主教|カンタベリー大司教]]、[[神学者]]、[[哲学|哲学者]](* [[1033年]])
* [[1142年]] - [[ピエール・アベラール]]、神学者(* [[1079年]])
* [[1360年]]([[正平 (日本)|正平]]15年/[[延文]]5年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[洞院公賢]]、[[太政大臣]]・[[有職故実]]学者(* [[1291年]])
* [[1509年]] - [[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1457年]])
* [[1574年]] - [[コジモ1世]]、初代[[トスカーナの支配者一覧|トスカーナ大公]](* [[1519年]])
* [[1587年]]([[天正]]15年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[久松俊勝]]、[[武将|戦国武将]](* [[1526年]])
* [[1591年]](天正19年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[千利休]]、[[商人]]、[[茶道|茶人]](* [[1522年]])
* [[1612年]]([[慶長]]17年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[岡本大八]]、[[武将]]
* [[1650年]]([[慶安]]3年3月21日) - [[柳生三厳]]、[[剣術|剣術家]]、[[江戸幕府]][[旗本]](* [[1607年]])
* [[1682年]]([[天和 (日本)|天和]]2年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[津田越前守助広]]、[[刀工]](* [[1637年]])
* [[1699年]] - [[ジャン・ラシーヌ]]、[[劇作家]](* [[1639年]])
* [[1701年]]([[元禄]]14年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[浅野長矩]]、[[赤穂藩|赤穂藩主]](* [[1667年]])
* [[1718年]] - [[フィリッペ・ドゥ・ライール]]、[[天文学者]]、[[数学者]](* [[1640年]])
* [[1742年]] - [[アマーリア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク|アマーリア・ヴィルヘルミーネ]]、[[神聖ローマ皇帝]][[ヨーゼフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ1世]]の皇后(* [[1673年]])
* [[1847年]] - [[フリードリッヒ・フォン・ゲルトナー]]、[[建築家]](* [[1791年]])
* [[1858年]]([[安政]]5年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[大原幽学]]、農政家(* [[1797年]])
* [[1878年]] - [[テミストークレ・ソレーラ]]、[[オペラ]][[台本]]作家(* [[1815年]])
* [[1885年]] - [[浜口梧陵]]、[[実業家]]、[[社会事業|社会事業家]](* [[1820年]])
* [[1896年]] - [[アーダルベルト・クリューガー]]、天文学者(* [[1832年]])
* [[1898年]] - [[テオドール・グヴィ]]、[[作曲家]](* [[1819年]])
* [[1904年]] - [[横川省三]]、[[スパイ|諜報員]](* [[1864年]])
* 1904年 - [[沖禎介]]、諜報員(* [[1874年]])
* [[1910年]] - [[マーク・トウェイン]]、[[小説家]](* [[1835年]])
* [[1918年]] - [[マンフレート・フォン・リヒトホーフェン]]、[[エース・パイロット]](* [[1892年]])
* 1918年 - [[フリードリヒ2世 (アンハルト公)|フリードリヒ2世]]、[[アンハルト公国|アンハルト公]](* [[1856年]])
* [[1922年]] - [[アレッサンドロ・モレスキ]]、[[カストラート]](* [[1858年]])
* [[1933年]] - [[長岡外史]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[中将]]、[[衆議院議員]](* [[1858年]])
* [[1938年]] - [[ムハンマド・イクバール]]、哲学者、[[詩人]](* [[1877年]])
* [[1941年]] - [[アグスティン・バルディ]]、[[音楽家]](* [[1884年]])
* [[1945年]] - [[ヴァルター・モーデル]]、[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]]の[[元帥]](* [[1891年]])
* [[1946年]] - [[ジョン・メイナード・ケインズ]]、[[経済学者]](* [[1883年]])
* [[1948年]] - [[カルロス・ロペス・ブチャルド]]、作曲家(* [[1881年]])
* [[1955年]] - [[倉橋惣三]]、[[児童心理学|児童心理学者]](* [[1882年]])
* [[1956年]] - [[吉田絃二郎]]、[[作家]](* [[1886年]])
* [[1962年]] - [[武者小路公共]]、[[外交官]](* [[1882年]])
* [[1965年]] - [[エドワード・アップルトン]]、[[物理学者]](* [[1892年]])
* [[1970年]] - [[リロイ・ブラウン]]、[[陸上競技]]選手(* [[1902年]])
* [[1971年]] - [[フランソワ・デュヴァリエ]]、[[ハイチ]][[大統領]](* [[1907年]])
* [[1973年]] - [[アーサー・ファデン]]、政治家、第13代[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](* [[1894年]])
* [[1977年]] - [[ガンモ・マルクス]]、[[マルクス兄弟]]の四男(* [[1893年]])
* [[1980年]] - [[アレクサンドル・オパーリン]]、[[化学者]](* [[1894年]])
* [[1986年]] - [[松登晟郎]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1924年]])
* [[1987年]] - [[中島治康]]、[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](* [[1909年]])
* [[1991年]] - [[ヴィリー・ボスコフスキー]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]](* [[1909年]])
* [[1992年]] - [[内司正弘]]、プロ野球選手(* [[1933年]])
* [[1995年]] - [[樽井清一]]、プロ野球選手(* [[1929年]])
* [[1996年]] - [[ジョハル・ドゥダエフ]]、[[チェチェン共和国|チェチェン]]独立派指導者(* [[1944年]])
* [[1998年]] - [[ジャン=フランソワ・リオタール]]、哲学者(* [[1924年]])
* [[2000年]] - [[山本穰]]、プロ野球選手(* [[1958年]])
* [[2003年]] - [[ニーナ・シモン]]、[[歌手]](* [[1933年]])
* 2003年 - [[アレクサンドル・ロバノフ]]、[[芸術家]](* [[1924年]])
* [[2004年]] - [[藤田田]]、[[マクドナルド|日本マクドナルド]]創業者(* [[1926年]])
* [[2005年]] - [[張春橋]]、[[文化大革命]]中の[[四人組]]の1人(* [[1917年]])
* 2005年 - [[ロック岩崎]]、[[エアショー]][[パイロット (航空)|パイロット]](* [[1951年]])
* [[2006年]] - [[テレ・サンタナ]]、[[サッカー選手]]・指導者(* [[1931年]])
* [[2007年]] - [[パリー・オブライエン]]、陸上競技選手(* [[1932年]])
* [[2010年]] - [[フアン・アントニオ・サマランチ]]、[[国際オリンピック委員会|IOC]]第7代会長(* [[1920年]])
* 2010年 - [[多田富雄]]、[[免疫学者]](* [[1934年]])
* [[2011年]] - [[田中好子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/04/22/kiji/K20110422000674390.html |title=突然すぎる…キャンディーズ「スーちゃん」死去 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=22 Apr 2011 |accessdate=11 Sep 2023 |website=Sponichi Annex}}</ref>、[[俳優|女優]]、[[アイドル]]([[キャンディーズ]])(* [[1956年]])
* 2011年 - [[成田文男]]、プロ野球選手(* [[1946年]])
* [[2012年]] - IKÜZÖNE、[[ギタリスト]]、[[ベーシスト]]([[Dragon Ash]])(* [[1965年]])
* [[2013年]] - [[ジャン=ミシェル・ダマーズ]]、作曲家(* [[1928年]])
* 2013年 - [[フランソワ・ジャコブ]]、[[生物学|生物学者]](* [[1920年]])
* [[2016年]] - [[真島俊夫]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://blog.fostermusic.jp/special/1165 |title=真島俊夫「Dreams Unlimited -限りなき夢」 |access-date=11 Sep 2023 |publisher=フォスターミュージック |date=21 Apr 2023}}</ref>、作曲家、[[編曲家]](* [[1949年]])
* [[2016年]] - [[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/people-prince-idJPKCN0XI2UE |title=米人気歌手プリンスが死去、57歳 各界から追悼コメント |access-date=11 Sep 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=22 Apr 2016}}</ref>、[[ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]]、[[俳優]](* [[1958年]])
* [[2018年]] - [[田島ナビ]]<ref name="death">{{Cite web|和書|date=22 Apr 2018 |url=https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000204346.html |title=HP> 報道・広報> 報道発表資料> 2018年4月> 国内最高齢者 ご逝去について |publisher=厚生労働省 |accessdate=11 Sep 2023}}</ref>、[[19世紀]]生まれ最後の生存者(* [[1900年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2008年]] - [[アストンマーチャン]]、[[競走馬]](* [[2004年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Collage Rome.jpg|thumb|180x180px|[[ローマ]]の創建記念日]]
* [[ローマ]]の創建記念日
*: ローマの[[建国神話]]で、[[紀元前753年]]に[[ロームルス]]がローマ([[王政ローマ]])を建設し、王となったとされている日。
* チラデンテス記念日({{BRA}})
*: ブラジル独立運動の英雄・[[チラデンテス]]が[[1792年]]に処刑された日。
* {{仮リンク|グラウネーション・デー|en|Grounation Day}}
*: [[ラスタファリ運動]]の記念日。ラスタファリ運動において「神の化身」と信じられている[[エチオピア]]皇帝[[ハイレ・セラシエ1世]]が[[1966年]]に[[ジャマイカ]]を訪問した日。
* 民放の日({{JPN}})
*: [[1951年]]のこの日に日本初の[[民間放送]]が事業を開始した(16社に[[ラジオ]][[放送局]]の予備免許が与えられた)ことにちなみ、[[日本民間放送連盟]]が[[1968年]]に「放送広告の日」として制定。[[1993年]]に「民放の日」に改称された。毎年4月21日から4月27日までは民放週間となる。90年代までは21日には、全民放テレビ同時ネットの記念番組が16時台に流れたほか、各局で5分間「民放連会長あいさつ」がVTRネットで流れていた。
* オーベルジュの日
*: [[オーベルジュ]]の魅力や文化を伝えるため、日本オーベルジュ協会が制定。日付は、日本で本格的なオーベルジュが誕生した[[1986年]](昭和61年)4月21日にちなむ<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=135|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
* 正御影供({{JPN}})
*: 弘法大師[[空海]]は承和2年([[835年]])[[3月21日]]、[[金剛峯寺|高野山]]奥の院にて入定。この日を西暦に換算した4月21日、ゆかりの寺院では「正御影供」が執り行なわれる。京都の[[東寺]](教王護国寺)では、この日に限り国宝の御影堂(大師堂)の外陣に上がることが許され、また、灌頂院の絵馬が開帳される<ref>{{Cite web|和書|url=https://toji.or.jp/visiting/ |title=法要のご案内 ご参拝 卯月 – 4月 – |access-date=11 Sep 2023 |publisher=東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺}}</ref>。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0421|date=Sep 2023}}
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1988年]] - [[魔法先生ネギま!の登場人物#神楽坂明日菜|神楽坂明日菜]]、漫画『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://king-cr.jp/special/negima/08.html |title=8.神楽坂 明日菜 |access-date=11 Sep 2023 |publisher=[[KING AMUSEMENT CREATIVE]] SONIC BLADE |work=『魔法先生ネギま!麻帆良学園中等部2ーA』}}</ref>
* 生年不明 - 闘牛(ウーシー)、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/fighting_bull.html |title=闘牛(ウーシー) |access-date=11 Sep 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |website=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - 卯ノ花烈、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=久保帯人|authorlink=久保帯人 |year = 2006 |title = BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page = 193 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 4-08-874079-3 }}</ref>
* 生年不明 - 角取ポニー、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group02/02-18/ |title=角取ポニー |access-date=11 Sep 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref>
* 生年不明 - 蒲原智美、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』・『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=蒲原 智美(かんばら さとみ) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=11 Sep 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}} </ref>
* 生年不明 - 柴田銀河、漫画『キミは宙のすべて』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 二藤尚哉、漫画・アニメ『[[ヲタクに恋は難しい]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.noitamina-shop.com/event/id/644 |title=「ヲタクに恋は難しい」二藤尚哉 バースデーキャンペーン |access-date=11 Sep 2023 |publisher=noitamina shop |date=12 Apr 2018}}</ref>
* 生年不明 - 喜多郁代、漫画・アニメ・舞台『[[ぼっち・ざ・ろっく!]]』に登場するキャラクター<ref>単行本第一巻購入特典4p公式設定資料集(ブックレット)より。</ref>
* 生年不明 - 宝生迅人、アニメ『[[群青のファンファーレ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|fanfare_anime|1481944185619902467}}</ref>
* 生年不明 - 八雲ちづる、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|855263243282948096}}</ref>
* 生年不明 - ヤマトタケル、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1649246589397991426}}</ref>
* 生年不明 - 小芦睦海、ゲーム・アニメ『[[アリス・ギア・アイギス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|colopl_alice|1649247331987132417}}</ref>
* 生年不明 - 在原守人、メディアミックス『[[ツキノ芸能プロダクション]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://tsukino-pro.com/talent_artist/talent_artist-cat2/alive-ta/arihara-morihito-ta/ |title=在原守人 |access-date=11 Sep 2023 |publisher=TSUKIPRO TSUKIUTA. [[ユニバーサルミュージック (日本)|UNIVERSAL MUSIC LLC]] ALTAIR |work=『ツキノ芸能プロダクション』}}</ref>
* 生年不明 - 南雲竜、メディアミックス『[[フットサルボーイズ!!!!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|futsal_boys|1516793814471434241}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 21|21 April}}
{{新暦365日|4|20|4|22|[[3月21日]]|[[5月21日]]|[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]|0421|4|21}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T11:48:01Z | 2023-11-04T12:35:28Z | false | false | false | [
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"Template:新暦365日",
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"Template:フィクションの出典明記",
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"Template:Twitter status",
"Template:1年の月と日",
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"Template:カレンダー 4月",
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"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite web"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8821%E6%97%A5 |
4,885 | 4月22日 | 4月22日(しがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から112日目(閏年では113日目)にあたり、年末まではあと253日ある。 | [
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] | 4月22日(しがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から112日目(閏年では113日目)にあたり、年末まではあと253日ある。 | {{カレンダー 4月}}
'''4月22日'''(しがつにじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から112日目([[閏年]]では113日目)にあたり、年末まではあと253日ある。
== できごと ==
<!-- メモ:ja,enの記事に記述なし:リビア、アドバンストフォトシステム;ボーイング747 -->
[[ファイル:Nau de Pedro Álvares Cabral.jpg|thumb|220px|[[ペドロ・アルヴァレス・カブラル]]の船団、[[ブラジル]]に到達(1500)。画像はカブラルの帆船]]
<!--[[Image:Polygraaf.PNG|thumb|250px|日本の[[警視庁]]、[[ポリグラフ|嘘発見器]]を初試験(1947)]] 記載なし-->
[[ファイル:Kantei_PM_Japan_Residence.jpg|thumb|180px|日本の新[[総理大臣官邸|首相官邸]]開館(2002)]]
* [[353年]]([[永和 (東晋)|永和]]9年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[王羲之]]が名士41名を別荘に招いて宴を開き、詩集の序文として『[[蘭亭序]]』を書く。
* [[1212年]]([[建暦]]2年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[鴨長明]]が『[[方丈記]]』を書き上げる。
* [[1500年]] - [[ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化]]: [[ポルトガル]]の[[ペドロ・アルヴァレス・カブラル]]の船団が、ヨーロッパ人では初めて[[ブラジル]]に到達。
* [[1806年]]([[文化 (元号)|文化]]3年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - 江戸で[[文化の大火]]。
* [[1891年]] - [[大槻文彦]]著の国語辞典『[[言海]]』全4巻が完結。
* [[1906年]] - [[アテネオリンピック (1906年)|アテネオリンピック]](中間大会)が開幕。
* [[1911年]] - 清華学堂(現在の[[清華大学]])設立。
* [[1912年]] - [[長野県]][[松本市]]内で大規模火災が発生。1464戸が焼失<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』288頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。
* [[1915年]] - [[第一次世界大戦]]: [[第二次イーペル会戦]]で[[ドイツ]]軍が[[フランス]]軍に対し史上初の大規模[[毒ガス]]攻撃を行う。
* [[1922年]] - [[日本]]で[[健康保険法]]公布。
* [[1925年]] - 日本で[[治安維持法]]公布。
* [[1927年]] - [[昭和金融恐慌]]対策として金銭債務の3週間の支払い猶予([[モラトリアム]])を緊急実施。
* [[1930年]] - 「[[ロンドン海軍軍縮会議|ロンドン海軍軍縮条約]]」に調印。補助艦の保有比を[[イギリス|英]][[アメリカ合衆国|米]]10:[[日本]]7に制限。
* [[1946年]] - [[4月10日]]の[[第22回衆議院議員総選挙|総選挙]]の結果を受け[[幣原内閣|幣原喜重郎内閣]]が総辞職。首相となる予定だった[[鳩山一郎]]が[[公職追放]]となり、1か月間首相不在となる。
* 1946年 - 漫画『[[サザエさん]]』が[[フクニチ新聞|夕刊フクニチ]]紙上で連載開始。
* [[1947年]] - 日本の[[警視庁]]がアメリカ製の[[ポリグラフ]](嘘発見器)を初試験。
* [[1950年]] - [[日本戦没学生記念会]](わだつみ会)が結成大会。
* 1950年 - 第1回[[ミス日本]]コンテスト開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://smart-flash.jp/sociopolitics/139883/1/ |title=【4月22日の話】初代ミス日本誕生…山本富士子は女性の社会進出のトップバッターに |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[光文社]] |website=Smart Flash |date=Apr 22 2021}}</ref>。
* [[1951年]] - [[朝鮮戦争]]: 中朝連合軍が第五次戦役を始める。[[朝鮮人民軍]]1軍団が[[開城]]を占領する。以後開城が[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]領となる。
* [[1968年]] - [[横浜市]]の人口が[[名古屋市]]を抜いて日本第2位となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://konomanga.jp/guide/31532-2 |title=4月22日は神奈川県横浜市の人口が全国第3位になった日 『ヨコハマ買い出し紀行』を読もう! 【きょうのマンガ】 |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[宝島社]] |website=このマンガがすごい!WEB}}</ref>。
* [[1969年]] - {{仮リンク|ロビン・ノックス=ジョンストン|en|Robin Knox-Johnston}}が史上初のヨットによる単独無寄港[[世界一周]]を達成。
* [[1970年]] - [[日本航空]]が[[ボーイング747]]型を初受領。
* [[1981年]] - [[マザー・テレサ]]が[[世界宗教者平和会議]]に出席するために初来日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/mother/mother_in_jp/ |title=マザー・テレサの訪日の記録 |access-date=Feb 12 2023 |publisher=カトリック中央協議会}}</ref>。
* [[1984年]] - イギリスが[[リビア]]と国交を断絶。
* [[1985年]] - [[パンアメリカン航空|パンナム]]が太平洋路線と機材・従業員・各種の権利を[[ユナイテッド航空]]に売却。
* [[1990年]] - [[スペースワールド]]が開園。
* [[1992年]] - [[グアダラハラ爆発事故]]が発生。
* [[1993年]] - [[ウェブブラウザ]][[NCSA Mosaic]]のヴァージョン1.0がリリースされる。
* [[1995年]] - 日本全国の公立学校でこれまでの毎月第2土曜日に加え第4土曜日も休業日となる。([[学校週5日制]])
* [[1996年]] - [[アドバンストフォトシステム]] (APS) が世界同時に発売開始。
* [[1997年]] - [[ペルー日本大使公邸占拠事件]]: 大使公邸に軍・警察が突入。立て籠っていた[[トゥパク・アマル革命運動|ゲリラ]]は全員射殺。軍人2人とペルーの政府高官1人が死亡。
* [[1999年]] - [[コロンビア]]で子供200人殺害の[[ルイス・ガラビート]]が逮捕される。
* [[2002年]] - 新[[内閣総理大臣官邸|首相官邸]]が開館。
* [[2004年]] - [[俳優]]、[[柳生博]]が[[日本野鳥の会]]の新会長に就任。
* 2004年 - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]龍川駅にて貨物列車が爆発。([[龍川駅列車爆発事故]])
* [[2008年]] - 超党派野党、参議院に選択的[[夫婦別姓]]制度を盛り込んだ民法改正案を提出。
* [[2010年]] - [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]議員の[[舛添要一]]が離党、翌日に改革クラブへ入党し「[[新党改革]]」に名称を変更、代表に就任する。
* [[2015年]] - [[首相官邸無人機落下事件]]が発生。
* [[2016年]] - [[新名神高速道路有馬川橋橋桁落下事故]]が発生。
* [[2021年]] - 日本初の[[都市索道]]となる[[YOKOHAMA AIR CABIN]]が開業。
== 誕生日 ==
[[ファイル:Isabel la Católica-2.jpg|thumb|upright|[[レコンキスタ]]を完成させたカスティーリャ女王、[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]](1451-1504)誕生]]
[[ファイル:Immanuel Kant portrait c1790.jpg|thumb|180px|[[ドイツ観念論]]の祖、哲学者[[イマヌエル・カント]](1724-1804)誕生。{{Squote|[[啓蒙]]とは、人が自分自身の未熟さから抜け出すことである。未熟とは、自分の知性を他者の指図なしでは用いることができないことである。(『啓蒙とは何か』1784)}}]]
[[Image:Lenin-circa-1887.jpg|thumb|180px|革命家、[[ウラジーミル・レーニン]](1870-1924)。{{Squote|[[資本主義]]社会における[[自由]]は、[[古代ギリシア]]の共和国における自由から全く変わっていない。[[奴隷]]所有者のための自由である。(『国家と革命』1917)}}]]
[[Image:JROppenheimer-LosAlamos.jpg|thumb|upright|[[広島市|広島]]・[[長崎市|長崎]]に投下された[[原子爆弾]]の開発を主導した物理学者[[ロバート・オッペンハイマー]](1904-1967)]]
[[Image:Ritalevimontalcini.jpg|thumb|100px|神経学者、[[リータ・レーヴィ=モンタルチーニ]](1909-)]]
[[ファイル:Charles Mingus 1976.jpg|thumb|100px|[[ジャズ]]ベーシスト、[[チャールズ・ミンガス]](1922-1979)。代表作『[[直立猿人]]』(1956)]]
[[ファイル:History Faculty University of Cambridge.jpg|thumb|200px|建築賞「[[スターリング賞]]」に名を残す建築家[[ジェームズ・スターリング (建築家)|ジェームズ・スターリング]](1926-1992)。画像は『ケンブリッジ大学歴史学部ビル』(1968)]]
* [[1451年]] - [[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王(+ [[1504年]])
* [[1513年]]([[永正]]10年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[立花道雪]]、[[大友氏]]家臣(+ [[1585年]]{{Sfn|楠戸|2009|p=165}})
* [[1610年]] - [[アレクサンデル8世 (ローマ教皇)|アレクサンデル8世]]、第241代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1691年]])
* [[1658年]] - [[ジュゼッペ・トレッリ]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1709年]])
* 1658年([[明暦]]4年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[脇坂安照]]、第2代[[龍野藩|龍野藩主]](+ [[1722年]])
* [[1659年]]([[万治]]2年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[仙石政明]]、初代[[出石藩|出石藩主]](+ [[1717年]])
* [[1666年]]([[寛文]]6年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[一柳頼徳]]、第3代[[小松藩|小松藩主]](+ [[1724年]])
* [[1707年]] - [[ヘンリー・フィールディング]]、[[劇作家]]、[[小説家]](+ [[1754年]])
* [[1724年]] - [[イマヌエル・カント]]、[[哲学者]](+ [[1804年]])
* [[1729年]] - [[マイケル・ヒレガス]]、[[政治家]](+ [[1804年]])
* [[1766年]] - [[スタール夫人]]、[[小説家]]、[[評論家]](+ [[1817年]])
* [[1794年]] - [[ヘルマン・フリードリヒ・ヒンリヒス]]、哲学者(+ [[1861年]])
* [[1798年]]([[寛政]]10年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[伊達斉義]]、第11代[[仙台藩|仙台藩主]](+ [[1828年]])
* [[1840年]] - [[オディロン・ルドン]]、[[画家]](+ [[1916年]])
* [[1848年]]([[嘉永]]元年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[加納久宜]]、[[政治家]](+ [[1919年]])
* [[1851年]]([[嘉永]]4年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[土方雄永]]、第12代[[菰野藩|菰野藩主]](+ [[1884年]])
* [[1852年]] - [[ギヨーム4世 (ルクセンブルク大公)|ギヨーム4世]]、[[ルクセンブルク大公]](+ [[1912年]])
* [[1854年]] - [[アンリ・ラ・フォンテーヌ]]、[[国際法学者]](+ [[1943年]])
* [[1866年]] - [[ハンス・フォン・ゼークト]]、[[軍人]](+ [[1936年]])
* [[1868年]] - [[ジョゼ・ヴィアナ・ダ・モッタ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1948年]])
* [[1870年]]([[ユリウス暦]]4月10日) - [[ウラジーミル・レーニン]]、[[ボリシェヴィキ]]指導者(+ [[1924年]])
* [[1876年]] - [[ローベルト・バーラーニ]]、[[医師]]、[[医学|医学者]](+ [[1936年]])
* [[1884年]] - [[オットー・ランク]]、[[精神分析家]](+ [[1939年]])
* [[1891年]] - [[ハロルド・ジェフリーズ]]、[[数学者]]、[[統計学|統計学者]]、[[地球物理学|地球物理学者]](+ [[1989年]])
* [[1893年]] - [[前田久吉]]、[[実業家]](+ [[1986年]])
* [[1895年]] - [[三浦一雄]]、[[政治家]](+ [[1963年]])
* [[1896年]] - [[横山エンタツ]]、[[漫才師]](+ [[1971年]])
* [[1899年]] - [[ウラジーミル・ナボコフ]]、[[小説家]](+ [[1977年]])
* [[1901年]] - [[テイラー・ドゥーシット]]、野球選手(+ [[1986年]])
* [[1903年]] - [[璽光尊]]、[[宗教家]](+ [[1983年]])
* [[1904年]] - [[ロバート・オッペンハイマー]]、[[理論物理学|理論物理学者]](+ [[1967年]])
* [[1909年]] - [[リータ・レーヴィ=モンタルチーニ]]、[[神経学|神経学者]](+ [[2012年]])
* [[1912年]] - [[新藤兼人]]、[[映画監督]](+ [[2012年]])
* 1912年 - [[キャスリーン・フェリア]]、[[アルト|コントラルト]]歌手(+ [[1953年]])
* 1912年 - [[ダニエル・ホワイト]]、作曲家(+ [[1997年]])
* [[1914年]] - [[ミハエル・ヴィットマン]]、[[ナチス・ドイツ]]の軍人(+ [[1944年]])
* [[1916年]] - [[ユーディ・メニューイン]]、[[ヴァイオリニスト]]、指揮者(+ [[1999年]])
* [[1917年]] - [[シドニー・ノーラン]]、画家(+ [[1992年]])
* [[1918年]] - [[ミッキー・バーノン]]、[[プロ野球選手]](+ [[2008年]])
* [[1919年]] - [[ドナルド・クラム]]、[[化学者]](+ [[2001年]])
* 1919年 - [[建畠覚造]]、[[彫刻家]](+ [[2006年]])
* [[1920年]] - [[日比野武]]、[[プロ野球選手]](+ [[1975年]])
* [[1922年]] - [[チャールズ・ミンガス]]、[[ジャズ]]ベース奏者(+ [[1979年]])
* 1922年 - [[リチャード・ディーベンコーン]]、[[画家]](+ [[1993年]])
* [[1923年]] - [[アーロン・スペリング]]、[[映画プロデューサー]]、[[テレビプロデューサー]](+ [[2006年]])
* [[1924年]] - [[ジェームズ・スターリング (建築家)|ジェームス・スターリング]]、[[建築家]](+ [[1992年]])
* 1924年 - [[谷田比呂美]]、元プロ野球選手
* [[1927年]] - [[内山清]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]])
* [[1929年]] - [[加賀乙彦]]、[[小説家]](+ [[2023年]])
* 1929年 - [[新川和江]]、[[詩人]]
* 1929年 - [[ギリェルモ・カブレラ=インファンテ]]、[[作家]](+ [[2005年]])
* 1929年 - [[マイケル・アティヤ]]、[[数学者]](+ [[2019年]])
* 1929年 - [[ジョン・ニックス]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1930年]] - [[松永伍一]]、[[詩人]]、作家、[[評論家]](+ [[2008年]])
* [[1932年]] - [[冨田勲]]、[[作曲家]](+ [[2016年]])
* 1932年 - [[東泉東二]]、元プロ野球選手
* [[1933年]] - [[赤江瀑]]、小説家(+ [[2012年]])
* [[1935年]] - [[ポール・チェンバース]]、[[ジャズ]]ベース奏者(+ [[1969年]])
* [[1936年]] - [[古葉竹識]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]](+ [[2021年]])
* 1936年 - [[増山江威子]]、[[声優]]
* 1936年 - [[グレン・キャンベル]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2017年]])
* 1936年 - [[恵川康太郎]]、元プロ野球選手
* [[1937年]] - [[ジャック・ニコルソン]]、[[俳優]]
* [[1938年]] - [[三宅一生]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2022年]])
* 1938年 - [[加治屋義人]]、政治家(+ [[2018年]])
* [[1941年]] - [[アミール・プヌーリ]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[2009年]])
* 1941年 - [[サイモン・アッシャー・レヴィン]]、[[生態学|生態学者]]
* 1941年 - [[児玉禎彦]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[鰐淵晴子]]、女優
* [[1946年]] - [[増本豊]]、[[調教師]](+ [[2013年]])
* 1946年 - [[ジョン・ウォーターズ]]、[[映画監督]]
* [[1947年]] - [[松森正]]、[[漫画家]]
* [[1948年]] - [[沢雄二]]、政治家
* 1948年 - [[長尾敏広]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[相本和則]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[ピーター・フランプトン]]、ミュージシャン
* [[1951年]] - [[ポール・キャラック]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1952年]] - [[神垣雅行]]、元プロ野球選手
* [[1954年]] - [[中田譲治]]、声優、俳優
* [[1955年]] - [[間嶋里美]]、声優
* 1955年 - [[ジョニー・トー]]、映画監督
* 1955年 - [[アーサー・ベイカー]]、[[音楽プロデューサー]]
* 1955年 - [[デビッド・クライド]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[北野隆典]]、実業家
* [[1957年]] - [[吉見俊哉]]、[[社会学者の一覧|社会学者]]
* 1957年 - [[宮崎弘教]]、元プロ野球選手
* 1957年 - [[琴千歳幸征]]、元[[大相撲]][[力士]]
* 1957年 - [[川浪葉子]]、声優
* 1957年 - [[ドナルド・トゥスク]]、政治家、元[[ポーランドの首相一覧|ポーランド首相]]
* [[1959年]] - [[テリー・フランコーナ]]、元プロ野球選手、監督
* 1959年 - [[尾上旭]]、元プロ野球選手(+ [[2022年]])
* [[1960年]] - [[西川知一郎]]、[[裁判官]]
* [[1961年]] - [[田村正浩]]、フリーアナウンサー
* [[1963年]] - [[ブランカ・フェルナンデス・オチョア]]、元[[アルペンスキー]]選手
* [[1964年]] - [[武田康]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[茅弘二]]、歌手
* [[1965年]] - [[長谷有洋]]、声優(+ [[1996年]])
* [[1966年]] - [[福嶋健一郎]]、政治家、元衆議院議員
* 1966年 - [[若林弘泰]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[ヨルゲン・パーソン]]、[[卓球選手]]
* [[1967年]] - [[シェリル・リー]]、女優
* 1967年 - [[篠宮とも子]]、[[AV女優]]
* 1967年 - [[杉田水脈]]、[[政治家]]
* [[1968年]] - [[今掛勇]]、[[アニメ監督]]
* [[1969年]] - [[鈴木結女]]、[[シンガーソングライター]]
* 1969年 - [[ポール・ゴンザレス]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[ディオン・ダブリン]]、元サッカー選手
* [[1970年]] - [[秋山浩徳]]、ミュージシャン(元[[MOON CHILD (バンド)|MOON CHILD]])
* 1970年 - [[西本智実]]、[[指揮者]]
* 1970年 - [[アンドレア・ジャーニ]]、[[バレーボール]]選手
* [[1971年]] - [[ウラジミール・フェドロフ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1971年 - [[エリック・メビウス]]、俳優
* [[1973年]] - [[川合千春]]、女優、[[タレント]]
* 1973年 - [[遠藤紗矢]]、元[[プロレスラー]]
* 1973年 - [[永川満寿]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[寺村友和]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[アドリアン・イリエ]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* 1974年 - [[上村健一]]、元サッカー選手
* 1974年 - [[立石智紀]]、元サッカー選手
* [[1975年]] - [[グレッグ・ムーア]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[1999年]])
* 1975年 - [[カルロス・サストレ]]、[[自転車競技]]選手
* [[1976年]] - [[林田賢太]]、[[脚本家]]、[[映画監督]](+ [[2008年]])
* [[1977年]] - [[有島モユ]]、声優
* 1977年 - [[今井ゆうぞう]]、歌手(+ [[2020年]])
* 1977年 - [[マルク・ファン・ボメル]]、元サッカー選手
* [[1979年]] - [[津山ちなみ]]、漫画家
* 1979年 - [[太宰啓介]]、[[騎手]]
* 1979年 - [[陽建福]]、プロ野球選手
* [[1980年]] - [[カルロス・ヘルナンデス (左投手)|カルロス・ヘルナンデス]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[Jaaたけや]]、[[お笑い芸人]]
* [[1982年]] - [[下屋則子]]<ref name="81prof">{{Cite web|和書|url=https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=214 |title=下屋 則子 |publisher=[[81プロデュース]] |accessdate=Feb 12 2023}}</ref>、声優
* 1982年 - [[アンドリュー・グラハム (野球)|アンドリュー・グラハム]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[デビッド・パーシー]]、プロ野球選手
* 1982年 - [[カカ (サッカー選手)|カカ]]、サッカー選手
* [[1983年]] - [[赤澤涼太]]、声優
* [[1985年]] - [[増嶋竜也]]、元サッカー選手
* 1985年 - [[尾崎愛]]、女優
* 1985年 - [[マーガレット・アデオイエ]]、陸上競技選手
* 1985年 - [[岩佐千亜紀]]、陸上競技選手
* 1985年 - [[榊菜美]]、フリーアナウンサー、気象予報士
* [[1986年]] - [[エリック・ベーガー]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[マーショーン・リンチ]]、アメリカンフットボール選手
* 1986年 - [[アンバー・ハード]]、女優
* 1986年 - [[三浦真理子]]、レースクイーン、タレント
* [[1987年]] - [[朝野久美]]、[[シッティングバレーボール]]選手(+ [[2008年]])
* 1987年 - [[今野美里]]、タレント
* 1987年 - [[ダヴィド・ルイス・モレイラ・マリーニョ|ダヴィド・ルイス]]、サッカー選手
* 1987年 - [[ミケル・ジョン・オビ|ミケル]]、サッカー選手
* 1987年 - [[児玉裕輔]]、プロレスラー
* [[1988年]] - [[平有紀子]]、ファッションモデル
* 1988年 - [[ディー・ゴードン]]、プロ野球選手
* [[1989年]] - [[中田翔]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[鈴木惇]]、サッカー選手
* 1989年 - [[ヤスパー・シレッセン]]、サッカー選手
* [[1990年]] - [[藍原みほ]]、元女優
* 1990年 - [[イブ・ミュアヘッド]]、[[カーリング]]選手
* 1990年 - [[マシン・ガン・ケリー]]、シンガソングライター
* 1991年 - [[斉藤壮馬]]、声優
* [[1992年]] - [[イングリッシュ・ガードナー]]、陸上競技選手
* 1992年 - [[エドウィン・エスコバー]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[ぺえ]]、タレント
* 1992年 - [[森星]]、ファッションモデル
* [[1993年]] - [[小野瀬康介]]、サッカー選手
* [[1994年]] - [[柳裕也]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[加賀美翔]]、元サッカー選手
* 1994年 - [[原貫太]]、[[YouTuber]]
* [[1995年]] - [[野村峻哉]]、陸上選手
* [[1996年]] - [[森山あすか]]、お笑い芸人
* 1996年 - [[山内日菜子]]、プロゴルファー
* 1996年 - [[水城夢子]]、女優、アイドル(元[[妄想キャリブレーション]]、元[[BYOB (アイドルグループ)|BYOB]])(+ [[2023年]])
* [[1997年]] - [[溝呂木世蘭]]、ファッションモデル(元[[E-traps]])
* 1997年 - [[渡辺瑠海]]、アナウンサー
* 1997年 - [[ブライアン・アブレイユ]]、プロ野球選手
* [[1998年]] - [[大本将吾]]、元プロ野球選手
* 1998年 - [[千葉耕太]]、元プロ野球選手
* [[1999年]] - [[森遼大朗]]、プロ野球選手
* [[2000年]] - [[横田俊吾]]、[[陸上競技]]選手
* [[2004年]] - [[吉柳咲良]]、女優
* 生年不明 - [[米須太一]]、声優
* 生年不詳 - [[又村奈緒美]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/0000124656/ |title=又村奈緒美のプロフィール |publisher=WEBザテレビジョン |accessdate=2023-02-12}}</ref>、声優
* 生年不詳 - [[天音かなた]]、バーチャルYouTuber
== 忌日 ==
[[Image:Segre.jpg|thumb|150px|[[反陽子]]を発見した物理学者、[[エミリオ・セグレ]](1905-1989)没]]
[[ファイル:Gravestones of President Richard and first lady Pat Nixon.jpg|thumb|upright|アメリカ合衆国第36・37代大統領、[[リチャード・ニクソン]](1913-1994)没。[[ウォーターゲート事件]]での辞任であったため[[国葬]]は行われず]]
<!--[[Image:NewtonBlakePaolozzi1.jpg|thumb|200px|彫刻家[[エドゥアルド・パオロッツィ]](1924-2005)。画像は『ニュートン』(1995)]]-->
* [[296年]] - [[カイウス (ローマ教皇)|カイウス]]、[[教皇|ローマ教皇]]
* [[536年]] - [[アガペトゥス1世 (ローマ教皇)|アガペトゥス1世]]、ローマ教皇
* [[835年]]([[承和 (日本)|承和]]2年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[空海]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://wakayama-rekishi100.jp/story/025.html |title=高野山奥之院御廟 〜1200年間続く弘法大師空海の食事〜 |accessdate=Feb 12 2023 |publisher=和歌山県観光振興課}}</ref>、日本[[真言宗]]の開祖(* [[774年]])
* [[1630年]]([[寛永]]7年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[日奥]]、[[日蓮宗不受不施派]]の開祖(* [[1565年]])
* [[1782年]] - [[ヨゼフ・フェルディナンド・ゼゲル]]、[[作曲家]](* [[1716年]])
* [[1806年]] - [[ピエール・ヴィルヌーヴ]]、[[フランス海軍]]の[[提督]](* [[1763年]])
* [[1833年]] - [[リチャード・トレヴィシック]]、機械技師(* [[1771年]])
* [[1884年]] - [[マリー・タリオーニ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1804年]])
* [[1892年]] - [[エドゥアール・ラロ]]、[[作曲家]](* [[1823年]])
* [[1903年]] - [[アレクサンダー・ラムジー]]、第34代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1815年]])
* [[1908年]] - [[ヘンリー・キャンベル=バナマン]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1836年]])
* [[1910年]] - [[荻原碌山]]、[[彫刻家]](* [[1879年]])
* [[1928年]] - [[大倉喜八郎]]、[[実業家]](* [[1837年]])
* [[1933年]] - [[フレデリック・ヘンリー・ロイス|ヘンリー・ロイス]]、[[自動車]]技術者、[[ロールス・ロイス]]共同創業者 (* [[1863年]])
* [[1945年]] - [[ケーテ・コルヴィッツ]]、[[版画家]]、彫刻家(* [[1867年]])
* [[1951年]] - [[三杦磯善七]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1892年]])
* [[1953年]] - [[アーミン・ロイシュナー]]、[[天文学者]](* [[1868年]])
* [[1975年]] - [[ウィリー・ベックル]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1893年]])
* [[1978年]] - [[山元護久]]、[[放送作家]]、[[児童文学作家一覧|児童文学者]](* [[1934年]])
* [[1984年]] - [[アンセル・アダムス]]、[[写真家]](* [[1902年]])
* 1984年 - [[野長瀬正夫]]、[[詩人]]、児童文学者(* [[1906年]])
* [[1985年]] - [[ポール・エメット]]、[[化学工学|化学工学者]](* [[1900年]])
* [[1986年]] - [[ミルチャ・エリアーデ]]、[[宗教学|宗教学者]](* [[1907年]])
* [[1989年]] - [[エミリオ・セグレ]]、[[物理学者]](* [[1905年]])
* [[1994年]] - [[リチャード・ニクソン]]、第37代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1913年]])
* [[2002年]] - [[斎藤英四郎]]、実業家、第6代[[日本経済団体連合会|経団連]]会長(* [[1911年]])
* 2002年 - [[リンダ・ラヴレース]]、[[俳優|女優]](* [[1949年]])
* [[2005年]] - [[フィリップ・モリソン]]、[[物理学者]](* [[1915年]])
* 2005年 - [[エドゥアルド・パオロッツィ]]、彫刻家、[[美術家]](* [[1924年]])
* 2005年 - [[ポール牧]]、[[タレント]](* [[1941年]])
* [[2006年]] - [[砂川憲和]]、[[尺八]]奏者(* [[1974年]])
* [[2008年]] - [[川越美和]]、女優(* [[1973年]])
* [[2009年]] - [[ジャック・カーディフ]]、[[撮影監督]](* [[1914年]])
* 2009年 - [[ケン・アナキン]]、[[映画監督]](* 1914年)
* 2009年 - [[七田眞]]、[[就学前教育]]研究者(* [[1929年]])
* [[2010年]] - [[河野高明]]、[[プロゴルファー]](* [[1940年]])
* [[2015年]] - [[赤羽賢司]]、天文学者(* [[1926年]])
* 2015年 - [[船戸与一]]、[[小説家]](* [[1944年]])
* 2015年 - [[萩原流行]]、[[俳優]](* [[1953年]])
* [[2016年]] - [[石井久]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S12334125.html |title=石井久さん死去 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=2016-04-29 |accessdate=Feb 12 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20201127050227/https://www.asahi.com/articles/DA3S12334125.html |archive-date=Nov 27 2020}}</ref>、実業家(* [[1923年]])
* [[2017年]] - [[中井洽]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG24H65_U7A420C1CZ8000/ |title=中井洽氏が死去 元国家公安委員長 |publisher=日本経済新聞 |date=2017-04-24 |accessdate=Feb 12 2023}}</ref>、政治家(* [[1942年]])
* 2017年 - [[ミケーレ・スカルポーニ]]<ref>{{Cite web|和書|title=ミケーレ・スカルポーニ事故死 トレーニング中にトラックと正面衝突 - |url=https://www.cyclowired.jp/news/node/229879 |website=cyclowired |access-date=2023-02-12 |date=Apr 22 2017 |publisher=atex-holdings, Inc.}}</ref>、[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース(自転車競技)]]選手(* [[1979年]])
* [[2020年]] - [[シャーリー・ナイト]]、女優(* [[1936年]])
* [[2021年]] - [[エイドリアン・ギャレット]]、[[プロ野球選手]](* [[1943年]])
{{Clear}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Earth-Week-logo.jpg|thumb|240px|[[1970年]]のアースウィークのロゴ]]
* [[アースデイ]](地球の日)({{World}})
* {{仮リンク|国際母なる地球デー|en|International Mother Earth Day}}({{World}})
*: [[2009年]]の国連総会で制定され、[[2010年]]から実施。アースデーを正式に国連の記念日([[国際デー]])にしたもの。
* よい[[夫婦]]の日({{JPN}})
*: [[講談社]]が制定。「よい(4)ふうふ(22)」の語呂合わせ。この他、毎月22日が「夫婦の日」、[[2月2日]]も「夫婦の日」、[[11月22日]]が「いい夫婦の日」、[[11月23日]]が「いい夫妻の日」となっている。
* [[カーペンターズ]]の日({{JPN}})
*: [[1969年]]のこの日に[[A&Mレコード]]と契約し、活動を開始したことにちなみ、[[2009年]]に[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]が制定。
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0422|date=2011年6月}}
* [[1980年]] - 「警視庁第八課」所属の私服警官・荒名堂郎、草野球チーム「ワンパクズ」との協力で謎の怪盗「怪盗赤マント」の「パンダ強奪作戦」を阻止した功績から警部に昇進、同時に「赤マント専任捜査官」を任される。(ドラマ『[[ぼくら野球探偵団]]』第1話「怪盗赤マント登場」)
* [[2011年]] - アメリカのシレンシオ湖にて、[[11代目ドクター]]が謎の宇宙飛行士により殺害される。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』)
* [[2357年]] - ファウンデーションVI・ウルティマ消滅。(アニメ『[[宇宙のステルヴィア]]』)
* 西暦不明 - うしお達と白面の者との戦いが終結。(漫画『[[うしおととら]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1503年]] - アル・ヴェザス、ゲーム『[[大航海時代II]]』に登場するキャラクター<ref>フクザワ・エイジ編、[[シブサワ・コウ]]監修 『大航海時代IIハンドブック』 (光栄(現:[[コーエーテクモホールディングス]]))、1993年、165頁、{{ISBN2|4-87719-011-2}}。</ref>
*[[1998年]] - バンドウヤスノブ、[[ウルトラマンシリーズ]]『[[ウルトラマンブレーザー]]』の登場人物<ref>オープニング映像、及び第2話の地球防衛隊勤務記録書類より</ref>
* 生年不明 - 小川凛、小説『[[泣いちゃいそうだよ (小説)|泣いちゃいそうだよ]]』の主人公のひとり
* 生年不明 - 秋道チョウザ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』のキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year = 2002 |title = NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |page = 15 |publisher = 集英社 |series = ジャンプ・コミックス |isbn = 4-08-873288-X }}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2005|page=17|isbn=4-08-873734-2}}</ref>
* 生年不明 - [[嘴平伊之助]]、漫画『[[鬼滅の刃]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kimetsu.com/anime/news/?id=54039 |title=2020.04.22 伊之助バースデー記念イラスト公開!さらに「お祝いぬり絵」キャンペーン実施! |accessdate=2020年4月22日 |publisher=[[アニプレックス]] |website=劇場版「鬼滅の刃」無限列車編公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 花菱、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 大塚舞、漫画・アニメ『[[スクールランブル]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 吉川春乃、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|723173077853446144}}</ref>
* 生年不明 - 毒島みく、漫画『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=コンプティーク|year=2009|title=らき☆すた おきらく公式ガイドブック こなたは俺をヨメ!!|publisher=[[角川書店]]|isbn=978-4-04-854420-7}}</ref>
* 生年不明 - 桜、漫画・アニメ『[[はなまる幼稚園]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 江口セーラ、漫画・アニメ『[[咲-Saki-|咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=江口 セーラ(えぐち せーら) |accessdate=2022-11-11 |work=『咲-Saki-』 |publisher=[[小林立]]}}</ref>
* 生年不明 - 若宮詩暢、漫画・アニメ・映画『[[ちはやふる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yuyu2000_0908|987945646127693825}}</ref>
* 生年不明 - 船見結衣、漫画・アニメ『[[ゆるゆり]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|year=2011|title=TVアニメーション ゆるゆり公式ファンブック|page=28|publisher=[[一迅社]]|isbn=978-4-7580-1248-5}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=なもり|authorlink=なもり|year=2013|title=ゆるゆりファンブック|page=26|publisher=一迅社|series=[[コミック百合姫#百合姫コミックス|百合姫コミックス]]|isbn=978-4-7580-7258-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=なもり|year=2013|title=なもり画集 ゆるなもり|pages=6,144|publisher=一迅社|isbn=978-4-7580-7260-1}}</ref>
* 生年不明 - 時田晴海、漫画『[[アイリス・ゼロ|アイリスZERO]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 緒山みはり、漫画・アニメ『[[お兄ちゃんはおしまい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onimai.jp/character/mihari.html |title=緒山みはり |access-date=2023-02-11 |publisher=[[ねことうふ]]・[[一迅社]]/「おにまい」製作委員会 |work=『お兄ちゃんはおしまい!』}}</ref>
* 生年不明 - 江川虎之輔、小説・ゲーム『[[フォルティッシモ (ビジュアルストーリー)|フォルティッシモ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 瀬良垣蒼葉、ゲーム・アニメ『[[DRAMAtical Murder]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nitrochiral.com/staffblog/2013/1659.php |title=「ニトロプラス キラル」公式サイト スタッフ雑記帳 |accessdate=2019-08-27}}</ref>
* 生年不明 - 森園芽以、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130815_209378/ |title=【ガールフレンド(仮)通信93】のんびり純情巫女ガール 森園芽以ちゃん(CV:三上枝織) |access-date=2022-11-11 |publisher=ファミ通App}}</ref>
* 生年不明 - ゼロ、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド|publisher=KADOKAWA|year=2015|pages=36,274|isbn=978-4-04-869406-3}}</ref>
* 生年不明 - 五辻明乃、ゲーム『[[ほしフル|ほしフル 〜星藤学園天文同好会〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.piacci.co.jp/hoshiful/chara6.html |title=ほしフル 〜星の降る街〜 |publisher=PIACCI |accessdate=2014-04-21}}</ref>
* 生年不明 - 冥王・イザナミ、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BLAZBLUE_PR|1385065824919068678}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#橘志狼|橘志狼]]、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40031 |title=橘 志狼(たちばな しろう) |access-date=2022-11-12 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 神宮寺茉理、ゲーム『[[グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 虹ノ咲だいあ、ゲーム・アニメ『[[キラッとプリ☆チャン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|PrettySeriesPR|1385005428799586305}}</ref>
* 生年不明 - フォルクス、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/yumetsumugi/volks/ |title=フォルクス |access-date=2023-01-28 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref>
* 生年不明 - [[的場航海]]、メディアミックス『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|argonavis_info|1517156206162460673}}</ref>
<!--* 生年不明 - ゼリム、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター-->
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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'''4月23日'''(しがつにじゅうさんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から113日目([[閏年]]では114日目)にあたり、年末まではあと252日ある。
== できごと ==
[[Image:Johann Heinrich Füssli 039.jpg|thumb|200px|[[ウィリアム・シェイクスピア]]『[[ウィンザーの陽気な女房たち]]』初演(1597年)。画像は[[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]]画『洗濯籠のフォルスタッフ』(1792年)]]
* [[871年]] - {{仮リンク|ウェセックスの君主一覧|label=ウェセックス王|en|List of monarchs of Wessex}}[[エゼルウルフ]]の息子[[アルフレッド大王|アルフレッド]]が{{仮リンク|ウェセックスの君主一覧|label=西サクソン人の王|en|List of monarchs of Wessex}}に就任。のちのアルフレッド大王である。
* [[1348年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]が[[ガーター勲章|ガーター騎士団]]を創設。
* [[1516年]] - [[バイエルン大公|バイエルン公]][[ヴィルヘルム4世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム4世]]が[[ビール純粋令]]を制定。
* [[1597年]] - [[ウィリアム・シェイクスピア]]『[[ウィンザーの陽気な女房たち]]』初演。[[エリザベス1世]]が観劇した。
* [[1702年]] - イングランド。スコットランド女王の[[アン (イギリス女王)|アン]]の[[戴冠式]]が催行される。
* [[1847年]]([[弘化]]4年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - [[京都御所]]建春門前に公家の学問所・[[学習院 (幕末維新期)|学習院]]が開設され、講義を開始。
* [[1869年]]([[明治]]2年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[明治天皇]]が歴代天皇で初めて[[伊勢神宮]]に参拝。
* [[1889年]] - [[ウィリアム・グラッドストン]]がイギリスの第43代首相に就任。
* 1889年 - [[スウェーデン社会民主労働党]]発足。
* [[1895年]] - [[三国干渉]]。[[ロシア帝国|ロシア]]・[[ドイツ帝国|ドイツ]]・[[フランス]]が[[下関条約]]で[[日本]]領有となった[[遼東半島]]の[[清]]への返還を勧告。
* [[1904年]] - [[パナマ運河]]建設中に破産したパナマ運河会社をアメリカ合衆国が4,000万ドルで買収。
* [[1905年]] - [[フランス]]で[[社会党 (フランス)|社会党]]が結成される。
* [[1920年]] - [[オスマン帝国]]([[トルコ]])の[[アンカラ]]で[[ムスタファ・ケマル]]を議長とする[[トルコ大国民議会|大国民議会]]が開催。
* [[1935年]] - [[宮城県]][[米谷町]]で火災。郵便局や派出所を含む100余戸が全半焼<ref>米谷町で火事、百余戸全・半焼『河北新報』昭和10年4月24日</ref>。
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ドイツ国防軍]]の[[アテネ]]侵攻に伴い、[[ギリシャ王国|ギリシャ]]政府と国王[[ゲオルギオス2世 (ギリシャ王)|ゲオルギオス2世]]が亡命。
* [[1942年]] - [[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]]常盤町1丁目[[キリスト教青年会|YMCA]]の一部を仮校舎として[[横浜中学校・高等学校|横浜中学校]]開校式を挙行。
* [[1945年]] - [[玉栄丸爆発事故]]が発生。
* [[1949年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が[[円 (通貨)|日本円]]と[[アメリカ合衆国ドル|アメリカドル]]との[[円相場|交換レート]]を1ドル=360円に決定。
* 1949年 - [[中国人民解放軍海軍]]発足。
* [[1951年]] - [[第2回統一地方選挙]]実施。
* [[1956年]] - [[福井県]][[芦原温泉]]で大火、温泉街の旅館20軒を含む441戸を全焼。さらに約500m離れた地区へ飛び火して60戸が全焼<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=113 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1967年]] - [[ウラジーミル・コマロフ]]が搭乗する[[ソビエト連邦]]の有人宇宙船「[[ソユーズ1号]]」が打ち上げ。打上げ直後に機体に異常が発生し、翌日大気圏再突入が行われるが、パラシュートが開かず地面に激突。
* [[1969年]] - [[高校生首切り殺人事件]]。
* [[1976年]] - [[東ベルリン]]の[[共和国宮殿]]が竣工。
* [[1990年]] - [[ナミビア]]が[[国際連合]]に加盟。
* [[1991年]] - [[救急救命士法]]が公布される。
* [[1993年]] - [[明仁|天皇明仁]]が歴代天皇で初めて[[沖縄県|沖縄]]を訪問。
* [[1994年]] - [[井の頭公園バラバラ殺人事件]]。
* [[1995年]] - [[村井秀夫刺殺事件]]。翌24日未明に死亡。
* [[2005年]] - [[YouTube]]に初の投稿動画である「[[ミー・アット・ザ・ズー|Me at the zoo]]」が公開される。
* [[2006年]] - 終戦後もウクライナで生活していた元[[日本軍]]兵士[[上野石之助]]が63年ぶりに一時帰国。
* [[2009年]] - 地球で10秒間の[[ガンマ線バースト]]を観測。
* [[2012年]] - [[亀岡暴走事故]]が発生。
* [[2015年]] - [[アルメニア人虐殺]]から100年を迎えることに伴い、[[アルメニア使徒教会]]が[[ジェノサイド]]犠牲者約150万人を[[殉教]]者として[[列聖]]<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3046328 アルメニア教会、「ジェノサイド」犠牲者150万人を列聖] AFPBB News (2015年4月24日) 2020年12月1日閲覧。</ref>。
* [[2022年]] - [[北海道]]の[[知床半島]]沖で、[[知床遊覧船沈没事故]]が発生。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Shipwreck turner.jpg|thumb|300px|画家[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー]](1775-1851)誕生。画像は『ミノタウルス号の難破』]]
[[Image:James Buchanan.jpg|thumb|upright|第15代アメリカ合衆国大統領、[[ジェームズ・ブキャナン]](1791-1868)誕生]]
[[Image:Marie-taglioni-in-zephire.jpg|thumb|160px|[[ロマンティック・バレエ]]を確立したバレエダンサー、[[マリー・タリオーニ]](1804-1884)誕生]]
[[Image:Max Planck 1878.GIF|thumb|upright|[[量子論]]の創始者の一人、[[マックス・プランク]](1858-1947)]]
[[Image:John_Singer_Sargent_Dame_Ethel_Smyth.jpg|thumb|upright|作曲家[[エセル・スマイス]](1858-1944)。[[婦人参政権]]の推進者でもあった]]
[[Image:Jo-no-mai by Uemura Shoen.jpg|thumb|160px|日本画家、[[上村松園]](1875-1949)。画像は『序の舞』(1936)]]
[[Image:Sergei Prokofiev circa 1918 over Chair Bain.jpg|thumb|upright|作曲家[[セルゲイ・プロコフィエフ]](1891-1953)、]]
[[Image:Bertil Ohlin.jpg|thumb|upright|[[ヘクシャー=オリーンの定理]]を構築した経済学者、[[ベルティル・オリーン]](1899-1979)]]
[[Image:Laxness portrett einar hakonarson 1984.jpg|thumb|upright|[[アイスランド]]の作家[[ハルドル・ラクスネス|H・K・ラクスネス]](1902-1998)。{{Squote|私から全てを奪うことはできるが、時々空を見上げる[[自由]]を奪うことだけはできない。(『世界の光』1937)}}]]
[[Image:Temple in Little Princess 1939.JPG|thumb|upright|アメリカ合衆国の女優・外交官、[[シャーリー・テンプル]](1928-2014)]]
* [[1185年]] - [[アフォンソ2世 (ポルトガル王)|アフォンソ2世]]、[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル王]](+ [[1223年]])
* [[1464年]] - [[ジャンヌ・ド・フランス (1464-1505)|ジャンヌ・ド・フランス]]、[[フランス王国|フランス]][[王妃]](+ [[1505年]])
* [[1484年]] - [[ジュール・セザール・スカリジェ]]、[[医師]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1558年]])
* [[1597年]] - [[マールテン・トロンプ]]、[[オランダ海軍]]の軍人(+ [[1653年]])
* [[1622年]]([[元和 (日本)|元和]]8年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[松浦重信]]、第4代[[平戸藩|平戸藩主]](+ [[1703年]])
* [[1651年]]([[慶安]]4年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - [[島津忠高]]、第4代[[佐土原藩|佐土原藩主]](+ [[1676年]])
* [[1676年]] - [[フレドリク1世 (スウェーデン王)|フレドリク1世]]、[[スウェーデン君主一覧|スウェーデン王]](+ [[1751年]])
* [[1718年]]([[享保]]3年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[鍋島直郷]]、第6代[[鹿島藩|鹿島藩主]](+ [[1770年]])
* [[1762年]]([[宝暦]]12年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[飯塚伊賀七]]、[[発明家]](+ [[1836年]])
* [[1775年]] - [[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー]]、[[画家]](+ [[1851年]])
* [[1791年]] - [[ジェームズ・ブキャナン]]、第15代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1868年]])
* [[1794年]]([[寛政]]6年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[毛利斉元]]、第12代[[長州藩|長州藩主]](+ [[1836年]])
* [[1804年]] - [[マリー・タリオーニ]]、[[バレエダンサー]](+ [[1884年]])
* [[1805年]] - [[ヨハン・カール・ローゼンクランツ]]、哲学者(+ [[1879年]])
* [[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]8年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[黒田長溥]]、第11代[[福岡藩|福岡藩主]](+ [[1887年]])
* [[1819年]]([[文政]]2年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[本多助実]]、第7代[[飯山藩|飯山藩主]](+ [[1877年]])
* [[1823年]] - [[アブデュルメジト1世]]、第31代[[オスマン帝国]][[皇帝]](+ [[1861年]])
* [[1825年]](文政8年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[松島剛蔵]]、長州藩士(+ [[1865年]])
* [[1828年]] - [[アルベルト (ザクセン王)|アルベルト]]、[[ザクセン王]](+ [[1902年]])
* [[1832年]]([[天保]]3年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[大木喬任]]、[[政治家]](+ [[1899年]])
* [[1858年]] - [[マックス・プランク]]、[[物理学者]](+ [[1947年]])
* 1858年 - [[エセル・スマイス]]、[[作曲家]]、[[フェミニスト]](+ [[1944年]])
* [[1867年]] - [[ヨハネス・フィビゲル]]、[[病理学|病理学者]](+ [[1928年]])
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[関根金次郎]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](+ [[1946年]])
* [[1873年]] - [[アルノルト・ファン・ヘネップ]]、[[文化人類学|文化人類学者]](+ [[1957年]])
* [[1875年]] - [[上村松園]]、[[画家]](+ [[1949年]])
* [[1880年]] - [[ミハイル・フォーキン]]、バレエダンサー、[[振付師]](+ [[1942年]])
* [[1885年]] - [[高倉徳太郎]]、[[神学者]]、[[牧師]](+ [[1934年]])
* [[1889年]] - [[猪俣津南雄]]、[[経済学者]](+ [[1942年]])
* [[1891年]] - [[セルゲイ・プロコフィエフ]]、作曲家(+ [[1953年]])
* [[1893年]] - [[アレン・ウェルシュ・ダレス]]、[[中央情報局|CIA]]長官(+ [[1969年]])
* [[1895年]] - [[ナイオ・マーシュ]]、[[推理作家]](+ [[1982年]])
* [[1897年]] - [[レスター・ボールズ・ピアソン]]、政治家、[[カナダ首相]](+ [[1972年]])
* [[1899年]] - [[ウラジーミル・ナボコフ]]、[[小説家]](+ [[1977年]])
* 1899年 - [[ベルティル・オリーン]]、経済学者(+ [[1979年]])
* 1899年 - [[代田稔]]、[[医学博士]]、[[ヤクルト本社#主な製品|ヤクルト]]開発者(+ [[1982年]])
* [[1900年]] - [[ジム・ボトムリー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1959年]])
* [[1901年]] - [[エドモンド・ブリスコ・フォード]]、[[生態学|生態学者]]、[[遺伝学|遺伝学者]](+ [[1988年]])
* [[1902年]] - [[H・K・ラクスネス]]、[[小説家]](+ [[1998年]])
* 1902年 - [[三好十郎]]、[[劇作家]]、小説家(+ [[1958年]])
* [[1903年]] - [[カール・ラーレンツ]]、[[法学者]](+ [[1993年]])
* [[1905年]] - [[原健策]]、[[俳優]](+ [[2002年]])
* [[1906年]] - [[見田石介]]、哲学者、経済学者(+ [[1975年]])
* [[1907年]] - [[ドルフ・カミリ]]、元プロ野球選手(+ [[1997年]])
* [[1910年]] - [[シモーヌ・シモン]]、[[俳優|女優]](+ [[2005年]])
* [[1913年]] - [[大宮隆]]、実業家(+ [[2007年]])
* [[1918年]] - [[ジェイムズ・カーカップ]]、[[詩人]]、[[劇作家]](+ [[2009年]])
* [[1919年]] - [[野村芳太郎]]、[[映画監督]](+ [[2005年]])
* [[1920年]] - [[梶原しげよ]]、[[詩人]](+ [[2015年]])
* [[1921年]] - [[ウォーレン・スパーン]]、元プロ野球選手(+ [[2003年]])
* [[1922年]] - [[緒方俊明]]、元プロ野球選手
* 1923年 - [[三瀬雅康]]、元プロ野球選手
* [[1924年]] - [[川上宗薫]]、[[小説家]](+ [[1985年]])
* 1924年 - [[木塚忠助]]、元プロ野球選手(+ [[1987年]])
* 1924年 - [[ルート・ロイヴェリク]]、女優(+ [[2016年]])
* [[1925年]] - [[バディ・ピート]]、元プロ野球選手(+ [[2006年]])
* [[1928年]] - [[シャーリー・テンプル]]、女優(+ [[2014年]])
* 1928年 - [[諸井虔]]、[[実業家]](+ [[2006年]])
* [[1929年]] - [[越智通雄]]、[[政治家]](+ [[2021年]])
* 1929年 - [[竹村幸雄]]、政治家(+ [[1998年]])
* 1929年 - [[ジョージ・スタイナー]]、[[文芸評論家]](+ [[2020年]])
* [[1930年]] - [[秋山駿]]、文芸評論家(+ [[2013年]])
* [[1931年]] - [[円谷一]]、[[演出家]]、[[プロデューサー]](+ [[1973年]])
* [[1932年]] - [[ジム・フィックス]]、[[著述家]]、[[ジョギング]]の提唱者(+ [[1984年]])
* 1932年 - [[文部おさむ]]、[[声優]](+ [[2002年]])
* [[1935年]] - [[園山俊二]]、[[漫画家]](+ [[1993年]])
* [[1936年]] - [[ロイ・オービソン]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1988年]])
* [[1937年]] - [[望月あきら]]、[[漫画家]]
* [[1938年]] - [[中村嘉葎雄]]、俳優
* [[1939年]] - [[曽根悟]]、[[工学者]]
* 1939年 - [[リー・メジャース]]、俳優
* [[1941年]] - [[レイ・トムリンソン]]、プログラマ(+ [[2016年]]<ref name="afpbb20160307">{{Cite news|title=電子メール発明のレイ・トムリンソン氏死去 74歳|newspaper=AFPBB News|date=2016-03-07|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3079453?cx_part=txt_topstory|accessdate=2020-10-28}}</ref>)
* [[1942年]] - [[サンドラ・ディー]]、女優(+ [[2005年]])
* [[1943年]] - [[福富邦夫]]、元プロ野球選手
* [[1944年]] - [[田辺修 (野球)|田辺修]]、元プロ野球選手
* 1944年 - [[冠二郎]]、歌手
* [[1946年]] - [[大月みやこ]]、[[歌手]]
* [[1947年]] - [[松島良一]]、[[空手道|空手家]]
* [[1949年]] - [[千石正一]]、[[動物学|動物学者]](+ [[2012年]])
* 1949年 - [[藤井びん]]、俳優
* 1949年 - [[吉の谷彰俊]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]]12代[[大鳴戸]](+ [[2000年]])
* 1949年 - [[平野光泰]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]])
* 1949年 - [[吉良修一]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[杉山茂]]、元プロ野球選手
* 1950年 - [[簗瀬進]]、政治家
* [[1951年]] - [[那須恵理子]]、[[アナウンサー]]
* 1951年 - [[松尾輝義]]、元プロ野球選手
* 1951年 - [[田中末一]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[河島英五]]、[[シンガーソングライター]](+ [[2001年]])
* 1952年 - [[ナラダ・マイケル・ウォルデン]]、ミュージシャン、[[音楽プロデューサー]]
* [[1953年]] - [[国広富之]]、俳優
* [[1954年]] - [[マイケル・ムーア]]、ドキュメンタリー映画監督、[[ジャーナリスト]]、政治活動家
* 1954年 - [[日蔭温子]]、[[ゴルファー]]
* 1954年 - [[松尾格]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[平野文]]、[[声優]]、[[エッセイスト]]
* 1955年 - [[ジュディ・デイヴィス]]、女優
* [[1956年]] - [[叶和貴子]]、女優
* 1956年 - [[豊田誠佑]]、元プロ野球選手
* [[1957年]] - [[川井憲次]]、作曲家
* [[1958年]] - [[星護]]、[[共同テレビ]]ディレクター
* [[1959年]] - [[岩島章博]]、[[バレーボール選手]]
* 1959年 - [[宇納侑玖]]、俳優
* [[1960年]] - [[藤田幸光]]、バレーボール選手、監督
* 1960年 - [[溝口肇]]、[[チェリスト|チェロ奏者]]、作曲家
* [[1961年]] - [[北原遥子]]、女優(+ [[1985年]])
* 1961年 - [[北安博]]、元プロ野球選手
* 1961年 - [[テリー・ゴディ]]、[[プロレスラー]](+ 2001年)
* 1961年 - [[アンドレイ・クルコフ]]、小説家
* [[1962年]] - [[ジョン・ハナー]]、俳優
* [[1963年]] - [[柳川範之]]、[[経済学者]]
* [[1964年]] - [[石塚理恵]]、声優
* 1964年 - 河田キイチ、[[お笑い芸人]]([[BOOMER]])
* [[1965年]] - [[前田亘輝]]、ミュージシャン([[TUBE]])
* [[1967年]] - [[小山羊右]]、タレント
* 1967年 - [[レアル・コーミアー]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[本原正治]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[山本淑稀]]、音楽プロデューサー
* 1969年 - [[エレーナ・シュシュノワ]]、[[体操選手]]
* [[1970年]] - [[阿部サダヲ]]、俳優
* 1970年 - [[UZA (作曲家)|UZA]]、[[ソングライター]]
* 1970年 - [[紅夜叉]]、元プロレスラー
* [[1971年]] - [[佐藤剛 (野球)|佐藤剛]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[山口晋 (野球)|山口晋]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[脇坂浩二]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[長谷部茂利]]、元[[サッカー選手]]、指導者
* [[1973年]] - [[設楽統]]、お笑いタレント([[バナナマン]])
* 1973年 - えとう窓口、お笑い芸人([[Wエンジン]])
* 1973年 - [[中村豊 (野球)|中村豊]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[石井伸幸]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[河田直也]]、アナウンサー
* [[1975年]] - [[山岡洋之]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[天沼知恵子]]、[[プロゴルファー]]
* [[1976年]] - [[IZAM]]、ミュージシャン([[SHAZNA]])
* 1976年 - [[森山直太朗]]、歌手
* 1976年 - [[外山斎]]、政治家
* [[1977年]] - [[アンドリュー・ジョーンズ]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[ジョン・シナ]]、プロレスラー
* 1977年 - [[杉山裕之]]、お笑い芸人([[我が家]])
* 1977年 - [[西村瑞樹]]、お笑い芸人([[バイきんぐ]])
* [[1978年]] - [[小畑沙織]]、元[[テニス選手一覧 (女子)|テニス選手]]
* 1978年 - [[ゲザハン・アベラ]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]]
* [[1979年]] - [[カルロス・シルバ]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[サンパ・ラユネン]]、[[ノルディック複合]]選手
* 1979年 - [[ジェイミー・キング (女優)|ジェイミー・キング]]、女優
* 1979年 - [[小田敏充]]、声優
* [[1980年]] - [[久遠さやか]]、女優
* 1980年 - [[平石洋介]]、元プロ野球選手、監督
* [[1981年]] - [[石浦宏明]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* 1981年 - [[宮本りえ]]、ファッションモデル
* 1981年 - [[クリス・シャーマ]]、[[フリークライミング|フリークライマー]]
* [[1982年]] - [[ヒロユキ]]、漫画家
* 1982年 - [[黒田勇樹]]、俳優
* [[1983年]] - [[加藤明日美]]、[[タレント]]
* 1983年 - [[ダニエラ・ハンチュコバ]]、テニス選手
* 1983年 - [[深田拓也]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[小鳥遊恋]]、[[AV女優]]
* [[1984年]] - [[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* 1984年 - [[清水誉]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[MARI (グラビアアイドル)|MARI]]、元[[グラビアアイドル]]
* 1984年 - [[湯本史寿]]、元[[スキージャンプ]]選手
* 1984年 - [[アレクサンドラ・コステニューク]]、[[チェス]]プレイヤー
* 1984年 - [[川元由香]]、元グラビアアイドル、元タレント
* [[1985年]] - [[伊禮麻乃]]、歌手
* 1985年 - [[加藤綾子]]、アナウンサー
* [[1986年]] - [[ジェシカ・スタム]]、[[スーパーモデル]]
* 1986年 - [[ミランダ・フェルナンデス]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[ルイス・デュランゴ]]、プロ野球選手
* 1986年 - [[アレクセイ・レブコ]]、サッカー選手
* 1986年 - [[スベン・クラマー]]、[[スピードスケート]]選手
* 1986年 - [[吉田恵 (女優)|吉田恵]]、元女優
* [[1987年]] - [[あいすけ]]、お笑い芸人
* 1987年 - [[栃飛龍幸也]]、元大相撲力士
* [[1988年]] - [[渋谷謙人]]、俳優
* 1988年 - [[Emyli]]、歌手
* 1988年 - [[宮宗紫野]]、[[女流棋士 (将棋)|女流将棋棋士]]
* 1988年 - [[増田達至]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[下水流昂]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[ヴィクター・アニチェベ]]、サッカー選手
* 1988年 - [[田中明日菜]]、サッカー選手
* 1988年 - [[柳瀬さき]]、グラビアアイドル
* [[1989年]] - [[アンチエイジ徳泉]]、[[ものまね芸人]]
* 1989年 - [[伊藤光]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[岩井七世]]、女優
* 1989年 - [[ニコル・バイディソバ]]、テニス選手
* [[1990年]] - [[一橋いちか]]、グラビアアイドル
* 1990年 - [[デーヴ・パテール]]、俳優
* 1990年 - [[原裕太郎]]、元サッカー選手
* [[1991年]] - [[岩橋慶侍]]、元プロ野球選手
* 1991年 - [[平井諒]]、元プロ野球選手
* [[1992年]] - [[岸波莉穂]]、元グラビアアイドル
* 1992年 - [[斉藤百香]]、アナウンサー
* 1992年 - [[柴原誠]]、元サッカー選手
* [[1993年]] - [[柿原翔樹]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[佐野川リョウ]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[近野莉菜]]、アイドル(元[[AKB48]]、元[[JKT48]])
* 1993年 - [[にしくん]]、[[AV監督]]、[[AV男優]]
* [[1994年]] - [[ソン・ガン]]、俳優
* 1994年 - [[七瀬公]]、俳優
* 1994年 - [[草野綾]]、グラビアアイドル
* [[1995年]] - Reps、プロゲーマー([[TSM]])
* 1995年 - [[井上清華]]、フジテレビアナウンサー
* 1995年 - [[ジジ・ハディット]]、ファッションモデル
* 1995年 - [[只埜榛奈]]、野球選手
* 1995年 - [[比嘉一貴]]、ゴルファー
* [[1996年]] - [[チョ・ビョンギュ]]、俳優
* 1996年 - [[中尾翔太]]、ダンサー([[FANTASTICS from EXILE TRIBE|FANTASTICS]])(+ [[2018年]])
* 1996年 - [[若林倫香]]、声優、元アイドル(元[[SKE48]])
* [[1997年]] - 長沢菜々香、アイドル(元[[欅坂46]])
* 1997年 - [[吉田祐也]]<ref group="注">「祐」は「示」に「右」</ref>、陸上選手
* [[1998年]] - [[和田まあや]]、アイドル(元[[乃木坂46]])
* [[1999年]] - [[チェヨン (TWICE)|チェヨン]]、アイドル([[TWICE (韓国の音楽グループ)|TWICE]])
* 1999年 - 福士奈央、アイドル(SKE48)
* 1999年 - [[諸星すみれ]]、女優、声優
* 1999年 - [[山本晃大]]、プロ野球選手
* [[2000年]] - [[ジェノ]]、アイドル([[NCT (音楽グループ)|NCT]])
* [[2001年]] - 高倉萌香、アイドル(元[[NGT48]])
* 2001年 - 福田安優子、アイドル(元[[fishbowl]])
* 2001年 - [[安原太陽]]、[[陸上競技]]選手
* [[2003年]] - [[三阪咲]]、歌手
* [[2005年]] - [[丸本凛]]、女優
* 2005年 - ユナ、アイドル([[CSR (音楽グループ)|CSR]])
* [[2006年]] - 佐藤咲菜、アイドル([[LINKL PLANET]])
* [[2018年]] - [[ルイ・オブ・ウェールズ]]、イギリスの王族、[[ウィリアム (プリンス・オブ・ウェールズ)|プリンス・オブ・ウェールズ・ウィリアム王子]]夫妻の次男
* 生年不明 - [[綾野ましろ]]<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1595337.html 綾野ましろアルバムリリース 原点が詰まった1枚]</ref>、歌手
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1934年]] - [[ヒサトモ]]、[[競走馬]](+ [[1949年]])
* [[1965年]] - [[タケシバオー]]、競走馬(+ [[1992年]])
* 1965年 - [[タニノハローモア]]、競走馬(+ [[1985年]])
* [[1983年]] - [[フェートノーザン]]、競走馬(+ [[1989年]])
* [[1986年]] - [[ゴールデンフェザント]]、競走馬
* [[1989年]] - [[レガシーワールド]]、競走馬(+ [[2021年]])
* [[1992年]] - [[ピルサドスキー]]、競走馬
* [[1994年]] - [[サニーブライアン]]、競走馬(+ [[2011年]])
* [[2001年]] - [[イェーツ (競走馬)|イェーツ]]、競走馬
* [[2004年]] - [[サンライズマックス]]、競走馬
* 2004年 - [[ナムラマース]]、競走馬
* [[2005年]] - [[チェレブリタ]]、競走馬(+ [[2010年]])
* 2005年 - [[ルルパンブルー]]、競走馬
== 忌日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Gniezno Cathedral detail 02.jpg|thumb|100px|[[プラハのアダルベルト]](956-997)、[[プロイセン|古プルーセン人]]の聖木を切り倒し殺害される]]
[[Image:Yoshitoshi Driving away the Demons.jpg|thumb|100px|[[源為朝]](1139-1170)自害。[[琉球諸島|琉球]]へ逃れたなどとする伝承もある]]
[[Image:Cervantes Jáuregui.jpg|thumb|upright|[[ミゲル・デ・セルバンテス]](1547-1616)没。{{Squote|裸で生まれて、今また裸になった。何の損も得もしちゃいない。――[[ドン・キホーテ]]の口癖}}]]
[[Image:WilliamWordsworth Grave.JPG|thumb|upright|桂冠詩人、[[ウィリアム・ワーズワース]](1770-1850)没。]]
[[Image:KAGAWA_Toyohiko_young.JPG|thumb|upright|「貧民街の聖者」、社会運動家[[賀川豊彦]](1888-1960)]]
[[Image:Boris Yeltsin-2.jpg|thumb|100px|[[ロシア|ロシア連邦]]の初代大統領[[ボリス・エリツィン]](1931-2007)]]
* [[303年]] - [[ゲオルギウス]]、[[キリスト教]]の[[聖人]]
* [[997年]] - [[プラハのアダルベルト]]、キリスト教の聖人(* [[956年]])
* [[1016年]] - [[エゼルレッド2世 (イングランド王)|エゼルレッド2世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[968年]])
* [[1124年]] - [[アレグザンダー1世 (スコットランド王)|アレグザンダー1世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* [[1078年]])
* [[1151年]] - [[アデライザ・オブ・ルーヴァン]]、イングランド王[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]の王妃(* [[1103年]])
* [[1170年]]([[嘉応]]2年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[源為朝]]、[[武将]](* [[1139年]])
* [[1235年]]([[文暦]]2年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]) - [[九条教実]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]](* [[1211年]])
* [[1326年]]([[永承]]6年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[邦良親王]]、[[後醍醐天皇]]の[[皇太子]](* [[1300年]])
* [[1567年]]([[永禄]]10年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[種子島恵時]]、[[武将|戦国武将]]、[[種子島]]の領主(* [[1503年]])
* [[1616年]] - [[ミゲル・デ・セルバンテス]]、[[小説家]](* [[1547年]])
* [[1625年]] - [[マウリッツ (オラニエ公)|マウリッツ]]、[[オランダ総督]](* [[1567年]])
* [[1691年]] - [[ジャン=アンリ・ダングルベール]]、[[作曲家]](* [[1629年]])
* [[1711年]]([[宝永]]8年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[京極宮文仁親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1680年]])
* [[1731年]]([[享保]]16年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[水野忠之]]、[[江戸幕府]][[老中]]、第4代[[岡崎藩|岡崎藩主]](* [[1669年]])
* [[1792年]]([[寛政]]4年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[柳沢信鴻]]、第2代[[郡山藩|郡山藩主]](* [[1724年]])
* [[1837年]]([[天保]]8年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[大久保忠真]]、江戸幕府老中、第7代[[小田原藩|小田原藩主]](* [[1778年]])
* [[1850年]] - [[ウィリアム・ワーズワース]]、[[詩人]](* [[1770年]])
* [[1858年]] - [[ジェームズ・スターリング (西オーストラリア州総督)|ジェームズ・スターリング]]、初代[[西オーストラリア州]]総督、[[イギリス海軍]][[将官|提督]](* [[1791年]])
* [[1877年]] - [[小笠原長国]]、第5代[[唐津藩|唐津藩主]](* [[1812年]])
* [[1919年]] - [[竹田宮恒久王]]、皇族(* [[1882年]])
* [[1933年]] - [[ティム・キーフ]]、[[プロ野球選手]](* [[1857年]])
* [[1944年]] - [[近松秋江]]、[[小説家]](* [[1876年]])
* [[1947年]] - [[エドゥアール・シャットン]]、[[動物学|動物学者]]、[[海洋生物学|海洋生物学者]](* [[1883年]])
* [[1951年]] - [[チャールズ・G・ドーズ]]、第30代[[アメリカ合衆国副大統領]]、財政家(* [[1865年]])
* [[1952年]] - [[エリザベート・シューマン]]、[[ソプラノ]]歌手(* [[1888年]])
* [[1960年]] - [[賀川豊彦]]、社会運動家、作家(* [[1888年]])
* [[1964年]] - [[カール・ポランニー]]、[[経済人類学|経済人類学者]](* [[1886年]])
* [[1965年]] - [[小松原博喜]]、プロ野球選手(* [[1924年]])
* [[1973年]] - [[阿部知二]]、小説家(* [[1903年]])
* [[1974年]] - [[サイ・ウィリアムズ]]、プロ野球選手(* [[1887年]])
* [[1976年]] - [[稲垣平太郎]]、初代[[通商産業大臣]](* [[1888年]])
* 1976年 - [[セルゲイ・シュテメンコ]]、[[ソ連軍参謀本部|ソ連軍参謀総長]](* [[1907年]])
* 1976年 - [[カール・シェーファー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1909年]])
* [[1980年]] - [[兵頭精]]、航空[[パイロット (航空)|操縦士]](* [[1899年]])
* [[1983年]] - [[マルグリット・ブロクディス]]、[[テニス]]選手(* [[1893年]])
* 1983年 - [[ハインリヒ・コニエッツニー]]、作曲家(* [[1910年]])
* [[1984年]] - [[レッド・ガーランド]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]](* [[1923年]])
* [[1986年]] - [[オットー・プレミンジャー]]、[[映画監督]](* [[1905年]])
* [[1988年]] - [[川勝傳]]、[[経営者]](* [[1901年]])
* 1988年 - [[小沢栄太郎]]、[[俳優]](* [[1909年]])
* [[1990年]] - [[ポーレット・ゴダード]]、女優(* [[1910年]])
* [[1992年]] - [[サタジット・レイ]]、映画監督(* [[1921年]])
* [[1994年]] - [[木村庄之助 (22代)]]、[[大相撲]]の[[立行司]](* [[1890年]])
* [[1995年]] - クリーンヘッド・ギムラ、[[ミュージシャン]]([[東京スカパラダイスオーケストラ]])(* [[1962年]])
* 1995年 - [[ジョン・C・ステニス]]、政治家(* [[1901年]])
* [[1996年]] - [[パメラ・トラバース]]、[[児童文学]]作家(* [[1899年]])
* [[1998年]] - [[コンスタンディノス・カラマンリス]]、[[ギリシャの大統領|ギリシャ大統領]](* [[1907年]])
* 1998年 - [[吾妻徳穂]]、舞踊家、吾妻流家元・宗家(* [[1909年]])
* 1998年 - [[大泉滉]]、俳優(* [[1925年]])
* 1998年 - [[ジェームズ・アール・レイ]]、[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|キング牧師]]暗殺の実行犯(* [[1928年]])
* [[1999年]] - [[杉浦茂]]、[[漫画家]](* [[1908年]])
* 1999年 - [[フランシス・ペティジョン]]、[[地質学|地質学者]](* [[1904年]])
* 1999年 - [[メルバ・リストン]]、ジャズ・トロンボーン奏者(* [[1926年]])
* [[2004年]] - [[北野ミヤ]]、[[競走馬]]生産家(* [[1912年]])
* [[2005年]] - [[ジョン・ミルズ]]、俳優(* [[1908年]])
* 2005年 - [[アンドレ・グンダー・フランク]]、[[社会学者の一覧|社会学者]]、[[国際政治経済学|国際政治経済学者]](* [[1929年]])
* [[2006年]] - [[ウイリアム・ゴッドリーブ]]、[[写真家]](* [[1917年]])
* [[2007年]] - [[ボリス・エリツィン]]、[[政治家]]、[[ロシア|ロシア連邦]]初代[[ロシアの大統領|大統領]](* [[1931年]])
* 2007年 - [[デイヴィッド・ハルバースタム]]、[[ジャーナリスト]](* [[1934年]])
* 2007年 - [[橋本敬包]]、元プロ野球選手(* [[1936年]])
* [[2008年]] - [[青木龍山]]、[[陶芸家]](* [[1926年]])
* [[2010年]] - 山本則直、[[能楽師]](* [[1939年]])
* [[2011年]] - [[大賀典雄]]、実業家、[[指揮者]]、元[[ソニー]]社長、元[[東京フィルハーモニー交響楽団]]理事長(* [[1930年]])
* [[2016年]] - [[山本功児]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](* [[1951年]])
* [[2017年]] - [[三遊亭圓歌 (3代目)|3代目三遊亭圓歌]]、[[落語家]](* [[1929年]])
* [[2018年]] - [[衣笠祥雄]]、元プロ野球選手(* [[1947年]])
* [[2020年]] - [[久米明]]、[[俳優]]、[[声優]](* [[1924年]])
* 2020年 - [[和田周]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-asahi.co.jp/smt/f/geinou_tokuho/hot/?id=hot_20200426_020|title=【訃報】俳優・和田周さん、コロナ原因で逝く|publisher=テレビ朝日|date=2020-04-26|accessdate=2020-11-18}}</ref>、俳優、声優、[[劇作家]](* [[1938年]])
* 2020年 - [[小島一慶]]<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/04/26/kiji/20200426s00041000078000c.html フリーアナウンサーの小島一慶さん 肺がんで死去 75歳「ぴったし カン・カン」2代目司会などで人気] - Sponichi Annex 2020年4月26日</ref>、[[フリーアナウンサー]](* [[1944年]])
* 2020年 - [[岡江久美子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200423/k10012401871000.html|title=俳優の岡江久美子さんが肺炎で死去 63歳 新型コロナに感染 |publisher=NHKニュース|date=2020-04-23|accessdate=2020-10-24}}</ref>、[[俳優#性別での分類|女優]](* [[1956年]])
* 2020年 - [[上条毬男]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.instagram.com/p/B_q8iJUhDAz/?utm_source=ig_web_copy_link|title=4月23日、仲良しの漫画家・田中毬男さんが急逝されました。|accessdate=2020年5月13日}}</ref>、[[漫画家]](生年不詳)
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2013年]] - [[エアグルーヴ]]、競走馬、[[繁殖牝馬]](* [[1993年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:StGeorgeDragged.jpg|thumb|160px|竜退治の伝承があるキリスト教の聖人、[[ゲオルギオス (聖人)|ゲオルギオス]](?-303)殉教。後にスペインの書店がこの日とセルバンテスの命日などを結び付け、今日では書物を贈る[[サン・ジョルディの日]]となっている]]
* 聖[[ゲオルギオスの日]]([[サン・ジョルディの日]]、聖ジョージの日)
*: キリスト教の聖人[[ゲオルギオス (聖人)|ゲオルギオス]]の[[聖名祝日]]。
* [[世界図書・著作権デー]](世界本の日)({{World}})
** [[子どもの読書活動の推進に関する法律#子ども読書の日|子ども読書の日]]({{JPN}})
* 国際マルコーニデー({{World}})
*: 世界で初めて無線による通信を行った[[グリエルモ・マルコーニ]]を記念する日。
* 国際マヌルネコの日({{World}})
*: 2019年にマヌルネコ保全同盟(PICA)によって制定。[[マヌルネコ]]のことを知り、その保全や住環境について興味を持ってもらうことが目的<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/81089|title=今日は「マヌルネコの日」…ネコ科最古の動物のかわいい“しっぽ”の特徴とは? |website=サイエンス365days |publisher=[[講談社]] |date=2021-04-23 |accessdate=2022-07-05}}</ref>。
* 国民主権と子供の日({{TUR}}・[[北キプロス・トルコ共和国|北キプロス]])
*: 1920年のこの日、現在の[[トルコ大国民議会]](国会)の起源となる大国民議会が開催されたことを記念。
* [[学校法人慶應義塾|慶應義塾]]の創立記念日({{JPN}})
*: 慶応義塾の前身は、福沢諭吉が[[1858年]](安政5年)10月に、江戸築地鉄砲洲に開設した蘭学塾(1863年に英学塾に転向)である。その後、塾は、[[1867年]](慶應3年)12月、芝の芝新銭座(現在の港区浜松町)に移転する。この芝に移転した時の年号を取り「慶應義塾」と命名された。[[1871年]](明治4年)3月、慶応義塾は現在の本拠、三田に移転する。この移転日を太陽暦に換算した4月23日が「慶應義塾大学」の開校記念日になった。
* [[地ビール]]の日({{JPN}})
*: [[日本地ビール協会]]を中心とする「地ビールの日選考委員会」が[[1999年]]に制定し、[[2000年]]から実施。[[1516年]]のこの日、[[バイエルン大公|バイエルン公]][[ヴィルヘルム4世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム4世]]が「[[ビール純粋令]]」を発布したことにちなむ<ref>{{cite book|和書|title=この日何の日1億人のための366日使える話のネタ本 |date= 2009-10-26|author=リンクアップ|publisher=[[秀和システム]]|year=2009|isbn=978-4798024103|page=68}}</ref>。ドイツではこの日が「[[ビール]]の日」になっている。
* [[シジミ]]の日({{JPN}})
*: 日本シジミ研究所が[[2007年]]に制定。「し(4)じみ(23)」の語呂合わせ。
* [[秘書]]の日
*: 米国では4月第4水曜日が「秘書の日」とされているため、この日が「秘書の日」となることがある。
{{clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0423|date=2011年6月}}
* [[1962年]] - ファブ・フォーのファーストアルバム『ザ・ファブ・フォー』 (THE FAB4) 発売。[[ミリオンセラー]]となる。(漫画『[[僕はビートルズ]]』)<ref>{{Cite book |和書|author1=かわぐちかいじ|authorlink1=かわぐちかいじ|author2=藤井哲夫(原著)|date=2011-11-22|title =僕はビートルズ|volume=7巻|series=モーニングKC|pages=67,68|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4063870589}}</ref>
* 年不明 - 岡崎朋也,春原陽平に「水を口に含んでから言う」・「常に語尾に『それと便座カバー』をつける」・「[[いっこく堂]]風に言う」のいずれかをするよう迫る。<ref group="注">このコマンドは同ゲームの春原兄妹シナリオ内におけるこの日2番目の選択コマンド。シナリオクリアに向かう選択肢は「常に語尾に『それと便座カバー』をつける」。</ref>([[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]])
=== 誕生日(フィクション) ===
{{精度|section=1|date=2020年10月}}
* [[1941年]] - 藤田鉄治、ゲーム・漫画『[[ROBOTICS;NOTES]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=電撃プレイステーション編集部 |date=2012-09-29|title =ROBOTICS;NOTES【ロボティクス・ノーツ】 公式設定資料集 Childhood Dreams|page=91|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|isbn=978-4048867566}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author1=浅川圭司(漫画)|author2=5pb.(原作)|authorlink2=5pb.|date=2012-11-09|title = ROBOTICS;NOTES |volume = 第2巻 |page = 36 |publisher=[[マッグガーデン]] |series = ブレイドコミックス |isbn =978-4800000620}}</ref>
* [[1969年]] - [[フェイロン]]、ゲーム[[ストリートファイターシリーズ|『ストリートファイター』シリーズ]]に登場するキャラクター
* [[1987年]] - 諸星つぼみ、アニメ『[[UG☆アルティメットガール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - アーロニーロ・アルルエリ、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 穴山大介、ゲーム『[[忍び、恋うつつ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 有田春雪、小説・アニメ『[[アクセル・ワールド]]』の主人公
* 生年不明 - エミール・フォン=シュトラスブルク、ゲーム・アニメ『[[GOD EATER]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - お登勢、ゲーム・アニメ『[[幕末Rock]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - カナエ・フォン・ロゼヴァルト、漫画・アニメ『[[東京喰種]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - カリファ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - グルガ・ヴェイド・ブラキール、ゲーム『[[アークザラッド]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 桑名マキ、漫画『[[ブルーピリオド]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 里谷村雨、ゲーム『[[遙かなる時空の中で6]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 式宮舞菜、小説・アニメ・ゲーム『[[Re:ステージ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=Re:ステージ!公式サイト|url=http://rst-project.com/|website=Re:ステージ!公式サイト|accessdate=2020-04-15|language=ja}}</ref>
* 生年不明 - 柴崎正太郎、漫画『[[生徒会のヲタのしみ。]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 芹沢水結、ゲーム・アニメ『[[大図書館の羊飼い]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 紫藤める、漫画・アニメ『[[キラッとプリ☆チャン]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 辻亮太、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 筒井公宏、漫画・アニメ『[[ヒカルの碁]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 長瀬梨子、小説・アニメ『[[響け! ユーフォニアム]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 長田翔平、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 新島真、ゲーム『[[ペルソナ5]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - バブルガール、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character.html|title=僕のヒーローアカデミア|publisher=僕のヒーローアカデミア製作委員会|accessdate=2020-07-28}}</ref>
* 生年不明 - [[ブロッケンJr.]]、漫画・アニメ『[[キン肉マン]]』『[[キン肉マンII世]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2017/03/05/81099/|title=『キン肉マン』最新58巻の特別付録「平成29(肉)年度カレンダー」に秘められた超人たちの細かすぎるネタとは?|date=2017-03-05|website=週プレNEWS(週刊プレイボーイのニュースサイト)|publisher=[[集英社]]|accessdate=2020-07-28}}</ref>
* 生年不明 - ポテト、アニメ『[[PUI PUI モルカー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status2|molcar_anime|1517699782021550080|4=PUI PUI モルカー【公式】の2022年4月23日のツイート|5=2022年4月23日}}</ref>
* 生年不明 - マリルシャン、漫画・アニメ『[[ALDNOAH.ZERO]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - メガCD2、アニメ『[[Hi☆sCoool! セハガール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - メガドライブ2、アニメ『Hi☆sCoool! セハガール』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ユリス=アレクシア・フォン・リースフェルト、小説・アニメ『学戦都市アスタリスク』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 義晴、漫画『[[國崎出雲の事情]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 渡辺裕子、漫画『[[A・Iが止まらない!]]』に登場するキャラクター
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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4,887 | 4月24日 |
4月24日(しがつにじゅうよっか、しがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から114日目(閏年では115日目)にあたり、年末まではあと251日ある。 | [
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'''4月24日'''(しがつにじゅうよっか、しがつにじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から114日目([[閏年]]では115日目)にあたり、年末まではあと251日ある。
== できごと ==
<!-- メモ:[[マーガレット (雑誌)]], [[全国学力テスト]] 記事に記載ありません -->
[[Image:Library of Congress.jpg|thumb|[[アメリカ議会図書館]]発足(1800)]]
[[Image:Birth of the Irish Republic.jpg|thumb|[[イースター蜂起]](1916)]]
[[Image:Hubble_01.jpg|thumb|[[ハッブル宇宙望遠鏡]]打ち上げ(1990)]]
[[Image:Dongfanghong-1.jpg|thumb|[[東方紅1号]](1970)]]
* [[1192年]]([[明昌 (金)|明昌]]3年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[永定河|盧溝河]]の[[盧溝橋]]が完成。
* [[1771年]]([[明和]]8年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[八重山地震]]発生。[[津波]]により死者・行方不明者112,000人。
* [[1800年]] - [[アメリカ議会図書館]]設立。
* [[1854年]]([[嘉永]]7年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[吉田松陰]]が下田で黒船への密航に失敗。翌日幕吏に捕縛される。
* [[1877年]] - [[ロシア帝国]]が[[オスマン帝国]]に宣戦布告。[[露土戦争 (1877年)|露土戦争]]勃発。
* [[1898年]] - この年の[[4月22日]]に行なわれた[[日本]]の要求に基づき[[清]]が[[福建省]]の不割譲を宣言。
* [[1913年]] - [[ニューヨーク]]の超高層ビル・[[ウールワースビル]]が開業。
* [[1915年]] - [[青年トルコ革命]]: [[イスタンブール]]で250人の[[アルメニア人]]独立活動家が殺害される。[[アルメニア人虐殺]]の始まり。
* [[1916年]] - [[イースター蜂起]]。[[アイルランド]]で急進的な反英独立を掲げる[[シン・フェイン党]]が蜂起。
* [[1921年]] - 日本で初の女性による社会主義団体[[赤瀾会]]が結成。
* [[1926年]] - [[ヴァイマル共和政|ドイツ・ヴァイマル共和国]]と[[ソビエト連邦]]が[[ベルリン条約 (1926年)|ベルリン条約]](独ソ友好中立条約)を締結。
* [[1926年]] - 青森・函館間に[[電話]]が開通、本州と北海道の市外通話開始。
* [[1932年]] - [[目黒競馬場]]で第1回[[東京優駿|東京優駿大競走]](現在の日本ダービー)開催。
* [[1949年]] - [[国共内戦]]・渡江戦役: [[中国共産党|中共]][[人民解放軍]]35軍の104師312団が[[南京]]の[[太平天国天王府跡|中華民国総統府]]を占領する。
* [[1951年]] - [[桜木町事故|国鉄桜木町電車火災事故]]発生。
* [[1953年]] - [[第3回参議院議員通常選挙]]。
* [[1955年]] - 第1回[[アジア・アフリカ会議]]最終日で[[平和十原則]]を採択。
* [[1956年]] - 17世紀に沈没したスウェーデンの戦列艦「[[ヴァーサ (戦列艦)|ヴァーサ]]」が引き上げられる。
* [[1963年]] - [[少女漫画]]雑誌『週刊[[マーガレット (雑誌)|マーガレット]]』が創刊される。
* [[1965年]] - アメリカの北爆に反対する[[小田実]]らが結成した「[[ベトナムに平和を!市民連合|ベトナムに平和を!市民・文化団体連合]]」(ベ平連)が最初のデモ行進を行う。
* [[1968年]] - [[モーリシャス]]が国連に加盟。
* [[1970年]] - [[中華人民共和国]]が初の[[人工衛星]]「[[東方紅1号]]」を打上げ。
* [[1973年]] - [[首都圏国電暴動]]。[[日本国有鉄道|国鉄]]の[[順法闘争]]で首都圏の[[列車]]が遅れ、利用客の一部が暴徒化。
* [[1974年]] - [[シュタージ#ギヨーム事件|ギヨーム事件]]。[[ヴィリー・ブラント|ブラント]][[ドイツの首相|西ドイツ首相]]の秘書[[ギュンター・ギヨーム]]が[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]][[情報機関]]の[[スパイ]]として逮捕。
* [[1977年]] - 日本初の[[高速増殖炉]]「[[常陽]]」が[[臨界状態|臨界]]に達する。
* [[1979年]] - [[創価学会]]の[[池田大作]]会長が[[名誉会長]]に就任。後任の会長には[[北条浩]][[理事長]]が就任。
* [[1980年]] - [[イランアメリカ大使館人質事件]]: アメリカが人質救出作戦「[[イーグルクロー作戦]]」を行うが失敗。
* [[1983年]] - [[アムトラック]]発足後も移管せず[[デンバー]] - [[オグデン (ユタ州)|オグデン]]間で最後まで自社運行を続けていた[[デンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道|リオグランデ鉄道]]の「{{仮リンク|リオグランデ・ゼファー|en|Rio Grande Zephyr}}」号が営業運転を終了<ref group="注">以後はこの経路をアムトラックの[[カリフォルニア・ゼファー]]号が走行するようになった。</ref>、アメリカ国内から[[私鉄]]による定期長距離[[旅客列車]]が消滅する。
<!-- * [[1987年]] - 『[[朝まで生テレビ!]]』放送開始。 -->
* [[1988年]] - JR北海道・[[歌志内線]]がこの日限りで廃止。<!-- 最終運転日で記載 -->
* [[1990年]] - アメリカでスペースシャトル「[[スペースシャトル・ディスカバリー|ディスカバリー]]」打上げ。軌道上で[[ハッブル宇宙望遠鏡]]を放出。
* [[1991年]] - [[千葉市]]で開幕した[[第41回世界卓球選手権]]で、南北朝鮮が初めて統一チームで出場。([[統一旗]])
* [[1993年]] - テーマパーク[[東武ワールドスクウェア]]が完成。
<!-- * [[2005年]] - [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]の[[古田敦也]]が通算2000本安打を達成。 -->
<!-- * [[2006年]] - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の[[山手線]]や[[埼京線]]・[[湘南新宿ライン]]([[山手貨物線]])の内回り・外回りと上り・下りの4本の線路が約25メートルにわたって最大で高さ約5センチメートル盛り上がり、5時間以上ストップする。 -->
* [[2007年]] - 全国<!-- (一部の市町村を除く) -->の小学6年生・中学3年生で[[全国学力・学習状況調査|全国学力テスト]]を実施。
<!-- 1部2部の入れ替えは毎年あるはず。ここに載せるほどでしょうか? * [[2009年]] - [[本田圭佑]]が所属する[[VVVフェンロー]]が、オランダ2部リーグ優勝、1部昇格となる。 -->
* [[2009年]] - [[2009年新型インフルエンザの世界的流行]]:[[世界保健機関|WHO]]が、豚を起源とする[[新型インフルエンザ]]が発生し、人から人への感染が報告されたと発表。
* 2009年 - 超党派野党、選択的[[夫婦別姓]]制度導入などを入れた民法改正案を参議院に提出。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:WilliamOfOrange1580.jpg|thumb|upright|[[ネーデルラント連邦共和国]]の事実上の初代君主、[[ウィレム1世 (オラニエ公)|ウィレム1世]](1533-1584)誕生]]
[[Image:Kamo_no_Mabuchi.jpg|thumb|upright|国学者、[[賀茂真淵]](1697-1769)誕生]]
[[Image:Galissard_de_Marignac.jpg|thumb|upright|[[イッテルビウム]]と[[ガドリニウム]]を発見した化学者[[ジャン・マリニャック]](1817-1894)、]]
[[Image:Winslow_Homer_-_Artists_Sketching_in_the_White_Mountains.jpg|thumb|225px|画家[[ウィンスロー・ホーマー]](1836-1910)。画像は『[[ホワイト山地 (ニューハンプシャー州)|ホワイト山地]]で写生する画家たち』(1868)]]
[[Image:Johnny_Griffin_1.jpg|thumb|upright|[[ジャズ]][[サックス]]奏者、[[ジョニー・グリフィン]](1928-2008)]]
[[Image:Barbra_Streisand.jpg|thumb|100px|歌手・女優、[[バーブラ・ストライサンド]](1942-)]]
[[Image:Jean-Paul Gaultier.jpg|thumb|100px|[[ファッションデザイナー]]、[[ジャン=ポール・ゴルチエ]](1952-)]]
* [[1533年]] - [[ウィレム1世 (オラニエ公)|ウィレム1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/William-I-stadholder-of-United-Provinces-of-The-Netherlands William I stadholder of United Provinces of The Netherlands] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[オランダ総督]](+ [[1584年]])
* [[1604年]]([[慶長]]9年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[松平直基]]、初代[[姫路藩|姫路藩主]](+ [[1648年]])
* [[1619年]]([[元和 (日本)|元和]]5年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[京極高和]]、初代[[丸亀藩|丸亀藩主]](+ [[1662年]])
* [[1697年]]([[元禄]]10年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - [[賀茂真淵]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://mabuchi-kinenkan.jp/history/index.html|title=賀茂真淵について|publisher=賀茂真淵記念館|accessdate=2021-05-03}}</ref>、[[国学者]]、[[歌人]](+ [[1769年]])
* [[1706年]] - [[ジョヴァンニ・マルティーニ]]、[[音楽理論家]]、[[作曲家]](+ [[1784年]])
* [[1742年]] - [[ロマン・ホフシュテッター]]、作曲家(+ [[1815年]])
* [[1743年]] - [[エドモンド・カートライト]]、[[発明家]]、[[実業家]]、[[牧師]](+ [[1823年]])
* [[1749年]]([[延享]]4年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]) - [[有馬允純]]、第4代[[丸岡藩|丸岡藩主]](+ [[1772年]])
* [[1774年]] - [[ジャン・イタール]]、[[医師]]、[[聾唖]][[教育者]](+ [[1838年]])
* [[1779年]]([[安永 (元号)|安永]]8年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[森川俊知]]、第8代[[生実藩|生実藩主]](+ [[1838年]])
* [[1798年]] - [[宇田川榕菴]]、[[蘭学者]]、[[医師]]、[[科学者]](+ [[1846年]])
* [[1817年]] - [[ジャン・マリニャック]]、[[化学者]](+ [[1894年]])
* [[1836年]] - [[ウィンスロー・ホーマー]]、[[画家]](+ [[1910年]])
* [[1845年]] - [[C・シュピッテラー]]、[[詩人]]、[[小説家]](+ [[1924年]])
* [[1856年]] - [[フィリップ・ペタン]]、[[フランス]]の[[軍人]]、[[ヴェルダンの戦い|ヴェルダン]]の英雄、[[ヴィシー政権|ヴィシー政府]][[首相]](+ [[1951年]])
* [[1866年]]([[慶応]]2年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[石井菊次郎]]、[[外交官]](+ [[1945年]])
* [[1867年]](慶応3年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[伊藤痴遊]](初代)、[[講釈師]]、[[ジャーナリスト]]、[[政治家]](+ [[1938年]])
* [[1873年]] - [[江木翼]]、[[政治家]](+ [[1932年]])
* [[1876年]] - [[エーリヒ・レーダー]]、[[ドイツ海軍]]の軍人(+ [[1960年]])
* [[1877年]] - [[伊藤小坡]]、[[日本画家]](+ [[1968年]])
* [[1880年]] - [[ギデオン・サンドバック]]、[[電気]][[技師]]、[[発明家]](+ [[1954年]])
* [[1886年]] - [[小日山直登]]、[[実業家]]、政治家(+ [[1949年]])
* [[1887年]] - [[春風亭柳好#3代目|春風亭柳好(3代目)]]、[[落語家]](+ [[1956年]])
* [[1889年]] - [[リューボフ・ポポーワ]]、[[美術家]]、画家(+ 1924年)
* [[1895年]] - [[船田中]]、政治家(+ [[1979年]])
* [[1896年]] - [[浜尾四郎]]、[[推理作家]](+ [[1935年]])
* [[1897年]] - [[ベンジャミン・ウォーフ]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1941年]])
* [[1899年]] - [[オスカー・ザリスキ]]、[[数学者]](+ [[1986年]])
* [[1903年]] - [[ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ]]、[[政治家]](+ [[1936年]])
* [[1904年]] - [[ウィレム・デ・クーニング]]、[[画家]](+ [[1997年]])
* [[1905年]] - [[小葉田淳]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[2001年]])
* [[1906年]] - [[ウィリアム・ジョイス]]、[[ファシスト]]、通称「ホーホー卿」(+ [[1946年]])
* [[1909年]] - [[松本清]]、[[実業家]]、政治家、[[マツモトキヨシ]]創業者(+ [[1973年]])
* 1909年 - [[青地晨]]、ジャーナリスト、[[評論家]](+ [[1984年]])
* [[1914年]] - [[武部本一郎]]、[[イラストレーター]]、[[絵物語]]作家(+ [[1980年]])
* [[1916年]] - [[ルー・テーズ]]、[[プロレスラー]](+ [[2002年]])
* [[1918年]] - [[津田文吾]]、政治家(+ [[2007年]])
* [[1919年]] - [[ヴォルフガング・パノフスキー]]、[[物理学者]](+ [[2007年]])
* [[1923年]] - [[松浦功]]、政治家(+ [[2002年]])
* [[1924年]] - [[中村栄]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1998年]])
* [[1925年]] - [[荻本伊三武]]、プロ野球選手
* [[1926年]] - [[中村徳次郎]]、元プロ野球選手
* [[1927年]] - [[神代辰巳]]、[[映画監督]](+ [[1995年]])
* [[1928年]] - [[ジョニー・グリフィン]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン]]奏者(+ [[2008年]])
* [[1929年]] - [[水城蘭子]]、[[俳優|女優]]、[[声優]](+ [[1997年]])
* 1929年 - [[樽井清一]]、元プロ野球選手(+ [[1995年]])
* [[1930年]] - [[リチャード・ドナー]]、映画監督
* 1930年 - [[ジョゼ・サルネイ]]、政治家、元[[ブラジル連邦共和国大統領|ブラジル大統領]]
* [[1932年]] - [[桂由美]]、ブライダル[[ファッションデザイナー]]
* [[1933年]] - [[服部公一]]、[[作曲家]]
* 1933年 - [[辛島昇]]、歴史学者(+ [[2015年]]<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S12088359.html|title=辛島昇さん死去|publisher=朝日新聞デジタル|date=2015-11-27|accessdate=2020-11-07}}</ref>)
* [[1934年]] - [[シャーリー・マクレーン]]、女優
* [[1935年]] - [[田中久寿男]]、元プロ野球選手(+ [[2001年]])
* 1935年 - [[黒木貞男]]、元プロ野球選手(+ [[1981年]])
* [[1936年]] - [[ジル・アイアランド]]、女優(+ [[1990年]])
* [[1937年]] - [[ジョー・ヘンダーソン]]、ジャズサクソフォーン奏者(+ 2001年)
* [[1939年]] - [[渋谷誠司]]、元プロ野球選手
* [[1940年]] - [[須田一政]]、[[写真家]]
* 1940年 - [[スー・グラフトン]]、[[推理作家]]
* 1940年 - [[矢尾板賢吉]]、[[漫画家]](+ [[2009年]])
* [[1941年]] - [[ジョン・ウィリアムス (ギタリスト)|ジョン・ウィリアムス]]、[[クラシック・ギター]]奏者
* 1941年 - [[リチャード・ホルブルック]]、外交官(+ [[2010年]])
* [[1942年]] - [[リチャード・N・ルボウ]]、[[国際政治学者]]
* 1942年 - [[バーブラ・ストライサンド]]、[[歌手]]、女優
* 1942年 - [[井上修 (捕手)|井上修]]、元プロ野球選手
* 1942年 - [[大崎隆雄]]、元プロ野球選手
* [[1944年]] - [[ビル・シンガー]]、元プロ野球選手
* 1944年 - [[トニー・ヴィスコンティ]]、音楽プロデューサー
* [[1946年]] - [[星野富弘]]、[[詩人]]、[[画家]]
* [[1947年]] - [[大野勢太郎]]、[[フリーアナウンサー]]
* 1947年 - [[山中正竹]]、元野球選手
* 1947年 - [[ロジャー・コーンバーグ]]、[[生化学|生化学者]]
* 1947年 - [[ジョセップ・ボレル]]、元[[欧州議会議長]]
* [[1948年]] - [[つかこうへい]]、[[劇作家]](+ [[2010年]])
* 1948年 - [[阿部知子]]、政治家、[[衆議院]]議員
* 1948年 - [[加藤英治]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[ジャン=ポール・ゴルチエ]]、[[ファッションデザイナー]]
* 1952年 - [[奥村健]]、ビリヤード選手
* [[1953年]] - [[エリック・ボゴシアン]]、[[俳優]]、[[小説家]]、[[劇作家]]
* [[1954年]] - [[金萬福]]、[[料理人]]([[広東料理]])、[[タレント]]
* 1954年 - [[井野修]]、プロ野球審判員
* [[1955年]] - [[嶋田久作]]、俳優
* 1955年 - [[堀尾正明]]、フリーアナウンサー
* 1955年 - [[海和俊宏]]、元[[アルペンスキー]]選手
* [[1956年]] - [[加藤久]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者
* [[1957年]] - [[蓬萊昭彦]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[河内淳一]]、[[ギタリスト]]、[[歌手]]、[[音楽プロデューサー]](元[[KUWATA BAND]])
* [[1959年]] - [[高橋ナオヒト]]、[[アニメ監督]]
* [[1960年]] - [[菊池正美]]、[[声優]]
* 1960年 - [[松井孝治]]、政治家
* [[1961年]] - [[戸塚哲也]]、元[[プロサッカー選手]]、サッカー指導者
* [[1962年]] - [[堀敏彦]]、[[アナウンサー]]、元[[タレント]]
* 1962年 - [[山咲千里]]、女優
* 1962年 - [[スチュアート・ピアース]]、元サッカー選手、指導者
* [[1963年]] - [[加藤誉昭]]、元プロ野球選手
* 1963年 - [[コージィ城倉]]、漫画家
* [[1964年]] - [[山本シュウ]]、[[ラジオパーソナリティ]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]
* 1964年 - [[ジャイモン・フンスー]]、ダンサー、ファッションモデル、俳優
* [[1965年]] - [[岸川勝也]]、元プロ野球選手
* 1965年 - [[マイケル・ブロワーズ]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[アレッサンドロ・コスタクルタ]]、元サッカー選手
* 1966年 - [[田島貴男]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ORIGINAL LOVE]])
* 1966年 - [[クリスティアン・テツラフ]]、[[ヴァイオリニスト]]
* [[1967年]] - [[オマー・ビスケル]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[石田雅彦]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[古賀いずみ]]、ミュージシャン([[カズン (歌手グループ)|カズン]])
* [[1968年]] - [[大鶴義丹]]、俳優
* 1968年 - [[永田裕志]]、[[プロレスラー]]
* 1968年 - [[ハシム・サチ]]、政治家、[[コソボの首相|コソボ共和国首相]]
* 1968年 - [[トッド・ジョーンズ]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[エイダン・ギレン]]、俳優
* [[1969年]] - [[加世田美智久]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[ダーヴィト・ティム]]、[[音楽家]]
* 1969年 - [[ロリー・マッキャン]]、俳優
* [[1970年]] - [[彩木美来]]、歌手、タレント
* 1970年 - [[吉元伸二]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[山口幸勇]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[村上てつや]]、ミュージシャン([[ゴスペラーズ]])
* 1971年 - [[田中広子]]、女優
* 1971年 - [[史城みき]]、女優
* 1971年 - [[松井薫]]、スポーツトレーナー
* [[1972年]] - [[チッパー・ジョーンズ]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[犬伏稔昌]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[戎信行]]、元プロ野球選手
* [[1973年]] - [[サチン・テンドルカール]]、[[クリケット]]選手
* 1973年 - [[カルロス・ミラバル]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[村田善則]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[宮ノ腰達也]]、バスケットボール選手
* 1974年 - [[関吉雅人]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[宮﨑一彰]]、元プロ野球選手、競輪選手
* 1975年 - [[友近聡朗]]、政治家
* 1975年 - [[浅井みどり]]、アナウンサー
* 1975年 - [[東まゆみ]]、漫画家
* [[1976年]] - [[スティーヴ・フィナン]]、サッカー選手
* 1976年 - [[フアン・マヌエル・ガラテ]]、[[自転車競技]]選手
* [[1977年]] - [[エリック・バルフォー]]、俳優
* 1977年 - [[カルロス・ベルトラン]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[Meg (ジャズシンガー)|meg]]、ジャズシンガー、元[[モデル (職業)|モデル]]、元女優
* [[1978年]] - [[岡山一成]]、元サッカー選手
* [[1979年]] - [[森ゆきえ]]、漫画家
* 1979年 - [[サンパ・ラユネン]]、ノルディック複合選手
* [[1980年]] - [[コシバKEN]]、総合[[司会]]([[ET-KING]])
* 1980年 - [[松本拓也 (野球)|松本拓也]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[田中マルクス闘莉王]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[山本梓]]、[[タレント]]
* 1981年 - [[中西悠子]]、元[[水泳選手]]
* 1981年 - [[テーラー・デント]]、テニス選手
* 1981年 - [[藤原祐規]]、声優
* [[1982年]] - [[イリーナ・チャシナ]]、元[[新体操]]選手
* 1982年 - [[ケリー・クラークソン]]、[[歌手]]
* [[1983年]] - [[湯浅直樹]]、アルペンスキー選手
* 1983年 - [[ハンナ・メルニチェンコ]]、陸上競技選手
* [[1984年]] - [[高橋マリ子]]、[[ファッションモデル]]
* 1984年 - [[福下恵美]]、女優、タレント([[BeForU]])
* 1984年 - [[中村和彦 (ミュージシャン)|中村和彦]]、ミュージシャン([[9mm Parabellum Bullet]])
* [[1985年]] - [[名塚佳織]]、声優
* 1985年 - [[グエン・トラン・フォク・アン]]、元野球選手
* [[1987年]] - [[野崎亜里沙]]、元タレント
* 1987年 - [[深川和那]]、元バレーボール選手
* 1987年 - [[ウェリントン・カスティーヨ]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[ジェフ・ウラウブ]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[ザーダール・タスキ]]、サッカー選手
* 1987年 - [[ヤン・フェルトンゲン]]、サッカー選手
* [[1988年]] - [[冨田康祐]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[MOCA (ベリーグッドマン)|MOCA]]([[ベリーグッドマン]])、歌手
* 1988年 - [[吉本一謙]]、元サッカー選手
* [[1989年]] - [[獣神サンダー・ライガー]]、プロレスラー(自己申告によるもの。[[山田恵一|正体といわれるレスラー]]とは別の日)
* 1989年 - [[荒張裕司]]、元プロ野球選手
* [[1990年]] - [[金子侑司]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[清水一希]]、俳優
* 1990年 - [[森茶]]、[[漫画家]]
* 1990年 - [[ヤン・ヴェセリー]]、バスケットボール選手
* [[1991年]] - [[クセニヤ・オゼロワ]]、 フィギュアスケート選手
* [[1992年]] - [[小林祐希]]、サッカー選手
* 1992年 - [[翔猿正也]]、大相撲力士
* [[1993年]] - [[新矢皐月]]、元[[アイドル]]
* 1993年 - [[本田圭佑 (野球)|本田圭佑]]、プロ野球選手
* [[1993年]] - [[上地結衣]]、車いすテニス選手
* [[1994年]] - [[辻空]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[宮沢氷魚]]、モデル、タレント、俳優
* 1994年 - [[ルーカス・フェルナンデス (1994年生のサッカー選手)|ルーカス・フェルナンデス]]、サッカー選手
* [[1995年]] - [[曽根海成]]、プロ野球選手
* 1995年 - ヨンミン、歌手([[BF (音楽グループ)|BF]])
* [[1996年]] - [[水谷拓磨]]、サッカー選手
* [[1997年]] - [[有村果夏]]、グラビアアイドル
* [[2002年]] - [[内星龍]]、プロ野球選手
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1850年]] - [[ウェストオーストラリアン (競走馬)|ウェストオーストラリアン]]、[[競走馬]](+ [[1870年]])
* [[1970年]] - [[ニットウチドリ]]、競走馬(+ [[1990年]])
* [[1973年]] - [[テイタニヤ]]、競走馬(+ [[1998年]])
* [[1975年]] - [[ファンタスト]]、競走馬(+ [[1978年]])
* [[1980年]] - [[カツラギエース]]、競走馬・[[種牡馬]](+ [[2000年]])
* [[1991年]] - [[シンコウキング]]、競走馬(+ [[2012年]])
* [[1992年]] - [[スキーキャプテン]]、競走馬
* [[1994年]] - [[マーベラスタイマー]]、競走馬(+ [[2020年]])
* [[1996年]] - [[ビハインドザマスク (競走馬)|ビハインドザマスク]]、競走馬(+ [[2012年]])
* 1996年 - [[ブゼンキャンドル]]、競走馬(+ [[2012年]])
* 1996年 - [[ミッキーダンス]]、競走馬(+ [[2002年]])
* [[2001年]] - [[カンパニー (競走馬)|カンパニー]]、競走馬(+ [[2018年]])
* 2001年 - [[ビッググラス]]、競走馬
* [[2004年]] - [[ピンクカメオ]]、競走馬(+ [[2022年]])
* [[2005年]] - [[ディープスカイ]]、競走馬
* [[2006年]] - [[アントニオバローズ]]、競走馬(+ [[2010年]])
== 忌日 ==
[[Image:Wien - Heldenplatz, Prinz-Eugen-Denkmal (2).JPG|thumb|upright|西洋近代最大の軍人とされる[[オイゲン・フォン・ザヴォイエン|プリンツ・オイゲン]](1663-1736)没]]
<!-- [[Image:Labille-Guiard%2C_Self-portrait_with_two_pupils.jpg|thumb|200px|肖像画家[[アデライド・ラビーユ=ギアール]](1749-1803)没。画像は自画像(1785)]] -->
<!-- [[Image:Kasinosaki0.jpg|thumb|200px|日本の灯台の父、建築家[[リチャード・ブラントン]](1841-1901)。画像は[[樫野埼灯台]](1870)]] -->
<!-- [[Image:Lucy_Maud_Montgomery_Se.JPG|thumb|180px|[[L・M・モンゴメリ]]()、]] お墓 -->
[[Image:LMM_signed_photo.jpg|thumb|140px|『[[赤毛のアン]]』の作者、[[L・M・モンゴメリ]](1874-1942)没。 {{Squote|人生には生きる価値があるわ、そこに笑いがある限り。――『[[アンの愛情]]』(1915)}}]]
<!--{{Squote|ねえマリラ、明日がまだなーんにも失敗のないまっさらな日だと考えたら、素敵じゃない?――『[[赤毛のアン]]』(1923)}} [[wikisource:en:Anne of Green Gables/Chapter XXI]] -->
[[Image:The Soviet Union 1964 CPA 3110 stamp (3-men Space Flight of Komarov, Yegorov and Feoktistov. Vladimir Komarov (1927-1967), a Soviet test pilot, aerospace engineer, and cosmonaut).jpg|thumb|140px|宇宙飛行士[[ウラジーミル・コマロフ]](1927-1967)、大気圏突入時にパラシュートが開かず落下死]]
<!-- [[Image:Alejocarpentier.jpg|thumb|upright|現代[[ラテンアメリカ文学]]の先駆者、[[アレホ・カルペンティエル]](1904-1980)]] -->
<!-- * [[1342年]] - [[ベネディクトゥス12世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス12世]]、第197代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1285年]]) 25日? 英語版にのみ24 Aprilとあるがinfoboxや他言語版は全て25となっています -->
* [[1583年]]([[天正]]11年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[塩屋秋貞]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[土豪]](* [[1521年]])
* [[1601年]]([[慶長]]6年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[毛利秀包]]、[[武将]](* [[1567年]])
* [[1636年]]([[寛永]]13年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[酒井忠世]]、[[江戸幕府]][[大老]](* [[1572年]])
* [[1736年]] - [[プリンツ・オイゲン]]、[[オーストリア]]の[[軍人]]・[[貴族]](* [[1663年]])
* [[1803年]] - [[アデライド・ラビーユ=ギアール]]、[[画家]](* [[1749年]])
* [[1891年]] - [[ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ|ヘルムート・フォン・モルトケ]]、軍人(* [[1800年]])
* [[1901年]] - [[リチャード・ブラントン]]、[[建築家]](* [[1841年]])
* [[1908年]] - [[津田仙]]、農学者、キリスト教学者、[[津田梅子]]の父(* [[1837年]])
* [[1924年]] - [[スタンレー・ホール]]、[[心理学者]](* [[1844年]])
* [[1940年]] - [[ファンニ・ブラーテ]]、[[画家]](* [[1861年]])
* [[1942年]] - [[L・M・モンゴメリ]]、小説家(* [[1874年]])
* [[1945年]] - [[ギュンター・リュッツオウ]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](* [[1912年]])
* 1945年 - [[パウル=ハインリヒ・デーネ]]、ドイツ空軍のエース・パイロット(* [[1921年]])
* [[1947年]] - [[ウィラ・キャザー]]、小説家(* [[1873年]])
* [[1960年]] - [[マックス・フォン・ラウエ]]、[[物理学者]](* [[1879年]])
* [[1964年]] - [[ゲルハルト・ドーマク]]、[[生化学|生化学者]](* [[1895年]])
* [[1966年]] - [[小穴隆一]]、[[画家]](* [[1894年]])
* [[1967年]] - [[ウラジーミル・コマロフ]]、[[宇宙飛行士]](* [[1927年]])
* [[1972年]] - [[安西正夫]]、[[実業家]](* [[1904年]])
* [[1973年]] - [[巽聖歌]]、[[童謡|童謡作家]](* [[1905年]])
* [[1979年]] - [[小畑実 (歌手)|小畑実]]、[[歌手]](* [[1923年]])
* [[1980年]] - [[アレホ・カルペンティエル]]、小説家(* [[1904年]])
* [[1982年]] - [[ビレ・リトラ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1896年]])
* 1982年 - [[ゼノ・ゼブロフスキー]]、[[修道士]](* [[1891年]])
* [[1983年]] - [[朝井閑右衛門]]、[[洋画家]](* [[1901年]])
* [[1984年]] - [[霧島昇]]、歌手(* [[1914年]])
* [[1986年]] - [[ウォリス・シンプソン]]、[[エドワード8世 (イギリス王)|ウィンザー公エドワード]]の妻(* [[1896年]])
* [[1991年]] - [[林正之助]]、[[吉本興業]]元[[会長]](* [[1899年]])
* [[1993年]] - [[オリバー・タンボ]]、[[アフリカ民族会議]]議長(* [[1917年]])
* [[1995年]] - [[村井秀夫]]、[[オウム真理教]]幹部(* [[1958年]])
* [[1997年]] - [[ユージン・ストーナー]]、[[銃器]]設計者(* [[1922年]])
* 1997年 - [[ダニエル・ホワイト]]、作曲家(* [[1912年]])
* [[2003年]] - [[御法川英文]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[衆議院議員]](* [[1936年]])
* [[2004年]] - [[エスティ・ローダー]]、実業家、[[エスティローダー]]創業者(* [[1906年]])
* [[2005年]] - [[費孝通]]、[[社会学者]]、[[人類学|人類学者]](* [[1910年]])
* [[2006年]] - [[ブライアン・ラボーン]]、[[サッカー]]選手(* [[1940年]])
* [[2009年]] - [[齋賀富美子]]、[[国際刑事裁判所]]判事(* [[1943年]])
* [[2011年]] - [[サティヤ・サイ・ババ]]、インドの霊能者(* [[1926年]])
* [[2012年]] - [[土田世紀]]、漫画家(* [[1969年]])
* [[2013年]] - [[長谷川一夫 (野球)|長谷川一夫]]、元[[プロ野球選手]](* [[1945年]])
* 2013年 - [[一色俊作]]、高校野球指導者(* [[1937年]])
* [[2014年]] - [[ハンス・ホライン]]、[[建築家]](* [[1934年]])
* [[2018年]] - [[森田童子]]、[[シンガーソングライター]](* [[1952年]])
* [[2019年]] - [[小出義雄]]<ref>{{Cite news|title=小出義雄さん死因は肺炎、家族が明かす/陸上|newspaper=サンケイスポーツ|date=2019-04-24|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20190424/ath19042420050018-n1.html|agency=産業経済新聞社|accessdate=2020-11-17}}</ref>、[[陸上競技]]指導者(* [[1939年]])
* [[2020年]] - [[岡本行夫]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202005070000789.html|title=外交評論家の岡本行夫さん死去 コロナウイルス感染|publisher=日刊スポーツ|date=2020-05-07|accessdate=2020-10-29}}</ref>、外交評論家(* [[1945年]])
* [[2021年]] - [[菊池俊輔]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2191950/full/|title=作曲家・菊池俊輔さん、誤嚥性肺炎で死去 89歳 『ドラえもんのうた』『仮面ライダー』など手掛ける|website=ORICON NEWS|date=2021-04-28|accessdate=2021-04-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/04/28/0014281409.shtml|title=作曲家の菊池俊輔氏が死去 89歳 ドラえもんのうた、タイガーマスクなど|website=週刊デイリー|date=2021-04-28|accessdate=2021-04-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASP4X4Q9LP4XUCVL00K.html|title=菊池俊輔さん死去「ドラえもん」や「暴れん坊将軍」作曲|website=朝日新聞デジタル|date=2021-04-28|accessdate=2021-04-28}}</ref>、[[作曲家]](* [[1931年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Tokyo_Yushun%28Japanese_Derby%2919320423.jpg|thumb|240px|第1回[[東京優駿|東京優駿大競走]]開催(1932)]]
* [[復活祭]]([[キリスト教]]、[[2011年]])
* 和平記念日({{NER}})
*: [[1995年]]のこの日、ニジェール政府と[[トゥアレグ|トゥアレグ人]]反政府勢力との間で和平合意がなされたことを記念。
* 民主化記念日({{NPL}})
*: [[2006年]]のこの日、[[ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ|ギャネンドラ]]国王が、前年から無期限解散していた下院を再開させると宣言したことを記念([[ロクタントラ・アンドラン]])。
* 虐殺の犠牲者の記念日({{ARM}})
*: [[1915年]]のこの日、トルコ・[[イスタンブール]]で250人の[[アルメニア人]]独立活動家が殺害され、1923年まで続く[[アルメニア人虐殺]]が始まったことを記念。
* 共和国記念日({{GMB}})
*: [[1970年]]のこの日、[[英連邦王国]]から共和制に移行したことを記念。
*{{仮リンク|中国航天日|zh|中国航天日}}({{PRC}})
*: [[2016年]]に、[[東方紅1号]]の打ち上げを記念して[[中華人民共和国国務院]]が制定。
* [[植物学]]の日・マキノの日({{JPN}})
*: 植物分類学者・[[牧野富太郎]]が[[文久]]2年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]](旧暦)に土佐国佐川村(現:高知県高岡郡[[佐川町]])で誕生したことを記念。
* 日本ダービー記念日({{JPN}})
*: [[1932年]]のこの日、[[目黒競馬場]]で日本初のダービーが開催されたことにちなむ。イギリスの[[ダービーステークス]]に倣って企画されたもので、<!-- 意味不明。誤記?→ エジンブで -->19頭が出走し一番人気の[[ワカタカ]]が優勝した。
* しぶしの日({{JPN}})
*: [[2006年]][[鹿児島県]]内の[[松山町 (鹿児島県)|松山町]]、[[志布志町]]、[[有明町 (鹿児島県)|有明町]]の合併により[[志布志市]]が制定。しぶしは、[[天智天皇]]が人々の志が篤いことを喜ばれて命名されたと言われている。日付の語呂合わせから記念日とした<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=137 |isbn=978-4422021140 }}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0424|date=2011年6月}}
* [[2009年]] - 常磐ソウゴと加古川飛流がいちご狩りのバスツアーに参加するが、スウォルツによる爆発事故に巻き込まれ、両者共に両親を失う(特撮テレビドラマ『[[仮面ライダージオウ]]』)<ref>{{Cite news|title=EP27「すべてのはじまり 2009」|newspaper=仮面ライダージオウ|date=2019-03-17|url=https://www.tv-asahi.co.jp/zi-o/story/?27|accessdate=2019-03-22}}{{出典無効|date=2022-10-30 |title=4月24日の記載無し。}} </ref>。
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1979年]] - 朝日奈雅臣、小説・ゲーム・アニメ『[[BROTHERS CONFLICT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bc-anime.com/contents/hp0005/index00040000.html |title=CHARACTER 長男・雅臣 |access-date=2022-10-30 |publisher=ウダジョ/エム・ツー/[[アスキー・メディアワークス]]/ブラコン製作委員会 |work=BROTHERS CONFLICT}}</ref>
* [[1981年]] - 宗像尚美、ゲーム『[[ときめきメモリアル#ゲームボーイ版『ときめきメモリアルPOCKET』|ときめきメモリアルPOCKET スポーツ編 〜校庭のフォトグラフ〜]]』に登場するヒロインのひとり
* [[1985年]] - 武誠治、ドラマ『[[フリーター、家を買う。]]』の主人公<ref>第一話の履歴書より</ref>
* [[2070年]] - エイルマット・P・タナトス、ゲーム『[[スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=68|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref>
* [[2079年]] - 司波達也、小説・アニメ『[[魔法科高校の劣等生]]』の主人公<ref>{{Twitter status|mahouka_anime|591509149474639873}}</ref>
* 2276年 - ビリー・カタギリ、アニメ・漫画『[[機動戦士ガンダム00]]』シリーズに登場するキャラクター
* 生年不明 - 守山美樹、漫画『[[GET LOVE!!〜フィールドの王子さま〜]]』の主人公
* 生年不明 - [[アイドルマスター_シンデレラガールズの登場人物#島村卯月|島村卯月]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』のメインヒロイン<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20084 |title=島村 卯月(しまむら うづき) |access-date=2022-10-30 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンク、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/03/nelliel.html |title=ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンク |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |accessdate=2022-10-30 |work=BLEACH.com}}</ref>
* 生年不明 - [[山本武 (家庭教師ヒットマンREBORN!)|山本武]]、漫画・アニメ『[[家庭教師ヒットマンREBORN!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|amano_akira_|723906435222892544}}</ref>
* 生年不明 - 小荒井登、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1385610675855183880}}</ref>
* 生年不明 - 朝霧夏美、漫画『[[彼女はデリケート!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 冴子、漫画・アニメ『[[スクールランブル]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ハクア・ド・ロット・ヘルミニウム(ハクア)、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=若木民喜|authorlink=若木民喜|year=2013|title=神のみぞ知るセカイ 神ヒロイン完全攻略ブック|page=146|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-124451-2}}</ref>
* 生年不明 - 六兎閨、漫画『[[いつわりびと◆空◆]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 因幡野白雪(鬼姫)、漫画『[[いつわりびと◆空◆]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 神崎康介、漫画・アニメ『[[ばらかもん]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 天宮椎菜、小説・アニメ『[[乃木坂春香の秘密]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://d-game.dengeki.com/haruka/psp/chara/index.html#shina |title=天宮椎菜 |access-date=2022-10-30 |work=乃木坂春香の秘密 同人誌はじめました |publisher=アスキー・メディアワークス}}</ref>
* 生年不明 - タリサ・マナンダル、小説・アニメ『[[マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 成海萌奈、小説・アニメ『[[告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://honeyworks.jp/special/#character |title=Character mona 成海 萌奈 |work=告白実行委員会 ~恋愛シリーズ~ |accessdate=2022-10-30 |publisher=HoneyWorks}}</ref>
* 生年不明 - 橋本正義、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/hashimoto.html |title=橋本正義 |accessdate=2022-10-30 |publisher=[[衣笠彰梧]]・KADOKAWA刊/ようこそ実力至上主義の教室へ製作委員会 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』}}</ref>
* 生年不明 - 神崎黎人、アニメ・漫画・小説『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sunrise-inc.co.jp/my-hime/web/character/chara/reito.html |title=神崎 黎人 |access-date=2022-10-30 |publisher=SUNRISE |work=[舞-HiME] 風華学園オフィシャルWeb}}</ref>
* 生年不明 - 月森蓮、ゲーム・漫画・アニメ『[[金色のコルダ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|neo_romance|856342107782434817}}</ref>
* 生年不明 - 御子柴莉織、ゲーム『[[Clover Heart's]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Twitter status|alcot_official|326905316912549888}}</ref>
* 生年不明 - 御子柴玲亜、ゲーム『Clover Heart's』に登場するキャラクター<ref name=":0" />
* 生年不明 - 相沢美綺、ゲーム『[[遥かに仰ぎ、麗しの]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 白石ゆとり、ゲーム『[[あかね色に染まる坂]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 朝日奈葵、ゲーム『[[ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 小泉真昼、ゲーム『[[スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 夢前春瑚、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130610_173471/ |title=【ガールフレンド(仮)通信55】ほんわか空想ガール 夢前春瑚ちゃん(CV:茅野愛衣) |access-date=2022-10-30 |publisher=ファミ通App}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#宮尾美也|宮尾美也]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30033 |title=宮尾 美也(みやお みや) |access-date=2022-10-30 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - シュティマ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=77&cate=name&cont=Stimma |title=シュティマ |access-date=2022-10-30 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - セフィル、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=89&cate=name&cont=Sefir |title=セフィル |access-date=2022-10-30 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 茅ヶ崎至、ゲーム『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=〔春組〕茅ヶ崎 至 |accessdate=2022-10-30 |publisher=LIBER |website=【公式】A3!(エースリー)}}</ref>
<!--
* [[1973年]] - 小宮山志保、ドラマ『[[警視庁捜査一課9係]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-05-14}}
2022年10月、2年半以上要出典のためコメントアウト
-->
=== 忌日(フィクション) ===
* [[1999年]] - 桜沢萌、漫画『[[パートナー (小花美穂の漫画)|パートナー]]』に登場するキャラクター(+[[1982年]])
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 24|24 April}}
{{新暦365日|4|23|4|25|[[3月24日]]|[[5月24日]]|[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]|0424|4|24}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8824%E6%97%A5 |
4,888 | 4月25日 |
4月25日(しがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から115日目(閏年では116日目)にあたり、年末まではあと250日ある。 | [
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'''4月25日'''(しがつにじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から115日目([[閏年]]では116日目)にあたり、年末まではあと250日ある。
== できごと ==
[[Image:AntokuTennou_Engi.7%268_Dannoura_Kassen.jpg|thumb|300px|[[壇ノ浦の戦い]](1185)、[[平氏]]が滅亡。画像は『安徳天皇縁起絵図』]]
[[Image:Pils rouget lisle chantant marseillaise mb (Musée).jpg|thumb|180px|後のフランス国歌、『[[ラ・マルセイエーズ]]』が作詞作曲される(1792)。{{Squote|市民らよ武器を取れ/軍隊を組織せよ/進め!進め!/敵の汚れた血で/田畑を満たすまで}}{{audio|La Marseillaise.ogg|聴く}}]]
[[Image:ElbeDay1945_%28NARA_ww2-121%29.jpg|thumb|180px|[[エルベの誓い]](1945)――第二次世界大戦でドイツに侵攻した米ソ両軍が邂逅]]
<!-- [[Image:ADN_animation.gif|thumb|180px|[[デオキシリボ核酸]]]] -->
<!-- [[Image:Roppongihills_overview.jpg|thumb|250px|[[六本木ヒルズ]]オープン(2003)]] -->
<!-- [[Image:Fukuchiyama_joko20051.jpg|thumb|180px|[[JR福知山線脱線事故]](2005)]] -->
* [[紀元前404年]] - [[アテネ]]が[[スパルタ]]に降伏し、[[ペロポネソス戦争]]が終結。
* [[799年]] - 暗殺されそうになった所を脱出したローマ教皇[[レオ3世 (ローマ教皇)|レオ3世]]が、フランク王カール1世([[カール大帝]])に保護を求める。
* [[1185年]]([[元暦]]2年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[壇ノ浦の戦い]]。[[平氏]]一門が滅亡。
* [[1582年]]([[天正]]10年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[甲州征伐]]: [[織田信忠]]が[[武田氏|武田家]]残党を匿った[[恵林寺]]を焼き討ち。[[快川紹喜]]らが焼死。
* [[1608年]]([[慶長]]13年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[征夷大将軍]]を辞した[[徳川家康]]が[[駿府城]]に移り住む。
* [[1644年]]([[崇禎]]17年/[[永昌 (李自成)|永昌]]元年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[李自成]]が率いる叛乱軍が北京を占領。[[崇禎帝]]が自害して[[明]]が滅亡。
* [[1719年]] - [[ダニエル・デフォー]]の『[[ロビンソン・クルーソー|ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険]]』が刊行。
* [[1783年]] - [[フランス]]の[[モンゴルフィエ兄弟]]が[[熱気球]]の実験に成功。<!-- ja,en,frに日付記載なし。『366日の事典 -今日の暦・歴史・話題・天候-』(東陽出版)に記載 -->
* [[1792年]] - [[ジョゼフ・ギヨタン]]の提案により「単なる機械装置の作用([[ギロチン]])」による死刑の執行がフランス国民議会で採択。
* 1792年 - フランス軍の工兵部隊大尉[[クロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リール|ルジェ・ド・リール]]がライン方面軍のための行進曲「[[ラ・マルセイエーズ]]」(後のフランス国歌)を完成。
* [[1846年]] - [[米墨戦争]]勃発。
* [[1858年]]([[安政]]5年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[廷臣八十八卿列参事件]]。
* [[1859年]] - [[スエズ運河]]が起工。
* [[1868年]]([[慶応]]4年/[[明治]]元年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - [[福澤諭吉]]が江戸鉄砲洲の英学塾を芝新銭座に移し[[慶應義塾]]に改称。
<!-- 旧暦(新暦5月17日)。ただし新暦であっても忌日節のみか * [[1868年]] - [[近藤勇]]斬首。 -->
<!-- 1888年の「市制及町村制」公布は4月17日。4月25日は官報掲載の日 -->
* [[1898年]] - [[スペイン]]領[[キューバ]]の独立を機に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]がスペインに宣戦布告。[[米西戦争]]が勃発。
* [[1915年]] - [[第一次世界大戦]]・[[ガリポリの戦い]]: 連合軍が[[ガリポリ半島]]に上陸。
* [[1919年]] - [[ドイツ]]・[[ヴァイマル]]に美術工藝学校「[[バウハウス]]」が開校。<!-- ja,en,deに日付記載なし。『今日のクロニクル』(朝日新聞社)に記載 -->
* [[1920年]] - ポーランド軍がウクライナに侵入し、[[ポーランド・ソビエト戦争]]が勃発。<!-- ja,en日付記載なし。1919-1921の戦争なのでこの日付の意味は?([[:en:Operation Kiev]]には日付がありますが、これを波蘇戦争勃発日としていいものなのか……?)『雑学366日 今日は何の日か事典』(大泉出版)に記載 -->
* [[1932年]] - [[朝鮮人民軍]]が創設される。
* [[1934年]] - [[新橋演舞場]]で[[吉本興業]]が特選[[漫才]]大会を開催。上方漫才が東京に初進出。
* [[1939年]] - この日発売の雑誌『[[DCコミックス|Detective Comics]]』27号で[[バットマン]]が初登場。
* [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: ドイツに進撃した米[[ソビエト連邦|ソ]]両軍がエルベ川で遭遇。([[エルベの誓い]])
* 1945年 - [[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]50か国代表が参加する[[サンフランシスコ会議]]が始まる。[[6月26日]]まで。
* 1945年 - [[イタリア社会共和国]]が崩壊。
* [[1947年]] - [[第23回衆議院議員総選挙]]、[[日本社会党|社会党]]が143議席で第一党。
* [[1953年]] - この日発行の『[[ネイチャー]]』誌に[[フランシス・クリック]]と[[ジェームズ・ワトソン]]の[[デオキシリボ核酸|DNA]]の二重らせん構造を発表する論文が掲載。
* [[1956年]] - [[昭和31年台風第3号|台風3号]]が[[大隅半島]]に上陸。これは、[[1951年]]の統計開始以降、台風の史上最も早い上陸である。
* [[1957年]] - 日本で「[[高速自動車国道法]]」公布。
* [[1958年]] - [[衆議院解散]]([[話し合い解散]])
* [[1959年]] - [[五大湖]]と[[大西洋]]を結ぶ[[セント・ローレンス運河]]が開通。
* [[1961年]] - [[大阪環状線]]が全線開通する。<ref>{{Cite book|和書|title=昭和―二万日の全記録 (第12巻) 安保と高度成長―昭和35年〜38年|date=5月24日|year=1990年|publisher=講談社|isbn=4061943626}}</ref>
* [[1962年]] - [[皇學館大学]]開学式が挙行される(神宮[[皇學館]]大學の再興、初代大学総長は[[吉田茂]])。
* [[1963年]] - [[大阪駅]]前に日本初の[[鋼鉄]]製[[横断歩道橋]]が完成。
* [[1968年]] - [[東名高速道路]]の最初の開業区間・[[東京インターチェンジ|東京]] - [[厚木インターチェンジ|厚木]]・[[富士インターチェンジ|富士]] - [[静岡インターチェンジ|静岡]]・[[岡崎インターチェンジ|岡崎]] - [[小牧インターチェンジ|小牧]]が開通。
<!-- * [[1969年]] - [[東海道新幹線]]に[[三島駅]]を新設。 -->
<!-- [[ソユーズ10号]]によれば「ドッキングに成功」はしていない。* [[1971年]] - ソ連の「[[ソユーズ10号]]」が宇宙ステーション「[[サリュート1号]]」との実験ドッキングに成功。 -->
<!-- * [[1971年]] - [[小柳ルミ子]]が[[シングル]]『[[わたしの城下町]]』で[[演歌歌手]]デビュー。 -->
* [[1973年]] - [[全農林警職法事件]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]][[大法廷]]判決。[[全逓東京中郵事件]]の[[判例]]を変更。
* 1973年 - ボードゲームの[[オセロ (ボードゲーム)|オセロ]]が発売される。
* [[1974年]] - [[カーネーション革命]]: [[ポルトガル]]で国軍運動(MFA)が軍事クーデターを起こし、市内の要所を占拠。[[マルセロ・カエターノ]]首相が国軍運動に政権を移譲し[[エスタド・ノヴォ]]が終焉。
* [[1980年]] - [[一億円拾得事件]]([[11月9日]]に拾い主の物となる)。
* 1980年 - 日本政府が[[日本オリンピック委員会]] (JOC) に、[[モスクワオリンピック]]に参加しないよう通告。
* [[1982年]] - [[イスラエル]]が、15年間占領していた[[シナイ半島]]を[[エジプト]]に全面返還。
* [[1986年]] - [[ムスワティ3世]]が[[スワジランド]]国王に即位。
* [[1987年]] - [[テレビ朝日]]系[[討論番組]]『[[朝まで生テレビ!]]』が放送開始。
* [[1988年]] - イスラエル下級裁が、元ナチス・ドイツ強制収容所の看守[[ジョン・デミャニュク]]が収容所で残虐行為をしていたとして死刑判決。
* [[1989年]] - [[竹下登]][[内閣総理大臣]]が[[リクルート事件]]よる政治不信の責任を取って予算成立後の辞任を表明。
<!-- 忌日節への記載のみで十分では? * [[1992年]] - シンガーソングライターの[[尾崎豊]]が[[肺水腫]]のため、亡くなる。 -->
* [[1994年]] - [[細川内閣|細川護煕内閣]]が在任260日で[[内閣総辞職|総辞職]]。
* [[2002年]] - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]で「ゲームソフトは[[著作権法]]上の[[映画の著作物]]に該当するが、その頒布権は消滅するので中古品売買は自由に行うことが出来る」とする判決が下される。
* [[2003年]] - [[六本木ヒルズ]]が開業。
* [[2005年]] - [[兵庫県]][[尼崎市]]の[[福知山線|福知山線(JR宝塚線)]]で脱線事故が発生([[JR福知山線脱線事故]])。死者107名(運転士1名含む)、負傷者562名の大惨事に。
* 2005年 - [[千葉県]][[市原市]]の[[ファミリーレストラン]]の店内で[[暴力団]]員が[[拳銃]]を発砲し、2名が死亡。([[ファミレス2人射殺事件]])
* [[2007年]] - 日本の小惑星探査機「[[はやぶさ (探査機)|はやぶさ]]」が、小惑星「[[イトカワ (小惑星)|イトカワ]]」から地球への帰還のための本格巡航運転を開始。
<!-- 「4月25日」に特記すべき情報ですか? * [[2009年]] - [[松井一郎]]ら府議6名が[[自由民主党 (日本)|自民党]][[会派]]を離脱し、新会派「自由民主党・維新の会」を設立。 -->
<!-- 「4月25日」に特記すべき情報ですか? * [[2013年]] - [[兵庫県]]山の原ゴルフクラブで行われた[[つるやオープンゴルフトーナメント]]で、[[尾崎将司]]が日本の男子レギュラーツアーで史上初の[[エージシュート]]を達成する。 -->
* [[2015年]] - [[ネパール地震 (2015年)|ネパール地震]]。[[ネパール]]の首都[[カトマンズ]]にて[[マグニチュード]]7.8を記録する[[巨大地震|大地震]]が発生<ref>{{Cite web|和書|date=2015-04-26 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25HDF_V20C15A4CR8000/ |title=ネパールでM7.8、死者1100人超 インドや中国も被害 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-05-02}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Louis_IX.jpg|thumb|100px|フランス王、「聖王」[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]](1214-1270)誕生]]
[[Image:EdwardII-Cassell.jpg|thumb|100px|イングランド王[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]](1284-1327)誕生。「[[プリンス・オブ・ウェールズ]]」の称号を初めて授けられた]]
<!-- [[Image:Princess_Alice_in_wedding_dress_cropped.jpg|thumb|100px|ヘッセン大公妃[[アリス (ヘッセン大公妃)|]](1843-1878)。[[フローレンス・ナイチンゲール]]の弟子として福祉・医療に貢献]] -->
[[Image:KingNU.jpg|thumb|100px|[[タイ王国|タイ]]の[[アユタヤー王朝]]21代王、[[ナレースワン]](1555-1605)誕生。救国の英雄にして、[[ムエタイ]]の創始者ともされる]]
[[Image:Oliver_Cromwell_by_Samuel_Cooper.jpg|thumb|upright|[[清教徒革命]]の指導者、[[オリバー・クロムウェル]](1599-1658)]]
[[Image:Guglielmo_Marconi.jpg|thumb|100px|[[無線通信]]を実用化した発明家、[[グリエルモ・マルコーニ]](1874-1937)]]
[[Image:Wolfgang_Pauli_ETH-Bib_Portr_01042.jpg|thumb|100px|[[パウリの排他律]]を発見した物理学者、[[ヴォルフガング・パウリ]](1900-1958)]]
<!-- [[Image:Naoshima03.jpg|thumb|upright|原色の多用で知られた[[現代美術]]家、[[カレル・アペル]](1921-2006)。画像は『蛙と猫』]] -->
* [[32年]] - [[オト]]{{要出典|date=2021-03}}、[[ローマ皇帝]](+ [[69年]])
* [[1214年]] - [[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Louis-IX Louis IX king of France] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[フランス王国|フランス]]王(+ [[1270年]])
* [[1228年]] - [[コンラート4世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート4世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1254年]])
* [[1284年]] - [[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(+ [[1327年]])
* [[1599年]] - [[オリバー・クロムウェル]]、[[イギリス]][[護国卿]](+ [[1658年]])
* [[1657年]] - [[テケリ・イムレ]]、[[政治家]]、[[反乱]]指導者(+ [[1705年]])
* [[1719年]]([[享保]]4年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[井伊直陽]]、[[越後国]][[与板藩]]第2代[[藩主]](+ [[1732年]])
* [[1767年]] - [[ニコラ・ウディノ]]、[[軍人]](+ [[1847年]])
* [[1781年]]([[天明]]元年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[藤堂高兌]]、[[伊勢国]][[津藩]]第10代[[藩主]](+ [[1825年]])
* [[1813年]]([[文化 (元号)|文化]]10年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[奥平昌猷]]、[[豊前国]][[中津藩]]第7代[[藩主]](+ [[1842年]])
* [[1824年]] - [[ギュスターヴ・ブーランジェ]]、[[画家]](+ [[1888年]])
* [[1843年]] - [[アリス (ヘッセン大公妃)|アリス・モード・メアリ]]、ヘッセン大公妃(+ [[1878年]])
* [[1849年]] - [[フェリックス・クライン]]、[[数学者]](+ [[1925年]])
* [[1850年]] - [[ルイーゼ・アドルファ・ル・ボー]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1927年]])
* [[1873年]] - [[ウォルター・デ・ラ・メア]]、[[小説家]]、[[詩人]](+ [[1956年]])
* [[1874年]] - [[グリエルモ・マルコーニ]]、[[科学者]](+ [[1937年]])
* [[1883年]] - [[鳥潟右一]]、[[通信工学|通信工学者]](+ [[1923年]])
* 1883年 - [[セミョーン・ブジョーンヌイ]]、軍人(+ [[1973年]])
* [[1884年]] - [[田村俊子]]、[[小説家]](+ [[1945年]])
* [[1885年]] - [[古賀峯一]]、[[大日本帝国|日本海軍]][[元帥]](+ [[1944年]])<!-- [[古賀峯一]]は9/25とするも[https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E8%B3%80%E5%B3%AF%E4%B8%80-63591 デジタル版日本人名大辞典+Plus]は4/25とあります。[[古賀峯一]]の方が誤り? -->
* [[1888年]] - [[宮城長順]]、[[空手家]](+ [[1953年]])
* [[1894年]] - [[森赳]]、軍人(+ 1945年)
* [[1898年]] - [[清元志寿太夫]]、[[清元節]][[太夫]](+ [[1999年]])
* [[1900年]] - [[ヴォルフガング・パウリ]]、[[物理学者]](+ [[1958年]])
* [[1901年]] - [[高橋掬太郎]]、[[作詞家]](+ [[1970年]])
* 1901年 - [[竹山祐太郎]]、[[政治家]](+ [[1982年]])
* 1901年 - [[ヴラディーミル・ソフロニツキー]]、[[ピアニスト]](+ [[1961年]])
* [[1903年]] - [[アンドレイ・コルモゴロフ]]、数学者(+ [[1987年]])
* [[1905年]] - [[松本克平 (俳優)|松本克平]]、[[俳優]](+ [[1995年]])
* [[1907年]] - [[安井郁]]、[[国際法学者]](+ [[1980年]])
* 1907年 - [[巽フサ]]、日本の[[長寿]]者(+ [[2023年]])
* [[1908年]] - [[木下繁 (彫刻家)|木下繁]]、[[彫刻家]](+ [[1988年]])
* 1908年 - [[エドワード・R・マロー]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1965年]])
* [[1909年]] - [[土橋治重]]、詩人、[[作家]](+ [[1993年]])
* [[1911年]] - [[川村徳久]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1944年]]<ref>[http://takarazuka.yumekandou.net/index3.htm タカラヅカ☆キラキラ人脈(昭和元年〜5年)]</ref>)
* [[1917年]] - [[鬼頭数雄]]、元プロ野球選手(+ 1944年)
* 1917年 - [[エラ・フィッツジェラルド]]、[[ジャズ]]歌手(+ [[1996年]])
* 1917年 - [[岡田福吉]]、プロ野球選手(+ 1944年)
* [[1918年]] - [[アストリッド・ヴァルナイ]]、[[ソプラノ]]歌手(+ [[2006年]])
* [[1920年]] - [[西本幸雄]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]](+ [[2011年]])
* 1920年 - [[河西俊雄]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]])
* [[1921年]] - [[カレル・アペル]]、画家(+ [[2006年]])
* 1921年 - [[松井信勝]]、元プロ野球選手
* [[1922年]] - [[三浦綾子]]、小説家(+ [[1999年]])
* 1922年 - [[岩井章]]、[[労働運動家]](+ [[1997年]])
* [[1923年]] - [[アルバート・キング]]、[[ブルース]][[ミュージシャン]](+ [[1992年]])
* [[1924年]] - [[天保義夫]]、元プロ野球選手(+ [[1999年]])
* [[1925年]] - [[富永一朗]]、[[漫画家]](+ [[2021年]])
* [[1927年]] - [[和中道男]]、元プロ野球選手(+ [[1990年]])
* [[1928年]] - [[サイ・トゥオンブリー]]、画家、[[彫刻家]](+ [[2011年]])
* [[1929年]] - [[岩垂寿喜男]]、政治家(+ [[2001年]])
* [[1930年]] - [[ポール・マザースキー]]、[[映画監督]]、俳優(+ [[2014年]])
* [[1931年]] - [[寺田瀧雄]]、[[宝塚歌劇団]]の作曲家(+ [[2000年]])
* [[1933年]] - [[丸山圭三郎]]、[[言語学者の一覧|言語学者]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1993年]])
* 1933年 - [[小林陽太郎]]、[[実業家]](+ [[2015年]])
* [[1934年]] - [[宇能鴻一郎]]、小説家
* 1934年 - [[古川啓三]]、元プロ野球選手(+ [[1984年]])
* 1934年 - [[鵜飼昭雪]]、元プロ野球選手
* [[1935年]] - [[増田浩]]、元プロ野球選手
* 1935年 - [[岡本芳信]]、元プロ野球選手
* [[1936年]] - [[太田淑子]]、[[声優|声優(+ 2021年)]]
* 1936年 - [[和泉宗章]]、[[占い師]](+ [[2001年]])
* 1936年 - [[十時啓視]]、元プロ野球選手(+ [[2001年]])
* 1936年 - [[レオネル・サンチェス]]、元サッカー選手(+ [[2022年]])
* [[1939年]] - [[木村勝男 (野球)|木村勝男]]、元プロ野球選手
* [[1940年]] - [[アル・パチーノ]]、俳優
* [[1941年]] - [[ベルトラン・タヴェルニエ]]、映画監督(+ 2021年)
* [[1942年]] - [[外村彰]]、物理学者(+ [[2012年]])
* 1942年 - [[ミスター・ヒト]]、[[プロレスラー]](+ [[2010年]])
* [[1943年]] - [[山岡賢次]]、政治家
* [[1945年]] - [[渡辺典子 (童謡歌手)|渡辺典子]]、[[童謡歌手]](+ [[1992年]])
* 1945年 - [[ビョルン・ウルヴァース]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ABBA]])
* [[1946年]] - [[吉田填一郎]]、[[アナウンサー]]
* 1946年 - [[上原きみ子]]、漫画家
* 1946年 - [[十勝花子]]、[[タレント]]、[[俳優|女優]](+ [[2016年]])
* 1946年 - [[タリア・シャイア]]、女優
* 1946年 - [[ウラジーミル・ジリノフスキー]]、政治家(+ [[2022年]])
* [[1947年]] - [[旭國斗雄]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄2代[[大島 (相撲)|大島]]
* 1947年 - [[ヨハン・クライフ]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者(+ [[2016年]])
* 1947年 - [[安田猛 (野球)|安田猛]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]])
* 1947年 - [[長谷百合子]]、政治家(+ [[2019年]])
* [[1948年]] - [[柳済斗]]、元[[プロボクサー]]
* 1948年 - [[千葉剛]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[渡辺勉 (野球)|渡辺勉]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]])
* [[1950年]] - 五代目[[坂東玉三郎 (5代目)|坂東玉三郎]]、[[歌舞伎]][[俳優]]
* [[1951年]] - [[滝浪隆雄]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[鳥羽一郎]]、[[歌手]]
* 1952年 - [[里見まさと]]、[[漫才師]]
* [[1953年]] - [[古賀敬章]]、政治家
* 1953年 - [[ロン・クレメンツ]]、[[アニメ監督]]
* [[1954年]] - [[ブーマー・ウェルズ]]、元プロ野球選手
* [[1957年]] - [[李国秀]]、元サッカー選手、指導者
* [[1958年]] - [[栃司哲史]]、元大相撲力士
* 1958年 - [[嶋聡]]、政治家
* [[1959年]] - [[梅沢義勝]]、元プロ野球選手
* 1959年 - [[松本剛明]]、政治家
* [[1960年]] - [[苣木寛之]]、ミュージシャン([[THE MODS]])
* [[1961年]] - [[長谷川裕一]]、漫画家
* 1961年 - [[長谷部真理子]]、[[アナウンサー]]、キャスター
* 1961年 - [[まるたまり]]、声優、歌手
* [[1962年]] - [[倉知淳]]、[[推理作家]]
* [[1963年]] - [[芦奈野ひとし]]、漫画家
* 1963年 - [[池本小百合]]、声優
* 1963年 - [[大和邦久]]、[[シンガーソングライター]]
* 1963年 - [[デイヴィッド・モイーズ]]、元サッカー選手、指導者
* [[1965年]] - [[や乃えいじ]]、俳優、声優
* [[1966年]] - [[豊田順子]]、アナウンサー
* [[1967年]] - [[児島未散]]、歌手、女優
* 1967年 - [[田原伸吾]]、[[野球選手]]
* [[1969年]] - [[レネー・ゼルウィガー]]、女優
* 1969年 - [[ENGIN#9]]、プロHIP-HOPダンサー
* [[1970年]] - [[鶴田真由]]、女優
* 1970年 - [[川上とも子]]、[[声優]](+ [[2011年]])
* 1970年 - [[ジェイソン・リー]]、俳優
* [[1972年]] - [[マイカ・フランクリン]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[鈴木おさむ]]、[[放送作家]]
* [[1973年]] - [[柴山延子]]、アナウンサー
<!-- 特筆性は? * 1973年 - [[徳永清孝]]、日本テレビディレクター -->
* 1973年 - [[久保孝之]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[鈴木崇司]]、アナウンサー
* [[1976年]] - [[ティム・ダンカン]]、元[[バスケットボール]]選手
* 1976年 - [[ジウベルト・ダ・シウバ・メロ]]、元サッカー選手
* 1976年 - 山本吉貴、お笑いタレント(元[[チャイルドマシーン]])
* [[1977年]] - [[三木肇]]、元プロ野球選手、監督
* [[1978年]] - [[北川愛里|山田愛里]]、元アナウンサー
<!-- 特筆性は? * 1978年 - フミ、[[ベーシスト]]([[POLYSICS]]) -->
* 1978年 - [[矢野諭]]、元プロ野球選手
* [[1979年]] - [[東辰弥]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[酒井泰志]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[横尾初喜]]、映画監督
* [[1980年]] - [[多田野数人]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[郷本直也]]、俳優
* 1980年 - [[森永理科]]、声優
* 1980年 - [[宮澤寿梨]]、女優、タレント
* 1980年 - [[アレハンドロ・バルベルデ]]、[[自転車競技]]選手
* [[1981年]] - [[フェリペ・マッサ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー
* 1981年 - [[アニヤ・パーション]]、[[アルペンスキー]]選手
* [[1982年]] - [[黄俊中]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[J.P.ハウエル]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[ホアン・ミランダ]]、プロ野球選手
* [[1984年]] - [[井上佳奈]]、ミュージカル俳優
* [[1985年]] - [[みやぞん]]、お笑い芸人([[ANZEN漫才]])
* [[1986年]] - [[川村あんな]]、元[[グラビアアイドル]]
* 1986年 - [[ライス・エンボリ]]、サッカー選手
* 1986年 - [[大原由子]]、[[競艇選手]]
* [[1987年]] - [[鶴直人]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[本田有花]]、女優(元[[美少女クラブ31]])
* 1987年 - [[アレクサンドル・ウスペンスキー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1987年 - [[ギド・ヴァン・デル・ガルデ]]、F1レーサー
* 1987年 - [[パク・ジェボム]]、実業家、歌手、元アイドル([[2PM]])
* [[1988年]] - [[石坂友里]]、[[ファッションモデル]]
* 1988年 - [[ラウラ・レピスト]]、フィギュアスケート選手
* 1988年 - [[荒木郁也]]、元プロ野球選手
* [[1989年]] - [[関金林]]、フィギュアスケート選手
* 1989年 - [[セーレン・ボバック]]、[[オリエンテーリング]]選手
* [[1990年]] - [[高橋悠馬 (サッカー選手)|高橋悠馬]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ジャン=エリック・ベルニュ]]、F1レーサー
* [[1992年]] - [[池田恭祐]]、[[俳優]]、[[声優]]
* [[1993年]] - [[ガブリェラ・チェルマノヴァー]]、フィギュアスケート選手
* 1993年 - [[ラファエル・ヴァラーヌ]]、サッカー選手
* [[1994年]] - [[エレーナ・イリニフ]]、フィギュアスケート選手
* 1994年 - [[福緒唯]]、声優
* 1994年 - [[コディ・ポンセ]]、プロ野球選手
* [[1996年]] - [[前田佳織里]]、声優
* [[1997年]] - [[綾部翔]]、元プロ野球選手
* 1997年 - [[小田えりな]]、アイドル([[AKB48]])
* [[1998年]] - [[荒井麻珠]]、歌手(元[[Little Glee Monster]])
* 1998年 - [[郡拓也]]、プロ野球選手
* [[2002年]] - [[細川凌平]]、プロ野球選手
* 2002年 - [[天咲光由]]、プロレスラー
* [[2003年]] - [[福島蓮]]、プロ野球選手
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1980年]] - [[ギャロップダイナ]]、[[競走馬]](+ [[2006年]])
* [[1989年]] - [[ミホノブルボン]]、[[競走馬]](+ [[2017年]])
== 忌日 ==
[[Image:Emperor_Antoku.jpg|thumb|200px|[[安徳天皇]](1178-1185)、[[壇ノ浦の戦い]]で入水。{{Squote|そののち西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、[[平時子|二位殿]]やがて抱き参らせて、「波の底にも都の候ふぞ」と慰め参らせて、千尋の底にぞ沈み給ふ。――『[[平家物語]]』「先帝身投」}}]]<!-- 訳した方がいいものか? -->
[[Image:Santa_Maria_Novella.jpg|thumb|180px|[[ルネサンス]]の典型的万能人、[[レオン・バッティスタ・アルベルティ]](1404-1472)。画像はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会]]
<!-- [[Image:Fran%C3%A7ois_Clouet_002.jpg|thumb|upright|[[アンリ2世 (フランス王)|]]の愛妾、[[ディアーヌ・ド・ポワチエ]](1499-1566)没]] -->
[[Image:Torquato_Tasso.jpg|thumb|100px|[[トルクァート・タッソ]](1493-1569)。代表作『[[解放されたエルサレム]]』(1575)]]
[[Image:Beijing_Jingshan_Park.JPG|thumb|upright|[[明]]最後の皇帝[[崇禎帝]](1611-1644)、[[李自成]]に攻められ自害]]
<!-- [[Image:Yaoya_Oshichi_by_Utagawa_Kuniteru_1867.jpg|thumb|160px|[[八百屋お七]](1668?-1683)、放火の罪で火刑に]] -->
[[Image:Simeon_Poisson.jpg|thumb|100px|[[ポアソン分布]]・[[ポアソン方程式]]などで知られる数学者、[[シメオン・ドニ・ポアソン]](1781-1840)]]
<!-- [[Image:Tanzan_Ishibashi_2.jpg|thumb|upright|第55代日本国内閣総理大臣、[[石橋湛山]](1884-1973)]] -->
* [[766年]]([[天平神護]]2年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[藤原真楯]]、[[公卿]](* [[715年]])
* [[783年]]([[延暦]]2年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[藤原田麻呂]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[722年]])
* [[1181年]]([[養和]]元年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[義円]]、[[僧]]、[[武将]](* [[1155年]])
* [[1185年]]([[元暦]]2年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[平経盛]]、武将(* [[1125年]])
* 1185年(元暦2年3月24日) - [[平教盛]]、武将(* [[1128年]])
* 1185年(元暦2年3月24日) - [[平時子]]、[[平清盛]]の妻、安徳天皇の祖母(* [[1126年]])
* 1185年(元暦2年3月24日) - [[平知盛]]、武将・平清盛の子(* [[1152年]])
* 1185年(元暦2年3月24日) - [[平教経]]、武将(* [[1160年]])
* 1185年(元暦2年3月24日) - [[平資盛]]、武将(* [[1161年]])
* 1185年(元暦2年3月24日) - [[平有盛]]、武将(* [[1164年]])
* 1185年(元暦2年3月24日) - [[平行盛]]、武将(生年不詳)
* 1185年(元暦2年3月24日) - [[安徳天皇]]<ref>{{Kotobank|安徳天皇}}</ref>、第81代[[天皇]](* [[1178年]])
* [[1295年]] - [[サンチョ4世 (カスティーリャ王)|サンチョ4世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](* [[1257年]])
* [[1342年]] - [[ベネディクトゥス12世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス12世]]、[[ローマ教皇]](* [[1285年]])
* [[1351年]] - [[二条藤子]]、女房・歌人・[[後醍醐天皇]]側室(生年不詳)
* [[1472年]] - [[レオン・バッティスタ・アルベルティ]]、[[芸術家]]、[[詩人]]、[[哲学|哲学者]](* [[1404年]])
* [[1566年]] - [[ディアーヌ・ド・ポワチエ]]、[[フランス王国|フランス王]][[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の[[妾|愛妾]](* [[1499年]])
* 1566年 - [[ルイーズ・ラベ]]、詩人(* [[1525年]])
* [[1581年]]([[天正]]9年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[岡部元信]]、[[武将|戦国武将]](* [[1543年]])
* [[1582年]]([[天正]]10年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[快川紹喜]]、僧(* [[1502年]])
* [[1595年]] - [[トルクァート・タッソ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Torquato-Tasso-Italian-poet Torquato Tasso Italian poet] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、詩人(* [[1544年]])
* [[1605年]] - [[ナレースワン]]、[[タイ王国|シャム王]](* [[1555年]])
* [[1644年]]([[崇禎]]17年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[崇禎帝]]、第17代[[明]][[皇帝]](* [[1611年]])
* [[1683年]]([[天和 (日本)|天和]]3年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[八百屋お七]]、[[放火]]未遂犯(* [[1668年]]?)
* [[1744年]] - [[アンデルス・セルシウス]]、[[物理学者]]、[[セルシウス度]]考案者(* [[1701年]])
* [[1758年]]([[宝暦]]8年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[佐竹義明]]、第7代[[久保田藩|久保田藩主]](* [[1723年]])
* [[1827年]]([[文政]]10年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[大槻玄沢]]、[[蘭学者]](* [[1757年]])
* [[1836年]]([[天保]]7年3月10日) - [[伊達村寿]]、第6代[[宇和島藩|宇和島藩主]](* [[1763年]]?)
* [[1840年]] - [[シメオン・ドニ・ポアソン]]、[[数学者]]、物理学者(* [[1781年]])
<!-- 旧暦--* [[1868年]] - [[近藤勇]]、[[新選組]]局長(* [[1834年]])-->
* [[1878年]] - [[アンナ・シュウエル]]、[[小説家]](* [[1820年]])
* [[1882年]] - [[カール・フリードリッヒ・ツェルナー]]、[[物理学者]]、[[天文学者]](* [[1834年]])
* [[1911年]] - [[エミリオ・サルガーリ]]、小説家(* [[1862年]])
* [[1915年]] - [[フレデリック・ウィリアム・スワード]]、第6代[[アメリカ合衆国国務次官補]](* [[1830年]])
* [[1926年]] - [[純宗 (朝鮮王)|純宗]]、[[大韓帝国|大韓]][[皇帝]](* [[1874年]])
* [[1928年]] - [[ピョートル・ヴラーンゲリ]]、[[ロシア内戦]]時の[[白衛軍]]司令官(* [[1878年]])
* [[1929年]] - 6代目[[林家正蔵]]、[[落語家]](* [[1887年]])
* [[1943年]] - [[武田惣角]]、[[武術|武術家]](* [[1859年]])
* [[1944年]] - [[トニー・マレーン]]、元プロ野球選手(* [[1859年]])
* [[1945年]] - [[日名子実三]]、[[彫刻家]](* [[1892年]])
* [[1946年]] - [[岩波茂雄]]、[[岩波書店]]創業者(* [[1881年]])
* [[1960年]] - [[中島久万吉]]、[[商工省|商工大臣]]、[[実業家]](* [[1873年]])
* [[1968年]] - [[ジョン・テュークスベリー]]、[[陸上競技]]選手(* [[1876年]])
* [[1972年]] - [[ジョージ・サンダース]]、[[俳優]](* [[1906年]])
* [[1973年]] - [[石橋湛山]]、政治家、第55代[[内閣総理大臣]](* [[1884年]])
* [[1975年]] - [[君島一郎 (銀行家)|君島一郎]]、[[朝鮮銀行]]副総裁、野球研究者(* [[1887年]])
* [[1976年]] - [[キャロル・リード]]、[[映画監督]](* [[1906年]])
* 1976年 - [[アレクサンダー・ブライロフスキー]]、[[ピアニスト]](* [[1896年]])
* [[1977年]] - [[メーライ=ホルヴァート・ジョーフィア]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1889年]])
* [[1978年]] - [[東郷青児]]、[[画家]](* [[1897年]])
* [[1980年]] - [[カタリーナ・マン]]、作家[[トーマス・マン]]の妻(* [[1883年]])
* [[1983年]] - [[伊藤久男]]、[[歌手]](* [[1910年]])
* [[1984年]] - [[林達夫]]、[[評論家]](* [[1896年]])
* [[1988年]] - [[クリフォード・D・シマック]]、[[SF作家]](* [[1904年]])
* [[1990年]] - [[デクスター・ゴードン]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン]]奏者(* [[1923年]])
* [[1991年]] - [[藤田信男]]、[[野球選手]](* [[1903年]])
* [[1992年]] - [[尾崎豊]]、[[シンガーソングライター]](* [[1965年]])
* [[1995年]] - [[ジンジャー・ロジャース]]、女優(* [[1911年]])
* [[1996年]] - [[ソール・バス]]、[[グラフィックデザイナー]](* [[1920年]])
* [[1997年]] - [[バーナード・ヴォネガット]]、[[気象学者]](* [[1914年]])
* [[1999年]] - 第3代[[キラニン男爵]][[マイケル・モリス (第3代キラニン男爵)|マイケル・モリス]]、第6代[[国際オリンピック委員会]]委員長(* [[1914年]])
* [[2001年]] - [[ミケーレ・アルボレート]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1956年]])<!-- [[ミケーレ・アルボレート]]は4/26としていますが他の言語版は4/25 -->
* [[2004年]] - [[三塚博]]、[[政治家]](* [[1927年]])
* [[2005年]] - [[小林ハル]]、[[長岡市|長岡]][[瞽女]](* [[1900年]])
* 2005年 - [[安部英]]、[[医師]](* [[1916年]])
* 2005年 - [[雑賀陽平]]、[[漫画家]](* [[1950年]])
* [[2006年]] - [[ジェイン・ジェイコブズ]]、[[都市計画家]]、[[ジャーナリスト]](* [[1916年]])
* 2006年 - [[川崎徳次]]、元[[プロ野球選手]](* [[1921年]])
* [[2010年]] - [[アラン・シリトー]]、[[著作家]](* [[1928年]])
* 2010年 - [[西条満 (振付師)|西条満]]、[[振付師]](* [[1938年]])
* [[2011年]] - [[田中実 (俳優)|田中実]]、[[俳優]](* [[1966年]])
* [[2013年]] - [[田端義夫]]、[[歌手]](* [[1919年]])
* [[2014年]] - [[フランセスク・ビラノバ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20140426/185050.html|title=ビラノバの訃報にメッシ「決して忘れない」…ビジャやアグエロらもメッセージ|publisher=サッカーキング|accessdate=2020-11-17}}</ref>、[[サッカー選手]]、元[[FCバルセロナ]]監督(* [[1968年]])
* [[2019年]] - [[黒姫山秀男]]<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/26/kiji/20190426s00005000274000c.html 「デゴイチ」黒姫山の田中秀男氏死去…昨年3月に脳梗塞で倒れ] - Sponichi Annex 2019年4月26日</ref>、元[[大相撲力士]]、年寄12代[[武隈 (相撲)|武隈]](* [[1948年]])
* [[2021年]] - [[神田川俊郎]]、[[日本料理]]人 (* [[1939年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[画像:AWM Canberra Dawn 25APR05.jpg|240px|thumb|[[ANZACの日]]]]
* [[世界マラリアデー]]({{World}})<!-- enは少々情報が古いのでfrで -->
*: [[2000年]]のこの日にナイジェリアでマラリア撲滅国際会議が開かれたことを記念して、同会議でこの日を「アフリカ・マラリア・デー」として制定。[[2008年]]から世界保健機関が「世界マラリアデー」として実施している。
* 世界[[ペンギン]]の日({{World}})
*:[[南極大陸]]に生息する[[アデリーペンギン]]が繁殖期を終えて海へ移動する途中、毎年この日頃に[[ロス島]]の[[マクマード基地]]([[アメリカ合衆国]])付近に姿を見せることから、同基地の研究者がこの日を祝うようになったのが始まり<ref>{{Twitter status|UenoZooGardens|1121216458057338881|上野動物園[公式] 2019年4月25日のツイート}}</ref>。
* [[ANZACの日]]({{AUS}}・{{NZL}}・{{COK}}・{{NIU}}・{{WSM}}・{{TON}})
*: [[第一次世界大戦]]時の[[オーストラリア]]および[[ニュージーランド]]の義勇軍 ([[ANZAC]]) の勇気をたたえ、戦没者を追悼する日。
* 解放記念日({{ITA}})
*: [[1945年]]のこの日、[[ナチス・ドイツ]]の連合国への降伏決定に伴い、ムッソリーニの[[イタリア社会共和国]]が政権崩壊した。
* 解放記念日({{PRT}})
*: [[1974年]]のこの日、国軍運動(MFA)が軍事クーデター([[カーネーション革命]])を起こし、[[マルセロ・カエターノ]]首相の[[エスタド・ノヴォ]](第二共和制)が終焉した。
* シナイ解放記念日({{EGY}})
*: [[1982年]]のこの日、[[イスラエル]]が15年間占領していた[[シナイ半島]]が[[エジプト]]に全面返還された。
* [[ギロチン]]の日
*: [[1792年]]のこの日に[[フランス]]で[[ギロチン]]が実用化されたことから<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nnh.to/04/25.html |title=4月25日 |publisher=今日は何の日〜毎日が記念日〜 |accessdate=2019-04-25}}</ref>。
* [[DNAの日]]
*: [[1953年]]のこの日発行の『[[ネイチャー]]』誌に[[フランシス・クリック]]と[[ジェームズ・ワトソン]]の[[デオキシリボ核酸|DNA]]の二重らせん構造を発表する論文が掲載された。
* [[拾得物]]の日({{JPN}})
*: [[1980年]]のこの日、東京・[[銀座]]で現金1億円の「落し物」が見つかったことに因む([[一億円拾得事件]])。落し主は現れず、拾った人に全額が渡った。
* 御忌会({{JPN}})
*: [[浄土宗]]の開祖・[[法然]]の忌日法会。本来は[[1月25日 (旧暦)|旧暦1月25日]]であるが、参詣者の便を考えて明治初年から気候の穏やかな4月に行われるようになった。
* [[国際連合|国連]]記念日 <!-- 他言語版に見当たらず、google検索も芳しからず。この“記念日”、本当に存在している/どこかで制定されている/祝われているのでしょうか…? → 日本記念日協会「366日記念日事典」、「記念日・祝日の事典」(東京堂出版)に記載 -->
*: [[1945年]]4月25日に、[[サンフランシスコ]]で連合国50か国代表による、[[国際連合憲章|国連憲章]]を作成・採択するための[[サンフランシスコ会議]]が開催されたことにちなむ。国際デーの一つである「国連デー」は[[10月24日]]。
* [[カレーラーメン]]の日({{JPN}})
*: 「室蘭カレーラーメン」ブランド化支援事業実行委員会設立の日。
* 小児がんゴールドリボンの日({{JPN}})
*: 小児がんで闘病している子ども達をもっと知ってもらい、支援を広げ、子どもたちに笑顔を取り戻してほしいと制定。日付は、4(しょう)と2(に)と5(ゴールドリボン)の語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=138 |isbn=978-4422021140 }}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0425|date=2011年6月}}
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[2045年]] - 椎葉アモウ、アニメ『[[境界戦機]]』の主人公<ref>アニメ2話より</ref>
* 2170年 - 坂咲優夜、ゲーム・漫画『[[はーとふる彼氏]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=はーとふる彼氏 公式ファンブック|publisher=[[一迅社]]|date=2012-10-05|isbn=978-4-7580-1280-5}}</ref>
* 生年不明 - 犬塚公平、漫画・アニメ『[[甘々と稲妻]]』の主人公<ref>{{Twitter status|futamanplus|1253700494934986753}}</ref>
* 生年不明 - 白石純太、漫画・アニメ『[[久保さんは僕を許さない]]』の主人公<ref>{{Twitter status|yj_kubosan|1386560614596681732}}</ref>
* 生年不明 - 雑兵スケルトンのマルキーノ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=91 |title=雑兵スケルトンのマルキーノ |access-date=2023-01-14 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館 |author=[[車田正美]] |work=『聖闘士星矢』}}</ref>
* 生年不明 - ペンギン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Penguin.html |title=ペンギン |access-date=2023-01-14 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - 柚原ナナコ、漫画『[[リアルアカウント]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 梅比良ブリサ、漫画『[[姉ログ 靄子姉さんの止まらないモノローグ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 雫芽さりな、漫画・アニメ『[[魔法少女サイト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://mahoushoujyo-anime.com/character/ |title=CHARACTER 雫芽さりな |access-date=2023-01-14 |publisher=[[佐藤健太郎 (漫画家)|佐藤健太郎]]([[秋田書店]])/「魔法少女サイト」製作委員会 |work=『魔法少女サイト』}}</ref>
* 生年不明 - サンウェルド、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=東まゆみ(監修) |authorlink=東まゆみ |year=2005 |title=EREMENTAR GERAD オフィシャルガイド |page=42 |publisher=[[マッグガーデン]] |series=ブレイドコミックス |isbn=4-86127-152-5}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=東まゆみ(監修) |year=2009 |title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド |page=34 |publisher=マッグガーデン |series=ブレイドコミックス |isbn=978-4-86127-616-3}}</ref>
* 生年不明 - 弘世菫、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=弘世 菫(ひろせ すみれ) |accessdate=2023-01-14 |work=『咲-Saki-』 |publisher=[[小林立]]}}</ref>
* 生年不明 - 稲森弓弦、漫画・アニメ『[[まりあ†ほりっく]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - レオンハルト・フォン・グランツライヒ(LEONHARD VON GRANZREICH)、漫画・アニメ『[[王室教師ハイネ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|heine_pr|856844075353468928}}</ref>
* 生年不明 - 午坂遥菜、漫画『[[恨み来、恋、恨み恋。]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 松下千秋、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/matsushita.html |title=松下 千秋 |accessdate=2022-01-14 |publisher=MF文庫J [[衣笠彰梧]]・[[KADOKAWA]]刊/ようこそ実力至上主義の教室へ製作委員会 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』}}</ref>
* 生年不明 - 朝岡しのぶ、アニメ『[[熱血最強ゴウザウラー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1386152989790855168}}</ref>
* 生年不明 - 鈴木理詰夢、アニメ『[[ガッチャマン クラウズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/201506/10080433.html |title=リリース 『ガッチャマンクラウズインサイト』キャラ設定画と“累”のスーツが解禁! 内田真礼さん、石原夏織さん、逢坂良太さん出演の放送直前イベントが開催決定 |access-date=2023-01-14 |publisher=ファミ通.com |date=2015-06-10}}</ref>
* 生年不明 - ペギタン、アニメ『[[ヒーリングっど♥プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/healingood_precure/character/chara5.php#charaarea |title=ペギタン |work=『ヒーリングっど♥プリキュア』 |accessdate=2023-01-14 |publisher=ABC-A・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - グリフォンマスク、ゲーム『[[餓狼伝説]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|snkpofficial_jp|856822769622827008}}</ref>
* 生年不明 - 霧谷まひる、ゲーム『[[熱帯低気圧少女]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 赤嶺彩子、ゲーム・漫画・アニメ『[[11eyes -罪と罰と贖いの少女-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://lass.jp/11eyes/chara/chara_saiko.html |title=赤嶺彩子 |publisher=Lass |work=『11eyes -罪と罰と贖いの少女- 』 |accessdate=2023-01-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20221013230846/http://lass.jp/11eyes/chara/chara_saiko.html |archivedate=2022-10-13}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#櫻木真乃|櫻木真乃]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinycolors.idolmaster.jp/idol/illuminationstars/mano.html |title=櫻木 真乃(さくらぎ まの) |website=『アイドルマスター シャイニーカラーズ』 |publisher=THE IDOLM@STER™& [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate=2023-01-14}}</ref>
* 生年不明 - ミホノブルボン、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=mihonobourbon |title=ミホノブルボン |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2023-01-14 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
{{commons&cat|April 25|25 April}}
{{新暦365日|4|24|4|26|[[3月25日]]|[[5月25日]]|[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]|0425|4|25}}
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'''4月26日'''(しがつにじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から116日目([[閏年]]では117日目)にあたり、年末まではあと249日ある。
== できごと ==
[[Image:Bundesarchiv_Bild_183-H25224%2C_Guernica%2C_Ruinen.jpg|thumb|180x180px|[[スペイン内戦]]で[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]遠征隊「[[コンドル軍団]]」が[[ゲルニカ]]を無差別攻撃(1937)]]
[[Image:Gen-commons.jpg|thumb|180px|[[ジュネーヴ協定|ジュネーヴ和平会議]]開催(1954)]]
[[Image:Seven_Samurai_poster.jpg|thumb|upright|[[黒澤明]]監督の映画『[[七人の侍]]』公開(1954)]][[Image:Abandoned_village_near_Chernobyl.jpg|thumb|180x180px|[[チェルノブイリ原子力発電所事故]](1986)。画像は事故後放棄された村]]
* [[1336年]] - [[ペトラルカ]]が[[モン・ヴァントゥ]]に{{仮リンク|モン・ヴァントゥの初登頂|en|Ascent of Mont Ventoux|label=初登頂}}<ref>{{Cite web |url=https://www.nytimes.com/2006/07/30/travel/30explorer.html |title=In Provence, Honoring a Poet at 6,263 Feet |access-date=1 Apr 2023 |publisher=The New York Times}}</ref>。
* [[1865年]] - [[アンニーバレ・デ・ガスパリス]]によって83番目の小惑星「[[ベアトリックス (小惑星)|ベアトリックス]]」が発見される。
* [[1478年]] - [[イタリア]]の[[フィレンツェ]]で[[パッツィ家の陰謀]]事件が起きる。[[パッツィ家]]が[[メディチ家]]当主らを暗殺しようとして失敗。
* [[1890年]] - [[日本]]で「[[商法]]」公布。
* [[1903年]] - [[アトレティコ・マドリード]]設立。
* [[1915年]] - [[第一次世界大戦]]: [[イタリア]]が[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側に参戦する代わりに、南[[チロル]]・[[ダルマチア]]などの[[未回収のイタリア]]を得る[[ロンドン条約 (1915年)|ロンドン条約]](ロンドン密約)が結ばれる。
* [[1918年]] - 第一次世界大戦: [[フランス第三共和政|フランス]]の[[ヴィレ=ブルトヌー]]で、[[イギリス陸軍]]の[[マーク IV 戦車]]と[[ドイツ帝国陸軍]]の[[A7V]]が史上初の[[戦車]]同士の戦闘を行う。
* [[1924年]] - 東京・[[日比谷野外音楽堂]]で日本軽体重級拳闘選手権試合を開催。日本初の[[ボクシング]]タイトルマッチが開催される。
* 1924年 - 大森コートにて、第1回[[早稲田大学]]対[[慶應義塾大学]]テニス対抗戦が開催される。[[4月27日]]まで。
* [[1925年]] - [[1925年ドイツ大統領選挙]]の第2回投票で[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]が[[ヴィルヘルム・マルクス]]らを破り当選。
* [[1933年]] - ドイツ・[[プロイセン州]]の[[秘密警察]]として[[ゲシュタポ]]を創設。[[1936年]]にドイツ全土に活動範囲を拡大。
* [[1937年]] - [[スペイン内戦]]: [[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]遠征隊「[[コンドル軍団]]」がスペインの町[[ゲルニカ]]を無差別攻撃、非戦闘員2,000人以上が死亡。
* [[1938年]] - [[Me 209 (航空機)|Me 209]]が755.13[[キロメートル毎時|km/h]]を記録し、レシプロ陸上機の速度記録を更新。
* [[1942年]] - [[満州国]]・[[本渓湖炭鉱]]で粉塵爆発。坑夫1,549人が死亡。
* [[1944年]] - [[ゲオルギオス・パパンドレウ]]が[[ギリシャ]]亡命政権の首相に就任。
* [[1954年]] - [[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦争]]休戦のための[[ジュネーヴ協定|ジュネーヴ和平会議]]開催。
* 1954年 - [[黒澤明]]監督の映画『[[七人の侍]]』が公開。
* [[1956年]] - 日本で「[[首都圏整備法]]」公布。
* [[1959年]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[王貞治]]が初ホームラン。それまで開幕以来26打席連続無安打。
* [[1964年]] - [[タンガニーカ]]と[[ザンジバル]]が合同し、[[タンザニア|タンザニア連合共和国]]が成立。
* [[1966年]] - 日本で戦後最大の交通[[ゼネラル・ストライキ]]。私鉄大手10社が24時間スト、[[国鉄労働組合|国労]]・[[国鉄動力車労働組合|動労]]・[[全国自動車交通労働組合連合会|全自交]]が共闘して時限ストに突入し、1,300万人に影響。
* 1966年 - [[イタリア]]・[[ローマ]]で開催された第64回[[国際オリンピック委員会総会|IOC総会]]において、[[1972年]]の[[冬季オリンピック]]の開催地が[[札幌市|札幌]]に、同年の[[夏季オリンピック]]の開催地が[[ミュンヘン]]に決定。
* [[1970年]] - [[エフエム東京]](TOKYO FM)開局。
* 1970年 - [[アイジャック事件]]: [[日本万国博覧会]]会場の[[太陽の塔]]の眼の部分に男が籠城し、8日間立てこもる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/gallery/tower-of-the-sun/banpaku34.html |title=【未来の象徴「金色の顔が」】再生!太陽の塔 |access-date=1 Apr 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]]}}</ref>。
* [[1972年]] - [[イースタン航空]]が[[ロッキード L-1011 トライスター]]を初就航させる。
* [[1974年]] - [[山形県]][[大蔵村]]で大規模な[[地すべり]]が発生。死者負傷者30名、被害家屋等20戸<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamagata.jp/documents/4122/tyuuki-honbun1.pdf |title=やまがた水害・土砂災害対策中期計画 2019~2028 |access-date=1 Apr 2023 |publisher=[[山形県]] |page=5(9/37) |format=[[PDF]]}}</ref><ref>山崩れは人災と賠償請求へ 山形・大蔵村の被災者『朝日新聞』1977年(昭和51年)1月20日夕刊、3版、10面</ref>。
* [[1977年]] - [[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]の[[鈴木啓示]]投手が通算200勝を達成。
* [[1982年]] - [[大韓民国]]・[[慶尚南道]]で警官・[[禹範坤]]が無差別殺人。夜から翌日朝にかけて57人を殺害し、手榴弾で自殺。
* [[1986年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]・[[ウクライナ]]共和国の[[チェルノブイリ原子力発電所]]で大規模事故。([[チェルノブイリ原子力発電所事故]])
* [[1991年]] - 日本の[[自衛隊]][[掃海艇]]派遣が[[湾岸戦争]]による[[ペルシア湾]]の機雷除去へ出発、日本にとって初の[[国際連合平和維持活動|PKO]]派遣。
* [[1994年]] - [[中華航空140便墜落事故]]。台北発[[名古屋飛行場|名古屋]]行きの[[エアバスA300]]が着陸に失敗し、264人が死亡。
* [[2001年]] - [[小泉純一郎]]が第87代[[内閣総理大臣|日本国首相]]に就任。[[第1次小泉内閣]]が発足。
* [[2002年]] - [[エアフルト事件]]。[[ドイツ]]・[[テューリンゲン州]]の[[エアフルト]]で少年が17人を殺害した後自殺。
* [[2006年]] - [[耐震強度偽装事件]]発覚。[[建築士]]、[[建設会社]]幹部、民間検査機関幹部など8人が逮捕される。
* [[2007年]] - [[ミャンマー]]が、[[1983年]]10月の[[ラングーン事件]]以来断交していた[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]との[[国交]]を約24年ぶりに回復。
* [[2011年]] - [[マイクロソフト]]から[[東日本大震災]]の影響で延期されていた[[Internet Explorer]] 9の日本語正式版が公開される<ref>{{Cite web|和書|date=27 Apr 2011 |url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20110427-ie9/ |title=祝 IE9リリース! 注目の新機能に触れてみる (1) 高速JavaScriptエンジン、GPUアクセラレーション |work=[[マイナビニュース]] |publisher=[[マイナビ]] |accessdate=1 Apr 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Young_Marcus_Aurelius_Musei_Capitolini_MC279.jpg|thumb|upright|第16代[[ローマ帝国]]皇帝、哲人皇帝[[マルクス・アウレリウス・アントニヌス]](121-180)誕生。]]
[[Image:CHANDOS3.jpg|thumb|219x219px|[[ウィリアム・シェイクスピア]](1564-1616)]]
[[Image:Gilbert_WShakespeares_Plays.jpg|thumb|180x180px|[[ウィリアム・シェイクスピア]](1564-1616)の洗礼日。画像は{{仮リンク|ジョン・ギルバート (画家)|en|John Gilbert (painter)|label=ジョン・ギルバート}}『シェイクスピアの諸演劇』(1849)。]]
[[Image:Zenaida_macrouraAWP17AA.jpg|thumb|upright|[[博物画]]家、[[ジョン・ジェームズ・オーデュボン]](1785-1851)誕生。画像は代表作『[[アメリカの鳥類]]』(1838)より[[ナゲキバト]]]]
[[Image:Eug%C3%A8ne_Delacroix_-_La_libert%C3%A9_guidant_le_peuple.jpg|thumb|200px|画家[[ウジェーヌ・ドラクロワ]](1798-1863)誕生。画像は『[[民衆を導く自由の女神]]』(1830)]]
[[Image:Theodor_Billroth_-_Project_Gutenberg_eText_14097.png|thumb|upright|[[胃癌]]の摘出を初めて成功させた[[外科医]]、[[テオドール・ビルロート]](1829-1894)]]
[[Image:Gallen-Kallela_The_defence_of_the_Sampo.png|thumb|200px|[[フィンランド]]の国民的[[叙事詩]]『[[カレワラ]]』を多く描いた画家[[アクセリ・ガッレン=カッレラ]](1865-1931)。画像は『サンポの防衛』(1896)]]
[[Image:Ludwig Wittgenstein 1890.jpg|thumb|140px|哲学者[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]](1889-1951)]]
[[Image:Bundesarchiv_Bild_146II-849%2C_Rudolf_He%C3%9F.jpg|thumb|100px|[[ナチス・ドイツ]]の[[親衛隊大将]]、[[ルドルフ・ヘス]](1894-1987)]]
* [[121年]] - [[マルクス・アウレリウス・アントニヌス]]<ref>{{Cite web |title=Marcus Aurelius {{!}} Biography, Meditations, & Facts |url=https://www.britannica.com/biography/Marcus-Aurelius-Roman-emperor |website=Britannica |access-date=1 Apr 2023}}</ref>、[[ローマ皇帝]](+ [[180年]])
* [[1564年]] - [[ウィリアム・シェイクスピア]]、[[劇作家]]、[[詩人]](+ [[1616年]])※洗礼を受けた日。出生日の記録はないが、[[4月23日]]と考えられている<ref>{{Cite web |url=https://www.shakespeare.org.uk/explore-shakespeare/shakespedia/william-shakespeare/when-was-shakespeare-born/ |title=When Was Shakespeare Born? |access-date=1 Apr 2023 |publisher=The Board of Trustees of the Shakespeare Birthplace Trust}}</ref>。
* [[1575年]] - [[マリー・ド・メディシス]]、[[フランス王国|フランス]][[王妃]](+ [[1642年]])
* [[1648年]] - [[ペドロ2世 (ポルトガル王)|ペドロ2世]]、[[ポルトガル王]](+ [[1706年]])
* [[1659年]]([[万治]]2年[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]) - [[黒田長重]]、[[秋月藩|秋月藩主]](+ [[1710年]])
* [[1710年]] - [[トマス・リード]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1796年]])
* [[1723年]]([[享保]]8年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[関政富]]、[[新見藩|新見藩主]](+ [[1760年]])
* [[1768年]]([[明和]]5年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[池田治道]]、[[鳥取藩|鳥取藩主]](+ [[1798年]])
* [[1770年]]([[明和]]7年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[松平近義]]、[[府内藩|府内藩主]](+ [[1807年]])
* [[1774年]] - [[レオポルト・フォン・ブーフ]]、[[地質学|地質学者]]、[[古生物学|古生物学者]](+ [[1853年]])
* [[1776年]]([[安永]]5年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - [[榊原政令]]、[[高田藩|高田藩主]](+ [[1861年]])
* [[1782年]] - [[マリー・アメリー・ド・ブルボン]]、フランス王妃(+ [[1866年]])
* [[1785年]] - [[ジョン・ジェームズ・オーデュボン]]、[[画家]](+ [[1851年]])
* [[1798年]] - [[ウジェーヌ・ドラクロワ]]、画家(+ [[1863年]])
* [[1822年]] - [[フレデリック・ロー・オルムステッド]]、[[造園家]]、[[都市計画家]](+ [[1903年]])
* [[1825年]]([[文政]]8年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - [[松平斉宣]]、[[明石藩|明石藩主]](+ [[1844年]])
* [[1828年]]([[文政]]11年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[西村茂樹]]、[[啓蒙思想|啓蒙思想家]]、教育家(+ [[1902年]])
* [[1829年]] - [[テオドール・ビルロート]]、初めて[[胃癌]]切除手術に成功した[[医師]](+ [[1894年]])
* [[1832年]]([[天保]]3年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[久松勝行]]、[[多古藩|多古藩主]](+ [[1869年]])
* [[1864年]]([[元治]]元年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[三浦謹之助]]、[[医学|医学者]](+ [[1950年]])
* [[1865年]] - [[アクセリ・ガッレン=カッレラ]]、[[画家]](+ [[1931年]])
* [[1879年]] - [[オーエン・リチャードソン]]、[[物理学者]](+ [[1959年]])
* [[1885年]] - [[飯田蛇笏]]、[[俳人]](+ [[1962年]])
* 1885年 - [[成瀬無極|成瀬清]](無極)、[[ドイツ文学者]]、[[評論家]](+ [[1958年]])
* [[1888年]] - [[オラフ・ヘンリクセン]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1962年]])
* [[1889年]] - [[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]、哲学者(+ 1951年)
* [[1894年]] - [[ルドルフ・ヘス]]、[[政治家]]、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]副総統(+ [[1987年]])
* [[1896年]] - [[エルンスト・ウーデット]]、[[ドイツ]]の[[エース・パイロット]](+ [[1941年]])
* [[1897年]] - [[ダグラス・サーク]]、[[映画監督]](+ [[1987年]])
* [[1898年]] - [[内田吐夢]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cinenouveau.com/sakuhin/uchidatomu2020/uchidatomu2020.html |title=没後50年 映画監督内田吐夢 |access-date=1 Apr 2023 |publisher=シネ・ヌーヴォ}}</ref>、映画監督(+ [[1970年]])
* 1898年 - [[ビセンテ・アレイクサンドレ]]、[[詩人]](+ [[1984年]])
* [[1899年]] - [[ジョセフ・フックス]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1997年]])
* [[1900年]] - [[ハック・ウィルソン]]、元プロ野球選手(+ [[1948年]])
* 1900年 - [[チャールズ・リヒター]]、[[地震学|地震学者]](+ [[1985年]])
* [[1902年]] - [[エリザベート・ハインペル]]、[[教育学|教育学者]](+ [[1972年]])
* [[1903年]] - [[ニーヴン・ブッシュ]]、小説家、映画脚本家(+ [[1991年]])
* [[1905年]] - [[酒井七馬]]、[[漫画家]]、[[アニメーター]]、[[紙芝居]]作家(+ [[1969年]])
* 1905年 - [[ジャン・ヴィゴ]]、映画監督(+ [[1934年]])
* [[1907年]] - [[山本健吉]]、[[文芸評論家]](+ [[1988年]])
* [[1909年]] - [[金光鑑太郎]]、[[宗教家]]、第4代[[金光教|金光教教主]](+ [[1991年]])
* [[1910年]] - [[田中友幸]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1997年]])
* 1910年 - [[エルランド・フォン・コック]]、[[作曲家]](+ [[2009年]])
* [[1912年]] - [[A・E・ヴァン・ヴォークト]]、[[SF作家]](+ [[2000年]])
* [[1914年]] - [[バーナード・マラマッド]]、[[小説家]](+ [[1986年]])
* [[1916年]] - [[瀬田貞二]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]]、評論家、[[翻訳家]](+ [[1979年]])
* 1916年 - [[アイベン・アール]]、[[画家]](+ [[2000年]])
* 1916年 - [[ワーナー・ビショフ]]、[[写真家]]、[[報道写真|フォトジャーナリスト]](+ [[1954年]])
* [[1917年]] - [[サル・マグリー]]、プロ野球選手(+ [[1992年]])
* [[1918年]] - [[フランシナ・ブランカース=クン]]、[[陸上競技]]選手(+ [[2004年]])
* [[1920年]] - [[河内卓司]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]])
* [[1921年]] - [[ジミー・ジュフリー]]、[[ジャズ]][[ミュージシャン]](+ [[2008年]])
* [[1922年]] - [[佐伯彰一]]、[[アメリカ文学|アメリカ文学者]]、文芸評論家(+ [[2016年]])
* 1922年 - [[内海英男]]、[[政治家]](+ [[2005年]])
* [[1925年]] - [[胡桃沢耕史]]、小説家(+ [[1994年]])
* 1925年 - [[長野ハル]]、プロボクシング・マネージャー
* [[1929年]] - [[鶴ヶ嶺昭男]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]]11代[[井筒 (相撲)|井筒]](+ [[2006年]])
* [[1930年]] - [[加藤秀俊]]、評論家(+ [[2023年]])
* [[1931年]] - [[荻原隆]]、元プロ野球選手
* [[1932年]] - [[フランシス・レイ]]、作曲家(+ [[2018年]])
* 1932年 - [[マイケル・スミス (化学者)|マイケル・スミス]]、[[生化学|生化学者]](+ [[2000年]])
* 1932年 - [[小野信一]]、[[政治家]](+ [[2017年]])
* [[1933年]] - [[河上和雄]]、[[弁護士]]、[[検察官]](+ [[2015年]])
* 1933年 - [[宮本敏雄]]、元プロ野球選手
* 1933年 - [[アーノ・ペンジアス]]、[[電子工学|電子工学者]]
* 1933年 - [[戚発軔]]、[[宇宙工学]]研究者
* [[1935年]] - [[桜井薫]]、元プロ野球選手
* 1935年 - [[岡田忠弘]]、元プロ野球選手
* [[1937年]] - [[ジャン=ピエール・ベルトワーズ]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[2015年]])
* [[1938年]] - [[マヌエル・ブラム]]、[[計算機科学|計算機科学者]]
* [[1939年]] - [[高橋美徳]]、[[プロボクサー]](+ [[2018年]])
* [[1940年]] - [[ジョルジオ・モロダー]]、[[音楽プロデューサー]]
* 1940年 - [[高井良一男]]、元プロ野球選手
* [[1942年]] - [[クローディーヌ・オージェ]]、[[俳優|女優]](+ [[2019年]])
* 1942年 - [[青山勝巳]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[ピーター・ズントー]]、[[建築家]]
* [[1944年]] - [[レオン・マックファーデン]]、元プロ野球選手
* 1944年 - [[七森由康]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[大貫隆]]、[[宗教学者]]、[[聖書学|聖書学者]]、東大大学院教授
* 1945年 - [[リチャード・アーミテージ]]、[[政治家]]、[[軍人]]
* [[1946年]] - [[ターザン山本]]、元プロレス編集長
* 1946年 - [[山本鉄弥]]、高校野球指導者(+ [[2007年]])
* 1946年 - [[ヴォルフ・カーラー]]、[[俳優]]
* 1946年 - [[今西和男 (野球)|今西和男]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[浜村孝]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[風間杜夫]]、俳優
* 1949年 - [[カルロス・ビアンチ]]、[[サッカー選手]]、指導者
* 1949年 - [[佐藤泰志]]、[[小説家]](+ [[1990年]])
* 1949年 - [[佐川一政]]、[[エッセイスト]]、[[カニバリスト]](+ [[2022年]])
* 1949年 - [[ジェリー・ブラックウェル|クラッシャー(ジェリー)・ブラックウェル]]、[[プロレスラー]](+ [[1995年]])
* [[1950年]] - [[大橋純子]]{{efn2|1952年と書かれている文献もある}}、[[歌手]](+ [[2023年]])
* [[1951年]] - [[新谷かおる]]、[[漫画家]]
* 1951年 - 大木こだま、[[漫才師]]([[大木こだま・ひびき]])
* 1951年 - [[藤波行雄]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[新井宏昌]]、元プロ野球選手
* 1952年 - [[野田隆]]、[[旅行作家]]
* [[1955年]] - [[栃剣展秀]]、元大相撲力士
* 1955年 - [[佃正樹]]、野球選手(+ [[2007年]])
* 1955年 - [[陳道明]]、俳優
* 1955年 - [[マイク・スコット]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[中村又五郎 (3代目)|三代目中村又五郎]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎俳優]]
* [[1957年]] - [[琴風豪規]]、元大相撲力士、年寄8代[[尾車]]
* 1958年 - [[ジョニー・ダンフリーズ]]、レーシングドライバー
* [[1959年]] - [[有栖川有栖]]、[[推理作家]]
* [[1960年]] - [[デュラン・デュラン|ロジャー・テイラー]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[デュラン・デュラン]])
* 1960年 - [[西原俊次]]、ミュージシャン([[オメガトライブ]])
* [[1961年]] - [[河口純之助]]、ミュージシャン、[[音楽プロデューサー]]
* 1961年 - [[島本和彦]]、漫画家
* 1961年 - [[栗山英樹]]、元プロ野球選手、監督
* 1961年 - [[仲野和男]]、元プロ野球選手
* 1961年 - [[ジョアン・チェン]](陳冲)、女優
* 1961年 - [[山田修 (政治家)|山田修]]、政治家
* [[1962年]] - [[池田裕行]]、[[ジャーナリスト|報道記者]]
* 1962年 - [[辻谷耕史]]、[[声優]](+ [[2018年]])
* 1962年 - [[中西清起]]、元プロ野球選手
* 1962年 - [[琴稲妻佳弘]]、元大相撲力士、年寄13代[[粂川]]
* [[1963年]] - [[伊秩弘将]]、音楽プロデューサー
* 1963年 - [[ジェット・リー]]、[[映画俳優]]
* [[1964年]] - [[国木田かっぱ]]、俳優
* 1964年 - [[そーたに]]、[[放送作家]]
* [[1965年]] - [[ケヴィン・ジェームズ]]、俳優
* [[1966年]] - [[橋本さとし]]、俳優
* 1966年 - [[杉浦幸二]]、元プロ野球選手
* [[1967年]] - [[ブライアン・ウォーレン]]、元プロ野球選手
* [[1968年]] - [[植木通彦]]、[[競艇]]選手
* 1968年 - [[望月一]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]])
* 1968年 - [[小沢としお]]、漫画家
* [[1969年]] - [[加藤浩次]]、[[お笑いタレント]]([[極楽とんぼ]])
* [[1970年]] - [[斉藤貢]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[小花美穂]]、漫画家
* [[1971年]] - [[田中直樹 (お笑い芸人)|田中直樹]]、お笑いタレント([[ココリコ]])
* [[1972年]] - [[品川祐]]、お笑いタレント([[品川庄司]])
* 1972年 - [[丸尾英司]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[加藤厚成]]、[[俳優]]
* 1972年 - [[フランシスコ・ミゲル・ナルバエス・マチョン|キコ]]、サッカー選手
* 1972年 - [[ニコライ・ルガンスキー]]、[[ピアニスト]]
* [[1974年]] - [[団長安田]]、お笑い芸人([[安田大サーカス]])
* 1974年 - [[藤井惠 (格闘家)|藤井惠]]、[[総合格闘家]]
* [[1975年]] - [[中澤有美子]]、[[アナウンサー]]
* 1975年 - {{仮リンク|ジョーイ・ジョーディソン|en|Joey Jordison}}、ミュージシャン([[スリップノット]])
* [[1976年]] - [[綾小路翔]]、ミュージシャン([[氣志團]])
* 1976年 - [[DJ OZMA]]、[[歌手]]
* 1976年 - [[桑田鎮典]]、元バレーボール選手
* [[1977年]] - [[福留孝介]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[西田隆維]]、元陸上選手
* 1977年 - [[マーク武蔵]]、俳優
* 1977年 - [[トム・ウェリング]]、俳優
* 1977年 - [[ダニエル・ロステン]]、ミュージシャン
* [[1978年]] - [[麻井寛史]]、ミュージシャン、作曲家(元[[the★tambourines]])
* 1978年 - [[立花慎之介]]、[[声優]]
* 1978年 - [[鉄平_(タレント)|鉄平]]、[[マルチタレント]]、[[ビデオジョッキー|VJ]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[司会|MC]]
* [[1979年]] - [[ヤンネ・ウィルマン]]、ミュージシャン
* [[1980年]] - [[マイク・ウッド]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[チャニング・テイタム]]、俳優
* 1980年 - [[平沼成基]]、俳優
* [[1981年]] - [[武蔵海豊]]、大相撲力士
* [[1982年]] - [[荻野忠寛]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[李景一]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[美甘子]]、[[アイドル]]、タレント
* [[1983年]] - [[森下理音]]、[[AV女優]]、[[ストリッパー一覧|ストリッパー]]
* 1983年 - [[阿部まりな]]、元[[ファッションモデル]]
* 1983年 - [[飯原誉士]]、プロ野球選手
* 1983年 - [[ジェシカ・リンチ]]、元軍人
* [[1984年]] - [[北川和歌子]]、女優、脚本家
* [[1985年]] - [[朝吹まり]]、漫画家
* 1985年 - [[魚谷香織]]、[[競艇選手|ボートレーサー]]
* 1985年 - [[ショーン・ロドリゲス]]、プロ野球選手
* 1985年 - [[中川裕貴]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[田淵智也]]、ミュージシャン([[UNISON SQUARE GARDEN]])
* [[1986年]] - [[森葉子]]、[[テレビ朝日]]アナウンサー
* [[1987年]] - [[石川友紀]]、バレーボール選手
* 1987年 - [[永田俊樹]]、ミュージカル俳優
* 1987年 - [[ベン・オルロフ]]、元プロ野球選手
* [[1989年]] - [[水崎綾女]]、女優、元[[グラビアアイドル]]
* 1989年 - [[D-LITE]]、歌手([[BIGBANG]])
* 1989年 - [[古賀さゆり]]、グラビアアイドル
* 1989年 - [[寿るい]]、元ファッションモデル
* 1989年 - [[チャド・ベティス]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[アーロン・ニゲス]]、サッカー選手
* 1989年 - [[森結有花]]、アナウンサー
* 1989年 - [[金子大輝]]、イラストレーター
* [[1990年]] - [[松冨倫]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[山田美菜子]]、ファッションモデル
* 1990年 - [[ジョナタン・ドス・サントス]]、サッカー選手
* 1990年 - [[岡村帆奈美]]、[[テレビ神奈川|tvk]][[アナウンサー]]
* [[1991年]] - [[秋山拓巳]]、プロ野球選手
* [[1992年]] - [[アーロン・ジャッジ]]、プロ野球選手
* [[1993年]] - [[小野明日香]]、女優
* 1993年 - [[桑田尚典]]、俳優
* 1993年 - [[竹内涼真]]、俳優
* 1993年 - [[光宗薫]]、タレント(元[[AKB48]])
* 1993年 - [[梅澤廉]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]アナウンサー
* 1993年 - [[西田直斗]]、元プロ野球選手
* [[1994年]] - [[伊藤優衣]]、女優、タレント
* 1994年 - [[内藤実穂]]、[[ソフトボール]]選手
* [[1995年]] - [[榊原美紅]]、ファッションモデル、女優
* 1995年 - [[ノマー・マザラ]]、プロ野球選手
* 1995年 - [[森のんの]]、アイドル(元[[SAY-LA]])
* [[1996年]] - [[小柳朋恵]]、元アイドル
* 1996年 - [[酒井明日翔]]、卓球選手
* 1996年 - [[鈴木優磨]]、サッカー選手
* [[1997年]] - [[巽大介]]、元プロ野球選手
* 1998年 - ニュー、アイドル([[THE BOYZ]])
* [[1999年]] - [[高嶋芙佳]]、ファッションモデル、タレント
* [[2000年]] - [[桐山和久]]、声優、歌手、作家
* 2000年 - [[野口衣織]]、アイドル([[=LOVE]])、声優
* 2000年 - [[浜浦彩乃]]、女優、元アイドル([[こぶしファクトリー]])
* 2000年 - [[間島和奏]]、女優、元アイドル([[ラストアイドル]])
* [[2001年]] - [[上野響平]]、プロ野球選手
* 2001年 - [[内田珠鈴]]、歌手、元ファッションモデル
* [[2002年]] - [[キム・チェヒョン]]、アイドル([[Kep1er]])
* [[2003年]] - [[岩崎春果]]、ファッションモデル
* [[2006年]] - [[カミラ・ワリエワ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[2008年]] - [[遠藤彩加里]]、アイドル([[Juice=Juice]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1995年]] - [[セイウンスカイ]]、[[競走馬]](+ [[2011年]])
* [[2001年]] - [[ハットトリック (競走馬)|ハットトリック]]、競走馬
== 忌日 ==
[[Image:Hojyuji_%28Kyoto%2C_Kyoto%29_Goshirakawa_tennoryo.jpg|thumb|upright|5代に亘る院政を敷いた[[後白河天皇]](1127-1192)没]]
[[Image:John_w_booth.jpg|thumb|100px|[[リンカーン大統領暗殺事件|リンカーンを暗殺]]した[[ジョン・ウィルクス・ブース]](1838-1865)、騎兵隊に射殺される]]
[[Image:Kawanabe_Kyosai_Renshishi2.jpg|thumb|180x180px|絵師、[[河鍋暁斎]](1831-1889)画像は『連獅子』]]
{{multiple image
| caption1 = 数学者[[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン]](1887-1920)
| image1 = Ramanujan.jpg
| width1 = 100
| alt1 = シュリニヴァーサ・ラマヌジャン
| caption2 = 哲学者[[ジョージ・ハーバート・ミード]](1863-1931)
| image2 = George Herbert Mead.jpg
| width2 = 100
| alt2 = ジョージ・ハーバート・ミード
}}
{{multiple image
| caption1 = 物理学者[[アーノルト・ゾンマーフェルト]](1868-1951)、交通事故により没
| image1 = Sommerfeld1897.gif
| width1 = 90
| alt1 = アーノルト・ゾンマーフェルト
| caption2 = [[スウィング・ジャズ]]プレイヤー、[[カウント・ベイシー]](1904-1984)
| image2 = Count_Basie_in_Rhythm_and_Blues_Revue.jpg
| width2 = 110
| alt2 = カウント・ベイシー
}}
* [[909年]]([[延喜]]9年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[藤原時平]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[871年]])
* [[1192年]]([[建久]]3年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[後白河天皇]]、第77代[[天皇]](* [[1127年]])
* [[1444年]] - [[ロベルト・カンピン]]、[[画家]](* [[1375年]]頃)
* [[1489年]]([[延徳]]元年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[足利義尚]]<ref>{{Cite Kotobank |title=足利義尚|word=足利義尚-14304 |access-date=1 Apr 2023}}</ref>、[[室町幕府]]9代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1465年]])
* [[1595年]]([[文禄]]4年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[木曾義昌]]、[[武将|戦国武将]](* [[1540年]])
* [[1641年]]([[寛永]]18年3月17日) - [[細川忠利]]、初代[[熊本藩|熊本藩主]](* [[1586年]])
* [[1655年]]([[承応]]4年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[有馬忠頼]]、第2代[[久留米藩|久留米藩主]](* [[1603年]])
* [[1717年]] - [[サミュエル・ベラミー]]、[[海賊]](* [[1689年]])
* [[1843年]]([[天保]]14年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[香川景樹]]、[[歌人]](* [[1768年]])
* [[1864年]]([[元治]]元年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[堀田正睦]]、[[江戸幕府]][[老中]]、第5代[[佐倉藩|佐倉藩主]](* [[1810年]])
* [[1865年]] - [[ジョン・ウィルクス・ブース]]、[[俳優]]、第16代[[アメリカ合衆国大統領|米大統領]][[エイブラハム・リンカーン|リンカーン]]の[[暗殺]]者(* [[1838年]])
* [[1866年]] - [[ヘルマン・ゴルトシュミット]]、[[天文学者]](* [[1802年]])
* [[1889年]] - [[河鍋暁斎]]、[[絵師]](* [[1831年]])
* [[1909年]] - [[ダク・パワーズ]]、[[プロ野球選手]](* [[1870年]])
* [[1910年]] - [[ビョルンスティエルネ・ビョルンソン]]、[[詩人]]、[[小説家]](* [[1832年]])
* [[1920年]] - [[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン]]、[[数学者]](* [[1887年]])
* [[1924年]] - [[ヨーゼフ・ラーボア]]、[[作曲家]](* [[1842年]])
* 1924年 - [[伊集院彦吉]]、[[政治家]](* [[1864年]])
* [[1931年]] - [[ジョージ・ハーバード・ミード]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1863年]])
* [[1940年]] - [[カール・ボッシュ]]、[[化学者]](* [[1874年]])
* [[1941年]] - [[石黒忠悳]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍医総監]]、[[日本赤十字社]]第4代社長(* [[1845年]])
* [[1945年]] - [[パウロー・スコロパードシクィイ]]、[[ウクライナ国]]の国家元首(* [[1873年]])
* [[1951年]] - [[アーノルト・ゾンマーフェルト]]、[[物理学者]](* [[1868年]])
* 1951年 - [[ジョン・オールデン・カーペンター]]、[[作曲家]](* [[1876年]])
* [[1957年]] - [[船越義珍]]、[[空手|空手家]](* [[1868年]])
* [[1960年]] - [[グスタフ・リンドブロム]]、[[陸上競技]]選手(* [[1891年]])
* [[1964年]] - [[堤康次郎]]、[[実業家]]、第44代[[衆議院議長]](* [[1889年]])
* [[1965年]] - [[アーロン・アヴシャロモフ]]、作曲家(* [[1894年]])
* [[1968年]] - [[ジョン・ハートフィールド]]、[[写真家]](* [[1891年]])
* [[1969年]] - [[植芝盛平]]、武道家、[[合気道]]開祖(創始者)、[[合気会]]開設者(* [[1883年]])
* [[1973年]] - [[石井一郎]]、[[暴力団]]初代石井組(現・[[石井一家]])組長(* [[1925年]])
* [[1976年]] - [[アンドレイ・グレチコ]]、[[ソビエト連邦の国防相|ソビエト連邦国防相]](* [[1903年]])
* [[1984年]] - [[カウント・ベイシー]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]](* [[1904年]])
* 1984年 - [[バリー・グレイ]]、作曲家(* [[1908年]])
* 1984年 - [[木村筆之助]]、[[大相撲]][[幕内]]格[[行司]](* [[1924年]])
* [[1989年]] - [[ルシル・ボール]]、女優(* [[1911年]])
* 1989年 - [[青木伊平]]、[[竹下登]]首相の秘書(* [[1930年]])
* [[1991年]] - [[カーマイン・コッポラ]]、[[音楽家]](* [[1910年]])
* [[1994年]] - [[大山倍達]]、空手家(* [[1923年]])
* [[1997年]] - [[彭真]]、[[北京市|北京]]市長、[[全国人民代表大会]]常務委員会委員長(* [[1902年]])
* 1997年 - [[藤本英雄]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督]](* [[1918年]])
* [[2004年]] - [[ヒューバート・セルビー・ジュニア]]、[[小説家]](* [[1928年]])
* [[2005年]] - [[マリア・シェル]]、女優(* [[1926年]])
* 2005年 - [[勝田有恒]]、[[法学者]](* [[1931年]])
* [[2006年]] - [[ユヴァル・ネーマン]]、[[物理学者]](* [[1925年]])
* [[2007年]] - [[申鉉碻]]、[[大韓民国]]第13代[[国務総理 (大韓民国)|国務総理]](* [[1920年]])
* [[2013年]] - [[ジョージ・ジョーンズ]]、歌手(* [[1931年]])
* [[2014年]] - [[牧昭男]]、[[プロボクサー]](* [[1936年]])
* 2014年 - [[岡田れえな]]、タレント(* [[1987年]])
* [[2016年]] - [[戸川昌子]]、推理作家、歌手(* [[1931年]])
* 2016年 - [[前田健 (タレント)|前田健]]、[[お笑い芸人]]、[[ものまねタレント]](* [[1971年]])
* [[2017年]] - [[ジョナサン・デミ]]、[[映画監督]](* [[1944年]])
* [[2018年]] - [[石井義信]]<ref name="sponichi">{{Cite web|和書|title=サッカー元日本代表監督の石井義信さん死去 86〜87年に指揮 |date=27 Apr 2018 |url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2018/04/27/kiji/20180427s00002014241000c.html |accessdate=1 Apr 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex}}</ref>、[[サッカー選手]]、指導者(* [[1939年]])
== 記念日・年中行事 ==
{{multiple image
| caption1 = [[タンザニア]]の連合記念日。画像は[[マコンデ族]]の彫刻
| image1 = Makonde_carving_1.jpg
| width1 = 110
| alt1 = マコンデ族の彫刻
| caption2 = [[世界知的所有権の日]]。画像は[[ジュネーヴ]]の[[世界知的所有権機関|WIPO]]本部
| image2 = World Intellectual Property Organization HQ 2004.jpg
| width2 = 120
| alt2 = ジュネーヴのWIPO本部
}}
* [[世界知的所有権の日]] (World Intellectual Property Day)({{World}})
*: [[知的財産権]]の啓蒙のため、[[世界知的所有権機関]] (WIPO) が2000年に制定。1970年のこの日に「世界知的所有権機関を設立する条約」が発効し、世界知的所有権機関が発足したことを記念。
* リメンバー・チェルノブイリ・デー
*: [[1986年]]の[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]にちなむ。
* Dな日({{JPN}})
*: [[エイベックス・エンタテインメント]]株式会社が制定。[[BIGBANG]]のD-LITEの誕生日である4月26日はファンとD-LITEが出会うために最も大切な日として“Dな日”と[[日本記念日協会]]より認定登録された。
* [[建国記念日|連合記念日]]({{TZA}})
*: [[1964年]]のこの日、[[タンガニーカ]]と[[ザンジバル]]が合併してタンザニア連合共和国となったことを記念。
* [[よい風呂の日]]({{JPN}})
*: 「よい(4)ふ(2)ろ(6)」の[[語呂合わせ]]。毎月26日は「風呂の日」になっている。
* オンライン麻雀の日({{JPN}})
*: 株式会社シグナルトークが制定。「4人でつる(26)む」、「for(4)ツモ(26)」、「四副露(スー(4)フー(2)ロ(6))」などの語呂合わせから<ref>{{Cite web|和書|title=日本記念日協会が、4月26日を「オンライン麻雀の日」に認定。記念してオンライン麻雀Maru-Jan「天上戦」を開催 |url=https://www.signaltalk.com/press/20080425.html |access-date=1 Apr 2023 |publisher=SignalTalk |date=25 Apr 2008}}</ref>。
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0426|date=2023年4月}}
* [[1922年]] - 藤川紡たちは女学校の授業で[[平和記念東京博覧会]]を観覧。観覧中起こった地震から紡を身を挺して庇った末延唯月は帰宅の途で紡へ自らの気持ちを告白。(漫画『[[紡ぐ乙女と大正の月]]』)<ref>{{Cite book|和書|title=紡ぐ乙女と大正の月 3|date=2022-08-26|publisher=[[芳文社]]|page=110|isbn=978-4832273894|author=ちうね}}作中の日付は同巻の目次より。</ref>
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1968年]] - ホッパー、ゲーム『[[餓狼伝説]]』に登場するキャラクター
* [[1971年]] - トナ・パピク・カジマヒデ、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 木春由乃、アニメ『[[サクラクエスト]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://sakura-quest.com/character/character01.html |title=木春由乃 |work=『サクラクエスト』 |accessdate=1 Apr 2023 |publisher=サクラクエスト製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - 村沢泰明、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - チャカ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Chaka.html |title=チャカ |access-date=1 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - アパッチ、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 初條薫、漫画・アニメ『[[アイシールド21]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=稲垣理一郎|authorlink1=稲垣理一郎|author2=村田雄介|authorlink2=村田雄介 |year = 2005 |title = アイシールド21公式データブック超選手列伝ballers high |publisher = [[集英社]] |series = ジャンプコミックス |isbn = 978-4-08873-758-4 }}</ref>
* 生年不明 - 福田寛、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1254065161272348672}}</ref>
* 生年不明 - 松本樹、漫画・アニメ『黒子のバスケ』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1386550665527365636}}</ref>
* 生年不明 - 宇井真登華、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1121428810061287425}}</ref>
* 生年不明 - 平松和広、漫画・アニメ『[[シュート!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 草野秀明、漫画・アニメ『[[MAJOR]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=満田拓也|authorlink=満田拓也|year=1999|title=Major―Dramatic baseball comic|volume=第26巻|page=5|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-125506-8}}</ref>
* 生年不明 - 長谷川京介、漫画・アニメ『[[エリアの騎士]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=伊賀大晃|authorlink1=伊賀大晃|author2=月山可也|authorlink2=月山可也|year=2008|title=エリアの騎士|volume=第9巻|pages=186-187|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4-06-363950-6}}</ref>
* 生年不明 - 池森柾彦、漫画『[[夜まで待てない。]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - レグジス、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD -蒼空の戦旗-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ(監修)|authorlink=東まゆみ|year=2009|title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド|page=111|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref>
* 生年不明 - 水晶晶、漫画『[[超級龍虎娘]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 秋月巴、漫画・アニメ『[[南鎌倉高校女子自転車部]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 浅井幸子、漫画・アニメ『[[虹色デイズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 沢口理人、漫画・アニメ『[[ももくり]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ケイン時岡、アニメ『[[エクスドライバー]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ロベール・シャトーブリアン、ゲーム・漫画・アニメ『[[サクラ大戦]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 大槻麻衣、ゲーム『[[きゃんきゃんバニー・プルミエール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 菊池希美、ゲーム『[[卒業III 〜Wedding Bell〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|year=1998|title=卒業III 〜Wedding Bell〜 攻略 & 設定資料集 for PlayStation & SATURN |publisher=[[新声社]]|isbn=488199476X}}</ref>
* 生年不明 - ロビン、ゲーム『[[pop'n music]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 調和の杯のアーロン・クロウ、ゲーム『[[アクエリアンエイジ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 影山零士、ゲーム・漫画・アニメ『[[ゲートキーパーズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 萩野可奈、ゲーム・アニメ『[[Canvas2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://fandc.co.jp/canvas2/pc/kana.html |title=荻野 可奈 |publisher=FC01/HQ/F&C Co. |accessdate=1 Apr 2023 |work=『Canvas2~茜色のパレット~』}}</ref>
* 生年不明 - サイラス、ゲーム『[[Paperman|ペーパーマン PaperMan]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 九条くるり、ゲーム『[[Flyable Heart|Flyable heart]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://unisonshift.amusecraft.com/products/project19/character_kururi.htm |title=九条くるり |accessdate=1 Apr 2023 |publisher=ユニゾンシフト |work=『Flyable heart』}}</ref>
* 生年不明 - 木通遊佐、ゲーム『[[Canvas3]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://fandc.co.jp/canvas/c3/ |title=キャラクター 木通遊佐 |work=『Canvas3 ~白銀のポートレート~』 |accessdate=1 Apr 2023 |publisher=F&C・FC01 FANDC.CO.JP}}</ref>
* 生年不明 - モホーク、ゲーム『[[BALDR SKY]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 忍成ハル、ゲーム・アニメ『[[Starry☆Sky]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.honeybee-cd.com/starrysky/vita/spring/index.html#3rdPage |title=After Story Sub Character 忍成 ハル |access-date=2022-10-02 |work=Starry☆Sky}}</ref>
* 生年不明 - 吉野そよ、ゲーム『[[恋文ロマンチカ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 内藤、ゲーム『[[マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ|マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ04 WAR ENSEMBLE]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 国見麻耶、ゲーム『でりばらっ!』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ブリギット、ゲーム『[[アルカナ・ファミリア -La storia della Arcana Famiglia-|アルカナ・ファミリア コレツィオーネ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 山上絢音、ゲーム『[[晴れときどきお天気雨]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://palette.clearrave.co.jp/product/hareten/ayane.html |title=山上 絢音 |work=『晴れときどきお天気雨』 |accessdate=1 Apr 2023 |publisher=[[角川ゲームス|KADOKAWAGAME,LTD]]}}</ref>
* 生年不明 - 紅林かつみ、ゲーム・アニメ『[[フォトカノ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://photokano.jp/subcharacter02b.html |title=紅林かつみ |access-date=1 Apr 2023 |work=『フォトカノ』 |publisher=[[エンターブレイン]]}}</ref>
* 生年不明 - 元親、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/motochika.php |title=元親 |work=『閃乱カグラNewWave Gバースト』 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc]] |accessdate=1 Apr 2023}}</ref>
* 生年不明 - 一箭遙、ゲーム『[[リング☆ドリーム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://characters.success-corp.co.jp/category/ringdream/8897 |title=一箭 遙 |access-date=1 Apr 2023 |publisher=[[サクセス (ゲーム会社)|SUCCESS]] |work=『リング☆ドリーム』}}</ref>
* 生年不明 - エミー、ゲーム『あかばんず』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://moeapp.net/special/accbans.html |title=キャラクター エミー |work=『あかばんず~リアルな世界で僕が君にできること~』 |accessdate=1 Apr 2023 |publisher=萌えAPP}}</ref>
* 生年不明 - 結橋泉、ゲーム『[[Clover Day's]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.alcot.biz/page_bi/archive/0426_izumi.html |title=ALcotヒロイン誕生日 |access-date=1 Apr 2023 |publisher=ALcot}}</ref>
* 生年不明 - 黄陽レイカ、ゲーム『[[ステーションメモリーズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ekimemo|1121573354744340480}}</ref>
* 生年不明 - 天神平陽姫、ゲーム『[[PRIMAL×HEARTS]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 鳳翔トウカ、ゲーム『シンデレライレブン』に登場するキャラクター
* 生年不明 - セフィ=ライアード、ゲーム『聖騎士Melty☆Lovers』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.akabeesoft3.com/products/seikishi/chara01.html |title=セフィ=ライアード |work=『聖騎士Melty☆Lovers』 |accessdate=1 Apr 2023 |publisher=AKABEi SOFT3}}</ref>
* 生年不明 - 町屋結衣奈、ゲーム・アニメ『[[ぱすてるメモリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://pasumemotv.com/character/#yuina |title=町屋結衣奈 |access-date=1 Apr 2023 |publisher=[[フリュー|FURYU]]/「ぱすてるメモリーズ」製作委員会 |work=『ぱすてるメモリーズ』}}</ref>
* 生年不明 - セイウンスカイ、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=seiunsky |title=セイウンスカイ |publisher=[[Cygames]] |accessdate=1 Apr 2023 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - 松岡チロル、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heaven-burns-red.com/character/31f/matsuoka-chiroru/ |title=松岡チロル |website=『ヘブンバーンズレッド 』 |publisher=[[WFS (企業)|WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS]] [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=1 Apr 2023}}</ref>
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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4,890 | 4月27日 | 4月27日(しがつにじゅうななにち、しがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から117日目(閏年では118日目)にあたり、年末まではあと248日ある。 | [
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== できごと ==
[[Image:Showa_Denko_Headquarters_in_1948.JPG|thumb|180x180px|[[昭電疑獄]](1948)、]]
[[Image:ClintonMandela.jpg|thumb|192x192px|[[ネルソン・マンデラ]]、[[南アフリカ共和国]]の大統領に選出(1994)。画像は1993年に[[ビル・クリントン]]と会見したマンデラ(右)]]
[[Image:Tsing_Ma_Bridge_2008.jpg|thumb|180x180px|香港の[[青馬大橋]]開通(1997)]]
{{multiple image
| caption1 = 超大型旅客機[[エアバスA380]]、初飛行(2005)
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| caption2 = [[ソ連]]の爆撃機・Tu-16の初飛行(1952年)
| alt2 = Tu-16
}}
[[File:2018 inter-Korean summit 01.jpg|thumb|180x180px|[[2018年南北首脳会談|第3回南北首脳会談]]に臨む韓国の[[文在寅]]大統領と北朝鮮の[[金正恩]][[朝鮮労働党委員長]](2018年4月27日撮影)]]
* [[1586年]] - [[土星]]において[[水星の太陽面通過 (土星)|水星の太陽面通過]]と[[金星の太陽面通過 (土星)|金星の太陽面通過]]が同時に起こる。太陽系で前回起こった惑星の同時太陽面通過。次回は[[3千年紀|2865年]][[12月29日]]に[[海王星]]で発生する。
* [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[リッジフィールドの戦い]]が開始。
* [[1810年]] - [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]が「[[エリーゼのために]]」を作曲。
* [[1865年]] - アメリカの貨客船「[[サルタナ]]」で、航行中にボイラーが爆発し火災が発生。1,450人以上が死亡。
* [[1897年]] - 帝国図書館官制が公布され、上野の東京図書館を[[帝国図書館]]とする<ref>{{Cite web|和書|url=http://kumonoue-lib.jp/index.php/kyono-issatsu/465-4-27 |title=4月27日は帝国図書館開館記念日 |access-date=2 Jul 2023 |publisher=ゆすはら 雲の上の図書館 |date=27 Apl 2020}}</ref>。
* [[1905年]] - [[リエージュ万国博覧会 (1905年)]]が開催される。
* [[1908年]] - 第4回[[夏季オリンピック]]、[[ロンドンオリンピック (1908年)|ロンドン大会]]開催、[[10月29日]]まで。
* [[1909年]] - [[メフメト5世]]が[[オスマン帝国]][[スルタン]]に即位。
* [[1911年]]([[宣統]]3年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[黄花崗起義]]。[[中国同盟会]]の[[黄興]]が[[広州市|広州]]で反[[清]]武装蜂起。
* [[1917年]] - [[京都]] - [[東京]]512kmで「東海道五十三次関東関西対抗駅伝競走」を開催。初めて「[[駅伝競走|駅伝]]」の名称が使われる。
* [[1940年]] - [[ナチス]][[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]指導者[[ハインリヒ・ヒムラー]]が[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ強制収容所]]の建設命令を発令<ref>{{Cite web |url=https://www.jewishvirtuallibrary.org/history-and-overview-of-auschwitz-birkenau |title=Auschwitz-Birkenau: History & Overview |access-date=2 Jul 2023 |publisher=American-Israeli Cooperative Enterprise}}</ref>。
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ギリシャの戦い]]: [[ナチス・ドイツ]]が[[アテネ]]を占領。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦: [[ベニート・ムッソリーニ]]が[[パルチザン (イタリア)|パルチザン]]に捕縛され、翌日銃殺される。
* [[1946年]] - [[警視庁|東京警視庁]]で初めて採用された[[女性警察官|婦人警官]]62人が初勤務<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/magazine/today/policemans-day/ |title=今日は何の日 婦人警官記念日(4月27日) |access-date=2 Jul 2023 |publisher=PR TIMES MAGAZINE |date=27 Apr 2023}}</ref>。
* [[1948年]] - [[衆議院]]不当財産取引委員会で[[昭和電工]]への復金融資をめぐる贈収賄が問題化、[[昭電疑獄]]に発展。
* 1948年 - [[庭坂事件]]。福島県庭坂村の国鉄[[奥羽本線]]で列車が脱線。乗務員3人死亡。
* [[1951年]] - [[韓国]][[大使館]]で軍が反政府デモ鎮圧。韓国人がケガ。
* [[1952年]] - [[ソビエト社会主義共和国連邦]]より、戦略爆撃機・[[Tu-16]]が進空。
* [[1959年]] - [[中華人民共和国]]で[[毛沢東]]が国家主席を辞任、後任に[[劉少奇]]。
* [[1960年]] - [[大韓民国]]で[[李承晩]]大統領が、退陣を求めるデモの激化を受け辞任。[[許政]]首相が大統領代行に。
* 1960年 - [[トーゴ]]が[[フランス]]から独立。
* [[1961年]] - [[シエラレオネ]]が[[イギリス]]から独立。
* [[1962年]] - [[日本プロレス]]神戸大会での6人タッグマッチで、[[フレッド・ブラッシー]]が[[グレート東郷]]に噛みついて大流血させる。テレビ中継視聴者の複数の[[老人]]が残忍さのあまり[[ショック死]]し、[[日本テレビ]]のプロデューサーが国会に呼び出された。
* [[1967年]] - [[モントリオール万国博覧会]]が開幕。[[10月27日]]まで。
* [[1971年]] - [[1971年大韓民国大統領選挙|大韓民国大統領選挙]]で[[朴正煕]]が三選。
* [[1978年]] - [[アフガニスタン]]でクーデター。翌日、[[ムハンマド・ダーウード]]大統領が殺害される。
* [[1980年]] - [[在コロンビア ドミニカ共和国大使館占拠事件]]で最後の人質が解放される。
* [[1990年]] - [[ボーイング727]]の日本国内での就航が、[[全日本空輸|全日空]][[山形空港|山形]] - [[東京国際空港|羽田]]便を最後に終了。
* [[1991年]] - [[嵯峨野観光鉄道]][[嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線|嵯峨野観光線]][[トロッコ嵯峨駅]] - [[トロッコ亀岡駅]]間が開業。
* [[1994年]] - [[南アフリカ共和国]]で初めてとなる全人種参加の{{仮リンク|1994年南アフリカ総選挙|en|South African general election, 1994|label=総選挙}}。[[ネルソン・マンデラ]]率いる[[アフリカ民族会議]]が第一党となり、マンデラを次期[[南アフリカの大統領|大統領]]に選出。
* [[1996年]] - [[東葉高速鉄道東葉高速線]][[西船橋駅]] - [[東葉勝田台駅]]間が開業。
* [[1997年]] - 英領[[香港]]の[[青馬大橋]]が開通。
* [[2004年]] - ニューヨークの[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]]跡地で[[1 ワールドトレードセンター]]が着工。
* [[2005年]] - [[シリア]]による[[レバノン]]からの軍隊の完全撤退実施。
* 2005年 - [[トゥールーズ]]で[[エアバスA380]]が初飛行。
* [[2007年]] - [[新丸の内ビルディング]](新丸ビル)が[[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]に開業。
* [[2008年]] - ベンガル湾に[[サイクロン・ナルギス]]が発生。ミャンマーを中心に甚大な被害。
* [[2010年]] - [[日本]]で[[刑事訴訟法]]改正法が公布・施行<ref>{{Cite web|和書|date=27 Apr 2010 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNNSE2INK01_X20C10A4000000/ |title=殺人の時効を廃止 改正法成立、即日施行 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=2 Jul 2023}}</ref>。[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]・[[強盗殺人罪]]の[[公訴時効]]廃止など。
* [[2017年]] - アメリカのホノルル国際空港が同地出身の[[ダニエル・イノウエ]]にちなみ、[[ダニエル・K・イノウエ国際空港]]に改名<ref>{{Cite web|和書|url=https://allabout.co.jp/gm/gc/384923/ |title=ダニエル・K・イノウエ国際空港ってどんな空港? |access-date=2 Jul 2023 |publisher=All About |date=22 Apr 2019}}</ref>。
* [[2018年]] - 韓国の[[文在寅]]大統領と[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[金正恩]][[朝鮮労働党委員長]]が、[[板門店]]の韓国側の施設「平和の家」で[[2018年南北首脳会談]]を実施。朝鮮半島の「完全な非核化」を盛り込んだ[[板門店宣言]]を発表<ref>{{Cite web|和書|date=27 Apr 2018 |url=http://japan.hani.co.kr/arti/politics/30421.html |title=全文 「朝鮮半島の平和と繁栄、統一に向けた板門店宣言」 |publisher=hankyoreh japan |accessdate=2 Jul 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[Image:Mary Wollstonecraft by John Opie (c. 1797).jpg|thumb|[[フェミニズム]]の先駆者、[[メアリ・ウルストンクラフト]](1759-1797)誕生|220x220ピクセル]]
[[Image:Morse telegraph.jpg|thumb|発明家[[サミュエル・モールス]](1791-1872)誕生。画像はモールス[[電信機]]|274x274ピクセル]]
[[Image:Spencer1.jpg|thumb|180px|哲学者・社会学者、[[ハーバート・スペンサー]](1820-1903)]]
[[Image:Ulysses_Grant_1870-1880.jpg|thumb|第18代アメリカ合衆国大統領、[[ユリシーズ・S・グラント]](1822-1885)|241x241ピクセル]]
[[Image:Edward_Whymper.jpg|thumb|登山家[[エドワード・ウィンパー]](1840-1911)。著書に『アルプス登攀記』(1871)|225x225ピクセル]]
[[Image:%E9%BB%84%E9%81%B5%E6%86%B2.JPG|thumb|[[清|清朝]]末期の詩人・政治家、[[黄遵憲]](1848-1905)|244x244ピクセル]]
[[Image:Beecham_emu_1910.jpg|thumb|指揮者[[トーマス・ビーチャム]](1879-1961)。莫大な資金を基に[[ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団]]を創設した|285x285ピクセル]]
[[Image:Rogers_Hornsby.jpg|thumb|[[三冠 (野球)|三冠王]]を2度獲得した[[メジャーリーグベースボール|大リーガー]]、[[ロジャース・ホーンスビー]](1896-1963)|301x301ピクセル]]
[[Image:Cour Napoléon at night - Louvre.jpg|thumb|180x180px|建築家[[イオ・ミン・ペイ]](1917-2019)。画像は[[ルーヴル美術館]]のピラミッド(1989)]]
=== 人物 ===
* [[1653年]]([[承応]]2年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[酒井忠稠]]、初代[[敦賀藩|敦賀藩主]](+ [[1706年]])
* [[1701年]] - [[カルロ・エマヌエーレ3世]]<ref>{{Cite web |title=Charles Emmanuel III {{!}} king of Sardinia-Piedmont |url=https://www.britannica.com/biography/Charles-Emmanuel-III |website=Britannica |access-date=2 Jul 2023}}</ref>、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](+ [[1773年]])
* [[1733年]] - [[ヨーゼフ・ゴットリープ・ケールロイター]]、[[植物学|植物学者]](+ [[1806年]])
<!-- グレゴリオ暦では5月8日*[[1737年]] - [[エドワード・ギボン]]、[[歴史家]](+ [[1794年]])-->
* [[1750年]]([[寛延]]3年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[松平輝和]]、第4代[[高崎藩|高崎藩主]](+ [[1800年]])
* [[1759年]] - [[メアリ・ウルストンクラフト]]<ref>{{Cite web |title=Mary Wollstonecraft {{!}} Biography, Beliefs, Books, A Vindication of the Rights of Woman, & Facts |url=https://www.britannica.com/biography/Mary-Wollstonecraft |website=Britannica |access-date=2 Jul 2023}}</ref>、[[社会思想|社会思想家]]、[[フェミニズム]]先駆者(+ [[1797年]])
* [[1767年]] - [[アンドレーアス・ロンベルク]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1821年]])
* [[1791年]] - [[サミュエル・モールス]]、[[発明家]](+ [[1872年]])
* [[1806年]] - [[マリア・クリスティーナ・デ・ボルボン]]、[[スペイン]][[王妃]](+ [[1878年]])
* 1809年([[文化 (元号)|文化]]3年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]) - [[阿部正暠]]、第6代[[佐貫藩|佐貫藩主]](+ [[1853年]])
* [[1809年]]([[文化 (元号)|文化]]6年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[岡部長寛]]、第12代[[岸和田藩|岸和田藩主]](+ [[1887年]])
* [[1812年]] - [[フリードリッヒ・フォン・フロトー]]、[[作曲家]](+ [[1883年]])
* [[1815年]]([[文化 (元号)|文化]]12年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[松平斉斎]]、第9代[[松江藩|松江藩主]](+ [[1863年]])
* [[1820年]] - [[ハーバート・スペンサー]]、[[社会学者]]、[[哲学者]](+ [[1903年]])
* [[1821年]]([[文政]]5年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[板倉勝成]]、第9代[[庭瀬藩|庭瀬藩主]](+ [[1848年]])
* [[1822年]] - [[ユリシーズ・S・グラント]]、第18代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1885年]])
* [[1840年]] - [[エドワード・ウィンパー]]、[[登山家]]、[[木版画]]家(+ [[1911年]])
* [[1848年]] - [[オットー1世 (バイエルン王)|オットー1世]]、[[バイエルン王国|バイエルン王]](+ [[1916年]])
* 1848年([[道光]]28年3月24日) - [[黄遵憲]]、[[中国]][[清|清朝]]末期の[[詩人]]、[[外交官]]、[[政治哲学|政治思想家]](+ [[1905年]])
* [[1854年]]([[嘉永]]7年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[長谷場純孝]]、[[政治家]]、第22代[[文部大臣]](+ [[1914年]])
* [[1856年]]([[咸豊]]6年3月23日) - [[同治帝]]、第10代[[清]][[皇帝]](+ [[1875年]])
* [[1857年]] - [[テオドール・キッテルセン]]、[[画家]]、[[芸術家]](+ [[1914年]])
* [[1864年]] - [[ジェフリー・ホール=セイ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1940年]])
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[内田魯庵]]、小説家(+ [[1929年]])
* [[1876年]] - [[堀江帰一]]、[[経済学者]](+ [[1927年]])
* [[1878年]] - [[フランク・ゴッチ]]、[[プロレスラー]](+ [[1917年]])
* [[1879年]] - [[トーマス・ビーチャム]]、[[指揮者]](+ [[1961年]])
* [[1880年]] - [[守山恒太郎]]、[[野球選手]](+ [[1912年]])
* [[1892年]] - [[鷲尾雨工]]、小説家(+ [[1951年]])
* [[1893年]] - [[ドラジャ・ミハイロヴィッチ]]、[[軍人]](+ [[1946年]])
* [[1894年]] - [[柳田泉]]、[[近代文学]]研究者、[[翻訳家]](+ [[1969年]])
* 1894年 - [[ニコラス・スロニムスキー]]、作曲家、指揮者、[[音楽評論家]](+ [[1995年]])
* [[1896年]] - [[ウォーレス・カロザース]]、[[化学者]](+ [[1937年]])
* 1896年 - [[ロジャース・ホーンスビー]]、元プロ野球選手(+ [[1963年]])
* [[1898年]] - [[福井康順]]、[[仏教学者]]、[[東洋学|東洋学者]](+ [[1991年]])
* [[1901年]] - [[龍胆寺雄]]、[[作家]]、[[サボテン]]研究家(+ [[1992年]])
* [[1903年]] - [[フランク・ベルナップ・ロング]]、[[小説家]](+ [[1994年]])
* [[1904年]] - [[セシル・デイ=ルイス]]、作家、詩人(+ [[1972年]])
* [[1908年]] - [[寺田竹雄]]、[[洋画家]](+ [[1993年]])
* [[1910年]]([[宣統]]2年3月18日) - [[蔣経国]]、第6期・7期[[中華民国総統]](+ [[1988年]])
* [[1913年]] - [[フィリップ・アベルソン]]、[[物理学者]](+ [[2004年]])
* [[1916年]] - [[宮崎要]]、[[プロ野球選手]](+ [[1965年]])
* 1916年 - [[中馬辰猪]]、[[政治家]](+ [[2010年]])
* 1916年 - [[イーノス・スローター]]、元プロ野球選手(+ [[2002年]])
* [[1917年]] - [[イオ・ミン・ペイ]]、[[建築家]](+ [[2019年]])
* [[1920年]] - [[グィード・カンテッリ]]、[[指揮者]](+ [[1956年]])
* [[1921年]] - [[ヨアヒム・ブレンデル]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+[[1974年]])
* [[1922年]] - [[竹野栄]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]]、[[教育者]]
* [[1925年]] - [[鈴木重靖]]、[[経済学者]] (+ [[2021年]])
* [[1926年]] - [[増田通二]]、[[経営者]]、[[パルコ]][[創業者]](+ [[2007年]])
* [[1929年]] - [[越智通雄]]、政治家
* 1929年 - [[遠藤登]]、政治家(+ [[2011年]])
* [[1931年]] - [[矢田稔]]、[[声優]]
* 1931年 - [[イーゴリ・オイストラフ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2021年]])
* [[1932年]] - [[矢野絢也]]、政治家、政治評論家
* 1932年 - [[高井有一]]、小説家(+ [[2016年]])
* 1932年 - [[小林完吾]]、[[アナウンサー]]
* 1932年 - [[アヌーク・エーメ]]、[[俳優|女優]]
* [[1933年]] - [[天野祐吉]]、[[コラムニスト]](+ [[2013年]])
* [[1935年]] - [[テオ・アンゲロプロス]]、[[映画監督]](+ [[2012年]])
* 1935年 - [[森田斌]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]<ref name="moritasakan">{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/18/kiji/K20110618001038660.html |title=元大洋投手コーチの森田斌氏が白血病で死去 |publisher=[[スポーツニッポン]] |accessdate=2 Jul 2023 |website=Sponichi Annex |date=18 Jun 2011}}</ref>)
* [[1936年]] - [[近藤晴彦]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]])
* [[1937年]] - [[サンディ・デニス]]、女優(+ [[1992年]])
* [[1939年]] - [[ヘイミッシュ・ミルン]]、[[ピアニスト]](+ [[2020年]])
* [[1942年]] - [[藤井貞和]]、詩人
* [[1943年]] - [[ジョージ秋山]]、[[漫画家]](+ [[2020年]])
* 1943年 - [[大塚勝久]]、[[実業家]]
* [[1944年]] - [[マイク真木]]、[[歌手]]、[[俳優]]
* [[1945年]] - [[小山勝二]]、[[宇宙物理学|宇宙物理学者]]
* [[1947年]] - [[柴俊夫]]、俳優
* 1947年 - [[ピート・ハム]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[バッドフィンガー]])(+ [[1975年]])
* [[1948年]] - [[米山哲夫]]、プロ野球選手
* 1948年 - [[ヨーゼフ・ヒッケルスベルガー]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者
* [[1949年]] - [[藤原喜明]]、[[プロレスラー]]
* 1949年 - [[西岡三四郎]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[水谷則博]]、元プロ野球選手(+ [[2001年]])
* [[1951年]] - [[御厨貴]]、[[政治学者]]
* 1951年 - [[エース・フレーリー]]、[[ギタリスト]](元[[キッス]])
* 1951年 - [[但田裕介]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[ジョージ・ガービン]]、[[バスケットボール選手]]
* 1952年 - [[アリ・バタネン]]、[[ラリー]][[自動車競技|ドライバー]]
* 1952年 - [[松岡高信]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[エリック・シュミット]]、[[コンピュータ技術者]]、[[実業家]]
* [[1957年]] - [[ウィリー・アップショー]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[酒井哲哉]]、政治学者
* [[1959年]] - [[シーナ・イーストン]]、歌手
* 1959年 - [[アンドリュー・ファイアー]]、[[遺伝学|遺伝学者]]
* 1959年 - [[ルイ・ロルティ]]、[[ピアニスト]]
* [[1963年]] - [[加藤雅也]]、俳優
* 1963年 - [[宮根誠司]]、アナウンサー
* 1963年 - [[吉村禎章]]、元プロ野球選手
* [[1964年]] - [[関岡香]]、アナウンサー
* [[1965年]] - [[西原久美子]]、声優、ナレーター
* 1965年 - [[向井美音里]]、元ミュージシャン(元[[UNICORN|ユニコーン]])
* 1965年 - [[ボブ・マクドナルド]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[入江喜和]]、漫画家
* 1966年 - [[冨樫義博]]、漫画家
* 1966年 - [[垣根涼介]]、小説家
* 1966年 - [[エリック・ヒルマン]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[島袋浩]]、[[AV男優]]
* [[1967年]] - [[ウィレム=アレクサンダー (オランダ王)|ヴィレム=アレクサンダー]]、[[オランダ]]国王
* [[1968年]] - [[横山武志]]、俳優、作曲家
* 1968年 - [[松野明美]]、マラソン選手、政治家、タレント
* 1968年 - [[荒川哲男 (野球)|荒川哲男]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[立山律子]]、[[ディスクジョッキー]]
* 1969年 - [[ダーシー・バッセル]]、[[バレエ]]ダンサー
* [[1970年]] - [[小川祥志]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[陳衛星]]、[[卓球選手一覧|卓球選手]]
* [[1973年]] - [[井上恵]]、[[射撃選手一覧|射撃選手]]
* 1973年 - [[谷合正明]]、政治家
* [[1974年]] - [[フランク・カタラノット]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[白玉雅己]]、[[ベーシスト]](元[[ポルノグラフィティ]])
* 1974年 - [[ジョニー・デバイン]]、プロレスラー
* 1974年 - [[馬場典子]]、アナウンサー
* 1974年 - [[原千晶]]、女優、[[アロマテラピー|アロマ]]インストラクター
* 1974年 - [[奥田健介]]、ミュージシャン ([[ノーナ・リーヴス]])
* [[1975年]] - [[船木和喜]]、[[スキージャンプ]]選手
* 1975年 - [[ペドロ・フェリス]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[クリス・カーペンター]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[岸田繁]]、ミュージシャン([[くるり]])
* 1976年 - [[村上涼子]]、AV女優
* [[1977年]] - [[高橋和幸]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[尾形貴弘]]、お笑い芸人([[パンサー (お笑いトリオ)|パンサー]])
* [[1978年]] - [[鈴木尚広]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[ノブ・ハヤシ]]、[[キックボクサー]]
* 1978年 - [[間下このみ]]、女優
* 1978年 - [[望月久代]]、声優
* 1978年 - [[サミ・ヒンカ]]、[[ヘヴィメタル]]ミュージシャン
* [[1979年]] - [[クリスチャン・ベロア]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[根本正勝]]、俳優、歌手、声優
* [[1981年]] - [[池田昇平]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[唐汭序]]、[[卓球選手]]
* 1981年 - [[キンバリー・ナバーロ]]、フィギュアスケート選手
* [[1982年]] - [[マルク・ラマッキア]]、野球選手
* 1982年 - [[田原豊]]、元サッカー選手
* 1982年 - [[楊原京子]]、女優、[[タレント]]
* [[1983年]] - [[門田こむぎ]]、元歌手
* [[1984年]] - [[パトリック・スタンプ]]、歌手([[フォール・アウト・ボーイ]])、プロデューサー
* 1984年 ‐ 大将、お笑い芸人([[スーパーニュウニュウ]])
* 1984年 - 好井まさお、お笑い芸人(元[[井下好井]])
* [[1985年]] - [[長谷部瞳]]、女優、タレント
* 1985年 - [[曽根由希江]]、歌手、[[ディスクジョッキー|DJ]]
* [[1986年]] - [[ディナラ・サフィナ]]、[[テニス選手]]
* 1986年 - [[平田裕一郎]]、[[俳優]]
* 1986年 - [[間瀬翔太]]、[[俳優]]
* [[1987年]] - [[鈴木杏]]、女優
* 1987年 - [[宇賀地強]]、陸上競技選手
* 1987年 - [[ウィリアム・モーズリー]]、俳優
* 1987年 - [[船江恒平]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* 1987年 - [[吉田利一]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[海平和]]、アナウンサー
* 1987年 - [[増田里絵]]、元野球選手
* [[1988年]] - 渡邉悠、[[ドラマー]](元[[The Sketchbook]])
* 1988年 - [[北野洸貴]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[ホセ・フェルナンデス (1988年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[リゾ (歌手)|リゾ]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1989年]] - [[築地保奈美]]、元バレーボール選手
* [[1990年]] - [[荒戸完]]、[[ラジオパーソナリティ|ラジオDJ]]
* 1990年 - [[倉地恵利]]、女優
* 1990年 - [[春輝 (モデル)|春輝]]、[[ファッションモデル]]
* 1990年 - [[アーロン・ブルックス (野球)|アーロン・ブルックス]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[アレハンドロ・セゴビア]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[マーティン・ケリー]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[ジェイ・ハードウェイ]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[音楽プロデューサー]]
* [[1992年]] - [[曽田茉莉江]]、タレント([[美少女クラブ31]])
* 1992年 - [[瀬川あやか]]、歌手
* 1992年 - Sakurako、歌手([[iiyu]]、元[[ひめキュンフルーツ缶]])
* [[1993年]] - [[石川慎吾]]、プロ野球選手
* 1993年 - [[横手健]]、陸上選手
* [[1994年]] - [[コーリー・シーガー]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[澤田圭佑]]、プロ野球選手
* [[1995年]] - [[ニック・キリオス]]、テニス選手
* [[1998年]] - [[新條由芽]]、女優
* 1998年 - [[遠藤有栖]]、プロレスラー
* [[1999年]] - [[南乃彩希]]、元ファッションモデル、元女優
* 1999年 - [[松田好花]]、アイドル([[日向坂46]])
* 1999年 - [[西葉瑞希]]、女優、アイドル(元[[きゅい〜ん'ズ]]、元[[Star☆T]])
* [[2002年]] - 奏天まひろ、元アイドル([[まりなす]])
* [[2005年]] - [[原涼子]]、女優、声優
* 生年不明 - [[足立友]]、声優
* 生年不明 - [[中井将貴]]、声優
* 生年不明 - 岩井ジョニ男、お笑い芸人([[イワイガワ]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1979年]] - [[バンブーアトラス]]、[[競走馬]](+ [[2003年]])
* [[1980年]] - [[ニホンピロウイナー]]、競走馬(+ [[2005年]])
* [[2002年]] - [[フジノウェーブ]]、競走馬(+ [[2013年]])
* [[2012年]] - [[ブチコ]]、競走馬、[[繁殖牝馬]]
* [[2017年]] - [[テーオーケインズ]]、競走馬
* 2017年 - [[ジュンライトボルト]]、競走馬
== 忌日 ==
[[Image:Detail_from_a_map_of_Ortelius_-_Magellan%27s_ship_Victoria.png|thumb|[[フェルディナンド・マゼラン]](1480-1521)戦死。画像はマゼランの帆船[[ビクトリア号]]|180x180ピクセル]]
[[Image:Skrjabin_Alexander.jpg|thumb|作曲家・ピアニスト、[[アレクサンドル・スクリャービン]](1872-1915)没|252x252ピクセル]]
[[Image:75th_Anniv_of_Japan_Postal_Service.jpg|thumb|日本の「[[郵便]]制度の父」、[[前島密]](1835-1919)|296x296ピクセル]]
{{multiple image
| caption1 = [[現象学]]を提唱した哲学者[[エトムント・フッサール]](1859-1938)
| image1 = Edmund_Husserl_1900.jpg
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| alt1 = エトムント・フッサール
| image2 = 1989_CPA_6101.jpg
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| caption2 = アフリカの独立運動の父、[[ガーナ]]初代大統領[[クワメ・エンクルマ]](1909-1972)
| alt2 = クワメ・エンクルマ
}}
* [[紀元前399年]] - [[ソクラテス]]、[[哲学者]](* [[紀元前469年]]頃)
* [[700年]]([[文武天皇]]4年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[明日香皇女]]、皇族
* [[1404年]] - [[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ2世]]、[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ公]](* [[1342年]])
* [[1521年]] - [[フェルディナンド・マゼラン]]、航海者(* [[1480年]]頃)
* [[1599年]]([[慶長]]4年[[3月3日 (旧暦)|閏3月3日]]) - [[前田利家]]、[[武将]]、[[五大老]](* [[1539年]])
* [[1605年]] - [[レオ11世 (ローマ教皇)|レオ11世]]、第232代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1535年]])
* [[1656年]] - [[ヤン・ファン・ホーイェン]]<ref>{{Cite web |title=Jan van Goyen {{!}} Dutch painter |url=https://www.britannica.com/biography/Jan-van-Goyen |website=Britannica |access-date=2 Jul 2023}}</ref>、[[画家]](* [[1596年]])
* 1656年 - [[ヘラルト・ファン・ホントホルスト]]、画家(* [[1592年]])
* [[1694年]] - [[ヨハン・ゲオルク4世 (ザクセン選帝侯)|ヨハン・ゲオルク4世]]、[[ザクセン公国|ザクセン]][[選帝侯]](* [[1668年]])
* [[1702年]] - [[ジャン・バール]]、[[フランス]][[海軍]]の軍人、[[私掠船]]船長(* [[1651年]])
* [[1794年]] - [[ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)|ウィリアム・ジョーンズ]]、[[言語学者の一覧|言語学者]]、[[裁判官]](* [[1746年]])
* [[1813年]] - [[ゼブロン・パイク]]、[[軍人]]、[[探検家]](* [[1779年]])
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[徳川慶篤]]、第10代[[水戸藩|水戸藩主]]、[[徳川慶喜]]の兄(* [[1832年]])
* [[1882年]] - [[ラルフ・ワルド・エマーソン]]、哲学者、[[詩人]](* [[1803年]])
* [[1906年]] - [[木村荘平]]、[[実業家]](* [[1841年]])
* [[1915年]] - [[アレクサンドル・スクリャービン]]、[[作曲家]](* [[1872年]])
* [[1919年]] - [[前島密]]、[[官僚]]、[[政治家]](* [[1835年]])
* [[1935年]] - [[腰本寿]]、[[野球選手]](* [[1894年]])
* [[1936年]] - [[カール・ピアソン]]、[[統計学|統計学者]](* [[1857年]])
* [[1937年]] - [[島薗順次郎]]、[[医師]](* [[1877年]])
* 1937年 - [[アントニオ・グラムシ]]、[[マルクス主義]][[思想家]](* [[1891年]])
* [[1938年]] - [[エドムント・フッサール]]、[[数学者]]、思想家(* [[1859年]])
* [[1942年]] - [[ハインリヒ・ブルガー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1881年]])
* [[1962年]] - [[根岸寛一]]、[[映画プロデューサー]](* [[1894年]])
* [[1965年]] - [[世耕弘一]]、政治家(* [[1893年]])
* 1965年 - [[エドワード・R・マロー]]、[[ジャーナリスト]](* [[1908年]])
* [[1966年]] - [[二木謙三]]、[[医学|医学者]](* [[1873年]])
* [[1971年]] - [[西村栄一]]、政治家(* [[1904年]])
* [[1972年]] - [[クワメ・エンクルマ]]、[[ガーナ]]初代[[ガーナの大統領|大統領]](* [[1909年]])
* 1972年 - [[小枩山貞造]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1913年]])
* [[1973年]] - [[吉田富三]]、医学者(* [[1903年]])
* [[1977年]] - [[スコット・ブラッドリー]]、作曲家(* [[1891年]])
* 1977年 - [[長沼弘毅]]、[[官僚]]、[[文芸評論家]](* [[1906年]])
* [[1983年]] - [[山口長男]]、[[洋画家]](* [[1902年]])
* [[1984年]] - [[浅井甚兵衛]]、仏教指導者(* 1904年)
* [[1989年]] - [[松下幸之助]]、[[実業家]]、[[パナソニック]]創業者(* [[1894年]])
* [[1992年]] - [[オリヴィエ・メシアン]]、作曲家、[[オルガニスト]](* [[1908年]])
* [[1999年]] - [[賀緑汀]]、作曲家(* [[1903年]])
* [[2002年]] - [[ジョージ・アレック・エフィンジャー]]、[[SF作家]](* [[1947年]])
* [[2005年]] - [[大社義規]]、[[実業家]]、[[日本ハム]]創業者、[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム球団]]初代オーナー(* [[1915年]])
* 2005年 - [[福井敏雄]]、気象解説者、[[タレント]](* [[1921年]])
* [[2006年]] - [[米川良夫]]、[[翻訳家]](* [[1931年]])
* [[2007年]] - [[ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ]]、[[チェリスト]]、[[指揮者]](* [[1927年]])
* [[2009年]] - [[エドウィン・マクレラン]]、[[日本文学研究者]]、[[イェール大学]]名誉教授(* [[1925年]])
* 2009年 - [[ミロスラヴ・フィリップ]]、[[チェス]]選手(* [[1928年]])
* [[2010年]] - [[北林谷栄]]、[[俳優|女優]]、[[声優]](* [[1911年]])
* [[2013年]] - [[佐野洋]]、[[小説家]](* 1928年)
* 2013年 - [[アニマル・レスリー]]、元プロ野球選手(* [[1958年]])
* [[2014年]] - [[市村緑郎]]、[[彫刻家]](* [[1936年]])
* 2014年 - [[神戸一郎]]、[[歌手]]、[[俳優]](* [[1938年]])
* [[2015年]] - [[アレクサンダー・リッチ]]、生物学者、生物物理学者(* [[1924年]])
* [[2017年]] - [[佐田の山晋松]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1816341.html |title=第50代横綱の佐田の山が死去 優勝6回、79歳 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=1 May 2017 |accessdate=2 Jul 2023}}</ref>、元[[大相撲]][[力士]]、第50代[[横綱]](* [[1938年]])
* [[2018年]] - [[朝丘雪路]]<ref>{{Cite web|和書|title=朝丘雪路さん死去、82歳 アルツハイマー型認知症で先月27日 “おしどり夫婦”夫の津川雅彦残して |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/05/19/kiji/20180519s00041000617000c.html |website=Sponichi Annex |access-date=2 Jul 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=19 MAy 2018}}</ref>、女優(* [[1935年]])
{{Clear}}
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2018年]] - [[スペシャルウィーク]]、[[競走馬]](* [[1995年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:David_-_The_Death_of_Socrates.jpg|thumb|180x180px|[[哲学]]の日。[[ソクラテス]](BC469頃-BC399)、[[ドクニンジン|毒人参]]を仰ぎ刑死。画像は[[ジャック=ルイ・ダヴィッド]]画(1787)]]
[[Image:Human fetus 10 weeks - therapeutic abortion.jpg|thumb|180x180px|世界生命の日]]
*[[国王誕生日 (オランダ)|王の日]]({{NED}})
*:[[ウィレム=アレクサンダー (オランダ王)|ウィレム=アレクサンダー]]国王の誕生日。
*[[自由の日 (南アフリカ)|自由の日]]({{ZAF}})
*: [[1994年]]のこの日に、南アフリカで初の全人種が参加する総選挙が行われたことを記念。
*占領に対する反乱の日({{SVN}})
*: [[1941年]]のこの日に、[[枢軸国]]陣営の3か国に分割統治されていたスロベニアで、「スロベニア人民解放戦線」が設立されたことを記念。
*[[独立記念日]]({{SLE}})
*: [[1961年]]のこの日、シエラレオネのイギリスからの独立が宣言された。
*独立記念日({{TGO}})
*: [[1960年]]のこの日、トーゴがフランスから独立した。
*上高地開山祭({{JPN}})
*:残雪の[[穂高連峰]]を背景に、毎年[[河童橋]]のたもとで行われる山開きの神事。[[アルプホルン]]が演奏され、[[穂高神社|穂髙神社]]の神官によって、山の安全と繁栄が祈願される。また、地元保存会による[[獅子舞]]の奉納・[[鏡開き]]などが行われ、河童橋周辺には毎年数千人が訪れる<ref>{{Cite web|和書|url=https://sawando.ne.jp/event/20/ |title=上高地開山祭 |access-date=2 Jul 2023 |publisher=さわんど温泉}}</ref>。
*婦人警官の日/婦人警官記念日({{JPN}})
*: [[1946年]]のこの日に、戦後はじめて警視庁に採用された[[女性警察官|婦人警官]]62人が初勤務をしたことから。
*世界生命の日{{JPN}}
*: [[1991年]]4月25日から4月27日まで東京で開かれた[[国際生命尊重会議]]で制定。[[胎児の人権宣言]]が宣言された最終日を記念日とした。
*[[哲学]]の日({{JPN}})
*: [[紀元前399年]]4月27日に、[[ソクラテス]]が毒杯をあおって刑死したことに由来。ソクラテスの妻[[クサンティッペ]]が悪妻と言われていることから「悪妻の日」ともされている。
*ロープデー({{JPN}})
*:「よい(4)つ(2)な(7)」(良い綱)の語呂合わせ。
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0427|date=Jul 2023}}
*[[1895年]](明治28年)- 押絵と旅する男の兄が、押絵の世界に入ってしまう。(『[[押絵と旅する男]]』)
*1998年 - 夜見山北中学校3年3組の生徒、見崎鳴の実質上の妹である藤岡未咲が地元の病院で御逝去。98年の災厄の根源。(小説・アニメ『[[Another]]』)
*2002年 - ブルーバードイマジンが現れる。電王クライマックスフォームによって倒される。(特撮『[[仮面ライダー電王]]』)
*年不明 - 千葉県立幕張南高校野球部員と柔道部員が部室の所有権を賭けて対決。(漫画『[[幕張 (漫画)|幕張]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1911年]] - 吉野杏里、ゲーム・アニメ『[[サクラ大戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakura-taisen.com/archives/game/ds/chara_anri.html |title=吉野杏里 |access-date=2023-01-29 |publisher=[[セガ|SEGA]] |work=『サクラ大戦』}}</ref>
* [[1992年]] - [[カービィ]]、[[デデデ大王]]、[[ワドルディ]]、その他、ゲーム『[[星のカービィ]]』シリーズの主人公及び敵キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hicbc.com/tv/kirby/great/game/ |title=★カービィの誕生日 |access-date=2023-01-29 |work=『星のカービィ』}}</ref>
* 生年不明 - 大門カイト、アニメ・漫画『[[ファイ・ブレイン 神のパズル]]』の主人公
* 生年不明 - 遠野篤京、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1518969411432030210}}</ref>
* 生年不明 - 宇佐美栞、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|W_Trigger_off|1386697839439491074}}</ref>
* 生年不明 - 碓氷拓海、漫画『[[会長はメイド様!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 基、漫画・アニメ『[[推しが武道館いってくれたら死ぬ|推しが武道館行ってくれたら死ぬ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_oshibudo|1254683831757463552}}</ref>
* 生年不明 - 弥勒夕海子、小説・アニメ『[[楠芽吹は勇者である]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://yuyuyu.tv/churutto/character/#/mirokuyumiko |title=楠芽吹は勇者である|弥勒 夕海子 |publisher=Project 2H |accessdate=2023-01-29 |work=『結城友奈は勇者である ちゅるっと!』}}</ref>
* 生年不明 - 阿部亜澄、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hai-furi.com/character/06_05/ |title=阿部 亜澄 |access-date=2023-01-29 |publisher=AAS/新海上安全整備局 |work=劇場版『ハイスクール・フリート』}}</ref>
* 生年不明 - 渡来・園香、アニメ『[[戦翼のシグルドリーヴァ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書| url=https://sigururi.com/chara/?chara=sonoka |title= 渡来・園香 |access-date=2 Jul 2023 |publisher= 戦翼倶楽部/909整備補給隊 |work=『戦翼のシグルドリーヴァ』}}</ref>
* 生年不明 - 南条千鳥、ゲーム『[[さくらビットマップ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hook-net.jp/sakura/chara/04_chidori.htm |title=南条 千鳥 |publisher=[[HOOKSOFT]] |accessdate=2023-01-29 |work=『さくらビットマップ』}}</ref>
* 生年不明 - 仁兎なずな、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/nito_nazuna/ |title=仁兎 なずな |accessdate=2023-01-29 |publisher=[[Happy Elements]] |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref>
* 生年不明 - 槙原志保、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20148 |title=槙原 志保(まきはら しほ) |access-date=2023-01-29 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 水木聖來、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20157 |title=水木 星來(みずき せいら) |access-date=2023-01-29 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 泉田京香、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/izumida |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title=泉田 京香 |accessdate=2023-01-29 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|April 27|27 April}}
{{新暦365日|4|26|4|28|[[3月27日]]|[[5月27日]]|[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]|0427|4|27}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T12:02:38Z | 2023-12-30T16:45:59Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8827%E6%97%A5 |
4,891 | 4月28日 | 4月28日(しがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から118日目(閏年では119日)にあたり、年末まではあと247日ある。 | [
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] | 4月28日(しがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から118日目(閏年では119日)にあたり、年末まではあと247日ある。 | {{カレンダー 4月}}
'''4月28日'''(しがつにじゅうはちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から118日目([[閏年]]では119日)にあたり、年末まではあと247日ある。
== できごと ==
<!-- メモ: [[日本考古学会]]、[[金本位制]]、[[文化勲章]]、記事に日付なし -->
[[File:Ban_dainagon_ekotoba.jpg|thumb|413px|[[応天門の変]](866)]] <!-- 回り込みなし。質の高い画像ですが、邪魔でしたらコメントアウトしてください -->
[[File:Mutiny_HMS_Bounty.jpg|thumb|240px|[[バウンティ号の反乱]](1789)。多くの文学・映画作品の題材となった]]
[[File:Prince_and_Princess_Euimin.jpg|thumb|upright|朝鮮王家の[[王公族|王世子]][[李垠]]と[[李方子|方子女王]]が結婚(1920)]]
<!-- [[File:Tour_Eiffel_publicit%C3%A9_Citro%C3%ABn_1925.jpg|thumb|220px|[[パリ万国博覧会 (1925年)|パリ万国博覧会]](1925)開催。画像は会期中の[[エッフェル塔]]]] -->
<!-- [[File:Kon-Tiki.jpg|thumb|250px|筏[[コンティキ号]]出航(1947)]] -->
<!-- [[File:Event_expo_67_poster_1990-552-1.jpg|thumb|250px|[[モントリオール万国博覧会]](1967)開催]] -->
<!-- [[File:Alohaairlinesdisaster.jpg|thumb|240px|[[アロハ航空243便事故]](1988)。飛行中に機体に大穴が開くも生還]] -->
* [[711年]] - [[ムーア人]]が[[ジブラルタル海峡]]を渡って[[イベリア半島]]に侵入し、[[アルハンブラ宮殿|アルハンブラの丘]]を占領して定住。
* [[866年]]([[貞観 (日本)|貞観]]8年[[閏月|閏]][[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[平安京]][[大内裏]]の[[応天門]]が[[放火]]により焼失([[応天門の変]])。
* [[960年]]([[天徳 (日本)|天徳]]4年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[天徳内裏歌合]]が行われる。
* [[1192年]] - [[第3回十字軍]]: [[エルサレム国王一覧|エルサレム王]]即位直前の[[コンラート1世 (モンフェラート侯)|コンラート1世]]が暗殺される。
* [[1423年]]([[応永]]30年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[足利義量]]の[[将軍宣下]]が行われる。
* [[1708年]]([[宝永]]5年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[京都]]で大火([[宝永の大火]])。約1万4,000軒が焼失。
* [[1788年]] - [[メリーランド州]]が[[アメリカ合衆国憲法]]を批准し、アメリカ合衆国7番目の州となる。
* [[1789年]] - [[トンガ]]のフレンドリー諸島で[[バウンティ号の反乱]]が起こる。
* [[1856年]]([[安政]]3年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - 江戸幕府が[[講武所]]を開校。
* [[1862年]] - [[南北戦争]]・[[ニューオーリンズの戦い (南北戦争)|ニューオーリンズの戦い]]: ジャクソン砦とセントフィリップ砦が[[デヴィッド・ファラガット]]率いる北軍に降伏。
* [[1895年]] - [[三宅米吉]]等が[[日本考古学会|考古学会]]を設立。<!-- 『雑学366日 今日は何の日か事典』(大泉出版)に記載 -->
* [[1908年]] - [[日系ブラジル人#日本人移民開始|第1回ブラジル移民]]を乗せた[[笠戸丸]]が[[神戸港]]を出港する(6月に到着)。
* 1908年 - [[世界エスペラント協会]]が設立。
* [[1920年]] - 朝鮮の[[王公族|王世子]][[李垠]]と日本皇室の[[李方子|方子女王]]が結婚。
* [[1925年]] - [[イギリス]]が[[金本位制]]に復帰。
* 1925年 - [[パリ万国博覧会 (1925年)|パリ万国博覧会]]が開幕する。
* [[1928年]] - ペンシルベニア州南部で約71cmの積雪を観測。
* [[1936年]] - [[ファールーク1世 (エジプト王)|ファールーク1世]]が[[エジプト王国|エジプト王]]に即位。
* [[1937年]] - 日本で初の[[文化勲章]]授章式。<!-- 『雑学366日 今日は何の日か事典』(大泉出版)に記載 -->
* [[1939年]] - [[ドイツ]]が[[ドイツ・ポーランド不可侵条約|ポーランド不可侵条約]]を破棄。
* [[1945年]] - [[イタリア]]の[[独裁者]][[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]が[[スイス]]へ逃亡中、パルチザンに捕えられ即決裁判により銃殺。<!-- 捕えられたのは前日 -->
* [[1947年]] - [[トール・ヘイエルダール]]らが[[インカ帝国|インカ文明]]が[[イースター島]]に伝播したとする仮説を証明するため、大型[[筏]]「[[コンティキ号]]」で[[ペルー]]の[[カヤオ]]港を出港。
* [[1948年]] - [[日本]]で[[夏時刻法]]公布。1952年4月11日に廃止。
* [[1949年]] - 内閣が[[当用漢字]]1,850字の字体を規定する「当用漢字字体表」を発表。
* [[1951年]] - [[モハンマド・モサッデク]]が[[パフラヴィー朝|イラン]]首相に就任。
* [[1952年]] - [[日本国との平和条約]](サンフランシスコ平和条約)が発効。日本の主権が回復。
* 1952年 - [[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]]発効。第3条に基づく[[日米行政協定]]発効。
* 1952年 - 日本と[[中華民国]]の間で[[日本国と中華民国との間の平和条約|日華平和条約]]に調印。[[日中戦争]]が正式に終了。
* [[1954年]] - 東南アジア・南アジア5か国首脳による[[コロンボ会議]]が開幕。
* [[1960年]] - [[沖縄県祖国復帰協議会]]結成。
* [[1964年]] - 日本が[[経済協力開発機構|OECD]]に加盟。
* 1964年 - [[週刊誌]]『[[平凡パンチ]]』が創刊。
* [[1965年]] - ドミニカ内戦: [[アメリカ海兵隊]]が[[ドミニカ共和国]]に上陸。
<!--- 開幕は前日。この日は一般入場の開始日 *[[1967年]] - [[モントリオール万国博覧会|モントリオール万博]]が開幕。[[10月27日]]まで。 -->
* [[1969年]] - [[シャルル・ド・ゴール]]が[[共和国大統領 (フランス)|フランス大統領]]を辞任。
* [[1975年]] - [[ズオン・バン・ミン]]が[[南ベトナムの指導者|南ベトナム大統領]]に就任。
* [[1977年]] - [[特許手続上の微生物の寄託の国際承認に関するブダペスト条約]]調印。
* [[1988年]] - [[アロハ航空243便事故]]、ハワイ上空を飛行中の[[アロハ航空]]機の屋根が吹き飛び、客室乗務員が1人死亡するも、墜落は免れる。
* [[1989年]] - JR九州・[[高千穂鉄道高千穂線|高千穂線]]が[[第三セクター鉄道|第三セクター]]・[[高千穂鉄道]]に転換。
* [[1992年]] - [[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]に留まっていた[[セルビア共和国_(1992年-2006年)|セルビア]]と[[モンテネグロ社会主義共和国|モンテネグロ]]が[[ユーゴスラビア連邦共和国]](新ユーゴ)を設立。
* [[1994年]] - [[羽田孜]]が80代内閣総理大臣に就任し、[[羽田内閣|羽田孜内閣]]が発足。[[6月30日]]まで。
* [[1996年]] - [[ポートアーサー事件]]。[[オーストラリア]]・[[タスマニア州]]の観光地[[ポート・アーサー (タスマニア州)|ポート・アーサー]]で男が無差別に発砲し、35人が死亡。
<!-- *[[1998年]] - [[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[オーランド]]にある[[ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート]]内に新しい[[テーマパーク]]、[[ディズニー・アニマル・キングダム]]がオープン。 -->
* [[2001年]] - 史上初の自費による宇宙旅行者である[[デニス・チトー]]が乗った[[ソユーズTM-32]]が打ち上げ。
<!-- *[[2003年]] - [[アップル インコーポレイテッド|アップルコンピュータ]]が音楽配信サービス[[iTunes Music Store]]を発表。 -->
* [[2003年]] - [[日経平均株価]]が[[バブル崩壊]]後の最安値7603.76円を記録。
* [[2008年]] - 日本で、全国初の[[緊急地震速報]]が発表される(未明に[[沖縄県]][[宮古島]]近海で発生した地震。実際の最大震度は4)。
* [[2011年]] - [[2010年コートジボワール危機|コートジボワール危機]]に関する[[国際連合安全保障理事会決議]]が採択される。
* [[2017年]] - [[吉野ロープウェイ]]([[奈良県]][[吉野山]])のゴンドラが駅舎と接触する事故が発生。乗客らに負傷者はいなかったが、ロープウェイは長期間の休業に入った<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-03-08|url= https://www.sankei.com/article/20180316-SO3QW6XLEVK33HBLSUVQSUX76A/|title= 国内最古「吉野山ロープウェイ」、観光シーズンの運行再開を断念 ゴンドラ接触事故以降運休 今夏の復旧目指す|publisher= 産経WEST・産経新聞社|accessdate=2020-10-04}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[Image:Edward4.jpg|thumb|120px|イングランド王[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]](1442-1483)誕生]]
<!--銅像はWikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針により不可-->
[[Image:James_Monroe_02.jpg|thumb|upright|アメリカ合衆国第5代大統領、[[ジェームズ・モンロー]](1758-1831)。新旧大陸間の不干渉、[[モンロー主義]]を提唱した]]
[[Image:Nariakira_Shimazu.png|thumb|upright|薩摩藩主、[[島津斉彬]](1809-1858)。西洋技術を積極的に摂取した]]
[[Image:TMCasser.jpg|thumb|120px|法律家[[トビアス・アッセル]](1838-1913)。[[国際常設仲裁裁判所]]の創設に尽力]]
[[Image:KarlKraus.jpg|thumb|160px|風刺で知られた作家、[[カール・クラウス (作家)|カール・クラウス]](1874-1936)。{{Squote|戦争……最初は勝とうと思う。次に、敵が負けると期待する。それから、敵も苦しんでいることに満足する。最後に、敵も味方も全員が負けたことに気付いて驚く。――『松明』(1917)}}]]
[[Image:YubinHaitatsuFu.jpg|thumb|220px|画家、[[佐伯祐三]](1898-1928)。画像は『郵便配達夫』(1928)]]
[[Image:Ferruccio Lamborghini.jpg|thumb|100px|[[ランボルギーニ]]の設立者、[[フェルッチオ・ランボルギーニ]](1916-1993)]]
[[Image:Kenneth_Kaunda_1978.jpg|thumb|upright|[[ザンビア]]の初代大統領、[[ケネス・カウンダ]](1924-)]]
[[Image:Iraq%2C_Saddam_Hussein_%28222%29.jpg|thumb|upright|[[イラク共和国]]大統領、[[サッダーム・フセイン]](1937-2006)]]
<!--[[Image:Terry_pratchett.jpg|thumb|upright|[[サイエンス・フィクション|SF]]作家、[[テリー・プラチェット]](1948-)]]-->
=== 人物 ===
* [[1442年]] - [[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(+ [[1483年]])
* [[1545年]] - [[李舜臣]]、[[李氏朝鮮]]の将軍(+ [[1598年]])
* [[1602年]]([[慶長]]7年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[徳川頼宣]]、[[徳川家康]]の十男、初代[[紀州藩|紀州藩主]](+ [[1671年]])
* [[1648年]]([[慶安]]元年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[近衛基熙]]、[[関白]](+ [[1722年]])
* [[1669年]]([[寛文]]9年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]) - [[北条氏朝]]、第5代[[狭山藩|狭山藩主]](+ [[1735年]])
* [[1708年]]([[宝永]]5年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[中川久慶]]、第7代[[岡藩|岡藩主]](+ [[1743年]])
* [[1752年]]([[宝暦]]2年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]) - [[呉春]]、絵師(+ [[1811年]])
* [[1758年]] - [[ジェームズ・モンロー]]、第5代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1831年]])
* [[1761年]] - [[マリー・アレル]]、フランスの農婦、[[カマンベールチーズ]]の製造家 (+ [[1844年]])
* [[1765年]] - シルヴェスタ・フランソワ・ラクロア ([[:en:Sylvestre François Lacroix|Sylvestre François Lacroix]])、[[数学者]](+ [[1834年]])
* [[1769年]]([[明和]]5年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[池田澄時]]、第6代[[鹿奴藩|鹿奴藩主]](+ [[1785年]])
* [[1774年]] - [[フランシス・ベイリー]]、[[天文学者]](+ [[1844年]])
* [[1795年]]([[寛政]]7年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[石川総佐]]、第6代[[亀山藩|亀山藩主]](+ [[1820年]])
* [[1801年]] - [[アントニー・アシュリー=クーパー (第7代シャフツベリ伯爵)|アントニー・アシュリー=クーパー]]、[[イギリス]]の[[政治家]](+ [[1885年]])
* [[1809年]]([[文化 (元号)|文化]]6年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[島津斉彬]]、第11代[[薩摩藩|薩摩藩主]](+ [[1858年]])
* [[1834年]]([[天保]]5年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[前原一誠]]、[[幕末]]の[[志士]](+ [[1876年]])
* [[1838年]] - [[トビアス・アッセル]]、[[法律家]](+ [[1913年]])
* [[1846年]] - [[オスカル・バックルンド]]、[[天文学者]](+ [[1916年]])
* [[1868年]] - [[ヘルマン・リーツ]]、[[教育者]](+ [[1919年]])
* 1868年 - ゲオルギ・ボロノイ ([[:en:Georgy Voronoy|Georgy Voronoy]])、数学者(+ [[1908年]])
* [[1874年]] - [[カール・クラウス (作家)|カール・クラウス]]、[[詩人]]、[[劇作家]]、[[評論家]](+ [[1936年]])
* [[1875年]] - [[橋本増治郎]]、[[快進社]]の創業者(+ 1944年)
* [[1878年]] - [[梅若六郎 (54世)]]、[[能楽師]](+ [[1959年]])
* 1878年 - [[ライオネル・バリモア]]、[[俳優]](+ [[1954年]])
* [[1883年]] - [[大賀一郎]]、[[植物学|植物学者]](+ [[1965年]])
* [[1888年]] - [[ウォルター・タル]]、[[サッカー選手]]、軍人 (+ [[1918年]])
* [[1889年]] - [[アントニオ・サラザール]]、政治家(+ [[1970年]])
* 1889年 - [[栗田健男]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[軍人]](+ [[1977年]])
* [[1890年]] - [[三遊亭圓歌 (2代目)|2代目三遊亭円歌]]、[[落語家]](+ [[1964年]])
* [[1896年]] - [[アイモ・ラハティ]]、[[銃|銃器]]設計者(+ [[1970年]])
* [[1897年]] - [[東郷青児]]、[[画家]](+ [[1978年]])
* 1897年 - [[葉剣英]]、[[中華人民共和国元帥]](+ [[1986年]])
* [[1898年]] - [[佐伯祐三]]、画家(+ [[1928年]])
* 1898年 - [[神田伯山#5代目|神田伯山(5代目)]]、[[講釈師]](+ [[1976年]])
* 1898年 - [[浜野清吾]]、政治家(+ [[1990年]])
* [[1899年]] - [[千田正]]、政治家、第3代[[岩手県知事一覧|岩手県知事]](+ [[1983年]])
* [[1900年]] - [[ハインリヒ・ミュラー]]、[[ゲシュタポ]]の指導者
* 1900年 - [[モーリス・トレーズ]]、政治家(+ [[1964年]])
* 1900年 - [[ヤン・オールト]]、[[天文学者]]、[[天体物理学|天体物理学者]](+ [[1992年]])
* [[1902年]] - [[アレクサンドル・コジェーヴ]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1968年]])
* [[1906年]] - [[クルト・ゲーデル]]、数学者(+ [[1978年]])
* 1906年 - [[パウル・ザッハー]]、[[指揮者]](+ [[1999年]])
* [[1908年]] - [[オスカー・シンドラー]]、[[実業家]](+ [[1974年]])
* 1908年 - [[エセル・キャサーウッド]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1987年]])
* [[1911年]] - [[瑛九]]、画家、[[版画家]]、[[写真家]](+ [[1960年]])
* [[1914年]] - [[高須清]]、[[プロ野球選手]](+ 没年不詳)
* [[1916年]] - [[フェルッチオ・ランボルギーニ]]、[[ランボルギーニ|ランボルギーニトラットリーチ社]]創立者(+ [[1993年]])
* [[1917年]] - [[千秋実]]、[[俳優]](+ [[1999年]])
* [[1918年]] - [[長谷川重一]]、元プロ野球選手
* [[1921年]] - [[藤田喬平]]、[[ガラス工芸|ガラス工芸家]](+ [[2004年]])
* [[1923年]] - [[宇井昇]]、[[アナウンサー]](+ [[2008年]])
* [[1924年]] - [[ケネス・カウンダ]]、政治家、初代[[ザンビアの大統領|ザンビア大統領]]
* [[1926年]] - [[鶴見良行]]、[[アジア]]学者、[[人類学|人類学者]](+ [[1994年]])
* 1926年 - [[ハーパー・リー]]、[[小説家]](+ [[2016年]])
* 1926年 - [[ブロッサム・ディアリー]]、[[ジャズ]]歌手、[[ピアニスト]](+ [[2009年]])
* [[1928年]] - [[イヴ・クライン]]、画家(+ [[1962年]])
* 1928年 - [[ユージーン・シューメーカー]]、[[惑星地質学|惑星地質学者]](+ [[1997年]])
* [[1930年]] - [[ジェイムズ・ベイカー (国務長官)|ジェイムズ・ベイカー]]、政治家
* 1930年 - [[福ノ海七男]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]][[中川 (相撲)|中川]](+ [[1995年]])
* [[1931年]] - [[キャロル・ベイカー]]、[[俳優|女優]]
* [[1932年]] - [[石川進 (野球)|石川進]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]])
* [[1933年]] - [[山村新治郎 (11代目)|山村新治郎]]、政治家(+ [[1992年]])
* 1933年 - [[河合秀和 (政治学者)|河合秀和]]、[[政治学者]]
* 1933年 - [[青山裕治]]、元プロ野球選手
* [[1934年]] - [[佐々木敢一]]、[[歌手]]([[マヒナスターズ]])(+ [[2012年]])
* 1934年 - [[山岸一雄]]、料理人、ラーメン店「[[東池袋大勝軒]]」創業者(+ [[2015年]])
* [[1936年]] - [[篠原とおる]]、[[漫画家]]
* 1936年 - [[中利夫]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](+ [[2023年]])
* 1936年 - [[西村宗]]、漫画家
* [[1937年]] - [[サッダーム・フセイン]]、政治家、[[イラク|イラク共和国]]第5代[[イラクの大統領|大統領]](+ [[2006年]])
* 1937年 - [[龍憲一]]、元プロ野球選手
* [[1941年]] - [[バリー・シャープレス]]、[[化学者]]
* 1941年 - [[アン=マーグレット]]、[[俳優|女優]]、歌手
* 1941年 - [[ルシアン・エマール]]、[[自転車競技]]選手
* [[1942年]] - [[グレート小鹿]]、[[プロレスラー]]、[[実業家]]、[[大日本プロレス]]会長
* [[1943年]] - [[山前五十洋]]、実業家、映画監督、俳優(+ [[2020年]]<ref name="asagei">{{cite news|title=倉木麻衣父“倉木パパ”こと山前五十洋さん逝く「麻衣に会いたい」の言葉残し|url=https://asagei.biz/excerpt/14659|newspaper=[[アサヒ芸能|asagei]] biz|publisher=株式会社[[徳間書店]]|date=2020-04-07|accessdate=2020-10-28}}</ref>)
* 1943年 - [[ジェフリー・テイト]]、[[指揮者]](+ [[2017年]])
* [[1947年]] - [[クリスチャン・ジャック]]、小説家
* 1947年 - [[植原修平]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[クレア・ボイラン]]、[[ジャーナリスト]]
* 1948年 - [[テリー・プラチェット]]、小説家(+2015年<ref>{{Cite web|和書|url=https://japanese.engadget.com/jp-2015-03-13-66.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210125084219/https://japanese.engadget.com/jp-2015-03-13-66.html|archivedate=2021-01-25|deadlinkdate=2022-05-01|title=『ディスクワールド』の作家テリー・プラチェット氏が死去、66歳|publisher=Engadget 日本版|date=2015-03-13|accessdate=2020-11-18}}</ref>)
* 1948年 - [[水谷孝]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[ポール・ギルフォイル]]、[[俳優]]
* 1949年 - [[ブルーノ・カービー]]、俳優(+ [[2006年]])
* 1949年 - [[猿渡寛茂]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[村生ミオ]]、漫画家(+ [[2022年]])
* 1952年 - [[メアリー・マクドネル]]、女優
* [[1953年]] - [[原ゆたか]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]]、[[絵本作家]]、[[イラストレーター]]
* 1953年 - [[池田博正]]、[[宗教家]]、[[創価学会]]主任副会長
* [[1955年]] - [[小野晋也]]、[[政治家]]
* 1955年 - [[エディ・ジョブソン]]、[[キーボーディスト]]、[[ヴァイオリニスト]]
* [[1956年]] - [[玄侑宗久]]、小説家
* 1956年 - [[江田憲司]]、政治家
* 1956年 - [[萩原誠司]]、政治家
* [[1958年]] - [[植村隆]]、元[[朝日新聞社]]記者
* [[1959年]] - [[エアハルト・ロレタン]]、[[登山家]]
* [[1960年]] - [[辻元清美]]、[[ピースボート]]創設者、政治家
* 1960年 - [[イアン・ランキン]]、[[推理作家]]
* 1960年 - [[トム・ブラウニング]]、元プロ野球選手(+ [[2022年]])
* 1960年 - [[マーク・ライアル]]、元プロ野球選手
* 1960年 - [[ワルテル・ゼンガ]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者
* [[1962年]] - [[西園悟]]、[[脚本家]]
* 1962年 - [[河野博文]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[ロイド・アイスラー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1964年]] - [[岩垂徳行]]、[[作曲家]]
* 1964年 - [[麻生しおり]]、歌手
* 1964年 - [[バリー・ラーキン]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[スラシー・クソンウォン]]、[[芸術家]]
* [[1965年]] - [[斉藤恒芳]]、作曲家
* 1965年 - [[竹本孝之]]、俳優
* [[1966年]] - [[ジョン・デーリー]]、[[プロゴルファー]]
* 1966年 - [[山田孝雄 (作詞家)|山田孝雄]]、[[作詞家]]
* 1966年 - [[宮地雅子]]、女優
* [[1967年]] - [[ダリオ・ヒュブナー]]、サッカー選手
* [[1968年]] - [[生稲晃子]]、女優、政治家
* 1969年 - [[前田尚紀 (ミュージシャン)|前田尚紀]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]]、作曲家、[[編曲家|アレンジャー]]
* [[1970年]] - [[Anchang|ANCHANG]]、ミュージシャン([[SEX MACHINEGUNS]])
* 1970年 - [[門之園恵美]]、[[アニメーター]]
* 1970年 - [[ことぶきつかさ]]、漫画家
* 1970年 - [[ディエゴ・シメオネ]]、元サッカー選手、指導者
* [[1971年]] - [[佐伯秀喜]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[マルクス・バイエル]]、[[プロボクサー]]
* [[1972年]] - [[今藤幸治]]、サッカー選手(+ [[2003年]])
* [[1973年]] - [[ラファエル・オレラーノ]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[ペドロ・パウレタ]]、元サッカー選手
* 1973年 - [[ホルヘ・ガルシア]]、俳優
* [[1974年]] - [[ペネロペ・クルス]]、女優
* 1974年 - [[笠原紳司]]、俳優
* 1974年 - [[マウゴジャータ・ディデック]]、[[バスケットボール]]選手
* [[1975年]] - [[大塚明]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[クレズリー・エバンドロ・ギマラエンス|ケリー]]、サッカー選手
* 1975年 - [[桜木さゆみ]]、漫画家
* 1975年 - [[鈴木麗子]]、[[声優]]
* [[1976年]] - [[シルヴィア・ノヴァク]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1976年 - [[外賀幸一]]、アナウンサー
* [[1977年]] - [[吉川勝成]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[ホルヘ・ソーサ]]、プロ野球選手
* 1977年 - [[鈴木正人]]、サッカー選手
* [[1978年]] - [[渡辺えりか]]、[[プロレスラー]] (+ [[2018年]])
* [[1979年]] - [[ショーン・ダグラス]]、プロ野球選手
* 1979年 - [[李成江]]、元[[フィギュアスケート]]選手
* 1979年 - [[小林亮寛]]、元プロ野球選手
* [[1980年]] - [[石野田奈津代]]、[[シンガーソングライター]]
* 1980年 - [[大西宏明]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[田中大貴 (1980年生のアナウンサー)|田中大貴]]、アナウンサー
* 1980年 - [[橋本健太郎]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[江口のりこ]]、女優
* 1980年 - [[ジョシュ・ハワード]]、[[バスケットボール]]選手
* [[1981年]] - [[ジェシカ・アルバ]]、女優
* 1981年 - [[日ノ西賢一]]、俳優
* 1981年 - [[喜多ゆかり]]、元アナウンサー
* 1981年 - [[ショーン・ヒル (野球)|ショーン・ヒル]]、プロ野球選手
* 1981年 - [[ヨスラン・エレラ]]、プロ野球選手
* [[1982年]] - [[クリス・ケイマン]]、バスケットボール選手
* 1982年 - [[川本良平]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[歩原らいと]]、元[[AV女優]]
* 1983年 - [[吉田智美 (女優)|吉田智美]]、[[グラビアアイドル]]
* 1983年 - [[菊池真以]]、気象予報士
* 1983年 - [[政風基嗣]]、元大相撲力士
* 1983年 - [[デビッド・フリース]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[小山内直人]]、[[キックボクサー]]
* [[1984年]] - [[豊永利行]]、俳優、声優
* 1984年 - [[大橋歩夕]]、声優、歌手
* 1984年 - [[ロムロ・サンチェス]]、プロ野球選手
* 1984年 - [[平野進也]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[ドミトリ・トルビンスキ]]、サッカー選手
* 1984年 - 和泉杏、お笑い芸人([[ハルカラ]])
* [[1985年]] - [[松川誉弘]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[デイヴィダス・スタグニウナス]]、元[[フィギュアスケート]]選手
* [[1986年]] - [[ハミヌ・ドラマニ]]、サッカー選手
* 1986年 - [[中林洋次]]、サッカー選手
* 1986年 - ゆいP、[[お笑い芸人]]([[おかずクラブ]])
* 1986年 - [[ディロン・ジー]]、元プロ野球選手
* [[1987年]] - [[吉田弓美子]]、[[プロゴルファー]]
* 1987年 - [[加藤智子]]、タレント(元[[SKE48]])
* 1987年 - [[加藤政義]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[ひょっこりはん]]、お笑い芸人
* [[1988年]] - [[中島良輔]]、元サッカー選手
* 1988年 - [[フアン・マタ]]、サッカー選手
* 1988年 - [[矢作有美花]]、元アナウンサー
* [[1989年]] - [[佐野和真]]、俳優
* 1989年 - [[杉本昌都]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[中村美里]]、[[柔道]]選手
* 1989年 - [[前田玲奈]]、声優
* [[1990年]] - [[橋本到]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[荒牧聖未]]、元アイスホッケー選手
* 1990年 - [[川畑真利奈]]、元タレント
* 1990年 - [[依吹怜]]、ファッションモデル
* 1990年 - [[マジャル・マールク]]、フィギュアスケート選手
* [[1991年]] - [[日高七海]]、女優
* 1991年 - [[柳瀬晴日]]、女優
* [[1992年]] - [[西田明央]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[ジョニー・ポランコ]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[田中あいみ]]、声優
* [[1993年]] - [[白根尚貴]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[カイル・ケラー (野球)|カイル・ケラー]]、プロ野球選手
* [[1994年]] - [[長坂拳弥]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[陣 (ダンサー)|陣]]、[[パフォーマー]]([[THE RAMPAGE from EXILE TRIBE]])
* [[1995年]] - [[木咲樹音]]、元タレント
* [[1996年]] - [[花房里枝]]、[[ファッションモデル]]
* 1996年 - [[里見咲紀|川又咲紀]]、将棋・女流棋士
* [[1997年]] - [[新迫志希]]、陸上選手
* 1997年 - [[シェーン・マクラナハン]]、プロ野球選手
* 1997年 - [[豊田寛]]、プロ野球選手
* [[1998年]] - [[木村遼]]、元[[子役]]
* 1998年 - [[椚ありさ]]、ファッションモデル、女優
* 1998年 - [[宮田愛萌]]、小説家、元アイドル(元[[日向坂46]])
* 1998年 - [[向江彩伽]]、フェンシング選手
* [[2001年]] - [[夢咲ももな]]、モデル
* 2001年 - [[幾田まち]]、AV女優
* [[2002年]] - 榊美優、アイドル (元[[STU48]])
* [[2007年]] - [[葛西杏也菜]]、ファッションモデル
* [[2008年]] - [[山口幸空]]、体操選手
* 生年不明 - [[森永あい]]、漫画家(+ [[2019年]])
* 生年不明 - [[坂井俊文]]、声優
* 生年不明 - [[植草峻]]、アナウンサー
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1975年]] - [[ヤマニンスキー]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](+ [[1998年]])
* [[1985年]] - [[サッカーボーイ]]、競走馬(+ [[2011年]])
* [[1995年]] - [[キングヘイロー]]、競走馬、種牡馬(+ [[2019年]])
== 忌日 ==
[[Image:Conrad-Picot.jpg|thumb|100px|[[第3回十字軍]]の英雄[[コンラート1世 (モンフェラート侯)|コンラート1世]](1146-1192)、暗殺される]]
<!--[[Image:Piazzetta_Beggar_boy.jpg|thumb|180px|[[ヴェネツィア派]]の画家[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ]](1682-1754)没。画像は『幼い物乞い』(1725-30)]]-->
[[Image:Willard_Gibbs.jpg|thumb|upright|[[ギブズの相律]]などの発見者、[[ウィラード・ギブズ]](1839-1903)。{{Squote|数学者は自分の好き勝手を言えるが、物理学者は、少なくとも部分的には分別がなければならない。}}]] <!-- 引用は[[ウィラード・ギブズ]]より-->
[[File:Execution of Mussolini (1945).ogv|thumb|220px|[[ベニート・ムッソリーニ]](1883-1945)、銃殺される。動画はアメリカのニュース映画]]
=== 人物 ===
* [[790年]]([[延暦]]9年[[3月10日 (旧暦)|閏3月10日]]) - [[藤原乙牟漏]]、[[桓武天皇]]の皇后(* [[760年]])
* [[1192年]] - [[コンラート1世 (モンフェラート侯)|コンラート1世]]、[[モンフェッラート侯国|モンフェラート侯]](* [[1146年]])
* [[1489年]] - [[ヘンリー・パーシー (第4代ノーサンバランド伯)|ヘンリー・パーシー]]、[[イングランド王国|イングランド]]貴族(* [[1449年]]頃)
* [[1574年]]([[天正]]2年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[佐野昌綱]]、武将(* [[1529年]])
* [[1754年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ]]、[[画家]](* [[1682年]])
* [[1770年]] - [[マリー・カマルゴ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1710年]])
* [[1772年]] - [[ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセ]]、[[クリスチャン7世 (デンマーク王)|デンマーク王クリスチャン7世]]の侍医・事実上の摂政(* [[1737年]])
* [[1774年]]([[安永 (元号)|安永]]3年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[建部綾足]]、[[俳人]]、[[国学|国学者]]、[[画家]](* [[1719年]])
* [[1785年]]([[天明]]5年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]]) - [[近衛内前]]、[[江戸時代]]の公卿(* [[1728年]])
* [[1801年]]([[享和]]元年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[慈周]]、[[天台宗]]の[[僧]]、[[漢詩|漢詩人]](* [[1734年]])
* [[1813年]] - [[ミハイル・イラリオーノヴィチ・クトゥーゾフ]]、軍人(* [[1745年]])
* [[1853年]] - [[ルートヴィヒ・ティーク]]、作家、[[詩人]]、編集者(* [[1773年]])
* [[1896年]] - [[ハインリヒ・フォン・トライチュケ]]、[[歴史家]](* [[1834年]])
* [[1902年]] - [[ドミトリー・シピャーギン]]、[[ロシア帝国]]内相(* [[1853年]])
* [[1903年]] - [[ウィラード・ギブズ]]、[[数学者]]、[[物理学者]](* [[1839年]])
* 1903年 - [[西郷頼母]]、[[幕末]]期[[会津藩]]の[[家老]](* [[1830年]])
* [[1909年]] - [[由利公正]]、[[政治家]](* [[1829年]])
* [[1918年]] - [[ガブリロ・プリンチプ]]、[[オーストリア・ハンガリー帝国|オーストリア]]の[[フランツ・フェルディナント大公]]の暗殺犯(* [[1894年]])
* [[1936年]] - [[フアード1世 (エジプト王)|フアード1世]]、[[エジプト王国|エジプト]]王(* [[1868年]])
* [[1944年]] - [[中里介山]]、[[小説家]](* [[1885年]])
* [[1945年]] - [[ベニート・ムッソリーニ]]、[[ファシズム]]の創始者、政治家(* [[1883年]])
* 1945年 - [[近藤清]]、[[野球選手]](* [[1920年]])
* [[1946年]] - [[ルイ・バシュリエ]]、数学者(* [[1870年]])
* [[1953年]] - [[堀正旗]]、[[劇作家]]、[[演出家]](* [[1895年]])
* [[1954年]] - [[レオン・ジュオー]]、労働運動家(* [[1879年]])
* [[1960年]] - [[アントン・パンネクーク]]、[[天文学者]](* [[1873年]])
* 1960年 - [[岡崎栄松]]、[[仙台市|仙台市長]](* [[1882年]])
* [[1961年]] - [[トム・コナリー]]、[[メジャーリーグ]]審判(* [[1870年]])
* [[1964年]] - [[ミルトン・マルガイ]]、[[シエラレオネの元首|シエラレオネ初代首相]](* [[1895年]])
* [[1968年]] - [[林博太郎]]、第13代[[南満洲鉄道]]総裁(* [[1874年]])
* [[1976年]] - [[オイゲン・ロート]]、詩人(* [[1895年]])
* 1976年 - [[リチャード・ヒューズ]]、作家(* [[1900年]])
* [[1977年]] - [[賀屋興宣]]、[[政治家]](* [[1889年]])
* [[1978年]] - [[岡鹿之助]]、[[画家]](* [[1898年]])
* 1978年 - [[ムハンマド・ダーウード]]、政治家、[[アフガニスタンの国家元首の一覧|アフガニスタン大統領]](* [[1909年]])
* [[1983年]] - [[バルト・ボーク]]、天文学者(* [[1906年]])
* [[1987年]] - [[八切止夫]]、小説家(* [[1914年]])
* [[1989年]] - [[辻佳紀]]、野球選手、[[野球解説者]](* [[1940年]])
* [[1992年]] - [[フランシス・ベーコン (芸術家)|フランシス・ベーコン]]、画家(* [[1909年]])
* 1992年 - [[ブライアン・ポッカー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1959年]])
* [[1995年]] - [[吉田賢抗]]、漢文学者(* [[1900年]])
* [[1998年]] - [[マリーナ・スクリアビン]]、[[音楽学者]]、[[作曲家]](* [[1911年]])
* [[2001年]] - [[沖田芳夫]]、[[陸上競技]]選手(* [[1903年]])
* 2001年 - [[蔦文也]]、元[[プロ野球選手]]、[[高校野球]]指導者(* [[1923年]])
* [[2002年]] - [[アレクサンドル・レベジ]]、[[軍人]]、[[政治家]](* [[1950年]])
* 2002年 - [[ルー・テーズ]]、[[プロレスラー]](* [[1916年]])
* [[2003年]] - [[長田裕二]]、第19代[[参議院議長]](* [[1917年]])
* [[2006年]] - [[ベン=ツィオン・オルガド]]、作曲家(* [[1926年]])
* 2006年 - [[スティーヴ・ハウ (野球)|スティーヴ・ハウ]]、元プロ野球選手(* [[1958年]])
* [[2007年]] - [[カール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカー]]、物理学者、[[哲学|哲学者]](* [[1912年]])
* [[2012年]] - [[小池清]]、[[フリーアナウンサー]](* [[1931年]])
* 2012年 - [[簗正昭]]、[[俳優]](* [[1945年]])
* [[2013年]] - [[ヤーノシュ・シュタルケル]]、[[チェリスト]](* [[1924年]])
* 2013年 - [[大脇照夫]]、元プロ野球選手(* [[1930年]])
* [[2015年]] - [[阿修羅・原]]<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASH4X739BH4XTOLB01D.html|title=元プロレスラーの阿修羅原さん死去 ラグビー元日本代表|publisher=朝日新聞デジタル|date=2015-04-28|accessdate=2020-11-17}}</ref>、プロレスラー(* [[1947年]])
* [[2020年]] - [[金内喜久夫]]<ref name="sanspo_20200429">{{Cite news|title=文学座俳優の金内喜久夫さん死去、87歳 がんのため|newspaper=サンケイスポーツ|date=2020-04-29|url=https://www.sanspo.com/article/20200429-B46GRGHX4JPDTN2ZVSOIJQPXE4/|agency=産経デジタル|accessdate=2020-11-01}}</ref>、俳優(* [[1933年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1972年]] - [[リボー]]、[[競走馬]](* [[1952年]])
{{Clear}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Chorley workers memorial tree.jpg|thumb|200px|国際労災犠牲者追悼日。画像はイギリスの記念樹]]
*[[労働安全衛生世界デー]]・{{仮リンク|国際労災犠牲者追悼日|en|Workers' Memorial Day}}({{World}})
*: [[1914年]]に[[カナダ]]で「包括的労働者補償法」が成立した日を記念して、カナダ地方公務員組合が1984年に「労災犠牲者追悼の日」として制定したのに始まる。1991年にカナダ議会が国の追悼の日の一つと定め、次第に他の国でも行われるようになった。1996年に[[国際労働組合総連合]] (ITUC) が国際的な記念日とし、2002年には[[国際労働機関]] (ILO) が国連の[[国際デー]]の一つとした。2003年に「労働安全衛生世界デー」に名称を変更した。
*{{仮リンク|英雄の日|en|Heroes' Day}}({{BRB}})
*サンフランシスコ講和記念日({{JPN}})
*: [[1952年]]4月28日に[[日本国との平和条約]](サンフランシスコ講和条約)が発効し、日本の主権が回復、国際社会に復帰したことにちなむ。条約が調印された[[9月8日]]は「サンフランシスコ平和条約調印記念日」となっている。
*立教開宗会([[日蓮宗]])
*: [[建長]]5年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]([[1253年]][[5月26日]])に[[日蓮]]が、[[安房国]](現在の[[千葉県]]南部)小湊浦の[[清澄山]]山頂で「南無妙法蓮華経」の題目を唱えたことを記念して、日蓮系各派で法要が営まれる。
*象の日({{JPN}})
*: 享保14年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]](西暦[[1729年]][[5月25日]])、ヴェトナム産の象([[アジアゾウ]])が[[中御門天皇]]に謁見([[従四位広南白象]])。
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0428|date=2011年6月}}
* 年不明 - 私(寒川)が糸崎[[検事]]に提出する意見書を書き上げる。(小説『[[陰獣]]』第10章)
* 1951年(昭和26年)- 覆面の依頼者のもとに「大道寺智子を月琴島から呼ぶな」という警告が届く。(小説『[[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]]』第2章<ref>加納[[弁護士]]が[[金田一耕助]]に語る。</ref>)
* [[1960年代|196X年]] - 午前10時26分、物体O落下([[小松左京]]の小説『[[首都消失#物体O(オー)|物体O]]』)
* 1989年 - 江川洋子の料理番組に、武智村正の娘・武智コマサとゴッドハンド大虎の娘・大虎トラ子とクワイ・チャン・カモンの娘・モンの3名で構成された「2年花組料理隊」が現れ、「ちまき・柏餅勝負」を申し込む。(『[[ミスター味っ子]]』第79話「ちまき・柏もち勝負! 2年花組料理隊の挑戦」)
* [[2000年代|200X年]] - 大沢マリア誘拐事件発生([[サウンドノベル]]『[[428 〜封鎖された渋谷で〜]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[2000年]] - 常磐ソウゴ、[[仮面ライダーシリーズ]]『[[仮面ライダージオウ]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/characters/1845 |title=常磐ソウゴ |access-date=2023-01-28 |publisher=[[石森プロ]]・[[テレビ朝日]]・ADK EM・[[東映]]・[[東映ビデオ]] |work=仮面ライダー図鑑}}</ref>
* 生年不明 - 人吉青井、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/hitoyoshi_aoi |title=熊本 人吉青井 |access-date=2023-01-28 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref>
* 生年不明 - 雪宮剣優、漫画・アニメ『[[ブルーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bluelock_wm|1356249866352005123}}</ref>
* 生年不明 - 花井梓、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |year=2008 |title=PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」 |page=11 |publisher=[[主婦と生活社]] |isbn=978-4-391-62643-8}}</ref>
* 生年不明 - 古河珠美、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://7o3x.com/char/profiles.html#18 |title=古河珠美 |publisher=[[杉基イクラ]]/[[KADOKAWA]] 7○3×クイズ研究会 |accessdate=2023-01-28 |work=『ナナマル サンバツ』}}</ref>
* 生年不明 - 稲河暁、アニメ『[[刀使ノ巫女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tojitomo|1387058965297733641}}</ref>
* 生年不明 - 櫻井アイナ、アニメ・小説・漫画『[[革命機ヴァルヴレイヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.valvrave.com/character/#c6 |title=櫻井 アイナ |work=革命機ヴァルヴレイヴ |accessdate=2022-08-21 |publisher=SUNRISE/VVV Committee, MBS}}</ref>
* 生年不明 - しぃぽん、アニメ『[[アキバ冥途戦争]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://akibamaidwar.com/character/detail/?character=shiipon |title=しぃぽん |access-date=2023-01-28 |publisher=「アキバ冥途戦争」製作委員会 |work=TVアニメ『アキバ冥途戦争』}}</ref>
* 生年不明 - ララピー、スーパーマーケット『[[ライフコーポレーション|ライフ]]』のオリジナルキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lifecorp.jp/topics/lalapiroom/ |title=ララピーのお部屋 プロフィール |publisher=LIFE CORPORATION. |accessdate=2023-01-28}}</ref>
* 生年不明 - ユキムラ、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド|publisher=KADOKAWA|year=2015|pages=36、314|isbn=978-4-04-869406-3}}</ref>
* 生年不明 - キングヘイロー、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=kinghalo |title=キングヘイロー |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2023-01-28 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - 御芽河あうる、ゲーム・アニメ『[[ワッチャプリマジ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|prettyseriespr|1509697051654721547}}</ref>
* 生年不明 - サイラス、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/chevalier/cyrus/ |title=サイラス |access-date=2023-01-28 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref>
* 生年不明 - エミリオ、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/chevalier/emilio/ |title=エミリオ |access-date=2023-01-18 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref>
* 生年不明 - 犬塚露壬雄、漫画・アニメ『[[寄宿学校のジュリエット]]』の主人公
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|April 28|28 April}}
{{新暦365日|4|27|4|29|[[3月28日]]|[[5月28日]]|[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]|0428|4|28}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T12:04:11Z | 2023-10-18T09:53:10Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8828%E6%97%A5 |
4,892 | 4月29日 |
4月29日(しがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から119日目(閏年では120日目)にあたり、年末まではあと246日ある。
| [
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] | 4月29日(しがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から119日目(閏年では120日目)にあたり、年末まではあと246日ある。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{カレンダー 4月}}
'''4月29日'''(しがつにじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から119日目([[閏年]]では120日目)にあたり、年末まではあと246日ある。
== できごと ==
[[ファイル:Endeavour replica in Cooktown harbour.jpg|thumb|180x180px|[[ジェームズ・クック]]、[[オーストラリア]]に上陸(1770)。画像は[[エンデバー (帆船)|エンデバー号]]の複製]]
[[Image:사진1(윤봉길 선서장면).jpg|thumb|180px|[[上海天長節爆弾事件]](1932)。画像は決行3日前の[[尹奉吉]]]]
[[ファイル:IMTFE court chamber.jpg|thumb|180x180px|[[極東国際軍事裁判]]、[[A級戦犯]]28名が起訴される(1946)]]
* [[1483年]] - [[カスティーリャ王国]]が[[カナリア諸島]]の[[グラン・カナリア島]]を占領。
* [[1600年]]([[慶長]]5年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[ウィリアム・アダムス]]や[[ヤン・ヨーステン]]らが乗船したオランダ船[[リーフデ号]]が[[豊後国]][[臼杵湾]]に漂着。
* [[1643年]]([[寛永]]20年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - 江戸幕府が[[田畑永代売買禁止令]]を発布。
* [[1770年]] - [[ジェームズ・クック]]一行が現在の[[ボタニー湾]]から[[オーストラリア]]に上陸し、[[イギリス]]による領有を宣言。
* [[1833年]] - [[チューリッヒ大学]]創立。
* [[1859年]] - [[イタリア統一運動]]:[[サルデーニャ王国|サルデーニャ]]王[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]が[[オーストリア帝国]]の庇護下にある北部[[イタリア]]へ侵攻開始。
* [[1873年]] - [[明治天皇]]が千葉・下総大和田原で行われた[[近衛兵]]の大演習を観閲。一帯を「[[習志野|習志野原]]」と命名する。
* [[1891年]] - [[丸亀市|丸亀]]練兵場で、[[二宮忠八]]が製作したプロペラ式模型飛行機(烏型飛行器)が飛行に成功。
* [[1909年]] - [[北白川宮成久王]]と[[明治天皇]]皇女[[成久王妃房子内親王|周宮房子内親王]]の結婚の儀。
* [[1912年]] - [[北海道]]の[[夕張炭鉱]]で[[ガス爆発]]事故が発生。死者269人<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』289,291頁 河出書房新社刊 2003年11月30日 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。
* [[1918年]] - [[ウクライナ]]で[[ヘーチマンの政変]]が起こる。
* [[1927年]] - [[嵐寛寿郎]]主演の[[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]]シリーズ第1作『鞍馬天狗余聞・角兵衛獅子』が封切り。
* [[1932年]] - [[上海天長節爆弾事件]]。[[上海市|上海]]の[[天長節]]祝賀会場で朝鮮人[[尹奉吉]]が爆弾を投げつけ[[白川義則]]軍司令官と[[重光葵]]公使らが重傷。
* 1932年 - [[東京市]]内4箇所にダイヤル式[[公衆電話]]を設置。
* 1932年 - [[東京地下鉄道]]神田 - 三越前間が延伸開業(現[[東京メトロ銀座線]])。
* [[1942年]] - [[近衛秀麿]]の新交響楽団の運営に[[日本放送協会]]が参画、日本交響楽団に改称。[[NHK交響楽団]]の前身。
* [[1945年]] - [[ベニート・ムッソリーニ]]の銃殺死体がミラノの[[ロレート広場]]で逆さ吊りにして晒される。
* 1945年 - [[アドルフ・ヒトラー]]と[[エヴァ・ブラウン]]が結婚。翌日自殺。
* 1945年 - 第二次世界大戦・[[イタリア戦線 (第二次世界大戦)|イタリア戦線]]: [[ドイツ国防軍]][[C軍集団]]の代理、フォン・シュヴァイニッツ中佐とヴェンナー[[親衛隊少佐]]が[[カゼルタ宮殿]]で[[地中海作戦戦域]]最高司令官[[ハロルド・アレキサンダー]][[イギリス陸軍|英陸軍]]元帥への降伏文書に署名する。
* [[1946年]] - [[極東国際軍事裁判]]: [[A級戦犯]]28名が[[起訴]]。
* [[1947年]] - [[茨城県]][[那珂湊町]]で火災。負傷6人、焼失家屋1134戸<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=67 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1949年]] - [[国際オリンピック委員会]] (IOC) が[[日本]]と[[ドイツ]]の[[近代オリンピック|五輪]]復帰を承認。
* [[1951年]] - [[沖縄社会大衆党]]などが日本復帰促進期成会を結成。
* [[1952年]] - [[国際基督教大学]] (ICU) が開学。
* [[1954年]] - 中華人民共和国とインドが「中華人民共和国とインド共和国の中国チベット地方とインド間の通商・交通に関する協定」に調印。前文で[[平和五原則]]を堤唱。
* [[1956年]] - 日ソ漁業交渉開始。
* [[1966年]] - 俳優の[[宝田明]]と[[1959年]][[ミス・ユニバース]]の[[児島明子]]が結婚。
* [[1967年]] - [[日本女子プロレス]]旗揚げ。
* 1967年 - [[モハメド・アリ]]が[[徴兵拒否]]を理由にタイトルを剥奪される。
* [[1968年]] - 黒人による「[[貧者の行進]]」のデモがアメリカ各地からワシントンへ向けて出発。
* 1968年 - [[ニューヨーク]]・[[ブロードウェイ]]のビルトモア劇場で、[[ミュージカル]]『[[ヘアー (ミュージカル)|ヘアー]]』が開演。
* [[1973年]] - ツクダ(現在の[[メガハウス]])がボードゲーム「[[オセロ (ボードゲーム)|オセロ]]」を発売。
* [[1975年]] - [[ベトナム戦争]]: [[フリークエント・ウィンド作戦]]が始まる。
* 1975年 - 女優[[菊容子]]殺害事件。
* [[1977年]] - [[山下泰裕]]が[[全日本柔道選手権大会]]で史上最年少の19歳で優勝。
* [[1978年]] - [[植村直己]]が単身犬ぞりで[[北極点]]に到達。
* [[1983年]] - {{仮リンク|ハロルド・ワシントン|en|Harold Washington}}が[[シカゴ]]市長に就任。アメリカ初の黒人市長。
* [[1985年]] - [[シンボリルドルフ]]が[[天皇賞(春)]]で優勝、[[シンザン]]以来20年ぶりの[[八大競走|五冠馬]]に。
* [[1987年]] - [[1984年]]から災害で休止の[[北陸鉄道金名線]]が廃止。
* [[1989年]] - JR北海道・[[標津線]]がこの日限りで廃止。
* [[1992年]] - [[ロス暴動]]が起こる。
* 1992年 - [[出雲ドーム]]が開場。
* [[1997年]] - [[化学兵器禁止条約]]が発効。
* 1997年 - [[湖南省]][[岳陽県]]の栄家湾駅で[[旅客列車]]同士が正面衝突。126人が死亡。
* [[2000年]] - 『[[アメリカン・ビューティー]]』が日本で劇場公開。
* [[2005年]] - [[シリア]]軍が29年間駐留していた[[レバノン]]からの撤退を完了。
* 2005年 - [[ニュージーランド]]初の[[シビル・ユニオン]]が成立。
* [[2006年]] - [[富山地方鉄道富山港線|富山ライトレール富山港線]]開業。
* 2006年 - 生口島道路の開通に伴い、本州と四国とを結ぶ[[西瀬戸自動車道]](しまなみ海道)が全通。
* [[2011年]] - [[イギリス王室]]の[[ウィリアム (プリンス・オブ・ウェールズ)|ウィリアム王子]]と[[キャサリン (プリンセス・オブ・ウェールズ)|キャサリン妃]]の結婚式が行われる。([[ウィリアム王子とキャサリン・ミドルトンの婚礼]])
* [[2012年]] - [[群馬県]][[藤岡市]]の[[関越自動車道]]上り[[藤岡ジャンクション]]付近で夜行高速ツアーバスが防音壁に衝突、乗客・乗員46人が死傷。([[関越自動車道高速バス居眠り運転事故]])
* [[2013年]] - [[ナショナル・エアラインズ102便墜落事故]]。
* [[2016年]] - [[京都鉄道博物館]]が開館<ref>{{Cite web|和書|work=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]] |date=30 Apr 2016 |url=http://railf.jp/news/2016/04/30/203000.html |title=京都鉄道博物館がグランドオープン |publisher=[[交友社]] |accessdate=29 Jun 2023}}</ref>。
<!--
=== 日本の自治体改編 ===
* [[1939年]] - 大阪府[[池田市]]が市制施行。
* [[1941年]] - 静岡県[[三島市]]、愛媛県[[西条市]]、大分県[[佐伯市]]が市制施行。
* [[1954年]] - 山梨県[[都留市]]が市制施行。
* [[1955年]] - 福島県[[勿来市]](現 [[いわき市]])が市制施行。
* [[1971年]] - 新潟県[[高田市]]・[[直江津市]]が合併して[[上越市]]となる。-->
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Charles_Nodier.jpg|thumb|160px|フランス[[幻想文学]]の祖、[[シャルル・ノディエ]](1780-1844)誕生]]
[[ファイル:Alexander II of Russia by Monogrammist V.G. (1888, Hermitage) detail.jpg|thumb|[[ロシア皇帝]]、[[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]](1818-1881)誕生。次々と改革を行うことになる|182x182ピクセル]]
[[ファイル:Georges Boulanger Nadar.jpg|thumb|214x214px|[[ブーランジェ将軍事件]]の主役、[[ジョルジュ・ブーランジェ]](1837-1891)]]
[[ファイル:Ravi Varma-Lakshmi.jpg|thumb|212x212px|[[インド]]の画家、[[ラヴィ・ヴァルマ]](1848-1906)。画像は『女神[[ラクシュミー]]』]]
[[ファイル:Young Poincare.jpg|thumb|206x206px|数学者[[アンリ・ポアンカレ]](1854-1912)]]
[[ファイル:Harold Urey.jpg|thumb|189x189px|化学者[[ハロルド・ユーリー]](1893-1981)。[[重水素]]を発見]]
[[ファイル:Vladimir Propp (1928 year).jpg|thumb|[[昔話]]に構造分析を導入した[[ウラジーミル・プロップ]](1895-1970)|150x150ピクセル]]
[[ファイル:Duke Ellington at the Hurricane Club 1943.jpg|thumb|[[ジャズ]]ピアノ奏者、[[デューク・エリントン]](1899-1974)|189x189ピクセル]]
[[ファイル:Hotsumi Ozaki.JPG|thumb|167x167px|[[ゾルゲ事件]]の首謀者の一人、[[尾崎秀実]](1901-1944)]]
[[ファイル:Nakahara Chuya.jpg|thumb|196x196px|詩人、[[中原中也]](1907-1937)]]
[[ファイル:Toots thielemans.jpg|thumb|ジャズハーモニカ奏者、[[トゥーツ・シールマンス]](1922-2016)|150x150ピクセル]]
[[Image:Super_Stationmaster_Tama_20090104.JPG|thumb|upright|[[貴志駅]]の「猫の駅長」、[[たま (猫の駅長)|たま]](1999-)]]
[[ファイル:Andre Agassi Champions Shootout.jpg|thumb|[[アンドレ・アガシ]]1970年-|186x186ピクセル]]
* [[1659年]]([[万治]]2年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[伊達綱村]]、第4代[[仙台藩|仙台藩主]](+ [[1719年]])
* [[1727年]] - [[ジャン=ジョルジュ・ノヴェール]]、[[舞踏家]](+ [[1810年]])
* [[1780年]] - [[シャルル・ノディエ]]、[[小説家]](+ [[1844年]])
* [[1785年]] - [[カール・フォン・ドライス]]、[[発明家]](+ [[1851年]])
* [[1803年]] - [[ジェームズ・ブルック]]<ref>{{Cite web |title=Brooke Raj {{!}} British Dynasty of Sarawak, Colonial History & Legacy |url=https://www.britannica.com/topic/Brooke-Raj |access-date=29 Jun 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[探検家]](+ [[1868年]])
* [[1818年]] - [[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]]、[[ロシア皇帝]](+ [[1881年]])
* [[1837年]] - [[ジョルジュ・ブーランジェ]]、[[軍人]]、[[政治家]](+ [[1891年]])
* [[1848年]] - [[ラヴィ・ヴァルマ]]、[[画家]](+ [[1906年]])
* [[1854年]] - [[アンリ・ポアンカレ]]、[[数学者]](+ [[1912年]])
* [[1857年]] - [[フランティシェク・オンドジーチェク]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1922年]])
* [[1860年]]([[万延]]元年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[宮部金吾]]、[[植物学|植物学者]](+ [[1951年]])
* [[1863年]] - [[ウィリアム・ランドルフ・ハースト]]、[[新聞社]]経営者(+ [[1951年]])
* 1863年 - [[コンスタンディノス・カヴァフィス]]、[[詩人]](+ [[1933年]])
* [[1871年]]([[明治]]4年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[吉岡弥生]]、医師、東京女医学校(現在の[[東京女子医科大学]])創立者(+ [[1959年]])
* [[1872年]] - [[アイヴィン・アルネス]]、作曲家、[[オルガニスト]](+ [[1932年]])
* [[1875年]] - [[ラファエル・サバチニ]]、小説家(+ [[1950年]])
* [[1876年]] - [[ザウディトゥ]]、[[エチオピア帝国|エチオピア皇帝]](+ [[1930年]])
* [[1879年]] - [[ヌードルズ・ハーン]]、元プロ野球選手(+ [[1960年]])
* [[1882年]] - [[オーギュスト・エルバン]]、[[画家]](+ [[1960年]])
* [[1890年]] - [[湯浅八郎]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](+ [[1981年]])
* [[1893年]] - [[ハロルド・ユーリー]]、物理化学者(+ [[1981年]])
* [[1895年]] - [[マルコム・サージェント]]、[[指揮者]](+ [[1967年]])
* 1895年 - [[ウラジーミル・プロップ]]、[[昔話]]研究家(+ [[1970年]])
* [[1899年]] - [[デューク・エリントン]]、[[ジャズ]]の[[ピアニスト|ピアノ奏者]](+ [[1974年]])
* [[1901年]] - [[昭和天皇]]、第124代[[天皇]](+ [[1989年]])
* 1901年 - [[尾崎秀実]]、評論家、ジャーナリスト、共産主義者(+ [[1944年]])
* [[1902年]] - [[三津田健]]、[[俳優]](+ [[1997年]])
* [[1905年]] - [[武田長兵衛#6代目|武田長兵衛(6代目)]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://diamond.jp/articles/-/236047 |title=武田薬品の6代目武田長兵衛が「企業の経営は人にあり」と信じる理由 |access-date=29 Jun 2023 |publisher=[[ダイヤモンド社|DIAMOND]]online |date=6 May 2020}}</ref>、[[実業家]](+ [[1980年]])
* [[1907年]] - [[中原中也]]、[[詩人]](+ [[1937年]])
* 1907年 - [[フレッド・ジンネマン]]、[[映画監督]](+ [[1997年]])
* 1907年 - [[ティノ・ロッシ]] ([[:en:Tino Rossi]])、[[シャンソン]]歌手(+ [[1983年]])
* [[1908年]] - [[高原滋夫]]、[[医学|医学者]](+ [[1994年]])
* 1908年 - [[ジャック・ウィリアムスン]]、[[SF作家]](+ [[2006年]])
* [[1913年]] - [[原文兵衛]]、[[政治家]](+ [[1999年]])
* [[1914年]] - [[高橋輝彦]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1917年]] - [[伊賀上良平]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]])
* 1917年 - [[藤野文三郎]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1920年]] - [[秋岡芳夫]]、[[インダストリアルデザイナー|工業デザイナー]]、[[著作家|著述家]](+ [[1997年]])
* [[1922年]] - [[岩崎英二郎]]、[[ドイツ語|ドイツ語学者]](+ [[2017年]])
* 1922年 - [[千石規子]]、女優(+ [[2012年]])
* 1922年 - [[トゥーツ・シールマンス]]、[[ハーモニカ]]奏者(+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書|title=トゥーツ・シールマンス氏が死去 ベルギーのハーモニカ奏者 |date=23 Aug 2016 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22HGA_T20C16A8000000/ |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=29 Jun 2023}}</ref>)
* [[1924年]] - [[安倍晋太郎]]、[[政治家]](+ [[1991年]])
* 1924年 - [[干場一夫]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]])
* 1924年 - [[ジジ・ジャンメール]]、[[バレエダンサー]](+ [[2020年]])
* 1924年 - [[大崎欣一]]、元プロ野球選手
* [[1925年]] - [[田中小実昌]]、小説家(+ [[2000年]])
* 1925年 - [[イワオ・タカモト]]、[[アニメーター]](+ [[2007年]])
* [[1926年]] - [[ポール・バラン]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[2011年]])
* [[1927年]] - [[川合幸三]]、元プロ野球選手(+ [[1994年]])
* 1927年 - [[上田正昭]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[2016年]])
* [[1928年]] - [[塩見栄一]]、元プロ野球選手
* [[1929年]] - [[竹内昭夫]]、[[法学者|商法学者]](+ [[1996年]])
* [[1930年]] - [[岸田今日子]]、女優(+ [[2006年]])
* 1930年 - [[ジャン・ロシュフォール]]、俳優(+ [[2017年]])
* 1930年 - [[横山まさみち]]、[[漫画家]](+ [[2003年]])
* [[1931年]] - [[高林陽一]]、映画監督(+ [[2012年]])
* 1931年 - [[胡金銓]]、映画監督(+ [[1997年]])
* [[1932年]] - [[海野かつを]]、俳優
* 1932年 - [[白井佳夫]]、[[映画評論家]]
* 1932年 - [[一柳忠尚]]、元プロ野球選手
* [[1934年]] - [[宝田明]]、俳優(+ [[2022年]])
* 1934年 - [[ルイス・アパリシオ]]、元プロ野球選手
* [[1935年]] - [[仰木彬]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]](+ [[2005年]])
* 1935年 - [[オーティス・ラッシュ]]、[[ブルース]][[ミュージシャン]](+ [[2018年]])
* 1935年 - [[ガンディ・ブッシュ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[2014年]])
* [[1936年]] - [[蓮實重彦]]、[[フランス文学者]]
* 1936年 - [[ズービン・メータ]]、[[指揮者]]
* 1936年 - [[ジェイコブ・ロスチャイルド (第4代ロスチャイルド男爵)|第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブ・ロスチャイルド]]、銀行家、政治家
* [[1937年]] - [[明武谷力伸]]、[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]]7代[[中村 (相撲)|中村]]
* [[1939年]] - [[安原顕]]、[[評論家]]、[[編集者]](+ [[2003年]])
* [[1940年]] - [[原田泰治]]、[[画家]](+ [[2022年]])
* 1940年 - [[ジョージ・アダムズ (ミュージシャン)|ジョージ・アダムス]]、[[ジャズ]]奏者(+ [[1992年]])
* [[1941年]] - [[衛藤征士郎]]、政治家
* [[1942年]] - [[江藤省三]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[高橋浩]]、実業家、[[東映アニメーション]]会長
* [[1944年]] - [[コロムビア・ローズ|二代目コロムビア・ローズ]]、歌手(+ [[2020年]])
* [[1946年]] - [[紙ふうせん|後藤悦治郎]]、[[ミュージシャン]](元[[赤い鳥 (フォークグループ)|赤い鳥]]、[[紙ふうせん]])
* [[1948年]] - [[レスリー・ハワード (ピアニスト)|レスリー・ハワード]]、[[ピアニスト]]
* [[1949年]] - [[三橋豊夫]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[米原万里]]、[[ロシア語]]同時[[通訳]]、[[エッセイスト]]、[[ノンフィクション作家]]、[[小説家]](+ [[2006年]])
* 1950年 - [[フィリップ・ノイス]]、映画監督
* [[1951年]] - [[茂市久美子]]、[[童話作家]]
* 1951年 - [[玉輝山正則]]、元大相撲力士
* 1951年 - [[デイル・アーンハート]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[2001年]])
* [[1952年]] - 東郷昌和、ミュージシャン([[バズ (バンド)|バズ]])
* 1952年 - [[ロン・ワシントン]]、プロ野球指導者、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[佐藤尚]]、元陸上選手、指導者
* [[1954年]] - [[小西克哉]]、[[翻訳家]]、テレビキャスター
* 1954年 - [[池田茂 (野球)|池田茂]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[田中裕子]]、女優
* 1955年 - [[ケイト・マルグルー]]、女優
* 1955年 - [[秋田秀幸]]、元プロ野球選手
* 1955年 - [[リチャード・エプカー]]、声優、俳優、[[音響監督]]、[[脚本家]]
* [[1957年]] - [[田中寅彦]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* 1957年 - [[ダニエル・デイ・ルイス]]、俳優
* 1957年 - [[ティモシー・トレッドウェル]] ([[:en:Timothy Treadwell]])、[[グリズリー]]研究家(+ [[2003年]])
* [[1958年]] - [[ミシェル・ファイファー]]、女優
* [[1959年]] - [[coba]]、アコーディオニスト
* 1959年 - [[水口昌彦]]、[[テレビプロデューサー]]
* [[1960年]] - [[荒木恒竹]]、[[アナウンサー]](+ [[2017年]])
* 1960年 - 上條直子、漫画家
* 1960年 - [[フィンガー5|安広司]]、歌手(元[[フィンガー5]])
* 1960年 - [[和由布子]]、女優
* [[1961年]] - [[立木文彦]]、[[声優]]
* 1961年 - [[田中豊雪]]、[[ベーシスト]]
* [[1962年]] - [[マキノ佐代子]]、女優
* 1962年 - [[戸田山雅司]]、[[脚本家]]
* [[1963年]] - [[上本孝一]]、元プロ野球選手、[[プロ野球審判員]](+ [[2006年]])
* [[1964年]] - [[太田龍生]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[桜井伸一]]、元プロ野球選手
* 1965年 - [[広部俊明]]、ミュージシャン、水中探検家
* [[1966年]] - [[渋田治代]]、[[競艇選手]]
* [[1967年]] - [[金戸恵太]]、元[[飛込競技]]選手
* [[1968年]] - [[田澤修治]]、射撃選手
* 1968年 - [[塩崎兼一]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[原元美紀]]、キャスター、声優、アナウンサー
* 1969年 - [[加藤博人]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[宮脇則昭]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[アンドレ・アガシ]]、[[テニス選手一覧 (男子)|テニス選手]]
* 1970年 - [[ユマ・サーマン]]、女優
* 1970年 - [[山口幸司 (野球)|山口幸司]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[中村祐二]]、元[[陸上競技]]選手
* [[1971年]] - 春名和昭、元お笑いタレント(元[[DA-DA]])
* [[1972年]] - [[島涼香]]、元声優
* 1972年 - [[相川恵里]]、元[[タレント]]、元歌手
* 1972年 - [[渡辺徹 (アナウンサー)|渡辺徹]]、元アナウンサー
* 1972年 - [[谷内聖樹]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[佐々木弥]]、野球選手
* 1972年 - [[山田隆裕]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* 1972年 - [[マリウス・シュデク]]、フィギュアスケート選手
* [[1973年]] - [[飯島肇]]、声優
* 1973年 - [[式守錦太夫 (12代)|12代式守錦太夫]]、大相撲[[行司]]
* [[1974年]] - [[北村有起哉]]、俳優
* 1974年 - [[ヘクター・メルカド]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[東政敏]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[ラファエル・ベタンコート]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[河原木志穂]]、声優
* 1976年 - [[千代大海龍二]]、元大相撲力士、[[年寄]]14代[[九重 (相撲)|九重]]
* 1976年 - [[二岡智宏]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[一色紗英]]、女優
* [[1978年]] - [[佐藤充]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[ボブ・ブライアン]]、[[テニス選手一覧 (男子)|テニス選手]]
* 1978年 - [[マイク・ブライアン]]、テニス選手
* 1978年 - [[トニー・アーマス・ジュニア]]、元プロ野球選手
* [[1979年]] - [[吉村将生]]、元プロ野球選手
* [[1980年]] - [[ケリー・ショパック]]、プロ野球選手
* 1980年 - [[ルチアーノ・ミーロ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1980年 - [[キーアン・イーガン]]、ミュージシャン([[ウエストライフ]])
* [[1981年]] - [[ジョージ・マッカートニー]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[乾曜子]]、[[グラビアアイドル]]
* [[1982年]] - [[内海哲也]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[遠藤玲子]]、アナウンサー
* [[1983年]] - [[白鳥百合子]]、元グラビアアイドル
* 1983年 - [[笠原秀幸]]、俳優
* 1983年 - [[ジェイ・カトラー (アメリカンフットボール)|ジェイ・カトラー]]、元アメリカンフットボール選手
* [[1984年]] - [[ワン・バオチャン]]、俳優
* [[1985年]] - [[榎本亜弥子]]、[[ファッションモデル]]、女優
* 1985年 - [[菊岡正展]]、[[関西ジャニーズJr.]]
* 1985年 - [[チャッド・ハフマン]]、プロ野球選手
* 1985年 - [[オースティン・ビベンス=ディルクス]]、プロ野球選手
* [[1986年]] - [[細山田武史]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[清水楓]]、女優、元グラビアアイドル
* [[1987年]] - [[甲斐昭人]]、ハンドボール選手
* 1987年 - [[韓基周]]、元プロ野球選手
* [[1988年]] - [[新井梨絵]]、元タレント
* 1988年 - [[田中大二郎]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[小山泰志]]、元サッカー選手
* 1988年 - [[持留新作]]、元サッカー選手
* 1988年 - [[橘知衣代]]、タレント、モデル
* [[1989年]] - [[フレディ・アルバレス]]、野球選手
* [[1990年]] - [[上里琢文]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ナディーヌ・ブロールセン]]、陸上競技選手
* [[1991年]] - [[鈴木まりや]]、タレント、[[アイドル]](元[[SNH48]]、元[[AKB48]])
* 1991年 - [[大瀬楓]]、アイドル(元[[THE ポッシボー]])
* 1991年 - [[舟山久美子]]、[[ファッションモデル]]、タレント
* 1991年 - [[土居美咲]]、テニス選手
* [[1992年]] - [[加藤匠馬]]、プロ野球選手
* [[1993年]] - [[ジャスティン・トーマス (ゴルファー)|ジャスティン・トーマス]]、[[プロゴルファー]]
* 1993年 - [[松本竜也 (左投手)|松本竜也]]、元プロ野球選手
* [[1996年]] - [[武藤彩未]]、アイドル(元[[可憐Girl's]]、元[[さくら学院]])
* 1996年 - [[戸川大輔]]、元プロ野球選手
* [[1997年]] - [[アンジェラ芽衣]]、[[ファッションモデル]]、タレント
* [[1998年]] - [[堀内まり菜]]、アイドル(元[[さくら学院]])
* [[2003年]] - [[秋山正雲]]、プロ野球選手
* 2003年 - [[鎌田彩樺]]、アイドル、女優([[SUPER☆GiRLS]])
* 2003年 - [[沖玲萌]]、タレント
* [[2007年]] - [[松島輝空]]、卓球選手
* 生年不詳 - [[舞井武依]]、漫画家
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1999年]] - [[たま (猫の駅長)|たま]]、[[貴志駅]]の猫の駅長(+ 2015年)
* [[2003年]] - [[バーバロ]]、[[競走馬]](+ 2007年)
== 忌日 ==
[[Image:Fujiwara_no_motohira.jpg|thumb|175x175px|[[奥州藤原氏]]第2代当主、[[藤原基衡]](1105?-1157?)没]]
[[Image:Cavafy1900.jpg|thumb|upright|[[ギリシア]]の詩人、[[コンスタンディノス・カヴァフィス]](1863-1933)は4月29日誕生、4月29日没]]
[[ファイル:Wittgenstein Gravestone.jpg|thumb|160px|哲学者、[[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]](1889-1951)没。墓の梯子はこの言葉に因む:]]
[[ファイル:Alfred Hitchcock NYWTS.jpg|thumb|upright|「サスペンスの神様」、映画監督[[アルフレッド・ヒッチコック]](1899-1980)没]]
[[Image:JohnKennethGalbraithOWI.jpg|thumb|upright|[[制度学派]]の経済学者、[[ジョン・ケネス・ガルブレイス]](1908-2006)]]
[[ファイル:Albert Hofmann Oct 1993.jpg|thumb|upright|[[LSD (薬物)|LSD]]や[[シロシビン]]の発見者、[[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]](1906-2008)]]
* [[1157年]]([[保元]]2年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[藤原基衡]]、[[奥州藤原氏]]第2代当主(* [[1105年]]頃)
* [[1674年]]([[延宝]]2年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[松平光通]]、第2代[[福井藩|福井藩主]](* [[1636年]])
* [[1676年]] - [[ミヒール・デ・ロイテル]]、[[オランダ海軍]]の[[提督]](* [[1607年]])
* [[1712年]] - [[フアン・カバニーリェス]]、[[オルガニスト]]、[[作曲家]](* [[1644年]])
* [[1768年]] - [[イェオリ・ブラント]]、[[化学者]]、[[鉱物学|鉱物学者]](* [[1694年]])
* [[1793年]] - [[ジョン・ミッチェル (天文学者)|ジョン・ミッチェル]]、[[天文学者]](* [[1724年]])
* [[1849年]]([[嘉永]]2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[徳川慶臧]]、第13代[[尾張藩|尾張藩主]](* [[1836年]])
* [[1865年]]([[慶應]]元年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[榊原新左衛門]]、[[尊皇攘夷|尊皇攘夷派]]志士(* [[1834年]])
* [[1876年]] - [[ゲンナジー・ネヴェリスコイ]]、[[探検家]](* [[1813年]])
* [[1880年]] - [[本多忠直 (三河国岡崎藩主)|本多忠直]]、第6代[[岡崎藩|岡崎藩主]](* [[1844年]])
* [[1930年]] - [[島田清次郎]]、[[小説家]](* [[1899年]])
* [[1933年]] - [[コンスタンディノス・カヴァフィス]]、[[詩人]](* [[1863年]])
* [[1937年]] - [[ウィリアム・ジレット]]、[[俳優]](* [[1853年]])
* 1937年 - [[黒井悌次郎]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[大将]](* [[1866年]])
* 1937年 - [[ウォーレス・カロザース]]、化学者(* [[1896年]])
* [[1942年]] - [[エミール・フォン・ザウアー]]、[[音楽家]](* [[1862年]])
* [[1943年]] - [[リカルド・ビニェス]]、[[ピアニスト]](* [[1876年]])
* 1943年 - [[ジョゼフ・アクロン]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1886年]])
* 1943年 - [[ヴィルヘルム・シュレンク]]、化学者 (*[[1879年]])
* [[1947年]] - [[アーヴィング・フィッシャー]]、[[経済学者]](* [[1867年]])
* [[1951年]] - [[ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン]]、[[思想家]](* [[1889年]])
* [[1953年]] - [[長崎英造]]、[[実業家]](* [[1881年]])
* 1953年 - [[モイズ・キスリング]]、[[画家]](* [[1891年]])
* [[1956年]] - [[中山平次郎]]、[[考古学|考古学者]](* [[1871年]])
* [[1962年]] - [[田邊元]]、思想家(* [[1885年]])
* [[1969年]] - [[ジュリアス・カッチェン]]、ピアニスト(* [[1926年]])
* [[1970年]] - [[三村伸太郎]]、[[脚本家]](* [[1897年]])
* [[1972年]] - [[マンフレート・グルリット]]、作曲家、[[指揮者]](* [[1890年]])
* 1972年 - [[伊志井寛]]、俳優(* [[1901年]])
* [[1975年]] - [[菊容子]]、[[俳優|女優]](* [[1950年]])
* [[1978年]] - [[安田靫彦]]、[[日本画家]](* [[1884年]])
* [[1980年]] - [[アルフレッド・ヒッチコック]]、[[映画監督]](* [[1899年]])
* [[1983年]] - [[朝田善之助]]、[[部落問題|部落解放運動家]](* [[1902年]])
* [[1985年]] - [[桜田武]]、実業家(* [[1904年]])
* 1985年 - [[フーベルト・バルワーザー]]、[[フルート奏者]](* [[1906年]])
* [[1987年]] - [[常ノ山勝正]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1925年]])
* [[1991年]] - [[大石義雄]]、[[法学者]](* [[1903年]])
* [[1994年]] - [[和田共弘]]、[[馬主]](* [[1922年]])
* [[1995年]] - [[セルゲイ・アントーノフ]]、小説家(* [[1915年]])
* [[1996年]] - 松鶴家千代菊、漫才師([[松鶴家千代若・千代菊]])(* [[1915年]])
* [[1998年]] - [[東畑謙三]]、[[建築家]](* [[1902年]])
* 1998年 - [[市川都志春]]、作曲家(* [[1912年]])
* [[2001年]] - [[古今亭右朝]]、[[落語家]](* [[1948年]])
* [[2004年]] - [[小鹿番]]、俳優(* [[1932年]])
* [[2006年]] - [[ジョン・ケネス・ガルブレイス]]、経済学者(* [[1908年]])
* 2006年 - [[沼田曜一]]、俳優(* [[1924年]])
* 2006年 - [[金子俊男]]、[[ジャーナリスト]](* [[1929年]])
* 2006年 - [[三遊亭圓彌]]、落語家(* [[1936年]])
* [[2007年]] - [[小林利雄]]、[[広告]][[プロデューサー]]、[[テレビ映画]]製作者(* [[1921年]])
* 2007年 - [[ジョシュ・ハンコック]]、[[プロ野球選手]](* [[1978年]])
* [[2008年]] - [[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]]、化学者(* [[1906年]])
* 2008年 - [[柏楊]]、小説家(* [[1920年]])
* 2008年 - [[岡部伊都子]]、[[随筆家]](* [[1923年]])
* 2008年 - [[チャールズ・ティリー]]、[[社会学|社会学者]](* [[1929年]])
* [[2011年]] - [[ウラジミール・クライネフ]]、[[ピアニスト]]、音楽教師(* [[1944年]])
* [[2013年]] - [[内藤博文]]、元[[プロ野球選手]](* [[1931年]])
* 2013年 - [[牧伸二]]、[[ウクレレ]][[漫談家]](* [[1934年]])
* [[2014年]] - [[ボブ・ホスキンス]]<ref>{{Cite web|和書|title=俳優ボブ・ホスキンスさん死去 71歳 『ロジャー・ラビット』『スーパーマリオ』など|publisher=シネマトゥデイ|date=30 Apr 2014|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0062658|accessdate=29 Jun 2023}}</ref>、[[俳優]](* [[1942年]])
* 2014年 - [[松岡直也]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140430-1293378.html|title=「ミ・アモーレ」作曲の松岡直也氏が死去|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=30 Apr 2014|accessdate=29 Jun 2023}}</ref>、ピアニスト(* [[1937年]])
* [[2022年]] - [[小坂忠]]、[[シンガーソングライター]]、作曲家、[[ゴスペルシンガー]]、[[牧師]](* [[1948年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Michi-no-miya Hirohito 1902.jpg|thumb|254x254px|[[昭和天皇]](1901-1989)誕生を記念し、4月29日は日本国の[[昭和の日]]。画像は1歳時]]
* [[昭和の日]]({{JPN}}、2007年 - )
*: 2006年までは「[[みどりの日]]」。「みどりの日」が5月4日へ変更されると同時に新設された。
* みどりの日({{JPN}}、1989年 - 2006年)
*: 4月29日が「[[昭和の日]]」になるのに伴い、みどりの日は[[5月4日]]へ変更。
* [[天皇誕生日]]({{JPN}}、1949年 - 1988年)
*: 昭和天皇崩御の後「みどりの日」に改称。その後2007年に[[昭和の日]]に改称。
* [[天長節]]({{JPN}}、1927年 - 1948年)
*: 昭和天皇の誕生日。[[四大節]]の一つ。
* [[ゴールデンウィーク]]({{JPN}})
* [[国際ダンスデー]]({{World}})
*: [[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の下部組織であるInternational Dance Councilが[[1982年]]に制定した[[国際デー]]。フランスの舞踏家[[ジャン=ジョルジュ・ノヴェール]]の誕生日。
* [[羊肉]]の日({{JPN}})
*: [[ジンギスカン鍋]]の普及のため、ジンギスカン食普及拡大促進協議会が制定。「よう(4)に(2)く(9)」(羊肉)の語呂合わせ。
* 北極点到達
*:[[1978年]]([[昭和]]53年)、[[植村直己]]が単身犬ぞりで北極点に到達した。
* [[全日本柔道選手権大会]]({{JPN}} [[日本武道館]])
*: 当大会と[[全日本剣道選手権大会]]([[11月3日]])は、日程が最優先で確保されている。
* [[阿寒湖]]湖水開き({{JPN}})
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0429|date=Jun 2023}}
* [[2009年]] - 「ビッグシェル占拠事件」発生。(ゲーム『[[メタルギアソリッド2]]』)
* 新暦0071年 - ミッドチルダ北部で空港大火災。(アニメ『[[魔法少女リリカルなのはStrikerS]]』)
* 西暦不明 - 世界最優秀高校生大会日本予選が開催される。(漫画『[[幕張 (漫画)|幕張]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1939年]] - ロジャー・ラヴィー、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=大場つぐみ|authorlink1=大場つぐみ|author2=小畑健|authorlink2=小畑健|year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 27 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9 }}</ref>
* [[1967年]] - [[新世紀エヴァンゲリオンの登場人物#特務機関NERV(ネルフ)|碇ゲンドウ]]、アニメ・漫画『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=特務機関調査プロジェクトチーム |year=1997 |title=新世紀エヴァンゲリオン完全解体全書―新たなる謎と伝説 |page=201 |publisher=[[青春出版社]] |isbn= 978-4-413-03073-1}}</ref>
* [[1979年]] - 生石充、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=3|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=47|isbn=978-4-7973-8817-6}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=3|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=65|isbn=978-4-7973-8817-6}}</ref>
* [[2043年]] - [[ランカ・リー]]、アニメ『[[マクロスF]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=ランカ・リー|year=2009|title=RANKA マクロスF ランカ・リー オフィシャルブック|page=16-19|publisher=[[太田出版]]|isbn=978-4-77-831196-4}}</ref>
* 生年不明 - しずくちゃん、絵本・漫画・アニメ『[[しずくちゃん]]』の主人公<ref>絵本第6巻等参照。</ref>
* 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#比良戸中学校(長崎県)|次藤洋]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year=2003|title=キャプテン翼 3109日全記録|publisher=集英社|isbn=4-08-782789-5|page=51}}</ref>
* 生年不明 - マリアンヌ(ミス・ゴールデンウィーク)、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Ms_Goldenweek.html |title=マリアンヌ(ミス・ゴールデンウィーク) |access-date=2023-02-05 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - エドガー・ドラクロワ、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1519694186815098883}}</ref>
* 生年不明 - 生駒達人、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1255151045245669377}}</ref>
* 生年不明 - 乃木英樹、漫画・アニメ『[[ケンガンアシュラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kengankai|1652266478836793344}}</ref>
* 生年不明 - 菊池ユメ、漫画・アニメ・小説『[[魔法遣いに大切なこと]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=山田典枝|authorlink1=山田典枝|author2=よしづきくみち|authorlink2=よしづきくみち|year=2002 |title=魔法遣いに大切なこと - Someday's dreamers |page=126 |publisher=[[富士見書房]] |isbn= 4-04-926208-8}}</ref>
* 生年不明 - 伊波桜、小説・アニメ『[[境界の彼方]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://tv.anime-kyokai.com/character/sakura/ |title=伊波桜 |access-date=29 Jun 2023 |publisher=[[鳥居なごむ]]・[[京都アニメーション]]/境界の彼方製作委員会 |work=『境界の彼方』}}</ref>
* 生年不明 - ハザマ、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/hazama.html |title=ハザマ |publisher=ARC SYSTEM WORKS |accessdate=2023-02-05 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#大神環|大神環]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30003 |title=大神 環(おおがみ たまき) |access-date=2023-02-05 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 杜若葵、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.i-chu.jp/unit/tenjotenge/aoi/ |title=杜若 葵 |access-date=2023-02-05 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=『アイ★チュウ』}}</ref>
*生年不明 - キルツェ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-2378 |title=キルツェ |publisher=『キングスレイド』 |accessdate=2023-02-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=2378 |archivedate=2022-07-24}}</ref>
*生年不明 - 中原中也、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bunal_pr|1255149844991098882}}</ref>
*生年不明 - 中原中也、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1255330969344712704}}</ref>
* 生年不明 - リリ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1652130581826633728}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|April 29|29 April}}
{{新暦365日|4|28|4|30|[[3月29日]]|[[5月29日]]|[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]|0429|4|29}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T12:06:06Z | 2023-09-23T05:36:25Z | false | false | false | [
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"Template:新暦365日",
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"Template:フィクションの出典明記",
"Template:全国書誌番号",
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"Template:脚注ヘルプ",
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"Template:1年の月と日",
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"Template:カレンダー 4月",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8829%E6%97%A5 |
4,893 | 4月30日 |
4月30日(しがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から120日目(閏年では121日目)にあたり、年末まではあと245日ある。4月の最終日である。 | [
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] | 4月30日(しがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から120日目(閏年では121日目)にあたり、年末まではあと245日ある。4月の最終日である。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{カレンダー 4月}}
'''4月30日'''(しがつさんじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から120日目([[閏年]]では121日目)にあたり、年末まではあと245日ある。4月の[[月末|最終日]]である。
== できごと ==
[[Image:Washington_%283%29.jpg|thumb|150px|[[ジョージ・ワシントン]]、[[アメリカ合衆国]]初代大統領に選出(1789)]]
[[ファイル:Louisiana Purchase 1953 Issue-3c.jpg|thumb|200px|アメリカ合衆国、フランスから[[ルイジアナ買収|ルイジアナを買収]](1803)。画像は買収150周年記念切手]]
[[Image:1863 - Légion - camerone2.jpg|thumb|160px|[[カマロンの戦い]](1863)]]
[[Image:Battle of Yalu River 1904.jpg|thumb|200px|[[鴨緑江会戦]](1904)]]
[[Image:This ballot is a power for creation of Greater East Asia.JPG|thumb|150px|[[第21回衆議院議員総選挙|翼賛選挙]](1942)の投票日]]
[[Image:Vietnamese refugees on US carrier, Operation Frequent Wind.jpg|thumb|200px|[[ベトナム戦争]]終結(1975)。画像は[[フリークエント・ウィンド作戦]]でサイゴンを脱出する南ベトナム住人]]
* [[313年]] - {{仮リンク|ツィラルムの戦い|en|Battle of Tzirallum}}。[[ローマ皇帝]][[リキニウス]]が、ローマ帝国の東側を分割統治していた[[マクシミヌス・ダイア]]を破る。
* [[572年]](敏達天皇元年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - 第30代[[天皇]]・[[敏達天皇]]が即位。
* [[781年]]([[天応 (日本)|天応]]元年4月3日) - 第50代天皇・[[桓武天皇]]が即位。
* [[1006年]] - 太陽と月以外で史上最も[[視等級]]が明るい天体である[[超新星]][[SN 1006]]が観測される。
* [[1483年]] - この日から[[1503年]][[7月23日]]まで[[冥王星]]が[[海王星]]の軌道の内側へ入りこむ。
* [[1789年]] - [[ジョージ・ワシントン]]が初代[[アメリカ合衆国大統領]]に就任。
* [[1803年]] - [[アメリカ合衆国]]が[[フランス]]から[[ルイジアナ買収|ルイジアナを買収]]する。
* [[1812年]] - [[オーリンズ準州]]が州に昇格し、アメリカ合衆国18番目の州・[[ルイジアナ州]]になる。
* [[1838年]] - [[ニカラグア]]が[[中米連邦]]からの分離を宣言。
* [[1863年]] - [[メキシコ出兵]]・[[カマロンの戦い]]:物資輸送の護衛の[[フランス外人部隊]]を[[メキシコ軍]]が攻撃。フランス外人部隊は300万フランを文字通り死守。
* [[1867年]]([[慶応]]3年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[江戸幕府]]がオランダに発注していた蒸気軍艦「[[開陽丸]]」が横浜に到着。
* [[1888年]] - [[日本]]で[[黒田清隆]]が第2代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[黒田内閣]]が発足。
* 1888年 - 日本で[[枢密院 (日本)|枢密院]]創設。[[伊藤博文]]が議長に就任。
* [[1898年]] - [[函館市|函館]]近くの湯ノ川村に日本初の女子[[修道院]]・[[トラピスチヌ修道院]]が設立される。
* [[1900年]] - [[アメリカ合衆国]]で[[ハワイ基本法]]施行。[[ハワイ準州]]自治政府を設置。
* 1900年 - [[神戸市|神戸]]の[[観艦式]]で初めて「[[軍艦行進曲|軍艦マーチ]]」が演奏される。
* 1900年 - [[イリノイ・セントラル鉄道]]の特急列車追突事故で、最後までブレーキレバーを握っていた運転士[[ケイシー・ジョーンズ]]が殉職。
* [[1904年]] - [[日露戦争]]: [[鴨緑江会戦]]が始まる。
* [[1908年]] - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[巡洋艦]]「[[松島 (防護巡洋艦)|松島]]」が寄港地の[[馬公市|馬公]]で爆沈、207名の死者を出す。
* [[1914年]] - [[大阪電気軌道]][[大阪上本町駅|上本町]] - [[近鉄奈良駅|奈良]]間(現・[[近鉄奈良線]])が開業。[[生駒トンネル]]で生駒山地を貫く。
* [[1916年]] - [[ドイツ]]で、世界で初めて[[夏時間]]が実施される。
* [[1918年]] - 戦艦「[[日向 (戦艦)|日向]]」が就役。
* [[1927年]] - アメリカ合衆国初の女性用連邦刑務所・{{仮リンク|オルダーソン刑務所|en|Federal Prison Camp, Alderson}}が[[ウェストバージニア州]]{{仮リンク|オルダーソン (ウェストバージニア州)|en|Alderson, West Virginia|label=オルダーソン}}に開所。
* [[1937年]] - [[第20回衆議院議員総選挙]]。
* [[1939年]] - [[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[ルー・ゲーリッグ]]が2,130試合連続出場記録を達成。
* 1939年 - [[ニューヨーク万国博覧会 (1939年)|ニューヨーク万国博覧会]]開幕。
* [[1942年]] - [[第21回衆議院議員総選挙]](翼賛選挙)。
* [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[イギリス軍]]が対[[ドイツ軍]]諜報作戦「[[ミンスミート作戦]]」を実施。
* [[1945年]] - 前日結婚した[[アドルフ・ヒトラー]]と[[エヴァ・ブラウン]]が自殺。
* 1945年 - ヒトラーの「政治的遺言」により[[ドイツ]]大統領に[[カール・デーニッツ]]、首相に[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]がそれぞれ就任。
* [[1946年]] - [[経済同友会]]の設立総会。
* [[1947年]] - 日本で[[国会法]]公布。
* 1947年 - アメリカ・[[コロラド川]]のボールダーダムが大統領[[ハーバート・フーヴァー]]にちなんで[[フーバーダム]]に改称。
* [[1948年]] - 南北アメリカの21か国が[[コロンビア]]の首都[[ボゴタ]]で[[米州機構]]憲章に調印。
* [[1950年]] - 日本で「[[図書館法]]」公布。
* [[1952年]] - [[辰野事件]]発生。[[長野県]][[辰野町]]一帯の[[警察署]]、[[駐在所]]などが[[ダイナマイト]]で襲撃を受ける。逮捕された者は、控訴審で証拠不十分として全員無罪<ref>「辰野事件控訴審 一審破棄し全員無罪」『朝日新聞』昭和47年12月1日夕刊.1面</ref>。
* [[1957年]] - [[奴隷制度廃止補足条約]]が発効する。
* [[1959年]] - [[高宮行男]]が予備校の不二学院・文理予備校を[[代々木ゼミナール]]に改称。
* [[1960年]] - [[ソニー]]が世界初の[[トランジスタ]][[テレビ]]を発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/55310|title=4月30日 ソニーが世界初のトランジスタテレビを発売(1960年)|work=ブルーバックス編集部 [[講談社]]|date=2018-04-30|accessdate=2020-07-23}}</ref>。
* [[1970年]] - [[カンボジア内戦]]:クーデターを起こした[[ロン・ノル]]の支援のため、アメリカ軍と南ベトナムが[[カンボジア]]に侵攻。
* [[1975年]] - [[サイゴン陥落]]。[[ベトナム戦争]]が終結。[[ベトナム共和国|南ベトナム]]の首都[[サイゴン]]に[[南ベトナム解放民族戦線]]が突入、[[ズオン・バン・ミン]]大統領が無条件降伏を発表。
* 1975年 - [[薬局距離制限事件]]で、史上2番目の最高裁による[[違憲判決]]。
* [[1980年]] - [[オランダ]]で[[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]]女王が即位。
* 1980年 - [[イギリス]]で[[駐英イラン大使館占拠事件|イラン大使館占拠事件]]発生。
* [[1982年]] - [[国際連合|国連]][[海洋法]]会議で「海洋法に関する国際連合条約」([[国連海洋法条約]])を採択。領海12[[海里]]以内が確立。
* [[1988年]] - [[ブリスベン国際レジャー博覧会]]が開幕。[[10月30日]]まで。
* [[1989年]] - JR北海道の[[名寄本線]]と[[天北線]]がこの日限りで廃止。
* [[1994年]] - [[ローランド・ラッツェンバーガー]]が[[1994年サンマリノグランプリ|F1サンマリノグランプリ]]予選で事故死。
* [[1995年]] - 日本産[[トキ]]の最後の雄・ミドリが死去。
* 1995年 - [[ビル・クリントン]]米大統領が、現職米大統領として初の[[北アイルランド]]訪問。
* [[1999年]] - [[カンボジア]]が[[東南アジア諸国連合]] (ASEAN) に加盟。
* [[2002年]] - [[パキスタン]]での[[国民投票]]で、[[ペルベズ・ムシャラフ]]の[[国家主席]]職5年延長を圧倒的多数で承認。
* [[2010年]] - [[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[バンタム級]]王者の[[長谷川穂積]]が11度目の防衛に失敗<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/v2?id=hozumi_hasegawa_13|title=特集 長谷川穂積~最強への軌跡~|work=[[時事通信]]|accessdate=2020-07-23}}</ref>。
* [[2013年]] - [[オランダ]]で[[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]]女王が退位し、[[ウィレム=アレクサンダー (オランダ王)|アレクサンダー]]国王が即位<ref>{{Cite web|和書|date=2013-04-30 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG30032_Q3A430C1CR8000/ |title=オランダ新国王が即位 皇太子ご夫妻、即位式に出席へ |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2020-07-23}}</ref>。
* [[2019年]] - [[明仁から徳仁への皇位継承]] - [[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]が施行。第125代天皇[[明仁]]が[[退位]]し、[[平成]]の終焉<ref>{{Cite web|和書|date=2019年4月30日 |url=https://www.sankei.com/article/20190430-LXHTQNSM3JOQPPEOVH4YQ5E2GQ/ |title=「支えてくれた国民に、心から感謝」陛下、退位の礼で「最後」のお言葉 |work=産経ニュース |publisher= |accessdate=2020-07-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2019年4月30日 |url=https://www.bbc.com/japanese/48101947 |title=新しい天皇陛下が即位 「令和」始まる |publisher=BBC |accessdate=2020-07-23}}</ref>。天皇の退位は[[一世一元の制|一世一元]]となった[[明治]]以降初めてであった。同日午後5時より、天皇明仁の退位の儀式「[[退位の礼|退位礼正殿の儀]]」が[[国事行為]]として行われた。
{{-}}
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[ファイル:DeLasalle Leger.jpg|thumb|120px|「近代教育の先駆者」、[[ジャン=バティスト・ド・ラ・サール]](1651-1719)誕生]]
[[ファイル:Carl Friedrich Gauss.jpg|thumb|120px|数学者[[カール・フリードリヒ・ガウス]](1777-1855)誕生]]
[[Image:YoshitoshiAdachi.jpg|thumb|140px|無惨絵で知られる浮世絵師、[[月岡芳年]](1839-1892)。画像は『奥州安達がはらひとつ家の図』(1885)]]
[[Image:YoshiClimber.jpg|thumb|140px|[[月岡芳年]](1839-1892)。画像は『稲葉山の月』(1885)]]
[[Image:Hasek.jpg|thumb|120px|風刺作家、[[ヤロスラフ・ハシェク]](1883-1923)]]
[[Image:FranzLehar-StadtparkWien.JPG|thumb|120px|作曲家[[フランツ・レハール]](1870-1948)。代表作[[オペレッタ]]『[[メリー・ウィドウ]]』(1905)]]
[[Image:Bundesarchiv_Bild_183-H04810%2C_Joachim_von_Ribbentrop.jpg|thumb|120px|[[ヒトラー内閣]]の外務大臣、[[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ]](1893-1946)]]
[[Image:LarryNiven.jpg|thumb|120px|[[ハードSF]]作家、[[ラリー・ニーヴン]](1938-)。代表作『[[リングワールド]]』(1970)]]
[[ファイル:Carl XVI Gustaf of Sweden ca 1950.JPG|thumb|120px|[[スウェーデン]]国王、[[カール16世グスタフ]](1946-)]]
* [[1310年]] - [[カジミェシュ3世 (ポーランド王)|カジミェシュ3世]]、[[ポーランド王]](+ [[1370年]])
* [[1504年]] - [[フランチェスコ・プリマティッチオ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Francesco-Primaticcio Francesco Primaticcio Italian painter] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[画家]]、[[彫刻家]]、[[建築家]](+ [[1570年]])
* [[1553年]] - [[ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン]]、[[フランス王国|フランス]][[王妃]](+ [[1601年]])
* [[1651年]] - [[ジャン=バティスト・ド・ラ・サール]]、[[宗教家]]、[[教育者]](+ [[1719年]])
* [[1662年]] - [[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]、[[イングランド王国|イングランド]]女王(+ [[1694年]])
* [[1723年]] - [[マチュラン・ジャック・ブリソン]]、鳥類学者(+ [[1806年]])
* [[1769年]] - 初代[[ウェリントン公爵]][[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|アーサー・ウェルズリー]]、[[軍人]]、[[政治家]](+ [[1852年]])
* [[1777年]] - [[カール・フリードリヒ・ガウス]]、[[数学者]]、[[天文学者]]、[[物理学者]](+ [[1855年]])
* [[1803年]] - [[アルブレヒト・フォン・ローン]]、軍人、政治家(+ [[1879年]])
* [[1810年]]([[文化 (元号)|文化]]元年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[牧野節成]]、[[田辺藩]]主(+ [[1861年]])
* [[1812年]] - [[カスパー・ハウザー]]、長年牢獄に閉じ込められていた少年(+ [[1833年]])
* [[1834年]] - [[ジョン・ラボック]]、[[銀行家]]、[[政治家]]、[[生物学者]]、[[考古学|考古学者]](+ [[1913年]])
* [[1839年]]([[天保]]10年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[月岡芳年]]、[[浮世絵師]](+ [[1892年]])
* [[1851年]]([[嘉永]]4年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[米津政敏]]、[[長瀞藩]]主(+ [[1895年]])
* [[1850年]] - [[チャーレイ・ジョーンズ]]、元[[プロ野球選手]](+ 没年不詳)
* [[1851年]]([[嘉永]]2年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[黒田直養]]、[[久留里藩]]主(+ [[1919年]])
* [[1857年]] - [[オイゲン・ブロイラー]]、[[精神科医]](+ [[1939年]])
* [[1869年]] - [[フィリップ・ド・ラースロー]]、画家(+ [[1937年]])
* 1869年 - [[ハンス・ペルツィヒ]]、建築家(+ [[1936年]])
* [[1870年]] - [[フランツ・レハール]]、[[作曲家]](+ [[1948年]])
* [[1883年]] - [[ヤロスラフ・ハシェク]]、[[小説家]](+ [[1923年]])
* [[1885年]] - [[ルイージ・ルッソロ]]、[[画家]]、[[作曲家]](+ [[1947年]])
* [[1888年]] - [[デビッド・ジェイコブズ]]、陸上競技選手(+ [[1976年]])
* [[1893年]] - [[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ]]、[[ナチス・ドイツ]]外務相(+ [[1946年]])
* [[1900年]] - [[野呂栄太郎]]、[[経済学者]]、[[日本共産党]]指導者(+ [[1934年]])
* [[1901年]] - [[有田喜一]]、[[政治家]](+ [[1986年]])
* 1901年 - [[サイモン・クズネッツ]]、経済学者、[[統計学|統計学者]](+ [[1985年]])
* [[1902年]] - [[セオドア・シュルツ]]、経済学者(+ [[1998年]])
* [[1903年]] - [[川喜多長政]]、[[映画]]輸入業者、[[映画プロデューサー]](+ [[1981年]])
* [[1904年]] - [[任弼時]]、政治家(+ [[1950年]])
* 1904年 - [[大山定一]]、[[ドイツ文学者]](+ [[1974年]])
* [[1905年]] - [[加藤常太郎]]、政治家(+ [[1990年]])
* [[1909年]] - [[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ]]、[[オランダ王|オランダ女王]](+ [[2004年]])
* [[1916年]] - [[クロード・シャノン]]、数学者、[[電気工学|電気工学者]](+ [[2001年]])
* 1916年 - [[ロバート・ショウ (指揮者)|ロバート・ショウ]]、[[指揮者]](+ [[1999年]])
* [[1923年]] - [[鏡里喜代治]]、元[[大相撲]][[力士]]、第42代[[横綱]](+ [[2004年]])
* 1923年 - [[小畑実 (歌手)|小畑実]]、[[歌手]](+ [[1979年]])
* 1923年 - [[パーシー・ヒース]]、[[ジャズ]][[ミュージシャン]](+ [[2005年]])
* [[1926年]] - [[クロリス・リーチマン]]、[[俳優|女優]](+ [[2021年]])
* 1926年 - [[暁伸・ミスハワイ|ミスハワイ]]、[[漫才師]](+ [[1998年]])
* 1926年 - [[河野多惠子]]、[[小説家]](+ [[2015年]])
* [[1927年]] - [[綿貫民輔]]、政治家、初代[[国民新党]]代表
* [[1930年]] - [[戸浦六宏]]、[[俳優]](+ [[1993年]])
* 1930年 - [[大原健士郎]]、[[精神医学|精神医学者]](+ [[2010年]])
* 1930年 - [[高橋英夫 (評論家)|高橋英夫]]、[[文芸評論家]](+ [[2019年]])
* 1930年 - [[フェリックス・ガタリ]]、[[思想家]]、[[精神分析家]](+ [[1992年]])
* [[1933年]] - [[ウィリー・ネルソン]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー]][[音楽家|ミュージシャン]]
* [[1936年]] - [[亀井善之]]、政治家(+ [[2006年]])
* [[1938年]] - [[ラリー・ニーヴン]]、[[SF作家]]
* [[1940年]] - [[ツルネン・マルテイ]]、政治家
* [[1941年]] - [[織田光正]]、元プロ野球選手
* [[1942年]] - [[荒川巌]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[フレデリック・チルバ]]、政治家、第2代[[ザンビア|ザンビア共和国]]大統領(+ [[2011年]])
* [[1944年]] - [[ジル・クレイバーグ]]、女優(+ [[2010年]])
* [[1945年]] - [[岡元勝幸]]、元プロ野球選手
* [[1946年]] - [[カール16世グスタフ]]、[[スウェーデン]][[スウェーデン君主一覧|国王]]
* [[1947年]] - [[喜瀬浩]]、フリーアナウンサー
* [[1948年]] - [[ロバート・タージャン]]、[[計算機科学|計算機科学者]]
* [[1949年]] - [[杉本真人]]、[[作曲家]]
* 1949年 - [[アントニオ・グテーレス]]、政治家
* 1949年 - [[フィル・ガーナー]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[勝亦治]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[Mr.オクレ]]、[[タレント]]
* 1953年 - [[ティボル・クランパ]]、卓球選手
* 1953年 - [[新谷祐二]]、元プロ野球選手
* 1953年 - [[吉武正成]]、元プロ野球選手
* [[1954年]] - [[ジェーン・カンピオン]]、[[映画監督]]
* 1954年 - [[釘谷肇]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[セルゲイ・シャフライ (政治家)|セルゲイ・シャフライ]]、[[政治家]]
* 1956年 - [[ラース・フォン・トリアー]]、映画監督
* [[1957年]] - [[日向薫]]、[[俳優|女優]]
* [[1958年]] - [[沼澤茂美]]、[[天体写真|天体写真家]]、[[天文学|天文]][[イラストレーター]]
* 1958年 - [[山村勝彦]]、元プロ野球選手
* 1958年 - [[畦元将吾]]、政治家
* [[1959年]] - [[久美沙織]]、[[小説家]]
* 1959年 - [[沖直未]]、女優
* 1959年 - [[杉田敦 (政治学者)|杉田敦]]、政治学者
* 1959年 - [[スティーブン・ハーパー]]、政治家、[[カナダの首相|カナダ首相]]
* [[1960年]] - [[村越真]]、[[認知心理学]]者、[[オリエンテーリング]]選手
* [[1961年]] - [[アイザイア・トーマス]]、[[バスケットボール]]選手
* 1961年 - [[池田文春]]、漫画家
* 1961年 - [[トーマス・シャーフ]]、元[[サッカー選手]]、指導者
* [[1962年]] - [[清田益章]]、[[超能力|超能力者]]
* 1962年 - [[前原誠司]]、政治家
* 1962年 - [[山下正人]]、[[ボクシング]]トレーナー、[[警察官]]
* [[1964年]] - [[手塚るみ子]]、プランニングプロデューサー
* 1964年 - [[渡辺美佐 (声優)|渡辺美佐]]、声優
* [[1965年]] - [[佐野康夫]]、[[ドラマー|ドラム奏者]]
* 1965年 - [[エイドリアン・パスダー]]、俳優
* [[1967年]] - [[井上彩名]]、女優
* [[1968年]] - [[佐野慈紀]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[川邉忠義]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[山田博一]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[上田浩明]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[金田政彦]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[城友博]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[木下智彦]]、政治家
* [[1971年]] - [[北原泰二]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[金子哲雄]]、流通ジャーナリスト(+ [[2012年]])
* 1971年 - [[ジョン・ボイン]]、小説家
* 1971年 - [[ダレン・エマーソン]]、[[ミュージシャン]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]
* [[1972年]] - [[川村丈夫]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[常盤貴子]]、女優
* 1972年 - [[村野日南]]、[[フリーアナウンサー]]
* 1972年 - [[内之倉隆志]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[森島寛晃]]、元サッカー選手、指導者
* [[1973年]] - [[:en:Jeff_Timmons|ジェフ・ティモンズ]]、ミュージシャン([[ナインティーエイト・ディグリーズ]])
* [[1974年]] - [[富澤たけし]]、お笑いタレント([[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]])
* [[1975年]] - [[トミ・ヨーツセン]]、ミュージシャン
* 1975年 - [[高見澤考史]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[江尻慎太郎]]、元プロ野球選手
* [[1978年]] - [[神田大介]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[シモーネ・バローネ]]、元サッカー選手、指導者
* [[1979年]] - [[鈴木芳彦]]、アナウンサー
* 1979年 - [[ヘラルド・トラード]]、元サッカー選手
* [[1980年]] - [[EXILE ATSUSHI]]、ミュージシャン([[EXILE]])
* 1980年 - [[ヴィレ・フリマン]]、ミュージシャン([[インソムニウム]])
* 1980年 - 草刈愛美、ミュージシャン([[サカナクション]])
* 1980年 - navi、ミュージシャン([[GReeeeN]])、歯科医師
* [[1981年]] - [[植山幸亮]]、元[[野球選手]]
* 1981年 - [[生沼知裕]]、[[ラグビーユニオン]]選手
* 1981年 - [[ジョン・オシェイ]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[クナル・ネイヤー]]、[[コメディアン]]
* [[1982年]] - [[キルスティン・ダンスト]]、女優
* 1982年 - [[ロイド・バンクス]]、ラッパー
* 1982年 - [[宮下ともみ]]、女優
* 1982年 - [[スティーブ・ハモンド (投手)|スティーブ・ハモンド]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[上西小百合]]、政治家、元[[日本の国会議員|衆議院議員]]
* 1983年 - [[虎谷温子]]、[[アナウンサー]]
* 1983年 - [[小斉祐輔]]、元プロ野球選手
* [[1984年]] - [[淵上泰史]]、俳優
* [[1984年]] - [[三浦祐太朗]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1985年]] - [[希善龍貴司]]、元大相撲力士
* 1985年 - [[ガル・ガドット]] モデル、女優
* [[1986年]] - [[タイナカ彩智]]、[[シンガーソングライター]]
* 1986年 - [[中村昌也]]、俳優(元[[D-BOYS]])
* 1986年 - [[山本浩之 (1986年生の陸上選手)|山本浩之]]、元陸上選手、指導者
* [[1987年]] - [[大嶋和也]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* 1987年 - [[山本綾]]、声優
* [[1988年]] - [[渡部みずき]]、女優
* 1988年 - [[佐野克彦]]、元サッカー選手
* 1988年 - [[ライアン・オルーク]]、プロ野球選手
* [[1989年]] - [[鎌倉涼]]、[[競艇選手]]
* 1989年 - [[フィル・クレイン]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[清水航平]]、サッカー選手
* 1989年 - [[ウヨン]]、アイドル([[2PM]])
* [[1990年]] - [[近田怜王]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[柳英里紗]]、女優
* 1990年 - [[比嘉厚平]]、元サッカー選手
* 1990年 - [[豊島将之]]、[[将棋棋士]]
* [[1991年]] - [[仙石みなみ]]、アイドル(元[[アップアップガールズ(仮)]])
* 1991年 - [[生田輝]]、女優、声優
* [[1992年]] - [[佐藤聖羅]]、[[グラビアアイドル]]、女優(元[[SKE48]])
* 1992年 - [[寺久保エレナ]]、ジャズミュージシャン
* [[1993年]] - [[石崎直]]、元俳優
* 1993年 - [[髙橋洸]]、元プロ野球選手
* [[1994年]] - [[宮平佳奈]]、ファッションモデル、タレント
* 1994年 - [[カチャリナ・パハモヴィチ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1994年 - [[中道勝士]]、元プロ野球選手
* [[1995年]] - [[渡邉諒]]、プロ野球選手
* [[1997年]] - [[玉川来夢]]、タレント(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]29号)
* [[1998年]] - [[石見舞菜香]]、声優
* [[2000年]] - [[樋渡結依]]、アイドル(元[[AKB48]])
* [[2001年]] - [[西元めいさ]]、AV女優、アイドル
* [[2002年]] - 佐月愛果、アイドル([[NMB48]])
* [[2003年]] - [[松木玖生]]、サッカー選手
* [[2004年]] - [[米村姫良々]]、アイドル([[OCHA NORMA]])
* 生年不明 - [[狩姦]]、ギタリスト([[陰陽座]])
* 生年不明 - [[うかみ]]、漫画家
* 生年不明 - [[安藤みどり]]、声優
* 生年不明 - [[篠原侑]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2000年]] - [[アドマイヤグルーヴ]]、[[競走馬]](+ [[2012年]])
== 忌日 ==
{{multiple image
| caption1 = 第5代[[横綱]]、[[小野川喜三郎]](1758-1806)没。画像は[[月岡芳年]]画(1865)
| image1 = Yoshitoshi_Onogawa_1865.jpg
| width1 = 100
| alt1 = 小野川喜三郎
| caption2 = 作曲者[[ヘンリー・ローリー・ビショップ]](1786-1855)、貧窮のうちに没。{{audio|Home! Sweet Home!.ogg|『埴生の宿』を聴く}}
| image2 = Sir Henry Rowley Bishop by Isaac Pocock.jpg
| width2 = 100
| alt2 = ヘンリー・ローリー・ビショップ
}}
[[Image:Edouard_Manet_038.jpg|thumb|200px|[[エドゥアール・マネ]](1832-1883)没。画像の『[[オランピア (絵画)|オランピア]]』は物議を醸した]]
[[Image:Edouard Manet 004.jpg|thumb|200px|[[エドゥアール・マネ]](1832-1883)没。画像は晩年の代表作『フォリー・ベルジェールのバー』(1882)]]
[[Image:Juliet_-_Philip_H._Calderon.jpg|thumb|200px|[[フィリップ・ハモジェニーズ・コールドロン]](1833-1898)。画像は『ジュリエット』(1896)]]
[[Image:Stars & Stripes & Hitler Dead2.jpg|thumb|100px|[[アドルフ・ヒトラー]](1945)自殺]]
{{multiple image
| caption1 = 作家、[[永井荷風]](1879-1959)没。
| image1 = Kafū Nagai 1927.jpg
| width1 = 100
| alt1 = 永井荷風
| caption2 = 作家、[[大佛次郎]](1897-1973)没。
| image2 = Jiro_Osaragi_1925.jpg
| width2 = 100
| alt2 = 大佛次郎
}}
=== 人物 ===
* [[65年]] - [[マルクス・アンナエウス・ルカヌス]]{{要出典|date=2021-03}}、詩人(* [[39年]])
* [[1383年]]([[弘和]]3年/[[永徳]]3年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[懐良親王]]、[[皇族]](* [[1329年]])
* [[1481年]]([[文明 (日本)|文明]]13年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[一条兼良]]、[[公卿]]、[[歌人]](* [[1402年]])
* [[1544年]] - {{仮リンク|トーマス・オードリー (初代ウォールデン男爵)|en|Thomas Audley, 1st Baron Audley of Walden}}、イングランドの[[大法官]]
* [[1548年]]([[天文 (元号)|天文]]17年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[朝倉孝景 (10代当主)|朝倉孝景]]、戦国時代の[[大名]]([[戦国大名]])(* [[1493年]])
* [[1645年]]([[正保]]2年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[前田光高]]、[[加賀藩]]第4代藩主(* [[1615年]])
* [[1655年]] - [[ウスタシュ・ル・シュウール]]([[w:Eustache Le Sueur|Eustache Le Sueur]])、画家(* [[1617年]])
* [[1701年]] - [[丹羽光重]]、[[白河藩]]第2代藩主、[[二本松藩]]第4代藩主
* [[1792年]] - [[ジョン・モンタギュー (第4代サンドウィッチ伯爵)|ジョン・モンタギュー]]、[[サンドイッチ]]の発明者と想定されている人物(* [[1718年]])
* [[1806年]]([[文化 (元号)|文化]]3年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[小野川喜三郎]]、第5代[[横綱]](* [[1758年]])
* [[1827年]]([[文政]]10年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[高田屋嘉兵衛]]、廻船業者(* [[1769年]])
* [[1855年]] - [[ヘンリー・ローリー・ビショップ]]、[[作曲家]](* [[1786年]])
* [[1865年]] - [[ロバート・フィッツロイ]]、[[軍人]](* [[1805年]])
* [[1875年]] - [[ジャン=フレデリック・ワルデック]]、古物研究家、[[地図学|地図学者]]、[[芸術家]]、[[探検家]](* [[1766年]])
* [[1883年]] - [[エドゥアール・マネ]]、[[画家]](* [[1832年]])
* [[1885年]] - [[イエンス・ペーター・ヤコブセン]]、[[詩人]]、[[小説家]](* [[1847年]])
* [[1898年]] - [[フィリップ・ハモジェニーズ・コールドロン]]、画家(* [[1833年]])
* [[1899年]] - [[ヘンリー・サマセット (第8代ボーフォート公)|ヘンリー・サマセット(第8代ボーフォート公)]]、[[貴族]]、[[軍人]]、[[政治家]]、[[バドミントン]]の創始者(* [[1824年]])
* [[1927年]] - [[清水金太郎]]、[[声楽家]]、[[バリトン]]歌手(* [[1889年]])
* [[1933年]] - [[アンナ・ド・ノアイユ]]、小説家(* [[1876年]])
* [[1936年]] - [[アルフレッド・エドワード・ハウスマン]]、詩人、[[批評家]](* [[1859年]])
* [[1943年]] - [[オットー・イェスペルセン]]、[[言語学者]](* [[1860年]])
* [[1945年]] - [[アドルフ・ヒトラー]]<ref>[[村瀬興雄|興雄, 村瀬]]. [https://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC-120389#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 日本大百科全書(ニッポニカ)] [[コトバンク]]. 2021年2月16日閲覧。</ref>、[[ナチス・ドイツ]][[総統]](* 1889年)
* 1945年 - [[エヴァ・ブラウン]]、ヒトラー夫人(* [[1912年]])
* [[1947年]] - [[イングバル・ブリン]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1881年]])
* [[1954年]] - [[阿子島俊治]]、[[ジャーナリスト]]、政治家(* [[1902年]])
* [[1956年]] - [[宇垣一成]]、[[軍人]]、[[政治家]](* [[1868年]])
* 1956年 - [[アルバン・W・バークリー]]、第35代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1877年]])
* [[1959年]] - [[永井荷風]]、小説家(* [[1879年]])
* [[1961年]] - [[朝潮太郎 (2代)]]、[[大相撲]][[力士]](* 1879年)
* [[1973年]] - [[大佛次郎]]、小説家(* [[1897年]])
* [[1974年]] - [[アグネス・ムーアヘッド]]、女優(* [[1900年]])
* [[1981年]] - [[新名丈夫]]、[[評論家]]、記者(* [[1906年]])
* [[1983年]] - [[ジョージ・バランシン]]、[[バレエ]][[振付師]](* [[1904年]])
* 1983年 - [[黒柳守綱]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1908年]])
* 1983年 - [[マディ・ウォーターズ]]、[[ブルース]][[歌手|シンガー]]、[[ギタリスト]](* [[1915年]])
* [[1989年]] - [[セルジオ・レオーネ]]、[[映画監督]](* [[1929年]])
* 1989年 - [[李方子]]、[[皇族]](* [[1901年]])
* 1989年 - [[殿山泰司]]、[[俳優]]、[[エッセイスト]](* [[1915年]])
* [[1991年]] - [[務臺光雄]]、[[実業家]](* [[1896年]])
* [[1992年]] - [[大杉勝男]]、[[プロ野球選手]](* [[1945年]])
* [[1994年]] - [[ローランド・ラッツェンバーガー]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1960年]])
* 1994年 - [[リチャード・スカーリー]]、[[児童文学作家]](* [[1919年]])
* [[1999年]] - [[根本陸夫]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督]](* [[1926年]])
* [[2004年]] - [[ボリス・ペルガメンシコフ]]、[[チェリスト]](* [[1948年]])
* [[2006年]] - [[ジャン=フランソワ・ルヴェル]]、[[思想史家]]、[[哲学者]](* [[1924年]])
* 2006年 - [[プラムディヤ・アナンタ・トゥール]]、小説家(* [[1925年]])
* 2006年 - [[コリーヌ・レイ=ベレット]]、[[アルペンスキー]]選手(* [[1972年]])
* [[2011年]] - [[マイク・クレスニック]]、プロ野球選手(* [[1931年]])
* [[2012年]] - [[アレクサンダー・ダーレ・オーエン]]、競泳選手(* [[1985年]])
* [[2014年]] - [[渡辺淳一]]、小説家(* [[1933年]])
* 2014年 - [[九條今日子]]、女優、演劇プロデューサー(* [[1935年]])
* [[2015年]] - [[浦井洋]]、政治家(* [[1927年]])
* 2015年 - [[ベン・E・キング]]、[[歌手]](* [[1938年]])
* [[2018年]] - [[木下忠司]]<ref>{{Cite news|url= https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201805070000562.html |title= 「人生楽ありゃ~」「カリメロ」作曲家102歳死去 |newspaper= 日刊スポーツ |publisher= 日刊スポーツ新聞社 |date= 2018-05-07 |accessdate= 2020-11-17 }}</ref>、[[作曲家]](* [[1916年]])
* [[2021年]] - [[立花隆]]、[[ジャーナリスト]](* [[1940年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2008年]] - [[陵陵|リンリン]]、[[ジャイアントパンダ]](* [[1985年]])
* [[2020年]] - [[スエヒロジョウオー]]、競走馬(* [[1990年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Beltane Dancers 2006.jpg|thumb|230px|[[ケルト]]の祝日、ビールテーヌイブ]]
* 国王誕生日({{SWE}})
*: スウェーデン国王[[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]]の誕生日。
* (旧)[[国王誕生日 (オランダ)|女王誕生日]]({{NLD}})
*: オランダ女王[[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]]が[[1980年]]に即位した日であり、前女王[[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ]]の誕生日。現女王ベアトリクスの誕生日は[[1月31日]]であるが、4月30日にあわせて祝われる。2013年の[[ウィレム=アレクサンダー]]の即位に伴い[[4月27日]]に変更され、名称も「国王誕生日」(王の日)となった。
* {{仮リンク|南部解放記念日|en|Reunification Day}}({{VNM}})
*: [[1975年]]のこの日、[[ベトナム共和国|南ベトナム]]の首都[[サイゴン]]が[[サイゴン陥落|陥落]]し、[[ベトナム戦争]]が北ベトナムの勝利で終結したことを記念。
* カメロン記念日({{FRA}})
*: [[1863年]]のこの日の[[カマロンの戦い]]を記念。[[メキシコ出兵]]において補給物資輸送部隊の護衛をしていた65名の[[フランス外人部隊]]と2,000名の[[メキシコ軍]]部隊が戦闘したが、外人部隊は降伏勧告を拒否し、メキシコ軍を釘付けにして輸送部隊に攻撃の手が及ぶことを防いだ。
* [[教師の日]]({{PRY}})
* [[図書館]]記念日({{JPN}})
*: [[1950年]]4月30日に[[図書館法]]が公布されたことから。[[1971年]]に制定。
* [[春]]の到来を祝う祭
** [[ヴァルプルギスの夜]](中欧・東欧)
** 春到来祭([[スカンジナビア]])
** {{仮リンク|ベルテーン祭|en|Beltane|label=ビールテーヌイブ}}([[ケルト]])
* 葉酸たまごの日
*: 葉酸たまご(ようさんたまご)、つまり、「よう (4) さん (3) たまご (0) 」の語呂合わせ。胎児の先天障害のリスクを減らす栄養素「[[葉酸]]」を効果的に摂取できる栄養機能性食品「葉酸たまご」は、この日を中心にイベントを行っている。
* [[国際ジャズ・デー]]
*: [[2012年]]11月に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]が制定。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0430|date=2011年6月}}
=== できごと (フィクション) ===
* [[2009年]] - [[ニューヨーク]]市街にアーセナルギアが突入、「ビッグシェル占拠事件」の首謀者、[[ソリダス・スネーク]]の死亡が確認される。(ゲーム『[[メタルギアソリッド2]]』)
* 年不詳 - [[ウサギ]]のおばあさん(ウサギ・ササ)、[[クマ]]の子(クマ・タクマ)に最初の手紙を書く。(小説『おてがみもらった おへんじかいた』)<ref>{{Cite book |和書|date=1996-05-01|author1=森山京|authorlink1=森山京|author2= 広瀬弦(イラスト)|title = おてがみもらった おへんじかいた |page = 4 |publisher=[[あかね書房]] |isbn=978-4251040565}}</ref>
* 年不詳 - ニャン美宛に悪質なストーカーから手紙が来たことが発覚し、犯人がすぐにクマ吉だと分かって逮捕される。(漫画『[[ギャグマンガ日和]]』内のエピソード『名探偵っスか!うさみちゃん』より)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1967年]] - 佐治安人、漫画・アニメ『[[将太の寿司]]』の登場人物
* 生年不明 - 如月伸太郎、メディアミックス『[[カゲロウプロジェクト]]』の主人公<ref>{{Twitter status|mekakushidan|1123120070228504577}}</ref>
* 生年不明 - 桜木ひな子、漫画・アニメ『[[ひなこのーと]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://hinakonote.jp/character.html |title=桜木ひな子 |access-date=2023-01-30 |publisher=三月・[[KADOKAWA]]刊/ひなこのーと製作委員会 |work=『ひなこのーと』}}</ref>
* 生年不明 - 日生香苗、漫画『[[すくらっぷ・ブック]]』のヒロインのひとり
* 生年不明 - [[擬宝珠家#纏|擬宝珠纏]]、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物#5年3組以外の児童|篠崎愛]]、漫画・アニメ『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=週刊少年ジャンプ特別|authorlink=週刊少年ジャンプ|date=1997-03-01|title = 地獄先生ぬ~べ~大百科|page=41|publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス デラックス|Jump comics deluxe]] |isbn=978-4088588834}}</ref>
* 生年不明 - ヴィオラ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/violet_viola.html |title=ヴィオラ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-21 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - 大石秀一郎、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[テニスの王子様]]|volume=10.5巻|author=[[許斐剛]]|publisher=[[集英社]]|page=56|year=2001|isbn=4-08-873193-X}}</ref>
* 生年不明 - ガトー、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2002-07-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=59|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088732886}}</ref>
* 生年不明 - 早乙女浪漫、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 弓場拓磨、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|W_Trigger_off|1387785004898467840}}</ref>
* 生年不明 - [[クリスタル (ポケットモンスターSPECIAL)|クリスタル]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1387974484502597636}}</ref>
* 生年不明 - 桜沢苗、漫画『[[パートナー (小花美穂の漫画)|パートナー]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 桜沢萌、漫画『パートナー』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 小桃・サクライ、漫画『[[わたしの狼さん。]]』『わたしの狼さん。 THE OTHER SIDE OF LYCANTHROPE』『[[dear (漫画)|dear]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=藤原ここあ|authorlink=藤原ここあ|date=2011-09-22|title=dear 新装版 |volume=3巻 |page=358 |publisher=[[スクウェア・エニックス]]|series = [[月刊ガンガンJOKER#ガンガンコミックスJOKER|ガンガンコミックスJOKER]] |isbn = 978-4757533721 }}</ref>
* 生年不明 - 河内智世美、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=河内智世美(かわち ちせみ) |work=『咲-Saki-』 |accessdate=2023-01-30 |publisher=[[小林立]]}}</ref>
* 生年不明 - 近衛春臣、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://7o3x.com/char/profiles.html#21 |title=近藤春臣 |publisher=[[杉基イクラ]]/[[KADOKAWA]]7○3×クイズ研究会 |work=『ナナマル サンバツ』 |accessdate=2023-01-30}}</ref>
* 生年不明 - 中原まりあ、漫画『[[中原くんの過保護な妹]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 月之宮スズ、漫画『[[オリーブ! Believe,"Olive"?]]』のキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=文月ふうろ|date=2016-11-26|title=オリーブ! Believe,"Olive"?|quote=2頁(CHARACTERS)|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムKRコミックス]]|isbn=978-4832247710}}</ref>
* 生年不明 - 立花・誾、小説・アニメ『[[境界線上のホライゾン]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 鷺沢陽子、アニメ・漫画『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sunrise-inc.co.jp/my-hime/web/character/chara/youko.html |title=鷺沢 陽子 |access-date=2022-09-21 |publisher=SUNRISE |website=[舞-HiME] 風華学園オフィシャルWeb}}</ref>
* 生年不明 - 榎本竜哉、アニメ『[[K (アニメ)|K]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - リディア、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=204 |title=リディア |access-date=2022-09-21 |publisher=[[コナミグループ|KONAMI]] |work=クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界}}</ref>
* 生年不明 - 小日向すもも、ゲーム・アニメ『[[はぴねす!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://windmill.suki.jp/product/6th/chara.htm#chrd |title=小日向すもも |access-date=2023-01-30 |publisher=ういんどみる |work=『はぴねす!』}}</ref>
* 生年不明 - 小鷹啓介、ゲーム・アニメ『[[ケータイ少女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kogado.com/sw/contents/panda/rin/characters/07.html |title=小鷹啓介 |access-date=2023-01-30 |publisher=G-mode/KOGADO STUDIO,INC. |work=『ケータイ少女PC』}}</ref>
* 生年不明 - 宮沢謙吾、ゲーム『[[リトルバスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|visualantena|1520055309623906304}}</ref>
* 生年不明 - ナイン=ザ=ファントム、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/nine.html |title=ナイン=ザ=ファントム |publisher=ARC SYSTEM WORKS |accessdate=2023-01-30 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref>
* 生年不明 - 反町牡丹、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gf_kari_music|726063575521878016}}</ref>
* 生年不明 - 五夢有葉、ゲーム『[[Berry's]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cuffs-sphere.jp/products/berrys/char/aruha/ |title=五夢有葉 |work=『Berry's』 |accessdate=2023-01-30 |publisher=Sphere}}</ref>
* 生年不明 - 万里(バンリ)、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=123&cate=name&cont=Banri |title=万里(バンリ) |access-date=2023-01-30 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 遊木真、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/yuuki_makoto/ |title=遊木 真 |accessdate=2023-01-30 |publisher=Happy Elements |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref>
* 生年不明 - 東雲絵名、ゲーム『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://pjsekai.sega.jp/character/unite05/ena/index.html |title=東雲絵名 | 25時、ナイトコードで。 |access-date=2022-09-21 |publisher=プロジェクトセカイ}}</ref>
* 生年不明 - 諏訪天姫、メディアミックス『[[ストライクウィッチーズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - エリザ、メディアミックス『[[ラピスリライツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lapisrelights.com/character/eliza/ |title=エリザ(CV:花澤 香菜) |access-date=2022-10-11 |publisher=KLabGames |work=ラピスリライツ 〜この世界のアイドルは魔法が使える〜}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|April 30|30 April}}
{{新暦365日|4|29|5|1|[[3月30日]]|[[5月30日]]|[[4月30日 (旧暦)|4月30日]]|0430|4|30}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T12:09:03Z | 2023-12-23T06:58:27Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%8830%E6%97%A5 |
4,895 | 5月6日 | 5月6日(ごがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から126日目(閏年では127日目)にあたり、年末まではあと239日ある。 | [
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'''5月6日'''(ごがつむいか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から126日目([[閏年]]では127日目)にあたり、年末まではあと239日ある。
== できごと ==
<!-- 記事に日付のないもの:アーカンソー州, 長岡係数 -->
<!-- 要検証: 日本語版の[[パリ万国博覧会 (1889年)]]は5月5日開幕となっておりますが、[[:en:Exposition Universelle (1889)]]と[[:fr:Exposition universelle de Paris de 1889]]は共に5月6日開幕としています。-->
[[Image:Sack of Rome 1527.jpeg|thumb|250px|[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]の軍勢による[[ローマ略奪]](1527)。[[盛期ルネサンス]]に終止符]]
<!-- [[Image:Vue générale de l'Exposition universelle de 1889.jpg|thumb|240px|[[パリ万国博覧会 (1889年)|]](1889)開幕]] 要チェック -->
[[Image:Alfred castagne.jpg|thumb|200px|[[ニューディール政策]]の柱、[[公共事業促進局]]発足(1935)。労務者のみならず芸術家も雇用した]]
[[Image:Hindenburg burning.jpg|thumb|200px|ドイツの大型[[飛行船]]、[[ヒンデンブルク号爆発事故]](1937)]]
<!-- [[Image:EDSAC_%2810%29.jpg|thumb|180px|[[EDSAC]]()、]] -->
<!--[[Image:Channel_Tunnel_Terminal.jpg|thumb|220px|[[英仏海峡トンネル]]開通(1994)。画像はイギリス側のターミナル]] トンネルはいい写真がなかなかない… -->
* [[604年]]([[推古天皇]]12年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[聖徳太子]]が[[十七条憲法]]を制定。
* [[1527年]] - [[ローマ略奪]]。
* [[1542年]] - [[フランシスコ・ザビエル]]が[[ポルトガル領インド]]の首府[[ゴア州|ゴア]]に到達。
* [[1626年]] - [[オランダ西インド会社]]が[[マンハッタン島]]を買収し[[ニューアムステルダム]]と命名。現在の[[ニューヨーク]]。
* [[1671年]]([[寛文]]11年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[伊達騒動]]。(寛文事件)
* [[1682年]] - [[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]が[[ヴェルサイユ宮殿]]に移り住む。
* [[1757年]] - [[七年戦争]]: [[プラハの戦い]]。
* [[1833年]] - [[カール・フリードリヒ・ガウス]]と[[ヴィルヘルム・ヴェーバー]]が[[ゲッティンゲン]]に[[電信]]機を設置。
* [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[アーカンソー州]]が[[アメリカ合衆国]]を脱退。
* [[1887年]] - 東京綿商社(後の[[トリニティ・インベストメント|カネボウ]])設立。
* [[1889年]] - [[パリ万国博覧会 (1889年)|パリ万国博覧会]]が開幕。321mの[[エッフェル塔]]が公開される。
* [[1891年]] - 日本で[[松方正義]]が第4代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第1次松方内閣]]が発足。
* [[1909年]] - [[新聞紙法]]公布。
* 1909年 - [[長岡半太郎]]が[[長岡係数]]を提唱。
* [[1910年]] - イギリス国王[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]が死去。[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]が即位。
* [[1935年]] - [[ニューディール政策]]: アメリカ合衆国で[[公共事業促進局]]が発足。
* 1935年 - [[北海道]][[赤平市]]の茂尻[[炭鉱]]で[[ガス爆発]]事故。死者・行方不明者94人<ref>死者・不明は九十四人、六十遺体を収容『北海タイムス』昭和10年5月10日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p682)</ref>。
* [[1937年]] - ドイツの[[飛行船]][[ヒンデンブルク号爆発事故]]。
* [[1941年]] - [[ヨシフ・スターリン]]がソ連の第4代人民委員会議議長(首相)に就任。
* [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: ナチス・ドイツで[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]向け[[プロパガンダ]]放送をしていた[[枢軸サリー]]ことミルドレッド・エリザベス・シスクが最後の放送を行う。
* 1945年 - 第二次世界大戦: [[独ソ戦]]最後の戦いである[[プラハの戦い (第二次世界大戦)|プラハの戦い]]が始まる。
* [[1949年]] - 世界初の実用的な[[プログラム内蔵方式]]のコンピュータ[[EDSAC]]が初稼動。
* [[1951年]] - [[1947年]]から中止されていた[[ラジオ体操]]の放送が再開。現行の[[ラジオ体操#ラジオ体操第1|ラジオ体操第一]]に改訂される
* [[1954年]] - [[ロジャー・バニスター]]が史上初めて[[1マイル競走]]で4分を切る。({{仮リンク|1マイル4分|en|Four-minute mile}})
* [[1962年]] - テレビ番組『[[てなもんや三度笠]]』放送開始。
* [[1970年]] - 日本で改正[[著作権法]]公布。[[著作権]]保護が死後50年までに。
* [[1976年]] - 都営地下鉄6号線(現在の[[都営地下鉄三田線|三田線]])が全線開通。なお、[[目黒駅|目黒]] - [[三田駅 (東京都)|三田]]間は当時計画外だった。
* 1976年 - [[イタリア]]で[[フリウリ地震]]が発生。死者多数。
<!-- 独立項目ができたら。独立項目ができても特筆性があるか微妙 * [[1976年]] - [[克美茂愛人絞殺事件]]。 -->
* [[1994年]] - [[英仏海峡トンネル]]が開通。
* [[2001年]] - [[シリア]]を訪問中のローマ教皇[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]が歴代教皇で初めて[[モスク]]に入る。
* [[2002年]] - [[ジャン=ピエール・ラファラン]]が[[フランス]]首相に就任。
* 2002年 - オランダの政治家[[ピム・フォルタイン]]が暗殺される。
* [[2004年]] - [[上海総領事館員自殺事件]]。
* [[2005年]] - [[日本プロ野球|日本のプロ野球]]で初の[[セ・パ交流戦]]が開幕。
<!-- 「5月6日」に特記すべき情報ですか? * [[2008年]] - 2005年に改定された[[国民の祝日に関する法律|祝日法]]の[[振替休日]]に関する規定により、[[月曜日]]以外([[火曜日]])で初めての振替休日([[みどりの日]]=[[5月4日]]の振替)。 -->
<!-- 「5月6日」に特記すべき情報ですか? * [[2009年]] - 2005年に改定された祝日法の振替休日に関する規定により、月曜日以外([[水曜日]])で初めての振替休日([[憲法記念日]]=[[5月3日]]の振替)。 -->
* [[2012年]] - [[茨城県]]と[[栃木県]]を中心にこの日午後、天候が大荒れとなり、茨城県[[つくば市]]では[[突風]]や[[竜巻]]により住宅約140戸が全壊または半壊し、地元の男子中学生が死亡するなどの被害を受ける<ref>{{Cite web|和書|date=2012-05-16 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1601K_W2A510C1000000/ |title=つくば市の竜巻被害、住宅が基礎ごと裏返った原因とは |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-05-12}}</ref>([[つくば竜巻]])。
* 2012年 - [[2012年フランス大統領選挙]]の決選投票が行われ、[[フランソワ・オランド]]が[[ニコラ・サルコジ]]を下し当選<ref>{{Cite web|和書|date=2012年5月7日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2876414 |title=フランス大統領にオランド氏、現職のサルコジ氏敗れる |work=AFPBB News |publisher=AFP |accessdate=2018-05-12}}</ref>。
* [[2018年]] - [[日本大学フェニックス反則タックル問題|日本大学アメリカンフットボール部反則タックル事件]]が起こる。
* [[2023年]] - [[チャールズ3世とカミラの戴冠式]]が[[ウェストミンスター寺院]]にて催行された。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Robespierre.jpg|thumb|upright|[[ジャコバン派]]の指導者、[[マクシミリアン・ロベスピエール]](1758-1794)。{{Squote|革命政府とは、自由による専制に対する独裁政治である。――国民公会での演説(1794)}}]]
<!-- [[Image:Tokugawa_Iesada.jpg|thumb|100px|江戸幕府第14代将軍、[[徳川家定]](1824-1858)誕生。幼少時から病弱であった]] -->
<!-- [[Image:Robert_Edwin_Peary.jpg|thumb|upright|探検家[[ロバート・ピアリー]](1856-1920)。西洋人初の[[北極点]]到達を達成]] -->
[[Image:Sigmund Freud LIFE.jpg|thumb|160px|<!--[[無意識]]を発見した-->[[精神分析学]]者、[[ジークムント・フロイト]](1856-1939)。{{Squote|私以前の詩人や哲学者たちは既に[[無意識]]を発見していた。私が発見したのは、無意識を研究し得る科学的な方法である。――70歳の誕生日に際し}}]]
[[Image:Kirchner 1909 Marzella.jpg|thumb|180px|[[表現主義|ドイツ表現派]]の画家、[[エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー]](1880-1938)。画像は『Marzella』(1909-10)]]
[[Image:Weil.jpg|thumb|100px|[[ブルバキ]]の中心人物、数学者[[アンドレ・ヴェイユ]](1906-1998)]]
<!-- [[Image:Orson_Welles_1937.jpg|thumb|upright|映画監督・俳優、[[オーソン・ウェルズ]](1915-1985)]] -->
<!-- [[Image:PaulLauterbur.jpg|thumb|100px|[[核磁気共鳴画像法|MRI]]を実現可能にした化学者、[[ポール・ラウターバー]](1929-2007)]] -->
[[Image:WORLD ECONOMIC FORUM ANNUAL MEETING 2009 - Tony Blair.jpg|thumb|100px|第73代イギリス首相、[[トニー・ブレア]](1953-)]]
* [[973年]] - [[ハインリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ2世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1024年]])
* [[1501年]] - [[マルケルス2世 (ローマ教皇)|マルケルス2世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1555年]])
* [[1574年]] - [[インノケンティウス10世 (ローマ教皇)|インノケンティウス10世]]、ローマ教皇(+ [[1655年]])
* [[1689年]]([[元禄]]2年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[前田利英]]、第5代[[上野国]][[七日市藩|七日市藩主]](+ [[1708年]])
* [[1753年]]([[宝暦]]3年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[柳沢保光]]、第3代[[大和国]][[郡山藩|郡山藩主]](+ [[1817年]])
* [[1758年]] - [[マクシミリアン・ロベスピエール]]、[[ジャコバン派]]リーダー(+ [[1794年]])
* 1758年 - [[アンドレ・マッセナ]]、フランス軍元帥(+ [[1817年]])
* 1758年([[宝暦]]8年[[3月29日 (旧暦) |3月29日]]) - [[土井利見]]、第2代[[下総国]][[古河藩|古河藩主]](+ [[1777年]])
* [[1814年]] - [[ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1865年]])
* [[1824年]]([[文政]]7年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[徳川家定]]、[[江戸幕府]]第13代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1858年]])
* [[1838年]]([[天保]]9年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[中岡慎太郎]]、[[幕末]]の[[志士]](+ [[1867年]])
* [[1843年]] - [[グローブ・カール・ギルバート]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1918年]])
* [[1856年]]([[安政]]3年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[鳩山和夫]]、[[政治家]]、[[衆議院議員]](+ [[1911年]])
* 1856年 - [[ロバート・ピアリー]]、探検家(+ [[1920年]])
* 1856年 - [[ジークムント・フロイト]]、[[精神分析学]]創始者(+ [[1939年]])
* [[1857年]]([[安政]]4年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[足利聡氏]]、第12代[[下野国]][[喜連川藩|喜連川藩主]](+ [[1921年]])
* [[1860年]] - [[ジェームズ・セス]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1924年]])
* [[1868年]] - [[ガストン・ルルー]]、[[小説家]](+ [[1927年]])
* [[1871年]] - [[ヴィクトル・グリニャール]]、[[化学者|有機化学者]](+ [[1935年]])
* [[1872年]] - [[ウィレム・ド・ジッター]]、[[天文学者]](+ [[1934年]])
* [[1875年]] - [[藤村作]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1953年]])
* [[1879年]] - [[ベドジフ・フロズニー]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1952年]])
* [[1880年]] - [[エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー]]、[[画家]](+ [[1938年]])
* [[1885年]] - [[野上彌生子]]、小説家(+ [[1985年]])
* [[1895年]] - [[ルドルフ・ヴァレンティノ]]、[[俳優]](+ [[1926年]])
* [[1896年]] - [[ロルフ・マキシミリアン・シーベルト]]、[[物理学者]](+ [[1966年]])
* [[1897年]] - [[木々高太郎]]、[[推理作家]](+ [[1969年]])
* [[1902年]] - [[マックス・オフュルス]]、[[映画監督]](+ [[1957年]])
* [[1904年]] - [[ハリー・マーティンソン]]、[[詩人]]、小説家(+ [[1978年]])
* [[1905年]] - [[沙羅双樹 (小説家)|沙羅双樹]]、小説家(+ [[1983年]])
* [[1906年]] - [[アンドレ・ヴェイユ]]、[[数学者]](+ [[1998年]])
* [[1907年]] - [[井上靖]]、小説家(+ [[1991年]])
* [[1913年]] - [[カーメン・キャバレロ]]、[[ピアニスト]](+ [[1989年]])
* [[1915年]] - [[オーソン・ウェルズ]]、俳優、[[演出家]]、[[映画監督]](+ [[1985年]])
* 1915年 - [[岩佐直治]]、[[軍人]](+ [[1941年]])
* [[1916年]] - [[ロバート・H・ディッケ]]、[[物理学者]](+ [[1997年]])
* [[1922年]] - [[コロムビア・トップ]]、[[漫才師]]、政治家(+ [[2004年]])
* [[1923年]] - [[西江一郎]]、元[[プロ野球選手]]
* [[1925年]] - [[森清 (愛媛県の政治家)|森清]]、政治家(+ [[2008年]])
* [[1928年]] - [[今井俊満]]、[[画家]](+ [[2002年]])
* [[1929年]] - [[ポール・ラウターバー]]、[[化学者]](+ [[2007年]])
* [[1930年]] - [[荒井献]]、 [[新約聖書]]学者、[[グノーシス主義]]研究者
* [[1931年]] - [[ウィリー・メイズ]]、元プロ野球選手
* [[1933年]] - [[野沢太三]]、政治家
* 1933年 - [[穴吹義雄]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201808040000387.html|title=元南海監督の穴吹義雄さん死去 敗血症 85歳|publisher=日刊スポーツ|date=2018-08-04|accessdate=2020-11-13}}</ref>)
* [[1934年]] - [[平井嘉明]]、元プロ野球選手
* 1934年 - [[白木みのる]]、元俳優 (+ [[2020年]])
* [[1939年]] - [[石井茂雄]]、元プロ野球選手(+ [[2005年]])
* [[1941年]] - [[イビチャ・オシム]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者(+ [[2022年]])
* [[1942年]] - [[林海峰]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]]
* [[1944年]] - [[村上雅則]]、元プロ野球選手
* 1944年 - [[有光磐明]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[ロナルド・リベスト]]、[[暗号研究者の一覧|暗号研究家]]
* 1947年 - [[マーサ・ヌスバウム]]、哲学者
* [[1948年]] - [[里見櫻風]]、[[書家]](+ [[2018年]])
* 1948年 - 海原はるか、漫才師([[海原はるか・かなた]])
* [[1949年]] - [[島香裕]]、[[声優]](+ [[2019年]])
* [[1950年]] - [[中野良子]]、[[俳優|女優]]
* [[1952年]] - [[向井千秋]]、[[宇宙飛行士]]
* [[1952年]] - [[小田勝美]]、元[[バレーボール]]選手
* [[1953年]] - [[飯野知彦]]、[[歌手]](+ [[2009年]])
* 1953年 - [[グレアム・スーネス]]、元サッカー選手、指導者
* 1953年 - [[トニー・ブレア]]、政治家、第73代[[イギリスの首相|イギリス首相]]
* [[1955年]] - [[アヴラム・グラント]]、サッカー指導者
* [[1957年]] - [[赤星たみこ]]、[[漫画家]]
* [[1959年]] - [[浜本龍治]]、元プロ野球選手
* [[1960年]] - [[高浪敬太郎]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[作曲家]]、[[音楽プロデューサー]]
* 1960年 - [[家西悟]]、政治家
* 1960年 - [[白武佳久]]、元プロ野球選手
* 1960年 - [[アンヌ・パリロー]]、女優
* [[1961年]] - [[ジョージ・クルーニー]]、俳優
* 1961年 - [[和泉史郎]]、元俳優
* [[1962年]] - [[鈴井貴之]]、[[タレント]]、映画監督
* 1962年 - [[関野浩之]]、[[フリーアナウンサー]]、[[ナレーター]]
* [[1963年]] - [[アレッサンドラ・フェリ]]、[[バレリーナ]]
* 1963年 - [[金崎浩之]]、[[弁護士]]
* [[1964年]] - [[荒木大輔]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[宮脇“JOE”知史]]、ミュージシャン([[ZIGGY]])
* [[1965年]] - [[吉田美和]]、歌手([[DREAMS COME TRUE]])
* [[1966年]] - [[大友啓史]]、映画監督
* [[1967年]] - [[東瀬耕太郎]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[イワタカヅト]]、[[ゲームクリエイター]]
* 1967年 - [[佐藤健太]]、俳優
* 1967年 - [[水沢正浩]]、元プロ野球選手
* [[1968年]] - [[嶋尾康史]]、俳優、元プロ野球選手
* 1968年 - [[フィル・クラーク (内野手)|フィル・クラーク]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[ホセ・イバール]]、元[[野球選手]]
* 1969年 - [[三瓶宏志]]、[[アナウンサー]]
* [[1970年]] - [[日高博之]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[天野健太郎]]、翻訳家(+ [[2018年]])
* 1971年 - [[木本武宏]]、[[お笑い芸人]]([[TKO (お笑いコンビ)|TKO]])
* 1971年 - [[スネオヘアー]]、ミュージシャン、俳優
* [[1972年]] - [[菊池志穂]]、声優
* 1972年 - [[高橋尚子]]、元[[マラソン|マラソン選手]]
* 1972年 - [[増田未亜]]、女優
<!-- 特筆性は? * 1972年 - 小川真澄、[[歌手]](元[[パンプキン (グループ)|パンプキン]]) -->
* [[1973年]] - [[マイク・キンケード]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[武井壮]]、タレント
* [[1975年]] - [[山口喜久一郎 (アナウンサー)|山口喜久一郎]]、アナウンサー
* 1975年 - [[宮下裕治]]、元俳優
* 1975年 - [[山中すみか]]、元歌手、元タレント
* [[1976年]] - [[下山吉光]]、声優、ナレーター
* 1976年 - [[イバン・デ・ラ・ペーニャ]]、サッカー選手
* [[1977年]] - [[青木勇人 (野球)|青木勇人]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[廣山望]]、元サッカー選手
* [[1978年]] - [[押尾学]]、元俳優、元歌手
* 1978年 - [[小野剛 (野球)|小野剛]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[大野均]]、ラグビー選手
* 1978年 - [[拝郷メイコ]]、歌手
* [[1979年]] - [[京田未歩]]、ミュージシャン(myuuRy)
* 1979年 - [[りょーちも]]、[[アニメーター]]
* [[1980年]] - [[鞘師智也]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[長田秀一郎]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[水瀬あやこ]]、歌手
* 1980年 - [[張誌家]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[小西正則]]、元野球選手
* [[1981年]] - [[内川幸太郎]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]]
* 1981年 - [[ダスティン・ニッパート]]、プロ野球選手
* 1981年 - [[中村公治]]、元プロ野球選手
* [[1982年]] - [[西谷尚徳]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[エルネスト・ペレイラ]]、プロ野球選手
* 1982年 - [[ジェイソン・ウィッテン]]、アメリカンフットボール選手
* [[1983年]] - [[南香織]]、[[レースクイーン]]
* 1983年 - [[ダニエウ・アウヴェス]]、サッカー選手
* 1983年 - [[Namewee]](黄明志)、歌手、映画監督
* 1983年 - 井口浩之、[[お笑いタレント]]([[ウエストランド]])
* 1983年 - KIKKUN-MK-Ⅱ、ゲーム実況者([[M.S.S Project|M.S.S.Project]])
* [[1984年]] - [[菊地友弘]]、アナウンサー
* [[1985年]] - [[渡辺敬介]] 、俳優、元お笑いタレント(元[[ぼれろ]])
* 1985年 - [[白石知世]]、女優
* 1985年 - [[鈴木凛]]、タレント
* 1985年 - [[森辺彩]]、タレント
* 1985年 - [[誉富士歓之]]、元大相撲力士
* 1985年 - [[クリス・ポール]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* [[1986年]] - [[田崎りさ]]、元女優
* 1986年 - [[中村涼子]]、お笑いタレント(元[[パルフェ (お笑いコンビ)|パルフェ]]、元[[あんいーぶん]])
* [[1987年]] - [[カリース・スペンサー]]、陸上競技選手
* 1987年 - [[吉見早央]]、[[グラビアアイドル]]
* 1987年 - [[ジェラルド・パーラ]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[ムン・グニョン]]、女優
* [[1988年]] - [[大島みづき]]、グラビアアイドル、歌手
* 1988年 - [[永野竜太郎]]、プロゴルファー
* [[1989年]] - [[ドミニカ・チブルコバ]]、[[テニス選手一覧 (女子)|テニス選手]]
* 1989年 - [[ホセ・アルバレス]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[やしろあずき]]、漫画家
* 1989年 - [[中村歌昇 (4代目)|中村歌昇]]、歌舞伎役者
* 1989年 - [[神河美音]]、元[[AV女優]]
* [[1990年]] - [[髙田知季]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[工藤壮人]]、サッカー選手(+ [[2022年]])
* 1990年 - [[野口霞]]、野球選手
* 1990年 - [[佐藤拓也 (俳優)|佐藤拓也]]、元俳優
* 1990年 - [[中野菜摘]]、元野球選手
* 1990年 - [[ホセ・アルトゥーベ]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[ケイトリン・ヤンコウスカス]]、フィギュアスケート選手
* 1990年 - [[クレイグ・ドーソン]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[河原田巧也]]、俳優
* [[1992年]] - [[逢坂愛]]、グラビアアイドル
* 1992年 - [[宇佐美貴史]]、サッカー選手
* 1992年 - [[江村直也]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[桑江咲菜]]、女優、タレント
* 1992年 - [[ベクヒョン]]、アイドル([[EXO]])
* 1992年 - [[山野恭介]]、元プロ野球選手
* 1992年 - [[吉澤友貴]]、AV女優、タレント
* [[1993年]] - [[菅野剛士]]、プロ野球選手
* 1993年 - [[西村天裕]]、プロ野球選手
* [[1994年]] - [[石井一成]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[マテオ・コヴァチッチ]]、サッカー選手
* 1994年 - [[犬童美乃梨]]、元グラビアアイドル
* [[1996年]] - [[木村聡司]]、元プロ野球選手
* [[1997年]] - [[八木勇征]]、[[ボーカル]]、[[パフォーマー]]([[FANTASTICS from EXILE TRIBE]])
* [[1999年]] - [[難波侑平]]、元プロ野球選手
* [[2000年]] - [[金城碧海]]、アイドル([[JO1]])
* 2000年 - [[藤原恭大]]、プロ野球選手
* [[2002年]] - [[エミリー・アリン・リンド]]、女優
* [[2004年]] - [[桜ひなの]]、アイドル ([[いぎなり東北産]])
* [[2006年]] - [[井上春華]]、歌手([[モーニング娘。]])
* 生年不明 - [[椙山貴夫]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1994年]] - [[メジロドーベル]]、[[競走馬]]
== 忌日 ==
[[Image:Santander by Acevedo Bernal.jpg|thumb|100px|[[コロンビア]]建国の父、軍人・政治家[[フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル]](1792-1840)没]]
[[Image:Humboldt.jpg|thumb|100px|近代[[地理学]]の祖、博物学者・探検家[[アレクサンダー・フォン・フンボルト]](1769-1859)没]]
<!-- [[Image:Edward_VII.-Gro%C3%9Fbritannien.jpg|thumb|100px|イギリス王[[エドワード7世 (イギリス王)|]](1841-1910)、気管支炎で没。愛煙家であった]] -->
[[Image:Baum poster 1b.jpg|thumb|upright|『[[オズの魔法使い]]』の作者、[[ライマン・フランク・ボーム]](1856-1919)没]]
<!-- [[Image:Pompon_LOursBlanc1.jpg|thumb|200px|彫刻家[[フランソワ・ポンポン]](1855-1933)没。画像は『白熊』(1922)]] -->
[[Image:Maeterlinck.jpg|thumb|upright|[[象徴主義]]の劇作家、[[モーリス・メーテルリンク]](1862-1949)没。{{Squote|[[鍵]]ほど美しいものはない、それが何を開けるのかが分からぬのである限り。――『アグラヴェヌとセリセット』(1896)}}]] <!-- Il n'y a rien de plus beau qu'une clef, tant qu'on ne sait pas ce qu'elle ouvre. -->
<!-- 旧暦、6月25日への移動が望ましい* [[635年]][[李淵]]、通称高祖(唐)[[唐]]の初代[[皇帝]](*[[565年]])-->
* [[850年]]([[嘉祥]]3年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[仁明天皇]]、第54代[[天皇]](* [[810年]])
* [[1539年]]([[天文 (元号)|天文]]8年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[陶興房]]、[[武将]](* [[1475年]])
* [[1544年]]([[天文 (日本)|天文]]13年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[田代三喜]]、[[医師]](* [[1465年]])
* [[1560年]]([[永禄]]3年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[葛西親信]]、[[大名]](* [[1513年]])
* [[1638年]] - [[コルネリウス・ヤンセン]]、[[神学者]](* [[1585年]])
* [[1671年]]([[寛文]]11年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[原田宗輔]]、[[仙台藩]]重臣(* [[1619年]])
* [[1709年]]([[宝永]]6年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[小笠原長胤]]、[[中津藩|中津藩主]](* [[1668年]])
* [[1839年]] - [[ジョン・バットマン]]<ref>{{cite web
|url = http://www.parliament.vic.gov.au/onthisday/decade.cfm?d=1830
|title = On These Days - Parliament of Victoria
|publisher = www.parliament.vic.gov.au
|accessdate = 2021-05-01
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090608213733/http://www.parliament.vic.gov.au/onthisday/decade.cfm?d=1830
|archivedate = 2009年6月8日
|deadlinkdate = 2017年9月
}}</ref>、[[農家]]、[[探検家]](* [[1801年]])
* [[1840年]] - [[フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル]]、[[コロンビア]]の[[軍人]]、[[政治家]](* [[1792年]])
* [[1859年]] - [[アレクサンダー・フォン・フンボルト]]、[[博物学者]]、[[探検家]](* [[1769年]])
* [[1862年]]([[文久]]2年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[吉田東洋]]、[[土佐藩|土佐藩士]](* [[1816年]])
* 1862年 - [[ヘンリー・デイヴィッド・ソロー]]、[[作家]]、[[思想家]]、[[詩人]]、[[博物学|博物学者]](* [[1817年]])
* [[1883年]] - [[エヴァ・ゴンザレス]]、画家(* [[1849年]])
* [[1904年]] - [[アレキサンダー・ウィリアムソン]]、[[化学者]](* [[1824年]])
* [[1909年]] - [[ファニー・チェッリート]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付師]](* [[1817年]])
* [[1910年]] - [[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]、[[イギリス君主一覧|イギリス王]](* [[1841年]])
* [[1919年]] - [[ライマン・フランク・ボーム]]、[[童話]]作家(* [[1856年]])
* [[1933年]] - [[フランソワ・ポンポン]]、[[彫刻家]](* [[1855年]])
* 1933年 - [[李青曇]] (*[[1677年]])
* [[1934年]] - [[平岡凞]]、[[野球選手]]、指導者(* [[1856年]])
* [[1939年]] - [[コンスタンチン・ソモフ]]、[[画家]](* [[1869年]])
* [[1941年]] - [[九鬼周造]]、[[哲学|哲学者]](* [[1888年]])
* 1941年 - [[エリアナ・パヴロワ]]、[[バレリーナ]](* [[1899年]])
* [[1949年]] - [[モーリス・メーテルリンク]]、[[劇作家]](* [[1862年]])
* 1949年 - [[橋本國彦]]、[[作曲家]]、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1904年]])
* [[1950年]] - [[アグネス・スメドレー]]、[[ジャーナリスト]](* [[1892年]])
* [[1951年]] - [[エリ・カルタン]]、数学者(* [[1869年]])
* [[1952年]] - [[マリア・モンテッソーリ]]、[[博士(医学)|医学博士]]、[[教育関係人物一覧|教育者]](* [[1870年]])
* [[1960年]] - [[伊達信]]、[[俳優]](* [[1906年]])
* [[1963年]] - [[セオドア・カルマン]]、[[物理学者]]、[[航空工学|航空学者]](* [[1881年]])
* 1963年 - [[久保田万太郎]]、作家(* [[1889年]])
* [[1964年]] - [[佐藤春夫]]、[[小説家]]、[[詩人]](* [[1892年]])
* [[1967年]] - [[周作人]]、[[随筆家]]、[[翻訳家]](* [[1885年]])
* 1967年 - [[木村荘十]]、小説家(* [[1897年]])
* [[1973年]] - [[津島文治]]、[[青森県知事一覧|青森県知事]]、[[自由民主党 (日本)|自民党]][[衆議院議員]]、[[参議院議員]](* [[1898年]])
* 1973年 - [[五ツ嶋奈良男]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1912年]])
* [[1975年]] - [[古畑種基]]、[[法医学|法医学者]](* [[1891年]])
* [[1979年]] - [[蕗谷虹児]]、[[画家]]、詩人(* [[1898年]])
* [[1981年]] - [[浜崎真二]]、元[[プロ野球選手]](* [[1901年]])
* 1981年 - [[山口喜久一郎 (政治家)|山口喜久一郎]]、政治家(* [[1897年]])
* [[1983年]] - [[橋詰文男]]、元プロ野球選手(* [[1937年]])
* [[1992年]] - [[マレーネ・ディートリヒ]]、[[俳優|女優]](* 1901年)
* [[1998年]] - [[鈴木勉]]、[[書体デザイナー]](* [[1949年]])<!-- [[5月8日]]より移動、ただし[[鈴木勉]]に合わせただけで未検証です -->
* [[1999年]] - [[東山魁夷]]、[[日本画家]](* [[1908年]])
* 1999年 - [[清水公照]]、[[華厳宗]]の[[僧]](* [[1911年]])
* [[2002年]] - [[酒沢成治]]、元プロ野球選手(* [[1918年]])
* [[2003年]] - [[宜保愛子]]、自称[[霊能者]](* [[1932年]])
* [[2005年]] - [[小林勝彦]]、俳優、[[声優]](* [[1937年]])
* [[2006年]] - [[山本敬三郎]]、[[政治家]](* [[1913年]])
* 2006年 - [[萱野茂]]、[[アイヌ]]文化研究者 (* [[1926年]])
* [[2007年]] - [[池宮彰一郎]]、小説家(* [[1923年]])
* 2007年 - [[西宮一民]]、[[日本文学研究者|国文学者]](* [[1924年]])
* 2007年 - [[北村和夫]]、俳優(* [[1927年]])
* 2007年 - [[キャリー・ベル]]、[[ハーモニカ]]奏者(* [[1936年]])
* [[2008年]] - [[佐藤静夫]]、[[文芸評論|文芸評論家]](* [[1919年]])
* 2008年 - [[佐々木喜久治]]、政治家、[[秋田県知事一覧|秋田県知事]](* [[1921年]])
* [[2010年]] - [[ロビン・ロバーツ]]、元プロ野球選手(* [[1926年]])
* [[2011年]] - [[団鬼六]]、小説家(* [[1931年]])
* [[2013年]] - [[河竹登志夫]]、演劇学者(* [[1924年]])
* 2013年 - [[五十嵐武士]]、[[政治学者]](* [[1946年]])
* [[2014年]] - [[佐古純一郎]]、文芸評論家(* [[1919年]])
* 2014年 - [[マリア・ラスニック]]、画家(* 1919年)
* [[2015年]] - [[松下圭一]]、政治学者(* [[1929年]])
* [[2021年]] - [[三浦建太郎]]、[[漫画家]](* [[1966年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Tsutsuji.jpg|thumb|300px|[[立夏]](6日頃)。画像は[[ツツジ]]]]
* [[立夏]]({{JPN}}、2011年・2015年)
*: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が45度の時で、夏の気配が感じられるころ。
* {{仮リンク|国際ノーダイエットデー|en|International No Diet Day}}({{World}})
*: イギリスのフェミニストのメリー・エヴァンス・ヤングが提唱。世間の[[ダイエット]]へのプレッシャーに対抗し、ダイエットによる健康影響を訴える日。
* {{仮リンク|殉教者の日 (レバノン・シリア)|en|Martyrs' Day (Lebanon and Syria)|label=殉教者の日}}({{LBN}}・{{SYR}})
*: [[1916年]]のこの日、[[オスマン帝国]]の軍人[[アフメト・ジェマル・パシャ]]が[[ダマスカス]](現在の[[シリア]]の首都)と[[ベイルート]](現在の[[レバノン]]の首都)で多数の民族主義者を処刑した。
* コロコロの日({{JPN}})
*:株式会社[[ニトムズ]]が開発した粘着カーペットクリーナー「コロコロ」の商標出願(1985年)から25周年を記念して2010年に制定<ref name="PR000000026.000001499">{{Cite press release |和書 |title=5月6日は「コロコロ」の日 |publisher=株式会社ニトムズ |date=2010年4月30日 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000026.000001499.html |accessdate=2018-05-05}}</ref>。日付は5と6で「コ(5)ロ(6)コ(5)ロ(6)」の語呂合わせ<ref name="PR000000026.000001499" />。
* [[迷路]]の日({{JPN}})
*:「may(5)ロ(6)」の語呂合せ。
* [[コロッケ]]の日({{JPN}})
*:コロッケなどの冷凍食品を製造する株式会社[[味のちぬや]]が制定<!-- 微妙 -->。「コ(5)ロ(6)ッケ」の語呂合せ。
* [[ゴム]]の日
*:日付は「ゴ(5)ム(6)」と読む語呂合せから。ゴム製品をPRすることが目的。
* [[ふりかけ]]の日
*:「ふりかけの父」と呼ばれる大正時代の薬剤師・吉丸末吉の誕生日が5月6日であることにちなんで、一般社団法人「国際ふりかけ協議会」が制定した。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0506|date=2011年6月}}
* [[1709年]] - ガリヴァー、[[日本]]のザモスキ(一般的に[[観音崎 (神奈川県)|観音崎]]とされる)に上陸。([[ジョナサン・スウィフト]]の小説『[[ガリヴァー旅行記]]』)
* [[2003年]] - [[3式機龍]]の起動実験が行われる。(映画『[[ゴジラ×メカゴジラ]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[2283年]] - 氷のミドリ/佐々木緑、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/midori.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:氷のミドリ|date=20100923224358}}</ref>
* [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]535年 - コロ、ゲーム『[[スターオーシャン:アナムネシス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=5|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref>
* 生年不明 - [[地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物#童守小学校 5年3組|木下あゆみ]]、漫画・アニメ『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |editor=週刊少年ジャンプ特別|editor-link=週刊少年ジャンプ|year = 1997 |title = 地獄先生ぬ~べ~大百科 |page = 43 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス デラックス]] |isbn = 4-08-858883-5 }}</ref>
* 生年不明 - エネル、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/anime/character/characters/Eneru.html |title=エネル |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-11-04 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - [[BLEACHの登場人物#黒崎夏梨|黒崎夏梨]]、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref name="souls">{{Cite book |和書 |author=久保帯人|authorlink=久保帯人|year = 2006 |title = BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page = 37 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 4-08-874079-3 }}</ref>
* 生年不明 - [[BLEACHの登場人物#黒崎遊子|黒崎遊子]]、漫画・アニメ『BLEACH』に登場するキャラクター<ref name="souls"/>
* 生年不明 - 凪誠士郎、漫画・アニメ『[[ブルーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bluelock_wm|1177903147081027584}}</ref>
* 生年不明 - 園村菜月、漫画『[[やがて君になる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=やがて君になる|date=2018|year=|publisher=KADOKAWA|author=仲谷鳰|authorlink=仲谷鳰|series=電撃コミックスNEXT|isbn=978-4-04-912047-9|volume=第6巻|quote=カバー下}}</ref>
* 生年不明 - クレナ、小説・アニメ『[[86-エイティシックス-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|asakura_toru|1523317691918225408}}</ref>
* 生年不明 - 羽咲ゆりな、キャラクタープロジェクト『[[スマイル☆シューター]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= http://smile.yslw.jp/?page_id=731 |title= 羽咲 ゆりな |publisher=『SMILE SHOOTER』 |accessdate=2022-11-04|archiveurl= https://web.archive.org/web/20140504141918/http://smile.yslw.jp/?page_id=731 |archivedate=2014-05-04}}</ref>
* 生年不明 - 羽加道静音、ゲーム『[[かたわ少女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://www.katawa-shoujo.com/characters.php |title=Characters Shizune Hakamichi |publisher=Four Leaf Studios |accessdate=2022-11-04 |work=かたわ少女}}</ref>
* 生年不明 - 沢田麻理菜、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20079 |title=沢田 麻理菜(さわだ まりな) |access-date=2022-11-04 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 潮見凪沙、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/shiomi |publisher=Akatsuki Inc. |title=潮見 凪沙 |accessdate=2022-11-04 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref>
*生年不明 - エペル・フェルミエ、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/epel |title=エペル・フェルミエ(cv: 土屋神葉) |access-date=2022-11-04 |publisher=Disney. Published by Aniplex. |work=『Disney TWISTED WONDER LAND』}}</ref>
* 生年不明 - [[神ノ島風太]]、ゲーム・アニメ『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aaside_info|1257686491108716545}}</ref>
* 生年不明 - メジロドーベル、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=mejirodober |title=メジロドーベル |publisher=Cygames |accessdate=2022-11-04 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - 御影、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/tokohana/mikage/ |title=御影 |access-date=2023-01-18 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref>
* 生年不明-井上トロゲーム『どこでもいっしょ』シリーズ登場するキャラクターまたはソニー・コンピュータエンタテインメント(現:ソニー・インタラクティブエンタテイメント)のマスコットキャラクター
<!--
* [[1990年]] - [[飛鳥ももこ]]、アニメ『[[おジャ魔女どれみ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 鳳城林檎、漫画『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター
-->
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 6|6 May}}
{{新暦365日|5|5|5|7|[[4月6日]]|[[6月6日]]|[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]|0506|5|06}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T12:16:11Z | 2023-10-20T23:59:59Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%886%E6%97%A5 |
4,896 | 5月7日 | 5月7日(ごがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から127日目(閏年では128日目)にあたり、年末まではあと238日ある。
年令不明 - 有栖川有栖、講義中に書いていた小説をきっかけに火村英生と出会い、一緒にカレーを食べる。『作家アリスシリーズ』 | [
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'''5月7日'''(ごがつなのか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から127日目([[閏年]]では128日目)にあたり、年末まではあと238日ある。
== できごと ==
<!-- 記事に日付なし:パリ講和会議, 西欧同盟(ja,enなし), 五月革命 (フランス)(ja,fr,enなし, 要確認),情報公開法 -->
<!-- [[Image:Ninth_Symphony_original.png|thumb|200px|[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|]]初演(1824)<!-。{{listen|Ode to Joy.ogg|『歓喜の歌』を聴く}}: これはあんまりか ->]] -->
[[Image:Doomed_Lusitania.jpg|thumb|220px|[[Uボート]]が客船[[ルシタニア (客船)|ルシタニア]]を撃沈(1915)、アメリカの[[第一次世界大戦]]参戦の契機となる]]
[[File:News. V.E. Day BAnQ P48S1P12270.jpg|thumb|''Montreal Daily Star'': "Germany Quit", 1945年5月7日]]
<!-- [[Image:Shoho_g17026.jpg|thumb|250px|[[珊瑚海海戦]](1942)。画像は魚雷が命中した空母[[祥鳳 (空母)|]]]] -->
<!-- [[Image:Endeavour_Launch.jpg|thumb|60px|[[スペースシャトル]]・[[スペースシャトル・エンデバー]]初飛行(1992)]] -->
[[Image:Vladimir_Putin_taking_the_Presidential_Oath%2C_7_May_2000.jpg|thumb|120px|[[ウラジーミル・プーチン]]、ロシア大統領に就任(2000)]]
<!-- [[Image:Inauguration_of_Dmitry_Medvedev%2C_7_May_2008-7.jpg|thumb|200px|[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]、ロシア大統領に就任(2008)]] -->
* [[558年]] - [[コンスタンティノープル]]の[[アヤソフィア]]が崩壊。
* [[1274年]] - [[第2リヨン公会議]]が開会。
* [[1348年]] - 中欧最古の大学である[[プラハ・カレル大学]]が創立。
* [[1592年]]([[文禄]]元年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[文禄・慶長の役|文禄の役]]: [[豊臣秀吉]]が朝鮮出兵の指揮をとるため京都から肥前へ出発。
* [[1763年]] - [[インディアン戦争]]: [[ポンティアック戦争]]が始まる。
* [[1824年]] - [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲]][[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第9番『合唱付き』]]初演。
* [[1847年]] - [[アメリカ医師会]]発足。
* [[1875年]] - [[樺太・千島交換条約]]締結。
* 1875年 - [[新治県]]が[[茨城県]]と[[千葉県]]に分割・編入され、茨城県・千葉県が現在の形になる。
* [[1888年]] - 数学者[[菊池大麓]]、物理学者[[山川健次郎]]ら25人に日本初の[[博士]]号を授与。
* [[1915年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ルシタニア (客船)#最後の航海、沈没|ルシタニア号事件]]。乗客1198人が死去。その内、米国人が139人。
* [[1919年]] - [[パリ講和会議]]で[[赤道]]以北の旧ドイツ領[[南洋諸島]]を[[日本]]が委任統治することに決定。<!-- 『決定版20世紀年表』(小学館)に記載 -->
*[[1922年]] - 日本初の[[プロボクシング]]興行「日米拳闘大試合」が[[渡辺勇次郎]]のプロモートにより[[靖国神社]]相撲場で開催。
* [[1932年]] - フランス大統領[[ポール・ドゥメール]]が暗殺される。
* [[1936年]] - [[斎藤隆夫]]が帝国議会で[[粛軍演説]]。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[珊瑚海海戦]]<!-- 7-8日に跨ります -->
* [[1945年]] - 第二次世界大戦: [[フランス]]の[[ランス (マルヌ県)|ランス]]で[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍司令長官[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]将軍と[[ドイツ]]国防軍作戦部長[[アルフレート・ヨードル]]将軍が降伏文書に調印({{仮リンク|ドイツの降伏文書|en|German Instrument of Surrender}})。
* [[1946年]] - 東京通信工業(現在の[[ソニー]])が設立。
* [[1954年]] - [[第一次インドシナ戦争]]: [[ディエンビエンフーの戦い]]終結。
<!-- 確認できず * [[1955年]] - [[西欧同盟]]が正式に発足。 -->
* [[1955年]] - [[最高裁判所 (日本)|最高裁]]が[[帝銀事件]]の[[平沢貞通]]被告の[[死刑]]判決に対する[[異議|異議申立]]を棄却、死刑判決が確定。
<!-- 確認できず * 1968年 - [[パリ]]で学生デモが激化、[[エトワール凱旋門|凱旋門]]を占拠([[五月革命 (フランス)|五月革命]])。 -->
* [[1958年]] - [[長崎県]][[松浦市]]の中興鉱業江口鉱業所(炭鉱)で出水、作業員29人が死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=129 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1974年]] - [[ヴィリー・ブラント]][[連邦首相 (ドイツ)|西ドイツ首相]]が、東ドイツのスパイ[[ギュンター・ギヨーム]]が[[連邦首相府 (ドイツ)|連邦首相府]]の秘書となっていた[[ギヨーム事件]]の責任をとり辞任。
* [[1986年]] - [[アリューシャン列島|アリューシャン諸島]]で[[マグニチュード]]8.1の大地震発生。
* [[1992年]] - スペースシャトル「[[スペースシャトル・エンデバー|エンデバー]]」が[[STS-49]]ミッションで初飛行。
* [[1999年]] - [[コソボ紛争]]・[[アライド・フォース作戦]]: NATO軍がユーゴスラビアの[[中華人民共和国]]大使館を誤爆。
* 1999年 - ローマ教皇[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]が[[ルーマニア]]を訪問。ローマ教皇が[[東方正教会]]の信者が多数を占める国を訪問するのは1054年の[[東西教会の分裂]]以来初。
* 1999年 - {{仮リンク|ギニアビサウ内戦|en|Guinea-Bissau Civil War}}: [[ギニア・ビサウ]]大統領[[ジョアン・ヴィエイラ]]が退陣し、ポルトガル大使館へ避難。
<!-- 公布日(1999年5月14日)で記載 * 1999年 - [[行政機関の保有する情報の公開に関する法律]](情報公開法)が成立。 -->
* [[2000年]] - [[ウラジーミル・プーチン]]が[[ロシア]]大統領に就任。
* [[2002年]] - [[中国北方航空6136便放火墜落事件]]。
* [[2006年]] - [[山形一家3人殺傷事件]]。
<!-- * [[2007年]] - 大関・[[栃東大裕]]が引退を正式発表。 -->
<!-- * 2007年 - [[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[松井秀喜]]が日米通算2000本安打を達成。 -->
* [[2008年]] - [[ドミートリー・メドヴェージェフ]]が[[ロシア連邦大統領]]に就任<ref>{{Cite web|和書|date=2008-05-08 |url=http://japanese.donga.com/List/3/all/27/304072/1 |title=ロシア、メドベージェフ大統領時代の開幕 |publisher=東亜日報 |accessdate=2018-02-28}}</ref>。
* 2008年 - [[イエメン日本人観光客誘拐事件]]。
* 2008年 - [[舞鶴高1女子殺害事件]]。翌日遺体発見。
* [[2018年]] - [[ウラジーミル・プーチン]]が4期目となる[[ロシア]]大統領に就任<ref>{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20180509151230/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018050700584&g=int|title=プーチン大統領4期目就任=長期政権に不満も-ロシア|newspaper=時事通信社|date=2018-05-07|accessdate=2018-05-09}}</ref>。
* 2018年 - [[民進党]]と[[希望の党 (日本 2017)|希望の党]]から一部の議員が合流し、[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]が結党<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASL574QJXL57UTFK00P.html|title=国民民主党が結党、62人参加 幹事長に古川元久氏|newspaper=朝日新聞社|date=2018-05-07|accessdate=2018-05-09}}</ref>。
* [[2020年]] - [[北海道旅客鉄道|JR北海道]]の[[札沼線]](学園都市線)の北海道医療大学〜新十津川間が正式に廃止になる。(新型コロナウイルスの感染拡大防止の為、4月17日限りで運転休止)
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
<!-- [[Image:PietroGiannone.jpg|thumb|100px|歴史家[[ピエトロ・ジャンノーネ]](1676-1748)誕生]] -->
[[Image:David_Hume.jpg|thumb|upright|[[経験論]]の哲学者、[[デイヴィッド・ヒューム]](1711-1776)誕生。{{Squote|[[理性]]とは[[感情]]の奴隷にしか過ぎず、感情に仕え従う以外の何如なる役割も持つとすることはできない。――『[[人性論]]』(1740)}}]]
<!-- [[Image:Prince_Joseph_Poniatowski_by_J%C3%B3zef_Grassi.PNG|thumb|100px|[[ポーランド・リトアニア共和国]]の軍人[[ユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ]](1763-1813)誕生。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の下で活躍した]] -->
[[Image:Johannes_Brahms_1853.jpg|thumb|upright|作曲家[[ヨハネス・ブラームス]](1833-1897)誕生。{{audio|CELLO LIVE PERFORMANCES JOHN MICHEL-Brahms Double Concerto in a Op 102 2nd.ogg|ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調 op.102 第2楽章を聴く}}]]
<!--[[Image:Tchaikovskys family in 1848 From left to right sitting Alexandra Andreevna Tchaikovska Alexandra Ippolit Ilya Petrovitch Tchai Family 2.jpg|thumb|upright|作曲家[[ピョートル・チャイコフスキー]](写真左; 1840-1893)誕生。]]-->
[[Image:Olga Preobrajnskaya Legat -Nutcracker 1.JPG|thumb|160px|作曲家[[ピョートル・チャイコフスキー]]( 1840-1893)誕生。画像は[[バレエ]]『[[くるみ割り人形]]』(1892)より「ドラジェの踊り」。{{audio|Dance of the Sugar Plum Fairies (ISRC USUAN1100270).oga|「ドラジェの踊り」を聴く}}]]
[[Image:T_Minobe.jpg|thumb|100px|[[天皇機関説]]を唱えた[[憲法学者]]、[[美濃部達吉]](1873-1948)]]
[[Image:USSR_stamp_I.B.Tito_1982_6k.jpg|thumb|100px|[[ユーゴスラビア]]の政治家[[ヨシップ・ブロズ・チトー]](1892-1980)]]
[[Image:Gojira_1954_Japanese_poster.jpg|thumb|120px|[[東宝特撮]]の映画監督、[[本多猪四郎]](1911-1993)。画像は監督作品『[[ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ]]』(1954)]]
<!-- [[Image:Evita_-_Malla_de_lunares_-Retrato_de_Annemarie_Heinrich_-_-.jpg|thumb|100px|[[アルゼンチン]]の女優・[[ファーストレディ]]、[[エバ・ペロン]](1919-1952)]] -->
<!-- [[Image:Eva_Per%C3%B3n_-_1_comuni%C3%B3n.jpg|thumb|170px|[[エバ・ペロン]]]] -->
* [[1530年]] - [[ルイ1世 (コンデ公)|ルイ1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Louis-I-de-Bourbon-1er-prince-de-Conde Louis I de Bourbon, prince de Condé French military leader] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、初代[[コンデ公]](+ [[1569年]])
* [[1633年]]([[寛永]]10年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[清閑寺熙房]]、[[江戸時代]]前期の[[公卿]](+ [[1686年]])
* [[1676年]] - [[ピエトロ・ジャンノーネ]]、[[歴史家]](+ [[1748年]])
* [[1711年]] - [[デイヴィッド・ヒューム]]、[[思想家]](+ [[1776年]])
* [[1744年]]([[延享]]元年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[正親町公明]]、[[江戸時代]]後期の[[公卿]](+ [[1813年]])
* [[1748年]] - [[オランプ・ド・グージュ]]、[[作家]]、[[俳優|女優]](+ [[1793年]])
* [[1763年]] - [[ユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ]]、[[軍人]]、[[元帥]](+ [[1813年]])
* [[1774年]] - [[フランシス・ボーフォート]]、[[海洋学|海洋学者]]、[[気象学者の一覧|気象学者]](+ [[1857年]])
* [[1812年]] - [[ロバート・ブラウニング]]、[[詩人]](+ [[1889年]])
* [[1833年]] - [[ヨハネス・ブラームス]]、[[作曲家]](+ [[1897年]])
* [[1840年]]([[ユリウス暦]]4月25日) - [[ピョートル・チャイコフスキー]]、作曲家(+ [[1893年]])
* [[1841年]] - [[ギュスターヴ・ル・ボン]]、[[心理学者]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[1931年]])
* [[1847年]] - [[アーチボルド・プリムローズ (第5代ローズベリー伯爵)|第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1929年]])
* [[1858年]]([[安政]]5年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[久世広業]]、第8代[[下総国]][[関宿藩|関宿藩主]]・[[子爵]](+ [[1911年]])
* [[1861年]] - [[ラビンドラナート・タゴール]]、詩人、[[哲学|哲学者]](+ [[1941年]])
* [[1867年]] - [[ヴワディスワフ・レイモント]]、[[小説家]](+ [[1925年]])
* [[1873年]] - [[美濃部達吉]]、[[憲法|憲法学者]](+ [[1948年]])
* [[1874年]] - [[河井醉茗]]、詩人(+ [[1965年]])
* [[1892年]] - [[ヨシップ・ブロズ・チトー]]、政治家、[[ユーゴスラビア]][[大統領]](+ [[1980年]])
* [[1895年]] - [[桂枝太郎#2代目|2代目桂枝太郎]]、[[落語家]](+ [[1978年]])
* [[1898年]] - [[永野若松]]、[[政治家]](+ [[1977年]])
* [[1901年]] - [[ゲイリー・クーパー]]、[[俳優]](+ [[1961年]])
* [[1902年]] - [[江川宇礼雄]]、俳優、[[映画監督]]、[[脚本家]](+ [[1970年]])
* [[1908年]] - [[高登渉|髙登渉]]、元[[大相撲|大相撲力士]](+ [[1999年]])
* [[1909年]] - [[エドウィン・ハーバード・ランド]]、[[科学者]]、[[発明家]](+ [[1991年]])
* [[1911年]] - [[ティーブ・釜萢]]、[[ジャズ]][[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1980年]])
* 1911年 - [[本多猪四郎]]、映画監督(+ [[1993年]])
* [[1914年]] - [[芝木好子]]、小説家(+ [[1991年]])
* 1914年 - [[ピストン堀口]]、[[プロボクサー]](+ [[1950年]])
* [[1915年]] - [[仁杉巌]]、第9代[[日本国有鉄道]]総裁(+ [[2015年]])
* [[1919年]] - [[エバ・ペロン|エヴァ・ペロン]]、[[フアン・ペロン]]大統領夫人(+ [[1952年]])
* [[1921年]] - [[川崎徳次]]、元[[プロ野球選手]]、元[[プロ野球監督]](+ [[2006年]])
* [[1922年]] - [[ダーレン・マクギャヴィン]]、俳優(+ [[2006年]])
* [[1923年]] - [[アン・バクスター]]、[[俳優|女優]](+ [[1985年]])
* [[1929年]] - [[ディック・ウィリアムズ]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]])
* [[1930年]] - [[アナトリー・ルキヤノフ]]、政治家(+ [[2019年]])
* [[1931年]] - [[ジーン・ウルフ]]、[[ファンタジー作家]](+ 2019年)
* [[1932年]] - [[松崎真]]、俳優(+ [[2015年]])
* [[1933年]] - [[塚本信夫]]、俳優(+ [[1996年]])
* [[1936年]] - [[在原兵次]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]])
* [[1937年]] - [[児玉隆也]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1975年]])
* [[1938年]] - [[岩上江笠]]、元プロ野球選手
* [[1939年]] - [[岸本忠三]]、[[免疫学者]]
* 1939年 - [[シドニー・アルトマン]]、[[分子生物学者]](+ [[2022年]])
* 1939年 - [[ルッジェロ・デオダート]]、映画監督(+ [[2022年]])
* [[1941年]] - [[萩本欽一]]、[[タレント]]、[[茨城ゴールデンゴールズ]]球団オーナー、監督
* 1941年 - [[青江三奈]]、[[歌手]](+ [[2000年]])
* [[1942年]] - [[ニャホ・ニャホ=タマクロー]]、[[ガーナ]]サッカー協会元会長、[[政治家]]、[[医師]]
* [[1944年]] - [[古川俊隆]]、[[内閣総理大臣秘書官]]
* 1944年 - [[松谷栄司]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[中山信弘]]、[[法学者]]、[[弁護士]]
* [[1946年]] - [[新井満]]、[[小説家]](+ [[2021年]])
* 1946年 - [[青木勝男]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]])
* [[1947年]] - [[佐々木剛]]、俳優
* 1947年 - [[前田睦彦]]、元[[スピードスケート]]選手
* 1947年 - [[アントニオ・デラ・クルス]]、元[[サッカー選手]]、指導者
* [[1948年]] - [[西岡恭蔵]]、[[シンガーソングライター]](+ [[1999年]])
* [[1949年]] - [[たちいりハルコ]]、[[漫画家]]
* 1949年 - [[安田隆夫]]、[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]創業者
* [[1951年]] - [[木下富雄]]、元プロ野球選手
* 1951年 - [[一の関秀則]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[松田重治]]、[[声優]]
* 1952年 - [[蔵田照美]]、[[ハンドボール]]選手
* [[1954年]] - [[河内敏光]]、元バスケットボール選手、指導者
* 1954年 - [[花輪晴彦]]、[[バレーボール]]選手
* [[1957年]] - [[佐田玲子]]、シンガーソングライター
* 1957年 - [[山本康人]]、漫画家
* 1957年 - [[谷崎浩二]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[赤羽一嘉]]、政治家
* [[1960年]] - [[野沢尚]]、[[脚本家]]、小説家(+ [[2004年]])
* [[1961年]] - [[中山千彰]]、[[テレビプロデューサー]]
* 1961年 - [[田中宇]]、[[ジャーナリスト]]
* [[1963年]] - [[ダリガ・ナザルバエフ]]、政治家
* [[1965年]] - [[上川隆也]]、俳優
* 1965年 - [[オーエン・ハート]]、[[プロレスラー]](+ 1999年)
* 1965年 - [[ノーマン・ホワイトサイド]]、元サッカー選手
* [[1966年]] - [[中島唱子]]、[[俳優|女優]]
* 1966年 - [[ats-|佐藤あつし]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* [[1967年]] - [[大翔鳳昌巳]]、大相撲力士(+ [[1999年]])
* [[1968年]] - [[トレイシー・ローズ]]、女優
* 1968年 - [[本間哲郎]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[佐藤二朗]]、俳優
* 1969年 - [[小桧山雅仁]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[上田晋也]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[くりぃむしちゅー]])
* 1970年 - [[リード・シークリスト]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[マーク・スミス (外野手)|マーク・スミス]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[前園泰徳]]、教育者、環境学者
* [[1973年]] - [[南部直史]]、[[作曲家]]
* 1973年 - [[パオロ・サヴォルデッリ]]、[[自転車競技]]選手
* [[1975年]] - [[笹山洋一]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[ジャン=セバスチャン・フェクトー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1976年]] - [[加藤明子]]、[[アナウンサー]]
* 1976年 - [[まちゃまちゃ]]、お笑いタレント
* 1976年 - [[LITTLE (ラッパー)|LITTLE]]、ミュージシャン([[KICK THE CAN CREW]])
* 1976年 - [[岩崎裕司]]、劇作家、演出家、俳優
* [[1978年]] - [[原田健二 (俳優)|原田健二]]、俳優
* 1978年 - [[河野昌人]]、元プロ野球選手(+ [[2017年]])
* 1978年 - [[ショーン・マリオン]]、元バスケットボール選手
* [[1979年]] - [[窪塚洋介]]、俳優
* [[1980年]] - [[杉山春樹]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[五十嵐圭]]、バスケットボール選手
* 1980年 - [[寺田祐也]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[田口清隆]]、映画監督
* [[1981年]] - [[長崎元]]、元プロ野球選手
* [[1982年]] - [[ルイス・ヒメネス (1982年生の内野手)|ルイス・ヒメネス]]、プロ野球選手
* 1982年 - [[ジェイ・ボスロイド]]、サッカー選手
* [[1983年]] - [[後藤ゆきこ]]、タレント、[[グラビアアイドル]]
* 1983年 - [[青木源太]]、アナウンサー
* [[1984年]] - [[神戸みゆき]]、タレント(+ [[2008年]])
* 1984年 - [[岡田茉奈]]、タレント
* 1984年 - [[松尾光次]]、歌手、俳優
* 1984年 - [[筧裕次郎]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[fuwala]]、[[シンガーソングライター]]
* 1984年 - [[夏樹☆たいよう]]、元プロレスラー、レフェリー
* 1984年 - [[末廣潤]]、プロバスケットボール選手
* 1984年 - [[ジェームズ・ローニー (野球)|ジェームズ・ローニー]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[アレックス・スミス]]、アメリカンフットボール選手
<!-- 出典が不明 * [[1985年]] - [[菅野仁志]]、シルバーアクセサリーデザイナー -->
* [[1985年]] - [[ミハイル・イグナティエフ]]、自転車競技選手
* [[1986年]] - [[マット・ヘルダース]]、[[歌手]]([[アークティック・モンキーズ]])
* 1986年 - [[宮森セーラ]]、女優、声優
* [[1987年]] - [[紺野あさ美]]、アナウンサー、元アイドル(元[[モーニング娘。]])
* 1987年 - [[宮崎寛務]]、声優
* 1987年 - [[中里美喜]]、ミュージカル俳優
* 1987年 - [[林彰洋]]、サッカー選手
* [[1988年]] - [[森本貴幸]]、サッカー選手
* 1988年 - [[島崎麻衣]]、元グラビアアイドル
* 1988年 - [[イサイアス・ベラスケス]]、元野球選手
* 1988年 - [[サム・ダイソン]]、プロ野球選手
* [[1989年]] - [[坂本大空也]]、元プロ野球選手
* [[1990年]] - [[浦浜アリサ]]、ファッションモデル
* 1990年 - [[綱島恵里香]]、女優、タレント
* 1990年 - [[戸谷公人]]、俳優、タレント
* 1990年 - [[金井成大]]、俳優
* 1990年 - [[平野ジェニファー]]、プロゴルファー
* 1990年 - [[三嶋一輝]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[宮原臣佳]]、野球選手
* 1990年 - [[竪山隼太]]、俳優
* 1990年 - [[キーストン・ランドール]]、[[アメリカンフットボール選手]]
* 1990年 - [[尹ビッカラム]]、サッカー選手
* 1990年 - [[イアン・ロレッロ]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[加藤大 (サッカー選手)|加藤大]]、[[サッカー]]選手
* 1991年 - [[高田直美]]、ミュージカル俳優
* 1991年 - [[エミリオ・パガン]]、プロ野球選手
* [[1992年]] - [[山田悠希]]、声優
* 1992年 - [[日向夕奈]]、女優、[[アイドル]]
* [[1993年]] - [[永江恭平]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[阿部純子]]、女優、ファッションモデル
* [[1995年]] - [[坂圭祐]]、サッカー選手
* 1995年 - [[大山啓輔]]、サッカー選手
* 1995年 - [[黒沢はるな]]、元グラビアアイドル
* [[1997年]] - [[石森虹花]]、タレント(元[[欅坂46]])
* 1997年 - [[髙木悠未]]、アイドル、タレント([[LinQ]])
* [[1998年]] - [[林田真尋]]、歌手、ダンサー(元[[フェアリーズ]])
* 1998年 - [[荒井優希]]、アイドル、プロレスラー([[SKE48]])
* 1998年 - [[MrBeast|ミスタービースト]]、[[YouTuber]]、[[慈善家]]
* 1998年 - [[三田悠貴]]、グラビアアイドル
* [[1999年]] - [[佐藤優樹 (歌手)|佐藤優樹]]、歌手(モーニング娘。)
* 1999年 - [[藤井菜々子]]、競歩選手
* 1999年 - [[ブライト健太]]、プロ野球選手
* 1999年 - [[井上宗一郎]]、バスケットボール選手
* [[2000年]] - [[原田葵]]、アナウンサー、元アイドル(元櫻坂46)
* [[2001年]] - [[段原瑠々]]、アイドル([[Juice=Juice]])
* 2001年 - [[小林珠維]]、プロ野球選手
* [[2005年]] - [[戸田梨杏]]、モデル、女優、アイドル([[Shibu3 project]])
* 生年不明 - [[藤原鞠菜]]、声優、歌手
* 生年不明 - [[奈良徹]]、声優
* 生年不明 - [[黒瀬ゆうこ]]、声優
* 生年不明 - [[鉄炮塚葉子]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1984年]] - [[イナリワン]]、[[競走馬]](+ [[2016年]])
* [[1989年]] - [[マチカネタンホイザ]]、競走馬(+ [[2013年]])
* [[1998年]] - [[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]、競走馬(+ [[2021年]])
* [[2019年]] - [[ドウデュース]]、競走馬
{{-}}
== 忌日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Otto_I_HRR.jpg|thumb|100px|[[神聖ローマ帝国]]初代皇帝、[[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]](912-973)没]]
<!-- [[Image:Froberger-autograph-partitaquarta.jpg|thumb|upright|初期[[バロック]]の作曲家、[[ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー]](1616-1667)没。画像はウィーン写本。{{audio|Johann Jacob Froberger - Tombeau.ogg|『故ブランクロシェ氏に捧げる、パリにて書いたトンボー』を聴く}}]] -->
<!-- [[Image:Antoine_Quentin_Fouquier-Tinville_%281746-1795%29%2C_French_revolutionary.jpg|thumb|upright|無数の人物を断頭台へと送った[[フランス革命]]期の[[革命裁判所]]判事[[アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル]](1746-1795)、[[ギロチン]]で処刑される]] -->
<!-- [[Image:Joseph_Willibrod_M%C3%A4hler_001.jpg|thumb|upright|作曲家[[アントニオ・サリエリ]](1750-1825)没<!- 。[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]との対立で知られた->]] -->
[[Image:Caspar_David_Friedrich_-_Das_Eismeer_-_Hamburger_Kunsthalle_-_02.jpg|thumb|200px|[[ロマン主義]]の画家、[[カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ]](1774-1840)。画像は『氷の海』(1823-24)]]
<!-- [[Image:Yang_Gui-fei_by_Takaku_Aigai.jpg|thumb|300px|文人画家、[[高久靄崖]](1796-1843)。画像は『楊貴妃図』]] 縦長の画像はスペースの関係で紹介しづらいのが残念-->
[[Image:JamesGeorgeFrazer.jpg|thumb|120px|社会人類学者、[[ジェームズ・フレイザー]](1854-1941)。主著『[[金枝篇]]』(1936)]]
<!-- [[Image:Ngv_design%2C_josef_hoffmann%2C_adjustable-back_chair_%28stitzmachine%29_1905_circa_02.JPG|thumb|upright|[[ウィーン分離派]]の建築家・デザイナー、[[ヨーゼフ・ホフマン]](1870-1956)]] -->
[[Image:Meiji Gakuin Univ Chapel-19991018.JPG|thumb|upright|建築家・伝道者、[[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ]](1880-1964)。<!--[[メンソレータム]]を日本に普及させた実業家でもある。-->画像は[[明治学院大学]]礼拝堂(1916)]]
* [[260年]] - [[曹髦]]、[[魏 (三国)|魏]]の第4代[[皇帝]](* [[241年]])
* [[973年]] - [[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]、[[神聖ローマ帝国]]初代[[皇帝]](* [[912年]])
* [[1166年]] - [[グリエルモ1世]]、[[シチリア王国|シチリア]]王(* [[1120年]])
* [[1205年]] - [[ラースロー3世 (ハンガリー王)|ラースロー3世]]、[[ハンガリー王国]]国王(* [[1199年]])
* [[1284年]]([[弘安]]7年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[島津久経]]、[[武将]](* [[1225年]])
<!-- * [[1615年]]([[慶長]]20年[[6月3日 (旧暦)|5月7日]]) - [[真田信繁]]、[[武将]](* [[1567年]]) 旧暦5月7日、新暦6月3日では? -->
* [[1617年]] - [[ダーヴィト・ファブリツィウス]]、[[天文学者]](* [[1564年]])
* [[1657年]]([[明暦]]3年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[鍋島勝茂]]、[[大名]](* [[1580年]])
* [[1667年]] - [[ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー]]、[[作曲家]](* [[1616年]])
* [[1682年]] - [[フョードル3世]]、[[モスクワ大公国|モスクワ大公]](* [[1661年]])
* [[1718年]] - [[メアリー・オブ・モデナ|メアリー]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]の王妃(* [[1658年]])
* [[1795年]] - [[アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル]]、[[フランス]]の革命裁判所検事(* [[1746年]])
* [[1800年]] - [[ニコロ・ピッチンニ]]、作曲家(* [[1728年]])
* [[1805年]] - 第2代シェルバーン伯[[ウィリアム・ペティ (第2代シェルバーン伯)|ウィリアム・ペティ]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1737年]])
* [[1818年]] - [[レオポルト・アントニーン・コジェルフ]]、作曲家(* [[1747年]])
* [[1825年]] - [[アントニオ・サリエリ]]、作曲家(* [[1750年]])
* [[1836年]] - [[ノルベルト・ブルグミュラー]]、作曲家(* [[1810年]])
* [[1840年]] - [[カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ]]、[[画家]](* [[1774年]])
* [[1843年]]([[天保]]14年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[高久靄厓]]、[[南画|南画家]](* [[1796年]])
* [[1862年]]([[文久]]2年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[大槻俊斎]]、蘭方医(* [[1806年]])
* [[1868年]] - [[ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵)]]、政治家(* [[1778年]])
* [[1873年]] - [[サーモン・P・チェース]]、第25代[[アメリカ合衆国財務長官]](* [[1808年]])
* [[1885年]] - [[千葉重太郎]]、[[剣術|剣術家]](* [[1824年]])
* [[1891年]] - [[桂文三 (2代目)]]、[[落語家]](* [[1859年]])
* [[1896年]] - [[永樂和全]]、[[陶芸家]](* [[1823年]])
* [[1925年]] - [[ボリス・サヴィンコフ]]、[[社会革命党|エスエル]]軍事部門の指導者、[[小説家]](* [[1879年]])
* [[1931年]] - [[アクセリ・ガッレン=カッレラ]]、[[画家]](* [[1865年]])
* [[1941年]] - [[ジェームズ・フレイザー]]、[[社会科学|社会人類学者]](* [[1854年]])
* [[1942年]] - [[フェリックス・ワインガルトナー]]、[[指揮者]]、作曲家(* [[1863年]])
* [[1951年]] - [[ワーナー・バクスター]]、[[俳優]](* [[1889年]])
* [[1954年]] - [[アンリ・ミヌール]]、天文学者(* [[1899年]])
* [[1956年]] - [[ヨーゼフ・ホフマン]]、[[建築家]](* [[1870年]])
* 1956年 - [[レオポルト・ウラッハ]]、[[クラリネット]]奏者(* [[1902年]])
* [[1957年]] - [[ヴィルヘルム・フィルヒナー]]、[[探検家]](* [[1877年]])
* [[1964年]] - [[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ]]、建築家(* [[1880年]])
* [[1965年]] - [[チャールズ・シーラー]]、[[画家]]、[[写真家]](* [[1883年]])
* [[1970年]] - [[鈴木茂三郎]]、[[政治家]](* [[1893年]])
* [[1971年]] - [[ヘレーネ・ヴァイゲル]]、[[俳優|女優]](* [[1900年]])
* [[1972年]] - [[原菊太郎]]、政治家、3代[[徳島県知事一覧|徳島県知事]](* [[1889年]])
* [[1977年]] - [[山岸外史]]、[[文芸評論家]](* [[1904年]])
* [[1980年]] - [[野呂邦暢]]、小説家(* [[1937年]])
* [[1986年]] - [[ヘルマ・サボー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1902年]])
* [[1988年]] - [[山本健吉]]、[[文芸評論家]](* [[1907年]])
* [[1991年]] - [[末永雅雄]]、[[考古学|考古学者]](* [[1897年]])
* [[1998年]] - [[アラン・コーマック]]、[[物理学者]](* [[1924年]])
* [[2000年]] - [[ダグラス・フェアバンクスJr.]]、俳優(* [[1909年]])
* [[2001年]] - [[ジョーゼフ・グリーンバーグ]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](* [[1915年]])
* [[2002年]] - [[宮本征勝]]、元[[サッカー]]選手、指導者(* [[1938年]])
* [[2003年]] - [[冬杜花代子]]、[[作詞家]]
* [[2006年]] - [[並河萬里]]、写真家(* [[1931年]])
* 2006年 - [[スティーヴ・ベンダー]]([[:de:Steve Bender|Steve Bender]])、ミュージシャン([[ジンギスカン (グループ)|ジンギスカン]])(* [[1946年]])
* 2006年 - [[曽我町子]]、女優、声優(* [[1938年]])
* 2006年 - [[松山恵子]]、[[歌手]](* [[1937年]])
* 2006年 - [[高良茂]]、[[ラジオパーソナリティ]](* [[1960年]])
* [[2007年]] - [[吉村午良]]、政治家、46-49代[[長野県知事一覧|長野県知事]](* [[1926年]])
* 2007年 - [[ディエゴ・コラレス]]、[[プロボクサー]](* [[1977年]])
* [[2013年]] - [[五十嵐広三]]、政治家(* [[1926年]])
* 2013年 - [[間部耕苹]]、[[日本テレビ放送網]]代表取締役相談役(* [[1934年]])
* 2013年 - [[森昌也]]、政治家(* [[1910年]])
* [[2016年]] - [[坪井清足]]<ref>{{Cite news |title=坪井清足さん94歳=考古学の第一人者 |newspaper=毎日新聞 |date=2016年5月9日2時30分 |url=https://mainichi.jp/articles/20160509/k00/00m/040/103000c |accessdate=2020-12-01}}</ref>、考古学者(* [[1921年]])
* [[2017年]] - [[小川政亮]]<ref>[http://jcsw-alumni.com/?p=1338 小川政亮先生ご逝去のお知らせ] 日本社会事業大学同窓会 2017年5月17日</ref>、法学者、日本社会事業大学名誉教授(* [[1920年]])
* [[2022年]] - [[カン・スヨン]]、俳優(* [[1966年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* 2002年 - [[シアトルスルー]]、[[競走馬]](* [[1974年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Malawi AIDS Orphans.jpeg|thumb|240px|世界エイズ孤児デー。画像は手作りの車で遊ぶ[[マラウイ]]の[[エイズ孤児]]たち]]
* 世界[[エイズ孤児]]デー({{World}})
*: 2002年に国連子ども特別総会が開催されたニューヨークで制定。
* [[粉物|コナモン]]の日({{JPN}})
*: [[日本コナモン協会]]が2003年に制定。
* 博士の日({{JPN}})
*: [[1888年]]のこの日、植物学者の[[伊藤圭介 (理学博士)|伊藤圭介]]・数学者の[[菊池大麓]]・物理学者の[[山川健次郎]]らに25人に日本初の[[博士号]]が授与されたことにちなむ。<!-- 当の日本記念日協会の本にはそのようには書かれていない→ 日本記念日協会が制定。 -->
{{clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0507|date=2011年6月}}
年令不明 - 有栖川有栖、講義中に書いていた小説をきっかけに火村英生と出会い、一緒に[[カレーライス|カレー]]を食べる。『[[作家アリスシリーズ]]』
=== 誕生日(フィクション) ===
* 2131年 - 春日井甲洋、アニメ『[[蒼穹のファフナー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://fafner-exodus.jp/special/character/koyo.html |title=春日井甲洋 |access-date=2023-01-09 |publisher=[[XEBEC]] |work=『蒼穹のファフナーEXODUS』}}</ref>
* 生年不明 - 本郷メイ(東雲メイ)、漫画・ドラマ『[[メイちゃんの執事]]』の主人公<ref>{{Twitter status|ricolabo2020|1522898413746286595}}</ref>
* 生年不明 - 多田光良、アニメ『[[多田くんは恋をしない]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://tadakoi.tv/chara01.html |title=多田光良 |accessdate=2022-10-23 |work=『多田くんは恋をしない』 |publisher=TADAKOI PARTNERS}}</ref>
* 生年不明 - 海馬のバイアン、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=62 |title=シーホースのバイアン |access-date=2023-01-09 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館 |author=[[車田正美]] |work=『聖闘士星矢』}}</ref>
* 生年不明 - ミダレ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=20|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-873288-X}}</ref>
* 生年不明 - ティモシー・ハースト、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|title=D.Gray-man キャラクター ランキングブック キャラグレ!|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2011|page=88|isbn=978-4-08-870268-1}}</ref>
* 生年不明 - ガンヘッド、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group05/05-09/ |title=ガンヘッド |work=TVアニメ『僕のヒーローアカデミア』 |accessdate=2022-10-23 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - [[史上最強の弟子ケンイチの登場人物#逆鬼至緒|逆鬼至緒]]、漫画・アニメ『[[史上最強の弟子ケンイチ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=松江名俊|authorlink=松江名俊|year=2014|title=史上最強の弟子ケンイチ 公式ガイドブック 史上最強の秘伝書|page=52|publisher=[[小学館]]|series=[[少年サンデーコミックス]]|isbn=978-4-09-125016-2}}</ref>
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* 生年不明 - マチカネタンホイザ、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=matikanetannhauser |title=マチカネタンホイザ |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2023-01-09 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - シャルロッタ・スコポフスカヤ、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heaven-burns-red.com/character/31x/charlotta-skopovskaya/ |title=シャルロッタ・スコポフスカヤ |website=ヘブンバーンズレッド公式サイト |publisher=WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=2023-01-09}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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4,897 | 藤子不二雄A | 藤子 不二雄A(ふじこ・ふじお・エー、1934年〈昭和9年〉3月10日 - 2022年〈令和4年〉4月6日)は、日本の漫画家。1988年に独立するまでは藤本弘(後の藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄として活動した。本名は安孫子 素雄(あびこ もとお)。『オバケのQ太郎』(共作)や『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』『まんが道』などの作品で知られる。エッセイスト、作詞家、タレント、俳優としても活動した。
富山県氷見郡氷見町(現在の氷見市)にある仏教曹洞宗の古刹である光禅寺第49代住職安孫子耕玉の長男として生まれる。1940年に氷見市立今町小学校に入学。1944年に父が急逝し、親族を頼って高岡市に転居した。転入先の定塚国民学校(高岡市立高陵小学校の前身校)で藤本弘と知り合う。国民学校初等科時代から漫画を描いて遊んでいたが、中学生のときに手塚治虫の『新宝島』を読んで衝撃を受け、本気で漫画家になりたいと感じる。富山県立高岡中部高等学校(現 富山県立高岡高等学校)在学中、1950年に藤本と合作での漫画投稿作品制作を始め、1951年に『天使の玉ちゃん』でデビュー。
高校卒業後の1952年、伯父の鍋島弘蔵が専務を務める富山新聞社(現・北國新聞富山本社)に入り、学芸部と社会部で似顔絵やインタビュー記事を担当(一方で、藤本は製菓会社を数日で退社した)。
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文才にも優れ、『二人で少年漫画ばかり描いてきた』などの文章の書籍も多数手がけている。
なお、安孫子と藤本の合作は1976年の『オバケのQ太郎』の読切がほぼ最後であり、これより後は藤子不二雄名義ではあっても、ほぼすべてどちらかの単独作品である(誤解されやすいが、1966年連載開始の『パーマン(旧)』や1971年連載開始の『(新)オバケのQ太郎』は合作。詳細は藤子不二雄#藤子不二雄の合作を参照)。
1980年代には藤子不二雄ブームが起き、安孫子は『怪物くん(新)』『(新)忍者ハットリくん』『ウルトラB』等の児童漫画も多数執筆。
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独立後は映画『少年時代』をプロデュースするなど多彩な才能を見せ、数々の賞を受賞。 1989年にアニメ化された『笑ゥせぇるすまん』が大人気となり、新作の長期連載等、せぇるすまんシリーズ(1968-2004)の漫画執筆を行った。 その他、『ビリ犬(新)』(1988-1989)、『パラソルヘンべえ』(1989-1991)、『プリンスデモキン』(1991-1999)など、20世紀は児童漫画の執筆も一貫して行った。
1998年、黒澤明の映画を漫画化した単行本『用心棒』を刊行。藤子Aならではの斬新な手法を駆使した迫力満点の画面構成は芸術作品として一つの到達点を迎えた。
2000年代以降もまんが道シリーズ『愛...しりそめし頃に...』等の連載を継続して執筆。
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2014年、生誕80周年を記念して、藤子不二雄Aデジタルセレクションが刊行された(2015までに215冊。事実上の全集)。
2015年、『ジャンプスクエア』の連載『PARマンの情熱的な日々』を12月号をもって休載することを発表。その後、新連載を打診するも旧知の編集者が定年退職しており、現役の編集者に知り合いがいなかった為、話が進まなかった。追悼放映された『クローズアップ現代』によるとトキワ荘をテーマにした作品で、番組内では下書き原稿も公開された。
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2022年4月6日没(88歳。翌7日8時40分頃、川崎市多摩区内の自宅の敷地で倒れているところを発見され、その場で神奈川県警による調査により死亡が確認された。その後、命日は4月6日であることが発表された)。同年10月31日、東京都内で「お別れの会」が開かれた。
受賞、受章など。独立前(1987年以前)は藤子不二雄#受賞歴を参照。
ベジタリアン(卵と乳製品は食べる卵乳菜食)であるが、思想上の理由ではなく、実家が寺院で幼少の頃は精進料理ばかり食べていたため、習慣上の問題として肉や魚を体が受け付けなくなっていることが原因だという。また、身体が受け付けないだけで毛嫌いしているわけではなく、肉・魚料理などのガイドブックやレシピを見ては「いいなぁ、おいしそうだなぁ」と思いながら眺めるのが楽しみの一つだと語っている。駆け出し時代にアシスタントに行った手塚治虫が出前に取ってくれた鰻重を一切れ食べたその直後(3秒足らず)に大量の鼻血を出したと回想している(本人曰く「まさに漫画のようだった」)。
一方で、トキワ荘近くの中華料理店「松葉」の東京ラーメン(スープは鶏ガラ系)が好物らしく、出汁やエキスであれば問題はないらしい。また2007年より『ジャンプSQ』で連載中の『PARマンの情熱的な日々』でもハンバーガーを食べている描写があり、また2014年10月号では、高知旅行の際に産まれてはじめて「カツオのたたき」を食し、それを非常に気に入ってしまったと言うエピソードが掲載されている。まんが道の続編にあたる『愛...しりそめし頃に...』では自身をモデルとした主人公「満賀道雄」は小料理屋で魚が食べられない代わりに貝料理を食べるなど、ある程度の動物食は可能な描写がされている。
様々なパーティ・飲み会に顔を出し、バラエティのレギュラー番組を持つこともあったなど、非常に社交的で老若男女問わず友人が多いことで知られているが、その割には意外にもシャイな性格だという。 子供の頃は人前でよく赤面することから「電熱器」というあだ名があった。
相手を「君」「さん」などで呼ぶのが苦手で、二人称は名字に「氏」を付けて呼ぶことが多い。初対面の手塚治虫に「氏」を付けて呼ばれたこと、「“君”付けで馴れ馴れし過ぎないか、“さん”づけだと距離が遠くないか...」などと気になってしまうのも理由の一つだという。 和代夫人のことも名前のみで呼ぶのは恥ずかしいと語っている。エッセイ漫画では和代夫人を「ワイフ」「和代氏」「ワイフの和代氏」と書くことがある。
食習慣のせいか、いわゆる「血液サラサラ」状態であり、夜遅くまで酒宴に付き合っても、翌日に酒が残ったことがないと語っている。また、生まれてから一度も病気になったことがなかったという。
しかし、2013年春、上行結腸癌(大腸癌)が発覚。「人生初の病気」にかかり、東京医科大学病院に入院、手術を受けた。故郷の村にて藤子・F・不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、手塚治虫らに「こっちに来い」と言われる夢を見たと言う。
約1年後、再び腹部に強い痛みを覚え検査を受け腸閉塞と診断され入院。
2015年3月初旬、ゴルフのプレイ中に失神、東京医科大学病院へ救急搬送される。検査の結果心不全の診断を受け、入院。約3週間、点滴や投薬の治療を受け快復した。
手掛けるジャンルが幅広いため、その作風をシンプルに語るのは難しい。下記は有名作と少年・児童漫画のみで作風の変遷を語った例で、あくまでも安孫子素雄(藤子不二雄A)の一側面である。
※「★」印が付いている作品は藤本弘との合作。合作を含む作品一覧は藤子不二雄#作品一覧を参照。
※以下は全ての作品を列挙したものではない。
その他、藤子不二雄#藤子不二雄の合作等も参照。
その他、藤子不二雄#全集なども参照。
2023年現在入手困難な作品、または未単行本化作品。
藤子不二雄時代の入手困難作品は 藤子不二雄#入手困難作品 を参照。
他多数。
作者によるイラスト提供。
手塚治虫と同様に、自身の描いたキャラクターを俳優として扱い、様々な作品に様々な役柄(またはまったく同じ役柄)で登場させるスターシステムを用いることがある。
藤子Aは自らの作品がパチンコ・パチスロ機の題材とされることに対し寛容で、これまでに以下の作品がパチンコ・パチスロ化されている(2018年現在)。藤子・F・不二雄作品がこれまで一度もパチンコ・パチスロ化されたことがないのとは対照的である。(以下パチンコは「P」、パチスロは「S」表記)
藤子不二雄A、安孫子素雄本人によるメディア出演。
藤子不二雄時代の2人での出演は 藤子不二雄#出演 を参照。
安孫子素雄が登場する作品。藤子不二雄時代の2人での登場は 藤子不二雄#登場する作品 を参照。
氷見市内にある藤子不二雄Aのマンガミュージアム。
安孫子の生家である光禅寺の最寄りに当たる氷見市比美町商店街は1992年(平成4年)の「忍者ハットリくんカラクリ時計」設置を機に「忍者ハットリくんや仲間たちに出会える街」をモットーとして町おこしを行っている。藤子A作品のキャラクターのモニュメントやアートが多数存在する「まんがロード」が整備され、商店街内にある「氷見市潮風ギャラリー」では、藤子不二雄Aアートコレクションとして数多くの作品や原画などを展示紹介を行い観光客を集めている。光禅寺入口にはキャラクターの石像4体があり、JR氷見駅から北の橋(藤子Aキャラクターブリッジ)までの一帯が「氷見市藤子不二雄Aまんがワールド」の名称で観光地区として整備されている。 | [
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"text": "様々なパーティ・飲み会に顔を出し、バラエティのレギュラー番組を持つこともあったなど、非常に社交的で老若男女問わず友人が多いことで知られているが、その割には意外にもシャイな性格だという。 子供の頃は人前でよく赤面することから「電熱器」というあだ名があった。",
"title": "人物"
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"text": "相手を「君」「さん」などで呼ぶのが苦手で、二人称は名字に「氏」を付けて呼ぶことが多い。初対面の手塚治虫に「氏」を付けて呼ばれたこと、「“君”付けで馴れ馴れし過ぎないか、“さん”づけだと距離が遠くないか...」などと気になってしまうのも理由の一つだという。 和代夫人のことも名前のみで呼ぶのは恥ずかしいと語っている。エッセイ漫画では和代夫人を「ワイフ」「和代氏」「ワイフの和代氏」と書くことがある。",
"title": "人物"
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"text": "食習慣のせいか、いわゆる「血液サラサラ」状態であり、夜遅くまで酒宴に付き合っても、翌日に酒が残ったことがないと語っている。また、生まれてから一度も病気になったことがなかったという。",
"title": "人物"
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"text": "しかし、2013年春、上行結腸癌(大腸癌)が発覚。「人生初の病気」にかかり、東京医科大学病院に入院、手術を受けた。故郷の村にて藤子・F・不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、手塚治虫らに「こっちに来い」と言われる夢を見たと言う。",
"title": "人物"
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"text": "約1年後、再び腹部に強い痛みを覚え検査を受け腸閉塞と診断され入院。",
"title": "人物"
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"text": "2015年3月初旬、ゴルフのプレイ中に失神、東京医科大学病院へ救急搬送される。検査の結果心不全の診断を受け、入院。約3週間、点滴や投薬の治療を受け快復した。",
"title": "人物"
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"text": "手掛けるジャンルが幅広いため、その作風をシンプルに語るのは難しい。下記は有名作と少年・児童漫画のみで作風の変遷を語った例で、あくまでも安孫子素雄(藤子不二雄A)の一側面である。",
"title": "作風"
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"text": "※「★」印が付いている作品は藤本弘との合作。合作を含む作品一覧は藤子不二雄#作品一覧を参照。",
"title": "作品"
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"text": "※以下は全ての作品を列挙したものではない。",
"title": "作品"
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"text": "その他、藤子不二雄#藤子不二雄の合作等も参照。",
"title": "作品"
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"text": "その他、藤子不二雄#全集なども参照。",
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"text": "2023年現在入手困難な作品、または未単行本化作品。",
"title": "作品"
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"text": "藤子不二雄時代の入手困難作品は 藤子不二雄#入手困難作品 を参照。",
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"text": "他多数。",
"title": "作品"
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"text": "作者によるイラスト提供。",
"title": "イラスト提供"
},
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"text": "手塚治虫と同様に、自身の描いたキャラクターを俳優として扱い、様々な作品に様々な役柄(またはまったく同じ役柄)で登場させるスターシステムを用いることがある。",
"title": "スターシステム"
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"text": "藤子Aは自らの作品がパチンコ・パチスロ機の題材とされることに対し寛容で、これまでに以下の作品がパチンコ・パチスロ化されている(2018年現在)。藤子・F・不二雄作品がこれまで一度もパチンコ・パチスロ化されたことがないのとは対照的である。(以下パチンコは「P」、パチスロは「S」表記)",
"title": "パチンコ"
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"text": "藤子不二雄A、安孫子素雄本人によるメディア出演。",
"title": "出演"
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"tag": "p",
"text": "藤子不二雄時代の2人での出演は 藤子不二雄#出演 を参照。",
"title": "出演"
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"text": "安孫子素雄が登場する作品。藤子不二雄時代の2人での登場は 藤子不二雄#登場する作品 を参照。",
"title": "登場作品"
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"text": "氷見市内にある藤子不二雄Aのマンガミュージアム。",
"title": "関連スポット"
},
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"text": "安孫子の生家である光禅寺の最寄りに当たる氷見市比美町商店街は1992年(平成4年)の「忍者ハットリくんカラクリ時計」設置を機に「忍者ハットリくんや仲間たちに出会える街」をモットーとして町おこしを行っている。藤子A作品のキャラクターのモニュメントやアートが多数存在する「まんがロード」が整備され、商店街内にある「氷見市潮風ギャラリー」では、藤子不二雄Aアートコレクションとして数多くの作品や原画などを展示紹介を行い観光客を集めている。光禅寺入口にはキャラクターの石像4体があり、JR氷見駅から北の橋(藤子Aキャラクターブリッジ)までの一帯が「氷見市藤子不二雄Aまんがワールド」の名称で観光地区として整備されている。",
"title": "関連スポット"
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] | 藤子 不二雄Ⓐは、日本の漫画家。1988年に独立するまでは藤本弘(後の藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄として活動した。本名は安孫子 素雄。『オバケのQ太郎』(共作)や『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』『まんが道』などの作品で知られる。エッセイスト、作詞家、タレント、俳優としても活動した。 | {{Pathnav|[[藤子不二雄]]|frame=1}}
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{{画像提供依頼|顔写真|date=2022年10月|cat=人物}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = <small>ふじこ ふじお エー</small><br />藤子 不二雄{{Unicode|Ⓐ}}
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 = 安孫子 素雄(あびこ もとお)
| 生地 = {{flagicon|Japan}} [[富山県]][[氷見郡]]氷見町<br />(現在の[[氷見市]])
| 国籍 = {{JPN}}
| 生年 = {{生年月日と年齢|1934|3|10|no}}
| 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1934|3|10|2022|4|6}}
| 没地 = {{flagicon|Japan}} [[神奈川県]][[川崎市]][[多摩区]]
| 職業 = [[漫画家]]
| 称号 = [[氷見市]][[名誉市民]]
| 活動期間 = [[1951年]]- あびこもとお・ふじもとひろし<br />[[1952年]]- 足塚不二雄<br />[[1953年]]- [[藤子不二雄]]<br />[[1988年]]-[[2022年]] 藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}
| ジャンル =
| 代表作 = 『[[オバケのQ太郎]]』(共作)<br />『[[忍者ハットリくん]]』<br/>『[[怪物くん]]』<br/>『[[プロゴルファー猿]]』<br/>『[[魔太郎がくる!!]]』<br/>『[[笑ゥせぇるすまん]]』<br />『[[まんが道]]』
| 受賞 = 第11回山路ふみ子文化財団特別賞<ref group="注" name="mvpd">映画『[[少年時代]]』でのプロデュース業が対象。</ref><br/>第10回 藤本賞・特別賞<ref group="注" name="mvpd" /><br/>第34回 日本漫画家協会<br /> 文部科学大臣賞(全作品)<br/>第18回[[手塚治虫文化賞]]<br/> 特別賞(2作品)<br />※詳細は[[#受賞歴]]を参照。
}}
'''藤子 不二雄{{Unicode|Ⓐ}}'''(ふじこ・ふじお・エー<ref>本項の記事題では文字制約の都合から「A」となっているが、正式には<ruby><rb>○</rb><rp></rp><rt>マル</rt><rp></rp></ruby>で囲まれた「Ⓐ」が正しい。ただし、「<ruby><rb>○</rb><rp></rp><rt>マル</rt><rp></rp></ruby>」は発音しない。</ref>、[[1934年]]〈[[昭和]]9年〉[[3月10日]] - [[2022年]]〈[[令和]]4年〉[[4月6日]]<ref name="ameinichi">[https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/769351 富山新聞「藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}さん、命日は4月6日」]</ref>)は、[[日本]]の[[漫画家]]。1988年に独立するまでは藤本弘(後の[[藤子・F・不二雄]])とともに[[藤子不二雄]]として活動した。本名は'''安孫子 素雄'''(あびこ もとお)。『[[オバケのQ太郎]]』(共作)や『[[忍者ハットリくん]]』『[[怪物くん]]』『[[プロゴルファー猿]]』『[[笑ゥせぇるすまん]]』『[[まんが道]]』などの作品で知られる。[[エッセイスト]]、[[作詞家]]、[[タレント]]、[[俳優]]としても活動した。
== 来歴 ==
=== 父の死と運命の出会い ===
[[富山県]][[氷見郡]]氷見町(現在の[[氷見市]])にある[[仏教]][[曹洞宗]]の[[寺院|古刹]]である[[光禅寺 (氷見市)|光禅寺]]第49代[[住職]]安孫子耕玉の長男として生まれる<ref>{{Cite news|date=2022-04-07|title=ヒバが結んだ縁/3 手掛かりは「聖徳太子」|url=https://mainichi.jp/articles/20220407/dde/007/040/030000c|work=[[毎日新聞]]デジタル|publisher=毎日新聞社|accessdate=2022-08-11}}</ref>。1940年に氷見市立今町小学校<ref group="注">1941年からは國民学校。2023年現在は[[氷見市立比美乃江小学校]]。</ref>に入学<ref>『@ll藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}』P.58</ref>。1944年に父が急逝し、親族を頼って[[高岡市]]に[[転居]]した。転入先の[[高岡市立定塚小学校|定塚国民学校]]([[高岡市立高陵小学校]]の前身校)で[[藤子・F・不二雄|藤本弘]]と知り合う<ref name="DegiTama">{{Cite web|和書|url=http://www.tamajin.jp/degitama/index.php?w=25&n=03|title=漫画家・藤子不二雄Aさんに聞く 遊びも仕事も好奇心! 小田急線のロマンスカーで出勤|publisher=DegiTama|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071030172129/http://www.tamajin.jp/degitama/index.php?w=25&n=03|archivedate=2007年10月30日|accessdate=2011-09-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20081103205.htm |title=「記者経験が糧に」 氷見出身の漫画家藤子さん 秋の叙勲で旭日小綬章受章 |publisher=[[富山新聞]] |accessdate=2011-09-08 |deadlinkdate=2022-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110715222808/http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20081103205.htm |archivedate=2011-07-15}}</ref>。国民学校初等科時代から漫画を描いて遊んでいたが、中学生のときに[[手塚治虫]]の『[[新宝島]]』を読んで衝撃を受け、本気で漫画家になりたいと感じる。[[富山県立高岡中部高等学校]](現 [[富山県立高岡高等学校]])在学中、1950年に藤本と合作での漫画投稿作品制作を始め、1951年に『[[天使の玉ちゃん]]』でデビュー<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202204070000304.html|title=漫画家の藤子不二雄Aさんが死去 88歳 川崎市内の自宅で|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2022-04-07|accessdate=2022-04-07}}</ref>。
=== 新聞社勤務と漫画執筆 ===
高校卒業後の[[1952年]]、伯父の[[鍋島弘蔵]]が専務を務める[[富山新聞|富山新聞社]](現・[[北國新聞]]富山本社)に入り<ref>{{Cite web|和書|title=【当時の人々(5)】富山新聞社長 伯父さんは名コラムニスト 硬軟なんでもござれ 記者A 漫画家藤子不二雄A氏の記者時代・(34)|文化|石川のニュース |url=https://www.hokkoku.co.jp/articles/gallery/659783 |website=[[北國新聞]] |accessdate=2022-04-07 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=絵葉書(高岡小唄一,二) 文化遺産オンライン |url=https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/293720 |website=bunka.nii.ac.jp |accessdate=2022-04-07}}</ref>、学芸部と社会部で[[似顔絵]]や[[インタビュー]]記事を担当(一方で、藤本は製菓会社を数日で退社した<ref name="DegiTama" /><ref group="注">安孫子は「1日で」と語っているが、退社日数は諸説あり、少なくとも4日以上が有力。詳細は[[藤子不二雄#年譜]]の注釈を参照。</ref>)。
会社勤めをしつつ、夜や休日には藤本と漫画を描く日々を送り、11月に雑誌デビューを果たすと、翌[[1953年]]には雑誌連載も開始。かねてからの依頼で2人がかりでようやく描きあげた単行本『[[UTOPIA 最後の世界大戦]]』が夏に刊行される。
[[File:Nabeshima Hirozou.jpg|thumb|left|140px|伯父の鍋島弘蔵(元富山新聞社長)]]
12月、藤本に上京を誘われるが、漫画の仕事一本で後がない藤本と違って、安定したサラリーマン生活を送りつつ漫画を描いていた安孫子は新聞社に未練があった。好意を抱いていた後輩社員がいたという理由もあった。母に反対されたら上京は無理だと思っていたが、母の答えは「好きにしなさい」という予想外のもの。安孫子は人生ではじめて大いに悩んだ挙句に夢の道に進むことを選び、新聞社を退社した<ref name="DegiTama" />。当時社長になっていた伯父には激怒されたという。
=== トキワ荘で連載10本の人気漫画家に、オバQブームで社会現象に ===
[[1954年]]6月、藤本と共に漫画家となるために上京。連載を含む仕事を月に約10抱える人気作家になるものの、[[1955年]]正月に里帰りした際に、11本の仕事のうちの5本<ref group="注">詳細は[[藤子不二雄#年譜]]の注釈を参照。</ref>を落とすという失態をしてしまう。幸いにも干されることはなく、翌年には再び連載を獲得。その4年後には、連載10本の売れっ子漫画家となる。
その後、『[[オバケのQ太郎]]』(合作)はアニメ化とともに大ブームを起こし、社会的に名前の知られる漫画家となる。『[[忍者ハットリくん]]』『[[怪物くん]]』もほぼ同じ時代に発表し何度もアニメ化や映画化が行われる大ヒット作となる。
=== ダークな大人漫画と少年漫画。多彩な作品を最も生んだ1970年代 ===
[[1968年]]からは大人漫画にも進出。『[[笑ゥせぇるすまん]]』の前身の『[[笑ゥせぇるすまん|黒ィせぇるすまん]]』を生み出した。<br />その他、後に[[藤子不二雄Aブラックユーモア短編|ブラックユーモア短編]]と呼ばれる短編群の他、『[[毛沢東伝]]』『[[愛ぬすびと]]』<ref group="注">翌1974年にテレビドラマ化。次連載は『[[愛たずねびと]]』。</ref>『[[ミス・ドラキュラ]]』等の作品を多数発表した(安孫子の全時代を通じて最もダークな作品、実験的な作品群が数多く発表されたのはこの1970年代前後)。
[[1970年代]]には、少年漫画週刊誌に『[[まんが道]]』『[[魔太郎がくる!!]]』『[[ブラック商会変奇郎]]』『[[プロゴルファー猿]]』等を発表し人気を博した。
文才にも優れ、『二人で少年漫画ばかり描いてきた』などの文章の書籍も多数手がけている<ref group="注">エッセイ等の作品は、コンビ時代から安孫子の執筆であることを明記してあるものも多い。</ref>。
なお、安孫子と藤本の合作は1976年の『オバケのQ太郎』の読切がほぼ最後であり、これより後は[[藤子不二雄]]名義ではあっても、ほぼすべてどちらかの単独作品である(誤解されやすいが、1966年連載開始の『[[パーマン]](旧)』や1971年連載開始の『(新)[[オバケのQ太郎]]』は合作。詳細は[[藤子不二雄#藤子不二雄の合作]]を参照)。
=== 藤子不二雄ブームから独立へ ===
1980年代には藤子不二雄ブームが起き、安孫子は『[[怪物くん]](新)』『(新)[[忍者ハットリくん]]』『[[ウルトラB]]』等の児童漫画も多数執筆。
[[1986年]]には倒れた妻を介護する身となる。相棒の藤本が癌手術を行ったこともあり、[[1987年]]に独立を発表。[[1988年]]から'''藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}'''として活動するようになる(コンビ時代の来歴の詳細は「[[藤子不二雄#来歴]]」を参照。)。
独立後は[[映画]]『[[少年時代]]』をプロデュースするなど多彩な才能を見せ、数々の賞を受賞。
[[1989年]]にアニメ化された『[[笑ゥせぇるすまん]]』が大人気となり、新作の長期連載等、せぇるすまんシリーズ(1968-2004)の漫画執筆を行った。
その他、『[[ビリ犬]](新)』(1988-1989)、『[[パラソルヘンべえ]]』(1989-1991)、『[[プリンスデモキン]]』(1991-1999)など、[[20世紀]]は児童漫画の執筆も一貫して行った。
=== さらば友よ…1人の藤子不二雄時代 ===
[[1998年]]、[[黒澤明]]の映画を漫画化した単行本『[[用心棒]]』を刊行。藤子Ⓐならではの斬新な手法を駆使した迫力満点の画面構成は芸術作品として一つの到達点を迎えた。
[[2000年代]]以降も[[まんが道]]シリーズ『[[まんが道#愛…しりそめし頃に…|愛…しりそめし頃に…]]』等の連載を継続して執筆。
『[[怪物くん]]』は[[嵐 (グループ)|嵐]]の[[大野智]]主演で[[怪物くん (テレビドラマ)|連続ドラマ化]]、[[怪物くん (テレビドラマ)#映画|3D実写映画化]]された。
『[[忍者ハットリくん]]』は[[2004年]]に[[SMAP]]の[[香取慎吾]]主演で[[NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE|映画化]]された他、インドでアニメが放送され人気が爆発。[[2012年]]からは日本とインドで共同で[[忍者ハットリくん#NINJAハットリくんリターンズ_(2012年)|新作アニメ]]の制作を開始。[[2023年]]現在も[[YouTube]]やテレビ放送で新作が公開される国際的人気作となっている。
[[2014年]]、生誕80周年を記念して、[[藤子不二雄Aデジタルセレクション|藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}デジタルセレクション]]が刊行された(2015までに215冊。事実上の全集)。
[[2015年]]、『[[ジャンプスクエア]]』の連載『[[PARマンの情熱的な日々]]』を12月号をもって休載することを発表<ref name=sponichi151105>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/05/kiji/K20151105011451780.html|title=藤子不二雄A氏 連載休載へ…「バテた」「元気出るまで休ませて」|publisher=[[スポーツニッポン|スポニチ]]アネックス|date=2015-11-05|accessdate=2015-11-05}}</ref>。その後、新連載を打診するも旧知の編集者が定年退職しており、現役の編集者に知り合いがいなかった為、話が進まなかった<ref>{{Cite web|和書|title=ドーン!!と貫いた〝まんが道〟追悼・藤子不二雄(A)さん 最近まで新連載に意欲、藤子・Fさんとのコンビ秘話 |url=https://www.zakzak.co.jp/article/20220408-ORY5AKV5FZMNVPQDRTILLBQNTE/ |website=zakzak:[[夕刊フジ]]公式サイト |date=2022-04-08 |accessdate=2022-04-08 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。追悼放映された『[[クローズアップ現代]]』によると[[トキワ荘]]をテーマにした作品で、番組内では下書き原稿も公開された。
[[2019年]]には、富山市の[[高志の国文学館]]にて、特別展「藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}展 -{{Unicode|Ⓐ}}の変コレクション-」が開催された<ref name="Kitanihon20220408">「漫画家 藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}さん死去 自分の心 素直に投影」『[[北日本新聞]]』2022年4月8日28面</ref>。
[[2022年]]4月6日没<ref name="ameinichi" />(88歳。翌7日8時40分頃、[[川崎市]][[多摩区]]内の自宅の敷地で倒れているところを発見され、その場で[[神奈川県警察|神奈川県警]]による調査により死亡が確認された<ref>{{Cite news|url=http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye6011864.htm|title=【速報】藤子不二雄Aさん 自宅で死去|agency=[[TBSテレビ]]|date=2022-04-07|accessdate=2022-04-07}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=漫画家 藤子不二雄Aさん死去 88歳 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220407/k10013571061000.html |website=NHKニュース |accessdate=2022-04-07 |last=[[日本放送協会]] |date=2022-04-07}}</ref>。その後、命日は4月6日であることが発表された)。同年10月31日、東京都内で「お別れの会」が開かれた<ref>[https://www.sankei.com/article/20221031-O6PLZMSDNZKRLLQ7AGMYMBTOQU/ 「まんが道」88年しのぶ:藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}さん お別れの会]『[[産経新聞]]』朝刊2023年11月1日(社会面)2023年1月20日閲覧</ref>。
== 受賞歴 ==
受賞、受章など。独立前(1987年以前)は[[藤子不二雄#受賞歴]]を参照。
* [[1990年]] - 第10回 藤本賞・特別賞(藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}(「少年時代」製作))
* 1990年 - 第11回[[山路ふみ子映画賞|山路ふみ子文化財団特別賞]](プロデューサー・藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}<ref group="注" name="mvpd" />)
* [[2005年]] - 第34回[[日本漫画家協会賞]] 文部科学大臣賞<ref group="注">賞の正確な名称は「日本漫画家協会 文部科学大臣賞」。</ref>(全作品)
* [[2008年]] - 氷見市[[名誉市民]](出生地の氷見市において、自作漫画キャラクターの提供など市の活性化への貢献により)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.himi.toyama.jp/hp/page000002500/hpg000002444.htm |title=【平成20年7月9日公開】氷見市名誉市民に藤子不二雄A先生が |publisher=[[氷見市]] |accessdate=2011-09-08 |deadlinkdate=2022-04}}</ref>。
* 2008年 - [[旭日小綬章]](藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}})
* [[2014年]] - 第18回[[手塚治虫文化賞]] 特別賞(『[[まんが道]]』『[[まんが道|愛…しりそめし頃に…]]』)
* [[2017年]] - [[北日本新聞]]文化賞(藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}})<ref name="Kitanihon20220408" />
== 人物 ==
=== 菜食主義 ===
[[菜食主義|ベジタリアン]](卵と乳製品は食べる[[卵乳菜食]])であるが、思想上の理由ではなく、実家が寺院で幼少の頃は[[精進料理]]ばかり食べていたため、習慣上の問題として[[肉食|肉]]や[[魚]]を体が受け付けなくなっていることが原因だという。また、身体が受け付けないだけで毛嫌いしているわけではなく、肉・魚料理などのガイドブックや[[レシピ]]を見ては「いいなぁ、おいしそうだなぁ」と思いながら眺めるのが楽しみの一つだと語っている<ref>『[[週刊少年「」]]』最終回でのインタビューでの発言。</ref>。駆け出し時代にアシスタントに行った[[手塚治虫]]が出前に取ってくれた[[鰻重]]を一切れ食べたその直後(3秒足らず)に大量の[[鼻血]]を出したと回想している(本人曰く「まさに漫画のようだった」)。
一方で、[[トキワ荘]]近くの[[中華料理]]店「松葉」の[[東京ラーメン]](スープは鶏ガラ系)が好物らしく、出汁やエキスであれば問題はないらしい。また2007年より『[[ジャンプSQ]]』で連載中の『[[PARマンの情熱的な日々]]』でも[[ハンバーガー]]を食べている描写があり{{要ページ番号|date=2014-9}}、また2014年10月号では、高知旅行の際に産まれてはじめて「[[カツオのたたき]]」を食し、それを非常に気に入ってしまったと言うエピソードが掲載されている。まんが道の続編にあたる『愛…しりそめし頃に…』では自身をモデルとした主人公「満賀道雄」は小料理屋で魚が食べられない代わりに[[貝]]料理を食べるなど、ある程度の[[動物]]食は可能な描写がされている。
=== 社交的な「電熱器」 ===
様々なパーティ・飲み会に顔を出し、バラエティのレギュラー番組を持つこともあったなど、非常に社交的で老若男女問わず友人が多いことで知られているが、その割には意外にもシャイな性格だという。
子供の頃は人前でよく[[赤面]]することから「[[電熱器]]」という[[愛称|あだ名]]があった。
相手を「君」「さん」などで呼ぶのが苦手で、二人称は名字に「氏」を付けて呼ぶことが多い。初対面の[[手塚治虫]]に「氏」を付けて呼ばれたこと、「“君”付けで馴れ馴れし過ぎないか、“さん”づけだと距離が遠くないか…」などと気になってしまうのも理由の一つだという。
和代夫人のことも名前のみで呼ぶのは恥ずかしいと語っている。エッセイ漫画では和代夫人を「ワイフ」「和代氏」「ワイフの和代氏」と書くことがある<ref group="注">『ジャンプククエア』8月号掲載『PARマンの情熱的な日々』など同作品において多数。</ref>。
=== 「人生初の病気」手術と入院 ===
食習慣のせいか、いわゆる「[[血液サラサラ]]」状態であり、夜遅くまで酒宴に付き合っても、翌日に[[酒]]が残ったことがないと語っている。また、生まれてから一度も病気になったことがなかったという。
しかし、[[2013年]]春、上行結腸癌([[大腸癌]])が発覚。「人生初の病気」にかかり、[[東京医科大学病院]]に入院、手術を受けた。故郷の村にて[[藤子・F・不二雄]]、[[赤塚不二夫]]、[[石ノ森章太郎]]、[[手塚治虫]]らに「こっちに来い」と言われる夢を見たと言う<ref>{{Cite web|和書|title=79歳にしてまだまだ続く! 藤子不二雄(A)先生の“まんが道” |url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1376539883079/ |website=[[エキサイト]]ニュース |accessdate=2022-04-07 |date=2013-08-26}}</ref>。
約1年後、再び腹部に強い痛みを覚え検査を受け[[腸閉塞]]と診断され入院。
2015年3月初旬、ゴルフのプレイ中に[[失神]]、東京医科大学病院へ救急搬送される。検査の結果[[心不全]]の診断を受け、入院。約3週間、点滴や投薬の治療を受け快復した<ref>『ジャンプククエア』8月号掲載『PARマンの情熱的な日々』#91「又又又3度目の入院!!」</ref>。
=== 趣味・嗜好 ===
==== 映画 ====
: 幼少時から漫画よりも先に映画好きであり、初期から後期まで多くの作品に大きな影響が見られる。映画評の連載・著書も多数。
:
: 藤本、[[鈴木伸一]]、[[つのだじろう]]らと8mmカメラで[[西部劇]]を撮影したこともある。この映画は撮影時間の都合上未完に終わるも、後にTVドラマ『[[ケンちゃんチャコちゃん]]』の劇中劇で、ガンマン役として藤本と共演して決着を付けた。
==== ゴルフ ====
: 大のゴルフ好きで、晩年も頻繁にプレイしていた。ゴルフ漫画も多数執筆した。
:
: ゴルフへの愛情は『[[プロゴルファー猿]]』によく表れている。
: 作中に登場する必殺技的ゴルフ技術のほとんどは創作によるものだが、「旗包み」に関してはかつて『[[日刊ゲンダイ]]』のインタビューで「[[東京よみうりカントリークラブ|東京よみうりCC]]の11番ショートホール。風の強い日で、5Iで打った球が一瞬消えて、『どこへ行ったか』と思ったら次の瞬間、旗に絡まって落ちてカップイン。“これは使えるなぁ~”と思いましたね」と明かした<ref>{{Cite web|和書|title=追悼・藤子不二雄Ⓐさん 名作「プロゴルファー猿」の秘技“旗つつみ”誕生秘話|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/303645|website=日刊ゲンダイ |accessdate=2022-04-08 |date=2022-04-08}}</ref>。
: 自身のプレイ中に偶然ショットしたボールが旗に当たってそのまま落ちカップインしたことを、「岩返し」も同様に狙いが外れて岩に当たってしまったボールが偶然跳ね返ってオンしたことをヒントにしているという。
: だが、これらはやはり偶然に過ぎない。プロゴルファーの大御所[[青木功]]がテレビ番組の企画で旗包みに挑戦したものの成功はせず、狙って行うことはほぼ無理ということが判明している。
:
: 『笑ゥせぇるすまん』にもゴルフのエピソードが何話か登場している。
==== 日記・記録 ====
: 幼少時から日々のことを書き留めており、トキワ荘入居時代の日記、妻・和代氏の闘病生活時代([[藤子不二雄]]の独立時期とも重なる)の日記は単行本化もされた。また、晩年も日々の出来事やテレビ番組(『[[半沢直樹]]』など)について、イラストを交えたノートを記録し続けていた。日記は『[[まんが道]]』などの作品を作る上でも役立っている<ref group="注">ただし、『まんが道』にはフィクションの内容も多いので、歴史事実としてすべてを受け入れないように注意が必要。</ref>。
==== サングラス ====
: 20代から[[サングラス]]を愛用している。これは白い原稿用紙の反射光で目を痛めたからである。後に片目は[[白内障]]の手術を受けており、[[吉行淳之介]]に医者を紹介したこともあった。
==== 愛犬家 ====
: 大の犬好きで、作中にもよく犬が出て来る。また、かつて飼っていた[[秋田犬]]の名を「Q太郎」と名づけたこともある。犬が主人公の連載漫画『[[タカモリが走る]]』も執筆した。
==== 極真名誉初段 ====
: 1970年頃、つのだじろうに誘われて、[[極真会館]]へ半年ほど入門していたことがある<ref>藤子不二雄A『78歳いまだまんが道を』(中央公論新社 2012年)p.122</ref>。その後、[[大山倍達]]の提案により、名誉初段を授与されている。空手入門の様子を描いた漫画作品も複数ある。
==== 旅行 ====
: 船、船旅を好み、「[[クイーン・エリザベス2|クイーンエリザベス2世号]]」の乗船経験もある。乗船の様子は短編漫画として描かれた。
==== 座右の銘 ====
: 「明日にのばせることを今日するな」
=== 逸話など ===
; 尊敬する漫画家
: 「尊敬する漫画家は?」と質問される場合、必ず「手塚先生と藤本君です」と答えている。特に元相棒の[[藤子・F・不二雄]]に対する想いは誰よりも強いようで、ことあるごとに「藤本君は天才だ」「彼がいなければ僕は漫画家にはならなかったと思う」と力説している。
; 祝辞でのユーモア
: 『[[失踪日記]]』で数々の漫画賞を受賞した[[吾妻ひでお]]の受賞祝賀パーティでは、来賓挨拶で「[[藤子不二雄]]として沢山賞を貰ったが、あれは全部藤本([[藤子・F・不二雄]])の作品です。僕は貰ってません」とユーモアに富んだ祝辞を贈り、会場を沸かして健在ぶりを周囲に印象付けた(ちなみに安孫子単独でも多くの漫画賞を受賞している。[[#受賞歴]]参照)。
; 姉の陰からのサポート
: 『まんが道』等の自伝的作品ではほとんど登場しないが、トキワ荘時代の1955年12月頃に安孫子の姉である喜多枝が上京して同居し、食事の世話やベタ塗りやホワイトといった簡単な手伝いをするようになった<ref>『三栄ムック まんが道大解剖』「松野喜多枝インタビュー」pp.56-57</ref>。藤子スタジオ設立後は正式にマネージャーとなり、独立前の[[藤子不二雄]](安孫子と藤本)のサポートを行っていた。
; 恋愛
: [[石森章太郎]]の姉が恋をしていた相手は安孫子素雄だという逸話があるが、真偽は定かではない。トキワ荘時代に、[[石森章太郎]]と同居していた姉の小野寺由恵が石森に好きな人がいると告げたと、後に石森自身が明かしている。石森はその相手が誰かは明かしていないが、[[2009年]]にテレビ局のディレクターが自身のブログに「「それは我孫子素雄さんしか考えられない」という確証を、関係者から私は得た。」(原文ママ)と記したことでこの逸話が生まれた。しかし当人や弟の証言ではなく、あくまでも周囲の憶測による証言であり、取材の詳細も明らかにされないままにブログは削除されたため、信頼のおける情報とはみなせない状況である。安孫子も連載漫画『愛…しりそめし頃に…』において由恵について触れているが、『愛…しりそめし頃に…』は自伝要素を取り入れたフィクション作品で、事実との相違が多数指摘されている。
== 作風 ==
=== 作風の変遷 ===
手掛けるジャンルが幅広いため、その作風をシンプルに語るのは難しい。下記は有名作と少年・児童漫画のみで作風の変遷を語った例で、あくまでも安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)の一側面である。
* [[1959年]] 『[[シルバー・クロス]]』等。初期から多彩なジャンルを描いているが、この頃はヒーローもの、アクションものが目立つ。
* [[1964年|1964]]-[[1965年]] 『[[忍者ハットリくん]]』『[[フータくん]]』『[[怪物くん]]』等。元気な少年が活躍する作品が多い。
* [[1968年]] 大人向け読切『黒イせぇるすまん』で新境地。
* [[1969年]] ブラックユーモア色の強い少年漫画『[[黒ベエ]]』『[[仮面太郎]]』『[[狂人軍]]』が登場。
* [[1970年]] 『[[まんが道]]』シリーズ開始。
* [[1970年代]] 青年誌を中心に、ブラックユーモア色の強い様々なジャンルの大人向け作品を発表。安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)史上、一番自由奔放・過激・多作な時代<ref>青年誌の相次ぐ創刊で仕事依頼が増えた。藤子不二雄はちょうど青年向けの作品を描くのに適した年齢だった。</ref>。
* [[1972年]] 『[[魔太郎がくる!!]]』で怪奇路線に傾倒。
* [[1975年]] 『[[オヤジ坊太郎]]』で爆発的ギャグが開花。『[[プロゴルファー猿]]』でゴルフ漫画を開拓。
* [[1977年]] 『[[まんが道|まんが道 立志編]]』開始。伝記的に物語を紡ぐ筆力が高く評価される。
* [[1978年]] 『[[少年時代]]』開始。『まんが道』とあわせて少年週刊誌2誌にドラマ色の強い作品を同時連載する作家に。
* [[1980年代]] 藤子不二雄ブームにより、児童雑誌に『[[怪物くん]]』『[[忍者ハットリくん]]』『[[ビリ犬]]』等を連載。少年週刊誌での掲載ではなくなったため毒の強い作風は控えめになった。
* [[1990年代]] アニメで人気となった『[[笑ゥせぇるすまん]]』(1990-1995)はややまろやかな作風に(連載誌が『[[中央公論]]』だったため)。『[[パラソルヘンべえ]]』(1989-1991)、『[[プリンスデモキン]]』(1991-1999)で世紀末まで児童漫画を描き続ける。
* [[2000年代]] 『[[笑ゥせぇるすまん|踊ルせぇるすまん]]』の不定期連載(2003-2007)で過激な作風が復活(連載誌が『[[漫画サンデー]]』だったため)。
* [[2013年]] 『[[まんが道|愛…しりそめし頃に…]]』の連載終了後はエッセイ作品を主に執筆。
=== 作風と執筆スタイルに関する逸話 ===
* 当初は児童漫画に取り組んでいたが、児童漫画の執筆が苦痛になり、「このままではダメになる」と藤本のマネージャーへの転身も検討したが、青年誌から依頼された『[[笑ゥせぇるすまん|黒イせぇるすまん]]』を機に児童漫画から撤退<ref>{{Cite web|和書|title=「リアルから始まり、想像の世界へ」 藤子不二雄Aさんが瀬戸内寂聴さんに語ったこと - クローズアップ現代 |url=https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/p3aQ8MmOy3/ |website=[[クローズアップ現代]] - NHK |access-date=2022-04-14 |language=ja |last=日本放送協会}}</ref>。その後は興味のおもむくままに、怪奇趣味的な漫画、[[マージャン]]やギャンブルを題材とした漫画、エッセイ漫画、そしてゴルフ漫画などを手がけ、その結果、ジャンルは幅広い物になった。
** 「児童漫画から撤退」というと子供漫画を描かなくなったと誤解されがちだが、その時代(1970年代)も少年週刊誌に多数の連載を描き続け、1980年代は児童漫画誌に多数執筆。その後、[[1999年]]まで児童漫画を描き続けた。
** 「藤本のマネージャーへの転身も検討」は藤子Ⓐのジョーク(自虐ギャグ)。本気にしてそこだけを切り取って記事にしてしまうとフェイク記事となり、歴史の歪曲につながる。
* ネームを切らず、[[ジャズ]]の即興音楽のようににそのまま話を描き上げる。
** 当初はきちんとネーム(コマ割りまで行った漫画の設計図。その後下描き、ペン入れを経て完成させる)を作っていたが、『[[フータくん]]』の千円札投函をテーマにした回のオチを即興で作ってその意外性を気に入ったことから、原稿用紙に直接下描きをして描いていくスタイルに変更した。
* 過去に仕事を引き受けすぎ、作品の多く(2人合わせて11本中5本)を落としたことを恥じて、それ以降一度も原稿の締め切りを落としていない。
* 「ギニャー!」「ンマーイ!」「ギャース!」「ンマー!」……といった独特の叫び声(描き文字)が特徴的である。
== 作品 ==
※「★」印が付いている作品は[[藤子・F・不二雄|藤本弘]]との合作。合作を含む作品一覧は[[藤子不二雄#作品一覧]]を参照。
=== 代表作 ===
; [[忍者ハットリくん]]
: 忍者の里、伊賀から忍術修行のため上京した'''ハットリくん'''が、様々な騒動を巻き起こすギャグ漫画。居候先の三葉ケン一との友情やギャグも描く一方で、様々な[[忍術]]を読者に紹介する教養的要素も盛り込まれている。1964年から1968年まで『[[少年 (雑誌)|少年]]』にて第1期が連載され、1981年から1988年まで『[[月刊コロコロコミック]]』にて第2期(新)が連載された。藤本メイン作『[[パーマン]]』との共演作品もある。
: 4度<ref group="注">『ハットリくん+パーマン』2作を含む。</ref>アニメ映画化されたほか、2004年には[[香取慎吾]]主演で実写映画『[[NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE]]』が公開された。
:; スピンオフ&コラボ作品
::* [[忍者ハットリくん#ワシ獅子丸!!|ワシ獅子丸!!]](1984年)
::* [[忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ|忍者ハットリくん+パーマン]]
; [[怪物くん]]
: 様々な怪物が棲む怪物ランドから人間界へやって来た不思議な少年、'''怪物くん'''とそのお供であるドラキュラ、[[狼男|オオカミ男]]、[[フランケンシュタインの怪物|フランケン]]が巻き起こす騒動を描くモンスターギャグ漫画。友達となったヒロシ少年と共に、不思議な力を使って人間界で活躍する。1965年から1969年まで『[[少年画報]]』にて連載。また、1967年から1969年まで『[[少年キング|週刊少年キング]]』でも連載された。
:* 1968年 - 1969年 TBS系でアニメ化。白黒作品。
:* 1980年 - 1982年 [[テレビ朝日]]系でアニメ化。カラー作品。
:* 2010年 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系で[[嵐 (グループ)|嵐]]の[[大野智]]主演で実写ドラマ化。
:; スピンオフ
::* [[プリンスデモキン]](1991年 - 1999年3月、99年4月以降は再録) - デーモン族の王子デモキンが主人公。
; [[プロゴルファー猿]]
: 賭けゴルフを生業とする野生児、'''猿谷猿丸'''(さるたに さるまる、通称:サル)が様々なゴルファーとの対決を繰り広げた末にプロテストに合格するまでを描く少年漫画初の[[ゴルフ]]漫画。現実離れした荒唐無稽なキャラクターや技、ゴルフコースが多く登場する。初期の段階では[[ゴルフ|ゴルフ用語]]を説明しつつ、ゴルフの楽しさを読者に伝えようと意図していた<ref>{{Cite book|和書|title=中公文庫コミック版「プロゴルファー猿」1巻|date=1994/9/1|publisher=中央公論新社|year=|isbn=978-4122021501}} あとがきより</ref>。1974年から1980年まで『[[週刊少年サンデー|少年サンデー]]』(週刊、増刊)で連載された。また、1982年から1986年まで『コロコロコミック』([[月刊コロコロコミック|月刊]]、[[別冊コロコロコミック|別冊]])にて内容をより低年齢向けとした『新プロゴルファー猿』が連載された。1989年には『[[週刊少年サンデー|少年サンデー]]』に読切が掲載された。
:* 1985年 - 1988年 テレビ朝日系でアニメ化。
:* 1988年 新プロゴルファー猿がテレビ朝日系でアニメ化。
:; 続編
::* [[サル]](1999年 - 2000年) - 10年ぶりの新作。アメリカが舞台。『[[ビッグコミック]]』に不定期連載された。
; [[魔太郎がくる!!]]
: 典型的ないじめられっ子中学生、'''浦見魔太郎'''(うらみ またろう)が、いじめっ子や傍若無人な連中などから受けた激しい苛めに対してオカルティックで壮絶な復讐を行う[[ホラー漫画]]。魔太郎は超魔術「うらみ念法」の使い手であり、全国のいじめられっ子のうっぷんを代弁し、それを豪快に晴らしていくカタルシスに満ちた作品。1972年から1975年まで『[[週刊少年サンデー|週刊少年チャンピオン]]』で連載された。
:; 続編、スピンオフ
::* 魔太郎が翔ぶ(1981年)
::* [[切人がきた!!]](1994年 - 1996年)
;[[笑ゥせぇるすまん]]
: 不気味な謎のセールスマン、'''喪黒福造'''(もぐろ ふくぞう)を主人公としたブラック・ユーモア漫画。喪黒福造は「ココロの隙間、お埋めします」と称して、毎日の生活に大なり小なり不平不満を抱える人々に、それらを解消する様々な物品やチャンスを与えていく。与えられた人々は暫くの間、幸福(またはそれに準ずるもの)を得るのだが、その甘い一時に欲望を惹起され、結果として不幸のどん底に転落してしまうという、人間のエゴを痛烈に諷刺した物語である。1969年から1971年まで『[[漫画サンデー]]』で『黒ィせぇるすまん』として連載されたが、後年[[TBSテレビ|TBS]]系列情報番組『[[ギミア・ぶれいく]]』の1コーナー<ref group="注">火曜日の21:00 – 22:54に[[:Category:コーナードラマ|コーナードラマ]]として放送された。なお、安孫子自身もこの番組にレギュラー出演していた。</ref>として[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]化された際に「笑ゥ〜」と改題された。[[1999年]]、テレビ朝日系列で[[テレビドラマ|テレビ・ドラマ]]化された際には安孫子自ら演出をつとめた。また[[2017年]]には『笑ゥせぇるすまんNEW』のタイトルで再アニメ化され、[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]他の[[深夜アニメ]]枠「[[あにめのめ]]」で放送された。
:; 続編、スピンオフ
::* 帰ッテキタせぇるすまん(1996年 - 2000年)
::* 踊ルせぇるすまん(2001年、2003年 - 2007年)
::* 喪黒福次郎の仕事(1997年 - 1998年) - 喪黒福造の弟が主人公として登場し、兄とは正反対に困った人の手助けをしている。
::* わが名はモグロ…喪黒福造(2003年)
; [[まんが道]]
: 藤子不二雄の自伝的漫画。漫画家を目指す2人の少年、'''満賀道雄'''(まが みちお、安孫子=藤子Ⓐ自身がモデル)と'''才野茂'''(さいの しげる、藤本=藤子・Fがモデル)の成長を描いた長編青春漫画である。1970年から1972年まで『[[週刊少年チャンピオン]]』で担当した漫画の描き方講座「[[チャンピオンマンガ科]]」の後半2ページ、1977年から1982年まで『[[少年キング|週刊少年キング]]』、1986年から1988年まで『[[藤子不二雄ランド]]』にて連載された。続編の『愛…しりそめし頃に… 満賀道雄の青春』が『[[ビッグコミックオリジナル増刊]]』で1995年から2013年まで連載され完結し、通算して43年の歴史に幕を下ろした。[[日本放送協会|NHK]]で2度に渡りドラマ化された<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010343 番組エピソード 銀河テレビ小説「まんが道」 -NHKアーカイブス]</ref>。
:; 続編
::* [[まんが道#愛…しりそめし頃に…|愛…しりそめし頃に… 満賀道雄の青春]](1989年、1990年、1995年 - 2013年)
; [[オバケのQ太郎]](合作)★
: ごく普通の家庭に住み着いたオバケの'''Q太郎'''が引き起こす騒動を面白おかしく描いた生活ギャグ漫画。オバQブームと呼ばれる社会現象を巻き起こした。1964年から1966年まで『[[週刊少年サンデー]]』などで連載された。1971年から1974年に連載された『(新)オバケのQ太郎』は、藤本の主導で製作され、安孫子は正太、伸一などの作画のみを担当している。安孫子と藤本の最後の合作は1976年の『(新)オバケのQ太郎』の読切。1964年の『オバQ』を最後の合作と記している書物もあるが誤り(詳細は[[藤子不二雄#最後の合作]]を参照)。3度にわたって[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]化された(1965 - 1967年、1971 - 1972年、1985 - 1987年)。
:; 続編、スピンオフ
::* オバケのP子日記(1966年、合作)★
; [[少年時代]]
: 作家[[柏原兵三]]の小説『長い道』を漫画化した作品。戦時中に東京から縁故疎開してきた進一が疎開先の少年達と過ごす感動物語。1978年から1979年まで『[[週刊少年マガジン]]』で連載された。1990年には自らのプロデュースで[[東宝]]系で映画化された。[[井上陽水]]の代表曲『[[少年時代 (井上陽水の曲)|少年時代]]』はこの映画の主題歌であり、安孫子自ら親交のある井上に作曲を依頼した。
; [[藤子不二雄Aブラックユーモア短編|ブラック・ユーモア短編]]
: 1968年の読切『黒イせぇるすまん』(初出時はこの表記)に始まる、[[ブラックジョーク|ブラックユーモア]]を基調とした短編作品群。後に『[[魔太郎がくる!!]]』や『[[ブラック商会変奇郎|シャドウ商会変奇郎]]』、『[[笑ゥせぇるすまん]]』などの連載作品に昇華する。
=== その他 ===
※以下は全ての作品を列挙したものではない。
==== ギャグ ====
* [[どんぐりくん_(清水春雄)|どんぐりくん]](1954年 - 1955年、[[清水春雄]]の代筆)
* [[フータくん]](フータくんNOW!)(1964年 - 1967年、1982年 - 1983年)
* [[わかとの]](サンスケ)(1964年 - 1965年、合作)★
* [[わかとの|怪人わかとの]](1968年)
* [[狂人軍]](1969年 - 1970年)
* [[仮面太郎]](1969年 - 1970年)
* [[ビリ犬]](1969年、1989年)
* [[マボロシ変太夫]](1971年 - 1972年)
* [[かっぱのカッポ]](1972年 - 1974年)
* [[旦ベエ]](1974年)
* [[オヤジ坊太郎]](1975年‐1976年)
* [[ウルトラB]](1984年 - 1989年)
* [[パラソルヘンべえ]](1989年 - 1991年)
:; 大人向けギャグ
:* [[無名くん]](1971年 - 1976年)
:* [[添乗さん]](1973年 - 1974年)
:* [[さすらいくん]](1973年 - 1981年)
:* [[戯れ男]](1973年)
:* [[戯れ師]](1974年)
:* [[ゲゲゲのゲー]](1975年)
:* [[オレ係長補佐]](1975年)
:* [[ミス・ドラキュラ]](1975年 - 1980年)
==== ブラック ====
* [[黒ベエ]](1969年 - 1970年)
* [[夢魔子]](1970年)
:; 大人向けブラック
:* [[憂夢]](1991年 - 1995年)
==== ヒーロー ====
* [[わが名はXくん]](1958年 - 1962年)
* [[シルバー・クロス]](1960年 - 1963年)
* [[シスコン王子]](1963年 - 1964年)
* [[スリーZメン]](1964年 - 1965年)
==== ダークヒーロー ====
* [[ブラック商会変奇郎]](一部の出版物では「シャドウ商会変奇郎」に改題)(1976年 - 1977年)
:; 大人向けダークヒーロー
:* [[喝揚丸ユスリ商会]](1973年)
:* [[番外社員]](1973年)
==== アクション ====
* [[ビッグ・1]](1962年) - 海洋アクション。
* [[潜水艦シュルケン号の暴動]](1962年) - 海洋アクション。
* [[くまんばち作戦]](1962年) - 航空アクション。
* [[きえる快速車]](1963年、合作、原作:[[久米みのる]])★ - カーアクション。
==== SF ====
* [[ロケットくん]](1956年 - 1957年)
* [[銀河船長]](1961年 - 1962年)
* [[夢トンネル]](1983年 - 1984年)
==== 探偵 ====
* [[どんぐり名探偵]](1958年 - 1959年)
* [[怪人二十面相]](1959年 - 1960年、原作:[[江戸川乱歩]])
==== 人間ドラマ ====
* [[愛ぬすびと]](1973年)
* [[愛たずねびと]](1974年)
==== 忍者・時代劇 ====
* [[忍法十番勝負・二番勝負]](1964年)
* [[用心棒]]([[黒澤明]][[映画]]の漫画化)(1998年)
==== 西部劇 ====
* [[コルト45]](1960年 - 1961年)
==== ゴルフ ====
* [[ホアー!! 小池さん]](1998年 - 2001年)
==== 動物 ====
* [[タカモリが走る]](1988年 - 1991年)
==== ドキュメント・伝記 ====
* [[劇画 毛沢東伝]](1971年)
* [[プロジェクトPOS-ある事業部の挑戦]](1988年)
==== コミックエッセイ ====
* [[パーマンの日々]](1978年 - 1980年)
* [[藤子不二雄AのパーマンGOLF LAND]](1989年 - 1991年)
* [[PARMANの日々]](1991年 - 1992年)
* [[PARマンの情熱的な日々]](2007年 - 2015年)※2015年12月号をもって休載<ref name=sponichi151105/>
==== 映画評+イラスト ====
* [[パーマンの指定席]](1982年 - 1997年) 漫画イラストとともに語る映画評。
* [[パーマンの指定席|パーマンのわくわく指定席]](1997年) 連載『パーマンの指定席』を加筆・修正・再構成した単行本。カバーはエイハブ船長に扮するとある人物。安孫子の絵に手塚治虫が絵を加えた貴重な合作スケッチも。
==== 日記(エッセイ)+イラスト ====
* [[トキワ荘青春日記]]
* [[たのむよ和代氏、もう一度しゃべって]](1997年) - 1985年の大晦日に妻の和代氏が倒れたことからはじまる奮闘記。藤子不二雄が2人それぞれで独立する直前の日記も掲載。
* [[妻たおれ 夫オロオロ日記]](2000年) - 『たのむよ和代氏、もう一度しゃべって』の文庫版。新録のあとがきにて2000年の元旦に起きた大事件が語られている。
* [[恐妻カズヨ氏元気弁当]](仮)(2019年発売予定)<ref>[https://twitter.com/FujikoFC_NU/status/1056839169329192962 発売告知チラシ]</ref> - 50年間描き続けた愛妻弁当のイラストでたどる語り下ろしエッセイ。単行本。
その他、[[藤子不二雄#藤子不二雄の合作]]等も参照。
=== 全集など ===
* [[藤子不二雄Aデジタルセレクション|藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}デジタルセレクション]](小学館) - 事実上の全集。[[電子書籍]]。藤本との合作も収録。215巻。
* [[藤子不二雄Aランド|藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}ランド]]([[ブッキング]])
その他、[[藤子不二雄#全集など]]も参照。
=== 入手困難作品 ===
2023年現在入手困難な作品、または未単行本化作品。
藤子不二雄時代の入手困難作品は [[藤子不二雄#入手困難作品]] を参照。
; 単行本未収録回がある作品
* 『[[ホアー!! 小池さん]]』
* 『[[笑ゥせぇるすまん|せぇるすまん]]』
他多数。
== イラスト提供 ==
作者によるイラスト提供。
=== イメージキャラクター ===
* ウォー太郎 - [[富山県]][[黒部市]]の[[ゆるキャラ]]
* [[氷見のサカナ紳士録]] - 氷見市比美町商店街のゆるキャラ
* [[立山くん]] - [[富山県警察]]のシンボルマスコット
* ハニーくんとニハちゃん - 富山県こどもみらい館のシンボルマスコット
* [[ひみぼうずくん]] - [[道の駅氷見|氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館]]のシンボルマスコットとして作成され、施設の閉鎖後に市の公式マスコットとなった
* みどりちゃん - [[愛知県]][[西尾市]]のゆるキャラ
* U馬くん - [[北海道]][[日高振興局]]ホースシューズ普及啓発実行委員会のシンボルマスコット
=== 表紙イラスト・挿絵 ===
* [[復刊ドットコム]]奮戦記-マニアの熱意がつくる新しいネットビジネス([[復刊ドットコム|左田野渉]]著)- 表紙イラスト
* マンガホニャララ([[ブルボン小林]]著)- 表紙イラスト
* 株のケータイ電話トレードで週10万円儲ける!([[実業之日本社]]編)- 表紙イラスト
* 白く染まれ―ホワイトという場所と人々(宮崎三枝子著)- 中表紙イラスト
* ゴルフこれで開眼!―ラクして「飛ばす」「寄せる」「入れる」([[三好徹]]著)- 表紙イラスト・挿絵
* 熱血ポンちゃんから騒ぎ([[山田詠美]]著)- 表紙イラスト
* [[長嶋有漫画化計画]]([[長嶋有]])- 表紙イラスト
=== ジャケットイラスト ===
* ハロー・サッチモ!~ミレニアム・ベスト - [[ルイ・アームストロング]]の生誕100年を記念したベスト盤CD
* ハロー・サッチモ、アゲイン! - 上記CDアルバムの第2弾
* 兄弟喧嘩 - [[中川家]]のライブDVD
=== その他 ===
* [[重版出来!]] - [[TBSテレビ]]系列のドラマ。作中に登場する漫画家・牛露田獏の漫画『タイムマシンにお願い』の作画を担当。
== 関連書籍等 ==
* 平成日本のよふけ2(2001年) - 鶴瓶、香取慎吾とのトーク番組の書き起こし。生い立ち、藤子不二雄の話から妻の失語症の話まで。
== スターシステム ==
[[手塚治虫]]と同様に、自身の描いた[[キャラクター]]を俳優として扱い、様々な作品に様々な役柄(またはまったく同じ役柄)で登場させる[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スターシステム]]を用いることがある。
=== 主なキャラ ===
; 小池さん
: [[ラーメン]]が大好きで、いつもラーメンを食べている中年男性。モデルは友人の[[鈴木伸一]]。藤本(藤子・F)も使用するキャラクターだが、安孫子(藤子{{Unicode|Ⓐ}})作品ではメインキャラクターとして使用される事が多い。
: {{Main|小池さん}}
:* 主な登場作品 - [[オバケのQ太郎]]、[[忍者ハットリくん]]、[[ウルトラB]]、[[笑ゥせぇるすまん]]他
:
; 佐木'''(ザキ)'''
: [[キツネ|狐]]のような容姿の下級サラリーマン(『[[忍者ハットリくん]]』『[[パラソルヘンべえ]]』等[[上役]]を演じる事も少なくない)。[[麻雀]]、[[酒]]、[[女]]に目がなく、妻がいるのにもかかわらず[[wikt:浮気|浮気]]をする(但し大抵は失敗する)。下の名前は「キザオ」と「一郎」の二つある。安孫子のお気に入りキャラクターであり、殆どの作品に登場している。名前無しでの登場も含めれは登場作品は[[莫大]]な数となる。作品によって顔が若干異なる場合もある(眼鏡を掛ける、掛けない等)。
:* 主な登場作品 - [[無名くん]]、[[ミスドラキュラ]]、[[オヤジ坊太郎]] 他
:
; おっちゃん(シノビノ博士)
: 眼鏡を掛け、[[桃]]の形の鼻をした[[中年]]男性。三枚目の子供らしい役を演じさせられる事が多い。[[1980年]]代になると『[[忍者ハットリくん]]』以外では急激に出番が減った。
:* 主な登場作品 - [[フータくん]]、[[忍者ハットリくん]]、[[怪物くん]] 他
:
; スズキミチオ(今仁見手郎)
:眼鏡を掛けて眠たそうな目をしている気弱な少年。しかし裏の顔は苛められたら数倍にして返すという恐ろしい人物である。『[[黒ベエ]]』以前の作品では時にオーバーリアクションをする役もあったが、『黒ベエ』以降は『[[プリンスデモキン]]』『[[笑ゥせぇるすまん]]』等[[根暗]]なキャラクターとして登場する事もある。
:* 登場作品 - [[黒ベエ]]、[[笑ゥせぇるすまん]]、[[フータくん]] 他
:
; 山川キヨシ
: 有名な少年[[点描]]画家。[[山下清]]のパロディ。サインとして[[プテラノドン]]が描かれているものには数百万円の価値がある。作品によっては日本語がよく喋れない場合もあり、「点!点!点!」と叫んで絵を仕上げる。
:* 登場作品 - フータくんNOW!、[[まんが道|チャンピオンマンガ科]]、[[パラソルヘンべえ]]
:
; サンスケの親父
: サンスケの親父で風呂屋の[[番台]]を務める。サンスケのイタズラには困っている。尚、旅館の社長、会社の上役など上の仕事をする事が多い。
:* 登場作品 - [[わかとの|サンスケ]]、[[忍者ハットリくん]]、フータくんNOW!
:
; 「アー」のペンギン
: [[ペンギン]]なのにもかかわらず「アー」という[[カラス]]のような鳴き声をする。主に[[実況]]、場面転換に現れる。
:* 登場作品 - [[オヤジ坊太郎]]、忍者ハットリくん、[[狂人軍]] 他
:
; 吉田
: 鼻の下の[[髭]]と[[狐]]のような目、丸みを帯びた[[頬]]が特徴であり、主に[[エキストラ]]としての出番が多い。男らしい顔立ちの半面「アレ〜!!」という叫び声をあげるなど女々しい一面がある。『[[ウルトラB]]』では美術の先生も演じていた。
: モデルは[[ヨシダ忠]]であり、『[[怪物くん]]』の[[フランケン]]のモデルとなった<ref>『[[少年画報]]』1966年2月号</ref>が、力はあるほうではない。
:* 登場作品 - [[怪物くん]]、[[黒ベエ]]、フータくん 他
== アニメ ==
{{Main|藤子不二雄のアニメ作品}}
=== 2012年以降の新作アニメ ===
* [[忍者ハットリくん#NINJAハットリくんリターンズ_(2012年)|NINJAハットリくんリターンズ]](2012-)
* [[笑ゥせぇるすまん#笑ゥせぇるすまんNEW|笑ゥせぇるすまんNEW]](2017)
== 実写ドラマ・映画 ==
=== テレビドラマ ===
* [[まんが道#テレビドラマ|まんが道]] - NHK「銀河テレビ小説」[[1986年]](昭和61年)・[[1987年]](昭和62年)。演:[[竹本孝之]] 役名:満賀道雄。(藤子不二雄Ⓐ本人も青春篇に酔客として出演)
* [[ブラック商会変奇郎#テレビドラマ|シャドウ商会変奇郎]] - 演:[[森田剛]]
* [[笑ゥせぇるすまん#テレビドラマ|笑ゥせぇるすまん]] - 演:[[伊東四朗]]
* [[愛ぬすびと#テレビ映画|愛ぬすびと]]
=== テレビドラマ&映画 ===
* [[怪物くん (テレビドラマ)|怪物くん]] - 演:[[大野智]]
=== 映画 ===
* [[少年時代#映画|少年時代]]
* [[忍者ハットリくん#実写映画|忍者ハットリくん]] - 演:[[香取慎吾]]
== パチンコ ==
藤子{{Unicode|Ⓐ}}は自らの作品が[[パチンコ]]・[[パチスロ]]機の題材とされることに対し寛容で、これまでに以下の作品がパチンコ・パチスロ化されている(2018年現在)。[[藤子・F・不二雄]]作品がこれまで一度もパチンコ・パチスロ化されたことがないのとは対照的である。(以下パチンコは「P」、パチスロは「S」表記)
*『忍者ハットリくん』(P・S:[[大一商会]])
*『怪物くん』(P:大一商会・[[奥村遊機]])
*『プロゴルファー猿』(P:大一商会・[[タイヨーエレック]]、S:[[スパイキー (パチスロメーカー)|スパイキー]])
*『笑ゥせぇるすまん』(P:奥村遊機、S:[[三洋物産]])
== 出演 ==
藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}、安孫子素雄本人によるメディア出演。
藤子不二雄時代の2人での出演は [[藤子不二雄#出演]] を参照。
; テレビドラマ
* [[まんが道|まんが道 青春編]] - [[日本放送協会|NHK]]「[[銀河テレビ小説]]」[[1987年]](昭和62年)。第14回 役名:酔客。
* [[怪物くん (テレビドラマ)|もう帰って来たよ!! 怪物くん全て新作SP]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、[[2010年]][[6月26日]]。役名:名探偵A(エース)。
; テレビ・その他
* [[ギミア・ぶれいく]] - TBS、[[1989年]] - [[1992年]]。
; 映画
* [[未来の想い出#映画|未来の想い出 Last Christmas]] - [[森田芳光]]監督、[[1992年]](平成4年)。役名:パーティーの客。藤子・F作品の映画にトキワ荘の仲間たちとカメオ出演。
== 登場作品 ==
安孫子素雄が登場する作品。藤子不二雄時代の2人での登場は [[藤子不二雄#登場する作品]] を参照。
== 関連スポット ==
=== [[氷見市潮風ギャラリー]] ===
氷見市内にある藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}の[[マンガミュージアム]]。
=== 藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}まんがワールド ===
安孫子の生家である光禅寺の最寄りに当たる氷見市比美町商店街は1992年(平成4年)の「忍者ハットリくん[[からくり時計|カラクリ時計]]」設置を機に「忍者ハットリくんや仲間たちに出会える街」をモットーとして町おこしを行っている。藤子{{Unicode|Ⓐ}}作品のキャラクターのモニュメントやアートが多数存在する「まんがロード」が整備され、商店街内にある「[[氷見市潮風ギャラリー]]」では、藤子不二雄Ⓐアートコレクションとして数多くの作品や原画などを展示紹介を行い観光客を集めている<ref>[https://fujikoworld.com/ 藤子{{Unicode|Ⓐ}}ワールド氷見市比美町商店街]</ref>。光禅寺入口にはキャラクターの石像4体があり<ref>「待ってるでござる」つままの会 キャラクター像清掃『北日本新聞』2018年5月3日25面</ref>、[[西日本旅客鉄道|JR]][[氷見駅]]から[[北の橋 (上庄川)|北の橋]](藤子{{Unicode|Ⓐ}}キャラクターブリッジ)までの一帯が「'''[[氷見市藤子不二雄Aまんがワールド|氷見市藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}まんがワールド]]'''」の名称で観光地区として整備されている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[藤子不二雄]]
* [[藤子スタジオ]]
* [[藤子・F・不二雄]]
* [[藤子・F・不二雄プロ]]
* [[スタジオゼロ]]
* [[トキワ荘]]
* [[氷見市潮風ギャラリー]]
* [[ひみキトキトまんが道大賞]]
* [[バッファロー吾郎A]]([[バッファロー吾郎]]) - [[お笑いタレント|芸人]]。以前から藤子不二雄Aを尊敬しており、2011年11月24日の誕生日の機に本名から現在の芸名にリニューアルした。
== 外部リンク ==
* {{NHK人物録|D0009072665_00000|藤子不二雄Ⓐ}}
* [https://www.asahi.com/articles/ASNDR3CD6NDJPISC01D.html ドラえもん・鬼滅読まない訳は…藤子Aさん曲折の漫画道] [[朝日新聞デジタル]](2020年12月31日)※インタビュー映像あり。
* [https://natalie.mu/comic/news/423440 手塚治虫のトキワ荘時代を掘り下げる企画展が明日開催、藤子不二雄Aのコメントも] コミックナタリー(2021年4月6日)
* 藤子不二雄(A)さんインタビュー(文春オンライン, 2021年7月7日)
** [https://bunshun.jp/articles/-/46354 #1]
** [https://bunshun.jp/articles/-/46355 #2]
* [https://www.asahi.com/articles/ASQB05T5CQB0UCVL03V.html 「何だおまえ、どこ行っちゃったんだ」 藤子不二雄Aさんお別れの会] 朝日新聞デジタル(2022年10月31日)
{{藤子不二雄}}
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4,899 | 大学一覧 | 大学一覧(だいがくいちらん)は、大学に関する各種の一覧を集めたものである。 | [
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== 種別 ==
* [[中世大学]]
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* [[国立大学]] - [[公立大学]] - [[私立大学]]
* [[旧制大学]] - [[旧制専門学校]] - [[旧外地の高等教育機関]] - [[新制大学]]
* [[研究大学]]
* [[コミュニティ・カレッジ]]
* [[リベラル・アーツ・カレッジ]]
* [[大学院大学]]
* [[教育大学|師範学校]]
== 地域 ==
* [[各国の大学一覧]]
* [[世界の大規模大学の一覧]]
* [[日本の大学一覧]]
* [[日本の大学一覧 (五十音順)]]
== その他 ==
* [[国際連合大学]]
*: 国際連合大学は、[[国際連合総会]]の同大学憲章採択決議によって設立された[[シンクタンク]]である。「国連大学」と略称されることもある。本部を[[東京都]]においている。[[学校教育法]]上の「[[大学]]」ではないが、「国際連合大学本部に関する国際連合と日本国との間の協定の実施に伴う特別措置法」(昭和五十一年六月二十二日法律第七十二号)第三条3によって「大学」の名称を名乗ることが認められている。また、その学位も、日本の大学で授与される学位に相当するものとされている。
==関連項目==
* [[学制改革]]
* [[外国大学の日本校]]
==外部リンク==
* [http://www.arwu.org/ arwu(上海交通大学高等教育研究所による世界大学ランキング)]
* [https://www.topuniversities.com/ QS TopUniversities: Incorporating the THES - QS World University Rankings(Quacquarelli Symondsによるランキング)]
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[[Category:大学の一覧|*]]
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4,900 | 藤子・F・不二雄 | 藤子・F・不二雄(ふじこ・エフ・ふじお、1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉9月23日)は、日本の漫画家。富山県高岡市定塚町出身。富山県立高岡工芸高等学校電気科卒。本名は藤本 弘(ふじもと ひろし)。数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄A)とともに藤子不二雄として活動した。代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』、『SF短編』シリーズである。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。
本人の話によると、大人しくて真面目で体も弱かった幼少期の藤本は、小学校で壮絶ないじめに遭い、番長格の少年から似顔絵を評価されるまで抜け出せなかった。その頃に抱いた気持ちが漫画作品にも反映されているという(『まんが道』にも描写がある)。また、阪東妻三郎などの似顔絵もこの頃描いていた。
1944年(昭和19年)に安孫子素雄と出会う。1951年(昭和26年)、安孫子とともに『毎日小学生新聞』に投稿した「天使の玉ちゃん」が採用され、高校3年生(藤本は18歳、安孫子は17歳)にして漫画家デビューを果たす。高校卒業後、製菓会社に就職するが、数日で退社した。自宅で依頼原稿と投稿原稿の執筆に専念し(夜や休日は新聞社で働いていた安孫子と共に執筆)、年内に雑誌デビューを果たす。翌1953年には初の単行本を出版。同時期に掲載された雑誌の読切で初めて「藤子不二雄」のペンネームを使用。渋る安孫子を無理やり誘って1954年に2人で上京し、プロ漫画家として本格的に活動を始めた。
2人は博学博識で、そこから生まれるユニークかつユーモア溢れるアイデアは数えきれず、低年齢の子供向け作品を中心として、『オバケのQ太郎』(合作)、『パーマン』(旧作は合作)、『ドラえもん』(藤本単独作)などの国民的な大ヒット作をいくつも生み出した(2人のコンビとしての活動の詳細については、藤子不二雄#来歴を参照)。
1987年(昭和62年)末に独立を発表し、1988年にペンネームを藤子不二雄Fに変更。1989年からは藤子・F・不二雄に改名し、「大長編ドラえもん」を中心に執筆活動を続けた。
藤本と安孫子は共に幅広いジャンルで活躍。2人共1990年代まで一貫して児童漫画を描き続けたが、1970年代にダークな作風を最も生かして大人漫画や少年漫画を多数長期連載した安孫子に対し、藤本は大人向けの短編作品などを時おり手がけながらも、『ドラえもん』を中心とした子供向け作品をメインに漫画の執筆を続けた。子供向け作品を手がけるその手腕のあざやかさは、「子供たちの夢と願望を心にくいばかりに視覚化する」ときわめて高い評価を得た。
1996年(平成8年)9月23日に62歳で死去。没後も子供漫画の名手としてのその名声は揺らいでいない。
受賞、受章など。独立前(1987年以前)は藤子不二雄#受賞歴を参照。
愛用していた鉛筆は三菱ユニのB、ペン先はゼブラのかぶらペン。整理された画面構成を好み、不必要な線が入りすぎることを嫌った。作品を単行本化する際、加筆修正、削除を行い、より完成度を高めるようにしている。
第二次世界大戦中に小学校時代を過ごした世代であり、第二次大戦終結(1945年8月15日)当時は国民学校(現・小学校)6年生であった。したがって、兵器、軍事、クーデター、革命などに関する作品も多くある。兵器に関しては子供が憧れる格好いいものと描いている描写(スネ夫のセリフなど)があるが、戦争自体への考えは世代に関係なく一貫して虚しいもの、恐るべきもの、愚かしい行為として描いている。また、ドラえもん初期には、第二次世界大戦に関するエピソードがいくつか見受けられる(疎開先での児童生活の辛さを描いた『白ゆりのような女の子』、上野動物園での動物の殺処分について触れた『ぞうとおじさん』など)。1979年発表『T・Pぼん「戦場の美少女」』では主人公たちが特攻隊員に歴史干渉をしている。1980年発表の短編『超兵器ガ壱号』では、第二次世界大戦に日本が勝利する世界を描いている。
『ドラえもん』など、SF色(特にタイムトラベルを描いた内容)の強い作品の多さなどからわかる通り、SFに対しての関心も強かった。SF短編などには、名作SFからの影響や引用が散見できる。『スター・ウォーズ』が公開され、大ブームになった時期には、『ドラえもん』の各所に『スター・ウォーズ』にちなんだネタを数多く登場させた(パロディとして描いた「天井うらの宇宙戦争」(姫はアーレ・オッカナ、ロボットはR3-D3、敵はアカンベーダー)の話のほかにも、リザーブマシンで取った映画の席が『スター・ジョーズ』であるなど。SF短編では『ある日......』と『裏町裏通り名画館』に『スター・ウォーズ』のパロディ劇中劇がある)。
大ヒットした映画『南極物語』を本来南極に住んでいた野生動物の立場から自作の中で暗に非難し(『裏町裏通り名画館』)、『大長編ドラえもん』でも環境保護を早期から唱えていた(『のび太とアニマル惑星』『のび太と雲の王国』)。
子供による、現実と自作の作品世界が混同した無邪気な質問に対しては、夢を壊さないような答えを返している。以下に例を列挙する。
作中に登場する女の子には強いこだわりがあり、女の子が登場しただけで単行本に収録する際、加筆修正を何重にも行うこともある(『21エモン』でのルナ登場シーンや、『エスパー魔美』のヌードシーンなど)。特に『ドラえもん』のアニメ化の際、しずかについての作画には多く注文した。
自作のアニメーション化の制作には、細かいチェックや要望などは特に行わなかったとされているが、代表作の『ドラえもん』については、さまざまなエピソードが残されている。帯番組時代は作画の不安定さに苦言を呈し、また原作のストック不足から製作されたアニメオリジナルエピソードの質の悪さに激怒し、健康状態の問題から新作の提供が困難になった90年代までアニメオリジナルエピソードの製作を認めなかった。1985年には自ら出向いてアニメ用デザインの製作に加わった。元シンエイ動画社長の楠部三吉郎は、映画『ドラえもん』公開後のミーティングでも決まって「面白かったですね」としか言わなかったが、シンエイ動画版『ドラえもん』が始まって少し経ったころに「私のキャラクターでお願いします」と言われたことと、『ドラえもん のび太の大魔境』完成後に「作品の出来はいいと思う」が「私の世界を理解していただいていない。監督を変えてもらえないか」と言われたことの2度(いずれも楠部との差し向かい)、アニメ版の内容について「叱られた」と記している。武田鉄矢の歌にもこだわりを持っていたらしく、映画大長編のエンディングテーマをずっと担当していた武田の降板を製作側から持ちかけられたときには強く拒絶したことが『ドラえもん大全集』にて武田本人により明かされている。最初の映画『ドラえもん のび太の恐竜』に客が入るのか不安で、公開前日に映画館の向かいのホテルに宿を取ったと大山のぶ代は記している。
晩年、小学館の児童向け学習雑誌や『コロコロコミック』などに作品が掲載される際には、「マンガの王様」というクレジットがあった。
初の専属アシスタントとして、『まいっちんぐマチコ先生』で知られるえびはら武司がいる。むぎわらしんたろう(萩原伸一)もアシスタントとして晩年の藤本を支え、一緒に劇を見たり途中でそばを食べるなどとかなり親密な関係だった。また、むぎわらが描いた漫画に細かい部分まで指導を行ったり、『ドラえもん』単行本の表紙を任せるなど、後進としても目をかけていた。
『ドラえもん』のジャイ子(ジャイアンの妹)があだ名のままで本名が明かされなかったのは、ジャイ子の本名を明かすと同じ名前の女の子が学校でいじめられるかもしれないと配慮したためである。これは藤子の死後、2006年2月19日放送のテレビ朝日系『〜ドラえもん誕生物語 藤子・F・不二雄からの手紙〜』にて関係者が告白したことにより初めて明らかになったもので、それまでは「藤子は『(ジャイ子の本名は)そのうち漫画の中で書きますよ』と答えていたが、結局書かれることがなかっただけ」と説明されていた。藤子は生前、自分の子供達に「友達がジャイ子に似ているからと言ってからかってはいけないよ」と注意していたという。
スネ夫の弟スネツグは連載初期には登場させていたものの、次第に藤子がスネツグの存在を忘れてしまい、スネ夫は一人っ子と設定された。苦肉の策として、スネ夫に弟はいるが養子に出たというエピソードが描かれている。
社交的でテレビ出演やエッセイ執筆、ゴルフなどもこなす安孫子とは対照的に、こつこつとマンガ執筆に専心していた。ゴルフは個人的にたしなんでいたが、自他ともに認める「下手の横好き」であったといい、晩年に執筆した作品の『未来の想い出』ではゴルフが下手くそな自身をモデルにした納戸理人が「藤子・F・不二雄(名前だけの登場)の方が下手だぞ!」と話す場面がある。
酒は宴席等では飲まないことが多かった。この点について楠部三吉郎は、宴席の場ではお互い緊張することになったと述べている。酒類がまったく飲めないわけではなく、自宅でブランデーを飲んでいる姿を見たとアシスタントのさとうかずひろが証言している。
ベレー帽とパイプがトレードマークであり、作中に登場する本人の似顔絵にも描かれている。ベレー帽をかぶるきっかけを作った人物は、同じくベレー帽をトレードマークとする手塚治虫ではなく、相棒の安孫子である。ある日、安孫子は知り合いからベレー帽をもらったが、あまりかぶる気にはならなかったため、それをそのまま藤本に譲った。以来彼のトレードマークになった。なお藤本は「安孫子のほうがおしゃれだから、僕より似合ったはず」と思っていたそうである。パイプについては、執筆中に撮影された写真でもくわえているものがあったが、癌を発症した晩年に医者から禁煙を命じられ、禁煙パイポを使っていたこともあった。仕事場ではベレー帽をかぶり、パイプ煙草を吹かしながら黙々と机に向かうのが日課であった。一方でベレー帽は普段は着用せず取材のときだけかぶっていたとの証言もある。
野球好きで、近鉄バファローズファンであった(『小学四年生』1971年(昭和46年)1月号で読者の質問に回答)。また鉄道ファンでもあり、鉄道模型が趣味の一つ。1983年(昭和58年)にはテレビ番組『ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅』にキャラクターと共演している。また鉄道、鉄道模型、SLなどを題材にした作品も多数存在する(SF短編『四畳半SL旅行』、『ドラえもん』「SLえんとつ」「のび太の模型鉄道」「天の川鉄道乗車券」、『ポコニャン』「ダイナミックもけい鉄道」など)。
カメラ撮影やジオラマ制作なども趣味であり、ドラえもんのひみつ道具には数多くのカメラが登場するほか、ジオラマ制作について事細かに極意を解いたマニアックな話も登場する。藤本は、ひみつ道具のアイディアをひねり出すヒントの一つに「自分の好きなものをモチーフにする」というのがあり、その一例としてカメラを採り上げていた。そのほか、特撮、プラモデル、ラジコンなどホビー関連に造詣が深い。
恐竜についての造詣の深さでも知られ、仕事机には始祖鳥の化石のレプリカやティラノサウルスのプラモデル、果てには本物のディプロドクスの尾の骨までが飾られていたという。過去にアシスタントのむぎわらしんたろうが翼竜のイラストのペン入れを行ったところ、一瞥して即座に「腕の関節がおかしい!」と指摘したこともある。恐竜に関する関心の強さは作品の各所にも現れ、ドラえもん大長編第1作『のび太の恐竜』、第8作『のび太と竜の騎士』や本編の各所、『キテレツ大百科』のアニメ1988年5月29日放送回、SF短編と『T・Pぼん』などでも、恐竜をモチーフにしたエピソードは数多い。
西部劇やガンマンにも関心が強く、それに関した話も少なくない。ドラえもんののび太には射撃の才能があるエピソードが多く描かれており、またドラミとタッグを組んだ後期の話(単行本24巻「ガンファイターのび太」)や『T・Pぼん』やSF短編集(『休日のガンマン』)などで本格的なスタイルのガンマンたちを描いている。安孫子(藤子A)、鈴木伸一、つのだじろうとともに8mmカメラで西部劇を撮影したこともある。
落語ファンでもあり、特に古今亭志ん生を好み、ときには落語のネタを自作の中で用いることもあった。
食の面では特に肉を好み、大根だけは苦手だった。いくつかの作品に登場するキャラクター小池さんと同様に、好きな食べ物は「インスタントラーメン(特にチキンラーメン)」であると語っていた。小池さんのモデルである鈴木伸一は、自分よりも藤本の方がずっとラーメン好きだったと語っている。お湯をかけるだけで食べられるという点が「魔法のよう」であると言い、旧スタジオゼロの屋上でインスタントラーメンを食べているグラフが撮影されたこともある。
イタズラ好きで、トキワ荘の住人にたくさんのイタズラをした。赤塚や石ノ森などから仕返しをくらうことも度々だったという。
妻・藤本正子と3人の娘(長女・土屋匡美(つちや まさみ)、次女・勝又日子(かつまた じつこ)、三女・藤本地子(ふじもと くにこ))がいる。娘によれば、藤本は平均睡眠時間4時間という忙しさの中でも、家族と一緒の時間をできるだけ取るように心がけた人だったという。
スタジオゼロの社長を務めたときは、社員数80人を抱える企業に成長していたため、専務が独断で社長専用車として中古のリンカーン・コンチネンタルを購入し、お抱えの運転手も雇った。しかし、小田急での電車通勤に慣れた藤本は驚き、送迎を辞退したため、運転手はすぐに辞め、リンカーン・コンチネンタルは年に数回の稼働に留まったという。購入価格は300万円であったが、スタジオゼロ解散時には10分の1の価格で手放している。
上京したころ、当時死亡率第1位だった結核にかかったことがあったが、気力で回復したという。
1986年に検査入院で胃癌が見つかる。藤本に病名は告知されず、安孫子、藤子スタジオのスタッフ、編集者らにも本当の病名は伏せられており、知っているのは藤本の妻の正子だけだったが、後に正子は「あれだけ本を読んでいた人ですから、自分がガンであることはわかっていたように思います。けれど、彼は最後まで何も言いませんでした」と語っている。藤本は自分の病状の重さについて仕事の関係者にはまったく話さなかった。藤本はこれ以降、何かと体調を崩すようになっていた。
1991年には肝臓癌が見つかり、当時『コロコロコミック』で連載していた大長編ドラえもん作品「のび太と雲の王国」が中断し、藤子プロによる絵物語(ビジュアルストーリー)を掲載する事態となった。
藤本は安孫子と同様、手塚治虫の『新寶島』(1947年)に強い衝撃を受け漫画家を本格的に志し、生涯を通じて手塚を最大の師と尊敬し続けた。
藤本と安孫子がはじめて読んだ手塚作品は『マァチャンの日記帳』(1946年)、藤本が中学時代に衝撃を受けた手塚作品として頻繁に語っているのは『地底国の怪人』(1948年)である。
中学から高校時代の藤本は、安孫子と頻繁に書店を訪ね、刊行されたばかりの手塚作品の初版本をほぼすべて買い集めていた。また藤本は手塚の漫画を感激のあまり誰彼となく見せて歩き、必ず相手が読み終わるまでそばにいて反応を見ていた。ただし期待通りに相手が面白がってくれないと「こいつ鈍いんじゃないのか」と不満だったという。
藤本は15歳のときに手塚にファンレターを出し、その返事が16歳のとき(1950年3月18日)に届いた。そのハガキには「しっかりしたタッチで将来がたのしみです」と手塚の直筆で書かれており、ますますファンになったという。藤本はそのハガキを生涯大事に保管した。藤子・F・不二雄ミュージアムの設立後は、同施設にて管理されている(複製品を展示)。
高校卒業後はいったん就職することに決めるが、漫画家への夢を諦めたわけではなかった。卒業式を終えた後の春休みに、藤本と安孫子は手塚治虫に会うために宝塚を訪れた。藤本は高校を卒業して漫画家としてやっていけるか不安だったが(藤本と安孫子は当時、プロデビュー作『天使の玉ちゃん』を連載中だった)、手塚から「君たちならやっていけると思う」と言われたことでプロ漫画家として本格的に活動することを決意したという。当時を想起して、藤本は「夢のような声をかけてくれた」と語っている。
宝塚で手塚と初対面した1952年春の時点で、2人が連載中の『天使の玉ちゃん』で使っていたペンネームは「あびこもとお・ふじもとひろし」だった。また、同じ時期にアマチュアとして投稿を行っていた漫画作品で使用していたペンネームは「手塚不二雄」だった。
1952年11月の雜誌デビュー作『西部のどこかで』から1953年7月の描き下ろし単行本『UTOPIA 最後の世界大戦』までは「足塚不二雄」のペンネームを使用した。「手塚不二雄」では気が引けるので「手」を「足」にしたという。上京するまでの藤本と安孫子の漫画作品は、手塚の影響を強く受けた絵柄となっているものが多い。
1954年10月30日に、藤本と安孫子はトキワ荘の14号室に転居した。14号室には直前まで手塚が住んでおり、手塚は2人のためにトキワ荘の敷金3万円を肩代わりし(藤子は2年後に返済)、漫画を描くための机を残した。1955年12月に藤本は隣の15号室に転居するが、それまでの1年強の間は手塚が使っていた机で漫画を描いていたことになる。この机は現在、安孫子の生家の光善寺に保管されている。
その後も藤本は漫画の描き方の本や自伝などで頻繁に手塚作品への特別な思いを述べており、「いつか手塚先生のような壮大な作風にも挑戦してみたい気持ちもある」とも語っていた。
手塚を信奉するあまり、『コロコロ』初代編集長の千葉和治が手塚への批判を漏らすと、千葉を1週間近く事務所に出入りさせなかったという。
1989年(平成元年)に手塚が死去した際、藤本は「『新宝島』が世に出た1947年をもって元号は手塚元年にしたいと思っているほどです」とまで称えた。
『週刊少年サンデー』での連載において、日本中に大ブームを起こした『オバケのQ太郎』(1964年。合作)の後、藤本は同様のヒット作を期待される身となった。オバQは漫画、アニメ共にまだ人気だったにもかかわらず、キャラクター商品の売上が落ち着いたことから次回作への切り換えを求められ、漫画連載とアニメ放送が『パーマン』(1966年。藤本メインの合作)に順次切り替わり、オバQほどではなかったが一定の人気を獲得するヒット作となった。アニメ放送は1年ごとに放送タイトルを変更する計画になっており、次作には『怪物くん』(安孫子単独作)が選ばれたため、藤本は藤子不二雄の表看板を担う立場から外れ、『週刊少年サンデー』での次作『21エモン』(1968年)ではテレビ向けを意識せずに自由に筆をふるうことができたが大きな人気は獲得できず連載は終了。その次の連載の『ウメ星デンカ』(『週刊少年サンデー』での連載は1969年2月開始)は『怪物くん』の後を継いでアニメ化されるも、わずか半年で終了してしまう(アニメ放送の詳細は藤子不二雄のアニメ作品を参照)。
藤本が重役を務めるアニメ制作会社スタジオゼロは『パーマン』からアニメ制作の一部を担当し、約80人の社員を擁する大会社に成長。アニメ『怪物くん』が放送開始された1968年4月から藤本は社長を務めていたが、アニメ『ウメ星デンカ』が短期終了した1969年9月で社長を退任。連続アニメの仕事が途絶えたスタジオゼロは、1969年末に実質的に解散してしまう(10人ほどのスタッフを残しCM等の短い作品を作るアニメスタジオとして存続)。
藤子スタジオもえびはら武司などの一部のアシスタントを除いて、『怪物くん』(1965年)、『黒ィせぇるすまん』(1969年)といったヒット作をはじめ、『ビリ犬』(1968年)、『黒ベエ』、『仮面太郎』、『狂人軍』(1969年)等の多数の連載作を抱えて多忙を極める安孫子の方を中心に手伝うようになった(藤本と安孫子の連載の変遷は藤子不二雄の連載一覧を参照)。
1969年に「週刊少年サンデー」の編集長から「人気キャラクターのゴンスケをサラリーマンにした新連載」を提案されたが、賛同できなかった藤本は「サンデー作家陣から外してもらうほかない」という返事の手紙を送ることとなる。
同年、青年誌の『ビッグコミック』から藤本に執筆依頼が来た。当初、藤本は「自分は児童向け作家だから」と断ったが、編集者の熱心な要望により渋々引き受けることにした。そこで描かれ、9月に発表されたのが短編『ミノタウロスの皿』である。この作品は編集部でも好評であり、「自分にもこんなものが書けるのかという、新しいオモチャを手に入れたような喜びがありました」と語っている。
同年8月、『ウメ星デンカ』の『週刊少年サンデー』(小学館)での連載を終了した藤本は、新創刊の週刊少年誌『週刊ぼくらマガジン』(講談社)で『21エモン』の続きを描くことを決意。11月に『モジャ公』の連載を開始した。
同年12月からは小学館の学年誌にて『ドラえもん』の連載を開始。しかし、どちらも不評ではないものの、ヒット作と呼べるるほどの人気は得られない状態で、『モジャ公』の連載は1970年夏には終了した。
『ドラえもん』について、藤本は不満げに「もう少し人気が出てもいいのに...」とぼやいていたという。『ドラえもん』は1973年にアニメ化されるも半年で終了。それにともない、編集部やスタジオにも連載終了の雰囲気が漂い始めた。しかし、1974年に発売された単行本全6巻がベストセラーとなり続刊。1978年には累計1,500万部を売り上げ、日本のみならず海外でも話題となる。そして1979年に再びアニメ化。大幅なリニューアルが行われながらも現在まで続く長寿アニメとなる。翌1980年には劇場映画第1作『のび太の恐竜』が公開され、配給収入15億5,000万円を記録する大ヒットとなる。これらの成功により人気は決定的なものとなり、『ドラえもん』は藤本のみならず、日本を代表する国民的作品となった。
1996年(平成8年)9月20日、家族が夕飯の準備を告げるといつものように仕事部屋から返事があった。しかし、いつまで経っても食卓にやって来なかったため娘が仕事場へ呼びにいったところ、机に向かったまま意識を失っているところを発見した。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の連載第3回を執筆中だったという。そのまま病院に搬送されたが、意識が回復することなく3日後の9月23日午前2時10分、東京都新宿区の慶應義塾大学病院で肝不全のためその生涯を閉じた。62歳没。
自身も以前から先が長くないことを自覚していたようで、『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の大筋を執筆前に芝山努に教えていたり、死後の自身の作品の行方や、藤子プロの活動などに対して心配を寄せている内容を書いたメモをスタッフに残していた。また、次女の日子が同月に出産を控えており、産まれてくる孫に会えないと自覚していたため、「おまけの金一封」という産まれてきた孫に渡すための出産祝いも事前に用意しており、妻に託していた。その出産祝いは、藤本亡き後、日子と産まれた孫に渡されている。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の漫画は萩原伸一(現・むぎわらしんたろう)が執筆を引き継ぎ、藤本の下描きや原案をもとに完成に漕ぎ着けている。
安孫子(藤子不二雄A)は仮通夜にて、「気持ちは混乱していまして、正直言って今朝からずっと足ががたがた震えてて、すごく残念でしょうがないんです。彼はたいへんな天才だったと思うんですね、僕なんか彼がいたから漫画家になれたようなものでね。すごくピュアな気持ちの男だったんですね」と語った。また、『愛...しりそめし頃に...』の連載中に亡くなったことを受け、追悼として読切作品「さらば友よ」を執筆した。
1996年(平成8年)9月29日、上野寛永寺で挙行された葬儀には多くの人が参列し、出棺の時には「ありがとう弘さん」と大勢の人に見送られた。大山のぶ代は、葬儀のときに「本当のお葬式の日、ドラえもん、のび太君、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫、ママ、パパみんなで先生を送りたいと思います」と涙をこぼしながら語った。その後、遺体は荒川区の町屋斎場にて荼毘に付された。また、葬儀の日9月29日には、追悼特番として『ドラえもん のび太の日本誕生』がテレビ朝日系列で放送された。
なお、訃報に際して、長きにわたって映画ドラえもんシリーズの主題歌を制作していた武田鉄矢は、1996年(平成8年)公開『のび太と銀河超特急』を最後に主題歌制作から外れた。
※「★」印が付いている作品は安孫子素雄との合作。
藤子・F・不二雄が生涯描いたまんがの総ページ数は約46000ページ、約3500話である。
小学館の児童向け学習雑誌や『コロコロコミック』で児童向け漫画を描く一方、『ビッグコミック』などで大人向けのSF短篇漫画も多く描いた。
藤本は自身の短編集のタイトルに冠せられる「SF」について、「SUKOSHI FUSHIGIな物語の意味です」と『藤子不二雄SF短編集 第1巻 ひとりぼっちの宇宙戦争』(1983年)のカバーに記載している。『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第1巻』(1987年)のまえがきでは「SFといっても、(中略)どっちかと言えばF(フィクション)の部分に重点が置かれ、S(サイエンス)についてはかなり弱いのです」「SF風現代アラビアンナイトとでも受け取っていただければ幸いです」と述べている。収録されている短編の中にはサイエンス要素が薄いものや、サイエンス要素がまったくないものも含まれることから、書名内の「SF」を「サイエンス・フィクション」と捉えないように注意をうながすための記述だといえる。
藤本の短編作は1つの突飛なアイデアを発端にして描かれた「アイデアSF」と呼ばれるタイプのものが多い。日常の中に非日常が飛び込んでくる内容の作品もその一種である。その一方で、ハードなサイエンス・フィクションの流れを汲む作品も多数あり、作風はバラエティに富んでいる。
幼年漫画では愛玩動物的なキャラクター性のある不思議な能力を持った主人公と一緒に暮らす冴えない少年、ヒロインの少女1名、そしてケンカの強いガキ大将とその腰巾着という設定が多い。
異なる作品同士の作中の世界がリンクしていることもあり、キャラクターが越境して別作品に登場したり、作品の後日談や前史が別作品で語られることもある。その詳細は作品別のリンク先で記す。
藤本は高校時代、安孫子とともに『漫画少年』『北日本新聞』『キング』『アサヒグラフ』などにコマ漫画の投稿を行っていた。当初、投稿は2人別々に行っていたが、1950年の末には大人漫画の投稿を「手塚不二雄」という同一のペンネームで行うことを決め、コマ漫画の投稿は次第に同一ペンネームでの投稿のみに移行していった。以下の藤本の投稿作品の一部のリストを見ると、『漫画少年』への投稿のみ本名を使い続け、他の媒体では「手塚不二雄」に移行したことが分かる(例外は『死なばもろとも』。詳細とさらに多くの作品のタイトルは藤子不二雄#1950を参照)。
など多数
1968年(昭和43年)から1995年(平成7年)にかけて、112作のSF短編読み切りを発表。
藤子不二雄時代のこの他の作詞曲は 藤子不二雄#作詞 を参照。
出典:
藤子・F・不二雄本人によるメディア出演。
藤子不二雄時代の2人での出演は 藤子不二雄#出演 を参照。
藤本弘が登場する作品。
藤子不二雄時代の2人での登場は 藤子不二雄#登場する作品 を参照。
※1988年の独立後の作画スタッフ。 | [
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"text": "藤子・F・不二雄(ふじこ・エフ・ふじお、1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉9月23日)は、日本の漫画家。富山県高岡市定塚町出身。富山県立高岡工芸高等学校電気科卒。本名は藤本 弘(ふじもと ひろし)。数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄A)とともに藤子不二雄として活動した。代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』、『SF短編』シリーズである。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。",
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"text": "本人の話によると、大人しくて真面目で体も弱かった幼少期の藤本は、小学校で壮絶ないじめに遭い、番長格の少年から似顔絵を評価されるまで抜け出せなかった。その頃に抱いた気持ちが漫画作品にも反映されているという(『まんが道』にも描写がある)。また、阪東妻三郎などの似顔絵もこの頃描いていた。",
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"text": "1944年(昭和19年)に安孫子素雄と出会う。1951年(昭和26年)、安孫子とともに『毎日小学生新聞』に投稿した「天使の玉ちゃん」が採用され、高校3年生(藤本は18歳、安孫子は17歳)にして漫画家デビューを果たす。高校卒業後、製菓会社に就職するが、数日で退社した。自宅で依頼原稿と投稿原稿の執筆に専念し(夜や休日は新聞社で働いていた安孫子と共に執筆)、年内に雑誌デビューを果たす。翌1953年には初の単行本を出版。同時期に掲載された雑誌の読切で初めて「藤子不二雄」のペンネームを使用。渋る安孫子を無理やり誘って1954年に2人で上京し、プロ漫画家として本格的に活動を始めた。",
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"text": "2人は博学博識で、そこから生まれるユニークかつユーモア溢れるアイデアは数えきれず、低年齢の子供向け作品を中心として、『オバケのQ太郎』(合作)、『パーマン』(旧作は合作)、『ドラえもん』(藤本単独作)などの国民的な大ヒット作をいくつも生み出した(2人のコンビとしての活動の詳細については、藤子不二雄#来歴を参照)。",
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"text": "1987年(昭和62年)末に独立を発表し、1988年にペンネームを藤子不二雄Fに変更。1989年からは藤子・F・不二雄に改名し、「大長編ドラえもん」を中心に執筆活動を続けた。",
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"text": "藤本と安孫子は共に幅広いジャンルで活躍。2人共1990年代まで一貫して児童漫画を描き続けたが、1970年代にダークな作風を最も生かして大人漫画や少年漫画を多数長期連載した安孫子に対し、藤本は大人向けの短編作品などを時おり手がけながらも、『ドラえもん』を中心とした子供向け作品をメインに漫画の執筆を続けた。子供向け作品を手がけるその手腕のあざやかさは、「子供たちの夢と願望を心にくいばかりに視覚化する」ときわめて高い評価を得た。",
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"text": "1996年(平成8年)9月23日に62歳で死去。没後も子供漫画の名手としてのその名声は揺らいでいない。",
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"text": "受賞、受章など。独立前(1987年以前)は藤子不二雄#受賞歴を参照。",
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"text": "愛用していた鉛筆は三菱ユニのB、ペン先はゼブラのかぶらペン。整理された画面構成を好み、不必要な線が入りすぎることを嫌った。作品を単行本化する際、加筆修正、削除を行い、より完成度を高めるようにしている。",
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"text": "第二次世界大戦中に小学校時代を過ごした世代であり、第二次大戦終結(1945年8月15日)当時は国民学校(現・小学校)6年生であった。したがって、兵器、軍事、クーデター、革命などに関する作品も多くある。兵器に関しては子供が憧れる格好いいものと描いている描写(スネ夫のセリフなど)があるが、戦争自体への考えは世代に関係なく一貫して虚しいもの、恐るべきもの、愚かしい行為として描いている。また、ドラえもん初期には、第二次世界大戦に関するエピソードがいくつか見受けられる(疎開先での児童生活の辛さを描いた『白ゆりのような女の子』、上野動物園での動物の殺処分について触れた『ぞうとおじさん』など)。1979年発表『T・Pぼん「戦場の美少女」』では主人公たちが特攻隊員に歴史干渉をしている。1980年発表の短編『超兵器ガ壱号』では、第二次世界大戦に日本が勝利する世界を描いている。",
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"text": "『ドラえもん』など、SF色(特にタイムトラベルを描いた内容)の強い作品の多さなどからわかる通り、SFに対しての関心も強かった。SF短編などには、名作SFからの影響や引用が散見できる。『スター・ウォーズ』が公開され、大ブームになった時期には、『ドラえもん』の各所に『スター・ウォーズ』にちなんだネタを数多く登場させた(パロディとして描いた「天井うらの宇宙戦争」(姫はアーレ・オッカナ、ロボットはR3-D3、敵はアカンベーダー)の話のほかにも、リザーブマシンで取った映画の席が『スター・ジョーズ』であるなど。SF短編では『ある日......』と『裏町裏通り名画館』に『スター・ウォーズ』のパロディ劇中劇がある)。",
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"text": "大ヒットした映画『南極物語』を本来南極に住んでいた野生動物の立場から自作の中で暗に非難し(『裏町裏通り名画館』)、『大長編ドラえもん』でも環境保護を早期から唱えていた(『のび太とアニマル惑星』『のび太と雲の王国』)。",
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"text": "子供による、現実と自作の作品世界が混同した無邪気な質問に対しては、夢を壊さないような答えを返している。以下に例を列挙する。",
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"text": "作中に登場する女の子には強いこだわりがあり、女の子が登場しただけで単行本に収録する際、加筆修正を何重にも行うこともある(『21エモン』でのルナ登場シーンや、『エスパー魔美』のヌードシーンなど)。特に『ドラえもん』のアニメ化の際、しずかについての作画には多く注文した。",
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"text": "自作のアニメーション化の制作には、細かいチェックや要望などは特に行わなかったとされているが、代表作の『ドラえもん』については、さまざまなエピソードが残されている。帯番組時代は作画の不安定さに苦言を呈し、また原作のストック不足から製作されたアニメオリジナルエピソードの質の悪さに激怒し、健康状態の問題から新作の提供が困難になった90年代までアニメオリジナルエピソードの製作を認めなかった。1985年には自ら出向いてアニメ用デザインの製作に加わった。元シンエイ動画社長の楠部三吉郎は、映画『ドラえもん』公開後のミーティングでも決まって「面白かったですね」としか言わなかったが、シンエイ動画版『ドラえもん』が始まって少し経ったころに「私のキャラクターでお願いします」と言われたことと、『ドラえもん のび太の大魔境』完成後に「作品の出来はいいと思う」が「私の世界を理解していただいていない。監督を変えてもらえないか」と言われたことの2度(いずれも楠部との差し向かい)、アニメ版の内容について「叱られた」と記している。武田鉄矢の歌にもこだわりを持っていたらしく、映画大長編のエンディングテーマをずっと担当していた武田の降板を製作側から持ちかけられたときには強く拒絶したことが『ドラえもん大全集』にて武田本人により明かされている。最初の映画『ドラえもん のび太の恐竜』に客が入るのか不安で、公開前日に映画館の向かいのホテルに宿を取ったと大山のぶ代は記している。",
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"text": "晩年、小学館の児童向け学習雑誌や『コロコロコミック』などに作品が掲載される際には、「マンガの王様」というクレジットがあった。",
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"text": "初の専属アシスタントとして、『まいっちんぐマチコ先生』で知られるえびはら武司がいる。むぎわらしんたろう(萩原伸一)もアシスタントとして晩年の藤本を支え、一緒に劇を見たり途中でそばを食べるなどとかなり親密な関係だった。また、むぎわらが描いた漫画に細かい部分まで指導を行ったり、『ドラえもん』単行本の表紙を任せるなど、後進としても目をかけていた。",
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"text": "『ドラえもん』のジャイ子(ジャイアンの妹)があだ名のままで本名が明かされなかったのは、ジャイ子の本名を明かすと同じ名前の女の子が学校でいじめられるかもしれないと配慮したためである。これは藤子の死後、2006年2月19日放送のテレビ朝日系『〜ドラえもん誕生物語 藤子・F・不二雄からの手紙〜』にて関係者が告白したことにより初めて明らかになったもので、それまでは「藤子は『(ジャイ子の本名は)そのうち漫画の中で書きますよ』と答えていたが、結局書かれることがなかっただけ」と説明されていた。藤子は生前、自分の子供達に「友達がジャイ子に似ているからと言ってからかってはいけないよ」と注意していたという。",
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"text": "スネ夫の弟スネツグは連載初期には登場させていたものの、次第に藤子がスネツグの存在を忘れてしまい、スネ夫は一人っ子と設定された。苦肉の策として、スネ夫に弟はいるが養子に出たというエピソードが描かれている。",
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"text": "社交的でテレビ出演やエッセイ執筆、ゴルフなどもこなす安孫子とは対照的に、こつこつとマンガ執筆に専心していた。ゴルフは個人的にたしなんでいたが、自他ともに認める「下手の横好き」であったといい、晩年に執筆した作品の『未来の想い出』ではゴルフが下手くそな自身をモデルにした納戸理人が「藤子・F・不二雄(名前だけの登場)の方が下手だぞ!」と話す場面がある。",
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"text": "酒は宴席等では飲まないことが多かった。この点について楠部三吉郎は、宴席の場ではお互い緊張することになったと述べている。酒類がまったく飲めないわけではなく、自宅でブランデーを飲んでいる姿を見たとアシスタントのさとうかずひろが証言している。",
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"text": "ベレー帽とパイプがトレードマークであり、作中に登場する本人の似顔絵にも描かれている。ベレー帽をかぶるきっかけを作った人物は、同じくベレー帽をトレードマークとする手塚治虫ではなく、相棒の安孫子である。ある日、安孫子は知り合いからベレー帽をもらったが、あまりかぶる気にはならなかったため、それをそのまま藤本に譲った。以来彼のトレードマークになった。なお藤本は「安孫子のほうがおしゃれだから、僕より似合ったはず」と思っていたそうである。パイプについては、執筆中に撮影された写真でもくわえているものがあったが、癌を発症した晩年に医者から禁煙を命じられ、禁煙パイポを使っていたこともあった。仕事場ではベレー帽をかぶり、パイプ煙草を吹かしながら黙々と机に向かうのが日課であった。一方でベレー帽は普段は着用せず取材のときだけかぶっていたとの証言もある。",
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"text": "野球好きで、近鉄バファローズファンであった(『小学四年生』1971年(昭和46年)1月号で読者の質問に回答)。また鉄道ファンでもあり、鉄道模型が趣味の一つ。1983年(昭和58年)にはテレビ番組『ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅』にキャラクターと共演している。また鉄道、鉄道模型、SLなどを題材にした作品も多数存在する(SF短編『四畳半SL旅行』、『ドラえもん』「SLえんとつ」「のび太の模型鉄道」「天の川鉄道乗車券」、『ポコニャン』「ダイナミックもけい鉄道」など)。",
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"text": "カメラ撮影やジオラマ制作なども趣味であり、ドラえもんのひみつ道具には数多くのカメラが登場するほか、ジオラマ制作について事細かに極意を解いたマニアックな話も登場する。藤本は、ひみつ道具のアイディアをひねり出すヒントの一つに「自分の好きなものをモチーフにする」というのがあり、その一例としてカメラを採り上げていた。そのほか、特撮、プラモデル、ラジコンなどホビー関連に造詣が深い。",
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"text": "恐竜についての造詣の深さでも知られ、仕事机には始祖鳥の化石のレプリカやティラノサウルスのプラモデル、果てには本物のディプロドクスの尾の骨までが飾られていたという。過去にアシスタントのむぎわらしんたろうが翼竜のイラストのペン入れを行ったところ、一瞥して即座に「腕の関節がおかしい!」と指摘したこともある。恐竜に関する関心の強さは作品の各所にも現れ、ドラえもん大長編第1作『のび太の恐竜』、第8作『のび太と竜の騎士』や本編の各所、『キテレツ大百科』のアニメ1988年5月29日放送回、SF短編と『T・Pぼん』などでも、恐竜をモチーフにしたエピソードは数多い。",
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"text": "西部劇やガンマンにも関心が強く、それに関した話も少なくない。ドラえもんののび太には射撃の才能があるエピソードが多く描かれており、またドラミとタッグを組んだ後期の話(単行本24巻「ガンファイターのび太」)や『T・Pぼん』やSF短編集(『休日のガンマン』)などで本格的なスタイルのガンマンたちを描いている。安孫子(藤子A)、鈴木伸一、つのだじろうとともに8mmカメラで西部劇を撮影したこともある。",
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"text": "落語ファンでもあり、特に古今亭志ん生を好み、ときには落語のネタを自作の中で用いることもあった。",
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"text": "食の面では特に肉を好み、大根だけは苦手だった。いくつかの作品に登場するキャラクター小池さんと同様に、好きな食べ物は「インスタントラーメン(特にチキンラーメン)」であると語っていた。小池さんのモデルである鈴木伸一は、自分よりも藤本の方がずっとラーメン好きだったと語っている。お湯をかけるだけで食べられるという点が「魔法のよう」であると言い、旧スタジオゼロの屋上でインスタントラーメンを食べているグラフが撮影されたこともある。",
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"text": "イタズラ好きで、トキワ荘の住人にたくさんのイタズラをした。赤塚や石ノ森などから仕返しをくらうことも度々だったという。",
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"text": "妻・藤本正子と3人の娘(長女・土屋匡美(つちや まさみ)、次女・勝又日子(かつまた じつこ)、三女・藤本地子(ふじもと くにこ))がいる。娘によれば、藤本は平均睡眠時間4時間という忙しさの中でも、家族と一緒の時間をできるだけ取るように心がけた人だったという。",
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"text": "スタジオゼロの社長を務めたときは、社員数80人を抱える企業に成長していたため、専務が独断で社長専用車として中古のリンカーン・コンチネンタルを購入し、お抱えの運転手も雇った。しかし、小田急での電車通勤に慣れた藤本は驚き、送迎を辞退したため、運転手はすぐに辞め、リンカーン・コンチネンタルは年に数回の稼働に留まったという。購入価格は300万円であったが、スタジオゼロ解散時には10分の1の価格で手放している。",
"title": "人物"
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"paragraph_id": 32,
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"text": "上京したころ、当時死亡率第1位だった結核にかかったことがあったが、気力で回復したという。",
"title": "人物"
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{
"paragraph_id": 33,
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"text": "1986年に検査入院で胃癌が見つかる。藤本に病名は告知されず、安孫子、藤子スタジオのスタッフ、編集者らにも本当の病名は伏せられており、知っているのは藤本の妻の正子だけだったが、後に正子は「あれだけ本を読んでいた人ですから、自分がガンであることはわかっていたように思います。けれど、彼は最後まで何も言いませんでした」と語っている。藤本は自分の病状の重さについて仕事の関係者にはまったく話さなかった。藤本はこれ以降、何かと体調を崩すようになっていた。",
"title": "人物"
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"text": "1991年には肝臓癌が見つかり、当時『コロコロコミック』で連載していた大長編ドラえもん作品「のび太と雲の王国」が中断し、藤子プロによる絵物語(ビジュアルストーリー)を掲載する事態となった。",
"title": "人物"
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"text": "",
"title": "人物"
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{
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"text": "藤本は安孫子と同様、手塚治虫の『新寶島』(1947年)に強い衝撃を受け漫画家を本格的に志し、生涯を通じて手塚を最大の師と尊敬し続けた。",
"title": "手塚治虫との関係"
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"text": "藤本と安孫子がはじめて読んだ手塚作品は『マァチャンの日記帳』(1946年)、藤本が中学時代に衝撃を受けた手塚作品として頻繁に語っているのは『地底国の怪人』(1948年)である。",
"title": "手塚治虫との関係"
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"text": "中学から高校時代の藤本は、安孫子と頻繁に書店を訪ね、刊行されたばかりの手塚作品の初版本をほぼすべて買い集めていた。また藤本は手塚の漫画を感激のあまり誰彼となく見せて歩き、必ず相手が読み終わるまでそばにいて反応を見ていた。ただし期待通りに相手が面白がってくれないと「こいつ鈍いんじゃないのか」と不満だったという。",
"title": "手塚治虫との関係"
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"text": "藤本は15歳のときに手塚にファンレターを出し、その返事が16歳のとき(1950年3月18日)に届いた。そのハガキには「しっかりしたタッチで将来がたのしみです」と手塚の直筆で書かれており、ますますファンになったという。藤本はそのハガキを生涯大事に保管した。藤子・F・不二雄ミュージアムの設立後は、同施設にて管理されている(複製品を展示)。",
"title": "手塚治虫との関係"
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"text": "高校卒業後はいったん就職することに決めるが、漫画家への夢を諦めたわけではなかった。卒業式を終えた後の春休みに、藤本と安孫子は手塚治虫に会うために宝塚を訪れた。藤本は高校を卒業して漫画家としてやっていけるか不安だったが(藤本と安孫子は当時、プロデビュー作『天使の玉ちゃん』を連載中だった)、手塚から「君たちならやっていけると思う」と言われたことでプロ漫画家として本格的に活動することを決意したという。当時を想起して、藤本は「夢のような声をかけてくれた」と語っている。",
"title": "手塚治虫との関係"
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"text": "宝塚で手塚と初対面した1952年春の時点で、2人が連載中の『天使の玉ちゃん』で使っていたペンネームは「あびこもとお・ふじもとひろし」だった。また、同じ時期にアマチュアとして投稿を行っていた漫画作品で使用していたペンネームは「手塚不二雄」だった。",
"title": "手塚治虫との関係"
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{
"paragraph_id": 42,
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"text": "1952年11月の雜誌デビュー作『西部のどこかで』から1953年7月の描き下ろし単行本『UTOPIA 最後の世界大戦』までは「足塚不二雄」のペンネームを使用した。「手塚不二雄」では気が引けるので「手」を「足」にしたという。上京するまでの藤本と安孫子の漫画作品は、手塚の影響を強く受けた絵柄となっているものが多い。",
"title": "手塚治虫との関係"
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"text": "1954年10月30日に、藤本と安孫子はトキワ荘の14号室に転居した。14号室には直前まで手塚が住んでおり、手塚は2人のためにトキワ荘の敷金3万円を肩代わりし(藤子は2年後に返済)、漫画を描くための机を残した。1955年12月に藤本は隣の15号室に転居するが、それまでの1年強の間は手塚が使っていた机で漫画を描いていたことになる。この机は現在、安孫子の生家の光善寺に保管されている。",
"title": "手塚治虫との関係"
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"text": "その後も藤本は漫画の描き方の本や自伝などで頻繁に手塚作品への特別な思いを述べており、「いつか手塚先生のような壮大な作風にも挑戦してみたい気持ちもある」とも語っていた。",
"title": "手塚治虫との関係"
},
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"text": "手塚を信奉するあまり、『コロコロ』初代編集長の千葉和治が手塚への批判を漏らすと、千葉を1週間近く事務所に出入りさせなかったという。",
"title": "手塚治虫との関係"
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"text": "1989年(平成元年)に手塚が死去した際、藤本は「『新宝島』が世に出た1947年をもって元号は手塚元年にしたいと思っているほどです」とまで称えた。",
"title": "手塚治虫との関係"
},
{
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"text": "『週刊少年サンデー』での連載において、日本中に大ブームを起こした『オバケのQ太郎』(1964年。合作)の後、藤本は同様のヒット作を期待される身となった。オバQは漫画、アニメ共にまだ人気だったにもかかわらず、キャラクター商品の売上が落ち着いたことから次回作への切り換えを求められ、漫画連載とアニメ放送が『パーマン』(1966年。藤本メインの合作)に順次切り替わり、オバQほどではなかったが一定の人気を獲得するヒット作となった。アニメ放送は1年ごとに放送タイトルを変更する計画になっており、次作には『怪物くん』(安孫子単独作)が選ばれたため、藤本は藤子不二雄の表看板を担う立場から外れ、『週刊少年サンデー』での次作『21エモン』(1968年)ではテレビ向けを意識せずに自由に筆をふるうことができたが大きな人気は獲得できず連載は終了。その次の連載の『ウメ星デンカ』(『週刊少年サンデー』での連載は1969年2月開始)は『怪物くん』の後を継いでアニメ化されるも、わずか半年で終了してしまう(アニメ放送の詳細は藤子不二雄のアニメ作品を参照)。",
"title": "オバQブーム後の苦悩"
},
{
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"text": "藤本が重役を務めるアニメ制作会社スタジオゼロは『パーマン』からアニメ制作の一部を担当し、約80人の社員を擁する大会社に成長。アニメ『怪物くん』が放送開始された1968年4月から藤本は社長を務めていたが、アニメ『ウメ星デンカ』が短期終了した1969年9月で社長を退任。連続アニメの仕事が途絶えたスタジオゼロは、1969年末に実質的に解散してしまう(10人ほどのスタッフを残しCM等の短い作品を作るアニメスタジオとして存続)。",
"title": "オバQブーム後の苦悩"
},
{
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"tag": "p",
"text": "藤子スタジオもえびはら武司などの一部のアシスタントを除いて、『怪物くん』(1965年)、『黒ィせぇるすまん』(1969年)といったヒット作をはじめ、『ビリ犬』(1968年)、『黒ベエ』、『仮面太郎』、『狂人軍』(1969年)等の多数の連載作を抱えて多忙を極める安孫子の方を中心に手伝うようになった(藤本と安孫子の連載の変遷は藤子不二雄の連載一覧を参照)。",
"title": "オバQブーム後の苦悩"
},
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"paragraph_id": 50,
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"text": "1969年に「週刊少年サンデー」の編集長から「人気キャラクターのゴンスケをサラリーマンにした新連載」を提案されたが、賛同できなかった藤本は「サンデー作家陣から外してもらうほかない」という返事の手紙を送ることとなる。",
"title": "オバQブーム後の苦悩"
},
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"paragraph_id": 51,
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"text": "同年、青年誌の『ビッグコミック』から藤本に執筆依頼が来た。当初、藤本は「自分は児童向け作家だから」と断ったが、編集者の熱心な要望により渋々引き受けることにした。そこで描かれ、9月に発表されたのが短編『ミノタウロスの皿』である。この作品は編集部でも好評であり、「自分にもこんなものが書けるのかという、新しいオモチャを手に入れたような喜びがありました」と語っている。",
"title": "オバQブーム後の苦悩"
},
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"paragraph_id": 52,
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"text": "同年8月、『ウメ星デンカ』の『週刊少年サンデー』(小学館)での連載を終了した藤本は、新創刊の週刊少年誌『週刊ぼくらマガジン』(講談社)で『21エモン』の続きを描くことを決意。11月に『モジャ公』の連載を開始した。",
"title": "オバQブーム後の苦悩"
},
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"text": "同年12月からは小学館の学年誌にて『ドラえもん』の連載を開始。しかし、どちらも不評ではないものの、ヒット作と呼べるるほどの人気は得られない状態で、『モジャ公』の連載は1970年夏には終了した。",
"title": "オバQブーム後の苦悩"
},
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"paragraph_id": 54,
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"text": "『ドラえもん』について、藤本は不満げに「もう少し人気が出てもいいのに...」とぼやいていたという。『ドラえもん』は1973年にアニメ化されるも半年で終了。それにともない、編集部やスタジオにも連載終了の雰囲気が漂い始めた。しかし、1974年に発売された単行本全6巻がベストセラーとなり続刊。1978年には累計1,500万部を売り上げ、日本のみならず海外でも話題となる。そして1979年に再びアニメ化。大幅なリニューアルが行われながらも現在まで続く長寿アニメとなる。翌1980年には劇場映画第1作『のび太の恐竜』が公開され、配給収入15億5,000万円を記録する大ヒットとなる。これらの成功により人気は決定的なものとなり、『ドラえもん』は藤本のみならず、日本を代表する国民的作品となった。",
"title": "オバQブーム後の苦悩"
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"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "1996年(平成8年)9月20日、家族が夕飯の準備を告げるといつものように仕事部屋から返事があった。しかし、いつまで経っても食卓にやって来なかったため娘が仕事場へ呼びにいったところ、机に向かったまま意識を失っているところを発見した。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の連載第3回を執筆中だったという。そのまま病院に搬送されたが、意識が回復することなく3日後の9月23日午前2時10分、東京都新宿区の慶應義塾大学病院で肝不全のためその生涯を閉じた。62歳没。",
"title": "死去"
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{
"paragraph_id": 56,
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"text": "自身も以前から先が長くないことを自覚していたようで、『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の大筋を執筆前に芝山努に教えていたり、死後の自身の作品の行方や、藤子プロの活動などに対して心配を寄せている内容を書いたメモをスタッフに残していた。また、次女の日子が同月に出産を控えており、産まれてくる孫に会えないと自覚していたため、「おまけの金一封」という産まれてきた孫に渡すための出産祝いも事前に用意しており、妻に託していた。その出産祝いは、藤本亡き後、日子と産まれた孫に渡されている。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の漫画は萩原伸一(現・むぎわらしんたろう)が執筆を引き継ぎ、藤本の下描きや原案をもとに完成に漕ぎ着けている。",
"title": "死去"
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{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "安孫子(藤子不二雄A)は仮通夜にて、「気持ちは混乱していまして、正直言って今朝からずっと足ががたがた震えてて、すごく残念でしょうがないんです。彼はたいへんな天才だったと思うんですね、僕なんか彼がいたから漫画家になれたようなものでね。すごくピュアな気持ちの男だったんですね」と語った。また、『愛...しりそめし頃に...』の連載中に亡くなったことを受け、追悼として読切作品「さらば友よ」を執筆した。",
"title": "死去"
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{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "1996年(平成8年)9月29日、上野寛永寺で挙行された葬儀には多くの人が参列し、出棺の時には「ありがとう弘さん」と大勢の人に見送られた。大山のぶ代は、葬儀のときに「本当のお葬式の日、ドラえもん、のび太君、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫、ママ、パパみんなで先生を送りたいと思います」と涙をこぼしながら語った。その後、遺体は荒川区の町屋斎場にて荼毘に付された。また、葬儀の日9月29日には、追悼特番として『ドラえもん のび太の日本誕生』がテレビ朝日系列で放送された。",
"title": "死去"
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"paragraph_id": 59,
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"text": "なお、訃報に際して、長きにわたって映画ドラえもんシリーズの主題歌を制作していた武田鉄矢は、1996年(平成8年)公開『のび太と銀河超特急』を最後に主題歌制作から外れた。",
"title": "死去"
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"text": "※「★」印が付いている作品は安孫子素雄との合作。",
"title": "作品"
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"text": "藤子・F・不二雄が生涯描いたまんがの総ページ数は約46000ページ、約3500話である。",
"title": "作品"
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"tag": "p",
"text": "小学館の児童向け学習雑誌や『コロコロコミック』で児童向け漫画を描く一方、『ビッグコミック』などで大人向けのSF短篇漫画も多く描いた。",
"title": "作品"
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"text": "藤本は自身の短編集のタイトルに冠せられる「SF」について、「SUKOSHI FUSHIGIな物語の意味です」と『藤子不二雄SF短編集 第1巻 ひとりぼっちの宇宙戦争』(1983年)のカバーに記載している。『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第1巻』(1987年)のまえがきでは「SFといっても、(中略)どっちかと言えばF(フィクション)の部分に重点が置かれ、S(サイエンス)についてはかなり弱いのです」「SF風現代アラビアンナイトとでも受け取っていただければ幸いです」と述べている。収録されている短編の中にはサイエンス要素が薄いものや、サイエンス要素がまったくないものも含まれることから、書名内の「SF」を「サイエンス・フィクション」と捉えないように注意をうながすための記述だといえる。",
"title": "作品"
},
{
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"text": "藤本の短編作は1つの突飛なアイデアを発端にして描かれた「アイデアSF」と呼ばれるタイプのものが多い。日常の中に非日常が飛び込んでくる内容の作品もその一種である。その一方で、ハードなサイエンス・フィクションの流れを汲む作品も多数あり、作風はバラエティに富んでいる。",
"title": "作品"
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"text": "幼年漫画では愛玩動物的なキャラクター性のある不思議な能力を持った主人公と一緒に暮らす冴えない少年、ヒロインの少女1名、そしてケンカの強いガキ大将とその腰巾着という設定が多い。",
"title": "作品"
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"tag": "p",
"text": "異なる作品同士の作中の世界がリンクしていることもあり、キャラクターが越境して別作品に登場したり、作品の後日談や前史が別作品で語られることもある。その詳細は作品別のリンク先で記す。",
"title": "作品"
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{
"paragraph_id": 67,
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"text": "藤本は高校時代、安孫子とともに『漫画少年』『北日本新聞』『キング』『アサヒグラフ』などにコマ漫画の投稿を行っていた。当初、投稿は2人別々に行っていたが、1950年の末には大人漫画の投稿を「手塚不二雄」という同一のペンネームで行うことを決め、コマ漫画の投稿は次第に同一ペンネームでの投稿のみに移行していった。以下の藤本の投稿作品の一部のリストを見ると、『漫画少年』への投稿のみ本名を使い続け、他の媒体では「手塚不二雄」に移行したことが分かる(例外は『死なばもろとも』。詳細とさらに多くの作品のタイトルは藤子不二雄#1950を参照)。",
"title": "作品"
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{
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"text": "など多数",
"title": "作品"
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"text": "1968年(昭和43年)から1995年(平成7年)にかけて、112作のSF短編読み切りを発表。",
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"text": "藤子不二雄時代のこの他の作詞曲は 藤子不二雄#作詞 を参照。",
"title": "作品"
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"text": "出典:",
"title": "作品"
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"text": "",
"title": "作品"
},
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"text": "藤子・F・不二雄本人によるメディア出演。",
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"text": "藤子不二雄時代の2人での出演は 藤子不二雄#出演 を参照。",
"title": "出演"
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"text": "藤本弘が登場する作品。",
"title": "登場作品"
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"text": "藤子不二雄時代の2人での登場は 藤子不二雄#登場する作品 を参照。",
"title": "登場作品"
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"text": "※1988年の独立後の作画スタッフ。",
"title": "作画スタッフ"
}
] | 藤子・F・不二雄は、日本の漫画家。富山県高岡市定塚町出身。富山県立高岡工芸高等学校電気科卒。本名は藤本 弘。数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄Ⓐ)とともに藤子不二雄として活動した。代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』、『SF短編』シリーズである。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。 | {{Pathnav|[[藤子不二雄]]|frame=1}}
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{{Infobox 漫画家
| ふりがな = ふじこ・エフ・ふじお
| ふりがな ふじこ・エフ・ふじお</small><br />藤子・F・不二雄
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| 脚注 =
| 本名 = 藤本 弘(ふじもと ひろし)<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://dora-world.com/profile |title=藤子・F・不二雄プロフィール{{!}}ドラえもんチャンネル |access-date=2023-05-13}}</ref>
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| 職業 = [[漫画家]]
| 活動期間 = [[1951年]]- あびこもとお・ふじもとひろし<br />[[1952年]]- 足塚不二雄<br />[[1953年]]- [[藤子不二雄]]<br />[[1988年]] 藤子不二雄{{Unicode|Ⓕ}}<br />[[1989年]]-[[1996年]] 藤子・F・不二雄
| ジャンル = [[少年漫画]]<br />[[幼年漫画]]<br />[[SF漫画]]
| 公式サイト =
| 代表作 = 『[[オバケのQ太郎]]』(合作)<br />『[[パーマン]]』(旧作は合作)<br />『[[21エモン]]』<br />『[[ドラえもん]]』<br />『[[キテレツ大百科]]』<br />『[[エスパー魔美]]』<br />『[[チンプイ]]』
| 受賞 = 第1回[[手塚治虫文化賞]]<br /> マンガ大賞(『ドラえもん』)<br />第23回 日本漫画家協会<br /> 文部大臣賞(『ドラえもん』)<br />第7回 ゴールデングロス特別賞<br />第15回 藤本賞・奨励賞<br />※詳細は[[#受賞歴]]を参照。
}}
'''藤子・F・不二雄'''(ふじこ・エフ・ふじお、[[1933年]]〈[[昭和]]8年〉[[12月1日]]<ref name=":0"/> - [[1996年]]〈[[平成]]8年〉[[9月23日]]<ref name="mangaseek" />)は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[富山県]][[高岡市]]定塚町出身。[[富山県立高岡工芸高等学校]]電気科卒。本名は'''藤本 弘'''(ふじもと ひろし)<ref name=":0" />。数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した[[1987年]]までは安孫子 素雄(独立後は[[藤子不二雄A|藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}]])とともに[[藤子不二雄]]として活動した。代表作は『[[オバケのQ太郎]]』(合作)、『[[ドラえもん]]』、『[[パーマン]]』(旧作は合作)、『[[キテレツ大百科]]』、『SF短編』シリーズである<ref name=":0" />。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた'''[[藤子・F・不二雄プロ]]'''が担当している。
== 来歴 ==
本人の話によると、大人しくて真面目で体も弱かった幼少期の藤本は、小学校で壮絶な[[いじめ]]に遭い、番長格の少年から[[似顔絵]]を評価されるまで抜け出せなかった。その頃に抱いた気持ちが漫画作品にも反映されているという(『[[まんが道]]』<ref> [https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010343 番組エピソード 銀河テレビ小説「まんが道」 -NHKアーカイブス]</ref>にも描写がある)。また、[[阪東妻三郎]]などの似顔絵もこの頃描いていた<ref>小学館 学習まんが人物館 藤子・F・不二雄 より</ref>。
[[1944年]]([[昭和]]19年)に安孫子素雄と出会う。[[1951年]](昭和26年)、安孫子とともに『[[毎日小学生新聞]]』に投稿した「[[天使の玉ちゃん]]」が採用され、高校3年生(藤本は18歳、安孫子は17歳)にして漫画家デビューを果たす<ref name=":0" />。高校卒業後、製菓会社に就職するが、数日<ref group="注">[[えびはら武司]]の『[[まいっちんぐマンガ道]]』によると、「3日というのはウソで、正確には5日くらいは働いていた」とある。</ref>で退社した<ref group="注">在職中、電気科卒としての仕事は切れた電球をひとつ取り換えたことだけだったという。</ref><ref group="注">学習まんが人物館『藤子・F・不二雄』(1997年、小学館)にて会社で作業中に手を怪我する場面が登場し、翌年のテレビ番組等でも同様のエピソードが放送された。しかしその後このエピソードは「作業中の不意の事故により漫画が描けなくなることを恐れ」といった軟化した表現で紹介されるようになり、2010年以降に新しく発売された藤子・F・不二雄大全集等の関連書籍内では一切触れられていない。就職時に藤本が怪我をしたという話は、藤本も安孫子も文章やインタビューで一切語っていない。</ref>。自宅で依頼原稿と投稿原稿の執筆に専念し(夜や休日は新聞社で働いていた安孫子と共に執筆)、年内に雑誌デビューを果たす。翌[[1953年]]には初の単行本を出版。同時期に掲載された雑誌の読切で初めて「藤子不二雄」のペンネームを使用。渋る安孫子を無理やり誘って[[1954年]]に2人で上京し、プロ漫画家として本格的に活動を始めた<ref name=":0" />。
2人は博学博識で、そこから生まれるユニークかつユーモア溢れるアイデアは数えきれず、低年齢の子供向け作品を中心として、『オバケのQ太郎』(合作)、『パーマン』(旧作は合作)、『ドラえもん』(藤本単独作)などの国民的な大ヒット作をいくつも生み出した(2人のコンビとしての活動の詳細については、[[藤子不二雄#来歴]]を参照)<ref>ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉藤子・F・不二雄46頁</ref>。
[[1987年]](昭和62年)末に独立を発表し、[[1988年]]にペンネームを藤子不二雄{{Unicode|Ⓕ}}に変更。[[1989年]]からは藤子・F・不二雄に改名し、「大長編ドラえもん」を中心に執筆活動を続けた<ref name=":0" />。
藤本と安孫子は共に幅広いジャンルで活躍。2人共1990年代まで一貫して児童漫画を描き続けたが、1970年代にダークな作風を最も生かして大人漫画や少年漫画を多数長期連載した安孫子に対し、藤本は大人向けの短編作品などを時おり手がけながらも、『ドラえもん』を中心とした子供向け作品をメインに漫画の執筆を続けた。子供向け作品を手がけるその手腕のあざやかさは、「子供たちの夢と願望を心にくいばかりに視覚化する」<ref>呉智英『現代マンガの全体像』双葉社 P241</ref>ときわめて高い評価を得た。
[[1996年]]([[平成]]8年)9月23日に62歳で死去。没後も子供漫画の名手としてのその名声は揺らいでいない。
== 年譜 ==
* [[1933年]]([[昭和]]8年)12月1日(金):誕生。
* [[1943年]](昭和18年):国民学校初等科4年の時に肋膜炎で1年近く学校を休む<ref>『ビッグ作家 究極の短編集 藤子・F・不二雄』p.234 平山隆 談</ref>。
* [[1944年]](昭和19年)6月:国民学校初等科5年の時に安孫子と出会う。
** 安孫子と出会ってからの2人共通の年譜は[[藤子不二雄#年譜]]を参照。
; 独立後
* [[1996年]](平成8年)[[9月20日]](金):自宅の仕事部屋にて、『[[ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記]]』を執筆中に鉛筆を持ったまま意識を失う。
* 1996年(平成8年)[[9月23日]](月):[[肝不全]]のため[[慶應義塾大学病院]]で[[#死去|死去]]。{{没年齢|1933|12|1|1996|9|23}}。
; 没後
* [[2000年]](平成12年):[[小学館]]が12,903部限定生産の「F's complete works 藤子・F・不二雄複製原画集」を発売。
* [[2006年]](平成18年):「[[藤子・F・不二雄ミュージアム]]」設立正式発表(川崎市[[多摩区]]に住んでいたため[[生田緑地]]内に建設。博物館)。
* [[2008年]](平成20年)12月:博物館の建設地が、川崎市多摩区長尾2丁目・小田急向ヶ丘遊園ボウル周辺に決定。
* [[2009年]](平成21年):『[[藤子・F・不二雄大全集]]』の発売が発表(小学館[https://www.shogakukan.co.jp/pr/fzenshu/ 特設サイト]にて)。大全集は、同年7月より刊行が始まり、[[2014年]](平成26年)までに全115巻が刊行された。同時に、藤子・F・不二雄作品のキャラクターを[[メディアミックス]]展開させる「Fプロジェクト」の立ち上げが発表された。
* [[2011年]](平成23年)[[9月3日]]:[[藤子・F・不二雄ミュージアム]]開業(ドラえもんの誕生日)。
* [[2015年]](平成27年)12月1日:「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー」開設([[高岡市美術館]]2階)。
* [[2016年]](平成28年)[[4月9日]]:[[定塚ギャラリー]]開館(高岡市定塚町の旧宅跡に地元有志が顕彰施設として開館)。
* [[2017年|2017]]年 (平成29年)1月17日:『[[中年スーパーマン左江内氏]]』を原作とし「[[スーパーサラリーマン左江内氏]]」としてドラマ化。
* [[2021年]]([[令和]]3年)4月7日:藤子・F・不二雄初となる画集である『[[THE GENGA ART OF DORAEMON ドラえもん拡大原画美術館]]』が刊行。また9月3日には『[[藤子・F・不二雄大全集]]』[[電子書籍]]版 刊行開始(藤子・F・不二雄ミュージアム開館10周年記念)。
* [[2023]]年 (令和5年):『[[藤子・F・不二雄SF短編コンプリートワークス]]』が通常版、豪華愛蔵版ともに全10巻刊行され、同作品のうち10作品がNHKにて[[藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ|「藤子・F・不二雄SF短編ドラマ]]」として映像化された。12月1日には『[[未来の想い出]]』の愛蔵版が発売される。(藤子・F・不二雄生誕90周年記念)。
* [[2024年|2024]]年(令和6年):代表作の一つである『[[T・Pぼん]]』がNetflixにてアニメシリーズ化される。また同作品の単行本の新装版も発売される。藤子・Fの作品が3話以上のアニメシリーズとして新たに作られるのは没後初となる。また「[[藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ|藤子・F・不二雄SF短編ドラマ]]」シーズン2が放送される。
== 受賞歴 ==
受賞、受章など。独立前(1987年以前)は[[藤子不二雄#受賞歴]]を参照。
{| class="wikitable mw-collapsible sortable" style="font-size:small;"
! # !! 西暦 !! 和暦 !! 賞の名前 !! 受賞対象 !! 備考
|-
! 1
|| 1989
|| 平成1
|| 第7回 [[ゴールデングロス賞]] ゴールデングロス特別賞
|| 藤子・F・不二雄
|| 1989、1990〜1994年に映画『[[ドラえもん]]』等でも受賞<ref name="ggp7">{{Cite web|和書| url=https://www.zenkoren.or.jp/zenkoren/goldengross/7_goldengross/ |title=第7回ゴールデングロス賞受賞作品|accessdate=2023-07-30}}</ref>
|-
! 2
|| 1989
|| 平成1
|| 第34回 映画の日 感謝状
|| 藤子・F・不二雄
|| <ref name="movieday">{{Cite web|和書| url=http://www.eidanren.com/activity01_02.html|title=映画産業団体連合会(映画の日)|accessdate=2023-07-30}}</ref>
|-
! 3
|| 1994
|| 平成6
|| 第23回 [[日本漫画家協会賞]] 文部大臣賞<ref group="注">賞の正確な名称は「日本漫画家協会 文部大臣賞」。</ref>
|| 『[[ドラえもん]]』
||
|-
! 4
|| 1995
|| 平成7
|| 第15回 藤本賞・奨励賞
|| 藤子・F・不二雄(映画『ドラえもん』シリーズ製作)
|| 藤本賞は映画の賞なので、受賞対象は「映画ドラえもんシリーズを作った藤子・F・不二雄」
|}
<!-- 1989年 映画特別功労賞<ref>[https://www.city.kawasaki.jp/250/page/0000016452.html 川崎市役所 「藤子・F・不二雄ミュージアム これまでのあゆみ」]</ref> ※受賞対象等の詳細が不明だったのでひとまずコメントアウトしてあります。 -->
; 没後
{| class="wikitable mw-collapsible sortable" style="font-size:small;"
! # !! 西暦 !! 和暦 !! 月日 !! 賞の名前 !! 受賞対象 !! 備考
|-
! 5
|| 1996
|| 平成8
||
|| 第14回 [[ゴールデングロス賞]] ゴールデングロス特別感謝賞
|| 藤子・F・不二雄
|| 1997年以降も映画『[[ドラえもん]]』等で複数回受賞<ref name="ggp14">{{Cite web|和書| url=https://www.zenkoren.or.jp/zenkoren/goldengross/14_goldengross/|title=第14回ゴールデングロス賞受賞作品|accessdate=2023-07-30}}</ref>
|-
! 6
|| 1996
|| 平成8
||
|| 第41回 映画の日 特別功労章
|| 藤子・F・不二雄
|| <ref name="movieday" />
|-
! 7
|| 1996
|| 平成8
||
|| [[アニメーション神戸]]'96読売賞
|| 藤子・F・不二雄
|| <ref group="注">アニメーションの文化と産業振興への寄与に対して。</ref>
|-
! 8
|| 1997
|| 平成9
|| 6月11日
|| 第1回 手塚治虫文化賞 マンガ大賞
|| 『[[ドラえもん]]』
||
|}
== 人物 ==
=== 創作に対する姿勢や嗜好 ===
愛用していた鉛筆は[[三菱鉛筆|三菱]]ユニのB、ペン先は[[ゼブラ (文具メーカー)|ゼブラ]]のかぶらペン<ref name=dora6 />。整理された画面構成を好み、不必要な線が入りすぎることを嫌った<ref name=dora6 />。作品を単行本化する際、加筆修正、削除を行い、より完成度を高めるようにしている。
[[第二次世界大戦]]中に小学校時代を過ごした世代であり、第二次大戦終結([[1945年]][[8月15日]])当時は[[国民学校]](現・[[小学校]])6年生であった<ref group="注">第二次大戦の終結当時に小学6年生だった世代には、藤本弘と安孫子素雄の外に、[[大山のぶ代]]、[[菅原文太]]、[[黒柳徹子]]、[[大橋巨泉]]などがおり、厭戦的な価値観を持っている人物が少なくない。</ref>。したがって、[[兵器]]、軍事、[[クーデター]]、[[革命]]などに関する作品も多くある<ref group="注">作品としてはドラえもんでのスネ夫の[[大和 (戦艦)|戦艦「大和」]]乗っ取りから潜水艦攻撃までのシーン、大長編『[[ドラえもん のび太の宇宙小戦争|のび太の宇宙小戦争]]』など。</ref>。兵器に関しては子供が憧れる格好いいものと描いている描写(スネ夫のセリフなど)があるが、戦争自体への考えは世代に関係なく一貫して虚しいもの、恐るべきもの、愚かしい行為として描いている<ref group="注">厭戦的な価値観が表出している作品としては、ドラえもん内では
* 『[[ドラえもん のび太の海底鬼岩城|のび太の海底鬼岩城]]』でのポセイドンに関する描写
* 『[[ドラえもん のび太の創世日記|のび太の創世日記]]』における宗教戦争の否定
* 「階級ワッペン」でののび太の同級生の「昔の軍隊はこんなふうに無茶な命令で無茶な戦争を始めたんだね」
* 「ラジコン大海戦」での[[スネ吉]]の「戦争は金ばかりかかって むなしいものだなあ」
* 「ご先祖さまがんばれ」でのドラえもんの「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争ってそんなもんだよ」
といった描写があり、SF短編では『[[マイシェルター]]』や『[[ある日……]]』など。</ref>。また、ドラえもん初期には、第二次世界大戦に関するエピソードがいくつか見受けられる([[学童疎開|疎開]]先での児童生活の辛さを描いた『白ゆりのような女の子』、[[戦時猛獣処分|上野動物園での動物の殺処分]]について触れた『ぞうとおじさん』など)。1979年発表『T・Pぼん「戦場の美少女」』では主人公たちが[[特別攻撃隊|特攻隊]]員に歴史干渉をしている。1980年発表の短編『[[超兵器ガ壱号]]』では、第二次世界大戦に日本が勝利する世界を描いている。
『ドラえもん』など、SF色(特に[[タイムトラベル]]を描いた内容)の強い作品の多さなどからわかる通り、SFに対しての関心も強かった。SF短編などには、名作SFからの影響や引用が散見できる。『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』が公開され、大ブームになった時期には、『ドラえもん』の各所に『スター・ウォーズ』にちなんだネタを数多く登場させた(パロディとして描いた「天井うらの宇宙戦争」(姫は[[レイア・オーガナ|アーレ・オッカナ]]、ロボットは[[R2-D2|R3-D3]]、敵は[[ダース・ベイダー|アカンベーダー]])の話のほかにも、リザーブマシンで取った映画の席が『スター・ジョーズ』であるなど。SF短編では『[[ある日……]]』と『[[裏町裏通り名画館]]』に『スター・ウォーズ』のパロディ[[劇中劇]]がある)。
大ヒットした映画『[[南極物語]]』を本来南極に住んでいた[[アザラシ|野生動物]]の立場から自作の中で暗に非難し(『[[裏町裏通り名画館]]』)、『大長編ドラえもん』でも環境保護を早期から唱えていた(『[[ドラえもん のび太とアニマル惑星|のび太とアニマル惑星]]』『[[ドラえもん のび太と雲の王国|のび太と雲の王国]]』)。
子供による、現実と自作の作品世界が混同した無邪気な質問に対しては、夢を壊さないような答えを返している。以下に例を列挙する。
* [[武田鉄矢]]がまだ幼い娘を連れて藤本に会いにいったとき、娘が「[[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]はどこにいるの?」と尋ねた。すると藤本は「ドラえもんはね、今[[テレビジョン放送局|テレビ局]]にいるんだよ」と答えた。
* 『ドラえもん』の人気が高かった[[ベトナム]]を訪れた際、現地の子供が「四次元ポケットを(藤本先生は)持っていないのですか?」という質問をした。それに対し、藤本は「ドラえもんが着けているもののほかに、予備(スペアポケット)があるんだけど、この2つしかないから、僕は持っていないんだよ」と答えた。
作中に登場する[[女の子]]には強いこだわりがあり、女の子が登場しただけで単行本に収録する際、加筆修正を何重にも行うこともある(『[[21エモン]]』でのルナ登場シーンや、『[[エスパー魔美]]』の[[ヌード]]シーンなど)。特に『[[ドラえもん]]』のアニメ化の際、しずかについての[[作画]]には多く注文した。
自作のアニメーション化の制作には、細かいチェックや要望などは特に行わなかったとされているが、代表作の『ドラえもん』については、さまざまなエピソードが残されている。帯番組時代は作画の不安定さに苦言を呈し、また原作のストック不足から製作されたアニメオリジナルエピソードの質の悪さに激怒し、健康状態の問題から新作の提供が困難になった90年代までアニメオリジナルエピソードの製作を認めなかった。1985年には自ら出向いてアニメ用デザインの製作に加わった。元シンエイ動画社長の[[楠部三吉郎]]は、映画『ドラえもん』公開後のミーティングでも決まって「面白かったですね」としか言わなかった<ref>楠部三吉郎『「ドラえもん」への感謝状』小学館、2014年、p.87 - 88</ref>が、シンエイ動画版『ドラえもん』が始まって少し経ったころに「私のキャラクターでお願いします」と言われたことと、『[[ドラえもん のび太の大魔境]]』完成後に「作品の出来はいいと思う」が「私の世界を理解していただいていない。監督を変えてもらえないか」と言われたことの2度(いずれも楠部との差し向かい)、アニメ版の内容について「叱られた」<ref>『「ドラえもん」への感謝状』pp.103 - 108。実際に映画の監督は次の『[[ドラえもん のび太の海底鬼岩城]]』から交代した。</ref>と記している。[[武田鉄矢]]の歌にもこだわりを持っていたらしく、映画大長編のエンディングテーマをずっと担当していた武田の降板を製作側から持ちかけられたときには強く拒絶したことが『ドラえもん大全集』にて武田本人により明かされている。最初の映画『[[ドラえもん のび太の恐竜]]』に客が入るのか不安で、公開前日に映画館の向かいのホテルに宿を取ったと[[大山のぶ代]]は記している<ref group="注">[[大山のぶ代]]『ぼく、ドラえもんでした。』大山は「封切り同時に多くの子供が駆け付け満員になったのを見て藤本が安心した」としているが、楠部三吉郎は封切り直後の午前中の回、舞台挨拶をおこなった日比谷の宝塚劇場は半分埋まるかどうかの「スカスカ」だったため、直後の新聞記者対応に藤本を出さなかったと記している(『「ドラえもん」への感謝状』pp.90 - 91。封切り日は[[土曜日]]で当時の小学校は午前授業があり、午後に次の舞台挨拶をした映画館で初めて超満員の観客であふれていることを知ったという)。</ref>。
晩年、[[小学館]]の児童向け学習雑誌や『[[月刊コロコロコミック|コロコロコミック]]』などに作品が掲載される際には、「マンガの王様」というクレジットがあった。
初の専属[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]として、『[[まいっちんぐマチコ先生]]』で知られる[[えびはら武司]]がいる。[[むぎわらしんたろう]](萩原伸一)もアシスタントとして晩年の藤本を支え、一緒に劇を見たり途中で[[蕎麦|そば]]を食べるなどとかなり親密な関係だった。また、むぎわらが描いた漫画に細かい部分まで指導を行ったり、『ドラえもん』単行本の表紙を任せるなど、後進としても目をかけていた。
『ドラえもん』のジャイ子(ジャイアンの妹)があだ名のままで本名が明かされなかったのは、ジャイ子の本名を明かすと同じ名前の女の子が学校でいじめられるかもしれないと配慮したためである。これは藤子の死後、2006年2月19日放送のテレビ朝日系『〜ドラえもん誕生物語 藤子・F・不二雄からの手紙〜』にて関係者が告白したことにより初めて明らかになったもので、それまでは「藤子は『(ジャイ子の本名は)そのうち漫画の中で書きますよ』と答えていたが、結局書かれることがなかっただけ」と説明されていた<ref>『ドラえ本 ドラえもんグッズ大図鑑2』(1998年、小学館)</ref>。藤子は生前、自分の子供達に「友達がジャイ子に似ているからと言ってからかってはいけないよ」と注意していたという{{要出典|date=2022年4月}}。
スネ夫の弟スネツグは連載初期には登場させていたものの、次第に藤子がスネツグの存在を忘れてしまい、スネ夫は一人っ子と設定された。[[苦肉計|苦肉の策]]として、スネ夫に弟はいるが養子に出たというエピソード<ref>40巻収録「スネ夫は理想のお兄さん」</ref>が描かれている。
=== 性格・趣味など ===
社交的でテレビ出演やエッセイ執筆、ゴルフなどもこなす安孫子とは対照的に、こつこつとマンガ執筆に専心していた。ゴルフは個人的にたしなんでいたが、自他ともに認める「下手の横好き」であったといい、晩年に執筆した作品の『[[未来の想い出]]』ではゴルフが下手くそな自身をモデルにした納戸理人が「藤子・F・不二雄(名前だけの登場)の方が下手だぞ!」と話す場面がある。
酒は宴席等では飲まないことが多かった。この点について楠部三吉郎は、宴席の場ではお互い緊張することになったと述べている<ref>『「ドラえもん」からの感謝状』p.241</ref>。酒類がまったく飲めないわけではなく、自宅でブランデーを飲んでいる姿を見たとアシスタントの[[さとうかずひろ]]が証言している<ref>『[[Neo Utopia]]』vol.42、p.98</ref>。
[[ベレー帽]]と[[パイプ (たばこ)|パイプ]]がトレードマークであり、作中に登場する本人の似顔絵にも描かれている。ベレー帽をかぶるきっかけを作った人物は、同じくベレー帽をトレードマークとする手塚治虫ではなく、相棒の安孫子である。ある日、安孫子は知り合いからベレー帽をもらったが、あまりかぶる気にはならなかったため、それをそのまま藤本に譲った。以来彼のトレードマークになった。なお藤本は「安孫子のほうがおしゃれだから、僕より似合ったはず」と思っていたそうである。パイプについては、執筆中に撮影された写真でもくわえているものがあったが<ref>[https://hochi.news/articles/20180702-OHT1T50297.html 藤子・F・不二雄さんの元アシスタントが明かした、藤本さんの漫画に懸けた思い]スポーツ報知(2018年7月7日)-2018年11月20日閲覧</ref>、癌を発症した晩年に医者から[[禁煙]]を命じられ、[[禁煙パイポ]]を使っていたこともあった<ref name="kusubep237">『「ドラえもんへの感謝状」』pp.237 - 240</ref>。仕事場ではベレー帽をかぶり、パイプ煙草を吹かしながら黙々と机に向かうのが日課であった<ref>[https://toyokeizai.net/articles/-/262470?page=3 弟子が語るドラえもんの知られざる"黒歴史"]</ref>。一方でベレー帽は普段は着用せず取材のときだけかぶっていたとの証言もある<ref>[[むぎわらしんたろう]]『[[ドラえもん物語〜藤子・F・不二雄先生の背中〜]]』p.39(2017年 小学館)</ref>。
[[野球]]好きで、[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]ファンであった(『[[小学館の学年別学習雑誌|小学四年生]]』[[1971年]](昭和46年)1月号で読者の質問に回答)。また[[鉄道ファン]]でもあり、[[鉄道模型]]が趣味の一つ。[[1983年]](昭和58年)にはテレビ番組『[[ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅]]』にキャラクターと共演している。また[[鉄道]]、[[鉄道模型]]、[[蒸気機関車|SL]]などを題材にした作品も多数存在する(SF短編『四畳半SL旅行』、『[[ドラえもん]]』「SLえんとつ」「のび太の模型鉄道」「天の川鉄道乗車券」、『[[ポコニャン]]』「ダイナミックもけい鉄道」など)。
[[カメラ]]撮影や[[ジオラマ]]制作なども趣味であり、ドラえもんのひみつ道具には数多くのカメラが登場するほか、ジオラマ制作について事細かに極意を解いたマニアックな話も登場する。藤本は、ひみつ道具のアイディアをひねり出すヒントの一つに「自分の好きなものをモチーフにする」というのがあり、その一例としてカメラを採り上げていた。そのほか、特撮、プラモデル、ラジコンなどホビー関連に造詣が深い。
[[恐竜]]についての造詣の深さでも知られ、仕事机には[[始祖鳥]]の化石のレプリカや[[ティラノサウルス]]の[[プラモデル]]、果てには本物の[[ディプロドクス]]の尾の骨までが飾られていたという。過去にアシスタントの[[むぎわらしんたろう]]が[[翼竜]]のイラストのペン入れを行ったところ、一瞥して即座に「腕の関節がおかしい!」と指摘したこともある<ref>『[[ドラベース ドラえもん超野球外伝]]』の巻末おまけ漫画より。</ref>。恐竜に関する関心の強さは作品の各所にも現れ、ドラえもん大長編第1作『[[ドラえもん のび太の恐竜|のび太の恐竜]]』、第8作『[[ドラえもん のび太と竜の騎士|のび太と竜の騎士]]』や本編の各所、『[[キテレツ大百科]]』のアニメ1988年5月29日放送回、SF短編と『[[T・Pぼん]]』などでも、恐竜をモチーフにしたエピソードは数多い。
[[西部劇]]や[[ガンマン]]にも関心が強く、それに関した話も少なくない。ドラえもんののび太には射撃の才能があるエピソードが多く描かれており、またドラミとタッグを組んだ後期の話(単行本24巻「ガンファイターのび太」)や『T・Pぼん』や[[藤子・F・不二雄のSF短編|SF短編集]](『[[休日のガンマン]]』)などで本格的なスタイルのガンマンたちを描いている。安孫子(藤子{{Unicode|Ⓐ}})、[[鈴木伸一]]、[[つのだじろう]]とともに8mmカメラで西部劇を撮影したこともある。
[[落語]]ファンでもあり、特に[[古今亭志ん生 (5代目)|古今亭志ん生]]を好み、ときには落語のネタを自作の中で用いることもあった<ref group="注">[[1950年代]]後半から[[1960年代]]前半にかけて、志ん生が枕として使っていた「蛇が血を流してる、ヘービーチーデー(ABCD)」という[[駄洒落|だじゃれ]]を『エスパー魔美』の「オロチが夜くる」の中で使ったことなど。</ref>。
食の面では特に[[食肉|肉]]を好み、[[ダイコン|大根]]だけは苦手だった<ref name=dora6>『[[ぼく、ドラえもん]]』6号</ref>。いくつかの作品に登場するキャラクター[[小池さん]]と同様に、好きな食べ物は「[[インスタントラーメン]](特に[[チキンラーメン]])」であると語っていた。小池さんのモデルである鈴木伸一は、自分よりも藤本の方がずっとラーメン好きだったと語っている。お湯をかけるだけで食べられるという点が「魔法のよう」であると言い、旧[[スタジオゼロ]]の屋上でインスタントラーメンを食べているグラフが撮影されたこともある。
イタズラ好きで、トキワ荘の住人にたくさんのイタズラをした。赤塚や石ノ森などから仕返しをくらうことも度々だったという。
妻・[[藤本正子|藤本正子(ふじもと まさこ)]]と3人の娘(長女・[[土屋匡美|土屋匡美(つちや まさみ)]]、次女・[[勝又日子|勝又日子(かつまた じつこ)]]、三女・[[藤本地子|藤本地子(ふじもと くにこ)]])がいる。娘によれば、藤本は平均睡眠時間4時間という忙しさの中でも、家族と一緒の時間をできるだけ取るように心がけた人だったという。
[[スタジオゼロ]]の社長を務めたときは、社員数80人を抱える企業に成長していたため、専務が独断で社長専用車として中古の[[リンカーン・コンチネンタル]]を購入し、お抱えの運転手も雇った。しかし、[[小田急電鉄|小田急]]での電車通勤に慣れた藤本は驚き、送迎を辞退したため、運転手はすぐに辞め、リンカーン・コンチネンタルは年に数回の稼働に留まったという。購入価格は300万円であったが、スタジオゼロ解散時には10分の1の価格で手放している。
=== 病歴 ===
上京したころ、当時死亡率第1位だった[[結核]]にかかったことがあったが、気力で回復したという<ref>小学館 学習まんが人物館「藤子・F・不二雄」</ref>。
[[1986年]]に検査入院で[[胃癌]]が見つかる<ref name="kusubep237"/><ref name="tanjo">テレビ朝日系列『ドラえもん誕生物語 〜藤子・F・不二雄からの手紙〜』[[2006年]](平成18年)[[2月19日]]放送</ref>。藤本に病名は告知されず、安孫子、[[藤子スタジオ]]のスタッフ、編集者らにも本当の病名は伏せられており、知っているのは藤本の妻の正子だけだったが、後に正子は「あれだけ本を読んでいた人ですから、自分がガンであることはわかっていたように思います。けれど、彼は最後まで何も言いませんでした」<ref>『こだわり人物伝 藤子・F・不二雄』(2010年)54頁</ref>と語っている。藤本は自分の病状の重さについて仕事の関係者にはまったく話さなかった<ref name="kusubep237"/>。藤本はこれ以降、何かと体調を崩すようになっていた<ref name="tanjo"/>。
[[1991年]]には[[肝臓癌]]が見つかり、当時『コロコロコミック』で連載していた大長編ドラえもん作品「[[ドラえもん のび太と雲の王国|のび太と雲の王国]]」が中断し、藤子プロによる絵物語(ビジュアルストーリー)を掲載する事態となった。
== 手塚治虫との関係 ==
藤本は安孫子と同様、[[手塚治虫]]の『[[新寶島]]』([[1947年]])に強い衝撃を受け漫画家を本格的に志し、生涯を通じて手塚を最大の師と尊敬し続けた。
藤本と安孫子がはじめて読んだ手塚作品は『[[マァチャンの日記帳]]』([[1946年]])、藤本が中学時代に衝撃を受けた手塚作品として頻繁に語っているのは『[[地底国の怪人]]』([[1948年]])である<ref>『手塚治虫の世界』(朝日新聞社)</ref>。
中学から高校時代の藤本は、安孫子と頻繁に書店を訪ね、刊行されたばかりの手塚作品の初版本をほぼすべて買い集めていた。また藤本は手塚の漫画を感激のあまり誰彼となく見せて歩き、必ず相手が読み終わるまでそばにいて反応を見ていた。ただし期待通りに相手が面白がってくれないと「こいつ鈍いんじゃないのか」と不満だったという<ref>DO LIVE 1989年5月号「天才・手塚治虫が遺したもの 藤子・F・不二雄」</ref>。
藤本は15歳のときに手塚にファンレターを出し、その返事が16歳のとき([[1950年]]3月18日)に届いた<ref>『二人で少年漫画ばかり描いてきた 戦後児童漫画私史』文春文庫版P.33</ref>。そのハガキには「しっかりしたタッチで将来がたのしみです」と手塚の直筆で書かれており、ますますファンになったという。藤本はそのハガキを生涯大事に保管した。[[藤子・F・不二雄ミュージアム]]の設立後は、同施設にて管理されている(複製品を展示)。
高校卒業後はいったん就職することに決めるが、漫画家への夢を諦めたわけではなかった。卒業式を終えた後の春休みに、藤本と安孫子は手塚治虫に会うために宝塚を訪れた。藤本は高校を卒業して漫画家としてやっていけるか不安だったが(藤本と安孫子は当時、プロデビュー作『[[天使の玉ちゃん]]』を連載中だった)、手塚から「君たちならやっていけると思う」と言われたことでプロ漫画家として本格的に活動することを決意したという。当時を想起して、藤本は「夢のような声をかけてくれた」と語っている<ref name="名前なし-1">小学館 学習まんが人物館 手塚治虫 解説/藤子・F・不二雄 1996年 ISBN 409-270103-9</ref>。
宝塚で手塚と初対面した[[1952年]]春の時点で、2人が連載中の『[[天使の玉ちゃん]]』で使っていたペンネームは「あびこもとお・ふじもとひろし」だった。また、同じ時期にアマチュアとして投稿を行っていた漫画作品で使用していたペンネームは「手塚不二雄」だった。
1952年11月の雜誌デビュー作『西部のどこかで』から[[1953年]]7月の描き下ろし単行本『[[UTOPIA 最後の世界大戦]]』までは「足塚不二雄」のペンネームを使用した。「手塚不二雄」では気が引けるので「手」を「足」にしたという。上京するまでの藤本と安孫子の漫画作品は、手塚の影響を強く受けた絵柄となっているものが多い。
[[1954年]]10月30日に、藤本と安孫子は[[トキワ荘]]の14号室に転居した。14号室には直前まで手塚が住んでおり、手塚は2人のためにトキワ荘の敷金3万円を肩代わりし(藤子は2年後に返済)、漫画を描くための机を残した。[[1955年]]12月に藤本は隣の15号室に転居するが、それまでの1年強の間は手塚が使っていた机で漫画を描いていたことになる。この机は現在、安孫子の生家の光善寺に保管されている。
その後も藤本は漫画の描き方の本や自伝などで頻繁に手塚作品への特別な思いを述べており、「いつか手塚先生のような壮大な作風にも挑戦してみたい気持ちもある」とも語っていた。
手塚を信奉するあまり、『コロコロ』初代編集長の千葉和治が手塚への批判を漏らすと、千葉を1週間近く事務所に出入りさせなかったという<ref>{{Cite book|和書|author=千葉和治|title=ミラ・クル・1 宙ポコ / 宙犬トッピ|year=2010|publisher=[[小学館]]|series=[[藤子・F・不二雄大全集]]|isbn=978-4-09-143445-6|pages=324頁|chapter=藤本先生の魂の雑誌『コロコロコミック』}}</ref>。
[[1989年]]([[平成]]元年)に手塚が死去した際、藤本は「『[[新宝島]]』が世に出た1947年をもって元号は手塚元年にしたいと思っているほどです」とまで称えた<ref name="名前なし-1"/>。
== オバQブーム後の苦悩 ==
{{出典の明記|section=1|date=2013年11月|ソートキー=人1996年没}}
=== 少年サンデー連載とアニメ ===
『[[週刊少年サンデー]]』での連載において、日本中に大ブームを起こした『[[オバケのQ太郎]]』([[1964年]]。合作)の後、藤本は同様のヒット作を期待される身となった。オバQは漫画、アニメ共にまだ人気だったにもかかわらず、キャラクター商品の売上が落ち着いたことから次回作への切り換えを求められ、漫画連載とアニメ放送が『[[パーマン]]』([[1966年]]。藤本メインの合作)に順次切り替わり、オバQほどではなかったが一定の人気を獲得するヒット作となった。アニメ放送は1年ごとに放送タイトルを変更する計画になっており、次作には『[[怪物くん]]』(安孫子単独作)が選ばれたため、藤本は藤子不二雄の表看板を担う立場から外れ、『週刊少年サンデー』での次作『[[21エモン]]』([[1968年]])ではテレビ向けを意識せずに自由に筆をふるうことができたが大きな人気は獲得できず連載は終了。その次の連載の『[[ウメ星デンカ]]』(『週刊少年サンデー』での連載は[[1969年]]2月開始)は『怪物くん』の後を継いでアニメ化されるも、わずか半年で終了してしまう(アニメ放送の詳細は[[藤子不二雄のアニメ作品]]を参照)。
=== スタジオゼロ社長としての苦悩 ===
藤本が重役を務めるアニメ制作会社[[スタジオゼロ]]は『[[パーマン]]』からアニメ制作の一部を担当し、約80人の社員を擁する大会社に成長。アニメ『[[怪物くん]]』が放送開始された[[1968年]]4月から藤本は社長を務めていたが、アニメ『[[ウメ星デンカ]]』が短期終了した1969年9月で社長を退任。連続アニメの仕事が途絶えたスタジオゼロは、1969年末に実質的に解散してしまう(10人ほどのスタッフを残しCM等の短い作品を作るアニメスタジオとして存続)。
=== 大人向け漫画への挑戦 ===
[[藤子スタジオ]]も[[えびはら武司]]などの一部のアシスタントを除いて、『[[怪物くん]]』([[1965年]])、『[[笑ゥせぇるすまん|黒ィせぇるすまん]]』([[1969年]])といったヒット作をはじめ、『[[ビリ犬]]』([[1968年]])、『[[黒ベエ]]』、『[[仮面太郎]]』、『[[狂人軍]]』([[1969年]])等の多数の連載作を抱えて多忙を極める安孫子の方を中心に手伝うようになった(藤本と安孫子の連載の変遷は[[藤子不二雄の連載一覧]]を参照)。
[[1969年]]に「[[週刊少年サンデー]]」の編集長から「人気キャラクターの[[ゴンスケ]]をサラリーマンにした新連載」を提案されたが、賛同できなかった藤本は「サンデー作家陣から外してもらうほかない」という返事の手紙を送ることとなる。
同年、青年誌の『[[ビッグコミック]]』から藤本に執筆依頼が来た。当初、藤本は「自分は児童向け作家だから」と断ったが、編集者の熱心な要望により渋々引き受けることにした。そこで描かれ、9月に発表されたのが短編『[[ミノタウロスの皿]]』である。この作品は編集部でも好評であり、「自分にもこんなものが書けるのかという、新しいオモチャを手に入れたような喜びがありました」と語っている。
=== 『モジャ公』と『ドラえもん』の誕生 ===
同年8月、『[[ウメ星デンカ]]』の『週刊少年サンデー』(小学館)での連載を終了した藤本は、新創刊の週刊少年誌『[[週刊ぼくらマガジン]]』(講談社)で『[[21エモン]]』の続きを描くことを決意。11月に『[[モジャ公]]』の連載を開始した。
同年12月からは小学館の学年誌にて『[[ドラえもん]]』の連載を開始。しかし、どちらも不評ではないものの、ヒット作と呼べるるほどの人気は得られない状態で、『モジャ公』の連載は[[1970年]]夏には終了した。
『[[ドラえもん]]』について、藤本は不満げに「もう少し人気が出てもいいのに…」とぼやいていたという<ref>[えびはら武司著『藤子スタジオアシスタント日記第1巻11ページ]</ref>。『[[ドラえもん]]』は[[1973年]]に[[ドラえもん (1973年のテレビアニメ)|アニメ化]]されるも半年で終了。それにともない、編集部やスタジオにも連載終了の雰囲気が漂い始めた。しかし、[[1974年]]に発売された単行本全6巻がベストセラーとなり続刊。[[1978年]]には累計1,500万部を売り上げ、日本のみならず海外でも話題となる。そして[[1979年]]に[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|再びアニメ化]]。[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|大幅なリニューアル]]が行われながらも現在まで続く長寿アニメとなる。翌[[1980年]]には劇場映画第1作『[[ドラえもん のび太の恐竜|のび太の恐竜]]』が公開され、配給収入15億5,000万円<ref>{{映連配給収入|1980}}</ref>を記録する大ヒットとなる。これらの成功により人気は決定的なものとなり、『ドラえもん』は藤本のみならず、日本を代表する国民的作品となった。
== 死去 ==
[[1996年]](平成8年)[[9月20日]]、家族が夕飯の準備を告げるといつものように仕事部屋から返事があった。しかし、いつまで経っても食卓にやって来なかったため娘が仕事場へ呼びにいったところ、机に向かったまま意識を失っているところを発見した。『[[ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記]]』の連載第3回を執筆中だったという。そのまま病院に搬送されたが、意識が回復することなく3日後の[[9月23日]]午前2時10分、[[東京都]][[新宿区]]の[[慶應義塾大学病院]]で[[肝不全]]のためその生涯を閉じた。{{没年齢|1933|12|1|1996|9|23}}<ref name="ismedia" /><ref>{{Wayback |url=http://www.zakzak.co.jp/geino/n_September/nws117.html |date=19970209154654 |title=藤子・F・不二雄さん壮絶な最期}}</ref>。
自身も以前から先が長くないことを自覚していたようで、『[[ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記]]』の大筋を執筆前に[[芝山努]]に教えていたり、死後の自身の作品の行方や、[[藤子・F・不二雄プロ|藤子プロ]]の活動などに対して心配を寄せている内容を書いたメモをスタッフに残していた。また、次女の日子が同月に出産を控えており、産まれてくる孫に会えないと自覚していたため、「おまけの金一封」という産まれてきた孫に渡すための出産祝いも事前に用意しており、妻に託していた。その出産祝いは、藤本亡き後、日子と産まれた孫に渡されている。『[[ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記]]』の漫画は萩原伸一(現・[[むぎわらしんたろう]])が執筆を引き継ぎ、藤本の下描きや原案をもとに完成に漕ぎ着けている。
安孫子([[藤子不二雄A|藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}]])は仮通夜にて、「気持ちは混乱していまして、正直言って今朝からずっと足ががたがた震えてて、すごく残念でしょうがないんです。彼はたいへんな天才だったと思うんですね、僕なんか彼がいたから漫画家になれたようなものでね。すごくピュアな気持ちの男だったんですね」と語った。また、『[[まんが道#愛…しりそめし頃に…|愛…しりそめし頃に…]]』の連載中に亡くなったことを受け、追悼として読切作品「さらば友よ」を執筆した。
[[1996年]](平成8年)[[9月29日]]、[[上野]][[寛永寺]]で挙行された葬儀には多くの人が参列し、出棺の時には「ありがとう弘さん」と大勢の人に見送られた。[[大山のぶ代]]は、葬儀のときに「本当のお葬式の日、ドラえもん、のび太君、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫、ママ、パパみんなで先生を送りたいと思います」と涙をこぼしながら語った<ref>大山のぶ代著[https://web.archive.org/web/20060615132722/https://www.shogakukan.co.jp/ddesita/ 『ぼく、ドラえもんでした。』]</ref>。その後、遺体は[[荒川区]]の[[町屋斎場]]にて荼毘に付された。また、葬儀の日9月29日には、追悼特番として『[[ドラえもん のび太の日本誕生]]』がテレビ朝日系列で放送された。
なお、訃報に際して、長きにわたって映画ドラえもんシリーズの主題歌を制作していた[[武田鉄矢]]は、[[1996年]](平成8年)公開『[[ドラえもん のび太と銀河超特急|のび太と銀河超特急]]』を最後に主題歌制作から外れた<ref group="注">ただし、[[2010年]](平成22年)の『[[ドラえもん のび太の人魚大海戦|のび太の人魚大海戦]]』のみ例外で、映画30周年を記念して再び武田が挿入歌を制作した。</ref>。
== 作品 ==
[[ファイル:F-Train of OER-3493.jpg|thumb|240px|各作品の主力キャラクター([[小田急3000形電車_(2代)|小田急3000形電車]])]]
[[ファイル:Kawasakicitybus-w-1877.jpg|thumb|240px|『パーマン』ほか([[川崎市営バス|川崎市バス]])]]
[[ファイル:Doraemon-no-akichi.JPG|thumb|240px|『ドラえもん』(高岡おとぎの森公園)]]
[[ファイル:Kawasakicitybus-w-1878.jpg|thumb|240px|『キテレツ大百科』ほか(川崎市バス)]]
※「★」印が付いている作品は[[藤子不二雄A|安孫子素雄]]との合作。
=== 作品一覧 ===
* [[藤子・F・不二雄の著作一覧]] - 大全集の「著作一覧」を元にした一覧。未記載の作品が多数ある。
* [[藤子不二雄の連載一覧]] - 年代順連載一覧。アマチュア時代の作品、独立後藤子{{Unicode|Ⓐ}}単独名義となった合作、安孫子担当作品等を含む。
* [[藤子不二雄の読切一覧]] - 年代順読切一覧。『[[少太陽]]』等のアマチュア時代の作品、独立後藤子{{Unicode|Ⓐ}}単独名義となった合作、安孫子担当作品、コマ漫画、イラスト等を含む。
* [[藤子不二雄#藤子不二雄の合作]] - 安孫子との合作の一覧。
=== 作品の概要 ===
藤子・F・不二雄が生涯描いたまんがの総ページ数は約46000ページ、約3500話である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/pr/fzenshu/ |title=藤子・F・不二雄大全集|小学館 |access-date=2023-05-13 |publisher=小学館}}</ref>。
小学館の児童向け学習雑誌や『コロコロコミック』で児童向け漫画を描く一方、『[[ビッグコミック]]』などで大人向けのSF短篇漫画も多く描いた。
藤本は自身の短編集のタイトルに冠せられる「SF」について、「SUKOSHI FUSHIGIな物語の意味です」と『藤子不二雄SF短編集 第1巻 ひとりぼっちの宇宙戦争』([[1983年]])のカバーに記載している。『愛蔵版 藤子不二雄SF全短篇 第1巻』([[1987年]])のまえがきでは「SFといっても、(中略)どっちかと言えばF(フィクション)の部分に重点が置かれ、S(サイエンス)についてはかなり弱いのです」「SF風現代アラビアンナイトとでも受け取っていただければ幸いです」と述べている。収録されている短編の中にはサイエンス要素が薄いものや、サイエンス要素がまったくないものも含まれることから、書名内の「SF」を「[[サイエンス・フィクション]]」と捉えないように注意をうながすための記述だといえる。
{{要出典範囲|藤本の短編作は1つの突飛なアイデアを発端にして描かれた「アイデアSF」と呼ばれるタイプのものが多い。日常の中に非日常が飛び込んでくる内容の作品もその一種である。その一方で、ハードなサイエンス・フィクションの流れを汲む作品も多数あり、作風はバラエティに富んでいる|date=2023年10月}}。
{{要出典範囲|幼年漫画では愛玩動物的なキャラクター性のある不思議な能力を持った主人公と一緒に暮らす冴えない少年、ヒロインの少女1名、そしてケンカの強いガキ大将とその腰巾着という設定が多い|date=2023年10月}}。
異なる作品同士の作中の世界がリンクしていることもあり、キャラクターが越境して別作品に登場したり、作品の後日談や前史が別作品で語られることもある。その詳細は作品別のリンク先で記す。
=== アマチュア時代 ===
==== 肉筆回覧誌 ====
* RING(1948年)★
* 少太陽(1950年)★
==== 投稿作品 ====
藤本は高校時代、安孫子とともに『漫画少年』『北日本新聞』『キング』『アサヒグラフ』などにコマ漫画の投稿を行っていた。当初、投稿は2人別々に行っていたが、[[1950年]]の末には大人漫画の投稿を「手塚不二雄」という同一のペンネームで行うことを決め、コマ漫画の投稿は次第に同一ペンネームでの投稿のみに移行していった。以下の藤本の投稿作品の一部のリストを見ると、『漫画少年』への投稿のみ本名を使い続け、他の媒体では「手塚不二雄」に移行したことが分かる(例外は『死なばもろとも』。詳細とさらに多くの作品のタイトルは[[藤子不二雄#1950]]を参照)。
; [[1950年]] ※すべて藤本弘名義。
* 2月:こんな子供に誰がした([[北日本新聞]]、4コマ)
* 3月:種まき奇談(漫画少年、2頁)
* 3月:ああ無情(北日本新聞、4コマ)
* 4月:花咲爺さんの嘆き(北日本新聞、4コマ)
* 4月:幼児の心理(北日本新聞、4コマ)
* 5月:時の記念日(漫画少年、4コマ)
* 6月:りんきおうへん(北日本新聞、4コマ)
* 6月:スピード興業(北日本新聞、4コマ)
* 7月:ダンゴ仙人とたなばた(漫画少年、4コマ)
* 7月:諸行無常(北日本新聞、4コマ)
* 7月:コロコロマダム(北日本新聞、3コマ)
* 8月:奇禍(北日本新聞、4コマ)
* 9月:はかられたか!(漫画少年、4コマ)
* 9月:サンドウィッチマン(北日本新聞、4コマ)
; [[1951年]]
* 1月:かるたとり(週刊市民新聞 一月新春号、4コマ) ※藤本弘名義。
* 4月:ギョッ(サンデー毎日、4コマ) ※手塚不二雄名義。
* 5月:利口すぎらァ(漫画少年、4コマ) ※藤本弘名義。
* 6月:天狗昇トビキリ(キング、4コマ) ※手塚不二雄名義。
* 7月:大奇術(キング、4コマ) ※手塚不二雄名義。
* 7月:死なばもろとも(北日本新聞、1コマ) ※藤本弘名義。
* 7月:公正取引(北日本新聞、4コマ) ※手塚不二雄名義。
* 9月:遠近法(漫画少年、1コマ) ※藤本弘名義。
; [[1952年]]
* 3月:遺作(アサヒグラフ、4コマ) ※牛塚不二雄名義。
==== 未発表作 ====
* [[ベン・ハー#藤子不二雄|ベン・ハー]](1951 - 1952、1953年)
=== プロ時代 ===
==== ギャグ、コメディ ====
* [[天使の玉ちゃん]]([[1951年]] - [[1952年]])★
* [[てぶくろてっちゃん]]([[1960年]] - [[1963年]]、[[1966年]]★)
* [[すすめロボケット]]([[1962年]] - [[1965年]])
* [[パーマン]]([[1966年]] - [[1968年]]★、[[1983年]] - [[1986年]])
* [[ウメ星デンカ]](1968年 - 1970年)
* ベラボー(1968年 - [[1969年]])
* [[ドラえもん]]([[1969年|1970年]] - [[1997年]])
* [[ポコニャン]](1970年 - 1974年、[[1975年]] - [[1978年]])
* [[ドビンソン漂流記]]([[1971年]] - [[1972年]])
* [[ジャングル黒べえ]]([[1973年]])
* [[パジャママン]](1973年 - [[1974年]])
* [[キテレツ大百科]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/103671/|title=キテレツ大百科 : 作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-12-08}}</ref>(1974年 - [[1977年]])
* [[ぞうくんとりすちゃん]]([[絵本]]作品・1974年)
* [[みきおとミキオ]](1974年 - [[1975年]])
* [[モッコロくん]](1974年 - 1975年)
* [[バケルくん]](1974年 - [[1976年]]、[[1984年]])
* [[4じげんぼうPポコ]]([[1975年]] - [[1976年]])
* [[Uボー]]([[1976年]] - [[1979年]])
* [[バウバウ大臣]](1976年)
* [[きゃぷてんボン]](1976年)
* [[エスパー魔美]](1977年 - [[1983年]])
* [[宙ポコ]](1983年)
* [[宙犬トッピ]]([[1984年]])
* [[チンプイ]]([[1985年]] - [[1991年]])
==== SF ====
* 四万年漂流([[1953年]])★
* [[21エモン]](1968年)
* [[モジャ公]]([[1969年]])
* [[中年スーパーマン左江内氏]](1977年 - [[1978年]])
* [[T・Pぼん]](タイムパトロールぼん)([[1978年]] - 1979年、1980年 - 1983年、1984年 - [[1986年]])
* [[ミラ・クル・1]]([[1979年]])
* [[大長編ドラえもん]]([[1980年]] - [[1997年]])
* [[未来の想い出]]([[1991年]])
==== 劇画 ====
* [[オバケのQ太郎#劇画・オバQ|劇画・オバQ]]([[1973年]])
など多数
==== SF短編 ====
{{Main|藤子・F・不二雄のSF短編|藤子・F・不二雄のSF短編一覧}}
[[1968年]](昭和43年)から[[1995年]](平成7年)にかけて、112作のSF短編読み切りを発表。
=== 漫画以外の著書 ===
* 藤子・F・不二雄の異説クラブ
* 「藤子・F・不二雄の発想術」2014年、小学館新書
=== 作詞 ===
藤子不二雄時代のこの他の作詞曲は [[藤子不二雄#作詞]] を参照。
==== 映像化作品への提供 ====
* 『[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん]](1979)』
** [[ぼくドラえもん]](作詞:藤子不二雄、作曲:菊池俊輔)
** ぼくドラえもん2112(作詞:藤子・F・不二雄、作曲:菊池俊輔)
* 『[[ポストの中の明日]](1990)』
** 明日が見えたら(作曲:菊池俊輔)
* 『[[ポコニャン|ポコニャン!]](1994)』
** ポコニャラ音頭(作曲:[[宮原恵太]])
==== その他 ====
* ナルケマ・レバンガ・カピカッピ(作曲:[[松原幸広]])<ref>{{Cite web|和書|title=作詞家 藤子・F・不二雄 | |url=http://fujiko-museum.com/blog/?p=29327/ |website=川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム |access-date=2023-09-22 |language=ja}}</ref>
=== その他の仕事 ===
* [[鉄腕アトム (アニメ第1作)|鉄腕アトム]]第34話「ミドロヶ沼の巻」 - 原画マンとして携わる。<ref>{{Cite web|和書|title=WEBアニメスタイル TOPICS |url=http://www.style.fm/log/02_topics/top020305a.html |website=www.style.fm |access-date=2023-09-22}}</ref>
* 『[[ジェイムスン教授シリーズ]]』 - 邦訳版イラスト<ref>{{Cite web|和書|title=先生のSFなお仕事 | |url=http://fujiko-museum.com/blog/?p=31512/ |website=川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム |access-date=2023-09-22 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=藤子・F・不二雄先生がカバーイラストを描かれている『ジェイムスン教授シリーズ』など昭和30~40年代のSF小説の初版本を多数お売り頂きました!【埼玉県さいたま市南区別所】|よつば【four-leaf-clover】 |url=https://www.yotsuba-four-leaf-clover.com/2406/ |website=www.yotsuba-four-leaf-clover.com |access-date=2023-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=『二重太陽系死の呼び声』『放浪惑星骸骨の洞窟』『惑星ゾルの王女』『双子惑星恐怖の遠心宇宙船』ニール・R・ジョーンズ |url=https://sekitanamida.hatenablog.jp/entry/jameson |website=読書感想文(関田涙) |date=2013-10-16 |access-date=2023-09-21 |language=ja |last=sekita_namida}}</ref>
** (1)『[[二重太陽系死の呼び声]]』<ref>{{Cite book |title=二重太陽系死の呼び声 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000134-I000246558-00 |publisher=早川書房 |date=1972-07-31 |location=東京 |last=野田昌宏}}</ref>
** (2)『[[放浪惑星骸骨の洞窟]]』<ref>{{Cite book |title=放浪惑星骸骨の洞窟 : ジェイムスン教授シリーズ〈2〉 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I023381504-00 |publisher=早川書房 |date=1973 |location=東京 |last=ジョーンズ,ニール・R. |last2=野田‖昌宏}}</ref>
** (3)『[[惑星ゾルの王女]]』<ref>{{Cite book |title=惑星ゾルの王女 : ジェイムスン教授シリーズ〈3〉 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I023382711-00 |publisher=早川書房 |date=1974 |location=東京 |last=ジョーンズ,ニール・R. |last2=野田‖昌宏}}</ref>
** (4)『[[双子惑星恐怖の遠心宇宙船]]』
出典:<ref name=":0" />
== 出演 ==
藤子・F・不二雄本人によるメディア出演。
藤子不二雄時代の2人での出演は [[藤子不二雄#出演]] を参照。
; 劇場映画
* [[未来の想い出#映画|未来の想い出 Last Christmas]](1992年) - 占い師役で出演。
* [[2112年 ドラえもん誕生]](1995年、ナレーション)
; ビデオ映画
* 空想科学任侠伝 極道忍者ドス竜(1990年) - [[永井豪]]第1回監督作品。暴力団幹部役で出演。<ref>{{Cite web|和書|title=本当は怖い!?『ドラえもん』原作者・藤子・F・不二雄がヤクザの親分を演じた映画がある |url=https://mnsatlas.com/?p=1169 |website=ATLAS |access-date=2023-09-22}}</ref>
; テレビ
* [[ウゴウゴルーガ]](1993年5月24日 - 28日) - 番組内コーナー「おしえて!えらいひと」にて登場。
* ドラえもん 放送14周年特番(1993年9月9日) - 藤子・F・不二雄がアニメのキャラクターと話をするという珍しいシチュエーションがとられた。
* [[天才てれびくん]](1994年11月7日) -藤子・F・不二雄についての[[インタビュー]]。[[2013年]][[1月3日]]には一部だけ[[ダイジェスト]]版が流された。
== 登場作品 ==
藤本弘が登場する作品。
藤子不二雄時代の2人での登場は [[藤子不二雄#登場する作品]] を参照。
; テレビドラマ
* [[ザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語」]] - NHK総合にて2009年に放送、ドラマ部分で[[蝦名清一]]が30歳頃を演じる。
; 映画
* [[2112年 ドラえもん誕生]] - [[米谷良知]]監督、[[1995年]](平成7年)。声優:[[矢田稔]] 。(本人もナレーションとして出演)
== 作画スタッフ ==
※1988年の独立後の作画スタッフ。
* [[むぎわらしんたろう]](萩原伸一) - 1988年入社。1993年チーフ。2000年退社。
* [[岡田康則]] - 1998年入社(藤本の没後)。
== 参考文献 ==
* 藤子不二雄(藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄)『二人で少年漫画ばかり描いてきた 戦後児童漫画私史』 [[毎日新聞社]]、1977年/[[文春文庫]]、1980年、各・絶版。復刻版・[[日本図書センター]]、2010年1月、ISBN 978-4284700412
* 藤子プロ監修、[[さいとうはるお]]絵<ref group="注">当初は[[方倉陽二]]の予定だったが、方倉の急死によりさいとうが代役を務めた。</ref>、[[黒沢哲哉]]シナリオ 『学習まんが人物館 藤子・F・不二雄』 小学館、1997年10月、ISBN 4-09-270111-X
:: 子供向けの漫画だが、藤本の肉親にも取材しており<ref>黒沢哲哉 [http://www.allnightpress.com/workshop/fujiko.htm 小学館版 学習まんが人物館シリーズ こどもの夢をえがき続けた「ドラえもん」の作者 藤子・F・不二雄]</ref>一定の史料価値はある。ただし、作中に登場する編集者は煩雑なため、複数の編集者が架空の「小館」という人物に置き換えられている。
* 『藤子・F・不二雄 「ドラえもん」はこうして生まれた ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉』 同編集部、[[筑摩書房]]、2014年8月、ISBN 978-4480766151。青春時代の評伝
== 関連図書 ==
* 藤子・F・不二雄ファンブック F-Trip(2016年9月3日、[[小学館]])
* むぎわら しんたろう:「ドラえもん物語 藤子・F・不二雄先生の背中」、小学館(てんとう虫コミックススペシャル)、ISBN 978-4091424921(2017年8月28日)。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、323 - 324頁</ref>
}}
== 関連項目 ==
* [[藤子不二雄]]
* [[藤子不二雄A|藤子不二雄{{Unicode|Ⓐ}}]]
* [[藤子・F・不二雄ミュージアム]]
* [[まんが道]]
* [[スタジオゼロ]]
* [[トキワ荘]]
* [[藤子・F・不二雄プロ]](藤子プロ)
* [[シンエイ動画]]
* [[テレビ朝日]]
* [[小学館]]
* [[ウイング・ウイング高岡]]
== 外部リンク ==
* [http://fujiko-museum.com/ 藤子・F・不二雄ミュージアム 公式サイト]
* {{NHK人物録|D0009072233_00000}}
* [https://note.com/shatoru0619 藤子Fノート] - 藤子・F・不二雄作品レビューサイト。
* [https://dora-world.com/profile 藤子・F・不二雄プロフィール]
* [https://artsandculture.google.com/story/OQUBAN-9i1p3JA?hl=ja ドラえもんの生みの親 藤子・F・不二雄を知る]
{{藤子不二雄}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふしこ えふ ふしお}}
[[Category:藤子・F・不二雄|*]]
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:SF漫画家]]
[[Category:20世紀日本の脚本家]]
[[Category:トキワ荘]]
[[Category:結核に罹患した人物]]
[[Category:アニメの脚本家]]
[[Category:富山県出身の人物]]
[[Category:1933年生]]
[[Category:1996年没]] | 2003-03-22T13:13:36Z | 2023-12-31T01:40:23Z | false | false | false | [
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4,901 | 大学院 | 大学院(だいがくいん、英: Graduate school)とは、学問の理論と応用について研究するとともに、主として学士の学位を取得した者を対象として教育を行い、上級学位(修士、専門職学位、博士)を付与する高等教育機関である。国際標準教育分類(ISCED2011)ではレベル7と8に分類される。「修士課程(博士前期課程)」「専門職学位課程」「博士課程(博士後期課程)」がある。大学院のうち、特に専門職学位の授与を目的とする大学院を専門職大学院という。
大学院には「修士課程(博士前期課程、Master's course)」「専門職学位課程(Professional course)」「博士課程(博士後期課程、Doctor's course)」があり、各課程を修了し、かつ所定の基準を満たした場合に、修士、専門職学位、博士の学位が授与される。
アメリカ合衆国やカナダにおいては学部レベルの部局とは別に大学院レベルの教育を行う部局として"graduate school"が設置されている大学が多い。一方で多くの英語圏諸国(イギリス、オーストラリア、カナダ、アイルランド、インド、バングラデシュ、ニュージーランド)では各専門部局において学部教育と"postgraduate education"と呼ばれる大学院教育が同時に行われている。
大学院に通う学生を、アメリカ英語とイギリス英語では"graduate students"と呼ぶ。またイギリス英語では"postgraduate students"、"postgraduates"、"postgrads"と呼ばれることがある。日本では大学院生などと呼ばれる。
上級学位をとるための制度は国によって多少異なる。日本やアメリカなど多くの国では大学院に学生として所属し、必要な履修受講をした講義の単位を修得した上で論文を書き、学位を取得するのが通常である。一方で、ドイツなどでは博士取得を目指す者は、教員に指導を受けるとしても、学生となるとは限らない。日本においても、学生として大学に所属せずに論文を書き、大学に提出して審査を経て博士の学位を取得する論文博士の制度が残されている。
また、大学院は教育だけでなく、大学における研究活動を行う機関である。研究及びこれを通じた高度な人材の育成に重点を置き、世界で激しい学術の競争を続けてきている大学グループとして、RU11がある。RU11の構成大学は、北海道大学、東北大学、東京大学、早稲田大学、慶應義塾大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学、筑波大学、東京工業大学の11大学である。
政府の統計によると、文系理系の合算データでは40歳代以上で年収700万円以上の労働者の比率は大学の学部出身者で30%、大学院出身者で50%以上である。
1876年、アメリカ合衆国のジョンズ・ホプキンス大学に世界で初めて「大学院」が設置された。
日本では、1880年(明治13年)に東京大学の法・文・理の3学部に設置された「学士研究科」が大学院の起源とされる。1886年(明治19年)の帝国大学令により、帝国大学は「分科大学」(後の学部)と「大学院」とで構成されると規定され、各帝国大学に大学院が設置されていくことになる。また、1887年(明治20年)の学位令により、博士号の授与が行われるようになった。1918年(大正7年)の大学令により、帝国大学以外にも大学が設置可能となった。だが帝国大学が学部と「大学院」とで構成されるのに対し、帝国大学以外の大学は学部と「研究科」で構成されることになり、「大学院」の設置は認められなかった。
太平洋戦争後に新制大学になって、大学院の設置が旧帝国大学以外でも可能になった。1947年(昭和22年)制定の学校教育法は第62条および第65条~第68条等で大学院について規定している。
1974年(昭和49年)には文部省令として大学院設置基準が定められた。
1991年に文部科学省の大学審議会が、大学院の量的整備の緩和を答申した。それまで研究者養成機関と考えられていた大学院に、高度職業人を養成するための夜間大学院や専門職大学院などが加わり、院生の数が大幅に増加した。
2003年(平成15年度)に、専門職において修士課程相当の教育を行う専門職大学院の制度が作られて以降は、学部を持たず大学院を置く大学(いわゆる大学院大学)も増加した。
日本では、大学の学部課程の上に設けられ、学術の理論および応用を教育研究し、文化の進展に寄与することを目的とするものである(学校教育法(以下「法」)第99条)。
大学院は法第102条に基づき、下記のいずれかに該当する者が対象となる。
大学院には、博士前期課程、博士後期課程、一貫制博士課程、後期3年博士課程、4年制博士課程、修士課程、専門職学位課程などと通称される多数の課程がある。
大学の中に学部と研究科が置かれており、大学院では専攻分野の大きな括りを「研究科」、研究科の分野を細分したものを「専攻」と呼んでいる。ただし、2000年(平成12年)4月1日以降は異なった名称・形態の下部組織も現れた。大学院には「修士課程」「博士課程」「専門職学位課程」がある。更に細分化された課程が置かれている場合もある。
大学院に進学するためには、一般的には大学の学部を卒業するか、大学改革支援・学位授与機構より授与されるかして学士の学位を取得するか、個別の入学資格審査に合格し学部卒業と同等の学力を有すると認められる必要がある。大学院によっては、学部の卒業を経ない飛び級の制度を設けている場合もある。その後、大学院に進学し大学院の課程を修了した者は、その課程に応じて修士号、博士号、専門職学位の学位が授与される。修士号、博士号、専門職学位はAdvanced Degree(上級学位)と呼ばれる。
大学は、学位規則(昭和28年文部省令第9号)などに基づき、大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了した者に対し、修士または博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し専門職学位を授与する。
大学は、学位規則などに基づき、大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで博士の学位を授与された者と同等以上の学力があると認める者に対し、博士の学位を授与することができる。大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで授与をされる博士の学位を課程博士と呼ぶことがある。また、「大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで博士の学位を授与された者」と同等以上の学力があると認められて授与される博士の学位を論文博士と呼ぶことがある。いずれも学位規則等に規定された正式な呼称ではなく、一般的には、どちらの取得方法であっても同じ博士の学位として扱われる。
日本の教育制度においては、大学院は、大学に置くことができる(学校教育法第97条)、とされている。
大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥を究め、または高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与することを目的とする(学校教育法第99条第1項)。
また、大学院のうち、学術の理論および応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識および卓越した能力を培うことを目的とするものは、専門職大学院とされる。
大学院を置く大学には、研究科を置くことを常例とされる。研究科は、専門分野に応じて、教育研究上の目的から組織されるものである。
ただし、当該大学の教育研究上の目的を達成するため有益かつ適切である場合においては、文部科学大臣の定めるところにより、研究科以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができる。研究科以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができるようになったのは、2000年4月1日からである。この日に、九州大学の全ての大学院が、学生が所属する教育部として学府、教員が所属する研究部として研究院という組織を持つ大学院へと改組された。東京大学では新たに教育部として学府を、研究部として学環を持つ大学院情報学環・学際情報学府が設置された。
大学院には、二つ以上の大学が協力して教育研究を行う研究科・課程をおくことができる方式が二つある。一つ目は、連合研究科(れんごうけんきゅうか)、連合大学院などと呼ばれる方式(大学院設置基準第7条)で、例えば、東京学芸大学、横浜国立大学、千葉大学、埼玉大学よりなる東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科(教育学の博士課程)がある。その他に連合農学研究科、連合獣医学研究科、連合小児発達学研究科がある。二つ目は、共同教育課程を編成する方式(大学院設置基準第31条)で、共同大学院ともよばれ、例えば東京女子医科大学と早稲田大学による共同先端生命医科学専攻がある。なお、連合大学院では基幹となる研究科に組織を設置し、教員・学生は基幹校に所属し、基幹校の名義の学位を出す一方、共同教育課程ではすべての構成大学に組織を設置し、教員・学生はすべての構成大学に所属し、全ての構成大学の連名で学位を出すといった違いがある。
2000年代以降は、大学院において専門の教育と訓練を受けた、各分野において指導的役割を果たす、高度で専門的な職業能力を有する人材(高度専門職業人)の養成という社会的な要望から、主に社会人の経歴を有する者を教育する大学院の課程(社会人大学院などとも呼ぶ)の設置も相次いでいる。
2003年度からは、専門職大学院の制度が作られ、法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的とする法科大学院などが作られた。専門職大学院については、学術の理論および応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識および卓越した能力を培うことが要求される。
大学院の設置基準としては、大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)などがあり、専門職大学院に関しては、加えて、専門職大学院設置基準(平成15年文部科学省令第16号)などが適用される。
文部科学省は国際競争力の向上のため「研究大学強化促進事業」を打ち出し、学部よりも大学院に重点を置いている大学を研究大学と銘打って、他の大学よりも大きな補助金を与えている。文部科学省により選出された研究大学は、北海道大学、東北大学、筑波大学、東京大学、東京工業大学、東京医科歯科大学、電気通信大学、名古屋大学、豊橋技術科学大学、京都大学、大阪大学、奈良先端科学技術大学院大学、神戸大学、広島大学、岡山大学、九州大学、熊本大学、慶應義塾大学、早稲田大学である。
日本においては、大学には学部(学部以外の教育研究上の基本となる組織を含む。以下この項で「学部等」という)を置くことを常例としている。しかし教育研究上特別の必要がある場合においては、学部等を置くことなく大学院を置くものを大学とすることができる。この大学は大学院大学(だいがくいんだいがく)などと呼ばれる。
日本初の大学院大学は1982年に財界主導で設立された国際大学である。大学院大学でない大学では、例えば工学部に対する工学研究科のように学部名と同一の名称をもつ、あるいは同一名称でなくとも直接関連する大学院を置くことが多く、これを2階建て大学院という。それに対して対応する学部を持たない大学院研究科は独立大学院あるいは独立研究科と呼ばれる。大学院大学のうち、大学以外の研究機関と協力しているものは、連携大学院(れんけいだいがくいん)などと呼ばれることもある。
大学院には各種の課程がある。大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)においては、修士課程、博士課程、そして専門職学位課程(専門職大学院の課程)の3種類の課程が規定されている。専門職大学院の課程は組織上、各大学が置く大学院に専門職学位課程として置かれる。大学院を置く各大学の学則などでの運用においては、3種類の課程について細かく分けたり、合わせたりして呼称している。各大学の学則などにおける呼称としては、主に修士課程・博士前期課程、博士後期課程・後期3年博士課程、一貫制博士課程、4年制博士課程、そして専門職学位課程などがある。
大学院における課程について表現するにあたってはいくつかの方法があり、方法ごとに意味が異なっている。
大学院設置基準に定められている大学院の課程は、「修士課程」「博士課程」、そして「専門職学位課程」の3種となっている。
各大学によって異なるが、しばしば学則等では、「修士課程」「博士前期課程」「博士後期課程」「一貫制博士課程」「後期3年博士課程」「4年制博士課程」「専門職学位課程」などに区分する方法が見られる。
俗な用法においては、学則等で用いられる「修士課程」と「博士前期課程」について単に「修士課程」と呼び、学則等で用いられる「博士後期課程」「一貫制博士課程」「後期3年博士課程」「4年制博士課程」を「博士課程」と呼ぶ表現も見られる。なお、学則で博士前期課程を修士課程と呼ぶと正式に定めている場合もある。
日本では、一般的には、修士の学位や専門職学位を授与された後に、後期3年の博士課程に進学できるようになっている形態が多い。しかし、一貫制博士課程を設けて修士水準から博士水準までの一貫教育を行う大学院もある。
修士課程・博士前期課程、専門職学位課程では、一般的に2年以上在学して要件を満たすことで学位の授与を受けることができる。授与される学位は、修士課程・博士前期課程では「修士の学位」、専門職学位課程では「専門職学位」である。
「修士の学位」または「専門職学位」の授与を受けた後に、博士後期課程・後期3年博士課程で3年在学して要件を満たせば博士の学位の授与を受けることができる。また、「修士の学位」または「専門職学位」の授与を受けていなくても、一貫制博士課程で5年在学して要件を満たしても「博士の学位」の授与を受けることができる。
なお、以下の課程の分類においては、#学則等に見られる用法を用いた。
博士前期課程、修士課程は、「広い視野に立って精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又はこれに加えて高度の専門性が求められる職業を担うための卓越した能力を培うこと」を目的としている。学部を卒業した者などが入学者選考試験を経て、合格したものが入学できる。標準修業年限は2年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは修業年限を短縮できる学校もある。修了するためには、規定の単位を取得し、研究指導を受け、各大学院による修士論文審査と試験に合格することが必要である。修士論文審査は、課程によっては、研究成果の審査(つまり修士論文を作成しなくてもよい)であることもある。修了すると修士の学位が授与される。
博士後期課程・後期3年博士課程は、「専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと」を目的としている。修士の学位や専門職学位を授与された者などが入学者選考試験を経て、合格した者が入学できる。標準修業年限は3年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは標準修業年限を短縮できる学校もある。修了するためには、規定の単位を取得し、研究指導を受け、各大学院による博士論文審査と試験に合格することが必要である。修了すると博士の学位が授与される。(「課程博士・論文博士」も参照)
標準修業年限は3年であるが諸外国と同様、業績を得るためにそれ以上の年限在学する者も珍しくはない。そのため、経済的・将来性の面から断念(中途退学)する者が比較的多いのが博士課程の特徴である。また、修業年限以上在学したものの論文審査に合格できずに中退した者は単位取得退学、満期退学と呼ばれる。従来は、退学の場合でも研究業績によっては大学、国の研究機関等で正規の研究員として職を得ている者も少なくなかった。しかし、現在では、研究機関に職を得る時の応募条件として、博士の取得が条件となっていることが多い。
一貫制博士課程は、前期2年および後期3年の課程の区分を設けない課程であり、「専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと」(大学院設置基準の1989年(平成元年)改正)を目的として一貫して教育を行う。この課程は、学部を卒業した者などが入学者選考を経て、合格した者が入学できる。修了するためには、規定の単位を取得し、研究指導を受け、各大学院による博士論文審査と試験に合格することが必要である。修業年限は5年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは修業年限を短縮できる学校もある。修了すると博士の学位が授与される。
一貫制博士課程に入学し、前述の博士前期課程、修士課程の修了要件を満たした場合、大学院によっては、修士の学位が授与される。
5年一貫制の博士課程で、民間企業や海外一流大学と連携して、世界最高水準の教育・研究を行う大学院を支援する「卓越大学院プログラム」が2018年度に導入された。
4年制博士課程は、標準修業年限を4年としている、医学を履修する博士課程、歯学を履修する博士課程、6年制薬学系の大学の学部に接続している薬学を履修する博士課程、獣医学を履修する博士課程である。修了すると博士の学位が授与される。目的、修了要件、授与される学位は、一貫制博士課程と同様である。
4年制博士課程に接続する学部の修業年限は6年であるため、4年制博士課程に入学できる者は、修業年限を6年とする大学の学部を卒業した者、修士の学位を授与された者、専門職学位を授与された者などである。
専門職学位課程は、専門職大学院の課程であり、「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うこと」を目的としている。大学を卒業した者などが入学できるが、通例として入学者選考が課され、合格したもののみが入学できる。修了するためには、規定の単位の取得その他の教育課程の履修により課程を修了することが必要である。標準修業年限は、通例2年であるが、専攻分野によっては、1年以上2年未満である。修了すると修士(専門職)の専門職学位が付与される。
法科大学院は、法曹養成のための特別な専門職学位課程である。修了するためには、規定の単位の取得が必要である。修業年限は3年。修了すると「法務博士(専門職)」の学位が授与される。
主に夕刻から授業を始める大学院の課程であり、通常の研究科が夜間にも授業を行っている形態と「夜間において授業を行う研究科」(夜間研究科、夜間大学院)の形態の2種類がある。学部の夜間部(第2部)や「夜間において授業を行う学部」(夜間学部)の大学院版ともいえる。日中、仕事を持つ社会人などが、終業後に通学するなど利便性の点で、大学院の通信教育とともに注目されている。なお、修了して授与される学位は、大学院の(昼間において授業を行う)通常の課程を修了して授与されるものと同一のものである。なお、日本初の夜間大学院は1958年に開設された東京電機大学大学院工学研究科電気工学専攻である。また文科系における日本初の夜間大学院は、1990年開設の青山学院大学大学院国際マネジメント研究科である。さらに社会人を対象とする日本初の夜間大学院は1989年開設の筑波大学大学院修士課程教育研究科、経営・政策科学研究科(経営システム科学専攻)である。
通信による教育を行う大学院の課程であり、大学通信教育を大学院で行うものである。「印刷教材等による授業」(印刷授業)、「面接授業」などの授業や、研究指導を経て学位が授与される。
修士課程・博士前期課程では、放送大学大学院、明星大学大学院、東北福祉大学大学院、名古屋学院大学大学院、帝京平成大学大学院、中京大学大学院、吉備国際大学大学院、倉敷芸術科学大学大学院、人間総合科学大学大学院、桜美林大学大学院、東京福祉大学大学院、高野山大学大学院、東亜大学大学院、京都造形芸術大学大学院、京都産業大学大学院などがある。
また、博士後期課程には、放送大学大学院、明星大学大学院、佛教大学大学院、聖徳大学大学院、日本福祉大学大学院、九州保健福祉大学大学院などがある。
これまでの大学院教育では、学位の修得が即ち修了資格と不可分の関係にあり、修了するということは学位の修得を意味していた。 また、その学位の修得状況については修士の学位についてはともかく、一般に日本国内における人文科学、社会科学分野の博士号については、課程期間内で取得するのが困難で、単位取得満期退学で教職に就き、その後研究を積み重ね、定年近くになって名誉称号的に授与されるのが慣例になっていた。しかしながら近年、日本の慣例を嫌う留学生が日本への留学を回避したり、あるいは日本の大学の学生が海外の大学院へ流出したりするという状況が問題とされた。文部科学省が博士課程の本来の趣旨に従うよう指導を行うなど、現在では、諸外国や理系分野並に人文・社会系であっても博士課程在学中の博士号の取得が可能となる状況となっている。
また、今日ではその大学院の修士課程及び専門職学位課程、または博士課程の定める学位の他に、他の大学との提携による他大学の学位修得の道が開かれている分野もあり、これをダブルディグリー・プログラムという。一方で、技術と知識の習得のみを前提とし学位の授与を行わないノンディグリー・プログラムも存在し、大学院教育の幅や選択肢は多岐に拡がりつつある。
国際機関では、その機関の多くの職種において修士号以上の学歴を有することが求められる。
アメリカの学位は日本と同じように、修士と、研究者を目指す人が取得を目指す博士とがある。実学系の専攻の場合は一般に博士課程がないことが多く、逆にその他の学術系専攻の場合は博士まで進むことが多い。修士と博士が一貫した課程も多く、その場合は修士課程と博士課程が並列して存在するか、修士課程がなくて博士課程のみが存在し、研究者を目指す人は学部卒後すぐに博士課程に入る(自然科学系や工学系に多い。この場合でも、まず修士課程を履修することを奨められる場合もある)。
修士の後に博士課程に入るか、学部卒後に博士課程に入るかのいずれが一般的かは分野による。一貫性博士課程で、途中退学する学生に修士号を授与する制度を設けているところもある。この場合、大学や分野によるがその修士号取得方法には、必要な単位数などを確保した上で主として2通りの方法がある。一つは、後述する適性試験に合格して取得する方法。もう一つは、適性試験を受験しないか不合格だった場合に修士論文を提出して審査を経て取得する方法、である。特に、博士課程の必要単位数も取得して適性試験に合格してから退学する場合は、日本でいう「博士課程単位取得退学」に相当する「All But Dissertation」あるいは「All But Thesis」と呼ばれることが多く、多くの大学で公式に認められている呼称である。また、この呼称は、在学中でも「あとは学位論文だけ」という立場の意味で用いられることがある。
博士課程では、必須クラスを履修した後、研究論文を執筆する前に適性試験(Qualifying Examination。専攻分野の知識や技能を十分に有しているかを試す試験で、ほとんどの場合筆記試験である。この試験は日本では「大学院入学試験」にほぼ相当する)を受ける。合格した者だけが、博士号候補生(Ph.D candidate)として博士課程に残ることを許される。適性試験に落ちると博士課程に籍を置けなくなるが、再受験を許されることも多い。なお、この試験は「いつまでに合格しなければならない」という規定があることが多く、その場合は期限までに合格できなくても退学になってしまう。また、例えば学部卒から博士課程に入学した学生は入学後2年以内に、修士卒から入学した学生は1年以内に合格しなければならない、というように細かい規定を定めている場合もある。
適性試験の試験内容は、専門科目の試験(一般に複数の科目に分かれており、2つ以上を要求される場合もある)と、大学や分野によってはさらに外国語やプログラミング言語の試験が課されるところもある。以前は日本語も外国語として多くの大学で採用されていたが、現在ではほとんどの大学で廃止され、フランス語、ドイツ語、ロシア語などが主流である。
外国語の試験方法は、その言語で書かれた自分の専門分野の専門書の文章を英訳する、などの方法で行われることが多いが、中には口頭による会話試験を課す大学もある。現在では、これらの外国語試験は廃止する大学が増えてきている。英語が既に学術界においての共用語としての地位を確立しており(これには冷戦の終結なども関係している)、さらに、一般的には専門科目についての学術的な成功にこれら外国語の能力はあまり影響が無い上に、専門分野において類希な才能や業績のある人でも、外国語の試験をパスできずに博士号を取得できなかったという例もあったためである。
適性試験に合格すれば学位取得のための研究を開始することを認められる。研究成果がうまく実れば、それを学会で発表し、査読付き学術雑誌に論文を投稿・掲載し、十分に研究の経験を積んだと判断されれば、学位論文としてそれらをまとめ、いよいよ博士号取得のための最後の口頭試験である「最終防衛試験(Final Defence Examination、Final Oral、Thesis Defence、など。専門の教授陣からの鋭い質問や指摘から“防御”することからこのように呼ばれる。日本での「学位論文口頭発表会」にほぼ相当する)」を受けることができる。再受験が許されることも多いものの、この試験に落ちても退学になってしまう(最終防衛試験を受けずに博士号の授与が認められる場合もある。ただし、その場合は普通、受験すれば確実に合格であると見込まれている実力・業績のある場合に限られる)。しかし、この口頭試験は大学や分野によっては、大学院での研究業績や苦労を称える儀式の場という位置付けのところもある(この場合、査読に耐え得る一定のレベル以上の研究成果を出せるかどうかが鍵となる)。また、家族や友人を招待して自分の研究成果を説明するセクションが設けられている場合もあり、その場合はそのセクションの後に、大学の教授陣を含む専門家向けの発表・口答試験を行うことになる。
試験が終われば受験者は部屋からの退室を命じられ、試験官達がすぐその場で合格か不合格かを合議する。結果が決まれば受験者は再び入室するように言われ、そこで試験の結果を伝えられる。合格すれば晴れて博士を名乗ることを許され卒業となり、合格した場合に備えて祝賀パーティーが準備されていることもある。なお、この口頭試験は大学や分野によっては、独特の雰囲気や伝統がある。
アメリカ合衆国も学位の認定は緩くなっており、かつてなら「DM」 (Doctor of Music)だったのが、「Ph.D」に格上げされるなど、意識に変化がみられる。
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"text": "日本では、大学の学部課程の上に設けられ、学術の理論および応用を教育研究し、文化の進展に寄与することを目的とするものである(学校教育法(以下「法」)第99条)。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "大学院は法第102条に基づき、下記のいずれかに該当する者が対象となる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "大学院には、博士前期課程、博士後期課程、一貫制博士課程、後期3年博士課程、4年制博士課程、修士課程、専門職学位課程などと通称される多数の課程がある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "大学の中に学部と研究科が置かれており、大学院では専攻分野の大きな括りを「研究科」、研究科の分野を細分したものを「専攻」と呼んでいる。ただし、2000年(平成12年)4月1日以降は異なった名称・形態の下部組織も現れた。大学院には「修士課程」「博士課程」「専門職学位課程」がある。更に細分化された課程が置かれている場合もある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "大学院に進学するためには、一般的には大学の学部を卒業するか、大学改革支援・学位授与機構より授与されるかして学士の学位を取得するか、個別の入学資格審査に合格し学部卒業と同等の学力を有すると認められる必要がある。大学院によっては、学部の卒業を経ない飛び級の制度を設けている場合もある。その後、大学院に進学し大学院の課程を修了した者は、その課程に応じて修士号、博士号、専門職学位の学位が授与される。修士号、博士号、専門職学位はAdvanced Degree(上級学位)と呼ばれる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "大学は、学位規則(昭和28年文部省令第9号)などに基づき、大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了した者に対し、修士または博士の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し専門職学位を授与する。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "大学は、学位規則などに基づき、大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで博士の学位を授与された者と同等以上の学力があると認める者に対し、博士の学位を授与することができる。大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで授与をされる博士の学位を課程博士と呼ぶことがある。また、「大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで博士の学位を授与された者」と同等以上の学力があると認められて授与される博士の学位を論文博士と呼ぶことがある。いずれも学位規則等に規定された正式な呼称ではなく、一般的には、どちらの取得方法であっても同じ博士の学位として扱われる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "日本の教育制度においては、大学院は、大学に置くことができる(学校教育法第97条)、とされている。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥を究め、または高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与することを目的とする(学校教育法第99条第1項)。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "また、大学院のうち、学術の理論および応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識および卓越した能力を培うことを目的とするものは、専門職大学院とされる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "大学院を置く大学には、研究科を置くことを常例とされる。研究科は、専門分野に応じて、教育研究上の目的から組織されるものである。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "ただし、当該大学の教育研究上の目的を達成するため有益かつ適切である場合においては、文部科学大臣の定めるところにより、研究科以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができる。研究科以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができるようになったのは、2000年4月1日からである。この日に、九州大学の全ての大学院が、学生が所属する教育部として学府、教員が所属する研究部として研究院という組織を持つ大学院へと改組された。東京大学では新たに教育部として学府を、研究部として学環を持つ大学院情報学環・学際情報学府が設置された。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "大学院には、二つ以上の大学が協力して教育研究を行う研究科・課程をおくことができる方式が二つある。一つ目は、連合研究科(れんごうけんきゅうか)、連合大学院などと呼ばれる方式(大学院設置基準第7条)で、例えば、東京学芸大学、横浜国立大学、千葉大学、埼玉大学よりなる東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科(教育学の博士課程)がある。その他に連合農学研究科、連合獣医学研究科、連合小児発達学研究科がある。二つ目は、共同教育課程を編成する方式(大学院設置基準第31条)で、共同大学院ともよばれ、例えば東京女子医科大学と早稲田大学による共同先端生命医科学専攻がある。なお、連合大学院では基幹となる研究科に組織を設置し、教員・学生は基幹校に所属し、基幹校の名義の学位を出す一方、共同教育課程ではすべての構成大学に組織を設置し、教員・学生はすべての構成大学に所属し、全ての構成大学の連名で学位を出すといった違いがある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "2000年代以降は、大学院において専門の教育と訓練を受けた、各分野において指導的役割を果たす、高度で専門的な職業能力を有する人材(高度専門職業人)の養成という社会的な要望から、主に社会人の経歴を有する者を教育する大学院の課程(社会人大学院などとも呼ぶ)の設置も相次いでいる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "2003年度からは、専門職大学院の制度が作られ、法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的とする法科大学院などが作られた。専門職大学院については、学術の理論および応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識および卓越した能力を培うことが要求される。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "大学院の設置基準としては、大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)などがあり、専門職大学院に関しては、加えて、専門職大学院設置基準(平成15年文部科学省令第16号)などが適用される。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "文部科学省は国際競争力の向上のため「研究大学強化促進事業」を打ち出し、学部よりも大学院に重点を置いている大学を研究大学と銘打って、他の大学よりも大きな補助金を与えている。文部科学省により選出された研究大学は、北海道大学、東北大学、筑波大学、東京大学、東京工業大学、東京医科歯科大学、電気通信大学、名古屋大学、豊橋技術科学大学、京都大学、大阪大学、奈良先端科学技術大学院大学、神戸大学、広島大学、岡山大学、九州大学、熊本大学、慶應義塾大学、早稲田大学である。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "日本においては、大学には学部(学部以外の教育研究上の基本となる組織を含む。以下この項で「学部等」という)を置くことを常例としている。しかし教育研究上特別の必要がある場合においては、学部等を置くことなく大学院を置くものを大学とすることができる。この大学は大学院大学(だいがくいんだいがく)などと呼ばれる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "日本初の大学院大学は1982年に財界主導で設立された国際大学である。大学院大学でない大学では、例えば工学部に対する工学研究科のように学部名と同一の名称をもつ、あるいは同一名称でなくとも直接関連する大学院を置くことが多く、これを2階建て大学院という。それに対して対応する学部を持たない大学院研究科は独立大学院あるいは独立研究科と呼ばれる。大学院大学のうち、大学以外の研究機関と協力しているものは、連携大学院(れんけいだいがくいん)などと呼ばれることもある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "大学院には各種の課程がある。大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)においては、修士課程、博士課程、そして専門職学位課程(専門職大学院の課程)の3種類の課程が規定されている。専門職大学院の課程は組織上、各大学が置く大学院に専門職学位課程として置かれる。大学院を置く各大学の学則などでの運用においては、3種類の課程について細かく分けたり、合わせたりして呼称している。各大学の学則などにおける呼称としては、主に修士課程・博士前期課程、博士後期課程・後期3年博士課程、一貫制博士課程、4年制博士課程、そして専門職学位課程などがある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "大学院における課程について表現するにあたってはいくつかの方法があり、方法ごとに意味が異なっている。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "大学院設置基準に定められている大学院の課程は、「修士課程」「博士課程」、そして「専門職学位課程」の3種となっている。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "各大学によって異なるが、しばしば学則等では、「修士課程」「博士前期課程」「博士後期課程」「一貫制博士課程」「後期3年博士課程」「4年制博士課程」「専門職学位課程」などに区分する方法が見られる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "俗な用法においては、学則等で用いられる「修士課程」と「博士前期課程」について単に「修士課程」と呼び、学則等で用いられる「博士後期課程」「一貫制博士課程」「後期3年博士課程」「4年制博士課程」を「博士課程」と呼ぶ表現も見られる。なお、学則で博士前期課程を修士課程と呼ぶと正式に定めている場合もある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "日本では、一般的には、修士の学位や専門職学位を授与された後に、後期3年の博士課程に進学できるようになっている形態が多い。しかし、一貫制博士課程を設けて修士水準から博士水準までの一貫教育を行う大学院もある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "修士課程・博士前期課程、専門職学位課程では、一般的に2年以上在学して要件を満たすことで学位の授与を受けることができる。授与される学位は、修士課程・博士前期課程では「修士の学位」、専門職学位課程では「専門職学位」である。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "「修士の学位」または「専門職学位」の授与を受けた後に、博士後期課程・後期3年博士課程で3年在学して要件を満たせば博士の学位の授与を受けることができる。また、「修士の学位」または「専門職学位」の授与を受けていなくても、一貫制博士課程で5年在学して要件を満たしても「博士の学位」の授与を受けることができる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "なお、以下の課程の分類においては、#学則等に見られる用法を用いた。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "博士前期課程、修士課程は、「広い視野に立って精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又はこれに加えて高度の専門性が求められる職業を担うための卓越した能力を培うこと」を目的としている。学部を卒業した者などが入学者選考試験を経て、合格したものが入学できる。標準修業年限は2年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは修業年限を短縮できる学校もある。修了するためには、規定の単位を取得し、研究指導を受け、各大学院による修士論文審査と試験に合格することが必要である。修士論文審査は、課程によっては、研究成果の審査(つまり修士論文を作成しなくてもよい)であることもある。修了すると修士の学位が授与される。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "博士後期課程・後期3年博士課程は、「専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと」を目的としている。修士の学位や専門職学位を授与された者などが入学者選考試験を経て、合格した者が入学できる。標準修業年限は3年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは標準修業年限を短縮できる学校もある。修了するためには、規定の単位を取得し、研究指導を受け、各大学院による博士論文審査と試験に合格することが必要である。修了すると博士の学位が授与される。(「課程博士・論文博士」も参照)",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "標準修業年限は3年であるが諸外国と同様、業績を得るためにそれ以上の年限在学する者も珍しくはない。そのため、経済的・将来性の面から断念(中途退学)する者が比較的多いのが博士課程の特徴である。また、修業年限以上在学したものの論文審査に合格できずに中退した者は単位取得退学、満期退学と呼ばれる。従来は、退学の場合でも研究業績によっては大学、国の研究機関等で正規の研究員として職を得ている者も少なくなかった。しかし、現在では、研究機関に職を得る時の応募条件として、博士の取得が条件となっていることが多い。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "一貫制博士課程は、前期2年および後期3年の課程の区分を設けない課程であり、「専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと」(大学院設置基準の1989年(平成元年)改正)を目的として一貫して教育を行う。この課程は、学部を卒業した者などが入学者選考を経て、合格した者が入学できる。修了するためには、規定の単位を取得し、研究指導を受け、各大学院による博士論文審査と試験に合格することが必要である。修業年限は5年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは修業年限を短縮できる学校もある。修了すると博士の学位が授与される。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "一貫制博士課程に入学し、前述の博士前期課程、修士課程の修了要件を満たした場合、大学院によっては、修士の学位が授与される。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "5年一貫制の博士課程で、民間企業や海外一流大学と連携して、世界最高水準の教育・研究を行う大学院を支援する「卓越大学院プログラム」が2018年度に導入された。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "4年制博士課程は、標準修業年限を4年としている、医学を履修する博士課程、歯学を履修する博士課程、6年制薬学系の大学の学部に接続している薬学を履修する博士課程、獣医学を履修する博士課程である。修了すると博士の学位が授与される。目的、修了要件、授与される学位は、一貫制博士課程と同様である。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "4年制博士課程に接続する学部の修業年限は6年であるため、4年制博士課程に入学できる者は、修業年限を6年とする大学の学部を卒業した者、修士の学位を授与された者、専門職学位を授与された者などである。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "専門職学位課程は、専門職大学院の課程であり、「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うこと」を目的としている。大学を卒業した者などが入学できるが、通例として入学者選考が課され、合格したもののみが入学できる。修了するためには、規定の単位の取得その他の教育課程の履修により課程を修了することが必要である。標準修業年限は、通例2年であるが、専攻分野によっては、1年以上2年未満である。修了すると修士(専門職)の専門職学位が付与される。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "法科大学院は、法曹養成のための特別な専門職学位課程である。修了するためには、規定の単位の取得が必要である。修業年限は3年。修了すると「法務博士(専門職)」の学位が授与される。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "主に夕刻から授業を始める大学院の課程であり、通常の研究科が夜間にも授業を行っている形態と「夜間において授業を行う研究科」(夜間研究科、夜間大学院)の形態の2種類がある。学部の夜間部(第2部)や「夜間において授業を行う学部」(夜間学部)の大学院版ともいえる。日中、仕事を持つ社会人などが、終業後に通学するなど利便性の点で、大学院の通信教育とともに注目されている。なお、修了して授与される学位は、大学院の(昼間において授業を行う)通常の課程を修了して授与されるものと同一のものである。なお、日本初の夜間大学院は1958年に開設された東京電機大学大学院工学研究科電気工学専攻である。また文科系における日本初の夜間大学院は、1990年開設の青山学院大学大学院国際マネジメント研究科である。さらに社会人を対象とする日本初の夜間大学院は1989年開設の筑波大学大学院修士課程教育研究科、経営・政策科学研究科(経営システム科学専攻)である。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "通信による教育を行う大学院の課程であり、大学通信教育を大学院で行うものである。「印刷教材等による授業」(印刷授業)、「面接授業」などの授業や、研究指導を経て学位が授与される。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "修士課程・博士前期課程では、放送大学大学院、明星大学大学院、東北福祉大学大学院、名古屋学院大学大学院、帝京平成大学大学院、中京大学大学院、吉備国際大学大学院、倉敷芸術科学大学大学院、人間総合科学大学大学院、桜美林大学大学院、東京福祉大学大学院、高野山大学大学院、東亜大学大学院、京都造形芸術大学大学院、京都産業大学大学院などがある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "また、博士後期課程には、放送大学大学院、明星大学大学院、佛教大学大学院、聖徳大学大学院、日本福祉大学大学院、九州保健福祉大学大学院などがある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "これまでの大学院教育では、学位の修得が即ち修了資格と不可分の関係にあり、修了するということは学位の修得を意味していた。 また、その学位の修得状況については修士の学位についてはともかく、一般に日本国内における人文科学、社会科学分野の博士号については、課程期間内で取得するのが困難で、単位取得満期退学で教職に就き、その後研究を積み重ね、定年近くになって名誉称号的に授与されるのが慣例になっていた。しかしながら近年、日本の慣例を嫌う留学生が日本への留学を回避したり、あるいは日本の大学の学生が海外の大学院へ流出したりするという状況が問題とされた。文部科学省が博士課程の本来の趣旨に従うよう指導を行うなど、現在では、諸外国や理系分野並に人文・社会系であっても博士課程在学中の博士号の取得が可能となる状況となっている。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "また、今日ではその大学院の修士課程及び専門職学位課程、または博士課程の定める学位の他に、他の大学との提携による他大学の学位修得の道が開かれている分野もあり、これをダブルディグリー・プログラムという。一方で、技術と知識の習得のみを前提とし学位の授与を行わないノンディグリー・プログラムも存在し、大学院教育の幅や選択肢は多岐に拡がりつつある。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "国際機関では、その機関の多くの職種において修士号以上の学歴を有することが求められる。",
"title": "日本"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "アメリカの学位は日本と同じように、修士と、研究者を目指す人が取得を目指す博士とがある。実学系の専攻の場合は一般に博士課程がないことが多く、逆にその他の学術系専攻の場合は博士まで進むことが多い。修士と博士が一貫した課程も多く、その場合は修士課程と博士課程が並列して存在するか、修士課程がなくて博士課程のみが存在し、研究者を目指す人は学部卒後すぐに博士課程に入る(自然科学系や工学系に多い。この場合でも、まず修士課程を履修することを奨められる場合もある)。",
"title": "アメリカ合衆国"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "修士の後に博士課程に入るか、学部卒後に博士課程に入るかのいずれが一般的かは分野による。一貫性博士課程で、途中退学する学生に修士号を授与する制度を設けているところもある。この場合、大学や分野によるがその修士号取得方法には、必要な単位数などを確保した上で主として2通りの方法がある。一つは、後述する適性試験に合格して取得する方法。もう一つは、適性試験を受験しないか不合格だった場合に修士論文を提出して審査を経て取得する方法、である。特に、博士課程の必要単位数も取得して適性試験に合格してから退学する場合は、日本でいう「博士課程単位取得退学」に相当する「All But Dissertation」あるいは「All But Thesis」と呼ばれることが多く、多くの大学で公式に認められている呼称である。また、この呼称は、在学中でも「あとは学位論文だけ」という立場の意味で用いられることがある。",
"title": "アメリカ合衆国"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "博士課程では、必須クラスを履修した後、研究論文を執筆する前に適性試験(Qualifying Examination。専攻分野の知識や技能を十分に有しているかを試す試験で、ほとんどの場合筆記試験である。この試験は日本では「大学院入学試験」にほぼ相当する)を受ける。合格した者だけが、博士号候補生(Ph.D candidate)として博士課程に残ることを許される。適性試験に落ちると博士課程に籍を置けなくなるが、再受験を許されることも多い。なお、この試験は「いつまでに合格しなければならない」という規定があることが多く、その場合は期限までに合格できなくても退学になってしまう。また、例えば学部卒から博士課程に入学した学生は入学後2年以内に、修士卒から入学した学生は1年以内に合格しなければならない、というように細かい規定を定めている場合もある。",
"title": "アメリカ合衆国"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "適性試験の試験内容は、専門科目の試験(一般に複数の科目に分かれており、2つ以上を要求される場合もある)と、大学や分野によってはさらに外国語やプログラミング言語の試験が課されるところもある。以前は日本語も外国語として多くの大学で採用されていたが、現在ではほとんどの大学で廃止され、フランス語、ドイツ語、ロシア語などが主流である。",
"title": "アメリカ合衆国"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "外国語の試験方法は、その言語で書かれた自分の専門分野の専門書の文章を英訳する、などの方法で行われることが多いが、中には口頭による会話試験を課す大学もある。現在では、これらの外国語試験は廃止する大学が増えてきている。英語が既に学術界においての共用語としての地位を確立しており(これには冷戦の終結なども関係している)、さらに、一般的には専門科目についての学術的な成功にこれら外国語の能力はあまり影響が無い上に、専門分野において類希な才能や業績のある人でも、外国語の試験をパスできずに博士号を取得できなかったという例もあったためである。",
"title": "アメリカ合衆国"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "適性試験に合格すれば学位取得のための研究を開始することを認められる。研究成果がうまく実れば、それを学会で発表し、査読付き学術雑誌に論文を投稿・掲載し、十分に研究の経験を積んだと判断されれば、学位論文としてそれらをまとめ、いよいよ博士号取得のための最後の口頭試験である「最終防衛試験(Final Defence Examination、Final Oral、Thesis Defence、など。専門の教授陣からの鋭い質問や指摘から“防御”することからこのように呼ばれる。日本での「学位論文口頭発表会」にほぼ相当する)」を受けることができる。再受験が許されることも多いものの、この試験に落ちても退学になってしまう(最終防衛試験を受けずに博士号の授与が認められる場合もある。ただし、その場合は普通、受験すれば確実に合格であると見込まれている実力・業績のある場合に限られる)。しかし、この口頭試験は大学や分野によっては、大学院での研究業績や苦労を称える儀式の場という位置付けのところもある(この場合、査読に耐え得る一定のレベル以上の研究成果を出せるかどうかが鍵となる)。また、家族や友人を招待して自分の研究成果を説明するセクションが設けられている場合もあり、その場合はそのセクションの後に、大学の教授陣を含む専門家向けの発表・口答試験を行うことになる。",
"title": "アメリカ合衆国"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "試験が終われば受験者は部屋からの退室を命じられ、試験官達がすぐその場で合格か不合格かを合議する。結果が決まれば受験者は再び入室するように言われ、そこで試験の結果を伝えられる。合格すれば晴れて博士を名乗ることを許され卒業となり、合格した場合に備えて祝賀パーティーが準備されていることもある。なお、この口頭試験は大学や分野によっては、独特の雰囲気や伝統がある。",
"title": "アメリカ合衆国"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "アメリカ合衆国も学位の認定は緩くなっており、かつてなら「DM」 (Doctor of Music)だったのが、「Ph.D」に格上げされるなど、意識に変化がみられる。",
"title": "アメリカ合衆国"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "アメリカ合衆国"
}
] | 大学院とは、学問の理論と応用について研究するとともに、主として学士の学位を取得した者を対象として教育を行い、上級学位(修士、専門職学位、博士)を付与する高等教育機関である。国際標準教育分類(ISCED2011)ではレベル7と8に分類される。「修士課程(博士前期課程)」「専門職学位課程」「博士課程(博士後期課程)」がある。大学院のうち、特に専門職学位の授与を目的とする大学院を専門職大学院という。 | '''大学院'''(だいがくいん、{{lang-en-short|Graduate school}})とは、[[学問]]の[[理論]]と[[応用科学|応用]]について[[研究]]する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1335436.htm|title=3 大学院の目的・役割|publisher=[[文部科学省]][[中央教育審議会]]|date=2005-06-13|accessdate=2022-09-05}}</ref>とともに、主として[[学士]]の学位を取得した者を対象として教育を行い、上級学位([[修士]]、[[専門職学位]]、[[博士]])を付与する[[高等教育]]機関である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.grad.wisc.edu/education/admissions/requirements.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2011年9月23日 |archiveurl=https://archive.is/20120805060802/http://www.grad.wisc.edu/education/admissions/requirements.html |archivedate=2012年8月5日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>http://wordnetweb.princeton.edu/perl/webwn?s=graduate%20school</ref>。[[国際標準教育分類]](ISCED2011)ではレベル7と8に分類される{{Sfn|OECD|2014|pp=22-23}}。「[[大学院#修士課程・博士前期課程|修士課程]]([[大学院#修士課程・博士前期課程|博士前期課程]])」「[[大学院#専門職学位課程|専門職学位課程]]」「[[大学院#博士後期課程・後期3年博士課程|博士課程]]([[大学院#博士後期課程・後期3年博士課程|博士後期課程]])」がある。大学院のうち、特に専門職学位の授与を目的とする大学院を[[専門職大学院]]という。
== 概要 ==
大学院には「'''[[修士]]課程'''('''博士前期課程'''、Master's course)」「'''[[専門職学位]]課程'''(Professional course)」「'''[[博士]]課程'''('''[[博士]]後期課程'''、Doctor's course)」があり、各課程を修了し、かつ所定の基準を満たした場合に、修士、専門職学位、博士の'''[[学位]]'''が授与される。
[[アメリカ合衆国]]や[[カナダ]]においては学部レベルの部局とは別に大学院レベルの教育を行う部局として{{lang|en|"graduate school"}}が設置されている大学が多い。一方で多くの英語圏諸国([[イギリス]]、[[オーストラリア]]、カナダ、[[アイルランド]]、[[インド]]、[[バングラデシュ]]、[[ニュージーランド]])では各専門部局において学部教育と{{lang|en|"postgraduate education"}}と呼ばれる大学院教育が同時に行われている。
大学院に通う学生を、[[アメリカ英語]]と[[イギリス英語]]では{{lang|en|"graduate students"}}と呼ぶ。またイギリス英語では{{lang|en|"postgraduate students"}}、{{lang|en|"postgraduates"}}、{{lang|en|"postgrads"}}と呼ばれることがある。[[日本]]では[[大学院生]]などと呼ばれる。
上級学位をとるための制度は国によって多少異なる。日本やアメリカなど多くの国では大学院に学生として所属し、必要な履修受講をした講義の単位を修得した上で[[論文#学位請求論文|論文]]を書き、学位を取得するのが通常である。一方で、[[ドイツ]]などでは博士取得を目指す者は、[[教員]]に指導を受けるとしても、学生となるとは限らない。[[日本]]においても、学生として大学に所属せずに[[論文]]を書き、大学に提出して審査を経て博士の学位を取得する[[論文博士]]の制度が残されている。
また、大学院は教育だけでなく、大学における研究活動を行う機関である。研究及びこれを通じた高度な人材の育成に重点を置き、世界で激しい[[学術]]の競争を続けてきている大学グループとして、'''RU11'''がある。RU11の構成大学は、[[北海道大学]]、[[東北大学]]、[[東京大学]]、[[早稲田大学]]、[[慶應義塾大学]]、[[名古屋大学]]、[[京都大学]]、[[大阪大学]]、[[九州大学]]、[[筑波大学]]、[[東京工業大学]]の11大学である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ru11.jp/about.html |title=RU11とは |publisher=学術研究懇談会 |accessdate=2016-11-21}}</ref>。
政府の統計によると、[[文系と理系|文系理系]]の合算データでは40歳代以上で年収700万円以上の労働者の比率は大学の学部出身者で30%、大学院出身者で50%以上である<ref>[https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?tclass=000001048178&cycle=&layout=datalist (年齢,従業上の地位・雇用形態,所得,男女,教育別有業者数)]</ref>。
== 歴史 ==
[[1876年]]、[[アメリカ合衆国]]の[[ジョンズ・ホプキンス大学]]に世界で初めて「大学院」が設置された<ref name="JE">『大学・高等教育の経営戦略』(日本教育経営学会) 69頁</ref>。
日本では、[[1880年]]([[明治]]13年)に[[東京大学 (1877-1886)|東京大学]]の[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法]]・[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|文]]・[[東京大学大学院理学系研究科・理学部|理]]の3学部に設置された「学士研究科」が大学院の起源とされる<ref name="JE"/>。[[1886年]](明治19年)の[[帝国大学令]]により、[[帝国大学]]は「[[分科大学]]」(後の[[学部]])と「大学院」とで構成されると規定され、各帝国大学に大学院が設置されていくことになる。また、[[1887年]](明治20年)の[[学位令]]により、[[博士]]号の授与が行われるようになった。[[1918年]]([[大正]]7年)の[[大学令]]により、帝国大学以外にも大学が設置可能となった。だが帝国大学が学部と「大学院」とで構成されるのに対し、帝国大学以外の大学は学部と「研究科」で構成されることになり、「大学院」の設置は認められなかった<ref>『現代大学の変革と政策: 歴史的・比較的考察』(喜多村和之 著) 87頁</ref>。
[[太平洋戦争]]後に[[新制大学]]になって、大学院の設置が旧帝国大学以外でも可能になった。1947年(昭和22年)制定の[[学校教育法]]は第62条および第65条~第68条等で大学院について規定している<ref>[https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317990.htm 学校教育法(昭和二十二年三月二十九日法律第二十六号)]文部科学省(2018年10月25日閲覧)。</ref>。
1974年(昭和49年)には文部[[省令]]として[[大学院設置基準]]が定められた<ref name="kijun">[https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1335436.htm 中央教育審議会 > 新時代の大学院教育-国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて-中間報告 > 新時代の大学院教育-国際的に魅力ある大学院教育の構築に向けて-附属資料 > 3.大学院の目的・役割]文部科学省(2018年10月25日閲覧)。</ref>。
[[1991年]]に[[文部科学省]]の[[大学審議会]]が、大学院の量的整備の緩和を答申した。それまで研究者養成機関と考えられていた大学院に、高度職業人を養成するための[[夜間大学院]]や[[専門職大学院]]などが加わり、院生の数が大幅に増加した。
[[2003年]]([[平成]]15年度)に、専門職において修士課程相当の教育を行う[[専門職大学院]]の制度が作られて以降は、学部を持たず大学院を置く大学(いわゆる[[大学院大学]])も増加した。
== 日本 ==
{{Seealso|日本の高等教育}}
日本では、[[大学]]の'''[[学部]]'''課程の上に設けられ、[[学術]]の[[理論]]および応用を[[教育研究]]し、[[文化_(代表的なトピック)|文化]]の進展に寄与することを目的とするものである([[学校教育法]](以下「法」)第99条)。
大学院は法第102条に基づき、下記のいずれかに該当する者が対象となる。
* '''大学の学部'''を[[卒業]]した者。
* 文部科学大臣(以下「大臣」)の定めるところにより、上記と同等以上の[[学力]]があると認められた者。具体的には[[学校教育法施行規則]]第155条に基づき、下記のいずれかに該当する者。<ref>{{Cite web|和書|title=修士課程・博士課程(前期)の入学資格について:文部科学省 |url=https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shikaku/07111316.htm |website=www.mext.go.jp |accessdate=2022-01-29}}</ref>
:1.法第104条<ref>{{Cite web|和書|title=学校教育法 {{!}} e-Gov法令検索 |url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000026#Mp-At_104 |website=elaws.e-gov.go.jp |accessdate=2022-01-29}}</ref>第7項の規定により、[[独立行政法人]][[大学改革支援・学位授与機構]]から学士の学位を授与された者。
:2.外国において、学校教育における16年<ref group="注">医学を履修する博士課程、歯学を履修する博士課程、薬学を履修する博士課程(当該課程に係る研究科の基礎となる学部の[[修業年限]]が6年であるものに限る)または獣医学を履修する博士課程への入学については18年。</ref>の課程(以下「16年の課程」)を修了した者。
:3.外国の学校が行う通信教育における授業科目を我が国において履修することにより、16年の課程を修了した者。
:4.我が国において、外国の大学の課程<ref group="注">その修了者が当該外国において、16年の課程を修了したとされるものに限る。</ref>を有するものとして、当該外国の学校教育制度において位置づけられた教育施設であって、大臣が別に指定するものの当該課程を修了した者。
:4の2.外国の大学その他の外国の学校<ref group="注">その教育研究活動等の総合的な状況について、当該外国の政府または関係機関の認証を受けた者による評価を受けた者、またはこれに準ずる者として文部科学大臣が別に指定する者に限る。</ref>において、修業年限が3年<ref group="注">医学を履修する博士課程、歯学を履修する博士課程、薬学を履修する博士課程または獣医学を履修する博士課程への入学については5年。</ref>以上である課程を修了すること<ref group="注">当該外国の学校が行う通信教育における授業科目を我が国において履修することにより、当該課程を修了することおよび当該外国の学校教育制度において位置づけられた教育施設であって、前号の指定を受けたものにおいて課程を修了することを含む。</ref>により、学士の学位に相当する学位を授与された者。
:5.[[専修学校]]の専門課程([[専門学校]])<ref group="注">修業年限が4年以上であること、その他の大臣が定める基準を満たす者に限る。</ref>で、大臣が別に指定するものを大臣が定める日以後に修了した者。
:6.大臣の指定した者。
:7.法第102条第2項の規定により大学院に入学した者であって、当該者をその後に入学させる大学院において、大学院における教育を受けるにふさわしい学力があると認めた者。
:8.大学院において、個別の入学資格審査により大学を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者で、22歳<ref group="注">医学を履修する博士課程、歯学を履修する博士課程、薬学を履修する博士課程、または獣医学を履修する博士課程への入学については24歳。</ref>に達した者。
大学院には、'''博士前期課程'''、'''博士後期課程'''、'''一貫制博士課程'''、'''後期3年博士課程'''、'''4年制博士課程'''、'''修士課程'''、'''専門職学位課程'''などと通称される多数の課程がある。
{| class="wikitable" style="font-size:90%; margin-left:2em"
! style="min-width:6em"| 課程
! 修士課程
! 博士課程
! [[専門職学位]]課程
|-
|{{rh}}| 概要
|広い視野に立って精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又はこれに加えて高度の専門性が求められる職業を担うための卓越した能力を培うこと<ref>大学院設置基準第3条第1項</ref>。
|専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行うこと。又、その他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと<ref>大学院設置基準第4条第1項</ref>。
|高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うこと<ref>[[専門職大学院]]設置基準第2条第1項</ref>。
|-
|{{rh}}| 付与される<br>学位
| [[修士]]
| [[博士]]
| [[専門職学位]]
|}
大学の中に[[学部]]と[[研究科]]が置かれており、大学院では専攻分野の大きな括りを「[[研究科]]」、研究科の分野を細分したものを「[[専攻]]」と呼んでいる。ただし、[[2000年]](平成12年)[[4月1日]]以降は異なった名称・形態の下部組織も現れた。大学院には「修士課程」「博士課程」「専門職学位課程」がある。更に細分化された課程が置かれている場合もある。
大学院に進学するためには、一般的には大学の学部を卒業するか、大学改革支援・学位授与機構より授与されるかして学士の学位を取得するか、個別の入学資格審査に合格し学部卒業と同等の学力を有すると認められる必要がある。大学院によっては、学部の卒業を経ない飛び級の制度を設けている場合もある。その後、大学院に進学し大学院の課程を修了した者は、その課程に応じて[[修士]]号、[[博士]]号、[[専門職学位]]の[[学位]]が授与される。修士号、博士号、専門職学位はAdvanced Degree(上級学位)と呼ばれる。
=== 授与される学位 ===
大学は、学位規則(昭和28年[[文部省令]]第9号)などに基づき、大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了した者に対し、'''[[修士]]'''または'''[[博士]]'''の学位を、専門職大学院の課程を修了した者に対し'''[[専門職学位]]'''を授与する<ref>学校教育法第104条第1項</ref>。
大学は、学位規則などに基づき、大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで博士の学位を授与された者と同等以上の学力があると認める者に対し、[[博士]]の学位を授与することができる<ref>学校教育法第104条第2項</ref>。大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで授与をされる博士の学位を'''[[博士#博士学位の取得方法|課程博士]]'''と呼ぶことがある。また、「大学院(専門職大学院を除く)の課程を修了することで博士の学位を授与された者」と同等以上の学力があると認められて授与される博士の学位を'''[[博士#博士学位の取得方法|論文博士]]'''と呼ぶことがある。いずれも学位規則等に規定された正式な呼称ではなく、一般的には、どちらの取得方法であっても同じ博士の学位として扱われる。
=== 設置基準 ===
日本の教育制度においては、大学院は、大学に置くことができる([[学校教育法]]第97条)、とされている。
大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥を究め、または高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与することを目的とする(学校教育法第99条第1項)。
また、大学院のうち、学術の理論および応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識および卓越した能力を培うことを目的とするものは、[[専門職大学院]]とされる<ref>学校教育法第99条第2項</ref>。
大学院を置く大学には、研究科を置くことを常例とされる<ref>学校教育法第100条</ref>。研究科は、専門分野に応じて、教育研究上の目的から組織されるものである<ref>[[大学院設置基準]]第5条</ref>。
ただし、当該大学の教育研究上の目的を達成するため有益かつ適切である場合においては、[[文部科学大臣]]の定めるところにより、研究科以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができる<ref>学校教育法第100条ただし書き</ref>。研究科以外の教育研究上の基本となる組織を置くことができるようになったのは、2000年4月1日からである。この日に、[[九州大学]]の全ての大学院が、学生が所属する教育部として学府、教員が所属する研究部として研究院という組織を持つ大学院へと改組された。東京大学では新たに教育部として学府を、研究部として学環を持つ大学院情報学環・学際情報学府が設置された。
大学院には、二つ以上の大学が協力して教育研究を行う研究科・課程をおくことができる方式が二つある。一つ目は、連合研究科(れんごうけんきゅうか)、[[連合大学院]]などと呼ばれる方式(大学院設置基準第7条)で、例えば、[[東京学芸大学]]、[[横浜国立大学]]、[[千葉大学]]、[[埼玉大学]]よりなる東京学芸大学大学院[[連合学校教育学研究科]](教育学の博士課程)がある。その他に[[連合農学研究科]]、[[連合獣医学研究科]]、[[連合小児発達学研究科]]がある。二つ目は、[[共同教育課程]]を編成する方式(大学院設置基準第31条)で、共同大学院ともよばれ、例えば[[東京女子医科大学]]と[[早稲田大学]]による共同先端生命医科学専攻がある。なお、連合大学院では基幹となる研究科に組織を設置し、教員・学生は基幹校に所属し、基幹校の名義の学位を出す一方、共同教育課程ではすべての構成大学に組織を設置し、教員・学生はすべての構成大学に所属し、全ての構成大学の連名で学位を出すといった違いがある。
[[2000年]]代以降は、大学院において専門の教育と訓練を受けた、各分野において指導的役割を果たす、高度で専門的な職業能力を有する人材([[高度専門職業人]])の養成という社会的な要望から、主に社会人の経歴を有する者を教育する大学院の課程([[社会人大学院]]などとも呼ぶ)の設置も相次いでいる。
[[2003年]]度からは、専門職大学院の制度が作られ、法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的とする[[法科大学院]]などが作られた。専門職大学院については、学術の理論および応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識および卓越した能力を培うことが要求される。
大学院の設置基準としては、大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)などがあり、専門職大学院に関しては、加えて、専門職大学院設置基準(平成15年文部科学省令第16号)などが適用される。
==== 研究大学 ====
[[文部科学省]]は国際競争力の向上のため「[[研究大学強化促進事業]]」を打ち出し、学部よりも大学院に重点を置いている大学を'''[[研究大学]]'''と銘打って、他の大学よりも大きな補助金を与えている。文部科学省により選出された研究大学は、[[北海道大学]]、[[東北大学]]、[[筑波大学]]、[[東京大学]]、[[東京工業大学]]、[[東京医科歯科大学]]、[[電気通信大学]]、[[名古屋大学]]、[[豊橋技術科学大学]]、[[京都大学]]、[[大阪大学]]、[[奈良先端科学技術大学院大学]]、[[神戸大学]]、[[広島大学]]、[[岡山大学]]、[[九州大学]]、[[熊本大学]]、[[慶應義塾大学]]、[[早稲田大学]]である。<ref>[https://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/sokushinhi/ 研究大学強化促進事業]</ref>
==== 専門職大学院 ====
{{Main|専門職大学院}}
==== 大学院大学 ====
{{Main|大学院大学}}
[[File:JAIST.JPG|thumb|right|[[北陸先端科学技術大学院大学]]]]
日本においては、大学には学部(学部以外の教育研究上の基本となる組織を含む。以下この項で「学部等」という)を置くことを常例としている<ref>学校教育法第85条</ref>。しかし教育研究上特別の必要がある場合においては、学部等を置くことなく大学院を置くものを大学とすることができる<ref>学校教育法第103条</ref>。この大学は[[大学院大学]](だいがくいんだいがく)などと呼ばれる。
日本初の大学院大学は1982年に財界主導で設立された[[国際大学]]である。大学院大学でない大学では、例えば工学部に対する工学研究科のように学部名と同一の名称をもつ、あるいは同一名称でなくとも直接関連する大学院を置くことが多く、これを2階建て大学院という。それに対して対応する学部を持たない大学院研究科は独立大学院あるいは独立研究科と呼ばれる。大学院大学のうち、大学以外の研究機関と協力しているものは、連携大学院(れんけいだいがくいん)などと呼ばれることもある。
{{Seealso|Category:日本の大学院大学}}
=== 課程 ===
大学院には各種の課程がある。大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)においては、修士課程、博士課程、そして専門職学位課程(専門職大学院の課程)の3種類の課程が規定されている。専門職大学院の課程は組織上、各大学が置く大学院に専門職学位課程として置かれる。大学院を置く各大学の学則などでの運用においては、3種類の課程について細かく分けたり、合わせたりして呼称している。各大学の学則などにおける呼称としては、主に修士課程・博士前期課程、博士後期課程・後期3年博士課程、一貫制博士課程、4年制博士課程、そして専門職学位課程などがある。
==== 各種定義と用法 ====
大学院における課程について表現するにあたってはいくつかの方法があり、方法ごとに意味が異なっている。
===== 大学院設置基準によるもの =====
[[File:graduatecourse1.png|right|frame]]
大学院設置基準に定められている大学院の課程は、「修士課程」「博士課程」、そして「専門職学位課程」の3種となっている<ref>大学院設置基準第2条</ref>。
* '''修士課程'''は、学部卒業後の標準修業年限が一般に2年である課程であり<ref>大学院設置基準第3条第2項</ref>、修了した者には修士の学位が授与される<ref name="名前なし-20230316115200">学校教育法第104条第3項</ref>。
* '''博士課程'''は、学部卒業後の標準修業年限が一般に5年の課程であり<ref>大学院設置基準第4条第2項</ref>、修了した者には博士の学位が授与される<ref name="名前なし-20230316115200"/>。この博士課程は、さらに以下のように区分される。
** 前期2年と後期3年に区分、または区分を設けないもの<ref>大学院設置基準第4条第3項</ref>
*** 前期2年前期2年と後期3年に区分するもの<ref group="注">学則等では主に「博士前期課程」「博士後期課程」などと呼称。</ref>。なお、前期2年の課程は修士課程とみなすことになっている<ref>大学院設置基準第4条第4項</ref>。
*** 区分を設けないもの<ref group="注">学則等では主に「一貫制博士課程」などと呼称。</ref>
** 後期3年のみのもの<ref>大学院設置基準第4条第5項</ref><ref group="注">学則等では主に「後期3年博士課程」などと呼称。</ref>
** 修業年限が6年の学部に接続する、医学・歯学・臨床薬学・獣医学を履修するもの(修業年限が4年の課程)<ref>大学院設置基準第44条</ref><ref group="注">学則等では主に「4年制博士課程」などと呼称。</ref>
* '''専門職学位課程'''は、修了した者には文部科学大臣の定める学位<ref name="名前なし-20230316115200"/>(専門職学位<ref>学位規則第5条の2</ref>)が授与される課程であり、学部卒業後の標準修業年限は一般に2年以内であるが<ref>専門職大学院設置基準第2条第2項</ref>、法科大学院<ref group="注">専ら法曹の養成を行う課程。</ref><ref>専門職大学院設置基準第18条第1項</ref>の標準修業年限は3年<ref>専門職大学院設置基準第18条第2項</ref>、教職大学院<ref group="注">専ら小学校等教員の養成を行う課程。</ref><ref>専門職大学院設置基準第26条第1項</ref>の標準修業年限は2年である<ref>専門職大学院設置基準第26条第2項</ref>。
{{-}}
===== 学則等に見られる用法 =====
[[File:graduatecourse2.png|right|frame]]
各大学によって異なるが、しばしば学則等では、「修士課程」「博士前期課程」「博士後期課程」「一貫制博士課程」「後期3年博士課程」「4年制博士課程」「専門職学位課程」などに区分する方法が見られる。
* '''修士課程'''は、学部卒業後の修業年限を2年とし、修士の学位が授与される課程である。下記の博士後期課程が設けられていない場合に設置される。
* '''博士課程'''は、博士の学位が授与される課程であるが、学則等では以下のように区分される。
** 学部卒業後の修業年限を5年とする課程については、以下のように区分される。
*** '''博士前期課程'''および'''博士後期課程'''は、学部卒業後の修業年限を前期2年と後期3年に区分する課程である。
*** '''一貫制博士課程'''は、上記と異なり前期2年と後期3年に区分しない5年一貫制の課程である。
** '''後期3年博士課程'''は、後期3年のみの課程である。
** '''4年制博士課程'''は、修業年限が6年の学部に接続する、医学・歯学・臨床薬学・獣医学を履修するもの(修業年限が4年の課程)である。
* '''専門職学位課程'''は、修了した者には専門職学位が授与されるという専門職大学院の課程である。
{{-}}
===== 俗な用法 =====
[[画像:graduatecourse3.png|right|frame]]
俗な用法においては、学則等で用いられる「修士課程」と「博士前期課程」について単に「修士課程」と呼び、学則等で用いられる「博士後期課程」「一貫制博士課程」「後期3年博士課程」「4年制博士課程」を「博士課程」と呼ぶ表現も見られる。なお、学則で博士前期課程を修士課程と呼ぶと正式に定めている場合もある<ref>[https://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/reiki_int/reiki_honbun/u0740334001.html 東京大学大学院学則]第2条第2項および同条第3項</ref>。
{{-}}
==== 教育内容 ====
日本では、一般的には、修士の学位や専門職学位を授与された後に、後期3年の博士課程に進学できるようになっている形態が多い。しかし、一貫制博士課程を設けて修士水準から博士水準までの[[一貫教育]]を行う大学院もある。
修士課程・博士前期課程、専門職学位課程では、一般的に2年以上在学して要件を満たすことで[[学位]]の授与を受けることができる。授与される学位は、修士課程・博士前期課程では「[[修士]]の学位」、専門職学位課程では「[[専門職学位]]」である。
「[[修士]]の学位」または「専門職学位」の授与を受けた後に、博士後期課程・後期3年博士課程で3年在学して要件を満たせば[[博士]]の学位の授与を受けることができる。また、「[[修士]]の学位」または「専門職学位」の授与を受けていなくても、一貫制博士課程で5年在学して要件を満たしても「[[博士]]の学位」の授与を受けることができる。
なお、以下の課程の分類においては、[[#学則等に見られる用法]]を用いた。
==== 修士課程・博士前期課程 ====
博士前期課程、修士課程は、「広い視野に立って精深な学識を授け、専攻分野における研究能力又はこれに加えて高度の専門性が求められる職業を担うための卓越した能力を培うこと」を目的としている。学部を卒業した者などが入学者選考試験を経て、合格したものが[[入学]]できる。標準[[修業年限]]は2年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは修業年限を短縮できる学校もある。[[修了]]するためには、規定の[[単位]]を取得し、研究指導を受け、各大学院による修士論文審査と試験に合格することが必要である。修士論文審査は、課程によっては、研究成果の審査(つまり修士論文を作成しなくてもよい)であることもある。修了すると'''[[修士]]'''の学位が授与される。
==== 博士後期課程・後期3年博士課程 ====
{{Anchors|博士後期課程|後期3年博士課程}}
博士後期課程・後期3年博士課程は、「専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと」を目的としている。修士の学位や[[専門職学位]]を授与された者などが入学者選考試験を経て、合格した者が入学できる。標準修業年限は3年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは標準修業年限を短縮できる学校もある。修了するためには、規定の単位を取得し、研究指導を受け、各大学院による博士論文審査と試験に合格することが必要である。修了すると[[博士]]の学位が授与される。''(「[[博士#博士学位の取得方法|'''課程博士・論文博士''']]」も参照)''
標準修業年限は3年であるが諸外国と同様、業績を得るためにそれ以上の年限在学する者も珍しくはない。そのため、経済的・将来性の面から断念(中途[[退学]])する者が比較的多いのが博士課程の特徴である。また、修業年限以上在学したものの論文審査に合格できずに中退した者は単位取得退学、満期退学と呼ばれる。従来は、退学の場合でも研究業績によっては大学、国の研究機関等で正規の研究員として職を得ている者も少なくなかった。しかし、現在では、研究機関に職を得る時の応募条件として、博士の取得が条件となっていることが多い。
==== 一貫制博士課程 ====
一貫制博士課程は、前期2年および後期3年の課程の区分を設けない課程であり、「専攻分野について、研究者として自立して研究活動を行い、又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うこと」(大学院設置基準の1989年(平成元年)改正)<ref name="kijun"/>を目的として一貫して教育を行う。この課程は、学部を卒業した者などが入学者選考を経て、合格した者が入学できる。修了するためには、規定の単位を取得し、研究指導を受け、各大学院による博士論文審査と試験に合格することが必要である。修業年限は5年。ただし、在学中に特に優れた成果を挙げたものは修業年限を短縮できる学校もある。修了すると'''博士'''の学位が授与される。
一貫制博士課程に入学し、前述の博士前期課程、修士課程の修了要件を満たした場合、大学院によっては、'''修士'''の学位が授与される。
==== 卓越大学院 ====
5年一貫制の博士課程で、民間企業や海外一流大学と連携して、世界最高水準の教育・研究を行う大学院を支援する「卓越大学院プログラム」が2018年度に導入された<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/30/10/1409731.htm 平成30年度「卓越大学院プログラム」の選定結果]文部科学省(2018年10月3日)2018年10月25日閲覧。</ref>。
==== 4年制博士課程(後期4年制博士課程) ====
4年制博士課程は、標準修業年限を4年としている、医学を履修する博士課程、歯学を履修する博士課程、6年制薬学系の大学の学部に接続している薬学を履修する博士課程、獣医学を履修する博士課程である。修了すると'''博士'''の学位が授与される。目的、修了要件、授与される学位は、一貫制博士課程と同様である。
4年制博士課程に接続する学部の修業年限は6年であるため、4年制博士課程に入学できる者は、修業年限を6年とする大学の学部を卒業した者、修士の学位を授与された者、専門職学位を授与された者などである。
==== 専門職学位課程 ====
{{Main|専門職学位}}
専門職学位課程は、[[専門職大学院]]の課程であり、「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うこと」を目的としている。大学を卒業した者などが入学できるが、通例として入学者選考が課され、合格したもののみが入学できる。修了するためには、規定の単位の取得その他の教育課程の履修により課程を修了することが必要である。標準修業年限は、通例2年であるが、専攻分野によっては、1年以上2年未満である。修了すると'''[[専門職学位#専門職学位の名称|修士(専門職)]]'''の[[専門職学位]]が付与される。
[[法科大学院]]は、法曹養成のための特別な専門職学位課程である。修了するためには、規定の単位の取得が必要である。修業年限は3年。修了すると「'''[[法務博士(専門職)]]'''」の学位が授与される。
{{Seealso|Category:専門職学位}}
=== 夜間授業・通信教育 ===
==== 大学院の夜間授業 ====
主に夕刻から授業を始める大学院の課程であり、通常の研究科が夜間にも授業を行っている形態と「夜間において授業を行う研究科」(夜間研究科、[[夜間大学院]])の形態の2種類がある。学部の夜間部(第2部)や「夜間において授業を行う学部」(夜間学部)の大学院版ともいえる。日中、仕事を持つ[[社会人]]などが、終業後に通学するなど利便性の点で、大学院の[[通信教育]]とともに注目されている。なお、修了して授与される[[学位]]は、大学院の(昼間において授業を行う)通常の課程を修了して授与されるものと同一のものである。なお、日本初の夜間大学院は1958年に開設された[[東京電機大学]]大学院工学研究科電気工学専攻である。また文科系における日本初の夜間大学院は、1990年開設の[[青山学院大学]]大学院国際マネジメント研究科である。さらに社会人を対象とする日本初の夜間大学院は1989年開設の[[筑波大学]]大学院修士課程教育研究科、経営・政策科学研究科(経営システム科学専攻)である。
==== 大学院の通信教育 ====
[[通信]]による[[教育]]を行う大学院の課程であり、[[大学通信教育]]を大学院で行うものである。「印刷教材等による授業」(印刷授業)、「[[スクーリング|面接授業]]」などの授業や、研究指導を経て学位が授与される。
修士課程・博士前期課程では、[[放送大学]]大学院、[[明星大学]]大学院、[[東北福祉大学]]大学院、[[名古屋学院大学]]大学院、[[帝京平成大学]]大学院、[[中京大学]]大学院、[[吉備国際大学]]大学院、[[倉敷芸術科学大学]]大学院、[[人間総合科学大学]]大学院、[[桜美林大学]]大学院、[[東京福祉大学]]大学院、[[高野山大学]]大学院、[[東亜大学]]大学院、[[京都造形芸術大学]]大学院、[[京都産業大学]]大学院などがある。
また、[[博士後期課程]]には、[[放送大学]]大学院、[[明星大学]]大学院、[[佛教大学]]大学院、[[聖徳大学]]大学院、[[日本福祉大学]]大学院、[[九州保健福祉大学]]大学院などがある。
=== 学位の取得について ===
これまでの大学院教育では、学位の修得が即ち修了資格と不可分の関係にあり、修了するということは学位の修得を意味していた。
また、その学位の修得状況については修士の学位についてはともかく、一般に日本国内における人文科学、社会科学分野の博士号については、課程期間内で取得するのが困難で、単位取得満期退学で教職に就き、その後研究を積み重ね、定年近くになって名誉称号的に授与されるのが慣例になっていた。しかしながら近年、日本の慣例を嫌う留学生が日本への留学を回避したり、あるいは日本の大学の学生が海外の大学院へ流出したりするという状況が問題とされた。文部科学省が博士課程の本来の趣旨に従うよう指導を行うなど、現在では、諸外国や理系分野並に人文・社会系であっても博士課程在学中の博士号の取得が可能となる状況となっている。
また、今日ではその大学院の修士課程及び専門職学位課程、または博士課程の定める学位の他に、他の大学との提携による他大学の学位修得の道が開かれている分野もあり、これをダブルディグリー・プログラムという。一方で、技術と知識の習得のみを前提とし学位の授与を行わないノンディグリー・プログラムも存在し、大学院教育の幅や選択肢は多岐に拡がりつつある。
=== 国際機関 ===
国際機関では、その機関の多くの職種において修士号以上の学歴を有することが求められる。
; 代表的な国際機関
: [[国際連合]]、[[国際連合開発計画]]、[[世界銀行]]等。
; JPO派遣制度
: 外務省として派遣可能な国際機関に関連する分野における大学院修士課程を修了していることが必要。
:
== アメリカ合衆国 ==
{{Seealso|アメリカ合衆国の教育#大学院|アメリカ合衆国の高等教育|留学#米国大学院留学}}
アメリカの学位は日本と同じように、[[修士 (学位)|'''修士''']]と、研究者を目指す人が取得を目指す[[学位#博士の学位|'''博士''']]とがある。実学系の専攻の場合は一般に博士課程がないことが多く、逆にその他の学術系専攻の場合は博士まで進むことが多い。修士と博士が一貫した課程も多く、その場合は修士課程と博士課程が並列して存在するか、修士課程がなくて博士課程のみが存在し、研究者を目指す人は学部卒後すぐに博士課程に入る(自然科学系や工学系に多い。この場合でも、まず修士課程を履修することを奨められる場合もある)。
修士の後に博士課程に入るか、学部卒後に博士課程に入るかのいずれが一般的かは分野による。一貫性博士課程で、途中退学する学生に修士号を授与する制度を設けているところもある。この場合、大学や分野によるがその修士号取得方法には、必要な単位数などを確保した上で主として2通りの方法がある。一つは、後述する適性試験に合格して取得する方法。もう一つは、適性試験を受験しないか不合格だった場合に修士論文を提出して審査を経て取得する方法、である。特に、博士課程の必要単位数も取得して適性試験に合格してから退学する場合は、日本でいう「博士課程単位取得退学」に相当する「All But Dissertation」あるいは「All But Thesis」と呼ばれることが多く、多くの大学で公式に認められている呼称である。また、この呼称は、在学中でも「あとは学位論文だけ」という立場の意味で用いられることがある。
博士課程では、必須クラスを履修した後、研究論文を執筆する前に'''適性試験'''(Qualifying Examination<ref>「適性試験」という日本語訳については、以下の資料による。[https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/004/gijiroku/attach/1311279.htm 中央教育審議会 > 大学分科会 > 大学院部会 > 大学院部会(第55回)配付資料 > 資料6 Qualifying examsについてのコメント【菅委員提出資料】]文部科学省(2018年10月25日閲覧)。</ref>。専攻分野の知識や技能を十分に有しているかを試す試験で、ほとんどの場合筆記試験である。この試験は日本では「大学院入学試験」にほぼ相当する)を受ける。合格した者だけが、'''博士号候補生'''(Ph.D candidate)として博士課程に残ることを許される。適性試験に落ちると博士課程に籍を置けなくなるが、再受験を許されることも多い。なお、この試験は「いつまでに合格しなければならない」という規定があることが多く、その場合は期限までに合格できなくても退学になってしまう。また、例えば学部卒から博士課程に入学した学生は入学後2年以内に、修士卒から入学した学生は1年以内に合格しなければならない、というように細かい規定を定めている場合もある。
適性試験の試験内容は、専門科目の試験(一般に複数の科目に分かれており、2つ以上を要求される場合もある)と、大学や分野によってはさらに外国語や[[プログラミング言語]]の試験が課されるところもある。以前は[[日本語]]も外国語として多くの大学で採用されていたが、現在ではほとんどの大学で廃止され、[[フランス語]]<ref>{{Cite web|和書|url = https://music.northwestern.edu/academics/degrees/mm/musicology|title = このような分野では外国語は必修である。|website = music.northwestern.edu|publisher = music.northwestern.edu|date = |accessdate = 2020-12-07}}</ref>、[[ドイツ語]]、[[ロシア語]]などが主流である。
外国語の試験方法は、その言語で書かれた自分の専門分野の専門書の文章を英訳する、などの方法で行われることが多いが、中には口頭による会話試験を課す大学もある。現在では、これらの外国語試験は廃止する大学が増えてきている。英語が既に学術界においての共用語としての地位を確立しており(これには[[冷戦]]の終結なども関係している)、さらに、一般的には専門科目についての学術的な成功にこれら外国語の能力はあまり影響が無い上に、専門分野において類希な才能や業績のある人でも、外国語の試験をパスできずに博士号を取得できなかったという例もあったためである。
適性試験に合格すれば学位取得のための研究を開始することを認められる。研究成果がうまく実れば、それを[[学会]]で発表し、[[査読]]付き[[学術雑誌]]に論文を投稿・掲載し、十分に研究の経験を積んだと判断されれば、[[学位論文]]としてそれらをまとめ、いよいよ博士号取得のための最後の口頭試験である「'''最終防衛試験'''(Final Defence Examination、Final Oral、Thesis Defence、など。専門の教授陣からの鋭い質問や指摘から“防御”することからこのように呼ばれる。日本での「学位論文口頭発表会」にほぼ相当する)」を受けることができる。再受験が許されることも多いものの、この試験に落ちても退学になってしまう(最終防衛試験を受けずに博士号の授与が認められる場合もある。ただし、その場合は普通、受験すれば確実に合格であると見込まれている実力・業績のある場合に限られる)。しかし、この口頭試験は大学や分野によっては、大学院での研究業績や苦労を称える儀式の場という位置付けのところもある(この場合、査読に耐え得る一定のレベル以上の研究成果を出せるかどうかが鍵となる)。また、家族や友人を招待して自分の研究成果を説明するセクションが設けられている場合もあり、その場合はそのセクションの後に、大学の教授陣を含む専門家向けの発表・口答試験を行うことになる。
試験が終われば受験者は部屋からの退室を命じられ、試験官達がすぐその場で合格か不合格かを合議する。結果が決まれば受験者は再び入室するように言われ、そこで試験の結果を伝えられる。合格すれば晴れて博士を名乗ることを許され卒業となり、合格した場合に備えて祝賀パーティーが準備されていることもある。なお、この口頭試験は大学や分野によっては、独特の雰囲気や伝統がある。
アメリカ合衆国も学位の認定は緩くなっており、かつてなら「DM」 (Doctor of Music)<ref>{{Cite web|和書|url = https://books.google.com.sg/books?id=DdUNDgAAQBAJ&pg=PT15&lpg=PT15&dq=jennifer+walshe+DM+northwestern&source=bl&ots=jP4zrg-Bte&sig=ACfU3U1E2RjCMvpjyzoq1gK9hYT1ps3knw&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiYppCgprvtAhU373MBHVQFDTgQ6AEwDnoECA8QAg|title = かつてはDMだったが、いまはPh.D。|website = books.google.com|publisher = books.google.com|date = |accessdate = 2020-12-07}}</ref>だったのが、「Ph.D」に格上げされるなど、意識に変化がみられる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*{{Cite report|author=OECD |title=Education at a Glance 2014 |date=2014 |doi=10.1787/eag-2014-en }}
== 関連項目 ==
{{ウィキプロジェクトリンク|大学|[[File:P Education.png|39px|ウィキプロジェクト 大学]]}}
* [[大学院進学率]]
* [[大学院生]]
* [[大学院大学]]
* [[専門職大学院]]
* [[社会人大学院]]
* [[高度専門職業人]]
* [[第3期の教育]]
* [[研究科]] - [[専攻]]
* [[学位]]
* [[大学改革支援・学位授与機構]]
* [[講座制と学科目制]]
* [[大学設置基準]] - [[大学院設置基準]]
* [[紀要]]
* [[論文]]
* [[論文工場]]
== 外部リンク ==
*{{Wayback|url=http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08121201/index.htm |title=文部科学省「平成20年度学校基本調査(確定値)」 |date=20090221125754}}
*{{Wayback|url=http://www.geocities.jp/teikyokagaku/archives/doctor/05/20080726-OYT1T00385.htm |title=『末は博士も就職難」、修了者の25%が「浪人」』(読売新聞サイト、2008年7月26日) |date=20181108075908}}
*『宮本岳志衆議院議員が提出した「大学院博士課程修了者の就職確保と研究条件改善に関する質問主意書」と政府答弁書』[https://www.jcp.or.jp/tokusyu/daigaku/pdf/20100622syuisyo.pdf]
{{学校}}
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[[Category:大学院|*]]
[[Category:高等教育機関]] | 2003-03-22T13:21:19Z | 2023-11-22T05:19:07Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2 |
4,902 | 1853年 | 1853年(1853 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。
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] | 1853年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1853}}
{{year-definition|1853}}
== 他の紀年法 ==
* [[干支]]:[[癸丑]]
* 日本([[天保暦]])
** 嘉永5年11月22日 - [[嘉永]]6年12月2日
** [[皇紀]]2513年
* [[清]]
** [[咸豊]]2年11月22日 - 咸豊3年12月2日
* [[朝鮮]]
<!--* [[李氏朝鮮]]:独自の年号なし-->
** [[李氏朝鮮]] : [[哲宗 (朝鮮王)|哲宗]]4年
** [[檀君紀元|檀紀]]4186年
* [[阮朝]]([[ベトナム]])
** [[嗣徳]]6年
* [[仏滅紀元]]:2395年 - 2396年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1269年3月20日 - 1270年3月30日
* [[ユダヤ暦]]:5613年4月21日 - 5614年3月30日
* [[修正ユリウス日]](MJD):-2146 - -1782
* [[リリウス日]](LD):98695 - 99059
<div style="font-size:smaller">
※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br />
※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定に伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用禁止。
</div>
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1853}}
== できごと ==
=== 1月 ===
* [[1月12日]] - [[太平天国の乱]]: 太平軍が[[武昌]]を占領。
* [[1月19日]] - [[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]「[[イル・トロヴァトーレ]]」初演。
=== 2月 ===
* [[2月22日]] - [[セントルイス・ワシントン大学]]創立。
=== 3月 ===
* [[3月4日]] - [[フランクリン・ピアース]]がアメリカ合衆国14代大統領に就任。
* [[3月20日]] - [[太平天国の乱]]: 太平軍が[[南京]]を占領
=== 4月 ===
* [[4月1日]] - アジア初となる[[インド鉄道]]が開業。
=== 5月 ===
* [[5月26日]]([[嘉永]]6年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[マシュー・ペリー|ペリー]]提督らの[[黒船]]、那覇来航。
=== 6月 ===
=== 7月 ===
* [[7月8日]](嘉永6年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - ペリーら[[浦賀]]へ来航([[黒船来航]])。
* [[7月11日]](嘉永6年[[6月6日 (旧暦)|6月6日]]) - 蒸気船ミシシッピーが江戸湾深部に進航したため、幕府は国書の受領を決定。
* [[7月14日]](嘉永6年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - ペリーら[[久里浜]]に上陸、親書・信任状などを手交。
* 7月14日(嘉永6年6月9日) - ニューヨーク万国博覧会開幕、会期は翌年の11月1日まで。
* [[7月17日]](嘉永6年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - ペリー率いるアメリカ艦隊が[[江戸幕府]]からの国書回答猶予要請を受けて[[浦賀]]を出港。
* [[7月27日]](嘉永6年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) -12代将軍[[徳川家慶]]没。
=== 8月 ===
* [[8月22日]](嘉永6年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[エフィム・プチャーチン|プチャーチン]]が軍艦四隻を率いて[[長崎港|長崎]]に入港。
* [[8月24日]] - [[ジョージ・クラム (料理人)|ジョージ・クラム]]が[[ポテトチップス]]を発明したとされる。
=== 9月 ===
=== 10月 ===
* [[10月4日]] - [[オスマン帝国]]が[[ロシア]]に宣戦布告([[クリミア戦争]])。
* [[10月12日]] - プチャーチンがペリーに同盟を書翰で打診、ペリーは拒絶。
* [[10月19日]](嘉永6年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[大船建造の禁]]解かれる
=== 11月 ===
* [[11月23日]](嘉永6年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]) - [[徳川家定]]第13代将軍に就任。
* [[11月23日]] - プチャーチンが長崎を出港(翌1月3日再入港)。
* [[11月30日]] - [[シノープの海戦]]
=== 12月 ===
* [[12月30日]] - 米墨間で国境条約調印。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1853年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月10日]] - [[ジョン・マーチン・シェバーリ]]、[[天文学者]](+ [[1924年]])
* [[1月27日]] - [[ヨハネス・ユストゥス・ライン]]、[[地理学者]](+ [[1918年]])
* [[1月28日]] - [[ホセ・マルティ]]、[[キューバ]]の[[革命家]]・作家(+ [[1895年]])
* [[1月29日]]([[嘉永]]5年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[北里柴三郎]]、[[医学者]]・[[細菌学者]](+ [[1931年]])
* [[2月18日]] - [[アーネスト・フェノロサ]]、[[哲学|哲学者]]・[[美術史|美術史家]](+ [[1908年]])
* [[3月12日]](嘉永6年[[2月3日 (旧暦)|2月3日]])- [[小泉信吉]]、[[教育者]](+ [[1894年]])
* [[3月13日]](嘉永6年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]])- [[金子堅太郎]]、政治家(+ [[1942年]])
* [[3月14日]] - [[フェルディナント・ホドラー]]、[[画家]](+ [[1918年]])
* [[3月25日]] - [[モザッファロッディーン・シャー]]、[[ペルシャ]]の[[シャー]](+ [[1907年]])
* [[3月27日]]([[嘉永]]6年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]])- [[下山順一郎]]、[[薬学者]](+ [[1912年]])
* [[3月30日]] - [[フィンセント・ファン・ゴッホ]]、[[画家]](+ [[1890年]])
* [[3月31日]] - [[マクシミリアン・シュヴェードラー]]、[[フルート奏者]](+ [[1940年]])
* [[4月4日]] - [[タッド・リンカーン]]、第16代[[アメリカ合衆国大統領]][[エイブラハム・リンカーン]]の四男(+ [[1871年]])
* [[4月7日]] - [[レオポルド (オールバニ公)|レオポルド]]、[[オールバニ|オールバニ公]](+ [[1884年]])
* [[5月24日]] - [[飯村丈三郎]]、[[教育者]]、[[実業家]]、[[政治家]](+ [[1927年]])
* [[5月28日]] - [[カール・ラーション]]、画家(+ [[1919年]])
* [[6月21日]](嘉永6年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[依田勉三]]、[[北海道]]開拓者(+ [[1925年]])
* [[7月4日]] - [[エルンスト・オットー・ベックマン]]、[[化学者]](+ [[1923年]])
* [[7月5日]] - [[セシル・ローズ]]、政治家(+ [[1902年]])
* [[7月18日]] - [[ヘンドリック・ローレンツ]]、[[物理学者]](+ [[1928年]])
* [[7月24日]] - [[ウィリアム・ジレット]]、[[俳優]](+ [[1937年]])
* [[7月25日]] - [[デーヴィッド・ベラスコ]]、[[劇作家]]・[[演出家]](+ [[1931年]])
* [[7月30日]](嘉永6年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[新井晴簡]]、陸軍中将(+ [[1906年]])
* [[8月28日]] - [[ウラジーミル・シューホフ]]、[[建築家]](+ [[1939年]])
* 8月28日 - [[フランツ1世 (リヒテンシュタイン公)|フランツ1世]]、[[リヒテンシュタイン|リヒテンシュタイン公]](+ [[1938年]])
* [[9月2日]] - [[ヴィルヘルム・オストヴァルト]]、[[化学者]](+ [[1932年]])
* [[9月16日]] - [[アルブレヒト・コッセル]]、[[医学者]](+ [[1927年]])
* [[9月20日]] - [[ラーマ5世]]、[[タイ王国]]の[[チャクリー王朝]]第5代国王(+ [[1910年]])
* [[9月21日]] - [[エドモンド・レイトン]]、画家(+ [[1922年]])
* 9月21日 - [[ヘイケ・カメルリング・オネス]]、[[物理学者]](+ [[1926年]])
* [[10月17日]] - [[マリア・アレクサンドロヴナ (ザクセン=コーブルク=ゴータ公妃)|マリア・アレクサンドロヴナ]]、[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国|ザクセン=コーブルク=ゴータ公]][[アルフレート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|アルフレート]]の妃(+ [[1920年]])
* [[10月26日]](嘉永6年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]])- [[徳川昭武]]、第11代[[水戸藩|水戸藩主]](+ [[1910年]])
* [[12月5日]](嘉永6年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]) - [[緒方正規]]、[[医学者]](+ [[1919年]])
* [[12月21日]](嘉永6年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]])- [[野田卯太郎]]、[[政治家]](+ [[1927年]])
* [[12月23日]] - [[ウィリアム・ヘンリー・ムーディ]]、第45代[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1917年]])
* 月日不詳 - [[フサイン・イブン・アリー (マッカのシャリーフ)|フサイン・イブン・アリー]]、[[マッカ]]のシャリーフ(+ [[1931年]])
=== 日付不詳 ===
* [[青木重義]]
* [[阿部周吉]]
* [[安東貞美]]
* [[池田長準]]
* [[池田政和 (天城池田家)|池田政和]]
* [[石橋絢彦]]
* [[井上幹]]
* [[鵜飼退蔵]]
* [[梅沢道治]]
* [[卜部兵吉]]
* [[江川英武]]
* [[江木千之]]
* [[江南哲夫]]
* [[大蔵平三]]
* [[大橋利左衛門]]
* [[大山綱昌 (官僚)|大山綱昌]]
* [[小笠原貞信 (政治家)|小笠原貞信]]
* [[沖田芳次郎]]
* [[奥村栄滋]]
* [[小倉鋲一郎]]
* [[小山内鉄弥]]
* [[織田信敏]]
* [[イワン・オボレンスキー]]
* [[チャールズ・カーティス (植物学者)|チャールズ・カーティス]]
* [[チャールズ・カーマイケル・ラケータ]]
* [[桂梅枝 (2代目)|桂梅枝]]
* [[桂仁左衛門]]
* [[嘉納治郎右衛門 (八代目)|嘉納治郎右衛門]]
* [[フェルディナンド・カルシュ]]
* [[チャールズ・ガルスト]]
* [[テレサ・カレーニョ]]
* [[北尾次郎]]
* [[ニコライ・キバリチチ]]
* [[肝付兼行]]
* [[草間時福]]
* [[国司純行]]
* [[イヴァン・クノル]]
* [[マルティン・クラウゼ]]
* [[倉富勇三郎]]
* [[ハンス・クリスチャン・グラム]]
* [[栗塚省吾]]
* [[栗本東明]]
* [[イオン・クルチェル]]
* [[ハンス・ケスラー]]
* [[鯉沼九八郎]]
* [[ウラジーミル・ココツェフ]]
* [[小坂善之助]]
* [[告森良]]
* [[後藤牧太]]
* [[駒井重格]]
* [[ヤコブ・ゴルディン]]
* [[ウラジミール・コロレンコ]]
* [[酒井忠篤 (庄内藩主)|酒井忠篤]]
* [[坂崎紫瀾]]
* [[坂本直寛]]
* [[佐々城豊寿]]
* [[佐藤百太郎]]
* [[ヴワディスワフ・レオン・サピェハ]]
* [[沢茂吉]]
* [[志賀直温]]
* [[柴四朗]]
* [[ドミトリー・シピャーギン]]
* [[錫良]]
* [[カタリーナ・シュラット]]
* [[松旭斎天一]]
* [[エミール・シェーグレン]]
* [[鈴木定直]]
* [[鈴木よね]]
* [[須田辰次郎]]
* [[フレデリック・ウィリアム・ストレンジ]]
* [[諏訪忠礼]]
* [[瀬川浅]]
* [[曽禰達蔵]]
* [[ウラジーミル・ソロヴィヨフ (哲学者)|ウラジーミル・ソロヴィヨフ]]
* [[高木正善]]
* [[高崎親章]]
* [[高橋亦助]]
* [[武田秀山]]
* [[田中源太郎]]
* [[谷村計介]]
* [[ジョン・タンストール]]
* [[張謇]]
* [[陳三立]]
* [[津軽薫]]
* [[レオ・アントン・カール・デ・バル]]
* [[ウィリアム・S・テイラー]]
* [[サーラダー・デーヴィー]]
* [[アンリ・デランドル]]
* [[手塚猛昌]]
* [[テューラ・ア・ダンマーク (1853-1933)|テューラ・ア・ダンマーク]]
* [[寺田甚与茂]]
* [[東海散士]]
* [[エリフ・トムソン]]
* [[鳥居忱]]
* [[中井芳楠]]
* [[中村純九郎]]
* [[中山孝麿]]
* [[双木八郎]]
* [[ジャン・ルイ・ニコデ]]
* [[ニコラ (ポズドネフ)|ニコラ]]
* [[西岡常吉]]
* [[新田貞觀]]
* [[新田貞善]]
* [[ジョージ・ウィリアム・ノックス]]
* [[野口シカ]]
* [[ジョン・ウェズリー・ハーディン]]
* [[ハワード・パイル]]
* [[エミール・ハウスクネヒト]]
* [[莫栄新]]
* [[橋口文蔵]]
* [[橋本昌禎]]
* [[蜂須賀随子]]
* [[浜岡光哲]]
* [[林忠正]]
* [[原胤昭]]
* [[アレッサンドロ・パリゾッティ]]
* [[ウィリアム・ハルゼー・シニア]]
* [[東恩納寛量]]
* [[日高秩父]]
* [[フリンダーズ・ピートリー]]
* [[日根野要吉郎]]
* [[日原昌造]]
* [[ホーレス・フィリップス]]
* [[福井銑吉]]
* [[フサイン・カーミル]]
* [[藤波言忠]]
* [[アーサー・フット]]
* [[アレクセイ・ブルシーロフ]]
* [[フリードリヒ・フォン・プルタレス]]
* [[アドルフ・フルトヴェングラー]]
* [[フリッツ・フォン・ベロウ]]
* [[ソフィア・ペロフスカヤ]]
* [[ジュゼッピーナ・ボツァッキ]]
* [[アーサー・マイケル]]
* [[アレクシウス・マイノング]]
* [[前田黙鳳]]
* [[松野クララ]]
* [[松村務本]]
* [[間部詮道]]
* [[真野観我]]
* [[シャルル・マレーブ]]
* [[ミゲル2世・デ・ブラガンサ]]
* [[パーヴェル・ミシチェンコ]]
* [[御牧現喜]]
* [[ウィロビー・D・ミラー]]
* [[カールリス・ミーレンバハス]]
* [[村岡範為馳]]
* [[村松亀一郎]]
* [[目賀田種太郎]]
* [[アンドレ・メサジェ]]
* [[ヴィクター・メトカーフ]]
* [[本山彦一]]
* [[山口半七]]
* [[山根武亮]]
* [[吉井信謹]]
* [[ヨハン・ヨハンソン (発明家)|ヨハン・ヨハンソン]]
== 死去 ==
{{see also|Category:1853年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月7日]] - [[ロバート・ルーカス (政治家)|ロバート・ルーカス]]、[[オハイオ州]]知事(* [[1781年]])
* [[1月8日]]([[嘉永]]5年[[11月29日 (旧暦)|11月29日]])- [[椎原政佐]]、[[西郷隆盛]]の母(* 生年不詳)
* [[1月11日]](嘉永5年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]])- [[徳川治寶]]、第10代[[紀州藩|紀州藩主]](* [[1771年]])
* [[1月16日]](嘉永5年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]])- [[西沢一鳳]]、[[歌舞伎]]狂言作者、[[考証学|考証家]](* [[1802年]])
* 1月16日 - [[ラニエーリ・ダズブルゴ]]、[[ロンバルド=ヴェネト王国|ロンバルド=ヴェネト]][[副王]](* [[1783年]])
* 1月16日 - [[マッテオ・カルカッシ]]、[[作曲家]](* [[1792年]])
* [[2月1日]] - [[ニルス・ブロメール]]、[[画家]](* [[1816年]])
* [[3月17日]] - [[クリスチャン・ドップラー]]、[[オーストリア]]の[[物理学者]]・[[数学者]](* [[1803年]])
* [[4月18日]] - [[ウィリアム・R・キング]]、第13代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1786年]])
* [[4月27日]](嘉永6年[[3月20日 (旧暦)|3月20日]])- [[中林竹洞]]、[[文人画|文人画家]](* [[1776年]])
* [[4月28日]] - [[ルートヴィヒ・ティーク]]、[[ドイツ]]の作家・[[詩人]]・編集者(* [[1773年]])
* [[7月27日]](嘉永6年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[徳川家慶]]、[[江戸幕府]]第12代[[征夷大将軍]](* [[1793年]])
* [[9月10日]](嘉永6年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[松前昌広]]、[[蝦夷地]][[松前藩]]第11代藩主(*[[1825年]])
* [[9月13日]] - [[ゲオルク・アンドレアス・ガプラー]]、[[哲学|哲学者]](* [[1786年]])
* [[10月2日]] - [[フランソワ・アラゴ]]、[[フランス]]の物理学者・数学者・[[天文学者]](* [[1786年]])
* [[10月3日]] - [[ジョルジュ・オンスロー]]、作曲家(* [[1784年]])
* [[10月5日]] - [[マーロン・ディカーソン (ニュージャージー州の政治家)|マーロン・ディカーソン]]、[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1770年]])
* [[10月13日]] - [[ヤン・コック・ブロンホフ]]、[[オランダ]]の[[カピタン]](* [[1779年]])
* [[10月30日]] - [[ピエトロ・ライモンディ]]、作曲家(* [[1786年]])
* [[11月11日]] - [[デイヴィッド・ヘンショウ]]、アメリカ合衆国海軍長官(* [[1791年]])
* [[11月15日]] - [[マリア2世 (ポルトガル女王)|マリア2世]]、[[ポルトガル|ポルトガル女王]](* [[1819年]])
* 日付不詳 - [[光崎検校]]、[[京都]]の盲人[[音楽家]]([[地歌]]・[[箏]]曲家)(*生年不詳)
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1853}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}}
{{デフォルトソート:1853ねん}}
[[Category:1853年|*]] | 2003-03-22T13:46:34Z | 2023-11-12T12:31:49Z | false | false | false | [
"Template:年代ナビ",
"Template:Year-definition",
"Template:年間カレンダー",
"Template:See also",
"Template:Commonscat",
"Template:十年紀と各年"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1853%E5%B9%B4 |
4,903 | 1845年 | 1845年(1845 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。 | [
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] | 1845年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。 | {{出典の明記|date=2021年10月}}
{{年代ナビ|1845}}
{{year-definition|1845}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[乙巳]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]([[天保暦]])
** [[弘化]]元年12月2日 - [[弘化]]2年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2505年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[道光]]25年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]11年
** [[檀君紀元|檀紀]]4178年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[阮朝]] : [[紹治]]5年
* [[仏滅紀元]] : 2387年 - 2388年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1260年12月21日 - 1262年1月2日
* [[ユダヤ暦]] : 5605年4月22日 - 5606年4月2日
* [[ユリウス暦]] : 1844年12月20日 - 1845年12月19日
* [[修正ユリウス日]](MJD) : -5068 - -4704
* [[リリウス日]](LD) : 95773 - 96137
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1845}}
== 出来事 ==
=== 1月 ===
* [[1月29日]] - [[エドガー・アラン・ポー]]『[[大鴉]]』発表
=== 2月 ===
* [[2月7日]] - [[大英博物館]]で「[[ポートランドの壺]]」が酔漢に破壊される
* [[3月1日]] - 米国で[[テキサス共和国]]が併合さる
=== 3月 ===
* [[3月3日]] - 米国で[[フロリダ州|フロリダ]]が27番目に州となる
* [[3月4日]] - 米国で[[ジェームズ・ポーク]]が第11代大統領に就任
* [[3月13日]] - [[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]「[[ヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)|ヴァイオリン協奏曲]]」初演
* [[3月29日]](弘化2年2月22日) - [[水野忠邦]]が[[老中]]を辞職
=== 4月 ===
* [[8月6日]](弘化2年7月6日) -英国艦[[サラマンダ号]]長崎来航。
=== 5月 ===
{{節スタブ|1=この月の出来事の追加|date=2021年10月}}
=== 6月 ===
{{節スタブ|1=この月の出来事の追加|date=2021年10月}}
=== 7月 ===
{{節スタブ|1=この月の出来事の追加|date=2021年10月}}
=== 8月 ===
* [[8月28日]] -『[[サイエンティフィック・アメリカン]]』創刊
=== 9月 ===
{{節スタブ|1=この月の出来事の追加|date=2021年10月}}
=== 10月 ===
* [[10月2日]](弘化2年9月2日) - [[水野忠邦]]が隠居蟄居
* [[10月10日]] - 米国で海軍学校(後の[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]])創立
=== 11月 ===
{{節スタブ|1=この月の出来事の追加|date=2021年10月}}
=== 12月 ===
* [[12月29日]] - 米国で[[テキサス州|テキサス]]が28番目に州となる
=== 日付不詳 ===
* アイルランドで[[ジャガイモ飢饉]]が始まる<ref>{{Cite web|和書|title=ジャガイモ飢饉とは|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E9%A3%A2%E9%A5%89-156325|website=コトバンク|accessdate=2021-10-30|language=ja|first=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,旺文社世界史事典 三訂版,世界大百科事典|last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>。
* 英国で[[ファラデー効果]]が発見される。
* 後に[[幕府海軍]]へと発展する[[海岸防禦御用掛]]が常設される。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1845年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月1日]] - [[ウィリアム・インブリー]]、[[宣教師]](+ [[1928年]])
* [[1月22日]] - [[ポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ]]、[[地理学者]](+ [[1918年]])
* [[1月31日]] - [[ボブ・ファーガソン]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1894年]])
* [[2月9日]] - [[馬建忠]]{{要出典|date=2021-03}}、[[思想家]]・[[外交官]]・[[言語学者]](+ [[1900年]])
* [[2月25日]] - [[リップ・パイク]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1893年]])
* [[3月3日]] - [[ゲオルク・カントール]]、[[数学者]](+ [[1918年]])
* [[3月13日]] - [[ヤン・ボードゥアン・ド・クルトネ]]、言語学者(+ [[1929年]])
* [[3月16日]] ([[弘化]]2年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]])- [[梅ヶ谷藤太郎 (初代)|梅ヶ谷藤太郎]]、元大相撲力士・第15代横綱(+ [[1928年]])
* [[3月27日]] - [[ヴィルヘルム・レントゲン]]、[[物理学者]](+ [[1923年]])
* [[4月12日]] - [[グスタヴ・セーデルストレム]]、[[画家]](+ [[1933年]])
* [[5月12日]] - [[ガブリエル・フォーレ]]、作曲家(+ [[1924年]])
* [[5月16日]] - [[イリヤ・メチニコフ]]、微生物学者・動物学者・免疫学者(+ [[1916年]])
* [[5月25日]] - [[ウジェーヌ・グラッセ]]、装飾芸術家(+ [[1917年]])
* [[6月7日]] - [[レオポルト・アウアー]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[指揮者]]・作曲家(+ [[1930年]])
* [[6月14日]](弘化2年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]) - [[鮫島員規]]、海軍軍人(+ [[1910年]])
* [[6月18日]] - [[シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン]]、[[病理学|病理学者]](+ [[1922年]])
* [[7月16日]](弘化2年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[田中不二麿]]、[[官僚]](+ [[1909年]])
* [[8月9日]] - [[グザヴィエ・メルリ]]、[[美術家]](+ [[1921年]])
* [[8月21日]](弘化2年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]) - [[立見尚文]]、[[陸軍軍人]](+ [[1907年]])
* [[8月25日]] - [[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]]、[[バイエルン王国|バイエルン]]王(+ [[1886年]])
* [[9月7日]](弘化2年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[千家尊福]]、[[宗教家]]・[[政治家]](+ 1918年)
* [[9月21日]] - [[アウグスト・ウィルヘルミ]]、ヴァイオリニスト(+ [[1908年]])
* [[12月1日]](弘化2年[[11月3日 (旧暦)|11月3日]]) - [[井上良馨]]、海軍軍人(+ [[1929年]])
* [[12月24日]] - [[フェルナン・コルモン]]、画家(+ [[1924年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1845年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[6月8日]] - [[アンドリュー・ジャクソン]]、第7代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1767年]])
* [[7月17日]] - [[チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵)]]、[[イギリスの首相]](* [[1764年]])
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1845}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
== 外部リンク ==
{{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}}
{{デフォルトソート:1845ねん}}
[[Category:1845年|*]] | 2003-03-22T13:47:29Z | 2023-09-24T13:36:41Z | false | false | false | [
"Template:十年紀と各年",
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"Template:年間カレンダー",
"Template:脚注ヘルプ",
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"Template:年代ナビ",
"Template:Year-definition",
"Template:他の紀年法"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1845%E5%B9%B4 |
4,904 | 1847年 | 1847年(1847 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。 | [
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"text": "1847年(1847 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。",
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] | 1847年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。 | {{年代ナビ|1847}}
{{year-definition|1847}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[丁未]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]([[天保暦]])
** [[弘化]]4年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2507年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[道光]]27年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]13年
** [[檀君紀元|檀紀]]4180年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[阮朝]] : [[紹治]]7年
* [[仏滅紀元]] : 2389年 - 2390年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1263年1月13日 - 1264年1月23日
* [[ユダヤ暦]] : 5607年4月13日 - 5608年4月24日
* [[ユリウス暦]] : 1846年12月20日 - 1847年12月19日
* [[修正ユリウス日]](MJD) : -4338 - -3974
* [[リリウス日]](LD) : 96503 - 96867
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1847}}
== できごと ==
* [[2月15日]] - [[アイオワ大学]]が創設される
* 4月 - フランス軍艦が{{lang|vi|沱㶞}}([[ダナン]])を砲撃(フランスの侵略始まる)
* [[5月8日]](弘化4年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[善光寺地震]] M7.4、死者8,000-1万2,000人。
* [[7月24日]] - [[ブリガム・ヤング]]率いる[[末日聖徒イエス・キリスト教会]]の信徒が[[ソルトレイクシティ]]に到着、教会の本拠を置く。
* [[7月26日]] - [[リベリア]]が[[アメリカ合衆国]]から独立。
* [[7月29日]]-[[8月26日]] - イギリスで{{仮リンク|1847年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1847}}。[[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)|ラッセル]]内閣の与党[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]は多数をとれなかったが、保守党の分裂状態のために政権維持
* 8月 - パリの名門貴族であるプララン公爵([[:en:Charles de Choiseul-Praslin]])が子供たちの家庭教師を愛人とし、邪魔になった夫人を殺害。民衆の強烈な批判を喰らい、[[公爵]]は1週間後に毒を仰ぎ[[自殺]]。批判の矛先は[[七月王政]]へと向かい、その瓦解を早めた。
* 11月4日 - スコットランドのエジンバラ大学産科教授の[[ジェームズ・シンプソン]]とその友人が女性の分娩のため[[クロロホルム]]を自ら試した。それから1週間以内に30人以上に使用した。{{Sfn|チャロナー|2011|p=338|ps=「クロロホルム麻酔 シンプソンが、出産の痛みを楽にする。」}}
* イギリスで{{仮リンク|1847年工場法|en|Factories Act 1847}}成立。若年労働者と女性労働者の労働時間を10時間に制限。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1847年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月1日]]([[弘化]]3年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[三浦梧楼]]、[[陸軍軍人]]・[[政治家]](+ [[1926年]])
* [[1月5日]](弘化3年[[11月19日 (旧暦)|11月19日]]) - [[奥保鞏]]、陸軍軍人(+ [[1930年]])
* [[1月17日]]([[ユリウス暦]]1月5日) - [[ニコライ・ジューコフスキー]]、物理学者・[[TsAGI]]創設者 (+ [[1921年]])
* [[1月18日]](弘化3年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]]) - [[松平定敬]]、[[桑名藩|桑名藩主]]・[[京都所司代]](+ [[1908年]])
* [[1月26日]] - [[ジョン・ベイツ・クラーク]]、[[経済学者]](+ [[1938年]])
* [[1月28日]] - [[ジョージ・ライト (内野手)|ジョージ・ライト]]、元[[メジャーリーガー]](+ [[1937年]])
* [[2月11日]] - [[トーマス・エジソン]]、[[発明家]](+ [[1931年]])
* [[2月15日]] - [[ロベルト・フックス]]、[[作曲家]](+ [[1927年]])
* [[2月17日]] - [[パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフ]]、[[言語学者]]・[[外交官]](+ [[1901年]])
* [[3月3日]] - [[アレクサンダー・グラハム・ベル]]、発明家(+ [[1922年]])
* [[3月15日]] - [[レイ・ランケスター]]、[[動物学者]](+ [[1929年]])
* [[4月10日]] - [[ジョーゼフ・ピューリツァー]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1911年]])
* [[5月7日]] - [[アーチボルド・プリムローズ (第5代ローズベリー伯爵)]]、[[イギリスの首相]](+ [[1929年]])
* [[5月25日]](弘化4年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[松田正久]]、政治家(+ [[1914年]])
* [[7月20日]] - [[マックス・リーバーマン]]、[[画家]](+ [[1935年]])
* [[7月25日]] - [[パウル・ランゲルハンス]]、[[医学者]]・[[生物学者]](+ [[1888年]])
* [[8月10日]] - [[ヴィルヘルム・ライン]]、[[教育学者]](+ [[1929年]])
* [[8月23日]](弘化4年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[森有礼]]、[[外交官]]・政治家(+ [[1889年]])
* [[9月4日]](弘化4年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[西徳二郎]]、外交官(+ [[1912年]])
* [[10月2日]] - [[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]、[[軍人]]・政治家、[[ヴァイマル共和政]]第2代大統領(+ [[1934年]])
* [[10月21日]] - [[ジュゼッペ・ジャコーザ]]、[[詩人]]、[[劇作家]](+ [[1906年]])
* [[11月2日]](弘化4年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]])- [[大江卓]]、政治家・[[実業家]](+ [[1921年]])
* [[11月18日]] - [[エリシュカ・クラースノホルスカー]]、作家(+ [[1926年]])
* [[12月1日]] - [[アガーテ・バッケル=グロンダール]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](+ [[1907年]])
* [[12月7日]] - [[ディーコン・ホワイト]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1939年]])
* [[12月8日]](弘化4年[[11月1日 (旧暦)|11月1日]]) - [[中江兆民]]、[[思想家]](+ [[1901年]])
* [[12月22日]](弘化4年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[大槻文彦]]、[[国語学者]](+ [[1928年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1847年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月17日]] - [[J・J・グランヴィル]]、[[風刺画]]家(* [[1803年]])
* [[4月30日]] - [[カール・フォン・エスターライヒ=テシェン]]、[[オーストリア帝国]]の軍人、皇族(* [[1771年]])
* [[5月14日]] - [[ファニー・メンデルスゾーン|ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル]]、作曲家、[[ピアニスト]](* [[1805年]])
* [[6月11日]] - [[ジョン・フランクリン]]、[[探検家]](* [[1786年]])
* [[10月27日]] - [[アレクサンドル・デシャペル]]、非公式の[[チェスの世界チャンピオン一覧|チェスの世界チャンピオン]](* [[1780年]])
* [[11月4日]] - [[フェリックス・メンデルスゾーン]]、作曲家(* [[1809年]])
* [[11月14日]] - [[ヨセフ・ユングマン]]、[[言語学者]]、[[詩人]](* [[1773年]])
* [[12月17日]] - [[マリア・ルイーゼ・フォン・エスターライヒ]]、[[フランス]][[皇帝]][[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]]の[[皇后]](* [[1791年]])
* [[12月19日]](弘化4年[[11月12日 (旧暦)|11月12日]]) - [[菊岡検校]]、作曲家、[[三味線]]奏者(* [[1792年]])
* 日付不明 - [[イオアニス・コレティス]]、[[ギリシャの首相|ギリシャ首相]](* 1773年)
<!--
== 注釈 ==
{{Reflist|group="注"}} -->
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
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== 関連項目 ==
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== Edison ==
;人名
:* [[トーマス・エジソン]] - アメリカ合衆国の発明家、起業家。
:* [[チャールズ・エジソン]] - アメリカ合衆国の政治家、第42代ニュージャージー州知事。上記のトーマスの息子。
:* [[Edison (音楽家)]] - 日本の[[作曲家]]・[[編曲家]]。特にアニメでの劇伴の仕事が多く、主に[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]『[[おばけのホーリー]]』や[[名古屋テレビ放送]]・[[テレビ朝日]]系『[[勇者指令ダグオン]]』で劇中BGMを担当。
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;企業
:* エジソン・エレクトリック・ライト・カンパニー(Edison Electric Light Company)、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニー(Edison General Electric Company) - 現・[[ゼネラル・エレクトリック]]
:* [[AIGエジソン生命保険]]
:* [[コン・エジソン]]([[:en:Consolidated Edison|Consolidated Edison]]) - NYC大都市圏([[:en:Greater_New_York|[:en]]])に電力、ガスといった[[ライフライン]]を供給する企業の中では最大である。
:* [[エジソン・モータース]] - [[大韓民国]]の[[自動車メーカー]]。
:<!-- バグ回避。「Help:箇条書き」を参照。 -->
;地名
:* [[エジソン (ジョージア州)]]([[:en:Edison, Georgia|Edison, Georgia]]) - アメリカ合衆国、[[ジョージア州]]カルホーン郡の市。
:* [[エジソン (ニュージャージー州)]]([[:en:Edison, New Jersey|Edison, New Jersey]]) - アメリカ合衆国、[[ニュージャージー州]]ミドルセックス郡の町。
:<!-- バグ回避。「Help:箇条書き」を参照。 -->
;船名
:* [[トーマス・A・エジソン (原子力潜水艦)]] - 米海軍の原子力潜水艦
:* エジソン([[:en:USS Edison (DD-439)|USS Edison (DD-439)]]) - 米海軍の駆逐艦
:<!-- バグ回避。「Help:箇条書き」を参照。 -->
;その他
:* [[Intel Edison]] - [[インテル]]の小型コンピュータ。
:* [[エジソン (曲)]] - [[水曜日のカンパネラ]]のシングル曲。
:* [[エジソンメダル]] - [[IEEE]]により授与される賞。
:* [[エジソン効果]]
:* {{仮リンク|エジソンベース|en|Edison screw}} - 電球用[[ソケット (電気器具)|ソケット]](口金)の規格。ねじ込みランプソケット。
:* [[エジソンの母]] - 日本のテレビドラマ。
:* [[21世紀エジソン]] - 日本のバラエティ番組。
:<!-- バグ回避。「Help:箇条書き」を参照。 -->
== Edson ==
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;人名
:* [[エジソン・アパレシード・デ・ソウザ]] - ブラジルのサッカー選手。
:* [[エジソン・アラウージョ・ダ・シルバ]] - ブラジルのサッカー選手。
:* [[エジソン・ドス・サントス・レイス]] - ブラジルのサッカー選手。
:<!-- バグ回避。「Help:箇条書き」を参照。 -->
==Agson==
* [[A&G TRIBAL RADIO エジソン]] - 日本のラジオ番組。
== 関連項目 ==
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4,906 | トーマス・エジソン | トーマス・アルバ・エジソン(英: Thomas Alva Edison、1847年2月11日 - 1931年10月18日)は、アメリカ合衆国の発明家、起業家。スポンサーのJPモルガン、秘書のサミュエル・インサル、そしてメロン財閥とアメリカの電力系統を寡占した。
傑出した発明家として知られ、生涯におよそ1,300もの発明と技術革新を行った人物である。たとえば蓄音器、白熱電球、活動写真である。エジソンはJ・P・モルガンから巨額の出資・援助をしてもらい、Edison General Electric Company(エジソン・ゼネラル・エレクトリック、現・ゼネラル・エレクトリック=GE)を設立した。GEは電球などの家電だけでなく、発電から送電までを含む電力系統の事業化に成功した。エジソンは合計14の会社を設立している。助手には一人だけ日本人(岡部芳郎)がいた。
エジソンは様々の異名を持ち、しばしば「発明王」と呼ばれている。また、研究所が置かれたニュージャージー州メンロパークにちなんで「The Wizard of Menlo Park(メンロパークの魔術師)」とも呼ばれた。メンロパークは、今ではエジソンと改名している。リュミエール兄弟と並んで「映画の父」とも言われている。このほか、自らの発明の権利を守るため訴訟を厭わなかったことから「訴訟王」の異名も持つ。
エジソンは「努力の人」「非常な努力家」「不屈の人」などとして知られている。幼いころから正規の教育を受けられないという困難に見舞われたが、図書館などで独学した。新聞の売り子(販売員)として働くことでわずかなお金をコツコツと貯め、自分の実験室を作った逸話などでも知られている。16歳の頃には電信技士として働くようになり、各地を放浪しつつも、自力で科学雑誌を読破して学び続けた。耳が不自由になったにもかかわらず、それに負けず、努力を積み重ね成功したことでも知られている。
エジソンは、自分が選択・採用した直流送電に拘るあまりに交流送電の優位を受け入れられず、交流を採用したニコラ・テスラおよびウェスティングハウスとの間で電流戦争に陥り、結局、敗北してしまった。また、ヘリコプターを作ることを考えながらも安全面の問題から断念せざるを得なかった。
ニコラ・テスラやウェスティングハウスとの戦いでは、「交流電流は危険」とのイメージを人々に持たせるために、交流電流を利用した処刑椅子の発明等様々な汚いプロパガンダ工作を行ったことなどの汚点でも知られている(またジョルジュ・メリエスの傑作『月世界旅行』を公開前に無断で複製し、アメリカ中の映画館に売りつけ巨額の富を得たという事実も存在する)。その後の発電所に納入する発電機をめぐる戦いでも敗北してしまったため、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーに出資して株の過半を持ち実質上のオーナーとなっていたJ・Pモルガンから見切られ、エジソンは元々は自分が設立した同社の社長の座を失い、会社とは無関係とされ、社名から自分の名前も消されるという屈辱も味わった。
1847年2月11日にオハイオ州マイランで父サミュエル・オグデンJr.(1804年8月16日 - 1896年、オランダ系)と母ナンシー・エリオット(1810年1月4日 - 1871年、スコットランド系)の間に生まれた。オランダ人系とスコットランド人系の両親から生まれたエジソンは従って、オランダ人系統オランダ系アメリカ人)と考えられている。メキシコでは「エジソンはメキシコ人だ」という言い伝えがあるが、「彼のミドルネームがアルバ (Alva) という事から誤解が生じたものであり、この言い伝えは信憑性に欠ける」という。アルバというミドルネームは彼らの家族の友人である Captain Bradley に由来する。。父系の家系はニュージャージー州経由のオランダ人であった。トーマスは彼らの7人の子の末っ子で、トーマス・アルバが7歳のときに家族はミシガン州ポートヒューロンに移った。幼少期は通称「アル」であった。祖父のジョン・エデソンは1784年にニュージャージー州からノバスコシア州に逃れ、父親は1837~1838年の反乱に関与した後、オンタリオ州ウィーンに逃亡した。
少年時代のトーマスは、異常なほどの知りたがり屋であった。小学校に入学するも、教師と馬が合わず、わずか3か月で中退した。当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることができず、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、国語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問したりするといった具合で、授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発し、教師を困らせていたという。
そのような好奇心は学校内にとどまらず、ガチョウの卵を自分で孵化させようとして、卵を抱き抱えてガチョウ小屋の中に何時間も座り込んだり、「なぜ物は燃えるのか」を知りたいと思い立ち、藁を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させるという事件を起こし、父親に咎められたりしたこともあった。これらが重なった挙句、最終的には担任の教師から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも「ほかの生徒たちの迷惑になる」と言われ、前述の通り入学からわずか3か月で退学することとなった。
学校教育に馴染めなかったトーマスは、自宅で独学することになった。トーマスが特に興味を示したのは、化学の実験であった。
科学実験に没頭した少年時代、人間が空を飛べるようになる薬を作ろうと試み、ヘリウムガスをヒントにして薬を自作し、友人に飲ませた。エジソンの目論見としては、その薬を飲むと体内でガスが発生し、その浮力で人間が浮き上がるはずだったが、実際には薬を飲んだ友人が腹痛を起こしてもがき苦しみ、大騒ぎになった。普段はエジソンの行為に理解を示していた母親も、この件に関しては激怒し、人体実験を行うことを厳しく戒めたという(エジソンはその後も人間が空を飛ぶという夢を追求したが、前述の通り、またもや人命に関わる問題(ヘリコプター試作中の事故)で挫折することとなる)。
エジソンは 12 歳のときに聴覚障害を発症した。難聴の原因についてその後、彼は精巧な架空の話をでっち上げた。耳を引っ張られた、元ボクサーに殴られた、など話にはいくつかのバージョンがあるが、実際の彼の難聴の原因は幼少期の猩紅熱の発作と、治療されていない中耳感染症の再発に起因すると現在は推測されている。エジソンは片方の耳が完全に聞こえず、もう一方の耳はほとんど聞こえなかったので、歯を木材に挟んで頭蓋骨に音波を吸収させて音楽プレーヤーやピアノを聴いていたと言われている。年をとるにつれ、エジソンは難聴のおかげで気が散るのを避け、仕事に集中しやすくなったと考えていた。これとは別に、現代の歴史家や医療専門家は、彼がADHDを持っていた可能性があることを示唆している。
少年時代のエジソンは持ち前の好奇心が高じて、自らの手で新聞を作り、列車の中で売って評判になったことがあった。エジソンは13歳までに週50ドルの利益を上げ、そのほとんどは電気および化学実験用の機器の購入にした。しかし、ある人物を皮肉った内容の記事を新聞に載せたところ、これを見て激怒した本人から暴行を受け、これに懲りてエジソンは新聞作りをやめたという。また、15歳のときには働いていた鉄道の駅で、まだ幼い駅長の息子が汽車にひかれそうになったのを近くにいた中年の男と一緒に助けたことがあった。エジソンはそのお礼として駅長から電信の技術を教えてもらい、のちに彼が技術者としての人生を歩み始めるきっかけを与えてもらったという。
このような少年時代を送ったが、その後、母親も手伝って発明を複数回行ったという。
1864年、17歳の頃のエジソンはカナダの駅で夜間電信係として働いていたが、「何事もなければ、一晩中1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送るだけ」という退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明した。電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、それまでと違って全く誤差なく正確に1時間おきに電信が届くようになったことを不思議に思い様子を見にきた上司に「お前が寝ていたら定時に連絡する意味がないだろう」と怒られた。これがエジソンの最初の発明だった。クビは免れたもののその後の通信ミスで列車の衝突事故を起こしかけ、本社からの出頭命令を無視して放浪生活を始める。
エジソンは1868年、21歳のときに初めて特許を取得した。それは電気投票記録機に関するもので、議会における賛成票と反対票の数を押しボタンで瞬時に集計し、投票にかかる時間を大幅に短縮できる画期的な発明となるはずだった。しかし、実際の連邦議会や各州の議会では、野党の議員による投票中のフィリバスターや与党の議員との交渉ができなくなるという理由により、全く採用されなかった。エジソンはこの苦い経験を通して、いくら立派な発明でも人々が喜んでくれなければ何の意味もないことを痛感し、その後は周囲の人々の意見や要望をよく聞いてから発明に取り組むようになったという。
その翌年の1869年、エジソンが22歳のときに特許を取得した株式相場表示機(ティッカー)は業界から大いに歓迎され、その特許権を譲ってもらいたいという申し出があった。最初、エジソン自身は5,000ドルほどで特許権を売るつもりであったが、実際には4万ドル(現在の日本円で約2億円相当)で買い取られ、エジソンは当初の予想より8倍も高い金額を提示されて、心臓が止まるかと思うほど驚いたという。こうしてエジソンは発明家としての人生を本格的に歩んでいくことになった。
1877年に蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得。ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立し、集まった人材を発明集団として機能させるべく、マネジメント面で辣腕を振るった。
研究所では電話、蓄音器(つまり録音・再生装置)、電気鉄道、鉱石分離装置、電灯照明などを矢継ぎ早に商品化した。中でも注力したのは白熱電球であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。彼は白熱電球の名称をゾロアスター教の光と英知の神、アフラ・マズダーから引用し、「マズダ」と名付けている。この特許の有効性について訴訟が起こり、裁判で特許(番号223,898)が有効と判定されるまでに時間がかかった。一方で白熱電球の売り込みのための合弁会社を設立し、直流の電力を供給するシステムを確立させる。
1887年にニュージャージー州のウェストオレンジ研究室に移る。ここでは動画撮影機キネトグラフを発明したと言われているが、実は部下のウィリアム・ディックソンの発明である。1893年には、ウエスト・オレンジ研究所の敷地内にアメリカ初の映画スタジオ「ブラック・マリア(Edison's Black Maria)」を設立し、ウィリアム・ディックソン、ウィリアム・ハイセを監督に、キネトスコープ用の白黒フィルムを制作し始めた。1901年にはマンハッタンに、1907年にはブロンクスに新しい映画スタジオ(Edison Manufacturing Company、のちにThomas A. Edison, Inc.と改名)を開き、約1,200本のフィルムを制作した。
ゴールデンロッド(goldenrod、和名:セイタカアワダチソウ)からゴムを取るのに成功したとも言われている。
鉱山経営などにも手を出すが失敗。高齢となって会社経営からは身を引くが、研究所に籠り、死者との交信の実験(霊界との通信機の研究。霊界通信装置スピリットフォンの開発)を続けた。1914年12月に研究所が火事で全焼して約200万ドルの損害を被ったが、臆せずその後も死者との交信について関心を持ち研究を続けた。後述するが、これはエジソンなりの生命や魂についての科学技術的アプローチであり、現代科学的価値観ではその先に道が無いことがわかっていたとしても、当時のエジソンは出来得る技術を追求していたに過ぎない。また、当時の欧米の知識人・文化人の間では心霊・オカルトなどが流行最先端、つまりブームでもあった。
エジソンは、1931年10月18日、ニュージャージー州ウェストオレンジのルウェリンパークにある自宅「グレンモント」で糖尿病の合併症により死亡した(満84歳没)。この家は、1886年に後妻のミナへの結婚祝いとして購入したものである。スティーブン・J・ハーベン牧師が葬式を執り行った。エジソンは家の裏に埋葬されている。
エジソンの最後の息が、デトロイト近くのヘンリー フォード博物館の試験管に収められていると伝えられている。伝えられているところによると、親友であったフォードはエジソンの息子チャールズに、彼の死ぬ瞬間に口元に試験管を宛がい、最後の息を封印するよう説得した。これは現在の科学では荒唐無稽であるが、エジソンとフォードが「人は死んだ時、口から魂が抜ける」と信じていたためである。フォードはエジソンの最後の息、つまり魂を封印しておいて、近い将来に蘇生術が完成した時、この息を使ってエジソンを復活させようと考えてた。。チャールズはこれを断ったがしかし、最後の時を迎えた部屋には八本の試験官が設置してあり、臨終の直後にそれらは蝋で封印された、と伝わっている。石膏のデスマスクとエジソンの手の型も作られた。後妻のミナは1947年に亡くなった。
エジソンは生涯に2度結婚しており、それぞれ3人ずつ6人の子をもうけている。
1871年12月25日に、自社の子会社の従業員であった16歳のメアリー・スティルウェルと最初の結婚をした。メアリーとの間には1873年にマリオン・エジソン、1876年にトーマス・エジソン・ジュニア、1878年にウィリアム・エジソンの3人の子が生まれたが、多忙だったエジソンがあまり家に寄りつかなかったこともありメアリーは引きこもりがちになり、次第に体調を崩していき1884年8月9日に29歳でこの世を去った。
メアリーの死後、エジソンは同じく富裕な発明家・実業家であったルイス・ミラーの娘である20歳のミナ・ミラー(Mina Miller Edison、1865年 - 1947年)と1886年2月24日にオハイオ州のアクロンで結婚した。ミナとの間には、1888年にマドレーン・エジソン、1890年にはエジソン死後にエジソンの事業を引き継ぐとともに政治家となってニュージャージー州知事やアメリカ海軍長官代行を務めたチャールズ・エジソン、1898年には父同様、発明家・環境活動家となったセオドア・エジソンの3人の子をもうけている。ミナはエジソンとの死別をしたのち、1947年に82歳でこの世を去った。なおプロポーズはモールス信号にて行ったという。
自動車王のヘンリー・フォードとは生涯の友人であった。この2人が初めて会ったのは1896年のことであり、当時はフォードはエジソン電灯会社の社員であった。フォードが発明したばかりのガソリン自動車の説明をすると、エジソンはテーブルを拳で叩いて喜び、フォードを励ました。その後、1912年にフォードがエジソンに業務提携を持ちかけ、提携自体はうまくいかなかったものの友情は続いた。フォードは1967年、エジソンは1969年に、それぞれ自動車殿堂入りをしている。
フォードはエジソンの親友ではあったものの「発明家としてはともかく、経営者としては三流」とエジソンの経営者としての手腕ははっきりと酷評していた。
晩年の1914年から1924年にかけて2人は毎年、車でキャンプ旅行に出かけていた。老いたエジソンが車椅子生活になると、フォードも車椅子を購入した。二人で車椅子レースをするためだったと伝わる。
エジソンの功績はたぐいまれなものがあるが、改良発明も多く、盗作疑惑のあるものや、誹謗中傷を受けたものも多い。これは彼自身の性格に起因する面がある一方、エジソンの遺産相続の紛糾に起因する面もある。
発明の中には、エジソンがゼロから思いついたものなのか、他人のアイデアを改良したものであるのかが、既に分からなくなってしまっているものもある。アメリカの発明家チャールズ・ケタリングの「成功の99パーセントは、いままでの失敗の上に築かれる」という言葉から分かるように、エジソンの発明の「本当に最初の」発明者を決めるのは困難である。
電話機の発明はアメリカ大陸における電信事業を独占していたウエスタンユニオンに依頼されて着手した。その結果、電話に関する特許を得たグラハム・ベルとその後援者たちと対立するにいたる。送話器(マイクロフォン)において、ベルの電磁石を利用したダイナミックマイクに代わって炭素粒を用いたカーボンマイクを採用し、また誘導コイルにより送話距離を延ばしたのはエジソンの功績である。長距離で利用するためには、リー・ド・フォレストが原型を発明した「三極真空管」製品化まで待たなければならなかったが、「エジソン効果」の発見・発明がなければジョン・フレミングによる(三極)真空管の発明が遅れたであろうことは言うまでもない。エジソンは、ベルが電話機の発明者とされたことには最後まで納得がいかなかったとされる。
一方で無線機の発明については、あっさりとグリエルモ・マルコーニに手柄を譲っている。この点は輸出も狙っていたエジソンは上流階級出身者でイギリスやヨーロッパの官庁に強いコネクションを持つマルコーニと正面からけんかをしたくなかったとも、元々はアマチュアで変調などについても知識の浅いマルコーニを敵とすら見ていなかったともされている。そもそも電波については、ジェームズ・クラーク・マクスウェルが予言しハインリヒ・ヘルツが実証した時点で世界中で開発ブームとなったことから、順番争いよりも関連特許取得の競争が重要であった。この点はマルコーニもエジソンもどちらも資本家であることから認識を同じくして、どちら側も買収戦争に参加している。
一般には「白熱電球の発明者はエジソンである」という説が広まっているが、実際に白熱電球を発明したのはジョゼフ・スワンである。エジソンは、フィラメントとして数千種類の素材を試したが、どれも数十時間で焼き切れてしまった。手近にあった中国の扇子を解体して竹を取り出して竹炭にして使ってみたところ、長くもった。これに注目したエジソンは、世界各地にフィラメントに適した竹を探す調査員を派遣し、来日した探検家のウィリアム・ムーアが、石清水八幡宮がある男山の竹が良質だと聞き、京都府八幡村(現・八幡市)の竹を入手。これから作られたフィラメントは約1,000時間光り続けた。エジソンは、フィラメントをセルロースに切り替えるまで約10年間、八幡の竹を使い続けた。竹はのちにタングステンに取って代わられた。そのため、エジソンは「電球の発明者」ではなく、電球を改良して「電灯の事業化に成功した人」とされる。エジソンは配電システムを構築し、トースターや電気アイロンなどの電気製品を発明した。このために広く家庭に電気が普及したのである。
映画の発明においてはリュミエール兄弟やオーギュスタン・ルプランスに遅れをとるも、ジョージ・イーストマンの協力により、セルロイド製の長尺フィルムを手に入れることにより巻き返す。エジソンとエジソンの研究所のスタッフが規格化(デファクトスタンダード)した35mmフィルムのスプロケットの規格は現在でも使われている。この点はGEの資本力が映画業界にも及んでいたことの証明でもある。映写機やカメラの特許を有するエジソンは、爆発的に拡大していた映画市場から利益を回収するため、映画会社に対して特許をめぐる訴訟を連発し、エジソンは疲弊した映画会社各社からの申し出を受けて特許を共同保有するモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(MPPC、別名エジソントラスト)を設立した。MPPCは映画フィルムの定額レンタル制を導入し、耐久年数の過ぎたフィルムが各地で上映されていたり、映画会社が映画館に映画を売り込むために内容ではなく安売りで競争したりしていた状態を終わらせた。しかし、MPPCに入れなかった映画会社の多くはエジソンからの特許料徴収と訴訟に耐えられず事業を畳み、諦めなかった会社は西海岸のハリウッドに逃げて映画製作を続けた(これが後にハリウッドが映画の都になった要因である)。なお、MPPCは1915年にトラストを規制するシャーマン法に違反するとの連邦裁判所の判決が出された。上訴も却下され、1918年にMPPCは終焉を迎えた。
発明のための研究に関しては昼も夜も関係なく、時間を忘れて没頭していた。普段の睡眠時間も30分ほどの仮眠を1日数回、合計3時間ほどしか取らず、ほぼ24時間体制と言ってよいスケジュールで仕事を続けていたため、「エジソンの研究所の時計には針がない」とまで噂されたほどであった。彼は後年、「私の若いころには、1日8時間労働などというものはなかった。私が仕事を1日8時間に限っていたら、成功はおぼつかなかったはずだ」と語っている。彼は84歳で亡くなったが、80歳を過ぎてもなお「私にはまだやらなければならない仕事がある。少なくともあと15年は働かなければならない」と言いながら1日16時間のペースで仕事を続けていた。
一つの物事に熱中すると、他のことは完全に忘れてしまうことが度々あった。彼が考えごとをしていたとき、話しかけてきた妻のミナに「君は誰だ?」と質問し、ミナを怒らせたことがあったという。
エジソンの助手の1人が電球の容積を算出するために複雑な計算に取り組んでいたとき、エジソンは「私なら電球に水を入れて容積を量るよ」と言った。エジソンが学校などで教わる常識の枠にとらわれず、物事を柔軟に思考する実践派の研究者であったことを示すエピソードである。
英単語の「Hello」を最初に使い出したのはエジソンだという説がエジソン信奉者によって唱えられたことがあったが、これより以前のマーク・トウェインの作品で既にこの語が用いられている。「Hello」は19世紀前半に使われるようになったが、電話の挨拶に頻繁に使われるようになり、1883年には辞書に載った。
エジソンには超自然的、オカルト的なものに魅せられていたという一面もあった。ブラヴァツキー夫人やバート・リーズの降霊術を信じており、ブラヴァツキー夫人の開く神智学会に出席したこともある。また、来世を信じ、後半生は死者と交信する電信装置(Spirit Phone)を研究していた。ただし、あくまでエジソンは合理主義者を自負しており、1920年代を通じて常に自由思想家協会を支持していた。
エジソンは「人間の魂もエネルギーである」と考え、「宇宙のエネルギーの一部である」と考えていた。「エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだ」と考えていた。エジソンの言葉によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録することで発明としていたに過ぎない」のだという。 | [
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"text": "ニコラ・テスラやウェスティングハウスとの戦いでは、「交流電流は危険」とのイメージを人々に持たせるために、交流電流を利用した処刑椅子の発明等様々な汚いプロパガンダ工作を行ったことなどの汚点でも知られている(またジョルジュ・メリエスの傑作『月世界旅行』を公開前に無断で複製し、アメリカ中の映画館に売りつけ巨額の富を得たという事実も存在する)。その後の発電所に納入する発電機をめぐる戦いでも敗北してしまったため、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーに出資して株の過半を持ち実質上のオーナーとなっていたJ・Pモルガンから見切られ、エジソンは元々は自分が設立した同社の社長の座を失い、会社とは無関係とされ、社名から自分の名前も消されるという屈辱も味わった。",
"title": "概略"
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"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "1847年2月11日にオハイオ州マイランで父サミュエル・オグデンJr.(1804年8月16日 - 1896年、オランダ系)と母ナンシー・エリオット(1810年1月4日 - 1871年、スコットランド系)の間に生まれた。オランダ人系とスコットランド人系の両親から生まれたエジソンは従って、オランダ人系統オランダ系アメリカ人)と考えられている。メキシコでは「エジソンはメキシコ人だ」という言い伝えがあるが、「彼のミドルネームがアルバ (Alva) という事から誤解が生じたものであり、この言い伝えは信憑性に欠ける」という。アルバというミドルネームは彼らの家族の友人である Captain Bradley に由来する。。父系の家系はニュージャージー州経由のオランダ人であった。トーマスは彼らの7人の子の末っ子で、トーマス・アルバが7歳のときに家族はミシガン州ポートヒューロンに移った。幼少期は通称「アル」であった。祖父のジョン・エデソンは1784年にニュージャージー州からノバスコシア州に逃れ、父親は1837~1838年の反乱に関与した後、オンタリオ州ウィーンに逃亡した。",
"title": "生涯"
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"text": "少年時代のトーマスは、異常なほどの知りたがり屋であった。小学校に入学するも、教師と馬が合わず、わずか3か月で中退した。当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることができず、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、国語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問したりするといった具合で、授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発し、教師を困らせていたという。",
"title": "生涯"
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"text": "そのような好奇心は学校内にとどまらず、ガチョウの卵を自分で孵化させようとして、卵を抱き抱えてガチョウ小屋の中に何時間も座り込んだり、「なぜ物は燃えるのか」を知りたいと思い立ち、藁を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させるという事件を起こし、父親に咎められたりしたこともあった。これらが重なった挙句、最終的には担任の教師から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも「ほかの生徒たちの迷惑になる」と言われ、前述の通り入学からわずか3か月で退学することとなった。",
"title": "生涯"
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"text": "学校教育に馴染めなかったトーマスは、自宅で独学することになった。トーマスが特に興味を示したのは、化学の実験であった。",
"title": "生涯"
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"tag": "p",
"text": "科学実験に没頭した少年時代、人間が空を飛べるようになる薬を作ろうと試み、ヘリウムガスをヒントにして薬を自作し、友人に飲ませた。エジソンの目論見としては、その薬を飲むと体内でガスが発生し、その浮力で人間が浮き上がるはずだったが、実際には薬を飲んだ友人が腹痛を起こしてもがき苦しみ、大騒ぎになった。普段はエジソンの行為に理解を示していた母親も、この件に関しては激怒し、人体実験を行うことを厳しく戒めたという(エジソンはその後も人間が空を飛ぶという夢を追求したが、前述の通り、またもや人命に関わる問題(ヘリコプター試作中の事故)で挫折することとなる)。",
"title": "生涯"
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"text": "エジソンは 12 歳のときに聴覚障害を発症した。難聴の原因についてその後、彼は精巧な架空の話をでっち上げた。耳を引っ張られた、元ボクサーに殴られた、など話にはいくつかのバージョンがあるが、実際の彼の難聴の原因は幼少期の猩紅熱の発作と、治療されていない中耳感染症の再発に起因すると現在は推測されている。エジソンは片方の耳が完全に聞こえず、もう一方の耳はほとんど聞こえなかったので、歯を木材に挟んで頭蓋骨に音波を吸収させて音楽プレーヤーやピアノを聴いていたと言われている。年をとるにつれ、エジソンは難聴のおかげで気が散るのを避け、仕事に集中しやすくなったと考えていた。これとは別に、現代の歴史家や医療専門家は、彼がADHDを持っていた可能性があることを示唆している。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 12,
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"text": "少年時代のエジソンは持ち前の好奇心が高じて、自らの手で新聞を作り、列車の中で売って評判になったことがあった。エジソンは13歳までに週50ドルの利益を上げ、そのほとんどは電気および化学実験用の機器の購入にした。しかし、ある人物を皮肉った内容の記事を新聞に載せたところ、これを見て激怒した本人から暴行を受け、これに懲りてエジソンは新聞作りをやめたという。また、15歳のときには働いていた鉄道の駅で、まだ幼い駅長の息子が汽車にひかれそうになったのを近くにいた中年の男と一緒に助けたことがあった。エジソンはそのお礼として駅長から電信の技術を教えてもらい、のちに彼が技術者としての人生を歩み始めるきっかけを与えてもらったという。",
"title": "生涯"
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"text": "このような少年時代を送ったが、その後、母親も手伝って発明を複数回行ったという。",
"title": "生涯"
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"text": "1864年、17歳の頃のエジソンはカナダの駅で夜間電信係として働いていたが、「何事もなければ、一晩中1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送るだけ」という退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明した。電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、それまでと違って全く誤差なく正確に1時間おきに電信が届くようになったことを不思議に思い様子を見にきた上司に「お前が寝ていたら定時に連絡する意味がないだろう」と怒られた。これがエジソンの最初の発明だった。クビは免れたもののその後の通信ミスで列車の衝突事故を起こしかけ、本社からの出頭命令を無視して放浪生活を始める。",
"title": "生涯"
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"text": "エジソンは1868年、21歳のときに初めて特許を取得した。それは電気投票記録機に関するもので、議会における賛成票と反対票の数を押しボタンで瞬時に集計し、投票にかかる時間を大幅に短縮できる画期的な発明となるはずだった。しかし、実際の連邦議会や各州の議会では、野党の議員による投票中のフィリバスターや与党の議員との交渉ができなくなるという理由により、全く採用されなかった。エジソンはこの苦い経験を通して、いくら立派な発明でも人々が喜んでくれなければ何の意味もないことを痛感し、その後は周囲の人々の意見や要望をよく聞いてから発明に取り組むようになったという。",
"title": "生涯"
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"text": "その翌年の1869年、エジソンが22歳のときに特許を取得した株式相場表示機(ティッカー)は業界から大いに歓迎され、その特許権を譲ってもらいたいという申し出があった。最初、エジソン自身は5,000ドルほどで特許権を売るつもりであったが、実際には4万ドル(現在の日本円で約2億円相当)で買い取られ、エジソンは当初の予想より8倍も高い金額を提示されて、心臓が止まるかと思うほど驚いたという。こうしてエジソンは発明家としての人生を本格的に歩んでいくことになった。",
"title": "生涯"
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"text": "1877年に蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得。ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立し、集まった人材を発明集団として機能させるべく、マネジメント面で辣腕を振るった。",
"title": "生涯"
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"text": "研究所では電話、蓄音器(つまり録音・再生装置)、電気鉄道、鉱石分離装置、電灯照明などを矢継ぎ早に商品化した。中でも注力したのは白熱電球であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。彼は白熱電球の名称をゾロアスター教の光と英知の神、アフラ・マズダーから引用し、「マズダ」と名付けている。この特許の有効性について訴訟が起こり、裁判で特許(番号223,898)が有効と判定されるまでに時間がかかった。一方で白熱電球の売り込みのための合弁会社を設立し、直流の電力を供給するシステムを確立させる。",
"title": "生涯"
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"text": "1887年にニュージャージー州のウェストオレンジ研究室に移る。ここでは動画撮影機キネトグラフを発明したと言われているが、実は部下のウィリアム・ディックソンの発明である。1893年には、ウエスト・オレンジ研究所の敷地内にアメリカ初の映画スタジオ「ブラック・マリア(Edison's Black Maria)」を設立し、ウィリアム・ディックソン、ウィリアム・ハイセを監督に、キネトスコープ用の白黒フィルムを制作し始めた。1901年にはマンハッタンに、1907年にはブロンクスに新しい映画スタジオ(Edison Manufacturing Company、のちにThomas A. Edison, Inc.と改名)を開き、約1,200本のフィルムを制作した。",
"title": "生涯"
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"text": "ゴールデンロッド(goldenrod、和名:セイタカアワダチソウ)からゴムを取るのに成功したとも言われている。",
"title": "生涯"
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"text": "鉱山経営などにも手を出すが失敗。高齢となって会社経営からは身を引くが、研究所に籠り、死者との交信の実験(霊界との通信機の研究。霊界通信装置スピリットフォンの開発)を続けた。1914年12月に研究所が火事で全焼して約200万ドルの損害を被ったが、臆せずその後も死者との交信について関心を持ち研究を続けた。後述するが、これはエジソンなりの生命や魂についての科学技術的アプローチであり、現代科学的価値観ではその先に道が無いことがわかっていたとしても、当時のエジソンは出来得る技術を追求していたに過ぎない。また、当時の欧米の知識人・文化人の間では心霊・オカルトなどが流行最先端、つまりブームでもあった。",
"title": "生涯"
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"text": "エジソンは、1931年10月18日、ニュージャージー州ウェストオレンジのルウェリンパークにある自宅「グレンモント」で糖尿病の合併症により死亡した(満84歳没)。この家は、1886年に後妻のミナへの結婚祝いとして購入したものである。スティーブン・J・ハーベン牧師が葬式を執り行った。エジソンは家の裏に埋葬されている。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "エジソンの最後の息が、デトロイト近くのヘンリー フォード博物館の試験管に収められていると伝えられている。伝えられているところによると、親友であったフォードはエジソンの息子チャールズに、彼の死ぬ瞬間に口元に試験管を宛がい、最後の息を封印するよう説得した。これは現在の科学では荒唐無稽であるが、エジソンとフォードが「人は死んだ時、口から魂が抜ける」と信じていたためである。フォードはエジソンの最後の息、つまり魂を封印しておいて、近い将来に蘇生術が完成した時、この息を使ってエジソンを復活させようと考えてた。。チャールズはこれを断ったがしかし、最後の時を迎えた部屋には八本の試験官が設置してあり、臨終の直後にそれらは蝋で封印された、と伝わっている。石膏のデスマスクとエジソンの手の型も作られた。後妻のミナは1947年に亡くなった。",
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"text": "エジソンは生涯に2度結婚しており、それぞれ3人ずつ6人の子をもうけている。",
"title": "家族と友人"
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"text": "1871年12月25日に、自社の子会社の従業員であった16歳のメアリー・スティルウェルと最初の結婚をした。メアリーとの間には1873年にマリオン・エジソン、1876年にトーマス・エジソン・ジュニア、1878年にウィリアム・エジソンの3人の子が生まれたが、多忙だったエジソンがあまり家に寄りつかなかったこともありメアリーは引きこもりがちになり、次第に体調を崩していき1884年8月9日に29歳でこの世を去った。",
"title": "家族と友人"
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"text": "メアリーの死後、エジソンは同じく富裕な発明家・実業家であったルイス・ミラーの娘である20歳のミナ・ミラー(Mina Miller Edison、1865年 - 1947年)と1886年2月24日にオハイオ州のアクロンで結婚した。ミナとの間には、1888年にマドレーン・エジソン、1890年にはエジソン死後にエジソンの事業を引き継ぐとともに政治家となってニュージャージー州知事やアメリカ海軍長官代行を務めたチャールズ・エジソン、1898年には父同様、発明家・環境活動家となったセオドア・エジソンの3人の子をもうけている。ミナはエジソンとの死別をしたのち、1947年に82歳でこの世を去った。なおプロポーズはモールス信号にて行ったという。",
"title": "家族と友人"
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"paragraph_id": 27,
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"text": "自動車王のヘンリー・フォードとは生涯の友人であった。この2人が初めて会ったのは1896年のことであり、当時はフォードはエジソン電灯会社の社員であった。フォードが発明したばかりのガソリン自動車の説明をすると、エジソンはテーブルを拳で叩いて喜び、フォードを励ました。その後、1912年にフォードがエジソンに業務提携を持ちかけ、提携自体はうまくいかなかったものの友情は続いた。フォードは1967年、エジソンは1969年に、それぞれ自動車殿堂入りをしている。",
"title": "家族と友人"
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"text": "フォードはエジソンの親友ではあったものの「発明家としてはともかく、経営者としては三流」とエジソンの経営者としての手腕ははっきりと酷評していた。",
"title": "家族と友人"
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"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "晩年の1914年から1924年にかけて2人は毎年、車でキャンプ旅行に出かけていた。老いたエジソンが車椅子生活になると、フォードも車椅子を購入した。二人で車椅子レースをするためだったと伝わる。",
"title": "家族と友人"
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{
"paragraph_id": 30,
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"text": "エジソンの功績はたぐいまれなものがあるが、改良発明も多く、盗作疑惑のあるものや、誹謗中傷を受けたものも多い。これは彼自身の性格に起因する面がある一方、エジソンの遺産相続の紛糾に起因する面もある。",
"title": "発明とその裏側"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "発明の中には、エジソンがゼロから思いついたものなのか、他人のアイデアを改良したものであるのかが、既に分からなくなってしまっているものもある。アメリカの発明家チャールズ・ケタリングの「成功の99パーセントは、いままでの失敗の上に築かれる」という言葉から分かるように、エジソンの発明の「本当に最初の」発明者を決めるのは困難である。",
"title": "発明とその裏側"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "電話機の発明はアメリカ大陸における電信事業を独占していたウエスタンユニオンに依頼されて着手した。その結果、電話に関する特許を得たグラハム・ベルとその後援者たちと対立するにいたる。送話器(マイクロフォン)において、ベルの電磁石を利用したダイナミックマイクに代わって炭素粒を用いたカーボンマイクを採用し、また誘導コイルにより送話距離を延ばしたのはエジソンの功績である。長距離で利用するためには、リー・ド・フォレストが原型を発明した「三極真空管」製品化まで待たなければならなかったが、「エジソン効果」の発見・発明がなければジョン・フレミングによる(三極)真空管の発明が遅れたであろうことは言うまでもない。エジソンは、ベルが電話機の発明者とされたことには最後まで納得がいかなかったとされる。",
"title": "発明とその裏側"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "一方で無線機の発明については、あっさりとグリエルモ・マルコーニに手柄を譲っている。この点は輸出も狙っていたエジソンは上流階級出身者でイギリスやヨーロッパの官庁に強いコネクションを持つマルコーニと正面からけんかをしたくなかったとも、元々はアマチュアで変調などについても知識の浅いマルコーニを敵とすら見ていなかったともされている。そもそも電波については、ジェームズ・クラーク・マクスウェルが予言しハインリヒ・ヘルツが実証した時点で世界中で開発ブームとなったことから、順番争いよりも関連特許取得の競争が重要であった。この点はマルコーニもエジソンもどちらも資本家であることから認識を同じくして、どちら側も買収戦争に参加している。",
"title": "発明とその裏側"
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{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "一般には「白熱電球の発明者はエジソンである」という説が広まっているが、実際に白熱電球を発明したのはジョゼフ・スワンである。エジソンは、フィラメントとして数千種類の素材を試したが、どれも数十時間で焼き切れてしまった。手近にあった中国の扇子を解体して竹を取り出して竹炭にして使ってみたところ、長くもった。これに注目したエジソンは、世界各地にフィラメントに適した竹を探す調査員を派遣し、来日した探検家のウィリアム・ムーアが、石清水八幡宮がある男山の竹が良質だと聞き、京都府八幡村(現・八幡市)の竹を入手。これから作られたフィラメントは約1,000時間光り続けた。エジソンは、フィラメントをセルロースに切り替えるまで約10年間、八幡の竹を使い続けた。竹はのちにタングステンに取って代わられた。そのため、エジソンは「電球の発明者」ではなく、電球を改良して「電灯の事業化に成功した人」とされる。エジソンは配電システムを構築し、トースターや電気アイロンなどの電気製品を発明した。このために広く家庭に電気が普及したのである。",
"title": "発明とその裏側"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "映画の発明においてはリュミエール兄弟やオーギュスタン・ルプランスに遅れをとるも、ジョージ・イーストマンの協力により、セルロイド製の長尺フィルムを手に入れることにより巻き返す。エジソンとエジソンの研究所のスタッフが規格化(デファクトスタンダード)した35mmフィルムのスプロケットの規格は現在でも使われている。この点はGEの資本力が映画業界にも及んでいたことの証明でもある。映写機やカメラの特許を有するエジソンは、爆発的に拡大していた映画市場から利益を回収するため、映画会社に対して特許をめぐる訴訟を連発し、エジソンは疲弊した映画会社各社からの申し出を受けて特許を共同保有するモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(MPPC、別名エジソントラスト)を設立した。MPPCは映画フィルムの定額レンタル制を導入し、耐久年数の過ぎたフィルムが各地で上映されていたり、映画会社が映画館に映画を売り込むために内容ではなく安売りで競争したりしていた状態を終わらせた。しかし、MPPCに入れなかった映画会社の多くはエジソンからの特許料徴収と訴訟に耐えられず事業を畳み、諦めなかった会社は西海岸のハリウッドに逃げて映画製作を続けた(これが後にハリウッドが映画の都になった要因である)。なお、MPPCは1915年にトラストを規制するシャーマン法に違反するとの連邦裁判所の判決が出された。上訴も却下され、1918年にMPPCは終焉を迎えた。",
"title": "発明とその裏側"
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{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "発明のための研究に関しては昼も夜も関係なく、時間を忘れて没頭していた。普段の睡眠時間も30分ほどの仮眠を1日数回、合計3時間ほどしか取らず、ほぼ24時間体制と言ってよいスケジュールで仕事を続けていたため、「エジソンの研究所の時計には針がない」とまで噂されたほどであった。彼は後年、「私の若いころには、1日8時間労働などというものはなかった。私が仕事を1日8時間に限っていたら、成功はおぼつかなかったはずだ」と語っている。彼は84歳で亡くなったが、80歳を過ぎてもなお「私にはまだやらなければならない仕事がある。少なくともあと15年は働かなければならない」と言いながら1日16時間のペースで仕事を続けていた。",
"title": "エピソード"
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"text": "一つの物事に熱中すると、他のことは完全に忘れてしまうことが度々あった。彼が考えごとをしていたとき、話しかけてきた妻のミナに「君は誰だ?」と質問し、ミナを怒らせたことがあったという。",
"title": "エピソード"
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{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "エジソンの助手の1人が電球の容積を算出するために複雑な計算に取り組んでいたとき、エジソンは「私なら電球に水を入れて容積を量るよ」と言った。エジソンが学校などで教わる常識の枠にとらわれず、物事を柔軟に思考する実践派の研究者であったことを示すエピソードである。",
"title": "エピソード"
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{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "英単語の「Hello」を最初に使い出したのはエジソンだという説がエジソン信奉者によって唱えられたことがあったが、これより以前のマーク・トウェインの作品で既にこの語が用いられている。「Hello」は19世紀前半に使われるようになったが、電話の挨拶に頻繁に使われるようになり、1883年には辞書に載った。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 40,
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"text": "エジソンには超自然的、オカルト的なものに魅せられていたという一面もあった。ブラヴァツキー夫人やバート・リーズの降霊術を信じており、ブラヴァツキー夫人の開く神智学会に出席したこともある。また、来世を信じ、後半生は死者と交信する電信装置(Spirit Phone)を研究していた。ただし、あくまでエジソンは合理主義者を自負しており、1920年代を通じて常に自由思想家協会を支持していた。",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "エジソンは「人間の魂もエネルギーである」と考え、「宇宙のエネルギーの一部である」と考えていた。「エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだ」と考えていた。エジソンの言葉によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録することで発明としていたに過ぎない」のだという。",
"title": "エピソード"
}
] | トーマス・アルバ・エジソンは、アメリカ合衆国の発明家、起業家。スポンサーのJPモルガン、秘書のサミュエル・インサル、そしてメロン財閥とアメリカの電力系統を寡占した。 | {{複数の問題|出典の明記=2022年1月|独自研究=2022年1月}}
{{Infobox Engineer
| 氏名 = トーマス・アルバ・エジソン<br />{{lang|en|Thomas Alva Edison}}
| 画像 = Thomas Edison2.jpg
| 画像のサイズ = 250px
| 画像の説明 = トーマス・エジソン([[1922年]]頃)
| 別名 = 発明王<br />メンロパークの魔術師<br />訴訟王<br />アメリカ映画の父
| 国籍 = {{USA1912}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1847|2|11|no}}
| 生誕地 = {{USA1837}}、[[オハイオ州]][[マイラン (オハイオ州)|マイラン]]
| 死没日 = {{死亡年月日と没年齢|1847|2|11|1931|10|18}}
| 死没地 = {{USA1912}}、[[ニュージャージー州]]{{仮リンク|ウェストオレンジ (ニュージャージー州)|label=ウェストオレンジ|en|West Orange, New Jersey}}
| 最終学歴 = 小学校中退
| 職業 = [[発明家]]<br />[[起業家]]
| 配偶者 = メアリー・スティルウェル(1871 - 1884)<br />ミナ・ミラー(1886 - 1931)
| 両親 = 父:サミュエル・オグデン・エジソン・ジュニア<br />母:ナンシー・マシューズ・エリオット
| 子供 = [[トーマス・エジソン・ジュニア]]<br />[[ウィリアム・エジソン|ウィリアム]]<br />[[マリオン・エジソン|マリオン]]<br />[[マドレーン・エジソン|マドレーン]]<br />[[チャールズ・エジソン|チャールズ]]<br />[[セオドア・エジソン|セオドア]]
| 専門分野 =
| 所属機関 =
| 勤務先 =
| 雇用者 =
| プロジェクト =
| 設計 =
| 成果 = 電気器具の改良・発明、およびそれの普及に必要な電力産業の事業化
| 受賞歴 =
| 署名 = Thomas Alva Edison Signature.svg
| 公式サイト =
| 補足 =
| resting_place = [[トーマス・エジソン国立歴史公園]]
}}
[[File:A Day with Thomas Edison (1922).webm|thumb|thumbtime=1|upright=1.1|{{lang|en|A Day with Thomas Edison}} (1922年)]]
'''トーマス・アルバ・エジソン'''({{lang-en-short|Thomas Alva Edison}}<ref>{{IPA-en|ˈtɑməs ˈælvə ˈedəs(ə)n}}</ref><ref group="注">トーマスではなく'''トマス・エジソン'''と表記することも多い。また「エジソン」の代わりに「エディソン」「エディスン」と表記する場合もある。</ref>、[[1847年]][[2月11日]] - [[1931年]][[10月18日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[発明家]]、[[起業家]]。スポンサーの[[JPモルガン]]、秘書のサミュエル・インサル、そして[[メロン財閥]]とアメリカの[[電力系統]]を寡占した<ref>Gifford Pinchot, [https://hdl.handle.net/1957/9978 The power monopoly ; its make-up and its menace.], Milford, 1928, especially Appendix B</ref>。
== 概略 ==
傑出した発明家として知られ、生涯におよそ1,300もの[[発明]]と[[イノベーション|技術革新]]を行った人物である。たとえば[[蓄音器]]、[[白熱電球]]<ref>{{Cite news|url=https://toyokeizai.net/articles/-/349265?display=b|title=コロナ禍「日光を浴びない」という意外な大問題|newspaper=東洋経済オンライン|date=2020-05-09|accessdate=2020-11-30}}</ref>、[[活動写真]]である<ref name="britan">『[[ブリタニカ百科事典]]』【エジソン】</ref><ref group="注">ただし、厳密に言えば、白熱電球に関して言えば、エジソンは数万もの試行を計画・指揮・実行することで実用化に成功した人物なのであって、白熱電球の[[原理]]は一応エジソン以前に既に知られており、エジソンの独創というわけではない。</ref><ref group="注">当時、人々は電球も電線も発電所もない状態で生活しており、たとえば米国では夜間の明りと言えば[[灯油]]ランプを用いていた。それがエジソンが実用化した白熱電球によって、人々が夜間に明りを得る方法が一変することになったのである。</ref>。エジソンは[[ジョン・モルガン|J・P・モルガン]]から巨額の出資・援助をしてもらい、Edison General Electric Company(エジソン・ゼネラル・エレクトリック、現・[[ゼネラル・エレクトリック]]=GE)を設立した。GEは電球などの家電だけでなく、発電から送電までを含む電力系統の事業化に成功した。エジソンは合計14の会社を設立している。助手には一人だけ日本人([[岡部芳郎]])がいた<ref name="日経20200228"/>。
エジソンは様々の異名を持ち、しばしば「発明王」と呼ばれている<ref name="日経20200228">[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO56122470X20C20A2BC8000/ 立本信「エジソンと京都 竹の縁◇父の指示で発明王ゆかりの品収集、子孫と交流も◇」]『[[日本経済新聞]]』朝刊2020年2月28日(文化面)2020年2月29日閲覧</ref>。また、研究所が置かれたニュージャージー州[[エジソン (ニュージャージー州)|メンロパーク]]にちなんで「The Wizard of Menlo Park(メンロパークの魔術師)」とも呼ばれた。メンロパークは、今ではエジソンと改名している。[[リュミエール兄弟]]と並んで「[[映画]]の[[父]]」とも言われている。このほか、自らの発明の権利を守るため[[訴訟]]を厭わなかったことから「訴訟王」の異名も持つ<ref group="注">エジソンは自分の発明の利益を守ることに非常に熱心であり、そのための訴訟を厭わなかった。そのため、彼の生涯は「1%のひらめきと99%の訴訟」と評されることがある。</ref>。
エジソンは「努力の人」「非常な努力家<ref name="britan" />」「不屈の人」などとして知られている。幼いころから正規の教育を受けられないという困難に見舞われたが、図書館などで独学した<ref name="britan" />。新聞の売り子(販売員)として働くことでわずかなお金をコツコツと貯め、自分の実験室を作った逸話などでも知られている<ref name="britan" />。16歳の頃には電信技士として働くようになり、各地を放浪しつつも、自力で科学雑誌を読破して学び続けた<ref name="britan" />。耳が不自由になったにもかかわらず、それに負けず、努力を積み重ね成功したことでも知られている<ref group="注">エジソンは聴力に障害があったが、彼自身はこの障害を苦にしていた様子はなく、逆に「周りの[[雑音]]に悩まされず[[研究]]に集中できるから、かえって好都合だ」と語っていたという。晩年にエジソンの[[研究所]]が[[火事]]にあって全焼してしまった時、エジソンは既に67歳の高齢であったが、それでも彼は少しも落胆した様子を見せず、「これでむだな物はすっかりなくなった。これからまた新たな気持ちで新たな研究を始められる」と言ったという。</ref><ref group="注">エジソンは(その発明の独創性については論議の分かれるところであるが)いかなる困難も苦痛だと思わない強靭な精神力と不屈の信念の持ち主であった事に関しては異論の余地がない。彼が数千種類の実験材料を使って数千回の実験を行い、その全てが失敗に終わっても、彼はこれを決して無駄とは見なさず、「実験の成果はあった。これら数千種類の材料が全て役に立たないという事が分かったのだから」と語っていたという。因みにエジソンが生涯で最も手間と費用をかけた発明は自動車用の[[蓄電池|アルカリ蓄電池]]で、エジソンはこれを完成させるまでに5万回を超える実験を繰り返したと語っている。</ref><ref group="注">「いかなる困難や障害も恐れない不屈の信念で発明に取り組んだ」と言われるようなエジソンであったが、その彼が研究を諦めた発明の1つに[[ヘリコプター]]がある。エジソンが[[1880年代]]に考案したヘリコプターは、[[火薬]]の燃焼によって[[エンジン]]を動かし、[[プロペラ]]を回転させて空を飛ぶ仕組みであったが、実験の最中に彼が試作した火薬エンジンが爆発事故を起こしてしまった。幸い死傷者は出なかったが、さすがのエジソンも人命に関わる危険な実験をそれ以上続けるわけにはいかず、彼は不本意ながらヘリコプターの開発を断念する事となった。</ref>。
エジソンは、自分が選択・採用した[[直流送電]]に拘るあまりに[[交流送電]]の優位を受け入れられず、交流を採用した[[ニコラ・テスラ]]および[[ジョージ・ウェスティングハウス|ウェスティングハウス]]との間で[[電流戦争]]に陥り、結局、敗北してしまった。また、[[ヘリコプター]]を作ることを考えながらも安全面の問題から断念せざるを得なかった。
ニコラ・テスラやウェスティングハウスとの戦いでは、「交流電流は危険」とのイメージを人々に持たせるために、交流電流を利用した処刑椅子の発明等様々な汚いプロパガンダ工作を行ったことなどの汚点でも知られている<ref group="注">送電方法について、交流を推進する[[ニコラ・テスラ]]および[[ウェスティングハウス・エレクトリック]]社と対立し、劣勢に立たされ追い込まれたエジソンは、相手の足を引っ張るために一種の[[ネガティブ・キャンペーン]]を行うことを画策。人々に「交流は危険」との印象を持たせることで、直流になびかせようとしたのである。[[ニューヨーク市]]が[[絞首刑]]に代わる[[死刑]]執行方法を募集しているのを知ると、[[交流電流]]でそれを行うことで交流の評判を悪くすることを思いつき、交流発電機を使った[[感電]]の[[動物実験]]を重ね、[[電気椅子]]を発明し市に提案、その電源に交流が採用されるように画策したのである。その結果、実際に、史上初めて電気椅子による死刑が執行され、そのニュースが新聞で広く報道された。だが、影響はエジソンの目論見どおりにはゆかず、人々の意識に残ったイメージというのは、エジソンが意図していたような「交流は怖い」というイメージではなく、最も強烈に残ったのは「電気での処刑という残虐行為を首謀した恐ろしい人物はエジソンだ」というイメージであった。エジソンは自分の名・評判を汚してしまい、またその背後にいる出資者の[[ジョン・モルガン|J.P.モルガン]]まで評判を落としかねない事態となった。また、人々の間におきた反応は、せいぜい「電気は全て怖い」(交流であれ直流であれ怖い。[[灯油]]の代わりに電気を使うのは止め、灯油に戻ろうか)という反応であり、電気全体に対するネガティブキャンペーンになってしまった。{{Seealso|電流戦争}}</ref>(また[[ジョルジュ・メリエス]]の傑作『[[月世界旅行 (映画)|月世界旅行]]』を公開前に無断で複製し、アメリカ中の映画館に売りつけ巨額の富を得たという事実も存在する<ref group="E"> [[ハリウッド]]が生まれる前のアメリカ映画では、エジソンの会社がアメリカ東部においては映画業界をほぼ独占し、競合他社との間で特許を共有するトラスト([[モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー]])を形成して、トラストに参加しない会社の映画製作を[[マフィア]]や探偵を使うなどして妨害したり、電流戦争ではテスラへの妨害工作をしたりしていた。</ref>)。その後の発電所に納入する発電機をめぐる戦いでも敗北してしまったため、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニーに出資して株の過半を持ち実質上のオーナーとなっていたJ・Pモルガンから見切られ、エジソンは元々は自分が設立した同社の社長の座を失い、会社とは無関係とされ、社名から自分の名前も消されるという屈辱も味わった。
== 生涯 ==
=== 出生 ===
1847年2月11日にオハイオ州[[マイラン (オハイオ州)|マイラン]]で父サミュエル・オグデンJr.(1804年8月16日 - 1896年、[[オランダ]]系)と母ナンシー・エリオット(1810年1月4日 - 1871年、[[スコットランド]]系)の間に生まれた。オランダ人系とスコットランド人系の両親から生まれたエジソンは従って、オランダ人系統オランダ系アメリカ人)と考えられている。[[メキシコ]]では「エジソンはメキシコ人だ」という言い伝えがある{{要出典|date=2013年11月}}が、「彼のミドルネームがアルバ (Alva) という事から誤解が生じたものであり、この言い伝えは信憑性に欠ける{{要出典|date=2013年11月}}」という。アルバというミドルネームは彼らの家族の友人である Captain Bradley に由来する{{要出典|date=2013年11月}}。<ref>{{Cite web |title=National Historic Landmarks Program (NHL) |url=https://web.archive.org/web/20110808185308/http://tps.cr.nps.gov/nhl/detail.cfm?ResourceId=443&ResourceType |website=web.archive.org |date=2011-08-08 |access-date=2022-09-09}}</ref><ref>{{Cite web |title=Thomas Edison's Inventive Life |url=https://invention.si.edu/thomas-edisons-inventive-life |website=Lemelson Center for the Study of Invention and Innovation |date=2004-04-18 |access-date=2022-09-09 |language=en |first=Smithsonian Lemelson |last=Center}}</ref>。父系の家系は[[ニュージャージー州]]経由の[[オランダ人]]であった。トーマスは彼らの7人の子の末っ子で、トーマス・アルバが7歳のときに家族はミシガン州[[ポートヒューロン]]に移った。幼少期は通称「アル」であった。祖父のジョン・エデソンは1784年にニュージャージー州から[[ノバスコシア州]]に逃れ、父親は1837~1838年の反乱に関与した後、[[オンタリオ州]]ウィーンに逃亡した<ref>{{Cite web |title=Samuel and Nancy Elliott Edison - Thomas Edison National Historical Park (U.S. National Park Service) |url=https://www.nps.gov/edis/learn/historyculture/samuel-and-nancy-elliott-edison.htm |website=www.nps.gov |access-date=2022-09-09 |language=en |first=Mailing Address: 211 Main Street West |last=Orange}}</ref>。
=== 少年時代 ===
[[File:Young Thomas Edison.jpg|thumb|right|220px|少年期のトーマス]]
少年時代のトーマスは、異常なほどの知りたがり屋であった。小学校に入学するも、教師と馬が合わず、わずか3か月で中退した。当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることができず、「1個の粘土と1個の[[粘土]]を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、国語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問したりするといった具合で、授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発し、教師を困らせていたという。
そのような[[好奇心]]は学校内にとどまらず、[[ガチョウ]]の卵を自分で[[孵化]]させようとして、卵を抱き抱えてガチョウ小屋の中に何時間も座り込んだり、「なぜ物は[[燃焼|燃える]]のか」を知りたいと思い立ち、[[藁]]を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させるという事件を起こし、父親に咎められたりしたこともあった。これらが重なった挙句、最終的には担任の教師から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも「ほかの生徒たちの迷惑になる」と言われ、前述の通り入学からわずか3か月で退学することとなった<ref group="注>当時はまだ[[義務教育]]の制度が確立しておらず、家庭の事情などで小学校へ行かない子供もさほど珍しくなかった。</ref>。
学校教育に馴染めなかったトーマスは、自宅で独学することになった<ref>{{Cite web |title=Edison Biography - Thomas Edison National Historical Park (U.S. National Park Service) |url=https://www.nps.gov/edis/learn/historyculture/edison-biography.htm |website=www.nps.gov |access-date=2022-09-09 |language=en |first=Mailing Address: 211 Main Street West |last=Orange}}</ref><!--<ref name="britan" /><ref group="注">「学校だけではなく、父親からも見放されたトーマスは、基本的な勉強は小学校の[[教員|教師]]であった母親に教わった」などと、日本の子供向けの[[伝記]]には書かれているらしい。だが、「母親が元教師であった」というのは、「[[登校拒否]]児が偉人では都合が悪い」と見なす[[文部科学省|文部省]]の意向により日本の伝記[[作家]]が[[フィクション|創作]]した設定であるとも言われている。エジソンの母親は10代で結婚しており、教師になるには師範学校に通っていなければならないうえに、元教師であれば教員として職歴があるはずなので、10代で結婚していたら辻褄が合わないことになる。</ref>
<ref group="注">「母親は教育熱心だったらしく、元々好奇心が旺盛だったトーマスに対して、家の地下室に様々な化学薬品を揃え{{要出典|date=2013年11月}}」、トーマス自身もその地下室で科学実験に没頭していたという。</ref>-->。<!--出展のない記述をコメントアウト-->トーマスが特に興味を示したのは、[[化学]]の実験であった。
科学実験に没頭した少年時代、人間が空を飛べるようになる薬を作ろうと試み、[[ヘリウム]][[気体|ガス]]をヒントにして薬を自作し、友人に飲ませた。エジソンの目論見としては、その薬を飲むと体内でガスが発生し、その浮力で人間が浮き上がるはずだったが、実際には薬を飲んだ友人が腹痛を起こしてもがき苦しみ、大騒ぎになった。普段はエジソンの行為に理解を示していた母親も、この件に関しては激怒し、[[人体実験]]を行うことを厳しく戒めたという(エジソンはその後も人間が空を飛ぶという夢を追求したが、前述の通り、またもや人命に関わる問題(ヘリコプター試作中の事故)で挫折することとなる)。
エジソンは 12 歳のときに聴覚障害を発症した。難聴の原因についてその後、彼は精巧な架空の話をでっち上げた<ref>{{Cite web |title=The medical mystery that helped make Thomas Edison an inventor |url=https://www.pbs.org/newshour/health/the-medical-mystery-that-helped-make-thomas-edison-an-inventor |website=PBS NewsHour |date=2018-10-22 |access-date=2022-09-09 |language=en-us}}</ref>。耳を引っ張られた、元[[ボクサー (スポーツ)|ボクサー]]に殴られた、など話にはいくつかのバージョンがあるが、実際の彼の難聴の原因は幼少期の[[猩紅熱]]の発作と、治療されていない中耳感染症の再発に起因すると現在は推測されている。エジソンは片方の耳が完全に聞こえず、もう一方の耳はほとんど聞こえなかったので、歯を木材に挟んで頭蓋骨に音波を吸収させて音楽プレーヤーやピアノを聴いていたと言われている<ref>{{Cite web |title=Thomas Edison’s Greatest Invention |url=https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2019/11/edmund-morris-edison/598357/ |website=The Atlantic |date=2019-10-13 |access-date=2022-09-09 |language=en |first=Derek |last=Thompson}}</ref>。年をとるにつれ、エジソンは難聴のおかげで気が散るのを避け、仕事に集中しやすくなったと考えていた。これとは別に、現代の歴史家や医療専門家は、彼が[[注意欠陥・多動性障害|ADHD]]を持っていた可能性があることを示唆している<ref>{{Cite web |title=Thomas Edison's Near-Death Experience Set Him on the Road to Fame |url=https://www.biography.com/news/thomas-edison-train-accident-young-boy-saved-telegraph |website=Biography |access-date=2022-09-09 |language=en-us |first=Barbara |last=Maranzani}}</ref>。
少年時代のエジソンは持ち前の好奇心が高じて、自らの手で新聞を作り、列車の中で売って評判になったことがあった。エジソンは13歳までに週50ドルの利益を上げ、そのほとんどは電気および化学実験用の機器の購入にした<ref>{{Cite web |title=Thomas Edison’s Greatest Invention |url=https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2019/11/edmund-morris-edison/598357/ |website=The Atlantic |date=2019-10-13 |access-date=2022-09-09 |language=en |first=Derek |last=Thompson}}</ref>。しかし、ある人物を皮肉った内容の記事を新聞に載せたところ、これを見て激怒した本人から暴行を受け、これに懲りてエジソンは新聞作りをやめたという。また、15歳のときには働いていた鉄道の駅で、まだ幼い駅長の息子が[[汽車]]にひかれそうになったのを近くにいた中年の男と一緒に助けたことがあった。エジソンはそのお礼として駅長から[[電信]]の技術を教えてもらい、のちに彼が技術者としての人生を歩み始めるきっかけを与えてもらったという。
=== 投票記録機、株式相場表示機 ===
[[ファイル:Edison and phonograph edit3.jpg|thumb|200px|自身が開発した初期の蓄音機とともに(1878年、エジソン31歳)]]
このような少年時代を送ったが、その後、母親も手伝って発明を複数回行ったという。
1864年、17歳の頃のエジソンは[[カナダ]]の駅で夜間電信係として働いていたが、「何事もなければ、一晩中1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送るだけ」という退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明した。電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、それまでと違って全く誤差なく正確に1時間おきに電信が届くようになったことを不思議に思い様子を見にきた上司に「お前が寝ていたら定時に連絡する意味がないだろう」と怒られた。これがエジソンの最初の発明だった。クビは免れたもののその後の通信ミスで列車の衝突事故を起こしかけ、本社からの出頭命令を無視して放浪生活を始める{{要出典|date=2020年11月}}。
エジソンは1868年、21歳のときに初めて特許を取得した。それは[[電子投票|電気投票]]記録機に関するもので<ref>{{Cite web |title=Error Page |url=https://edison.rutgers.edu/error-page |website=edison.rutgers.edu |access-date=2022-09-09 |language=en-gb}}</ref>、議会における賛成票と反対票の数を押しボタンで瞬時に集計し、投票にかかる時間を大幅に短縮できる画期的な発明となるはずだった。しかし、実際の[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]や各州の議会では、[[野党]]の議員による[[議事妨害#アメリカ|投票中のフィリバスター]]や[[与党]]の議員との交渉ができなくなるという理由により、全く採用されなかった<ref>[https://edison.rutgers.edu/vote.htm Vote Recorder - The Edison Papers] [[ニュージャージ州立大学]] (2016年10月28日)2018年8月14日閲覧</ref>。エジソンはこの苦い経験を通して、いくら立派な発明でも人々が喜んでくれなければ何の意味もないことを痛感し、その後は周囲の人々の意見や要望をよく聞いてから発明に取り組むようになったという。<!-- 尚、押しボタン式の投票装置は、エジソンの発明から130年も経った1998年に日本の[[参議院]]に導入された。-->
その翌年の1869年、エジソンが22歳のときに[[特許]]を取得した株式相場表示機(ティッカー)は業界から大いに歓迎され、その特許権を譲ってもらいたいという申し出があった。最初、エジソン自身は5,000ドルほどで特許権を売るつもりであったが、実際には4万ドル(現在の日本円で約2億円相当)で買い取られ、エジソンは当初の予想より8倍も高い金額を提示されて、心臓が止まるかと思うほど驚いたという。こうしてエジソンは発明家としての人生を本格的に歩んでいくことになった。
尚、押しボタン式の投票装置は、エジソンの発明から130年も経った1998年に日本の[[参議院]]に導入された。
=== 電話、蓄音機、白熱電球 ===
[[ファイル:Thomas Edison, 1878.jpg|thumb|180px|トーマス・エジソン(1878年)]]
1877年に[[蓄音機]]の実用化(商品化)で名声を獲得。ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立し、集まった人材を発明集団として機能させるべく、マネジメント面で辣腕を振るった。
研究所では[[電話]]、[[蓄音器]](つまり録音・再生装置)、[[電気鉄道]]、[[鉱石]]分離装置、[[電灯]]照明などを矢継ぎ早に商品化した。中でも注力したのは[[白熱電球]]であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。彼は白熱電球の名称を[[ゾロアスター教]]の光と英知の神、[[アフラ・マズダー]]から引用し、「[[マツダ (電球)|マズダ]]」と名付けている<ref>ターベル (1975)</ref>。この特許の有効性について訴訟が起こり、裁判で特許(番号223,898)が有効と判定されるまでに時間がかかった。一方で白熱電球の売り込みのための合弁会社を設立し、直流の電力を供給するシステムを確立させる。
1887年にニュージャージー州のウェストオレンジ研究室に移る。ここでは動画撮影機'''[[キネトグラフ]]'''を発明したと言われているが、実は部下の[[ウィリアム・K・L・ディクソン|ウィリアム・ディックソン]]の発明である。1893年には、ウエスト・オレンジ研究所の敷地内にアメリカ初の映画スタジオ「[[ブラック・マリア (映画スタジオ)|ブラック・マリア]](Edison's Black Maria)」を設立し、ウィリアム・ディックソン、[[ウィリアム・ハイセ]]を監督に、キネトスコープ用の白黒フィルムを制作し始めた。1901年には[[マンハッタン]]に、1907年には[[ブロンクス区|ブロンクス]]に新しい映画スタジオ([[エジソン・マニュファクチャリング・カンパニー|Edison Manufacturing Company]]、のちにThomas A. Edison, Inc.と改名)を開き、約1,200本のフィルムを制作した<ref>[https://www.imdb.com/search/title/?companies=co0037035 Edison Manufacturing Company {{Nowiki|[us]}}] IMDb</ref>。
=== 晩年 ===
ゴールデンロッド(goldenrod、[[和名]]:[[セイタカアワダチソウ]])から[[ゴム]]を取るのに成功したとも言われている。
[[鉱山]]経営などにも手を出すが失敗。高齢となって会社経営からは身を引くが、研究所に籠り、死者との交信の実験(霊界との通信機の研究。霊界通信装置スピリットフォンの開発)を続けた。1914年12月に研究所が火事で全焼して約200万ドルの損害を被ったが、臆せずその後も死者との交信について関心を持ち研究を続けた。後述するが、これはエジソンなりの生命や魂についての科学技術的アプローチであり、現代科学的価値観ではその先に道が無いことがわかっていたとしても、当時のエジソンは出来得る技術を追求していたに過ぎない。また、当時の欧米の知識人・文化人の間では心霊・オカルトなどが流行最先端、つまりブームでもあった。
エジソンは、1931年10月18日、ニュージャージー州ウェストオレンジのルウェリンパークにある自宅「グレンモント」で糖尿病の合併症により死亡した(満84歳没)<ref group="E">エジソンの葬儀が催された1931年10月21日、全米ではエジソンの功績を讃え、彼の死を弔うため午後10時から1分間電灯が消されるというトリビュート目的のイベントがあった。しかし、その情報がしっかりと行き渡っておらず、突然の停電にパニックになった地域もあった。出典:『トリビアの泉へぇ〜の本 (12)』 2005年。</ref>。この家は、1886年に後妻のミナへの結婚祝いとして購入したものである。スティーブン・J・ハーベン牧師が葬式を執り行った<ref>{{Cite news|title=Rev. S. Herben Dead at 75|url=https://www.newspapers.com/clip/18254003/rev-s-herben-dead-at-75/|work=The Courier-News|date=1937-02-23|access-date=2022-09-09|pages=11}}</ref>。エジソンは家の裏に埋葬されている。
エジソンの最後の息が、デトロイト近くのヘンリー フォード博物館の試験管に収められていると伝えられている。伝えられているところによると、親友であったフォードはエジソンの息子チャールズに、彼の死ぬ瞬間に口元に試験管を宛がい、最後の息を封印するよう説得した。これは現在の科学では荒唐無稽であるが、エジソンとフォードが「人は死んだ時、口から魂が抜ける」と信じていたためである。フォードはエジソンの最後の息、つまり魂を封印しておいて、近い将来に蘇生術が完成した時、この息を使ってエジソンを復活させようと考えてた。<ref>{{Cite web |url=http://www.straightdope.com/classics/a2_128a.html |title=Is Thomas Edison's last breath preserved in a test tube in the Henry Ford Museum? |access-date=2007-08-20}}</ref>。チャールズはこれを断ったがしかし、最後の時を迎えた部屋には八本の試験官が設置してあり、臨終の直後にそれらは蝋で封印された、と伝わっている。石膏のデスマスクとエジソンの手の型も作られた<ref>{{Cite book|和書|title=Edison: Inventing the Century|year=2001年|publisher=University of Chicago Press|page=408|author=Neil Baldwin}}</ref>。後妻のミナは1947年に亡くなった。
== 家族と友人 ==
エジソンは生涯に2度結婚しており、それぞれ3人ずつ6人の子をもうけている。
=== 1度目の結婚 ===
1871年12月25日に、自社の子会社の従業員であった16歳のメアリー・スティルウェルと最初の結婚をした<ref>[https://home.nps.gov/edis/learn/historyculture/mary-stillwell-edison.htm Mary Stilwell Edison]</ref>。メアリーとの間には1873年に[[マリオン・エジソン]]、1876年に[[トーマス・エジソン・ジュニア]]<ref>National Historical Park New Jersey, "[https://www.nps.gov/edis/learn/historyculture/thomas-alva-edison-jr.htm Thomas Alva Edison Jr]", Last updated: February 26, 2015</ref>、1878年に[[ウィリアム・エジソン]]の3人の子が生まれたが、多忙だったエジソンがあまり家に寄りつかなかったこともありメアリーは引きこもりがちになり、次第に体調を崩していき1884年8月9日に29歳でこの世を去った<ref name="edi1">{{Cite book |和書 |last= |first= |author=ニール・ボールドウィン |authorlink= |coauthors= |translator=椿 正晴 |year=1997 |title=エジソン 20世紀を発明した男 |publisher=三田出版会 |page=669 |id= |isbn=489583185X |quote= }}</ref>。[[File:Mina Edison 1906.jpg|thumb|right|180px|妻、ミナ(1906年)]]
=== 2度目の結婚 ===
メアリーの死後、エジソンは同じく富裕な発明家・実業家であった[[ルイス・ミラー]]の娘である20歳の[[ミナ・ミラー]](Mina Miller Edison、1865年 - 1947年)と1886年2月24日に[[オハイオ州]]の[[アクロン (オハイオ州)|アクロン]]で結婚した<ref>{{Cite web |author= |date= |url=https://www.edisonmuckers.org/mina-miller-edison/ |title=Mina Miller Edison: A Valuable Partner to Thomas Edison |work= |publisher=edisonmuckers |accessdate=2017-05-27}}</ref><ref name="edis2">{{Cite web |author=David Geary |date=2016-08-02 |url=http://chqdaily.com/2016/08/learn-how-thomas-edison-mina-miller-fell-in-love-at-chautauqua/ |title=Learn How Thomas Edison, Mina Miller Fell in Love at Chautauqua |work= |publisher=The Chautauquan Daily |accessdate=2017-05-27}}</ref>。ミナとの間には、1888年に[[マドレーン・エジソン]]、1890年にはエジソン死後にエジソンの事業を引き継ぐとともに政治家となってニュージャージー州知事やアメリカ海軍長官代行を務めた[[チャールズ・エジソン]]、1898年には父同様、発明家・環境活動家となった[[セオドア・エジソン]]の3人の子をもうけている。ミナはエジソンとの死別をしたのち、1947年に82歳でこの世を去った。なおプロポーズは[[モールス信号]]にて行ったという。
=== 友人 ===
自動車王の[[ヘンリー・フォード]]とは生涯の友人であった。この2人が初めて会ったのは1896年のことであり、当時はフォードはエジソン電灯会社の社員であった<ref name="edis2" /><ref>{{Cite web |author= |date= |url=https://www.thehenryford.org/collections-and-research/digital-collections/expert-sets/101111// |title=Edison and Ford|work= |publisher=The Henry Ford|accessdate=2017-06-02}}</ref>。フォードが発明したばかりのガソリン自動車の説明をすると、エジソンはテーブルを拳で叩いて喜び、フォードを励ました<ref>『人物アメリカ史(下)』ロデリック・ナッシュ、グレゴリー・グレイヴズ著 足立康訳 [[講談社学術文庫]] 2007年9月10日第1刷</ref>。その後、1912年にフォードがエジソンに業務提携を持ちかけ、提携自体はうまくいかなかったものの友情は続いた。フォードは1967年、エジソンは1969年に、それぞれ[[自動車殿堂]]入りをしている。
フォードはエジソンの親友ではあったものの「発明家としてはともかく、経営者としては三流」とエジソンの経営者としての手腕ははっきりと酷評していた。
晩年の1914年から1924年にかけて2人は毎年、車でキャンプ旅行に出かけていた。老いたエジソンが[[車椅子]]生活になると、フォードも車椅子を購入した。二人で車椅子レースをするためだったと伝わる。
== 発明とその裏側 ==
{{複数の問題
|出典の明記=2017年11月15日 (水) 12:39 (UTC)
|脚注の不足=2017年11月15日 (水) 12:39 (UTC)
|独自研究=2017年11月15日 (水) 12:39 (UTC)
|section=1
}}
[[ファイル:Thomas Edison, 1888.jpg|right|thumb|200px|トーマス・エジソンと初期の蓄音器]]
{{listen|pos=right|filename=Thomas Edison Mary had lamb.ogg|title=メリーさんのひつじ|description=エジソンが吹き込んだ『[[メリーさんのひつじ]]』}}
[[File:Edison bulb.jpg|thumb|right|180px|1879年にメンロパークでのデモンストレーションで使われた電球]]
[[File:Menlo Park Laboratory.JPG|thumb|right|200px|復元されたメンロパークの研究所(フォード博物館内)。ただし、本物のメンロパーク研究所は散らかっていたという<ref group="E">エジソンの晩年、自動車王の[[ヘンリー・フォード]]がエジソンを驚かせようとして、エジソンのメンロパーク時代の研究所を忠実に再現した建物を造った。これを見たエジソンは「99.5%は完璧に再現してある。しかし、私は研究所の中をこんなに綺麗にはしていなかった。それが0.5%の間違いだ」と笑いながら言ったという。
</ref>。]]
* 1868年:電気投票記録機
* 1869年:株式相場表示機
* 1877年:[[電話機]]・[[蓄音機]]{{Refnest|group="E"|エジソンが[[蓄音機]]を発明して評判になっていた頃、研究所に後に[[監督 (キリスト教)|監督]]となる[[ジョン・H・ヴィンセント]][[牧師]]が現れた<ref>{{Cite book|last = Vincent|first = Leon H.|year = 1925|title = John Heyl Vincent A Biographical Sketch|publisher = The Macmillan Company|ref = harv}}</ref>。{{要出典|範囲=彼は「機械がしゃべるわけがない。[[腹話術]]師でも隠れているのだろうから、いかさまを暴いてやる」と、[[聖書]]に登場する難しい人名を立て続けに並べた[[早口言葉]]を蓄音機に向かって喋った。しかし、少しの間違いもなく完璧に返答されたので、彼は仰天すると同時にすっかり感心し、エジソンに向かって「あなたに神からの[[祝福]]があるように」と言って帰って行ったという|date=2013年11月}}。}}
* 1879年:[[電球]]
* 1880年:[[発電機]]
* 1888年:改良型蓄音機
* 1891年:のぞき眼鏡式映写機[[キネトスコープ]]
* 1897年:改良映写機[[ヴァイタスコープ]]
* 1910年:[[トースター]]
エジソンの功績はたぐいまれなものがあるが、改良発明も多く、盗作疑惑のあるものや、誹謗中傷を受けたものも多い。これは彼自身の性格に起因する面がある一方、エジソンの遺産相続の紛糾に起因する面もある。
発明の中には、エジソンがゼロから思いついたものなのか、他人のアイデアを改良したものであるのかが、既に分からなくなってしまっているものもある。アメリカの発明家[[チャールズ・ケタリング]]の「成功の99パーセントは、いままでの失敗の上に築かれる」という言葉から分かるように、エジソンの発明の「本当に最初の」発明者を決めるのは困難である。
=== 電話機 ===
[[電話機]]の発明はアメリカ大陸における電信事業を独占していた[[ウエスタンユニオン]]に依頼されて着手した。その結果、電話に関する特許を得た[[アレクサンダー・グラハム・ベル|グラハム・ベル]]とその後援者たちと対立するにいたる。送話器([[マイクロフォン]])において、ベルの電磁石を利用したダイナミックマイクに代わって炭素粒を用いた[[マイクロフォン#カーボンマイク|カーボンマイク]]を採用し、また[[誘導コイル]]により送話距離を延ばしたのはエジソンの功績である。長距離で利用するためには、[[リー・ド・フォレスト]]が原型を発明した「三極[[真空管]]」製品化まで待たなければならなかったが、「[[エジソン効果]]」の発見・発明がなければジョン・フレミングによる(三極)真空管の発明が遅れたであろうことは言うまでもない。エジソンは、ベルが電話機の発明者とされたことには最後まで納得がいかなかったとされる。
=== 無線機 ===
一方で[[無線機]]の発明については、あっさりと[[グリエルモ・マルコーニ]]に手柄を譲っている。この点は輸出も狙っていたエジソンは上流階級出身者で[[イギリス]]や[[ヨーロッパ]]の官庁に強いコネクションを持つマルコーニと正面からけんかをしたくなかったとも、元々はアマチュアで[[変調]]などについても知識の浅いマルコーニを敵とすら見ていなかったともされている。そもそも電波については、[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]が予言し[[ハインリヒ・ヘルツ]]が実証した時点で世界中で開発ブームとなったことから、順番争いよりも関連特許取得の競争が重要であった。この点はマルコーニもエジソンもどちらも資本家であることから認識を同じくして、どちら側も買収戦争に参加している。
=== 白熱電球 ===
一般には「[[白熱電球]]の発明者はエジソンである」という説が広まっているが、実際に白熱電球を発明したのは[[ジョゼフ・スワン]]である。エジソンは、[[フィラメント]]として数千種類の素材を試したが、どれも数十時間で焼き切れてしまった。手近にあった[[中国]]の[[扇子]]を解体して[[竹]]を取り出して[[竹炭]]にして使ってみたところ、長くもった。これに注目したエジソンは、世界各地にフィラメントに適した竹を探す調査員を派遣し、来日した探検家のウィリアム・ムーアが、[[石清水八幡宮]]がある男山の竹が良質だと聞き、[[京都府]]八幡村(現・[[八幡市]])の竹を入手。これから作られたフィラメントは約1,000時間光り続けた。エジソンは、フィラメントを[[セルロース]]に切り替えるまで約10年間、八幡の竹を使い続けた<ref name="日経20200228"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.denki-annai.com/ntt-f/column/20161208_05 |title=エジソンと日本の意外な関係 |agency=[[NTTファシリティーズ]]|date=2016-12-13 |accessdate=2019-11-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bandai-museum.jp/cms/pickup/edison/20151216.html |title=エジソンと京都の竹 エジソンコレクション1 |agency=[[おもちゃのまちバンダイミュージアム]]|date=2015-12-16 |accessdate=2019-11-01}}</ref>。竹はのちに[[タングステン]]に取って代わられた。そのため、エジソンは「電球の発明者」ではなく、電球を改良して「電灯の事業化に成功した人」とされる。エジソンは配電システムを構築し、トースターや電気[[アイロン]]などの電気製品を発明した。このために広く家庭に電気が普及したのである。
=== 映画 ===
[[映画]]の発明においては[[リュミエール兄弟]]や[[オーギュスタン・ルプランス]]に遅れをとるも、[[ジョージ・イーストマン]]の協力により、[[セルロイド]]製の長尺フィルムを手に入れることにより巻き返す。エジソンとエジソンの研究所のスタッフが[[標準化|規格化]](デファクトスタンダード)した[[35mmフィルム]]の[[スプロケット]]の規格は現在でも使われている。この点はGEの資本力が映画業界にも及んでいたことの証明でもある。映写機やカメラの特許を有するエジソンは、爆発的に拡大していた映画市場から利益を回収するため、映画会社に対して特許をめぐる訴訟を連発し、エジソンは疲弊した映画会社各社からの申し出を受けて特許を共同保有する[[モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー]](MPPC、別名エジソントラスト)を設立した。MPPCは映画フィルムの定額レンタル制を導入し、耐久年数の過ぎたフィルムが各地で上映されていたり、映画会社が映画館に映画を売り込むために内容ではなく安売りで競争したりしていた状態を終わらせた。しかし、MPPCに入れなかった映画会社の多くはエジソンからの特許料徴収と訴訟に耐えられず事業を畳み、諦めなかった会社は[[アメリカ合衆国西海岸|西海岸]]の[[ハリウッド]]に逃げて映画製作を続けた(これが後にハリウッドが映画の都になった要因である)。なお、MPPCは1915年にトラストを規制する[[シャーマン法]]に違反するとの連邦裁判所の判決が出された。上訴も却下され、1918年にMPPCは終焉を迎えた。
== エピソード ==
[[ファイル:Black Maria.jpg|サムネイル|エジソンの映画スタジオ、[[ブラック・マリア (映画スタジオ)|ブラック・マリア]](1893年)]]
[[ファイル:Edison Bronxbis.jpg|サムネイル|ブロンクスのエジソン映画スタジオ(1907年 - 1918年)]]
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2013年11月}}
=== 一日24時間体制 ===
発明のための研究に関しては昼も夜も関係なく、時間を忘れて没頭していた。普段の睡眠時間も30分ほどの仮眠を1日数回、合計3時間ほどしか取らず、ほぼ24時間体制と言ってよいスケジュールで仕事を続けていたため、「エジソンの研究所の時計には針がない」とまで噂されたほどであった。彼は後年、「私の若いころには、1日8時間労働などというものはなかった。私が仕事を1日8時間に限っていたら、成功はおぼつかなかったはずだ」と語っている。彼は84歳で亡くなったが、80歳を過ぎてもなお「私にはまだやらなければならない仕事がある。少なくともあと15年は働かなければならない」と言いながら1日16時間のペースで仕事を続けていた。
=== 仕事への没頭 ===
一つの物事に熱中すると、他のことは完全に忘れてしまうことが度々あった。彼が考えごとをしていたとき、話しかけてきた妻のミナに「君は誰だ?」と質問し、ミナを怒らせたことがあったという。
=== 柔軟な思考 ===
エジソンの助手の1人が[[電球]]の[[容積]]を算出するために複雑な計算に取り組んでいたとき、エジソンは「私なら電球に水を入れて容積を量るよ」と言った。エジソンが学校などで教わる常識の枠にとらわれず、物事を柔軟に思考する実践派の研究者であったことを示すエピソードである。
=== Hello ===
英単語の「Hello」を最初に使い出したのはエジソンだという説がエジソン信奉者によって唱えられたことがあったが、これより以前の[[マーク・トウェイン]]の作品で既にこの語が用いられている。「Hello」は19世紀前半に使われるようになったが、電話の挨拶に頻繁に使われるようになり、1883年には辞書に載った。
=== オカルト研究 ===
エジソンには超自然的、オカルト的なものに魅せられていたという一面もあった。[[ブラヴァツキー夫人]]や[[バート・リーズ]]の[[降霊術]]を信じており、ブラヴァツキー夫人の開く[[神智学]]会に出席したこともある。また、来世を信じ、後半生は死者と交信する電信装置(Spirit Phone)を研究していた。ただし、あくまでエジソンは[[合理主義]]者を自負しており、1920年代を通じて常に[[自由思想家協会]]を支持していた<ref group="注">「自由思想家」という概念については、[https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6-526837 kotobank 自由思想家]なども参照可。</ref>。
エジソンは「人間の[[魂]]もエネルギーである」と考え、「宇宙のエネルギーの一部である」と考えていた。「エネルギーは不変なので、魂というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだ」と考えていた。エジソンの言葉によれば、自分の頭で発明をしたのではなく、自分自身は自然界のメッセージの受信機で、「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取ってそれを記録することで発明としていたに過ぎない」のだという。
== 名言 ==
; Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration.
: 一般に日本語では「[[天才]]は1%の[[インスピレーション|ひらめき]]と99%の[[努力]]」であると翻訳され<ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20190731-ogiboy/|title=蓄音機の日、アナログ機器で音楽を味わってみては|newspaper=マイナビニュース|date=2019-07-31|accessdate=2020-11-28}}</ref>、[[努力]]の重要性を物語る発言として広く知られているが、日本の政治家である[[浜田和幸]]は、この表現の本当の意味を「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」とした<ref>浜田 (2000)</ref>。しかし適切な翻訳にはバックエンドを加味する必要があり、エジソンが多数の失敗を乗り越えて発明を繰り返してきた経歴を鑑みると、努力を無駄とする翻訳はエジソンが主張したかった点を取り違えている可能性がある。また、エジソンはさまざまなインタビューにおいて努力こそがひらめきに必要なものであり、努力がもっとも重要であるという趣旨の発言を多くしている<ref>[https://quoteinvestigator.com/2012/12/14/genius-ratio/ Genius Is One Percent Inspiration, Ninety-Nine Percent Perspiration]. (Quote Investigator)</ref>。また当の発言はエジソンの死後1932年に発表されたものであり、まったく同じ発言をしたという明確な証拠はない<ref>1932 September, Harper's Magazine, Volume 165, Edison in His Laboratory by M. A. Rosanoff, Start Page 402, Quote Page 406, Column 2, Harper & Brothers, New York.</ref>。現代アメリカでも「天才には努力が必要」の意味で用いられている{{要出典|date=2021年12月}}。
; I never did a day’s work in my life. It was all fun.
: 私は一日たりとも、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないからだ
; If there is no good initial inspiration, it’s useless even if much effort. But people that effort alone, not only are wasting energy.{{要出典|date=2022年12月}}
: 最初のひらめきが良くなければ、いくら努力してもダメだ。ただ努力だけという人は、エネルギーを無駄にしているにすぎない
; Just because something doesn't do what you planned it to do doesn't mean it's useless.
: 何かが君の考えたとおりに運ばなかったからといって、それが役立たずだという意味にはならない<ref group="注">こうした概念や考え方は近年では「[[セレンディピティ]]」と表現されることもある。</ref>
== 後世の評価、称賛、記念 等 ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2015年7月}}
[[File:Thomas Edison Monument at Yawata.jpg|200px|thumb|right|[[石清水八幡宮]]境内の隣にあるエジソン記念碑([[京都府]][[八幡市]])]]
* エジソンプロジェクトという、エジソンが残した500万枚以上のメモや記録を整理、分析するという計画がアメリカで進行しているが、全貌の解明には至っていない。
* 映画の発明に関して様々な説があり、その特許紛争や対立する各社との経緯、エジソン作品の内容については、[[マック・セネット]]著『<喜劇映画>を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る』(作品社・刊)に詳しく述べられている。
* 彼の数々の発明品の中で商業的に成り立つものは大量生産され、大量生産・大量消費の時代へと導いた。それらの製品は現在、[[栃木県]][[下都賀郡]][[壬生町]]にある[[バンダイミュージアム]]に収蔵されており、往時を偲ぶことが出来る。
* アメリカ国内の電力・配電会社の社名でエジソンの名前を冠しているところは少なくない。コンソリデイテッド・エジソン(ニューヨーク)、サザンカルフォルニア・エジソン([[ロサンゼルス]])、コモンウエルズ・エジソン([[シカゴ]])などが挙げられる。
* エジソンはフィクションの世界でも英雄として描かれた。1886年に[[ヴィリエ・ド・リラダン]]に書かれた『未来のイヴ』(L'Ève future)においては女性型アンドロイドを制作している。1898年に[[ギャレット・P・サービス]]より書かれたSF小説『エジソンの火星征服』(Edison's Conquest of Mars)は、[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H・G・ウェルズ]]の『[[宇宙戦争 (H・G・ウェルズ)|宇宙戦争]]』の後日談で、エジソンをはじめとした人々が協力して[[火星]]に攻め込む話であった。
* [[白熱電球]]の改良でフィラメントに使用した[[タケ|竹]]の産地である、京都府八幡市[[男山]]の[[石清水八幡宮]]境内に彼の[[記念碑]]がある。電気・電波・コンピュータの守護神として崇敬を集めている[[電電宮]]がある京都[[嵐山]]の[[法輪寺 (京都市西京区)|法輪寺]]にも記念碑がある。また、これが縁で石清水八幡宮がある京都府[[八幡市]]はエジソンの生誕地であるマイランと[[友好都市]]の提携をしている<ref name="日経20200228"/><ref>[http://www.city.yawata.kyoto.jp/info/yukotoshi/mairan.html 友好都市 マイラン村] ※八幡市のサイトでは「マイラン」と表記</ref>。
* 『[[ライフ (雑誌)|LIFE]]』誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
; 注
{{Reflist|group="注"|2}}
; 関連エピソード
{{Reflist|group="E"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
{{参照方法|section=1|date=2013年11月}}
* [[ハーラン・ターベル]]著、加藤英夫訳『ターベルコースインマジック 第1巻』[[テンヨー]]、1975年。JLA 8212780
* [[田中純一郎]]『日本映画発達史I活動写真時代』[[中央公論社]]<[[中公文庫]]>、1975年12月。ISBN 4122002850
* [[浜田和幸]]『快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る』[[日本経済新聞社]]<[[日経ビジネス人文庫]]>、2000年11月。ISBN 4-532-19020-7
* [[河上清|K・カール・カワカミ]]著、福井雄三訳『シナ大陸の真相―1931‐1938』[[展転社]]、2001年1月。ISBN 4886561888
* [[フジテレビジョン|フジテレビ]]トリビア普及委員会編集『トリビアの泉へぇ〜の本 第12巻』[[講談社]]、2005年4月。ISBN 4063527344
== 関連項目 ==
{{Wikiquote|トーマス・エジソン}}
{{Commons|Thomas Alva Edison}}
* [[AIGエジソン生命保険]]
* [[エジソンメダル]]
* [[ライフ (雑誌)]] - 「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の1位に選出
* [[若い科学者]](1940年の伝記映画)
* [[アメリカ海軍調査研究所]] - エジソンの政府に対する強い要望により1923年に設立された。
== 外部リンク ==
* [https://www.nps.gov/edis/index.htm エジソン ナショナルヒストリックサイト]
* {{Kotobank|エジソン(アメリカの発明家)}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:えしそん とおます}}
[[Category:トーマス・エジソン|*]]
[[Category:アメリカ合衆国の技術者]]
[[Category:アメリカ合衆国の発明家]]
[[Category:アメリカ合衆国の実業家]]
[[Category:アメリカ合衆国の理神論者]]
[[Category:電信|人]]
[[Category:電信技術者と発明家]]
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[[Category:全米発明家殿堂]]
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[[Category:1847年生]]
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4,907 | 1133年 | 1133年(1133 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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== 他の紀年法 ==
* [[干支]] : [[癸丑]]
* [[日本]]
** [[長承]]2年
** [[皇紀]]1793年
* [[中国]]
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* [[朝鮮]]
* [[ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天彰宝嗣]]元年
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* [[ユダヤ暦]] :
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== カレンダー ==
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== できごと ==
== 誕生 ==
{{see also|Category:1133年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月5日]] - [[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]、[[プランタジネット朝]]の初代[[イングランド王国|イングランド]]王(+ [[1189年]])
* [[5月13日]](長承2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[法然]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[僧]]、[[浄土宗]]の開祖(+ [[1212年]])
* [[イシュトヴァーン4世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン4世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]](+ [[1165年]])
* [[平頼盛]]、平安時代の[[武将]]、[[公卿]](+ [[1186年]])
* [[張栻]]、[[南宋]]の[[儒学者]]、[[政治家]](+ [[1180年]])
* [[藤原信頼]]、平安時代の公卿(+ [[1160年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1133年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[4月4日]](長承2年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[源義業]]、[[平安時代]]の[[武将]]、[[佐竹氏]]の祖(* [[1077年]])
* [[9月19日]](長承2年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[藤原長実]]、平安時代の[[公卿]]、[[歌人]](* [[1075年]])
* [[9月30日]](長承2年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[藤原忠宗]]、平安時代の公卿(* [[1087年]])
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
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* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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4,908 | 1189年 | 1189年(1189 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 | [
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[己酉]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[文治]]5年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1849年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[南宋]] : [[淳熙]]16年
** [[金 (王朝)|金]] : [[大定 (金)|大定]]29年
* 中国周辺
** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]12年?
** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[乾祐 (西夏)|乾祐]]20年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高麗]] : [[明宗 (高麗王)|明宗]]19年
** [[檀君紀元|檀紀]] : 3522年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天資嘉瑞]]4年
* [[仏滅紀元]] : 1731年 - 1732年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 584年 - 585年
* [[ユダヤ暦]] : 4949年 - 4950年
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== カレンダー ==
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== できごと ==
* [[7月6日]] - [[イングランド王国]]、[[プランタジネット朝]]第2代国王に[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]](獅子心王)が即位(在位:-[[1199年]])
* [[第3回十字軍]]遠征が始まる(-[[1192年]])
* [[金 (王朝)|金]]、第6代皇帝に[[章宗 (金)|章宗]]が即位(在位:-[[1194年]])
=== 日本 ===
* [[藤原秀衡]]の息子[[藤原泰衡]]が[[衣川館|衣川の館]]で[[源義経]]を襲い、義経を自害に追い込む([[衣川の戦い]])。義経の首は鎌倉に届く。
* [[7月]] - [[源頼朝]]が奥州に出兵し、[[奥州藤原氏]]滅亡。泰衡の残党は、[[蝦夷島]]に逃れる。
* 頼朝、蝦夷島の統治のため、[[津軽]]に[[安東氏]]を[[代官]]としておく。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1189年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[8月24日]] - [[アレグザンダー2世 (スコットランド王)|アレグザンダー2世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Alexander-II-king-of-Scotland Alexander II king of Scotland] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[スコットランド君主一覧|スコットランド王]](+ [[1249年]])
* [[足利義氏 (足利家3代目当主)|足利義氏]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]]、[[御家人]](+ [[1255年]])
* [[慶政]]、鎌倉時代の[[僧]]、[[歌人]](+ [[1268年]])
* [[中院通方]]、鎌倉時代の[[公卿]]、歌人(+ [[1239年]])
* [[北条政範]]、鎌倉時代の武将(+ [[1204年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1189年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月20日]](大定29年[[1月2日 (旧暦)|1月2日]]) - [[世宗 (金)|世宗]]、[[金 (王朝)|金]]の第5代[[皇帝]](* [[1123年]])
* [[3月12日]]([[文治]]5年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]) - [[平時忠]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* 生年未詳)
* [[3月16日]](文治5年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[藤原経宗]]、平安時代の公卿(* [[1119年]])
* [[6月7日]](文治5年[[閏]][[4月22日 (旧暦)|7月22日]]) - [[藤原宗家]]、平安時代の公卿(* [[1139年]])
* [[6月15日]](文治5年閏[[4月30日 (旧暦)|4月30日]]) - [[武蔵坊弁慶]]、平安時代の[[僧兵]](* 生年未詳)
* 6月15日(文治5年閏4月30日) - [[源義経]]、平安時代の[[武将]](* [[1159年]])
* 6月15日(文治5年閏4月30日) - [[郷御前]]、源義経の[[正室]](* [[1168年]])
* [[6月28日]] - [[マティルダ・オブ・イングランド]]、[[ザクセン公]]兼[[バイエルン公]][[ハインリヒ3世 (ザクセン公)|ハインリヒ獅子公]]の妃(* [[1156年]])
* [[7月6日]] - [[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]、[[プランタジネット朝]]の[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1133年]])
* [[8月9日]](文治5年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]) - [[藤原忠衡]]、平安時代、[[鎌倉時代]]の武将(* [[1167年]])
* [[9月2日]](文治5年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[統子内親王]]、平安時代、鎌倉時代の[[皇族]](* [[1126年]])
* [[9月21日]](文治5年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[藤原国衡]]、平安時代、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
* [[10月14日]](文治5年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[藤原泰衡]]、平安時代、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
* [[10月17日]](文治5年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[河田次郎]]、平安時代、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
* [[グリエルモ2世]]、[[シチリア王国]][[オートヴィル朝|ノルマン朝]]の第3代国王(* [[1153年]]?)
* [[田川行文]]、鎌倉時代の[[豪族]](* 生年未詳)
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1189}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=12|年代=1100}}
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[乙未]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[文明 (日本)|文明]]7年
*** [[古河公方]] : [[享徳]]24年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2135年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]] : [[成化]]11年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[成宗 (朝鮮王)|成宗]]6年
** [[檀君紀元|檀紀]]3808年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[黎朝|後黎朝]] : [[洪徳 (黎朝)|洪徳]]6年
* [[仏滅紀元]] : 2017年 - 2018年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 879年 - 880年
* [[ユダヤ暦]] : 5235年 - 5236年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1475|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
*9月 - 日本の[[近畿地方]]が[[暴風雨]]・[[洪水]]に襲われ、多数の死者が出たとされる<ref>{{Cite book|和書|title=明日の[[防災]]に活かす[[災害]]の歴史〈2〉[[平安時代]]~[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]|page=40|date=2020年4月7日|publisher=[[小峰書店]]|isbn=978-4-338-33702-1|author=[[伊藤和明]]}}</ref>。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1475年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月25日]] - [[エドワード・プランタジネット (ウォリック伯)|エドワード・プランタジネット]]、イングランドの貴族、[[ウォリック伯]]、[[ソールズベリー伯]](+ [[1499年]])
* [[3月6日]] - [[ミケランジェロ・ブオナローティ]]、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の彫刻家、画家、建築家、詩人(+ [[1564年]])
* [[6月29日]] - [[ベアトリーチェ・デステ]]、[[ミラノ公国|ミラノ公]][[ルドヴィーコ・スフォルツァ]]の妃(+ [[1497年]])
* [[9月6日]] - [[セバスティアーノ・セルリオ]]、イタリアの[[建築家]](+ 1554年頃)
* [[9月13日]] - [[チェーザレ・ボルジア]]、イタリアのルネサンス期の軍人、政治家(+ [[1507年]])
* [[12月11日]] - [[レオ10世 (ローマ教皇)|レオ10世]]、第217代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1521年]])
* [[天野興定]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将、[[安芸国]]の[[国人]]領主(+ [[1541年]])
* [[一条房家]]、戦国時代の[[公卿]]、[[土佐国]]の[[国司]]、[[土佐一条氏]]の第2代当主(+ [[1539年]])
* [[宇都宮興綱]]、戦国時代の武将、[[下野国|下野]][[宇都宮氏]]の第19代当主(+ [[1536年]])
* [[トマス・ウルジー]]、[[イングランド]]の聖職者(+ [[1530年]])
* [[木曾義元]]、戦国時代の戦国大名(+ [[1504年]])
* [[清原宣賢]]、戦国時代の公卿、学者、僧(+ [[1550年]])
* [[勝恵]]、戦国時代の[[浄土真宗]]の僧(+ [[1557年]])
* [[陶興房]]、戦国時代の武将(+ [[1539年]])
* [[宗晴康]]、戦国時代の守護大名、戦国大名、[[宗氏]]の第16代当主(+ [[1563年]])
* [[ダライ・ラマ2世]]、2代目の[[ダライ・ラマ]](+ [[1542年]])
* [[マルカントニオ・トレヴィザン]]、[[ヴェネツィア共和国]]の[[ドージェ|元首]](+ [[1554年]])
* [[バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア]]、[[スペイン]]の[[探検家]]、[[コンキスタドール]](+ [[1519年]])
* [[バルバロス・ハイレッディン]]、[[オスマン帝国]]の[[提督]](+ [[1546年]])
* [[畠山尚順]]、戦国時代の守護大名、戦国大名(+ [[1522年]])
* [[マクシム・グレク]]、[[正教会]]の[[聖人]]、修道士、作家、評論家、翻訳者(+ [[1556年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1475年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[3月13日]](文明7年[[2月6日 (旧暦)|2月6日]]) - [[長尾定景 (足利長尾氏)|長尾定景]]、室町時代の武将、[[長尾氏|足利長尾氏]]の第2代当主(* 生年不詳)
* [[5月20日]](文明7年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[心敬]]、室町時代の[[天台宗]]の僧、[[連歌]]師(* [[1406年]])
* [[8月17日]](文明7年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[斯波持種]]、室町時代の武将(* [[1413年]])
* [[11月2日]] - [[バルトロメーオ・コッレオーニ]]、イタリアの[[コンドッティエーレ]](* 1395年-1400年)
* [[12月10日]] - [[パオロ・ウッチェロ]]、イタリアのルネサンス期の画家(* [[1397年]])
* [[12月12日]] - [[フアナ・デ・ポルトゥガル]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]][[エンリケ4世 (カスティーリャ王)|エンリケ4世]]の2番目の妃(* [[1439年]])
* [[渋川政実]]、室町時代の武将(* [[1449年]])
* [[申叔舟]]、[[李氏朝鮮]]の政治家(* [[1417年]])
* [[ヘンリー・ホランド (第3代エクセター公)|ヘンリー・ホランド]]、イングランドの貴族、[[エクセター公]](* [[1430年]])
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1475}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}}
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4,910 | 1400年 | 1400年(1400 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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] | 1400年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 | {{年代ナビ|1400}}
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[庚辰]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[応永]]7年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2060年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]] : [[建文]]2年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[定宗 (朝鮮王)|定宗]]2年
** [[檀君紀元|檀紀]]3733年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[陳朝]] : [[建新]]3年([[2月27日 (旧暦)|2月27日]]まで)
** [[胡朝]] : [[聖元]]元年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]] -
* [[仏滅紀元]] : 1942年 - 1943年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 802年 - 803年
* [[ユダヤ暦]] : 5160年 - 5161年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1400|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[1月17日]]([[応永]]6年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]) - [[大内義弘]]が戦死して[[室町幕府]]方が勝利し、[[応永の乱]]が終結する。
* [[1月 (旧暦)|1月]] - [[足利義満]]の命令で[[上杉憲定]]が[[今川貞世]]を討伐し、貞世が[[降伏]]する。
* [[2月14日]] - [[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]に軟禁されていた[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]が[[ポンティフラクト城]]で亡くなる。
* [[3月23日]] - [[胡季犛]]が[[陳少帝|少帝]]から皇位を[[簒奪]]し、[[胡朝]]を成立させ、[[陳朝]]が滅亡する。
* [[8月21日]] - [[ループレヒト (神聖ローマ皇帝)|ループレヒト]]が[[神聖ローマ皇帝]]に選出される。
* [[11月29日]] - [[定宗 (朝鮮王)|定宗]]が退位し、[[太宗 (朝鮮王)|太宗]]が[[李氏朝鮮]][[国王]]に即位する。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1400年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[8月24日]](応永7年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[徳大寺実盛]]、[[室町時代]]の[[公卿]](+ [[1428年]])
* [[アンドロニコス・パレオロゴス (テッサロニキ専制公)|アンドロニコス・パレオロゴス]]、[[テッサロニキ]][[専制公]](+ [[1429年]])
* [[アンドロニコス5世パレオロゴス]]、[[東ローマ帝国]]の共同皇帝(+ [[1407年]])
* [[イザベル・ド・ロレーヌ]]、[[フランス王国|フランス]]の貴族、[[ロレーヌ公|ロレーヌ女公]](+ [[1453年]])
* [[一色義貫]]、室町時代の[[守護大名]](+ [[1440年]])
* [[佐竹義人]]、室町時代の守護大名、[[佐竹氏]]の第12代当主(+ [[1468年]])
* [[渋川義俊]]、室町時代の[[武将]]、[[室町幕府]]の[[九州探題]](+ [[1434年]])
* [[ジャン・ドルレアン (アングレーム伯)|ジャン・ドルレアン]]、フランスの王族、[[アングレーム]]伯(+ [[1467年]])
* [[トーマス・スケールズ]]、[[イングランド王国|イングランド]]の軍人、スケールズ男爵(+ [[1460年]])
* [[リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)|リチャード・ネヴィル]]、イングランドの貴族、[[ソールズベリー伯|ソールズベリー侯]](+ [[1460年]])
* [[ジル・バンショワ]]、[[ネーデルラント]]の[[ブルゴーニュ楽派]]の[[作曲家]](+ [[1460年]])
* [[細川持春]]、室町時代の武将(+ [[1466年]])
* [[細川持之]]、室町時代の守護大名(+ [[1442年]])
* [[ルカ・デッラ・ロッビア]]、[[イタリア]]の[[フィレンツェ]]出身の[[彫刻家]](+ [[1481年]])
* [[シュテファン・ロッホナー]]、[[ドイツ]]の[[ゴシック]]期の[[画家]](+ [[1451年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1400年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月17日]](応永6年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]) - [[大内義弘]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[室町時代]]の[[守護大名]](* [[1356年]])
* 1月17日(応永6年12月21日) - [[杉重明]]、南北朝時代、室町時代の[[武将]](* 生年未詳)
* 1月31日(応永7年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]) - [[楠木正勝]]、南北朝時代、室町時代の武将(* [[1351年]])
* [[2月2日]](応永7年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]) - [[源翁心昭]]、南北朝時代、室町時代の[[曹洞宗]]の[[僧]](* [[1329年]])
* [[2月14日]] - [[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]、[[プランタジネット朝]]の[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1367年]])
* [[5月8日]](応永7年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[花山院通定]]、南北朝時代、室町時代の[[公卿]](* 生年未詳)
* [[6月13日]](応永7年[[5月21日 (旧暦)|5月21日]]) - [[九条経教]]、南北朝時代、室町時代の公卿(* [[1331年]])
* [[10月25日]] - [[ジェフリー・チョーサー]]、[[詩人]](* [[1343年]]頃)
* [[11月10日]](応永7年[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]) - [[尊観]]、南北朝時代、室町時代の[[時宗]]の僧(* [[1349年]])
* [[羅皚]]、[[チャンパ王国]]の[[国王]](* 生年未詳)
* [[大崎詮持]]、南北朝時代、室町時代の武将(* 生年未詳)
<!-- == 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1400}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}}
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[[Category:1400年|*]] | null | 2021-10-12T05:52:37Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1400%E5%B9%B4 |
4,911 | 1377年 | 1377年(1377 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 | [
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] | 1377年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 | {{年代ナビ|1377}}
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== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]]:[[丁巳]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[南朝 (日本)|南朝]]:[[天授 (日本)|天授]]3年
** [[北朝 (日本)|北朝]]:[[永和 (日本)|永和]]3年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2037年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]]:[[洪武]]10年
* 中国周辺
** [[北元]]:[[宣光]]7年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[高麗]]:[[王禑|辛禑]]3年
** [[檀君紀元|檀紀]]3710年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[陳朝]]:[[隆慶 (陳朝)|隆慶]]5年、[[昌符]]元年[[5月13日 (旧暦)|5月13日]] -
* [[仏滅紀元]]:1919年 - 1920年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:778年 - 779年
* [[ユダヤ暦]]:5137年 - 5138年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1377|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* [[1月17日]] - [[教皇|ローマ教皇]][[グレゴリウス11世 (ローマ教皇)|グレゴリウス11世]]が[[ローマ]]に帰還、[[アヴィニョン捕囚]]終結。
* [[6月22日]] - [[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]が[[イングランド王国|イングランド]]王に即位。当時10歳。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1377年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[8月1日]](天授3年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[後小松天皇]]、第100代[[天皇]](+ [[1433年]])
* [[8月30日]] - [[シャー・ルフ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Shah-Rokh-Timurid-ruler-of-Iran-and-Turkistan Shāh Rokh Timurid ruler of Iran and Turkistan] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ティムール朝]]第3代[[君主]](+ [[1447年]])
* [[9月19日]] - [[アルブレヒト4世 (オーストリア公)|アルブレヒト4世]]、[[オーストリア公]](+ [[1404年]])
* [[12月5日]] - [[建文帝]]、[[明]]の第2代[[皇帝]](+ [[1402年]]?)
* [[アフォンソ1世 (ブラガンサ公)|アフォンソ1世]]、初代[[ブラガンサ]]公、第8代[[バルセロス]]伯(+ [[1461年]])
* [[エルンスト (オーストリア公)|エルンスト]]、[[オーストリア公]](+ [[1424年]])
* [[大内盛見]]、[[室町時代]]の[[守護大名]]、[[大内氏]]の第11代当主(+ [[1431年]])
* [[西園寺実永]]、室町時代の[[公卿]](+ [[1431年]])
* [[フィリッポ・ブルネレスキ]]、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の[[彫刻家]]、[[建築家]](+ [[1446年]])
* [[メフメト1世]]、[[オスマン帝国]]第5代[[スルタン]](+ [[1421年]])
* [[ルイ2世・ダンジュー]]、[[ナポリ王国]]の[[対立王]](+ [[1417年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1377年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月2日]] - [[カジミェシュ4世 (スウプスク公)|カジミェシュ4世]]、[[ポモジェ]]の[[スウプスク]]公(* [[1351年]])
* [[1月27日]] - [[フェデリーコ3世 (シチリア王)|フェデリーコ3世]]、[[シチリア王国|シチリア]]王(* [[1342年]])
* [[4月13日]] - [[ギヨーム・ド・マショー]]、[[作曲家]]、[[詩人]](* [[1300年]]頃)
* [[5月16日]](永和3年/天授3年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[承胤法親王]]、[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[法親王]](* [[1317年]])
* [[6月21日]] - [[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]{{sfn|森護|1986|p=137}}{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=224}}、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1312年]])
* [[9月23日]](永和3年/天授3年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[大拙祖能]]、南北朝時代の[[臨済宗]]の[[僧]](* [[1313年]])
* [[アルギルダス]]、[[リトアニア大公国|リトアニア大公]](* [[1296年]])
* [[オロス]]、[[ジョチ・ウルス]]の[[ハーン|ハン]](* 生年未詳)
* [[陳睿宗]]、[[ベトナム]]の[[陳朝]]第10代[[皇帝]](* [[1337年]])
* [[トウ愈|鄧愈]]、[[明]]の[[軍人]](* [[1337年]])
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1377}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}}
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[[Category:1377年|*]] | null | 2021-12-11T09:37:46Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1377%E5%B9%B4 |
4,912 | 1399年 | 1399年(1399 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 | [
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] | 1399年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 | {{年代ナビ|1399}}
{{year-definition|1399}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[己卯]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]
** [[応永]]6年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2059年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[明]] : [[建文]]元年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[定宗 (朝鮮王)|定宗]]元年
** [[檀君紀元|檀紀]]3732年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[陳朝]] : [[建新]]2年
* [[仏滅紀元]] : 1941年 - 1942年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 801年 - 802年
* [[ユダヤ暦]] : 5159年 - 5160年
{{Clear}}
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1399|Type=J|表題=可視}}
== できごと ==
* 7月 - [[中国]]は[[明]]で、王朝初期の政変・内乱である[[靖難の変]]が始まる{{要出典|date=2021-04}}([[華北]]を舞台に[[1402年]]まで続く)。
* [[9月30日]] - イングランド議会がリチャード2世の廃位とヘンリー4世の王位継承を議決。ランカスター朝が始まる。
* [[11月26日]]([[応永]]6年[[10月28日 (旧暦)|10月28日]]) - [[応永の乱]]が始まる。
* 月日不明 - [[日本]]・[[室町幕府]]、[[足利義満]]による[[相国寺]]七重塔(史上最も高かった日本様式の[[仏塔]]。高さ360[[尺]]〈109.1 m〉)の[[落慶]]<ref>文明2年([[1470年]])雷火により焼失。[http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/m_sokokuji.htm 京都相国寺 - 日本の塔婆]</ref>。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1399年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[テオドロス2世パレオロゴス]]、[[モレアス専制公領|モレアス専制公]](+ [[1448年]])
* [[ヨハンネス・ベッサリオン]]、[[東ローマ帝国]]の[[人文主義者]]、[[聖職者]](+ [[1472年]])
* [[細川持元]]、[[室町時代]]の[[武将]]、[[守護大名]](+ [[1429年]])
* [[ロヒール・ファン・デル・ウェイデン]]、[[初期フランドル派]]の[[画家]](+ [[1464年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1399年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月17日]](応永5年[[12月10日 (旧暦)|12月10日]]) - [[正親町三条治子]]、[[伏見宮栄仁親王]]の[[御息所]](* 生年未詳)
* [[2月3日]] - [[ジョン・オブ・ゴーント]]、[[ランカスター公]](* [[1340年]])
* [[6月20日]] - [[バルクーク]]、ブルジー・[[マムルーク朝]]の初代[[スルターン]](* [[1366年]])
* [[7月17日]] - [[ヤドヴィガ (ポーランド女王)|ヤドヴィガ]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[1374年]])
* [[7月18日]](応永6年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[洞院公定]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[室町時代]]の[[公卿]](* [[1340年]])
* [[8月26日]] - [[ミハイル・アレクサンドロヴィチ (トヴェリ大公)|ミハイル・アレクサンドロヴィチ]]、[[トヴェリ]][[大公]](* [[1333年]])
* [[9月27日]]? - [[トマス・モウブレー (初代ノーフォーク公)|トマス・モウブレー]]、初代[[ノーフォーク公]](* [[1366年]]?)
* [[11月1日]] - [[ジャン4世 (ブルターニュ公)|ジャン4世]]、[[ブルターニュ君主一覧|ブルターニュ公]](* [[1339年]])
* [[陳順宗]]、[[ベトナム]]の[[陳朝]]の第12代[[皇帝]](* [[1378年]])
* [[宮氏信]]、南北朝時代、室町時代の[[武将]](* 生年未詳)
== 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
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4,913 | 本郷かまと | 本郷 かまと(ほんごう かまと、1887年9月16日(または1888年-1893年頃4月8日?) - 2003年10月31日)は、かつて世界最高齢の人物としてギネス世界記録に認定されていた鹿児島県徳之島在住の日本人女性。戸籍上は1887年9月16日生まれで死去時には116歳であったが、年齢に異論が唱えられ2012年に世界記録の認定を取り消された。通称「かまとバア」。
鹿児島県大島郡徳之島面縄方(現在の伊仙町、徳之島の南部)出身。戸籍上は9月16日生まれだが、ひ孫によると実際の誕生日は4月8日であるという。 1908年(明治41年)、本郷福佑と結婚。7児の母となる。その後曾孫、さらには玄孫(やしゃご)にも恵まれた。110歳の頃、転倒により腰椎を骨折し寝たきりになってから2日寝て2日起きるという生活になったが、それまでは健脚で同居していた娘よりも足取りはしっかりしており、極めて矍鑠としていたという。足腰や耳などは衰えていたが内臓は丈夫であり、睡眠中でも食事を摂ることが出来るほど嚥下力もあった。趣味は踊りで機嫌の良いときに度々披露し、足腰を悪くしてからは手踊りというかたちで踊り続けた。
1999年4月29日に茨城県在住の石崎伝蔵が死去したことにより日本最長寿とされた。晩年はその長寿ぶりや愛らしいキャラクターからニュースやテレビ番組にしばしば取り上げられ、親しまれていた。長寿にあやかろうと全国各地から大勢の人が鹿児島市内の彼女の元に訪れたという。2002年には故郷伊仙町の名誉町民に選ばれた。かつて日本人最長寿とされた泉重千代も同じ伊仙町生まれである。また当時中願寺雄吉が世界最高齢の男性であり、男女ともに日本人が長寿世界一に認定されたことが話題となった。
2003年10月31日午後5時過ぎ、肺炎のため鹿児島市内で死去した。満116歳と45日であったとされた。眠りの周期に入ったまま2度と起きることはなかった。本郷の死去に伴い、国内最高齢は広島県広島市在住の川手ミトヨ(当時114歳)と認定された。
地元の著名人だった本郷が、一躍日本中に知れ渡るきっかけとなったテレビ番組ザ!世界仰天ニュース(日テレ系)は、番組開始時から本郷かまとのコーナーがあり、しばしば取り上げられた。なお、初登場は2002年3月11日に「日本最高齢の方」として予告編に登場。その回の翌週(2002年3月18日)に詳細な内容を放送する予定であったが、3月18日の放送日に、当時最高齢であったモード・ファリス=ルーズが死去(日本時間で3月18日)したため、放送日に日本最高齢から世界最高齢となったと報じられた。
しかし本郷の年齢には異論が存在し、ギネスブックは2012年9月13日に世界記録の認定を取り消した。アメリカの老人学研究団体ジェロントロジー・リサーチ・グループでは、本郷の実年齢は戸籍よりも3年ないしは6年若かったとする人口統計学者ミシェル・プーラン(英語版)の説に言及している。
プーランによると、本郷の実家である木村家の戸籍では、かまとよりも後に生まれたはずの弟(1890年生)の方が先に記載されている。またかまとの姉は1887年2月9日生まれとあることから、戸籍を信じると母親は同じ年に2度出産したことになってしまう。そして本郷かまとの長女が1909年生まれ、四男が1933年生まれであることから、戸籍通りに逆算すると22歳で長女を、45歳で四男を出産したことになってしまう。実際には1893年生まれであったと仮定すると、長女出産時に16歳、四男出産時には39歳、死亡時には110歳となり自然な年齢になるとプーランは主張している。 | [
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] | 本郷 かまとは、かつて世界最高齢の人物としてギネス世界記録に認定されていた鹿児島県徳之島在住の日本人女性。戸籍上は1887年9月16日生まれで死去時には116歳であったが、年齢に異論が唱えられ2012年に世界記録の認定を取り消された。通称「かまとバア」。 | {{Infobox 人物
|氏名 = 本郷 かまと
|ふりがな = ほんごう かまと
|生年月日 = {{生年月日|1887|4|8}}(家族の証言)<br />{{生年月日|1887|9|16}}(戸籍上)<br />[[1888年]]-[[1893年]]頃[[4月8日]](研究者の推定)
|生誕地 = {{JPN}} [[鹿児島県]][[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]]徳之島面縄方
|没年月日 = [[2003年]][[10月31日]](享年116?、又は享年110~115と推定される)
|死没地 = {{JPN}} [[鹿児島県]][[鹿児島市]]
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|website = [https://web.archive.org/web/20140816103756/http://www5.ocn.ne.jp/~kug/index.htm 長寿世界一かまとバア]<br />作成者:ひ孫(インターネットアーカイブ)
}}
'''本郷 かまと'''(ほんごう かまと、[[1887年]][[9月16日]](または[[1888年]]-[[1893年]]頃[[4月8日]]?)<ref>{{Cite web
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}}</ref> - [[2003年]][[10月31日]])は、かつて[[長寿|世界最高齢]]の人物として[[ギネス世界記録]]に認定されていた[[鹿児島県]][[徳之島]]在住の[[日本人]][[女性]]。[[戸籍]]上は[[1887年]][[9月16日]]生まれで死去時には116歳であったが、[[年齢]]に異論が唱えられ[[2012年]]に世界記録の認定を取り消された<ref name=grgccccc>{{Cite web
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}}</ref>。通称「'''かまとバア'''」。
== 来歴 ==
[[鹿児島県]][[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]]徳之島面縄方<ref>大島郡で[[町村制]]が施行されたのは1908年である。</ref>(現在の[[伊仙町]]、[[徳之島]]の南部)出身。戸籍上は9月16日生まれだが、ひ孫によると実際の[[誕生日]]は[[4月8日]]であるという<ref>{{Cite web|和書
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| archivedate=2014-08-16
| accessdate=2015-09-03
}}</ref>。
[[1908年]]([[明治]]41年)、本郷福佑と結婚。7児の母となる。その後[[曾孫]]、さらには[[玄孫]](やしゃご)にも恵まれた。110歳の頃、転倒により腰椎を骨折し寝たきりになってから2日寝て2日起きるという生活になったが、それまでは健脚で同居していた娘よりも足取りはしっかりしており、極めて矍鑠としていたという。足腰や耳などは衰えていたが内臓は丈夫であり、睡眠中でも食事を摂ることが出来るほど嚥下力もあった。趣味は踊りで機嫌の良いときに度々披露し、足腰を悪くしてからは手踊りというかたちで踊り続けた。
1999年4月29日に[[茨城県]]在住の[[石崎伝蔵]]が死去したことにより日本最長寿とされた。晩年はその長寿ぶりや愛らしいキャラクターからニュースやテレビ番組にしばしば取り上げられ、親しまれていた。[[長寿]]にあやかろうと全国各地から大勢の人が[[鹿児島市]]内の彼女の元に訪れたという。[[2002年]]には故郷伊仙町の名誉町民に選ばれた<ref>{{Cite web|和書|author=伊仙町|authorlink=伊仙町|url=https://www.town.isen.kagoshima.jp/soumu/chosejoho/machinogaiyo/meyochomin.html|title=名誉町民|date=2020-03-23|accessdate=2021-05-28}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200205/CN2002051901000160.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100608090023/http://www.47news.jp/CN/200205/CN2002051901000160.html|title=かまとさんに名誉町民称号 長寿世界一・鹿児島県伊仙町|publisher=47news|date=2002年5月19日|archivedate=2010年6月8日}}</ref>。かつて日本人最長寿とされた[[泉重千代]]も同じ伊仙町生まれである。また当時[[中願寺雄吉]]が世界最高齢の男性であり、男女ともに日本人が長寿世界一に認定されたことが話題となった。
[[2003年]][[10月31日]]午後5時過ぎ、[[肺炎]]のため鹿児島市内で死去した<ref>{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200310/CN2003103101000396.html|title=本郷かまとさん死去 長寿世界一の116歳|date=2003年10月31日|publisher=47news|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140712071727/http://www.47news.jp/CN/200310/CN2003103101000396.html|archivedate=2004年7月12日}}</ref>。満116歳と45日であったとされた。眠りの[[周期]]に入ったまま2度と起きることはなかった。本郷の死去に伴い、国内最高齢は[[広島県]][[広島市]]在住の[[川手ミトヨ]](当時114歳)と認定された<ref>{{cite news|url=http://www.47news.jp/CN/200310/CN2003103101000398.html|title=長寿世界一の本郷さん死去 日本一は川手さんへ|publisher=47news|date=2003年10月31日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140712063958/http://www.47news.jp/CN/200310/CN2003103101000398.html|archivedate=2004年7月12日}}</ref>。
地元の著名人だった本郷が、一躍日本中に知れ渡るきっかけとなったテレビ番組[[ザ!世界仰天ニュース]]([[日本テレビ放送網|日テレ]]系)は、番組開始時から本郷かまとのコーナーがあり、しばしば取り上げられた。なお、初登場は2002年3月11日に「日本最高齢の方」として予告編に登場。その回の翌週(2002年3月18日)に詳細な内容を放送する予定であったが、3月18日の放送日に、当時最高齢であった[[モード・ファリス=ルーズ]]が死去(日本時間で3月18日)したため、放送日に日本最高齢から世界最高齢となったと報じられた。
しかし本郷の年齢には異論が存在し、ギネスブックは2012年9月13日に世界記録の認定を取り消した<ref name=grgccccc />。アメリカの老人学研究団体[[ジェロントロジー・リサーチ・グループ]]では、本郷の実年齢は戸籍よりも3年ないしは6年若かったとする[[人口統計学]]者{{仮リンク|ミシェル・プーラン|en|Michel Poulain}}の説に言及している<ref>{{Cite web
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プーランによると、本郷の実家である木村家の戸籍では、かまとよりも後に生まれたはずの弟(1890年生)の方が先に記載されている。またかまとの姉は1887年2月9日生まれとあることから、戸籍を信じると母親は同じ年に2度出産したことになってしまう。そして本郷かまとの長女が1909年生まれ、四男が1933年生まれであることから、戸籍通りに逆算すると22歳で長女を、45歳で四男を出産したことになってしまう。実際には1893年生まれであったと仮定すると、長女出産時に16歳、四男出産時には39歳、死亡時には110歳となり自然な年齢になるとプーランは主張している<ref>{{Cite web
|author=Michel Poulain
|url=http://www.demogr.mpg.de/books/drm/007/1-1.pdf
|title=On the age validation of supercentenarians
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}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
==関連項目==
*[[鹿児島県出身の人物一覧]]
==外部リンク==
*[https://web.archive.org/web/20140816103756/http://www5.ocn.ne.jp/~kug/index.htm 長寿世界一かまとバア] - ひ孫によるウェブサイト(インターネットアーカイブ)
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[[Category:日本のスーパーセンテナリアン]]
[[Category:鹿児島県出身の人物]]
[[Category:19世紀生]]
[[Category:2003年没]]
[[Category:生年に異論のあるスーパーセンテナリアン]] | 2003-03-22T14:50:09Z | 2023-11-24T07:34:24Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%B7%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%A8 |
4,914 | 酢 | 酢(す、醋とも酸とも書く、英: vinegar)は、酢酸を3 - 5%程度含み酸味のある調味料。
穀物や果実を原料にした醸造酒を、酢酸菌(アセトバクター属)で酢酸発酵して得る。酢酸以外に、乳酸、コハク酸、リンゴ酸、クエン酸などの有機酸類やアミノ酸、エステル類、アルコール類、糖類などを含むことがある。
殺菌や防腐を目的としても使われる。
乳酸の酸解離定数(pKa)は 3.8、酢酸の酸解離定数(pKa)は 4.8。酢酸は細胞膜の脂質二重層を濃度に依存して通過し、細胞内で水素イオンを放出してpHを低下することで活性を下げて抗菌作用を生じる。
漢字の「酢」と「酒」は部首が同じで、酒との関連性が深く、有史以前、人間が醸造を行うようになると同時期に酢も作られたと考えられている。
フランス語で酢を意味する vinaigre は vin aigre (酸っぱいワイン)に由来し、お酒が酸っぱく変化したものを意味する。
1979年6月8日に「食酢の日本農林規格」 が公示され、日本農林規格(JAS)での呼称は食酢(しょくす)となった。
食酢は「人類が作り出した最も古い調味料」とされる。紀元前5000年頃のバビロニアに記録があり、ナツメヤシや干しブドウを原料とする食酢が醸造されていた。
紀元前4000年頃にはワインやビールから酢を造りピクルスを漬けた記録が残される。古代ローマで水に酢を加えた清涼飲料水「ポスカ」が飲まれていた。
かつての家庭はワインが自然に変化するのを待ち酢を得たが、近世は17世紀のフランスで床の上にブドウの蔓を敷いてワインをかける手法、18世紀のオランダでヘルマン・ブールハーヴェが滴下方式、19世紀にルイ・パスツールがオルレアン製法、などが考案され、現代の工業生産方式に応用された。
日本で食酢の醸造が始まったのは4~5世紀頃で、中国から酒の醸造技術とともに米酢の醸造技術が伝来した。律令制は、造酒司が酒・醴とともに酢を造り、酢漬けや酢の物、膾の調理に用いた。
酢は寿司の歴史とも大きく関係している。寿司の原点は一年以上かけて乳酸発酵させる熟れ鮓(なれずし)だったが、江戸時代になって米酢を加えて発酵を早めた早鮨が登場した。しかし、当時、米や麹を原料とする米酢は大変高価であったため、世界初の酒粕を原料とする酒粕酢(粕酢)が造られるようになった。江戸時代には紀伊国粉河が粕酢、和泉国堺が米酢でそれぞれ産地として知られた。
西欧における酢の製造法で最も古い方法はオルレアン製法で、希釈したワインを空間を残して樽に詰め、酢酸菌膜を加えて緩やかに発酵させる。定期的に出来た酢を抜き、新しくワインを継ぎ足す。現代的な製造法に比べ空気に触れる部分が少ないため時間が掛かるが、芳醇な香りの酢ができる。他の製造方法として、18世紀に発明された滴下方式と、より現代的な液中培養方式がある。滴下方式は多孔質の素材に酢酸菌を付着させ、そこにワインを繰り返し注ぎ効率よく酢酸菌を働かせる方法である。液中培養方式はタンク内で曝気した醸造酒に菌を入れて発酵を促す方法で、24 - 48時間でエタノールを酢酸に変えている。いずれの方法でも、製造後は低温加熱処理で残った細菌を殺菌する。高級な酢はその後に熟成期間をかけ、風味やまろやかさを醸す。
穀物や果実を出芽酵母 S.cerevisiae によりアルコール発酵させ原料醪を生産し、醪に酢酸菌を添加し食酢が生産される。表面発酵では酸度が 4〜6% 程度になり、通気撹拌させる「深部通気発酵」では酸度が5〜20% の食酢となる。
* および ** はJAS「食酢品質表示基準」 に準拠し、表示は ** の名称を用いる。詳細は同基準を参照のこと。
料理に酸味を加えるのに広く使われる。また、鶏肉などを茹でるときに煮汁に酢を加えると、肉が柔らかく骨から分離し易くなる。これは、酢の酸が骨と筋肉をつなぐ結合組織(コラーゲンやエラスチンから成る)に作用し、加熱によって変性したコラーゲンを溶出させるためである。また、酢によって酸性になることによって、水分の保持量が上がり、筋肉に内在する酸性プロテアーゼが活性化することによって肉は柔らかくなる。
骨付きの肉や魚、貝殻付きの貝などを酢とともに調理することによって、骨や貝殻のカルシウムを溶出させることができ、カルシウムの摂取に役立つ。
食事とともに食酢を摂取すると血糖値の上昇を抑制する効果が、食酢を摂取すると血圧の上昇を抑制する効果がそれぞれ確認され、レニン-アンジオテンシン-アルドステロン の関与が報告された。
また、食酢の摂取は脂肪の燃焼を促進し肥満の予防に効果があるともいわれている。
メタボリック症候群の改善や美容などを目的とした飲む酢(ドリンクビネガー)もある。ただし食酢はpH3.1程度であり、原液を毎日飲用することは歯を溶かす酸蝕症の原因となる。歯のエナメル質に影響を与えにくいpH5.5以上にするためには25倍以上の水による希釈か塩基性物質の添加が必要である。
酢の欠点は、漬物を作るために使用されると、健康な善玉菌の増殖を妨げることである。
1847年にドイツ人化学者ヘルマン・コルベが最初に無機物から酢酸を合成すると、酢酸に関係するとされた有機化合物は関連名称が付された。ラテン語で酢を意味するacetoは、酢酸の英語名であるacetic acid、アセトアルデヒド(acetaldehyde)、アセトン(acetone)などの名称の語源となっている。
日本では種子消毒用の特定防除資材の特定農薬として登録される。
サーカス団は地方巡業の際に食料を一度に大量購入するが、その中に疲労回復のための飲料としての酢も含まれることがある。それを見た部外者が誤解して、「あんなに大量の酢を飲むから、サーカス団員は身体が柔らかい」との噂が広まった。古来から南蛮漬けなどにした魚の骨が酢の作用によって柔らかくなる、前述のように肉を酢に漬け込むと柔らかくなることもこの説が長く信じられる一因となった。柔軟性は靱帯の可動域を拡張すると高まり、酢の飲用に左右されない。酢の過剰摂取で骨が脆くなるという論は、酸の緩衝作用で骨細胞中カルシウムは流出が抑制され、成立しない。 | [
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"text": "漢字の「酢」と「酒」は部首が同じで、酒との関連性が深く、有史以前、人間が醸造を行うようになると同時期に酢も作られたと考えられている。",
"title": "名称"
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"text": "フランス語で酢を意味する vinaigre は vin aigre (酸っぱいワイン)に由来し、お酒が酸っぱく変化したものを意味する。",
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"text": "1979年6月8日に「食酢の日本農林規格」 が公示され、日本農林規格(JAS)での呼称は食酢(しょくす)となった。",
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"text": "食酢は「人類が作り出した最も古い調味料」とされる。紀元前5000年頃のバビロニアに記録があり、ナツメヤシや干しブドウを原料とする食酢が醸造されていた。",
"title": "歴史"
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"text": "紀元前4000年頃にはワインやビールから酢を造りピクルスを漬けた記録が残される。古代ローマで水に酢を加えた清涼飲料水「ポスカ」が飲まれていた。",
"title": "歴史"
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"text": "かつての家庭はワインが自然に変化するのを待ち酢を得たが、近世は17世紀のフランスで床の上にブドウの蔓を敷いてワインをかける手法、18世紀のオランダでヘルマン・ブールハーヴェが滴下方式、19世紀にルイ・パスツールがオルレアン製法、などが考案され、現代の工業生産方式に応用された。",
"title": "歴史"
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"text": "日本で食酢の醸造が始まったのは4~5世紀頃で、中国から酒の醸造技術とともに米酢の醸造技術が伝来した。律令制は、造酒司が酒・醴とともに酢を造り、酢漬けや酢の物、膾の調理に用いた。",
"title": "歴史"
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"text": "酢は寿司の歴史とも大きく関係している。寿司の原点は一年以上かけて乳酸発酵させる熟れ鮓(なれずし)だったが、江戸時代になって米酢を加えて発酵を早めた早鮨が登場した。しかし、当時、米や麹を原料とする米酢は大変高価であったため、世界初の酒粕を原料とする酒粕酢(粕酢)が造られるようになった。江戸時代には紀伊国粉河が粕酢、和泉国堺が米酢でそれぞれ産地として知られた。",
"title": "歴史"
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"text": "西欧における酢の製造法で最も古い方法はオルレアン製法で、希釈したワインを空間を残して樽に詰め、酢酸菌膜を加えて緩やかに発酵させる。定期的に出来た酢を抜き、新しくワインを継ぎ足す。現代的な製造法に比べ空気に触れる部分が少ないため時間が掛かるが、芳醇な香りの酢ができる。他の製造方法として、18世紀に発明された滴下方式と、より現代的な液中培養方式がある。滴下方式は多孔質の素材に酢酸菌を付着させ、そこにワインを繰り返し注ぎ効率よく酢酸菌を働かせる方法である。液中培養方式はタンク内で曝気した醸造酒に菌を入れて発酵を促す方法で、24 - 48時間でエタノールを酢酸に変えている。いずれの方法でも、製造後は低温加熱処理で残った細菌を殺菌する。高級な酢はその後に熟成期間をかけ、風味やまろやかさを醸す。",
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"text": "穀物や果実を出芽酵母 S.cerevisiae によりアルコール発酵させ原料醪を生産し、醪に酢酸菌を添加し食酢が生産される。表面発酵では酸度が 4〜6% 程度になり、通気撹拌させる「深部通気発酵」では酸度が5〜20% の食酢となる。",
"title": "製法"
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"text": "* および ** はJAS「食酢品質表示基準」 に準拠し、表示は ** の名称を用いる。詳細は同基準を参照のこと。",
"title": "食酢の分類と名称"
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"text": "料理に酸味を加えるのに広く使われる。また、鶏肉などを茹でるときに煮汁に酢を加えると、肉が柔らかく骨から分離し易くなる。これは、酢の酸が骨と筋肉をつなぐ結合組織(コラーゲンやエラスチンから成る)に作用し、加熱によって変性したコラーゲンを溶出させるためである。また、酢によって酸性になることによって、水分の保持量が上がり、筋肉に内在する酸性プロテアーゼが活性化することによって肉は柔らかくなる。",
"title": "調理"
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"text": "骨付きの肉や魚、貝殻付きの貝などを酢とともに調理することによって、骨や貝殻のカルシウムを溶出させることができ、カルシウムの摂取に役立つ。",
"title": "調理"
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"text": "食事とともに食酢を摂取すると血糖値の上昇を抑制する効果が、食酢を摂取すると血圧の上昇を抑制する効果がそれぞれ確認され、レニン-アンジオテンシン-アルドステロン の関与が報告された。",
"title": "健康"
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"text": "また、食酢の摂取は脂肪の燃焼を促進し肥満の予防に効果があるともいわれている。",
"title": "健康"
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"text": "メタボリック症候群の改善や美容などを目的とした飲む酢(ドリンクビネガー)もある。ただし食酢はpH3.1程度であり、原液を毎日飲用することは歯を溶かす酸蝕症の原因となる。歯のエナメル質に影響を与えにくいpH5.5以上にするためには25倍以上の水による希釈か塩基性物質の添加が必要である。",
"title": "健康"
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"text": "酢の欠点は、漬物を作るために使用されると、健康な善玉菌の増殖を妨げることである。",
"title": "健康"
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"text": "1847年にドイツ人化学者ヘルマン・コルベが最初に無機物から酢酸を合成すると、酢酸に関係するとされた有機化合物は関連名称が付された。ラテン語で酢を意味するacetoは、酢酸の英語名であるacetic acid、アセトアルデヒド(acetaldehyde)、アセトン(acetone)などの名称の語源となっている。",
"title": "雑記"
},
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"text": "日本では種子消毒用の特定防除資材の特定農薬として登録される。",
"title": "雑記"
},
{
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"text": "サーカス団は地方巡業の際に食料を一度に大量購入するが、その中に疲労回復のための飲料としての酢も含まれることがある。それを見た部外者が誤解して、「あんなに大量の酢を飲むから、サーカス団員は身体が柔らかい」との噂が広まった。古来から南蛮漬けなどにした魚の骨が酢の作用によって柔らかくなる、前述のように肉を酢に漬け込むと柔らかくなることもこの説が長く信じられる一因となった。柔軟性は靱帯の可動域を拡張すると高まり、酢の飲用に左右されない。酢の過剰摂取で骨が脆くなるという論は、酸の緩衝作用で骨細胞中カルシウムは流出が抑制され、成立しない。",
"title": "雑記"
}
] | 酢は、酢酸を3 - 5%程度含み酸味のある調味料。 | {{複数の問題
| 出典の明記 = 2020年4月
| 内容過剰 = 2020年4月
}}
[[画像:Vinegar infused with oregano.jpg|thumb|right|[[ハーブ]]の入った酢。]]
[[画像:Essig-1.jpg|thumb|right|[[バルサミコ酢]]とワインビネガー。]]
'''酢'''(す、'''醋'''とも'''酸'''とも書く、[[英語|英]]: vinegar<ref>[https://kotobank.jp/jeword/%E3%82%8A%E3%82%87%E3%81%86%E3%82%8A プログレッシブ和英辞典(コトバンク)]</ref>)は、[[酢酸]]を3 - 5%程度含み[[酸味]]のある[[調味料]]<ref name=kojien>[[広辞苑]]第5版</ref>。
== 概要 ==
[[穀物]]や果実を原料にした[[醸造酒]]を、[[酢酸菌]](アセトバクター属)で酢酸発酵して得る。[[酢酸]]以外に、[[乳酸]]、[[コハク酸]]、[[リンゴ酸]]、[[クエン酸]]などの有機酸類や[[アミノ酸]]、[[エステル]]類、[[アルコール]]類、[[糖]]類などを含むことがある。
殺菌や防腐を目的としても使われる。
[[乳酸]]の[[酸解離定数]]({{pKa}})は 3.8、酢酸の酸解離定数({{pKa}})は 4.8<ref name=jslab.26.118 />。酢酸は[[細胞膜]]の[[脂質二重層]]を濃度に依存して通過し、細胞内で[[水素#化学的性質|水素イオン]]を放出して[[水素イオン指数|pH]]を低下することで活性を下げて抗菌作用を生じる<ref name=jslab.26.118 />。
== 名称 ==
漢字の「'''酢'''」と「'''酒'''」は部首が同じで、[[酒]]との関連性が深く、有史以前、人間が[[醸造]]を行うようになると同時期に酢も作られたと考えられている。
フランス語で酢を意味する '''vinaigre''' は '''vin aigre''' (酸っぱい[[ワイン]])に由来し、お酒が酸っぱく変化したものを意味する<ref name="全国食酢協会中央会_ミニ知識" />。
[[1979年]]6月8日に「食酢の日本農林規格」<ref>昭和54年6月8日農林水産省告第801号。現・[http://www.maff.go.jp/j/kokuji_tuti/kokuji/k0000994.html 醸造酢の日本農林規格]</ref> が公示され<ref group="注">施行は同年7月9日。</ref>、[[日本農林規格]](JAS)での呼称は'''食酢'''(しょくす)となった{{r|"名古屋税関2017"|page=7}}。
== 歴史 ==
食酢は「人類が作り出した最も古い調味料」とされる<ref name="全国食酢協会中央会_ミニ知識">{{Cite web|和書|url=http://www.shokusu.org/oxalis/chisiki.html |title=食酢について 食酢ミニ知識 |access-date=2022-10-30 |website=全国食酢協会中央会、全国食酢公正取引協議会 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20071022033247/http://www.shokusu.org/oxalis/chisiki.html |archive-date=2007-10-22}}</ref>。[[紀元前5千年紀|紀元前5000年]]頃の[[バビロニア]]に記録があり、ナツメヤシや干しブドウを原料とする食酢が醸造されていた<ref name="全国食酢協会中央会_ミニ知識" />。
=== 西洋料理と酢 ===
{{節スタブ}}
紀元前4000年頃にはワインやビールから酢を造り[[ピクルス]]を漬けた記録が残される。古代ローマで水に酢を加えた清涼飲料水「[[ポスカ (飲料)|ポスカ]]」が飲まれていた。
かつての家庭はワインが自然に変化するのを待ち酢を得たが、近世は17世紀のフランスで床の上にブドウの蔓を敷いてワインをかける手法、18世紀のオランダで[[ヘルマン・ブールハーヴェ]]が滴下方式、19世紀に[[ルイ・パスツール]]がオルレアン製法、などが考案され、現代の工業生産方式に応用された{{sfn|Harold McGee |2008|pp=746-747}}。
=== 日本料理と酢 ===
日本で食酢の醸造が始まったのは4~5世紀頃で、中国から酒の醸造技術とともに米酢の醸造技術が伝来した<ref name="全国食酢協会中央会_ミニ知識" />。[[律令制]]は、[[造酒司]]が酒・[[醴]]とともに酢を造り、酢漬けや[[酢の物]]、[[膾]]の調理に用いた。
酢は[[寿司]]の歴史とも大きく関係している<ref name="名古屋税関2017" />。寿司の原点は一年以上かけて乳酸発酵させる熟れ鮓(なれずし)だったが、江戸時代になって米酢を加えて発酵を早めた早鮨が登場した<ref name="名古屋税関2017">{{Cite web|和書|url=https://www.customs.go.jp/nagoya/boueki/tokuh2902.pdf |title=貿易統計特集 名古屋税関管内における"食酢"の輸出 |access-date=2022-10-30 |publisher=名古屋税関 |author=名古屋税関調査統計課 |date=2017-03-23 |pages=1,3,4,7 |language=ja |archive-url=https://warp.da.ndl.go.jp/collections/content/info:ndljp/pid/11178065/www.customs.go.jp/nagoya/boueki/tokuh2902.pdf |archive-date=2018-11-01 |deadlinkdate=2022-10-30}}</ref>。しかし、当時、米や[[麹]]を原料とする米酢は大変高価であったため、世界初の[[酒粕]]を原料とする'''酒粕酢(粕酢)'''が造られるようになった<ref name="名古屋税関2017" />。江戸時代には[[紀伊国]][[粉河町|粉河]]が粕酢、[[和泉国]][[堺市|堺]]が米酢でそれぞれ産地として知られた。
== 製法 ==
=== 西欧 ===
西欧における酢の製造法で最も古い方法はオルレアン製法で、希釈したワインを空間を残して樽に詰め、酢酸菌膜を加えて緩やかに発酵させる。定期的に出来た酢を抜き、新しくワインを継ぎ足す。現代的な製造法に比べ空気に触れる部分が少ないため時間が掛かるが、芳醇な香りの酢ができる。他の製造方法として、18世紀に発明された滴下方式と、より現代的な液中培養方式がある。滴下方式は多孔質の素材に酢酸菌を付着させ、そこにワインを繰り返し注ぎ効率よく酢酸菌を働かせる方法である。液中培養方式はタンク内で曝気した醸造酒に菌を入れて発酵を促す方法で、24 - 48時間でエタノールを酢酸に変えている。いずれの方法でも、製造後は低温加熱処理で残った細菌を殺菌する。高級な酢はその後に熟成期間をかけ、風味やまろやかさを醸す{{sfn|Harold McGee |2008|p=748}}。
=== 現代 ===
穀物や果実を[[出芽酵母]] ''S.cerevisiae'' により[[アルコール発酵]]させ原料[[もろみ|醪]]を生産し、醪に[[酢酸菌]]を添加し食酢が生産される<ref name="全国食酢協会中央会_製造工程">{{Cite web|和書|url=http://www.shokusu.org/oxalis/koutei.html |title=食酢について 製造工程 |access-date=2022-10-30 |website=全国食酢協会中央会、全国食酢公正取引協議会 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20071022033309/http://www.shokusu.org/oxalis/koutei.html |archive-date=2007-10-22}}</ref>。表面発酵では酸度が 4〜6% 程度になり、通気撹拌させる「深部通気発酵」では酸度が5〜20% の食酢となる<ref name=jslab.26.118>惠美須屋 廣昭、「[https://doi.org/10.4109/jslab.26.118 酢酸菌の酢酸耐性機構について]」 日本乳酸菌学会誌 2015年 26巻 2号 p.118-123 , {{doi|10.4109/jslab.26.118}}</ref>。
== 食酢の分類と名称 ==
[[画像:黒酢.jpg|thumb|140px|right|[[鎮江香醋]]という黒酢。色も風味も濃い。]]
'''*''' および '''**''' は[[日本農林規格|JAS]]「'''食酢品質表示基準'''」<ref>{{Cite web |url=https://www.maff.go.jp/j/jas/jas_standard/attach/pdf/index-21.pdf |title=JAS 0801:2019 醸造酢 |access-date=2023-12-04 |publisher=農林水産省 |archive-url=https://web.archive.org/web/20231108155023/https://www.maff.go.jp/j/jas/jas_standard/attach/pdf/index-21.pdf |archive-date=2023-11-08 |format=pdf}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.caa.go.jp/foods/pdf/kijun_43_110831.pdf 食酢品質表示基準] 平成12年12月19日農林水産省告示第1668号 消費者庁}}{{リンク切れ|date=2023-12-04}}</ref><ref>{{Cite web |title=食品表示基準 別表第三(第二条関係)内「食酢」 {{!}} e-Gov法令検索 |url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=427M60000002010#427M60000002010-Mpat_3 |website=elaws.e-gov.go.jp |access-date=2023-12-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230713105609/https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=427M60000002010#427M60000002010-Mpat_3 |archive-date=2023-07-13}}</ref> に準拠し、表示は '''**''' の名称を用いる。詳細は同基準を参照のこと。
* '''醸造酢'''*(広義)
**'''穀物酢'''*(広義) - 穀物の使用量が40g/l以上のもの([[粕]]酢、[[麦芽]]酢など)。
***'''米酢'''(よねず)** - 穀物酢のうち、米の使用量が40g/l以上のもの。
*** '''米黒酢'''** - 穀物酢のうち、米(糠を完全に取っていないもの)使用量が180g/l以上のものであり、褐色または黒褐色をしたもの。小麦、大麦を含んでもよい。[[黒酢]]。
**** '''[[黒酢]]'''('''香醋'''(こうず)とも) - [[もち米]]を醸造し、モミ殻を加えて発酵させた、中国産のものを指すことが多い。現在では[[健康食品]]として流通している側面がつよい。
*** '''大麦黒酢'''** - 穀物酢のうち、[[大麦]]のみを使用し、その使用量が180g/l以上のもの。色は褐色または黒褐色。麦芽酢。モルトビネガー。
*** '''穀物酢'''**(狭義) - 米酢、米黒酢、大麦黒酢のいずれでもない穀物酢。
**** '''粕酢''' - [[酒粕]]を原料とした酢。その色から'''赤酢'''とも呼ばれる。かつては[[握り寿司]]の酢飯の材料として一般的だったが、[[戦後]]の物資不足と[[黄変米事件]]が原因であまり一般には流通しなくなった。米を直截の原料としていないため、表示名称は穀物酢となる。
****'''ハトムギ酢''' - 健康食品として流通。
****'''[[きび酢]]''' - [[サトウキビ]]を原料とした酢。鹿児島県[[奄美地方]]で作られる。カリウムが極めて少なく、ミネラルを豊富に含む。また、他の酢に含まれないビタミンCを含む。
** '''果実酢'''*(広義) - 果実の搾汁の使用量が300g/l以上のもの。
***'''リンゴ酢'''** - 果実酢のうち、[[リンゴ]]の搾汁の使用量が300g/l以上のもの。シードルビネガー [[w:cider vinegar|cidre vinegar]]
*** '''ぶどう酢'''** - 果実酢のうち、[[ブドウ|ぶどう]]の搾汁の使用量が300g/l以上のもの。'''[[ワインビネガー]]'''。
**** '''[[バルサミコ酢]]''' - イタリア産の高級ぶどう酢。伝統的手法で造られる。
*** '''果実酢'''**(狭義) - りんご酢、ぶどう酢のいずれでもない果実酢。
**** '''柿酢''' - 本来は、熟した柿の実をつぶし、放置して自然発酵させたもの。
**** '''[[梅酢]]''' - 古代中国では[[梅]]から梅酢を作り料理や傷の消毒など治療、[[鍍金]]など広い用途で利用していた。現在日本で食される[[梅干]]は元来その副産物である。ほかにも[[李]]や[[アンズ|杏]]で代用した。
** '''醸造酢'''**(狭義) - 穀物酢、果実酢のいずれでもない醸造酢。
* '''合成酢'''** - [[氷酢酸]]または酢酸を水で薄め、砂糖類、酸味料、[[うま味調味料]]等で味を調えたもの。日本では[[沖縄県]]のみで酸度の高いものが常用される。また醸造酢等と混合した物は全国で使われている。
*'''蒸留酢''' - 麦芽酢などを蒸留し、揮発性物質よりつくったもの<ref name="『農産加工2改訂版』文部省著作権限昭和56年1月25日発行全330頁">『農産加工2改訂版』文部省著作権限昭和56年1月25日発行全330頁</ref>。
**'''濃縮酢''' - 食酢の水分を凍結させ、遠心分離してつくったもの<ref name="『農産加工2改訂版』文部省著作権限昭和56年1月25日発行全330頁"/>。
== 調理 ==
=== 調理上の効果 ===
料理に酸味を加えるのに広く使われる。また、[[鶏肉]]などを茹でるときに煮汁に酢を加えると、肉が柔らかく骨から分離し易くなる。これは、酢の酸が骨と筋肉をつなぐ[[結合組織]]([[コラーゲン]]や[[エラスチン]]から成る)に作用し、加熱によって変性したコラーゲンを溶出させるためである<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.mizkan.co.jp/company/newsrelease/2008news/080403-00.html|title=ニュースリリース│ミツカングループ企業サイト|accessdate=2018-11-03|website=www.mizkan.co.jp|language=ja}}</ref>。また、酢によって[[酸性]]になることによって、水分の保持量が上がり、筋肉に内在する酸性[[プロテアーゼ]]が活性化することによって肉は柔らかくなる<ref>{{Cite web|和書|author=[[日本獣医畜産大学]]畜産食品工学科肉学教室|url=http://www.agr.okayama-u.ac.jp/amqs/josiki/38-9607.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181103210550/http://www.agr.okayama-u.ac.jp/amqs/josiki/38-9607.html|title=マリネード処理すると軟らかくなる理由|work=今さら聞けない肉の常識 第38回 <肉を軟らかく調理する>|accessdate=2018-11-03|archivedate=2018-11-03|website=[[岡山大学]]農学部食肉品質研究会}}</ref>。
骨付きの肉や魚、貝殻付きの貝などを酢とともに調理することによって、骨や貝殻のカルシウムを溶出させることができ、カルシウムの摂取に役立つ<ref name=":0" />。
<!--この項目自体無くてもいいのでは
=== 合わせ酢 ===
{{内容過剰|date=2018年3月19日 (月) 08:40 (UTC)|section=1}}
酢を基本として他の調味料などと合わせて調味したものを、合わせ酢、加減酢、調合酢<ref name=kojien>[[広辞苑]]第5版</ref>などと称する。
* [[すし酢]] - 砂糖、塩、みりんなどで調味した酢で、[[酢飯]]に用いる。
* [[甘酢]] - [[砂糖]]などを加えた酢。
* [[三杯酢#二杯酢|二杯酢]] - 酢に醤油や塩で調味した合わせ酢。
* [[三杯酢]] - 酢と醤油と味醂を同量ずつ合わせた合わせ酢。
* [[土佐酢]] - [[鰹節]]や[[コンブ|昆布]]の出汁と醤油・味醂を合わせて煮立たせた後に冷ました合わせ酢。
* 吉野酢 - 三杯酢や土佐酢などの合わせ酢に葛粉でとろみをつけた酢。
* 白酢 - 酢に裏漉しした豆腐や白胡麻を擂ったものを加えた酢。
* 酢味噌 - 甘酢に味噌、からしなどをあわせたもの。
* 黄身酢 - 合わせ酢に卵黄を加えたもの。
* 青酢 - 合わせ酢に[[裏漉し]]た[[ホウレンソウ]]などを混ぜたもの<ref name=kojien/>。
* からし酢 - [[からし]]を効かせた合わせ酢<ref name=kojien/>。
* からすみ酢 - [[カラスミ]]と[[大根おろし]]と酢を和えた料理。合わせ酢にも用いる<ref name=kojien/>。
* ケシ酢 - 合わせ酢に[[ケシ]]の実を加えたもの<ref name=kojien/>。
* 胡麻酢 - 合わせ酢に[[ゴマ]]の実を加えたもの<ref name=kojien/>。
* ショウガ酢 - 合わせ酢に[[ショウガ]]を加えたもの<ref name=kojien/>。
* 蓼酢 - [[タデ]]をすって加えた合わせ酢<ref name=kojien/>。
* 煮返し酢 - [[塩]]を入れた酢を煮立てたもの<ref name=kojien/>。
* 醤酢(ひしおす) - [[醤]]と酢をあわせたもの<ref name=kojien/>。
-->
=== 食酢を用いた料理 ===
* [[酢蛸]]
* [[酢飯]]
* [[酢漬け]]
* [[ピクルス]]
* [[ソリャンカ]]
* [[マリネ]]
* [[酢豚]]
* [[サワードリンク]]
== 健康 ==
食事とともに食酢を摂取すると血糖値の上昇を抑制する効果が<ref>遠藤美智子 ほか、「[https://doi.org/10.11213/tonyobyo.54.192 食酢の食後血糖上昇抑制効果]」 『糖尿病』 Vol.54 (2011) No.3 P.192-199 , {{DOI|10.11213/tonyobyo.54.192}}</ref>、食酢を摂取すると[[血圧]]の上昇を抑制する効果がそれぞれ確認され、[[レニン]]-[[アンジオテンシン]]-[[アルドステロン]]<ref>多山賢二、「[https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1988.97.693 生活習慣病に及ぼす食酢の効果]」 『日本醸造協会誌』 Vol.97 (2002) No.10 P.693-699,{{DOI|10.6013/jbrewsocjapan1988.97.693}}</ref> の関与が報告された。
また、食酢の摂取は脂肪の燃焼を促進し肥満の予防に効果があるともいわれている<ref name="名古屋税関2017" />。
[[メタボリックシンドローム|メタボリック症候群]]の改善や美容などを目的とした飲む酢(ドリンクビネガー)もある<ref name="名古屋税関2017" />。ただし食酢はpH3.1程度であり、原液を毎日飲用することは歯を溶かす[[酸蝕症]]の原因となる<ref>東京医科歯科大学 北迫勇一助教授:京都新聞2011年2月8日朝刊掲載</ref>。歯の[[エナメル質]]に影響を与えにくいpH5.5以上にするためには25倍以上の水による希釈か塩基性物質の添加が必要である。
酢の欠点は、漬物を作るために使用されると、健康な善玉菌の増殖を妨げることである<ref name=":02">{{Cite web |title=The good side of bacteria |url=https://www.health.harvard.edu/staying-healthy/the-good-side-of-bacteria |website=Harvard Health |date=2021-02-01 |access-date=2022-06-01 |language=en}}</ref>。
== 用途 ==
;薬
:中国、中東、ギリシャでは、消化を助け、傷の殺菌、咳の治療に用いられた。その他、研究によっては健康上の利点となる効果も示唆されている<ref name=hsph677>{{Cite web |url=https://www.hsph.harvard.edu/nutritionsource/food-features/vinegar/ |title=Vinegar |access-date=2023-09-14 |last=Avenue |first=677 Huntington |date=2017-12-13 |website=The Nutrition Source |language=en-us}}</ref>。[[ハブクラゲ]]などの刺胞の働きを弱める効果があるが、それ以外の多くのクラゲでは逆効果となる場合がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20220813-UXAYJPRBBNI3RPL2OQBRCNDIRY/ |title=クラゲ被害、酢は逆効果 多くの種類で |access-date=2023-09-14 |last=INC |first=SANKEI DIGITAL |date=2022-08-13 |website=産経ニュース |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.okinawa.jp/site/hoken/hoken-nan/kankyo/seikatueiseiqanda.html |title=生活衛生Q&A/沖縄県 |access-date=2023-09-14 |website=www.pref.okinawa.jp}}</ref><ref>{{Cite journal |last=Nomura |first=Jason T. |last2=Sato |first2=Renee L. |last3=Ahern |first3=Reina M. |last4=Snow |first4=Joanne L. |last5=Kuwaye |first5=Todd T. |last6=Yamamoto |first6=Loren G. |date=2002-11-01 |title=A randomized paired comparison trial of cutaneous treatments for acute jellyfish (Carybdea alata) stings |url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0735675702001031 |journal=The American Journal of Emergency Medicine |volume=20 |issue=7 |pages=624–626 |doi=10.1053/ajem.2002.35710 |issn=0735-6757}}</ref>。
:また、ピクルス液とすることで、食物の長期保存を可能としている<ref name=hsph677/>。
:それ以外にも、除草剤として用いられた<ref>{{Cite web |url=https://www.ars.usda.gov/news-events/news/research-news/2002/spray-weeds-with-vinegar/ |title=Spray Weeds With Vinegar? : USDA ARS |access-date=2023-09-14 |website=www.ars.usda.gov}}</ref>。
;掃除
:掃除に用いることで、家庭内の病原菌を殺菌することができる<ref name=hsph677/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/26/foodfaq4-4.html |title=合せ酢の殺菌効果 - 広島県 |access-date=2023-09-14 |website=広島県公式ホームページ |language=ja}}</ref>。
== 雑記 ==
{{雑多な内容の箇条書き|date=2018年3月19日 (月) 08:35 (UTC)|section=1}}
=== 有機化学 ===
[[1847年]]にドイツ人化学者[[ヘルマン・コルベ]]が最初に[[無機物]]から酢酸を合成すると、酢酸に関係するとされた有機化合物は関連名称が付された。[[ラテン語]]で酢を意味する'''aceto'''は、酢酸の英語名であるacetic acid、[[アセトアルデヒド]](acetaldehyde)、[[アセトン]](acetone)などの名称の語源となっている。
=== 農耕 ===
日本では種子消毒用の特定防除資材の[[特定農薬]]として登録される。
=== 迷信 ===
サーカス団は地方巡業の際に食料を一度に大量購入するが、その中に疲労回復のための飲料としての酢も含まれることがある。それを見た部外者が誤解して、「あんなに大量の酢を飲むから、サーカス団員は身体が柔らかい」との噂が広まった。古来から[[南蛮漬け]]などにした魚の骨が酢の作用によって柔らかくなる<ref>[http://www.kikkoman.co.jp/homecook/chie/choumi/3su.html 堅い骨は、やわらか〜く]、[[キッコーマン]]ホームページ</ref>、前述のように肉を酢に漬け込むと柔らかくなることもこの説が長く信じられる一因となった。柔軟性は[[靱帯]]の可動域を拡張すると高まり、酢の飲用に左右されない。酢の過剰摂取で骨が脆くなるという論は、酸の[[緩衝液|緩衝作用]]で[[骨細胞]]中[[カルシウム]]は流出が抑制され、成立しない。<!--ただし、酢に多く含まれる酢酸は筋肉中の[[乳酸]]の分解を促進するので、酢を摂取することによって体の凝りをほぐす作用は期待できる<ref>[http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/04/11/1114.html 「酢を飲むと体が柔らかくなる」は本当だった!しかし、これは筋肉のこりをほぐすだけ。]、[[所さんの目がテン!]]ホームページ</ref>。--><!--乳酸が筋肉疲労の原因である、との説は否定されています。乳酸の項を参照のこと-->
== 製造事業者 ==
{{内容過剰|date=2018年3月19日 (月) 08:41 (UTC)|section=1}}
* ヤマブキ有限会社(北海道)
* 横井醸造(東京)
* 健康医学社(東京)
* 私市醸造(千葉)
* [[キユーピー醸造]]
* 石山味噌醤油(新潟)
* [[とば屋酢店]](福井)
* [[内堀醸造]](岐阜)
* 近藤酢店(静岡)
* [[ミツカン]](愛知)
*日本自然発酵知多(愛知)
* 三井酢店(愛知)
* [[盛田]](愛知)
* [[川上酢店]](愛知)
*[https://kumano-mikura.jp MIKURA] (三重)
* 山二造酢 (三重)
* 飯尾醸造(京都)
* 村山醸造酢(京都)
* 近藤造酢(大阪)
* [[タマノイ酢]](大阪)
* ミヅホ(奈良)
* マルカン酢(兵庫)
* [[キング醸造]](兵庫)
* [[大興産業]](岡山)
* [[お多福醸造]](広島)
* [[尾道造酢]](広島)
* [[マルボシ酢]](福岡)
* 宇都醸造(鹿児島)
* 川添酢造(長崎)
* 大山食品(宮崎)
== 博物館施設 ==
* [[博物館「酢の里」]](愛知県半田市) - 日本で唯一の酢の総合博物館
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite |和書 |author = Harold McGee |translator = 香西みどり |title = マギー キッチンサイエンス |date = 2008 |publisher = 共立出版 |isbn = 9784320061606 |ref = harv }}
==関連文献==
*{{Cite journal |和書|author=包啓安|title=中国食酢の醸造技術について (1)|date=1988|publisher=日本醸造協会|journal=日本醸造協会誌|volume=83|issue=7|pages=462-471|doi=10.6013/jbrewsocjapan1988.83.462}}
*{{Cite journal |和書|author=包啓安|title=中国食酢の醸造技術について (2)|date=1988|publisher=日本醸造協会|journal=日本醸造協会誌|volume=83|issue=8|pages=534-542|doi=10.6013/jbrewsocjapan1988.83.534}}
*{{Cite journal |和書|author=包啓安|title=中国食酢の醸造技術について (3)|date=1988|publisher=日本醸造協会|journal=日本醸造協会誌|volume=83|issue=10|pages=681-686|doi=10.6013/jbrewsocjapan1988.83.681}}
== 関連項目 ==
* [[さしすせそ (調味料)|料理のさしすせそ]]
* [[酢酸発酵]]
* {{ill2|オキシメル|en|Oxymel}} ‐ 酢と蜂蜜からなる飲み物
* {{ill2|三酸図|en|Vinegar tasters}} - 老人が酢を舐めあう中国の画題。
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Vinegar}}
{{Wiktionary|す|酢|醋|vinegar}}
* [http://www.maff.go.jp/j/kokuji_tuti/kokuji/k0000994.html 醸造酢の日本農林規格](1979年6月8日[[農林水産省]]告第801号)
* {{PDFlink|[https://www.caa.go.jp/policies/policy/food_labeling/quality/quality_labelling_standard/pdf/kijun_43_110831.pdf 食酢品質表示基準]|27 [[キビバイト|KiB]]}}(2011年8月31日[[消費者庁]]告示第8号) - 農林水産省から[[消費者庁]]へ移管された
* [http://www.shokusu.org/oxalis/teigi.html 食酢について](全国食酢協会中央会)
* {{Kotobank}}
{{酢}}
{{Normdaten}}
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{{DEFAULTSORT:す}}
[[Category:酢|*]]
[[Category:発酵食品]]
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[[Category:食生活と健康]] | 2003-03-22T15:09:25Z | 2023-12-23T11:55:09Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%A2 |
4,916 | ディープ・パープル | ディープ・パープル(英語: Deep Purple)は、イングランドのハードロック・バンド。レッド・ツェッペリンと並ぶハードロック・バンドの代表格の一つに数えられ、後続のバンドや多くのヘビーメタル・バンドに多大な影響を与えた。
1968年結成。1976年に第4期のグループが解散。1984年に第2期のメンバーによって再結成。2023年現在、第10期が活動中である。
アルバムセールスは、全世界で1億枚を突破している。2016年度に「ロックの殿堂」入りを果たした。
ディープ・パープルは長い歴史の中で多くのメンバー・チェンジを繰り返すも、ボーカル/ベース/ギター/キーボード/ドラムという構成を一貫して保ち、大音量のハードロック演奏を繰り広げてきた。初代ギタリストのリッチー・ブラックモアはハード・ロック・ギタリストの筆頭格と認識され、ハードロックやヘビーメタルロックのギタリストに絶大な影響を与え、多くの心酔者と追随者を生んだ。
ディープ・パープルの特徴の一つとして挙げられるのは、レッド・ツェッペリンや多くのハードロック・バンドと異なり、キーボードがギターとほぼ同等の比重を占めることである。初代キーボーディストのジョン・ロードは、ロック・ミュージックのハモンド・オルガン奏者のパイオニアの一人であり、ハモンド・オルガンをハードロックに導入するという大きな功績をあげた。
代表曲には「ハッシュ」「ブラック・ナイト」「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎」「ウーマン・フロム・トーキョー」「スペース・トラッキン」「スピード・キング」「チャイルド・イン・タイム」などがある。
※2023年2月時点
ディープ・パープルの前身となったのは、サーチャーズ (The Searchers)のドラマー兼ボーカリストだったクリス・カーティス (Chris Curtis) が結成を企図したラウンドアバウト(Roundabout)である。
1967年、カーティスは同じアパートに住んでいたキーボーディストのジョン・ロードに声をかけた。彼はまた、トニー・エドワーズ (Tony Edwards) にマネージャーの就任を打診した。エドワーズはファッション関係の仕事に携わるのと同時にエイシア(Ayshea)という女性シンガーのマネージメントも手がけており、その関係でカーティスと知己があった。エドワーズはカーティスの打診を受け入れてマネージャーに就任し、広告関係の仕事に携わっていたジョン・コレッタ (John Coletta) をマネージメントに誘い入れたので、ラウンドアバウトのビジネス面での態勢は早くから整いつつあった。エドワーズとコレッタは6,000ポンドを投資してハモンド・オルガンC3など必要な楽器や機材をメンバーに買い与え、以後もビジネス面で様々な貢献を遂げた。ラウンドアバウトの結成に始まるディープ・パープルの歴史において、2人が果たした役割は非常に大きかったと、今日に至るまで評価されている。
一方、メンバーの人選は難航した。ロードに続いて、1967年12月初め、当時ハンブルクで主にセッション活動をしていたギタリストのリッチー・ブラックモアに加入を要請したものの、他のメンバーはなかなか決まらなかった。エドワーズとコレッタは熱心にメンバー探しに奔走したが、ボビー・‘ウッドマン’・クラーク(Bobby Clarke)がドラマーに選ばれた以外は進展せず、結局カーティス、ロード、ブラックモア、クラークの4人で活動を開始することになった。この陣容の人間関係は非常に不安定だったといわれており、更に発起人のカーティスが失踪したことが重なり、ラウンドアバウトは一旦消滅した。しかし数ヵ月後、マネージャーの2人とロード、ブラックモアが再び集結し、ザ・フラワー・ポット・メンのバック・バンドにロードと共に在籍していたニック・シンパーをベーシストに採用した。さらにボーカリストのオーディションを行ない、メイズ (The Maze) というバンドにいたロッド・エヴァンスを採用した。オーディションに来たエヴァンスには、同じくメイズのメンバーだったイアン・ペイスが同行していた。ブラックモアはハンブルクでペイスのプレイに接して彼の力量を十分に把握していたため、メンバーはクラークに代えて彼を迎え入れた。こうしてラウンドアバウトは1968年2月頃までにロード、ブラックモア、シンパー、エヴァンス、ペイスの5人が揃い、4月20日にデンマークの学校のホールで初のライヴを行なった。
1968年3月、バンドのマネージメントを担当するヘック・エンタープライズ (HEC Enterprises)が設立された。同時にブラックモアの祖母が好んで聴いていた「夢のディープ・パープル」(Deep Purple)の曲名を拝借して、バンド名をディープ・パープルと改めた。後述のデビュー・シングル「ハッシュ」の歌詞の内容や当時のロック界の状況から、ドラッグとの関連で名づけられたという説もあるが、ディープ・パープル側は否定している。レコード会社との契約交渉は難航したが、1968年5月6日にアメリカのテトラグラマトン・レコード (Tetragrammaton Records) という小さなレコード会社と契約した。
ディープ・パープルは1968年5月11日から13日まで、ブラックモアの人脈で迎えたプロデューサーのデレク・ローレンスの下で、デビュー・アルバムを制作。6月には、ジョー・サウス (Joe South) の曲をカバーした「ハッシュ (Hush)」をデビュー・シングルとして発表した。このシングルは9月の『ビルボード』誌でシングル・チャート第4位を記録するヒットとなり、彼等は新人バンドとしては異例と言われるほどの順調なスタートを切った。デビュー・アルバム『ハッシュ』(Shades of Deep Purple)は、7月にアメリカでテトラグラマトン・レコードから、9月にイギリスでパーロフォンから発表。アメリカでは10月24日に最高位24位を記録した。日本ではテトラグラマトン・レコードの原盤が、1969年4月に日本グラモフォンから『紫の世界』の邦題で発売された。
ディープ・パープルの初舞台は、1968年8月にイングランドのサリーで開催された第8回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバルと記録されている。10月、セカンド・アルバムの『詩人タリエシンの世界』(The Book of Taliesyn)がアメリカで発売された。「ハッシュ」のヒットによって必然的にアメリカでの活動が重視され、同月から年末まで初のアメリカ・ツアーが行われた。彼等はツアー初日の10月18日にロサンゼルスのザ・フォーラムで、フェアウェル・ツアーを行っていたクリームの前座を務めたのを皮切りに、数々のライブ活動を行ない、12月20日から31日まではニューヨークのフィルモア・イーストやエレクトリック・サーカスのステージに立った。この間、『詩人タリエシンの世界』から「ケンタッキー・ウーマン」がシングル・カットされて38位まで上昇し、同アルバムも40位まで上昇した。同アルバムは、イギリスではアメリカ・ツアーが終わった後の1969年7月にハーヴェスト・レコードから発表された。日本ではテトラグラマトン・レコードの原盤が、1969年6月に日本グラモフォンから『ディープ・パープルの華麗なる世界』の邦題で発売された。
1969年前半、彼等はイギリス国内でライヴ活動を行ないながら、2月から3月にかけてサード・アルバムを制作した。この頃からバンド内でメンバー間の意見の対立が表面化したと言われている。コメントする者の意思や立場によって、状況の説明が著しく食い違うため、第三者による明確な把握は困難とされているが、その中にあって、同年3月頃に、シンパーとエヴァンスがバンドから「離れる」に至った点、及びシンパーがそれを不服として訴訟を起こしたという点は万人が認める事実となった。また、これと平行してもうひとつの問題が浮上した。サード・アルバム『ディープ・パープル III』(Deep Purple)はアメリカでは1969年6月にテトラグラマトン・レコードから発表されたが、その直後にテトラグラマトン・レコードが倒産し、ディープ・パープルはアメリカでのレコードの発売元を失った。この件もまた訴訟沙汰となっているが、同年暮れにワーナー・ブラザース・レコードと契約を結ぶことが出来た。結果として、この事件が幸いとなり、遥かに大きな規模のレコード会社への移籍が出来たことになる。なおサード・アルバムは、イギリスでは同年11月にハーヴェスト・レコードから発表され、日本では10月にテトラグラマトン・レコードの原盤が日本グラモフォンから『素晴らしきアートロックの世界』の邦題で発売された。
シンパーとエヴァンスは、6月にイギリス各地で行なわれたコンサートを終え、7月4日のカーディフ公演を最後にディープ・パープルを去った。
第1期ディープ・パープルの音楽はヴァニラ・ファッジ、クリーム、ジミ・ヘンドリックスなどに影響されたもので、第2期以後のようなハード・ロックではなかった。曲によってはクラシカルなアレンジが施され、コンサートではクラシックをベースとした20分以上もの即興演奏が展開され、後のプログレッシブ・ロックにつながるクラシカルなロックが演奏された。彼等が残した3作のアルバムは、その独自の世界観を構築していた。この当時のディープ・パープルは、「ハッシュ」というヒット曲を持つコンパクトなロックを演奏するグループという印象で、一般のロック・ファンには人気があったが、ハード・ロック・ファンにとってはもの足りない部分も存在した。
1969年7月、ブラックモアのジ・アウトローズ (The Outlaws) 時代からの旧友であるミック・アンダーウッド (Mick Underwood) の紹介によってエピソード・シックス (Episode Six) のボーカリストであるイアン・ギランが新たにメンバーに加わった。また、オーディションに同行していたエピソード・シックスのベーシストのロジャー・グローヴァーも同時加入が決まった。
第2期ディープ・パープルは、急遽「ハレルヤ」(Hallelujah)をレコーディングして、1969年7月25日に第一弾シングルとして発表した。この時期、英米のロック・シーンはレッド・ツェッペリンの、当時は斬新だったハードロック・サウンドに注目が集まっていた。これに注目したブラックモアは、よりハードなサウンドをバンドに導入することを提案したが、ロードは「せっかく軌道に乗り始めたクラシックとの協調路線を台無しにする必要はどこにもない」と猛反対し、第1期の流れをくんだ幻想的なサウンドをバンドに要求したと伝えられている。最初に進むべき方向を提示したのはロードであり、1969年9月24日、ディープ・パープルはロイヤル・アルバート・ホールで作曲家のマルコム・アーノルドが指揮するロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラと共演して、ロードが作曲した「グループとオーケストラのための協奏曲」を披露。当日録音された音源はライブ・アルバム『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』として、アメリカで同年12月にテトラグラマトン・レコード、イギリスで1970年1月にハーヴェスト・レコードから発表され、翌年の『メロディー・メーカー』誌のアルバム人気投票で9位に選ばれた。ブラックモアは後年、この共演に関して「物珍しいだけのコケおどしで、二度とやりたくない」と語っている。
話し合いでは根本的な解決が困難だと結論したブラックモアは、『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』が完成した後、一度だけハードロックを志向するアルバムを作ってファンの反応をみたいと提案した。ロードはそれを承服し、次回作の主導権をブラックモアに託した。こうして1970年に入って新作アルバムのレコーディングが開始され、本国イギリスで6月20日に『ディープ・パープル・イン・ロック』というタイトルで発売された。このアルバムはイギリスチャート4位に入り、さらにアルバムのプロモーション用に同日発表されたアルバム未収録のシングル曲「ブラック・ナイト」は2位を獲得した。アメリカでは『ディープ・パープル・イン・ロック』と「ブラック・ナイト」はテトラグラマトン・レコードの倒産に伴って同年に彼等が移籍したワーナー・ブラザーズ・レコードより、それぞれアルバムとシングルの第一弾として発売されたが不発に終わった。日本では「ブラック・ナイト」がラジオでヒットし、さらにシングルとして1971年に発売されてスマッシュ・ヒットしている。
この結果、ディープ・パープルはハード・ロック路線を進むことが決定し、楽曲制作はブラックモアが中心となって行うことが自然に決まった。ロードは作曲面では基本的に身を引く形となり、『ジェミニ組曲』(Gemini Suite)や『ウィンドウ組曲』(Windows)などのソロ作品に創作意欲を振り向けた。
1971年9月、ハード・ロック・アルバムの第2弾『ファイアボール』 が発売され、全英で1位を獲得した。しかしブラックモアはこのアルバムに対して、スケジュールの厳しさによって録音期間もなければメンバーの健康状態も悪かったと不満の意を表している。彼等は同アルバムの発表に合わせて9月下旬から約2週間の国内ツアーを行なった後、10月21日に2度目のアメリカ・ツアーを開始した。しかし開始早々にギランが肝炎に罹患してしまったので、10月24日のシカゴ公演は4人で行なわれ、残りの公演は全てキャンセルされた。
彼等は次作を納得のいく環境で制作することを要求し、同年12月、スイスのモントルーにあるジェネバ湖(レマン湖)のほとりにあるホテルでゆっくりと英気を養いながら、対岸にある6角形をしたカジノでモービル・ユニットを使って録音することにした。ところが彼等がカジノを使用する直前の12月4日、フランク・ザッパが率いるザ・マザーズ・オブ・インヴェンションのコンサートで、興奮した観客がラタンで覆われた天井に照明弾を撃ち込んだので火災が発生して、カジノは全焼してしまった。
不幸な事件だったが、ここでひとつの伝説が生まれた。ホテルの窓から湖の上に煙が立ち込める様子を見ていたギランが、隣にいたグローヴァーに向かって不意に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という語句を発した。グローヴァーはドラッグを連想するからディープ・パープル向きではないと思ったが、やがて彼等の中で次第にこの語句が膨らみ始め、ブラックモアが書いた印象的なリフと融合して「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が誕生した。先にパヴィリオンでベーシック・トラックのレコーディングが完成した同曲も含めて、12月6日から21日までに宿泊していたホテルの廊下で録音された事でも有名な『マシン・ヘッド』が完成、翌年2月にアメリカで、イギリスでは3月に、ヨーロッパ各国や日本でも順次発売されてヒットを記録した。だが、人気が上昇するにつれてレコーディングとツアーは一段と過酷なものになり、メンバーの健康状態も次第に下降線をたどることになる。5月に予定されていた初の日本ツアーは延期され、解散の噂が流れた。その後ようやく全員が健康を回復してツアーが再開されたものの、各自の不安と不満は募る一方だった。
1972年8月に初来日を果たし、15日と16日に大阪フェスティバルホールで、17日には日本武道館でコンサートが開催された。この日本公演を録音した『ライヴ・イン・ジャパン』は12月に日本限定で発売されたが、その出来の良さが気に入られ、海外でも『メイド・イン・ジャパン』というタイトルでリリースされ、プラチナディスクを獲得している。このアルバムからシングルカットされた「スモーク・オン・ザ・ウォーター」がアメリカで大ヒット(4位)し、ようやくバンドはアメリカでもブレイクした。
一方、『マシン・ヘッド』に続く新作のスタジオ・アルバム『紫の肖像』の制作は難航を極めていた。メンバーの疲労蓄積とスケジュールに対する不満が根底にあるといわれている。それでもペイスによってミキシングが行われ、『ライヴ・イン・ジャパン』とほぼ同時期の1973年初頭にリリースされた。しかし評判はそれほど高くなく、最初にシングル・カットされた「ウーマン・フロム・トーキョー」は、「ハイウェイ・スター」ほどのヒットにはならなかった。
メンバー間の不仲とツアーの連続による肉体的疲労は、もはや修復が不能な段階まで来ていたといわれている。まずグローヴァーがスケジュールの不満から脱退を口にする様になり、これと平行してブラックモアがギランのボーカルに不満を感じる様になっていた。ギランはマネージメントに脱退の決意を表明し、ブラックモアもペイスを誘って脱退することを考える。だが今までの成功を失いたくないペイスとロードに「ギランはまもなく辞めるし、グローヴァーは我々が辞めさせるから」脱退する必要はないと諭されて、バンドに留まることを決意する。
1973年6月29日、2度目の日本公演の最終日の大阪公演が行なわれた。翌30日、ギランとグローヴァーが脱退。第2期は終わった。
新メンバー探しは1973年の3月頃より始まっていたと伝えられている。まずペイスとロードが熱心に誘ったのが、トラピーズのベーシスト兼ボーカリストだったグレン・ヒューズだった。当初ヒューズはトラピーズを脱退できないという気持ちに加え、ボーカリストとして自信を持っていたため、勧誘の際にもボーカリストとして認めて欲しいと条件を出した。ただし、この時点でブラックモアはヒューズと発声も歌唱方法も異なる元フリーのポール・ロジャースを理想のボーカリストとして考えており、実際にロジャースに加入を要請した。この食い違いによってヒューズとの交渉は難航。さらにロジャースが最終的に要請を断ってバッド・カンパニーを結成して活動を開始したため、ディープ・パープルは一歩間違えれば解散という状態に追い込まれていた。結局、ボーカリストは一般から募集することになり、4000人以上ともいわれる応募者の中から、当時はまったく無名だったデイヴィッド・カヴァデールが選ばれ、第3期がスタートする。
1974年2月、第3期ディープ・パープル初のアルバム『紫の炎』が発売された。後にブラックモアが「納得して制作できた」とコメントした数少ないアルバムであり、シングル・カットされた「紫の炎」に加え、パープル解散以降もカヴァデールやレインボーのロニー・ジェイムス・ディオらによって唄い継がれていく「ミストゥリーテッド」などが収録され、成功を収めた。また、第2期のハードロック路線に加えて、ヒューズの主張が濃いとされるファンキー・サウンドの「ユー・フール・ノー・ワン」やシンセサイザーを大幅に導入した「A200('A' 200)」など、「新メンバーの力量や新要素が巧みに発揮された傑作」とされている。このアルバムの発売直後の4月、ロスアンゼルスのオンタリオ・モーター・スピードウェイで行われた「カリフォルニア・ジャム」に出演。日没直前に、ヘッドライナーのエマーソン・レイク・アンド・パーマーの一つ前の出演バンドとして登場し、約20万人と伝えられる聴衆の前で演奏を行った。この時の演奏は特に評価が高かった。
しかし、この好調さも、1974年の8月に制作が開始された『嵐の使者』の頃には失われていた。カヴァデールやヒューズがソウル・ミュージックやファンキー・ミュージックの要素をより多く持ち込もうとしていたことがきっかけとなり、ハードロックを志向するブラックモアは次第にディープ・パープルでの活動に対して意欲を失っていった。このアルバムが発売された10月、予定されていたアメリカ公演が中止となって空白期間が生じたため、ブラックモアはかねてより計画していたソロ・シングルの制作を開始。以前から気に入っていた「エルフ」と共に「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー/16世紀のグリーンスリーブス」を完成させるが、これがブラックモアにとって期待以上の出来だったため、脱退してエルフのメンバーと「リッチー・ブラックモアズ・レインボー」を結成することを決意した。「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー」はイギリスのバンド、クォーターマスの曲で、ブラックモアはこの曲をディープ・パープルがカバーすることを提案し、カバー曲に反対する他のメンバーとの意見の相違が彼の脱退のきっかけだったとされている。
最初にブラックモアから脱退の決意を打ち明けられた当時のマネージャーであるロブ・クックジーも、その後に打ち明けられたメンバーも、当然ながら慰留に努めたが、彼の決意は変わらず、1975年4月7日のパリ公演を最後に脱退した。彼の脱退は、それ以後の方針が決定しなかったため6月まで公表されなかったが、一部の音楽マスコミは4月8日の段階でスクープとして報じていた。
ブラックモアの後任探しは、過日のギランやグロ―ヴァ―の場合以上に難航し、元ハンブル・パイのデイブ「クレム」クレムソン (Clem Clempson) がオーディションを受けたり、セッションは実現しなかったもののジェフ・ベックが候補に挙がるなど混乱を極めていた。結局、カヴァデールの発案で元ジェイムズ・ギャング (James Gang) のギタリストだったトミー・ボーリンが加入し、第4期のメンバーが決定した。ちなみにボーリンは初めてのアメリカ人メンバーであった。
1975年10月、アルバム『カム・テイスト・ザ・バンド』が発表されるが、その音楽性の変転はファンに戸惑いを感じさせるのに十分だといわれ、多くの批判の声が挙がった。それでも11月のハワイでのコンサートを皮切りに、東南アジアまでを含めた大規模なツアーが敢行され、どこも盛況であったと伝えられている。ジャカルタでは2日で約10万人の観客が集まり暴動にまで発展、スタッフの1人が殺害されるという痛ましい事件も発生したが、ツアーは続行され、1975年12月、3度目の来日が実現した。客席は超満員だったが、ボーリンが東南アジアで品質の悪いヘロインを注射したために左手がほとんど動かず、ボトルネックギターの演奏に終始するという不本意な結果に終わった。続くアメリカン・ツアーは問題無く終了するも、本国イギリス公演はマスコミやファンに激しく批判され、やがて空中分解状態となった(詳細はカム・テイスト・ザ・バンド#ツアーから解散までを参照)。
まずカヴァデールが「こんな状態では何もできない」と言って1976年5月に辞意をロードに伝え(ただし、この時点では正式には発表されていない)、さらに7月8日にボーリンが脱退。ヒューズもトラピーズの再編を含めた別行動の意思を表していた。7月18日に、ロードとパープル・オフィス間の話し合いで解散を決定。翌19日、どこで嗅ぎ付けたのか、イギリスの新聞デイリー・ミラーが「ディープ・パープル解散」をスクープ。こうして7月24日、事務所より解散が正式に発表された。
解散時に正式なコメントを残していないロードは、後に「ディープ・パープルを名乗るべきではなかった」との旨の発言をしている。
解散後のメンバーはそれぞれ別の道を歩み始めた。カヴァデールは、念願だったソロ・アルバムを2枚発表した後、ホワイトスネイクを結成。ヒューズはヒューズ/スロールで活動を開始。ロードとペイスはペイス・アシュトン・ロードを経て、カヴァデールのホワイトスネイクに合流。そしてボーリンはソロ・アルバムを制作し、自身のバンドを結成してライブ活動も展開するが、同年12月4日、ドラッグの過剰摂取により死去した。
こうしてディープ・パープルは、1984年の再結成まで音楽シーンから姿を消すこととなる。この空白期間中の1980年に、第1期のメンバーだったエヴァンスが無名のミュージシャンを集めてディープ・パープルと名乗りライブ活動を行うという、いわゆる「偽ディープ・パープル事件」が発生した(詳細はロッド・エヴァンス#偽ディープ・パープル騒動を参照)。
約8年間の空白期間を経た1984年、ディープ・パープルは黄金期といわれる第2期のメンバーで再結成した。ブラックモアとグローヴァーはレインボー、ロードはホワイトスネイク、ギランはブラック・サバス、ペイスはゲイリー・ムーア・バンドを去って、第2期が終わった1973年6月30日以来、約11年ぶりに一堂に会した。なお、前年の1983年にも再結成が計画されたが、この時にはメンバーの足並みが揃わず見送られている。
この時期、アメリカを中心に世界的なヘヴィメタル・ブームが起こっており、その中でのディープ・パープルの再結成は、元祖の復活とばかりに歓迎された。一方、この再結成によってレインボーは解散を余儀なくされ、全世界規模の活動が軌道に乗り始めたばかりのホワイトスネイクも痛手を負った。ホワイトスネイクを率いていたカヴァデールは、この再結成をかなり辛辣に批判して「金が目当ての再結成」と吐き捨てた。ブラックモアは当時、カヴァデールの発言をジョークを交えて否定していたが、90年代後半以降は肯定している。
1984年11月、再結成第一弾『パーフェクト・ストレンジャーズ』(Perfect Strangers)がリリースされ、第2期ディープ・パープルとレインボーの長所を折衷した傑作と高い評価を受ける。1987年には第二弾『ハウス・オブ・ブルー・ライト』(The House of Blue Light)がリリースされ、活動が数年に渡って順調に続いているかのように見受けられた。しかし水面下ではブラックモアとギランの関係が再び悪化し、ギランは同アルバムの制作前には脱退寸前だった。ブラックモアはアメリカの無名の若手ボーカリストだったジョン・コラビを加入させようとしていたが、ギランは結局残留してアルバムの製作に参加した。しかし彼の脱退未遂が影響して完成が遅れて、発表は延期された。
『ハウス・オブ・ブルー・ライト』の発表に伴ってヨーロッパとアメリカでツアーが行なわれ、1988年には、そのライブ音源を収録したライブ『ノーバディーズ・パーフェクト』(Nobody's Perfect) がリリースされた。しかし、ブラックモアとギランの関係は悪化する一方であった。
1989年5月、ギランはディープ・パープルを解雇された。
ギランの後任として、元レインボーのジョー・リン・ターナーが加入。彼を迎えたアルバム『スレイヴス・アンド・マスターズ』(Slaves and Masters)は、レインボーの再現になるとの大方の予想を覆して、現代的なハードロック・アルバムとして安心して聴ける佳作に仕上がったと評された内容だった。
しかしターナーは、続く新作アルバムの製作中に脱退した。理由は彼とブラックモア以外のメンバーとの間に確執が起こったからで、ブラックモアも彼の脱退をやむ無く了承したと言われている。
ターナーの後任は紆余曲折の挙句、ギランに決まった。ブラックモアは彼の復帰に強く反対したが、他のメンバーが賛成したうえに、結成25周年を控えてマネージメントが第2期のメンバーが揃うことを強く希望したからとされている。
ターナーが在籍中に制作が開始されたアルバムはギランが復帰した時点でほぼ完成していたが、ギランとグローヴァーが歌詞とボーカルのメロディを書き直して新たに録音した。ブラックモアは極めて不満であったが、アルバムは1993年7月に『紫の聖戦』(The Battle Rages On) として発表された。
同年9月下旬から結成25周年記念ツアーが始まった。コンサートでは定番曲や『紫の聖戦』の収録曲のほか、第2期の異色作「誰かの娘」が披露されるという新機軸もあった。しかしギランの復帰にあくまでも反対していたブラックモアは、ツアー途中の11月17日、ヨーロッパ・ツアーの最終日に当たるヘルシンキ公演の後に突然脱退した。日本公演を2週間後に控えてのことだった。
残されたメンバーは日本ツアーをプロモーターを務めるウドー音楽事務所の提案で、ブラックモアの代役としてジョー・サトリアーニを急遽迎えた。参加要請から初日にあたる12月2日の名古屋公演までわずかの時間しかなかったが、サトリアーニはもともと実力者である上にディープ・パープルの大ファンで彼等の楽曲をよく知っていた為、来日から2日ほどのリハーサルで準備完了になった。
日本公演を成功裏に終わらせた彼等は、翌年のヨーロッパ・ツアーにもサトリアーニを帯同させた。彼をブラックモアの後任の正式メンバーとして迎える案もあったが、既にソロ・ミュージシャンのキャリアを積み上げつつあったので、実現しなかった。
ブラックモアの正式な後任として、ソロ活動やディキシー・ドレッグス、カンサスなどで高い評価を得ていたスティーヴ・モーズが、ディープ・パープル以外の活動を認めるという条件で加入。1996年2月には『紫の証』(Purpendicular)を、さらに1998年6月には『アバンダン』(Abandon)を発表。
1999年、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演30周年を記念したコンサートが、当時の会場だったロイヤル・アルバート・ホールで開催され、「グループとオーケストラのための協奏曲」が再演された。ロニー・ジェイムス・ディオも客演して「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を歌った。この模様はDVD化されている。
2002年2月、ロードが健康上の理由で脱退。オリジナル・メンバーはペイス唯一人となった。
ロードの後任に、コロシアムII、レインボーやオジー・オズボーン・バンドなどの活動で有名なドン・エイリーが加入し現在に至る。
2003年、エイリー加入後のアルバム『バナナズ』(Bananas)、2005年には『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』(Rapture of the Deep)を発表。『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』のツアーは2011年まで続き、2009年の来日公演(イングヴェイ・マルムスティーンとのジョイント・ツアー)ではロードがゲストで参加した。来日公演ではこれが最後であった。
2012年、ロードが膵臓癌の闘病中に肺塞栓症との合併症を引き起こし、死去。71歳没。
2013年、19thアルバム『ナウ・ホワット?!』(Now What?!)をリリース。
2014年4月、武道館公演を含む来日公演が実施された。
2016年5月、日本武道館を含む、全国7か所で来日ツアー公演が決定。ギランとグローヴァーには70歳を迎えての来日公演になった。同年、ロックの殿堂入りを果たした。但し現役メンバーのモーズとエイリーは受賞者に含まれず、第1期から第3期までの総勢9名のメンバーのうち第1期のシンパーを除いた8名が受賞した。
2017年、節目の20thアルバム『インフィニット』を発表。
2018年10月、The Long Good-Bye ツアー、来日。千葉(幕張メッセ)、名古屋、大阪、広島、福岡で公演。
2020年2月29日、新曲『Throw My Bones』がオンライン発売。同時に新アルバムが6月に発売されることも発表された。しかし実際にはCOVID-19の影響により発売は延期された。
2020年8月7日、発売が延期されていた新アルバム『Whoosh!』(ウーッシュ!)が発売された。
2022年3月31日、モーズが病を患っている妻に付き添うためツアーから一時離脱し、同年5月から7月まで予定されているヨーロッパ・ツアーにはエイリーの人脈から、サイモン・マクブライドが代役として参加することが発表された。この時点ではモーズは妻の健康状態が良くなり次第ツアーに復帰する意向とされていたが、同年7月23日に、前述の事情により今後もバンドへの参加が難しい状況が続くことを理由に正式に脱退することが、公式SNSを通じて発表された。
2022年9月16日、同年5月のツアーからモーズの代役として参加していたマクブライドが、モーズの後任として正式加入。
時期によってその音楽性は変転しているが、最も印象深く、商業的にも成功している第2期は、いわゆる「ハードロック」であり、また「ヘヴィメタル」の先駆的な存在であると思われる。クリームやジミ・ヘンドリックスなどの先例はあるにせよ、疾走感を伴う曲想と、大きな音量を出すことが可能なアンプ / PAを使用して、観客を圧倒するパフォーマンスを展開するという、言ってみれば「形式としてのハードロック」を構築したのはディープ・パープルであると言われている(音量を参照)。
また、クラシック音楽の導入が特徴とされている。とりわけ国民楽派以降のそれに多大な影響を受けており、和声進行(ハーモニックマイナースケール)を楽式に導入している。ブラックモアは、代表曲「ハイウェイ・スター」と「紫の炎」の間奏部分はバッハのコード進行を引用したものであると語っている。
また、ブラックモアによるギターの速弾き、印象的なリフは非常に有名で、彼は速弾きの元祖とも言われている。特に「ハイウェイ・スター」や「紫の炎」などに見られる速弾きのテクニックは、その後の多くのギタリストに影響を与えた。また「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフは彼らの楽曲の中ではもっとも有名な楽曲となり、TVやCMでそのリフが多用され、ロック・スターを夢見る多くのアマチュア・ミュージシャンに多大の影響を与えている。ストラトキャスター、もしくはそのコピー・モデルを手に入れて、まず「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフを弾くギター・キッズは今も多い。他にも「ブラック・ナイト」のリフが有名。
ギランの金切り声を立てる超高音シャウトは当時のロック界を象徴するものであり、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントとともに多方面に影響を与えた。
第2期のメンバーは、全員がマーシャル製のアンプを使い、PAシステムにも同社のものを使用していた。1972年の初来日公演で、ギランはヴォーカル用マイクロフォン(シュア#565SD)2本をガムテープで束ねて使っていたが、これは出力を高めるためではなく、PA用と録音用にそれぞれ1本ずつ使用したためである。
1972年7月1日、ロンドンのレインボウ・シアターで開かれたコンサートで最大112デシベルを計測し、1973年度版ギネスブックで『世界一の大音響バンド』("The loudest band in the world")として認定された。しばらく記録を保ち続けたが、1976年5月31日にイングランドのロック・バンドのザ・フーがロンドンのチャールトンの屋外スタジアムでのコンサートで最大120デシベルを計測して、彼等の記録は破られた。しかし屋内ステージでの公演における音量としては今だに世界一を保持している。
ロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame)には2012年と2013年の2度ノミネートされ、一般投票で2位と人気を示したが受賞は逃した。既に受賞したキッスのジーン・シモンズ、ラッシュのゲディー・リー、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュ、メタリカのラーズ・ウルリッヒは、ディープ・パープルは顕彰されるべきであるという意見を表明していた。2015年4月、『ローリング・ストーン』誌の「殿堂入りすべきバンド」の読者投票で1位となり、2015年10月に3度目のノミネートを受けた。
2016年4月に殿堂入りした。受賞者は第1期から第3期の総勢9名のメンバーのうち第1期のシンパーを除いた8名。現役メンバーのモーズとエイリーは除外された。授賞式には、故人のロードを除く7名の受賞者のうち、ペイス、ギラン、グローヴァー、カヴァデール、ヒューズの5名が出席。ブラックモアとエヴァンスは欠席した。
ディープ・パープルはメンバーの入れ替えが多く、各メンバーの脱退後の活動やソロ活動も盛んで、パープル・ファミリーは常にロック界をリードしてきた。以下は彼等の活動のごく一部である。 | [
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"text": "ディープ・パープル(英語: Deep Purple)は、イングランドのハードロック・バンド。レッド・ツェッペリンと並ぶハードロック・バンドの代表格の一つに数えられ、後続のバンドや多くのヘビーメタル・バンドに多大な影響を与えた。",
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"text": "1968年結成。1976年に第4期のグループが解散。1984年に第2期のメンバーによって再結成。2023年現在、第10期が活動中である。",
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"text": "アルバムセールスは、全世界で1億枚を突破している。2016年度に「ロックの殿堂」入りを果たした。",
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"text": "ディープ・パープルは長い歴史の中で多くのメンバー・チェンジを繰り返すも、ボーカル/ベース/ギター/キーボード/ドラムという構成を一貫して保ち、大音量のハードロック演奏を繰り広げてきた。初代ギタリストのリッチー・ブラックモアはハード・ロック・ギタリストの筆頭格と認識され、ハードロックやヘビーメタルロックのギタリストに絶大な影響を与え、多くの心酔者と追随者を生んだ。",
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"text": "ディープ・パープルの特徴の一つとして挙げられるのは、レッド・ツェッペリンや多くのハードロック・バンドと異なり、キーボードがギターとほぼ同等の比重を占めることである。初代キーボーディストのジョン・ロードは、ロック・ミュージックのハモンド・オルガン奏者のパイオニアの一人であり、ハモンド・オルガンをハードロックに導入するという大きな功績をあげた。",
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"text": "代表曲には「ハッシュ」「ブラック・ナイト」「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎」「ウーマン・フロム・トーキョー」「スペース・トラッキン」「スピード・キング」「チャイルド・イン・タイム」などがある。",
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"text": "※2023年2月時点",
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"text": "ディープ・パープルの前身となったのは、サーチャーズ (The Searchers)のドラマー兼ボーカリストだったクリス・カーティス (Chris Curtis) が結成を企図したラウンドアバウト(Roundabout)である。",
"title": "歴史"
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"text": "1967年、カーティスは同じアパートに住んでいたキーボーディストのジョン・ロードに声をかけた。彼はまた、トニー・エドワーズ (Tony Edwards) にマネージャーの就任を打診した。エドワーズはファッション関係の仕事に携わるのと同時にエイシア(Ayshea)という女性シンガーのマネージメントも手がけており、その関係でカーティスと知己があった。エドワーズはカーティスの打診を受け入れてマネージャーに就任し、広告関係の仕事に携わっていたジョン・コレッタ (John Coletta) をマネージメントに誘い入れたので、ラウンドアバウトのビジネス面での態勢は早くから整いつつあった。エドワーズとコレッタは6,000ポンドを投資してハモンド・オルガンC3など必要な楽器や機材をメンバーに買い与え、以後もビジネス面で様々な貢献を遂げた。ラウンドアバウトの結成に始まるディープ・パープルの歴史において、2人が果たした役割は非常に大きかったと、今日に至るまで評価されている。",
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"text": "一方、メンバーの人選は難航した。ロードに続いて、1967年12月初め、当時ハンブルクで主にセッション活動をしていたギタリストのリッチー・ブラックモアに加入を要請したものの、他のメンバーはなかなか決まらなかった。エドワーズとコレッタは熱心にメンバー探しに奔走したが、ボビー・‘ウッドマン’・クラーク(Bobby Clarke)がドラマーに選ばれた以外は進展せず、結局カーティス、ロード、ブラックモア、クラークの4人で活動を開始することになった。この陣容の人間関係は非常に不安定だったといわれており、更に発起人のカーティスが失踪したことが重なり、ラウンドアバウトは一旦消滅した。しかし数ヵ月後、マネージャーの2人とロード、ブラックモアが再び集結し、ザ・フラワー・ポット・メンのバック・バンドにロードと共に在籍していたニック・シンパーをベーシストに採用した。さらにボーカリストのオーディションを行ない、メイズ (The Maze) というバンドにいたロッド・エヴァンスを採用した。オーディションに来たエヴァンスには、同じくメイズのメンバーだったイアン・ペイスが同行していた。ブラックモアはハンブルクでペイスのプレイに接して彼の力量を十分に把握していたため、メンバーはクラークに代えて彼を迎え入れた。こうしてラウンドアバウトは1968年2月頃までにロード、ブラックモア、シンパー、エヴァンス、ペイスの5人が揃い、4月20日にデンマークの学校のホールで初のライヴを行なった。",
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"text": "1968年3月、バンドのマネージメントを担当するヘック・エンタープライズ (HEC Enterprises)が設立された。同時にブラックモアの祖母が好んで聴いていた「夢のディープ・パープル」(Deep Purple)の曲名を拝借して、バンド名をディープ・パープルと改めた。後述のデビュー・シングル「ハッシュ」の歌詞の内容や当時のロック界の状況から、ドラッグとの関連で名づけられたという説もあるが、ディープ・パープル側は否定している。レコード会社との契約交渉は難航したが、1968年5月6日にアメリカのテトラグラマトン・レコード (Tetragrammaton Records) という小さなレコード会社と契約した。",
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"text": "ディープ・パープルは1968年5月11日から13日まで、ブラックモアの人脈で迎えたプロデューサーのデレク・ローレンスの下で、デビュー・アルバムを制作。6月には、ジョー・サウス (Joe South) の曲をカバーした「ハッシュ (Hush)」をデビュー・シングルとして発表した。このシングルは9月の『ビルボード』誌でシングル・チャート第4位を記録するヒットとなり、彼等は新人バンドとしては異例と言われるほどの順調なスタートを切った。デビュー・アルバム『ハッシュ』(Shades of Deep Purple)は、7月にアメリカでテトラグラマトン・レコードから、9月にイギリスでパーロフォンから発表。アメリカでは10月24日に最高位24位を記録した。日本ではテトラグラマトン・レコードの原盤が、1969年4月に日本グラモフォンから『紫の世界』の邦題で発売された。",
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"text": "ディープ・パープルの初舞台は、1968年8月にイングランドのサリーで開催された第8回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバルと記録されている。10月、セカンド・アルバムの『詩人タリエシンの世界』(The Book of Taliesyn)がアメリカで発売された。「ハッシュ」のヒットによって必然的にアメリカでの活動が重視され、同月から年末まで初のアメリカ・ツアーが行われた。彼等はツアー初日の10月18日にロサンゼルスのザ・フォーラムで、フェアウェル・ツアーを行っていたクリームの前座を務めたのを皮切りに、数々のライブ活動を行ない、12月20日から31日まではニューヨークのフィルモア・イーストやエレクトリック・サーカスのステージに立った。この間、『詩人タリエシンの世界』から「ケンタッキー・ウーマン」がシングル・カットされて38位まで上昇し、同アルバムも40位まで上昇した。同アルバムは、イギリスではアメリカ・ツアーが終わった後の1969年7月にハーヴェスト・レコードから発表された。日本ではテトラグラマトン・レコードの原盤が、1969年6月に日本グラモフォンから『ディープ・パープルの華麗なる世界』の邦題で発売された。",
"title": "歴史"
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"text": "1969年前半、彼等はイギリス国内でライヴ活動を行ないながら、2月から3月にかけてサード・アルバムを制作した。この頃からバンド内でメンバー間の意見の対立が表面化したと言われている。コメントする者の意思や立場によって、状況の説明が著しく食い違うため、第三者による明確な把握は困難とされているが、その中にあって、同年3月頃に、シンパーとエヴァンスがバンドから「離れる」に至った点、及びシンパーがそれを不服として訴訟を起こしたという点は万人が認める事実となった。また、これと平行してもうひとつの問題が浮上した。サード・アルバム『ディープ・パープル III』(Deep Purple)はアメリカでは1969年6月にテトラグラマトン・レコードから発表されたが、その直後にテトラグラマトン・レコードが倒産し、ディープ・パープルはアメリカでのレコードの発売元を失った。この件もまた訴訟沙汰となっているが、同年暮れにワーナー・ブラザース・レコードと契約を結ぶことが出来た。結果として、この事件が幸いとなり、遥かに大きな規模のレコード会社への移籍が出来たことになる。なおサード・アルバムは、イギリスでは同年11月にハーヴェスト・レコードから発表され、日本では10月にテトラグラマトン・レコードの原盤が日本グラモフォンから『素晴らしきアートロックの世界』の邦題で発売された。",
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"text": "シンパーとエヴァンスは、6月にイギリス各地で行なわれたコンサートを終え、7月4日のカーディフ公演を最後にディープ・パープルを去った。",
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"text": "第1期ディープ・パープルの音楽はヴァニラ・ファッジ、クリーム、ジミ・ヘンドリックスなどに影響されたもので、第2期以後のようなハード・ロックではなかった。曲によってはクラシカルなアレンジが施され、コンサートではクラシックをベースとした20分以上もの即興演奏が展開され、後のプログレッシブ・ロックにつながるクラシカルなロックが演奏された。彼等が残した3作のアルバムは、その独自の世界観を構築していた。この当時のディープ・パープルは、「ハッシュ」というヒット曲を持つコンパクトなロックを演奏するグループという印象で、一般のロック・ファンには人気があったが、ハード・ロック・ファンにとってはもの足りない部分も存在した。",
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"text": "1969年7月、ブラックモアのジ・アウトローズ (The Outlaws) 時代からの旧友であるミック・アンダーウッド (Mick Underwood) の紹介によってエピソード・シックス (Episode Six) のボーカリストであるイアン・ギランが新たにメンバーに加わった。また、オーディションに同行していたエピソード・シックスのベーシストのロジャー・グローヴァーも同時加入が決まった。",
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"text": "第2期ディープ・パープルは、急遽「ハレルヤ」(Hallelujah)をレコーディングして、1969年7月25日に第一弾シングルとして発表した。この時期、英米のロック・シーンはレッド・ツェッペリンの、当時は斬新だったハードロック・サウンドに注目が集まっていた。これに注目したブラックモアは、よりハードなサウンドをバンドに導入することを提案したが、ロードは「せっかく軌道に乗り始めたクラシックとの協調路線を台無しにする必要はどこにもない」と猛反対し、第1期の流れをくんだ幻想的なサウンドをバンドに要求したと伝えられている。最初に進むべき方向を提示したのはロードであり、1969年9月24日、ディープ・パープルはロイヤル・アルバート・ホールで作曲家のマルコム・アーノルドが指揮するロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラと共演して、ロードが作曲した「グループとオーケストラのための協奏曲」を披露。当日録音された音源はライブ・アルバム『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』として、アメリカで同年12月にテトラグラマトン・レコード、イギリスで1970年1月にハーヴェスト・レコードから発表され、翌年の『メロディー・メーカー』誌のアルバム人気投票で9位に選ばれた。ブラックモアは後年、この共演に関して「物珍しいだけのコケおどしで、二度とやりたくない」と語っている。",
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"text": "話し合いでは根本的な解決が困難だと結論したブラックモアは、『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』が完成した後、一度だけハードロックを志向するアルバムを作ってファンの反応をみたいと提案した。ロードはそれを承服し、次回作の主導権をブラックモアに託した。こうして1970年に入って新作アルバムのレコーディングが開始され、本国イギリスで6月20日に『ディープ・パープル・イン・ロック』というタイトルで発売された。このアルバムはイギリスチャート4位に入り、さらにアルバムのプロモーション用に同日発表されたアルバム未収録のシングル曲「ブラック・ナイト」は2位を獲得した。アメリカでは『ディープ・パープル・イン・ロック』と「ブラック・ナイト」はテトラグラマトン・レコードの倒産に伴って同年に彼等が移籍したワーナー・ブラザーズ・レコードより、それぞれアルバムとシングルの第一弾として発売されたが不発に終わった。日本では「ブラック・ナイト」がラジオでヒットし、さらにシングルとして1971年に発売されてスマッシュ・ヒットしている。",
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"text": "この結果、ディープ・パープルはハード・ロック路線を進むことが決定し、楽曲制作はブラックモアが中心となって行うことが自然に決まった。ロードは作曲面では基本的に身を引く形となり、『ジェミニ組曲』(Gemini Suite)や『ウィンドウ組曲』(Windows)などのソロ作品に創作意欲を振り向けた。",
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"text": "1971年9月、ハード・ロック・アルバムの第2弾『ファイアボール』 が発売され、全英で1位を獲得した。しかしブラックモアはこのアルバムに対して、スケジュールの厳しさによって録音期間もなければメンバーの健康状態も悪かったと不満の意を表している。彼等は同アルバムの発表に合わせて9月下旬から約2週間の国内ツアーを行なった後、10月21日に2度目のアメリカ・ツアーを開始した。しかし開始早々にギランが肝炎に罹患してしまったので、10月24日のシカゴ公演は4人で行なわれ、残りの公演は全てキャンセルされた。",
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"text": "彼等は次作を納得のいく環境で制作することを要求し、同年12月、スイスのモントルーにあるジェネバ湖(レマン湖)のほとりにあるホテルでゆっくりと英気を養いながら、対岸にある6角形をしたカジノでモービル・ユニットを使って録音することにした。ところが彼等がカジノを使用する直前の12月4日、フランク・ザッパが率いるザ・マザーズ・オブ・インヴェンションのコンサートで、興奮した観客がラタンで覆われた天井に照明弾を撃ち込んだので火災が発生して、カジノは全焼してしまった。",
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"text": "不幸な事件だったが、ここでひとつの伝説が生まれた。ホテルの窓から湖の上に煙が立ち込める様子を見ていたギランが、隣にいたグローヴァーに向かって不意に「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という語句を発した。グローヴァーはドラッグを連想するからディープ・パープル向きではないと思ったが、やがて彼等の中で次第にこの語句が膨らみ始め、ブラックモアが書いた印象的なリフと融合して「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が誕生した。先にパヴィリオンでベーシック・トラックのレコーディングが完成した同曲も含めて、12月6日から21日までに宿泊していたホテルの廊下で録音された事でも有名な『マシン・ヘッド』が完成、翌年2月にアメリカで、イギリスでは3月に、ヨーロッパ各国や日本でも順次発売されてヒットを記録した。だが、人気が上昇するにつれてレコーディングとツアーは一段と過酷なものになり、メンバーの健康状態も次第に下降線をたどることになる。5月に予定されていた初の日本ツアーは延期され、解散の噂が流れた。その後ようやく全員が健康を回復してツアーが再開されたものの、各自の不安と不満は募る一方だった。",
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"paragraph_id": 23,
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"text": "1972年8月に初来日を果たし、15日と16日に大阪フェスティバルホールで、17日には日本武道館でコンサートが開催された。この日本公演を録音した『ライヴ・イン・ジャパン』は12月に日本限定で発売されたが、その出来の良さが気に入られ、海外でも『メイド・イン・ジャパン』というタイトルでリリースされ、プラチナディスクを獲得している。このアルバムからシングルカットされた「スモーク・オン・ザ・ウォーター」がアメリカで大ヒット(4位)し、ようやくバンドはアメリカでもブレイクした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "一方、『マシン・ヘッド』に続く新作のスタジオ・アルバム『紫の肖像』の制作は難航を極めていた。メンバーの疲労蓄積とスケジュールに対する不満が根底にあるといわれている。それでもペイスによってミキシングが行われ、『ライヴ・イン・ジャパン』とほぼ同時期の1973年初頭にリリースされた。しかし評判はそれほど高くなく、最初にシングル・カットされた「ウーマン・フロム・トーキョー」は、「ハイウェイ・スター」ほどのヒットにはならなかった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "メンバー間の不仲とツアーの連続による肉体的疲労は、もはや修復が不能な段階まで来ていたといわれている。まずグローヴァーがスケジュールの不満から脱退を口にする様になり、これと平行してブラックモアがギランのボーカルに不満を感じる様になっていた。ギランはマネージメントに脱退の決意を表明し、ブラックモアもペイスを誘って脱退することを考える。だが今までの成功を失いたくないペイスとロードに「ギランはまもなく辞めるし、グローヴァーは我々が辞めさせるから」脱退する必要はないと諭されて、バンドに留まることを決意する。",
"title": "歴史"
},
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"paragraph_id": 26,
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"text": "1973年6月29日、2度目の日本公演の最終日の大阪公演が行なわれた。翌30日、ギランとグローヴァーが脱退。第2期は終わった。",
"title": "歴史"
},
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"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "新メンバー探しは1973年の3月頃より始まっていたと伝えられている。まずペイスとロードが熱心に誘ったのが、トラピーズのベーシスト兼ボーカリストだったグレン・ヒューズだった。当初ヒューズはトラピーズを脱退できないという気持ちに加え、ボーカリストとして自信を持っていたため、勧誘の際にもボーカリストとして認めて欲しいと条件を出した。ただし、この時点でブラックモアはヒューズと発声も歌唱方法も異なる元フリーのポール・ロジャースを理想のボーカリストとして考えており、実際にロジャースに加入を要請した。この食い違いによってヒューズとの交渉は難航。さらにロジャースが最終的に要請を断ってバッド・カンパニーを結成して活動を開始したため、ディープ・パープルは一歩間違えれば解散という状態に追い込まれていた。結局、ボーカリストは一般から募集することになり、4000人以上ともいわれる応募者の中から、当時はまったく無名だったデイヴィッド・カヴァデールが選ばれ、第3期がスタートする。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "1974年2月、第3期ディープ・パープル初のアルバム『紫の炎』が発売された。後にブラックモアが「納得して制作できた」とコメントした数少ないアルバムであり、シングル・カットされた「紫の炎」に加え、パープル解散以降もカヴァデールやレインボーのロニー・ジェイムス・ディオらによって唄い継がれていく「ミストゥリーテッド」などが収録され、成功を収めた。また、第2期のハードロック路線に加えて、ヒューズの主張が濃いとされるファンキー・サウンドの「ユー・フール・ノー・ワン」やシンセサイザーを大幅に導入した「A200('A' 200)」など、「新メンバーの力量や新要素が巧みに発揮された傑作」とされている。このアルバムの発売直後の4月、ロスアンゼルスのオンタリオ・モーター・スピードウェイで行われた「カリフォルニア・ジャム」に出演。日没直前に、ヘッドライナーのエマーソン・レイク・アンド・パーマーの一つ前の出演バンドとして登場し、約20万人と伝えられる聴衆の前で演奏を行った。この時の演奏は特に評価が高かった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 29,
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"text": "しかし、この好調さも、1974年の8月に制作が開始された『嵐の使者』の頃には失われていた。カヴァデールやヒューズがソウル・ミュージックやファンキー・ミュージックの要素をより多く持ち込もうとしていたことがきっかけとなり、ハードロックを志向するブラックモアは次第にディープ・パープルでの活動に対して意欲を失っていった。このアルバムが発売された10月、予定されていたアメリカ公演が中止となって空白期間が生じたため、ブラックモアはかねてより計画していたソロ・シングルの制作を開始。以前から気に入っていた「エルフ」と共に「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー/16世紀のグリーンスリーブス」を完成させるが、これがブラックモアにとって期待以上の出来だったため、脱退してエルフのメンバーと「リッチー・ブラックモアズ・レインボー」を結成することを決意した。「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー」はイギリスのバンド、クォーターマスの曲で、ブラックモアはこの曲をディープ・パープルがカバーすることを提案し、カバー曲に反対する他のメンバーとの意見の相違が彼の脱退のきっかけだったとされている。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 30,
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"text": "最初にブラックモアから脱退の決意を打ち明けられた当時のマネージャーであるロブ・クックジーも、その後に打ち明けられたメンバーも、当然ながら慰留に努めたが、彼の決意は変わらず、1975年4月7日のパリ公演を最後に脱退した。彼の脱退は、それ以後の方針が決定しなかったため6月まで公表されなかったが、一部の音楽マスコミは4月8日の段階でスクープとして報じていた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 31,
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"text": "ブラックモアの後任探しは、過日のギランやグロ―ヴァ―の場合以上に難航し、元ハンブル・パイのデイブ「クレム」クレムソン (Clem Clempson) がオーディションを受けたり、セッションは実現しなかったもののジェフ・ベックが候補に挙がるなど混乱を極めていた。結局、カヴァデールの発案で元ジェイムズ・ギャング (James Gang) のギタリストだったトミー・ボーリンが加入し、第4期のメンバーが決定した。ちなみにボーリンは初めてのアメリカ人メンバーであった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 32,
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"text": "1975年10月、アルバム『カム・テイスト・ザ・バンド』が発表されるが、その音楽性の変転はファンに戸惑いを感じさせるのに十分だといわれ、多くの批判の声が挙がった。それでも11月のハワイでのコンサートを皮切りに、東南アジアまでを含めた大規模なツアーが敢行され、どこも盛況であったと伝えられている。ジャカルタでは2日で約10万人の観客が集まり暴動にまで発展、スタッフの1人が殺害されるという痛ましい事件も発生したが、ツアーは続行され、1975年12月、3度目の来日が実現した。客席は超満員だったが、ボーリンが東南アジアで品質の悪いヘロインを注射したために左手がほとんど動かず、ボトルネックギターの演奏に終始するという不本意な結果に終わった。続くアメリカン・ツアーは問題無く終了するも、本国イギリス公演はマスコミやファンに激しく批判され、やがて空中分解状態となった(詳細はカム・テイスト・ザ・バンド#ツアーから解散までを参照)。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 33,
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"text": "まずカヴァデールが「こんな状態では何もできない」と言って1976年5月に辞意をロードに伝え(ただし、この時点では正式には発表されていない)、さらに7月8日にボーリンが脱退。ヒューズもトラピーズの再編を含めた別行動の意思を表していた。7月18日に、ロードとパープル・オフィス間の話し合いで解散を決定。翌19日、どこで嗅ぎ付けたのか、イギリスの新聞デイリー・ミラーが「ディープ・パープル解散」をスクープ。こうして7月24日、事務所より解散が正式に発表された。",
"title": "歴史"
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"text": "解散時に正式なコメントを残していないロードは、後に「ディープ・パープルを名乗るべきではなかった」との旨の発言をしている。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 35,
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"text": "解散後のメンバーはそれぞれ別の道を歩み始めた。カヴァデールは、念願だったソロ・アルバムを2枚発表した後、ホワイトスネイクを結成。ヒューズはヒューズ/スロールで活動を開始。ロードとペイスはペイス・アシュトン・ロードを経て、カヴァデールのホワイトスネイクに合流。そしてボーリンはソロ・アルバムを制作し、自身のバンドを結成してライブ活動も展開するが、同年12月4日、ドラッグの過剰摂取により死去した。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 36,
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"text": "こうしてディープ・パープルは、1984年の再結成まで音楽シーンから姿を消すこととなる。この空白期間中の1980年に、第1期のメンバーだったエヴァンスが無名のミュージシャンを集めてディープ・パープルと名乗りライブ活動を行うという、いわゆる「偽ディープ・パープル事件」が発生した(詳細はロッド・エヴァンス#偽ディープ・パープル騒動を参照)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "約8年間の空白期間を経た1984年、ディープ・パープルは黄金期といわれる第2期のメンバーで再結成した。ブラックモアとグローヴァーはレインボー、ロードはホワイトスネイク、ギランはブラック・サバス、ペイスはゲイリー・ムーア・バンドを去って、第2期が終わった1973年6月30日以来、約11年ぶりに一堂に会した。なお、前年の1983年にも再結成が計画されたが、この時にはメンバーの足並みが揃わず見送られている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 38,
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"text": "この時期、アメリカを中心に世界的なヘヴィメタル・ブームが起こっており、その中でのディープ・パープルの再結成は、元祖の復活とばかりに歓迎された。一方、この再結成によってレインボーは解散を余儀なくされ、全世界規模の活動が軌道に乗り始めたばかりのホワイトスネイクも痛手を負った。ホワイトスネイクを率いていたカヴァデールは、この再結成をかなり辛辣に批判して「金が目当ての再結成」と吐き捨てた。ブラックモアは当時、カヴァデールの発言をジョークを交えて否定していたが、90年代後半以降は肯定している。",
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},
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"text": "1984年11月、再結成第一弾『パーフェクト・ストレンジャーズ』(Perfect Strangers)がリリースされ、第2期ディープ・パープルとレインボーの長所を折衷した傑作と高い評価を受ける。1987年には第二弾『ハウス・オブ・ブルー・ライト』(The House of Blue Light)がリリースされ、活動が数年に渡って順調に続いているかのように見受けられた。しかし水面下ではブラックモアとギランの関係が再び悪化し、ギランは同アルバムの制作前には脱退寸前だった。ブラックモアはアメリカの無名の若手ボーカリストだったジョン・コラビを加入させようとしていたが、ギランは結局残留してアルバムの製作に参加した。しかし彼の脱退未遂が影響して完成が遅れて、発表は延期された。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 40,
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"text": "『ハウス・オブ・ブルー・ライト』の発表に伴ってヨーロッパとアメリカでツアーが行なわれ、1988年には、そのライブ音源を収録したライブ『ノーバディーズ・パーフェクト』(Nobody's Perfect) がリリースされた。しかし、ブラックモアとギランの関係は悪化する一方であった。",
"title": "歴史"
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"text": "1989年5月、ギランはディープ・パープルを解雇された。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 42,
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"text": "ギランの後任として、元レインボーのジョー・リン・ターナーが加入。彼を迎えたアルバム『スレイヴス・アンド・マスターズ』(Slaves and Masters)は、レインボーの再現になるとの大方の予想を覆して、現代的なハードロック・アルバムとして安心して聴ける佳作に仕上がったと評された内容だった。",
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"paragraph_id": 43,
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"text": "しかしターナーは、続く新作アルバムの製作中に脱退した。理由は彼とブラックモア以外のメンバーとの間に確執が起こったからで、ブラックモアも彼の脱退をやむ無く了承したと言われている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 44,
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"text": "ターナーの後任は紆余曲折の挙句、ギランに決まった。ブラックモアは彼の復帰に強く反対したが、他のメンバーが賛成したうえに、結成25周年を控えてマネージメントが第2期のメンバーが揃うことを強く希望したからとされている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 45,
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"text": "ターナーが在籍中に制作が開始されたアルバムはギランが復帰した時点でほぼ完成していたが、ギランとグローヴァーが歌詞とボーカルのメロディを書き直して新たに録音した。ブラックモアは極めて不満であったが、アルバムは1993年7月に『紫の聖戦』(The Battle Rages On) として発表された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 46,
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"text": "同年9月下旬から結成25周年記念ツアーが始まった。コンサートでは定番曲や『紫の聖戦』の収録曲のほか、第2期の異色作「誰かの娘」が披露されるという新機軸もあった。しかしギランの復帰にあくまでも反対していたブラックモアは、ツアー途中の11月17日、ヨーロッパ・ツアーの最終日に当たるヘルシンキ公演の後に突然脱退した。日本公演を2週間後に控えてのことだった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 47,
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"text": "残されたメンバーは日本ツアーをプロモーターを務めるウドー音楽事務所の提案で、ブラックモアの代役としてジョー・サトリアーニを急遽迎えた。参加要請から初日にあたる12月2日の名古屋公演までわずかの時間しかなかったが、サトリアーニはもともと実力者である上にディープ・パープルの大ファンで彼等の楽曲をよく知っていた為、来日から2日ほどのリハーサルで準備完了になった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 48,
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"text": "日本公演を成功裏に終わらせた彼等は、翌年のヨーロッパ・ツアーにもサトリアーニを帯同させた。彼をブラックモアの後任の正式メンバーとして迎える案もあったが、既にソロ・ミュージシャンのキャリアを積み上げつつあったので、実現しなかった。",
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{
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"text": "ブラックモアの正式な後任として、ソロ活動やディキシー・ドレッグス、カンサスなどで高い評価を得ていたスティーヴ・モーズが、ディープ・パープル以外の活動を認めるという条件で加入。1996年2月には『紫の証』(Purpendicular)を、さらに1998年6月には『アバンダン』(Abandon)を発表。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 50,
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"text": "1999年、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演30周年を記念したコンサートが、当時の会場だったロイヤル・アルバート・ホールで開催され、「グループとオーケストラのための協奏曲」が再演された。ロニー・ジェイムス・ディオも客演して「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を歌った。この模様はDVD化されている。",
"title": "歴史"
},
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"text": "2002年2月、ロードが健康上の理由で脱退。オリジナル・メンバーはペイス唯一人となった。",
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},
{
"paragraph_id": 52,
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"text": "ロードの後任に、コロシアムII、レインボーやオジー・オズボーン・バンドなどの活動で有名なドン・エイリーが加入し現在に至る。",
"title": "歴史"
},
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"paragraph_id": 53,
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"text": "2003年、エイリー加入後のアルバム『バナナズ』(Bananas)、2005年には『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』(Rapture of the Deep)を発表。『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』のツアーは2011年まで続き、2009年の来日公演(イングヴェイ・マルムスティーンとのジョイント・ツアー)ではロードがゲストで参加した。来日公演ではこれが最後であった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 54,
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"text": "2012年、ロードが膵臓癌の闘病中に肺塞栓症との合併症を引き起こし、死去。71歳没。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "2013年、19thアルバム『ナウ・ホワット?!』(Now What?!)をリリース。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 56,
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"text": "2014年4月、武道館公演を含む来日公演が実施された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "2016年5月、日本武道館を含む、全国7か所で来日ツアー公演が決定。ギランとグローヴァーには70歳を迎えての来日公演になった。同年、ロックの殿堂入りを果たした。但し現役メンバーのモーズとエイリーは受賞者に含まれず、第1期から第3期までの総勢9名のメンバーのうち第1期のシンパーを除いた8名が受賞した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 58,
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"text": "2017年、節目の20thアルバム『インフィニット』を発表。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "2018年10月、The Long Good-Bye ツアー、来日。千葉(幕張メッセ)、名古屋、大阪、広島、福岡で公演。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "2020年2月29日、新曲『Throw My Bones』がオンライン発売。同時に新アルバムが6月に発売されることも発表された。しかし実際にはCOVID-19の影響により発売は延期された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "2020年8月7日、発売が延期されていた新アルバム『Whoosh!』(ウーッシュ!)が発売された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2022年3月31日、モーズが病を患っている妻に付き添うためツアーから一時離脱し、同年5月から7月まで予定されているヨーロッパ・ツアーにはエイリーの人脈から、サイモン・マクブライドが代役として参加することが発表された。この時点ではモーズは妻の健康状態が良くなり次第ツアーに復帰する意向とされていたが、同年7月23日に、前述の事情により今後もバンドへの参加が難しい状況が続くことを理由に正式に脱退することが、公式SNSを通じて発表された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "2022年9月16日、同年5月のツアーからモーズの代役として参加していたマクブライドが、モーズの後任として正式加入。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 64,
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"text": "",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "時期によってその音楽性は変転しているが、最も印象深く、商業的にも成功している第2期は、いわゆる「ハードロック」であり、また「ヘヴィメタル」の先駆的な存在であると思われる。クリームやジミ・ヘンドリックスなどの先例はあるにせよ、疾走感を伴う曲想と、大きな音量を出すことが可能なアンプ / PAを使用して、観客を圧倒するパフォーマンスを展開するという、言ってみれば「形式としてのハードロック」を構築したのはディープ・パープルであると言われている(音量を参照)。",
"title": "音楽性と影響"
},
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"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "また、クラシック音楽の導入が特徴とされている。とりわけ国民楽派以降のそれに多大な影響を受けており、和声進行(ハーモニックマイナースケール)を楽式に導入している。ブラックモアは、代表曲「ハイウェイ・スター」と「紫の炎」の間奏部分はバッハのコード進行を引用したものであると語っている。",
"title": "音楽性と影響"
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"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "また、ブラックモアによるギターの速弾き、印象的なリフは非常に有名で、彼は速弾きの元祖とも言われている。特に「ハイウェイ・スター」や「紫の炎」などに見られる速弾きのテクニックは、その後の多くのギタリストに影響を与えた。また「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフは彼らの楽曲の中ではもっとも有名な楽曲となり、TVやCMでそのリフが多用され、ロック・スターを夢見る多くのアマチュア・ミュージシャンに多大の影響を与えている。ストラトキャスター、もしくはそのコピー・モデルを手に入れて、まず「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフを弾くギター・キッズは今も多い。他にも「ブラック・ナイト」のリフが有名。",
"title": "音楽性と影響"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "ギランの金切り声を立てる超高音シャウトは当時のロック界を象徴するものであり、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントとともに多方面に影響を与えた。",
"title": "音楽性と影響"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "第2期のメンバーは、全員がマーシャル製のアンプを使い、PAシステムにも同社のものを使用していた。1972年の初来日公演で、ギランはヴォーカル用マイクロフォン(シュア#565SD)2本をガムテープで束ねて使っていたが、これは出力を高めるためではなく、PA用と録音用にそれぞれ1本ずつ使用したためである。",
"title": "音楽性と影響"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "1972年7月1日、ロンドンのレインボウ・シアターで開かれたコンサートで最大112デシベルを計測し、1973年度版ギネスブックで『世界一の大音響バンド』(\"The loudest band in the world\")として認定された。しばらく記録を保ち続けたが、1976年5月31日にイングランドのロック・バンドのザ・フーがロンドンのチャールトンの屋外スタジアムでのコンサートで最大120デシベルを計測して、彼等の記録は破られた。しかし屋内ステージでの公演における音量としては今だに世界一を保持している。",
"title": "音楽性と影響"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "ロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame)には2012年と2013年の2度ノミネートされ、一般投票で2位と人気を示したが受賞は逃した。既に受賞したキッスのジーン・シモンズ、ラッシュのゲディー・リー、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュ、メタリカのラーズ・ウルリッヒは、ディープ・パープルは顕彰されるべきであるという意見を表明していた。2015年4月、『ローリング・ストーン』誌の「殿堂入りすべきバンド」の読者投票で1位となり、2015年10月に3度目のノミネートを受けた。",
"title": "音楽性と影響"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "2016年4月に殿堂入りした。受賞者は第1期から第3期の総勢9名のメンバーのうち第1期のシンパーを除いた8名。現役メンバーのモーズとエイリーは除外された。授賞式には、故人のロードを除く7名の受賞者のうち、ペイス、ギラン、グローヴァー、カヴァデール、ヒューズの5名が出席。ブラックモアとエヴァンスは欠席した。",
"title": "音楽性と影響"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "ディープ・パープルはメンバーの入れ替えが多く、各メンバーの脱退後の活動やソロ活動も盛んで、パープル・ファミリーは常にロック界をリードしてきた。以下は彼等の活動のごく一部である。",
"title": "パープル・ファミリー"
}
] | ディープ・パープルは、イングランドのハードロック・バンド。レッド・ツェッペリンと並ぶハードロック・バンドの代表格の一つに数えられ、後続のバンドや多くのヘビーメタル・バンドに多大な影響を与えた。 1968年結成。1976年に第4期のグループが解散。1984年に第2期のメンバーによって再結成。2023年現在、第10期が活動中である。 アルバムセールスは、全世界で1億枚を突破している。2016年度に「ロックの殿堂」入りを果たした。 | {{Otheruses|ロック・バンド|原題が「Deep Purple」である楽曲|夢のディープ・パープル}}
{{Infobox Musician
| 名前 = ディープ・パープル
| 画像 = [[File:Deep-Purple-logo.svg|180px]]
[[File:2022 Lieder am See - Deep Purple - by 2eight - 7DS2745.jpg|280px]]
| 画像説明 = ドイツ シュパルト公演(2022年)
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| 画像補正 = yes
| 背景色 = band
| 出身地 = {{ENG}} [[ハートフォード (ハートフォードシャー)|ハートフォード]]
| ジャンル = {{Hlist-comma|[[アリーナ・ロック]]<ref>{{AllMusic |title= Deep Purple - Artist Details |class= artist |id= deep-purple-mn0000192382 |accessdate= 2023-04-03 }}</ref>|[[ハードロック]]<ref name="Allmusic">{{AllMusic |first=Jason |last=Ankeny |title=Deep Purple Biography, Songs, & Albums |class=artist |id=deep-purple-mn0000192382/biography |accessdate=2020-11-14 }}</ref><ref name="Wasler 1993 p 10">{{cite book |last= Wasler |first= Robert |year= 1993 |title= Running with the Devil: power, gender, and madness in heavy metal music |location= Middletown, Connecticut |publisher= [[:en:Wesleyan University Press|Wesleyan University Press]] |page= 10 |isbn= 978-0-819-56260-9 }}</ref>|[[ヘヴィメタル]]<ref name="Allmusic" /><ref name="Wasler 1993 p 10" />|[[サイケデリック・ミュージック#サイケデリック・ポップ|サイケデリック・ポップ]](初期)<ref name="Allmusic" />}}
| 活動期間 = {{Plainlist|
* [[1968年]] - [[1976年]]
* [[1984年]] - <!-- 「現在」や「活動中」の記載は不要 -->
}}
| レーベル = {{Hlist-comma|[[ハーヴェスト・レコード|ハーヴェスト]]|[[:en:Purple Records|パープル]]|[[:en:Tetragrammaton Records|テトラグラマトン]]|[[ワーナー・ブラザース・レコード|ワーナー・ブラザース]]|[[ポリドール・レコード|ポリドール]]|[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)|ソニーBMG]]}}
| 共同作業者 =
| 公式サイト = [https://deep-purple.com/ ディープ・パープル公式サイト]
| メンバー = {{Plainlist|
* [[イアン・ペイス]]([[ドラムセット|ドラムス]])
* [[ロジャー・グローヴァー]]([[エレクトリックベース|ベース]])
* [[イアン・ギラン]]([[ボーカル]])
* [[ドン・エイリー]]([[キーボード (楽器)|キーボード]])
* サイモン・マクブライド([[エレクトリック・ギター|ギター]])
}}
| 旧メンバー = {{Plainlist|
* [[リッチー・ブラックモア]](ギター)
* [[ジョン・ロード]](キーボード)
* [[ロッド・エヴァンス]](ボーカル)
* [[ニック・シンパー]](ベース)
* [[デイヴィッド・カヴァデール]](ボーカル)
* [[グレン・ヒューズ]](ベース・ボーカル)
* [[トミー・ボーリン]](ギター・ボーカル)
* [[ジョー・リン・ターナー]](ボーカル)
* [[スティーヴ・モーズ]](ギター)
}}
}}
'''ディープ・パープル'''({{Lang-en|''Deep Purple''}})は、[[イングランド]]の[[ハードロック]]・バンド。[[レッド・ツェッペリン]]と並ぶハードロック・バンドの代表格の一つに数えられ、後続のバンドや多くの[[ヘヴィメタル|ヘビーメタル]]・バンドに多大な影響を与えた。
[[1968年]]結成。[[1976年]]に第4期のグループが解散<ref>http://www.glennhughes.com/dp76_ukprogramme.html</ref>。[[1984年]]に第2期のメンバーによって再結成。2023年現在、第10期が活動中である。
アルバムセールスは、全世界で1億枚を突破している。[[2016年]]度に「[[ロックの殿堂]]」入りを果たした。
== 概要 ==
ディープ・パープルは長い歴史の中で多くのメンバー・チェンジを繰り返すも、ボーカル/ベース/ギター/キーボード/[[ドラムセット|ドラム]]という構成を一貫して保ち、大音量の[[ハードロック]]演奏を繰り広げてきた。初代ギタリストの[[リッチー・ブラックモア]]はハード・ロック・ギタリストの筆頭格と認識され、ハードロックやヘビーメタルロックのギタリストに絶大な影響を与え、多くの心酔者と追随者を生んだ。
ディープ・パープルの特徴の一つとして挙げられるのは、レッド・ツェッペリンや多くのハードロック・バンドと異なり、キーボードがギターとほぼ同等の比重を占めることである。初代キーボーディストの[[ジョン・ロード]]は、ロック・ミュージックの[[ハモンドオルガン|ハモンド・オルガン]]奏者のパイオニアの一人であり、ハモンド・オルガンをハードロックに導入するという大きな功績をあげた。
代表曲には「[[ハッシュ (アルバム)|ハッシュ]]」「[[ブラック・ナイト]]」「[[ハイウェイ・スター (曲)|ハイウェイ・スター]]」「[[スモーク・オン・ザ・ウォーター]]」「[[紫の炎 (曲)|紫の炎]]」「[[ウーマン・フロム・トーキョー]]」「[[スペース・トラッキン]]」「[[スピード・キング (ディープ・パープルの曲)|スピード・キング]]」「[[チャイルド・イン・タイム]]」<ref>http://www.allmusic.com/song/child-in-time-mt0011416285</ref>などがある。
== 現メンバー ==
※2023年2月時点
* [[イアン・ペイス]] (Ian Paice) - [[ドラムセット|ドラムス]] (1968年– )
* [[ロジャー・グローヴァー]] (Roger Glover) - [[エレクトリックベース|ベース]] (1969年–1973年、1984年– )
* [[イアン・ギラン]] (Ian Gillan) - [[ボーカル]] (1969年–1973年、1984年–1989年、1992年– )
* [[ドン・エイリー]] (Don Airey) - [[キーボード (楽器)|キーボード]] (2002年– )
* サイモン・マクブライド (Simon McBride) - [[エレクトリック・ギター|ギター]] (2022年– )
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2022 Lieder am See - Deep Purple - Ian Paice - by 2eight - 9SC7066.jpg|イアン・ペイス(Ds) 2022年
2022 Lieder am See - Deep Purple - Roger Glover - by 2eight - 9SC6667.jpg|ロジャー・グローヴァー(B) 2022年
2022 Lieder am See - Deep Purple - Ian Gillan - by 2eight - 9SC6611.jpg|イアン・ギラン(Vo) 2022年
2022 Lieder am See - Deep Purple - Don Airey - by 2eight - 9SC7106.jpg|ドン・エイリー(Key) 2022年
2022 Lieder am See - Deep Purple - Simon McBride - by 2eight - 9SC6827.jpg|サイモン・マクブライド(G) 2022年
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== 歴史 ==
=== ラウンドアバウトの結成 ===
ディープ・パープルの前身となったのは、サーチャーズ ([[:en:The Searchers (band)|The Searchers]])のドラマー兼ボーカリストだった'''クリス・カーティス''' ([[:en:Chris Curtis|Chris Curtis]]) が結成を企図した'''ラウンドアバウト'''(Roundabout)である。
1967年、カーティスは同じ[[アパート]]に住んでいた<ref name="DPM">シンコー・ミュージック刊 『ディープ・パープル,ブリティッシュ・ロックの王者:紫神』吉田弘和編(1976年)より。</ref>キーボーディストの'''[[ジョン・ロード]]'''に声をかけた{{Sfb|Popoff|2016|p=30}}。彼はまた、'''トニー・エドワーズ''' (Tony Edwards) にマネージャーの就任を打診した。エドワーズはファッション関係の仕事に携わるのと同時にエイシア([[:en:Ayshea|Ayshea]])という女性シンガーのマネージメントも手がけており、その関係でカーティスと知己があった。エドワーズはカーティスの打診を受け入れてマネージャーに就任し、広告関係の仕事に携わっていた'''ジョン・コレッタ''' ([[:en:John_Coletta|John Coletta]]) をマネージメントに誘い入れたので、ラウンドアバウトのビジネス面での態勢は早くから整いつつあった。エドワーズとコレッタは6,000[[ポンド (通貨)|ポンド]]を投資してハモンド・オルガンC3など必要な楽器や機材をメンバーに買い与え{{Sfb|Popoff|2016|p=32}}、以後もビジネス面で様々な貢献を遂げた。ラウンドアバウトの結成に始まるディープ・パープルの歴史において、2人が果たした役割は非常に大きかったと、今日に至るまで評価されている<ref name="DPR">シンコー・ミュージック刊『リッチー・ブラックモア―狂気の雷舞』三木千寿著(1977年)より。</ref>。
一方、メンバーの人選は難航した。ロードに続いて、1967年12月初め、当時ハンブルクで主にセッション活動をしていたギタリストの'''[[リッチー・ブラックモア]]'''に加入を要請した{{Sfb|Popoff|2016|p=31}}ものの、他のメンバーはなかなか決まらなかった。エドワーズとコレッタは熱心にメンバー探しに奔走したが、ボビー・‘ウッドマン’・クラーク([[:en:Bobbie_Clarke|Bobby Clarke]])がドラマーに選ばれた以外は進展せず、結局カーティス、ロード、ブラックモア、クラークの4人で活動を開始することになった。この陣容の人間関係は非常に不安定だったといわれており、更に発起人のカーティスが失踪したことが重なり、ラウンドアバウトは一旦消滅した{{Sfb|Popoff|2016|p=33}}。しかし数ヵ月後、マネージャーの2人とロード、ブラックモアが再び集結し、[[:en:The_Flower_Pot_Men|ザ・フラワー・ポット・メン]]のバック・バンドにロードと共に在籍していた'''[[ニック・シンパー]]'''をベーシストに採用した。さらにボーカリストのオーディションを行ない、メイズ (The Maze) というバンドにいた'''[[ロッド・エヴァンス]]'''を採用した。オーディションに来たエヴァンスには、同じくメイズのメンバーだった'''[[イアン・ペイス]]'''が同行していた。ブラックモアはハンブルクでペイスのプレイに接して彼の力量を十分に把握していたため<ref name="DPR" />、メンバーはクラークに代えて<ref group="注">クラークはエドワーズとコレッタの援助を受けで、[[スティーヴ・ハウ (ギタリスト)|スティーヴ・ハウ]]と[[:en:Bodast|ボーダスト]]を結成した。</ref>彼を迎え入れた。こうしてラウンドアバウトは1968年2月頃までにロード、ブラックモア、シンパー、エヴァンス、ペイスの5人が揃い、4月20日にデンマークの学校のホールで初のライヴを行なった{{Sfb|Popoff|2016|p=36}}。
=== 第1期 1968年 - 1969年 ===
[[File:Deep Purple (1968).jpg|thumb|220px|オリジナル・ラインナップ (1968年)]]
* [[ジョン・ロード]] (Jon Lord) - キーボード
* [[リッチー・ブラックモア]] (Ritchie Blackmore) - ギター
* [[イアン・ペイス]] (Ian Paice) - ドラム
* [[ニック・シンパー]] (Nick Simper) - ベース
* [[ロッド・エヴァンス]] (Rod Evans) - ボーカル
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Jon Lord on keyboards for Deep Purple, c 1973.jpg|ジョン・ロード(Key)
Ritchie_Blackmore_1971.jpg|リッチー・ブラックモア(G)
Deep Purple, Ian Paice 1970.jpg|イアン・ペイス(Ds)
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[[1968年]]3月、バンドのマネージメントを担当するヘック・エンタープライズ (HEC Enterprises)が設立された。同時にブラックモアの祖母が好んで聴いていた「[[夢のディープ・パープル]]」(Deep Purple)<ref group="注">この曲はピーター・デローズ([[:en:Peter_DeRose|Peter DeRose]])というピアニストが1933年に作曲したピアノ曲で、[[ミッチェル・パリッシュ]]が詞をつけたものを1939年にラリー・クリントンとオーケストラ([[:en:Larry Clinton|Larry Clinton]] and His Orchestra)がヒットさせた。1963年には[[:en:Nino_Tempo_&_April_Stevens|ニノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ]]が取り上げて全米1位を記録した。</ref>の曲名を拝借して<ref name=":1">{{Cite web |url=https://www.discogs.com/release/8569589-Deep-Purple-Heavy-Metal-Pioneers |title=Discogs |access-date=2023年5月19日}}</ref>、バンド名を'''ディープ・パープル'''と改めた。後述のデビュー・シングル「ハッシュ」の歌詞の内容や当時のロック界の状況から、[[麻薬|ドラッグ]]との関連で名づけられたという説もあるが、ディープ・パープル側は否定している<ref name=":1" />。レコード会社との契約交渉は難航したが、1968年5月6日にアメリカの'''テトラグラマトン・レコード''' ([[:en:Tetragrammaton Records|Tetragrammaton Records]]) という小さなレコード会社と契約した。
ディープ・パープルは1968年5月11日から13日まで、ブラックモアの人脈で迎えたプロデューサーの[[:en:Derek_Lawrence|デレク・ローレンス]]の下で、デビュー・アルバムを制作{{Sfb|Popoff|2016|pp=37-38}}。6月には、'''[[ジョー・サウス]]''' ([[:en:Joe South|Joe South]]) の曲をカバーした「'''ハッシュ''' ([[:en:Hush (Billy Joe Royal song)|Hush]])」をデビュー・シングルとして発表した{{Sfb|Popoff|2016|p=41}}。このシングルは9月の『[[ビルボード]]』誌でシングル・チャート第4位を記録するヒットとなり、彼等は新人バンドとしては異例と言われるほどの順調なスタートを切った<ref group="注">ただし、本国イギリスではアルバム/シングルとも時期遅れの9月に[[パーロフォン]]・レーベルより発売され、まったくヒットしなかった。</ref>。デビュー・アルバム『'''[[ハッシュ (アルバム)|ハッシュ]]'''』(Shades of Deep Purple)は、7月にアメリカでテトラグラマトン・レコードから{{Sfb|Popoff|2016|pp=41-42}}、9月にイギリスで{{Sfb|Popoff|2016|pp=42, 44}}[[パーロフォン]]から発表。アメリカでは10月24日に最高位24位を記録した{{Sfb|Popoff|2016|p=45}}。日本ではテトラグラマトン・レコードの原盤が、1969年4月に[[日本グラモフォン]]から『'''紫の世界'''』の邦題で発売された<ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/release/27845856-Deep-Purple-Shades-of-Deep-Purple |title=Discogs |access-date=2023年12月2日}}</ref>。
ディープ・パープルの初舞台は、1968年8月に[[イングランド]]の[[サリー (イングランド)|サリー]]で開催された第8回[[:en:National_Jazz_and_Blues_Festival|ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバル]]<ref>{{Cite web |url=https://www.ukrockfestivals.com/sunburymenu.html |title=ukrockfestivals.com |access-date=2023年12月2日}}</ref>と記録されている<ref name="DPR" />。10月、セカンド・アルバムの『'''[[詩人タリエシンの世界]]'''』(The Book of Taliesyn)がアメリカで発売された。「ハッシュ」のヒットによって必然的にアメリカでの活動が重視され、同月から年末まで初のアメリカ・ツアーが行われた。彼等はツアー初日の10月18日に[[ロサンゼルス]]の[[ザ・フォーラム (アリーナ)|ザ・フォーラム]]で、フェアウェル・ツアーを行っていた[[クリーム (バンド)|クリーム]]の前座を務めた{{Sfb|Popoff|2016|pp=44-45}}のを皮切りに、数々のライブ活動を行ない、12月20日から31日までは[[ニューヨーク]]の[[フィルモア・イースト]]や[[:en:Electric_Circus_(nightclub)|エレクトリック・サーカス]]のステージに立った{{Sfb|Popoff|2016|p=46}}。この間、『詩人タリエシンの世界』から「[[:en:Kentucky Woman|ケンタッキー・ウーマン]]」<ref group="注">原曲は[[ニール・ダイアモンド]]作。</ref>がシングル・カットされて38位まで上昇し、同アルバムも40位まで上昇した。同アルバムは、イギリスではアメリカ・ツアーが終わった後の1969年7月に[[ハーヴェスト・レコード]]から発表された{{Sfb|Popoff|2016|p=45}}。日本ではテトラグラマトン・レコードの原盤が、1969年6月に日本グラモフォンから『'''ディープ・パープルの華麗なる世界'''』の邦題で発売された<ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/release/9406016-Deep-Purple-The-Book-Of-Taliesyn |title=Discogs |access-date=2023年12月2日}}</ref>。
1969年前半、彼等はイギリス国内でライヴ活動を行ないながら、2月から3月にかけてサード・アルバムを制作した{{Sfb|Popoff|2016|pp=50, 51, 53}}。この頃からバンド内でメンバー間の意見の対立が表面化したと言われている<ref name="DPR" />。コメントする者の意思や立場によって、状況の説明が著しく食い違うため、第三者による明確な把握は困難とされているが、その中にあって、{{要出典範囲|同年3月頃に、シンパーとエヴァンスがバンドから「離れる」に至った点、及びシンパーがそれを不服として訴訟を起こしたという点は万人が認める事実となった|date=2023年12月}}<ref group="注">[[:en:Martin_Popoff|Popoff]]著の"The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979)"によると、第1期ディープ・パープルは1969年4月1日から5月29日まで2度目のアメリカ・ツアー、引き続いて6月にイギリス・ツアーを行なった。ロード、ブラックモア、ペイスはこれらのツアーの途中で、エヴァンスとシンパーを辞めさせることを決めたという。第1期最後のコンサートは7月4日に[[ウェールズ]]の[[カーディフ]]で行なわれた。</ref>{{Sfb|Popoff|2016|pp=53, 56}}。また、これと並行してもうひとつの問題が浮上した。サード・アルバム『'''[[ディープ・パープル III]]'''』(Deep Purple)はアメリカでは1969年6月にテトラグラマトン・レコードから発表された{{Sfb|Popoff|2016|pp=54, 56}}が、{{要出典範囲|その直後にテトラグラマトン・レコードが倒産し、ディープ・パープルはアメリカでのレコードの発売元を失った。この件もまた訴訟沙汰となっているが、同年暮れに[[ワーナー・レコード|ワーナー・ブラザース・レコード]]と契約を結ぶことが出来た|date=2023年12月}}<ref group="注">後述するように、第2期の初シングル「ハレルヤ」(1969年7月)も初アルバム『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』(1969年12月)も、アメリカではテトラグラマトン・レコードから発表された。テトラグラマトン・レコードは1970年に倒産し、ディープ・パープルはワーナー・ブラザーズ・レコードと契約を結んで、1970年7月にワーナーからの第一弾になるシングル「ブラック・ナイト」とアルバム『ディープ・パープル・イン・ロック』を発表した。</ref><ref group="注">1970年にテトラグラマトン・レコードが倒産したことによって、"Shades of Deep Purple"、"The Book of Taliesyn"、"Deep Purple"はアメリカで廃盤になった。ワーナー・ブラザーズ・レコードは1972年に、これらのアルバムの収録曲を編集した2枚組アルバム『[[:en:Purple_Passages|紫の軌跡]]』を発表した。</ref>。結果として、この事件が幸いとなり、遥かに大きな規模のレコード会社への移籍が出来たことになる<ref name="DPM" />。なおサード・アルバムはイギリスでは同年11月に[[ハーヴェスト・レコード]]から発表され、日本では10月にテトラグラマトン・レコードの原盤が[[日本グラモフォン]]から『'''素晴らしきアートロックの世界'''』の邦題で発売された<ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/release/8236340-Deep-Purple-Deep-Purple |title=Discogs |access-date=2023年12月2日}}</ref>。
シンパーとエヴァンスは、6月にイギリス各地で行なわれたコンサート{{Sfb|Popoff|2016|p=53}}を終え、7月4日の[[カーディフ]]公演を最後に{{Sfb|Popoff|2016|pp=56}}ディープ・パープルを去った。
第1期ディープ・パープルの音楽は[[ヴァニラ・ファッジ]]、クリーム、[[ジミ・ヘンドリックス]]などの[[サイケデリック・ロック]]の影響が伺われたもので、第2期以後のハード・ロックとは大きく異なっていた。曲によってはクラシカルなアレンジが施され<ref group="注">「[[詩人タリエシンの世界|聖なる歌]]」と「[[ディープ・パープル III|4月の協奏曲]]」では室内楽団が起用された。</ref>、コンサートでは{{独自研究範囲|クラシックをベースとした|date=2023年12月}}20分以上もの[[即興演奏]]が展開され、{{独自研究範囲|後の[[プログレッシブ・ロック]]につながるクラシカルなロック|date=2023年12月}}が演奏された。彼等が残した3作のアルバムは、{{独自研究範囲|その独自の世界観を構築していた|date=2023年12月}}。この当時のディープ・パープルは、「ハッシュ」というヒット曲を持つ{{独自研究範囲|コンパクトなロックを演奏するグループ|date=2023年12月}}という印象で、一般のロック・ファンには人気があったが、ハード・ロックのファンからはもの足りないという評価も受けた<ref name="DPM" /><ref group="注">1970年のテトラグラマトン・レコードの倒産によって、これらのアルバムの日本盤である『紫の世界』『ディープ・パープルの華麗なる世界』『素晴らしきアートロックの世界』も同様に廃盤になったが、ワーナー・パイオニアは1973年に、これらを『ハッシュ』『詩人タリエシンの世界』『ディープ・パープルIII』として再発した。発表時と違って再発時の日本ではディープ・パープルはハード・ロック・バンドとして絶大な人気を誇っていたので、これらのアルバムにもハード・ロックを期待する風潮が少なからず存在した。</ref>。
=== 第2期 1969年 - 1973年 ===
[[File:Deeppurple poster pelo 1972.jpg|thumb|right|250px|第2期ラインナップ (1969年)]]
* ジョン・ロード
* リッチー・ブラックモア
* イアン・ペイス
* [[ロジャー・グローヴァー]] (Roger Glover) - ベース
* [[イアン・ギラン]] (Ian Gillan) - ボーカル
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Ian Gillan (1972).jpg|イアン・ギラン(Vo)
Roger Glover 1971.jpg|ロジャー・グローヴァー(B)
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[[1969年]]7月、ブラックモアのジ・アウトローズ ([[:en:The Outlaws (UK band)|The Outlaws]]) 時代からの旧友であるミック・アンダーウッド ([[:en:Mick Underwood|Mick Underwood]]) の紹介によって[[エピソード・シックス]] ([[:en:Episode Six|Episode Six]]) の[[歌手|ボーカリスト]]である'''イアン・ギラン'''が新たにメンバーに加わった。また、オーディションに同行していたエピソード・シックスのベーシストの'''ロジャー・グローヴァー'''も同時加入が決まった<ref group="注">ギランとグローヴァ―は、自分達がディープ・パープルに加入することが公けにされた後の1969年7月26日から、エピソード・シックスでの最後のステージを4回に渡って務めた。なおエピソード・シックスは、1974年頃まで活動を続けた。</ref>{{Sfb|Popoff|2016|pp=60-61}}。
第2期ディープ・パープル{{Sfb|Popoff|2016|pp=56}}<ref group="注">初舞台は1969年7月10日のロンドンのスピークイージー・クラブ。同年7月4日の[[ウェールズ]]の[[カーディフ]]で行なわれた第1期最後のコンサートから、一週間足らずしか経っていなかった。</ref>は、急遽「ハレルヤ」([[:en:Hallelujah_(Deep_Purple_song)|Hallelujah]])<ref group="注">[[:en:Roger_Greenaway|Roger Greenaway]]と[[:en:Roger_Cook_(songwriter)|Roger Cook]]の共作。第1期のアルバムのプロデューサーだったデレク・ローレンスのThe Derek Lawrence Statementの名義で、'I Am The Preacher'の曲名でシングル発表された。</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/release/5991590-The-Derek-Lawrence-Statement-I-Am-The-Preacher |title=Discogs |access-date=2023年12月2日}}</ref>をレコーディングして、1969年7月25日に第一弾シングルとして発表した<ref group="注">イギリスではハーヴェスト・レコード、アメリカではテトラグラマトン・レーベルから発表された。</ref>{{Sfb|Popoff|2016|p=60}}<ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/master/10824-Deep-Purple-Hallelujah |title=Discogs |access-date=2023年12月2日}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/release/2851540-Deep-Purple-Hallelujah-I-Am-The-Preacher |title=Discogs |access-date=2023年12月2日}}</ref>。この時期、英米のロック・シーンは[[レッド・ツェッペリン]]の、当時は斬新だったハードロック・サウンドに注目が集まっていた。これに注目したブラックモアは、よりハードなサウンドをバンドに導入することを提案したが、ロードは「せっかく軌道に乗り始めたクラシックとの協調路線を台無しにする必要はどこにもない」と猛反対し、第1期の流れをくんだ幻想的なサウンドをバンドに要求したと伝えられている<ref name="DPR" /><ref group="注">ロードは1991年に発売されたドキュメンタリー・ビデオ『ヘヴィ・メタル・パイオニアズ』(Heavy Metal Pioneers)で、「[[ジミ・ヘンドリックス]]に影響を受けたブラックモアの希望を受け入れてハード・ロックの路線に進む事に決め、その為にエヴァンスとシンパーを誰かに替えるべきだと判断した」という主旨の回想をしている。</ref>。最初に進むべき方向を提示したのはロードであり、1969年9月24日、ディープ・パープルは[[ロイヤル・アルバート・ホール]]で作曲家の[[マルコム・アーノルド]]が指揮する[[ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団|ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ]]と共演して、ロードが作曲した「グループとオーケストラのための協奏曲」<ref name=":0">{{Cite web |url=http://www.musicweb-international.com/arnold/lord.htm |title=musicweb-international.com |access-date=2023年5月19日}}</ref><ref group="注">マネージャーのトニー・エドワーズがロードにロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演コンサートの企画を教えたのは、第1期末期の1969年4月であった。この時エドワーズは既にロイヤル・アルバート・ホールを同年9月24日に予約していたので、ロードは僅か半年足らずの間に作曲を終えなければならなかった。彼は第1期の「[[詩人タリエシンの世界|聖なる歌]]」と「[[ディープ・パープル III|4月の協奏曲]]」で室内楽曲を作曲したが、オーケストラ曲を作曲するのは初めてだった。しかし彼はディープ・パープルの新メンバーの人選やコンサートの合間を縫って作曲に取り組み、最終段階でマルコム・アーノルドの協力も得て、コンサートに間に合わせて協奏曲を書き上げた。、</ref>を披露。当日録音された音源はライブ・アルバム『'''[[ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ|ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ]]'''』として、アメリカで同年12月にテトラグラマトン・レコード<ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/release/4434603-Deep-PurpleRoyal-Philharmonic-Orchestra-Conducted-By-Malcolm-Arnold-Concerto-For-Group-And-Orchestra |title=Discogs |access-date=2023年12月2日}}</ref>、イギリスで1970年1月にハーヴェスト・レコードから発表され、翌年の『[[:en:Melody Maker|メロディー・メーカー]]』誌のアルバム人気投票で9位に選ばれた。ブラックモアは後年、この共演に関して「物珍しいだけのコケおどしで、二度とやりたくない」と語っている{{要出典|date=2021年5月}}<ref group="注">『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』はアメリカではテトラグラマトン・レコードの倒産に伴なって、1970年8月にワーナー・ブラザーズ・レコードから再発された。ディープ・パープルは、同年6月に次作『[[ディープ・パープル・イン・ロック]]』を発表して8月15日からアメリカ・ツアーを行なっていたが、この再発に合わせて、同月25日に[[ハリウッド・ボウル]]で[[ローレンス・フォスター]]が指揮する[[ロサンジェルス・フィルハーモニック]]と共演して、「グループとオーケストラのための協奏曲」を再演した。</ref>。
話し合いでは根本的な解決が困難だと結論したブラックモアは、『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』が完成した後、一度だけハードロックを志向するアルバムを作ってファンの反応をみたいと提案した。ロードはそれを承服し、次回作の主導権をブラックモアに託した<ref name="DPR" />。こうして1970年に入って新作アルバムのレコーディングが開始され<ref group="注">新作に収録された「[[チャイルド・イン・タイム]]」は、既に前年9月24日のロイヤル・アルバート・ホールのコンサートで、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラと共演に先立った彼等だけの部で演奏されていた。この演奏は後年、『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』のCDの追加版に収録された。また同時期のコンサートでは、新作に収録された「スピード・キング」の前駆体の'Kneel & Pray'も演奏されていた。同年10月4日にスイスのモントルーで開かれたコンサートの音源が''Live in Montreux 69''(2006年)に収録されている。</ref>、本国イギリスで6月20日に『'''[[ディープ・パープル・イン・ロック]]'''』というタイトルで発売された。このアルバムはイギリスチャート4位に入り、さらにアルバムのプロモーション用に同日発表された{{Sfb|Popoff|2016|p=72}}アルバム未収録のシングル曲「'''[[ブラック・ナイト]]'''」は2位を獲得した。アメリカでは'''『'''ディープ・パープル・イン・ロック'''』'''と「ブラック・ナイト」はテトラグラマトン・レコードの倒産に伴って同年に彼等が移籍したワーナー・ブラザーズ・レコードより、それぞれアルバムとシングルの第一弾として発売されたが不発に終わった。日本では「ブラック・ナイト」がラジオでヒットし、さらにシングルとして1971年に発売されてスマッシュ・ヒットしている。
この結果、ディープ・パープルはハード・ロック路線を進むことが決定し、楽曲制作はブラックモアが中心となって行うことが自然に決まった<ref group="注">「グループとオーケストラのための協奏曲」を除いた第2期の曲は全てメンバー5人の共作であると記されたが、ロードはVHS『ヘヴィ・メタル・パイオニアズ』で、作曲の中心的な役割を担ったのはブラックモアだったと明言している。</ref>。ロードは作曲面の主導権をブラックモアに譲って、『ジェミニ組曲』([[:en:Gemini_Suite|Gemini Suite]])<ref name=":0" /><ref group="注">1971年に[[:en:Purple Records|パープル・レコード]]の第一弾アルバムとして発表されたロード初のソロ・アルバムに収録された。『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』と同様にマルコム・アーノルドが指揮するロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラが参加して、ロード、[[アルバート・リー]](ギター)、[[:en:Tony_Ashton|トニー・アシュトン]](ボーカル)、[[イヴォンヌ・エリマン]](ボーカル)、グローヴァー、ペイスと共演した。因みにディープ・パープルは1970年9月17日に、[[ロイヤル・フェスティバル・ホール]]で、アーノルドが指揮するオーケストラ・オブ・ザ・ライト・ソサエティ・ミュージック(The Orchestra of The Light Music Society)と共演して「ジェミニ組曲」を披露した。この録音は1993年に"Deep Purple And The Orchestra Of The Light Music Society Conducted By Malcolm Arnold – Gemini Suite Live"として発表された。</ref>や『ウィンドウ組曲』([[:en:Windows_(Jon_Lord_album)|Windows]])<ref group="注">1974年に発表されたロードの2作目のソロ・アルバムに収録された。このアルバムは、1974年6月1日に[[ミュンヘン]]で開かれた、作曲家[[:en:Eberhard_Schoener|エバーハード・シェーナー]]が指揮する[[ミュンヘン室内管弦楽団]]とロードとの共演コンサートのライブ録音。[[ピート・ヨーク]](ドラムス)、トニー・アシュトン(ボーカル、キーボード)、[[:en:Ray_Fenwick|レイ・フェンウィック]](ギター)、ディープ・パープルの第3期のメンバーである[[デイヴィッド・カヴァデール]](ボーカル)と[[グレン・ヒューズ]](ベース・ギター、ボーカル)が客演した。</ref>などのソロ作品に創作意欲を振り向けた。
1971年9月、ハード・ロック・アルバムの第2弾『'''[[ファイアボール (アルバム)|ファイアボール]]'''』 が発売され、全英で1位を獲得した。しかしブラックモアは、スケジュールの厳しさによって録音期間もなければメンバーの健康状態も悪かったと不満の意を表している<ref name="DPR" />。彼等は同アルバムの発表に合わせて9月下旬から約2週間の国内ツアーを行なった後、10月21日に2度目のアメリカ・ツアーを開始した。しかし早々にギランが肝炎に罹患したので、10月24日のシカゴ公演は4人で行なわれ<ref group="注">グローヴァーがボーカリストを兼任した。</ref>、残りの公演は全てキャンセルされた{{Sfb|Popoff|2016|p=93}}。
彼等は新作を納得のいく環境で制作することを要求し、同年12月、スイスのモントルーにあるジェネバ湖([[レマン湖]])のほとりにあるホテルでゆっくりと英気を養いながら、対岸にある6角形をした[[カジノ]]で[[ローリング・ストーンズ]]の[[モービル・ユニット]]を使って録音することにした。ところが彼等がカジノを使用する直前の12月4日、[[フランク・ザッパ#1970年代|フランク・ザッパ]]が率いる[[マザーズ・オブ・インヴェンション|ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション]]のコンサートで興奮した観客がラタンで覆われた天井に[[照明弾]]を撃ち込んだので、火災が発生してカジノは全焼。彼等は別の録音場所を見つけなければならなくなった{{Sfb|Popoff|2016|pp=96, 98}}。
この火災で伝説が一つ生まれた。湖の上に煙が立ち込める様子をホテルの窓から見ていたギランが、隣にいたグローヴァーに向かって不意に"Smoke on the water"と言った。グローヴァーはドラッグを連想するからディープ・パープル向きではないと思った<ref group="注">発言者と応答者が逆という説もある。グローヴァーはDVD『Heavy Metal Pioneers』のインタヴューで、「朝、起き上がって"Smoke on the Water"と呟いた。他に誰もいない部屋の中で、誰に向かって。夢だったかもしれない。で、そのあとイアン(ギラン)にその話をした」と発言している。</ref>が、彼等の中で次第にこの語句が膨らみ始め、ブラックモアが書いた印象的なリフと融合して「'''[[スモーク・オン・ザ・ウォーター]]'''」が誕生した。彼等はカジノに代わってパヴィリオンという劇場で同曲のベーシック・トラックを録音{{Sfb|Popoff|2016|p=98}}。続いて閉鎖されていたホテルの廊下で12月6日から21日まで全収録曲を録音して{{Sfb|Popoff|2016|p=98}}、アルバム『'''[[マシン・ヘッド]]'''』を完成させた。本アルバムは翌1972年2月にアメリカで、3月にイギリスはじめヨーロッパ各国や日本でも順次発売されて{{Sfb|Popoff|2016|pp=105, 107}}ヒットした。
だが、人気が上昇するにつれてレコーディングとツアーは一段と過酷なものになり、メンバーの健康状態も次第に下降線をたどった。1972年の年明け早々にアメリカとイギリスでツアーが行なわれ、3月の『マシン・ヘッド』の発表に伴なって、再びアメリカ・ツアーが始まった。しかし開始早々に今度はブラックモアが肝炎に罹患して、ツアーは一旦キャンセルされて5月に予定されていた初の日本公演は延期された<ref group="注">ブラックモアは3月29日のニューヨーク公演のあと肝炎に罹患して離脱。彼等は31日の[[フリント (ミシガン州)|フリント]]公演を4人で行ない、4月6日の[[ケベック・シティー]]公演では[[:en:Randy_California|ランディー・カリフォルニア]]の助けを借りた。ブラックモアの罹患が判明した時点で、アメリカ・ツアーの残りは一旦全てキャンセルされ、5月の日本ツアーは延期されることが決まった。</ref>{{Sfb|Popoff|2016|pp=102, 105, 109}}。その後ようやく全員が健康を回復してアメリカ・ツアーが再開されたものの、各自の不安と不満は募る一方だった。5月にはメンバーが脱退するという噂も流れた{{Sfb|Popoff|2016|p=111}}。
彼等は7月に<ref group="注">6月30日と7月1日にツアーの合間を縫ってアメリカからロンドンに急行してレインボウシアターでコンサートを開き、1日のコンサートで最大112[[デシベル]]を計測して、コンサートの音量の最大記録を作った。その後、またアメリカに戻ってツアーを続けた。</ref>{{Sfb|Popoff|2016|p=115}}アメリカでのツアーが終わると、ローマの古城で新作アルバムの制作を開始した。しかしツアーの日程やメンバーの健康不良などが原因で事前の意見調整が十分に行われなかったのに加えて、モービル・ユニットが古城の狭い門を通過できずメンバーの演奏場所に近づけないという不都合が生じた。その結果、録音は捗らず<ref group="注">ブラックモアはギターのダビングをトラックの中で行なったという。</ref>「ウーマン・フロム・トーキョー」を含む数曲が完成したにとどまった{{Sfb|Popoff|2016|p=117}}。製作は約一か月後に中断されてツアーが再開し、彼等は初来日を果たして8月15日と16日に[[フェスティバルホール|大阪フェスティバルホール]]、17日には[[日本武道館]]でコンサートを開催した。日本公演を録音した『'''[[ライヴ・イン・ジャパン (ディープ・パープルのアルバム)|ライヴ・イン・ジャパン]]'''』は同年12月に日本限定で発売されたが、出来映えがメンバーにも評価されて年末に海外でも"'''Made in Japan'''"というタイトルで発売され、[[プラチナディスク]]を獲得した。このアルバムからシングルカットされた「'''スモーク・オン・ザ・ウォーター'''」がアメリカで最高位4位と大ヒットし、アメリカでの人気にようやく「火がついた」。
日本公演に続いたアメリカとヨーロッパでのツアーの後、10月に[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]で新作アルバムの制作が再開された{{Sfb|Popoff|2016|p=118}}が、ブラックモアとギランの不仲をはじめとしてメンバーの人間関係がさらに悪化したことも相まって作業は難航を極めた。悪化の根底には疲労の蓄積とスケジュールに対する不満があったといわれている。ようやく完成した新作はペイスによるミキシング作業の後、"Made in Japan"が発表されたのとほぼ同時期の1973年1月に『'''[[紫の肖像]]'''』<ref group="注">原題''Who Do We Think We Are?''は、「イン・ロック」「ファイアボール」「マシン・ヘッド」などとは対照的で、ハード・ロック・バンドのアルバム・タイトルらしからぬ、極めて内省的なものであろう。</ref>として発表された。評価は芳しくなく、シングル「'''[[ウーマン・フロム・トーキョー]]'''」も「ハイウェイ・スター」ほどにはヒットしなかった<ref name="DPR" />。
メンバー間の不仲と連続するツアーによる肉体的疲労は、もはや修復が不能な段階まで来ていた。グローヴァーはスケジュールの不満から{{要出典範囲|脱退を口にする様になり|date=2023年12月}}、ブラックモアはギランのボーカルを公然と批判した。ギランは12月9日付でマネージメントに手紙を送って「1973年6月30日にディープ・パープルを脱退する」決意を表明し<ref group="注">日本で『ライブ・イン・ジャパン』が発表されたのと同じ時期に行なわれた脱退表明だった。</ref>{{Sfb|Popoff|2016|p=122}}、ブラックモアも脱退することを考えてペイスを誘った<ref group="注">彼はペイスと[[シン・リジィ]]の[[フィル・ライノット]]を誘って、トリオを結成するつもりだった。因みに1972年の初めに、彼がディープ・パープルを脱退してライノットとバンドを結成するという噂が流れたことがあった。</ref>。だが今までの成功を失いたくないペイスとロードに「イアン(ギラン)はまもなく辞めるし、ロジャーは我々が辞めさせるから」脱退する必要はないと諭されて、留まることを決意する<ref group="注">説得の真相は明らかでは無い。ブラックモアがグローヴァーに対して音楽的な不満を持っていたという説は、彼が後年グローヴァーを[[レインボー (バンド)|レインボー]]に迎えた点を考慮すると説得力に欠ける。また後に彼は「ロジャーにはすまないことをした。ロジャーは良い奴だ」とコメントしている。</ref>。
1973年、『紫の肖像』の発表に伴なったツアーが1月から3月までヨーロッパ、4月から6月までアメリカ、そして6月末に日本で行なわれた<ref group="注">内容は『マシン・ヘッド』ツアーと殆んど同じだった。</ref>。グローヴァーはツアーが終わると自分は辞めさせられることを6月半ばに知って<ref group="注">グローヴァーはツアーの途中、他のメンバー達が自分に冷淡な態度を取ることに気づいた。彼はその事を訝しがって、6月15日の[[ジャクソンビル (フロリダ州)|ジャクソンビル]]公演の後でマネージャーのトニー・エドワーズを詰問し、ブラックモアが「ロジャーが辞めければ自分が辞める」と主張していることを知った。日本公演最終日の約2週間前のことだった。</ref>{{Sfb|Popoff|2016|p=135}}、解雇されるのではなく自発的に脱退する道を選んだ。6月29日、2度目の日本公演<ref group="注">6月25日に日本武道館で行なわれた東京公演では、アンコールが行なわれなかったことに観客の一部が激怒して会場を破壊。翌日も武道館で行なわれる予定だったコンサートは中止になった。</ref>の最終日に大阪[[厚生年金会館]]で公演が行なわれた。翌30日<ref group="注">前述のように、ギランは約半月前の1972年12月9日に、この日に脱退すると表明していた。</ref>、ギランとグローヴァーは脱退{{Sfb|Popoff|2016|pp=136, 138}}。第2期は終わった。
=== 第3期 1973年 - 1975年 ===
[[File:Deep Purple (1975).jpg|thumb|right|240px|第3期ラインナップ (1975年)]]
* ジョン・ロード
* リッチー・ブラックモア
* イアン・ペイス
* [[グレン・ヒューズ]] (Glenn Hughes) - ベース、[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]、ボーカル
* [[デイヴィッド・カヴァデール]] (David Coverdale) - ボーカル
<gallery widths="140px" heights="160px">
File:David Coverdale 1.jpg|デイヴィッド・カヴァデール(Vo)
File:Glenn hughes.jpg|グレン・ヒューズ(B/Vo)
</gallery>
新メンバー探しは[[1973年]]の3月頃より始まっていたと伝えられている<ref name="DPR" />。まずペイスとロードが熱心に誘ったのが、[[トラピーズ]]のベーシスト兼ボーカリストだったグレン・ヒューズだった。当初ヒューズはトラピーズを脱退できないという気持ちに加え、ボーカリストとして自信を持っていたため、勧誘の際にもボーカリストとして認めて欲しいと条件を出した。ただし、この時点でブラックモアはヒューズと発声も歌唱方法も異なる元[[フリー (バンド)|フリー]]の[[ポール・ロジャース]]を理想のボーカリストとして考えており<ref name="DPR" />、実際にロジャースに加入を要請した。この食い違いによってヒューズとの交渉は難航。さらにロジャースが最終的に要請を断って[[バッド・カンパニー]]を結成して活動を開始したため、ディープ・パープルは一歩間違えれば解散という状態に追い込まれていた。結局、ボーカリストは一般から募集することになり、4000人以上ともいわれる応募者の中から、当時はまったく無名だったデイヴィッド・カヴァデールが選ばれ、第3期がスタートする。
[[1974年]]2月、第3期ディープ・パープル初のアルバム『'''[[紫の炎]]'''』が発売された。後にブラックモアが「納得して制作できた」とコメントした数少ないアルバムであり、シングル・カットされた「[[紫の炎 (曲)|紫の炎]]」に加え、パープル解散以降もカヴァデールや[[レインボー (バンド)|レインボー]]の[[ロニー・ジェイムス・ディオ]]らによって唄い継がれていく「'''ミストゥリーテッド'''」などが収録され、成功を収めた。また、第2期のハードロック路線に加えて、ヒューズの主張が濃いとされるファンキー・サウンドの「'''ユー・フール・ノー・ワン'''」や[[シンセサイザー]]を大幅に導入した「'''A200('A' 200)'''」など、「新メンバーの力量や新要素が巧みに発揮された傑作」とされている。このアルバムの発売直後の4月、ロスアンゼルスのオンタリオ・モーター・スピードウェイで行われた「[[カリフォルニア・ジャム]]」に出演。日没直前に、ヘッドライナーの[[エマーソン・レイク・アンド・パーマー]]の一つ前の出演バンドとして登場し、約20万人と伝えられる聴衆の前で演奏を行った。この時の演奏は特に評価が高かった<ref group="注">この映像は2023年現在でも[[DVD]]ソフトとして購入することが可能。</ref>。
しかし、この好調さも、1974年の8月に制作が開始された『'''[[嵐の使者]]'''』の頃には失われていた。カヴァデールやヒューズがソウル・ミュージックやファンキー・ミュージックの要素をより多く持ち込もうとしていたことがきっかけとなり<ref name="DPR" />、ハードロックを志向するブラックモアは次第にディープ・パープルでの活動に対して意欲を失っていった。このアルバムが発売された10月、予定されていたアメリカ公演が中止となって空白期間が生じたため、ブラックモアはかねてより計画していたソロ・シングルの制作を開始。以前から気に入っていた「[[エルフ (バンド)|エルフ]]」と共に「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー/16世紀のグリーンスリーブス」を完成させるが、これがブラックモアにとって期待以上の出来だったため、脱退してエルフのメンバーと「[[レインボー (バンド)|リッチー・ブラックモアズ・レインボー]]」を結成することを決意した。「ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー」はイギリスのバンド、[[クォーターマス]]の曲で、ブラックモアはこの曲をディープ・パープルがカバーすることを提案し、カバー曲に反対する他のメンバーとの意見の相違が彼の脱退のきっかけだったとされている。
最初にブラックモアから脱退の決意を打ち明けられた当時のマネージャーである'''ロブ・クックジー'''も、その後に打ち明けられたメンバーも、当然ながら慰留に努めたが、彼の決意は変わらず、[[1975年]]4月7日のパリ公演<ref group="注">1976年、ライブ・アルバム『'''[[メイド・イン・ヨーロッパ]]'''』が発売され、4月7日の演奏が収録されている。ただし、どの曲かは記載されていない。ちなみに全ての演奏が4月4日 - 4月7日に収録されていると記載されている。</ref>を最後に脱退した。彼の脱退は、それ以後の方針が決定しなかったため6月まで公表されなかったが、一部の音楽マスコミは4月8日の段階でスクープとして報じていた<ref name="DPR" />。
=== 第4期 1975年 - 1976年 ===
[[File:Deep Purple (UK Tour 1976).JPG|thumb|right|240px|第4期ラインナップ (1976年)]]
* ジョン・ロード
* [[トミー・ボーリン]] (Tommy Bolin) - ギター、コーラス、ボーカル
* イアン・ペイス
* グレン・ヒューズ
* デイヴィッド・カヴァデール
<gallery widths="150px" heights="160px">
File:Tommy Bolin with a Yamaha SX.jpg|トミー・ボーリン(G/Vo)
</gallery>
ブラックモアの後任探しは、過日のギランやグロ―ヴァ―の場合以上に難航し、元[[ハンブル・パイ]]の'''デイブ「クレム」クレムソン''' ([[:en:Clem Clempson|Clem Clempson]]) がオーディションを受けたり、セッションは実現しなかったものの[[ジェフ・ベック]]が候補に挙がるなど混乱を極めていた<ref name="DPR" />。結局、カヴァデールの発案<ref name="DPM" />で元'''ジェイムズ・ギャング''' ([[:en:James Gang|James Gang]]) のギタリストだったトミー・ボーリンが加入し、第4期のメンバーが決定した。ちなみにボーリンは初めてのアメリカ人メンバーであった。
[[1975年]]10月、アルバム『'''[[カム・テイスト・ザ・バンド]]'''』が発表されるが、その音楽性の変転はファンに戸惑いを感じさせるのに十分だといわれ、多くの批判の声が挙がった。それでも11月の[[ハワイ]]でのコンサートを皮切りに、東南アジアまでを含めた大規模なツアーが敢行され、どこも盛況であったと伝えられている。[[ジャカルタ]]では2日で約10万人の観客が集まり{{要出典範囲|暴動にまで発展|date=2023年12月}}、スタッフの1人が殺害されるという痛ましい事件も発生したが、ツアーは続行され、1975年12月、3度目の来日が実現した。客席は超満員だったが、ボーリンが東南アジアで品質の悪い[[ヘロイン]]を注射したために左手がほとんど動かず<ref group="注">当時は寝違えたためとアナウンスされていた。</ref><ref name="DPM" />、[[スライドギター|ボトルネックギター]]の演奏に終始するという不本意な結果に終わった。続くアメリカン・ツアーは問題無く終了するも、本国イギリス公演はマスコミやファンに激しく批判され、やがて空中分解状態となった<ref>{{Cite web |url=https://www.thehighwaystar.com/specials/liverpool-76/ |title=thehighwaystar.com |access-date=2023年12月1日}}</ref>(詳細は[[カム・テイスト・ザ・バンド#ツアーから解散まで]]を参照)<ref>{{Cite web |url=https://www.thehighwaystar.com/specials/liverpool-76/ |title=thehighwaystar.com |access-date=2023年11月26日}}</ref>{{Sfb|Popoff|2016|p=194}}{{Sfb|Popoff|2016|pp=207-208}}<ref group="注">イングランド・ツアー最終日の15日に{{仮リンク|リヴァプール・エンパイア・シアター|en|Liverpool Empire Theatre}}で行なわれたコンサートの後、ロードとペイスは楽屋で話し合ってディープ・パープルの解散を決めた。直後にカヴァデールが脱退を告げに来たので、ロードは彼に「脱退しなければならないバンドはもうないよ」と自分達の合意を教えた。解散はヒューズとボーリンには伏せられたままで、予定されていたドイツ公演はキャンセルされた。</ref>。
{{要出典範囲|まずカヴァデールが「こんな状態では何もできない」と言って[[1976年]]5月に辞意をロードに伝え(ただし、この時点では正式には発表されていない)、さらに7月8日にボーリンが脱退。ヒューズもトラピーズの再編を含めた別行動の意思を表していた。7月18日に、ロードとパープル・オフィス間の話し合いで解散を決定|date=2023年12月}}。翌19日、どこで嗅ぎ付けたのか、イギリスの新聞[[デイリー・ミラー]]が「ディープ・パープル解散」をスクープ。こうして7月24日、事務所より解散が正式に発表された<ref>[[メイド・イン・ヨーロッパ]]国内盤のライナーノーツより。なお、同ライナーノーツでは、イアン・ペイスがグレンとトミーを理解できなかったとコメントしている。</ref>。
解散時に正式なコメントを残していないロードは、後に「ディープ・パープルを名乗るべきではなかった」との旨の発言をしている。
解散後のメンバーはそれぞれ別の道を歩み始めた。カヴァデールは、念願だったソロ・アルバムを2枚発表した後、[[ホワイトスネイク]]を結成。ヒューズはヒューズ/スロールで活動を開始。ロードとペイスは[[ペイス・アシュトン・ロード]]を経て、カヴァデールのホワイトスネイクに合流。そしてボーリンはソロ・アルバムを制作し、自身のバンドを結成してライブ活動も展開するが、同年12月4日、ドラッグの過剰摂取により死去した。
こうしてディープ・パープルは、1984年の再結成まで音楽シーンから姿を消すこととなる。この空白期間中の[[1980年]]に、第1期のメンバーだったエヴァンスが無名のミュージシャンを集めてディープ・パープルと名乗りライブ活動を行うという、いわゆる「偽ディープ・パープル事件」が発生した(詳細は[[ロッド・エヴァンス#偽ディープ・パープル騒動]]を参照)。
=== 再結成以降(1984年 - ) ===
==== 第5期(再結成第2期) 1984年4月 - 1989年5月 ====
[[File:Deep Purple (1985).jpg|thumb|right|130px|第5期ラインナップでのライブ (1985年1月)]]
* ジョン・ロード
* リッチー・ブラックモア
* イアン・ペイス
* ロジャー・グローヴァー
* イアン・ギラン
約8年間の空白期間を経た[[1984年]]、ディープ・パープルは黄金期といわれる第2期のメンバーで再結成した。ブラックモアとグローヴァーはレインボー、ロードはホワイトスネイク、ギランは[[ブラック・サバス]]、ペイスは[[ゲイリー・ムーア]]・バンドを去って、第2期が終わった1973年6月30日以来、約11年ぶりに一堂に会した。なお、前年の1983年にも再結成が計画されたが、この時にはメンバーの足並みが揃わず見送られている<ref group="注">同年に発表されたレインボーの『[[ストリート・オブ・ドリームス]]』の収録曲の一部は、再結成するディープ・パープルの為に作られた曲が流用されたものである。</ref>。
この時期、アメリカを中心に世界的な[[ヘヴィメタル]]・ブームが起こっており、その中でのディープ・パープルの再結成は、元祖の復活とばかりに歓迎された。一方、この再結成によってレインボーは解散を余儀なくされ、全世界規模の活動が軌道に乗り始めたばかりのホワイトスネイクも痛手を負った。ホワイトスネイクを率いていたカヴァデールは、この再結成をかなり辛辣に批判して「金が目当ての再結成」と吐き捨てた<ref name="DPR" />。ブラックモアは当時、カヴァデールの発言をジョークを交えて否定していたが、90年代後半以降<ref group="注">後述するように、ブラックモアは1993年に再びディープ・パープルを脱退した。</ref>は肯定している。
1984年11月、再結成第一弾『'''[[パーフェクト・ストレンジャーズ]]'''』([[:en:Perfect Strangers (album)|Perfect Strangers]])がリリースされ、第2期ディープ・パープルとレインボーの長所を折衷した傑作と高い評価を受ける。1987年には第二弾『'''[[ハウス・オブ・ブルー・ライト]]'''』([[:en:The House of Blue Light|The House of Blue Light]])がリリースされ、活動が数年に渡って順調に続いているかのように見受けられた。しかし水面下ではブラックモアとギランの関係が再び悪化し、ギランは同アルバムの制作前には脱退寸前だった。ブラックモアはアメリカの無名の若手ボーカリストだったジョン・コラビを加入させようとしていたが、ギランは結局残留してアルバムの製作に参加した。しかし彼の脱退未遂が影響して完成が遅れて、発表は延期された。
『ハウス・オブ・ブルー・ライト』の発表に伴ってヨーロッパとアメリカでツアーが行なわれ、1988年には、そのライブ音源を収録したライブ『'''[[ノーバディーズ・パーフェクト]]'''』([[:en:Nobody's Perfect (album)|Nobody's Perfect]]) がリリースされた。しかし、ブラックモアとギランの関係は悪化する一方であった。
1989年5月、ギランはディープ・パープルを解雇された。
==== 第6期 1989年12月 - 1992年8月 ====
[[File:JLTurner.jpg|thumb|right|150px|ジョー・リン・ターナー]]
* ジョン・ロード
* リッチー・ブラックモア
* イアン・ペイス
* ロジャー・グローヴァー
* [[ジョー・リン・ターナー]] (Joe Lynn Turner) - ボーカル
ギランの後任として、元レインボーのジョー・リン・ターナーが加入。彼を迎えたアルバム『'''[[スレイヴス・アンド・マスターズ]]'''』(Slaves and Masters)は、レインボーの再現になるとの大方の予想を覆して、現代的なハードロック・アルバムとして安心して聴ける佳作に仕上がったと評された内容だった。
しかしターナーは、続く新作アルバムの製作中に脱退した。理由は彼とブラックモア以外のメンバーとの間に確執が起こったからで、ブラックモアも彼の脱退をやむ無く了承したと言われている。
==== 第7期(再々結成第2期) 1992年8月 - 1993年11月 ====
* ジョン・ロード
* リッチー・ブラックモア
* イアン・ペイス
* ロジャー・グローヴァー
* イアン・ギラン
ターナーの後任は紆余曲折の挙句、ギランに決まった。ブラックモアは彼の復帰に強く反対したが、他のメンバーが賛成したうえに、結成25周年を控えてマネージメントが第2期のメンバーが揃うことを強く希望したからとされている。
ターナーが在籍中に制作が開始されたアルバムはギランが復帰した時点でほぼ完成していたが、ギランとグローヴァーが歌詞とボーカルのメロディを書き直して新たに録音した。ブラックモアは極めて不満であったが、アルバムは1993年7月に『'''[[紫の聖戦]]'''』([[:en:The Battle Rages On|The Battle Rages On]]) として発表された。
同年9月下旬から結成25周年記念ツアーが始まった。コンサートでは定番曲や『紫の聖戦』の収録曲のほか、第2期の異色作「誰かの娘」が披露される<ref group="注">アルバム『ファイアボール』(1971年)の収録曲。[[シュトゥットガルト]]公演と[[バーミンガム]]公演を収録した『[[:en:Come_Hell_or_High_Water|ライヴ・紫の閃光]]』(1994年)に収録されている。</ref>という新機軸もあった。しかしギランの復帰にあくまでも反対していたブラックモアは、ツアー途中の11月17日、ヨーロッパ・ツアーの最終日に当たるヘルシンキ公演の後に突然脱退した。日本公演を2週間後に控えてのことだった。
==== 第7’期 1993年12月 - 1994年7月 ====
* ジョン・ロード
* [[ジョー・サトリアーニ]] (Joe Satriani) - ギター
* イアン・ペイス
* ロジャー・グローヴァー
* イアン・ギラン
残されたメンバーは日本ツアーをプロモーターを務める[[ウドー音楽事務所]]の提案で、ブラックモアの代役としてジョー・サトリアーニを急遽迎えた。<!--なお、一部のファン/研究者の間では、この時期はアルバムも発表せず、ツアーなどの活動のみであったため、カウントしないという意見もある。ジョー・サトリアーニが都合によりライブに出演できなかった際、脱退したリッチー・ブラックモアを代役として呼んだことがある{{要出典}}。長期に渡って出典が明記されないので一旦コメントアウトしました。リッチー・ブラックモア脱退後、アルバム出すも鳴かず飛ばずのバンドに成り下がってしまった。-->参加要請から初日にあたる12月2日の名古屋公演までわずかの時間しかなかったが、サトリアーニはもともと実力者である上にディープ・パープルの大ファンで彼等の楽曲をよく知っていた為、来日から2日ほどのリハーサルで準備完了になった。
日本公演<ref group="注">第2期の楽曲でありながら、ブラックモア在籍時には殆どか全く演奏されなかった「メイビー・アイム・ア・レオ」「ピクチャーズ・オブ・ホーム」「ブラインド・マン」も披露された。</ref>を成功裏に終わらせた彼等は、翌年のヨーロッパ・ツアーにもサトリアーニを帯同させた。彼をブラックモアの後任の正式メンバーとして迎える案もあったが、既にソロ・ミュージシャンのキャリアを積み上げつつあったので、実現しなかった<ref> 『DEEP PURPLEIN BOOK ディープ・パープル全史』2018年 [[シンコーミュージック・エンタテイメント]] ISBN 9784401646722 pp282 - 283</ref>。
==== 第8期 1994年11月 - 2002年2月 ====
[[File:Steve Morse 2005.jpg|thumb|right|130px|スティーヴ・モーズ]]
* ジョン・ロード
* [[スティーヴ・モーズ]] (Steve Morse) - ギター
* イアン・ペイス
* ロジャー・グローヴァー
* イアン・ギラン
ブラックモアの正式な後任として、ソロ活動や[[ディキシー・ドレッグス]]、[[カンサス (バンド)|カンサス]]などで高い評価を得ていたスティーヴ・モーズが、ディープ・パープル以外の活動を認めるという条件で加入。1996年2月には『'''[[紫の証]]'''』([[:en:Purpendicular|Purpendicular]])を、さらに1998年6月には『'''[[アバンダン]]'''』([[:en:Abandon (album)|Abandon]])を発表。
1999年、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演30周年を記念したコンサートが、当時の会場だったロイヤル・アルバート・ホールで開催され、「グループとオーケストラのための協奏曲」が再演された。[[ロニー・ジェイムス・ディオ]]も客演して「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を歌った。この模様はDVD化されている。
2002年2月、ロードが健康上の理由で脱退<ref group="注">ギラン、グローヴァーと対立したという説あり。</ref>。オリジナル・メンバーはペイス唯一人となった。
==== 第9期 2002年3月 - 2022年7月 ====
[[File:Deep Purple in 2004.jpg|thumb|right|240px|第9期ラインナップ (2004年)]]
* [[ドン・エイリー]] (Don Airey) - キーボード
* スティーヴ・モーズ
* イアン・ペイス
* ロジャー・グローヴァー
* イアン・ギラン
<gallery widths="180px" heights="110px">
File:Don Airey 1.jpg|ドン・エイリー(Key)
</gallery>
ロードの後任に、[[コロシアムII]]、レインボーや[[オジー・オズボーン]]・バンドなどの活動で有名なドン・エイリーが加入し現在に至る<ref group="注">エイリーはレインボーに在籍してブラックモアやグローヴァーとの関わりがあった。偶然だが、1984年にロードがホワイトスネイクを脱退してディープ・パープルの再結成に参加した時も、エイリーがロードの後任としてホワイトスネイクに招かれた。</ref>。
[[2003年]]、エイリー加入後のアルバム『バナナズ』(Bananas)、[[2005年]]には『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』(Rapture of the Deep)を発表。『ラプチャー・オブ・ザ・ディープ』のツアーは2011年まで続き、2009年の来日公演([[イングヴェイ・マルムスティーン]]とのジョイント・ツアー)ではロードがゲストで参加した。来日公演ではこれが最後であった。
[[File:Dmitry Medvedev with Deep Purple 23 March 2011-1.jpeg|thumb|right|240px|2011年のグループショット]]
[[2012年]]、ロードが[[膵臓癌]]の闘病中に[[肺塞栓症]]との合併症を引き起こし、死去。71歳没。
[[2013年]]、19thアルバム『[[ナウ・ホワット?!]]』([[:en:Now What?!|Now What?!]])をリリース。
[[2014年]]4月、武道館での東京公演を含む来日公演を実施。
[[2016年]]5月、日本武道館を含む全国7か所で来日公演が決定。ギランとグローヴァーには70歳を迎えての来日になった。同年、[[ロックの殿堂]]入りを果たした。現メンバーのモーズとエイリーは受賞者に含まれず、第1期から第3期までの総勢9名のメンバーのうち第1期のシンパーを除いた8名が受賞した。
[[2017年]]、節目の20thアルバム『インフィニット』を発表<ref>[https://www.barks.jp/news/?id=1000137896 ディープ・パープル「新作は前作よりヘヴィで、よりプログレ」] - BARKS</ref>。
[[2018年]]10月、The Long Good-Bye Tourとして来日。千葉(幕張メッセ)、名古屋、大阪、広島、福岡で公演。
[[2020年]]2月29日、新曲『[[Throw My Bones]]』がオンライン発売。新作アルバムが6月に発売されることも発表された<ref>{{Cite web|title=Deep Purple Announce New Album ‘Whoosh!’|url=https://ultimateclassicrock.com/deep-purple-whoosh/|website=Ultimate Classic Rock|accessdate=2020-09-07|language=en|first=Martin KieltyPublished:|last=February 27}}</ref>が、COVID-19の影響により延期され<ref>{{Cite web|title=Deep Purple push back release of new album Whoosh!|url=https://www.loudersound.com/news/deep-purple-push-back-release-of-new-album-whoosh|website=Classic Rock Magazine|accessdate=2020-09-07|language=en|first=Scott Munro03|last=April 2020}}</ref>、8月7日に『[[Whoosh!]]』([[ウーッシュ!]])として発売された。
[[2022年]]3月31日、モーズが病を患っている妻に付き添うためツアーから一時離脱。、同年5月から7月まで予定されているヨーロッパ・ツアーには、エイリーの人脈からサイモン・マクブライドが代役として参加することが発表された。この時点ではモーズは妻の健康状態が良くなり次第ツアーに復帰する意向<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000217619 |title=スティーヴ・モーズ、妻の病によりディープ・パープルのツアーから一時離脱 |publisher=[[BARKS]] |accessdate=2022-04-01}}</ref>とされていたが、同年7月23日に公式SNSを通じて、妻の病状から復帰が難しい状況が続いていることを理由に正式に脱退することが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://burrn.online/news/20220725_01.html |title=DEEP PURPLEからスティーヴ・モーズが脱退! |publisher=[[BURRN!|BURRN! ONLNE]] |accessdate=2022-07-25}}</ref>。
==== 第10期 2022年9月 - ====
[[File:2022 Lieder am See - Deep Purple - by 2eight - 9SC7190.jpg|thumb|right|240px|第10期ラインナップのライブ (2022年)]]
* イアン・ペイス
* ロジャー・グローヴァー
* イアン・ギラン
* [[ドン・エイリー]]
* サイモン・マクブライド (Simon McBride) - ギター
2022年9月16日、同年5月のツアーからモーズの代役として参加していたマクブライドが、モーズの後任として加入<ref>{{Cite web|和書|url=https://burrn.online/news/20220917_02.html |title=DEEP PURPLEがサイモン・マクブライドの正式加入を発表! |publisher=[[BURRN!|BURRN! ONLINE]] |accessdate=2022-09-18}}</ref>。
<!-- ドイツ語版に表が有ったので、それを日本語で書き直した物を置きました -->
{| cellpadding="3" style="background: #e3e3e3; margin-left: 0em; border-spacing: 1px; font-size: 75%;"
|-
! 時期
! 期
! ボーカル
! ギター
! キーボード
! ベース
! ドラムス
|-
|bgcolor="#ffffff"|1968年04月 - 1969年06月
|bgcolor="#ffffff"|第1
|bgcolor="#ffffff"|ロッド・エヴァンス
|bgcolor="#ffffff"|リッチー・ブラックモア
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|ニック・シンパー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|1969年06月 - 1973年06月
|bgcolor="#ffffff"|第2
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ギラン
|bgcolor="#ffffff"|リッチー・ブラックモア
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|ロジャー・グローヴァー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|1973年10月 - 1975年04月
|bgcolor="#ffffff"|第3
|bgcolor="#ffffff"|デイヴィッド・カヴァーデイル
|bgcolor="#ffffff"|リッチー・ブラックモア
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|グレン・ヒューズ
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|1975年06月 - 1976年07月
|bgcolor="#ffffff"|第4
|bgcolor="#ffffff"|デイヴィッド・カヴァーデイル
|bgcolor="#ffffff"|トミー・ボーリン
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|グレン・ヒューズ
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|1984年04月 - 1989年04月
|bgcolor="#ffffff"|第2
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ギラン
|bgcolor="#ffffff"|リッチー・ブラックモア
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|ロジャー・グローヴァー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|1989年11月 - 1992年04月
|bgcolor="#ffffff"|第5
|bgcolor="#ffffff"|ジョー・リン・ターナー
|bgcolor="#ffffff"|リッチー・ブラックモア
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|ロジャー・グローヴァー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|1992年04月 - 1993年11月
|bgcolor="#ffffff"|第2
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ギラン
|bgcolor="#ffffff"|リッチー・ブラックモア
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|ロジャー・グローヴァー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|1993年12月 - 1994年07月
|bgcolor="#ffffff"|第6
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ギラン
|bgcolor="#ffffff"|ジョー・サトリアーニ
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|ロジャー・グローヴァー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|----
|bgcolor="#ffffff"|1994年11月 - 2002年02月
|bgcolor="#ffffff"|第7
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ギラン
|bgcolor="#ffffff"|スティーヴ・モーズ
|bgcolor="#ffffff"|ジョン・ロード
|bgcolor="#ffffff"|ロジャー・グローヴァー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|2002年03月 - 2022年07月
|bgcolor="#ffffff"|第8
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ギラン
|bgcolor="#ffffff"|スティーヴ・モーズ
|bgcolor="#ffffff"|ドン・エイリー
|bgcolor="#ffffff"|ロジャー・グローヴァー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|bgcolor="#ffffff"|2022年09月 -
|bgcolor="#ffffff"|第9
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ギラン
|bgcolor="#ffffff"|サイモン・マクブライド
|bgcolor="#ffffff"|ドン・エイリー
|bgcolor="#ffffff"|ロジャー・グローヴァー
|bgcolor="#ffffff"|イアン・ペイス
|-
|}
== 音楽性と影響 ==
時期によってその音楽性は変転しているが、最も印象深く、商業的にも成功している第2期は、いわゆる「[[ハードロック]]」であり、また「ヘヴィメタル」の先駆的な存在であると思われる。[[クリーム (バンド)|クリーム]]や[[ジミ・ヘンドリックス]]などの先例はあるにせよ、疾走感を伴う曲想と、大きな音量を出すことが可能な[[アンプ (楽器用)|アンプ]] / [[Public Address|PA]]を使用して、観客を圧倒するパフォーマンスを展開するという、言ってみれば「形式としてのハードロック」を構築したのはディープ・パープルであると言われている([[#音量|音量]]を参照)。
また、[[クラシック音楽]]の導入が特徴とされている。とりわけ[[国民楽派]]以降のそれに多大な影響を受けており、[[和声]]進行([[短音階#和声短音階(ハーモニック・マイナー・スケール)|ハーモニックマイナースケール]])を[[楽式]]に導入している。ブラックモアは、代表曲「ハイウェイ・スター」と「[[紫の炎 (曲)|紫の炎]]」の間奏部分は[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の[[コード進行]]を引用したものであると語っている。
また、ブラックモアによるギターの[[速弾き]]、印象的な[[リフ]]は非常に有名で、彼は速弾きの元祖とも言われている。特に「ハイウェイ・スター」や「紫の炎」などに見られる速弾きのテクニックは、その後の多くのギタリストに影響を与えた。また「[[スモーク・オン・ザ・ウォーター]]」のリフは彼らの楽曲の中ではもっとも有名な楽曲となり、[[テレビ番組|TV]]や[[コマーシャルメッセージ|CM]]でそのリフが多用され、ロック・スターを夢見る多くのアマチュア・ミュージシャンに多大の影響を与えている。[[フェンダー・ストラトキャスター|ストラトキャスター]]、もしくはそのコピー・モデルを手に入れて、まず「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフを弾くギター・キッズは今も多い。他にも「ブラック・ナイト」のリフが有名。
ギランの金切り声を立てる超高音[[シャウト]]は当時のロック界を象徴するものであり、レッド・ツェッペリンの[[ロバート・プラント]]とともに多方面に影響を与えた<ref group="注">プラント自身は「[[レッド・ツェッペリン]]はヘヴィメタルでは無い」という意味のコメントを発している。</ref>。
=== 音量 ===
第2期のメンバーは、全員が[[マーシャル (アンプ)|マーシャル]]製のアンプを使い<ref group="注">ギター用は当時市販されていた「マーシャル・メジャー1967」と仕様が異なる特注品だった。</ref>、[[PAシステム]]にも同社のものを使用していた。[[1972年]]の初来日公演で、ギランはヴォーカル用[[マイクロフォン]]([[シュア (音響機器メーカー)|シュア]]#565SD)2本をガムテープで束ねて使っていたが、これは出力を高めるためではなく、PA用と録音用にそれぞれ1本ずつ使用したためである。
1972年7月1日、ロンドンの[[:en:Rainbow_Theatre|レインボウ・シアター]]で開かれたコンサートで最大112[[デシベル]]を計測し、[[1973年]]度版[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]で『世界一の大音響バンド』("[[:en:Loudest_band|The loudest band in the world]]")として認定された{{Sfb|Popoff|2016|p=115}}。しばらく記録を保ち続けたが、[[1976年]]5月31日にイングランドのロック・バンドの[[ザ・フー]]がロンドンの[[チャールトン]]の屋外スタジアムでのコンサートで最大120デシベルを計測して、彼等の記録は破られた。しかし屋内ステージでの公演における音量としては今だに世界一を保持している。
=== 『ロックの殿堂』入り ===
[[ロックの殿堂]](The Rock and Roll Hall of Fame)には2012年と2013年の2度ノミネートされ、一般投票で2位と人気を示したが受賞は逃した。既に受賞した[[キッス]]の[[ジーン・シモンズ (ミュージシャン)|ジーン・シモンズ]]、[[ラッシュ (カナダのバンド)|ラッシュ]]の[[ゲディー・リー]]、[[ガンズ・アンド・ローゼズ]]の[[スラッシュ (ミュージシャン)|スラッシュ]]、[[メタリカ]]の[[ラーズ・ウルリッヒ]]は、ディープ・パープルは顕彰されるべきであるという意見を表明していた。2015年4月、『[[ローリング・ストーン]]』誌の「殿堂入りすべきバンド」の読者投票で1位となり、2015年10月に3度目のノミネートを受けた。
2016年4月に殿堂入りした。受賞者は第1期から第3期の総勢9名のメンバーのうち第1期のシンパーを除いた8名。当時のメンバーであるモーズとエイリーは除外された<ref>[https://www.barks.jp/news/?id=1000126057 D.カヴァデールとG.ヒューズ、殿堂入りセレモニーに出席] - BARKS</ref>。授賞式には、故人のロードを除く7名の受賞者のうち、ペイス、ギラン、グローヴァー、カヴァデール、ヒューズの5名が出席。ブラックモア<ref>[https://www.barks.jp/news/?id=1000124480 リッチー・ブラックモア、ロックの殿堂入り欠席を正式に表明] - Barks</ref><ref group="注">ディープ・パープル側が共演に難色を示した事情もあり、出席を見送った。</ref>とエヴァンスは欠席した。
== その他 ==
*1970年、プランプトン・フェスティバルにおける演奏中、ブラックモアがギター・アンプを破壊し、燃え出したアンプを客席に投げつけた。
*[[1973年]]、第2期最後のツアーの一環として行なわれた2度目の来日公演中、[[6月25日]]の東京公演の会場になった[[日本武道館]]で一部の観客が暴動が起こした。彼等は[[アンコール]]が行なわれなかったことに怒りを爆発させ、椅子や場内設備などを破壊し、[[花火]]を上げて大騒ぎした。そのため同会場で翌日も予定されていたコンサートは中止された。この事件は後々まで暗い話題として残り、荒らされた惨状の[[写真]]が1980年にUKハーヴェストが発売したシングルBlack Night(HAR 5210)<ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/release/1764172-Deep-Purple-Black-Night |title=Discogs |access-date=2023年12月24日}}</ref>やCD[[:en:Listen,_Learn,_Read_On|Listen, Learn, Read On]](2002年)のジャケットに使用された<ref group="注">[http://blog-imgs-88.fc2.com/5/5/m/55monkey55/BED-SIT-DP.jpg 海賊版のジャケット]にも使われた。</ref>。
*[[1974年]]から[[1975年]]にかけて、特別仕様の専用飛行機[[ボーイング707]]『スター・シップ1号』を借りてツアーをしていた<ref group="注">1974年3月4日から4月9日まで行なわれた、一か月間のアメリカ・ツアーで使用した時の借用料は$127,000だった。</ref>{{Sfb|Popoff|2016|p=153}}。この専用機はボディが金、銀、茶色に塗られ、機内にはソファ、暖炉、シャワー室、台所、[[テレビ]]、[[ビデオ信号記録装置|ビデオ]]、書斎などが装備されていた<ref group="注">[[フランク・シナトラ]]、レッド・ツェッペリン、[[ボブ・ディラン]]、[[エルトン・ジョン]]なども同型の専用機を使用していた。</ref>。
*[[1976年]]には、小型の[[プロペラ機]]『ヴァイカウント号』を借りている。
*[[日本]]での人気は凄まじく、アルバムや[[楽譜]]の売上が[[ローリング・ストーンズ]]を遥かに上回った。レコード会社も音楽雑誌も、彼等をレッド・ツェッペリンと並ぶ二大ハードロック・バンドと呼んた<ref group="注">後にパープル・ファミリーの一員になったレインボーも日本では格別の人気があり、メンバーが来日時は「[[ビートルズ]]のような扱いを受けた」と語ったと伝えられている。</ref>。[[1995年]]、[[王様]]が彼等の曲のメドレーを日本語で直訳した歌詞で歌う「[[深紫伝説]]」をヒットさせ、同年の[[第37回日本レコード大賞]]・企画賞を受賞した。
== パープル・ファミリー ==
ディープ・パープルはメンバーの入れ替えが多く、各メンバーの脱退後の活動やソロ活動も盛んで、パープル・ファミリーは常にロック界をリードしてきた。以下は彼等の活動のごく一部である。
* {{仮リンク|ペイス・アシュトン・ロード|en|Paice Ashton Lord}}
: ペイスとロードが第4期解散後の1976年8月に{{仮リンク|トニー・アシュトン|en|Tony Ashton}}、[[バーニー・マースデン]]、ポール・マルチネスと結成。アルバム1枚を発表して1978年5月に解散。
* {{仮リンク|ウォーホース|en|Warhorse (British band)}}
: シンパーが結成したバンド。ボーカリストのアシュリー・ホルトはディープ・パープルのオーディションの最終選考まで残った人物で、後に[[リック・ウェイクマン]]と活動した。
* [[キャプテン・ビヨンド]]
: エヴァンスがアメリカで参加した新しいバンド。彼はセカンド・アルバムの発表後に脱退したが、バンドはその後も活動を続け、さらにアルバムを1枚発表した。
* [[レインボー (バンド)|レインボー]]
: ブラックモアが1974年に脱退して結成したハードロック・バンド。グローヴァー、ターナー、エイリーもメンバーだった。[[ロニー・ジェイムス・ディオ]]や[[グラハム・ボネット]]など、後にハード・ロック/ヘヴィメタル・シーンで活躍するシンガーを輩出。[[コージー・パウエル]]のドラミングも人気を呼んだ。[[1978年]]の札幌公演で起こった観客の死亡事故は大きなニュースとなった(詳細は[[レインボー (バンド)#1978年の札幌公演での事故]]を参照)。
* [[ブラックモアズ・ナイト]]
: ブラックモアが[[1997年]]に当時の恋人[[キャンディス・ナイト]](現夫人)と結成したデュオ。中世からルネッサンス期の音楽を主なモチーフとし、ナイトはボーカルを担当し、ブラックモアは主に[[アコースティック・ギター]]を演奏。現在も活動中。
* [[レインボー (バンド)|リッチー・ブラックモアズ・レインボー]]
: ブラックモアズ・ナイトと並行する形で2016年から活動を開始。
* [[ホワイトスネイク]]
: カヴァデールが結成したバンド。後にロードとペイスが参加。数多くの著名なギタリストを輩出し、1980年代後半には全米チャートも制覇した。「紫の炎」「ミストゥリーテッド」などカヴァデールのディープ・パープル時代の楽曲も演奏。
* [[カヴァーデイル・ペイジ]]
: カヴァデールと[[ジミー・ペイジ]]の[[1990年代]]前半のプロジェクト。アルバム1枚と日本でのライブ・ツアーだけ解散。
* ヒューズ・スロール
: ヒューズと、元パット・トラヴァースなどとともに活動していたギタリストの[[パット・スロール]]によるプロジェクト。
* ギラン=グローヴァー
:ギランとグローヴァーのユニット。1988年にエレクトロ・サイケデリック・ポップのアルバム『アクシデンタリー・オン・パーパス』を発表。
* イアン・ペイスのソロ活動
:[[1999年]]の[[ポール・マッカートニー]]の[[ロックンロール]]・アルバム『[[ラン・デヴィル・ラン]]』に参加し、アメリカやイギリスの複数のテレビやラジオ番組に出演してライブ演奏した。その一部は日本でも放送された。
* グレン・ヒューズのソロ活動
:ベーシストとしてばかりではなくボーカリストとしての評価も高い。[[ゲイリー・ムーア]]のソロ・アルバムや[[ブラック・サバス]]のアルバムに全面参加するなど現在も盛んに活動中。
* トミー・ボーリンのソロ活動
:ディープ・パープルに加入する際にソロ活動も続けるという条件が認められ、2枚のソロ・アルバムをリリースした。
* スティーヴ・モーズの活動
:モーズは[[ディキシー・ドレッグス]](後にドレッグスと改名)、第一期スティーヴ・モーズ・バンド、[[カンサス (バンド)|カンサス]]でキャリアを積んだギタリストで、ディープ・パープルに加入した後もスティーヴ・モーズ・バンドを並行して活動させ。
== ディスコグラフィ ==
{{Main|ディープ・パープルの作品}}
=== 結成 - 解散宣言 ===
====スタジオ・アルバム ====
*『[[ハッシュ (アルバム)|ハッシュ]]』 - ''[[:en:Shades of Deep Purple|Shades of Deep Purple]]'' (1968年発表、第1期)
*『[[詩人タリエシンの世界]]』 - ''[[:en:The Book of Taliesyn|The Book of Taliesyn]]'' (1968年発表、第1期)
*『[[ディープ・パープル III]]』 - ''[[:en:Deep Purple (album)|Deep Purple]]'' - (1969年発表、第1期)
*『[[ディープ・パープル・イン・ロック]]』 - ''[[:en:Deep Purple in Rock|Deep Purple in Rock]]'' (1970年発表、第2期)
*『[[ファイアボール (アルバム)|ファイアボール]]』 - ''[[:en:Fireball (album)|Fireball]]''(1971年発表、第2期)
*『[[マシン・ヘッド]]』 - ''[[:en:Machine Head (album)|Machine Head]]'' (1972年発表、第2期)
*『[[紫の肖像]]』 - ''[[:en:Who Do We Think We Are|Who Do We Think We Are]]'' (1973年発表、第2期)
*『[[紫の炎]]』 - ''[[:en:Burn (Deep Purple album)|Burn]]'' (1974年発表、第3期)
*『[[嵐の使者]]』 - ''[[:en:Stormbringer (album)|Stormbringer]]'' (1974年発表、第3期)
*『[[カム・テイスト・ザ・バンド]]』 - ''[[:en:Come Taste the Band|Come Taste the Band]]'' (1975年発表、第4期)
==== ライブ・アルバム ====
*『[[ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ|ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ]]』 - ''[[:en:Concerto for Group and Orchestra|Concerto for Group and Orchestra]]'' (1969年発表)
*『[[ライヴ・イン・ジャパン (ディープ・パープルのアルバム)|ライヴ・イン・ジャパン]]』 - ''[[:en:Made in Japan (album)|Made in Japan]]'' (1972年日本公演を収録、1972年発表)
*『[[イン・コンサート (ディープ・パープルのアルバム)|イン・コンサート]]』 - ''[[:en:Deep Purple in Concert|Deep Purple in Concert]]'' (1970年と1972年の公演を収録、1980年発表)
*『[[カリフォルニア・ジャム 1974]]』 - ''[[:en:California Jamming|California Jam 1974]]'' (1974年カリフォルニア・ジャムでの公演を収録)
*『[[ライヴ・イン・ロンドン (ディープ・パープルのアルバム)|ライヴ・イン・ロンドン]]』 - ''[[:en:Live in London (Deep Purple album)|Live in London]]'' (1975年ロンドン公演を収録、1982年発表)
*『[[メイド・イン・ヨーロッパ]]』 - ''[[:en:Made in Europe|Made in Europe]]'' (1975年ヨーロッパ公演を収録、1976年発表)
*『[[紫の昇華〜ザ・ファイナル・コンサート〜]]』 - ''[[:en:Mk III: The Final Concerts|Mk III: The Final Concerts]]'' (1975年ヨーロッパ公演を収録、1996年発表)
*『[[ラスト・コンサート・イン・ジャパン]]』 - ''[[:en:Last Concert in Japan|Last Concert in Japan]]'' (1975年日本公演を収録、1977年発表)
*『[[ライブ・イン・ジャパン1975]]』 - ''[[:en:This Time Around: Live in Tokyo|This Time Around: Live in Tokyo]]'' (1975年日本公演を収録、2001年発表)
*『[[紫の神技〜ライブ・イン・カリフォルニア・ロング・ビーチ・アリーナ1976]]』 - ''[[:en:King_Biscuit_Flower_Hour_Presents:_Deep_Purple_in_Concert|King Biscuit Flower Hour Presents: Deep Purple in Concert]]'' (1976年アメリカ公演を収録、1995年発表)
*『[[ジェミニ・スイート・ライヴ]]』- ''Deep Purple And The Orchestra Of The Light Music Society Conducted By Malcolm Arnold – Gemini Suite Live'' <ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/master/146438-Deep-Purple-And-The-Orchestra-Of-The-Light-Music-Society-Conducted-By-Malcolm-Arnold-Gemini-Suite-Li |title=Discogs |access-date=2023年5月19日}}</ref>(1970年ロンドンの[[ロイヤル・フェスティバル・ホール]]で録音、1993年発表)
==== コンピレーション・アルバム ====
*『[[紫の軌跡]]』 - ''[[:en:Purple_Passages|Purple Passages]]'' (第1期の発表曲から11曲とアルバム未収録のシングル曲「エマレッタ」を収録、1972年発表)
*『[[ブラック・ナイト= 24カラット]]』 - ''[[:en:24 Carat Purple|24 Carat Purple]]'' (1975年発表)
*『[[パワー・ハウス]]』 - ''[[:en:Powerhouse (Deep Purple album)|Powerhouse]]'' (第2期の未収録音源、ライブ音源を収録、1977年発表)
*『[[パープル・ロール]]』 - ''[[:en:When We Rock, We Rock, and When We Roll, We Roll|When We Rock, We Rock, and When We Roll, We Roll]]'' (第1期から第3期までの発表曲を編集、1978年発表)
*『[[ディーペスト・パープル]]』 - ''[[:en:Deepest Purple: The Very Best of Deep Purple|Deepest Purple: The Very Best of Deep Purple]]'' (第2期、第3期発表曲を編集、1980年発表)
=== 再結成 - 現在 ===
==== スタジオ・アルバム ====
*『[[パーフェクト・ストレンジャーズ]]』 - ''[[:en:Perfect Strangers (album)|Perfect Strangers]]'' (1984年発表、第5期)
*『[[ハウス・オブ・ブルー・ライト]]』 - ''[[:en:The House of Blue Light|The House of Blue Light]]'' (1987年発表、第5期)
*『[[スレイヴス・アンド・マスターズ]]』 - ''[[:en:Slaves and Masters|Slaves and Masters]]'' (1990年発表、第6期)
*『[[紫の聖戦]]』 - ''[[:en:The Battle Rages On|The Battle Rages On]]'' (1993年発表、第7期)
*『[[紫の証]]』 - ''[[:en:Purpendicular|Purpendicular]]'' (1996年発表、第8期)
*『[[アバンダン]]』 - ''[[:en:Abandon (album)|Abandon]]'' (1998年発表、第8期)
*『[[バナナズ]]』 - ''[[:en:Bananas (album)|Bananas]]'' (2003年発表、第9期)
*『[[ラプチャー・オブ・ザ・ディープ]]』 - ''[[:en:Rapture of the Deep|Rapture of the Deep]]'' (2005年発表、第9期)
*『[[ナウ・ホワット?!]]』 - ''[[:en:Now What?!|Now What?!]]'' (2013年発表、第9期)
*『[[インフィニット (ディープ・パープルのアルバム)|インフィニット]]』 - ''[[:en:Infinite (Deep Purple album)|Infinite]]'' (2017年発表、第9期)
* 『[[ウーッシュ!]] 』 - ''[[:en:Whoosh!|Whoosh!]]''(2020年8月、第9期)
* 『ターニング・トゥ・クライム』 - ''[[:en:Turning to Crime|Turning to Crime]]''(2021年11月、第9期)
==== ライブ・アルバム ====
*『[[ネブワース'85]]』 - ''[[:en:In the Absence of Pink|In the Absence of Pink: Knebwoth '85]]'' (1985年[[ネブワース・ハウス|ネブワース]]公演を収録、1991年発表)
*『[[ノーバディーズ・パーフェクト]]』 - ''[[:en:Nobody's Perfect (album)|Nobody's Perfect]]'' (1987年と1988年の公演を収録、1988年発表)
*『[[ライヴ・紫の閃光]]』 - ''[[:en:Come Hell or High Water|Come Hell or High Water]]'' (1993年の公演を収録、1994年発表)
*『[[紫神転生〜ライヴ・アット・ジ・オリンピア'96〜]]』 - ''[[:en:Live at The Olympia '96|Live at The Olympia '96]]'' (1996年の公演を収録、1997年発表)
*『[[トータル・アバンダン]]』 - ''[[:en:Total Abandon: Australia '99|Total Abandon: Australia '99]]'' (1999年オーストラリア公演を収録、1999年発表)
*『[[ライブ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール (ディープ・パープルのアルバム)|ライブ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール]]』 - ''[[:en:Live at the Royal Albert Hall (Deep Purple album)|Live at the Royal Albert Hall]]'' (1999年の公演を収録、2000年発表)
*『[[ライヴ・アット・モントルー2006]]』 - ''[[:en:Live at Montreux 2006|Live at Montreux 2006]]: They All Came Down to Montreux'' (2006年モントルー公演を収録、2007年発表)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
== 参考文献 ==
*『DEEP PURPLEIN BOOK ディープ・パープル全史』2018年 [[シンコーミュージック・エンタテイメント]] ISBN 9784401646722
*吉田弘和編 『ディープ・パープル,ブリティッシュ・ロックの王者:紫神』 シンコー・ミュージック、1976年
*三木千寿著 『リッチー・ブラックモア―狂気の雷舞』 シンコー・ミュージック、1977年
*クリス・チャールズワース 『ディープ・パープル :フォト・バイオグラフィー』 内田久美子・成田寿恵子訳、シンコー・ミュージック、1984年
*TORU FUJIWARA編: 『天才ギタリスト :リッチー・ブラックモア』 バーン・コーポレーション、1998年
* Dave Thompson,'' Smoke on the water: The Deep Purple Story '',Canada:ECW Press, 2004
* {{Citation|last=Popoff|first=Martin|title=The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979)|year=2016|publisher=Wymer Publishing|isbn=978-1-908724-42-7}}
== 外部リンク ==
{{commonscat|Deep Purple}}
* [https://www.deep-purple.com/ 公式サイト](英語)
* [http://www.thehighwaystar.com/ The Highway Star](英語)
* [http://www.deep-purple.net/ DPAS](英語)
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4,917 | レッド・ツェッペリン | レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)は、1968年にロンドンで結成されたイギリスのロックバンド。メンバーはボーカリストのロバート・プラント、ギタリストのジミー・ペイジ、ベーシスト/キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズ、ドラマーのジョン・ボーナム。ブルースやフォークミュージックなど、さまざまな影響を受けたスタイルでありながら、重厚なギターサウンドで、ハードロックやヘヴィメタルの先駆者の一つとして挙げられている。レッド・ツェッペリンは、特にアルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)とスタジアム・ロックの発展において、音楽業界の性質に大きな影響を与えたとされている。
結成当初、ニュー・ヤードバーズと名乗ったレッド・ツェッペリンは、アトランティック・レコードと契約を結び、かなりの芸術的な自由を与えられた。当初は批評家に不人気であったが、10年間の活動で8枚のスタジオアルバムをリリースし大きな商業的成功を収めた。1969年のデビュー作である『レッド・ツェッペリン I』は、いくつかの国でトップ10を記録し、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」、「幻惑されて」、「コミュニケイション・ブレイクダウン」などの曲をフィーチャーしていた。『レッド・ツェッペリン II』(1969)は最初のナンバーワンアルバムであり、「ランブル・オン」と「胸いっぱいの愛を」を生み出した。1970年には「移民の歌」をフィーチャーした『レッド・ツェッペリン III』をリリースした。『レッド・ツェッペリン IV』(1971)として一般に知られている4枚目のアルバムは、3700万枚の売り上げを記録し、歴史上最も売れたアルバムの一つである。同作には「ブラック・ドッグ」、「ロックン・ロール」、「天国への階段」が収録され、「天国への階段」はロック史上最も人気があり影響力のある曲の一つである。『聖なる館』(1973)は、「オーシャン」、「丘のむこうに」、「レイン・ソング」を生み出した。2枚組アルバムの『フィジカル・グラフィティ』(1975)は「トランプルド・アンダーフット」と「カシミール」をフィーチャーした。
ペイジはバンドの活動初期に曲の大半を執筆し、プラントが歌詞の大半を創作した。ジョーンズが作曲したキーボードベースの曲は、活動後期に彼らの音楽の中心となり、実験的な曲も増加した。活動の後半に行われた一連のツアーは数々の記録を打ち立て、自堕落な乱痴気騒ぎの悪評も得た。彼らは商業的に成功し、多くの批判も受けたが、ツアーと『プレゼンス』(1976)や『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』(1979)を含む作品のリリースは停滞し、1980年のボーナムの死後にグループは解散した。
その後、残されたメンバーは散発的にコラボレーションを行い、再結成を果たした。 これらの中で最も成功したのは、ロンドンで開催された2007年のアーメット・アーティガン・トリビュート・コンサートで、ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムがドラムを演奏した。
レッド・ツェッペリンは、これまでで最も売れたアーティストの一つである。彼らの記録的な総販売枚数は、世界中で2億から3億枚と推定されている。彼らはイギリスで連続8枚のナンバーワンアルバム、アメリカのビルボード200で6枚のナンバーワンアルバムを達成し、そのうち5枚のアルバムはアメリカでダイヤモンドの認定を受けた。ロックの殿堂のバンドの伝記には、『1970年代の彼らは、1960年代のビートルズと同じ影響力があった。』と記載されており、ローリング・ストーン誌はハードロック(ヘヴィメタル)に多大な影響を与えた彼らを「史上最もヘビィなバンド」「70年代の最大のバンド」、そして「疑いなくロック史上最も永続的なバンドの1つ」と表現している。
1966年、ロンドンを拠点にセッションギタリストとして活動していたジミー・ペイジはベーシストとして、ポール・サミュエル=スミスが脱退したヤードバーズに加入した。程なくしてペイジはクリス・ドレヤと入れ替わってギターを担当することとなり、ジェフ・ベックとのツインリードのラインナップが形成された。1966年10月にベックが脱退し、絶え間ないツアーとレコーディングに疲弊していたヤードバーズはその活動を縮小し始めた。ペイジは自身とベックがギターを担当し、ドラムにキース・ムーン、ベースにジョン・エントウィッスルを迎えてスーパーグループを結成することを考えており、ボーカリストのスティーヴ・ウィンウッドとスティーヴ・マリオットをこのプロジェクトに加えることも検討された。ペイジ、ベック、ムーンは1966年にベーシスト、キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズも参加したセッションで「ベックス・ボレロ」を一緒に録音したが、グループは結成されなかった。
ヤードバーズは1968年7月にベッドフォードシャーのルートン工科大学で最後のギグを行った。彼らはまだスカンジナビアでいくつかのコンサートを行う予定があったため、ドラマーのジム・マッカーティとボーカリストのキース・レルフは、ペイジとベーシストのクリス・ドレヤにヤードバーズの名前を使って活動を継続することを認めた。ペイジとドレヤは新しいラインナップをまとめ始めた。リード・ボーカルのペイジの最初の選択はテリー・リードだったが、リードは申し出を断り、バンド・オブ・ジョイとホブストウィードルのシンガーであるロバート・プラントを提案した。プラントは最終的にその申し出を受け入れ、ドラマーに元バンド・オブ・ジョイのジョン・ボーナムを推薦した。ジョン・ポール・ジョーンズはドレヤが写真家になるためにプロジェクトから脱退した後、妻に勧められベーシストの空きがあるかをペイジに尋ねた。ペイジは自分と同じくセッション・ミュージシャンであったジョーンズのことを知っており、彼を最終メンバーとして参加させることに同意した。
1968年8月、4人はロンドンのジェラード・ストリートにあるレコード店の下の部屋で初めて一緒に演奏した。ペイジは、ヤードバーズもカバーしていたジョニー・バーネットのロカビリーバージョンで人気があったジャンプ・ブルース曲「トレイン・ケプト・ア・ローリン」の演奏を提案した。ジョーンズは「ジョン・ボーナムの演奏を聴くやいなや、このバンドが偉大になるとわかった。僕たちは、すぐにチームとしてともにロックした」と回想している。スカンジナビアに向けて出発する前に、グループはP・J・プロビーのアルバム『スリー・ウィーク・ヒーロー』のレコーディングセッションに参加した。プラントのハーモニカをフィーチャーした同アルバムの収録曲「Jim's Blues」は、レッド・ツェッペリンの将来の4人のメンバー全員が参加した最初のスタジオ・トラックだった。
バンドは1968年9月7日、デンマークのグラッドサクセにあるグラッドサクセ・ティーン・クラブにおいて、オーディエンスの前で初めて演奏した。このスカンジナビアン・ツアーでバンドは「ヤードバーズ」として告知され、9月24日のノルウェー、オスロでツアーを完了した。9月後半に彼らはライブセットに基づいたファースト・アルバムのレコーディングを開始した。アルバムは9日間で録音およびミックスが行われ、ペイジが費用を負担した。アルバムの完成後にドレヤが停止通告書を送付し、バンドは名前の変更を余儀なくされ、ペイジはスカンジナビアでのコンサートにのみニュー・ヤードバーズの名称を使用することが許可されたと述べた。新しいバンドの名前がどのように決定したかについての一説は、ベックのシングル録音のために行ったセッションで、キース・ムーンが「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の気球(lead (発音は[led]) balloon)みたいに急降下するだろうぜ」と発言したことによるとされる。「go down like a lead balloon」は「ぽしゃる」という意味の慣用句で、ムーンの口癖であったという。同席していたマネージャーのピーター・グラントがこの時のムーンの言葉からヒントを得て、([liːd]と誤って発音されるのを避けるため)「lead」から「a」を落として「led」に、「balloon」は「zeppelin」に置き換えられた。「zeppelin」は音楽ジャーナリストのキース・シャドウィックによると、ペイジの心に「重さと軽さ、可燃性と優雅さの完璧な組み合わせ」をもたらした言葉であるとされる。
グラントは1968年11月にアトランティック・レコードから143,000ドルの前払い契約(現在の価格で1,030,000ドル)を確保した。当時、この種の新しいバンドとしては最高額の契約だった。アトランティックは主にブルース、ソウル、ジャズのアーティストのカタログを持つレーベルだったが、1960年代後半に、イギリスのプログレッシブ・ロックに興味を持ち始めた。ジョーンズの友人であったイギリスの歌手ダスティ・スプリングフィールドは当時アトランティックでの最初のアルバム、『ダスティ・イン・メンフィス』を完成させていた。彼女の推薦で、アトランティックの幹部はレッド・ツェッペリンを実際に見ることなく、契約書にサインした。その契約条件で、バンドはアルバムのリリース時期とツアー開催の決定権及び各アルバムの内容とデザインについての最終決定権を持っていた。また、それぞれのアルバムの宣伝方法と、どの曲をシングルとしてリリースかの決定権も所有した。彼らはすべての出版権を処理するために独自の会社、スーパーハイプを設立した。
バンドは1968年10月4日に最初のイギリス・ツアーを開始したが、その時点ではニュー・ヤードバーズとして告知が行われている。彼らは10月25日にバタシーのサリー大学でレッド・ツェッペリンとして最初のショーを行った。後にバンドのツアーにおける重要人物となるツアーマネージャーのリチャード・コールは、年末に最初の北米ツアーを企画した。彼らのデビュー・アルバムである『レッド・ツェッペリン I』は北米ツアー中の1969年1月12日にリリースされ、ビルボードのチャートで最高10位を記録した。イギリスでは3月31日に最高6位を記録した。スティーヴ・アールワインによると、アルバムは印象的なギターリフ、重苦しいリズム、サイケデリック・ブルース、グルーヴィーでブルージーなシャッフル、イギリスのフォークミュージックのヒントが、「ハードロックとヘヴィメタルの進化における重要なターニングポイント」となったとする。
レッド・ツェッペリンは活動一年目にアメリカとイギリスで4度のコンサートツアーを行い、セカンド・アルバム『レッド・ツェッペリン II』もリリースした。このアルバムは北米ツアー中にさまざまなスタジオで録音され、ファースト・アルバムよりもさらに大きな商業的成功を収め、アメリカとイギリスでチャート1位に到達した。このアルバムはデビュー作で確立されたブルース・ロックの音楽スタイルをさらに発展させ、「重くて硬く、荒々しく直接的」で、非常に影響力があり、多くに模倣されるサウンドを作成した。スティーヴ・ワクスマンは、『レッド・ツェッペリンII』が「ヘヴィメタルの音楽的出発点」であると示唆している。
彼らは自らのアルバムを不可分で一体な作品と見なし、シングルとしてリリースするために既存のトラックを再編集することを嫌っていた。グラントは、ロックミュージックがラジオやテレビで放送されることがほとんどなかったイギリスにおいて、積極的なプロアルバムのスタンスを維持した。しかし、特にアメリカでは、バンドの同意なしに一部の曲がシングルとしてリリースされた。1969年、セカンド・アルバムの収録曲「胸いっぱいの愛を」の編集版がシングルとしてアメリカでリリースされた。この曲は1970年1月にビルボードのチャートで4位に達し、100万枚以上を売り上げ、バンドの人気を確固たるものにした。彼らはまた、ファンがライブコンサートでその姿を見たり演奏を聞きたがったりしていることを理由に、テレビへの出演をますます避けるようになった。
セカンド・アルバムのリリースに続いて、レッド・ツェッペリンはさらにいくつかのアメリカツアーを行った。彼らは最初はクラブやボールルームで演奏し、その後人気が高まるにつれてより大きなホールで演奏した。初期のレッド・ツェッペリンのコンサート(英語版)では、レパートリーのライブバージョンを拡張して即興で演奏したものもあり、4時間以上続いた。これらのライブの多くは録音され、海賊盤として出回っている。バンドのステージ外における乱痴気騒ぎの悪評が築かれたのは、この集中的なコンサートツアーの期間だった。
1970年、ペイジとプラントはウェールズの人里離れたコテージ、ブロン・イ・アーに籠もり、サード・アルバム『レッド・ツェッペリン III』の制作を開始した。アルバムはフォークやケルト音楽の影響を強く受け、バンドの多様性を示す、よりアコースティックなスタイルが生まれた。アルバムの豊かなアコースティックサウンドに対して人々は当初複雑な反応を示した。批評家やファンは前二作のエレクトリックなアレンジからの転換に驚き、バンドのマスコミに対する敵意をさらに煽った。『レッド・ツェッペリン III』はアメリカとイギリスのチャートで1位となったが、滞在期間はファーストアルバムから5作目までの中で最短だった。アルバムのオープニングトラック「移民の歌」は、バンドの意向に反して1970年11月にアメリカでシングルとしてリリースされ、ビルボードチャートのトップ20に到達した。
1970年代にレッド・ツェッペリンは商業的かつ重要な成功の新たな高みに到達し、当時の最も影響力のあるグループの一つとなり、それまでの業績を凌駕した。メンバーが精巧で華やかな衣装を着るようになるとバンドのイメージも変化し、ペイジはきらびやかな月と星のドラゴンスーツで華やかな外観をリードした。レッド・ツェッペリンは、レーザー光線やプロによるライティング、ミラーボールなどを使用してショーの有り様を変えた。彼らはスターシップと呼ばれるプライベートジェット(ボーイング720)で各地に移動し、ホテル(その中にはロサンゼルスのコンチネンタル・ハイアット・ハウス、通称「ライオット・ハウス」として知られたホテルも含まれる。)のワンフロアを貸し切りにして、頻繁に乱痴気騒ぎを繰り返した。ジョン・ボーナムはライオット・ハウスのフロアをバイクで走り抜けた。また、彼らは東京ヒルトンの部屋を日本刀で破壊し、同ホテルから永久に宿泊禁止とされた。レッド・ツェッペリンはホテルのスイートルームをゴミ箱に変え、テレビを窓から投げ出すという暴挙に及んだとされるが、これらの話は誇張されていると示唆する人もいる。音楽ジャーナリストのクリス・ウェルチによれば、「(レッド・ツェッペリンの)ツアーは多くの物語を生み出したが、(彼らは)絶えず理不尽な破壊と淫らな行為に及んでいたというのは神話だった。」という。
レッド・ツェッペリンは1971年11月8日に4枚目のアルバムをリリースした。これは、『レッド・ツェッペリンIV』、『無題』、『IV』、またはレーベルに表示された4つのシンボルから、『Four Symbols』、『Zoso』、『Runes』とさまざまに呼ばれている。バンドは「ツェッペリンは誇大評価されている」という音楽プレスに応えるため、タイトルやバンドの情報が表示されないアルバムをリリースしたかったが、レコード会社はジャケットに表記を望んだため、議論の末バンドの4人のメンバーとそれが4枚目のアルバムであることの両方を表す4つのシンボルを表示することに合意した。『レッド・ツェッペリンIV』は3,700万枚を売り上げ、歴史上最も売れたアルバムの一つであり、その絶大な人気によりレッド・ツェッペリンは1970年代におけるスーパースターとしての地位が確固たるものになった。2021年までに『レッド・ツェッペリンIV』はアメリカだけで2,400万枚を売り上げている。収録曲「天国への階段」はシングルとしてリリースされなかったにもかかわらず、1970年代にアメリカのロックラジオ局で最もリクエストが多く、最も再生された曲だった。バンドはアルバムのリリースに続いて、1971年後半から1973年初頭にかけて、イギリス、オーストラリア、北アメリカ、日本、イギリスの順でツアーを行った。
5枚目のアルバム『聖なる館』は、1973年3月にリリースされた。これは、シンセサイザーとメロトロンによるオーケストレーションの使用を拡大したさらなる実験を特徴としている。ロンドンを拠点とするデザイングループ、ヒプノシスによってデザインされたオレンジ色のジャケットは、北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェーを登る裸の子供たちの写真が使用された。ジャケットの子供たちは横顔と後ろ姿しか見えないが、リリース時に物議を醸した。4枚目のアルバムと同様に、バンド名もアルバムタイトルもスリーブに印刷されていなかった。
『聖なる館』は世界中でチャートの首位を記録し、その後に行われた1973年の北米ツアーでは、大きなホールやスタジアムが連続して満員となり、観客動員数の記録を更新した。フロリダのタンパ・スタジアムでは56,800人のファンが訪れ、ビートルズが1965年にシェイ・スタジアムで記録した観客動員数を上回り、309,000ドルを売り上げた。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた3回のコンサートは全て満員となり、映画のために撮影が行われた。しかし、映画の公開は1976年まで延期された。最終夜の公演の前に、ドレイク・ホテルの貸金庫に預けてあった、入場料からのギャラである180,000ドル(現在の価格で1,016,000ドル)が何者かに盗まれた。また1973年に、バンドはイースト・サセックスのジョージ王朝時代の邸宅であるハマーウッド・パークをオークションで購入し、レコーディングスタジオと宿泊施設に改装することを計画した。しかし家は荒れ果てた状態にあり、計画は最終的に棚上げされた。「永遠の詩」のプロモーション・ビデオの撮影に使用されたが、その後1976年には売却された。
1974年、レッド・ツェッペリンはツアーを中断し、未発表曲にちなんで名付けられた独自のレコード・レーベル、スワンソングを立ち上げた。レコードレーベルのロゴは、ウィリアム・リマーの「Evening:Fall of Day」(1869年)という絵を基にしている。この作品はギリシア神話のアポロの物語をテーマにしたもので、『イカロス(或いはイカルス)』の物語を描いたものではない。レーベルのロゴはレッド・ツェッペリンのメモラビリアに使用され、特にTシャツにプリントされた。バンドはスワンソングを自分たちのアルバムを宣伝する手段として使用することに加えて、レーベルの所属アーティストを増やし、バッド・カンパニー、プリティ・シングス、マギー・ベルなどのアーティストと契約した。レッド・ツェッペリンが活動していた間はそれなりの成功を収めていたが、解散後は3年も経たないうちに活動を停止することとなった。
6作目のダブル・アルバム『フィジカル・グラフィティ』はスワンソング・レーベルでの最初のリリースだった。15曲が収録され、そのうち8曲は1974年にヘッドリィ・グランジで録音され、7曲はそれ以前に録音されていた。ローリング・ストーン誌のレビューでは、『フィジカル・グラフィティ』をレッド・ツェッペリンの「芸術的尊敬の念」と呼び、レッド・ツェッペリンが「世界最高のロックバンド」の称号を得るために争わなければならなかったのはローリング・ストーンズとザ・フーだけだったと付け加えた。アルバムは大規模な商業的かつ重要な成功を収めた。『フィジカル・グラフィティ』のリリース直後、レッド・ツェッペリンの既発のアルバム全てが同時にトップ200アルバムチャートに再登場した。バンドは新たな北米ツアーに乗り出し、以前に比べて洗練されたサウンドと照明システムが取り入れられた。1975年5月、レッド・ツェッペリンは当時イギリスで最大のアリーナであったロンドンのアールズ・コート・アリーナで5回のコンサートを行い、いずれも満員となった。
大成功に終わったアールズ・コートでのコンサート後、レッド・ツェッペリンは休暇を取り、サンフランシスコでの2度の野外コンサートで開幕する予定の秋の北米ツアーを計画した。しかし1975年8月、プラントと妻のモーリーンはギリシャのロドス島での休暇中に深刻な自動車事故に遭遇する。プラントは足首を骨折し、モーリーンは重傷を負った。輸血によって彼女の命は取り留められた。プラントは療養のためチャンネル諸島のジャージーに向かい、ボーナムとペイジと共に8月と9月を過ごした。その後、バンドはカリフォルニア州マリブで再集結した。この強いられた休暇の間に、次のアルバム『プレゼンス』のための多くのマテリアルが執筆された。
この時までに、レッド・ツェッペリンは世界一のロックバンドであり、ローリング・ストーンズを含む当時のほとんどのバンドを上回った。1976年3月にリリースされた『プレゼンス』は、レッド・ツェッペリンのサウンドが、以前のアルバムで取り上げられていたアコースティックバラードや複雑なアレンジから離れて、より単純なギターベースのジャムに変化したことを示している。『プレゼンス』はプラチナアルバムを獲得したが、ファンや音楽プレスはさまざまな反応を示し、一部の批評家はバンドの行き過ぎが彼らに追いついた可能性があると示唆した。ペイジはアルバムのレコーディング・セッション中にヘロインの使用を開始した。これは、バンドのその後のライブやスタジオ・レコーディングに影響を与えた可能性があるが、その後の使用は否定している。
プラントの怪我のため、レッド・ツェッペリンは1976年にツアーを行わなかった。代わりに彼らはコンサート映画「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」とそのサウンドトラックアルバムを完成させた。映画は1976年10月20日にニューヨークでプレミア公開されたが、批評家やファンからは芳しい評価を得られなかった。イギリスでは特に成功しなかった。イギリスでは課税回避のため1975年以来ツアーを行うことを望まず、レッド・ツェッペリンは大衆の支持を取り戻すために困難な戦いに直面した。
1977年、レッド・ツェッペリンは大規模な北米コンサートツアーに乗り出した。バンドは4月30日のシルバードームでのコンサートで76,229人の聴衆を集め、新たな観客動員記録を打ち立てた。ギネス世界記録によると、それは一日で最も多くの観客を集めたショーであった。ツアーは大きな収益を上げたが、ステージ外の問題に悩まされていた。4月19日にシンシナティのリバーフロント・コロシアムで行われたコンサートでは、約1,000人のファンがゲートを破壊しようとし、70人以上が逮捕された。一方、他のファンはガラスのドアに岩や瓶を投げて入場しようとした。6月3日、タンパ・スタジアムでのコンサートは、チケットには「"Rain or Shine"」(雨天決行)と表示していたにもかかわらず、激しい雷雨のために短縮されたため、暴動が発生し、観客に負傷者と逮捕者が発生した。
7月23日にカリフォルニア州オークランドのオークランド・コロシアムで開催されたデイ・オン・ザ・グリーンフェスティバルでのショーの後、ボーナムとバンドのサポートスタッフのメンバーが逮捕された。バンドのパフォーマンス中にプロモーターのビル・グラハムのスタッフがひどく殴られたためであった。翌日の2回目のオークランドのコンサートは、バンドのアメリカにおける最後のライブとなった。2日後、ルイジアナ・スーパードームでの7月30日の公演のためにフレンチ・クオーターのホテルにチェックインしたとき、プラントは5歳の息子カラックが胃のウイルスで死亡したという知らせを受け取った。ツアーの残りはすぐにキャンセルされ、レッド・ツェッペリンの将来についての様々な憶測が飛び交った。
1978年11月、グループはスウェーデンのストックホルムにあるポーラー・スタジオでレコーディングを行った。完成したアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は、再び批評家からの複雑な反応を引き出すこととなった実験的サウンドを特徴としていた。それにもかかわらず、アルバムはリリースからちょうど2週目にイギリスとアメリカでナンバーワンに達した。このアルバムのリリースに伴い、レッド・ツェッペリンの旧譜全てが1979年10月27日と11月3日の週にビルボードトップ200に再びチャートインした。
コペンハーゲンでの2回のウォームアップショーの後、1979年8月にレッド・ツェッペリンはネブワース・フェスティヴァルで2回のコンサートのヘッドライナーを務め、初日の夜には約104,000人の観客を魅了した。1980年には6月から7月にかけて通常の長いジャムやソロを使わずに、簡素化されたセットをフィーチャーした、簡潔で控えめなヨーロッパツアーが行われた。 6月27日にドイツのニュルンベルクで行われたショーでは、ボーナムがステージ上で倒れて病院に運ばれたため、コンサートは3曲目の途中で終了となった。マスコミは彼が倒れたのは過度の飲酒と薬物使用の結果であったことを示唆したが、バンドは彼が単に食べ過ぎたためであったと主張した。
1977年以来のバンドの最初の北米ツアーは1980年10月17日に開始される予定だった。9月24日、ボーナムはブレイ・スタジオでのリハーサルに参加するためにアシスタントのレックス・キングに迎えられた。道中ボーナムは朝食に立ち寄るよう頼んだ。彼はハムロール1つを食べ、4杯のウォッカ(16 - 24 オンス(470 - 710ml))を飲んだ。ハムロールを一口食べた後、彼はキングに「朝食」と言った。彼はスタジオに到着した後も飲み続けた。その夜遅くにリハーサルは中止され、バンドはウィンザーのクルーワーにあるペイジの家、オールドミルハウスに移動した。
真夜中過ぎに眠りに落ちたボーナムはベッドに連れて行かれ、寝かされた。翌日の午後1時45分、ベンジ・ルフェーブル(新しいツアーマネージャー)とジョン・ポール・ジョーンズはボーナムが死んでいるのを発見した。死因は嘔吐による窒息であり、偶然の事故死であった。検死ではボーナムの体内から娯楽用ドラッグは見つからなかった。彼は当時、不安を紛らわせるために Motival(抗精神病薬のフルフェナジンと三環系抗うつ薬のノルトリプチリンの混合薬)を服用し始めていたが、これらの薬剤が彼の体内のアルコールと相互作用したかどうかは不明である。ボーナムの遺体は火葬され、遺灰は1980年10月12日、ウスターシャーのラッショック教区教会で埋葬された。
予定されていた北米ツアーはキャンセルされ、コージー・パウエル、カーマイン・アピス、バリエモール・バーロウ、サイモン・カーク、リック・リー、ベヴ・ベヴァンが彼の代わりとしてグループに加わるという噂にもかかわらず、メンバーは解散を決めた。1980年12月4日の声明は次のように述べている。「私たちは、私たちの親友の喪失と彼の家族に対する私たちの深い尊敬、そして私たち自身と私たちのマネージャーによって感じられる、調和のとれた深い感覚と共に、私たちは続けることができないと決心しました。我々がそうであったように。」声明は単に「レッド・ツェッペリン」とだけ署名された。
レッド・ツェッペリンの解散後、メンバーによる最初の重要な音楽プロジェクトはハニードリッパーズだった。これはプラントが1981年に最初に結成したものである。 バンドはペイジがリードギターを担当し、そこに2人の友人のスタジオミュージシャンが加わった。その中にはジェフ・ベックとポール・シェーファー、ナイル・ロジャースもいた。彼らは1984年に唯一のアルバムをリリースした。プラントはツェッペリンとは異なる方向に焦点を当て、スタンダードを演奏し、よりR&Bスタイルに傾いた。アルバムのハイライトは「シー・オブ・ラブ」のカバーで、同曲はシングルカットされ、1985年初頭にビルボードチャートの3位に達した。
『最終楽章 (コーダ)』 - アウトテイクと未使用のトラックのコレクション - は1982年11月にリリースされた。1970年のロイヤル・アルバート・ホールのライヴから2曲が収録され、それぞれが『レッド・ツェッペリンIII』と『聖なる館』からのもので、3曲は『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』セッションからのものだった。また、「モントルーのボンゾ」と呼ばれる、1976年のボーナムのドラムインストゥルメンタルにペイジが電子効果を追加した曲も収録された。
1985年7月13日、ペイジ、プラント、ジョーンズはフィラデルフィアのJFKスタジアムでのライヴエイドのために再会し、ドラマーのトニー・トンプソンとフィル・コリンズ、ベーシストのポール・マルティネスと共にショートセットを演奏した。フィル・コリンズがパフォーマンス中に3人を呼び込み、「ロックン・ロール」「天国への階段」「胸いっぱいの愛を」を演奏した(ドラムスはトンプソンとコリンズ、「天国への階段」のベースギターはマルチネスが担当。なお、コリンズの後日のコメントは、ツェッペリンと共演したいが為にイベントを利用したというものと、成り行きで決まっただけで彼自身は望んでなかった、という正反対のものが残されており、真相は不明である。コリンズはプラントの最初の2枚のソロアルバムに参加し、マルティネスはプラントのソロバンドのメンバーだった。演奏は2人のドラマーとのリハーサルの欠如、ペイジの調律外れのギターとの闘い、モニターの機能不全、およびプラントの嗄声によって損なわれた。ペイジはパフォーマンスを「かなり混乱していた」と表現し、プラントはそれを「ひどいもの」と特徴づけた。
3人は1988年5月14日にアトランティック・レコード40周年コンサートで再び再会し、このときはボーナムの息子ジェイソンがドラムを演奏した。結果は再びバラバラになった。プラントとペイジは、ステージに上がる直前に「天国への階段」を演奏するかどうかについて議論し、ジョーンズのキーボードはテレビで中継されなかった。ペイジはパフォーマンスを「一つの大きな失望」と表現し、プラントは「ギグはファウルだった」と述べた。
ペイジの監修下リマスターが行われたレッド・ツェッペリン初のコンピレーション・アルバム『レッド・ツェッペリン (ボックスセット)』は1990年にリリースされた。このリリースによってバンドは再評価され、再結成についてメンバー間で中途半端な議論が引き起こされた。このセットにはロバート・ジョンソンの「トラベリング・リバーサイド・ブルース」のカバーを含む、4つの未発表曲が含まれていた。同曲はビルボードのアルバムロックトラックチャーで最高7位に達した。『レッド・ツェッペリン・ボックスセット2』は1993年にリリースされた。2つのボックス・セットは、既知のスタジオ・レコーディングと、いくつかの珍しいライブ・トラックが含まれていた。
1994年、ペイジとプラントはMTVの「UnLedded」プロジェクトのために再会した。彼らは後に『ノー・クォーター』というアルバムをリリースした。これはツェッペリンの曲を再録音した物が収められ、翌年にはワールドツアーを行った。このプロジェクトについてジョーンズは知らされておらず、これはメンバー間の亀裂の始まりであったと言われている。
1995年にレッド・ツェッペリンはロックの殿堂入りした。授賞式のプレゼンテーターはエアロスミスのスティーブン・タイラーとジョー・ペリーが務めた。ジェイソンとゾーイ・ボーナムも出席し、父親に代わって賞を受け取った。式典でジョーンズは賞を受け取ったときに「やっと僕の電話番号を思い出してくれて、友に感謝します。」と冗談を言い、ペイジとプラントが驚きとぎこちない表情を示したことで、バンドの亀裂が明らかになった。その後、彼らはタイラーとペリー、ジェイソン・ボーナムと演奏を行った。2回目はニール・ヤングとの短いセットを演奏し、今回はマイケル・リーがドラムを担当した。
1997年、アトランティックはアメリカとイギリスで「胸いっぱいの愛を」の編集版シングルをリリースした。これは彼らの母国でリリースされた唯一のシングルで、全英シングルチャートで最高21位に達した。1997年11月には、2枚組CD『BBCライヴ』がリリースされた。これは1969年と1971年に録音され、BBCで放送された音源が元になっている。ペイジとプラントは1998年に『ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル』という2枚目のアルバムをリリースした。これは全てが新曲で構成されているが、売り上げは振るわず、計画されたオーストラリアツアーの前にパートナーシップは解消された。
2003年には、3枚組のライブアルバム『伝説のライヴ』と『レッド・ツェッペリン DVD』がリリースされた。『DVD』はバンドの活動を6時間に及ぶ数々のライブ映像で表した物で、当時最も売れた音楽DVDとなった。2007年7月、アトランティック / ライノとワーナー・ホーム・ビデオは、その11月にリリースされる3つのツェッペリンのタイトルを発表した。バンドのキャリアから24曲を選んだコンピレーションの『マザーシップ』、未発表曲を追加した『永遠の詩 (狂熱のライヴ)』のリマスター版、『DVD』の再発盤であった。ツェッペリンはまた、アルバムの配信も始めた。彼らはアルバムのネット配信を行う最後の主要なロックバンドの一つであった。
2007年12月10日、ツェッペリンはロンドンのO2アリーナで開催されたアーメット・アーティガン・トリビュート・コンサートで再結成し、ジェイソン・ボーナムが再び父親の代わりにドラムを演奏した。ギネス世界記録2009によると、このショーはチケットがオンラインで販売されたが、2,000万件の申し込みがあったため「1回の音楽コンサートのチケットに対する最大の需要」の記録を打ち立てた。批評家はパフォーマンスを賞賛し、完全な再結成についての憶測が広がった。ペイジ、ジョーンズ、ジェイソン・ボーナムはツアーを行う意欲があり、新しいツェッペリンプロジェクトのマテリアルに取り組んでいると伝えられた。しかしながらプラントはアリソン・クラウスとのツアーを続け、2008年9月に彼はバンドと一緒にレコーディングしたりツアーしたりしないと述べた。「私は忙しいので、彼らはただ待たなければならないだろうと彼らに言った。」と彼は2014年に回想している。「私は最終的にはやって来たが、少なくとも私の知る限り、彼らはそれで大丈夫だった。しかし、そうではなかったことが分かった。そしてさらにもっとがっかりしたのは、ジミーが私に対してそれを使用したことだ。」
ジョーンズとペイジは、プラントの代役を探したと伝えられている。代役の候補者には、エアロスミスのスティーブン・タイラー、アルター・ブリッジのマイルズ・ケネディが含まれていた。しかし、2009年1月にプロジェクトは放棄されたことが確認された。「ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジェイソン・ボーナムと演奏する機会を得たことは非常に特別なことだった」とケネディは回想した。「それはまさにそこにある天頂である。それはクレイジーで良い経験だった。それは私が今でもよく考えていることである...それは私にとってとても貴重である。」
O2でのライブは「祭典の日」として2012年10月17日に公開され、11月19日にDVDでリリースされた。この映画は一晩で200万ドルの収益を上げ、ライブアルバムはイギリスとアメリカそれぞれ4位と9位を記録した。映画の公開に続いて、ペイジはバンドの旧譜をリマスターしていたことを明らかにした。リマスター盤の第1弾として『レッド・ツェッペリン』、『レッド・ツェッペリンII』、『レッド・ツェッペリンIII』が2014年6月2日にリリースされた。第2弾、『レッド・ツェッペリンIV』と『聖なる館』は2014年10月27日にリリースされた。第3弾の『フィジカル・グラフィティ』は2015年2月23日にリリースされた。これは最初のリリースの翌日からほぼ正確に40年後のことである。第4弾の『プレゼンス』、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』、『最終楽章 (コーダ)』は、2015年7月31日にリリースされた。
このリマスタープロジェクトで各アルバムはCDとLPでリリースされ、未発表曲を収録したボーナスディスクを含むデラックスエディションもリリースされた。(『最終楽章 (コーダ)』のデラックスエディションには2枚のボーナスディスクが含まれる。)各アルバムは、ボックスセットのスーパーデラックスエディションも制作された。ボックスセットにはリマスターされたアルバムとボーナスディスクがCDと180グラムのLP盤で収められ、すべてのコンテンツが96kHz / 24ビットのハイレゾリューションオーディオ音源ファイルとしてダウンロードできるカード、珍しくこれまでに見たことのない写真や記念品、そしてオリジナルのアルバムカバーの高品質なプリントが満載されたハードカバーの本が含まれていた。
2015年11月6日、コンピレーションアルバム『マザーシップ』は、新しくリマスターされたオーディオトラックを使用して再リリースされた。旧譜の再リリースは翌年も続き、2016年9月16日に『BBCライヴ』が再リリースされた。再リリース盤にはBBCでのレコーディングから9曲の未発表曲を収録したボーナスディスクが追加され、その中には海賊盤に何度も収められたが正式リリースされていなかった「サンシャイン・ウーマン」が収められた。
バンドの50周年を記念して、ペイジ、プラント、ジョーンズは、バンドの結成から50年を祝う公式の写真集を発表した。また、写真集の出版を祝って『伝説のライヴ』が2018年3月23日に再リリースされた。『伝説のライヴ』はこのとき初めてLP盤でもリリースされた。 2018年4月21日のレコード・ストア・デイには、21年ぶりのシングルである7インチシングル「ロックン・ロール」(サンセットサウンドミックス)/「フレンズ」(オリンピックスタジオミックス)をリリースした。
2020年10月、ペイジは写真集『ジミー・ペイジ・アンソロジー』を出版し、バンドの50周年ドキュメンタリーの制作も発表したが、新型コロナウィルス感染症の流行によりその進行は遅れている。
レッド・ツェッペリンの音楽のルーツはブルースであった。初期の2枚のアルバムはマディ・ウォーターズやスキップ・ジェイムスなどのアメリカのブルースミュージシャンの影響が顕著であり、同様にハウリン・ウルフの独特のカントリー・ブルーススタイルも影響を与えていた。一つを除く全てのスタジオアルバムが12バー・ブルースを中心に構成されており、ブルースは音楽的にも叙情的にも他の曲に直接的および間接的に影響を与えた。バンドはまたイギリス、ケルト、アメリカのフォーク・リバイバル音楽に強く影響を受けた。スコットランドのフォーク・ギタリスト、バート・ヤンシュはペイジを刺激し、ペイジは彼からオープンチューニングとアグレッシブなストロークを演奏に取り入れた。バンドはまた、ワールドミュージックや初期のロックンロール、ジャズ、カントリー、ファンク、ソウル、レゲエの要素、特に『聖なる館』とそれに続くアルバムにおいて、さまざまなジャンルを利用した。
最初の2枚のアルバムの素材は、主にブルースのスタンダード・ナンバーとフォーク・ソングの拡張されたジャムから構成されていた。この手法は新しい曲を作り出すために、さまざまな曲やその別バージョンから音楽的要素と叙情的な要素、および即興のパッセージを混合することにつながったが、後で盗作の告発と著作権をめぐる法的紛争に巻き込まれることとなった。通常、音楽は最初に作り出され、時には即興の歌詞が付けられ、その後最終的なバージョンに書き直される可能性がある。1970年のブロン・イ・アーへの訪問から、ペイジとプラントによる曲作りのパートナーシップが支配的になり、ペイジが主にアコースティック・ギターを使ってメロディーを作曲し、プラントは歌詞を担当した。その後ジョーンズとボーナムがリハーサルやスタジオで、曲作りが進むにつれてマテリアルを付け加えていった。バンドのキャリア後期になると、曲作りの上でジョーンズの役割がますます重要になり、彼はキーボードで作曲を行った。プラントはペイジとボーナムが彼らのパートを加える前に歌詞を追加した。
初期の歌詞はブルースとフォークのルーツに基づいており、多くの場合、さまざまな曲の歌詞の断片が混ざっていた。彼らの曲の多くは、ロックやポップ、ブルースで一般的なテーマであるロマンス、片思い、性的征服について扱っていた。彼らの歌詞のいくつか、特にブルースから派生したものは、ミソジニーとして解釈されている。特に『レッド・ツェッペリンIII』では、神話と神秘主義の要素を音楽に取り入れた。これは主に伝説と歴史に対するプラントの関心から生まれたものであった。これらの要素は、オカルトに対するペイジの関心を反映するためにしばしば取り上げられ、その結果曲の中に悪魔のメッセージがサブリミナルとして隠されており、その一部はバックマスキング(英語版)として埋め込まれていると言われていた。これらの主張はバンドや音楽評論家によって否定された。プラントの歌詞における牧歌的なファンタジーは、ブラック・カントリー(英語版)地域の風景とJ・R・R・トールキンのハイ・ファンタジー小説「指輪物語」に触発されたものであった。スーザン・ファストは、プラントがバンドの主な作詞家として登場したとき、曲は1960年代の西海岸のカウンターカルチャーとの彼の整合をより明確に反映していると主張している。バンドのキャリア後半で、プラントの歌詞はより自伝的になり、楽観的ではなくなり、彼自身の経験と状況を利用するようになった。
音楽学者のロバート・ヴァルザーによると、「レッド・ツェッペリンのサウンドは、スピードとパワー、珍しいリズミカルなパターン、対照的な段々になったダイナミクス、シンガーのロバート・プラントの慟哭のボーカル、ギタリストのジミー・ペイジのひどく歪んだクランチによって特徴づけられた。」という。これらの要素は、ハードロックとヘヴィメタルの創始者の一つとしてしばしば引用され、メンバーがしばしばレッテル付けられるの避けてきたものの、「決定的なヘヴィメタルバンド」として説明されていることを意味する。この評判の一部は、「胸いっぱいの愛を」や「ワントン・ソング」などの曲で歪んだギターリフを使用していることを根拠とする。多くの場合、リフはギター、ベース、ドラムによって正確に倍増することはなかったが、3つの異なる拍子記号が使用される「ブラック・ドッグ」のように、代わりにメロディックまたはリズミカルなバリエーションがあった。ペイジのギター演奏は、ブルース音階の要素と東洋音楽の要素を取り入れていた。プラントによる甲高い叫び声による歌唱法は、ジャニス・ジョプリンの歌唱法と比較される。ロバート・クリストガウは、彼がグループの重い「パワーブルース」の美学に不可欠であり、ペイジのギターパーツと同様に「機械的効果」として機能していることを発見した。クリストガウは、いくつかのアコースティックソングでプラントが「本物の感覚をほのめかしている」ことに注目しながら、ボーカルの正確さとダイナミクスを優先して、感情的な投影に重点を置いた伝統的なブルースの歌を放棄したと信じていた。「彼が性差別的(ミソジニー)なブルースの決まり文句を口にしているのか、バンドの半分聞こえる、半分理解できるもののいずれかを駆け抜けているのか...騎士道やカウンターカルチャーについての歌詞でも、彼の声には感情が欠けている。昔のテナーやバリトンのように、彼は自分の声を楽器、具体的にはエレクトリックギターにしたいと考えている。」 ボーナムのドラミングは、そのパワー、素早いロール、そして単一のバスドラムでの速いビートで有名だった。一方、ジョーンズのベースラインはメロディックであると描写され、彼のキーボードはバンドのサウンドにクラシックなタッチを加えた。
レッド・ツェッペリンはハードロック・バンドとして広く見られてきたが、クリストガウは彼らをアート・ロックと見なしていた。ポピュラー音楽学者のリービー・ガロファロによると、「ヒップな批評家は、レッド・ツェッペリンの超マッチョなプレゼンテーションに関連して建設的な位置づけを見つけることができなかったため、幅広い影響を受けたにもかかわらず、彼らはアート・ロックのカテゴリーから除外された。」とする。クリストガウは1972年に、バンドは「有機的ではなく知的にロックンロールに関連している」ため、アート・ロックと見なすことができ、「増幅されたビート」を「一種の形式的な挑戦」として理想化している。レッド・ツェッペリンは、「ビートとボリュームの物理的な強制によって心を巻き込む」という同時代のジェスロ・タルやイエスとは異なり、「セクシュアリティではなく攻撃性を呼び起こす、奇妙な大脳キャストのボディミュージックを作り出す」。そのため、ブラック・サバスやモット・ザ・フープルなどの他の第2世代のイギリスのハードロック・バンドとともに、「奇妙なポテンシャルを持つ二重のオーディエンス」で知識人とワーキングクラスの若者の両方を引き付けることができる。その後『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の「チューンフルなシンセサイザー・ポンプ」は、クリストガウにとって彼らがアート・ロック・バンドであることをさらに確認する根拠となった。
ペイジは、レッド・ツェッペリンに「光と陰」のある音楽を制作してもらいたいと述べた。これは、アコースティック楽器をより多く使用した『レッド・ツェッペリン III』からより明確に実現され始めた。このアプローチは『レッド・ツェッペリン IV』、特にアコースティックギターとリコーダーで始まり、ドラムと重いエレクトリックサウンドで終わる「天国への階段」で例示されている。活動後期になると、彼らはジョーンズのキーボードモチーフが支配的な、よりまろやかで進歩的なサウンドに移行した。彼らはまた、マルチトラックやギターのオーバー・ダビングを含む、さまざまなレイヤーや制作技術をますます利用するようになった。強弱とアンサンブルのアレンジの感覚に重点を置いていることは、単一の音楽ジャンルを超越した個性的なスタイルを生み出すと見なされてきた。イアン・ペディは、彼らは「...騒々しく、力強く、しばしばヘヴィだが、彼らの音楽もユーモラスで、自己反射的で、非常に繊細だった」と主張している。
多くの人がレッド・ツェッペリンをロックミュージックの歴史の中で最も成功し、革新的で、影響力のあるバンドの一つと見なしている。ロック評論家のマイケル・ギルモアは、「レッド・ツェッペリンは、才能があり、複雑で、把握力があり、美しく、危険であり、自分自身を含め、すべてを圧倒しなければならなかったにもかかわらず、20世紀の音楽で最も永続的な作曲と演奏のグループの一つになった」と述べている。
レッド・ツェッペリンは、ディープ・パープル、ブラック・サバス、ラッシュ、クイーン、エアロスミス、ブラック・クロウズ、メガデスなどのハードロックやヘヴィメタル・バンドだけでなく、トゥールやドリーム・シアターなどのプログレッシブ・メタル・バンドにも影響を与えてきた。彼らはいくつかの初期のパンク・バンドとポストパンク・バンドに影響を与えた。その中にはラモーンズ、ジョイ・ディヴィジョンとザ・カルトがある。彼らはオルタナティヴ・ロックの発展にも重要な影響を与え、スマッシング・パンプキンズ、ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデンらが1970年代半ばの「ツェッペリンサウンド」の要素を取り入れた。この他にも、マドンナ、シャキーラ、レディー・ガガ、ケシャ、ケイティ・メルアなど、さまざまなジャンルのバンドやアーティストがレッド・ツェッペリンの影響を認めている。
レッド・ツェッペリンは、特にアルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)とスタジアム・ロックの発展において、音楽ビジネスの性質に大きな影響を与えたと考えられている。1988年、当時のゲフィン・レコードのA&Rエグゼクティブであったジョン・カロドナーは、次のように述べている。「私の意見では、ビートルズに次いで彼らは歴史上最も影響力のあるバンドです。彼らはレコード、AORラジオ、コンサートでの音楽のあり方に影響を与えます。彼らは必ずしもトップ40ヒットを獲得することなく、「天国への階段」のヒットでAORラジオフォーマットの基準を設定しました。彼らは、最初の本格的なビッグアリーナでのコンサートショーを行い、サポートなしで常にスタジアムを満員にしました。人々は彼らと同じように行動できますが、誰も彼らを超えることはできません。」ローリング・ストーンズの元プロデューサー兼マネージャーであるアンドリュー・ルーグ・オールダムは、レッド・ツェッペリンがレコードビジネスに大きな影響を与えた方法と、ロックコンサートを管理して大勢の聴衆に提示した方法についてコメントした。2007年、彼らはBBC/VH1の「Seven Ages of Rock」のスタジアム・ロックのエピソードで特集された。
幾つかの資料によると、彼らは世界中で2億枚以上のアルバムを売り上げており、アメリカで認定された1億1,150万枚を含む、3億枚を超えるレコードを売り上げたと述べている物もある。アメリカレコード協会によるとレッド・ツェッペリンは、アメリカ合衆国での全体の売り上げが第3位、コンサートの売り上げが第5位のバンドであり、5枚以上のダイヤモンドアルバムを獲得している。彼らは全英アルバムチャートで8回連続ナンバーワンを達成した。これはナンバーワンアルバムの連続回数の最多記録であり、8回を記録したのは彼らとABBAだけである。レッド・ツェッペリンは、ロックミュージックの歴史の中で最も海賊盤がリリースされたアーティストの1つであり、彼らの海賊盤は現在もリリースされ続けている。
レッド・ツェッペリンは文化にも大きな影響を与えた。「Rolling Stone Illustrated History of Rock&Roll」の編集者であるジム・ミラーは、「あるレベルでは、レッド・ツェッペリンは60年代のサイケデリック倫理の最後の開花を表しており、これはロックを受動的な感覚の関与として投げかけている」と主張している。レッド・ツェッペリンは、男性的で攻撃的な「コック・ロック」の「典型的な提供者」としても説明されているが、この主張には異議が唱えられている。バンドのファッションセンスは独創的である。クリスティーズのポップカルチャーの責任者であるシメオン・リップマンは「レッド・ツェッペリンは、彼らを覆うオーラ全体がとてもクールで、人々がそのかけらを望んでいるため、ファッションに大きな影響を与えてきた」とコメントしている。レッド・ツェッペリンは、モトリー・クルーやスキッド・ロウなどの1980年代のグラム・メタル・バンドのビッグ・ヘアーの基礎を築いた。他のミュージシャンも、レッド・ツェッペリンの衣装やジュエリー、ヘアスタイルの要素を取り入れている。たとえば、キングス・オブ・レオンのヒップスター・フレアやタイトバンドTシャツ、毛むくじゃらの髪、しなやかなTシャツ、ザ・ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトのブルースマン・ヘア、そしてカサビアンのギタリスト、セルジオ・ピッツォーノのシルクスカーフ、トリルビー、サイドレースのタイトなジーンズなどである。
レッド・ツェッペリンは、そのキャリアの過程で多くの栄誉と賞を受賞してきた。彼らは1995年にロックの殿堂入りし、2006年にイギリス音楽の殿堂入りした。その他にも2005年にアメリカン・ミュージック・アワード、2006年にポーラー音楽賞を受賞している。レッド・ツェッペリンは2005年にグラミー賞 特別功労賞生涯業績賞を受賞し、4曲がグラミー殿堂賞に選ばれた。アメリカでは5枚のダイヤモンドアルバムと14枚のマルチプラチナ、4枚のプラチナと1枚のゴールドアルバムが授与されているが、イギリスでは5枚のマルチプラチナ、6枚のプラチナ、1枚のゴールドと4枚のシルバーのアルバムがある。彼らは2004年にローリング・ストーン誌のベスト100アーティストで14位となった。
2003年、ローリング・ストーンの史上最高のアルバム500に『レッド・ツェッペリン』が29位、『レッド・ツェッペリンIV』が66位、『フィジカル・グラフィティ』が70位、『レッド・ツェッペリンII』が75位、『聖なる館』が149位に選ばれた。2004年の史上最高の500曲では、「天国への階段」が31位、「胸いっぱいの愛を」が75位、「カシミール」が140位、「ブラック・ドッグ」が294位、「ハートブレイカー」が320位、そして「ランブル・オン」が433位に選ばれた。
2005年にペイジは慈善活動への功績が認められ、大英帝国勲章のオフィサーを受章した。2009年にはプラントがポピュラー音楽への貢献が認められ、大英帝国勲章のコマンダーを受章した。彼らはVH1の「100 Greatest Artists of Hard Rock」と、クラシック・ロック誌の「50 best live acts of all time」で1位に選ばれている。また、BBCラジオ2のベストロックバンドの投票でも1位に選ばれた。1977年には「イギリス音楽への卓越した貢献」によりアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞し、1997年にも第42回アイヴァー・ノヴェロ賞授賞式で「生涯功労賞」を受賞した。2008年にはMOJOアワードで1度限りの再結成で「ベストライブアクト」賞を受賞し、「史上最高のロックンロール・バンド」と評された。レッド・ツェッペリンは、2012年にはケネディ・センター名誉賞を受賞した。
再結成時のゲストミュージシャン
1971年9月の初来日時に、メンバーたっての希望で、旧広島県立総合体育館で「愛と平和」をキャッチフレーズを冠したチャリティー・コンサートを開き、当時の金額にして約700万円の売上金を広島市役所を通して原爆被災者に寄付している。同体育館は古く、ツェッペリンの音が大きすぎて壁が崩れ、その修理費という説もある。MCの糸居五郎が「広島でチャリティをするためにレッド・ゼッペリンは来日した」などと9分半に及ぶ前フリをやったため、観客が激怒し「早よやれや」「引っ込め」「死ね」などとヤジ連発だったといわれる。コンサートに先立ち、メンバーは原爆資料館を訪れ、見学後はみんな目を真っ赤に泣きはらして「人間はここまで残酷なことをするのか。そこまで最低の生き物だとは認めたくない。こんな無惨なことをするのは愚かなことだ」と話したといわれる。広島公演には西城秀樹や浜田省吾らも参戦している。
解散後の1980年から2010年代に入ってからもヘヴィメタル・ファンの支持は手厚く、世界でアルバムは売れ続けている。日本では渋谷陽一や沢尻エリカも、ツェッペリン・ファンであることを公言している。2004年には日本ゴールドディスク大賞を受賞。 | [
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"text": "レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)は、1968年にロンドンで結成されたイギリスのロックバンド。メンバーはボーカリストのロバート・プラント、ギタリストのジミー・ペイジ、ベーシスト/キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズ、ドラマーのジョン・ボーナム。ブルースやフォークミュージックなど、さまざまな影響を受けたスタイルでありながら、重厚なギターサウンドで、ハードロックやヘヴィメタルの先駆者の一つとして挙げられている。レッド・ツェッペリンは、特にアルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)とスタジアム・ロックの発展において、音楽業界の性質に大きな影響を与えたとされている。",
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"text": "結成当初、ニュー・ヤードバーズと名乗ったレッド・ツェッペリンは、アトランティック・レコードと契約を結び、かなりの芸術的な自由を与えられた。当初は批評家に不人気であったが、10年間の活動で8枚のスタジオアルバムをリリースし大きな商業的成功を収めた。1969年のデビュー作である『レッド・ツェッペリン I』は、いくつかの国でトップ10を記録し、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」、「幻惑されて」、「コミュニケイション・ブレイクダウン」などの曲をフィーチャーしていた。『レッド・ツェッペリン II』(1969)は最初のナンバーワンアルバムであり、「ランブル・オン」と「胸いっぱいの愛を」を生み出した。1970年には「移民の歌」をフィーチャーした『レッド・ツェッペリン III』をリリースした。『レッド・ツェッペリン IV』(1971)として一般に知られている4枚目のアルバムは、3700万枚の売り上げを記録し、歴史上最も売れたアルバムの一つである。同作には「ブラック・ドッグ」、「ロックン・ロール」、「天国への階段」が収録され、「天国への階段」はロック史上最も人気があり影響力のある曲の一つである。『聖なる館』(1973)は、「オーシャン」、「丘のむこうに」、「レイン・ソング」を生み出した。2枚組アルバムの『フィジカル・グラフィティ』(1975)は「トランプルド・アンダーフット」と「カシミール」をフィーチャーした。",
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"text": "ペイジはバンドの活動初期に曲の大半を執筆し、プラントが歌詞の大半を創作した。ジョーンズが作曲したキーボードベースの曲は、活動後期に彼らの音楽の中心となり、実験的な曲も増加した。活動の後半に行われた一連のツアーは数々の記録を打ち立て、自堕落な乱痴気騒ぎの悪評も得た。彼らは商業的に成功し、多くの批判も受けたが、ツアーと『プレゼンス』(1976)や『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』(1979)を含む作品のリリースは停滞し、1980年のボーナムの死後にグループは解散した。",
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"text": "その後、残されたメンバーは散発的にコラボレーションを行い、再結成を果たした。 これらの中で最も成功したのは、ロンドンで開催された2007年のアーメット・アーティガン・トリビュート・コンサートで、ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムがドラムを演奏した。",
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"text": "レッド・ツェッペリンは、これまでで最も売れたアーティストの一つである。彼らの記録的な総販売枚数は、世界中で2億から3億枚と推定されている。彼らはイギリスで連続8枚のナンバーワンアルバム、アメリカのビルボード200で6枚のナンバーワンアルバムを達成し、そのうち5枚のアルバムはアメリカでダイヤモンドの認定を受けた。ロックの殿堂のバンドの伝記には、『1970年代の彼らは、1960年代のビートルズと同じ影響力があった。』と記載されており、ローリング・ストーン誌はハードロック(ヘヴィメタル)に多大な影響を与えた彼らを「史上最もヘビィなバンド」「70年代の最大のバンド」、そして「疑いなくロック史上最も永続的なバンドの1つ」と表現している。",
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"text": "1966年、ロンドンを拠点にセッションギタリストとして活動していたジミー・ペイジはベーシストとして、ポール・サミュエル=スミスが脱退したヤードバーズに加入した。程なくしてペイジはクリス・ドレヤと入れ替わってギターを担当することとなり、ジェフ・ベックとのツインリードのラインナップが形成された。1966年10月にベックが脱退し、絶え間ないツアーとレコーディングに疲弊していたヤードバーズはその活動を縮小し始めた。ペイジは自身とベックがギターを担当し、ドラムにキース・ムーン、ベースにジョン・エントウィッスルを迎えてスーパーグループを結成することを考えており、ボーカリストのスティーヴ・ウィンウッドとスティーヴ・マリオットをこのプロジェクトに加えることも検討された。ペイジ、ベック、ムーンは1966年にベーシスト、キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズも参加したセッションで「ベックス・ボレロ」を一緒に録音したが、グループは結成されなかった。",
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"text": "ヤードバーズは1968年7月にベッドフォードシャーのルートン工科大学で最後のギグを行った。彼らはまだスカンジナビアでいくつかのコンサートを行う予定があったため、ドラマーのジム・マッカーティとボーカリストのキース・レルフは、ペイジとベーシストのクリス・ドレヤにヤードバーズの名前を使って活動を継続することを認めた。ペイジとドレヤは新しいラインナップをまとめ始めた。リード・ボーカルのペイジの最初の選択はテリー・リードだったが、リードは申し出を断り、バンド・オブ・ジョイとホブストウィードルのシンガーであるロバート・プラントを提案した。プラントは最終的にその申し出を受け入れ、ドラマーに元バンド・オブ・ジョイのジョン・ボーナムを推薦した。ジョン・ポール・ジョーンズはドレヤが写真家になるためにプロジェクトから脱退した後、妻に勧められベーシストの空きがあるかをペイジに尋ねた。ペイジは自分と同じくセッション・ミュージシャンであったジョーンズのことを知っており、彼を最終メンバーとして参加させることに同意した。",
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"text": "1968年8月、4人はロンドンのジェラード・ストリートにあるレコード店の下の部屋で初めて一緒に演奏した。ペイジは、ヤードバーズもカバーしていたジョニー・バーネットのロカビリーバージョンで人気があったジャンプ・ブルース曲「トレイン・ケプト・ア・ローリン」の演奏を提案した。ジョーンズは「ジョン・ボーナムの演奏を聴くやいなや、このバンドが偉大になるとわかった。僕たちは、すぐにチームとしてともにロックした」と回想している。スカンジナビアに向けて出発する前に、グループはP・J・プロビーのアルバム『スリー・ウィーク・ヒーロー』のレコーディングセッションに参加した。プラントのハーモニカをフィーチャーした同アルバムの収録曲「Jim's Blues」は、レッド・ツェッペリンの将来の4人のメンバー全員が参加した最初のスタジオ・トラックだった。",
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"text": "バンドは1968年9月7日、デンマークのグラッドサクセにあるグラッドサクセ・ティーン・クラブにおいて、オーディエンスの前で初めて演奏した。このスカンジナビアン・ツアーでバンドは「ヤードバーズ」として告知され、9月24日のノルウェー、オスロでツアーを完了した。9月後半に彼らはライブセットに基づいたファースト・アルバムのレコーディングを開始した。アルバムは9日間で録音およびミックスが行われ、ペイジが費用を負担した。アルバムの完成後にドレヤが停止通告書を送付し、バンドは名前の変更を余儀なくされ、ペイジはスカンジナビアでのコンサートにのみニュー・ヤードバーズの名称を使用することが許可されたと述べた。新しいバンドの名前がどのように決定したかについての一説は、ベックのシングル録音のために行ったセッションで、キース・ムーンが「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の気球(lead (発音は[led]) balloon)みたいに急降下するだろうぜ」と発言したことによるとされる。「go down like a lead balloon」は「ぽしゃる」という意味の慣用句で、ムーンの口癖であったという。同席していたマネージャーのピーター・グラントがこの時のムーンの言葉からヒントを得て、([liːd]と誤って発音されるのを避けるため)「lead」から「a」を落として「led」に、「balloon」は「zeppelin」に置き換えられた。「zeppelin」は音楽ジャーナリストのキース・シャドウィックによると、ペイジの心に「重さと軽さ、可燃性と優雅さの完璧な組み合わせ」をもたらした言葉であるとされる。",
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"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "グラントは1968年11月にアトランティック・レコードから143,000ドルの前払い契約(現在の価格で1,030,000ドル)を確保した。当時、この種の新しいバンドとしては最高額の契約だった。アトランティックは主にブルース、ソウル、ジャズのアーティストのカタログを持つレーベルだったが、1960年代後半に、イギリスのプログレッシブ・ロックに興味を持ち始めた。ジョーンズの友人であったイギリスの歌手ダスティ・スプリングフィールドは当時アトランティックでの最初のアルバム、『ダスティ・イン・メンフィス』を完成させていた。彼女の推薦で、アトランティックの幹部はレッド・ツェッペリンを実際に見ることなく、契約書にサインした。その契約条件で、バンドはアルバムのリリース時期とツアー開催の決定権及び各アルバムの内容とデザインについての最終決定権を持っていた。また、それぞれのアルバムの宣伝方法と、どの曲をシングルとしてリリースかの決定権も所有した。彼らはすべての出版権を処理するために独自の会社、スーパーハイプを設立した。",
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"text": "バンドは1968年10月4日に最初のイギリス・ツアーを開始したが、その時点ではニュー・ヤードバーズとして告知が行われている。彼らは10月25日にバタシーのサリー大学でレッド・ツェッペリンとして最初のショーを行った。後にバンドのツアーにおける重要人物となるツアーマネージャーのリチャード・コールは、年末に最初の北米ツアーを企画した。彼らのデビュー・アルバムである『レッド・ツェッペリン I』は北米ツアー中の1969年1月12日にリリースされ、ビルボードのチャートで最高10位を記録した。イギリスでは3月31日に最高6位を記録した。スティーヴ・アールワインによると、アルバムは印象的なギターリフ、重苦しいリズム、サイケデリック・ブルース、グルーヴィーでブルージーなシャッフル、イギリスのフォークミュージックのヒントが、「ハードロックとヘヴィメタルの進化における重要なターニングポイント」となったとする。",
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"text": "レッド・ツェッペリンは活動一年目にアメリカとイギリスで4度のコンサートツアーを行い、セカンド・アルバム『レッド・ツェッペリン II』もリリースした。このアルバムは北米ツアー中にさまざまなスタジオで録音され、ファースト・アルバムよりもさらに大きな商業的成功を収め、アメリカとイギリスでチャート1位に到達した。このアルバムはデビュー作で確立されたブルース・ロックの音楽スタイルをさらに発展させ、「重くて硬く、荒々しく直接的」で、非常に影響力があり、多くに模倣されるサウンドを作成した。スティーヴ・ワクスマンは、『レッド・ツェッペリンII』が「ヘヴィメタルの音楽的出発点」であると示唆している。",
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"text": "彼らは自らのアルバムを不可分で一体な作品と見なし、シングルとしてリリースするために既存のトラックを再編集することを嫌っていた。グラントは、ロックミュージックがラジオやテレビで放送されることがほとんどなかったイギリスにおいて、積極的なプロアルバムのスタンスを維持した。しかし、特にアメリカでは、バンドの同意なしに一部の曲がシングルとしてリリースされた。1969年、セカンド・アルバムの収録曲「胸いっぱいの愛を」の編集版がシングルとしてアメリカでリリースされた。この曲は1970年1月にビルボードのチャートで4位に達し、100万枚以上を売り上げ、バンドの人気を確固たるものにした。彼らはまた、ファンがライブコンサートでその姿を見たり演奏を聞きたがったりしていることを理由に、テレビへの出演をますます避けるようになった。",
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"text": "セカンド・アルバムのリリースに続いて、レッド・ツェッペリンはさらにいくつかのアメリカツアーを行った。彼らは最初はクラブやボールルームで演奏し、その後人気が高まるにつれてより大きなホールで演奏した。初期のレッド・ツェッペリンのコンサート(英語版)では、レパートリーのライブバージョンを拡張して即興で演奏したものもあり、4時間以上続いた。これらのライブの多くは録音され、海賊盤として出回っている。バンドのステージ外における乱痴気騒ぎの悪評が築かれたのは、この集中的なコンサートツアーの期間だった。",
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"text": "1970年、ペイジとプラントはウェールズの人里離れたコテージ、ブロン・イ・アーに籠もり、サード・アルバム『レッド・ツェッペリン III』の制作を開始した。アルバムはフォークやケルト音楽の影響を強く受け、バンドの多様性を示す、よりアコースティックなスタイルが生まれた。アルバムの豊かなアコースティックサウンドに対して人々は当初複雑な反応を示した。批評家やファンは前二作のエレクトリックなアレンジからの転換に驚き、バンドのマスコミに対する敵意をさらに煽った。『レッド・ツェッペリン III』はアメリカとイギリスのチャートで1位となったが、滞在期間はファーストアルバムから5作目までの中で最短だった。アルバムのオープニングトラック「移民の歌」は、バンドの意向に反して1970年11月にアメリカでシングルとしてリリースされ、ビルボードチャートのトップ20に到達した。",
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"text": "1970年代にレッド・ツェッペリンは商業的かつ重要な成功の新たな高みに到達し、当時の最も影響力のあるグループの一つとなり、それまでの業績を凌駕した。メンバーが精巧で華やかな衣装を着るようになるとバンドのイメージも変化し、ペイジはきらびやかな月と星のドラゴンスーツで華やかな外観をリードした。レッド・ツェッペリンは、レーザー光線やプロによるライティング、ミラーボールなどを使用してショーの有り様を変えた。彼らはスターシップと呼ばれるプライベートジェット(ボーイング720)で各地に移動し、ホテル(その中にはロサンゼルスのコンチネンタル・ハイアット・ハウス、通称「ライオット・ハウス」として知られたホテルも含まれる。)のワンフロアを貸し切りにして、頻繁に乱痴気騒ぎを繰り返した。ジョン・ボーナムはライオット・ハウスのフロアをバイクで走り抜けた。また、彼らは東京ヒルトンの部屋を日本刀で破壊し、同ホテルから永久に宿泊禁止とされた。レッド・ツェッペリンはホテルのスイートルームをゴミ箱に変え、テレビを窓から投げ出すという暴挙に及んだとされるが、これらの話は誇張されていると示唆する人もいる。音楽ジャーナリストのクリス・ウェルチによれば、「(レッド・ツェッペリンの)ツアーは多くの物語を生み出したが、(彼らは)絶えず理不尽な破壊と淫らな行為に及んでいたというのは神話だった。」という。",
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"text": "レッド・ツェッペリンは1971年11月8日に4枚目のアルバムをリリースした。これは、『レッド・ツェッペリンIV』、『無題』、『IV』、またはレーベルに表示された4つのシンボルから、『Four Symbols』、『Zoso』、『Runes』とさまざまに呼ばれている。バンドは「ツェッペリンは誇大評価されている」という音楽プレスに応えるため、タイトルやバンドの情報が表示されないアルバムをリリースしたかったが、レコード会社はジャケットに表記を望んだため、議論の末バンドの4人のメンバーとそれが4枚目のアルバムであることの両方を表す4つのシンボルを表示することに合意した。『レッド・ツェッペリンIV』は3,700万枚を売り上げ、歴史上最も売れたアルバムの一つであり、その絶大な人気によりレッド・ツェッペリンは1970年代におけるスーパースターとしての地位が確固たるものになった。2021年までに『レッド・ツェッペリンIV』はアメリカだけで2,400万枚を売り上げている。収録曲「天国への階段」はシングルとしてリリースされなかったにもかかわらず、1970年代にアメリカのロックラジオ局で最もリクエストが多く、最も再生された曲だった。バンドはアルバムのリリースに続いて、1971年後半から1973年初頭にかけて、イギリス、オーストラリア、北アメリカ、日本、イギリスの順でツアーを行った。",
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"text": "5枚目のアルバム『聖なる館』は、1973年3月にリリースされた。これは、シンセサイザーとメロトロンによるオーケストレーションの使用を拡大したさらなる実験を特徴としている。ロンドンを拠点とするデザイングループ、ヒプノシスによってデザインされたオレンジ色のジャケットは、北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェーを登る裸の子供たちの写真が使用された。ジャケットの子供たちは横顔と後ろ姿しか見えないが、リリース時に物議を醸した。4枚目のアルバムと同様に、バンド名もアルバムタイトルもスリーブに印刷されていなかった。",
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"text": "『聖なる館』は世界中でチャートの首位を記録し、その後に行われた1973年の北米ツアーでは、大きなホールやスタジアムが連続して満員となり、観客動員数の記録を更新した。フロリダのタンパ・スタジアムでは56,800人のファンが訪れ、ビートルズが1965年にシェイ・スタジアムで記録した観客動員数を上回り、309,000ドルを売り上げた。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた3回のコンサートは全て満員となり、映画のために撮影が行われた。しかし、映画の公開は1976年まで延期された。最終夜の公演の前に、ドレイク・ホテルの貸金庫に預けてあった、入場料からのギャラである180,000ドル(現在の価格で1,016,000ドル)が何者かに盗まれた。また1973年に、バンドはイースト・サセックスのジョージ王朝時代の邸宅であるハマーウッド・パークをオークションで購入し、レコーディングスタジオと宿泊施設に改装することを計画した。しかし家は荒れ果てた状態にあり、計画は最終的に棚上げされた。「永遠の詩」のプロモーション・ビデオの撮影に使用されたが、その後1976年には売却された。",
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"text": "1974年、レッド・ツェッペリンはツアーを中断し、未発表曲にちなんで名付けられた独自のレコード・レーベル、スワンソングを立ち上げた。レコードレーベルのロゴは、ウィリアム・リマーの「Evening:Fall of Day」(1869年)という絵を基にしている。この作品はギリシア神話のアポロの物語をテーマにしたもので、『イカロス(或いはイカルス)』の物語を描いたものではない。レーベルのロゴはレッド・ツェッペリンのメモラビリアに使用され、特にTシャツにプリントされた。バンドはスワンソングを自分たちのアルバムを宣伝する手段として使用することに加えて、レーベルの所属アーティストを増やし、バッド・カンパニー、プリティ・シングス、マギー・ベルなどのアーティストと契約した。レッド・ツェッペリンが活動していた間はそれなりの成功を収めていたが、解散後は3年も経たないうちに活動を停止することとなった。",
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"text": "6作目のダブル・アルバム『フィジカル・グラフィティ』はスワンソング・レーベルでの最初のリリースだった。15曲が収録され、そのうち8曲は1974年にヘッドリィ・グランジで録音され、7曲はそれ以前に録音されていた。ローリング・ストーン誌のレビューでは、『フィジカル・グラフィティ』をレッド・ツェッペリンの「芸術的尊敬の念」と呼び、レッド・ツェッペリンが「世界最高のロックバンド」の称号を得るために争わなければならなかったのはローリング・ストーンズとザ・フーだけだったと付け加えた。アルバムは大規模な商業的かつ重要な成功を収めた。『フィジカル・グラフィティ』のリリース直後、レッド・ツェッペリンの既発のアルバム全てが同時にトップ200アルバムチャートに再登場した。バンドは新たな北米ツアーに乗り出し、以前に比べて洗練されたサウンドと照明システムが取り入れられた。1975年5月、レッド・ツェッペリンは当時イギリスで最大のアリーナであったロンドンのアールズ・コート・アリーナで5回のコンサートを行い、いずれも満員となった。",
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"paragraph_id": 21,
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"text": "大成功に終わったアールズ・コートでのコンサート後、レッド・ツェッペリンは休暇を取り、サンフランシスコでの2度の野外コンサートで開幕する予定の秋の北米ツアーを計画した。しかし1975年8月、プラントと妻のモーリーンはギリシャのロドス島での休暇中に深刻な自動車事故に遭遇する。プラントは足首を骨折し、モーリーンは重傷を負った。輸血によって彼女の命は取り留められた。プラントは療養のためチャンネル諸島のジャージーに向かい、ボーナムとペイジと共に8月と9月を過ごした。その後、バンドはカリフォルニア州マリブで再集結した。この強いられた休暇の間に、次のアルバム『プレゼンス』のための多くのマテリアルが執筆された。",
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"paragraph_id": 22,
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"text": "この時までに、レッド・ツェッペリンは世界一のロックバンドであり、ローリング・ストーンズを含む当時のほとんどのバンドを上回った。1976年3月にリリースされた『プレゼンス』は、レッド・ツェッペリンのサウンドが、以前のアルバムで取り上げられていたアコースティックバラードや複雑なアレンジから離れて、より単純なギターベースのジャムに変化したことを示している。『プレゼンス』はプラチナアルバムを獲得したが、ファンや音楽プレスはさまざまな反応を示し、一部の批評家はバンドの行き過ぎが彼らに追いついた可能性があると示唆した。ペイジはアルバムのレコーディング・セッション中にヘロインの使用を開始した。これは、バンドのその後のライブやスタジオ・レコーディングに影響を与えた可能性があるが、その後の使用は否定している。",
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"text": "プラントの怪我のため、レッド・ツェッペリンは1976年にツアーを行わなかった。代わりに彼らはコンサート映画「レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ」とそのサウンドトラックアルバムを完成させた。映画は1976年10月20日にニューヨークでプレミア公開されたが、批評家やファンからは芳しい評価を得られなかった。イギリスでは特に成功しなかった。イギリスでは課税回避のため1975年以来ツアーを行うことを望まず、レッド・ツェッペリンは大衆の支持を取り戻すために困難な戦いに直面した。",
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"text": "1977年、レッド・ツェッペリンは大規模な北米コンサートツアーに乗り出した。バンドは4月30日のシルバードームでのコンサートで76,229人の聴衆を集め、新たな観客動員記録を打ち立てた。ギネス世界記録によると、それは一日で最も多くの観客を集めたショーであった。ツアーは大きな収益を上げたが、ステージ外の問題に悩まされていた。4月19日にシンシナティのリバーフロント・コロシアムで行われたコンサートでは、約1,000人のファンがゲートを破壊しようとし、70人以上が逮捕された。一方、他のファンはガラスのドアに岩や瓶を投げて入場しようとした。6月3日、タンパ・スタジアムでのコンサートは、チケットには「\"Rain or Shine\"」(雨天決行)と表示していたにもかかわらず、激しい雷雨のために短縮されたため、暴動が発生し、観客に負傷者と逮捕者が発生した。",
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"paragraph_id": 25,
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"text": "7月23日にカリフォルニア州オークランドのオークランド・コロシアムで開催されたデイ・オン・ザ・グリーンフェスティバルでのショーの後、ボーナムとバンドのサポートスタッフのメンバーが逮捕された。バンドのパフォーマンス中にプロモーターのビル・グラハムのスタッフがひどく殴られたためであった。翌日の2回目のオークランドのコンサートは、バンドのアメリカにおける最後のライブとなった。2日後、ルイジアナ・スーパードームでの7月30日の公演のためにフレンチ・クオーターのホテルにチェックインしたとき、プラントは5歳の息子カラックが胃のウイルスで死亡したという知らせを受け取った。ツアーの残りはすぐにキャンセルされ、レッド・ツェッペリンの将来についての様々な憶測が飛び交った。",
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"paragraph_id": 26,
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"text": "1978年11月、グループはスウェーデンのストックホルムにあるポーラー・スタジオでレコーディングを行った。完成したアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は、再び批評家からの複雑な反応を引き出すこととなった実験的サウンドを特徴としていた。それにもかかわらず、アルバムはリリースからちょうど2週目にイギリスとアメリカでナンバーワンに達した。このアルバムのリリースに伴い、レッド・ツェッペリンの旧譜全てが1979年10月27日と11月3日の週にビルボードトップ200に再びチャートインした。",
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"paragraph_id": 27,
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"text": "コペンハーゲンでの2回のウォームアップショーの後、1979年8月にレッド・ツェッペリンはネブワース・フェスティヴァルで2回のコンサートのヘッドライナーを務め、初日の夜には約104,000人の観客を魅了した。1980年には6月から7月にかけて通常の長いジャムやソロを使わずに、簡素化されたセットをフィーチャーした、簡潔で控えめなヨーロッパツアーが行われた。 6月27日にドイツのニュルンベルクで行われたショーでは、ボーナムがステージ上で倒れて病院に運ばれたため、コンサートは3曲目の途中で終了となった。マスコミは彼が倒れたのは過度の飲酒と薬物使用の結果であったことを示唆したが、バンドは彼が単に食べ過ぎたためであったと主張した。",
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"paragraph_id": 28,
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"text": "1977年以来のバンドの最初の北米ツアーは1980年10月17日に開始される予定だった。9月24日、ボーナムはブレイ・スタジオでのリハーサルに参加するためにアシスタントのレックス・キングに迎えられた。道中ボーナムは朝食に立ち寄るよう頼んだ。彼はハムロール1つを食べ、4杯のウォッカ(16 - 24 オンス(470 - 710ml))を飲んだ。ハムロールを一口食べた後、彼はキングに「朝食」と言った。彼はスタジオに到着した後も飲み続けた。その夜遅くにリハーサルは中止され、バンドはウィンザーのクルーワーにあるペイジの家、オールドミルハウスに移動した。",
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"paragraph_id": 29,
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"text": "真夜中過ぎに眠りに落ちたボーナムはベッドに連れて行かれ、寝かされた。翌日の午後1時45分、ベンジ・ルフェーブル(新しいツアーマネージャー)とジョン・ポール・ジョーンズはボーナムが死んでいるのを発見した。死因は嘔吐による窒息であり、偶然の事故死であった。検死ではボーナムの体内から娯楽用ドラッグは見つからなかった。彼は当時、不安を紛らわせるために Motival(抗精神病薬のフルフェナジンと三環系抗うつ薬のノルトリプチリンの混合薬)を服用し始めていたが、これらの薬剤が彼の体内のアルコールと相互作用したかどうかは不明である。ボーナムの遺体は火葬され、遺灰は1980年10月12日、ウスターシャーのラッショック教区教会で埋葬された。",
"title": "来歴"
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"paragraph_id": 30,
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"text": "予定されていた北米ツアーはキャンセルされ、コージー・パウエル、カーマイン・アピス、バリエモール・バーロウ、サイモン・カーク、リック・リー、ベヴ・ベヴァンが彼の代わりとしてグループに加わるという噂にもかかわらず、メンバーは解散を決めた。1980年12月4日の声明は次のように述べている。「私たちは、私たちの親友の喪失と彼の家族に対する私たちの深い尊敬、そして私たち自身と私たちのマネージャーによって感じられる、調和のとれた深い感覚と共に、私たちは続けることができないと決心しました。我々がそうであったように。」声明は単に「レッド・ツェッペリン」とだけ署名された。",
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"paragraph_id": 31,
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"text": "レッド・ツェッペリンの解散後、メンバーによる最初の重要な音楽プロジェクトはハニードリッパーズだった。これはプラントが1981年に最初に結成したものである。 バンドはペイジがリードギターを担当し、そこに2人の友人のスタジオミュージシャンが加わった。その中にはジェフ・ベックとポール・シェーファー、ナイル・ロジャースもいた。彼らは1984年に唯一のアルバムをリリースした。プラントはツェッペリンとは異なる方向に焦点を当て、スタンダードを演奏し、よりR&Bスタイルに傾いた。アルバムのハイライトは「シー・オブ・ラブ」のカバーで、同曲はシングルカットされ、1985年初頭にビルボードチャートの3位に達した。",
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"text": "『最終楽章 (コーダ)』 - アウトテイクと未使用のトラックのコレクション - は1982年11月にリリースされた。1970年のロイヤル・アルバート・ホールのライヴから2曲が収録され、それぞれが『レッド・ツェッペリンIII』と『聖なる館』からのもので、3曲は『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』セッションからのものだった。また、「モントルーのボンゾ」と呼ばれる、1976年のボーナムのドラムインストゥルメンタルにペイジが電子効果を追加した曲も収録された。",
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"paragraph_id": 33,
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"text": "1985年7月13日、ペイジ、プラント、ジョーンズはフィラデルフィアのJFKスタジアムでのライヴエイドのために再会し、ドラマーのトニー・トンプソンとフィル・コリンズ、ベーシストのポール・マルティネスと共にショートセットを演奏した。フィル・コリンズがパフォーマンス中に3人を呼び込み、「ロックン・ロール」「天国への階段」「胸いっぱいの愛を」を演奏した(ドラムスはトンプソンとコリンズ、「天国への階段」のベースギターはマルチネスが担当。なお、コリンズの後日のコメントは、ツェッペリンと共演したいが為にイベントを利用したというものと、成り行きで決まっただけで彼自身は望んでなかった、という正反対のものが残されており、真相は不明である。コリンズはプラントの最初の2枚のソロアルバムに参加し、マルティネスはプラントのソロバンドのメンバーだった。演奏は2人のドラマーとのリハーサルの欠如、ペイジの調律外れのギターとの闘い、モニターの機能不全、およびプラントの嗄声によって損なわれた。ペイジはパフォーマンスを「かなり混乱していた」と表現し、プラントはそれを「ひどいもの」と特徴づけた。",
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"text": "3人は1988年5月14日にアトランティック・レコード40周年コンサートで再び再会し、このときはボーナムの息子ジェイソンがドラムを演奏した。結果は再びバラバラになった。プラントとペイジは、ステージに上がる直前に「天国への階段」を演奏するかどうかについて議論し、ジョーンズのキーボードはテレビで中継されなかった。ペイジはパフォーマンスを「一つの大きな失望」と表現し、プラントは「ギグはファウルだった」と述べた。",
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"paragraph_id": 35,
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"text": "ペイジの監修下リマスターが行われたレッド・ツェッペリン初のコンピレーション・アルバム『レッド・ツェッペリン (ボックスセット)』は1990年にリリースされた。このリリースによってバンドは再評価され、再結成についてメンバー間で中途半端な議論が引き起こされた。このセットにはロバート・ジョンソンの「トラベリング・リバーサイド・ブルース」のカバーを含む、4つの未発表曲が含まれていた。同曲はビルボードのアルバムロックトラックチャーで最高7位に達した。『レッド・ツェッペリン・ボックスセット2』は1993年にリリースされた。2つのボックス・セットは、既知のスタジオ・レコーディングと、いくつかの珍しいライブ・トラックが含まれていた。",
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"text": "1994年、ペイジとプラントはMTVの「UnLedded」プロジェクトのために再会した。彼らは後に『ノー・クォーター』というアルバムをリリースした。これはツェッペリンの曲を再録音した物が収められ、翌年にはワールドツアーを行った。このプロジェクトについてジョーンズは知らされておらず、これはメンバー間の亀裂の始まりであったと言われている。",
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"text": "1995年にレッド・ツェッペリンはロックの殿堂入りした。授賞式のプレゼンテーターはエアロスミスのスティーブン・タイラーとジョー・ペリーが務めた。ジェイソンとゾーイ・ボーナムも出席し、父親に代わって賞を受け取った。式典でジョーンズは賞を受け取ったときに「やっと僕の電話番号を思い出してくれて、友に感謝します。」と冗談を言い、ペイジとプラントが驚きとぎこちない表情を示したことで、バンドの亀裂が明らかになった。その後、彼らはタイラーとペリー、ジェイソン・ボーナムと演奏を行った。2回目はニール・ヤングとの短いセットを演奏し、今回はマイケル・リーがドラムを担当した。",
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"paragraph_id": 38,
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"text": "1997年、アトランティックはアメリカとイギリスで「胸いっぱいの愛を」の編集版シングルをリリースした。これは彼らの母国でリリースされた唯一のシングルで、全英シングルチャートで最高21位に達した。1997年11月には、2枚組CD『BBCライヴ』がリリースされた。これは1969年と1971年に録音され、BBCで放送された音源が元になっている。ペイジとプラントは1998年に『ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル』という2枚目のアルバムをリリースした。これは全てが新曲で構成されているが、売り上げは振るわず、計画されたオーストラリアツアーの前にパートナーシップは解消された。",
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"paragraph_id": 39,
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"text": "2003年には、3枚組のライブアルバム『伝説のライヴ』と『レッド・ツェッペリン DVD』がリリースされた。『DVD』はバンドの活動を6時間に及ぶ数々のライブ映像で表した物で、当時最も売れた音楽DVDとなった。2007年7月、アトランティック / ライノとワーナー・ホーム・ビデオは、その11月にリリースされる3つのツェッペリンのタイトルを発表した。バンドのキャリアから24曲を選んだコンピレーションの『マザーシップ』、未発表曲を追加した『永遠の詩 (狂熱のライヴ)』のリマスター版、『DVD』の再発盤であった。ツェッペリンはまた、アルバムの配信も始めた。彼らはアルバムのネット配信を行う最後の主要なロックバンドの一つであった。",
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"paragraph_id": 40,
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"text": "2007年12月10日、ツェッペリンはロンドンのO2アリーナで開催されたアーメット・アーティガン・トリビュート・コンサートで再結成し、ジェイソン・ボーナムが再び父親の代わりにドラムを演奏した。ギネス世界記録2009によると、このショーはチケットがオンラインで販売されたが、2,000万件の申し込みがあったため「1回の音楽コンサートのチケットに対する最大の需要」の記録を打ち立てた。批評家はパフォーマンスを賞賛し、完全な再結成についての憶測が広がった。ペイジ、ジョーンズ、ジェイソン・ボーナムはツアーを行う意欲があり、新しいツェッペリンプロジェクトのマテリアルに取り組んでいると伝えられた。しかしながらプラントはアリソン・クラウスとのツアーを続け、2008年9月に彼はバンドと一緒にレコーディングしたりツアーしたりしないと述べた。「私は忙しいので、彼らはただ待たなければならないだろうと彼らに言った。」と彼は2014年に回想している。「私は最終的にはやって来たが、少なくとも私の知る限り、彼らはそれで大丈夫だった。しかし、そうではなかったことが分かった。そしてさらにもっとがっかりしたのは、ジミーが私に対してそれを使用したことだ。」",
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"paragraph_id": 41,
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"text": "ジョーンズとペイジは、プラントの代役を探したと伝えられている。代役の候補者には、エアロスミスのスティーブン・タイラー、アルター・ブリッジのマイルズ・ケネディが含まれていた。しかし、2009年1月にプロジェクトは放棄されたことが確認された。「ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジェイソン・ボーナムと演奏する機会を得たことは非常に特別なことだった」とケネディは回想した。「それはまさにそこにある天頂である。それはクレイジーで良い経験だった。それは私が今でもよく考えていることである...それは私にとってとても貴重である。」",
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"paragraph_id": 42,
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"text": "O2でのライブは「祭典の日」として2012年10月17日に公開され、11月19日にDVDでリリースされた。この映画は一晩で200万ドルの収益を上げ、ライブアルバムはイギリスとアメリカそれぞれ4位と9位を記録した。映画の公開に続いて、ペイジはバンドの旧譜をリマスターしていたことを明らかにした。リマスター盤の第1弾として『レッド・ツェッペリン』、『レッド・ツェッペリンII』、『レッド・ツェッペリンIII』が2014年6月2日にリリースされた。第2弾、『レッド・ツェッペリンIV』と『聖なる館』は2014年10月27日にリリースされた。第3弾の『フィジカル・グラフィティ』は2015年2月23日にリリースされた。これは最初のリリースの翌日からほぼ正確に40年後のことである。第4弾の『プレゼンス』、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』、『最終楽章 (コーダ)』は、2015年7月31日にリリースされた。",
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{
"paragraph_id": 43,
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"text": "このリマスタープロジェクトで各アルバムはCDとLPでリリースされ、未発表曲を収録したボーナスディスクを含むデラックスエディションもリリースされた。(『最終楽章 (コーダ)』のデラックスエディションには2枚のボーナスディスクが含まれる。)各アルバムは、ボックスセットのスーパーデラックスエディションも制作された。ボックスセットにはリマスターされたアルバムとボーナスディスクがCDと180グラムのLP盤で収められ、すべてのコンテンツが96kHz / 24ビットのハイレゾリューションオーディオ音源ファイルとしてダウンロードできるカード、珍しくこれまでに見たことのない写真や記念品、そしてオリジナルのアルバムカバーの高品質なプリントが満載されたハードカバーの本が含まれていた。",
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"text": "2015年11月6日、コンピレーションアルバム『マザーシップ』は、新しくリマスターされたオーディオトラックを使用して再リリースされた。旧譜の再リリースは翌年も続き、2016年9月16日に『BBCライヴ』が再リリースされた。再リリース盤にはBBCでのレコーディングから9曲の未発表曲を収録したボーナスディスクが追加され、その中には海賊盤に何度も収められたが正式リリースされていなかった「サンシャイン・ウーマン」が収められた。",
"title": "来歴"
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"text": "バンドの50周年を記念して、ペイジ、プラント、ジョーンズは、バンドの結成から50年を祝う公式の写真集を発表した。また、写真集の出版を祝って『伝説のライヴ』が2018年3月23日に再リリースされた。『伝説のライヴ』はこのとき初めてLP盤でもリリースされた。 2018年4月21日のレコード・ストア・デイには、21年ぶりのシングルである7インチシングル「ロックン・ロール」(サンセットサウンドミックス)/「フレンズ」(オリンピックスタジオミックス)をリリースした。",
"title": "来歴"
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"text": "2020年10月、ペイジは写真集『ジミー・ペイジ・アンソロジー』を出版し、バンドの50周年ドキュメンタリーの制作も発表したが、新型コロナウィルス感染症の流行によりその進行は遅れている。",
"title": "来歴"
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"text": "レッド・ツェッペリンの音楽のルーツはブルースであった。初期の2枚のアルバムはマディ・ウォーターズやスキップ・ジェイムスなどのアメリカのブルースミュージシャンの影響が顕著であり、同様にハウリン・ウルフの独特のカントリー・ブルーススタイルも影響を与えていた。一つを除く全てのスタジオアルバムが12バー・ブルースを中心に構成されており、ブルースは音楽的にも叙情的にも他の曲に直接的および間接的に影響を与えた。バンドはまたイギリス、ケルト、アメリカのフォーク・リバイバル音楽に強く影響を受けた。スコットランドのフォーク・ギタリスト、バート・ヤンシュはペイジを刺激し、ペイジは彼からオープンチューニングとアグレッシブなストロークを演奏に取り入れた。バンドはまた、ワールドミュージックや初期のロックンロール、ジャズ、カントリー、ファンク、ソウル、レゲエの要素、特に『聖なる館』とそれに続くアルバムにおいて、さまざまなジャンルを利用した。",
"title": "音楽スタイル"
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"text": "最初の2枚のアルバムの素材は、主にブルースのスタンダード・ナンバーとフォーク・ソングの拡張されたジャムから構成されていた。この手法は新しい曲を作り出すために、さまざまな曲やその別バージョンから音楽的要素と叙情的な要素、および即興のパッセージを混合することにつながったが、後で盗作の告発と著作権をめぐる法的紛争に巻き込まれることとなった。通常、音楽は最初に作り出され、時には即興の歌詞が付けられ、その後最終的なバージョンに書き直される可能性がある。1970年のブロン・イ・アーへの訪問から、ペイジとプラントによる曲作りのパートナーシップが支配的になり、ペイジが主にアコースティック・ギターを使ってメロディーを作曲し、プラントは歌詞を担当した。その後ジョーンズとボーナムがリハーサルやスタジオで、曲作りが進むにつれてマテリアルを付け加えていった。バンドのキャリア後期になると、曲作りの上でジョーンズの役割がますます重要になり、彼はキーボードで作曲を行った。プラントはペイジとボーナムが彼らのパートを加える前に歌詞を追加した。",
"title": "音楽スタイル"
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"text": "初期の歌詞はブルースとフォークのルーツに基づいており、多くの場合、さまざまな曲の歌詞の断片が混ざっていた。彼らの曲の多くは、ロックやポップ、ブルースで一般的なテーマであるロマンス、片思い、性的征服について扱っていた。彼らの歌詞のいくつか、特にブルースから派生したものは、ミソジニーとして解釈されている。特に『レッド・ツェッペリンIII』では、神話と神秘主義の要素を音楽に取り入れた。これは主に伝説と歴史に対するプラントの関心から生まれたものであった。これらの要素は、オカルトに対するペイジの関心を反映するためにしばしば取り上げられ、その結果曲の中に悪魔のメッセージがサブリミナルとして隠されており、その一部はバックマスキング(英語版)として埋め込まれていると言われていた。これらの主張はバンドや音楽評論家によって否定された。プラントの歌詞における牧歌的なファンタジーは、ブラック・カントリー(英語版)地域の風景とJ・R・R・トールキンのハイ・ファンタジー小説「指輪物語」に触発されたものであった。スーザン・ファストは、プラントがバンドの主な作詞家として登場したとき、曲は1960年代の西海岸のカウンターカルチャーとの彼の整合をより明確に反映していると主張している。バンドのキャリア後半で、プラントの歌詞はより自伝的になり、楽観的ではなくなり、彼自身の経験と状況を利用するようになった。",
"title": "音楽スタイル"
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"text": "音楽学者のロバート・ヴァルザーによると、「レッド・ツェッペリンのサウンドは、スピードとパワー、珍しいリズミカルなパターン、対照的な段々になったダイナミクス、シンガーのロバート・プラントの慟哭のボーカル、ギタリストのジミー・ペイジのひどく歪んだクランチによって特徴づけられた。」という。これらの要素は、ハードロックとヘヴィメタルの創始者の一つとしてしばしば引用され、メンバーがしばしばレッテル付けられるの避けてきたものの、「決定的なヘヴィメタルバンド」として説明されていることを意味する。この評判の一部は、「胸いっぱいの愛を」や「ワントン・ソング」などの曲で歪んだギターリフを使用していることを根拠とする。多くの場合、リフはギター、ベース、ドラムによって正確に倍増することはなかったが、3つの異なる拍子記号が使用される「ブラック・ドッグ」のように、代わりにメロディックまたはリズミカルなバリエーションがあった。ペイジのギター演奏は、ブルース音階の要素と東洋音楽の要素を取り入れていた。プラントによる甲高い叫び声による歌唱法は、ジャニス・ジョプリンの歌唱法と比較される。ロバート・クリストガウは、彼がグループの重い「パワーブルース」の美学に不可欠であり、ペイジのギターパーツと同様に「機械的効果」として機能していることを発見した。クリストガウは、いくつかのアコースティックソングでプラントが「本物の感覚をほのめかしている」ことに注目しながら、ボーカルの正確さとダイナミクスを優先して、感情的な投影に重点を置いた伝統的なブルースの歌を放棄したと信じていた。「彼が性差別的(ミソジニー)なブルースの決まり文句を口にしているのか、バンドの半分聞こえる、半分理解できるもののいずれかを駆け抜けているのか...騎士道やカウンターカルチャーについての歌詞でも、彼の声には感情が欠けている。昔のテナーやバリトンのように、彼は自分の声を楽器、具体的にはエレクトリックギターにしたいと考えている。」 ボーナムのドラミングは、そのパワー、素早いロール、そして単一のバスドラムでの速いビートで有名だった。一方、ジョーンズのベースラインはメロディックであると描写され、彼のキーボードはバンドのサウンドにクラシックなタッチを加えた。",
"title": "音楽スタイル"
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"text": "レッド・ツェッペリンはハードロック・バンドとして広く見られてきたが、クリストガウは彼らをアート・ロックと見なしていた。ポピュラー音楽学者のリービー・ガロファロによると、「ヒップな批評家は、レッド・ツェッペリンの超マッチョなプレゼンテーションに関連して建設的な位置づけを見つけることができなかったため、幅広い影響を受けたにもかかわらず、彼らはアート・ロックのカテゴリーから除外された。」とする。クリストガウは1972年に、バンドは「有機的ではなく知的にロックンロールに関連している」ため、アート・ロックと見なすことができ、「増幅されたビート」を「一種の形式的な挑戦」として理想化している。レッド・ツェッペリンは、「ビートとボリュームの物理的な強制によって心を巻き込む」という同時代のジェスロ・タルやイエスとは異なり、「セクシュアリティではなく攻撃性を呼び起こす、奇妙な大脳キャストのボディミュージックを作り出す」。そのため、ブラック・サバスやモット・ザ・フープルなどの他の第2世代のイギリスのハードロック・バンドとともに、「奇妙なポテンシャルを持つ二重のオーディエンス」で知識人とワーキングクラスの若者の両方を引き付けることができる。その後『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の「チューンフルなシンセサイザー・ポンプ」は、クリストガウにとって彼らがアート・ロック・バンドであることをさらに確認する根拠となった。",
"title": "音楽スタイル"
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"text": "ペイジは、レッド・ツェッペリンに「光と陰」のある音楽を制作してもらいたいと述べた。これは、アコースティック楽器をより多く使用した『レッド・ツェッペリン III』からより明確に実現され始めた。このアプローチは『レッド・ツェッペリン IV』、特にアコースティックギターとリコーダーで始まり、ドラムと重いエレクトリックサウンドで終わる「天国への階段」で例示されている。活動後期になると、彼らはジョーンズのキーボードモチーフが支配的な、よりまろやかで進歩的なサウンドに移行した。彼らはまた、マルチトラックやギターのオーバー・ダビングを含む、さまざまなレイヤーや制作技術をますます利用するようになった。強弱とアンサンブルのアレンジの感覚に重点を置いていることは、単一の音楽ジャンルを超越した個性的なスタイルを生み出すと見なされてきた。イアン・ペディは、彼らは「...騒々しく、力強く、しばしばヘヴィだが、彼らの音楽もユーモラスで、自己反射的で、非常に繊細だった」と主張している。",
"title": "音楽スタイル"
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"text": "多くの人がレッド・ツェッペリンをロックミュージックの歴史の中で最も成功し、革新的で、影響力のあるバンドの一つと見なしている。ロック評論家のマイケル・ギルモアは、「レッド・ツェッペリンは、才能があり、複雑で、把握力があり、美しく、危険であり、自分自身を含め、すべてを圧倒しなければならなかったにもかかわらず、20世紀の音楽で最も永続的な作曲と演奏のグループの一つになった」と述べている。",
"title": "影響と評価"
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"text": "レッド・ツェッペリンは、ディープ・パープル、ブラック・サバス、ラッシュ、クイーン、エアロスミス、ブラック・クロウズ、メガデスなどのハードロックやヘヴィメタル・バンドだけでなく、トゥールやドリーム・シアターなどのプログレッシブ・メタル・バンドにも影響を与えてきた。彼らはいくつかの初期のパンク・バンドとポストパンク・バンドに影響を与えた。その中にはラモーンズ、ジョイ・ディヴィジョンとザ・カルトがある。彼らはオルタナティヴ・ロックの発展にも重要な影響を与え、スマッシング・パンプキンズ、ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデンらが1970年代半ばの「ツェッペリンサウンド」の要素を取り入れた。この他にも、マドンナ、シャキーラ、レディー・ガガ、ケシャ、ケイティ・メルアなど、さまざまなジャンルのバンドやアーティストがレッド・ツェッペリンの影響を認めている。",
"title": "影響と評価"
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"text": "レッド・ツェッペリンは、特にアルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)とスタジアム・ロックの発展において、音楽ビジネスの性質に大きな影響を与えたと考えられている。1988年、当時のゲフィン・レコードのA&Rエグゼクティブであったジョン・カロドナーは、次のように述べている。「私の意見では、ビートルズに次いで彼らは歴史上最も影響力のあるバンドです。彼らはレコード、AORラジオ、コンサートでの音楽のあり方に影響を与えます。彼らは必ずしもトップ40ヒットを獲得することなく、「天国への階段」のヒットでAORラジオフォーマットの基準を設定しました。彼らは、最初の本格的なビッグアリーナでのコンサートショーを行い、サポートなしで常にスタジアムを満員にしました。人々は彼らと同じように行動できますが、誰も彼らを超えることはできません。」ローリング・ストーンズの元プロデューサー兼マネージャーであるアンドリュー・ルーグ・オールダムは、レッド・ツェッペリンがレコードビジネスに大きな影響を与えた方法と、ロックコンサートを管理して大勢の聴衆に提示した方法についてコメントした。2007年、彼らはBBC/VH1の「Seven Ages of Rock」のスタジアム・ロックのエピソードで特集された。",
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"text": "幾つかの資料によると、彼らは世界中で2億枚以上のアルバムを売り上げており、アメリカで認定された1億1,150万枚を含む、3億枚を超えるレコードを売り上げたと述べている物もある。アメリカレコード協会によるとレッド・ツェッペリンは、アメリカ合衆国での全体の売り上げが第3位、コンサートの売り上げが第5位のバンドであり、5枚以上のダイヤモンドアルバムを獲得している。彼らは全英アルバムチャートで8回連続ナンバーワンを達成した。これはナンバーワンアルバムの連続回数の最多記録であり、8回を記録したのは彼らとABBAだけである。レッド・ツェッペリンは、ロックミュージックの歴史の中で最も海賊盤がリリースされたアーティストの1つであり、彼らの海賊盤は現在もリリースされ続けている。",
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"text": "レッド・ツェッペリンは文化にも大きな影響を与えた。「Rolling Stone Illustrated History of Rock&Roll」の編集者であるジム・ミラーは、「あるレベルでは、レッド・ツェッペリンは60年代のサイケデリック倫理の最後の開花を表しており、これはロックを受動的な感覚の関与として投げかけている」と主張している。レッド・ツェッペリンは、男性的で攻撃的な「コック・ロック」の「典型的な提供者」としても説明されているが、この主張には異議が唱えられている。バンドのファッションセンスは独創的である。クリスティーズのポップカルチャーの責任者であるシメオン・リップマンは「レッド・ツェッペリンは、彼らを覆うオーラ全体がとてもクールで、人々がそのかけらを望んでいるため、ファッションに大きな影響を与えてきた」とコメントしている。レッド・ツェッペリンは、モトリー・クルーやスキッド・ロウなどの1980年代のグラム・メタル・バンドのビッグ・ヘアーの基礎を築いた。他のミュージシャンも、レッド・ツェッペリンの衣装やジュエリー、ヘアスタイルの要素を取り入れている。たとえば、キングス・オブ・レオンのヒップスター・フレアやタイトバンドTシャツ、毛むくじゃらの髪、しなやかなTシャツ、ザ・ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトのブルースマン・ヘア、そしてカサビアンのギタリスト、セルジオ・ピッツォーノのシルクスカーフ、トリルビー、サイドレースのタイトなジーンズなどである。",
"title": "影響と評価"
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"text": "レッド・ツェッペリンは、そのキャリアの過程で多くの栄誉と賞を受賞してきた。彼らは1995年にロックの殿堂入りし、2006年にイギリス音楽の殿堂入りした。その他にも2005年にアメリカン・ミュージック・アワード、2006年にポーラー音楽賞を受賞している。レッド・ツェッペリンは2005年にグラミー賞 特別功労賞生涯業績賞を受賞し、4曲がグラミー殿堂賞に選ばれた。アメリカでは5枚のダイヤモンドアルバムと14枚のマルチプラチナ、4枚のプラチナと1枚のゴールドアルバムが授与されているが、イギリスでは5枚のマルチプラチナ、6枚のプラチナ、1枚のゴールドと4枚のシルバーのアルバムがある。彼らは2004年にローリング・ストーン誌のベスト100アーティストで14位となった。",
"title": "栄誉"
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"text": "2003年、ローリング・ストーンの史上最高のアルバム500に『レッド・ツェッペリン』が29位、『レッド・ツェッペリンIV』が66位、『フィジカル・グラフィティ』が70位、『レッド・ツェッペリンII』が75位、『聖なる館』が149位に選ばれた。2004年の史上最高の500曲では、「天国への階段」が31位、「胸いっぱいの愛を」が75位、「カシミール」が140位、「ブラック・ドッグ」が294位、「ハートブレイカー」が320位、そして「ランブル・オン」が433位に選ばれた。",
"title": "栄誉"
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"text": "2005年にペイジは慈善活動への功績が認められ、大英帝国勲章のオフィサーを受章した。2009年にはプラントがポピュラー音楽への貢献が認められ、大英帝国勲章のコマンダーを受章した。彼らはVH1の「100 Greatest Artists of Hard Rock」と、クラシック・ロック誌の「50 best live acts of all time」で1位に選ばれている。また、BBCラジオ2のベストロックバンドの投票でも1位に選ばれた。1977年には「イギリス音楽への卓越した貢献」によりアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞し、1997年にも第42回アイヴァー・ノヴェロ賞授賞式で「生涯功労賞」を受賞した。2008年にはMOJOアワードで1度限りの再結成で「ベストライブアクト」賞を受賞し、「史上最高のロックンロール・バンド」と評された。レッド・ツェッペリンは、2012年にはケネディ・センター名誉賞を受賞した。",
"title": "栄誉"
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"text": "再結成時のゲストミュージシャン",
"title": "メンバー"
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"paragraph_id": 62,
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"text": "1971年9月の初来日時に、メンバーたっての希望で、旧広島県立総合体育館で「愛と平和」をキャッチフレーズを冠したチャリティー・コンサートを開き、当時の金額にして約700万円の売上金を広島市役所を通して原爆被災者に寄付している。同体育館は古く、ツェッペリンの音が大きすぎて壁が崩れ、その修理費という説もある。MCの糸居五郎が「広島でチャリティをするためにレッド・ゼッペリンは来日した」などと9分半に及ぶ前フリをやったため、観客が激怒し「早よやれや」「引っ込め」「死ね」などとヤジ連発だったといわれる。コンサートに先立ち、メンバーは原爆資料館を訪れ、見学後はみんな目を真っ赤に泣きはらして「人間はここまで残酷なことをするのか。そこまで最低の生き物だとは認めたくない。こんな無惨なことをするのは愚かなことだ」と話したといわれる。広島公演には西城秀樹や浜田省吾らも参戦している。",
"title": "来日公演"
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"text": "解散後の1980年から2010年代に入ってからもヘヴィメタル・ファンの支持は手厚く、世界でアルバムは売れ続けている。日本では渋谷陽一や沢尻エリカも、ツェッペリン・ファンであることを公言している。2004年には日本ゴールドディスク大賞を受賞。",
"title": "来日公演"
}
] | レッド・ツェッペリンは、1968年にロンドンで結成されたイギリスのロックバンド。メンバーはボーカリストのロバート・プラント、ギタリストのジミー・ペイジ、ベーシスト/キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズ、ドラマーのジョン・ボーナム。ブルースやフォークミュージックなど、さまざまな影響を受けたスタイルでありながら、重厚なギターサウンドで、ハードロックやヘヴィメタルの先駆者の一つとして挙げられている。レッド・ツェッペリンは、特にアルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)とスタジアム・ロックの発展において、音楽業界の性質に大きな影響を与えたとされている。 結成当初、ニュー・ヤードバーズと名乗ったレッド・ツェッペリンは、アトランティック・レコードと契約を結び、かなりの芸術的な自由を与えられた。当初は批評家に不人気であったが、10年間の活動で8枚のスタジオアルバムをリリースし大きな商業的成功を収めた。1969年のデビュー作である『レッド・ツェッペリン I』は、いくつかの国でトップ10を記録し、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」、「幻惑されて」、「コミュニケイション・ブレイクダウン」などの曲をフィーチャーしていた。『レッド・ツェッペリン II』(1969)は最初のナンバーワンアルバムであり、「ランブル・オン」と「胸いっぱいの愛を」を生み出した。1970年には「移民の歌」をフィーチャーした『レッド・ツェッペリン III』をリリースした。『レッド・ツェッペリン IV』(1971)として一般に知られている4枚目のアルバムは、3700万枚の売り上げを記録し、歴史上最も売れたアルバムの一つである。同作には「ブラック・ドッグ」、「ロックン・ロール」、「天国への階段」が収録され、「天国への階段」はロック史上最も人気があり影響力のある曲の一つである。『聖なる館』(1973)は、「オーシャン」、「丘のむこうに」、「レイン・ソング」を生み出した。2枚組アルバムの『フィジカル・グラフィティ』(1975)は「トランプルド・アンダーフット」と「カシミール」をフィーチャーした。 ペイジはバンドの活動初期に曲の大半を執筆し、プラントが歌詞の大半を創作した。ジョーンズが作曲したキーボードベースの曲は、活動後期に彼らの音楽の中心となり、実験的な曲も増加した。活動の後半に行われた一連のツアーは数々の記録を打ち立て、自堕落な乱痴気騒ぎの悪評も得た。彼らは商業的に成功し、多くの批判も受けたが、ツアーと『プレゼンス』(1976)や『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』(1979)を含む作品のリリースは停滞し、1980年のボーナムの死後にグループは解散した。 その後、残されたメンバーは散発的にコラボレーションを行い、再結成を果たした。
これらの中で最も成功したのは、ロンドンで開催された2007年のアーメット・アーティガン・トリビュート・コンサートで、ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムがドラムを演奏した。 レッド・ツェッペリンは、これまでで最も売れたアーティストの一つである。彼らの記録的な総販売枚数は、世界中で2億から3億枚と推定されている。彼らはイギリスで連続8枚のナンバーワンアルバム、アメリカのビルボード200で6枚のナンバーワンアルバムを達成し、そのうち5枚のアルバムはアメリカでダイヤモンドの認定を受けた。ロックの殿堂のバンドの伝記には、『1970年代の彼らは、1960年代のビートルズと同じ影響力があった。』と記載されており、ローリング・ストーン誌はハードロック(ヘヴィメタル)に多大な影響を与えた彼らを「史上最もヘビィなバンド」「70年代の最大のバンド」、そして「疑いなくロック史上最も永続的なバンドの1つ」と表現している。 | {{Otheruses}}
{{Infobox Musician
| 名前 = レッド・ツェッペリン
| 画像 = LedZeppelinmontage.jpg
| 画像説明 = 左上から時計回りに[[ジミー・ペイジ]]、[[ジョン・ボーナム]]、[[ロバート・プラント]]、[[ジョン・ポール・ジョーンズ (ミュージシャン)|ジョン・ポール・ジョーンズ]]。
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| 画像補正 =
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| 別名 = <!-- 活動時に使用した別名義を記載。通称や略称ではありません。 -->
| 出身地 = {{ENG}} [[ロンドン]]
| ジャンル = {{hlist-comma|[[オルタナティヴ・ロック]]<ref name="allmusic">{{cite web |last=Erlewine |first=Stephen Thomas |authorlink= スティーヴン・トマス・アールワイン |title=Led Zeppelin Biography, Songs, & Albums |url= {{AllMusic|artist|led-zeppelin-mn0000139026/biography|pure_url=yes}} |website= [[オールミュージック|AllMusic]] |publisher= RhythmOne |accessdate= 2020-11-14 }}</ref>|[[アリーナ・ロック]]<ref name="allmusic" /><ref>{{cite web |last= Baltin |first= Steve |date= 2017-05-09 |title= Led Zeppelin, Prince And The Top Eight Arena Rock Acts Of All Time |url= https://www.forbes.com/sites/stevebaltin/2017/03/09/led-zeppelin-prince-and-the-top-eight-eight-arena-rock-acts-of-all-time/?sh=1fd3fe807e40 |work= [[フォーブス (雑誌)|フォーブス]] |publisher= Forbes Media |accessdate= 2023-04-05 }}</ref>|[[ブルースロック]]<ref name="RS 20161005">{{cite web |last= Raftery |first= Brian |date= 2016-10-05 |title= ‘Led Zeppelin III’: How Band Embraced Trippy Folk Side |url= https://www.rollingstone.com/music/music-features/how-led-zeppelin-embraced-trippy-folk-side-on-iii-120944/ |work= [[ローリング・ストーン|Rolling Stone]] |accessdate= 2023-04-05 }}</ref>|[[フォークロック]]<ref name="RS 20161005" />|[[ハードロック]]<ref name="allmusic" /><ref name="OKMusic">{{Cite web|和書|title= Led Zeppelin(レッド・ツェッペリン)の情報まとめ |url= https://okmusic.jp/Led%20Zeppelin |website= OKMusic |publisher= ジャパンミュージックネットワーク |accessdate= 2023-04-05 }}</ref>|[[ヘヴィメタル]]<ref name="allmusic" /><ref name="OKMusic" />|[[サイケデリック・ミュージック|サイケデリア]]<ref name="allmusic" />|[[ロックンロール]]<ref name="allmusic" />}}
| 活動期間 = {{Plainlist|
* [[1968年]] - [[1980年]]
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| レーベル = {{Hlist-comma|[[アトランティック・レコード|アトランティック]]|[[スワンソング・レコード|スワンソング]]}}
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| 旧メンバー = {{Plainlist|
* [[ロバート・プラント]]([[ボーカル]])
* [[ジミー・ペイジ]]([[ギター]])
* [[ジョン・ポール・ジョーンズ (ミュージシャン)|ジョン・ポール・ジョーンズ]]([[ベース (弦楽器)|ベース]]・[[キーボード (楽器)|キーボード]])
* [[ジョン・ボーナム]]([[ドラムセット|ドラムス]])
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}}
'''レッド・ツェッペリン'''{{refn|group=nb|「ツェッペリン」はドイツ語の発音であり、イギリス英語での発音は/led ˈzepəlɪn/であり、「'''レド・ゼペリン'''」に近い}}({{Lang|en|''Led Zeppelin''}})は、[[1968年]]に[[ロンドン]]で結成された[[イギリス]]の[[ロックバンド]]。メンバーはボーカリストの[[ロバート・プラント]]、ギタリストの[[ジミー・ペイジ]]、ベーシスト/キーボード奏者の[[ジョン・ポール・ジョーンズ (ミュージシャン)|ジョン・ポール・ジョーンズ]]、ドラマーの[[ジョン・ボーナム]]。[[ブルース]]や[[フォークミュージック]]など、さまざまな影響を受けたスタイルでありながら、重厚なギターサウンドで、[[ハードロック]]や[[ヘヴィメタル]]の[[先駆者]]の一つとして挙げられている。レッド・ツェッペリンは、特に[[AOR|アルバム・オリエンテッド・ロック]](AOR)と[[スタジアム・ロック]]の発展において、音楽業界の性質に大きな影響を与えたとされている。
結成当初、[[ヤードバーズ|ニュー・ヤードバーズ]]と名乗ったレッド・ツェッペリンは、[[アトランティック・レコード]]と契約を結び、かなりの芸術的な自由を与えられた。当初は批評家に不人気であったが、10年間の活動で8枚のスタジオアルバムをリリースし大きな商業的成功を収めた。1969年のデビュー作である『[[レッド・ツェッペリン I]]』は、いくつかの国でトップ10を記録し、「[[グッド・タイムズ・バッド・タイムズ]]」、「[[幻惑されて]]」、「[[コミュニケイション・ブレイクダウン]]」などの曲をフィーチャーしていた。『[[レッド・ツェッペリン II]]』(1969)は最初の全米ナンバーワンアルバムであり、「[[ランブル・オン]]」と「[[胸いっぱいの愛を]]」を生み出した。1970年には「[[移民の歌]]」をフィーチャーした『[[レッド・ツェッペリン III]]』をリリースした。『[[レッド・ツェッペリン IV]]』(1971)として一般に知られている題名の無い4枚目のアルバムは、3700万枚の売り上げを記録し、歴史上最も売れたアルバムの一つである。同作には「[[ブラック・ドッグ]]」、「[[ロックン・ロール (レッド・ツェッペリンの曲)|ロックン・ロール]]」、「[[天国への階段 (レッド・ツェッペリンの曲)|天国への階段]]」が収録され、「天国への階段」はロック史上最も人気があり影響力のある曲の一つである。『[[聖なる館]]』(1973)は、「[[オーシャン (レッド・ツェッペリンの曲)|オーシャン]]」、「[[丘のむこうに]]」、「[[レイン・ソング]]」を生み出した。2枚組アルバムの『[[フィジカル・グラフィティ]]』(1975)は「[[トランプルド・アンダーフット]]」と「[[カシミール (曲)|カシミール]]」をフィーチャーし、彼等の音楽の多面性を見せ、4枚目のアルバムから『フィジカル・グラフィティ』迄の約5年間がアルバムの売上げや評価の高さと共にライブも充実し彼等の「黄金期」と呼べるものだった。
活動の中盤から後半にかけて行われた一連のツアーは数々の記録を打ち立て、ツアーの滞在先のホテルでのグルーピーとの乱痴気騒ぎは当時評論家から批判されたが今では伝説化している。
ペイジはバンドの活動初期に曲の大半を執筆し、プラントが歌詞の大半を創作した。ジョーンズが作曲したキーボードベースの曲は、活動後期に彼らの音楽の中心となり実験的な曲も増加したが、後期になるとペイジのドラッグ癖も酷くなり、ラストアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』では、ペイジが才能の枯渇でジョーンズ主導で曲作りが行われたと言われている。
また『[[プレゼンス (レッド・ツェッペリンのアルバム)|プレゼンス]]』(1976)や『[[イン・スルー・ジ・アウト・ドア]]』(1979)を含む作品の頃になると、プラントの車の事故や息子の感染症による急死等バンド内に不吉な出来事が起こりアルバムリリース間隔も空き、1980年のボーナムの死後に結局グループは解散する事になった。
その後、残されたメンバーは散発的にコラボレーションを行い、再結成を果たした。
これらの中で最も成功したのは、ロンドンで開催された2007年の[[アーメット・アーティガン・トリビュート・コンサート]]で、ボーナムの息子である[[ジェイソン・ボーナム]]がドラムを演奏した。
レッド・ツェッペリンは、これまでで[[売れた音楽家の一覧|最も売れたアーティスト]]の一つである。彼らの記録的な総販売枚数は、世界中で2億から3億枚と推定されている。彼らはイギリスで連続8枚のナンバーワンアルバム、アメリカのビルボード200で6枚のナンバーワンアルバムを達成し、そのうち5枚のアルバムはアメリカでダイヤモンドの認定を受けた。[[ロックの殿堂]]のバンドの伝記には、『1970年代の彼らは、1960年代の[[ビートルズ]]と同じ影響力があった。』と記載されており、[[ローリング・ストーン]]誌は[[ハードロック]]([[ヘヴィメタル]])に多大な影響を与えた彼らを「史上最もヘビィなバンド」「70年代の最大のバンド」、そして「疑いなくロック史上最も永続的なバンドの1つ」と表現している<ref>{{Cite web|title=Led Zeppelin|url=https://rocknetradio.ml/artist/led-zeppelin/|website=RockNet Radio|accessdate=2019-07-26|language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web|title=Led Zeppelin|url=https://rocknetradio.ml/artist/led-zeppelin/|website=RockNet Radio|accessdate=2019-04-15|language=en-US}}</ref><ref>{{Cite book|title=Focus On: 100 Most Popular Grammy Lifetime Achievement Award Winners|url=https://books.google.co.jp/books?id=Xs5CDwAAQBAJ&pg=RA2-PA1876&lpg=RA2-PA1876&dq=Rock+and+Roll+Hall+of+Fame+in+1995;+the+museum's+biography+of+the+band+states+that+they+were+%22as+influential%22+during+the+1970s+as+the+Beatles+were+during+the+1960s.&source=bl&ots=P6ync11H_8&sig=ACfU3U1Fybddpz_Elf9pj9wFCoxfDdNqcw&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwi8m5Pl09HhAhXW7GEKHXGQDN8Q6AEwAXoECAgQAQ#v=onepage&q=Rock%20and%20Roll%20Hall%20of%20Fame%20in%201995;%20the%20museum's%20biography%20of%20the%20band%20states%20that%20they%20were%20%22as%20influential%22%20during%20the%201970s%20as%20the%20Beatles%20were%20during%20the%201960s.&f=false|publisher=e-artnow sro|language=en|first=Wikipedia|last=contributors}}</ref>。
== 来歴 ==
=== 結成:1966-1968 ===
[[File:Led Zeppelin logo.svg|thumb|バンドのロゴ、1973年から使用|alt=The name Led Zeppelin in irregular capitals in black and white]]
1966年、ロンドンを拠点にセッションギタリストとして活動していた[[ジミー・ペイジ]]はベーシストとして、[[ポール・サミュエル=スミス]]が脱退した[[ヤードバーズ]]に加入した。程なくしてペイジは[[クリス・ドレヤ]]と入れ替わってギターを担当することとなり、[[ジェフ・ベック]]とのツインリードのラインナップが形成された。1966年10月にベックが脱退し、絶え間ないツアーとレコーディングに疲弊していたヤードバーズはその活動を縮小し始めた{{sfn|Yorke|1993|pp=56-59}}。ペイジは自身とベックがギターを担当し、ドラムに[[キース・ムーン]]、ベースに[[ジョン・エントウィッスル]]を迎えてスーパーグループを結成することを考えており{{sfn|Wall|2008|pp=15-16}}、ボーカリストの[[スティーヴ・ウィンウッド]]と[[スティーヴ・マリオット]]をこのプロジェクトに加えることも検討された{{sfn|Wall|2008|pp=13-15}}。ペイジ、ベック、ムーンは1966年にベーシスト、キーボード奏者の[[ジョン・ポール・ジョーンズ]]も参加したセッションで「[[ベックス・ボレロ]]」を一緒に録音したが、グループは結成されなかった{{sfn|Davis|1985|pp=28-29}}。
ヤードバーズは1968年7月に[[ベッドフォードシャー]]の[[ルートン工科大学]]で最後のギグを行った{{sfn|Buckley|2003|p=1198}}。彼らはまだスカンジナビアでいくつかのコンサートを行う予定があったため、ドラマーの[[ジム・マッカーティ]]とボーカリストの[[キース・レルフ]]は、ペイジとベーシストの[[クリス・ドレヤ]]にヤードバーズの名前を使って活動を継続することを認めた。ペイジとドレヤは新しいラインナップをまとめ始めた。リード・ボーカルのペイジの最初の選択は[[テリー・リード]]だったが、リードは申し出を断り、[[バンド・オブ・ジョイ]]とホブストウィードルのシンガーである[[ロバート・プラント]]を提案した{{sfn|Yorke|1993|p=65}}。プラントは最終的にその申し出を受け入れ、ドラマーに元バンド・オブ・ジョイの[[ジョン・ボーナム]]を推薦した{{sfn|Erlewine|2011a}}。[[ジョン・ポール・ジョーンズ]]はドレヤが写真家になるためにプロジェクトから脱退した後、妻に勧められベーシストの空きがあるかをペイジに尋ねた{{sfn|Wall|2008|p=10}}{{refn|group=nb|ドレヤは後に写真家となり、レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムのジャケット裏の写真を撮影した。{{sfn|Fyfe|2003|p=45}}}}。ペイジは自分と同じくセッション・ミュージシャンであったジョーンズのことを知っており、彼を最終メンバーとして参加させることに同意した{{sfn|Yorke|1993|p=64}}。
[[File:Hindenburg disaster.jpg|alt=A black and white photograph of an airship near a mooring mast exploding at its stern.|left|thumb|1937年にニュース写真家のサム・シェアが撮影した燃える[[LZ 129 (飛行船)|LZ 129 ヒンデンブルク号]]の写真。バンドのデビュー・アルバムのジャケットに採用され、その後の商品にも広く使用されている。]]
1968年8月、4人はロンドンの[[ジェラード・ストリート (ロンドン)|ジェラード・ストリート]]にあるレコード店の下の部屋で初めて一緒に演奏した{{sfn|Lewis|1994|p=3}}。ペイジは、ヤードバーズもカバーしていた[[ジョニー・バーネット]]の[[ロカビリー]]バージョンで人気があった[[ジャンプ・ブルース]]曲「[[トレイン・ケプト・ア・ローリン]]」の演奏を提案した。ジョーンズは「ジョン・ボーナムの演奏を聴くやいなや、このバンドが偉大になるとわかった。僕たちは、すぐにチームとしてともにロックした」と回想している{{sfn|Welch & Nicholls|2001|p=75}}。スカンジナビアに向けて出発する前に、グループは[[P・J・プロビー]]のアルバム『[[スリー・ウィーク・ヒーロー]]』のレコーディングセッションに参加した。プラントのハーモニカをフィーチャーした同アルバムの収録曲「Jim's Blues」は、レッド・ツェッペリンの将来の4人のメンバー全員が参加した最初のスタジオ・トラックだった{{sfn|Wall|2008|p=54}}。
バンドは1968年9月7日、[[デンマーク]]の[[グラッドサクセ]]にあるグラッドサクセ・ティーン・クラブにおいて、オーディエンスの前で初めて演奏した{{sfn|Wall|2008|p=54}}。このスカンジナビアン・ツアーでバンドは「ヤードバーズ」として告知され、9月24日の[[ノルウェー]]、[[オスロ]]でツアーを完了した。9月後半に彼らはライブセットに基づいたファースト・アルバムのレコーディングを開始した。アルバムは9日間で録音およびミックスが行われ、ペイジが費用を負担した{{sfn|Wall|2008|pp=51-52}}。アルバムの完成後にドレヤが[[w:en:cease and desist|停止通告書]]を送付し、バンドは名前の変更を余儀なくされ、ペイジはスカンジナビアでのコンサートにのみニュー・ヤードバーズの名称を使用することが許可されたと述べた{{sfn|Wall|2008|pp=72-73}}。新しいバンドの名前がどのように決定したかについての一説は、ベックのシングル録音のために行ったセッションで、キース・ムーンが「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の気球(lead (発音は[led]) balloon)みたいに急降下するだろうぜ」と発言したことによるとされる{{sfn|Shadwick|2005|p=36}}。「go down like a lead balloon」は「ぽしゃる」という意味の慣用句で、ムーンの口癖であったという。同席していたマネージャーの[[ピーター・グラント (音楽プロデューサー)|ピーター・グラント]]がこの時のムーンの言葉からヒントを得て、([liːd]と誤って発音されるのを避けるため)「lead」から「a」を落として「led」に{{sfn|Davis|1985|p=57}}、「balloon」は「[[ツェッペリン|zeppelin]]」に置き換えられた。「zeppelin」は音楽ジャーナリストのキース・シャドウィックによると、ペイジの心に「重さと軽さ、可燃性と優雅さの完璧な組み合わせ」をもたらした言葉であるとされる{{sfn|Shadwick|2005|p=36}}。
グラントは1968年11月に[[アトランティック・レコード]]から143,000ドルの前払い契約(現在の価格で{{formatnum:{{Inflation|US|143000|1968|r=-3}}}}ドル)を確保した。当時、この種の新しいバンドとしては最高額の契約だった{{sfn|Wall|2008|p=84}}。アトランティックは主にブルース、ソウル、ジャズのアーティストのカタログを持つレーベルだったが、1960年代後半に、イギリスの[[プログレッシブ・ロック]]に興味を持ち始めた。ジョーンズの友人であったイギリスの歌手[[ダスティ・スプリングフィールド]]は当時アトランティックでの最初のアルバム、『[[ダスティ・イン・メンフィス]]』を完成させていた。彼女の推薦で、アトランティックの幹部はレッド・ツェッペリンを実際に見ることなく、契約書にサインした<ref>{{cite magazine|last=Fortnam|first=Ian|title=Dazed and Confused: Classic Rock Presents Led Zeppelin|magazine=Classic Rock Magazine|year=2008|page=43}}{{full citation needed|date=July 2020|reason=Best guess is that this is a magazine source. Title is probably incorrect; need volume, issue or full date.}}</ref>。その契約条件で、バンドはアルバムのリリース時期とツアー開催の決定権及び各アルバムの内容とデザインについての最終決定権を持っていた。また、それぞれのアルバムの宣伝方法と、どの曲をシングルとしてリリースかの決定権も所有した。彼らはすべての出版権を処理するために独自の会社、スーパーハイプを設立した{{sfn|Lewis|1994|p=3}}。
=== 初期:1968-1970 ===
バンドは1968年10月4日に最初のイギリス・ツアーを開始したが、その時点ではニュー・ヤードバーズとして告知が行われている。彼らは10月25日に[[バタシー]]の[[サリー大学]]でレッド・ツェッペリンとして最初のショーを行った<ref>{{Cite web |url=http://www.ledzeppelin.com/show/october-25-1968 |title=Led Zeppelin.com |access-date=3 November 2017 |archive-date=2 January 2012 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120102222301/http://www.ledzeppelin.com/show/october-25-1968 |url-status=live }}</ref>。後にバンドのツアーにおける重要人物となるツアーマネージャーの[[リチャード・コール]]は、年末に最初の北米ツアーを企画した{{sfn|Wall|2008|p=94}}{{refn|group=nb|最初のショーは1968年12月26日にデンバーで行われた。西海岸での日程が続き、その後バンドはカリフォルニアに向かい、ロサンゼルスとサンフランシスコでのライヴを行った。{{sfn|Wall|2008||pp=92-93}}}}。彼らのデビュー・アルバムである『[[レッド・ツェッペリン I]]』は北米ツアー中の1969年1月12日にリリースされ、ビルボードのチャートで最高10位を記録した{{sfn|Allmusic|2010}}。イギリスでは3月31日に最高6位を記録した{{sfn|Wall|2008|pp=92, 147, 152}}。[[スティーヴン・トマス・アールワイン|スティーヴ・アールワイン]]によると、アルバムは印象的なギターリフ、重苦しいリズム、[[サイケデリック・ロック|サイケデリック・ブルース]]、グルーヴィーで[[スウィング (音楽)|ブルージーなシャッフル]]、[[英国民謡|イギリスのフォークミュージック]]のヒントが、「ハードロックとヘヴィメタルの進化における重要なターニングポイント」となったとする{{sfn|Erlewine|2011b}}。
[[File:Bron-y-aur - geograph.org.uk - 21107.jpg|thumb|[[ブロン・イ・アー]]、ウェールズの[[マカンスレス]]の近くに所在するコテージ。ペイジとプラントは三作目と四作目のアルバム収録曲を執筆するために1970年に滞在した。|alt=A colour photograph of a stone cottage on a hill]]
レッド・ツェッペリンは活動一年目にアメリカとイギリスで4度のコンサートツアーを行い、セカンド・アルバム『[[レッド・ツェッペリン II]]』もリリースした。このアルバムは北米ツアー中にさまざまなスタジオで録音され、ファースト・アルバムよりもさらに大きな商業的成功を収め、アメリカとイギリスでチャート1位に到達した{{sfn|Wall|2008|p=161}}。このアルバムはデビュー作で確立されたブルース・ロックの音楽スタイルをさらに発展させ、「重くて硬く、荒々しく直接的」で、非常に影響力があり、多くに模倣されるサウンドを作成した{{sfn|Erlewine|2010}}。スティーヴ・ワクスマンは、『レッド・ツェッペリンII』が「ヘヴィメタルの音楽的出発点」であると示唆している{{sfn|Waksman|2001|p=263}}。
彼らは自らのアルバムを不可分で一体な作品と見なし、シングルとしてリリースするために既存のトラックを再編集することを嫌っていた。グラントは、ロックミュージックがラジオやテレビで放送されることがほとんどなかったイギリスにおいて、積極的なプロアルバムのスタンスを維持した。しかし、特にアメリカでは、バンドの同意なしに一部の曲がシングルとしてリリースされた{{sfn|Wall|2008|pp=166-167}}。1969年、セカンド・アルバムの収録曲「[[胸いっぱいの愛を]]」の編集版がシングルとしてアメリカでリリースされた。この曲は1970年1月にビルボードのチャートで4位に達し、100万枚以上を売り上げ、バンドの人気を確固たるものにした{{sfn|Wall|2008|p=165}}。彼らはまた、ファンがライブコンサートでその姿を見たり演奏を聞きたがったりしていることを理由に、テレビへの出演をますます避けるようになった{{sfn|Welch|1994|p=49}}{{sfn|Wale|1973|p=11}}。
セカンド・アルバムのリリースに続いて、レッド・ツェッペリンはさらにいくつかのアメリカツアーを行った。彼らは最初はクラブやボールルームで演奏し、その後人気が高まるにつれてより大きなホールで演奏した{{sfn|Erlewine|2011a}}。初期の{{仮リンク|レッド・ツェッペリンのコンサート|en|List of Led Zeppelin concert tours}}では、レパートリーのライブバージョンを拡張して即興で演奏したものもあり、4時間以上続いた。これらのライブの多くは録音され、[[海賊盤]]として出回っている。バンドのステージ外における乱痴気騒ぎの悪評が築かれたのは、この集中的なコンサートツアーの期間だった{{sfn|Wall|2008}}{{refn|group=nb|そのような悪評が誇張された例は、1969年7月28日に[[シアトル]]の[[:w:en:The Edgewater (Seattle)|エッジウォーター・イン]]で起こったと言われている「[[サメ事件]]」であった。{{sfn|Davis|1985|p=103}}{{sfn|Wall|2008}}}}。
1970年、ペイジとプラントは[[ウェールズ]]の人里離れたコテージ、[[ブロン・イ・アー]]に籠もり、サード・アルバム『[[レッド・ツェッペリン III]]』の制作を開始した{{sfn|BBC Wales Music|2011}}。アルバムは[[民俗音楽|フォーク]]や[[ケルト音楽]]の影響を強く受け、バンドの多様性を示す、よりアコースティックなスタイルが生まれた。アルバムの豊かなアコースティックサウンドに対して人々は当初複雑な反応を示した。批評家やファンは前二作のエレクトリックなアレンジからの転換に驚き、バンドのマスコミに対する敵意をさらに煽った{{sfn|Wall|2008|pp=208-209}}。『レッド・ツェッペリン III』はアメリカとイギリスのチャートで1位となったが、滞在期間はファーストアルバムから5作目までの中で最短だった{{sfn|Yorke|1993|p=130}}。アルバムのオープニングトラック「移民の歌」は、バンドの意向に反して1970年11月にアメリカでシングルとしてリリースされ、ビルボードチャートのトップ20に到達した{{sfn|Yorke|1993|p=129}}。{{clear}}
=== "世界最大のバンド":1970-1975 ===
1970年代にレッド・ツェッペリンは商業的かつ重要な成功の新たな高みに到達し、当時の最も影響力のあるグループの一つとなり、それまでの業績を凌駕した{{sfn|Waksman|2001|p=238}}{{sfn|Wall|2008}}。メンバーが精巧で華やかな衣装を着るようになるとバンドのイメージも変化し、ペイジはきらびやかな月と星のドラゴンスーツで華やかな外観をリードした。レッド・ツェッペリンは、レーザー光線やプロによるライティング、ミラーボールなどを使用してショーの有り様を変えた{{sfn|Wall|2008|pp=281}}。彼らは[[スターシップ (航空機)|スターシップ]]と呼ばれるプライベートジェット([[ボーイング720]])で各地に移動し、ホテル(その中には[[ロサンゼルス]]の[[アンダーズ・ウェスト・ハリウッド|コンチネンタル・ハイアット・ハウス]]、通称「ライオット・ハウス」として知られたホテルも含まれる。)のワンフロアを貸し切りにして、頻繁に乱痴気騒ぎを繰り返した。ジョン・ボーナムはライオット・ハウスのフロアをバイクで走り抜けた<ref>{{cite news|url=https://www.thetimes.co.uk/article/the-truth-behind-the-led-zeppelin-legend-k5z80vsmpqc|archive-url=https://web.archive.org/web/20191219230054/https://www.thetimes.co.uk/article/the-truth-behind-the-led-zeppelin-legend-k5z80vsmpqc|archive-date=19 December 2019|work=[[The Times]]|title=The truth behind the Led Zeppelin legend|author=Mick Wall|date= 1 November 2008|author-link=Mick Wall}}</ref>。また、彼らは[[キャピトル東急ホテル|東京ヒルトン]]の部屋を日本刀で破壊し、同ホテルから永久に宿泊禁止とされた{{sfn|Williamson|2005|p=68}}。レッド・ツェッペリンはホテルのスイートルームをゴミ箱に変え、テレビを窓から投げ出すという暴挙に及んだとされるが、これらの話は誇張されていると示唆する人もいる。音楽ジャーナリストの[[クリス・ウェルチ]]によれば、「(レッド・ツェッペリンの)ツアーは多くの物語を生み出したが、(彼らは)絶えず理不尽な破壊と淫らな行為に及んでいたというのは神話だった。」という{{sfn|Welch|1994|p=47}}。
レッド・ツェッペリンは1971年11月8日に[[レッド・ツェッペリン IV|4枚目のアルバム]]をリリースした。これは、『レッド・ツェッペリンIV』、『無題』、『IV』、またはレーベルに表示された4つのシンボルから、『Four Symbols』、『Zoso』、『Runes』とさまざまに呼ばれている{{sfn|Davis|2005|p=25}}。バンドは「ツェッペリンは誇大評価されている」という音楽プレスに応えるため、タイトルやバンドの情報が表示されないアルバムをリリースしたかったが、レコード会社はジャケットに表記を望んだため、議論の末バンドの4人のメンバーとそれが4枚目のアルバムであることの両方を表す4つのシンボルを表示することに合意した{{sfn|Wall|2008|p=269-270}}。『レッド・ツェッペリンIV』は3,700万枚を売り上げ、歴史上最も売れたアルバムの一つであり、その絶大な人気によりレッド・ツェッペリンは1970年代におけるスーパースターとしての地位が確固たるものになった{{sfn|Bukszpan|2003|p=128}}{{sfn|Brown|2001|p=480}}。2021年までに『レッド・ツェッペリンIV』はアメリカだけで2,400万枚を売り上げている<ref>[https://www.riaa.com/gold-platinum/?tab_active=default-award&ar=Led+Zeppelin&ti=Led+Zeppelin+iv&lab=&genre=&format=&date_option=release&from=&to=&award=&type=&category=&adv=SEARCH#search_section Gold & Platinum - RIAA<!-- Bot generated title -->]</ref>。収録曲「[[天国への階段 (レッド・ツェッペリンの曲)|天国への階段]]」はシングルとしてリリースされなかったにもかかわらず、1970年代にアメリカのロックラジオ局で最もリクエストが多く、最も再生された曲だった<ref>{{cite magazine |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |title=Monitor |magazine=Broadcasting |location=Washington, DC |publisher=Broadcasting Publications Inc. |date=12 November 1979 }}</ref>。バンドはアルバムのリリースに続いて、1971年後半から1973年初頭にかけて、イギリス、オーストラリア、北アメリカ、日本、イギリスの順でツアーを行った。
[[File:Led Zeppelin acoustic 1973.jpg|thumb|1973年3月、[[ハンブルク]]でのアコースティック・セットでのプラントとペイジ。5作目『[[聖なる館]]』リリース直前のステージ。|alt=A black and white photograph of Robert Plant with a tambourine and Jimmy Page with an acoustic guitar seated and performing.]]
5枚目のアルバム『[[聖なる館]]』は、1973年3月にリリースされた。これは、[[シンセサイザー]]と[[メロトロン]]によるオーケストレーションの使用を拡大したさらなる実験を特徴としている。ロンドンを拠点とするデザイングループ、[[ヒプノシス]]によってデザインされたオレンジ色のジャケットは、[[北アイルランド]]の[[ジャイアンツ・コーズウェー]]を登る裸の子供たちの写真が使用された。ジャケットの子供たちは横顔と後ろ姿しか見えないが、リリース時に物議を醸した。4枚目のアルバムと同様に、バンド名もアルバムタイトルもスリーブに印刷されていなかった{{sfn|Wall|2008|pp=290-291}}。
『聖なる館』は世界中でチャートの首位を記録し{{sfn|Wall|2008|p=294}}、その後に行われた1973年の北米ツアーでは、大きなホールやスタジアムが連続して満員となり、観客動員数の記録を更新した。フロリダの[[タンパ・スタジアム]]では56,800人のファンが訪れ、[[ビートルズ]]が1965年に[[シェイ・スタジアム]]で記録した観客動員数を上回り、309,000ドルを売り上げた{{sfn|Davis|1985|p=194}}。ニューヨークの[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で行われた3回のコンサートは全て満員となり、[[レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ|映画]]のために撮影が行われた。しかし、映画の公開は1976年まで延期された。最終夜の公演の前に、[[ドレイク・ホテル (ニューヨーク)|ドレイク・ホテル]]の貸金庫に預けてあった、入場料からのギャラである180,000ドル(現在の価格で{{formatnum:{{Inflation|US|180000|1973|r=-3}}}}ドル)が何者かに盗まれた{{sfn|Yorke|1993|pp=186-187}}。また1973年に、バンドは[[イースト・サセックス]]のジョージ王朝時代の邸宅である[[ハマーウッド・パーク]]をオークションで購入し、レコーディングスタジオと宿泊施設に改装することを計画した。しかし家は荒れ果てた状態にあり、計画は最終的に棚上げされた。「永遠の詩」のプロモーション・ビデオの撮影に使用されたが、その後1976年には売却された。
[[File:LedZeppelinChicago75 2.jpg|thumb|left|[[シカゴ・スタジアム]]でのステージ、1975年1月。『[[フィジカル・グラフィティ]]』リリースの数週間前。|alt=A colour photograph of the four members of Led Zeppelin performing onstage, with some other figures visible in the background.]]
1974年、レッド・ツェッペリンはツアーを中断し、未発表曲にちなんで名付けられた独自のレコード・レーベル、[[スワンソング・レコード|スワンソング]]を立ち上げた。レコードレーベルのロゴは、[[ウィリアム・リマー]]の「Evening:Fall of Day」(1869年)という絵を基にしている。この作品は[[ギリシア神話]]の[[アポローン|アポロ]]の物語をテーマにしたもので、『[[イカロス]](或いはイカルス)』の物語を描いたものではない<ref>{{cite web |url=http://www.mfashop.org/wiriitfaofda.html |title=William Rimmer Evening (The Fall of Day) |author=<!--Not stated--> |website=www.mfashop.org |publisher=Museum of Fine Arts, Boston |access-date=26 September 2019 |archive-date=26 September 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190926230017/http://www.mfashop.org/wiriitfaofda.html |url-status=dead }}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.band-shirt.com/2013/03/09/history-of-the-led-zeppelin-icarus-logo/ |title=A History of the Led Zeppelin Icarus Logo |author=<!--Not stated--> |website=www.band-shirt.com |access-date=26 September 2019 |archive-date=26 September 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190926224856/http://www.band-shirt.com/2013/03/09/history-of-the-led-zeppelin-icarus-logo/ |url-status=live }}</ref>{{sfn|Williamson|2007|p=107}}。レーベルのロゴはレッド・ツェッペリンのメモラビリアに使用され、特にTシャツにプリントされた。バンドはスワンソングを自分たちのアルバムを宣伝する手段として使用することに加えて、レーベルの所属アーティストを増やし、[[バッド・カンパニー]]、[[プリティ・シングス]]、[[マギー・ベル]]などのアーティストと契約した{{sfn|Yorke|1993|p=191}}。レッド・ツェッペリンが活動していた間はそれなりの成功を収めていたが、解散後は3年も経たないうちに活動を停止することとなった{{sfn|Davis|1985|p=312}}。
6作目のダブル・アルバム『[[フィジカル・グラフィティ]]』はスワンソング・レーベルでの最初のリリースだった。15曲が収録され、そのうち8曲は1974年に[[ヘッドリィ・グランジ]]で録音され、7曲はそれ以前に録音されていた。ローリング・ストーン誌のレビューでは、『フィジカル・グラフィティ』をレッド・ツェッペリンの「芸術的尊敬の念」と呼び、レッド・ツェッペリンが「世界最高のロックバンド」の称号を得るために争わなければならなかったのは[[ローリング・ストーンズ]]と[[ザ・フー]]だけだったと付け加えた{{sfn|Miller|1975}}。アルバムは大規模な商業的かつ重要な成功を収めた。『フィジカル・グラフィティ』のリリース直後、レッド・ツェッペリンの既発のアルバム全てが同時にトップ200アルバムチャートに再登場した{{sfn|Davis|1985|pp=225, 277}}。バンドは新たな北米ツアーに乗り出し{{sfn|Wall|2008|p=359}}、以前に比べて洗練されたサウンドと照明システムが取り入れられた{{sfn|Yorke|1993|p=197}}。1975年5月、レッド・ツェッペリンは当時イギリスで最大のアリーナであったロンドンの[[アールズ・コート・エキシビション・センター|アールズ・コート・アリーナ]]で5回のコンサートを行い、いずれも満員となった{{sfn|Wall|2008|p=359}}。
=== ツアーからの休養と復帰:1975-1977 ===
[[File:Jimmy Page with Robert Plant 2 - Led Zeppelin - 1977.jpg|thumb|最後の北米ツアー、1977年4月10日の[[シカゴ・スタジアム]]で演奏するプラントとペイジ。|alt=A colour photograph of Robert Plant with microphone and Jimmy Page with a double necked guitar performing on stage.]]
大成功に終わったアールズ・コートでのコンサート後、レッド・ツェッペリンは休暇を取り、サンフランシスコでの2度の野外コンサートで開幕する予定の秋の北米ツアーを計画した{{sfn|Lewis|2003|p=35}}。しかし1975年8月、プラントと妻のモーリーンは[[ギリシャ]]の[[ロドス島]]での休暇中に深刻な自動車事故に遭遇する。プラントは足首を骨折し、モーリーンは重傷を負った。輸血によって彼女の命は取り留められた{{sfn|Davis|1985|pp=354-355}}。プラントは療養のため[[チャンネル諸島]]の[[ジャージー]]に向かい、ボーナムとペイジと共に8月と9月を過ごした。その後、バンドは[[カリフォルニア州]][[マリブ (カリフォルニア州)|マリブ]]で再集結した。この強いられた休暇の間に、次のアルバム『[[プレゼンス (レッド・ツェッペリンのアルバム)|プレゼンス]]』のための多くのマテリアルが執筆された{{sfn|Wall|2008|p=364}}。
この時までに、レッド・ツェッペリンは世界一のロックバンドであり{{sfn|Lewis|2003|p=45}}、[[ローリング・ストーンズ]]を含む当時のほとんどのバンドを上回った{{sfn|Davis|1985|p=173}}。1976年3月にリリースされた『プレゼンス』は、レッド・ツェッペリンのサウンドが、以前のアルバムで取り上げられていたアコースティックバラードや複雑なアレンジから離れて、より単純なギターベースのジャムに変化したことを示している。『プレゼンス』はプラチナアルバムを獲得したが、ファンや音楽プレスはさまざまな反応を示し、一部の批評家はバンドの行き過ぎが彼らに追いついた可能性があると示唆した{{sfn|Erlewine|2011a}}{{sfn|Davis|1976}}。ペイジはアルバムのレコーディング・セッション中に[[ヘロイン]]の使用を開始した。これは、バンドのその後のライブやスタジオ・レコーディングに影響を与えた可能性があるが、その後の使用は否定している{{sfn|Wall|2008|p=364}}。
プラントの怪我のため、レッド・ツェッペリンは1976年にツアーを行わなかった。代わりに彼らはコンサート映画「[[レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ]]」とその[[永遠の詩 (狂熱のライヴ)|サウンドトラックアルバム]]を完成させた。映画は1976年10月20日にニューヨークでプレミア公開されたが、批評家やファンからは芳しい評価を得られなかった{{sfn|Erlewine|2011a}}。イギリスでは特に成功しなかった。イギリスでは課税回避のため1975年以来ツアーを行うことを望まず、レッド・ツェッペリンは大衆の支持を取り戻すために困難な戦いに直面した{{sfn|Shadwick|2005|p=320}}。
[[File:Silverdome 2.jpg|thumb|left|1977年の北米ツアー、[[ミシガン州]]の[[ポンティアック・シルバードーム]]でのコンサートでバンドは76,229人を動員し、屋内アトラクションの記録を樹立した。|alt=a colour photograph of a large domed stadium]]
1977年、レッド・ツェッペリンは大規模な北米コンサートツアーに乗り出した。バンドは4月30日の[[ポンティアック・シルバードーム|シルバードーム]]でのコンサートで76,229人の聴衆を集め、新たな観客動員記録を打ち立てた{{sfn|Yorke|1993|p=229}}。[[ギネス世界記録]]によると、それは一日で最も多くの観客を集めたショーであった{{sfn|Lewis|2003|p=49}}。ツアーは大きな収益を上げたが、ステージ外の問題に悩まされていた。4月19日に[[シンシナティ]]の[[ヘリテージ・バンク・センター|リバーフロント・コロシアム]]で行われたコンサートでは、約1,000人のファンがゲートを破壊しようとし、70人以上が逮捕された。一方、他のファンはガラスのドアに岩や瓶を投げて入場しようとした{{sfn|Wall|2008|p=392}}。6月3日、タンパ・スタジアムでのコンサートは、チケットには「"Rain or Shine"」(雨天決行)と表示していたにもかかわらず、激しい雷雨のために短縮されたため、暴動が発生し、観客に負傷者と逮捕者が発生した{{sfn|Newswire|2011}}。
7月23日に[[カリフォルニア州]][[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]の[[オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム|オークランド・コロシアム]]で開催された[[デイ・オン・ザ・グリーン]]フェスティバルでのショーの後、ボーナムとバンドのサポートスタッフのメンバーが逮捕された。バンドのパフォーマンス中にプロモーターの[[ビル・グラハム]]のスタッフがひどく殴られたためであった{{sfn|Davis|1985|p=277}}{{sfn|Yorke|1993|p=210}}。翌日の2回目のオークランドのコンサートは、バンドのアメリカにおける最後のライブとなった。2日後、[[シーザーズ・スーパードーム|ルイジアナ・スーパードーム]]での7月30日の公演のために[[フレンチ・クオーター]]のホテルにチェックインしたとき、プラントは5歳の息子カラックが胃のウイルスで死亡したという知らせを受け取った。ツアーの残りはすぐにキャンセルされ、レッド・ツェッペリンの将来についての様々な憶測が飛び交った{{sfn|Erlewine|2011a}}{{sfn|Welch|1994|p=85}}。
{{Clear}}
=== ボーナムの死と解散:1978-1980 ===
[[File:John Bonham 1975.jpg|thumb|upright|1980年9月25日のボーナムの死(写真は1973年7月)の後、レッド・ツェッペリンの残りのメンバーはグループを解散することを決定した。|alt=A black and white photograph of John Bonham playing drums]]
1978年11月、グループは[[スウェーデン]]の[[ストックホルム]]にある[[ポーラー・スタジオ]]でレコーディングを行った。完成したアルバム『[[イン・スルー・ジ・アウト・ドア]]』は、再び批評家からの複雑な反応を引き出すこととなった実験的サウンドを特徴としていた{{sfn|Wall|2008|p=424}}。それにもかかわらず、アルバムはリリースからちょうど2週目にイギリスとアメリカでナンバーワンに達した。このアルバムのリリースに伴い、レッド・ツェッペリンの旧譜全てが1979年10月27日と11月3日の週にビルボードトップ200に再びチャートインした{{sfn|Lewis|2003|p=80}}。
[[コペンハーゲン]]での2回のウォームアップショーの後、1979年8月にレッド・ツェッペリンは[[ネブワース・フェスティヴァル]]で2回のコンサートのヘッドライナーを務め、初日の夜には約104,000人の観客を魅了した{{sfn|Wall|2008|p=425}}。1980年には6月から7月にかけて通常の長いジャムやソロを使わずに、簡素化されたセットをフィーチャーした、簡潔で控えめなヨーロッパツアーが行われた。 6月27日に[[ドイツ]]の[[ニュルンベルク]]で行われたショーでは、ボーナムがステージ上で倒れて病院に運ばれたため、コンサートは3曲目の途中で終了となった{{sfn|Wall|2008|pp=431-432}}。マスコミは彼が倒れたのは過度の飲酒と薬物使用の結果であったことを示唆したが、バンドは彼が単に食べ過ぎたためであったと主張した{{sfn|Davis|1985|p=300}}。
1977年以来のバンドの最初の北米ツアーは1980年10月17日に開始される予定だった。9月24日、ボーナムは[[ブレイ・スタジオ]]でのリハーサルに参加するためにアシスタントのレックス・キングに迎えられた{{sfn|Welch|1994|p=92}}。道中ボーナムは朝食に立ち寄るよう頼んだ。彼はハムロール1つを食べ、4杯のウォッカ(16 - 24 オンス(470 - 710ml))を飲んだ。ハムロールを一口食べた後、彼はキングに「朝食」と言った。彼はスタジオに到着した後も飲み続けた。その夜遅くにリハーサルは中止され、バンドは[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]の[[クルーワー]]にあるペイジの家、オールドミルハウスに移動した。
真夜中過ぎに眠りに落ちたボーナムはベッドに連れて行かれ、寝かされた。翌日の午後1時45分、ベンジ・ルフェーブル(新しいツアーマネージャー)とジョン・ポール・ジョーンズはボーナムが死んでいるのを発見した。死因は嘔吐による[[窒息]]であり、偶然の事故死であった{{sfn|Welch|1994|pp=92-94}}<ref name=srapdisbnds>{{cite news|url=https://news.google.com/newspapers?id=McopAAAAIBAJ&pg=7157%2C2314905|work=Spokesman-Review|location=(Spokane, WA, U.S.)|agency=Associated Press|title=Rock group Led Zeppelin disbands|date=6 December 1980|page=24|access-date=26 October 2020|archive-date=10 December 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20201210090253/https://news.google.com/newspapers?id=McopAAAAIBAJ&pg=7157,2314905|url-status=live}}</ref>。[[検死]]ではボーナムの体内から娯楽用ドラッグは見つからなかった。彼は当時、不安を紛らわせるために Motival([[抗精神病薬]]の[[フルフェナジン]]と[[三環系抗うつ薬]]の[[ノルトリプチリン]]の混合薬)を服用し始めていたが、これらの薬剤が彼の体内のアルコールと相互作用したかどうかは不明である{{sfn|Gilmore|2006}}<ref>{{cite web|title=John Bonham Biography|url= http://home.att.net/~chuckayoub/john_bonham_biography.htm|url-status=dead|archive-url= https://web.archive.org/web/20100316013818/http://home.att.net/~chuckayoub/john_bonham_biography.htm|archive-date=16 March 2010|access-date=16 March 2010}}</ref>。ボーナムの遺体は[[火葬]]され、遺灰は1980年10月12日、[[ウスターシャー]]の[[ラッショック]]教区教会で埋葬された。
予定されていた北米ツアーはキャンセルされ、[[コージー・パウエル]]、[[カーマイン・アピス]]、[[バリエモール・バーロウ]]、[[サイモン・カーク]]、[[リック・リー]]、[[ベヴ・ベヴァン]]が彼の代わりとしてグループに加わるという噂にもかかわらず、メンバーは解散を決めた。1980年12月4日の声明は次のように述べている。「私たちは、私たちの親友の喪失と彼の家族に対する私たちの深い尊敬、そして私たち自身と私たちのマネージャーによって感じられる、調和のとれた深い感覚と共に、私たちは続けることができないと決心しました。我々がそうであったように。<ref name=srapdisbnds/>」声明は単に「レッド・ツェッペリン」とだけ署名された{{sfn|Welch|1994|pp=94-95}}。
=== 解散後 ===
==== 1980年代 ====
[[File:Jimmy Page 1983.jpg|thumb|upright|left|[[カリフォルニア州]][[デイリーシティ]]の[[カウ・パレス]]で演奏するペイジ、1983年。|alt=A colour photograph of Jimmy Page performing on stage with a double-necked guitar]]
レッド・ツェッペリンの解散後、メンバーによる最初の重要な音楽プロジェクトは[[ハニードリッパーズ]]だった。これはプラントが1981年に最初に結成したものである。 バンドはペイジがリードギターを担当し、そこに2人の友人のスタジオミュージシャンが加わった。その中にはジェフ・ベックと[[ポール・シェーファー]]、[[ナイル・ロジャース]]もいた。彼らは1984年に唯一のアルバムをリリースした。プラントはツェッペリンとは異なる方向に焦点を当て、[[スタンダード・ナンバー|スタンダード]]を演奏し、より[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]スタイルに傾いた。アルバムのハイライトは「[[シー・オブ・ラブ (曲)|シー・オブ・ラブ]]」のカバーで、同曲はシングルカットされ、1985年初頭に[[ビルボード]]チャートの3位に達した{{sfn|Huey|2011}}。
『[[最終楽章 (コーダ)]]』 - アウトテイクと未使用のトラックのコレクション - は1982年11月にリリースされた。1970年の[[ロイヤル・アルバート・ホール]]のライヴから2曲が収録され、それぞれが『レッド・ツェッペリンIII』と『聖なる館』からのもので、3曲は『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』セッションからのものだった。また、「モントルーのボンゾ」と呼ばれる、1976年のボーナムのドラムインストゥルメンタルにペイジが電子効果を追加した曲も収録された{{sfn|Yorke|1993|p=267}}。
1985年7月13日、ペイジ、プラント、ジョーンズは[[フィラデルフィア]]の[[ジョン・F・ケネディ・スタジアム|JFKスタジアム]]での[[ライヴエイド]]のために再会し、ドラマーの[[トニー・トンプソン (ドラマー)|トニー・トンプソン]]と[[フィル・コリンズ]]、ベーシストの[[ポール・マルティネス]]と共にショートセットを演奏した。フィル・コリンズがパフォーマンス中に3人を呼び込み、「ロックン・ロール」「天国への階段」「胸いっぱいの愛を」を演奏した(ドラムスはトンプソンとコリンズ、「天国への階段」のベースギターはマルチネスが担当。なお、コリンズの後日のコメントは、ツェッペリンと共演したいが為にイベントを利用したというものと、成り行きで決まっただけで彼自身は望んでなかった、という正反対のものが残されており、真相は不明である。コリンズはプラントの最初の2枚のソロアルバムに参加し、マルティネスはプラントのソロバンドのメンバーだった。演奏は2人のドラマーとのリハーサルの欠如、ペイジの調律外れのギターとの闘い、モニターの機能不全、およびプラントの嗄声によって損なわれた{{sfn|Lewis|Pallett|1997|p=139}}{{sfn|Prato|2008}}。ペイジはパフォーマンスを「かなり混乱していた」と表現し{{sfn|List|2007}}、プラントはそれを「ひどいもの」と特徴づけた{{sfn|Lewis|Pallett|1997|p=139}}。
3人は1988年5月14日に[[アトランティック・レコード40周年コンサート]]で再び再会し、このときはボーナムの息子[[ジェイソン・ボーナム|ジェイソン]]がドラムを演奏した。結果は再びバラバラになった。プラントとペイジは、ステージに上がる直前に「天国への階段」を演奏するかどうかについて議論し、ジョーンズのキーボードはテレビで中継されなかった{{sfn|Prato|2008}}{{sfn|Lewis|Pallett|1997|p=140}}。ペイジはパフォーマンスを「一つの大きな失望」と表現し、プラントは「ギグはファウルだった」と述べた{{sfn|Lewis|Pallett|1997|p=140}}。
==== 1990年代 ====
[[File:JasonBonham2010b.jpg|thumb|upright|1988年、1995年、2007年に父親の代役を果たした[[ジェイソン・ボーナム]]。|alt=A colour photograph of Jason Bonham playing drums]]
ペイジの監修下リマスターが行われたレッド・ツェッペリン初の[[コンピレーション・アルバム]]『[[レッド・ツェッペリン (ボックスセット)]]』は1990年にリリースされた。このリリースによってバンドは再評価され、再結成についてメンバー間で中途半端な議論が引き起こされた{{sfn|Wall|2008|p=457}}。このセットには[[ロバート・ジョンソン]]の「トラベリング・リバーサイド・ブルース」のカバーを含む、4つの未発表曲が含まれていた{{sfn|Erlewine|2011c}}。同曲はビルボードの[[:w:en:Mainstream Rock (chart)|アルバムロックトラックチャー]]で最高7位に達した{{sfn|Billboard|2009}}。『[[レッド・ツェッペリン・ボックスセット2]]』は1993年にリリースされた。2つの[[ボックス・セット]]は、既知のスタジオ・レコーディングと、いくつかの珍しいライブ・トラックが含まれていた{{sfn|Erlewine|2011e}}。
1994年、ペイジとプラントは[[MTVアンプラグド|MTV]]の「UnLedded」プロジェクトのために再会した。彼らは後に『[[ノー・クォーター (アルバム)|ノー・クォーター]]』というアルバムをリリースした。これはツェッペリンの曲を再録音した物が収められ、翌年にはワールドツアーを行った。このプロジェクトについてジョーンズは知らされておらず、これはメンバー間の亀裂の始まりであったと言われている{{sfn|Murray|2004|p=75}}。
1995年にレッド・ツェッペリンは[[ロックの殿堂]]入りした。授賞式のプレゼンテーターは[[エアロスミス]]の[[スティーブン・タイラー]]と[[ジョー・ペリー]]が務めた。ジェイソンとゾーイ・ボーナムも出席し、父親に代わって賞を受け取った{{sfn|Lewis|2003|p=163}}。式典でジョーンズは賞を受け取ったときに「やっと僕の電話番号を思い出してくれて、友に感謝します。」と冗談を言い、ペイジとプラントが驚きとぎこちない表情を示したことで、バンドの亀裂が明らかになった{{sfn|Lewis|Pallett|1997|p=144}}。その後、彼らはタイラーとペリー、ジェイソン・ボーナムと演奏を行った。2回目は[[ニール・ヤング]]との短いセットを演奏し、今回は[[マイケル・リー (ミュージシャン)|マイケル・リー]]がドラムを担当した{{sfn|Lewis|2003|p=163}}。
1997年、アトランティックはアメリカとイギリスで「胸いっぱいの愛を」の編集版シングルをリリースした。これは彼らの母国でリリースされた唯一のシングルで、[[全英シングルチャート]]で最高21位に達した{{sfn|Lewis|2003|p=166}}。1997年11月には、2枚組CD『[[BBCライヴ (レッド・ツェッペリンのアルバム)|BBCライヴ]]』がリリースされた。これは1969年と1971年に録音され、BBCで放送された音源が元になっている{{sfn|Erlewine|2011f}}。ペイジとプラントは1998年に『[[ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル]]』という2枚目のアルバムをリリースした。これは全てが新曲で構成されているが、売り上げは振るわず、計画されたオーストラリアツアーの前にパートナーシップは解消された{{sfn|Wall|2008|pp=460-461}}。
==== 2000年代 ====
[[File:Led Zeppelin 2007.jpg|thumb|left|2007年12月にロンドンで開催された[[アーメット・アーティガン・トリビュート・コンサート]]で演奏するレッド・ツェッペリン。|alt=A colour photograph of John Paul Jones, Robert Plant and Jimmy Page performing on stage, with Jason Bonham partially visible on drums in the background]]
2003年には、3枚組のライブアルバム『[[伝説のライヴ]]』と『[[レッド・ツェッペリン DVD]]』がリリースされた。『DVD』はバンドの活動を6時間に及ぶ数々のライブ映像で表した物で、当時最も売れた音楽DVDとなった{{sfn|Wall|2008|p=437}}。2007年7月、アトランティック / [[ライノ・エンタテインメント|ライノ]]と[[ワーナー・ホーム・ビデオ]]は、その11月にリリースされる3つのツェッペリンのタイトルを発表した。バンドのキャリアから24曲を選んだコンピレーションの『[[マザーシップ (レッド・ツェッペリンのアルバム)|マザーシップ]]』、未発表曲を追加した『[[永遠の詩 (狂熱のライヴ)]]』のリマスター版、『DVD』の再発盤であった{{sfn|Cohen|2007}}。ツェッペリンはまた、アルバムの配信も始めた{{sfn|Reuters|2007}}。彼らはアルバムのネット配信を行う最後の主要なロックバンドの一つであった{{sfn|Thorpe|2007}}。
2007年12月10日、ツェッペリンはロンドンの[[O2アリーナ (ロンドン)|O2アリーナ]]で開催された[[アーメット・アーティガン・トリビュート・コンサート]]で再結成し、ジェイソン・ボーナムが再び父親の代わりにドラムを演奏した。ギネス世界記録2009によると、このショーはチケットがオンラインで販売されたが、2,000万件の申し込みがあったため「1回の音楽コンサートのチケットに対する最大の需要」の記録を打ち立てた{{sfn|TVNZ|2009}}。批評家はパフォーマンスを賞賛し{{sfn|Gardner|2007}}、完全な再結成についての憶測が広がった{{sfn|Wall|2008|p=472}}。ペイジ、ジョーンズ、ジェイソン・ボーナムはツアーを行う意欲があり、新しいツェッペリンプロジェクトのマテリアルに取り組んでいると伝えられた{{sfn|BBC Mobile|2008}}。しかしながらプラントは[[アリソン・クラウス]]とのツアーを続け{{sfn|Talmadge|2008}}、2008年9月に彼はバンドと一緒にレコーディングしたりツアーしたりしないと述べた<ref>{{cite web|website=Robertplant.com|title=Robert Plant - official statement|date=2008-09-29|url= http://www.robertplant.com/index.php?l1=2&l2=0&l3=0&articleID=186&rt=NE&PHPSESSID=6235928e9e15317186503f0c80686264|access-date=2008-09-29|url-status=dead|archive-url= https://web.archive.org/web/20080930212955/http://www.robertplant.com/index.php?l1=2&l2=0&l3=0&articleID=186&rt=NE&PHPSESSID=6235928e9e15317186503f0c80686264|archive-date=2008-09-30}}</ref>{{sfn|Beech|2008}}。「私は忙しいので、彼らはただ待たなければならないだろうと彼らに言った。」と彼は2014年に回想している。「私は最終的にはやって来たが、少なくとも私の知る限り、彼らはそれで大丈夫だった。しかし、そうではなかったことが分かった。そしてさらにもっとがっかりしたのは、ジミーが私に対してそれを使用したことだ。<ref>{{cite magazine|first=Marcel|last=Anders|title=Q&A: Robert Plant|magazine=[[Classic Rock (magazine)|Classic Rock]]|issue=202|date=October 2014|page=30}}</ref>」
ジョーンズとペイジは、プラントの代役を探したと伝えられている。代役の候補者には、エアロスミスのスティーブン・タイラー、[[アルター・ブリッジ]]の[[マイルズ・ケネディ]]が含まれていた{{sfn|Wall|2008|pp=459-460}}。しかし、2009年1月にプロジェクトは放棄されたことが確認された{{sfn|Bosso|2009}}。「ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジェイソン・ボーナムと演奏する機会を得たことは非常に特別なことだった」とケネディは回想した。「それはまさにそこにある天頂である。それはクレイジーで良い経験だった。それは私が今でもよく考えていることである...それは私にとってとても貴重である。<ref>{{cite magazine|first=Rich|last=Chamberlain|title=Heavy Load: Myles Kennedy|magazine=[[Classic Rock (magazine)|Classic Rock]]|issue=202|date=October 2014|page=138}}</ref>」
==== 2010年代 ====
[[File:Led Zeppelin answering questions, 2012 (cropped).jpg|thumb|upright|2012年10月にロンドンの[[ハマースミス・アポロ]]で開催された「[[祭典の日 (映画)|祭典の日]]」のプレミアで質問に答えるレッド・ツェッペリン。]]
O2でのライブは「[[祭典の日 (映画)|祭典の日]]」として2012年10月17日に公開され、11月19日にDVDでリリースされた{{sfn|Greene|2012}}。この映画は一晩で200万ドルの収益を上げ、ライブアルバムはイギリスとアメリカそれぞれ4位と9位を記録した{{sfn|Variety|2012}}{{sfn|UK Charts|2012}}{{sfn|Allmusic|2010}}。映画の公開に続いて、ペイジはバンドの旧譜をリマスターしていたことを明らかにした<ref>{{cite web|url=https://www.nme.com/news/music/led-zeppelin-98-1247962|title=Jimmy Page remastering Led Zeppelin albums for 2013 boxset release|work=NME|location=UK|date=30 October 2012|access-date=22 January 2017|archive-date=2 February 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20170202091950/http://www.nme.com/news/music/led-zeppelin-98-1247962|url-status=live}}</ref>。リマスター盤の第1弾として『レッド・ツェッペリン』、『レッド・ツェッペリンII』、『レッド・ツェッペリンIII』が2014年6月2日にリリースされた<ref>{{cite web | url=http://www.ledzeppelin.com/news/2014/03/13/first-three-albums-newly-remastered-previously-unreleased-companion-audio | title=First Three Albums Newly Remastered With Previously Unreleased Companion Audio | access-date=14 March 2014 | archive-date=14 March 2014 | archive-url=https://web.archive.org/web/20140314235805/http://www.ledzeppelin.com/news/2014/03/13/first-three-albums-newly-remastered-previously-unreleased-companion-audio | url-status=live }}</ref>。第2弾、『レッド・ツェッペリンIV』と『聖なる館』は2014年10月27日にリリースされた<ref>{{cite web | url=http://www.ledzeppelin.com/news/2014/07/29/led-zeppelin-reissues-continue-deluxe-editions-led-zeppelin-iv-and-houses-holy | title=Led Zeppelin Reissues Continue with Deluxe Editions of Led Zeppelin IV and Houses of the Holy | access-date=22 January 2017 | archive-date=12 May 2016 | archive-url=https://web.archive.org/web/20160512125927/http://www.ledzeppelin.com/news/2014/07/29/led-zeppelin-reissues-continue-deluxe-editions-led-zeppelin-iv-and-houses-holy | url-status=live }}</ref>。第3弾の『フィジカル・グラフィティ』は2015年2月23日にリリースされた。これは最初のリリースの翌日からほぼ正確に40年後のことである<ref>{{cite web | url=http://www.ledzeppelin.com/news/2015/01/08/physical-graffiti-deluxe-edition-arrives-exactly-40-years-after-debut-produced-and-n | title=Physical Graffiti Deluxe Edition Arrives Exactly 40 Years After Debut, Produced and Newly Remastered by Jimmy Page, with Previously Unreleased Companion Audio | access-date=22 January 2017 | archive-date=19 January 2015 | archive-url=https://web.archive.org/web/20150119205049/http://www.ledzeppelin.com/news/2015/01/08/physical-graffiti-deluxe-edition-arrives-exactly-40-years-after-debut-produced-and-n | url-status=live }}</ref>。第4弾の『プレゼンス』、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』、『最終楽章 (コーダ)』は、2015年7月31日にリリースされた<ref>{{cite web|last=Grow|first=Kory|date=3 June 2015|url=https://www.rollingstone.com/music/news/led-zeppelin-announce-final-three-deluxe-reissues-20150603|title=Led Zeppelin Announce Final Three Deluxe Reissues|work=[[Rolling Stone]]|access-date=3 June 2015|archive-date=4 June 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20150604144435/http://www.rollingstone.com/music/news/led-zeppelin-announce-final-three-deluxe-reissues-20150603|url-status=live}}</ref>。
このリマスタープロジェクトで各アルバムはCDとLPでリリースされ、未発表曲を収録したボーナスディスクを含むデラックスエディションもリリースされた。(『最終楽章 (コーダ)』のデラックスエディションには2枚のボーナスディスクが含まれる。)各アルバムは、ボックスセットのスーパーデラックスエディションも制作された。ボックスセットにはリマスターされたアルバムとボーナスディスクがCDと180グラムのLP盤で収められ、すべてのコンテンツが96kHz / 24ビットの[[ハイレゾリューションオーディオ]]音源ファイルとしてダウンロードできるカード、珍しくこれまでに見たことのない写真や記念品、そしてオリジナルのアルバムカバーの高品質なプリントが満載されたハードカバーの本が含まれていた<ref>{{cite web | url=http://www.ledzeppelin.com/news/2015/06/03/pre-order-deluxe-editions-presence-through-out-door-and-coda-each-newly-remastered-j | title=Pre-Order Deluxe Editions of Presence, In Through the Out Door, and Coda, Each Newly Remastered by Jimmy Page, With Previously Unreleased Companion Audio | access-date=22 January 2017 | archive-date=17 October 2016 | archive-url=https://web.archive.org/web/20161017230942/http://www.ledzeppelin.com/news/2015/06/03/pre-order-deluxe-editions-presence-through-out-door-and-coda-each-newly-remastered-j | url-status=live }}</ref>。
2015年11月6日、コンピレーションアルバム『マザーシップ』は、新しくリマスターされたオーディオトラックを使用して再リリースされた<ref>{{cite web|url=http://www.superdeluxeedition.com/news/led-zeppelin-mothership-4lp-vinyl/|title=Led Zeppelin / Mothership 4LP vinyl|work=superdeluxeedition.com|access-date=23 January 2017|archive-date=17 October 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20151017204901/http://www.superdeluxeedition.com/news/led-zeppelin-mothership-4lp-vinyl/|url-status=live}}</ref>。旧譜の再リリースは翌年も続き、2016年9月16日に『BBCライヴ』が再リリースされた。再リリース盤にはBBCでのレコーディングから9曲の未発表曲を収録したボーナスディスクが追加され、その中には[[海賊盤]]に何度も収められたが正式リリースされていなかった「サンシャイン・ウーマン」が収められた<ref>{{cite web | url=http://www.ledzeppelin.com/news/2016/07/20/complete-bbc-sessions-previously-unreleased-recordings-out-sept-16th | title=The Complete BBC Sessions - With Previously Unreleased Recordings Out Sept. 16th | access-date=22 January 2017 | archive-date=2 February 2017 | archive-url=https://web.archive.org/web/20170202013016/http://www.ledzeppelin.com/news/2016/07/20/complete-bbc-sessions-previously-unreleased-recordings-out-sept-16th | url-status=live }}</ref>。
バンドの50周年を記念して、ペイジ、プラント、ジョーンズは、バンドの結成から50年を祝う公式の写真集を発表した<ref>{{cite web | url=http://www.ledzeppelin.com/news/led-zeppelin-official-illustrated-book-coming-2018-1260556 | title=Led Zeppelin Official Illustrated Book - Coming 2018 | access-date=24 January 2018 | archive-date=25 January 2018 | archive-url=https://web.archive.org/web/20180125135155/http://www.ledzeppelin.com/news/led-zeppelin-official-illustrated-book-coming-2018-1260556 | url-status=live }}</ref>。また、写真集の出版を祝って『伝説のライヴ』が2018年3月23日に再リリースされた。『伝説のライヴ』はこのとき初めてLP盤でもリリースされた<ref>{{cite web | url=http://www.ledzeppelin.com/news/live-album-how-west-was-won-be-reissued-new-remastering-supervised-jimmy-page-1261051 | title=Live Album How The West Was Won To Be Reissued With New Remastering Supervised By Jimmy Page | access-date=24 January 2018 | archive-date=25 January 2018 | archive-url=https://web.archive.org/web/20180125134837/http://www.ledzeppelin.com/news/live-album-how-west-was-won-be-reissued-new-remastering-supervised-jimmy-page-1261051 | url-status=live }}</ref>。 2018年4月21日の[[レコード・ストア・デイ]]には、21年ぶりのシングルである7インチシングル「ロックン・ロール」(サンセットサウンドミックス)/「フレンズ」(オリンピックスタジオミックス)をリリースした<ref>{{cite news |title=Led Zeppelin share teaser trailer for beautiful Record Store Day release |url=https://www.nme.com/news/music/led-zeppelin-announce-special-7-inch-single-record-store-day-2249554 |agency=NME |date=3 January 2019 |access-date=3 January 2019 |archive-date=3 January 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190103161251/https://www.nme.com/news/music/led-zeppelin-announce-special-7-inch-single-record-store-day-2249554 |url-status=live }}</ref>。
====2020年代====
2020年10月、ペイジは写真集『ジミー・ペイジ・アンソロジー』を出版し、バンドの50周年ドキュメンタリーの制作も発表したが、[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウィルス感染症の流行]]によりその進行は遅れている<ref>{{cite news |title=Jimmy Page Is Still Practicing |url=https://www.esquire.com/entertainment/music/a34417764/jimmy-page-2020-interview/ |access-date=6 March 2021 |magazine=Variety |archive-date=6 December 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20201206153052/https://www.esquire.com/entertainment/music/a34417764/jimmy-page-2020-interview/ |url-status=live }}</ref>。
== 音楽スタイル ==
[[File:John Bonham-2cropped.jpg|thumb|ボーナムのアグレッシブなドラムスタイルは、バンドのハードロック・サウンドにとって重要であった。|alt=A black and white photograph of John Bonham wearing a headband and behind the cymbals of a drum kit]]
レッド・ツェッペリンの音楽のルーツは[[ブルース]]であった{{sfn|Erlewine|2011a}}。初期の2枚のアルバムは[[マディ・ウォーターズ]]やスキップ・ジェイムスなどのアメリカのブルースミュージシャンの影響が顕著であり、同様に[[ハウリン・ウルフ]]の独特の[[カントリー・ブルース]]スタイルも影響を与えていた{{sfn|Gulla|2001|pp=153-159}}。一つを除く全てのスタジオアルバムが[[ブルース形式|12バー・ブルース]]を中心に構成されており、ブルースは音楽的にも叙情的にも他の曲に直接的および間接的に影響を与えた{{sfn|Fast|2001|p=8}}。バンドはまた[[ブリティッシュ・フォーク・リバイバル|イギリス]]、[[ケルト音楽|ケルト]]、[[ニュー・フォーク|アメリカ]]のフォーク・リバイバル音楽に強く影響を受けた{{sfn|Erlewine|2011a}}。[[スコットランド]]のフォーク・ギタリスト、[[バート・ヤンシュ]]はペイジを刺激し、ペイジは彼からオープンチューニングとアグレッシブなストロークを演奏に取り入れた{{sfn|Wall|2008|p=94}}。バンドはまた、[[ワールドミュージック]]{{sfn|Erlewine|2011a}}や初期の[[ロックンロール]]、[[ジャズ]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー]]、[[ファンク]]、[[ソウルミュージック|ソウル]]、[[レゲエ]]の要素、特に『聖なる館』とそれに続くアルバムにおいて、さまざまなジャンルを利用した{{sfn|Gulla|2001|pp=153-159}}。
最初の2枚のアルバムの素材は、主にブルースの[[スタンダード・ナンバー]]{{sfn|Erlewine|2011a}}と[[:w:en:Folk music|フォーク・ソング]]の拡張されたジャムから構成されていた{{sfn|Wall|2008|pp=56-59}}{{sfn|Fast|2001|p=26}}。この手法は新しい曲を作り出すために、さまざまな曲やその別バージョンから音楽的要素と叙情的な要素、および即興のパッセージを混合することにつながったが、後で盗作の告発と著作権をめぐる法的紛争に巻き込まれることとなった{{sfn|Wall|2008|pp=56-59}}。通常、音楽は最初に作り出され、時には即興の歌詞が付けられ、その後最終的なバージョンに書き直される可能性がある{{sfn|Fast|2001|p=26}}。1970年の[[ブロン・イ・アー]]への訪問から、ペイジとプラントによる曲作りのパートナーシップが支配的になり、ペイジが主にアコースティック・ギターを使ってメロディーを作曲し、プラントは歌詞を担当した。その後ジョーンズとボーナムがリハーサルやスタジオで、曲作りが進むにつれてマテリアルを付け加えていった{{sfn|Wall|2008|pp=294-296 and 364-366}}。バンドのキャリア後期になると、曲作りの上でジョーンズの役割がますます重要になり、彼はキーボードで作曲を行った。プラントはペイジとボーナムが彼らのパートを加える前に歌詞を追加した{{sfn|Yorke|1993|pp=236-237}}{{sfn|Wall|2008|pp=412-413}}。
[[File:Jimmy Page early.jpg|thumb|left|upright|[[ギブソン・EDS-1275]]を使用するペイジ。ライヴでは「天国への階段」を演奏するために使用された。|alt=A black and white photograph of Jimmy Page playing a double-necked guitar]]
初期の歌詞はブルースとフォークのルーツに基づいており、多くの場合、さまざまな曲の歌詞の断片が混ざっていた{{sfn|Fast|2001|p=25}}。彼らの曲の多くは、ロックやポップ、ブルースで一般的なテーマであるロマンス、片思い、性的征服について扱っていた{{Sfn|Cope|2010|p=81}}。彼らの歌詞のいくつか、特にブルースから派生したものは、[[ミソジニー]]として解釈されている{{sfn|Cope|2010|p=81}}。特に『レッド・ツェッペリンIII』では、[[神話]]と[[神秘主義]]の要素を音楽に取り入れた{{sfn|Erlewine|2011a}}。これは主に伝説と歴史に対するプラントの関心から生まれたものであった{{sfn|Fast|2001|p=59}}。これらの要素は、[[オカルト]]に対するペイジの関心を反映するためにしばしば取り上げられ、その結果曲の中に悪魔のメッセージが[[サブリミナル効果|サブリミナル]]として隠されており、その一部は{{仮リンク|バックマスキング|en|backmasking}}として埋め込まれていると言われていた。これらの主張はバンドや音楽評論家によって否定された{{sfn|Wall|2008|pp=278-279}}。プラントの歌詞における牧歌的なファンタジーは、{{仮リンク|ブラック・カントリー|en|Black Country}}地域の風景と[[J・R・R・トールキン]]の[[ハイ・ファンタジー]]小説「[[指輪物語]]」に触発されたものであった{{sfn|Schinder & Schwartz|2008|p=383}}。スーザン・ファストは、プラントがバンドの主な作詞家として登場したとき、曲は[[1960年代のカウンターカルチャー|1960年代の西海岸のカウンターカルチャー]]との彼の整合をより明確に反映していると主張している{{sfn|Fast|2001|pp=9-10}}。バンドのキャリア後半で、プラントの歌詞はより自伝的になり、楽観的ではなくなり、彼自身の経験と状況を利用するようになった{{sfn|Wall|2008|pp=364-365}}。
音楽学者の[[ロバート・ヴァルザー]]によると、「レッド・ツェッペリンのサウンドは、スピードとパワー、珍しいリズミカルなパターン、対照的な段々になったダイナミクス、シンガーのロバート・プラントの慟哭のボーカル、ギタリストのジミー・ペイジのひどく歪んだクランチによって特徴づけられた。{{sfn|Walser|1993|p=10}}」という。これらの要素は、[[ハードロック]]{{sfn|Fast|2011|p=5}}と[[ヘヴィメタル]]{{sfn|Walser|1993|p=10}}{{sfn|Rolling Stone|2009}}の創始者の一つとしてしばしば引用され、メンバーがしばしばレッテル付けられるの避けてきたものの{{sfn|Bukszpan|2003|p=124}}、「決定的なヘヴィメタルバンド」{{sfn|Erlewine|2011a}}として説明されていることを意味する。この評判の一部は、「胸いっぱいの愛を」や「ワントン・ソング」などの曲で歪んだギターリフを使用していることを根拠とする{{sfn|Buckley|2003|p=1198}}{{sfn|Fast|2001|pp=113-117}}。多くの場合、リフはギター、ベース、ドラムによって正確に倍増することはなかったが、3つの異なる拍子記号が使用される「ブラック・ドッグ」のように{{sfn|Schinder & Schwartz|2008|p=390}}、代わりにメロディックまたはリズミカルなバリエーションがあった{{sfn|Fast|2001|p=96}}。ペイジのギター演奏は、[[:w:en:blues scale|ブルース音階]]の要素と[[:w:en:Music of Asia|東洋音楽]]の要素を取り入れていた{{sfn|Fast|2001|p=87}}。プラントによる甲高い叫び声による歌唱法は、[[ジャニス・ジョプリン]]の歌唱法と比較される{{sfn|Buckley|2003|p=1198}}{{sfn|Fast|2001|p=45}}。[[ロバート・クリストガウ]]は、彼がグループの重い「パワーブルース」の美学に不可欠であり、ペイジのギターパーツと同様に「機械的効果」として機能していることを発見した。クリストガウは、いくつかのアコースティックソングでプラントが「本物の感覚をほのめかしている」ことに注目しながら、ボーカルの正確さとダイナミクスを優先して、感情的な投影に重点を置いた伝統的なブルースの歌を放棄したと信じていた。「彼が性差別的([[ミソジニー]])なブルースの決まり文句を口にしているのか、バンドの半分聞こえる、半分理解できるもののいずれかを駆け抜けているのか...騎士道やカウンターカルチャーについての歌詞でも、彼の声には感情が欠けている。昔のテナーやバリトンのように、彼は自分の声を楽器、具体的にはエレクトリックギターにしたいと考えている。{{sfn|Christgau|1972a}}」 ボーナムのドラミングは、そのパワー、素早いロール、そして単一のバスドラムでの速いビートで有名だった。一方、ジョーンズのベースラインはメロディックであると描写され、彼のキーボードはバンドのサウンドにクラシックなタッチを加えた{{sfn|Fast|2001|p=13}}{{sfn|Buckley|2003|p=1198}}。
{{quote box|quote=ある深いレベルでは、レッド・ツェッペリンの音楽は人間性とテクノロジーの関係についてのものである。哲学的には、バンドは純粋でシンプルな人間性を好むが、実際には、その人間性を技術的に実現する必要がある。それは、ほとんどの良い時期の牧歌的な空想よりも真実のようである。{{sfn|Christgau|1972a}}|source=-[[ロバート・クリストガウ]], 1972年|width=30%|align=left|style=padding:8px;}}
レッド・ツェッペリンはハードロック・バンドとして広く見られてきたが、クリストガウは彼らを[[アート・ロック]]と見なしていた{{sfn|Christgau|1980}}。ポピュラー音楽学者のリービー・ガロファロによると、「ヒップな批評家は、レッド・ツェッペリンの超マッチョなプレゼンテーションに関連して建設的な位置づけを見つけることができなかったため、幅広い影響を受けたにもかかわらず、彼らはアート・ロックのカテゴリーから除外された。{{sfn|Garofalo|2008|p=233}}」とする。クリストガウは1972年に、バンドは「有機的ではなく知的にロックンロールに関連している」ため、アート・ロックと見なすことができ、「増幅されたビート」を「一種の形式的な挑戦」として理想化している。レッド・ツェッペリンは、「ビートとボリュームの物理的な強制によって心を巻き込む」という同時代の[[ジェスロ・タル]]や[[イエス (バンド)|イエス]]とは異なり、「セクシュアリティではなく攻撃性を呼び起こす、奇妙な大脳キャストのボディミュージックを作り出す」。そのため、[[ブラック・サバス]]や[[モット・ザ・フープル]]などの他の第2世代のイギリスのハードロック・バンドとともに、「奇妙なポテンシャルを持つ二重のオーディエンス」で知識人とワーキングクラスの若者の両方を引き付けることができる{{sfn|Christgau|1972b}}。その後『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』の「チューンフルなシンセサイザー・ポンプ」は、クリストガウにとって彼らがアート・ロック・バンドであることをさらに確認する根拠となった{{sfn|Christgau|1980}}。
ペイジは、レッド・ツェッペリンに「光と陰」のある音楽を制作してもらいたいと述べた。これは、アコースティック楽器をより多く使用した『レッド・ツェッペリン III』からより明確に実現され始めた{{sfn|Erlewine|2011a}}。このアプローチは『レッド・ツェッペリン IV』、特にアコースティックギターとリコーダーで始まり、ドラムと重いエレクトリックサウンドで終わる「天国への階段」で例示されている{{sfn|Schinder & Schwartz|2008|p=390}}{{sfn|Fast|2001|p=79}}。活動後期になると、彼らはジョーンズのキーボードモチーフが支配的な、よりまろやかで[[プログレッシブ・ロック|進歩的]]なサウンドに移行した{{sfn|Schinder & Schwartz|2008|pp=380-391}}。彼らはまた、マルチトラックやギターの[[オーバー・ダビング]]を含む、さまざまなレイヤーや制作技術をますます利用するようになった{{sfn|Gulla|2001|pp=153-159}}。強弱とアンサンブルのアレンジの感覚に重点を置いていることは{{sfn|Gulla|2001|pp=153-159}}、単一の音楽ジャンルを超越した個性的なスタイルを生み出すと見なされてきた{{sfn|Brackett|2008|pp=53-76}}{{sfn|Buckley|2003|p=585}}。イアン・ペディは、彼らは「...騒々しく、力強く、しばしばヘヴィだが、彼らの音楽もユーモラスで、自己反射的で、非常に繊細だった」と主張している{{sfn|Peddie|2006|p=136}}。
== 影響と評価 ==
[[File:Robert-Plant.jpg|thumb|プラントのボーカルスタイルはロックミュージックに大きな影響を与えてきたが、彼の長いブロンドのたてがみと力強い上半身の裸像は、「ロックの神」の[[アーキタイプ]]を作成するのに役立った<ref>{{cite news |title=How Robert Plant contributed to creating the 'rock god' archetype |url=https://www.dw.com/en/how-robert-plant-contributed-to-creating-the-rock-god-archetype/g-45147384 |access-date=3 July 2020 |agency=[[Deutsche Welle]] |archive-date=3 July 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200703211239/https://www.dw.com/en/how-robert-plant-contributed-to-creating-the-rock-god-archetype/g-45147384 |url-status=live }}</ref>。2011年、彼は[[ローリング・ストーン]]誌の読者投票で史上最高のリードシンガーに選ばれた<ref>{{cite news|title=Rolling Stone Readers Pick the Best Lead Singers of All Time|url=https://www.rollingstone.com/music/music-lists/rolling-stone-readers-pick-the-best-lead-singers-of-all-time-19450/1-robert-plant-256503/|access-date=3 July 2020|magazine=Rolling Stone|archive-date=3 July 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200703213249/https://www.rollingstone.com/music/music-lists/rolling-stone-readers-pick-the-best-lead-singers-of-all-time-19450/1-robert-plant-256503/|url-status=live}}</ref>。|alt=A black and white photograph showing a headshot of Robert Plant with a microphone in hand]]
多くの人がレッド・ツェッペリンをロックミュージックの歴史の中で最も成功し、革新的で、影響力のあるバンドの一つと見なしている{{sfn|Schinder & Schwartz|2008|p=380}}。ロック評論家の[[マイケル・ギルモア]]は、「レッド・ツェッペリンは、才能があり、複雑で、把握力があり、美しく、危険であり、自分自身を含め、すべてを圧倒しなければならなかったにもかかわらず、20世紀の音楽で最も永続的な作曲と演奏のグループの一つになった」と述べている{{sfn|Gilmore|2006}}。
レッド・ツェッペリンは、[[ディープ・パープル]]{{sfn|Thompson|2004|p=61}}、[[ブラック・サバス]]{{sfn|MTV|2006}}、[[ラッシュ (カナダのバンド)|ラッシュ]]{{sfn|Prown, Newquist & Eiche|1997|p=167}}、[[クイーン (バンド)|クイーン]]{{sfn|Prown, Newquist & Eiche|1997|p=106}}、[[エアロスミス]]<ref name="Aerosmith">{{cite web|title=Aerosmith inducts Led Zeppelin 1995|url=https://rockhall.com/inductees/aerosmith/video/4433/|website=Rockhall.com|access-date=10 May 2016|archive-date=23 May 2016|archive-url=https://web.archive.org/web/20160523004050/https://www.rockhall.com/inductees/aerosmith/video/4433/|url-status=live}}</ref>、[[ブラック・クロウズ]]<ref name="The Black Crowes">{{cite web|title=Jimmy Page and the Black Crowes Interview|url=https://www.guitar.com/articles/jimmy-page-and-black-crowes-interview|website=Guitar.com|access-date=10 May 2016|url-status=dead|archive-url=https://web.archive.org/web/20160513025921/https://www.guitar.com/articles/jimmy-page-and-black-crowes-interview|archive-date=13 May 2016}}</ref>、[[メガデス (バンド)|メガデス]]{{sfn|Davies|2010}}などのハードロックやヘヴィメタル・バンドだけでなく、[[トゥール (バンド)|トゥール]]{{sfn|Pareles|1997}}や[[ドリーム・シアター]]{{sfn|Sparks|2010}}などのプログレッシブ・メタル・バンドにも影響を与えてきた。彼らはいくつかの初期の[[パンク・ロック|パンク]]・バンドと[[ポストパンク]]・バンドに影響を与えた。その中には[[ラモーンズ]]{{sfn|Jones|2003}}、[[ジョイ・ディヴィジョン]]<ref>{{cite web|url=https://www.spin.com/2005/07/records-changed-my-life-bernard-sumner-new-order/|title=The Records That Changed My Life: Bernard Sumner of New Order|date=4 July 2005|access-date=31 August 2017|archive-date=12 June 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20180612142102/https://www.spin.com/2005/07/records-changed-my-life-bernard-sumner-new-order/|url-status=live}}</ref><ref>{{cite web|url=http://louderthanwar.com/peter-hook-my-top-10-favourite-albums/|title=Peter Hook : my top 10 favourite albums - Louder Than War|date=26 October 2012|access-date=31 August 2017|archive-date=27 August 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20170827051450/http://louderthanwar.com/peter-hook-my-top-10-favourite-albums/|url-status=live}}</ref>と[[ザ・カルト]]{{sfn|Erlewine|2007}}がある。彼らは[[オルタナティヴ・ロック]]の発展にも重要な影響を与え、[[スマッシング・パンプキンズ]]{{sfn|Haskins|1995|p=xv}}{{sfn|Turner|2010}}、[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]]{{sfn|Gaar|2009|p=36}}、[[パール・ジャム]]{{sfn|Schinder & Schwartz|2008|p=405}}、[[サウンドガーデン]]{{sfn|Budofsky|2006|p=147}}らが1970年代半ばの「ツェッペリンサウンド」の要素を取り入れた{{sfn|Witmer|2010}}{{sfn|Grossman|2002}}。この他にも、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]{{sfn|CNN|1999}}、[[シャキーラ]]{{sfn|Marquez|2002}}、[[レディー・ガガ]]{{sfn|Cochrane|2009}}、[[ケシャ]]<ref>{{cite web|url=https://www.nme.com/news/keha/57771|title=Ke$ha: 'I have 200 songs for my second album|work=NME|location=UK|date=5 June 2011|access-date=21 January 2017|archive-date=23 July 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20150723220910/http://www.nme.com/news/keha/57771|url-status=live}}</ref>、[[ケイティ・メルア]]{{sfn|Independent|2007}}など、さまざまなジャンルのバンドやアーティストがレッド・ツェッペリンの影響を認めている。
[[File:JohnPaulJones1980-2.jpg|thumb|left|upright|ベースを演奏するジョーンズ、1980年の最後のツアー、[[マンハイム]]で。|alt=A red tinged photograph of John Paul Jones playing a bass guitar]]
レッド・ツェッペリンは、特に[[AOR|アルバム・オリエンテッド・ロック]](AOR)と[[スタジアム・ロック]]の発展において、音楽ビジネスの性質に大きな影響を与えたと考えられている{{sfn|Bukszpan|2003|p=121}}{{sfn|Waksman|2009|pp=21-31}}。1988年、当時の[[ゲフィン・レコード]]の[[A&R]]エグゼクティブであった[[ジョン・カロドナー]]は、次のように述べている。「私の意見では、ビートルズに次いで彼らは歴史上最も影響力のあるバンドです。彼らはレコード、AORラジオ、コンサートでの音楽のあり方に影響を与えます。彼らは必ずしも[[トップ40]]ヒットを獲得することなく、「天国への階段」のヒットでAORラジオフォーマットの基準を設定しました。彼らは、最初の本格的なビッグアリーナでのコンサートショーを行い、サポートなしで常にスタジアムを満員にしました。人々は彼らと同じように行動できますが、誰も彼らを超えることはできません。{{sfn|Pond|1988|pp=68-69}}」ローリング・ストーンズの元プロデューサー兼マネージャーである[[アンドリュー・ルーグ・オールダム]]は、レッド・ツェッペリンがレコードビジネスに大きな影響を与えた方法と、ロックコンサートを管理して大勢の聴衆に提示した方法についてコメントした{{sfn|Hughes|2010}}。2007年、彼らはBBC/VH1の「[[:w:en:Seven Ages of Rock|Seven Ages of Rock]]」のスタジアム・ロックのエピソードで特集された<ref>{{cite news|title=Seven Ages of Rock. Episode 5: Stadium Rock|url=https://www.bbc.co.uk/programmes/b007qhtg|access-date=7 August 2019|agency=BBC|archive-date=8 August 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190808212720/https://www.bbc.co.uk/programmes/b007qhtg|url-status=live}}</ref>。
幾つかの資料によると、彼らは世界中で2億枚以上のアルバムを売り上げており{{sfn|Thorpe|2007}}<ref>{{Cite web|title=The untimely death of Led Zeppelin|url=https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/music/features/led-zeppelin-split-john-bonham-jimmy-page-b1762786.html|date=1 December 2020|access-date=12 July 2021|website=The Independent|language=en}}</ref>、アメリカで認定された1億1,150万枚を含む、3億枚を超えるレコードを売り上げたと述べている物もある{{sfn|Sorel-Cameron|2007}}。[[アメリカレコード協会]]によるとレッド・ツェッペリンは、[[アメリカ合衆国で最も売れた音楽アーティスト一覧|アメリカ合衆国での全体の売り上げが第3位、コンサートの売り上げが第5位のバンド]]であり、5枚以上のダイヤモンドアルバムを獲得している{{sfn|RIAA|2011}}。彼らは[[全英アルバムチャート]]で8回連続ナンバーワンを達成した。これはナンバーワンアルバムの連続回数の最多記録であり、8回を記録したのは彼らと[[ABBA]]だけである<ref name="UK number ones">{{cite web |url=http://www.officialcharts.com/chart-news/eminem-scores-seventh-consecutive-uk-number-1-album-2599/ |title=Eminem scores seventh consecutive UK Number 1 album |publisher=Official Charts Company |date=11 November 2013 |access-date=30 September 2016 |archive-date=8 October 2014 |archive-url=https://web.archive.org/web/20141008102148/http://www.officialcharts.com/chart-news/eminem-scores-seventh-consecutive-uk-number-1-album-2599/ |url-status=live }}</ref>。レッド・ツェッペリンは、ロックミュージックの歴史の中で最も[[海賊盤]]がリリースされたアーティストの1つであり、[[:w:en:Led Zeppelin bootleg recordings|彼らの海賊盤]]は現在もリリースされ続けている{{sfn|Clinton|2004|p=8}}。
レッド・ツェッペリンは文化にも大きな影響を与えた。「''Rolling Stone Illustrated History of Rock&Roll''」の編集者であるジム・ミラーは、「あるレベルでは、レッド・ツェッペリンは60年代のサイケデリック倫理の最後の開花を表しており、これはロックを受動的な感覚の関与として投げかけている」と主張している{{sfn|Straw|1990|p=84}}。レッド・ツェッペリンは、男性的で攻撃的な「[[コック・ロック]]」の「典型的な提供者」{{sfn|Waksman|2001|pp=238-239}}としても説明されているが、この主張には異議が唱えられている{{sfn|Fast|2001|pp=162-163}}。バンドのファッションセンスは独創的である。[[クリスティーズ]]のポップカルチャーの責任者であるシメオン・リップマンは「レッド・ツェッペリンは、彼らを覆うオーラ全体がとてもクールで、人々がそのかけらを望んでいるため、ファッションに大きな影響を与えてきた」とコメントしている{{sfn|Long|2007}}。レッド・ツェッペリンは、[[モトリー・クルー]]や[[スキッド・ロウ (バンド)|スキッド・ロウ]]などの1980年代の[[グラム・メタル]]・バンドの[[ビッグ・ヘアー]]の基礎を築いた{{sfn|Batchelor|Stoddart|2007|p=121}}。他のミュージシャンも、レッド・ツェッペリンの衣装やジュエリー、ヘアスタイルの要素を取り入れている。たとえば、[[キングス・オブ・レオン]]のヒップスター・フレアやタイトバンドTシャツ、毛むくじゃらの髪、しなやかなTシャツ、[[ザ・ホワイト・ストライプス]]の[[ジャック・ホワイト]]のブルースマン・ヘア、そして[[カサビアン]]のギタリスト、[[セルジオ・ピッツォーノ]]のシルクスカーフ、[[トリルビー]]、サイドレースのタイトなジーンズなどである{{sfn|Long|2007}}。
==栄誉==
{{Main|:w:en:List of awards and nominations received by Led Zeppelin}}
[[File:Barack Obama speaks to Led Zeppelin.jpg|thumb|レッド・ツェッペリンは2012年に[[ケネディ・センター名誉賞]]を受賞し、[[バラク・オバマ]][[アメリカ合衆国大統領]]によって表彰された。]]
レッド・ツェッペリンは、そのキャリアの過程で多くの栄誉と賞を受賞してきた。彼らは1995年に[[ロックの殿堂]]入りし{{sfn|Lewis|2003|p=163}}、2006年に[[イギリス音楽の殿堂]]入りした{{sfn|BBC Home|2006b}}。その他にも2005年に[[アメリカン・ミュージック・アワード]]、2006年に[[ポーラー音楽賞]]を受賞している{{sfn|BBC Home|2006a}}。レッド・ツェッペリンは2005年に[[:w:en:Grammy Lifetime Achievement Award|グラミー賞 特別功労賞生涯業績賞]]を受賞し{{sfn|BBC Home|2005}}、4曲が[[Grammy Hall of Fame|グラミー殿堂賞]]に選ばれた{{sfn|Grammy|2011}}。アメリカでは5枚のダイヤモンドアルバムと14枚のマルチプラチナ、4枚のプラチナと1枚のゴールドアルバムが授与されているが{{sfn|RIAA|2009}}、イギリスでは5枚のマルチプラチナ、6枚のプラチナ、1枚のゴールドと4枚のシルバーのアルバムがある{{sfn|BPI|2011}}。彼らは2004年にローリング・ストーン誌の[[:w:en:Rolling Stone's 100 Greatest Artists of All Time|ベスト100アーティスト]]で14位となった{{sfn|Grohl|2011|p=27}}。
2003年、ローリング・ストーンの史上最高のアルバム500に『レッド・ツェッペリン』が29位<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/led-zeppelin-led-zeppelin-19691231|title=Led Zeppelin ranked no. 29|publisher=Rolling Stone|archive-url=https://web.archive.org/web/20110902065011/http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/led-zeppelin-led-zeppelin-19691231|access-date=15 October 2021|archive-date=2 September 2011}}</ref>、『レッド・ツェッペリンIV』が66位<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/led-zeppelin-iv-led-zeppelin-19691231|title=Led Zeppelin IV ranked no. 66|publisher=Rolling Stone|archive-url=https://web.archive.org/web/20110902065011/http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/led-zeppelin-iv-led-zeppelin-19691231|access-date=15 October 2021|archive-date=2 September 2011}}</ref>、『フィジカル・グラフィティ』が70位<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/physical-graffiti-led-zeppelin-19691231|title=Physical Graffiti ranked no. 70|publisher=Rolling Stone|archive-url=https://web.archive.org/web/20110902033813/http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/physical-graffiti-led-zeppelin-19691231|access-date=15 October 2021|archive-date=2 September 2011}}</ref>、『レッド・ツェッペリンII』が75位<ref>{{cite magazine|url=http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/led-zeppelin-ii-led-zeppelin-19691231|title=Led Zeppelin II ranked no. 75|magazine=[[Rolling Stone]]|archive-url=https://web.archive.org/web/20110902065005/http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/led-zeppelin-ii-led-zeppelin-19691231|access-date=15 October 2021|archive-date=2 September 2011}}</ref>、『聖なる館』が149位に選ばれた<ref>{{cite magazine|url=http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/houses-of-the-holy-led-zeppelin-19691231|title=Houses of the Holy ranked no. 149|magazine=[[Rolling Stone]]|archive-url=https://web.archive.org/web/20110902072718/http://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/houses-of-the-holy-led-zeppelin-19691231|access-date=15 October 2021|archive-date=2 September 2011}}</ref>。2004年の[[ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500|史上最高の500曲]]では、「天国への階段」が31位、「胸いっぱいの愛を」が75位<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page|title=Rolling Stone: 500 Greatest Songs of All Time 2004 1-100|publisher=Rolling Stone|archive-url=https://web.archive.org/web/20080619072533/http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page|access-date=15 October 2021|archive-date=19 June 2008}}</ref>、「カシミール」が140位<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page/2|title=Rolling Stone: 500 Greatest Songs of All Time 2004 101-200|publisher=Rolling Stone|archive-url=https://web.archive.org/web/20080620035744/http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page/2|access-date=15 October 2021|archive-date=20 June 2008}}</ref>、「ブラック・ドッグ」が294位<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page/3|title=Rolling Stone: 500 Greatest Songs of All Time 2004 201-300|publisher=Rolling Stone|archive-url=https://web.archive.org/web/20080619105433/http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page/3|access-date=15 October 2021|archive-date=19 June 2008}}</ref>、「ハートブレイカー」が320位<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page/4|title=Rolling Stone: 500 Greatest Songs of All Time 2004 301-400|publisher=Rolling Stone|archive-url=https://web.archive.org/web/20080621075825/http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page/4|access-date=15 October 2021|archive-date=21 June 2008}}</ref>、そして「ランブル・オン」が433位に選ばれた<ref>{{cite web|url=http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page/5|title=Rolling Stone: 500 Greatest Songs of All Time 2004 401-500|publisher=Rolling Stone|archive-url=https://web.archive.org/web/20080622112029/http://www.rollingstone.com/news/coverstory/500songs/page/5|access-date=15 October 2021|archive-date=22 June 2008}}</ref>。
2005年にペイジは慈善活動への功績が認められ、[[大英帝国勲章]]のオフィサーを受章した。2009年にはプラントがポピュラー音楽への貢献が認められ、大英帝国勲章のコマンダーを受章した{{sfn|Leonard|2008}}。彼らは[[VH1]]の「''100 Greatest Artists of Hard Rock''」{{sfn|VH1|2010}}と、[[クラシック・ロック (雑誌)|クラシック・ロック誌]]の「''50 best live acts of all time''」<ref>{{cite magazine|title=50 Best Live Acts of All Time |magazine=[[Classic Rock (magazine)|Classic Rock]]|issue=118 |date=May 2008|pages=34-45}}</ref>で1位に選ばれている。また、BBCラジオ2のベストロックバンドの投票でも1位に選ばれた<ref>{{cite news|url=https://www.bbc.co.uk/radio2/rocknrollband/best-band/|title=The Best Band|work=BBC - Radio 2|access-date=27 October 2014|archive-date=4 December 2014|archive-url=https://web.archive.org/web/20141204224424/http://www.bbc.co.uk/radio2/rocknrollband/best-band/|url-status=live}}</ref>。1977年には「イギリス音楽への卓越した貢献」により[[アイヴァー・ノヴェロ賞]]を受賞し<ref>{{cite magazine|title=PRS/Novello Awards shared by intl artists|date=28 May 1977|magazine=Billboard|url=https://books.google.com/books?id=2UQEAAAAMBAJ&pg=PT3|access-date=18 December 2011|archive-date=1 October 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20201001000601/https://books.google.com/books?id=2UQEAAAAMBAJ&pg=PT3|url-status=live}}</ref>、1997年にも第42回アイヴァー・ノヴェロ賞授賞式で「生涯功労賞」を受賞した{{sfn|Hunter|1997}}。2008年には[[モジョ (雑誌)|MOJOアワード]]で1度限りの再結成で「ベストライブアクト」賞を受賞し、「史上最高のロックンロール・バンド」と評された{{sfn|Mojo|2008}}。レッド・ツェッペリンは、2012年には[[ケネディ・センター名誉賞]]を受賞した{{sfn|Gans|2007}}。
==メンバー==
* [[ジミー・ペイジ]](Jimmy Page)- [[ギター]]、[[テルミン]]、[[ダルシマー]]
: バンドのリーダー。ツェッペリン全アルバムのプロデューサー。特にアコースティックギターの巧みな演奏力、リフの作成能力、曲想と調和したメロディアスなソロなどが高く評価される。1980年代は[[ポール・ロジャース]]と共に[[The Firm (イギリスのロックバンド)|ザ・ファーム]]を結成。その後、[[カヴァデール・ペイジ]]、ジミー・ペイジ&[[ブラック・クロウズ]]など様々なプロジェクトに参加。ツェッペリンの過去の未発表音源のリリースやアルバムの[[リマスタリング]]作業にあたる。
* [[ロバート・プラント]](Robert Plant)- [[ボーカル]]、[[ハーモニカ]]
: ツェッペリンが音楽シーンに現れたとき、彼の広い音域、歌唱力、独特の声質、声量などが世界中のロックファンを驚かせた。しかし、喉を痛め、1973年以降はヴォーカルスタイルを変化させた。解散後は、ツェッペリンでも見せていた[[ケルト音楽]]や[[民族音楽]]を大きく取り入れたサウンドを志向する事が多い。ニックネームは「'''パーシー'''」。
* [[ジョン・ポール・ジョーンズ (ミュージシャン)|ジョン・ポール・ジョーンズ]](John Paul Jones)- [[ベース (弦楽器)|ベース]]、[[キーボード (楽器)|キーボード]]、[[バンジョー]]、[[マンドリン]]
: ベースに限らず、幅広い[[楽器]]を操る[[マルチプレイヤー (音楽)|マルチプレイヤー]]で、卓越した技術と安定した演奏力でツェッペリンを支えた。クラシック音楽の素養がある。解散後はアレンジャーや若手バンドのプロデュースの仕事に加え、ライブを行ったり、自身のソロ・アルバムのリリースや、[[フー・ファイターズ]]の[[デイヴ・グロール]]、[[クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ]]の[[ジョシュ・オム]]らと共に[[ゼム・クルックド・ヴァルチャーズ]]を結成するなどしている。ニックネームは「'''ジョンジー'''」。
* [[ジョン・ボーナム]](John Bonham)- [[ドラムセット|ドラム]]
: 独自の[[グルーヴ]]感、[[リズム]]感、パワーを持つと言われ、強いプレイと多彩な[[フィルイン]]によって、バンドの核としての役割を果たす。ロックに於ける一つのドラムの在り方を構築し、現在でも幅広いジャンルのドラマーに多大な影響を与えている。1980年に死去。ニックネームは「'''ボンゾ'''」。
: 息子の[[ジェイソン・ボーナム]]は同じくドラマーになり、1988年以降ツェッペリンが再集結する際はジェイソンがドラムを叩いている。
'''再結成時のゲストミュージシャン'''
* [[トニー・トンプソン (ドラマー)|トニー・トンプソン]] - ドラム <small>(1985)</small>
* [[フィル・コリンズ]] - ドラム <small>(1985)</small>
* [[ポール・マルチネス]] - ベース <small>(1985)</small>
* [[ジェイソン・ボーナム]] - ドラム, パーカッション <small>(1988, 1995, 2007)</small>
* [[マイケル・リー (ミュージシャン)|マイケル・リー]] - ドラム <small>(1995)</small>
==ディスコグラフィ==
{{Main|レッド・ツェッペリンの作品}}
=== アルバム ===
{| class="wikitable"
! タイトル
! 備考
|-
| rowspan="2" | [[レッド・ツェッペリン I]]<br />([[:en:Led Zeppelin (album)|Led Zeppelin]])
| 1969年1月12日発売/[[:en:Led Zeppelin (album)#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led Zeppelin - Led Zeppelin (1969) front cover.png|ジャケット]]
|-
| ニュー・ヤードバーズでのツアーで演奏していた曲を中心にレコーディングしたため、レコーディング作業はわずか36時間で終えられた。全米売上:800万枚(米国内での生産分)
|-
| rowspan="2" | [[レッド・ツェッペリン II]]<br />([[:en:Led Zeppelin II|Led Zeppelin II]])
| 1969年10月22日発売/[[:en:Led Zeppelin II#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led_Zeppelin_-_Led_Zeppelin_II.jpg|ジャケット]]
|-
| 英米でともに初となるアルバム・チャート1位を獲得。全米売上:1,300万枚
|-
| rowspan="2" | [[レッド・ツェッペリン III]]<br />([[:en:Led Zeppelin III|Led Zeppelin III]])
| 1970年10月5日発売/[[:en:Led Zeppelin III#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led_Zeppelin_-_Led_Zeppelin_III.png|ジャケット]]
|-
| 「I」「II」で確立した「ハード・ロック」のイメージに停滞することなくアコースティック・サウンドを追及したため、発売当時は賛否両論となった。全米売上:650万枚
|-
| rowspan="2" | [[レッド・ツェッペリン IV]]<br />([[:en:Led Zeppelin IV|Led Zeppelin IV]])
| 1971年11月8日発売/[[:en:Led Zeppelin IV#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:LedZeppelinFourSymbols.jpg|ジャケット]]
|-
| 邦題は便宜上付けられたもの。正式なタイトル名は付けられていない「無題」のアルバム。レコード版では内袋に記された[[天国への階段 (レッド・ツェッペリンの曲)|天国への階段]] の歌詞と収録曲の曲名以外に、ジャケットには一切の文字情報が記されていない。ここに記されたメンバー四人のシンボルマークから通称「フォー・シンボルズ」、「フォー・[[ルーン文字|ルーン]]ズ」、「ルーンドアルバム」、"Zoso"などとも呼ばれている。全米売上:2,320万枚
|-
| rowspan="2" | [[聖なる館]]<br />([[:en:Houses of the Holy|Houses of the Holy]])
| 1973年3月28日発売/[[:en:Houses of the Holy#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:LedZeppelinHousesOfTheHolycover.jpg|ジャケット]]
|-
| [[ヒプノシス]]が制作したジャケットで裸の子供の写真が使用されているため、ジャケットに帯をつけたり写真の上にタイトルを重ねて[[:en:Image:Householyalt.jpg|子供を隠す]]などの配慮がなされた。全米売上:1,200万枚
|-
| rowspan="2" | [[フィジカル・グラフィティ]]<br />([[:en:Physical Graffiti|Physical Graffiti]])
| 1975年2月24日発売/[[:en:Physical Graffiti#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led_Zeppelin_-_Physical_Graffiti.jpg|ジャケット]]
|-
| レコード、CD共に2枚組。新録音曲がアルバム1枚分あったが、サード・アルバムから前作アルバムまでの録音曲を足して2枚組にしたもの。全米売上:1,630万枚
|-
| rowspan="2" | [[プレゼンス (レッド・ツェッペリンのアルバム)|プレゼンス]]<br />([[:en:Presence (album)|Presence]])
| 1976年3月31日発売/[[:en:Presence#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led_Zeppelin_-_Presence.jpg|ジャケット]]
|-
| ペイジ自身が最も気に入っている作品といわれる。「[[アキレス最後の戦い]]」はじめ、シンプルだが重量感のあるサウンド。全米売上:350万枚
|-
| rowspan="2" | [[永遠の詩 (狂熱のライヴ)]]<br />([[:en:The Song Remains the Same (album)|The Song Remains the Same]])
| 1976年9月21日発売/[[:en:The Song Remains the Same (album)#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led_Zeppelin_-_The_Song_Remains_the_Same.jpg|ジャケット]]
|-
| 1973年の全米ツアー最終の3日間、[[ニューヨーク]]の[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で録音されたライヴ音源を元に作られた、映画の[[サウンドトラック]]。ライヴ音源に手の込んだ後処理がなされており、映像版とは一部曲目が異なっている。
2007年11月、未収録曲6曲を加え、さらにリマスタリングとリミックスを施した「最強盤」として再リリースされた。
|-
| rowspan="2" style="white-space:nowrap" | [[イン・スルー・ジ・アウト・ドア]]<br />([[:en:In Through the Out Door|In Through the Out Door]])
| 1979年8月15日発売/[[:en:In Through the Out Door#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led_Zeppelin_-_In_Through_the_Out_Door.jpg|ジャケット]]
|-
| アナログ盤のアルバムジャケットは6種類あり、紙袋から出すまでどのジャケットか分からない仕組みであった。ジョン・ポール・ジョーンズの[[シンセサイザー]]がフィーチャーされたアルバム。全米売上:650万枚
|-
| rowspan="2" | [[最終楽章 (コーダ)]]<br />([[:en:Coda (album)|Coda]])
| 1982年11月19日発売/[[:en:Coda (album)#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led Zeppelin - Coda.jpg|ジャケット]]
|-
| 「ボーナムに対する追悼盤」。未発表曲を集めたもの。全米売上:150万枚
|-
| rowspan="2" | [[BBCライヴ (レッド・ツェッペリンのアルバム)|BBCライヴ]]<br />([[:en:Led Zeppelin BBC Sessions|BBC Sessions]])
| 1997年11月11日発売/[[:en:Led Zeppelin BBC Sessions#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:Led_Zeppelin_-_BBC_Sessions.jpg|ジャケット]]
|-
|[[1969年]]と[[1971年]]のBBCラジオでの放送用音源を纏めたもの。CD2枚組。完収録ではなく数曲が外されている。1969年のBBCでの放送はモノラルで行われたが、CDではステレオで収録されている。日本でも1974年にラジオ関東(ラジオ日本)の番組、「BBC・イン・コンサート」で、1971年4月1日に公開録音された音源の一部が初放送され、その後BBCから放送権を得たNHK-FMラジオにより1990年代までに数回放送された。
|-
| rowspan="2" | [[伝説のライヴ]]<br />([[:en:How the West Was Won (Led Zeppelin album)|How the West Was Won]])
| 2003年5月27日発売/[[:en:How the West Was Won (Led Zeppelin album)#Track listing|収録曲]]、[[:en:Image:LedZeppelinHowTheWestWasWoncover.jpg|ジャケット]]
|-
| 3枚組。[[1972年]]アメリカツアーでのLAフォーラム、ロングビーチなどでのライヴを収録。全盛期のバンドのライブ演奏が堪能出来る。
|-
|}
==来日公演==
*[[1971年]]初来日<ref name="musiclifeclub">[https://www.musiclifeclub.com/news/20210805_08.html 【ミュージック・ライフ写真館】レッド・ツェッペリン1971年の初来日時に、広島市長・平和記念公園を訪問【ML Imagesライブラリー】]、[https://www.jvc.com/jp/headphone/column/rockstar/vol_05/ ワイルドだが律儀でもあったレッド・ツェッペリン〜ジミー・ペイジ]</ref><ref name="sponichi150731">{{Cite news|title=ジミー・ペイジ 44年ぶり広島訪問、平和への誓い新た|newspaper=[[スポーツニッポン]]|date=2015-07-31|author=|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/07/31/kiji/K20150731010841090.html|accessdate=2023年2月4日|publisher=スポーツニッポン新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150731045803/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/07/31/kiji/K20150731010841090.html|archivedate=2015年7月31日}}</ref><ref name="blogmora07">[https://web.archive.org/web/20161117075820/http://blog.mora.jp/2015/08/13/memories07.html レッド・ツェッペリンの元担当・折田育造氏と共に味わうハイレゾリマスタリング音源! ここでしか読めない「伝説」の裏側も...。](Internet Archive)</ref>。9月23日 - 9月24日 [[日本武道館]]<ref name="musiclifeclub"/>、9月27日 [[広島県立総合体育館|広島県立体育館]]<ref name="musiclifeclub"/><ref name="blogmora07"/><ref name="LHL">{{Cite web|和書|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=1971-09-28|url=https://web.archive.org/web/20151222103248/http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-4a-70/room304zombie/folder/1060885/56/36228956/img_0_m?1438677991|title=レッド・ツェッペリン・イン・ヒロシマ 有言実行"愛と平和"|accessdate=2015-11-04}}{{Cite news |title=広島)ツェッペリン公演から半世紀 中区で交流イベント|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|date=2019-09-26|author=北村浩貴|url=https://www.asahi.com/articles/ASM9T3K7MM9TPITB004.html|accessdate=2023年2月4日|publisher=[[朝日新聞社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221121230020/https://www.asahi.com/articles/ASM9T3K7MM9TPITB004.html|archivedate=2022年11月21日}}{{Cite web|和書|title=核といのちを考える 怒るゲバラ、モンローはため息 広島・長崎に刻んだ思い|url=https://www.asahi.com/articles/ASP7Z4J9PP7NPTIL02J.html|author=比嘉太一・山崎毅朗・比嘉展玖・副島英樹|date=2021-08-6|website=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|accessdate=2023年2月4日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210805211243/https://www.asahi.com/articles/ASP7Z4J9PP7NPTIL02J.html|archivedate=2021年8月5日}}[https://wmg.jp/zeppelin/news/65327/ ジミー・ペイジが44年振りに広島を訪問]、[https://news.ntv.co.jp/category/society/305746 ジミー・ペイジさん、44年ぶりに広島訪問]、[http://www.tapthepop.net/live/35604 メンバーたっての希望で実現したレッド・ツェッペリンの広島公演]、[http://twinavi.jp/topics/culture/55c217e3-02f4-4a19-9c0a-2ee7ac133a21 ジミー・ペイジ、広島平和記念公園、1971年と2015年 - ツイナビ ]、[https://rockinon.com/news/detail/128644 ジミー・ペイジが44年ぶりに広島を訪問、原爆慰霊碑に献花|RO69]、[https://twitter.com/yukawareiko/status/626765874901352449 2015/07/30 - 湯川れい子 on Twitter]、[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002121.000001355.html レッド・ツェッペリンの都市伝説の真相をネット番組で湯川れい子が語る!WOWOWでツェッペリン特集]、[https://realsound.jp/2015/08/post-4165_2.html 伝説のツェッペリン初広島公演 p2- Real Sound|リアルサウンド]、[https://www.j-cast.com/trend/2019/05/14357355.html?p=all 西城秀樹、「恋する季節」以来の全87曲 「HIDEKI UNFORGETTABLE」]</ref><ref name="中国090102">{{cite news |author=佐田尾信作|title=土地の記憶 舞い降りた『飛行船』 1971年・広島 『衝撃ロック 時代を変えた』 |newspaper=[[中国新聞]] |publisher=[[中国新聞社]] |date=2008-01-02 |page=8}}</ref>、9月28日 - 9月29日 [[フェスティバルホール|大阪フェスティバルホール]]<ref name="musiclifeclub"/>。
*[[1972年]]二度目で、「レッド・ツェッペリン」としては最後の来日。10月2日 - 10月3日 日本武道館、10月4日 大阪フェスティバルホール、10月5日 [[名古屋市公会堂]]、10月9日 大阪フェスティバルホール、10月10日 [[京都会館]]。
=== 日本におけるツェッペリン ===
1971年9月の初来日時に、メンバーたっての希望で<ref name="musiclifeclub"/><ref name="LHL"/>、旧[[広島県立総合体育館]]で「愛と平和」を[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]を冠したチャリティー・コンサートを開き<ref name="中国090102"/>{{refn|group=nb|観客5,000人。公演時間は2時間半。主催した[[広島テレビ]]事業課の山本豊は「広島公演は[[興行|プロモーター]]の提案で、ツェッペリンの意向でしょう。当時は[[グレン・ミラー|グレン・ミラー・オーケストラ]]など[[スウィング・ジャズ|スイングジャズ]]の公演を主催することが多く、そうした流れでは異質。県立体育館(通称)という会場も異例で、すべてが手探り。儲けはなかった」などと話す。『[[ミュージック・ライフ]]』の編集長として当時、ツェッペリンにインタビューした[[星加ルミ子]]は「広島公演の動機は何かあったようだが、その話は出なかった。当時は今のようにチャリティーを声高に叫ぶ時代じゃないですから。悪評で聞こえたバンドで、取材中でも酔っぱらったメンバーもいました」などと述べている。広島の音楽ファンにとってはツェッペリンは勿論、海外ロックなど未知の世界。それまで[[フォークソング#日本のフォーク|日本のフォーク]]や[[ポピュラー音楽|洋楽のポップス]]に慣れた耳には大きな衝撃で、広島のフォークバンドの多くがハードロックバンドに転換したといわれる。[[崇徳中学校・高等学校|崇徳高校]]2年のとき、木本龍雄([[西城秀樹]])らバンド仲間と公演を観た広島[[流川 (広島市)|薬研堀]]でロックバー「ツェッペリン」を経営する川出路男は「後ろから押されるようにステージになだれ込み、ロバート・プラントに抱きついて排除された」などと話している<ref name="中国090102"/>。}}、当時の金額にして約700万円の売上金を[[広島市役所]]を通して[[原子爆弾|原爆]]被災者に寄付している<ref name="musiclifeclub"/><ref name="sponichi150731"/><ref name="blogmora07"/><ref name="LHL"/><ref name="中国090102"/><ref>{{Cite journal |和書 |author = |title = "飛行機野郎"の傍若無人 今年最後のハレンチ野郎 |journal = [[週刊文春]] |issue = 1971年10月11日号 |publisher = [[文藝春秋]] |page = 24 }}</ref>。同体育館は古く、ツェッペリンの音が大きすぎて壁が崩れ、その修理費という説もある<ref name="blogmora07"/>。[[司会|MC]]の[[糸居五郎]]が「広島でチャリティをするためにレッド・ゼッペリンは来日した」などと9分半に及ぶ前フリをやったため、観客が激怒し「早よやれや」「引っ込め」「死ね」などとヤジ連発だったといわれる。コンサートに先立ち、メンバーは[[広島平和記念資料館|原爆資料館]]を訪れ<ref name="LHL"/>、見学後はみんな目を真っ赤に泣きはらして「人間はここまで残酷なことをするのか。そこまで最低の生き物だとは認めたくない。こんな無惨なことをするのは愚かなことだ」と話したといわれる<ref name="LHL"/>。広島公演には[[西城秀樹]]<ref name="LHL"/><ref name="中国090102"/><ref>{{Cite journal|url=https://www.shinko-music.co.jp/item/pid1639499/|author=[[ヘドバン (雑誌)|ヘドバン]] vol3|date=2015年4月26日|title=メタル異種格闘技戦 開幕! メタル歌謡レジェンド 西城秀樹インタビュー|journal=[[シンコーミュージック・エンタテイメント]]|pages=77-87頁}}{{Cite web|和書|author=小川泰加|date=2018-05-19|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/229361|title=西城秀樹さんのロック愛 音楽評論家・湯川れい子氏が述懐|work=[[日刊ゲンダイ|日刊ゲンダイデジタル]]|accessdate=2023年2月4日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180811195154/https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/229361|archivedate=2018年8月1日}}[https://twitter.com/yukawareiko/status/996976555929747459 西城秀樹さん、残念です。西城さんの最初のアイドルはギターのジェフ・ベック。] –{{Twitter|yukawareiko}} –2018年5月16日。{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000116128|title=西城秀樹 vs 伊藤政則、異色テレビ対談|date=2015-05-30|work=BARKS|accessdate=2016-12-06}}{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000117508|title=ヒデキカンゲキ!西城秀樹VS伊藤政則、特番再放送|date=2015-07-09|work=BARKS|accessdate=2023年2月4日}}</ref>{{refn|group=nb|西城は、ツェッペリンのメンバーは広島ライブ後の打ち上げで、西城が歌のアルバイトをやっていた広島市内の[[ナイトクラブ]]「インペリアル」に来て演奏したと証言している<ref>{{Cite journal |和書 |author = |title = 西城秀樹『永遠のヤングマン伝説』 |journal = [[週刊文春]] |issue = 2018年5月31号 |publisher = [[文藝春秋]] |pages = 28-30頁 }}</ref>。}}や[[浜田省吾]]<ref name="LHL"/><ref>{{Cite book|和書|author=|year=1996|title=Complete Shogo Hamada 浜田省吾事典|publisher=[[TOKYO FM出版]]|isbn=4-924880-60-4|pages=376-379}}</ref>らも参戦している<ref name="LHL"/>。
解散後の1980年から2010年代に入ってからもヘヴィメタル・ファンの支持は手厚く、世界でアルバムは売れ続けている。日本では[[渋谷陽一]]や[[沢尻エリカ]]も、ツェッペリン・ファンであることを公言している<ref>{{cite news|url=https://web.archive.org/web/20080202182752/http://www.sankei.co.jp/enak/2007/nov/kiji/13music_erika.html|title=ERIKAの夢叶った!ツェッペリン復活ライブに招待|access-date=8 May 2022}}</ref>。[[2004年]]には[[日本ゴールドディスク大賞]]を受賞<ref>[https://av.watch.impress.co.jp/docs/20040311/jgd.htm 第18回日本ゴールドディスク大賞授賞式を開催] - Impress AV Watch 2004年3月11日</ref>。
==関連項目==
* [[:w:en:List of cover versions of Led Zeppelin songs|List of cover versions of Led Zeppelin songs]]
* [[:w:en:List of Led Zeppelin songs written or inspired by others|List of Led Zeppelin songs written or inspired by others]]
* [[レッド・ツェッペリン (テレビ番組)]]
* [[ランディ・ジョンソン]] - '''レッド・ツェッペリン'''のファンであり、来日の際には[[西新宿]]で[[海賊盤]]CDを買い漁る<ref>[http://www.jsports.co.jp/press/article/N2015011411055701.html 西新宿に出没するランディ・ジョンソン] Jsports (2015年1月14日) 2015年1月21日</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=nb}}
=== 参照 ===
{{Reflist|20em}}
== 参考文献 ==
{{Refbegin|colwidth=30em}}
* {{cite web|url=https://www.billboard.com/bbcom/retrieve_chart_history.do?model.chartFormatGroupName=Singles&model.vnuArtistId=5047&model.vnuAlbumId=10333|title=Artist Chart History - Led Zeppelin|archive-url=https://web.archive.org/web/20090221050358/http://www.billboard.com/bbcom/retrieve_chart_history.do?model.chartFormatGroupName=Singles&model.vnuArtistId=5047&model.vnuAlbumId=10333|work=Billboard|year=2009|archive-date=21 February 2009|access-date=1 October 2011|ref={{SfnRef|Billboard|2009}}}}
* {{cite web |url=https://www.allmusic.com/artist/led-zeppelin-p4739/charts-awards |title=Led Zeppelin Billboard Albums |website=AllMusic |access-date=5 September 2010 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110906193322/http://allmusic.com/artist/led-zeppelin-p4739/charts-awards |archive-date=6 September 2011 |ref={{SfnRef|Allmusic|2010}} |url-status=live }}
* {{cite web |url=http://www.officialcharts.com/artist/_/led%20zeppelin/ |title=Led Zeppelin - Charting History |publisher=[[Official Charts Company]] |access-date=12 January 2013 |archive-url=https://web.archive.org/web/20121029092333/http://www.officialcharts.com/artist/_/led%20zeppelin/ |archive-date=29 October 2012 |url-status=live |ref={{SfnRef|UK Charts|2012}} }}
* {{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/4261905.stm |title=Zeppelin celebrate Grammy honour |work=BBC |archive-url=https://web.archive.org/web/20130615104949/http://news.bbc.co.uk/2/hi/4261905.stm |archive-date=15 June 2013 |access-date=22 September 2011 |ref={{SfnRef|BBC Home|2005}} |date=13 February 2005 |url-status=live }}
* {{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5007476.stm |work=BBC |title=Award for 'pioneers' Led Zeppelin |date=23 May 2006 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120210002035/http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5007476.stm |archive-date=10 February 2012 |access-date=16 September 2011 |ref={{SfnRef|BBC Home|2006a}} |url-status=live }}
* {{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5338196.stm |work=BBC |title=Led Zeppelin make UK Hall of Fame |date=12 September 2006 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110813230616/http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5338196.stm |archive-date=13 August 2011 |access-date=16 September 2011 |ref={{SfnRef|BBC Home|2006b}} |url-status=live }}
* {{cite news |url=https://www.bbc.co.uk/radio2/soldonsong/songlibrary/indepth/stairway.shtml |title=Sold on song: Stairway to Heaven |work=BBC - Radio 2 |year=2011 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120311062808/http://www.bbc.co.uk/radio2/soldonsong/songlibrary/indepth/stairway.shtml |archive-date=11 March 2012 |access-date=22 September 2011 |url-status=live }}
* {{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7582917.stm |title=Led Zeppelin trio back in studio |work=BBC |date=26 August 2008 |access-date=25 November 2008 |archive-url=https://web.archive.org/web/20111031035611/http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/7582917.stm |archive-date=31 October 2011 |ref={{SfnRef|BBC Mobile|2008}} |url-status=live }}
* {{cite web |url=https://www.bbc.co.uk/wales/music/sites/history/pages/led-zeppelin-bron-yr-aur.shtml |work=BBC |title=Led Zeppelin at Bron-Yr-Aur |archive-url=https://web.archive.org/web/20110514164952/http://www.bbc.co.uk/wales/music/sites/history/pages/led-zeppelin-bron-yr-aur.shtml |archive-date=14 May 2011 |access-date=16 September 2011 |year=2011 |ref={{SfnRef|BBC Wales Music|2011}} |url-status=live }}
* {{cite book|first1=Bob |last1=Batchelor |first2=Scott |last2=Stoddart |title=American Popular Culture Through History: the 1980s |location=Westport, Connecticut|publisher=Greenwood |year=2007 |isbn=978-0-313-33000-1}}
* {{cite news|last=Beech|first=Mark|url=https://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=aU_5GfM1LTsc&refer=muse|title=Led Zeppelin Singer Robert Plant rules out reunion record, tour|work=Bloomberg|date=29 September 2008|archive-url=https://web.archive.org/web/20110805024112/http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=aU_5GfM1LTsc&refer=muse|archive-date=5 August 2011|access-date=29 September 2008|url-status=dead}}
* {{cite web |last=Bosso |first=Joe |title='Led Zeppelin are over!', says Jimmy Page's manager |url=http://www.musicradar.com/news/guitars/led-zeppelin-are-over-says-jimmy-pages-manager-190946 |work=[[MusicRadar]] |date=7 January 2009 |archive-url=https://web.archive.org/web/20111012165241/http://www.musicradar.com/news/guitars/led-zeppelin-are-over-says-jimmy-pages-manager-190946 |archive-date=12 October 2011 |access-date=1 October 2011 |url-status=dead }}
* {{cite web |url=http://www.bpi.co.uk/certifiedawards/search.aspx |archive-url=https://web.archive.org/web/20110805005459/http://www.bpi.co.uk/certifiedawards/search.aspx |archive-date=5 August 2011 |title=Certified Awards Search-Led Zeppelin |work=[[British Phonographic Industry]] |year=2011 |access-date=18 December 2011 |ref={{SfnRef|BPI|2011}} |url-status=dead }}
* {{cite journal|last=Brackett|first=John|title=Examining rhythmic and metric practices in Led Zeppelin's musical style|journal=Popular Music|volume=27|issue=1|pages=53-76|year=2008|doi=10.1017/s0261143008001487|s2cid=55401670|url=https://hcommons.org/deposits/download/hc:16060/CONTENT/examining_rhythmic_and_metric_practices.pdf/|id={{ProQuest|1325852}}}}
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* {{cite book |first=Adam |last=Budofsky |url=https://books.google.com/books?id=MWA6a9AKhzUC&pg=PA147 |title=The Drummer: 100 Years of Rhythmic Power and Invention |location=Milwaukee |publisher=Hal Leonard |year=2006 |isbn=978-1-4234-0567-2 |access-date=26 December 2015 |archive-date=13 September 2016 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160913135251/https://books.google.com/books?id=MWA6a9AKhzUC&pg=PA147 |url-status=live }}
* {{cite book|first=Daniel|last=Bukszpan|year=2003|title=The Encyclopedia of Heavy Metal|location=New York|publisher=Barnes & Noble |isbn=978-0-7607-4218-1}}
* {{cite news|ref={{SfnRef|Christgau|1972a}}|last=Christgau|first=Robert|author-link=Robert Christgau|date=15 June 1972|url=https://www.robertchristgau.com/xg/news/nd720615.php|title=A Power Plant|newspaper=[[ニューズデイ|Newsday]]|access-date=10 September 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20190426105401/https://www.robertchristgau.com/xg/news/nd720615.php|archive-date=26 April 2019|url-status=dead}}
* {{cite news|ref={{SfnRef|Christgau|1972b}}|last=Christgau|first=Robert|date=December 1972|url=https://www.robertchristgau.com/xg/bk-aow/mott.php|title=Growing Up Grim With Mott the Hoople|newspaper=Newsday|access-date=10 September 2018|archive-date=10 September 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20180910204453/https://www.robertchristgau.com/xg/bk-aow/mott.php|url-status=live}}
* {{cite news|last=Christgau|first=Robert|date=31 March 1980|url=https://www.robertchristgau.com/xg/cg/cgv3-80.php|title=Christgau's Consumer Guide|newspaper=[[The Village Voice]]|access-date=6 September 2018|archive-date=25 August 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20180825025717/http://www.robertchristgau.com/xg/cg/cgv3-80.php|url-status=live}}
* {{cite book|first=Heylin|last=Clinton|year=2004|title=Bootleg! The Rise & Fall of the Secret Recording Industry|location=London |publisher=Omnibus Press|isbn=978-1-84449-151-3}}
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* {{cite news|first=Michael|last=Wale|url=http://archive.timesonline.co.uk/tol/viewArticle.arc?articleId=ARCHIVE-The_Times-1973-07-11-11-003&pageId=ARCHIVE-The_Times-1973-07-11-11|title=Led Zeppelin|work=The Times|date=11 July 1973|access-date=23 January 2010|archive-date=8 January 2010|archive-url=http://wayback.vefsafn.is/wayback/20100108155629/http://archive.timesonline.co.uk/tol/viewArticle.arc?articleId=ARCHIVE-The_Times-1973-07-11-11-003&pageId=ARCHIVE-The_Times-1973-07-11-11|url-status=live}}
* {{cite book|first=Mick|last=Wall|author-link=Mick Wall|year=2008|title=When Giants Walked the Earth: A Biography of Led Zeppelin|location=London|publisher=Orion|isbn=978-1-4091-0319-6|url=https://books.google.com/books?id=d0-nmLBW-SUC}}
* {{cite book|first=Robert|last=Walser |author-link=Robert Walser (musicologist) |year=1993 |title=Running with the Devil: Power, Gender, and Madness in Heavy Metal Music |location=New York |publisher=Wesleyan University Press |isbn=978-0-8195-6260-9}}
* {{cite book|first=Chris|last=Welch|author-link=Chris Welch|year=1994|title=Led Zeppelin|location=London|publisher=Orion|isbn=978-1-85797-930-5}}
* {{cite book|first1=Chris|last1=Welch|first2=Geoff|last2=Nicholls|year=2001|title=John Bonham: A Thunder of Drums|location=San Francisco|publisher=Backbeat |isbn=978-0-87930-658-8|ref={{SfnRef|Welch & Nicholls|2001}}}}
* {{cite news|first=Nigel|last=Williamson|title=Forget the myths |work=[[Uncut (magazine)|Uncut]] |date=May 2005 }}
* {{cite book|first=Nigel|last=Williamson|year=2007|title=The Rough Guide to Led Zeppelin|place=London|publisher=Dorling Kindersley|isbn=978-1-84353-841-7}}
* {{cite book|first=Scott|last=Witmer|year=2010|title=History of Rock Bands|location=Edina, Minnesota|publisher=ABDO|isbn=978-1-60453-692-8}}
* {{cite book|first=Ritchie|last=Yorke|author-link=Ritchie Yorke|year=1993|title=Led Zeppelin: The Definitive Biography|url=https://archive.org/details/ledzeppelindefin0000york|url-access=registration|location=Novato, California|publisher=Underwood-Miller|isbn=978-0-88733-177-0}}
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== 関連書籍 ==
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* {{cite book|last=Christgau|first=Robert|author-link=Robert Christgau|chapter=Genius Dumb: Led Zeppelin|chapter-url=https://books.google.com/books?id=EdN8VLiEZtcC&pg=PA89|title=Grown Up All Wrong: 75 Great Rock and Pop Artists from Vaudeville to Techno|pages=89-90|year=1998|publisher=[[Harvard University Press]]|isbn=978-0-674-44318-1}}
* {{cite web|last=Greene|first=Andy|title=This week in rock history: Bob Dylan wins his first Grammy and Led Zeppelin become the Nobs|work=Rolling Stone|date=28 February 2011|url=https://www.rollingstone.com/music/news/this-week-in-rock-history-bob-dylan-wins-his-first-grammy-and-led-zeppelin-become-the-nobs-20110228|access-date=24 April 2011|archive-date=8 April 2011|archive-url=https://web.archive.org/web/20110408060856/http://www.rollingstone.com/music/news/this-week-in-rock-history-bob-dylan-wins-his-first-grammy-and-led-zeppelin-become-the-nobs-20110228|url-status=live}}
* {{cite news|last=Rogers|first=Georgie|url=https://www.bbc.co.uk/6music/news/20080616_mojo.shtml|access-date=8 December 2008|title=MOJO award winners|work=BBC|date=16 June 2008|archive-date=19 February 2010|archive-url=https://web.archive.org/web/20100219034157/http://www.bbc.co.uk/6music/news/20080616_mojo.shtml|url-status=live}}
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== 外部リンク ==
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* {{Official website}}
* [http://www.atlanticrecords.com/artists/led-zeppelin Led Zeppelin] at [[Atlantic Records]]
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=== アルバム ===
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* {{仮リンク|フリー (ギャヴィン・デグロウのアルバム)|en|Free (Gavin DeGraw album)}} - [[ギャヴィン・デグロウ]]のアルバム。
* {{仮リンク|フリー (コンクリート・ブロンドのアルバム)|en|Free (Concrete Blonde album)}} - {{仮リンク|コンクリート・ブロンド|en|Concrete Blonde}}のアルバム。
* {{仮リンク|フリー (ダナ・インターナショナルのアルバム)|en|Free (Dana International album)}} - [[ダナ・インターナショナル]]のアルバム。
* {{仮リンク|フリー (デイヴィッド・ギャレットのアルバム)|en|Free (David Garrett album)}} - [[デイヴィッド・ギャレット]]のアルバム。
* {{仮リンク|フリー (フリーのアルバム)|en|Free (Free album)}} - [[フリー (バンド)|フリー]]のアルバム。
* [[フリー (ベニー・ゴルソンのアルバム)]] - [[ベニー・ゴルソン]]のアルバム。
* [[フリー (マーカス・ミラーのアルバム)]] - [[マーカス・ミラー]]のアルバム。
* {{仮リンク|フリー (リック・アストリーのアルバム)|en|Free (Rick Astley album)}} - [[リック・アストリー]]のアルバム。
* [[Free (ザ・コレクターズのアルバム)]] - [[ザ・コレクターズ]]の[[スタジオ・アルバム|アルバム]]。
* [[ふりぃ]] - [[阿部真央]]のアルバム。
=== 楽曲 ===
* {{仮リンク|フリー (サラ・ブライトマンの曲)|en|Free (Sarah Brightman song)}} - [[サラ・ブライトマン]]の曲。
* [[フリー (ワーシップソング)]] - [[ノア・ミュージック・ミニストリー]]の讃美歌。
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* [[Free (反町隆史の曲)]] - [[反町隆史]]の曲。
* [[FREE (玉木宏の曲)]] - [[玉木宏]]の曲。
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* FREE - [[清木場俊介]]の曲。アルバム『[[Rockin' the Door]]』に収録。
* FREE - [[ポルカドットスティングレイ]]の配信限定シングル。
* [[ふりぃ (曲)]] - [[阿部真央]]の曲。
== 漫画 ==
* [[Free! (漫画)]] - [[GAN (漫画家)|GAN]]の[[漫画]]。
* [[FREE (漫画)]] - [[三浦実子]]の漫画。
== 人名 ==
* [[フリー (ミュージシャン)]](英:Flea) - [[オーストラリア]]出身の[[ベーシスト]]。[[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]]のメンバー。フリーとは[[ノミ]]の事であり、跳ねまくる彼のパフォーマンスに由来している。
* [[ダグ・フリー]] - アメリカ合衆国の[[アメリカンフットボール]]選手。
== その他 ==
* [[フリー (バンド)]] - [[イングランド]]のバンド。
* free - [[malloc]]などの[[標準Cライブラリ]]関数。
* {{仮リンク|Free (ISP)|en|Free (ISP)}} - [[フランス]]の[[インターネットサービスプロバイダ|プロバイダ]]。
* [[Free! (アニメ)]] ‐ [[京都アニメーション]]の[[テレビアニメ]]。
* [[freee]] - [[日本]]の[[フィンテック]]企業。
* [[Furi]] - {{仮リンク|The Game Bakers|en|The Game Bakers}}が開発したゲームソフト。
* [[FLEE フリー]] - 2021年のデンマークのアニメドキュメンタリー映画。
* フリー - アイヌの伝承に登場する巨鳥[[フリカムイ]]の別名。
== 関連項目 ==
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[[Category:英語の語句]]
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4,919 | クリーム (食品) | クリーム(英語: cream)は、 均質化前の生乳から乳脂肪を取り出した乳製品である。 白色や薄黄色の濃厚な液体で、原則として牛乳成分に由来する。乳等省令は「生乳、牛乳または特別牛乳から乳脂肪分以外の成分を除去し、乳脂肪分を18.0%以上にしたもの」と定めている。
均質化していない乳を加熱殺菌した後、放置、冷却してクリームを上層に分離させる。工業的には遠心分離機を用いて製造される。
イギリスでは脂肪分により、18%のシングルクリーム(またはクリーム)、48%のダブルクリーム、55%のクロテッドクリームなどに分けている。バターの乳脂肪分は約80%、生クリームは約40%であるのに対し、クロテッドクリームはその中間である60%前後である。
生乳や牛乳を分離して取り出した「乳脂肪のみ」を原料とした、「種類別:クリーム」と表示される省令上のクリームを一般に「生クリーム」として扱う。商品名で「純生」などと表記するものもある。
一般に“生クリーム”と呼ばれるのは、生乳のみを原材料とした動物性脂肪(乳脂肪)である。脂肪分18 - 30%の「ライトクリーム」は「コーヒー用」、30 - 48%の「ヘビークリーム」は「ホイップ用」に分類される。他のものが入っていると生クリームとは呼べない。生乳から乳脂肪分だけを遠心分離で取り出し、濃縮させて作られる。乳等省令で定められたクリーム(上記)を泡立てたものを生クリームと呼ぶ。
ホイップクリームとは、動物性脂肪に植物性脂肪を加えたもの、または植物性脂肪のみのもの。ほかの国ではホイップクリームはクリームに分類されない。
日本ではクリームを泡立てたものをホイップクリームと呼び、泡立て器やハンドミキサーなどを用いて作る。シャンティークリーム、クレームシャンティイなどとも称される。乳脂肪はバターに見られるように低温で固体だが30°C前後で溶解が始まり、融点以上になると流動性が高まり形成された泡が崩れ易くなるため、冷却しながら泡立てる。撹拌し過ぎるとバターと乳清に分離する。工業的には亜酸化窒素や二酸化炭素を添加して製造する。
生クリームの代替製品として、明らかに生クリームでは無いものもホイップクリームと呼び、「ホイップ用」・「フレッシュ」などの表記で販売されている。日本では植物油脂を利用した代替品が広く用いられ、アメリカでも「クールウィップ(英語版)」をクラフトフーズが販売しており、泡立ての必要がなくホイップ状態が長期間持続する簡便性から広く普及している。製品中の乳脂肪分は風味を濃厚に、植物性油脂は口溶けを軽快にさせる。
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"text": "一般に“生クリーム”と呼ばれるのは、生乳のみを原材料とした動物性脂肪(乳脂肪)である。脂肪分18 - 30%の「ライトクリーム」は「コーヒー用」、30 - 48%の「ヘビークリーム」は「ホイップ用」に分類される。他のものが入っていると生クリームとは呼べない。生乳から乳脂肪分だけを遠心分離で取り出し、濃縮させて作られる。乳等省令で定められたクリーム(上記)を泡立てたものを生クリームと呼ぶ。",
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"text": "生クリームの代替製品として、明らかに生クリームでは無いものもホイップクリームと呼び、「ホイップ用」・「フレッシュ」などの表記で販売されている。日本では植物油脂を利用した代替品が広く用いられ、アメリカでも「クールウィップ(英語版)」をクラフトフーズが販売しており、泡立ての必要がなくホイップ状態が長期間持続する簡便性から広く普及している。製品中の乳脂肪分は風味を濃厚に、植物性油脂は口溶けを軽快にさせる。",
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"text": "乳脂肪に添加物や植物性油脂などを加えたものは日本の法律では「乳又は乳製品を主要原料とする食品」となり、以下のようなものがある。",
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] | クリームは、 均質化前の生乳から乳脂肪を取り出した乳製品である。 白色や薄黄色の濃厚な液体で、原則として牛乳成分に由来する。乳等省令は「生乳、牛乳または特別牛乳から乳脂肪分以外の成分を除去し、乳脂肪分を18.0%以上にしたもの」と定めている。 | [[ファイル:Slagroom.JPG|thumb|ホイップクリーム]]
'''クリーム'''({{Lang-en|''cream''}})は、 均質化前の生乳から乳脂肪を取り出した乳製品である。 白色や薄黄色の濃厚な液体で、原則として[[牛乳]]成分に由来する。[[乳等省令]]は「[[生乳]]、[[牛乳]]または[[特別牛乳]]から[[乳脂肪]]分以外の成分を除去し、乳脂肪分を18.0[[パーセント|%]]以上にしたもの」と定めている。
== 作り方 ==
均質化していない乳を加熱[[殺菌]]した後、放置、冷却してクリームを上層に分離させる。[[工業]]的には[[遠心分離機]]を用いて製造される。
== 分類 ==
=== イギリスでの分類 ===
[[イギリス]]では脂肪分により、18%のシングルクリーム(またはクリーム)、48%のダブルクリーム、55%の[[クロテッドクリーム]]などに分けている。バターの乳脂肪分は約80%、生クリームは約40%であるのに対し、クロテッドクリームはその中間である60%前後である。
=== 日本での分類 ===
==== 生クリーム ====
生乳や[[牛乳]]を分離して取り出した「乳脂肪のみ」を原料とした、「種類別:クリーム」と表示される省令上のクリームを一般に「生クリーム」として扱う。商品名で「純生」などと表記するものもある。
一般に“生クリーム”と呼ばれるのは、生乳のみを原材料とした動物性脂肪(乳脂肪)である。脂肪分18 - 30[[パーセント|%]]の「ライトクリーム」は「コーヒー用」、30 - 48%の「ヘビークリーム」は「[[泡立て器|ホイップ]]用」に分類される。他のものが入っていると生クリームとは呼べない。生乳から乳脂肪分だけを遠心分離で取り出し、濃縮させて作られる。乳等省令で定められたクリーム(上記)を泡立てたものを生クリームと呼ぶ。
* 生クリームとして[[コーヒー]]や[[紅茶]]などに加えて飲まれる。この用途では、他に[[エバミルク]]などが用いられる。
==== ホイップクリーム ====
{{main|ホイップクリーム}}
ホイップクリームとは、動物性脂肪に植物性脂肪を加えたもの、または植物性脂肪のみのもの。ほかの国ではホイップクリームはクリームに分類されない。
日本ではクリームを泡立てたものを'''ホイップクリーム'''と呼び、[[泡立て器]]や[[ミキサー (調理器具)#ハンドミキサー|ハンドミキサー]]などを用いて作る。シャンティークリーム、クレームシャンティイなどとも称される。乳脂肪は[[バター]]に見られるように低温で固体だが30[[セルシウス度|℃]]前後で溶解が始まり、融点以上になると流動性が高まり形成された泡が崩れ易くなるため、冷却しながら泡立てる。撹拌し過ぎるとバターと乳清に分離する。工業的には[[亜酸化窒素]]や[[二酸化炭素]]を添加して製造する<ref>{{cite web|url=https://www.fsc.go.jp/iken-bosyu/iken-kekka/kekka-n2oxide161210.pdf|title=亜酸化窒素の食品健康影響評価に関する審査結果についての御意見・情報の募集結果について|publisher=内閣府食品安全委員会|format=pdf|accessdate=2015-01-08}}</ref>。
生クリームの代替製品として、明らかに生クリームでは無いものもホイップクリームと呼び<ref>[http://www.monteur.co.jp/contactus/faq/340.html よくあるご質問: ホイップクリームについて。生クリームとの違いは? | 株式会社モンテール]。</ref>、「ホイップ用」・「フレッシュ」などの表記で販売されている。[[日本]]では植物油脂を利用した代替品が広く用いられ、アメリカでも「{{仮リンク|クールウィップ|en|Cool Whip}}」を[[クラフトフーズ]]が販売しており、泡立ての必要がなくホイップ状態が長期間持続する簡便性から広く普及している。製品中の乳脂肪分は風味を濃厚に、植物性油脂は口溶けを軽快にさせる。
* [[砂糖]]を加え固く泡立て、[[ケーキ]]の[[アイシング]](糖衣)など、[[お菓子]]の飾りつけなどに使うことが多い。また[[ココア]]などを加えることもある。
* コーヒーにいれると、[[ウィンナ・コーヒー]]になる。
* アングロアメリカでは、「'''レディ・ウィップ'''」({{En|Reddi-wip}})という[[スプレー]]缶入りのホイップクリームが市販されている。
* [[ホイップクリーム#クレーム・シャンティイ|クレーム・シャンティイ]]({{Fr|Crème Chantilly}})は軽く泡立てたクリームに甘みや香りをつけたもの。[[フランス料理]]の[[デザート]]に用いる。[[シャンティイ城]]に由来する。
==== 牛乳を原料とする食品 ====
乳脂肪に[[食品添加物|添加物]]や[[植物油|植物性油脂]]などを加えたものは日本の法律では「'''乳又は[[乳製品]]を主要原料とする食品'''」となり、以下のようなものがある。
; 純乳脂肪タイプ
: 乳脂肪に乳化剤、安定剤等の「添加物」を加えたもので、純乳脂肪などの表記で販売される。
; コンパウンドタイプ
: 乳脂肪の一部を植物油脂等の「植物性脂肪」で置換したもの。「コンパウンドクリーム」とも呼ばれている。
; 植物性脂肪タイプ
: 乳脂肪が含まれず脂肪分に植物性脂肪のみを使用したもの。
== 使用・加工等 ==
=== クリームのまま ===
* 風味・コク付けとして[[シチュー]]や[[スープ]]などの料理に加えられる。
=== 加工品 ===
* [[アイスクリーム]] - 牛乳、卵黄、生クリーム、砂糖を撹拌し冷やし固めて作られるデザート。
* [[サワークリーム]] - 生クリームを[[乳酸発酵]]させたもの。
* [[マスカルポーネ]] - 生クリームを加熱し酸を添加し凝固させたイタリアのチーズ。
== 栄養価 ==
{{栄養価 | name=クリーム(乳脂肪)<ref name=mext7>[[文部科学省]] 「[https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm 日本食品標準成分表2015年版(七訂)]」</ref>| kJ =1812| water=49.5 g| protein=2.0 g| fat=45.0 g| opt1n=[[コレステロール]] | opt1v=120 mg| carbs=3.1 g| sodium_mg=27| potassium_mg=80| calcium_mg=60| magnesium_mg=4| phosphorus_mg=50| iron_mg=0.1| zinc_mg=0.2| copper_mg=0.02| selenium_ug =2| betacarotene_ug=110| vitA_ug =390| vitD_ug=0.5| vitE_mg =0.8| vitK_ug=14| thiamin_mg=0.02| riboflavin_mg=0.09| vitB12_ug=0.2| pantothenic_mg=0.13| opt2n=[[ビオチン|ビオチン(B<sub>7</sub>)]] | opt2v=1.2 µg| opt3n=[[有機酸]]| opt3v=0.1 g| note =ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した<ref>[[厚生労働省]] 「[https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000114399.pdf 日本人の食事摂取基準(2015年版)]」</ref>。 | right=1 }}
{| class="wikitable" style="float:left; clear:left"
|+ クリーム(fluid, heavy whipping)(100g中)の主な[[脂肪酸]]の種類<ref>[https://data.nal.usda.gov/dataset/usda-national-nutrient-database-standard-reference-legacy-release USDA National Nutrient Database]</ref>
|-
! 項目 !! 分量(g)
|-
| [[脂肪]] || 37
|-
| [[飽和脂肪酸]] || 23.032
|-
| 6:0([[カプロン酸]])|| 0.71
|-
| 8:0([[カプリル酸]]) || 0.413
|-
| 10:0([[カプリン酸]])|| 0.928
|-
| 12:0([[ラウリン酸]]) || 1.039
|-
| 14:0([[ミリスチン酸]]) || 3.721
|-
| 16:0([[パルミチン酸]])|| 9.732
|-
| 18:0([[ステアリン酸]]) || 4.484
|-
| [[不飽和脂肪酸|一価不飽和脂肪酸]] || 10.686
|-
| 16:1([[パルミトレイン酸]]) || 0.829
|-
| 18:1([[オレイン酸]]) || 9.308
|-
| [[多価不飽和脂肪酸]] || 1.374
|-
| 18:2([[リノール酸]]) || 0.836
|-
| 18:3([[α-リノレン酸]]) || 0.538
|}
{{-}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Cream}}
* [[クロテッドクリーム]]
* [[ショートケーキ]]
* [[カスタードクリーム]]
* [[サワークリーム]]
* [[スメタナ]]
* [[クレームフレーシュ]]
; クリームの代用食品
* [[コーヒーフレッシュ]]
* [[アクアファバ]] - 豆の煮汁。菜食主義者、牛乳・卵アレルギー者向け。
{{乳}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:くりいむ}}
[[Category:乳製品]]
[[Category:調味料]]
[[Category:スプレッド]]
[[Category:洋菓子材料]] | null | 2023-07-11T15:24:20Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0_(%E9%A3%9F%E5%93%81) |
4,920 | ローリング・ストーンズ | ローリング・ストーンズ(英語: The Rolling Stones)は、イギリスのロックバンド。1962年4月のロンドンで、ブライアン・ジョーンズ、イアン・スチュワート、ミック・ジャガー、キース・リチャーズによって結成、その後間もなくビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが参加した。
1960年代前半から現在まで半世紀以上、1度も解散することなく第一線で活躍を続ける、ロック界の最高峰に君臨するバンドである。エアロスミス、プライマル・スクリームやジェット、日本では沢田研二とザ・タイガース、萩原健一とザ・テンプターズなど多くのグループ・サウンズのバンド、忌野清志郎とRCサクセション、鮎川誠とシーナ&ロケット、THE STREET SLIDERSなど、ローリング・ストーンズに影響を受けたアーティストは数多く存在する。ストーンズは労働者バンドというイメージが強いが、ミック・ジャガーとブライアン・ジョーンズは中流階級の出身である。
結成当初のリーダーはブライアン・ジョーンズであったが、後にジャガーとリチャーズがコンビで作曲を行い、グループをリードするようになった。1969年、ジョーンズは体調不良とドラッグ禍のためバンドを脱退。その3週間後にプールで溺死した。ジョーンズの後任としてミック・テイラーが加入、1974年に脱退するまで活動を続けた。その後、ロン・ウッドが加入する。ワイマンは、1993年にバンドを脱退、後任としてダリル・ジョーンズがベースを担当するようになるが、正式メンバーとしては加入していない。スチュワートは、1963年に公式メンバーから外されるが、バンドのロードマネージャーを続け、1985年に死去するまでピアニストとしてツアーやレコーディングに参加した。1982年以降は、チャック・リーヴェルがバンドのキーボードを担当している。
ストーンズは当初ヨーロッパでの人気が高まり、間もなくブリティッシュ・インヴェイジョンの一波として北米での成功を収めた。イギリスでは22作のスタジオアルバム(アメリカでは24作)、11枚のライブアルバム(アメリカでは12作)、多くのコンピレーションをリリースし、現在までの全世界での売り上げは2億枚を超える。『スティッキー・フィンガーズ』(1971年)はその後アメリカで8連続No1となるアルバム群の最初の1枚であった。最新作の『ア・ビガー・バン』は2005年にリリースされた。1989年にロックの殿堂入りした。
ストーンズの出現は、最初のアーバンブルースの世界的な人気の高まりの象徴の一つであった。バンド名はシカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの"Rollin' Stone"にちなんで、当時リーダーであったジョーンズが命名した。ストーンズの活動継続と関連に関して評論家のロバート・パーマーは、彼らは「より短命なポップ・ファッションが現れたり消えたりしている」間、「リズム・アンド・ブルースとソウル・ミュージックの中で伝統的な真実に根ざしている」ことによると語っている。
ローリング・ストーン誌の「最も偉大なアーティスト100」にて4位、ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて5位。
1950年代初め、キース・リチャーズとミック・ジャガーは幼なじみであり、双方の一家が引っ越すまでダートフォードのウェントワース・プライマリースクールでの級友であった。1960年、シドカップ・アートカレッジの学生であったキースとロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生であったミックがダートフォード駅で再会する。ミックが持っていたチャック・ベリーとマディ・ウォーターズのレコードで、お互いの興味が明らかになって友情が復活し、ディック・テイラー(後にプリティ・シングスのメンバーとなる)を加えてのバンド「リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」結成につながる。3人はイーリング・ジャズクラブでアレクシス・コーナーの「ブルース・インコーポレイテッド」のステージにゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのスライドギターを目の当たりにして衝撃を受ける。ブルース・インコーポレイテッドには、後にストーンズのメンバーとなるイアン・スチュワートとチャーリー・ワッツも参加していた。
イアンは練習場所を見つけ、ブライアンと共に加入し、バンドはシカゴ・ブルースを演奏するようになった。名前も決定していないバンドはミック、ブライアン、イアンに加え、ミックが強要して加えたキースと共に最初のリハーサルを行った。リハーサルには、ギタリストのジェフ・ブラッドフォードとヴォーカリストのブライアン・ナイトも参加したが、2人はミックとキースが好むチャック・ベリーやボ・ディドリーの曲を演奏することに異論を述べ、バンドへの加入を拒否した。1962年6月のラインアップはミック、ブライアン、キース、イアン、ディック、及びドラマーのトニー・チャップマンであった。キース曰く、ブライアンが「ジャズ・ニュース」紙との電話の間にバンド名を決定したという。バンドの名前を尋ねられたブライアンは、床にあったマディ・ウォーターズのレコードを見て、その中の1曲「ローリン・ストーン」をバンド名にした。
1962年7月12日、マーキー・クラブ(英語版)にて「ザ・ローリン・ストーンズ The Rollin' Stones」として最初のギグを行った。ラインナップはミック、キース、ブライアン、ピアノにイアン、ベースにディック、ドラマーはミック・エイヴォリー(後にキンクスに加入)であった。ブライアンとイアンはシカゴ・ブルースを演奏したがったが、ミックとキースが好むチャック・ベリーやボ・ディドリーの演奏にも同意した。ビル・ワイマンは1962年12月に加入し、チャーリー・ワッツは翌月の1963年1月に説得されて加入、バンドのリズム体が確定した。ビルがメンバーに引き込まれた理由が、「当時、大出力のベースアンプを所有していたから」という、ジョーク交じりの他メンバーのインタビューもあった。当時のマネージャーであったジョルジオ・ゴメルスキー(英語版)は、クロウダディ・クラブに日曜日の午後のステージを固定した。ゴメルスキーはクロウダディ・クラブが「ブルースの国際的なルネッサンス」の引き金となったと語った。マージー・ビーツ・ブームの到来と共に、ゴメルスキーはクロウダディでのショーを「スウィンギン・ロンドン(英語版)」の到来の有力な側面と記した。
ビートルズのパブリシストであったアンドリュー・ルーグ・オールダムがバンドのマネージャーに就任したが、彼は19歳とバンドのメンバーより若く、エージェントのライセンスを取得するのが不可能であった。従って、アンドリューの母が息子に代わってサインをし、オールダムとベテランのブッキング・エージェントであるエリック・イーストンの間の協力関係が築かれた。ゴメルスキーはバンドとの契約書を交わしておらず、オールダムがマネージャーになることは相談されなかった。オールダムはバンド名の綴りを "The Rollin' Stones" から "The Rolling Stones" へ変え、リチャーズの姓も「もっとポップに見えるから」と「リチャード」と変えさせた。スチュワートはオールダムの構想に合わず、ワイマンによれば「かわいくてやせっぽちの長髪の少年は1963年5月にメンバーから外されロードマネージャーとなり、1985年に死ぬまでバンドのピアニストを担当した。」とのことであった。
彼らは新しい演奏、作曲とレコーディングの完全なコントロール、マスターテープの所有権に対するロイヤリティとして当時の典型に対して三倍の額を得ることができた。またデッカとの契約でオールダムはデッカのスタジオでは無くリージェント・サウンド・スタジオを使わせることにした。リージェントはモノラルの設備で、音響処置のため天井は卵ケースが貼り付けられ、都合の良いスタジオとなった。オールダムはレコーディング経験はほとんど無かったがストーンズのプロデューサーとなり、リージェントについて「音が漏れ出て、楽器から楽器へ、正しい方法で」音楽が作り出される「雑音の壁」と言った。リージェントの使用料は低額で、バンドは当時一般的であった3時間分を予約する代わりに、長期間にわたってレコーディングや練習を続けることができた。イギリスでのファーストアルバムでは全ての曲がリージェントで録音された。
オールダムはストーンズが独立スタジオを使用していることを音楽雑誌に宣伝し、EMIに管理されたビートルズよりも「独立」した存在であることをアピールした。オールダムは「普通の人たち...スタジオでは男たちのために汗をかく。」と語っている。オールダムはイギリスのファーストアルバムでは微笑まないメンバーの写真を使い、「あなたの娘をストーンズと結婚させたいか?」という挑発的な見出しを載せ、結局ビートルズの不快な対照としてバンドを宣伝することを止めた。オールダムはバンドに同じスーツを用意したが、メンバーは公式の場にカジュアルな服装で現れるのに戻った。ビルによれば、「俺たちの評判とイメージが悪ガキだってのは後からやってきた。それは完全に偶然で、アンドリューが仕込んだ物じゃない。彼は単にそれを徹底的に利用しただけさ。」と語っている。
デビューシングル、チャック・ベリーのカバーである「カム・オン」は1963年6月7日にリリースされた。ストーンズは同曲をライブで演奏するのを拒否し、デッカは宣伝の広告看板を1枚だけ買い上げた。オールダムの指示でファンクラブの会員がシングルを購入し、「カム・オン」はイギリスのシングルチャートで21位に上昇した。シングルがチャートインしたことでバンドはロンドンの外で演奏する機会が与えられ、7月13日にミドルズブラのアウトルック・クラブでホリーズと共演することとなる。その年の後半にオールダムとイーストンは、ボ・ディドリー、リトル・リチャード、エヴァリー・ブラザースといったアメリカのミュージシャン達をサポートする初のUKツアーを計画した。この1963年秋のツアーは経験の少ないバンドにとってステージの「トレーニンググラウンド」となった。
このツアーの間にストーンズはセカンドシングル、「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を録音した。この曲はレノン・マッカートニーによるもので、イギリスで12位を達成した。3枚目のシングル、バディ・ホリーの「ノット・フェイド・アウェイ」は、1964年2月にリリースされ、3位を記録した。
オールダムの提案でミックとキースは共同で曲を作り始めた。最初の曲を彼は「めそめそした模倣」と評した。曲作りのペースが進まなかったため、ファーストアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』(アメリカでは『イングランズ・ニューエスト・ヒットメーカーズ』)の収録曲はカバーが大半で、ジャガー・リチャーズのオリジナルは「テル・ミー」のみであった。また、2曲のクレジットは「ナンカー・フェルジ」と記載された。これはバンド全員のペンネームであった。
1964年6月に行われた最初のUSツアーは、ビル・ワイマンによれば「災害」であった。「俺たちが到着したとき、俺たちにはそこでのヒットレコードもその他の物も持っていなかった。」ツアーはそのほとんどがガラガラという状況であったが、ストーンズは積極的にメディアへの露出・ライヴ活動を行った。ディーン・マーティンのバラエティショー「ザ・ハリウッド・パレス」では、マーティンはバンドの演奏と髪型をからかった。このツアーの間にバンドはシカゴのチェス・スタジオで2日間のレコーディングを行い、マディ・ウォーターズを含む多くのミュージシャンから大きな影響を受けている。これらのセッションで録音された曲には、初のイギリスナンバー1となったボビー・ウーマックのカバー、「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」も含まれた。アメリカでの成功が本格化していない頃、本国イギリスならびにヨーロッパではすでに人気が高まっており、イギリスではファーストアルバムが12週連続No.1に輝いている。
1964年8月にはオランダのスヘフェニンゲンでコンサートを行うが、観客が乱闘を始めたため約15分で中止となった。
1964年にリリースされた『T.A.M.I.ショー』ではジェームス・ブラウン & ザ・フェイマス・フレームスに続いて収録された。ミックは2003年に「俺たちは実際にはジェームス・ブラウンの後には演奏していないよ。なぜならそれぞれのセクションの撮影の間には1時間の間があったからなんだ。それにもかかわらず、彼はそのことにすごくイライラしていた...」と語っている。10月25日にバンドは「エド・サリヴァン・ショー」に出演した。その際に巻き起こした騒動で、サリヴァンは以降彼らの出演を禁止したが、後に再び出演している。アメリカでのセカンドアルバム『12×5』はこのツアーの間にリリースされている。本作もファーストアルバム同様に大半の曲がカバーであったが、オリジナル曲も増加した。
イギリスでの5枚目のシングル、ウィリー・ディクスンのカバー「リトル・レッド・ルースター」は1964年11月にリリースされ、2枚目のイギリスNo.1となる。これはブルース曲として初のNo.1であった。アメリカでのディストリビューターであるロンドン・レコードは「リトル・レッド・ルースター」のシングルリリースを拒否した。ロンドンは1964年12月にジャガー・リチャーズのオリジナル曲「ハート・オブ・ストーン c/w ホワット・ア・シェイム」をリリースした。「ハート・オブ・ストーン」はアメリカで19位となった。
セカンドアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』は1965年1月にリリースされチャート1位となり、アメリカ盤は2月に『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!』がリリース、チャート5位となる。アルバムはシカゴのチェス・スタジオおよびロサンゼルスのRCAスタジオで録音された。1965年の1月から2月にかけてバンドはオーストラリアとニュージーランドで34回のショーを行い、100,000人が動員された。
ジャガー/リチャード名義で作曲した曲で(当時、キース・リチャーズはファミリー・ネームをリチャードと名乗っていて、1970年代後半にリチャーズに戻した)、最初にイギリスのシングルチャート1位になったのは「ラスト・タイム」(1965年2月)であり、同曲はアメリカでは9位であった。キースは後にこの曲を「ストーンズにとって作曲について考える橋渡しとなった曲だ。それは俺たちに信用のレベルを与え、どのようにやっていくかの小道となった。」との認識を語った。バンドにとっての初の世界的ナンバー1ヒットは「サティスファクション」であり、同曲は1965年5月、3回目の北米ツアーの間に録音された。ファズで歪ませた特徴的なギターリフで始まり、キースはホーンセクションをガイドにしようと思い描いた。オールダムは意見を異にし、ホーンをオーバーダブせずに「サティスファクション」をリリースした。「サティスファクション」は1965年6月にアメリカでリリースされ、全米で4週連続No.1となる。以後、このソングライターチームによって何曲もの大ヒットナンバーを生んでいる。
アメリカ版『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』(1965年7月)もチャートNo.1となる。同作には7曲のオリジナル(ジャガー・リチャーズ名義が3曲、ナンカー・フェルジ名義が4曲)収録された。ストーンズの世界的No.1となった2番目の曲「一人ぼっちの世界 (Get Off of My Cloud)」は1965年秋にリリースされ、続いてアメリカで『ディッセンバーズ・チルドレン』がリリースされた。
1966年4月(アメリカは6月)にリリースされた『アフターマス』(イギリス1位;アメリカ2位)は、ストーンズにとって全曲がオリジナルとなった初のアルバムであった。このアルバムでブライアンはギターとハーモニカばかりでなく多くの貢献を果たした。中東からの影響を色濃くした「黒くぬれ! (Paint It, Black)」ではシタールを演奏し、バラードの「レディ・ジェーン」ではダルシマーを演奏した。また、「アンダー・マイ・サム」ではマリンバを演奏した。そして、12分にも及ぶ「ゴーイン・ホーム」はトップセラーのロックアルバムに収録された初のジャムセッションとして注目された。
ストーンズのイギリスおよびアメリカにおけるシングルチャートでの成功は1966年にピークに達した。「19回目の神経衰弱(19th Nervous Breakdown)」(1966年2月、イギリス2位;アメリカ2位)の後には最初の英米ナンバー1の「黒くぬれ!」が続いた。「マザーズ・リトル・ヘルパー」(1966年6月)はアメリカでのみシングルリリースされ、8位となった。同曲は麻薬乱用問題に言及した初のポップソングの一つであった。この曲でミックは通常使うアメリカ南部のアクセントよりも自身の自然なロンドン訛りで歌っている。
1966年9月の「マザー・イン・シャドウ(Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?)」(イギリス5位;アメリカ9位)はいくつかの点で注目に値した。ストーンズの曲で初めてブラスセクションを取り入れ、ジャケット裏の写真は女装したメンバーの物であった。また、ピーター・ホワイトヘッドによって初のプロモーションフィルムが作られた。
1967年1月、『ビトウィーン・ザ・バトンズ』(イギリス3位;アメリカ2位)がリリースされる。本作はアンドリュー・オールダムがプロデューサーとして関わった最後のアルバムであった(バンドマネージャーとしての役割は1965年にアラン・クレインに引き継がれていた)。アメリカ版では両A面シングルの「夜をぶっとばせ(Let's Spend the Night Together) c/w ルビー・チューズデイ」が収録され、アメリカでは1位、イギリスでは3位となった。バンドはニューヨークで「エド・サリヴァン・ショー」に出演、「夜をぶっとばせ」を演奏したが、歌詞を「let's spend some time together」に変えるよう要請された。
1967年の前半、ミック、キース、ブライアンは気晴らしで始めた麻薬に対して「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙が「Pop Stars and Drugs: Facts That Will Shock You」と題した3部構成の記事を発表した後、当局による摘発を受ける。記事ではザ・フーのピート・タウンゼントやクリームのジンジャー・ベイカーらが参加し、ムーディー・ブルースが主催したLSDパーティについて述べ、トップスター達が薬物を使用していることを暴露した。最初の記事ではドノヴァンがターゲットにされ(すぐ後に摘発され罰金刑を受ける)、第2回(2月5日発行)でストーンズがターゲットにされた。
記事の提供者はロンドンの高級クラブ、ブレーズで一晩を過ごしたが、そこでストーンズのメンバーは数個のベンゼドリンの錠剤を所持し、ハシシのかけらを示し、彼の住居に仲間を誘ってそれを吸ったとされた。記事ではこれはミック・ジャガーのことであるとしたが、これは間違いであったとされた。事実提供者はこれはブライアン・ジョーンズのことであるとした。記事が発表された夜、ミックはエイモン・アンドリュースのトークショーに出演し、同紙を名誉毀損で訴えると発表した。
1週間後の2月12日日曜日、サセックス警察はキースの運転手からの内通を受けて、レッドランズのキースの自宅で行われていたパーティを捜査した。逮捕者は出なかったものの、警察は麻薬容疑の証拠品を押収、後にミックとキースおよび友人の画商ロバート・フレーザーが告発された。キースは2003年に「レッドランズで警察に捕まったとき、俺たちはこれが全体の異なったボールゲームであり、楽しみが止まったんだと突然分かったのさ。その時までそれは、まるでロンドンが自分が欲しいときにできた美しい空間に存在しているかのようだったんだ。」警察の捜査責任者は後に加えた。「私がそれを聞いたとき、彼は2度と同じように歩かなかった。」
警察の捜査の結果を待っている間の1967年3月、ミック、キース、ブライアンは、マリアンヌ・フェイスフル、ブライアンのガールフレンドのアニタ・パレンバーグなどの友人と一緒にモロッコへの短期旅行を行った。この旅行の間にブライアンとアニタの関係は悪化し、アニタはキースと共にモロッコを離れた。キースは後に「そいつは俺とブライアンとの棺の最後の釘だった。奴は俺を決して許さないだろうし、俺は奴を責める気は無いが、最悪の出来事が起こった。」と語っている。キースとアニタはその後12年間を共に過ごした。このようにメンバー間の関係は複雑だったにもかかわらず、ストーンズは1967年3月から4月にかけてヨーロッパツアーを行った。このツアーでは、ポーランド、ギリシャ、イタリアでの初のコンサートも含まれた。
1967年5月10日、ミック、キースとフレーザーはレッドランドでの一件に関連して逮捕される。同日ブライアンの自宅が警察によって捜査され、大麻所持の容疑でブライアンも逮捕された。メンバー5人の内3人が麻薬容疑で逮捕され、ミックとキースは6月末に起訴された。6月29日、ミックはアンフェタミン錠剤4錠の所持容疑で3ヶ月の禁固刑を宣告された。キースは自宅の敷地内で大麻の喫煙を許したことで懲役1年の有罪判決を受けた。ミックとキースはその時点で投獄されたが、翌日には上訴を保留して保釈された。タイムズ紙は「牛刀を以て鶏を割くのは誰だ? -Who breaks a butterfly on a wheel?-」と題したウィリアム・リーズ=モッグによる擁護記事を掲載した。記事はミックが「純粋に匿名の若者」よりもマイナーな最初の犯罪ではるかに厳しい扱いを受けていたことを指摘している。
上告の判決を待っている間、バンドはファンが示す忠誠心への感謝の気持ちとして、ニューシングル「この世界に愛を(We Love You)」を録音した。それは刑務所のドアが閉まる音で始まり、プロモーションフィルムにはオスカー・ワイルドの裁判の暗示が含まれていた。7月31日に控訴裁判所はキースの判決を覆し、ミックの判決は条件付き釈放に至った。ブライアンの裁判は1967年11月に行われた。最初の求刑を控訴した後の12月にブライアンは1000ポンドの罰金を科せられ、3年間の保護観察と専門的な治療を受けるよう命じられた。
1967年12月、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』リリース直後に『サタニック・マジェスティーズ』(イギリス3位;アメリカ2位)がリリースされた。『サタニック・マジェスティーズ』はミック、キース、ブライアンが訴訟問題を抱えるという難しい状況の下でレコーディングが行われた。バンドはこのセッション中にプロデューサーのアンドリュー・オールダムと袂を分かった。この分裂は少なくとも公的には友好的であったが、ミックは2003年に「アンドリューが去った理由は、彼は俺たちが集中していないと考え、俺たちは幼稚であると思ったからだ。本当に最悪な瞬間だった。そして俺はアンドリューにとっても最悪な瞬間だったろうと思ったよ。そこには気を散らすようなことがたくさんあって、その時点で集中させる必要があった。それはアンドリューの仕事だった。」と語っている。
このように、『サタニック・マジェスティーズ』はストーンズが自らプロデュースした最初のアルバムとなった。そのサイケデリックなサウンドはカバーアートで補完され、マイケル・クーパー(英語版)による3D写真が貼り付けられた。クーパーは『サージェント・ペパー』のカバー写真も担当していた。ビル・ワイマンの「イン・アナザー・ランド」はシングルカットもされたが、これはミックがリードを歌わなかった初の曲となった。
バンドは1968年前半の数ヶ月間、次のアルバムの素材に取り組んだ。このセッションから5月にシングルとして「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」がリリースされた。この曲とアルバム『ベガーズ・バンケット』(イギリス3位;アメリカ5位)は、カントリーソングとブルースからインスパイアされた曲を網羅し、バンドのルーツへの回帰を示し、プロデューサーのジミー・ミラーとのコラボレーションの始まりとなった。本作には「ストリート・ファイティング・マン」(1968年5月の政治的な騒乱に影響を受けた)と「悪魔を憐れむ歌(Sympathy for the Devil)」も収められた。「悪魔を憐れむ歌」は、「歌詞が神を冒涜している」という宗教団体からの抗議が起こり、このアルバムが大量に燃やされるという事件があった。この曲のレコーディング風景は、ジャン=リュック・ゴダール監督による音楽映画『ワン・プラス・ワン』として記録されている。
『ベガーズ・バンケット』はリリース直後、好意的に評価された。キースはこの頃からリズムパート(しばしばカポと一緒に)にオープン・チューニングを使い始めた。1968年にはオープンEまたはオープンDチューニングが最も顕著だった。1969年になるとしばしば5弦のオープンGチューニング(6弦は取り外した)を使うようになり、1969年のシングル「ホンキー・トンク・ウィメン」、 「ブラウン・シュガー」(『スティッキー・フィンガーズ』1971年)、 「ダイスを転がせ(Tumbling Dice)」(カポIV)、「ハッピー」(カポIV)(『メインストリートのならず者(Exile on Main St.)』1972年)、「スタート・ミー・アップ」(『刺青の男(Tattoo You)』1981年)などで聴かれるようになった。
1968年末には『ロックンロール・サーカス』の撮影が行われた。同作にはジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ザ・ダーティ・マック、ザ・フー、ジェスロ・タル、マリアンヌ・フェイスフル、タジ・マハールらが出演した。映像は28年間にわたって公開されなかったが、最終的に1996年に正式にリリースされた。2004年10月にはDVD版がリリースされた。
『ベガーズ・バンケット』のリリース後、ブライアン・ジョーンズはますますトラブルを起こし、バンドへの貢献は散発的なものとなっていた。ミックはブライアンが「この生き方には心理的に適していない」と述べている。彼の薬物使用は障害になっており、彼はアメリカ合衆国のビザを取得することができなかった。キースは、ブライアンの家で6月に行われたミック、キース、チャーリーの話し合いでブライアンは「再びロードに出る」ことができないと認め、「俺は辞める。そしてもし俺がそうしたければ俺は戻ってくることができる。」と言ってバンドを脱退した、と伝える。脱退から1ヶ月足らずの1969年7月3日、ブライアンはハートフィールドにあるコットフォード・ファームの自宅のプールで、不思議な状況の下に溺死しているところを発見された。ちなみにブライアン邸は、以前『クマのプーさん』の作者として有名なA・A・ミルンが住んでいた家でもある。
ストーンズはブライアンの死から2日後となる7月5日に、ロンドンのハイド・パークにあるブラックヒル・エンタープライズの無料コンサートで演奏を行う予定だった。彼らはブライアンの追悼としてコンサートを行うことに決めた。ブライアンの後任となる新ギタリストはジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ出身のミック・テイラーに決定し、テイラーとの最初のコンサートは、推定250,000人のファンの前で行われた。演奏はグラナダテレビの制作チームによって撮影され、イギリスでは『ストーンズ・イン・ザ・パーク』として放映された。ミックはパーシー・ビッシュ・シェリーが友人ジョン・キーツの死を悼んで書いた詩「アドナイス(英語版)」からの一節を朗読した。彼らはブライアンの記憶の中で何千匹もの蝶を放った。ショーのオープニングではジョニー・ウィンターの「アイム・ユアーズ・アンド・アイム・ハーズ」が演奏された。
また、次回作の『レット・イット・ブリード』(1969年12月)からの未発表曲「ミッドナイト・ランブラー」「むなしき愛(Love in Vain)」および『メインストリートのならず者』(1972年5月)からの「ギブ・ミー・ア・ドリンク」も演奏された。このコンサートはリリースされたばかりの「ホンキー・トンク・ウィメン」の初演でもあった。ブラックヒル・エンタープライズのステージ・マネージャー、サム・カトラーは彼らを「世界最大のロックンロール・バンド」として紹介した。カトラーはその後ストーンズのロードマネージャーとなり、69年アメリカツアーでは前述の紹介を繰り返した。
『レット・イット・ブリード』(イギリス1位;アメリカ3位)は12月にリリースされた。60年代の最後のアルバムである本作には「ギミー・シェルター」が収録された。この曲では女性ヴォーカリストとしてメリー・クレイトン(リトル・フィートのメンバーであるサム・クレイトンの姉)が起用され、有名なソロ部分を歌っている。
その他には「無情の世界(You Can't Always Get What You Want)」(ロンドン・バッハ合唱団はコーラスで参加したが、他の収録曲の内容から「恐れ」たためクレジットの削除を要求した。しかしその後この要求を撤回した。)、「ミッドナイト・ランブラー」、ロバート・ジョンソンのカヴァーである「むなしき愛」が含まれた。ブライアンとテイラーはそれぞれ2曲に参加している。
ストーンズはアメリカツアーの直後、サンフランシスコから東に約50マイル離れたオルタモント・スピードウェイで行われたオルタモント・フリーコンサートに出演。このコンサートはストーンズからのクリスマスプレゼントとして入場無料で企画されたものであったが、20万人から50万人の観客が殺到したことに加え設営の準備不足から大混乱に陥った。警備に雇われた暴走族ヘルズ・エンジェルスが、観客の黒人青年メレディス・ハンターが武器を持っていたとして彼を刺殺するという、いわゆる「オルタモントの悲劇」も起こった。ツアーの一部とオルタモント・コンサートの様子はメイスルズ兄弟の手によって『ギミー・シェルター』に収められた。また、海賊版が広く出回るようになったため(本ツアーの様子は「Live'r Than You'll Ever Be」としてリリースされた)、その対応として『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト(イギリス1位;アメリカ6位)』が1970年にリリースされた。評論家のレスター・バングスは史上最高のライブアルバムと評している。
この年の大晦日には60年代のヒット曲を特集したBBC製作の番組「Pop Go The Sixties」に出演し、ストーンズは「ギミー・シェルター」を演奏している。
1970年、バンドはアラン・クレインおよびデッカ・レコードとの契約を終了した。クレインとの契約紛争の間に、バンドは自らのレーベル、「ローリング・ストーンズ・レコード」 (Promotone BV) を設立した。同レーベルからの第1弾作品として『スティッキー・フィンガーズ』(イギリス1位;アメリカ1位)を1971年3月にリリースした。アルバムジャケットはアンディ・ウォーホルがデザインした。同作には「ブラウン・シュガー」「ワイルド・ホース」が収められたが、これらは1969年のアメリカン・ツアー中にアラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオで録音されたものであった。アルバムはブルースの影響を強く受けた前2作の路線を引き継いでいた。その特徴として「ルーズで、今にも崩れそうな雰囲気」を持ったアルバムであり、また、ミック・テイラーが完全参加した初のアルバムでもあった。ストーンズのデッカでの作品権利はクレインのアブコレーベルが所有している。
『スティッキー・フィンガーズ』のリリース後、バンドは金融面での勧告を受ける。高率課税に辟易したミックとキース、ビルの3人はフランス南部へ移住。バンドは移住直前にイギリスで「フェアウェル」ツアーを行った。キースはヴィルフランシュ=シュル=メールに家を借り、メンバーや友人達と生活した。バンドはモービル・ユニットを使い、地下室でレコーディングを行った。そのマテリアルは最終的にロサンゼルスのサンセット・スタジオで編集が行われ、2枚組アルバム(CDでは1枚)『メイン・ストリートのならず者』(イギリス1位;アメリカ1位)として1972年5月にリリースした。評論家ロバート・クリストゴーはこのアルバムをA+と評価し、レスター・バングズはこのアルバムに低評価を与えたが、数ヶ月の内にその評価を一転させ、『ならず者』はストーンズの最高傑作の一つであると認めている。アルバム発表後、3年ぶりの全米ツアーを行った。その頃に撮影された映画『コックサッカー・ブルース』(未公開)と『レディース・アンド・ジェントルメン(英語版)』(1974年)はツアーのドキュメンタリーであり、テリー・サザーンも出演している。
1972年11月、バンドはジャマイカのキングストンでセッションを始める。『山羊の頭のスープ(Goats Head Soup)』(イギリス1位;アメリカ1位)は1973年にリリースされた。シングル「悲しみのアンジー(Angie)」は世界的なヒットとなり商業的には成功したが、生ぬるく容認された最初のアルバムであった。本作のセッションでは数多くのアウトテイクが生じ、例えば「友を待つ(Waiting on a Friend)」の初期バージョンも録音されていた。同曲は8年後に『刺青の男』で発表された。
レコーディングはドラッグに関する別の法廷闘争で中断された。それはフランス滞在当時までさかのぼり、キースの逮捕令状も発行され、他のメンバーは証言のためフランスに戻らなければならなかった。これと平行してミックのドラッグに関する裁判(1967年および70年)が行われ、73年初めに予定されていたパシフィック・ツアーの計画を複雑な物とした。日本公演は前年に発表されていたが、メンバーの麻薬所持による逮捕歴や、ビートルズ来日の時のような混乱を避けるためという理由により、入国許可が下りず、チケットが完売していたにもかかわらず、公演が直前になって中止に。その後、1990年の初来日までストーンズのライヴは夢のまた夢といわれていた。キースは6月にイギリスで逮捕された。その後3年ぶりのヨーロッパ・ツアーはフランスを迂回して、9月から10月にかけて行われた。
バンドはミュンヘンのミュージックランド・スタジオで次回作のレコーディングを行う。アルバム『イッツ・オンリー・ロックンロール』(イギリス2位;アメリカ1位)は1974年にリリースされたが、ジミー・ミラーは麻薬の問題もありプロデューサーを降りていた。代わってミックとキースが「グリマー・ツインズ」としてプロデュースを行った。アルバムのタイトルナンバー「イッツ・オンリー・ロックンロール」は名義こそジャガー/リチャーズになっているものの、実際にはロン・ウッドが作曲し、ミックが詞をつけるという意外な形で完成された。これは、同曲が元々ロン・ウッドがソロアルバムのレコーディングのために曲を作っていたため。“たかがロックンロール、でも俺はそれが好きなんだ”というストーンズの意気地ともいえる歌詞は、ロン・ウッドの自宅にきて酒を飲み交わしていた際にミックとフェイセズのメンバーであるケニー・ジョーンズとの口論から生まれたという。これが原因なのか定かではないが、同曲のヴォーカルはミックとケニーの二人がとっている。これは結果的に、後のメンバー昇格する要因の一つだったと思われる(ジャガー/リチャーズ/ウッドという共同名義で作曲をしているものがある)。
1974年の終わり頃になると、テイラーはメンバーとして我慢がならなくなっていた。バンドの状況は複雑な物になっており、互いに異なった国に住み、法的な問題が正常なツアーを制限するようになっていた。加えて、キースは薬物使用が進み、そしてテイラーは自身の創造的な貢献が認められていないと感じていた。年末、ミュンヘンでのセッションの間にテイラーはストーンズを脱退した。1980年に彼は「僕は少しうんざりするようになっていた。僕は自分のギタリストとしての範囲を広げて、他に何かしたかった。...僕は当時、本当は歌を書いたり作ったりしていなかった。僕はちょうど書き始めていたんだ。そして、それは僕の決定に影響した。...頂きから頂きへとずっと渡っていける何人かの人がいる。彼らは他の誰かの成功に沿って乗ることができる。そして、それが十分でない何人かの人々もいる。僕は本当にそれが十分でなかった。」と語っている。
1975年、テイラーの後任ギタリストを探すため、ミュンヘンで後に「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼ばれるオーディションを行った。このセッションに招待されたのは、後にメンバーとなるロン・ウッドの他、ハンブル・パイのリード・ギタリストであったピーター・フランプトン、ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ウエイン・パーキンス、ハービィ・マンデルなどがいた(ジェフとロリーは当初、オーディションだったことを知らなかったと語っている。また、彼らは決して加入に同意しなかったろうとも語っている)。シュギー・オーティスもこのセッションに参加したが、加入には至らなかった。パーキンスとマンデルのプレイは、『ブラック・アンド・ブルー』(イギリス2位;アメリカ1位)に収められた。しかしながらキースとミックは、ストーンズを純粋なブリティッシュバンドのままにしておきたかった。ロンがオーディションを受けると、満場一致で決まった。
ロンとキースは、すでにレコーディングやライヴで共演しており、「イッツ・オンリー・ロックンロール」の作曲およびレコーディングに貢献していた。彼は、ミックのオファーをフェイセズとの絆を理由に断っており、「それは本当に俺にとって重要だった」と語っている。ロンは、ストーンズの75年北米ツアーへの参加を公約したが、それはロッド・スチュワートがフェイセズを正式脱退し解散したことを受けてであって、諸説はありながらもこの時点を「ロンのローリング・ストーンズの加入」とする説が一般的である。他のストーンズのメンバーとは異なり、およそ20年後にビルが脱退するまでバンドからサラリーを受ける立場であった。ビルの脱退後、ロンはバンドの収益面でもストーンズの正式メンバーとなった。
1975年北米ツアーはニューヨークのブロードウェイにおいて行われたトレーラーのステージ上でのライブで始まった。サポート・メンバーとしてロン(ギター)、ビリー・プレストン(キーボード)、オリー・ブラウン(パーカッション)などが参加した。公演によっては、イアン・スチュワート(ピアノ)が参加している。ステージには巨大なファルスとロープが現れ、ミックは聴衆の上でそれを揺り動かした。ミックはトロントのエル・モカンボ・クラブでのライブレコーディングを設定し、その様子はバンド久々のライブ盤となった『ラヴ・ユー・ライヴ』(イギリス3位;アメリカ5位)に収められた。
1976年3月に、ロンのストーンズへの正式加入が発表され、同時にツアーも発表された。4月、前年のメンバーのままヨーロッパ・ツアーを行うと同時に、ロン正式加入後初のアルバム『ブラック・アンド・ブルー』がリリースされた。
しかしツアー中のキースは、ヘロインによる依存症状がかなり悪化し、公演中に居眠りや、ホテルでは禁断症状が出て心臓が停止しかけるなど、アクシデントが後を絶たなかった。それを見ていたロンは、警察をごまかしてわざわざヘロインを調達して来たというエピソードがある。ストーンズはツアーの締めとしてネブワース・フェスティバルに出演し、25万人を超える聴衆の前で演奏した。
1977年2月、キースはトロントへの到着が遅れた。他のメンバーはすでにトロント入りし彼を待っており、キースに対してどこにいるのかと尋ねる電報を送っている。2月24日、アニタ・パレンバーグと共にトロントに到着したキースは税関によって足止めされた。荷物の中からカナビス10グラムとヘロインの形跡が発見されたためであった。アニタは逮捕されたが、出廷を約束し釈放された。その3日後、アニタの逮捕状を持った王立カナダ騎馬警察がキースの部屋を訪れ、22グラムのヘロインを発見した。キースは麻薬密輸の罪で告発される。後に検察官は、キースがカナダ到着後にヘロインを入手したと認めた。バンドはエル・モカンボ・クラブという小さなクラブでの2回のライヴのためにカナダを訪問し、その際に起こった事件だった。ライヴの様子はアルバム『ラヴ・ユー・ライヴ』に収録された。同時にこのカナダ訪問では、当時の首相ピエール・トルドーの夫人、マーガレット・トルドーとのスキャンダルがあり、マーガレットがショーの後にバンドとのプライベート・パーティに出席したことが判明するとより多くの論争が巻き起こった。バンドが行った2回のライヴは公には告知されず、エル・モカンボはその週全部をカナダのバンド、エイプリル・ワインのレコーディングで予約されているとしていた。ローカルラジオ局の1050 CHUMが、エイプリル・ワインの無料ライヴチケットをラジオ番組のコンテストの当選者に配布していた。当選者達は金曜日と土曜日に行われたライヴで、ローリング・ストーンズがステージに現れたのを見て驚いていた。
3月4日、アニタは空港での一件に関して罰金を命じられた。キースに対する裁判は1年以上長引くこととなった。結局は執行猶予を受け、オシャワで2回のチャリティ・コンサートを行うよう命じられた。2つのコンサートは共にローリング・ストーンズとニュー・バーバリアンズ(ロニーが最新のソロアルバムをプロモートするために結成したバンドにキースが加わったグループ)の共演で行われた。この一件でキースはヘロインの使用を止めようと固く決心することとなった。また、3番目の子ども(タラ)の死以来張り詰めていたアニタとの関係の終焉にも大きく影響した。さらにアニタはキースがヘロインを止めようと努力していた際も、ヘロインに耽溺するのを止めることはできなかった。キースが法的および個人的な問題を解決しようとしていた間、ミックは飛び回る生活を続けていた。彼はニューヨークのディスコクラブ、スタジオ54の常連で、しばしばモデルのジェリー・ホール (Jerry Hall) と訪れていた。ビアンカとの結婚生活は長年の別居の後1977年に終了した。
ストーンズは70年代前半からの人気を維持していたが、評論家達はバンドの勢いが衰えたと言い、レコードの売り上げも期待外れになった。70年代後半にパンク・ムーブメントが生じると、その支持者はストーンズを年老いた金持ちの音楽であり、停滞して無意味であると批判した。これは1978年になると一変した。アルバム『女たち』(イギリス2位; アメリカ1位)がリリースされ、「ミス・ユー」「ファーラウェイ・アイズ」「ビースト・オブ・バーデン」「シャッタード」がシングルカットされた。これらはパンク・ムーブメントでの批判に対する返答とされ、大半がテンポの速い単純なギタードライヴのロックンロールであった。アルバムの成功は若年層の人気回復に貢献した。アルバム発表と同時に全米ツアーが始まり、バンドはプロモーションとして「サタデー・ナイト・ライブ」に出演した。バンドは翌年のヨーロッパツアーは行わず、1967年以来3年ごとに行っていたツアーのルーチンは破られた。
1979年4月、裁判所の命令に従ってチャリティ・コンサートをオシャワ・ホールで開く。ニュー・バーバリアンズはよくキースがリーダーだと誤解されているが、実際はロンであり、メディアがこぞってキースに注目したためと思われる。バーバリアンズは、5月いっぱいまで全米ツアーを行った。メンバーはロン(ヴォーカル&ギター)、キース(ギター&ヴォーカル)、イアン・マクレガン(キーボード&ピアノ)、スタンリー・クラーク(ベース)、ジョセフ・モデリステ(ドラムス)、ボビー・キーズ(サックス)。このツアーの模様は、ロンが設立したレコード会社よりライヴ・アルバム(L.A.公演のもの)として、2006年になってようやく日の目を見た。またロンは、来日公演も考えたという。
ストーンズは79年、80年ごろにははっきりスランプに陥っていた。これをずばり指摘したのはDJ小林克也ぐらいである。『女たち(Some Girls)』の成功に続いて、ストーンズは1980年中頃に『エモーショナル・レスキュー』(イギリス1位; アメリカ1位)を発表したが、このアルバムの録音は、ミックとキースの関係が悪化したことと、音楽的スランプのため、混乱に陥ったとされている。キースは未だにヘロインを使用していたとイアン・マクレガンは語った。キースはまたアルバムのプロモーションとして80年の夏か秋にツアーを行いたがったが、ミックはこれを拒否した。『エモーショナル・レスキュー』はアメリカとヨーロッパで共に1位となり、シングル「エモーショナル・レスキュー」はアメリカで3位となった。
1981年初めにバンドは再結集し、その年に全米ツアーを行うことを決定した。その年前半の僅かな時間でアルバムを作成し、ツアーのリハーサルを行った。『刺青の男』(イギリス2位; アメリカ1位)は8月31日にリリースされ、このアルバムより先行シングルで、ミックに「80年代の代表曲」といわしめた「スタート・ミー・アップ」がリリースされ、アメリカで2位、ビルボードのその年のチャートでは22位を記録した。2つの曲、「友を待つ」(アメリカ13位)「トップス」ではミック・テイラーがギターをプレイした。一方「奴隷(Slave)」と「友を待つ」ではソニー・ロリンズがサックスをプレイした。また、「ハング・ファイヤー」もビルボードのチャートで20位を記録した。3年ぶりとなる全米ツアーは公演の規模が70年代のツアーとは破格の規模であり、9月25日から12月19日まで行われた。ツアーそのものは非常にエネルギッシュで、それまでと比べると(麻薬の影響もあっただろうが)かなり新鮮味のあるツアーとなっていた。同ツアーはその年の最高を売り上げたツアーとなり、いくつかのショーは録音された。その模様は翌年にライヴ・アルバム『スティル・ライフ』(イギリス4位; アメリカ5位)として発表された。また、1983年にはハル・アシュビーによって映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』として公開された。この映画にはアリゾナ州テンピのサン・デヴィル・スタジアム、ニュージャージー州メドウランズのブレンダン・バーン・アリーナでの公演が収録された。
1982年中頃、バンド結成20周年を記念するため、6年振りとなるヨーロッパ・ツアーを開始。前年の全米ツアーを踏襲した物であった。このツアーで、元オールマン・ブラザーズ・バンドのチャック・リーヴェルがサポート・メンバーとして加わる。このヨーロッパ・ツアーを最後に、ストーンズは1989年までライヴ活動を休止することとなる。年末までにバンドは新しいレーベル、CBSと4作のアルバムのリリースを2,800万ドルで契約した。
アトランティックとの契約を終える前の1983年後半に、ストーンズは『アンダーカヴァー』(イギリス3位; アメリカ4位)をリリースした。好意的なレビューとタイトルトラックのトップ10入りにもかかわらず、アルバムの売り上げは期待に外れ、サポートのツアーも行われなかった。新たなレーベル、CBSレコードがアトランティックの旧譜を引き継いだ。
このアルバムのセッションの頃から徐々にメンバー内の人間関係が悪化(81~82年のツアー中にもそれはミックとキースとの間に現れ始めているが)し始め、ミックはCBSとソロ契約を結び、キースはこれに対して驚きを感じていた。そして、ミックは最初のソロアルバムのために1984年の大半を費やすこととなった。また、彼はストーンズの枠組みの中で無意味にされると感じていたと述べている。1985年までにミックはソロレコーディングに多くの時間を費やし、ストーンズの1986年のアルバム『ダーティ・ワーク』(イギリス4位; アメリカ4位)では多くの曲がキース作の物であり、以前のアルバムよりロンが多くの貢献をした。本作はパリで録音され、キースがレコーディングを続けて先に進めたのに対しミックは休みがちであった。
1985年6月、ミックはデヴィッド・ボウイと共に「ダンシング・イン・ザ・ストリート」を録音、プロモーションビデオを撮影した。これはライヴエイドのチャリティ・ムーブメントの一環として行われた物であった。これはミックの最初のソロ・パフォーマンスの一つで、同シングルはイギリスで1位、アメリカで7位を獲得した。1985年12月、バンドの共同設立者でありキーボードを担当していたイアン・スチュアートが心臓発作により死去した。47歳であった。バンドは1986年2月、グラミー賞、ライフタイム・アチーブメント賞を受賞する2日前にロンドンの100クラブでプライベートの追悼コンサートを行った。
ミックのソロ活動、チャーリーのアルコールやドラッグ依存で人間関係がギクシャクしていた中、キースがうまくとりまとめ製作した『ダーティ・ワーク』は1986年3月にリリースされた。同作はアメリカでのトップ5ヒットとなった「ハーレム・シャッフル」が収録されていたにもかかわらず賛否両論の評価を受けた。また、前年に死去したイアン・スチュアートの短いピアノが最後に収録されている。キースとミックの関係は最悪で、ミックはアルバムプロモーションのためのツアーを拒否し、代わりにストーンズナンバーを含んだ自身のソロツアーを行った。キースはこの期間のミックとの関係を「第三次世界大戦」と呼んだ。バンド内のギクシャクした人間関係の結果、ストーンズはほぼ解散状態であった。ミックのソロ『シーズ・ザ・ボス』(1985年、イギリス6位; アメリカ13位)と『プリミティヴ・クール』(1987年、イギリス26位; アメリカ41位)はある程度の成功を得た。そしてストーンズが不活発なままの1988年にメンバーの中で唯一ソロ活動をしていなかったキースがついに自身のバンド、エクスペンシヴ・ワイノーズを結成し、ソロ活動を開始、最初のソロアルバム『トーク・イズ・チープ』(イギリス37位; アメリカ24位)を発表した。同作はファンと評論家から好意的に受け入れられ、アメリカではゴールドアルバムを獲得した。
1989年前半、ロックの殿堂入りした。ミックとキースは憎しみを超えてニューアルバムの製作を働きかけた。実に3年ぶりとなるアルバム『スティール・ホイールズ』(イギリス2位; アメリカ3位)はストーンズの氷河期の終わりを告げるものだった。シングルは「ミックスト・エモーションズ」(アメリカ5位)、「ロック・アンド・ア・ハード・プレイス」(アメリカ23位)、「オールモスト・ヒア・ユー・サイ」(アメリカ50位)がリリースされた。中でも「ミックスト・エモーションズ」はメンバーの和解を象徴するナンバーであり、人間関係の悪化より停滞していたバンド活動の停止に終止符を打つこととなった。また、「コンチネンタル・ドリフト」は1989年にモロッコのタンジールで録音され、マスター・ミュージシャン・オブ・ジャジューカが加わった。コーディネートはトニー・キングとシェリー・ナッティングが行い、BBCのドキュメンタリー「ザ・ローリング・ストーンズ・イン・モロッコ」がナイジェル・フィンチによって製作された。
アルバムのリリースに続き、8年ぶりとなる全米ツアー、日本・ヨーロッパなどを含むワールド・ツアー(北米及び日本では「スティール・ホイールズ・ツアー」、ヨーロッパでは「アーバン・ジャングル・ツアー」と銘打たれた)を開始。ツアーの実施告知がイベント化したのもこの頃からである。前座はリヴィング・カラーとガンズ・アンド・ローゼズなどが担当し、バンドにはホーンセクション、バックアップシンガーのリサ・フィッシャー、バーナード・ファウラーが加わった。同ツアーからのライブアルバム『フラッシュポイント』(イギリス6位; アメリカ16位)がリリースされた。同作には新曲2曲「ハイワイアー」「セックス・ドライヴ」が含まれた。また、同ツアーからIMAX仕様のライブフィルム「アット・ザ・マックス」が1991年に公開された。加えて同ツアーでは東京ドームでの初来日公演が実現した。麻薬常習などを理由に、以前は日本政府から許可が降りなかったもので、その後も何度か来日を果たすこととなる。
このツアーはビル・ワイマンにとって最後のツアーとなった。ビルはストーンズを脱退したが、1993年1月まで脱退を公式に発表しなかった。彼はその後バンドの歴史を綴った「ストーン・アローン」を出版した。数年後にはリズム・キングスを結成し、再びレコーディングとコンサートツアーを始めた。
スティール・ホイールズ / アーバン・ジャングルツアーの成功後に、バンドは休息を取った。チャーリー・ワッツは2枚のジャズアルバムをリリースした。ロニー・ウッドは11年ぶりに5枚目のソロ・アルバム『スライド・オン・ディス』をリリースした。キース・リチャーズは1992年後半に2枚目のソロ・アルバム『メイン・オフェンダー〜主犯〜』(イギリス45位; アメリカ99位)をリリースして、スペインとアルゼンチンでの大規模コンサートを含む小ツアーを行った。ミック・ジャガーは3枚目のソロ・アルバム『ワンダーリング・スピリット』(イギリス12位; アメリカ11位)をリリースし、セールスの成功と高評価を得た。同作は世界中で200万枚以上のセールスを記録し、アメリカではゴールドアルバムを獲得した。
1993年1月のワイマン脱退後、ストーンズはヴァージン・レコードと契約し、ライブ・アルバム3枚を除く『スティッキー・フィンガーズ』から『スティール・ホイールズ』までの旧譜をリマスターの上再発、コンピレーション・アルバム『ジャンプ・バック』(イギリス16位; アメリカ30位)をリリースした。1993年までにストーンズは次のスタジオ・アルバムの制作に入った。マイルス・デイヴィスおよびスティングのサイドマンを務めたダリル・ジョーンズがワイマンの代わりとしてチャーリー・ワッツによって選ばれ、『ヴードゥー・ラウンジ』のレコーディングに参加した。同アルバムはイギリスで1位、アメリカで2位を獲得し、高評価および高売り上げを達成、アメリカでダブル・プラチナを獲得した。ワイマンが脱退した反動からか、ベースを中心とした低音重視の音作りをしており、曲調も新人バンドに戻ったような瑞々しさのある曲が多く、評論家はアルバムの「トラディショナリスト」な音に注目した。これは新たなプロデューサーのドン・ウォズに依るところが大きかった。同作は1995年のグラミー賞ベストロックアルバムを獲得した。
アルバムの発売に伴い、1994年から95年にかけてヴードゥー・ラウンジ・ツアーが実施された。様々なコンサートおよびリハーサルからの録音(多くはアコースティックナンバー)が編集され、『ストリップド』(イギリス9位; アメリカ9位)がリリースされた。同作ではボブ・ディランのカヴァー「ライク・ア・ローリング・ストーン」がフィーチャーされ、それまでライブではあまり演奏されなかった「シャイン・ア・ライト」、「スウィート・バージニア」、「クモとハエ」といった曲が収められた。1994年9月8日、ストーンズはニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールでMTVビデオ・ミュージック・アワーズに出演、「ラヴ・イズ・ストロング」と「スタート・ミー・アップ」を演奏した。バンドは授賞式でライフタイム・アーカイヴメント賞を受賞した。
ストーンズはインターネット上でコンサートを中継放送した最初のメジャー・アーティストであった。1994年11月18日に20分間のビデオがMboneを使用して、1秒間当たり10フレームで放送された。放送はThinking Picturesが技術を担当し、サン・マイクロシステムズが出資して行われた。この放送はストリーミング・ビデオの最初のデモンストレーションの1つであり、本当のネット配信ではなかったが、多くの技術が紹介された。
ストーンズの90年代を締めくくった『ブリッジズ・トゥ・バビロン』(イギリス6位; アメリカ3位)は1997年にリリースされ、賛否両論の評価を得た。シングルカットされた「エニバディ・シーン・マイ・ベイビー?」のプロモーション・ビデオにはアンジェリーナ・ジョリーがゲスト出演し、MTVとVH1で何度も放送された。また、同年11月にリリースされたB.B.キングのアルバム『デューシズ・ワイルド』に収録された「ペイング・ザ・コスト・トゥ・ビー・ザ・ボス」のレコーディングには、ストーンズのメンバー全4人とサポート・メンバーのダリル・ジョーンズが参加した。
アルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン』の売り上げは前作とほぼ同様(アメリカで約120万枚)となり、続いて行われたブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアーはヨーロッパを横断、北米を回ってその他の地域でも行われ、バンドが未だ強力なライブパフォーマンスを行えることを証明した。再びライブアルバム『ノー・セキュリティ』(イギリス67位; アメリカ34位)が本ツアーから編集されたが、収録曲は「リヴ・ウィズ・ミー」と「ザ・ラスト・タイム」以外はライブとしては未発表の曲ばかりであった。1999年にはアメリカでノー・セキュリティ・ツアーを開始し、ヨーロッパではブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアーを継続した。ノー・セキュリティ・ツアーは近年の花火や巨大ステージのツアーとは対照的に簡素なステージで行われた。
ミック・ジャガーは2001年後半に4枚目のソロ・アルバム『ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ』(イギリス44位; アメリカ39位)をリリースしたが、賛否両論の批評を受けた。アメリカ同時多発テロ事件の一ヶ月後、ミックとキースは「ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ(英語版)」に出演、バックバンドと共に「地の塩」と「ミス・ユー」を演奏した。
2002年、バンドは結成40周年を記念した2枚組のベスト・アルバム『フォーティ・リックス』(イギリス2位; アメリカ2位)をリリースした。同作には新曲4曲が収録され、世界中で700万枚以上を売り上げた。同年、Q誌の「死ぬ前に見るべき50のバンド」の一つに選出された。また、2002年から2003年にかけてフォーティ・リックス・ツアーが行われ、人々は死ぬ前に見るチャンスが与えられた。このツアーは小劇場やアリーナ、スタジアムでのコンサートが行われた。カナダのトロントでは「to help the city」と掲げたコンサートがモルソン・カナディアン・ロックス・フォー・トロントで行われ、SARSの流行で打撃を受けた都市に対する支援となった。バンドがトロントでコンサートを行ったのはスティール・ホイールズ・ツアーのリハーサル以来であった。コンサートは約49万人が動員された。
2003年11月9日、バンドは香港ハーバーフェストの一環として香港における最初のコンサートを行った。同月に4枚組DVDセット『フォー・フリックス』をリリース。バンドはこれを独占的に販売する権利をベスト・バイに与え、それを受けていくつかのカナダとアメリカにおける小売店(HMVカナダとサーキット・シティー・ストアーズを含む)ではストーンズのCDとグッズが棚から撤去され、事情を説明する札が掲示された。12月12日、ミックはバッキンガム宮殿においてチャールズ皇太子からナイトの称号を授与された。2004年にはリックス・ツアーの模様を収めた2枚組アルバム『ライヴ・リックス』(イギリス38位; アメリカ50位)がリリースされ、アメリカでゴールドアルバムを獲得した。2004年11月にはイギリス音楽の殿堂入りの候補となった。
2005年7月26日、ミックの誕生日にバンドは8年ぶりのニューアルバムのタイトルを『ア・ビガー・バン』と発表した。『ア・ビガー・バン』は9月6日にリリースされ、ローリング・ストーン誌を始めとして熱烈なレビューが行われた。シングル「ストリーツ・オブ・ラヴ」はイギリスとヨーロッパでトップ15のヒットとなった。
収録曲「スウィート・ネオ・コン」は、ミックによるアメリカのネオコンに対する批判が含まれた。伝えられるところによると、同曲はキースの反対によりアルバムから削除されるところであった。彼はイラク戦争批判のために論争に巻き込まれたディクシー・チックスのようになるのを恐れたのかと尋ねられ、アルバムが来るのが先だと答え、「俺はすこしの政治的な『コップの中の嵐』によって脇に逸らされたくない。」と発言した。
アルバム発表に伴った「ア・ビガー・バン・ツアー」は2005年8月に始まり、北米、南米、東アジアで行われた。2006年2月、バンドはミシガン州デトロイトで行われた第40回スーパーボウルのハーフタイムでライブを行った。2005年末までにツアーの収益は1億6200万ドルを記録し、ストーンズ自身が1994年に記録した北米における最高収益を更新した。2006年2月18日にはリオデジャネイロのコパカバーナ・ビーチで無料コンサートを行い、150万人の観客動員となった。
2006年3月から4月にかけて日本、中国、オーストラリア、ニュージーランドでの公演を行い、ストーンズはヨーロッパ・ツアー前の休暇に入った。この間にキースはフィジーで木から落下、7.5メートル下の砂浜に叩きつけられニュージーランドの病院に入院した。この事故によりヨーロッパ・ツアーは開始が6週間遅れることとなった。2006年6月、ロン・ウッドがアルコール依存症の治療を続けていることが伝えられた。しかしながら、再編成されたヨーロッパ・ツアーの日程に影響を与えることは無かった。2006年7月から9月まで21公演が予定されたが、その内2公演はミックの咽喉の問題によりキャンセルされた。
2006年、北朝鮮の金正日の息子・金正哲(クラプトンのファン)が韓国と共同で招請したエリック・クラプトンコンサートの平壌開催が実現しなかったため、代わりとして韓国側からローリング・ストーンズの平壌公演が打診され、メンバーも開催に肯定的だったとされた。しかし、北朝鮮側から逆に「退廃的すぎる」とされて実現しなかったと伝えられた。
2006年9月から北米ツアーのセカンド・レグが始まり、2007年6月5日からヨーロッパツアーのセカンド・レグが始まった。2006年11月までにツアーは4億3700万ドルの収益を上げ、当時の最高額を記録したツアーとなった。北米ツアーは1億3850万ドルの収益を上げ、ストーンズ自身が2005年のツアーで達成した1億6200万ドル、同年のU2のツアーが達成した1億3890万ドルに次いで史上3位を記録した。
マーティン・スコセッシが2006年10月29日と11月1日のニューヨーク、ビーコン・シアターでのライブを撮影し、ドキュメンタリー映画「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」として公開された。同作にはゲストとしてバディ・ガイ、ジャック・ホワイト、クリスティーナ・アギレラが出演している。映画のサントラ盤『シャイン・ア・ライト』は2008年4月にリリースされ、イギリスで2位、アメリカで11位を達成した。これはストーンズのライブ盤として、1970年の『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』以来の高順位であった。ビーコン・シアターでのショーではアトランティック・レコード元会長のアーメット・アーティガンがステージ裏で転倒、頭部を強打し2週間後に死亡した。
2007年3月24日にバンドはヨーロッパ・ツアー「ビガー・バン2007」を発表した。2007年6月12日に4枚組DVD『ザ・ビッゲスト・バン』がリリースされた。同作は7時間に及ぶドキュメンタリーで、オースティン、リオデジャネイロ、埼玉、上海、ブエノスアイレスでのコンサートが収められた。6月10日にバンドはワイト島でのコンサートを行い、65,000人を動員した。8月26日、ツアー最終公演がロンドンのO2アリーナで行われた。ストーンズはツアー全体で5億5800万ドルの収益を上げ、ギネス世界記録に申請したことが発表された。
ミック・ジャガーは2007年10月2日に未発表3曲を含むソロ・コンピレーション『ヴェリー・ベスト・オブ・ミック・ジャガー』(イギリス57位、アメリカ77位)を発表した。11月12日にアブコは2枚組CD『ロールド・ゴールド~ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・ローリング・ストーンズ』をリリースした。これは1975年のコンピレーション『ロールド・ゴールド』の再編集盤であり、イギリスで26位を獲得した。
ツアーからおよそ2年後の2007年のインタビューでミック・ジャガーは、バンドの引退時期を語るのを拒否した。「僕はローリング・ストーンズがより多くのこと、より多くのレコード、そしてより多くのツアーを行えると確信している。僕たちはそのいずれも止める計画は無い。僕の考えとしては、僕たちが続けられると確信している。」2008年3月にキース・リチャーズは『シャイン・ア・ライト』のプレミアでのインタビューで新しいスタジオ・アルバムを用意しているかもしれないという噂を引き起こした。「俺は俺たちが別のアルバムを作るかもしれないと思うよ。この映画のプロモーションをする上で俺たちはもう一度やるよ。」チャーリー・ワッツは仕事を中断したときはいつも体調不良のためだったと述べた。2008年7月、ローリング・ストーンズはEMIとの契約を終了し、ユニバーサル ミュージックと契約したと発表した。『スティッキー・フィンガーズ』以降のアルバムはユニバーサル傘下のポリドール・レコードから再発された。アメリカにおける1994年以前の作品の権利はマーキュリー・レコードが有し、1994年以降の作品の権利はインタースコープ・レコードが所有する。ユニバーサル ミュージックは『スティッキー・フィンガーズ』以前の作品の権利を有するアブコのディストリビューターでもある。
秋の間にミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ミック・テイラーは、プロデューサーのドン・ウォズと共に『メイン・ストリートのならず者』セッションにおける未完成曲へ新たなヴォーカルとギターのパートを録音した。
2010年4月17日、バンドは限定版の7インチアナログ・シングル、未発表曲の「プランダード・マイ・ソウル」をレコード・ストア・デイに因んで発表した。これは『メイン・ストリートのならず者』リイシュー盤に収録された1曲で、B面は「オール・ダウン・ザ・ライン」であった。
4月23日、バンドはカンヌ国際映画祭に「ストーンズ・イン・エグザイル~「メイン・ストリートのならず者」の真実」(スティーヴン・キジャック監督)のプレミアで参加すると発表した。同作は『メイン・ストリートのならず者』レコーディング時のドキュメンタリー映画であった。
2010年5月23日、『メイン・ストリートのならず者』がリマスター盤として再発された。イギリスでは1位を達成し、これは同作が発表されて以来38年ぶりの記録であった。ストーンズは過去に発表した作品が再び1位を獲得した初のバンドとなった。アメリカでは発売第1週で76,000枚を売り上げ、チャートでは2位を記録した。未発表曲10曲を加えた2CD版の『メイン・ストリートのならず者』の他に、未発表曲のみの『メイン・ストリートのならず者(レアリティーズ・エディション)』もリリースされ、27位を記録した。
2010年10月11日、「レディース&ジェントルメン」が公開され、後にDVDでリリースされた。デジタル・リマスターが行われ、アメリカ国内では特別の映画館で公開された。本作はザ・ローリング・ストーンズ・アメリカン・ツアー1972でのフォートワースとヒューストンでの4つのショーを編集したものであり、『メイン・ストリートのならず者』がフィーチャーされている。当初は1974年に公開されたが、その後はビデオなどでのリリースは行われず、数多くの海賊版として流通していた。
2011年4月19日、ストーンズとも交流のある英国ピアニストのベン・ウォーターズが発起し制作されたイアン・スチュワートへのトリビュートアルバムにメンバー全員が参加し、脱退したビル・ワイマンがレコーディングに、ミックー・テイラーが記念コンサートに参加した。
2011年10月4日、ストーンズは「サム・ガールズ・ライヴ・イン・テキサス'78」を公開した。本作もデジタル・リマスターが行われ、アメリカ国内では特別の映画館で公開された。内容は『女たち』リリース後のUSツアー1978におけるフォートワースでのショーを収録したもので、11月15日にはブルーレイ/DVDがリリースされた。
2011年10月18日、オフィシャル海賊版シリーズのデジタルダウンロード販売を、グーグル・ミュージック及びストーンズ公式通販サイト「STONES ARCHIVE」上で開始。第一弾として、1973年ヨーロッパツアーの模様を収めた非公式ライブアルバム「ブリュッセルズ・アフェア」を、ボブ・クリアマウンテンのリミックスを経て公式の下にリリース。以後も1年間に亘り、1981年アメリカツアー、1975年アメリカツアー、1990年ジャパンツアー、2005年カナダシークレットギグ、1982年ヨーロッパツアーが順次リリースされた。
ストーンズは2012年夏に結成50周年を祝って、ハードカバーの写真集「50」をリリースした。バンドの象徴的なイメージである唇のロゴも、シェパード・フェアリーによってデザインされた新しいバージョンが明らかにされ、祝賀会で使用された。ミックの弟、クリスは祝賀会に合わせてスロベニアのローリング・ストーンズ・ミュージアムでギグを行った。
ブレット・モーガン監督のドキュメンタリー 『クロスファイア・ハリケーン』は、2012年10月に公開された。約50時間におよぶインタビューが行われ、その中には元メンバーのビル・ワイマンやミック・テイラーへのものも含まれた。これは1988年に結成25周年を記念して作られた『25x5』以来のドキュメンタリーとなる。11月12日には新しいコンピレーション・アルバム『GRRR!』がリリースされた。このアルバムは4つの異なったフォーマットでリリースされ、新曲が2曲収められる。「Doom And Gloom 」「One Last Shot」の2曲はパリのウィリアム・テル・スタジオで8月の数週間で録音された。アルバムは世界中で200万枚以上の売り上げを記録した。ノオミ・ラパスをフィーチャーした「Doom and Gloom」のミュージックビデオは11月20日にリリースされた。
2012年11月、ストーンズはロンドンのO2アリーナで50 & カウンティング...ツアーを開始し、同日のステージにはジェフ・ベックが参加した。02での2日目のショーでは、エリック・クラプトンとフローレンス・ウェルチがステージに参加した。アメリカでのショーは12月8日にニューヨーク州ブルックリン区のバークレイズ・センターで始められた。2012年最後のショーは12月13日と15日にニュージャージー州ニューアークのプルデンシャル・センターで行われた。2日目のショーにはブルース・スプリングスティーンとザ・ブラック・キーズが加わった。彼らはまた、12月12日に行われたハリケーン・サンディのチャリティ・コンサート「12-12-12: A Concert For Sandy Relief」で2曲を演奏した。
ストーンズは2013年の春にアメリカで19回のショーを行った。その後イギリスに戻り、6月29日にはグラストンベリー・フェスティバルに出演した。7月にはハイド・パークでコンサートを行ったが、1969年のように無料ではなかった。そのセットリストは1969年と同じ曲が演奏された。7月6日と13日にハイド・パークで行われたコンサートはライブアルバム『ハイド・パーク・ライブ』として同月後半にiTunesから配信により独占リリースされた。ライブDVD『スウィート・サマー・サン』は11月11日にリリースされた。
2014年2月、バンドは中東、アジア、オーストラリア、ヨーロッパにまたがる14オン・ファイアー・ツアーを開始し、夏まで続く予定であった。3月17日、ミックの長年のパートナーであったローレン・スコットが突然死去し、その結果オープニングツアーの日程がキャンセルされ、10月に再スケジュールされた。6月4日、ローリング・ストーンズはイスラエルで初めてコンサートを行った。ハアレツ紙はコンサートを「大文字のHで歴史的」であると説明した。ミックは2015年のインタビューで、引退が頭に浮かぶかどうか尋ねられたとき、「いや、今は違う。次のツアーは何なのか考えている。僕は引退を考えていない。次のツアーを計画しているので、答えは本当に「いいえ、そうではありません」だ。」と述べた。
ストーンズは2016年2月にラテンアメリカ・ツアーを開始した。3月25日、バンドはキューバのハバナでの無料の野外コンサートを行い、推定50万人の観客が訪れた。その年の6月、ストーンズは『トータリー・ストリップド』をリリースした。これは『ストリップド』の拡張版であり、複数の形式でリリースされた。2016年3月25日にキューバで行われたコンサートは、『ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016』として公開された。9月23日に世界中の1,000以上の劇場でプレミア公開が行われた。2016年のラテンアメリカ・ツアーのドキュメンタリー『オレ! オレ! オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』は12月12日に映画館で一晩だけ上映された。その後2017年5月26日にDVDとBlu-rayで発売された。ストーンズはカリフォルニア州インディオで開催されたデザート・トリップ・フェスティバルに出演し、ボブ・ディランと同じ夜の10月7日と14日の2日で演奏した。
バンドは2016年12月2日に『ブルー&ロンサム』をリリースした。アルバムはハウリン・ウルフ、ジミー・リード、リトル・ウォルターらのブルース曲のカバー12曲から構成された。レコーディングは2015年12月にロンドンのブリティッシュ・グローブ・スタジオで行われ、2曲にエリック・クラプトンが参加した。アルバムはイギリスで1位を獲得し、その年のアルバムの発売週で売れた枚数として2番目に高かった。また、ビルボード200では4位となった。
2017年7月、トロント・サン紙はストーンズがオリジナル曲からなるアルバム制作の準備をしていると伝えたが、2021年にはリリースされておらず、その予定は新型コロナウィルス感染症の流行のためさらに遅れた。2017年12月にはバンドがBBCで1963年から65年に出演した番組での演奏を納めた『オン・エア』がリリースされた。
2017年5月にノー・フィルター・ツアーが発表され、その年の9月と10月にヨーロッパの12の異なる会場で14のショーが行われた。ツアーはその後2018年7月まで延長され、イギリスおよびヨーロッパで14の新しい日程が追加され、2006年以来のイギリスツアーが行われた。2018年11月には、2019年にノー・フィルター・ツアーをアメリカで行う計画が発表された。4月から6月にかけて13のショーが開催される予定であったが、2019年3月にミックが心臓弁置換術を受けることが発表され、ノー・フィルター・ツアーは17日間の北米レグを延期することを余儀なくされた。2019年4月4日、ミックはニューヨークで心臓弁の手術を終え、術後の回復のために入院しており数日中に退院する可能性があると発表された。5月16日、ローリング・ストーンズはノー・フィルター・ツアーが6月21日に再開され延期された17のショーは8月末までに再スケジュールされることを発表した。2020年3月、新型コロナウィルス感染症の流行によりノー・フィルター・ツアーは再び延期された。
ローリング・ストーンズは、2020年4月18日に開催された Together at Home のオンラインおよびオンスクリーンコンサートのヘッドラインアクトの一組として出演した。これは新型コロナウイルス感染症の流行に際して世界保健機関を支援するためにGlobal Citizenが主催したバーチャルコンサートであった。4月23日、ミックはFacebookページを通じて、新しいローリング・ストーンズのシングル「リヴィング・イン・ア・ゴーストタウン」のリリース(同日午後5時BST)を発表した。この曲は2019年にロンドンとロサンゼルスで録音され、メンバーがそれぞれ単独で完成させたものである。(一部のマテリアルは新型コロナウィルス感染症の流行によるロックダウンの前にスタジオで録音されていた。)バンドはこの曲について「私たちが住んでいる時代を通して思考は共鳴するだろう」とし、そして2012年以来のオリジナル曲であった。この曲はドイツのシングルチャートで1位を獲得し、ストーンズにとって52年ぶりのトップとなった。また、ストーンズはトップを獲得した最も古いアーティストとなった。
1973年のアルバム『山羊の頭のスープ』は2020年9月4日に未発表音源・ライブ音源を含めたボックスセットとして再リリースされた。未発表曲の「クリス・クロス」は2020年7月9日にシングルおよびミュージックビデオとしてリリースされた。また、「スカーレット」はジミー・ペイジが参加しており、もう一つの未発表曲は「オール・ザ・レイジ」であった。2020年9月11日、『山羊の頭のスープ』はイギリスアルバムチャートで1位を獲得し、ストーンズは60年を超えて同一のアルバムが1位を獲得した初めてのバンドとなった。
2021年8月、チャーリーが入院治療のためノー・フィルター・ツアーの残りの日程に参加しないことが発表された。ストーンズと長年交流があるスティーヴ・ジョーダンがチャーリーの代役としてツアーに参加することとなった。2021年8月24日、チャーリーはロンドンの病院で家族に看取られて死去した。80歳であった。ローリング・ストーンズの公式ウェブサイトの内容は10日間、チャーリーの1枚の写真に置き換えられた。8月27日、バンドのソーシャルメディアアカウントはチャーリーの写真と動画のモンタージュを共有した。今後、ローリング・ストーンズは、ノー・フィルター・ツアーの各コンサートの冒頭でチャーリーの写真とビデオを表示する。その短いセグメントの長さは約1分で、チャーリーが演奏したシンプルなドラムトラックが加えられた。
ローリング・ストーンズの音楽的ルーツは、黒人音楽のブルースにある。デビュー曲の「カム・オン」はチャック・ベリーのカバーである。彼らがデビューした1960年代初期、アメリカやイギリスでも、まだまだ黒人に対する差別が根強く、「ブルースのレコード・ジャケットには、黒人の顔写真を載せてはならない(黒人ミュージシャン本人の顔写真を含む)」という慣習のある州さえ多かった。こうした時代にイギリス出身の白人のグループでありながら、黒人の音楽であるブルースを心から尊敬し、影響を受け、黒人になりきって歌や演奏に表現しようとしたバンドがローリング・ストーンズである。彼らは更にブルースだけでなく、モータウンやスタックスといったレコード会社に代表される、同時代の黒人音楽も吸収した。ローリング・ストーンズの活躍は、黒人音楽にルーツをもつ、他の白人ミュージシャンが1960年代後半から1970年代初頭にかけて、米英などで多数登場するきっかけとなったともいえる。
ローリング・ストーンズのサウンドの欠かせない特徴として、その独特のリズムがある。本来バンドであればドラムとベースの絡みが重要といわれているが、ストーンズは違う。そのリズムの核となるのは、チャーリー・ワッツのドラムス、キース・リチャーズが弾き出すリズム・ギターにある。この2人が絡むことで、その独特のリズムが生まれている。ワイマンのベース、ワッツのドラムスも抜群のコンビネーションだった。しかし、1993年にビル・ワイマンが脱退して以来、リズム隊が変わってしまい、サポート・メンバーであるダリル・ジョーンズには不満を抱くファンも多い。
ローリング・ストーンズは、黒人音楽の流行を取り入れ、一部のメンバーの交替や、様々なアクシデントを乗り越え、デビュー40周年を超えた21世紀に至ってもなお、ブルース(もしくはリズム・アンド・ブルース)ルーツのロックンロールという音楽で、第一線で現役を続行している。
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"text": "ローリング・ストーンズ(英語: The Rolling Stones)は、イギリスのロックバンド。1962年4月のロンドンで、ブライアン・ジョーンズ、イアン・スチュワート、ミック・ジャガー、キース・リチャーズによって結成、その後間もなくビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが参加した。",
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"text": "1960年代前半から現在まで半世紀以上、1度も解散することなく第一線で活躍を続ける、ロック界の最高峰に君臨するバンドである。エアロスミス、プライマル・スクリームやジェット、日本では沢田研二とザ・タイガース、萩原健一とザ・テンプターズなど多くのグループ・サウンズのバンド、忌野清志郎とRCサクセション、鮎川誠とシーナ&ロケット、THE STREET SLIDERSなど、ローリング・ストーンズに影響を受けたアーティストは数多く存在する。ストーンズは労働者バンドというイメージが強いが、ミック・ジャガーとブライアン・ジョーンズは中流階級の出身である。",
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"text": "結成当初のリーダーはブライアン・ジョーンズであったが、後にジャガーとリチャーズがコンビで作曲を行い、グループをリードするようになった。1969年、ジョーンズは体調不良とドラッグ禍のためバンドを脱退。その3週間後にプールで溺死した。ジョーンズの後任としてミック・テイラーが加入、1974年に脱退するまで活動を続けた。その後、ロン・ウッドが加入する。ワイマンは、1993年にバンドを脱退、後任としてダリル・ジョーンズがベースを担当するようになるが、正式メンバーとしては加入していない。スチュワートは、1963年に公式メンバーから外されるが、バンドのロードマネージャーを続け、1985年に死去するまでピアニストとしてツアーやレコーディングに参加した。1982年以降は、チャック・リーヴェルがバンドのキーボードを担当している。",
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"text": "ストーンズは当初ヨーロッパでの人気が高まり、間もなくブリティッシュ・インヴェイジョンの一波として北米での成功を収めた。イギリスでは22作のスタジオアルバム(アメリカでは24作)、11枚のライブアルバム(アメリカでは12作)、多くのコンピレーションをリリースし、現在までの全世界での売り上げは2億枚を超える。『スティッキー・フィンガーズ』(1971年)はその後アメリカで8連続No1となるアルバム群の最初の1枚であった。最新作の『ア・ビガー・バン』は2005年にリリースされた。1989年にロックの殿堂入りした。",
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"text": "ストーンズの出現は、最初のアーバンブルースの世界的な人気の高まりの象徴の一つであった。バンド名はシカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの\"Rollin' Stone\"にちなんで、当時リーダーであったジョーンズが命名した。ストーンズの活動継続と関連に関して評論家のロバート・パーマーは、彼らは「より短命なポップ・ファッションが現れたり消えたりしている」間、「リズム・アンド・ブルースとソウル・ミュージックの中で伝統的な真実に根ざしている」ことによると語っている。",
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"text": "ローリング・ストーン誌の「最も偉大なアーティスト100」にて4位、ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて5位。",
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"text": "1950年代初め、キース・リチャーズとミック・ジャガーは幼なじみであり、双方の一家が引っ越すまでダートフォードのウェントワース・プライマリースクールでの級友であった。1960年、シドカップ・アートカレッジの学生であったキースとロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生であったミックがダートフォード駅で再会する。ミックが持っていたチャック・ベリーとマディ・ウォーターズのレコードで、お互いの興味が明らかになって友情が復活し、ディック・テイラー(後にプリティ・シングスのメンバーとなる)を加えてのバンド「リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」結成につながる。3人はイーリング・ジャズクラブでアレクシス・コーナーの「ブルース・インコーポレイテッド」のステージにゲスト出演していたブライアン・ジョーンズのスライドギターを目の当たりにして衝撃を受ける。ブルース・インコーポレイテッドには、後にストーンズのメンバーとなるイアン・スチュワートとチャーリー・ワッツも参加していた。",
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"text": "イアンは練習場所を見つけ、ブライアンと共に加入し、バンドはシカゴ・ブルースを演奏するようになった。名前も決定していないバンドはミック、ブライアン、イアンに加え、ミックが強要して加えたキースと共に最初のリハーサルを行った。リハーサルには、ギタリストのジェフ・ブラッドフォードとヴォーカリストのブライアン・ナイトも参加したが、2人はミックとキースが好むチャック・ベリーやボ・ディドリーの曲を演奏することに異論を述べ、バンドへの加入を拒否した。1962年6月のラインアップはミック、ブライアン、キース、イアン、ディック、及びドラマーのトニー・チャップマンであった。キース曰く、ブライアンが「ジャズ・ニュース」紙との電話の間にバンド名を決定したという。バンドの名前を尋ねられたブライアンは、床にあったマディ・ウォーターズのレコードを見て、その中の1曲「ローリン・ストーン」をバンド名にした。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "1962年7月12日、マーキー・クラブ(英語版)にて「ザ・ローリン・ストーンズ The Rollin' Stones」として最初のギグを行った。ラインナップはミック、キース、ブライアン、ピアノにイアン、ベースにディック、ドラマーはミック・エイヴォリー(後にキンクスに加入)であった。ブライアンとイアンはシカゴ・ブルースを演奏したがったが、ミックとキースが好むチャック・ベリーやボ・ディドリーの演奏にも同意した。ビル・ワイマンは1962年12月に加入し、チャーリー・ワッツは翌月の1963年1月に説得されて加入、バンドのリズム体が確定した。ビルがメンバーに引き込まれた理由が、「当時、大出力のベースアンプを所有していたから」という、ジョーク交じりの他メンバーのインタビューもあった。当時のマネージャーであったジョルジオ・ゴメルスキー(英語版)は、クロウダディ・クラブに日曜日の午後のステージを固定した。ゴメルスキーはクロウダディ・クラブが「ブルースの国際的なルネッサンス」の引き金となったと語った。マージー・ビーツ・ブームの到来と共に、ゴメルスキーはクロウダディでのショーを「スウィンギン・ロンドン(英語版)」の到来の有力な側面と記した。",
"title": "歴史"
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"text": "ビートルズのパブリシストであったアンドリュー・ルーグ・オールダムがバンドのマネージャーに就任したが、彼は19歳とバンドのメンバーより若く、エージェントのライセンスを取得するのが不可能であった。従って、アンドリューの母が息子に代わってサインをし、オールダムとベテランのブッキング・エージェントであるエリック・イーストンの間の協力関係が築かれた。ゴメルスキーはバンドとの契約書を交わしておらず、オールダムがマネージャーになることは相談されなかった。オールダムはバンド名の綴りを \"The Rollin' Stones\" から \"The Rolling Stones\" へ変え、リチャーズの姓も「もっとポップに見えるから」と「リチャード」と変えさせた。スチュワートはオールダムの構想に合わず、ワイマンによれば「かわいくてやせっぽちの長髪の少年は1963年5月にメンバーから外されロードマネージャーとなり、1985年に死ぬまでバンドのピアニストを担当した。」とのことであった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "彼らは新しい演奏、作曲とレコーディングの完全なコントロール、マスターテープの所有権に対するロイヤリティとして当時の典型に対して三倍の額を得ることができた。またデッカとの契約でオールダムはデッカのスタジオでは無くリージェント・サウンド・スタジオを使わせることにした。リージェントはモノラルの設備で、音響処置のため天井は卵ケースが貼り付けられ、都合の良いスタジオとなった。オールダムはレコーディング経験はほとんど無かったがストーンズのプロデューサーとなり、リージェントについて「音が漏れ出て、楽器から楽器へ、正しい方法で」音楽が作り出される「雑音の壁」と言った。リージェントの使用料は低額で、バンドは当時一般的であった3時間分を予約する代わりに、長期間にわたってレコーディングや練習を続けることができた。イギリスでのファーストアルバムでは全ての曲がリージェントで録音された。",
"title": "歴史"
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"text": "オールダムはストーンズが独立スタジオを使用していることを音楽雑誌に宣伝し、EMIに管理されたビートルズよりも「独立」した存在であることをアピールした。オールダムは「普通の人たち...スタジオでは男たちのために汗をかく。」と語っている。オールダムはイギリスのファーストアルバムでは微笑まないメンバーの写真を使い、「あなたの娘をストーンズと結婚させたいか?」という挑発的な見出しを載せ、結局ビートルズの不快な対照としてバンドを宣伝することを止めた。オールダムはバンドに同じスーツを用意したが、メンバーは公式の場にカジュアルな服装で現れるのに戻った。ビルによれば、「俺たちの評判とイメージが悪ガキだってのは後からやってきた。それは完全に偶然で、アンドリューが仕込んだ物じゃない。彼は単にそれを徹底的に利用しただけさ。」と語っている。",
"title": "歴史"
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"text": "デビューシングル、チャック・ベリーのカバーである「カム・オン」は1963年6月7日にリリースされた。ストーンズは同曲をライブで演奏するのを拒否し、デッカは宣伝の広告看板を1枚だけ買い上げた。オールダムの指示でファンクラブの会員がシングルを購入し、「カム・オン」はイギリスのシングルチャートで21位に上昇した。シングルがチャートインしたことでバンドはロンドンの外で演奏する機会が与えられ、7月13日にミドルズブラのアウトルック・クラブでホリーズと共演することとなる。その年の後半にオールダムとイーストンは、ボ・ディドリー、リトル・リチャード、エヴァリー・ブラザースといったアメリカのミュージシャン達をサポートする初のUKツアーを計画した。この1963年秋のツアーは経験の少ないバンドにとってステージの「トレーニンググラウンド」となった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 13,
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"text": "このツアーの間にストーンズはセカンドシングル、「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を録音した。この曲はレノン・マッカートニーによるもので、イギリスで12位を達成した。3枚目のシングル、バディ・ホリーの「ノット・フェイド・アウェイ」は、1964年2月にリリースされ、3位を記録した。",
"title": "歴史"
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"text": "オールダムの提案でミックとキースは共同で曲を作り始めた。最初の曲を彼は「めそめそした模倣」と評した。曲作りのペースが進まなかったため、ファーストアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』(アメリカでは『イングランズ・ニューエスト・ヒットメーカーズ』)の収録曲はカバーが大半で、ジャガー・リチャーズのオリジナルは「テル・ミー」のみであった。また、2曲のクレジットは「ナンカー・フェルジ」と記載された。これはバンド全員のペンネームであった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "1964年6月に行われた最初のUSツアーは、ビル・ワイマンによれば「災害」であった。「俺たちが到着したとき、俺たちにはそこでのヒットレコードもその他の物も持っていなかった。」ツアーはそのほとんどがガラガラという状況であったが、ストーンズは積極的にメディアへの露出・ライヴ活動を行った。ディーン・マーティンのバラエティショー「ザ・ハリウッド・パレス」では、マーティンはバンドの演奏と髪型をからかった。このツアーの間にバンドはシカゴのチェス・スタジオで2日間のレコーディングを行い、マディ・ウォーターズを含む多くのミュージシャンから大きな影響を受けている。これらのセッションで録音された曲には、初のイギリスナンバー1となったボビー・ウーマックのカバー、「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」も含まれた。アメリカでの成功が本格化していない頃、本国イギリスならびにヨーロッパではすでに人気が高まっており、イギリスではファーストアルバムが12週連続No.1に輝いている。",
"title": "歴史"
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"text": "1964年8月にはオランダのスヘフェニンゲンでコンサートを行うが、観客が乱闘を始めたため約15分で中止となった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 17,
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"text": "1964年にリリースされた『T.A.M.I.ショー』ではジェームス・ブラウン & ザ・フェイマス・フレームスに続いて収録された。ミックは2003年に「俺たちは実際にはジェームス・ブラウンの後には演奏していないよ。なぜならそれぞれのセクションの撮影の間には1時間の間があったからなんだ。それにもかかわらず、彼はそのことにすごくイライラしていた...」と語っている。10月25日にバンドは「エド・サリヴァン・ショー」に出演した。その際に巻き起こした騒動で、サリヴァンは以降彼らの出演を禁止したが、後に再び出演している。アメリカでのセカンドアルバム『12×5』はこのツアーの間にリリースされている。本作もファーストアルバム同様に大半の曲がカバーであったが、オリジナル曲も増加した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 18,
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"text": "イギリスでの5枚目のシングル、ウィリー・ディクスンのカバー「リトル・レッド・ルースター」は1964年11月にリリースされ、2枚目のイギリスNo.1となる。これはブルース曲として初のNo.1であった。アメリカでのディストリビューターであるロンドン・レコードは「リトル・レッド・ルースター」のシングルリリースを拒否した。ロンドンは1964年12月にジャガー・リチャーズのオリジナル曲「ハート・オブ・ストーン c/w ホワット・ア・シェイム」をリリースした。「ハート・オブ・ストーン」はアメリカで19位となった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 19,
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"text": "セカンドアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』は1965年1月にリリースされチャート1位となり、アメリカ盤は2月に『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!』がリリース、チャート5位となる。アルバムはシカゴのチェス・スタジオおよびロサンゼルスのRCAスタジオで録音された。1965年の1月から2月にかけてバンドはオーストラリアとニュージーランドで34回のショーを行い、100,000人が動員された。",
"title": "歴史"
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"text": "ジャガー/リチャード名義で作曲した曲で(当時、キース・リチャーズはファミリー・ネームをリチャードと名乗っていて、1970年代後半にリチャーズに戻した)、最初にイギリスのシングルチャート1位になったのは「ラスト・タイム」(1965年2月)であり、同曲はアメリカでは9位であった。キースは後にこの曲を「ストーンズにとって作曲について考える橋渡しとなった曲だ。それは俺たちに信用のレベルを与え、どのようにやっていくかの小道となった。」との認識を語った。バンドにとっての初の世界的ナンバー1ヒットは「サティスファクション」であり、同曲は1965年5月、3回目の北米ツアーの間に録音された。ファズで歪ませた特徴的なギターリフで始まり、キースはホーンセクションをガイドにしようと思い描いた。オールダムは意見を異にし、ホーンをオーバーダブせずに「サティスファクション」をリリースした。「サティスファクション」は1965年6月にアメリカでリリースされ、全米で4週連続No.1となる。以後、このソングライターチームによって何曲もの大ヒットナンバーを生んでいる。",
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"paragraph_id": 21,
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"text": "アメリカ版『アウト・オブ・アワ・ヘッズ』(1965年7月)もチャートNo.1となる。同作には7曲のオリジナル(ジャガー・リチャーズ名義が3曲、ナンカー・フェルジ名義が4曲)収録された。ストーンズの世界的No.1となった2番目の曲「一人ぼっちの世界 (Get Off of My Cloud)」は1965年秋にリリースされ、続いてアメリカで『ディッセンバーズ・チルドレン』がリリースされた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 22,
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"text": "1966年4月(アメリカは6月)にリリースされた『アフターマス』(イギリス1位;アメリカ2位)は、ストーンズにとって全曲がオリジナルとなった初のアルバムであった。このアルバムでブライアンはギターとハーモニカばかりでなく多くの貢献を果たした。中東からの影響を色濃くした「黒くぬれ! (Paint It, Black)」ではシタールを演奏し、バラードの「レディ・ジェーン」ではダルシマーを演奏した。また、「アンダー・マイ・サム」ではマリンバを演奏した。そして、12分にも及ぶ「ゴーイン・ホーム」はトップセラーのロックアルバムに収録された初のジャムセッションとして注目された。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 23,
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"text": "ストーンズのイギリスおよびアメリカにおけるシングルチャートでの成功は1966年にピークに達した。「19回目の神経衰弱(19th Nervous Breakdown)」(1966年2月、イギリス2位;アメリカ2位)の後には最初の英米ナンバー1の「黒くぬれ!」が続いた。「マザーズ・リトル・ヘルパー」(1966年6月)はアメリカでのみシングルリリースされ、8位となった。同曲は麻薬乱用問題に言及した初のポップソングの一つであった。この曲でミックは通常使うアメリカ南部のアクセントよりも自身の自然なロンドン訛りで歌っている。",
"title": "歴史"
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"tag": "p",
"text": "1966年9月の「マザー・イン・シャドウ(Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?)」(イギリス5位;アメリカ9位)はいくつかの点で注目に値した。ストーンズの曲で初めてブラスセクションを取り入れ、ジャケット裏の写真は女装したメンバーの物であった。また、ピーター・ホワイトヘッドによって初のプロモーションフィルムが作られた。",
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{
"paragraph_id": 25,
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"text": "1967年1月、『ビトウィーン・ザ・バトンズ』(イギリス3位;アメリカ2位)がリリースされる。本作はアンドリュー・オールダムがプロデューサーとして関わった最後のアルバムであった(バンドマネージャーとしての役割は1965年にアラン・クレインに引き継がれていた)。アメリカ版では両A面シングルの「夜をぶっとばせ(Let's Spend the Night Together) c/w ルビー・チューズデイ」が収録され、アメリカでは1位、イギリスでは3位となった。バンドはニューヨークで「エド・サリヴァン・ショー」に出演、「夜をぶっとばせ」を演奏したが、歌詞を「let's spend some time together」に変えるよう要請された。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 26,
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"text": "1967年の前半、ミック、キース、ブライアンは気晴らしで始めた麻薬に対して「ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙が「Pop Stars and Drugs: Facts That Will Shock You」と題した3部構成の記事を発表した後、当局による摘発を受ける。記事ではザ・フーのピート・タウンゼントやクリームのジンジャー・ベイカーらが参加し、ムーディー・ブルースが主催したLSDパーティについて述べ、トップスター達が薬物を使用していることを暴露した。最初の記事ではドノヴァンがターゲットにされ(すぐ後に摘発され罰金刑を受ける)、第2回(2月5日発行)でストーンズがターゲットにされた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "記事の提供者はロンドンの高級クラブ、ブレーズで一晩を過ごしたが、そこでストーンズのメンバーは数個のベンゼドリンの錠剤を所持し、ハシシのかけらを示し、彼の住居に仲間を誘ってそれを吸ったとされた。記事ではこれはミック・ジャガーのことであるとしたが、これは間違いであったとされた。事実提供者はこれはブライアン・ジョーンズのことであるとした。記事が発表された夜、ミックはエイモン・アンドリュースのトークショーに出演し、同紙を名誉毀損で訴えると発表した。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "1週間後の2月12日日曜日、サセックス警察はキースの運転手からの内通を受けて、レッドランズのキースの自宅で行われていたパーティを捜査した。逮捕者は出なかったものの、警察は麻薬容疑の証拠品を押収、後にミックとキースおよび友人の画商ロバート・フレーザーが告発された。キースは2003年に「レッドランズで警察に捕まったとき、俺たちはこれが全体の異なったボールゲームであり、楽しみが止まったんだと突然分かったのさ。その時までそれは、まるでロンドンが自分が欲しいときにできた美しい空間に存在しているかのようだったんだ。」警察の捜査責任者は後に加えた。「私がそれを聞いたとき、彼は2度と同じように歩かなかった。」",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "警察の捜査の結果を待っている間の1967年3月、ミック、キース、ブライアンは、マリアンヌ・フェイスフル、ブライアンのガールフレンドのアニタ・パレンバーグなどの友人と一緒にモロッコへの短期旅行を行った。この旅行の間にブライアンとアニタの関係は悪化し、アニタはキースと共にモロッコを離れた。キースは後に「そいつは俺とブライアンとの棺の最後の釘だった。奴は俺を決して許さないだろうし、俺は奴を責める気は無いが、最悪の出来事が起こった。」と語っている。キースとアニタはその後12年間を共に過ごした。このようにメンバー間の関係は複雑だったにもかかわらず、ストーンズは1967年3月から4月にかけてヨーロッパツアーを行った。このツアーでは、ポーランド、ギリシャ、イタリアでの初のコンサートも含まれた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "1967年5月10日、ミック、キースとフレーザーはレッドランドでの一件に関連して逮捕される。同日ブライアンの自宅が警察によって捜査され、大麻所持の容疑でブライアンも逮捕された。メンバー5人の内3人が麻薬容疑で逮捕され、ミックとキースは6月末に起訴された。6月29日、ミックはアンフェタミン錠剤4錠の所持容疑で3ヶ月の禁固刑を宣告された。キースは自宅の敷地内で大麻の喫煙を許したことで懲役1年の有罪判決を受けた。ミックとキースはその時点で投獄されたが、翌日には上訴を保留して保釈された。タイムズ紙は「牛刀を以て鶏を割くのは誰だ? -Who breaks a butterfly on a wheel?-」と題したウィリアム・リーズ=モッグによる擁護記事を掲載した。記事はミックが「純粋に匿名の若者」よりもマイナーな最初の犯罪ではるかに厳しい扱いを受けていたことを指摘している。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "上告の判決を待っている間、バンドはファンが示す忠誠心への感謝の気持ちとして、ニューシングル「この世界に愛を(We Love You)」を録音した。それは刑務所のドアが閉まる音で始まり、プロモーションフィルムにはオスカー・ワイルドの裁判の暗示が含まれていた。7月31日に控訴裁判所はキースの判決を覆し、ミックの判決は条件付き釈放に至った。ブライアンの裁判は1967年11月に行われた。最初の求刑を控訴した後の12月にブライアンは1000ポンドの罰金を科せられ、3年間の保護観察と専門的な治療を受けるよう命じられた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "1967年12月、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』リリース直後に『サタニック・マジェスティーズ』(イギリス3位;アメリカ2位)がリリースされた。『サタニック・マジェスティーズ』はミック、キース、ブライアンが訴訟問題を抱えるという難しい状況の下でレコーディングが行われた。バンドはこのセッション中にプロデューサーのアンドリュー・オールダムと袂を分かった。この分裂は少なくとも公的には友好的であったが、ミックは2003年に「アンドリューが去った理由は、彼は俺たちが集中していないと考え、俺たちは幼稚であると思ったからだ。本当に最悪な瞬間だった。そして俺はアンドリューにとっても最悪な瞬間だったろうと思ったよ。そこには気を散らすようなことがたくさんあって、その時点で集中させる必要があった。それはアンドリューの仕事だった。」と語っている。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "このように、『サタニック・マジェスティーズ』はストーンズが自らプロデュースした最初のアルバムとなった。そのサイケデリックなサウンドはカバーアートで補完され、マイケル・クーパー(英語版)による3D写真が貼り付けられた。クーパーは『サージェント・ペパー』のカバー写真も担当していた。ビル・ワイマンの「イン・アナザー・ランド」はシングルカットもされたが、これはミックがリードを歌わなかった初の曲となった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 34,
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"text": "バンドは1968年前半の数ヶ月間、次のアルバムの素材に取り組んだ。このセッションから5月にシングルとして「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」がリリースされた。この曲とアルバム『ベガーズ・バンケット』(イギリス3位;アメリカ5位)は、カントリーソングとブルースからインスパイアされた曲を網羅し、バンドのルーツへの回帰を示し、プロデューサーのジミー・ミラーとのコラボレーションの始まりとなった。本作には「ストリート・ファイティング・マン」(1968年5月の政治的な騒乱に影響を受けた)と「悪魔を憐れむ歌(Sympathy for the Devil)」も収められた。「悪魔を憐れむ歌」は、「歌詞が神を冒涜している」という宗教団体からの抗議が起こり、このアルバムが大量に燃やされるという事件があった。この曲のレコーディング風景は、ジャン=リュック・ゴダール監督による音楽映画『ワン・プラス・ワン』として記録されている。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "『ベガーズ・バンケット』はリリース直後、好意的に評価された。キースはこの頃からリズムパート(しばしばカポと一緒に)にオープン・チューニングを使い始めた。1968年にはオープンEまたはオープンDチューニングが最も顕著だった。1969年になるとしばしば5弦のオープンGチューニング(6弦は取り外した)を使うようになり、1969年のシングル「ホンキー・トンク・ウィメン」、 「ブラウン・シュガー」(『スティッキー・フィンガーズ』1971年)、 「ダイスを転がせ(Tumbling Dice)」(カポIV)、「ハッピー」(カポIV)(『メインストリートのならず者(Exile on Main St.)』1972年)、「スタート・ミー・アップ」(『刺青の男(Tattoo You)』1981年)などで聴かれるようになった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "1968年末には『ロックンロール・サーカス』の撮影が行われた。同作にはジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ザ・ダーティ・マック、ザ・フー、ジェスロ・タル、マリアンヌ・フェイスフル、タジ・マハールらが出演した。映像は28年間にわたって公開されなかったが、最終的に1996年に正式にリリースされた。2004年10月にはDVD版がリリースされた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "『ベガーズ・バンケット』のリリース後、ブライアン・ジョーンズはますますトラブルを起こし、バンドへの貢献は散発的なものとなっていた。ミックはブライアンが「この生き方には心理的に適していない」と述べている。彼の薬物使用は障害になっており、彼はアメリカ合衆国のビザを取得することができなかった。キースは、ブライアンの家で6月に行われたミック、キース、チャーリーの話し合いでブライアンは「再びロードに出る」ことができないと認め、「俺は辞める。そしてもし俺がそうしたければ俺は戻ってくることができる。」と言ってバンドを脱退した、と伝える。脱退から1ヶ月足らずの1969年7月3日、ブライアンはハートフィールドにあるコットフォード・ファームの自宅のプールで、不思議な状況の下に溺死しているところを発見された。ちなみにブライアン邸は、以前『クマのプーさん』の作者として有名なA・A・ミルンが住んでいた家でもある。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "ストーンズはブライアンの死から2日後となる7月5日に、ロンドンのハイド・パークにあるブラックヒル・エンタープライズの無料コンサートで演奏を行う予定だった。彼らはブライアンの追悼としてコンサートを行うことに決めた。ブライアンの後任となる新ギタリストはジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ出身のミック・テイラーに決定し、テイラーとの最初のコンサートは、推定250,000人のファンの前で行われた。演奏はグラナダテレビの制作チームによって撮影され、イギリスでは『ストーンズ・イン・ザ・パーク』として放映された。ミックはパーシー・ビッシュ・シェリーが友人ジョン・キーツの死を悼んで書いた詩「アドナイス(英語版)」からの一節を朗読した。彼らはブライアンの記憶の中で何千匹もの蝶を放った。ショーのオープニングではジョニー・ウィンターの「アイム・ユアーズ・アンド・アイム・ハーズ」が演奏された。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 39,
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"text": "また、次回作の『レット・イット・ブリード』(1969年12月)からの未発表曲「ミッドナイト・ランブラー」「むなしき愛(Love in Vain)」および『メインストリートのならず者』(1972年5月)からの「ギブ・ミー・ア・ドリンク」も演奏された。このコンサートはリリースされたばかりの「ホンキー・トンク・ウィメン」の初演でもあった。ブラックヒル・エンタープライズのステージ・マネージャー、サム・カトラーは彼らを「世界最大のロックンロール・バンド」として紹介した。カトラーはその後ストーンズのロードマネージャーとなり、69年アメリカツアーでは前述の紹介を繰り返した。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "『レット・イット・ブリード』(イギリス1位;アメリカ3位)は12月にリリースされた。60年代の最後のアルバムである本作には「ギミー・シェルター」が収録された。この曲では女性ヴォーカリストとしてメリー・クレイトン(リトル・フィートのメンバーであるサム・クレイトンの姉)が起用され、有名なソロ部分を歌っている。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "その他には「無情の世界(You Can't Always Get What You Want)」(ロンドン・バッハ合唱団はコーラスで参加したが、他の収録曲の内容から「恐れ」たためクレジットの削除を要求した。しかしその後この要求を撤回した。)、「ミッドナイト・ランブラー」、ロバート・ジョンソンのカヴァーである「むなしき愛」が含まれた。ブライアンとテイラーはそれぞれ2曲に参加している。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "ストーンズはアメリカツアーの直後、サンフランシスコから東に約50マイル離れたオルタモント・スピードウェイで行われたオルタモント・フリーコンサートに出演。このコンサートはストーンズからのクリスマスプレゼントとして入場無料で企画されたものであったが、20万人から50万人の観客が殺到したことに加え設営の準備不足から大混乱に陥った。警備に雇われた暴走族ヘルズ・エンジェルスが、観客の黒人青年メレディス・ハンターが武器を持っていたとして彼を刺殺するという、いわゆる「オルタモントの悲劇」も起こった。ツアーの一部とオルタモント・コンサートの様子はメイスルズ兄弟の手によって『ギミー・シェルター』に収められた。また、海賊版が広く出回るようになったため(本ツアーの様子は「Live'r Than You'll Ever Be」としてリリースされた)、その対応として『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト(イギリス1位;アメリカ6位)』が1970年にリリースされた。評論家のレスター・バングスは史上最高のライブアルバムと評している。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 43,
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"text": "この年の大晦日には60年代のヒット曲を特集したBBC製作の番組「Pop Go The Sixties」に出演し、ストーンズは「ギミー・シェルター」を演奏している。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "1970年、バンドはアラン・クレインおよびデッカ・レコードとの契約を終了した。クレインとの契約紛争の間に、バンドは自らのレーベル、「ローリング・ストーンズ・レコード」 (Promotone BV) を設立した。同レーベルからの第1弾作品として『スティッキー・フィンガーズ』(イギリス1位;アメリカ1位)を1971年3月にリリースした。アルバムジャケットはアンディ・ウォーホルがデザインした。同作には「ブラウン・シュガー」「ワイルド・ホース」が収められたが、これらは1969年のアメリカン・ツアー中にアラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオで録音されたものであった。アルバムはブルースの影響を強く受けた前2作の路線を引き継いでいた。その特徴として「ルーズで、今にも崩れそうな雰囲気」を持ったアルバムであり、また、ミック・テイラーが完全参加した初のアルバムでもあった。ストーンズのデッカでの作品権利はクレインのアブコレーベルが所有している。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "『スティッキー・フィンガーズ』のリリース後、バンドは金融面での勧告を受ける。高率課税に辟易したミックとキース、ビルの3人はフランス南部へ移住。バンドは移住直前にイギリスで「フェアウェル」ツアーを行った。キースはヴィルフランシュ=シュル=メールに家を借り、メンバーや友人達と生活した。バンドはモービル・ユニットを使い、地下室でレコーディングを行った。そのマテリアルは最終的にロサンゼルスのサンセット・スタジオで編集が行われ、2枚組アルバム(CDでは1枚)『メイン・ストリートのならず者』(イギリス1位;アメリカ1位)として1972年5月にリリースした。評論家ロバート・クリストゴーはこのアルバムをA+と評価し、レスター・バングズはこのアルバムに低評価を与えたが、数ヶ月の内にその評価を一転させ、『ならず者』はストーンズの最高傑作の一つであると認めている。アルバム発表後、3年ぶりの全米ツアーを行った。その頃に撮影された映画『コックサッカー・ブルース』(未公開)と『レディース・アンド・ジェントルメン(英語版)』(1974年)はツアーのドキュメンタリーであり、テリー・サザーンも出演している。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "1972年11月、バンドはジャマイカのキングストンでセッションを始める。『山羊の頭のスープ(Goats Head Soup)』(イギリス1位;アメリカ1位)は1973年にリリースされた。シングル「悲しみのアンジー(Angie)」は世界的なヒットとなり商業的には成功したが、生ぬるく容認された最初のアルバムであった。本作のセッションでは数多くのアウトテイクが生じ、例えば「友を待つ(Waiting on a Friend)」の初期バージョンも録音されていた。同曲は8年後に『刺青の男』で発表された。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "レコーディングはドラッグに関する別の法廷闘争で中断された。それはフランス滞在当時までさかのぼり、キースの逮捕令状も発行され、他のメンバーは証言のためフランスに戻らなければならなかった。これと平行してミックのドラッグに関する裁判(1967年および70年)が行われ、73年初めに予定されていたパシフィック・ツアーの計画を複雑な物とした。日本公演は前年に発表されていたが、メンバーの麻薬所持による逮捕歴や、ビートルズ来日の時のような混乱を避けるためという理由により、入国許可が下りず、チケットが完売していたにもかかわらず、公演が直前になって中止に。その後、1990年の初来日までストーンズのライヴは夢のまた夢といわれていた。キースは6月にイギリスで逮捕された。その後3年ぶりのヨーロッパ・ツアーはフランスを迂回して、9月から10月にかけて行われた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 48,
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"text": "バンドはミュンヘンのミュージックランド・スタジオで次回作のレコーディングを行う。アルバム『イッツ・オンリー・ロックンロール』(イギリス2位;アメリカ1位)は1974年にリリースされたが、ジミー・ミラーは麻薬の問題もありプロデューサーを降りていた。代わってミックとキースが「グリマー・ツインズ」としてプロデュースを行った。アルバムのタイトルナンバー「イッツ・オンリー・ロックンロール」は名義こそジャガー/リチャーズになっているものの、実際にはロン・ウッドが作曲し、ミックが詞をつけるという意外な形で完成された。これは、同曲が元々ロン・ウッドがソロアルバムのレコーディングのために曲を作っていたため。“たかがロックンロール、でも俺はそれが好きなんだ”というストーンズの意気地ともいえる歌詞は、ロン・ウッドの自宅にきて酒を飲み交わしていた際にミックとフェイセズのメンバーであるケニー・ジョーンズとの口論から生まれたという。これが原因なのか定かではないが、同曲のヴォーカルはミックとケニーの二人がとっている。これは結果的に、後のメンバー昇格する要因の一つだったと思われる(ジャガー/リチャーズ/ウッドという共同名義で作曲をしているものがある)。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 49,
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"text": "1974年の終わり頃になると、テイラーはメンバーとして我慢がならなくなっていた。バンドの状況は複雑な物になっており、互いに異なった国に住み、法的な問題が正常なツアーを制限するようになっていた。加えて、キースは薬物使用が進み、そしてテイラーは自身の創造的な貢献が認められていないと感じていた。年末、ミュンヘンでのセッションの間にテイラーはストーンズを脱退した。1980年に彼は「僕は少しうんざりするようになっていた。僕は自分のギタリストとしての範囲を広げて、他に何かしたかった。...僕は当時、本当は歌を書いたり作ったりしていなかった。僕はちょうど書き始めていたんだ。そして、それは僕の決定に影響した。...頂きから頂きへとずっと渡っていける何人かの人がいる。彼らは他の誰かの成功に沿って乗ることができる。そして、それが十分でない何人かの人々もいる。僕は本当にそれが十分でなかった。」と語っている。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "1975年、テイラーの後任ギタリストを探すため、ミュンヘンで後に「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼ばれるオーディションを行った。このセッションに招待されたのは、後にメンバーとなるロン・ウッドの他、ハンブル・パイのリード・ギタリストであったピーター・フランプトン、ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ウエイン・パーキンス、ハービィ・マンデルなどがいた(ジェフとロリーは当初、オーディションだったことを知らなかったと語っている。また、彼らは決して加入に同意しなかったろうとも語っている)。シュギー・オーティスもこのセッションに参加したが、加入には至らなかった。パーキンスとマンデルのプレイは、『ブラック・アンド・ブルー』(イギリス2位;アメリカ1位)に収められた。しかしながらキースとミックは、ストーンズを純粋なブリティッシュバンドのままにしておきたかった。ロンがオーディションを受けると、満場一致で決まった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "ロンとキースは、すでにレコーディングやライヴで共演しており、「イッツ・オンリー・ロックンロール」の作曲およびレコーディングに貢献していた。彼は、ミックのオファーをフェイセズとの絆を理由に断っており、「それは本当に俺にとって重要だった」と語っている。ロンは、ストーンズの75年北米ツアーへの参加を公約したが、それはロッド・スチュワートがフェイセズを正式脱退し解散したことを受けてであって、諸説はありながらもこの時点を「ロンのローリング・ストーンズの加入」とする説が一般的である。他のストーンズのメンバーとは異なり、およそ20年後にビルが脱退するまでバンドからサラリーを受ける立場であった。ビルの脱退後、ロンはバンドの収益面でもストーンズの正式メンバーとなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "1975年北米ツアーはニューヨークのブロードウェイにおいて行われたトレーラーのステージ上でのライブで始まった。サポート・メンバーとしてロン(ギター)、ビリー・プレストン(キーボード)、オリー・ブラウン(パーカッション)などが参加した。公演によっては、イアン・スチュワート(ピアノ)が参加している。ステージには巨大なファルスとロープが現れ、ミックは聴衆の上でそれを揺り動かした。ミックはトロントのエル・モカンボ・クラブでのライブレコーディングを設定し、その様子はバンド久々のライブ盤となった『ラヴ・ユー・ライヴ』(イギリス3位;アメリカ5位)に収められた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "1976年3月に、ロンのストーンズへの正式加入が発表され、同時にツアーも発表された。4月、前年のメンバーのままヨーロッパ・ツアーを行うと同時に、ロン正式加入後初のアルバム『ブラック・アンド・ブルー』がリリースされた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "しかしツアー中のキースは、ヘロインによる依存症状がかなり悪化し、公演中に居眠りや、ホテルでは禁断症状が出て心臓が停止しかけるなど、アクシデントが後を絶たなかった。それを見ていたロンは、警察をごまかしてわざわざヘロインを調達して来たというエピソードがある。ストーンズはツアーの締めとしてネブワース・フェスティバルに出演し、25万人を超える聴衆の前で演奏した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "1977年2月、キースはトロントへの到着が遅れた。他のメンバーはすでにトロント入りし彼を待っており、キースに対してどこにいるのかと尋ねる電報を送っている。2月24日、アニタ・パレンバーグと共にトロントに到着したキースは税関によって足止めされた。荷物の中からカナビス10グラムとヘロインの形跡が発見されたためであった。アニタは逮捕されたが、出廷を約束し釈放された。その3日後、アニタの逮捕状を持った王立カナダ騎馬警察がキースの部屋を訪れ、22グラムのヘロインを発見した。キースは麻薬密輸の罪で告発される。後に検察官は、キースがカナダ到着後にヘロインを入手したと認めた。バンドはエル・モカンボ・クラブという小さなクラブでの2回のライヴのためにカナダを訪問し、その際に起こった事件だった。ライヴの様子はアルバム『ラヴ・ユー・ライヴ』に収録された。同時にこのカナダ訪問では、当時の首相ピエール・トルドーの夫人、マーガレット・トルドーとのスキャンダルがあり、マーガレットがショーの後にバンドとのプライベート・パーティに出席したことが判明するとより多くの論争が巻き起こった。バンドが行った2回のライヴは公には告知されず、エル・モカンボはその週全部をカナダのバンド、エイプリル・ワインのレコーディングで予約されているとしていた。ローカルラジオ局の1050 CHUMが、エイプリル・ワインの無料ライヴチケットをラジオ番組のコンテストの当選者に配布していた。当選者達は金曜日と土曜日に行われたライヴで、ローリング・ストーンズがステージに現れたのを見て驚いていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "3月4日、アニタは空港での一件に関して罰金を命じられた。キースに対する裁判は1年以上長引くこととなった。結局は執行猶予を受け、オシャワで2回のチャリティ・コンサートを行うよう命じられた。2つのコンサートは共にローリング・ストーンズとニュー・バーバリアンズ(ロニーが最新のソロアルバムをプロモートするために結成したバンドにキースが加わったグループ)の共演で行われた。この一件でキースはヘロインの使用を止めようと固く決心することとなった。また、3番目の子ども(タラ)の死以来張り詰めていたアニタとの関係の終焉にも大きく影響した。さらにアニタはキースがヘロインを止めようと努力していた際も、ヘロインに耽溺するのを止めることはできなかった。キースが法的および個人的な問題を解決しようとしていた間、ミックは飛び回る生活を続けていた。彼はニューヨークのディスコクラブ、スタジオ54の常連で、しばしばモデルのジェリー・ホール (Jerry Hall) と訪れていた。ビアンカとの結婚生活は長年の別居の後1977年に終了した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "ストーンズは70年代前半からの人気を維持していたが、評論家達はバンドの勢いが衰えたと言い、レコードの売り上げも期待外れになった。70年代後半にパンク・ムーブメントが生じると、その支持者はストーンズを年老いた金持ちの音楽であり、停滞して無意味であると批判した。これは1978年になると一変した。アルバム『女たち』(イギリス2位; アメリカ1位)がリリースされ、「ミス・ユー」「ファーラウェイ・アイズ」「ビースト・オブ・バーデン」「シャッタード」がシングルカットされた。これらはパンク・ムーブメントでの批判に対する返答とされ、大半がテンポの速い単純なギタードライヴのロックンロールであった。アルバムの成功は若年層の人気回復に貢献した。アルバム発表と同時に全米ツアーが始まり、バンドはプロモーションとして「サタデー・ナイト・ライブ」に出演した。バンドは翌年のヨーロッパツアーは行わず、1967年以来3年ごとに行っていたツアーのルーチンは破られた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "1979年4月、裁判所の命令に従ってチャリティ・コンサートをオシャワ・ホールで開く。ニュー・バーバリアンズはよくキースがリーダーだと誤解されているが、実際はロンであり、メディアがこぞってキースに注目したためと思われる。バーバリアンズは、5月いっぱいまで全米ツアーを行った。メンバーはロン(ヴォーカル&ギター)、キース(ギター&ヴォーカル)、イアン・マクレガン(キーボード&ピアノ)、スタンリー・クラーク(ベース)、ジョセフ・モデリステ(ドラムス)、ボビー・キーズ(サックス)。このツアーの模様は、ロンが設立したレコード会社よりライヴ・アルバム(L.A.公演のもの)として、2006年になってようやく日の目を見た。またロンは、来日公演も考えたという。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "ストーンズは79年、80年ごろにははっきりスランプに陥っていた。これをずばり指摘したのはDJ小林克也ぐらいである。『女たち(Some Girls)』の成功に続いて、ストーンズは1980年中頃に『エモーショナル・レスキュー』(イギリス1位; アメリカ1位)を発表したが、このアルバムの録音は、ミックとキースの関係が悪化したことと、音楽的スランプのため、混乱に陥ったとされている。キースは未だにヘロインを使用していたとイアン・マクレガンは語った。キースはまたアルバムのプロモーションとして80年の夏か秋にツアーを行いたがったが、ミックはこれを拒否した。『エモーショナル・レスキュー』はアメリカとヨーロッパで共に1位となり、シングル「エモーショナル・レスキュー」はアメリカで3位となった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 60,
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"text": "1981年初めにバンドは再結集し、その年に全米ツアーを行うことを決定した。その年前半の僅かな時間でアルバムを作成し、ツアーのリハーサルを行った。『刺青の男』(イギリス2位; アメリカ1位)は8月31日にリリースされ、このアルバムより先行シングルで、ミックに「80年代の代表曲」といわしめた「スタート・ミー・アップ」がリリースされ、アメリカで2位、ビルボードのその年のチャートでは22位を記録した。2つの曲、「友を待つ」(アメリカ13位)「トップス」ではミック・テイラーがギターをプレイした。一方「奴隷(Slave)」と「友を待つ」ではソニー・ロリンズがサックスをプレイした。また、「ハング・ファイヤー」もビルボードのチャートで20位を記録した。3年ぶりとなる全米ツアーは公演の規模が70年代のツアーとは破格の規模であり、9月25日から12月19日まで行われた。ツアーそのものは非常にエネルギッシュで、それまでと比べると(麻薬の影響もあっただろうが)かなり新鮮味のあるツアーとなっていた。同ツアーはその年の最高を売り上げたツアーとなり、いくつかのショーは録音された。その模様は翌年にライヴ・アルバム『スティル・ライフ』(イギリス4位; アメリカ5位)として発表された。また、1983年にはハル・アシュビーによって映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』として公開された。この映画にはアリゾナ州テンピのサン・デヴィル・スタジアム、ニュージャージー州メドウランズのブレンダン・バーン・アリーナでの公演が収録された。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "1982年中頃、バンド結成20周年を記念するため、6年振りとなるヨーロッパ・ツアーを開始。前年の全米ツアーを踏襲した物であった。このツアーで、元オールマン・ブラザーズ・バンドのチャック・リーヴェルがサポート・メンバーとして加わる。このヨーロッパ・ツアーを最後に、ストーンズは1989年までライヴ活動を休止することとなる。年末までにバンドは新しいレーベル、CBSと4作のアルバムのリリースを2,800万ドルで契約した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "アトランティックとの契約を終える前の1983年後半に、ストーンズは『アンダーカヴァー』(イギリス3位; アメリカ4位)をリリースした。好意的なレビューとタイトルトラックのトップ10入りにもかかわらず、アルバムの売り上げは期待に外れ、サポートのツアーも行われなかった。新たなレーベル、CBSレコードがアトランティックの旧譜を引き継いだ。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "このアルバムのセッションの頃から徐々にメンバー内の人間関係が悪化(81~82年のツアー中にもそれはミックとキースとの間に現れ始めているが)し始め、ミックはCBSとソロ契約を結び、キースはこれに対して驚きを感じていた。そして、ミックは最初のソロアルバムのために1984年の大半を費やすこととなった。また、彼はストーンズの枠組みの中で無意味にされると感じていたと述べている。1985年までにミックはソロレコーディングに多くの時間を費やし、ストーンズの1986年のアルバム『ダーティ・ワーク』(イギリス4位; アメリカ4位)では多くの曲がキース作の物であり、以前のアルバムよりロンが多くの貢献をした。本作はパリで録音され、キースがレコーディングを続けて先に進めたのに対しミックは休みがちであった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "1985年6月、ミックはデヴィッド・ボウイと共に「ダンシング・イン・ザ・ストリート」を録音、プロモーションビデオを撮影した。これはライヴエイドのチャリティ・ムーブメントの一環として行われた物であった。これはミックの最初のソロ・パフォーマンスの一つで、同シングルはイギリスで1位、アメリカで7位を獲得した。1985年12月、バンドの共同設立者でありキーボードを担当していたイアン・スチュアートが心臓発作により死去した。47歳であった。バンドは1986年2月、グラミー賞、ライフタイム・アチーブメント賞を受賞する2日前にロンドンの100クラブでプライベートの追悼コンサートを行った。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "ミックのソロ活動、チャーリーのアルコールやドラッグ依存で人間関係がギクシャクしていた中、キースがうまくとりまとめ製作した『ダーティ・ワーク』は1986年3月にリリースされた。同作はアメリカでのトップ5ヒットとなった「ハーレム・シャッフル」が収録されていたにもかかわらず賛否両論の評価を受けた。また、前年に死去したイアン・スチュアートの短いピアノが最後に収録されている。キースとミックの関係は最悪で、ミックはアルバムプロモーションのためのツアーを拒否し、代わりにストーンズナンバーを含んだ自身のソロツアーを行った。キースはこの期間のミックとの関係を「第三次世界大戦」と呼んだ。バンド内のギクシャクした人間関係の結果、ストーンズはほぼ解散状態であった。ミックのソロ『シーズ・ザ・ボス』(1985年、イギリス6位; アメリカ13位)と『プリミティヴ・クール』(1987年、イギリス26位; アメリカ41位)はある程度の成功を得た。そしてストーンズが不活発なままの1988年にメンバーの中で唯一ソロ活動をしていなかったキースがついに自身のバンド、エクスペンシヴ・ワイノーズを結成し、ソロ活動を開始、最初のソロアルバム『トーク・イズ・チープ』(イギリス37位; アメリカ24位)を発表した。同作はファンと評論家から好意的に受け入れられ、アメリカではゴールドアルバムを獲得した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "1989年前半、ロックの殿堂入りした。ミックとキースは憎しみを超えてニューアルバムの製作を働きかけた。実に3年ぶりとなるアルバム『スティール・ホイールズ』(イギリス2位; アメリカ3位)はストーンズの氷河期の終わりを告げるものだった。シングルは「ミックスト・エモーションズ」(アメリカ5位)、「ロック・アンド・ア・ハード・プレイス」(アメリカ23位)、「オールモスト・ヒア・ユー・サイ」(アメリカ50位)がリリースされた。中でも「ミックスト・エモーションズ」はメンバーの和解を象徴するナンバーであり、人間関係の悪化より停滞していたバンド活動の停止に終止符を打つこととなった。また、「コンチネンタル・ドリフト」は1989年にモロッコのタンジールで録音され、マスター・ミュージシャン・オブ・ジャジューカが加わった。コーディネートはトニー・キングとシェリー・ナッティングが行い、BBCのドキュメンタリー「ザ・ローリング・ストーンズ・イン・モロッコ」がナイジェル・フィンチによって製作された。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "アルバムのリリースに続き、8年ぶりとなる全米ツアー、日本・ヨーロッパなどを含むワールド・ツアー(北米及び日本では「スティール・ホイールズ・ツアー」、ヨーロッパでは「アーバン・ジャングル・ツアー」と銘打たれた)を開始。ツアーの実施告知がイベント化したのもこの頃からである。前座はリヴィング・カラーとガンズ・アンド・ローゼズなどが担当し、バンドにはホーンセクション、バックアップシンガーのリサ・フィッシャー、バーナード・ファウラーが加わった。同ツアーからのライブアルバム『フラッシュポイント』(イギリス6位; アメリカ16位)がリリースされた。同作には新曲2曲「ハイワイアー」「セックス・ドライヴ」が含まれた。また、同ツアーからIMAX仕様のライブフィルム「アット・ザ・マックス」が1991年に公開された。加えて同ツアーでは東京ドームでの初来日公演が実現した。麻薬常習などを理由に、以前は日本政府から許可が降りなかったもので、その後も何度か来日を果たすこととなる。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "このツアーはビル・ワイマンにとって最後のツアーとなった。ビルはストーンズを脱退したが、1993年1月まで脱退を公式に発表しなかった。彼はその後バンドの歴史を綴った「ストーン・アローン」を出版した。数年後にはリズム・キングスを結成し、再びレコーディングとコンサートツアーを始めた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "スティール・ホイールズ / アーバン・ジャングルツアーの成功後に、バンドは休息を取った。チャーリー・ワッツは2枚のジャズアルバムをリリースした。ロニー・ウッドは11年ぶりに5枚目のソロ・アルバム『スライド・オン・ディス』をリリースした。キース・リチャーズは1992年後半に2枚目のソロ・アルバム『メイン・オフェンダー〜主犯〜』(イギリス45位; アメリカ99位)をリリースして、スペインとアルゼンチンでの大規模コンサートを含む小ツアーを行った。ミック・ジャガーは3枚目のソロ・アルバム『ワンダーリング・スピリット』(イギリス12位; アメリカ11位)をリリースし、セールスの成功と高評価を得た。同作は世界中で200万枚以上のセールスを記録し、アメリカではゴールドアルバムを獲得した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "1993年1月のワイマン脱退後、ストーンズはヴァージン・レコードと契約し、ライブ・アルバム3枚を除く『スティッキー・フィンガーズ』から『スティール・ホイールズ』までの旧譜をリマスターの上再発、コンピレーション・アルバム『ジャンプ・バック』(イギリス16位; アメリカ30位)をリリースした。1993年までにストーンズは次のスタジオ・アルバムの制作に入った。マイルス・デイヴィスおよびスティングのサイドマンを務めたダリル・ジョーンズがワイマンの代わりとしてチャーリー・ワッツによって選ばれ、『ヴードゥー・ラウンジ』のレコーディングに参加した。同アルバムはイギリスで1位、アメリカで2位を獲得し、高評価および高売り上げを達成、アメリカでダブル・プラチナを獲得した。ワイマンが脱退した反動からか、ベースを中心とした低音重視の音作りをしており、曲調も新人バンドに戻ったような瑞々しさのある曲が多く、評論家はアルバムの「トラディショナリスト」な音に注目した。これは新たなプロデューサーのドン・ウォズに依るところが大きかった。同作は1995年のグラミー賞ベストロックアルバムを獲得した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "アルバムの発売に伴い、1994年から95年にかけてヴードゥー・ラウンジ・ツアーが実施された。様々なコンサートおよびリハーサルからの録音(多くはアコースティックナンバー)が編集され、『ストリップド』(イギリス9位; アメリカ9位)がリリースされた。同作ではボブ・ディランのカヴァー「ライク・ア・ローリング・ストーン」がフィーチャーされ、それまでライブではあまり演奏されなかった「シャイン・ア・ライト」、「スウィート・バージニア」、「クモとハエ」といった曲が収められた。1994年9月8日、ストーンズはニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールでMTVビデオ・ミュージック・アワーズに出演、「ラヴ・イズ・ストロング」と「スタート・ミー・アップ」を演奏した。バンドは授賞式でライフタイム・アーカイヴメント賞を受賞した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "ストーンズはインターネット上でコンサートを中継放送した最初のメジャー・アーティストであった。1994年11月18日に20分間のビデオがMboneを使用して、1秒間当たり10フレームで放送された。放送はThinking Picturesが技術を担当し、サン・マイクロシステムズが出資して行われた。この放送はストリーミング・ビデオの最初のデモンストレーションの1つであり、本当のネット配信ではなかったが、多くの技術が紹介された。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 73,
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"text": "ストーンズの90年代を締めくくった『ブリッジズ・トゥ・バビロン』(イギリス6位; アメリカ3位)は1997年にリリースされ、賛否両論の評価を得た。シングルカットされた「エニバディ・シーン・マイ・ベイビー?」のプロモーション・ビデオにはアンジェリーナ・ジョリーがゲスト出演し、MTVとVH1で何度も放送された。また、同年11月にリリースされたB.B.キングのアルバム『デューシズ・ワイルド』に収録された「ペイング・ザ・コスト・トゥ・ビー・ザ・ボス」のレコーディングには、ストーンズのメンバー全4人とサポート・メンバーのダリル・ジョーンズが参加した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "アルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン』の売り上げは前作とほぼ同様(アメリカで約120万枚)となり、続いて行われたブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアーはヨーロッパを横断、北米を回ってその他の地域でも行われ、バンドが未だ強力なライブパフォーマンスを行えることを証明した。再びライブアルバム『ノー・セキュリティ』(イギリス67位; アメリカ34位)が本ツアーから編集されたが、収録曲は「リヴ・ウィズ・ミー」と「ザ・ラスト・タイム」以外はライブとしては未発表の曲ばかりであった。1999年にはアメリカでノー・セキュリティ・ツアーを開始し、ヨーロッパではブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアーを継続した。ノー・セキュリティ・ツアーは近年の花火や巨大ステージのツアーとは対照的に簡素なステージで行われた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "ミック・ジャガーは2001年後半に4枚目のソロ・アルバム『ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ』(イギリス44位; アメリカ39位)をリリースしたが、賛否両論の批評を受けた。アメリカ同時多発テロ事件の一ヶ月後、ミックとキースは「ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ(英語版)」に出演、バックバンドと共に「地の塩」と「ミス・ユー」を演奏した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "2002年、バンドは結成40周年を記念した2枚組のベスト・アルバム『フォーティ・リックス』(イギリス2位; アメリカ2位)をリリースした。同作には新曲4曲が収録され、世界中で700万枚以上を売り上げた。同年、Q誌の「死ぬ前に見るべき50のバンド」の一つに選出された。また、2002年から2003年にかけてフォーティ・リックス・ツアーが行われ、人々は死ぬ前に見るチャンスが与えられた。このツアーは小劇場やアリーナ、スタジアムでのコンサートが行われた。カナダのトロントでは「to help the city」と掲げたコンサートがモルソン・カナディアン・ロックス・フォー・トロントで行われ、SARSの流行で打撃を受けた都市に対する支援となった。バンドがトロントでコンサートを行ったのはスティール・ホイールズ・ツアーのリハーサル以来であった。コンサートは約49万人が動員された。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "2003年11月9日、バンドは香港ハーバーフェストの一環として香港における最初のコンサートを行った。同月に4枚組DVDセット『フォー・フリックス』をリリース。バンドはこれを独占的に販売する権利をベスト・バイに与え、それを受けていくつかのカナダとアメリカにおける小売店(HMVカナダとサーキット・シティー・ストアーズを含む)ではストーンズのCDとグッズが棚から撤去され、事情を説明する札が掲示された。12月12日、ミックはバッキンガム宮殿においてチャールズ皇太子からナイトの称号を授与された。2004年にはリックス・ツアーの模様を収めた2枚組アルバム『ライヴ・リックス』(イギリス38位; アメリカ50位)がリリースされ、アメリカでゴールドアルバムを獲得した。2004年11月にはイギリス音楽の殿堂入りの候補となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "2005年7月26日、ミックの誕生日にバンドは8年ぶりのニューアルバムのタイトルを『ア・ビガー・バン』と発表した。『ア・ビガー・バン』は9月6日にリリースされ、ローリング・ストーン誌を始めとして熱烈なレビューが行われた。シングル「ストリーツ・オブ・ラヴ」はイギリスとヨーロッパでトップ15のヒットとなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "収録曲「スウィート・ネオ・コン」は、ミックによるアメリカのネオコンに対する批判が含まれた。伝えられるところによると、同曲はキースの反対によりアルバムから削除されるところであった。彼はイラク戦争批判のために論争に巻き込まれたディクシー・チックスのようになるのを恐れたのかと尋ねられ、アルバムが来るのが先だと答え、「俺はすこしの政治的な『コップの中の嵐』によって脇に逸らされたくない。」と発言した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "アルバム発表に伴った「ア・ビガー・バン・ツアー」は2005年8月に始まり、北米、南米、東アジアで行われた。2006年2月、バンドはミシガン州デトロイトで行われた第40回スーパーボウルのハーフタイムでライブを行った。2005年末までにツアーの収益は1億6200万ドルを記録し、ストーンズ自身が1994年に記録した北米における最高収益を更新した。2006年2月18日にはリオデジャネイロのコパカバーナ・ビーチで無料コンサートを行い、150万人の観客動員となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "2006年3月から4月にかけて日本、中国、オーストラリア、ニュージーランドでの公演を行い、ストーンズはヨーロッパ・ツアー前の休暇に入った。この間にキースはフィジーで木から落下、7.5メートル下の砂浜に叩きつけられニュージーランドの病院に入院した。この事故によりヨーロッパ・ツアーは開始が6週間遅れることとなった。2006年6月、ロン・ウッドがアルコール依存症の治療を続けていることが伝えられた。しかしながら、再編成されたヨーロッパ・ツアーの日程に影響を与えることは無かった。2006年7月から9月まで21公演が予定されたが、その内2公演はミックの咽喉の問題によりキャンセルされた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "2006年、北朝鮮の金正日の息子・金正哲(クラプトンのファン)が韓国と共同で招請したエリック・クラプトンコンサートの平壌開催が実現しなかったため、代わりとして韓国側からローリング・ストーンズの平壌公演が打診され、メンバーも開催に肯定的だったとされた。しかし、北朝鮮側から逆に「退廃的すぎる」とされて実現しなかったと伝えられた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 83,
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"text": "2006年9月から北米ツアーのセカンド・レグが始まり、2007年6月5日からヨーロッパツアーのセカンド・レグが始まった。2006年11月までにツアーは4億3700万ドルの収益を上げ、当時の最高額を記録したツアーとなった。北米ツアーは1億3850万ドルの収益を上げ、ストーンズ自身が2005年のツアーで達成した1億6200万ドル、同年のU2のツアーが達成した1億3890万ドルに次いで史上3位を記録した。",
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"paragraph_id": 84,
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"text": "マーティン・スコセッシが2006年10月29日と11月1日のニューヨーク、ビーコン・シアターでのライブを撮影し、ドキュメンタリー映画「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」として公開された。同作にはゲストとしてバディ・ガイ、ジャック・ホワイト、クリスティーナ・アギレラが出演している。映画のサントラ盤『シャイン・ア・ライト』は2008年4月にリリースされ、イギリスで2位、アメリカで11位を達成した。これはストーンズのライブ盤として、1970年の『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』以来の高順位であった。ビーコン・シアターでのショーではアトランティック・レコード元会長のアーメット・アーティガンがステージ裏で転倒、頭部を強打し2週間後に死亡した。",
"title": "歴史"
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"text": "2007年3月24日にバンドはヨーロッパ・ツアー「ビガー・バン2007」を発表した。2007年6月12日に4枚組DVD『ザ・ビッゲスト・バン』がリリースされた。同作は7時間に及ぶドキュメンタリーで、オースティン、リオデジャネイロ、埼玉、上海、ブエノスアイレスでのコンサートが収められた。6月10日にバンドはワイト島でのコンサートを行い、65,000人を動員した。8月26日、ツアー最終公演がロンドンのO2アリーナで行われた。ストーンズはツアー全体で5億5800万ドルの収益を上げ、ギネス世界記録に申請したことが発表された。",
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"text": "ミック・ジャガーは2007年10月2日に未発表3曲を含むソロ・コンピレーション『ヴェリー・ベスト・オブ・ミック・ジャガー』(イギリス57位、アメリカ77位)を発表した。11月12日にアブコは2枚組CD『ロールド・ゴールド~ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・ローリング・ストーンズ』をリリースした。これは1975年のコンピレーション『ロールド・ゴールド』の再編集盤であり、イギリスで26位を獲得した。",
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"text": "ツアーからおよそ2年後の2007年のインタビューでミック・ジャガーは、バンドの引退時期を語るのを拒否した。「僕はローリング・ストーンズがより多くのこと、より多くのレコード、そしてより多くのツアーを行えると確信している。僕たちはそのいずれも止める計画は無い。僕の考えとしては、僕たちが続けられると確信している。」2008年3月にキース・リチャーズは『シャイン・ア・ライト』のプレミアでのインタビューで新しいスタジオ・アルバムを用意しているかもしれないという噂を引き起こした。「俺は俺たちが別のアルバムを作るかもしれないと思うよ。この映画のプロモーションをする上で俺たちはもう一度やるよ。」チャーリー・ワッツは仕事を中断したときはいつも体調不良のためだったと述べた。2008年7月、ローリング・ストーンズはEMIとの契約を終了し、ユニバーサル ミュージックと契約したと発表した。『スティッキー・フィンガーズ』以降のアルバムはユニバーサル傘下のポリドール・レコードから再発された。アメリカにおける1994年以前の作品の権利はマーキュリー・レコードが有し、1994年以降の作品の権利はインタースコープ・レコードが所有する。ユニバーサル ミュージックは『スティッキー・フィンガーズ』以前の作品の権利を有するアブコのディストリビューターでもある。",
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"text": "秋の間にミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ミック・テイラーは、プロデューサーのドン・ウォズと共に『メイン・ストリートのならず者』セッションにおける未完成曲へ新たなヴォーカルとギターのパートを録音した。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 89,
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"text": "2010年4月17日、バンドは限定版の7インチアナログ・シングル、未発表曲の「プランダード・マイ・ソウル」をレコード・ストア・デイに因んで発表した。これは『メイン・ストリートのならず者』リイシュー盤に収録された1曲で、B面は「オール・ダウン・ザ・ライン」であった。",
"title": "歴史"
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"text": "4月23日、バンドはカンヌ国際映画祭に「ストーンズ・イン・エグザイル~「メイン・ストリートのならず者」の真実」(スティーヴン・キジャック監督)のプレミアで参加すると発表した。同作は『メイン・ストリートのならず者』レコーディング時のドキュメンタリー映画であった。",
"title": "歴史"
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"text": "2010年5月23日、『メイン・ストリートのならず者』がリマスター盤として再発された。イギリスでは1位を達成し、これは同作が発表されて以来38年ぶりの記録であった。ストーンズは過去に発表した作品が再び1位を獲得した初のバンドとなった。アメリカでは発売第1週で76,000枚を売り上げ、チャートでは2位を記録した。未発表曲10曲を加えた2CD版の『メイン・ストリートのならず者』の他に、未発表曲のみの『メイン・ストリートのならず者(レアリティーズ・エディション)』もリリースされ、27位を記録した。",
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"text": "2010年10月11日、「レディース&ジェントルメン」が公開され、後にDVDでリリースされた。デジタル・リマスターが行われ、アメリカ国内では特別の映画館で公開された。本作はザ・ローリング・ストーンズ・アメリカン・ツアー1972でのフォートワースとヒューストンでの4つのショーを編集したものであり、『メイン・ストリートのならず者』がフィーチャーされている。当初は1974年に公開されたが、その後はビデオなどでのリリースは行われず、数多くの海賊版として流通していた。",
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"text": "2011年4月19日、ストーンズとも交流のある英国ピアニストのベン・ウォーターズが発起し制作されたイアン・スチュワートへのトリビュートアルバムにメンバー全員が参加し、脱退したビル・ワイマンがレコーディングに、ミックー・テイラーが記念コンサートに参加した。",
"title": "歴史"
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"text": "2011年10月4日、ストーンズは「サム・ガールズ・ライヴ・イン・テキサス'78」を公開した。本作もデジタル・リマスターが行われ、アメリカ国内では特別の映画館で公開された。内容は『女たち』リリース後のUSツアー1978におけるフォートワースでのショーを収録したもので、11月15日にはブルーレイ/DVDがリリースされた。",
"title": "歴史"
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"text": "2011年10月18日、オフィシャル海賊版シリーズのデジタルダウンロード販売を、グーグル・ミュージック及びストーンズ公式通販サイト「STONES ARCHIVE」上で開始。第一弾として、1973年ヨーロッパツアーの模様を収めた非公式ライブアルバム「ブリュッセルズ・アフェア」を、ボブ・クリアマウンテンのリミックスを経て公式の下にリリース。以後も1年間に亘り、1981年アメリカツアー、1975年アメリカツアー、1990年ジャパンツアー、2005年カナダシークレットギグ、1982年ヨーロッパツアーが順次リリースされた。",
"title": "歴史"
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"text": "ストーンズは2012年夏に結成50周年を祝って、ハードカバーの写真集「50」をリリースした。バンドの象徴的なイメージである唇のロゴも、シェパード・フェアリーによってデザインされた新しいバージョンが明らかにされ、祝賀会で使用された。ミックの弟、クリスは祝賀会に合わせてスロベニアのローリング・ストーンズ・ミュージアムでギグを行った。",
"title": "歴史"
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"text": "ブレット・モーガン監督のドキュメンタリー 『クロスファイア・ハリケーン』は、2012年10月に公開された。約50時間におよぶインタビューが行われ、その中には元メンバーのビル・ワイマンやミック・テイラーへのものも含まれた。これは1988年に結成25周年を記念して作られた『25x5』以来のドキュメンタリーとなる。11月12日には新しいコンピレーション・アルバム『GRRR!』がリリースされた。このアルバムは4つの異なったフォーマットでリリースされ、新曲が2曲収められる。「Doom And Gloom 」「One Last Shot」の2曲はパリのウィリアム・テル・スタジオで8月の数週間で録音された。アルバムは世界中で200万枚以上の売り上げを記録した。ノオミ・ラパスをフィーチャーした「Doom and Gloom」のミュージックビデオは11月20日にリリースされた。",
"title": "歴史"
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"text": "2012年11月、ストーンズはロンドンのO2アリーナで50 & カウンティング...ツアーを開始し、同日のステージにはジェフ・ベックが参加した。02での2日目のショーでは、エリック・クラプトンとフローレンス・ウェルチがステージに参加した。アメリカでのショーは12月8日にニューヨーク州ブルックリン区のバークレイズ・センターで始められた。2012年最後のショーは12月13日と15日にニュージャージー州ニューアークのプルデンシャル・センターで行われた。2日目のショーにはブルース・スプリングスティーンとザ・ブラック・キーズが加わった。彼らはまた、12月12日に行われたハリケーン・サンディのチャリティ・コンサート「12-12-12: A Concert For Sandy Relief」で2曲を演奏した。",
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"text": "ストーンズは2013年の春にアメリカで19回のショーを行った。その後イギリスに戻り、6月29日にはグラストンベリー・フェスティバルに出演した。7月にはハイド・パークでコンサートを行ったが、1969年のように無料ではなかった。そのセットリストは1969年と同じ曲が演奏された。7月6日と13日にハイド・パークで行われたコンサートはライブアルバム『ハイド・パーク・ライブ』として同月後半にiTunesから配信により独占リリースされた。ライブDVD『スウィート・サマー・サン』は11月11日にリリースされた。",
"title": "歴史"
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"text": "2014年2月、バンドは中東、アジア、オーストラリア、ヨーロッパにまたがる14オン・ファイアー・ツアーを開始し、夏まで続く予定であった。3月17日、ミックの長年のパートナーであったローレン・スコットが突然死去し、その結果オープニングツアーの日程がキャンセルされ、10月に再スケジュールされた。6月4日、ローリング・ストーンズはイスラエルで初めてコンサートを行った。ハアレツ紙はコンサートを「大文字のHで歴史的」であると説明した。ミックは2015年のインタビューで、引退が頭に浮かぶかどうか尋ねられたとき、「いや、今は違う。次のツアーは何なのか考えている。僕は引退を考えていない。次のツアーを計画しているので、答えは本当に「いいえ、そうではありません」だ。」と述べた。",
"title": "歴史"
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"text": "ストーンズは2016年2月にラテンアメリカ・ツアーを開始した。3月25日、バンドはキューバのハバナでの無料の野外コンサートを行い、推定50万人の観客が訪れた。その年の6月、ストーンズは『トータリー・ストリップド』をリリースした。これは『ストリップド』の拡張版であり、複数の形式でリリースされた。2016年3月25日にキューバで行われたコンサートは、『ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016』として公開された。9月23日に世界中の1,000以上の劇場でプレミア公開が行われた。2016年のラテンアメリカ・ツアーのドキュメンタリー『オレ! オレ! オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』は12月12日に映画館で一晩だけ上映された。その後2017年5月26日にDVDとBlu-rayで発売された。ストーンズはカリフォルニア州インディオで開催されたデザート・トリップ・フェスティバルに出演し、ボブ・ディランと同じ夜の10月7日と14日の2日で演奏した。",
"title": "歴史"
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"text": "バンドは2016年12月2日に『ブルー&ロンサム』をリリースした。アルバムはハウリン・ウルフ、ジミー・リード、リトル・ウォルターらのブルース曲のカバー12曲から構成された。レコーディングは2015年12月にロンドンのブリティッシュ・グローブ・スタジオで行われ、2曲にエリック・クラプトンが参加した。アルバムはイギリスで1位を獲得し、その年のアルバムの発売週で売れた枚数として2番目に高かった。また、ビルボード200では4位となった。",
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"text": "2017年7月、トロント・サン紙はストーンズがオリジナル曲からなるアルバム制作の準備をしていると伝えたが、2021年にはリリースされておらず、その予定は新型コロナウィルス感染症の流行のためさらに遅れた。2017年12月にはバンドがBBCで1963年から65年に出演した番組での演奏を納めた『オン・エア』がリリースされた。",
"title": "歴史"
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"text": "2017年5月にノー・フィルター・ツアーが発表され、その年の9月と10月にヨーロッパの12の異なる会場で14のショーが行われた。ツアーはその後2018年7月まで延長され、イギリスおよびヨーロッパで14の新しい日程が追加され、2006年以来のイギリスツアーが行われた。2018年11月には、2019年にノー・フィルター・ツアーをアメリカで行う計画が発表された。4月から6月にかけて13のショーが開催される予定であったが、2019年3月にミックが心臓弁置換術を受けることが発表され、ノー・フィルター・ツアーは17日間の北米レグを延期することを余儀なくされた。2019年4月4日、ミックはニューヨークで心臓弁の手術を終え、術後の回復のために入院しており数日中に退院する可能性があると発表された。5月16日、ローリング・ストーンズはノー・フィルター・ツアーが6月21日に再開され延期された17のショーは8月末までに再スケジュールされることを発表した。2020年3月、新型コロナウィルス感染症の流行によりノー・フィルター・ツアーは再び延期された。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "ローリング・ストーンズは、2020年4月18日に開催された Together at Home のオンラインおよびオンスクリーンコンサートのヘッドラインアクトの一組として出演した。これは新型コロナウイルス感染症の流行に際して世界保健機関を支援するためにGlobal Citizenが主催したバーチャルコンサートであった。4月23日、ミックはFacebookページを通じて、新しいローリング・ストーンズのシングル「リヴィング・イン・ア・ゴーストタウン」のリリース(同日午後5時BST)を発表した。この曲は2019年にロンドンとロサンゼルスで録音され、メンバーがそれぞれ単独で完成させたものである。(一部のマテリアルは新型コロナウィルス感染症の流行によるロックダウンの前にスタジオで録音されていた。)バンドはこの曲について「私たちが住んでいる時代を通して思考は共鳴するだろう」とし、そして2012年以来のオリジナル曲であった。この曲はドイツのシングルチャートで1位を獲得し、ストーンズにとって52年ぶりのトップとなった。また、ストーンズはトップを獲得した最も古いアーティストとなった。",
"title": "歴史"
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"text": "1973年のアルバム『山羊の頭のスープ』は2020年9月4日に未発表音源・ライブ音源を含めたボックスセットとして再リリースされた。未発表曲の「クリス・クロス」は2020年7月9日にシングルおよびミュージックビデオとしてリリースされた。また、「スカーレット」はジミー・ペイジが参加しており、もう一つの未発表曲は「オール・ザ・レイジ」であった。2020年9月11日、『山羊の頭のスープ』はイギリスアルバムチャートで1位を獲得し、ストーンズは60年を超えて同一のアルバムが1位を獲得した初めてのバンドとなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 107,
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"text": "2021年8月、チャーリーが入院治療のためノー・フィルター・ツアーの残りの日程に参加しないことが発表された。ストーンズと長年交流があるスティーヴ・ジョーダンがチャーリーの代役としてツアーに参加することとなった。2021年8月24日、チャーリーはロンドンの病院で家族に看取られて死去した。80歳であった。ローリング・ストーンズの公式ウェブサイトの内容は10日間、チャーリーの1枚の写真に置き換えられた。8月27日、バンドのソーシャルメディアアカウントはチャーリーの写真と動画のモンタージュを共有した。今後、ローリング・ストーンズは、ノー・フィルター・ツアーの各コンサートの冒頭でチャーリーの写真とビデオを表示する。その短いセグメントの長さは約1分で、チャーリーが演奏したシンプルなドラムトラックが加えられた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 108,
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"text": "ローリング・ストーンズの音楽的ルーツは、黒人音楽のブルースにある。デビュー曲の「カム・オン」はチャック・ベリーのカバーである。彼らがデビューした1960年代初期、アメリカやイギリスでも、まだまだ黒人に対する差別が根強く、「ブルースのレコード・ジャケットには、黒人の顔写真を載せてはならない(黒人ミュージシャン本人の顔写真を含む)」という慣習のある州さえ多かった。こうした時代にイギリス出身の白人のグループでありながら、黒人の音楽であるブルースを心から尊敬し、影響を受け、黒人になりきって歌や演奏に表現しようとしたバンドがローリング・ストーンズである。彼らは更にブルースだけでなく、モータウンやスタックスといったレコード会社に代表される、同時代の黒人音楽も吸収した。ローリング・ストーンズの活躍は、黒人音楽にルーツをもつ、他の白人ミュージシャンが1960年代後半から1970年代初頭にかけて、米英などで多数登場するきっかけとなったともいえる。",
"title": "音楽上の特色"
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"paragraph_id": 109,
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"text": "ローリング・ストーンズのサウンドの欠かせない特徴として、その独特のリズムがある。本来バンドであればドラムとベースの絡みが重要といわれているが、ストーンズは違う。そのリズムの核となるのは、チャーリー・ワッツのドラムス、キース・リチャーズが弾き出すリズム・ギターにある。この2人が絡むことで、その独特のリズムが生まれている。ワイマンのベース、ワッツのドラムスも抜群のコンビネーションだった。しかし、1993年にビル・ワイマンが脱退して以来、リズム隊が変わってしまい、サポート・メンバーであるダリル・ジョーンズには不満を抱くファンも多い。",
"title": "音楽上の特色"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "ローリング・ストーンズは、黒人音楽の流行を取り入れ、一部のメンバーの交替や、様々なアクシデントを乗り越え、デビュー40周年を超えた21世紀に至ってもなお、ブルース(もしくはリズム・アンド・ブルース)ルーツのロックンロールという音楽で、第一線で現役を続行している。",
"title": "音楽上の特色"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "タイムライン",
"title": "メンバー"
}
] | ローリング・ストーンズは、イギリスのロックバンド。1962年4月のロンドンで、ブライアン・ジョーンズ、イアン・スチュワート、ミック・ジャガー、キース・リチャーズによって結成、その後間もなくビル・ワイマンとチャーリー・ワッツが参加した。 1960年代前半から現在まで半世紀以上、1度も解散することなく第一線で活躍を続ける、ロック界の最高峰に君臨するバンドである。エアロスミス、プライマル・スクリームやジェット、日本では沢田研二とザ・タイガース、萩原健一とザ・テンプターズなど多くのグループ・サウンズのバンド、忌野清志郎とRCサクセション、鮎川誠とシーナ&ロケット、THE STREET SLIDERSなど、ローリング・ストーンズに影響を受けたアーティストは数多く存在する。ストーンズは労働者バンドというイメージが強いが、ミック・ジャガーとブライアン・ジョーンズは中流階級の出身である。 結成当初のリーダーはブライアン・ジョーンズであったが、後にジャガーとリチャーズがコンビで作曲を行い、グループをリードするようになった。1969年、ジョーンズは体調不良とドラッグ禍のためバンドを脱退。その3週間後にプールで溺死した。ジョーンズの後任としてミック・テイラーが加入、1974年に脱退するまで活動を続けた。その後、ロン・ウッドが加入する。ワイマンは、1993年にバンドを脱退、後任としてダリル・ジョーンズがベースを担当するようになるが、正式メンバーとしては加入していない。スチュワートは、1963年に公式メンバーから外されるが、バンドのロードマネージャーを続け、1985年に死去するまでピアニストとしてツアーやレコーディングに参加した。1982年以降は、チャック・リーヴェルがバンドのキーボードを担当している。 ストーンズは当初ヨーロッパでの人気が高まり、間もなくブリティッシュ・インヴェイジョンの一波として北米での成功を収めた。イギリスでは22作のスタジオアルバム(アメリカでは24作)、11枚のライブアルバム(アメリカでは12作)、多くのコンピレーションをリリースし、現在までの全世界での売り上げは2億枚を超える。『スティッキー・フィンガーズ』(1971年)はその後アメリカで8連続No1となるアルバム群の最初の1枚であった。最新作の『ア・ビガー・バン』は2005年にリリースされた。1989年にロックの殿堂入りした。 ストーンズの出現は、最初のアーバンブルースの世界的な人気の高まりの象徴の一つであった。バンド名はシカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの"Rollin' Stone"にちなんで、当時リーダーであったジョーンズが命名した。ストーンズの活動継続と関連に関して評論家のロバート・パーマーは、彼らは「より短命なポップ・ファッションが現れたり消えたりしている」間、「リズム・アンド・ブルースとソウル・ミュージックの中で伝統的な真実に根ざしている」ことによると語っている。 ローリング・ストーン誌の「最も偉大なアーティスト100」にて4位、ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて5位。 | {{混同|ローリング・ストーン|x1=[[音楽雑誌]]の}}
{{Redirect|ストーンズ|ジャニーズ事務所所属のアイドルグループ|SixTONES}}
{{Otheruses}}
{{Infobox Musician
| 名前 = ザ・ローリング・ストーンズ
| 画像 = The Rolling Stones Summerfest in Milwaukee - 2015.jpg
| 画像説明 = 「[[:en:Summerfest|Summerfest]]」にて(2015年)。左から[[チャーリー・ワッツ]]、[[ロン・ウッド]]、[[ミック・ジャガー]]、[[キース・リチャーズ]]。
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| 画像補正 = yes
| 背景色 = band
| 別名 = <!-- バンドの略称や愛称を記載する欄ではありません。 -->
| 出身地 = {{ENG}} [[ロンドン]]
| ジャンル = {{hlist-comma|[[ロックンロール]]<ref name="allmusic">{{cite web |last= Erlewine |first= Stephen Thomas |authorlink= スティーヴン・トマス・アールワイン |title= The Rolling Stones Biography, Songs, & Albums |url= {{AllMusic|artist|the-rolling-stones-mn0000894465/biography|pure_url=yes}} |website= [[オールミュージック|AllMusic]] |publisher= All Media Network |accessdate= 2023-01-04 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|title= The Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)の情報まとめ |url= https://okmusic.jp/The%20Rolling%20Stones |website= OKMusic |publisher= ジャパンミュージックネットワーク |accessdate= 2023-01-04 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|title= ザ・ローリング・ストーンズ |url= https://artist.cdjournal.com/a/the-rolling-stones/136773 |website= CDJournal |publisher= シーディージャーナル |accessdate= 2023-01-04 }}</ref>|[[ブルースロック]]<ref name="allmusic" /><ref>{{cite book |last= Adelt |first= Ulrich |year= 2010 |title= Blues Music in the Sixties: A Story in Black and White |ocation= New Brunswick, New Jersey |publisher= [[:en:Rutgers University Press|Rutgers University Press]] |page= 136 |isbn= 978-0-813-54750-3 }}</ref><ref>{{cite book |last= Moskowitz |first= David V. |year= 2015 |title= The 100 Greatest Bands of All Time: A Guide to the Legends Who Rocked the World |location= Santa Barbara, California |publisher= ABC-CLIO |page= 551 |isbn= 978-1-440-80340-6 }}</ref>|[[ハードロック]]<ref name="allmusic" /><ref>{{cite book |last1= Whiteley |first1= Sheila |last2= Sklower |first2= Jedediah |year= 2016 |origyear= 2014 |chapter= A Hard Rock Classic |title= Countercultures and Popular Music |locatioin= Oxfordshire |publisher= [[テイラーアンドフランシス|Taylor & Francis]] |page= 99 |isbn= 978-1-317-15892-9 }}</ref>|[[サイケデリック・ミュージック|サイケデリア]]<ref name="allmusic" /><ref>{{cite book |last= Perone |first= James E. |year= 2022 |title= Music and Technology: A Historical Encyclopedia |location= Santa Barbara, California |publisher= ABC-CLIO |page= 131 |isbn= 978-1-440-87830-5 }}</ref>|[[スタジアム・ロック]]<ref>{{Cite web|和書|author= RYO UCHIDA |date= 2015-04-01 |title= フジロック予習用特別企画 フー・ファイターズ 21世紀最大級のスタジアム・ロックを徹底分析! |url= https://rockinon.com/feat/foofighters_201504 |website=rockin'on.com |publisher=[[ロッキング・オン]] |accessdate=2018-05-26}}</ref>}}
| 活動期間 = [[1962年]] -
| レーベル = {{plainlist|
* {{hlist-comma|{{flagicon|UK}} [[デッカ・レコード|デッカ]]|[[アブコ・レコード|アブコ]]|[[ヴァージン・レコード|ヴァージン]]|[[ポリドール・レコード|ポリドール]]}}
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* {{hlist-comma|{{flagicon|USA}} [[ロンドンレコード|ロンドン]]|[[コロムビア・レコード|コロムビア]]|[[インタースコープ・レコード|インタースコープ]]|[[アトランティック・レコード|アトランティック]]}}
* {{hlist-comma|{{flagicon|JPN}} [[キングレコード|キング]]|[[ワーナーミュージック・ジャパン|ワーナー・パイオニア]]|[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]|[[ユニバーサル・ミュージック・ジャパン|ユニバーサル]]}}}}
| 事務所 =
| 共同作業者 =
| 公式サイト = [https://rollingstones.com/ ローリング・ストーンズ公式サイト]
| メンバー = {{plainlist|
* [[ミック・ジャガー]]([[ボーカル]])
* [[キース・リチャーズ]]([[ギター]])
* [[ロン・ウッド]](ギター)
}}
| 旧メンバー = [[#メンバー|後述]]を参照
}}
'''ローリング・ストーンズ'''({{Lang-en|''The Rolling Stones''}})は、[[イギリス]]の[[ロックバンド]]。1962年4月の[[ロンドン]]で、[[ブライアン・ジョーンズ]]<ref name="Guardian 20041103">{{Cite web |last= Hodgkinson |first= Will |title=Me and Mr Jones |url=https://www.theguardian.com/film/2004/nov/03/1 |website=[[ガーディアン|The Guardian]] |publisher=Guardian Media Group |date= 2004-11-03 |accessdate=2020-04-29 }}</ref>、[[イアン・スチュワート (ミュージシャン)|イアン・スチュワート]]、[[ミック・ジャガー]]、[[キース・リチャーズ]]によって結成、その後間もなく[[ビル・ワイマン]]と[[チャーリー・ワッツ]]が参加した。
[[1960年代]]前半から現在まで半世紀以上、1度も解散することなく第一線で活躍を続ける、ロック界の最高峰に君臨するバンドである。[[エアロスミス]]、[[プライマル・スクリーム]]や[[ジェット (オーストラリアのバンド)|ジェット]]、日本では[[沢田研二]]と[[ザ・タイガース]]、[[萩原健一]]<ref>日本映画「監督俳優」論、17ページ、著者・萩原健一ほか。ワニブックス。「ローリング・ストーンズ、ヤード・バーズ、アニマルズをモデルにした。」</ref>と[[ザ・テンプターズ]]<ref>日本映画「監督俳優」論17ページ、著者・萩原健一ほか。ワニブックス</ref>など多くの[[グループ・サウンズ]]のバンド、[[忌野清志郎]]と[[RCサクセション]]、[[鮎川誠]]と[[シーナ&ロケット]]、[[THE STREET SLIDERS]]など、ローリング・ストーンズに影響を受けたアーティストは数多く存在する。ストーンズは労働者バンドというイメージが強いが、ミック・ジャガーとブライアン・ジョーンズは[[中流階級]]の出身である<ref name="Guardian 20041103" />。
結成当初のリーダーはブライアン・ジョーンズであったが、後にジャガーとリチャーズがコンビで作曲を行い、グループをリードするようになった。1969年、ジョーンズは体調不良とドラッグ禍のためバンドを脱退。その3週間後にプールで溺死した。ジョーンズの後任として[[ミック・テイラー]]が加入、1974年に脱退するまで活動を続けた。その後、[[ロン・ウッド]]が加入する。ワイマンは、1993年にバンドを脱退、後任として[[ダリル・ジョーンズ]]がベースを担当するようになるが、正式メンバーとしては加入していない。スチュワートは、1963年に公式メンバーから外されるが、バンドのロードマネージャーを続け、1985年に死去するまでピアニストとしてツアーやレコーディングに参加した。1982年以降は、[[チャック・リーヴェル]]がバンドのキーボードを担当している。
ストーンズは当初ヨーロッパでの人気が高まり、間もなく[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]]の一波として北米での成功を収めた。イギリスでは22作のスタジオアルバム(アメリカでは24作)、11枚のライブアルバム(アメリカでは12作)、多くのコンピレーションをリリースし、現在までの全世界での売り上げは2億枚を超える<ref>{{cite news|url=https://www.reuters.com/article/entertainmentNews/idUSL1767761020080117 |title=Rolling Stones sign Universal album deal |agency=Reuters |date= 17 January 2008|accessdate=6 September 2010 | first=Kate | last=Holton}}</ref>。『[[スティッキー・フィンガーズ]]』(1971年)はその後アメリカで8連続No1となるアルバム群の最初の1枚であった。最新作の『[[ア・ビガー・バン]]』は2005年にリリースされた。1989年に[[ロックの殿堂]]入りした。
ストーンズの出現は、最初のアーバンブルースの世界的な人気の高まりの象徴の一つであった。バンド名は[[シカゴ・ブルース|シカゴブルース]]の巨匠、[[マディ・ウォーターズ]]の"Rollin' Stone"にちなんで、当時リーダーであったジョーンズが命名した<ref>{{Cite podcast| url =https://www.bbc.co.uk/programmes/b00kc752| title = Podcast: Faking It with Yuval Taylor| website =The Sound of Young America| publisher=Maximum Fun| date = 9 April 2007| accessdate =29 August 2010}}</ref>。ストーンズの活動継続と関連に関して評論家のロバート・パーマーは、彼らは「より短命なポップ・ファッションが現れたり消えたりしている」間、「リズム・アンド・ブルースとソウル・ミュージックの中で伝統的な真実に根ざしている」ことによると語っている<ref>{{Cite web|url = https://www.nytimes.com/topic/organization/the-rolling-stones|title = Podcast: Faking It with Yuval Taylor| work=http://www.nytimes.com| publisher=http://www.nytimes.com/| accessdate =4 May 2011}}</ref>。
ローリング・ストーン誌の「最も偉大なアーティスト100」にて4位、[[ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」]]にて5位。
== 歴史 ==
=== 初期 ===
1950年代初め、キース・リチャーズとミック・ジャガーは幼なじみであり、双方の一家が引っ越すまで[[ダートフォード]]のウェントワース・プライマリースクールでの級友であった<ref>{{cite web|url=http://www.stonesplanet.com/biography.htm |title=Biography of the Stones |publisher=Stonesplanet.com |accessdate=6 September 2010}}</ref>。1960年、[[:w:en:Sidcup Art College|シドカップ・アートカレッジ]]の学生であったキースと[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]の学生であったミックがダートフォード駅で再会する。ミックが持っていた[[チャック・ベリー]]とマディ・ウォーターズのレコードで、お互いの興味が明らかになって友情が復活し、[[ディック・テイラー]](後に[[プリティ・シングス]]のメンバーとなる)を加えてのバンド「リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズ」結成につながる<ref name="stonemag">{{cite web| title = The Rolling Stones Biography| work = Rolling Stone| publisher = Rolling Stone magazine| url = http://www.rollingstone.com/artists/therollingstones/biography| archiveurl = https://web.archive.org/web/20080802170621/http://www.rollingstone.com/artists/therollingstones/biography| archivedate = 2008年8月2日| accessdate = 6 June 2006| deadlinkdate = 2017年9月}}</ref><ref name="RSkeith">{{cite book |last= Greenfield|first= Robert|title= The Rolling Stone Interviews - Keith Richards|year= 1981|publisher=St. Martin's Press/Rolling Stone Press|location= New York|isbn= 0-312-68954-3}}</ref>。3人は[[:w:en:Ealing Jazz Club|イーリング・ジャズクラブ]]で[[アレクシス・コーナー]]の「ブルース・インコーポレイテッド」のステージにゲスト出演していたブライアン・ジョーンズの[[スライドギター]]を目の当たりにして衝撃を受ける。ブルース・インコーポレイテッドには、後にストーンズのメンバーとなるイアン・スチュワートとチャーリー・ワッツも参加していた<ref name="rockhall">{{cite web| title = The Rolling Stones Biography| work=Rock and Roll Hall of Fame and Museum| , Inc. | url = https://www.rockhall.com/inductee/the-rolling-stones| accessdate =1 June 2006}}</ref>。
イアンは練習場所を見つけ、ブライアンと共に加入し、バンドはシカゴ・ブルースを演奏するようになった。名前も決定していないバンドはミック、ブライアン、イアンに加え、ミックが強要して加えたキースと共に最初のリハーサルを行った。リハーサルには、ギタリストのジェフ・ブラッドフォードとヴォーカリストのブライアン・ナイトも参加したが、2人はミックとキースが好むチャック・ベリーや[[ボ・ディドリー]]の曲を演奏することに異論を述べ、バンドへの加入を拒否した<ref name="accordingto2003p40">{{cite book |last=Jagger |first=Mick |coauthors=Richards, Keith; Watts, Charlie; Wood, Ronnie (editors: Loewenstein, Dora & Dodd, Philip) |title= According to he Rolling Stones |publisher=Chronicle Books |year=2003 |isbn=0-8118-4060-3 |page=40}}</ref>。1962年6月のラインアップはミック、ブライアン、キース、イアン、ディック、及びドラマーの[[w:en:Tony Chapman|トニー・チャップマン]]であった。キース曰く、ブライアンが「ジャズ・ニュース」紙との電話の間にバンド名を決定したという。バンドの名前を尋ねられたブライアンは、床にあったマディ・ウォーターズのレコードを見て、その中の1曲「[[:w:en:Rollin' Stone|ローリン・ストーン]]」をバンド名にした<ref name="accordingto2003p42">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 42</ref><ref name="AMG">{{cite web| first = Stephen Thomas| title = Rolling Stones Biography|work=[[オールミュージック]]| publisher=All Media Guide| url =http://www.allmusic.com/artist/the-rolling-stones-mn0000894465 | accessdate =2012-07-13 }}</ref><ref>{{cite web| title = Muddy Waters:Rollin' Stone| work = Rolling Stone.com| url = https://www.rollingstone.com/artists/muddywaters/articles/story/6596304/rollin_stone| accessdate = 21 December 2006| archiveurl = https://web.archive.org/web/20060509055706/http://www.rollingstone.com/artists/muddywaters/articles/story/6596304/rollin_stone| archivedate = 2006年5月9日| deadlinkdate = 2017年9月}}</ref>。
=== 1962–1964 ===
1962年7月12日、{{仮リンク|マーキー・クラブ|en|Marquee Club}}にて「ザ・ローリン・ストーンズ ''The Rollin' Stones''」として最初のギグを行った<ref name="rollingwithp36-37">{{cite book |last=Wyman |first=Bill |title=Rolling With the Stones |publisher=DK Publishing |year=2002 |isbn=0-7894-9998-3 |pages=36-37}}</ref>。ラインナップはミック、キース、ブライアン、ピアノにイアン、ベースにディック、ドラマーは[[ミック・エイヴォリー]](後に[[キンクス]]に加入)であった。ブライアンとイアンはシカゴ・ブルースを演奏したがったが、ミックとキースが好むチャック・ベリーやボ・ディドリーの演奏にも同意した<ref name="KeithTheBiop42-43">{{cite book |last=Bockris |first=Victor |title=Keith Richards - The Biography |year=1992 |publisher=Poseidon Press |isbn=0-671-70061-8 |pages=42-43 }}</ref>。ビル・ワイマンは1962年12月に加入し、チャーリー・ワッツは翌月の1963年1月に説得されて加入、バンドの[[リズム体]]が確定した<ref name="stonemag" /><ref name="rollingwithp40-41p44-45">Wyman 2002. pp. 40-41, pp. 44-45</ref>。ビルがメンバーに引き込まれた理由が、「当時、大出力のベースアンプを所有していたから」という、ジョーク交じりの他メンバーのインタビューもあった。当時のマネージャーであった{{仮リンク|ジョルジオ・ゴメルスキー|en|Giorgio Gomelsky}}は、[[クロウダディ・クラブ]]に日曜日の午後のステージを固定した。ゴメルスキーはクロウダディ・クラブが「ブルースの国際的なルネッサンス」の引き金となったと語った。マージー・ビーツ・ブームの到来と共に、ゴメルスキーはクロウダディでのショーを「{{仮リンク|スウィンギン・ロンドン|en|Swinging London}}」の到来の有力な側面と記した<ref name="accordingto2003p51">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 50-51</ref>。
ビートルズのパブリシストであった[[アンドリュー・ルーグ・オールダム]]がバンドのマネージャーに就任したが、彼は19歳とバンドのメンバーより若く、エージェントのライセンスを取得するのが不可能であった。従って、アンドリューの母が息子に代わってサインをし、オールダムとベテランのブッキング・エージェントであるエリック・イーストンの間の協力関係が築かれた<ref name="stonealone1990p123">{{cite book |last= Wyman |first= Bill. |title= Stone Alone: The Story of a Rock 'n' Roll Band|publisher=Da Capo Press |year= 1990 |isbn= 0-670-82894-7 |page=123}}</ref><ref name="alop223">Oldham 2000. p. 223</ref><ref>page 16, MojoClassic Vol 1 No. 12</ref><ref name="rollingwithp56-57">Wyman 2002. pp. 56-57</ref>。ゴメルスキーはバンドとの契約書を交わしておらず、オールダムがマネージャーになることは相談されなかった<ref name="stonealone1990p135-136">Wyman 1990. pp. 135-136</ref>。オールダムはバンド名の綴りを ''"The Rollin' Stones"'' から ''"The Rolling Stones"'' へ変え、リチャーズの姓も「もっとポップに見えるから」と「リチャード」と変えさせた<ref name="KeithTheBiop63">Bockris 1992. p. 63</ref><ref name="alop222">Oldham 2000. p. 222</ref>。スチュワートはオールダムの構想に合わず、ワイマンによれば「かわいくてやせっぽちの長髪の少年は1963年5月にメンバーから外されロードマネージャーとなり、1985年に死ぬまでバンドのピアニストを担当した。」<ref name="alop222-225">Oldham 2000. pp. 222-225</ref><ref name="accordingto2003p62">{{cite book |last=Jagger |first=Mick |coauthors=Richards, Keith; Watts, Charlie; Wood, Ronnie |title= According to the Rolling Stones |publisher=Chronicle Books |year=2003 |isbn=0-8118-4060-3 |page=62}}</ref>とのことであった。
彼らは新しい演奏、作曲とレコーディングの完全なコントロール、マスターテープの所有権に対するロイヤリティとして当時の典型に対して三倍の額を得ることができた<ref name="alop212">Oldham 2000. p. 205, 212</ref><ref name="accordingto2003p68">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 68</ref>。またデッカとの契約でオールダムはデッカのスタジオでは無くリージェント・サウンド・スタジオを使わせることにした。リージェントはモノラルの設備で、音響処置のため天井は卵ケースが貼り付けられ、都合の良いスタジオとなった<ref name="alop209-210, 212">Oldham 2000. pp. 209-210, 212</ref><ref name="blackandwhiteblues">{{cite book |last=Hinckley |first=David |coauthors= Rodman, Debra and Coral, Gus|title= The Rolling Stones: Black & White Blues |publisher=Turner Publishing Inc. |year=1995 |isbn=1-57036-150-9}}</ref><ref name="nzentgraf">{{cite web |last =Zentgraf |first=Nico |title=The Complete Works of The Rolling Stones 1962-2008 |url=http://www.nzentgraf.de/books/tcw/works1.htm|accessdate=23 February 2008 }}</ref>。オールダムはレコーディング経験はほとんど無かったがストーンズのプロデューサーとなり、リージェントについて「音が漏れ出て、楽器から楽器へ、正しい方法で」音楽が作り出される「雑音の壁」と言った<ref name="accordingto2003p68"/><ref name="alop252-3">Oldham 2000. p. 252-3</ref>。リージェントの使用料は低額で、バンドは当時一般的であった3時間分を予約する代わりに、長期間にわたってレコーディングや練習を続けることができた。イギリスでのファーストアルバムでは全ての曲がリージェントで録音された<ref name="alop213">Oldham 2000. p. 2133</ref><ref>{{cite web|author=Ian McPherson |url=http://timeisonourside.com/chron1964.html |title=Jack Nitzche " I'd just been doing sessions, 3 hours to get the tunes down. Working with the Stones made sense right away. Booked studio time for 24 hours a day for two weeks and if you didn't get it, fuck it." |publisher=Timeisonourside.com |accessdate=4 April 2011}}</ref>。
オールダムはストーンズが独立スタジオを使用していることを音楽雑誌に宣伝し、[[EMI]]に管理されたビートルズよりも「独立」した存在であることをアピールした。オールダムは「普通の人たち...スタジオでは男たちのために汗をかく。」と語っている<ref name="alop205">Oldham 2000. p. 205</ref>。オールダムはイギリスのファーストアルバムでは微笑まないメンバーの写真を使い、「あなたの娘をストーンズと結婚させたいか?」<ref name="rollingstone.com">{{cite web |url=https://www.rollingstone.com/artists/therollingstones/biography |title=The Rolling Stones | Rolling Stone Music | News and Reviews |work=Rolling Stone |accessdate=6 September 2010 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080802170621/http://www.rollingstone.com/artists/therollingstones/biography |archivedate=2008年8月2日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>という挑発的な見出しを載せ、結局ビートルズの不快な対照としてバンドを宣伝することを止めた。オールダムはバンドに同じスーツを用意したが、メンバーは公式の場にカジュアルな服装で現れるのに戻った<ref name="stonealone1990p136">Wyman 1990. p. 136</ref>。ビルによれば、「俺たちの評判とイメージが悪ガキだってのは後からやってきた。それは完全に偶然で、アンドリューが仕込んだ物じゃない。彼は単にそれを徹底的に利用しただけさ。」と語っている<ref name="stonealone1990p133">Wyman 1990. p. 133</ref>。
デビュー[[シングル]]、[[チャック・ベリー]]のカバーである「[[カム・オン]]」は1963年6月7日にリリースされた。ストーンズは同曲をライブで演奏するのを拒否し<ref>Bill Wyman, interviewed on the Gary Crowley Show, BBC Radio London, 6 March 2010</ref>、デッカは宣伝の広告看板を1枚だけ買い上げた。オールダムの指示でファンクラブの会員がシングルを購入し<ref name="alop221">Oldham 2000. p. 221</ref>、「カム・オン」はイギリスのシングルチャートで21位に上昇した<ref>{{cite web
|url= https://www.gibson.com/en-US/en-us/Lifestyle/Features/day-in-music-1025/
|title=This Day in Music Spotlight: Rolling Stones Riot on Ed Sullivan
|work=gibson.com
|accessdate=4 November 2010
}}</ref>。シングルがチャートインしたことでバンドはロンドンの外で演奏する機会が与えられ、7月13日に[[ミドルズブラ]]のアウトルック・クラブで[[ホリーズ]]と共演することとなる<ref>[http://www.picturestockton.co.uk/viewpage.aspx?id=5316 Outlook Club Advertisement - picturestockton<!-- Bot generated title -->] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111008160639/http://www.picturestockton.co.uk/viewpage.aspx?id=5316 |date=2011年10月8日 }}</ref>。その年の後半にオールダムとイーストンは、[[ボ・ディドリー]]、[[リトル・リチャード]]、[[エヴァリー・ブラザース]]といったアメリカのミュージシャン達をサポートする初のUKツアーを計画した。この1963年秋のツアーは経験の少ないバンドにとってステージの「トレーニンググラウンド」となった<ref name="accordingto2003p68"/><ref name="rollingwithp80-83">Wyman 2002. pp. 80-83</ref><ref name="bluesbrothers">{{Cite web|和書|url=https://www.rollingstone.com/news/story/19969845/Blues_Brothers |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2008年4月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080405154532/http://www.rollingstone.com/news/story/19969845/Blues_Brothers |archivedate=2008年4月5日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
[[File:Rolling Stones at Amsterdam Airport Schiphol (1964) 2.png|thumb|240px|[[アムステルダム]]の[[アムステルダム・スキポール空港]]で(1964年)]]
このツアーの間にストーンズはセカンドシングル、「[[アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン]]」を録音した。この曲は[[レノン・マッカートニー]]によるもので、イギリスで12位を達成した。3枚目のシングル、[[バディ・ホリー]]の「[[ノット・フェイド・アウェイ]]」は、1964年2月にリリースされ、3位を記録した。
オールダムの提案でミックとキースは共同で曲を作り始めた。最初の曲を彼は「めそめそした模倣」と評した<ref name="alop256-7">Oldham 2000. p. 256-7</ref>。曲作りのペースが進まなかったため、ファーストアルバム『[[ザ・ローリング・ストーンズ (アルバム)|ザ・ローリング・ストーンズ]]』(アメリカでは『イングランズ・ニューエスト・ヒットメーカーズ』)の収録曲はカバーが大半で、ジャガー・リチャーズのオリジナルは「[[テル・ミー]]」のみであった。また、2曲のクレジットは「[[ナンカー・フェルジ]]」と記載された。これはバンド全員のペンネームであった<ref name="accordingto2003p84">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 84</ref>。
1964年6月に行われた最初のUSツアーは、ビル・ワイマンによれば「災害」であった。「俺たちが到着したとき、俺たちにはそこでのヒットレコードもその他の物も持っていなかった。<ref name="rollingwithp126">Wyman 2002. p. 126</ref>」ツアーはそのほとんどがガラガラという状況であったが、ストーンズは積極的にメディアへの露出・ライヴ活動を行った。[[ディーン・マーティン]]のバラエティショー「[[ザ・ハリウッド・パレス]]」では、マーティンはバンドの演奏と髪型をからかった<ref>[http://www.tv.com/host-dean-martin---the-rolling-stones/episode/144861/summary.html "The Hollywood Palace"]''[[TV.com]]''. Retrieved 1 June 2007.</ref>。このツアーの間にバンドはシカゴのチェス・スタジオで2日間のレコーディングを行い、[[マディ・ウォーターズ]]を含む多くのミュージシャンから大きな影響を受けている<ref name="rollingwithp128-129">Wyman 2002. pp. 128-129</ref><ref name="rollingwithp158">Wyman 2002. p. 158</ref>。これらのセッションで録音された曲には、初のイギリスナンバー1となった[[ボビー・ウーマック]]のカバー、「[[イッツ・オール・オーヴァー・ナウ]]」も含まれた<ref name="rollingwithp137">Wyman 2002. p. 137</ref>。アメリカでの成功が本格化していない頃、本国[[イギリス]]ならびに[[ヨーロッパ]]ではすでに人気が高まっており、[[イギリス]]ではファーストアルバムが12週連続No.1に輝いている。
1964年8月には[[オランダ]]の[[スヘフェニンゲン]]でコンサートを行うが、観客が乱闘を始めたため約15分で中止となった。
1964年にリリースされた『[[T.A.M.I.ショー]]』では[[ジェームス・ブラウン]] & [[ザ・フェイマス・フレームス]]に続いて収録された。ミックは2003年に「俺たちは実際にはジェームス・ブラウンの後には演奏していないよ。なぜならそれぞれのセクションの撮影の間には1時間の間があったからなんだ。それにもかかわらず、彼はそのことにすごくイライラしていた...」と語っている<ref name="accordingto2003p88">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 88</ref>。10月25日にバンドは「[[エド・サリヴァン・ショー]]」に出演した。その際に巻き起こした騒動で、[[エド・サリヴァン|サリヴァン]]は以降彼らの出演を禁止した<ref name="rollingwithp154">Wyman 2002. p. 154</ref>が、後に再び出演している<ref name="rockhall"/>。アメリカでのセカンドアルバム『[[12×5]]』はこのツアーの間にリリースされている<ref name="tioos-discography">{{cite web |last =McPherson |first=Ian |title=The Rolling Stones' Complete Discography |url= http://www.timeisonourside.com/index2.html |accessdate=30 March 2008 }}</ref>。本作もファーストアルバム同様に大半の曲がカバーであったが、オリジナル曲も増加した。
イギリスでの5枚目のシングル、[[ウィリー・ディクスン]]のカバー「[[リトル・レッド・ルースター]]」は1964年11月にリリースされ、2枚目のイギリスNo.1となる。これはブルース曲として初のNo.1であった。アメリカでのディストリビューターである[[ロンドン・レコード]]は「リトル・レッド・ルースター」のシングルリリースを拒否した。ロンドンは1964年12月にジャガー・リチャーズのオリジナル曲「[[ハート・オブ・ストーン (曲)|ハート・オブ・ストーン]] c/w ホワット・ア・シェイム」をリリースした。「ハート・オブ・ストーン」はアメリカで19位となった<ref name="rollingwithp159">Wyman 2002. p. 159</ref>。
=== 1965–1969 ===
セカンドアルバム『[[ザ・ローリング・ストーンズ No.2]]』は1965年1月にリリースされチャート1位となり、アメリカ盤は2月に『[[ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!]]』がリリース、チャート5位となる。アルバムはシカゴのチェス・スタジオおよびロサンゼルスのRCAスタジオで録音された<ref name="rollingwithp164-165p171">Wyman 2002. pp. 164-165, p. 171</ref>。1965年の1月から2月にかけてバンドは[[オーストラリア]]と[[ニュージーランド]]で34回のショーを行い、100,000人が動員された<ref name="rollingwithp166">Wyman 2002. p. 166</ref>。
ジャガー/リチャード名義で作曲した曲で(当時、[[キース・リチャーズ]]はファミリー・ネームをリチャードと名乗っていて、1970年代後半にリチャーズに戻した)、最初にイギリスのシングルチャート1位になったのは「[[ラスト・タイム]]」(1965年2月)であり、同曲はアメリカでは9位であった。キースは後にこの曲を「ストーンズにとって作曲について考える橋渡しとなった曲だ。それは俺たちに信用のレベルを与え、どのようにやっていくかの小道となった。」との認識を語った<ref name="accordingto2003p95">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 95</ref>。バンドにとっての初の世界的ナンバー1ヒットは「[[サティスファクション]]」であり、同曲は1965年5月、3回目の北米ツアーの間に録音された。ファズで歪ませた特徴的なギターリフで始まり、キースはホーンセクションをガイドにしようと思い描いた。オールダムは意見を異にし、ホーンをオーバーダブせずに「サティスファクション」をリリースした。「サティスファクション」は1965年6月にアメリカでリリースされ、全米で4週連続No.1となる。以後、このソングライターチームによって何曲もの大ヒットナンバーを生んでいる<ref name="accordingto2003p95"/><ref name="rollingwithp187">Wyman 2002. p. 187</ref>。
アメリカ版『[[アウト・オブ・アワ・ヘッズ]]』(1965年7月)もチャートNo.1となる。同作には7曲のオリジナル(ジャガー・リチャーズ名義が3曲、ナンカー・フェルジ名義が4曲)収録された<ref name="rollingwithp195">Wyman 2002. p. 195</ref>。ストーンズの世界的No.1となった2番目の曲「[[一人ぼっちの世界]] (Get Off of My Cloud)」は1965年秋にリリースされ<ref name="rockhall" />、続いてアメリカで『[[ディッセンバーズ・チルドレン]]』がリリースされた<ref name="tioos-discography"/>。
[[File:Stones ad 1965-2.jpg|thumb|160px|left|1965年北米ツアーの広告写真]]
1966年4月(アメリカは6月)にリリースされた『[[アフターマス]]』(イギリス1位;アメリカ2位)は、ストーンズにとって全曲がオリジナルとなった初のアルバムであった。このアルバムでブライアンはギターとハーモニカばかりでなく多くの貢献を果たした。中東からの影響を色濃くした「[[黒くぬれ!]] (Paint It, Black)」では[[シタール]]を演奏し、バラードの「[[レディ・ジェーン]]」では[[ダルシマー]]を演奏した。また、「[[アンダー・マイ・サム]]」では[[マリンバ]]を演奏した。そして、12分にも及ぶ「[[ゴーイン・ホーム]]」はトップセラーのロックアルバムに収録された初のジャムセッションとして注目された。
ストーンズのイギリスおよびアメリカにおけるシングルチャートでの成功は1966年にピークに達した。「[[19回目の神経衰弱]](19th Nervous Breakdown)」(1966年2月、イギリス2位;アメリカ2位)の後には最初の英米ナンバー1の「黒くぬれ!」が続いた。「[[マザーズ・リトル・ヘルパー]]」(1966年6月)はアメリカでのみシングルリリースされ、8位となった。同曲は麻薬乱用問題に言及した初のポップソングの一つであった。この曲でミックは通常使うアメリカ南部のアクセントよりも自身の自然なロンドン訛りで歌っている。
1966年9月の「[[マザー・イン・シャドウ]](Have You Seen Your Mother, Baby, Standing in the Shadow?)」(イギリス5位;アメリカ9位)はいくつかの点で注目に値した。ストーンズの曲で初めてブラスセクションを取り入れ、ジャケット裏の写真は女装したメンバーの物であった。また、[[ピーター・ホワイトヘッド]]によって初のプロモーションフィルムが作られた。
1967年1月、『[[ビトウィーン・ザ・バトンズ]]』(イギリス3位;アメリカ2位)がリリースされる。本作はアンドリュー・オールダムがプロデューサーとして関わった最後のアルバムであった(バンドマネージャーとしての役割は1965年に[[アラン・クレイン]]に引き継がれていた)。アメリカ版では両A面シングルの「[[夜をぶっとばせ]](Let's Spend the Night Together) c/w [[ルビー・チューズデイ]]」が収録され、アメリカでは1位、イギリスでは3位となった。バンドはニューヨークで「エド・サリヴァン・ショー」に出演、「夜をぶっとばせ」を演奏したが、歌詞を「''let's spend some time together''」に変えるよう要請された<ref name="stonemag" /><ref name="rollingwithp256">Wyman 2002. p. 256</ref>。
1967年の前半、ミック、キース、ブライアンは気晴らしで始めた麻薬に対して「[[ニュース・オブ・ザ・ワールド]]」紙が「''Pop Stars and Drugs: Facts That Will Shock You''」と題した3部構成の記事を発表した後、当局による摘発を受ける。記事では[[ザ・フー]]の[[ピート・タウンゼント]]や[[クリーム (バンド)|クリーム]]の[[ジンジャー・ベイカー]]らが参加し、[[ムーディー・ブルース]]が主催した[[LSD (薬物)|LSD]]パーティについて述べ、トップスター達が薬物を使用していることを暴露した。最初の記事では[[ドノヴァン]]がターゲットにされ(すぐ後に摘発され罰金刑を受ける)、第2回(2月5日発行)でストーンズがターゲットにされた<ref name="Mark Paytress 2003 p.116">Mark Paytress: 'The Rolling Stones: Off The Record' (Omnibus Press, 2003), p.116</ref>。
記事の提供者はロンドンの高級クラブ、ブレーズで一晩を過ごしたが、そこでストーンズのメンバーは数個の[[ベンゼドリン]]の錠剤を所持し、[[ハシシ]]のかけらを示し、彼の住居に仲間を誘ってそれを吸ったとされた。記事ではこれはミック・ジャガーのことであるとしたが、これは間違いであったとされた。事実提供者はこれはブライアン・ジョーンズのことであるとした。記事が発表された夜、ミックは[[エイモン・アンドリュース]]のトークショーに出演し、同紙を名誉毀損で訴えると発表した<ref name="Mark Paytress 2003 p.116"/>。
1週間後の2月12日日曜日、サセックス警察はキースの運転手からの内通を受けて<ref name="guard">{{cite news|url=https://www.theguardian.com/music/2010/oct/18/keith-richards-keef-autobiography|title=Keith Richards: the Keef facts|last=Meltzer|first=Tom|date=Monday 18 October 2010 18.40 BST|work=The Guardian|accessdate=19 October 2010|location=London/Manchester}}</ref>、レッドランズのキースの自宅で行われていたパーティを捜査した。逮捕者は出なかったものの、警察は麻薬容疑の証拠品を押収、後にミックとキースおよび友人の画商[[ロバート・フレーザー]]が告発された。キースは2003年に「レッドランズで警察に捕まったとき、俺たちはこれが全体の異なったボールゲームであり、楽しみが止まったんだと突然分かったのさ。その時までそれは、まるでロンドンが自分が欲しいときにできた美しい空間に存在しているかのようだったんだ。<ref name="accordingto2003p112">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 112</ref>」警察の捜査責任者は後に加えた。「私がそれを聞いたとき、彼は2度と同じように歩かなかった。<ref name="guard"/>」
警察の捜査の結果を待っている間の1967年3月、ミック、キース、ブライアンは、[[マリアンヌ・フェイスフル]]、ブライアンのガールフレンドの[[アニタ・パレンバーグ]]などの友人と一緒に[[モロッコ]]への短期旅行を行った。この旅行の間にブライアンとアニタの関係は悪化し、アニタはキースと共にモロッコを離れた{{sfn|Wyman|2002|pp=264-265}}。キースは後に「そいつは俺とブライアンとの棺の最後の釘だった。奴は俺を決して許さないだろうし、俺は奴を責める気は無いが、最悪の出来事が起こった。{{sfn|Jagger|Richards|Watts|Wood|2003|p=113}}」と語っている。キースとアニタはその後12年間を共に過ごした。このようにメンバー間の関係は複雑だったにもかかわらず、ストーンズは1967年3月から4月にかけてヨーロッパツアーを行った。このツアーでは、[[ポーランド]]、[[ギリシャ]]、[[イタリア]]での初のコンサートも含まれた{{sfn|Wyman|2002|p=268}}。
1967年5月10日、ミック、キースとフレーザーはレッドランドでの一件に関連して逮捕される。同日ブライアンの自宅が警察によって捜査され、大麻所持の容疑でブライアンも逮捕された<ref name=stonemag />。メンバー5人の内3人が麻薬容疑で逮捕され、ミックとキースは6月末に起訴された。6月29日、ミックはアンフェタミン錠剤4錠の所持容疑で3ヶ月の禁固刑を宣告された。キースは自宅の敷地内で大麻の喫煙を許したことで懲役1年の有罪判決を受けた<ref name=raid>{{cite web|title=Police raid Keith Richard's "Redlands" home in Sussex for drugs|url=http://thehistoryofrockmusic.com/1967/02/12/police-raid-keith-richards-redlands-home-in-sussex-for-drugs/|website=The History of Rock Music|accessdate=25 June 2015}}</ref>{{sfn|Booth|2000|p=276}}。ミックとキースはその時点で投獄されたが、翌日には上訴を保留して保釈された{{sfn|Wyman|2002|pp=278-282}}。[[タイムズ]]紙は「牛刀を以て鶏を割くのは誰だ? -''[[:w:en:Who breaks a butterfly upon a wheel?|Who breaks a butterfly on a wheel?]]''-」と題した[[ウィリアム・リーズ=モッグ]]による擁護記事を掲載した。記事はミックが「純粋に匿名の若者」よりもマイナーな最初の犯罪ではるかに厳しい扱いを受けていたことを指摘している<ref>{{cite book |last=Booth |first=Stanley |title=The True Adventures of the Rolling Stones (2nd edition) |publisher= A Capella Books |date=2000 |isbn=1-55652-400-5 |pages=271-278}}</ref>。
上告の判決を待っている間、バンドはファンが示す忠誠心への感謝の気持ちとして、ニューシングル「[[この世界に愛を]](We Love You)」を録音した。それは刑務所のドアが閉まる音で始まり、プロモーションフィルムには[[オスカー・ワイルド]]の裁判の暗示が含まれていた<ref>{{cite web|last=Janovitz|first=Bill|url=https://www.allmusic.com/song/we-love-you-mt0003271872|title=We Love You - song review|work=Allmusic|accessdate=14 July 2013}}</ref>。7月31日に控訴裁判所はキースの判決を覆し、ミックの判決は条件付き釈放に至った{{sfn|Wyman|2002|p=286}}。ブライアンの裁判は1967年11月に行われた。最初の求刑を控訴した後の12月にブライアンは1000ポンドの罰金を科せられ、3年間の保護観察と専門的な治療を受けるよう命じられた{{sfn|Wyman|2002|pp=292-293; 299}}。
1967年12月、ビートルズの『[[サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (代表的なトピック)|サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』リリース直後に『[[サタニック・マジェスティーズ]]』(イギリス3位;アメリカ2位)がリリースされた<ref name=stonemag />{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 46}}。『サタニック・マジェスティーズ』はミック、キース、ブライアンが訴訟問題を抱えるという難しい状況の下でレコーディングが行われた。バンドはこのセッション中にプロデューサーのアンドリュー・オールダムと袂を分かった。この分裂は少なくとも公的には友好的であったが{{sfn|Wyman|2002|p=290}}、ミックは2003年に「アンドリューが去った理由は、彼は俺たちが集中していないと考え、俺たちは幼稚であると思ったからだ。本当に最悪な瞬間だった。そして俺はアンドリューにとっても最悪な瞬間だったろうと思ったよ。そこには気を散らすようなことがたくさんあって、その時点で集中させる必要があった。それはアンドリューの仕事だった。」と語っている<ref name=stonemag />。
このように、『サタニック・マジェスティーズ』はストーンズが自らプロデュースした最初のアルバムとなった。そのサイケデリックなサウンドはカバーアートで補完され、{{仮リンク|マイケル・クーパー (写真家)|en|Michael Cooper (photographer)|label=マイケル・クーパー}}による3D写真が貼り付けられた。クーパーは『サージェント・ペパー』のカバー写真も担当していた。ビル・ワイマンの「[[イン・アナザー・ランド]]」はシングルカットもされたが、これはミックがリードを歌わなかった初の曲となった{{sfn|Wyman|2002|pp=296-298}}。
[[File:Keith-Richards and guitar.jpg|thumb|upright|right|キース・リチャーズ、1972年]]
バンドは1968年前半の数ヶ月間、次のアルバムの素材に取り組んだ。このセッションから5月にシングルとして「[[ジャンピン・ジャック・フラッシュ]]」がリリースされた。この曲とアルバム『[[ベガーズ・バンケット]]』(イギリス3位;アメリカ5位)は、カントリーソングとブルースからインスパイアされた曲を網羅し、バンドのルーツへの回帰を示し、プロデューサーの[[ジミー・ミラー]]とのコラボレーションの始まりとなった。本作には「[[ストリート・ファイティング・マン]]」(1968年5月の政治的な騒乱に影響を受けた)と「[[悪魔を憐れむ歌]](Sympathy for the Devil)」も収められた<ref>{{cite journal |last=DeCurtis |first=Anthony |authorlink=Anthony DeCurtis |date=17 June 1997 |title=Review: Beggars Banquet |journal=[[Rolling Stone]] |location=New York |url=https://www.rollingstone.com/recordings/review.asp?aid=49080&cf=422 |accessdate=9 July 2013 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020131191122/http://www.rollingstone.com/recordings/review.asp?aid=49080&cf=422 |archivedate=2002年1月31日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.rollingstone.com/music/lists/500-greatest-albums-of-all-time-19691231/beggars-banquet-the-rolling-stones-19691231 |title=''Beggars Banquet'' |date=January 2003 |accessdate=22 November 2014 |work=Rolling Stone}}</ref>。「[[悪魔を憐れむ歌]]」は、「歌詞が神を冒涜している」という宗教団体からの抗議が起こり、このアルバムが大量に燃やされるという事件があった。この曲のレコーディング風景は、[[ジャン=リュック・ゴダール]]監督による音楽映画『[[ワン・プラス・ワン]]』として記録されている。
『ベガーズ・バンケット』はリリース直後、好意的に評価された。<!--Richards said, "There is a change between material on ''Satanic Majesties'' and ''Beggars Banquet''. I'd grown sick to death of the whole Maharishi guru shit and the beads and bells. Who knows where these things come from, but I guess [the music] was a reaction to what we'd done in our time off and also that severe dose of reality. A spell in prison ... will certainly give you room for thought ... I was fucking pissed with being busted. So it was, 'Right we'll go and strip this thing down.' There's a lot of anger in the music from that period."{{sfn|Jagger|Richards|Watts|Wood|2003|p=114}}-->キースはこの頃からリズムパート(しばしば[[カポタスト|カポ]]と一緒に)に[[オープン・チューニング]]を使い始めた。1968年にはオープンEまたはオープンDチューニングが最も顕著だった。1969年になるとしばしば5弦のオープンGチューニング(6弦は取り外した)を使うようになり、1969年のシングル「ホンキー・トンク・ウィメン」、 「ブラウン・シュガー」(『スティッキー・フィンガーズ』1971年)、 「ダイスを転がせ(Tumbling Dice)」(カポIV)、「ハッピー」(カポIV)(『メインストリートのならず者(Exile on Main St.)』1972年)、「スタート・ミー・アップ」(『刺青の男(Tattoo You)』1981年)などで聴かれるようになった<ref>Chris Gill (1995). "Guitar legends: the definitive guide to the world's greatest guitar players". p. 108. HarperPerennial,</ref>。
1968年末には『[[ロックンロール・サーカス]]』の撮影が行われた。同作には[[ジョン・レノン]]、[[オノ・ヨーコ]]、[[ザ・ダーティ・マック]]、[[ザ・フー]]、[[ジェスロ・タル]]、[[マリアンヌ・フェイスフル]]、[[タジ・マハール]]らが出演した。映像は28年間にわたって公開されなかったが、最終的に1996年に正式にリリースされた<ref>{{cite web| title= Taking a Trip Back in Time To the Sleek Young Stones| url= https://www.nytimes.com/1996/10/12/movies/taking-a-trip-back-in-time-to-the-sleek-young-stones.html | first= Janet |last= Maslin| authorlink= Janet Maslin | date= 12 October 1996 | publisher= The New York Times | accessdate=2012-08-23}}</ref>。2004年10月にはDVD版がリリースされた<ref>{{cite web| title= Starry Circus| first= Christopher John| last= Farley| url= https://time.com/time/magazine/article/0,9171,995383,00.html| date= 18 October 2004 | publisher= Time |accessdate=2012-08-23}}</ref>。
『ベガーズ・バンケット』のリリース後、ブライアン・ジョーンズはますますトラブルを起こし、バンドへの貢献は散発的なものとなっていた。ミックはブライアンが「この生き方には心理的に適していない」と述べている{{sfn|Jagger|Richards|Watts|Wood|2003|p=128}}。彼の薬物使用は障害になっており、彼はアメリカ合衆国の[[査証|ビザ]]を取得することができなかった。キースは、ブライアンの家で6月に行われたミック、キース、チャーリーの話し合いでブライアンは「再びロードに出る」ことができないと認め、「俺は辞める。そしてもし俺がそうしたければ俺は戻ってくることができる。」と言ってバンドを脱退した、と伝える{{sfn|Greenfield|1981}}。脱退から1ヶ月足らずの1969年7月3日、ブライアンは[[ハートフィールド (イースト・サセックス)|ハートフィールド]]にある[[コットフォード・ファーム]]の自宅のプールで、不思議な状況の下に溺死しているところを発見された<ref>Bill Wyman, Richard Havers. (2002). ''Rolling With The Stones'', p. 329</ref><ref>{{cite web|url=https://www.dailymail.co.uk/femail/article-1353783/Being-Brian-Joness-son-greatest-thing-happened-me.html|title=Being Brian Jones's son is the greatest thing that never happened to me|work=Mail Online|accessdate=25 September 2014}}</ref>。ちなみにブライアン邸は、以前『[[クマのプーさん]]』の作者として有名な[[A・A・ミルン]]が住んでいた家でもある。
ストーンズはブライアンの死から2日後となる7月5日に、[[ロンドン]]の[[ハイド・パーク (ロンドン)|ハイド・パーク]]にある[[ブラックヒル・エンタープライズ]]の無料コンサートで演奏を行う予定だった。彼らはブライアンの追悼としてコンサートを行うことに決めた。ブライアンの後任となる新ギタリストはジョン・メイオール&[[ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ|ブルースブレイカーズ]]出身の[[ミック・テイラー]]に決定し、テイラーとの最初のコンサートは、推定250,000人のファンの前で行われた<ref name=stonemag />。演奏は[[ITVグラナダ|グラナダテレビ]]の制作チームによって撮影され、イギリスでは『[[ハイドパーク・フリーコンサート|ストーンズ・イン・ザ・パーク]]』として放映された。ミックは[[パーシー・ビッシュ・シェリー]]が友人[[ジョン・キーツ]]の死を悼んで書いた詩「{{仮リンク|アドナイス|en|Adonais}}」からの一節を朗読した。彼らはブライアンの記憶の中で何千匹もの蝶を放った<ref name=stonemag />。ショーのオープニングでは[[ジョニー・ウィンター]]の「アイム・ユアーズ・アンド・アイム・ハーズ」が演奏された<ref name="StonesinthePark"/>。
また、次回作の『[[レット・イット・ブリード]]』(1969年12月)からの未発表曲「[[ミッドナイト・ランブラー]]」「[[むなしき愛]](Love in Vain)」および『メインストリートのならず者』(1972年5月)からの「[[ラヴィング・カップ|ギブ・ミー・ア・ドリンク]]」も演奏された。このコンサートはリリースされたばかりの「ホンキー・トンク・ウィメン」の初演でもあった。ブラックヒル・エンタープライズのステージ・マネージャー、[[サム・カトラー]]は彼らを「世界最大のロックンロール・バンド<ref>[https://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/9694545/Rolling-Stones-are-they-really-the-worlds-greatest-rock-n-roll-band.html "Rolling Stones: are they really the world’s greatest rock ’n’ roll band?"]. The Telegraph. Retrieved 2 July 2015</ref><ref name="StonesinthePark">{{cite video |people=The Rolling Stones |title=The Stones in the Park |medium= DVD released 2006 |publisher=Network Studios |year=1969 }}</ref>」として紹介した。カトラーはその後ストーンズのロードマネージャーとなり、69年アメリカツアーでは前述の紹介を繰り返した<ref>{{cite web|url=https://www.smh.com.au/entertainment/music/the-rolling-stones-were-never-bad-boys-says-former-manager-sam-cutler-20141006-108w4e.html|title=The Rolling Stones were never bad boys, says former manager Sam Cutler|work=Sydney Morning Herald|accessdate=22 November 2014}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.grammy.com/news/the-rolling-stones-still-the-worlds-greatest-rock-and-roll-band|title=The Rolling Stones: Still The World's Greatest Rock And Roll Band?|work=Grammy.com|accessdate=2 July 2015}}</ref>。
『[[レット・イット・ブリード]]』(イギリス1位;アメリカ3位)は12月にリリースされた。60年代の最後のアルバムである本作には「[[ギミー・シェルター]]」が収録された。この曲では女性ヴォーカリストとして[[メリー・クレイトン]]([[リトル・フィート]]のメンバーである[[サム・クレイトン]]の姉)が起用され、有名なソロ部分を歌っている<ref>{{cite web|last=Marcus|first=Greil|url=https://www.rollingstone.com/music/albumreviews/let-it-bleed-19691227|title=Let It Bleed - album review|work=Rolling Stone|date=27 December 1969|accessdate=7 December 2012}}</ref>。
その他には「[[無情の世界]](You Can't Always Get What You Want)」(ロンドン・バッハ合唱団はコーラスで参加したが、他の収録曲の内容から「恐れ」たためクレジットの削除を要求した。しかしその後この要求を撤回した。)、「[[ミッドナイト・ランブラー]]」、[[ロバート・ジョンソン]]のカヴァーである「[[むなしき愛]]」が含まれた。ブライアンとテイラーはそれぞれ2曲に参加している。
ストーンズはアメリカツアーの直後、サンフランシスコから東に約50マイル離れた[[オルタモント・スピードウェイ]]で行われた[[オルタモント・フリーコンサート]]に出演。このコンサートはストーンズからの[[クリスマスプレゼント]]として入場無料で企画されたものであったが、20万人から50万人の観客が殺到したこと<ref>青鉛筆『朝日新聞』1969年(昭和44年)12月8日朝刊 12版 15面</ref>に加え設営の準備不足から大混乱に陥った。警備に雇われた暴走族[[ヘルズ・エンジェルス]]が、観客の黒人青年[[w:en:Death of Meredith Hunter|メレディス・ハンター]]が武器を持っていたとして彼を刺殺するという、いわゆる「[[ヘルズ・エンジェルス#オルタモントの悲劇|オルタモントの悲劇]]」も起こった<ref>{{cite web|last=Burks|first=John|url=https://www.rollingstone.com/news/story/_/id/5934386|title=Rock & Roll's Worst Day: The Aftermath of Altamont|work=Rolling Stone|date=7 February 1970|accessdate=18 April 2007|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071101083841/http://www.rollingstone.com/news/story/5934386/rock__rolls_worst_day|archivedate=2007年11月1日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。ツアーの一部とオルタモント・コンサートの様子は[[メイスルズ兄弟]]の手によって『[[ギミー・シェルター (映画)|ギミー・シェルター]]』に収められた。また、[[海賊版]]が広く出回るようになったため(本ツアーの様子は「''[[Live'r Than You'll Ever Be]]''」としてリリースされた)、その対応として『[[ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト]](イギリス1位;アメリカ6位)』が1970年にリリースされた。評論家の[[レスター・バングス]]は史上最高のライブアルバムと評している<ref>{{cite web|last=Bangs|first=Lester|url=https://www.rollingstone.com/music/albumreviews/get-yer-ya-yas-out-19701112|title=Get Yer Ya-Ya's Out - album review|work=Rolling Stone|date=12 November 1970|accessdate=14 July 2013}}</ref>。
この年の大晦日には60年代のヒット曲を特集したBBC製作の番組「''[[:w:en:Pop Go The Sixties|Pop Go The Sixties]]''」に出演し、ストーンズは「ギミー・シェルター」を演奏している。
=== 1970–1974 ===
[[File:Mick Taylor2.jpg|thumb|right|ミック・テイラー、1972年]]
1970年、バンドは[[アラン・クレイン]]および[[デッカ・レコード]]との契約を終了した。クレインとの契約紛争の間に、バンドは自らのレーベル、「[[ローリング・ストーンズ・レコード]]」 (Promotone BV) を設立した。同レーベルからの第1弾作品として『[[スティッキー・フィンガーズ]]』(イギリス1位;アメリカ1位)を1971年3月にリリースした。アルバムジャケットは[[アンディ・ウォーホル]]がデザインした<ref name="Goldstein">{{cite web|last=Goldstein|first=Mike|title=UnCovered Interview - The Rolling Stones Lips & Tongue logo, with designs by Ernie Cefalu|url=https://rockpopgallery.typepad.com/rockpop_gallery_news/2009/07/uncovered-interview-part-2-rolling-stones-lips-logo-by-ernie-cefalu.html|work=RockPoP Gallery|publisher=RockPoP Gallery|accessdate=22 November 2014}}</ref>。同作には「ブラウン・シュガー」「ワイルド・ホース」が収められたが、これらは1969年のアメリカン・ツアー中に[[アラバマ州]]の[[マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ]]で録音されたものであった。アルバムはブルースの影響を強く受けた前2作の路線を引き継いでいた。その特徴として「ルーズで、今にも崩れそうな雰囲気<ref>[https://www.allmusic.com/album/sticky-fingers-mw0000195498 "Sticky Fingers"] ''[[allmusic]]''. Retrieved 2013-03-02.</ref>」を持ったアルバムであり、また、ミック・テイラーが完全参加した初のアルバムでもあった。ストーンズのデッカでの作品権利はクレインの[[アブコ・レコード|アブコ]]レーベルが所有している。
『スティッキー・フィンガーズ』のリリース後、バンドは金融面での勧告を受ける。高率課税に辟易したミックとキース、ビルの3人は[[フランス]]南部へ移住。バンドは移住直前に[[イギリス]]で「フェアウェル」ツアーを行った。キースは[[ヴィルフランシュ=シュル=メール]]に家を借り、メンバーや友人達と生活した。バンドは[[モービル・ユニット]]を使い、地下室でレコーディングを行った。そのマテリアルは最終的にロサンゼルスのサンセット・スタジオで編集が行われ、2枚組アルバム(CDでは1枚)『[[メイン・ストリートのならず者]]』(イギリス1位;アメリカ1位)として1972年5月にリリースした。評論家[[ロバート・クリストゴー]]はこのアルバムをA+と評価し<ref>[http://www.robertchristgau.com/get_artist.php?name=rolling+stones "Reviews - The Rolling Stones"] ''Robert Christgau''. Retrieved 30 August 2007.</ref>、レスター・バングズはこのアルバムに低評価を与えたが、数ヶ月の内にその評価を一転させ、『ならず者』はストーンズの最高傑作の一つであると認めている<ref>[https://www.allmusic.com/album/exile-on-main-st-mw0000191639 "Exile on Main St."] ''AMG'', 2007. Retrieved 2013-03-02.</ref>。アルバム発表後、3年ぶりの全米ツアーを行った。その頃に撮影された映画『[[コックサッカー・ブルース]]』(未公開)と『{{仮リンク|レディース・アンド・ジェントルメン (映画)|en|Ladies and Gentlemen: The Rolling Stones|label=レディース・アンド・ジェントルメン}}』(1974年)はツアーのドキュメンタリーであり、[[テリー・サザーン]]も出演している。
1972年11月、バンドは[[ジャマイカ]]の[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]]でセッションを始める。『[[山羊の頭のスープ]](Goats Head Soup)』(イギリス1位;アメリカ1位)は1973年にリリースされた。シングル「[[悲しみのアンジー]](Angie)」は世界的なヒットとなり商業的には成功したが、生ぬるく容認された最初のアルバムであった<ref>Erlewine, Stephen Thomas. [https://www.allmusic.com/album/goats-head-soup-mw0000650701 The Rolling Stones "Goats Head Soup"]. ''allmusic''. 2007 . Retrieved 17 June 2007.</ref>。本作のセッションでは数多くのアウトテイクが生じ、例えば「友を待つ(Waiting on a Friend)」の初期バージョンも録音されていた。同曲は8年後に『刺青の男』で発表された。
[[File:Bill Wyman - Rolling Stones - 1975.jpg|thumb|left|150px|ビル・ワイマン、1975年]]
レコーディングはドラッグに関する別の法廷闘争で中断された。それはフランス滞在当時までさかのぼり、キースの逮捕令状も発行され、他のメンバーは証言のためフランスに戻らなければならなかった<ref name="rollingwithp408">Wyman 2002. p. 408</ref>。これと平行してミックのドラッグに関する裁判(1967年および70年<ref name="rollingwithp361">Wyman 2002. p. 361</ref>)が行われ、73年初めに予定されていたパシフィック・ツアーの計画を複雑な物とした。日本公演は前年に発表されていたが、メンバーの麻薬所持による逮捕歴や、[[ビートルズ]]来日の時のような混乱を避けるためという理由により、入国許可が下りず、チケットが完売していたにもかかわらず、公演が直前になって中止に。その後、[[1990年]]の初来日までストーンズのライヴは夢のまた夢といわれていた。キースは6月にイギリスで逮捕された<ref name="rollingwithp412">Wyman 2002. p. 412</ref>。その後3年ぶりの[[ヨーロッパ]]・ツアーはフランスを迂回して、9月から10月にかけて行われた。
バンドは[[ミュンヘン]]のミュージックランド・スタジオで次回作のレコーディングを行う。アルバム『[[イッツ・オンリー・ロックンロール]]』(イギリス2位;アメリカ1位)は1974年にリリースされたが、[[ジミー・ミラー]]は麻薬の問題もありプロデューサーを降りていた。代わってミックとキースが「グリマー・ツインズ」としてプロデュースを行った。アルバムのタイトルナンバー「イッツ・オンリー・ロックンロール」は名義こそジャガー/リチャーズになっているものの、実際には[[ロン・ウッド]]が作曲し、ミックが詞をつけるという意外な形で完成された。これは、同曲が元々[[ロン・ウッド]]が[[ソロ (音楽)|ソロ]][[アルバム]]のレコーディングのために曲を作っていたため。“たかがロックンロール、でも俺はそれが好きなんだ”というストーンズの意気地ともいえる歌詞は、[[ロン・ウッド]]の自宅にきて酒を飲み交わしていた際にミックと[[フェイセズ]]のメンバーである[[ケニー・ジョーンズ]]との口論から生まれたという。これが原因なのか定かではないが、同曲のヴォーカルはミックとケニーの二人がとっている。これは結果的に、後のメンバー昇格する要因の一つだったと思われる(ジャガー/リチャーズ/ウッドという共同名義で作曲をしているものがある)。
1974年の終わり頃になると、テイラーはメンバーとして我慢がならなくなっていた<ref>[https://www.allmusic.com/artist/mick-taylor-mn0000470588 "Mick Taylor Biography"] ''[[allmusic]]''. Retrieved 25 June 2007.</ref>。バンドの状況は複雑な物になっており、互いに異なった国に住み、法的な問題が正常なツアーを制限するようになっていた。加えて、キースは薬物使用が進み、そしてテイラーは自身の創造的な貢献が認められていないと感じていた<ref name="micktaylorinterview">{{cite web |last=James |first=Gary |title=Gary James' Interview With Mick Taylor of the Rolling Stones |url=http://www.classicbands.com/MickTaylorInterview.html |accessdate=21 February 2008 }}</ref>。年末、ミュンヘンでのセッションの間にテイラーはストーンズを脱退した<ref>[http://www.micktaylor.net/why_mick_taylor_quit_the_stones.html Smith, Curtis. "Why Mick Taylor Quit the Stones"] ''micktaylor.net''. Retrieved 25 June 2007.</ref>。1980年に彼は「僕は少しうんざりするようになっていた。僕は自分のギタリストとしての範囲を広げて、他に何かしたかった。...僕は当時、本当は歌を書いたり作ったりしていなかった。僕はちょうど書き始めていたんだ。そして、それは僕の決定に影響した。...頂きから頂きへとずっと渡っていける何人かの人がいる。彼らは他の誰かの成功に沿って乗ることができる。そして、それが十分でない何人かの人々もいる。僕は本当にそれが十分でなかった。」と語っている<ref>Obrecht, Jas: "Mick Taylor: Ex-Rolling Stones On His Own", page 20. Guitar World, February 1980</ref>。
=== 1975–1982 ===
[[File:Mick Jagger and Ron Wood - Rolling Stones - 1975.jpg|thumb|upright|ロン・ウッド(左)、ミック・ジャガー(右)、1975年]]
1975年、テイラーの後任ギタリストを探すため、[[ミュンヘン]]で後に「[[グレイト・ギタリスト・ハント]]」と呼ばれるオーディションを行った。このセッションに招待されたのは、後にメンバーとなる[[ロン・ウッド]]の他、[[ハンブル・パイ]]のリード・ギタリストであった[[ピーター・フランプトン]]、[[ジェフ・ベック]]、[[ロリー・ギャラガー]]、[[ウエイン・パーキンス]]、[[ハービィ・マンデル]]などがいた(ジェフとロリーは当初、オーディションだったことを知らなかったと語っている。また、彼らは決して加入に同意しなかったろうとも語っている)。[[シュギー・オーティス]]もこのセッションに参加したが、加入には至らなかった。パーキンスとマンデルのプレイは、『[[ブラック・アンド・ブルー (ローリング・ストーンズのアルバム)|ブラック・アンド・ブルー]]』(イギリス2位;アメリカ1位)に収められた。しかしながらキースとミックは、ストーンズを純粋なブリティッシュバンドのままにしておきたかった。ロンがオーディションを受けると、満場一致で決まった<ref name="accordingtop174">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 174.</ref>。
ロンとキースは、すでにレコーディングやライヴで共演しており、「[[イッツ・オンリー・ロックンロール (曲)|イッツ・オンリー・ロックンロール]]」の作曲およびレコーディングに貢献していた。彼は、ミックのオファーを[[フェイセズ]]との絆を理由に断っており、「それは本当に俺にとって重要だった」と語っている<ref name="record/ref">The Rolling Stones - Off The Record by [[Mark Paytress]], [[Omnibus Press]], 2005, page 239. ISBN 1-84449-641-4</ref>。ロンは、ストーンズの75年北米ツアーへの参加を公約したが、それは[[ロッド・スチュワート]]がフェイセズを正式脱退し解散したことを受けてであって、諸説はありながらもこの時点を「ロンのローリング・ストーンズの加入」とする説が一般的である。他のストーンズのメンバーとは異なり、およそ20年後にビルが脱退するまでバンドからサラリーを受ける立場であった。ビルの脱退後、ロンはバンドの収益面でもストーンズの正式メンバーとなった。
[[File:Rolling Stones 23 July, 1975.jpg|thumb|250px|right|ツアー・オブ・アメリカ '75、1975年7月23日]]
1975年北米ツアーは[[ニューヨーク]]の[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]において行われたトレーラーのステージ上でのライブで始まった。サポート・メンバーとしてロン(ギター)、[[ビリー・プレストン]](キーボード)、[[オリー・ブラウン]](パーカッション)などが参加した。公演によっては、[[イアン・スチュワート (ミュージシャン)|イアン・スチュワート]](ピアノ)が参加している。ステージには巨大な[[ファルス (性)|ファルス]]とロープが現れ、ミックは聴衆の上でそれを揺り動かした。ミックは[[トロント]]の[[エル・モカンボ]]・クラブでのライブレコーディングを設定し、その様子はバンド久々のライブ盤となった『[[ラヴ・ユー・ライヴ]]』(イギリス3位;アメリカ5位)に収められた。
[[1976年]]3月に、ロンのストーンズへの正式加入が発表され、同時にツアーも発表された。4月、前年のメンバーのまま[[ヨーロッパ]]・ツアーを行うと同時に、ロン正式加入後初のアルバム『[[ブラック・アンド・ブルー (ローリング・ストーンズのアルバム)|ブラック・アンド・ブルー]]』がリリースされた。
しかしツアー中のキースは、[[ヘロイン]]による依存症状がかなり悪化し、公演中に居眠りや、ホテルでは禁断症状が出て心臓が停止しかけるなど、アクシデントが後を絶たなかった。それを見ていたロンは、警察をごまかしてわざわざヘロインを調達して来たというエピソードがある。ストーンズはツアーの締めとして[[ネブワース・フェスティバル]]に出演し、25万人を超える聴衆の前で演奏した。
1977年2月、キースはトロントへの到着が遅れた。他のメンバーはすでにトロント入りし彼を待っており、キースに対してどこにいるのかと尋ねる電報を送っている。2月24日、[[アニタ・パレンバーグ]]と共にトロントに到着したキースは税関によって足止めされた。荷物の中からカナビス10グラムとヘロインの形跡が発見されたためであった。アニタは逮捕されたが、出廷を約束し釈放された。その3日後、アニタの逮捕状を持った[[王立カナダ騎馬警察]]がキースの部屋を訪れ、22グラムのヘロインを発見した<ref name="rvr518">Greenspan, Edward (editor), ''Regina'' v. ''Richards'' 49 C.C.C. (2d), ''Canadian Criminal Cases'' (1980), Canada Law Book. p. 518</ref>。キースは麻薬密輸の罪で告発される<ref name="Sandford225">Sandford, Christopher. ''Keith Richards: Satisfaction'', Caroll & Graf: New York, 2003, p. 225</ref>。後に検察官は、キースがカナダ到着後にヘロインを入手したと認めた<ref name="rvr">Greenspan, Edward (editor), ''Regina'' v. ''Richards'' 49 C.C.C. (2d), ''Canadian Criminal Cases'' (1980), Canada Law Book. p. 517-27</ref>。バンドはエル・モカンボ・クラブという小さなクラブでの2回のライヴのためにカナダを訪問し、その際に起こった事件だった。ライヴの様子はアルバム『[[ラヴ・ユー・ライヴ]]』に収録された。同時にこのカナダ訪問では、当時の首相[[ピエール・トルドー]]の夫人、[[マーガレット・トルドー]]とのスキャンダルがあり、マーガレットがショーの後にバンドとのプライベート・パーティに出席したことが判明するとより多くの論争が巻き起こった。バンドが行った2回のライヴは公には告知されず、エル・モカンボはその週全部をカナダのバンド、[[エイプリル・ワイン]]のレコーディングで予約されているとしていた。ローカルラジオ局の[[CHUM (AM)|1050 CHUM]]が、エイプリル・ワインの無料ライヴチケットをラジオ番組のコンテストの当選者に配布していた。当選者達は金曜日と土曜日に行われたライヴで、ローリング・ストーンズがステージに現れたのを見て驚いていた<ref name="Sandford227" />。
3月4日、アニタは空港での一件に関して罰金を命じられた<ref name="Sandford227">Sandford, Christopher. ''Keith Richards: Satisfaction'', Caroll & Graf: New York, 2003, p. 227</ref>。キースに対する裁判は1年以上長引くこととなった。結局は執行猶予を受け、[[オシャワ]]で2回のチャリティ・コンサートを行うよう命じられた<ref name="rvr" />。2つのコンサートは共にローリング・ストーンズと[[ニュー・バーバリアンズ]](ロニーが最新のソロアルバムをプロモートするために結成したバンドにキースが加わったグループ)の共演で行われた。この一件でキースはヘロインの使用を止めようと固く決心することとなった<ref name="stonemag" />。また、3番目の子ども(タラ)の死以来張り詰めていたアニタとの関係の終焉にも大きく影響した。さらにアニタはキースがヘロインを止めようと努力していた際も、ヘロインに耽溺するのを止めることはできなかった<ref>Sandford, Christopher. ''Keith Richards: Satisfaction'', Caroll & Graf: New York, 2003, p. 232-3, 248-250</ref>。キースが法的および個人的な問題を解決しようとしていた間、ミックは飛び回る生活を続けていた。彼はニューヨークのディスコクラブ、[[スタジオ54]]の常連で、しばしばモデルのジェリー・ホール{{enlink|Jerry Hall}}と訪れていた。[[ビアンカ・ジャガー|ビアンカ]]との結婚生活は長年の別居の後1977年に終了した<ref>{{Cite news | url = https://www.telegraph.co.uk/news/1400291/Seventies-and-Eighties.html | title = Seventies and Eighties | newspaper=Telegraph | location = London | date = 1 August 2003 | accessdate =2 August 2010}}</ref>。
ストーンズは70年代前半からの人気を維持していたが、評論家達はバンドの勢いが衰えたと言い、レコードの売り上げも期待外れになった<ref name="rockhall"/>。70年代後半に[[パンク・ロック|パンク・ムーブメント]]が生じると、その支持者はストーンズを年老いた金持ちの音楽であり<ref name="stonemag" />、停滞して無意味であると批判した<ref name="AMGsomegirls">{{cite web| last = Erlewine| first = Stephen Thomas| title = Some Girls|work=[[オールミュージック]]| publisher=All Media Guide| url = https://www.allmusic.com/album/some-girls-mw0000191642| accessdate =1 June 2006}}</ref>。これは1978年になると一変した。アルバム『[[女たち (アルバム)|女たち]]』(イギリス2位; アメリカ1位)がリリースされ、「ミス・ユー」「ファーラウェイ・アイズ」「ビースト・オブ・バーデン」「シャッタード」がシングルカットされた。これらはパンク・ムーブメントでの批判に対する返答とされ、大半がテンポの速い単純なギタードライヴのロックンロールであった<ref name="AMGsomegirls"/>。アルバムの成功は若年層の人気回復に貢献した。アルバム発表と同時に全米ツアーが始まり、バンドはプロモーションとして「[[サタデー・ナイト・ライブ]]」に出演した。バンドは翌年のヨーロッパツアーは行わず、1967年以来3年ごとに行っていたツアーのルーチンは破られた。
[[1979年]]4月、裁判所の命令に従ってチャリティ・コンサートを[[オシャワ・ホール]]で開く。ニュー・バーバリアンズはよくキースがリーダーだと誤解されているが、実際はロンであり、メディアがこぞってキースに注目したためと思われる。バーバリアンズは、5月いっぱいまで全米ツアーを行った。メンバーはロン(ヴォーカル&ギター)、キース(ギター&ヴォーカル)、[[イアン・マクレガン]](キーボード&ピアノ)、[[スタンリー・クラーク]](ベース)、[[ジョセフ・モデリステ]](ドラムス)、[[ボビー・キーズ]](サックス)。このツアーの模様は、ロンが設立したレコード会社よりライヴ・アルバム(L.A.公演のもの)として、2006年になってようやく日の目を見た。またロンは、来日公演も考えたという。
ストーンズは79年、80年ごろにははっきりスランプに陥っていた。これをずばり指摘したのはDJ小林克也ぐらいである。『女たち(Some Girls)』の成功に続いて、ストーンズは1980年中頃に『[[エモーショナル・レスキュー]]』(イギリス1位; アメリカ1位)を発表した<ref name="Nelson">Murry R. Nelson (2010) [https://books.google.co.uk/books?id=croxYiKYxz0C&pg=PA92&dq=EMOTIONAL+RESCUE+-+ROLLING+STONES&hl=en&sa=X&ei=s3PqTsDbJMfE4gTIgd2hCQ#v=onepage&q=EMOTIONAL%20RESCUE%20-%20ROLLING%20STONES&f=false The Rolling Stones: A Musical Biography] p.93. Retrieved 15 December 2011</ref>が、このアルバムの録音は、ミックとキースの関係が悪化したことと、音楽的スランプのため、混乱に陥ったとされている<ref name="Nelson"/>。キースは未だにヘロインを使用していたと[[イアン・マクレガン]]は語った<ref name="autogenerated2">{{cite book |last= McLagan|first= Ian |title= All the Rage: A Riotous Romp Through Rock and Roll History|year= 2000|publisher=St. Martin's Press|id= {{ISBN2| 0-8230-7842-6|9780823078424}}}}</ref>。キースはまたアルバムのプロモーションとして80年の夏か秋にツアーを行いたがったが、ミックはこれを拒否した<ref name="Nelson"/>。『エモーショナル・レスキュー』はアメリカとヨーロッパで共に1位となり、シングル「エモーショナル・レスキュー」はアメリカで3位となった<ref name="Nelson"/>。
1981年初めにバンドは再結集し、その年に全米ツアーを行うことを決定した。その年前半の僅かな時間でアルバムを作成し、ツアーのリハーサルを行った。『[[刺青の男 (アルバム)|刺青の男]]』(イギリス2位; アメリカ1位)は8月31日にリリースされ、このアルバムより先行シングルで、ミックに「80年代の代表曲」といわしめた「[[スタート・ミー・アップ]]」がリリースされ、アメリカで2位、ビルボードのその年のチャートでは22位を記録した。2つの曲、「友を待つ」(アメリカ13位)「トップス」ではミック・テイラーがギターをプレイした。一方「奴隷(Slave)」と「友を待つ」では[[ソニー・ロリンズ]]がサックスをプレイした。また、「ハング・ファイヤー」もビルボードのチャートで20位を記録した。3年ぶりとなる全米ツアーは公演の規模が70年代のツアーとは破格の規模であり、9月25日から12月19日まで行われた。ツアーそのものは非常にエネルギッシュで、それまでと比べると(麻薬の影響もあっただろうが)かなり新鮮味のあるツアーとなっていた。同ツアーはその年の最高を売り上げたツアーとなり、いくつかのショーは録音された。その模様は翌年にライヴ・アルバム『[[スティル・ライフ (ローリング・ストーンズのアルバム)|スティル・ライフ]]』(イギリス4位; アメリカ5位)として発表された。また、1983年には[[ハル・アシュビー]]によって映画『[[レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー]]』として公開された。この映画には[[アリゾナ州]][[テンピ (アリゾナ州)|テンピ]]の[[サン・デヴィル・スタジアム]]、[[ニュージャージー州]][[メドウランズ・スポーツ・コンプレックス|メドウランズ]]の[[アイゾッド・センター|ブレンダン・バーン・アリーナ]]での公演が収録された。
1982年中頃、バンド結成20周年を記念するため、6年振りとなるヨーロッパ・ツアーを開始。前年の全米ツアーを踏襲した物であった。このツアーで、元[[オールマン・ブラザーズ・バンド]]の[[チャック・リーヴェル]]がサポート・メンバーとして加わる。このヨーロッパ・ツアーを最後に、ストーンズは[[1989年]]までライヴ活動を休止することとなる。年末までにバンドは新しいレーベル、[[コロムビア・レコード|CBS]]と4作のアルバムのリリースを2,800万ドルで契約した。
=== 1983–1991 ===
[[File:The Rolling Stones 1972 by Dan Volonnino.jpg|thumb|240px|right|ストーンズ、1972年]]
アトランティックとの契約を終える前の1983年後半に、ストーンズは『[[アンダーカヴァー (ローリング・ストーンズのアルバム)|アンダーカヴァー]]』(イギリス3位; アメリカ4位)をリリースした。好意的なレビューとタイトルトラックのトップ10入りにもかかわらず、アルバムの売り上げは期待に外れ、サポートのツアーも行われなかった。新たなレーベル、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)|CBSレコード]]がアトランティックの旧譜を引き継いだ。
このアルバムのセッションの頃から徐々にメンバー内の人間関係が悪化(81~82年のツアー中にもそれはミックとキースとの間に現れ始めているが)し始め、ミックはCBSとソロ契約を結び、キースはこれに対して驚きを感じていた。そして、ミックは最初のソロアルバムのために1984年の大半を費やすこととなった。また、彼はストーンズの枠組みの中で無意味にされると感じていたと述べている<ref>[[25x5 - The Continuing Adventures of the Rolling Stones]]</ref>。1985年までにミックはソロレコーディングに多くの時間を費やし、ストーンズの1986年のアルバム『[[ダーティ・ワーク]]』(イギリス4位; アメリカ4位)では多くの曲がキース作の物であり、以前のアルバムよりロンが多くの貢献をした。本作はパリで録音され、キースがレコーディングを続けて先に進めたのに対しミックは休みがちであった<ref>Keith Richards. (2010). "[http://books.googlem/books?id=G0lcEQexeEMC&pg=PT213&dq=richards+and+jagger+rarely+in+the+same+studio+-+dirty+work&hl=en&ei=sb_bTryjC4uWswadiOGvBg&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CDUQ6AEwAA#v=onepage&q&f=false Life]" Hachette UK, 2010.</ref>。
1985年6月、ミックは[[デヴィッド・ボウイ]]と共に「[[ダンシング・イン・ザ・ストリート]]」を録音、プロモーションビデオを撮影した。これは[[ライヴエイド]]のチャリティ・ムーブメントの一環として行われた物であった<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=2iQEAAAAMBAJ&pg=PA1&dq=dancing+in+the+street+-+JAGGER+BOWIE+live+aid&hl=en&sa=X&ei=vnNdT8mwCIPZ8AOu6dmEDw&redir_esc=y#v=onepage&q=dancing%20in%20the%20street%20-%20JAGGER%20BOWIE%20live%20aid&f=true Vidclip Heads for Movie Screens] p.1. Billboard (24 Aug 1985).</ref>。これはミックの最初のソロ・パフォーマンスの一つで、同シングルはイギリスで1位、アメリカで7位を獲得した<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-17011078 Sir Mick Jagger returns to UK singles chart] BBC. Retrieved 12 March 2012</ref><ref>Whitburn, Joel (2006). The Billboard Book of Top 40 Hits. Billboard Books</ref>。[[1985年]]12月、バンドの共同設立者でありキーボードを担当していた[[イアン・スチュワート (ミュージシャン)|イアン・スチュアート]]が心臓発作により死去した。47歳であった。バンドは1986年2月、[[グラミー賞]]、ライフタイム・アチーブメント賞を受賞する2日前にロンドンの[[100クラブ]]でプライベートの追悼コンサートを行った<ref name="nzentgraf"/>。
ミックのソロ活動、チャーリーのアルコールやドラッグ依存で人間関係がギクシャクしていた中、キースがうまくとりまとめ製作した『[[ダーティ・ワーク]]』は1986年3月にリリースされた。同作はアメリカでのトップ5ヒットとなった「[[ハーレム・シャッフル]]」が収録されていたにもかかわらず賛否両論の評価を受けた。また、前年に死去したイアン・スチュアートの短いピアノが最後に収録されている。キースとミックの関係は最悪で、ミックはアルバムプロモーションのためのツアーを拒否し、代わりにストーンズナンバーを含んだ自身のソロツアーを行った<ref name="RollingStoneJagger">[https://www.rollingstone.com/music/lists/the-25-boldest-career-moves-in-rock-history-20110318/mick-jagger-tours-solo-with-joe-satriani-19691231 Mick Jagger Tours Solo With Joe Satriani] Rolling Stone. Retrieved 4 December 2011</ref><ref>Christopher Sandford (1999). "Mick Jagger: primitive cool". p.268. Cooper Square Press, Retrieved 4 December 2011</ref>。キースはこの期間のミックとの関係を「第三次世界大戦」<ref name="accordingto2003p247">Jagger, Richards, Watts, Wood 2003. p. 247</ref>と呼んだ。バンド内のギクシャクした人間関係の結果、ストーンズはほぼ解散状態であった<ref name="RollingStoneJagger"/>。ミックのソロ『[[シーズ・ザ・ボス]]』(1985年、イギリス6位; アメリカ13位)と『[[プリミティヴ・クール]]』(1987年、イギリス26位; アメリカ41位)はある程度の成功を得た。そしてストーンズが不活発なままの1988年にメンバーの中で唯一ソロ活動をしていなかったキースがついに自身のバンド、[[エクスペンシヴ・ワイノーズ]]を結成し、ソロ活動を開始、最初のソロアルバム『[[トーク・イズ・チープ]]』(イギリス37位; アメリカ24位)を発表した。同作はファンと評論家から好意的に受け入れられ、アメリカではゴールドアルバムを獲得した<ref name="RIAA">[https://www.riaa.com/goldandplatinumdata.php RIAA Gold & Platinum database]. RIAA. Retrieved 4 December 2011</ref>。
1989年前半、[[ロックの殿堂]]入りした<ref>[https://www.rockhall.com/inductees/the-rolling-stones/ The Rolling Stones: inducted in 1989] The Rock and Roll Hall of Fame and Museum. Retrieved 4 December 2011</ref>。ミックとキースは憎しみを超えてニューアルバムの製作を働きかけた。実に3年ぶりとなるアルバム『[[スティール・ホイールズ]]』(イギリス2位; アメリカ3位)はストーンズの氷河期の終わりを告げるものだった。シングルは「[[ミックスト・エモーションズ]]」(アメリカ5位<ref name="steelwheelsawards">[https://www.allmusic.com/search/albums/steel+wheels Steel Wheels - The Rolling Stones | Awards | AllMusic]</ref>)、「ロック・アンド・ア・ハード・プレイス」(アメリカ23位<ref name="steelwheelsawards" />)、「オールモスト・ヒア・ユー・サイ」(アメリカ50位<ref name="steelwheelsawards" />)がリリースされた。中でも「ミックスト・エモーションズ」はメンバーの和解を象徴するナンバーであり、人間関係の悪化より停滞していたバンド活動の停止に終止符を打つこととなった。また、「コンチネンタル・ドリフト」は1989年にモロッコのタンジールで録音され、[[:w:en:The Master Musicians of Jajouka led by Bachir Attar|マスター・ミュージシャン・オブ・ジャジューカ]]が加わった。コーディネートはトニー・キングとシェリー・ナッティングが行い、BBCのドキュメンタリー「ザ・ローリング・ストーンズ・イン・モロッコ」がナイジェル・フィンチによって製作された。
アルバムのリリースに続き、8年ぶりとなる全米ツアー、日本・ヨーロッパなどを含むワールド・ツアー(北米及び日本では「[[スティール・ホイールズ・ツアー]]」、ヨーロッパでは「[[アーバン・ジャングル・ツアー]]」と銘打たれた)を開始。ツアーの実施告知がイベント化したのもこの頃からである。前座は[[リヴィング・カラー]]と[[ガンズ・アンド・ローゼズ]]などが担当し、バンドにはホーンセクション、バックアップシンガーの[[リサ・フィッシャー]]、[[バーナード・ファウラー]]が加わった。同ツアーからのライブアルバム『[[フラッシュポイント (アルバム)|フラッシュポイント]]』(イギリス6位; アメリカ16位)がリリースされた。同作には新曲2曲「[[:w:en:Highwire (song)|ハイワイアー]]」「セックス・ドライヴ」が含まれた。また、同ツアーからIMAX仕様のライブフィルム「[[:w:en:Stones at the Max|アット・ザ・マックス]]」が1991年に公開された。加えて同ツアーでは[[東京ドーム]]での初来日公演が実現した。麻薬常習などを理由に、以前は日本政府から許可が降りなかったもので、その後も何度か来日を果たすこととなる。
このツアーはビル・ワイマンにとって最後のツアーとなった。ビルはストーンズを脱退したが、1993年1月まで脱退を公式に発表しなかった<ref name="tioos-chronicle93">{{cite web |last =McPherson |first=Ian |title=The Rolling Stones Chronicle: 1993 |url= http://www.timeisonourside.com/chron1993.html |accessdate=21 March 2011}}</ref>。彼はその後バンドの歴史を綴った「ストーン・アローン」を出版した。数年後には[[:w:en:Bill Wyman's Rhythm Kings|リズム・キングス]]を結成し、再びレコーディングとコンサートツアーを始めた。
=== 1992–2004 ===
スティール・ホイールズ / アーバン・ジャングルツアーの成功後に、バンドは休息を取った。チャーリー・ワッツは2枚のジャズアルバムをリリースした。ロニー・ウッドは11年ぶりに5枚目のソロ・アルバム『[[スライド・オン・ディス]]』をリリースした。キース・リチャーズは1992年後半に2枚目のソロ・アルバム『[[メイン・オフェンダー〜主犯〜]]』(イギリス45位; アメリカ99位)をリリースして、スペインとアルゼンチンでの大規模コンサートを含む小ツアーを行った。ミック・ジャガーは3枚目のソロ・アルバム『[[ワンダーリング・スピリット]]』(イギリス12位; アメリカ11位)をリリースし、セールスの成功と高評価を得た。同作は世界中で200万枚以上のセールスを記録し、アメリカではゴールドアルバムを獲得した<ref name="RIAA"/>。
[[1993年]]1月のワイマン脱退後、ストーンズは[[ヴァージン・レコード]]と契約し、ライブ・アルバム3枚を除く『スティッキー・フィンガーズ』から『スティール・ホイールズ』までの旧譜をリマスターの上再発、コンピレーション・アルバム『[[ジャンプ・バック~ザ・ベスト・オブ・ザ・ローリング・ストーンズ|ジャンプ・バック]]』(イギリス16位; アメリカ30位)をリリースした。1993年までにストーンズは次のスタジオ・アルバムの制作に入った。[[マイルス・デイヴィス]]および[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]のサイドマンを務めた[[ダリル・ジョーンズ]]がワイマンの代わりとしてチャーリー・ワッツによって選ばれ、『[[ヴードゥー・ラウンジ]]』のレコーディングに参加した。同アルバムはイギリスで1位、アメリカで2位を獲得し、高評価および高売り上げを達成、アメリカでダブル・プラチナを獲得した。ワイマンが脱退した反動からか、ベースを中心とした低音重視の音作りをしており、曲調も新人バンドに戻ったような瑞々しさのある曲が多く、評論家はアルバムの「トラディショナリスト」な音に注目した。これは新たなプロデューサーの[[ドン・ウォズ]]に依るところが大きかった<ref>[https://www.allmusic.com/album/voodoo-lounge-mw0000178891 "Voodoo Lounge"] ''AMG'', 2007. Retrieved 2012-07-13.</ref>。同作は1995年の[[グラミー賞]]ベストロックアルバムを獲得した。
アルバムの発売に伴い、1994年から95年にかけて[[ヴードゥー・ラウンジ・ツアー]]が実施された。様々なコンサートおよびリハーサルからの録音(多くはアコースティックナンバー)が編集され、『[[ストリップド]]』(イギリス9位; アメリカ9位)がリリースされた。同作では[[ボブ・ディラン]]のカヴァー「[[ライク・ア・ローリング・ストーン]]」がフィーチャーされ、それまでライブではあまり演奏されなかった「[[:w:en:Shine a Light (The Rolling Stones song)|シャイン・ア・ライト]]」、「スウィート・バージニア」、「[[:w:en:The Spider and the Fly (song)|クモとハエ]]」といった曲が収められた。1994年9月8日、ストーンズはニューヨークの[[ラジオシティ・ミュージックホール]]で[[MTV Video Music Awards|MTVビデオ・ミュージック・アワーズ]]に出演、「ラヴ・イズ・ストロング」と「スタート・ミー・アップ」を演奏した<ref name="MTVAwards">[https://www.mtv.com/ontv/vma/1994 1994 MTV Video Music Awards] MTV.com. Retrieved 4 December 2011</ref>。バンドは授賞式でライフタイム・アーカイヴメント賞を受賞した<ref name="MTVAwards"/>。
ストーンズは[[インターネット]]上でコンサートを中継放送した最初のメジャー・アーティストであった。1994年11月18日に20分間のビデオが[[:w:en:Mbone|Mbone]]を使用して、1秒間当たり10フレームで放送された。放送は[[:w:en:Thinking Pictures|Thinking Pictures]]が技術を担当し、[[サン・マイクロシステムズ]]が出資して行われた。この放送は[[ストリーミング]]・ビデオの最初のデモンストレーションの1つであり、本当の[[ネット配信]]ではなかったが、多くの技術が紹介された<ref>[https://www.nytimes.com/1994/11/22/arts/rolling-stones-live-on-internet-both-a-big-deal-and-a-little-deal.html?pagewanted=all Rolling Stones Live on Internet: Both a Big Deal and a Little Deal]. ''[[The New York Times]]'', 22 November 1994.</ref>。
[[File:Keith Richards Hannover 2006.jpg|thumb|left|upright|キース・リチャーズ、2006年]]
ストーンズの90年代を締めくくった『[[ブリッジズ・トゥ・バビロン]]』(イギリス6位; アメリカ3位)は1997年にリリースされ、賛否両論の評価を得た。シングルカットされた「[[:w:en:Anybody Seen My Baby?|エニバディ・シーン・マイ・ベイビー?]]」のプロモーション・ビデオには[[アンジェリーナ・ジョリー]]がゲスト出演し、MTVとVH1で何度も放送された。また、同年11月にリリースされた[[B.B.キング]]のアルバム『[[デューシズ・ワイルド]]』に収録された「ペイング・ザ・コスト・トゥ・ビー・ザ・ボス」のレコーディングには、ストーンズのメンバー全4人とサポート・メンバーのダリル・ジョーンズが参加した<ref>[https://www.discogs.com/release/1241209-BB-King-Deuces-Wild B.B. King - Deuces Wild (CD, Album) at Discogs]</ref>。
アルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン』の売り上げは前作とほぼ同様(アメリカで約120万枚)となり、続いて行われた[[ブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアー]]はヨーロッパを横断、北米を回ってその他の地域でも行われ、バンドが未だ強力なライブパフォーマンスを行えることを証明した。再びライブアルバム『[[ノー・セキュリティ]]』(イギリス67位; アメリカ34位)が本ツアーから編集されたが、収録曲は「[[:w:en:Live With Me|リヴ・ウィズ・ミー]]」と「ザ・ラスト・タイム」以外はライブとしては未発表の曲ばかりであった。1999年にはアメリカで[[ノー・セキュリティ・ツアー]]を開始し、ヨーロッパではブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアーを継続した。ノー・セキュリティ・ツアーは近年の花火や巨大ステージのツアーとは対照的に簡素なステージで行われた。
ミック・ジャガーは2001年後半に4枚目のソロ・アルバム『[[ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ]]』(イギリス44位; アメリカ39位)をリリースしたが、賛否両論の批評を受けた<ref>{{cite news|author=Nigel Williamson |url=https://www.theguardian.com/music/2003/dec/05/keithrichards |title=Alive and kicking |publisher=Arts.guardian.co.uk |date= 5 December 2003|accessdate=6 September 2010 | location=London}}</ref>。[[アメリカ同時多発テロ事件]]の一ヶ月後、ミックとキースは「{{仮リンク|ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ|en|The Concert for New York City}}」に出演、バックバンドと共に「[[:w:en:Salt of the Earth (song)|地の塩]]」と「ミス・ユー」を演奏した。
[[2002年]]、バンドは結成40周年を記念した2枚組の[[ベスト・アルバム]]『[[フォーティ・リックス]]』(イギリス2位; アメリカ2位)をリリースした。同作には新曲4曲が収録され、世界中で700万枚以上を売り上げた。同年、[[Q (雑誌)|Q]]誌の「死ぬ前に見るべき50のバンド」の一つに選出された<ref>[https://www.rocklistmusic.co.uk/qlistspage2.html#Die%E2%80%A6 "Q - 50 Bands You Must See Before You Die"] ''rocklist.neyt'', September 2002. Retrieved 7 June 2007.</ref>。また、2002年から2003年にかけて[[フォーティ・リックス・ツアー]]が行われ、人々は死ぬ前に見るチャンスが与えられた。このツアーは小劇場やアリーナ、スタジアムでのコンサートが行われた。カナダのトロントでは「to help the city」と掲げたコンサートが[[モルソン・カナディアン・ロックス・フォー・トロント]]で行われ、[[重症急性呼吸器症候群|SARS]]の流行で打撃を受けた都市に対する支援となった。バンドがトロントでコンサートを行ったのはスティール・ホイールズ・ツアーのリハーサル以来であった。コンサートは約49万人が動員された。
2003年11月9日、バンドは[[:w:en:Harbour Fest|香港ハーバーフェスト]]の一環として[[香港]]における最初のコンサートを行った。同月に4枚組DVDセット『[[フォー・フリックス]]』をリリース。バンドはこれを独占的に販売する権利を[[ベスト・バイ]]に与え、それを受けていくつかのカナダとアメリカにおける小売店(HMVカナダと[[サーキット・シティー・ストアーズ]]を含む)ではストーンズのCDとグッズが棚から撤去され、事情を説明する札が掲示された<ref>[https://edition.cnn.com/2003/SHOWBIZ/Music/11/03/stones.reut/index.html "Some US retailers join Stones boycott"] ''CNN'', November 2003. Retrieved 14 June 2007.</ref>。12月12日、ミックはバッキンガム宮殿においてチャールズ皇太子から[[ナイト]]の称号を授与された。2004年にはリックス・ツアーの模様を収めた2枚組アルバム『[[ライヴ・リックス]]』(イギリス38位; アメリカ50位)がリリースされ、アメリカでゴールドアルバムを獲得した<ref name="RIAA"/>。2004年11月には[[:w:en:UK Music Hall of Fame|イギリス音楽の殿堂]]入りの候補となった<ref>[https://www.nme.com/news/music/new-order-112-1367962 More names join UK Music Hall Of Fame] NME. Retrieved 4 December 2011</ref>。
=== 2005–2011 ===
2005年7月26日、ミックの誕生日にバンドは8年ぶりのニューアルバムのタイトルを『[[ア・ビガー・バン]]』と発表した。『ア・ビガー・バン』は9月6日にリリースされ、ローリング・ストーン誌を始めとして熱烈なレビューが行われた<ref>[https://www.rollingstone.com/reviews/album/7590942/a_bigger_bang "A Bigger Bang: Review"] ''Rolling Stone'', 22 September 2005. Retrieved 14 June 2007.</ref>。シングル「[[:w:en:Streets of Love|ストリーツ・オブ・ラヴ]]」はイギリスとヨーロッパでトップ15のヒットとなった。
収録曲「[[:w:en:Sweet Neo Con|スウィート・ネオ・コン]]」は、ミックによるアメリカの[[新保守主義 (アメリカ合衆国)|ネオコン]]に対する批判が含まれた<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/4137698.stm "Stones 'slate Bush' in album song"] ''BBC News'', 2005. Retrieved 16 October 2007.</ref>。伝えられるところによると、同曲はキースの反対によりアルバムから削除されるところであった。彼は[[イラク戦争]]批判のために論争に巻き込まれた[[ディクシー・チックス]]のようになるのを恐れたのかと尋ねられ、アルバムが来るのが先だと答え、「俺はすこしの政治的な『コップの中の嵐』によって脇に逸らされたくない。」と発言した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=RE9-VP2zFpg |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2012年5月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130721160904/http://www.youtube.com/watch?v=RE9-VP2zFpg |archivedate=2013年7月21日 |deadlinkdate=2017年9月 }} ''CNN News'', 2005. Retrieved 27 November 2007.</ref>。
アルバム発表に伴った「[[ア・ビガー・バン・ツアー]]」は2005年8月に始まり、北米、南米、東アジアで行われた。2006年2月、バンドは[[ミシガン州]][[デトロイト]]で行われた[[第40回スーパーボウル]]のハーフタイムでライブを行った。2005年末までにツアーの収益は1億6200万ドルを記録し、ストーンズ自身が1994年に記録した北米における最高収益を更新した。2006年2月18日には[[リオデジャネイロ]]の[[コパカバーナ (リオデジャネイロ市)|コパカバーナ・ビーチ]]で無料コンサートを行い、150万人の観客動員となった。
[[File:Rolling stones - 11 luglio 2006 - san siro.jpg|thumb|right|250px|ストーンズ、2006年]]
2006年3月から4月にかけて日本、中国、オーストラリア、ニュージーランドでの公演を行い、ストーンズはヨーロッパ・ツアー前の休暇に入った。この間にキースは[[フィジー]]で木から落下、7.5メートル下の砂浜に叩きつけられニュージーランドの病院に入院した<ref>[https://www.barks.jp/news/?id=1000022653 キース・リチャーズ、ココナッツの木から落下]</ref><ref>[https://www.barks.jp/news/?id=1000025260 キース、落ちたのは「ココナッツの木からじゃない」]</ref><ref>[http://news.jams.tv/jlog/view/id-989 豪ツアー後、キース・リチャーズ、ヤシの木から落ちて大怪我]</ref>。この事故によりヨーロッパ・ツアーは開始が6週間遅れることとなった<ref>[https://www.uncut.co.uk/music/the_rolling_stones/special_features/8779 "Keith Richards and the Fiji fall: The mystery deepens"] ''Uncut''. Retrieved 5 October 2007.</ref><ref name="kiwi">{{cite web |title=Kiwi Doctor Rolls with the Stones |work=Sunday Star Times |date=10 February 2008 |url=https://www.stuff.co.nz/stuff/4395738a1860.html |accessdate=5 March 2008}}</ref>。2006年6月、ロン・ウッドがアルコール依存症の治療を続けていることが伝えられた<ref>{{cite news | author=DPA | title=After the tree... it's rehab |work=The Sydney Morning Herald |url=https://www.smh.com.au/entertainment/music/after-the-tree-its-rehab-20060615-gdnrao.html | date=14 June 2006 | accessdate=17 May 2007}}</ref><ref>{{cite web |author=Larkin, Adrian |title=Rolling Stones gig latest |publisher=BBC 6 |url=https://www.bbc.co.uk/6music/news/20060620_stones.shtml | date=20 June 2006 |accessdate=18 May 2007}}</ref>。しかしながら、再編成されたヨーロッパ・ツアーの日程に影響を与えることは無かった。2006年7月から9月まで21公演が予定されたが、その内2公演はミックの咽喉の問題によりキャンセルされた<ref name="iorreuro2006">{{cite web |title=The Rolling Stones Europe 2006|publisher=The Rolling Stones Fan Club of Europe |url=https://iorr.org/tour05/tour06.htm | accessdate=15 Aug 2006 }}</ref>。
[[2006年]]、[[北朝鮮]]の[[金正日]]の息子・[[金正哲]](クラプトンのファン)が[[大韓民国|韓国]]と共同で招請した[[エリック・クラプトン]]コンサートの平壌開催が実現しなかったため、代わりとして韓国側からローリング・ストーンズの平壌公演が打診され、メンバーも開催に肯定的だったとされた。しかし、北朝鮮側から逆に「退廃的すぎる」とされて実現しなかったと伝えられた<ref>[http://saenulee.com/board/index.php?mid=asiab&search_target=tag&search_keyword=%E9%87%91%E6%AD%A3%E5%93%B2&document_srl=19946&ckattempt=1 金正哲氏がソウル公演に? クラプトンが懸念(下)]</ref>。
2006年9月から北米ツアーのセカンド・レグが始まり、2007年6月5日からヨーロッパツアーのセカンド・レグが始まった。2006年11月までにツアーは4億3700万ドルの収益を上げ、当時の最高額を記録したツアーとなった。北米ツアーは1億3850万ドルの収益を上げ、ストーンズ自身が2005年のツアーで達成した1億6200万ドル、同年の[[U2]]のツアーが達成した1億3890万ドルに次いで史上3位を記録した<ref>[http://allheadlinenews.com/articles/7005631070 "Stones Roll Over U2 To Claim Highest Grossing Concert Tour"] ''All Headline News'', 29 November 2006</ref>。
[[File:Rolling Stones Berlinale Filmfestspiele 2008 Berlin.jpg|thumb|left|[[ベルリン国際映画祭]]でのストーンズ、2008年。『[[ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト|シャイン・ア・ライト]]』のプロモーションで。]]
[[マーティン・スコセッシ]]が2006年10月29日と11月1日の[[ニューヨーク]]、[[ビーコン・シアター]]でのライブを撮影し、ドキュメンタリー映画「[[ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト]]」として公開された。同作にはゲストとして[[バディ・ガイ]]、[[ジャック・ホワイト]]、[[クリスティーナ・アギレラ]]が出演している<ref>[https://www.imdb.com/title/tt0893382/ "Shine A Light"]''[[Internet Movie Database]]'', 16 January 2007</ref>。映画のサントラ盤『[[シャイン・ア・ライト]]』は2008年4月にリリースされ、イギリスで2位、アメリカで11位を達成した。これはストーンズのライブ盤として、1970年の『[[ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト]]』以来の高順位であった。ビーコン・シアターでのショーでは[[アトランティック・レコード]]元会長の[[アーメット・アーティガン]]がステージ裏で転倒、頭部を強打し2週間後に死亡した<ref>{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2006/12/15/arts/music/15ertegun.html?_r=1&ex=1323838800&en=e9a65dbf5a97c5b4&ei=5088&partner=rssnyt&emc=rss |title=Ahmet Ertegun, Music Executive, Dies at 83 |publisher=nytimes.com |accessdate=20 March 2012}}</ref><ref>[http://www.afpbb.com/article/1176223 アトランティック・レコードの創設者アーメット・アーティガン死去 - 米国]</ref>。
2007年3月24日にバンドはヨーロッパ・ツアー「ビガー・バン2007」を発表した。2007年6月12日に4枚組DVD『[[ザ・ビッゲスト・バン]]』がリリースされた。同作は7時間に及ぶドキュメンタリーで、[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]、リオデジャネイロ、[[埼玉県|埼玉]]、[[上海]]、[[ブエノスアイレス]]でのコンサートが収められた。6月10日にバンドは[[ワイト島]]でのコンサートを行い、65,000人を動員した。8月26日、ツアー最終公演がロンドンのO2アリーナで行われた。ストーンズはツアー全体で5億5800万ドルの収益を上げ、[[ギネス世界記録]]に申請したことが発表された<ref>{{cite web|url=http://www.huliq.com/37065/rolling-stones-tour-breaks-attendance-records |title=Rolling Stones' Tour Breaks Attendance Records |publisher=Huliq.com |accessdate=4 April 2011}}</ref>。
ミック・ジャガーは2007年10月2日に未発表3曲を含むソロ・コンピレーション『[[ヴェリー・ベスト・オブ・ミック・ジャガー]]』(イギリス57位、アメリカ77位)を発表した。11月12日にアブコは2枚組CD『[[ロールド・ゴールド~ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・ローリング・ストーンズ]]』をリリースした。これは1975年のコンピレーション『ロールド・ゴールド』の再編集盤であり、イギリスで26位を獲得した。
ツアーからおよそ2年後の2007年のインタビューでミック・ジャガーは、バンドの引退時期を語るのを拒否した。「僕はローリング・ストーンズがより多くのこと、より多くのレコード、そしてより多くのツアーを行えると確信している。僕たちはそのいずれも止める計画は無い。僕の考えとしては、僕たちが続けられると確信している。<ref>{{cite web |url=http://melodicrockconcerts.com/2009/10/28/2010-who-will-tour/ |title=2010: Who Will Tour? |publisher=Melodic Rock Concerts |accessdate=6 September 2010 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091106233401/http://melodicrockconcerts.com/2009/10/28/2010-who-will-tour/ |archivedate=2009年11月6日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>」2008年3月にキース・リチャーズは『シャイン・ア・ライト』のプレミアでのインタビューで新しいスタジオ・アルバムを用意しているかもしれないという噂を引き起こした。「俺は俺たちが別のアルバムを作るかもしれないと思うよ。この映画のプロモーションをする上で俺たちはもう一度やるよ。」チャーリー・ワッツは仕事を中断したときはいつも体調不良のためだったと述べた<ref>[https://www.contactmusic.com/rolling-stones/news/stones-planning-23rd-album_1063946 "Stones Planning 23rd Album"] ''Contact Music'', 28 March 2008</ref>。2008年7月、ローリング・ストーンズはEMIとの契約を終了し、[[ユニバーサル ミュージック グループ|ユニバーサル ミュージック]]と契約したと発表した。『スティッキー・フィンガーズ』以降のアルバムはユニバーサル傘下の[[ポリドール・レコード]]から再発された<ref>[https://news.yahoo.com/s/eonline/20080725/en_music_eo/f76e8829_cb6a4183_8283_5e58500c685d "Stones Roll to Universal in New Deal"]{{リンク切れ|date=April 2011}} ''Yahoo! News'', 25 July 2008. Retrieved 25 July 2008.</ref>。アメリカにおける1994年以前の作品の権利は[[マーキュリー・レコード]]が有し、1994年以降の作品の権利は[[インタースコープ・レコード]]が所有する。ユニバーサル ミュージックは『スティッキー・フィンガーズ』以前の作品の権利を有するアブコのディストリビューターでもある。
秋の間にミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ミック・テイラーは、プロデューサーのドン・ウォズと共に『[[メイン・ストリートのならず者]]』セッションにおける未完成曲へ新たなヴォーカルとギターのパートを録音した。
2010年4月17日、バンドは限定版の7インチアナログ・シングル、未発表曲の「[[:w:en:Plundered My Soul|プランダード・マイ・ソウル]]」を[[レコード・ストア・デイ]]に因んで発表した。これは『メイン・ストリートのならず者』リイシュー盤に収録された1曲で、B面は「[[オール・ダウン・ザ・ライン]]」であった<ref>{{cite news|url=http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/music/the-rolling-stones-to-release-ldquoplundered-my-soulrdquo-for-record-store-day-1940947.html |title=The Rolling Stones to release "Plundered My Soul" for Record Store Day at independent.co,uk |work=The Independent |location=UK |date=10 April 2010 |accessdate=6 September 2010 }}</ref>。
4月23日、バンドは[[カンヌ国際映画祭]]に「ストーンズ・イン・エグザイル~「メイン・ストリートのならず者」の真実」([[スティーヴン・キジャック]]監督<ref>{{cite news| url=https://variety.com/article/VR1118019350.html?categoryid=16&cs=1 | title=Re-issue of Stones album spawns Cannes docu | first=Steve | last=Chagollan | work=Variety | date=15 May 2010}}</ref>)のプレミアで参加すると発表した。同作は『メイン・ストリートのならず者』レコーディング時のドキュメンタリー映画であった<ref>El Universal Spanish [http://espectaculos.eluniversal.com/2010/04/20/music_ava_rolling-stones-se-un_20A3769973.shtml] "Rolling Stones se uniran a las estrellas en la meca del cine europeo"</ref>。
2010年5月23日、『[[メイン・ストリートのならず者]]』がリマスター盤として再発された。イギリスでは1位を達成し、これは同作が発表されて以来38年ぶりの記録であった。ストーンズは過去に発表した作品が再び1位を獲得した初のバンドとなった<ref>{{cite web |url=http://www.theofficialcharts.com/archive-chart/_/3/2010-05-29/ |title=Archive Chart |publisher=Theofficialcharts.com |date=29 May 2010 |accessdate=6 September 2010 |archiveurl=https://webcitation.org/683miKgM5?url=http://www.officialcharts.com/archive-chart/_/3/2010-05-29/ |archivedate=2012年5月31日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。アメリカでは発売第1週で76,000枚を売り上げ、チャートでは2位を記録した。未発表曲10曲を加えた2CD版の『メイン・ストリートのならず者』の他に、未発表曲のみの『メイン・ストリートのならず者(レアリティーズ・エディション)』もリリースされ、27位を記録した<ref>{{cite web |author=Up for Discussion Jump to Forums |url=https://www.billboard.com/#/news/glee-stops-the-show-at-no-1-stones-come-1004094028.story |title='Glee' Stops the Show at No. 1, Stones Come in Second On Billboard 200 |work=Billboard |date=14 September 2009 |accessdate=6 September 2010 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100530065513/http://www.billboard.com/news/glee-stops-the-show-at-no-1-stones-come-1004094028.story#/news/glee-stops-the-show-at-no-1-stones-come-1004094028.story |archivedate=2010年5月30日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
2010年10月11日、「[[レディース&ジェントルメン]]」が公開され、後にDVDでリリースされた。デジタル・リマスターが行われ、アメリカ国内では特別の映画館で公開された。本作は[[ザ・ローリング・ストーンズ・アメリカン・ツアー1972]]でのフォートワースとヒューストンでの4つのショーを編集したものであり、『メイン・ストリートのならず者』がフィーチャーされている。当初は1974年に公開されたが、その後はビデオなどでのリリースは行われず、数多くの海賊版として流通していた<ref>{{cite web |last=Rambler |first=Midnight |url=https://rollingstones.com/news/ladies-and-gentlemen-hit-cinemas-across-globe |title=Ladies and Gentlemen to Hit Cinemas across the Globe |publisher=Rollingstones.com |date=12 August 2010 |accessdate=6 September 2010 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100815073333/http://www.rollingstones.com/news/ladies-and-gentlemen-hit-cinemas-across-globe |archivedate=2010年8月15日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
2011年4月19日、ストーンズとも交流のある英国ピアニストの[[ベン・ウォーターズ]]が発起し制作されたイアン・スチュワートへのトリビュートアルバムにメンバー全員が参加し、脱退したビル・ワイマンがレコーディングに、ミックー・テイラーが記念コンサートに参加した。
2011年10月4日、ストーンズは「[[サム・ガールズ・ライヴ・イン・テキサス'78]]」を公開した。本作もデジタル・リマスターが行われ、アメリカ国内では特別の映画館で公開された。内容は『[[女たち (アルバム)|女たち]]』リリース後の[[ローリング・ストーンズUSツアー1978|USツアー1978]]におけるフォートワースでのショーを収録したもので、11月15日にはブルーレイ/DVDがリリースされた<ref>{{cite web | url=http://www.eagle-rock.com/news/2D3722/The+Rolling+Stones+-+Some+Girls,+Live+in+Texas+'78 | title=The Rolling Stones - Some Girls, Live in Texas '78 | accessdate=3 December 2011}}</ref>。
2011年10月18日、オフィシャル海賊版シリーズのデジタルダウンロード販売を、[[グーグル・ミュージック]]及びストーンズ公式通販サイト「STONES ARCHIVE」上で開始。第一弾として、1973年ヨーロッパツアーの模様を収めた非公式ライブアルバム「ブリュッセルズ・アフェア」を、ボブ・クリアマウンテンのリミックスを経て公式の下にリリース。以後も1年間に亘り、1981年アメリカツアー、1975年アメリカツアー、1990年ジャパンツアー、2005年カナダシークレットギグ、1982年ヨーロッパツアーが順次リリースされた。
=== 2012-2016 ===
[[File:The Rolling Stones, Prudential Center 2012-12-13.jpg|thumb|right|2012年12月13日に[[ニュージャージー州]]の[[プルデンシャル・センター]]で開催された50&カウンティングツアーの舞台セット。]]
ストーンズは2012年夏に結成50周年を祝って、ハードカバーの写真集「50」をリリースした<ref>{{Cite web|url=http://www.rollingstones.com/book/|title=The Rolling Stones: 50 {{!}} The Rolling Stones |website=rollingstones.com |access-date=18 August 2017|url-status=live|archiveurl= https://web.archive.org/web/20170610124107/http://www.rollingstones.com/book/|archivedate=10 June 2017}}</ref>。バンドの象徴的なイメージである唇のロゴも、[[シェパード・フェアリー]]によってデザインされた新しいバージョンが明らかにされ、祝賀会で使用された<ref>{{cite web|url=http://www.uncut.co.uk/rolling-stones-debut-new-logo-news |title=Rolling Stones debut new logo|work=[[Uncut (magazine)|Uncut]]|access-date=14 July 2013|url-status=live |archiveurl=https://archive.today/20130714224156/http://www.uncut.co.uk/rolling-stones-debut-new-logo-news |archivedate=14 July 2013|date=2 July 2012}}</ref>。ミックの弟、[[クリス・ジャガー|クリス]]は祝賀会に合わせて[[スロベニア]]の[[ローリング・ストーンズ・ミュージアム]]でギグを行った<ref>{{cite news |work=Wall Street Journal |title=Fan Hoping to See Rolling Stones In Slovenia Gets No Satisfaction |date=9 December 2012|url=http://online.wsj.com/public/resources/documents/print/WSJ_-A001-20121210.pdf |archiveurl= https://web.archive.org/web/20121211052533/http://online.wsj.com/public/resources/documents/print/WSJ_-A001-20121210.pdf |archivedate=11 December 2012|url-status=live}}</ref>。
[[ブレット・モーガン]]監督のドキュメンタリー 『[[クロスファイア・ハリケーン]]』は、2012年10月に公開された。約50時間におよぶインタビューが行われ、その中には元メンバーのビル・ワイマンやミック・テイラーへのものも含まれた<ref>{{cite magazine|last=Greene|first=Andy|url=https://www.rollingstone.com/music/news/rolling-stones-documentary-coming-to-hbo-in-fall-20120801/|title=Rolling Stones Documentary Coming to HBO in Fall |magazine=Rolling Stone|date=1 August 2012 |access-date=14 July 2013|url-status=live|archiveurl= https://web.archive.org/web/20131003063555/http://www.rollingstone.com/music/news/rolling-stones-documentary-coming-to-hbo-in-fall-20120801|archivedate=3 October 2013}}</ref>。これは1988年に結成25周年を記念して作られた『25x5』以来のドキュメンタリーとなる{{sfn|Patell|2011|p=24}}。11月12日には新しいコンピレーション・アルバム『[[GRRR!]]』がリリースされた。このアルバムは4つの異なったフォーマットでリリースされ、新曲が2曲収められる。「Doom And Gloom 」「One Last Shot」の2曲はパリのウィリアム・テル・スタジオで8月の数週間で録音された<ref>{{cite journal|url=http://www.rollingstones.com/2012/09/04/grrr-the-rolling-stones-announce-greatest-hits-album/|title=GRRR! The Rolling Stones announce greatest hits album |website=rollingstones.com |date=4 September 2012 |access-date=14 July 2013|url-status=live|archiveurl= https://web.archive.org/web/20130329040510/http://www.rollingstones.com/2012/09/04/grrr-the-rolling-stones-announce-greatest-hits-album/|archivedate=29 March 2013}}</ref>。アルバムは世界中で200万枚以上の売り上げを記録した<ref name="officialcharts"/>。[[ノオミ・ラパス]]をフィーチャーした「Doom and Gloom」のミュージックビデオは11月20日にリリースされた<ref>{{cite news |title=New Rolling Stones video released featuring Dragon Tattoo star Noomi Rapace |url=https://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/9694333/New-Rolling-Stones-video-released-featuring-Dragon-Tattoo-star-Noomi-Rapace.html|newspaper=The Telegraph|date=21 November 2012|access-date=14 July 2013|url-status=live |archiveurl= https://web.archive.org/web/20121228210921/http://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/9694333/New-Rolling-Stones-video-released-featuring-Dragon-Tattoo-star-Noomi-Rapace.html |archivedate=28 December 2012}}</ref>。
[[File:Rolling Stones onstage with Mick Taylor - Hyde Park 2013.jpg|thumb|left|upright=1.15|2013年7月13日、ロンドンの[[ハイド・パーク (ロンドン)|ハイド・パーク]]で演奏するローリング・ストーンズ。ミック・テイラーが参加した。]]
2012年11月、ストーンズは[[ロンドン]]の[[O2アリーナ (ロンドン)|O2アリーナ]]で50 & カウンティング...ツアーを開始し、同日のステージには[[ジェフ・ベック]]が参加した<ref>{{cite web |url=https://www.telegraph.co.uk/culture/culturevideo/musicvideo/9702488/The-Rolling-Stones-celebrate-50-years-with-sold-out-O2-show.html|title=The Rolling Stones celebrate 50 years with sold-out O2 show|work=The Telegraph|date=26 November 2012|access-date=12 December 2012|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121211122307/http://www.telegraph.co.uk/culture/culturevideo/musicvideo/9702488/The-Rolling-Stones-celebrate-50-years-with-sold-out-O2-show.html|archivedate=11 December 2012}}</ref>。02での2日目のショーでは、[[エリック・クラプトン]]と[[フローレンス・ウェルチ]]がステージに参加した<ref name="anniversayconcerts">{{cite news |url=https://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/9735166/Rolling-Stones-to-perform-with-Lady-Gaga-and-Bruce-Springsteen.html|title=Rolling Stones to perform with Lady Gaga and Bruce Springsteen|work=The Telegraph |date=10 December 2012|access-date=12 December 2012|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121211085124/http://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/9735166/Rolling-Stones-to-perform-with-Lady-Gaga-and-Bruce-Springsteen.html|archivedate=11 December 2012}}</ref>。アメリカでのショーは12月8日に[[ニューヨーク州]][[ブルックリン区]]の[[バークレイズ・センター]]で始められた<ref name="anniversayconcerts"/>。2012年最後のショーは12月13日と15日に[[ニュージャージー州]][[ニューアーク (ニュージャージー州)|ニューアーク]]の[[プルデンシャル・センター]]で行われた。2日目のショーには[[ブルース・スプリングスティーン]]と[[ザ・ブラック・キーズ]]が加わった<ref name="anniversayconcerts"/><ref>{{cite news |url=https://www.nme.com/news/music/the-rolling-stones-211-1251626|title=Lady Gaga sings 'Gimme Shelter' with The Rolling Stones at New Jersey gig - watch - NME|date=16 December 2012|work=NME|access-date=13 August 2017 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20170813112506/http://www.nme.com/news/music/the-rolling-stones-211-1251626|archivedate=13 August 2017 |url-status=live}}</ref>。彼らはまた、12月12日に行われたハリケーン・サンディのチャリティ・コンサート「12-12-12: A Concert For Sandy Relief」で2曲を演奏した<ref>{{cite web |last=Martens |first=Todd |url=https://articles.latimes.com/2012/dec/12/entertainment/la-et-ms-121212-concert-the-rolling-stones-make-a-quick-exit-20121212 |title=12-12-12 Concert: The Rolling Stones make a quick exit |work=[[Los Angeles Times]] |date=12 December 2012 |access-date=14 July 2013 |url-status=live |archiveurl= https://web.archive.org/web/20131229131724/http://articles.latimes.com/2012/dec/12/entertainment/la-et-ms-121212-concert-the-rolling-stones-make-a-quick-exit-20121212 |archivedate=29 December 2013 }}</ref>。
ストーンズは2013年の春にアメリカで19回のショーを行った。その後イギリスに戻り、6月29日には[[グラストンベリー・フェスティバル]]に出演した<ref>{{cite news |author=Lynskey, Dorian |url=https://www.theguardian.com/music/2013/jun/30/rolling-stones-glastonbury-2013-review |title=Rolling Stones at Glastonbury 2013 - review |date=30 June 2013 |work=The Guardian |location=London |access-date=2 July 2013 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130730145532/http://www.theguardian.com/music/2013/jun/30/rolling-stones-glastonbury-2013-review |archivedate=30 July 2013 }}</ref>。7月にはハイド・パークでコンサートを行ったが、1969年のように無料ではなかった<ref>{{Cite news |url=https://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/9980809/Rolling-Stones-add-second-Hyde-Park-date.html |archiveurl=https://ghostarchive.org/archive/20220110/https://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/9980809/Rolling-Stones-add-second-Hyde-Park-date.html |archivedate=10 January 2022 |url-access=subscription |url-status=live |title=Rolling Stones add second Hyde Park date |website=telegraph.co.uk |access-date=6 July 2018|date=9 April 2013 |last1=Lachno |first1=James }}{{cbignore}}</ref>。そのセットリストは1969年と同じ曲が演奏された<ref>{{Cite news |url=https://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/10159947/Mick-Jagger-we-will-play-same-set-list-at-Hyde-Park-gig-as-in-1969.html|title=Mick Jagger: we will play same set list at Hyde Park gig as in 1969|work=The Telegraph|access-date=15 August 2017|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131020164158/http://www.telegraph.co.uk/culture/music/rolling-stones/10159947/Mick-Jagger-we-will-play-same-set-list-at-Hyde-Park-gig-as-in-1969.html |archivedate=20 October 2013}}</ref>。7月6日と13日にハイド・パークで行われたコンサートはライブアルバム『ハイド・パーク・ライブ』として同月後半に[[iTunes]]から[[ダウンロード販売|配信]]により独占リリースされた<ref>{{cite magazine |title=Rolling Stones Release 'Hyde Park Live' Album |magazine=Billboard |url=https://www.billboard.com/articles/news/4187164/rolling-stones-release-hyde-park-live-album |access-date=19 April 2014 |url-status=live |archiveurl= https://web.archive.org/web/20140221043818/http://www.billboard.com/articles/news/4187164/rolling-stones-release-hyde-park-live-album |archivedate=21 February 2014}}</ref><ref>{{cite web |last=Henne |first=Bruce |url=http://www.hennemusic.com/2013/07/rolling-stones-hyde-park-live-hits-no-1.html |title=hennemusic |publisher=hennemusic |date=26 July 2013 |access-date=19 April 2014 |url-status=live |archiveurl= https://web.archive.org/web/20140213194331/http://www.hennemusic.com/2013/07/rolling-stones-hyde-park-live-hits-no-1.html |archivedate=13 February 2014 }}</ref>。ライブDVD『[[スウィート・サマー・サン]]』は11月11日にリリースされた<ref>{{cite web |url=http://rollingtimes.org/news/Rolling-Stones-to-release-DVD-of-recent-Hyde-Park-shows-7829/ |title=Rolling Stones to release DVD of recent Hyde Park shows |publisher=Rollingtimes.org |access-date=19 April 2014 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140203022308/http://rollingtimes.org/news/Rolling-Stones-to-release-DVD-of-recent-Hyde-Park-shows-7829/ |archivedate=3 February 2014}}</ref>。
2014年2月、バンドは中東、アジア、オーストラリア、ヨーロッパにまたがる14オン・ファイアー・ツアーを開始し、夏まで続く予定であった<ref>{{cite web |url=http://www.rollingstones.com/tickets/ |title=14 ON FIRE |publisher=The Rolling Stones |access-date=19 April 2014 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140416040434/http://www.rollingstones.com/tickets/ |archivedate=16 April 2014 }}</ref>。3月17日、ミックの長年のパートナーであった[[ローレン・スコット]]が突然死去し、その結果オープニングツアーの日程がキャンセルされ、10月に再スケジュールされた<ref>{{cite news|url=http://www.abc.net.au/news/2014-10-26/rolling-stones-treat-adelaide-to-stellar-performance/5842190|title=Rolling Stones perform to more than 50,000 fans at Adelaide Oval|work=ABC News|access-date=10 December 2014|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141130184918/http://www.abc.net.au/news/2014-10-26/rolling-stones-treat-adelaide-to-stellar-performance/5842190|archivedate=30 November 2014}}</ref>。6月4日、ローリング・ストーンズは[[イスラエル]]で初めてコンサートを行った。[[ハアレツ]]紙はコンサートを「大文字のHで歴史的」であると説明した<ref>{{cite news|url=http://www.haaretz.com/life/music-theater/.premium-1.597065|title=Rolling Stones rain satisfaction on Tel Aviv|newspaper=Haaretz|access-date=12 November 2014|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141129022933/http://www.haaretz.com/life/music-theater/.premium-1.597065|archivedate=29 November 2014}}</ref>。ミックは2015年のインタビューで、引退が頭に浮かぶかどうか尋ねられたとき、「いや、今は違う。次のツアーは何なのか考えている。僕は引退を考えていない。次のツアーを計画しているので、答えは本当に「いいえ、そうではありません」だ。」と述べた<ref>{{Cite magazine|url=https://www.rollingstone.com/music/features/mick-jagger-im-not-thinking-about-retirement-20150407|title=Mick Jagger: 'I'm Not Thinking About Retirement'|magazine=Rolling Stone|date=7 April 2015|access-date=15 August 2017|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170816004932/http://www.rollingstone.com/music/features/mick-jagger-im-not-thinking-about-retirement-20150407|archivedate=16 August 2017}}</ref>。
[[File:Rolling Stones in Cuba-4601.jpg|thumb|right|2016年3月の[[キューバ]]でのステージ。バンドのスポークスマンは「イギリスのロックバンドによるキューバでの最初の野外コンサート」と呼んだ<ref name="Cuba concert"/>。]]
ストーンズは2016年2月にラテンアメリカ・ツアーを開始した<ref name="billboard.com Rolling Stones 2016 Latin American Tour">{{cite magazine |last1=Waddell |first1=Ray |url=https://www.billboard.com/articles/news/live/6753755/rolling-stones-2016-latin-america-tour-dates-latina-ole |title=Rolling Stones Announce 2016 Latin American Tour |date=5 November 2015 |magazine=Billboard |access-date=8 November 2015 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151107212743/http://www.billboard.com/articles/news/live/6753755/rolling-stones-2016-latin-america-tour-dates-latina-ole |archivedate=7 November 2015 }}</ref><ref name="iorr.org Rolling Stones Latin America Ole Tour 2016">{{cite web |url=https://www.iorr.org/tour16/ |title=The Rolling Stones Latin America Ole Tour 2016 |date=27 November 2015 |website=iorr.org |access-date=5 February 2016 }}</ref>。3月25日、バンドは[[キューバ]]の[[ハバナ]]での無料の野外コンサートを行い、推定50万人の観客が訪れた<ref name="Cuba concert">{{cite news|title=Rolling Stones announce 'landmark' Cuba concert |url=https://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-35700903|publisher=BBC|date=1 March 2016|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160302153400/http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-35700903 |archivedate=2 March 2016}}</ref>。その年の6月、ストーンズは『トータリー・ストリップド』をリリースした。これは『[[ストリップド]]』の拡張版であり、複数の形式でリリースされた<ref name="ultimateclassicrock.com Totally Stripped">{{cite web |last=Giles |first=Jeff |url=http://ultimateclassicrock.com/rolling-stones-totally-stripped/ |title=Rolling Stones Announce Expanded 'Totally Stripped' Package |date=6 April 2016 |website=[[Ultimate Classic Rock]] |access-date=14 July 2016 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160718125930/http://ultimateclassicrock.com/rolling-stones-totally-stripped/ |archivedate=18 July 2016 |url-status=live}}</ref>。2016年3月25日にキューバで行われたコンサートは、『[[ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016]]』として公開された。9月23日に世界中の1,000以上の劇場でプレミア公開が行われた<ref name="rollingstones.com Rolling Stones concert film Havana Moon">{{cite web |url=http://www.rollingstones.com/2016/07/28/the-rolling-stones-in-cuba-concert-film-havana-moon-to-be-premiered-in-cinemas-for-one-night-only/ |title=The Rolling Stones in Cuba concert film 'Havana Moon' to be premiered in cinemas for one night only |date=28 July 2016 |website=rollingstones.com |access-date=31 July 2016 |url-status=live |archiveurl= https://web.archive.org/web/20160729141454/http://www.rollingstones.com/2016/07/28/the-rolling-stones-in-cuba-concert-film-havana-moon-to-be-premiered-in-cinemas-for-one-night-only/ |archivedate=29 July 2016 }}</ref><ref name="ultimateclassicrock.com Rolling Stones concert film Havana Moon">{{cite web |last=Giles |first=Jeff |url=http://ultimateclassicrock.com/rolling-stones-havana-moon-movie/ |title=Rolling Stones Cuba Concert Film 'Havana Moon' to Play in Theaters |date=28 July 2016 |website=ultimateclassicrock.com |access-date=31 July 2016 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160730223350/http://ultimateclassicrock.com/rolling-stones-havana-moon-movie/ |archivedate=30 July 2016 }}</ref>。2016年のラテンアメリカ・ツアーのドキュメンタリー『[[オレ! オレ! オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ]]』<ref>{{Cite web |url=https://www.tiff.net/films/the-rolling-stones-out-of-control/|title=The Rolling Stones Ole Ole Ole! : A Trip Across Latin America|website=www.tiff.net|access-date=3 April 2017|url-status=dead|archiveurl= https://web.archive.org/web/20170404132330/https://www.tiff.net/films/the-rolling-stones-out-of-control/ |archivedate=4 April 2017}}</ref>は12月12日に映画館で一晩だけ上映された<ref name=":0">{{Cite web |url=http://ultimateclassicrock.com/rolling-stones-latin-america-dvd/|title=Rolling Stones' 'Ole Ole Ole! A Trip Across Latin America' Coming to Home Video|website=Ultimate Classic Rock|access-date=3 April 2017 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170404132520/http://ultimateclassicrock.com/rolling-stones-latin-america-dvd/|archivedate=4 April 2017|url-status=live}}</ref>。その後2017年5月26日にDVDとBlu-rayで発売された<ref name=":0"/><ref>{{cite web |url=http://www.rollingstones.com/film/the-rolling-stones-ole-ole-ole-a-trip-across-latin-america/ |title=!Ole, Ole, Ole! A Trip Across Latin America {{!}} The Rolling Stones |website=rollingstones.com |access-date=3 April 2017|url-status=live|archiveurl= https://web.archive.org/web/20170404132530/http://www.rollingstones.com/film/the-rolling-stones-ole-ole-ole-a-trip-across-latin-america/ |archivedate=4 April 2017}}</ref>。ストーンズはカリフォルニア州[[インディオ (カリフォルニア州)|インディオ]]で開催された[[デザート・トリップ]]・フェスティバルに出演し、[[ボブ・ディラン]]と同じ夜の10月7日と14日の2日で演奏した<ref>{{cite magazine|last=Waddell|first=Ray|url=http://www.billboard.com/articles/business/7534080/desert-trip-founder-paul-tollett-mccartney-stones-who|title=Desert Trip Founder Paul Tollett Explains Pulling Off McCartney, Stones & Dylan Lineup|magazine=Billboard|date=7 October 2016|access-date=30 January 2021}}</ref>。
バンドは2016年12月2日に『[[ブルー&ロンサム]]』をリリースした。アルバムは[[ハウリン・ウルフ]]、[[ジミー・リード]]、[[リトル・ウォルター]]らのブルース曲のカバー12曲から構成された<ref>{{cite magazine |url=https://www.rollingstone.com/music/news/rolling-stones-announce-new-blues-album-blue-lonesome-w443269 |title=Rolling Stones Announce New Blues Cover Album 'Blue & Lonesome' |magazine=Rolling Stone |date=6 October 2016 |access-date=21 December 2016 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161212181104/http://www.rollingstone.com/music/news/rolling-stones-announce-new-blues-album-blue-lonesome-w443269 |archivedate=12 December 2016 }}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.telegraph.co.uk/music/news/new-rolling-stones-album-blue--lonesome-will-be-released-in-dece/ |title=New Rolling Stones album Blue & Lonesome will be released in December |newspaper=The Telegraph |date=6 October 2016 |access-date=21 December 2016 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161222165316/http://www.telegraph.co.uk/music/news/new-rolling-stones-album-blue--lonesome-will-be-released-in-dece/ |archivedate=22 December 2016 |last1=Agency |first1=Reuters News }}</ref>。レコーディングは2015年12月にロンドンの[[ブリティッシュ・グローブ・スタジオ]]で行われ、2曲にエリック・クラプトンが参加した<ref>{{cite web |url=http://www.rollingstones.com/blueandlonesome/ |title=Blue&Lonesome |website=The Rolling Stones Official Website |access-date=21 December 2016 |url-status=live |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170105073937/http://www.rollingstones.com/blueandlonesome/ |archivedate=5 January 2017 }}</ref>。アルバムはイギリスで1位を獲得し、その年のアルバムの発売週で売れた枚数として2番目に高かった<ref>{{Cite news |url=https://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-38263775 |title=Rolling Stones top UK album chart with Blue & Lonesome |date=9 December 2016 |work=BBC News |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170109080930/http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-38263775 |archivedate=9 January 2017 |url-status=live}}</ref>。また、ビルボード200では4位となった<ref>{{cite magazine|url=https://www.billboard.com/articles/columns/chart-beat/7617662/the-hamilton-mixtape-debuts-at-no-1-on-billboard-200-albums-chart|title='The Hamilton Mixtape' Debuts at No. 1 on Billboard 200 Albums Chart |magazine=Billboard |last=Caulfield|first=Keith|date=11 December 2016|access-date=12 December 2016 |url-status=live|archiveurl= https://web.archive.org/web/20161212105426/http://www.billboard.com/articles/columns/chart-beat/7617662/the-hamilton-mixtape-debuts-at-no-1-on-billboard-200-albums-chart|archivedate=12 December 2016}}</ref>。
=== 2017 - ===
[[File:Rolling-stones-3426802 1280.jpg|thumb|left|ノー・フィルター・ツアー中のバンドの飛行機、2017年10月のアムステルダム。]]
2017年7月、[[トロント・サン]]紙はストーンズがオリジナル曲からなるアルバム制作の準備をしていると伝えたが<ref name="torontosun Rolling Stones new album of original material">{{cite web |url=http://www.torontosun.com/2017/07/24/the-rolling-stones-to-record-new-album |title=The Rolling Stones to record new album |date=24 July 2017 |website=torontosun.com |access-date=31 July 2017 }}</ref>、2021年にはリリースされておらず、その予定は[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウィルス感染症の流行]]のためさらに遅れた<ref>{{Cite magazine|last=Doyle|first=Patrick|date=3 September 2020|title=Mick Jagger and Keith Richards on 'Goats Head Soup,' Life in Lockdown, and Why They'll Never Quit|url=https://www.rollingstone.com/music/music-features/mick-jagger-keith-richards-goats-head-soup-lockdown-interview-1043673/|access-date=29 October 2020|magazine=Rolling Stone}}</ref>。2017年12月にはバンドが[[BBC]]で1963年から65年に出演した番組での演奏を納めた『[[オン・エア]]』がリリースされた<ref name="rollingstone.com The Rolling Stones On Air">{{cite magazine |url=https://www.rollingstone.com/music/news/rolling-stones-collect-rare-bbc-recordings-for-on-air-w507491 |title=Rolling Stones Collect Rare BBC Recordings for 'On Air' (by Daniel Kreps) |date= 6 October 2017 |magazine=Rolling Stone |access-date= 26 October 2017}}</ref>。
[[File:Rolling Stones bow post-show, London, 22 May 2018 (41437870545).jpg|thumb|upright=1.15|2018年5月の[[ロンドン・スタジアム]]。]]
2017年5月にノー・フィルター・ツアーが発表され、その年の9月と10月にヨーロッパの12の異なる会場で14のショーが行われた<ref>{{Cite web|url=http://www.rollingstones.com/2017/05/09/stones-no-filter-european-tour/|title=Stones - No Filter - European tour {{!}} The Rolling Stones |website=rollingstones.com |access-date=9 July 2018|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170509150018/http://www.rollingstones.com/2017/05/09/stones-no-filter-european-tour/ |archivedate=9 May 2017|url-status=dead}}</ref>。ツアーはその後2018年7月まで延長され、イギリスおよびヨーロッパで14の新しい日程が追加され、2006年以来のイギリスツアーが行われた<ref>{{Cite news|url=https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-43196127|title=Rolling Stones to tour UK in 2018|last=Savage|first=Mark|date=26 February 2018 |work=BBC News|access-date=27 February 2018}}</ref>。2018年11月には、2019年にノー・フィルター・ツアーをアメリカで行う計画が発表された。4月から6月にかけて13のショーが開催される予定であったが<ref>{{Cite news |url=https://www.rollingstone.com/music/music-news/the-rolling-stones-2019-no-filter-tour-757781/|title=The Rolling Stones Announce 2019 'No Filter' U.S. Stadium Tour|last=Greene|first=Andy|date=19 November 2018|magazine=Rolling Stone |access-date=19 November 2018}}</ref>、2019年3月にミックが心臓弁置換術を受けることが発表され、ノー・フィルター・ツアーは17日間の北米レグを延期することを余儀なくされた<ref>{{cite magazine |url=https://www.rollingstone.com/music/music-news/rolling-stones-postpone-north-american-tour-as-mick-jagger-medical-treatment-815653/ |title=Rolling Stones Postpone North American Tour as Mick Jagger Gets Medical Treatment |date=30 March 2019 |first=Daniel |last=Kreps |magazine=Rolling Stone |access-date=30 March 2019}}</ref>。2019年4月4日、ミックはニューヨークで心臓弁の手術を終え、術後の回復のために入院しており数日中に退院する可能性があると発表された<ref>{{cite web |url=https://www.billboard.com/amp/articles/business/8505740/mick-jagger-undergoes-successful-heart-valve-procedure |title=Mick Jagger Undergoes Successful Heart Valve Procedure |date=4 April 2019 |first=Dave |last=Brooks |publisher=metro.co.uk |access-date=5 April 2019}}</ref><ref>{{cite web |url=https://metro.co.uk/2019/04/05/mick-jagger-recovering-hospital-successful-heart-surgery-rolling-stones-postpone-tour-9118024/amp/ |title=Mick Jagger 'recovering in hospital after successful heart surgery' as Rolling Stones postpone tour |date=5 April 2019 |first=Rishma |last=Dosani |publisher=metro.co.uk |access-date=5 April 2019}}</ref><ref>{{Cite magazine|url=https://www.billboard.com/articles/business/8505740/mick-jagger-undergoes-successful-heart-valve-procedure|title=Mick Jagger Undergoes Successful Heart Valve Procedure|magazine=Billboard|access-date=1 September 2019}}</ref>。5月16日、ローリング・ストーンズはノー・フィルター・ツアーが6月21日に再開され延期された17のショーは8月末までに再スケジュールされることを発表した<ref>{{Cite magazine|url=https://www.rollingstone.com/music/music-news/rolling-stones-rescheduled-dates-no-filter-tour-836010/|title=Rolling Stones Announce Rescheduled Dates For 2019 'No Filter' Tour|last=Greene|first=Andy|date=16 May 2019|magazine=Rolling Stone|access-date=19 May 2019}}</ref>。2020年3月、新型コロナウィルス感染症の流行によりノー・フィルター・ツアーは再び延期された<ref>{{Cite magazine|url=https://www.billboard.com/articles/columns/rock/9336620/rolling-stones-postpone-no-filter-tour|title=Rolling Stones Postpone No Filter Tour Over Coronavirus|date=17 March 2020|magazine=Billboard|access-date=19 April 2020}}</ref>。
ローリング・ストーンズは、2020年4月18日に開催された [[Together at Home]] のオンラインおよびオンスクリーンコンサートのヘッドラインアクトの一組として出演した。これは[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の流行]]に際して[[世界保健機関]]を支援するために[[:en:Global Citizen (website)|Global Citizen]]が主催したバーチャルコンサートであった<ref>{{cite news|url=https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-52333890|title=Coronavirus: Stars take part in One World: Together At Home concert|last=Savage|first=Mark|date=18 April 2020|work=BBC|access-date=18 April 2020}}</ref>。4月23日、ミックは[[Facebook]]ページを通じて、新しいローリング・ストーンズのシングル「[[リヴィング・イン・ア・ゴーストタウン]]」のリリース(同日午後5時[[英国夏時間|BST]])を発表した。この曲は2019年にロンドンとロサンゼルスで録音され、メンバーがそれぞれ単独で完成させたものである。(一部のマテリアルは新型コロナウィルス感染症の流行によるロックダウンの前にスタジオで録音されていた。)バンドはこの曲について「私たちが住んでいる時代を通して思考は共鳴するだろう」とし、そして2012年以来のオリジナル曲であった<ref>{{cite news |url=https://www.theguardian.com/music/2020/apr/23/the-rolling-stones-release-living-in-a-ghost-town-first-original-music-since-2012 |title=The Rolling Stones release Living In A Ghost Town, first original music since 2012 |date=23 April 2020 |website=[[The Guardian]] |access-date=23 April 2020 }}</ref>。この曲はドイツのシングルチャートで1位を獲得し、ストーンズにとって52年ぶりのトップとなった。また、ストーンズはトップを獲得した最も古いアーティストとなった<ref name="spiegel">{{Cite news |title=Rolling Stones Nummer eins der deutschen Singlecharts{{nbsp}}- erstmals seit 1968 |work=[[Der Spiegel]] |date=3 July 2020 |url=https://www.spiegel.de/kultur/musik/rolling-stones-mit-living-in-a-ghost-town-nummer-1-der-deutschen-charts-a-e0c06156-106c-4fc2-a0a7-8b5b794b7fe2 |access-date=6 July 2020 |language=de-DE}}</ref>。
1973年のアルバム『[[山羊の頭のスープ]]』は2020年9月4日に未発表音源・ライブ音源を含めたボックスセットとして再リリースされた。未発表曲の「クリス・クロス」は2020年7月9日にシングルおよびミュージックビデオとしてリリースされた。また、「スカーレット」は[[ジミー・ペイジ]]が参加しており、もう一つの未発表曲は「オール・ザ・レイジ」であった<ref>{{cite web| last = Ryan| first = Patrick | title = Rolling Stones share unreleased song 'Criss Cross,' announce 'Goats Head Soup' reissue =| publisher = USA Today | url=https://www.allmusic.com/album/goats-head-soup-mw0000650701| access-date = 9 July 2020}}</ref>。2020年9月11日、『山羊の頭のスープ』はイギリスアルバムチャートで1位を獲得し、ストーンズは60年を超えて同一のアルバムが1位を獲得した初めてのバンドとなった<ref name="Six decades">{{cite news |title=The Rolling Stones break Official Chart record as they pip Declan McKenna to Number 1 with Goats Head Soup |url=https://www.officialcharts.com/chart-news/the-rolling-stones-break-official-chart-record-as-they-pip-declan-mckenna-to-number-1-with-goats-head-soup__30967/ |access-date=12 September 2020 |work=Official Charts Company}}</ref>。
2021年8月、チャーリーが入院治療のためノー・フィルター・ツアーの残りの日程に参加しないことが発表された。ストーンズと長年交流がある[[スティーヴ・ジョーダン (ミュージシャン)|スティーヴ・ジョーダン]]がチャーリーの代役としてツアーに参加することとなった<ref>{{Cite magazine|last=Greene|first=Andy|date=5 August 2021|title=Rolling Stones' Charlie Watts Drops Out of U.S. Tour After Medical Procedure|url=https://www.rollingstone.com/music/music-news/rolling-stones-charlie-watts-us-tour-1207707/|url-access=limited|access-date=5 August 2021|magazine=Rolling Stone|language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web|last=Aswad|first=Jem|date=5 August 2021|title=Rolling Stones Drummer Charlie Watts Is 'Unlikely' to Join Group's 2021 U.S. Tour|url=https://variety.com/2021/music/news/rolling-stones-drummer-charlie-watts-unlikely-tour-1235035030/|access-date=5 August 2021|magazine=Variety|language=en-US}}</ref>。2021年8月24日、チャーリーはロンドンの病院で家族に看取られて死去した。80歳であった<ref>{{cite news |title=Rolling Stones drummer Charlie Watts dies at 80 |url=https://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-58316842 |access-date=24 August 2021 |publisher=BBC News |date=24 August 2021}}</ref><ref>{{Cite web|last1=Lawless|first1=Jill|last2=Katz|first2=Gregory|date=24 August 2021|title=Drummer Charlie Watts, Rolling Stones backbone, dies at 80|url=https://apnews.com/article/rolling-stones-charlie-watts-died-c9551b21e2806b679bd0eeec0bb4ef2b|access-date=27 August 2021|website=The Associated Press|language=en}}</ref>。ローリング・ストーンズの公式ウェブサイトの内容は10日間、チャーリーの1枚の写真に置き換えられた<ref>{{Cite web|date=25 August 2021|title=Charlie Watts|url=https://rollingstones.com/|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210825004940/https://rollingstones.com/|archivedate=25 August 2021|access-date=25 August 2021|website=The Rolling Stones}}</ref>。8月27日、バンドのソーシャルメディアアカウントはチャーリーの写真と動画のモンタージュを共有した<ref>{{Cite tweet|author=The Rolling Stones|author-link=The Rolling Stones|user=RollingStones|number=1431274250984427525|date=27 August 2021|title=[Video of Watts]|language=en|access-date=27 August 2021|link=https://twitter.com/RollingStones/status/1431274250984427525|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210827182806/https://twitter.com/RollingStones/status/1431274250984427525|archivedate=27 August 2021}}</ref>。今後、ローリング・ストーンズは、ノー・フィルター・ツアーの各コンサートの冒頭でチャーリーの写真とビデオを表示する。その短いセグメントの長さは約1分で、チャーリーが演奏したシンプルなドラムトラックが加えられた<ref>{{Cite news|agency=Associated Press|date=27 September 2021|title=The Rolling Stones Are Back On Tour And Paid Tribute To Late Drummer Charlie Watts|language=en|work=NPR|url=https://www.npr.org/2021/09/27/1040873738/the-rolling-stones-no-filter-tour-charlie-watts|access-date=9 November 2021}}</ref>。
== 音楽上の特色 ==
ローリング・ストーンズの音楽的ルーツは、[[黒人音楽]]の[[ブルース]]にある。デビュー曲の「カム・オン」は[[チャック・ベリー]]の[[カバー#概要|カバー]]である。彼らがデビューした[[1960年代]]初期、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]やイギリスでも、まだまだ[[黒人]]に対する[[差別]]が根強く、「[[ブルース]]のレコード・ジャケットには、黒人の顔写真を載せてはならない(黒人ミュージシャン本人の顔写真を含む)」という慣習のある州さえ多かった。こうした時代にイギリス出身の[[白人]]のグループでありながら、黒人の音楽であるブルースを心から尊敬し、影響を受け、黒人になりきって歌や演奏に表現しようとしたバンドがローリング・ストーンズである。彼らは更にブルースだけでなく、[[モータウン]]や[[スタックス・レコード|スタックス]]といったレコード会社に代表される、同時代の黒人音楽も吸収した。ローリング・ストーンズの活躍は、黒人音楽にルーツをもつ、他の白人ミュージシャンが1960年代後半から[[1970年代]]初頭にかけて、米英などで多数登場するきっかけとなったともいえる。
ローリング・ストーンズの[[音楽|サウンド]]の欠かせない特徴として、その独特の[[リズム]]がある。本来バンドであれば[[ドラムセット|ドラム]]と[[ベース (弦楽器)|ベース]]の絡みが重要といわれているが、ストーンズは違う。そのリズムの核となるのは、[[チャーリー・ワッツ]]のドラムス、[[キース・リチャーズ]]が弾き出す[[リズム・ギター]]にある。この2人が絡むことで、その独特のリズムが生まれている。ワイマンのベース、ワッツの[[ドラムス]]も抜群のコンビネーションだった。しかし、1993年に[[ビル・ワイマン]]が脱退して以来、リズム隊が変わってしまい、[[バックバンド|サポート・メンバー]]である[[ダリル・ジョーンズ]]には不満を抱くファンも多い。
ローリング・ストーンズは、黒人音楽の流行を取り入れ、一部のメンバーの交替や、様々なアクシデントを乗り越え、デビュー40周年を超えた21世紀に至ってもなお、ブルース(もしくは[[リズム・アンド・ブルース]])ルーツの[[ロックンロール]]という音楽で、第一線で現役を続行している。
==メンバー==
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'''現メンバー'''
* [[ミック・ジャガー]]{{snd}}リードボーカル、バックボーカル、ハーモニカ、リズムギター、パーカッション、キーボード<small>(1962年-現在)</small><ref name=":5">{{cite web |url=http://ultimateclassicrock.com/rolling-stones-lineup-changes/ |title=Rolling Stones Lineup Changes: A Complete Guide |website=Ultimate Classic Rock |access-date=15 August 2017 |archive-url= https://web.archive.org/web/20170708063645/http://ultimateclassicrock.com/rolling-stones-lineup-changes/ |archive-date=8 July 2017 |url-status=live}}</ref><ref name=":6">{{Cite web |title=Band {{!}} The Rolling Stones |website=rollingstones.com |url=http://www.rollingstones.com/band/ |access-date=15 August 2017 |archive-url= https://web.archive.org/web/20170610220218/http://www.rollingstones.com/band/ |archive-date=10 June 2017 |url-status=dead}}</ref>
* [[キース・リチャーズ]]{{snd}}リズムギター、リードギター、ベース、バックボーカル、リードボーカル<small>(1962年-現在)</small><ref name=":5" /><ref name=":6" />
* [[ロン・ウッド]]{{snd}}リードギター、リズムギター、ベース、バックボーカル<small>(1975年-現在)</small><ref name=":5" /><ref name=":6" />
'''元メンバー'''
* [[ブライアン・ジョーンズ]]{{snd}}リズムギター、リードギター、ハーモニカ、キーボード、シタール、パーカッション、バックボーカル<small>(1962年-1969年:1969年死去)</small><ref name=":5" /><ref name=":6" />
* [[イアン・スチュワート (ミュージシャン)|イアン・スチュワート]]{{snd}}オルガン、ピアノ、パーカッション<small>(1962年-1963年:契約ミュージシャン 1964年-1985年:1985年死去)</small><ref name=":5" /><ref name=":6" />
* [[ディック・テイラー]]{{snd}}ベース<small>(1962年)</small><ref name="early_members_telegraph">{{cite news|url=https://www.telegraph.co.uk/music/what-to-listen-to/rolling-stones-defining-moments/formation-and-first-gig-1962the-rolling-stones-formed-in-london/ |archive-url=https://ghostarchive.org/archive/20220110/https://www.telegraph.co.uk/music/what-to-listen-to/rolling-stones-defining-moments/formation-and-first-gig-1962the-rolling-stones-formed-in-london/ |archive-date=10 January 2022 |url-access=subscription |url-status=live|title=The Rolling Stones: 25 defining moments in their career|newspaper=The Telegraph|date=25 March 2016}}{{cbignore}}</ref>
* [[リッキー・フェンソン]]{{snd}}ベース<small>(1962年-1963年)</small><ref name=":5" />
* コリン・ゴールディング{{snd}}ベース<small>(1962年-1963年)</small><ref name="Davis2001">{{harvnb|Davis|2001|p=52}}: "As the autumn of 1962 wore on, the Rollin' Stones picked up occasional jobs,... Dick Taylor left the band in September to attend the Royal College of Art. For a couple of months, the bass chores were handled by various people, most often Colin Golding, who probably played around eight gigs..."</ref>
* [[トニー・チャップマン]]{{snd}}ドラムス<small>(1962年-1963年)</small><ref name="early_members_telegraph" />
* [[カルロ・リトル]]{{snd}}ドラムス<small>(1962年-1963年:2005年死去)</small><ref>{{cite web|url=https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1496340/Carlo-Little.html |archive-url=https://ghostarchive.org/archive/20220110/https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1496340/Carlo-Little.html |archive-date=10 January 2022 |url-access=subscription |url-status=live|title=Carlo Little|date=16 August 2005|via=www.telegraph.co.uk|accessdate=2022-04-11}}{{cbignore}}</ref>
* [[ビル・ワイマン]]{{snd}}ベース、ピアノ、バックボーカル、リードボーカル<small>(1962年-1993年:ゲスト 2012年)</small><ref name=":5" /><ref name=":6" />
* [[チャーリー・ワッツ]]{{snd}}ドラムス、パーカッション、バックボーカル<small>(1963年-2021年:2021年死去)</small><ref name=":5" /><ref name=":6" /><ref>{{Cite web|last1=Lawless|first1=Jill|last2=Gregory|first2=Katz|date=24 August 2021|title=Drummer Charlie Watts, Rolling Stones backbone, dies at 80|url=https://apnews.com/article/rolling-stones-charlie-watts-died-c9551b21e2806b679bd0eeec0bb4ef2b|access-date=25 August 2021|website=The Associated Press|language=en}}</ref>
* [[ミック・テイラー]]{{snd}}リードギター、ベース、バックボーカル<small>(1969年-1974年:ゲスト 1981年、2012年-2014年)</small><ref name=":5" /><ref name=":6" />
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'''ツアーメンバー'''
* [[チャック・リーヴェル]]{{snd}}キーボード、バックボーカル<small>(1982年-現在)</small><ref name=":6" />
* [[バーナード・ファウラー]]{{snd}}バックボーカル、パーカッション<small>(1989年-現在)</small><ref name=":6" />
* マット・クリフォード{{snd}}キーボード、フレンチホルン<small>(1989年-1990年、2012年-現在)</small><ref name=":6" />
* [[ダリル・ジョーンズ]]{{snd}}ベース<small>(1994年-現在)</small><ref name=":6" />
* [[ティム・リーズ]]{{snd}}サックス、キーボード<small>(1999年-現在)</small><ref name=":6" />
* [[カール・デンソン]]{{snd}}サックス<small>(2014年-現在)</small><ref name=":6" />
* [[サーシャ・アレン]]{{snd}}バックボーカル、「[[ギミー・シェルター]]」でのリードボーカル<small>(2016年-現在)</small><ref>{{cite web |url=http://www.rollingstones.com/2016/01/22/new-backing-vocalist-sasha-allen/|title=New backing vocalist Sasha Allen {{!}} The Rolling Stones|website=rollingstones.com|access-date=15 August 2017|url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20170815235037/http://www.rollingstones.com/2016/01/22/new-backing-vocalist-sasha-allen/|archive-date=15 August 2017}}</ref>
* [[スティーヴ・ジョーダン (ミュージシャン)|スティーヴ・ジョーダン]]{{snd}}ドラムス<small>(2021年-現在)</small>
'''元ツアーメンバー'''
* [[ボビー・キーズ]]{{snd}}サックス<small>(1970年-1973年:1981年-2014年:2014年死去)</small><ref>{{cite magazine|url=https://www.rollingstone.com/music/news/rolling-stones-saxophonist-bobby-keys-dead-at-70-20141202|title=Rolling Stones Saxophonist Bobby Keys Dead at 70|magazine=Rolling Stone|date=2 December 2014|access-date=15 August 2017|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20170703021757/http://www.rollingstone.com/music/news/rolling-stones-saxophonist-bobby-keys-dead-at-70-20141202|archive-date=3 July 2017}}</ref>
* [[ジム・プライス (ミュージシャン)|ジム・プライス]]{{snd}}トランペット<small>(1970年-1973年)</small><ref>{{cite web|url=https://www.allmusic.com/artist/jim-price-mn0000491219/biography|title=Jim Price {{!}} Biography & History|website=AllMusic|access-date=15 August 2017|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20170816013510/http://www.allmusic.com/artist/jim-price-mn0000491219/biography|archive-date=16 August 2017}}</ref>
* [[ニッキー・ホプキンス]]{{snd}}ピアノ<small>(1971-1973年:1994年死去)</small><ref>{{cite news |url=https://www.independent.co.uk/news/people/obituary-nicky-hopkins-1447653.html|title=Obituary: Nicky Hopkins|date=9 September 1994|work=The Independent |access-date=15 August 2017|url-status=live|archive-url= https://web.archive.org/web/20170816010957/http://www.independent.co.uk/news/people/obituary-nicky-hopkins-1447653.html|archive-date=16 August 2017}}</ref>
* [[ビリー・プレストン]]{{snd}}キーボード、バックボーカル<small>(1973年-1977年:2006年死去)</small><ref>{{cite magazine|url=https://www.billboard.com/articles/news/58222/beatles-stones-sideman-billy-preston-dies|title=Beatles, Stones Sideman Billy Preston Dies|magazine=Billboard|access-date=15 August 2017|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20140921175253/http://www.billboard.com/articles/news/58222/beatles-stones-sideman-billy-preston-dies|archive-date=21 September 2014}}</ref>
* [[オリー・E・ブラウン]]{{snd}}パーカッション<small>(1975年-1976年)</small><ref>{{cite magazine|url=https://books.google.com/books?id=WbEDAAAAMBAJ&pg=PA58|title=Billy Preston Talks About His Touring With The Rolling Stones |magazine=[[Jet (magazine)|Jet]] |volume=XLVIII |number=25 |author=Geoffrey F. Brown |date=11 September 1975 |page=58 |publisher=Johnson Publishing Company |via=[[Google Books]]}}</ref><ref>{{cite book |url=https://books.google.com/books?id=g5eTCwAAQBAJ&q=rolling+stones+Ollie+E.+Brown&pg=PT855 |title=The Rolling Stones All the Songs: The Story Behind Every Track |first1=Philippe |last1=Margotin |first2=Jean-Michel |last2=Guesdon |date=25 October 2016 |publisher=Running Press|isbn=9780316317733}}</ref>
* [[イアン・マクレガン]]{{snd}}キーボード<small>(1978年-1981年:2014年死去)</small><ref>{{cite magazine |magazine=Rolling Stone |url=https://www.rollingstone.com/music/news/ian-mclagan-faces-rolling-stones-keyboardist-dead-20141203 |title=Faces Keyboardist Ian McLagan Dead at 69 |date=3 December 2014 |access-date=15 August 2017 |url-status=live|archive-url= https://web.archive.org/web/20170816004449/http://www.rollingstone.com/music/news/ian-mclagan-faces-rolling-stones-keyboardist-dead-20141203 |archive-date=16 August 2017}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.latimes.com/entertainment/music/posts/la-et-ph-ian-mclagan-dies-20141203-story.html |title=Ian McLagan, famed keyboardist and Rolling Stones collaborator, dies |last=Parker |first=Ryan |date=3 December 2014|work=Los Angeles Times|access-date=15 August 2017|url-status=live|archive-url= https://web.archive.org/web/20170816010433/http://www.latimes.com/entertainment/music/posts/la-et-ph-ian-mclagan-dies-20141203-story.html|archive-date=16 August 2017}}</ref>
* [[アーニー・ワッツ]]{{snd}}サックス<small>(1981年)</small><ref>{{cite news|url=http://www.cbc.ca/news/canada/british-columbia/all-you-have-to-do-is-feel-saxophonist-ernie-watts-melds-jazz-and-indian-classical-music-1.4195365|title='All you have to do is feel': saxophonist Ernie Watts melds jazz and Indian classical music|work=CBC News|access-date=15 August 2017|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20170712103153/http://www.cbc.ca/news/canada/british-columbia/all-you-have-to-do-is-feel-saxophonist-ernie-watts-melds-jazz-and-indian-classical-music-1.4195365|archive-date=12 July 2017}}</ref><ref>{{cite magazine |url=https://www.rollingstone.com/music/news/what-makes-the-rolling-stones-the-greatest-rock-roll-band-in-the-world-19811210|title=What Makes the Rolling Stones the Greatest Rock & Roll Band in the World |magazine=Rolling Stone|date=10 December 1981 |access-date=15 August 2017|url-status=live|archive-url= https://web.archive.org/web/20170816004135/http://www.rollingstone.com/music/news/what-makes-the-rolling-stones-the-greatest-rock-roll-band-in-the-world-19811210|archive-date=16 August 2017}}</ref>
* [[リサ・フィッシャー]]{{snd}}バックボーカル、「[[ギミー・シェルター]]」でのリードボーカル<small>(1989年-2015年)</small><ref name=":6" />
* [[ブロンディ・チャップリン]]{{snd}}サイドギター、バックボーカル<small>(1997年-2007年)</small><ref>{{cite magazine |url=https://www.rollingstone.com/music/news/ex-beach-boy-blondie-chaplin-reunites-with-brian-wilson-after-40-years-20131014|title=Ex-Beach Boy Blondie Chaplin Reunites With Brian Wilson After 40 Years |magazine=Rolling Stone|date=14 October 2013 |access-date=15 August 2017|url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20170816001813/http://www.rollingstone.com/music/news/ex-beach-boy-blondie-chaplin-reunites-with-brian-wilson-after-40-years-20131014|archive-date=16 August 2017}}</ref>
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}}
==ディスコグラフィ==
{{Main|ローリング・ストーンズの作品}}
=== スタジオ・アルバム ===
{{div col|colwidth=25em}}
*『[[ザ・ローリング・ストーンズ (アルバム)|ザ・ローリング・ストーンズ]] / イングランズ・ニューエスト・ヒット・メーカーズ』(1964年)
*『[[12×5]]』(1964年)
*『[[ザ・ローリング・ストーンズ No.2]] / [[ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!]]』(1965年)
*『[[アウト・オブ・アワ・ヘッズ]]』(1965年)
*『[[ディッセンバーズ・チルドレン]]』(1965年)
*『[[アフターマス]]』(1966年)
*『[[ビトウィーン・ザ・バトンズ]]』(1967年)
*『[[サタニック・マジェスティーズ]]』(1967年)
*『[[ベガーズ・バンケット]]』(1968年)
*『[[レット・イット・ブリード]]』(1969年)
*『[[スティッキー・フィンガーズ]]』(1971年)
*『[[メイン・ストリートのならず者]]』(1972年)
*『[[山羊の頭のスープ]]』(1973年)
*『[[イッツ・オンリー・ロックン・ロール]]』(1974年)
*『[[ブラック・アンド・ブルー (ローリング・ストーンズのアルバム)|ブラック・アンド・ブルー]]』(1976年)
*『[[女たち (アルバム)|女たち]]』(1978年)
*『[[エモーショナル・レスキュー]]』(1980年)
*『[[刺青の男 (アルバム)|刺青の男]]』(1981年)
*『[[アンダーカヴァー (ローリング・ストーンズのアルバム)|アンダーカヴァー]]』(1983年)
*『[[ダーティ・ワーク]]』(1986年)
*『[[スティール・ホイールズ]]』(1989年)
*『[[ヴードゥー・ラウンジ]]』(1994年)
*『[[ブリッジズ・トゥ・バビロン]]』(1997年)
*『[[ア・ビガー・バン]]』(2005年)
*『[[ブルー&ロンサム]]』(2016年)
*『[[ハックニー・ダイアモンズ]]』(2023年)
{{div col end}}
== 来日公演 ==
; 1973年:公演中止
: 前年11月に公演決定、日程は1月28日、29日、30日、31日、2月1日の計5回、[[日本武道館|武道館大ホール]]で行われる予定であった。12月1日に前売りが開始され、前日からの徹夜組が4,000人も出たことが話題となった。しかしながら1973年1月8日に外務省が過去の大麻所持を理由に入国拒否を発表。1月19日にプロモーターから来日公演の正式中止が発表された。[[西郷輝彦]]がこの公演中止をモチーフとした「ローリング・ストーンズは来なかった」を発表している。
; 1990年:2月14日、16日、17日、19日、20日、21日、23日、24日、26日、27日・[[東京ドーム]]
: アルバム『[[スティール・ホイールズ]]』のリリースと共に行われたワールドツアーの一環として初来日。大物バンドの初来日ということで、チケット争奪戦が繰り広げられた結果、チケットは完売、19日に追加公演も行われた。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が主催、[[大塚製薬]]がツアースポンサーとなり、ストーンズロゴ入りパックの[[ポカリスエット]]が販売された。同ツアーの初日、2月14日の公演は[[エフエム東京|FM東京]]系27局で3月10日に放送された。26日のステージは、4月29日に日本テレビ系列で放送されたが、一部の局では数曲が差し替えられた。また、それ以来ワールド・ツアーの興行収益のギネス記録を、ツアーの度に塗り替え続けている。
; 1995年:3月6日、8日、9日、12日、14日、16日、17日・東京ドーム、3月22日、23日・[[福岡ドーム]]
: アルバム『[[ヴードゥー・ラウンジ]]』ツアーの一環。
; 1998年:3月12日、14日、16日、17日・東京ドーム、3月20日、21日・[[大阪ドーム]]
: アルバム『[[ブリッジズ・トゥ・バビロン]]』ツアーの一環。
; 2003年:3月10日・武道館大ホール、3月12日・[[横浜アリーナ]]、3月15日、16日・東京ドーム、3月20日、21日・大阪ドーム
: アルバム『[[フォーティ・リックス]]』リリース後のリックス・ツアーの一環。ツアースポンサーは、[[サントリー]]。1973年の初来日が中止になり、それから30年目にしてようやく武道館での公演が実現する。武道館、横浜公演のSS席チケットは22,000円であり、他のドーム公演もS席は13,200円と、それまでの公演に比べ料金が上昇した。
; 2006年:3月22日、24日・東京ドーム、3月29日・[[札幌ドーム]]、4月2日・[[さいたまスーパーアリーナ]]、4月5日・[[ナゴヤドーム]]
: アルバム『[[ア・ビガー・バン]]』リリース後のア・ビガー・バン・ツアーの一環として行われた。主催は[[WOWOW]]、後援が[[マイクロソフト]]。前回にもまして料金が上昇し、ゴールデン・サークル席(65,000円、55,000円)が設定された。その他S席(17,500円 - 35,000円)以下の料金も上昇した。バンドサイドから高額のギャランティを要求されたことに比例してチケット価格も高騰したことから、それまでの招聘元であった[[ウドー音楽事務所]]が手を引き、JECインターナショナルに招聘元が移った。8階建てのステージと相変わらずパワフルなパフォーマンスはファンに絶賛された。4月2日のステージは、WOWOWで放送された。このツアーで、通算で5大ドーム公演を制覇。
; 2014年:2月26日、3月4日、6日・東京ドーム
: アルバム『[[GRRR!]]』リリース後の14オン・ファイヤー・ツアーの一環として行われた。[http://14onfire-japantour.com/] 主催は[[キョードー東京]]ほか。チケットは14,000円 - 18,000円と前回から大きく変わらなかったが、ゴールデン・サークル席は80,000円という高額になったにも拘わらず完売した。公演回数の減少、平日のみの開催と悪条件が重なったが全公演チケット完売のため、ステージが一部見えない「参加席」(10,000円)も販売された [https://www.nikkei.com/article/DGXNZO67657940T00C14A3BE0P00/][https://www.oricon.co.jp/news/2034517/full/]。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--
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=== 出典 ===
{{Reflist|colwidth=30em|refs=
<ref name="officialcharts">{{cite web|url=http://www.officialcharts.com/artist/_/rolling%20stones/|title=The Rolling Stones – Official Chart History|publisher=[[Official Charts Company]] (OCC)|access-date=14 July 2013|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130419103024/http://www.officialcharts.com/artist/_/rolling%20stones/|archivedate=19 April 2013}}</ref>
}}
== ビブリオグラフィ ==
* {{Citation
| last=Egan
| first=Sean
| title=The Rough Guide to the Rolling Stones
| publisher=Penguin
| place=London
| year=2006
| url=https://www.amazon.com/Rough-Guide-Rolling-Stones-Reference/dp/1843537192
| isbn=1843537192
}}
* {{Citation
| last=Paytress
| first=Mark
| title=Rolling Stones : off the record
| publisher=Omnibus
| place=London ; New York
| year=2003
| url=https://books.google.ca/books?id=toSbe1xQxToC&lpg=PP1&dq=The%20Rolling%20Stones&lr&client=firefox-a&pg=PP1#v=onepage&q&f=true
| isbn=0711988692
}}
* {{Citation
| last=Forget
| first=Thomas
| title=The Rolling Stones
| publisher=Rosen Central
| place=New York, NY
| year=2003
| url=https://books.google.ca/books?id=k27BVJZzIwoC&lpg=PP1&dq=The%20Rolling%20Stones&lr&client=firefox-a&pg=PP1#v=onepage&q&f=true
| isbn=0823936449
}}
* {{Citation
| last=Sanchez
| first=Tony
| title=Up and down with the Rolling Stones
| publisher=Da Capo
| place=New York
| year=1996
| url=https://www.google.co.jp/books/edition/_/Ud5gtAEACAAJ?hl=en&sa=X&ved=2ahUKEwjBiKfP3M3yAhUSA94KHfpkDzwQ7_IDMBJ6BAgIEAI
| isbn=0306807114
}}
* {{Citation
| last=Miller
| first=Jim
| title=The Rolling Stone illustrated history of rock & roll : the definitive history of the most important artists and their music
| publisher=Random House
| place=New York
| year=1980
| url=https://books.google.ca/books?id=W2a27GxUe-sC&lpg=RA1-PA1&dq=The%20Rolling%20Stones&lr&client=firefox-a&pg=PA1931#v=onepage&q&f=true
| isbn=0679737286
}}
* {{Citation
| last= Hector
| first=James
| title=The complete guide to the music of the Rolling Stones
| publisher=Omnibus
| place=London
| year=1995
| url=https://books.google.ca/books?id=b2b3HmK4bOoC&lpg=PP1&dq=The+Rolling+Stones&lr=&client=firefox-a&pg=PP1&hl=ja#v=onepage&q&f=true
| isbn=0711943036
}}
* [http://www.therollingstones-thephotobookbygeredmankowitz.com?aid=wiki/ Gered Mankowitz: The Rolling Stones - Out of Their Heads.] Photographs 1965-67 and 1982, ISBN 3-89602-664-X
* [[スタンリー・ブース|Booth, Stanley]], ''The True Adventures of the Rolling Stones'', Chicago Review Press (2000), ISBN 1-55652-400-5 (also published as ''Dance with the Devil: The Rolling Stones and Their Times'', Random House (1984), ISBN 0-394-53488-3)
* Stanley Booth, ''Keith: Standing in the Shadows'', St. Martin's Press (1995), ISBN 0-312-11841-4
* Wyman, Bill, ''Rolling with the Stones'', DK Publishing (2002), ISBN 0-7894-9998-3
* [[ロイ・カー|Carr, Roy]], ''The Rolling Stones: An Illustrated Record'', Harmony Books (1976), ISBN 0-517-52641-7
* Robert Greenfield, ''S.T.P.: A Journey Through America with the Rolling Stones'' (1974), Reissued Da Capo Press, 2002. ISBN 0-306-81199-5
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* [[アンドリュー・ルーグ・オールダム|Oldham, Andrew Loog]], ''Stoned'', St. Martin's Griffin (2000), ISBN 0-312-27094-1
* Chet Flippo, ''On the Road With the Rolling Stones'', Doubleday/Dolphin (1985), ISBN 0-385-19374-2
* [[グレイル・マーカス|Marcus, Greil]], "Myth and Misquotation", ''The Dustbin Of History'', Harvard University Press (1997), ISBN 0-674-21858-2
* [http://www.timeisonourside.com/ecstasy.html "The Ecstasy and the Irony: The Evolution of a Rhythm & Blues Band"] Ian McPherson (2000)
* [[ザカリー・ラザー|Lazar, Zachary]], ''Sway'', Little, Brown (2008), ISBN 0-316-11309-3
* {{cite book|last=Richards|first=Keith|title=[[Life (book)|Life]]|year=2010|publisher=Weidenfeld & Nicolson |isbn=9780297854395|authorlink=Keith Richards|coauthors=Fox, James}}
* [[Marc Spitz]], ''[[Jagger: Rebel, Rock Star, Rambler, Rogue]]'', [[Gotham Books]] (2011), ISBN 978-1592406555
* 『ザ・ローリング・ストーンズ楽器大名鑑 Rolling Stones Gear』アンディ・バビアック&グレッグ・プレヴォスト DU BOOKS(2015)ISBN 978-4-907583-04-0
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Rolling Stones}}
* {{Official website|https://rollingstones.com/}}
* [https://www.universal-music.co.jp/rolling-stones/ THE ROLLING STONES | ローリング ストーンズ] - Universal Music Japan
* [https://www.allmusic.com/artist/the-rolling-stones-mn0000894465 The Rolling Stones] - [[Allmusic]]
* {{IMDb name|1213869}}
* {{MusicBrainz artist|id=b071f9fa-14b0-4217-8e97-eb41da73f598|name=The Rolling Stones}}
{{ローリング・ストーンズ}}
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[[Category:ローリング・ストーンズ|*]]
[[Category:イングランドのロック・バンド]]
[[Category:ブルースロック・バンド]]
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[[Category:デッカ・レコードのアーティスト]] | 2003-03-22T15:20:12Z | 2023-12-29T21:52:12Z | false | false | false | [
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4,921 | 歴史的シリア | 歴史的シリア(れきしてきシリア)は、大シリア、シリア地方ともいわれ、現在のシリア・アラブ共和国およびレバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを含む地域の歴史的な呼称。西は地中海に面し、北は現在のトルコの一部、東はイラクと接し、南は紅海およびアラビア半島に通じる。イスラーム勃興時代からアラビア語でシャーム地方(bilād al-Shām)と呼ばれた地域はほぼこの範囲に該当する。
なお、このシャームという単語は、単に地中海の東部沿岸地方のみを指したり、シリアの首都ダマスカスを指す場合もある。ヨーロッパではレバントとも訳される。
考古学によれば歴史的シリアは人類文明が早期に芽生えた土地のひとつである。1975年に発掘された古代都市エブラの発掘調査によれば、紀元前2500年から紀元前2400年にかけて、南の紅海から北はアナトリア、東はイラクに及ぶアッカドが広がっていた。当時のエブラの人口は、26万人に達した。研究者はエブラで話された言語は最古のセム語であると考えている。
時代により、カナン人、フェニキア人、ヘブライ人、エジプト人、アラム人、アッシリア人、バビロニア人、ヒッタイト人、ペルシア人、マケドニア人、ローマ人、ナバタイ人、ギリシャ人、ムスリム、十字軍、モンゴル人、テュルク人によって支配された。歴史的シリアはまた宗教にとって重要な役割を果たした。古代末期に築かれた港町アンティオキアはシルクロードの西端として、地中海貿易の拠点であるだけでなく、ユーラシア大陸における東西の交易路の拠点として繁栄した。
第一次世界大戦の後、オスマン帝国は解体され、1922年国際連盟において、シリアをイギリスとフランスの二国が分割、支配することを決めた。イギリスはトランスヨルダン地方とパレスチナ地方を奪い、フランスは現在のシリア・アラブ共和国およびレバノンを奪った。
フランスが植民地に組み込んだ地域はシリアの名前を継承して1941年に独立を宣言したが、すぐには承認されず、1944年1月1日国際的に承認された。フランス植民地時代にアンティオキア(現・アンタキヤ)周辺の北西地域はトルコに割譲され、現在ではトルコのハタイ県となっているが、この地域も歴史的シリアの一部である。 | [
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'''歴史的シリア'''(れきしてきシリア)は、'''大シリア'''、'''シリア地方'''ともいわれ、現在の[[シリア|シリア・アラブ共和国]]および[[レバノン]]、[[ヨルダン]]、[[パレスチナ国|パレスチナ]]、[[イスラエル]]を含む[[地域]]の歴史的な呼称。西は[[地中海]]に面し、北は現在の[[トルコ]]の一部、東は[[イラク]]と接し、南は[[紅海]]および[[アラビア半島]]に通じる。[[イスラム教|イスラーム]]勃興時代から[[アラビア語]]で'''シャーム地方'''(bilād al-Shām)と呼ばれた地域はほぼこの範囲に該当する。
なお、このシャームという単語は、単に地中海の東部沿岸地方のみを指したり、シリアの首都[[ダマスカス]]を指す場合もある。[[ヨーロッパ]]では[[レバント]]とも訳される<ref>{{cite news |title= 「イスラム国」、「ISIS」、「ISIL」、その違いは? |newspaper=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]] |date=2014-9-12 |url=http://www.cnn.co.jp/world/35053738.html|accessdate=2014-9-13 }}</ref>。
[[考古学]]によれば歴史的シリアは人類文明が早期に芽生えた土地のひとつである。[[1975年]]に発掘された古代都市[[エブラ]]の発掘調査によれば、紀元前2500年から紀元前2400年にかけて、南の[[紅海]]から北は[[アナトリア半島|アナトリア]]、東は[[イラク]]に及ぶ[[アッカド]]が広がっていた。当時のエブラの人口は、26万人に達した。研究者はエブラで話された言語は最古の[[セム語族|セム語]]であると考えている。
時代により、[[カナン人]]、[[フェニキア人]]、[[ヘブライ人]]、[[古代エジプト|エジプト人]]、[[アラム人]]、[[アッシリア人]]、[[新バビロニア|バビロニア人]]、[[ヒッタイト人]]、[[ペルシア帝国|ペルシア人]]、[[セレウコス朝|マケドニア人]]、[[ローマ帝国|ローマ人]]、[[ナバタイ人]]、[[ギリシャ人]]、[[イスラム帝国|ムスリム]]、[[十字軍]]、[[モンゴル帝国|モンゴル人]]、[[オスマン帝国|テュルク人]]によって支配された。歴史的シリアはまた[[宗教]]にとって重要な役割を果たした。古代末期に築かれた港町アンティオキアは[[シルクロード]]の西端として、地中海貿易の拠点であるだけでなく、[[ユーラシア大陸]]における東西の交易路の拠点として繁栄した。
[[第一次世界大戦]]の後、オスマン帝国は解体され、[[1922年]][[国際連盟]]において、シリアを[[イギリス]]と[[フランス]]の二国が分割、支配することを決めた。イギリスはトランスヨルダン地方と[[パレスチナ]]地方を奪い、フランスは現在の[[シリア|シリア・アラブ共和国]]および[[レバノン]]を奪った。
フランスが植民地に組み込んだ地域は'''シリア'''の名前を継承して[[1941年]]に独立を宣言したが、すぐには承認されず、[[1944年]][[1月1日]]国際的に承認された。フランス植民地時代にアンティオキア(現・[[アンタキヤ]])周辺の北西地域は[[トルコ]]に割譲され、現在ではトルコの[[ハタイ県]]となっているが、この地域も歴史的シリアの一部である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
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* [[シリアの歴史]]
* [[大シリア主義]]
* [[シリア語]]
* [[アラム語]]
* [[コイレ・シリア]]
* [[フランス委任統治領シリア]]
* [[マシュリク]]
* [[ISIL]] - かつては「[[イラク]]とシャームのイスラーム国」と名乗っていた[[イスラーム過激派]]組織
* [[シャーム・ウィングス航空]] - シャームの名を冠し、シリアに拠点を置く航空会社
{{DEFAULTSORT:れきしてきしりあ}}
[[Category:古代シリア|*]]
[[Category:シリアの歴史]]
[[Category:イスラム世界史]]
[[Category:中東]]
[[Category:分割地域]]
[[Category:民族統一主義]] | 2003-03-22T15:22:48Z | 2023-11-04T06:40:13Z | false | false | false | [
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'''5月8日'''(ごがつようか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から128日目([[閏年]]では129日目)にあたり、年末まではあと237日ある。
== できごと ==
[[Image:Lenepveu, Jeanne d'Arc au siège d'Orléans.jpg|thumb|160px|[[ジャンヌ・ダルク]]による[[オルレアン]]の解放(1429)。画像は[[ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー]]画]]
[[Image:Palo_Alto_nebel.jpg|thumb|200x200px|[[米墨戦争]]最初の主要な戦い、[[パロ・アルトの戦い]](1846)]]
[[Image:Large_explosion_aboard_USS_Lexington_%28CV-2%29%2C_8_may_1942.jpg|thumb|200px|[[珊瑚海海戦]](1942)。画像は爆発する空母[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]]]
[[Image:Smallpox_vaccine.jpg|thumb|200x200px|[[世界保健機関]]による[[天然痘]]の根絶宣言(1980)。画像は天然痘の[[予防接種]]キット]]
[[Image:Yokohama_Hakkeijima_Sea_Paradise.jpg|thumb|200x200px|[[横浜・八景島シーパラダイス]]オープン(1993)]]
* [[589年]] - 西ゴート王[[レカレド1世]]が第3回[[トレド教会会議]]を招集。
* [[730年]]([[天平]]2年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[光明皇后]]の発意により[[施薬院]]を設置。
* [[1238年]]([[暦仁]]元年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - 僧・浄光が鎌倉・[[高徳院]]の大仏堂(鎌倉大仏)の建立を開始。
* [[1429年]] - [[オルレアン包囲戦]]: [[ジャンヌ・ダルク]]率いるフランス軍が、イギリス軍を撃破し、[[オルレアン]]を解放<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/topics/middle-ages/siege-of-orleans |title=Siege of Orléans |access-date=22 Apr 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |date=21 Aug 2018}}</ref>。
* [[1541年]] - スペイン人探検家[[エルナンド・デ・ソト]]がヨーロッパ人で初めて[[ミシシッピ川]]に到達。
* [[1609年]]([[慶長]]14年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[琉球]]の[[尚寧王]]が[[薩摩藩]]に降伏。
* [[1794年]] - [[フランス革命]]: かつて徴税吏であった化学者[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]に対し革命裁判所が死刑判決を下し、その日にうちに[[ギロチン]]で処刑する。
* [[1838年]] - ロンドン労働者協会「人民憲章」を発表。イギリス全土で[[チャーティズム|チャーチスト運動]]が始まった。
* [[1846年]] - [[米墨戦争]]: [[パロ・アルトの戦い]]。
* [[1847年]]([[弘化]]4年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[善光寺地震]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/html/tenjikai/tenjikai2008/collection2.html |title=2.善光寺地震(1847年) |access-date=22 Apr 2023 |publisher=[[東京大学]]附属図書館 |work=「かわら版・鯰絵にみる江戸・明治の災害情報-石本コレクションから」}}</ref>。M⒎4、死者8000-1万2000人。
* [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]が[[アメリカ連合国]](南軍)の首都となる。
* [[1865年]]([[慶応]]元年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[元号]]が[[元治]]から慶応に改元。
* [[1872年]]([[明治]]5年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[文部省]]博物局が湯島の[[昌平坂学問所]]講堂跡に日本初の[[公共図書館]]である書籍館を開設。
* [[1886年]] - アメリカ・[[アトランタ]]の薬剤師[[ジョン・ペンバートン]]が[[コカ・コーラ]]の発売を開始。
* [[1902年]] - [[西インド諸島]]のフランス領[[マルティニーク]]島の[[プレー山|プレー火山]]が爆発し、火砕流でサンピエール市が全滅。死者は約32,000人に及ぶ。
* [[1911年]] - [[文部省]]が『[[尋常小学唱歌]]』を刊行。
* [[1931年]] - [[オーストリア]]最大の銀行[[オーストリア銀行|クレディットアンシュタルト]]が国立銀行に前年度ベースで85%の資本が失われたことを通知。[[5月11日]]に取引が全面停止される。
* [[1941年]] - [[東京条約]]が締結され[[タイ・フランス領インドシナ紛争]]が終結。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[珊瑚海海戦]]: [[ポートモレスビー]]を攻略しようとした[[大日本帝国海軍|日本海軍]]と[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]海軍の間で史上初の航空母艦同士の海戦が発生、日本側は連合国空母1隻撃沈、1隻大破の戦果を得るが上陸作戦中止。(海戦は戦術的勝利)
* 1942年 - [[第二次世界大戦]]: 民間人1,300人以上が乗った客船[[大洋丸]]が米潜水艦の雷撃により沈没。
* [[1944年]] - アメリカ海軍の航空母艦「[[タイコンデロガ (空母)|タイコンデロガ]]」が就役。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦: 前日の{{仮リンク|ドイツの降伏文書|en|German Instrument of Surrender}}調印を受け、ヨーロッパの[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]]で停戦。(VEデイ、[[ヨーロッパ戦勝記念日]])
* 1945年 - 第二次世界大戦: [[ベルリン]]郊外のカルルスホルストにてソ連の[[ゲオルギー・ジューコフ]]将軍とドイツの[[ヴィルヘルム・カイテル]]元帥が降伏文書に調印し、[[独ソ戦]]が終結。(ソ連による戦勝記念日は翌[[5月9日]])
* 1954年 - [[アジアサッカー連盟]]設立。
* [[1955年]] - 東京都砂川町(現 [[立川市]])で[[立川飛行場#アメリカ空軍立川基地|米軍立川基地]]の拡張反対総決起集会開催。[[砂川事件|砂川闘争]]が始まる。
* [[1963年]] - [[ベトナム共和国|南ベトナム]]の[[フエ]]で[[仏旗]]掲揚禁止抗議デモに警察が発砲、8名の犠牲者を出し、仏教徒への弾圧はじまる。([[仏教徒危機]])
* [[1968年]] - 厚生省が[[富山県]][[神通川]]の[[イタイイタイ病]]を[[公害病]]に認定。
* [[1970年]] - [[ビートルズ]]の最後のアルバム『[[レット・イット・ビー|Let It Be]]』発売。
* [[1977年]] - [[東山事件]]。 [[成田国際空港|成田空港]]建設反対派と[[機動隊]]が衝突した際、[[三里塚芝山連合空港反対同盟]]の支援者が、機動隊が発射した[[催涙ガス弾]]の直撃を受け、2日後に[[死亡]]した。
* [[1978年]] - [[ラインホルト・メスナー]]と{{仮リンク|ペーター・ハーベラー|en|Peter Habeler}}が初の[[エベレスト]]無酸素登頂に成功<ref>{{Cite web |url=https://www.ispo.com/en/news-people/reinhold-messner-his-mount-everest-expedition-you-mutate-zombie |title=Reinhold Messner and his famous expedition to Mount Everest: “You mutate into a zombie” |access-date=22 Apr 2023 |publisher=ISPO.com |date=8 May 2018}}</ref>。
* [[1980年]] - [[世界保健機関]] (WHO) が[[天然痘]]の根絶宣言を行う。
* [[1982年]] - [[ジル・ヴィルヌーヴ]]が[[1982年ベルギーグランプリ|F1ベルギーグランプリ]]予選で事故死。
* [[1983年]] - [[青木茂 (参議院議員)|青木茂]]らが[[サラリーマン新党]]を結成。
* [[1984年]] - ソ連が同年の[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]への不参加を表明。
* [[1987年]] - [[俵万智]]の第一歌集『[[サラダ記念日]]』が発刊。285万部のベストセラーに。
* [[1993年]] - [[横浜・八景島シーパラダイス]]オープン。
* [[2001年]] - [[武富士弘前支店強盗殺人・放火事件]]発生。[[2002年]][[3月4日]]容疑者逮捕。
* [[2002年]] - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]][[亡命|亡命者]]が[[中国]][[瀋陽]]にある日本国[[総領事館]]へ[[瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件|駆け込む事件]]が発生。
* [[2019年]] - 大津市園児死亡事故が発生。園児2人が死亡、園児職員合わせて16人が負傷<ref name="大津園児死傷事故">{{Cite web|和書|title=重傷女児の父「運転に責任を」 大津園児死傷事故1年 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58849920Y0A500C2AC8Z00/ |website= |access-date=22 Apr 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=8 May 2020}}</ref>。
* [[2022年]] - 第48代[[コスタリカ大統領]]に[[ロドリゴ・チャベス・ロブレス]]が就任。
* [[2023年]] - [[厚生労働省]]が[[新型コロナウイルス]]の[[感染症法]]上の位置づけを[[新型インフルエンザ]]等感染症から[[季節性インフルエンザ]]等と同様の5類に変更。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Edward_Gibbon_by_Henry_Walton_cleaned.jpg|thumb|upright|歴史家[[エドワード・ギボン]](1737-1794)誕生]]
[[Image:Jean-Delphin_Alard.jpg|thumb|ヴァイオリニスト、[[ジャン・アラール]](1815-1888)誕生|236x236ピクセル]]
[[Image:Harry-s-truman-79-26.jpg|thumb|254x254px|日本への[[原子爆弾|原爆]]投下を承認した第33代アメリカ合衆国大統領、[[ハリー・S・トルーマン]](1884-1972)誕生。]]
[[Image:ClarksdaleMS_Crossroads.jpg|thumb|183x183px|[[ブルース]]ミュージシャン、[[ロバート・ジョンソン]](1911-1938)。画像は 「Cross Road Blues」で歌われたルート61号と49号の交差点。]]
[[Image:Moebius_Lodz_2008.jpg|thumb|100px|漫画家[[ジャン・ジロー]](1938-2012)。筆名「メビウス」]]
[[Image:Meles Zenawi.jpg|thumb|100px|[[エチオピア]]首相、[[メレス・ゼナウィ]]]]
[[Image:SumoAkebono.jpg|thumb|upright|第64代[[横綱]]、[[曙太郎]](1969-)]]
* [[1587年]] - [[ヴィットーリオ・アメデーオ1世]]、[[サヴォイア公]](+ [[1637年]])
* [[1610年]]([[慶長]]15年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]]) - [[黒田長興]]、[[秋月藩]]初代藩主(+ [[1665年]])
* [[1650年]]([[慶安]]3年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[岡部長泰]]、[[岸和田藩]]6代藩主(+ [[1724年]])
* [[1737年]]([[ユリウス暦]][[4月27日]]) - [[エドワード・ギボン]]、[[歴史家]](+ [[1794年]])
* [[1745年]]([[延享]]2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[平野長純]]、[[田原本藩|田原本領]]6代領主(+ [[1810年]])
* [[1746年]](延享3年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[鍋島直寛]]、[[蓮池藩]]6代藩主(+ [[1773年]])
* [[1753年]] - [[ミゲル・イダルゴ]]、[[メキシコ]]の[[独立運動]]指導者(+ [[1811年]])
* [[1801年]]([[享和]]元年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[九鬼隆都]]、[[綾部藩]]9代藩主(+ [[1882年]])
* [[1815年]] - [[ジャン・アラール]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1888年]])
* [[1824年]] - [[ウィリアム・ウォーカー]]、[[アメリカ合衆国]]の[[軍人]]、[[冒険家]](+ [[1860年]])
* [[1828年]] - [[アンリ・デュナン]]、[[赤十字社]]創設者(+ [[1910年]])
* [[1829年]] - [[ルイス・モロー・ゴットシャルク]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1869年]])
* [[1847年]] - [[オスカー・ハマースタイン1世]]、興行主(+ [[1919年]])
* [[1850年]] - [[ロス・バーンズ]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1915年]])
* [[1858年]] - [[ダン・ブローザース]]、元プロ野球選手(+ [[1932年]])
* [[1874年]] - [[イネッサ・アルマンド]]、[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[コミンテルン]]活動家(+ [[1920年]])
* [[1875年]] - [[三条公美]]、[[華族]](+ [[1914年]])
* [[1884年]] - [[ハリー・S・トルーマン]]、[[政治家]]、第33代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1972年]])
* [[1886年]] - [[川崎小虎]]、[[日本画家]](+ [[1977年]])
* [[1889年]] - [[アーサー・カミング]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1914年]])
* [[1892年]] - [[スタニスラウ・ソサボフスキー]]、[[ポーランド]]の軍人(+ [[1967年]])
* [[1893年]] - [[エド・ローシュ]]、元プロ野球選手(+ [[1988年]])
* 1893年 - [[岩切章太郎]]、実業家、[[宮崎交通]]創業者(+ [[1985年]])
* [[1895年]] - [[エドマンド・ウィルソン]]、[[作家]]、[[文芸評論家]](+ [[1972年]])
* [[1899年]] - [[フリードリヒ・ハイエク]]、[[経済学者]](+ [[1992年]])
* [[1901年]] - [[オットー・カイザー]]、フィギュアスケート選手(+ [[1977年]])
* [[1902年]] - [[アンドレ・ルヴォフ]]、[[微生物学|微生物学者]](+ [[1994年]])
* [[1903年]] - [[フェルナンデル]]、[[コメディアン|喜劇俳優]]、[[シャンソン]]歌手(+ [[1971年]])
* [[1905年]] - [[佐賀省三]]、俳人、政治家(+ 没年不詳)
* [[1906年]] - [[ロベルト・ロッセリーニ]]、[[映画監督]](+ [[1977年]])
* [[1911年]] - [[ロバート・ジョンソン]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1938年]])
* [[1912年]] - [[櫻内義雄]]、[[政治家]](+ [[2003年]])
* [[1914年]] - [[上田稔]]、政治家(+ [[2011年]])
* 1914年 - [[浅井太郎]]、プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1919年]] - [[レオン・フェスティンガー]]、[[心理学者]](+ [[1989年]])
* [[1920年]] - [[ソール・バス]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[1996年]])
* 1920年 - [[河村章]]、元プロ野球選手
* [[1922年]] - [[野本喜一郎]]、元プロ野球選手、高校野球指導者(+ [[1986年]]<ref>{{Cite book|和書|chapter=野本喜一郎氏死去|title=[[埼玉新聞]]|volume=1986年8月10日 1面}}</ref>)
* [[1924年]] - [[大西民子]]、[[歌人]](+ [[1994年]])
* [[1925年]] - [[アリ・ハッサン・ムウィニ]]、政治家、第2代[[タンザニアの大統領一覧|タンザニア大統領]]
* [[1926年]] - [[デイビッド・アッテンボロー]]、[[動物学|動物学者]]、[[植物学|植物学者]]、[[作家]]
* [[1928年]] - [[澁澤龍彦]]、[[フランス文学者]]、[[小説家]](+ [[1987年]])
* 1928年 - [[宗田理]]、小説家
* 1928年 - [[臼井正明]]、俳優(+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/臼井正明/#person-110418389 |title=臼井正明(うすいまさあき) |access-date=22 Apr 2023 |publisher=[[NTTレゾナント|NTT Resonant Inc.]] |website=goo人名事典}}</ref>)
* [[1929年]] - [[ミヨシ・ウメキ]](ナンシー梅木)、[[ジャズ]]歌手、[[俳優|女優]](+ [[2007年]])
* [[1930年]] - [[宮脇陽三]]、教育学者、[[佛教大学]]名誉教授
* [[1931年]] - [[伊藤喜栄]]、地理学者、[[慶應義塾大学]]名誉教授
* [[1932年]] - [[ソニー・リストン]]、[[プロボクサー]](+ [[1970年]])
* 1932年 - [[神吉敬三]]、美術史家、[[上智大学]]名誉教授(+ [[1996年]])
* [[1934年]] - [[高坂正堯]]、[[国際政治学者]](+ [[1996年]])
* 1934年 - [[大塚安則]]、元プロ野球選手(+ [[1991年]])
* [[1935年]] - [[ジャッキー・チャールトン]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者(+ [[2020年]])
* [[1936年]] - [[小池一夫]]、[[漫画原作者]]、[[脚本家]](+ [[2019年]])
* 1936年 - [[ジャン=ポール・サヴィニャック]]、[[画家]]、[[映画監督]]
* [[1937年]] - [[トマス・ピンチョン]]、[[小説家]]
* 1937年 - [[アルト・ロペス]]、元プロ野球選手
* 1937年 - [[マイク・クェイヤー]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* 1937年 - [[松浦三千男]]、元プロ野球選手
* [[1938年]] - [[ジャン・ジロー]]、[[漫画家]](+ [[2012年]])
* [[1939年]] - [[近衞忠煇]]、第14代[[日本赤十字社]][[社長#日本赤十字社社長|社長]]
* 1939年 - [[高橋迪雄]]、動物生理学者
* 1939年 - [[赤木圭一郎]]、[[俳優]](+ [[1961年]])
* [[1940年]] - [[ピーター・ベンチリー]]、小説家(+ [[2006年]])
* 1940年 - [[佐々木有三]]、元プロ野球選手
* [[1941年]] - [[大笹吉雄]]、[[演劇]][[評論家]]
* [[1944年]] - [[家城比呂志]]、[[振付師]]
* 1944年 - [[三田村統之]]、政治家
* [[1945年]] - [[キース・ジャレット]]、[[ピアニスト]]
* 1945年 - [[安部憲幸]]、アナウンサー(+ [[2017年]])
* [[1946年]] - [[勝浦修]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* 1946年 - [[長谷川稀世]]、女優
* 1946年 - [[田端謙二郎]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[ロバート・ホロビッツ]]、[[生物学者の一覧|生物学者]]
* 1947年 - [[細川匡]]、デリカウィング会長
* 1947年 - [[山崎力]]、政治家(+ [[2021年]])
* 1947年 - [[郡司明郎]]、コンピュータエンジニア
* [[1950年]] - [[岡田勝]]、[[俳優]]、[[殺陣師]]、[[コーディネーター|アクションコーディネーター]]
* 1950年 - [[島田一の介]]、喜劇俳優
* [[1951年]] - [[大村雅朗]]、[[作曲家]]、[[編曲家]](+ [[1997年]])
* 1951年 - [[フィリップ・ベイリー]]、歌手([[アース・ウィンド・アンド・ファイアー]])
* [[1953年]] - [[アレックス・ヴァン・ヘイレン]]、ミュージシャン([[ヴァン・ヘイレン]])
* [[1954年]] - [[吉川美代子]]、アナウンサー
* [[1955年]] - [[メレス・ゼナウィ]]、政治家、[[エチオピア]][[首相]](+ [[2012年]])
* 1955年 - [[村俊英]]、俳優
* [[1956年]] - [[水谷修]]、教育者
* 1956年 - [[望月卓也]]、元プロ野球選手
* 1956年 - [[秋田拓士]]、実業家、[[近鉄百貨店]][[社長]]
* 1956年 - [[高橋佳生]]、歌手
* [[1957年]] - [[福田重男]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]]
* 1957年 - [[かたせ梨乃]]、女優
* [[1958年]] - [[坪内祐三]]、文芸評論家(+ [[2020年]])
* 1958年 - [[山崎元]]、経済評論家
* 1958年 - [[村中秀人]]、元[[野球選手]]
* [[1959年]] - [[榊原郁恵]]、タレント
* 1959年 - [[中原めいこ]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1960年]] - [[天童荒太]]、小説家
* 1960年 - [[フランコ・バレージ]]、元サッカー選手
* [[1961年]] - [[田上明]]、[[プロレスラー]]、元[[大相撲]][[力士]]
* [[1962年]] - [[オレステス・デストラーデ]]、元プロ野球選手
* 1962年 - [[てらそままさき]]、俳優、[[声優]]
* [[1963年]] - [[池田貴族]]、[[ミュージシャン]](+ [[1999年]])
* 1963年 - [[新田純一]]、俳優、歌手
* 1963年 - [[ミシェル・ゴンドリー]]、映画監督
* [[1964年]] - [[デイヴ・ロウントゥリー]]、ミュージシャン([[ブラー]])
* 1964年 - [[草場康郎]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[さくらももこ]]、[[漫画家]]、[[随筆家|エッセイスト]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASL8W6K22L8WUCVL03K.html |title=さくらももこさん、乳がんで死去 「ちびまる子ちゃん」 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=27 Aug 2018 |accessdate=22 Apr 2023}}</ref>)
* 1965年 - [[東和広 (漫画家)|東和広]]、漫画家
* 1965年 - [[河井英里]]、歌手(+ [[2008年]])
* 1965年 - [[稲船敬二]]、[[ゲームクリエイター]]
* [[1966年]] - [[クラウディオ・タファレル]]、元サッカー選手
* [[1967年]] - [[谷川史子]]、漫画家
* 1967年 - [[西村由紀江]]、作曲家、ピアニスト
* 1967年 - [[カジヒデキ]]、[[シンガーソングライター]]
* 1967年 - [[白石康次郎]]、海洋冒険家
* 1967年 - [[朝霧舞]]、女優
* [[1968年]] - [[阿部宏美]]、アナウンサー
* 1968年 - [[Kダブシャイン]]、[[MC (ヒップホップ)|ヒップホップMC]]([[KGDR]])
* 1968年 - [[黒崎久志]]、元サッカー選手、指導者
* [[1969年]] - [[曙太郎]]、元[[大相撲]][[力士]]、第64代[[横綱]]、格闘家
* 1969年 - [[近藤裕貴]]、政治家、実業家
* [[1970年]] - [[ルイス・エンリケ]]、元サッカー選手、指導者
* 1970年 - [[林家きく姫]]、落語家
* 1970年 - [[平野貴裕]]、声優
* 1970年 - [[渡辺和紀]]、作詞家、作曲家
* 1970年 - [[渡辺未来]]、作詞家、作曲家
* 1970年 - [[高野英樹]]、囲碁棋士
* 1970年 - [[濱地雅一]]、政治家
* [[1971年]] - [[橋本清仁]]、政治家
* 1971年 - [[バーバラ・ハンニガン]]、[[ソプラノ]][[歌手]]、指揮者
* [[1972年]] - [[野々村芳和]]、元サッカー選手
* 1972年 - [[春風亭小柳]]、落語家
* 1972年 - [[ダレン・ヘイズ]]、シンガーソングライター
* [[1973年]] - [[赤坂晃]]、元俳優、元[[アイドル]](元[[光GENJI]])
* 1973年 - [[荒川弘]]、漫画家
* 1973年 - [[中田有紀 (アナウンサー)|中田有紀]]、アナウンサー
* 1973年 - [[富岡久貴]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[張智成]](ゼット・チャン)、歌手
* [[1975年]] - [[柴田剛]]、映画監督
* 1975年 - [[月船さらら]]、女優
* 1975年 - [[黒瀬純]]、お笑い芸人([[パンクブーブー]])
* 1975年 - [[エンリケ・イグレシアス]]、歌手
* [[1976年]] - [[幸村誠]]、漫画家
* 1976年 - [[池野昌之]]、元プロ野球選手
* 1976年 - 山田貢士、[[俳優]]、[[モデル (職業)|モデル]]
* 1976年 - [[樋口あかり]]、声優
* 1976年 - [[張替智広]]、ミュージシャン([[キンモクセイ (バンド)|キンモクセイ]]・ [[HALIFANIE]])
* [[1977年]] - [[たかはし智秋]]、声優([[Aice5]])
* 1977年 - [[北村允志]]、声優
* 1977年 - [[迫井深也]]、元サッカー選手、指導者
* [[1978年]] - [[佐藤敦之]]、元陸上競技選手
* 1978年 - [[池田めぐみ]]、アナウンサー
* 1978年 - [[ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ|ルシオ]]、サッカー選手
* [[1979年]] - [[一條俊]]、俳優
* [[1980年]] - [[星野八千穂]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[吉本亮 (内野手)|吉本亮]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[星野貴紀]]、声優
* [[1981年]] - [[アルフレド・サイモン]]、プロ野球選手
* 1981年 - [[アンドレア・バルツァッリ]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[金明輝]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[美勇士]]、ミュージシャン
* [[1982年]] - [[ブアカーオ・ポー.プラムック]]、[[ムエタイ|ムエタイボクサー]]
* 1982年 - [[高橋健介 (フットサル選手)|高橋健介]]、フットサル選手
* 1982年 - [[エイドリアン・ゴンザレス]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[新井麻希]]、アナウンサー
* [[1983年]] - [[ダマソ・エスピーノ]]、プロ野球選手
* 1983年 - NAOTO、ミュージシャン([[ORANGE RANGE]])
* [[1984年]] - [[井尚美]]、[[グラビアアイドル]]
* 1984年 - [[デヴィッド・キング (フィギュアスケート選手)|デヴィッド・キング]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1984年 - [[山本山龍太]]、元大相撲力士
* [[1985年]] - [[宮崎真汐]]、スポーツライター、元女優
* 1985年 - [[青木亜希]]、元ファッションモデル
* 1985年 - [[日丸屋秀和]]、漫画家
* 1985年 - [[藤井ゆきよ]]、声優
* 1985年 - [[高橋翼 (競馬)|高橋翼]]、元騎手
* [[1986年]] - [[佐藤聡美]]、声優
* 1986年 - [[三谷たくみ]]、歌手
* 1986年 - [[藤田優人]]、サッカー選手
* [[1987年]] - [[工藤“red”玲央]]、キックボクサー
* 1987年 - [[安藤成子]]、実業家、元タレント
* [[1988年]] - [[リーズ・ドゥ・ラ・サール]]、[[ピアニスト]]
* [[1989年]] - [[伊藤隼太]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[ディネシュ・パテル]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[渡辺健太]]、アナウンサー
* 1989年 - [[宇宙まお]]、シンガーソングライター
* [[1990年]] - [[寺西加織]]、グラビアアイドル
* 1990年 - [[風間緑]]、バスケットボール選手
* 1990年 - [[紫雷イオ]]、プロレスラー
* 1990年 - [[尾崎直輝]]、野球指導者
* 1990年 - [[谷一歩]]、女優
* 1990年 - [[黒澤はるか]]、女優
* 1990年 - [[ニコラス・フェルナンデス]]、フィギュアスケート選手
* [[1991年]] - [[アネタ・ミハウェク]]、フィギュアスケート選手
* 1991年 - [[石井優希]]、バレーボール選手
* 1991年 - [[瀧川ありさ]]、シンガーソングライター
* 1991年 - [[ヤニス・オージンシュ]]、プロアイスホッケー選手
* [[1992年]] - [[井上希美]]、ミュージカル俳優
* 1992年 - [[清水一輝 (俳優)|清水一輝]]、俳優
* [[1993年]] - [[大塚健太]]、ラグビー選手
* 1993年 - [[潰滝大記]]、陸上選手
* 1993年 - [[川上竜平]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[大澤玲美]]、元グラビアアイドル
* [[1994年]] - [[笠原彰人]]、俳優
* 1994年 - [[金光みり愛]]、モデル、インフルエンサー
* 1994年 - [[鈴木潤 (フィギュアスケート選手)|鈴木潤]]、フィギュアスケート選手
* 1994年 - [[陳子見]]、台湾のプレゼンター、YouTuber
* [[1995年]] - [[井上愛里沙]]、バレーボール選手
* [[1996年]] - [[伊藤将司]]、プロ野球選手
* 1996年 - 吉倉千晴、元アイドル(元[[JAPANARIZM|はっぴっぴ]])
* [[1997年]] - [[髙橋純平]]、プロ野球選手
* 1997年 - [[藤ヶ崎矢子]]、プロレスラー
* 1997年 - [[今田萌]]、女優、元アイドル
* [[1998年]] - [[藤嶋健人]]、プロ野球選手
* 1998年 - [[神林勇太]]、陸上選手
* 1998年 - [[冨田有紀]]、アナウンサー
* 1998年 - [[春日彩香]]、グラビアアイドル
* 1988年 - レッスン祐輝<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/2090008313/ |title=レッスン祐輝 |access-date=22 Apr 2023 |publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |website=[[WEBザテレビジョン]]}}</ref>、お笑い芸人
* [[2000年]] - [[三好杏依]]、女優、モデル
* 2000年 - [[奈良間大己]]、プロ野球選手
* [[2001年]] - [[影山優佳]]、アイドル([[日向坂46]])
* 2001年 - [[三木直土]]、サッカー選手
* [[2002年]] - 島田芽依<ref>{{Cite web|和書|url=https://weleague.jp/player/1635119/ |title=島田 芽依 |access-date=22 Apr 2023 |publisher=[[三菱重工浦和レッズレディース]]}}</ref>、サッカー選手
* 2002年 - [[丈太郎]]、俳優
* 2002年 - [[森脇梨々夏]]、タレント
* [[2003年]] - 尾木波菜、アイドル([[≠ME]])
* [[2004年]] - [[名波海紅]]、女優
* [[2009年]] - [[石田星空]]、子役
* 生年不明 - [[伊東久美子]]、声優
* 生年不明 - [[伊藤誠 (プロデューサー)|伊藤誠]]、アニメプロデューサー
* 生年不明 - [[海月れおな]]、漫画家
* 生年不明 - [[菊池紗矢香]]、声優
* 生年不明 - [[すみれこ]]、モデル
* 生年不明 - セントチヒロ・チッチ、アイドル([[BiSH]])
* 生年不明 - [[宝塚歌劇団82期生|橘梨矢]]、女優
* 生年不明 - [[Faylan]]、歌手
* 生年不明 - [[未来優希]]、女優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1991年]] - [[サクラローレル]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](+ [[2020年]])
* [[2009年]] - [[ディープブリランテ]]、競走馬、種牡馬
{{-}}
== 忌日 ==
{{multiple image
| image1 = Louis-Michel_van_Loo_003.jpg
| width1 = 120
| caption1 = [[ポルトガル]]の政治家、[[ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ]](1699-1782)没
| alt1 = ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ
| image2 = Antoine_lavoisier.jpg
| width2 = 120
| caption2 = 化学者[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]](1743-1794)刑死
| alt2 = アントワーヌ・ラヴォアジエ
}}
{{multiple image
| image1 = JohnStuartMill.jpg
| width1 = 100
| caption1 = 経済学者[[ジョン・スチュアート・ミル]](1806-1873)没
| alt1 = ジョン・スチュアート・ミル
| image2 = Médaille musee Flaubert Cosset A.jpg
| width2 = 140
| caption2 = 作家[[ギュスターヴ・フローベール]](1821-1880)没
| alt2 = ギュスターヴ・フローベール
}}
[[Image:Woher_kommen_wir_Wer_sind_wir_Wohin_gehen_wir.jpg|thumb|300x300px|[[ポール・ゴーギャン]](1848-1903)没。画像は『[[われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか]]』(1897-98)]]
[[Image:Heinlein-face.jpg|thumb|120px|[[サイエンス・フィクション|SF]]作家[[ロバート・A・ハインライン]](1939-1988)]]
* [[1782年]] - [[ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の廷臣(* [[1699年]])
* [[1785年]] - [[エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール]]、[[フランス王国|フランス]]外相・陸相・海相(* [[1719年]])
* [[1794年]] - [[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]、[[化学者]](* [[1743年]])
* [[1829年]] - [[マウロ・ジュリアーニ]]、[[ギタリスト]]、[[作曲家]](* [[1781年]])
* [[1842年]] - [[ジュール・デュモン・デュルヴィル]]、[[探検家]](* [[1790年]])
* [[1873年]] - [[ジョン・スチュアート・ミル]]、[[思想家]]、[[経済学者]](* [[1806年]])
* [[1880年]] - [[ギュスターヴ・フローベール]]、[[小説家]](* [[1821年]])
* [[1885年]] - [[パヴェル・クシーシュコフスキー]]、作曲家(* [[1820年]])
* [[1891年]] - [[ブラヴァツキー夫人]]、オカルティスト(* [[1831年]])
* [[1903年]] - [[ポール・ゴーギャン]]、[[画家]](* [[1848年]])
* [[1904年]] - [[エドワード・マイブリッジ]]<ref>{{Cite web |title=Eadweard Muybridge {{!}} Biography, Photography, Inventions, Zoopraxiscope, & Facts |url=https://www.britannica.com/biography/Eadweard-Muybridge |website=Britannica |access-date=22 Apr 2023}}</ref>、[[写真家]](* [[1830年]])
* [[1914年]] - [[アーサー・カミング]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1889年]])
* [[1927年]] - [[シャルル・ナンジェッセ]]、[[フランス空軍]]の[[エース・パイロット]](* [[1883年]])
* [[1932年]] - [[エレン・センプル]]、[[地理学者]](* [[1863年]])
* [[1936年]] - [[オスヴァルト・シュペングラー]]、[[哲学|哲学者]]、[[歴史学者]](* [[1880年]])
* [[1942年]] - [[八田與一]]、土木水利技術者(* [[1886年]])
* [[1944年]] - [[エセル・スマイス]]、作曲家(* [[1858年]])
* [[1950年]] - [[相馬御風]]、[[詩人]]、[[作詞家]]、[[歌人]](* [[1883年]])
* [[1960年]] - [[ヒューゴ・アルヴェーン]]、[[音楽家]](* [[1872年]])
* [[1964年]] ‐ [[野村吉三郎]]、[[海軍]][[軍人]]、[[外交官]](* [[1877年]])
* [[1967年]] - [[エルマー・ライス]]、[[脚本家]](* [[1892年]])
* [[1972年]] - [[伊東深水]]、[[日本画家]](* [[1898年]])
* [[1974年]] - [[入江稔夫]]、[[水泳選手一覧|水泳選手]](* [[1911年]])
* [[1975年]] - [[アベリー・ブランデージ]]、[[国際オリンピック委員会]]会長(* [[1887年]])
* [[1979年]] - [[タルコット・パーソンズ]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1902年]])
* [[1980年]] - [[東山千栄子]]、[[俳優|女優]](* [[1890年]])
* [[1982年]] - [[ジル・ヴィルヌーヴ]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1950年]])
* [[1984年]] - [[岩谷真哉]]、[[第三舞台]][[俳優]](* [[1961年]])
* [[1985年]] - [[シオドア・スタージョン]]、[[SF作家]](* [[1918年]])
* [[1988年]] - [[ロバート・A・ハインライン]]、SF作家(* [[1907年]])
* [[1991年]] - [[ルドルフ・ゼルキン]]、[[ピアニスト]](* [[1903年]])
* [[1995年]] - [[テレサ・テン]]、[[歌手]](* [[1953年]])
* [[2006年]] - [[竹元勝雄]]、元[[プロ野球選手]](* [[1926年]])
* [[2007年]] - [[栽弘義]]、高校野球指導者(* [[1941年]])
* [[2009年]] - [[藤沢秀行]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1925年]])
* [[2010年]] - [[島野修]]、元[[プロ野球選手]]、[[スーツアクター]](* [[1950年]])
* [[2014年]] - [[レツゴー三匹|レツゴーじゅん]]、[[漫才師]]([[レツゴー三匹]])(* [[1945年]])
* [[2019年]] - [[島田三郎 (参議院議員)|島田三郎]]、[[政治家]](* [[1956年]])
* [[2021年]] - [[ロナルド・イングルハート]] 、政治学者(* [[1934年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Croixrouge logos.jpg|thumb|200x200px|世界赤十字デー]]
[[Image:Churchill waves to crowds.jpg|thumb|200x200px|[[ヨーロッパ戦勝記念日]]。画像は1945年5月8日、群集に[[Vサイン]]する[[ウィンストン・チャーチル]]]]
[[Image:Henry_Dunant-young.jpg|thumb|100px|[[赤十字社]]の創設者、[[アンリ・デュナン]](1828-1910)]]
* [[世界赤十字デー]]({{World}})
*: 1948年にストックホルムで開催された第20回赤十字社連盟理事会で決定。5月8日が[[赤十字社]]の創設者、[[アンリ・デュナン]]の誕生日であることから。
* [[ヨーロッパ戦勝記念日]]・VE (Victory in Europe) デー
*: [[1945年]][[5月7日]]に[[ドイツ]]が[[第二次世界大戦]]の降伏文書に調印して[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が[[ヨーロッパ]]において勝利し、5月8日をもってヨーロッパにおける全ての戦闘が中止されたことを記念。
* [[第二次世界大戦中に命を失った全ての人に追悼を捧げる日]]({{World}}、- [[5月9日]])
*: [[2004年]]の[[国連総会]]にて制定。5月8日・9日のいずれかまたは両日に、第二次世界大戦で命を失った人々全てに追悼を捧げるよう、国連加盟国、国連諸機関、NGOおよび全ての人に対し要請している。
* 八田與一の慰霊祭({{TWN}})
*: 烏山頭ダムを建設した日本人土木技師[[八田與一]]の命日に毎年行われる<ref>{{Cite web|和書|date=8 May 2022 |url=https://www.sankei.com/article/20220508-AHFNLAEGIBNO5LZILWJA2OFZNY/ |title=日本人技師、八田與一の命日に台湾で慰霊祭 |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=22 Apr 2023}}</ref>。
* ゴーヤーの日({{JPN}})
*: [[沖縄県]]とJA沖縄経済連が[[1997年]]に制定。「ゴー(5)ヤー(8)」の語呂合せと、沖縄県では5月を境にして[[ツルレイシ|ゴーヤー]](ニガウリ)の出荷量が増えることから。
* [[マツ|松]]の日({{JPN}})
*: 日本の松を守る会が[[1989年]]に制定。1981年のこの日に、初めて同会の全国大会が開催されたことを記念。
* [[両親の日]]({{KOR}})
*: [[1956年]]から「[[母の日]]」として実施していたが、[[1973年]]から「両親の日」としている。
* 声の日({{JPN}})
*: 声総研が[[2011年]]に制定。この日、渋い声代表、[[江守徹]]、[[中尾彬]]のモテ声対決によって制定を記念したセレモニーが行われた。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0508|date=2023年4月}}
* [[2000年]] - モレクイマジンが現れ、電王ソードフォームに倒されるが、その隙に牙王一味がデンライナーをハイジャックする。(映画『[[劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1965年]] - さくらももこ、漫画、アニメ『[[ちびまる子ちゃん]]』に登場するキャラクター<ref>『わたしの生まれた日』(2012年2月12日放送)</ref><ref>{{Twitter status|tweet_maruko|1258562413823025153}}</ref>
* [[1991年]] - 桐条美鶴、ゲーム『[[ペルソナ3]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|p_kouhou|1522954412750159872}}</ref>
*[[1997年]] - ミナミアンリ、[[ウルトラマンシリーズ]]『[[ウルトラマンブレーザー]]』の登場人物<ref>オープニング映像、及び第2話の地球防衛隊勤務記録書類より</ref>
* [[2000年]] - 明楽レイ(Akira Ray/아키라레이 ) 、『[[にじさんじ#NIJISANJI KR|NIJISANJI KR]]』に所属する[[バーチャルYouTuber|バーチャルライバー]]<ref>{{Twitter status|RayAkira2434|1298029309215404032}}</ref>
* 生年不明 - 牡牛座のアルデバラン、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=30 |title=牡牛座(タウラス)のアルデバラン |access-date= 22 Apr 2023 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館 |author=[[車田正美]] |work=『聖闘士星矢』}}</ref>
* 生年不明 - 水戸門ホムラ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史 |authorlink=岸本斉史 |year=2002 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |page=69 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=4-08-873288-X}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・者の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |year=2008 |page=73 |isbn=978-4-08-874247-2}}</ref>
* 生年不明 - 桐谷凛、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=桐田 凛(きりた りん) |work=『咲-Saki-』 |accessdate= 22 Apr 2023 |publisher=[[小林立]]}}</ref>
* 生年不明 - 一郷いちご、漫画・アニメ『[[ひめゴト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author= 佃煮のりお|authorlink=佃煮のりお |year = 2014 |title = ひめゴト |volume = 2 |page = 140 |publisher = 一迅社 |isbn = 978-4-7580-1368-0 }}</ref>
* 生年不明 - 後輩ちゃん、漫画・アニメ『[[がんばれ同期ちゃん]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 渡辺めい、漫画『佐藤さんはPJK』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=佐藤さんはPJK 2巻 (まんがタイムKRコミックス) |date=2020-02-27 |publisher=[[芳文社]] |page=4}}</ref>
* 生年不明 - 飛鳥山雅、アニメ・漫画『[[落語天女おゆい]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://rakugo-tennyo.com/chara/index.html |title=飛鳥山雅=言霊天女(落語天女) |publisher=桂歌若プロジェクト・落語天女製作委員会 |accessdate= 22 Apr 2023 |work=『落語天女おゆい』}}</ref>
* 生年不明 - カリーナ・ライル、アニメ『[[TIGER & BUNNY|TIGER & BUNNY 2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tigerandbunny.net/TB2/character/people.php?id=2 |title=カリーナ・ライル |access-date=22 Apr 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/T&B2 PARTNERS |work=『TIGER & BUNNY 2』}}</ref>
* 生年不明 - 佐久間次郎、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate= 22 Apr 2023}}</ref>
* 生年不明 - 高橋礼子、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20099 |title=高橋 礼子(たかはし れいこ) |access-date= 22 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 吉岡沙紀、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20184 |title=吉岡 沙紀(よしおか さき) |access-date= 22 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 久坂あやめ、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|729515570714976260}}</ref>
* 生年不明 - 新堂清志、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_kujo.html |title=九条家 - 新堂清志 |accessdate=22 Apr 2023 |publisher=coly/SMHP |work=『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』}}</ref>
* 生年不明 - サクラローレル、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=sakuralaurel |title=サクラローレル |publisher=[[Cygames]] |accessdate=22 Apr 2023 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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== できごと ==
[[Image:Canada_3_cents_Jacques_Cartier_1934.jpg|thumb|160px|[[ジャック・カルティエ]]、[[ニューファンドランド島]]に到着(1534)。画像は[[カナダ]]の記念切手]]
[[Image:General Bonaparte giving orders at the Battle of Lodi.jpg|thumb|200x200px|[[フランス革命戦争]]、[[ロディの戦い]](1796)]]
[[Image:Nationalgallery.jpg|thumb|200px|ロンドンの[[ナショナルギャラリー (ロンドン)|ナショナルギャラリー]]公開(1824)]]
[[Image:SepoyMutiny.jpg|thumb|200x200px|[[インド大反乱]](セポイの乱)発生(1857)]]
[[Image:Bundesarchiv_Bild_101I-127-0396-13A%2C_Im_Westen%2C_deutsche_Panzer.jpg|thumb|200px|第二次世界大戦、[[ベルギーの戦い|黄色作戦]]はじまる(1940)]]
* [[1575年]]([[天正]]3年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[石山合戦]]: [[石山本願寺]]の[[顕如]]が[[織田信長]]に反抗して再挙兵。
* [[1611年]]([[慶長]]16年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]) - [[豊臣秀頼]]が[[徳川家康]]の招きで上洛。[[二条城]]で会見する。
* [[1768年]] - [[イギリス|イギリス王]][[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]を批判する記事を書いたかどで[[ジョン・ウィルクス]]が監獄に収監、軍は収監に抗議する群衆に発砲し7名の死者を出す。
* [[1773年]] - [[ボストン茶会事件]]: イギリスで[[茶法]]が成立。
* [[1774年]] - [[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]が[[フランス王国|フランス王]]に即位<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Louis-XVI |title=Louis XVI|king of France |access-date=24 Apr 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。
* [[1796年]] - フランス政府転覆を計画した[[フランソワ・ノエル・バブーフ]]らが逮捕される。
* 1796年 - [[イタリア戦役 (1796-1797年)|イタリア戦役]]: [[ロディの戦い]]が行われる。
* [[1804年]] - [[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](小ピット)がイギリスの18代首相に就任。
* [[1824年]] - [[ロンドン]]で[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]が初公開される。
* [[1857年]] - [[インド]]で[[インド大反乱]](セポイの乱)が起こる。
* [[1869年]] - [[アメリカ合衆国]]で東西から建設された[[最初の大陸横断鉄道]]が接続される。
* [[1871年]] - [[フランス]]と[[プロイセン王国]]の間で「[[フランクフルト講和条約]]」調印。[[普仏戦争]]が終結。
* [[1876年]] - 日本で最初の広域的な[[地質図]]、200万分の1「日本蝦夷地質要略之図」がアメリカ人地質学者ライマンらにより作成され、開拓使から発行される。
* 1876年 - [[フィラデルフィア万国博覧会]]が開幕。[[11月10日]]まで。
* [[1877年]] - [[イキケ地震]]: [[マグニチュード|Mw]] 8.7、死者2,400人
* [[1895年]] - [[三国干渉]]: 日本が[[遼東半島]]を清に返還。
* [[1900年]] - 皇太子嘉仁親王(後の[[大正天皇]])と九条節子(後の[[貞明皇后]])が結婚。
* 1900年 - [[鉄道唱歌]]第1集東海道篇が発売される。
* [[1908年]] - アメリカ・フィラデルフィアの教会で世界初の「[[母の日]]」を実施。
* [[1922年]] - [[キングマン・リーフ]]がアメリカ領となる。
* [[1924年]] - [[ジョン・エドガー・フーヴァー]]が[[連邦捜査局|FBI]]長官に就任、[[1972年]]の死去に至るまで在任し続ける。
* [[1932年]] - [[アルベール・ルブラン]]が[[フランスの大統領]]に就任。
* [[1933年]] - [[ドイツ]]各地で、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]による「非ドイツ的」な著作物の大規模な[[焚書#ナチス・ドイツの焚書|焚書]]が公開で行われる。
* [[1936年]] - [[マヌエル・アサーニャ]]が[[スペイン第二共和政]]の大統領に就任。[[1939年]]4月まで。
* [[1940年]] - [[ウィンストン・チャーチル]]が[[イギリス]]首相に就任。
* 1940年 - [[第二次世界大戦]]: [[ドイツ]]軍が[[オランダ]]・[[ベルギー]]に侵入。ドイツ軍の[[ベルギーの戦い|黄色作戦]]が始まる。
* 1940年 - 第二次世界大戦: イギリス軍が[[アイスランド侵攻|アイスランドに侵攻]]。
* [[1949年]] - [[カール・シャウプ]]を団長とする税制使節団が来日。
* 1949年 - [[北海道]][[古平町]]で大火。597戸が全焼<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=72|isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1951年]] - ラジオ東京(法人としては現・[[TBSホールディングス]]、放送事業としては現・[[TBSラジオ]])が会社設立。
* [[1952年]] - [[北陸放送]]開局。[[本州]][[日本海側]]最初の[[民間放送]]ラジオ局。
* 1952年 - [[L・M・モンゴメリ]]作・[[村岡花子]]訳『[[赤毛のアン]]』公刊。
* 1952年 - [[荒川放水路バラバラ殺人事件]]: 西新井橋から約1.7km上流、荒川放水路支流の入り江で、胴だけの男性の遺体を発見。被害者は警察官で、同年5月16日に妻が逮捕された<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/45486 |title=「骨まで切れない」「関節を外せ」荒川で発見されたバラバラ死体…“夫を殺す以外にない”追い込まれた妻の復讐 |access-date=24 Apr 2023 |publisher=[[文藝春秋]] |website=文春オンライン |date=16 May 2021}}</ref>。
* [[1960年]] - 潜航状態での世界一周を達成した[[アメリカ海軍]]の[[原子力潜水艦]]「[[トライトン (原子力潜水艦)|トライトン]]」が[[デラウェア州]]沖で浮上、潜航時間の世界記録を樹立。
* [[1964年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]][[柳ヶ瀬線]]がこの日限りで廃止。
* [[1965年]] - [[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[産業経済新聞社|産経新聞社]]に売却される。
* [[1969年]] - 国鉄が客車の[[等級 (鉄道車両)|等級]]を廃止し旅客運賃料金を一本化。[[グリーン車]]導入。([[等級 (鉄道車両)#モノクラス制|モノクラス制]])
* [[1975年]] - [[ソニー]]が[[ベータマックス]]の家庭用[[ビデオテープレコーダ]]1号機、SL-6300を発売。
* [[1981年]] - [[フランソワ・ミッテラン]]が[[フランス]]大統領に就任。
* [[1984年]] - [[グリコ・森永事件]]: 報道機関に「かい人21面相」から「[[グリコ]]製品に毒物を混入した」との脅迫状が送られる。([[グリコ・森永事件#兵庫青酸菓子ばら撒き事件|兵庫青酸菓子ばら撒き事件]])
* [[1987年]] - [[帝銀事件]]の死刑囚[[平沢貞通]]が獄中で病死。
* [[1994年]] - [[南アフリカ]]大統領に[[ネルソン・マンデラ]]が就任。南アフリカで初の黒人政権。
* [[2003年]] - [[リトアニア]]で[[欧州連合加盟をめぐるリトアニアの国民投票|欧州連合加盟をめぐる国民投票]]が実施。翌[[5月11日|11日]]まで。
* [[2004年]] - 日本の[[徳仁|皇太子徳仁親王]]が[[記者会見]]で[[人格否定発言]]を行う。
* 2004年 - [[Winny]]の開発者が京都府警に逮捕。
* [[2005年]] - [[ブラジリア]]で第1回[[南米・アラブ諸国首脳会議]]が開催。
* [[2006年]] - [[イタリア]]の戦後第11代の大統領に、現左翼民主党の[[ジョルジョ・ナポリターノ]]が選出される。
* [[2008年]] - [[ミャンマー]]で、新憲法の是非を問う国民投票が実施される<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-31721920080511 |title=サイクロン被害のミャンマー、国民投票を実施 |access-date=24 Apr 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=10 May 2008}}</ref>。
* [[2017年]] - 9日に実施された[[大韓民国|韓国]]の[[2017年大韓民国大統領選挙|第19代大統領選挙]]で当選した「[[共に民主党]]」の[[文在寅]]が、大統領に就任した<ref>{{Cite web|和書|date=11 May 2017 |url=http://www.saga-s.co.jp/articles/-/127114 |title=文氏が韓国大統領就任 首相に知日派・李氏 |publisher=[[佐賀新聞]] |accessdate=24 Apr 2023}}</ref>。
* [[2018年]] - 9日に行われた[[2018年マレーシア下院議員選挙]]で勝利した[[マハティール・ビン・モハマド]]が、選挙で選ばれた国家指導者としては世界最高齢で[[マレーシアの首相|首相]]に就任<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3174206|title=マハティール氏、マレーシア首相に就任 世界最高齢の指導者に|newspaper=AFP BB NEWS|date=11 May 2018|accessdate=24 Apr 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Emperor_Fushimi.jpg|thumb|upright|[[伏見天皇]](1265-1317)誕生]]
[[Image:Jean-Marie_Leclair.jpg|thumb|upright|[[バロック]]の作曲家、[[ジャン=マリー・ルクレール]](1697-1764)]]
[[Image:Augustin_Fresnel.jpg|thumb|upright|物理学者[[オーギュスタン・ジャン・フレネル]](1788-1827)]]
[[Image:ZEISS VisuCard.JPG|thumb|upright|物理学者[[オーギュスタン・ジャン・フレネル]](1788-1827)。画像は[[フレネルレンズ]]]]
[[Image:James-Bryce.jpg|thumb|100px|法学者[[ジェームズ・ブライス]](1838-1922)]]
[[Image:Bundesarchiv_Bild_146-1989-040-27%2C_Gustav_Stresemann.jpg|thumb|100px|英仏との和解に努めた[[ドイツ]]の政治家[[グスタフ・シュトレーゼマン]](1878-1929)]]
[[Image:AdeleFred1921.jpg|thumb|100px|俳優・ダンサー、[[フレッド・アステア]](右; 1899-1987)]]
* [[213年]]/[[214年]] - [[クラウディウス・ゴティクス]]、[[軍人皇帝時代]]の[[ローマ皇帝]](+ [[270年]])
* [[850年]]([[嘉祥]]3年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[清和天皇]]、第56代[[天皇]](+ [[881年]])
* [[1265年]]([[文永]]2年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[伏見天皇]]、第92代天皇(+ [[1317年]])
* [[1491年]] - [[シュザンヌ・ド・ブルボン]]、[[ブルボン公|ブルボン女公]](+ [[1521年]])
* [[1609年]]([[慶長]]14年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[池田光政]]、[[江戸時代]]前期の[[大名]]・第3代[[姫路藩|姫路藩主]](+ [[1682年]])
* [[1697年]] - [[ジャン=マリー・ルクレール]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1764年]])
* [[1711年]]([[宝永]]8年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[五島盛道]]、第7代[[福江藩|福江藩主]](+ [[1780年]])
* [[1727年]] - [[ジャック・テュルゴー]]、[[経済学者]]、[[財政家]](+ [[1781年]])
* [[1760年]] - [[クロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リール]]、[[フランス]]の[[軍人]]、「[[ラ・マルセイエーズ]]」の作者(+ [[1836年]])
* [[1770年]] - [[ルイ=ニコラ・ダヴー]]、フランスの軍人、[[元帥]](+ [[1823年]])
* [[1788年]] - [[オーギュスタン・ジャン・フレネル]]、[[物理学者]](+ [[1827年]])
* [[1816年]] - [[イヴァン・ツァンカル]]、[[作家]]、[[詩人]](+ 1918年)
* [[1826年]] - [[ヘンリー・ソービー]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1908年]])
* [[1838年]] - [[ジェームズ・ブライス]]、[[法学者]]、[[歴史家]]、[[政治家]](+ [[1922年]])
* 1838年 - [[ジョン・ウィルクス・ブース]]、[[俳優]]、[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]を暗殺した人物(+ [[1865年]])
* [[1840年]]([[天保]]11年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[跡見花蹊]]、[[教育関係人物一覧|教育者]]、[[学校法人跡見学園|跡見学園]]の創設者(+ [[1926年]])
* [[1848年]] - [[トーマス・リプトン]]、[[実業家]]、「[[リプトン]]」創業者(+ [[1931年]])
* [[1867年]]([[慶応]]3年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[財部彪]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]軍人(+ [[1949年]])
* [[1868年]] - [[エド・バロー]]、[[メジャーリーグ]]監督(+ [[1953年]])
* [[1872年]] - [[マルセル・モース]]、[[社会学者]]、[[文化人類学|文化人類学者]](+ [[1950年]])
* [[1873年]] - [[山田孝雄]]、[[国語学者]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1958年]])
* [[1875年]] - [[グスタフ・シュトレーゼマン]]、政治家(+ [[1929年]])
* [[1876年]] - [[本庄繁]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]軍人(+ [[1945年]])
* [[1886年]] - [[カール・バルト]]、[[神学者]](+ [[1968年]])
* 1886年 - [[河合良成]]、[[実業家]]、政治家(+ [[1970年]])
* [[1888年]] - [[市川猿翁 (初代)|初代 市川猿翁]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎役者]](+ [[1963年]])
* 1888年 - [[マックス・スタイナー]]、作曲家(+ [[1971年]])
* [[1890年]] - [[アルフレート・ヨードル]]、[[ドイツ]]の軍人(+ [[1946年]])
* [[1892年]] - [[山口青邨]]、[[俳人]](+ [[1988年]])
* [[1895年]] - [[知念カマ]]、元[[長寿#歴代の長寿世界一記録者(1955年以降)|世界最高齢者]](+ [[2010年]])
* 1895年 - [[ディミトリ・ティオムキン]]、作曲家(+ [[1979年]])
* [[1899年]] - [[フレッド・アステア]]、[[俳優]]、[[ダンサー]](+ [[1987年]])
* 1899年 - [[張大千]]、[[画家]](+ [[1983年]])
* [[1900年]] - [[吉田賢抗]]、漢文学者(+ [[1995年]])
* 1900年 - [[中村福助 (成駒屋5代目)]]、歌舞伎役者(+[[1933年]])
* [[1901年]] - [[和合恒男]]、農本主義者(+[[1941年]])
* [[1902年]] - [[デヴィッド・O・セルズニック]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1965年]])
* [[1904年]] - [[桑原武夫]]、[[フランス文学者]]、[[評論家]](+ [[1988年]])
* [[1905年]] - [[石橋岱城]]、宗教家(+[[1936年]])
* [[1906年]] - [[吉行エイスケ]]、[[詩人]](+ [[1940年]])
* [[1915年]] - [[中村広]]、元騎手、調教師(+[[1997年]])
* [[1916年]] - [[鈴木英夫]]、[[映画監督]](+ [[2002年]])
* [[1919年]] - [[千葉茂 (野球)|千葉茂]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](+ 2002年)
* 1919年 - [[ダニエル・ベル]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[2011年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2700T_X20C11A1CC0000?s=6 |title=米社会学者のダニエル・ベル氏が死去 |publisher=日本経済新聞 |date=27 Jan 2011 |accessdate=24 Apr 2023}}</ref>)
* [[1922年]] - [[伊藤利夫]]、元プロ野球選手、高校野球指導者(+ [[2011年]])
* [[1923年]] - [[ヘイダル・アリエフ]]、政治家、[[アゼルバイジャン]][[大統領]](+ [[2003年]])
* [[1924年]] - [[清水喜一郎]]、プロ野球選手(+ [[1964年]])
* [[1925年]] - [[橋田壽賀子]]、[[脚本家]](+ [[2021年]])
* 1925年 - [[木島則夫]]、[[司会者]]、[[アナウンサー]]、[[参議院議員]](+ [[1990年]])
* [[1926年]] - [[ウゴ・バンセル・スアレス]]、政治家、[[ボリビアの大統領|ボリビア大統領]](+ [[2002年]])
* 1926年 - [[三重野栄子]]、政治家(+ [[2013年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2704W_X21C13A1CC1000/ |title=三重野栄子さんが死去 元参院議員 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=28 Nov 2013 |accessdate=24 Apr 2023}}</ref>)
* [[1928年]] - [[ローター・シュミット]]、[[チェスプレーヤーの一覧|チェスプレーヤー]](+ [[2013年]])
* [[1929年]] - [[大林太良]]、[[民族学|民族学者]](+ [[2001年]])
* [[1930年]] - [[ジョージ・E・スミス]]、[[物理学者]]
* [[1931年]] - [[大橋秀雄]]、工学者、[[東京大学]]名誉教授、[[工学院大学]]名誉教授
* 1931年 - [[外山雄三]]、[[指揮者]]、作曲家(+ [[2023年]])
* 1931年 - [[永井一郎]]、[[声優]](+ [[2014年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://animeanime.jp/article/2014/01/28/17249.html |title=声優・永井一郎さん死去 波平役やガンダムのナレーションなどアニメの歴史と伴に歩む |publisher=アニメ!アニメ! |date=28 Jan 2014 |accessdate=24 Apr 2023}}</ref>)
* [[1933年]] - [[扇千景]]、[[俳優|女優]]、政治家、第26代[[参議院議長]](+ [[2023年]])
* [[1934年]] - [[高見のっぽ]]、俳優、作家(+ [[2022年]])
* 1934年 - [[石川緑]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]])
* [[1935年]] - [[加藤昌利]]、元プロ野球選手(+ [[1985年]])
* 1935年 - [[円谷皐]]、元[[円谷プロダクション]]社長(+[[1995年]])
* 1935年 - [[野中郁次郎]]、経営学者
* [[1936年]] - [[田中英二]]、アニメーター、漫画家(+[[1982年]])
* [[1937年]] - [[山口洋子]]、[[小説家]](+ [[2014年]])
* 1937年 - [[宮本恵美子]]、元バレーボール選手(+ [[2023年]])
* [[1938年]] - [[マリナ・ヴラディ]]、女優
* 1938年 - [[川橋幸子]]、政治家
* 1938年 - [[財津守]]、元プロ野球選手(+ [[1990年]])
* [[1940年]] - [[王貞治]]、元プロ野球選手、監督(戸籍上の誕生日は[[5月20日]])
* [[1941年]] - [[宮沢明子]]、[[ピアニスト]](+ [[2019年]])
* [[1942年]] - [[高橋敏夫 (経営学者)|高橋敏夫]]、経営学者、[[拓殖大学]]名誉教授、元学長
* [[1946年]] - [[ドノヴァン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* 1946年 - [[グレアム・グールドマン]]、ミュージシャン([[10cc]])
* [[1947年]] - [[山口果林]]、女優
* 1947年 - [[山本寛 (野球)|山本寛]]、元プロ野球選手
* 1947年 - [[マリオン・ラムジー]]、女優、歌手(+ [[2021年]])
* [[1949年]] - [[喜多嶋隆]]、小説家
* 1949年 - [[高橋伴明]]、映画監督
* 1949年 - [[カシアス内藤]]、元[[プロボクサー]]
* [[1950年]] - [[赤坂光昭]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[藪上敏夫]]、元プロ野球選手
* 1951年 - [[山本良材]]、元プロ野球選手
* 1951年 - [[豊倉孝治]]、元プロ野球選手
* 1951年 - [[山口義行]]、経済学者、[[立教大学]]名誉教授
* [[1953年]] - [[ケネス・ハワード・ライト]]、元プロ野球選手
* [[1954年]] - [[丸山圭子]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1955年]] - [[松原由昌]]、元プロ野球選手(+ [[2014年]])
* [[1956年]] - [[森達也]]、[[映画監督]]
* [[1957年]] - [[シド・ヴィシャス]]、[[ベーシスト]]([[セックス・ピストルズ]])(+ [[1979年]])
* [[1958年]] - [[柴田直人]]、ベーシスト、[[作曲家]]([[ANTHEM (バンド)|ANTHEM]])
* [[1959年]] - [[小松辰雄]]、元プロ野球選手
* [[1960年]] - [[ボノ]]、ミュージシャン([[U2]])
* 1960年 - [[マリーン・オッティ]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]]
* 1960年 - [[斉藤浩行]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[藤あや子]]、[[演歌歌手]]
* 1961年 - [[小林洋司 (厚生労働官僚)|小林洋司]]、[[厚生労働省|厚生労働]][[官僚]]
* 1961年 - [[白坂契]]、野球指導者
* 1961年 - [[大石圭]]、小説家
* [[1962年]] - [[ジョーイ・マイヤー]]、元プロ野球選手
* 1962年 - [[星原一彦]]、元プロ野球選手
* 1962年 - [[中野猛]]、ジェムケリー社長、実業家
* 1962年 - [[アッタカーン・ウォンチャナマース]]、[[大使]]
* [[1963年]] - [[カルロス・ラフォン=パリアス]]、[[調教師]]
* 1963年 - [[一条真也]]、作家
* 1963年 - [[リサ・ノワック]]、[[宇宙飛行士]]
* [[1964年]] - [[山川周一]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[草刈民代]]、[[バレエダンサー]]、[[俳優|女優]]
* 1965年 - [[梁田清之]]、声優(+ [[2022年]])
* 1965年 - [[リンダ・エヴァンジェリスタ]]、[[スーパーモデル]]
* 1965年 - [[中村泰人]]、アナウンサー
* 1965年 - [[大塚朋之]]、政治家
* 1965年 - [[小川浩一]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[田代尚子]]、元[[アナウンサー]]
* 1966年 - [[樋口大輔]]、漫画家
* 1966年 - [[ひうらさとる]]、漫画家
* [[1967年]] - [[今久留主成幸]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[武田修宏]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* [[1968年]] - [[高木晃次]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[ダレン・マシューズ|ウィリアム・リーガル]]、[[プロレスラー]]([[WWE]])
* 1968年 - [[タチアナ・シコレンコ]]、陸上競技選手
* [[1969年]] - [[デニス・ベルカンプ]]、元サッカー選手
* 1969年 - [[ゾラン・プリモラッツ]]、[[卓球選手一覧|卓球選手]]
* 1969年 - [[ボブ・サンクラー]]、DJ
* [[1970年]] - 石澤智幸(トモ)、[[お笑い芸人]]([[テツandトモ]])
* 1970年 - [[島田珠代]]、お笑い芸人
* 1970年 - [[喜多川泰]]、作家
* 1970年 - [[難波幸治]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[金正男]]、政治家(+ [[2017年]])
* 1971年 - [[諏訪貴子]]、実業家
* 1971年 - [[山崎一彦]]、陸上競技選手
* 1971年 - [[相沢友子]]、[[脚本家]]、[[歌手]]
* [[1972年]] - [[ゲオルギオス・パルテニウ]]、[[外交官]]
* [[1973年]] - [[ジェーン・スー]]、音楽プロデューサー、[[作詞家]]、[[コラムニスト]]
* 1973年 - [[いでえいじ]]、[[漫画家]]
* 1973年 - [[天田ヒロミ]]、[[キックボクサー]]
* 1973年 - [[リュシュテュ・レチベル]]、元サッカー選手
* 1973年 - [[伊藤隆太]]、アナウンサー
* [[1974年]] - [[鎌田義]]、[[競艇]]選手
* 1974年 - [[シルヴァン・ヴィルトール]]、元サッカー選手
* [[1975年]] - [[白鳥正樹]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[藤本博史 (捕手)|藤本博史]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[神取恭子]]、アナウンサー
* 1977年 - [[是永大輔]]、経営者
* 1977年 - [[月見草平]]、小説家、ライトノベル作家
* 1977年 - [[橋誠]]、元プロレスラー
* 1977年 - [[南原照也]]、元[[競輪選手]]
* 1977年 - [[ニック・ハイドフェルド]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー
* [[1978年]] - [[山井大介]]、元プロ野球選手
* [[1979年]] - [[トニー・アルバレス]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[井坂俊哉]]、俳優
* 1979年 - [[恵畑ゆう]]、俳優、歌手
* 1979年 - 遠山大輔、お笑い芸人([[グランジ (お笑いトリオ)|グランジ]])
* [[1980年]] - [[クレイグ・ブラゼル]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[岸田護]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[徐錚]]、元野球選手
* 1981年 - [[河村尚子]]、ピアニスト
* [[1983年]] - [[黒瀬陽平]]、[[美術家]]、[[評論家]]
* 1983年 - [[平田徹]]、[[高校野球]]指導者
* 1983年 - 名嘉俊、ミュージシャン([[HY (バンド)|HY]])
* [[1984年]] - [[ブレント・ボメントレ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1984年 - [[丁楊]]、フィギュアスケート選手
* 1984年 - [[キャム・ミコライオ]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[エドワード・ムヒカ]]、プロ野球選手
* 1984年 - [[石川香織]]、政治家、元アナウンサー
* [[1985年]] - [[西村健太朗]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[生山裕人]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[シャナ・マリー・マクラフリン]]、[[アダルトモデル]]
* 1985年 - [[塚原直貴]]、元[[陸上選手]]
* [[1988年]] - [[西村みずほ]]、元女優
* 1988年 - [[栃下有沙]]、[[タレント]]、女優
* 1988年 - [[ライアン・ジャクソン]]、元プロ野球選手
* [[1990年]] - [[片山陽加]]、タレント(元[[AKB48]])
* 1990年 - [[上森寛元]]、俳優
* 1990年 - [[栗原祐樹]]、サッカー選手
* 1990年 - [[星川なつ]]、[[AV女優]]
* 1990年 - [[乾鈴恵]]、元バレーボール選手
* 1990年 - [[桐谷ユリア]]、AV女優
* 1990年 - [[サルバドール・ペレス]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[エミリー・ウォン]]、歌手
* 1990年 - [[サーカイ・ジョッキージム]]、プロボクサー(+ [[2009年]])
* [[1991年]] - [[伊達朱里紗]]、声優、プロ雀士
* 1991年 - [[エテネシュ・ディロ]]、陸上競技選手
* 1991年 - [[ピアース・ジョンソン]]、プロ野球選手
* 1991年 - [[関谷亮太]]、元プロ野球選手
* [[1993年]] - [[志田未来]]、女優
* 1993年 - [[ダ・ヴィンチ・恐山]]、小説家、ウェブライター
* [[1994年]] - [[土屋飛鳥]]、ミュージシャン
* 1994年 - [[チアキ・レイシー]]、元タレント
* [[1995年]] - [[ユリア・プフレングレ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1995年 - [[堀江圭功]]、[[総合格闘家]]
* 1995年 - [[守田英正]]、サッカー選手
* [[1996年]] - [[向田茉夏]]、元アイドル(元[[SKE48]])
* 1996年 - [[櫻井美樹]]、バレーボール選手
* [[1997年]] - [[リシャルリソン・デ・アンドラーデ]]、サッカー選手
* [[1998年]] - [[上妻成吾]]、元タレント
* 1998年 - [[堀瑞輝]]、プロ野球選手
* [[1999年]] - 花岡芽佳<ref>{{Cite web|和書|url=https://s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/www.shochikugeino.co.jp.assets/wp-content/uploads/2021/10/10173553/【花岡芽佳】プロフィール-3.pdf |title=花岡 芽佳(はなおか めいか) |access-date=24 Apr 2023 |publisher=[[松竹芸能|松竹芸能株式会社]] |format=[[PDF]]}}</ref>、女優、声優
* 1999年 - [[中村駿太 (サッカー選手)|中村駿太]]、サッカー選手
* [[2001年]] - [[本田風智]]、サッカー選手
* 2001年 - [[田平起也]]、サッカー選手
* 2001年 - [[浪花ほのか]]、ファッションモデル
* [[2002年]] - [[船木結]]、元アイドル(元[[アンジュルム]]、元[[カントリー・ガールズ]])
* [[2004年]] - [[三塚琉生]]、プロ野球選手
* [[2005年]] - [[庄司龍成]]、[[子役]]
* [[2009年]] - [[横山芽生|横山芽衣]]、子役
* 生年非公表 - [[レニー・ハート]]、[[ナレーター]]
* 生年非公表 - [[金田まひる]]、声優
* 生年非公表 - [[諸岡きゅうこ]]、[[漫画家]]
* 生年不明 - [[芦澤亜希子]]、声優
* 生年不明 - [[小林研二]]、声優
* 生年不明 - [[柴山由崇]]、声優
* 生年不明 - [[谷口号!]]、声優
* 生年不明 - [[緒方智美]]、声優
* 生年不明 - 瑠音舞佳、女優
* 生年不明 - 舞姫あゆみ、女優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1980年]] - [[ダイナカール]]、[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]](+ [[1999年]])
== 忌日 ==
{{multiple image
| image1 = Louis_XV_%3BCarle_van_Loo.jpg
| width1 = 90
| caption1 = [[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]](1710-1774)没。画像は[[モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール]]画(1748)
| image2 = Yorktown_1931_Issue-2c.jpg
| width2 = 110
| caption2 = フランス軍元帥[[ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー]](1725-1807)。[[アメリカ独立戦争|米国独立戦争]]で英軍を降伏させ、切手になった。
}}
{{multiple image
| image1 = SS-young.jpg
| width1 = 90
| caption1 = 物理学者[[トマス・ヤング]](1773-1829)
| image2 = Head_of_an_old_man.jpg
| width2 = 110
| caption2 = 浮世絵師[[葛飾北斎]](1760?-1849)。画像は82歳時の自画像(1842)
}}
{{multiple image
| image1 = Jackson-Stonewall-LOC.jpg
| width1 = 110
| caption1 = [[南部連合]]の軍人[[ストーンウォール・ジャクソン]](1824-1863)戦死
| image2 = Andrés Bonifacio.jpg
| width2 = 90
| caption2 = [[フィリピン]]の独立運動家[[アンドレス・ボニファシオ]](1863-1897)刑死
}}
{{multiple image
| image1 = Shimei_Futabatei.jpg
| width1 = 100
| caption1 = 小説家[[二葉亭四迷]](1864-1909)没
| image2 = Bandini1966cropped.jpg
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| caption2 = [[F1]]レーサー、[[ロレンツォ・バンディーニ]](1935-1967)事故死
| image3 = Woody_Shaw.jpg
| width3 = 100
| caption3 = [[ジャズ]]・トランペッター、[[ウディ・ショウ]](1944-1989)
}}
* [[1034年]] - [[ミェシュコ2世 (ポーランド王)|ミェシュコ2世]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[990年]])
* [[1354年]]([[正平 (日本)|正平]]9年/[[文和]]3年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[北畠親房]]、[[公卿]]、[[歌人]](* [[1293年]])
* [[1424年]]([[応永]]31年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[後亀山天皇]]、第99代[[天皇]](* [[1347年]])
* [[1482年]] - [[パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ]]、[[天文学者]](* [[1397年]])
* [[1510年]] - [[カテリーナ・スフォルツァ]]、[[ルネサンス]]期イタリアの女性領主(* [[1463年]])
* [[1590年]]([[天正]]18年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[伊達政道]](小次郎)、[[武将|戦国武将]]、[[伊達政宗]]の弟(* [[1568年]]?)
* [[1657年]] - [[グスタフ・ホルン]]、[[スウェーデン]]の軍人(* [[1592年]])
* [[1737年]]([[元文]]2年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[中御門天皇]]、第114代天皇(* [[1701年]])
* [[1774年]] - [[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]、[[フランス]]王(* [[1710年]])
* [[1807年]] - [[ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー]]、[[フランス軍]]の[[元帥]](* [[1725年]])
* [[1818年]] - [[ポール・リビア]]、[[アメリカ独立戦争|アメリカ独立]]運動家(* [[1735年]])
* [[1822年]] - [[パオロ・ルフィニ]]、[[数学者]](* [[1765年]])
* [[1829年]] - [[トマス・ヤング]]、[[科学者]]、[[考古学|考古学者]](* [[1773年]])
* [[1849年]]([[嘉永]]2年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[葛飾北斎]]、[[浮世絵|浮世絵師]](* [[1760年]])
* [[1863年]] - [[ストーンウォール・ジャクソン]]、[[アメリカ連合国]]陸軍の[[少将]](* [[1824年]])
* [[1889年]] - [[ミハイル・サルトィコフ=シチェドリン]]、[[小説家]](* [[1826年]])
* [[1897年]] - [[アンドレス・ボニファシオ]]、[[フィリピン]]の独立運動家(* [[1863年]])
* [[1904年]] - [[ヘンリー・モートン・スタンリー]]、[[探検家]](* [[1841年]])
* [[1909年]] - [[二葉亭四迷]]、小説家(* [[1864年]])
* [[1915年]] - {{仮リンク|カール・ゴットハルト・ランプレヒト|de|Karl Lamprecht}}、[[歴史家]](* [[1856年]])
* [[1930年]] - [[下村観山]]、[[日本画家]](* [[1873年]])
* [[1955年]] - [[トミー・バーンズ]]、[[プロボクサー]](* [[1881年]])
* [[1964年]] - [[ミハイル・ラリオーノフ]]、[[画家]](* 1881年)
* [[1967年]] - [[ロレンツォ・バンディーニ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(* [[1935年]])
* [[1971年]] - [[箕作秋吉]]、[[作曲家]]、[[化学者]](* [[1895年]])
* [[1977年]] - [[ジョーン・クロフォード]]、[[俳優|女優]](* [[1904年]])
* [[1978年]] - [[鈴木芳太郎]]、[[プロ野球選手]](* [[1913年]])
* [[1982年]] - [[ペーター・ヴァイス]]、作家(* [[1916年]])
* [[1986年]] - [[チャールズ・"ハングリー"・ウィリアムズ]]、R&Bドラマー、シンガー(* [[1935年]])
* [[1989年]] - [[ウディ・ショウ]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者(* [[1944年]])
* [[1991年]] - [[岩崎勝太郎]]、[[実業家]](* [[1914年]])
* [[1993年]] - [[長谷川治]]、元プロ野球選手(* [[1916年]])
* [[1994年]] - [[ジョン・ゲイシー]]、[[連続殺人|連続殺人者]](* [[1942年]])
* [[1998年]] - [[ねこぢる]]、[[漫画家]](* [[1967年]])
* [[2000年]] - [[塩沢兼人]]、[[声優]](* [[1954年]])
* 2000年 - [[小前博文]]、元プロ野球選手(* [[1921年]])
* [[2002年]] - [[デイヴィッド・リースマン]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1909年]])
* [[2004年]] - [[大石慎三郎]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1923年]])
* [[2005年]] - [[今久留主功]]、元プロ野球選手(* [[1925年]])
* [[2006年]] - [[松野頼三]]、[[政治家]](* [[1917年]])
* 2006年 - [[エイブ・ローゼンタール]]、[[ジャーナリスト]](* [[1922年]])
* [[2007年]] - [[山口あかり]]、[[作詞家]](* [[1934年]])
* [[2009年]] - [[ジェイムズ・カーカップ]]、[[詩人]]、[[劇作家]](* [[1918年]])
* 2009年 - [[笠原正行]]、元プロ野球選手(* [[1933年]])
* [[2014年]] - [[岩井直溥]]、[[作曲家]]・[[編曲家]]・[[指揮者]](* [[1923年]])
* 2014年 - [[中山茂]]、[[科学史家]](* [[1928年]])
* 2014年 - {{仮リンク|パトリック・ウッドロッフェ|en|Patrick Woodroffe}}、[[画家]](* [[1940年]])
* [[2015年]] - [[月丘千秋]]、女優(* [[1925年]])
* 2015年 - [[ちあき哲也]]、[[作詞家]](* [[1948年]])
* [[2017年]] - [[竹内外史]]、[[数学者]]、[[論理学者]](* [[1926年]])
* [[2022年]] - [[早乙女勝元]]、作家(* [[1932年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Hirundo rustica.jpg|thumb|200x200px|[[愛鳥週間]](16日まで)。画像は[[ツバメ]]]]
* [[憲法記念日]]({{FSM}})
* [[日本気象協会]]創立記念日({{JPN}})
*:1950年のこの日に日本気象協会(JWA)が「気象協会」として創設されたことを記念。
* [[愛鳥週間]]({{JPN}})[[5月16日]]まで
** 愛鳥の日({{JPN}}、1947年 - 1949年)
**: [[1947年]]に[[4月10日]]の「愛鳥の日」として実施されたが、まだ冬鳥が多い時期であるとして後に1か月ずらした5月10日とした。1950年からは「愛鳥週間」に移行した。
* [[木綿|コットン]]の日({{JPN}})
*: [[日本紡績協会]]が[[1995年]]10月に制定。「コッ(5)トン(10)」の語呂合せ。
* [[地質の日]]({{JPN}})
*: 地質関係の組織・学会が[[2007年]]に制定。1876年のこの日に日本初の広域的な地質図「日本蝦夷地質要略之図」が作成されたことを記念。
* [[街区表示板]]の日({{JPN}})
*: 1962年のこの日に[[住居表示に関する法律]]が施行されたことを記念。
* 五島の日({{JPN}})
*: [[五島列島]]にある[[長崎県]][[五島市]]と[[南松浦郡]][[新上五島町]]が制定。「ゴ(5)トウ(10)」の語呂合せから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.goto.nagasaki.jp/s014/010/040/030/020/20190320220216.html |title=五島の日を記念しイベントを開催 |publisher=[[五島市]] |date=10 May 2018 |accessdate=24 Apr 2023}}</ref>。
* [[黒糖]]の日({{JPN}})
*: [[沖縄県]]が2010年に制定。黒糖が旬を迎える時期であることと「コク(5)トウ(10)」の語呂合せから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2014050200563&g=jfn |title=沖縄県黒砂糖協同組合 5月10日は「黒糖の日」 ブランド強化し消費拡大へ |date=12 May 2022 |accessdate=24 Apr 2023 |publisher=食品新聞}}</ref>。
* [[奄美黒糖焼酎]]の日({{JPN}})
*: 奄美大島酒造協同組合が[[2007年]]5月に制定。[[東京農業大学]]の[[小泉武夫]]教授の提案で、「こ (5) く (9) とう (10)」の語呂合せで、[[5月9日]]及び10日の2日間に定められた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jyokai.com/?p=2126 |title=鹿児島県酒造組合奄美支部 黒糖焼酎の日、初イベント |work=醸界タイムス |date=15 May 2008 |accessdate=24 Apr 2023}}</ref>。
* [[リプトン]]の日
*: 紅茶のブランド「[[リプトン]]」を展開するユニリーバ・ジャパンが制定。 創業者[[トーマス・リプトン]]の1848年の誕生日であり、リプトンが1871年に最初の食料品店を開いた日でもあることから。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0510|date=2023年4月}}
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1965年]] - 天堂竜、[[スーパー戦隊シリーズ]]『[[鳥人戦隊ジェットマン]]』の主人公
* [[1987年]] - 上城睦月、特撮テレビドラマ『[[仮面ライダー剣]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=てれびくんデラックス愛蔵版 仮面ライダーブレイド 超全集|publisher=小学館|year=2005|page=104|isbn=4-09-105103-0}}</ref>
* [[1990年]] - [[東京卍リベンジャーズ#龍宮寺 堅|龍宮寺堅]]、漫画・アニメ・映画『[[東京卍リベンジャーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=東京卍リベンジャーズ キャラクターブック 天上天下|date=2021年04月16日|publisher=[[講談社]]|page=038|editors=週刊少年マガジン編集部/監修:和久井健|isbn=978-4-06-522988-0|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000350955}}</ref>
* 2283年 - 教養のエミリー/エミリア・フェアチャイルド、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/emilia.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:教養のエミリー|date=20100923224532}}</ref>
* 生年不明 - 園城寺怜、漫画・アニメ『[[咲-Saki-|咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A]]』に登場するキャラクター・漫画『[[怜-Toki-]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|title=園城寺 怜(おんじょうじ とき) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=24 Apr 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref>
* 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#全日本ユース|赤井止也]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year = 2003|title = キャプテン翼 3109日全記録|publisher = [[集英社]] |isbn = 4-08-782789-5|page = 57 }}</ref>
* 生年不明 - [[赤木剛憲]]、漫画・アニメ『[[SLAM DUNK]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=井上雄彦|authorlink=井上雄彦|year = 1995 |title = SLAM DUNK |volume = 第23巻 |page = 47 |publisher = [[集英社]] |series = ジャンプ・コミックス |isbn = 4-08-871843-7 }}</ref>
* 生年不明 - [[To LOVEる -とらぶる-の登場人物#セフィ|セフィ・ミカエラ・デビルーク]] 、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-|To LOVEる -とらぶる- ダークネス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author1=矢吹健太朗 |authorlink1=矢吹健太朗 |author2=長谷見沙貴 |authorlink2=長谷見沙貴 |year=2015 |title=To LOVEる -とらぶる- ダークネス総選挙BOOK「とらぶるくいーんず」 |page=131 |publisher=[[集英社]] |series=ジャンプ・コミックス |isbn=978-4-08-880576-4}}</ref>
* 生年不明 - 藤本獅郎、漫画・アニメ『[[青の祓魔師]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aoex_official|1391407734386401282}}</ref>
* 生年不明 - 雪見時雨、漫画・アニメ『[[終わりのセラフ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|owarino_seraph|994240043706474497}}</ref>
* 生年不明 - [[鬼滅の刃#煉獄杏寿郎|煉󠄁獄杏寿郎]]、漫画・アニメ『[[鬼滅の刃]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kimetsu.com/anime/news/?id=54129 |title=2020.05.10 煉獄バースデー記念イラスト公開!さらに「お祝いぬり絵」キャンペーン実施! |accessdate= 24 Apr 2023 |publisher=[[アニプレックス]] |website=劇場版「鬼滅の刃」無限列車編公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 銘戸芽衣、漫画・アニメ『[[君のことが大大大大大好きな100人の彼女]]』に登場するキャラクター<ref>[[中村力斗]] [[野澤ゆき子]]『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』 [[集英社]]、第133話 カポエイラお姉さんと遊ぼう </ref>
* 生年不明 - 嵐山歩鳥、漫画『[[それでも町は廻っている]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 白築耕介、漫画 『シノハユ the dawn of age』([[咲-Saki-]])に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|author=[[小林立]] |date=2014-05-21 |url=http://www.sciasta.com/ritz/ |title=シノハユ勢の誕生日は以下の通りです。 |accessdate=24 Apr 2023 |publisher=dreamscape}}</ref>
* 生年不明 - 日暮香奈、漫画・アニメ『[[きんいろモザイク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|_harayui|1438048997780779013}}</ref>
* 生年不明 - 中島ゆあ、漫画・アニメ『[[ひなこのーと]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://hinakonote.jp/character.html |title=中島ゆあ |work=『ひなこのーと』 |accessdate= 24 Apr 2023 |publisher=三月・[[KADOKAWA]]刊/ひなこのーと製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - 星野ひなた、漫画・アニメ『[[私に天使が舞い降りた!|私に天使が舞い降りた!]]』登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=星野ひなた |url=http://watatentv.com/chara03.html |accessdate= 24 Apr 2023 |publisher=[[椋木ななつ]]・[[一迅社]]/わたてん製作委員会 |work=『私に天使が舞い降りた!』}}</ref>
* 生年不明 - 桜井千景、漫画・アニメ『[[恋する小惑星]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite tweet|user=koiastv |author=TVアニメ「恋する小惑星」公式ツイッター |number=1655950760868282368|title=HAPPYBIRTHDAY!本日、5月10日はチカのお誕生日です‼お誕生日おめでとうございます🔮 |date=2023-05-10 |accessdate=2023-07-20}}</ref>
* 生年不明 - 火鳥くん、漫画・アニメ『[[氷属性男子とクールな同僚女子]]』 に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://icpc-anime.com/character/index.php |title=Character 06 火鳥くん |access-date= 24 Apr 2023 |publisher=殿ヶ谷美由記/[[SQUARE ENIX]]・氷属性製作委員会 |work=『氷属性男子とクールな同僚女子』}}</ref>
* 生年不明 - テムジン、ゲーム『[[龍虎の拳|龍虎の拳2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|snk_enter|862154484205670400}}</ref>
* 生年不明 - 緒方英二、ゲーム『[[WHITE ALBUM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|AQUAPLUS_JP|1391407626739589127}}</ref>
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* 生年不明 - 笹芽ひよの、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|862162393450852355}}</ref>
* 生年不明 - 石田いすき、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|1259136044001345537}}</ref>
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* 生年不明 - ソルベージュ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=92&cate=name&cont=Sorbege |title=ソルベージュ |access-date= 24 Apr 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - ハルディーン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=122&cate=name&cont=Haldine |title=ハルディーン |access-date= 24 Apr 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - ヒナタ、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド |publisher=KADOKAWA |year=2015 |pages=36,276 |isbn=978-4-04-869406-3}}</ref>
* 生年不明 - アヤネ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1391573729885384705}}</ref>
* 生年不明 - カナン、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/yumetsumugi/canaan/ |title=カナン |access-date= 24 Apr 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref>
* 生年不明 - 鹿野修哉(カノ)、メディアミックス『[[カゲロウプロジェクト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|mekakushidan|1126773140527300610}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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== できごと ==
[[Image:Bizansist_touchup.jpg|thumb|180x180px|[[コンスタンティノポリス]]の落成式が執り行われる(330)]]
[[Image:Battle-of-Fontenoy.jpg|thumb|180px|[[オーストリア継承戦争]]、[[フォントノワの戦い (1745年)|フォントノワの戦い]](1745)]]
[[Image:Japanese_soldiers_cross_Khalkhyn_Gol_river_1939.jpg|thumb|180px|[[ノモンハン事件]](1939)。画像は[[ハルハ川]]を渡る日本軍]]
[[Image:Deep_Blue.jpg|thumb|180px|コンピュータ、[[ディープ・ブルー (コンピュータ)|ディープ・ブルー]](画像)がチェスの世界チャンピオン[[ガルリ・カスパロフ]]を敗る(1997)]]
* [[330年]] - [[コンスタンティノポリス]]の落成式が執り行われる<ref>{{Cite web |url=https://greekcitytimes.com/2022/05/11/may-11-330-byzantium-constantinople/ |title=May 11, 330: Byzantium renamed Constantinople and assigned as the new capital of the Eastern Roman Empire |access-date=18 Oct 2023 |publisher=Greek City Times}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=尚樹啓太郎|authorlink=尚樹啓太郎|title=ビザンツ帝国史|publisher=[[東海大学出版会]]|year=1999|isbn=9784486014317|page=27}}</ref>{{Refnest|group="注"|しばしば「コンスタンティノポリスへの遷都」あるいは「コンスタンティノポリスが新首都となる」などの表現が用いられることもあるが、今日の歴史学においては、そうした物語は後世に偽造された伝説に過ぎないと考えられている<ref>{{Cite book|和書|author=根津由喜夫|authorlink=根津由喜夫|title=ビザンツの国家と社会|publisher=[[山川出版社]]|year=2008|page=7}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=井上浩一|authorlink=井上浩一 (歴史学者)|title=生き残った帝国ビザンティン|publisher=[[講談社]]|series=講談社現代新書|year=1990|isbn=4-06-149032-X|pages=62-73}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=南川高志|authorlink=南川高志|title=ユリアヌス 逸脱のローマ皇帝|publisher=山川出版社|year=2015|pages=15,16}}</ref>。詳しくは[[コンスタンティノープル]]を参照。}}。
* [[649年]]([[大化]]5年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - 謀叛の疑いをかけられた右大臣[[蘇我倉山田石川麻呂]]が、[[天智天皇|中大兄皇子]]に攻められ[[山田寺]]で自害。
* [[912年]] - [[アレクサンドロス (東ローマ皇帝)|アレクサンドロス]]が東ローマ皇帝に即位。
* [[1189年]] - [[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世]]が十字軍を率いて[[レーゲンスブルク]]を出陣した。
* [[1745年]] - [[オーストリア継承戦争]]: [[フォントノワの戦い (1745年)|フォントノワの戦い]]
* [[1812年]] - [[イギリス]]首相[[スペンサー・パーシヴァル]]が暗殺される。
* [[1858年]] - [[ミネソタ準州]]の東半分が州に昇格して[[アメリカ合衆国]]32番目の州・[[ミネソタ州]]となる。
* [[1867年]] - [[ロンドン条約 (1867年)|ロンドン条約]]によって[[ルクセンブルク]]が独立。
* [[1874年]] - [[東海道本線]]の[[大阪駅]] - [[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]]間が仮開業。
* [[1891年]] - [[大津事件]]: [[琵琶湖]]を遊覧したロシア皇太子(後のロシア皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]])が、大津にて警護にあたっていた[[滋賀県]]警察巡査の津田三蔵に斬りつけられ、頭部を負傷<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASP5Y6R95P5XDIFI00B.html |title=津田三蔵はなぜ剣を抜いたのか 大津事件130年の謎 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=31 May 2021}}</ref>。
* [[1910年]] - 初の沖縄県会議員選挙<ref>{{Cite web |title=1909年5月11日 初の沖縄県会議員選挙 |url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4682 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=沖縄県公文書館 |website=あの日の沖縄}}</ref>。
* [[1910年]] - [[グレイシャー国立公園]]創設。
* [[1912年]] - [[信越本線]]・[[横川駅 (群馬県)|横川]] - [[軽井沢駅|軽井沢]]の[[碓氷峠]]越えの区間が電化。日本の[[幹線]]での初の電化区間。
* [[1922年]] - [[毎日新聞社]]が[[点字]]による日刊新聞『[[点字毎日]]』を発刊。
* [[1927年]] - [[映画芸術科学アカデミー]]発足。
* [[1931年]] - 3日前に破綻した[[オーストリア]]最大の銀行[[クレディット・アンシュタルト]]が取引停止。[[ヨーロッパ]]における[[世界恐慌]]が本格化する。
* [[1937年]] - 大阪・[[御堂筋]]の拡張工事が完了。幅5.5メートルの道路を44メートルに拡幅。
* [[1939年]] - [[満州国]]と[[モンゴル]]人民共和国の間に軍事衝突が起こる。([[ノモンハン事件]])
* [[1940年]] - [[北海道]][[枝幸町|枝幸村]]で発生した[[山火事]]が市街地へと延焼。死者16人、家屋焼失547戸<ref>香田徹也「昭和15年(1940年)林政・民有林」『日本近代林政年表 1867-2009』p420 日本林業調査会 2011年 {{全国書誌番号|22018608}}</ref>。
* 1945年 - 第二次世界大戦: アメリカ海軍の空母「[[バンカー・ヒル (空母)|バンカー・ヒル]]」が日本の特攻攻撃により大破。
* [[1946年]] - [[統一マレー国民組織]]発足。
* [[1949年]] - [[イスラエル]]が[[国際連合]]に加盟。
* 1949年 - シャムが「[[タイ王国]]」に国号を変更。
* [[1955年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]][[宇高連絡船]]・[[紫雲丸]]が[[第三宇高丸]]に衝突し[[沈没]]、修学旅行中の児童ら168人が死亡する[[紫雲丸事故#5度目の事故|紫雲丸事故]]が発生<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yomiuri.co.jp/local/kochi/news/20230511-OYTNT50115/ |title=高知:紫雲丸事故 風化させない |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[讀賣新聞]]オンライン |date=18 Oct 2023}}</ref>。この大惨事が[[瀬戸大橋]]建設のきっかけになった<ref>{{Cite web |url=https://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/seisaku/setoohashibridge.html |title=瀬戸大橋建設までのあゆみ |access-date=18 Oct 2023 |publisher=坂出市役所 |date=3 Feb 2015 |website=瀬戸大橋(本州四国連絡橋)}}</ref>。
* [[1960年]] - [[ブエノスアイレス]]に潜伏していた[[アドルフ・アイヒマン]]がイスラエルの諜報機関[[イスラエル諜報特務庁|モサッド]]によって捕えられる<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/news/adolf-eichmann-nazi-capture-holocaust-trial-mossad |title=The Daring Israeli Spy Operation to Capture Nazi Mass Murderer Adolf Eichmann |access-date=18 Oct 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |date=5 Sep 2023}}</ref>。
* [[1970年]] - [[日本山岳会]][[エベレスト]]登山隊(総隊長・[[松方三郎]])がエベレストに日本人初登頂。初登頂者は[[松浦輝夫]]と[[植村直己]]<ref>{{Cite web |url=https://bunshun.jp/articles/-/2454 |title=ご存知ですか? 5月11日は松浦輝夫・植村直己が日本人初のエベレスト登頂成功をした日です |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[文藝春秋社]] |website=文春オンライン |date=11 May 2017}}</ref>。
* [[1974年]] - [[足尾鉱毒事件]]: [[公害等調整委員会]]で調停が成立し、[[古河鉱業]]が初めて鉱毒事件の責任を認め被害者に補償金を支払う。
* [[1979年]] - [[無限連鎖講の防止に関する法律]](ねずみ講防止法)施行。
* [[1983年]] - [[IRAS・荒貴・オルコック彗星]]が地球から約466万kmのところを通過。
* [[1984年]] - [[地球の日面通過 (火星)|地球が火星と日面間を通過]]する。
* [[1985年]] - イギリス・[[ブラッドフォード (イングランド)|ブラッドフォード]]の[[サッカー]]場で[[火災]]が発生し、死者50人以上を出す。([[ブラッドフォード・サッカー場火災]])
* [[1987年]] - {{仮リンク|スタンフォード大学医科大学院|en|Stanford University School of Medicine}}の{{仮リンク|ブルース・ライツ|en|Bruce Reitz}}が史上初の心肺移植手術を行う。
* [[1995年]] - [[核拡散防止条約]] (NPT) 再検討・延長会議で条約の無条件・無期限延長を採択。
* [[1996年]] - [[バリュージェット航空592便墜落事故]]。
* [[1997年]] - [[IBM]]のコンピューター・[[ディープ・ブルー (コンピュータ)|ディープ・ブルー]]が史上はじめて[[チェス]]世界チャンピオンの[[ガルリ・カスパロフ]]を破る<ref>{{Cite web|和書 |url=https://smbiz.asahi.com/article/14604948 |title=【5月11日は何の日】25年前、チェスでコンピューターが世界王者に勝利 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[朝日新聞]] |website=ツギノシダイ |date=11 May 2022}}</ref>。
* [[1998年]] - [[インド]]が24年ぶり2回目の[[核実験]]を行う。([[インドの核実験 (1998年)]])
* [[2001年]] - 熊本地裁が、国による[[ハンセン病]]患者の隔離政策の継続は違憲であるとする初の判決。
* [[2003年]] - [[リトアニア]]で[[欧州連合加盟をめぐるリトアニアの国民投票|欧州連合加盟をめぐる国民投票]]が実施。投票者の91.1%が[[欧州連合]]加盟を支持。
* [[2009年]] - [[小沢一郎]][[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]代表が公設秘書逮捕を受け党代表を辞任。
* [[2010年]] - [[保守党 (イギリス)|保守党]]の[[デーヴィッド・キャメロン]]がイギリスの第75代首相に就任し、保守党・[[自由民主党 (イギリス)|自由民主党]]による連立の[[第1次キャメロン内閣]]が発足。
* [[2011年]] - [[スペイン南部地震]]、[[マグニチュード]]5.4。
* 2011年 - [[欧州評議会]]がトルコの[[イスタンブール]]で家庭内暴力と女性に対する暴力の廃絶と予防のための[[イスタンブール条約]]を採択する。
* [[2020年]] - [[日本銀行]]の理事に、清水名古屋支店長が就任<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58928200R10C20A5EAF000/ |title=日銀に初の女性理事、清水名古屋支店長が就任 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=11 May 2020}}</ref>。日銀138年の歴史で、初めての女性理事。
* [[2022年]] - [[福岡ソフトバンクホークス]]の[[東浜巨]]が史上84人目の[[ノーヒットノーラン]]を達成。同日(アメリカ時間10日)には、[[ロサンゼルス・エンゼルス]]の[[リード・デトマーズ]]もノーヒットノーランを達成しており、65年ぶり、史上2度目のNPBとMLBで同日にノーヒットノーラン達成。
* [[2023年]] - 天皇、皇后が主催する春の園遊会が令和になって初めて開催される。各界の功績者ら約1千人が出席<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15634153.html |title=令和初の園遊会 1千人出席 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=12 May 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Meister_von_San_Vitale_in_Ravenna.jpg|thumb|244x244px|[[東ローマ帝国]]皇帝、「[[大帝]]」[[ユスティニアヌス1世]] (483 - 565) 誕生。『[[ローマ法大全]]』を編纂させた]]
[[Image:Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_007.jpg|thumb|180x180px|画家[[ジャン=レオン・ジェローム]] (1824 - 1904) 誕生。画像は『ハーレムの浴場』]]
[[Image:Jean-Baptiste_Carpeaux_La_Danse.jpg|thumb|彫刻家[[ジャン=バティスト・カルポー]] (1827 - 1875)。画像は[[ガルニエ宮|オペラ座]]の『ダンス』(1869)|240x240ピクセル]]
[[Image:Salvador_Dali_NYWTS.jpg|thumb|235x235px|[[シュルレアリスム]]の画家[[サルバドール・ダリ]] (1904 - 1989)]]
[[Image:Edsger_Wybe_Dijkstra.jpg|thumb|240x240px|[[構造化プログラミング]]の提唱者、[[エドガー・ダイクストラ]](1930-2002)]]
* [[1571年]]([[元亀]]2年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[丹羽長重]]、[[武将]]、[[大名]](+ [[1637年]])
* [[1641年]]([[寛永]]18年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]])- [[遠山友貞]]、第3代[[苗木藩|苗木藩主]](+ [[1675年]])
* [[1720年]] - [[ミュンヒハウゼン男爵#実像|カール・フリードリッヒ・ヒエロニュムス]]、[[ドイツ]]の[[貴族]]、[[軍人]](+ [[1797年]])
* [[1746年]]([[延享]]3年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]])- [[松平資尹]]、第2代[[宮津藩|宮津藩主]](+ [[1765年]])
* [[1768年]]([[明和]]5年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]])- [[松平治好]]、第13代[[福井藩|福井藩主]](+ [[1826年]])
* [[1772年]](明和9年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]])- [[伊東祐鐘]]、第10代[[飫肥藩|飫肥藩主]](+ [[1798年]])
* [[1811年]] - [[チャン&エン・ブンカー兄弟]]、[[結合双生児]](+ [[1874年]])
* [[1817年]] - [[ファニー・チェッリート]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付師]](+ [[1909年]])
* [[1824年]] - [[ジャン=レオン・ジェローム]]、[[画家]]、[[彫刻家]](+ [[1904年]])
* [[1827年]] - [[ジャン=バティスト・カルポー]]、彫刻家、画家(+ [[1875年]])
* [[1848年]] - [[ヴィルヘルム・ヴィンデルバント]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1915年]])
* [[1852年]] - [[チャールズ・W・フェアバンクス]]、第26代[[アメリカ合衆国副大統領]](+ [[1918年]])
* [[1871年]] - [[スチェパン・ラディチ]]、[[政治家]](+ [[1928年]])
* [[1875年]] - [[ハリエット・クインビー]]、[[パイロット (航空)|飛行家]]、[[脚本家]](+ [[1912年]])
* [[1881年]] - [[セオドア・フォン・カルマン]]、[[航空工学|航空工学者]](+ [[1963年]])
* [[1884年]] - [[前田多門]]、政治家、[[実業家]](+ [[1962年]])
* [[1887年]] - [[高柳賢三]]、英米法学者、政治家(+ [[1967年]])
* 1887年 - [[パウル・ウィトゲンシュタイン]]、[[ピアニスト]](+ [[1961年]])
* [[1888年]] - [[アーヴィング・バーリン]]、[[作曲家]](+ [[1989年]])
* [[1889年]] - [[ポール・ナッシュ]]、画家(+ [[1946年]])
* [[1894年]] - [[小牧近江]]、[[翻訳家]](+ [[1978年]])
* 1894年 - [[マーサ・グレアム]]、[[バレエダンサー]]、[[振付師]](+ [[1991年]])
* [[1897年]] - [[山口喜久一郎 (政治家)|山口喜久一郎]]、政治家(+ [[1981年]])
* [[1899年]] - [[上田桑鳩]]、[[書家|書道家]](+ [[1968年]])
* [[1903年]] - [[チャーリー・ゲーリンジャー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1993年]])
* [[1904年]] - [[サルバドール・ダリ]]、画家(+ [[1989年]])
* [[1910年]] - [[上田幹藏]]、スーパーセンテナリアン(+ [[2022年]])
* [[1912年]] - [[林伊佐緒]]、歌手、作曲家(+ [[1995年]])
* [[1914年]] - [[アルーン・タジェフ]]、[[火山学|火山学者]]、[[映画監督]](+ [[1998年]])
* [[1915年]] - [[天龍三郎 (浪曲師)|天龍三郎]]、[[浪曲師]](+ [[2014年]])
* 1915年 - [[小川利雄]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1916年]] - [[カミーロ・ホセ・セラ]]、[[小説家]](+ [[2002年]])
* [[1918年]] - [[リチャード・P・ファインマン]]、[[物理学者]](+ [[1988年]])
* [[1920年]] - [[川喜田二郎]]、[[地理学者]]、[[文化人類学|文化人類学者]](+ [[2009年]])
* [[1922年]] - [[ネスター・チャイラク]]、[[メジャーリーグ]]審判(+ [[1982年]])
* [[1923年]] - [[井上次平]]、元プロ野球選手(+ 生死不明)
* [[1924年]] - [[アントニー・ヒューイッシュ]]、[[電波天文学|電波天文学者]](+ [[2021年]])
* [[1927年]] - [[近松麗江]]、[[俳優|女優]](+ [[1998年]])
* [[1928年]] - [[東儀祐二]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]](+ [[1985年]])
* 1928年 - [[ヤコブ・アガム]]、[[美術家]]
* 1928年 - [[マルコ・フェレーリ]]、映画監督(+ [[1997年]])
* [[1929年]] - [[椎名武雄]]、[[実業家]](+ [[2023年]])
* [[1930年]] - [[俵浩三]]、景観学者、林学者、[[専修大学北海道短期大学]]名誉教授(+ [[2020年]])
* 1930年 - [[土屋耕一]]、[[コピーライター]](+ [[2009年]])
* 1930年 - [[エドガー・ダイクストラ]]、コンピュータ科学者(+ [[2002年]])
* [[1931年]] - [[山折哲雄]]、[[宗教学者]]
* [[1932年]] - [[ヴァレンティノ・ガラヴァーニ]]、[[ファッションデザイナー]]
* [[1933年]] - [[ピーター・ファーストブルック]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1985年]])
* [[1934年]] - [[広中和歌子]]、政治家
* [[1936年]] - [[中嶋嶺雄]]、[[国際政治学者]](+ [[2013年]])
* 1936年 - [[有明夏夫]]、[[小説家]](+ [[2002年]])
* 1936年 - [[カーラ・ブレイ]]、[[ピアニスト]](+ [[2023年]])
* [[1939年]] - [[森田拳次]]、[[漫画家]]
* 1939年 - [[保岡興治]]、政治家(+ [[2019年]])
* [[1940年]] - [[ヘルベルト・ミューラー]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[1981年]])
* [[1941年]] - [[神田厚]]、政治家(+ [[2008年]])
* 1941年 - [[朝井茂治]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* 1941年 - [[栽弘義]]、高校野球指導者(+ [[2007年]])
* 1941年 - [[エリック・バードン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[アニマルズ]])
* [[1942年]] - [[山東昭子]]、政治家、女優
* [[1946年]] - [[梅村好彦]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[藤原誠]]、[[歌手]](+ 没年不明)
* [[1948年]] - [[泉谷しげる]]、ミュージシャン、俳優
* 1948年 - [[森忠明]]、[[詩人]]、[[童話作家]]
* 1948年 - [[千葉景子]]、政治家
* 1948年 - [[シーザー・ジェロニモ]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[二木てるみ]]、女優
* [[1950年]] - [[藤猪省太]]、柔道家
* 1950年 - [[横尾三郎]]、俳優、[[声優]]
* [[1951年]] - [[新浦壽夫]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[山本有二]]、政治家
* 1952年 - [[村上誠一郎]]、政治家
* [[1953年]] - [[高橋洋子 (俳優)|高橋洋子]]、女優、小説家
* [[1954年]] - [[伊藤文隆]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[三杉磯拓也]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄7代[[峰崎部屋|峰崎]]
* 1956年 - [[大河内浩]]、俳優
* [[1957年]] - [[近藤ようこ]]、漫画家
* 1957年 - [[花房健]]、元プロ野球選手
* 1957年 - [[マリナ・マハティール]]、マレーシアの[[マハティール・ビン・モハマド]]首相の長女
* [[1958年]] - [[久米小百合]]、ミュージシャン
* [[1960年]] - [[松尾貴史]]、俳優、[[タレント]]
* 1960年 - [[冬木弘道]]、[[プロレスラー]](+ [[2003年]])
* 1960年 - [[ユルゲン・シュルト]]、元陸上選手
* [[1963年]] - [[浜田雅功]]、[[お笑い芸人]]([[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]])
* 1963年 - [[相馬勝也]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]])
* 1963年 - [[バカボン鬼塚]]、[[ラジオパーソナリティ]]
* 1963年 - [[ナターシャ・リチャードソン]]、女優(+ [[2009年]])
* [[1964年]] - [[阿部龍二郎]]、プロデューサー
* 1964年 - [[ひかる一平]]、[[アイドル]]、歌手
* 1964年 - [[ビリー・ビーン (1964年生の外野手)|ビリー・ビーン]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[遠田誠治]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[水野きみこ]]、[[歌手]]
* 1965年 - [[グレッグ・デュリ]]、ミュージシャン([[アフガン・ウィッグス]] etc.)
* [[1966年]] - [[田辺徳雄]]、元プロ野球選手、監督
* 1966年 - [[谷保恵美]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202309270000024.html |title=【ロッテ】「サブロ~」名物アナウンス谷保恵美さん今季限りでマイク置く決断 33年目ピリオド |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=27 Sep 2023}}</ref>、[[千葉ロッテマリーンズ]]の[[日本のアナウンサー#場内アナウンス|ウグイス嬢]]
* [[1967年]] - [[恵有一]]、俳優
* [[1970年]] - [[鈴木清剛]]、小説家
* 1970年 - [[スンナ・グンロイグス]]、[[ピアニスト]]
* [[1971年]] - [[岩本勉]]、元プロ野球選手
* [[1973年]] - [[尾方剛]]、マラソン選手
* [[1974年]] - [[山口和男 (野球)|山口和男]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[山田貴志]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[ジョージ朝倉]]、漫画家
* 1974年 - [[ビリー・キッドマン]]、[[プロレスラー]]
* [[1975年]] - [[佐伯成美]]、女優
* [[1976年]] - [[佐藤由紀彦]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* [[1977年]] - [[大平武洋]]、将棋棋士
* 1977年 - [[江戸家猫八 (5代目)|五代目江戸家猫八]]、芸人
* 1977年 - [[ヤンネ・アホネン]]、[[スキージャンプ]]選手
* [[1978年]] - [[齋藤剋範]]、映像作家
* 1978年 - 大山純、ミュージシャン([[ストレイテナー]])
* 1978年 - [[猪爪義治]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[潮丸元康]]、元大相撲力士、年寄13代[[東関]](+ [[2019年]])
* 1978年 - [[レティシア・カスタ]]、[[スーパーモデル]]
* [[1979年]] - [[中島有香]]、[[アナウンサー]]
* [[1980年]] - [[山道高平]]、サッカー指導者
* 1980年 - [[大野隆治]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[松井大輔]]、サッカー選手
* 1981年 - [[ローレン・ジャクソン]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* [[1982年]] - [[中田賢一]]、プロ野球選手
* 1982年 - [[鈴木健之]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[都築有美子]]、バレーボール選手
* 1983年 - [[小林太志]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[前田遊野]]、[[ドラマー]]
* [[1984年]] - [[SHELLY]]、[[ファッションモデル]]、タレント
* 1984年 - [[アンドレス・イニエスタ]]、サッカー選手
* [[1985年]] - [[藤田志穂]]、[[実業家]]
* 1985年 - [[堀田理恵]]、バレーボール選手
* 1985年 - [[青木愛 (アーティスティックスイミング選手)|青木愛]]、元[[アーティスティックスイミング]]選手
* 1985年 - [[ウラジミール・ズーエフ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1986年]] - [[森下俊]]、サッカー指導者
* 1986年 - [[むらせ]]、[[ものまねタレント]]
* 1986年 - [[アブー・ディアビ]]、サッカー選手
* 1986年 - [[ミゲル・ヴェローゾ]]、サッカー選手
* [[1987年]] - [[槙野智章]]、サッカー選手
* 1987年 - [[佐田の海貴士]]、大相撲力士
* [[1988年]] - [[Dream Ami]]、歌手、ダンサー(元[[Dream (音楽グループ)|Dream]]、元[[E-girls]])
* 1988年 - [[織田かおり]]、歌手
* 1988年 - [[橋本竜馬]]、バスケットボール選手
* [[1989年]] - [[デビッド・ブキャナン]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[ガブリエル・ガルシア]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[ジョバニ・ドス・サントス]]、サッカー選手
* 1989年 - [[キャム・ニュートン]]、アメリカンフットボール選手
* [[1990年]] - [[丹羽裕美]]、バスケットボール選手
* 1990年 - [[竹村真琴]]、プロゴルファー
* 1990年 - [[ヤンニクラス・シュトックリン]]、野球選手
* 1990年 - [[美谷玲実]]、歌手、経営者
* [[1991年]] - [[古林将太]]、サッカー選手
* 1991年 - [[兼近大樹]]、お笑い芸人([[EXIT (お笑いコンビ)|EXIT]])
* 1991年 - [[崔智勲]]、サッカー選手
* [[1992年]] - [[三ツ俣大樹]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[朝井彩加]]、声優
* 1992年 - [[比嘉梨乃]]、タレント
* 1992年 - [[ティボ・クルトゥワ]]、サッカー選手
* [[1993年]] - 尾崎和樹、ミュージシャン([[Galileo Galilei]])
* 1993年 - [[稲倉大輝]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[ミゲル・サノ]]、プロ野球選手
* [[1994年]] - [[高橋大樹]]、元プロ野球選手
* [[1995年]] - [[今野龍太]]、プロ野球選手
* [[1996年]] - [[新浜レオン]]、演歌歌手
* 1996年 - [[宮武美桜]]、元女優、元歌手(元[[bump.y]])
* [[1997年]] - [[柳理菜]]、元プロ野球選手
* [[1998年]] - [[納庄兵芽]]、柔道選手
* [[1999年]] - [[サブリナ・カーペンター]]、女優、歌手
* [[2000年]] - [[角田裕毅]]、レーシングドライバー
* 2000年 - [[近藤真琴 (アイドル)|近藤真琴]]、アイドル
* [[2002年]] - [[オ・シオン|シオン]]、歌手([[NCT (音楽グループ)|NCT]])
* 生年不明 - [[田村健亮]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1983年]] ‐ [[ダンシングブレーヴ]]、[[競走馬]](+ [[1999年]])
* [[1996年]] - [[トロットスター]]、競走馬(+ [[2015年]])
== 忌日 ==
[[Image:Detail of the Imperial Gate mosaic in Hagia Sophia showing Leo VI the Wise.jpg|thumb|[[東ローマ帝国]]皇帝[[レオーン6世]](866-912)没。画像は[[キリスト]]の前に跪くレオーン6世([[アヤソフィア]]のモザイク画)|180x180ピクセル]]
{{multiple image
| caption1 = [[司祭]][[マテオ・リッチ]](1552-1610)没。画像は『[[坤輿万国全図]]』の日本での複製。
| image1 = Kunyu_Wanguo_Quantu_(坤輿萬國全圖).jpg
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| alt1 = 坤輿万国全図
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| caption2 = [[剣豪]][[柳生宗矩]](1571-1646)。画像は[[芳徳寺]]蔵の木像。
| alt2 = 芳徳寺蔵柳生宗矩の木造
}}
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| footer = (左)英首相のチャタム伯[[ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)|ウィリアム・ピット]](1708-1778)、演説中に昏倒し没。(右)英首相[[スペンサー・パーシヴァル]](1762-1812)、暗殺される。
| image1 = Henry_Fox%2C_1st_Baron_Holland_by_John_Giles_Eccardt.jpg
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| caption1 = 犯罪者・密偵[[フランソワ・ヴィドック]](1775-1857)
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| caption2 = 物理学者[[カール・シュヴァルツシルト]](1873-1916)
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| caption1 = 作曲家[[マックス・レーガー]](1873-1916)
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| caption1 = [[レゲエ]]ミュージシャン、[[ボブ・マーリー]](1945-1981)
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| caption2 = お笑い芸人[[ダチョウ倶楽部]][[上島竜兵]](1961-2022)
| alt2 = 上島竜兵
}}
[[File:Futoshi Nakanishi 1954 NPB All-star game.jpg|thumb|158x158px|プロ野球選手・監督[[中西太]](1933-2023)没。高卒1年目で初めて新人王を獲得。]]
* [[252年]]([[神鳳 (呉)|神鳳]]元年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[孫権]]、[[呉 (三国)|呉]]の初代[[皇帝]](* [[182年]])
* [[649年]]([[大化]]5年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[蘇我倉山田石川麻呂]]、[[飛鳥時代]]の[[豪族]]
* [[753年]]([[天平勝宝]]5年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[巨勢奈弖麻呂]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[670年]])
* [[912年]] - [[レオーン6世]]、第2代[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]](* [[866年]])
* [[1068年]]([[熙寧]]元年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[劉敞]]、[[儒学者]](* [[1019年]])
* [[1304年]] - [[ガザン・ハン]]、[[イルハン朝]]第7代君主(* [[1271年]])
* [[1491年]]([[延徳]]3年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[足利政知]]、初代[[堀越公方]](* [[1435年]])
* [[1524年]]([[大永]]4年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[相合元綱]]、[[武将|戦国武将]]
* [[1568年]]([[永禄]]11年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[伏見宮貞康親王]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[皇族]](* [[1547年]])
* [[1610年]] - [[マテオ・リッチ]]、[[カトリック教会]]の[[司祭]](* [[1552年]])
* 1610年([[慶長]]15年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[生駒一正]]、[[高松藩|高松藩主]](* [[1555年]])
* [[1620年]]([[元和 (日本)|元和]]6年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[渡辺守綱]]、戦国武将(* [[1542年]])
* [[1646年]]([[正保]]3年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[柳生宗矩]]、[[剣術|剣術家]]、初代[[柳生藩|柳生藩主]](* [[1571年]])
* [[1652年]]([[慶安]]5年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[蜂須賀忠英]]、第2代[[徳島藩|徳島藩主]](* [[1611年]])
* [[1708年]] - [[ジュール・アルドゥアン=マンサール]]、[[建築家]](* [[1646年]])
* [[1778年]] - チャタム伯[[ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)|ウィリアム・ピット]](大ピット)、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1708年]])
* [[1798年]]([[寛政]]10年3月26日) - [[上杉重定]]、第8代[[米沢藩|米沢藩主]](* [[1720年]])
* [[1812年]] - [[スペンサー・パーシヴァル]]、イギリス首相(* [[1762年]])
* [[1849年]] - [[ジュリエット・レカミエ]]、フランスの[[セレブリティ]](* [[1777年]])
* 1849年 - [[オットー・ニコライ]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1810年]])
* [[1850年]]([[嘉永]]3年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[徳川斉朝]]、第10代[[尾張藩|尾張藩主]](* [[1793年]])
* [[1857年]] - [[フランソワ・ヴィドック]]、[[アウトロー]]、パリ警察の密偵(* [[1775年]])
* [[1871年]] - [[ジョン・ハーシェル]]、[[天文学者]](* [[1792年]])
* [[1881年]] - [[アンリ・フレデリック・アミエル]]、[[哲学|哲学者]]、[[詩人]](* [[1821年]])
* [[1887年]] - [[ジャン・バティスト・ブサンゴー]]、[[化学者]](* [[1802年]])
* [[1891年]] - [[アレクサンドル・エドモン・ベクレル]]、[[物理学者]](* [[1820年]])
* 1891年 - [[カール・ネーゲリ]]、[[植物学|植物学者]](* [[1817年]])
* [[1899年]] - [[川上操六]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[参謀本部 (日本)|参謀総長]](* [[1848年]])
* [[1916年]] - [[カール・シュヴァルツシルト]]、天文学者、[[天体物理学|天体物理学者]](* [[1873年]])
* 1916年 - [[マックス・レーガー]]、[[作曲家]](* 1873年)
* [[1919年]] - [[渡辺国武]]、[[大蔵大臣]]、[[逓信省|逓信大臣]](* [[1846年]])
* [[1922年]] - [[李晋]]、[[王公族|王世子]][[李垠]]の長男(* [[1921年]])
* [[1927年]] - [[フアン・グリス]]、[[画家]](* [[1887年]])
* [[1928年]] - [[エミール・ボーンケ]]、[[ヴィオリスト]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1888年]])
* [[1930年]] - [[ニルス・キュレーゲル]]、画家(* [[1858年]])
* [[1936年]] - [[納所弁次郎]]、作曲家(* [[1865年]])
* [[1937年]] - [[エレン・ハンセル]]、[[テニス]]選手(* [[1869年]])
* [[1941年]] - [[久保より江]]、[[俳人]](* [[1884年]])
* [[1942年]] - [[萩原朔太郎]]<ref>{{Cite web |url=https://www.maebashibungakukan.jp/sakutaro |title=萩原朔太郎年譜 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[前橋文学館]]}}</ref>、詩人(* [[1886年]])
* [[1945年]] - [[ジョン・ロジャーズ・コモンズ]]、[[経済学者]](* [[1862年]])
* 1945年 - [[石丸進一]]、[[プロ野球選手]](* [[1922年]])
* [[1947年]] - [[テューレ・ラングストレム]]、作曲家(* [[1884年]])
* [[1956年]] - [[ウォルター・シドニー・アダムズ]]、天文学者(* [[1876年]])
* [[1957年]] - [[テオフィル・ド・ドンデ]]、化学者(* [[1872年]])
* [[1960年]] - [[ジョン・ロックフェラー2世]]、[[実業家]](* [[1874年]])
* [[1961年]] - [[小川未明]]、[[小説家]](* [[1882年]])
* [[1963年]] - [[ハーバート・ガッサー]]、[[生理学者]](* [[1888年]])
* 1966年 - [[小泉信三]]、[[経済学者]]、教育家(* [[1888年]])
* [[1967年]] - [[轟夕起子]]、[[俳優|女優]](* [[1917年]])
* [[1972年]] - [[杉田屋守]]、元プロ野球選手(* [[1908年]])
* [[1973年]] - [[美土路昌一]]、[[実業家]]、[[全日本空輸]]創業者(* [[1886年]])
* [[1975年]] - [[梶山季之]]、小説家(* [[1930年]])
* [[1976年]] - [[アルヴァ・アールト]]、建築家、[[デザイナー]](* [[1898年]])
* [[1979年]] - [[巖本真理]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1926年]])
* [[1981年]] - [[オッド・ハッセル]]、化学者(* [[1897年]])
* 1981年 - [[ボブ・マーリー]]、[[レゲエ]]音楽家(* [[1945年]])
* [[1982年]] - [[鈴木惣太郎]]、日米両国間の[[プロ野球]]交流斡旋者(* [[1890年]])
* [[1988年]] - [[キム・フィルビー]]、[[イギリス情報局秘密情報部]]職員、[[ソビエト連邦]]の[[スパイ|諜報員]](* [[1912年]])
* [[1989年]] - [[古谷綱正]]、[[ジャーナリスト]]、[[ニュースキャスター]](* 1912年)
* [[1992年]] - [[宮本正太郎]]、[[天文学者]](* [[1912年]])
* 1992年 - [[いずみたく]]、作曲家(* [[1930年]])
* [[1996年]] - [[アデミール・マルケス・デ・メネゼス|アデミール]]、[[サッカー選手]](* [[1922年]])
* [[2001年]] - [[ダグラス・アダムズ]]、[[SF作家]]、[[脚本家]](* [[1952年]])
* [[2002年]] - [[ジョゼフ・ボナンノ]]、[[マフィア]](* [[1905年]])
* [[2003年]] - [[石田穣二]]、[[日本文学研究者|国文学者]](* [[1926年]])
* 2003年 - [[ノエル・レディング]]、[[ベーシスト]]、[[ギタリスト]]([[ジミ・ヘンドリックス|ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス]])(* [[1945年]])
* [[2006年]] - ヨシ・バナイ ([[:en:Yossi Banai|Yossi Banai]])、[[歌手]](* [[1932年]])
* 2006年 - [[フロイド・パターソン]]、[[プロボクサー]](* [[1935年]])
* [[2007年]] - [[マリエトア・タヌマフィリ2世]]、[[サモア]]大首長(* [[1913年]])
* 2007年 - [[岡仁詩]]、[[ラグビーユニオン]]選手、指導者(* [[1929年]])
* 2007年 - [[三好京三]]、小説家(* [[1931年]])
* [[2008年]] - [[関弘子]]、女優(* [[1929年]])
* [[2009年]] - 奥村輝之、[[太陽神戸銀行]]元[[頭取]](* [[1920年]])
* 2009年 - [[三木たかし]]、作曲家(* [[1945年]])
* [[2010年]] - [[川本幸生]]、[[アマチュア野球]]選手・指導者(* [[1957年]])
* [[2013年]] - [[小田晋]]、[[医学者]]、[[精神科医]](* [[1933年]])
* [[2013年]] - [[夏八木勲]]<ref>{{Cite web|和書 |title=夏八木勲さん死去 映画ドラマで名脇役 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130512-1125872.html |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=12 May 2013}}</ref>、[[俳優]]、[[声優]](* [[1939年]])
* 2013年 - [[中村大成]]、元プロ野球選手(* [[1935年]])
* [[2015年]] - [[森本忠夫]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG18H6K_Y5A510C1CZ8000/ |title=森本忠夫氏が死去 元東レ取締役 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=18 May 2015 |accessdate=18 Oct 2023}}</ref>、実業家、文筆家(*[[1926年]])
* [[2019年]] - [[ペギー・リプトン]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3224637 |title=米女優ペギー・リプトンさん死去、72歳 「ツイン・ピークス」など出演 |date=13 May 2019 |accessdate=18 Oct 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News}}</ref>、女優(* [[1946年]])
* [[2021年]] - [[江上健二]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tv-asahi.co.jp/smt/f/geinou_tokuho/hot/?id=hot_20210514_030 |title=【訃報】劇団四季・江上健二さん、54歳で… |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[テレビ朝日]] |date=14 May 2021}}</ref>、舞台俳優
* [[2022年]] - [[上島竜兵]]<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/05/12/0015294602.shtml |title=DeNA・三浦大輔監督 上島竜兵さんを追悼「信じられないですし、残念です」 |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=12 May 2022 |accessdate=18 Oct 2023}}</ref>、お笑いタレント([[ダチョウ倶楽部]])、俳優(* [[1961年]])
* [[2023年]] - [[中西太]]、元プロ野球選手(* [[1933年]])
* 2023年 - [[大場智満]]、元大蔵省財務官(* [[1929年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Nisgaa mask Louvre MH 81-22-1.jpg|thumb|180x180px|[[ニスガ族]]の日]]
* [[エベレスト]]日本人初登頂記念日({{JPN}})
*: [[1970年]](昭和45年)のこの日、登山家の[[松浦輝夫]]と冒険家の[[植村直己]]が、日本人で初めてエベレストの登頂に成功したことを記念<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/223746 |title=植村直己さんの偉業紹介 板橋の冒険館で29日まで |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[東京新聞]] |date=6 Jan 2023}}</ref>。
*[[ご当地キャラクター|ご当地キャラ]]の日({{JPN}})
*: 「ご(5)・当(10)・地(1)」の語呂合わせ。2014年(平成26年)に一般社団法人日本ご当地キャラクター協会が制定<ref>{{Cite web|和書 |title=ご当地キャラの日(5月11日)|意味や由来・広報PRに活用するポイントと事例を紹介 |url=https://prtimes.jp/magazine/today/local-character-day/ |website=PR TIMES MAGAZINE |date=11 May 2023 |access-date=18 Oct 2023}}</ref>。[[日本記念日協会]]に申請し認定登録を受けた。
*鵜飼開き({{JPN}})
*: [[岐阜県]]で行われる鵜飼は千年以上の歴史があり、毎年5月11日から~[[10月15日]]まで、増水時ほか一部の期日を除いて毎夜行なわれる。この日、[[岐阜市]]湊町では、ぎふ長良川鵜飼開きが行なわれ<ref>{{Cite web |url=https://www.ukai-gifucity.jp/ukai/ |title=ぎふ長良川の鵜飼 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=岐阜市鵜飼観覧船事務所}}</ref>、同様に岐阜県[[関市]]でも小瀬鵜飼が鵜飼開きになる<ref>{{Cite web |url=https://www.city.seki.lg.jp/kanko/0000001578.html |title=小瀬鵜飼~一千有余年の歴史~ |access-date=18 Oct 2023 |publisher=関市役所 |date=13 Apr 2023}}</ref>。
* [[ニスガ族]]の日({{CAN}} ニスカ自治政府)
*: [[1999年]]のこの日、カナダ政府、[[ブリティッシュコロンビア州]]政府、ニスガ族の間で、ニスガ族の先住民土地請求問題を解決する「ニスガ条約」が締結されたことを記念。
* 技術の日({{IND}})
*: [[1998年]]のこの日、インドが24年ぶり2回目の[[インドの核実験 (1998年)|核実験]]を行ったことを記念。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0511|date=Mar 2023}}
* [[1998年]] - アメリカ中西部・ラクーン市郊外の山中の洋館にて、バイオハザード発生。(ゲーム『[[バイオハザード (ゲーム)|バイオハザード]]』)
* [[2017年]] - ユキヒロがサユリを連れ出した本当の理由をタクヤに伝えるべく、常磐ソウゴがタイムマジーンを使って[[2019年]]からこの時代へタイムスリップしてくる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.kamen-rider-official.com/playback/26 |title=【EPISODE40の振り返り】2017:グランド・クライマックス! |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[東映株式会社]] [[石森プロ]]・[[テレビ朝日]]・ADK EM・東映・[[東映ビデオ]] |website=KAMEN RIDER WEB}}</ref>。(特撮ドラマ『[[仮面ライダージオウ]]』)
* [[2023年]] - ヒルマゲントは新たに新設され、自身が隊長を務める特殊怪獣対応分遣隊SKaRDに選抜された隊員たちの招集を行う。そんな中先美港沖に深海怪獣ゲードスが出現、人員や装備が不十分なままでの初出動を余儀なくされる<ref>日付はゲントとナグラテルアキの会話にて判明。</ref>。( [[ウルトラマンシリーズ]]『[[ウルトラマンブレーザー]]』第2話「SKaRDを作った男」)
* [[宇宙世紀|U.C.]]0087年 - [[エゥーゴ]]が[[地球連邦軍]]本部[[ジャブロー]]に降下作戦を開始。同日、ジャブローを脱出。(アニメ『[[機動戦士Ζガンダム]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1969年]] - 相沢周市、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=大場つぐみ|authorlink1=大場つぐみ|author2=小畑健|authorlink2=小畑健|year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 22 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9 }}</ref>
* [[1986年]] - 河合理佳、ゲーム『[[ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title = ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜 公式ガイドブック 完全版(コナミ完璧攻略シリーズ)|date = 2002-03-05|publisher = [[コナミホールディングス|コナミ株式会社]]|isbn = 978-4575163100|page = 84|chapter = キャラクター別攻略マニュアル}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title = 別冊宝島947 我が青春の『ときめきメモリアル』ヒロインズ|date = 2004-02-06|publisher = [[宝島社]]|isbn = 978-4796638289|page = 46|chapter = Character Collection: ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜}}</ref>
* [[2015年]] - 京乃まどか、アニメ『[[輪廻のラグランジェ]]』の主人公<ref>{{Cite book |和書 |year = 2012 |title = TV ANIMATION 輪廻のラグランジェ オフィシャルガイド |pages=20,22|publisher = [[スクウェア・エニックス]] |isbn = 978-4-7575-3646-3 }}</ref><ref>{{Twitter status|lag_rin_10th|1656313157210521600}}</ref>
* 生年不明 - 白鳥尊、アニメ『[[リーマンズクラブ]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://rymansclub.com/character/ |title=白鳥 尊 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=Team RMC/サンライトビバレッジ広報部 |work=『リーマンズクラブ』}}</ref>
* 生年不明 - 長良川かがり、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://onsen-musume.jp/character/nagaragawa_kagari |title=岐阜 長良川かがり |access-date=18 Oct 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref>
* 生年不明 - 海堂薫、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1524042840652795905}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=[[テニスの王子様]]|volume=10.5巻|author=[[許斐剛]]|publisher=[[集英社]]|page=208|year=2001|isbn=4-08-873193-X}}</ref>
* 生年不明 - 原田雅功、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|862640559025868802}}</ref>
* 生年不明 - 近藤繭佳、漫画・アニメ『[[お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=自己紹介 近藤 繭佳 |url=http://king-cr.jp/special/oniichan/introduction/character.html |website=『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[草野紅壱]]・[[双葉社]]/お兄ちゃん観察隊 [[KING AMUSEMENT CREATIVE|KING AMUSEMENT CREATIVE SONIC BLADE]]}}</ref>
* 生年不明 - 中田奈緒、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』6巻 株式会社[[芳文社]].2019年.カバー裏</ref>
* 生年不明 - 西宮透、漫画『きもちわるいから君がすき』に登場するキャラクター<ref>『きもちわるいから君がすき』1巻 [[ゲーマーズ]] 限定描き下ろし4Pブックレット</ref>
* 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#アーシア・アルジェント|アーシア・アルジェント]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|586122235640819713}}</ref><ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|597487397232742400}}</ref><ref>{{Twitter status|hdd_social_marv|1524041778462007298}}</ref>
* 生年不明 - 藤原愁、小説・アニメ『[[ツルネ -風舞高校弓道部-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tsurune_anime|1391951195955159041}}</ref>
* 生年不明 - 是枝裕樹、アニメ『[[Number24]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://number24-anime.com/character/yuukikoreeda/ |title=是枝裕樹 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[ムービック|movic]] |work=『Number24』}}</ref>
* 生年不明 - モグ、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVI]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイナルファンタジーVI ザ・コンプリート|publisher=[[NTT出版]]|year=1994|page=176|ISBN=4-87188-303-5}}</ref>
* 生年不明 - [[双葉ほたる]]、ゲーム『[[餓狼 MARK OF THE WOLVES]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=双葉ほたる |url=https://game.snk-corp.co.jp/official/nbc/character/hotaru.html |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]] [[SNK (2001年設立の企業)|SNK PLAYMORE]] |work=『NEOGEO BATTLE COLISEUM』}}</ref>
* 生年不明 - 栗生恵、ゲーム・アニメ『[[キミキス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.enterbrain.co.jp/game_site/kimikiss/character07.html |title=栗生恵 |publisher=[[エンターブレイン]] |accessdate=18 Oct 2023 |work=『キミキス』 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180504204350/http://www.enterbrain.co.jp/game_site/kimikiss/character07.html |archive-date=4 May 2018}}</ref>
* 生年不明 - 鬼崎拓磨、ゲーム・アニメ『[[緋色の欠片]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://v-storage.bnarts.jp/sp-site/hiiro-no-kakera/sp/chara/01.html |title=鬼崎拓磨 |access-date=18 Oct 2023 |publisher=IF・DF/「緋色の欠片」製作委員会 |work=『緋色の欠片』}}</ref>
* 生年不明 - イナミ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=18&cate=name&cont=Inami |title=イナミ |access-date=18 Oct 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - グレンウィス、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-382 |title=グレンウィス |publisher=Vespa Inc |accessdate=18 Oct 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=382 |archivedate=1 Nov 2021 |work=『キングスレイド』}}</ref>
* 生年不明 - コッコロ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1656479238835298310}}</ref>
* 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#ハロー、ハッピーワールド!|松原花音]]、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/matsubara-kanon/ |title=松原 花音 |work=『BanG Dream! ガールズバンドパーティ!』 |publisher=BanG Dream! Project [[Craft Egg|Craft Egg Inc.]] [[ブシロード|bushiroad]] |accessdate=18 Oct 2023}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 11|11 May}}
{{新暦365日|5|10|5|12|[[4月11日]]|[[6月11日]]|[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]|0511|5|11}}
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4,925 | 5月12日 | 5月12日(ごがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から132日目(閏年では133日目)にあたり、年末まではあと233日ある。 | [
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'''5月12日'''(ごがつじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から132日目([[閏年]]では133日目)にあたり、年末まではあと233日ある。
== できごと ==
[[Image:HMT Olympic.jpg|thumb|180px|イギリス商船[[オリンピック号]]、[[Uボート]]を撃沈(1918)。画像は迷彩を施されたオリンピック号]]
{{multiple image
| caption1 = [[治安維持法]]施行(1925)。画像は[[特別高等警察]]
| image1 = Censorship TMPD.png
| width1 = 90
| alt1 = 特別高等警察
| caption2 = [[ポーランド]]{{仮リンク|五月革命 (ポーランド)|label=五月革命|en|May Coup}}(1926)
| image2 = Piłsudski May 1926.jpg
| width2 = 90
| alt2 = ポーランドの五月革命
}}
{{multiple image
| caption1 = [[ベルリン封鎖]]が解除(1949)。画像はベルリンに物資を空輸する米軍機
| image1 = C-54landingattemplehof.jpg
| width1 = 90
| alt1 = ベルリン封鎖が解除
| caption2 = [[北アメリカ航空宇宙防衛司令部]]発足(1958)。画像は本部入口の隔壁
| image2 = NORADBlast-Doors.jpg
| width2 = 90
| alt2 = 北アメリカ航空宇宙防衛司令部発足
}}
{{multiple image
| caption1 = [[テート・モダン]]がオープン(2000)
| image1 = Tate_modern_london_2001_03.jpg
| width1 = 90
| alt1 = テート・モダン
| caption2 = [[四川大地震]](2008)
| image2 = Sichuan earthquake building collasped..JPG
| width2 = 90
| alt2 = 四川大地震
}}
* [[254年]] - [[ステファヌス1世 (ローマ教皇)|ステファヌス1世]]が[[教皇|ローマ教皇]]に即位。
* [[1364年]] - [[ポーランド]]最古の大学・[[ヤギェウォ大学]]設立。
* [[1551年]] - [[ペルー]]に南北アメリカ大陸最古の大学・王立リマ大学(現 [[国立サンマルコス大学]])設立。
* [[1576年]]([[天正]]4年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[石山合戦]]: [[織田信長]]方が[[石山本願寺]]を包囲。
* [[1588年]] - [[ユグノー戦争]]: [[アンリ1世 (ギーズ公)|ギーズ公アンリ1世]]がパリに入城し、[[アンリ3世 (フランス王)|アンリ3世]]が逃亡。(バリケードの日)
* [[1617年]]([[元和 (日本)|元和]]3年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - 駿河・[[久能山]]から移された[[徳川家康]]の遺体が[[日光東照宮|日光]]・奥院廟塔に改葬される。
* [[1689年]] - [[ウィリアム王戦争]]: イングランド王[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]が[[アウクスブルク同盟]]側について参戦。
* [[1797年]] - [[スピットヘッドとノアの反乱|ノアの反乱]]起こる。
* [[1863年]] - [[南北戦争]]: [[レイモンドの戦い]]。
* [[1865年]] - 南北戦争: [[パルメット農場の戦い]]が始まる。
* [[1873年]] - スウェーデン王[[オスカル2世 (スウェーデン王)|オスカル2世]]が戴冠。
* [[1917年]] - [[岡山県]]で「済世顧問設置規程」が公布され、現在の[[民生委員]]制度の前身にあたる[[済世顧問制度]]が発足した<ref>{{Cite web|和書|url=http://chiba-minkyo.or.jp/minsei/minsei-history/|title=制度の歴史 |work=(公財)千葉県民生委員児童委員協議会|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>。
* [[1918年]] - イギリス海軍に徴発された客船[[オリンピック (客船)|オリンピック号]]が[[Uボート|ドイツ潜水艦]][[U103 (潜水艦)|U-103]]を体当たりで沈める。
* [[1925年]] - [[治安維持法]]が施行される。
* [[1926年]] - [[ポーランド]]で[[ユゼフ・ピウスツキ]]らが五月革命をおこし政権を掌握する。
* [[1927年]] - [[ニカラグア]]でサンディーノがアメリカ合衆国の軍事占領に対してゲリラ戦を開始する。
* 1927年 - [[ロンドン]]にあるソ連の貿易事務所[[アルコス (ソ連)|アルコス]]をイギリス官憲が捜索。([[アルコス (ソ連)#アルコス事件|アルコス事件]])
* 1927年 - [[長野県]]下で遅[[霜]]による被害。[[クワ]]畑の葉の多くが全滅し、地域の[[養蚕]]業に大きな打撃を与えた<ref>全県に霜害、桑畑三万町歩に被害『信濃毎日新聞』昭和2年5月13日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p539 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
* [[1932年]] - [[リンドバーグ愛児誘拐事件]]: [[3月1日]]に誘拐された[[チャールズ・リンドバーグ]]の長男が遺体で発見される。
* [[1937年]] - ロンドンの[[ウェストミンスター寺院]]で英国王[[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]の戴冠式が行なわれる。
* [[1938年]] - [[ドイツ]]が[[満州国]]を[[国家の承認|承認]]。満独修好条約が締結される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/bunsho/h23.html|title=『日本外交文書 第二次欧州大戦と日本 第一冊』(日独伊三国同盟・日ソ中立条約)|work=[[外務省]]|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>。
* [[1941年]] - [[コンラート・ツーゼ]]が世界初の完全動作するプログラム制御式コンピュータ「[[Zuse Z3]]」を公開。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[独ソ戦]]: [[第二次ハリコフ攻防戦]]が始まる。
* [[1946年]] - 配給米の遅配が続いていた東京・世田谷で「米よこせ世田谷区民大会」が開かれる。天皇に食糧危機を訴えようと[[皇居]]に向かってデモが行われ、[[赤旗]]が初めて[[江戸城|坂下門]]をくぐった<ref>{{Cite web|和書|url=https://imagelink.kyodonews.jp/detail?id=2823615 |title=食糧難の世田谷区民 皇居前で「米よこせ!」 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[共同通信社]] |website=KYODO NEWS IMAGELINK}}</ref>。
* [[1948年]] - [[厚生省]]が[[児童福祉法]]に基づき[[母子健康手帳|母子手帖]]の配布を開始。
* 1948年 - [[太宰治]]が 『[[人間失格]]』を脱稿する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nippon.com/ja/japan-topics/today0512/|title=今日は何の日:5月12日|work=nippon.com|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>。
* [[1949年]] - [[冷戦]]: [[ソビエト連邦|ソ連]]が[[ベルリン封鎖]]を解除。
* [[1958年]] - [[アメリカ合衆国]]と[[カナダ]]の政府間協定が成立し、統合防衛組織・[[北アメリカ航空宇宙防衛司令部]](ノーラッド)が発足<ref>{{Cite web|url=https://www.norad.mil/About-NORAD/NORAD-Agreement/|title=NORAD Agreement|work=North American Air Defense Command|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>。
* [[1965年]] - ソ連の月探査機「[[ルナ5号]]」が月面に衝突。
* [[1970年]] - [[瀬戸内シージャック事件]]が発生。翌13日に警察が犯人射殺で解決。
* [[1971年]] - [[田畑百貨店火災]]。
* [[1975年]] - [[ベトナム戦争]]: [[マヤグエース号事件]]。アメリカの商船「マヤグエース号」がカンボジアによって[[拿捕]]。
* [[1979年]] - 「[[紫雲丸]]」の[[紫雲丸事故|沈没事故]]を受けて架橋の機運が高まっていた[[本州四国連絡橋]]の初めての長大橋として[[大三島橋]]完成<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO71737980R10C21A5EAC000/ |title=1979年5月12日 初の本州四国連絡橋、大三島橋が開通 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=11 May 2021}}</ref>。
* [[1984年]] - [[日本放送協会|NHK]]が[[テレビ]][[衛星放送]]の試験放送を開始。
* [[2000年]] - ロンドンで[[テート・モダン]]がオープン。
* [[2008年]] - [[中華人民共和国|中国]]・[[四川省]]で[[マグニチュード|M]]7.9の[[四川大地震]]が発生。
* 2008年 - [[ロシア連邦通信・情報技術・マスコミ分野監督庁]]設立。
* [[2010年]] - [[アフリキヤ航空771便墜落事故]]。
* [[2011年]] - [[立川6億円強奪事件]]。
* [[2015年]] - 4月25日に発生した[[ネパール地震 (2015年)|ネパール地震]]の余震とみられるM7.3の大地震が発生<ref>{{Cite web|和書|url=【終了】ネパール(2015年ネパール地震 救援・復興支援事業) |title=【終了】ネパール(2015年ネパール地震 救援・復興支援事業) |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[日本赤十字社]] |date=25 Jan 2019}}</ref>。
* [[2022年]] - [[北朝鮮における2019年コロナウイルス感染症の流行状況]]: 2020年1月の発生以来、感染者はいないとしてきた北朝鮮が、初めて感染者確認を認めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20220512/k00/00m/030/055000c|title=北朝鮮、新型コロナ感染者を初めて認める 「非常防疫戦線に穴」|publisher=[[毎日新聞]]|date=12 May 2022|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>。
* 2022年 - [[ロシア]]の[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ウクライナ侵攻]]が欧州の安全保障を脅かしているとして、 [[フィンランド]]の[[サウリ・ニーニスト]]大統領と[[サンナ・マリン]]首相が、[[北大西洋条約機構]](NATO)への加盟支持を表明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3404524 |title=フィンランド、NATO加盟「速やかに申請」 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |website=AFP BB News}}</ref>。
* [[2023年]] - [[こども家庭庁]]が、2022年4月から12月までに、全国の認可保育所で「不適切な保育」が914件確認されたとする調査結果を公表。国主体の調査としては初めてのものであり、暴力などの「虐待」が確認されたケースも90件認められた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2023051200370&g=pol |title=「不適切保育」914件 「虐待」は90件、初の調査―こども家庭庁 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[時事通信社]] |date=12 May 2023 |website=JIJI.COM}}</ref>。
{{-}}
== 誕生日 ==
[[Image:Florence Nightingale CDV by H Lenthall.jpg|thumb|237x237px|[[看護師]][[フローレンス・ナイチンゲール]](1820-1910)誕生]]
* [[1401年]]([[応永]]8年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[称光天皇]]{{Sfn|伊藤|2008|p=59}}、第101代[[天皇]](+ [[1428年]])
* [[1495年]] - [[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]{{要出典|date=2021-03}}、[[スウェーデン王]](+ [[1560年]])
* [[1670年]] - [[アウグスト2世 (ポーランド王)|アウグスト2世]]、[[ポーランド王]](+ [[1733年]])
* [[1755年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1824年]])
* [[1767年]] - [[マヌエル・デ・ゴドイ]]、[[スペインの首相|スペイン首相]](+ [[1851年]])
* [[1803年]] - [[ユストゥス・フォン・リービッヒ]]、[[化学者]](+ [[1873年]])
* [[1812年]] - [[エドワード・リア]]、[[画家]]、[[詩人]](+ [[1888年]])
* [[1814年]] - [[アドルフ・フォン・ヘンゼルト]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1889年]])
* [[1820年]] - [[フローレンス・ナイチンゲール]]、[[看護師]](+ [[1910年]])
* [[1824年]]([[文政]]7年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[九鬼精隆]]、第12代[[三田藩|三田藩主]](+ [[1859年]])
* [[1828年]] - [[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ]]、[[画家]](+ [[1882年]])
* 1828年([[文永]]11年3月29日)- [[平野国臣]]、[[幕末]]の[[志士]](+ [[1864年]])
* [[1833年]]([[天保]]4年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[建部政和]]、第9代[[林田藩|林田藩主]](+ [[1825年]])
* [[1842年]] - [[ジュール・マスネ]]、[[作曲家]](+ [[1912年]])
* [[1844年]]([[天保]]15年3月25日)- [[雲井龍雄]]、幕末・[[明治維新]]期の志士(+ [[1871年]])
* [[1845年]] - [[ガブリエル・フォーレ]]、作曲家(+ [[1924年]])
* [[1846年]]([[弘化]]3年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[山内豊範]]、第16代[[土佐藩|土佐藩主]](+ [[1886年]])
* [[1850年]] - [[ヘンリー・カボット・ロッジ]]、[[政治家]]、[[歴史家]](+ 1924年)
* [[1866年]] - [[グスタフ・アドルフ・フォン・ゲッツェン]]、[[探検家]](+ [[1910年]])
* [[1885年]] - [[武者小路実篤]]、[[小説家]](+ [[1976年]])
* [[1887年]] - [[大久保留次郎]]、政治家(+ [[1966年]])
* [[1889年]] - [[オットー・フランク]]、[[アンネ・フランク]]の父、[[ホロコースト]]生還者(+ [[1980年]])
* [[1895年]] - [[ジッドゥ・クリシュナムルティ]]、[[思想家]](+ [[1986年]])
* 1895年 - [[ウイリアム・ジオーク]]、化学者(+ [[1982年]])
* [[1897年]] - [[相田二郎]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1945年]])
* [[1903年]] - [[草野心平]]、[[詩人]](+ [[1988年]])
* [[1905年]] - [[鈴木敬信]]、[[天文学者]](+ [[1993年]])
* 1905年 - [[松島詩子]]、[[歌手]](+ [[1996年]])
* [[1907年]] - [[キャサリン・ヘプバーン]]、[[俳優|女優]](+ [[2003年]])
* 1907年 - [[レスリー・チャータリス]]、[[推理作家]](+ 1993年)
* [[1908年]] - [[藤田まさと]]、[[作詞家]](+ [[1982年]])
* [[1910年]] - [[ジュリエッタ・シミオナート]]、[[メゾソプラノ]]歌手(+ [[2010年]])
* 1910年 - [[フェリックス・ガリミール]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1999年]])
* 1910年 - [[ドロシー・ホジキン]]、化学者(+ [[1994年]])
* [[1912年]] - [[稲垣史生]]、[[時代考証家]]、[[歴史小説]]作家(+ [[1996年]])
* [[1913年]] - [[バリントン・ムーア]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[2005年]])
* [[1915年]] - [[佐々木正]]、[[電子工学]]の技術者、[[シャープ]]元副社長、[[工学博士]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26639520X00C18A2000000/|title=世界が頼った「世紀のイノベーター」(日経ビジネス) |publisher=[[日本経済新聞]]|date=13 Feb 2018|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>)
* [[1916年]] - [[小宮山量平]]、[[出版]]人(+ [[2012年]])
* [[1917年]] - [[長沢節]]、[[水彩画]]家、[[デザイナー]]、[[エッセイスト]]、ファッション評論家、映画評論家(+ 1999年)
* [[1919年]] - [[山本英一郎]]、[[野球選手]](+ [[2006年]])
* [[1921年]] - [[ヨーゼフ・ボイス]]、[[近代美術と現代美術|現代美術家]]、[[教育者]]、社会活動家(+ [[1986年]])
* 1921年 - [[竹内浩三]]、[[詩人]](+ [[1945年]])
* [[1925年]] - [[ヨギ・ベラ]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](+ [[2015年]])
* [[1926年]] - [[ジェームズ・コールマン]]、社会学者(+ [[1995年]])
* [[1928年]] - [[バート・バカラック]]、[[作曲家]](+ [[2023年]])
* [[1929年]] - [[サム・ヌジョマ]]、政治家、初代[[ナミビアの大統領|ナミビア大統領]]
* [[1935年]] - [[川津祐介]]、[[俳優]](+[[2022年]])
* 1935年 - [[フェリペ・アルー]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]]
* [[1936年]] - [[ゲイリー・ピーコック]]、[[ジャズ]][[ベーシスト]](+[[2020年]])
* 1936年 - [[フランク・ステラ]]、[[画家]]
* [[1942年]] - [[大竹英雄]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]]
* 1942年 - [[アルト・ノラス]]、[[チェリスト]]
* [[1943年]] - [[入江若葉]]、[[俳優|女優]]
* [[1945年]] - [[簾内政雄]]、元[[プロ野球選手]]
* [[1946年]] - [[ダニエル・リベスキンド]]、[[建築家]]
* [[1947年]] - [[ズデネク・ゼーマン]]、[[サッカー]]指導者
* 1947年 - [[永田和宏]]、[[歌人]]
* 1947年 - [[マイケル・イグナティエフ]]、[[政治学者]]、政治家
* [[1948年]] - [[下田逸郎]]、[[シンガーソングライター]]
* 1948年 - [[スティーヴ・ウィンウッド]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* [[1949年]] - [[萩尾望都]]、[[漫画家]]
* [[1950年]] - [[ガブリエル・バーン]]、俳優
* 1950年 - [[前田四郎 (野球)|前田四郎]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[西川のりお]]、[[漫才師]]([[のりお・よしお]])
* 1951年 - [[佐藤博 (野球)|佐藤博]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[秋川リサ]]、女優、[[タレント]]、[[ビーズ]]作家
* 1952年 - [[長浜幸子]]、漫画家
* 1952年 - [[風吹ジュン]]、女優
* 1952年 - [[ショーレ・アグダシュルー]]、女優
* [[1953年]] - [[テーラー・ダンカン]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]])
* [[1955年]] - [[坂巻明]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[余貴美子]]、女優
* 1956年 - [[桜井充]]、政治家
* [[1957年]] - [[ルー・ウィテカー]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[應武篤良]]、アマチュア野球指導者(+ [[2022年]])
* 1958年 - [[エリック・シンガー]]、[[ドラマー]]
* 1958年 - [[金尾健司]]、[[国土交通省|国土交通]][[技官]]
* [[1959年]] - [[ヴィング・レイムス]]、俳優
* 1959年 - [[山本桂]]、元プロ野球選手
* 1959年 - [[佐々木かをり]]、実業家
* [[1960年]] - [[EPO]]、シンガーソングライター
* [[1961年]] - [[渡辺徹 (俳優)|渡辺徹]]、俳優(+ [[2022年]])
* [[1962年]] - [[エミリオ・エステベス]]、俳優、映画監督
* 1962年 - [[末永直海]]、小説家
* [[1964年]] - [[木村千歌]]、漫画家
* [[1965年]] - [[奥田民生]]、ミュージシャン([[UNICORN|ユニコーン]])
* 1965年 - [[紀藤真琴]]、元プロ野球選手
* 1965年 - [[新野剛志]]、小説家
* [[1966年]] - [[デボラ・カーラ・アンガー]]、女優
* [[1967年]] - [[坂元裕二]]、[[脚本家]]
* 1967年 - [[ヘルマン・メサ]]、元野球選手
* 1967年 - [[ポール・ダムール]]、ミュージシャン
* [[1968年]] - [[木村重太郎]]、野球選手
* 1968年 - [[柚月裕子]]、推理作家
* [[1969年]] - [[室田智美]]、元[[アナウンサー]]
* 1969年 - [[本田透]]、[[思想家]]
* [[1970年]] - [[裕木奈江]]、女優
* 1970年 - [[マイク・ウェア]]、[[プロゴルファー]]
* 1970年 - [[ジム・フューリク]]、プロゴルファー
* 1970年 - [[サマンサ・マシス]]、女優
* [[1971年]] - [[大久保佳代子]]、[[お笑いタレント]]([[オアシズ]])
* 1971年 - [[永澤菜教]]、声優
* 1971年 - [[ダグ・バシャム]]、[[プロレスラー]]
* [[1972年]] - [[鉄拳 (お笑い芸人)|鉄拳]]、お笑いタレント
* 1972年 - [[まいける (お笑い芸人)|まいける]]、お笑いタレント
* 1972年 - [[マギー (俳優)|マギー]]、[[俳優]]
* 1972年 - [[和歌乃山洋]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]]13代[[山分]]
* [[1973年]] - [[池崎美盤]]、[[フリーアナウンサー]]
* [[1974年]] - [[島田彩夏]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサー
* [[1975年]] - [[井端弘和]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[山口眞弓]]、[[声優]]
* 1975年 - [[吉田太一]]、元アナウンサー
* 1975年 - [[ジョナ・ロムー]]、ラグビー選手(+ [[2015年]])
* [[1976年]] - [[高見盛精彦]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]]14代[[東関]]
* 1976年 - [[樋口龍美]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[福井敬治]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[藤井秀悟]]、元プロ野球選手
* [[1978年]] - [[阿部真宏]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[大野敏隆]]、元[[サッカー選手]]
* 1978年 - [[石黒彩]]、歌手(元[[モーニング娘。]])
* 1978年 - [[柘植亮二]]、元俳優
* 1978年 - [[尾上健司]]、バレーボール選手
* 1978年 - [[コザキユースケ]]、[[漫画家]]、[[イラストレーター]]、キャラクターデザイナー
* 1978年 - 福田薫、お笑いタレント([[U字工事]])
* 1978年 - [[マリン・アッカーマン]]、女優
* 1978年 - [[柴田幸子 (アナウンサー)|柴田幸子]]、アナウンサー
* [[1979年]] - [[近藤隆]]、[[声優]]
* [[1980年]] - [[石田紗英子]]、[[フリーアナウンサー]]
* 1980年 - [[泉政行]]、俳優(+ [[2015年]])
* 1980年 - [[キース・ボーガンス]]、バスケットボール選手
* 1980年 - [[フェリペ・ロペス]]、プロ野球選手
* 1980年 - [[リシ・スナク]]、政治家、[[イギリスの首相|イギリス首相]]
* [[1981年]] - [[佐藤賢太郎]]、作曲家
* 1981年 - [[山田和明]]、ミュージシャン
* 1981年 - [[細見直樹]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[石川直宏]]、サッカー選手
* 1981年 - [[ラミ・マレック]]、俳優
* [[1982年]] - [[ジェイミー・デントナ]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[アリーナ・カバエワ]]、[[新体操]]選手
* 1983年 - [[島脇信也]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[高山勝成]]、[[プロボクサー]]
* 1983年 - [[西川純司]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[柳田知秀]]、元[[アナウンサー]]
* 1983年 - [[KUSHIDA]]、プロレスラー
* 1983年 - [[エバン・ミーク]]、プロ野球選手
* 1983年 - [[ドーナル・グリーソン]]、俳優
* [[1984年]] - [[クリス・ロビンソン (野球)|クリス・ロビンソン]]、元プロ野球選手
* [[1986年]] - [[東口順昭]]、[[サッカー]]選手
* [[1987年]] - [[東龍強]]、大相撲力士
* 1987年 - [[劉虹]]、陸上競技選手
* [[1988年]] - [[伊志嶺翔大]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[マルセロ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ・ジュニオル|マルセロ]]、サッカー選手
* 1988年 - [[高島由香]]、陸上競技選手<ref>{{Cite web|和書|url= https://run.shiseido.com/jp/member/takashima/|title=高島 由香|publisher=[[資生堂|SHISEIDO]]|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>
* 1988年 - [[竹内友佳]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサー
* [[1989年]] - [[ブレイディン・ヘーゲンズ]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[川端友紀]]、野球選手
* 1989年 - [[堀田秀平]]、[[サッカー]]選手
* 1989年 - [[伊吹ひかり]]、元ファッションモデル
* [[1990年]] - [[福本有希]]、元俳優(元[[PrizmaX]])
* 1990年 - [[伏見寅威]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[山崎正登]]、元サッカー選手
* 1990年 - [[鷲見玲奈]]、アナウンサー
* 1990年 - [[石川翔子]]、フィギュアスケート選手
* 1990年 - [[フローラン・アモディオ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1991年]] - [[ナイダ・アクシャミヤ]]、フィギュアスケート選手
* 1991年 - [[沢辺りおん]]、グラビアアイドル
* 1991年 - [[須貝駿貴]]、[[YouTuber]]([[QuizKnock]])
* [[1992年]] - [[卯内里奈]]、歌手(元[[HINOIチーム]])
* 1992年 - [[片平里菜]]、シンガーソングライター
* 1992年 - [[小林香萌]]、プロレスラー
* [[1993年]] - [[柿沼友哉]]、プロ野球選手
* 1993年 - [[犬飼智也]]、サッカー選手
* [[1994年]] - [[宮本エリアナ]]、モデル
* 1994年 - [[鶴田圭祐]]、元プロ野球選手
* 1994年 - IYEN(イエン)、タレント
* [[1995年]] - [[中西智代梨]]、アイドル([[AKB48]])
* 1995年 - [[中川美優]]、アイドル([[まねきケチャ]])
* [[1996年]] - そら、YouTuber([[アバンティーズ]])
* [[1997年]] - [[山口愛]]、女優、声優
* [[1998年]] - [[菅田琳寧]]、アイドル([[7 MEN 侍]])
* [[1999年]] - [[廣川奈々聖]]、アイドル ([[わーすた]])
* 1999年 - [[水上恒司]]、俳優
* 1999年 - 溝渕麻莉亜、アイドル(元[[NMB48]])
* [[2001年]] - [[岡本莉音]]、女優、モデル
* 2001年 - [[森青葉]]、アイドル(元[[Awww!]])
* [[2002年]] - YUKU、アイドル、ミュージシャン([[DKB (音楽グループ)|DKB]])
* 2002年 - [[わたげ (タレント)|わたげ]]、YouTuber、アイドル(元[[ChuLa]])
* 2002年 - 池田瑛紗、アイドル([[乃木坂46]])
* [[2003年]] - [[阿部和広]]、プロ野球選手
* [[2004年]] - 榎本陸、アイドル([[ジャニーズJr.一覧|ジャニーズJr.]])
* 生年不明 - [[梅澤めぐ]]、声優<ref>{{Cite web|和書|url=https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=13002|title=梅澤 めぐ |publisher=[[俳協]]|accessdate= 18 Jul 2023}}</ref>
* 生年不明 - [[北山真理]]<ref>{{Cite book|和書|title=幽☆遊☆白書パーフェクトファイル|volume=NO.1|page=116|date=1995-03-22|editor=週刊少年ジャンプ編集部|editor-link=週刊少年ジャンプ編集部|publisher=[[集英社]]|edition=1|isbn=978-4-8342-1441-3}}</ref>、[[アニメーター]]、[[キャラクターデザイン|キャラクターデザイナー]]
* 生年不明 - [[清水俊彦]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.artsvision.co.jp/talent/811/|title=清水 俊彦|publisher=[[アーツビジョン]]|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>、声優
* 生年不明 - [[原聖]]、声優
* 生年不明 - [[もりちかこ]]、漫画家
== 忌日 ==
[[Image:Silvester_II._and_the_Devil_Cod._Pal._germ._137_f216v.jpg|thumb|241x241px|「紀元千年の魔術師教皇」、[[シルウェステル2世 (ローマ教皇)|シルウェステル2世]](950?-1003)没]]
{{multiple image
| caption1 = [[トマス・ウェントワース (初代ストラフォード伯爵)|ストラフォード伯爵トマス・ウェントワース]](1593-1641)斬首
| image1 = Thomas_Wentworth,_1st_Earl_of_Strafford.jpg
| width1 = 90
| alt1 = ストラフォード伯爵
| caption2 = 詩人[[ジョン・ドライデン]](1631-1800)没
| image2 = John_Dryden_by_Sir_Godfrey_Kneller%2C_Bt.jpg
| width2 = 90
| alt2 = 詩人ジョン・ドライデン
}}
{{multiple image
| caption1 = 作曲家[[ベドルジハ・スメタナ]](1824-1884)没。{{audio|Bedrich Smetana - ma vlast - i. vltava 'the moldau'.ogg|『わが祖国』より「モルダウ」(1874)を聴く}}
| image1 = Smetana-old-age.jpg
| width1 = 90
| alt1 = 作曲家ベドルジハ・スメタナ
| caption2 = 作家[[ジョリス=カルル・ユイスマンス]](1848-1907)没
| image2 = Huysmans.jpg
| width2 = 90
| alt2 = 作家ジョリス=カルル・ユイスマンス
}}
{{multiple image
| caption1 = [[ポーランド]]の初代国家元首[[ユゼフ・ピウスツキ]](1867-1935)没
| image1 = Jozef_Pilsudski1.jpg
| width1 = 90
| alt1 = ポーランドの初代国家元首ユゼフ・ピウスツキ
| caption2 = [[ネオダダ]]の芸術家[[ロバート・ラウシェンバーグ]](1925-2008)。画像は『Riding Bikes』(1998)
| image2 = Rauschenberg3.JPG
| width2 = 90
| alt2 = 芸術家ロバート・ラウシェンバーグ
}}
=== 人物 ===
* [[1003年]] - [[シルウェステル2世 (ローマ教皇)|シルウェステル2世]]、第139代[[教皇|ローマ教皇]]
* [[1012年]] - [[セルギウス4世 (ローマ教皇)|セルギウス4世]]、第142代ローマ教皇
* [[1641年]] - [[トマス・ウェントワース (初代ストラフォード伯爵)|ストラフォード伯爵トマス・ウェントワース]]{{sfn|松村赳|富田虎男|2000| p=720}}、[[政治家]](* [[1593年]])
* [[1684年]] - [[エドム・マリオット]]、[[物理学者]](* [[1620年]]頃)
* [[1700年]] - [[ジョン・ドライデン]]、[[詩人]]、[[劇作家]]、[[文芸評論家]](* [[1631年]])
* [[1845年]] - [[アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル]]、[[翻訳家]]、文芸評論家(* [[1767年]])
* [[1871年]] - [[ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール]]、[[作曲家]](* [[1782年]])
* [[1884年]] - [[ベドルジハ・スメタナ]]、作曲家(* [[1824年]])
* [[1885年]] - [[フェルディナント・ヒラー]]、作曲家(* [[1811年]])
* [[1907年]] - [[ジョリス=カルル・ユイスマンス]]、[[小説家]](* [[1848年]])
* [[1910年]] - [[ウィリアム・ハギンズ]]、[[天文学者]](* [[1824年]])
* [[1916年]] - [[ジェームズ・コノリー]]、[[アイルランド]]の[[民族主義]]運動家(* [[1868年]])
* [[1931年]] - [[ウジェーヌ・イザイ]]、[[ヴァイオリニスト]]、作曲家(* [[1858年]])
* [[1935年]] - [[ユゼフ・ピウスツキ]]、[[ポーランド]]の指導者(* [[1867年]])
* [[1936年]] - [[満川亀太郎]]、[[ジャーナリスト]](* [[1888年]])
* [[1944年]] - [[アーサー・キラークーチ]]、[[小説家]]、[[文芸評論家]](* [[1863年]])
* [[1945年]] - [[カール・フォン・ピュックラー=ブルクハウス]]、[[親衛隊 (ナチス)|ナチス親衛隊]]将軍(* [[1886年]])
* [[1957年]] - [[エリッヒ・フォン・シュトロハイム]]、[[映画監督]]、[[俳優]](* [[1885年]])
* [[1958年]] - [[高森龍夫]]、[[編集者]]、[[挿絵]][[画家]](* [[1900年]])
* [[1960年]] - [[セシル・アームストロング・ギブズ]]、作曲家(* [[1889年]])
* [[1962年]] - [[秋田雨雀]]、劇作家、詩人(* [[1883年]])
* [[1967年]] - [[ジョン・メイスフィールド]]、詩人、作家(* [[1878年]])
* [[1970年]] - [[小桜葉子]]、女優(* [[1918年]])
* 1970年 - [[ネリー・ザックス]]、詩人、作家(* [[1891年]])
* [[1971年]] - [[荒巻淳]]、元[[プロ野球選手]](* [[1926年]])
* 1971年 - [[ヘイニー・マナシュ]]、元プロ野球選手(* [[1901年]])
* [[1973年]] - [[戸塚睦夫]]、[[コメディアン]](* [[1931年]])
* [[1976年]] - [[ルドルフ・ケンペ]]、[[指揮者]](* [[1910年]])
* [[1980年]] - [[沢田美喜]]、社会事業家(* [[1901年]])
* [[1982年]] - [[高井幾次郎]]、オートバイレーサー(* [[1947年]])
* [[1985年]] - [[ジャン・デュビュッフェ]]、画家(* [[1901年]])
* 1985年 - [[石風呂良一]]、元[[プロ野球選手]](* [[1923年]])
* [[1987年]] - [[山田伝]]、元プロ野球選手(* [[1914年]])
* [[1990年]] - [[陳建民]]、[[四川料理]]の[[料理人]](* [[1919年]])
* [[1994年]] - [[エリク・H・エリクソン]]、[[心理学者]]、[[精神分析家]](* [[1902年]])
* 1994年 - [[ロイ・プランケット]]、[[化学者]](* [[1910年]])
* [[1995年]] - [[ジミー原田]]、[[ジャズ]][[ドラマー]](* [[1911年]])
* [[2001年]] - [[鎌田茂雄]]、[[仏教学者]](* [[1927年]])
* [[2005年]] - [[モニカ・ゼタールンド]]、[[歌手]]、女優(* [[1937年]])
* 2005年 - [[田中尊]]、元プロ野球選手(* [[1936年]])
* [[2006年]] - [[亀井善之]]、政治家(* [[1936年]])
* [[2008年]] - [[今日泊亜蘭]]、[[SF作家]](* [[1910年]])
* 2008年 - [[イレーナ・センドラー]]、[[フィランソロピー|慈善活動家]]、[[ジェゴタ]]の活動家(* 1910年)
* 2008年 - [[永野健]]、[[実業家]]、[[日本経済団体連合会]]会長(* [[1923年]])
* 2008年 - [[ロバート・ラウシェンバーグ]]、[[美術家]](* [[1925年]])
* [[2011年]] - [[上原美優]]、グラビアアイドル(* [[1987年]])
* [[2016年]] - [[スザンナ・マシャット・ジョーンズ]]、最高齢の人物(* [[1899年]])
* 2016年 - [[小原二郎]]、人間工学、住宅産業、木材工学者(* [[1916年]])
* 2016年 - [[蜷川幸雄]]、演出家、[[映画監督]](* [[1935年]])
* [[2019年]] - [[京マチ子]]、[[俳優#性別での分類|女優]](* [[1924年]])
* [[2020年]] - [[浅野孝已]]、ミュージシャン([[ゴダイゴ]])(* [[1951年]])
* 2020年 - [[ジョージ秋山]]、漫画家(* [[1943年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1988年]] - [[サクラスターオー]]、[[競走馬]](* [[1984年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Bundesarchiv B 145 Bild-F001142-0001, Bonn, Universitäts-Kinderklinik.jpg|thumb|180px|国際[[看護師]]の日、[[看護]]の日]]
* ナイチンゲールデー({{World}})
*: [[フローレンス・ナイチンゲール|ナイチンゲール]]の誕生日にちなんで制定されたもの。下記の国際看護師の日・看護の日もこれにちなむものである。
* [[国際看護師の日]]({{World}})
*: [[国際看護師協会]] (ICN) が[[1965年]]に制定。日本では「国際看護婦の日」と称していたが、2002年に看護婦の呼称が[[看護師]]に変更されたのにあわせて、この記念日も「国際看護師の日」に改称された。
* 日蓮上人伊豆法難会({{JPN}})
*: [[日蓮宗]]宗祖[[日蓮]]上人の四大法難のひとつに数えられるのが伊豆法難会。日蓮は[[鎌倉幕府]]に『[[立正安国論]]』上呈後の[[1261年]](弘長元)年5月12日に捕縛され、伊豆に流された。現在の[[城ヶ崎海岸]]にある俎岩(まないたいわ)の上に置き去りにされた日蓮は、川奈に住む漁師の弥三郎夫妻に発見され庇護されたといわれている。この日[[身延山]][[久遠寺]]の祖師堂では『宗祖伊豆法難会』が執り行なわれる他、ゆかりの寺院で法要が営まれる<ref>{{Cite web|和書|url=http://news-nichiren.jp/2010/05/20/3129/ |title=宗門法要『宗祖日蓮大聖人伊豆法難750年報恩音楽大法要』 |access-date=1 Aug 2023 |publisher=日蓮宗新聞社}}</ref>。
* 看護の日({{JPN}})
*: [[厚生省]](現在の[[厚生労働省]])・[[日本看護協会]]等が[[1991年]]に制定。
* 民生委員・児童委員の日({{JPN}})
*:[[1917年]]のこの日に[[民生委員]]・[[児童委員]]制度の前身とされる[[岡山県]]の済世顧問制度が発足したことを記念し、全国[[民生委員]]児童委員連合会が[[1977年]]に制定。
* 海上保安の日({{JPN}})
*: [[1948年]]のこの日に[[海上保安庁]]が開庁したことを記念。海上保安庁が1948年に「海上保安庁開庁記念日」として制定し、[[2000年]]より「海上保安の日」に改称した。
* アセローラの日({{JPN}})
*: [[沖縄県]][[本部町]]役場や商工会、観光協会、熱帯果樹研究会などで結成した「アセローラの日」制定委員会が[[1999年]]に制定。アセローラの認知度を高めて町の活性化を図ることが目的。日付は[[アセロラ|アセローラ]]の初収穫の時期であることから。
* こてっちゃんの日({{JPN}})
*: [[兵庫県]][[西宮市]]に本社を置くエスフーズ株式会社が制定。牛モツが手軽に食べられる「こてっちゃん」を、さらに多くの人に食べてもらうのが目的。日付は「こ(5)て(1)つ(2)」の語呂合わせから。
* 永平寺胡麻豆腐の日({{JPN}})
*: [[福井県]][[永平寺町]]の株式会社團助(だんすけ)が制定。[[精進料理]]の代表格である「胡麻豆腐」の美味しさ、魅力をさらに多くの人に知ってもらうのが目的。日付は「ご(5)まどうふ(12)」と読む語呂合わせから。
* LKM512の日({{JPN}})
*: 協同乳業株式会社が制定。同社が独自に研究を進めているビフィズス菌「LKM512」を使用したヨーグルトのPRが目的。日付は「LKM512」の512から。
* 箕輪町安全安心の日({{JPN}})
*: [[長野県]][[上伊那郡]][[箕輪町]]が2012年5月12日にWHO(世界保健機関)協働センターからセーフコミュニティの国際認証を、国内で4番目、全国の自治体で初めて取得したことから制定。記念日を通じてさらなる安全安心の理想郷を求め、セーフコミュニティ活動を推進していくことが目的。日付はセーフコミュニティの国際認証を受けた日から。
* 防災の日({{PRC}})
*: [[2008年]]のこの日,[[四川大地震]]の発生:[[中華人民共和国]][[四川省]][[アバ・チベット族チャン族自治州]][[汶川県]]を震央とするマグニチュード8.0の巨大地震が起こる
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0512|date=Jul 2023}}
* [[1984年]] - [[T-800]]とカイル・リースが2029年の未来から[[タイムトラベル|転送]]されてきた日。[[木曜日]]。転送されてきた時間は前者が深夜の午前1時52分、後者はその直後。(映画『[[ターミネーター (映画)|ターミネーター]]』)
*不明 - トムに「HOW TO CATCH A MOUSE (ネズミの取り方)」という本が届く。トムはこの本に書いて有る様々な事を試し、ジェリーをやっつけようとするが、逆に一枚上手のジェリーにやられてしまう。頭に来たトムは本を破り、最終手段としてジェリーの家の周りに沢山の爆弾を仕掛ける。しかし、導火線に火がつかず、息を吹きかけているうちに大爆発が起こってしまう。気が付くと家は殆ど吹き飛び、無傷のジェリーだけが立っていた。ジェリーが空の上を見上げると、天に召されて行くトムの姿があった。(アニメ『トムとジェリー』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1979年]] - 土門直樹/ブルーレーサー、[[スーパー戦隊シリーズ]]『[[激走戦隊カーレンジャー]]』の登場人物
* [[2014年]] - 御園尾マナ、スマートフォン向けアプリケーションゲーム『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://t7s.jp/character/chara/45.html |title=御園尾マナ |publisher= [[DONUTS (企業)|Donuts Co. Ltd.]] |accessdate=18 Jul 2023 |work=『Tokyo 7th シスターズ』}}</ref>
* [[ギルガメス]]暦2318年 - ル・シャッコ、アニメ『[[装甲騎兵ボトムズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |year = 1987 |title = 完全版資料集 装甲騎兵ボトムズ |page = 21 |publisher = [[ムービック]] |isbn = 4-943966-04-7 }}</ref>
* 生年不明 - 高瀬瑞希、ゲーム『[[こみっくパーティー|こみっくパーティ]]』のメインヒロイン<ref>{{Cite web|和書|url=https://aquaplus.jp/cp/chr_prof.html |title=キャラクター 高瀬瑞希 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[アクアプラス|AQUAPLUS]] |work=『こみっくパーティ』}}</ref>
* 生年不明 - 夕城美朱、漫画・アニメ『[[ふしぎ遊戯]]』の主人公<ref>{{Twitter status|fushigiyugi_30|1524403999470133250}}</ref>
* 生年不明 - 宮原もみじ、漫画『[[ちょっといっぱい!]]』の主人公
* 生年不明 - ヴィンスモーク・ジャッジ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Judge.html |title=ヴィンスモーク・ジャッジ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=18 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - 握菱鉄裁、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|page=47|publisher=[[集英社]]〈[[ジャンプ・コミックス]]〉|isbn=978-4-08-874079-9|date=2006-02-03}}</ref>
* 生年不明 - 寺門健一、漫画・アニメ『[[MAJOR]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=満田拓也|authorlink=満田拓也|title=Major―Dramatic baseball comic|page=27|publisher=[[小学館]]|volume=第25巻|isbn=978-4-09-125505-1|date=1999-08}}</ref>
* 生年不明 - 織田上総介信長、漫画『[[SAMURAI DEEPER KYO]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 福元二葉、漫画・アニメ『[[スローループ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://slowlooptv.com/chara5.html |title=福元二葉 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[うちのまいこ]]・[[芳文社]]/スローループ製作委員会 |work=『スローループ』}}</ref>
* 生年不明 - 尾久崎晶、アニメ・漫画『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sunrise-inc.co.jp/my-hime/web/character/chara/akira.html |title= 尾久崎 晶 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] |work=『[舞-HiME] 風華学園』}}</ref>
* 生年不明 - 七海リオン、アニメ『[[革命機ヴァルヴレイヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.valvrave.com/character/#c14 |title= 七海 リオン |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]]/VVV Committee, [[毎日放送|MBS]]|work=『革命機ヴァルヴレイヴ』}}</ref>
* 生年不明 - 戸塚弥彦、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>[[衣笠彰梧]] 『ようこそ実力至上主義の教室へ 5』([[KADOKAWA]]、2017年1月発行)83頁</ref>
* 生年不明 - 獅堂彩音、ゲーム『[[FESTA!! -HYPER GIRLS POP-]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 衣坂小春、ゲーム『[[Piaキャロットへようこそ!!G.O. 〜グランド・オープン〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://fandc.co.jp/pia/characters12.html#rightside |title=衣坂 小春 CV:朝木ユメミ |publisher=[[カクテル・ソフト|COCKTAIL SOFT]]/HQ FANDC.CO.JP |accessdate=18 Jul 2023 |work=『Piaキャロットへようこそ!!G.O. 〜グランド・オープン〜』}}</ref>
* 生年不明 - 柳清良、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20177 |title=柳 清良(やなぎ きよら) |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑 |access-date=18 Jul 2023}}</ref>
* 生年不明 - 飛彗、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave|閃乱カグラNew Wave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/hisui.php |title=飛彗 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]]|work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref>
* 生年不明 - 千年夕依、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/yui.html |title=千年 夕依 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=1 Aug 2023}}</ref>
* 生年不明 - 織田信長、ゲーム『[[イケメン戦国◆時をかける恋]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|cyikemen|1259860815773143040}}</ref>
* 生年不明 - 草野心平、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター <ref>{{Twitter status|BunAl_PR|1259860876485636097}}</ref>
* 生年不明 - 夜峰美晴、ゲーム・アニメ『[[CUE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cue-liber.jp/character-09 |title=夜峰美晴 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=『CUE! -See You Everyday-』}}</ref>
* 生年不明 - 室伏理沙、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heaven-burns-red.com/character/31d/murofushi-risa/ |title=室伏理沙 |work=『ヘブンバーンズレッド』 |publisher=[[WFS (企業)|WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS]] [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=18 Jul 2023}}</ref>
* 生年不明 - マスキング、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/masking/ |title=マスキング |publisher=BanG Dream! Project [[Craft Egg|Craft Egg Inc.]] [[ブシロード|bushiroad]] |accessdate=18 Jul 2023 |work=『BanG Dream! ガールズバンドパーティ! 』}}</ref>
* 成年不明-罪木蜜柑、ゲーム『スーパーダンガンロンパ2~さよなら絶望学園~』に登場するキャラクター[38]
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 12|12 May}}
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4,926 | 5月13日 |
5月13日(ごがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から133日目(閏年では134日目)にあたり、年末まではあと232日ある。 | [
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== できごと ==
[[ファイル:Miyamoto-Musashi-Fights-Sasaki-Kojiro-at-Ganryujima-Ukiyo-e.png|thumb|180x180px|[[宮本武蔵]]と[[佐々木小次郎]]が[[巌流島]]で決闘 (1612)]]
[[ファイル:VartLandStatue.JPG|thumb|249x249px|[[フィンランド]]国歌『[[我等の地]]』、はじめて奏される (1848)]]
[[ファイル:ChildrensofFatima.jpg|thumb|288x288px|ポルトガルで3人の子供の前に[[ファティマの聖母]]が現れる (1917)]]
[[ファイル:Mine RP Center.JPG|thumb|日本初の[[PFI|民間資金活用]]による[[刑務所]]、[[美祢社会復帰促進センター]]開所 (2007)|180x180ピクセル]]
* [[1221年]]([[承久]]3年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - 第85代天皇・[[仲恭天皇]]が即位。
* [[1373年]] - [[ノリッジのジュリアン]]が、後に『神の愛の十六の啓示』としてまとめられる{{仮リンク|イエスとマリアの幻視|en|Visions of Jesus and Mary|label=幻視}}を見る。
* [[1397年]]([[応永]]4年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[金閣寺]]の上棟式。
* [[1497年]] - ローマ教皇[[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]が[[ジロラモ・サヴォナローラ]]を[[破門]]。
* [[1612年]]([[慶長]]17年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[宮本武蔵]]と[[佐々木小次郎]]が[[巌流島]]で決闘(『[[二天記]]』による)。
* [[1648年]] - [[デリー]]の[[赤い城]]が完成。
* [[1779年]] - [[オーストリア]]と[[プロイセン王国]]が[[テッシェン条約]]を締結。[[バイエルン継承戦争]]が終結。
* [[1784年]]([[天明]]4年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - 田沼意次の子で若年寄の[[田沼意知]]が旗本・[[佐野政言]]に殿中で斬られる。[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]に死亡。
* [[1787年]] - [[オーストラリア]]・[[ニューサウスウェールズ]]に設けられたイギリスの流刑植民地に向けた最初の船が、総督[[アーサー・フィリップ]]に率いられてイギリスを出航。
* [[1830年]] - [[エクアドル]]が[[大コロンビア]]からの分離独立を宣言。
* [[1833年]] - [[交響曲第4番 (メンデルスゾーン)|メンデルスゾーンの交響曲第4番]]が[[ロンドン]]で作曲者自身の指揮により初演される。
* [[1846年]] - [[米墨戦争]] - [[アメリカ合衆国]]議会が[[メキシコ]]に対する宣戦布告を決議。
* [[1848年]] - [[フィンランド]]の国歌「[[我等の地]]」が初めて演奏される<ref>{{Cite web |url=http://www.kokkanowa.net/finland/ |title=フィンランド共和国 国歌「我等の地」 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=一般社団法人 国歌の輪}}</ref>。{{audio|United States Navy Band - Maamme.ogg|聴く}}
* [[1861年]] - イギリスが、アメリカの[[南北戦争]]に対する[[中立]]を宣言<ref>{{Cite web |url=https://history.state.gov/milestones/1861-1865/blockade |title=The Blockade of Confederate Ports, 1861–1865 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=Foreign Service Institute United States Department of State |website=Office of the Historian,}}</ref>。
* [[1888年]] - [[ブラジル]]で[[奴隷]]を解放する「{{仮リンク|Lei Áurea (黄金法)|en|Lei Áurea}}」が議会を通過。
* [[1912年]] - [[イギリス陸軍航空隊]]([[イギリス空軍]]の前身の一つ)設立。
* [[1917年]] - [[ポルトガル]]・[[ファティマ]]で3人の子供の前に[[ファティマの聖母]]が現れる<ref>{{Cite web |url=https://rekishikaido.php.co.jp/detail/3883 |title=ファティマの奇跡とは~封印された聖母マリアの予言 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[PHP研究所]] |website=WEB歴史街道 |date=16 Jun 2022}}</ref>。
* [[1936年]] - [[三重県]][[四日市市]]で開かれていた[[国産振興四日市大博覧会]]が閉幕。
* [[1939年]] - [[NHK放送技術研究所]]が国産[[テレビ]]の試験電波発信を開始<ref>{{Cite web |url=https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1605/13/news007.html |title=5月13日:NHK初、電波を使ったテレビの公開実験 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=ITmedia Inc. |date=13 May 2016}}</ref>。
* [[1940年]] - [[ロンドン]]で[[オランダ王国]][[亡命政府]]が樹立。
* 1940年 - [[ペルー]]・[[リマ]]で日系移民経営の商店などに対して大規模な破壊掠奪([[リマ排日暴動事件]])が発生した<ref name="日本人ペルー移住史pp226">{{Cite book|和書|author = 在ペルー日系人社会実態調査委員会 |date = 1969 |title = 日本人ペルー移住史・ペルー国における日系人社会 |publisher = 在ペルー日系人社会実態調査委員会|pages=226|ncid= BN07861606}}</ref>
* 1940年 - 第一回[[貯蓄債券|報国債券]]の発売開始<ref>「予想外の人気、第一回売り出し」『東京日日新聞』1940年5月14日夕刊(昭和ニューズ事典編纂委員会『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p.726 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
* [[1946年]] - [[長崎警察署襲撃事件]]発生。
* [[1950年]] - 初の[[ラージヤ・サバー]](インドの上院)が開会。
* 1950年 - [[イギリス]]の[[シルバーストン・サーキット]]にて、最初の[[フォーミュラ1|F1]]世界選手権第1戦が開催される。[[アルファロメオ・158|アルファロメオ158]]の[[ジュゼッペ・ファリーナ]]が優勝した<ref>{{Cite web |url=https://response.jp/article/2020/08/13/337427.html |title=【F1 イギリスGP 1950】70年前、最初のF1世界選手権…シルバーストン[フォトレポート] |access-date=4 Dec 2023 |publisher=IID, Inc. |website=Response |date=18 Aug 2020}}</ref>。
* 1950年 - [[長野県]][[上松町]]で火災発生。町内約70%(約600戸)の家屋が焼失<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=77 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1954年]] - 岐阜県[[徳山村 (岐阜県)|徳山村]]で火災。村役場や小学校も全焼<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=98 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1958年]] - [[アルジェリア戦争]]: [[フランス領アルジェリア]]で[[フランス]]による[[アルジェリア]]の支配確保を主張するフランス現地軍と入植者の暴動がクーデターに発展。
* [[1960年]] - 世界第7位の高峰[[ダウラギリ]]にスイス登山隊が初登頂<ref>{{Cite web |url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/first-ascent-of-dhaulagiri-i |title=First ascent of Dhaulagiri I |access-date=4 Dec 2023 |publisher=Guinness World Records Limited}}</ref>。
* [[1969年]] - [[マレーシア]]・[[5月13日事件]]。[[三島由紀夫]]と[[全学共闘会議|全共闘]]が[[東京大学|東大]][[駒場キャンパス]]900番教室(講堂)で公開討論<ref>{{Cite book|和書|title=三島由紀夫 vs 東大全共闘 1969-2000|publisher=藤原書店|year=2000|page=9|isbn=4-89434-195-6}}</ref>。
* [[1970年]] - [[5月12日|12日]]に発生した[[瀬戸内シージャック事件]]で警察が旅客船乗っ取り犯を射殺して解決。
* [[1972年]] - [[大阪]]・[[千日デパート火災]]。死者118名・負傷者81名を出す。
* 1972年 - [[日本国有鉄道|国鉄]][[川俣線]]がこので営業運転終了。翌[[5月14日]]廃止。
* [[1976年]] - [[ポル・ポト]]が[[カンボジア]]の首相に就任。
* [[1978年]] - [[イタリア]]で[[バザリア法]]が公布される。
* [[1979年]] - [[瀬戸内しまなみ海道]]の[[大三島橋]]が開通。[[本州四国連絡橋]]のなかで最初に架橋された。
* [[1981年]] - ローマ教皇[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]が[[バチカン]]市内で{{仮リンク|ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件|en|Attempted assassination of Pope John Paul II|label=狙撃}}され重傷。
* [[1983年]] - 貸金業の規制等に関する法律(現・[[貸金業法]])公布。
* [[1987年]] - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が[[国電]]に代わる呼称を「[[E電]]」とすることを発表。
* [[1993年]] - アメリカが[[戦略防衛構想]] (SDI) の中止を決定。
* [[1994年]] - [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]緊急理事会で、打者の頭部への[[死球#日本プロ野球における危険球|危険球]]を投げた投手は即退場とすることを決定。
* [[1997年]] - [[鹿児島県北西部地震]]。
* [[2000年]] - [[オランダ]]・[[オーファーアイセル州]][[エンスヘデ]]で花火保管倉庫爆発事故が発生。死者20名・負傷者900名・家屋を失った者1,000名を出す。
* [[2005年]] - [[アンディジャン事件]]: [[ウズベキスタン]]の[[アンディジャン]]で武装集団が刑務所を襲撃。これに呼応して1万人以上のデモが発生したが、軍と治安部隊が武力で鎮圧した。犠牲者は187人と発表されたが、実際はそれを大幅に上回ると各メディアで報じられた<ref>{{Cite web |url=https://imidas.jp/genre/detail/D-123-0012.html |title=アンディジャン事件 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=イミダス・[[集英社]] |website=imidas}}</ref>。
* [[2007年]] - 日本初の[[PFI]]方式による[[刑務所]]・[[美祢社会復帰促進センター]]が開所。
* [[2014年]] - [[トルコ]]・[[ソマ炭鉱爆発事故]]。
* [[2018年]] - [[インドネシア]]第2の都市[[スラバヤ]]の三ヶ所の教会で、[[ISIL|イスラム国]]系の過激派組織による連続自爆テロが発生<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30447090U8A510C1EAF000/ |title=インドネシア連続自爆テロ、実行犯は「イスラム国」系 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=14 May 2018}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[ファイル:Honen01.JPG|thumb|[[浄土宗]]の開祖、[[法然]] (1133-1212) 誕生|180x180ピクセル]]
[[ファイル:Andreas_Moeller_-_Erzherzogin_Maria_Theresia_-_Kunsthistorisches_Museum.jpg|thumb|224x224px|[[ハプスブルク家]]の「女帝」[[マリア・テレジア]] (1717-1780) 誕生]]
[[ファイル:Genichiro Fukuchi 3.jpg|thumb|262x262px|明治の[[ジャーナリスト]]、[[福地源一郎]] (1841-1906)]]
[[ファイル:Alphonse Daudet 2.jpg|thumb|upright|作家[[アルフォンス・ドーデ]] (1840-1897)。代表作『[[アルルの女]]』(1866)]]
[[ファイル:Young Arthur Sullivan.jpg|thumb|271x271px|作曲家[[アーサー・サリヴァン]] (1842-1900)。{{audio|1914 - Edison Light Opera Company - Favorite airs from The Mikado (restored).ogg|オペラ『ミカド』(1885) の抜粋を聴く}}]]
[[ファイル:Ronald Ross.jpg|thumb|256x256px|[[マラリア]]の感染源を突き止めた医学者、[[ロナルド・ロス]] (1857-1932)]]
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1969-041-62%2C Josias zu Waldeck-Pyrmont.jpg|thumb|[[ナチス・ドイツ]]の[[親衛隊大将]]、[[ヨシアス・ツー・ヴァルデック=ピルモント]](1896-1967)|268x268ピクセル]]
[[ファイル:Stevie Wonder 2.jpg|thumb|全盲のミュージシャン、[[スティーヴィー・ワンダー]] (1950-)|180x180ピクセル]]
* [[1133年]]([[長承]]2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[法然]]<ref>{{Kotobank|法然}}</ref>、[[僧]]、[[浄土宗]]の開祖・祖師(+ [[1212年]])
* [[1588年]] - [[オーレ・ヴォーム]]、[[医師]]、[[博物学者]](+ [[1654年]])
* [[1655年]] - [[インノケンティウス13世 (ローマ教皇)|インノケンティウス13世]]、第244代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1724年]])
* [[1657年]]([[明暦]]3年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]])- [[戸田氏定]]、第4代[[大垣藩|大垣藩主]](+ [[1733年]])
* [[1671年]]([[寛文]]11年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]])- [[森長成]]、第4代[[津山藩|津山藩主]](+ [[1697年]])
* [[1699年]] - [[ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ|セバスティアン・デ・カルヴァーリョ]]、[[政治家]](+ [[1782年]])
* [[1709年]]([[宝永]]6年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]])- [[毛利広豊]]、第5代[[徳山藩|徳山藩主]](+ [[1773年]])
* [[1717年]] - [[マリア・テレジア]]、[[オーストリア君主一覧|オーストリア大公]]、[[マリー・アントワネット]]の母(+ [[1780年]])
* [[1730年]] - [[ロッキンガム侯チャールズ・ワトソン=ウェントワース|チャールズ・ワトソン=ウェントワース]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1782年]])
* [[1753年]] - [[ラザール・カルノー]]、政治家、[[数学者]](+ [[1823年]])
* [[1756年]] - [[ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ]]、[[音楽家]](+ [[1842年]])
* [[1764年]] - [[ローラン・グーヴィオン=サン=シール]]、[[軍人]]、[[フランス]]の[[元帥]](+ [[1830年]])
* [[1767年]] - [[ジョアン6世 (ポルトガル王)|ジョアン6世]]、[[ポルトガル王]](+ [[1826年]])
* [[1791年]]([[寛政]]3年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]])- [[松浦熈]]、第10代[[平戸藩|平戸藩主]](+ [[1867年]])
* [[1792年]] - [[ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世]]、第255代ローマ教皇(+ [[1878年]])
* [[1814年]] - [[アレクサンデル・レッセル]]、画家、美術批評家(+ [[1884年]])
* [[1840年]] - [[アルフォンス・ドーデ]]、[[小説家]](+ [[1897年]])
* [[1841年]]([[天保]]12年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[福地桜痴]](福地源一郎)、[[ジャーナリスト]]、[[劇作家]](+ [[1906年]])
* [[1842年]] - [[アーサー・サリヴァン]]、[[作曲家]](+ [[1900年]])
* [[1844年]] - [[ジョージ・スペンサー=チャーチル (第8代マールバラ公)]]、イギリスの貴族(+ [[1892年]])
* [[1857年]] - [[ロナルド・ロス]]、[[内科学|内科医]]、[[1902年]][[ノーベル生理学・医学賞]](+ [[1932年]])
* [[1866年]] - [[オトカル・ノヴァーチェク]]、[[ヴァイオリニスト]]、作曲家(+ [[1900年]])
* [[1882年]] - [[ジョルジュ・ブラック]]、[[画家]](+ [[1963年]])
* [[1883年]] - [[ゲオルギオス・パパニコロウ]]、[[医学|医学者]](+ [[1962年]])
* [[1885年]] - [[長田秀雄]]、[[詩人]]、小説家、[[劇作家]](+ [[1949年]])
* [[1886年]] - [[池田蕉園]]、[[日本画家]](+ [[1917年]])
* 1886年 - [[ジョゼフ・アクロン]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1943年]])
* [[1888年]] - [[インゲ・レーマン]]、[[地震学|地震学者]](+ [[1993年]])
* [[1893年]] - [[ルシアン・テニエール]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1954年]])
* [[1895年]] - [[戸上信文]]、[[実業家]]、[[日本タングステン]]創業者(+ [[1967年]])
* 1895年 - [[芹沢銈介]]、[[染色]]工芸家(+ [[1984年]])
* 1895年 - [[ハインリヒ45世・ロイス・ツー・シュライツ]]、[[ロイス家]]家長(+ [[1945年]]?)
* [[1896年]] - [[ヨシアス・ツー・ヴァルデック=ピルモント]]、[[ヴァルデック侯国]][[皇太子]]、[[親衛隊 (ナチス)|ナチス親衛隊]]将軍(+ [[1967年]])
* [[1897年]] - [[石黒武重]]、政治家(+ [[1995年]])
* [[1904年]] - [[笠智衆]]、[[俳優]](+ [[1993年]])
* [[1907年]] - [[ダフニ・デュ・モーリエ]]、小説家(+ [[1989年]])
* [[1912年]] - [[ギル・エヴァンス]]、[[ジャズ]]・[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1988年]])
* [[1914年]] - [[ジョー・ルイス]]、[[ボクシング]]選手(+ [[1981年]])
* [[1920年]] - [[石井武夫]]、[[プロ野球選手]]
* [[1921年]] - [[由利徹]]、俳優、[[コメディアン]](+ [[1999年]])
* [[1923年]] - [[レッド・ガーランド]]、[[ジャズ]]ピアニスト(+ [[1984年]])
* [[1925年]] - [[新野幸次郎]]、[[経済学者]](+ [[2020年]])
* [[1927年]] - [[ハーバート・ロス]]、映画監督(+ [[2001年]])
* [[1928年]] - [[西田司]]、政治家(+ [[2014年]])
* 1928年 - [[エンリケ・ボラーニョス]]、政治家
* [[1931年]] - [[高崎一郎]]、司会者(+ [[2013年]])
* [[1932年]] - [[ダニー・ホッジ]]、[[プロレスラー]](+ [[2020年]])
* [[1933年]] - [[マーサ三宅]]、[[ジャズ]][[歌手]]
* [[1934年]] - [[中村メイコ]]、[[俳優|女優]]
* [[1935年]] - [[三木卓]]、詩人、小説(+ [[2023年]])
* 1935年 - [[ヤン・ソーデック]](ソウデック、サウデック)、[[写真家]]
* [[1936年]] - {{仮リンク|ルチアーノ・ベネトン|en|Luciano Benetton}}、経営者
* [[1937年]] - [[ロジャー・ゼラズニイ]]、小説家(+ [[1995年]])
* 1937年 - [[坂野潤治]]、[[歴史家]]、[[政治学者]]
* 1937年 - [[池田行彦]]、政治家(+ [[2004年]])
* 1937年 - [[池田英俊]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]])
* [[1938年]] - [[平井和正]]、[[SF作家]](+ [[2015年]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG18HDL_Y5A110C1CZ8000/ |title=SF作家の平井和正氏が死去 「8マン」「幻魔大戦」 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=18 Jan 2015}}</ref>)
* 1938年 - [[江波譲二]]、[[漫画家]]
* [[1939年]] - [[ハーヴェイ・カイテル]]、俳優
* [[1940年]] - [[円谷幸吉]]、[[マラソン]]選手(+ [[1968年]])
* [[1941年]] - [[塩谷隆英]]、[[官僚]]
* 1941年 - [[リッチー・ヴァレンス]]、[[歌手]](+ [[1959年]])
* [[1943年]] - {{仮リンク|メアリー・ウェルズ|en|Mary Wells}}、歌手(+ [[1992年]])
* [[1944年]] - [[星山博之]]、[[脚本家]](+ [[2007年]])
* [[1945年]] - [[畑嶺明]]、脚本家(+ [[2023年]])
* 1945年 - [[山田パンダ]]、ミュージシャン([[かぐや姫 (フォークグループ)|かぐや姫]])
* 1945年 - [[吉沢秀和]]、元プロ野球選手
* [[1946年]] - [[深代芳史]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[高橋武夫]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者
* [[1949年]] - [[弘田澄男]]、元プロ野球選手
* 1949年 - [[須磨佳津江]]、アナウンサー
* [[1950年]] - [[スティーヴィー・ワンダー]]、ミュージシャン
* 1950年 - [[ボビー・バレンタイン]]<ref>{{Kotobank|ボビー バレンタイン}}</ref>、元メジャーリーガー、プロ野球[[プロ野球監督|監督]]
* 1950年 - [[長崎慶一]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[出羽の花義貴]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]]15代[[出来山 (相撲)|出来山]]
* 1951年 - [[黒瀬川國行]]、元大相撲力士、年寄20代[[桐山部屋|桐山]]
* [[1952年]] - [[銀粉蝶]]、女優
* [[1953年]] - [[鹿田淳史]]、[[彫刻家]](+ [[2003年]])
* 1953年 - [[籔内佐斗司]]、彫刻家
* 1953年 - [[谷五郎]]、タレント、[[ラジオパーソナリティ]]
* [[1954年]] - [[中井直正]]、[[天文学者]]
* 1954年 - [[前田秀樹]]、元サッカー選手、指導者
* 1954年 - [[倉田よしみ]]、漫画家
* [[1957年]] - [[鈴木光司]]、小説家
* 1957年 - [[夏井いつき]]、[[俳人]]
* 1957年 - [[アラン・ボール (脚本家)|アラン・ボール]]、[[脚本家]]、[[映画プロデューサー]]
* 1957年 - [[林鄭月娥]]、政治家、[[香港特別行政区行政長官]]
* [[1958年]] - [[小林まこと]]、漫画家
* [[1959年]] - 深浦昭彦、[[ミュージシャン]]([[S.E.N.S.]])
* [[1961年]] - [[佐渡裕]]、[[指揮者]]
* 1961年 - [[デニス・ロッドマン]]、元[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* [[1963年]] - [[米たにヨシトモ]]、[[アニメ監督]]
* 1963年 - [[荒木真樹彦]]、ミュージシャン
* [[1964年]] - [[久本朋子]]、女優
* 1964年 - [[佐藤佐吉 (映画監督)|佐藤佐吉]]、脚本家、映画監督、俳優
* 1964年 - [[赤坂真理]]、小説家
* 1964年 - [[スティーヴン・コルベア]]、コメディアン、俳優
* [[1965年]] - [[太田光]]、[[お笑いタレント]]([[爆笑問題]])
* 1965年 - [[小林雅之]]、ミュージシャン ([[JUN SKY WALKER(S)]])
* 1965年 - [[溝口美貴]]、テニス指導者、元テニスプレーヤー
* [[1966年]] - [[田辺マモル]]、[[シンガーソングライター]]
* 1966年 - [[大城英司]]、俳優、声優
* [[1967年]] - [[嶋田哲也]]、元プロ野球選手、[[プロ野球審判員|審判員]]
* 1967年 - [[チャック・シュルディナー]]、ミュージシャン([[デス (バンド)|デス]])(+ [[2001年]])
* [[1968年]] - [[山本勝則]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[スコット・モリソン (政治家)|スコット・モリソン]]、政治家、第30代[[オーストラリア]][[オーストラリアの首相|首相]]
* [[1969年]] - [[童子-T]]、[[ヒップホップ]]ミュージシャン
* 1969年 - [[樋口美穂子]]、フィギュアスケートコーチ・振付師、元フィギュアスケート選手
* 1969年 - [[バケットヘッド]]、[[ギタリスト]]
* 1969年 - [[ライル・ムートン]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[三宅康之 (実業家)|三宅康之]]、実業家
* 1970年 - [[石井龍司]]、ラグビー指導者、元ラグビー選手
* [[1971年]] - [[テディ・パパヴラミ]]、[[ヴァイオリニスト]]
* [[1972年]] - 矢間晶也、[[ダンス]]ミュージシャン([[LLブラザーズ]])
* 1972年 - [[小野幸一]]、元プロ野球選手
* [[1973年]] - 漆戸啓、ミュージシャン([[カズン (歌手グループ)|カズン]])
* 1973年 - [[天野真]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1974年]] - [[野口茂樹]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[斉木武志]]、政治家、アナウンサー
* 1974年 - [[崔映弼]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[加藤晴彦]]、俳優
* 1975年 - [[大畑裕勝]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[サマンサ・モートン]]、女優
* 1977年 - [[クリス・オクスプリング]]、元プロ野球選手
* [[1978年]] - [[バリー・ジト]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[マイク・ビビー]]、元バスケットボール選手
* 1978年 - [[間島淳司]]、[[声優]]
* [[1980年]] - [[井上和香]]、[[タレント]]、女優
* 1980年 - [[野波麻帆]]、女優
* 1980年 - [[阿部謙作]]、サッカー指導者、元サッカー選手
* 1980年 - [[坂本和城]]、元ラグビー選手
* [[1981年]] - [[松丸友紀]]、アナウンサー
* 1981年 - [[横山英幸]]、政治家
* 1981年 - [[蝶花楼桃花]]、[[落語家]]
* 1981年 - [[加藤秀典]]、サッカー指導者、元サッカー選手
* 1981年 - [[クリスティアン・ランタ]]、ミュージシャン、実業家
* [[1982年]] - [[熊田曜子]]、タレント、[[グラビアアイドル]]
* 1982年 - [[村田太志]]、声優
* 1982年 - [[田所拓也]]、アナウンサー
* 1982年 - [[柴田潤一郎]]、元サッカー選手
* 1982年 - [[DJケミカル]]、[[ディスクジョッキー|DJ]](元[[FUNKY MONKEY BABYS]])
* 1982年 - [[ドニー・ニエテス]]、プロボクサー
* [[1983年]] - [[星渉]]、著作家、実業家
* 1983年 - [[与那嶺翼]]、元プロバスケットボール選手
* 1983年 - [[ヤヤ・トゥーレ]]、元サッカー選手、指導者
* [[1984年]] - [[より子]]、シンガーソングライター
* 1984年 - [[堀越知恵]]、声優
* 1984年 - [[徳真鵬元久]]、元大相撲力士
* [[1985年]] - [[新倉瞳]]、[[チェリスト]]
* 1985年 - [[和泉大輔]]、俳優
* 1985年 - [[松澤匠]]、俳優
* 1985年 - [[イワン・リオン]]、俳優
* [[1986年]] - [[加藤康弘]]、サッカー指導者、元サッカー選手
* 1986年 - [[山下怜美]]、歌手
* 1986年 - [[ロバート・パティンソン]]、俳優
* 1986年 - [[アリャクサンドル・ルィバーク]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[歌手]]、[[作曲家]]、俳優
* [[1987年]] - [[黒川芽以]]、女優
* 1987年 - [[辻美里]]、女優、モデル
* 1987年 - [[中村優]]、タレント
* 1987年 - 鈴木もぐら、お笑いタレント([[空気階段]])
* 1987年 - [[ローラ・チャン]]、タレント
* 1987年 - [[三浦奈保子]]、タレント、ファッションモデル
* 1987年 - [[D.J.ミッチェル]]、元プロ野球選手
* [[1988年]] - [[匠 (タレント)|匠]]、俳優、タレント
* 1988年 - [[幸坂理加]]、フリーアナウンサー
* [[1989年]] - [[大喜鵬将大]]、元大相撲力士
* [[1990年]] - [[有川知里]]、タレント
* 1990年 - [[山川ひろみ]]、女優、グラビアアイドル
* 1990年 - [[山口純]]、歌手、ファッションモデル([[新選組リアン]])
* 1990年 - [[伊藤聖将]]、声優
* 1990年 - [[清水美穂 (陸上選手)|清水美穂]]、陸上競技選手
* 1990年 - [[エドゥアルド・サルビオ]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[吉田桃華]]、女優
* 1991年 - [[ジョン・ライアン・マーフィー]]、プロ野球選手
* [[1992年]] - [[滝沢カレン]]、ファッションモデル、タレント
* [[1993年]] - [[和地つかさ]]、グラビアアイドル
* 1993年 - [[高橋しょう子]]、元[[AV女優]]
* 1993年 - [[デビー・ライアン]]、女優
* 1993年 - [[ロメル・ルカク]]、サッカー選手
* [[1994年]] - [[田村龍弘]]、プロ野球選手
* [[1995年]] - [[小池祐貴]]、陸上競技選手
* 1995年 - [[丸岡和佳奈]]、声優
* [[1996年]] - [[石賀和輝]]、俳優
* 1996年 - [[神崎愛瑠]]、[[モデル (職業)|モデル]]、女優
* 1996年 - [[齋藤誠哉]]、元プロ野球選手
* 1996年 - [[ジャスティス・シェフィールド]]、プロ野球選手
* 1996年 - [[古谷恵菜]]、プロ野球選手
* 1996年 - [[脇本直人]]、元プロ野球選手
* [[1997年]] - [[スダリオ剛]]、総合格闘家、元大相撲力士
* 1997年 - [[貴源治賢士]]、元大相撲力士
* 1997年 - [[山本涼太]]、[[ノルディック複合]]選手
* [[1998年]] - [[岩田華怜]]、女優(元[[AKB48]])
* 1998年 - [[篠崎輝和]]、サッカー選手
* 1998年 - [[野々村鷹人]]、サッカー選手
* 1998年 - [[高木優奈|髙木優奈]]<ref>{{Cite web |url=https://www.lpga.or.jp/members/info/1004306 |title=髙木 優奈 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[日本女子プロゴルフ協会|JLPGA]]}}</ref>、プロゴルファー
* [[1999年]] - アサヒ、歌手([[Little Glee Monster]])
* [[2001年]] - [[井上温大]]、プロ野球選手
* [[2002年]] - [[弓場将輝]]、サッカー選手
* [[2004年]] - [[AKB48#研究生|山﨑空]]、アイドル([[AKB48]])
* 2004年 - [[南野遥海]]、サッカー選手
* [[2005年]] - [[須田琥珀]]、元子役
* 生年不明 - [[麻生智久]]、声優
* 生年不明 - [[西田裕美]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.aoni.co.jp/search/nishida-hiromi.html |title=西田 裕美 |publisher=[[青二プロダクション|株式会社青二プロダクション]] |accessdate=4 Dec 2023}}</ref>、声優
* 生年不明 - [[桃森すもも]]、声優
* 生年不明 - [[藤﨑美希]]、アナウンサー
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2004年]] - [[ダイワスカーレット]]、[[競走馬]]
* [[2009年]] - [[ジョワドヴィーヴル]]、競走馬(+ [[2013年]])
== 忌日 ==
[[ファイル:Takeda Shingen.jpg|thumb|266x266px|戦国武将、[[武田信玄]] (1521-1573) 没]]
[[ファイル:Chetbakermonument.jpg|thumb|263x263px|[[ジャズ]]・トランペッター、[[チェット・ベイカー]] (1929-1988)、ホテルの窓から転落]]
* [[1573年]]([[天正]]元年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[武田信玄]]、[[武将]](* [[1521年]])
* [[1832年]] - [[ジョルジュ・キュヴィエ]]、[[博物学者]](* [[1769年]])
* [[1878年]] - [[ジョセフ・ヘンリー]]、[[物理学者]](* [[1797年]])
* [[1900年]] - [[ヘルマン・レーヴィ]]、[[指揮者]](* [[1839年]])
* [[1911年]] - [[谷干城]]、[[軍人]]、[[政治家]](* [[1837年]])
* [[1916年]] - [[ショーレム・アレイヘム]]、[[劇作家]]、[[小説家]]、[[ジャーナリスト]](* [[1859年]])
* [[1930年]] - [[フリチョフ・ナンセン]]、[[探検家]]、[[政治家]](* [[1861年]])
* 1930年 - [[田山花袋]]<ref>{{Cite web |url=https://www.city.tatebayashi.gunma.jp/sp006/020/20210108230457.html |title=田山花袋について |access-date=4 Dec 2023 |publisher=館林市教育委員会 |date=23 Jan 2023 |website=田山花袋記念文学館}}</ref>、[[小説家]](* [[1872年]])
* [[1939年]] - [[スタニスワフ・レシニェフスキ]]、[[論理学|論理学者]]、[[数学者]](* [[1886年]])
* [[1941年]] - [[大錦卯一郎]]、[[大相撲]]第26代[[横綱]](* [[1891年]])
* [[1958年]] - [[仁木他喜雄]]、[[作曲家]]、[[編曲家]](* [[1901年]])
* [[1961年]] - [[ゲイリー・クーパー]]、[[俳優]](* 1901年)
* [[1962年]] - [[フランツ・クライン]]、画家 (* [[1910年]])
* [[1970年]] - [[雨宮治郎]]、[[彫刻家]](* [[1889年]])
* [[1975年]] - [[マルグリット・ペレー]]、物理学者(* [[1909年]])
* [[1986年]] - [[小山田宗徳]]、俳優、[[声優]](* [[1927年]])
* [[1988年]] - [[チェット・ベイカー]]、[[ジャズ]]トランペッター(* [[1929年]])
* [[1989年]] - [[西垣徳雄]]、[[プロ野球監督]](* 1910年)
* 1989年 - [[鈴木信太郎 (洋画家)|鈴木信太郎]]、[[洋画家]](* [[1895年]])
* [[1990年]] - [[加東康一]]、[[芸能]][[評論家]](* [[1930年]])
* [[1999年]] - [[日野元彦]]、ドラマー(* [[1946年]])
* [[2000年]] - [[ジャンボ鶴田]]、[[プロレスラー]](* [[1951年]])
* [[2001年]] - [[高橋進 (陸上選手)|高橋進]]、[[マラソン]]コーチ(* [[1920年]])
* 2002年 - [[ジョージ・ゴーディエンコ]]、[[プロレスラー]]、[[画家]](* [[1928年]])
* [[2008年]] - [[塚田茂]]、[[放送作家]](* [[1926年]])
* [[2014年]] - [[古田忠士]]、元[[プロ野球選手]](* [[1946年]])
* [[2016年]] - [[永田文夫]]、[[音楽評論家]]・訳詞家(* [[1927年]])
* 2016年 - [[稲垣昭三]]、俳優(* [[1928年]])
* 2016年 - [[工藤幹夫]]、元プロ野球選手(* [[1960年]])
* [[2020年]] - [[勝武士幹士]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202005140000066.html |title=28歳勝武士さんコロナ死、国内20代で初の事例 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=14 May 2020}}</ref>、[[大相撲]][[力士]](* [[1991年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Cocktail1.jpg|thumb|150px|[[カクテル]]の日]]
* {{仮リンク|ロツマ島の日|en|Rotuma Day}}({{FJI}})
*: [[1881年]]のこの日、[[ロツマ島]]が[[イギリス]]の植民地になったことを記念。
* カクテルの日
*: [[カクテル]]という名称が生まれた日([[アメリカ合衆国|アメリカ]]の雑誌『バランス』1806年5月13日号にて)。
* [[メイストームデー]](5月の嵐の日)({{JPN}})
*: [[バレンタインデー]]から88日目、「[[八十八夜]]の別れ霜」という言葉にちなみ、別れ話を切り出すのに最適とされる日<ref>『記念日・祝日の事典』(加藤迪男著、東京堂出版)、『366日記念日事典』(日本記念日協会編、創元社)</ref>。
* トップガンの日({{JPN}})
*: [[トム・クルーズ]]主演の映画『[[トップガン (映画)|トップガン]]』にちなんだ日<ref>{{Cite web|和書 |url=https://eiga.com/news/20200513/2/ |title=「トップガン マーヴェリック」日本公開は12月25日に! “トップガンの日”が正式認定 |accessdate=4 Dec 2023 |publisher=eiga.com inc. |website=映画.com}}</ref>。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0513|date=Dec 2023}}
* [[2000年]] - 180便墜落事故(映画『[[ファイナル・デスティネーション]]』)
* 年不明 - 「戯言遣い」いーちゃんと「人間失格」零崎人識が出会う。(小説『[[戯言シリーズ]]』クビシメロマンチスト)
=== 誕生日 (フィクション) ===
* [[1918年]] - シーザー・アントニオ・ツェペリ、漫画・アニメ『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』第2部『[[戦闘潮流]]』の登場人物<ref>{{Cite web|和書 |url=https://futaman.futabanet.jp/articles/-/81084?page=1 |title=【今日が誕生日】滝沢カレン&ジョジョ・シーザーの花言葉は「若き日の苦悩」「愛を信じる」 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[双葉社]] |work=ふたまん+ |date=13 May 2020}}</ref>(+ [[1938年]])
* [[1998年]] - 月夜見坂燎、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=5|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=83|isbn=978-4-7973-9009-4}}</ref>
* [[2035年]] - ギルダ、漫画・アニメ『[[約束のネバーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=白井カイウ|authorlink1=白井カイウ|author2=出水ぽすか|authorlink2=出水ぽすか|year=2020 |title=シークレットバイブル 約束のネバーランド 0 MYSTIC CODE |publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|page=50|isbn=978-4-08-882462-8}}</ref>
* 生年不明 - レナ・ランフォード、ゲーム『[[スターオーシャン セカンドストーリー]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=41|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref>
* 生年不明 - レイリー、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Silvers_Rayleigh.html |title=シルバーズ・レイリー |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - コビー、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=尾田栄一郎|title=ONE PIECE 47|publisher=集英社|date=2007.9|page=66|isbn=978-4-08-874411-7}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Coby.html |title=コビー |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - テスラ・リンドクルツ、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.j-bleach.com/chara/03/tesra.html |title=テスラ・リンドクルツ |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=『BLEACH』}}</ref>
* 生年不明 - 物間寧人、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group02/02-03/ |title=物間寧人 |work=『僕のヒーローアカデミア』 |accessdate=4 Dec 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - 真堂揺、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group10/10-01 |title=真堂揺 |work=『僕のヒーローアカデミア』 |accessdate=4 Dec 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - [[BASARAの登場人物#あさぎ|浅葱(あさぎ)]]、漫画・アニメ・舞台『[[BASARA]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 小人村ちの、漫画『[[妖狐×僕SS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|year=2012|title=妖狐×僕SS オフィシャルガイド 0|page=95|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|series=[[月刊ガンガンJOKER#ガンガンコミックスJOKER|ガンガンコミックスJOKER]]|isbn=978-4-7575-3500-8}}</ref>
* 生年不明 - 中村千鶴、メディアミックス『[[告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://honeyworks.jp/special/#character |title=Character 中村 千鶴 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[HoneyWorks]] |work=『告白実行委員会 ~恋愛シリーズ~』}}</ref>
* 生年不明 - イヴェット・L・レーマン、小説・漫画・アニメ『[[ロード・エルメロイII世の事件簿]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite |和書 |author = 三田誠 / 坂本みねぢ |title = ロード・エルメロイII世の事件簿 material |pages = 73 |date = 2020 |publisher = TYPE-MOON}}</ref>
* 生年不明 - ロビン、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m05.html |title=住民名簿 5月 ロビン |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref>
* 生年不明 - 一ノ瀬ことみ、ゲーム『[[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|visualantena|1657037936167206914}}</ref><ref>『CLANNAD FULL VOICE』ユーザーズマニュアル[[Key (ゲームブランド)|Key]]、2008年、11頁。</ref>
* 生年不明 - 森久保由那、ゲーム『[[Berry's]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cuffs.co.jp/products/berrys/char/yuna/ |title=森久保由那 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=Sphere |work=『Berry's』}}</ref>
* 生年不明 - アルデバラン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=12&cate=name&cont=Aldebaran |title=アルデバラン |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[ジークレスト| GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 香澄夜空、ゲーム・アニメ『[[アイカツスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.aikatsu.net/aikatsustars_01/character/06.html |title=香澄 夜空 |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]] |work=『アイカツスターズ!』}}</ref><ref>{{Cite book|和書|editor=バンダイナムコピクチャーズ|title=アイカツスターズ!アイドル名かん(テレビ超ひゃっか ぷっちぐみ|publisher=小学館|year=2016|pages=28-29|ISBN=978-4-09-750418-4}}</ref>
* 生年不明 - ダイワスカーレット、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=daiwascarlet |title=ダイワスカーレット |access-date=4 Dec 2023 |publisher=[[Cygames|Cygames, Inc.]] |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - [[From_ARGONAVIS#淀川麟太郎|淀川麟太郎]]、メディアミックスプロジェクト『[[from ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=淀川麟太郎 |url=https://kimisute-argo.bushiroadgames.com/character/stray-stride/yodogawa/ |access-date=4 Dec 2023 |publisher=ARGONAVIS project. [[ブシロード|bushiroad]] [[アンビション|Ambition co.,Ltd.]] |work=『アルゴナビス -キミが見たステージへ-』}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 13|13 May}}
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'''5月14日'''(ごがつじゅうよっか、ごがつじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から134日目([[閏年]]では135日目)にあたり、年末まではあと231日ある。
== できごと ==
<!-- 記事に日付のないもの:ラグビー, 唱歌 (教科), 大鵬幸喜, フィリピン -->
<!-- 英語版にのみあるもの:ヘンリー3世 (イングランド王), ジェームズタウン (バージニア州), 牛痘,ワルシャワ条約機構 -->
[[Image:Jamestown-Virginia-settlement-ships-NOAA.jpg|thumb|180px|イギリス初の新大陸恒久植民地、[[ジェームズタウン (バージニア州)|ジェームズタウン]]建設(1607)。画像は[[クリストファー・ニューポート]]の帆船の複製]]
<!-- [[Image:Lewis_and_clark-expedition.jpg|thumb|200px|[[ルイス・クラーク探検隊]]出発(1804)。画像は[[チャールズ・マリオン・ラッセル|C・M・ラッセル]]画(1905)]] -->
[[Image:2006_Pro_Bowl_tackle.jpg|thumb|upright|世界初の[[アメリカンフットボール]]の試合が行われる(1874)]]
<!-- [[Image:1900_Olympic_Games_Official_Postcard_Paris.jpg|thumb|upright|[[パリオリンピック (1900年)|]]開幕(1900)]] -->
[[Image:Japan-British-Exhibition-1910-Guidebook.png|thumb|upright|[[日英博覧会]]開催(1910)]]
<!-- [[Image:Nagoya_after_the_1945_air_raid.JPG|thumb|360px|[[名古屋大空襲]](1945)]] -->
[[Image:Burning_Nagoya_Castle.JPG|thumb|upright|[[名古屋大空襲]](1945)、[[名古屋城]]が焼失]]
<!-- [[Image:Bundesarchiv_Bild_183-30483-002%2C_Warschau%2C_Konferenz_Europ%C3%A4ischer_L%C3%A4nder....jpg|thumb|250px|[[ワルシャワ条約機構|ワルシャワ条約]]調印(1955)。画像は11日の会議]] -->
<!-- [[File:Operation Wigwam test.ogg|thumb|240px|アメリカ合衆国による[[核実験]]、[[ウィグワム作戦]](1955)]] -->
<!-- [[Image:Skylab_launch_on_Saturn_V.jpg|thumb|180px|アメリカ合衆国の[[宇宙ステーション]]、[[スカイラブ計画|スカイラブ1号]]発射(1973)]] -->
* [[996年]]([[長徳]]2年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[藤原道長]]と関白の座を争った[[藤原伊周]]が、大宰権帥に左遷される。
* [[1019年]]([[寛仁]]3年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[刀伊の入寇]]。
* [[1264年]] - [[第2次バロン戦争]]: {{仮リンク|ルースの戦い|en|Battle of Lewes}}。イングランド王[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]が[[シモン・ド・モンフォール]]に捕らえられる。
<!-- [[:en:May_14]]にこのように書かれているが、 [[:en:Charles VIII of France]]と相違 * [[1483年]] - フランス王[[シャルル8世 (フランス王)|シャルル8世]]が戴冠{{要検証|date=2010年5月|title=仏英版ともに1484/5/30戴冠(sacre)としています}}。 -->
* [[1607年]] - 北アメリカにおけるイギリスの初めての恒久植民地・[[ジェームズタウン (バージニア州)|ジェームズタウン]]を建設。
* [[1610年]] - フランス国王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]が{{仮リンク|アンリ4世暗殺事件|label=暗殺|fr|Assassinat d'Henri IV}}される。
* [[1643年]] - [[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]が4歳でフランス王に即位。
* [[1747年]] - [[オーストリア継承戦争]]: [[第一次フィニステレ岬の海戦]]
* [[1796年]] - [[エドワード・ジェンナー]]が8歳の少年に対し初めて[[牛痘]]の膿([[種痘]])を使用。
* [[1801年]] - [[オスマン帝国]]・[[トリポリ]]の[[パシャ]]が在トリポリ[[アメリカ合衆国]][[領事館]]の[[星条旗]]を切り落とす事件が発生。[[第一次バーバリ戦争]]の引き金となる。
* [[1804年]] - [[太平洋]]に到達する陸路の探索のための[[ルイス・クラーク探検隊]]がキャンプ・デュボアを出発する。
* [[1811年]] - [[パラグアイ]]が[[スペイン]]から独立。
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[戊辰戦争]]: [[宇都宮城の戦い]]。
* [[1870年]] - [[ニュージーランド]]における初の[[ラグビーフットボール]]の試合が行われる。
* [[1874年]] - [[ハーバード大学]]で、世界で初めて[[アメリカンフットボール]]の試合が行われる。
* [[1878年]] - 内務卿[[大久保利通]]が暗殺される。([[紀尾井坂の変]])
* [[1888年]] - [[唱歌 (教科)|明治唱歌]]第1輯が発表される。
* [[1889年]] - [[大阪鉄道 (初代)|大阪鉄道]]の最初の開業区間・湊町(現 [[JR難波駅|JR難波]]) - [[柏原駅 (大阪府)|柏原]](現在の[[関西本線]])が開業。
* [[1900年]] - 第2回[[夏季オリンピック]]、[[パリオリンピック (1900年)|パリ大会]]開催。[[10月28日]]まで。
* [[1910年]] - ロンドンで[[日英博覧会]]開催。[[10月29日]]まで。
* [[1913年]] - [[ロックフェラー財団]]の設立が認可される。
* [[1925年]] - [[ヴァージニア・ウルフ]]の小説『[[ダロウェイ夫人]]』が発刊。
* [[1927年]] - ドイツの[[クルーズ客船]][[カップ・アルコナ (客船)|「カップ・アルコナ」]]が進水。
* [[1928年]] - [[台中不敬事件]]おこる。
* [[1930年]] - [[カールズバッド洞窟群国立公園]]が発足。<!-- 特筆性? -->
* [[1932年]] - [[チャールズ・チャップリン]]が初の来日。
* [[1935年]] - [[フィリピン]]が独立協定を批准。
* 1935年 - シンシナティーで[[メジャーリーグベースボール]]初の[[ナイター]]を開催。
* [[1939年]] - [[リナ・メディナ]]が、世界最年少の5歳7か月21日で子供を出産<ref group="注釈">かつてはギネスブックにも載っていたが、現在は倫理的な問題で項目自体がない。</ref>。
* [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]・[[オランダにおける戦い (1940年)|オランダにおける戦い]]: [[ナチス・ドイツ]]軍が[[ロッテルダム]]を爆撃し、[[オランダ]]が降伏。
* 1940年 - [[イギリス]]で地域防衛義勇隊(後の[[ホーム・ガード]])が発足する。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[名古屋大空襲|名古屋空襲]]で[[名古屋城]]が焼失。
* [[1948年]] - [[イスラエル]]が[[イスラエル独立宣言|建国を宣言]]。同日、[[アラブ連盟]]5カ国がイスラエルへの戦争を宣言し、[[第一次中東戦争]]が始まる。
* [[1955年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]を含む8カ国の共産圏諸国が相互軍事援助を目的とした[[ワルシャワ条約機構|ワルシャワ条約]]に調印。
* 1955年 - [[アメリカ合衆国]]が[[サンディエゴ]]沖で[[核実験]]。([[ウィグワム作戦]])
* [[1963年]] - [[クウェート]]が[[国際連合|国連]]に加盟。
* [[1971年]] - 第48代横綱[[大鵬幸喜|大鵬]]が引退。初の[[一代年寄]]に。
* [[1972年]] - [[火炎びんの使用等の処罰に関する法律|火炎瓶処罰法]]公布・施行。
* [[1973年]] - アメリカ合衆国初の[[宇宙ステーション]]「[[スカイラブ計画|スカイラブ]]」が打ち上げられる。
* [[1991年]] - [[信楽高原鐵道列車衝突事故]]が起こる。
* 1991年 - 第58代横綱[[千代の富士貢|千代の富士]]が引退。
* [[1997年]] - [[エア・カナダ]]、[[ルフトハンザドイツ航空|ルフトハンザ航空]]、[[スカンジナビア航空]]、[[タイ国際航空]]、[[ユナイテッド航空]]により[[スターアライアンス]]が設立される。
* 1997年 - [[アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律|アイヌ新法]]が公布。
<!-- 忌日節のみで * [[1998年]] - [[フランク・シナトラ]]が、[[心臓発作]]により死去。 -->
* [[1999年]] - 自動車の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]](自動車登録番号標のみ)の分類番号3桁化が全国で行われ、[[レンタカー]]と駐留軍車の希望番号制度を実施。
* [[2004年]] - [[盧武鉉韓国大統領弾劾訴追]]: [[大韓民国|韓国]]の[[憲法裁判所]]が弾劾訴追を棄却、[[盧武鉉]]大統領が職務に復帰。
* 2004年 - 超党派野党、衆参両議院に選択的[[夫婦別姓]]制度導入を求める民法改正案を提出。
* [[2006年]] - [[交通博物館]]が閉館。
* [[2007年]] - 日本で、[[日本国憲法]]改正の手続きを定める「[[日本国憲法の改正手続に関する法律|国民投票法]]」が成立。
* [[2010年]] - [[スペースシャトル]]「[[スペースシャトル・アトランティス|アトランティス]]」が最後の打上げ<ref>{{Cite web|和書|date=2010年5月15日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2726491 |title=スペースシャトル「アトランティス」、最後の打ち上げに成功 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-02-18}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[ファイル:Mr_and_Mrs_Andrews_1748-49.jpg|thumb|220px|画家[[トマス・ゲインズバラ]](1727-1788)誕生。画像は『アンドリューズ夫妻』(1748-49)]]
[[ファイル:Portrait_of_Robert_Owen.png|thumb|upright|環境決定論を唱えた社会改革家、[[ロバート・オウエン]](1771-1858)誕生。{{Squote|次世代を[[教育]]・養成することは常に[[社会]]の第1の目標であり、他の全ては二の次である。――『社会システム』(1826)}}]] <!-- Man is the creature of circumstances. 「人間は環境の所産である」『博愛主義者』 -->
<!-- [[Image:Murayama_Ryuhei.jpg|thumb|upright|[[朝日新聞]]の共同創業者、[[村山龍平]](1850-1933)]] -->
[[Image:Foxes (Bruno Liljefors) - Gothenburg Museum of Art - GKM 0764.tif|thumb|180px|画家[[ブルーノ・リリエフォッシュ]](1860-1939)。画像は『狐』(1885)]]
[[ファイル:John_charles_fields.jpg|thumb|100px|[[フィールズ賞]]を提唱した数学者[[ジョン・チャールズ・フィールズ]](1863-1932)]]
<!-- [[Image:WHK1901.jpg|thumb|upright|[[同性愛]]を擁護した[[性科学]]者、[[マグヌス・ヒルシュフェルト]](右から2番目; 1868-1935)]] -->
[[ファイル:Ed_Walsh_portrait_1911.jpg|thumb|100px|[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]投手、[[エド・ウォルシュ]](1881-1959)。通算防御率1.82は歴代1位]]
<!-- [[Image:Mokichi.jpg|thumb|upright|歌人、[[斎藤茂吉]](1882-1953)。{{Squote|のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり}}]] もう少しいい画像があれば… -->
[[ファイル:Otto_Klemperer.jpg|thumb|100px|指揮者[[オットー・クレンペラー]](1885-1973)]]
[[ファイル:Tokyo_bunka_kaikan01_1920.jpg|thumb|200px|[[モダニズム建築|モダニズム]]の建築家、[[前川國男]](1905-1986)。画像は[[東京文化会館]]]]
[[ファイル:George Walton Lucas.jpg|代替文=|サムネイル|151x151ピクセル|[[映画監督]]、[[ジョージ・ルーカス]](1944-)]]
[[ファイル:Mark Zuckerberg F8 2019 Keynote (32830578717) (cropped).jpg|代替文=|サムネイル|139x139ピクセル|[[Facebook]]の[[最高経営責任者|CEO]]、[[マーク・ザッカーバーグ]](1984-)]]
* [[1316年]] - [[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1378年]])
* [[1645年]] - [[フランソワ・ド・カリエール]]、[[外交官]](+ [[1717年]])
* [[1657年]] - [[サンバージー|サンバージー・ボーンスレー]]、第2代マラーター王(+[[1689年]])
* [[1664年]]([[寛文]]4年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[鍋島吉茂]]、第4代[[佐賀藩|佐賀藩主]](+ [[1730年]])
* [[1679年]] - [[ペーダー・ニールセン・ホレボー]]、[[天文学者]](+ [[1764年]])
* [[1710年]] - [[アドルフ・フレドリク (スウェーデン王)|アドルフ・フレドリク]]、[[スウェーデン王]](+ [[1771年]])
* [[1727年]] - [[トマス・ゲインズバラ]]、[[画家]](+ [[1788年]])
* [[1754年]]([[寛文]]4年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[京極高中]]、第5代[[丸亀藩|丸亀藩主]](+ [[1811年]])
* [[1761年]]([[宝暦]]11年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[鷹司政煕]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](+ [[1841年]])
* [[1771年]] - [[ロバート・オウエン]]、社会改革家(+ [[1858年]])
* [[1791年]]([[寛政]]3年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[藤堂高秭]]、第14代[[津藩#久居藩|久居藩主]](+ [[1851年]])
* [[1804年]]([[文化 (元号)|文化]]元年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[木下利愛]]、第11代[[足守藩|足守藩主]](+ [[1859年]])
* [[1831年]]([[天保]]2年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[松平頼徳]]、第9代[[常陸宍戸藩|常陸宍戸藩主]](+ [[1864年]])
* [[1833年]] - [[ジェイムズ・ドナルド・キャメロン]]、第32代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1918年]])
* [[1835年]](天保6年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[安場保和]]、第6代[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁長官]]、[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](+ [[1899年]])
* [[1850年]]([[嘉永]]3年4月3日) - [[村山龍平]]、[[朝日新聞]]共同創業者、[[衆議院議員]]、[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](+ [[1933年]])
* [[1860年]] - [[ブルーノ・リリエフォッシュ]]、[[画家]](+ [[1939年]])
* [[1863年]] - [[ジョン・チャールズ・フィールズ]]、[[数学者]](+ [[1932年]])
* [[1867年]] - [[クルト・アイスナー]]、政治家、[[バイエルン州]]首相(+ [[1919年]])
* [[1868年]] - [[マグヌス・ヒルシュフェルト]]、[[医師]]、[[性科学|性科学者]](+ [[1935年]])
* [[1869年]] - [[ウィリアム・ヘイル・トンプソン]]、政治家、[[シカゴ]]市長(+ [[1944年]])
* [[1881年]] - [[エド・ウォルシュ]]、元プロ野球選手(+ [[1959年]])
* [[1882年]] - [[斎藤茂吉]]、[[歌人]](+ [[1953年]])
* [[1884年]] - [[宗不旱]]、歌人(+ [[1942年]])
* [[1885年]] - [[オットー・クレンペラー]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](+ [[1973年]])
* [[1889年]] - [[西尾実]]、[[国語学者]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1979年]])
* [[1892年]] - [[アルトゥール・ルリエー]]、作曲家(+ [[1966年]])
* [[1899年]] - [[シャーロット・アワーバック]]、[[遺伝学|遺伝学者]](+ [[1994年]])
* 1899年 - [[ピエール・オージェ]]、[[物理学者]](+ [[1993年]])
* 1899年 - [[アール・コームス]]、元プロ野球選手(+ [[1976年]])
* [[1901年]] - [[河野謙三]]、第11・12代[[参議院議長]](+ [[1983年]])
* [[1905年]] - [[前川國男]]、[[建築家]](+ [[1986年]])
* 1905年 - [[井上八千代#四世家元 四代目井上八千代|井上八千代(4代目)]]、[[日本舞踊|日本舞踊家]](+ [[2004年]])
* [[1907年]] - [[高志航]]、[[エース・パイロット]](+ [[1937年]])
* 1907年 - [[伊藤勝三]]<ref>[https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19070001/ 伊藤勝三 週刊ベースボールONLINE]</ref>、元[[プロ野球選手]](+ [[1982年]])
* [[1908年]] - [[ニコラス・クルティ]]、[[物理学者]](+ [[1998年]])
* [[1910年]] - [[木全竹雄]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1916年]] - [[竹本津太夫#竹本綱太夫系五代目(自称:四代目)|竹本津太夫(4代目)]]、[[浄瑠璃]][[太夫]](+ [[1987年]])
* [[1917年]] - [[ルー・ハリソン]]、作曲家(+ [[2003年]])
* [[1918年]] - [[伊藤国雄]]、元プロ野球選手
* [[1922年]] - [[フラニョ・トゥジマン]]、政治家、初代[[クロアチアの大統領|クロアチア大統領]](+ [[1999年]])
* [[1924年]] - [[ジョリー・ブラガ=サントス]]、作曲家(+ [[1988年]])
* [[1925年]] - [[ボリス・パルサダニアン]]、作曲家(+ [[1997年]])
* [[1929年]] - [[坂東三津五郎 (9代目)]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎役者]](+ [[1999年]])
* [[1930年]] - [[浦山桐郎]]、[[映画監督]](+ [[1985年]])
* [[1932年]] - [[森本雅樹]]、[[天文学者]](+ [[2010年]])
* 1932年 - [[佐原健二]]、[[俳優]]
* 1932年 - [[小野拓]]、元プロ野球選手
* [[1933年]] - [[山崎満]]、俳優
* [[1934年]] - [[森田一]]、[[政治家]]
* [[1939年]] - [[池沢義行]]、元プロ野球選手
* [[1942年]] - [[伊藤勲 (野球)|伊藤勲]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]])
* 1942年 - [[トニー・ペレス]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[オラフル・ラグナル・グリムソン]]、政治家、第5代[[アイスランドの大統領|アイスランド大統領]]
* 1943年 - [[大庭清]]、元プロ野球選手
* [[1944年]] - [[桑原征平]]、元アナウンサー
* 1944年 - [[ジョージ・ルーカス]]、[[映画監督]]
* 1944年 - [[石田逸男]]、元プロ野球選手
* 1944年 - [[ヨーハーナーン・ウォーラック]]、サッカー選手、実業家
* [[1945年]] - [[ウラジスラフ・アルジンバ]]、政治家、初代[[アブハジアの大統領一覧|アブハジア大統領]](+ 2010年)
* [[1946年]] - [[クラウディア・ゴールディン]]、経済学者
* [[1949年]] - [[吉岡邦広]]、元プロ野球選手
* 1949年 - [[金井元三]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[渋谷通 (野球)|渋谷通]]、元プロ野球選手
* 1951年 - [[根本学]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[ロバート・ゼメキス]]、[[映画監督]]
* 1952年 - [[デヴィッド・バーン]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[トーキング・ヘッズ]])
* 1952年 - [[大島令子]]、政治家
* [[1953年]] - [[小森陽一 (国文学者)|小森陽一]]、日本文学者、[[東京大学]]教授
* 1953年 - [[ノロドム・シハモニ]]、[[カンボジア君主一覧|カンボジア国王]]
* 1953年 - [[後藤寿彦]]、アマチュア野球指導者
* [[1954年]] - [[大間ジロー]]、[[ドラマー]]、[[音楽プロデューサー]](元[[オフコース]])
* [[1955年]] - [[くらもちふさこ]]、[[漫画家]]
* 1955年 - [[ビッグバン・ベイダー]]、[[プロレスラー]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/201806210000029.html|title=プロレスラーのビッグバン・ベイダーさん死去|publisher=日刊スポーツ|date=2018-06-21|accessdate=2020-11-14}}</ref>)
* 1955年 - [[斉木弘吉]]、[[写真家]]
* 1955年 - [[デニス・マルティネス]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[古屋範子]]、政治家
* [[1957年]] - [[古尾谷雅人]]、俳優(+ [[2003年]])
* 1957年 - [[佐戸井けん太]]、俳優
* 1957年 - [[磯辺万沙子]]、女優、[[声優]]
* [[1958年]] - [[陳淑樺]]、歌手
* [[1959年]] - [[伊藤寿文]]、元プロ野球選手
* [[1960年]] - [[和興]]、俳優
* [[1961年]] - [[ティム・ロス]]、俳優、映画監督
* [[1961年]] - [[平林都]]、マナー講師
* [[1962年]] - [[ダニー・ヒューストン]]、俳優
* 1962年 - [[フェラン・アドリア]]、[[料理人]]
* [[1964年]] - [[宅麻仁]]、[[タレント]]
* 1964年 - [[ネストル・ゴロシート]]、元[[サッカー]]選手、指導者
* 1964年 - [[エド・はるみ]]、お笑いタレント
* [[1965年]] - [[亀井亜紀子 (政治家)|亀井亜紀子]]、政治家
* [[1969年]] - [[ケイト・ブランシェット]]、女優
* 1969年 - [[後藤孝志]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[上山道郎]]、[[漫画家]]
* 1970年 - [[立石尚行]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[下川健一]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* 1970年 - [[折茂武彦]]、元[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* [[1971年]] - [[ソフィア・コッポラ]]、映画監督、女優
* 1971年 - [[柏田貴史]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[オゼアス・レイス・ドス・サントス]]、サッカー選手
* 1971年 - [[山本香苗]]、政治家
* [[1972年]] - [[日村勇紀]]、お笑いタレント([[バナナマン]])
* 1972年 - [[中居殉也]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[岩波理恵]]、タレント
* [[1974年]] - [[内薗直樹]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[小木逸平]]、アナウンサー
* [[1976年]] - [[秋谷智子]]、[[声優]]
* 1976年 - [[豊田綾乃]]、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー
* 1976年 - [[CUEZERO]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]([[BY PHAR THE DOPEST]]、[[くレーベル]])
* 1976年 - [[ブライアン・ローレンス]]、プロ野球選手
* [[1977年]] - [[小沢亜貴子]]、歌手
* 1977年 - [[ロイ・ハラデイ]]、プロ野球選手
* 1977年 - [[井門宗之]]、[[ラジオパーソナリティ]]
* [[1978年]] - [[中村千絵]]、声優
* [[1979年]] - [[ミカエル・ランドロー]]、元サッカー選手
* 1979年 - [[安達健太郎]]、お笑いタレント(元[[カナリア (お笑いコンビ)|カナリア]])
* [[1980年]] - [[市川大祐]]、元サッカー選手
* 1980年 - [[ズデニェク・グリゲラ]]、元サッカー選手
* 1980年 - [[佐井仁美]]、元[[タレント]]
* 1980年 - [[橋本みゆき]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1981年]] - [[野久保直樹]]、俳優、タレント
* 1981年 - [[シェベシュチェーン・ユーリア]]、元[[フィギュアスケート]]選手
* [[1982年]] - [[吉野紗香]]、女優、タレント
* 1982年 - [[柴田亜衣]]、元[[競泳]]選手
* 1982年 - [[安田芽衣子]]、元タレント
* 1982年 - 鈴木啓太、お笑い芸人([[上々軍団]])
* [[1983年]] - [[アンバー・タンブリン]]、女優
* [[1983年]] - [[杉浦友紀]]、アナウンサー
* [[1984年]] - [[石井智也]]、俳優
* 1984年 - [[高橋良輔 (俳優)|高橋良輔]]、俳優
* 1984年 - [[ナイジェル・レオ=コーカー]]、サッカー選手
* 1984年 - [[マーク・ザッカーバーグ]]、実業家、[[Facebook]]設立者
* 1984年 - [[オリー・マーズ]]、ミュージシャン
* 1984年 - [[ミヒャエル・レンジング]]、サッカー選手
* 1984年 - [[大井健太郎]]、サッカー選手
* 1984年 - [[ルーク・グレガーソン]]、プロ野球選手
* [[1985年]] - [[杉本文乃]]、元タレント
* 1985年 - [[高橋義希]]、元サッカー選手
* 1985年 - [[坂本和也 (画家)|坂本和也]]、画家
* [[1986年]] - [[岳野竜也]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[新原千恵]]、元野球選手
* 1986年 - 嶋佐和也、お笑い芸人([[ニューヨーク (お笑いコンビ)|ニューヨーク]])
* [[1987年]] - [[飯田達郎]]、ミュージカル俳優
* [[1988年]] - [[黒田エイミ]]、ファッションモデル
* [[1989年]] - [[斉藤彰吾]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[ロブ・グロンコウスキー]]、アメリカンフットボール選手
* [[1990年]] - [[エミリー・サミュエルソン]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1990年 - [[サーシャ・スピルバーグ]]、女優
* [[1992年]] - [[マギー (モデル)|マギー]]、[[ファッションモデル]]、[[タレント]]
* [[1993年]] - [[ミランダ・コスグローヴ]]、女優
* [[1994年]] - [[パーニル・ブルメ]]、競泳選手
* 1994年 - [[福永春吾]]、元プロ野球選手
* 1994年 - [[則本佳樹]]、元プロ野球選手
* [[1995年]] - [[梅村晴貴]]、元サッカー選手
* [[1996年]] - [[岡井明日菜]]、元アイドル(元[[ハロプロ研修生|ハロプロエッグ]])
* 1996年 - [[星名美津紀]]、グラビアアイドル
* 1996年 - [[マーティン・ギャリックス]]、DJ
* 1996年 - [[早乙女友貴]]、俳優
* 1996年 - [[内藤秀一郎]]、俳優、モデル、タレント
* [[1997年]] - [[高橋奎二]]、プロ野球選手
* [[1998年]] - [[海津雪乃]]、グラビアアイドル、タレント
* [[1999年]] - [[白坂奈々]]、元女優
* [[2000年]] - [[石川真佑]]、[[バレーボール]]選手
* [[2002年]] - [[白本彩奈]]、女優、モデル
* 2002年 - [[マーガリタ・アームストロング=ジョーンズ]]、イギリスの王族
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1985年]] - [[バンブーメモリー]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](+ [[2014年]])
* [[2008年]] - [[オルフェーヴル]]、競走馬、[[三冠 (競馬)|三冠馬]]
== 忌日 ==
<!-- [[Image:GiovanniXII.jpg|thumb|100px|[[ヨハネス12世 (ローマ教皇)|]](937-964)没。教皇の権威を失墜させた教皇であった]] -->
[[ファイル:Tyoufukuj3.jpg|thumb|100px|[[本願寺]]の中興の祖、[[蓮如]](1415-1499)没]]
<!-- [[Image:Yoshida_Kenko.jpg|thumb|100px|遁世者、[[吉田兼好]](1283頃-1352以降)没。{{Squote|化野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからむ。世は定めなきこそいみじけれ。――『[[徒然草]]』七段}}]] 日付が要確認-->
[[ファイル:Assassination of Henry IV by Gaspar Bouttats.jpg|thumb|upright|フランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]](1553-1610)暗殺される]]
[[ファイル:Louis_Dreizehn_France.jpg|thumb|100px|フランス王[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]](1601-1643)没]]
[[ファイル:Okubo-Toshimichi_Kioi-no-hen.JPG|thumb|100px|[[明治維新]]の[[元勲]]、[[大久保利通]](1830-1878)暗殺]]
[[ファイル:August_Strindberg.jpg|thumb|100px|作家[[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ]](1849-1912)]]
[[ファイル:Bill_Clinton_and_Keizo_Obuchi.jpg|thumb|100px|日本国第84代内閣総理大臣[[小渕恵三]](1937-2000)、在任中に急死]]
* [[964年]] - [[ヨハネス12世 (ローマ教皇)|ヨハネス12世]]、第130代[[ローマ教皇]](* [[937年]])
<!-- * [[1350年]]([[観応]]元年/[[正平 (日本)|正平]]5年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[吉田兼好]]、[[随筆家]]、[[歌人]](* [[1283年]])-- [[吉田兼好]]によれば、ほぼ否定されている説だそうです -->
* [[1499年]]([[明応]]8年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[蓮如]]、[[僧]]、[[本願寺]]第8世法主(* [[1415年]])
* [[1589年]]([[天正]]17年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[真壁久幹]]、[[常陸国]]の[[国人]]領主(* [[1522年]])
* [[1608年]] - [[シャルル3世 (ロレーヌ公)|シャルル3世]]、[[ロレーヌ公]](* [[1543年]])
* [[1610年]] - [[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]、[[フランス王国|フランス]]王(* [[1553年]])
* [[1643年]] - [[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]、フランス王(* [[1601年]])
* [[1715年]]([[正徳 (日本)|正徳]]5年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[本多忠晴]]、[[江戸幕府]][[寺社奉行]]、[[奏者番]]、[[相良藩|相良藩主]](* [[1641年]])
* [[1791年]] - [[フランチェスカ・ルブラン]]、[[作曲家]](* [[1756年]])
* [[1847年]] - [[ファニー・メンデルスゾーン]]、[[ピアニスト]]、作曲家(* [[1805年]])
* [[1863年]] - [[フェルディナント・バイエル]]、[[ピアノ]]教則本作者、ピアニスト(* [[1803年]])
* [[1878年]] - [[大久保利通]]<ref>遠矢浩規『利通暗殺 紀尾井町事件の基礎的研究』(行人社、1986年)</ref>、[[政治家]]、[[明治維新]]の[[元勲]](* [[1830年]])
* [[1881年]] - [[マリア・マザレロ]]、[[カトリック教会]]の[[聖人]]、[[サレジアン・シスターズ]]創設者(* [[1837年]])
* [[1893年]] - [[エルンスト・クンマー]]、[[数学者]](* [[1810年]])
* [[1904年]] - [[フョードル・ブレディキン]]、[[天文学者]](* [[1831年]])
* [[1906年]] - [[カール・シュルツ]]、[[1848年革命]]の活動家、[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1829年]])
* [[1912年]] - [[フレゼリク8世 (デンマーク王)|フレゼリク8世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](* [[1843年]])
* 1912年 - [[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ]]、[[劇作家]](* [[1849年]])
* [[1915年]] - [[ウィルヘルム・ローゼ]]、天文学者(* [[1845年]])
* [[1923年]] - [[シャルル・ド・フレシネ]]、[[フランスの首相|フランス首相]](* [[1828年]])
* [[1925年]] - [[ヘンリー・ライダー・ハガード]]、[[小説家]](* [[1856年]])
* [[1931年]] - [[デーヴィッド・ベラスコ]]、劇作家(* [[1853年]])
* 1931年 - [[三遊亭圓子]]、[[落語家]](* [[1855年]])
* 1931年 - [[ヴィクトル・ダイク]]、[[詩人]]、[[作家]]、[[政治家]](* [[1877年]])
* [[1940年]] - [[エマ・ゴールドマン]]、[[アナキズム|アナキスト]]、[[フェミニスト]](* [[1869年]])
* [[1943年]] - [[アンリ・ラ・フォンテーヌ]]、[[国際弁護士]]、[[常設国際平和局]]事務局長(* [[1854年]])
* [[1945年]] - [[本田耕一]]、[[野球選手]](* [[1923年]])
* [[1952年]] - [[三田村鳶魚]]、[[江戸時代|江戸]]風俗考証家(* [[1870年]])
* [[1953年]] - [[国吉康雄]]、[[画家]](* [[1889年]])
* [[1954年]] - [[ハインツ・グデーリアン]]、[[軍人]](* [[1888年]])
* [[1968年]] - [[ハズバンド・キンメル]]、軍人(* [[1882年]])
* [[1969年]] - [[ウォルター・ピッツ]]、[[数学者]]、[[論理学|論理学者]](* [[1923年]])
* [[1970年]] - [[河合良成]]、[[厚生大臣]]、[[実業家]](* [[1886年]])
* [[1975年]] - [[アーンスト・アレキサンダーソン]]、[[電気工学]]者(* [[1878年]])
* [[1976年]] - [[キース・レルフ]]、[[ロックンロール]]歌手([[ヤードバーズ]])(* [[1943年]])
* [[1977年]] - [[奈良光枝]]、歌手(* [[1923年]])
* 1977年 ‐ [[木次文夫]]、[[プロ野球選手]](* [[1937年]])
* [[1985年]] - {{仮リンク|翁美玲|zh|翁美玲|en|Barbara Yung}}、女優(* [[1959年]])
* [[1986年]] - [[手塚粲]]、[[写真家]](* [[1900年]])
* [[1987年]] - [[リタ・ヘイワース]]、女優(* [[1918年]])
* [[1991年]] - [[江青]]、政治家、女優(* [[1915年]])
* 1991年 - [[實川延若 (3代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1921年]])
* [[1995年]] - [[伊沢一郎]]、俳優(* [[1912年]])
* 1995年 - [[クリスチャン・アンフィンセン]]、[[生化学|生化学者]](* [[1916年]])
* [[1998年]] - [[フランク・シナトラ]]、[[歌手]]、[[俳優]](* [[1915年]])
* [[2000年]] - [[三浦洋一 (俳優)|三浦洋一]]、俳優(* [[1954年]])
* 2000年 - [[小渕恵三]]、政治家、第84代[[内閣総理大臣]](* [[1937年]])
* 2000年 - [[丸尾千年次]]、元プロ野球選手(* [[1917年]])
* [[2003年]] - [[オットー・エーデルマン]]、[[バス (声域)|バス]]・[[バリトン]]歌手(* [[1917年]])
* 2003年 - [[デイブ・ディバッシャー]]、[[バスケットボール]]選手(* [[1940年]])
* [[2004年]] - [[ヘスス・ヒル]]、実業家(* [[1933年]])
* [[2006年]] - [[スタンリー・クニッツ]]、[[詩人]](* [[1905年]])
* 2006年 - [[ロバート・メリフィールド]]、[[化学者]](* [[1921年]])
* 2006年 - [[平川敏夫]]、[[日本画家]](* [[1924年]])
* 2006年 - [[ジム・レモン]]、元プロ野球選手(* [[1928年]])
* 2006年 - [[秋山余思]]、[[言語学|言語学者]](* [[1929年]])
* [[2007年]] - [[伊江朝雄]]、政治家(* [[1921年]])
* [[2008年]] - [[角田文衞]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20080515000525|title=角田文衛氏が死去/「古代学」を提唱|publisher=四国新聞社|date=2008-05-15|accessdate=2020-11-15}}</ref>、[[歴史家|歴史学者]](* [[1913年]])
* 2008年 - [[飯森広一]]、[[漫画家]](* [[1949年]])
* [[2015年]] - [[B・B・キング]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000115659|title=ブルースの巨匠B.B.キング、死去|publisher=BARKS|date=2015-05-15|accessdate=2020-10-29}}</ref>、ブルースギタリスト(* [[1925年]])
* [[2021年]] - [[河合雅雄]]、動物生態学者(* [[1924年]])
* [[2022年]] - [[河村亮]]、[[アナウンサー]](* [[1967年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:The_cow_pock.jpg|thumb|300px|[[エドワード・ジェンナー]]、[[天然痘]]の予防接種を行う(1796)。画像は接種を描いた戯画(1802)]]
[[ファイル:Declaration_of_State_of_Israel_1948_2.jpg|thumb|220px|[[イスラエル]]建国宣言(1948)]]
* [[独立記念日]]({{PRY}}) [[5月15日]]まで
*: [[1811年]]5月14日にパラグアイが[[スペイン]]から独立したことを記念。
* 国家統一の日({{LBR}})
* [[イエローデー]]・[[ローズデー]]({{KOR}})
* 種痘記念日({{JPN}})
*: [[1796年]]5月14日に、イギリスの外科医[[エドワード・ジェンナー]]が初めて[[種痘]]の接種に成功したことから<ref name="kinenbi">{{Cite web|和書|url=http://www.nnh.to/05/14.html|title=5月14日 今日は何の日〜毎日が記念日〜|accessdate=2016-05-14}}</ref>。
* 温度計の日({{JPN}})
*:水銀[[温度計]]を発明した、ドイツの物理学者[[ガブリエル・ファーレンハイト]]の[[1686年]]の誕生日に因む。なお、この日付は[[ユリウス暦]]に基づくものであるが、ファーレンハイトの生地[[グダニスク|ダンツィヒ]]ではすでに[[グレゴリオ暦]]が使用されており、グレゴリオ暦では[[5月24日]]となる<ref name="kinenbi" />。しかし、記念日関連の書籍等<ref>日本記念日協会 編『すぐに役立つ 366日記念日事典』(創元社、2009年)、加藤迪男 編『366日の話題事典』(東京堂出版、1998年)</ref>には温度計の日は5月14日として記載されている。
* [[例祭]]({{JPN}} [[出雲大社]])
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0514|date=2011年6月}}
* [[1962年]] - ファブ・フォー、[[後楽園球場]]で屋外コンサートを行う。(漫画『[[僕はビートルズ]]』)<ref>原作:藤井哲夫、作画:[[かわぐちかいじ]]『僕はビートルズ』第8巻、講談社(モーニングKC)、2011年、42頁。{{ISBN2|978-4-06-387079-4}}。</ref>
* [[2032年]] - 大熱波(ゲーム『[[バロック (ゲーム)|バロック]]』の中で起きたとされる天変地異的災害)
=== 誕生日(フィクション) ===
*[[1964年]] - [[真島吾朗]]、ゲーム『[[龍が如く]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sega_official|1525128745119494144}}</ref>
* 生年不明 - オリオン・ステファノプロス、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1525130005390495746}}</ref>
* 生年不明 - 斉木久留美、漫画『[[斉木楠雄のΨ難]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1260786940665872387}}</ref>
* 生年不明 - [[東京喰種トーキョーグール#平子丈|平子丈]]、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2015|title=[[東京喰種トーキョーグール]]:re|publisher=集英社|location=|isbn=978-4-08-890132-9|quote=|date=|volume=第2巻}}</ref>
* 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#宮崎日和|宮崎日和]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=第24巻|page=157|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref>
* 生年不明 - 芦屋洋介、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://7o3x.com/char/profiles.html#8 |title=芦屋洋介 |publisher=杉基イクラ/KADOKAWA ©7○3×クイズ研究会 |accessdate=2022-10-03 |website=アニメ『ナナマル サンバツ』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - レオナルド・ウォッチ、漫画・アニメ『[[血界戦線]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kekkai_pr|1525128747678150656}}</ref>
* 生年不明 - 桂樹薫音、ゲーム『[[Φなる・あぷろーち2 〜1st priority〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.oaks-soft.co.jp/princess-soft/final2/character6.html |title=桂樹 薫音|publisher= Φなる・あぷろーち2~1st priority~|work= [[プリンセスソフト|PrincessSoft]] |accessdate=2022-10-03|archiveurl= https://web.archive.org/web/20150924054101/http://www.oaks-soft.co.jp/princess-soft/final2/character6.html |archivedate=2015-09-24}}</ref>
* 生年不明 - 轟木みい、ゲーム『[[bitter smile.]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://products.web-giga.com/bittersmile/heroine/mii.html |title=轟木 みい |publisher=[[戯画 (ブランド)|戯画]] |accessdate=2022-10-03 |work=bitter smile.-ビタースマイル-}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#牙崎漣|牙崎漣]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40018 |title=牙崎 漣(きざき れん) |access-date=2022-10-03 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 如月天、ゲーム『[[グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://grimoire.applibot.co.jp/detail.html?char |title=如月 天 |publisher=私立グリモワール魔法学園 |accessdate=2022-10-03}}</ref>
* 生年不明 - 金久保誉、メディアミックス『[[Starry☆Sky]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.honeybee-cd.com/starrysky/character/kanakubo.html |title=金久保 誉(かなくぼ ほまれ) |publisher=[[honeybee]] |accessdate=2022-10-03 |work=Starry☆Sky PORTAL}}</ref>
* 生年不明 - 戸田ジュン、メディアミックス『[[22/7 (アイドルグループ)|22/7]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://nanabunnonijyuuni.com/s/n129/page/c6?ima=0000&link=ROBO004 |title=戸田 ジュン |access-date=2022-10-03 |publisher=22/7 PROJECT}}</ref>
* 生年不明 - 花園莉々香、漫画・アニメ『[[こみっくがーるず]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 愛羽ツバサ、特撮『[[ポリス×戦士 ラブパトリーナ!]]』の主人公<ref>ラブパトてちょーのプロフィールページより</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 14|14 May}}
{{新暦365日|5|13|5|15|[[4月14日]]|[[6月14日]]|[[5月14日 (旧暦)|5月14日]]|0514|5|14}}
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4,928 | 5月15日 | 5月15日(ごがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から135日目(閏年では136日目)にあたり、年末まではあと230日ある。 | [
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'''5月15日'''(ごがつじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から135日目([[閏年]]では136日目)にあたり、年末まではあと230日ある。
== できごと ==
<!-- 記事に日付のないもの:ケープコッド, ケプラーの法則 ,ラーマ4世, ナイロン(デュポン,ウォーレス・カロザース), 水素爆弾 -->
<!-- ナポレオン・ボナパルト:ja,fr,enに日付ありません -->
<!-- 英語版にのみ日付のあるもの:ラスベガス, コミンテルン, 中東戦争 -->
[[ファイル:Golden Nugget Las Vegas.jpg|thumb|180px|[[ラスベガス]]設立(1905)]]
<!-- [[ファイル:Makalu.jpg|thumb|upright|[[マカルー]]の登頂に成功(1955)]] -->
<!-- [[ファイル:Sputnik3.png|thumb|120px|[[スプートニク計画|スプートニク3号]]発射(1958)]] -->
<!-- [[ファイル:200703251551000.jpg|thumb|180px|[[セブン-イレブン]]の第1号店がオープン(1974)]] -->
<!-- [[ファイル:Evstafiev-afghan-apc-passes-russian.jpg|thumb|240px|[[ソビエト連邦|ソ連]]軍が[[アフガニスタン]]から撤退開始(1988)]] -->
[[ファイル:T-62 withdraws from Afghanistan.JPEG|thumb|180px|[[ソビエト連邦|ソ連]]軍が[[アフガニスタン]]から撤退開始(1988)]]
[[ファイル:Portrait of Dr. Gachet.jpg|thumb|200px|[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]の『[[医師ガシェの肖像]]』が8250万ドルで落札される(1990)]]
<!-- [[ファイル:Edith Cresson2.png|thumb|upright|[[エディット・クレッソン]]、フランス史上初の女性首相に(1991)]] -->
* [[221年]]([[章武]]元年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[劉備]]が皇帝に即位し[[蜀]](蜀漢)が成立<ref>{{cite book|和書|date=1993-04|author=陳寿
|authorlink=陳寿|title=三国志: 正史|volume=5(蜀書)|translator=[[井波律子]]|publisher=[[筑摩書房]]|series=[[ちくま学芸文庫]]|page=63|isbn=4-480-08045-7}}[[グレゴリオ暦]]への換算には「[https://sinocal.sinica.edu.tw/ {{lang|zh-tw|兩千年中西曆轉換}}]」([[中央研究院|{{lang|zh-tw|中央研究院}}]]{{lang|zh-tw|數位文化中心}})を使用(2021年5月15日)。</ref>。
* [[593年]]([[推古天皇]]元年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[聖徳太子]]が[[推古天皇]]の[[皇太子]]・[[摂政]]に就任(『[[日本書紀]]』による)。
* [[1524年]] - [[ドイツ農民戦争]]: {{仮リンク|フランケンハウゼンの戦い|en|Battle of Frankenhausen}}。農民軍が諸侯軍に敗れて壊滅し、ドイツ農民戦争が終結。<!-- en.wpより -->
* [[1567年]] - [[スコットランド王国|スコットランド]]女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]が[[ジェームズ・ヘップバーン (ボスウェル伯)|ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン]]と結婚。
* [[1602年]] - {{仮リンク|バーソロミュー・ゴズノルド|en|Bartholomew Gosnold}}がヨーロッパ人として初めて[[ケープコッド|コッド岬]]に到達。<!-- en.wpより -->
* [[1618年]] - [[天文学者]][[ヨハネス・ケプラー]]が[[ケプラーの法則|惑星の運動に関する第3法則]]を解明。<!-- en.wpより -->
* [[1636年]]([[崇徳]]元年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[後金]]が国号を[[清]]に改称。
* [[1701年]] - [[スペイン継承戦争]]勃発。<!-- en.wpより -->
* [[1793年]] - [[スペイン]]の[[ディエゴ・マリン・アギレラ]]が[[グライダー]]で約360メートルを飛行。
* [[1796年]] - [[イタリア戦役 (1796-1797年)|イタリア戦役]]: [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]が[[ミラノ]]に入城。<!-- en.wpより -->
<!-- 5月14日にも記載あり * [[1811年]] - [[パラグアイ]]が[[スペイン]]から独立。 -->
* [[1855年]] - [[パリ万国博覧会 (1855年)|第1回パリ万国博覧会]]が開幕。
* [[1858年]] - ロンドンの現在の[[ロイヤル・オペラ・ハウス]]が開場。
* [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[ニューマーケットの戦い]]。
* [[1884年]] - [[群馬事件]]。
* [[1891年]] - [[回勅]]の 『[[レールム・ノヴァールム]]』がローマ教皇[[レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世]]によって出される。
* [[1900年]] - マルコーニ国際海洋通信会社がドイツの[[ボルクム島]]灯台海岸局、ボルクム・リフ灯台船無線局、[[カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ (客船)|カイザー・ヴィルヘルム・デア・グローセ]]号で世界初の海上移動の公衆通信(電報)サービスを創業。
* [[1905年]] - 110[[面積|エーカー]]の土地が競売で売却され、[[ネバダ州]]の[[ラスベガス]]が設立される。<!-- en.wpより。何のことを「設立」(Las Vegas is founded) と言っているかが不明。 -->
* 1905年 - [[日露戦争]]・[[旅順港閉塞作戦]]: 日本海軍の戦艦「[[初瀬 (戦艦)|初瀬]]」が2度の触雷により沈没。
* [[1908年]] - [[第10回衆議院議員総選挙]]。
* [[1911年]] - アメリカ連邦最高裁が[[シャーマン法]]に基づき[[スタンダード・オイル]]に対し解体命令。<!-- en.wpより -->
* [[1912年]] - [[第11回衆議院議員総選挙]]。
* [[1918年]] - [[フィンランド内戦]]が[[白軍|白衛軍]]の勝利で終結。
* [[1919年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ギリシア]]軍がトルコ領の[[イズミル]]に侵入し占領する([[イズミル上陸]])。
* [[1923年]] - 神戸初の百貨店として[[白木屋 (デパート)|白木屋]]神戸出張所が開店。日本の百貨店で初めて土足で入店できるようにする。
* [[1924年]] - [[学校法人明星学園|明星学園]]が創立される。
* [[1929年]] - [[ミッキーマウス]]が登場する初の映画である『[[プレーン・クレイジー]]』が試写される。
* [[1932年]] - [[五・一五事件]]。[[内閣総理大臣]][[犬養毅]]が襲撃、殺害される。
* [[1935年]] - [[モスクワ地下鉄]]が開業。<!-- en.wpより -->
<!-- 日附確認できず。1940年のナイロンストッキング発売と混同? * [[1935年]] - [[デュポン]]社の[[ウォーレス・カロザース|カロザース]]が[[ナイロン]]を合成。 -->
* [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ナチス・ドイツ]]軍が[[アムステルダム]]を占領し、フランス北部に侵攻。
* 1940年 - [[カリフォルニア州]][[サンバーナーディーノ (カリフォルニア州)|サンバーナーディーノ]]に[[マクドナルド]]の最初の店が開店。
* 1940年 - [[デュポン]]社が全米で[[ナイロン]][[ストッキング]]を発売。
* [[1941年]] - イギリス初(世界二番目)のジェット機[[グロスター E.28/39]]が初飛行。
* [[1943年]] - [[ヨシフ・スターリン]]が[[コミンテルン]](第3インターナショナル)の解散を指示。
<!-- 5月15日で記述済み * [[1948年]] - イギリスによる委任統治が終結し、[[イスラエル]]が独立宣言。
* 1948年 - [[エジプト]]、[[ヨルダン]]、[[レバノン]]、[[シリア]]、[[イラク]]、[[サウジアラビア]]が[[イスラエル]]を攻撃し、[[中東戦争|第1次中東戦争]]始まる。 -->
* [[1955年]] - [[オーストリア]]と占領4カ国(米英仏ソ)が[[オーストリア国家条約]]に調印。
* 1955年 - 世界第5位の高峰[[マカルー]]がフランス登山隊により初登頂。
* [[1957年]] - [[イギリス]]が初めて[[水素爆弾|水爆]]実験を実施。
* [[1958年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]が「[[スプートニク3号]]」を発射。
* [[1960年]] - ソ連が「[[スプートニク4号]]」を発射し、[[地球]]周回軌道に乗る。
* [[1963年]] - [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]が[[マーキュリー計画]]の最後となる「[[マーキュリー・アトラス9号]]」を打ち上げ。
* [[1966年]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で[[演芸]]番組『[[笑点]]』放送開始。
* [[1970年]] - [[豊橋事件]]が起こる。
* [[1972年]] - [[沖縄県]]が[[アメリカ合衆国]]から[[日本]]に[[沖縄返還|返還]]される。
* 1972年 - [[沖縄テレビ放送]](OTV)・[[琉球放送]](RBC)・[[ラジオ沖縄]](ROK)、沖縄の本土復帰に伴い日本の民間放送として、OTVは[[フジテレビジョン]]をキー局とするFNN・FNSに、RBCは[[TBSテレビ|東京放送(TBS)]]をキー局とするJNN・JRNに、ROKは[[文化放送]]と[[ニッポン放送]]をキー局とするNRNに、それぞれ正式加盟。
* [[1973年]] - [[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]と日本が国交樹立。
* [[1974年]] - [[セブン-イレブン]]の日本1号店が[[東京都]][[江東区]]で開店。
* [[1976年]] - [[神戸まつり]]の会場で群衆が暴徒化。写真撮影をしていた[[神戸新聞]]のカメラマンが暴行を受けて死亡<ref>上がる炎、狂乱の群衆 深夜まで無法地帯化 暴走騒ぎ三年 ついに死者『朝日新聞』1976年(昭和51年)5月16日朝刊、13版、23面</ref>。
* [[1977年]] - 児童向け[[漫画雑誌]]『[[月刊コロコロコミック|コロコロコミック]]』([[小学館]])が創刊。
* [[1988年]] - [[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻]]:8年間に渡る戦闘の末、ソ連軍が撤退を開始。
* [[1990年]] - 大昭和製紙名誉会長・[[齊藤了英]]が[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ]]の『[[医師ガシェの肖像|ガシェ博士の肖像]]』を絵画史上最高の約125億円で落札。
* [[1991年]] - [[エディット・クレッソン]]が[[フランス]]初の[[選出もしくは任命された女性の政府首脳の一覧|女性首相]]となる。
* 1991年 - 東京都港区芝浦に[[ディスコ]]・[[ジュリアナ東京]]が開店。
* [[1993年]] - [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]が[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]]対[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]戦で[[1993年Jリーグ開幕節|開幕]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202205180000076.html|title=【政界地獄耳】共催W杯20周年 日韓関係立て直しのキックオフあるか|publisher=日刊スポーツ|date=2022-05-18|accessdate=2022-05-18}}</ref>。
* [[2000年]] - [[森喜朗]]首相が「[[神の国発言]]」を行う。
<!-- * [[2001年]] - 青年向け漫画雑誌[[週刊コミックバンチ]]が創刊。 -->
<!-- * 2000年 - [[京都メル友女性殺害事件]]の[[被疑者|容疑者]]逮捕。[[メル友]]女性を金銭目的で連続殺人。 -->
* [[2007年]] - [[会津若松母親殺害事件]]が起こる。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[ファイル:Portrait of a Musician by a Cremonese artist - Ashmolean Museum.jpg|thumb|upright|作曲家[[クラウディオ・モンテヴェルディ]](1567-1643)の洗礼日。]] <!-- {{audio|Monteverdi - cruda amarilli.ogg|マドリガル『つれないアマリッリ』を聴く}} -->
[[ファイル:Metternich by Lawrence.jpeg|thumb|100px|[[オーストリア]]の宰相[[クレメンス・メッテルニヒ]](1773-1859)誕生]]
[[ファイル:Cowardly lion2.jpg|thumb|100px|『[[オズの魔法使い]]』の作者、[[ライマン・フランク・ボーム]](1856-1919)]]
[[ファイル:Pierrecurie.jpg|thumb|100px|物理学者[[ピエール・キュリー]](1859-1906)]]
<!-- [[ファイル:Arthur_Schnitzler_%28um_1878%29.jpg|thumb|100px|作家[[アルトゥル・シュニッツラー]](1862-1931)]] -->
[[ファイル:Vilhelm Hammershoi - Interieur mit Rueckenansicht einer Frau - 1903-1904 - Randers Kunstmuseum.jpg|thumb|180px|画家[[ヴィルヘルム・ハンマースホイ]](1864-1916)。画像は『背を向けた若い女性のいる室内』(1903-04)]]
<!-- [[ファイル:Shimane_Art_Museum14n4592.jpg|thumb|upright|抽象彫刻家、[[清水九兵衛]](1922-206)。画像は『語り合い』]] -->
[[ファイル:Andy Murray at the 2011 Australian Open1 crop.jpg|thumb|right|200px|テニス選手 [[アンディ・マレー]]]]
* [[1567年]] - [[クラウディオ・モンテヴェルディ]]、[[作曲家]](+ [[1643年]])※洗礼日
* [[1633年]] - [[セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン]]、[[軍事]][[技術者]](+ [[1707年]])
* [[1760年]]([[宝暦]]10年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[水野勝剛]]、第9代[[結城藩|結城藩主]](+ [[1834年]])
* [[1773年]] - [[クレメンス・メッテルニヒ]]、[[政治家]](+ [[1859年]])
* [[1810年]] - [[ジェイコブ・トンプソン]]、第5代[[アメリカ合衆国内務長官]](+ [[1885年]])
* [[1814年]] - [[アントワーヌ・シャントルイユ]]、[[画家]](+ [[1873年]])
* [[1820年]]([[文政]]3年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[中川久昭]]、第12代[[岡藩|岡藩主]](+ [[1889年]])
* [[1822年]](文政5年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[有馬頼永]]、第10代[[久留米藩|久留米藩主]](+ [[1846年]])
* [[1839年]] - [[中原鄧州]]、[[禅僧]](+ [[1925年]])
* [[1845年]] - [[イリヤ・メチニコフ]]、微生物学者(+ [[1916年]])
* [[1848年]] - [[ヴィクトル・ヴァスネツォフ]]、画家(+ [[1926年]])
* [[1854年]] - [[パーヴェル・パプスト]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1897年]])
* [[1856年]] - [[ライマン・フランク・ボーム]]、[[童話]]作家(+ [[1919年]])
* [[1857年]] - [[ウィリアミーナ・フレミング]]、[[天文学者]](+ [[1911年]])
* [[1859年]] - [[ピエール・キュリー]]、[[物理学者]](+ [[1906年]])
* [[1862年]] - [[アルトゥル・シュニッツラー]]、[[小説家]](+ [[1931年]])
* [[1864年]] - [[ヴィルヘルム・ハンマースホイ]]、画家(+ [[1916年]])
* [[1876年]] - [[杉浦非水]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[1965年]])
* [[1877年]] - [[植原悦二郎]]、政治家(+ [[1962年]])
* [[1882年]] - [[羽田亨]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1953年]])
* 1882年 - [[市川團蔵 (8代目)]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎役者]](+ [[1966年]])
* [[1884年]] - [[水野利八]]、[[実業家]](+ [[1970年]])
* [[1885年]] - [[野村直邦]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]軍人(+ [[1973年]])
* [[1889年]] - [[川手ミトヨ]]、[[ギネス世界記録|ギネスブック]]認定[[長寿]]世界一(+ [[2003年]])
* [[1891年]] - [[村野藤吾]]、[[建築家]](+ [[1984年]])
* 1891年 - [[ミハイル・ブルガーコフ]]、[[劇作家]]、小説家(+ [[1940年]])
* [[1892年]] - [[大塚金之助]]、[[経済学者]](+ [[1977年]])
* [[1893年]] - [[市川房枝]]、婦人運動家、政治家(+ [[1981年]])
* [[1898年]] - [[アルレッティ]]、[[俳優|女優]](+ [[1992年]])
* [[1900年]] - [[西東三鬼]]、[[俳人]](+ [[1962年]])
* [[1903年]] - [[マリア・ライヘ]]、[[考古学|考古学者]](+ [[1998年]])
* [[1905年]] - [[ジョゼフ・コットン]]、[[俳優]](+ [[1994年]])
* 1905年 - [[福田蘭童]]、[[音楽家]]、[[随筆家]](+ [[1976年]])
* [[1909年]] - [[ジェームズ・メイソン]]、俳優(+ [[1984年]])
* [[1911年]] - [[丹羽兵助]]、政治家(+ [[1990年]])
* 1911年 - [[マックス・フリッシュ]]、小説家、劇作家(+ [[1991年]])
* [[1915年]] - [[ポール・サミュエルソン]]、近代[[経済学者]]、[[ノーベル経済学賞]]受賞者(+ [[2009年]])
* [[1916年]] - [[蔣方良]]、[[蔣経国]]の夫人(+ [[2004年]])
* 1916年 - [[安部英]]、[[医師]](+ [[2005年]])
* [[1917年]] - [[門前眞佐人]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1984年]])
* [[1918年]] - [[アントン・ベニング]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[2013年]])
* [[1919年]] - [[国久松一]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1920年]] - [[大竹省二]]、[[写真家]](+ [[2015年]])
* [[1922年]] - [[瀬戸内寂聴]](瀬戸内晴美)、小説家、[[僧|僧侶]](+ [[2021年]])
* 1922年 - [[清水九兵衛]]、[[彫刻家]](+ [[2006年]])
* [[1923年]] - [[リチャード・アヴェドン]]、写真家(+ [[2004年]])
* 1925年 - [[菊村到]]、作家(+ [[1999年]])
* [[1926年]] - [[井上光晴]]、小説家(+ [[1992年]])
* 1926年 - [[アンソニー・シェーファー]]、作家(+ [[2001年]])
* [[1927年]] - [[石山透]]、[[脚本家]](+ [[1985年]])
* [[1928年]] - [[岸本才三]]、[[ヤクザ]](+ [[2014年]])
* [[1930年]] - [[ジャスパー・ジョーンズ]]、[[画家]]
* [[1931年]] - [[宮崎恭子]]、女優(+ [[1996年]])
* [[1932年]] - [[ブラジ・カチュル]]、[[言語学者]](+[[2016年]])
* [[1933年]] - [[伊丹十三]]、[[映画監督]]、[[俳優]](+ [[1997年]])
* [[1935年]] - [[美輪明宏]]、[[歌手]]、俳優
* [[1937年]] - [[マデレーン・オルブライト]]、元[[アメリカ国務長官]](+[[2022年]])
* [[1938年]] - [[東峰夫]]、小説家
* 1938年 - [[ミレーユ・ダルク]]、女優(+ [[2017年]])
* [[1939年]] - [[月岡貞夫]]、アニメーション作家
* 1939年 - [[麻生渡]]、政治家、第13-16代[[福岡県知事]]、第10代[[全国知事会]]会長
* [[1940年]] - [[ドン・ネルソン]]、元[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]、指導者
* [[1941年]] - [[前田忠明]]、[[レポーター]](+ [[2022年]])
* [[1943年]] - [[東山親雄]]、元プロ野球選手
* [[1944年]] - [[ウルリッヒ・ベック]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[2015年]])
* [[1945年]] - [[藤原真]]、元プロ野球選手
* 1945年 - [[小川弘文]]、元プロ野球選手
* 1945年 - [[島田伸也]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]])
* [[1946年]] - [[美川憲一]]、歌手
* 1946年 - [[池田純一]]、元プロ野球選手(+ [[2005年]])
* 1946年 - [[阿部良男]]、元プロ野球選手(+ [[2017年]])
* [[1948年]] - [[上田清司]]、政治家
* 1948年 - [[江夏豊]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[高橋二三男]]、元プロ野球選手(+ 2022年)
* 1948年 - [[ブライアン・イーノ]]、[[音楽家]]
* [[1949年]] - [[きたやまようこ]]、[[絵本作家]]
* [[1950年]] - [[山口高志]]、元プロ野球選手
* 1950年 - [[川口孝秀]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[フランク・ウィルチェック]]、[[物理学者]]
* [[1952年]] - [[北見恭子]]、[[演歌歌手]]
* 1952年 - [[ヴァイッド・ハリルホジッチ]]<ref>[http://halilhodzic.jp/ オフィシャルウェブサイト](日本語)</ref>、元[[サッカー選手]]、サッカー指導者
* [[1953年]] - [[ジョージ・ブレット]]、元プロ野球選手
* 1953年 - [[マイク・オールドフィールド]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* [[1955年]] - [[巽孝之]]、[[アメリカ文学|アメリカ文学者]]、[[サイエンス・フィクション|SF]][[評論家]]
* [[1956年]] - [[長谷直美]]、女優
* [[1957年]] - [[ケビン・フォン・エリック]]、[[プロレスラー]]
* [[1958年]] - [[ロン・シモンズ]]、プロレスラー
* 1958年 - [[荒井広幸]]、政治家
* [[1959年]] - [[あろひろし]]、[[漫画家]]
* 1959年 - [[大森うたえもん]]、[[タレント]]
* 1959年 - [[カオコー・ギャラクシー]]、[[プロボクサー]]
* 1959年 - [[カオサイ・ギャラクシー]]、プロボクサー
* [[1960年]] - [[亜希いずみ]]、女優
* 1960年 - [[井上俊次]]、[[ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]]
* [[1961年]] - [[m.c.A・T]]、[[ヒップホップMC]]、音楽プロデューサー
* [[1962年]] - [[本西厚博]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[藤田恵美]]、歌手
* 1963年 - [[杉山孝一]]、元[[野球選手]]
* [[1964年]] - [[中山文十郎]]、作家
* 1964年 - [[ラース・ロッケ・ラスムセン]]、政治家、[[デンマークの首相|デンマーク首相]]
* 1964年 - [[橋本泰宏]]、厚生労働官僚
* [[1965年]] - [[イリーナ・キリロワ]]、[[バレーボール選手一覧|バレーボール選手]]
* 1965年 - [[岡部哲也]]、[[アルペンスキー]]選手
* [[1966年]] - [[葉室太郎]]、元プロ野球選手
* [[1967年]] - [[ジョン・スモルツ]]、元プロ野球選手
* [[1968年]] - [[琴ノ若晴將]]、元大相撲力士、年寄13代[[佐渡ヶ嶽]]
* [[1969年]] - [[江口孝義]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[エミット・スミス]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* [[1970年]] - [[辰吉丈一郎]]、プロボクサー
* 1970年 - [[沢田謙太郎]]、元サッカー選手
* 1970年 - [[フランク・デ・ブール]]、元サッカー選手、指導者
* 1970年 - [[ロナルド・デ・ブール]]、元サッカー選手
* [[1972年]] - [[武井宏之]]、漫画家
* [[1973年]] - [[谷中真二]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[西島洋介]]、プロボクサー、[[総合格闘家]]
* [[1974年]] - [[荒木定虎]]、元タレント、実業家
* 1974年 - [[柳沼強]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[奥真紀子]]、声優
* [[1975年]] - [[セルゲイ・サフノフスキー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1975年 - [[瀬口侑希]]、[[演歌歌手]]
* 1975年 - [[ピーター・イワース]]、ミュージシャン
* [[1976年]] - [[渡辺和洋]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]]
* [[1977年]] - [[山口五和]]、タレント
* [[1978年]] - [[井上康生]]、[[柔道家]]
* 1978年 - [[佐原秀樹]]、元サッカー選手
* [[1980年]] - [[小池正晃]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[ジョシュ・ベケット]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[中尾衣里]]、[[声優]]
* [[1981年]] - [[ジャスティン・モルノー]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[パトリス・エヴラ]]、サッカー選手
* 1981年 - [[大塚みな]]、[[アイドル]]
* 1981年 - [[鈴木寛樹]]、元プロ野球選手
* [[1982年]] - [[ベロニカ・キャンベル=ブラウン]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]]
* 1982年 - [[ジェシカ・スッタ]]、ダンサー、歌手、女優
* 1982年 - [[藤原竜也]]、俳優
* 1982年 - [[ラファエル・ペレス]]、プロ野球選手
<!-- 出典が不明 * 1984年 - [[ショウエイ (シンガーソングライター)|ショウエイ]]、シンガーソングライター -->
* [[1984年]] - [[エベレット・ティーフォード]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[ヨアン・デロ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1984年 - [[長澤知之]]、シンガーソングライター
* 1984年 - [[清水貴之 (野球)|清水貴之]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[田中慎太朗]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[ジム・アドゥチ (1985年生の外野手)|ジム・アドゥチ]]、元プロ野球選手
* [[1986年]] - [[安田奈緒子]]、声優
* 1986年 - [[ブランドン・バーンズ]]、元プロ野球選手
* [[1987年]] - [[アンディ・マレー]]、[[テニス選手一覧 (男子)|テニス選手]]
* 1987年 - [[ブライアン・ドージャー]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[西山貴浩]]、[[競艇選手]]
* 1987年 - [[マイケル・ブラントリー]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[碓井健平]]、元サッカー選手
* [[1988年]] - [[四方香菜]]、タレント
* [[1989年]] - [[比嘉祐介]]、元サッカー選手
* 1989年 - [[南明奈]]、タレント
* 1989年 - [[ルイス・カスティーヨ (外野手)|ルイス・カスティーヨ]]、プロ野球選手
* [[1990年]] - [[青野令]]、[[スノーボード|スノーボーダー]]
* 1990年 - [[村元小月]]、フィギュアスケート選手
* 1990年 - [[福田健人]]、サッカー選手
* 1990年 - [[田中紳太郎]]、サッカー選手
* 1990年 - [[BETTANA!!]]、俳優
* 1990年 - [[アレクサンダー・ジョンソン (フィギュアスケート選手)|アレクサンダー・ジョンソン]]、フィギュアスケート選手
* 1990年 - [[ダヴィド・シモン]]、サッカー選手
* 1990年 - [[オリガ・イコンニコワ]]、フィギュアスケート選手
* 1990年 - [[イ・ジョンヒョン (CNBLUE)|イ・ジョンヒョン]] 、歌手 ([[CNBLUE]])
* [[1991年]] - [[冨浦智嗣]]、俳優
* 1991年 - [[フェミ・オグノデ]]、陸上選手
* 1991年 - [[日下佳祐]]、陸上選手
* [[1992年]] - ヒラノノゾミ、アイドル(元[[BILLIE IDLE|BILLIE IDLE®]]、元[[BiS]])
* 1992年 ‐ [[常田大希]]、歌手([[King Gnu]])
* [[1993年]] - [[尾崎由香]]、声優、元子役
* 1993年 - 下田真生、お笑い芸人([[コウテイ]])
* [[1994年]] - [[大蔵彰人]]、元プロ野球選手
* [[1995年]] - [[山本涼介]]、俳優
* 1995年 - [[加藤優 (外野手)|加藤優]]、野球選手
* 1995年 - [[大牟田悠人]]、[[リポーター]]、タレント
* 1995年 - けーた、[[YouTuber]]([[マナル隊]])
* [[1996年]] - [[バーディー (歌手)|バーディー]]、シンガーソングライター
* 1996年 - [[青山吉能]]<ref name="gl">{{Cite web|和書|date=|url=http://gl-e.jp/|title=GREEN LEAVESのホームページ|work=|author=|publisher=GREEN LEAVES|accessdate=2020-10-30}}</ref>、声優([[Wake Up, Girls! (声優ユニット)|Wake Up, Girls!]])
* 1996年 - [[アレックス・ベルドゥーゴ]]、プロ野球選手
* [[1997年]] - [[神菜美まい]]、[[AV女優]]
* [[1998年]] - [[友野一希]]、フィギュアスケート選手
* 1998年 - やまと、YouTuber ([[コムドット]])
* 1998年 - [[浅野桜子]]、元プロ野球選手
* [[2000年]] - [[我妻ゆりか]]、[[グラビアアイドル]]
* 2000年 - ヨシ、アイドル ([[TREASURE (音楽グループ)|TREASURE]])
* [[2002年]] - [[田口乙葉]]、ファッションモデル、女優
* 2002年 - [[林鼓子]]、声優、元子役([[虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会]])
* [[2005年]] - [[高見文寧]]、アイドル([[ME:I]])
* 2005年 - [[福田ルミカ]]、女優
* 生年不明 - [[織田綺]]<ref>[http://www.sho-comi.com/artistinfo/oda.html Sho-Comi漫画家情報 織田綺](2021年1月9日閲覧)</ref>、漫画家
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1997年]] - [[アグネスデジタル]]、[[競走馬]](+ [[2021年]])
* [[1998年]] - [[トーシンブリザード]]、競走馬(+ 2021年)
== 忌日 ==
[[ファイル:Solidus Valentinian II trier RIC 090a.jpg|thumb|upright|ローマ皇帝[[ウァレンティニアヌス2世]](371-392)没。自殺とも他殺ともされる]]
[[ファイル:Anatomical chart, Cyclopaedia, 1728, volume 1, between pages 84 and 85.jpg|thumb|upright|[[百科事典]]編纂者[[イーフレイム・チェンバーズ]](1680-1740)没。『[[サイクロペディア]]』は後の『[[百科全書]]』の原型となった]]
[[ファイル:Semperopera.jpg|thumb|240px|建築家[[ゴットフリート・ゼンパー]](1803-1879)没。画像は歌劇場『[[ゼンパー・オーパー]]』]]
<!-- [[ファイル:Emily-dickinson-ca1850.jpg|thumb|120px|詩人[[エミリー・ディキンソン]](1830-1886)。{{Squote|友達は私の「財産」だから、強欲に蓄財しても許してくださいな。――書簡より}}]] -->
[[ファイル:Tsuyoshi Inukai May 15 Incident Asahi Shimbun.png|thumb|180px|[[犬養毅]](1855-1932)、暗殺される([[五・一五事件]])]]
[[ファイル:Malevich.black-square.jpg|thumb|upright|画家[[カジミール・マレーヴィチ]](1878-1935)。画像は代表作『黒の正方形』]]
<!-- [[ファイル:Girl_at_Sewing_Machine_by_Edward_Hopper.jpg|thumb|upright|[[エドワード・ホッパー]](1882-1967)。画像は『ミシンに向かう娘』(1921)]] <!- ファイル:Nighthawks.jpg - 代表作。掲載できず -->
* [[392年]] - [[ウァレンティニアヌス2世]]、[[ローマ帝国|ローマ皇帝]](* [[371年]])
* [[1036年]]([[長元]]9年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[後一条天皇]]、第68代[[天皇]](* [[1008年]])
* [[1157年]] - [[ユーリー・ドルゴルーキー]]、[[キエフ大公国|キエフ大公]](* [[1099年]]頃)
* [[1174年]] - [[ヌールッディーン]]、[[ザンギー朝]]君主(* [[1118年]])
* [[1238年]]([[暦仁]]元年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[小山朝政]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]](* [[1158年]])
* [[1470年]] - [[カール8世 (スウェーデン王)|カール8世]]、[[スウェーデン|スウェーデン王]](* [[1408年]]?)
* [[1585年]]([[天正]]13年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[丹羽長秀]]、[[武将|戦国武将]](* [[1535年]])
* [[1634年]] - [[ヘンドリック・アーフェルカンプ]]、[[画家]](* [[1585年]])
* [[1685年]]([[貞享]]2年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[阿部正能]]、[[江戸幕府]][[老中]](* [[1627年]])
* [[1704年]]([[宝永]]元年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[鶴姫 (徳川綱吉長女)|鶴姫]]、[[徳川綱吉]]の長女(* [[1677年]])
* [[1740年]] - [[イーフレイム・チェンバーズ]]、[[百科事典]]編集者(* [[1680年]]?)
* [[1760年]] - [[アラウンパヤー]]、[[コンバウン王朝|ビルマ王]](* [[1711年]])
* [[1785年]](天明5年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[藤堂高朗]]、第7代[[津藩|津藩主]](* [[1717年]])
* [[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[京極高久]]、江戸幕府若年寄(* [[1729年]])
* [[1845年]] - [[ゲオルク2世 (ヴァルデック侯)|ゲオルク2世]]、[[ヴァルデック侯国|ヴァルデック侯]](* [[1789年]])
* [[1852年]] - [[ルイーザ・アダムズ]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](* [[1775年]])
* [[1866年]]([[慶応]]2年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[谷三十郎]]、[[新選組|新撰組]]七番隊組長
* [[1873年]] - [[アレクサンドル・ヨアン・クザ]]、[[ルーマニア]]公(* [[1820年]])
* [[1879年]] - [[ゴットフリート・ゼンパー]]、[[建築家]](* [[1803年]])
* [[1886年]] - [[エミリー・ディキンソン]]、詩人(* [[1830年]])
* [[1894年]] - [[フィリップ・パロット]]、[[画家]](* [[1831年]])
* [[1898年]] - [[エドゥアルト・レメーニ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1830年]])
* [[1924年]] - [[エストゥルネル・ド・コンスタン]]、[[外交官]]、[[常設仲裁裁判所]]提唱者(* [[1852年]])
* [[1931年]] - [[エドウィン・ダン]]、[[畜産]]技術者(* [[1848年]])
* [[1932年]] - [[犬養毅]]、[[政治家]]、第30代[[内閣総理大臣]](* [[1855年]])
* [[1935年]] - [[カジミール・マレーヴィチ]]、画家(* [[1878年]])
* [[1942年]] - [[石光真清]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[少佐]](* [[1868年]])
* 1942年 - [[佐藤惣之助]]、詩人、[[作詞家]](* [[1890年]])
* [[1945年]] - [[ケネス・アルフォード]]、[[作曲家]](* [[1881年]])
* [[1948年]] - [[エドワード・ジョゼフ・フラナガン]]、[[神父]]、社会事業家(* [[1886年]])<!-- 3月15日より移動-->
* [[1952年]] - [[太刀光電右エ門]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1897年]])
* [[1956年]] - [[尾高朝雄]]、[[法学者]](* [[1899年]])
* [[1967年]] - [[エドワード・ホッパー]]、画家(* [[1882年]])
* [[1971年]] - [[グース・ゴスリン]]、元プロ野球選手(* [[1900年]])
* [[1978年]] - [[ロバート・メンジーズ]]、政治家、第12代[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](* [[1894年]])<!-- 5月14日より移動-->
* [[1986年]] - [[エリオ・デ・アンジェリス]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1958年]])
* [[1989年]] - [[井深八重]]、[[ハンセン病]][[看護]]の先駆者(* [[1897年]])
* 1989年 - [[つかせのりこ]]、[[声優]](* [[1945年]])
* [[1991年]] - [[安倍晋太郎]]、政治家(* [[1924年]])
* 1991年 - [[アンドレアス・フレアー]]、[[数学者]](* [[1956年]])
* [[1992年]] - [[ジョビー・マルセロ]]、[[自動車競技|レーサー]](* [[1965年]])
* [[1996年]] - [[高坂正堯]]、[[政治学者]](* [[1934年]])
* [[2004年]] - [[三橋達也]]、[[俳優]](* [[1923年]])
* 2004年 - [[マリユス・コンスタン]]、作曲家(* [[1925年]])
* [[2006年]] - [[ジョイス・バランタイン・ブランド]]、[[イラストレーター]](* [[1918年]])
* 2006年 - [[芝田米三]]、画家(* [[1926年]])
<!-- 特筆性は? * [[2007年]] - はな寛太、[[漫才師]]([[はな寛太・いま寛大]])(* [[1945年]]) -->
* [[2008年]] - [[ウィリス・ラム]]、[[物理学者]](* [[1913年]])
* [[2011年]] - [[サムエル・ワンジル]]、男子[[陸上競技]]選手(* [[1986年]])
* [[2012年]] - [[中原早苗]]、女優(* [[1935年]])
* [[2014年]] - [[瀬尾脩]]、撮影技師(* [[1932年]])
* 2014年 - [[鈴木則文]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](* [[1933年]])
* [[2017年]] - [[後藤はつの]]、画家(* [[1903年]])
* 2017年 - [[日下武史]]、俳優(* [[1931年]])
* [[2019年]] - [[杉葉子]]、女優(* [[1928年]])
* 2019年 - [[亀井郁夫]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/life/news/190515/lif1905150062-n1.html|title=亀井郁夫元参院議員が死去 |publisher= 産経ニュース |date=2019-05-15|accessdate=2020-11-15}}</ref>、政治家(* [[1933年]])
* [[2020年]] - 川口敦典、お笑い芸人([[てんしとあくま]])(* [[1983年]])
* [[2021年]] - [[伊藤アキラ]]、作詞家(* [[1940年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Aoi-Matsuri-01.jpg|thumb|200px|京都の[[葵祭]]]]
[[ファイル:Pierre Auguste Renoir La famille d artiste.jpg|thumb|200px|国際家族デー。画像は[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]『芸術家の家族』(1896)]]
<!-- [[ファイル:Mercurybyhendrickgoltzius.jpeg|thumb|240px|商人の祝日。画像は[[ヘンドリック・ホルツィウス]]『[[メルクリウス]]』(1611-13)]] -->
* [[国際家族デー]]({{World}})
*: [[国際デー]]の一つ。[[1993年]]9月の国連総会で制定。
* 沖縄本土復帰記念日/沖縄復帰記念日({{JPN}})
*: [[太平洋戦争]]後、アメリカの施政権下にあった<ref>[[日本国との平和条約]]第3条に基づく。</ref>[[沖縄県|沖縄]]が[[1972年]]5月15日午前0時をもって日本に返還されたことに由来。
* {{仮リンク|平和官吏追悼の日|en|Peace Officers Memorial Day}}({{USA}})
* [[教師の日]]({{KOR}}、{{MEX}})
<!--
* [[建国記念日|独立記念日]]([[イスラエル]])
*: [[1948年]]、前年の国連の「パレスチナ分割決議」に基づきイスラエルが独立宣言を行った日。ただし、イスラエルでは[[ユダヤ暦]]に換算した[[イヤール]](第2月)5日に行われる。<!- 独立宣言は5/14では? ->
-->
*{{仮リンク|全国投資者保護宣傳日|zh|全国投资者保护宣传日}}({{PRC}})
*:[[2019年]][[5月11日]]、{{仮リンク|中国証券監督管理委員会|zh|中国证券监督管理委员会}}の[[易会満]]主席が2019年中国上市公司協會および第2回委員会第7回会議で演説した後、中国証券監督管理委員会は毎年5月15日を全国投資者保護宣傳日指定することを決定しました。
* [[葵祭]]({{JPN}} [[京都市]]・正式には'''賀茂祭''')
* ヨーグルトの日({{JPN}})
*: [[ヨーグルト]]を研究した[[ロシア]]の[[イリヤ・メチニコフ]]の誕生日にちなみ、[[明治乳業]](現:[[明治 (企業)|明治]])が制定。
* ストッキングの日
*: [[1940年]]にアメリカの[[デュポン]]社が[[ナイロン]]製[[ストッキング]]を全米で発売した日。それまでアメリカのストッキング市場は日本の[[絹]]製の物で独占されていたが、これ以降、ナイロン製の物が主流となった。
* 商人の祝日
*: [[ローマ神話]]に登場する商業神[[メルクリウス]]の祝日
* Jリーグの日({{JPN}})
*:[[1993年]]のこの日に[[ヴェルディ川崎]]対[[横浜マリノス]]の試合を以て[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)が開幕したことにちなみ、[[日本プロサッカーリーグ (法人)|公益社団法人日本プロサッカーリーグ]]が[[2013年]]に制定。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0515|date=2011年8月8日 (月) 08:10 (UTC)}}
* [[1999年]] - [[福岡市|福岡]]にて「REAL RACING ROOTS'99」(RRR'99)の1次予選第2レースが開催される。(ゲーム『[[R4 -RIDGE RACER TYPE 4-]]』)<ref>ゲーム内のレース開始前より</ref>
* [[2007年]] - 日本各地で発生している地殻変動による災害を受けて、日本政府は全国に非常事態宣言を発令すると各紙メディアが報道。(映画『[[日本沈没#2006年の映画|日本沈没]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1972年]] - [[古波蔵恵里|古波蔵(上村)恵里]]、[[連続テレビ小説]]『[[ちゅらさん]]』の主人公<ref group="注">誕生時に[[沖縄返還]]の[[ラジオ]]放送が流れている描写がある。</ref>
* [[1974年]] - [[ボブ・ウィルソン]]、ゲーム『[[餓狼伝説]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.garou15th.com/character/bob.php |title=ボブ・ウィルソン |access-date=2022-09-24 |publisher=餓狼伝説総合公式サイト}}</ref>
* [[1979年]] - 二階堂サキ、アニメ『[[ゾンビランドサガ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://zombielandsaga.com/character/3.php |title=二階堂サキ |access-date=2022-09-24 |publisher=ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会}}</ref>
* [[1988年]] - 柿崎美砂、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://king-cr.jp/special/negima/07.html |title=7.神崎 美砂 |access-date=2022-09-24 |publisher=魔法先生ネギま!麻帆良学園中等部2-A}}</ref>
* 1988年 - [[西沢歩]]、漫画・アニメ『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=畑健二郎|authorlink=畑健二郎|year = 2015 |title = ハヤテのごとく! 公式同人誌 〜執事とそれなりに楽しい仲間たち〜 |page = 171 |publisher = [[小学館]] |isbn = 978-4-09-126027-7 }}</ref>
* [[1997年]] - 七瀬佳乃、アニメ『[[Wake Up, Girls!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://wakeupgirls.jp/character04.html |title=七瀬 佳乃 |access-date=2022-09-24 |website=Wake Up Girls!公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 沢村栄純、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』の主人公<ref>{{Twitter status|diaace_anime|1525492132173467648}}</ref>
* 生年不明 - 篠崎拓馬、漫画・アニメ『[[うちの会社の小さい先輩の話]]』の主人公
* 生年不明 - [[青銅聖闘士#大熊星座の檄|大熊星座(ベアー)の檄]]、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=7 |title=大熊星座(ベアー)の檄(げき) |access-date=2022-09-24 |publisher=MUSEUM 聖闘士博物館 |author=車田正美 |website=聖闘士星矢公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#南葛中学校|来生哲兵]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year=2003|title=キャプテン翼 3109日全記録|publisher=集英社|isbn=4-08-782789-5|page=57}}</ref>
* 生年不明 - 牛田鉄夫、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1525492391909765120}}</ref>
* 生年不明 - [[カンクロウ]]、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=63|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=4-08-873288-X}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2005|page=73|isbn=4-08-873734-2}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・者の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2008|page=69|isbn=978-4-08-874247-2}}</ref>
* 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#葛城ミリア|葛城ミリア]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=149|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref>
*生年不明 - 阿倍麻衣子、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref name=":02">{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2014|title=東京喰種トーキョーグール|publisher=集英社|location=|isbn=978-4-08-879807-3|date=|volume=10巻|quote=カバー裏}}</ref>
*生年不明 - 髏々宮カルタ、漫画・アニメ『[[妖狐×僕SS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=藤原ここあ|authorlink=藤原ここあ|year=2011|title=妖狐×僕SS|volume=第4巻|page=212|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|series=[[月刊ガンガンJOKER#ガンガンコミックスJOKER|ガンガンコミックスJOKER]]|isbn=978-4-7575-3146-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|year=2012|title=妖狐×僕SS オフィシャルガイド 0|page=72|publisher=スクウェア・エニックス|series=ガンガンコミックスJOKER|isbn=978-4-7575-3500-8}}</ref>
* 生年不明 - 高坂麗奈、小説・アニメ『[[響け! ユーフォニアム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_eupho|1393400744234127361}}</ref>
* 生年不明 - 大場湊、[[読者参加型ゲーム|読者参加企画]]『[[マリッジロワイヤル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.marriageroyale.com/charactor/daiba.html |title=東京代表 大場 湊 |publisher=[[Navel]], [[アスキー・メディアワークス]] |accessdate=2022-09-24 |work=Marriage Royale -マリッジロワイヤル-}}</ref>
* 生年不明 - 柘浦大河、漫画・アニメ『[[WIND BREAKER (漫画)|WIND BREAKER]]』のキャラクター<ref>{{Twitter status|winbre_sakura|1525691534943088640}}</ref>
* 生年不明 - 古波蔵エレン、アニメ『[[刀使ノ巫女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tojinomiko|1393314688608260098}}</ref>
* 生年不明 - 龍、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|snk_enter|996354166086750208}}</ref>
* 生年不明 - 天ヶ崎美琴、ゲーム・アニメ『[[月は東に日は西に 〜Operation Sanctuary〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hanihani.tv/character/index.html |title=天ヶ崎 美琴 |publisher=[[オーガスト (ブランド)|AUGUST]], はにはに製作委員会 |accessdate=2022-09-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090302051137/http://www.hanihani.tv/character/index.html |archivedate=2009-03-02 |work=月は東に日は西に〜Operation Sanctuary〜}}</ref>
* 生年不明 - 日向龍也、ゲーム『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.utapri.com/game/origin/chara_ryuya.php |title=日向龍也(ひゅうが りゅうや) |publisher=[[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]] |accessdate=2022-09-24 |work=うたの☆プリンスさまっ♪}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#安部菜々|安部菜々]]、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20010 |title=安倍 菜々(あべ なな) |access-date=2022-09-24 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 鴫野睦、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130807_204725/ |title=【ガールフレンド(仮)通信87】ロリでクールな生徒会書記 鴫野睦ちゃん(CV:津田美波) |access-date=2022-09-24 |publisher=ファミ通App |date=2013-08-07}}</ref>
* 生年不明 - 川淵一美、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|inouenana|863776662143381504}}</ref>
* 生年不明 - シトロン、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=〔春組〕シトロン |accessdate=2022-09-24 |publisher=LIBER |website=【公式】A3!(エースリー)}}</ref>
* 生年不明 - 九十九伽奈、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/tsukumo |publisher=Akatsuki Inc. |title=九十九 伽奈|キャラクター |accessdate=2022-09-24 |website=八月のシンデレラナイン公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - ドーマウス、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=105&cate=name&cont=Dormouse |title=ドーマウス |access-date=2022-09-24 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 藤村伊織、ゲーム・アニメ『[[夢色キャスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ycast.sega-net.com/cast.html |title=YUMEIRO COMPANY 藤村 伊織 |access-date=2022-09-24 |publisher=SEGA |website=夢キャス 【公式】夢色キャスト}}</ref>
* 生年不明 - 望月あざみ、ゲーム・アニメ『[[新サクラ大戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sakura_taisen|1254998100109783043}}</ref>
* 生年不明 - シルバー、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/silver |title=シルバー |access-date=2022-09-24 |publisher=Disney TWISTED WONDERLAND}}</ref>
* 生年不明 - 観音坂独歩、メディアミックス『[[ヒプノシスマイク|ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hypnosismic.com/character/shinjuku/doppo/ |title=観音坂独歩 / DOPPO |accessdate=2022-09-24 |publisher= |website=音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』オフィシャルサイト}}</ref>
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* [[1936年]] - EVA、ゲーム『メタルギアソリッド』シリーズに登場するキャラクター
* [[1988年]] - 岡本ののか、ゲーム 『[[Clear -クリア-]]』に登場するキャラクター
* [[1989年]] - 豪徳寺じゅん、アニメ『[[アキハバラ電脳組]]』に登場するキャラクター
* [[1990年]] - 西本はるひ、ゲーム『[[ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Kiss]]』に登場するキャラクター
* [[1991年]] - 堀田イト、ドラマ『[[鹿男あをによし]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 相川美咲(あいかわ みさき)、漫画・小説『[[タウンメモリー]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 庵洞七津(あんどう なつ)、漫画『[[バリハケン]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 岩波千果(いわなみ ちか)、ゲーム『[[ナギサの]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 風早翔太(かぜはや しょうた)、漫画・アニメ『[[君に届け]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 邦枝葵(くにえだ あおい)、漫画・アニメ『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 沢渡乙(さわたり おつ)、漫画・アニメ『[[ZOMBIE-LOAN]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 多軌透(たき とおる)、漫画・アニメ『[[夏目友人帳]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 鉄馬丈(てつま じょう)、漫画・アニメ『[[アイシールド21]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 兵藤さつき(ひょうどう さつき)、漫画『[[会長はメイド様!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[Mr.FULLSWINGの登場人物#私立セブンブリッジ学院高校|宝町一直]](ほうちょう いっちょく)、漫画『[[Mr.FULLSWING]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - レーグ、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 伊藤香苗、ゲーム・アニメ『[[アマガミ]]』に登場するキャラクター
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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'''5月16日'''(ごがつじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から136日目([[閏年]]では137日目)にあたり、年末まではあと229日ある。
== できごと ==
[[Image:Sykes-Picot-1916.gif|thumb|140px|[[サイクス=ピコ協定]](1916)。赤がイギリス、青がフランスの支配圏]]
[[ファイル:1stOscars 1929.jpg|thumb|180px|[[ハリウッド]]にて最初の[[アカデミー賞]]の授与(1929)]]
[[Image:Haguro1936.jpg|thumb|180px|[[ペナン沖海戦]](1945)。画像は撃沈された重巡[[羽黒 (重巡洋艦)|羽黒]]]]
[[Image:Yotei-zan-from-hirafu.jpg|thumb|120px|[[支笏洞爺国立公園]]が国立公園に指定(1949)。画像は[[羊蹄山]]]]
[[ファイル:Military laser experiment.jpg|thumb|120px|[[レーザー]]の初の実演(1960)。画像は近年のもの]]
* [[675年]]([[天武天皇]]4年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - 天武天皇が日本で初めて[[肉食]]・[[狩猟]]を禁じる詔を発する。
* [[1204年]] - フランドル伯[[ボードゥアン1世 (ラテン皇帝)|ボードゥアン9世]]が、ボードゥアン1世として[[ラテン帝国]]の初代皇帝に即位<ref>{{Cite web|url=https://yenisehir.fandom.com/tr/wiki/Latin_Empire|title=Latin Empire|work=FANDOM|accessdate=2020-07-12}}</ref>。
* [[1532年]] - [[イングランド]]の[[カトリック教徒]]の政治家[[トマス・モア]]が大法官を辞職。離婚問題を巡りヘンリー8世の不興を買い、1535年7月6日に[[斬首刑]]に処せられる。(1935年に[[列聖]]された。)
* [[1568年]] - [[スコットランド王国|スコットランド]]の元女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]がイングランドに亡命<ref>{{Cite web|url=https://www.english-heritage.org.uk/visit/places/carlisle-castle/history/mary-queen-of-scots/|title=Mary Queen of Scots at Carlisle Castle|work=ENGLISH HERITAGE|accessdate=2020-07-12}}</ref>。
* [[1689年]]([[元禄]]2年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[松尾芭蕉]]が弟子の[[河合曾良]]とともに『[[おくのほそ道]]』の旅に出発。
* [[1770年]] - 後にフランス国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]となるルイ・オーギュストが[[マリー・アントワネット]]と結婚。
* [[1771年]] - [[世直しの戦争]]: {{仮リンク|アラマンスの戦い|en|Battle of Alamance}}。
* [[1811年]] - [[スペイン独立戦争]]: [[アルブエラの戦い]]。
* [[1842年]] - [[オレゴン・トレイル]]を通る最初の幌馬車隊が[[ミズーリ州]]エルム・グラブを出発。
* [[1843年]] - イギリスの[[パディントン]] - [[スラウ]]間で世界初の[[電報]]業務を開始。
* [[1866年]] - {{仮リンク|チャールズ・エルマー・ハイアー|en|Charles Elmer Hires}}が[[ルートビア]]を商品化。
* [[1889年]] - 東京・上野の[[東京国立博物館|宮内省博物館]]を[[帝室博物館|帝国博物館]]に改称。[[京都国立博物館|京都]]・[[奈良国立博物館|奈良]]にも帝国博物館を設置。
* [[1912年]] - 日本初の[[近代オリンピック|オリンピック]]選手団が開催地の[[スウェーデン]]・[[ストックホルム]]へ向け出発。
* [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]:イギリス・フランス間でオスマン帝国領アラブ地域の分割に関する[[サイクス・ピコ協定]]が結ばれる。
* [[1919年]] - {{仮リンク|アルバート・リード|en|Albert Cushing Read}}らの搭乗する[[カーチスNC4飛行艇]]ほか2機が、トレバシー湾から[[大西洋横断飛行]]でポルトガルの[[アゾレス島]]を目指し出発した<ref>{{Cite web|url=https://www.mysticstamp.com/info/this-day-in-history-may-16-1919-2/|title=This Day in History… May 16, 1919|work=Mystic Stamp Company|accessdate=2020-07-12}}</ref>。
* [[1920年]] - [[教皇|ローマ教皇]][[ベネディクトゥス15世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス15世]]が[[ジャンヌ・ダルク]]を[[列聖]]。
* [[1929年]] - [[カリフォルニア州]][[ハリウッド]]で、[[第1回アカデミー賞]]の授賞式が行われる。
* [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[イギリス空軍]]が[[ドイツ]]の[[ルール地方]]に所在する複数のダムに対して同時攻撃を敢行する([[チャスタイズ作戦]])。
* [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]・[[独ソ戦|東部戦線]]: [[ワルシャワ・ゲットー蜂起]]が終息。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[ビルマの戦い]]: [[ペナン沖海戦]]が行われる。
* [[1947年]] - [[北海道]][[三笠市|三笠町]]幾春別で大火。死者2人、負傷者2人、焼失家屋977戸<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=67 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1948年]] - [[ハイム・ヴァイツマン]]が[[イスラエル]]のイスラエル暫定国務院議長に就任。翌1949年2月17日、初代大統領に選出される。
* [[1949年]] - [[支笏洞爺国立公園]]が国立公園に指定。
* 1949年 - [[東京証券取引所|東京]]、[[大阪証券取引所|大阪]]、[[名古屋証券取引所|名古屋]]の3[[証券取引所]]が取引再開。
* [[1953年]] - [[日本放送協会|NHK]]が[[大相撲中継|大相撲のテレビ中継]]を開始。
* [[1954年]] - [[京都市]]内で大気圏内[[核実験]]に伴う[[放射性物質]]を含んだ雨(いわゆる放射能雨)が観測。8万6760カウントが計測された<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=98 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1960年]] - [[雅樹ちゃん誘拐殺人事件|雅樹ちゃん誘拐事件]]が発生([[5月19日]]に遺体で発見される)。
* 1960年 - [[セオドア・メイマン]]がルビー結晶による[[レーザー]]発振([[ルビーレーザー]])を初めて実現。
* [[1961年]] - [[大韓民国|韓国]]で[[朴正煕]]の軍事革命委員会が無血[[クーデター]]。反共・親米政権が成立。([[5・16軍事クーデター]])
* [[1966年]] - 中国共産党が5・16通知を発表。「[[プロレタリアート|プロレタリア]]階級による[[文化大革命]]」の用語が初めて登場。
* [[1968年]] - [[1968年十勝沖地震]]。52人死亡、330人重軽傷。
* 1968年 - 日本プロ野球史上初のノースリーブ・[[ユニフォーム]]登場([[中日ドラゴンズ]]が着用)。
* [[1969年]] - [[ベネラ計画]]: [[ソビエト連邦|ソ連]]の探査機「[[ベネラ5号]]」が[[金星]]に着陸。
* 1969年 - [[行政機関の職員の定員に関する法律]](公務員総定員法)公布。
* [[1975年]] - [[田部井淳子]]ら日本女子登山隊が女性初の[[エベレスト]]登頂に成功。
* 1975年 - [[ヒマラヤ山脈]]の[[シッキム州#シッキム王国|シッキム王国]]が、国民投票の結果に基づき[[インド]]に合併される。
* [[1977年]] - 初の実用的な[[パーソナルコンピュータ]]「[[Apple II]]」が発売。
* [[1980年]] - [[大平正芳]]内閣に対する[[内閣不信任決議|内閣不信任案]]が、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の反主流派が欠席したことにより可決される。
* [[1981年]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系の[[バラエティ番組]]、『[[オレたちひょうきん族]]』が放送開始。[[1989年]][[10月14日]]まで続く。
* [[1989年]] - [[中村橋派出所警官殺害事件]]が発生。元[[陸上自衛隊|陸上]][[自衛官]]の男(当時20歳)が[[日本の警察官|警察官]]から[[拳銃]]を奪うことを企て、[[警視庁]][[練馬警察署]]の中村橋派出所([[東京都]][[練馬区]][[中村北]]四丁目)を襲撃して執務中の警察官2人([[巡査]]・[[巡査部長]])を[[ナイフ#サバイバルナイフ|サバイバルナイフ]]で刺殺したが、拳銃強奪は失敗に終わった。加害者の男は[[1998年]]に死刑が確定。
* [[1995年]] - [[オウム真理教事件]]: 当時の[[東京都知事]]である[[青島幸男]]を狙った[[東京都庁小包爆弾事件]]が発生。職員1人が重傷を負う。
* 1995年 - [[オウム真理教]]元教祖である[[麻原彰晃]]が[[地下鉄サリン事件]]の殺人罪等の容疑で[[山梨県]][[上九一色村]]のオウム真理教の施設内で逮捕される。
* [[2005年]] - [[高額納税者]]発表の最終年:1947年から2005年まで、国税庁が前年度の高額納税者の名簿を発表していた。
* [[2007年]] - [[ニコラ・サルコジ]]が[[フランス第五共和政]]の第6代[[フランスの大統領|大統領]]に就任。
* [[2012年]] - [[上皇明仁|天皇]]・[[上皇后美智子|皇后]]が[[エリザベス2世]]即位60周年記念行事出席のため[[イギリス]]を訪問<ref>{{Cite news |date=2012-05-17|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG15040_W2A510C1CR8000/ |title=両陛下がロンドンに到着 |newspaper=[[日本経済新聞]] |accessdate=2020-07-12}}</ref>。
* [[2015年]] - [[幕張海浜公園]]にて[[レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ]]が日本初開催<ref>{{Cite news |date=2015-05-17 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG16HB2_W5A510C1000000/ |title=「空のF1」エアレースに6万人 日本初開催 |newspaper=[[日本経済新聞]] |accessdate=2020-07-12}}</ref>。
* [[2022年]] - [[ジャン・カステックス]]に替わり第25代[[フランス首相]]に[[エリザベット・ボルヌ]]が就任、第43代となる同国の[[フランスの内閣|内閣]]も同日発足。
{{-}}
== 誕生日 ==
[[Image:Prince_Sanehito.jpg|thumb|150px|[[誠仁親王]](1552-1586)誕生]]
[[ファイル:Louis Nicolas Vauquelin.jpg|thumb|150px|[[クロム]]と[[ベリリウム]]を発見した化学者、[[ルイ=ニコラ・ヴォークラン]](1763-1829)誕生]]
[[ファイル:Kenji Mizoguchi 2.jpg|thumb|150px|映画監督、[[溝口健二]](1898-1956)誕生]]
[[ファイル:Robert Fripp.jpg|thumb|150px|[[プログレッシブ・ロック|プログレ]]のギタリスト、[[ロバート・フリップ]](1946-)]]
[[ファイル:Janet Jackson.jpg|thumb|150px|シンガーソングライター、[[ジャネット・ジャクソン]](1966-)]]
* [[1552年]]([[天文 (元号)|天文]]21年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[誠仁親王]]、[[正親町天皇]]第五皇子(+ [[1586年]])
* [[1611年]] - [[インノケンティウス11世 (ローマ教皇)|インノケンティウス11世]]、第240代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1689年]])
* [[1716年]]([[正徳 (日本)|正徳]]4年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]])- [[西尾忠需]]、第3代[[横須賀藩|横須賀藩主]](+ [[1789年]])
* [[1718年]] - [[マリア・ガエターナ・アニェージ]]、[[数学者]](+ [[1799年]])
* [[1763年]] - [[ルイ=ニコラ・ヴォークラン]]、[[化学者]](+ [[1829年]])
* [[1788年]] - [[フリードリヒ・リュッケルト]]、[[詩人]]、[[東洋学|東洋学者]](+ [[1866年]])
* [[1801年]] - [[ウィリアム・スワード]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1872年]])
* [[1814年]]([[文化 (元号)|文化]]11年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]])- [[平野長発]]、第9代[[田原本藩|田原本領主]](+ [[1854年]])
* [[1821年]] - [[パフヌティ・チェビシェフ]]、数学者(+ [[1894年]])
* 1821年([[文政]]4年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]])- [[西尾忠受]]、第7代横須賀藩主(+ [[1861年]])
* [[1823年]] - [[ハイマン・シュタインタール]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1899年]])
* [[1830年]](文政13年[[閏]][[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[西郷頼母]]、[[幕末]]期[[会津藩]]の[[家老]](+ [[1903年]])
* [[1831年]] - [[デイビッド・エドワード・ヒューズ]]、[[発明家]](+ [[1900年]])
* [[1855年]]([[安政]]2年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]])- [[奥平昌邁]]、第9代[[中津藩|中津藩主]]・[[伯爵]](+ [[1884年]])
* [[1857年]](安政4年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]])- [[松平定教]]、第5代[[桑名藩|桑名藩主]]・[[子爵]](+ [[1899年]])
* [[1886年]] - [[アーネスト・バージェス]]、[[都市社会学|都市社会学者]](+ [[1966年]])
* [[1895年]] - [[林家彦六]]、[[落語家]](+ [[1982年]])
* [[1898年]] - [[溝口健二]]、[[映画監督]](+ [[1956年]])
* 1898年 - [[タマラ・ド・レンピッカ]]、[[画家]](+ [[1980年]])
* [[1899年]] - [[原田武一]]、[[テニス選手]](+ [[1978年]])
* [[1902年]] - [[野副鉄男]]、化学者(+ [[1996年]])
* [[1905年]] - [[ヘンリー・フォンダ]]、[[俳優]](+ [[1982年]])
* [[1909年]] - [[ルドルフ・コンフナー]]、[[工学者]]、[[物理学者]](+ [[1977年]])
* [[1913年]] - [[藤間生大]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[2018年]])
* 1913年 - [[ウディ・ハーマン]]、[[ジャズ]][[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1987年]])
* [[1916年]] - [[エフライム・カツィール]]、[[物理学者]]、[[政治家]](+ [[2009年]])
* [[1917年]] - [[フアン・ルルフォ]]、[[小説家]]、[[写真家]](+ [[1986年]])
* [[1919年]] - [[リベラーチェ]]、[[ピアニスト]](+ 1987年)
* [[1922年]] - [[オトマール・スウィトナー]]、[[指揮者]](+ [[2010年]])
* [[1923年]] - [[池宮彰一郎]]、[[小説家]](+ [[2007年]])
* 1923年 - [[マートン・ミラー]]、[[経済学者]](+ [[2000年]])
* [[1925年]] - [[ダンカン・ルース]]、[[科学者]](+ [[2012年]])
* 1925年 - [[ニウトン・サントス]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]](+ [[2013年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20131128-1224445.html|title=ニウトンサントス氏死去 ペレらと黄金時代|publisher=日刊スポーツ|date=2013-11-28|accessdate=2020-11-27}}</ref>)
* [[1928年]] - [[ビリー・マーチン]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](+ [[1989年]])
* [[1929年]] - [[わたなべまさこ]]、[[漫画家]]
* 1929年 - [[アドリエンヌ・リッチ]]、[[詩人]](+ [[2012年]])
* [[1930年]] - [[フリードリヒ・グルダ]]、[[ピアニスト]](+ [[2000年]])
* 1930年 - [[ルドルフ・カルマン]]、[[電気工学|電気工学者]]( + [[2016年]])
* [[1931年]] - [[ハンナ・ブレイディ]]、[[ホロコースト]]犠牲者(+ [[1944年]])
* [[1933年]] - [[尾本惠市]]、[[人類学|人類学者]]
* 1933年 - [[蘭定美男]]、元プロ野球選手
* [[1938年]] - [[アイバン・サザランド]]、[[計算機科学|計算機科学者]]
* [[1939年]] - [[阿部軍治]]、[[筑波大学]]名誉教授(+ [[2014年]])
* [[1942年]] - [[ささきいさお]]、[[歌手]]、俳優、[[声優]]
* [[1943年]] - [[湯川英一]]、実業家、元[[セガゲームス|セガ・エンタープライゼス]]専務、元[[クオカード]]社長(+ [[2021年]])
* [[1944年]] - [[ダニー・トレホ]]、俳優
* [[1945年]] - [[高橋重行]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* [[1946年]] - [[荒川強啓]]、[[フリーアナウンサー]]
* 1946年 - [[ロバート・フリップ]]、ギタリスト([[キング・クリムゾン]])
* [[1947年]] - [[信澤三惠子]]、[[俳優|女優]]、声優
* [[1948年]] - [[末岡泰義]]、政治家
* 1948年 - [[木村庄之助 (36代)|36代木村庄之助]]、[[大相撲]][[行司]](+ [[2022年]])
* [[1950年]] - [[ヨハネス・ベドノルツ]]、[[物理学者]]
* [[1951年]] - [[石塚運昇]]、声優(+ [[2018年]])
* 1951年 - [[テント (漫談家)|テント]]、[[漫談家]]、[[タレント]](+ [[2016年]])
* 1951年 - [[堀内三郎 (野球)|堀内三郎]]、元プロ野球選手
* [[1952年]] - [[アレクサンドル・ザイツェフ (フィギュアスケート選手)|アレクサンドル・ザイツェフ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1953年]] - [[ピアース・ブロスナン]]、俳優
* 1953年 - [[北の湖敏満]]、元[[大相撲]][[横綱]](+ [[2015年]])
* 1953年 - [[広津素子]]、政治家、元[[日本の国会議員|衆議院議員]]
* 1953年 - [[劔持節雄]]、元プロ野球選手
* 1953年 - [[モニカ・ハジェット]]、[[ヴァイオリニスト]]
* 1953年 - [[桂伸乃介]]、落語家(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.ntv.co.jp/category/culture/572187|title=【訃報】落語家の桂伸乃介さん死去|publisher=日テレNEWS24|date=2020-01-03|accessdate=2020-10-29}}</ref>)
* [[1954年]] - [[コリン・ニューマン]]、ミュージシャン([[ワイヤー (バンド)|ワイヤー]])
* 1954年 - [[松永美隆]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[丘野かおり]]、女優
* 1955年 - [[デブラ・ウィンガー]]、女優
* 1955年 - [[オルガ・コルブト]]、[[体操選手]]
* 1955年 - [[ジャック・モリス]]、元プロ野球選手
* [[1957年]] - [[逢坂みえこ]]、漫画家
* [[1958年]] - [[武沢豊]]、ギタリスト、[[作曲家]]([[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]])
* [[1959年]] - [[阿知波悟美]]、女優
* 1959年 - [[石渡治]]、漫画家
* [[1960年]] - [[谷松浩之]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[堀口弘治]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* [[1962年]] - [[山崎銀之丞]]、俳優
* 1962年 - [[渡部勝美]]、元野球選手
* [[1963年]] - [[高橋仁]]、元俳優、[[子役]]
* [[1964年]] - [[関谷亜矢子]]、[[アナウンサー]]
* [[1965年]] - [[クリス・ノヴォセリック]]、[[ベーシスト]](元[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]])
* 1965年 - [[唐渡亮]]、俳優
* [[1966年]] - [[ジャネット・ジャクソン]]、歌手
* [[1967年]] - [[前原博之]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[田北雄気]]、元サッカー選手、指導者
* [[1968年]] - [[下柳剛]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[奈良原浩]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[上原晃]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[大下容子]]、[[テレビ朝日]]アナウンサー
* 1970年 - [[西牟田恵]]、[[俳優|女優]]
* 1970年 - [[ガブリエラ・サバティーニ]]、元[[テニス選手一覧 (女子)|テニス選手]]
* [[1971年]] - [[レイチェル・ゴスウェル]]、ミュージシャン
* [[1971年]] - [[信長貴富]]、[[作曲家]]
* [[1972年]] - [[宝来城多郎]]、元[[騎手]]
* 1972年 - [[アンジェイ・ドゥダ]]、政治家、[[ポーランドの大統領一覧|ポーランド大統領]]
* [[1973年]] - [[鳥海浩輔]]、声優
* 1973年 - [[藤田晋]]、[[実業家]]、[[サイバーエージェント]]代表取締役社長
* [[1974年]] - [[青木夕夏]]、元女優
* 1974年 - [[ラウラ・パウジーニ]]、歌手
* 1974年 - [[ジェロッド・リガン]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[遠山景織子]]、女優
* [[1977年]] - [[今井麻美]]、声優
* [[1978年]] - [[相木崇]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[大正九年]]、ミュージシャン
* [[1979年]] - [[松本康太]]、[[お笑いタレント]]([[レギュラー (お笑いコンビ)|レギュラー]])
* 1979年 - [[ラスマス・フェイバー]]、ミュージシャン
* [[1980年]] - [[佐藤朱 (声優)|佐藤朱]]、声優
* 1980年 - [[フアン・アランゴ]]、サッカー選手
* 1980年 - [[アルテム・クニャゼフ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1981年]] - [[諸岡愛美]]、元[[レースクイーン]]、元タレント
* 1981年 - [[野口祥順]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[吉田海偉]]、卓球選手
* 1981年 - [[セルゲイ・ノビツキー]]、元フィギュアスケート選手
* [[1982年]] - [[埼玉最終兵器]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]
* [[1983年]] - [[愛川ゆず季]]、タレント、元[[グラビアアイドル]]
* 1983年 - 川島大輔、お笑いタレント([[アンカンミンカン]])
* 1983年 - [[浜丘麻矢]]、女優
* [[1984年]] - [[小島和也]]、ミュージシャン([[back number]])
* 1984年 - [[寺西永里]]、元タレント、元グラビアアイドル
* 1984年 - [[ブランドン・マン]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[酒井彩名]]、[[タレント]]
* 1985年 - [[大倉忠義]]、歌手、ミュージシャン([[関ジャニ∞]])
* 1985年 - [[菅沼実]]、元サッカー選手、指導者
* [[1986年]] - [[佐藤剛士]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[横尾渉]]、アイドル([[Kis-My-Ft2]])
* 1986年 - [[久古健太郎]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[アンディ・キーオ]]、サッカー選手
* 1986年 - [[貞包紘子]]、[[ショートトラック]]スピードスケート選手
* 1986年 - [[ミーガン・フォックス]]、女優、[[ファッションモデル]]
* [[1987年]] - [[ヴィクトール・ファイファー]]、フィギュアスケート選手
* 1987年 - [[長崎峻侑]]、トランポリン競技選手
* 1987年 - [[タイラー・クロイド]]、プロ野球選手
* [[1988年]] - [[岡部紗季子]]、元[[体操選手]]
* 1988年 - [[菊沢竜佑]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[ベハティ・プリンスルー]]、ファッションモデル
* [[1990年]] - [[小川泰弘]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[宮野達也]]、俳優
* 1990年 - [[金輔炅]]、歌手
* 1990年 - [[トーマス・サングスター]]、俳優
* 1990年 - [[スタス・スパーニン]]、[[画家]]
* [[1991年]] - [[岸信千世]]、政治家、衆議院議員
* 1991年 - [[桐山紗知]]、タレント、[[モデル (職業)|モデル]]
* 1991年 - [[栁俊太郎]]、モデル
* 1991年 - [[アシュリー・ワグナー]]、フィギュアスケート選手
* 1991年 - [[グリゴール・ディミトロフ]]、テニス選手
* 1991年 - [[ケビン・モスカテル]]、元プロ野球選手
* [[1992年]] - [[佐藤摩弥]]、[[オートレース選手]]
* [[1993年]] - 加賀翔、お笑い芸人([[かが屋]])
* 1993年 - [[IU (歌手)|IU]]、歌手、女優
* [[1994年]] - [[桜井玲香]]、女優(元[[乃木坂46]])
* 1994年 - [[伊沢拓司]]、クイズプレイヤー
* [[1995年]] - [[渡辺梨加]]、ファッションモデル(元[[櫻坂46]])
* 1995年 - [[川崎鷹也]]、シンガーソングライター
* [[1997年]] - [[吉永アユリ]]、女優
* 1997年 - [[佐藤佳穂]]、アイドル([[SKE48]])
* 1997年 - [[館澤亨次]]、陸上選手
* [[1998年]] - [[野元浩輝]]、元プロ野球選手
* 1998年 - [[鳴海唯]]、女優
* 1998年 - [[蒼 (タレント)|蒼]]、タレント、元[[AV女優]]
* 1998年 - [[青山なぎさ]]、声優([[Liella!]])
* [[1999年]] - [[上水口萌乃香]]、アイドル(元[[ハープスター (アイドルグループ)|ハープスター]]、元[[X21]])
* 1999年 - [[宇佐見りん]]、小説家
* [[2000年]] - [[早乙女舞彩]]、元グラビアアイドル
* [[2001年]] - [[大橋武尊]]、プロ野球選手
* 2001年 - 実土里、アイドル([[ライスボール (アイドル)|ライスボール]])
* [[2003年]] - [[黒嵜菜々子]]、アイドル([[Peel the Apple]])
* 2003年 - MITSUKI、アイドル([[ミームトーキョー]])
* 生年不明 - [[長谷川俊介]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://kenyu-office.com/hasegawashunsuke/|title=長谷川俊介|publisher=ケンユウオフィス|accessdate=2021-01-08}}</ref>、声優
== 忌日 ==
[[Image:Golden_a.jpg|thumb|150px|画家[[ピエトロ・ダ・コルトーナ]](1596-1669)没。画像は『黄金時代』]]
[[Image:Perrault1.jpg|thumb|150px|詩人[[シャルル・ペロー]](1628-1703)没。画像は[[ギュスターヴ・ドレ]]による[[童話]]集表紙]]
[[Image:Kitamura_Tokoku.jpg|thumb|120px|詩人、[[北村透谷]](1868-1894)没]]
[[ファイル:Django Reinhardt Plaque Samois.JPG|thumb|150px|[[ジャズ]]・ギタリスト、[[ジャンゴ・ラインハルト]](1910-1953)没]]
[[Image:Jim Henson (1989) headshot (cropped).jpg|thumb|120px|[[セサミストリート]]などで知られる[[操り人形]]師、[[ジム・ヘンソン]](1936-1990)没]]
[[Image:Masaru_Hayami.jpg|thumb|120px|日銀総裁、[[速水優]](1925-2009)没]]
* [[1567年]]([[永禄]]10年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[武田義統]]、[[若狭国]]の[[戦国大名]](* [[1526年]])
* [[1629年]]([[寛永]]6年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[土居清良]]、[[武将|戦国武将]](* [[1546年]])
* [[1669年]] - [[ピエトロ・ダ・コルトーナ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Pietro-da-Cortona Pietro da Cortona Italian artist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[画家]](* [[1596年]])
* [[1703年]] - [[シャルル・ペロー]]、[[詩人]]、[[童話]]作家(* [[1628年]])
* [[1782年]] - [[ダニエル・ソランダー]]、[[植物学|植物学者]](* [[1733年]])
* [[1823年]]([[文政]]6年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[大田南畝]]、[[戯作|戯作者]](* [[1749年]])
* [[1830年]] - [[ジョゼフ・フーリエ]]、[[数学者]](* [[1768年]])
* 1830年([[文政]]13年[[3月24日 (旧暦)|閏3月24日]]) - [[石川雅望]](宿屋飯盛)、[[劇作家]]、[[国学|国学者]](* [[1754年]])
* [[1859年]]([[安政]]6年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[飯岡助五郎]]、[[侠客]](* [[1792年]])
* [[1872年]]([[明治]]5年4月10日) - [[佐藤泰然]]、[[医師]]、[[順天堂大学|順天堂]]創設者(* [[1804年]])
* [[1894年]] - [[北村透谷]]、[[詩人]]、[[評論家]](* [[1868年]])
* [[1914年]] - [[ピョートル・スヴャトポルク=ミルスキー]]、[[ロシア帝国]]内相(* [[1857年]])
* [[1915年]] - [[ジュリヤン・ボードリエ]]、[[書誌学|書誌学者]](* [[1860年]])
* [[1916年]] - [[桂文左衛門]]、[[落語家]](* [[1844年]])
* [[1920年]] - [[リーヴァイ・モートン]]、第22代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1824年]])
* [[1923年]] - [[山添喜三郎]]、建設[[技術者]](* [[1843年]])
* [[1924年]] - [[キャンディ・カミングス]]、プロ野球選手(* [[1848年]])
* 1924年 - [[小口太郎]]、[[歌人]]、[[科学者]](* [[1897年]])
* [[1926年]] - [[メフメト6世]]、[[オスマン帝国]][[スルタン]](* [[1861年]])
* [[1942年]] - [[金子堅太郎]]、[[政治家]](* [[1853年]])
* 1942年 - [[ブロニスワフ・マリノフスキ]]、[[人類学|人類学者]](* [[1884年]])
* [[1947年]] - [[フレデリック・ホプキンズ]]、[[生化学|生化学者]](* [[1861年]])
* [[1953年]] - [[ジャンゴ・ラインハルト]]、[[ジャズ]][[ギタリスト]](* [[1910年]])
* [[1954年]] - [[パトリック・マクドナルド]]、[[陸上競技]]選手(* [[1878年]])
* 1954年 - [[クレメンス・クラウス]]、[[指揮者]](* [[1893年]])
* 1954年 - [[ワーナー・ビショフ]]、[[写真家]](* [[1916年]])
* [[1955年]] - [[ジェームズ・エイジー]]、作家(* [[1909年]])
* [[1957年]] - [[エリオット・ネス]]、[[アメリカ合衆国財務省]]捜査官(* [[1903年]])
* [[1959年]] - [[ウィリアム・ハモンド・ライト]]、[[天文学者]](* [[1871年]])
* [[1960年]] - [[イーゴリ・グラーバリ]]、[[画家]]、美術修復家(* [[1871年]])
* [[1961年]] - [[喜多村緑郎 (初代)|喜多村緑郎]]、[[俳優]](* 1871年)
* [[1978年]] - [[ウィリアム・スタインバーグ]]、指揮者(* [[1899年]])
* [[1979年]] - [[春風亭柳橋 (6代目)]]、落語家(* 1899年)
* [[1990年]] - [[サミー・デイヴィスJr.]]、[[歌手]]、俳優(* [[1925年]])
* 1990年 - [[ジム・ヘンソン]]、[[マペット]]製作者、[[映画製作者]]、[[テレビプロデューサー]](* [[1936年]])
* 1990年 - [[土家歩]]、俳優(* [[1964年]])
* [[2002年]] - [[柳家小さん (5代目)|5代目柳家小さん]]、[[落語家]](* [[1915年]])
* 2002年 - [[荒井昌一]]、元[[フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング|FMW]][[社長]](* [[1965年]])
* [[2004年]] - [[リッカルド・ブレンゴーラ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1917年]])
* [[2005年]] - [[岡部冬彦]]、[[漫画家]](* [[1922年]])
* [[2006年]] - [[田村高廣]]、俳優(* [[1928年]])
* [[2008年]] - [[青ノ里盛]]、元[[大相撲]][[関脇]]、年寄14代[[立田川 (相撲)|立田川]](* [[1935年]])
* [[2009年]] - [[滝平二郎]]、[[切り絵]]作家(* [[1921年]])
* 2009年 - [[速水優]]、第28代[[日本銀行]][[総裁]](* [[1925年]])
* [[2010年]] - [[ロニー・ジェイムス・ディオ]]、[[ヘヴィメタル]][[ヴォーカリスト]](* [[1942年]])
* [[2011年]] - [[児玉清]]、俳優、[[司会者]](* [[1933年]])
* [[2012年]] - [[小林すすむ]]、俳優、[[タレント]](* [[1954年]])
* 2012年 - [[邱永漢]]、[[実業家]]、作家(* [[1924年]])
* [[2013年]] - [[ハインリッヒ・ローラー]]、[[物理学者]](* [[1933年]])
* [[2018年]] - [[星由里子]]、女優(* [[1943年]])
* 2018年 - [[西城秀樹]]、歌手、俳優(* [[1955年]])
* [[2019年]] - [[イオ・ミン・ペイ]]、[[建築家]](* [[1917年]])
* 2019年 - [[ボブ・ホーク]]、政治家、第23代[[オーストラリアの首相|連邦首相]](* [[1929年]]
* 2019年 - [[青木勝男]]、元プロ野球選手(* [[1946年]])
* 2019年 - [[加藤典洋]]、[[文芸評論家]](* [[1948年]])
* 2019年 - [[アシュリー・マッサーロ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/139389|title=WWE元人気ディーバ・アシュリーさん39歳で死去|publisher=東スポweb|date=2019-05-17|accessdate=2020-11-15}}</ref>、プロレスラー(* [[1979年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:OkuroHosomiti Senju.JPG|thumb|240px|[[松尾芭蕉]]、『[[おくのほそ道|奥の細道]]』の旅に出発(1689)。画像は[[千住宿]]の記念像]]
* 聖ブレンダンの祝日
*:[[カトリック教会]]における[[クロンファートのブレンダン]]の記念日。
* [[高額納税者公示制度|高額納税者公示]](長者番付発表)の開始日({{JPN}}、[[1947年]] - [[2005年]])。
* [[教師の日]]({{MYS}})
*: [[1956年]]のこの日、[[アブドゥル・ラザク|ラザク]]報告書として知られる、後のマレーシアの教育の基本となった報告書をマレーシア連邦行政委員会が承認したことを記念。
* 旅の日({{JPN}})
*:[[松尾芭蕉]]が「奥の細道」に旅立った日(旧暦[[元禄]]2年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]])にちなみ、[[1988年]]に日本旅のペンクラブが提唱。
* 性交禁忌の日({{JPN}})
*: 江戸時代の艶本『艶話枕筥』に、[[5月16日 (旧暦)|5月16日]](旧暦)は性交禁忌の日で、禁忌を破ると3年以内に死ぬと記載されていることから。
* 工事写真の日({{JPN}})
*: 工事写真の撮影、整理の大切さをアピールするため、同業務を行う有限会社多摩フォートが制定。日付は同社の創業記念日にちなむ<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=168|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0516|date=2011-6}}
* [[1999年]] - 日暮熟睡男とその弟・起男が決闘。起男、4年に一度の眠りの周期に入る。(アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』136話「五輪([[近代オリンピック|オリンピック]])にゃまだ早い?」)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 生年不明 - 島村ジョー、漫画・アニメ『[[サイボーグ009]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.mynavi.jp/article/20090524-a006/ |title=2009年は「サイボーグ009」イヤー! 島村ジョー誕生会に歴代の声優陣が集結 |date=2009-05-24 |publisher=[[マイナビニュース]] |accessdate=2022-09-05}}</ref>
* 生年不明 - 鳴神鮃助、漫画・アニメ『[[密・リターンズ!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - プリンプリン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Purin_Purin.html |title=プリンプリン |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-05 |publisher=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - スーマン・ダーク、漫画『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|date=2008-06-04|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃|page=46|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088742489}}</ref>
* 生年不明 - 日向順平、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1128683072583393280}}</ref>
* 生年不明 - バネッサ・エノテーカ、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://bclover.jp/character/ |title=黒の暴牛 - バネッサ・エノテーカ |publisher=田畠裕基/[[集英社]]・[[テレビ東京]]・ブラッククローバー製作委員会 |accessdate=2022-09-05}}</ref>
* 生年不明 - 笑師春樹、漫画・アニメ『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ルパート・ラング、漫画『[[CIPHER]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 山岸耕平、漫画・アニメ『[[ミラクル☆ガールズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 曹仁子孝、漫画・アニメ『[[一騎当千 (漫画)|一騎当千]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/ikki_eb/character/soujin/ |title=曹仁 子孝 |access-date=2022-09-05 |publisher=『一騎当千エクストラバースト(一騎EB)』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 水村史織、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=咲-Saki- Characters |work=小林立公式サイト |accessdate=2022-09-05}}</ref>
* 生年不明 - 草薙かさね、漫画『[[戦國ストレイズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |editor=スクウェア・エニックス|editor-link=スクウェア・エニックス|date= 2010-10-22 |title = 戦國ストレイズ 公式読本 |page = 50 |publisher = [[スクウェア・エニックス]] |series = ガイドブック |isbn = 978-4757529618}}</ref>
* 生年不明 - 鳴海ツバメ、漫画・アニメ『[[NEW GAME!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://newgame-anime.com/character/ |title=CHARACTER|鳴海ツバメ |publisher=TVアニメ『NEW GAME!!』オフィシャルサイト |accessdate=2022-09-05}}</ref>
* 生年不明 - 島津千香、アニメ『[[PSYCHO-PASS サイコパス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.noitamina-shop.com/event/id/472 |title=『甲鉄城のカバネリ』七夕キャンペーン連動企画~キャラクターバースデー星に願いを~開催! PSYCHO-PASS サイコパス 島津千香(5月16日) |access-date=2022-09-05 |publisher=ノイタミナショップ}}</ref>
* 生年不明 - 和浦・野乃、アニメ『[[戦翼のシグルドリーヴァ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sigururi|1393581946115182594}}</ref>
* 生年不明 - 春歌、読者参加企画『[[シスター・プリンセス]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 小雨、読者参加企画『[[Baby Princess]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 松本あずさ、『[[鉄道むすめ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 玉藻かのか、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 殿弥勒、メディアミックス『[[B-PROJECT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://bpro-official.com/artists/killerking/ |title=KiLLER KiNG {{!}} 殿弥 勒 |accessdate=2022-09-05 |publisher=B-PROJECT 公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 早乙女優美、ゲーム『[[ときめきメモリアル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=1996-04-01|title=ときめきメモリアルオフィシャルイラスト集|page=76|publisher=[[徳間書店]]|series=TIM MOOK|isbn=978-4198251123}}</ref>
* 生年不明 - 篠崎ヨシヱ、ゲーム・漫画・アニメ『[[コープスパーティー BloodCovered]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 三村章吾、ゲーム『[[Berry's]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cuffs-sphere.jp/products/berrys/char/syogo/ |title=三村章吾 |work=Berry's |accessdate=2022-09-05 |publisher=Sphere}}</ref>
* 生年不明 - 三毛縞斑、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/mikejima_madara/ |title=三毛縞 斑 {{!}} CHARACTER {{!}} |accessdate=2022-09-05 |publisher=あんさんぶるスターズ!!}}</ref>
* 生年不明 - マリー、ゲーム・アニメ『[[消滅都市]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shoumetsutoshi|864455201008238592}}</ref>
* 生年不明 - オズワルド、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=32&cate=name&cont=Oswald |title=オズワルド |access-date=2022-09-05 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 麗朔空、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.i-chu.jp/unit/alchemist/saku/ |title=麗 朔空 |access-date=2022-09-05 |publisher=アイ チュウ 公式サイト}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 16|16 May}}
{{新暦365日|5|15|5|17|[[4月16日]]|[[6月16日]]|[[5月16日 (旧暦)|5月16日]]|0516|5|16}}
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4,930 | 5月17日 | 5月17日(ごがつじゅうななにち、ごがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から137日目(閏年では138日目)にあたり、年末まであと228日ある。 | [
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'''5月17日'''(ごがつじゅうななにち、ごがつじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から137日目([[閏年]]では138日目)にあたり、年末まであと228日ある。
== できごと ==
[[Image:Buttonwood.png|thumb|200px|後の[[ニューヨーク証券取引所]]となる[[すずかけ協定]]が[[スズカケノキ]]の下で結ばれる(1792)]]
[[Image:Mohne_Dam_Breached.jpg|thumb|140px|[[チャスタイズ作戦]](1943)。画像は破壊されたメーネ・ダム]]
[[Image:USS_Stark_FFG-31_port_side_following_missile_strike.jpg|thumb|140px|米軍の[[フリゲート]]「[[スターク (フリゲート)|スターク]]」に[[イラク]]軍機のミサイル命中(1987)]]
* [[1792年]] - [[ニューヨーク]]の仲買人が[[すずかけ協定]]を結び[[ウォール街]]での証券取引が始まる。これが後に[[ニューヨーク証券取引所]]に発展する。
* [[1805年]] - [[ムハンマド・アリー]]が[[エジプト]]総督([[ワーリー]])に就任。
* [[1814年]] - [[ノルウェー憲法]]が採択され、[[デンマーク]]からの独立を宣言。デンマーク王家の[[クリスチャン8世 (デンマーク王)|クリスチャン・フレデリク]]がノルウェー王に就任。
* [[1833年]] - [[アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ]]が[[メキシコ]]大統領に就任。
* [[1860年]] - [[ドイツ]]の[[サッカー]]クラブ、[[TSV1860ミュンヘン]]が設立される。
* [[1865年]] - 万国電信連合(現 [[国際電気通信連合]])が発足する。
* [[1868年]]([[明治]]元年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - 日本から[[ハワイ]]への密航[[移民]]約150人が横浜を出港。
* [[1875年]] - 第1回[[ケンタッキーダービー]]が開催され、[[アリスティデス (競走馬)|アリスティデス]]が勝利。
* 1875年 - 最初の[[屯田兵]]が[[北海道]]に入植。
* [[1889年]] - [[府県制]]・[[郡制]]公布。
* [[1928年]] - [[1928年アムステルダムオリンピック|第9回夏季オリンピック・アムステルダム大会]]開幕。[[8月12日]]まで。
* [[1938年]] - [[日中戦争]]: [[徐州会戦]]で[[西住小次郎]]戦車小隊長が戦死。日中戦争初の[[軍神]]となる。
* [[1939年]] - [[福岡市]]で[[大日本航空球磨号墜落事故]]が発生。6人が死亡<ref>燃える機中に握る死の操縦桿『東京日日新聞』(昭和14年5月18日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p683 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
* [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ナチス・ドイツ]]によって[[ブリュッセル]]が占領される。
* [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[イギリス空軍]]の[[第617中隊 (イギリス空軍)|第617中隊]]によって[[チャスタイズ作戦]]が行われる。
* [[1945年]] - [[富山地方鉄道本線]][[越中三郷駅]] - [[東新庄駅]]間で、電車正面衝突事故。乗客ら45人が死亡、重傷者85人、軽傷者115人。
* [[1947年]] - [[参議院]]の無所属議員58人が[[院内会派]]・[[緑風会]]を結成。
* [[1954年]] - [[合衆国最高裁判所|アメリカ合衆国最高裁判所]]が[[ブラウン対教育委員会裁判]]で、「人種分離した教育機関は不平等」との判決を出す。
* [[1956年]] - [[石原慎太郎]]原作の映画『[[太陽の季節]]』が封切り。[[石原裕次郎]]が映画デビュー。
* [[1962年]] - [[大日本製薬]]が、前年11月に[[奇形児]]出産の恐れがあると指摘されるも製造を続けていた[[サリドマイド]]の出荷を停止。
* [[1969年]] - [[ベネラ計画]]:ソ連の金星探査機「[[ベネラ6号]]」が[[金星]]に着陸。
* [[1972年]] - [[仙台市営バス]]の車内で、座席下に仕掛けられた爆発物が爆発。乗客33人が重軽傷<ref>「走る市バスで爆発 乗客33人が重軽傷」『朝日新聞』昭和47年(1972年)5月18日、13版、3面</ref>。
* [[1973年]] - [[ウォーターゲート事件]]: [[上院ウォーターゲート特別委員会]]の[[公聴会]]を開始。<!-- enより -->
* [[1978年]] - [[エルサルバドル]]で日本とエルサルバドルの[[合弁企業]][[インシンカ]]の社長・[[松本不二雄]]が、FARN(全国抵抗武装軍)と名乗る組織により[[誘拐]]。同年10月に遺体で発見。(日本時間[[5月18日]])
* 1978年 - [[海上自衛隊]]の[[PS-1]]が[[高知県]][[梼原町]]の山中に墜落。13人死亡<ref>12人死に1人不明 不明自衛隊機 山中激突、バラバラ『朝日新聞』1978年(昭和53年)5月18日夕刊、3版、11面</ref>。
* [[1983年]] - [[レバノン]]・[[イスラエル]]・アメリカが、レバノンからのイスラエル軍の撤兵協定に調印。
* [[1985年]] - [[雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律|男女雇用機会均等法]]が成立。
* [[1987年]] - [[アメリカ海軍]]の[[フリゲート]]「[[スターク (フリゲート)|スターク]]」に[[イラク]]軍機が発射した[[ミサイル]]が命中し、37名の死者を出す。
* [[1990年]] - [[世界保健機関]]で[[疾病及び関連保健問題の国際統計分類|国際障害疾病分類]]から[[同性愛]]を削除することが決議。
* [[1991年]] - [[暗黒の5月事件]]。[[タイ王国]]で[[スチンダー・クラープラユーン]]将軍の首相就任に反発した国民が抗議デモ。軍部が武力で鎮圧し、300名以上の死者が出る。
* [[1994年]] - [[マラウイ]]で建国以来初の[[複数政党制]]による[[1994年マラウイ総選挙|総選挙]]を実施。
* [[1995年]] - [[ジャック・シラク]]が[[フランスの大統領]]に就任。
* 1995年 - [[チベット]]で当時6歳の [[ゲンドゥン・チューキ・ニマ|パンチェン・ラマ11世]]が中国政府によって拉致される。
* [[1997年]] - [[第一次コンゴ戦争]]: [[コンゴ・ザイール解放民主勢力連合]] (AFDL) の[[ローラン・カビラ]]が勝利宣言をして大統領に就任し、国名を[[ザイール]]から[[コンゴ民主共和国]]に変更する。
* [[2004年]] - [[マサチューセッツ州]]で[[同性結婚]]が法的に認められる。
* [[2007年]] - [[ロシア正教会]]と[[在外ロシア正教会]]の和解が成立。
* 2007年 - [[京義線・東海線鉄道及び道路の連結事業]]: [[大韓民国|韓国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の間で56年ぶりに分断された南北鉄道で鉄道の試運転が行われる。
* 2007年 - [[愛知長久手町立てこもり発砲事件]]。[[愛知県]][[長久手町]]で男が発砲、人質を取り立てこもる。[[特殊急襲部隊|SAT]]に初の殉職者。
* [[2015年]] - [[大阪都構想]]の是非を問う住民投票が行われ、反対多数で否決<ref name="OYT8T50022">{{Cite web|和書|date=2015年5月18日 |url=https://www.yomiuri.co.jp/feature/matome/20150518-OYT8T50022.html |title=0.8ポイント差 反対多数…大阪市存続 : 特集 |publisher=読売新聞(YOMIURI ONLINE) |accessdate=2018-11-23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161104205711/https://www.yomiuri.co.jp/feature/matome/20150518-OYT8T50022.html |archivedate=2016-11-04}}</ref>。提唱者であった[[橋下徹]]は政治家引退を表明<ref name="OYT8T50022" />。
* [[2019年]] - 台湾の立法院(議会)が、[[同性婚]]を合法化する法案を可決し、アジアでは初めて同性婚が法的に認められることとなる<ref>[https://www.bbc.com/japanese/48305927 台湾、同性婚認める法案を可決 アジア初] BBCニュース (2019年5月17日) 2021年2月16日閲覧。</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Edward_Jenner2.jpg|thumb|upright|[[天然痘]]のワクチンを開発した医学者、[[エドワード・ジェンナー]] (1749-1823) 誕生。]]
[[Image:SatiebyValadon.jpg|thumb|180px|作曲家[[エリック・サティ]] (1866-1925) 誕生。画像は[[シュザンヌ・ヴァラドン]]による肖像。{{audio|Erik Satie - gymnopedies - la 1 ere. lent et douloureux.ogg|『ジムノペディ』第1番 (1888) を聴く}}]]
[[Image:Yasui Sotaro-Chin Jung.jpg|thumb|180px|洋画家、[[安井曾太郎]] (1888-1955) 誕生。画像は『金蓉』(1934)]]
[[Image:DennisHopperMar10.jpg|thumb|upright|俳優[[デニス・ホッパー]] (1936-2010)]]
* [[1155年]]([[久寿]]2年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[慈円]]、[[鎌倉時代]]の[[天台宗]]の[[僧]](+ [[1225年]])
* [[1661年]]([[万治]]4年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[松平忠周]]、[[信濃国]][[上田藩]]主(+ [[1728年]])
* [[1749年]] - [[エドワード・ジェンナー]]、[[医学者]](+ [[1823年]])
* [[1817年]] - [[イリニ・ヤーノシュ]]、[[発明家]]、[[化学者]](+ [[1895年]])
* [[1836年]] - [[ノーマン・ロッキャー]]、[[天文学者]](+ [[1920年]])
* 1836年 - [[ヴィルヘルム・シュタイニッツ]]、[[チェス]]プレイヤー(+ [[1900年]])
* [[1844年]] - [[ユリウス・ヴェルハウゼン]]、[[聖書学者の一覧|聖書学者]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1918年]])
* [[1863年]]([[文久]]3年[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]) - [[町田忠治]]、[[政治家]](+ [[1946年]])
* [[1866年]] - [[エリック・サティ]]、[[作曲家]](+ [[1925年]])
* [[1873年]] - [[アンリ・バルビュス]]、[[作家]]、[[社会運動家一覧|社会運動家]](+ [[1935年]])
* 1873年 - [[ドロシー・リチャードソン]]、[[小説家]](+ [[1957年]])
* [[1886年]] - [[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]、[[スペイン]][[国王]](+ [[1941年]])
* 1886年 - [[ワルワーラ・ブブノワ]]、[[美術家]](+ [[1983年]])
* [[1888年]] - [[安井曽太郎]]、[[画家]](+ [[1955年]])
* [[1889年]] - [[雨宮治郎]]、[[彫刻家]](+ [[1970年]])
* [[1897年]] - [[オッド・ハッセル]]、[[物理化学|物理化学者]](+ [[1981年]])
* [[1901年]] - [[古在由重]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1990年]])
* [[1903年]] - [[クール・パパ・ベル]]、[[ニグロリーグ]]の[[野球選手]](+ [[1991年]])
* [[1904年]] - [[ジャン・ギャバン]]、[[俳優]](+ [[1976年]])
* [[1907年]] - [[塩見俊二]]、[[政治家]](+ [[1980年]])
* [[1908年]] - [[井口基成]]、[[ピアニスト]](+ [[1983年]])
* [[1909年]] - [[カール・シェーファー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ 1976年)
* 1909年 - [[横山隆一]]、[[漫画家]](+ [[2001年]])
* [[1911年]] - [[モーリン・オサリヴァン]]、[[俳優|女優]](+ [[1998年]])
* [[1912年]] - [[シャーンドル・ヴェーグ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1997年]])
* [[1916年]] - [[石沢英太郎]]、[[推理作家]](+ [[1988年]])
* 1916年 - [[中山武]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1975年]])
* [[1918年]] - [[ビルギット・ニルソン]]、[[ソプラノ]]歌手(+ [[2005年]])
* [[1921年]] - [[デニス・ブレイン]]、[[ホルン]]奏者(+ [[1957年]])
* [[1923年]] - [[久保吾一]]、元プロ野球選手(+ [[1988年]])
<!--* [[1924年]] - [[橋本達男]]、[[ヤクザ]]-->
* [[1926年]] - [[氏家齊一郎]]、[[日本テレビ放送網]]会長(+ [[2011年]])
* 1926年 - [[松本善明]]、[[弁護士]]、[[政治家]](+ [[2019年]])
* [[1928年]] - [[長谷部栄一]]、元プロ野球選手(+ [[2017年]])
* [[1935年]] - [[松尾和子]]、[[歌手]](+ [[1992年]])
* 1935年 - [[北葉山英俊]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[年寄]]11代[[枝川 (相撲)|枝川]](+ [[2010年]])
* 1935年 - [[海野尚武]]、元プロ野球選手
* [[1936年]] - [[デニス・ホッパー]]、俳優(+ [[2010年]])
* [[1937年]] - [[安部譲二]]、[[小説家]](+ [[2019年]]<ref>{{Cite news|url= https://www.asahi.com/articles/ASM983CXRM98UCLV001.html |title= 作家の安部譲二さん死去 「塀の中の懲りない面々」 |newspaper= 朝日新聞 |publisher= 朝日新聞社 |date= 2019-9-8 |accessdate= 2020-11-08 }}</ref>)
* [[1940年]] - [[アラン・ケイ]]、[[計算機科学|計算機科学者]]
* 1940年 - [[フランク・ヤシック]]、元プロ野球選手
* 1940年 - [[イングリート・ヴェンドル]]、フィギュアスケート選手
* [[1941年]] - [[藤公之介]]、[[作詞家]]
* [[1944年]] - [[舟崎靖子]]、[[詩人]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]]
* 1944年 - [[ポール・クロスリー]]、[[ピアニスト]]
* [[1945年]] - [[トニー・ローチ]]、[[テニス選手一覧 (男子)|テニス選手]]
* [[1946年]] - [[須田健治]]、政治家、元[[新座市]]長
* [[1947年]] - [[北角富士雄]]、元プロ野球選手(+ [[2008年]])
* [[1948年]] - [[高橋里志]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]])
* 1948年 - [[カルロス・メイ]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[加納茂徳]]、元プロ野球選手
* 1949年 - [[ビル・ブルーフォード]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[イエス (バンド)|イエス]]、[[キング・クリムゾン]])
* [[1950年]] - [[土肥健二]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[太地琴恵]]、女優、声優
* 1951年 - [[松本龍 (政治家)|松本龍]]、政治家、[[衆議院議員]](+ [[2018年]])
* [[1953年]] - [[島田陽子]]、女優(+[[2022年]])
* [[1955年]] - [[ビル・パクストン]]、俳優(+ [[2017年]]<ref>『[http://www.dailymail.co.uk/news/article-4261440/Titanic-star-Bill-Paxton-dies-age-61.html 'Thanks for the good wishes. It will help me face this ordeal': Email from Apollo 13 actor Bill Paxton to director reveals he was nervous about heart surgery that led to his untimely death at 61]』2017年2月26日 [[デイリー・メール]]</ref>)
* [[1956年]] - [[ボブ・サゲット]]、[[コメディアン]]、俳優(+ [[2022年]])
* 1956年 - [[相本芳彦]]、アナウンサー
* 1956年 - [[シュガー・レイ・レナード]]、[[プロボクサー]]
* [[1957年]] - [[団野村]]、元プロ野球選手、交渉代理人
* [[1958年]] - [[ひかわ玲子]]、小説家
* [[1959年]] - [[池田親興]]、元プロ野球選手
* 1959年 - [[中村知美]]、実業家、[[SUBARU]]社長、[[スバル・オブ・アメリカ]]会長
* 1959年 - [[山形由美]]、[[フルート]]奏者
* 1959年 - [[アンソニー・レイド]]、レーシングドライバー
* [[1960年]] - [[早川和夫]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[エンヤ]]、[[ミュージシャン]]
* [[1964年]] - [[曽利文彦]]、[[映画監督]]
* [[1965年]] - [[田原浩史]]、元[[アナウンサー]]
* 1965年 - [[トレント・レズナー]]、ミュージシャン([[ナイン・インチ・ネイルズ]])
* [[1966年]] - [[常盤響]]、[[写真家]]
* [[1967年]] - [[三輪テツヤ]]、ミュージシャン([[スピッツ (バンド)|スピッツ]])
* [[1968年]] - [[城之内早苗]]、歌手
* 1968年 - [[斎藤陽子]]、[[タレント]]、元アナウンサー
* 1968年 - [[デイヴ・アブラジーズ]]、[[ドラマー]]
* [[1969年]] - [[五十嵐充]]、ミュージシャン(元[[Every Little Thing]])
* 1969年 - [[我那覇文章]]、元[[俳優]]
* 1969年 - [[Andy山本]]、[[ゲームソフト]][[プロデューサー]]
* 1969年 - [[木戸脇真也]]、元プロテニス選手
* 1969年 - [[森雄一]]、[[ディスクジョッキー]]
* [[1970年]] - [[坂井真紀]]、女優
* 1970年 - [[大貫かおり]]、タレント
* 1970年 - [[セバスチャン・ブリテン]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1973年]] - [[白木清か]]、元アナウンサー
* 1973年 - [[細川延由]]、バレーボール選手
* [[1974年]] - [[副島孔太]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[内田貴光]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]]
* 1974年 - [[アンドレア・コアー]]、ミュージシャン([[ザ・コアーズ]])
* 1974年 - 川谷修士、お笑い芸人([[2丁拳銃]])
* [[1975年]] - [[スコット・シーボル]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[エリエル・サンチェス (捕手)|エリエル・サンチェス]]、野球選手
* [[1976年]] - [[井ノ原快彦]]、俳優、歌手、アイドル([[20th Century (グループ)|20th Century]])
* 1976年 - 井川修司、[[お笑い芸人]]([[イワイガワ]])
* 1976年 - [[ホセ・ギーエン]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[狩野美雪]]、元バレーボール選手
* 1977年 - [[奈良将史]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[斉藤一平]] 、俳優、プロボクサー
* 1977年 - [[皆川賢太郎]]、元[[アルペンスキー]]選手
* [[1978年]] - [[渡邉恒樹]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[カルロス・ペーニャ]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[山岸範宏]]、[[サッカー選手]]
* 1978年 - 林健、お笑い芸人([[ギャロップ (お笑いコンビ)|ギャロップ]])
* [[1981年]] - [[久保田裕之]]、[[ファッションモデル]]、俳優
* 1981年 - [[フラビア・オッタビアーニ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1981年 - [[シリ・マイモン]]、歌手
* [[1982年]] - [[大黒美和子]]、歌手
* 1982年 - [[中村礼子]]、元[[水泳選手一覧|水泳選手]]
* 1982年 - [[トニー・パーカー]]、元[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* 1982年 - [[ニック・マセット]]、プロ野球選手
* [[1983年]] - [[小正裕佳子]]、[[疫学]]者、元アナウンサー
* 1983年 - [[松田宣浩]]、プロ野球選手
* 1983年 - [[財津ひろみ]]、[[福岡放送]]アナウンサー
* [[1984年]] - [[伊崎右典]]、俳優、歌手(元[[FLAME]])
* 1984年 - [[伊崎央登]]、俳優、歌手(元FLAME)
* 1984年 - [[クリスティアン・ボラーニョス]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* 1984年 - [[イゴール・デニソフ]]、元サッカー選手
* 1984年 - [[生野陽子]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサー
* 1984年 - [[寺田桜子]]、元[[カーリング]]選手
* 1984年 - [[飯田洋輔]]、[[劇団四季]]俳優
* 1984年 - [[パッセンジャー (歌手)|パッセンジャー]]、歌手
* [[1985年]] - [[マット・ライアン]]、アメリカンフットボール選手
* [[1986年]] - [[神子島みか]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* [[1988年]] - [[米倉恒貴]]、サッカー選手
* [[1989年]] - [[テッサ・ヴァーチュ]]、[[フィギュアスケート]][[アイスダンス]]選手
* 1989年 - [[レッツゴーよしまさ]]、ものまねタレント
* [[1990年]] - [[松田翔太 (野球)|松田翔太]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[菅沼駿哉]]、サッカー選手
* 1990年 - [[レヴェン・ランビン]]、女優
* [[1991年]] - [[小林香菜]]、タレント、アイドル(元[[AKB48]])
* 1991年 - [[豊福晃司]]、元プロ野球選手
* 1991年 - [[辻本達規]]、タレント([[BOYS AND MEN]])
* [[1992年]] - [[ベン・ギャメル]]、プロ野球選手
* [[1993年]] - [[岩本照]]、アイドル([[Snow Man]])
* 1993年 - [[佐山彩香]]、女優、元[[グラビアアイドル]]
* 1993年 - [[鴨下望美]]、秋田放送アナウンサー
* [[1994年]] - [[溝脇隼人]]、プロ野球選手
* 1994年 - アンゴラ村長、お笑いタレント([[にゃんこスター]])
* [[1997年]] - [[田中若葉]]、ファッションモデル
* [[1998年]] - [[朝長美桜]]、アイドル(元[[HKT48]])
* 1998年 - [[高山優希]]、元プロ野球選手
* [[2000年]] - [[長月翠]]、グラビアアイドル、元[[ラストアイドル]]
* [[2002年]] - [[元謙太]]、プロ野球選手
* 2002年 - [[阿部菜々実]]、シンガーソングライター、アイドル(元[[ラストアイドル]])
* 2002年 - [[松本遼大]]、プロ野球選手
* 2002年 - [[長谷川信哉]]、プロ野球選手
* [[2004年]] - [[三野宮鈴]]、グラビアアイドル、タレント
* 生年不明 - [[杏ちゃむ]]、プロレスラー、グラビアアイドル
=== 人物以外(動物など) ===
*[[1999年]] - [[アドマイヤドン]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]]
== 忌日 ==
[[Image:Botticelli-primavera.jpg|thumb|300px|[[ルネサンス]]の画家[[サンドロ・ボッティチェッリ]](1445-1510)没。画像は『プリマヴェーラ』(1482頃)]]
[[Image:Talleyrand_01.jpg|thumb|upright|フランスの政治家[[シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール|タレーラン]](1754-1838)。{{Squote|政体は衰え倒れるかもしれないが、私はそうではない。}}]]
[[File:Tomb of Shinsaku Takasugi (Shimonoseki).jpg|thumb|upright|[[幕末]]の[[志士]]、[[高杉晋作]](1839-1867)結核で病死。{{Squote|おもしろき こともなき世を おもしろく――[[辞世の句]]}}]]
[[Image:%E6%B3%95%E8%94%B5%E5%AF%BA_%28%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%B8%82%2904.jpg|thumb|upright|[[新撰組]]局長、[[近藤勇]](1834-1868)斬首。{{Squote|快受電光三尺剣 只将一死報君恩――[[辞世の句]]}}]]
[[Image:Funeral_of_Empress_Teimei.JPG|thumb|upright|[[貞明皇后]](1884-1951)]]
=== 人物 ===
* [[1246年]]([[寛元]]4年[[4月1日 (旧暦)|閏4月1日]]) - [[北条経時]]、[[鎌倉幕府]]第4代[[執権]](* [[1224年]])
* [[1336年]]([[正慶]]5年/[[延元]]元年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[後伏見天皇]]、93代[[天皇]](* [[1288年]])
* [[1510年]] - [[サンドロ・ボッティチェッリ]]、[[画家]](* [[1445年]])
* [[1626年]] - [[ジョアン・パウ・プジョル]]、[[作曲家]](* [[1570年]])
* [[1643年]] - [[ジョヴァンニ・ピッキ]]、作曲家(* [[1571年]]/[[1572年]])
* [[1727年]] - [[エカチェリーナ1世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ1世]]、[[ロシア皇帝]](* [[1684年]])
* [[1735年]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・カール (ブランデンブルク=バイロイト辺境伯)|ゲオルク・フリードリヒ・カール]]、[[バイロイト侯領]]の[[辺境伯]](* [[1688年]])
* [[1765年]] - [[アレクシス・クレロー]]、[[数学者]](* [[1713年]])
* [[1786年]]([[天明]]6年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[趙陶斎]]、[[書家]](* [[1713年]])
* [[1799年]]([[寛政]]11年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[桑山玉洲]]、[[文人画|文人画家]](* [[1746年]])
* [[1818年]]([[文政]]元年4月13日) - [[伊能忠敬]]、測量家(* [[1745年]])
* [[1838年]] - [[シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール|タレーラン=ペリゴール]]、[[フランス革命]]期の政治家(* [[1754年]])
* 1838年 - [[ルネ・カイエ]]、[[探検家]](* [[1799年]])
* [[1858年]] - [[ヘレーネ・ツー・メクレンブルク=シュヴェリーン|ヘレーネ]]、[[オルレアン公]][[フェルディナン・フィリップ (オルレアン公)|フェルディナン・フィリップ]]の妃(* [[1814年]])
* [[1867年]]([[慶応]]3年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[高杉晋作]]、[[幕末]]の[[志士]](* [[1839年]])
* [[1868年]](慶応4年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - [[近藤勇]]、[[新選組]]局長(* [[1834年]])
* [[1871年]]([[明治]]4年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]) - [[毛利敬親]]、[[長州藩|長州藩主]](* [[1819年]])
* [[1875年]] - [[ジョン・C・ブレッキニリッジ]]、第14代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1821年]])
* [[1884年]] - [[ルイ・ブラッサン]]、[[ピアニスト]]、作曲家(* [[1840年]])
* [[1886年]] - 3代目[[桂文吾]]、[[落語家]]
* [[1889年]] - [[マリー・フォン・プロイセン (1825-1889)|マリー]]、[[バイエルン王国|バイエルン王]][[マクシミリアン2世 (バイエルン王)|マクシミリアン2世]]の妃(* [[1811年]])
* 1889年 - [[マルセル・モイーズ]]、[[フルート奏者]](+ [[1984年]])
* [[1890年]] - [[沼間守一]]、[[ジャーナリスト]]、[[自由民権運動]]の[[積極行動主義|活動家]]、[[東京府]]会議長(* [[1844年]])
* [[1905年]] - [[ジョン・アバディー]]、プロ野球選手(* [[1854年]])
* [[1908年]] - [[徳川義礼]]、[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](* [[1863年]])
* [[1917年]] - [[チャールズ・ブルック]]、第2代[[サラワク王国|サラワク王]](* [[1829年]])
* [[1919年]] - [[中村歌六 (3代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1849年]])
* [[1934年]] - [[キャス・ギルバート]]、[[建築家]](* [[1859年]])
* [[1935年]] - [[ポール・デュカス]]、作曲家(* [[1865年]])
* [[1945年]] - [[滝精一]]、[[美術史|美術史家]](* [[1875年]])
* [[1949年]] - [[バラージュ・ベーラ]]、[[映画評論家]]、[[詩人]]、[[劇作家]](* [[1884年]])
* 1949年 - [[海野十三]]、[[SF作家]](* [[1897年]])
* [[1951年]] - [[貞明皇后]]、[[皇族]]、[[大正天皇]]の皇后(* [[1884年]])
* [[1958年]] - [[桜井弥一郎]]、[[野球選手]](* [[1883年]])
* [[1964年]] - [[出羽湊利吉]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1907年]])
* [[1966年]] - [[ランディ・ターピン]]、[[プロボクサー]](* [[1928年]])
* [[1981年]] - [[ヒューゴー・フリードホーファー]]、作曲家(* [[1901年]])
* 1981年 - [[服部富子]]、歌手(* [[1917年]])
* 1986年 - [[リュドミラ・パホモワ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1946年]])
* [[1987年]] - [[グンナー・ミュルダール]]、[[経済学者]](* [[1898年]])
* [[1989年]] - [[フィン・ユール]]、[[家具デザイナー]](* [[1912年]])
* [[1991年]] - [[ジョージ・イヴリン・ハッチンソン]]、[[動物学|動物学者]](* [[1903年]])
* [[1993年]] - [[猪熊弦一郎]]、[[画家]](* [[1902年]])
* [[1994年]] - [[古岡秀人]]、[[編集者]]、[[学研ホールディングス|学習研究社]]創業者(* [[1908年]])
* 1994年 - [[村松剛]]、[[評論家]]、[[フランス文学者]](* [[1929年]])
* [[1996年]] - [[ジョニー・"ギター"・ワトソン]]、[[ブルース]][[ギタリスト]](* [[1935年]])
* [[1999年]] - [[ブルース・フェアバーン]]、[[音楽プロデューサー]](* [[1949年]])
* [[2000年]] - [[ドナルド・コガン]]、[[カンタベリー大主教]](* [[1909年]])
* [[2001年]] - [[團伊玖磨]]、作曲家、[[エッセイスト]](* [[1924年]])
* [[2002年]] - [[兼田敏]]、作曲家(* [[1935年]])
* [[2004年]] - [[矢野幸夫]]、元[[調教師]]、馬の[[整体師]](* [[1917年]])
* [[2004年]] - [[イッズッディーン・サリーム]]、[[イラク統治評議会]]議長(* [[1943年]])
* 2004年 - [[鈴木貴久]]、元[[プロ野球選手]](* [[1963年]])
* [[2005年]] - [[池田純一]]、元プロ野球選手(* [[1946年]])
* [[2007年]] - [[ロイド・アリグザンダー]]、[[児童文学]]・[[ファンタジー]]作家(* [[1924年]])
* 2007年 - [[塩沢とき]]、[[俳優|女優]](* [[1928年]])
* 2007年 - [[藤原伊織]]、[[小説家]](* [[1948年]])
* [[2008年]] - [[松田光弘]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1934年]])
* [[2009年]] - [[頼近美津子]]、[[アナウンサー]]、[[司会|司会者]]、女優(* [[1955年]])
* 2009年 - [[宇佐美徹也]]、[[スポーツライター]]、日本プロ野球公式記録員(* [[1933年]])
* [[2011年]] - [[ハーモン・キルブルー]]、元プロ野球選手(* [[1936年]])
* [[2012年]] - [[ドナ・サマー]]、[[ポップ・ミュージック]]歌手(* [[1948年]])
* [[2014年]] - [[笹原忠義]]、[[実業家]]、元アナウンサー(* [[1954年]])
* [[2015年]] - [[車谷長吉]]、[[作家]](* [[1945年]])
* [[2016年]] - [[堀内光雄]]<ref>{{Cite news|title=堀内光雄元通産相が死去|newspaper=産経新聞|date=2016-5-17|url=https://www.sankei.com/article/20160517-P2AEXQI7YZJF7PDRZSFD66L57I/|accessdate=2020-11-15}}</ref>、[[政治家]]、[[富士急行]][[会長]](* [[1930年]])
* 2016年 - [[水谷優子]]<ref name="oricon">[https://www.oricon.co.jp/news/2071912/full/ 声優・水谷優子さん、乳がんで死去 『ちびまる子ちゃん』お姉ちゃんなど],ORICON STYLE,2016年5月19日</ref>、[[声優]]、歌手、[[ナレーター]](* [[1964年]])
* [[2017年]] - [[坂井隆憲]]、政治家(* [[1947年]])
* 2017年 - [[クリス・コーネル]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/51128|title=クリス・コーネル、52歳で死去|publisher=ビルボードジャパン|accessdate=2020-10-23|date=2017-05-18}}</ref>、ミュージシャン(* [[1964年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1947年]] - [[シービスケット]]、[[競走馬]](* [[1933年]])
* [[2018年]] - [[テイエムオペラオー]]、競走馬(* [[1996年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:ITU_monument%2C_Bern.jpg|thumb|230px|[[国際電気通信連合]]の前身、万国電信連合発足(1865)]]
[[Image:Barnetog 17mai.jpg|thumb|240px|[[ノルウェー]]の憲法記念日]]
* [[世界情報社会・電気通信日]]({{World}})
*: [[1865年]]のこの日に[[国際電気通信連合]] (ITU) の前身である万国電信連合が設立されたことを記念し、国際電気通信連合が[[1973年]]に「世界電気通信の日」として制定した。[[2005年]]の世界情報通信サミットにおいて世界電気通信の日と同じ5月17日を「世界情報社会の日」とすることが決議され、翌2006年のITU全権大使会議において、2つの国際デーをあわせて「世界電気通信および情報社会の日」とすることが決議された。
*[[世界高血圧デー|世界高血圧デー(高血圧の日)]]({{World}})
*:世界高血圧連盟が[[2005年]]に制定。日本では[[2007年]]から「高血圧の日」として実施されている。
* [[国際反ホモフォビアの日]]({{World}})
*: [[1990年]]のこの日に[[世界保健機関]]で[[疾病及び関連保健問題の国際統計分類|国際障害疾病分類]]から[[同性愛]]を削除することが決議されたことを記念。
* {{仮リンク|憲法記念日 (ノルウェー)|en|Norwegian Constitution Day|label=憲法記念日}}({{NOR}})
*: [[1814年]]のこの日、オスロ郊外のアイツヴォルでノルウェー憲法が調印された。
* [[憲法記念日]]({{NRU}})
*: [[1968年]]のこの日に憲法が制定されたことを記念。
* 解放記念日({{COD}})
*: [[1997年]]のこの日、[[コンゴ・ザイール解放民主勢力連合]] (AFDL) の[[ローラン・カビラ]]が[[第一次コンゴ戦争]]の勝利宣言をしたことを記念。
* 生命・きずなの日({{JPN}})
*: [[移植 (医療)|臓器提供]]したドナーの家族で作る日本ドナー家族クラブが[[2002年]]に制定。5月は新緑の候で生命の萌え立つ季節であることから、17日は「ド(十=とお)ナー(七)」の語呂合せ。
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
*1951年(昭和26年)- [[金田一耕助]]が[[修善寺]]のホテル松籟荘に投宿。(小説『[[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]]』第2章)
* [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - ジオン公国軍、宇宙要塞[[ソロモン (ガンダムシリーズ)|ソロモン]]機能開始。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1975年]] - パイ・チェン、ゲーム『[[バーチャファイター]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sega_official|864646498989989888}}</ref>
* [[2003年]] - 宮沢風花、テレビアニメ『[[白い砂のアクアトープ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Rikako_Aida|1526516689332215808}}</ref>
* [[2079年]] - アミナ、ゲーム『[[スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=74|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref>
* 生年不明 - 三橋廉、漫画『[[おおきく振りかぶって]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oofuri.com/1st/chara/index.html |title=西浦高校 三橋廉 |access-date=2023-2-02 |publisher=[[ひぐちアサ]]・[[講談社]]/おお振り製作委員会 |work=『おおきく振りかぶって』}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/oofuri/1st/04chara/chara.html |title=Character 三橋 廉 |access-date=2023-02-02 |publisher=[[ひぐちアサ]]・[[講談社]]/おお振り製作委員会 TBSアニメーション |work=『おおきく振りかぶって』}}</ref><ref> {{Cite book|和書|year=2008|title=PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」|page=8|publisher=[[主婦と生活社]]|isbn=978-4-391-62643-8}}</ref>
* 生年不明 - Nicollas Romero、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2020|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-882283-9|quote=|date=|volume=43巻|page=184}}</ref>
* 生年不明 - 新子憧、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』・『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|author=[[小林立]] |url=http://sciasta.com/characters.html |title=新子 憧(あたらし あこ) |publisher=[[小林立]] |accessdate=2023-02-02 |work=『咲-Saki-』}}</ref>
* 生年不明 - 亜風炉照美(アフロディ)、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=2022-09-18}}</ref>
* 生年不明 - 桃智あすか、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|600189978866372608}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#北上麗花|北上麗花]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://millionlive-theaterdays.idolmaster-official.jp/idol/reika/ |title=北上 麗花 |access-date=2023-02-02 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER MILLION LIVE! THEATER DAYS』}}</ref>
* 生年不明 - 御影須美、ゲーム 『[[ぶらばん! -The bonds of melody-]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ミドリコ、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド|publisher=KADOKAWA|year=2015|pages=36,326|isbn=978-4-04-869406-3}}</ref>
* 生年不明 - 天馬司、ゲーム『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://pjsekai.sega.jp/character/unite04/tsukasa/index.html |title=天馬司 |access-date=2022-09-18 |publisher=セガ×Craft Egg/Colorful Palette |work=『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク』}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 17|17 May}}
{{新暦365日|5|16|5|18|[[4月17日]]|[[6月17日]]|[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]|0517|5|17}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T16:12:38Z | 2023-12-23T06:58:45Z | false | false | false | [
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4,931 | 5月18日 | 5月18日(ごがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から138日目(閏年では139日目)にあたり、年末まではあと227日ある。 | [
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== できごと ==
<!-- [[Image:Battle_of_Las_Piedras.jpg|thumb|200px|[[ウルグアイ]]独立戦争、[[ラス・ピエドラスの戦い]](1811)]] -->
[[Image:Nationalversammlung in der Paulskirche.jpg|thumb|160px|[[フランクフルト国民議会]]開会(1848)]]
<!-- [[Image:Siege_of_Vicksburg_by_Kurz_%26_Allison.jpg|thumb|160px|[[南北戦争]]、[[ビックスバーグの包囲戦]]はじまる(1863)]] -->
<!-- [[Image:PalmercarpenterA.jpg|thumb|170px|[[テネシー川流域開発公社]]発足(1933)]] -->
[[Image:21_May_1936_issue_of_Tokyo_Asahi_Shimbun.JPG|thumb|140px|[[阿部定事件]](1936)。画像は21日の新聞]]
[[Image:5.18park.jpg|thumb|140px|韓国の民主化運動、[[光州事件]](1980)]]
[[Image:MSH80_eruption_mount_st_helens_05-18-80.jpg|thumb|100px|[[セント・ヘレンズ山]]噴火(1980)]]
* [[1152年]] - 2か月前にフランス王[[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]と離婚したばかりの[[アリエノール・ダキテーヌ]]がアンジュー伯アンリ(後のイングランド王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]])と結婚{{要出典|date=2021-03}}。
* [[1268年]] - [[アンティオキア公国]]が[[マムルーク朝]]スルタン・[[バイバルス]]により滅亡。
* [[1584年]]([[天正]]12年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[小牧・長久手の戦い#長久手の戦い|長久手の戦い]]。
* [[1729年]]([[享保]]14年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - 将軍[[徳川吉宗]]の子と偽り勘定奉行・[[稲生正武]]に見破られた[[天一坊改行]]が処刑される。([[天一坊事件]])
* [[1756年]] - [[イングランド]]が[[フランス]]に宣戦布告し、[[七年戦争]]が始まる。
* [[1775年]] - [[大陸海軍]]が初代「エンタープライズ」を「ジョージ」という艦名で取得する。
* [[1803年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[イギリス]]が[[アミアンの和約]]を破棄して[[フランス]]に宣戦。
* [[1804年]] - [[護憲元老院|フランス上院]]が[[ナポレオン・ボナパルト]]を[[フランス皇帝|皇帝]]に推挙。
* [[1811年]] - [[ウルグアイ]]独立戦争: [[ラス・ピエドラスの戦い]]。
* [[1848年]] - [[フランクフルト国民議会]]が開会する。
* [[1863年]] - [[南北戦争]]: [[ビックスバーグの包囲戦]]が始まる。
* [[1875年]] - [[コロンビア]]の[[ククタ]]で[[マグニチュード]]7.5の地震。コロンビアと[[ベネズエラ]]で壊滅的被害。([[ククタ地震]])
* [[1896年]] - [[アメリカ合衆国最高裁判所|アメリカ最高裁]]が[[プレッシー対ファーガソン裁判]]で、「公共施設での黒人分離は[[人種差別]]に当たらない」([[分離すれども平等]])とする判決。
* [[1899年]] - ロシア皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の提唱により[[オランダ]]の[[デン・ハーグ|ハーグ]]で第1回[[万国平和会議]]が開会。[[7月29日]]まで。
* [[1901年]] - [[片山潜]]・[[幸徳秋水]]らが[[社会民主党 (日本 1901年)|社会民主党]]を結成。[[5月20日]]に政府により禁止される。
* [[1927年]] - [[バス学校爆破事件]]。
* [[1933年]] - [[ニューディール政策]]の重要政策である[[テネシー川流域開発公社]]を設置する法律が成立。
* [[1936年]] - [[阿部定事件]]。
* [[1941年]] - [[茨城県]][[延方村]](現[[潮来市]])地先[[利根川]]で定員超過の汽船『水郷丸三十号』(4トン)が転覆。[[鹿島神宮]]、[[香取神宮]]に向かう団体客など49人が死亡<ref>鹿島・香取参拝客満載の水郷汽船が沈没(昭和16年5月19日 東京日日新聞『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p23 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
* [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]: [[モンテ・カッシーノの戦い]]が終結。
* [[1947年]] - 南京で[[中華民国憲法]]施行後初めて[[立法院 (中華民国)|立法院]]が招集される。
* [[1953年]] - [[ジャクリーン・コクラン]]が[[F-86 (戦闘機)|F-86 セイバー]]で1049.83 [[キロメートル毎時|km/h]]の記録を出し、初めて[[音の壁]]を破った女性となる。
* 1953年 - フィリピン・[[モンテンルパ]]の[[ニュー・ビリビッド刑務所]]で減刑・助命の活動をしていた[[加賀尾秀忍]][[教誨|教誨師]]、歌手・[[渡辺はま子]]から前年のクリスマス慰問の際に贈られたアルバム型オルゴールを持って[[マラカニアン宮殿]]を訪問して、エルピディオ・キリノ大統領と会見。オルゴールを贈り、日本人[[BC級戦犯]]全員の早期釈放と帰国を要請する。
* [[1956年]] - 世界4番目の高峰[[ローツェ]]主峰がスイス隊により初登頂。
* [[1958年]] - [[F-104 (戦闘機)|F-104A戦闘機]]が2,260km/hの速度記録を達成。
* [[1969年]] - 「[[アポロ10号]]」が打ち上げられる。
* [[1970年]] - [[全国新幹線鉄道整備法]]公布。
* [[1974年]] - [[インド]]が初の地下[[核実験]]を行い、世界6番目の核保有国となる。([[インドの核実験 (1974年)]])
* 1974年 - [[ワルシャワラジオ塔]]が完成。
* [[1978年]] - [[新潟県]][[妙高市|妙高高原町]]で[[地すべり]]、それに伴う[[土石流]]が発生し[[妙高高原温泉郷|新赤倉温泉]]の温泉街が埋没、死者・行方不明者10人<ref>泥流なだれ打ち走る 一瞬家々をのむ 「中に人が」・・・救助できず『朝日新聞』1978年(昭和53年)5月18日夕刊、3版、11面</ref>。
* [[1980年]] - [[大韓民国|韓国]]で[[光州事件]]が起こる。
* 1980年 - [[1980年のセント・ヘレンズ山噴火|セント・ヘレンズ山が噴火]]。[[北半球]]の気象に甚大な影響を及ぼす。
* [[1990年]] - フランスの高速鉄道[[TGV]]が[[高速鉄道の最高速度記録の歴史|鉄道の世界最高速度]]515.3km/hを記録。
* [[1991年]] - 北[[ソマリア]]が[[ソマリランド]]として独立を宣言。
* 1991年 - [[福井県]][[敦賀市]]の[[高速増殖炉]]「[[もんじゅ]]」で機器据付け完了式典が行われ、試運転を開始。
* [[1994年]] - [[読売ジャイアンツ]]の[[槙原寛己]]が史上15人目の[[完全試合]]を達成。([[槙原寛己の完全試合]])<!-- * [[1994年]] - [[ソニー・コンピュータエンタテインメント|Sony Computer Entertainment America]]設立。 -->
* [[2004年]] - [[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]の[[ランディ・ジョンソン]]が21世紀最初で史上最年長の[[完全試合]]を達成。
* [[2007年]] - [[日本国憲法の改正手続に関する法律]](国民投票法)公布。
* [[2008年]] - [[福岡県]]の鉄道会社[[西日本鉄道]]で、九州の鉄道で初めての[[ICカード]]乗車券「[[nimoca]]」のサービスを開始。
* [[2009年]] - [[スリランカ内戦]]: [[タミル・イーラム解放のトラ]] (LTTE) の最高指導者[[ヴェルピライ・プラバカラン]]が殺害され、LTTEが事実上壊滅<ref>{{Cite web|和書|date=2009年5月19日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2603760 |title=スリランカ政府、LTTEとの内戦終結を宣言 |publisher=AFPBB News |accessdate=2018-02-16}}</ref>。
* [[2017年]] - 1972年に発生した[[渋谷暴動事件]]の中心人物である大坂正明が45年の逃亡の末逮捕される。
* [[2018年]] - [[クバーナ航空972便墜落事故]]が発生。111人が死亡<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3175264|title=キューバ機墜落、死者110人に ブラックボックス発見|newspaper=AFPBB NEWS|date=2018-05-20|accessdate=2018-05-25}}</ref>。
* 2018年 - [[藤井聡太]]が[[竜王戦]]4組に昇級。竜王ランキング戦連続昇級の昇段規定を満たし、史上最年少(15歳9ヶ月)の七段となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/news/2018/05/post_1691.html|title=藤井聡太六段が七段に昇段|publisher=日本将棋連盟HP|date=2018-05-18|accessdate=2018-05-25}}</ref>。
* 2018年 - アメリカ合衆国[[テキサス州]]で[[サンタフェ高校銃乱射事件]]が発生し、10人死亡<ref>[https://www.bbc.com/japanese/44178869 米テキサス州の高校で銃乱射、10人死亡 17歳の生徒逮捕] BBCニュース (2018年5月19日) 2021年5月29日閲覧。</ref><ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3175287 米テキサスの銃乱射、留学中の娘が犠牲に 「まるで悪夢」と父親] AFPBB News (2018年5月20日) 2021年5月29日閲覧。</ref>。
== 誕生日 ==
[[Image:Minakata_Kumagusu.JPG|thumb|80px|<!--型破りの-->博物学者・民俗学者、[[南方熊楠]](1867-1941)誕生]] <!-- TODO: Squote -->
<!-- [[Image:Niki2.jpg|thumb|80px|[[ロシア帝国]]最後の皇帝、[[ニコライ2世]](188-1918)誕生]] -->
[[Image:Russell1907-2.jpg|thumb|120px|論理学者[[バートランド・ラッセル]](1872-1970)誕生。{{Squote|[[数学]]は<!--、然るべく見られれば、-->真実だけでなく、至高の[[数学的な美|美]]をも併せ持っている。――『数学の研究』(1902)}}]]
<!-- {{Squote|良い人生とは、[[愛]]に鼓舞され、[[知識]]に導かれるものである。――『私の信条』(1925)}} -->
[[Image:Bauhaus_dessau.jpg|thumb|upright|建築家[[ヴァルター・グロピウス]](1883-1969)。画像は[[デッサウ]]の[[バウハウス]](1926)]]
<!-- [[Image:Augusto_Sandino_%28centre%29.jpg|thumb|upright|[[ニカラグア]]の革命家[[アウグスト・セサル・サンディーノ]](1895-1934)]] -->
<!-- [[Image:Frank_Capra.JPG|thumb|upright|映画監督[[フランク・キャプラ]](1897-1991)]] -->
<!-- [[Image:Reggie.JPG|thumb|upright|[[メジャーリーグベースボール|大リーグ]]の外野手、[[レジー・ジャクソン]](1946-)]] -->
* [[1048年]] - [[ウマル・ハイヤーム]]、[[学者]]、[[詩人]](+ [[1131年]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Omar-Khayyam-Persian-poet-and-astronomer Omar Khayyam Persian poet and astronomer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>)
* [[1474年]] - [[イザベラ・デステ]]、[[マントヴァ公国|マントヴァ侯]]夫人(+ [[1539年]])
* [[1616年]] - [[ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー]]、[[作曲家]](+ [[1667年]])
* [[1682年]] - [[シャーフー|シャーフー・ボーンスレー]]、第5代マラーター王(+[[1749年]])
* [[1711年]] - [[ルジェル・ヨシプ・ボスコヴィッチ]]、[[天文学者]]、[[物理学者]]、[[数学者]](+ [[1787年]])
* [[1797年]] - [[フリードリヒ・アウグスト2世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト2世]]、[[ザクセン王]](+ [[1854年]])
* [[1804年]] - [[ジュール・デュピュイ]]、[[経済学者]](+ [[1866年]])
* [[1831年]]([[天保]]2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[河鍋暁斎]]、[[絵師]](+ [[1889年]])
* [[1845年]]([[弘化]]2年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[中山忠光]]、[[幕末|江戸時代末期]]の[[公卿]](+ [[1864年]])
* [[1850年]] - [[オリヴァー・ヘヴィサイド]]、[[電気]][[技師]]、物理学者、数学者(+ [[1925年]])
*[[1859年]]([[安政]]6年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[横山通英]]、実業家、[[政治家]](+ [[1916年]])
* [[1867年]]([[慶応]]3年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[南方熊楠]]、[[民俗学|民俗学者]](+ [[1941年]])
* [[1868年]] - [[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]、[[ロシア帝国|ロシア]]の[[ツァーリ]](+ [[1918年]])
* [[1872年]] - [[バートランド・ラッセル]]、[[数学者]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1970年]])
* [[1876年]] - [[ヘルマン・ミュラー]]、[[ヴァイマル共和政]][[ドイツ国首相|首相]](+ [[1931年]])
* [[1883年]] - [[ヴァルター・グロピウス]]、[[建築家]](+ [[1969年]])
* [[1889年]] - [[トマス・ミジリー]]、[[化学者]](+ [[1944年]])
* [[1891年]] - [[ルドルフ・カルナップ]]、哲学者(+ [[1970年]])
* [[1892年]] - [[柳兼子]]、[[声楽家]](+ [[1984年]])
* 1892年 - [[エツィオ・ピンツァ]]、声楽家(+ [[1957年]])
* [[1895年]] - [[アウグスト・セサル・サンディーノ]]、[[革命家]](+ [[1934年]])
* [[1897年]] - [[フランク・キャプラ]]、[[映画監督]](+ [[1991年]])
* [[1899年]] - [[広沢虎造 (2代目)]]、[[浪曲師]](+ [[1964年]])
* [[1901年]] - [[ヴィンセント・デュ・ヴィニョー]]、[[生化学|生化学者]](+ [[1978年]])
* [[1902年]] - [[メレディス・ウィルソン]]、作曲家(+ [[1984年]])
* [[1905年]] - [[松田昇 (野球)|松田昇]]、高校野球指導者(+ [[1982年]])
* [[1907年]] - [[クリフォード・カーゾン]]、[[ピアニスト]](+ [[1982年]])
* [[1909年]] - [[フレッド・ペリー]]、[[テニス]]選手(+ [[1995年]])
* [[1912年]] - [[ペリー・コモ]]、[[歌手]](+ [[2001年]])
* 1912年 - [[リチャード・ブルックス]]、映画監督(+ [[1992年]])
* 1912年 - [[ウォルター・シスル]]、政治家(+ [[2003年]])
* [[1913年]] - [[富永直樹]]、[[彫刻家]](+ [[2006年]])
* 1913年 - [[シャルル・トレネ]]、[[シャンソン]][[歌手]]、[[ソングライター]](+ [[2001年]])
* [[1914年]] - ピエール・バルマン ([[:en:Pierre Balmain|Pierre Balmain]])、[[ファッションデザイナー]](+ [[1982年]])
* [[1916年]] - [[三浦敏一]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1997年]])
* [[1918年]] - [[マッシモ・ジロッティ]]、[[俳優]](+ [[2003年]])
* [[1919年]] - [[マーゴ・フォンテイン]]、[[バレエダンサー]](+ [[1991年]])
* [[1920年]] - [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[2005年]])
* 1920年 - [[前野直彬]]、[[中国文学者]](+ [[1998年]])
* [[1922年]] - [[加藤九祚]]、[[人類学|人類学者]](+ [[2016年]])
* [[1925年]] - [[菊池福治郎]]、政治家(+ [[2004年]])
* [[1927年]] - [[土屋嘉男]]、[[俳優]](+ [[2017年]])
* [[1930年]] - [[フレッド・セイバーヘーゲン]]、[[SF作家]](+ [[2007年]])
* [[1933年]] - [[藤木洋子]]、政治家
* [[1934年]] - [[茅陽一]]、[[工学者]]
* [[1935年]] - [[畑山博]]、[[小説家]](+ [[2001年]])
* [[1937年]] - [[西岡清吉]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]])
* 1937年 - [[ブルックス・ロビンソン]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]])
* [[1939年]] - [[ペーター・グリューンベルク]]、[[物理学者]](+ [[2018年]])
* 1939年 - [[ジョヴァンニ・ファルコーネ]]、[[裁判官]](+ [[1992年]])
* [[1941年]] - [[石坂まさを]]、[[作詞家]]、[[作曲家]](+ [[2013年]])
* [[1942年]] - [[ノビー・スタイルズ]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者(+ [[2020年]])
* 1942年 - [[田口昻]]、[[声優]](+ [[2016年]])
* [[1943年]] - [[ジミー・スヌーカ]]、[[プロレスラー]](+ [[2017年]])
* [[1944年]] - [[高山忠克]]、元プロ野球選手
* 1944年 - [[W・G・ゼーバルト]]、小説家(+ [[2001年]])
* 1944年 - [[アルバート・ハモンド]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* 1944年 - [[ユストゥス・フランツ]]、[[指揮者]]、[[ピアニスト]]、テレビ[[タレント]]
* [[1946年]] - [[レジー・ジャクソン]]、元プロ野球選手
* 1946年 - [[謝長廷]]、政治家
* [[1947年]] - [[寺尾聰]]、俳優、歌手
* 1947年 - [[ヒュー・キース・バーン]]、俳優(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20201204/11/|title=「マッドマックス 怒りのデス・ロード」イモータン・ジョー俳優が死去|publisher=映画.com|date=2020-12-04|accessdate=2021-01-15}}</ref>)
* [[1948年]] - [[加藤英夫]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[リック・ウェイクマン]]、[[キーボーディスト]]
* 1949年 - [[井上コオ]]、[[漫画家]]
* [[1950年]] - [[東尾修]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]]
* [[1951年]] - [[カルメン・マキ]]、[[歌手]]
* [[1952年]] - [[松田暎子]]、女優
* 1952年 - [[大友龍三郎]]、[[声優]]
* 1952年 - [[秋山孝]]、[[イラストレーター]]、[[多摩美術大学]]教授
* [[1953年]] - [[中司得三]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[チョウ・ユンファ]]、俳優
* [[1956年]] - [[尾崎直道]]、[[プロゴルファー]]
* [[1957年]] - [[山崎ハコ]]、歌手
* 1957年 - [[艾未未]]、[[近代美術と現代美術|現代美術家]]
* 1957年 - [[豊平晋一]]、元プロ野球選手
* [[1960年]] - [[ヤリ・クリ]]、[[アイスホッケー選手一覧|アイスホッケー選手]]
* 1960年 - [[ヤニック・ノア]]、[[テニス選手一覧 (男子)|テニス選手]]
* [[1961年]] - [[新田万紀子]]、声優(+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|date=2018-02-09 |url=https://hochi.news/articles/20180209-OHT1T50133.html |title=声優・新田万紀子さんが大動脈解離で急死 「のだめカンタービレ」「007」など担当 |work=[[スポーツ報知]] |publisher=[[報知新聞社]] |accessdate=2020-11-07}}</ref>)
* [[1962年]] - [[ジョン・ディーブル]]、元プロ野球選手、監督
* [[1963年]] - [[飯島真理]]、歌手
* 1963年 - [[レネー・ロカ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1964年]] - [[成田剣]]、声優
* [[1966年]] - [[大倉第]]、元イラストレーター、元児童漫画家(森々れもん)
* [[1967年]] - [[ハインツ=ハラルド・フレンツェン]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー
* 1967年 - [[エリック・ヤング・シニア|エリック・ヤング]]、元プロ野球選手
* [[1968年]] - [[飯田哲也 (野球)|飯田哲也]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[槇原敬之]]、[[シンガーソングライター]]
* 1969年 - [[山田学]]、[[総合格闘技|総合挌闘家]]
* 1969年 - [[八神千歳]]、漫画家
* [[1970年]] - [[ティナ・フェイ]]、女優、[[脚本家]]
* [[1970年]] - [[池田伸康]]、元サッカー選手
* [[1971年]] - [[谷口信輝]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* 1971年 - [[ブラッド・フリーデル]]、元サッカー選手
* 1971年 - [[武井隆次]] - 元[[陸上競技]]選手
* [[1972年]] - [[信田美帆]]、[[タレント]]
* 1972年 - [[窪田義行]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* [[1973年]] - [[宇川徹]]、[[ロードレース (オートバイ)|ロードレーサー]]
* 1973年 - [[カズ・ハヤシ]]、プロレスラー
* 1973年 - [[ドニエル・マーシャル]]、元バスケットボール選手
* [[1974年]] - [[無法松 (お笑い芸人)|無法松]]、[[お笑い芸人]]([[ほたるゲンジ]])
* [[1975年]] - [[ジャック・ジョンソン (ミュージシャン)|ジャック・ジョンソン]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1977年]] - [[御徒町凧]]、詩人、作詞家
* 1977年 - [[男色ディーノ]]、プロレスラー
* [[1978年]] - [[柿崎正澄]]、漫画家
* 1978年 - [[リカルド・カルヴァーリョ]]、元サッカー選手、指導者
* 1978年 - [[エウトン・ダ・シウヴァ・アルーダ|エウトン]]、元サッカー選手、指導者
* 1978年 - [[矢野通]]、プロレスラー
* [[1980年]] - [[紺野麻里]]、[[バスケットボール]]選手
* 1980年 - [[ルイス・テレーロ]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[宮本武勇志]]、キックボクサー
* [[1981年]] - [[マアマドゥ・ディアッラ]]、サッカー選手
* 1981年 - [[大岩戸義之]]、元大相撲力士
* [[1982年]] - [[ヤニック・ボヌール]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1982年 - [[川本大輔]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[中村七之助 (2代目)|中村七之助]]、歌舞伎俳優
* 1983年 - [[島本理生]]、[[小説家]]
* 1983年 - [[やない由紀]]、タレント
* 1983年 - [[藤沢あやの]]、タレント、女優
* [[1984年]] - [[黒崎リコ]]、元[[レースクイーン]]
* 1984年 - [[原拓也 (野球)|原拓也]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[ホアキム・ソリア]]、プロ野球選手
* 1984年 - [[春日伸介]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[眞恵子]]、元バレーボール選手
* 1985年 - [[酒井千佳]]、気象予報士
* 1985年 - [[伊東大輔]]、野球選手
<!-- 特筆性 * 1987年 - [[ゲームセンターCXの登場人物#サポートAD|高橋純平]]、[[ゲームセンターCX]]の10代目AD、ディレクター -->
* [[1988年]] - [[瀬戸康史]]、俳優
* 1988年 - [[梅村学人]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[高森勇旗]]、元プロ野球選手、スポーツライター
* 1988年 - [[池田達哉]]、サッカー選手
* 1988年 - [[伊藤竜馬]]、テニス選手
* [[1990年]] - [[立岡宗一郎]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[藤井宏政]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[二保旭]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[大迫勇也]]、サッカー選手
* 1990年 - [[濱田水輝]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ロバート・クイン (アメリカンフットボール)|ロバート・クイン]]、アメリカンフットボール選手
* [[1992年]] - [[ヨリック・ヘンドリックス]]、フィギュアスケート選手
* 1992年 - [[ニーナ・ペトゥシコワ]]、フィギュアスケート選手
* 1992年 - [[上杉柊平]]、俳優
* [[1993年]] - [[入江甚儀]]、俳優
* 1993年 - [[江口菜子]]、声優
* 1993年 - [[白崎凌兵]]、サッカー選手
* [[1994年]] - [[津野美里]]、アイドル
* [[1995年]] - [[馬場皐輔]]、プロ野球選手
* [[1996年]] - [[島田翼]]、タレント
* 1996年 - [[ジョシュ・フレミング (野球)|ジョシュ・フレミング]]、プロ野球選手
* 1996年 - [[角野友基]]、プロスノーボーダー
<!-- 特筆性は? * 1996年 - やよい、[[とちおとめ25]]サブリーダー -->
* [[1997年]] - 大澤駿弥、歌手([[ORβIT]])
* 1997年 - [[早見紗英]]、アイドル(元[[dela]]、[[中野風女シスターズ]]/[[風男塾]](英城凛空名義))
* [[1998年]] - [[メイシー・バーバー]]、総合格闘家
* 1998年 - [[中村亮太 (野球)|中村亮太]]、プロ野球選手
* [[2000年]] - [[喜多乃愛]]、女優
* 2000年 - [[チェイス・シルセス]]、プロ野球選手
* [[2002年]] - [[アリーナ・ザギトワ]]、フィギュアスケート選手
* 2002年 - [[松田杏咲]]、タレント
* [[2003年]] - [[前川右京]]、プロ野球選手
* [[2004年]] - [[吉岡大翔]]、[[陸上競技]]選手
* [[2008年]] - [[中村遥香]]、体操選手
* 生年不詳 - [[坂本美里]]、声優
* 生年不明 - [[大城松美]]、元声優
* 生年不詳 - [[沙花叉クロヱ]]、vtuber
== 忌日 ==
<!-- [[後柏原天皇]]と[[デイビーボーイ・スミス]]は記事と日付が合いませんが記事の方が誤り? -->
[[Image:10000_won_serieVI_obverse.jpeg|thumb|upright|[[ハングル]]を制定した[[李氏朝鮮]]王、[[世宗 (朝鮮王)|世宗]](1397-1450)没]]
[[Image:Domenico_Beccafumi_009.jpg|thumb|180px|[[シエナ派]]の画家、[[ドメニコ・ベッカフーミ]](1486-1551)没。画像は『スプリウス・カッシウスの打ち首』(1532-1535)]]
<!-- [[Image:Lkeda3.jpg|thumb|upright|[[池田恒興]](1536-1584)、[[小牧・長久手の戦い]]で子の[[池田元助|元助]](1559?-1584)と共に戦死]] -->
[[Image:Tupac_amaru_execution.jpg|thumb|upright|[[ペルー]]の反乱指導者[[ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ]](1742-1781)、八つ裂きの刑に]]
[[Image:D'après Jean-Marc Nattier, Portrait de Pierre-Augustin Caron de Beaumarchais (Bibliothèque-musée de la Comédie-Française) -001.jpg|thumb|upright|劇作家[[カロン・ド・ボーマルシェ|ボーマルシェ]](1732-1799)没。{{Squote|喉も乾かぬのに飲み、年がら年中[[性行為|セックス]]するのが、奥さん、他の[[動物]]と我々との唯一の違い。――『[[フィガロの結婚]]』(1784)}}]]
<!-- [[Image:USSR_stamp_A.V.Suvorov_1980_4k.jpg|thumb|upright|常勝不敗のロシア大元帥、[[アレクサンドル・スヴォーロフ]](1729-1800)]] -->
<!-- [[Image:Alb%C3%A9niz_with_his_daughter_Laura.jpg|thumb|upright|作曲家[[イサーク・アルベニス]](左;1860-1909)。{{audio|Isaac Albeniz - suite espanola op. 47 - leyenda.ogg|『スペイン組曲』「アストゥリアス」を聴く}}]] -->
[[Image:Gustav_Mahler_1909.jpg|thumb|120px|作曲家[[グスタフ・マーラー]](1860-1911)。{{audio|Gustav Mahler - Trombone Solo from 3rd Symphony, 1st movement.ogg|交響曲第3番のトロンボーンとオルガン演奏を聴く}}]]
[[Image:William_Saroyan.jpg|thumb|upright|作家[[ウィリアム・サローヤン]](1908-1981)]]
[[Image:Elvin_Jones_3.jpg|thumb|upright|[[ジャズ]]・ドラマー、[[エルビン・ジョーンズ]](1927-2004)]]
* [[1220年]]([[承久]]2年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[禅暁]]、[[源頼家]]の子
* [[1424年]]([[応永]]13年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[摂取院殿]]、[[足利義満]]の娘(* [[1406年]])
* [[1450年]]([[景泰]]元年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[世宗 (朝鮮王)|世宗]]、第4代[[李氏朝鮮|李氏朝鮮王]](* [[1397年]])
* [[1488年]]([[長享]]2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[里見義実]]、[[武将]](* [[1412年]])
* [[1505年]]([[永正]]2年4月15日) - [[里見成義]]、[[安房国]]の[[戦国大名]](* [[1448年]])
* [[1526年]]([[大永]]6年4月7日) - [[後柏原天皇]]、第104代[[天皇]](* [[1464年]])
* [[1533年]]([[天文 (元号)|天文]]2年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[宗碩]]、[[連歌|連歌師]](* [[1474年]])
* [[1551年]] - [[ドメニコ・ベッカフーミ]]、[[画家]](* [[1486年]])
* [[1584年]]([[天正]]12年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[池田恒興]]、[[武将|戦国武将]](* [[1536年]])
* [[1584年]]([[天正]]12年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[森長可]]、[[武将|戦国武将]](* [[1558年]])
* 1584年(天正12年4月9日) - [[池田元助]]、戦国武将(* [[1559年]])
* [[1610年]]([[慶長]]15年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[中院通勝]]、[[公卿]]、[[歌人]](* [[1556年]])
* [[1675年]] - [[ジャック・マルケット]]、[[イエズス会]][[宣教師]]、[[探検家]](* [[1637年]])
* [[1701年]]([[元禄]]14年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[丹羽光重]]、第2代[[白河藩|白河藩主]]、第4代[[二本松藩|二本松藩主]](* [[1622年]])
* [[1729年]]([[享保]]14年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[天一坊改行]]、[[天一坊事件]]首謀者(* [[1699年]])
* [[1733年]] - [[ゲオルク・ベーム]]、[[オルガン]]奏者(* [[1661年]])
* [[1781年]] - [[ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ]]、コンドルカンキの反乱指導者(* [[1742年]])
* [[1799年]] - [[カロン・ド・ボーマルシェ]]、[[劇作家]](* [[1732年]])
* [[1800年]] - [[アレクサンドル・スヴォーロフ]]、[[ロシア帝国]][[大元帥]](* [[1729年]])
* [[1808年]] - [[エライジャ・クレイグ]]、[[バーボン・ウイスキー]]を初めて醸造した人物(* [[1738年]])
* [[1829年]] - [[マリア・ホセファ・デ・サホニア]]、[[フェルナンド7世 (スペイン王)|スペイン王フェルナンド7世]]の妃(* [[1803年]])
* [[1855年]] - [[ジョン・カンフィールド・スペンサー]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](* [[1788年]])
* [[1871年]] - [[エドゥアルト・ヴェーバー]]、[[解剖学|解剖学者]]、[[生理学|生理学者]](* [[1806年]])
* [[1887年]] - [[アウグスト・プフィッツマイアー]]、[[東洋学|東洋学者]](* [[1808年]])
* [[1909年]] - [[ジョージ・メレディス]]、[[小説家]](* [[1828年]])
* 1909年 - [[イサーク・アルベニス]]、[[作曲家]](* [[1860年]])
* [[1910年]] - [[ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド]]、[[アルト]]歌手、作曲家(* [[1821年]])
* [[1911年]] - [[グスタフ・マーラー]]、作曲家(* [[1860年]])
* [[1912年]] - [[エードゥアルト・シュトラースブルガー]]、[[植物学|植物学者]](* [[1844年]])<!-- 英語版は19日としています -->
* [[1922年]] - [[シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン]]、[[病理学|病理学者]](* [[1845年]])
* [[1941年]] - [[ヴェルナー・ゾンバルト]]、[[経済学者]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1863年]])<!-- 5月19日より移動-->
* [[1947年]] - [[ハル・チェイス]]、元プロ野球選手(* [[1883年]])
* [[1952年]] - [[中井正一]]、[[美学|美学者]]、[[評論家]](* [[1900年]])
* [[1958年]] - [[安田伊左衛門]]、[[日本中央競馬会]]会長(* [[1872年]])
* [[1973年]] - [[ジャネット・ランキン]]、女性初の[[アメリカ合衆国下院|アメリカ合衆国下院議員]](* [[1880年]])
* 1973年 - [[アブラハム・シュロンスキー]]、[[詩人]](* [[1900年]])
* [[1975年]] - [[ルロイ・アンダーソン]]、作曲家(* [[1908年]])
* [[1979年]] - [[小野アンナ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1898年]])
* [[1980年]] - [[ハリー・R・トルーマン]]、[[セント・ヘレンズ山]][[噴火]]の犠牲者(* [[1896年]])
* 1980年 - [[イアン・カーティス]]、[[ロック (音楽)|ロック]]歌手([[ジョイ・ディヴィジョン]])(* [[1956年]])
* 1980年 - [[木田高介]]、ミュージシャン(* [[1949年]])
* [[1981年]] - [[ウィリアム・サローヤン]]、小説家、劇作家(* [[1908年]])
* 1981年 - [[大塚博堂]]、[[シンガーソングライター]](* [[1944年]])
* 1981年 - [[黒木貞男]]、元[[プロ野球選手]](* [[1935年]])
* [[1983年]] - [[綿谷雪]]、小説家、[[武術]]史研究家(* [[1903年]])
* [[1985年]] - [[ヒルディング・ルーセンベリ]]、作曲家(* [[1892年]])
* 1985年 - [[ヘドリー・ブル]]、元[[オックスフォード大学]]モンタギュー・バートン講座[[国際関係論]]教授(* [[1932年]])
* [[1986年]] - [[岩瀬順三]]、[[実業家]]、[[ベストセラーズ]]創業者(* [[1933年]])
* [[1989年]] - [[ジェフリー・ギルバート]]、[[フルート奏者]](* [[1914年]])
* 1989年 - [[沼澤康一郎]]、元プロ野球選手(* [[1930年]])
* [[1990年]] - [[ジル・アイアランド]]、[[俳優|女優]](* [[1936年]])
* [[1995年]] - [[エリザベス・モンゴメリー]]、女優(* [[1933年]])
* 1995年 - [[アレクサンダー・ゴドノフ]]、[[バレエ]][[ダンサー]]、俳優(* [[1949年]])
* [[1999年]] - [[ベティ・ロビンソン]]、[[陸上競技]]選手(* [[1911年]])
* 1999年 - [[オーガスタス・パブロ]]、[[レゲエ]]・[[ダブ]]のキーボーディスト(* [[1954年]])
* [[2001年]] - [[野村実]]、[[軍事史学会]]会長(* [[1922年]])
* [[2002年]] - [[デイビーボーイ・スミス]]、[[プロレスラー]](* [[1962年]])
* 2002年 - [[ヴォルフガング・シュナイダーハン]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1915年]])
* [[2004年]] - [[エルビン・ジョーンズ]]、[[ジャズ]][[ドラマー]](* [[1927年]])
* 2004年 - [[田中守]]、元プロ野球選手(* [[1934年]])
* [[2006年]] - [[三堀家義]]、[[写真家]](* [[1921年]])
* 2006年 - [[ギルバート・ソレンティーノ]]、小説家(* [[1929年]])
* 2006年 - [[相沢進]]、元プロ野球選手(* [[1930年]])
* [[2007年]] - [[ピエール=ジル・ド・ジェンヌ]]、[[物理学者]](* [[1932年]])
* [[2008年]] - [[中島真人]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[参議院|参議院議員]](* [[1935年]])
* 2008年 - [[大谷和夫]]、[[キーボーディスト]]、作曲家([[SHŌGUN]])(* [[1946年]])
* 2008年 - [[張飛 (ボクサー)|張飛]]、[[プロボクサー]](* [[1985年]])
* [[2009年]] - [[ヴェルピライ・プラブハカラン]]、[[タミル・イーラム解放のトラ]]指導者(* [[1954年]])
* [[2012年]] - [[ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ]]、[[バリトン]]歌手(* [[1925年]])
* [[2013年]] - [[ローター・シュミット]]、[[チェスプレーヤーの一覧|チェスプレーヤー]](* [[1928年]])
* [[2014年]] - [[魁傑將晃]]、元大相撲力士、第11代日本相撲協会理事長、年寄17代[[放駒]](* [[1948年]])
* 2014年 - [[ゴードン・ウィリス]]、撮影監督(* [[1931年]])
* [[2015年]] - [[アルナ・シャンバグ]]、看護師(* [[1948年]])
* [[2016年]] - [[伊藤ユミ]]、歌手(* [[1941年]])
* [[2017年]] - [[能見達也]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/05/21/kiji/20170521s00041000414000c.html|title=「五星戦隊ダイレンジャー」大五役 俳優の能見達也さん死去 47歳の若さで|publisher=スポニチ Sponichi Annex スポーツ|date=2017-05-21|accessdate=2020-11-15}}</ref>、俳優(* [[1969年]])
* [[2021年]] - [[若山弦蔵]]、[[声優]]、[[ナレーター]](* [[1932年]])
*[[2023年]] - [[市川段四郎 (4代目)|市川段四郎]]、[[歌舞伎|歌舞伎役者]](* [[1946年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Daumier galerie tableaux.jpg|thumb|180px|[[国際博物館の日]]]]
[[Image:Russian_delegation_at_the_Hague_Peace_Conference_1899.jpg|thumb|160px|ハーグ平和会議開催(1899)。画像はロシア代表団]]
* [[国際博物館の日]]({{World}})
*: [[国際博物館会議]](ICOM)が[[1977年]]に制定し、[[1978年]]から実施。
* 国際善意デー({{World}})
*: [[1899年]]のこの日に[[オランダ]]・[[ハーグ]]で第1回[[万国平和会議]]が開催されたことを記念。
* {{仮リンク|世界エイズワクチンデー|en|World AIDS Vaccine Day}}({{World}})
* ラス・ピエドラスの戦いの日({{URY}})
*: [[1811年]]の[[ラス・ピエドラスの戦い]]での革命軍の勝利を記念。
* 国旗の日({{HTI}})
* 再生、統一、マフトゥムグルの詩の日({{TKM}})
* [[独立記念日]]([[ソマリランド]])
* 18リットル缶の日({{JPN}})
*: 全国18リットル缶工業組合連合会が制定。「18リットル缶」とはかつて[[一斗缶]]と呼ばれていた物のことで、戦後の一時期は「5ガロン缶」と呼ばれるようになり、後に「18リットル缶」が正式名称となったことから、5月18日を記念日とした。
* ファイバーの日({{JPN}})
*: [[食物繊維]]に関する情報提供を行う学術団体「ファイバーアカデミア」が制定。「ファ(5=ファイブ)イ(1)バー(8)」の語呂合せ。
* ことばの日({{JPN}})
*: 「こ(5)とば(18)」の語呂合せ。
* サロンパスの日({{JPN}})
*: 外用鎮痛消炎剤「サロンパス」を手がけ、貼る治療文化を世界へ届ける「[[久光製薬]]株式会社」が制定。「コ(5)リを癒(18)す」の語呂合せから。
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0518|date=2011年6月}}
*1951年(昭和26年)- 朝、[[金田一耕助]]は大浴場で多門連太郎の[[裸体]]を見て、自分の肉体の貧相さに[[劣等感]]を抱く。(小説『[[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]]』第2章)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[2001年]] - レオン・アンハート、アニメ『[[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Cyberformula_GP|1394579666640330755}}</ref>
* [[2007年]] - リズベット/篠崎里香、小説・アニメ・ゲーム『[[ソードアート・オンライン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|saoif_gameinfo|1526744631886680065}}</ref><ref>{{Twitter status|kunori|490858843329396736}}</ref>
* 生年不明 - 亀戸しま奈、漫画・アニメ『[[夢みる太陽]]』の主人公<ref>{{Twitter status|manga_ichigo_t|1395002878947774468}}</ref>
* 生年不明 - 山田ウメ、[[サンリオ]]の『ウメ屋雑貨店』のメインキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/characters/umeya/ |title=ウメ屋雑貨店 |access-date=2022-11-01 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref><ref>{{Cite book|title=SANRIO MEMORIES|publisher=サンリオ|date=2010-09-15|page=144}}</ref>
* 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#中国|肖俊光]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year=2003|title=キャプテン翼 3109日全記録|publisher=集英社|isbn=4-08-782789-5|page=172}}</ref>
* 生年不明 - 猪瀬じゅん、漫画・アニメ『[[山田くんと7人の魔女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yamajo_anime|600180808037437440}}</ref>
* 生年不明 - 今泉俊輔、漫画・アニメ『[[弱虫ペダル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yowapeda_anime|467700319816663040}}</ref>
* 生年不明 - 八木原景子、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=八木原 景子(やぎはら けいこ) |publisher=[[小林立]]公式サイト |accessdate=2022-11-03 |work=咲-Saki-}}</ref>
* 生年不明 - 笹原ゆうか、漫画・アニメ『[[ヤマノススメ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yamanosusume|1526830635393814528}}</ref>
* 生年不明 - 碓氷光、小説・ゲーム・アニメ『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_pos|732587229084815360}}</ref>
* 生年不明 - 市川まゆら、アニメ・漫画・ゲーム『[[極上生徒会]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.gokujo.konami.jp/pc/products/char_mayura.php |title=PRODUCTS GAME 市川まゆら|publisher=[[KONAMI]]|work=極上生徒会|accessdate=2022-11-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070514044329/http://www.gokujo.konami.jp/pc/products/char_mayura.php |archivedate=2007-05-14}}</ref>
* 生年不明 - 若狭麗緒、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|work=劇場版「ハイスクール・フリート」 |url=http://www.hai-furi.com/character/ |title=若狭 麗緒 |accessdate=2022-11-03 |publisher=AAS/新海上安全整備局}}</ref>
* 生年不明 - 青山カズキ、アニメ『[[TRIBE NINE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://tribenine.tokyo/character/aoyama-kazuki/ |title=青山 カズキ |access-date=2022-11-03 |publisher=Akatsuki Inc. |work=『TRIBE NINE』}}</ref>
* 生年不明 - [[くちぱっち]]、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=講談社|editor-link=講談社|title=Tamagotchi iD L ぴかぴか育て方ガイド|year=2011|page=38|isbn=978-4-06-364876-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|others=[[ウィズ (玩具)|ウィズ]]、[[バンダイ]](監修)|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|publisher=[[小学館]]|year=2011|page=17|isbn=978-4-09-751048-2}}</ref>
* 生年不明 - 古澤頼子、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20141 |title=古澤 頼子(ふるさわ よりこ) |access-date=2022-11-03 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 君嶋里琉、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gf_kari_music|732586670835388416}}</ref>
* 生年不明 - ゴーシュ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=60&cate=name&cont=Gauche |title=ゴーシュ |access-date=2022-11-03 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 天城燐音、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/amagi_rinne/ |title=天城 燐音 |accessdate=2022-11-03 |publisher=Happy Elements |work=あんさんぶるスターズ!!}}</ref>
* 生年不明 - 近堂幸恵、ゲーム・漫画・アニメ『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://idoljihen.jp/character/kondo-sachie/ |title=富山県 近堂 幸恵 |access-date=2022-11-03 |publisher=MAGES. アイドル事変製作委員会 |work=『アイドル事変』}}</ref>
* 生年不明 - 嘉瀬茉奈、ゲーム・アニメ『[[D4DJ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|d4dj_pj|1526578301015412738}}</ref>
* 生年不明 - マヤ、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=111 |title=マヤ |access-date=2022-11-03 |publisher=[[KONAMI]] |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 18|18 May}}
{{新暦365日|5|17|5|19|[[4月18日]]|[[6月18日]]|[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]|0518|5|18}}
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== できごと ==
[[Image:Debret_-_Premiere_distribution_des_decorations_de_la_Legion_d%27honneur.jpg|thumb|right|260px|[[ナポレオン・ボナパルト]]が[[レジオンドヌール勲章]]を創設 (1802)。画像は1904年の初の授与式。]]
[[Image:RItsumeikan%27s_Birth_Place_%28Kyoto%2C_Japan%29.JPG|thumb|後の[[立命館大学]]となる[[京都法政学校]]設立 (1900)。当初は料亭の間借りであった(写真)。]]
[[File:1972 CPA 4113.jpg|thumb|火星探査機[[マルス計画|マルス2号]]打ち上げ (1971)。火星に到達した世界初の人工物となった。]]
* [[802年]]([[延暦]]21年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[蝦夷]]の頭領・[[アテルイ]]が[[征夷大将軍]]・[[坂上田村麻呂]]に降伏。
* [[1293年]]([[正応]]6年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[鎌倉大地震]]が発生<ref>{{Twitter status|GSI_chiriin|1527206201511284736}}</ref>。
* [[1546年]]([[天文 (元号)|天文]]15年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[河越城の戦い|河越夜戦]]。
* [[1649年]] - [[清教徒革命]]: [[イングランド]]が[[共和制]]を宣言。[[イングランド共和国]]が成立。
* [[1780年]] - [[ニューイングランドの暗黒日]]<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/news/magazine-18097177 |title=What caused the mystery of the Dark Day? |access-date=1 Mar 2023 |publisher=BBC NEWS |date=18 May 2012}}</ref>。
* [[1802年]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]が[[レジオンドヌール勲章]]を創設。
* [[1854年]]([[嘉永]]7年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - 門人・[[吉田松陰]]がアメリカに密航しようとした事件に連座して、[[佐久間象山]]が逮捕される。
* [[1900年]] - [[京都法政学校]](後の[[立命館大学]])の設立が認可される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=105 |title=<学園史資料から>「京都法政大学」案内 |access-date=1 Mar 2023 |publisher=[[立命館大学]] |date=23 Mar 2016}}</ref>。同年6月開校。
* [[1910年]] - [[ハレー彗星]]が太陽面を通過し、地球が彗星の尾の中に入る。「地球に衝突する」「酸素がなくなる」などの[[噂#デマ|デマ]]でパニックになる。
* [[1919年]] - オスマン政府より派遣された[[ムスタファ・ケマル・アタテュルク|ムスタファ・ケマル・パシャ]]が[[アナトリア]]北部の港町[[サムスン (都市)|サムスン]]に上陸。[[トルコ独立戦争]]開始。
* [[1935年]] - ドイツの[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]] - [[ダルムシュタット]]間で、無料の高速道路アウトバーンが初めて開通した<ref>{{Cite web|和書|url=https://transit.ne.jp/2022/05/001601.html |title=#今日は何の日? アウトバーンが開通した日! 5月19日 |access-date=1 Mar 2023 |publisher=TRANSIT |date=19 May 2022}}</ref>。
* [[1938年]] - [[日中戦争]]: 日本軍が[[徐州市|徐州]]を占領し、[[徐州会戦]]が終結。
* [[1941年]] - [[ホー・チ・ミン]]らが[[ベトミン]]を結成。
* [[1945年]] - [[運輸通信省 (日本)|運輸通信省]]が[[運輸省]]に改組。
* [[1946年]] - [[飯米獲得人民大会|飯米獲得人民大会 (食糧メーデー)]]が行われ、約25万人の参加者を集めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_education/public_awareness/teaching_material/history/pdf/history_3.pdf |title=入門!消費者問題の歴史 |access-date=1 Mar 2023 |publisher=[[消費者庁]]}}</ref>。参加者の一人が掲げたプラカードが[[不敬罪]]に抵触するとして逮捕される([[プラカード事件]])。のち不敬罪規定自体が廃止消滅したため免訴。
* 1946年 - 1943年から中止されていた[[東京六大学野球連盟|東京六大学野球]]が再開される<ref>{{Cite web|和書|url=https://big6.gr.jp/big6/ |title=一般財団法人 東京六大学野球連盟 |access-date=1 Mar 2023 |publisher=Tokyo Big6 Baseball League}}</ref>。
* [[1951年]] - [[北海道]][[厚岸郡]]浜中村(現[[浜中町]])の大原劇場([[映画館]])で火災。小・中学生ら39名が焼死<ref>{{Twitter status|FDMA_JAPAN|14257542183}}</ref><ref>「劇場の焼死者42名に」『朝日新聞』昭和26年5月21日</ref>。
* [[1952年]] - [[後楽園スタヂアム]]での[[世界ボクシング協会|NBA]]世界[[フライ級]][[タイトルマッチ|王座戦]]で指名挑戦者[[白井義男]]が[[ダド・マリノ]]に判定勝ちをし、日本人初のプロボクシング世界王者となる。
* [[1956年]] - [[科学技術庁]]設置。
* [[1961年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]による世界初の金星探査機「[[ベネラ1号]]」が金星に最接近。(打ち上げは2月12日)
* [[1971年]] - ソ連が火星探査機「[[マルス2号]]」を打上げ。
* [[1974年]] - [[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]が[[フランスの大統領|フランス大統領]]に就任。
* [[1975年]] - [[三菱重工爆破事件]]など[[連続企業爆破事件]]を起こした[[東アジア反日武装戦線]]の主要メンバー8人を一斉逮捕<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20150521-3ZMMIV53XBOZ3D6CGZJYKJXBMM/ |title=「いよいよ明日逮捕だ」連続企業爆破事件・世紀のスクープ 警視庁記者たちが震えた40年目の真実 |access-date=1 Mar 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=21 May 2015}}</ref>。
* [[1977年]] - [[オリエント急行]]の最終便が[[パリ]]を出発。
* [[1980年]] - [[衆議院解散]]([[ハプニング解散]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030170_00000 |title=衆参同日選挙 自民が圧勝 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=NHK ARCHIVES}}</ref>。解散後に初の衆参同日選挙が実施された。
* [[1998年]] - [[日本のナンバープレート|ナンバープレート]](自動車登録番号標のみ)の分類番号が一部地域のみ3桁化、自家用と事業用のみ希望番号制を実施。
* [[2000年]] - [[犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律|犯罪被害者保護法]]公布。
* [[2008年]] - ドバイで建設中のブルジュ・ドバイ(現 [[ブルジュ・ハリファ|ブルジュ・ハリーファ]])が、1991年に倒壊した[[ワルシャワラジオ塔]]の高さ649.7mに達し、史上最も高い建造物となる。
* [[2009年]] - [[中華人民共和国工業情報化部|中国工業情報化部]]より、2009年7月1日から中国国内で生産・発売されるパソコンすべてに検閲ソフト「[[緑壩・花季護航]]」のインストールが義務付けられると発表される。
* [[2010年]] - [[後楽園ホール]]にて[[プロボクシング・世界チャンピオン会]]発足式<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/05/14/kiji/K20100514Z00000730.html |title=「世界チャンピオン会」発足!会長はガッツ氏 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=14 May 2010}}</ref>。
* [[2016年]] - [[エジプト航空804便墜落事故]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20160520/k00/00m/030/074000c |title=エジプト航空機 墜落を確認、当局「テロの可能性」 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[毎日新聞]] |date=19 May 2016}}</ref>。
* [[2017年]] - 衆議院法務委員会、組織犯罪処罰法([[組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律]])改正案(「[[共謀罪]]」法案)を採決<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS19H1L_Z10C17A5MM0000/ |title=「共謀罪」法案、衆院委で可決 与党が強行採決 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=19 May 2017}}</ref>。
* 2017年 - [[沖縄県]]・[[石垣島]]の「白保竿根田原洞穴遺跡」で見つかった人骨が、国内最古の約2万7千年前のものとみられることを、沖縄県立埋蔵文化財センターが発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG19HBU_Z10C17A5CR8000/ |title=石垣島で国内最古の全身人骨 2万7千年前と推定 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=19 May 2017}}</ref>。
* [[2018年]] - イギリス、[[ヘンリー (サセックス公)|ヘンリー王子]]とアメリカの女優、[[メーガン・マークル]]が結婚。[[サセックス公爵]]夫妻となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/uk-royals-wedding-idJPKCN1IK00D |title=ヘンリー英王子とメーガンさんが結婚、祝福に包まれる |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=19 May 2018}}</ref>。
* 2018年 - [[第71回カンヌ国際映画祭]]にて、[[是枝裕和]]の『[[万引き家族]]』がコンペティション部門最高賞([[パルム・ドール]])を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3175277 |title=動画:是枝監督『万引き家族』にパルムドール、カンヌ国際映画祭 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |website=AFP BB News |date=20 May 2018}}</ref>。
* [[2023年]] - [[第49回先進国首脳会議]]が[[広島市]]で開催される。
{{clear}}
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Charlotte1767Cotes.jpg|thumb|100px|イギリス王妃[[シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ]](左; 1744-1818)誕生]]
[[Image:Johann_gottlieb_fichte.jpg|thumb|upright|[[ドイツ観念論]]の哲学者、[[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]](1762-1814)誕生。{{Squote|人類はあらゆるものの喪失を耐えることができる。人類の全ての持ち物はその真の尊厳を侵すことなく取り去ることができる――改善する可能性というただ1つのものを除いて。(『学者の使命』1794)}}]]
[[Image:Portrait-of-Kitaro-Nishida.png|thumb|upright|[[京都学派]]を創始した哲学者、[[西田幾多郎]](1870-1945)誕生。{{Squote|多と一との絶対矛盾的自己同一の世界においては、主体が自己否定的に環境を形成することは、逆に環境が新なる主体を形成することである。(『絶対矛盾的自己同一』1939)}}]]
[[Image:Malcolm_X_NYWTS_2a.jpg|thumb|upright|黒人[[公民権運動]]活動家、[[マルコムX]](1925-1965)。{{Squote|もし[[自由]]のために死ぬ準備がないのなら、あなたの語彙から「自由」の語を取り除きなさい。(『シカゴ・ディフェンダー』紙、1962年11月28日)}}]]
[[Image:Andre_the_Giant.jpg|thumb|100px|[[巨人症]]のプロレスラー、[[アンドレ・ザ・ジャイアント]](1946-1993)]]
* [[1476年]] - [[エレナ・イヴァノヴナ (ポーランド王妃)]]、リトアニア大公で後にポーランド王を兼ねたアレクサンデルの妃(+ [[1513年]])
* [[1593年]] - [[ヤーコブ・ヨルダーンス]]、[[画家]](+ [[1678年]])
* [[1698年]]([[元禄]]11年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[稲垣昭賢]]、第2代[[鳥山藩|鳥山藩主]]、初代[[鳥羽藩|鳥羽藩主]](+ [[1753年]])
* [[1719年]](享保4年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[井伊直存]]、第4代[[与板藩|与板藩主]](+ [[1760年]])
* [[1746年]]([[延享]]3年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]) - [[岡部長修]]、第7代[[岡部藩|岡部藩主]](+ [[1796年]])
* [[1767年]](享保9年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - [[池田定就]]、第3代[[鳥取藩#若桜藩|若桜藩]](+ [[1790年]])
* [[1744年]] - [[シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ|シャーロット]]<ref>{{Cite web |title=Charlotte {{!}} queen of England |url=https://www.britannica.com/biography/Charlotte-queen-of-England |website=Britannica |access-date=28 Feb 2023 |language=en}}</ref>、[[イギリス]]王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]の妃(+ [[1818年]])
* [[1762年]] - [[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]]、[[哲学者]](+ [[1814年]])
* [[1767年]]([[明和]]4年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[加藤泰賢]]、第6代[[新谷藩|新谷藩主]](+ [[1830年]])
* [[1830年]]([[文政]]13年閏[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[伊達宗徳]]、第9代[[宇和島藩|宇和島藩主]](+ [[1905年]])
* [[1850年]]([[嘉永]]3年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[星亨]]、[[政治家]](+ [[1901年]])
* [[1857年]]([[安政]]4年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[大久保忠順]]、第8代鳥山藩主(+ [[1796年]])
* [[1860年]] - [[ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド]]、[[イタリアの首相|イタリア首相]](+ [[1952年]])
* [[1861年]] - [[ネリー・メルバ]]、[[ソプラノ]]歌手(+ [[1931年]])
* [[1864年]]([[元治]]元年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[吉田東伍]]、[[歴史家|歴史学者]]、[[地理学者]](+ [[1918年]])
* [[1868年]] - [[ジョン・フィルモア・ヘイフォード]]、[[測地学|測地学者]](+ [[1925年]])
* [[1870年]]([[明治]]3年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[西田幾多郎]]、哲学者(+ [[1945年]])
* [[1877年]] - [[薄田泣菫]]、[[詩人]](+ [[1945年]])
* [[1882年]] - [[モハンマド・モサッデク]]、政治家、[[イランの首相|イラン首相]](+ [[1967年]])
* [[1884年]] - [[アルトゥール・ムールマンス]]、[[作曲家]](+ [[1966年]])
* [[1890年]] - [[ホー・チ・ミン]]、初代[[ベトナム社会主義共和国主席|ベトナム民主共和国主席]](+ [[1969年]])
* [[1896年]] - [[メリト・アコスタ]]、元プロ野球選手(+ [[1963年]])
* [[1897年]] - [[エンリコ・マイナルディ]]、[[チェリスト]]、作曲家(+ [[1976年]])
* [[1901年]] - [[ユーリー・ビリビン]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1952年]])
* [[1907年]] - [[秋庭太郎]]、[[演劇]]学者、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1985年]])
* [[1908年]] - [[パーシー・ウィリアムズ]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]](+ [[1982年]])
* [[1909年]] - [[ニコラス・ウィントン]]、[[チェコ]]・キンダートランスポート創設者(+ [[2015年]])
* [[1912年]] - [[鍋島直紹]]、[[佐賀県知事一覧|佐賀県知事]]、[[科学技術庁長官]](+ [[1981年]])
* [[1914年]] - [[マックス・ペルツ]]、[[科学者]](+ [[2002年]])
* [[1921年]] - [[ダニエル・ジェラン]]、[[俳優]](+ 2002年)
* 1921年 - [[相田暢一]]、[[野球選手]]、アマチュア野球指導者(+ [[2012年]])
* [[1925年]] - [[マルコムX]]、黒人運動指導者(+ [[1965年]])
* 1925年 - [[ポル・ポト]]、政治家(+ [[1998年]])
* [[1926年]] - [[大川功]]、[[CSKホールディングス]]創業者(+ [[2001年]])
* 1926年 - [[沢島忠]]、[[映画監督]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/01/28/kiji/20180127s00041000249000c.html |title=沢島忠監督死去、91歳「人生劇場」シリーズで東映任侠路線確立 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=28 Jan 2018}}</ref>)
* [[1928年]] - [[コーリン・チャップマン]]<ref>{{Cite web |url=https://media.lotuscars.com/en/heritage-people/lotus-heritage-colin-chapman.html |title=LOTUS HERITAGE: COLIN CHAPMAN |access-date=28 Feb 2023 |publisher=Lotus Cars |language=En}}</ref><ref>『ワールド・カー・ガイド8ロータス』pp.17-32。</ref>、[[ロータス・カーズ]]創業者(+ [[1982年]])
* [[1929年]] - [[熊谷信昭]]、[[工学者]](+ [[2018年]])
* 1929年 - [[奥平康弘]]、[[憲法|憲法学者]](+ [[2015年]])
* 1929年 - [[池田健太郎]]、[[ロシア文学者]](+ [[1979年]])
* [[1930年]] - [[堀源一郎]]、[[天文学者]](+ [[2001年]])
* [[1931年]] - [[靉嘔]]、[[美術家]]
* [[1932年]] - [[アルマ・コーガン]]、[[歌手]](+ [[1966年]])
* 1932年 - [[ポール・アードマン]]、[[小説家]]、[[経済評論家]](+ [[2007年]])
* [[1933年]] - [[三浦秋鶴]]、[[書家]]
* [[1935年]] - [[鈴木志郎康]]、[[詩人]](+ [[2022年]])
* 1935年 - [[佃明忠]]、元[[プロ野球選手]]
* [[1936年]] - [[興津立雄]]、元プロ野球選手(+ [[2022年]])
* 1936年 - [[エリザベート・シュバルツ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1937年]] - [[松田岩夫]]、政治家(+ [[2022年]])
* [[1938年]] - [[イゴール・テルオバネシアン]]、陸上競技選手
* [[1939年]] - [[ヤーニス・ルーシス]]、陸上競技選手(+ [[2020年]])
* 1939年 - [[ジェームズ・フォックス]]、俳優
* [[1940年]] - [[牛次郎]]、[[漫画原作者]]、小説家
* 1940年 - [[ヤン・ヤンセン]]、[[自転車競技]]選手
* [[1941年]] - [[ブルーノ・レオナルド・ゲルバー]]、[[ピアニスト]]
* [[1942年]] - [[ゲイリー・キルドール]]、[[デジタルリサーチ]]社創業者(+ [[1994年]])
* [[1944年]] - [[西川克弘]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[ピート・タウンゼント]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、小説家([[ザ・フー]])
* [[1946年]] - [[アンドレ・ザ・ジャイアント]]、[[プロレスラー]](+ [[1993年]])
* [[1947年]] - [[西沢正次]]、元プロ野球選手
* 1947年 - [[朝倉宏二]]、[[声優]]
* 1947年 - [[デイヴィッド・ヘルフゴット]]、[[ピアニスト]]
* [[1948年]] - [[トム・スコット (ミュージシャン)|トム・スコット]]、[[サクソフォーン]]奏者
* 1948年 - [[グレイス・ジョーンズ]]、[[モデル (職業)|モデル]]、[[歌手]]、[[俳優|女優]]
* [[1949年]] - [[アーチー・マニング]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* 1949年 - [[並木正芳]]、政治家
* [[1950年]] - [[猪狩元秀]]、[[日本拳法|日本拳法家]]、元[[キックボクサー]]、[[実業家]]
* 1950年 - [[タデウス・スルシャルスキー]]、陸上競技選手(+ [[1998年]])
* 1950年 - [[林家染語楼 (4代目)]]、[[落語家]](+ [[2005年]])
* [[1951年]] - [[ジョーイ・ラモーン]]、ミュージシャン([[ラモーンズ]])(+ [[2001年]])
* 1951年 - [[ディック・スレーター]]、[[プロレスラー]]
* [[1952年]] - [[鈴木一功]]、[[俳優]]
* 1952年 - [[チャーリー・スペディング]]、陸上競技選手
* 1952年 - [[ベルト・ファン・マルワイク]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者
* [[1953年]] - [[高橋裕 (競馬)|高橋裕]]、調教師
* [[1954年]] - [[大塚芳忠]]、声優
* 1954年 - [[鈴木博文]]、ミュージシャン
* 1954年 - [[池之上格]]、元プロ野球選手
* 1954年 - [[フィル・ラッド]]、[[ドラマー]]([[AC/DC]])
* [[1955年]] - [[ジェームズ・ゴスリン]]、[[ソフトウェア]]技術者
* [[1957年]] - [[ビル・レインビア]]、[[バスケットボール]]選手
* 1957年 - [[四方晴美]]、元女優
* [[1958年]] - [[大友直人]]、[[指揮者]]
* [[1959年]] - [[島田満]]、[[脚本家]]
* 1959年 - [[阿部俊子]]、政治家
* [[1962年]] - [[宮下正彦]]、元プロ野球選手(+ [[2008年]])
* 1962年 - [[都築和彦]]、[[漫画家]]
* [[1964年]] - [[木村貴宏]]、[[キャラクターデザイン|キャラクターデザイナー]](+ [[2023年]])
* 1964年 - [[飯島夕雁]]、政治家
* 1964年 - [[ルイス・アキーノ]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[さかき孝輔]]、声優
* [[1965年]] - [[近藤洋介 (政治家)|近藤洋介]]、政治家
* [[1966年]] - [[山崎慎太郎]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[松浦宏明]]、元プロ野球選手
* [[1968年]] - [[荘口彰久]]、[[アナウンサー]]
* 1968年 - [[本間聡]]、[[総合格闘家]]
* 1968年 - [[アラン・ジンター]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[トマス・ヴィンターベア]]、映画監督
* [[1970年]] - [[佐川潔]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[スコット・マクレーン]]、元プロ野球選手
* [[1973年]] - [[ダリオ・フランキッティ]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* [[1974年]] - [[エマ・シャプラン]]、[[コロラトゥーラ]]歌手
* 1974年 - [[ナワーズッディーン・シッディーキー]]、俳優
* [[1975年]] - [[安藤政信]]、俳優
* 1975年 - [[島袋光年]]、[[漫画家]]
* 1975年 - [[道尾秀介]]、小説家
* [[1976年]] - [[紀田彰一]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[ケビン・ガーネット]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* [[1977年]] - [[ブランドン・インジ]]、プロ野球選手
* 1977年 - [[山下勝充]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[ラファエル・クルス]]、プロ野球選手
* 1977年 - [[平井崇士]]、元プロバスケットボール選手
* 1977年 - [[飯田雅司]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[マヌエル・アルムニア]]、元サッカー選手
* 1977年 - [[しまだかおり]]、声優
* [[1978年]] - [[マーカス・ベント]]、元サッカー選手
* [[1979年]] - [[小田智之]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[アンドレア・ピルロ]]、元サッカー選手
* 1979年 - [[ディエゴ・フォルラン]]、元サッカー選手
* [[1980年]] - [[影山のぞみ]]、[[タレント]]
* 1980年 - [[田才千恵]]、[[ファッションモデル]]
* 1980年 - [[旭堂南也]]、[[講談|講談師]]、お笑い芸人([[シンプル (お笑いコンビ)|シンプル]])
* 1980年 - [[アナスタシア・ギマゼトディノワ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1981年]] - [[梅原大吾]]、プロゲーマー
* 1981年 - [[ジョルジュ・サンピエール]]、総合格闘家
* 1981年 - [[樋口直哉]]、小説家
*[[1982年]] - [[山田大起]]、[[スキージャンプ]]選手
* 1982年 - [[レベッカ・ホール]]、女優
* 1982年 - [[金子みひろ]]、女優、タレント、元[[AV女優]]
* [[1983年]] - [[ルスラン・カラエフ]]、元[[キックボクサー]]
* [[1984年]] - [[佐藤拓也 (声優)|佐藤拓也]]、声優
* [[1985年]] - [[芹那]]、タレント(元[[SDN48]])
* 1985年 - [[ルーキタエ]]、タレント、[[ディスクジョッキー|DJ]](元[[あやまんJAPAN]])
* 1985年 - [[ジョン・コルタジャレナ]]、ファッションモデル
* [[1986年]] - [[村上耕平]]、俳優
* 1986年 - [[澤部佑]]、お笑い芸人([[ハライチ]])
* 1986年 - [[渋川難波]]、[[プロ雀士]]
* [[1987年]] - [[仲村美香]]、[[ファッションモデル]]
* [[1988年]] - [[リリー・コール]]、ファッションモデル
* 1988年 - [[甲斐田樹里]]、タレント(元SDN48)
* 1988年 - [[後藤あゆみ]]、プロボクサー
* 1988年 - [[大石港与]]、陸上選手
* [[1989年]] - [[三觜要介]]、元俳優
* 1989年 - [[阿部和成]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[久保ユリカ]]、声優
* [[1990年]] - [[藤沢あぐり]]、元ファッションモデル、女優
* 1990年 - [[小原優花]]、ファッションモデル
* 1990年 - [[堀澤かずみ]]、タレント
* 1990年 - [[前田陽平]]、サッカー選手
* 1990年 - [[服部梨花]]、元バレーボール選手
* 1990年 - [[石井里沙]]、元バレーボール選手
* 1990年 - [[イマコラータ・シレッシ]]、バレーボール選手
* 1990年 - [[ジェイコーブ・クレイガー]]、俳優
* 1990年 - [[ビクトル・イバルボ]]、サッカー選手
* [[1992年]] - [[サム・スミス]]、シンガーソングライター
* 1992年 - [[才木玲佳]]、女優、元アイドル、元プロレスラー
* [[1993年]] - [[神木隆之介]]、俳優
* [[1994年]] - [[赤間有華]]、アナウンサー
* 1994年 - [[永島聖羅]]、タレント、元アイドル(元[[乃木坂46]])
* 1994年 - [[松森彩夏]]、プロゴルファー
* [[1995年]] - [[笹川萌]]、野球選手、[[YouTuber]]
* [[1996年]] - [[齊藤稜駿]]、元俳優
* 1996年 - [[鄭現]]、テニス選手
* [[1997年]] - [[青柳昴樹]]、元プロ野球選手
* [[2000年]] - [[勝隆一]]、俳優
* [[2003年]] - [[菱川花菜]]、声優
* 生年不明 - [[なっこ]]、歌手、モデル、[[コスプレ|コスプレイヤー]]
* 生年不明 - [[高橋剛 (声優)|高橋剛]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1974年]] - [[マルゼンスキー]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](+ [[1997年]])
* [[1995年]] - [[ヴァレンヌ (競走馬)|ヴァレンヌ]]、競走馬、種牡馬
== 忌日 ==
[[Image:Dunstan_and_the_Devil_-_Project_Gutenberg_eText_13978.png|thumb|120px|[[カトリック教会]]の聖職者[[ドゥンスタン]](909-988)没。[[悪魔]]のあしらいを巡る伝説が多い]]
[[Image:Anne_Boleyn_London_Tower.jpg|thumb|100px|イングランド王妃[[アン・ブーリン]](1507-1536)斬首。画像は[[ロンドン塔]]に幽閉されたアン]]
[[Image:J.Stanley.jpg|thumb|100px|作曲家[[ジョン・スタンリー]](1712-1786)没。{{audio|Stanley voluntary op5 08 01.ogg|『オルガンのためのヴォランタリー』作品5-8 第1楽章を聴く}}]]
[[Image:Henri_de_Saint-simon_portrait.jpg|thumb|100px|[[社会主義]]思想家[[アンリ・ド・サン=シモン]](1760-1825)]]
[[Image:NHawthorneGrave.jpg|thumb|upright|作家[[ナサニエル・ホーソーン]](1804-1864)。{{Squote|誰も友として信頼しないならば、敵が現れた時にもそれが敵であると見分けられぬだろう。――『[[緋文字]]』(1850)}}]]
[[Image:Marti_Cienfuegos.jpg|thumb|upright|キューバの英雄、[[ホセ・マルティ]](1853-1895)戦死]]
[[Image:Lawrence_of_Arabia_Brough_Superior_gif.gif|thumb|upright|アラビアのロレンスこと[[トーマス・エドワード・ロレンス]](1888-1935)、[[オートバイ]]事故で没]]
[[Image:CharlesEdwardIves1913.jpg|thumb|upright|[[現代音楽]]の作曲家[[チャールズ・アイヴズ]](1874-1954)]]
* [[804年]] - [[アルクィン]]、[[修道士]](* [[735年]])
* [[988年]] - [[ドゥンスタン]]、[[カンタベリー大司教]](* [[909年]])
* [[1125年]] - [[ウラジーミル2世モノマフ]]、[[キエフ大公国|キエフ大公]](* [[1053年]])
* [[1296年]] - [[ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス5世]]、第192代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1215年]])
* [[1389年]] - [[ドミートリー・ドンスコイ]]、第4代[[モスクワ大公国|モスクワ大公]](* [[1350年]])
* [[1536年]] - [[アン・ブーリン]]、イングランド王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の王妃(* [[1502年]]頃)
* [[1601年]] - [[コスタンツォ・ポルタ]]、[[作曲家]](* [[1528年]]もしくは[[1529年]])
* [[1673年]]([[寛文]]13年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[隠元隆琦]]、[[明]]の禅僧、日本[[黄檗宗]]の開祖(* [[1592年]])
* [[1706年]]([[宝永]]3年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[有馬頼旨]]、第5代[[久留米藩|久留米藩主]](* [[1685年]])
* [[1724年]]([[享保]]9年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - [[松平宗昌]]、第7代[[福井藩|福井藩主]](* [[1675年]])
* [[1786年]] - [[ジョン・スタンリー]]、[[作曲家]](* [[1712年]])
* [[1795年]] - [[ジェイムズ・ボズウェル]]、作家(* [[1740年]])
* [[1825年]] - [[アンリ・ド・サン=シモン]]、[[社会主義]][[思想家]](* [[1760年]])
* [[1850年]] - [[アダルベルト・ギロヴェッツ]]、[[作曲家]](* [[1763年]]){{要検証|date=2010年5月|title=各国語版の記事で日付がばらばらです}}
* [[1864年]] - [[ナサニエル・ホーソーン]]、[[小説家]](* [[1804年]])
* [[1887年]] - [[矢野玄道]]、[[国学|国学者]](* [[1823年]])
* [[1895年]] - [[ホセ・マルティ]]、[[キューバ]]独立運動指導者(* [[1853年]])
* [[1898年]] - [[ウィリアム・グラッドストン]]、政治家、第41 43 45 47代イギリス首相(* [[1809年]])
* [[1909年]] - [[ヘンリー・H・ロジャーズ]]、[[実業家]](* [[1840年]])
* [[1918年]] - [[フェルディナント・ホドラー]]、[[画家]](* [[1853年]])
* [[1922年]] - [[江原素六]]、政治家、[[麻布中学校・高等学校|麻布学園]]創設者(* [[1842年]])
* [[1928年]] - [[マックス・シェーラー]]、[[哲学者]](* [[1874年]])
* [[1935年]] - [[チャールズ・マーティン・レフラー]]、作曲家(* [[1861年]])
* 1935年 - [[トーマス・エドワード・ロレンス]]、[[イギリス]]の軍人、[[考古学|考古学者]](* [[1888年]])
* [[1940年]] - [[フィリップ・フルトヴェングラー]]、[[数学者]](* [[1869年]])
* [[1942年]] - [[アーサー・エドワード・ウェイト]]、[[魔術師]]、[[ウェイト版タロット]]製作者(* [[1857年]])
* 1942年 - [[ジョゼフ・ラーモア]]、[[物理学者]](* 1857年)
* [[1943年]] - [[ビリー・シン]]、[[オーストラリア]]の[[狙撃手]](* [[1886年]])
* [[1946年]] - [[中部幾次郎]]、実業家、林兼商店(現[[マルハ]])創業者(* [[1866年]])
* [[1954年]] - [[チャールズ・アイヴズ]]、作曲家(* [[1874年]])
* [[1957年]] - [[アリス・ミリア]]、[[国際女子スポーツ連盟]]創設者(* [[1884年]]<ref>{{Cite web |url=https://worldathletics.org/news/feature/centenary-first-womens-olympiad |title=From pigeons to Olympic participation – Centenary of the first Women's Olympiad |access-date=28 Feb 2023 |publisher=World Athletics |language=En}}</ref>)
* [[1958年]] - [[ロナルド・コールマン]]、[[俳優]](* [[1891年]])
* [[1961年]] - [[アーノルド・ゲゼル]]、[[心理学者]](* [[1880年]])
* 1961年 - [[三遊亭柳枝]]、[[漫才|漫才師]]、[[コメディアン]](* [[1903年]])
* [[1966年]] - [[近藤兵太郎]]、高校野球指導者(* [[1888年]])
* [[1968年]] - [[大谷米太郎]]、実業家(* [[1881年]])
* 1968年 - [[山口薫]]、画家(* [[1907年]])
* [[1969年]] - [[コールマン・ホーキンス]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン]]奏者(* [[1904年]])
* [[1970年]] - [[岡晴夫]]、[[歌手]](* [[1916年]])
* 1970年 - [[レイ・シャーク]]、元プロ野球選手(* [[1892年]])
* [[1974年]] - [[南原繁]]、[[東京大学|東京帝国大学]]総長、[[政治学者]](* [[1889年]])
* [[1976年]] - [[平井呈一]]、編集者、翻訳家(* [[1902年]])
* [[1978年]] - [[岩淵悦太郎]]、[[日本語学者|国語学者]](* [[1905年]])
* [[1982年]] - [[宗宮房之助]]、元[[プロ野球選手]](* [[1920年]])
* [[1985年]] - [[タピオ・ヴィルカラ]]、[[デザイナー]]、[[彫刻家]](* [[1915年]])
* [[1986年]] - [[藤野節子]]、女優(* [[1928年]])
* [[1987年]] - [[ジェイムズ・ティプトリー・Jr.]]、[[SF作家]](* [[1915年]])
* [[1989年]] - [[C・L・R・ジェームズ]]、[[ジャーナリスト]](* [[1901年]])
* 1989年 - [[阿部昭]]、小説家(* [[1934年]])
* [[1991年]] - [[竹中労]]、[[ルポライター]](* [[1930年]])
* [[1994年]] - [[ジャクリーン・ケネディ・オナシス]]、[[ジョン・F・ケネディ|ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ]]夫人(* [[1929年]])
* 1994年 - [[ルイス・オカーニャ]]、[[自転車競技]]選手(* [[1945年]])
* [[1996年]] - [[高橋悦史]]、[[俳優]](* [[1935年]])
* 1996年 - [[北条秀司]]、[[劇作家]]、[[著作家|著述家]](* [[1902年]])
* [[1998年]] - [[宇野宗佑]]、政治家、第75代[[内閣総理大臣]](* [[1922年]])
* 1998年 - [[高田浩吉]]、俳優(* [[1911年]])
* [[2004年]] - [[金田一春彦]]、[[日本語学者|国語学者]](* [[1913年]])
* [[2012年]] - [[杉山平一]]、詩人、映画評論家(* [[1914年]])
* [[2013年]] - [[北川石松]]、政治家(* [[1919年]])
* 2013年 - [[伊藤忠治]]、政治家(* [[1934年]])
* [[2014年]] - [[ジャック・ブラバム]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(* [[1926年]])
* [[2015年]] - [[ハッピー・ロックフェラー]]、[[ネルソン・ロックフェラー]]の2番目の妻(* [[1926年]])
* [[2017年]] - [[杉田豊]]、[[グラフィックデザイナー]]・[[絵本作家]](* [[1930年]])
* 2017年 - [[スタニスラフ・ペトロフ]]、[[ロシア戦略ロケット軍]]元[[中佐]](* [[1939年]])
* [[2019年]] - [[木村進]]、お笑い芸人(* [[1950年]])
* [[2020年]] - [[田中一朗]]、元プロ野球選手(* [[1932年]])
* 2020年 - [[松田昌士]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20200525-PZDU3AZTB5PIFL5FQEYRLSFHQQ/ |title=JR東元社長、松田昌士氏死去 国鉄民営化に尽力 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=25 May 2020}}</ref>、実業家、[[東日本旅客鉄道]]元[[社長]](* [[1936年]])
* [[2023年]] - [[上岡龍太郎]]、タレント(* [[1942年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:20180111 Atatürk@Antalya 5207 (39398723384).jpg|thumb|200px|画像は[[アンタルヤ]]にある[[ムスタファ・ケマル・アタテュルク|アタテュルク]]像]]
*{{仮リンク|アタテュルク記念と青少年とスポーツの日|en|Commemoration of Atatürk, Youth and Sports Day}}({{TUR}}・[[北キプロス・トルコ共和国|北キプロス]])
*:[[1919年]]のこの日、オスマン政府より派遣された[[ケマル・アタテュルク]]が[[アナトリア]]北部の港町[[サムスン (都市)|サムスン]]に上陸したことを記念。第一次大戦に敗れたトルコは連合国に分割占領されたが、各地でそれに反対する抵抗運動が起こっていた。ケマルは抵抗運動抑止のために派遣されたものであったが、その意に反して抵抗運動の指導者となった。この日はトルコ解放戦争開始の日として記念日とされている。
*[[旅行]]の日({{PRC}})
*: 2011年に[[中国国務院]]によって正式に設立されたのは、「[[徐霞客遊記]]」の初日を記念するためです。 5月19日とその前後の数日間、中国全国が「旅行の日」の活動に集中する。
*[[ボクシング]]の日({{JPN}})
*: [[日本プロボクシング協会]]が[[2010年]]に制定。[[1952年]]のこの日、挑戦者・[[白井義男]]が世界[[フライ級]][[チャンピオン]]の[[ダド・マリノ]]に判定勝ちし、日本初のボクシング世界タイトル保持者となったことを記念。同時にプロ野球での名球会に相当する「[[プロボクシング・世界チャンピオン会]]」を結成した。
*[[セメント]]の日({{JPN}})
*:[[1875年]]のこの日、官営[[深川セメント製造所]]にて[[宇都宮三郎]]らが国産初の[[ポルトランドセメント]]の製造に成功したことを記念。
*[[世界肝炎デー]]({{World}}、[[2008年]] - [[2010年]])
*: 世界肝炎アライアンスが制定。2010年5月に[[世界保健機関]]が[[7月28日]]を世界肝炎デーとすることを決議した。
* [[人造人間キカイダー|キカイダー]]・ブラザーズ・デイ({{USA}}[[ハワイ州]][[マウイ郡 (ハワイ州)|マウイ郡]])<ref>{{Cite web|和書|title=ハワイの人々を魅了してやまないKIKAIDAとは? |date=2013-10-17 |url=https://www.huffingtonpost.jp/my-hawaii/kikaida3_b_4112320.html |publisher=HuffPost |accessdate=28 Feb 2023}}</ref>
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0519|date=2023年2月}}
*1910年 - [[野比のび太]]の曽祖父のび吉、76年後の子孫宛てに巻物を記す。(漫画『[[ドラえもん]]』「ハリーのしっぽ」)
*1951年(昭和26年)- 夕方、[[金田一耕助]]は大道寺欣造の使者、[[行者]]の九十九龍馬と会う。(小説『[[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]]』第2章)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 生年不明 - シンエイ・ノウゼン、小説・アニメ『[[86-エイティシックス-|86―エイティシックス―]]』の主人公<ref>{{Twitter status|anime_eightysix|1394669114933743618}}</ref>
* 生年不明 - ジョン・ジャイアント、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/John_Giant.html |title=ジョン・ジャイアント |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - アンドレ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Andre.html |title=アンドレ |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - ルイジ・フェルミ、漫画『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|year=2008|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃|page=105|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-874248-9}}</ref>
* 生年不明 - 円場硬成、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group02/02-08/ |title=円場硬成 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref>
* 生年不明 - [[鬼滅の刃#栗花落カナヲ|栗花落カナヲ]]、漫画『[[鬼滅の刃]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kimetsu_off|1262397552332353540}}</ref><ref group="注釈">出生不明だったため胡蝶姉妹に出会った日を誕生日としている。</ref>
* 生年不明 - 上本スミレ、漫画『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=若木民喜|authorlink=若木民喜|title=神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック|year=2013|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4091244512|page=76}}</ref>
* 生年不明 - 野々宮祥子、アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=おお振り製作委員会(監修)|editor=ニュータイプ|editor-link=月刊ニュータイプ|year=2010|title=おおきく振りかぶって 熱闘グラフ-あの夏を焦がした試合&選手 記録集|page=19|publisher=[[角川書店]]|location=|isbn=978-4-04-854525-9}}</ref>
* 生年不明 - 澤部椿、漫画・アニメ『[[四月は君の嘘]]』に登場するキャラクター<ref>TVアニメ『四月は君の嘘』op曲CD「光るなら」に付属した生徒証明書に記載。</ref>
* 生年不明 - 柏崎星奈、小説・アニメ『[[僕は友達が少ない]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1394900723733835776}}</ref>
* 生年不明 - 橋田至、ゲーム・アニメ『[[STEINS;GATE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kagakuadv|1527121866841698305}}</ref>
* 生年不明 - 蘇芳司、ゲーム・アニメ『[[ガンスリンガー ストラトス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://gunslinger-stratos.jp/gs2/information/2015/05/post-806.html |title=蘇芳司の誕生日を祝おう!蘇芳司誕生日キャンペーン開催のお知らせ |access-date=2022-09-07 |publisher=SQUARE ENIX CO. |date=2015-05-14}}</ref>
* 生年不明 - 朝比奈龍季、ゲーム『[[グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1419410402 |title=『グリモア』連続インタビュー第13回【豊口めぐみさん編】 |access-date=28 Feb 2023 |publisher=animate Times |date=11 Feb 2015}}</ref>
* 生年不明 - 御剣風蘭、ゲーム・アニメ『[[バトルガール ハイスクール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bgirl_colopl|997673197381267461}}</ref>
* 生年不明 - 雪城若葉、ゲーム『[[オルタナティブガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{YouTube|Ot7e-GGErMI|雪城 若菜}}</ref>
* 生年不明 - マルゼンスキー、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー|ウマ娘 プリティダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=maruzensky |title=マルゼンスキー |access-date=28 Feb 2023 |publisher=[[Cygames]] |work=『ウマ娘 プリティダービー』}}</ref>
* 生年不明 - 鑑香水月、ボカロCD・アニメ『[[ACTORS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://actorsmusic.jp/character/akika/ |title=鑑香 水月 |access-date=2022-09-07 |publisher=EXIT TUNES |work=ACTORS}}</ref>
* 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#Poppin'Party|山吹沙綾]]、[[メディアミックス]]企画『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bang_dream_info|865220830053007360}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/yamabuki-saya/ |title=山吹 沙綾 |publisher=[[ブシロード]] |accessdate=28 Feb 2023 |work=『BanG Dream! ガールズバンドパーティ! 』}}</ref>
<!--
* 生年不明 - セラ、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - マッターホルン、ゲーム『[[アークナイツ]]』に登場するキャラクター
-->
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
=== 注釈 ===
<references group="注釈" />
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 19|19 May}}
{{新暦365日|5|18|5|20|[[4月19日]]|[[6月19日]]|[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]|0519|5|19}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T16:15:37Z | 2023-09-23T05:54:11Z | false | false | false | [
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4,933 | 5月20日 | 5月20日(ごがつはつか、ごがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から140日目(閏年では141日目)にあたり、年末まではあと225日ある。 | [
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== できごと ==
[[ファイル:Vascodagama.JPG|thumb|120px|[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]、カリカット([[コーリコード]])に上陸(1498)]]
[[ファイル:Sonnets-Titelblatt_1609.png|thumb|200px|[[ウィリアム・シェイクスピア]]『[[ソネット集]]』刊行(1609)。{{audio|Sonnet 18.ogg|ソネット第18番の朗読を聴く}}]]
[[ファイル:Magdeburg_1631.jpg|thumb|180px|[[マクデブルクの戦い]]終結(1631)]]
[[ファイル:Closeup_of_copper_rivet_on_jeans.jpg|thumb|180px|[[リベット]]で補強した[[ズボン]]に特許が下りる(1873)。[[ジーンズ]]の発祥]]
[[ファイル:Kinetophonebis1.jpg|thumb|upright|[[トーマス・エジソン|エジソン]]の[[キネトスコープ]]公開(1891)。画像は1895年のもの]]
[[ファイル:German_paratroopers_jumping_From_Ju_52s_over_Crete.jpg|thumb|upright|[[クレタ島の戦い]](1941)。画像はドイツの落下傘部隊]]
[[ファイル:Takatsukasa_Wedding_1950.jpg|thumb|upright|[[鷹司和子|孝宮和子内親王]]、民間人と結婚(1950)]]
[[ファイル:Redwing_Apache.jpg|thumb|180px|[[ビキニ環礁]]で米国の核実験[[レッドウィング作戦]]開始(1956)。画像は7月8日のアパッチ実験]]
* [[1217年]] - [[第一次バロン戦争]]: [[第二次リンカーンの戦い]]。
* [[1293年]] - [[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[サンチョ4世 (カスティーリャ王)|サンチョ4世]]が現在の[[マドリード・コンプルテンセ大学]]を創立。
* [[1498年]] - [[ヴァスコ・ダ・ガマ]]が第一次航海で[[インド]]西岸のカリカット([[コーリコード]])に到達。
* [[1570年]] - [[アブラハム・オルテリウス]]が世界初の近代的[[地図]]「Theatrum Orbis Terrarum」を発刊。
* [[1609年]] - [[ウィリアム・シェイクスピア]]の『[[ソネット集]]』が{{仮リンク|トマス・ソープ|en|Thomas Thorpe}}によって発刊される。
* [[1631年]] - [[三十年戦争]]: [[マクデブルクの戦い]]が終結。
* [[1722年]]([[享保]]7年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - 江戸幕府が[[流地禁止令]]を発布。田畑を質流れの形で売買することを禁止。
* [[1862年]] - [[エイブラハム・リンカーン]]米大統領が[[ホームステッド法]]に署名、同法が発効。
* [[1873年]] - [[リーヴァイ・ストラウス]]とジェイコブ・デイヴィスが[[リベット]]で[[ポケット]]を補強した[[ズボン]]の[[特許]]を取得、[[ジーンズ]]の発祥とされる。
* [[1875年]] - [[パリ]]で[[メートル条約]]が締結。
* [[1882年]] - [[ドイツ帝国]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]、[[イタリア王国]]が[[三国同盟 (1882年)|三国同盟]]を締結<ref>{{Cite web|url=https://www.firstworldwar.com/source/triplealliance.htm|title=Primary Documents - Triple Alliance, 20 May 1882|work=first world war.com|accessdate=2020-07-19}}</ref>。
* [[1891年]] - [[トーマス・エジソン]]が発明した[[映画]]を観る装置[[キネトスコープ]]が初めて公開される。
* [[1896年]] - パリ・[[ガルニエ宮]](オペラ座)で6トンの[[シャンデリア]]が落下し、1人死亡。
* [[1902年]] - [[キューバ]]が[[アメリカ合衆国]]の軍政から独立。
* [[1903年]] - 日本人で初めて[[チベット]]に入国した仏教学者・[[河口慧海]]が4年ぶりに帰国。
* [[1908年]] - [[オランダ]]の統治下[[ジャワ島]]で民族主義的政治結社[[ブディ・ウトモ]]が結成される。
* [[1909年]] - [[うま味調味料]]「[[味の素]]」発売。
* [[1918年]] - [[アメリカ合衆国海軍|アメリカ海軍]]の戦艦「[[ニューメキシコ (戦艦)|ニューメキシコ]]」が就役。
* [[1921年]] - 沖縄県[[那覇市]]・[[首里|首里市]](現在は那覇市の一部)が市制施行。
* 1921年 - [[中華民国の歴史|中華民国]]([[北京政府]])外交部総長[[顔恵慶]]と[[ドイツ国]]側代表ヘルベルト・フォン・ボルヒが[[北京市|北京]]で中独協約を締結し両国の国交を回復する。ドイツが[[膠州湾租借地]]を放棄する。
* [[1927年]] - [[チャールズ・リンドバーグ]]が史上初の[[大西洋横断飛行]]のため[[スピリットオブセントルイス号|スピリット・オブ・セントルイス号]]に乗りニューヨークを出発。翌日パリに到着。
* [[1929年]] - [[岐阜県]][[船津町 (岐阜県)|船津町]]で大火。町役場、裁判所出張所、営林署、郵便局などの公共施設を含む1200余戸が全焼<ref>船津で大火、千二百余戸が全焼『大阪毎日新聞』昭和4年5月21日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p85 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
* [[1932年]] - [[アメリア・イアハート]]が女性として初めての大西洋単独横断飛行のため、[[ロッキード ベガ]]に乗り[[ニューファンドランド (ドミニオン)|ニューファンドランド]]を出発。翌日[[アイルランド]]に到着。
* [[1933年]] - [[Osaka Metro御堂筋線|大阪市営地下鉄御堂筋線]]の[[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田(仮駅)]] - [[心斎橋駅]]間が開業。大阪初の地下鉄。
* [[1936年]] - [[阿部定事件]]の犯人・[[阿部定]]が品川で逮捕。
* [[1938年]] - [[日中戦争]]: [[国民革命軍]]の[[B-10 (航空機)|マーチン139W]]爆撃機2機が九州上空に侵入し反戦ビラを投下。日本本土上空に侵入した初の敵国機となる。
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[クレタ島の戦い]]が始まる。
* 1941年 - [[東京港]]が外国貿易港として開港。
* [[1942年]] - [[翼賛政治会]]結成。[[帝国議会]]議員のほぼ全員が参加。
* 1942年 - 和歌山県[[田辺市]]が市制施行。
* [[1949年]] - [[アメリカ国家安全保障局]](NSA)の前身となる軍保安局(AFSA)が設置される。
* [[1950年]] - [[臨時石炭鉱業管理法]]廃止。炭鉱の国家管理が終了。
* 1950年 - [[鷹司和子|孝宮和子内親王]]が[[鷹司平通]]と結婚。皇族が初めて民間人と結婚。
* [[1954年]] - [[ビル・ヘイリー]]のシングルレコード「[[ロック・アラウンド・ザ・クロック]]」が発売。[[ロックンロール]]ブームとなる。
* [[1956年]] - アメリカ合衆国が[[ビキニ環礁]]で初めての[[水素爆弾|水爆]]投下実験。([[レッドウィング作戦]])
* [[1960年]] - [[安保闘争]]: [[自由民主党 (日本)|自民党]]が[[衆議院]]で[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|新日米安保条約]]を単独で強行採決<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/modern/cha6/description13.html|title=6-13 60年安保|work=国立国会図書館|accessdate=2020-07-19}}</ref>。
* [[1968年]] - 「[[信濃の国]]」が正式に[[長野県]]の県歌として制定される。
* [[1969年]] - [[立命館大学]][[全学共闘会議|全共闘]]が同校の[[わだつみ像]]を破壊<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=125|title=<懐かしの立命館>立命館大学の長い1日 その日「わだつみ像」は破壊された|work=[[立命館大学]]|accessdate=2020-07-19}}</ref>。
* [[1975年]] - [[白鳥事件]]の[[再審]]請求で[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]が請求を棄却するが、「[[疑わしきは罰せず]]」の原則を再審請求にも適用するという新たな基準([[白鳥事件#白鳥決定|白鳥決定]])を示し、再審の門戸を広げる。
* [[1978年]] - [[成田国際空港|新東京国際空港]](成田空港)が開港。
* [[1984年]] - 外国人初の関取・[[高見山大五郎|高見山]]が引退<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nippon.com/ja/japan-topics/today0520/|title=今日は何の日:5月20日|work=nippon.com|accessdate=2020-07-19}}</ref>。
* [[1990年]] - [[ルーマニア革命 (1989年)|ルーマニア革命]]: [[ルーマニア]]で半世紀ぶりの[[自由選挙]]が行われる。
* [[2000年]] - [[陳水扁]]が[[中華民国総統]]に就任。
* [[2002年]] - [[東ティモール]]が[[インドネシア]]から独立。[[シャナナ・グスマン]]が初代大統領に、[[マリ・アルカティリ]]が初代首相に就任。
* [[2007年]] - [[石川遼]]が[[マンシングウェアオープン KSBカップ]]で優勝。15歳245日での優勝は[[ゴルフ]]のプロツアー大会における世界最年少記録<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.golfdigest.co.jp/news/jgto/article/120901/1/|title=15歳の石川遼が劇的初V 現地取材者の証言/2007年5月20日|work=[[ゴルフダイジェスト・オンライン|GOD]] ニュース|accessdate=2020-07-19}}</ref>。
* [[2008年]] - [[シンガポール航空]]により、世界最大の旅客機[[エアバスA380]]が、日本([[シンガポール・チャンギ国際空港|シンガポール]] - [[成田国際空港|成田]])に初めて乗り入れる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=35834|title=シンガポール航空、初就航のA380型機、荒天で中部にダイバート、日本発に遅れ|work=Travel vision|date=2008-05-20|accessdate=2020-07-19}}</ref>。
* [[2010年]] - [[大相撲野球賭博問題]]: この日発売の『[[週刊新潮]]』で[[大相撲]]の現役[[力士]]の[[大関]][[琴光喜啓司|琴光喜]]が[[暴力団]]による[[野球賭博]]に関与していたことが報じられる。
* [[2012年]] - 大相撲[[夏場所]]で、[[前頭]]7枚目の[[旭天鵬勝|旭天鵬]]が史上初の[[平幕]]同士の[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]を制し初優勝。同時に初優勝の最年長記録を更新した。
* [[2013年]] - [[アメリカ合衆国]][[オクラホマ州]]で[[改良藤田スケール|FE]]5の[[竜巻]]が発生し、24人が死亡。([[2013年ムーア竜巻]])
* [[2016年]] - [[蔡英文]]が[[中華民国総統]]に就任<ref>{{Cite web|和書|date=2016-05-20 |url=https://news.ntv.co.jp/category/international/330624 |title=台湾初の女性総統誕生 今後の中台関係は? |publisher=日テレNEWS24 |accessdate=2020-07-19}}</ref>。
* 2016年 - 第3回[[世界メディアサミット]]がドーハで開幕。翌21日まで。
* [[2019年]] - [[国際単位系]](SI)の新定義の発効に伴い、[[国際キログラム原器]]の重量に基づく[[キログラム]]の定義が廃止される。
* [[2020年]] - [[日本高等学校野球連盟|日本高野連]]が、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]の拡大に伴い同年[[8月10日]]から開催予定であった第102回[[全国高等学校野球選手権大会]]を中止にすることを決定<ref>{{Cite web|和書|title=甲子園79年ぶり中止が決定、コロナ影響で苦渋決断|url=https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202005200000332.html|work= [[日刊スポーツ]]|date=2020-05-20|accessdate=2021-02-12}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[ファイル:John_Stuart_Mill_by_John_Watkins%2C_1865.jpg|thumb|120px|哲学者・経済学者、[[ジョン・スチュアート・ミル]](1806-1873)誕生。{{Squote|ある意見の有用性は、それ自体が意見の問題である。――『[[自由論 (ミル)|自由論]]』(1859)}}]]
[[ファイル:Eduardbuchner.jpg|thumb|100px|無細胞での[[発酵]]を発見した生化学者[[エドゥアルト・ブフナー]](1860-1917)]]
[[ファイル:Nakedspur_trailer_3.jpg|thumb|100px|俳優[[ジェームズ・ステュアート (俳優)|ジェームズ・ステュアート]](1908-1997)]]
[[ファイル:Hideko_Maehata.jpg|thumb|100px|日本人女性初の金メダリスト、[[水泳]]選手[[前畑秀子]](1914-1995)]]
[[ファイル:WBC2006_Sadaharu_Oh.jpg|thumb|100px|868本塁打を記録した[[プロ野球]]選手、[[王貞治]](1940-)]]
* [[1470年]] - [[ピエトロ・ベンボ]]、[[詩人]]、[[人文主義者|人文学者]]、[[文学理論|文芸理論家]] (+ [[1547年]])
* [[1608年]]([[慶長]]13年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[稲葉信通]]、[[豊後国|豊後]][[臼杵藩]]の第4代藩主(+ [[1673年]])
* [[1652年]]([[慶安]]5年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[一条冬経]]、[[公卿]](+ [[1705年]])
* [[1768年]] - [[ドリー・マディソン]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](第4代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジェームズ・マディソン]]の妻)(+ [[1849年]]<ref>{{Cite web|url=http://www.firstladies.org/biographies/firstladies.aspx?biography=4|title=First Lady Biography: Dolley Madison|publisher=National First Ladies' Library|language=英語|accessdate=2021年3月14日}}</ref>)
* [[1799年]] - [[オノレ・ド・バルザック]]、[[小説家]](+ [[1850年]])
* [[1806年]] - [[ジョン・スチュアート・ミル]]、[[思想家]]、[[経済学者]](+ [[1873年]])
* [[1822年]] - [[フレデリック・パシー]]、経済学者(+ [[1912年]])
* [[1829年]]([[文政]]12年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[大久保忠愨]]、[[相模国|相模]][[小田原藩]]の第8代藩主(+ [[1859年]])
* [[1830年]] - [[エクトル・マロ]]、小説家(+ [[1907年]])
* [[1851年]]([[嘉永]]4年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[山葉寅楠]]、[[実業家]](+ [[1916年]])
* 1851年 - [[エミール・ベルリナー]]、[[発明家]](+ [[1929年]])
* [[1860年]] - [[エドゥアルト・ブフナー]]、[[生化学|生化学者]](+ [[1917年]])
* [[1873年]] - [[桐生悠々]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1941年]])
* [[1882年]] - [[川村驥山]]、[[書家]](+ [[1969年]])
* 1882年 - [[シグリ・ウンセット]]、[[小説家]](+ [[1949年]])
* [[1883年]] - [[ファイサル1世 (イラク王)|ファイサル1世]]、初代[[イラク王国|イラク国王]](+ [[1933年]])
* [[1886年]] - [[高村智恵子]]、[[洋画家]]、[[高村光太郎]]の妻(+ [[1938年]])
* [[1888年]] - [[湯沢三千男]]、[[政治家]](+ [[1963年]])
* [[1895年]] - [[レジナルド・ジョセフ・ミッチェル]]、[[航空]][[技術者]](+ [[1937年]])
* [[1897年]] - [[コートニー・ホイットニー]]、[[弁護士]]、[[博士(法学)|法学博士]]、[[アメリカ陸軍|合衆国米軍]][[将官]](+ [[1969年]])
* [[1898年]] - [[ジョセフ・マーフィー]]、[[牧師]](+ [[1981年]])
* [[1901年]] - [[島秀雄]]、[[鉄道]][[技術者]](+ [[1998年]])
* 1901年 - [[マックス・エーワ]]、[[数学者]]、[[チェス]]プレイヤー(+ [[1981年]])
* [[1904年]] - [[永井龍男]]、小説家(+ [[1990年]])
* 1904年 - [[マージェリー・アリンガム]]、[[推理作家]](+ [[1966年]])
* [[1908年]] - [[ジェームズ・ステュアート (俳優)|ジェームズ・ステュアート]]、[[俳優]](+ [[1997年]])
* [[1913年]] - [[ウィリアム・ヒューレット]]、[[技術者]]、[[実業家]](+ [[2001年]])
* [[1914年]] - [[前畑秀子]]、水泳選手(+ [[1995年]])
* [[1915年]] - [[モーシェ・ダヤン]]、[[イスラエル]]の[[軍人]](+ [[1981年]])
* [[1916年]] - [[トレビゾンダ・ヴァッラ]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]](+ [[2006年]])
* [[1918年]] - [[エドワード・ルイス]]、[[遺伝学|遺伝学者]](+ [[2004年]])
* [[1919年]] - [[大蛇潟金作]]、元[[大相撲]][[力士]](+ [[1986年]])
* [[1921年]] - [[ヴォルフガング・ボルヒェルト]]、[[小説家]]、[[劇作家]]、[[詩人]](+ [[1947年]])
* 1921年 - [[ハル・ニューハウザー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1998年]])
* [[1922年]] - [[大野俊康]]、[[神職]](+ [[2013年]])
* [[1923年]] - [[伴勇資]]、元プロ野球選手(+ [[2003年]])
* [[1924年]] - [[相田みつを]]、[[書家]]、[[詩人]](+ [[1991年]])
* [[1927年]] - [[小笠原弘]]、俳優(+ [[2006年]])
* [[1929年]] - [[一陽斎蝶一]]、[[マジシャン (奇術)|奇術師]](+ [[2018年]])
* 1929年 - [[チャールズ・ティリー]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[2008年]])
* 1929年 - [[星野武男]]、元プロ野球選手
* [[1930年]] - [[長尾靖]]、[[写真家]](+ [[2009年]])
* [[1931年]] - [[猪谷千春]]、[[スキー]]選手、[[国際オリンピック委員会|IOC]]理事
* 1931年 - [[ケン・ボイヤー]]、元プロ野球選手(+ [[1982年]])
* [[1935年]] - [[ホセ・ムヒカ]]、政治家、第40代[[ウルグアイの大統領|ウルグアイ大統領]]
* [[1936年]] - [[河崎義祐]]、[[映画監督]](+ 没年不詳)
* 1936年 - [[太田誠]]、アマチュア野球指導者
* [[1939年]] - [[東條由布子]]、[[作家]](+ [[2013年]])
* [[1940年]] - [[王貞治]]、元プロ野球選手、監督
* 1940年 - [[オットー・ジェリネク]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1940年 - [[尾崎靖夫]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]])
* [[1941年]] - [[ゴー・チョクトン]]、政治家、[[シンガポールの首相|シンガポール首相]]
* [[1944年]] - [[ジョー・コッカー]]、[[歌手]](+ [[2014年]]<ref>[https://archive.is/ZU98y ジョー・コッカー氏死去=英出身の歌手] [[時事通信]] 2020年11月21日閲覧</ref>)
* [[1945年]] - [[昔昔亭桃太郎]]、[[落語家]]
* [[1946年]] - [[ジム・ライトル]]、元プロ野球選手
* 1946年 - [[シェール]]、歌手、[[俳優|女優]]
* [[1947年]] - [[ポール・ハースト]]、社会学者(+ [[2003年]])
* [[1948年]] - [[玄田哲章]]、[[声優]]
* 1948年 - [[真理アンヌ]]、女優、[[タレント]]
* 1948年 - [[御厨さと美]]、[[漫画家]](+ [[2022年]])
* [[1950年]] - [[毛利蔵人]]、[[作曲家]](+ [[1997年]])
* [[1952年]] - [[ロジェ・ミラ]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* [[1954年]] - [[デビッド・パターソン (政治家)|デビッド・パターソン]]、政治家
* [[1955年]] - [[ディエゴ・アバタントゥオーノ]]、俳優
* 1955年 - [[植上健治]]、元プロ野球選手(+ [[1995年]])
* [[1956年]] - [[工藤一彦]]、元プロ野球選手
* [[1957年]] - [[野田佳彦]]、政治家、[[国会議員|衆議院議員]]、第95代[[内閣総理大臣]]
* [[1958年]] - [[加川明]]、歌手、俳優
* 1958年 - [[西村博巳]]、元プロ野球選手
* 1958年 - [[赤嶺賢勇]]、元プロ野球選手
* 1958年 - [[ジェーン・ウィードリン]]、歌手、女優
* [[1959年]] - [[佐藤修 (アナウンサー)|佐藤修]]、元アナウンサー
* [[1960年]] - [[トニー・ゴールドウィン]]、俳優
* [[1961年]] - [[ラルフ・ブライアント]]、元プロ野球選手
* 1961年 - [[高野光]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]])
* [[1962年]] - [[三間雅文]]、[[音響監督]]
* [[1963年]] - [[高木宣宏]]、元プロ野球選手
* 1963年 - [[デビッド・ウェルズ]]、元プロ野球選手
* [[1964年]] - [[ジェフ・シュワーズ]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[玄葉光一郎]]、政治家、衆議院議員、元外務大臣
* 1964年 - [[薬師神繁男]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[佐藤晃 (ミュージシャン)|佐藤晃]]、[[ミュージシャン]]([[infix]])
* 1965年 - [[丹波健二]]、元プロ野球選手
* 1965年 - [[トッド・ストットルマイヤー]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[益子直美]]、[[バレーボール]]選手
* [[1967年]] - [[石田昌宏]]、政治家
* [[1968年]] - [[ワイサレ・セレヴィ]]、[[ラグビーユニオン]]選手
* 1968年 - [[鈴木慶子]]、元[[野球選手]]
* [[1969年]] - [[高橋和也]]、ミュージシャン、俳優
* [[1970年]] - [[河村隆一]]、ミュージシャン([[LUNA SEA]]、[[Tourbillon (バンド)|Tourbillon]])
* [[1971年]] - [[光浦靖子]]、[[お笑いタレント]]([[オアシズ]])
* 1971年 - [[大越基]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[菅生千穂]]、[[クラリネット]]演奏家
* 1972年 - [[バスタ・ライムス]]、[[ラッパー]]
* 1972年 - [[清水伸]]、俳優
* [[1974年]] - [[ミカエル・スタンネ]]、ミュージシャン
* 1974年 - [[トランセル種市]]、元[[ゲームライター]]
* [[1975年]] - [[ラルフ・ファーマン]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* 1975年 - [[八幡カオル]]、お笑いタレント
* [[1976年]] - [[里崎智也]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[ラモン・ヘルナンデス]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[レオ・フランコ]]、サッカー選手
* [[1978年]] - [[永井大]]、俳優、タレント
* 1978年 - [[山本舞衣子]]、[[アナウンサー]]
* 1978年 - [[ウィルソン・バルデス]]、元プロ野球選手
* [[1979年]] - 岩見よしまさ、お笑いタレント([[飛石連休 (お笑いコンビ)|飛石連休]])
* 1979年 - [[河杉貴志]]、声優
* 1979年 - [[クリストフ・ルメール]]、[[騎手]]
* 1979年 - [[ジェイソン・ワース]]、元プロ野球選手
* [[1980年]] - [[森千夏]]、[[砲丸投]]選手(+ [[2006年]])
* 1980年 - [[新保友映]]、アナウンサー
* 1980年 - [[オースティン・カーンズ]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[田中賢介]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[藤井淳志]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[岡本篤志]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[新井亮司]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[イケル・カシージャス]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[飯窪五月]]、元[[グラビアアイドル]]
* [[1982年]] - [[ペトル・チェフ]]、元サッカー選手
* [[1983年]] - [[アダム・ロサレス]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[オスカル・カルドソ]]、サッカー選手
* [[1984年]] - [[宇都格]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[平野良]]、俳優
* [[1985年]] - [[村田透]]、プロ野球選手
* 1985年 - [[クリス・フルーム]]、[[自転車競技]]選手
* [[1986年]] - [[丸田恭介]]、[[騎手]]
* 1986年 - [[岩森重貴]]、プロ野球選手
* 1986年 - [[菅原知弘]]、[[テレビ朝日]]アナウンサー
* [[1987年]] - [[ハーフナー・マイク]]、サッカー選手
* 1987年 - [[中村真梨花]]、[[将棋]][[棋士 (将棋)|棋士]]
* [[1988年]] - [[長瀬実夕]]、元歌手(元[[ZONE (バンド)|ZONE]])
* 1988年 - [[カイル・ジェンセン]]、プロ野球選手
* 1989年 - 高野正成、お笑い芸人([[きしたかの]])
* [[1990年]] - [[吉田紗也加]]、女優
* 1990年 - [[アデリーヌ・キャナック]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1990年 - [[ラファエウ・カブラル・バルボサ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[スズキ・カスタニェイラ・ブルーノ・ジュンイチ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ラシナ・トラオレ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[アンデルソン・デ・カルバーリョ・サントス]]、サッカー選手
* 1990年 - [[クリス・リード (野球)|クリス・リード]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[千葉健太]]、元陸上選手
* [[1991年]] - [[アナスタシヤ・ヴィホドツェワ]]、フィギュアスケート選手
* [[1992年]] - [[ジャック・グリーソン]]、俳優
* 1992年 - [[田口雅也]]、陸上選手
* [[1993年]] - [[キャロライン・ジャン]]、フィギュアスケート選手
* 1993年 - [[松枝博輝]]、陸上選手
* 1993年 - [[草田草太]]、イラストレーター
* [[1995年]] - [[茜音]]、女優(元[[Girl〈s〉ACTRY]])
* [[1996年]] - [[佐々木萌詠]]、元女優
* 1996年 - [[中島優衣]]、アイドル、声優([[アイドルカレッジ]]、元[[ピュアリーモンスター]])
* 1996年 - [[泉翔馬]]、プロアイスホッケー選手
* [[1997年]] - [[ささの貴斗]]、俳優
* 1997年 - [[春木大輔]]、モデル、俳優(元[[NORD (アイドルグループ)|NORD]])
* 1997年 - [[三笘薫]]、サッカー選手
* 1997年 - 佐々木斗夢、プロ野球選手<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.bc-l.jp/teams_member_detail.php?tno=4&pno=571 |title= 佐々木斗夢 |publisher=ROTE INN BCL |date= |accessdate=2022-08-11}}</ref>
* 1997年 - かす、[[YouTuber]]
* 1997年 - [[ちささこ]]、[[YouTuber]]
* [[1998年]] - [[鈴木将平]]、プロ野球選手
* [[1999年]] - [[山口千沙季]]、元プロ野球選手
* [[2000年]] - [[澁谷武尊]]、元俳優
* 2000年 - 浅井七海、アイドル([[AKB48]])
* 2000年 - イ・スンファン、元アイドル([[1THE9]])、[[BOYS PLANET]]練習生
* [[2001年]] - [[後藤萌咲]]、アイドル(元AKB48)
* [[2002年]] - [[佐々木大光]]、アイドル([[7 MEN 侍]])
* [[2004年]] - [[杢代和人]]、歌手、俳優([[原因は自分にある。]])
* 2004年 - 志賀李玖、俳優([[EBiDAN]]、[[ICEx]])
* 2004年 - リッキー(沈泉锐)、アイドル([[ZEROBASEONE]])
* [[2009年]] - [[矢崎由紗]]、子役
== 忌日 ==
[[ファイル:ColombusMap.jpg|thumb|160px|upright|航海者[[クリストファー・コロンブス]](1451-1506)没。画像はコロンブスによる地図(1490頃)]]
{{multiple image
| footer = 画像は[[クリストファー・コロンブス]]の肖像画と墓地
| image1 = Ridolfo Ghirlandaio Columbus.jpg
| width1 = 100
| alt1 = コロンブスの肖像画
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}}
[[ファイル:La_Fayette_1957_Issue-3c.jpg|thumb|100px|[[アメリカ独立革命]]で活躍したフランスの貴族・軍人[[ラファイエット]](1757-1834)没。画像はアメリカの切手]]
[[ファイル:Clara_s.jpg|thumb|100px|ピアニスト[[クララ・シューマン]](1819-1896)]]
[[ファイル:Rokuzan_Art_Museum00.JPG|thumb|upright|建築家[[今井兼次]](1895-1987)。画像は碌山美術館本館]]
* [[703年]]([[大宝]]3年[[閏]][[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[阿倍御主人]]、[[飛鳥時代]]の[[貴族]](* [[635年]]?)
* [[1277年]] - [[ヨハネス21世 (ローマ教皇)|ヨハネス21世]]、[[教皇|ローマ教皇]](* [[1215年]])
* [[1506年]] - [[クリストファー・コロンブス]]、[[探検家]](* [[1451年]]頃)
* [[1550年]]([[天文 (元号)|天文]]19年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[足利義晴]]、[[室町幕府]]12代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1511年]])
* [[1622年]] - [[オスマン2世]]、第16代[[オスマン帝国]][[スルタン]](* [[1604年]])
* [[1645年]] - [[史可法]]、[[明|明末]]の[[政治家]](* [[1601年]])
* [[1648年]] - [[ヴワディスワフ4世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ4世]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[1595年]])
* [[1720年]]([[享保]]5年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[山内豊隆]]、第6代[[土佐藩|土佐藩主]](* [[1673年]])
* [[1784年]]([[天明]]4年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[田沼意知]]、[[江戸幕府]]元[[若年寄]](* [[1749年]])
* [[1834年]] - [[ラファイエット]]、[[アメリカ独立戦争]]に参加した軍人(* [[1757年]])
* [[1885年]] - [[フレデリック・セオドア・フリーリングハイゼン]]、第29代[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1817年]])
* [[1887年]] - [[アレクサンドル・ウリヤノフ]]、[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]の兄(* [[1866年]])
* [[1889年]] - [[上杉斉憲]]、第12代[[米沢藩|米沢藩主]](* [[1820年]])
* [[1891年]] - [[畠山勇子]]、[[大津事件]]の際ロシア皇太子宛の遺書を残し自害した女性(* [[1865年]])
* [[1896年]] - [[クララ・シューマン]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]]、[[ロベルト・シューマン]]の妻(* [[1819年]])
* [[1897年]] - [[ホレイショ・キング (郵政長官)|ホレイショ・キング]]、第22代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1811年]])
* [[1899年]] - [[カルロッタ・グリジ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1819年]])
* [[1915年]] - [[チャールズ・フランシス・アダムズ (2世)]]、[[実業家]](* [[1835年]])
* [[1925年]] - [[徳川頼倫]]、[[日本図書館協会]]総裁、[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](* [[1872年]])
* 1925年 - [[海野厚]]、[[童謡]]作家、[[俳人]](* [[1896年]])
* [[1932年]] - [[ウィリアム・シェパード・ベンソン]]、[[アメリカ海軍]]の[[大将]](* [[1855年]])
* [[1940年]] - [[ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム]]、[[詩人]]、[[小説家]](* [[1859年]])
* [[1942年]] - [[エクトール・ギマール]]、[[建築家]](* [[1867年]])
* [[1945年]] - [[閑院宮載仁親王]]、[[皇族]](* [[1865年]])
* 1945年 - [[景浦將]]、[[プロ野球選手]](* [[1915年]])
* [[1947年]] - [[フィリップ・レーナルト]]、[[物理学者]](* [[1862年]])
* [[1955年]] - [[桂文治 (8代目)]]、[[落語家]](* [[1883年]])
* [[1959年]] - [[アルフレッド・シュッツ]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1899年]])
* [[1970年]] - [[江川宇礼雄]]、[[俳優]](* [[1902年]])
* [[1971年]] - [[マーティン・ディーゴ]]、元プロ野球選手(* [[1905年]])
* [[1973年]] - [[ヤルノ・サーリネン]]、バイクレーサー(* [[1945年]])
* [[1976年]] - [[荻原井泉水]]、[[俳人]](* [[1884年]])
* [[1978年]] - [[バッキー・ハリス (捕手)|バッキー・ハリス]]、元プロ野球選手(* [[1908年]])
* [[1981年]] - [[中村登]]、[[映画監督]](* [[1913年]])
* [[1985年]] - [[牛原虚彦]]、映画監督(* [[1897年]])
* [[1986年]] - [[ヘレン・ブルック・タウシグ]]、[[医学|医学者]](* [[1898年]])
* [[1987年]] - [[今井兼次]]、建築家(* [[1895年]])
* [[1988年]] - [[マイク・ラインバック]]、元プロ野球選手(* [[1949年]])
* [[1989年]] - [[ジョン・ヒックス]]、[[経済学者]](* [[1904年]])
* [[1993年]] - [[アル・エイバー]]、元プロ野球選手(* [[1927年]])
* [[1994年]] - [[伊東正義]]、政治家、[[内閣官房長官]](* [[1913年]])
* [[1997年]] - [[高辻正己]]、政治家、第48代[[法務大臣]](* [[1910年]])
* 1997年 - [[若二瀬唯之]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1942年]])
* [[1998年]] - [[宮崎義一]]、経済学者(* [[1919年]])
* [[1999年]] - [[由利徹]]、コメディアン(* [[1921年]])
* [[2000年]] - [[ジャン=ピエール・ランパル]]、[[フルート奏者]](* [[1922年]])
* 2000年 - [[田中豊一]]、物理学者(* [[1946年]])
* [[2002年]] - [[スティーヴン・ジェイ・グールド]]、[[古生物学|古生物学者]](* [[1941年]])
* [[2003年]] - [[中村民雄 (野球)|中村民雄]]、元プロ野球選手(* [[1917年]])
* 2003年 - [[平井富三郎]]、[[日本サッカー協会]]第5代会長、実業家(* [[1906年]])
* [[2005年]] - [[神田坤六]]、政治家、[[群馬県知事一覧|群馬県知事]](* [[1908年]])
* 2005年 - [[ポール・リクール]]、[[哲学|哲学者]](* [[1913年]])
* [[2007年]] - [[スタンリー・ミラー]]、[[化学者]](* [[1930年]])
* [[2008年]] - [[ジョシュア (ファッションモデル)|ジョシュア]]、[[ファッションモデル]](* [[1982年]])
* [[2009年]] - [[近藤摂南]]、[[書家|書道家]](* [[1922年]])
* 2009年 - [[ルーシー・ゴードン]]、[[俳優|女優]]、モデル(* [[1980年]])
* [[2011年]] - [[ランディ・サベージ]]、[[プロレスラー]](* [[1952年]])
* [[2012年]] - [[ロビン・ギブ]]、[[シンガーソングライター]]([[ビージーズ]])(* [[1949年]])
* [[2013年]] - [[レイ・マンザレク]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ザ・ドアーズ]])(* [[1939年]])
* 2013年 - [[山崎弘美]]、元プロ野球選手(* [[1932年]])
* [[2014年]] - [[橋本勝磨]]、元プロ野球選手(* [[1940年]])
* [[2015年]] - [[片平巧]]、[[オートレース選手|オートレーサー]](* [[1965年]])
* [[2016年]] - [[牧野剛]]、河合塾講師、市民運動家(* [[1945年]])
* [[2017年]] - [[池原義郎]]、[[建築家]](* [[1928年]])
* 2017年 - [[小川国彦]]、[[政治家]](* [[1933年]])
* [[2019年]] - [[降旗康男]]<ref name="nikkei20190526">{{Cite web|和書| url = https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45291650W9A520C1CZ8000/ | title = 降旗康男さんが死去 映画監督 「鉄道員」「あ・うん」 | publisher = [[日本経済新聞]] | date = 2019-05-26 | accessdate = 2020-11-15 }}</ref>、[[映画監督]](* [[1934年]])
* 2019年 - [[ニキ・ラウダ]]<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/niki-lauda-passes-away-aged-70/4392741/ ニキ・ラウダ亡くなる。享年70歳] - motorsport.com 2019年5月21日</ref>、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー、[[F1ドライバーズチャンピオンの一覧|ワールドチャンピオン]](*[[1949年]])
* [[2020年]] - [[塚本三郎]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN5Q6QX1N5QOIPE01G.html|title=塚本三郎さん、訃報に悼む声 河村たかし氏に仏教の教え|publisher=朝日新聞デジタル|date=2020-05-23|accessdate=2020-10-30}}</ref>、政治家(* [[1927年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:East_Timor_Demo.jpg|thumb|200px|[[東ティモール]]の独立記念日。画像は独立デモの様子(1999)]]
[[ファイル:Harumi-passenger-ship-terminal.JPG|thumb|240px|[[東京港]]開港記念日。画像は晴海埠頭]]
[[File:Mikuni festival ShojyoMai 2011.jpg|thumb|240px|三国祭 巡行中の山車]]
* [[世界計量記念日]]({{World}})
*: [[1875年]]のこの日に[[メートル条約]]が締結されたことにちなみ、条約締結125周年を記念して[[2000年]]から実施。
* {{仮リンク|世界ミツバチの日|en|World Bee Day}}({{World}})
*: 近代養蜂の先駆者と呼ばれる[[スロベニア]]の養蜂家・{{仮リンク|アントン・ヤンシャ|en|Anton Janša}}の誕生日にちなみ、2017年12月に同国の提案によって制定<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3175300|title=5月20日は「ワールド・ビー・デー」 国連がミツバチの保護を訴え|newspaper=AFPBB NEWS|date=2018-05-20|accessdate=2020-07-19}}</ref>。
* [[独立記念日]]({{CUB}})
*: [[1902年]]のこの日、キューバが[[アメリカ合衆国]]の軍政から独立した。
* 独立記念日({{TLS}})
*: [[2002年]]のこの日、東ティモールが[[インドネシア]]から独立した。
* {{仮リンク|建国記念日 (カメルーン)|en|National Day (Cameroon)|label=建国記念日}}({{CMR}})
*: [[1972年]]のこの日、[[連邦|連邦制]]をとっていた旧フランス領東カメルーンと旧イギリス領西カメルーンが合邦して、[[単一国家|単一]]のカメルーン連合共和国となったことを記念。
* 東京港開港記念日({{JPN}})
*: [[1941年]]のこの日に、[[東京港]]の芝浦・竹芝両埠頭が完成し、外国貿易港として開港指定を受けた。
* [[ローマ字]]の日({{JPN}})
*:財団法人日本のローマ字社 (NRS) が[[1955年]]に制定。ローマ字国字論を展開した物理学者・[[田中舘愛橘]]の[[1952年]][[5月21日]]の命日にちなみ、きりのいい20日を記念日とした。
* 森林(もり)の日({{JPN}})
*: 村名に「美」の字がつく村10村で結成した「美し村(うましさと)連邦」が制定。5月は「森林」の中に「木」が5つ入っていることから、20日は「森林」の総画数が20画であることから。なお、美し村連邦は、参加する村のほとんどが[[平成の大合併]]で消滅することから、[[2003年]]に解散している。
* [[三国祭]]({{JPN}} [[福井県]][[坂井市]]三国町)本祭りの日
* [[酒田祭]]({{JPN}} [[山形県]][[酒田市]])本祭りの日
{{Clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0520|date=2011年6月}}
* 1951年(昭和26年)- 大道寺智子が怪[[行者]]と出会う。(小説『[[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]]』第1章)
* 2000年 - ブラッドサッカーイマジンが現れる。電王クライマックスフォームによって倒される。(特撮『[[仮面ライダー電王]]』)
* 年不明 - 14時、小ノ星海果・明内ユウ・宝木遥乃のチーム≫シューティングスターと雷門瞬の[[ペットボトルロケット]]勝負が行われる<ref>日時は第3話で海果が瞬に渡した果たし状の文面より。また、原作では日時は明らかになっておらず、『○月△日✕✕時』という表記になっている。</ref>。(アニメ『[[星屑テレパス]]』第4話「決戦シーサイド」)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1902年]] - 榊原由里、ゲーム・アニメ『[[サクラ大戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakura-taisen.com/archives/game/ds/chara_yuri.html |title=榊原由里 |access-date=2022-09-22 |publisher=サクラ大戦.com}}</ref>
* [[1983年]] - ナランチャ・ギルガ、漫画・アニメ『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』に登場するキャラクター
* [[1999年]]<ref>第6話より。</ref> - 佐藤麗華、デジタル声優アイドル『[[22/7 (アイドルグループ)|22/7]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://nanabunnonijyuuni.com/s/n129/page/c3?ima=0000&link=ROBO004 |title=佐藤麗華 |access-date=2022-09-22 |publisher=22/7 PROJECT}}</ref>
*11941年 - A2(ヨルハA型二号)、ゲーム『[[ニーア オートマタ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|NieR_JPN|1496471064326688773}}</ref>
* [[未来世紀]]31年 - シュバルツ・ブルーダー(キョウジ・カッシュ)、アニメ『[[機動武闘伝Gガンダム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=1995-07-01|title =機動武闘伝Gガンダム大図鑑|series=Dengeki entertainment bible|page=128|publisher=[[メディアワークス]]|isbn=978-4073031666}}</ref>(+ 未来世紀60年)
* 生年不明 - 白浜帆南美、地域活性プロジェクト『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/shirahama_honami |title=和歌山 白浜 帆南美 |work=温泉むすめ/Enbound, Inc. |accessdate=2022-09-22 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref>
* 生年不明 - レオン・ディック、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - コニス、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Conis.html |title=コニス |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-22 |publisher=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - ハムリオ・ムジカ、漫画・アニメ『[[RAVE (漫画)|RAVE]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 天童覚、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://haikyu.jp/chara/shiratorizawa/5.html |title=白鳥沢学園高校 天童 覚 |work=[[古舘春一]]/[[集英社]]・「ハイキュー!!」製作委員会・[[毎日放送|MBS]] |accessdate=2022-09-22}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|date=2015-10-03|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088804842|volume=18巻|page=46}}</ref>
* 生年不明 - 奥寺常幸、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|W_Trigger_off|1395032763573624836}}</ref>
* 生年不明 - シンリンカムイ、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group05/05-02/ |title=シンリンカムイ |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |accessdate=2022-12-10 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref>
* 生年不明 - 阿久津明、漫画・アニメ『[[アホガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=ヒロユキ|authorlink=ヒロユキ|date=2013-05-17|title = アホガール |volume=1巻 |page=20 |publisher = [[講談社]] |series = [[講談社コミックス]] |isbn=978-4063848717}}</ref>
* 生年不明 - [[ARIAの登場人物#地重管理人(ノーム)|アルバート・ピット]]、漫画・アニメ『[[ARIA (漫画)|ARIA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=天野こずえ|authorlink=天野こずえ|date=2005-10-29 |title =ARIAオフィシャルナビゲーションガイド|page=67|publisher = [[マッグガーデン]] |isbn = 978-4861272127 |series=BLADEコミックス}}</ref>
* 生年不明 - キューバ、漫画・アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=AXIS POWERS ヘタリア2|date=2008-12-31|publisher=[[幻冬舎]]|page=21|author=日丸屋秀和}}</ref>
* 生年不明 - 綾瀬花日、漫画・アニメ『[[12歳。]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - リヒト・フォン・グランツライヒ、漫画・アニメ『[[王室教師ハイネ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heine-royal.com/news/detail.php?id=1047917 |title=本日はブルーノ王子の誕生日です♪イラスト到着! |access-date=2022-09-22 |publisher=赤井ヒガサ/SQUARE ENIX・王室教師ハイネ製作委員会 |date=2017-03-31}}</ref>
* 生年不明 - 茶柱佐枝、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/chabashira.html |title=茶柱佐枝 |accessdate=2022-09-22 |publisher=衣笠彰梧・KADOKAWA刊/ようこそ実力至上主義の教室へ製作委員会 |website=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 嘉味田十萌、アニメ『[[セイレン (アニメ)|セイレン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/seiren/chara/kamita_tomoe.html |title=嘉味田 十萌(かみた ともえ) |publisher=[[TBSテレビ|Tokyo Broadcasting System Television]] |work=高山箕犀/セイレン製作委員会 |accessdate=2022-09-22}}</ref>
* 生年不明 - 結城若葉、アニメ『[[ツキウタ。 THE ANIMATION]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://tsukino-pro.com/tsukiuta/character/wakaba |title=05 結城 若葉 |access-date=2022-09-22 |publisher=TSUKIUTA}}</ref>
* 生年不明 - ひなもりよわら、架空鉄道・邦工房鉄道のキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://calmicco.fanbox.cc/posts/1015520 |title=5/20 ひなもりよわら生誕祭 |work=ひなもりよわら運営 |date=2020-05-02 |accessdate=2022-09-22}}</ref>
* 生年不明 - ぐりぐりっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2011-10-05|title=Tamagotchi iD L ぴかぴか育て方ガイド|page=50|editor=講談社|editor-link=講談社|isbn=978-4063648768}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author1=ウィズ (玩具)|ウィズ|authorlink1=ウィズ (玩具)|ウィズ|author2=バンダイ(監修)|authorlink2=バンダイ|date=2011-11-01|title テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|publisher = [[小学館]] |isbn =978-4097510482|page=39}}</ref>
* 生年不明 - 八重花桜梨、ゲーム・アニメ『[[ときめきメモリアル2]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 虹咲あやめ、ゲーム『[[ホームメイド -Homemaid-|ホームメイド 〜終の館〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://circus-co.jp/product/hmcm/chara_ayame.html |title=虹咲あやめ |publisher=[[CIRCUS (ブランド)|CIRCUS]], [[プリンセスソフト|PrincessSoft]] 株式会社オークス |accessdate=2022-09-22 |work=ホームメイド~終の館~}}</ref>
* 生年不明 - 伊集院辰也 、ゲーム・アニメ『[[桃華月憚]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 橘千鶴、ゲーム・アニメ『[[グリザイアの果実]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|grisaia_fw|1527303077790814208}}</ref>
* 生年不明 - 角森ロナ、ゲーム・アニメ『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://t7s.jp/character/chara/03.html |title=角森ロナ |access-date=2022-09-22 |publisher=Tokyo 7th シスターズ}}</ref>
* 生年不明 - 兜大吾、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sidem-gs.idolmaster-official.jp/idol/daigo/ |title=兜 大吾 |access-date=2022-09-22 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STER SIDEM GROWING STARS}}</ref>
* 生年不明 - 京極瑠璃、ゲーム・アニメ『[[アイドルクロニクル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://ichro.jp/ |title=アーティスト/ARTIST ルリ |publisher=[[TAITO]] |work=『アイドルクロニクル』 |accessdate=2022-12-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141218084833/http://ichro.jp/ |archivedate=2014-12-18}}</ref>
* 生年不明 - カゲトラ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=38&cate=name&cont=Kagetora |title=カゲトラ |access-date=2022-09-22 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - セツナ、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://h1g.jp/fe_if/?%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6|title=誕生日イベントについて|work=ファイアーエムブレムif 白夜王国&暗夜王国 攻略Wiki|accessdate=2020-07-19}}</ref><ref>{{Cite book |和書|editor=電撃攻略本編集部|date=2015-07-15|title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド|publisher =[[KADOKAWA]]/[[アスキー・メディアワークス]]|978-4048694063|page=270}}</ref>
* 生年不明 - フリーダ・F・アンバー、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/frida |publisher=Akatsuki Inc. |title=フリーダ・F・アンバー |accessdate=2022-12-10 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref>
* 生年不明 - グレイス・メイトランド・スチュワード、メディアミックス『[[連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://w-witch.jp/luminous/member/?mode=chara-10 |title=グレイス・メイトランド・スチュワード |access-date=2022-09-22 |publisher=島田フミカネ・KADOKAWA/連盟空軍航空魔法音楽隊 |work=連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
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{{新暦365日|5|19|5|21|[[4月20日]]|[[6月20日]]|[[5月20日 (旧暦)|5月20日]]|0520|5|20}}
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== できごと ==
<!-- [[Image:Fernand_Cormon_005.jpg|thumb|[[アスペルン・エスリンクの戦い]](1809)。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]が直接指揮して敗北した数少ない例]] -->
[[ファイル:Battle of Port Hudson Davidson.jpg|thumb|[[南北戦争]]、[[ポートハドソンの包囲戦]]はじまる (1864)]]
[[ファイル:PereDuchesneIllustre3 1.png|thumb|upright|共和国軍がパリに侵入し[[パリ・コミューン]]瓦解 (1871)]]
<!-- [[Image:DSC00427.jpg|thumb|240px|欧州初の登山鉄道、[[フィッツナウ・リギ鉄道]]開通(1871)]] -->
[[ファイル:Historic steam train on the Rigi.jpg|thumb|欧州初の登山鉄道、[[フィッツナウ・リギ鉄道]]開通 (1871)]]
[[ファイル:Sinking of the Esmeralda during the battle of Iquique.jpg|thumb|南米の[[太平洋戦争_(1879年-1884年)|太平洋戦争]]、[[イキケの海戦]] (1879)。[[チリ]]の祝日となっている。]]
[[ファイル:Suharto resigns.jpg|thumb|[[インドネシア]]の大統領を32年務めた[[スハルト]]辞任 (1998)]]
* [[643年]]([[斉明天皇|皇極天皇]]2年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[板蓋宮]]に都を移す。
* [[905年]]([[延喜]]5年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[紀貫之]]らが『[[古今和歌集]]』を撰進。<!-- 真名序にある日附。仮名序では延喜5年4月18日 -->
* [[1449年]]([[宝徳]]元年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - [[足利義政]]が室町幕府第8代[[征夷大将軍|将軍]]に就任。
* [[1502年]] - [[ポルトガル王国|ポルトガル]]の航海士[[ジョアン・ダ・ノーヴァ]]が[[セントヘレナ|セントヘレナ島]]を発見。
* [[1674年]] - [[ポーランド国王]]・[[リトアニア]]大公に選出されたヤン・ソビェスキ([[ヤン3世 (ポーランド王)|ヤン3世]])が即位。
* [[1792年]]([[寛政]]4年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - 噴火が続いていた[[雲仙岳]]で、山体の一部が崩落。土砂が島原海に入って津波が発生し、対岸の肥後にも被害。([[島原大変肥後迷惑]])
* [[1809年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[アスペルン・エスリンクの戦い]]。
* [[1851年]] - [[コロンビア]]で[[奴隷制]]が廃止。<!-- enより -->
* [[1862年]]([[文久]]2年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[寺田屋事件]]。
* [[1863年]] - [[南北戦争]]:[[ポートハドソンの包囲戦]]が始まる。
* 1863年 - [[セブンスデー・アドベンチスト教会]]設立。
* [[1864年]] - [[ロシア帝国]]が[[カフカーズ]]全土を占領し[[カフカーズ戦争]]の終結を宣言。
<!-- 旧暦 * [[1869年]] - [[小学校]]記念日。日本で最初の[[小学校]]が[[京都]]で設立される。-->
* [[1871年]] - 「血の1週間」はじまる。[[パリ・コミューン]]が瓦解、[[パリ]]統治が終了。<!-- 「血の一週間」は21-28日 -->
* 1871年 - ヨーロッパ初の登山鉄道・[[フィッツナウ・リギ鉄道]]が開業。
* [[1879年]] - [[太平洋戦争 (1879年-1884年)]] :[[イキケの海戦]]が行われる。
* [[1881年]] - [[アメリカ赤十字社]]設立。
* [[1892年]] - [[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ|レオンカヴァッロ]]の[[オペラ]]『[[道化師 (オペラ)|道化師]]』が初演される。
* [[1904年]] - [[国際サッカー連盟]](FIFA)創立。
* [[1916年]] - [[イギリス]]で、世界で2番目の[[夏時間]]である[[英国夏時間]]を実施。
* [[1924年]] - [[シカゴ大学]]の学生[[レオポルドとローブ]]がユダヤ人実業家の息子を誘拐・殺害。
* [[1927年]] - [[チャールズ・リンドバーグ]]が[[スピリットオブセントルイス号|スピリット・オブ・セントルイス号]]で[[大西洋横断飛行|大西洋単独無着陸飛行]]に成功。
* [[1938年]] - [[岡山県]][[苫田郡]]で夜半、男が祖母を殺害後、集落内で30人を次々と惨殺し自殺。([[津山事件]])
* [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[アラスの戦い (1940年)|アラスの戦い]]が行われる。
* [[1953年]] - [[第5次吉田内閣]]が発足。
* 1953年 - [[千葉県]][[富津市|富津町]]で地元民が引き上げた[[爆雷]]が解体中に爆発。死者2人、重傷2人、家屋全半壊10戸<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=92|isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1961年]] - [[国際オリエンテーリング連盟]]が設立。
<!-- * [[1973年]] - [[山口百恵]]がシングル『[[としごろ (山口百恵の曲)|としごろ]]』で歌手デビュー。 -->
<!-- * [[1977年]] - [[長渕剛]]がシングル『雨の嵐山』で歌手デビュー。 -->
* [[1978年]] - 新東京国際空港(現 [[成田国際空港]])開港後の第1便が着陸。[[ホテル日航成田]]と[[京成本線]][[京成成田駅]] - [[東成田駅|成田空港駅]](現東成田駅)、[[新空港自動車道]]が開業。
* [[1981年]] - [[フランソワ・ミッテラン]]が[[フランス第五共和政]]の第4代大統領に就任。
<!-- * [[1983年]] - [[大江千里 (アーティスト)|大江千里]]がシングル『ワラビーぬぎすてて』、アルバム『WAKU WAKU』で歌手デビュー。 -->
* [[1988年]] - [[京王帝都電鉄]][[京王相模原線|相模原線]]延伸。[[京王堀之内駅]] - [[南大沢駅]]が開業。
<!-- * 1988年 - [[JUN SKY WALKER(S)]]が、トイズファクトリーよりメジャーデビュー。 -->
* [[1991年]] - [[インド]]の[[ラジーヴ・ガンディー]]元首相がタミル過激派の爆弾テロにより{{仮リンク|ラジーヴ・ガンディー暗殺事件|en|Assassination of Rajiv Gandhi|label=暗殺}}される。
<!-- * 1991年 - [[東急バス]]が設立。 -->
<!-- * [[1992年]] - [[小野正利]]がシングル『ピュアになれ』で歌手デビュー。 -->
* [[1998年]] - [[インドネシア]]の[[スハルト]]大統領が辞任。独裁政権が32年で終了。
* [[1999年]] - [[佐渡トキ保護センター]]で、中国産[[トキ]]のつがいによる日本初の人工繁殖で牡のトキが誕生し、「優優」と名附けられる。
* [[2005年]] - [[日本政府]]が、中国団体観光客のビザ発給を[[中国]]全土に拡大する方針を固める。
<!-- * 2005年 - [[テレビ朝日]]が[[プロ野球]]・[[読売ジャイアンツ]]主催試合を開局以来初めて中継、[[日本テレビ放送網]]以外の民放では初([[東京ドーム]]、対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦)。 -->
* 2005年 - [[KC-767 (航空機)|KC-767]]が初飛行する。
* [[2006年]] - [[モンテネグロ]]で{{仮リンク|モンテネグロの国民投票 (2006年)|en|Montenegrin independence referendum, 2006|label=セルビア・モンテネグロからの分離独立についての国民投票}}が行われ、独立が決定する<ref>{{Cite web|和書|title=対立乗り越え新たな一歩 モンテネグロ 平和的に独立|url=https://www.asahi.com/edu/nie/sv06_8/05_2.html |publisher=朝日新聞社|access-date=2022-10-22}}</ref>。
<!--* [[2007年]] - [[YouTube]]の[[サーバ]]がダウンする。 特筆性?: 大手とはいえサーバダウンのたびに出来事にしていては記事がダウンします -->
* [[2007年]] - 19世紀に建造されたイギリスの帆船[[カティーサーク]]が炎上する。
* [[2009年]] - 日本で[[裁判員制度]]開始<ref>{{Cite web|和書|title=裁判員制度 |url=https://www.saibanin.courts.go.jp/index.html#:~:text=%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AF%E3%80%81%E5%B9%B3%E6%88%90,%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%82%92%E5%88%A4%E6%96%AD%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 |publisher=最高裁判所|access-date=2022-10-22}}</ref>。この日以降に起きた事件が対象となり、[[8月3日]]に初の裁判員裁判を実施。
* [[2010年]] - [[宇宙航空研究開発機構]]が金星探査機「[[あかつき (探査機)|あかつき]]」・小型ソーラー電力セイル実証機「[[IKAROS]]」を打上げ<ref>{{Cite web|和書|date=2010年5月21日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2728412 |title=金星探査機「あかつき」打ち上げ成功 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-24}}</ref>。
* [[2012年]] - [[2012年5月21日の日食]] :日本で[[日食|金環日食]]が東京で173年ぶりに観測される<ref>{{Cite web|和書|date=2012年5月21日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2879061 |title=太陽が指輪のように見える金環日食、太平洋両岸で観測 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-24}}</ref>。
* [[2014年]] - [[台湾]][[新北市]]の[[台北捷運板南線]]で男子大学生が乗客らを無差別に切りつけ、4人が死亡、24人が負傷<ref>{{Cite web|和書|date=2014-05-22 |url=https://web.archive.org/web/20170419103617/http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201405220001.aspx |title=地下鉄無差別殺傷 死者4人に 駅などの警備強化/台湾 |publisher=中央社フォーカス台湾 |accessdate=2018-03-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014-05-22 |url=https://web.archive.org/web/20140523032955/http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201405220008.aspx |title=地下鉄無差別殺傷 混乱の最中に勇敢な一般市民が活躍 |publisher=中央社フォーカス台湾 |accessdate=2018-03-24}}</ref>。([[台北地下鉄通り魔事件]])
* [[2016年]] - [[小金井ストーカー殺人未遂事件]]。
* [[2018年]] - [[中央情報局]](CIA)初の女性長官として[[ジーナ・ハスペル]]が就任<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3175452|title=米CIAに初の女性長官、ハスペル氏が就任宣誓|newspaper=AFPBB NEWS|date=2018-05-22|accessdate=2018-05-25}}</ref>。
* [[2022年]] - [[2022年オーストラリア総選挙|オーストラリア総選挙]]が行われ、[[オーストラリア労働党|労働党]]が勝利し9年ぶりの政権交代となる<ref>{{Cite web|和書|title=豪州、9年ぶり政権交代へ 総選挙で野党勝利確実 |url=https://www.sankei.com/article/20220521-LEMG6DBGBZPVBFO7AQWH53RVOU/ |website=産経ニュース |date=2022-05-21 |access-date=2022-10-22 |author=森浩}}</ref>。[[5月23日]]には[[アンソニー・アルバニージー]]が第31代[[オーストラリア首相|首相]]に就任。
{{clear}}
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:ShinranShonin.png|thumb|upright|[[浄土真宗]]の宗祖とされる僧<br />[[親鸞]] (1173-1263) 誕生。]]
[[ファイル:Albrecht Dürer - Selbstbildnis im Pelzrock - Alte Pinakothek.jpg|thumb|upright|画家[[アルブレヒト・デューラー]] (1471-1528) 誕生。画像は自画像 (1500)]]
[[ファイル:Philip II of Spain by Antonio Moro.jpg|thumb|100px|[[絶対主義]]の代表的君主の一人、スペイン王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]] (1527-1598)]]
<!-- [[Image:Joseph_Fouche.jpg|thumb|100px|フランスの政治家[[ジョゼフ・フーシェ]] (1759-1820)]] -->
<!-- [[Image:Maryanning.gif|thumb|100px|古生物学者[[メアリー・アニング]] (1799-1847)。生後15ヶ月で雷の直撃を受けるも生き延びた]] -->
[[Image:Itagaki50sen.jpg|thumb|180px|[[自由民権運動]]の主導者、政治家[[板垣退助]] (1837-1919)]]
<!-- [[Image:Édouard-Henri Avril (24).jpg|thumb|210px|官能画家[[エドゥアール=アンリ・アヴリル]] (1843-1928)。画像は『サッフォーと女友達』(1892)]] 官能画家なので官能的です -->
[[ファイル:Henri Rousseau 010.jpg|thumb|240px|[[素朴派]]の画家[[アンリ・ルソー]] (1844-1910)。画像は『眠るジプシー女』(1897)]]
[[ファイル:Willem Einthoven ECG.jpg|thumb|160px|[[心電図]]を発明した医学者[[ウィレム・アイントホーフェン]] (1860-1927)]]
<!-- [[Image:Heinzholliger.jpg|thumb|100px|[[オーボエ]]奏者・作曲家、[[ハインツ・ホリガー]] (1939 - )]] -->
<!-- [[Image:Mary_Robinson_1-2.jpg|thumb|100px|[[アイルランド]]第7代大統領、[[メアリー・ロビンソン]](1944-)]] -->
* [[1173年]]([[承安 (日本)|承安]][[3年]][[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[親鸞]]、[[浄土真宗]]の[[開祖]](宗祖)とされる[[僧]](+ [[1263年]])
* [[1471年]] - [[アルブレヒト・デューラー]]、[[画家]](+ [[1528年]])
* [[1527年]] - [[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]、[[カスティーリャ王国]]・[[アラゴン王国]]の国王(+ [[1598年]])
* [[1658年]]([[万治]]元年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[阿部正邦]]、初代[[備後国]][[備後福山藩|福山藩主]](+ [[1715年]])
* [[1688年]] - [[アレキサンダー・ポープ]]、[[詩人]](+ [[1744年]])
* [[1729年]]([[享保]]14年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[京極高久]]、第6代[[丹後国]][[峰山藩|峰山藩主]](+ [[1808年]])
* [[1746年]]([[延享]]3年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[有馬頼貴]]、第8代[[筑前国]][[久留米藩|久留米藩主]](+ [[1812年]])
* [[1759年]] - [[ジョゼフ・フーシェ]]、[[政治家]](+ [[1820年]])
* [[1792年]] - [[ガスパール=ギュスターヴ・コリオリ]]、[[物理学者]](+ [[1843年]])
* [[1799年]] - [[メアリー・アニング]]、[[古生物学|古生物学者]](+ [[1847年]])
* [[1837年]]([[天保]][[8年]][[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[板垣退助]]、[[政治家]]、[[自由民権運動]]指導者(+ [[1919年]])
* [[1843年]] - [[エドゥアール=アンリ・アヴリル]]、[[画家]](+ [[1928年]])
* 1843年 - [[シャルル・ゴバ]]、[[法律家]]、政治家(+ [[1914年]])
* 1843年 - [[ルイ・ルノー (法学者)|ルイ・ルノー]]、[[法学者]](+ [[1918年]])
* [[1844年]] - [[アンリ・ルソー]]、画家(+ [[1910年]])
* [[1850年]] - [[ジュゼッペ・メルカリ]]、[[地震学|地震学者]]、[[火山学|火山学者]](+ [[1914年]])
* [[1851年]] - [[レオン・ブルジョワ]]、政治家(+ [[1925年]])
* [[1859年]] - [[フレッド・ダンラップ]]、元プロ野球選手(+ [[1902年]])
* [[1860年]] - [[ウィレム・アイントホーフェン]]、[[医学|医学者]](+ [[1927年]])
* [[1864年]] - [[ステファニー・ド・ベルジック|ステファニー]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア]]皇太子妃(+ [[1945年]])
* [[1873年]] - [[藍川清成]]、[[実業家]](+ [[1948年]])
* [[1873年]] - [[ハンス・ベルガー]]、[[神経科学|神経科学者]](+ [[1941年]])
* [[1877年]] - [[畑中蓼坡]]、[[演出家]]、[[俳優]]、[[映画監督]](+ [[1959年]])
* [[1878年]] - [[グレン・カーチス]]、航空技術者、実業家(+ [[1930年]])
* [[1886年]] - [[松旭斎天勝]]、[[マジシャン (奇術)|奇術師]](+ [[1944年]])
* [[1899年]] - [[上原専禄]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1975年]])
* 1899年 - [[赤間文三]]、政治家(+ [[1973年]])
* [[1901年]] - [[セルゲイ・トゥマーンスキー]]、[[航空エンジニア]](+ [[1973年]])
* [[1902年]] - [[マルセル・ブロイヤー]]、[[建築家]]、[[家具デザイナー]](+ [[1981年]])
* [[1904年]] - [[ファッツ・ウォーラー]]、[[歌手]]、[[ピアニスト]](+ [[1943年]])
* [[1911年]] - [[北林谷栄]]、[[俳優|女優]]、[[声優]](+ [[2010年]])
* [[1912年]] - [[モンティ・ストラットン]]、元プロ野球選手(+ [[1982年]])
* [[1913年]] - [[ジーナ・バッカウアー]]、ピアニスト(+ [[1976年]])
* [[1916年]] - [[ヴィルヘルム・バッツ]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1988年]])
* 1916年 - [[リディア・メンドーサ]]、[[テハノ・ミュージック]]の歌手(+ [[2007年]])
* [[1917年]] - [[レイモンド・バー]]、俳優(+ [[1993年]])
* [[1921年]] - [[アンドレイ・サハロフ]]、[[物理学者]](+ [[1989年]])
* [[1926年]] - [[中北千枝子]]、女優(+ [[2005年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20050915000312|title=中北千枝子さん死去/女優|publisher=四国新聞社|date=2005-09-15|accessdate=2020-11-27}}</ref>)
* [[1928年]] - [[大滝愛子]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[2007年]])
* [[1930年]] - [[半藤一利]]、[[作家]](+ [[2021年]])
* [[1933年]] - [[モーリス・アンドレ]]、[[トランペット]]奏者(+ [[2012年]])
* [[1934年]] - [[ベンクト・サミュエルソン]]、[[生化学|生化学者]]
* [[1936年]] - [[ギュンター・ブローベル]]、[[分子生物学|分子生物学者]](+ [[2018年]])
* 1936年 - [[秋光新二]]、元[[プロ野球選手]]
* 1936年 - [[諸口あきら]]、歌手、[[ラジオ・パーソナリティー]](+ [[2017年]])
* [[1938年]] - [[荒井穣吉]]、元プロ野球選手
* [[1939年]] - [[中村泰士]]、[[作詞家]]、[[作曲家]](+ [[2020年]])
* 1939年 - [[ハインツ・ホリガー]]、[[指揮者]]、[[オーボエ]]奏者、作曲家
* [[1941年]] - [[ボビー・コックス]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[久野剛司]]、元プロ野球選手
* 1943年 - [[林健造]]、元プロ野球選手
* [[1944年]] - [[井上弘昭]]、元プロ野球選手
* 1944年 - [[加藤斌]]、元プロ野球選手(+ [[1965年]])
* 1944年 - [[メアリー・ロビンソン]]、政治家、第7代[[アイルランドの大統領|アイルランド大統領]]
* [[1945年]] - [[松下芳夫]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]])
* [[1946年]] - [[深町純]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2010年]])
* 1946年 - [[武原英子]]、[[俳優|女優]](+ [[1996年]])
* [[1947年]] - [[松山政路]](省二)、俳優
* 1947年 - [[ペッカ・サンマッラハティ]]、[[言語学者の一覧|言語学者]]
* 1947年 - [[西村俊二]]、元プロ野球選手(+ [[2015年]])
* [[1948年]] - [[柳田真宏]]、元プロ野球選手、[[歌手]]
* 1948年 - [[三井マリ子]]、評論家
* [[1951年]] - [[林立夫]]、[[ドラマー]]
* [[1953年]] - [[福田富一]]、政治家、[[栃木県知事一覧|栃木県知事]]
* [[1956年]] - [[アグネス・ラム]]、[[アイドル]]
* 1956年 - [[松井満]]、元プロ野球選手
* [[1957年]] - [[白井晃]]、俳優、演出家
* [[1958年]] - [[芦辺拓]]、[[推理作家]]
* 1958年 - [[カーティス・マクマレン]]、数学者
* [[1959年]] - [[玖保キリコ]]、[[漫画家]]
* 1959年 - [[ニック・カサヴェテス]]、[[映画監督]]、俳優
* 1959年 - [[湧川勉]]、元プロ野球選手
* [[1960年]] - [[石川賢 (1960年生の投手)|石川賢]]、元プロ野球選手
* 1960年 - [[ウラジミール・サルニコフ]]、[[水泳選手一覧|水泳選手]]
* 1960年 - [[ケント・ハーベック]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[斉藤富士夫]]、漫画家
* 1961年 - [[野崎透]]、[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]のスペシャルコンセプター
<!-- 誕生日の出典が不明 * 1961年 - [[竹岡広信]]、[[英語]][[教員|教師]] -->
* [[1962年]] - [[穂村弘]]、[[歌人]]
* [[1963年]] - [[三遊亭白鳥]]、[[落語家]]
* 1963年 - [[鈴木慶裕]]、元プロ野球選手
* 1963年 - [[エレーナ・ボドレゾワ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1963年 - [[ジル・アパップ]]、ミュージシャン
* 1963年 - [[ピート・サンドヴァル]]、ミュージシャン
* [[1965年]] - [[原田貴和子]]、女優
* [[1966年]] - [[リサ・エデルシュタイン]]、女優
* 1966年 - [[ズデンコ・コジュル]]、[[チェス]]選手
* [[1967年]] - [[クリス・ベノワ]]、[[プロレスラー]](+ [[2007年]])
* [[1968年]] - [[荒川義之]]、[[調教師]]
* 1968年 - [[大松彰]]、[[フリーアナウンサー]]
* [[1969年]] - [[岡本健一]]、[[俳優]]
* [[1971年]] - [[浦川泰幸]]、[[アナウンサー]]
* 1971年 - [[米良美一]]、[[カウンターテナー]][[歌手]]
* 1971年 - [[加藤ジャンプ]]、[[文筆家]]、[[イラストレーター]]
* [[1972年]] - [[ノトーリアス・B.I.G.]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]](+ [[1997年]])
* 1972年 - [[田中フミヤ]]、[[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]ミュージシャン、[[ディスクジョッキー|DJ]]
* [[1973年]] - [[梨花]]、[[モデル (職業)|モデル]]、[[タレント]]
* 1973年 - [[浦口雅広]]、元野球選手
* [[1975年]] - [[沢口千恵]]、声優
* 1975年 - [[大輪教授]]、構成作家、元[[お笑いタレント]]
* 1975年 - [[福留宏紀]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[安藤正則]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[武州山隆士]]、元大相撲力士、年寄13代[[待乳山 (相撲)|待乳山]]
* [[1978年]] - [[三浦貴]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]])
* 1978年 - [[吉見祐治]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[春馬♨ゆかり|春馬ゆかり]]、女優、タレント
* [[1979年]] - 八島広樹、[[お笑い芸人]]([[EE男]])
* 1979年 - [[橋本英郎]]、[[サッカー選手]]
* 1979年 - [[白川みなみ]]、女優
* [[1980年]] - [[小原裕貴 (1980年生のタレント)|小原裕貴]]、元俳優、元タレント(元[[ジャニーズJr]])
* 1980年 - [[藤崎紘範]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[藤沢大悟]]、俳優
* 1980年 - [[ゴティエ]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1981年]] - [[ジョシュ・ハミルトン]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[伊藤サチコ]]、シンガーソングライター
* [[1982年]] - [[奥村奈津美]]、アナウンサー
* 1982年 - [[飯伏幸太]]、プロレスラー
* 1982年 - [[沖本摩幸]]、プロレスラー
* 1982年 - [[エド・ルーカス]]、元プロ野球選手
* [[1983年]] - [[大竹寛]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[清水香里]]、女優、声優
* 1984年 - [[石田淳也]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[真鍋摩緒]]、タレント
* 1985年 - [[長谷部康平]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[木村雄太]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[葵ゆりか]]、タレント、元[[レースクイーン]]
* 1985年 - [[川崎真実]]、タレント
* 1985年 - [[マーク・カヴェンディッシュ]]、[[自転車競技]]選手
* 1985年 - [[アンドリュー・ミラー (野球)|アンドリュー・ミラー]]、プロ野球選手
* [[1986年]] - [[マリオ・マンジュキッチ]]、サッカー選手
* [[1987年]] - [[大竹佑季]]、歌手
* 1987年 - [[岸川聖也]]、[[卓球]]選手
* 1987年 - [[アラン・ダイクストラ]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[森重真人]]、サッカー選手
* 1987年 - [[モーガン・マシューズ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1988年]] - [[鈴木優梨]]、女優、タレント
* 1989年 - [[高橋加奈]]、[[ファッションモデル]]
* [[1990年]] - [[MAMI (ギタリスト)|MAMI]]、ミュージシャン([[SCANDAL (日本のバンド)|SCANDAL]])
* 1990年 - [[河野万里奈]]、歌手
* 1990年 - [[レネ・クルヒン]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ジョアン・シルヴァ]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[佐藤琴菜]]、フリーアナウンサー、元アイドル(元[[THE HOOPERS]]・麻琴)
* 1991年 - [[ガンドゥ・ベンジャミン]]、元陸上選手
* [[1992年]] - [[土居聖真]]、サッカー選手
* 1992年 - [[山下誠一郎]]、声優
* 1992年 - [[佐々木祐希]]、プロアイスホッケー選手
* [[1993年]] - 安藤美雲、元アイドル(元[[乃木坂46]])
* [[1994年]] - [[トーマス・デーリー]]、飛込み選手
* 1995年 - 吉田大将、農家
* [[1996年]] - [[古賀紗理那]]、[[バレーボール]]選手
* 1996年 - [[ジョシュ・アレン (クォーターバック)|ジョシュ・アレン]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* 1996年 - [[木下ひまり]]、AV女優
* [[1997年]] - [[野中生萌]]、[[スポーツクライマー]]
* 1997年 - [[山崎怜奈]]、タレント、元アイドル(元乃木坂46)
* 1997年 - [[中村健人 (野球)|中村健人]]、プロ野球選手
* [[1999年]] - [[増田珠]]、プロ野球選手
* 1999年 - [[西浦颯大]]、元プロ野球選手、[[YouTuber]]
* [[2001年]] - 蔵本美結、アイドル(元[[AKB48]])
* 2001年 - [[堀田賢慎]]、プロ野球選手
* [[2003年]] - [[有薗直輝]]、プロ野球選手
* 生年不明 - [[金子志津枝]]、[[アニメーター]]
* 生年不明 - [[伊藤真澄]]、[[作曲家]]
* 生年不明 - [[幸野善之]]、声優
* 生年不明 - [[岩崎可苗]]、声優
* 生年不明 - [[のざききいこ]]、声優
* 生年非公表 - [[楡井希実]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1999年]] - [[イングランディーレ]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](+ [[2020年]])
* [[2000年]] - [[ネオユニヴァース]]、競走馬、種牡馬(+ [[2021年]])
* [[2011年]] - [[イスラボニータ]]、競走馬
== 忌日 ==
<!-- [[Image:Yomeitenno.jpg|thumb|upright|[[用明天皇]](?-587)没]] -->
<!-- [[Image:Yomei_tenno-ryo3200.jpg|thumb|upright|[[用明天皇]](?-587)没]] 陵 -->
[[ファイル:Noguchi Hideyo.jpg|thumb|100px|[[細菌学]]者、[[野口英世]]没(1876-1928)。{{Squote|学問は一種のギャンブルである。}}]]
[[ファイル:Rajiv Gandhi Memorial bombsite.jpg|thumb|100px|[[インド]]の政治家[[ラジーヴ・ガンディー]](1944-1991)爆殺。画像は現場の[[モザイク]]]]
<!-- [[Image:Duisburg_Lifesaver_NdSP_02.JPG|thumb|upright|芸術家[[ニキ・ド・サンファル]](1930-2002)。画像は『ファウンテン・ライフセイバー』]] -->
* [[252年]]([[神鳳 (呉)|神鳳]]元年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[孫権]]<ref>『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』[[諸葛恪]]伝</ref>、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の群雄(* [[182年]]?)<!-- [[孫権]]には4/16とあります。そもそも確定しているのでしょうか…? -->
* [[587年]]([[用明天皇]]2年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[用明天皇]]、第31代[[天皇]](* [[540年]])
* [[737年]]([[天平]]9年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[藤原房前]]、[[貴族]]、[[太政大臣]](* [[681年]])
* [[1471年]] - [[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1421年]])
* [[1632年]]([[寛永]]9年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[池田忠雄]]、[[岡山藩|岡山藩主]](* [[1602年]])
* [[1639年]] - [[トマソ・カンパネッラ]]、[[聖職者]]、[[哲学者]](* [[1568年]])
* [[1650年]] - [[ジェイムズ・グラハム (初代モントローズ侯爵)|モントローズ侯爵ジェイムズ・グラハム]]、[[スコットランド貴族]](* [[1612年]])
* [[1670年]] - [[ニッコロ・ズッキ]]、[[天文学者]](* [[1586年]])
* [[1686年]] - [[オットー・フォン・ゲーリケ]]、[[科学者]](* [[1602年]])
* [[1715年]] - ピエール・マニョール、[[植物学者]](* [[1638年]])
* [[1809年]] - [[ロバート・ミリガン]]、実業家・[[奴隷]]仲買人(* [[1746年]])
* [[1839年]] - [[ヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツ]]、[[教育学者]](* [[1759年]])
* [[1865年]] - [[クリスチャン・トムセン]]、[[考古学|考古学者]](* [[1788年]])
* [[1891年]] - [[アルフォンソ・タフト]]、第31代[[アメリカ合衆国陸軍長官]]、第33代[[アメリカ合衆国司法長官]](* [[1810年]])
* 1891年 - [[ジム・ホイットニー]]、[[プロ野球選手]](* [[1857年]])
* [[1895年]] - [[フランツ・フォン・スッペ]]、[[作曲家]](* [[1819年]])
* [[1897年]] - [[カール・ミクリ]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](* [[1819年]])
* [[1911年]] - [[ウィリアミーナ・フレミング]]、[[天文学者]](* [[1857年]])
* [[1925年]] - [[上野英三郎]]、農業土木学者(* [[1872年]])
* [[1928年]] - [[野口英世]]、[[医学|医学者]]、[[細菌学|細菌学者]](* [[1876年]])
* [[1929年]] - [[アーチボルド・プリムローズ (第5代ローズベリー伯爵)|第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ]]、[[イギリスの首相]](* [[1847年]])
* [[1934年]] - [[片岡直温]]、[[実業家]]、[[政治家]](* [[1859年]])
* [[1935年]] - [[ジェーン・アダムズ]]、女性活動家(* [[1860年]])
* [[1938年]] - [[シルバー・キング (野球)|シルバー・キング]]、プロ野球選手(* [[1868年]])
* [[1945年]] - [[清沢洌]]、[[ジャーナリスト]](* [[1890年]])
* [[1948年]] - [[ジャック・フェデー]]、[[映画監督]](* [[1885年]])
* [[1949年]] - [[クラウス・マン]]、[[小説家]](* [[1906年]])
* [[1952年]] - [[田中舘愛橘]]、[[地球物理学|地球物理学者]](* [[1856年]])
* 1952年 - [[ジョン・ガーフィールド]]、[[俳優]](* [[1913年]])
* [[1964年]] - [[ジェイムス・フランク]]、[[物理学者]](* [[1882年]])
* [[1973年]] - [[大辻伺郎]]、[[俳優]](* [[1935年]])
* 1973年 - [[松本清]]、[[企業家]]、[[政治家]]、[[マツモトキヨシ]]創業者(* [[1909年]])
* [[1974年]] - [[クロンベルガー・リリー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1890年]])
* [[1980年]] - [[稲垣浩]]、[[映画監督]](* 1905年)
* [[1990年]] - [[藤山寛美]]、[[喜劇俳優]](* [[1929年]])
* [[1991年]] - [[ラジーヴ・ガンディー]]、政治家、第9代[[インドの歴代首相|インド首相]](* [[1944年]])
* [[1992年]] - [[中谷信夫]]、プロ野球選手(* [[1920年]])
* [[1999年]] - SACHIKO([[DOUBLE (歌手)|DOUBLE]])、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]歌手(* [[1973年]])
* [[2000年]] - [[エーリッヒ・ミールケ]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]国家保安相(* [[1907年]])
* 2000年 - [[マーク・R・ヒューズ]]、[[ハーバライフ]]創立者(* [[1956年]])
* [[2002年]] - [[ニキ・ド・サンファル]]、[[画家]]、[[彫刻家]]、[[映像作家]](* [[1930年]])
* [[2003年]] - [[倉本護]]、[[英文学者]]、[[詩人]](* [[1935年]])
* [[2004年]] - [[加瀬俊一 (1925年入省)|加瀬俊一]]、[[外交官]]、[[日本]]の初代[[国連大使]](* [[1903年]])
* [[2004年]] - [[相馬剛三]]、[[俳優]](* [[1930年]])
* [[2006年]] - [[寺村輝夫]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](* [[1928年]])
* [[2007年]] - [[野口二郎]]、プロ野球選手(* [[1920年]])
* [[2008年]] - [[今泉敏郎]]、[[作曲家]] (* [[1951年]])
* [[2011年]] - [[長門裕之]]、[[俳優]](* [[1934年]])
* [[2017年]] - [[与謝野馨]]<ref name="sankei_20170530">{{cite news|url=https://www.sankei.com/article/20170530-MCJK56HFJVKRTIIAHWLTH54OFM/|title=与謝野馨氏の死去は21日 自民党役員連絡会で二階俊博幹事長が正式に報告|publisher=産業経済新聞社|date=2017-5-30|accessdate=2020-11-15}}</ref>、[[政治家]](* [[1938年]])
* [[2018年]] - [[栗城史多]]<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASL5P56XSL5PUTQP019.html|title=登山家・栗城史多さん死去 8度目のエベレスト挑戦中|newspaper=朝日新聞|date=2018-05-21|agency=朝日新聞社|accessdate=2020-11-04}}</ref>、登山家(* [[1982年]])
* [[2023年]] - [[レイ・スティーヴンソン]]、俳優(* [[1964年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Lindbergh Airmail Stamp c10.jpg|thumb|380px|[[チャールズ・リンドバーグ]]が[[大西洋横断飛行|大西洋単独無着陸飛行]]に成功(1932)]]
[[ファイル:Oryza sativa Rice sprouts ja01.jpg|thumb|240px|[[小満]](21日頃)。画像は[[イネ|早苗]]]]
* [[小満]](日本、2002年・2003年・2004・2005年)
*: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が60度の時で、万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ。
*[[対話と発展のための世界文化多様性デー]]
*:[[国際デー]]の一つ。[[2002年]]の国連総会で採択。
* 小学校開校の日
*:[[1869年]](明治2年)のこの日、[[京都市]]に日本初の[[小学校]]である[[上京第二十七番組小学校]]と[[下京第十四番組小学校]]が開校したことを記念。
*リンドバーグ翼の日
*:[[1927年]](昭和2年)のこの日、前日に[[ニューヨーク]]を出発した[[チャールズ・リンドバーグ]]が[[大西洋横断飛行|大西洋単独無着陸横断飛行]]を達成して[[パリ]]に到着したことを記念。
*チリ海軍記念日
*:[[1879年]](明治12年)に発生した[[イキケの海戦]]におけるコルベットのエスメラルダの奮闘と、機転を利かせて優勢な敵を倒した砲艦のコバドンガの勇戦を讃えて指定された。
*JUN SKY WALKER(S)の日
*:[[1988年]](昭和63年)のこの日、[[JUN SKY WALKER(S)]]がアルバム『全部このままで』をリリースしメジャーデビューしたことから、2019年3月30日に日本記念日協会に正式に記念日として認定された。
{{clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0521|date=2011年6月}}
* [[2006年]] - クマイマジン(後のキンタロス)ならびにライノイマジンが現れる。電王アックスフォームによってライノイマジンが倒される。(特撮『[[仮面ライダー電王]]』)
* [[2012年]] - ファントムを生み出す儀式「サバト」が行われ、多くの人々がファントムを生み出すと同時に死亡した。(特撮『[[仮面ライダーウィザード]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 生年不明 - 照美メイ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|865946540040474625}}</ref>
* 生年不明 - 新垣浩一、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1527666971357196299}}</ref>
* 生年不明 - 阿原半兵衛、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|title=東京喰種トーキョーグール:re|volume=3巻|publisher=集英社|year=2015|isbn=978-4-08-890211-1}}</ref>
* 生年不明 - 笛口雛実、漫画・アニメ『東京喰種トーキョーグール』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2012|title=東京喰種トーキョーグール|publisher=集英社|location=|isbn=978-4-08-879357-3|date=|volume=3巻|quote=カバー裏}}</ref>
* 生年不明 - 朴朔子、漫画・アニメ『[[青の祓魔師]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aoex_official|1395393982725722112}}</ref>
* 生年不明 - 堂島卓、漫画『[[やがて君になる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=やがて君になる|date=|year=2018|publisher=KADOKAWA|author=仲谷鳰|authorlink=仲谷鳰|series=電撃コミックスNEXT|isbn=978-4-04-912047-9|quote=カバー下|volume=第6巻}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#ライラ|ライラ]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20186 |title=ライラ(らいら) |access-date=2022-12-12 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - ルシアス、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://kings-raid.com/characters/#character-168 |title=ルシアス|publisher= 【公式】キングスレイド|超本格リアルタイム3DバトルRPG |accessdate=2022-12-12|archiveurl= https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=168|archivedate=2022-07-24}}</ref>
* 生年不明 - ロッソ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=184&cate=name&cont=Rosso |title=ロッソ |access-date=2022-12-12 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 夕凪ツバサ、アニメ『[[ひろがるスカイ!プリキュア]]』の登場人物<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/hirogaru-sky_precure/character/chara4.php|title=キュアウィング|website=ひろがるスカイ!プリキュア東映アニメーション公式サイト|publisher=東映アニメーション|accessdate=2023-04-02}}</ref>。
<!--
* 生年不明 - 井宿(ちちり)、漫画『[[ふしぎ遊戯]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[機動戦士ガンダム00の登場人物#ソーマ・ピーリス / マリー・パーファシー|ソーマ・ピーリス(マリー・パーファシー)]]、アニメ『[[機動戦士ガンダム00]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ジョディ・ブーケ、ゲーム『[[パラサイト・イヴ2]]』に登場するキャラクター
2022年12月、3年半以上要出典のためコメントアウト
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== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 21|21 May}}
{{新暦365日|5|20|5|22|[[4月21日]]|[[6月21日]]|[[5月21日 (旧暦)|5月21日]]|0521|5|21}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T16:19:41Z | 2023-12-30T15:27:07Z | false | false | false | [
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== できごと ==
[[Image:Ganto_no_kan.JPG|thumb|345x345px|[[藤村操]](1886-1903)、[[華厳滝]]で投身自殺。社会現象となった。]]
[[Image:Valdivia_after_earthquake%2C_1960.jpg|thumb|180x180px|[[1960年チリ地震|チリ地震]](1960)。日本でも[[津波]]で142名の犠牲者]]
[[File:KI-43.jpg|thumb|180x180px|加藤建夫が乗っていた一式戦]]
* [[紀元前334年]] - [[アレクサンドロス3世]]の[[マケドニア王国]]軍が[[グラニコス川の戦い]]で[[ペルシア]]軍を破る<ref>{{Cite web |url=https://www.italianartsociety.org/2018/05/the-first-battle-between-alexander-the-great-and-king-darius-iii-of-persia-occurred-on-may-22-334-b-c/ |title=This Day in History: May 22 |access-date=20 Dec 2023 |publisher=Italian Art Society}}</ref>。
* [[229年]]([[黄龍 (呉)|黄龍]]元年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[呉 (三国)|呉]]の[[孫権]]が皇帝に即位。[[三国時代 (中国)#三国鼎立へ|三国鼎立]]が成立。
* [[1455年]] - [[薔薇戦争]]: [[セント・オールバーンズの戦い (1455年)|第1次セント・オールバーンズの戦い]]。
* [[1580年]]([[天正]]8年[[4月9日]]) - 本願寺11世宗主[[顕如]]、[[織田信長]]と和議を結び[[石山合戦]]が集結。顕如は紀伊鷺森に退去したが、和議に反対する長男[[教如]]は父とは行動をともにせず、石山本願寺に立てこもる。
* [[1763年]]([[宝暦]]13年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[耶馬渓]]に、[[禅海]]が30年以上かけて手掘りした[[青の洞門]]が開通。
* [[1868年]]([[慶應]]4年[[4月1日 (旧暦)|閏4月1日]])- [[駐日英国大使|駐日英公使]][[ハリー・パークス|パークス]]が[[明治天皇]]に[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の信任状を提出。[[明治政府]]が初めて外国から[[国家の承認|承認]]される。
* [[1871年]]([[明治]]4年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - 日本で[[戸籍法]]公布。
* [[1874年]] - [[台湾出兵]]: [[西郷従道]]指揮の台湾征討軍が[[台湾]]の制圧を開始。
* [[1903年]] - [[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]の生徒であった[[藤村操]]が[[華厳滝]]で自殺。社会に大きな影響を与え、後を追うものが続出。
* [[1906年]] - [[ライト兄弟]]が「飛行機械」([[飛行機]])の特許を取得。
* [[1915年]] - [[カリフォルニア州]]の[[ラッセン山]]が噴火。
* [[1931年]] - 劇団[[前進座]]結成。
* [[1939年]] - [[ドイツ]]と[[イタリア]]が[[鋼鉄協約]](独伊軍事同盟)に調印。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[メキシコ]]が[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側で参戦。
* [[1942年]] - [[大日本帝国陸軍]]の航空隊[[中佐]]、陸軍[[飛行第64戦隊]]長である[[加藤建夫]]がアキャブ基地に飛来した[[ブリストル ブレニム]]を[[一式戦闘機]]5機で迎撃に当たる最中で戦死。
* [[1946年]] - [[吉田茂]]が45代内閣総理大臣に就任し、[[第1次吉田内閣|第一次吉田茂内閣]]が発足。
* [[1947年]] - [[アメリカ合衆国大統領]][[ハリー・S・トルーマン]]が[[トルーマン・ドクトリン]]を実施するための法律に署名。
* [[1948年]] - 東京で、[[ガールスカウト]]復活のための準備委員会が発足。
* [[1958年]] - [[第28回衆議院議員総選挙]]。
* [[1960年]] - [[チリ地震 (1960年)|チリ地震]]発生。環太平洋全域を[[津波]]が襲う。
* [[1962年]] - [[コンチネンタル航空11便爆破事件]]。
* [[1963年]] - [[ギリシャ]]の民主左翼同盟党首[[グリゴリス・ランブラキス]]が[[テッサロニキ]]で行なわれた反戦集会での帰り道、[[サイドカー]]に乗った男に棍棒で頭部を殴打され負傷、5日後の[[5月27日]]に[[脳挫傷]]で死亡。
* [[1967年]] - [[ベルギー]]・[[ブリュッセル]]の{{仮リンク|イノバシオンデパート火災|en|L'Innovation Department Store fire|label=イノバシオンデパートで火災}}。死者322人。
* [[1968年]] - 99人が乗った[[アメリカ海軍]]の原子力潜水艦「[[スコーピオン (原子力潜水艦)|スコーピオン]]」が演習からの帰途に消息を絶つ。後に破壊された船体が発見される。
* [[1969年]] - 「[[アポロ10号]]」が[[月]]面から15.6 kmまで最接近。
* [[1971年]] - [[びわ湖放送]]設立。
* [[1972年]] - セイロンで新憲法が採択。[[共和制]]に移行し、国名を[[スリランカ|スリランカ共和国]]に改称<ref>{{Cite web |url=https://www.dailymirror.lk/News-Features/May-The-forgotten-Republic-Day-From-Dominion-Ceylon-to-Sovereign-Sri-Lanka/131-150223 |title=May 22-The forgotten Republic Day From Dominion Ceylon to Sovereign Sri Lanka |access-date=20 Dec 2023 |publisher=Daily Wijeya Newspapers Ltd. |website=Daily Mirror |date=22 May 2018}}</ref>。
* [[1973年]] - 東京の江東区議らがごみ埋め立て地「新夢の島」への杉並区のごみ搬入を実力で阻止。杉並清掃工場建設に反対する杉並区民に地域エゴと反発し、「[[東京ゴミ戦争|ゴミ戦争]]」が起こった<ref>{{Cite web |url=https://www.47news.jp/9353499.html |title=<あのころ>東京ごみ戦争 江東区が杉並の搬入車阻止 |access-date=20 Dec 2023 |publisher=株式会社全国新聞ネット(PNJ) |website=47NEWS |date=22 May 2023}}</ref>。
* [[1978年]] - [[若乃花幹士 (2代)|若三杉]]が第56代横綱に昇進。横綱昇進を機に若乃花に改名<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202207180000273.html |title=元横綱2代目若乃花の下山勝則さん死去、69歳 78年56代横綱に昇進 照ノ富士入門時の師匠 |access-date=20 Dec 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=18 Jul 2022}}</ref>。
* [[1980年]] - [[バンダイナムコゲームス|ナムコ]]がアーケードゲーム『[[パックマン]]』を発表。
* [[1987年]] - [[ラグビーワールドカップ1987|第1回ラグビーワールドカップ]]が[[ニュージーランド]]と[[オーストラリア]]で開催。[[6月20日]]まで。
* [[1989年]] - [[リクルート事件]]で[[藤波孝生]]元[[内閣官房長官]]と[[公明党]]の[[池田克也]][[衆議院議員]]を在宅起訴。
* [[1990年]] - [[南イエメン]]・[[北イエメン]]が統合され[[イエメン|イエメン共和国]]が成立。
* 1990年 - [[マイクロソフト]]が[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.0]]をリリース。
* [[1992年]] - [[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]・[[クロアチア]]・[[スロベニア]]が[[国際連合]]に加盟。
* 1992年 - [[細川護煕]]前熊本県知事が[[日本新党]]を結成。
* 1992年 - 映画監督の[[伊丹十三]]が、映画『[[ミンボーの女]]』に反発した暴力団員に自宅前で斬られる<ref>{{Cite web |url=https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1992/1992_7.html |title=伊丹十三氏に対する暴力事件について |access-date=20 Dec 2023 |publisher=日本弁護士連合会 |date=25 May 1992}}</ref>。
* 1992年 - [[ジョニー・カーソン]]が、30年間務めた『{{仮リンク|ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン|en|The Tonight Show Starring Johnny Carson}}』の司会をこの日の放送をもって降板<ref>{{Cite web |url=https://www.foxnews.com/lifestyle/this-day-history-may-22-1992-johnny-carson-appearance-tonight-show |title=On this day in history, May 22, 1992, Johnny Carson makes his final appearance on 'The Tonight Show' |access-date=20 Dec 2023 |publisher=FOX News Network, LLC. |date=May 22, 2023}}</ref>。
* 1992年 - [[滋賀県]][[大津市]]木の岡町に建っていた、通称『幽霊ホテル』と呼ばれていた「木の岡レイクサイドビル」が、日本で初となる[[爆破解体]]が行われた。
* [[2002年]] - [[トヨタ・アルファード]]が発売開始。
* [[2003年]] - 男子[[ゴルフ]]ツアーの[[PGAツアー]]に58年ぶりに女子選手の[[アニカ・ソレンスタム]]が参加<ref>{{Cite web |url=https://news.golfdigest.co.jp/pga/2605/article/35857/1/ |title=注目を集めるソレンスタムがどこまで頑張るか |access-date=20 Dec 2023 |publisher=[[ゴルフダイジェスト・オンライン|Golf Digest Online Inc.]] |date=20 May 2003}}</ref>。
* [[2004年]] - [[小泉純一郎]][[内閣総理大臣|首相]]が[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]を訪問し、第2回[[日朝首脳会談]]を行う。
* [[2005年]] - [[自衛隊イラク派遣|陸上自衛隊第六次イラク派遣隊]]の第三派が出発し、第六次イラク派遣隊総勢約500人の派遣が完了。<!-- 記事に日付の記載無し -->
* [[2006年]] - [[伊勢崎オートレース場]]第12レースにて三連単、5-8-1の組み合わせで、15,721,720円の最高配当を記録
* [[2010年]] - [[ラグビーワールドカップ2011|2011年ラグビーワールドカップ]][[2010年アジア5カ国対抗|アジア地区最終予選]]最終戦で[[ラグビー日本代表|日本]]が7大会連続のワールドカップ決定<ref>{{Cite web|和書 |date=23 May 2010 |url=https://www.nikkansports.com/sports/rugby/news/p-sp-tp0-20100523-632895.html |title=日本W杯!アジア無敵4戦全勝/ラグビー |publisher=[[日刊スポーツ]] |accessdate=20 Dec 2023}}</ref>。
* [[2012年]] - [[東京スカイツリー]]が開業<ref>{{Cite web|和書 |date=23 May 2012 |url=https://news.ntv.co.jp/category/society/206150 |title=東京スカイツリー、強風でエレベーター停止 |work=[[日テレNEWS24]] |publisher=Nippon Television Network Corporation |accessdate=20 Dec 2023}}</ref>。
* [[2015年]] - [[アイルランド]]で[[同性結婚]]と大統領の権限に関する[[2015年アイルランド憲法国民投票|憲法改正(2015年アイルランド)]]に関する[[国民投票]]が行われた<ref>{{Cite web|和書 |date=23 May 2015 |url=https://www.cnn.co.jp/world/35064915.html |title=アイルランドで同性婚巡り国民投票、賛成多数なら憲法改正 - (1/2) |publisher=CNN |accessdate=20 Dec 2023}}</ref>。
* [[2017年]] - [[マンチェスター・アリーナに於ける爆発物事件]]: [[イングランド]][[マンチェスター]]の屋内競技場[[マンチェスター・アリーナ]]で自爆テロが発生。22人が死亡、59人が負傷した。事件当日、場内では[[アリアナ・グランデ]]のコンサートが開催されていた<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.huffingtonpost.jp/2017/05/22/explosion-at-ariana-grande-concert_n_16759320.html |publisher=BuzzFeed, Inc. |title=アリアナ・グランデのコンサート会場で爆発、22人死亡59人けが イギリス・マンチェスター |accessdate=20 Dec 2023 |date=22 May 2017 |website=HUFFPOST}}</ref>。
* [[2020年]] - [[アルゼンチン]]が約5億ドル相当の[[国債]]利払いを行うことができず、通算9回目のデフォルト([[債務不履行]])に陥った<ref>{{Cite web|和書 |date=23 May 2020 |url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-05-22/QAR8SEDWLU6801?srnd=cojp-v2 |title=アルゼンチン、9回目のデフォルト-債権者との交渉は継続 |publisher=[[ブルームバーグ (企業)|Bloomberg]] |accessdate=20 Dec 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Tansou_Hirose.jpg|thumb|240x240px|儒学者、[[広瀬淡窓]](1782-1856)誕生]]
[[Image:RichardWagner.jpg|thumb|180px|作曲家[[リヒャルト・ワーグナー]](1813-1883)誕生。]]
[[Image:Mary_Cassatt-Selfportrait.jpg|thumb|259x259px|画家[[メアリー・カサット]](1844-1926)誕生。画像は自画像(1878)]]
[[Image:Conan_doyle.jpg|thumb|287x287px|[[シャーロック・ホームズシリーズ]]の作家、[[アーサー・コナン・ドイル]](1859-1930)]]
[[Image:Laurence Olivier - 1939.jpg|thumb|180px|俳優[[ローレンス・オリヴィエ]](右; 1907-1989)]]
[[Image:Charles_Aznavour03b.JPG|thumb|180x180px|シンガーソングライター、[[シャルル・アズナブール]](1924-2018)]]
[[Image:Eos_xk_%283%29%2C_1965.JPG|thumb|180x180px|[[キネティック・アート]]の第一人者、芸術家[[ジャン・ティンゲリー]](1925-1991)。画像は『Eos xk (3)』(1965)]]
[[Image:Betty_Williams.jpg|thumb|197x197px|[[北アイルランド]]の平和運動家、[[ベティ・ウィリアムズ]](1943-2020)]]
* [[1671年]] ([[寛文]]11年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[酒井忠真]]、第4代[[庄内藩|庄内藩主]] (+ [[1731年]])
* [[1711年]] ([[宝永]]8年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[大村純富]]、第7代大村藩主 (+ [[1749年]])
* [[1719年]] ([[享保]]4年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[松平信復]]、初代[[三河吉田藩|吉田藩主]] (+ [[1768年]])
* [[1724年]] - [[マルク=ジョゼフ・マリオン・デュフレーヌ]]、[[探検家]](+ [[1772年]])
* [[1769年]] ([[明和]]6年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[有馬誉純]]、第5代[[丸岡藩|丸岡藩主]] (+ [[1836年]])
* [[1772年]] - [[ラーム・モーハン・ローイ]]<ref>{{Cite web |title=Ram Mohan Roy {{!}} Indian religious leader |url=https://www.britannica.com/biography/Ram-Mohan-Roy |access-date=20 Dec 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、インドの思想家、社会活動家 (+ [[1833年]])
* [[1782年]]([[天明]]2年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[広瀬淡窓]]、[[儒学者]]、[[漢詩|漢詩人]](+ [[1856年]])
* [[1783年]] - [[ウィリアム・スタージャン]]、[[物理学者]]、[[発明家]](+ [[1850年]])
* [[1808年]] - [[ジェラール・ド・ネルヴァル]]、[[詩人]]、[[小説家]]、[[劇作家]](+ [[1855年]])
* [[1813年]] - [[リヒャルト・ワーグナー]]、[[作曲家]](+ [[1883年]])
* [[1834年]] ([[天保]]5年4月14日) - [[丹羽長国]]、第13代[[二本松藩|二本松藩主]] (+ [[1904年]])
* [[1840年]](天保11年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[島津忠義]]、第12代[[薩摩藩|薩摩藩主]](+ [[1897年]])
* [[1844年]] - [[メアリー・カサット]]、[[画家]](+ [[1926年]])
* [[1848年]]([[嘉永]]元年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[井伊直憲]]、第16代[[彦根藩|彦根藩主]](+ [[1904年]])
* [[1852年]] - [[エミール・ソーレ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1920年]])
* [[1857年]]([[安政]]4年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - [[大和田建樹]]、[[作詞家]](+ [[1910年]])
* [[1859年]] - [[アーサー・コナン・ドイル]]、[[推理作家]](+ [[1930年]])
* [[1862年]]([[文久]]2年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[牧野富太郎]]、[[植物学|植物学者]](+ [[1957年]])
* [[1880年]] - [[アーネスト・オッペンハイマー]]、[[実業家]](+ [[1957年]])
* [[1885年]] - [[中勘助]]、作家(+ [[1965年]])
* 1885年 - [[豊田副武]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]軍人(+ [[1957年]])
* 1885年 - [[ジャコモ・マッテオッティ]]、[[政治家]](+ [[1924年]])
* [[1889年]] - [[瀬越憲作]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](+ [[1972年]])
* [[1897年]] - [[藤山愛一郎]]、実業家、政治家(+ [[1985年]])
* 1897年 - [[小野三千麿]]、[[野球選手]](+ [[1956年]])
* [[1900年]] - [[西角井正慶]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1970年]])
* [[1902年]] - [[風巻景次郎]]、国文学者(+ [[1960年]])
* 1902年 - [[アル・シモンズ]]、[[プロ野球選手]](+ [[1956年]])
* [[1905年]] - [[華頂博信]]、[[皇族]](+ [[1970年]])
* [[1907年]] - [[エルジェ]]、[[漫画家]](+ [[1983年]])
* 1907年 - [[ローレンス・オリヴィエ]]、[[俳優]](+ [[1989年]])
* [[1908年]] - [[ホートン・スミス]]、[[ゴルフ|プロゴルファー]](+ [[1963年]])
* [[1911年]] - [[徳川義知]]、[[日本赤十字社]]常任理事、[[徳川黎明会]]会長(+ [[1992年]])
* 1911年 - [[古田紹欽]]、[[仏教学者]](+ [[2001年]])
* [[1912年]] - [[ハーバート・ブラウン]]、[[化学者]](+ [[2004年]])
* [[1914年]] - [[サン・ラ]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1993年]])
* [[1915年]] - [[池田潤三]]、プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1916年]] - 海原お浜、[[漫才師]]([[海原お浜・小浜]])(+ [[1994年]])
* [[1917年]] - [[ゲオルク・ティントナー]]、[[指揮者]](+ [[1999年]])
* [[1920年]] - [[トーマス・ゴールド]]、[[天体物理学|天体物理学者]](+ [[2004年]])
* 1920年 - [[ハインツ・フィンケ]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]]([[1944年]])
* [[1922年]] - [[久慈あさみ]]、[[俳優|女優]](+ [[1996年]])
* [[1924年]] - [[シャルル・アズナブール]]、[[歌手]](+ [[2018年]])
* 1924年 - [[林直明]]、元プロ野球選手
* [[1925年]] - [[ジャン・ティンゲリー]]、[[彫刻家]]、画家(+ [[1991年]])
* 1925年 - [[ジェームズ・キング (声楽家)|ジェームズ・キング]]、[[テノール]]歌手(+ [[2005年]])
* 1925年 - [[菊池光]]、[[翻訳家]](+ [[2006年]])
* [[1927年]] - [[ジョージ・オラー]]、化学者(+ [[2017年]])
* [[1928年]] - [[佐野洋]]、[[小説家]](+ [[2013年]])
* [[1929年]] - [[関山耕司]]、俳優(+ 没年不明)
* [[1933年]] - [[アーノルド・ローベル]]、[[絵本作家]](+ [[1987年]])
* 1933年 - [[陳景潤]]、[[数学者]](+ [[1996年]])
* 1933年 - [[金山勝巳]]、元プロ野球選手
* [[1938年]] - [[スーザン・ストラスバーグ]]、女優(+ [[1999年]])
* [[1939年]] - [[ポール・ウィンフィールド]]、俳優(+ [[2004年]])
* 1939年 - [[イアン・アンダーウッド]]、音楽家
* [[1940年]] - [[フェルナンド・マトス・シルヴァ]]、[[映画監督]]
* [[1941年]] - [[江田五月]]、[[政治家]] (+ [[2021年]])
* [[1943年]] - [[ベティ・ウィリアムズ]]、[[平和運動|平和運動家]] (+ [[2020年]])
* 1943年 - [[トミー・ジョン]]、元プロ野球選手
* [[1944年]] - [[中村吉右衛門 (2代目)|二代目中村吉右衛門]]、歌舞伎俳優 (+ [[2021年]])
* 1944年 - [[白石静生]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[ピエロ・ラルディ・フェラーリ]]、[[実業家]]
* 1945年 - [[フランソワ・ブルギニョン]]、[[経済学者]]
* [[1946年]] - [[ジョージ・ベスト]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]](+ [[2005年]])
* 1946年 - [[マイケル・グリーン (物理学者)|マイケル・グリーン]]、[[物理学者]]
* 1946年 - [[ジム・コルボーン]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[小田義人]]、プロ野球選手(+ [[2018年]])
* 1947年 - [[西山敏明]]、元プロ野球選手
* 1947年 - [[水谷勇]]、プロ野球選手(+ [[2010年]])
* [[1949年]] - [[大竹まこと]]、[[タレント]]
* 1949年 - [[大竹オサム]]、[[料理人]]
* 1949年 - [[牧野節子]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]]
* [[1951年]] - [[観山正見]]、[[天文学者]]
* [[1952年]] - [[佐野正幸 (作家)|佐野正幸]]、[[スポーツライター]]、[[ノンフィクション作家]](+ [[2016年]])
* [[1954年]] - [[中村修二]]、[[電子工学者]]
* [[1956年]] - [[マーク・ブロハード]]、元プロ野球選手
* 1956年 - [[金本誠吉]]、元プロ野球選手
* [[1957年]] - [[日高美子]]、[[アニメソング歌手]]
* [[1958年]] - [[唐沢俊一]]、[[作家]]、[[評論家]]
* [[1959年]] - [[クァク・ジェヨン]]、[[映画監督]]
* 1959年 - [[モリッシー]]、ミュージシャン
* [[1960年]] - [[庵野秀明]]、アニメ演出家
* 1960年 - [[木屋善夫]]、[[ゲームクリエイター]]
* [[1962年]] - [[増田章]]、[[武道|武道家]]、[[空手道|空手家]]
* 1962年 - [[中鶴勝祥]]、[[アニメーター]]、[[キャラクターデザイン|キャラクターデザイナー]]
* 1962年 - [[栃乃和歌清隆]]、元[[大相撲]][[力士]]
* [[1964年]] - [[アシュレイ・レニー]]、女優
* 1964年 - [[嶋大輔]]、俳優
* 1964年 - [[マイア・ウソワ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1965年]] - [[錦織一清]]、歌手、タレント
* 1965年 - [[亀田史郎]]、[[ボクシング]]トレーナー
* 1965年 - [[野中徹博]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[ホセ・メサ]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[宇多丸]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]([[RHYMESTER]])
* 1969年 - [[橋本清]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[ナオミ・キャンベル]]、[[スーパーモデル]]
* 1970年 - [[ペドロ・ディニス]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー
* 1970年 - [[真中幹夫]]、元サッカー選手、指導者
* 1970年 - 林千春、歌手、タレント([[パンプキン (グループ)|パンプキン]])
* 1970年 - [[motsu]]、ラッパー([[m.o.v.e]])
* [[1971年]] - [[池谷のぶえ]]、女優
* 1971年 - [[田頭欣士]]、元野球選手
* [[1972年]] - [[風見好栄]]、[[アナウンサー]]
* 1972年 - [[ゴリ (お笑い芸人)|ゴリ]]、[[お笑い芸人]]([[ガレッジセール]])
* 1972年 - 野月貴弘、ミュージシャン([[SUPER BELL"Z]])
* 1972年 - [[榎康弘]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[寒河江康隆]]、[[ギタリスト]]
* [[1973年]] - [[フリアン・タバレス]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[ブレンダン・キングマン]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[ジョン・ベイル]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[西田征史]]、[[脚本家]]、俳優
* [[1976年]] - [[木村卓寛]]、お笑い芸人([[天津 (お笑い)|天津]])
* 1976年 - [[ダニエル・アーランドソン]]、[[ドラマー]]([[アーチ・エネミー]])
* 1976年 - [[田村恵 (野球)|田村恵]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[府川唯未]]、タレント、元[[プロレスラー]]
* [[1977年]] - [[中払大介]]、元サッカー選手
* 1977年 - [[パット・スマレン]]、騎手
* [[1978年]] - [[ジニファー・グッドウィン]]、女優
* [[1979年]] - [[森章剛]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[鏡貴也]]、小説家
* 1979年 - [[津口竜一]]、元野球選手
* 1979年 - [[秋野ひとみ (女優)|秋野ひとみ]]、女優
* [[1980年]] - [[田中麗奈]]、女優
* 1980年 - [[増島愛浩]]、俳優
* 1980年 - [[村越としや]]、[[写真家]]
* 1980年 - [[湊川誠隆]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[片岡未来]]、タレント
* 1980年 - [[ムリーロ・ニンジャ]]、[[総合格闘家]]
* [[1981年]] - [[原史奈]]、女優
* 1981年 - [[あかつ]]、お笑い芸人
* 1981年 - [[ブライアン・ダニエルソン]]、[[プロレスラー]]
* 1981年 - [[メリッサ・グレゴリー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1982年]] - [[アポロ・アントン・オーノ]]、[[ショートトラックスピードスケート]]選手
* 1982年 - [[駒居鉄平]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[新名徹郎]]、[[コメディアン|喜劇俳優]]
* 1982年 - [[アドルフォ・リベラ]]、元野球選手
* [[1983年]] - [[藤井彩香]]、モデル、女優
* [[1984年]] - [[カロリーネ・ヘルフルト]]、女優
* [[1985年]] - [[リック・バンデンハーク]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[トランクイロ・バルネッタ]]、サッカー選手
* [[1986年]] - [[松本亜希]]、[[ファッションモデル]]
* 1986年 - [[柳亮]]、俳優
* 1986年 - [[タチアナ・ボロソジャル]]、フィギュアスケート選手
* 1986年 - [[ジュリアン・エデルマン]]、アメリカンフットボール選手
* 1986年 - [[コリン・カウギル]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[エリック・ソガード]]、プロ野球選手
* [[1987年]] - [[江口拓也]]、[[声優]]
* 1987年 - [[ノバク・ジョコビッチ]]、[[テニス選手一覧 (男子)|テニス選手]]
* 1987年 - [[ウラジーミル・グラナト]]、サッカー選手
* [[1988年]] - [[大山貴世]]、女優
* 1988年 - [[:en:Doug_DeMuro|ダグ・デムーロ]]、[[YouTuber]]
* [[1989年]] - [[金伏ウーゴ]]、元プロ野球選手
* 1989年 - [[コーリー・ディッカーソン]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[大山恭平]]、サッカー選手
* [[1990年]] - [[佐々木心音]]、女優
* 1990年 - [[安柄俊]]、サッカー選手
* 1991年 - [[スホ]]、歌手([[EXO]])
* [[1992年]] - [[徳永千奈美]]、元歌手(元[[Berryz工房]])
* [[1994年]] - [[髙木美帆]]、スピードスケート選手
* 1994年 - [[田川賢吾]]、元プロ野球選手
* [[1995年]] - [[守屋亨香]]、声優、タレント
* [[1996年]] - [[市村紗弥香]]、気象予報士
* 1996年 - [[清水優心]]、プロ野球選手
* [[1997年]] - [[倉知玲鳳]]、声優([[RAISE A SUILEN]])
* [[1998年]] - [[スパチョーク・サラチャート]]、サッカー選手
* [[2000年]] - [[玉水友哉]]、タレント
* 2000年 - [[山野力]]、[[陸上競技]]選手
* [[2001年]] - [[黒澤美澪奈]]、タレント(元[[さくら学院]]、元[[Ciào Smiles]])
* 2001年 - 落合希来里、アイドル([[≠ME]])
* 2001年 - [[:en:Emma_Chamberlain|エマ・チェンバレン]]、[[YouTuber]]、[[ポッドキャスト|ポッドキャスター]]、[[モデル (職業)|モデル]]
* 2001年 - [[イム・ジミン]]、アイドル([[JUST B]])
* 生年不明 - [[鷹嘴翼]]、声優
* 生年不明 - [[奈良岡快]]、声優
* 生年不明 - [[会沢咲]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1994年]] - [[マチカネフクキタル]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](+ [[2020年]])
== 忌日 ==
[[Image:Raphael_Baptism_Constantine.jpg|thumb|180x180px|[[ローマ帝国]]を再統一した[[大帝]][[コンスタンティヌス1世]](272-337)没。画像は晩年に[[洗礼]]を受ける大帝]]
{{multiple image
| caption1 = [[ニザーム]]藩王国の始祖[[ミール・カマルディン]](1671-1748)没
| image1 = Asaf_Jah_I%2C_Nizam_of_Hyderabad.jpg
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| alt1 = ミール・カマルディン
| caption2 =[[ハシディズム]]の創始者[[ユダヤ教]]思想家[[イスラエル・ベン・エリエゼル]](?-1760)
| image2 = Falckon.jpg
| width2 = 90
| alt2 = イスラエル・ベン・エリエゼル
}}
[[Image:The_utopia_of_peach_blossams_in_Wuling_by_suzuki_Gako.jpg|thumb|画家[[鈴木鵞湖]](1816-1870)。画像は『武陵桃源図』|312x312ピクセル]]
[[Image:Victor_Hugo-Hunchback.jpg|thumb|211x211px|詩人・作家、[[ヴィクトル・ユーゴー]](1802-1885)。画像は『[[ノートルダム・ド・パリ]]』の挿絵。]]
{{multiple image
| caption1 = 日本最初期の写真家[[上野彦馬]](1838-1904)
| image1 = Ueno_Hikoma.jpg
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| alt1 = 上野彦馬
| caption2 = 作家・詩人[[ジュール・ルナール]](1864-1910)
| image2 = Jules_Renard.jpg
| width2 = 90
| alt2 = ジュール・ルナール
}}
{{multiple image
| caption1 = 日本陸軍のパイロット[[加藤建夫]](1903-1942)戦死
| image1 = Major_General_Tateo_Kato._%28Imperial_Japanese_Army%29.jpg
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| alt1 = 加藤建夫
| caption2 = [[中華人民共和国]]の農学者,ハイブリッドイネの父[[袁隆平]](1930-2021)
| image2 = Yuan_Longping_at_news_conference.png
| width2 = 90
| alt2 = 袁隆平
}}
* [[192年]]([[初平]]3年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[董卓]]、[[中国]][[後漢]]末期の[[武将]]、[[政治家]](* [[139年]]?)
* [[337年]] - [[コンスタンティヌス1世]]、[[ローマ皇帝]](* [[272年]])
* [[748年]]([[天平]]20年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[元正天皇]]、第44代[[天皇]](* [[680年]])
* [[1124年]] - [[ヴィプレヒト2世 (グロイチュ伯)|ヴィプレヒト2世]]、[[マイセン辺境伯]](* [[1150年]]頃)
* [[1455年]] - [[ヘンリー・パーシー (第2代ノーサンバランド伯)|ヘンリー・パーシー]]、第2代[[ノーサンバランド伯]](* [[1392年]]頃)
* 1455年 - [[エドムンド・ボーフォート (第2代サマセット公)|エドムンド・ボーフォート]]、第2代[[サマセット公]](* [[1406年]])
* [[1540年]] - [[フランチェスコ・グイチャルディーニ]]、[[歴史家]](* [[1483年]])
* [[1548年]]([[天文 (元号)|天文]]17年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[松平信孝 (戦国時代)|松平信孝]]、[[武将|戦国武将]]
* [[1602年]] - [[レナータ・フォン・ロートリンゲン]]、[[ヴィルヘルム5世 (バイエルン公)|バイエルン公ヴィルヘルム5世]]の妃(* [[1544年]])
* [[1623年]]([[元和 (日本)|元和]]9年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[筑紫広門]]、戦国武将(* [[1556年]])
* [[1667年]] - [[アレクサンデル7世 (ローマ教皇)|アレクサンデル7世]]、第237代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1599年]])
* [[1748年]] - [[ミール・カマルディン]]、[[ニザーム藩王国]]初代藩王(* [[1671年]])
* [[1760年]] - [[イスラエル・ベン・エリエゼル]]、[[ユダヤ教]]の[[ラビ]](* [[1700年]]頃)
* [[1770年]] - [[ゾフィー・マグダレーネ・フォン・ブランデンブルク=クルムバッハ]]、[[クリスチャン6世 (デンマーク王)|デンマーク王クリスチャン6世]]の妃(* [[1700年]])
* [[1802年]] - [[マーサ・ワシントン]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]]、初代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・ワシントン]]の妻(* [[1731年]])
* [[1836年]]([[天保]]7年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[岩井半四郎 (6代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1798年]])
* [[1859年]] - [[フェルディナンド2世 (両シチリア王)|フェルディナンド2世]]、[[両シチリア王国|両シチリア王]](* [[1810年]])
* [[1866年]]([[慶応]]2年4月8日) - [[吉良の仁吉]]、[[侠客]](* [[1839年]])
* [[1868年]]([[明治]]元年[[4月1日 (旧暦)|閏4月1日]]) - [[富山弥兵衛]]、[[新選組]]伍長、[[御陵衛士]](* [[1843年]])
* [[1870年]](明治3年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]])- [[鈴木鵞湖]]、[[日本画家]](* [[1816年]])
* [[1873年]] - [[アレッサンドロ・マンゾーニ]]、作家(* [[1785年]])
* [[1874年]] - [[前田慶寧]]、第14代[[加賀藩|加賀藩主]](* [[1830年]])
* [[1885年]] - [[ヴィクトル・ユーゴー]]、[[小説家]](* [[1802年]])
* 1885年 - [[テオドール・バリュー]]、[[建築家]](* [[1817年]])
* [[1898年]] - [[エドワード・ベラミー]]、小説家(* [[1850年]])
* [[1901年]] - [[ガエタノ・ブレーシ]]、イタリア王[[ウンベルト1世]]の[[暗殺|暗殺者]](* [[1869年]])
* [[1902年]] - [[リリー・マーティン・スペンサー]]、[[画家]](* [[1822年]])
* [[1903年]] - [[石坂周造]]、[[尊皇攘夷]][[志士]](* [[1832年]])
* 1903年 - [[藤村操]]、[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]生徒(* [[1886年]])
* [[1904年]] - [[上野彦馬]]、[[写真家]](* [[1838年]])
* [[1905年]] - [[ジョージ・ゼットレイン]]、元[[プロ野球選手]](* [[1844年]])
* [[1910年]] - [[ジュール・ルナール]]、小説家、[[劇作家]](* [[1864年]])
* [[1912年]] - [[アントニオ・パチノッティ]]、[[物理学者]](* [[1841年]])
* 1912年 - [[李容九]]、[[一進会]]の指導者(* [[1868年]])
* [[1918年]] - [[フリードリヒ・ザイツ]]、[[作曲家]](* [[1848年]])
* [[1922年]] - [[カール・タイケ]]、作曲家(* [[1864年]])
* [[1925年]] - [[ジョン・フレンチ]]、[[イギリス陸軍]]の[[元帥]](* [[1852年]])
* [[1932年]] - [[オーガスタ・グレゴリー]]、劇作家(* [[1852年]])
* [[1933年]] - [[フェレンツィ・シャーンドル]]、[[心理学者]](* [[1873年]])
* [[1937年]] - [[海老名弾正]]、[[思想|思想家]]、牧師(* [[1856年]])
* [[1942年]] - [[加藤建夫]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[少将]]、[[加藤隼戦闘隊]]隊長(* [[1903年]])
* [[1949年]] - [[ハンス・プフィッツナー]]、作曲家(* [[1869年]])
* 1949年 - [[ジェームズ・フォレスタル]]、初代[[アメリカ合衆国国防長官]](* [[1892年]])
* [[1954年]] - [[チーフ・ベンダー]]、元プロ野球選手(* [[1884年]])
* [[1959年]] - [[吉岡弥生]]、医師、東京女医学校(現[[東京女子医科大学]])創立者(* [[1871年]])
* [[1963年]] - [[松林桂月]]、日本画家(* [[1876年]])
* [[1967年]] - [[ラングストン・ヒューズ]]、作家(* [[1902年]])
* [[1971年]] - [[岡邦雄]]、[[科学史|科学史家]](* [[1890年]])
* [[1972年]] - [[セシル・デイ=ルイス]]、作家(* [[1904年]])
* [[1975年]] - [[レフティ・グローブ]]、元プロ野球選手(* [[1900年]])
* 1975年 - [[児玉隆也]]、[[ジャーナリスト]](* [[1937年]])
* [[1976年]] - [[オスカー・ボナベナ]]、[[プロボクサー]](* [[1942年]])
* [[1977年]] - [[江田三郎]]、政治家(* [[1907年]])
* [[1982年]] - [[ジェヴデト・スナイ]]、政治家、[[トルコの大統領|トルコ大統領]](* [[1899年]])
* 1982年 - [[ジェイ・ラッシュ]]、[[農学者]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](* [[1896年]])
* [[1983年]] - [[アルベルト・クラウデ]]、[[生物学|生物学者]](* [[1899年]])
* [[1985年]] - [[ウォルフガング・ライザーマン]]、[[アニメーター]](* [[1909年]])
* [[1988年]] - [[野村光一]]、[[音楽評論家]](* [[1895年]])
* [[1989年]] - [[相沢忠洋]]、[[考古学|考古学者]](* [[1926年]])
* 1989年 - [[佐々木宏一郎]]、元プロ野球選手(* [[1943年]])
* 1989年 - [[本田親喜]]、元プロ野球選手(* [[1911年]])
* 1989年 - [[三好真一]]、元プロ野球選手(* [[1950年]])
* [[1990年]] - [[ロッキー・グラジアノ]]、プロボクサー(* [[1922年]])
* [[1992年]] - [[ラーンキ・ジェルジ]]、作曲家(* [[1907年]])
* 1992年 - [[ゼリグ・ハリス]]、[[言語学|言語学者]](* [[1909年]])
* 1992年 - [[李良枝]]、小説家(* [[1955年]])
* [[1993年]] - [[ミェチスワフ・ホルショフスキ]]、[[ピアニスト]](* [[1892年]])
* [[1994年]] - [[小峰元]]、小説家(* [[1921年]])
* 1994年 - [[ノーマン・リード]]、[[陸上競技]]選手(* [[1931年]])
* [[1995年]] - [[篠田節夫]]、[[俳優]]、[[声優]](* [[1924年]])
* [[1997年]] - [[アルフレッド・ハーシー]]、[[微生物学|微生物学者]]、[[遺伝学|遺伝学者]](* [[1908年]])
* [[1998年]] - [[ジョン・デレク]]、俳優、[[映画監督]](* [[1926年]])
* [[2006年]] - [[冨田弘一郎]]、[[天文学者]](* [[1925年]])
* 2006年 - [[矢島文夫]]、言語学者(* [[1928年]])
* 2006年 - [[李鍾郁]]、[[世界保健機関]]事務局長(* [[1945年]])
* [[2007年]] - [[平岩外四]]、第7代[[日本経済団体連合会|経団連]]会長(* [[1914年]])
* 2007年 - [[鈴木光枝]]、女優(* [[1918年]])
* [[2008年]] - [[ロバート・アスプリン]]、[[SF作家]](* [[1946年]])
* [[2009年]] - [[三遊亭生之助]]、[[落語家]](* [[1935年]])
* [[2010年]] - [[マーティン・ガードナー]]、[[数学者]]、アマチュア[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](* [[1914年]])
* 2010年 - [[中川順]]、[[実業家]](* [[1919年]])
* 2010年 - [[石橋博良]]、[[ウェザーニューズ]]創業者、(* [[1947年]])
* [[2012年]] - [[吉田秀和]]、[[音楽評論家]]、[[随筆家]](* [[1913年]])
* [[2013年]] - [[アンリ・デュティユー]]、[[作曲家]](* [[1916年]])
* [[2014年]] - [[村上光彦]]、[[フランス文学者]](* [[1929年]])
* [[2015年]] - [[宮崎剛 (1918年生の内野手)|宮崎剛]]、元プロ野球選手(* [[1918年]])
* 2015年 - [[扇田昭彦]]、[[演劇]][[評論家]]、元[[朝日新聞]]記者(* [[1940年]])
* 2015年 - [[大内義昭]]、歌手、作曲家(* [[1960年]])
* 2015年 - [[丸山夏鈴]]、歌手、タレント(* [[1993年]])
* [[2016年]] - [[仁木安]]、元プロ野球選手(* [[1925年]])
* [[2017年]] - [[ニッキー・ヘイデン]]<ref>{{Cite web |url=https://response.jp/article/2017/05/23/295075.html |title=ニッキー・ヘイデン、交通事故で死去…元MotoGP王者 |website=Response |access-date=20 Dec 2023 |publisher=IID, Inc. |date=23 May 2017}}</ref>、[[ロードレース世界選手権|MotoGP]][[ライダー]](* [[1981年]])
* [[2021年]] - [[袁隆平]]、農学者(* [[1930年]])
* [[2023年]] - [[BAAD#メンバー|新井康徳]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2282732/full/ |title=ロックバンドBAAD・新井康徳さん死去 『SLAM DUNK』主題歌「君が好きだと叫びたい」 |publisher=[[ORICON NEWS]] |date=13 Jun 2023 |accessdate=20 Dec 2023}}</ref>、日本のドラマー、ロックバンド「[[BAAD]]」メンバー(* [[1967年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:1918 girl guides.jpg|thumb|180x180px|[[ガールスカウト]]の日]]
* [[国際生物多様性の日]]({{World}})
*: [[国際デー]]の一つ。
* 共和国の日({{LKA}})
*: [[1972年]]のこの日にセイロンが共和制に移行し、国名をスリランカ共和国に改称したことを記念。
* 国家統一記念日({{YEM}})
*: [[1990年]]のこの日、[[南イエメン]]と[[北イエメン]]が統合されイエメン共和国が成立したことを記念。
* ガールスカウトの日({{JPN}})
*: [[1947年]]のこの日、第二次世界大戦で中断されていた日本の[[ガールスカウト]]を再興するために準備委員会が発足したことを記念し、[[ガールスカウト日本連盟]]が制定。
* [[サイクリング]]の日({{JPN}})
*: [[日本サイクリング協会]]が[[2009年]][[4月20日]]に制定。[[スポーツ振興法]]でサイクリング奨励が定められたのをきっかけに、[[1964年]]のこの日、サイクリング普及のための団体として文部大臣から設立認可を受け任意団体から[[財団法人]]になったことを記念。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0522|date=Dec 2023}}
* [[1483年]](文明15年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[南総里見八犬伝の登場人物|八犬士]]が集結する。(『[[南総里見八犬伝]]』)
* [[1962年]] - 米ソ共同の宇宙船が[[火星]]に着陸成功。生物の姿を確認する。(テレビ番組『サイエンス・リポート:[[第三の選択]]』)
* [[1997年]] - 城岩中学3年B組の生徒を対象に「[[バトル・ロワイアル#プログラムの概要|プログラム]]」が開始される。(小説『[[バトル・ロワイアル]]』)
* [[1997年]] - 四神獣の見立てを行うために超級風水師が陰界の九龍城へ赴く。また、作中ではファイアの日と呼ばれる重要な日でもある。(ゲーム『[[クーロンズゲート]]』)
* [[2004年]] - [[夜神月]]が青山で[[弥海砂]]に発見される<ref>{{Cite book|和書 |author1=大場つぐみ |authorlink1=大場つぐみ |author2=小畑健 |authorlink2=小畑健 |year=2006 |title=DEATH NOTE |volume=第13巻 |page=90 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4-08-874095-9}}</ref>。(漫画『[[DEATH NOTE]]』)
* [[2008年]] - [[ニューヨーク]]に「何か」が上陸、町が壊滅する。(映画『[[クローバーフィールド/HAKAISHA]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 生年不明 - [[三井寿]]、漫画・アニメ『[[SLAM DUNK]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=井上雄彦 |authorlink=井上雄彦 |year=1995 |title=SLAM DUNK |volume=第23巻 |page=47 |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |isbn=4-08-871843-7}}</ref>
* 生年不明 - 村上保、漫画・アニメ『[[賭博破戒録カイジ]]』・漫画『[[上京生活録イチジョウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=三好智樹,瀬戸義明,萩原天晴,福本伸行 |authorlink=三好智樹 |year=2023 |title=上京生活録イチジョウ |volume=6巻 |page=134 |publisher=[[講談社]] |accessdate=2023-03-10 |ISBN=978-4-06-531024-3}}</ref>
* 生年不明 - 小倉ひかり、漫画・アニメ『[[ライフル・イズ・ビューティフル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|MachicoOfficial|1395931480438697997}}</ref>
* 生年不明 - 葉月しずく、漫画・アニメ『[[NEW GAME!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://newgame-anime.com/character/ |title=CHARACTER 葉月しずく |publisher=NEW GAME!!製作委員会 |accessdate=20 Dec 2023 |work=『NEW GAME!!』}}</ref>
* 生年不明 - 倉田恵美、漫画・アニメ『[[ろんぐらいだぁす!|ろんぐらいだぁすとーりーず!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|miyaketaisi|1131053713110446081}}</ref>
* 生年不明 - 新堂彩華、小説・アニメ『[[境界の彼方]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://tv.anime-kyokai.com/character/ayaka/ |title=新堂彩華 |access-date=20 Dec 2023 |publisher=[[鳥居なごむ]]・[[京都アニメーション]]/境界の彼方製作委員会 |work=『境界の彼方』}}</ref>
* 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#双海亜美|双海亜美]]、ゲーム『[[THE IDOLM@STER]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Cite journal |和書 |date = 2010-11 |publisher = [[アスキー・メディアワークス]] |journal = [[電撃G's magazine]] |pages = 108, 110頁 }}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/10009 |title=双海 亜美(ふたみ あみ) |access-date=20 Dec 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#双海真美|双海真美]]、ゲーム『THE IDOLM@STER』に登場するキャラクター<ref name=":0"/><ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/10010 |title=双海 真美(ふたみ まみ) |access-date=20 Dec 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 久仁城雅、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|734036195802374148}}</ref>
* 生年不明 - マチカネフクキタル、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=matikanefukukitaru |title=マチカネフクキタル |publisher=[[Cygames|Cygames, Inc.]] |accessdate=20 Dec 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - 衛藤昂輝、メディアミックス『[[ツキノ芸能プロダクション]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tsukino-pro.com/talent_artist/talent_artist-cat2/alive-ta/etou-kouki-ta/ |title=衛藤昂輝 |access-date=20 Dec 2023 |publisher=TSUKIPRO TSUKIUTA. [[ユニバーサルミュージック|UNIVERSAL MUSIC LLC]] ALTAIR |work=『ツキノ芸城プロダクション』}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 22|22 May}}
{{新暦365日|5|21|5|23|[[4月22日]]|[[6月22日]]|[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]|0522|5|22}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T16:20:54Z | 2023-12-20T22:22:33Z | false | false | false | [
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4,936 | 5月23日 | 5月23日(ごがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から143日目(閏年では144日目)にあたり、年末まではあと222日ある。 | [
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'''5月23日'''(ごがつにじゅうさんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から143日目([[閏年]]では144日目)にあたり、年末まではあと222日ある。
== できごと ==
<!-- 記事に日付のないもの:八十年戦争, 山田耕筰, 東京鉄道郵便局, 和辻哲郎, 連合軍軍政期 (ドイツ), 国鉄動力車労働組合, 影武者 (映画), <国立がん研究センター>, -->
[[Image:Joan_of_arc_interrogation.jpg|thumb|160px|[[ジャンヌ・ダルク]]、[[ブルゴーニュ]]軍に捕えられる(1430)。画像は尋問されるジャンヌ]]
[[Image:Defenestration-prague-1618.jpg|thumb|250px|第二次[[プラハ窓外投擲事件]](1618)。[[三十年戦争]]の契機となった]]
<!-- [[Image:King's Horse at Ramillies 1706.jpg|thumb|240px|[[スペイン継承戦争]]、{{仮リンク|ラミューの戦い|en|Battle of Ramillies}}(1706)]] -->
[[Image:Seventeen-Point_Plan_Chinese_9.jpg|thumb|upright|[[チベット]]の独立を否定する[[十七か条協定]]が締結(1951)。1959年には破棄される]]
* [[1180年]]([[治承]]4年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - 伊豆・蛭ヶ小島に流されていた[[源頼朝]]が、[[以仁王]]の平家追討令旨を伝えられる{{要出典|date=2021-03}}。
* [[1213年]]([[建暦]]3年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]) - [[和田合戦]]{{要出典|date=2021-04}}。
* [[1430年]] - [[百年戦争]]: [[ジャンヌ・ダルク]]が[[コンピエーニュ包囲戦]]で[[ブルゴーニュ公国|ブルゴーニュ]]軍に捕えられる。
* [[1498年]] - [[フィレンツェ共和国]]で神権政治を行った[[ジロラモ・サヴォナローラ]]が教皇[[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]の命により処刑。
* [[1568年]] - [[オランダ]]が[[スペイン]]からの独立を宣言。[[八十年戦争]](オランダ独立戦争)勃発。
* [[1618年]] - [[プラハ窓外投擲事件|第二次プラハ窓外投擲事件]]。[[三十年戦争]]の発端に。
* [[1701年]] - 海賊船の船長[[ウィリアム・キッド]](キャプテン・キッド)がロンドンで絞首刑に処せられる。
* [[1706年]] - [[スペイン継承戦争]]: [[ラミイの戦い]]
* [[1788年]] - [[サウスカロライナ州]]が[[アメリカ合衆国憲法]]を承認し、[[アメリカ合衆国]]8番目の州となる。
* [[1819年]] - [[シモン・ボリバル]]が[[コロンビア]]解放のため[[アンデス山脈|アンデス]]越え作戦を開始。
* [[1863年]] - [[フェルディナント・ラッサール]]が[[全ドイツ労働者協会]]を創設
* [[1870年]]([[明治]]3年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - 日本政府が鉄道敷設のため、ロンドンで初の[[外債]]を発行。
* [[1872年]] - [[明治天皇]]第一回地方[[巡幸]]に出発(大阪、中国、四国、九州方面)。
* [[1889年]] - [[讃岐鉄道]]・[[丸亀駅|丸亀]] - [[琴平駅|琴平]](現在の[[予讃線]]・[[土讃線]])が開業。
* [[1915年]] - [[第一次世界大戦]]: [[イタリア]]が[[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア・ハンガリー]]に宣戦布告。[[三国同盟 (1882年)|三国同盟]]を破棄して[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側で参戦。
* 1915年 - [[山田耕筰]]の東京フィルハーモニー会管絃楽部が第1回演奏会を開催。
* 1915年 - [[東京駅]] - [[東京鉄道郵便局]]間に郵便物受渡用の地下電車が開通。日本初の[[地下鉄]]。
* [[1919年]] - [[和辻哲郎]]の『[[古寺巡礼 (和辻哲郎)|古寺巡礼]]』が発刊。
* [[1923年]] - [[スタンリー・ボールドウィン]]がイギリスの第55代首相に就任。
* [[1925年]] - [[円山川]]河口を[[震源]]に[[北但馬地震]](北但大震災)が発生。死者428人。
* [[1934年]] - アメリカで銀行強盗・殺人を繰返していた[[ボニーとクライド|クライド・バーローとボニー・パーカー]]が、警官隊の待ち伏せに遭い射殺される。
* [[1945年]] - [[フレンスブルク政府]]([[ドイツ]]の終戦処理にあたっていた[[臨時政府]])が[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の命によって解散、戦勝4か国はドイツを[[軍政]]によって直接統治。([[連合軍軍政期 (ドイツ)|連合軍軍政期]])
* 1945年 - イギリス軍に拘束中の元ナチス[[親衛隊全国指導者]][[ハインリヒ・ヒムラー]]が自殺。
* [[1946年]] - [[佐々木康]]監督の『はたちの青春』が封切り。日本初のキスシーンがある映画。
* [[1947年]] - [[国共内戦]]: [[長春包囲戦]]。
* [[1949年]] - [[ドイツ連邦共和国基本法]]が[[ボン]]で発布され、[[西ドイツ|ドイツ連邦共和国]](西ドイツ)が誕生。
* [[1951年]] - [[チベット]]と[[中華人民共和国]]が[[十七か条協定]]を締結。
* 1951年 - [[国鉄労働組合]]を脱退した機関士を中心に国鉄機関車労働組合が結成([[国鉄動力車労働組合]]の前身)。
* [[1954年]] - [[北海道]][[雄武町]]で大火。77棟焼失、1人死亡<ref>「強風のさいはてで大火 中心街47むね焼ける『朝日新聞』昭和47年5月26日朝刊、13版、22面</ref>。
* [[1958年]] - 1月に打ち上げられたアメリカ初の人工衛星「[[エクスプローラー1号]]」の通信が途絶。
<!-- [[原子力発電所]]の記述と相違。『今日のクロニクル』(朝日新聞社)に記載、とメモされてるが……。 * [[1958年]] - [[イギリス]]の[[コールダーホール]]に世界初の商用[[原子力発電所]]が完成。 -->
<!-- これは日本時間によるもの。現地時間では前日。 * [[1960年]] - [[チリ]]の[[太平洋]]沖でMw9.5の[[チリ地震]]が発生。環太平洋全域を[[津波]]が襲来(日本には翌日津波が到達)-->
* [[1962年]] - [[東京]]・[[築地]]の[[国立がん研究センター|国立がんセンター]]が診療を開始。<!-- 『今日のクロニクル』(朝日新聞社)に記載 -->
* [[1969年]] - 初の「[[公害白書]]」が発表([[1972年]]に「[[環境白書]]」に改称)。<!-- 『今日のクロニクル』(朝日新聞社)に記載 -->
* [[1977年]] - [[オランダ]]で[[列車]]乗っ取り事件。[[モルッカ]]人[[ゲリラ]]が[[人質]]をとり20日間籠城。同日、[[小学校]]も占拠し100人以上人質。[[6月11日]]、[[特殊部隊]]の突入で人質2人が死亡。
* [[1978年]] - 第1回[[国際連合|国連]]軍縮特別総会が開幕。<!-- 『今日のクロニクル』(朝日新聞社)に記載 -->
* [[1979年]] - [[長岡京ワラビ採り殺人事件]]。[[京都府]][[長岡京市]]で主婦2人が惨殺されるも[[未解決事件]]となった。
* [[1980年]] - [[黒澤明]]監督の『[[影武者 (映画)|影武者]]』が[[カンヌ国際映画祭]]でグランプリ獲得(日本時間では[[5月24日]])。
* [[1981年]] - [[陝西省]]で、中国では既に[[絶滅]]したと思われていた野生の[[トキ]]7羽が発見される。
* [[1984年]] - [[リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー]]が[[西ドイツ]]の第6代[[連邦大統領 (ドイツ)|大統領]]に選出。
* 1984年 - [[寺尾常史|寺尾]]の十両昇進が決定し、[[鶴嶺山宝一|鶴嶺山]]、[[逆鉾昭廣|逆鉾]]と合わせて史上初の三兄弟同時関取となる。
<!-- * [[1988年]] - 元[[おニャン子クラブ]]の[[高井麻巳子]]が作詞家でプロデューサー(おニャン子クラブの元仕掛人)の[[秋元康]]と結婚し、芸能界を電撃引退。 <!- 特筆性?: 芸能人の結婚離婚はなしでいいのでは? -->
<!-- [[長良川河口堰]]の記述と相違。『今日のクロニクル』(朝日新聞社)に記載、とメモされてるが……。 * [[1995年]] - [[長良川河口堰]]が本格運用を開始。 -->
* [[1995年]] - [[プログラミング言語]][[Java]]の最初のバージョンがリリース。
<!-- * [[1997年]] - [[ザ・リッツ・カールトン大阪]]が[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[梅田]]に開業。<!- 特筆性? -->
* [[1998年]] - [[北アイルランド]]で[[国民投票]]が行われ、[[ベルファスト合意]]が75%の賛成で承認される。
<!-- 「5月23日」に特記すべき情報ですか? * [[2009年]] - [[日本]]の[[政党]]、[[幸福実現党]]が結成される。 -->
* [[2009年]] - [[大韓民国]]第16代[[大統領 (大韓民国)|大統領]][[盧武鉉]]が自殺。
* [[2013年]] - プロスキーヤーで[[登山家]]の[[三浦雄一郎]]が世界最高峰・[[エベレスト]]に史上最高齢(80歳7か月)で登頂に成功<ref>{{Cite web|和書|date=2013-05-23 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDH23009_T20C13A5MM0000/ |title=80歳・三浦雄一郎さんエベレスト登頂 世界最高齢 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-04-01}}</ref>。
* 2013年 - 大強度[[陽子]][[加速器]]施設[[J-PARC]]で[[J-PARC放射性同位体漏洩事故|放射性同位体の漏洩事故]]が発生<ref>{{Cite web|和書|date=2013年5月27日 |url=http://japanese.china.org.cn/life/2013-05/27/content_28944090.htm |title=日本で放射能漏れ事故、30人が被曝 |work=中国網_日本語 |publisher=中国網 |accessdate=2018-04-01}}</ref>。
* [[2014年]] - [[カリフォルニア州]]で[[2014年アイラビスタ銃乱射事件]]が発生。6人が死亡、犯人も自殺。
<!-- 「5月23日」に特記すべき情報ですか? * [[2015年]] - [[鳥取県]]初の[[スターバックス|スターバックスコーヒー]]が[[シャミネ]]鳥取に開業。これにより、全47都道府県へのスターバックスコーヒーの出店を完了。 -->
* [[2017年]] - [[マラウィの戦い]]: [[ISIL]]系過激派組織[[マウテ]]および[[アブ・サヤフ]]が[[マラウィ (ラナオ・デル・スル州)|マラウィ]]各所を制圧して[[フィリピン軍]]、警察と交戦。[[ロドリゴ・ドゥテルテ]]同国[[フィリピンの大統領|大統領]]は[[ミンダナオ島]]全域に[[戒厳令]]を発動<ref>{{Cite web|和書|date=2017年5月24日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3129352 |title=フィリピン大統領、南部ミンダナオに戒厳令 1年続く可能性に言及 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-04-01}}</ref>。
* [[2021年]] - [[ベラルーシ]]上空を通過中の旅客機([[ライアンエアー4978便]])が[[強制着陸]]させられ、乗客の中にいた反政府運動関係者が拘束される事件が発生。[[外交問題]]に発展した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3352796?cx_part=search |title=欧米諸国、ベラルーシに一斉制裁 旅客機強制着陸で |publisher=AFP |date=2021-06-21 |accessdate=2021-06-21}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Songqinzong.jpg|thumb|100px|[[北宋]]最後の皇帝、[[欽宗]](1100-1161)誕生]]
[[Image:Philip_I_of_France_%C2%B7_HHWXI28.svg|thumb|100px|フランス王[[フィリップ1世 (フランス王)|フィリップ1世]](1052-1108)誕生]]
[[Image:LinnaeusWeddingPortrait.jpg|thumb|upright|[[分類学]]の父、生物学者[[カール・フォン・リンネ]](1707-1778)誕生]]
[[Image:Franz_Anton_Mesmer.jpg|thumb|100px|「[[動物磁気説|動物磁気]]」を提唱した医学者[[フランツ・アントン・メスメル]](1734-1815)]]
[[Image:Ignaz_Moscheles.jpg|thumb|100px|作曲家[[イグナーツ・モシェレス]](1794-1870)]]
[[Image:Bloch-SermonOnTheMount.jpg|thumb|160px|画家[[カール・ハインリッヒ・ブロッホ]](1834-1890)。画像は<!--ほぼ唯一の-->代表作『山上の垂訓』]]
[[Image:Lilienthal_in_flight.jpg|thumb|160px|[[航空工学]]の開拓者、[[オットー・リリエンタール]](1848-1896)誕生]]
<!-- [[Image:DouglasFairbanksSr.jpg|thumb|100px|俳優[[ダグラス・フェアバンクス]](1883-1939)]] -->
[[Image:Bardeen.jpg|thumb|100px|[[ジョン・バーディーン]](1908-1991)。[[トランジスタ]]の発明と[[BCS理論]]で2度[[ノーベル物理学賞]]受賞]]
[[Image:Joshua_Lederberg.jpg|thumb|100px|分子生物学者[[ジョシュア・レーダーバーグ]](1925-2008)。[[人工知能]]にも業績を遺した]]
[[Image:Garciaalan09112006-1.jpg|thumb|100px|[[ペルー]]の第44・46代大統領[[アラン・ガルシア]](1949-)]]
* [[1052年]] - [[フィリップ1世 (フランス王)|フィリップ1世]]、[[フランス王国|フランス]]王(+ [[1108年]])
* [[1100年]]([[元符]]3年4月13日) - [[欽宗]]、[[中国]][[北宋]]第9代[[皇帝]](+ [[1161年]])
* [[1674年]]([[延宝]]2年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[土井利知]]、第2代[[大野藩|大野藩主]](+ [[1745年]])
* [[1684年]]([[貞享]]元年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[蜂須賀宗英]]、第7代[[徳島藩|徳島藩主]](+ [[1743年]])
* [[1707年]] - [[カール・フォン・リンネ]]、[[博物学|博物学者]](+ [[1778年]])
* [[1729年]]([[享保]]14年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[三宅康之]]、第5代[[田原藩|田原藩主]](+ [[1803年]])
* [[1734年]] - [[フランツ・アントン・メスメル]]、[[医学|医学者]]、[[催眠術]]の創始者(+ [[1815年]])
* [[1741年]] - [[アンドレア・ルケージ]]、[[作曲家]](+ [[1801年]])
* [[1742年]]([[寛政]]8年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[伊達重村]]、第7代[[仙台藩|仙台藩主]](+ [[1796年]])
* [[1790年]] - [[ジュール・デュモン・デュルヴィル]]、[[探検家]](+ [[1842年]])
* [[1794年]] - [[イグナーツ・モシェレス]]、作曲家(+ [[1870年]])
* [[1827年]]([[文政]]10年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[間部詮実]]、第8代[[鯖江藩|鯖江藩主]](+ [[1864年]])
* [[1834年]] - [[カール・ハインリッヒ・ブロッホ]]、[[画家]](+ [[1890年]])
* [[1837年]] - [[ユゼフ・ヴィエニャフスキ]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1912年]])
* [[1839年]]([[天保]]10年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[永倉新八]]、[[新選組]]二番隊組長(+ [[1915年]])
* [[1844年]] - [[アルフレッド・エスピナス]]、[[社会学者の一覧|社会学者]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1922年]])
* 1844年([[天保]]15年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[喜連川縄氏]]、第11代[[喜連川藩|喜連川藩主]](+ [[1874年]])
* [[1848年]] - [[オットー・リリエンタール]]、航空技術者(+ [[1896年]])
* [[1862年]] - [[ダミー・ホイ]]、元プロ野球選手(+ [[1961年]])
* [[1875年]] - [[アルフレッド・スローン]]、[[実業家]](+ [[1966年]])
* [[1876年]] - [[石川三四郎]]、社会運動家、[[作家]](+ [[1956年]])
* [[1883年]] - [[ダグラス・フェアバンクス]]、[[俳優]](+ [[1939年]])
* [[1884年]] - [[コッラド・ジニ]]、統計学者、社会学者(+ [[1965年]])
* [[1886年]] - [[長谷川零余子]]、[[俳人]](+ [[1928年]])
* [[1887年]] - [[トアルフ・スコーレム]]、[[数学者]](+ [[1963年]])
* [[1889年]] - [[ギュンター・リュッチェンス]]、[[軍人]](+ [[1941年]])
* [[1891年]] - [[ペール・ラーゲルクヴィスト]]、[[小説家]]、[[劇作家]]、[[詩人]](+ [[1974年]])
* [[1898年]] - [[清宮四郎]]、[[憲法|憲法学者]](+ [[1989年]])
* [[1899年]] - [[萩原恭次郎]]、詩人(+ [[1938年]])
* 1899年 - [[ジェラレアン・タリー]]、世界で1番目に最高齢だった人物(+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|title=世界最高齢の米国人女性が死去、19世紀生まれの116歳|url=http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPKBN0OY31S20150618|accessdate=2020年11月7日}}</ref>)
* [[1902年]] - [[齋藤秀雄]]、[[指揮者]](+ [[1974年]])
* [[1903年]] - [[サトウハチロー]]、詩人(+ [[1973年]])
* 1903年 - [[チャールズ・W・モリス]]、哲学者(+ [[1979年]])
* [[1905年]] - [[鈴木竹雄]]、[[法学者]](+ [[1995年]])
* 1905年 - [[宮本三郎]]、[[画家]](+ [[1974年]])
* [[1908年]] - [[糸岡富子]]、 [[スーパーセンテナリアン]]・日本最高齢者
* 1908年 - [[ジョン・バーディーン]]、[[物理学者]](+ [[1991年]])
* [[1910年]] - [[スキャットマン・クローザース]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、俳優(+ [[1986年]])
* 1910年 - [[フランツ・クライン]]、画家 (+ [[1960年|1962年]])
* 1910年 - [[アーティ・ショウ]]、[[ジャズ]][[クラリネット]]奏者(+ [[2004年]])
* [[1911年]] - [[一圓一億]]、憲法学者(+ [[1987年]])
* [[1912年]] - [[ジョン・ペイン]]、俳優(+ [[1989年]])<!-- [[:en:John_Payne_(actor)]] May 28とありますが他は全て23日なので英語版が誤りか? -->
* [[1917年]] - [[エドワード・ローレンツ]]、[[気象学者]](+ [[2008年]])
* [[1918年]] - [[服部一男 (野球)|服部一男]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2000年]])
* [[1919年]] - [[ベティ・ギャレット]]、[[俳優|女優]](+ [[2011年]])
*[[1922年]] - [[平柳育郎]] [[大尉|海軍大尉]](+[[1944年]])
*[[1923年]] - [[アリシア・デ・ラローチャ]]、[[ピアニスト]](+ [[2009年]])
* [[1925年]] - [[ジョシュア・レーダーバーグ]]、[[遺伝学|遺伝学者]](+ 2008年)
* 1925年 - [[丸山二三雄]]、元プロ野球選手(+ [[2006年]])
* [[1928年]] - [[ローズマリー・クルーニー]]、[[歌手]]、女優(+ [[2002年]])
* [[1933年]] - [[ジョーン・コリンズ]]、女優
* 1933年 - [[飯塚昭三]]、[[声優]](+ [[2023年]])
* 1933年 - [[ジョン・ブラウニング]]、[[ピアニスト]](+ [[2003年]])
* [[1934年]] - [[ロバート・モーグ]]、[[電子工学者]](+ [[2005年]])
* [[1934年]] - [[岸洋子]]、[[歌手]](+ [[1992年]])
* [[1936年]] - [[山村幹弘]]、元プロ野球選手
* [[1940年]] - [[薮内正幸]]、動物画家(+ [[2000年]])
* 1940年 - [[ジェラール・ラルース]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* [[1944年]] - [[ジョン・ニューカム]]、[[テニス選手一覧 (男子)|テニス選手]]
* [[1946年]] - [[柳家三寿]]、[[落語家]](+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|title=柳家三壽 訃報 {{!}} 一般社団法人 落語協会|url=https://rakugo-kyokai.jp/news/3863/|website=rakugo-kyokai.jp|accessdate=2020-12-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20200623-J5DMGAS2RNI5RLHINHVJDYQMHE/|title=柳家三寿氏が死去 落語家|publisher=産経ニュース|date=2020-06-23|accessdate=2020-11-14}}</ref>)
* [[1947年]] - [[上原まり]]、[[琵琶]]奏者(+ [[2018年]])
* 1947年 - [[三原朝彦]]、[[政治家]]
* 1947年 - [[バーナード・コムリー]]、[[言語学者の一覧|言語学者]]
* [[1948年]] - [[大沢勉]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[渡辺文人]]、高校野球指導者(+ [[2023年]])
* [[1949年]] - [[石田章]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]]
* 1949年 - [[アラン・ガルシア]]、政治家、第90代・93代[[ペルーの大統領|ペルー大統領]](+ [[2019年]])
* 1949年 - [[上田良一]]、[[実業家]]、第22代[[日本放送協会|NHK]]会長
* [[1951年]] - [[アナトリー・カルポフ]]、[[チェス]]プレイヤー
* [[1952年]] - [[大豪健嗣]]、[[大相撲]][[力士]]、年寄18代[[北陣]]
* [[1953年]] - [[赤坂憲雄]]、[[民俗学|民俗学者]]
* [[1954年]] - [[マービン・ハグラー]]、[[プロボクサー]](+ [[2021年]])
* [[1955年]] - [[池田高世偉]]、政治家、第2代[[隠岐の島町]]長
* [[1956年]] - [[バック・ショーウォルター]]、元プロ野球選手、監督
* [[1957年]] - [[根本要]]、[[ミュージシャン]]([[スターダストレビュー|スターダスト・レビュー]])
* 1957年 - [[小野塚康之]]、[[アナウンサー]]
* [[1958年]] - [[仁支川峰子]]、歌手、女優
* [[1959年]] - [[高橋名人]]、[[ファミコン名人]]
* 1959年 - [[川島隆太]]、[[医学者]]
* [[1960年]] - [[佐藤秀明 (野球)|佐藤秀明]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]])
* 1960年 - [[羽毛田丈史]]、[[作曲家]]
* 1960年 - [[鯖瀬武]]、政治家、第11代[[扶桑町|扶桑町長]]
* [[1961年]] - [[ダニエレ・マッサーロ]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* [[1962年]] - [[鹿戸雄一]]、[[調教師]]、元[[騎手]]
* 1962年 - [[小川宗直]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[中藤義雄]]、元プロ野球選手
* [[1964年]] - [[黒田治]]、[[ラジオパーソナリティ]]
* 1964年 - [[小島嵩弘]]、俳優、歌手
* [[1965年]] - 上野博文、ミュージシャン([[T-BOLAN]])
* 1965年 - [[ウルフルケイスケ]]、ミュージシャン([[ウルフルズ]])
* 1965年 - [[高見明男]]、[[キャラクターデザイン|キャラクターデザイナー]]
* 1965年 - [[山口勝平]]、[[声優]]
* 1965年 - [[トム・ティクヴァ]]、[[映画監督]]
* 1965年 - [[マヌエル・サンチス・オンティジュエロ]]、元サッカー選手
* 1965年 - [[大山 (パフォーマー)|大山(マーク・ロズウェル)]]、相声師(漫才師)、俳優
* [[1966年]] - [[大野克郎]]、[[アナウンサー]]
* 1966年 - [[仁木博文]]、[[政治家]]、[[医師]]
* [[1967年]] - [[フィル・セルウェイ]]、ミュージシャン([[レディオヘッド]])
* 1967年 - [[小川和幸]]、元アナウンサー
* [[1968年]] - [[片寄明人]]、ミュージシャン
* 1968年 - [[中島ヒロト]]、[[ディスクジョッキー]]
* 1968年 - [[杉浦正則]]、元野球選手
* 1968年 - [[五島高資]]、俳人
* [[1969年]] - [[宮崎隆睦]]、ミュージシャン
* 1969年 - [[浅田葉子]]、声優
* 1969年 - [[清原雄一]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[松久保新吾]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[金杞泰]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[ローレン・アイエロ]]、レーサー
* [[1972年]] - [[伊丸岡篤]]、声優
* 1972年 - [[ルーベンス・バリチェロ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー
* [[1973年]] - [[掛川誠]]、元サッカー選手
* 1973年 - [[沢村亜津佐]]、女優
* 1973年 - [[岡田純子 (声優)|岡田純子]]、声優
* 1973年 - [[エンペラー・マグス・カリグラ]]、ミュージシャン
* 1973年 - [[マックスウェル (ミュージシャン)|マックスウェル]]、ミュージシャン
* [[1974年]] - [[柴原洋]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[渕脇芳行]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[森岡裕之]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[安藤智安]]、元サッカー選手
* 1974年 - [[ジュエル]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1975年]] - [[MAZADA]]、[[プロレスラー]]
* 1975年 - [[鈴木郁洋]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[中里鉄也]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[緑川ゆき]]、[[漫画家]]
* 1976年 - [[阿武教子]]、[[柔道選手]]
* 1976年 - [[酒井俊幸 (陸上選手)|酒井俊幸]]、[[陸上競技]]指導者
* [[1977年]] - [[平瀬智行]]、サッカー選手
* 1977年 - [[イリヤ・クーリック]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1977年 - [[クレイグ・ウィリアムズ]]、騎手
* [[1978年]] - [[関本恒一]]、元サッカー選手(+[[2016年]])
* 1978年 - [[北嶋秀朗]]、元サッカー選手
* 1978年 - [[大谷靖夫]]、ミュージシャン
* 1978年 - [[アンドレイ・チュヴィラエフ]]、フィギュアスケート選手
* [[1979年]] - [[ヤニ・ステファノヴィック]]、[[ヘヴィメタル]]ミュージシャン
* 1979年 - [[豊乃國大地]]、元大相撲力士
* [[1980年]] - [[久保裕也 (野球)|久保裕也]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[高橋一正]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[西丸優子]]、女優
* [[1981年]] - [[遠山えま]]、漫画家
* 1981年 - [[町田忠道]]、元サッカー選手
* [[1982年]] - [[柴崎貴広]]、サッカー選手
* 1982年 - [[村上恵梨]]、タレント(+ [[2007年]])
* [[1983年]] - [[河合龍之介]]、俳優
* 1983年 - [[アレックス・シェリー]]、プロレスラー
* 1983年 - [[早川沙世]]、ファッションモデル
* 1983年 - [[谷川友梨]]、お笑いタレント
* [[1984年]] - [[河村聖子]]、元バレーボール選手
* 1984年 - [[清野優美]]、モデル、女優
* [[1985年]] - [[山内敬太]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[南晶人]]、ミュージカル俳優
* [[1986年]] - [[石原萌]]、歌手
* 1986年 - [[ジョーダン・ジマーマン]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[平岡康裕]]、サッカー選手
* 1986年 - [[ヴァレンティーナ・マルケイ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1986年 - [[大森真理]]、ミュージカル俳優
* 1986年 - [[歌原奈緒]]、タレント
* [[1987年]] - [[アリー・ハン=マッカーディ]]、フィギュアスケート選手
* 1987年 - [[三田友梨佳]]、アナウンサー
* 1987年 - [[岡田れえな]]、タレント(+ [[2014年]])
* [[1988年]] - 隅田航、サッカー選手
* 1988年 - [[モーガン・プレッセル]]、[[プロゴルファー]]
* [[1989年]] - [[夏菜]]、女優
* 1989年 - [[笠原麻理奈]]、元[[グラビアアイドル]]
* 1989年 - 川北茂澄、お笑いタレント([[真空ジェシカ]])
* [[1990年]] - [[石川雅博]]、サッカー選手
* 1990年 - [[シーザー・ヘルナンデス]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[カイル・バラクロー]]、プロ野球選手
* [[1991年]] - [[大迫傑]]、陸上選手
* 1991年 - [[レナ・マイヤー=ラントルート]]、女優、歌手
* 1991年 - [[オースティン・カナラカン]]、フィギュアスケート選手
* [[1991年]] - [[Yu Von Goess]]、DJ、音楽プロデューサー
* [[1993年]] - [[荒井敦史]]、俳優
* 1993年 - [[梅本静香]]、女優、タレント
* [[1994年]] - [[永野由祐]]、声優
* 1994年 - [[聖菜]]、元プロレスラー
* 1994年 - [[ぷす]]、元[[歌い手]]、[[ボカロP|ボーカロイドプロデューサー]]([[ツユ]])
* 1994年 - [[田中碧 (アナウンサー)|田中碧]]、アナウンサー
* [[1995年]] - キム・サンギュン、アイドル([[JBJ95]]、元[[JBJ (音楽グループ)|JBJ]])
* 1995年 - [[ゆあま]]、漫画家
* [[1996年]] - [[ヘンプヒル恵]]、陸上選手
* 1996年 - 野口美和、アナウンサー
* [[1997年]] - [[浦川翔平]]、パフォーマー([[THE RAMPAGE from EXILE TRIBE]])
* 1997年 - [[田辺留依]]、声優
* 1997年 - [[杉浦みずき]]、フリーアナウンサー
* [[1998年]] - [[金谷拓実]]、ゴルファー
* 1998年 - JUNON、アイドル([[BE:FIRST]])
* [[1999年]] - [[飯野茉優]]、声優
* [[2004年]] - 新谷野々花、アイドル(元[[STU48]])
* [[2010年]] - [[新津ちせ]]、女優、声優
* 生年不明 - [[寺島ひろみ・まゆみ姉妹]]、[[バレリーナ]]
* 生年不明 - [[野中秀哲]]、声優
* 生年不明 - [[加藤有希子]]、声優
* 生年不明 - ア・アンズピア、アイドル([[WAgg]])
* 生年不明 - [[Eve (歌手)|Eve]]、シンガーソングライター
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1933年]] - [[シービスケット]]、[[競走馬]](+ [[1947年]])
* [[1984年]] - [[タマモクロス]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000166681/ |title=タマモクロス|JBISサーチ(JBIS-Search) |work=JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=[[日本軽種馬協会]] |accessdate=2020-12-03}}</ref>、競走馬、[[種牡馬]](+ [[2003年]])
* [[1998年]] - [[タイムパラドックス (競走馬)|タイムパラドックス]]、競走馬、種牡馬(+ [[2022年]])
== 忌日 ==
<!-- (ウィキペディアは原則グレゴリオ暦です) *[[811年]]([[弘仁]]2年5月23日)- [[坂上田村麻呂]]、大納言兼右近衛大将兵部卿([[征夷大将軍]])-->
[[Image:The_death_of_the_Emperor_Henry_V.jpg|thumb|100px|神聖ローマ皇帝[[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]](1086-1125)没、[[ザーリアー朝]]断絶]]
<!-- [[Image:Savonarola_Being_Burnt_at_the_Stake.jpg|thumb|100px|修道士[[ジロラモ・サヴォナローラ]](1452-1498)殉教]] -->
<!-- [[Image:Captain_Kidd_hanging.jpg|thumb|100px|海賊キャプテン・キッドこと[[ウィリアム・キッド]](1645-1701)、縛り首となる]] -->
<!-- [[Image:Augustin-Louis_Cauchy.jpg|thumb|100px|数学者[[オーギュスタン=ルイ・コーシー]](1789-1857)没。]] -->
<!-- [[Image:Ibsen-Dresden01.jpg|thumb|upright|劇作家[[ヘンリック・イプセン]](1828-1906)。{{Squote|でもこの家はベビーサークルでしかない。ここでは私はあなたの奥さん人形だった、実家で私がパパの子供人形だったのと同じ。――『[[人形の家]]』(1879)}}]] -->
<!-- [[Image:John_D._Rockefeller_1885.jpg|thumb|100px|石油王[[ジョン・D・ロックフェラー]](1839-1937)]] -->
[[Image:Nizanpaul.jpg|thumb|100px|作家[[ポール・ニザン]](1905-1940)、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]で戦死]] <!-- TODO: Squote -->
[[Image:Himmler_Dead.jpg|thumb|100px|[[ナチス・ドイツ]]の[[親衛隊全国指導者]][[ハインリヒ・ヒムラー]](1900-1945)自殺]]
[[Image:T_Minobe.jpg|thumb|100px|[[天皇機関説]]を唱えた[[憲法学者]]、[[美濃部達吉]](1873-1948)]]
{{multiple image
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}}
* [[1044年]]([[長久]]5年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[藤原通房]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[1025年]])
* [[1125年]] - [[ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ5世]]<ref>成瀬他、p. 207</ref>、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1086年]])
* [[1304年]] - [[ジャンノ・ド・レスキュレル]]、[[詩人]]、[[作曲家]]
* [[1498年]] - [[ジロラモ・サヴォナローラ]]、[[ドミニコ会]]の[[修道士]](* [[1452年]])
* [[1523年]]([[大永]]3年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[足利義稙]](義材)、[[室町幕府]]の第10代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1466年]])
* [[1524年]] - [[イスマーイール1世]]、[[サファヴィー朝]]の[[シャー]](* [[1487年]])
* [[1670年]] - [[フェルディナンド2世・デ・メディチ]]、第5代[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]](* [[1610年]])
* [[1691年]] - [[アドリアン・オーズー]]、[[天文学者]](* [[1622年]])
* [[1701年]] - [[ウィリアム・キッド]]、[[私掠船]]・[[海賊|海賊船]]の船長(* [[1645年]])
* [[1730年]]([[享保]]15年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[徳川宗堯]]、[[常陸国]][[水戸藩]]の第4代藩主(* [[1705年]])
* [[1814年]]([[文化 (元号)|文化]]11年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[水野忠光]]、[[唐津藩|唐津藩主]](* [[1771年]])
* [[1857年]] - [[オーギュスタン=ルイ・コーシー]]、[[数学者]](* [[1789年]])
* [[1886年]] - [[レオポルト・フォン・ランケ]]、[[歴史家]](* [[1795年]])
* [[1895年]] - [[フランツ・エルンスト・ノイマン]]、[[鉱物学|鉱物学者]]、[[物理学者]]、数学者(* [[1798年]])
* [[1899年]] - [[安場保和]]、第6代[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁長官]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員(* [[1835年]])
* [[1901年]] - [[井狩弥左衛門]]、[[明治時代]]の[[政治家]]。[[貴族院 (日本)|貴族院議員]]。
* [[1906年]] - [[ヘンリック・イプセン]]、[[劇作家]](* [[1828年]])
* [[1927年]] - [[唐継尭]]、[[中華民国]][[雲南省]]の[[軍閥]]指導者(* [[1883年]])
* [[1931年]] - [[フランク・ウィグルスワース・クラーク]]、地球化学者(* [[1847年]])
* [[1934年]] - クライド・バロウ、[[ボニーとクライド]]のひとり(* [[1909年]])
* 1934年 - ボニー・パーカー、ボニーとクライドのひとり(* [[1910年]])
* [[1937年]] - [[ジョン・D・ロックフェラー]]、[[実業家]](* [[1839年]])
* [[1940年]] - [[ポール・ニザン]]、[[小説家]](* [[1905年]])
* [[1941年]] - [[ジャック・クレメンツ]]、元プロ野球選手(* [[1864年]])
* [[1944年]] - [[トーマス・カーティス]]、[[陸上競技]]選手(* [[1870年]])
* [[1945年]] - [[ハインリヒ・ヒムラー]]、[[親衛隊 (ナチス)|ナチス・ドイツ親衛隊]]の指導者(* [[1900年]])
* [[1948年]] - [[美濃部達吉]]、[[法学者]](* [[1873年]])
* [[1955年]] - [[安井武雄]]、[[建築家]](* [[1884年]])
* [[1963年]] - [[宮澤裕]]、政治家(* [[1884年]])
* 1963年 - [[ギャビー・クラバス]]、元プロ野球選手(* [[1881年]])
* [[1966年]] - [[デムチュクドンロブ]]、[[モンゴル]]独立運動の指導者、[[蒙古聯合自治政府]]主席(* [[1902年]])
* [[1968年]] - [[熊十力]]、[[新儒家]][[思想家]](* [[1885年]])
* [[1976年]] - [[勝田孝興]]、[[アイルランド文学|アイルランド文学者]](* [[1886年]])
* 1976年 - [[徳網茂]]、元[[プロ野球選手]](* [[1924年]])
* [[1979年]] - [[大下弘]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]](* [[1922年]])
* [[1981年]] - [[畑福俊英]]、元プロ野球選手(* [[1913年]])
* [[1986年]] - [[スターリング・ヘイドン]]、[[俳優]](* [[1916年]])
* [[1988年]] - [[木藤亜也]]、[[脊髄小脳変性症]]の少女、『[[1リットルの涙]]』で知られる人物(* [[1962年]])
* [[1990年]] - [[林清一]]、元プロ野球選手(* [[1915年]])
* [[1991年]] - [[ヴィルヘルム・ケンプ]]、[[ピアニスト]](* [[1895年]])
* [[1992年]] - [[アタウアルパ・ユパンキ]]、[[シンガーソングライター]](* [[1908年]])
* 1992年 - [[ジョヴァンニ・ファルコーネ]]、[[検事]](* [[1939年]])
* [[1999年]] - [[オーエン・ハート]]、[[プロレスラー]](* [[1965年]])
* [[2005年]] - [[石田徹也]]、[[画家]](* [[1973年]])
* [[2006年]] - [[ロイド・ベンツェン]]、第69代[[アメリカ合衆国財務長官]]、[[アメリカ合衆国上院|連邦上院議員]](* [[1921年]])
* [[2007年]] - [[熊井啓]]、[[映画監督]](* [[1930年]])
* 2007年 - [[村越伊知郎]]、俳優、声優(* 1930年)
* 2007年 - [[花柳壽輔 (3世)]]、[[日本舞踊|日本舞踊家]](* [[1935年]])
* 2007年 - 2代目[[玉川福太郎]]、[[浪曲師]](* [[1945年]])
* [[2008年]] - [[コーネル・キャパ]]、[[写真家]](* [[1918年]])
* 2008年 - [[木庭教]]、元プロ野球選手(* [[1926年]])
* [[2009年]] - [[盧武鉉]]、政治家、第16代[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]] (* [[1946年]])
* 2009年 - [[宮下誠]]、[[美術史|美術史学者]](* [[1961年]])
* 2009年 - [[坂西伊作]]、映像プロデューサー(*[[1957年]])
* [[2012年]] - [[沖山光利]]、元プロ野球選手(* [[1933年]])
* [[2013年]] - [[茂山千作 (4世)]]、狂言師(* [[1919年]])
* 2013年 - [[相澤秀禎]]、[[サンミュージックプロダクション]]会長(* [[1930年]])
* 2013年 - [[ジョルジュ・ムスタキ]]、シンガーソングライター(* [[1934年]])
* 2013年 - [[川端純四郎]]、[[神学者]]、教会[[オルガニスト]](* 1934年)
* [[2015年]] - [[ジョン・フォーブス・ナッシュ]]、数学者(* [[1928年]])
* [[2017年]] - [[ロジャー・ムーア]]<ref>{{cite news|url=http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-40018422|title=Sir Roger Moore, James Bond actor, dies aged 89|publisher=[[BBC]]|Mail Online|date=2017-5-23|accessdate=2020-11-15|language=英語}}</ref>、[[俳優]](* [[1927年]])
* [[2020年]] - [[木村花]]<ref name="sponichi0524">{{Cite web|和書|title=テラハ出演レスラー・木村花さん、自殺か…ネットで誹謗中傷受け、SNSに「愛されたかった人生でした」|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/05/24/kiji/20200524s00041000022000c.html|website=スポニチアネックス|date=2020-05-24|accessdate=2020-11-11|language=ja}}</ref>、[[プロレスラー]] (*[[1997年]])
* [[2021年]] - [[エリック・カール]]<ref>{{Cite web|和書|title=絵本「はらぺこあおむし」の作者 エリック・カールさん死去 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210527/k10013053971000.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210528053200/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210527/k10013053971000.html |archivedate=2021-05-28 |date=2021-05-27 |accessdate=2021-05-28 |publisher=[[日本放送協会|NHK]]}}</ref>、絵本作家(* [[1929年]])
== 記念日・年中行事 ==
<!-- キスもラブレターもコモンズに良い画像がたくさんあります [[commons:Kiss]][[commons:Love letters]] -->
[[Image:Kiss Briseis Painter Louvre G278 n3.jpg|thumb|160px|[[接吻|キス]]の日。画像は[[アッティカ]]の盃絵(BC480頃)]]
<!-- [[Image:Samurai kiss.jpg|thumb|400px|[[接吻|キス]]の日。[[宮川一笑]]の春画(1750)]] -->
<!-- [[Image:You may now kiss the bride.jpg|thumb|240px|[[接吻|キス]]の日]] 現代の結婚式 -->
[[Image:Raimundo Madrazo - The Love Letter.jpg|thumb|160px|[[恋文]]の日。画像は[[ライムンド・デ・マドラーソ]]画『ラブレター』]]
* [[世界カメの日]]({{World}})
*: 米国カメ保護会が[[2000年]]に制定。
* [[労働者の日]]({{JAM}})
*: 1961年まではジャマイカの奴隷を解放した英女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]の誕生日である[[5月24日]]を「大英帝国の日」としていた。1961年、ジャマイカ首相[[ノーマン・マンリー]]が、大英帝国の日に代えて、ジャマイカ労働組合の[[アレクサンダー・バスタマンテ]]がジャマイカ独立運動につながる労働者暴動を起こした日である1938年5月23日を記念した労働者の日を創設することを提案した。
* 生徒の日({{MEX}})
* キスの日({{JPN}})
*: [[1946年]]5月23日に、日本で初めて[[接吻|キス]]シーンが登場する映画である、[[佐々木康]]監督の『はたちの青春』が封切りされたことから。
* 恋文の日/ラブレターの日({{JPN}})
*: [[松竹]]が制定。5月23日の「523」が「こいぶみ」と読めることと、[[浅田次郎]]原作の映画『[[ラブ・レター (小説)|ラブ・レター]]』の公開初日であったことから。
* 難病の日({{JPN}})
*: 日本難病・疾病団体協議会(JPA)が制定。「難病の患者に対する医療等に関する法律」(難病法)(平成26年法律第50号)が成立したことを記念して、毎年5月23日を「難病の日」に登録しました。
{{clear}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0523|date=2011年6月}}
* [[1902年]] - [[ジョナサン・ジョースター#ジョニィ・ジョースター|ジョニィ・ジョースター]]が[[1901年]][[11月11日]]に落石事故で亡くなったとされる現場に「異国の地で命を落とした米国人騎手の死を悼む」という意味合いで[[地蔵]]として祀られる。([[漫画]]『[[ジョジョリオン]]』)
* [[1997年]] - 城岩中学3年B組の生徒を対象に行われていた「[[バトル・ロワイアル#プログラムの概要|プログラム]]」が終了する。(小説『[[バトル・ロワイアル]]』)
* 19XX年 - 島村と駒子が初めて出会う。(小説『[[雪国 (小説)|雪国]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1972年]] - アニー・ハミルトン、ゲーム『[[豪血寺一族]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=アニー・ハミルトン |url=https://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_gkt/vc_gkt_06.html |website=www.nintendo.co.jp |access-date=2023-01-07 |publisher=[[任天堂]] |work=『VC 豪血寺一族』}}</ref>
* [[2011年]] - [[ソードアート・オンラインの登場人物#ユウキ|ユウキ/紺野木綿季]]、小説・アニメ・ゲーム『[[ソードアート・オンライン]]』に登場するキャラクター(+ 2026年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1652235405 |title=『ソードアート・オンライン(SAO)』正式サービス開始日まであと167日──本日5月23日は、ユウキのお誕生日!魅力的な名言3選【注目ワード】 |access-date=2023-01-07 |publisher=animate Times |date=2022-05-23}}</ref>
* 生年不明 - クード=ヴァン=ジルエット、漫画・アニメ『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2005|title=EREMENTAR GERAD オフィシャルガイド|edition=監修|page=14|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|isbn=4-86127-152-5}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009|title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド|edition=監修|page=12|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref>
* 生年不明 - 乳頭和、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/nyuto_nodoka |title=秋田 乳頭和 |access-date=2023-01-07 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref>
* 生年不明 - 山の神皐月、『温泉むすめ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/yamanokami_satsuki |title=岩手 山の神 皐月 |access-date=2023-01-07 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref>
* 生年不明 - 夜叉丸、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史 |authorlink=岸本斉史 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |date=2005 |page=160 |isbn=4-08-873734-2}}</ref>
* 生年不明 - 福井健介、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1396123743617916938}}</ref>
* 生年不明 - 松本りせ、漫画・アニメ『[[ゆるゆり]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|date=2011|title=TVアニメーション ゆるゆり公式ファンブック|page=41|publisher=[[一迅社]]|isbn=978-4-7580-1248-5}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=なもり|authorlink=なもり|date=2013|title=ゆるゆりファンブック|page=46|publisher=[[一迅社]]|series=[[コミック百合姫#百合姫コミックス|百合姫コミックス]]|isbn=978-4-7580-7258-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=なもり|authorlink=なもり|date=2013|title=なもり画集 ゆるなもり|page=7|publisher=[[一迅社]]|isbn=978-4-7580-7260-1}}</ref>
* 生年不明 - 百地たまて、漫画・アニメ『[[スロウスタート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://slow-start.com/#character |title=Character 百地たまて |publisher=[[篤見唯子]]・[[芳文社]]/スロウスタート製作委員会 |accessdate=2023-01-07 |work=TVアニメ「スロウスタート」}}</ref>
* 生年不明 - たかふみ、漫画・アニメ『[[異世界おじさん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=異世界おじさん II |date=2019-04-22 |publisher=[[KADOKAWA]] |page=133 |author=殆ど死んでいる |isbn=978-4040657073}}</ref>
* 生年不明 - 古賀朋絵、小説・アニメ『[[青春ブタ野郎シリーズ|青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aobuta_anime|1131454717022867457}}</ref>
* 生年不明 - 鷹見沢菜月、ゲーム『[[夜明け前より瑠璃色な]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://august-soft.com/yoake/character.htm#NATSUKI |title=鷹見沢 菜月 |access-date=2023-01-07 |publisher=[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]] |work=『夜明け前より瑠璃色な』}}</ref>
* 生年不明 - 雪代メイ、ゲーム『[[Hello,good-bye]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lumpofsugar.co.jp/product/hgb/character/01.html |title=雪代 メイ |publisher=[[Lump of Sugar]] |accessdate=2023-01-07 |work=『Hello,good-bye』}}</ref>
* 生年不明 - ルーフェン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=175&cate=name&cont=Rufen |title=ルーフェン |access-date=2023-01-07 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 荒木田蒼生、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_police.html |title=警視庁 - 荒木田蒼生 |accessdate=2023-01-07 |publisher=coly/SMHP |work=TVアニメ『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』}}</ref>
* 生年不明 - 永倉新八、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1131394321024999424}}</ref>
* 生年不明 - タマモクロス、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=tamamocross |title=タマモクロス |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2023-01-07 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
<!--
* 生年不明 - [[GetBackers-奪還屋-の登場人物#マリーア・ノーチェス|マリーア・ノーチェス]]、漫画『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - レイヴン、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 草波リサ、ゲーム『[[ラストブロンクス -東京番外地-]]』に登場するキャラクター
-->
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 23|23 May}}
{{新暦365日|5|22|5|24|[[4月23日]]|[[6月23日]]|[[5月23日 (旧暦)|5月23日]]|0523|5|23}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T16:22:34Z | 2023-12-12T13:05:40Z | false | false | false | [
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4,937 | 5月24日 | 5月24日(ごがつにじゅうよっか、ごがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から144日目(閏年では145日目)にあたり、年末まではあと221日ある。 | [
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'''5月24日'''(ごがつにじゅうよっか、ごがつにじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から144日目([[閏年]]では145日目)にあたり、年末まではあと221日ある。
== できごと ==
[[File:Morse telegraph.jpg|thumb|モールスの最初の電信装置の図面|274x274ピクセル]]
[[Image:Dee_bridge_disaster.jpg|thumb|180px|[[ディー橋事故]](1847)]]
[[ファイル:Currier and Ives Brooklyn Bridge2.jpg|thumb|180x180px|[[ブルックリン橋]]開通(1883)]]
[[ファイル:Olympic boycotts 1976 1980 1984.PNG|thumb|180x180px|[[日本オリンピック委員会|JOC]]総会で[[モスクワオリンピック|モスクワ五輪]]の[[ボイコット]]を決定(1980)。画像の青がボイコット国]]
* [[905年]]([[延喜]]5年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[4月15日 (旧暦)|15日]]に完成した初の勅撰和歌集『続万葉集』に対し[[醍醐天皇]]が[[編纂]]し直すよう命じ、改めて『[[古今和歌集]]』として[[編集|編輯]]を行う。
* [[1570年]]([[元亀]]元年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[織田信長]]が、越前の[[朝倉義景]]討伐のため3万騎を率いて京都を発つ。
* [[1592年]]([[文禄]]元年/[[万暦]]20年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[豊臣秀吉]]による朝鮮出兵第一陣の[[小西行長]]らが[[釜山]]に上陸し、[[文禄・慶長の役|文禄の役]]が始まる。
* [[1614年]]([[慶長]]19年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[豊臣秀頼]]が、焼失した京都・[[方広寺]]の鐘を鋳造する<ref>{{Cite web |url=https://rekishikaido.php.co.jp/detail/5027 |title=方広寺鐘銘事件は、まったくの「言いがかり」とも言い切れない? |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[PHP研究所]] |website=web歴史街道}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/102274/ |title=奈良より大きかった!幻の「京都大仏」の悲劇。豊臣秀吉の死は「仏像遷座の祟り」なのか? |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[小学館]] |website=和楽web |date=11 Jun 2020}}</ref>。
* [[1621年]] - [[プロテスタント同盟]]が解散。
* [[1626年]] - [[オランダ西インド会社]]が[[マンハッタン]]をインディアンから購入。
* [[1821年]]([[文政]]4年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[相馬大作事件]]が起こる。
* [[1830年]] - [[サラ・ジョセファ・ヘイル]]の詩『[[メリーさんのひつじ]]』が発刊される。
* 1830年 - [[ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道]]の最初の開業区間である[[メリーランド州]][[ボルチモア]] - エリコットが開通。
* [[1844年]] - [[サミュエル・モールス]]が発明した[[電信]]装置と符号([[モールス符号]]の原形)による初の長距離通信実験が[[ワシントンD.C.]] - [[メリーランド州]][[ボルチモア]]間で行われる<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/what-hath-god-wrought |title=Samuel Morse demonstrates the telegraph with the message, “What hath God wrought?” |access-date=9 Oct 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |date=May 21, 2020}}</ref>。
* [[1847年]] - [[ディー橋事故]]が起こる。
* [[1856年]] - [[奴隷制度]]廃止運動家の[[ジョン・ブラウン (奴隷制度廃止運動家)|ジョン・ブラウン]]らが奴隷制度擁護派の5人を殺害。
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[4月3日 (旧暦)|閏4月3日]]) - [[戊辰戦争]]: [[市川・船橋戦争]]
* [[1873年]] - [[フランス第三共和政]]大統領[[アドルフ・ティエール]]が[[国民議会 (フランス)|国民議会]]の議決により辞任。[[パトリス・ド・マクマオン]]が第2代大統領に就任。
* [[1883年]] - [[ニューヨーク]]の[[ブルックリン橋]]が開通。
* [[1900年]] - [[ボーア戦争#第二次ボーア戦争|第二次ボーア戦争]]: イギリスが[[オレンジ自由国]]を併合。
* [[1903年]] - 英国人貿易商[[アーサー・ヘスケス・グルーム|A.H.グルーム]]によって、日本初の[[ゴルフ場]]・[[神戸ゴルフ倶楽部]]が開業。
* [[1915年]] - [[島根県]][[黒木村]]と浦郷村による共同の村営事業で完成した[[船引運河]]の開通式が行なわる。
* 1915年 - [[第一次世界大戦]]: [[イタリア王国]]が[[三国同盟 (1882年)|三国同盟]]を破棄して[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]側で参戦したことにより、[[ドイツ]]がイタリアと国交断絶。
* [[1926年]] - [[北海道]]の[[十勝岳]]が大噴火し、死者144名を出す([[1926年の十勝岳噴火]])。
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[デンマーク海峡海戦]]。
* [[1942年]] - [[西鉄軍|大洋軍]]対[[中日ドラゴンズ|名古屋軍]]戦が[[延長戦|延長]]28回で日没によるコールド。日本[[プロ野球]]の最長延長記録<ref>{{Twitter status|BaseballHOF1959|1454281905973567491}}</ref>。
* [[1946年]] - [[山本実彦]]らが[[協同民主党]]を結成。
* [[1947年]] - [[片山内閣|片山哲内閣]]が、[[片山哲]]首相の[[一人内閣|全閣僚兼任]]で発足。
* [[1949年]] - [[建設業法]]公布。
* [[1950年]] - [[建築基準法]]、[[建築士法]]公布。
* [[1956年]] - [[売春防止法]]公布。
* 1956年 - [[ルガーノ]]で[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]開催。
* [[1958年]] - UP通信社と{{仮リンク|INS通信社|en|International News Service}}が合併して[[UPI通信社]]を設立。
* 1958年 - 東京で[[1958年アジア競技大会|第3回アジア競技大会]]が開幕。
* [[1960年]] - [[5月23日]]、前日に発生した[[チリ地震 (1960年)|チリ地震]]の[[津波]]が[[日本]]の[[太平洋]]沿岸に到達。
* [[1961年]] - [[キプロス]]が[[欧州評議会]]に加盟。
* [[1962年]] - [[マーキュリー計画]]: アメリカが有人宇宙船「[[マーキュリー・アトラス7号]](オーロラ7)」を打ち上げ。
* [[1963年]] - [[東京体育館]]でのWWA世界ヘビー級選手権試合で[[ザ・デストロイヤー]]が[[力道山]]に[[足4の字固め]]をかける。テレビの[[平均視聴率]]は64%で歴代4位。
* [[1967年]] - [[朝日訴訟]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁]][[大法廷]]判決。
* [[1970年]] - 地球の地殻深部を調べる[[コラ半島超深度掘削坑]]の掘削開始。
* [[1976年]] - 超音速旅客機「[[コンコルド]]」が[[ロンドン]] - [[ワシントンD.C.]]間で定期運行を開始。
* [[1978年]] - [[落語協会分裂騒動]]: [[落語協会]]を脱退した[[三遊亭圓生 (6代目)|三遊亭圓生]]らが落語三遊協会を結成<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14484665.html |title=(芸の足跡)三遊亭円生 頑固で細やか、落語の求道者 有料記事 |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=21 May 2020}}</ref>。
* [[1980年]] - [[日本オリンピック委員会|JOC]]総会で[[モスクワオリンピック|モスクワ五輪]]の[[ボイコット]]を決定。
* [[1981年]] - [[海王星]]第7衛星[[ラリッサ (衛星)|ラリッサ]]が発見される。
* [[1982年]] - [[イラン・イラク戦争]]: [[ホッラムシャフル解放戦]]が終結。
* [[1992年]] - タイで、軍事クーデターを起こし首相となっていた[[スチンダー・クラープラユーン]]が、民主化を求めるデモの事態収拾のため辞任。
* [[1993年]] - [[エリトリア]]が[[エチオピア]]から独立<ref>{{Cite web |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sanka/kyouiku/kaihatsu/chikyu/world_info/africa/eritrea/index.html |title=エリトリア国 |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[外務省]] |website=探検しよう!みんなの地球}}</ref>。
* [[2000年]] - [[クレイ数学研究所]]が、古典的ではあるものの長い間証明されていない重要な数学の問題「[[ミレニアム懸賞問題]]」を発表<ref>{{Cite web |url=https://gendai.media/articles/-/64647 |title=5月24日 ミレニアム懸賞問題の発表(2000年) |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[講談社]] |website=サイエンス365days |date=24 May 2019}}</ref>。
* [[2002年]] - アメリカとロシアが戦略的攻撃能力の削減に関する「[[モスクワ条約 (2002年)|モスクワ条約]]」に調印。
* [[2013年]] - [[ロシア]]の[[カムチャツカ半島]]西方の[[オホーツク海]]を震源とする、[[サハリン近海深発地震|Mw8.3・深さ598.1kmの地震]]が発生<ref>{{Cite web |url=http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eventpage/usb000h4jh |title=M8.3 - Sea of Okhotsk |accessdate=9 Oct 2023 |publisher=USGS}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://weathernews.jp/s/topics/201810/140135/ |title=週刊地震情報 気象庁観測域で今年最大規模の地震 |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[ウェザーニュース]]}}</ref>。震源の深さが100km以上の[[深発地震]]では観測史上最大の地震。
* [[2022年]] - アメリカ合衆国[[テキサス州]]の[[ロブ小学校銃乱射事件|ロブ小学校で銃乱射事件]]が発生。児童19人、教員2人が死亡<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3406727 |title=小さな町を襲った「悪夢」 米小学校乱射、悲しみに暮れる地元 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=26 May 2022 |accessdate=9 Oct 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[ファイル:Jacopo Pontormo 004.jpg|thumb|[[マニエリスム]]の画家[[ヤコポ・ダ・ポントルモ]](1494-1557)誕生。画像は『十字架降架』(1526-28頃)|299x299ピクセル]]
{{multiple image
| image1 = Whewell William signature.jpg
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| caption1 = 科学者[[ウィリアム・ヒューウェル]](1794-1866)
| alt1 = ウィリアム・ヒューウェル
| caption2 = [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]英女王(右; 1819-1901)誕生
| image2 = Queen Victoria the Princess Royal Victoria c1844-5.png
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| alt2 = ヴィクトリア英女王
}}
{{multiple image
| image1 = JanSmutsFM.png
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| caption1 = [[南アフリカ]]の政治家[[ヤン・スマッツ]](1870-1950)
| alt1 = ヤン・スマッツ
| caption2 = 軍事評論家[[水野廣徳]](1875-1945)
| image2 = Mizuno Hironori.jpg
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| alt2 = 水野廣徳
}}
{{multiple image
| image1 = Seijun Suzuki.jpg
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| caption1 = 映画監督[[鈴木清順]](1923-2017)。代表作『[[殺しの烙印]]』(1967)
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| caption2 = [[シンガーソングライター]][[ボブ・ディラン]](1941-)
| image2 = B_dylan_1996.jpg
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| alt2 = ボブ・ディラン
}}
{{multiple image
| image1 = Ichiro Ozawa 20090830.jpg
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| caption1 = 政治家[[小沢一郎]](1942-)
| alt1 = 小沢一郎
| caption2 = サッカー選手・俳優[[エリック・カントナ]](1966-)
| image2 = Eric Cantona Cannes 2009.jpg
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| alt2 = エリック・カントナ
}}
[[File:20180213eiyo07_Yuta_Iyama.jpg|thumb|120x120px|囲碁棋士、[[井山裕太]](1989-)]]
* [[紀元前15年]] - [[ゲルマニクス]]<ref>{{Cite web |title=Germanicus {{!}} Biography & Facts |url=https://www.britannica.com/biography/Germanicus |access-date=9 Oct 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[ローマ帝国]]の軍司令官(+ [[19年]])
* [[1494年]] - [[ヤコポ・ダ・ポントルモ]]、[[画家]](+ [[1557年]])
* [[1544年]] - [[ウィリアム・ギルバート (物理学者)|ウィリアム・ギルバート]]、[[医師]]、[[物理学者]](+ [[1603年]])
* [[1574年]]([[天正]]2年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[相良頼房]]、初代[[人吉藩]]主(+ [[1636年]])
* [[1683年]]([[天和 (日本)|天和]]3年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[本庄道章]]、初代[[高富藩]]主(+ [[1725年]])
* [[1686年]] - [[ガブリエル・ファーレンハイト]]、技術者、[[物理学者]](+ [[1736年]])
* [[1743年]] - [[ジャン=ポール・マラー]]、[[フランス]]の革命指導者(+ [[1793年]])
* [[1794年]] - [[ウィリアム・ヒューウェル]]、[[科学哲学|科学哲学者]](+ [[1866年]])
* [[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]8年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[土井利忠]]、第7代[[大野藩]]主(+ [[1869年]])
* [[1819年]] - [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]、[[イギリス]]女王(+ [[1901年]])
* [[1832年]]([[天保]]3年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[池田慶行]]、第10代[[鳥取藩]]主(+ [[1848年]])
* [[1870年]]([[明治]]3年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[伊原敏郎]](青々園)、[[演劇]][[評論家]]、[[劇作家]](+ [[1941年]])
* 1870年 - [[ヤン・スマッツ]]、[[政治家]]、[[軍人]]、[[哲学者]](+ [[1950年]])
* [[1875年]] - [[水野廣徳]]、[[軍人]](+ [[1945年]])
* [[1877年]] - [[結城豊太郎]]、[[財政家]](+ [[1951年]])
* [[1878年]] - [[ジャック・フィースター]]、元プロ野球選手(+ [[1953年]])
* [[1880年]] - [[桂小南 (初代)|初代桂小南]]、[[落語家]](+ [[1947年]])
* [[1891年]] - [[ウィリアム・オルブライト]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1971年]])
* [[1894年]] - [[花柳章太郎]]、[[新派]][[俳優]](+ [[1965年]])
* [[1899年]] - [[アンリ・ミショー]]、[[詩人]]、画家(+ [[1984年]])
* 1899年 - [[スザンヌ・ランラン]]、[[テニス選手一覧 (女子)|テニス選手]](+ [[1938年]])
* [[1900年]] - [[竹内金治郎]]、国文学者(+[[1984年]])
* [[1901年]] - [[ホセ・ナサシ]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]](+ [[1968年]])
* [[1902年]] - [[横溝正史]]、[[推理作家]](+ [[1981年]])
* [[1903年]] - [[清川玉枝]]、[[俳優|女優]](+ [[1969年]])
* [[1904年]] - [[南部忠平]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]](+ [[1997年]])
* [[1905年]] - [[ミハイル・ショーロホフ]]、[[小説家]](+ [[1984年]])
* [[1906年]] - [[ハリー・ハモンド・ヘス]]、[[海洋科学|海洋科学者]](+ [[1969年]])
* [[1907年]] - [[川島芳子]]、[[スパイ]](+ [[1948年]])
* [[1913年]] - [[甲斐美和]]、[[ピアニスト]]、[[図書館司書]](+ [[2011年]])
* [[1921年]] - [[猪子利男]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1998年]])
* [[1922年]] - [[別宮貞雄]]、[[作曲家]](+ [[2012年]])
* [[1923年]] - [[鈴木清順]]、[[映画監督]](+ [[2017年]]<ref name="mainichi20170222">{{Cite web |title=訃報:鈴木清順さん93歳=映画監督「けんかえれじい」 |url=https://mainichi.jp/articles/20170222/k00/00e/040/281000c |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[毎日新聞]] |date=22 Feb 2017}}</ref>)
* 1923年 - [[藤間紫]]、[[日本舞踊|日本舞踊家]]、女優(+ [[2009年]])
* 1923年 - [[梅田正巳]]、元プロ野球選手(+ [[1989年]])
* [[1924年]] - [[吉田堅治]]、画家(+ [[2009年]])
* 1924年 - [[小松原博喜]]、元プロ野球選手(+ [[1965年]])
* [[1927年]] - [[野上照代]]、[[スクリプター]]
* [[1928年]] - [[小堺昭三]]、小説家(+ [[1995年]])
* 1928年 - [[アドリアン・フルティガー]]、[[書体デザイナー]](+ [[2015年]])
* 1928年 - [[ウィリアム・トレヴァー]]、小説家(+ [[2016年]]<ref>{{Cite web |title=ウィリアム・トレバー氏が死去 アイルランドの作家 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22H0R_S6A121C1CC0000/ |date=22 Nov 2016 |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[日本経済新聞]]}}</ref>)
* [[1929年]] - [[加藤武]]、[[俳優]](+ [[2015年]])
* [[1931年]] - [[マイケル・ロンズデール]]、俳優(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web |title=俳優マイケル・ロンズデールさん死去 「007」の悪役など |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3305842 |date=22 Sep 2020 |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/57153 |title=マイケル・ロンズデールさん死去 フランス出身の俳優 |publisher=[[東京新聞]] |date=23 Sep 2020 |accessdate=9 Oct 2023 |website=TOKYO Web}}</ref>)
* [[1932年]] - [[井上喜一]]、政治家(+ [[2010年]])
* 1932年 - [[渡部恒三]]、政治家(+ [[2020年]])
* 1932年 - [[アーノルド・ウェスカー]]、[[劇作家]](+ [[2016年]])
* [[1936年]] - [[ハロルド・バッド]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[2020年]])
* [[1939年]] - [[前田益穂]]、元プロ野球選手
* [[1941年]] - [[ボブ・ディラン]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1942年]] - [[小沢一郎]]、政治家
* [[1943年]] - [[小西敏正]]、建築家、[[宇都宮大学]]名誉教授
* 1943年 - [[たかしまあきひこ]]、[[作曲家]](+ [[2016年]])
* [[1944年]] - [[加藤節]]、[[政治学者]]
* 1944年 - [[永宮正治]]、物理学者
* 1944年 - [[パティ・ラベル]]、[[歌手]]、女優
* [[1945年]] - [[プリシラ・プレスリー]]、女優
* [[1946年]] - [[田村亮 (俳優)|田村亮]]、[[俳優]]
* 1946年 - [[イレーナ・シェビンスカ]]、陸上競技選手(+ [[2018年]])
* [[1947年]] - [[小松健二]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[加藤秀司]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[ジム・ブロードベント]]、俳優
* [[1951年]] - [[福沢恵介]]、シンガーソングライター
* 1951年 - [[ジャン=ピエール・バクリ]]、俳優、脚本家(+ [[2021年]])
* [[1953年]] - [[アルフレッド・モリーナ]]、俳優
* [[1955年]] - [[村田治]]、経済学者
* 1955年 - [[鵜飼るみ子]]、声優
* 1955年 - [[酒井増夫]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[さいふうめい]]、漫画原作者
* [[1957年]] - [[谷本進治]]、技術者
* [[1958年]] - [[佐々木則夫 (サッカー指導者)|佐々木則夫]]、元サッカー選手、指導者
* [[1960年]] - [[クリスティン・スコット・トーマス]]、女優
* [[1961年]] - [[哀川翔]]、俳優
* 1961年 - [[古賀森男]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[ギタリスト]](元[[レベッカ (バンド)|レベッカ]])
* 1961年 - [[真保裕一]]、[[小説家]]
* 1961年 - [[武田博史]]、防衛官僚
* [[1963年]] - [[中村浩太郎]]、声優
* 1963年 - [[マイケル・シェイボン]]、小説家
* 1963年 - [[イヴァン・カペリ]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー
* [[1964年]] - [[藤田和日郎]]、[[漫画家]]
* [[1965年]] - [[小林聡美]]、女優
* 1965年 - [[ジョン・C・ライリー]]、俳優
* 1965年 - [[ロブ・デューシー]]、元プロ野球選手
* 1965年 - [[斉藤次郎]]、声優
* [[1966年]] - [[ジェフ・リブジー]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[エリック・カントナ]]、サッカー選手
* [[1967年]] - [[柴田亜美]]、漫画家
* [[1970年]] - [[池上永一]]、小説家
* 1970年 - [[片岡サチ]]、女優([[宝塚歌劇団74期生]])
* [[1971年]] - [[三日月大造]]、政治家
* 1971年 - [[仲西匡]]、作曲家、音楽プロデューサー
* [[1972年]] - [[上杉昇]]、ミュージシャン
* 1972年 - [[オクサナ・スカルディーナ]]、新体操選手
* 1972年 - [[佐藤康幸]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[スティーブン・カズンズ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1972年 - [[池田真紀 (政治家)|池田真紀]]、政治家
* [[1973年]] - [[服部祐民子]]、シンガーソングライター
* 1973年 - [[坂田倫子]]、卓球選手
* 1973年 - [[平岡直起]]、元サッカー選手
* 1973年 - [[ヴラディミール・シュミツェル]]、サッカー選手
* 1973年 - [[ラモン・オルティズ]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[バートロ・コローン]]、プロ野球選手
* [[1974年]] - [[小林雅英]]、元プロ野球選手・野球指導者
* 1974年 - [[與芝由三栄]]、アナウンサー
* 1974年 - [[立川志の八]]、落語家
* 1974年 - [[藤好麻希]]、元バレーボール選手
* [[1975年]] - [[河相我聞]]、俳優
* [[1976年]] - 白鳥雪之丞、ミュージシャン([[氣志團]])
* 1976年 - [[岡本純治]]、俳優
* 1976年 - [[塚原愛]]、アナウンサー
* 1976年 - [[西本ケン]]、タレント
* 1976年 - [[ジェイソン・グラボースキー]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[坂本諭加子]]、ピアニスト
* 1977年 - [[武田惠子]]、元女優
* [[1978年]] - 大川知英、[[お笑い芸人]]([[ニブンノゴ!]])
* 1978年 - [[ブラッド・ペニー]]、元プロ野球選手
* 1978年 - 松田晋二、ミュージシャン([[THE BACK HORN]])
* [[1979年]] - [[大須賀純]]、声優
* 1979年 - [[柴田大輔]]、関東連合元幹部(+ [[2021年]])
* 1979年 - [[丸山泰嗣]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[トレーシー・マグレディ]]、元[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]、元プロ野球選手
* [[1980年]] - [[近藤麻智子]]、アナウンサー
* 1980年 - [[セシリア・チャン]]、女優
* [[1981年]] - [[桜井裕美]]、[[ファッションモデル]]
* 1981年 - [[安藤沙耶香]]、[[グラビアアイドル]]、ファッションモデル
* [[1982年]] - [[坂元弥太郎]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[田中浩康]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[呉偲佑]]、元プロ野球選手
* 1983年 - 平田ぱんだ、ミュージシャン ([[THE BOHEMIANS]])
* [[1984年]] - [[橋元優菜]]、グラビアアイドル、タレント
* 1984年 - [[ヘクター・アンブリーズ]]、プロ野球選手
* 1984年 - [[大坂夕]]、タレント
* [[1985年]] - [[山下健二郎]]、ダンサー、俳優([[三代目 J Soul Brothers]])
* [[1986年]] - [[木村正太]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[西原さつき]]、タレント
* [[1987年]] - [[今井啓介]]、元プロ野球選手
* [[1988年]] - [[郡司あやの]]、元女優
* 1988年 - [[石垣明日花]]、元お笑い芸人
* 1988年 - [[ブラディミール・ガルシア (投手)|ブラディミール・ガルシア]]、野球選手
* 1988年 - [[波多野結衣]]、[[AV女優]]
* [[1989年]] - [[井山裕太]]、囲碁棋士
* 1989年 - [[室田伊緒]]、[[女流棋士_(将棋)|女流将棋棋士]]
* 1989年 - [[アデル・ターラブト]]、サッカー選手
* [[1990年]] - [[渡辺大貴]]、俳優
* 1990年 - [[松下優也]]、歌手、俳優
* 1990年 - [[野村太一郎]]、[[狂言師]]
* 1990年 - [[阿部陽輔]]、元サッカー選手
* 1990年 - [[ジョーイ・ロガーノ]]、レーシングドライバー
* 1990年 - [[メル・ロハス・ジュニア]]、プロ野球選手
* [[1991年]] - [[梅田えりか]]、モデル、元アイドル(元[[℃-ute]])
* 1991年 - [[チャド・グリーン (投手)|チャド・グリーン]]、プロ野球選手
* 1991年 - [[藤澤五月]]、[[カーリング]]選手
* 1991年 - [[山本修平]]、陸上選手
* 1991年 - [[角舘信恒]]、プロアイスホッケー選手
* [[1994年]] - [[瀬戸大也]]、競泳選手
* 1994年 - [[山野辺翔]]、プロ野球選手
* [[1995年]] - [[五十嵐千尋]]、競泳選手
* [[1996年]] - [[内田秀]]、声優
* 1996年 - [[ACE COLLECTION#メンバー|奏]]、ミュージシャン、ベーシスト ([[ACE COLLECTION]])
* 1996年 - [[松村航希]]、サッカー選手
* [[1997年]] - [[坂東龍汰]]、俳優
* [[1998年]] - [[莉犬]]、歌手、声優([[すとぷり]])
* [[2001年]] - [[鶴嶋乃愛]]、ファッションモデル
* [[2002年]] - [[逢来りん]]、声優
* [[2003年]] - 一ノ瀬美空、アイドル([[乃木坂46]])
* 2003年 - [[東出直也]]、プロ野球選手
* [[2004年]] - [[齋藤陽菜]]、アイドル([[AKB48]])
* 生年不詳 - [[かわくぼ香織]]、漫画家
* 生年不詳 - [[徳島早苗]]、漫画家
* 生年不詳 - [[村上真紀]]、漫画家
* 生年不詳 - [[中村精道]]、声優
* 生年不詳 - [[藤井美波]]、声優
* 生年不詳 - [[高橋香純]]、気象予報士
== 忌日 ==
[[ファイル:Jan Matejko-Astronomer Copernicus-Conversation with God.jpg|thumb|180x180px|[[ニコラウス・コペルニクス]](1473-1543)没]]
[[Image:WilliamLloydGarrisonGrave.jpg|thumb|[[奴隷制度廃止運動]]家、[[ウィリアム・ロイド・ガリソン]](1805-1879)没|180x180ピクセル]]
[[ファイル:Raicho Hiratsuka.jpg|thumb|190x190px|[[女性解放運動]]家、[[平塚らいてう]](1886-1971)没]]
[[Image:Duke_Ellington_restored.jpg|thumb|252x252px|ジャズピアニスト、[[デューク・エリントン]](1899-1974)]]
* [[1153年]] - [[デイヴィッド1世 (スコットランド王)|デイヴィッド1世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* [[1080年]]?)
* [[1213年]]([[建暦]]3年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[和田義盛]]、[[鎌倉幕府]]の[[御家人]](* [[1147年]])
* [[1382年]]([[弘和]]2年/[[永徳]]2年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[小山義政]]、[[武将]]
* [[1497年]] - [[ベネデット・ダ・マイアーノ]]、[[彫刻家]]、木工細工師、[[建築家]](* [[1442年]]){{要検証|date=2010年5月|title=伊語版、英語版は27日としています}}
* [[1543年]] - [[ニコラウス・コペルニクス]]、[[天文学者]](* [[1473年]])
* [[1612年]] - [[ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)|初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシル]]<ref>{{Cite web |title=Robert Cecil, 1st earl of Salisbury|English statesman |url=https://www.britannica.com/biography/Robert-Cecil-1st-earl-of-Salisbury |website=Britannica |access-date=9 Oct 2023}}</ref>、[[政治家]](* [[1563年]])
* [[1682年]]([[天和 (日本)|天和]]2年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[朱舜水]]、明の[[儒学者]](* [[1600年]])
* [[1695年]]([[元禄]]8年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[松平頼重]]、初代[[讃岐国|讃岐]][[高松藩]]主(* [[1622年]])
* [[1734年]] - [[ゲオルク・シュタール]]、[[化学者]]、[[医師]](* [[1660年]])
* [[1741年]]([[寛保]]元年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[絵島|江島]]、[[江戸城]][[大奥]][[御年寄]](* [[1681年]])
* [[1879年]] - [[ウィリアム・ロイド・ガリソン]]、[[奴隷制度廃止運動|奴隷制廃止運動家]](* [[1805年]])
* [[1901年]] - [[渡辺洪基]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、第9代[[東京都知事一覧|東京府知事]]、[[東京大学|東京帝国大学]]初代総長(* [[1847年]])
* [[1903年]] - [[有馬道純]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[越前国|越前]][[丸岡藩]]主(* [[1837年]])
* [[1911年]] - [[エルンスト・レーマク]]、[[医学|医学者]](* [[1849年]])
* [[1943年]] - [[佐々木直次郎]]、[[翻訳家]](* [[1901年]])
* [[1948年]] - [[コンスタンチン・イグームノフ]]、[[ピアニスト]]、作曲家、音楽教師(* [[1873年]])
* [[1956年]] - [[大蛇山酉之助]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1897年]])
* [[1959年]] - [[ジョン・フォスター・ダレス]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1888年]])
* [[1971年]] - [[平塚らいてう]]、[[作家]]、[[フェミニスト]]、女性解放運動家(* [[1886年]])
* [[1974年]] - [[デューク・エリントン]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]](* [[1899年]])
* [[1977年]] - [[近衛十四郎]]、[[俳優]](* [[1914年]])
* [[1981年]] - [[川喜多長政]]、[[映画]]製作者、輸入業者(* [[1903年]])
* 1981年 - [[ハンス・ヴェーア]]、[[アラブ]]研究家(* [[1909年]])
* 1981年 - [[ヘルベルト・ミューラー]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](* [[1940年]])
* [[1991年]] - [[ジーン・クラーク]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1941年]])
* [[1992年]] - [[山田花子 (漫画家)|山田花子]]、[[漫画家]](* [[1967年]])
* [[1995年]] - [[宮崎市定]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1901年]])
* 1995年 - [[ハロルド・ウィルソン]]、政治家、第67代・第69代[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1916年]])
* [[1997年]] - [[金達寿]]、[[小説家]](* [[1919年]])
* [[2001年]] - [[河本敏夫]]、[[政治家]](* [[1911年]])
* [[2002年]] - [[伊藤俊人]]、俳優(* [[1962年]])
* 2002年 - [[清川虹子]]、喜劇女優(* [[1912年]])
* [[2005年]] - [[石津謙介]]、[[ヴァンヂャケット|VANヂャケット]]創業者(* [[1911年]])
* [[2007年]] - [[大庭みな子]]、小説家(* [[1930年]])
* [[2010年]] - [[ラッシャー木村]]、元[[プロレスラー]](* [[1941年]])
* 2010年 - ポール・グレイ ([[:en:Paul Gray (American musician)|Paul Gray]])、ミュージシャン([[スリップノット]])(* [[1972年]])
* 2010年 - [[三好守]]、元[[プロ野球選手]](* [[1942年]])
* [[2012年]] - [[西丸震哉]]、食[[生態学]]者、[[エッセイスト]]、[[探検家]](* [[1923年]])
* [[2018年]] - [[土山しげる]]<ref name="natalie20180601">{{Cite web |title=土山しげるが68歳で死去「喰いしん坊!」「極道めし」などで活躍 |url=https://natalie.mu/comic/news/284778 |website=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] |access-date=9 Oct 2023 |date=1 Jun 2018}}</ref>、[[漫画家]](* [[1950年]])
* [[2019年]] - [[マレー・ゲルマン]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45282750V20C19A5CZ8000/ |title=マレー・ゲルマン氏が死去 「クォーク」名付け親 |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=25 May 2019}}</ref>、[[物理学者]](* [[1929年]])
* [[2020年]] - [[有賀和子]]、ピアニスト、[[桐朋学園大学]]名誉教授(* [[1927年]])
* [[2021年]] - [[鳥居清光]]、[[画家]]、[[浮世絵師]]、[[舞台美術家]](* [[1938年]])
* [[2022年]] - [[山形定房]]、元[[日本放送協会|NHK]]・元[[テレビ朝日]]アナウンサー(* [[1929年]])
* [[2023年]] - [[ティナ・ターナー]]<ref>{{Cite web |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230525-OYT1T50130/ |title=「ロックンロールの女王」ティナ・ターナーさん死去、83歳…「愛の魔力」「孤独のヒーロー」 |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[讀賣新聞]]オンライン |date=25 May 2023}}</ref>、アメリカ合衆国のロック歌手(* [[1939年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Commonwealth Day 2009 (Westminster Abbey).jpg|thumb|180x180px|[[イギリス]]のコモンウェルス・デー]]
[[ファイル:Kobe golf club04s1024.jpg|thumb|180x180px|[[ゴルフ場]]記念日。画像は[[神戸ゴルフ倶楽部]]]]
* {{仮リンク|コモンウェルスデー|en|Commonwealth Day}}({{GBR}})
*: [[1819年]]の[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]女王の誕生日。[[ヴィクトリア朝]]はイギリスの国勢が最も盛んであったことから、これを記念して祝日となった。
* ピチンチャ戦勝記念日({{ECU}})
*: [[1822年]]のこの日の、{{仮リンク|エクアドル独立戦争|en|Ecuadorian War of Independence}}・{{仮リンク|ピチンチャの戦い|en|Battle of Pichincha}}での反乱軍の勝利を記念。
* [[独立記念日]]({{ERI}})
*: [[1993年]]5月24日に[[エチオピア]]から独立。
* ゴルフ場記念日({{JPN}})
*: [[1903年]]のこの日に日本初の[[ゴルフ場]]「[[神戸ゴルフ倶楽部]]」がオープンしたことにちなむ。
* 伊達巻の日({{JPN}})
*: 厚焼き卵などの寿司具を製造する千日総本社が制定。[[伊達巻]]の名前の由来という説のある[[伊達政宗]]の忌日(旧暦[[5月24日 (旧暦)|5月24日]])。
*伊達政宗忌({{JPN}})
*: [[仙台藩]]の初代藩主伊達政宗は、[[寛永]]13年([[1636年]])5月24日、[[参勤交代]]で滞在中の江戸で死去。伊達政宗公霊屋・[[瑞鳳殿]]では、毎年、命日であるこの日に「伊達政宗公遠忌法要」が執り行なわれる。また、この日は終日瑞鳳殿の扉が御開帳になり、内部に安置された政宗公御木像を拝観できる<ref>{{Cite web |url=https://www.zuihoden.com/annual/#anchor01 |title=年間行事 春期(3 - 5月) |access-date=9 Oct 2023 |publisher=公益財団法人 瑞鳳殿}}</ref>。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0524|date=Oct 2023}}
* 19--年 - 火曜日、クイーン家の居間にクイーン父子とヘンリー・サンプスン{{仮リンク|地方検事|en|District attorney}}、チモシー・クローニン検事補、麻薬班のサルヴァトーレ・フィオレリ主任の5人がいる。11時にクイーン[[警視]]、地方検事、検事補、主任の4人は刑事裁判所に向かう。12時、[[5番街 (マンハッタン)|5番街]]に面したフレンチ[[百貨店]]一階の[[ショーウインドー]]の電動式寝台が動き出すと社長夫人ウィニフレッド・フレンチの死体が転がり出る。(小説『[[フランス白粉の謎]]』第1章から第3章<ref group="注">第1章の机上のカレンダーは19--年5月、第3章で5月24日火曜日とある。</ref>)
* 1945年(昭和20年) - [[東京大空襲]]の最中に[[数寄屋橋]]で氏家真知子と後宮春樹が出会い、半年後の[[11月24日]]に同じ場所で再会することを約束する。(『[[君の名は]]』)
* 1954年 - 月曜日、[[ジェームズ・ボンド]]は大富豪ヒューゴー・ドラックスと[[コントラクトブリッジ|ブリッジ]]で対決。ドラックスのイカサマを見破り、1万5千[[ポンド (通貨)|ポンド]]を巻き上げる。(小説『[[007 ムーンレイカー#出版|ムーンレイカー]]』第1部<ref group="注">1954年5月24日であることは、第8章でボンドが読む資料に1953年7月の[[バー・メッカ殺人事件]]があること、同章でムーンレイカー基地に派遣の特命を受けるのが翌火曜日で第10章でこの日が5月末の火曜日とあること、第13章でグッドウィン灯台船の乗員の冥福を祈っているのが1954年11月26日金曜日で最終章で[[M (架空の人物)|M]]が「グッドウィン灯台船も被害を受けた」と言っていることによる。</ref>)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[2006年]] - 岩戸鈴芽、映画『[[すずめの戸締まり]]』の主人公<ref>{{Twitter status|suzume_tojimari|1661214904785993729}}</ref>
* 生年不明 - 松野おそ松、漫画・アニメ『[[おそ松くん]]』『[[おそ松さん]]』の主人公<ref name=":0">{{Twitter status|osomatsu_PR|1661235580326531072}}</ref>
* 生年不明 - 松野カラ松、漫画・アニメ『[[おそ松くん]]』『[[おそ松さん]]』の主人公<ref name=":0" />
* 生年不明 - 松野チョロ松、漫画・アニメ『[[おそ松くん]]』『[[おそ松さん]]』の主人公<ref name=":0" />
* 生年不明 - 松野一松、漫画・アニメ『[[おそ松くん]]』『[[おそ松さん]]』の主人公<ref name=":0" />
* 生年不明 - 松野十四松、漫画・アニメ『[[おそ松くん]]』『[[おそ松さん]]』の主人公<ref name=":0" />
* 生年不明 - 松野トド松、漫画・アニメ『[[おそ松くん]]』『[[おそ松さん]]』の主人公<ref name=":0" />
* 生年不明 - 犬神八千代、漫画・アニメ『[[犬神さんと猫山さん]]』の主人公<ref>{{Cite book |和書 |author= くずしろ|authorlink=くずしろ |year = 2013 |title = 犬神さんと猫山さん |volume = 第1巻 |page = 19 |publisher = [[一迅社]] |series = [[コミック百合姫#百合姫コミックス|百合姫コミックス]] |isbn = 978-4-7580-7224-3 }}</ref>
* 生年不明 - シアン(聖川詩杏)、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=http://showbyrock-anime.com/character/plasmagica/ |title=プラズマジカ シアン |publisher=[[サンリオ]] |accessdate=9 Oct 2023 |website=『SHOW BY ROCK!!』}}</ref>
* 生年不明 - テラー、漫画・アニメ『[[アンデッドアンラック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|undeadunluck_of|1693459177195319446}}</ref>
* 生年不明 - 田村ひより、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite journal|和書|date=2007-09|title=ら・ら・ら らき☆すた ファンブック|journal=[[月刊コンプエース]](付録)|page=9|publisher=[[角川書店]]}}</ref>
* 生年不明 - 小瀬川白望、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |title=小瀬川 白望(こせがわ しろみ) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=9 Oct 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref>
* 生年不明 - 榛名元希、漫画『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |year = 2008 |title = PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」 |page = 52 |publisher = [[主婦と生活社]] |isbn = 978-4-391-62643-8 }}</ref>
* 生年不明 - [[メイ・リー]]、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kof98umol|1131756799462379522}}</ref>
* 生年不明 - 染岡竜吾、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |date=22 Aug 2019 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=9 Oct 2023}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#田中摩美々|田中摩美々]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/50015 |title=田中 摩美々(たなか まみみ) |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate=9 Oct 2023 |work=『THE iDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 朝比奈いろは、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/asahina |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title=朝比奈 いろは |accessdate=9 Oct 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref>
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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'''5月25日'''(ごがつにじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から145日目([[閏年]]では146日目)にあたる。年末まで220日ある。
== できごと ==
<!-- 記事に日付のないもの:そごう, 岡田奈々, 井上望, レバノン内戦([[:en:Lebanese_Civil_War]]にもなし), 南海和歌山港線 -->
[[Image:Scene_at_the_Signing_of_the_Constitution_of_the_United_States.jpg|thumb|260px|[[アメリカ合衆国憲法]]制定のための[[フィラデルフィア憲法制定会議]]開会(1787)]]
[[Image:Dining_car_-Sanyo_Tetsudo.jpg|thumb|日本初の[[食堂車]](1899)、[[山陽鉄道]]食堂付1等車]]
[[Image:Shingu-taigyaku-1024.jpg|thumb|[[大逆事件]]の検挙開始(1910)。画像は記念碑「志を継ぐ」]]
<!-- [[Image:Firebombing_of_Tokyo.jpg|thumb|240px|[[日本本土空襲]](1945)]] 3/10の[[東京大空襲]]に譲ります -->
[[Image:Operation Upshot test.ogv|thumb|240px|[[核砲弾]]の実射実験(1953)。[[Help:音声・動画の再生]]]]
[[Image:Kennedy Giving Historic Speech to Congress - GPN-2000-001658.jpg|thumb|[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]、[[アポロ計画|月着陸計画]]の決定を発表(1961)]]
<!-- [[Image:AA191-crash-site.png|thumb|160px|[[アメリカン航空191便墜落事故]](1979)]] -->
* [[紀元前240年]]([[始皇帝]]7年) - 『[[史記]]』秦始皇本紀に[[ハレー彗星]]出現の確実で最も古い記録{{要出典|date=2021-04}}。
* [[723年]]([[養老]]7年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - 養老七年格(後の[[三世一身法]])が発布される。
* [[1526年]]([[大永]]6年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - 駿河国守護・[[今川氏親]]が[[今川仮名目録]]を制定。
* [[1615年]]([[慶長]]20年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[大坂の陣#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]が開戦。
* [[1657年]] - [[イングランド共和国]]で[[謙虚な請願と勧告]]が制定。
* [[1659年]] - [[リチャード・クロムウェル]]がイングランド[[護国卿]]を辞任。
* [[1787年]] - [[フィラデルフィア憲法制定会議]]が定足数の7州の代表が集まったことにより開会。
* [[1810年]] - [[アルゼンチン]](当時は[[リオ・デ・ラ・プラタ副王領]])の[[ブエノス・アイレス]]で[[五月革命 (アルゼンチン)|五月革命]]が起こる。
* [[1871年]]([[明治]]4年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - 日本初の[[特許]]法令である「専売略規則」発布。
* [[1876年]] - [[青森県]][[二戸郡]]・[[宮城県]][[気仙郡]]が[[岩手県]]に移管され、現在の岩手県・青森県の県域が確定。
* [[1887年]] - [[福島県]][[東蒲原郡]]が[[新潟県]]に移管され、福島県・新潟県の県域が現在の形になる。
* [[1895年]] - [[下関条約]]による日本への[[台湾]]割譲を阻止しようとした[[清]]の官僚[[唐景崧]]が[[台湾民主国]]の成立を宣言。
* [[1899年]] - [[山陽鉄道]](現・[[山陽本線]])が運行した[[京都駅|京都]] - 三田尻(現・[[防府駅|防府]])間の列車に日本初の[[食堂車]]が連結。
* [[1908年]] - [[日本]]と[[コロンビア]]が国交樹立。
* [[1910年]] - [[幸徳事件]]([[大逆事件]])の検挙が開始される。
* [[1915年]] - [[梁瀬長太郎]]が梁瀬商会(現在の[[ヤナセ]])を設立。
* [[1941年]] - [[中華民国の歴史|中華民国]]駐[[イギリス|英]]大使[[郭泰祺]]と[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]][[コーデル・ハル|ハル]]が[[ワシントンD.C.|ワシントン]]で不平等条約改正の交換公文に署名する。
* [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]・[[日本本土空襲]]: B29爆撃機470機が[[東京大空襲#その後の空襲|東京に空襲]]し、山手の都区部の大部分を焼失。死者3651人。また、この空襲で[[天下三名槍]]の一つ、[[御手杵]]が焼失してしまった。
* [[1949年]] - [[商工省]]・[[貿易庁]]・[[石炭庁]]を統合して通商産業省(現・[[経済産業省]])が発足。
* [[1951年]] - 内閣が「人名用漢字別表」を告示。[[人名用漢字]]92字を定める。
* [[1953年]] - アメリカ合衆国が、史上初かつこれまでで唯一の[[核砲弾]]の実射試験を行う。
* [[1954年]] - 写真家[[ロバート・キャパ]]がインドシナ戦争取材中に地雷に触れて爆死。
* [[1955年]] - 世界3位の高峰[[カンチェンジュンガ]]に英国登山隊が初登頂。
* 1955年 - [[岩波書店]]から『[[広辞苑]]』初版が刊行される。
* [[1957年]] - [[そごう]]東京店(有楽町そごう)が開店。キャンペーンソングの「[[有楽町で逢いましょう]]」が流行する。
* [[1959年]] - 戦後初の国産潜水艦[[おやしお (潜水艦・初代)|おやしお]]が進水式。
* [[1960年]] - [[大修館書店]]が[[諸橋轍次]]の『[[大漢和辞典]]』の最終巻を刊行。
* [[1961年]] - [[アポロ計画]]: [[アメリカ合衆国大統領]][[ジョン・F・ケネディ]]が「10年以内に人間を[[月]]に到達させる」と声明。
* [[1963年]] - [[アフリカ統一機構]](OAU)が発足。
* [[1968年]] - [[篠栗線]][[篠栗駅|篠栗]] - [[桂川駅 (福岡県)|桂川]]が開通し、篠栗線が全線開通。
* [[1970年]] - [[黒い霧事件 (日本プロ野球)|黒い霧事件]]でコミッショナー委員会が西鉄の3選手の球界永久追放を決定。
* [[1972年]] - [[北海道]][[雄武町]]で大火。町の中心部で47棟焼失<ref>「強風のさいはてで大火 中心街47むね焼ける『朝日新聞』昭和47年5月26日朝刊、13版、22面</ref>。
<!-- * [[1973年]] - [[あべ静江]]が[[シングル]]『コーヒーショップで』で[[歌手]]デビュー。 -->
<!-- * [[1975年]] - [[岡田奈々]]がシングル『ひとりごと』で歌手デビュー。 -->
* [[1976年]] - [[新幹線]]の乗客数が10億人を突破。<!-- 『昭和・平成史年表』(平凡社)に記載あり。 -->
* [[1977年]] - [[スター・ウォーズ]]シリーズ第1作『スター・ウォーズ』(後に『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望]]』に改題)がアメリカで公開。
<!-- * [[1978年]] - [[石川ひとみ]]がシングル『右向け右』で歌手デビュー。 -->
* [[1979年]] - [[アメリカン航空191便墜落事故]]が発生。
<!-- * 1979年 - [[井上望]]がシングル『ルフラン』で歌手デビュー。 -->
* [[1981年]] - [[湾岸協力会議]]設立。
<!-- * 1981年 - [[スターダストレビュー|スターダスト・レビュー]]がシングル『シュガーはお年頃』、アルバム『STARDUST REVUE』でデビュー。 -->
* [[1982年]] - [[フォークランド紛争]]: イギリス海軍の駆逐艦[[コヴェントリー (駆逐艦)|コヴェントリー]]がアルゼンチン軍機の攻撃により沈没。
* [[1985年]] - 日本国の[[国籍法]]改正。国際結婚の際に夫婦同姓・[[夫婦別姓]]のいずれも選択可能になる。
* [[1986年]] - [[ハンズ・アクロス・アメリカ]]が開催される。
<!-- * [[1987年]] - [[森高千里]]がシングル『NEW SEASON』で歌手デビュー。 -->
* [[1989年]] - アメリカが日本に対し包括通商法[[スーパー301条]]を適用し、日本を不公平貿易国に指定。
* [[1990年]] - [[バブル景気]]: [[1986年]]12月以来の大型景気が42か月目となり、戦後2番目の[[岩戸景気]]と並ぶ。
<!-- * [[1994年]] - [[GLAY]]がシングル『[[RAIN (GLAYの曲)|RAIN]]』でデビュー。 -->
* [[1997年]] - [[シエラレオネ]]で[[ジョニー・ポール・コロマ]]少佐がクーデター。[[アフマド・テジャン・カバー]]を国外追放し国家元首に就任。
* [[1999年]] - アメリカの「合衆国安全保障並びに中華人民共和国との軍事・経済問題に関する特別委員会」が[[コックス報告書]]の改定版を公開。
* [[2000年]] - [[レバノン内戦]]: [[レバノン]]南部を22年間占領していたイスラエル軍が撤退。<!-- enより -->
* [[2002年]] - [[台湾海峡]]の上空で[[チャイナエアライン611便空中分解事故]]が起こる。
* 2002年 - [[南海和歌山港線]]の末端部分[[和歌山港駅]] - [[水軒駅]]間がこの日の運行を最後に[[廃線|廃止]]。<!-- 最終運行日。廃止は翌日付け -->
* [[2005年]] - [[靖国神社問題|靖国問題]]などで日中関係悪化を[[欧米]]・[[東アジア]]各国の[[マスメディア|マスコミ]]が一斉に報道する。
* [[2009年]] - [[北朝鮮]]が、[[2006年]]以来3年振り2回目の[[北朝鮮の核実験 (2009年)|核実験]]を強行する。
* 2009年 - [[板橋資産家夫婦放火殺人事件]]が起こる。
* [[2014年]] - [[AKB48握手会傷害事件]]が発生。[[岩手県]][[滝沢市]]の[[岩手産業文化センター]]で開催されていた[[AKB48]]の握手会で、メンバーの[[川栄李奈]]、[[入山杏奈]]と会場整理スタッフの男性が負傷した。
* [[2015年]] - 午後2時28分ごろ、[[埼玉県]]北部を震源とする深さ56km、[[マグニチュード]]5.5の地震が発生し、[[茨城県]][[土浦市]]で最大震度5弱の揺れを観測する<ref>{{Cite web|和書|date=2015年5月26日 |url=http://www.chibanippo.co.jp/news/national/258257 |title=茨城で震度5弱 千葉は震度4、けが1人 |publisher=千葉日報 |accessdate=2020-07-07}}</ref>。
* [[2019年]] - [[ドナルド・トランプ]][[アメリカ合衆国大統領]]夫妻が[[国賓]]として訪日<ref>{{Cite web|和書|date=2019-05-27 |url=http://japan.hani.co.kr/arti/international/33540.html |title=トランプ大統領、3泊4日の豪華国賓訪問を開始「米日同盟を誇示」 |publisher=hankyoreh japan |accessdate=2020-07-07}}</ref>。同月28日まで滞日<ref>{{Cite web|和書|date=2019年5月29日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3227257 |title=動画:トランプ米大統領、羽田から帰途へ 両陛下に別れのあいさつ |publisher=AFP |accessdate=2020-07-07}}</ref>。
* [[2020年]] - [[ジョージ・フロイドの死]]<ref>{{Cite web|和書|date=2020年5月27日 |url=https://www.bbc.com/japanese/52816160 |title=黒人男性、警官に膝で首を押さえ付けられ死亡 米ミネソタ州 |publisher=BBC |accessdate=2020-07-07}}</ref>。
* 2020年 - [[非常事態宣言|緊急事態宣言]]を全面解除。
== 誕生日 ==
[[Image:Kagawa_Kageki.jpg|thumb|upright|歌人[[香川景樹]](1768-1843)誕生。{{Squote|若草を駒にふませて垣間見しをとめも今は老いやしぬらむ――『桂園一枝』}}]]
<!-- [[Image:Edward George Earle Lytton Bulwer Lytton, 1st Baron Lytton by Henry William Pickersgill.jpg|thumb|upright|小説家・政治家[[エドワード・ブルワー=リットン]](1803-1873)誕生。{{Squote|ペンは剣よりも強し。――『リシュリュー』(1839)}}]] -->
[[Image:Ralph_Waldo_Emerson_ca1857.jpg|thumb|upright|[[超越主義]]の思想家、[[ラルフ・ワルド・エマーソン]](1803-1882)。{{Squote|出てから1年経っていない本は絶対に読むな。――『書物礼賛』(1860)}}]]
[[Image:Jacburc2.gif|thumb|100px|歴史家[[ヤコブ・ブルクハルト]](1818-1897)]] <!-- TODO:Squote -->
[[Image:Eugène Grasset-Encre L Marquet.jpg|thumb|160px|[[グラフィックデザイナー]]、[[ウジェーヌ・グラッセ]](1845-1917)。[[アール・ヌーヴォー]]の先駆者。画像は『L.Marquetのインク』(1892)]]
[[Image:Pieter_Zeeman.jpg|thumb|100px|[[ゼーマン効果]]を発見した物理学者[[ピーター・ゼーマン]](1865-1943)]]
[[Image:Bulla_Vityaz.jpg|thumb|180px|航空機製造のパイオニア、[[イゴール・シコルスキー]](1889-1972)。画像は世界初の4発機「Russky Vityaz」(1915)<!-- 左にいるのがシコルスキーと思われるが断言できないので触れず -->]]
<!-- [[Image:Sonia_Rykiel.jpg|thumb|100px|[[ファッションデザイナー]]、[[ソニア・リキエル]](1930-)]] -->
<!-- [[Image:Vladimir_Voronin_2006.jpg|thumb|100px|[[モルドバ]]の政治家[[ウラジーミル・ヴォローニン]](1941-)]] -->
=== 人物 ===
* [[1334年]]([[建武 (日本)|建武]]元年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[崇光天皇]]、[[北朝 (日本)|北朝]]第3代[[天皇]](+ [[1398年]])
* [[1616年]] - [[カルロ・ドルチ]]、[[画家]](+ [[1686年]])
* [[1672年]]([[寛文]]12年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]])- [[阿部正喬]]、第4代[[忍藩|忍藩主]](+ [[1750年]])
* [[1702年]]([[元禄]]15年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]])- [[松平定郷]]、第5代[[今治藩|今治藩主]](+ [[1763年]])
* [[1713年]] - 第3代[[ビュート伯爵]][[ジョン・ステュアート (第3代ビュート伯)|ジョン・ステュアート]] - [[イギリス首相]](+ [[1792年]])
* [[1738年]]([[元文]]3年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]])- [[木下利忠]]、第7代[[足守藩|足守藩主]](+ [[1809年]])
* [[1768年]]([[明和]]5年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[香川景樹]]、[[歌人]]、[[国学|国学者]](+ [[1843年]])
* [[1780年]]([[安永 (元号)|安永]]15年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]])- [[池田仲雅]]、第7代[[鹿奴藩|鹿奴藩主]](+ [[1841年]])
* [[1802年]] - [[ヨハン・フリードリヒ・フォン・ブラント]]、[[自然哲学|自然学者]](+ [[1879年]])
* [[1803年]] - 初代[[リットン男爵]][[エドワード・ブルワー=リットン]]、[[小説家]]、[[劇作家]](+ [[1873年]])
* 1803年 - [[ラルフ・ワルド・エマーソン]]、[[思想家]]、[[哲学者]]、[[作家]]、詩人、[[エッセイスト]](+ [[1882年]])
* [[1818年]] - [[ヤコブ・ブルクハルト]]、[[歴史家]](+ [[1897年]])
* [[1829年]]([[文政]]12年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[大河内信古]]、[[三河国|三河]][[三河吉田藩|吉田藩]]主、[[大坂城代]](+ [[1888年]])
* [[1840年]] - [[アル・リーチ]]、[[野球選手]](+ [[1928年]])
* [[1845年]] - [[ウジェーヌ・グラッセ]]、装飾芸術家(+ [[1917年]])
* [[1846年]] - [[ナイム・フラシャリ]]、小説家(+ [[1900年]])
* [[1848年]] - [[ヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケ]](小モルトケ)、[[プロイセン参謀本部|ドイツ陸軍参謀総長]](+ [[1916年]])
* [[1858年]] - [[ティップ・オニール (野球)|ティップ・オニール]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1915年]])
* [[1860年]] - [[ダニエル・モロー・バリンジャー]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1929年]])
* [[1865年]] - [[ジョン・モット]]、宗教活動家(+ [[1955年]])
* 1865年 - [[ピーター・ゼーマン]]、[[物理学者]](+ [[1943年]])
* [[1867年]] - [[エクトール・ギマール]]、建築家(+ [[1942年]])
* [[1870年]] - [[アルノルト・シュヴァスマン]]、[[天文学者]](+ [[1964年]])
* [[1873年]] - [[アーチボルド・ジョイス]]、作曲家(+ [[1963年]])
* [[1878年]] - [[ビル・ボージャングル・ロビンソン]]、[[タップダンス|タップダンサー]](* [[1949年]])
* [[1889年]] - [[イゴール・シコルスキー]]、[[シコルスキー・エアクラフト]]創立者(+ [[1972年]])
* 1889年 - [[吉田三郎]]、[[彫刻家]](+ [[1962年]])
* 1889年 - [[ギュンター・リュッチェンス]]、ドイツ軍人(+ [[1941年]])
* [[1893年]] - [[浜田廣介]]、[[童話]]作家(+ [[1973年]])
* [[1898年]] - [[ミッシャ・レヴィツキ]]、[[ピアニスト]](+ [[1941年]])
* [[1900年]] - [[佐々木更三]]、[[政治家]](+ [[1985年]])
* [[1905年]] - [[マーティン・ディーゴ]]、元プロ野球選手(+ [[1971年]])
* [[1906年]] - [[村上朝一]]、[[裁判官]](+ [[1987年]])
* 1906年 - [[角田喜久雄]]、[[推理作家]](+ [[1994年]])
* [[1907年]] - [[ウー・ヌ]]、政治家(+ [[1995年]])
* 1907年 - [[根本龍太郎]]、政治家(+ [[1990年]])
* [[1908年]] - [[藤林甲]]、[[照明技師]](+ [[1979年]])
* [[1913年]] - [[オスカー=ハインリヒ・ベール]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+[[1957年]])
* [[1917年]] - [[宇野錦次]]、元プロ野球選手(+ [[1997年]])
* [[1921年]] - [[ハル・デイヴィッド]]、[[作詞家]](+ [[2012年]])
* 1921年 - [[ジャック・シュタインバーガー]]、物理学者(+ [[2020年]])
* [[1922年]] - [[白川一]]<ref>プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、282ページ</ref>、元プロ野球選手(+ [[1983年]])
* [[1925年]] - [[ポル・ポト]]、[[革命家]]、[[政治家]](+ [[1998年]])
* [[1927年]] - [[ロバート・ラドラム]]、小説家(+ [[2001年]])
* [[1929年]] - [[ビヴァリー・シルズ]]、ソプラノ歌手(+ [[2007年]])
* [[1930年]] - [[ソニア・リキエル]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2016年]])
* [[1931年]] - [[ジム・マーシャル (野球)|ジム・マーシャル]]、元プロ野球選手
* [[1932年]] - [[K・C・ジョーンズ]]、[[バスケットボール]]選手、指導者(+ [[2020年]])
* [[1934年]] - [[米倉健司]]、[[プロボクサー]]、[[ヨネクラボクシングジム]]会長(+ [[2023年]])
* [[1938年]] - [[豊田有恒]]、[[SF作家]](+ [[2023年]])
* 1938年 - [[レイモンド・カーヴァー]]、小説家、詩人(+ [[1988年]])
* 1938年 - [[石原伸司]]、作家(+ [[2018年]])
* [[1939年]] - [[イアン・マッケラン]]、[[俳優]]
* 1939年 - [[岩佐恵美]]、政治家
* 1939年 - [[菊池武夫 (ファッションデザイナー)|菊池武夫]]、ファッションデザイナー
* [[1940年]] - [[荒木経惟]]、[[写真家]]
* 1940年 - [[ペピーノ・ガリアルディ]]、歌手(+ [[2023年]])
* 1940年 - [[西木正明]]、小説家(+ [[2023年]])
* [[1941年]] - [[ウラジーミル・ヴォローニン]]、政治家、第3代[[モルドバの大統領|モルドバ大統領]]
* [[1944年]] - [[フランク・オズ]]、映画監督
* [[1945年]] - [[正垣宏倫]]、元プロ野球選手
* 1945年 - [[山田スミ子]]、[[俳優|女優]](+ [[2019年]]<ref name="ns_web_20190305">[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201903050000923.html 山田スミ子さんが死去、吉本新喜劇往年のマドンナ] 日刊スポーツ 2019年(平成31年)3月5日23時31分配信・2020年10月30日閲覧</ref>)
* [[1947年]] - [[小倉智昭]]、[[ニュースキャスター]]
* [[1948年]] - [[クラウス・マイネ]]、ヴォーカリスト ([[スコーピオンズ]])
* [[1949年]] - [[葛城ユキ]]、[[歌手]](+ [[2022年]])
* [[1950年]] - [[友部正人]]、[[シンガーソングライター]]、詩人
* 1950年 - [[中礼政博]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[ステファニー・ポンド・スミス]]、元子役(+ [[1998年]])
* 1951年 - [[フランソワ・バイル]]、政治家
* [[1952年]] - [[金井正幸]]、元プロ野球選手
* 1952年 - [[ケント・ギルバート]]、[[タレント]]
* 1952年 - [[林正広]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[ダニエル・パサレラ]]、元[[サッカー選手]]、指導者
* 1953年 - [[ガエターノ・シレア]]、サッカー選手(+ [[1989年]])
* [[1955年]] - [[江川卓 (野球)|江川卓]]、元プロ野球選手
* 1955年 - [[桂小枝]]、[[落語家]]
* 1955年 - [[小鷹卓也]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[シュガー・マイノット]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* 1956年 - [[後藤達俊]]、[[プロレスラー]]
* [[1958年]] - [[ポール・ウェラー]]、ミュージシャン
* 1958年 - [[石原修治]]、元プロ野球選手
* [[1959年]] - [[広瀬明彦]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[ヒロ斎藤]]、プロレスラー
* [[1962年]] - [[カイヤ]]、タレント
* [[1963年]] - [[西村しのぶ]]、[[漫画家]]
* [[1964年]] - [[大山正篤]]、[[ドラマー]]
* [[1965年]] - [[陣内大蔵]]、シンガーソングライター
* [[1967年]] - [[亀井芳子]]、[[声優]]
* [[1968年]] - [[ホセ・カレーニョ]]、[[バレエ]]ダンサー
* 1968年 - [[多岐篤司]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[二ノ宮知子]]、漫画家
* 1969年 - [[辻一弘]]、メイクアップアーティスト
* 1969年 - [[アン・ヘッシュ]]、女優(+ [[2022年]])
* [[1970年]] - [[波留敏夫]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[ゆきのさつき]]、声優
* 1970年 - [[ルイス・オルティス]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[オクタヴィア・スペンサー]]、女優
* [[1971年]] - [[内山久美子]]、[[アナウンサー]]
* 1971年 - [[竹内昌也]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[広沢好輝]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[エンジェル・エチェバリア]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]])
* [[1972年]] - [[石田ひかり]]、女優
* [[1973年]] - [[古山あゆみ]]、声優
* [[1974年]] - [[ミゲル・テハダ]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[秋吉英美]]、タレント
* 1974年 - [[OKAMA]]、漫画家、[[イラストレーター]]
* [[1975年]] - [[だいたひかる]]、[[お笑いタレント]]
* 1975年 - [[ランドール・サイモン]]、プロ野球選手
* 1975年 - [[ブレイズ・ヌクフォ]]、サッカー選手
* [[1976年]] - [[キリアン・マーフィー]]、俳優
* 1976年 - [[シェイン・コスギ]]、俳優
* 1976年 - [[ジョン・ウェイン・パー]]、[[キックボクサー]]
* 1976年 - [[高橋雄一 (日本テレビ)|高橋雄一]]、元アナウンサー
* 1976年 - [[山本辰生]]、[[ビーチバレー]]選手
* 1976年 - [[ステファン・ホルム]]、走高跳選手
* 1976年 - [[イーサン・サプリー]]、俳優
* [[1977年]] - [[小林尽]]、漫画家
* 1977年 - [[tohko]]、歌手
* 1977年 - [[山崎剛]]、[[総合格闘家]]
* 1977年 - [[アルベルト・ロドリゲス]]、プロレスラー
* [[1978年]] - [[トラビス・ヒューズ]]、プロ野球選手
* 1978年 - [[ブライアン・アーラッカー]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* [[1979年]] - [[空知英秋]]、漫画家
* 1979年 - [[ジョニー・ウィルキンソン]]、ラグビーユニオン選手
* 1979年 - [[カルロス・ボカネグラ]]、元サッカー選手
* 1979年 - [[ペギー・リュインドゥラ]]、元サッカー選手
* [[1980年]] - [[永坂悠]]、元[[ストリッパー一覧|ストリッパー]]
* 1980年 - [[弓削智久]]、俳優
* [[1981年]] - [[上野雄大]]、スキー選手
* [[1982年]] - [[小林光一 (歌手)|小林光一]]、ミュージシャン([[MAYKIDZ]]、[[SAY MY NAME.]]、[[超飛行少年]])
* 1982年 - [[ジェイソン・クベル]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[ステイシー・ペンスゲン]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1982年 - [[宇高志保]]、元女優、元タレント
* 1982年 - [[生井亜実]]、元女優、元タレント
* 1982年 - [[YOSHI-HASHI]]、プロレスラー
* 1982年 - [[ブラッド・スナイダー]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[ロジェール・ゲレイロ]]、元サッカー選手
* 1982年 - [[エゼキエル・ケンボイ]]、長距離走選手
* [[1984年]] - [[エンマ・マッローネ]]、歌手
* [[1985年]] - [[梶原麻莉子]]、[[モデル (職業)|モデル]]
* 1985年 - [[デンバ・バ]]、サッカー選手
* 1985年 - [[ジョー・アノアイ]]、プロレスラー
* 1985年 - [[ヨシノサツキ]]、漫画家
* 1985年 - [[エリック・ヤング・ジュニア]]、プロ野球選手
* [[1986年]] - [[上野樹里]]、女優
* 1986年 - [[北条隆博]]、元俳優
* 1986年 - [[コリー・リオーダン]]、プロ野球選手
* 1986年 - [[ヨアン・グフラン]]、サッカー選手
* [[1987年]] - [[角中勝也]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[JULIA (AV女優)|JULIA]]、[[AV女優]]
* 1987年 - [[吉岡さくら]]、声優
* 1987年 - [[カミル・ストッフ]]、スキージャンプ選手
* 1987年 - [[カトショー]]、お笑い芸人
* [[1988年]] - [[パヴェル・カシュカ]]、[[フィギュアスケート選手一覧|フィギュアスケート選手]]
* 1988年 - [[吉田光治郎]]、ラグビーユニオン選手
* 1988年 - [[キャメロン・ファンデルバーグ]]、競泳選手
* [[1989年]] - [[室龍太]]、俳優
* 1989年 - [[久保智裕]]、俳優
* [[1990年]] - [[橋本和樹]]、プロレスラー
* 1990年 - [[星咲優菜]]、元AV女優
* 1990年 - [[中山エリス]]、AV女優
* 1990年 - [[保里小百合]]、アナウンサー
* 1990年 - [[テイラー・ロタンダ]]、プロレスラー
* 1990年 - [[ジャレッド・コザート]]、プロ野球選手
* [[1991年]] - [[高木俊幸]]、サッカー選手
* [[1992年]] - [[森本将太]]、元プロ野球選手
* 1992年 - [[石岡諒太]]、プロ野球選手
* [[1993年]] ‐ [[谷田成吾]]、元[[野球選手]]
* 1993年 - [[堀江瞬]]<ref name="artsvision">{{Cite web|和書|url=https://www.raccoon-dog.co.jp/talent/m08-horie.html|title=パーソナル・データ|publisher=ラクーンドッグ|accessdate=2022-06-17}}</ref>、声優
* 1993年 - [[田津原理音]]、お笑いタレント
* 1993年 - [[比嘉展玖]]、俳優
* 1993年 - 山口コンボイ、お笑い芸人([[ケビンス]])
* [[1994年]] - [[西野七瀬]]、女優、ファッションモデル、元アイドル(元[[乃木坂46]])
* 1994年 - [[一木有海]]、元タレント
* 1994年 - [[木下ひなこ]]、ファッションモデル
* 1994年 - [[Kylee]]、歌手
* 1994年 - [[久保朱莉]]、アナウンサー
* [[1995年]] - [[塩川菜摘]]、タレント、キャスター
* [[1996年]] - [[山田朱莉]]、元モデル、元アイドル(元[[夢みるアドレセンス]])
* 1996年 - [[多田大輔]]、元プロ野球選手
* 1996年 - [[宮内春輝]]、プロ野球選手<ref name="nikkan202210290914">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202210290000136.html |title=【日本ハム】ドラ6宮内春輝152キロ横手右腕「ファンの方に好きになってもらう努力も必要」 |access-date=2022-12-15 |date=2022年10月29日 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |website=日刊スポーツ (nikkansports.com) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221215135928/https://www.nikkansports.com/baseball/news/202210290000136.html |archive-date=2022-12-15}}</ref>
* [[1997年]] - [[日隈ジュリアス]]、元プロ野球選手
* [[1998年]] - [[今井順之助]]、元プロ野球選手
* 1998年 - [[浜地真澄]]、プロ野球選手
* [[1999年]] - [[清宮幸太郎]]、プロ野球選手
* 1999年 - 北野瑠華、アイドル([[SKE48]])
* [[2000年]] - 橋本陽菜、アイドル([[AKB48]])
* [[2002年]] - [[涼凪]]、女優、モデル
* [[2004年]] - [[志田こはく]]、女優
* 生年不詳 - [[池山田剛]]、[[漫画家]]
* 生年不明 - [[山本正樹 (声優)|山本正樹]]、声優
* 生年不明 - [[野川雅史]]<ref name="ザテレビジョン">{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/2000012587/|title=野川雅史(のがわまさし)のプロフィール・画像・出演スケジュール│【スタスケ】(2000012587)|work=ザテレビジョン|publisher=KADOKAWA|accessdate=2021-01-08}}</ref>、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1984年]] - ヒデリュウオー、[[競走馬]]
* [[1992年]] - [[ダンスパートナー]]、競走馬(+ [[2016年]])
{{-}}
== 忌日 ==
[[Image:Salerno_PopeGregoriousVIITomb.JPG|thumb|upright|[[カノッサの屈辱]]で知られるローマ教皇[[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]](1020-1085)没]]
[[Image:Yuschenko_in_Paris_2005_2.jpg|thumb|upright|[[ウクライナ]]の[[民族主義]]者[[シモン・ペトリューラ]](1879-1926)、亡命先のパリで暗殺]]
[[Image:HolstStatue.jpg|thumb|upright|作曲家[[グスターヴ・ホルスト]](1874-1934)没。{{audio|Holst- venus.ogg|『惑星』(1914-16)より「金星――平和をもたらすもの」を聞く}}]]
[[Image:RobertCapabyGerdaTaro.jpg|thumb|upright|写真家[[ロバート・キャパ]](1913-1954)、[[ベトナム]]で[[地雷]]により爆死]]
=== 人物 ===
* [[1085年]] - [[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]]、第157代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1020年]]頃)
* [[1221年]]([[承久]]3年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[惟明親王]]、[[平安時代|平安]]・[[鎌倉時代]]の[[皇族]](* [[1179年]])
* [[1261年]] - [[アレクサンデル4世 (ローマ教皇)|アレクサンデル4世]]、第181代ローマ教皇(* [[1185年]]頃)
* [[1332年]]([[元弘]]2年/[[正慶]]元年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]) - [[南条時光]]、[[駿河国]]の[[地頭]](* [[1259年]])
* [[1365年]]([[貞治]]4年/[[正平 (日本)|正平]]20年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[赤橋登子]]、[[足利尊氏]]の[[正室]](* [[1306年]])
* [[1367年]]([[貞治]]6年/[[正平 (日本)|正平]]22年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[足利基氏]]、[[室町幕府]]初代[[鎌倉公方]](* [[1340年]])
* [[1555年]] - [[エンリケ2世 (ナバラ王)|エンリケ2世]]、[[ナバラ王国|ナバラ王]](* [[1503年]])
* [[1627年]]([[寛永]]4年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[今井宗薫]]、[[堺市|堺]]の商人(* [[1552年]])
* [[1675年]]([[延宝]]3年[[閏]][[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[松平綱隆]]、[[松江藩|松江藩主]](* [[1631年]])
* [[1681年]] - [[ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ]]、[[劇作家]]、[[詩人]](* [[1600年]])
* [[1706年]]([[宝永]]3年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[戸田茂睡]]、[[国学|国学者]](* [[1629年]])
* [[1786年]] - [[ペドロ3世 (ポルトガル王)|ペドロ3世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1717年]])
* [[1842年]]([[天保]]13年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[松平頼恕]]、[[高松藩|高松藩主]](* [[1798年]])
* [[1870年]] - [[フェルディナント・フォン・ウランゲル]]、[[軍人]]、[[探検家]](* [[1796年]])
* [[1899年]] - [[ローザ・ボヌール]]、[[画家]]、[[彫刻家]](* [[1822年]])
* [[1901年]] - [[中島湘煙]]、[[フェミニスト|女権拡張運動家]]、[[作家]](* [[1864年]])
* [[1924年]] - [[リューボフ・ポポーワ]]、[[美術家]]、[[画家]](* [[1889年]])
* [[1926年]] - [[シモン・ペトリューラ]]、[[ウクライナ]]の[[民族主義|民族主義者]](* [[1879年]])
* [[1932年]] - [[フランツ・フォン・ヒッパー]]、[[ドイツ海軍]]の[[大将]](* [[1863年]])
* 1932年 - [[ヘンリー・ボイル (野球)|ヘンリー・ボイル]]、元プロ野球選手(* [[1860年]])
* [[1934年]] - [[グスターヴ・ホルスト]]、[[作曲家]](* [[1874年]])
* [[1936年]] - [[ヤーン・レヴォスラフ・ベラ]]、作曲家(* [[1843年]])
* [[1942年]] - [[エマーヌエル・フォイアーマン]]、[[チェリスト]](* [[1902年]])
* [[1945年]] - [[石井菊次郎]]、外交官(* [[1866年]])
* 1945年 - [[柳瀬正夢]]、[[美術家]](* [[1900年]])
* 1945年 - [[安藤照]]、[[彫刻家]](* [[1892年]])
* 1945年 - [[長良治雄]]、元[[プロ野球選手]](* [[1919年]])
* [[1954年]] - [[ロバート・キャパ]]、報道[[カメラマン]](* [[1913年]])
* [[1957年]] - [[ヘルマン・フリートマン]]、[[哲学|哲学者]]、[[法学者]](* [[1873年]])
* [[1965年]] - [[サニー・ボーイ・ウィリアムソンII]]、[[ブルース]][[ハーモニカ]]奏者(* [[1899年]])
* [[1966年]] - [[リカルド・カスティーリョ]]、作曲家(* [[1894年]])
* [[1968年]] - [[ゲオルク・フォン・キュヒラー]]、[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]]の[[元帥]](* [[1881年]])
* [[1975年]] - [[近藤久 (野球)|近藤久]]、元プロ野球選手(* [[1918年]])
* [[1977年]] - [[有賀鉄太郎]]、[[神学者]](* [[1899年]])
* [[1978年]] - [[ブルーノ・トウシェク]]、[[物理学者]](* [[1921年]])
* [[1981年]] - [[ローザ・ポンセル]]、[[ソプラノ]]歌手(* [[1897年]])
* [[1986年]] - [[木下華声]]、[[落語家]](* [[1912年]])
* [[1988年]] - [[カール・ウィットフォーゲル]]、[[社会学者の一覧|社会学者]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1896年]])
* [[1991年]] - [[エーベルハルト・ヴェルディン]]、作曲家(* [[1911年]])
* [[1996年]] - [[w:en:Bradley Nowell|ブラッドリー・ノウェル]]、[[ミクスチャー・ロック]]歌手([[サブライム (バンド)|サブライム]])(* [[1968年]])
* [[1999年]] - [[篠倉伸子]]、女優(* [[1962年]])
* [[2002年]] - [[坊屋三郎]]、俳優(* [[1910年]])
* 2002年 - [[川上源一]]、[[実業家]]、[[ヤマハ発動機]]創業者(* [[1912年]])
* [[2006年]] - [[米原万里]]、[[ロシア語]]同時[[通訳]]、[[ノンフィクション作家]]、[[エッセイスト]]、[[小説家]](* [[1950年]])
* 2006年 - [[遠山新治]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[昭和プロダクション]]創業者(* [[1917年]])
* 2006年 - [[池田治]]、[[政治家]]、[[弁護士]](* [[1931年]])
* [[2008年]] - [[西野久子]]、[[画家]](* [[1914年]])
* 2008年 - [[ジェレミー・ゴンザレス]]、元プロ野球選手(* [[1975年]])
* 2008年 - [[川田亜子]]、[[アナウンサー]](* [[1979年]])
* [[2010年]] - [[KAGAMI]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1976年]])
* 2010年 - [[大迫純一]]、小説家(* [[1962年]])
* [[2012年]] - [[川村龍一]]、[[ラジオパーソナリティ]](* [[1943年]])
* [[2014年]] - [[ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ]]、[[ポーランド]]の指導者(* [[1923年]])
* [[2020年]] - [[高瀬将嗣]]<ref name="nikkansports20200525">{{Cite news2|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202005250000476.html|title=高瀬将嗣さん死去 芸道殺陣「波濤流」高瀬道場主宰|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|agency=日刊スポーツ新聞社|date=2020-05-25|accessdate=2020-11-15}}</ref>、[[殺陣師]]、[[映画監督]](* [[1957年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* 2010年 - [[オースミダイナー]]、[[競走馬]](* [[1988年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Bill Robinson.jpg|thumb|100px|「タップの神様」、ダンサー[[ビル・ボージャングル・ロビンソン]](1878-1949)]]
* [[アフリカの日]]・アフリカ解放の日([[アフリカ連合]])
*: [[1963年]]のこの日、アフリカ統一機構(OAU、現在の[[アフリカ連合]](AU))が発足したことを記念。
* [[タオルの日]]
*: 『[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]』シリーズの著者、[[ダグラス・アダムズ]]にまつわる記念日。作中に[[タオル]]が登場する。
* タップダンスの日({{USA}})
*: 「タップの神様」と呼ばれた[[ビル・ボージャングル・ロビンソン]]の誕生日。[[1988年]]9月に米国議会に提出され、[[1989年]]11月に[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ブッシュ]]大統領が署名した法律により制定された。
* [[独立記念日]]({{JOR}})
*: [[1946年]]5月25日に、ヨルダンが[[イギリス]]の国際連盟委任統治領から独立した。
* {{仮リンク|解放記念日 (レバノン)|en|Liberation Day (Lebanon)|label=解放記念日}}({{LBN}})
*: [[2000年]]のこの日、レバノン南部を22年間占領していたイスラエル軍が撤退したことを記念。
* 最初の政府を記念する日(五月革命記念日)({{ARG}})
*: [[1810年]]のこの日、アルゼンチンで[[スペイン]]からの解放を求める[[五月革命 (アルゼンチン)|五月革命]]が起こった。
* 食堂車の日({{JPN}})
*: [[1899年]]5月25日に私鉄の[[山陽鉄道]](現 [[山陽本線]])に[[京都駅]]〜[[三田尻駅]]間を走る急行列車に日本初の[[食堂車]]が登場した<ref>{{Cite web|和書|url= https://prtimes.jp/magazine/today/dining-car-day/ |title= 食堂車の日(5月25日)|website= |publisher=PR Times |date=2022-05-25|accessdate=2022-06-28}}</ref>。
* 納本制度の日({{JPN}})
*: [[1948年]]のこの日から[[国立国会図書館|国会図書館]]において納本の受付が始まったことにちなみ、2008年に60周年を記念して国会図書館が定めた。
* 広辞苑記念日({{JPN}})
*: [[1955年]](昭和30年)5月25日に[[岩波書店]]の国語辞典『[[広辞苑]]』の初版が刊行されたことに因む<ref>{{Cite web|和書|url= https://today.smartnews.com/20150525 |title=広辞苑記念日 |website= |publisher=Smart News |date=2015-05-25|accessdate=2022-06-28}}</ref>。
* 別所線の日({{JPN}})
*: [[上田電鉄別所線]]の存続を目的に、市民団体「別所線の将来を考える会」が制定。日付は、別所線のシンボルである丸窓電車「モハ5250」の525から。
* プリンの日({{JPN}})
*: [[オハヨー乳業|オハヨー乳業株式会社]]が制定。日付は25を「プリンを食べると思わずニッコリ」の「ニッコリ」と読む語呂合わせから。
*[[主婦休みの日]]({{JPN}})
*:主婦がほっと一息ついて自分磨きやリフレッシュするのが目的で、株式会社サンケイリビング新聞社が中心になって制定。日付は年末年始、ゴールデンウィーク、夏休みなどの主婦が忙しい時期のあとの[[1月25日]]、5月25日、[[9月25日]]の年3日を設定した<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=270|isbn=978-4422021157 }}</ref>。
* [[ターミネーター (映画)|ターミネーター]]の日({{JPN}})
*: [[アーノルド・シュワルツェネッガー]]主演の映画『[[ターミネーター (映画)|ターミネーター]]』シリーズの第1作が1985年5月25日に公開されたことを記念して、2015年に[[日本記念日協会]]によって認定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0073031|title=5月25日が「ターミネーターの日」に認定!シュワちゃんもご満悦|publisher=シネマトゥデイ|date=2015-05-08|accessdate=2015-05-08}}</ref>。
* ホゴネコの日({{JPN}})
*: 日本の猫の殺処分ゼロを目指す株式会社ネコパブリックが制定。記念日を通じて保護猫がなぜ生まれるかのかを考えてもらい、ひとつの命を最後まで大切にする文化を根付かせるのが目的。日付は、「0525」をホゴネコと読む語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=175|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0525|date=2011年6月}}
* 昭和2×年 - 寺田辰也が諏訪弁護士事務所を訪れる。(小説『[[八つ墓村]]』第1章)
* 1954年 - 火曜日、[[ジェームズ・ボンド]]が[[M (架空の人物)|M]]より[[ドーバー (イギリス)|ドーバー]]近くのムーンレイカー[[基地]]に保安係として派遣の特命を受ける。(小説『[[007 ムーンレイカー#出版|ムーンレイカー]]』第8章<ref group="注">1954年5月25日であることは、第8章でボンドが読む資料に1953年7月の[[バー・メッカ殺人事件]]があること、第10章でこの日が5月末の火曜日とあること、第13章でグッドウィン灯台船の乗員の冥福を祈っているのが1954年11月26日金曜日で最終章でMが「グッドウィン灯台船も被害を受けた」と言っていることによる。</ref>)
* 1978年 - 御手洗潔、石岡和己と出逢う。(小説『[[御手洗潔シリーズ|異邦の騎士]]』)
* 2006年 - 地球に彗星が落下、文明が滅びる。(フランスの伝説、フランス軍の元航空管制官エリック・ジュリアンが[[シュワスマン・ワハマン第3彗星|73Pシュワスマン=ヴァハマン彗星]]の軌道計算の結果、可能性が高いと発表)
* 宇宙暦799年 - バーラトの和約(小説・アニメ『[[銀河英雄伝説]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1932年]] - [[グーフィー]]、アニメ・映画『[[ミッキーマウス!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.disney.co.jp/store/news/new/goofy-birthday_220512.html |title=5月25日はグーフィーのお誕生日!『グーフィー・ムービー/ホリデーは最高!!』の名シーンからインスパイアされたグッズが新登場<ディズニーストア / ショップディズニー> |access-date=2022-09-08 |publisher=DISNEY STORE |date=2022-05-12}}</ref>
* [[1933年]] - 大道寺智子、推理小説・ドラマ・映画『[[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]]』に登場するキャラクター<ref>『女王蜂』第1章</ref>
* [[1969年]] - [[鮎川まどか]]、漫画・アニメ『[[きまぐれオレンジ☆ロード]]』のヒロイン<ref>コミックス第9巻(ISBN 4-08-851719-9)カバーに書かれた筆者まつもと泉の説明から。なお、原作本編では11月25日とされていた。コミックス第8巻(ISBN 4-08-851718-0)「プライヴェート・メモリー!の巻」P27</ref>
* [[1980年]] - 小戸川宏、アニメ『[[オッドタクシー]]』の主人公
* [[2004年]] - 鬼頭はるか、[[スーパー戦隊シリーズ]]『[[暴太郎戦隊ドンブラザーズ]]』の登場人物<ref>40話の運転免許証より</ref>
* 生年不明 - トリコ、漫画・アニメ『[[トリコ]]』の主人公
* 生年不明 - 本庄美風、アニメ『[[ストラトス・フォー]]』の主人公
* 生年不明 - 灰崎凌兵、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』の主人公のひとり<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=2022-09-08}}</ref>
* 生年不明 - ビックパン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Big_Pan.html |title=ビックパン |access-date=2022-09-08 |publisher=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - アレキサンダー・アマデウス、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1529116279105277952}}</ref>
* 生年不明 - ペッシュ・ガティーシェ、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/03/pesche.html |title=ペッシュ・ガティーシェ |access-date=2022-09-08 |publisher=BLEACH.com}}</ref>
* 生年不明 - 外村美鈴、漫画・アニメ『[[いちご100%]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 花澤由加、漫画・アニメ『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 三雲修、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1131937959941410818}}</ref>
* 生年不明 - 俵屋さつき(さっちゃん)、漫画・アニメ『[[スクールランブル]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 宵町暦、漫画・アニメ『[[ZOMBIE-LOAN]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 真中あお、漫画・アニメ『[[恋する小惑星]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=Character 真中あお |url=http://koiastv.com/chara02.html |website=koiastv.com |accessdate=2022-09-08 |publisher= |work=TVアニメ「恋する小惑星」公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 後藤卓也、小説・アニメ『[[響け! ユーフォニアム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://tv2nd.anime-eupho.com/sp/character/takuya/ |title=後藤卓也 |publisher=武田綾乃・[[宝島社]]/『響け!』製作委員会 [[京都アニメーション]] |work=響け! ユーフォニアム2 |accessdate=2022-09-08}}</ref>
* 生年不明 - エルエルフ・カルルスタイン、アニメ『[[革命機ヴァルヴレイヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.valvrave.com/character/#c2 |title=L-ELF エルエルフ |work=SUNRISE/VVV Committee, MBS |accessdate=2022-09-08}}</ref>
* 生年不明 - 風鳴翼、アニメ『[[戦姫絶唱シンフォギア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.symphogear-gx.com/characters/tsubasa.php |title=キャラクター - 風鳴 翼(CV:水樹 奈々) |work=Project シンフォギアGX |publisher=TVアニメ「戦姫絶唱シンフォギアGX」公式サイト |accessdate=2022-09-08}}</ref>
* 生年不明 - 唐之杜志恩(からのもりしおん)、アニメ『[[PSYCHO-PASS サイコパス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.noitamina-shop.com/event/id/889 |title=TVアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス 3』須郷徹平&唐之杜志恩 バースデーキャンペーン |access-date=2022-09-08 |publisher=ノイタミナショップ}}</ref>
* 生年不明 - ヒトミ、対戦格闘ゲーム『[[デッド オア アライブ シリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|doa6jp|1529130103707344896}}</ref>
* 生年不明 - 林沖、ゲーム・アニメ『[[真剣で私に恋しなさい!!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 浜川愛結奈、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20125 |title=浜川 愛結奈(はまかわ あゆな) |access-date=2022-09-08 |publisher=窪岡俊之 THE IDOLM@STER™& Bandai Namco Entertainment Inc.}}</ref>
* 生年不明 - 望月エレナ、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130701_186927/ |title=【ガールフレンド(仮)通信70】ちょっぴりエッチでナイスバディ 望月エレナちゃん(CV:原田ひとみ) |access-date=2022-09-08 |publisher=ファミ通App |date=2013-07-01}}</ref>
* 生年不明 - 酒出茉梨、ゲーム・アニメ『[[バトルガール ハイスクール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bgirl_colopl|999948989142220802}}</ref>
* 生年不明 - 折原輝、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.i-chu.jp/unit/ars/hikaru/ |title=折原 輝 |access-date=2022-09-08 |publisher=アイ★チュウ}}</ref>
* 生年不明 - 天翔ひびき、ゲーム・アニメ『[[アイカツフレンズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/aikatsufriends_02/character/hibiki.html |title=天翔ひびき |access-date=2022-09-08 |publisher=BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO |work=アイカツフレンズ!}}</ref>
*生年不明 - 丘田マリアンヌ、ゲーム『[[アイ・アム・マジカミ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.magicami.jp/character/11/ |title=丘田 マリアンヌ |access-date=2022-09-08 |publisher=アイ・アム・マジカミ公式サイト}}</ref>
*生年不明 - 青柳冬弥、ゲーム『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク|プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_sekai|1396843429624156168}}</ref>
*生年不明 - 新田巨也、メディアミックス『[[博多豚骨ラーメンズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://note.com/kisakichiaki/n/n45700921bd7f |title=『博多豚骨ラーメンズ』のキャラクター設定について |accessdate=2022-09-08 |publisher=木崎ちあき |website=note}}</ref>
*生年不明 - 鹿地隼芽、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 栃野日光、メディアミックス『魔法少女大戦』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 春日春奈、メディアミックス『[[D4DJ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://d4dj.bushimo.jp/unit/kasuga-haruna/ |title=春日 春奈 |access-date=2022-09-08 |publisher=D4DJ PORTAL WEBSITE}}</ref>
*生年不明 - [[リゼ・ヘルエスタ]]、[[にじさんじ]]所属の[[バーチャルYouTuber|バーチャルライバー]]<ref>{{Citation|title=【誕生日】みんなと一緒に5/25を迎えたい!【にじさんじ/リゼ・ヘルエスタ】|year=|url=https://www.youtube.com/watch?v=8IG6Eafulfg|accessdate=2022-09-08}}</ref>
* 生年不明 - [[ラプラス・ダークネス]]、[[ホロライブプロダクション]]所属のVTuber
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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'''5月26日'''(ごがつにじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から146日目([[閏年]]では147日目)にあたり、年末まではあと219日ある。
== できごと ==
[[ファイル:1910Ford-T.jpg|thumb|200x200px|[[フォード・モデルT]]生産終了(1927)]]
* [[599年]]([[推古天皇]]7年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - 『[[日本書紀]]』に日本最古の[[震災|地震による被害状況]]の記録。([[推古地震]])
* [[752年]]([[天平勝宝]]4年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[東大寺盧舎那仏像]]の開眼供養。
* [[946年]] - [[イングランド王]][[エドマンド1世 (イングランド王)|エドマンド1世]]が暗殺され、エドマンドの弟[[エドレッド]]がイングランド王に就任した。
* [[1135年]] - [[アルフォンソ7世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ7世]]が「{{仮リンク|全ヒスパニアの皇帝|en|Imperator totius Hispaniae}}」として戴冠。
* [[1253年]]([[建長]]5年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[日蓮]]が安房国小湊浦の清澄山山頂で集まった大衆に初めて[[法華経|法華]]の教えを説く。(立教開宗)
* [[1326年]]([[嘉暦]]元年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[北条守時]]が鎌倉幕府第16代[[執権]]に就任。
*[[1600年]]([[慶長]]5年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[直江兼続]]が[[徳川家康]]の非を問い糾す書簡([[直江状]])を送付。
* [[1701年]]([[元禄]]14年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[赤穂事件]]: 浅野家断絶のため、[[赤穂城]]が幕府に明け渡し。
* [[1736年]] - [[チカソー戦争]]: アキアの戦い。
* [[1762年]] - ビュート伯[[ジョン・ステュアート (第3代ビュート伯)|ジョン・ステュアート]]がイギリスの7代首相に就任。
* [[1805年]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]がイタリア王として戴冠。
* [[1828年]] - [[ドイツ]]・[[ニュルンベルク]]で、16歳まで牢獄に閉じ込められていた[[カスパー・ハウザー]]が発見・保護される。
* [[1867年]](慶応3年4月23日) - [[いろは丸]]沈没事故。
* [[1896年]](ユリウス暦[[5月14日]]) - ロシア皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]が戴冠。
* 1896年 - [[チャールズ・ダウ]]が初の[[ダウ平均株価]]を発表。
* [[1897年]] - [[ブラム・ストーカー]]の小説『[[吸血鬼ドラキュラ]]』が発刊される。
* [[1916年]] - [[朝日新聞]]で[[夏目漱石]]最後の作品『[[明暗]]』が連載開始。
* [[1918年]] - [[グルジア民主共和国]]が独立を宣言。
* [[1923年]] - 第1回[[1923年のル・マン24時間レース|ル・マン24時間レース]]が開催。
* [[1924年]] - [[カルビン・クーリッジ]][[アメリカ合衆国大統領]]が[[排日移民法]]に署名。
* [[1927年]] - [[フォード・モデルT]]の生産が終了。
* 1927年 - [[アルコス (ソ連)|アルコス事件]]: [[イギリス]]と[[ソビエト連邦]]が断交。
* [[1932年]] - 日本で[[齋藤實]]が第30代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[齋藤内閣]]が発足。
* [[1933年]] - [[鳩山一郎]][[文部大臣]]が[[滝川幸辰]][[京都大学]][[法学部]][[教授]]を[[自由主義]]思想を理由に強制免官、教授団と学生による抵抗運動に発展。([[滝川事件]])
* [[1937年]] - [[双葉山定次]]が第35代[[横綱]]に昇進。
* [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ダンケルクの戦い]]が始まる。
* [[1941年]] - 日本初の国産[[オートジャイロ]]「[[カ号観測機]]」が初飛行。
* [[1942年]] - [[日本文学報国会]]設立。
* 1942年 - 第二次世界大戦: [[ビル・ハケイムの戦い]]が始まる。
* [[1959年]] - [[国際オリンピック委員会|IOC]]総会で[[1964年東京オリンピック|1964年のオリンピック]]の開催地が[[東京都|東京]]に決定。
* [[1960年]] - [[安保闘争]]: 安保改定阻止国民会議が全国で統一行動、[[国会議事堂]]周辺で17万人を超す請願デモ。
* [[1963年]] - 横綱・[[大鵬幸喜|大鵬]]が[[大相撲]]史上初の6場所連続優勝。
* [[1966年]] - [[ガイアナ]]が[[イギリス]]から独立。
* [[1969年]] - [[東名高速道路]]が全区間開通し、[[東京インターチェンジ|東京]] - [[西宮インターチェンジ|西宮]]536kmが高速道路で繋がる。
* 1969年 - 月を周回したアメリカの有人宇宙船「[[アポロ10号]]」が地球に帰還。
* [[1971年]] - [[オーストリア]]と[[中華人民共和国]]が外交関係を樹立。
* [[1972年]] - [[リチャード・ニクソン|ニクソン米大統領]]と[[レオニード・ブレジネフ|ブレジネフ・ソ連書記長]]がモスクワで「[[第一次戦略兵器制限交渉]]」(SALT I)および「[[弾道弾迎撃ミサイル制限条約]]」に調印。
* [[1980年]] - [[明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法|明日香村特別措置法]]公布・施行。
* [[1983年]] - [[日本海中部地震]]発生。
* [[1986年]] - [[欧州共同体]] (EC) が[[欧州旗]]をそのシンボルとして採用。
* [[1990年]] - [[東京都]][[板橋区]]の第一化成工業の工場で爆発事故。死者8人。
* [[1991年]] - [[ラウダ航空004便墜落事故]]。
* 1991年 - [[ズヴィアド・ガムサフルディア]]が初代[[グルジアの大統領一覧|グルジア大統領]]に選出。
* [[2003年]] - [[宮城県沖地震 (2003年)|三陸南地震]]発生。
* [[2008年]] - [[三浦雄一郎]]が75歳7か月の史上最年長で[[エベレスト]]に登頂。
* [[2011年]] - [[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の「[[世界の記憶]]」に、[[山本作兵衛]]作の「筑豊炭鉱画」(絵画と日記の計697点)が登録決定。日本で初めての登録。
* [[2012年]] - [[竹内洋岳]]がヒマラヤ山脈の[[ダウラギリ]]に登頂し、日本人としてはじめてヒマラヤ山脈の8000メートル級の山14峰をすべて登頂<ref>{{Cite web|和書|date=26 May 2012 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZZO41829260V20C12A5000000/ |title=日本人初の快挙、8000メートル峰14座登頂 竹内洋岳 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=29 May 2023}}</ref>。
* [[2019年]] - [[北海道]]道東地方で5月としては異例の記録的酷暑で、佐呂間で39.5度、帯広で38.8度など道東各地で5月の歴代最高気温を大きく上回る記録。(全国で見ても5月の歴代最高気温を大きく更新)
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[ファイル:Senhime_Himeji.jpg|thumb|180x180px|[[豊臣秀頼]]・[[本多忠刻]]の正室、[[千姫]](1597-1666)誕生。画像は[[姫路城]]にある千姫の人形]]
[[ファイル:Philippe_de_Champaigne.jpg|thumb|[[バロック]]の画家[[フィリップ・ド・シャンパーニュ]](1602-1674)誕生。画像は自画像|222x222ピクセル]]
[[ファイル:Abraham_de_moivre.jpg|thumb|100px|[[ド・モアブルの定理]]を証明した数学者、[[アブラーム・ド・モアブル]](1667-1754)]]
[[ファイル:Sadao_Araki.jpg|thumb|upright|[[皇道派]]の陸軍軍人、[[荒木貞夫]](1877-1966)]]
[[ファイル:John_Wayne_The_searchers_Ford_Trailer_screenshot_%2829%29.jpg|thumb|upright|俳優[[ジョン・ウェイン]](1907-1979)。画像は映画『捜索者』(1956)]]
[[ファイル:J%C3%A1nos_K%C3%A1d%C3%A1r_%28fototeca.iiccr.ro%29.jpg|thumb|100px|[[ハンガリー]]の首相[[カーダール・ヤーノシュ]](1912-1989)]]
[[ファイル:Miles_Davis_22.jpg|thumb|220px|[[モダン・ジャズ]]の帝王[[マイルス・デイヴィス]](1926-1991)]]
[[ファイル:Diomedesdiaz2.png|サムネイル|[[ディオメデス・ディアス]]、[[ラテン音楽]]の最大の売り手の1つ(1957-2013)]]
* [[1264年]]([[文永]]元年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - [[惟康親王]]、[[鎌倉幕府]]7代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1326年]])
* [[1566年]] - [[メフメト3世]]、[[オスマン帝国]]第13代[[皇帝]](+ [[1613年]])
* [[1597年]]([[慶長]]2年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[千姫]]<ref group="注">『幕府祚胤伝』による。没年月日について諸説あり。</ref><ref>{{Kotobank|千姫}}</ref>、[[徳川秀忠]]の娘、[[豊臣秀頼]]の[[正室]](+ [[1666年]])
* [[1602年]] - [[フィリップ・ド・シャンパーニュ]]<ref>{{Cite web |title=Philippe de Champaigne {{!}} Biography, Paintings, & Facts |url=https://www.britannica.com/biography/Philippe-de-Champaigne |access-date=29 May 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[画家]](+ [[1674年]])
* [[1650年]] - [[ジョン・チャーチル (初代マールバラ公)|ジョン・チャーチル]]、[[イギリス]]の[[軍人]](+ [[1722年]])
* [[1667年]] - [[アブラーム・ド・モアブル]]、[[数学者]](+ [[1754年]])
* [[1783年]]([[天明]]3年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[村田清風]]、[[長州藩]]士(+ [[1855年]])
* [[1787年]]([[天明]]7年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[久留島通嘉]]、豊後国[[森藩]]8代藩主(+ [[1846年]])
* [[1822年]] - [[エドモン・ド・ゴンクール]]、[[作家]]、[[美術評論家]](+ [[1896年]])
* [[1863年]] - [[ボブ・フィッシモンズ]]、[[プロボクサー]](+ [[1917年]])
* [[1865年]] - [[ロバート・W・チェンバース]]、[[小説家]](+ [[1933年]])
* [[1867年]] - [[メアリー・オブ・テック]]、[[イギリス]][[王妃]](+ [[1953年]])
* [[1872年]]([[明治]]5年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]])- [[三角錫子]]、[[教育者]]、[[学校法人トキワ松学園|トキワ松学園]]創立者(+ [[1921年]])
* [[1877年]] - [[荒木貞夫]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]大将(+ [[1966年]])
* 1877年 - [[イサドラ・ダンカン]]、ダンサー(+ [[1927年]])
* [[1885年]] - [[牧野良三]]、[[政治家]](+ [[1961年]])
* [[1886年]] - [[呂運亨]]、[[大韓民国|韓国]]の独立運動家(+ [[1947年]])
* 1886年 - [[アル・ジョルソン]]、[[歌手]](+ [[1950年]])
* [[1890年]] - [[サムイル・フェインベルク]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1962年]])
* [[1895年]] - [[谷川徹三]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1989年]])
* 1895年 - [[ドロシア・ラング]]、[[写真家]](+ [[1965年]])
* [[1904年]] - [[ヴラド・ペルルミュテール]]、[[ピアニスト]](+ [[2002年]])
* [[1905年]] - [[加藤楸邨]]、[[俳人]](+ [[1994年]])
* [[1907年]] - [[ジョン・ウェイン]]、[[俳優]](+ [[1979年]])
* [[1908年]] - [[三坂耿一郎]]、[[彫刻家]](+ [[1995年]])
* [[1909年]] - [[マット・バスビー]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者(+ [[1994年]])
* [[1911年]] - [[ベルンハルト・カッツ]]、[[生理学者]](+ [[2003年]])
* [[1912年]] - [[カーダール・ヤーノシュ]]、[[ハンガリー]]の指導者(+ [[1989年]])
* [[1913年]] - [[ピーター・カッシング]]、俳優(+ [[1994年]])
* [[1918年]] - [[玉井栄]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1953年]])
* [[1919年]] - [[杉山龍丸]]、インドの緑の父(+ [[1987年]])
* [[1920年]] - [[ペギー・リー]]、歌手、女優(+ [[2002年]])
* [[1922年]] - [[大河原太一郎]]、政治家(+ [[2017年]])
* [[1923年]] - [[石毛善衛]]、元騎手、調教師(+[[2014年]])
* [[1926年]] - [[マイルス・デイヴィス]]、[[ジャズ]]の[[トランペット]]奏者(+ [[1991年]])
* [[1928年]] - [[西田昭市]]、俳優、[[声優]](+ [[1990年]])
* [[1930年]] - [[ダークダックス|遠山一]]、[[声楽家]]([[ダークダックス]](+ [[2023年]])
* [[1931年]] - [[関登美雄]]、俳優
* [[1933年]] - [[砂田弘]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[2008年]])
* [[1934年]] - [[東海林のり子]]、[[レポーター]]、[[アナウンサー]]
* 1934年 - [[井上登 (野球)|井上登]]、元プロ野球選手(+ [[2012年]])
* 1934年 - [[丁銀隆]]、元プロ野球選手
* [[1937年]] - [[モンキー・パンチ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20190417dog00m200000000c.html |title=モンキー・パンチさん:「ルパン三世」の生みの親が肺炎のため死去 81歳 |publisher=[[MANTAN|MANTAN WEB]] |date=17 Apr 2019 |accessdate=29 May 2023}}</ref>、[[漫画家]](+ [[2019年]])
* [[1940年]] - [[鈴木宏昌]]、ジャズピアニスト(+[[2001年]])
* [[1941年]] - [[徳丸完]]、声優(+ [[2011年]])
* [[1945年]] - [[鹿内宏明]]、実業家
* [[1947年]] - [[ダレル・エバンス]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[高橋文博]]、倫理学者、[[岡山大学]]名誉教授
* 1948年 - [[黛ジュン]]、歌手
* 1948年 - [[スティーヴィー・ニックス]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[フリートウッド・マック]])
* [[1949年]] - [[パム・グリア]]、女優
* 1949年 - [[ウォード・カニンガム]]、[[プログラマ]]
* 1949年 - [[須貝四郎]]、元[[騎手]]、[[競馬評論家]](+ [[1994年]])
* [[1951年]] - [[森大河]]、俳優(+ 没年不詳)
* [[1952年]] - [[三景啓司]]、元俳優
* 1952年 - [[快楽亭ブラック (2代目)]]、[[落語家]]
* [[1955年]] - [[森本正治]]、料理人
* [[1957年]] - [[ディオメデス・ディアス]]、歌手(+ [[2013年]])
* [[1958年]] - [[近藤昭一]]、政治家
* [[1959年]] - [[橋本晶子]]、女優
* 1959年 - [[トミーズ|トミーズ健]]、[[お笑いタレント]]
* 1959年 - [[荻野真]]、[[漫画家]] (+ [[2019年]])
* [[1960年]] - [[石原慎一]]、俳優、声優、歌手
* [[1961年]] - [[三池敏夫]]、美術監督
* [[1962年]] - [[長谷川国利]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[古海五月]]、元バスケットボール選手
* [[1964年]] - [[ウィリー・フレーザー]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[西川隆宏]]、ミュージシャン(元[[DREAMS COME TRUE]])
* 1964年 - [[本間立彦]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[レニー・クラヴィッツ]]、ミュージシャン
* [[1965年]] - [[ワレンティナ・オギエンコ]]、[[バレーボール選手一覧|バレーボール選手]]
* [[1966年]] - [[ヘレナ・ボナム=カーター]]、女優
* 1966年 - [[東地宏樹]]、俳優、声優
* [[1967年]] - [[高橋靖子]]、タレント、女優
* 1967年 - [[福山憲三]]、歌手
* 1967年 - [[安田秀之]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[福澤洋一]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[山本美香]]、ジャーナリスト(+ [[2012年]])
* [[1968年]] - [[岩井由紀子]]、[[タレント]]
* 1968年 - [[田島都]]、元タレント
* 1968年 - [[有隅昭二]]、元プロ野球選手、プロ野球審判
* [[1970年]] - [[和月伸宏]]、漫画家
* 1970年 - [[大和さくら]]、元[[演歌歌手]]
* [[1971年]] - [[木佐彩子]]、アナウンサー
* 1971年 - [[TAKURO]]、ミュージシャン([[GLAY]])
* [[1972年]] - [[ゾルタン・サボ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://qoly.jp/2020/12/16/zoltan-sabo-rip-iks-1|title=元アビスパ福岡のゾルタン・サボ氏、48歳で死去|publisher=Qoly|date=16 Dec 2020|accessdate=29 May 2023}}</ref>、元サッカー選手、指導者(+ [[2020年]])
* [[1973年]] - [[クリス・レイサム (野球)|クリス・レイサム]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[岡安譲]]、アナウンサー
* 1974年 - [[天野こずえ]]、漫画家
* 1974年 - [[清水千曲]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[ローリン・ヒル]]、歌手
* 1975年 - [[つるの剛士]]、俳優、歌手
* [[1976年]] - [[櫻井幸博]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[ヨニ・グッドマン]]、[[アニメーター]]
* [[1977年]] - [[伊東美咲]]、女優
* 1977年 - [[菊池美里]]、女優
* 1977年 - [[芳東洋]]、大相撲力士
* 1977年 - [[ルカ・トーニ]]、元サッカー選手
* [[1979年]] - [[五味涼子]]、スタントウーマン
* 1979年 - あやまん監督、エンターテインメント集団([[あやまんJAPAN]])
* 1979年 - [[天瀬まゆ]]、声優、[[語り手|ナレーター]]
* 1979年 - [[ばってん多摩川]]、プロレスラー
* [[1981年]] - [[橋本和芳]]、アナウンサー
* 1981年 - [[:en:Isaac_Slade|アイザック・スレイド]]、ミュージシャン、ピアニスト([[ザ・フレイ]])
* [[1982年]] - [[前野智昭]]、[[声優]]
* 1982年 - [[成瀬朱美]]、雀士
* 1982年 - [[松金ようこ]]、元[[グラビアアイドル]]
* 1982年 - [[ナタリア・ロマニウタ]]、フィギュアスケート選手
* [[1983年]] - [[渡部若菜]]、元[[舞台]]女優
* 1983年 - [[蔡英峰]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[竹下哲史]]、元プロ野球選手
* [[1984年]] - [[二宮直輝]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー
* [[1986年]] - [[小平奈緒]]、元スピードスケート選手
* [[1990年]] - [[石川駿]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[金香里]]、声優
* [[1991年]] - [[澤田崇]]、サッカー選手
* 1991年 - [[瀬戸花]]、グラビアアイドル
* [[1992年]] - [[ジェニー・ベヘマー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1992年 - [[安江嘉純]]、元プロ野球選手
* 1992年 - [[椿原愛]]、グラビアアイドル
* 1992年 - [[本宮佳奈]]、声優
* 1992年 - [[中村佳穂]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1993年]] - [[伊藤かりん]]、タレント、元アイドル(元[[乃木坂46]])
* 1993年 - [[ガブリエル・イノア]]、プロ野球選手
* [[1994年]] - [[礒部花凜]]、女優、声優、歌手
* 1994年 - [[星蘭ひとみ]]、元[[宝塚歌劇団]][[専科 (宝塚歌劇)|専科]]娘役
* 1994年 - [[山田真子]]、プロボクサー
* 1994年 - [[美間優槻]]、元プロ野球選手
* [[1995年]] - [[リ・ジヒャン]]、フィギュアスケート選手
* 1995年 - [[奥村展征]]、プロ野球選手
* [[1996年]] - [[堀池亮介]]、[[フジテレビのアナウンサー一覧|フジテレビアナウンサー]]
* [[1997年]] - [[八木彬]]、プロ野球選手
* [[1999年]] - [[陶山恵実里]]、声優、アイドル(元[[虹のコンキスタドール]])
* [[2000年]] - [[清宮虎多朗]]、プロ野球選手
* [[2001年]] - [[柴田壮介]]、サッカー選手
* [[2002年]] - 大谷芽衣<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vleague.jp/women/player_detail/4249 |title=大谷 芽衣 |access-date=29 May 2023 |publisher=フォレストリーヴズ熊本}}</ref>、バレーボール選手
* [[2003年]] - [[増田彩乃]]、モデル、アイドル([[A♡Z]]、Lapilaz)
* 生年不明 - [[高橋美樹]]、アナウンサー
* 生年不明 - [[あさむらまほり]]、声優
* 生年不明 - [[熊野哲也]]、声優
* 生年不明 - [[黒瀬浩二]]、声優
* 生年不明 - [[中野慎太郎]]、声優
* 生年不明 - [[角田紗里]]、声優
* 生年不明 - [[島形麻衣奈]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.production-ace.co.jp/ace_talent/mainashimagata/ |title=島形麻衣奈 |accessdate=29 May 2023 |publisher=プロダクション・エース}}</ref>、声優
* 生年不明 - [[宮瀬玲奈]]、声優、アイドル ([[22/7 (アイドルグループ)|22/7]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2009年]] - [[ホッコータルマエ]]、競走馬
== 忌日 ==
=== 人物 ===
[[ファイル:Takayoshi Kido suit.jpg|thumb|upright|維新期の長州閥巨頭、[[木戸孝允]](1833-1877)没]]
[[ファイル:Tamaki Miura.jpg|thumb|upright|『[[蝶々夫人]]』で成功したオペラ歌手、[[三浦環]](1884-1946)]]
[[ファイル:Grab_Heidegger.JPG|thumb|upright|哲学者[[マルティン・ハイデッガー]](1889-1976)]]
* [[1359年]]([[正平 (日本)|正平]]14年/[[延文]]3年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - [[阿野廉子]]、[[後醍醐天皇]]の寵妃、[[後村上天皇]]の生母(* [[1301年]])
* [[1421年]] - [[メフメト1世]]、第5代[[オスマン帝国]][[スルタン]](* [[1377年]])
* [[1499年]]([[明応]]8年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[小早川敬平]]、[[武将|戦国武将]](* [[1452年]])
* [[1512年]] - [[バヤズィト2世]]、第8代オスマン帝国スルタン(* [[1447年]])
* [[1584年]]([[天正]]12年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[蒲生賢秀]]、戦国武将(* [[1534年]])
* [[1615年]]([[元和 (日本)|元和]]元年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - [[塙直之]](塙団右衛門)、戦国武将(* [[1567年]])
* [[1620年]]([[元和 (日本)|元和]]6年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[ウィリアム・アダムス]](三浦按針)、[[徳川家康]]に仕えた[[イングランド]]の航海士(* [[1564年]])
* [[1625年]]([[寛永]]2年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[日秀尼]]、[[豊臣秀吉]]の姉(* [[1534年]])
* [[1644年]] - [[アルフォンソ3世・デステ]]、[[フェラーラとモデナの君主一覧|モデナ・レッジョ公]](* [[1591年]])
* [[1685年]] - [[カール2世 (プファルツ選帝侯)|カール2世]]、[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]](* [[1651年]])
* [[1703年]] - [[サミュエル・ピープス]]、イングランドの海軍大臣、[[日記]]作家(* [[1633年]])
* [[1709年]]([[宝永]]6年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[本多忠常]]、[[郡山藩|郡山藩主]](* [[1661年]])
* [[1727年]] - [[フランチェスコ・ファルネーゼ]]、[[パルマ公の一覧|パルマ公]](* [[1678年]])
* [[1767年]] - [[ハインリヒ・フォン・プロイセン (1747-1767)|ハインリヒ]]、[[プロイセン王国|プロイセン王族]](* [[1747年]])
* [[1828年]] - [[ジョン・オクスリー]]、[[探検家]](* [[1785年]])
* [[1872年]] - [[ウィリアム・スティンプソン]]、[[動物学|動物学者]](* [[1832年]])
* [[1877年]] - [[木戸孝允]](桂小五郎)、[[明治維新]]三傑の1人(* [[1833年]])
* [[1881年]] - [[ヤーコプ・ベルナイス]]、[[言語学|言語学者]](* [[1824年]])
* [[1883年]] - [[エドワード・サビーン]]、[[天文学者]](* [[1788年]])
* [[1894年]] - 初代[[三遊亭萬橘]]、[[寄席]][[芸人]](* [[1847年]])
* [[1912年]] - [[アマーリエ・イン・バイエルン|アマーリエ]]、[[リトアニア|リトアニア王]][[ミンダウガス2世]]の妃(* [[1865年]])
* [[1913年]] - [[坪井正五郎]]、[[自然人類学|自然人類学者]](* [[1863年]])
* [[1919年]] - 初代[[柳家小せん]]、[[落語家]](* [[1883年]])
* [[1922年]] - [[エルネスト・ソルベー]]、[[化学者]](* [[1838年]])
* [[1924年]] - [[ヴィクター・ハーバート]]、[[作曲家]](* [[1859年]])
* [[1932年]] - [[関根正直]]、[[日本文学|日本文学者]](* [[1860年]])
* 1932年 - [[白川義則]]、[[陸軍大臣]]、[[上海派遣軍]]司令官(* [[1869年]])
* 1932年 - [[武田千代三郎]]、[[内務省 (日本)|内務官僚]]、[[教育関係人物一覧|教育者]]、[[スポーツ]]指導者(* [[1867年]])
* [[1940年]] - [[ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1906-1940)|ヴィルヘルム]]、[[ドイツ帝国|ドイツ皇太子]][[ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1882-1951)|ヴィルヘルム]]の長男(* [[1906年]])
* [[1942年]] - [[イェジー・ソスノフスキ]]、[[ポーランド]]の[[スパイ|情報員]](* [[1896年]])
* [[1946年]] - [[三浦環]]、[[ソプラノ]][[歌手]](* [[1884年]])
* [[1948年]] - [[阿部勝雄]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[中将]](* [[1891年]])
* [[1955年]] - [[アルベルト・アスカリ|アルベルト・アスカーリ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(* [[1918年]])
* [[1956年]] - [[アル・シモンズ]]、元プロ野球選手(* [[1902年]])
* [[1959年]] - [[エド・ウォルシュ]]、元プロ野球選手(* [[1881年]])
* [[1971年]] - [[左卜全]]、[[俳優]](* [[1894年]])
* [[1973年]] - [[カール・レーヴィット]]、[[哲学|哲学者]](* [[1897年]])
* [[1974年]] - [[シルビオ・モーザー]]、F1レーサー(* [[1941年]])
* [[1976年]] - [[マルティン・ハイデッガー]]、哲学者(* [[1889年]])
* 1976年 - [[エドガー・ムーン]]、[[テニス]]選手(* [[1904年]])
* [[1978年]] - [[タマーラ・カルサヴィナ]]、[[バレリーナ]](* [[1885年]])
* [[1983年]] - [[東龍太郎]]、政治家、[[東京都知事一覧|東京都知事]]、[[日本赤十字社]]社長(* [[1893年]])
* [[1986年]] - [[松本忠助]]、[[公明党]][[衆議院議員]](* [[1914年]])
* [[1989年]] - [[鷹司和子]]、[[昭和天皇]]の第三皇女(* [[1929年]])
* [[1997年]] - [[水城蘭子]]、[[俳優|女優]]、[[声優]](* [[1929年]])
* 1997年 - [[益田佳於]]、[[暴力団]][[山口組]]顧問、[[益田組]]組長(* [[1930年]])
* [[1998年]] - [[エミリ・ブラギンスキー]]、[[脚本家]](* [[1921年]])
* 1998年 - [[猪子利男]]、元[[プロ野球選手]](* [[1921年]])
* [[1999年]] - [[パウル・ザッハー]]、[[指揮者]](* [[1906年]])
* [[2000年]] - [[山村聰]]、俳優(* [[1910年]])
* [[2001年]] - [[ヴィットリオ・ブランビラ]]、F1レーサー(* [[1937年]])
* [[2002年]] - [[斎藤史]]、[[歌人]](* [[1909年]])
* 2002年 - [[マモ・ウォルデ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1932年]])
* 2002年 - [[しんがぎん]]、[[漫画家]](* [[1972年]])
* [[2003年]] - [[メリタ・ブルナー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1907年]])
* 2003年 - [[吉武泰水]]、[[建築家]](* [[1916年]])
* [[2005年]] - [[エディ・アルバート]]、俳優(* [[1906年]])
* 2005年 - [[上田卓三 (政治家)|上田卓三]]、[[日本社会党]]副委員長、[[部落解放同盟]]委員長(* [[1938年]])
* 2005年 - [[ルース・ラレード]]、[[ピアニスト]](* [[1937年]])
* [[2006年]] - [[山本英一郎]]、[[日本野球連盟]]会長(* [[1919年]])
* 2006年 - [[テッド・シュローダー]]、[[テニス]]選手(* [[1921年]])
* 2006年 - [[アラン・コトック]]、[[情報工学|情報工学者]](* [[1941年]])
* 2006年 - [[エドゥアール・ミシュラン]]、[[実業家]](* [[1963年]])
* [[2007年]] - [[小西甚一]]、[[日本文学|日本文学者]]、[[比較文学|比較文学者]](* [[1915年]])
* 2007年 - [[伊藤勲 (野球)|伊藤勲]]、元プロ野球選手(* [[1942年]])
* [[2008年]] - [[シドニー・ポラック]]、[[映画監督]](* [[1934年]])
* [[2009年]] - [[栗本薫]](中島梓)、[[小説家]](* [[1953年]])
* 2009年 - [[マーカ・テンドー]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](* [[1960年]])
* 2009年 - [[ロナルド・タカキ]]、[[歴史家|歴史学者]]、[[民俗学|民俗学者]](* [[1939年]])
* [[2012年]] - [[宮澤弘]]、[[政治家]]、[[内務官僚]](* [[1921年]])
* [[2013年]] - [[ジャック・ヴァンス]]、[[SF作家]](* [[1916年]])
* [[2015年]] - [[富田勝]]、元プロ野球選手(* [[1946年]])
* [[2017年]] - [[ズビグネフ・ブレジンスキー]]、[[政治学者]]、元[[国家安全保障担当大統領補佐官]](* [[1928年]])
* [[2018年]] - [[津本陽]]、小説家(* [[1929年]])
* [[2019年]] - [[バート・スター]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/27/kiji/20190527s00040079197000c.html |title=NFLの伝説のQBスター氏が死去 85歳 スーパーボウルの初代王者 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=27 May 2019 |accessdate=29 May 2023 |website=Sponichi Annex}}</ref>、元[[アメリカンフットボール]]選手(* [[1934年]])
* [[2022年]] - [[アラン・ホワイト]]、[[ドラマー]]([[イエス (バンド)|イエス]])(* [[1949年]])
* 2022年 - [[アンディ・フレッチャー]]、ミュージシャン([[デペッシュ・モード]])(* [[1961年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2016年]] - [[はな子]]、[[アジアゾウ]](* [[1947年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Georgien Parlament Unabhängigkeit.jpg|thumb|180x180px|[[グルジア民主共和国]]が独立を宣言(1918)]]
[[ファイル:Satta_yukei.jpg|thumb|180px|[[東名高速道路]](1969)全線開通]]
* [[独立記念日]]({{GEO}})
*: [[1918年]]のこの日に[[ザカフカース民主連邦共和国]]が崩壊し、同日[[グルジア民主共和国]]が建国を宣言したのを記念。
* 独立記念日({{GUY}})
*: [[1966年]]のこの日、[[イギリス]]から独立したことを記念。
* [[母の日]]({{POL}})
* ル・マンの日
*: [[1923年]]のこの日、[[フランス]]の[[ル・マン]]で[[1923年のル・マン24時間レース|第1回]][[ル・マン24時間レース]]が開催された<ref>{{Cite web|和書|url=https://toyotagazooracing.com/archive/ms/jp/wec/special/history-of-le-mans-01.html |title=ル・マン24時間の歴史 |access-date=29 May 2023 |publisher=TOYOYA GAZOO Racing}}</ref>ことから。
* [[ラッキーゾーン]]の日({{JPN}})
*: [[1947年]]のこの日に[[阪神甲子園球場]]にラッキーゾーンが設置されたことを記念<ref>{{Twitter status|suntv3|1661908643049279489}}</ref>。
* [[東名高速道路]]全通記念日({{JPN}})
*: [[1969年]]のこの日に東名高速道路[[大井松田インターチェンジ|大井松田IC]] - [[御殿場インターチェンジ|御殿場IC]]間が開通し、[[東京都]]から[[愛知県]][[小牧市]]までの全線が開通したことから。
* 秋田県民防災の日({{JPN}} [[秋田県]])
*: [[1983年]]5月26日に[[日本海中部地震]]が発生し、津波などにより104名の犠牲者を出したことから。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0526|date=May 2023}}
=== 誕生日(フィクション) ===
* 1956年 - 重田静夫、特撮『[[仮面ライダードライブ]]』に登場する人物<ref>証拠品盗難及び誘拐事件[34話]より</ref>
* 生年不明 - うみのイルカ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史 |year = 2002 |title = NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |page = 27 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 4-08-873288-X }}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2005|page=55|isbn=4-08-873734-2}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・者の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2008|page=49|isbn=978-4-08-874247-2}}</ref>
* 生年不明 - 灰谷蘭、漫画・アニメ『[[東京卍リベンジャーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|toman_official|1529477582634135553}}</ref>
* 生年不明 - 向井亮太、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://7o3x.com/char/profiles.html#10 |title=向井亮太 |publisher=[[杉基イクラ]]/[[KADOKAWA]] 7○3×クイズ研究会 |accessdate=29 May 2023 |work=『ナナマル サンバツ』}}</ref>
* 生年不明 - 忍足あずみ、ゲーム・アニメ『[[真剣で私に恋しなさい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.minatosoft.com/majikoi-s/chara-azumi.html |title=忍足 あずみ |publisher=[[みなとそふと]] |accessdate=29 May 2023 |work=『真剣で私に恋しなさい!S』}}</ref>
* 生年不明 - フリュー、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=135&cate=name&cont=Flu |title=フリュー |access-date=29 May 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 石井色葉、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heaven-burns-red.com/character/31d/ishii-iroha/ |title=石井色葉 |website=『ヘブンバーンズレッド 』 |publisher=[[WFS (企業)|WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS]] [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=29 May 2023}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 26|26 May}}
{{新暦365日|5|25|5|27|[[4月26日]]|[[6月26日]]|[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]|0526|5|26}}
{{1年の月と日}} | 2003-03-22T16:26:52Z | 2023-12-25T15:24:46Z | false | false | false | [
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"Template:1年の月と日"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8826%E6%97%A5 |
4,940 | 5月27日 | 5月27日(ごがつにじゅうななにち、ごがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から147日目(閏年では148日目)にあたり、年末まではあと218日ある。誕生花はシロツメクサ。 | [
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"text": "5月27日(ごがつにじゅうななにち、ごがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から147日目(閏年では148日目)にあたり、年末まではあと218日ある。誕生花はシロツメクサ。",
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] | 5月27日(ごがつにじゅうななにち、ごがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から147日目(閏年では148日目)にあたり、年末まではあと218日ある。誕生花はシロツメクサ。 | {{カレンダー 5月}}
'''5月27日'''(ごがつにじゅうななにち、ごがつにじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から147日目([[閏年]]では148日目)にあたり、年末まではあと218日ある。誕生花は[[シロツメクサ]]。
== できごと ==
[[Image:Petropavlovskaia_Krepost_aerial.jpg|thumb|180x180px|[[ペトロパヴロフスク要塞]]起工(1703)]]
[[File:First flights in aviation history.ogv|thumb|180x180px|飛行艇[[NC-4 (航空機)|NC-4]]による史上初の[[大西洋横断飛行]]成功(1919)。[[Help:音声・動画の再生]]]]
[[File:Golden Gate Bridge Opening - (1936).ogv|thumb|180x180px|[[ゴールデンゲートブリッジ]]供用開始(1937)]]
[[Image:HMS_Dorsetshire_Bismarck_survivors.jpg|thumb|戦艦[[ビスマルク (戦艦)|ビスマルク]]沈没(1941)。画像は救助される乗組員|215x215ピクセル]]
* [[869年]]([[貞観 (日本)|貞観]]11年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[藤原氏宗]]らが[[貞観格]]を奏進。
* [[893年]] - [[シメオン1世]]が[[ブルガリア帝国]]皇帝に即位。
* [[1177年]]([[安元]]3年/[[治承]]元年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[安元の大火]]。(足軽焼亡)
* [[1703年]](ユリウス暦[[5月16日]]) - [[ペトロパヴロフスク要塞]]の建設が起工、[[サンクトペテルブルク]]建都の日とされる。
* [[1807年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[グダニスク|ダンツィヒ]]のプロイセン守備隊が降伏。
* [[1860年]] - [[イタリア統一運動]]: [[ジュゼッペ・ガリバルディ]]が[[パレルモ]]への進撃を開始。
* [[1867年]]([[慶応]]3年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - 江戸幕府が[[外国総奉行]]を設置。
* [[1875年]] - ドイツで、全ドイツ労働者協会とドイツ社会民主労働党が合併して、世界初の労働者単一政党・[[ドイツ社会主義労働者党]](現・[[ドイツ社会民主党]])を結成。
* [[1883年]] - ロシア皇帝[[アレクサンドル3世]]が戴冠。
* [[1891年]] - [[大津事件]]の被告・津田三蔵に対し、政府の[[大逆罪]]適用の要求を退けて[[無期懲役]]判決。
* [[1901年]] - [[山陽鉄道]](現在の[[山陽本線]])[[神戸駅 (兵庫県)|神戸]] - 馬関(現・[[下関駅|下関]])が全通し、東京から下関までが鉄道でつながる。
* [[1905年]] - [[日露戦争]]: [[東郷平八郎]]が率いる[[大日本帝国海軍|日本海軍]][[連合艦隊|聯合艦隊]]と[[ロシア海軍]][[バルチック艦隊]]との[[日本海海戦]](28日にかけて)。
* [[1919年]] - [[NC-4 (航空機)|カーチスNC4]][[飛行艇]]が[[ニューヨーク]]から[[リスボン]]に到着、初の[[大西洋横断飛行]]を成功させる。
* [[1924年]] - [[ミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ]] (MCA) 創業。
* [[1930年]] - ニューヨークに[[クライスラー・ビルディング]]が完成。当時世界一の高さのビル。
* [[1933年]] - [[ニューディール政策]]: [[1933年証券法]]が制定。
* 1933年 - [[シカゴ万国博覧会 (1933年)|シカゴ万国博覧会]]が開幕。[[10月31日]]まで。
* 1933年 - [[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]製作の[[アニメーション映画]]『[[三匹の子豚#ディズニーのアニメ|三匹の子ぶた]]』が公開される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyodisneyresort.jp/tdrblog/detail/210527_2/ |title=今日5月27日は・・・? |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[東京ディズニーリゾート]] |date=27 May 2021}}</ref>。
* [[1937年]] - [[サンフランシスコ]]の[[ゴールデンゲートブリッジ]]が供用開始。
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ドイツ海軍]]の[[戦艦]][[ビスマルク (戦艦)|ビスマルク]]が沈没。
* 1941年 - 第二次世界大戦: [[フランクリン・ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が国家非常事態宣言を発令。
* [[1942年]] - 第二次世界大戦: [[プラハ]]で[[ラインハルト・ハイドリヒ]]が[[イギリス]]の支援下にあった暗殺部隊の襲撃を受ける。ハイドリヒは6月4日に死亡。([[エンスラポイド作戦]])
* [[1960年]] - [[トルコ]]で軍事{{仮リンク|1960年トルコクーデター|en|1960 Turkish coup d'état|label=クーデター}}。[[ジェラル・バヤル]]大統領らが逮捕され大統領を解任される。
* [[1964年]] - [[コロンビア革命軍]]が結成される。
* [[1968年]] - [[日本大学]]で理事総退陣と経理の全面公開などを要求する全学決起集会、日大全共闘が結成され[[秋田明大]]を議長に選出。
* [[1974年]] - [[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]が[[フランス第五共和政]]の第3代大統領に就任。
* [[1980年]] - [[光州事件]]: [[大韓民国]]の陸軍部隊が戦車で[[光州市]]中心部に進出し、市内全域を制圧。市民に多数の死傷者が出る。
* 1980年 - [[中華人民共和国]]の[[華国鋒]]首相が来日。1979年12月に[[大平正芳]]首相が訪中した答礼で、日中関係史上初めて中華人民共和国の首相・党主席が来日した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1981/s56-shiryou-409.htm |title=(9) 中華人民共和国華国鋒総理の日本国訪問に関する共同新聞発表 |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[外務省]] |date=29 May 1980 |work=1981年版(第25号) わが外交の近況}}</ref>。
* [[1982年]] - [[藤沢市母娘ら5人殺害事件]]([[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定112号事件]]):[[神奈川県]][[藤沢市]][[辻堂神台]]二丁目の住宅で母娘3人が刺殺される事件が発生した。
* [[1986年]] - [[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム機]]向け[[コンピュータRPG]]の代表的作品である『[[ドラゴンクエスト]]』が[[エニックス]](現・[[スクウェア・エニックス]])から[[ファミリーコンピュータ]]用ソフトとして発売される。
* [[1987年]] - [[北勝海信芳|北勝海]]が第61第[[横綱]]に昇進。[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]が外国人[[力士]]初の[[大関]]に昇進。
* [[1989年]] - [[東京湾アクアライン]]の建設工事が開始される。
* [[1996年]] - [[第一次チェチェン紛争]]の休戦が成立。
* [[1997年]] - [[神戸連続児童殺傷事件]]: [[神戸市]][[須磨区]]で小学6年男児の切断された頭部が「酒鬼薔薇聖斗」による犯行声明文とともに見つかる。
* [[1998年]] - [[花田勝|若乃花]]が第66代横綱に昇進。
* [[2001年]] - [[大相撲]][[本場所|夏場所]]の[[千秋楽]][[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]で[[貴乃花光司|貴乃花]]が[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]を破り22回目の優勝。[[小泉純一郎]]総理は「痛みに耐えてよく頑張った、感動した」と貴乃花を表彰。
* [[2006年]] - [[インドネシア]]の[[ジャワ島]]、[[ジョグジャカルタ]]付近で[[マグニチュード]]6.2の地震([[ジャワ島中部地震]])発生。
* [[2007年]] - [[競馬]]第74回[[東京優駿|日本ダービー]]で[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]が[[1943年]][[クリフジ]]以来となる64年ぶりの[[牝馬]]での優勝。
* [[2011年]] - [[北海道]][[勇払郡]][[占冠村]]のJR[[石勝線]][[占冠駅]] - [[新夕張駅]]間において、[[特別急行列車|特急列車]]「[[おおぞら (列車)|スーパーおおぞら]]14号」が脱線し炎上する事故が発生。乗客79人が呼吸器系の軽傷を負った<ref>{{Cite web|和書|date=13 Dec 2013 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0400O_U3A201C1000000/ |title=異常放置したずさんな保守、JR北海道の脱線・火災事故 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=1 Jul 2023}}</ref>。([[日本の鉄道事故 (2000年以降)#石勝線特急列車脱線火災事故|石勝線特急列車脱線火災事故]])
*[[2015年]] - [[テレビ朝日]]系列で放送の『[[徹子の部屋]]』が放送1万回を達成し、[[黒柳徹子]]が単独司会者としてギネス記録に認定される<ref>{{Cite web|和書|date=27 May 2015 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG27H1Z_X20C15A5CR0000/ |title=「徹子の部屋」放送1万回 黒柳さん、ゲストに感謝 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=1 Jul 2023}}</ref>。
*2015年 - [[国際サッカー連盟]](FIFA)で大規模[[2015年FIFA汚職事件|汚職事件]]が発覚し、サッカー関係者6名が逮捕される<ref>{{Cite web|和書|date=27 May 2015 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3049990 |title=FIFA汚職疑惑で幹部ら逮捕、本部に家宅捜索 スイス |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=1 Jul 2023}}</ref>。
*[[2016年]] - [[バラク・オバマ]]が現職[[アメリカ合衆国大統領|米国大統領]]として史上初めて、[[原子爆弾]]が投下された[[広島市]]を訪問。[[安倍晋三|安倍晋三首相]]と共に[[広島平和記念資料館|平和記念資料館]]を見学した後、[[原爆死没者慰霊碑]]に献花した<ref>{{Cite web|和書|date=27 May 2016 |url=https://www.bbc.com/japanese/video-36397374 |title=オバマ米大統領 「死が空から落ちてきて世界が変わった」 |publisher=BBC NEWS JAPAN |accessdate=1 Jul 2023}}</ref>。([[バラク・オバマの広島訪問]])
*[[2017年]] - 中国[[浙江省]][[烏鎮]]で23日から行われていた[[コンピュータ囲碁]]プログラム「[[AlphaGo]]」と中国の棋士、[[柯潔]]との三番勝負で、AlphaGoが3戦全勝した<ref>{{Cite web|和書|date=29 May 2017 |url=https://japan.cnet.com/article/35101853/ |title=グーグルのAI「AlphaGo」が最強棋士に3連勝、囲碁は引退--今後の計画は? |publisher=[[ZDNet|ASAHI INTERACTIVE, Inc.]] |accessdate=1 Jul 2023 |website=CNET Japan}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Cornelius Vanderbilt (1877).jpg|thumb|180x180px|アメリカの実業家、鉄道王[[コーネリアス・ヴァンダービルト]](1794-1877)誕生]]
[[Image:Rachel-Carson.jpg|thumb|生物学者[[レイチェル・カーソン]](1907-1964)。代表作『[[沈黙の春]]』(1962)。|228x228ピクセル]]
[[Image:Yasuhiro_Nakasone_in_Andrews_cropped.jpg|thumb|244x244px|第71・72・73代日本国内閣総理大臣、[[中曽根康弘]](1918-2019)]]
[[Image:Henry_Kissinger_Shankbone_Metropolitan_Opera_2009.jpg|thumb|232x232px|政治家・政治学者、[[ヘンリー・キッシンジャー]] (1923-2023)]]
* [[1332年]] - [[イブン=ハルドゥーン]]、[[中世]][[イスラーム]]の[[歴史家]]、[[思想家]]、[[政治家]](+ [[1406年]])
* [[1623年]] - [[ウィリアム・ペティ]]、[[経済学者]]、[[医師]]、[[測量]]家(+ [[1687年]])
* [[1652年]]([[慶安]]5年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[小笠原真方]]、初代[[小倉新田藩|小倉新田藩主]](+ [[1709年]])
* [[1659年]]([[万治]]2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[松平近時]]、第2代[[広瀬藩|広瀬藩主]](+ [[1702年]])
* [[1756年]] - [[マクシミリアン1世 (バイエルン王)|マクシミリアン1世]]、初代[[バイエルン王]](+ [[1825年]])
* [[1759年]] - [[ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ]]、[[作曲家]](+ [[1845年]])
* 1759年([[宝暦]]9年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]]) - [[細川興徳]]、第7代[[谷田部藩|谷田部藩主]](+ [[1837年]])
* [[1773年]]([[安永 (元号)|安永]]2年4月7日) - [[市橋長昭]]、第7代[[仁正寺藩|仁正寺藩主]](+ [[1814年]])
* [[1794年]] - [[コーネリアス・ヴァンダービルト]]、[[実業家]](+ [[1877年]])
* [[1837年]] - [[ワイルド・ビル・ヒコック]]、アメリカ西部開拓時代の[[ガンマン]](+ [[1876年]])
* [[1844年]]([[弘化]]元年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[大河内正質]]、[[大多喜藩|大多喜藩主]]、[[江戸幕府]]の[[老中]]格(+ [[1901年]])
* [[1857年]]([[安政]]4年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[大久保忠良]]、第10代[[小田原藩|小田原藩主]](+ [[1877年]])
* [[1863年]] - [[フランツ・シャルク]]、[[指揮者]](+ [[1931年]])
* [[1867年]] - [[アーノルド・ベネット]]、[[小説家]](+ [[1931年]])
* 1867年 - [[ケイレブ・デイビス・ブラッドハム]]、[[薬剤師]]、[[ペプシコーラ]]創案者(+ [[1934年]])
* 1867年([[慶応]]3年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[武田千代三郎]]、[[内務省 (日本)|内務官僚]]、[[教育関係人物一覧|教育者]]、[[スポーツ]]指導者(+ [[1932年]])
* [[1871年]] - [[ジョルジュ・ルオー]]、[[画家]](+ [[1958年]])
* [[1888年]] - [[ルイ・デュレ]]、[[作曲家]](+ [[1979年]])
* [[1889年]] - [[山本一清]]、[[天文学者]](+ [[1959年]])
* [[1892年]] - [[澤田正二郎]]、[[俳優]](+ [[1929年]])
* [[1894年]] - [[ダシール・ハメット]]、[[推理作家]](+ [[1961年]])
* 1894年 - [[ルイ=フェルディナン・セリーヌ]]、小説家(+ 1961年)
* [[1897年]] - [[ジョン・コッククロフト]]、[[物理学者]](+ [[1967年]])
* [[1902年]] - [[エミール・バンヴェニスト]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1976年]])
* [[1907年]] - [[レイチェル・カーソン]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](+ [[1964年]])
* [[1909年]] - [[中野忠晴]]、[[歌手]]、[[作曲家]](+ [[1970年]])
* [[1911年]] - [[三井理峯]]、[[政治活動家|政治運動家]](+ [[2002年]])
* 1911年 - [[ヴィンセント・プライス]]、俳優(+ [[1993年]])
* [[1913年]] - [[ヴォルス]]、[[画家]](+ [[1951年]])
* [[1914年]] - [[大石綱]]、[[プロ野球選手]](+ 没年不詳)
* [[1915年]] - [[枩浦潟達也]]、[[大相撲]][[力士]]、[[小結]](+ [[1945年]])
* [[1916年]] - [[筒井良武]]、プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1918年]] - [[中曽根康弘]]<ref>{{Kotobank|中曽根康弘}}</ref>、政治家、第71-73代[[内閣総理大臣]](+ [[2019年]])
* [[1921年]] - [[村上信夫 (シェフ)|村上信夫]]、[[シェフ]](+ [[2005年]])
* [[1922年]] - [[クリストファー・リー]]、俳優(+ [[2015年]])
* 1922年 - [[オットー・カリウス]]、軍人、戦車兵(+ 2015年)
* [[1923年]] - [[ヘンリー・キッシンジャー]]、[[政治家]](+ [[2023年]])
* 1923年 - [[真田重蔵]]、元プロ野球選手(+ [[1994年]])
* [[1930年]] - [[ジョン・バース]]、小説家
* [[1933年]] - [[笹野貞子]]、政治家
* [[1934年]] - [[ハーラン・エリスン]]、小説家(+ [[2018年]])
* [[1935年]] - [[ジョン・ゴールドソープ]]、[[社会学者の一覧|社会学者]]
* 1935年 - [[ラムゼイ・ルイス]]、ジャズピアニスト(+ [[2022年]])
* [[1936年]] - [[芦ヶ原伸之]]、[[パズル]]作家(+ [[2004年]])
* [[1942年]] - [[西川太一郎]]、政治家
* [[1944年]] - [[西岡たかし]]、[[シンガーソングライター]]([[五つの赤い風船]])
* [[1947年]] - [[薩摩剣八郎]]、[[スーツアクター]]
* 1947年 - [[植田まさし]]、[[漫画家]]
* [[1949年]] - [[テリー・コリンズ (野球)|テリー・コリンズ]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]]
* [[1951年]] - [[北見敏之]]、俳優
* 1951年 - [[二宮周平]]、法学者
* 1953年 - [[菅野佐智子]]、政治家
* [[1954年]] - [[荻原博子]]、[[経済]]ジャーナリスト
* 1954年 - [[安田拡了]]、[[プロレス]][[著作家#狭義のライター|フリーライター]]
* 1954年 - [[高代延博]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[内藤剛志]]、俳優
* 1955年 - [[エリック・ビショフ]]、[[プロレス]]関係者
* [[1956年]] - [[ジュゼッペ・トルナトーレ]]、[[映画監督]]
* [[1958年]] - [[相本久美子]]、[[俳優|女優]]、[[タレント]]
* 1958年 - [[安藤宏]]、近代日本文学研究者
* [[1959年]] - [[上村恭生]]、高校野球指導者(+ [[2005年]])
* [[1961年]] - [[内田強]]、元プロ野球選手
* 1961年 - [[岡島厚]]、元プロ野球選手
* [[1962年]] - [[白幡隆宗]]、元プロ野球選手
* 1962年 - [[久松信美]]、俳優
* 1962年 - [[大志田秀次]]、元陸上選手、指導者
* [[1963年]] - [[いっこく堂]]、[[腹話術|腹話術師]]
* [[1964年]] - [[レイモンド・ヤング]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[増山さやか]]、[[アナウンサー]]
* [[1967年]] - [[三又又三]]、[[お笑いタレント]]
* 1967年 - [[石川よしひろ]]、[[シンガーソングライター]]
* 1967年 - [[ポール・ガスコイン]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者
* [[1968年]] - [[あずまきよひこ]]、漫画家
* 1968年 - [[高橋美枝]]、歌手、[[作詞家]]
* 1968年 - [[ジェフ・バグウェル]]、プロ野球選手
* 1968年 - [[フランク・トーマス]]、プロ野球選手
* [[1970年]] - [[つの丸]]、漫画家
* 1970年 - [[ジョセフ・ファインズ]]、俳優
* 1970年 - [[松岡大吾]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[本田理沙]]、タレント、歌手
* 1971年 - [[堀内敬子]]、女優
* [[1972年]] - [[北川博敏]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[小磯勝弥]]、俳優
* 1972年 - [[東風孝広]]、漫画家
* 1972年 - [[原英史 (野球)|原英史]]、元プロ野球選手
* [[1973年]] - [[飯塚悟志]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[東京03]])
* 1973年 - [[萩野崇]]、俳優
* 1973年 - [[深谷篤]]、プロ野球審判員
* [[1974年]] - [[塩谷和彦]]、元プロ野球選手
* 1974年 - 赤松芳朋、ミュージシャン([[SOPHIA (バンド)|SOPHIA]])
* [[1975年]] - [[ジェイミー・オリヴァー]]、[[料理人]]
* 1975年 - [[松本利夫]]、俳優、ダンサー([[EXILE]])
* 1975年 - [[アンドレ・3000]]、[[MC (ヒップホップ)|ヒップホップMC]]([[アウトキャスト]])
* [[1976年]] - [[山根良顕]]、お笑い芸人([[アンガールズ]])
* 1976年 ‐ [[ダイアン#メンバー|津田篤宏]]、お笑い芸人([[ダイアン]])
* [[1977年]] - [[久保尚志]]、[[野球選手]]
* 1977年 - [[じゅんご]]、お笑い芸人
* 1977年 - [[柳沢敦]]、元サッカー選手
* [[1978年]] - [[山崎賢太]]、タレント、元プロ野球選手
* 1978年 - [[加藤與恵]]、元サッカー選手
* [[1980年]] - [[クレイグ・ブンタン]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1981年 - [[れいた]]、ミュージシャン([[the GazettE]])
* [[1981年]] - [[久保恒造]]、パラリンピック・ノルディックスキー選手
* 1981年 - [[ヨハン・エルマンデル]]、サッカー選手
* 1981年 - [[ダニー・ベタンコート]]、野球選手
* [[1982年]] - [[藤岡麻美]]、女優、歌手
* [[1983年]] - [[寺内崇幸]]、元プロ野球選手
* [[1984年]] - [[美馬怜子]]、キャスター、[[モデル (職業)|モデル]]、タレント
* 1984年 - [[ミゲル・ゴンザレス (1984年生の投手)|ミゲル・ゴンザレス]]、プロ野球選手
* [[1985年]] - [[堂上剛裕]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[姜建銘]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[夕輝壽太]]、俳優
* 1985年 - [[大矢真夕]]、タレント、元[[レースクイーン]]
* 1985年 - [[小向美奈子]]、[[AV女優]]、元[[グラビアアイドル]]
* 1985年 - 藤本康志、お笑い芸人([[リスナップ]])
* [[1986年]] - [[盛内愛子]]、女優
* 1986年 - [[斉藤誠司]]、[[プロサッカー選手]]
* 1986年 - [[菜々川唯]]、元グラビアアイドル
* 1986年 - [[古崎瞳]]、元グラビアアイドル、元女優
* [[1987年]] - [[ジェルヴィーニョ]]、サッカー選手
* 1987年 - [[田尻大基]]、サッカー選手
* 1987年 - [[渋谷龍太]]、ミュージシャン([[SUPER BEAVER]])
* [[1988年]] - [[兼田カロリナ]]、[[ファッションモデル]]
* 1988年 - [[諏訪彩花]]、声優
* 1988年 - [[ギャレット・リチャーズ]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[近田祐理子]]、ファッションモデル
* 1988年 - [[ブラッド・ボックスバーガー]]、プロ野球選手
* [[1990年]] - [[藤澤拓斗]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[井藤真吾]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[日向莉夏]]、女優
* 1990年 - [[エネウ・アラミレウ]]、陸上選手
* 1990年 - [[アピニャ・サクジャロエンスク]]、女優
* 1990年 - [[ナセル・バラジテ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[クリス・コルファー]]、歌手
* [[1991年]] - [[松永渚]]、女優
* 1991年 - [[ハイロ・ディアス]]、プロ野球選手
* 1991年 - [[ボーデン・バレット|ボーデン・バリット]]、ラグビー選手
* 1991年 - [[尾崎雄貴]]、ミュージシャン
* [[1992年]] - [[エカテリーナ・プシュカシュ]]、フィギュアスケート選手
* [[1993年]] - [[横尾俊建]]、プロ野球選手
* 1993年 - [[Shift_K3Y]]、ミュージシャン、DJ
* [[1994年]] - [[ホセ・ベリオス]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[アイメリク・ラポルテ]]、サッカー選手
* 1994年 - [[ジョアン・カンセロ]]、サッカー選手
* [[1995年]] - [[ヨアン・モンカダ]]、プロ野球選手
* 1995年 - [[RIRIKO]]、シンガーソングライター
* 1995年 - [[神谷健太]]、元[[子役]]、[[パフォーマー]]([[THE RAMPAGE from EXILE TRIBE]])
* [[1996年]] - [[石田安奈]]、タレント、元アイドル(元[[SKE48]])
* 1996年 - [[キム・ジェファン (歌手)|キム・ジェファン]]、歌手(元[[Wanna One]])
* 1996年 - [[三村和敬]]、俳優
* [[1997年]] - [[ダニエル・ジョーンズ (アメリカンフットボール)|ダニエル・ジョーンズ]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* [[1999年]] - [[小澤奈々花]]、ファッションモデル(元[[X21]])
* 1999年 - [[エスタミー・ウレーニャ]]、プロ野球選手
* [[2001年]] - [[佐久本和夢]]、タレント
* [[2002年]] - [[谷川唯人]]、プロ野球選手
* [[2004年]] - [[斉藤優汰]]、プロ野球選手
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1961年]] - [[ノーザンダンサー]]、[[競走馬]](+ [[1990年]])
* [[1985年]] - [[スーパークリーク]]、競走馬(+ [[2010年]])
* [[1988年]] - [[ヤマニンゼファー]]、競走馬、[[種牡馬]](+ [[2017年]])
* [[2004年]] - [[マルカフェニックス]]、競走馬(+ [[2016年]])
== 忌日 ==
* [[927年]] - [[シメオン1世]]、[[ブルガリア帝国|ブルガリア皇帝]](* [[863年]]頃)
* [[1444年]] - [[ジョン・ボーフォート (初代サマセット公)|ジョン・ボーフォート]]、第3代[[サマセット公|サマセット伯]](* [[1404年]])
* [[1508年]] - [[ルドヴィーコ・スフォルツァ]]、[[ミラノ公国|ミラノ公]](* [[1452年]])
* [[1525年]] - [[トマス・ミュンツァー]]、[[神学者]]、[[宗教改革]]指導者(* [[1489年]])
* [[1541年]] - [[マーガレット・ポール]]、第8代[[ソールズベリー侯|ソールズベリー女伯爵]](* [[1473年]])
* [[1564年]] - [[ジャン・カルヴァン]]、キリスト教指導者、[[カルヴァン派]]創始者(* [[1509年]])
* [[1580年]]([[天正]]8年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[奈古屋元賀]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将、[[毛利氏]]家臣(* [[1564年]])
* [[1615年]] - [[マルグリット・ド・ヴァロワ]]、[[フランス王国|フランス王]][[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の妃(* [[1553年]])
* [[1690年]] - [[ジョヴァンニ・レグレンツィ]]、[[作曲家]](* [[1626年]])
* [[1797年]] - [[フランソワ・ノエル・バブーフ]]、[[革命家]]、[[思想家]](* [[1760年]])
* [[1831年]] - [[ジェデッドアイア・スミス]]、[[探検家]](* [[1799年]])
* [[1840年]] - [[ニコロ・パガニーニ]]、[[ヴァイオリニスト]]、作曲家(* [[1782年]])
* [[1868年]]([[慶応]]4年閏[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[小栗忠順]]、[[江戸幕府]][[勘定奉行]]、陸軍奉行(* [[1827年]])
* [[1910年]] - [[ロベルト・コッホ]]、[[医師]]、[[細菌学|細菌学者]](* [[1843年]])
* [[1918年]] - [[大砲万右エ門]]、[[大相撲]]第18代[[横綱]](* [[1869年]])
* [[1931年]] - [[アーノルド・ベネット]]、[[小説家]](* [[1867年]])
* [[1953年]] - [[ジェシー・バーケット]]、元[[プロ野球選手]](* [[1868年]])
* [[1960年]] - [[ジェームズ・モンゴメリー・フラッグ]]、[[画家]]、[[イラストレーター]](* [[1877年]])
* [[1962年]] - [[エゴン・ペトリ]]、[[ピアニスト]](* [[1881年]])
* [[1963年]] - [[グリゴリス・ランブラキス]]、[[政治家]](* [[1912年]])
* [[1964年]] - [[ジャワハルラール・ネルー|ジャワハルラル・ネルー]]、政治家(* [[1889年]])
* [[1967年]] - [[ヨハネス・イッテン]]、[[芸術家]](* [[1888年]])
* [[1969年]] - [[ジェフリー・ハンター]]、[[俳優]](* [[1926年]])
* 1969年 - [[ルー・ジャクソン]]、元プロ野球選手(* [[1935年]])
* [[1987年]] - [[ジョン・ノースロップ]]、[[生化学|生化学者]](* [[1891年]])
* [[1990年]] - [[高峰三枝子]]、女優(* [[1918年]])
* [[1992年]] - [[長谷川町子]]、[[漫画家]](* [[1920年]])
* [[1998年]] - [[榎原好]]、元プロ野球選手(* [[1924年]])
* [[2000年]] - [[クロフォード・マレー・マクレホース]]、第25代[[香港総督]](* [[1917年]])
* 2000年 - [[モーリス・リシャール]]、[[アイスホッケー]]選手(* [[1921年]])
* [[2003年]] - [[ルチアーノ・ベリオ]]、作曲家(* [[1925年]])
* [[2004年]] - [[橋田信介]]、[[ジャーナリスト]]、[[報道写真|報道写真家]](* [[1942年]])
* [[2006年]] - [[ポール・グリーソン]]、俳優(* [[1939年]])
* [[2007年]] - [[坂井泉水]]、歌手([[ZARD]])、作詞家(* [[1967年]])
* [[2009年]] - [[石本美由起]]、作詞家(* [[1924年]])
* [[2017年]] - [[ジム・バニング]]、元プロ野球選手(* [[1931年]])
* [[2019年]] - [[中森明穂]]、女優(* [[1966年]])
* [[2023年]] - [[藤井徹貫]]、音楽ライター(* [[1959年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:MIKASAPAINTING.jpg|thumb|180x180px|[[日本海海戦]](1905)。画像は連合艦隊旗艦[[三笠 (戦艦)|三笠]]]]
* [[日本海海戦記念式典]]/[[海軍記念日]]({{JPN}})
*: [[1905年]]のこの日、[[日本海海戦]]で日本艦隊がロシアの[[バルチック艦隊]]に対して勝利を収めたことを記念。海軍記念日は第二次世界大戦後に廃止されたが、それ以降も財団法人三笠保存会などがこの日に記念式典を行っている。
* [[陸軍記念日]]({{NIC}})
* [[子供の日]]({{NGA}})
* [[母の日]]({{BOL}})
* [[百人一首]]の日({{JPN}})
*: [[1235年]](文暦2年)のこの日、公家・歌人の藤原定家(1162~1241年)によって『小倉百人一首』が完成された。
* [[小松菜]]の日({{JPN}})
*: [[堺市]]で[[小松菜]]を生産するしものファームが[[2006年]]に制定。「こ(5)まつ(2)な(7)」の語呂合せ。
* [[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]]の日({{JPN}})
*: [[1986年]]のこの日にコンピュータRPG『[[ドラゴンクエスト]]』が発売されたことにちなみ、[[2018年]]に制定された<ref>{{Cite web|和書|title=初代『DQ』発売日、5月27日が“ドラゴンクエストの日”に認定! スマホ版のシリーズ全8タイトルが最大35%OFFのセールも |url=https://www.famitsu.com/news/201805/27157954.html |website=ファミ通.com |date=27 May 2018 |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage|KADOKAWA Game Linkage Inc.]]}}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0527|date=Jul 2023}}
* [[1709年]] - ガリヴァーが江戸で「皇帝」([[征夷大将軍]])に謁見。([[ジョナサン・スウィフト]]『[[ガリヴァー旅行記]]』)
* [[1995年]] - 連合国空軍が、ベルカ公国絶対防衛戦略空域「B7R」へ侵攻。制空戦の後占領する。(ゲーム『[[エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー]]』)
* [[2007年]] - 桜井侑斗が野上良太郎達の前に初めて現れる。持っていたライダーチケットがこの日付を指していた。(特撮『[[仮面ライダー電王]]』)
* [[2009年]] - 元警察庁刑事局局長の北山錠一郎が、東城大学医学部付属病院地下1階の画像診断ユニットで射殺される。([[海堂尊]]『[[アリアドネの弾丸]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 2132年 - 羽佐間カノン、アニメ『[[蒼穹のファフナー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://fafner-exodus.jp/special/character/canon.html |title=羽佐間カノン(カノン・メンフィス) |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[ジーベック (アニメ制作会社)|XEBEC]] FAFNER EXODUS PROJECT [[キングレコード|KING RECORD CO., LTD.]] |work=『蒼穹のファフナー』}}</ref>
* 生年不明 - [[藤崎詩織]]、ゲーム『[[ときめきメモリアル]]』のメインヒロイン<ref group="注釈">同作では誕生日はプレイヤー入力によるが、ファンディスク『ときめきメモリアル プライベートコレクション』ではPCエンジン版『ときめきメモリアル』の発売日([[1994年]]5月27日)であるこの日に設定されている。</ref>
* 生年不明 - 朝陽美羽、ドラマ『[[リズスタ -Top of Artists!-]]』の主人公
* 生年不明 - 大手町梨稟、『温泉むすめ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/otemachi_ririn |title=東京 大手町梨稟 |access-date=1 Jul 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref>
* 生年不明 - こんぴら桃萌、『温泉むすめ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/konpira_momo |title=香川 こんぴら桃萌 |access-date=1 Jul 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref>
* 生年不明 - 観月はじめ、漫画、アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1397569476888047616}}</ref>
* 生年不明 - ヒナギク、漫画・アニメ『[[くノ一ツバキの胸の内]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://gekkansunday.net/tsubaki-character/ |title=キャラクター紹介 牛班 ヒナギク |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[小学館]] |website=ゲッサン 月刊少年サンデー |work=『くノ一ツバキの胸の内』}}</ref>
* 生年不明 - 荻野邦治、漫画『[[キューティクル探偵因幡]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=14 Nov 2012 |url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1352364820 |title=アニメ『キューティクル探偵因幡』キャラクター紹介・第5弾 |publisher=[[アニメイト|ANIMATE CORPORATION]] |accessdate=1 Jul 2023 |website=animate Times}}</ref>
* 生年不明 - 水越紗季、アニメ・漫画『[[夏色キセキ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |year=2012 |title=TV アニメーション 「夏色キセキ」 オフィシャルフォトブック |page=38 |publisher=[[スクウェア・エニックス]] |isbn=978-4-7575-3546-6}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=「夏色キセキ」製作委員会(原作・原案)・たつひこ(漫画) |year=出版年 |title=夏色キセキ |volume=第1巻 |page=149 |publisher=スクウェア・エニックス |series=[[ヤングガンガン#ヤングガンガンコミックス|ヤングガンガンコミックス]] |isbn=978-4-7575-3607-4}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |year=2012 |title=夏色キセキ OFFICIAL MUSIC GUIDE |page=13 |publisher=[[スクウェア・エニックス]] |isbn=978-4-7897-3543-8}}</ref>
* 生年不明 - 宗谷ましろ、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|work=『ハイスクール・フリート』 |url=https://www.hai-furi.com/character/01_02/ |title=宗谷 ましろ |accessdate=1 Jul 2023 |publisher=AAS/海上安全整備局/新海上安全整備局}}</ref>
* 生年不明 - 香月早苗、アニメ『[[サクラクエスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sakura-quest.com/character/character05.html |title=香月 早苗 |access-date=1 Jul 2023 |publisher=サクラクエスト製作委員会 |work=『サクラクエスト』}}</ref>
* 生年不明 - シド=デル=ノルテ=マルケズ、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVI]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ファイナルファンタジーVI ザ・コンプリート |publisher=[[NTT出版]] |year=1994 |page=182 |ISBN=4-87188-303-5}}</ref>
* 生年不明 - 鬼瓦寅男、ゲーム『[[堕落天使]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.x-nauts.com/psikyo/product/dt/DT_char_info6.html |title=鬼瓦寅男 |publisher=[[彩京]] |accessdate=1 Jul 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030106044359/http://www.x-nauts.com/psikyo/product/dt/DT_char_info6.html |archivedate=6 Jan 2003 |work=『堕落天使』}}</ref>
* 生年不明 - [[牙刀]]、ゲーム『[[餓狼 MARK OF THE WOLVES]]』『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.snk-corp.co.jp/official/kof-xv/characters/characters_gato.php |title=GATO 牙刀 |publisher=[[SNK (2001年設立の企業)|SNKプレイモア]] |accessdate=1 Jul 2023 |work=『THE KING OF FIGHTERS XV』}}</ref>
* 生年不明 - 高坂姫子、ゲーム『[[Like Life]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.piacci.co.jp/likelife/chara02.html |title=高坂 姫子 |publisher=[[HOOKSOFT|HOOK]], PIACCI |accessdate=1 Jul 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120528095114/http://www.piacci.co.jp/likelife/chara02.html |archive-date=28 May 2012 |work=『LikeLife every hour』}}</ref>
* 生年不明 - 伊勢崎郁歩、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130613_175635/ |title=【ガールフレンド(仮)通信58】未来の美しすぎるかるたクイーン 伊勢崎郁歩ちゃん |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage|KADOKAWA Game Linkage Inc.]] |date=13 Jun 2013 |website=ファミ通APP}}</ref>
* 生年不明 - スーパークリーク、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=supercreek |title=スーパークリーク |publisher=[[Cygames]] |accessdate=1 Jul 2023 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - ヤマニンゼファー、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=yamaninzephyr |title=ヤマニンゼファー |publisher=[[Cygames]] |accessdate=1 Jul 2023 |website=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
* 生年不明 - [[楠大門]]、メディアミックス『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kimisute-argo.bushiroadgames.com/character/fantome-iris/d/ |title=楠 大門 |access-date=1 Jul 2023 |publisher=ARGONAVIS project. [[ブシロード|bushiroad]] Ambition co.,Ltd. |work=『アルゴナビス』}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 27|27 May}}
{{新暦365日|5|26|5|28|[[4月27日]]|[[6月27日]]|[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]|0527|5|27}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8827%E6%97%A5 |
4,941 | 5月29日 | 5月29日(ごがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から149日目(閏年では150日目)にあたり、年末まではあと216日ある。 | [
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'''5月29日'''(ごがつにじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から149日目([[閏年]]では150日目)にあたり、年末まではあと216日ある。
== できごと ==
<!-- 記事に日付のないもの:日本国家社会党 <日本社会主義研究所> -->
[[Image:BattagliaLegnano.jpg|thumb|140px|レニャーノの戦い(1176)]]
<!-- [[Image:The arrival of King Charles II of England in Rotterdam, may 24 1660 (Lieve Pietersz. Verschuier, 1665).jpg|thumb|[[チャールズ2世 (イングランド王)|]]がオランダから帰国し王政復古(1660)]] オランダ?フランス? -->
[[Image:Waxhaw_massacre_sketch.jpg|thumb|140px|[[アメリカ独立戦争]]、[[ワックスホーの虐殺]](1780)。南部の世論がイギリスから離れる契機となった]]
<!-- [[File:Riteset.jpg|thumb|180px|[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]『[[春の祭典]]』初演(1913)。画像は[[ニコライ・リョーリフ]]による第1部の背景画]] -->
<!-- {{audio|Rite of Spring opening bassoon.mid|導入部のバスーンソロを聴く}}<!- いまいち -> -->
* [[363年]] - {{仮リンク|クテシフォンの戦い|en|Battle of Ctesiphon (363)}}: [[ローマ皇帝]][[フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス|ユリアヌス]]が[[サーサーン朝]]の首都[[クテシフォン]]の城壁まで進撃するが、クテシフォンの街は落とせず撤退。
* [[526年]] - [[東ローマ帝国]]の[[アンティオキア]]で大地震が発生。推定死者数は約25万から30万人。(参考:[[地震の年表]])
* [[1176年]] - [[レニャーノの戦い]]: [[ロンバルディア同盟]]軍が[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]の軍を破る。
* [[1293年]]([[正応]]6年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[平禅門の乱]]。
* [[1453年]] - [[コンスタンティノープルの陥落|コンスタンティノポリスが陥落]]し、東ローマ帝国滅亡。<!-- グレゴリオ暦施行(1582年)前なので、わざわざ「(ユリウス暦)」と書く必要はない -->
* [[1582年]]([[天正]]10年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[備中高松城の戦い]]: [[豊臣秀吉]]が、水攻めのため[[高松城 (備中国) |備中高松城]]を包囲する堤防の建設を開始。12日間で完成。
* [[1605年]]([[慶長]]10年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[豊臣秀頼]]が[[右大臣]]に任ぜられる。
* [[1660年]] - フランスに亡命していた[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]がロンドンに入城してイングランド王となり、[[イングランド王政復古|王政復古]]がなる。
* [[1780年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ワックスホーの虐殺]]。
* [[1790年]] - [[ロードアイランド州]]が[[アメリカ合衆国憲法]]を批准し、[[アメリカ合衆国]]13番目の州となる。
* [[1848年]] - [[ウィスコンシン準州]]が州に昇格し、アメリカ合衆国30番目の州・[[ウィスコンシン州]]となる。
* [[1864年]] - [[メキシコ]]皇帝[[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン]]が初めてメキシコの地を踏む。<!-- enより -->
* [[1867年]] - 「[[アウスグライヒ]]」として知られる[[オーストリア]]と[[ハンガリー]]の間の合意がなされる。これにより[[オーストリア=ハンガリー帝国]]が誕生する。
* [[1886年]] - [[ジョン・ペンバートン]]が初めて[[コカ・コーラ]]の広告を出す。<!-- enより -->
* [[1891年]] - [[青木周蔵]]外相が[[大津事件]]の無期懲役判決の責任をとって辞任。
* [[1912年]] - [[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の管弦楽作品『[[牧神の午後への前奏曲]]』のバレエ版『牧神の午後』が初演。
* [[1913年]] - [[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]のバレエ音楽『[[春の祭典]]』が初演。
* [[1919年]] - [[アルベルト・アインシュタイン]]の[[一般相対性理論]]の正しさが、[[プリンシペ島]]での[[アーサー・エディントン]]の、および[[ブラジル]]での[[アンドリュー・クロンメリン]]の[[1919年5月29日の日食|皆既日食]]の観測によって裏付けされる。([[1919年5月29日の日食]])
* [[1932年]] - [[赤松克麿]]が[[日本国家社会党]]を結成。
* [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]・[[アリューシャン方面の戦い]]: [[アッツ島]]の日本軍守備隊が米上陸軍の攻撃で全滅し、[[アッツ島の戦い]]が終結。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[横浜大空襲]]。
* [[1948年]] - [[国際連合休戦監視機構]]を創設。
* [[1953年]] - [[エドモンド・ヒラリー]]がシェルパの[[テンジン・ノルゲイ]]とともに、[[エベレスト]]に世界初登頂。
* [[1954年]] - 第1回[[ビルダーバーグ会議]]が開会。
* [[1961年]] - [[青森県]][[八戸市]]で[[放火]]による火災。台風4号による[[フェーン現象]]もあり市街地に延焼、死者4人、全焼家屋707戸を出す被害<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=152|isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1966年]] - 中国・[[清華大学]]附属中学校の学生が初の[[紅衛兵]]を結成。
* [[1973年]] - 日本の[[増原惠吉]][[防衛庁長官]]が[[内奏]]時の[[昭和天皇]]の発言を漏らしたことが政治問題化し、辞任。([[増原内奏問題]])
* [[1974年]] - [[Osaka Metro谷町線|大阪市営地下鉄谷町線]]の[[都島駅]] - [[東梅田駅]]間が開業。
* [[1981年]] - 京都初の地下鉄・[[京都市営地下鉄烏丸線]]が開業。
* [[1982年]] - [[ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]が、ローマ教皇としては初めて[[イングランド国教会|イギリス国教会]]の[[カンタベリー大聖堂]]を訪問。
* [[1985年]] - [[ヘイゼルの悲劇]]。ブリュッセルの[[ボードゥアン国王競技場|エゼル競技場]]で、サポーター同士が暴徒化し死者39名を出す大惨事に。
* [[1990年]] - [[ボリス・エリツィン]]が[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]の初代最高会議議長に就任。
* [[1991年]] - [[エリトリア]]が[[エチオピア]]からの独立を宣言。1993年に承認される。
* [[1993年]] - [[元山]]で[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (1993年)|北朝鮮によるミサイル発射実験]]。
* [[1996年]] - [[イスラエル]]初の首相公選で[[リクード]]の[[ベンヤミン・ネタニヤフ]]党首が当選。
* [[2004年]] - [[ワシントンD.C.]]の[[第二次世界大戦記念碑]]の除幕式。
[[File:World War 2 Memorial panorama, Washington, DC.jpg|thumb|center|600px|[[第二次世界大戦記念碑]]除幕(2004)]]
* [[2015年]] - [[2015年の口永良部島噴火|口永良部島の新岳が噴火]]。[[噴火警戒レベル]]制定後初めて、最高レベルである噴火警戒レベル5が発表される<ref>{{Cite web|和書|date=2015年5月29日 |url=http://japanese.joins.com/article/099/201099.html |title=日本の口永良部島で爆発的噴火 |publisher=中央日報 |accessdate=2018-06-04}}</ref>。
* [[2019年]] - [[ハンガリー遊覧船沈没事故]]<ref>[https://jp.reuters.com/article/hungary-accident-boat-idJPKCN1T026V ハンガリー遊覧船沈没、救出活動続く 7人死亡・21人不明]</ref>。
== 誕生日 ==
[[Image:Charles_II_Prince_of_Wales_Egmont.jpg|thumb|100px|イングランド王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]](1630-1685)誕生。1660年の誕生日に王政復古を果たす]]
[[Image:Alb%C3%A9niz_with_his_daughter_Laura.jpg|thumb|upright|作曲家[[イサーク・アルベニス]](左;1860-1909)。{{audio|Isaac Albeniz - suite espanola op. 47 - leyenda.ogg|『スペイン組曲』「アストゥリアス」を聴く}}]]
[[Image:Gilbert_Keith_Chesterton2.jpg|thumb|upright|作家・推理作家、[[ギルバート・ケイス・チェスタートン]](1874-1936)。{{Squote|[[芸術]]は、[[道徳]]と同様、どこかに線を引くことで成り立っている。――[[イラストレイテド・ロンドン・ニュース|ILN]]紙(1928)}}]]
<!-- [[Image:Erich_Wolfgang_Korngold.jpg|thumb|100px|作曲家[[エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト]](1897-1957)]] -->
<!-- [[Image:Bob_Hope_in_The_Ghost_Breakers_trailer.JPG|thumb|100px|コメディアン、[[ボブ・ホープ]](1903-2003)]] -->
[[Image:XenakisMDaniel crop.jpg|thumb|100px|[[現代音楽]]の作曲家[[ヤニス・クセナキス]](1922-2001)]]
[[Image:Taihokoki.jpg|thumb|100px|第48代横綱、[[大鵬幸喜]](1940-2013)]]
* [[1630年]] - [[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]、[[イギリス君主一覧|イングランド王]](+ [[1685年]])
* [[1736年]] - [[パトリック・ヘンリー]]、[[弁護士]]、[[政治家]](+ [[1799年]])
* [[1781年]] - [[ジョン・ウォーカー (薬剤師)|ジョン・ウォーカー]]、化学者、発明家(+ [[1859年]])
* [[1791年]]([[寛政]]3年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - [[醍醐輝弘]]、[[公卿]](+ [[1859年]])
* [[1794年]] - [[アントワーヌ・ビュシー]]、[[化学者]](+ [[1882年]])
* 1794年 - [[ヨハン・ハインリッヒ・メドラー]]、[[天文学者]](+ [[1874年]])
* [[1815年]] - [[アンリ・ボードリエ]]、[[書誌学|書誌学者]](+ [[1884年]])
* [[1830年]] - [[ルイーズ・ミシェル]]、無政府主義者(+ [[1905年]])
* [[1857年]]([[安政]]4年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[伊東巳代治]]、[[官僚]]、政治家(+ [[1934年]])
* 1857年 - [[フランツ・バルツァー]]、鉄道技術者(+ [[1927年]])
* [[1860年]] - [[イサーク・アルベニス]]、[[作曲家]](+ [[1909年]])
* [[1868年]] - [[アブデュルメジト2世]]、[[オスマン帝国]]の[[カリフ]](+ [[1944年]])
* [[1874年]] - [[ギルバート・ケイス・チェスタートン]]、[[推理作家]](+ [[1936年]])
* [[1875年]] - [[ジョヴァンニ・ジェンティーレ]]、哲学者(+ [[1944年]])
* [[1882年]] - [[野口雨情]]、[[詩人]]、[[作詞家]](+ [[1945年]])
* [[1883年]] - [[アラン・ロイ・ダフォー]]、産科医(+ [[1943年]])
* [[1889年]] - [[内田百閒]]、[[小説家]](+ [[1971年]])
* [[1894年]] - [[ジョセフ・フォン・スタンバーグ]]、映画監督(+ [[1969年]])
* [[1897年]] - [[エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト]]、作曲家(+ [[1957年]])
* 1897年 - [[ヨハネス・ヴィンクラー]]、宇宙工学者(+ [[1947年]])
* [[1903年]] - [[ボブ・ホープ]]、[[コメディアン]](+ [[2003年]])
* [[1908年]] - [[服部四郎]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1995年]])
* [[1910年]] - [[ラルフ・メトカーフ]]、[[陸上競技選手一覧|陸上選手]]、政治家(+ [[1978年]])
* [[1915年]] - [[森弘太郎]]、[[プロ野球選手]](+ [[1966年]])
* [[1916年]] - [[丸茂重貞]]、[[参議院議員]](+ [[1982年]])
* [[1917年]] - [[ジョン・F・ケネディ]]、政治家、第35代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1963年]])
* [[1918年]] - [[鬼塚喜八郎]]、[[アシックス]]創業者(+ [[2007年]])
* 1918年 - 前田竹虎、[[エポック社]]創業者(+ [[1997年]]<ref>{{cite web|url=https://epoch.jp/epoch_info/outline.html|title=沿革|publisher=エポック社|accessdate=2021-05-30}}</ref>)
* [[1922年]] - [[ヤニス・クセナキス]]、作曲家(+ [[2001年]])
* [[1923年]] - [[ハリー・スミス (芸術家)|ハリー・スミス]]、[[芸術家]](+ [[1991年]])
* [[1924年]] - [[木村保久]]、元プロ野球選手(+ [[2015年]])
* [[1926年]] - [[宮沢澄也]]、元プロ野球選手(+ 没年不明)
* [[1928年]] - [[佐藤勝]]、作曲家(+ [[1999年]])
* [[1929年]] - [[高野悦子 (映画運動家)|高野悦子]]、映画運動家(+ [[2013年]])
* 1929年 - [[ピーター・ヒッグス]]、[[物理学者]]
* [[1931年]] - [[芦屋雁之助]]、[[俳優]]、[[脚本家]]、[[演出家]](+ [[2004年]])
* [[1933年]] - [[山崎唯]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、俳優、[[声優]](+ [[1990年]])
* [[1934年]] - [[堤義明]]、[[実業家]]、元[[西武グループ|西武鉄道グループ]]オーナー
* [[1936年]] - [[青木惇]]、元プロ野球選手
* [[1937年]] - [[美空ひばり]]、[[歌手]] (+ [[1989年]])
* [[1938年]] - [[フェイ・ヴィンセント]]、第8代[[MLBコミッショナー]]
* [[1939年]] - [[アル・アンサー]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[2021年]])
* [[1940年]] - [[大鵬幸喜]]、[[大相撲]]第48代[[横綱]](+ [[2013年]])
* [[1941年]] - [[ダグ・スコット]]、[[登山家]](+ [[2020年]])
* [[1942年]] - [[北野大]]、工学博士
* 1942年 - [[高橋明 (投手)|高橋明]]、元プロ野球選手(+ [[2006年]])
* 1942年 - [[飯高茂]]、数学者
* [[1944年]] - [[池上遼一]]、[[漫画家]]
* [[1945年]] - [[ゲイリー・ブルッカー]]、ロック歌手、[[ピアニスト]](+ [[2022年]])
* [[1946年]] - [[大橋穣]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[伊熊博一]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* [[1949年]] - [[ロバート・アクセルロッド (声優)|ロバート・アクセルロッド]]、俳優、声優(+ [[2019年]])
* [[1950年]] - [[リビー・ジャクソン]]、[[歌手]]
* [[1953年]] - [[市川伸一]]、[[心理学者]]
* 1953年 - [[岩崎ひろし]]、[[声優]]
* 1953年 - [[ダニー・エルフマン]]、[[作曲家]]
* 1953年 - [[マイク・デュプリー]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[花増幸二]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[ラトーヤ・ジャクソン]]、歌手
* [[1957年]] - [[桂小文治]]、[[落語家]]
* 1957年 - [[田中裕二 (ミュージシャン)|田中裕二]]、ミュージシャン([[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]])(+ [[2022年]])
* 1957年 - [[ジャン=クリストフ・ヨッコス]]、数学者
* 1957年 - [[美口博]]、元プロ野球選手
* 1957年 - [[柿木園悟]]、プロ野球審判員
* [[1958年]] - [[アネット・ベニング]]、女優
* [[1959年]] - [[斎藤ネコ]]、作曲家
* 1959年 - [[メル・ゲイナー]]、ミュージシャン、[[ドラマー]]
* [[1961年]] - [[坂上味和]]、女優
* [[1962年]] - [[エリック・デービス]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[片山右京]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー、[[登山家]]
* 1963年 - [[森博幸 (野球)|森博幸]]、元プロ野球選手
* 1963年 - [[伊藤敦規]]、元プロ野球選手
* [[1964年]] - [[来栖正之]]、[[毎日放送]][[アナウンサー]]
* [[1965年]] - [[大桃美代子]]、[[タレント]]、[[俳優|女優]]
* 1965年 - [[香田勲男]]、元プロ野球選手
* 1965年 - [[藤村忠寿]]、『[[水曜どうでしょう]]』チーフディレクター
* [[1966年]] - [[ジャン・ヴァン・デ・ヴェルデ]]、[[プロゴルファー]]
* [[1967年]] - [[ノエル・ギャラガー]]、ミュージシャン、[[ギタリスト]]
* 1967年 - [[アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者
* 1967年 - [[安藤学]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[斉藤繁]]、政治家
* [[1968年]] - [[佐佐木勝彦]]、漫画家
* [[1969年]] - [[正木慎也]]、俳優、タレント、歌手(元[[忍者 (グループ)|忍者]])
* 1969年 - [[麻耶雄嵩]]、推理作家
* 1969年 - [[諸積兼司]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[ペーテル・カールソン]]、卓球選手
* 1969年 - [[斎藤淳]]、元政治家、政治学者、[[イェール大学]]助教授
* [[1970年]] - [[ロベルト・ディ・マッテオ]]、元サッカー選手、指導者
* 1970年 - [[武田祐子]]、アナウンサー
* 1970年 - [[チョ・ヘリョン|ヘリョン]]、[[マルチタレント]]
* [[1971年]] - [[服部浩子]]、歌手
* 1971年 - [[吉村洋子]]、元アナウンサー
* [[1972年]] - [[手島里華]]、アナウンサー
* [[1973年]] - [[アルパイ・オザラン]]、サッカー選手
* 1973年 - [[金田朋子]]、声優、ナレーター、タレント
* [[1974年]] - [[山岡聡子]]、[[スノーボード]]選手
* 1974年 - [[楠田香穂里]]、元[[バスケットボール]]選手
* [[1975年]] - [[目黒陽子]]、[[フリーアナウンサー]]
* 1975年 - [[メラニー・ブラウン]]、歌手 ([[スパイス・ガールズ]])
* [[1976年]] - [[伊勢谷友介]]、[[俳優]]
* 1976年 - [[ジェリー・ヘアストン・ジュニア]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[網野泰寛]]、華道家
* 1977年 - [[十川孝富]]、元プロ野球選手
* [[1978年]] - [[セバスチャン・グロジャン]]、テニス選手
* [[1980年]] - [[神田愛花]]、アナウンサー
* 1980年 - [[高橋美佳子]]<ref>{{Cite book|和書|year=2004|title=日本音声製作者名鑑2004|issue=vol.1|page=203|publisher=[[小学館]]|ISBN= 978-4-09-526301-4}}</ref>、声優
* 1980年 - [[白嗟承]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[笑福亭茶光]]、落語家、お笑いタレント(元[[ヒカリゴケ (お笑いコンビ)|ヒカリゴケ]])
* 1980年 - [[長尾純子]]、女優
* [[1981年]] - 芳賀俊和、ミュージシャン([[えちうら]])
* 1981年 - [[アンドレイ・アルシャヴィン]]、サッカー選手
* [[1982年]] - [[金泰均 (1982年生の内野手)|金泰均]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[金子勇樹]]、元サッカー選手
* 1982年 - [[アナ・ベアトリス・バロス]]、[[スーパーモデル]]
* 1982年 - [[エハラマサヒロ]]、[[お笑い芸人]]
* 1982年 - [[ナタリア・ドブルインスカ]]、混成競技選手
* 1982年 - [[利根健太朗]]、声優
* [[1983年]] - [[髙橋聡文]] 、元プロ野球選手
* 1983年 - [[横山だいすけ]]、歌手
* [[1984年]] - [[ノリアキ]]、ミュージシャン
* 1984年 - [[カーメロ・アンソニー]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* 1984年 - [[水越健]]、声優
* [[1985年]] - [[キーラ・グレイシー]]、ブラジリアン柔術家
* 1985年 - [[滝口幸広]]、俳優(+ [[2019年]]<ref>{{cite news|url=https://ameblo.jp/takiguchi-sd/entry-12545404146.html|title= ご報告|publisher= 滝口幸広オフィシャルブログ「幸の時間割」|date= 2019-11-15}}</ref>)
* 1985年 - [[于静]]、スピードスケート選手
* [[1986年]] - [[高島毅]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[大橋雅法]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[ホーンスワグル]]、プロレスラー
* 1986年 - [[YU-A]]、シンガーソングライター
* [[1987年]] - [[yun*chi]]、歌手、モデル
* 1987年 - [[谷麻紗美]]、グラビアアイドル
* [[1988年]] - [[金生谷仁]]、元サッカー選手
* 1988年 - [[Rover (ベリーグッドマン)|Rover]]、歌手([[ベリーグッドマン]])
* [[1989年]] - [[又地諒]]、配管工
* 1989年 - [[アンヘル・クアン]]、プロ野球選手
* [[1990年]] - [[石田ニコル]]、ファッションモデル
* 1990年 - [[ジョー・ビアジーニ]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[トレバー・ローゼンタール]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[ティボー・ピノ]]、[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手
* [[1991年]] - [[早見沙織]]、声優
* 1991年 - [[千代ノ皇王代仁]]、大相撲力士
* 1991年 - [[近藤大亮]]、プロ野球選手
* 1991年 - [[ヒカル (YouTuber)|ヒカル]]、 [[YouTuber]]
* [[1993年]] - [[三浦由美子]]、元[[野球選手]]
* 1993年 - 松井ケムリ、お笑いタレント([[令和ロマン]])
* [[1994年]] - [[林家たま平]]、[[落語家]]
* [[1995年]] - 森田彩花、アイドル(元[[NMB48]])
* 1995年 - [[金子一輝]]、元プロ野球選手
* 1995年 - [[松井聖]]、プロ野球選手
* 1995年 - [[コナー・メネズ]]、プロ野球選手
* [[1996年]] - [[小湊よつ葉]] 、[[AV女優]]、歌手(元[[フェアリーズ]])
* 1996年 - 堀詩音、アイドル(NMB48)
* 1996年 - [[ころん (すとぷり)|ころん]]、歌手([[すとぷり]])
* 1996年 - [[:en:Halvor_Egner_Granerud|ハウヴォル=エグナー・グランルード]]、[[スキージャンプ]]選手
* [[1997年]] - [[一山麻緒]]、[[陸上競技]]選手
* [[1998年]] - [[坂倉将吾]]、プロ野球選手
* 1998年 - [[橘田健人]]、サッカー選手
* 1998年 - [[佐々木舞音]]、TBSアナウンサー
*[[2000年]] - [[中神拓都]]、元プロ野球選手
* 2000年 - [[齊藤英里]]、モデル
* [[2002年]] - [[中森俊介]]、プロ野球選手
== 忌日 ==
[[Image:YOSANO Akiko.jpg|thumb|120px|歌人[[与謝野晶子]](1878-1942)没。{{Squote|かくもわれ低き机によりながら[[恋愛|恋]]をしながら死にてゆかまし――『瑠璃光』(1925)}}]]
<!-- {{Squote| 親は刃をにぎらせて/人を殺せとをしえしや/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや――『君死にたまふこと勿れ』(1904)}} {{Squote|人の言葉を持たぬ牛、/云はずに死ぬることであろ。/ああ虫で無し、牛でなし。――『小鳥の巣』(1928)}} -->
[[File:JRJimenez.JPG|thumb|100px|詩人[[フアン・ラモン・ヒメネス]](1881-1958)。{{Squote|罫線のある紙を与えられたら、違う方向に書け。}}]]
<!-- {{Squote|恒久的に過渡期にあるというのは、人間の最も高貴な状況である。<!- A permanent state of transition is man's most noble condition. ("Heroic Reason") ->}} -->
<!-- [[Image:Bundesarchiv_B_145_Bild-F088809-0038%2C_Berlin%2C_East_Side_Gallery.jpg|thumb|100px|東ドイツの政治家[[エーリッヒ・ホーネッカー]](右; 1912-1994)]] -->
[[Image:Bundesarchiv_Bild_183-R0518-182%2C_Erich_Honecker.jpg|thumb|100px|東ドイツの政治家[[エーリッヒ・ホーネッカー]](1912-1994)]]
* [[707年]]([[慶雲]]4年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[威奈大村]]、[[貴族]](* [[662年]])
* [[1293年]]([[正応]]6年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[平頼綱]]、[[北条氏]][[得宗]]家の[[御内人]](* 1241年頃)
* [[1379年]] - [[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](* [[1333年]])
* [[1425年]]([[洪熙]]元年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]) - [[洪熙帝]]、第4代[[明]][[皇帝]](* [[1378年]])
* [[1453年]] - [[コンスタンティノス11世パレオロゴス]]、[[東ローマ帝国]]最後の皇帝(* [[1405年]])
* [[1500年]] - [[バルトロメウ・ディアス]]、[[探検家]](* [[1450年]]頃)
* [[1561年]]([[永禄]]4年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[正木時茂 (正木時綱子)|正木時茂]]、[[武将]]、[[里見氏]]重臣(* [[1513年]])
* [[1579年]]([[天正]]7年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[千葉胤富]]、[[下総国]]の[[戦国大名]](* [[1527年]])
* [[1611年]]([[慶長]]16年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[浅野長政]]、[[武将]]、[[五奉行]]の1人(* [[1547年]])
* [[1629年]]([[寛永]]6年4月7日) - [[八条宮智仁親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1579年]])
* [[1713年]]([[正徳 (日本)|正徳]]3年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[大橋宗桂 (5代)]]、[[将棋指し]](* [[1636年]])
* [[1744年]]([[延享]]元年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[松平信祝]]、[[江戸幕府]][[老中]](* [[1683年]])
* [[1790年]] - [[イズラエル・パットナム]]、[[アメリカ独立戦争]]期の[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]将軍(* [[1718年]])
* [[1814年]] - [[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ]]、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の妻(* [[1763年]])
* [[1829年]] - [[ハンフリー・デービー]]、[[化学者]](* [[1778年]])
* [[1833年]] - [[アンゼルム・フォイエルバッハ]]、[[法学者]](* [[1775年]])
* [[1847年]] - [[エマニュエル・ド・グルーシー]]、[[フランス第一帝政]]の[[元帥]](* [[1766年]])
* [[1862年]] - [[ヘンリー・バックル]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1821年]])
* [[1866年]] - [[ウィンフィールド・スコット]]、[[アメリカ陸軍]]の名誉[[中将]](* [[1786年]])
* [[1874年]] - [[小政]]、[[俠客]](* [[1842年]])
* [[1892年]] - [[バハーウッラー]]、[[バハイ教]]教祖(* [[1817年]])
* [[1896年]] - [[ガブリエル・オーギュスト・ドブレ]]、[[地質学|地質学者]](* [[1814年]])
* [[1897年]] - [[ユリウス・フォン・ザックス]]、[[植物学者]] (* [[1832年]])
* [[1910年]] - [[ミリイ・バラキレフ]]、[[作曲家]](* [[1837年]])
* [[1911年]] - [[ウィリアム・S・ギルバート]]、[[劇作家]]
* [[1919年]] - [[ロバート・ベイコン]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1860年]])
* [[1925年]] - [[ヴィトリド・ツェラスキー]]、[[天文学者]](* [[1849年]])
* [[1935年]] - [[ヨセフ・スク (作曲家)|ヨゼフ・スーク]]、作曲家(* [[1874年]])
* [[1942年]] - [[与謝野晶子]]、[[作家]]、[[歌人]]、女性解放思想家、[[フェミニスト]](* [[1878年]])
* [[1942年]] - [[ジョン・バリモア]]、[[俳優]](* [[1882年]])
* [[1943年]] - [[山崎保代]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[中将]](* 1891年)
* [[1951年]] - [[ヨゼフ・ボフスラフ・フェルステル]]、作曲家(* [[1859年]])
* [[1956年]] - [[ヘルマン・アーベントロート]]、[[指揮者]](* [[1883年]])
* [[1957年]] - [[ハーバート・ラング]]、[[動物学|動物学者]](* [[1879年]])
* [[1958年]] - [[フアン・ラモン・ヒメネス]]、[[詩人]](* [[1881年]])
* [[1963年]] - [[ヴィッサリオン・シェバリーン]]、作曲家(* [[1902年]])
* [[1964年]] - [[大野伴睦]]、[[政治家]]、元[[衆議院議長]](* [[1890年]])
* [[1966年]] - [[ヒッポ・ボーン]]、元プロ野球選手(* [[1888年]])
* [[1970年]] - [[エヴァ・ヘス]]、[[彫刻家]]、[[画家]](* [[1936年]])
* [[1972年]] - [[モー・バーグ]]、元プロ野球選手(* [[1902年]])
* [[1977年]] - [[バー・モウ]]、[[ミャンマー|ビルマ]]の独立運動家(* [[1893年]])
* [[1978年]] - [[伊藤忠兵衛 (二代)]]、[[実業家]](* [[1886年]])
* [[1979年]] - [[メアリー・ピックフォード]]、女優(* [[1892年]])
* [[1981年]] - [[宋慶齢]]、[[中華人民共和国主席|中華人民共和国名誉主席]]、[[孫文]]夫人(* [[1893年]])
* [[1982年]] - [[ロミー・シュナイダー]]、女優(* [[1938年]])
* [[1985年]] - [[田岡良一]]、[[法学者]]・[[京都大学]]名誉教授(* [[1898年]])
* [[1989年]] - [[ジョージ・ホーマンズ]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1910年]])
* [[1993年]] - [[戸山為夫]]、[[調教師]](* [[1932年]])
* [[1994年]] - [[エーリッヒ・ホーネッカー]]、元[[ドイツ民主共和国|東独]]国家評議会議長(* [[1912年]])
* [[1996年]] - [[タマーラ・トゥマーノワ]]、[[バレエ]][[ダンサー]](* [[1919年]])
* 1996年 - [[美ち奴]]、[[芸者]]、[[歌手]](* [[1917年]])
* [[1997年]] - [[ジェフ・バックリィ]]、[[シンガーソングライター]](* [[1966年]])
* [[1998年]] - [[バリー・ゴールドウォーター]]、[[アメリカ合衆国上院|アメリカ合衆国上院議員]](* [[1909年]])
* [[2004年]] - [[アーチボルド・コックス]]、[[アメリカ合衆国訟務長官]](* [[1912年]])
* [[2005年]] - [[ジョージ・ロックバーグ]]、作曲家(* [[1918年]])
* [[2006年]] - [[鶴ヶ嶺昭男]]、元[[大相撲]][[関脇]]、年寄14代[[井筒 (相撲)|井筒]] (* [[1929年]])
* 2006年 - [[岡田眞澄]]、俳優(* [[1935年]])
* 2006年 - [[梶田孝道]]、社会学者(* [[1947年]])
* [[2007年]] - [[堀敏一]]、歴史学者(* [[1924年]])
* [[2008年]] - [[安西徹雄]]、[[イギリス文学者]]、[[演出家]](* [[1933年]])
* [[2009年]] - [[レジナルド・ゴリッジ]]、[[地理学者]](* [[1937年]])
* [[2010年]] - [[デニス・ホッパー]]、[[俳優]](* [[1936年]])
* [[2011年]] - [[丸岡修]]、元[[日本赤軍]]幹部(* [[1950年]])
* [[2012年]] - [[新藤兼人]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](* [[1912年]])
* [[2013年]] - [[潮田益子]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1942年]])
* [[2014年]] - [[カールハインツ・ベーム]]、[[俳優]](* [[1928年]])
* 2014年 - [[原貢]]、野球指導者(* [[1935年]])
* [[2017年]] - [[マヌエル・ノリエガ]]、[[パナマ]]の国家元首(* [[1934年]])
* [[2018年]] - [[パンチョ加賀美]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20180604-NCIAQNQPQNP2ZO5YUL7OIESBZU/|title=「ピンキーとキラーズ」パンチョ加賀美さんが死去|publisher=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2018-06-04|accessdate=2020-11-15}}</ref>、ミュージシャン、ドラマー(* [[1944年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Statue of Tenzing Norgay at Himalayan Mountaineering Institute.jpg|thumb|200px|[[エドモンド・ヒラリー]]と[[テンジン・ノルゲイ]](画像)、[[エベレスト]]に人類初登頂(1953)]]
* {{仮リンク|国連平和維持要員の国際デー|en|International Day of United Nations Peacekeepers}}({{World}})
*:[[2002年]]の国連総会で採択された[[国際デー]]の1つ。[[国連平和維持活動]] (PKO) にかかわった全ての人の献身と勇気を称え、PKOで命を失った人々を追悼する日。
* エベレスト登頂記念日
*: [[1953年]]5月29日、[[ニュージーランド]]の[[エドモンド・ヒラリー]]と[[シェルパ]]族の[[テンジン・ノルゲイ]]が、世界で初めて世界最高峰の[[エベレスト]]の登頂に成功したことから。
* {{仮リンク|民主化の日 (ナイジェリア)|en|Democracy Day (Nigeria)|label=民主化の日}}({{NGA}})
*: [[1999年]]のこの日、ナイジェリア初の民主的選挙で大統領に当選した[[オルシェグン・オバサンジョ]]が大統領に就任したことを記念。
* [[こんにゃく]]の日({{JPN}})
*: 全国こんにゃく協同組合連合会が[[1989年]]に制定。「こ(5)んに(2)ゃく(9)」の語呂合せ。
* [[呉服]]の日({{JPN}})
*:全国呉服小売組合総連合会が制定。「ご(5)ふ(2)く(9)」の語呂合わせ。
* 白櫻忌/晶子忌
*: 歌人[[与謝野晶子]]の忌日。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0529|date=2011年6月}}
* [[2008年]] - “革命の日”。現職の[[セキュリティポリス|SP]]である尾形総一郎を中心としたテロリストにより、[[国会議事堂]]が占拠される。(映画『[[SP THE MOTION PICTURE]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 生年不明 - 種ヶ島修二、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1530565823118594048}}</ref>
* 生年不明 - [[藍染惣右介]]、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=久保帯人|authorlink=久保帯人 |year = 2006 |title = BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page = 130 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 4-08-874079-3 }}</ref>
* 生年不明 - 樫尾由多嘉、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1266022703011696641}}</ref>
* 生年不明 - 真波山岳、漫画・アニメ『[[弱虫ペダル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yowapeda_anime|869105297154908160}}</ref>
* 生年不明 - 伊地知虹夏、漫画・アニメ・舞台『[[ぼっち・ざ・ろっく!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|btr_anime|1530564564215123969}}</ref>
* 生年不明 - [[クーラ・ダイアモンド]]、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|snkpofficial_jp|1530821273961394181}}</ref>
* 生年不明 - クリスタ・シュルツェ、ゲーム『[[ユーディーのアトリエ 〜グラムナートの錬金術士〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gust.co.jp/products/a4/about05.html#christa |title=クリスタ・シュルツェ |publisher=[[ガスト (ゲームブランド)|ガスト]] |accessdate=2022-11-10 |work=「ユーディーのアトリエ 〜グラムナートの錬金術士〜」}}</ref>
* 生年不明 - 綾瀬穂乃香、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場 するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20011 |title=綾瀬 穂乃香(あやせ ほのか) |access-date=2022-11-10 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#白石紬|白石紬]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30014 |title=白石 紬(しらいし つむぎ) |access-date=2022-11-10 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#大月あるる|大月あるる]]、ゲーム『[[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#アプリゲーム|少女☆歌劇 レヴュースタァライト -Re LIVE-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status2|starlightrelive|1133568645177778177}}</ref>
* 生年不明 - 明智咲、メディアミックス『[[告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://honeyworks.jp/special/#character |title=Character 明智 咲 |publisher=[[HoneyWorks]] |accessdate=2022-11-10 |work=「告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜」}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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[[Image:Stilke_Hermann_Anton_-_Joan_of_Arc%27s_Death_at_the_Stake.jpg|thumb|200px|[[ジャンヌ・ダルク]](1412-1431)、ピエール・コーション司教による異端審問により火刑]]
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[[Image:Stop_cluster_bombs_march.jpg|thumb|[[クラスター弾に関する条約]]が採択される(2008)。画像は禁止を求める[[クラスター爆弾]]被害者]]
* [[809年]]([[大同 (日本)|大同]]4年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - 第52代天皇・[[嵯峨天皇]]が即位。
* [[819年]]([[弘仁]]10年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[空海]]が[[高野山]]で[[金剛峰寺]]の開創に着手。
* [[1333年]]([[元弘]]3年/[[正慶]]2年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[足利尊氏]]が、[[後醍醐天皇]]による倒幕挙兵の討伐のために入京。
* [[1431年]] - [[ジャンヌ・ダルク]]が、3ヶ月ほど続いた異端審問の末、フランスの[[ルーアン]]で火刑に処される<ref>{{Cite web|和書|url=https://transit.ne.jp/2023/05/002230.html |title=#今日は何の日? 永遠のヒロインの命日 5月30日 |access-date=21 Jun 2023 |publisher=TRANSIT |date=30 May 2023}}</ref>。
* [[1434年]] - [[フス戦争]]: [[リパニの戦い]]。
* [[1536年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]が3番目の王妃[[ジェーン・シーモア]]と結婚。
* [[1631年]] - [[フランス]]初の[[新聞]]『{{仮リンク|ラ・ガゼット|fr|La Gazette (France)}}』が創刊。
* [[1635年]] - [[三十年戦争]]: [[神聖ローマ皇帝]][[フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント2世]]と[[ハイルブロン同盟]]の指揮官[[ベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマル]]が和平条約「[[プラハ条約 (1635年)|プラハ条約]]」を締結<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/topic/Peace-of-Prague |title=Peace of Prague(Thirty Years’ War) |work=Britannica |accessdate=15 Jun 2023}}</ref>。
* [[1814年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[パリ条約 (1814年)|パリ条約]]締結。[[フランス帝国]]と[[第六次対仏大同盟]]諸国との戦争が終結。
* [[1854年]] - アメリカ合衆国で[[カンザス・ネブラスカ法]]が成立し、[[カンザス準州]]と[[ネブラスカ準州]]が発足。
* [[1885年]] - 福岡県令より福岡県立修猷館(現[[福岡県立修猷館高等学校]])の設置が告示される。(創立記念日)
* [[1876年]] - [[オスマン帝国]]で青年トルコ党によるクーデター。皇帝[[アブデュルアズィズ]]が廃位され、甥の[[ムラト5世]]が即位。93日で退位。
* [[1911年]] - アメリカ・[[インディアナ州]][[インディアナポリス]]で第1回インディアナポリス500マイルレース([[インディ500]])開催。
* [[1913年]] - [[バルカン同盟]]諸国と[[オスマン帝国]]との間で[[ロンドン条約 (1913年)|ロンドン条約]]が結ばれ、[[第一次バルカン戦争]]が終結する。
* [[1925年]] - [[五・三〇事件]]: [[上海市|上海]]でイギリス官憲が中国人労働者に発砲する<ref>{{Twitter status|Iwanamishoten|1266565061285478401}}</ref>。
* [[1929年]] - [[1929年イギリス総選挙]]。[[労働党 (イギリス)|労働党]]が結党以来初めて第一党になる。
* [[1935年]] - [[パキスタン]]で[[マグニチュード|Mw]] 7.7の地震、58,000人死亡。
* [[1942年]] - [[ケルン爆撃]]: イギリス軍がドイツの古都[[ケルン]]に大規模爆撃。
* [[1950年]] - [[人民広場事件]]: [[皇居前広場]]で[[日本共産党]]支持者によるデモ隊と占領軍が衝突。
* 1950年 - [[文化財保護法]]公布。
* [[1952年]] - [[仙台市]]の大梶南地域にて、[[在日朝鮮統一民主戦線|民戦]]系の[[在日韓国・朝鮮人|在日コリアン]]が[[在日本大韓民国民団|民団]]系の住民を襲撃。警察が出動する事態に発展。([[大梶南事件]])
* 1952年 - 東京都[[板橋 (板橋区)|板橋]]に存在した岩之坂上派出所を在日朝鮮人ら約300人が襲撃。警察官12人が拳銃を発射して応戦したため死者3人、重軽傷者10余人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=86|isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1958年]] - 最後のBC級戦犯18人が仮出所し、[[巣鴨拘置所]]が閉鎖。
* [[1961年]] - [[ドミニカ共和国]]の独裁者[[ラファエル・トルヒーヨ]]が部下により暗殺される。
* [[1961年]] - [[京都市]]内で京都府学生自治連合のデモ隊と警官隊が衝突。双方に重軽傷者69人。デモは同年[[6月3日]]にも行われて多数の負傷者を出した<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=152|isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1966年]] - [[サーベイヤー計画]]: アメリカの無人月探査機「[[サーベイヤー1号]]」が打ち上げ。
* [[1967年]] - [[ナイジェリア]]の[[東部州 (ナイジェリア)|東部州]]が[[ビアフラ共和国]]として独立を宣言。
* 1967年 - 東洋工業(現・[[マツダ]])が、世界初となる2ローター[[ロータリーエンジン]]搭載車「[[マツダ・コスモ|コスモスポーツ]]」を発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/2689 |title=ご存知ですか? 5月30日は世界初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」が発売された日です |access-date=15 Jun 2023 |publisher=[[文藝春秋]] |date=30 May 2017 |website=[[文春オンライン]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://motor-fan.jp/article/10015505 |title=マツダ・コスモスポーツ(1967) あのロータリーエンジンを初めて搭載した伝説のスポーツカー「週刊モーターファン・アーカイブ/マツダ100周年特集」 |accessdate=15 Jun 2023 |publisher=Motor-Fan |date=16 Jul 2020}}</ref>。
* [[1968年]] - [[消費者保護基本法]](現・[[消費者基本法]])公布。
* [[1971年]] - アメリカで[[火星]]探査機「[[マリナー9号]]」打上げ。
* [[1972年]] - [[日本赤軍]]が[[テルアビブ]]の[[ベン・グリオン国際空港|ロッド空港]]で銃乱射([[テルアビブ空港乱射事件]])。犯人2人を含む26人死亡。
* [[1973年]] - [[輪島大士|輪島]]が第54代[[横綱]]に昇進。初の学生相撲出身の横綱<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.jiji.com/jc/daily?d=0530 |title=今日は何の日:大相撲の輪島が横綱昇進、学生相撲出身で初 |website=JIJI.COM|publisher=[[時事通信社]]|accessdate=15 Jun 2023}}</ref>。
* [[1975年]] - [[欧州宇宙機関]]が設立される。
* [[1978年]] - アメリカ、[[テキサスシティ]]で[[マラソン・ペトロリアム|マラソン・オイル]]社の大型石油タンク(55,000ガロン)2基が次々と爆発炎上。死者20人以上<ref>ガソリンのタンク爆発 二十人不明 十数人けが『朝日新聞』1978年(昭和53年)5月31日朝刊、13版、23面</ref>。
* [[1981年]] - [[バングラデシュ]]の[[ジアウル・ラフマン]]大統領が叛乱軍により暗殺。
* [[1988年]] - [[全日本空輸]]の[[ボーイング737]]-200型機が、[[下地島空港]]で操縦ミスにより離陸に失敗([[全日空訓練機下地島離陸失敗事故]])。
* [[1989年]] - [[六四天安門事件]]: [[天安門広場]]に[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]を模した{{仮リンク|民主の女神像|zh|民主女神}}が設置される。
* [[1993年]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]、球団創設以来初の4000勝達成。(対[[中日ドラゴンズ|中日]]戦でサヨナラ勝ち)
* 1993年 - [[柴田政人]]が19回目の挑戦で悲願の[[東京優駿|ダービー]]制覇を達成する<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=42572|title=柴田政人師、伊藤正徳師が引退。忘れてはならないホースマンの足跡|work=netkeiba.com|date=21 Feb 2019|accessdate=15 Jun 2023}}</ref>。
* [[1999年]] - [[西村博之]]が巨大掲示板群「[[2ちゃんねる]]」を開設。
* 1999年 - 強風で倒壊したステージを背に、[[LUNA SEA]] 10TH ANNIVERSARY GIG [NEVER SOLD OUT]CAPACITY ∞開催。
* [[2001年]] - [[小林雅英]]が[[5月25日]]よりプロ野球新記録となる6日間連続セーブをあげる。
* [[2007年]] - [[白鵬翔|白鵬]]が第69代横綱に昇進。史上4人目の外国人横綱<ref>{{Cite web|和書|url= https://hochi.news/articles/20200527-OHT1T50108.html?page=1 |title= 【2007年5月30日】第69代横綱・白鵬が誕生…口上は「精神一到」 |work=[[スポーツ報知]]|date=30 May 2020|accessdate=15 Jun 2023}}</ref>。
* [[2008年]] - [[ダブリン]]における[[クラスター爆弾]]に関する外交会議で[[クラスター弾に関する条約]]が採択される<ref>{{Cite web|和書|date=30 May 2008 |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/arms/cluster/0805_gh.html |title=クラスター弾に関するダブリン会議 概要と評価 |publisher=[[外務省]]|accessdate=15 Jun 2023}}</ref>。
* [[2010年]] - [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]・[[国民新党]]の[[鳩山由紀夫内閣|鳩山由紀夫連立政権]]から社民党が離脱<ref>{{Cite web|和書|date=30 May 2010 |url=https://www.jiji.com/jc/v2?id=20100420futenma_air_station_02 |title=迷走!普天間移設 社民、連立離脱を決定 |website=JIJI.COM |publisher=[[時事通信社]] |accessdate=15 Jun 2023}}</ref>。
* 2010年 - [[2011 FIFA女子ワールドカップ]][[2010 AFC女子アジアカップ|アジア地区最終予選]]3位決定戦で[[サッカー日本女子代表|日本]]が6大会連続のワールドカップ出場決定。
* [[2015年]] - [[仙石東北ライン]]が開業し、[[仙石線]]が全線復旧<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kajima.co.jp/tech/c_great_east_japan_earthquake/deconstruction/deconstruction04/index.html|title=JR仙石線 復旧工事|東日本大震災における鹿島の取組み|work=[[鹿島建設]]|accessdate=15 Jun 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=31 May 2015|url=https://www.sankei.com/article/20150531-JSPGNQ4HDZMYHK6XXT4RM2YNDU/ |title=JR仙石線全線復旧 被災地鉄路の未来は… 復興の象徴…一方で、収益性などに課題 宮城 |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=15 Jun 2023}}</ref>。
* 2015年 - 午後8時28分ごろ、[[小笠原諸島西方沖地震 (2015年)|小笠原諸島西方沖地震]]が発生し、[[東京都]][[小笠原村]]に属する[[母島]]と[[神奈川県]][[二宮町]]で最大震度5強の揺れを観測する。震源の深さは682km、[[マグニチュード]]8.1<ref>{{Cite web|和書|date=31 May 2015 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30HDJ_Q5A530C1CC1000/ |title=小笠原と神奈川で震度5強 鉄道乱れ、高層ビル混乱 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=15 Jun 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=31 May 2015 |url=https://www.sankei.com/article/20150531-UJLOLQ3KHNPVVC62KMWAAUICMA/ |title=【小笠原で震度5強】震源を682キロに修正、気象庁「M8クラスで世界最深の地震」 |accessdate=15 Jun 2023 |publisher=[[産経新聞]]}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[Image:Young_Bakunin.jpg|thumb|upright|思想家[[ミハイル・バクーニン]](1814-1876)誕生。]]
[[Image:Masujiro_Omura_cropped.jpg|thumb|100px|[[日本陸軍]]建設の祖、兵学者[[大村益次郎]](1824-1869)誕生]]
[[Image:Irving_Thalberg.png|thumb|100px|映画プロデューサー、[[アーヴィング・タルバーグ]](1899-1936)]]
[[Image:YoungAlfven.jpg|thumb|100px|[[磁気流体力学]]の基礎を築いた物理学者[[ハンス・アルヴェーン]](1908-1995)]]
[[Image:BennyGoodmanStageDoorCanteen.jpg|thumb|upright|[[ジャズ]]・[[クラリネット]]奏者、[[ベニー・グッドマン]](1909-1986)]]
[[Image:Axelrod.jpg|thumb|100px|[[神経伝達物質]]を発見した生化学者、[[ジュリアス・アクセルロッド]](1912-2004)]]
[[Image:Akinoumi.gif|thumb|100px|第37代横綱、[[安藝ノ海節男]](1914-1979)]]
[[Image:Nakamura Kanzaburo XVIII.jpg|thumb|100px|歌舞伎役者、[[中村勘三郎 (18代目)|18代目中村勘三郎]](1955-)]]
* [[1670年]]([[寛文]]10年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[森川俊胤]]、第4代[[生実藩|生実藩主]](+ [[1746年]])
* [[1737年]]([[元文]]2年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]) - [[酒井忠温 (伊勢崎藩主)|酒井忠温]]、第3代[[伊勢崎藩|伊勢崎藩主]](+ [[1801年]])
* [[1757年]] - [[ヘンリー・アディントン]]<ref>{{cite web|url=https://www.gov.uk/government/history/past-prime-ministers/henry-addington-1st-viscount-sidmouth |title=Past Prime Ministers Henry Addington 1st Viscount Sidmouth|website=GOV.UK|publisher=[[イギリス政府]] |accessdate=15 Jun 2023}}</ref>、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1844年]])
* [[1793年]]([[寛政]]5年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[鍋島直彜]]、第9代[[鹿島藩|鹿島藩主]](+ [[1826年]])
* [[1814年]] - [[ミハイル・バクーニン]]、[[思想家]](+ [[1876年]])
* [[1824年]]([[文政]]7年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[大村益次郎]]、[[兵学者]](+ [[1869年]])
* [[1846年]] - [[ピーター・カール・ファベルジェ]]、[[宝石]]商(+ [[1920年]])
* 1846年([[弘化]]3年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[板倉勝弼]]、第8代[[備中松山藩|松山藩主]]・[[子爵]](+ [[1896年]])
* [[1869年]] - [[ジュリオ・ドゥーエ]]、[[軍人]]、[[軍事学者]](+ [[1930年]])
* [[1871年]] - [[エイモス・ルーシー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1942年]])
* [[1875年]] - [[ジョヴァンニ・ジェンティーレ]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1944年]])
* [[1881年]] - [[ゲオルク・フォン・キュヒラー]]、[[ドイツ]]の軍人(+ [[1968年]])
* [[1885年]] - [[エセル・ミューケルト]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1953年]])
* [[1890年]] - [[杉田久女]]、[[俳人]](+ [[1946年]])
* [[1893年]] - [[イェリー・ダラーニ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1966年]])
* [[1895年]] - [[深沢豊太郎]]、[[政治家]](+ [[1944年]])
* [[1896年]] - [[ハワード・ホークス]]、[[映画監督]](+ [[1977年]])
* [[1899年]] - [[アーヴィング・タルバーグ]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1936年]])
* [[1903年]] - [[林房雄]]、[[小説家]](+ [[1975年]])
* [[1904年]] - [[ソリー・ズッカーマン]]、[[動物学|動物学者]](+ [[1993年]])
* 1904年 - [[吉田正光]]、日本男性最高齢だった人物 (+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20161215-QA3PF5MIVFJAHDE4OIOUVXVB7A/ |title=国内最高齢112歳の男性死去 東京の吉田正光さん |access-date=15 Jun 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=15 Dec 2016}}</ref>)
* [[1908年]] - [[戒能通孝]]、[[日本の法学者一覧|民法学者]](+ 1975年)
* 1908年 - [[伊馬春部]]、小説家、[[劇作家]](+ [[1984年]])
* 1908年 - [[ハンス・アルヴェーン]]、[[物理学者]](+ [[1995年]])
* [[1909年]] - [[ベニー・グッドマン]]、[[ジャズ]]([[クラリネット]])奏者(+ [[1986年]])
* [[1912年]] - [[ジュリアス・アクセルロッド]]、[[薬理学|薬理学者]](+ [[2004年]])
* [[1913年]] - [[仮谷忠男]]、[[建設大臣]](+ [[1976年]])
* [[1914年]] - [[安藝ノ海節男]]、元[[大相撲]][[力士]]、第37代[[横綱]](+ [[1979年]])
* [[1915年]] - [[平田義正]]、[[有機化学|有機化学者]](+ [[2000年]])
* [[1920年]] - [[安岡章太郎]]、[[小説家]](+ [[2013年]])
* [[1921年]] - [[柳亭痴楽 (4代目)]]、[[落語家]](+ [[1993年]])
* [[1922年]] - [[ハル・クレメント]]、[[SF作家]](+ [[2003年]])
* [[1925年]] - [[チャーリー・ルイス]]、元プロ野球選手
* 1925年 - [[ジョン・コック]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[2002年]])
* [[1926年]] - [[渡邊恒雄]]、[[新聞記者]]、[[実業家]]
* [[1927年]] - [[宮錦浩]]、元大相撲力士、[[年寄]]10代[[芝田山]](+ [[1992年]])
* [[1928年]] - [[木村恒久]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[2008年]])
* 1928年 - [[アニエス・ヴァルダ]]、映画監督(+ [[2019年]])
* [[1930年]] - [[竹中労]]、[[ルポライター]]、[[評論家]](+ [[1991年]])
* 1930年 - [[ロバート・ライマン]]、[[美術家]](+ [[2019年]])
* [[1932年]] - [[ポーリン・オリヴェロス]]、[[アコーディオン]]奏者、[[作曲家]](+ [[2016年]])
* [[1934年]] - [[アレクセイ・レオーノフ]]、[[宇宙飛行士]](+ [[2019年]])
* [[1935年]] - [[小坂一也]]、[[歌手]]、[[俳優]](+ [[1997年]])
* [[1937年]] - [[左とん平]]、[[俳優]](+ [[2018年]])
* [[1938年]] - [[セルジオ・タッキーニ]]、[[ファッションデザイナー]]
* [[1940年]] - [[塩原明]]、元プロ野球選手
* [[1941年]] - [[大野雄二]]、[[作曲家]]
* [[1943年]] - [[本田保則]]、[[音響監督]]
* 1943年 - [[宮園純子]]、[[俳優|女優]]
* [[1944年]] - [[無徒史朗]]、元プロ野球選手
* [[1946年]] - [[高嶋仁]]、[[日本の高校野球|高校野球]]指導者
* [[1947年]] - [[大林雅美]]、元[[タレント]]
* 1947年 - [[橘修]]、プロ野球審判員
* [[1948年]] - [[ヒロ・ヤマガタ]](山形博導)、[[画家]]
* 1948年 - [[田尻茂敏]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[火野正平]]、俳優
* 1949年 - [[道原裕幸]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[フェルナンド・ルゴ]]、政治家、第37代[[パラグアイの大統領|パラグアイ大統領]]
* [[1952年]] - [[コチシュ・ゾルターン]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](+ [[2016年]])
* 1952年 - [[クリスタルキング|中村公晴]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[クリスタルキング]])
* 1952年 - [[前田三郎]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[庄司智久]]、元プロ野球選手
* 1953年 - [[岩井隆之]]、元プロ野球選手
* 1953年 - [[三ツ木清隆]]、俳優
* [[1954年]] - [[神崎愛]]、女優、[[フルート奏者]]
* 1954年 - [[佐々木正行]]、元プロ野球選手
* 1954年 - [[石田真]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[ジェイク・ロバーツ]]、[[プロレスラー]]
* 1955年 - [[中村勘三郎 (18代目)]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎俳優]](+ [[2012年]])
* 1955年 - [[トッパー・ヒードン]]、[[ロックンロール|ロック]][[ドラマー]]([[ザ・クラッシュ]])
* 1955年 - [[深沢恵雄]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[宇野勝]]、元プロ野球選手
* [[1959年]] - [[酒井敏也]]、俳優
* 1959年 - [[関口伸]]、[[ナレーター]]、[[アナウンサー]]
* 1959年 - [[前野知常]]、[[キーボーディスト]]、作曲家、編曲家
* [[1960年]] - [[バイオスフィア (ミュージシャン)|バイオスフィア]]、[[環境音楽|アンビエント]]ミュージシャン
* [[1961年]] - [[中村久美]]、女優
* 1961年 - [[宮嶋茂樹]]、[[カメラマン]]
* 1961年 - [[キティ・カルザース]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1962年]] - [[田面木博公]]、元[[騎手]]、調教助手
* 1962年 - [[ベルント・グレムザー]]、[[ピアニスト]]
* [[1963年]] - [[小島章利]] 、実業家、[[コジマ]]第2代代表取締役社長
* 1963年 - [[田畑一雄]]、[[官僚]]
* 1963年 - [[西沢浩一]]、元プロ野球選手
* 1963年 - [[向井政生]]、[[TBS]][[アナウンサー]](+ [[2023年]])
* [[1964年]] - [[古市コータロー]]、ミュージシャン([[ザ・コレクターズ|THE COLLECTORS]])
* 1964年 - [[岸佳之]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[森下和哉]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー
* [[1966年]] - [[松本玲二]]、ミュージシャン([[TUBE]])
* 1966年 - [[植村伴北]]、『[[ゲーメスト]]』初代編集長、アーケードゲームサークルVG2代表
* 1966年 - [[君島十和子]]、実業家、元女優
* [[1967年]] - [[矢口史靖]]、[[映画監督]]
* 1967年 - [[ティム・バージェス]]、[[歌手]]([[ザ・シャーラタンズ]])
* [[1969年]] - [[北村龍平]]、映画監督
* 1969年 - [[河瀨直美]]、映画監督
* [[1970年]] - [[門奈哲寛]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[本田昌毅]]、医師
* [[1971年]] - [[南勝久]]、[[漫画家]]
* 1971年 - [[松元繁]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[イディナ・メンゼル]]、女優
* [[1972年]] - [[保志総一朗]]<ref name="アニメイトタイムズ">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=729 |title=保志総一朗のアニメキャラ・最新情報まとめ |publisher=アニメイトタイムズ |accessdate=15 Jun 2023}}</ref>、声優
* 1972年 - [[マニー・ラミレス]]、プロ野球選手
* 1972年 - [[中元綾子]]、アナウンサー
* [[1973年]] - [[村井宗明]]、政治家
* 1973年 - [[杉田勇]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[マグヌス・ノーマン]]、テニス選手
* [[1977年]] - [[鶴岡一成]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[唐橋充]]、俳優、[[イラストレーター]]
* [[1978年]] - [[糸曽賢志]]、[[アニメ演出家]]
* 1978年 - [[リョート・マチダ]]、[[総合格闘家]]
* [[1979年]] - [[釘宮理恵]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.imenterprise.jp/profile.php?id=52 |title=釘宮 理恵 |access-date=15 Jun 2023 |publisher=[[アイムエンタープライズ]]}}</ref><ref>{{Cite book|和書|year=2004|title=日本音声製作者名鑑2004 vol.1 |page=175|publisher=[[小学館]]|ISBN=978-4-09-526301-4}}</ref>、声優
* [[1980年]] - [[太田哲治]]、声優
* 1980年 - [[スティーブン・ジェラード]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* 1980年 - [[成田良悟]]、[[小説家]]
* [[1981年]] - [[上宮菜々子]]、[[テレビ朝日]][[アナウンサー]]
* [[1982年]] - [[大袈裟太郎]]、[[ラッパー]]
* 1982年 - [[内田朝陽]]、俳優
* [[1983年]] - [[柳済國]]、野球選手
* 1983年 - [[ハイロ・アセンシオ]]、プロ野球選手
* [[1984年]] - 国沢一誠、お笑いタレント(元[[ヒカリゴケ (お笑いコンビ)|ヒカリゴケ]])
* 1984年 - [[フランク・ハーマン]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[尾形幸子]]、[[ファッションモデル]]
* 1985年 - [[フェルナンド・サラス]]、プロ野球選手
* [[1987年]] - [[八木菜摘]]、元アナウンサー
* 1987年 - [[桑子真帆]]、NHKアナウンサー
* 1987年 - [[上原香代子]]、女優、歌手
* [[1989年]] - [[石川由依]]、女優、声優
* 1989年 - [[長島光那]]、声優
* 1989年 - [[野口啓代]]、[[スポーツクライミング|スポーツクライマー]]
* 1989年 - [[川畑亜沙美]]、元野球選手
* 1989年 - [[中川結麻]]、元野球選手
* 1989年 - [[井上裕大]]、サッカー選手
* 1989年 - [[アレクサンドラ・ドゥルゲル]]、テニス選手
* 1989年 - [[満島真之介]]、俳優
* 1989年 - 岡部大、お笑いタレント([[ハナコ (お笑いトリオ)|ハナコ]])
* 1989年 - [[小林竜樹 (俳優)|小林竜樹]]、俳優
* 1989年 - [[佐倉絆]]、タレント、元[[AV女優]]
* [[1990年]] - [[菊里藍]]、元AV女優
* 1990年 - [[李佳祺]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1990年 - [[エウリー・ペレス]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[ユナ (少女時代)|ユナ]]、歌手([[少女時代 (音楽グループ)|少女時代]])
* 1990年 - [[ザック・ウィーラー]]、プロ野球選手
* [[1991年]] - [[たすくこま]]、[[YouTuber]]
* [[1992年]] - NANAKA、歌手([[BRIGHT (ダンスボーカルグループ)|BRIGHT]])
* 1992年 - [[高橋香波]]、女優
* [[1993年]] - [[髙藤直寿]]、[[柔道家]]
* 1993年 - [[福士蒼汰]]、俳優
* [[1994年]] - [[小野泰己]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[星咲花那]]、歌手
* [[1995年]] - [[内田靖人]]、プロ野球選手
* 1995年 - [[佐々木大地 (棋士)|佐々木大地]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* 1995年 - [[ジョナ・ハウアー=キング]]、俳優
* [[1996年]] - [[奈月 (タレント)|奈月]]、グラビアアイドル
* [[1997年]] - [[小嶋真子]]、タレント(元[[AKB48]])
* [[1998年]] - [[河野竜生]]、プロ野球選手
* [[1999年]] - [[鵜飼航丞]]、プロ野球選手
* 1999年 - [[駿河メイ]]、[[プロレスラー]]
* [[2000年]] - [[青山新]]、[[演歌歌手]]
* [[2002年]] - [[豆原一成]]、[[アイドル]]([[JO1]])
* [[2007年]] - [[中山あやか]]、ファッションモデル
* 生年不明 - [[菊地慧]]、声優
* 生年不明 - [[あごバリア]]、[[ゲームクリエイター]](+ [[2016年]])
* 生年不明 - [[吉岡美咲]]、声優
* 生年不明 - KENSUKE、ミュージシャン([[Qyoto]])
* 生年不明 - [[しぐれうい]]、イラストレーター、[[バーチャルYouTuber]]
== 忌日 ==
=== 人物 ===
[[Image:Marlowe.jpg|thumb|120px|劇作家[[クリストファー・マーロウ]](1564-1593)刺殺される。]]
[[Image:Peter_Paul_Rubens_004.jpg|thumb|120px|画家[[ピーテル・パウル・ルーベンス]](1577-1640)没。画像は『アダムとイヴ』(1628-29)]]
[[Image:Boucher_Diane_sortant_du_bain_Louvre_2712.jpg|thumb|120px|画家[[フランソワ・ブーシェ]](1703-1770)没。画像は『水浴のディアナ』(1742)]]
{{multiple image
| footer = 文人画家[[池大雅]](1723-1776)没。左画像は『釣便図』、右は『楼閣山水図』
| image1 = The_Chobenzu_by_Ike_Taiga_.jpg
| width1 = 90
| alt1 = 釣便図
| image2 = Roukaku_Sansui_Zu.jpg
| width2 = 160
| alt2 = 楼閣山水図
}}
[[Image:Voltaire-Baquoy.gif|thumb|120px|[[啓蒙主義]]哲学者、[[ヴォルテール]](1694-1778)没。]]
{{multiple image
| caption1 = タイ国王[[ラーマ7世]](1893-1941)没。
| image1 = Rama_7_in_stamp.jpg
| width1 = 110
| alt1 = ラーマ7世
| caption2 =[[ドミニカ共和国]]の[[ラファエル・トルヒーヨ]](1891-1961)没。
| image2 = Rafel_Trujillo_1934.jpg
| width2 = 90
| alt2 = ラファエル・トルヒーヨ
}}
* [[1252年]] - [[フェルナンド3世 (カスティーリャ王)|フェルナンド3世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](* [[1201年]])
* [[1431年]] - [[ジャンヌ・ダルク]]、フランスの国民的英雄、[[聖女]](* [[1412年]]<ref>(see Pernoud's ''Joan of Arc By Herself and Her Witnesses'', p. 98: 「ブーランビリエはジャンヌがドンレミで生まれたと語った。そして正確な、あるいは正確だと思われるジャンヌの誕生日は、御公現の祝日1月6日だと証言した」</ref>)
* [[1518年]]([[永正]]15年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[上杉朝良]]、[[武蔵国]]の[[戦国大名]]
* [[1560年]]([[永禄]]3年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[華陽院]]、[[徳川家康]]の外祖母(* [[1492年]])
* [[1574年]] - [[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]]、[[フランス王国|フランス]]王(* [[1550年]])
* [[1576年]]([[天正]]4年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[塙直政]]、[[武将|戦国武将]]
* [[1593年]] - [[クリストファー・マーロウ]]、[[劇作家]](* [[1564年]])
* [[1594年]] - [[バラッシ・バーリント]]、[[詩人]](* [[1554年]])
* [[1640年]] - [[ピーテル・パウル・ルーベンス]]、[[画家]](* [[1577年]])
* [[1650年]]([[慶安]]3年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]) - [[上田重安]]、戦国武将、[[上田宗箇流]]流祖、[[造園|造園家]](* [[1563年]])
* [[1730年]] - [[アラベラ・チャーチル]]、[[イングランド王国|イングランド王]][[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]の愛妾(* [[1648年]])
* [[1744年]] - [[アレキサンダー・ポープ]]、[[詩人]](* [[1688年]])
* [[1745年]] - [[ヨハン・アダム・クルムス]]、[[解剖学|解剖学者]](* [[1689年]])
* [[1770年]] - [[フランソワ・ブーシェ]]、画家(* [[1703年]])
* [[1776年]]([[安永 (元号)|安永]]5年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[池大雅]]、画家(* [[1723年]])
* [[1778年]] - [[ヴォルテール]]、[[哲学|哲学者]]、[[作家]](* [[1694年]])
* [[1863年]]([[文久]]3年4月13日) - [[清河八郎]]、[[浪士組]]結成者(* [[1830年]])
* [[1877年]] - [[淵辺群平]]、[[西南戦争]]薩摩軍鵬翼隊大隊長(* [[1840年]])
* [[1907年]] - [[オットマール・アンシュッツ]]、[[写真家]](* [[1846年]])
* [[1912年]] - ウィルバー・ライト、[[ライト兄弟]]の兄(* [[1867年]])
* [[1918年]] - [[ゲオルギー・プレハーノフ]]、[[ロシア]]の[[社会主義|社会主義者]](* [[1856年]])
* [[1934年]] - [[東郷平八郎]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[元帥]](* [[1848年]])
* [[1941年]] - [[ラーマ7世]]、[[タイ王国|タイ]]・[[チャクリー王朝]]第7代国王(* [[1893年]])
* [[1947年]] - [[ゲオルク・フォン・トラップ]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の海軍軍人(* [[1880年]])
* [[1950年]] - 3代目[[三遊亭歌笑]]、[[落語家]](* [[1917年]])
* [[1951年]] - [[ヘルマン・ブロッホ]]、[[小説家]](* [[1886年]])
* [[1960年]] - [[ボリス・パステルナーク]]、小説家、詩人(* [[1890年]])
* [[1961年]] - [[ラファエル・トルヒーヨ]]、[[ドミニカ共和国]]大統領(* [[1891年]])
* [[1964年]] - [[レオ・シラード]]、[[物理学者]](* [[1898年]])
* [[1965年]] - [[ルイス・イェルムスレウ]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](* [[1899年]])
* [[1967年]] - [[クロード・レインズ]]、[[俳優]](* [[1889年]])
* [[1968年]] - [[古武弥四郎]]、[[生化学]]者(* [[1879年]])
* [[1971年]] - [[マルセル・デュプレ]]、[[オルガニスト]]、[[作曲家]](* [[1886年]])
* [[1972年]] - [[奥平剛士]]、[[日本赤軍]]の活動家(* [[1945年]])
* [[1976年]] - [[渕田美津雄]]、日本海軍の[[大佐]](* [[1902年]])
* 1976年 - [[マックス・キャリー]]、元プロ野球選手(* [[1890年]])
* [[1977年]] - [[ポール・デスモンド]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン|サックス]]奏者(* [[1924年]])
* 1977年 - [[小菅健吉]]、教育者(* [[1897年]])
* [[1978年]] - [[片山哲]]、政治家、第46代[[内閣総理大臣]](* [[1887年]])
* [[1980年]] - [[天津乙女]]、[[宝塚歌劇団]]の劇団員(* [[1905年]])
* [[1981年]] - [[柳井隆雄]]、[[脚本家]](* [[1902年]])
* 1981年 - [[横沢四郎]]、元[[プロ野球選手]](* [[1906年]])
* [[1983年]] - [[山本康夫]]、[[歌人]](* [[1902年]])
* [[1986年]] - [[ハンク・モブレー]]、ジャズ[[サクソフォーン|サックス]]奏者(* [[1930年]])
* [[1987年]] - [[出羽ノ花國市]]、元[[大相撲]][[力士]]、第4代[[日本相撲協会]]理事長(* [[1909年]])
* [[1992年]] - [[カール・カルステンス]]、政治家、第5代[[連邦大統領 (ドイツ)|ドイツ連邦大統領]](* [[1914年]])
* 1992年 - [[クレイグ・エルウッド]]、[[建築家]](* [[1922年]])
* 1992年 - [[井上光晴]]、小説家(* [[1926年]])
* [[1994年]] - [[エズラ・タフト・ベンソン]]、[[末日聖徒イエス・キリスト教会]]大管長(* [[1899年]])
* 1994年 - [[フアン・カルロス・オネッティ]]、小説家(* [[1909年]])
* 1994年 - [[真田重蔵]]、元プロ野球選手(* [[1923年]])
* [[2000年]] - [[井上大輔]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1941年]])
* [[2002年]] - [[竹本孫一]]、政治家、[[民社党]][[衆議院|衆議院議員]](* [[1906年]])
* [[2003年]] - [[ミッキー・モスト]]、[[音楽プロデューサー]](* [[1938年]])
* [[2005年]] - [[貴ノ花利彰]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1950年]])
* [[2006年]] - [[今村昌平]]、[[映画監督]](* [[1926年]])
* [[2007年]] - [[ジャン=クロード・ブリアリ]]、俳優(* [[1933年]])
* [[2008年]] - [[ボリス・シャハリン]]、[[体操]]選手(* [[1932年]])
* [[2009年]] - [[トルステン・アンデルソン]]、[[画家]](* [[1926年]])
* [[2011年]] - [[伊藤四郎]]、元プロ野球選手(* [[1932年]])
* [[2012年]] - [[尾崎紀世彦]]、[[歌手]](* [[1943年]])
* [[2015年]] - [[ボー・バイデン]]、[[アメリカ合衆国]][[デラウェア州]]司法長官(* [[1969年]])
* [[2016年]] - [[後藤次男]]<ref>{{Cite web|和書|title=元阪神監督の後藤次男氏死去、92歳 「クマさん」で親しまれ|publisher=[[産経新聞]]|date=2 Jun 2016|url=https://www.sankei.com/article/20160602-EY3WEJJ43RP4XLQVMNJ6ULTIQM/|accessdate=15 Jun 2023}}</ref>、元プロ野球選手(* [[1924年]])
* 2016年 - [[朝倉響子]]<ref>{{Cite web|和書|title=彫刻家の朝倉響子さんが死去|publisher=[[産経新聞]]|date=31 May 2016|url=https://www.sankei.com/article/20160531-BUS4PFIPO5P6TIIOH3RZBTVYNM/|accessdate=15 Jun 2023}}</ref>、[[彫刻家]](* [[1925年]])
* [[2021年]] - [[小林亜星]]、作曲家(* [[1932年]])
* 2021年 - [[長嶋はるか]]、声優(* [[1987年]])
* [[2023年]] - [[植村義信]]、プロ野球選手、監督(* [[1935年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2023年]] - [[ナイスネイチャ]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](* [[1988年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Yodobashi Umeda 2-December-2006.jpg|thumb|150px|[[消費者]]の日。画像は[[ゲーム機]]を買うために並ぶ人々(2006)]]
[[Image:TenerifeNorte.jpg|thumb|150px|[[カナリア諸島]]の日。画像は[[テイデ山]]]]
* {{仮リンク|インド人到達の日|en|Indian_Arrival_Day}}({{TTO}})
*: [[1845年]]のこの日に初めてインドからの移民がトリニダードに来たことを記念。
* 消費者の日({{JPN}})
*: [[1968年]]のこの日に[[消費者保護基本法]]が公布・施行されたことにちなみ、日本政府が[[1978年]]に制定。
* [[ごみゼロの日]]({{JPN}})
*:「ゴ(5)ミ(3)ゼロ(0)」の語呂合せ。
* [[掃除機]]の日({{JPN}})
*: [[日本電機工業会]]が[[1986年]]から「お掃除の日」として実施し、[[1997年]]に「掃除機の日」に改称。
* [[カナリア諸島]]の日
*: [[スペイン]]の地方別の休日の1つ。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0530|date=Jun 2023}}
* [[1922年]] - 雑誌『少女の煌』編集長が桜川女学校に取材にやって来る。万里小路旭に不審者扱いされてしまう一幕もあったものの、女学生たちの日常を写真に収めていく。(漫画『[[紡ぐ乙女と大正の月]]』)<ref>『[[まんがタイムきららキャラット]]』2023年5月号、[[芳文社]]、8頁。</ref>
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1980年]] - 五色田功、[[スーパー戦隊シリーズ]]『[[機界戦隊ゼンカイジャー]]』の登場人物<ref>{{Twitter status|toei_ZENKAIGER|1531074348739547136}}</ref>
* [[3千年紀|2477年]] - うらら、ゲーム『[[スペースチャンネル5]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/articles/18682/|title=『スペースチャンネル5VR』登場キャラクターを紹介。速水奨さんに置鮎龍太郎さん、中島由貴さんらが出演|work=[[電撃オンライン]]|date=2019-11-25|accessdate=2020-07-23}}</ref><ref>[https://twitter.com/sega_official/status/869355151395508225 セガ公式アカウントのTwitter]</ref>
* 生年不明 - ケイン・ブルーリバー、小説・アニメ『[[ロスト・ユニバース]]』の主人公
* 生年不明 - 日下部まろん(怪盗ジャンヌ)、漫画・アニメ『[[神風怪盗ジャンヌ]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/jeanne/episode/summary/19/ |title=第19話「封印!父の愛のあかし証明」 |access-date=21 Jun 2023 |publisher=[[種村有菜]]/[[集英社]]・[[テレビ朝日]]・[[東映アニメーション]] |work=『神風怪盗ジャンヌ』}}</ref>
* 生年不明 - へら星人ミーオ、[[横浜市]]のマスコットキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/seisaku/torikumi/shien/tyousakihou/154.files/0059_20191118.pdf |format=[[pdf]] |title=なぜG30は必要か へら星人ミーオが聞く「横浜はG30」 |publisher=[[横浜市]]資源循事業部廃棄物政策課 |accessdate=21 Jun 2023 |page=2(95)}}</ref>
* 生年不明 - ゆに、キャラクターコンテンツ・アニメ『[[ミュークルドリーミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/characters/mewkledreamy/ |title=ゆにとなかまたち ゆに |access-date=21 Jun 2023 |publisher=[[サンリオ]] |work=『ミュークルドリーミー』}}</ref>
* 生年不明 - 大気光(セーラースターメイカー)、漫画・アニメ『[[美少女戦士セーラームーン|美少女戦士セーラームーン セーラースターズ編]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://nijimen.net/topics/273030#toc_index-16 |title=「美少女戦士セーラームーン」52キャラ一覧まとめ!驚きの設定や敵キャラも網羅 |access-date=21 Jun 2023 |publisher=にじめん |date=15 Feb 2022}}</ref>
* 生年不明 - 双子座のサガ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=31 |title=双子座(ジェミニ)のサガ |work=『聖闘士星矢』 |accessdate=21 Jun 2023 |publisher=[[車田正美]] KURUMADA PRODUCTION |website=MUSEUM聖闘士博物館}}</ref>
* 生年不明 - 双子座のカノン、漫画・アニメ『聖闘士星矢』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|saintseiya_rc|1398655376673939463}}</ref>
* 生年不明 - キュイーン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/kyueen.html |title=キュイーン |work=『ONE PIECE』 |accessdate=21 Jun 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - 金貸しの社長、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 柳生敏木斎、漫画・アニメ『銀魂』に登場するキャラクター
* 生年不明 - バイウ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2002-07-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=20|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088732886}}</ref>
* 生年不明 - 三咲華、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|date=2014-10-03|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088801933|volume=13巻|page=172}}</ref>
* 生年不明 - 青山優雅、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group01/01-12/ |title=青山優雅 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |accessdate=21 Jun 2023 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref>
* 生年不明 - 梅野雅巳、漫画・アニメ『[[東京喰種]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 摩虎羅、漫画・アニメ『[[SAMURAI DEEPER KYO]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 白神桐子、漫画・アニメ『[[実は私は]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 乙川澄、漫画・アニメ『[[桜Trick]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author1=タチ|authorlink1=タチ|author2=まんがタイムきらら|date=2014-04-26|title=桜Trick TVアニメ公式ガイドブック 〜ヒミツのシラバス〜|page=40|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムKRコミックス]]|isbn=978-4832244382}}</ref>
* 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#木場祐斗|木場祐斗]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|586122235640819713}}</ref>
* 生年不明 - 山内春樹、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://you-zitsu.com/character.html |title=CHARACTER 1-D 山内 春樹 |access-date=21 Jun 2023 |publisher=[[衣笠彰梧]]・[[KADOKAWA]]刊/ようこそ実力至上主義の教室へ2製作委員会 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ』}}</ref><ref>衣笠彰梧 『ようこそ実力至上主義の教室へ 3』(KADOKAWA、2016年1月発行)13頁</ref>
* 生年不明 - エノラ・タフト、アニメ『[[絢爛舞踏祭 ザ・マーズ・デイブレイク]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 南つばめ、ゲーム・アニメ『[[Memories Off]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://memoriesoff.jp/historia/titles/2/ |title=Character 南つばめ |access-date=21 Jun 2023 |work=『メモリーズオフ 2nd』}}</ref>
* 生年不明 - たぬきち、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=住民名簿 たぬきち |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m05.html |accessdate=21 Jun 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref>
* 生年不明 - ハムスケ、ゲーム『どうぶつの森』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=住民名簿 ハムスケ |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m05.html |accessdate=21 Jun 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref>
* 生年不明 - 佐倉裕美、ゲーム・アニメ『[[ラムネ (ゲーム)|ラムネ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 藤宮千紗、ゲーム・アニメ『[[Gift 〜ギフト〜]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ポワン・シュタット、ゲーム『[[リーズのアトリエ 〜オルドールの錬金術士〜]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 豪炎寺修也、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=22 Aug 2019 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=21 Jun 2023}}</ref>
* 生年不明 - 伊吹、ゲーム・アニメ『[[閃乱カグラ NewWave|閃乱カグラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/ibuki.php |title=伊吹 |access-date=21 Jun 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#一ノ瀬志希|一ノ瀬志希]] 、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20019 |title=一ノ瀬 志希(いちのせ しき) |access-date=21 Jun 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THEIDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 藍乃あいか、ゲーム・アニメ『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|737205819914100736}}</ref>
* 生年不明 - [[ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル#宮下愛|宮下愛]]、ゲーム・アニメ『[[ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://lovelive-as.bushimo.jp/member/ai/ |work=『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』 |title=宮下 愛 |accessdate=21 Jun 2023 |publisher=プロジェクトラブライブ! プロジェクトラブライブ!サンシャイン!! プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] [[ブシロード|bushiroad]]}}</ref>
* 生年不明 - 入間銃兎、メディアミックス『[[ヒプノシスマイク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hypnosismic.com/character/yokohama/45_rabbit/ |title=入間 銃兎 / 45 Rabbit |accessdate=21 Jun 2023 |publisher=[[キングレコード|King Record Co., Ltd.]] |work=『ヒプノシスマイク』}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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'''5月31日'''(ごがつさんじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から151日目([[閏年]]では152日目)にあたり、年末まであと214日ある。5月の[[月末|最終日]]である。
== できごと ==
[[Image:MongolCavalrymen.jpg|thumb|[[チンギス・カンの西征]]、[[カルカ河畔の戦い]](1223)|224x224ピクセル]]
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[[Image:HMS_Indefatigable_sinking.jpg|thumb|[[第一次世界大戦]]、[[ユトランド沖海戦]]はじまる(1916)|180x180ピクセル]]
[[Image:Tanggu_Truce.jpg|thumb|[[塘沽協定]]締結(1933)、[[満州事変]]の終結|180x180ピクセル]]
[[Image:Saitama_2002_0604.jpg|thumb|180x180px|日韓共催の[[2002 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]開幕(2002)]]
* [[1223年]] - [[チンギス・カンの西征]]: [[カルカ河畔の戦い]]。[[モンゴル帝国]]軍が[[キプチャク]]・[[キエフ・ルーシ|ルーシ]]連合軍に勝利。
* [[1578年]] - [[パリ]]に現存する最古の橋・[[ポンヌフ]]が起工。
* [[1604年]]([[慶長]]9年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[江戸幕府]]が京都・堺・長崎で[[糸割符]]制を導入。
* [[1730年]]([[享保]]15年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - 江戸幕府が[[上米の制]]を停止し、[[参勤交代]]の期間を元の1年おきに戻す。
* [[1795年]] - [[フランス革命]]: [[革命裁判所 (フランス革命)|革命裁判所]]廃止。
* [[1832年]] - フランスの数学者[[エヴァリスト・ガロア|ガロア]]が、恋愛を巡る[[決闘]]で死亡。
* [[1859年]] - [[ロンドン]]・[[ウェストミンスター宮殿]]の[[ビッグ・ベン]]の大時計が動き始める。
* [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[セブンパインズの戦い]]。
* [[1864年]] - 南北戦争: [[コールドハーバーの戦い]]。
* [[1866年]] - [[フェニアン襲撃]]: ナイアガラ襲撃。
* [[1902年]] - [[ボーア戦争|第二次ボーア戦争]]: [[フェリーニヒング条約]]が締結され、戦争が終結。[[トランスヴァール共和国]]・[[オレンジ自由国]]がイギリス植民地となる。
* [[1909年]] - [[両国国技館]]が完成。
* [[1910年]] - イギリス自治領として[[南アフリカ連邦]]が成立する。
* [[1911年]] - [[タイタニック (客船)|タイタニック]]の進水式。
* [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ユトランド沖海戦]]が始まる。[[6月1日]]まで。
* [[1918年]] - [[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]が米への亡命途上、日本上陸。その後約2ヶ月間滞在。
* [[1921年]] - [[タルサ人種虐殺]]が勃発。翌日までに沈静化。
* [[1924年]] - [[中華民国の歴史|中華民国]]([[北京政府]])外交部総長[[顧維鈞]]と[[ソ連]]側代表[[レフ・カラハン]]が[[北京市|北京]]で{{仮リンク|中ソ解決懸案大綱協定|zh|中蘇解決懸案大綱協定}}を締結し国交を結ぶ。ソ連が[[ロシア帝国]]の権益を放棄する。
* [[1933年]] - [[塘沽協定]]の締結によって[[満州事変]]が終結。
* [[1937年]] - [[林内閣|林銑十郎内閣]]が総辞職<ref>{{Kotobank|林銑十郎内閣}}</ref>。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[大日本帝国海軍|日本海軍]]による[[特殊潜航艇によるシドニー港攻撃]]が行われる。
* [[1943年]] - [[大東亜共栄圏]]: 御前会議で「大東亜政略指導大綱」を決定。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦: [[台北大空襲]]。日本統治下の台湾・台北市を米軍機が無差別爆撃。
* [[1946年]] - ウクライナ・キエフに第153試作設計局「OKB-153」(後のアントノフ設計局)が開局する。
* [[1949年]] - 行政機関職員定員法公布<ref>{{Cite web|和書|url=https://hourei.ndl.go.jp/simple/detail?lawId=0000041412¤t=-1 |title=行政機関職員定員法 |access-date=27 Jun 2023 |publisher=[[国立国会図書館]]}}</ref>。
* 1949年 - [[国立学校設置法]]公布・即日施行。
* [[1956年]] - [[川上哲治]]が通算2,000本安打を達成。
* [[1959年]] - [[バスク国 (歴史的な領域)|バスク]]地方の[[スペイン]]、[[フランス]]からの分離独立を目指す急進的な民族組織である[[バスク祖国と自由]] (ETA) が発足。
* [[1961年]] - 南アフリカが[[イギリス連邦]]を脱退し、[[南アフリカ共和国]]となる。
* [[1962年]] - [[カリブ海]]地域のイギリス植民地で構成されていた[[西インド連邦]]が解散し、構成国は再びイギリスの直轄植民地に戻る。
* 1962年 - [[アドルフ・アイヒマン]]がイスラエルで絞首刑になる。
* [[ファイル:Teito-Rapid-Transit-Authority-3000.jpg|サムネイル|営団日比谷線(現:東京メトロ)と東武伊勢崎線との相互直通運転開始(1962)|180x180ピクセル]]1962年 - [[東京メトロ日比谷線|東京メトロ地下鉄(旧営団)日比谷線]]と[[東武伊勢崎線]](現:東武スカイツリーライン)との相互直通運転開始。
* [[1970年]] - [[ペルー]]北部で[[アンカシュ地震]]が発生。死者47,000人。
* [[1977年]] - [[トランス・アラスカ・パイプライン]]が竣工<ref>{{Cite web |url=https://www.wired.com/2012/05/may-31-1977-trans-alaska-pipeline-a-source-of-oil-and-worry/ |title=May 31, 1977: Trans-Alaska Pipeline a Source of Oil ... and Worry |access-date=27 Jun 2023 |publisher=WIRED |date=31 May 2012}}</ref>。
* [[1978年]] - [[西山事件]]に関して[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が[[被告人]]の[[上告]]を棄却。[[西山太吉]]記者の有罪が確定。
* [[1985年]] - 第1回[[東京国際映画祭]]開催。
* [[1986年]] - [[1986 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップメキシコ大会]]開幕。
* [[1988年]] - [[鳥取県|鳥取]]・[[島根県|島根]]両県知事が、[[中海]]・[[宍道湖]]の[[中海#干拓・淡水化事業|淡水化事業]]の凍結を表明<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1561165 |title=【きょうの歴史】5月31日 |access-date=27 Jun 2023 |publisher=[[福井新聞]] |date=31 May 2022}}</ref>。
* [[1995年]] - [[青島幸男]][[東京都知事]]が[[世界都市博覧会]]の開催中止を最終決断<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO45449620Q9A530C1EAC000/ |title=5月31日 世界都市博覧会を中止、青島都知事が決断 |access-date=27 Jun 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=30 May 2019}}</ref>。
* [[2001年]] - [[World Wide Web Consortium|W3C]]が[[Extensible HyperText Markup Language#歴史|XHTML1.1]]の仕様を勧告。
* [[2002年]] - [[2002 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ 韓国・日本大会]]が[[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]で開幕。[[6月30日]]まで。
* 2002年 - [[京都議定書]]が日本の[[国会 (日本)|国会]]で承認。
* [[2005年]] - 元[[連邦捜査局|FBI]]職員[[マーク・フェルト]]が、[[ウォーターゲート事件]]の内部告発者「[[ディープ・スロート (ウォーターゲート事件)|ディープ・スロート]]」であったことを自ら明らかにする。
* [[2006年]] - 超党派野党、参議院に選択的[[夫婦別姓]]制度を盛り込んだ民法改正案を提出。
* [[2013年]] - 9:00([[協定世界時|UTC]]+9)、[[東京スカイツリー]]からのテレビ電波送信を開始<ref>{{Cite web|和書|title=スカイツリーへの送信所移転、31日に 総務相表明 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2400F_U3A520C1EB1000/ |website=[[日本経済新聞]] |date=24 May 2013 |access-date=27 Jun 2023}}</ref>。
* [[2014年]] - [[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]最後のイベント「SAYONARA国立競技場FINAL "FOR THE FUTURE"」が開催され、56年の歴史に幕を下ろす<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jpnsport.go.jp/newstadium/tabid/422/Default.aspx |title=ファイナルイベント |publisher=[[日本スポーツ振興センター]] |accessdate=27 Jun 2023}}</ref>。
{{-}}
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[Image:ManuelI-P.jpg|thumb|100px|[[ポルトガル]]に絶対王政を確立した「幸運王」[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]](1469-1521)誕生]]
[[Image:Ludwig_Tieck.jpg|thumb|upright|[[ロマン主義]]詩人、[[ルートヴィヒ・ティーク]](1773-1853)誕生]]
[[Image:Whitman-leavesofgrass.gif|thumb|upright|詩人[[ウォルト・ホイットマン]](1819-1892)誕生]]
[[Image:Photo-Hijikata-Toshizo-c1869.png |thumb|100px|[[新選組|新撰組]]副長、[[土方歳三]](1835-1869)誕生]]
[[Image:ClintEastwoodCannesMay08.jpg|thumb|100px|俳優・映画監督、[[クリント・イーストウッド]](1930-)]]
[[Image:Brooke_Shields_%282008%29.JPG|thumb|100px|モデル・女優、[[ブルック・シールズ]](1965-)]]
* [[1469年]] - [[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(+ [[1521年]])
* [[1557年]] - [[フョードル1世]]、[[ロシア皇帝]](+ [[1598年]])
* [[1640年]]([[寛永]]17年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[松平昌親]]、第5代・7代[[福井藩|福井藩主]](+ [[1711年]])
* [[1750年]] - [[カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク]]、[[政治家]](+ [[1822年]])
* [[1758年]]([[宝暦]]8年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - [[黒田直英]]、第3代[[久留里藩|久留里藩主]](+ [[1786年]])
* 1758年(宝暦8年4月25日) - [[細川治年]]、第7代[[熊本藩|熊本藩主]](+ [[1787年]])
* [[1773年]] - [[ルートヴィヒ・ティーク]]、[[ロマン主義]][[作家]](+ [[1853年]])
* [[1819年]] - [[ウォルト・ホイットマン]]、[[詩人]](+ [[1892年]])
* [[1822年]]([[文政]]5年4月11日) - [[松平輝充]]、第9代[[高崎藩|高崎藩主]](+ [[1862年]])
* [[1827年]]([[文政]]10年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[楠本イネ]]、[[産婦人科医|産科医]]、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト]]の娘(+ [[1903年]])
* [[1835年]]([[天保]]6年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[土方歳三]]、[[新選組|新撰組]]副長(+ [[1869年]])
* [[1837年]](天保7年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - [[木下俊愿]]、第16代[[日出藩|日出藩主]](+ [[1880年]])
* [[1838年]] - [[ヘンリー・シジウィック]]、[[哲学|哲学者]]、[[倫理学|倫理学者]](+ [[1900年]])
* [[1854年]] - [[ジョージ・パーキンス・メリル]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1929年]])
* [[1857年]] - [[ピウス11世 (ローマ教皇)|ピウス11世]]、第259代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1939年]])
* [[1881年]] - [[ハインリヒ・ブルガー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1942年]])
* [[1887年]] - [[サン=ジョン・ペルス]]、詩人(+ [[1975年]])
* [[1890年]] - [[今井邦子]]、[[歌人]](+ [[1948年]])
* [[1897年]] - [[徳川宗敬]]、[[林学者]]、[[伯爵]](+ [[1989年]])
* [[1899年]] - [[赤間文三]]、政治家(+ [[1973年]])
* [[1901年]] - [[丸山定夫]]、[[俳優]](+ [[1945年]])
* [[1908年]] - [[ドン・アメチー]]、俳優(+ [[1993年]])
* [[1910年]] - [[三遊亭小円]]、[[落語家]]、[[漫才師]](+ [[1975年]])
* [[1911年]] - [[モーリス・アレ]]、[[経済学者]](+ [[2010年]])
* [[1912年]] - [[呉健雄]]、[[物理学者]](+ [[1997年]])
* 1912年 - [[アルフレッド・デラー]]、[[声楽家]](+ [[1979年]])
* [[1913年]] - [[コンスタンティン・シルヴェストリ]]、[[指揮者]](+ [[1969年]])
* 1913年 - [[井上早苗]]、[[テニス選手一覧 (女子)|テニス選手]](+ [[2011年]])
* [[1914年]] - [[伊福部昭]]、[[作曲家]](+ [[2006年]])
* [[1916年]] - [[バーナード・ルイス]]、[[歴史家]](+ [[2018年]])
* [[1917年]] - [[塩崎潤]]、政治家(+ [[2011年]])
* [[1921年]] - [[アリダ・ヴァリ]]、[[俳優|女優]](+ 2006年)
* [[1922年]] - [[デンホルム・エリオット]]、俳優(+ [[1992年]])
* [[1923年]] - [[井上梅次]]、[[映画監督]](+ [[2010年]])
* 1923年 - [[レーニエ3世]]、[[モナコ]]大公(+ [[2005年]])
* [[1926年]] - [[土屋義彦]]、[[政治家]](+ [[2008年]])
* [[1927年]] - [[蔵原惟繕]]、映画監督(+ [[2002年]])
* [[1930年]] - [[クリント・イーストウッド]]、[[俳優]]、映画監督
* [[1931年]] - [[ジョン・ロバート・シュリーファー]]、物理学者(+ [[2019年]])
* [[1935年]] - [[若杉弘]]、[[指揮者]](+ [[2009年]])
* [[1936年]] - [[東八郎]]、[[コメディアン]]、[[タレント]](+ [[1988年]])
* [[1937年]] - [[西村繁男]]、[[雑誌]][[編集者]](+ [[2015年]])
* [[1938年]] - [[ピーター・ヤロー]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ピーター・ポール&マリー]])
* [[1941年]] - [[ルイ・イグナロ]]、[[薬理学|薬理学者]]
* [[1944年]] - [[渡辺浩一郎]]、[[建築家]]
* [[1945年]] - [[ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー]]、映画監督(+ [[1982年]])
* [[1947年]] - [[五王四郎]]、[[声優]]
* [[1948年]] - [[ジョン・ボーナム]]、[[ドラマー]](+ [[1980年]])
* 1948年 - [[マーティン・ハネット]]、[[音楽プロデューサー]](+ [[1991年]])
* [[1949年]] - [[トム・ベレンジャー]]、俳優
* 1949年 - [[金子勝美]]、元[[プロ野球選手]]
* [[1950年]] - [[白井幹夫]]、ミュージシャン
* [[1952年]] - [[船田政雄]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[永見武司]]、元[[プロ野球審判員]]
* [[1954年]] - [[小沢鋭仁]]、元政治家
* [[1955年]] - [[トミー・エマニュエル]]、[[ギタリスト]]
* 1955年 - [[ローラ・ボー]]、[[プロゴルファー]]
* [[1956年]] - [[榊原良子]]、声優
* 1956年 - [[角富士夫]]、元プロ野球選手
* [[1958年]] - [[生沢佑一]]、[[歌手]]
* 1958年 - [[川本裕子]]、[[経済学者]]
* [[1959年]] - [[アンドレア・デ・チェザリス]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(+ [[2014年]])
* [[1960年]] - [[高橋忠一]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[リー・トンプソン (俳優)|リー・トンプソン]]、女優
* [[1962年]] - [[日髙のり子]]、声優
* 1962年 - [[コリー・ハート]]、歌手、[[ソングライター]]
* [[1963年]] - [[原野優]]、元野球選手
* 1963年 - [[平井伯昌]]、水泳指導者
* [[1964年]] - [[枝野幸男]]、政治家、衆議院議員
* [[1965年]] - [[広岡由里子]]、女優
* 1965年 - [[ブルック・シールズ]]、女優
* 1965年 - [[大門和彦]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[白井孝幸]]、元プロ野球選手
* 1966年 - [[八神健]]、[[漫画家]]
* [[1967年]] - [[田村明浩]]、ミュージシャン([[スピッツ (バンド)|スピッツ]])
* 1967年 - [[萩原正人]]、[[お笑いタレント]](元[[キリングセンス]])
* 1967年 - [[サンドリーヌ・ボネール]]、女優、映画監督
* [[1968年]] - [[鈴木京香]]、女優
* 1968年 - [[小島善博]]、元プロ野球選手
* 1968年 - [[坂孝一]]、元プロ野球選手
* [[1969年]] - [[大村巌]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[児玉広志]]、[[競輪選手]](+ [[2015年]])
* [[1970年]] - [[村上誠一]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[岡幸俊]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[山之内健一]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[杉浦貴]]、[[プロレスラー]]
* [[1971年]] - [[ホセ・マラベ]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[フランキー為谷]]、お笑いタレント
* [[1972年]] - [[デーブ・ロバーツ (外野手)|デーブ・ロバーツ]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[森敦彦]]、元[[サッカー選手]]
* 1972年 - [[フローデ・エスティル]]、[[スキー]]選手
* [[1974年]] - [[有吉弘行]]、タレント
* [[1975年]] - [[マック鈴木]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[コリン・ファレル]]、俳優
* 1976年 - [[日高万里]]、漫画家
* [[1977年]] - [[小泉豊]]、声優
* 1977年 - [[宮下瞳]]、騎手
* [[1978年]] - [[そのまんま美川]]、タレント
* 1978年 - [[ニーナ・ウラノワ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1979年]] - [[松岡洋子 (テレビキャスター)|松岡洋子]]、元[[テレビキャスター]]
* 1979年 - [[おぎたともこ]]、お笑いタレント([[このみ]])
* [[1980年]] - [[勝村美香]]、女優
* 1980年 - [[斎藤恵美]]、[[ファッションモデル]]
* 1980年 - [[松本博之]]、俳優
* 1980年 - [[眞鍋かをり]]、タレント
* [[1981年]] - [[ジェイク・ピービー]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[里山浩作]]、元大相撲力士、年寄22代[[千賀ノ浦]]
* [[1982年]] - [[加藤領健]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[片桐舞子]]、歌手
* 1982年 - ともしげ、お笑いタレント([[モグライダー]])
* [[1983年]] - [[野間口貴彦]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[宮西亜紗美]]、元[[フードファイター|大食いタレント]]
* 1983年 - [[片伯部浩正]]、俳優
* 1983年 - [[山内惠介]]、歌手
* [[1984年]] - [[土岐田麗子]]、ファッションモデル
* 1984年 - [[高橋優太 (俳優)|高橋優太]]、俳優
* 1984年 - [[瀬間仲ノルベルト]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[成岡翔]]、元サッカー選手
* 1984年 - [[ミロラド・チャビッチ]]、[[水泳選手一覧|水泳選手]]
* 1984年 - [[アンドリュー・ベイリー]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[杉原洋]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[松嵜麗]]、声優
* [[1986年]] - [[牛田裕子]]、声優
* 1986年 - [[ブルック・キャスティル]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1986年 - [[ルミカ (女性シンガー)|ルミカ]]、歌手
* 1986年 - [[ドリュー・ネイラー]]、野球選手
* [[1987年]] - [[春田剛]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[やなぎなぎ]]、[[シンガーソングライター]]
* 1987年 - [[車雨燦]]、プロ野球選手
* [[1988年]] - [[松岡佑季]]、俳優
* [[1989年]] - [[朝井リョウ]]、小説家
* 1989年 - [[佐藤雄一]]、俳優
* 1989年 - [[藤岡拓太郎]]、ギャグ漫画家
* 1989年 - [[奥村佳恵]]、女優
* 1989年 - [[マルコ・ロイス]]、サッカー選手
* 1989年 - [[曺永哲]]、サッカー選手
* [[1990年]] - [[岡崎建哉]]、サッカー選手
* 1990年 - [[端戸仁]]、サッカー選手
* 1990年 - [[TOMOMI (ベーシスト)|TOMOMI]]、ミュージシャン([[SCANDAL (日本のバンド)|SCANDAL]])
* 1990年 - [[堀江晶太 (音楽家)|堀江晶太]]、作編曲家、ミュージシャン([[PENGUIN RESEARCH]])
* 1990年 - [[カトリーナ・ハッカー]]、フィギュアスケート選手
* 1990年 - [[ジュリアーノ・ヴィクトル・デ・パウラ]]、サッカー選手
* [[1991年]] - かねこ、YouTuber([[きまぐれクック]])
* [[1992年]] - [[ラウラ・イカウニセ=アドミディナ]]、陸上競技選手
* 1992年 - [[江坂任]]、サッカー選手
* [[1993年]] - [[ケンブリッジ飛鳥]]、陸上選手
* 1993年 - [[林あやの]]、[[アイドル]](元[[並木橋ハイスクール]]、元[[虹色の飛行少女]])
* 1993年 - [[中川知香]]、モデル、女優
* [[1994年]] - [[シム・ウンギョン]]、女優
* 1994年 - [[畠世周]]、プロ野球選手
* [[1996年]] - [[野口真緒]]、女優
* 1996年 - 早坂香美、アイドル([[kolme]])
* 1996年 - [[高田夏帆]]、タレント
* [[1997年]] - [[チョン・セウン]]、歌手
* 1997年 - 本村碧唯、アイドル([[HKT48]])
* 1997年 - [[坂井瑠星]]、騎手
* [[2000年]] - [[檀崎竜孔]]、サッカー選手
* 2000年 - [[岩田望来]]、騎手
* 2000年 - [[澤井廉]]、プロ野球選手
* 2001年 - [[東問]]、クイズプレイヤー
* 2001年 - [[東言]]、クイズプレイヤー
* [[2007年]] - [[井口虹姫]]、ファッションモデル
* [[2018年]] - [[村方乃々佳]]、[[童謡歌手]]
* 生年不明 - [[平賀マリカ]]、[[ジャズ]][[歌手]]
* 生年不明 - [[亀井淳 (声優)|亀井淳]]、声優
* 生年不明 - [[長谷川育美]]、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1992年]] - [[マーベラスサンデー]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](+ [[2016年]])
== 忌日 ==
[[Image:Yoshimitsu_Ashikaga_cropped.jpg|thumb|室町幕府第3代将軍[[足利義満]](1358-1408)、急死|206x206ピクセル]]
[[Image:Jacopo Robusti, called Tintoretto - Susanna and the Elders - Google Art Project.jpg|thumb|180x180px|画家[[ティントレット]](1518-1594)没。画像は『[[スザンナと長老たち (ティントレット)|スザンナの水浴]]』(1550)]]
[[Image:Haydnportrait.jpg|thumb|[[古典派音楽|古典派]]を代表する作曲家[[フランツ・ヨセフ・ハイドン]](1732-1809)没|240x240ピクセル]]
[[Image:Tombe_galois.JPG|thumb|数学者[[エヴァリスト・ガロア]](1811-1832)、決闘で死亡。|180x180ピクセル]]
[[Image:Pasternakmoskwazimoj.jpg|thumb|239x239px|画家[[レオニード・パステルナーク]](1862-1945)没。画像は『冬のモスクワ』(1912)]]
=== 人物 ===
* [[1246年]] - [[イザベラ・オブ・アングレーム|イザベラ]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ジョン (イングランド王)|ジョン]]の王妃(* [[1188年]])
* [[1270年]]([[文永]]7年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]) - [[足利泰氏]]、[[鎌倉幕府]]の[[御家人]](* [[1216年]])
* [[1408年]]([[応永]]15年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[足利義満]]、[[室町幕府]]3代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1358年]])
* [[1495年]] - [[セシリー・ネヴィル]]、イングランド王[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]と[[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]の母(* [[1415年]])
* [[1585年]]([[天正]]13年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[毛利元秋]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将、[[毛利元就]]の五男(* [[1552年]])
* [[1594年]] - [[ティントレット]]、[[画家]](* [[1518年]])
* [[1680年]] - [[ヨアヒム・ネアンダー]]、[[カルヴァン派]][[牧師]]、[[神学者]](* [[1650年]])
* [[1740年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム1世]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]王(* [[1688年]])
* [[1797年]]([[寛政]]9年5月6日) - [[蔦屋重三郎]]、[[黄表紙]]・[[洒落本]]・[[浮世絵]]出版者(* [[1750年]])
* [[1799年]] - [[ピエール・シャルル・ルモニエ]]、[[天文学者]](* [[1715年]])
* [[1806年]] - [[ジョージ・マカートニー (初代マカートニー伯爵)|ジョージ・マカートニー]]、[[外交官]]、[[植民地]]行政官(* [[1737年]])
* [[1809年]] - [[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン]]、[[作曲家]](* [[1732年]])
* 1809年 - [[ジャン・ランヌ]]<ref>{{Cite web |title=Jean Lannes, duc de Montebello {{!}} French general |url=https://www.britannica.com/biography/Jean-Lannes-duc-de-Montebello |access-date=27 Jun 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[ナポレオン戦争]]期の[[フランス軍]][[元帥]](* [[1769年]])
* [[1832年]] - [[エヴァリスト・ガロア]]、[[数学者]](* [[1811年]])
* [[1846年]] - [[フィリップ・マールハイネッケ]]、神学者、[[哲学者]](* [[1780年]])
* [[1862年]]([[文久]]2年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[景山粛]]、[[医師]]、[[儒学者]](* [[1774年]]?)
* [[1867年]] - [[テオフィル=ジュール・ペルーズ]] - [[化学者]](* [[1807年]])
* [[1875年]] - [[エリファス・レヴィ]]、[[詩人]]、[[神秘学]]思想家(* [[1810年]])
* [[1902年]] - 3代目[[桂藤兵衛]]、[[落語家]](* [[1849年]])
* [[1919年]] - [[水野仙子]]、[[小説家]](* [[1888年]])
* [[1924年]] - 2代目[[三遊亭圓遊|三遊亭円遊]]、落語家(* [[1868年]])
* [[1927年]] - [[柳家つばめ (2代目)]]、落語家(* [[1875年]])
* [[1933年]] - [[C・K・ドージャー]]、[[西南学院]]創立者(* [[1879年]])
* [[1944年]] - [[嶋田青峰]]、[[俳人]](* [[1882年]])
* [[1945年]] - [[レオニード・パステルナーク]]、画家(* [[1862年]])
* [[1947年]] - [[アンリ・カサドシュ]]、[[ヴィオリスト]](* [[1879年]])
* [[1951年]] - [[ヘルマン・ブロッホ]]、小説家、[[劇作家]]、[[評論家]](* [[1886年]])
* [[1953年]] - [[ウラジーミル・タトリン]]、[[建築家]]、画家、[[彫刻家]](* [[1885年]])
* [[1954年]] - [[ジョニー・キルベーン]]、[[プロボクサー]](* [[1889年]])
* [[1960年]] - [[ヴァルター・フンク]]、[[ナチス・ドイツ]]経済相、国立銀行総裁(* [[1890年]])
* [[1967年]] - [[佐藤寛次]]、[[農学者]](* [[1879年]])
* [[1970年]] - [[テリー・ソーチャック]]、[[アイスホッケー]]選手(* [[1929年]])
* [[1971年]] - [[山口蓬春]]、[[日本画家]](* [[1893年]])
* [[1974年]] - [[木村伊兵衛]]、[[写真家]](* [[1901年]])
* [[1978年]] - [[ハンナ・ヘッヒ]]、[[ダダイスム|ダダイスト]](* [[1889年]])
* [[1983年]] - [[ジャック・デンプシー]]、[[プロボクサー]](* [[1895年]])
* [[1986年]] - [[西園寺不二男]]、[[政治家]]、[[実業家]](* [[1910年]])
* 1986年 - [[レオ・ジェームス・レインウォーター]]、[[物理学者]](* [[1917年]])
* [[1988年]] - [[福永健司]]、第63代[[衆議院議長]](* [[1910年]])
* [[1990年]] - [[吉岡実]]、[[詩人]](* [[1919年]])
* [[1993年]] - [[佐橋滋]]、[[官僚]](* [[1913年]])
* 1993年 - [[西条凡児]]、[[漫才|漫才師]]、[[漫談|漫談師]](* [[1914年]])
* [[1999年]] - [[山田忠男]]、[[プロ野球選手]](* [[1942年]])
* [[2000年]] - [[ティト・プエンテ]]、[[ラテン音楽]]の[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1923年]])
* [[2005年]] - [[牧二郎]]、物理学者(* [[1929年]])
* [[2006年]] - [[レイモンド・デイビス]]、物理学者(* [[1914年]])
* [[2008年]] - [[ウガンダ・トラ]]、[[タレント]]、[[ドラマー]](* [[1952年]])
* [[2009年]] - [[ミルヴィナ・ディーン]]、[[タイタニック号]]最後の生存者(* [[1912年]])
* [[2012年]] - [[周汝昌]]、文学研究者、詩人(* [[1918年]])
* [[2015年]] - [[小泉博]]、[[俳優]](* [[1926年]])
* [[2017年]] - [[杉本苑子]]、[[小説家]](* [[1925年]])
* [[2020年]] - [[クリストとジャンヌ=クロード|フリスト・ヴラディミロフ・ヤヴァシェフ]]、[[美術家]](* [[1935年]])
* 2020年 - [[大西孝典]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59875740S0A600C2AC8000/ |title=大西孝典氏が死去 元衆院議員 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2 Jun 2020 |accessdate=27 Jun 2023}}</ref>、政治家 (* [[1956年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* 2008年 - [[ローゼンクロイツ (競走馬)|ローゼンクロイツ]]、[[競走馬]](* [[2002年]])
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Bluete in Aschenbecher.jpg|thumb|180x180px|[[世界禁煙デー]]]]
[[Image:DARET Jacques Visitation.jpg|thumb|195x195px|[[キリスト教]]の[[エリザベト訪問]]。画像は[[ジャック・ダレー]]画(1435年頃)]]
* [[世界禁煙デー]]({{UN}})
*: [[世界保健機関]] (WHO) が[[1989年]]に制定。[[国際デー]]の一つ。
* ブルネイ王国軍記念日({{BRN}})
*: [[1961年]]のこの日、[[ブルネイ王国軍]]が発足したことを記念。
* [[エリザベト訪問]]の祝日([[キリスト教]])
* 青峰忌({{JPN}})
*: [[新興俳句弾圧事件]]の犠牲になった俳人・[[嶋田青峰]]が[[1944年]]のこの日に亡くなったことによる。夏の[[季語]]の一つ。
* [[藻岩山]]の日
*: [[北海道]][[札幌市]]の山。[[標高]]531[[メートル]]にちなむ。
{{-}}
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0531|date=Jun 2023}}
* [[1890年]] - ナディア達がタルテソス王国の遺跡に着く。ナディアがアトランティス人であることも、この日がナディアの誕生日([[1875年]]5月31日)であることもわかる。(アニメ『[[ふしぎの海のナディア]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1991年]] - テラドライブ、漫画・アニメ『[[Hi☆sCoool! セハガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shg.sega.jp/chara.html |title=キャラクター テラドライブ |access-date=27 Jun 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]] |work=『セガ★ハードガールズ』}}</ref>
* [[2000年]] - [[コバトン]]、[[埼玉県]]のマスコットキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=29 May 2020 |url=https://www.pref.saitama.lg.jp/a0001/news/page/2020/0529-05.html |title=20歳のお誕生日!新たにコバトン20周年アニバーサリー特設をページ開設!! |publisher=[[埼玉県]]県民生活部広聴広報課 |accessdate= 27 Jun 2023}}</ref>
* 生年不明 - 関織子、児童文学シリーズ『[[若おかみは小学生!]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|title=若おかみは小学生!|volume=PART9|author=令丈ヒロ子|authorlink=令丈ヒロ子|publisher=[[講談社]]|series=[[青い鳥文庫]]|year=2007|quote=付録|isbn=978-4-06-148756-7}}</ref>
* 生年不明 - 東山季利花、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/higashiyama_kirika |title=福島 東山 季利花 |access-date= 27 Jun 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref>
* 生年不明 - 田中丸望元、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2016|title=東京喰種トーキョーグール:re|publisher=[[集英社]]〈ジャンプ・コミックス〉|isbn=978-4-08-890497-9|date=|volume=8巻|quote=カバー裏}}</ref>
* 生年不明 - 待宮栄吉、漫画・アニメ『[[弱虫ペダル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yowapeda_anime|604973722324348928}}</ref>
* 生年不明 - [[エメラルド (ポケットモンスターSPECIAL)|エメラルド]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1399192108464934915}}</ref>
* 生年不明 - 柏木ゆの、キャラクターコンテンツ『[[鉄道むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tateishi_aoba|1531410130713071620}}</ref>
* 生年不明 - 安桜美炎、アニメ『[[刀使ノ巫女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tojitomo|1399017766431121409}}</ref>
* 生年不明 - 椎名心実、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130624_183033/ |title=【ガールフレンド(仮)通信65】正統派国民的美少女 椎名心実ちゃん(CV:佐藤聡美) |access-date=27 Jun 2023 |publisher=ファミ通App}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#望月杏奈|望月杏奈]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://millionlive-theaterdays.idolmaster-official.jp/idol/anna/ |title=望月 杏奈 |publisher=[[窪岡俊之]] THE IDOLM@STER™&[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate=27 Jun 2023 |work=『THE iDOLM@STER MILLION LIVE! THEATER DAYS』}}</ref>
* 生年不明 - ジョシュア、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=81&cate=name&cont=Joshua |title=ジョシュア |access-date=27 Jun 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 土方歳三、ゲーム・アニメ『[[恋愛幕末カレシ〜時の彼方で花咲く恋〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/BAKUMATSU/character/chara05.html |title=土方歳三 |access-date=27 Jun 2023 |publisher=[[フリュー|FURYU]]/BAKUMATSU製作委員会 [[TBS]] |work=TVアニメ『BAKUMATSUクライシス』}}</ref>
* 生年不明 - 土方歳三、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1399198953275412484}}</ref>
* 生年不明 - マーベラスサンデー、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=marveloussunday |title=マーベラスサンデー |publisher=[[Cygames]] |accessdate=27 Jun 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
{{Commons&cat|May 31|31 May}}
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4,944 | 6月3日 | 6月3日(ろくがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から154日目(閏年では155日目)にあたり、年末まであと211日ある。 | [
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== できごと ==
[[Image:Capture of Antioch by Bohemond of Tarente in June 1098.JPG|thumb|[[第1回十字軍]]により[[アンティオキア]]陥落(1098)]]
[[Image:Destruction of opium in 1839.jpg|thumb|[[林則徐]]が広東虎門で[[アヘン]]を公開処分 (1839)、[[阿片戦争|アヘン戦争]]のきっかけに。]]
[[Image:PinguinusImpennus.jpg|thumb|[[オオウミガラス]]絶滅(1844)]] [[Image:Tokinominoru_derby.jpg|thumb|[[トキノミノル]]、日本ダービーで優勝(1951)]]
[[Image:John_Kennedy%2C_Nikita_Khrushchev_1961.jpg|thumb|[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]米大統領と[[ニキータ・フルシチョフ|フルシチョフ]]ソ連首相による[[ウィーン会談]](1961)]]
[[Image:Ed White First American Spacewalker - GPN-2000-001180.jpg|thumb|[[エドワード・ホワイト]](1965)がアメリカ人初の宇宙遊泳]]
[[Image:Ice_eschede_1.jpg|thumb|ドイツの[[高速鉄道|高速列車]][[ICE]]が脱線事故(1998)]]
* [[350年]] - 古代ローマの[[執政官]]{{仮リンク|ユリウス・ネポティアヌス|en|Nepotianus|label=ネポティアヌス}}が[[ローマ皇帝]]を[[僭称]]してローマに入城。6月30日に僭帝[[マグネンティウス]]に殺害されため28日間の統治だった<ref>{{Twitter status|candidamoss|1268126557668814849}}</ref>。
* [[1140年]] - [[フランス]]の神学者[[ピエール・アベラール]]がセンズで開かれた評議会で[[異端]]と宣告される。
* [[1282年]] - [[イベリア半島]][[アラゴン王国|アラゴン]]王[[ペドロ3世 (アラゴン王)|ペドロ3世]]の艦隊が[[シチリア|シチリア島]]へ向けてファンゴス湾を出航する。
* [[1326年]] - {{仮リンク|ノヴゴロド条約|en|Treaty of Novgorod (1326)}}締結。[[ノヴゴロド公国]]([[ロシア]])と[[ノルウェー]]の国境を[[フィンマルク県|フィンマルク]]に定める。
* [[1539年]] - [[エルナンド・デ・ソト]]が[[フロリダ半島|フロリダ]]を[[スペイン]]領と宣言。
* [[1570年]]([[元亀]]元年[[4月30日 (旧暦)|4月30日]]) - 越前の[[朝倉義景]]討伐中の[[織田信長]]が、近江の[[浅井長政]]の離叛のため越前から撤退。
* [[1615年]]([[慶長]]20年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[大坂の陣#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]: [[大坂城]]天守閣が炎上。
* [[1621年]] - [[オランダ西インド会社]]が[[ニューネーデルラント]]に対する特許状を得る。
* [[1781年]] - [[イタリア]]、[[カーリ (イタリア)|カーリ]]で地震。[[マグニチュード]]6.5、死者300人。
* [[1818年]] - [[第三次マラーター戦争]]: [[マラーター同盟]]が[[イギリス東インド会社]]軍に降伏。
* [[1839年]]([[道光]]19年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[清]]の官僚・[[林則徐]]が、英国から密輸された[[アヘン]]を虎門へ集め、海洋投棄を開始する。阿片の処分は6月25日まで。[[阿片戦争|アヘン戦争]]の引き金になった<ref>{{Cite web|和書|url=https://spc.jst.go.jp/experiences/impressions/impr_09009.html |title=【09-009】阿片戦争と林則徐 |access-date=16 Apr 2023 |publisher=国立研究開発法人科学技術振興機構 |date=14 May 2009}}</ref>。
* [[1844年]] - [[オオウミガラス]]が絶滅。
* [[1850年]] - 現在の[[ミズーリ州]][[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]が「タウン・オブ・カンザス」として正式な自治体となる。
* [[1855年]] - [[スペインの鉄道]]: [[スペイン]]で「鉄道法」 ([[:s:es:Ley General de Caminos de Hierro de 1855|es:Ley General de Caminos de Hierro de 1855]]) が公布される。
* [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[フィルーピーの戦い]]。
* [[1878年]] - 東京で、山形県庄内の[[ワッパ騒動]]に関する判決が下され、原告森藤右衛門らが勝訴する。
* [[1885年]] - [[カナダ]]領内での[[ルイ・リエル#ノースウェストの反乱|ノースウェストの反乱最後の戦闘]]。[[クリー]]族の酋長ビッグ・ベアーがノースウェスト騎馬隊から逃走。
* [[1889年]] - [[カナダ太平洋鉄道]]が大西洋岸から太平洋岸まで全通。
* [[1896年]] - ロシアと清の間で[[露清密約]]が結ばれ、[[日本]]に侵略されたときの相互援助を約束する。ロシアは[[東清鉄道]]の敷設権を獲得する。
* [[1910年]] - [[韓国併合]]: 閣議で、同年8月の併合後の[[朝鮮]]に対する施政方針を決定する。
* [[1915年]] - [[第一次世界大戦]]: [[サンマリノ]]が[[オーストリア=ハンガリー帝国]]に宣戦布告する。
* [[1916年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]で国家防衛法が成立する。正規軍、[[州兵]]が強化される。
* [[1920年]] - [[アメリカ海軍]]の戦艦「[[テネシー (戦艦)|テネシー]]」が就役。
* [[1929年]] - 日独伊が[[蔣介石]]の[[中国]][[国民政府]]([[蔣介石政権]])を正式に承認<ref group="注釈">日本については『決定版20世紀年表』(小学館)、『366日今日は何の日か事典』(大泉出版)に記載あり。ただし、独伊も同時かどうかは書かれていない。</ref>。
* 1929年 - [[チリ]]と[[ペルー]]の間に国境に関する協定が調印される。[[タクナ]]・[[アリカ (チリ)|アリカ]]紛争が解決する。
* [[1932年]] - [[小津安二郎]]監督の『[[大人の見る繪本 生れてはみたけれど|生れてはみたけれど]]』が封切り。
* 1932年 - [[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[ルー・ゲーリッグ|ルー・ゲーリック]]が、対[[オークランド・アスレチックス|アスレチックス]]戦で20世紀最初の1試合4[[本塁打]]を記録した。
* [[1937年]] - [[エドワード8世 (イギリス王)|前イギリス王ウィンザー公]]が[[ウォリス・シンプソン]]と結婚式を挙げる<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Edward-VIII |title=Edward VIII|king of United Kingdom |access-date=16 Apr 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。
* [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[パリ]]空襲。市民254人が死亡<ref>{{Cite web|url=https://www.history.com/this-day-in-history/germans-bomb-paris|title=Germans bomb Paris, killing hundreds of civilians|work=A MAVEN CHANNEL|accessdate=2020-07-28}}</ref>。
* [[1943年]] - 第二次世界大戦: 日本で「戦時必需日用品」262品目が指定される。
* [[1944年]] - 北アフリカの[[アルジェ]]において[[フランス共和国臨時政府]]成立。
* [[1946年]] - [[東宝]]が第1回ニューフェースの審査を行う。応募者は約4千人で採用は[[三船敏郎]]、[[久我美子]]、[[岸旗江]]ら男性16人、女性32人。
* [[1947年]] - [[文部省]]が学校での[[宮城遥拝]]の廃止を通達<ref>{{Cite journal|和書|author=小野雅章 |date=2021-03 |url=https://doi.org/10.20554/nihondaigakukyouikugakkai.57.0_1 |title=象徴天皇制下における祝日学校儀式の展開過程 : 復古的天皇観と象徴天皇観との相克 |journal=教育學雑誌 |ISSN=02884038 |publisher=日本大学教育学会 |volume=57 |page=1 |doi=10.20554/nihondaigakukyouikugakkai.57.0_1 |id={{CRID|1390850578954444160}}}}</ref>。
* 1947年 - フランスの作曲家、[[フランシス・プーランク]]のオペラ『ティレジアスの乳房』初演。
* [[1948年]] - [[カリフォルニア州]]のパロマ山に[[パロマー天文台]]が完成する。
* [[1949年]] - [[測量法]]公布。
* [[1951年]] - [[東京優駿|日本ダービー]]で、脚の故障を押して出場した[[トキノミノル]]がコースレコードで快勝。同月20日に病死。
* 1951年 - NHK、後楽園球場から日本橋[[三越]]の電波展覧会へ[[プロ野球]]の試合を実験的にテレビ中継<ref>『決定版20世紀年表』[[小学館]]</ref>。
* 1951年 - [[社会主義インターナショナル]]が結成される。
* [[1954年]] - [[学校給食法]]制定。
* 1954年 - [[警察法#1954年(昭和29年)警察法改正に伴う乱闘国会|警察法改正法案の審議での会期延長]]をめぐり乱闘になり[[衆議院]]堤康次郎議長が警察の出動を要請。約200名の警官に守られた議長は議場入口で2日間の会期延長を発言すると、与党側議員が起立し延長が成立した。この乱闘で50名の負傷者が出た<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/modern/column/09.html |title=乱闘国会と衆院事務総長の嘆き |work= |accessdate=16 Apr 2023 |publisher=[[国立国会図書館]]}}</ref>。
* [[1958年]] - 日ソ定期航路開設協定調印<ref>{{Cite web|和書|url=https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=12520&query=&class=&d=all&page=54 |title=川崎汽船(株)『川崎汽船五十年史』(1969.08) |work=渋沢社史データベース |accessdate=16 Apr 2023 |publisher=Shibusawa Eiichi Memorial Foundation}}</ref>。
* [[1959年]] - [[シンガポール]]がイギリス連邦内の自治領として独立<ref>{{Cite web |url=https://www.todayonline.com/singapore/60-years-ago-singapore-celebrated-its-national-day-june-3-heres-why |title=60 years ago, Singapore celebrated National Day on June 3. Here’s why |access-date=16 Apr 2023 |publisher=Mediacorp Pte Ltd. |work=Today |date=3 Jun 2019}}</ref>。
* [[1960年]] - [[大島渚]]監督の映画『[[青春残酷物語]]』が公開<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/03342/ |title=https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/03342/ |access-date=16 Apr 2023 |publisher=[[松竹]]}}</ref>。以降、[[吉田喜重]]の『ろくでなし』など「[[日本ヌーヴェルヴァーグ|日本のヌーヴェルヴァーグ]]」と呼ばれる作品が話題になる。
* [[1961年]] - [[ウィーン会談]]: [[ジョン・F・ケネディ]]米大統領と[[ニキータ・フルシチョフ]]ソ連首相が初会談。
* 1961年 - [[京都市]]内で京都府学生自治連合のデモ隊と警官隊が衝突。デモ隊側に249人、警官側に33人の負傷者。デモは同年[[5月30日]]にも行われていた<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=152|isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1965年]] - [[第1次佐藤内閣 (第1次改造)|第1次佐藤内閣第1次改造内閣]]が発足。
* 1965年 - アメリカで2人乗り宇宙船[[ジェミニ4号]]打ち上げ。[[エドワード・ホワイト]]がアメリカ人初の[[船外活動|宇宙遊泳]]を行う<ref>{{Cite web |url=https://www.edn.com/nasas-gemini-4-launches-june-3-1965/ |title=NASA’s Gemini 4 launches, June 3, 1965 |work=EDN |author=Suzanne Deffree |date=3 Jun 2019 |accessdate=16 Apr 2023}}</ref>。
* [[1969年]] - 日本で[[都市再開発法]]公布。
* 1969年 - [[文化放送]]の深夜番組『[[セイ!ヤング]]』が放送開始<ref group="注釈">放送スケジュール上は6月2日。深夜24時30分 - 27時00分なので、日付は翌日になる。</ref>。
* [[1970年]] - [[黒い霧事件 (日本プロ野球)|黒い霧事件]]: オートレースと野球の[[八百長]]に関わったとして、中日の投手・[[小川健太郎]]が永久追放処分。
* [[1973年]] - [[1973年パリ航空ショーTu-144墜落事故|パリ航空ショーTu-144墜落事故]]: ソ連の[[超音速輸送機]][[Tu-144 (航空機)|Tu-144]]が[[パリ航空ショー]]での展示飛行中に墜落。乗員6名と地上の住民7名が死亡。
* [[1975年]] - 日本の戦後初の国産[[戦闘機]]である[[F-1 (航空機)|F-1]]の初飛行。
* [[1980年]] - ハワイ出身の力士・[[高見山大五郎|高見山]]が日本に帰化。
* [[1983年]] - [[オリックス・バファローズ|阪急]]の[[福本豊]]が939[[盗塁]]の世界新記録を樹立。
* 1983年 - [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]の[[大杉勝男]]が日本球界初の両リーグ1,000本[[安打]]を達成。
* [[1989年]] - [[宇野内閣|宇野宗佑内閣]]が発足。
* 1989年 - [[ウズベク・ソビエト社会主義共和国|ウズベク共和国]]で民族暴動が発生する。
* [[1991年]] - [[雲仙岳|雲仙普賢岳]]で小・中規模な[[火砕流]]発生。報道関係者なども巻き込まれ43人が死亡。
* [[1995年]] - ノルウェー中部を大雨が襲い、1870年の観測開始以来最悪の[[洪水]]となる。
* [[1997年]] - [[リオネル・ジョスパン]]が[[フランスの首相|フランス首相]]に就任。
* 1997年 - [[京都市営地下鉄烏丸線]]・[[国際会館駅|国際会館]] - [[北山駅 (京都府)|北山]]間が開業、烏丸線が全線開通する。
* [[1998年]] - [[エシェデ鉄道事故]]: [[ドイツ]]の[[高速鉄道]][[ICE]]が脱線し、一部の車両が橋脚に激突する。101人死亡。
* [[2000年]] - [[テレビ朝日]]の[[テレビドラマ|ドラマ]]『[[相棒]]』([[土曜ワイド劇場]]版)第1作放送。
* [[2006年]] - 独立賛成多数の国民投票の結果を受けて[[モンテネグロ]]が[[セルビア・モンテネグロ]]からの離脱・独立を宣言。
* [[2012年]] - [[オウム真理教事件]]: [[オウム真理教]]の一連の事件で特別指名手配されていた[[菊地直子]]が神奈川県[[相模原市]]において発見、逮捕される。
* [[2017年]] - [[2017年6月ロンドンテロ事件]]が発生する。
* [[2018年]] - [[グアテマラ]]の[[フエゴ山]]が噴火<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3177105|title=グアテマラのフエゴ山が噴火、25人死亡 空港も閉鎖|work=AFP BB NEWS|publisher=[[フランス通信社]]|date=4 Jun 2018|accessdate=16 Apr 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
{{multiple image
| caption1 = 戦国武将・歌人[[細川幽斎]](1534-1610)誕生
| image1 = Hosokawa Yusai.jpg
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| alt1 = 細川幽斎
| image2 = James_Hutton.jpg
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| caption2 = [[地質学]]者[[ジェームズ・ハットン]](1726-1797)誕生
| alt2 = ジェームズ・ハットン
}}
{{multiple image
| caption1 = 画家[[ヨハン・ヨンキント]](1819-1891)誕生。画像は『風車』
| image1 = Johan_Barthold_Jongkind_003.jpg | width1 = 90
| alt1 =ヨハン・ヨンキント画、風車
| image2 = Flinders Petrie painted by Ludwig Bloom.jpg
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| caption2 = 近代[[エジプト学]]の父[[フリンダーズ・ピートリー]](1853-1942)誕生
| alt2 = フリンダーズ・ピートリー
}}
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| caption1 = 英国王[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]](1865-1936)誕生
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| alt1 = 英国王ジョージ5世
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| caption2 = 中国の政治家[[張学良]](1901-2001)
| alt2 = 張学良
}}
{{multiple image
| caption1 = 「黒いヴィーナス」の異名を取った[[ジャズ]]歌手[[ジョセフィン・ベーカー]](1906-1975)
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| alt1 = ジョセフィン・ベーカー
| image2 = Allen Ginsberg 1978.jpg
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| caption2 = [[ビート・ジェネレーション|ビート文学]]者[[アレン・ギンズバーグ]](1926-1997)
| alt2 = アレン・ギンズバーグ
}}
[[ファイル:Masami Nagasawa Cannes 2015.jpg|thumb|90px|女優[[長澤まさみ]](1987-)]]
* [[1534年]]([[天文 (元号)|天文]]3年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[細川幽斎]]<ref>{{Kotobank|細川幽斎}}</ref>、[[武将|戦国武将]]、[[歌人]]、[[茶人]](+ [[1610年]])
* [[1678年]]([[延宝]]6年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[京極高之]]、第4代[[峰山藩|峰山藩主]](+ [[1723年]])
* [[1726年]] - [[ジェームズ・ハットン]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1797年]])
* [[1751年]]([[寛延]]4年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]) - [[酒井忠崇]]、第4代[[庄内藩|松山藩主]](+ [[1824年]])
* [[1764年]]([[宝暦]]14年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[本多助受]]、第5代[[飯山藩|飯山藩主]](+ 1824年)
* [[1808年]] - [[ジェファーソン・デイヴィス]]、[[アメリカ連合国大統領]](+ [[1889年]])
* [[1819年]] - [[ヨハン・ヨンキント]]、[[画家]]、[[版画家]](+ [[1891年]])
* [[1832年]] - [[アレクサンドル・シャルル・ルコック]]、[[作曲家]](+ [[1918年]])
* [[1843年]] - [[フレゼリク8世 (デンマーク王)|フレゼリク8世]]、[[デンマーク君主一覧|デンマーク国王]](+ [[1912年]])
* [[1853年]] - [[フリンダーズ・ピートリー]]、[[考古学|考古学者]](+ [[1942年]])
* [[1864年]] - [[ランサム・E・オールズ]]、[[オールズモビル (自動車)|オールズモビル]]創業者(+ [[1950年]])
* [[1865年]] - [[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]、[[イギリスの君主|イギリス王]](+ [[1936年]])
* [[1873年]] - [[オットー・レーヴィ]]、[[医学|医学者]]([[薬理学]])(+ [[1961年]])
* [[1877年]] - [[ラウル・デュフィ]]、画家(+ [[1953年]])
* [[1881年]] - [[ミハイル・ラリオーノフ]]、画家(+ [[1964年]])
* [[1886年]] - [[石坂泰三]]、[[東芝]]社長、第2代[[日本経済団体連合会|経済団体連合会]](経団連)会長(+ [[1975年]])
* [[1895年]] - [[鈴木信太郎 (フランス文学者)|鈴木信太郎]]、[[フランス文学者]](+ [[1970年]])
* [[1897年]] - [[島津保次郎]]、[[映画監督]](+ [[1945年]])
* [[1899年]] - [[左藤義詮]]、[[政治家]](+ [[1985年]])
* 1899年 - [[ゲオルク・フォン・ベーケーシ]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](+ [[1972年]])
* 1899年 - [[渡辺邦男]]、映画監督(+ [[1981年]])
* [[1900年]] - [[北川冬彦]]、[[詩人]](+ [[1990年]])
* [[1901年]] - [[張学良]]、軍人、政治家(+ [[2001年]])
* [[1906年]] - [[ジョセフィン・ベーカー]]、ジャズシンガー(+ [[1975年]])
* 1906年 - [[八田一朗]]、[[アマチュアレスリング]]選手、指導者、政治家(+ 1983年)
* [[1908年]] - [[曽我廼家明蝶]]、[[俳優]](+ [[1999年]])
* [[1910年]] - [[ポーレット・ゴダード]]、[[俳優|女優]](+ [[1990年]])
* [[1915年]] - [[泉靖一]]、[[文化人類学|文化人類学者]](+ [[1970年]])
* [[1920年]] - [[笠原和夫 (野球)|笠原和夫]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1998年]])
* [[1922年]] - [[アラン・レネ]]、映画監督(+ [[2014年]])
* [[1924年]] - [[トルステン・ウィーセル]]、医学者([[生理学]])
* 1924年 - [[上原賢六]]、[[作曲家]](+ [[1980年]])
* [[1925年]] - [[トニー・カーティス]]、俳優(+ [[2010年]])
* 1925年 - [[坂井豊司]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]])
* [[1926年]] - [[アレン・ギンズバーグ]]、詩人(+ [[1997年]])
* 1926年 - [[小田切茂造]]、元プロ野球選手
* [[1928年]] - [[ドナルド・ジャッド]]、画家、[[彫刻家]]、[[美術評論家]](+ [[1994年]])
* [[1929年]] - [[ヴェルナー・アーバー]]、医学者([[細菌学]])
* 1929年 - [[高鳥修]]、政治家(+ [[2019年]])
* [[1930年]] - [[原勝彦]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]])
* 1930年 - [[マリオン・ジマー・ブラッドリー]]、[[SF作家]](+ [[1999年]])
* 1930年 - [[和田勉]]、[[ディレクター|テレビディレクター]](+ [[2011年]])
* [[1931年]] - [[フランソワーズ・アルヌール]]、女優、[[演出家]](+ [[2021年]])
* 1931年 - [[ラウル・カストロ]]、[[キューバの国家元首|キューバ国家評議会議長]]
* [[1934年]] - [[田中克彦]]、[[言語学者の一覧|言語学者]]
* [[1935年]] - [[木村勉 (実業家)|木村勉]]、[[実業家]]、ラーメンチェーン店『[[天下一品]]』創業者
* [[1939年]] - [[キャスリーン・E・ウッディウィス]]、[[作家]](+ [[2007年]])
* 1939年 - [[スティーヴ・ダルコウスキー]]、プロ野球選手(+ [[2020年]])
* 1939年 - [[イアン・ハンター (歌手)|イアン・ハンター]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[モット・ザ・フープル]])
* 1939年 - [[長田裕之 (野球)|長田裕之]]、元プロ野球選手
* [[1941年]] - [[石井裕士]]、[[プロゴルファー]](+ [[2006年]])
* [[1942年]] - [[カーティス・メイフィールド]]、ミュージシャン(+ [[1999年]])
* 1942年 - [[合田栄蔵]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[武田邦彦]]、[[工学者]]
* [[1944年]] - [[土橋修]]、プロ野球選手(+ [[1966年]])
* 1944年 - [[鏑木悦純]]、元プロ野球選手
* [[1945年]] - [[ヘール・アーウィン]]、プロゴルファー
* 1945年 - [[宮本幸信]]、元プロ野球選手
* [[1946年]] - [[倉田誠]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]])
* [[1947年]] - [[佐藤博 (ミュージシャン)|佐藤博]]、ミュージシャン(+ [[2012年]])
* [[1949年]] - [[マモル・マヌー]]、ミュージシャン([[ザ・ゴールデン・カップス]])(+ [[2020年]])
* 1949年 - [[山田茂]]、俳優
* 1949年 - [[内田照文]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[スージー・クアトロ]]、ミュージシャン
* [[1951年]] - [[村上もとか]]、[[漫画家]]
* [[1952年]] - [[湯口敏彦]]、プロ野球選手(+ [[1973年]])
* 1952年 - [[ルイージ・リッツィ]]、言語学者
* [[1953年]] - [[ジョン・モルダー・ブラウン]]、俳優
* [[1955年]] - [[佐野稔]]、元[[フィギュアスケート]]選手
* [[1956年]] - [[遠藤龍之介]]、[[テレビプロデューサー]]
* 1956年 - [[松元真一郎]]、アナウンサー
* 1956年 - [[吉田英男]]、政治家
* [[1957年]] - [[林一郎 (アナウンサー)|林一郎]]、元アナウンサー
* [[1958年]] - [[中村由利子]]、ミュージシャン
* 1958年 - [[中西英敏]]、柔道家
* 1958年 - [[野田国義]]、政治家
* [[1959年]] - [[山中重信]]、元プロ野球選手
* 1959年 - [[竹口昭憲]]、元プロ野球選手
* [[1960年]] - [[アネット・ペッチ]]、フィギュアスケート選手
* 1960年 - [[右田一彦]]、元プロ野球選手
* [[1961年]] - [[黒田知永子]]、[[ファッションモデル]]
* 1961年 - [[ローレンス・レッシグ]]、法学者
* 1961年 - [[ホセ・トレンティーノ]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[唐沢寿明]]、俳優
* [[1964年]] - [[亀田誠治]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ベーシスト]]
* 1964年 - [[ケリー・キング]]、ミュージシャン([[スレイヤー]])
* 1964年 - [[斎藤哲也]]、アナウンサー
* 1964年 - [[向井恭介]]、俳優
* 1964年 - [[中瀬ゆかり]]、[[編集者]]
* 1964年 - [[出津孝一]]、元[[騎手]]
* 1964年 - [[ネルソン・リリアーノ]]、元プロ野球選手
* 1964年 - [[稲垣秀次]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[山田和利]]、元プロ野球選手
* 1965年 - [[道傳愛子]]、元アナウンサー
* [[1966年]] - [[リック・ルーファス]]、[[キックボクサー]]
* 1966年 - [[須貝尚介]]、元騎手、調教師
* 1966年 - [[藤尾領]]、ミュージシャン
* [[1967年]] - [[入来智]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]])
* 1967年 - [[田中実 (外野手)|田中実]]、元プロ野球選手
* 1967年 - [[スベン・オットケ]]、元[[プロボクサー]]
* 1967年 - [[タマス・ダルニュイ]]、[[競泳]]選手
* 1967年 - [[ハニホー・ヘニハー]]、[[タレント]]
* [[1968年]] - [[長島三奈]]、スポーツキャスター
* 1968年 - [[長峯かおり]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者
* [[1969年]] - [[七尾与史]]、推理作家、歯科医師
* 1969年 - [[中野寛也]]、囲碁棋士
* 1969年 - [[畠山成幸]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* 1969年 - [[畠山鎮]]、将棋棋士
* 1969年 - [[貴水博之]]、ミュージシャン([[Access (音楽ユニット)|access]])
* 1969年 - [[嶺川貴子]]、ミュージシャン
* 1969年 - [[古城隆利]]、野球指導者
* [[1970年]] - [[エフゲニー・ベルズィン]]、[[自転車競技]]選手([[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]])
* 1970年 - [[ピーター・テクレン]]、ミュージシャン、[[音楽プロデューサー]]、レコーディングエンジニア
* 1970年 - [[岡田英二]]、俳優
* [[1971年]] - [[小林健]]、俳優
* 1971年 - [[成嶋涼]]、女優
* 1971年 - [[カール・エバレット]]、元プロ野球選手
* [[1974年]] - [[大内登]]、テレビディレクター、テレビプロデューサー、元[[お笑いタレント|お笑い芸人]](元[[ビビる]])
* 1974年 - [[田崎日加理]]、アナウンサー
* 1974年 - [[ステファン・レコ]]、[[キックボクサー]]、元[[総合格闘家]]
* 1974年 - ケリー・ジョーンズ、ミュージシャン([[ステレオフォニックス]])
* 1974年 - [[蜂飼耳]]、詩人
* 1974年 - [[豊原哲也]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[早川大輔]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[吉武真太郎]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[田中充 (投手)|田中充]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[ホセ・モリーナ]]、元プロ野球選手
* 1975年 - [[KOHTA]]、ベーシスト
* [[1976年]] - [[菅原智]]、元[[サッカー]]選手
* 1976年 - [[満永ひとみ]]、元バレーボール選手
* 1976年 - [[ワシノミカ]]、[[ファッションデザイナー]]、[[ウェブデザイナー]]、[[イラストレーター]]
* [[1977年]] - [[櫻井健介]]、元アナウンサー
* 1977年 - [[政次夏希]]、アナウンサー
* 1977年 - [[トラビス・ハフナー]]、元プロ野球選手
* 1977年 - [[クリスチアーノ・マルケス・ゴメス]]、元サッカー選手
* [[1978年]] - [[石野竜二]]、元サッカー選手
* 1978年 - [[森高一真]]、競艇選手
* 1978年 - [[佐藤俊介 (実業家)|佐藤俊介]]、実業家
* [[1979年]] - [[石田剛太]]、俳優
* [[1980年]] - [[鈴木桂治]]、[[柔道家]]
* 1980年 - [[松本美奈子]]、タレント
* 1980年 - [[金川直樹]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー]]、[[カタールの元首一覧|カタール首長]]
* [[1981年]] - [[川﨑宗則]]、プロ野球選手
* 1981年 - [[田辺和彦]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[細野佑美子]]、タレント
* [[1982年]] - [[エレーナ・イシンバエワ]]、[[棒高跳]]選手
* 1982年 - [[石神深一]]、騎手
* 1982年 - [[石野貴之]]、[[競艇選手]]
* 1982年 - [[牧田明久]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[北野政則]]、シンガーソングライター
* 1982年 - 南條庄助、お笑い芸人([[すゑひろがりず]])
* [[1983年]] - [[秦裕二]]、元プロ野球選手
* 1983年 - [[強 (歌手)|強]]、歌手
* 1983年 - [[福士誠治]]、俳優
* 1983年 - [[川野翔]]、ミュージカル俳優
* 1983年 - [[源啓介]]、元子役
* 1983年 - [[青木美沙子]]、モデル、タレント
* [[1984年]] - [[中村英之]]、元サッカー選手
* 1984年 - [[矢野喬子]]、元サッカー選手
* 1984年 - [[天空ツバサ]]、プロボクサー
* [[1985年]] - [[ルーカス・ハレル]]、プロ野球選手
* 1985年 - [[髙田周平]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[中西麻耶]]、陸上選手
* 1985年 - 浜名ランチ、お笑い芸人([[ハルカラ]])
* 1985年 - [[村岡沙耶香]]、元タレント
* 1985年 - [[中林俊史]]、声優
* [[1986年]] - [[竹島由夏]]、タレント
* 1986年 - [[ラファエル・ナダル]]、[[テニス]]選手
* 1986年 - [[トマシュ・ベルネル]]、フィギュアスケート選手
* 1986年 - [[ザック・ラッツ|ザック]]かな[[ザック・ラッツ|・ラッツ]]、プロ野球選手
* [[1987年]] - [[長澤まさみ]]、女優
* 1987年 - [[やくしまるえつこ]]、ミュージシャン
* 1987年 - [[松本晶恵]]、[[競艇選手]]
* 1987年 - [[二神一人]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[相沢晋]]、元プロ野球選手
* [[1988年]] - [[柳下大]]、俳優
* 1988年 - [[三浦翔平]]、俳優
* 1988年 - [[中川朋美]]、女優、元[[グラビアアイドル]]
* [[1989年]] - [[ケイティ・ホフ]]、競泳選手
* 1989年 - [[潘めぐみ]]、声優
* 1989年 - [[Megu]]、アイドル([[Negicco]])
* [[1990年]] - [[清水芽衣]]、元声優
* 1990年 - [[チャン・ハオチェン]]、[[ピアニスト]]
* 1990年 - 前嶋大翔、お笑いタレント(元[[マカロン (お笑いコンビ)|マカロン]])
* 1990年 - [[かずのすけ]]、[[YouTuber]]
* [[1991年]] - [[廣瀬大介]]、俳優、声優
* 1991年 - [[安藤遥]]、タレント
* 1991年 - [[中曽根知左]]、モデル、タレント
* 1991年 - [[中村亮土]]、[[ラグビーユニオン]]選手
* [[1992年]] - [[加藤貴之 (野球)|加藤貴之]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[マリオ・ゲッツェ]]、サッカー選手
* 1993年 - [[石井孝英]]、声優
* [[1994年]] - [[篠田みなみ]]、声優
* 1994年 - ザカオ、YouTuber([[フィッシャーズ (YouTuber)|フィッシャーズ]])
* 1994年 - [[齋藤加奈子]]、バレーボール選手
* [[1995年]] - [[かなちぃ]]、グラビアアイドル
* 1995年 - [[齊藤大将]]、プロ野球選手
* 1995年 - [[忍野さら]]、タレント、グラビアアイドル
* 1995年 - [[菊池梨沙]]、タレント、元グラビアアイドル
* [[1996年]] - ちろる、お笑い芸人([[翠星チークダンス]])
* 1996年 - [[吉崎綾]]、モデル、タレント
* 1996年 - [[榮林桃伽]]、女優、モデル
* 1996年 - [[板橋侑我]]、競艇選手
* [[1997年]] - [[柘植世那]]、プロ野球選手
* 1997年 - [[小川一平 (野球)|小川一平]]、プロ野球選手
* 1997年 - [[祐亮]]、ギター奏者
* 1997年 - [[瑛人]]、シンガーソングライター
* 1997年 - [[江本光輝]]、元俳優、元モデル
* 1997年 - 梅野健太郎、お笑い芸人([[軍艦 (お笑いコンビ)|軍艦]])
* [[1998年]] - [[ゆうたろう (モデル)|ゆうたろう]]、モデル
* 1998年 - [[名倉巧]]、サッカー選手
* [[1999年]] - [[後藤威尊]]、アイドル([[INI]])
* 1999年 - [[木村美咲]]、元アイドル([[ラストアイドル#Someday Somewhere|Someday Somewhere]])
* 1999年 - [[庭野ほのか]]、アナウンサー
* [[2000年]] - [[まりあ (ジュニアアイドル)|まりあ]]、元ジュニアアイドル
* [[2001年]] - [[松浦愛弓]]、女優、声優
* 2001年 - 髙橋真生、アイドル([[NGT48]])
* [[2003年]] - [[大白桃子]]、アイドル([[fishbowl]])
* [[2006年]] - [[佐々木ゆら]]、タレント
* [[2008年]] - [[ハルシャーリー・マルホートラ]]、子役
* 生年不明 - [[笹野ちはる]]、[[漫画家]]
* 生年不明 - [[谷口佳子]]、声優
* 生年不明 - [[藤井みどり]]、漫画家
* 生年不明 - [[水瀬藍]]、漫画家
* 生年不明 - [[LEVIN]]、ミュージシャン([[La'cryma Christi]])
* 生年不明 - [[佐伯洋史]]、声優
* 生年不明 - [[清水一貴]]、声優
* 生年不明 - [[橘諒]]、声優
* 生年不明 - [[橋本達也 (俳優)|橋本達也]]、俳優、声優
* 生年不明 - [[真田侑]]、声優
== 忌日 ==
{{multiple image
| caption1 = [[真田信繁]](真田幸村: 1567?-1615)、[[大坂の陣#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]で討死
| image1 = SanadaYukimura.JPG
| width1 = 90
| alt1 = 真田幸村
| image2 = Georges_Bizet_Tomb_2.jpg
| width2 = 90
| caption2 = 作曲家[[ジョルジュ・ビゼー]](1838-1875)没
| alt2 = ジョルジュ・ビゼー
}}
{{multiple image
| caption1 = 作家[[フランツ・カフカ]](1883-1924)没
| image1 = Grab_von_franz_kafka.jpg
| width1 = 90
| alt1 = フランツ・カフカ
| image2 = Chen_Gongbo.JPG
| width2 = 90
| caption2 = [[汪兆銘]]と共に[[汪兆銘政権|南京政府]]を設立した[[陳公博]](1892-1946)、刑死
| alt2 = 陳公博
}}
[[Image:%D8%AE%D9%85%DB%8C%D9%86%DB%8C_%D8%AF%D8%B1_%D9%BE%D8%A7%D8%B1%DB%8C%D8%B3.JPG|thumb|[[イラン革命]]の指導者、[[ルーホッラー・ホメイニー]](1902-1989)没|223x223ピクセル]]
=== 人物 ===
* [[1568年]] - [[アンドレス・デ・ウルダネータ]]、[[修道士]]、[[探検家]](* [[1498年]])
* [[1615年]]([[慶長]]20年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - 三好清海、[[大坂の陣]]豊臣方の[[武将]](* [[1528年]])
* 1615年(慶長20年5月7日) - [[御宿政友]]、大坂の陣豊臣方の武将(* [[1566年]]?)
* 1615年(慶長20年5月7日) - [[真田信繁]](幸村)、大坂の陣豊臣方の武将(* [[1567年]])
* 1615年(慶長20年5月7日) - [[小笠原秀政]]、[[松本藩|松本藩主]](* [[1569年]])
* 1615年(慶長20年5月7日) - [[大谷吉治]]、大坂の陣豊臣方の武将(* [[1581年]]?)
* 1615年(慶長20年5月7日) - [[本多忠朝]]、[[大多喜藩|大多喜藩主]](* [[1582年]])
* 1615年(慶長20年5月7日) - [[小笠原忠脩]]、松本藩の世子(* [[1594年]])
* [[1657年]] - [[ウイリアム・ハーベー]]、[[医学|医学者]](* [[1578年]])
* [[1822年]] - [[ルネ=ジュスト・アユイ]]、[[鉱物学|鉱物学者]](* [[1743年]])
* [[1858年]] - [[ユリウス・ロイプケ]]、[[作曲家]](* [[1834年]])
* [[1875年]] - [[ジョルジュ・ビゼー]]、作曲家(* [[1838年]])
* [[1877年]] - [[ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル]]、[[ケッヘル番号]]創始者(* [[1800年]])
* [[1889年]] - [[ベルンハルト・フェルスター]]、[[反ユダヤ主義]]思想家(* [[1843年]])
* [[1894年]] - [[オスカル・テーノ]]、[[画家]](* [[1842年]])
* [[1899年]] - [[ヨハン・シュトラウス2世]]、作曲家(* [[1825年]])
* [[1905年]] - [[ハドソン・テーラー]]、[[キリスト教]][[宣教師]](* [[1832年]])
* [[1924年]] - [[フランツ・カフカ]]、[[小説家]](* [[1883年]])
* [[1925年]] - [[カミーユ・フラマリオン]]、[[天文学者]](* [[1842年]])
* [[1946年]] - [[ミハイル・カリーニン]]、[[ソビエト連邦最高会議幹部会議長]](* [[1875年]])
* 1946年 - [[陳公博]]、[[中華民国]][[汪兆銘政権]]の政治家(* [[1892年]])
* [[1949年]] - [[佐藤紅緑]]、小説家、[[俳句|俳人]](* [[1874年]])
* 1949年 - [[白鳥敏夫]]、外交官(* [[1887年]])
* [[1952年]] - [[豊田利三郎]]、[[実業家]](* [[1884年]])
* [[1955年]] - [[恩地孝四郎]]、[[版画|版画家]]、[[装幀|装幀家]](* [[1891年]])
* [[1961年]] - [[山本玄峰]]、禅僧(* [[1866年]])
* [[1963年]] - [[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]、第261代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1881年]])
* [[1964年]] - [[フランス・エーミル・シランペー]]、小説家(* [[1888年]])
* [[1967年]] - [[アーサー・ランサム]]、[[児童文学]]作家、[[ジャーナリスト]](* [[1884年]])
* 1967年 - [[アンドレ・クリュイタンス]]、[[指揮者]](* [[1905年]])
* 1967年 - [[リチャード・クドウ]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](* [[1886年]])
* [[1968年]] - [[石黒宗麿]]、[[陶芸|陶芸家]](* [[1893年]])
* [[1970年]] - [[ヒャルマル・シャハト]]、[[ナチス・ドイツ]]経済相、[[ドイツ帝国銀行]]総裁(* [[1877年]])
* [[1971年]] - [[剣持勇]]、[[インテリアデザイナー]](* [[1912年]])
* [[1972年]] - [[山内以九士]]、日本[[プロ野球]]の[[公式記録員 (野球)|公式記録員]](* [[1902年]])
* [[1975年]] - [[佐藤栄作]]、政治家、第61-63代[[内閣総理大臣]](* [[1901年]])
* [[1976年]] - [[川崎弘子]]、[[俳優|女優]](* [[1912年]])
* [[1977年]] - [[アーチボルド・ヒル]]、[[生理学|生理学者]](* [[1886年]])
* 1977年 - [[ロベルト・ロッセリーニ]]、[[映画監督]](* [[1906年]])
* [[1983年]] - [[前嶋信次]]、イスラム史研究者(* [[1903年]])
* [[1987年]] - [[一圓一億]]、[[憲法|憲法学者]](* [[1911年]])
* [[1989年]] - [[ルーホッラー・ホメイニー]]、[[イラン革命]]指導者(* [[1902年]])
* [[1990年]] - [[ロバート・ノイス]]、[[インテル]]設立者(* [[1927年]])
* [[1991年]] - [[永田武]]、[[地球科学者]](* [[1913年]])
* 1991年 - [[クラフト夫妻|カティア・クラフト]]、[[火山学|火山学者]]、[[雲仙岳|雲仙普賢岳]][[火砕流]]の犠牲者のひとり(* [[1942年]])
* 1991年 - モーリス・クラフト、火山学者、雲仙普賢岳火砕流の犠牲者のひとり(* [[1946年]])
* 1991年 - [[アンディ・ミリガン]]、[[劇作家]]、[[脚本家]]、映画監督(* [[1929年]])
* 1991年 - [[大塚安則]]、元[[プロ野球選手]](* [[1934年]])
* [[1995年]] - [[ジョン・プレスパー・エッカート]]、[[ENIAC]]開発者のひとり(* [[1919年]])
* [[2000年]] - [[マートン・ミラー]]、[[経済学者]](* [[1923年]])
* [[2001年]] - [[アンソニー・クイン]]、俳優(* [[1915年]])
* 2001年 - [[竹内洋 (野球)|竹内洋]]、元プロ野球選手(* [[1946年]])
* [[2002年]] - [[ルー・ワッサーマン]]、[[ユニバーサル・スタジオ]]名誉会長 (* [[1913年]])
* [[2006年]] - [[清岡卓行]]、[[作家]]・[[詩人]]、元[[法政大学]]教授(* [[1922年]])
* [[2007年]] - [[若前田英一朗]]、元[[大相撲]][[力士]]、[[関脇]](* [[1930年]])
* [[2008年]] - [[グリゴリー・ロマノフ]]、[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]][[ソ連共産党政治局|政治局員]](* [[1923年]])
* [[2009年]] - [[坂部恵]]、[[哲学者]]、[[東京大学]]名誉教授(* [[1936年]])
* 2009年 - 高橋長雄、[[札幌医科大学]]名誉教授(* [[1922年]])
* 2009年 - 赤穴宏、[[洋画家]]、[[千葉大学]][[名誉教授]](* [[1921年]])
* 2009年 - [[江幡修三]]、元[[検事総長]](* [[1921年]])
* [[2010年]] - [[小林昇]]、[[経済学者]]、[[立教大学]]・[[福島大学]][[名誉教授]](* [[1916年]])
* [[2013年]] - [[津田正]]、元事務自治次官(* [[1932年]])
* [[2014年]] - [[丸谷金保]]、[[政治家]](* [[1919年]])
* 2014年 - [[植田いつ子]]、服飾デザイナー(* [[1928年]])
* [[2015年]] - [[井尻千男]]、[[評論家]]、[[コラムニスト]]、[[拓殖大学]]名誉教授(* [[1938年]])
* 2015年 - [[神田山裕]]、[[講談師]](* [[1954年]])
* 2015年 - [[備前夕子]]、元バレーボール選手(* [[1975年]])
* [[2016年]] - [[モハメド・アリ]]、[[プロボクサー]](* [[1942年]])
* 2016年 - [[森岡賢]]、ミュージシャン、[[キーボーディスト]](* [[1967年]])
* [[2017年]] - 大場典彦、[[ヴィア・ホールディングス]]社長(* [[1958年]])
* 2017年 - 銘苅朝則、[[プリマート]]創業者
* [[2019年]] - [[菊田守]]、[[詩人]](* [[1935年]])
* 2019年 - [[藤原信 (彫刻家)|藤原信]]、[[彫刻家]](* [[1938年]])
* 2019年 - [[本江邦夫]]、[[美術史]]学者、[[多摩美術大学]]名誉教授(* [[1948年]])
* 2019年 - [[佐藤弘樹 (ラジオパーソナリティ)|佐藤弘樹]]、[[ラジオパーソナリティ]](* [[1957年]])
* 2019年 - [[青木篤志]]、[[プロレスラー]](* [[1977年]])<ref>[https://www.sankei.com/article/20190604-DH2AUMSVVZJSRF2NQ2QFQ5FE5I/ 首都高で単独バイク事故 プロレスラーの青木篤志さん死亡] - 産経ニュース 2019年6月4日</ref>
* [[2020年]] - [[加藤昭夫]]、[[材料工学|無機材料科学者]]、[[九州大学]]名誉教授(* [[1934年]])
* 2020年 - 中垣昌美、[[社会福祉学|社会福祉学者]]、[[龍谷大学]]名誉教授(* [[1930年]])
* 2020年 - [[丸山雅仁]]、[[作曲家]]、[[編曲家]](* [[1943年]])
* 2020年 - 焦茶、[[イラストレーター]](* [[1995年]])
* [[2021年]] - [[谷津義男]]、元[[衆議院議員]]、元[[農林水産大臣]](* [[1934年]])
* 2021年 - 石田治夫、元[[武蔵野銀行]]頭取(* [[1919年]])
* 2021年 - 細井三男、[[洋画家]]、[[愛知教育大学]]名誉教授(* [[1930年]])
* [[2022年]] - [[入江春行]]、[[文学研究者]]、元[[大谷女子大学]]教授(* [[1927年]])
* 2022年 - [[北原義郎]]、[[俳優]](* [[1929年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2019年]] - [[シルクジャスティス]]、[[競走馬]](* [[1994年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:UnzenDevastation.jpg|thumb|[[雲仙岳|雲仙普賢岳]]で火砕流発生(1991)]]
* [[世界自転車デー]]({{World}})
*: [[2018年]][[4月12日]]の[[国際連合総会|国連総会]]で制定。[[国際デー]]の一つ。
* [[測量の日]]({{JPN}})
*: [[1949年]]に[[測量法]]が制定されたことを記念して[[建設省]](現[[国土交通省]])が制定した。
* ウェストン記念日({{JPN}})
*: イギリス人宣教師で[[日本アルプス]]を初めて踏破した日本近代登山の祖、[[ウォルター・ウェストン]]をしのんで、長野県[[上高地]]の[[梓川]]河畔にあるウェストン碑の前で献花、記念講演、合唱等が行われる。
* [[雲仙岳|雲仙普賢岳]]祈りの日({{JPN}})
*: [[1991年]]6月3日、雲仙普賢岳で大[[火砕流]]が発生し43人が犠牲者となった。この犠牲者を追悼するために[[長崎県]][[島原市]]が[[1998年]]から実施している。大火砕流が発生した午後4時8分にサイレンが鳴らされ、市民に黙禱を呼びかけている。
*伝教大師御影供({{JPN}})
*: [[天台宗]]開祖伝教大師[[最澄]]は、[[弘仁]]13年6月4日(新暦[[6月26日]])遷化。ご命日の前日であるこの日、毎年比叡山[[延暦寺]]では、伝教大師の御影を掲げ、報恩謝徳のため御香、供物、茶菓をお供えし、そのご遺徳を偲ぶ「伝教大師御影供」が大講堂で行われる<ref>{{Twitter status|enryakuji_hiei|1532569671182225408}}</ref>。
*: なお、この日は伝教大師の悲願であった比叡山上での大乗菩薩戒の授戒制度が、[[嵯峨天皇]]によって認められた日である<ref>{{Cite web |url=https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/ron/20211006-001.html |title=最澄の悲願 ―大乗戒独立をめぐって― |access-date=5 Nov 2023 |publisher=中外日報 |page=2 |date=21 Oct 2021}}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0603|date=Apr 2023}}
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1971年]] - 木田原菜生、テレビドラマ『[[半分、青い。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://nhk-dorama.com/hannbunnaoi-nennrei-gihu/ |title=半分青いキャストの年齢と登場人物の年齢設定まとめ【岐阜編】 |publisher=NHKドラマ |accessdate=16 Apr 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180825113538/https://nhk-dorama.com/hannbunnaoi-nennrei-gihu/ |archivedate=2018-08-25 |date=24 Aug 2018}}</ref>
* 生年不明 - 夏木六三四、漫画・アニメ『[[六三四の剣]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://websunday.net/4221/ |title=名作ミュージアム 六三四の剣 |access-date=16 Apr 2023 |publisher=週刊少年サンデー [[小学館]] |page=17}}</ref>
* 生年不明 - ジョージ ホワイト、『[[ハローキティ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.puroland.jp/character/kt_george/ |title=ジョージ |access-date=16 Apr 2023 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref>
* 生年不明 - 乾貞治、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[テニスの王子様]]|volume=10.5巻|author=[[許斐剛]]|publisher=[[集英社]]|page=132|year=2001|isbn=4-08-873193-X}}</ref>
* 生年不明 - 雛森桃、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|date=2006-02-03|title=BLEACH―ブリーチ― OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|page=131|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088740799}}</ref>
* 生年不明 - 寺原拓哉、漫画・アニメ『[[火ノ丸相撲]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hinomaru-zumou.com/character/寺原拓哉 |title=寺原拓哉 |access-date=16 Apr 2023 |publisher=[[川田 (漫画家)|川田]]/[[集英社]]・「火ノ丸相撲」製作委員会 |work=『火ノ丸相撲』}}</ref>
* 生年不明 - チャーミー・パピットソン、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bclover.jp/character/ |title=黒の暴牛 チャーミー・パピットソン |work=『ブラッククローバー』 |accessdate=16 Apr 2023 |publisher=[[田畠裕基]]/[[集英社]]・[[テレビ東京]]・ブラッククローバー製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - 米田未来、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=米田 未来(よねだ みらい) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=16 Apr 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref>
* 生年不明 - 藤宮澄夏、漫画・アニメ『[[異世界おじさん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=異世界おじさん II|date=2019-04-22|publisher=[[KADOKAWA]]|page=133|author=殆ど死んでいる|isbn=978-4040657073}}</ref>
* 生年不明 - [[〈物語〉シリーズ#千石撫子|千石撫子]]、小説・アニメ『[[化物語]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|NISIOISIN_info|738685134489030656}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pachimaga.com/ads/b_calendar/detail.php?day=0603001 |title=千石撫子 (せんごくなでこ) |access-date=16 Apr 2023 |publisher=パチンコ攻略マガジン・パチスロ攻略マガジン公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#レイヴェル・フェニックス|レイヴェル・フェニックス]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|593084170621988864}}</ref>
* 生年不明 - くるるっち、アニメ『[[たまごっち!|たまごっち! みらくるフレンズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ジュサブプロス、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 武方勝・武方友・武方努、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=16 Apr 2023}}</ref>
* 生年不明 - [[ラムレザル=ヴァレンタイン]]、ゲーム『[[GUILTY GEARシリーズ|GUILTY GEAR]]』シリーズに登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ggxrd.com/rev/ac/character/ramlethal.html |title=ラムレザル |access-date=16 Apr 2023 |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS.]] |work=『GUILTY GEAR』}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ggxrd.com/rev/cs2/character/ram.php |title=ラムレザルCV:潘めぐみ / ルシフェロ(使い魔)関 智一 |work=『GUILTY GEAR Xrd -SIGN-』 |accessdate=16 Apr 2023 |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS.]] Triple Perfect Inc.}}</ref>
* 生年不明 - リッキー、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m06.html |title=住民名簿 6月 リッキー |access-date=16 Apr 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#及川雫|及川雫]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20029 |title=及川 雫(おいかわ しずく) |access-date=16 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 姫島木乃子、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130604_170931/ |title=【ガールフレンド(仮)通信51】ひきこもり廃人ゲーマー 姫島木乃子ちゃん(CV:水橋かおり) |access-date=16 Apr 2023 |publisher=ファミ通App |date=4 Jun 2013}}</ref><ref>{{Twitter status|gf_kari_music|738384854941728768}}</ref>
* 生年不明 - 本庄千景、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/honjo |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title=本庄 千景 |accessdate=16 Apr 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref>
* 生年不明 - チカ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1532542615534845952}}</ref>
* 生年不明 - デュース・スペード、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/deuce |title=デュース・スペード(cv: 小林千晃) |accessdate=16 Apr 2023 |publisher=[[Disney]] [[Aniplex]] |work=『TWISTED WONDERLAND』}}</ref>
* 生年不明 - 嵐柴カズマ、メディアミックス『[[PROJECT SCARD|PROJECT SCARD プレイタの傷]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_scard|1267833390239289344}}</ref>
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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'''6月6日'''(ろくがつむいか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から157日目([[閏年]]では158日目)にあたり、年末まであと208日ある。
== できごと ==
[[Image:Stoney-Creek-Batttlefield-Monument.jpg|thumb|[[米英戦争]]、[[ストーニー・クリークの戦い]](1813)|240x240ピクセル]]
[[Image:Memphis_h42367.jpg|thumb|[[南北戦争]]、[[メンフィスの戦い]](1862)。ミシシッピ川の南軍水上戦力が壊滅|180x180ピクセル]]
[[Image:Intramural_Railway.jpg|thumb|高架鉄道[[シカゴ・L]](1892)開業|180x180ピクセル]]
[[Image:1944_NormandyLST.jpg|thumb|180x180px|[[ノルマンディー上陸作戦]]決行(1944)]]
[[Image:The Soviet Union 1971 CPA 4060 stamp (Cosmonauts Georgy Dobrovolsky, Vladislav Volkov and Viktor Patsayev).jpg|thumb|[[ソユーズ11号]]打ち上げ(1971)。翌日世界初の[[宇宙ステーション]]へのドッキングに成功するも飛行士の生還は叶わず|180x180ピクセル]]
[[Image:Troepen_idf.jpg|thumb|[[イスラエル]]が[[レバノン]]に侵攻し[[レバノン戦争]]勃発(1982)|180x180ピクセル]]
[[Image:Bolivia indymedia guerradelgaz.jpg|thumb|180x180px|[[ボリビアガス紛争]](2003)、[[カルロス・メサ・ヒスベルト]]大統領が辞任]]
* [[1505年]] - [[ロームスタン地震]]、チベットとネパールに影響を及ぼし、カトマンズとインド・ガンジス平原の一部に深刻な被害をもたらした<ref>{{cite book |last1=Gupta |first1=Harsh K. |last2=Fareeduddin |title=Recent Advances in Earth System Science |year=2008 |publisher=Geological Society of India |location=Bangalore |pages=244, 381 |isbn=978-81-85867-83-0 |url=https://books.google.com/books?id=T-hQAQAAIAAJ}}</ref>。
* [[1513年]] - [[イタリア戦争]]([[カンブレー同盟戦争]]): [[ノヴァーラの戦い (1513年)|ノヴァーラの戦い]]
* [[1523年]] - [[スウェーデン]]が同君連合[[カルマル同盟]]からの離脱・独立を宣言、[[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]が国王に選出される<ref>{{Cite web |url=https://webgate.ec.europa.eu/sr/news/swedish-national-day-6-june |title=Swedish National Day (6 June) |access-date=6 Aug 2023 |publisher=European Commission |date=6 Jun 2023}}</ref>。
* [[1654年]] - スウェーデン女王[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]が従兄の[[カール10世 (スウェーデン王)|カール10世]]に譲位。
* [[1674年]] - [[シヴァージー]]が[[マラーター王国]]を建国し、戴冠<ref>{{Cite web |url=https://www.indiatoday.in/education-today/gk-current-affairs/story/shivaji-11699-2016-06-06 |title=Chhatrapati Shivaji was crowned on this day in 1674: Remembering the Maratha king |access-date=6 Aug 2023 |publisher=Living Media India Limited. |date=6 Jun 2017 |website=INDIA TODAY}}</ref>。
* [[1683年]] - [[オックスフォード大学]]の[[アシュモレアン博物館]]が開館<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/the-ashmolean-opens |title=World’s first university museum opens in Oxford, England |access-date=6 Aug 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |date=5 Jun 2020}}</ref>。世界初の大学博物館。
* [[1808年]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]の兄[[ジョゼフ・ボナパルト]]がホセ1世として[[スペイン]]王に即位。
* [[1813年]] - [[米英戦争]]: [[ストーニー・クリークの戦い]]
* [[1832年]] - パリの[[六月暴動]]が鎮圧。小説家[[ヴィクトル・ユーゴー|ヴィクトル・ユゴー]]はこの時パリに住んでおり、小説「[[レ・ミゼラブル]]」を書くきっかけになった<ref>{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/theguardian/from-the-archive-blog/2020/may/20/insurrection-in-paris-new-revolution-june-1832 |title=Insurrection in Paris: attempt at a new revolution - archive, 1832 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=Guardian News & Media Limited or its affiliated companies. |website=The Guardian |date=20 May 2020}}</ref>。
* [[1844年]] - [[ジョージ・ウィリアムズ (YMCA)|ジョージ・ウィリアムズ]]が、英国[[ロンドン]]で[[キリスト教青年会]](YMCA)を創立<ref>{{Cite web |url=https://www.ymca.int/george-williams-founder-of-the-first-ymca-june-6th-1844/ |title=George Williams – Founder of the first YMCA – June 6th 1844 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=World YMCA |date=7 Jun 2016}}</ref>。
* [[1859年]] - [[オーストラリア]]で、[[ニューサウスウェールズ州|ニューサウスウェールズ]]から分割して[[クイーンズランド州|クイーンズランド植民地]]を設置<ref>{{Cite web |url=https://www.qld.gov.au/about/events-awards-honours/events/queensland-day/about-qld-day |title=Queensland Day |access-date=6 Aug 2023 |publisher=Queensland Government |date=14 Apr 2022}}</ref>。
* [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[メンフィスの戦い]]
* 1862年([[文久]]2年[[5月9日 (旧暦)|5月9日]]) - 江戸幕府[[文久遣欧使節|遣欧使節]]・[[竹内保徳]]が[[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)|ラッセル]][[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|英]][[外務・英連邦大臣|外相]]と[[ロンドン覚書]]に調印。
* [[1869年]] - スペインで、[[立憲君主制]]の新憲法が公布。
* [[1892年]] - [[シカゴ]]の高架鉄道[[シカゴ・L]]が開業<ref>{{Cite web |url=https://www.cbsnews.com/chicago/news/l-system-125th-anniversary-elevated-train-tracks-cta/ |title=Chicago's Elevated Train System Turning 125 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=CBS Broadcasting Inc. |date=6 Jun 2017 |website=CBS NEWS CHICAGO}}</ref>。
* [[1912年]] - [[アラスカ]]の[[ノバルプタ|ノバラプタ山]]が大噴火。6日から8日にかけて、合計13km3のマグマが噴出し、火山灰は大気中32km以上まで舞い上がった<ref>{{Cite web |url=https://www.nps.gov/katm/learn/nature/valley-of-ten-thousand-smokes.htm |title=Valley of Ten Thousand Smokes and the 1912 Novarupta-Katmai Eruption |access-date=6 Aug 2023 |publisher=National Park Service U.S. Department of the Interior |date=24 Aug 2021}}</ref>。
* [[1915年]] - [[焼岳]]で噴火。[[梓川]]がせき止められて[[大正池 (松本市)|大正池]]ができる<ref>{{Cite web|和書|url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/211/ |title=焼岳噴火(1915年) |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[Yahoo!JAPAN|Yahoo!]]天気・災害}}</ref>。
* [[1921年]] - ロンドンの[[サザーク橋]]が開通<ref>{{Cite web |url=https://www.rct.uk/collection/2303885-b |title=Opening of Southwark Bridge, 6 June 1921 6 - 6 Jun 1921 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=ROYAL COLLECTION TRUST}}</ref>。
* [[1925年]] - [[ウォルター・クライスラー]]によって[[クライスラー|クライスラーコーポレーション]]が創業<ref>{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/business/2009/apr/30/chrysler-automotive-industry |title=The history of Chrysler |access-date=6 Aug 2023 |publisher=Guardian News & Media Limited or its affiliated companies. |work=The Guardian |date=30 Apr 2009}}</ref>。
* 1925年 - [[パリ]]で[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]の[[交響曲第2番 (プロコフィエフ)|交響曲第2番]]が初演<ref>{{Cite web|和書|url=https://ontomo-mag.com/article/column/kimagure-20200606/#:~:text=1925%E5%B9%B46%E6%9C%886,%E3%81%AB%E4%BD%8F%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%9F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%95%E3%80%82 |title=95年前の今日、パリでプロコフィエフの交響曲第2番初演! |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[音楽之友社]] |date=6 Jun 2020 |website=ONTOMO}}</ref>。
* [[1933年]] - アメリカ[[ニュージャージー州]][[カムデン (ニュージャージー州)|カムデン]]で世界初の[[ドライブインシアター]]が開業<ref>{{Cite web |url=https://www.wired.com/2011/06/0606first-drive-in-movie/ |title=June 6, 1933: A Car, a Movie, Some Popcorn and Thou |access-date=6 Aug 2023 |publisher=WIRED |date=6 JUN 2011}}</ref>。
* [[1934年]] - [[ニューディール政策]]: [[フランクリン・ルーズベルト]]大統領が[[1934年証券取引所法]]に署名し、法律が発効。
* [[1941年]] - [[北海道]][[紋別郡]][[雄武町]]で[[幌内ダム#幌内ダム決壊事故|幌内ダム決壊事故]]発生。60名が死亡する。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[アリューシャン方面の戦い]]: 日本軍が[[アリューシャン列島]]の[[アッツ島]]を占領。
* 1942年 - [[第二次世界大戦]]・[[ミッドウェー海戦]]:主力空母「[[赤城 (空母)|赤城]]」「[[飛龍 (空母)|飛龍]]」が沈没し[[大日本帝国海軍|日本海軍]]機動部隊が事実上壊滅。
* [[1944年]] - 第二次世界大戦: [[ノルマンディー上陸作戦]]が決行される。([[D-デイ]])
* [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[沖縄戦]]: [[陸戦隊]]指揮官[[大田実]][[大日本帝国海軍|海軍]][[少将]]が海軍次官宛に、後世有名になった「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を打電。
* [[1946年]] - [[ニューヨーク]]で[[NBA]]の前身の[[:en:Basketball Association of America|Basketball Association of America]] (BAA) が設立。
* [[1949年]] - [[土地改良法]]公布。
* [[1950年]] - {{仮リンク|ズゴジェレツ条約|en|Treaty of Zgorzelec}}成立。[[ポーランド]]と[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の国境が[[オーデル・ナイセ線]]に確定。
* 1950年 - [[レッドパージ]]: [[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) の指令により[[日本共産党]]中央委員24名が[[公職追放]]の対象となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/modern/cha5/description12.html |title=5-12 レッドパージ |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[国立国会図書館]] |work=資料に見る日本の近代}}</ref>。
* [[1952年]] - [[中央教育審議会]]設置<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.janu.jp/janu/active/activities/archive1952/ |title=昭和27年(1952年) |access-date=6 Aug 2023 |publisher=一般社団法人 国立大学協会}}</ref>。
* [[1966年]] - [[公民権運動]]家[[ジェームズ・メレディス]]が狙撃され負傷。
* [[1971年]] - ソ連で3人乗りの宇宙船[[ソユーズ11号]]打ち上げ。翌日、軌道科学ステーション[[サリュート]]にドッキング。
* 1971年 - [[ベトナム戦争]]: {{仮リンク|ロンカンの戦い|en|Battle of Long Khanh}}
* 1971年 - 米[[CBS]]で[[1948年]]から放送されていた長寿[[バラエティ番組]]『[[エド・サリヴァン・ショー]]』最後の放送。
* [[1972年]] - [[関東地方]]で大規模な[[光化学スモッグ]]の被害。[[埼玉県]]では学校の生徒を中心に約1800人が、東京都内でも900人超が目やのどに痛みを訴えた<ref>「埼玉に大規模な被害 学校中心に千八百人」『朝日新聞』昭和47年6月7日.3面</ref>。
* [[1979年]] - [[江ノ島電鉄|江ノ電]][[藤沢駅]]で、電車が停止できず[[車止め]]を破る事故が発生。乗客24人が負傷<ref>江ノ電藤沢駅 「あっブレーキ利かぬ」車止め破り24人が負傷『朝日新聞』1979年(昭和54年)6月7日朝刊 13版 23面</ref>。
* [[1982年]] - [[イスラエル]]が[[レバノン]]に侵攻、[[レバノン内戦#レバノン戦争と多国籍軍の進出|レバノン戦争]]勃発。
* [[1984年]] - [[ブルースター作戦]]: インド首相[[インディラ・ガンディー]]の命によりインド陸軍が[[シク教]]の総本山である[[ハリマンディル・サーヒブ]]を攻撃。
* 1984年 - [[テトリス]]の最初のバージョンが[[ソビエト連邦]]で誕生。
* [[1985年]] - [[川崎市]]で、交通事故で大けがをした小学生が、[[エホバの証人]]信徒の両親が信仰上の理由で[[輸血拒否|輸血を拒否]]したため、出血多量で死亡。
* [[1992年]] - [[PKO国会]]: [[参議院]]本会議で[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律|PKO協力法]]案の採決に[[日本社会党|社会党]]が[[牛歩戦術]]で抵抗。11時間半におよぶ採決を経て可決される。
* [[1993年]] - [[モンゴル国|モンゴル]]で初の[[大統領]]直接選挙が行われる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/12542 |title=1993年、モンゴルで民主化後、初の大統領直接選挙の投票が… |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[東京新聞]] |date=6 Jun 2019}}</ref>。
* [[1994年]] - [[コロンビア]]南部[[カウカ県]]でM6.4の地震。約800名の死者を出す。
* [[2002年]] - [[東地中海隕石爆発]]。東地中海上空で、小天体が爆発。
* [[2003年]] - [[武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律|武力攻撃事態法]]など武力攻撃事態対処関連3法が成立<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/kuniwomamoru/yuji/index.htm |title=「有事法制」って何だろう? |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[陸上自衛隊]]第2師団}}</ref>。日本で戦後初の[[有事法制]]。
* [[2004年]] - [[上海インターナショナルサーキット]]オープン。
* [[2005年]] - [[ボリビアガス紛争]]: [[ボリビア]]の[[カルロス・メサ・ヒスベルト|メサ]]大統領が辞任<ref>{{Cite web|和書|date=8 Jun 2005 |url=http://japanese.donga.com/List/3/all/27/287482/1 |title=[写真説明]ボリビア大統領が突然辞任 |publisher=[[東亜日報]] |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>。
* [[2013年]] - [[エドワード・スノーデン]]によって[[アメリカ国家安全保障局|NSA]]の大量監視プログラム「[[PRISM (監視プログラム)|PRISM]]」が内部告発された<ref>{{Cite web|和書|url=https://ascii.jp/elem/000/000/927/927814/ |title=米政府 PRISM 問題発覚後、ネット検索行動に変化あり - 米政府とのトラブル避ける傾向 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=KADOKAWA ASCII Research Laboratories, Inc. |date=29 Aug 2014 |website=ASCII.jp}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/world/2013/jun/06/us-tech-giants-nsa-data |title=NSA Prism program taps in to user data of Apple, Google and others |access-date=6 Aug 2023 |publisher=Guardian News & Media Limited or its affiliated companies. |website=The Guardian |date=7 Jun 2013}}</ref>。
* [[2015年]] - [[砂川市一家5人死傷事故]]: [[北海道]]砂川市の[[国道12号]]で、飲酒後の男2人が、飲み直すため速度を競い合い自動車を運転。赤信号を無視して時速100キロ超で交差点に突入し、北海道歌志内市の一家5人が乗る車に衝突し、4人が死亡、1人が重体となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20230604/7000058058.html |title=砂川5人死傷事故から8年を前に同級生が献花 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=6 Jun 2023 |work=北海道 NEWS WEB}}</ref>。
* [[2017年]] - [[大津地方裁判所|大津地裁]]による運転差し止めの仮処分決定により、同年3月から停止していた[[福井県]]の[[高浜発電所|高浜原子力発電所]]の3号機が再稼働。
* [[2020年]] - [[東京メトロ日比谷線]]に新たに[[虎ノ門ヒルズ駅]]が開業<ref>{{Cite web|和書|title=日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」が開業 ヒルズ課長が応援に駆け付ける |url=https://shinbashi.keizai.biz/headline/2158/ |access-date=6 Aug 2023 |publisher=新橋経済新聞 |date=8 Jun 2020}}</ref>。1964年以来56年ぶりの新駅となった。
* [[2023年]] - [[ウクライナ]]南部[[ヘルソン州 (ロシア連邦)|ヘルソン州]]のロシア支配地域にある[[カホフカ水力発電所|カホウカ水力発電所]]のダムが、攻撃を受けて決壊。周辺の地域で洪水が発生し、1万7000人が避難を強いられた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3467213?cx_part=search |title=ウクライナのダム決壊、1.7万人が避難 米政府「多数死亡の恐れ」 |publisher=[[フランス通信社]] |date=7 Jun 2023 |accessdate=6 Aug 2023 |website=AFP BB News}}</ref>。同日、この決壊を議論する[[国際連合安全保障理事会]]が開催された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASR673CT4R67UHBI008.html |title=ダム破壊めぐり非難の応酬 国連安保理、ウクライナ問題で緊急会合 |publisher=[[朝日新聞DIGITAL]] |date=7 Jun 2023 |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[Image:John_III_of_Portugal.jpg|thumb|228x228px|ポルトガル王[[ジョアン3世 (ポルトガル王)|ジョアン3世]](1502-1557)誕生。治世下で日本との交易が確立された]]
{{multiple image
| align = right
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| image1 = DiegoVelazquez_Viejafriendohuevos.jpg
| alt1 = 卵を揚げる老女
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| alt2 = 鏡のヴィーナス
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| alt3 = ラス・メニーナス
| footer = 画家[[ディエゴ・ベラスケス]](1599-1660)誕生。画像は上から、『卵を揚げる老女』、『[[鏡のヴィーナス]]』、『[[ラス・メニーナス]]』
}}
[[Image:Pierre_Corneille_2.jpg|thumb|181x181px|フランス[[古典主義]]三大劇作家の1人、[[ピエール・コルネイユ]](1606-1684)誕生]]
[[Image:The_Chobenzu_by_Ike_Taiga.jpg|thumb|文人画家[[池大雅]](1723-1776)誕生。画像は『釣便図』|183x183ピクセル]]
[[Image:Self_Portrait_John_Trumbull_1777.jpeg|thumb|画家[[ジョン・トランブル]](1756-1843)。画像は自画像(1777)|225x225ピクセル]]
[[Image:AleksandrPushkin.jpg|thumb|[[アレクサンドル・プーシキン]](1799-1837)|218x218ピクセル]]
[[Image:Ferdinand_Braun.jpg|thumb|247x247px|[[ブラウン管]]を発明した物理学者[[フェルディナント・ブラウン]](1850-1918)]]
[[Image:Alexander_Ljapunow_jung.jpg|thumb|247x247px|数学者[[アレクサンドル・リャプノフ]](1857-1918)]]
[[Image:Engagement_official_picture_of_Alexandra_and_Nicholas.jpg|thumb|245x245px|[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]皇后[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ・フョードロヴナ]](1872-1918)]]
[[Image:Presiden_Sukarno.jpg|thumb|258x258px|[[インドネシア共和国]]初代大統領[[スカルノ]](1901-1970)]]
[[Image:Rohrer.jpg|thumb|180x180px|[[走査型トンネル電子顕微鏡]]を開発した物理学者[[ハインリッヒ・ローラー]](1933-2013)]]
* [[1436年]] - [[レギオモンタヌス]]、[[天文学者]](+ [[1476年]])
* [[1502年]] - [[ジョアン3世 (ポルトガル王)|ジョアン3世]]<ref>{{Cite web |title=John III {{!}} king of Portugal |url=https://www.britannica.com/biography/John-III-king-of-Portugal |access-date=6 Aug 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(+ [[1557年]])
* [[1599年]] - [[ディエゴ・ベラスケス]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1806/vela.html |title=巨匠ベラスケス |access-date=6 Aug 2023 |publisher=兵庫県立美術館 |work=プラド美術館展}}</ref><ref>「スペイン文化事典」pp122-123 川成洋・坂東省次編 丸善 平成23年1月31日発行</ref>、[[画家]](+ [[1660年]])
* [[1606年]] - [[ピエール・コルネイユ]]、[[詩人]]、[[劇作家]](+ [[1684年]])
* [[1701年]]([[元禄]]14年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]) - [[細川利恭]]、第3代[[肥後新田藩|肥後新田藩主]](+ [[1749年]])
* [[1723年]]([[享保]]8年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[池大雅]]、画家(+ [[1776年]])
* [[1733年]]([[享保]]18年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[前田利道]]、第5代[[大聖寺藩|大聖寺藩主]](+ [[1781年]])
* [[1737年]]([[元文]]2年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[加藤泰宦]]、第5代[[新谷藩|新谷藩主]](+ [[1771年]])
* [[1756年]] - [[ジョン・トランブル]]、画家(+ [[1843年]])
* [[1799年]]([[ユリウス暦]]5月26日) - [[アレクサンドル・プーシキン]]、詩人(+ [[1837年]])
* [[1801年]]([[享和]]元年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - [[川路聖謨]]、[[旗本]](+ [[1868年]])
* [[1829年]]([[文政]]12年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[本因坊秀策]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](+ [[1862年]])
* [[1840年]] - [[ジョン・ステイナー]]、[[作曲家]](+ [[1901年]])
* [[1849年]] - [[ジム・デブリン]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1883年]])
* [[1850年]] - [[フェルディナント・ブラウン]]、[[物理学者]](+ [[1918年]])
* [[1857年]] - [[アレクサンドル・リャプノフ]]、[[数学者]](+ [[1918年]])
* [[1868年]] - [[ロバート・スコット]]、[[南極]]探検家(+ [[1912年]])
* [[1869年]] - [[ジークフリート・ワーグナー]]、作曲家、[[指揮者]]、[[バイロイト音楽祭]]芸術監督(+ [[1930年]])
* [[1872年]] - [[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ皇后]]、[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の皇后(+ [[1918年]])
* [[1875年]] - [[トーマス・マン]]、[[小説家]](+ [[1955年]])
* [[1876年]] - [[石橋和訓]]、[[画家]](+ [[1928年]])
* [[1883年]] - [[橋本虎之助]]、軍人(+[[1952年]])
* [[1885年]] - [[川端龍子]]、[[日本画家]](+ [[1966年]])
* [[1886年]] - [[石田利作]]、教育者(+[[1967年]])
* [[1888年]] - [[神近市子]]、[[評論家]]、[[政治家]](+ [[1981年]])
* [[1893年]] - [[サライ・シャーンドル]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1965年]])
* [[1895年]] - [[中村時蔵 (3代目)]]、歌舞伎役者(+[[1959年]])
* [[1896年]] - [[務臺光雄]]、[[実業家]](+ [[1991年]])
* 1896年 - [[ロバート・C・シェリフ]]、[[劇作家]]、[[脚本家]]、[[小説家]](+ [[1975年]])
* [[1898年]] - [[ニネット・ド・ヴァロア]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付師]](+ [[2001年]])
* [[1901年]] - [[スカルノ]]、初代[[インドネシアの大統領一覧|インドネシア大統領]](+ [[1970年]])
* [[1903年]](ユリウス暦5月24日) - [[アラム・ハチャトゥリアン]]、[[作曲家]](+ [[1978年]])
* [[1904年]] - [[ヘレン・マクロイ]]、[[推理作家]](+ [[1994年]])
* [[1907年]] - [[ビル・ディッキー]]、元プロ野球選手(+ [[1993年]])
* [[1910年]] - [[フリーツィ・ブルガー]]、フィギュアスケート選手(+ [[1999年]])
* [[1912年]] - [[新田次郎]]、小説家(+ [[1980年]])
* 1912年 - [[青山杉雨]]、[[書家]](+ [[1993年]])
* [[1916年]] - [[高橋義治]]、実業家(+[[1986年]])
* [[1917年]] - [[小森邦夫]]、[[彫刻家]](+ [[1993年]])
* 1917年 - [[成田友三郎]]、元プロ野球選手(+ [[1989年]])
* [[1918年]] - [[エドヴィン・クレープス]]、[[生化学|生化学者]] (+ [[2009年]])
* [[1919年]] - [[久松保夫]]、[[俳優]]、[[声優]](+ [[1982年]])
* [[1919年]] - [[ピーター・キャリントン (第6代キャリントン男爵)]]、政治家、[[外務英連邦大臣]](+ [[2018年]])
* [[1924年]] - [[セルジュ・ニグ]]、[[作曲家]](+ [[2008年]])
* [[1925年]] - [[大滝秀治]]、俳優(+ [[2012年]])
* [[1926年]] - [[クラウス・テンシュテット]]、[[指揮者]](+ [[1998年]])
* 1926年 - [[トルステン・アンデルソン]]、[[画家]](+ [[2009年]])
* [[1927年]] - [[ピーター・スピア]]、作家、[[イラストレーター]](+ [[2017年]])
* [[1928年]] - [[中村たつ]]、[[俳優#性別での分類|女優]]
* 1928年 - [[R・D・ウィングフィールド]]、[[小説家]](+ [[2007年]])
* [[1929年]] - [[井原高忠]]、[[テレビ]][[ディレクター]](+ [[2014年]])
* 1929年 - [[長野敬]]、生物学者、翻訳家(+ [[2017年]])
* 1929年 - [[サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ]]、第15代[[クウェート]][[アミール|首長]]
* 1929年 - [[ボグスワフ・シェッフェル]]、[[作曲家]]、[[演奏家]]、[[劇作家]]、[[画家]]、[[音楽学者]](+ [[2019年]])
* [[1930年]] - [[大塚道子]]、女優、声優(+ [[2013年]])
* 1930年 - [[毛利秀雄]]、[[生物学者]]
* 1930年 - [[リップ・ホーク]]、[[プロレスラー]](+ [[2012年]])
* [[1931年]] - [[瀬川昌男]]、[[SF作家]](+ [[2011年]])
* 1932年 - [[ビリー・ホワイトロー]]、女優(+ [[2014年]])
* 1932年 - [[大森郁之助]]、日本[[近代文学]]研究者(+ [[2007年]])
* 1932年 - [[デイヴィッド・スコット]]、[[宇宙飛行士]]、空軍軍人
* [[1933年]] - [[篠沢秀夫]]、[[学習院大学]]名誉教授(+ [[2017年]])
* 1933年 - [[ハインリッヒ・ローラー]]、[[物理学者]](+ [[2013年]])
* 1933年 - [[エリ・ブロード]]、[[実業家]]、[[フィランソロピー|フィランソロピスト]](+ [[2021年]])
* [[1934年]] - [[アルベール2世 (ベルギー王)|アルベール2世]]、[[ベルギーの国王|ベルギー王]]
* 1934年 - [[山田太一 (脚本家)|山田太一]]、[[脚本家]]、小説家(+ [[2023年]])
* [[1935年]] - [[阿井利治]]、元プロ野球選手
* [[1936年]] - [[赤堀千恵美]]、料理研究家(+[[2019年]])
* 1936年 - [[内山田洋]]、作曲家([[内山田洋とクール・ファイブ]])(+ [[2006年]])
* [[1939年]] - [[ルイ・アンドリーセン]]、作曲家、[[ピアニスト]](+ [[2021年]])
* 1939年 - [[林美智子 (女優)|林美智子]]、女優
* [[1942年]] - [[那須正幹]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]] (+ [[2021年]])
* [[1943年]] - [[リチャード・スモーリー]]、[[化学者]](+ [[2005年]])
* [[1944年]] - [[久米田正明]]、実業家、ロジフレックス代表取締役社長、[[馬主]]
* 1944年 - [[フィリップ・シャープ]]、[[分子生物学|分子生物学者]]
* 1944年 - [[トミー・スミス]]、[[陸上競技]]選手
* [[1946年]] - [[堺正章]]、[[歌手]]、[[タレント]]
* 1946年 - [[中尾ミエ]]、歌手
* 1946年 - [[トニー・レヴィン]]、[[ベーシスト]]
* [[1948年]] - [[奥柿幸雄]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[前田三夫]]、高校野球指導者
* 1949年 - [[ロバート・イングランド]]、俳優
* [[1950年]] - [[渡部司]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[高原敬武]]、元[[自動車競技|レーシングドライバー]]
* [[1952年]] - [[高橋幸宏]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]](+ [[2023年]])
* 1952年 - [[ウガンダ・トラ]]、[[タレント]]、[[ドラマー]](+ [[2008年]])
* 1952年 - [[ハーヴェイ・ファイアスタイン]]、俳優、[[作家]]、[[歌手]]
* [[1953年]] - [[大河原栄]]、元プロ野球選手
* [[1954年]] - [[笹原忠義]]、実業家、元アナウンサー(+ [[2014年]])
* [[1955年]] - [[クリス・ナイマン]]、元プロ野球選手
* 1955年 - [[竹口幸紀]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[ビョルン・ボルグ]]、元プロ[[テニス]]選手
* [[1957年]] - [[三輪修平]]、[[漫画家]]
* 1957年 - [[小河原智子]]、似顔絵アーティスト、漫画家、イラストレーター
* 1957年 - [[大島映二]]、将棋棋士
* 1957年 - [[マックス・ベナブル]]、元プロ野球選手
* [[1959年]] - [[山本ゆか里]]、女優、元アイドル
* [[1960年]] - [[小川史]]、元プロ野球選手
* 1960年 - [[スティーヴ・ヴァイ]]、[[ギタリスト]]
* [[1961年]] - [[山本和彦]]、法学者、大学教授
* 1961年 - [[小夏ゆみこ]]、女優、声優
* 1961年 - [[トム・アラヤ]]、ミュージシャン([[スレイヤー]])
* [[1962年]] - [[是枝裕和]]、映画監督
* 1962年 - [[高仁秀治]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[ジェイソン・アイザックス]]、俳優
* 1963年 - [[宮島大典]]、政治家
* [[1965年]] - [[緒方恵美]]、声優
* 1965年 - [[久保田修 (作曲家)|久保田修]]、作曲家、[[ピアニスト]]
* 1965年 - [[高橋秀幸 (プロレスラー)|高橋秀幸]]、プロレスラー
* 1965年 - [[広瀬治]]、元[[サッカー選手]]
* 1965年 - [[丸谷佳織]]、政治家
* [[1966年]] - [[木谷高明]]、実業家、[[ブロッコリー (企業)|株式会社ブロッコリー]]及び[[ブシロード|株式会社ブシロード]][[創業者]]
* 1966年 - [[フォール・ニャシンベ]]、政治家、[[トーゴの大統領一覧|トーゴ大統領]]
* 1966年 - [[アンソニー・イエボア]]、サッカー選手
* [[1967年]] - [[吉田小南美]]、声優
* 1967年 - [[寺尾英子]]、アナウンサー
* 1967年 - [[菊地英二]]、ドラマー([[THE YELLOW MONKEY]])
* 1967年 - [[ポール・ジアマッティ]]、俳優
* [[1968年]] - [[桜井秀俊]]、ミュージシャン([[真心ブラザーズ]])
* 1968年 - [[山本ゆかり]]、歌手
* [[1969年]] - [[五島良子]]、歌手
* [[1970年]] - [[垣内哲也]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[横尾太郎]]、[[ゲームクリエイター]]、[[漫画原作者]]
* [[1971年]] - [[両國宏]]、俳優、元[[大相撲]][[力士]]
* 1971年 - [[大島直也]]、タレント、[[お笑いタレント|お笑い芸人]](元[[ドロンズ]])
* 1971年 - [[土肥ポン太]]、お笑い芸人(元[[スキヤキ (お笑いコンビ)|スキヤキ]])
* 1971年 - [[風花舞]]、女優
* [[1972年]] - [[ジェフ・ウィリアムス]]、元プロ野球選手
* 1972年 - [[葛西紀明]]、スキージャンプ選手
* [[1973年]] - [[アヒト・イナザワ]]、ミュージシャン([[VOLA&THE ORIENTAL MACHINE]]、元[[NUMBER GIRL]]、元[[ZAZEN BOYS]])
* 1973年 - [[根本隆輝]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[沼田浩]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[武藤孝司]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[田中ロミオ]]、ゲームシナリオライター、小説家
* [[1974年]] - [[小澤征悦]]、俳優、タレント、コメンテーター
* 1974年 - [[高橋竜彦]]、プロゴルファー
* 1974年 - [[ダラス・トーラー=ウェイド]]、ミュージシャン
* [[1975年]] - [[豊本明長]]、お笑い芸人([[東京03]])
* 1975年 - [[陳綺貞]](チアー・チェン)、シンガーソングライター
* [[1976年]] - [[小峠英二]]、お笑い芸人([[バイきんぐ]])
* 1976年 - [[SHIHO (ファッションモデル)|SHIHO]]、モデル
* 1976年 - [[筒井敦史]]、競輪選手
* [[1977年]] - [[クリストファー・ライト]]、元プロ野球選手
* [[1979年]] - [[尾羽智加子]]、女優
* [[1980年]] - [[椎橋寛]]、[[漫画家]]
* 1980年 - [[ルイス・トーレス]]、プロ野球選手
* 1980年 - [[マット・ベライル]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[宮﨑大輔]]、[[ハンドボール]]選手
* 1981年 - [[雨宮奈生]]、グラビアアイドル
* 1981年 - ヤノマサシ、ドラマー([[POLYSICS]])
* [[1982年]] - [[大坂俊介]]、元俳優、元歌手
* [[1983年]] - [[椎橋和義]]、声優
* 1983年 - [[郭敬明]]、作家
* 1983年 - [[ミカエル・クローン=デリ]]、サッカー選手
* 1983年 - [[ジャンナ・マイケルズ]]、ポルノ女優
* [[1984年]] - [[角田智美 (アナウンサー)|角田智美]]、フリーアナウンサー
* 1984年 - [[高橋圭子]]、元アナウンサー
* 1984年 - [[高橋直也 (サッカー選手)|高橋直也]]、サッカー選手
* 1984年 - [[天宮まなみ]]、元[[AV女優]]
* 1984年 - [[孫思音]]、元フィギュアスケート選手
* 1984年 - [[エミリアーノ・フルート]]、元プロ野球選手
* [[1985年]] - [[斉川あい]]、元女優、元[[モデル (職業)|モデル]]
* 1985年 - [[平山相太]]、元[[サッカー]]選手
* 1985年 - [[トリスタン・マグナソン]]、元プロ野球選手
* [[1986年]] - [[田澤純一]]、プロ野球選手
* 1986年 - [[山本奈知]]、競輪選手
* 1986年 - [[藤原虹気]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[于小洋]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1986年 - [[和田直也]]、作曲家
* 1986年 - [[キム・ヒョンジュン (1986年生)|キム・ヒョンジュン]]、俳優
* [[1987年]] - [[夏目佳奈]]、タレント
* 1987年 - [[津田麻莉奈]]、歌手、タレント(元[[SDN48]])
* 1987年 - [[カッシオ・ロベルト・ラモス|カッシオ]]、サッカー選手
* [[1988年]] - [[斎藤佑樹]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[ジェレミー・ゴールド]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[宮坂翔]]、サッカー選手
* 1988年 - [[アレクセイ・ロゴノフ]]、フィギュアスケート選手
* 1988年 - 嘉央桑珠、俳優
* [[1989年]] - [[輝馬]]、俳優
* 1989年 - 黒坂優香子、モデル、歌手([[SILENT SIREN]])
* 1989年 - [[豊田沙希]]、元[[ストリップティーズ|ストリッパー]]、AV女優、[[ヌードモデル]]
* [[1990年]] - [[尾崎礼香]]、女優、タレント、グラビアアイドル
* 1990年 - [[田井中茉莉亜]]、元グラビアアイドル
* 1990年 - [[マイク・G]]、ラッパー
* 1990年 - [[ライアン・ヒガ]]、[[コメディアン]]
* 1990年 - [[山本徹矢]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[工藤由夢]]、元サッカー選手
* 1990年 - [[ヴィド・ベレツ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ギャヴィン・ホイト]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[米沢瑠美]]、元アイドル(元[[AKB48]])
* 1991年 - [[ソン・ドンウン]]、歌手
* 1991年 - [[石橋良太]]、プロ野球選手
* 1991年 - [[山田隼也 (ハンドボール)|山田隼也]]、ハンドボール選手
* [[1992年]] - [[村上愛]]、元歌手、元アイドル、元タレント(元[[℃-ute]])
* 1992年 - [[キム・ヒョナ]]、歌手
* 1992年 - [[鈴木侑輝]]、俳優
* 1992年 - [[悠木ゆうか]]、グラビアアイドル
* 1992年 - [[駒井善成]]、サッカー選手
* 1992年 - [[中原大樹]]、元プロ野球選手
* [[1993年]] - [[田中あさみ]]、元ファッションモデル、元女優
* [[1994年]] - [[野津田岳人]]、サッカー選手
* 1994年 - [[松田恵里]]、プロボクサー
* 1994年 - [[村田詩歩]]、元プロ野球選手
* 1994年 - [[屋比久知奈]]、女優
* [[1995年]] - [[坂井聖人]]、競泳選手
* 1995年 - [[ユリアン・グリーン]]、サッカー選手
* [[1996年]] - [[桑山聖生]]、ラグビー選手
* 1996年 - [[井上祐貴]]、俳優
* [[1997年]] - [[山口茜 (バドミントン選手)|山口茜]]、バドミントン選手
* 1997年 - [[村西良太]]、プロ野球選手
* 1997年 - [[薮正紘]]、俳優
* 1997年 - 千葉 、ギタリスト、YouTuber(元[[夕闇に誘いし漆黒の天使達]])
* [[1999年]] - [[中村奨成]]、プロ野球選手
* 1999年 - [[徳山壮磨]]、プロ野球選手
* [[2000年]] - [[ヘチャン]]、アイドル([[NCT (音楽グループ)|NCT]])
* 2000年 - [[Vaundy]]、ミュージシャン
* 2000年 - [[中川莉奈]]、元プロ野球選手
* [[2001年]] - [[山崎嶺緒]]、ファッションモデル
* [[2002年]] - [[柳瀬楓菜]]、サッカー選手
* 2002年 - 長谷みこと、アイドル([[GEMS COMPANY]])、Vtuber
* [[2007年]] - [[葉月にこ]]、アイドル
* 生年不明 - [[藤丞めぐる]]、漫画家
* 生年不明 - [[あかつき美邑]]、漫画家、イラストレーター
* 生年不明 - [[バーニア600]]、イラストレーター、漫画家
* 生年不明 - [[岩井勇一郎]]、ミュージシャン([[New Cinema 蜥蜴]]、[[三枝夕夏 IN db]])
* 生年不明 - [[ダミアン浜田]]、ギタリスト([[聖飢魔II]])
* 生年不明 - [[TSUKASA (歌手)|TSUKASA]]、歌手
* 生年不明 - [[三重野帆貴]]、声優
* 生年不明 - [[佐野愛]]、声優
* 生年不明 - [[福沙奈恵]]、声優
* 生年不明 - [[広深香菜]]、声優
* 生年不明 - [[斎藤恵理 (気象予報士)|斎藤恵理]]、気象予報士
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1994年]] - [[メイセイオペラ]]、[[競走馬]](+ [[2016年]])
* [[2011年]] - [[アドマイヤデウス]]、競走馬(+ [[2017年]])
{{-}}
== 忌日 ==
[[ファイル:حرم امام رضا (ع) - صحن انقلاب.jpg|サムネイル|[[アリー・リダー]](766-818)没。画像は[[マシュハド]]|180x180ピクセル]]
{{multiple image
| caption1 = [[ポーランド]]の将軍[[ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ]](1755-1818)没
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| caption2 = [[ジェレミ・ベンサム]](1748-1832)没。画像は英国[[ロンドン大学]]にあるベンサムの[[ミイラ]]
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}}
[[Image:H%C3%B6lderlinturmT%C3%BCbingen.jpg|thumb|詩人[[フリードリヒ・ヘルダーリン]](1770-1843)没。画像はヘルダーリン塔。|180x180ピクセル]]
[[Image:Ysk2.jpg|thumb|255x255px|[[中華民国]]の初代大統領、[[袁世凱]](1859-1916)]]
[[Image:Last_Moments_of_Admiral_Yamaguchi.jpg|thumb|海軍中将[[山口多聞]](1892-1942)、[[ミッドウェー海戦]]で戦死|180x180ピクセル]]
[[Image:Hiram_Bingham_at_Machu_Picchu_ruins_1911.jpg|thumb|269x269px|[[マチュ・ピチュ]]遺跡(画像)を発見した探検家[[ハイラム・ビンガム]](1875-1956)]]
[[Image:CarlJungStatueLiverpool.jpg|thumb|[[心理学]]者[[カール・グスタフ・ユング]](1875-1961)|180x180ピクセル]]
* [[818年]] - [[アリー・リダー]]、[[イスラム教]][[シーア派]][[十二イマーム派]]の第8代[[イマーム]](* [[766年]])
* [[823年]]([[弘仁]]14年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[文室綿麻呂]]、公卿、[[征夷大将軍]](* [[765年]])
* [[1184年]]([[元暦]]元年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[源義高 (清水冠者)|源義高]]、武将(* [[1173年]]?)
* [[1185年]](元暦2年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[平能宗]]、武将(* [[1178年]]?)
* [[1393年]]([[明徳]]4年4月26日) - [[後円融天皇]]、北朝第5代[[天皇]](* [[1359年]])
* [[1473年]]([[文明 (日本)|文明]]6年[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]) - [[細川勝元]]、[[室町幕府]]の[[管領]]、[[応仁の乱]]の東軍総大将(* [[1519年]])
* [[1620年]]([[元和 (日本)|元和]]6年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[足利氏姫]]、最後の[[古河公方]](* [[1574年]])
* [[1638年]]([[寛永]]15年4月24日) - [[堀利重]]、初代[[玉取藩|玉取藩主]](* [[1581年]])
* [[1670年]]([[寛文]]10年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[大久保忠職]]、[[唐津藩|唐津藩主]](* [[1604年]])
* [[1695年]]([[元禄]]8年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - [[松平直矩]]、[[村上藩|村上藩主]](* [[1642年]])
* [[1716年]]([[正徳 (日本)|正徳]]6年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[公弁法親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1669年]])
* [[1722年]]([[享保]]7年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[内藤政貞]]、第3代[[湯長谷藩|湯長谷藩主]](* [[1685年]])
* [[1729年]](享保14年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]) - [[松平義真]]、第3代[[梁川藩|梁川藩主]](* [[1714年]])
* [[1769年]]([[明和]]5年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[板倉勝澄]]、第2代[[伊勢亀山藩|伊勢亀山藩主]](* [[1719年]])
* [[1783年]]([[天明]]3年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[松浦宝]]、[[平戸藩#支藩|平戸新田藩主]](* [[1749年]])
* [[1799年]] - [[パトリック・ヘンリー]]、[[アメリカ独立宣言|アメリカ独立運動]]指導者、[[バージニア州知事]](* [[1736年]])
* [[1818年]] - [[ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ]]、[[ポーランド]]の軍人(* [[1755年]])
* [[1824年]]([[文政]]7年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]) - [[松平頼前]]、第7代[[常陸府中藩|常陸府中藩主]](* [[1743年]])
* [[1832年]] - [[ジェレミ・ベンサム]]、[[法学者]](* [[1748年]])
* [[1836年]] - [[アントン (ザクセン王)|アントン]]、第2代[[ザクセン君主一覧|ザクセン王]](* [[1755年]])
* [[1843年]] - [[フリードリヒ・ヘルダーリン]]、[[詩人]]、[[思想家]](* [[1770年]])
* [[1844年]]([[天保]]15年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[松崎慊堂]]、[[儒学者]](* [[1771年]])
* [[1851年]]([[嘉永]]4年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[内田正道]]、第7代[[小見川藩|小見川藩主]](* [[1828年]])
* [[1860年]]([[万延]]元年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[細川斉護]]、第10代[[熊本藩|熊本藩主]](* [[1804年]])
* [[1861年]] - [[カミッロ・カヴール|カミッロ・ベンソ・ディ・カヴール]]、[[イタリア王国]]初代首相(* [[1810年]])
* [[1865年]] - [[ウィリアム・クァントリル]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[西部開拓時代]]の[[ゲリラ]]部隊隊長(* [[1837年]])
* [[1881年]] - [[アンリ・ヴュータン]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1820年]])
* [[1891年]] - [[ジョン・A・マクドナルド]]、初代・第3代[[カナダの首相|カナダ首相]](* [[1815年]])
* [[1893年]] - [[寺島宗則]]、外交官(* [[1832年]])
* [[1903年]] - [[清沢満之]]、[[哲学|哲学者]](* [[1863年]])
* 1903年 - [[藤井宣正]]、[[宗教家]]、[[探検家]](* [[1859年]])
* [[1916年]] - [[袁世凱]]、[[中華民国]]初代大総統(* [[1859年]])
* [[1919年]] - [[井上円了]]、[[東洋大学]]創設者(* [[1858年]])
* [[1925年]] - [[ピエール・ルイス]]、[[小説家]](* [[1870年]])
* [[1936年]] - [[イーモン・ダガン]]、[[アイルランド自由国]]上院議員(* [[1874年]])
* [[1943年]] - [[中村不折]]、[[洋画家]]、[[書家]](* [[1866年]])
* [[1945年]] - [[渡辺静 (野球)|渡辺静]]、[[プロ野球選手]](* [[1923年]])
* [[1946年]] - [[ゲアハルト・ハウプトマン]]、[[劇作家]](* [[1862年]])
* [[1948年]] - ルイ・リュミエール、[[リュミエール兄弟]]の弟(* [[1864年]])
* [[1956年]] - [[ハイラム・ビンガム3世]]、[[探検家]]、元[[コネチカット州知事]]、元上院議員、インディジョーンズ(* [[1875年]])
* [[1960年]] - [[村松孝一]]、[[フルート]]製作者(* [[1898年]])
* [[1961年]] - [[カール・グスタフ・ユング|カール・ユング]]、[[心理学者]](* [[1875年]])
* [[1962年]] - [[イヴ・クライン]]、[[画家]](* [[1928年]])
* [[1967年]] - [[磯谷廉介]]、元[[香港総督#歴代香港総督の一覧|香港占領地総督]](* [[1886年]])
* [[1968年]] - [[ロバート・ケネディ]]、元[[アメリカ合衆国司法長官]]、上院議員(* [[1925年]])
* [[1976年]] - [[デビッド・ジェイコブズ]]、陸上競技選手(* [[1888年]])
* [[1975年]] - [[大島浩]]、駐[[ナチス・ドイツ|ドイツ]][[特命全権大使]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]中将(* [[1886年]])
* [[1977年]] - [[筑波雪子]]、[[俳優|女優]](* [[1906年]])
* [[1987年]] - [[森茉莉]]、小説家(* [[1903年]])
* [[1990年]] - [[関種子]]、[[ソプラノ歌手]](* [[1907年]])
* [[1991年]] - [[川崎千春]]、[[京成電鉄]]元社長、[[オリエンタルランド]]元社長(* [[1903年]])
* 1991年 - [[スタン・ゲッツ]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン]]奏者(* [[1927年]])
* [[1993年]] - [[小谷正雄]]、分子物理学者(* [[1906年]])
* [[1996年]] - [[ジョージ・スネル]]、[[生理学者]](* [[1903年]])
* [[1997年]] - [[戸倉勝城]]、元プロ野球選手(* [[1914年]])
* 1997年 - [[三木鮎郎]]、[[ジャズ]][[評論家]]、[[司会者]](* [[1924年]])
* [[1999年]] - [[徳川宗賢]]、[[言語学|言語学者]](* [[1930年]])
* [[2000年]] - [[梶山静六]]、[[政治家]](* [[1926年]])
* [[2001年]] - [[ダグラス・リルバーン]]、[[作曲家]](* [[1915年]])
* 2001年 - [[来栖良夫]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](* [[1916年]])
* [[2002年]] - [[ロビン・クロスビー]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[ギタリスト]](元[[ラット (バンド)|ラット]])(* [[1959年]])
* [[2003年]] - [[ケン・グリムウッド]]、[[SF作家]]、[[ファンタジー]]作家(* [[1944年]])
* [[2005年]] - [[アン・バンクロフト]]、女優(* [[1931年]])
* 2005年 - [[ジークフリート・パルム]]、[[チェリスト]](* [[1927年]])
* [[2006年]] - [[ビリー・プレストン]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1946年]])
* 2006年 - [[大東両]]、[[紙切り師]]、[[浪曲|浪曲師]](* [[1929年]])
* [[2008年]] - [[野田昌宏]]、SF作家(* [[1933年]])
* 2008年 - [[関光徳]]、[[プロボクサー]](* [[1941年]])
* 2008年 - [[氷室冴子]]、小説家(* [[1957年]])
* [[2012年]] - [[寬仁親王]]、[[皇族]](* [[1946年]])
* [[2013年]] - [[なだいなだ]]、[[精神科医]]、小説家(* [[1929年]])
* [[2016年]] - [[ヴィクトール・コルチノイ]]、[[チェスプレーヤーの一覧|チェスプレーヤー]](* [[1931年]])
* [[2017年]] - [[田原桂一]]、[[写真家]](* [[1951年]])
* [[2019年]] - [[田辺聖子]]、[[小説家]](* [[1928年]])
* 2019年 - [[ドクター・ジョン]]<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-48551452 |title=Dr John: Grammy-winning musician dies at 77 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[BBC]] NEWS |date=7 Jun 2019}}</ref>、[[ミュージシャン]](* [[1941年]])
* [[2020年]] - [[黒川照家]]、ギタリスト(元[[オメガトライブ|1986オメガトライブ]])(* [[1951年]])
* [[2021年]] - 荒川克郎<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202106/0014399441.shtml |title=神戸新聞元社長 荒川克郎氏死去 95歳 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[神戸新聞]]NEXT}}</ref>、ジャーナリスト、元[[神戸新聞社]]社長(* [[1926年]])
* 2021年 - [[根岸英一]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE11EP90R10C21A6000000/ |title=根岸英一さん死去 85歳、ノーベル化学賞 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=12 Jun 2021 |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>、[[化学者]](* [[1935年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[File:The_Entry_of_King_Gustav_Vasa_of_Sweden_into_Stockholm_-_color.jpg|thumb|180x180px|スウェーデンの建国記念日。1523年にカルマル同盟から離脱し[[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]が即位]]
[[File:Traditional_indonesian_instruments.jpg|thumb|180x180px|楽器の日。画像はインドネシアの[[ガムラン]]楽器]]
[[File:Japanese small hand drum,kotsudumi,katori-city,japan.JPG|thumb|180x180px|楽器の日、邦楽の日。画像は日本の[[鼓]]]]
[[File:Red_Prunus_Korin.jpg|thumb|180x180px|梅の日。画像は[[尾形光琳]]『紅白梅図屏風』]]
* [[芒種]]({{JPN}} 2010年・2011年)
*: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が75度の時で、芒(のぎ)を持った植物の種をまく頃。
* [[建国記念日]] ({{SWE}})
*: [[1523年]]6月6日、スウェーデンが[[カルマル同盟]]から離脱して独立の国家となったことを記念。
* [[顕忠日|顯忠節]]({{KOR}})
*: 独立運動や戦争で祖国のために亡くなった殉国者を追悼する日。
* [[教師の日]]({{BOL}})
* [[ハンチントン病]]啓発の日({{USA}})
* 全国アイケアデー({{PRC}})
* [[楽器]]の日({{JPN}})
*: [[全国楽器協会]]が[[1970年]]に制定。芸事の手習いは6歳の6月6日{{efn|古来から旧暦の[[6月6日 (旧暦)|6月6日]]が「芸事始め」とされていたが、明治の[[明治改暦|改暦]]以降は太陽暦の6月6日にシフトした。}}から始めると上達すると言われていることから<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.stat.go.jp/naruhodo/c3d0606.html |title=今日は何の日? 6月6日 楽器の日 |work=なるほど統計学園 |publisher=総務省統計局 |accessdate=6 Aug 2023 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180625213209/http://www.stat.go.jp/naruhodo/c3d0606.html |archive-date=25 Jun 2018}}</ref>。
* [[邦楽]]の日({{JPN}})
*: 東京邦楽器商協会(現 東京邦楽器商工業協同組合)が[[1985年]]に制定。理由は楽器の日と同じ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyochuokai.or.jp/jiyoho/kinenbi/k_hogaku.html |title=6月6日は、邦楽の日です |publisher=東京都中小企業団体中央会 |accessdate=6 Aug 2023}}</ref><ref name="kyokai"/>。
* [[生け花|いけばな]]の日({{JPN}})
*: 公益財団法人日本いけばな芸術協会が制定。いけばなの技術習得だけでなく、花に直接触れることで、人間性を豊かにしてもらいたいとの願いから。日付は古くから「芸事の稽古始めは6歳の6月6日から」といることにちなむ<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=191|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
* らっきょうの日({{JPN}})
*: [[栃木県]][[栃木市]]の[[岩下食品]]株式会社が制定。古来、漢方にも使われてきた[[ラッキョウ|らっきょう]]を、多くの人楽しんでもらうのが目的。日付は、この時期がらっきょうの旬で、漢字の「六」が根菜であるらっきょうが土の中で育つイメージがあることと、数字の「6」がらっきょうの形に似ていることから<ref name="名前なし-pQGw-1">{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=194|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
* 飲み水の日({{JPN}})
*: [[東京都薬剤師会]]公衆衛生委員会が[[1990年]]に制定。[[世界環境デー]]の翌日。
* 大麦の日({{JPN}})
*: 日本で初めて[[オオムギ|大麦]]を使った洋菓子ダクワーズを開発した株式会社大麦工房ロアが制定。大麦の魅力を広く伝えるのが目的。日付は、麦秋の季節である6月と、大麦を「0(オー)6(麦)」読むのを組み合わせて6月6日に<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=192|isbn=978-4422021140}}</ref>。
* [[ウメ|梅]]の日({{JPN}})
*: [[1545年]]6月6日([[天文 (元号)|天文]]14年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]])、京都・[[賀茂御祖神社]](下鴨神社)と[[賀茂別雷神社]](上賀茂神社)の例祭『[[葵祭]]』で[[後奈良天皇]]が梅を奉納したところ、とたんに恵みの雨が降って五穀豊穣をもたらしたという故事に因み、梅の産地である[[和歌山県]][[田辺市]]の「紀州梅の会」が制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.syokuryou-shinbun.com/pages/623/ |title=2019年6月10日号 6月6日は「梅の日」 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=株式会社食料新聞社}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.minabe.lg.jp/docs/2013093000015/ |title=梅の日 |publisher=和歌山県みなべ町 |date=6 Jun 2022 |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>。
*ロムの日({{JPN}})
*: ROM(ロム)の書き込み業務を行う[[埼玉県]][[新座市]]の株式会社ロムテックが制定。ROMについて多くの人に知ってもらうのが目的。日付は、6と6で「ロム」の語呂合わせから<ref name="名前なし-pQGw-1"/>。
* 山形さくらんぼの日({{JPN}})
*: [[全国農業協同組合連合会|JA全農]]山形及び山形県が2013年に制定<ref>{{Cite web|和書|url=http://yamagata-np.jp/news/201306/08/kj_2013060800206.php |title=6月6日は「山形さくらんぼの日」 JA申請、認定受ける |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[山形新聞]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130611101244/http://yamagata-np.jp/news/201306/08/kj_2013060800206.php |archive-date=11 Jun 2013 |date=8 Jun 2013}}</ref>。なお、山形県寒河江市では1990年に6月の第3日曜日を「寒河江市さくらんぼの日」に制定している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.sagae.yamagata.jp/shisei/keikaku/kyoikubunkakeikaku/kyouiku_shinko.files/kyoiku_jyosyo.pdf |title=寒河江市教育振興計画(改訂版) 序章・寒河江市のすがた |page=5 |publisher=寒河江市 |format=[[PDF]] |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>。
* [[補聴器]]の日({{JPN}})
*: 全国補聴器メーカー協議会(現 日本補聴器工業会)及び全国補聴器販売店協会が[[1999年]]に制定し、[[2000年]]から実施<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hochouki.com/about/history.html |title=沿革|日本補聴器工業会とは |publisher=一般社団法人 日本補聴器工業会 |accessdate=6 Aug 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jhida.org/about/history.php |title=協会の沿革|一般社団法人日本補聴器販売店協会 |publisher=一般社団法人日本補聴器販売店協会 |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>。6を2つ向かい合わせにすると[[耳]]の形に見えることから。同様の理由で[[3月3日]]が「[[耳の日]]」になっている。
* ローカロリーな食生活の日({{JPN}})
*: 株式会社アイケイが制定。毎日の食事のカロリーに興味を持つことで、賢く健康的な食生活を送ってもらうことが目的。日付は、「ロー(6)カロ(6)リー」の語呂合わせと「無理(6月)をしない、無駄(6日)に[[カロリー]]を摂取しない」との意味から<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=193|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
* [[ロールケーキ]]の日({{JPN}})
*: 小倉ロールケーキ研究会が制定。ロールケーキの「ロ」の音と、「6」の形がロールケーキの巻いている形状に見えることから<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.koho.or.jp/information/topics/2008/0620.html |title=「ロールケーキの日」に東京でPR/北九州市(2008年6月20日) |publisher=[[日本広報協会]] |accessdate=6 Aug 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000799682.pdf |title=創作ロールケーキコンテスト2018 参加者募集 |publisher=北九州市 |accessdate=6 Aug 2023 |format=[[PDF]]}}</ref>。
* [[ワイパー]]の日({{JPN}})
*: 日本ワイパーブレード連合会が制定。6月はワイパーがよく使われる[[梅雨]]の時期であり、ワイパーは2本1組であることから同じ数字が並ぶこの日を記念日とした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nitto-kogyo.co.jp/wiper2.html |title=【今日はなんの日?】ワイパーの日 |publisher=[[メディア・ヴァーグ|mediavague Co., ltd.]] |accessdate=6 Aug 2023 |date=6 Jun 2019 |website=くるまのニュース}}</ref>。
* [[吹き戻し]]の日({{JPN}})
*: 株式会社吹き戻しの里の申請により日本記念日協会が2016年9月に登録。「吹き戻し」の形が「6」に似ていることから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukimodosi.org/about/ |title=吹き戻しについて |access-date=6 Aug 2023 |publisher=株式会社吹き戻しの里}}</ref>。
* [[カエル|かえる]]の日({{JPN}})
*: 作家・[[矢島さら]]が[[1998年]]に制定。かえるの鳴き声「けろ(6)けろ(6)」の語呂合せ<ref name="kyokai">{{cite book|和書|title=すぐに役立つ366日記念日事典|author=加瀬清志|editor=日本記念日協会|publisher=創元社|year=2009|page=101}}</ref>。
* [[兄]]の日({{JPN}})
*:姉妹型・兄弟型の研究者、[[畑田国男]]により制定<ref name="kyokai" />。ちなみに[[3月6日]]は「[[弟]]の日」、[[9月6日]]は「[[妹]]の日」、[[12月6日]]は「[[姉]]の日」である。
* おけいこの日({{JPN}})
*:昔から6月6日は習い事を始めるのに良い日とされている。現に「楽器の日」・「邦楽の日」・「いけばなの日」などのお稽古の日と正式に定めている。
* 恐怖の日
*:キリスト教の聖典『新約聖書』の中で、世界の終末を描いた『ヨハネの黙示録』に「[[獣の数字]]」として登場する「[[666]]」に因む。
* ナショナル・[[ヨーヨー]]・デー({{USA}})
*: ヨーヨーを世界的に有名にした{{仮リンク|ドナルド・F・ダンカン|en|Donald F. Duncan Sr.}}の誕生日であることから<ref>{{Cite web |url=https://www.si.edu/spotlight/yo-yo |title=National Yo-Yo Day: June 6 |publisher=Smithsonian Institution |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>。なお、日本では日本ヨーヨー協会が1998年に[[4月4日]]を「ヨーヨーの日」に制定している<ref>{{Cite web|和書|url=http://jyya.com/topics_news/1115/ |title=4月4日はヨーヨーの日 |publisher=JYYA 日本ヨーヨー協会 |date=4 Apr 2016 |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0606|date=Aug 2023}}
* 1832年 - [[ジャン・マクシミリアン・ラマルク|ラマルク将軍]]の死にともない、[[パリ]]のラ・シャンヴルリー通りで発生した[[共和制|共和派]]の[[暴動]]がフランス政府により鎮圧される。(『[[レ・ミゼラブル]]』)
* 年不明 - 月曜日、未明にヨーク・ハッターの実験室から出火。(小説『[[Yの悲劇]]』第1幕第6場)
* 1991年 - [[モスクワ]]、チェルノートン研究所にて謎の大爆発。細菌兵器「ルシファーα」の拡散による[[バイオハザード]]発生。(ゲーム『[[スナッチャー]]』)
* 1995年 - ベルカ戦争中、ベルカが自国領内で7つの核を起爆させる。(ゲーム『[[エースコンバット・ゼロ ザ・ベルカン・ウォー]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 1957年 - [[山口六平太]]、漫画『[[総務部総務課山口六平太]]』の主人公
* 1971年 - カゲ(影丸)、ゲーム『[[バーチャファイター]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://vc.sega.jp/vc_vf2/w_kage.html |title=カゲ(影丸) |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]] |work=『バーチャファイター2』}}</ref>
* 1971年 - ダミアン・ソーン、1976年製作の映画『[[オーメン]]』の主人公(1981年製作の映画『[[オーメン/最後の闘争]]』ではすでに32歳という設定)
* 1972年 - 火口卿介、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=大場つぐみ|authorlink1=大場つぐみ|author2=小畑健|authorlink2=小畑健|year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 28 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4-08-874095-9 }}</ref>
* 1998年 - 神鍋歩夢、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|nankagun|1004137292233994240}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=7|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=259|isbn=978-4-7973-9550-1}}</ref>
* 2001年 - [[碇シンジ]]、漫画・アニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』の主人公<ref>{{Cite book |和書 |author=特務機関調査プロジェクトチーム|year=1997 |title=新世紀エヴァンゲリオン完全解体全書―新たなる謎と伝説 |page=194 |publisher=[[青春出版社]] |isbn= 978-4-413-03073-1}}</ref>
* N.E.1999年 - 五十嵐一輝、[[仮面ライダーシリーズ]]『[[仮面ライダーリバイス]]』の主人公のひとり
* 生年不明 - 桂木桂馬、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |title=神のみぞ知るセカイ |date=16 Jul 2008 |publisher=[[小学館]] |page=14 |author=[[若木民喜]] |volume=1}}</ref>
* 生年不明 - [[きんいろモザイク#大宮忍|大宮忍]]、漫画・アニメ『[[きんいろモザイク]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=原悠衣|authorlink=原悠衣|year=2013|title=きんいろモザイク画集 〜ひみつのきんいろモザイク〜|publisher=[[芳文社]]|isbn=978-4-8322-4344-6}}</ref>
* 生年不明 - 焔魔堂ろくろ、漫画・アニメ『[[双星の陰陽師]]』の主人公<ref>{{Twitter status|sousei_PR|739471967254806529}}</ref>
* 生年不明 - シオン(芦森詩音) - アニメ・映画『[[アイの歌声を聴かせて]]』の主人公<ref>{{Twitter status|ainouta_movie|1470619559820283907}}</ref>
* 生年不明 - [[りぶねす#甲斐堂哲郎|甲斐堂哲郎]]、漫画『[[りぶねす]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=堂本裕貴|authorlink=堂本裕貴|year=2018|title=りぶねす|volume=10巻|page=192|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社コミックス]]|isbn=978-4-06-511272-4}}</ref>
* 生年不明 - 水無月遥、パチスロ・アニメ・漫画『[[快盗天使ツインエンジェルシリーズ]]』の主人公のひとり<ref>{{Cite web|和書|url=http://twin-angel.com/chara.html |title=メインキャラ レッドエンジェル 水無月遥 |work=『快盗天使ツインエンジェル』 |publisher=[[サミー|Sammy]] |accessdate=6 Aug 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150523101523/http://twin-angel.com/chara.html |archivedate=23 May 2015}}</ref>
* 生年不明 - いけのカンがえる、ベネッセの教材『[[進研ゼミ小学講座|チャレンジ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sgaku.benesse.ne.jp/sho/all/others/korasho/chara.shtml |title=いけのカンがえる |publisher=[[ベネッセコーポレーション|Benesse Corporation.]] |accessdate=6 Aug 2023 |work=コラショと なかまたち!}}</ref>
* 生年不明 - いけのぞうた、ベネッセの教材『[[こどもちゃれんじ]]』、アニメ『[[しまじろうヘソカ]]』『[[しまじろうのわお!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kodomochallenge|208377572466237440}}</ref>
* 生年不明 - トラハムくん、トラハムちゃん、漫画・アニメ『[[とっとこハム太郎 (アニメ)|とっとこハム太郎]]』に登場するハムスターの兄妹<ref>{{Cite web|和書|url=https://sho.jp/hamutaro/chara/torahamukun |title=トラハムくん 【ハム太郎の楽しい仲間たち ご紹介】 |access-date=6 Aug 2023 |work=『とっとこハム太郎』 |publisher=[[河井リツ子]]・[[小学館]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://sho.jp/hamutaro/chara/torahamuchan |title=トラハムちゃん 【ハム太郎の楽しい仲間たち ご紹介】 |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[河井リツ子]]・[[小学館]] |work=『とっとこハム太郎』}}</ref>
* 生年不明 - ベリー、[[サンリオ]]『[[ルロロマニック]]』のキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/characters/lloromannic/ |title=誕生日 ベリー |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[サンリオ|株式会社サンリオ]] |work=『ルロロマニック』}}</ref>
* 生年不明 - [[HUNTER×HUNTERの登場人物#ヒソカ|ヒソカ=モロウ]]、漫画・アニメ『[[HUNTER×HUNTER]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=冨樫義博|authorlink=冨樫義博|year=2004|title=HUNTER×HUNTER ハンター協会 公式発行 ハンターズ・ガイド キャラクター&ワールドオフィシャルデータブック|page=102|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=4-08-873701-6}}</ref>
* 生年不明 - ゴースト骨塚、漫画・アニメ『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=[[高橋和希]]|title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書|publisher=集英社|series=Vジャンプブックス|year=2015|page=107|isbn=978-4-08-779722-0}}</ref>
* 生年不明 - カルマ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/anime/character/characters/Karma |title=カルマ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=6 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - 業頭、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref name="naruto">{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=45|publisher=[[集英社]]|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-873288-X}}</ref>
* 生年不明 - 冥頭、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター<ref name="naruto" />
* 生年不明 - [[神田ユウ]]、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|year=2004|title=D.Gray-man|volume=第2巻|page=24|publisher=[[集英社]]|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-873760-1}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|year=2008|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃|page=26|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-874248-9}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|title=D.Gray-man キャラクター ランキングブック キャラグレ!|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2011|pages=24,29|isbn=978-4-08-870268-1}}</ref>
* 生年不明 - 金田一勇太郎、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!|ハイキュー‼︎]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2012|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-870482-1|quote=|date=|volume=2巻|page=174}}</ref>
* 生年不明 - 真戸暁、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2013|title=東京喰種トーキョーグール|publisher=集英社|location=|isbn=978-4-08-879652-9|date=|volume=9巻|quote=カバー裏}}</ref>
* 生年不明 - スウェーデン(ベールヴァルド・オキセンスシェルナ)、漫画・アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=AXIS POWERS ヘタリア2 |date=2008-12-31 |publisher=[[幻冬舎]] |page=19 |author=日丸屋秀和 |authorlink=日丸屋秀和 |isbn=978-4-344-81514-8}}</ref>
* 生年不明 - 瀧翠理、漫画『[[2.5次元の誘惑]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shonenjump.com/ririsa/question/ |title=Q13 奥村たちの誕生日が知りたいです! |accessdate=6 Aug 2023 |publisher=橋本悠/[[集英社]] |work=『2.5次元の誘惑』}}</ref>
* 生年不明 - 山口紀之、漫画・アニメ『[[弱虫ペダル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|akita_store|1004219836535205888}}</ref>
* 生年不明 - [[パール (ポケットモンスターSPECIAL)|パール]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1401367304353456130}}</ref>
* 生年不明 - 高村縞、漫画『[[東京★イノセント]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=鳴見なる|authorlink=鳴見なる|year=2008|title=東京★イノセント|volume=第5巻|page=66|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|series=[[月刊ガンガンWING#ガンガンウイングコミックス|ガンガンウイングコミックス]]|isbn=978-4-7575-2363-0}}</ref>
* 生年不明 - 綾崎レミ、漫画・アニメ『[[堀さんと宮村くん|堀さんと宮村くん(ホリミヤ)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|horimiya_anime|1401192092378943491}}</ref>
* 生年不明 - 村田雨月、漫画・アニメ『[[ギヴン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|given_anime|1269177204824584194}}</ref>
* 生年不明 - 貫井はゆ、漫画・アニメ『[[おちこぼれフルーツタルト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://ochifuru-anime.com/chara03.html |title=貫井はゆ |work=『『ちこぼれフルーツタルト』 |accessdate=6 Aug 2023 |publisher=[[浜弓場双]]・[[芳文社]]/おちこぼれフルーツタルト製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - クレア、ゲーム・漫画『[[きららファンタジア]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 小糸怜、漫画『[[やがて君になる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=やがて君になる|date=|year=2018|publisher=KADOKAWA|author=仲谷鳰|authorlink=仲谷鳰|series=電撃コミックスNEXT|isbn=978-4-04-912047-9|quote=カバー下|volume=第6巻}}</ref>
* 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#ヴァーリ・ルシファー|ヴァーリ・ルシファー]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』『[[堕天の狗神 -SLASHDØG-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|606929612824657920/}}</ref><ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|593084170621988864}}</ref>
* 生年不明 - ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、小説・漫画・アニメ『[[ロード・エルメロイII世の事件簿]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite|和書|title=ロード・エルメロイII世の事件簿 material|author=三田誠 / 坂本みねぢ|date=2020|publisher=TYPE-MOON|pages=58}}</ref>
* 生年不明 - 秋山優花里、アニメ・漫画『[[ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|garupan|1004017190960418816}}</ref><ref>{{Cite book|和書|year=2013|title=ガルパン・アルティメット・ガイド〜ガールズ&パンツァーを100倍楽しむ本〜|page=52|publisher=[[廣済堂出版]]|isbn=978-4-331-25286-4}}</ref>
* 生年不明 - サタン・ゴール、アニメ『[[イナズマイレブン オリオンの刻印]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=6 Aug 2023}}</ref>
* 生年不明 - [[二階堂紅丸]]、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kof_allstar|1136286558150057985}}</ref>
* 生年不明 - 中山雪舟、ゲーム『[[ゲッターラブ!! ちょー恋愛パーティーゲーム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/getterlove/quest7.html|title=ゲッターラブ!!質問コーナー第7回|date=20040813070908}}</ref>
* 生年不明 - 柊巴、ゲーム『[[姉、ちゃんとしようよっ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.candysoft.jp/ohp/01_products/ane2/chara/chara.html |title=◆登場人物紹介◆柊 巴(ひいらぎ ともえ) |publisher=[[きゃんでぃそふと]] |accessdate=6 Aug 2023 |work=『姉、ちゃんとしようよっ!』}}</ref>
* 生年不明 - [[ルイーゼ・マイリンク]]、ゲーム『[[KOF MAXIMUM IMPACT#KOF MAXIMUM IMPACT 2|KOF MAXIMUM IMPACT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.snk-corp.co.jp/official/kof-mi-ra/character/chara_luise.html |title=ルイーゼ・マイリンク |publisher=[[SNK (2001年設立の企業)|SNK PLAYMORE]] |accessdate=6 Aug 2023 |work=『KOF MAXIMUM IMPACT REGULATION“A”』}}</ref>
* 生年不明 - [[アルバ・メイラ]]、ゲーム『KOF MAXIMUM IMPACT』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://game.snkplaymore.co.jp/official/kof/character/alba.html |title=アルバ・メイラ |publisher=[[SNK (2001年設立の企業)|SNK PLAYMORE]] |accessdate=6 Aug 2023 |work=『KOF MAXIMUM IMPACT』}}</ref>
* 生年不明 - [[ソワレ・メイラ]]、ゲーム『KOF MAXIMUM IMPACT』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://game.snkplaymore.co.jp/official/kof/character/soiree.html |title=ソワレ・メイラ |publisher=[[SNK (2001年設立の企業)|SNK PLAYMORE]] |accessdate=6 Aug 2023 |work=『KOF MAXIMUM IMPACT』}}</ref>
* 生年不明 - ルゥリィ、ゲーム『[[さくらシュトラッセ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|info_palette|739752721452929025}}</ref>
* 生年不明 - 紗東陽菜、ゲーム『[[Piaキャロットへようこそ!!G.P.|Pia♥キャロットへようこそ!!G.P.]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|fandc_staff|1269071508669976576}}</ref>
* 生年不明 - [[星輝子]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20144 |title=星 輝子(ほし しょうこ) |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 神崎ミコト、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130404_148584/ |title=【ガールフレンド(仮)通信11】セクシー保険医 神崎ミコト先生(CV:小林ゆう) |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage|KADOKAWA Game Linkage Inc.]] |website=ファミ通App |date=4 Apr 2013}}</ref><ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|1268920513994395649}}</ref>
* 生年不明 - 黒須あろま、ゲーム・アニメ『[[プリパラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=柴崎恵美子|title=テレビ超ひゃっか プリパラ アイドルずかん|publisher=[[小学館]]|year=2016|page=22|isbn=978-4-09-750417-7}}</ref>
* 生年不明 - ビッキー、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=125&cate=name&cont=Vicky |title=ビッキー |access-date=6 Aug 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 礼瀬マヨイ、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/ayase_mayoi/ |title=礼瀬 マヨイ |accessdate=6 Aug 2023 |publisher=[[Happy Elements]] |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref>
* 生年不明 - エゼキエル、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-149 |title=エゼキエル |publisher=Vespa Inc. |work=『キングスレイド』 |accessdate=6 Aug 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=149 |archivedate=1 Nov 2021}}</ref>
* 生年不明 - 斑鳩三角(いかるが みすみ)、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=〔夏組〕斑鳩 三角 |accessdate=6 Aug 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]]|work=『A3!(エースリー)』}}</ref>
* 生年不明 - アオイ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1665901319578689538}}</ref>
* 生年不明 - 鹿野志穂、ゲーム『[[CUE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=鹿野 志穂 |url=https://www.cue-liber.jp/character-03 |work=『CUE!』 |accessdate=6 Aug 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]]}}</ref>
== その他 ==
* 楽曲「[[かわいいコックさん]]」「[[ドラえもん・えかきうた]]」の歌詞に6月6日が登場する。どちらも両腕の形を表現している。なお「ドラえもん・えかきうた」の英語版「A "DRAW DORAEMON" SONG」では6月6日ではなく「2つの[[サクランボ]] (two cherries)」と表現されている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
; 注釈
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; 出典
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== 関連項目 ==
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== できごと ==
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| caption1 = [[第1回十字軍]]、[[エルサレム攻囲戦 (1099年)|エルサレム攻囲戦]]はじまる(1099)
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| caption1 = [[ジャマイカ]]の[[ポート・ロイヤル]]で大地震(1692)、街の2/3が水没
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| caption1 = アメリカ合衆国の戦艦[[サウスダコタ (戦艦)|サウスダコタ]]進水(1941)
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| caption2 = [[ピナトゥボ山]]噴火(1991)
| alt2 = ピナトゥボ山噴火
}}
* [[671年]]([[天智天皇]]10年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - [[日本]]で、[[水時計|漏刻]]と鐘鼓による時報(水時計)を開始<ref>{{Cite web|和書|url=http://oumijingu.org/publics/index/167/ |title=漏刻について|近江神宮 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=[[近江神宮]]}}</ref>。
* [[871年]]([[貞観 (日本)|貞観]]13年[[5月16日 (旧暦)|5月16日]]) - [[鳥海山]]が噴火<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000003032_00/558cf807040.pdf |title=3.鳥海山の成長の歴史 |access-date=12 Apr 2023 |publisher=[[秋田県]] |format=[[PDF]]}}</ref>。
* [[923年]]([[延長 (元号)|延長]]元年[[4月20日 (旧暦)|閏4月20日]]) - 903年に[[大宰府]]で亡くなった[[菅原道真]]を[[右大臣]]に復し[[正二位]]を贈る。
* [[1099年]] - [[第1回十字軍]]: [[エルサレム攻囲戦 (1099年)|エルサレム攻囲戦]] が始まる。
* [[1494年]] - [[スペイン]]と[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の間で[[トルデシリャス条約]]が締結。[[新大陸]]における両国の境界を定める。
* [[1520年]] - [[フランス]]のカレー近郊で[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]と[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]との会見である[[金襴の陣]]が始まる。
* [[1576年]]([[天正]]4年[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]) - [[安土城]]天主([[天守]])が完成。
* [[1628年]] - イングランド王[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]が[[権利の請願]]受託の署名を行う。
* [[1654年]] - フランス王[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]が戴冠。
* [[1692年]] - [[ジャマイカ]]の[[ポート・ロイヤル]]で{{仮リンク|1692年ジャマイカ地震|en|1692 Jamaica earthquake|label=大地震}}。
* [[1776年]] - [[リチャード・ヘンリー・リー]]が、アメリカ独立を求める[[リー決議]]を[[大陸会議]]に提出。
* [[1868年]]([[明治]]元年閏[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - 明治政府が、長崎・浦上で発見されたキリシタンを流罪にする。([[浦上四番崩れ]])
* [[1880年]] - [[太平洋戦争 (1879年-1884年)]]: {{仮リンク|アリカの戦い|en|Battle of Arica}}
* [[1884年]] - 商標条例制定。日本で[[商標]]の制度が始まる。
* [[1905年]] - [[ノルウェー]]議会で[[スウェーデン=ノルウェー]]連合王国の解散を可決<ref>{{Cite web |url=https://www.royalcourt.no/seksjon.html?tid=28690 |title=Dissolution of the union, 1905 |access-date=12 Apr 2023 |publisher=THE ROYAL HOUSE OF NORWAY}}</ref>。
* [[1913年]] - 北米大陸最高峰の[[デナリ|マッキンリー]]に、アメリカの宣教師のスタックらが初登頂。
* [[1919年]] - {{仮リンク|セッテ・ジューニョ|en|Sette Giugno|label=セッテ・ジューニョの暴動}}: [[マルタ]]で、パンの公定価格の値上げに端を発し、イギリス支配に反対する住民の[[暴動]]が起こる。英軍が住民に発砲し、4人が死亡。
* [[1921年]] - [[小協商]]: ルーマニア・ユーゴスラビア相互援助条約が締結される。
* [[1924年]] - [[第二次護憲運動]]により[[清浦内閣|清浦奎吾内閣]]が総辞職<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/modern/cha3/description12.html |title=3-12 第2次護憲運動 |work=[[国立国会図書館]] |accessdate=12 Apr 2023}}</ref>。
* [[1926年]] - スペインの[[建築家]]、[[アントニ・ガウディ]]が[[路面電車|トラム]]に轢かれ重傷を負う。3日後に死亡<ref>{{Cite web |url=https://www.mentalfloss.com/article/72482/gaudis-accidental-death-why-great-architect-was-mistaken-beggar |title=Gaudí’s Accidental Death: Why The Great Architect Was Mistaken For A Beggar |access-date=12 Apr 2023 |publisher=MENTAL FLOSS |date=11 Feb 2016}}</ref>。
* [[1935年]] - [[スタンリー・ボールドウィン]]がイギリスの第59代首相に就任し、[[挙国一致内閣|挙国一致]]の{{仮リンク|第3次ボールドウィン内閣|en|Third National Ministry}}が発足。
* [[1936年]] - [[多摩川スピードウェイ]]にて第1回全国自動車競走大会が開催。
* [[1938年]] - [[ダグラス DC-4E|DC-4E]]が初飛行。
* [[1939年]] - [[満蒙開拓青少年義勇軍]]壮行会が[[明治神宮外苑競技場]]にて開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nippon.com/ja/japan-topics/today0607/ |title=今日は何の日:6月7日 |date=7 Apr 2022 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=nippon.com}}</ref>。
* [[1941年]] - アメリカ海軍の戦艦[[サウスダコタ (戦艦)|サウスダコタ]]が進水。
* 1941年 - [[愛知銀行 (東海銀行の前身)|愛知銀行]]・[[名古屋銀行 (東海銀行の前身)|名古屋銀行]]・[[伊藤銀行]]が合併し[[東海銀行]](現:[[三菱UFJ銀行]])を設立<ref>{{Cite web|和書|url=https://media.rakuten-sec.net/articles/-/21087 |title=愛知・名古屋・伊藤銀行が合併し東海銀行を設立【1941(昭和16)年6月7日】 |date=7 Jun 2022 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=トウシル [[楽天証券]]}}</ref>。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ミッドウェー海戦]]が終結。
* 1942年 - 第二次世界大戦・[[アリューシャン方面の戦い]]: 日本軍が[[アリューシャン列島]]の[[キスカ島]]を占領<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aflo.com/ja/contents/13209267 |title=【太平洋戦争】 アリューシャン方面の戦い (撮影日不明) |access-date=12 Apr 2023 |publisher=Aflo}}</ref>。
* [[1945年]] - ノルウェー国王[[ホーコン7世]]が亡命先のイギリスから帰国<ref>{{Cite web |url=https://www.royalcourt.no/nyhet.html?tid=183735&sek=27262 |title=Homecoming, 7 June 1945 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=THE ROYAL HOUSE OF NORWAY}}</ref>。
* [[1948年]] - [[チェコスロバキア]]の[[エドヴァルド・ベネシュ]]大統領が辞職。
* [[1951年]] - (旧)[[計量法]]公布<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/55694 |title=6月 7日 日本で計量法が公布される(1951年) |work=サイエンス365days |date=7 Jun 2018 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=[[講談社]]}}</ref>。
* 1951年 - 日本初の[[信販会社]]、日本信用販売(後の日本信販、現:[[三菱UFJニコス]])が設立される<ref>{{Cite web|和書|url=https://info.cr.mufg.jp/news/down2.php?attach_id=512&seq=1698&category=1&page=1 |title=アクルと三菱UFJニコス、ネット通販加盟店向けに クレジットカード不正検知・認証システム「ASUKA」導入で提携 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=三菱UFJフィナンシャルグループ |date=25 Jun 2021 |page=3 |format=[[PDF]]}}</ref>。
* [[1955年]] - 日本が[[関税および貿易に関する一般協定]] (GATT) に加盟。
* 1955年 - 東京で第1回日本母親大会が開かれる。
* [[1957年]] - ヨーロッパ横断特急 ([[TEE]]) が運行開始。
* [[1981年]] - [[イラク原子炉爆撃事件]]。[[イスラエル]]空軍が[[イラク]]・タムーズのオシラク原子炉を奇襲攻撃、破壊する。
* [[1982年]] - [[エルヴィス・プレスリー]]の自宅「[[グレイスランド]]」が、博物館として一般公開される<ref>{{Cite web |url=https://www.graceland.com/elvis-news/posts/today-in-elvis-history-graceland-opens-to-the-public-in-1982 |title=Today in Elvis History: Graceland Opens to the Public in 1982 |date=7 Jun 2014 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=Graceland}}</ref>。
* [[1983年]] - [[東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件]]。
* [[1986年]] - [[広島東洋カープ]]の[[衣笠祥雄]]が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。
* [[1991年]] - [[ピナトゥボ山]]から高さ7,000メートルの噴煙が立ちのぼる。
* [[1995年]] - [[ユナイテッド航空]]を[[ローンチカスタマー]]として[[ボーイング777]]が運用開始。
* [[2017年]] - [[ミャンマー空軍Y-8墜落事故]]: [[ミャンマー]]空軍の[[Y-8 (航空機)|Y-8]]が墜落し、乗員122人が死亡<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM08H3Z_Y7A600C1000000/ |title=ミャンマー軍用機不明、軍人と家族ら122人搭乗 |accessdate=12 Apr 2023 |date=6 Aug 2017 |publisher=[[日本経済新聞]]}}</ref>。
* 2017年 - [[日本原子力研究開発機構]]は、[[茨城県]][[大洗町]]にある[[大洗研究所|大洗研究開発センター]]で5人が被曝した事故で、少なくとも4人が内部被曝し、50代の男性作業員の肺から最大約2万2千ベクレルの放射性物質が検出されたと発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO17441810Y7A600C1MM8000/ |title=4人が内部被曝 原子力機構事故 最大2.2万ベクレル、国内最悪 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=8 Jun 2017}}</ref>。日本国内最悪の内部被曝事故。
* [[2022年]] - [[横浜DeNAベイスターズ]]の[[今永昇太]]が史上85人目の[[ノーヒットノーラン]]を達成。
{{-}}
== 誕生日 ==
[[Image:Earl of Liverpool.jpg|thumb|イギリスの政治家、第2代[[リヴァプール伯爵]][[ロバート・ジェンキンソン (第2代リヴァプール伯爵)|ロバート・バンクス・ジェンキンソン]](1770-1828)誕生|237x237ピクセル]]
[[Image:Gustave_Boissonade.jpg|thumb|「日本近代法の父」、[[法学]]者[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]](1825-1910)。政府の法律顧問として来日し、東京法学校(現在の[[法政大学]])の教頭に就任。|200x200ピクセル]]
[[Image:Leopold_Auer_in_the_USA.JPG|thumb|ヴァイオリニスト、[[レオポルト・アウアー]](1845-1930)|222x222ピクセル]]
[[Image:Paul_Gauguin_111.jpg|thumb|180px|画家[[ポール・ゴーギャン]](1848-1903)誕生。画像は自画像(1893)]]
[[Image:Paul Gauguin 109.jpg|thumb|180px|画家[[ポール・ゴーギャン]](1848-1903)誕生。画像は『黄色いキリストのある自画像』(1889)]]
[[Image:Wfm_mackintosh_lighthouse.jpg|thumb|建築家[[チャールズ・レニー・マッキントッシュ]](1868-1928)。画像は『ライトハウス』(1893)|240x240ピクセル]]
[[Image:Szeged, Rákóczi tér, Nagy Imre-szobor, Lapis4KJ.jpg|thumb|[[ハンガリー]]の政治家[[ナジ・イムレ]](1896-1958)。[[ハンガリー動乱]]でソ連の侵攻に抵抗|180x180ピクセル]]
[[Image:George_Szell.jpg|thumb|指揮者[[ジョージ・セル]](1897-1970)|250x250ピクセル]]
[[ファイル:Mike Pence, official portrait, 112th Congress.jpg|サムネイル|[[アメリカ合衆国副大統領]]、[[マイク・ペンス]](1959-)|270x270ピクセル]]
* [[1402年]]([[応永]]9年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[一条兼良]]、[[公卿]]、[[歌人]](+ [[1481年]])
* [[1673年]]([[寛文]]13年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[仙石政房]]、但馬[[出石藩]]主(+ [[1735年]])
* [[1691年]]([[元禄]]4年[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]) - [[松平頼明 (常陸府中藩主)|松平頼明]]、常陸[[常陸府中藩|府中藩]]主(+ [[1733年]])
* [[1732年]]([[享保]]17年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[保科正富]]、上総[[飯野藩]]主(+ [[1798年]])
* [[1750年]]([[寛延]]3年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[井伊直朗]]、越後[[与板藩]]主(+ [[1820年]])
* [[1770年]] - 第2代[[リヴァプール伯爵]][[ロバート・ジェンキンソン (第2代リヴァプール伯爵)|ロバート・バンクス・ジェンキンソン]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1828年]])
* [[1778年]] - [[ジョージ・ブライアン・ブランメル]]、[[セレブリティ]]、[[ダンディ|ダンディスト]](+ [[1840年]])
* [[1794年]] - [[ピョートル・チャーダーエフ]]、哲学者 (+ [[1856年]])
* [[1811年]] - [[ジェームズ・シンプソン]]、産科医(+ [[1870年]])
* [[1814年]]([[文化 (元号)|文化]]11年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[渡辺潔綱]]、和泉[[伯太藩]]主(+ [[1876年]])
* [[1821年]]([[文政]]4年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[市橋長和]]、近江[[仁正寺藩]]主(+ [[1882年]])
* [[1825年]] - [[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]、[[法学者]](+ [[1910年]])
* [[1840年]] - [[シャルロッテ・フォン・ベルギエン]]、[[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|メキシコ皇帝マクシミリアン]]の皇后(+ [[1927年]])
* [[1845年]] - [[レオポルト・アウアー]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](+ [[1930年]])
* [[1848年]] - [[ポール・ゴーギャン]]、[[画家]](+ [[1903年]])
* [[1862年]] - [[フィリップ・レーナルト]]、[[物理学者]](+ [[1947年]])
* [[1868年]] - [[チャールズ・レニー・マッキントッシュ]]、[[建築家]]、[[デザイナー]]、画家(+ [[1928年]])
* [[1879年]] - [[クヌート・ラスムッセン]]、[[極地]][[探検家]]、[[人類学|人類学者]](+ [[1933年]])
* [[1886年]] - [[アンリ・コアンダ]]、[[発明家]]、航空エンジニア(+ [[1972年]])
* [[1893年]] - [[ギリス・グラフストローム]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1938年]])
* [[1896年]] - [[ナジ・イムレ]]、[[ハンガリーの首相一覧|ハンガリー首相]](+ [[1958年]])
* [[1897年]] - [[ジョージ・セル]]、[[指揮者]](+ [[1970年]])
* [[1904年]] - [[井口新次郎]]、[[野球選手]](+ [[1985年]])
* [[1907年]] - [[マリオ・フィリッペスキ]]、[[テノール]]歌手(+ [[1979年]])
* [[1908年]] - [[脇田和]]、洋画家(+[[2005年]])
* [[1909年]] - [[ジェシカ・タンディ]]、[[俳優|女優]](+ [[1994年]])
* [[1911年]] - [[村川幸信]]、元[[プロ野球選手]](+ 没年不詳)
* [[1913年]] - [[芳賀直一]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1920年]] - [[ヨアヒム・キルシュナー]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1943年]])
* [[1924年]] - [[ドナルド・ワッツ・デービス|ドナルド・デービス]]、[[計算機科学]]研究者(+ [[2000年]])
* [[1926年]] - [[木部佳昭]]、[[政治家]](+ [[2001年]])
* [[1927年]] - [[南原宏治]]、[[俳優]](+ 2001年)
* [[1928年]] - [[ジェームズ・アイヴォリー]]、[[映画監督]]
* [[1929年]] - [[若山セツ子]]、女優(+ [[1985年]])
* [[1931年]] - [[オコト・ビテック]]、[[作家]]、[[詩人]]、[[社会学者の一覧|社会学者]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]](+ [[1980年]])
* [[1936年]] - [[清水マリ]]、声優
* [[1940年]] - [[トム・ジョーンズ (歌手)|トム・ジョーンズ]]、歌手
* 1940年 - [[サミュエル・リトル]]、[[シリアルキラー]] (+ [[2020年]])
* [[1941年]] - [[ハイメ・ラレード]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]]
* [[1942年]] - [[辻野欣也]]、元プロ野球選手
* [[1943年]] - [[中山成彬]]、政治家
* 1943年 - [[中島啓之]]、[[騎手]](+ [[1985年]])
* 1943年 - [[松川隆志]]、[[官僚]]
* [[1944年]] - [[大下英治]]、[[作家]]
* [[1946年]] - [[原初也]]、高校野球指導者
* [[1947年]] - [[ドン・マネー]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[岸部四郎]]、[[タレント]]、歌手、俳優 (元[[ザ・タイガース]])(+ [[2020年]])
* [[1950年]] - [[井上高志]]、俳優
* 1950年 - [[中谷ゆみ]]、声優
* 1950年 - [[石毛恭子]]、アナウンサー
* [[1951年]] - [[ボビー・マルカーノ]]、元プロ野球選手(+ [[1990年]])
* [[1952年]] - [[オルハン・パムク]]、作家
* 1952年 - [[リーアム・ニーソン]]、俳優
* [[1953年]] - [[中村まり子]]、女優
* 1953年 - [[若原瞳]]、女優
* [[1954年]] - [[木田勇]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[村本善之]]、騎手
* [[1956年]] - [[千宗室 (16代)]]、[[茶道]][[裏千家]][[家元]]16代玄黙宗室
* [[1957年]] - [[薩洲洋康貴]]、元[[大相撲]][[力士]]
* 1957年 - [[山下泰則]]、[[アナウンサー]]
* [[1958年]] - [[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Prince-singer-and-songwriter |title=Prince|American singer, songwriter, musician, and producer |access-date=12 Apr 2023 |publisher=Britannca}}</ref>、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2016年]])
* [[1959年]] - [[小林武史]]、[[音楽家]](元[[My Little Lover]])
* 1959年 - [[マイク・ペンス]]、政治家、[[アメリカ合衆国副大統領]]
* [[1960年]] - [[荒木飛呂彦]]、[[漫画家]]
* 1960年 - [[ジム・パチョレック]]、元プロ野球選手
* 1960年 - [[松下一也 (音楽家)|松下一也]]、ミュージシャン(+ [[2004年]])
* 1960年 - [[和田秀樹]]、[[精神科医]]、[[評論家]]
* [[1961年]] - [[白井一幸]]、元プロ野球選手
* 1961年 - [[岡崎郁]]、元プロ野球選手
* 1961年 - [[手塚理美]]、女優
* [[1962年]] - [[秋山大学]]、俳優
* 1962年 - [[黒澤琢弥]]、レーシングドライバー
* [[1963年]] - [[厦門潤]]、漫画家
* [[1964年]] - [[徳永善也]]、ミュージシャン(元[[チェッカーズ]])(+ [[2004年]])
* 1964年 - [[永井利光]]、ミュージシャン
* 1964年 - [[相場勤]]、元野球選手
* [[1965年]] - [[ミック・フォーリー]]、[[プロレスラー]]
* 1965年 - [[ダミアン・ハースト]]、現代芸術家
* [[1966年]] - [[喜田あゆ美]]、声優<ref>{{Cite web|和書|url=https://mausu.net/talent/kida-ayumi.html |title=喜田 あゆ美 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=[[マウスプロモーション|株式会社マウスプロモーション]]}}</ref>、女優
* [[1967年]] - [[デイヴ・ナヴァロ]]、ギタリスト([[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]])
* [[1969年]] - [[片岡知子]]、音楽家([[インスタントシトロン]])(+ [[2020年]])
* 1969年 - [[加藤高康]]、元プロ野球選手
* [[1970年]] - [[平良幸一]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[大神友明]]、元サッカー選手
* 1970年 - [[カフー]]、元サッカー選手
* 1970年 - [[チャ・スンウォン]]、俳優
* [[1972年]] - [[揚田亜紀]]、タレント、[[実業家]]
* 1972年 - [[カール・アーバン]]、俳優
* [[1973年]] - [[寺本比呂文]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[佐々木健一 (野球)|佐々木健一]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[板橋恵]]、元バレーボール選手
* [[1974年]] - [[穴井夕子]]、タレント
* 1974年 - [[マヘシュ・ブパシ]]、テニス選手
* 1974年 - [[ベア・グリルス]]、[[作家]]、[[冒険家]]
* 1974年 - [[榎木和貴]]、元陸上選手、指導者
* [[1975年]] - [[工藤賢二]]、元野球選手、指導者
* 1975年 - [[アレン・アイバーソン]]、バスケットボール選手
* [[1977年]] - [[松田純]]、タレント
* 1977年 - [[矢部美穂]]、タレント
* 1977年 - [[朴明桓]]、元プロ野球選手
* [[1978年]] - [[三浦敦子]]、元女優
* 1978年 - [[佐藤茜]]、アナウンサー
* 1978年 - [[エイドリアン・フランツ]]、女優
* 1978年 - [[小田孔明]]、[[プロゴルファー]]
* 1978年 - [[林韋君]]、女優
* [[1979年]] - [[アナ・トーヴ]]、女優
* 1979年 - [[Brave Brothers]]、音楽プロデューサー、ミュージシャン
* 1979年 - [[YUJI KOITO]]、[[お笑い芸人]]
* 1979年 - [[田中健太郎 (野球)|田中健太郎]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[チェイス・ランビン]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[池端陽介]]、サッカー選手
* 1979年 - [[手島和希]]、元サッカー選手
* 1979年 - [[山本義幸]]、アナウンサー
* [[1980年]] - [[諫山実生]]、ミュージシャン
* 1980年 - [[イバン・マルドナド]]、野球選手
* 1980年 - [[ベルニ・ロドリゲス]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* 1980年 - [[ヘンカ・ブラックスミス]]、ミュージシャン
* [[1981年]] - [[アンナ・クルニコワ]]、[[テニス選手一覧 (女子)|テニス選手]]
* [[1982年]] - [[松岡健一]]、元プロ野球選手
* 1982年 - [[鵜飼宏長]]、元サッカー選手
* 1982年 - [[下小鶴綾]]、元サッカー選手
* 1982年 - [[高橋賢行]]、バレーボール選手
* 1982年 - [[塩谷瞬]]、俳優
* 1982年 - 和田美枝、漫才師([[女と男]])
* [[1983年]] - [[浅見れいな]]、女優
* 1983年 - [[マーク・ロウ]]、プロ野球選手
* 1983年 - [[ダグ・マシス]]、元プロ野球選手
* 1983年 - SJ、お笑い芸人([[GAG (お笑いトリオ)|GAG]])
* 1983年 - [[木島ユタカ]]、三味線奏者
* [[1984年]] - [[将司昂親]]、元大相撲力士
* 1984年 - [[牧田哲也]]、俳優([[D-BOYS]])
* 1984年 - [[藤沢瀬里菜]]、女優
* [[1985年]] - [[カレン・ロバート]]、元サッカー選手
* 1985年 - [[北勝国英明]]、元大相撲力士
* 1985年 - [[三宅麻理恵]]、声優
* [[1986年]] - [[高橋勇丞]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[市川卓]]、元プロ野球選手
* 1986年 - [[佐藤秀和]]、陸上選手
* [[1987年]] - [[高麗美菜]]、元グラビアアイドル
* [[1988年]] - [[吉田早希 (グラビアアイドル)|吉田早希]]、グラビアアイドル
* 1988年 - [[フィリップ・ティッシェンドルフ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1988年 - [[木村珠莉]]、声優
* [[1989年]] - [[小林誠司]]、プロ野球選手
* [[1990年]] - [[高島良介]]、俳優
* 1990年 - [[柳沢太介]]、俳優
* 1990年 - [[アリソン・シュミット]]、競泳選手
* 1990年 - [[イギー・アゼリア]]、[[ラッパー]]
* 1990年 - [[米澤かおり]]、フリーアナウンサー
* [[1991年]] - [[エミリー・ラタコウスキー]]、ファッションモデル、女優
* 1991年 - [[岩谷美里]]、野球選手
* 1992年 ー [[ジョーダン・クラークソン]]、バスケットボール選手
* [[1993年]] - [[ジョーダン・フライ]]、俳優、声優
* 1993年 - [[三好匠]]、プロ野球選手
* 1993年 - [[呉念庭]]、プロ野球選手
* 1993年 - [[ジョージ・エズラ]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1994年]] - [[大崎望絵]]、女優
* 1994年 - [[島田智之介]]、俳優
* 1994年 - [[柴田真果]]、バレーボール選手
* [[1995年]] - [[今井みどり]]、モデル、[[レースクイーン]]
* [[1996年]] - [[さユり]]、歌手
* 1996年 - [[宗佑磨]]、プロ野球選手
* 1996年 - [[進藤亮佑]]、サッカー選手
* 1996年 - [[新田桃子]]、女優
* [[1997年]] - [[渡邉大樹]]、プロ野球選手
* [[1999年]] - [[市瀬千里]]、サッカー選手
* [[2000年]] - 田中優香<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/prof/690882/ |title=田中優香 |access-date=12 Apr 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]]}}</ref>、アイドル(元[[HKT48]])
* 2000年 - [[瀬古歩夢]]、サッカー選手
* [[2001年]] - [[石塚綜一郎]]、プロ野球選手
* [[2002年]] - [[村山蒼也]]、俳優
* 2002年 - [[みゆな]]、シンガーソングライター
* [[2003年]] - [[西田汐里]]、アイドル([[BEYOOOOONDS]])
* 2003年 - [[野村和輝]]、プロ野球選手
* [[2005年]] - [[荻野心]]、モデル
* 生年不明 - 千道万里、[[漫画家]]([[PEACH-PIT]])
* 生年不明 - [[川口雅代]]、声優
* 生年不明 - [[那村有香]]、声優
== 忌日 ==
{{multiple image
| caption1 = [[室町幕府]]を開いた[[足利尊氏]](1305-1358)没
| image1 = Toujiin_AshikagaTakauji_haka.jpg
| width1 = 90
| alt1 = 等持院、足利尊氏の墓
| image2 = Kitaro_Nishidain_in_Feb._1943.jpg
| width2 = 90
| caption2 = 哲学者[[西田幾多郎]](1870-1945)没
| alt2 = 西田幾多郎
}}
{{multiple image
| caption1 = 数学者[[アラン・チューリング]](1912-1954)没
| image1 = AlanTuring-Bletchley.jpg
| width1 = 90
| alt1 = アラン・チューリング
| image2 = HansArp-CloudShepher1953.JPG
| width2 = 90
| caption2 = 彫刻家[[ジャン・アルプ]](1886-1966)没。画像は『雲の羊飼い』(1953)
| alt2 = 雲の羊飼い
}}
* [[960年]]([[天徳 (日本)|天徳]]4年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[藤原師輔]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[908年]])
* [[1329年]] - [[ロバート1世 (スコットランド王)|ロバート1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Robert-the-Bruce Robert the Bruce king of Scotland] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[スコットランド王国|スコットランド王]](* [[1274年]])
* [[1358年]]([[延文]]3年/[[正平 (日本)|正平]]13年[[4月30日 (旧暦)|4月30日]]) - [[足利尊氏]]、[[室町幕府]]初代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1305年]])
* [[1492年]] - [[カジミェシュ4世 (ポーランド王)|カジミェシュ4世]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[1427年]])
* [[1612年]]([[慶長]]17年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[近衛前久]]、[[安土桃山時代]]の公卿(* [[1536年]])
* [[1821年]] - [[トゥドル・ウラジミレスク]]、[[ワラキア蜂起|ワラキア農民蜂起]]の指導者(* [[1780年]])
* [[1826年]] - [[ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー]]、[[光学]][[技術者]](* [[1787年]])
* [[1840年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]<ref>{{Cite web |title=Frederick William III {{!}} king of Prussia |url=https://www.britannica.com/biography/Frederick-William-III |website=Britannica |access-date=12 Apr 2023}}</ref>、[[プロイセン王国|プロイセン王]](* [[1770年]])
* [[1848年]] - [[ヴィッサリオン・ベリンスキー]]、[[文芸評論家]](* [[1811年]])
* [[1876年]] - [[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ (スウェーデン王妃)|ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ]]、[[オスカル1世 (スウェーデン王)|スウェーデン王オスカル1世]]の妃(* [[1807年]])
* [[1891年]] - [[中村正直]]、[[啓蒙思想|啓蒙思想家]](* [[1832年]])
* [[1935年]] - [[イヴァン・ミチューリン]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](* [[1855年]])
* [[1937年]] - [[ジーン・ハーロウ]]、[[俳優|女優]](* [[1911年]])
* [[1945年]] - [[西田幾多郎]]、[[哲学|哲学者]](* [[1870年]])
* [[1951年]] - [[オットー・オーレンドルフ]]、[[ナチス・ドイツ]]の[[親衛隊中将]](* [[1907年]])
* [[1954年]] - [[アラン・チューリング]]、[[数学者]](* [[1912年]])
* [[1964年]] - [[高群逸枝]]、[[民俗学|民俗学者]]、[[詩人]](* [[1891年]])
* [[1965年]] - [[ジュディ・ホリデイ]]、女優(* [[1921年]])
* [[1966年]] - [[安倍能成]]、教育者、評論家、哲学者(* [[1883年]])
* 1966年 - [[ジャン・アルプ]]、[[彫刻家]]、[[画家]]、[[詩人]](* [[1886年]])
* [[1968年]] - [[ダン・デュリエ]]、俳優(* [[1907年]])
* [[1970年]] - [[E・M・フォースター]]、[[小説家]](* [[1879年]])
* [[1976年]] - [[嶋田繁太郎]]、日本の[[海軍大臣]](* [[1883年]])
* [[1977年]] - [[オットー・カイザー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1901年]])
* [[1978年]] - [[ロナルド・ノーリッシュ]]、[[化学者]](* [[1879年]])
* [[1980年]] - [[ヘンリー・ミラー]]、小説家(* [[1891年]])
* [[1981年]] - [[琴ヶ濱貞雄]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1927年]])
* [[1987年]] - [[呉昌征]]、元[[プロ野球選手]](* [[1916年]])
* [[1995年]] - [[久松定武]]、[[愛媛県知事一覧|愛媛県知事]](* [[1899年]])
* [[2001年]] - [[ビクトル・パス・エステンソロ]]、政治家、[[ボリビアの大統領|ボリビア大統領]](* [[1907年]])
* [[2004年]] - [[コロムビア・トップ]]、[[漫才師]]、[[政治家]](* [[1922年]])
* [[2006年]] - [[大橋節夫]]、[[歌手]]、[[ギター|スチールギター]]奏者(* [[1925年]])
* 2006年 - [[岡野加穂留]]、[[政治学者]]、第11代[[明治大学]]学長(* [[1929年]])
* 2006年 - [[ジョン・テンタ]]、[[プロレスラー]](* [[1963年]])
* 2006年 - [[アブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィー]]、[[テロリズム|テロリスト]](* [[1966年]]?)
* [[2007年]] - [[大宮隆]]、実業家(* [[1913年]])
* [[2008年]] - [[寛吉 (呼出)|寛吉]]、大相撲の[[呼出]](* [[1930年]])
* 2008年 - [[ホルスト・スコッフ]]、[[テニス]]選手(* [[1968年]])
* [[2009年]] - [[ピーター・タウンゼント (社会学者)|ピーター・タウンゼント]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1928年]])
* [[2015年]] - [[クリストファー・リー]]、[[俳優]](* [[1922年]])
* [[2018年]] - [[日高六郎]]、社会学者(* [[1929年]])
* [[2020年]] - [[いーむす・アキ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wani.com/news/20200726-2/ |title=いーむす・アキ先生に関する大事なお知らせ |accessdate=12 Apr 2023 |date=2020-07-26 |publisher=[[ワニマガジン社]]}}</ref>、漫画家(* 生年不明)
* [[2021年]] - [[渡辺滉]]、実業家、元三和銀行(現[[三菱UFJ銀行]])頭取(* [[1930年]])
* 2021年 - [[柳想鐵]]、元サッカー選手、指導者(* [[1971年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Gazeta de buenos aires-01.jpg|thumb|266x266px|[[アルゼンチン]]の「ジャーナリストの日」]]
[[Image:SetteGiugno2009.jpg|thumb|240x240px|[[マルタ]]の祝日「Sette Giugno」]]
* ジャーナリストの日({{ARG}})
*:[[1810年]]のこの日、[[五月革命 (アルゼンチン)|五月革命]]を主導したマリアノ・モレノらが『Gazeta de Buenos Ayres(ブエノスアイレス新聞)』を創刊したことを記念して1938年に制定。
* セッテ・ジューニョ({{MLT}})
*:[[1919年]]のイギリス支配に反対する暴動を記念し、英軍によるマルタ市民への発砲による4人の犠牲者を追悼する祝日。セッテ・ジューニョ(Sette Giugno)はイタリア語で「6月7日」の意。
* {{仮リンク|連邦解体記念日|en|Union Dissolution Day}}({{NOR}})
*: [[1905年]]のこの日、ノルウェー議会で同君連合[[スウェーデン=ノルウェー]]からの分離・独立を宣言したことを記念。
* [[国旗の日]]({{PER}})
* 母親大会記念日({{JPN}})
*:[[1955年]]のこの日、第1回母親大会が東京で開催されたことを記念。母親たちの社会活動の意欲がこの大会によって高まったと言われている。
* [[緑内障]]を考える日({{JPN}})
*: 緑内障の患者やその家族で作る「緑内障フレンド・ネットワーク」が制定。「りょく(6)ない(7)しょう」の語呂合せ。
* [[外傷性頸部症候群|むち打ち]]治療の日({{JPN}})
*: むち打ち治療協会が制定。「む(6)ちうちをな(7)おそう」の語呂合せ。
* ムダ毛なしの日({{JPN}})
*: 夏に向けて素肌を出し始める女性に、すべすべの肌を手に入れてほしいとの願いから、レキッドベンキーザー・ジャパン株式会社が制定。日付は「ムダ毛(6)なし(7)」の語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=196|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
* 計量記念日({{JPN}}、[[1952年]] - [[1992年]])
*: [[通商産業省]](現:[[経済産業省]])が[[1952年]]に制定。[[1951年]]6月7日、それまでの「[[度量衡法]]」を全面的に改正した「[[計量法]]」が公布されたことを記念。[[1993年]][[11月1日]]に「計量法」が全面改正されたのに伴い、計量記念日は11月1日に変更された。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0607|date=Apr 2023}}
* [[1832年]] - ジャヴェール一等警視が[[パリ]]の[[ノートルダム橋]]の欄干から[[飛び降り|投身自殺]]を図る。(『[[レ・ミゼラブル]]』)
* 年不明 - 火曜日、エミリ・ハッターの[[葬儀]]が[[ロングアイランド]]で行われ、葬儀後に[[遺言状]]が発表される。(小説『[[Yの悲劇]]』第2幕第3場)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1982年]] - [[DEATH NOTEの登場人物#キラ(第二部)|魅上照]]、漫画『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author1=大場つぐみ|authorlink1=大場つぐみ|author2=小畑健|authorlink2=小畑健|title=DEATH NOTE|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2006|publisher=[[集英社]]|page=18|volume=第13巻|isbn=978-4-08-874095-9}} </ref>
* [[未来世紀]]39年 - [[チボデー・クロケット]]、アニメ『[[機動武闘伝Gガンダム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |editor=岸川 靖|title=機動武闘伝Gガンダム テクニカルマニュアル 奥義大全|series=ROMANALBUM EXTRA|date=1994-01-01|publisher=[[徳間書店]]|page=16}}</ref>
* 生年不明 - カズマ(佐藤和真)、小説・アニメ『[[この素晴らしい世界に祝福を!]]』の主人公<ref>{{Twitter status|konosubaanime|1534150683682668544}}</ref>
* 生年不明 - 桐崎千棘、漫画・アニメ『[[ニセコイ]]』のヒロイン<ref>{{Cite book|和書 |author=古味直志|authorlink=古味直志|title=ニセコイファンブック トクレポ|series=ジャンプ・コミックス|year=2015|publisher=集英社|page=46|volume=|isbn=978-4-08-880539-9}}</ref>
* 生年不明 - 西宮硝子、漫画・アニメ映画『[[聲の形]]』のヒロイン
* 生年不明 - 柊六奈、アニメ『[[六門天外モンコレナイト]]』のヒロイン
* 生年不明 - ペローナ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Perona.html |title=ペローナ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - 林檎雨由利、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|739834743978663936}}</ref>
* 生年不明 - 土橋りか、漫画・アニメ『[[初恋限定。]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 高橋奏、漫画・アニメ『[[初恋モンスター]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|hatsukoi_m|872299878122233857}}</ref>
* 生年不明 - 水無神操緒、小説・アニメ『[[アスラクライン]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#ソーナ・シトリー|ソーナ・シトリー]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|1002757018363387906}}</ref>
* 生年不明 - 伊津村陽花、小説・ゲーム・アニメ『[[Re:ステージ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|rst_project|1533826054548168705}}</ref>
* 生年不明 - 牧野かんな、アニメ『[[たまこまーけっと]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 水無月響子、ゲーム『[[ジャスティス学園]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ミュー、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=110 |title=ミュー |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[コナミアミューズメント|Konami Amusement]] |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref>
* 生年不明 - 千堂瑛里華、ゲーム・アニメ『[[FORTUNE ARTERIAL]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://august-soft.com/fa/character01.html |title=千堂 瑛里華 |accessdate=12 Apr 2023 |publisher=[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]] |work=『FORTUNE ARTERIAL』}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物|佐々木千枝]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20076 |title=佐々木 千枝(ささき ちえ) |access-date=12 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#松田亜利沙|松田亜利沙]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30032 |title=松田 亜利沙(まつだ ありさ) |access-date=12 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 龍泉寺レンレン、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|740076327538069504}}</ref>
* 生年不明 - 灰島依咲里、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/isari.html |title=灰島 依咲里 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=18 Sep 2023}}</ref>
* 生年不明 - 灰島華賀利、ゲーム・アニメ『スクールガールストライカーズ2』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/kagari.html |title=灰島 華賀利 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=18 Sep 2023}}</ref>
* 生年不明 - ラシード、ゲーム『[[ストリートファイターV]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=キャラ図鑑114:ラシード |url=https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/130335 |website=シャドルー格闘家研究所 |access-date=12 Apr 2023 |publisher=[[カプコン|CAPCOM]]}}</ref>
* 生年不明 - 陽影(ヒカゲ)、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=124&cate=name&cont=Hikage |title=陽影(ヒカゲ) |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 黒木崚介、ゲーム『[[夢色キャスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ycast.sega-net.com/cast.html |title=GENESIS 黒木崚介 |access-date=12 Apr 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]]/夢色カンパニー |work=『夢色キャスト』}}</ref>
* 生年不明 - フルス、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-137 |title=フルス |publisher=Vespa Inc. |accessdate=12 Apr 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=137 |archivedate=4 Nov 2021 |work=『キングスレイド』}}</ref>
* 生年不明 - 宮井都子、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/miyai |title=宮井 都子 |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |accessdate=12 Apr 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref>
* 生年不明 - 宇都宮博、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://posweb.jp/pos/character/nagamine/02.html |title=宇都宮博 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |work=『プリンス・オブ・ストライド』}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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== できごと ==
<!-- 記事に日付のないもの:フン族, アッティラ, カナダ侵攻作戦, 石高制, パンチカード, レオン・ティスラン・ド・ボール, 成層圏, 日露戦争, 中国国民党, 福島競馬場, カルミナ・ブラーナ, 本土決戦, 千代の山雅信, アーリントン国立墓地, 核拡散防止条約, ロッキード事件, マイコンBASICマガジン, 探偵業の業務の適正化に関する法律, -->
<!-- [[Image:AttilaTheHun.jpg|thumb|180px|アッティラ]] -->
<!-- [[Image:Leoattila-Raphael.jpg|thumb|250px|[[フン族]]の[[アッティラ]]、[[イタリア]]に侵入(452)。画像は[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]『レオ1世とアッティラの会見』]] -->
<!-- [[Image:Tuilerienschloss02.jpg|thumb|right|180px|テュイルリー宮殿]] -->
<!-- [[Image:F%C3%AAte_de_l%27Etre_supr%C3%AAme_1.jpg|thumb|220px|[[最高存在の祭典]](1794)]] -->
[[Image:Fête de l'Etre suprême 2.jpg|thumb|300px|[[テュイルリー宮殿]]で[[最高存在の祭典]](1794)開催]]
[[Image:NagasakiMonumentToMartyrs.jpg|thumb|[[日本二十六聖人]]が列聖(1862)]]
[[Image:Sydney shell damage (AWM 012593).jpg|thumb|[[第二次世界大戦]]、[[特殊潜航艇によるシドニー港攻撃]](1942)。画像は被害を受けたシドニーの民家]]
[[Image:Missilemail.jpg|thumb|潜水艦[[バーベロ (潜水艦)|バーベロ]]によるミサイル・メールの実験
(1959)]]
[[Image:SH-3A Sea King hovers over the damaged USS Liberty (AGTR-5) on 8 June 1967 (USN 1123118).jpg|thumb|right|[[リバティー号事件]](1967)]]
[[Image:Venustransit 2004-06-08 07-49.jpg|thumb|right|[[金星の太陽面通過]](2004)]]
[[File:Akihabara massacre 02.JPG|thumb|right|[[秋葉原通り魔事件]](2008)]]
* [[452年]] - [[フン族]]の王[[アッティラ]]が[[イタリア]]に侵入{{要出典|date=2021-03}}。
* [[793年]] - [[ヴァイキング]]が[[リンディスファーン島]]の修道院を襲撃。[[スカンジナビア]]人による[[イングランド]]侵略の始まり。
* [[806年]]([[大同 (日本)|大同]]元年[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]) - 第51代天皇・[[平城天皇]]が即位。
* [[900年]] -イングランドの統治者[[アルフレッド大王]]の息子[[エドワード長兄王|エドワード]]が[[イングランド君主一覧|アングロ・サクソン人の王]]就任を祝う戴冠式を開催した。
* [[1571年]]([[元亀]]2年[[5月16日 (旧暦)|5月16日]]) - [[織田信長]]が[[長島一向一揆]]の拠点・[[願証寺]]を攻撃するが、[[氏家直元|氏家卜全]]ら多くの戦死者を出し敗退。
* [[1588年]]([[天正]]16年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[豊臣秀吉]]建立の[[方広寺]]大仏殿が完成。
* [[1648年]]([[慶安]]元年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[日光杉並木]]の20万本の植樹が完了。
* [[1672年]]([[寛文]]12年[[5月13日 (旧暦)|5月13日]]) - 小石川の[[水戸藩]]邸に『[[大日本史]]』を[[編纂]]するための施設・[[彰考館]]を開設。
* [[1758年]] - [[フレンチ・インディアン戦争]]: [[ルイブールの戦い (1758年)]]はじまる。
* [[1776年]] - [[アメリカ独立戦争]]・[[カナダ侵攻作戦]]: {{仮リンク|トロワリヴィエールの戦い|en|Battle of Trois-Rivières}}。
* [[1783年]] - [[アイスランド]]で[[ラキ火山]]が[[噴火]]。[[火山灰]]などの影響により、数年にわたり[[ヨーロッパ]]が[[異常気象]]となる。
*1787年 - [[アントニオ・サリエリ]]が作曲したフランス語の[[オペラ]]([[トラジェディ・リリック]]、抒情悲劇)『[[タラール (サリエリ)|タラール]]』が[[パリ国立オペラ|パリ・オペラ座]]にて初演。
* [[1794年]] - [[テュイルリー宮殿]]で[[最高存在の祭典]]が開催。
<!-- 特筆性が低いような。6年後に離婚し、子供もなかったようですし。 * [[1808年]] - [[ミュンヘン]]で[[ヴィルヘルム1世 (ヴュルテンベルク王)|ヴィルヘルム1世]]と[[カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン]]が結婚。 -->
* [[1812年]] - 第2代[[リヴァプール伯爵]][[ロバート・ジェンキンソン (第2代リヴァプール伯爵)|ロバート・バンクス・ジェンキンソン]]が[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|イギリス]]の第22代[[イギリスの首相|首相]]に就任。
* [[1856年]] - [[ピトケアン島]]の[[バウンティ号の反乱|バウンティ号の反乱者]]の子孫194人が[[ノーフォーク島]]に移住。<!-- enより -->
* [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[テネシー州]]が[[北軍]]を離脱する。<!-- enより -->
* [[1862年]] - 南北戦争: [[クロスキーズの戦い]]。
* 1862年 - [[日本二十六聖人]]が[[列聖]]される。
* [[1867年]] - [[オーストリア・ハンガリー帝国]]成立。<!-- [[オーストリア=ハンガリー帝国]]には5月29日とあるが、de.wpには6月8日と記載。en.wpは3月30日。わけわからん -->
* [[1873年]] - 日本で、[[石高制]]を廃止し、一律の田畑反別課税制とする。<!-- 『366日の事典』(東陽出版、1994年)に記載あり。少し怪しい -->
* [[1876年]] - [[日本の道路]]: 全国の[[道路]]を[[国道]]・[[都道府県道|県道]]・[[里道]]に分け、それぞれを1等から3等に級別。<!-- 『366日の事典』(東陽出版、1994年)に記載あり。少し怪しい -->
* [[1887年]] - [[ハーマン・ホレリス]]が[[パンチカード]]式計算機の[[特許]]を取得。<!-- enより -->
* [[1895年]] - [[日露関係|日露]]通商航海条約調印。<!-- 『366日の事典』(東陽出版、1994年)に記載あり。少し怪しい -->
* [[1902年]] - フランスの[[気象学者の一覧|気象学者]][[レオン・ティスラン・ド・ボール]]により[[成層圏]]が発見される。<!-- 『366日の事典』(東陽出版、1994年)に記載あり。少し怪しい : 記念日にもあるのですが、日付ないですね… -->
* [[1905年]] - [[日露戦争]]: [[セオドア・ルーズベルト|ルーズベルト米大統領]]が日露両国に講和会議開催を呼びかける。
* [[1924年]] - [[ジョージ・マロリー]]と[[アンドリュー・アーヴィン]]が[[エベレスト]]登山中に行方不明になる。
* [[1928年]] - [[蔣介石]]が率いる[[中国国民党]]の[[北伐 (中国国民党)|北伐]]軍が[[北京]]に入城。国民政府が中国全土をほぼ統一。<!-- ブリタニカオンライン版「今日は何の日」より -->
* 1928年 - [[田中義一]]首相が[[上野駅]]で暴漢から襲撃を受ける。居合わせた[[松村光三]]議員が負傷するも田中は無事<ref>「上野駅で暴漢に襲われる」『東京朝日新聞』1928年6月9日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p.381 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
* [[1929年]] - [[バチカンの国旗]]が制定される。
* 1929年 - [[福島競馬場]]で、史上唯一の全頭落馬による不成立レースが発生する。
* [[1934年]] - [[南京]][[領事館|総領事館]]勤務の蔵本書記生が失踪。[[中国人]]による拉致・殺害を疑い[[国民政府]]に対して抗議を行ったのみならず、[[軍艦]]が[[揚子江]]から南京近くまで遡上する事態に発展する([[蔵本書記生失踪事件]])。なお蔵本本人は5日後に保護された。
* [[1937年]] - [[カール・オルフ]]の『[[カルミナ・ブラーナ]]』が[[フランクフルト・アム・マイン]]の[[フランクフルト歌劇場|市立劇場]]で初演。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: 日本の[[伊号第二十一潜水艦]]と[[伊号第二十四潜水艦]]が[[シドニー]]及び[[ニューカッスル (ニューサウスウェールズ州)|ニューカッスル]]を砲撃([[特殊潜航艇によるシドニー港攻撃]])。
* 1942年 - 第二次世界大戦: 日本で、[[軍事費]]不足を補うための[[戦時郵便貯金切手]](弾丸切手)を発売。
<!-- 日本時間。現地時間では前日 * 1942年 - [[アリューシャン方面の戦い]]: 日本軍が[[アッツ島]]を占領し、「熱田島」に改称。-->
* [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[戦艦]]「[[陸奥 (戦艦)|陸奥]]」が[[呉港]]沖の[[柱島泊地]]に停泊中、爆発事故を起こし沈没。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦: [[御前会議]]で採択された「今度採るべき戦争指導の基本大綱」で[[本土決戦]]方針を決定。
* [[1947年]] - [[日本教職員組合]](日教組)結成。
* [[1947年]] - [[大阪府]][[岸和田市]]で[[演芸場]]の屋根が落下する事故。死者70人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=67 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1949年]] - [[ジョージ・オーウェル]]の小説『[[1984年 (小説)|1984年]]』発刊。<!-- [[en:Nineteen Eighty-Four]]に記述あり -->
* [[1951年]] - [[千代の山雅信]]が第41代[[横綱]]となる。
* [[1954年]] - 全面改正された新[[警察法]]が公布される。
* [[1959年]] - [[アメリカ合衆国郵政公社|アメリカ郵政公社]]が米海軍の潜水艦[[バーベロ (潜水艦)|バーベロ]]を用いて、ロケットで手紙を届ける[[バーベロ (潜水艦)#ミサイル・メール|ミサイル・メール]]の最初で最後の実験を行う。
* [[1966年]] - 試作[[戦略爆撃機]][[XB-70 (航空機)|XB-70ヴァルキリー]]のうちの1機が、宣伝用映画撮影のための編隊飛行で[[戦闘機]][[F-104 (戦闘機)|F-104スターファイター]]と空中衝突。操縦していた[[ジョセフ・ウォーカー]]らが死亡。
* [[1967年]] - [[第三次中東戦争]]: [[イスラエル]]空軍機が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の諜報艦「[[リバティー (技術調査艦)|リバティー]]」を攻撃([[リバティー号事件]])。
* 1967年 - 中東戦争解決のため、アメリカの[[ホワイトハウス]]と[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[クレムリン]]との間の[[ホットライン]]が初めて使用される。
* [[1968年]] - [[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|キング牧師]]を暗殺した[[ジェームズ・アール・レイ]]が、[[偽造パスポート]]で[[イギリス]]に入国しようとしたところを逮捕される。
<!-- * 1968年 - [[暗殺]]された[[ロバート・ケネディ]]米上院議員の遺体が[[アーリントン国立墓地]]に埋葬される。<!- 大統領の方ではないケネディの埋葬…できごととするほど? -->
* [[1969年]] - [[南ベトナム]]に[[北ベトナム]]政府支配下の地下政府・[[南ベトナム共和国臨時革命政府]]が樹立。
* [[1976年]] - 日本政府が[[核拡散防止条約]]を批准。<!-- 『昭和・平成史年表』(平凡社、1997年)に記載 -->
* [[1979年]] - [[宮崎県知事]]が受託収賄罪で逮捕<ref>君臨20年の権勢どこへ 顔かくし逃げるように『朝日新聞』1979年(昭和54年)6月8日夕刊 3版 11面</ref>。後に[[黒木事件]]と呼ばれ[[無罪]]が確定。
<!-- * [[1979年]] - [[食酢]]の日本農林規格法が公示・施行。<!- 特筆性? -->
* [[1982年]] - [[フォークランド紛争]]: [[アルゼンチン]][[アルゼンチン空軍|空軍]]の攻撃により[[イギリス海軍|英海軍]]の補給揚陸艦「サー・ガラハッド」<!-- [[:en:RFA Sir Galahad (1966)]] 日本語版での項目名のつけ方が不明のため、コメントアウトで -->が沈没。死者45人。他、多数の英海軍の艦船が撃沈または大破。
* 1982年 - [[ロッキード事件]]の裁判で、元運輸相・[[橋本登美三郎]]、元運輸政務次官・[[佐藤孝行]]に[[東京地方裁判所|東京地裁]]が有罪判決をくだす。
* [[1985年]] - [[本州四国連絡道路]]神戸・鳴門ルートの[[大鳴門橋]]が開通。
* [[1986年]] - 前[[国連事務総長]]の[[クルト・ヴァルトハイム]]が[[連邦大統領 (オーストリア)|オーストリア大統領]]に当選。
<!-- 毎年実施されるものはいちいち書かなくてよいかと * [[1987年]] - [[ヴェネツィア]]で[[主要国首脳会議]]が開催される。 -->
* [[1988年]] - [[東京メトロ有楽町線]]([[和光市駅|和光市]] - [[新木場駅|新木場]])が全線開通。
* [[1995年]] - [[ラスマス・ラードフ]]がプログラミング言語[[PHP (プログラミング言語)|PHP]]の最初の版をリリース。
* [[1998年]] - 超党派野党、衆議院に選択的[[夫婦別姓]]制度導入を盛り込んだ民法改正案を提出。
* [[2001年]] - [[附属池田小事件]]が起こり、児童8人が死亡。
* 2001年 - 10年後に、日本国内における[[テレビ]]の[[アナログ放送]]終了を定めた、改正[[電波法]]が[[参議院]]において可決、成立。
* [[2004年]] - 130年ぶりに[[金星]]が[[太陽]]面通過。詳細は[[金星の太陽面通過]]を参照のこと。<!-- 初出場・○年ぶりの出場以外は書かなくてよいかと。 * * [[2005年]] - [[サッカー日本代表]]が[[サッカー北朝鮮代表]]に勝利し[[2006年]][[FIFAワールドカップ]]の出場権を獲得。 -->
* [[2006年]] - 超党派野党、衆議院に選択的[[夫婦別姓]]制度を盛り込んだ民法改正案を提出。
* [[2007年]] - [[追手門学院大学いじめ自殺事件]]が起きる。
* [[2008年]] - [[秋葉原通り魔事件]]が発生。7人が死亡、10人が重軽傷を負う、戦後最悪の通り魔事件。
* [[2010年]] - [[菅直人内閣]]が発足。第94代首相に[[菅直人]]([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]])。閣僚17人中11人が[[鳩山由紀夫内閣|鳩山内閣]]から引き続き再任。
* [[2011年]] - World [[IPv6]] Dayを実施<ref>[https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/451744.html 「World IPv6 Day」が無事終了、大きな混乱はなかった模様 -INTERNET Watch Watch] impress (2011年6月9日) 2020年8月29日閲覧。</ref>。
* 2011年 - [[地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]への完全移行を[[岩手県|岩手]]・[[宮城県|宮城]]・[[福島県|福島]]の3県に限り最大で1年間(2012年7月24日まで)延期することを柱とした、[[東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律]]が[[参議院]]において可決、成立<ref>[https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/451379.html 被災3県の地アナ延長法案が可決。最長1年間延期 - AV Watch] impress (2011年6月8日) 2020年8月29日閲覧。</ref>。
{{-}}
== 誕生日 ==
[[Image:Giovanni Cassini.jpg|thumb|100px|天文学者[[ジョバンニ・カッシーニ]](1625-1712)誕生]]
[[Image:Albinoni.jpg|thumb|100px|[[バロック音楽|バロック]]の作曲家[[トマゾ・アルビノーニ]](1671-1751)誕生。{{audio|Albinoni - Concerto for 2 Oboes in F Major, op. 9 No. 3 - 1. Allegro.ogg|『2つのオーボエのための協奏曲ヘ長調作品3第3番』より第1楽章を聴く}}]]
[[Image:M-A-Careme.jpg|thumb|100px|[[フランス料理]]を刷新した料理人、[[アントナン・カレーム]](1784-1833)]]
[[Image:Robert Schumann 1839.jpg|thumb|upright|[[ロマン派音楽]]の作曲家[[ロベルト・シューマン]](1810-1856)。{{audio|Robert Schumann - scenes from childhood, op. 15 - vii. dreaming.ogg|『子供の情景』より「トロイメライ」を聴く}}]]
[[Image:Millais - Self-Portrait.jpg|thumb|upright|画家[[ジョン・エヴァレット・ミレー]](1829-1896)。画像は自画像]]
[[Image:Kramskoy Portrait of a Woman.jpg|thumb|210px|画家[[イワン・クラムスコイ]](1837-1887)。画像は『見知らぬ女』(1883)]]
[[Image:Crick-stainedglass-gonville-caius.jpg|thumb|100px|[[デオキシリボ核酸|DNA]]の[[二重螺旋]]構造を発見した生物学者[[フランシス・クリック]](1916-2004)<!--。画像は母校[[ケンブリッジ大学]][[ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ|キーズ校]]にある、[[DNA]]の[[二重螺旋]]構造発見を称えるステンドグラス-->]]
<!-- [[Image:%E7%BE%8E%E3%81%A1%E5%A5%B4.jpg|thumb|upright|芸者歌手、[[美ち奴]](1917-1996)]] -->
[[Image:President Suharto, 1993.jpg|thumb|100px|[[インドネシア]]の政治家[[スハルト]](1921-2008)]]
<!-- [[Image:Fred_Kaps.png|thumb|100px|奇術師[[フレッド・カップス]](1926-1980)]] -->
[[Image:Aumann-1080.jpg|thumb|100px|[[ゲーム理論]]を研究した数学者[[ロバート・オーマン]](1930-)]]
[[File:HT-Kenji-Jojima20100525.jpg|thumb|100px|捕手として日本人初のメジャーリーガー、[[城島健司]](1976-)]]
* [[1625年]] - [[ジョバンニ・カッシーニ]]、[[天文学者]](+ [[1712年]])
* 1633年([[寛永]]10年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]])- [[一条教輔]]、[[公卿]](+ [[1707年]])
* [[1636年]](寛永13年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[伊達宗純]]、[[伊予国|伊予]][[伊予吉田藩|吉田藩]]初代藩主(+ [[1708年]])
* [[1637年]](寛永14年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[堀直吉]]、[[越後国|越後]][[村松藩|安田藩]]の第2代藩主(+ [[1674年]])
* [[1671年]] - [[トマゾ・アルビノーニ]]、[[作曲家]](+ [[1751年]])
* [[1724年]] - [[ジョン・スミートン]]、[[土木工学|土木工学者]](+ [[1792年]])
* [[1757年]]([[宝暦]]7年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[京極高備]]、[[丹後国|丹後]][[峰山藩]]の第7代藩主(+ [[1835年]])
* [[1776年]]([[安永 (元号)|安永]]5年4月22日) - [[内藤頼以]]、[[信濃国|信濃]][[高遠藩]]の第6代藩主(+ [[1856年]])
* [[1784年]] - [[アントナン・カレーム]]、[[フランス料理]]の[[料理人|シェフ]](+ [[1833年]])
* [[1798年]]([[寛永]]10年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[京極高朗]]、[[讃岐国|讃岐]][[丸亀藩]]の第6代[[藩主]](+ [[1874年]])
* [[1799年]] - [[ウィリアム・メレディス]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1873年]])
* [[1804年]]([[文化 (元号)|文化]]元年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]) - [[有馬徳純]]、[[越前国|越前]][[丸岡藩]]の第6代藩主(+ [[1837年]])
* [[1809年]] - [[リチャード・トンプソン (海軍長官)|リチャード・トンプソン]]、第27代[[アメリカ合衆国海軍長官]](+ [[1900年]]) <!-- ja,de,it:6/8。enのみ6/9としています -->
* [[1810年]] - [[ロベルト・シューマン]]、[[作曲家]](+ [[1856年]])
* [[1820年]]([[文政]]3年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[徳川斉彊]]、[[紀伊国|紀伊]][[紀州藩]]の第12代藩主(+ [[1849年]])
* [[1829年]] - [[ジョン・エヴァレット・ミレー]]、[[画家]](+ [[1896年]])
* [[1837年]] - [[イワン・クラムスコイ]]、画家(+ [[1887年]])
* [[1854年]]([[嘉永]]7年[[5月13日 (旧暦)|5月13日]]) - [[本多助寵]]、信濃[[飯山藩]]の第9代藩主(+ [[1869年]])
* [[1865年]]([[慶応]]元年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[宮入慶之助]]、[[寄生虫学|寄生虫学者]](+ [[1946年]])
* [[1867年]] - [[フランク・ロイド・ライト]]、[[建築家]](+ [[1959年]])
* [[1877年]] - [[窪田空穂]]、歌人(+ [[1967年]])
* [[1885年]] - [[土岐善麿]]、歌人、国語学者(+ [[1980年]])
* [[1886年]] - [[今井登志喜]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1950年]])
* [[1887年]] - [[犬丸徹三]]、[[実業家]](+ [[1981年]])
* 1887年 - [[白鳥敏夫]]、[[外交官]]、[[政治家]](+ [[1949年]])
* [[1888年]] - [[千家元麿]]、[[詩人]](+ [[1948年]])
* [[1894年]] - [[エルヴィン・シュルホフ]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1942年]])
* [[1897年]] - [[エセル・トムソン・ラーコム]]、[[テニス]]選手(+ [[1965年]])
* [[1899年]] - [[丸山薫]]、[[詩人]](+ [[1974年]])
* [[1900年]] - [[ジョージ・アンタイル]]、作曲家、ピアニスト(+ [[1959年]])
* [[1901年]] - [[岩田専太郎]]、画家(+ 1974年)
* [[1903年]] - [[知里幸恵]]、『[[アイヌ神謡集]]』の著者(+ [[1922年]])
* 1903年 - [[マルグリット・ユルスナール]]、[[小説家]](+ [[1987年]])
* [[1907年]] - [[ジョルジュ・スペシェ]]、[[自転車競技]]選手(+ [[1978年]])
* [[1910年]] - [[ジョン・W・キャンベル]]、[[小説家]](+ [[1971年]])
* [[1916年]] - [[ルイジ・コメンチーニ]]、[[映画監督]](+ [[2007年]])
* 1916年 - [[フランシス・クリック]]、[[分子生物学|分子生物学者]](+ [[2004年]])
* [[1917年]] - [[美ち奴]]、[[芸者]]、[[歌手]](+ [[1996年]])
* [[1918年]] - [[ジョン・D・ロバーツ]]、科学者(+ [[2016年]])<ref>{{Cite web |date=2016-11-06 |url=https://www.nytimes.com/2016/11/07/science/john-roberts-organic-chemistry.html?_r=0 |title=John D. Roberts Dies at 98; He Revolutionized the Field of Organic Chemistry |publisher=The New York Times |language=英語 |accessdate=2020-10-24}}</ref>
* [[1920年]] - [[秋山庄太郎]]、[[写真家]](+ [[2003年]])
* [[1921年]] - [[スハルト]]、軍人、政治家、[[インドネシア]]第2代[[インドネシアの大統領一覧|大統領]](+ [[2008年]])
* 1921年 - [[清水好子]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[2004年]])
* [[1926年]] - [[フレッド・カップス]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](+ [[1980年]])
* [[1929年]] - [[なだいなだ]]、[[医師]]、[[作家]]、[[評論家]](+ [[2013年]])
* [[1930年]] - [[ロバート・オーマン]]、[[数学者]]、[[経済学者]]
* [[1934年]] - [[青木幹雄]]、[[政治家]](+ [[2023年]])
* [[1936年]] - [[ケネス・ウィルソン]]、[[物理学者]](+ [[2013年]])
* 1936年 - [[ロバート・フロイド]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[2001年]])
* [[1938年]] - [[飯塚繁雄]]、[[人権擁護者|人権活動家]](+ [[2021年]])
* [[1940年]] - [[ナンシー・シナトラ]]、[[歌手]]
* [[1943年]] - [[ウィリー・ダベンポート]]、[[陸上競技]]選手(+ [[2002年]])
* [[1944年]] - [[及川宣士]]、元[[プロ野球選手]]
* 1944年 - [[鏡五郎]]、[[演歌歌手]]
* 1944年 - [[ボズ・スキャッグス]]、[[音楽家|ミュージシャン]]
* [[1945年]] - [[原一男]]、[[映画監督]]
* [[1946年]] - [[ジャック・リンド]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[サラ・パレツキー]]、[[推理作家]]
* 1947年 - [[エリック・ヴィーシャウス]]、[[生物学者]]
* [[1949年]] - [[エマニュエル・アックス]]、ピアニスト
* [[1950年]] - [[坂本多加雄]]、[[政治学者]](+ [[2002年]])
* 1950年 - [[キャシー・ベイカー]]、女優
* [[1951年]] - [[ボニー・タイラー]]、ミュージシャン
* 1951年 - [[トニー・ライス]]、ミュージシャン(+ [[2020年]])
* [[1952年]] - [[杉浦享]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[レン・サカタ]]、元プロ野球選手
* [[1954年]] - [[神矢みのる]]、[[漫画家]]
* 1954年 - [[ダン・スバーン]]、[[総合格闘家]]
* [[1955年]] - [[ティム・バーナーズ=リー]]、[[技術者]]
* 1955年 - [[金子修介]]、[[映画監督]]
* [[1957年]] - [[スコット・アダムス]]、漫画家
* [[1958年]] - [[翔 (歌手)|翔]]、[[歌手]]([[横浜銀蝿]])
* 1958年 - [[キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ]]、[[俳優]]、[[コメディアン]]、映画監督
* [[1959年]] - [[川口ヱリサ]]、[[ヴァイオリニスト]]
* 1959年 - [[佐藤茂樹 (政治家)|佐藤茂樹]]、政治家
* [[1960年]] - [[:en:Mick Hucknall|ミック・ハックネル]]、ミュージシャン([[シンプリー・レッド]])
* [[1961年]] - [[山室展弘]]、[[競艇選手]]
* [[1962年]] - [[ジョン・ギボンズ]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]]
* 1962年 - [[藤原光博]]、[[お笑い芸人]]
* [[1963年]] - [[南芳一]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* 1963年 - [[上川徹]]、[[審判員 (サッカー)|サッカー審判員]]
* 1963年 - [[衛藤浩一]]、[[ドラマー]]
* [[1964年]] - [[アントニオ・カルロス・サントス]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]
* [[1965年]] - [[八木裕]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[森尾由美]]、[[タレント]]
* 1966年 - [[石田敦子 (毎日放送)|石田敦子]]、元[[アナウンサー]]
* [[1967年]] - [[三村マサカズ]]、お笑いタレント([[さまぁ〜ず]])
* [[1968年]] - [[琴錦功宗]]、元大相撲[[力士]]、[[年寄]]19代[[朝日山 (相撲)|朝日山]]
* 1968年 - [[三上哲]]、[[俳優]]
* [[1969年]] - [[宇都美慶子]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1970年]] - [[須田鷹雄]]、[[競馬評論家]]
* 1970年 - [[井上純]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[福永俊介]]、アナウンサー
* [[1971年]] - [[TERU]]、ミュージシャン([[GLAY]])
* 1971年 - [[岡寛恵]]、[[声優]]、舞台俳優
* [[1972年]] - 大谷ノブ彦、お笑いタレント([[ダイノジ]])
* 1972年 - [[高市佳明]]、アナウンサー
* [[1973年]] - [[川越英隆]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[古川りか]]、女優
* 1973年 - [[ブライアント・リーヴス]]、プロ[[バスケットボール]]選手
* 1973年 - [[アントキの猪木]]、お笑いタレント
* 1973年 - [[富田睦子]]、歌人
* [[1974年]] - [[三澤興一]]、元プロ野球選手
* 1974年 - [[レイザーラモンRG]]、お笑いタレント
* [[1975年]] - [[サラ・アビトボル]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1976年]] - [[城島健司]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[竜太郎|辻竜太郎]]、元プロ野球選手
* 1976年 - [[リンゼイ・ダベンポート]]、プロ[[テニス]]選手
* 1976年 - [[トリッシュ・ゴフ]]、[[ファッションモデル]]
* 1976年 - [[蟹江一平]]、俳優
* 1976年 - [[中野真博]]、元野球選手
* [[1977年]] - [[アレッサンドロ・ローザ・ヴィエイラ|ファルカン]]、フットサル選手
* 1977年 - [[カニエ・ウェスト]]、[[MC (ヒップホップ)|ラッパー]]
* [[1978年]] - [[柳本聡子]]、元[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]、[[客室乗務員]]
* 1978年 - [[三好貴士]]、元プロ野球選手、プロ野球監督
* [[1979年]] - [[中村仁美]]、フリーアナウンサー
* 1979年 - [[ピート・オーア]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[本多章一]]、俳優
* 1979年 - [[谷口悦司]]、元プロ野球選手
* 1979年 - [[筒井亮太郎]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー
* 1979年 - [[三戸耕三]]、声優
* 1979年 - [[デレク・トラックス]]、[[ギタリスト]]
* [[1980年]] - [[Ritz]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]
* 1980年 - [[ジェイミー・スペンサー]]、[[騎手]]
* 1980年 - [[新田佳浩]]、パラリンピック・[[ノルディックスキー]]選手
* [[1981年]] - [[野中藍]]、声優
* 1981年 - [[山田悠介]]、[[小説家]]
* 1981年 - [[條辺剛]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[末永真史]]、元プロ野球選手
* 1981年 - [[山田大治]]、バスケットボール選手
* 1981年 - [[山口玲香]]、[[ローカルタレント]]
* [[1982年]] - [[ケディ]]、タレント
* 1982年 - [[ナディア・ペトロワ]]、プロテニス選手
* 1982年 - [[イリナ・ラザレアヌ]]、ファッションモデル
* 1982年 - [[橋本尚樹]]、元[[サッカー選手]]
* 1982年 - [[杉咲侑果]]、女優
* 1982年 - [[八木依子]]、タレント
<!-- 特筆性は? * 1982年 - [[田中ユウイチ]]、[[ギタリスト]]([[藍坊主]]) -->
* [[1983年]] - [[石橋佳奈]]、タレント
* 1983年 - [[キム・クライシュテルス]]、プロテニス選手
* 1983年 - [[西村悟]]、元野球選手
* 1983年 - [[首藤慎一]]、サッカー選手
<!-- 特筆性は? * 1983年 - [[ゆかいパン|中嶋佑輔]]、[[お笑い芸人]] -->
* 1983年 - [[宮野真守]]<ref name="アニメイト">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=337|title=宮野 真守のアニメキャラ・最新情報まとめ|publisher=アニメイトタイムズ|accessdate=2020-10-29}}</ref>、声優、俳優
* 1983年 - [[酒巻光宏]]、声優
* [[1984年]] - [[大塚淳]]、元プロ野球選手
* 1984年 - [[ハビエル・マスチェラーノ]]、サッカー選手
* 1984年 - [[辰巳ゆい]]、女優、元[[AV女優]]
* [[1985年]] - [[小泉真里]]、タレント
* 1985年 - [[鈴木智樹]]、元サッカー選手
* [[1987年]] - [[長谷川桃]]、女優
* 1987年 - [[布施貴美子]]、[[モデル (職業)|モデル]]
* [[1989年]] - [[桜井美馬]]、元[[ショートトラックスピードスケート]]選手
* 1989年 - [[津田美波]]、声優
* [[1990年]] - [[中川大志 (野球)|中川大志]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[卜部功也]]、キックボクサー
* 1990年 - [[アレッサンドロ・トゥーイア]]、サッカー選手
* 1990年 - [[サーニャ・マラグルスキ]]、バレーボール選手
* 1990年 - 福田直也、タレント、マジシャン
* [[1991年]] - [[R.J.アルバレス]]、プロ野球選手
* 1991年 - [[梅鉢貴秀]]、サッカー選手
* 1991年 - [[ハリール・バニーアティーエ]]、サッカー選手
* [[1993年]] - [[中﨑絵梨奈]]、タレント(元[[Chubbiness]])
* [[1994年]] - [[李厚賢]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1994年 - [[佐々木千隼]]、プロ野球選手
* [[1994年]] - [[松井健斗]]、実業家、舞台俳優
* [[1995年]] - [[佐保明梨]]、[[アイドル]](元[[アップアップガールズ(仮)]])
* 1995年 - [[小関裕太]]、タレント、俳優
* 1995年 - [[佐藤晴美]]、 [[ダンサー]]、ファッションモデル、女優(元[[Flower (グループ)|Flower]]、元[[E-girls]])
* 1995年 - tobu masato、[[ベーシスト]]、[[YouTuber]]([[datto]])
* [[1996年]] - [[イ・ジニョク]]、歌手、ダンサー(元[[UP10TION]])
* 1996年 - [[小川紗良]]、俳優、映画監督
* 1996年 - [[椛島光]]、女優
* 1996年 - [[ささきしょうこ]]、[[プロゴルファー]]
* 1996年 - [[樋口柚子]]、女優、モデル
* [[1998年]] - かれん、歌手([[Little Glee Monster]])
* [[2001年]] - [[安田桃寧]]、元アイドル(元[[NMB48]])
* [[2002年]] - [[中島大嘉]]、サッカー選手
* [[2003年]] - [[今井陽菜]]、タレント
* [[2004年]] - [[筒井あやめ]]、アイドル([[乃木坂46]])
* 2004年 - [[茨木秀俊]]、プロ野球選手
* [[2005年]] - [[三浦佳生]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[2006年]] - [[菅井純愛]]、ファッションモデル
* 生年不明 - [[咲坂伊緒]]、[[漫画家]]
* 生年不明 - [[天神林ともみ]]、声優
{{-}}
== 忌日 ==
[[Image:Siyer-i Nebi 151b.jpg|thumb|170px|[[イスラーム教]]の開祖[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ]](570-632)没。画像は『預言者伝』<!--より[[カアバ]]のムハンマド-->。顔は描かれないのが通例。{{Squote|私の言葉を聞く全ての者は、それを他の者へ、そしてまた他の者へと伝えるように。そして、最後の者が、私から直接聞いた者よりもさらに良く私の言葉を理解するように。――『最後の説話』(630)}}]]
[[Image:Hans Leo Haßler.jpg|thumb|100px|作曲家[[ハンス・レーオ・ハスラー]](1562-1612)没。{{audio|Canzon a 4vo Hassler.ogg|『4声のカンツォーナ』より第1番を聴く}}]]
[[Image:Iemitu.jpg|thumb|upright|江戸幕府第3代将軍、[[徳川家光]](1604-1651)没]]
[[Image:Coeur-de-louis-XVII-abbaye-de-saint-denis.JPG|thumb|120px|[[ルイ17世]](1785-1795)、幽閉先のタンプル塔で<!--[[結核]]により-->没。享年10。画像は心臓]]
[[Image:BHS-TP Statue.JPG|thumb|upright|社会思想家[[トマス・ペイン]](1737-1809)。{{Squote|[[独立]]が私の[[幸福]]であり、私は場所や人を顧慮することなくありのままに物事を見る。私の[[国家|国]]とは[[世界]]であり、私の[[宗教]]とは[[善]]をなすことである。――『[[人間の権利]]』(1791)}}]]
<!-- [[Image:Toepffer_Cryptogame_13.png|thumb|upright|近代的なコマ割り[[漫画]]を生み出した風刺画家[[ロドルフ・テプフェール]](1799-1846)。画像は『クリプトガム氏物語』(1845)]] -->
<!-- [[Image:Nohant_tombe_de_George_SAND_1.jpg|thumb|upright|作家[[ジョルジュ・サンド]](1804-1876)。{{Squote|真実は単純すぎて、そこに辿り着くにはいつも複雑な道を通らねばならない。――書簡より(1867)}}]] -->
<!-- [[Image:North_American_XB-70A_Valkyrie_just_after_collision_061122-F-1234P-037.jpg|thumb|upright|[[ジョセフ・ウォーカー]](1921-1966)事故死]] -->
* [[632年]] - [[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ]]、[[イスラム教]]の[[預言者]](* [[570年]]頃)
* [[1042年]] - [[ハーデクヌーズ]]、[[デンマーク]]・[[イングランド王国|イングランド王]](* [[1018年]])
* [[1155年]]([[久寿]]2年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[藤原顕輔]]、[[平安時代]]の[[公卿]]、[[歌人]](* [[1090年]])
* [[1376年]] - [[エドワード黒太子]]、イングランド王[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の[[プリンス・オブ・ウェールズ|王太子]](* [[1330年]])
* [[1384年]]([[至徳 (日本)|至徳]]元年/[[元中]]元年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]) - [[観阿弥]]、[[猿楽]]師(* [[1333年]])
* 1384年(至徳元年/元中元年5月19日) - [[今川範国]]、[[守護大名]](* [[1295年]]?)
* [[1551年]]([[天文 (元号)|天文]]20年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[遊佐長教]]、[[守護代]](* [[1491年]])
* [[1574年]]([[天正]]2年5月19日) - [[真田幸隆]]、[[武将|戦国武将]](* [[1513年]])
* [[1612年]] - [[ハンス・レーオ・ハスラー]]、[[作曲家]](* [[1562年]])
* [[1628年]]([[寛永]]5年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[平野長泰]]、戦国武将(* [[1559年]])
* [[1651年]]([[慶安]]4年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[阿部重次]]、[[江戸幕府]][[老中]](* [[1598年]])
* 1651年(慶安4年4月20日) - [[徳川家光]]、江戸幕府第3代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1604年]])
* 1651年(慶安4年4月20日) - [[堀田正盛]]、江戸幕府老中(* [[1609年]])
* 1651年(慶安4年4月20日) - [[内田正信]]、[[鹿沼藩|鹿沼藩主]](* [[1613年]])
* [[1701年]] - [[フィリップ1世 (オルレアン公)|フィリップ1世]]、初代第3[[オルレアン家|ブルボン・オルレアン家]]当主(* [[1640年]])
* [[1714年]] - [[ゾフィー・フォン・デア・プファルツ]]、[[エルンスト・アウグスト (ハノーファー選帝侯)|ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグスト]]の妃(* [[1658年]])
* [[1716年]] - [[ヨハン・ヴィルヘルム (プファルツ選帝侯)|ヨハン・ヴィルヘルム]]、[[プファルツ選帝侯]](* [[1658年]])
* [[1728年]]([[享保]]13年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]) - [[松平忠周]]、[[信濃国]][[上田藩]][[藩主]](* [[1661年]])
* [[1768年]] - [[ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン]]、[[美術史|美術史家]](* [[1717年]])
* [[1795年]] - [[ルイ17世]]、フランス[[ドーファン|王太子]](* [[1785年]])
* [[1809年]] - [[トマス・ペイン]]、[[社会思想|社会思想家]](* [[1737年]])
* [[1845年]] - [[アンドリュー・ジャクソン]]、第7代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1767年]])
* [[1846年]] - [[ヨハン・ベンツェンベルク]]、[[物理学者]]、[[測地学|測地学者]](* [[1777年]])
* 1846年 - [[ロドルフ・テプフェール]]、[[教育者]]、作家、[[風刺画|風刺画家]](* [[1799年]])
* [[1864年]]([[元治]]元年5月5日) - [[冷泉為恭]]、[[大和絵]]の[[絵師]](* [[1823年]])
* [[1876年]] - [[ジョルジュ・サンド]]、[[小説家]](* [[1804年]])
* [[1880年]] - [[マリア・アレクサンドロヴナ (ロシア皇后)|マリア・アレクサンドロヴナ]]、[[ロシア帝国|ロシア皇帝]][[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]]の皇后(* [[1824年]])
* [[1884年]] - [[ヘンリ・クレイ・ワーク]]、作曲家(* [[1832年]])
* 1884年 - [[田中平八]]、[[実業家]](* [[1834年]])
* [[1889年]] - [[ジェラード・マンリ・ホプキンス]]、[[詩人]](* [[1844年]])
* [[1894年]] - [[麗々亭柳橋 (3代目)|麗々亭柳橋]]、[[落語家]](* [[1826年]])
* [[1917年]] - [[松平忠和 (島原藩主)|松平忠和]]、[[肥前国]][[島原藩]]第13代[[藩主]](* [[1851年]])
* [[1921年]] - [[中村梅玉 (2代目)|中村梅玉]]、[[歌舞伎役者一覧|歌舞伎役者]](* [[1842年]])
* [[1924年]] - [[ジョージ・マロリー]]、[[登山家]](* [[1886年]])※正確な日付は不明
* 1924年 - [[アンドリュー・アーヴィン]]、登山家(* [[1902年]])※正確な日付は不明
* [[1928年]] - [[伊沢蘭奢]]、[[俳優|女優]](* [[1889年]])
* [[1939年]] - [[梶上初一]]、[[野球選手]](* [[1906年]])
* [[1940年]] - [[フレデリック・コンヴァース]]、[[作曲家]](* [[1871年]])
* [[1943年]] - [[三好輝彦]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[少将]](* [[1893年]])
* [[1945年]] - [[カール・ハンケ]]、[[ナチス・ドイツ]]の[[親衛隊全国指導者]](* [[1903年]])
* [[1948年]] - [[安保清種]]、日本の[[海軍大臣]](* [[1870年]])
* [[1949年]] - [[ラースリ・デソ]]、軍人(* [[1892年]])
* [[1956年]] - [[マリー・ローランサン]]、[[画家]]、[[彫刻家]](* [[1883年]])
* [[1963年]] - [[富本憲吉]]、[[陶芸家]](* [[1886年]])
* [[1966年]] - [[ジョセフ・ウォーカー]]、[[テストパイロット]](* [[1921年]])
* [[1969年]] - [[ロバート・テイラー (俳優)|ロバート・テイラー]]、俳優(* [[1911年]])
* [[1970年]] - [[アブラハム・マズロー]]、[[心理学者]](* [[1908年]])
* [[1973年]] - [[能代潟錦作]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1895年]])
* [[1975年]] - [[マレイ・ラインスター]]、[[SF作家]](* [[1896年]])
* [[1979年]] - [[ラインハルト・ゲーレン]]、[[ドイツ国防軍]]情報[[将校]]、[[ゲーレン機関]]創設者(* [[1902年]])
* [[1980年]] - [[松浦周太郎]]、[[政治家]](* [[1896年]])
* [[1981年]] - [[リディア・ロポコワ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1892年]])
* [[1982年]] - [[サチェル・ペイジ]]、元プロ野球選手(* [[1906年]])
* [[1983年]] - [[羽仁五郎]]、歴史家(* [[1901年]])
* [[1984年]] - [[ゴードン・ジェイコブ]]、作曲家(* [[1895年]])
* [[1985年]] - [[胡風]]、[[文芸評論家]](* [[1902年]])
* [[1988年]] - [[青木日出雄]]、[[航空]]・[[軍事]]評論家(* [[1927年]])
* [[1990年]] - [[赤羽末吉]]、[[絵本作家]](* [[1910年]])
* [[1992年]] - [[アルフレット・ウール]]、作曲家(* [[1909年]])
<!-- 特筆性は? * [[1993年]] - [[山内逸郎]]、[[医師]](* [[1923年]]) -->
* [[1997年]] - [[本堂保次]]、元[[プロ野球選手]](* [[1918年]])
* 1997年 - [[エイモス・チュツオーラ]]、小説家(* [[1920年]])
* [[1998年]] - [[マリア・ライヘ]]、[[数学者]]、[[考古学|考古学者]](* [[1903年]])
* 1998年 - [[サニ・アバチャ]]、政治家、[[ナイジェリアの大統領|ナイジェリア大統領]](* [[1943年]])
* [[2000年]] - [[宇佐美一夫]]、元プロ野球選手(* [[1914年]])
* 2000年 - [[大館勲]]、元プロ野球選手(* [[1917年]])
* [[2001年]] - [[アレックス・デレンジー]]、[[映画監督]](* [[1935年]])
* [[2006年]] - [[西田猛]]、政治家(* [[1955年]])
* 2006年 - [[フランツ・フリーデル]]、[[歌手]](* [[1943年]])
* [[2007年]] - [[アデン・アブドラ・ウスマン]]、政治家、[[ソマリアの大統領一覧|ソマリア大統領]](* [[1908年]])
* 2007年 - [[観世栄夫]]、[[能楽|能楽師]]、俳優(* [[1927年]])
* 2007年 - [[リチャード・ローティ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1931年]])
* [[2014年]] - [[古田足日]]、[[児童文学作家]]、[[評論家]](* [[1927年]])
* 2014年 - [[桂宮宜仁親王]]、[[皇族]](* [[1948年]])
* [[2015年]] - [[チア・シム]]、政治家(* [[1932年]])
* [[2016年]] - [[河内卓司]]、元プロ野球選手(* [[1920年]])
* [[2022年]] - [[竹内幸輔]]、声優(* [[1976年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2020年]] - [[わさお]]、[[秋田犬]]、[[鰺ヶ沢町]]で飼育されていた犬(* [[2007年]]夏頃)
== 記念日・年中行事 ==
[[ファイル:Ohnaruto Bridge.jpg|thumb|300px|right|大鳴門橋]]
* [[世界海洋デー]]({{World}})
*: 国連が[[2009年]]から実施する[[国際デー]]。[[1992年]]6月8日に[[リオデジャネイロ]]で開かれた[[環境と開発に関する国際連合会議|地球サミット]]で[[カナダ]]が提案したもので、以来「世界海洋デー」として非公式に実施されていたものを国連の国際デーとした。
* 世界[[脳腫瘍]]啓発デー({{World}})
* 学校の安全確保・安全管理の日({{JPN}})
*: [[2001年]]の[[附属池田小事件]]を受けて、[[大阪府]][[教育委員会]]が[[2002年]]に制定。
* 大鳴門橋開通記念日({{JPN}})
*: [[1985年]]のこの日に[[大鳴門橋]]が開通したことを記念。
* [[ヴァイキング]]の日({{JPN}})
*: 793年のこの日、北欧の海賊ヴァイキングの活動が最初に記録に現われた。
* 成層圏発見の日
*: [[1902年]]のこの日、[[レオン・ティスラン・ド・ボール|テスラン・ド・ボール]]により[[成層圏]]が発見されたことを記念。
<!-- * [[へその緒]]の日({{JPN}})
*: 2人組ユニット[[SOFFet]]が[[2005年]]のシングル『へその緒』の発売を記念して、そのPRのために制定。
公共性なし。せめて由来がへその緒に因んでいれば入れられたのですが、ただのCDの発売日。-->
* ガパオの日({{JPN}})
*: 「ガパオ食堂」を運営する株式会社ベースが制定。「ガパオ」とはタイホーリーバジルのことで、鳥のひき肉、目玉焼きと一緒に食べる「ガパオごはん」はタイ料理の人気メニューのひとつ。ガパオごはんの更なる普及が目的。日付は、「ガパオ食堂」の創立記念日である2007年の6月8日から<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=196|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
* ロハスの日({{JPN}})
*: 株式会社スーパーホテルが制定。同社では「Lohas(ロハス)」な取り組みを行なっており、その考え方や取り組みを広く知ってもらうのが目的。日付は、「ロ(6)ハ(8)ス」と読む語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=197|isbn=978-4422021140 }}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0608|date=2011年6月}}
* [[2008年]] - ネーミングライツ高校([[命名権|ネーミングライツ制度]]をとっており、毎回名前が異なる)の2年ヘ組生徒数名と担任の糸色望が[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[タイムトラベル|タイムスリップ]]する。(漫画『[[さよなら絶望先生]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1562年]] - 御剣平四郎、ゲーム『[[ソウルキャリバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sc6.soularchive.jp/sp/character/mitsurugi.php |title=御剣 平四郎 |work=SOULCALIBURⅥ |accessdate=2022-09-25 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|BANDAI NAMCO Entertainment Inc.]]}}</ref>
* [[1867年]] - ハンガリー(エリザベータ・へーデルヴァーリ)、漫画、アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=AXIS POWERS ヘタリア2|date=2008-12-31|publisher=[[幻冬舎]]|page=16|author=日丸屋秀和}}</ref>
* [[1985年]] - トリッシュ・ウナ、漫画・アニメ『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1402193762655391745}}</ref>
* [[1986年]] - 相沢ちとせ、ゲーム『[[ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title = ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜 公式ガイドブック 完全版(コナミ完璧攻略シリーズ)|date = 2002-03-05|publisher = [[コナミホールディングス|コナミ株式会社]]|isbn = 978-4575163100|page = 120|chapter = キャラクター別攻略マニュアル}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title = 別冊宝島947 我が青春の『ときめきメモリアル』ヒロインズ|date = 2004-02-06|publisher = [[宝島社]]|isbn = 978-4796638289|page = 45|chapter = Character Collection: ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜}}</ref>
* [[1997年]] - 吉川愛、アニメ『[[Wake Up, Girls!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://wakeupgirls.jp/character12.html |title=吉川 愛 |access-date=2022-09-25 |work=『Wake Up,Girls!』 |publisher=Green Leaves Wake Up, Girls!製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - 秋川勇太、アニメ・漫画『[[ネットゴーストPIPOPA]]』の主人公
* 生年不明 - 天霧綾斗、小説・アニメ『[[学戦都市アスタリスク]]』の主人公<ref>{{Twitter status|u_miyazaki|1004979718393720832}}</ref>
* 生年不明 - 下田莉華、『温泉むすめ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/shimoda_rika |title=静岡 下田莉華 |access-date=2022-09-25 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=温泉むすめ}}</ref>
* 生年不明 - ムーンストーン(ルナ)、[[サンリオ]]・[[セガトイズ]]『[[ジュエルペット]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jewelpet.jp/character/ |title=キャラクター紹介 ムーンストーン |publisher=セガトイズ、サンリオ |accessdate=2022-09-25 |work=ジュエルペット-宝石の目をもつペットたち!}}</ref>
* 生年不明 - サルデス、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Saldeath.html |title=サルデス |access-date=2022-09-25 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - ラクロワ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Rakuro.html |title=ラクロワ |access-date=2022-09-25 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - 大筒木アシュラ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1004740161488523266}}</ref>
* 生年不明 - 風祭モエギ(モエギ)、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=70|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=4-08-873288-X}}</ref>
* 生年不明 - 鈴屋什造、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2014|title=東京喰種トーキョーグール|publisher=集英社|location=|isbn=978-4-08-879887-5|date=|volume=13巻|quote=カバー裏}}</ref>
* 生年不明 - 諏訪愛吉、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2019|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-882053-8|quote=|date=|volume=39巻|page=90}}</ref>
* 生年不明 - 大谷ゆり、漫画・アニメ『[[エイリアン9]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 栄口勇人、漫画『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|year=2008|title=PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」|page=13|publisher=[[主婦と生活社]]|isbn=978-4-391-62643-8}}</ref>
* 生年不明 - 清水谷竜華、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref name="saki2">{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=清水谷 竜華(しみずだに りゅうか) |work=咲-Saki- |accessdate=2022-09-25 |publisher=小林立公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 南浦聡、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=南浦 聡(なんぽ さとる) |access-date=2022-09-25 |publisher=小林立公式サイト |work=咲-Saki-}}</ref>
* 生年不明 - 戌原閃、漫画『[[恨み来、恋、恨み恋。]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 衣緒、小説・アニメ『[[火魅子伝]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 芹澤直子、小説・漫画・アニメ『[[〈ハルチカ〉シリーズ|ハルチカシリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://haruchika-anime.jp/character/ |title=CHARACTER 芹澤直子 |access-date=2022-09-25 |work=アニメ『ハルチカ〜ハルタとチカは青春する〜』}}</ref>
* 生年不明 - ムーンドギー(ジェームズ・ダレン・エマーソン) 、アニメ『[[交響詩篇エウレカセブン]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - カナメ・バッカニア、アニメ『[[マクロスΔ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|macrossd|740532730874580994}}</ref>
* 生年不明 - 坂野上昇、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=2022-09-25}}</ref>
* 生年不明 - 白石マナツ、アニメ・ゲーム『[[神田川JET GIRLS|神田川 JETGIRLS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://kjganime.com/character.html |title=CHARACTER 馬場女 白石 マナツ |work=カンダガワ ジェットガールズ |accessdate=2022-09-25 |publisher=KJG PARTNERS}}</ref>
* 生年不明 - 香月夕呼、ゲーム『[[マブラヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=電撃大王編集部|year=2012|title=マブラヴ オルタネイティヴ メモリアルアートブック|page=56|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|isbn=978-4-04-891212-9}}</ref>
* 生年不明 - 千歳佐奈、ゲーム『[[天神乱漫 -LUCKY or UNLUCKY!?-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001176.000025615.html |title=ゆずソフトの『天神乱漫 LUCKY or UNLUCKY!?』より、「千歳佐奈」のグッズがぞくぞく登場。あみあみ含む一部流通限定で予約受付中。 |access-date=2022-06-17 |publisher=PR TIMES |date=2022-06-17}}</ref>
* 生年不明 - ちり、ゲーム『[[ドリームクラブGogo.]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |year = 2014 |title = ドリームクラブ Gogo. ビジュアルファンブック |page = 78 |publisher = [[KADOKAWA]] |ISBN = 978-4-04-729693-0}}</ref>
* 生年不明 - 吽、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://showbyrock-anime.com/character/tsurezure/ |title=徒然なる操り霧幻庵 吽 |access-date=2022-09-25 |website=TVアニメ「SHOW BY ROCK!!」}}</ref>
* 生年不明 - 逝橋エイ、ゲーム・映画『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|t7s_staff|1269828540544856065}}</ref><ref>{{Cite web|和書|publisher=Tokyo 7th シスターズ|url= https://t7s.jp/character/chara/28.html |title= 逝橋エイ |accessdate=2022-12-10}}</ref>
* 生年不明 - 幾松、ゲーム・アニメ・舞台『[[幕末Rock]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bakumatsu.marv.jp/game/ultrasoul/character/ikumatsu.html |title=幾松 |access-date=2022-09-25 |website=幕末Rock 超魂(ウルトラソウル)公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - アポロ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=9&cate=name&cont=Apollo |title=アポロ |access-date=2022-09-24 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 棗巳波、ゲーム・アニメ『[[アイドリッシュセブン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|id7mng_ogami|1534188460172779520}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
{{Commons&cat|June 8|8 June}}
{{新暦365日|6|7|6|9|[[5月8日]]|[[7月8日]]|[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]|0608|6|08}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%888%E6%97%A5 |
4,949 | 6月9日 | 6月9日(ろくがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から160日目(閏年では161日目)にあたり、年末まであと205日ある。 | [
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== できごと ==
[[Image:Duccio_maesta1021.jpg|thumb|180x180px|[[ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ]]の壁画『{{仮リンク|マエスタ|en|Maestà (Duccio)}}』公開(1310)]]
[[Image:Europe1815_1905.jpg|thumb|[[ウィーン議定書]]締結(1815)。[[ウィーン体制]](画像)はじまる。|180x180ピクセル]]
[[Image:Southern_cross.jpg|thumb|180x180px|[[チャールズ・キングスフォード・スミス]]、アメリカからオーストラリアまでの太平洋横断飛行に成功(1928)]]
[[Image:1967 Six Day War - Battle of Golan Heights.svg|thumb|180x180px|[[第三次中東戦争]]、[[イスラエル]]が[[ゴラン高原]]を占拠(1964)]]
* [[53年]] - 後に[[ローマ皇帝]]となる[[ネロ]]が[[クラウディア・オクタウィア|オクタウィア]]と結婚<ref>{{Cite web |url=https://www.mintageworld.com/media/detail/12089-claudia-octavia-and-nero-got-married-/ |title=Claudia Octavia and Nero got married |access-date=6 Oct 2023 |publisher=Mintage World}}</ref>。
* [[62年]] - ローマ皇帝ネロの最初の妻だったオクタウィアが処刑される<ref>{{Cite web |url=https://oxfordre.com/classics/display/10.1093/acrefore/9780199381135.001.0001/acrefore-9780199381135-e-1606#acrefore-9780199381135-e-1606 |title=Claudia, Octavia |access-date=6 Oct 2023 |publisher=Oxford University Press |website=OXFORD CLASSICAL DICTIONARY}}</ref>。
* [[68年]] - ローマ皇帝ネロが自殺する<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.co.uk/history/historic_figures/nero.shtml |title=Nero (37 AD - 68 AD) |access-date=6 Oct 2023 |publisher=[[BBC]] |website=History - Historic Figures}}</ref>。
* [[1281年]]([[弘安]]4年[[5月21日 (旧暦)|5月21日]]) - [[元寇]]: 壱岐・対馬に[[高麗]]の兵船が襲来。[[元寇#弘安の役|弘安の役]]の始まり。
* [[1312年]] - [[シエナ大聖堂]]で、[[ルネサンス]]初期を代表する絵画である[[ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ]]の壁画『{{仮リンク|マエスタ|en|Maestà (Duccio)}}』が公開される。
* [[1534年]] - 探検家[[ジャック・カルティエ]]が、ヨーロッパ人として初めて[[セントローレンス川]]に到達。
* [[1648年]]([[慶安]]元年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]) - [[天海]]による日本初の木活字による[[経典]]『[[経典#大蔵経|大蔵経]](寛永寺版)』が完成。
* [[1796年]]([[寛政]]8年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[油屋騒動]]。
* [[1815年]] - [[ウィーン会議]]が終了。[[ウィーン議定書]]を締結し、[[ナポレオン戦争]]後のヨーロッパの新しい国際秩序[[ウィーン体制]]が始まる。
* [[1863年]] - [[南北戦争]]: [[ブランディ・ステーションの戦い]]。
* [[1865年]]([[慶応]]元年[[5月16日 (旧暦)|5月16日]]) - [[長州征討#第二次長州征討|第二次長州征討]]: 将軍[[徳川家茂]]が江戸を出発。
* [[1877年]] - [[立志社 (政治団体)|立志社]]の[[片岡健吉]]らが[[国会 (日本)|国会]]開設の建白書を提出するが不受理<ref>{{Kotobank|片岡健吉}}</ref>。
* [[1885年]] - [[天津条約 (1885年6月)|天津条約]]: [[清]]と[[フランス]]が停戦協定を締結。1884年の天津停戦協定に定められた[[コーチシナ]]・[[トンキン]]のフランスによる植民地化を容認。
* [[1887年]] - 東京[[日本橋浜町|浜町]]の[[待合]]の女将・[[花井お梅]]が使用人・八杉峰三郎を刺殺。流行歌「明治一代女」などのモデルとなる。
* 1887年([[光緒]]13年) - [[台湾の鉄道]]: [[台北]]で、[[台湾]]初の[[鉄道]]の起工が宣言される。
* [[1898年]] - [[イギリス]]が清と[[展拓香港界址専条|展拓香港界址專條]]([[:en:Convention for the Extension of Hong Kong Territory|Convention for the Extension of Hong Kong Territory]])を締結。[[イギリス]]が、[[香港]]の[[新界]](九龍半島北部)について、同年7月1日から99年間の[[租借]]権を獲得した。
* [[1915年]] - [[ウィリアム・ジェニングス・ブライアン]]が[[アメリカ合衆国国務長官]]を辞任。ドイツによる客船[[ルシタニア号]]撃沈の際の対独方針について、[[ウッドロウ・ウィルソン]]大統領と見解を異にしたため。
* [[1923年]] - [[ブルガリア]]で軍事クーデター。首相の[[アレクサンダル・スタンボリイスキ]]らが失脚。
* [[1928年]] - [[チャールズ・キングスフォード・スミス]]がアメリカから[[オーストラリア]]までの[[太平洋]]横断飛行に成功。
* [[1934年]] - [[ドナルドダック]]が[[アニメーション映画]]『[[かしこいメンドリ]]』で初登場。
* [[1938年]] - [[日中戦争]]: [[黄河決壊事件]]。
* [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]・[[継続戦争]]: [[ソ連]]が[[フィンランド]]への再攻勢を開始。
* [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[熱田空襲]]。従業員や動員学徒1,045人が死亡。
* [[1946年]] - [[ラーマ8世]]の崩御により、弟の[[ラーマ9世]]が[[タイ王国|タイ国王]]に即位。
* [[1950年]] - [[信越本線]]・[[熊ノ平駅]]で[[熊ノ平駅#大規模崩落事故(1950年)|土砂崩れ]]。死者50人。
* [[1951年]] - [[中尊寺金色堂]]ほか36件の建造物が、国宝に指定される。第2次世界大戦後初の国宝指定。
* [[1952年]] - [[日本国とインドとの間の平和条約]]調印。
* [[1957年]] - 世界12番目の高峰[[ブロード・ピーク]]にマーカス・シュマック率いるオーストリア登山隊が初登頂。
* [[1959年]] - 米海軍の原子力潜水艦「[[ジョージ・ワシントン (原子力潜水艦)|ジョージ・ワシントン]]」が進水。
* [[1967年]] - [[第三次中東戦争]]: [[イスラエル]]が[[シリア]]の[[ゴラン高原]]を占拠。
* [[1973年]] - アメリカの競走馬[[セクレタリアト]]が[[アメリカクラシック三冠]]を達成。
* [[1974年]] - [[ポルトガル]]と[[ソビエト連邦]]が[[ソビエト連邦の諸外国との外交関係樹立の日付|国交]]を結ぶ。
* [[1975年]] - [[フィリピン]]が[[中華人民共和国]]と国交を結び[[中華民国]]と断交する。
* [[1993年]] - [[皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO60090670Y0A600C2EAC000/ |title=1993年6月9日 皇太子さま・雅子さま、皇居で結婚の儀 |access-date=6 Oct 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=8 Jun 2020}}</ref>。
* [[1995年]] - 衆議院で[[歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議]](戦後50年決議)を採択。
* [[2002年]] - [[サッカー日本代表]]が、[[2002 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]で1-0で[[サッカーロシア代表|ロシア]]に勝ち、ワールドカップ初勝利。
* [[2006年]] - [[2006 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]が[[ドイツ]]で開幕。
* [[2018年]] - [[2018年東海道新幹線車内殺傷事件|新幹線無差別殺傷事件]]が発生<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASMDK5JRBMDKULOB01V.html |title=新幹線3人殺傷、無期懲役の地裁判決 被告は万歳三唱 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=18 Dec 2019 |accessdate=2 Oct 2023}}</ref>。
* [[2019年]] - 香港政府の「[[2019年逃亡犯条例改正案|逃亡犯条例]]」改正案に反対する大規模デモが[[香港]]で行われる<ref>{{Cite web |url=https://jp.reuters.com/article/hongkong-politics-extradition-idJPKCN1TB0Q2 |title=焦点:香港大規模デモ、火種となった「引き渡し条例」とは何か |access-date=6 Oct 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=10 Jun 2019}}</ref>。
* [[2021年]] - [[大韓民国|韓国]][[光州広域市]]で解体中の5階建て建物が崩壊。現場に差し掛かったバスが巻き込まれ乗客9人が死亡、8人が重傷<ref>{{Cite web|和書 |url=https://japanese.joins.com/JArticle/279527 |title=「17人死傷」あきれた韓国建物崩壊惨事…重大災害法でも処罰できない |publisher=[[中央日報]] |date=10 Jun 2021 |accessdate=2 Oct 2023}}</ref>。
{{-}}
== 誕生日 ==
[[Image:Feodor_III_of_Russia.jpg|thumb|214x214px|[[モスクワ・ロシア]]の[[ツァーリ]]、[[フョードル3世 (ロシア皇帝)|フョードル3世]](1661-1682)誕生]]
[[ファイル:J.-M. Nattier (d'après) - Portrait de Pierre Ier (musée de l’Ermitage).jpg|サムネイル|234x234px|初代[[ロシア皇帝]]、[[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル1世]](1672-1725)誕生]]
[[Image:George_Stephenson_-_Project_Gutenberg_etext_13103.jpg|thumb|246x246px|[[ジョージ・スチーブンソン]](1781-1848)]]
[[Image:Johann-Gottfried-Galle.jpg|thumb|297x297px|[[海王星]]発見者の1人、天文学者[[ヨハン・ゴットフリート・ガレ]](1812-1910)]]
[[Image:Carl_Nielsen.jpg|thumb|294x294px|作曲家[[カール・ニールセン]](1865-1931)誕生。{{audio|Carl Nielsen - Wind Quintet - 1. Allegro ben moderato.ogg|『木管五重奏曲』作品43より第1楽章を聴く}}]]
[[Image:Kumazo_Hino.jpg|thumb|180x180px|動力機による日本初の飛行に成功した軍人、[[日野熊蔵]](1878-1946)]]
[[Image:Les_Paul.jpg|thumb|234x234px|ギタリスト、[[レス・ポール]](1915-2009)。エレキギター「[[ギブソン・レスポール]]」の産みの親]]
[[Image:Joe_Haldeman_Finncon2007.jpg|thumb|180x180px|[[サイエンス・フィクション|SF]]作家、[[ジョー・ホールドマン]](1943-)。代表作『[[終りなき戦い]]』(1974)]]
* [[1526年]]([[大永]]6年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - [[松平広忠]]、[[武将]]、[[徳川家康]]の父(+ [[1549年]])
* [[1661年]] - [[フョードル3世 (ロシア皇帝)|フョードル3世]]、[[モスクワ大公]](+ [[1682年]])
* [[1672年]] - [[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル1世]]、モスクワ大公、[[ロシア皇帝]](+ [[1725年]])
* [[1690年]]([[元禄]]3年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[間部詮言]]、[[鯖江藩|鯖江藩主]](+ [[1724年]])
* [[1695年]](元禄8年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]) - [[鍋島直堅]]、[[鹿島藩|鹿島藩主]](+ [[1728年]])
* [[1781年]] - [[ジョージ・スチーブンソン]]、技術者(+ [[1848年]])
* [[1812年]] - [[ヨハン・ゴットフリート・ガレ]]、[[天文学者]](+ [[1910年]])
* [[1829年]] - [[ガエターノ・ブラーガ]]、[[作曲家]]、[[チェリスト]](+ [[1907年]])
* [[1843年]]([[天保]]14年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]) - [[伊東祐亨]]、[[日清戦争]]時の[[連合艦隊]]司令長官(+ [[1914年]])
* 1843年 - [[ジェームズ・ステプトー・ジョンストン]]、軍人、牧師、教育者(+ [[1924年]])
* [[1850年]] - [[ヴィルヘルム・ルー]]、[[発生学|発生学者]](+ [[1924年]])
* [[1865年]] - [[カール・ニールセン]]、[[作曲家]](+ [[1931年]])
* 1865年 - [[アルベリク・マニャール]]、作曲家(+ [[1914年]])
* [[1878年]] - [[日野熊蔵]]、軍人、パイロット(+ [[1946年]])
*[[1885年]] - [[ジョン・エデンサー・リトルウッド]]、[[数学者]](+ [[1977年]])
* [[1886年]] - [[山田耕筰]]、作曲家(+ [[1965年]])
* [[1898年]] - [[ルイジ・ファジオーリ]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[1952年]])
* [[1906年]] - [[陸定一]]、[[政治家]](+ [[1996年]])
* [[1911年]] - [[フランク・マコーミック]]、[[プロ野球選手]](+ [[1982年]])
* [[1913年]] - [[倉本信護]]、プロ野球選手(+ [[1983年]])
* [[1915年]] - [[レス・ポール]]、ギタリスト、[[ギブソン・レスポール|レスポール]]開発者(+ [[2009年]])
* [[1916年]] - [[長谷川治]]、プロ野球選手(+ [[1993年]])
* [[1917年]] - [[エリック・ホブズボーム]]、[[歴史家]](+ [[2012年]])
* [[1919年]] - [[ジミー・ニューベリー]]、プロ野球選手(+ [[1983年]])
* [[1923年]] - [[スーザン・ストレンジ]]、[[国際政治経済学|国際政治経済学者]](+ [[1998年]])
* 1923年 - [[田英夫]]、参議院議員(+ [[2009年]])
* [[1925年]] - [[キース・ローマー]]、[[小説家]](+ [[1993年]])
* [[1926年]] - [[ハッピー・ロックフェラー]]、[[セカンドレディ|アメリカ合衆国のセカンドレディ]](+ [[2015年]])
* [[1930年]] - [[相沢進]]、プロ野球選手(+ [[2006年]])
* [[1936年]] - [[柳田邦男]]、[[ノンフィクション作家]]
* [[1937年]] - [[吹田俊明]]、元プロ野球選手
* [[1938年]] - [[竹下光郎]]、元プロ野球選手
* 1938年 - [[徳武定祐]]、元プロ野球選手
* [[1939年]] - [[イレアナ・コトルバシュ]]、[[ソプラノ]]歌手
* 1939年 - [[内田忠男]]、[[ジャーナリスト|国際ジャーナリスト]]
* [[1941年]] - [[ジョン・ロード]]、[[ミュージシャン]](+ [[2012年]])
* [[1943年]] - [[ジョー・ホールドマン]]、小説家
* [[1945年]] - [[青木雄二]]、[[漫画家]]、[[評論家]](+ [[2003年]])
* [[1945年]] - [[飯島忠義]]、[[政治家]]
* [[1946年]] - [[高橋一三]]、プロ野球選手(+ [[2015年]])
* [[1947年]] - [[六本木じろう]]、[[実業家]]、[[歌手]]
* [[1948年]] - [[野村啓司]]、フリーアナウンサー
* 1948年 - [[成田昇]]、元プロ野球選手
* [[1949年]] - [[石井輝比古]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[かしわ哲]]、歌手
* [[1951年]] - [[渋谷陽一]]、音楽評論家
* 1951年 - [[堂上照]]、元プロ野球選手
* 1951年 - [[デーブ・パーカー]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[柏葉幸子]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]]
* [[1955年]] - [[安達和平]]、舞台俳優
* [[1956年]] - [[パトリシア・コーンウェル]]、[[推理作家]]
* [[1958年]] - [[くさか里樹]]、漫画家
* [[1959年]] - [[中塚昌尚]]、プロ野球選手(+ 没年不詳)
* [[1960年]] - [[小池晃]]、政治家
* [[1961年]] - [[紫堂恭子]]、漫画家
* 1961年 - [[マイケル・J・フォックス]]、[[俳優]]
* 1961年 - [[アーロン・ソーキン]]、[[劇作家]]、[[脚本家]]、[[テレビプロデューサー]]
* [[1962年]] - [[佐藤洋]]、元プロ野球選手
* [[1963年]] - [[ジョニー・デップ]]、俳優
* 1963年 - [[片平保彦]]、元プロ野球選手
* [[1964年]] - [[薬師丸ひろ子]]、[[俳優|女優]]
* 1964年 - [[高田誠 (野球)|高田誠]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[宇乃かつを]]、[[ミュージシャン]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]
* [[1968年]] - [[ティワワット・パッタラクンワニット]]、[[漫画家]]、[[イラストレーター]]
* [[1970年]] - [[萩原隆]]、[[サクソフォーン]]奏者
* [[1971年]] - [[田川ヒロアキ]]、[[ギタリスト]]
* [[1972年]] - [[半場友恵]]、[[声優]]
* 1972年 - [[有川浩]]、[[作家]]
* [[1973年]] - [[岡本克道]]、元プロ野球選手
* 1973年 - [[藤山竜仁]]、元[[サッカー選手]]
* 1973年 - [[中村一枝]]、ラジオパーソナリティ、ナレーター
* [[1974年]] - [[サモス (ミュージシャン)|サモス]]、ミュージシャン
* 1974年 - [[李大振]]、元プロ野球選手
* [[1975年]] - [[渋谷琴乃]]、女優
* 1975年 - 中島啓貴、ミュージシャン(元[[SUPER BELL"Z]])
* [[1975年]] - [[石川直]]、[[パーカッション|パーカッショニスト]]
* 1975年 - [[原泰久]]、漫画家
* 1975年 - [[武田双雲]]、書道家
* [[1976年]] - [[内田恭子]]、[[アナウンサー]]
* 1976年 - [[十文字友和]]、元[[大相撲]][[力士]]
* [[1978年]] - [[ミロスラフ・クローゼ]]、サッカー選手
* 1978年 - [[マシュー・ベラミー]]、ミュージシャン
* [[1979年]] - [[国仲涼子]]、女優
* 1979年 - [[半澤孝平]]、詩人
* 1979年 - [[RUKA]]、ミュージシャン([[ナイトメア (バンド)|ナイトメア]])
* [[1980年]] - [[植田佳奈]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=509 |title=植田佳奈|アニメキャラ・プロフィール・出演情報・最新情報まとめ |work=animate Times |accessdate=2 Oct 2023 |publisher=ANIMATE CORPORATION. |date=5 Jun 2023}}</ref>、声優
* 1980年 - [[加藤真由]]、[[タレント]]
* 1980年 - [[熊切あさ美]]、タレント、[[グラビアアイドル]]
* 1980年 - [[三枝夕夏]]、歌手
* 1980年 - [[田中マルシオ敬三]]、元[[野球選手]]
* 1980年 - [[安田剛士]]、[[漫画家]][[ファイル:Natalie Portman in 2005 (cropped).jpg|サムネイル|200x200px|アメリカの女優、[[ナタリー・ポートマン]](1981- )誕生]]
* [[1981年]] - [[ナタリー・ポートマン]]、女優
* 1981年 - [[麗]]、ミュージシャン([[the GazettE]])
* 1981年 - [[アキラ・レイン]]、[[モデル (職業)|モデル]]
* 1981年 - [[周渝民]](ヴィック・チョウ)、歌手([[F4 (ユニット)|F4]])
* [[1982年]] - [[大久保嘉人]]、サッカー選手
* 1982年 - [[栗城史多]]、[[登山家]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3175434 |title=エベレストで死亡した登山家の栗城さん、ヘリで遺体搬送 |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=21 May 2018}}</ref>)
* 1982年 - [[藤巻忠俊]]、[[漫画家]]
* [[1983年]] - [[宮﨑将]]、俳優
* 1983年 - [[張洹三]]、元プロ野球選手
* [[1984年]] - [[ユリエスキ・グリエル]]、プロ野球選手
* 1984年 - [[ヴェスレイ・スナイデル]]、サッカー選手
* 1984年 - [[クリスティーナ・バイアー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1985年]] - [[スティーヴィー・ホアン]]、[[ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]]
* [[1986年]] - [[前田俊介]]、元サッカー選手
* [[1987年]] - [[水野祐希]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[山岸愛梨]]、気象キャスター
* [[1988年]] - [[若林舞衣子]]、プロゴルファー
* [[1989年]] - [[水谷隼]]、元[[卓球]]選手、タレント
* [[1990年]] - [[大田泰示]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[三浦一馬]]、[[バンドネオン]]奏者
* [[1991年]] - [[西崎あや]]、女優
* 1991年 - [[葉月あや]]、グラビアアイドル
* 1991年 - [[田口千晶]]、タレント、女優
* [[1992年]] - [[ヤニック・アニエル]]、競泳選手
* 1992年 - [[玉木碧]]、タレント、キャスター
* 1992年 - [[前川恭兵]]、元プロ野球選手
* 1992年 - [[トニー・ウォルターズ]]、プロ野球選手
* [[1993年]] - ダニエラ・チャクラン ([[:en:Danielle Chuchran|Danielle Chuchran]])、女優
* 1993年 - [[松田功己]]、[[ジャグリング|ジャグラー]]
* 1993年 - [[栗咲寛子]]、タレント、女優
* 1993年 - [[西崎莉麻]]、女優、タレント
* [[1994年]] - [[島津咲苗]]、アナウンサー
* [[1995年]] - [[横田慎太郎]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]])
* [[1996年]] - [[駒木結衣]]、気象キャスター
* [[1997年]] - [[並木瑠璃]]、歌手、女優
* [[1998年]] - [[木下春奈]]、アイドル(元[[NMB48]])
* 1998年 - [[吉川洋次]]、陸上選手
* [[1999年]] - [[清水尋也]]、俳優
* 1999年 - [[大門果琳]]、元アイドル(元[[26時のマスカレイド]])
* [[2000年]] - [[白坂みあん]]、[[AV女優]]
* 2000年 - [[中村唯翔]]、陸上選手
* 生年不明 - [[大野佐和]]、声優
* 生年不明 - [[樺山ミナミ]]、声優
== 忌日 ==
[[Image:Nero-nancy.jpg|thumb|180px|ローマ皇帝[[ネロ]](37-68)自殺。画像はネロの神化]]
[[Image:Ambrogio_Lorenzetti_Allegory_of_Good_Govt.jpg|thumb|180x180px|画家[[アンブロージョ・ロレンツェッティ]](-1348)没。画像は『善政の効果』]]
[[Image:Dickens_by_Watkins_detail.jpg|thumb|180px|作家[[チャールズ・ディケンズ]](1812-1870)没。]]
{{multiple image
| caption1 = [[浮世絵]]師[[月岡芳年]](1839-1892)没
| image1 = Inada_Kyuzo_Shinsuke.jpg
| width1 = 70
| alt1 = 月岡芳年
| image2 = Jogetsuan01s3872.jpg
| width2 = 110
| caption2 = 作家[[有島武郎]](1878-1923)、[[軽井沢町|軽井沢]]の浄月荘で[[縊死]][[心中]]
| alt2 = 有島武郎
}}
{{multiple image
| caption1 = [[魔術的リアリズム]]の作家[[ミゲル・アンヘル・アストゥリアス]](1899-1974)
| image1 = MiguelAngelAsturias.JPG
| width1 = 90
| alt1 = ミゲル・アンヘル・アストゥリアス
| image2 = Jan_Tinbergen.jpg
| width2 = 90
| caption2 = 世界初の[[ノーベル経済学賞]]受賞者[[ヤン・ティンバーゲン]](1903-1994)
| alt2 = ヤン・ティンバーゲン
}}
* [[68年]] - [[ネロ]]、[[ローマ帝国|ローマ皇帝]](* [[37年]])
* [[373年]] - [[シリアのエフレム]]、[[カトリック教会]]・[[正教会]]の[[聖人]](* [[306年]]頃)
* [[597年]] - [[コルンバ]]、カトリック教会・正教会・[[聖公会]]・[[ルーテル教会]]の聖人(* [[521年]])
* [[1200年]]([[正治]]2年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[安達盛長]]、[[鎌倉幕府]]の[[御家人]](* [[1135年]])
* [[1348年]] - [[アンブロージョ・ロレンツェッティ]]、[[画家]](* [[1290年]]頃)
* [[1407年]]([[応永]]14年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]) - [[島津伊久]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[武将]](* [[1347年]])
* [[1493年]]([[明応]]2年[[4月25日 (旧暦)|閏4月25日]]) - [[畠山政長]]、[[畠山氏]]の養子(* [[1442年]])
* [[1572年]] - [[ジャンヌ・ダルブレ]]、[[ナバラ王国]]女王(* [[1528年]])
* [[1656年]] - [[トマス・トムキンズ]]、[[作曲家]](* [[1572年]])
* [[1717年]] - [[ギュイヨン夫人]]、[[神秘思想|神秘家]](* [[1648年]])
* [[1760年]]([[宝暦]]10年4月26日) - [[大岡忠光]]、[[江戸幕府]][[側用人]](* [[1709年]])
* [[1820年]] - [[ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン (1751-1820)|ヴィルヘルミーネ]]、[[ウィレム5世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム5世]]の妃(* [[1751年]])
* [[1837年]]([[天保]]8年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[徳川斉位]]、第5代[[一橋徳川家]]当主(* [[1818年]])
* [[1843年]](天保14年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]) - [[小笠原忠固]]、第6代[[小倉藩|小倉藩主]](* [[1770年]])
* [[1863年]] - [[ドースト・ムハンマド・ハーン]]、[[アフガニスタン|アフガニスタン王]](* [[1793年]])
* [[1870年]] - [[チャールズ・ディケンズ]]、[[小説家]](* [[1812年]])
* [[1892年]] - [[月岡芳年]]、[[浮世絵|浮世絵師]](* [[1839年]])
* [[1897年]] - [[アルヴァン・グラハム・クラーク]]、[[望遠鏡]]技術者(* [[1832年]])
* 1897年 - [[パーヴェル・パプスト]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](* [[1854年]])
* [[1921年]] - [[ジャネット・ジェローム]]、[[ウィンストン・チャーチル]]の母(* [[1854年]])
* [[1922年]] - [[ウィリアム・ゴーランド]]、[[冶金]]・[[化学]]技術者、[[考古学|考古学者]](* [[1842年]])
* [[1923年]] - [[ヘレナ (イギリス王女)|ヘレナ]]、[[イギリス]]の[[王族]](* [[1846年]])
* 1923年 - [[有島武郎]]、小説家(* [[1878年]])
* 1923年 - [[波多野秋子]]、『[[婦人公論]]』記者(* [[1894年]])
* [[1931年]] - [[ウィリアム・デニング]]、[[天文学者]](* [[1848年]])
* [[1944年]] - [[光延東洋]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[少将]](* [[1897年]])
* [[1946年]] - [[ラーマ8世]]、[[チャクリー王朝]]8代目の王(* [[1925年]])
* [[1950年]] - [[出羽ヶ嶽文治郎]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1902年]])
* [[1951年]] - [[アドルフ・ブッシュ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1891年]])
* [[1959年]] - [[アドルフ・ヴィンダウス]]、[[化学者]](* [[1876年]])
* [[1961年]] - [[知里真志保]]、[[言語学|言語学者]](* [[1909年]])
* [[1964年]] - [[ルイス・グルーエンバーグ]]、作曲家、[[ピアニスト]](* [[1884年]])
* [[1965年]] - [[中澤不二雄]]、[[野球解説者]]、[[パシフィック・リーグ]]会長(* [[1892年]])
* [[1967年]] - [[山下太郎 (アラビア石油)|山下太郎]]、[[実業家]](* [[1889年]])
* [[1972年]] - [[徳岡神泉]]、[[日本画家]](* [[1896年]])
* [[1974年]] - [[ミゲル・アンヘル・アストゥリアス]]、小説家(* [[1899年]])
* [[1975年]] - [[松丸東魚]]、[[篆刻|篆刻家]](* [[1901年]])
* [[1976年]] - [[久板栄二郎]]、[[劇作家]]、[[脚本家]](* [[1898年]])
* [[1977年]] - [[小西得郎]]、[[プロ野球監督]](* [[1896年]])
* 1977年 - [[ヘルマン・ホイヴェルス]]、[[教育者]]、宗教家、[[劇作家]](* [[1890年]])
* [[1979年]] - [[荒正人]]、[[文芸評論家]](* [[1913年]])
* [[1984年]] - [[吉田精一]]、[[日本文学研究者|国文学者]](* [[1908年]])
* [[1985年]] - [[川口松太郎]]<ref>{{Cite web |title=川口松太郎 |url=http://www.asahi-net.or.jp/~pb5h-ootk/pages/SAKKA/ka/kawaguchimatsutaro.html |website=文学者掃苔録 |access-date=2 Oct 2023}}</ref>、小説家(* [[1899年]])
* [[1987年]] - [[モニク・アース]]、ピアニスト(* [[1909年]])
* [[1989年]] - [[ジョージ・ウェルズ・ビードル]]、[[遺伝学|遺伝学者]](* [[1903年]])
* [[1991年]] - [[クラウディオ・アラウ]]、ピアニスト(* [[1903年]])
* [[1992年]] - [[椋尾篁]]、[[アニメーション]][[美術監督]](* [[1938年]])
* [[1994年]] - [[ヤン・ティンバーゲン]]、[[経済学者]](* [[1903年]])
* [[1995年]] - [[フランク・チャックスフィールド]]、[[イージーリスニング]]作曲家、[[指揮者]](* [[1914年]])
* 1995年 - [[ソイロ・ベルサイエス]]、元[[プロ野球選手]](* [[1939年]])
* [[1998年]] - [[円子宏]]、元プロ野球選手(* [[1933年]])
* [[2000年]] - [[ジョージ・シーガル]]、[[彫刻家]](* [[1924年]])
* [[2003年]] - [[ロンブ・カトー]]、[[通訳|通訳者]](* [[1909年]])
* [[2004年]] - [[滝口康彦]]、小説家(* [[1924年]])
* [[2005年]] - [[塚本邦雄]]、作家(* [[1920年]])
* [[2007年]] - [[関口清治]]、元プロ野球選手(* [[1925年]])
* [[2008年]] - [[アルジス・バドリス]]、[[SF作家]](* [[1931年]])
* 2008年 - [[石川隆彦]]、[[柔道家]](* [[1917年]])
* 2008年 - [[木下強三]]、元プロ野球選手(* [[1936年]])
* 2008年 - [[向井寛]]、[[映画監督]](* [[1937年]])
* [[2011年]] - [[川上とも子]]、[[声優]](* [[1970年]])
* [[2013年]] - [[イアン・バンクス|イアン・バンクス(イアン・M・バンクス)]]、[[作家]](* [[1954年]])
* [[2014年]] - [[ボブ・ウェルチ (野球)|ボブ・ウェルチ]]、元プロ野球選手(* [[1956年]])
* [[2015年]] - [[ペドロ・セロロ]]、政治家(* [[1960年]])
* [[2022年]] - [[升田尚宏]]、元[[アナウンサー]](* [[1966年]])
* 2022年 - マット・ジマーマン、俳優(* [[1934年]])
{{-}}
== 記念日・年中行事 ==
[[Image:Iron_Maiden_-_bass_and_guitars_30nov2006.jpg|thumb|180x180px|[[ロック (音楽)|ロック]]の日。画像は[[アイアン・メイデン]]のコンサート]]
* [[鉄路節|鐵路節]]({{ROC}})
*: [[1887年]]([[光緒]]13年)のこの日、[[台北]]の[[大稲埕]]で台湾初となる[[鉄道]]の起工が宣言されたことを記念し、[[1965年]]に制定された記念日。日本の[[鉄道の日]]([[10月14日]])と同様に、現在は[[定期列車|定期運転]]のない[[蒸気機関車]]の[[リバイバルトレイン|復活運転]]や、[[車両基地]]の一般公開などが開催される。
* {{仮リンク|Heroes' Day(National Heroes' Day)|en|Heroes' Day}}({{UGA}})
*: [[1981年]]のこの日、ウガンダ内戦において反政府勢力だったエディディアンムキイビルタタマグジが、仲間を守って政府軍に殺害された。[[1986年]]、内戦は反政府軍の勝利に終わる。英霊となったエディディアンムキイビルタタマグジとレジスタンスの奮闘を記念し、国民の休日とされた<ref>{{Cite web |url=https://www.monitor.co.ug/uganda/news/national/all-set-for-heroes-day-celebrations-govt-4262360 |title=All set for Heroes’ Day celebrations- govt |accessdate=2 Oct 2023 |publisher=Nation Media Group |date=Thursday, June 08, 2023}}</ref>。
* [[アブドゥッラー2世|アブドゥッラー国王]]即位記念日({{JOR}})
*: [[1999年]]のこの日のヨルダン現国王アブドゥッラー2世の戴冠を記念。
* まがたまの日({{JPN}})
*:株式会社めのやが制定。日付は数字の6と9の形が[[勾玉|まがたま]]の形と似ていることから、この二つの数字を組み合わせた6月9日と9月6日を「まがたまの日」とした。
* ロックアイスの日({{JPN}})
*:小久保製氷冷蔵株式会社が制定。ロックアイスの美味しさ、多様な使い方をさらに多くの方に知ってもらうのが目的。日付は6と9で「ロック」の語呂合わせから。
* ゼネラル・オイスターの岩牡蠣の日({{JPN}})
*:株式会社ゼネラル・オイスターが制定。安心で安全で、美味しい岩牡蠣の魅力をより多くの人に知ってもらい、その味を楽しんでもらうのが目的。日付は岩牡蠣の岩=ロック(69)の語呂合わせと、この時期から岩牡蠣の本格的なシーズンが始まることから。
* [[ロック (音楽)|ロック]]の日({{JPN}})
*:「ロ(6)ック(9)」の語呂合わせ。
* [[ロックウール]]の日({{JPN}})
*: 日本ロックウール工業会が[[1992年]]に制定。「ロ(6)ック(9)」の語呂合わせ。
* 我が家のカギを見直す[[鍵|ロック]]の日({{JPN}})
*: 日本ロックセキュリティ協同組合が制定。「ロ(6)ック(9)」の語呂合わせ。
* 無垢の日({{JPN}})
*: プレイリーホームズ株式会社が制定。自然素材志向などのニーズに応えるため、無垢の木材の利用促進を図るのが目的。日付は6と9で「無垢(むく)」と読む語呂合わせから。
* ログホームの日({{JPN}})
*: フィンランドの天然木材を活かす株式会社ホンカ・ジャパンが制定。都市部でも住宅用途で利用が広がるログホームについて多くの人に知ってもらうのが目的。日付は6と9で「ログ」の語呂合わせから。
* サイバー防災の日({{JPN}})
*: LINE株式会社が制定。デジタルデバイスが普及した現代、家の鍵と同様にスマートフォンやパソコン、各種のインターネットサービスのサイバー防災意識を高めて、安全安心な利用を実現してもらうのが目的。日付は6と9を「ロック」と読む語呂合わせから<ref>{{Cite web|和書 |url=https://linecorp.com/ja/pr/news/ja/2017/1749 |title=【コーポレート】LINE、6月9日を「サイバー防災の日」記念日として登録 |work=LINE |date=23 May 2017 |accessdate=2 Oct 2023}}</ref>。
* 胸キュンの日({{JPN}})
*: [[2006年]]、[[藤澤恵麻]]・[[小池徹平]]主演の映画「[[ラブ★コン]]」のPRのため、映画を制作した[[松竹]]が制定。「む(6)ねきゅ(9)ん」の語呂合せ。
* [[つボイノリオ]]記念日({{JPN}})
*: [[CBCラジオ]]「[[つボイノリオの聞けば聞くほど]]」にて「[[シックスナイン|69]]」が「おめでたい数字」とされており、6月9日が放送日と重なる場合は盛大に祝う事から、番組内でリスナーが勝手に制定した。
*: 番組25周年の企画で[[日本記念日協会]]に申請し、[[2018年]][[6月8日]]に正式に認定される。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0609|date=Oct 2023}}
* [[1709年]] - ガリヴァー、ナンガサク([[長崎港|長崎]]?)からオランダ船で出港。([[ジョナサン・スウィフト]]『[[ガリヴァー旅行記]]』)
* [[1991年]] - 第14回全日本女子[[柔道]]体重別選手権で猪熊柔が岡村に不戦敗。(漫画・アニメ『[[YAWARA!]]』)
* 西暦不明 - [[ボストン]]で銀行強盗発生。被害金額は266万527ドル62セント。(映画『[[華麗なる賭け]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1934年]] - ドナルドダック(Donald Fauntleroy Duck) 、[[ディズニー映画]]に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.tokyodisneyresort.jp/tdrblog/detail/210609/ |title=6月9日が誕生日のキャラクターといえば |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|Disney.]] |website=東京ディズニーリゾート}}</ref>
* [[1955年]] - おやっさん(飾玉三郎)、[[仮面ライダーシリーズ]]『[[仮面ライダークウガ]]』 に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/characters/1349 |title=おやっさん(飾玉三郎) |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[石森プロ]]・[[テレビ朝日]]・ADK EM・[[東映]]・[[東映ビデオ]] |website=仮面ライダー図鑑}}</ref>
* [[1957年]] - 津村藍子、ドラマ『[[まれ]]』の登場人物<ref>第75話 徹と藍子の離婚届から確認。</ref>
* [[1973年]] - 伊達征士(光輪のセイジ)、アニメ『[[鎧伝サムライトルーパー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |date=1989-01-01|editor = アニメック編集部|title = 鎧伝サムライトルーパー大事典 |page = 41 |publisher = [[ラポート]] |series = ラポートデラックス }}</ref>
* [[1988年]] - 椎名桜子、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://king-cr.jp/special/negima/17.html |title=17.椎名桜子 |access-date=2 Oct 2023 |work=『魔法先生ネギま!麻帆良学園中等部2-A』 |publisher=[[キングレコード|KING RECORD CO., LTD.]]}}</ref>
* 2209年 - カレン・ルシオラ、アニメ『[[無限のリヴァイアス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1534732013554397184}}</ref>
* 2283年 - 勅使瓦マリ(お花のマリ)、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/mari.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:勅使瓦マリ|date=20100923224548}}</ref>
* 生年不明 - バッファローマン、漫画・アニメ『[[キン肉マン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2017/03/05/81099/ |title=『キン肉マン』最新58巻の特別付録「平成29(肉)年度カレンダー」に秘められた超人たちの細かすぎるネタとは? |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[週刊プレイボーイ]] |date=5 Mar 2017}}</ref>
* 生年不明 - [[海賊 (ONE PIECE)#ロックスター|ロックスター]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Rockstar.html |title=ロックスター |work=『ONE PIECE』 |accessdate=2 Oct 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=尾田栄一郎|authorlink=尾田栄一郎|date=2012-03-02 |title = ONE PIECE BLUE DEEP CHARACTERS WORLD |page = 203 |publisher = 集英社 |series =[[ジャンプ・コミックス]] |isbn =978-4088704456 }}</ref>
* 生年不明 - うちはイタチ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2005-04-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=37|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088737348}}</ref>
* 生年不明 - 黒崎真咲、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|date=2006-02-03|title=BLEACH―ブリーチ― OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|page=50|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088740799}}</ref>
* 生年不明 - お岩、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 六道骸、漫画・アニメ『[[家庭教師ヒットマンREBORN!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|amano_akira_|740621969310154752}}</ref>
* 生年不明 - 森屋秀一、漫画・アニメ『[[バクマン。]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ロックロック、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group05/05-25/ |title=ロックロック |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |accessdate=2 Oct 2023 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref>
* 生年不明 - ゴウヒン、漫画・アニメ『[[BEASTARS]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 常陸院光・常陸院馨、漫画・アニメ『[[桜蘭高校ホスト部]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 天野美雨、漫画・アニメ『[[ブレンド・S]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=中山幸|authorlink=中山幸|date=2017-01-27 |title = ブレンド・S |volume = 3巻 |page = 9 |publisher = [[芳文社]] |series = [[まんがタイムKRコミックス]] |isbn = 978-4832247987 }}</ref>
* 生年不明 - ウインドウズノキオ、アニメ『[[あはれ!名作くん]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Twitter status|aware_meisaku|1534732515872677888}}</ref>
* 生年不明 - F・ボルト、アニメ『あはれ!名作くん』に登場するキャラクター<ref name=":0" />
* 生年不明 - カルーア・マジョラム、小説・アニメ『[[ギャラクシーエンジェルII]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 槍水仙、小説・漫画・アニメ『[[ベン・トー]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - シャルル・ド・ロワール、アニメ『[[多田くんは恋をしない]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://tadakoi.tv/chara10.html |title=シャルル・ド・ロワール |accessdate=2 Oct 2023 |work=『多田くんは恋をしない 』 |publisher=TADAKOI PARTNERS}}</ref>
* 生年不明 - 来栖薫、ゲーム『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.utapri.com/game/origin/chara_kaoru.php |title=来栖 薫(くるす かおる) |publisher=[[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]] |accessdate=2 Oct 2023 |work=『うたの☆プリンスさまっ♪』}}</ref>
* 生年不明 - 来栖翔、ゲーム『うたの☆プリンスさまっ♪』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.utapri.com/game/origin/chara_syo.php |title=来栖 翔(くるす しょう) |publisher=[[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]] |accessdate=2 Oct 2023 |work=『うたの☆プリンスさまっ♪』}}</ref>
* 生年不明 - 四ノ宮那月、ゲーム『うたの☆プリンスさまっ♪』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.utapri.com/game/origin/chara_natsuki.php |title=四ノ宮 那月(しのみや なつき) |publisher=[[ブロッコリー (企業)|ブロッコリー]] |accessdate=2 Oct 2023 |work=『うたの☆プリンスさまっ♪』}}</ref>
* 生年不明 - 御子柴恭介、ゲーム『[[STORM LOVER]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.d3p.co.jp/stormlover_kai/ |title=CHARACTER 御子柴 恭介 |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[ブリッジ (ゲーム会社)|VRIDGE INC.]] [[ディースリー・パブリッシャー|D3 PUBLISHER]] |work=『STORM LOVER 快!! 』}}</ref>
* 生年不明 - 小室千奈美、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20067 |title=小室 千奈美(こむろ ちなみ) |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - カストル、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキリカャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=39&cate=name&cont=Castor |title=カストル |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - リカ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=168&cate=name&cont=Rica|title=リカ |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 仙石忍、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ensemble-stars.jp/characters/sengoku_shinobu/ |title=仙石 忍 |accessdate=2 Oct 2023 |publisher=[[Happy Elements]] |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref>
* 生年不明 - 黒石勇人、ゲーム・アニメ『[[ドリフェス!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|dfes_official|1270007680480931842}}</ref>
* 生年不明 - 忌夢、ゲーム『[[閃乱カグラ Burst -紅蓮の少女達-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.marv.jp/special/game/vita/kaguraversus/character/imu.html |title=忌夢 |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『閃乱カグラ SHINOVI VERSUS –少女達の証明』}}</ref>
* 生年不明 - 左京、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/sakyou.php |title=左京 |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref>
* 生年不明 - 右京、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/ukyou.php |title=右京 |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref>
* 生年不明 - クルミ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1666988483209048066}}</ref>
* 生年不明 - 緑川さら、ゲーム・アニメ『[[キラッとプリ☆チャン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|prettyseriespr|1270128474578128898}}</ref>
* 生年不明 - 神室絢、ゲーム・アニメ『[[CUE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.cue-liber.jp/character-10 |title=神室絢 |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=『CUE!』}}</ref>
* 生年不明 - リサ、ゲーム『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Genshin_7|1402475599579336706}}</ref>
* 生年不明 - キニス、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yumekuro.com/character/meister/madenyugi/cinis/ |title=キニス |access-date=2 Oct 2023 |publisher=[[bilibili]] [[ジークレスト|GCREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref>
* 生年不明 - 水嶋郁、メディアミックス 『[[Starry☆Sky]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.honeybee-cd.com/starrysky/character/mizushima.html |title=水嶋 郁 |publisher=[[honeybee]] |accessdate=2 Oct 2023 |work=『Starry☆Sky』}}</ref>
* 生年不明 - [[ラブライブ!#東條希|東條希]]、メディアミックス『[[ラブライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/member/member07.html |title=東條 希 |publisher=プロジェクトラブライブ! |accessdate=2 Oct 2023 |work=『ラブライブ!』}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
{{Commons&cat|June 9|9 June}}
{{新暦365日|6|8|6|10|[[5月9日]]|[[7月9日]]|[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]|0609|6|09}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%889%E6%97%A5 |
4,950 | 1月3日 | 1月3日(いちがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から3日目に当たり、年末まであと362日(閏年では363日)ある。日本ではこの日まで正月休みとされることがある。 | [
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'''1月3日'''(いちがつみっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から3日目に当たり、年末まであと362日([[閏年]]では363日)ある。日本ではこの日まで正月休みとされることがある。
== できごと ==
* [[1521年]] - ローマ教皇[[レオ10世 (ローマ教皇)|レオ10世]]が[[回勅]]『デチェト・ロマヌム・ポンティフィチェム』を発行し、[[マルティン・ルター]]をカトリック教会から[[破門]]した<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/martin-luther-excommunicated |title=1521 Martin Luther excommunicated |access-date=9 Apr 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |date=2 Jan 2020}}</ref>。
* [[1614年]]([[慶長]]19年12月4日) - [[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]にて、[[真田丸の戦い]]が行われる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://president.jp/articles/-/63786?page=1 |title=実は秀頼と淀君の助命を受け入れていた…教科書には載っていない徳川家康の豊臣家に対するホンネ |access-date=9 Apr 2023 |publisher=[[プレジデント社|PRESIDENT]] Online |date=29 Nov 2022}}</ref>。
* [[1777年]] - [[プリンストンの戦い]]: [[アメリカ独立戦争]]で大陸軍がイギリス軍に勝利。戦闘は1776年12月 26日のトレントンの戦いから始まり、ジョージ ワシントンが勝利を収めた<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/event/Battles-of-Trenton-and-Princeton |title=Battles of Trenton and Princeton|United States history |access-date=9 Apr 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。
* [[1818年]] - [[金星]]が[[木星]]面を[[通過 (天文)|通過]]する。惑星同士の通過・[[掩蔽]]は、これを最後に[[2065年]][[11月22日]]までの247年間の長い空白期間に突入する。
* [[1833年]] - [[イギリス]]がジェームス・オンスロー提督の乗艦する軍艦[[:en:HMS Clio (1807)|HMS Clio]]を[[フォークランド諸島]]に派遣。
* [[1848年]] - [[ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ]]が[[リベリア|リベリア共和国]]の初代大統領に就任。
* [[1868年]]([[慶応]]3年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]) - [[王政復古 (日本)|王政復古の大号令]]。
* [[1888年]] - 当時世界最大の望遠鏡である[[リック天文台]]の[[屈折望遠鏡]]で[[ファーストライト|最初の観測]]が行われる。
* [[1889年]] - [[フリードリヒ・ニーチェ]]が神経衰弱を発症。残りの人生を病人として過ごす<ref>{{Cite web |url=https://plato.stanford.edu/archives/spr2020/entries/nietzsche-life-works/ |title=1. Life: 1844–1900 |work=Nietzsche’s Life and Works |accessdate=9 Apr 2023 |publisher=Stanford University}}</ref>。
* [[1899年]] - [[英語]]の"automobile"([[自動車]])という単語が、[[ニューヨーク・タイムズ]]紙の[[広告]]ではじめて使用される。
* [[1901年]] - [[アンドリュー・カーネギー]]が[[カーネギー財団]]を設立。
* [[1929年]] - [[新潟県]][[西頸城郡]]海岸で大暴風雪のため、30余人の死傷者が出る。
* [[1932年]] - [[日本軍]]が[[錦州]]([[中華人民共和国|中国]]北東部)を占拠し、[[北京市|北京]]に接近。
* [[1935年]] - [[常設国際司法裁判所]][[判事]]、[[安達峰一郎]]博士の葬儀がハーグで挙行。
* [[1938年]] - [[俳優|女優]]・[[岡田嘉子]]が[[演出家]]・[[杉本良吉]]と共に北緯50度の[[樺太]]国境を超えて[[ソビエト連邦|ソ連]]に越境する。
* [[1951年]] - 「[[第1回NHK紅白歌合戦]]」がラジオで放送される<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nhk.or.jp/archives/bangumi/special/year/1951/ |title=1951年|放送年から探す|独立回復へ |access-date=26 Jul 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]]アーカイブス}}</ref>。2年後から[[大晦日]]放送に。
* [[1954年]] - [[イタリア]]の公共放送会社[[イタリア放送協会|RAI]]がテレビ放送を開始。
* [[1958年]] - [[イギリス連邦]]内の自治国として[[西インド連邦]]が成立。
* [[1958年]] - エベレスト初登頂の[[エドモンド・ヒラリー]]が[[南極点]]に到達。
* [[1959年]] - [[アラスカ準州]]が昇格して、アメリカ合衆国49番目の州・[[アラスカ州]]となる。
* 1959年 - [[阪急電鉄]][[上新庄駅]]北側の[[踏切]]で、[[大阪市営バス]]と阪急電車が二重衝突する事故。死者7人、重軽傷者13人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=133|isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1961年]] - [[アメリカ合衆国]]が[[キューバ]]と国交断絶。
* [[1962年]] - ローマ教皇[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]が[[フィデル・カストロ]]を破門。
* [[1964年]] - [[西口彰事件]]の犯人が[[逮捕]]される<ref>{{Cite web|和書 |url=http://konoichi.kodansha.co.jp/1301/01.html |title=この1冊 講談社文庫『復讐するは我にあり』(上)(下) |work=講談社100周年記念企画 この1冊! ただいま288冊! |accessdate=9 Apr 2023 |publisher=[[講談社]]}}</ref>。
* [[1969年]] - [[唐十郎]]主宰の劇団・状況劇場が、東京都の中止命令を無視して[[新宿中央公園]]にテントを張り公演を実施。[[都市公園法]]違反で現行犯逮捕。
* [[1971年]] - [[京都市立芸術大学]]南校舎から出火。木造教室など約1500㎡を全焼。隣接する智積院宝物殿にも飛び火した<ref>「京都市立芸大焼く 智積院の大屋根こがす」『中國新聞』昭和45年1月4日 15面</ref>。
* [[1972年]] - [[日米繊維交渉|日米繊維協定]]調印。
* [[1976年]] - [[TBSテレビ|TBS]]のクイズ番組「[[クイズダービー]]」放送開始。[[1992年]][[12月19日]]まで放送された。
* 1976年 - [[経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約]]が発効する。
* [[1977年]] - [[Apple|Apple Computer]]が法人化。
* [[1990年]] - [[パナマ侵攻]]: パナマの[[マヌエル・ノリエガ]]将軍がアメリカ軍に投降。
* [[1993年]] - [[ジョージ・H・W・ブッシュ]][[アメリカ合衆国大統領|米国大統領]]と[[ボリス・エリツィン]][[ロシア連邦大統領|ロシア大統領]]、[[第二次戦略兵器削減条約]](START II)に調印。
* [[1999年]] - アメリカの[[火星探査機]]「[[マーズ・ポーラー・ランダー]]」が打ち上げ。
* [[2004年]] - [[フラッシュ航空604便墜落事故]]: チャーター便のボーイング737機が紅海に墜落。乗客135人と乗員13人の計148人が死亡した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.swissinfo.ch/jpn/墜落したフラッシュ航空はスイス発着禁止だった/3699600 |title=墜落したフラッシュ航空はスイス発着禁止だった |access-date=9 Apr 2023 |publisher=SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部 |date=5 Jan 2004}}</ref>。
* [[2009年]] - [[イスラエル]]軍が[[ガザ地区]]への[[ガザ侵攻 (2009年)|侵攻]]を開始。
* 2009年 - [[ガーナ]]大統領選挙の決選投票。野党、[[国民民主会議 (ガーナ)|国民民主会議]]の[[ジョン・アッタ・ミルズ]]元副大統領が当選。
* [[2011年]] - シンガポールの通商産業省が、2010年の国内総生産(GDP)成長率を、過去最高の14.7%(推計値)と発表。
* [[2019年]] - 中国の[[宇宙探査機|月面探査機]]・[[嫦娥4号]]が月の裏側に着陸<ref>{{Cite web|和書 |url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/010600016/ |title=【解説】史上初、月の裏に着陸成功のインパクト |publisher=National Geographic Society. National Geographic Partners, LLC. Nikkei National Geographic Inc. Al |date=7 Jan 2019 |accessdate=9 Apr 2023 |website=[[ナショナルジオグラフィック|National Geographic]]}}</ref>。
* [[2020年]] - [[イラク]]で[[バグダード国際空港攻撃事件 (2020年)|バグダード国際空港攻撃事件]]が発生。[[アメリカ合衆国]]により、[[イスラム革命防衛隊]]の[[ガーセム・ソレイマーニー|ソレイマーニー司令官]]らが暗殺される<ref>{{Cite web|和書 |title=トランプ氏、イラン政府転覆の意図否定 司令官殺害で声明 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3262020 |website=AFP BB News |access-date=9 Apr 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |date=4 Jan 2020}}</ref>。
== 誕生日 ==
[[ファイル:Schumi di GP Kanada 2011 cropped.jpg|thumb|255x255px|F1ドライバー [[ミハエル・シューマッハ]]]]
* [[紀元前106年]] - [[マルクス・トゥッリウス・キケロ]]、[[政治家]](+ [[紀元前43年]])
* [[1600年]]([[慶長]]4年[[11月17日 (旧暦)|11月17日]]) - [[戸田氏信]]、第2代[[美濃国]][[大垣藩|大垣藩主]](+ [[1681年]])
* [[1723年]]([[享保]]7年[[11月27日 (旧暦)|11月27日]]) - [[酒井忠用]]、第11代[[阿波国]][[徳島藩|徳島藩主]](+ [[1775年]])
* [[1758年]]([[宝暦]]4年[[11月24日 (旧暦)|11月24日]]) - [[蜂須賀治昭]]、第11代[[阿波国]][[徳島藩|徳島藩主]](+ [[1814年]])
* [[1763年]] - [[ジョゼフ・フェッシュ]]、[[カトリック教会]][[司祭]](+ [[1839年]])
* [[1836年]]([[天保]]6年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[坂本龍馬]]、幕末の[[志士]](+ [[1867年]])
* [[1840年]] - [[ダミアン神父|ダミアン]]、[[カトリック教会]][[司祭]](+ [[1889年]])
* [[1861年]] - [[アーネスト・レンショー]]、[[テニス]]選手(+ [[1899年]])
* [[1873年]] - [[小林一三]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.hankyu-bunka.or.jp/about/itsuo/ |title=小林一三について |access-date=9 Apr 2023 |publisher=公益財団法人 阪急文化財団}}</ref>、[[実業家]]、[[阪急阪神東宝グループ]]創業者(+ [[1957年]])
* [[1876年]] - [[ヴィルヘルム・ピーク]]、[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)大統領(+ [[1960年]])
* [[1883年]] - [[クレメント・アトリー]]、第62・63代[[イギリス首相]](+ [[1967年]])
* [[1887年]] - [[アウグスト・マッケ]]、[[画家]](+ [[1914年]])
* [[1889年]] - [[河上丈太郎]]、[[政治家]](+ [[1965年]])
* [[1892年]] - [[J・R・R・トールキン]]、[[作家]](+ [[1973年]])
* [[1896年]] - [[ジェイ・ラッシュ]]、[[農学者]]、[[生物学|生物学者]](+ [[1982年]])
* [[1897年]] - [[ポーラ・ネグリ]]、[[俳優|女優]](+ [[1987年]])
* [[1905年]] - [[高松宮宣仁親王]]、[[皇族]](+ [[1987年]])
* 1905年 - [[三岸節子]]、[[洋画家]](+ [[1999年]])
* [[1906年]] - [[豊田四郎]]、[[映画監督]](+ [[1977年]])
* [[1908年]] - [[レイ・ミランド]]、[[俳優]](+ [[1986年]])
* 1908年 - [[篠田康雄]]、[[神職]](+ [[1997年]])
* [[1911年]] - [[ジョン・スタージェス]]、映画監督(+ [[1992年]])
* 1911年 - [[吉田義夫]]、俳優(+ [[1986年]])
* [[1917年]] - [[霧立のぼる]]、女優(+ [[1972年]])
* [[1920年]] - [[遠藤彰 (神学者)|遠藤彰]]、[[神学者]](+ [[2009年]])
* [[1923年]] - [[三好主]]、元[[プロ野球選手]]
* [[1926年]] - [[ジョージ・マーティン]]、[[音楽プロデューサー]](+ [[2016年]])
* 1926年 - [[平井龍]]、政治家(+ [[2008年]])
* [[1927年]] - [[西本裕行]]、[[俳優]]、[[声優]](+ [[2015年]])
* [[1929年]] - [[セルジオ・レオーネ]]、[[映画監督]](+ [[1989年]])
* 1929年 - [[ゴードン・ムーア]]、[[工学者]](+ [[2023年]])
* [[1931年]] - [[道場六三郎]]、[[料理]]人
* 1933年 - [[加藤明]]、元[[バレーボール]]選手、監督(+ [[1982年]])
* 1933年 - [[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽]]、[[落語家]] (+ [[2009年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/10/31/kiji/K20091031Z00002170.html |title=三遊亭円楽さん死去…家族に囲まれ眠るように |access-date=9 Apr 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=31 Oct 2009 |website=Sponichi Annex}}</ref>)
* [[1936年]] - [[房錦勝比古]]、元[[大相撲]][[力士]](+ [[1993年]])
* [[1937年]] - [[山本學]]、俳優
* [[1939年]] - [[藤村志保]]、女優
* 1939年 - [[仁木多鶴子]]、女優(+ [[1983年]])
* 1939年 - [[石上三登志]]、CMディレクター(+ [[2012年]])
* 1939年 - [[臼井日出男]]、政治家
* [[1940年]] - [[花原勉]]、レスリング選手、[[1964年東京オリンピック]]金メダリスト
* 1940年 - [[ゼンジー北京]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]]
* 1940年 - [[森村桂]]、[[作家]](+ [[2004年]])
* 1940年 - [[影丸穣也]]、漫画家(+ [[2012年]])
* 1940年 - [[入交昭一郎]]、実業家
* [[1941年]] - [[天地総子]]、[[歌手]](+ [[2019年]])
* 1941年 - [[岩下志麻]]、[[俳優|女優]]
* 1941年 - [[水谷寿伸]]、元プロ野球選手
* 1941年 - [[三沢今朝治]]、元プロ野球選手
* 1941年 - [[西橋正泰]]、元アナウンサー
* 1941年 - [[横路孝弘]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jiji.com/jc/giin?d=bd0849032d17430b3762566f81177db1&c=syu |title=横路 孝弘(よこみち たかひろ) |publisher=[[時事通信社]] |accessdate=9 Apr 2023 |website=JIJI.COM}}</ref>、[[政治家]]、弁護士(+ [[2023年]])
* [[1943年]] - [[ヴァン・ダイク・パークス]]、[[ミュージシャン]]
* 1943年 - [[牧勝彦]]、元プロ野球選手
* 1943年 - [[エイドリアン・ギャレット]]、元プロ野球選手
* 1943年 - [[鳥居ユキ]]、[[ファッションデザイナー]]
* 1943年 - [[石川宣雄]]、[[穴水町]]長、実業家
* [[1945年]] - [[長谷川一夫 (野球)|長谷川一夫]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]])
* [[1946年]] - [[日野元彦]]、[[ミュージシャン]]
* 1946年 - [[ジョン・ポール・ジョーンズ (ミュージシャン)|ジョン・ポール・ジョーンズ]]、ミュージシャン([[レッド・ツェッペリン]])
* [[1947年]] - [[尾木直樹]]、教育評論家
* 1947年 - [[福本万一郎]]、元プロ野球選手
* 1947年 - [[細田正彦]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[芹澤廣明]]、[[音楽プロデューサー]]、ミュージシャン
* 1948年 - [[中村晃子]]、[[歌手]]、女優
* 1948年 - [[末永吉幸]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[荻原久男]]、元プロ野球選手
* [[1950年]] - [[湖川友謙]]、[[キャラクターデザイナー]]、[[アニメーション]]演出家
* 1950年 - [[南出喜久治]]、弁護士
* 1950年 - [[鈴木恒夫 (藤沢市長)|鈴木恒夫]]、政治家、藤沢[[市長]]
* [[1953年]] - [[桑田健秀]]、[[バスケットボール]]選手、指導者
* [[1954年]] - [[太田家元九郎]]、[[津軽三味線]][[漫談家]](+ [[2014年]])
* 1954年 - [[高瀬春奈]]、女優
* 1954年 - [[浜納一志]]、元プロ野球選手
* [[1955年]] - [[蓮池透]]、[[北朝鮮による拉致被害者家族連絡会]](家族会)元副代表
* 1955年 - [[青木政美]]、元プロ野球選手
* 1955年 - [[恒村勝美]]、元プロ野球選手
* 1955年 - [[久木山亮]]、元プロ野球選手
* [[1956年]] - [[小堺一機]]、[[タレント]]
* 1956年 - [[鈴木富子]]、声優(+ [[2003年]])
* 1956年 - [[メル・ギブソン]]、俳優
* [[1959年]] - [[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]]、[[放送作家]]、タレント
* 1959年 - [[大野克之]]、政治家
* [[1960年]] - [[中村れい子]]、女優
* 1960年 - [[山崎浩子]]、元[[新体操]]選手
* 1960年 - [[小松雅美]]、実業家
* [[1961年]] - [[日下部みどり子]]、トラベルライター
* 1961年 - [[清水賢治]]、テレビプロデューサー
* 1961年 - [[柳葉敏郎]]、俳優
* 1961年 - [[津賀有子]]、[[声優]]
* [[1963年]] - [[ケラリーノ・サンドロヴィッチ]]、[[演出家]]、[[脚本家]]、[[ナイロン100℃]]主宰
* [[1964年]] - [[堀江敏幸]]、小説家
* 1964年 - [[宮田奈保美]]、キャラクターデザイナー
* 1964年 - [[竹本修]]、元プロ野球選手
* [[1965年]] - [[笠浩史]]、政治家
* 1965年 - [[宮野ケイジ]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]
* [[1966年]] - [[智田裕一]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]記者、元[[アナウンサー]]
* 1966年 - [[ルイス・ソーホー]]、元プロ野球選手
* [[1967年]] - [[野島卓]]、アナウンサー
* 1967年 - [[若村麻由美]]、女優
* 1967年 - [[一色正春]]、[[海上保安官]]
* 1967年 - [[なうい洋一]]、歌手
* [[1968年]] - [[草野とおる]]、俳優、声優
* [[1969年]] - [[ミハエル・シューマッハ]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー
* 1969年 - [[名洗将之]]、元プロ野球選手
* 1969年 - [[石田和外 (アナウンサー)|石田和外]]、アナウンサー
* 1969年 - [[山本和枝]]、[[イラストレーター]]、[[ゲームクリエイター]]
* 1969年 - [[吉田栄作]]、俳優
* 1969年 - [[北浦共笑]]、女優
* [[1970年]] - [[長井秀和]]、[[お笑いタレント]]
* 1970年 - [[パク・ソニョン (声優)|パク・ソニョン]]、声優
* [[1972年]] - [[私屋カヲル]]、[[漫画家]]
* [[1973年]] - [[金敏宰]]、元プロ野球選手([[2008年北京オリンピックの野球競技|2008年北京オリンピック 野球]] 金メダリスト)
* [[1973年]] - [[川越美和]]、女優(+ [[2008年]])
* 1973年 - [[中野理絵]]、元アイドル
* 1973年 - [[秋山和彦]]、[[SASUKEオールスターズ]]
* [[1974年]] - [[伊藤健太郎 (声優)|伊藤健太郎]]、声優
* 1974年 - [[アレサンドロ・ペタッキ]]、自転車プロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手
* [[1975年]] - [[川上稔]]、[[ライトノベル作家]]、[[ゲームクリエイター]]
* 1975年 - [[佐野榮太郎]]、[[情報技術|情報技術者]]、[[ソフトウェア]]作家
* 1975年 - [[麻枝准]]、[[ゲームシナリオライター|シナリオライター]]、[[作詞家]]、[[作曲家]]
* 1975年 - トーマ・バンガルテル、[[ミュージシャン]]([[ダフト・パンク]])
* [[1976年]] - [[前田浩継]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[飯塚雅弓]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://berrysmile.net/biography |title=Biography 飯塚雅弓 |website=飯塚雅弓オフィシャルサイト ベリースマイル |accessdate=9 Apr 2023 |publisher=kanamedo.}}</ref>、声優
* 1977年 - [[小沢真珠]]、女優
* 1977年 - [[A.J.バーネット]]、元プロ野球選手
* [[1978年]] - [[リヤ・ケベデ]]、[[スーパーモデル]]、女優
* 1978年 - [[パク・ソルミ]]、女優
* [[1979年]] - [[田中理恵 (声優)|田中理恵]]<ref name="jvcmusic">{{Cite web|和書 |url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=667 |title=田中理恵 |publisher=animate Times |accessdate=9 Apr 2023}}</ref>、声優
* 1979年 - [[ベリッシモ・フランチェスコ]]、[[料理研究家]]、[[タレント]]
* 1979年 - [[マイケル・レストビッチ]]、プロ野球選手
* [[1981年]] - [[イーライ・マニング]]、アメリカンフットボール選手
* 1981年 - [[ガッツ石島]]、プロレスラー
* [[1982年]] - [[増田和也]]、元アナウンサー
* 1982年 - パク・ジユン、歌手、女優
* [[1983年]] - [[長谷川凛]]、[[ストリッパー一覧|ストリッパー]]
* [[1984年]] - [[橋本まい]]、声優
* 1984年 - [[フィリプ・ザレウシキー]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1985年]] - [[田中史朗]]、ラグビー選手
* [[1987年]] - [[柳沢なな]]、女優
* 1987年 - [[石坂晴樹]]、元俳優
* 1987年 - [[小神野由佳]]、[[グラビアアイドル]]
* [[1988年]] - [[中村尚史]]、元プロ野球選手
* 1988年 - [[ジョニー・エヴァンズ|ジョニー・エヴァンス]]、サッカー選手
* 1988年 - [[チョン・ヨンヒョク]]、フィギュアスケート選手
* 1988年 - [[カロリーナ・ヘルマン]]、フィギュアスケート選手
* 1988年 - [[山本和臣]]、声優
* 1988年 - [[水口美香]]、プロ雀士
* [[1989年]] - [[梅田彩佳]]、タレント、アイドル(元[[AKB48]]、元[[NMB48]])
* 1989年 - [[内村航平]]、[[体操選手]]
* 1989年 - [[アレックス・D・リンツ]]、俳優
* 1989年 - [[エリック・シム]]、元プロ野球選手
* [[1990年]] - [[ハンター・セルベンカ]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[柿谷曜一朗]]、サッカー選手
* 1990年 - [[ジョゼ・ピエール・ヴンギディガ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[金正賢]]、サッカー選手
* 1990年 - [[深谷知広]]、[[競輪]]選手
* 1990年 - [[古川洋介]]、[[俳優]]
* [[1992年]] - [[ダグ・マクダーモット]]、バスケットボール選手
* [[1993年]] - [[南武果歩]]、[[レースクイーン]]、モデル
* 1993年 - [[永瀬琴葉]]、女優、元アイドル(元[[バクステ外神田一丁目]])
* 1993年 - [[飯塚尚利]]、俳優
* 1993年 - [[今瀬淳也]]、サッカー選手
* [[1994年]] - [[吹田祐実]]、元[[ファッションモデル]]
* 1994年 - [[耿冰娃]]、フィギュアスケート選手
* [[1995年]] - [[塩野瑛久]]、俳優
* 1995年 - [[ジス (BLACKPINK)|ジス]]、アイドル、女優([[BLACKPINK]])
* 1995年 - キム・スルヒョン、アイドル、女優([[AOA (音楽グループ)|AOA]])
* 1995年 - [[中村優花 (バスケットボール)|中村優花]]、バスケットボール選手
* [[1996年]] - [[フローレンス・ピュー]]、女優
* 1996年 - [[イスラエル・モタ]]、プロ野球選手
* 1996年 - [[いかちゃん (お笑い芸人)|いかちゃん]]、お笑いタレント
* [[1997年]] - [[澤畠流星]]、元[[子役]]
* 1997年 - キム・ドンヒョク、アイドル([[iKON]])
* [[2000年]] - [[早瀬雪未]]、声優
* 2000年 - [[佐藤隼輔]]、プロ野球選手
* [[2002年]] - [[木内舞留]]、女優、タレント
* 2002年 - 鮫島彩華、女優、タレント
* [[2003年]] - [[グレタ・トゥーンベリ]]、環境活動家
* [[2004年]] - [[松尾美佑]]、アイドル([[乃木坂46]])
* 生年不明 - [[藤井まき]]、[[アニメーター]]
* 生年不明 - [[秋乃武彦]]、[[イラストレーター]]
* 生年不明 - [[民安ともえ]]、声優
* 生年不明 - [[高山春夫]]、声優
* 生年不明 - [[小幡記子]]、声優
* 生年不明 - [[根本央紀]]、声優
* 生年不明 - [[英田サキ]]、[[小説家]]
* 生年不明 - [[永井真里子]]<ref name="prof">{{Cite web|和書 |url=https://www.kenproduction.co.jp/talent/174 |title=永井 真里子 |accessdate=9 Apr 2023 |publisher=賢プロダクション}}</ref>、声優
== 忌日 ==
* [[236年]] - [[アンテルス (ローマ教皇)|アンテルス]]、[[教皇|ローマ教皇]]
* [[1028年]]([[万寿]]4年[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]) - [[藤原道長]]、[[平安時代]]の[[公卿]]、[[太政大臣]](* [[966年]])
* 1028年(万寿4年12月4日) - [[藤原行成]]、平安時代の[[公家]]、[[三跡|三蹟]]の1人(* [[972年]])
* [[1241年]] - [[ヘルマン2世 (テューリンゲン方伯)|ヘルマン2世]]、[[テューリンゲンの君主一覧|テューリンゲン方伯]](* [[1222年]])
* [[1322年]] - [[フィリップ5世 (フランス王)|フィリップ5世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1293年]])
* [[1437年]] - [[キャサリン・オブ・ヴァロワ]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]の妃(* [[1401年]])
* [[1571年]] - [[ヨアヒム2世 (ブランデンブルク選帝侯)|ヨアヒム2世]]、[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]](* [[1505年]])
* [[1641年]] - [[エレミア・ホロックス]]、[[天文学者]](* [[1618年]])
* [[1654年]]([[承応]]2年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[松永貞徳]]、[[俳諧|俳諧師]](* [[1571年]])
* [[1785年]] - [[バルダッサーレ・ガルッピ]]、[[作曲家]](* [[1706年]])
* [[1795年]] - [[ジョサイア・ウェッジウッド]]、陶芸家(* [[1730年]])
* [[1823年]] - [[ヨハン・アルガイエル]]、[[チェス]]プレイヤー(* [[1763年]])
* [[1826年]] - [[ルイ=ガブリエル・スーシェ]]、[[ナポレオン戦争]]期のフランス軍[[元帥]](* [[1770年]])
* [[1852年]] - [[ルイ・ブライユ]]、[[点字]]の開発者(* [[1809年]])
* [[1870年]] - [[アレン・トリンブル]]、[[オハイオ州知事]](* [[1783年]])
* [[1908年]] - [[チャールズ・ヤング]]、天文学者(* [[1834年]])
* [[1914年]] - [[ラウール・プーニョ]]、音楽教師、作曲家、[[オルガニスト]](* [[1852年]])
* [[1918年]] - [[千家尊福]]、宗教家、第17代[[東京都知事一覧|東京府知事]](* [[1845年]])
* [[1923年]] - [[ヤロスラフ・ハシェク]]、[[小説家]](* [[1883年]])
* [[1931年]] - [[ジョゼフ・ジョフル]]、[[フランス陸軍]]の元帥(* [[1852年]])
* [[1933年]] - [[ヴィルヘルム・クーノ]]、[[ドイツの首相|ドイツ首相]](* [[1876年]])
* [[1942年]] - [[武内桂舟]]、[[挿絵]][[画家]](* [[1861年]])
* 1942年 - [[ユーリ・コニュス]]、作曲家、[[ヴァイオリニスト]](* [[1869年]])
* [[1945年]] - [[エドガー・ケイシー]]、[[予言者]](* [[1877年]])
* 1945年 - [[ジョージ・ストーン (外野手)|ジョージ・ストーン]]、[[プロ野球選手]](* [[1877年]])
* [[1946年]] - [[カール・グスタフ・ヴィット]]、[[天文学者]](* [[1866年]])
* 1946年 - [[ウィリアム・ジョイス]]、「ホーホー卿」の異名で有名な[[プロパガンダ]]放送[[アナウンサー]](* [[1906年]])
* [[1956年]] - [[アレクサンドル・グレチャニノフ]]、作曲家(* [[1864年]])
* 1956年 - [[ヨーゼフ・ヴィルト]]、ドイツ国首相(* [[1879年]])
* [[1959年]] - [[和田英作]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8932.html |title=和田英作 |access-date=9 Apr 2023 |publisher=独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所}}</ref>、洋画家(* [[1874年]])
* [[1960年]] - [[ヴィクトル・シェストレム]]、[[映画監督]](* [[1879年]])
* [[1963年]] - [[石原忍]]、[[医学|医学者]]、[[眼科医]](* [[1879年]])
* [[1967年]] - [[メアリー・ガーデン]]、[[ソプラノ]]歌手(* 1874年)
* 1967年 - [[ジャック・ルビー]]、[[リー・ハーヴェイ・オズワルド]]を[[暗殺]]した人物(* [[1911年]])
* [[1974年]] - [[園池公致]]、小説家(* [[1886年]])
* [[1978年]] - [[三宅大輔]]、[[野球選手]]、元[[プロ野球監督]](* [[1893年]])
* [[1979年]] - [[コンラッド・ヒルトン]]、[[ヒルトン]]創業者(* [[1887年]])
* [[1980年]] - [[星島二郎]]、[[政治家]]、第47代[[衆議院議長]](* [[1887年]])
* 1980年 - [[エイモス・ミルバーン]]、歌手、[[ピアニスト]](* [[1927年]])
* [[1981年]] - [[アリス・オブ・オールバニ]]、[[イギリス]]の王族(* [[1883年]])
* 1981年 - [[北原泰作]]、[[部落問題|部落解放運動家]](* [[1906年]])
* [[1982年]] - [[北村寿夫]]、[[脚本家]]、[[児童文学作家]](* [[1895年]])
* [[1988年]] - [[ローゼ・アウスレンダー]]、[[詩人]](* [[1901年]])
* [[1991年]] - [[ルーク・アップリング]]、[[プロ野球選手]](* [[1907年]])
* [[1994年]] - [[フランク・ベルナップ・ロング]]、小説家(* [[1903年]])
* [[1996年]] - [[古屋茂]]、[[数学者]](* [[1916年]])
* [[2000年]] - [[山口勇子]]<ref>{{Kotobank|山口勇子|デジタル版 日本人名大辞典+Plus}}</ref>、作家(* [[1916年]])
* 2000年 - [[岩崎哲郎]]、元プロ野球選手(* [[1933年]])
* [[2001年]] - [[桂三木助 (4代目)|桂三木助(四代目)]]、[[落語家]](* [[1957年]])
* [[2004年]] - [[テーラー・ダンカン]]、元プロ野球選手(* [[1953年]])
* [[2005年]] - [[ウィル・アイズナー]]、[[アメリカン・コミック]]の[[漫画家]](* [[1917年]])
* 2005年 - [[林裕章]]、[[吉本興業]]会長(* [[1942年]])
* [[2007年]] - [[フュルスト・ヤーノシュ|ヤーノシュ・フュルスト]]、[[指揮者]](* [[1935年]])
* [[2008年]] - [[崔堯森]]、[[プロボクサー]](* [[1972年]])
* [[2009年]] - [[パット・ヒングル]]、俳優(* [[1924年]])
* 2009年 - [[永田寿康]]、政治家、元[[衆議院|衆議院議員]](* [[1969年]])
* [[2011年]] - [[吉村光夫]]<ref>{{Cite web|和書 |title=「夕やけロンちゃん」の吉村光夫さん死去 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=5 Jan 2011|accessdate=9 Apr 2023 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/01/05/kiji/K20110105Z00002860.html}}</ref>、元[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]]、[[鉄道愛好家]]、[[鉄道友の会]]理事(* [[1926年]])
* [[2014年]] - [[やしきたかじん]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140107-1240967.html|title=やしきたかじん死去 再復帰かなわず|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=7 Jan 2014|accessdate=9 Apr 2023}}</ref>、[[歌手]]、[[タレント]]、[[司会者]](* [[1949年]])
* 2014年 - [[海原しおり]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sanspo.com/article/20140104-GHVF5CRXCBOFBNDJRV7Y5NLADI/ |title=海原しおりさん死去、相方のさおり最期看取った「本当に残念」 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |date=4 Jan 2014 |accessdate=9 Apr 2023}}</ref>、[[漫才師]]([[海原さおり・しおり]])(* [[1955年]])
* [[2021年]] - [[中野尚弘]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://mainichi.jp/articles/20210104/k00/00m/040/246000c |title=元男子バレー代表監督の中野尚弘さん死去 80歳 東京五輪銅、メキシコ五輪銀 |publisher=[[毎日新聞]] |date=4 Jan 2021 |accessdate=9 Apr 2023}}</ref>、元[[バレーボール選手]]、元[[バレーボール日本男子代表|バレーボール全日本男子]]監督(* [[1940年]])
* [[2022年]] - [[水尾比呂志]] <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15164483.html|title=水尾比呂志さん死去|publisher=[[朝日新聞デジタル]]|date=7 Jan 2022|accessdate=9 Apr 2023}}</ref>、[[美術史家]]、[[武蔵野美術大学]]元学長(* [[1930年]])
* [[2023年]] - [[ジョセフ・クー]]、作曲家、[[編曲家]](* [[1933年]])
* 2023年 - [[徳善義和]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.christiantoday.co.jp/articles/31853/20230108/rev-yoshikazu-tokuzen-dies-at-90.htm|title=徳善義和牧師死去 世界的なルター研究者、元日本ルーテル神学校校長|newspaper=クリスチャントゥデイ|date=8 Jan 2023|accessdate=9 Apr 2023}}</ref>、牧師、[[神学者]]、[[日本ルーテル神学校]]名誉教授(* 1932年)
== 記念日・年中行事 ==
* [[正月]](三日正月)({{JPN}})
* [[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]復路({{JPN}})
* [[NHKニューイヤーオペラコンサート]]({{JPN}})
* [[ライスボウル]]([[1984年]] - )({{JPN}})
*: アメリカンフットボールの社会人王者と学生王者が対戦し、日本一を決める
* [[瞳|ひとみ]]の日({{JPN}})
*: 眼鏡・コンタクトレンズの業界が制定。「ひ(1)とみ(3)」の語呂合せ<ref>{{Cite book|和書 |title=すぐに役立つ366日記念日事典 |edition=改訂増補版 |editor=日本記念日協会 |author=加瀬清志 |publisher=[[創元社]] |date=2013-12-19 |isbn=978-4422021126}}</ref>。
*駆け落ちの日({{JPN}})
*: [[1938年]](昭和13年)1月3日、女優[[岡田嘉子]]と、演出家[[杉本良吉]]が、当時日本の領土であった[[樺太]]の国境を越えて[[ソ連]]へ亡命<ref>{{Cite web|和書 |url=http://kumonoue-lib.jp/index.php/kyono-issatsu/1106-1-3-1 |title=1月3日は駆け落ちの日 |access-date=26 Jul 2023 |publisher=ゆすはら雲の上の図書館 |date=3 Jan 2022}}</ref>。亡命後、2人は国境侵犯の容疑で取り調べを受け、杉本は拷問の結果、陸軍参謀本部から破壊活動のため派遣されたスパイという虚偽の自白を強制され、処刑された<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bunshun.jp/articles/-/25217 |title=なぜ昭和のトップスター・岡田嘉子は恋人と「ソ連への亡命」を決断したのか |access-date=26 Jul 2023 |publisher=[[文芸春秋]] |website=文春オンライン |date=16 Jan 2020}}</ref>。
* [[元始祭]]({{JPN}})
*: [[宮中祭祀]]のひとつ<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.isejingu.or.jp/topics/qnh195zv.html |title=元始祭|お知らせ |access-date=26 Jul 2023 |publisher=[[伊勢神宮]]}}</ref>。[[明治維新]]後に定められた[[宮中祭祀|皇室祭祀]]の一つで、1月3日に天皇陛下が[[宮中三殿]](賢所、皇霊殿、神殿)において親祭し、皇位の始源を祝う。起源は1870年(明治3)1月3日、[[神祇官]][[八神殿]]に八神、天神地祇、歴代皇霊を鎮祭したのに始まる<ref>{{Kotobank|元始祭}}</ref>。
* 『吉兆さんと番内』({{JPN}})
*: 毎年この日に[[島根県]][[出雲市]]で行われる行事。吉兆は、歳徳神の大のぼりを立て、シャギリ太鼓を叩きながら町内各所で大社神謡をうたう。番内は、鬼の面をつけた年男が青竹を叩きながら町内を練り歩き厄を払う<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.kankou-shimane.com/destination/20916 |title=吉兆さんと番内 |access-date=26 Jul 2023 |publisher=しまね観光ナビ}}</ref>。
* [[砥鹿神社]]『田遊祭』({{JPN}})
*: 田遊びは、田楽と並ぶ稲作儀礼に絡む民俗芸能で、三河地方は有数の伝承地のひとつ。[[愛知県]][[豊川市]]の砥鹿神社では「田遊祭(たあそびさい)」と呼ばれている。毎年この日の午後、里宮拝殿前で、代官、田主、田人、巫女に扮した氏子ら計13名が、春の田打行事から始まる一連の所作を演じ、五穀豊穣を祈願する<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bunkashisan.ne.jp/bunkashisan/23_aichi/7147.html |title=砥鹿神社 田遊祭 |access-date=26 Jul 2023 |publisher=一般財団法人 地域創造 |website=世界文化遺産ポータル}}</ref>。
* [[財賀寺]]『お田植祭』({{JPN}})
*: [[愛知県]][[豊川市]]の財賀寺で行われる神事。稲作の過程を模擬的に演じて豊作を祈る。農夫が白牛を使って田起こし、田打ち、代かきをし、祭の司が太鼓の上に種籾をまいて、願文を読み上げる。続いて、農夫が苗取り、田植をし、祭の司が白牛を酒の泉で清めて終わる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://aichinavi.jp/spots/detail/1916/ |title=財賀寺 お田植祭 |access-date=26 Jul 2023 |publisher=一般社団法人 愛知県観光協会 |website=あいち観光ナビ}}</ref>。
*鳳来寺田楽({{JPN}})
*: [[愛知県]][[新城市]]の[[鳳来寺]]で毎年この日に豊作を祈願して行われる民俗芸能。鳳来寺の開祖・利修仙人の命で、山中に棲んでいた鬼の首をはねて守護神としてまつり、寺の僧が供養のため村人とともに踊ったのが田楽の始まりと伝わっている。農民生活と修験や、[[薬師如来]]の信仰が結びついて[[室町時代]]に現在のような形態になったと伝わっている<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.aichi-now.jp/spots/detail/1911/ |title=鳳来寺田楽 |access-date=27 Jul 2023 |website=愛知県の観光サイトAichi Now |publisher=Aichi Prefecture.}}</ref>。
* 熱池八幡社『てんてこ祭』({{JPN}})
*: [[愛知県]][[西尾市]]の熱池八幡社で、毎年この日に五穀豊穣を祈念し行なわれるお祭。全身赤装束の6人の厄男が神社に向けて行列し、うち3人は大根で作った男性のシンボルを下げ、「てんてこ、てんてこ」と太鼓のお囃子にあわせ腰を振りながら町内を練り歩く。祭りの行列が神社境内へ到着すると、厄男が竹箒で藁灰を撒き散らす。この灰をかぶると厄除けになるといわれている<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.aichi-now.jp/spots/detail/1103/ |title=西尾のてんてこ祭 |access-date=27 Jul 2023 |website=愛知県の観光サイトAichi Now |publisher=Aichi Prefecture.}}</ref>。
* 篠島大名行列({{JPN}})
*: [[愛知県]][[南知多町]]の[[篠島]]で1月3日と4日に行われる祭礼。八王子社に祀られている男性神「オジンジキサマ」が、神明神社に祀られている女性神の所へ「オワタリ」をして一夜を過ごし、また八王子社へと帰っていく。オジンジキサマが八王子社へ帰る道程では、島の男たちによって大名行列が作られる<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.shinojima-matsuri.jp/january.html |title=正月祭礼・大名行列 |access-date=27 Jul 2023 |publisher=篠島まちづくり会 |website=篠島の祭礼}}</ref>。
* 『寺野ひよんどり』({{JPN}})
*: [[静岡県]][[浜松市]]で、400前から伝わる火祭り。五穀豊穣や無病息災を祈る祭礼で、神楽系の舞が多く伝承されている<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/documents/787/0901info09.pdf |title=浜松市文化財情報 |access-date=27 Jul 2023 |publisher=浜松市生涯学習課 |format=[[PDF]]}}</ref>。
*筥崎宮『玉取祭(玉せせり)』({{JPN}})
*: [[福岡県]][[福岡市]][[筥崎宮]]で行われる祭礼。[[長崎くんち]]、[[八代妙見祭]]とともに九州三大祭として知られる室町時代から続く神事。陰陽2つの木玉が、東側に約250m離れた場所にある末社玉取恵比須神社に運ばれ、陽の玉が競り子達に手渡されて祭典が始まる。豊作を祈願する「陸組」と大漁を願う「浜組」に分かれて、祓い清められた陽の玉が激しく奪い合われる。最後は本宮の楼門に待つ神職に手渡され、陰陽2つの玉が再び揃って神前に納まれば、神事は執り納めとなる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.hakozakigu.or.jp/omatsuri/tamatorisai/ |title=【玉取祭/玉せせり】 |access-date=27 Jul 2023 |publisher=筥崎宮社}}</ref>。
*『発光路の強飯式』({{JPN}})
*: [[栃木県]][[鹿沼市]]の発光路妙見神社の祭り当番の受け渡し儀式として行われる行事。氏子の扮した山伏と強力が、新旧の祭り当番をはじめ、氏子の人々に高盛飯を強いる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kanuma-kanko.jp/purpose/%E7%99%BA%E5%85%89%E8%B7%AF%E3%81%AE%E5%BC%B7%E9%A3%AF%E5%BC%8F/ |title=発光路の強飯式 |access-date=26 Jul 2023 |publisher=一般社団法人 鹿沼市観光協会 |website=鹿沼日和}}</ref>。
*[[輪王寺|日光山輪王寺]]『外山毘沙門天縁日』(福銭貸し)({{JPN}})
*: 「福銭貸し」とは、本尊の[[毘沙門天]]から福銭を授かる神事。[[栃木県]][[日光山輪王寺]]の外山山頂(標高880メートル)で行われる。福銭を事業の元手とし、翌年に倍額を奉納するのが慣わしとなっている<ref>{{Cite web|和書 |url=http://nikko.4-seasons.jp/festival/function_detail.shtml?0:101 |title=日光の伝統行事 外山毘沙門天縁日 |access-date=26 Jul 2023 |publisher=日光観光ライブ情報局}}</ref>。
*初大師(元三大師縁日)({{JPN}})
*: 毎月3日は元三大師の縁日。元三大師とは、第十八代[[天台座主]][[良源]]のことで、1月3日に亡くなったことから元三大師と呼ばれている。「[[おみくじ]]」や「たくあん漬けの考案者としても知られ、焼失した[[延暦寺|比叡山]]の再建整備、[[天台宗]]の発展に尽力されたことから「比叡山中興の祖」と仰がれている。その元三大師最初の縁日が『初大師』で、埼玉県の[[喜多院]]では「だるま市」が開催されるほか、大師ゆかりの寺院では様々な催しが行われる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=14 |title=法話集 No.13元三大師さま |access-date=26 Jul 2023 |publisher=一隅を照らす 天台宗}}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0103|date=Apr 2023}}
* [[2011年]] - 都内の病院で新型[[インフルエンザ]]と思しき感染症が発生。(映画『[[感染列島]]』)
* [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - [[スペースコロニー]]「サイド3」が「[[ジオン公国]]」を名乗り、[[地球連邦]]政府に対し[[宣戦布告]]、[[一年戦争]]勃発。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』ほか)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1853年]](嘉永6年) - 四乃森蒼紫、漫画・アニメ『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://rurouni-kenshin.com/character/chara6.html |title=四乃森蒼紫|work=『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』 |publisher=[[和月伸宏]]/[[集英社]]・「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」製作委員会|accessdate=3 Jan 2024}}</ref>
* [[1903年]] - 大神一郎、ゲーム・アニメ『[[サクラ大戦]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sakura-taisen.com/archives/game/3ps2/chara_ogami.html |title=大神一郎 |access-date=9 Apr 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]] RED |work=『サクラ大戦3~巴里は燃えているか~』}}</ref>
* 生年不明 - 鳳姫美子、漫画『[[わらってヒミコさん]]』の主人公
* 生年不明 - 雪ノ下雪乃、小説・アニメ『[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。]]』のメインヒロイン<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tbs.co.jp/anime/oregairu/news/news20200103_02.html |title=ハッピーバースデー雪乃! |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[渡航]]、[[小学館]]/やはりこの製作委員会はまちがっている。完・[[TBS]] |date=3 Jan 2020 |work=『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』}}</ref>
* 生年不明 - 磯鷲早矢、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - アイスバーグ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Iceberg.html |title=アイスバーグ |work=『ONE PIECE』 |accessdate= 9 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref>
* 生年不明 - アイサ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Aisa.html |title=アイサ |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref>
* 生年不明 - 樺地崇弘、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1212751666795208705}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=[[テニスの王子様]]|volume=10.5巻|author=許斐剛|authorlink=許斐剛|publisher=[[集英社]]|page=287|year=2001|isbn=4-08-873193-X}}</ref>
* 生年不明 - 毛利寿三郎、漫画・アニメ『テニスの王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1212751680825176065}}</ref>
* 生年不明 - ガマブン太、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|815937034120495105}}</ref>
* 生年不明 - 荒木雅子、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 冬島慎次、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1080479008448528384}}</ref>
* 生年不明 - 東春秋、漫画・アニメ『ワールドトリガー』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1080479340679315456}}</ref>
* 生年不明 - 天王寺咲、漫画・アニメ『[[火ノ丸相撲]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hinomaru-zumou.com/character/天王寺咲 |title=天王寺咲 |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[川田 (漫画家)|川田]]/[[集英社]]・「火ノ丸相撲」製作委員会 |work=『火ノ丸相撲』}}</ref>
* 生年不明 - アレクドラ・サンドラー、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 石蕗宙汰、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 深澤ゆき、漫画・アニメ『[[Over Drive (漫画)|OverDrive]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 鮎川天理、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/kaminomi3/sp/chara/index.html |title=キャラクター 鮎川天理 |access-date=7 Aug 2023 |publisher=[[若木民喜]]・[[小学館]]/ユピテルの姉妹 |work=『神のみぞ知るセカイ 女神篇』}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=神のみぞ知るセカイ |date=21 Jan 2010 |publisher=[[小学館]] |page=187 |isbn=978-4-09-122137-7 |author=[[若木民喜]] |volume=7}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=若木民喜 |authorlink=若木民喜 |editor=キャラメル・ママ |date=2013-09-18 |title=神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック |page=66 |publisher=[[小学館]] |series=少年サンデーコミックススペシャル |isbn=978-4091244512}}</ref>
* 生年不明 - 郡津灯、漫画『[[かけあうつきひ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=福井セイ |authorlink=福井セイ |year=2022 |title=かけあうつきひ |volume=第3巻 |page=23 |publisher=[[小学館]] |series=[[少年サンデーコミックス]] |isbn=978-4098508648}}</ref>
* 生年不明 - 加具山直人、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2008-05-01|title=おおきく振りかぶって|page=52|publisher=[[主婦と生活社]]|series=生活シリーズ―PASH!アニメーションファイル|isbn=978-4391626438}}</ref>
* 生年不明 - 木之本藤隆、漫画・アニメ『[[カードキャプターさくら]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 山伏実希代、漫画・アニメ『[[かみさまのいうとおり!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 若瀬いずみ、漫画『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=美水かがみ|authorlink=美水かがみ|editor=コンプティーク|date=2009-12-26 |title=らき☆すた おきらく公式ガイドブック こなたは俺をヨメ!!|publisher=[[角川書店]]|series=角川コミックス|ISBN=978-4048544207}}</ref>
* 生年不明 - 津山睦月、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://sciasta.com/characters.html |title=津山 睦月(つやま むつき) |work=『咲-Saki- 』 |accessdate= 9 Apr 2023 |publisher=[[小林立]]}}</ref>
* 生年不明 - [[暁のヨナ#シンア|シンア(青龍)]]、漫画・アニメ『[[暁のヨナ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 文吾、漫画『[[TATTOO HEARTS]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - シゲルコ・ホンダ、漫画・アニメ『[[宇宙戦艦ティラミス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://tiramisu-anime.com/character/#shigeko |title=シゲルコ・ホンダ |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[宮川サトシ]] 伊藤亰・[[新潮社]]/「宇宙戦艦ティラミス」製作委員会 |work=『宇宙戦艦ティラミス』}}</ref>
* 生年不明 - 野田コトネ、漫画・アニメ『[[桜Trick]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=タチ|title=桜Trick|volume=(1)|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムきらら#まんがタイムKRコミックス|まんがタイムKRコミックス]]|date=2012-08-27|page=2|ISBN=978-4832241879}}</ref>
* 生年不明 - ハマハマ、アニメ『[[ふしぎの海のナディア]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 堀田小春、アニメ『[[プリンセスナイン 如月女子高野球部]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 春日野道聖子、アニメ『[[あぃまぃみぃ!ストロベリー・エッグ]]』に登場するキャラクタ
* 生年不明 - 藤堂鏡志朗、アニメ『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - カイエン・ガラモンド、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVI]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイナルファンタジーVI ザ・コンプリート|publisher=[[NTT出版]]|year=1994|page=164|ISBN=4-87188-303-5}}</ref>
* 生年不明 - 河合弘子、ゲーム『[[ドキドキプリティリーグ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 石動岩、ゲーム『[[ジャスティス学園]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ナルヒコ、ゲーム『[[pop'n music]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|popn_birth|551030627433070593}}</ref>
* 生年不明 - パピルス、ゲーム『pop'n music』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|popn_birth|418758858509537280}}</ref>
* 生年不明 - ラグナ・レウァール、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVIII]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 霧島聖、ゲーム『[[AIR (ゲーム)|AIR]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|visualantena|1609927619843162113}}</ref>
* 生年不明 - リチャード、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/index.html |title=住民名簿 1月 リチャード |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref>
* 生年不明 - [[Piaキャロットへようこそ!!の登場人物一覧|岩倉夏姫]] - ゲーム『[[Piaキャロットへようこそ!!3]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|FANDC_Staff|1345535349338959872}}</ref>
* 生年不明 - 南斗星(セーンムアン)、ゲーム『[[君が主で執事が俺で]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.minatosoft.com/kimiaru/ |title=夢チーム 南斗星 |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[みなとそふと]] |work=『君が主で執事が俺で』}}</ref>
* 生年不明 - ユウキ=ハンクス、ゲーム『[[メモリア (ゲーム)|メモリア]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 千鳥凛沙、ゲーム『[[L@ve once]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/382438.html |title=Maid meets Cats、PSP「L@ve once ~一度きりの恋愛~」「1度きりの恋愛」が重要なポイントとなるADV |work=GAME WATCH |publisher=Impress Corporation. |accessdate=9 Apr 2023 |date=23 Jul 2010}}</ref>
* 生年不明 - 桑田怜恩、ゲーム『[[ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sp_kiboukoubai|1345619326024355840}}</ref>
* 生年不明 - 焔、ゲーム・アニメ『[[閃乱カグラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://senrankagura.marv.jp/shinovishoujyo/chara/?homura&mode=1 |title=焔 |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] HONEY PARADE GAMES Inc. |work=『閃乱カグラ』シリーズ シノビ少女図鑑}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#村上巴|村上巴]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20166 |title=村上 巴(むらかみ ともえ) |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 野々村そら、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20123 |title=野々村 そら(ののむら そら) |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 棗いつみ、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]] |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/itsumi.html |title=棗 いつみ |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=9 Aug 2023}}</ref>
* 生年不明 - 北仲日和、ゲーム・アニメ『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/kitanaka-hiyori/ |title=京都府 北仲 日和 |access-date= 9 Apr 2023 |publisher=[[MAGES.]] アイドル事変製作委員 |work=『アイドル事変』}}</ref>
* 生年不明 - ミサキ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1212916504422862849}}</ref>
* 生年不明 - 放浪者、ゲーム『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|genshin_7|1610123833234563074}}</ref>
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|3 January}}
{{新暦365日|1|2|1|4|[[12月3日]]|[[2月3日]]|[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]|0103|1|03}}
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'''1月4日'''(いちがつよっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から4日目に当たり、年末まであと361日([[閏年]]では362日)ある。
== できごと ==
* [[1698年]] - [[ロンドン]]の[[ホワイトホール宮殿]]の大半が火事により焼失。
* [[1877年]] - [[地租改正反対一揆]]の頻発により、[[地租]]を地価の3%から2.5%に引き下げ。
* [[1879年]] - 明治政府が[[平安時代]]から実施されていた[[獄門|梟首刑]](晒し首)を廃止。
* [[1882年]] - [[日本]]で「[[軍人勅諭]]」が発布される。
* [[1884年]] - ロンドンで[[フェビアン協会]]設立<ref>{{Cite web |url=https://fabians.org.uk/about-us/our-history/ |title=The Early Fabians: “Educate, Agitate, Organise” |access-date=19 Feb 2023 |publisher=Fabian Society |language=En}}</ref>。
* [[1886年]] - 旧兌換銀行券5円(裏大黒5円)が発行。
* [[1894年]] - [[露仏同盟]]が正式に成立。
* [[1896年]] - [[ユタ準州]]が昇格して[[アメリカ合衆国]]45番目の州・[[ユタ州]]となる。
* [[1903年]] - [[電流戦争]]:[[トーマス・エジソン]]の会社がサーカスの象[[トプシー (象)|トプシー]]を電気ショックにより処刑。
* [[1927年]] - 武漢の民衆が漢口英租界を占領。
* [[1932年]] - [[インド]]の植民地政府が[[インド国民会議|国民会議派]]を非合法化し、[[マハトマ・ガンディー]]ら指導者を逮捕。
* [[1936年]] - アメリカの音楽雑誌『[[ビルボード]]』が世界初の音楽ヒットチャートを発表。
* [[1941年]] - [[皖南事変]]。[[中国共産党]]の[[新四軍]]を[[中国国民党]]軍が攻撃。
* [[1946年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が[[軍人]]・[[戦争犯罪|戦犯]]・[[軍国主義者]]・[[政治家]]などの[[公職追放]]を指示。
* [[1948年]] - ビルマ(現在の[[ミャンマー]])が[[イギリス]]から独立し、ビルマ連邦共和国が成立。
* 1948年 - 日本と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の間で[[国際電話]]が開通。
* [[1951年]] - [[朝鮮戦争]]: 中華人民共和国軍と北朝鮮軍が[[ソウル特別市|ソウル]]を占領。
* [[1952年]] - [[第二次中東戦争]]: イギリス軍が[[スエズ運河]]を閉鎖。
* [[1955年]] - [[ビキニ環礁#キャッスル作戦(水爆実験)|ビキニ被災]]補償でアメリカ合衆国が200万ドルの慰謝料を支払うことが日米の間で公文交換される。
* [[1956年]] - アメリカ政府が[[在日米軍|在日米地上軍]]の削減を発表。
* [[1958年]] - [[1957年|前年]]に打ち上げられたソ連の人工衛星[[スプートニク1号]]が大気圏に再突入し消滅。
* [[1959年]] - ソ連の月探査機「[[ルナ1号]]」が月近傍を通過した後、史上初の[[人工惑星]]となる。
* [[1968年]] - [[東証株価指数]]の基準日。この日の[[時価総額]]を100として算出する。
* [[1970年]] - 日本最長寿のドキュメンタリー番組である[[NNNドキュメント]]が放送を開始<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tvguide.myjcom.jp/detail/?channelType=120&serviceCode=102_65406&eventId=10141&programDate=20230312 |title=NNNドキュメント'23 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[JCOM|Jupiter Telecommunications Co., Ltd.]]}}</ref>。
* [[1977年]] - [[青酸コーラ無差別殺人事件]]。
* [[1979年]] - [[ダグラス・グラマン事件]]: アメリカ[[証券取引委員会]]で、[[グラマン]]社が自社の[[早期警戒機]]の売り込みのため日本の政府高官に不正資金を渡したことを告発。
* [[1980年]] - [[アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)|ソ連のアフガニスタン侵攻]]に対して、[[ジミー・カーター|カーター]]米大統領が報復措置・穀物輸出削限等を表明。
* [[1984年]] - 日本の[[都市銀行]]13行の相互接続サービス「[[BANCS]]」が運用開始。
* [[1989年]] - [[シドラ湾事件 (1989年)|シドラ湾事件]]。[[シドラ湾]]上空で[[アメリカ海軍]]部隊とリビア空軍が交戦し、リビア空軍機2機が撃墜される。
* [[1991年]] - [[中華人民共和国]]の[[梅里雪山]]で、日中合同登山隊が大量遭難死。
* [[1992年]] - [[東京ドーム]]で[[新日本プロレス]]「超戦士in闘強導夢」が開催される。これ以降、新日本プロレスは毎年1月4日に東京ドーム興行を開催。
* [[1995年]] - [[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件]]。
* 1995年 - Sony Computer Entertainment Europeの設立を発表。本社は英国ロンドンに置く。
* [[2004年]] - [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の[[火星探査機]]「[[スピリット (探査機)|スピリット]]」が火星表面に着陸。
* [[2005年]] - [[軽自動車]]の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]の分類番号3桁化、希望番号制を実施(自家用のみ)。
* [[2006年]] - 東京三菱銀行とUFJ銀行とが合併した、[[三菱UFJ銀行|三菱東京UFJ銀行]](現:三菱UFJ銀行)が営業開始。
* [[2007年]] - [[ナンシー・ペロシ]]が女性として初めて[[アメリカ合衆国下院]]議長に就任。
* [[2009年]] - [[インドネシア]]東部の[[ニューギニア島]]沖でマグニチュード7.6、同7.4の2回の地震が発生<ref>{{Cite web|和書 |date=31 Jan 2009 |url=https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/200901/monthly200901.pdf |title=平成21年1月 地震・火山月報(防災編) |format=PDF |publisher=気象庁 |accessdate=19 Feb 2023 |page=34}}</ref>([[ニューギニア島沖地震]])。
* [[2010年]] - [[アラブ首長国連邦]]の[[ドバイ]]で、[[ブルジュ・ハリファ|ブルジュ・ハリーファ]](世界一高い[[超高層建築物|超高層ビル]])が完成<ref>{{Cite web|和書 |date=5 Jan 2010 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2679450 |title=世界一の超高層「ブルジュ・ドバイ」落成、高さ828メートル |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=19 Feb 2023}}</ref>。
* 2010年 - [[東京証券取引所]]で世界最高水準の高速性・信頼性・拡張性を兼ね備えた現物商品の売買システム[[アローヘッド]]が稼働<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jpx.co.jp/systems/equities-trading/01.html |title=現物取引 arrowhead |access-date=19 Feb 2023 |publisher=JPX 日本取引所グループ}}</ref>。
* [[2018年]] - [[日本相撲協会]]臨時評議員会において、[[貴乃花光司|貴乃花親方]]の理事解任、役員待遇委員への降格が決議<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_spo_sumo20180104j-05-w530 |title=【図解・スポーツ】元日馬富士問題に絡む処分(2018年1月) |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[時事通信]] |date=4 Jan 2018}}</ref>。
== 誕生日 ==
* [[968年]]([[乾徳 (宋)|乾徳]]5年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]]) - [[真宗 (宋)|真宗]]、[[北宋]]第3代皇帝(+ [[1022年]])
* [[1602年]]([[慶長]]6年[[閏]][[11月11日 (旧暦)|11月11日]])- [[藤堂高次]]、第2代[[津藩|津藩主]](+ [[1676年]])
* [[1643年]] - [[アイザック・ニュートン]]、[[科学者]](+ [[1727年]])
* [[1710年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ]]、[[作曲家]](+ [[1736年]])
* [[1733年]]([[享保]]17年[[11月19日 (旧暦)|11月19日]])- [[大関増備]]、第8代[[黒羽藩|黒羽藩主]](+ [[1764年]])
* [[1748年]]([[寛延]]元年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]])- [[松平重富]]、第12代[[福井藩|福井藩主]](+ [[1809年]])
* [[1753年]]([[宝暦]]2年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]])- [[黒田治之]]、第7代[[福岡藩|福岡藩主]](+ [[1781年]])
* [[1782年]]([[天明]]元年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]])- [[相馬樹胤]]、第10代[[相馬中村藩|相馬中村藩主]](+ [[1839年]])
* [[1785年]] - [[ヤーコプ・グリム]]、文献学者、[[グリム兄弟]]の兄(+ [[1863年]])
* [[1809年]] - [[ルイ・ブライユ]]、[[点字]]の開発者(+ [[1852年]])
* [[1813年]] - [[アレクサンダー・フォン・バッハ]]、[[政治家]](+ [[1893年]])
* [[1818年]]([[文化 (元号)|文化]]元14年[[11月28日 (旧暦)|11月28日]])- [[水野勝進]]、第8代[[結城藩|結城藩主]](+ [[1873年]])
* [[1831年]]([[文政]]13年11月21日)- [[大村純熈]]、第12代[[大村藩|大村藩主]](+ [[1882年]])
* [[1838年]]([[天保]]8年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]])- [[大関増裕]]、第15代黒羽藩主(+ [[1868年]])
* [[1848年]]([[弘化]]4年[[11月28日 (旧暦)|11月28日]]) - [[桂太郎]]、第11・13・15代[[内閣総理大臣]](+ [[1913年]])
* [[1855年]]([[安政]]元年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]])- [[岡部長職]]、第13代[[岸和田藩|岸和田藩主]]・[[子爵]](+ [[1925年]])
* [[1874年]] - [[ヨセフ・スク (作曲家)|ヨセフ・スク]]、[[作曲家]](+ [[1935年]])
* [[1882年]] - [[梅津美治郎]]、[[陸軍大将]](+ [[1949年]])
* [[1886年]] - [[高畠素之]]、社会思想家(+ [[1928年]])
* [[1889年]] - [[夢野久作]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://thetv.jp/person/0000096272/ |title=夢野久作 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=WEBザテレビジョン}}</ref>、[[小説家]](+ [[1936年]])
* [[1896年]] - [[エヴァレット・ダークセン]]、[[院内総務 (アメリカ)|アメリカ合衆国上院少数党院内総務]](+ [[1969年]])
* 1896年 - [[アンドレ・マッソン]]、[[画家]](+ [[1987年]])
* [[1898年]] - [[山縣昌夫]]、[[船舶工学|船舶工学者]](+ [[1981年]])
* [[1900年]] - [[ジェームズ・ボンド (鳥類学者)|ジェームズ・ボンド]]、[[鳥類学者]](+ 1989年)
* [[1901年]] - [[C・L・R・ジェームズ]]、作家、[[ジャーナリスト]](+ 1989年)
* [[1902年]] - [[阿部武雄]]、作曲家(+ [[1968年]])
* [[1903年]] - [[古井喜実]]、[[内務省 (日本)|内務]][[官僚]]、[[政治家]](+ [[1995年]])
* [[1912年]] - [[小柳勇]]、[[政治家]](+ [[2005年]])
* [[1913年]] - [[マリエトア・タヌマフィリ2世]]、[[サモア]]大首長(+ [[2007年]])
* [[1915年]] - [[桑野通子]]、[[俳優|女優]](+ [[1946年]])
* [[1919年]] - [[平野愛子]]、[[歌手]](+ [[1981年]])
* 1919年 - [[三田政夫]]、[[プロ野球選手]](+ 没年不詳)
* [[1922年]] - [[山田風太郎]]、[[小説家]](+ [[2001年]])
* 1922年 - [[ドリーン・ヴァリアンテ]]、[[ウィッカン]](+ [[1999年]])
* [[1927年]] - [[ラウロ・フレッド・カヴァゾス]]、[[政治家]]、[[医学|医学者]]、[[教育者]](+ 2022年)
* 1929年 - [[ギュンター・シャボフスキー]]、[[ドイツ社会主義統一党]]政治局員(+ [[2015年]])
* [[1930年]] - [[武井保雄]]、元[[武富士]]会長(+ [[2006年]])
* [[1932年]] - [[カルロス・サウラ]]、[[映画監督]] (+ [[2023年]])
* [[1933年]] - [[石橋雅史]]、[[俳優]]、[[武道|武道家]]、[[空手道|空手家]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sanspo.com/article/20181223-45T26PBGCBOTPCOLZRBVPMCW5E/ |title=石橋雅史さん死去、時代劇や戦隊ヒーロー番組の悪役として活躍 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |date=23 Dec 2018 |accessdate=19 Feb 2023 |website=SANSPO.COM}}</ref>)
* 1933年 - [[市川昭介]]、[[作曲家]](+ [[2006年]])
* 1933年 - [[ポール・ヴィリリオ]]、[[哲学|哲学者]](+ 2018年)
* [[1935年]] - [[宇野郁夫]]、[[日本生命保険]]会長(+ 2021年)
* [[1938年]] - [[藤田小女姫]]、[[占い師]](+ [[1994年]])
* [[1940年]] - [[高行健]]、小説家
* 1940年 - [[黒岩秩子]]、政治家
* 1940年 - [[河野高明]]、[[プロゴルファー]](+ [[2010年]])
* 1940年 - [[バート・シャーリー]]、元プロ野球選手
* 1940年 - [[ブライアン・ジョゼフソン]]、[[物理学者]]
* 1940年 - [[ヘルムート・ヤーン]]、[[建築家]]
* [[1944年]] - [[子門真人]]、[[歌手]]
* 1944年 - [[チャーリー・マニエル]]、元プロ野球選手
* 1944年 - [[山中巽]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[大潮憲司]]、元大相撲力士
* 1948年 - [[岡崎彰]]、[[天文学者]]
* 1948年 - [[長井繁夫]]、元プロ野球選手
* 1948年 - [[松原良明]]、元プロ野球選手(+ [[1988年]])
* [[1950年]] - [[丹古母鬼馬二]]、[[俳優]]
* 1950年 - [[山口たか]]、政治家
* 1950年 - [[横山忠夫]]、元プロ野球選手
* [[1951年]] - [[バーバラ・コクラン]]、元[[アルペンスキー]]選手
* [[1952年]] - [[藤田賢治]]、元プロ野球選手
* [[1953年]] - [[ノルベルト・アロンソ]]、元[[サッカー]]選手
* [[1956年]] - [[バーナード・サムナー]]、[[ミュージシャン]]([[ニュー・オーダー]])
* [[1957年]] - [[テレサ野田]]、元[[俳優|女優]]
* [[1958年]] - [[三田紀房]]、[[漫画家]]
* 1958年 - [[宮本亜門]]、[[演出家]]
* [[1959年]] - [[本田優]]、元[[騎手]]、[[調教師]]
* [[1960年]] - [[マイケル・スタイプ]]、[[ミュージシャン]]([[R.E.M.]])
* 1960年 - [[中山讓]]、[[ミュージシャン]]、[[YouTuber]]、元[[教員]]
* 1960年 - [[マリーン]]、歌手
* [[1961年]] - [[神谷利徳]]、[[インテリアデザイナー]]
* 1961年 - [[田辺治]]、[[登山家]](+ [[2010年]])
* 1961年 - [[松井清隆]]、元サッカー選手、指導者
* [[1962年]] - [[ダンシング谷村]]、[[ものまねタレント]]
* [[1963年]] - [[トレイ・ヒルマン]]、元プロ野球選手、監督
* 1963年 - [[エレーナ・ワロワ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1964年]] - [[竹内力]]、俳優
* 1964年 - [[アレクサンドル・ファデーエフ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1965年]] - [[イヴァン・アタル]]、俳優、[[映画監督]]
* 1965年 - [[一本木蛮]]、漫画家
* 1965年 - [[ベス・ギボンズ]]、[[歌手]]([[ポーティスヘッド]])
* 1965年 - [[中村達也 (1965年生のドラマー)|中村達也]]、[[ミュージシャン]]
* 1965年 - [[那州雪絵]]、漫画家
* 1965年 - [[ギー・フォルジェ]]、元[[テニス]]選手
* 1965年 - [[宮下昌己]]、元プロ野球選手
* [[1966年]] - [[植田裕一]]、俳優
* 1966年 - [[上福元勤]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]])
* 1966年 - [[北島忠雄]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]
* [[1967年]] - [[インゴ]]、[[外国人タレント]]、俳優
* 1967年 - [[太田雅彦]]、[[アニメーション]]監督
* 1967年 - [[デビッド・トムズ]]、[[ゴルフ|プロゴルファー]]
* 1967年 - [[ジョニー・ネルソン]]、元プロボクサー
* [[1968年]] - [[鶴田道弘]]、元サッカー選手、指導者
* 1968年 - [[松尾潔]]、[[音楽プロデューサー]]
* [[1969年]] - [[石黒圭]]、[[言語学|言語学者]]
* 1969年 - [[平井真軌]]、俳優
* 1969年 - [[宮本延春]]、[[随筆家]]
* [[1970年]] - [[岡部直治]]、[[ボウリング|プロボウラー]]
* 1970年 - [[山本カナコ]]、女優
* [[1971年]] - [[柿崎順一]]、[[芸術家]]、[[フラワーアーティスト]]
* 1971年 - [[佐藤裕幸]]、元プロ野球選手
* 1971年 - [[山部太]]、元プロ野球選手
* [[1972年]] - [[あべ美幸]]、漫画家
* [[1974年]] - [[アンドレアシュ・シュタルケ]]、騎手
* 1974年 - [[ダニーロ・ホンド]]、[[自転車競技]]選手
* 1974年 - [[胡桃沢ひろこ]]、タレント、歌手
* [[1975年]] - [[シェイン・カーウィン]]、[[総合格闘家]]
* 1975年 - [[佐藤洋之]]、[[アナウンサー]]
* [[1976年]] - [[杉久武]]、政治家
* 1976年 - [[ニポポ (アーティスト)|グロテス・F・ニポポ]]、ミュージシャン(元[[トンガリキッズ]])
* 1976年 - [[テッド・リリー]]、元プロ野球選手
* [[1977年]] - [[水田竜子]]、[[演歌歌手]]
* 1977年 - [[デヴィッド・ミラー (自転車競技)|デヴィッド・ミラー]]、自転車競技選手
* [[1978年]] - [[クリストファー・ギッセル]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[ドミニク・フルバティ]]、テニス選手
* 1978年 - [[中野洋昌]]、政治家
* [[1979年]] - [[石崎琴美]]、[[カーリング]]選手
* 1979年 - [[岡上和典]]、元プロ野球選手
* [[1980年]] - [[高山梨香]]、元アナウンサー
* 1980年 - [[細川亨]]、元プロ野球選手
* 1980年 - [[ヤロスラフ・ポポヴィッチ]]、自転車競技選手
* 1980年 - [[リカルド・デ・サンティス]]、[[野球選手]]
* 1980年 - [[ミゲル・モンテイロ]]、サッカー選手
* 1980年 - [[遠藤明子]]、タレント
* 1980年 - [[渡辺麻耶]]、[[ラジオパーソナリティ]]
* [[1981年]] - [[安斉一博]]、声優
* 1981年 - [[鳳恵弥]]、女優
* 1981年 - [[小原日登美]]、元[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手
* [[1982年]] - [[伊藤真吾]]、将棋棋士
* 1982年 - [[伊東隼人]]、声優
* 1982年 - [[落合真理]]、[[モデル (職業)|モデル]]、元バレーボール選手
* 1982年 - [[寺居高志]]、[[柔道家]]
* 1982年 - [[二橋純]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://envision-nextage.jp/artist/155/ |title=二橋 純 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=Envision nextage}}</ref>、ミュージカル俳優
* 1982年 - [[パウロ・フェラーリ]]、サッカー選手
* [[1983年]] - [[植村花菜]]、[[歌手]]
* 1983年 - 近藤くみこ、お笑いタレント([[ニッチェ (お笑いコンビ)|ニッチェ]])
* 1983年 - [[エバウド・シルバ・ドス・サントス]]、サッカー選手
* 1983年 - [[中井義樹]]、元サッカー選手
* 1983年 - [[世武裕子]]、シンガーソングライター
* [[1984年]] - [[岡田マリア]]、ラジオ[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[ファッションモデル]]
* 1984年 - [[西田エリ]]、[[歌手]]
* [[1985年]] - [[助川絵里奈]]、[[タレント]]、[[グラビアアイドル]]
* 1985年 - [[ロス・ターンブル]]、サッカー選手
* [[1986年]] - [[謝淑薇]]、テニス選手
* 1986年 - [[柴田菜月]]、モデル、元[[レースクイーン]]
* 1986年 - [[ジェイムズ・ミルナー|ジェームズ・ミルナー]]、サッカー選手
* [[1987年]] - [[GILLE]]、歌手
* 1987年 - [[栗林さみ]]、アナウンサー
* 1987年 - [[チョ・ミンホ (アイスホッケー)|チョ・ミンホ]]、プロアイスホッケー選手(+ [[2022年]])
* [[1988年]] - [[越川みつお]]、俳優
* [[1989年]] - [[ケビン・ピラー]]、プロ野球選手
* 1989年 - [[グラハム・レイホール]]、[[レーシングドライバー]]
* [[1990年]] - [[トニ・クロース]]、サッカー選手
* 1990年 - [[芦野祥太郎]]、[[プロレスラー]]
* 1990年 - [[アルベルト・パロスキ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[イアゴ・ファルケ・シルバ]]、サッカー選手
* 1990年 - [[呉宰碩]]、サッカー選手
* 1990年 - [[山踊美輝]]、[[タレント]]
* [[1991年]] - [[パスカル・ボドマー]]、[[スキージャンプ]]選手
* 1991年 - [[東島衣里]]、アナウンサー
* [[1992年]] - [[福永マリカ]]、女優、ファッションモデル
* 1992年 - [[ミシェル未来]]、タレント、アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]18号)
* 1992年 - [[クリス・ブライアント]]、プロ野球選手
* 1992年 - [[メリー・ロー・レイエス]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1993年]] - [[彩羽匠]]、プロレスラー
* 1993年 - [[衛藤美彩]]、歌手、グラビアアイドル、元アイドル(元[[乃木坂46]])
* [[1994年]] - [[寺崎浩平]]、[[競輪]]選手
* 1994年 - [[デリック・ヘンリー]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* [[1995年]] - [[マリア・イサベル]]、歌手
* 1995年 - [[屋比久翔平]]、レスリング選手
* [[1996年]] - [[桜田佳歩]]、声優、
* 1996年 - [[三輪晴香]]、女優(元[[ヤンチャン学園 音楽部]])
* [[1997年]] - [[市來杏香]]、元歌手、元パフォーマー(元[[Flower (グループ)|Flower]]、元[[E-girls]])
* 1997年 - [[上村莉菜]]、アイドル([[櫻坂46]])
* 1997年 - [[白藤有華]]、タレント
* [[1998年]] - [[藤井大喜]]、[[ラグビーフットボール|ラグビー]]選手
* [[1999年]] - [[ダニエル・アルザニ]]、サッカー選手
* 1999年 - [[コリン・セクストン]]、[[バスケットボール]]選手
* [[2001年]] - [[奥村野乃花]]、[[アイドル]]プロデューサー(元[[虹のコンキスタドール]])
* [[2002年]] - [[石原翔太郎]]、[[陸上競技]]選手
* 2002年 - [[辻文哉]]、[[陸上競技]]選手
* [[2003年]] - [[小沢大仁]]、騎手
* 2003年 - [[ジェイデン・マーテル]]、俳優
* [[2005年]] - [[ダフネ・キーン]]、女優
* [[2005年]] - 小田垣有咲、[[アイドル]]([[Peel the Apple]])
* 生年不明 - [[味方冬樹]]、[[プロレス]][[リングアナウンサー]]
* 生年不明 - [[長谷川敦央]]<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.office-pac.jp/talent/profile/?id=hasegawa-a |title=長谷川敦央 |publisher=株式会社オフィスPAC |accessdate=19 Feb 2023}}</ref>、声優
== 忌日 ==
{{multiple image
| footer = 元[[東武鉄道]]社長、[[根津嘉一郎 (初代)]](1860-1940)没。右画像は[[東武100系電車|東武100系]]「スペーシア」
| image1 = NEZU_Kaichiro_I.jpg
| width1 = 100
| alt1 = 初代・根津嘉一郎
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| alt2 = 東武100系「スペーシア」
}}
[[Image:RE-Senichi-Hoshino20110309 (cropped).jpg|thumb|150px|プロ野球選手・監督、[[星野仙一]](1947-2018)没。]]
* [[1564年]]([[永禄]]6年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]])- [[細川氏綱]]、[[室町幕府]][[管領]](* [[1514年]])
* [[1672年]]([[寛文]]11年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]])- [[佐竹義隆]]、第2代[[久保田藩|久保田藩主]]([[1609年]])
* [[1786年]] - [[モーゼス・メンデルスゾーン]]、[[哲学|哲学者]](* [[1729年]])
* [[1825年]] - [[フェルディナンド1世 (両シチリア王)|フェルディナンド1世]]、[[両シチリア王国|両シチリア王]](* [[1751年]])
* [[1829年]]([[文政]]11年[[11月29日 (旧暦)|11月29日]])- [[酒井抱一]]、[[絵師]](* [[1761年]])
* [[1877年]] - [[コーネリアス・ヴァンダービルト]]、[[実業家]](* [[1794年]])
* [[1880年]] - [[アンゼルム・フォイエルバッハ (画家)|アンゼルム・フォイエルバッハ]]、[[画家]](* [[1829年]])
* [[1905年]] - [[セオドア・トマス]]、[[指揮者]](* [[1835年]])
* [[1906年]] - [[福地源一郎]]、[[ジャーナリスト]](* [[1841年]])
* [[1912年]] - [[東久世通禧]]、[[政治家]](* [[1834年]])
* [[1913年]] - [[アルフレート・フォン・シュリーフェン]]、[[プロイセン参謀本部|ドイツ陸軍参謀総長]](* [[1833年]])
* [[1919年]] - [[ゲオルク・フォン・ヘルトリング]]、第7代[[ドイツ国首相]](* [[1843年]])
* [[1924年]] - [[アルフレート・グリュンフェルト]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](* [[1852年]])
* [[1925年]] - [[平瀬作五郎]]、[[植物学|植物学者]](* [[1856年]])
* [[1931年]] - [[ロジャー・コナー]]、元プロ野球選手(* [[1857年]])
* [[1940年]] - [[根津嘉一郎 (初代)]]、[[実業家]]、[[東武鉄道]]オーナー(* [[1860年]])
* [[1941年]] - [[アンリ・ベルクソン]]、哲学者(* [[1859年]])
* [[1953年]] - [[秩父宮雍仁親王]]、[[皇族]](* [[1902年]])
* [[1956年]] - [[西村真琴]]、[[ロボット]]学者(* [[1883年]])
* [[1960年]] - [[アルベール・カミュ]]、小説家(* [[1913年]])
* [[1961年]] - [[エルヴィン・シュレーディンガー]]、[[物理学者]](* [[1887年]])
* [[1965年]] - [[T・S・エリオット]]、[[詩人]](* [[1888年]])
* 1965年 - [[加藤斌]]、元[[プロ野球選手]](* [[1944年]])
* [[1969年]] - [[ポール・チェンバース]]、[[ジャズ]][[ベーシスト]](* [[1935年]])
* [[1975年]] - [[カルロ・レーヴィ]]、[[画家]](* [[1902年]])
* [[1985年]] - [[久保寺雄二]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bunshun.jp/articles/-/5739?page=2 |title=1月4日に思い出す、元南海ホークス・久保寺雄二のこと |access-date=19 Feb 2023 |publisher=文春オンライン |date=4 Jan 2018}}</ref>、元プロ野球選手(* [[1958年]])
* [[1986年]] - [[フィル・ライノット]]、[[ロックンロール]][[歌手]]、ベーシスト([[シン・リジィ]])(* [[1949年]])
* [[1988年]] - [[リリー・ラスキーヌ]]、[[ハープ]]奏者(* [[1893年]])
* [[1990年]] - [[ハロルド・ユージン・エジャートン]]、[[工学者]](* [[1903年]])
* [[1993年]] - [[桂春蝶 (2代目)]]、[[落語家]](* [[1941年]])
* [[1995年]] - [[エドゥアルド・マータ]]、[[指揮者]](* [[1942年]])
* [[1996年]] - [[川村晃]]、小説家(* [[1927年]])
* [[2003年]] - [[コンラッド・L・ホール]]、[[撮影監督]](* [[1926年]])
* 2003年 - [[イフラ・ニーマン]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1923年]])
* [[2004年]] - [[ジョーン・エイケン]]、[[児童文学作家]](* [[1924年]])
* [[2006年]] - [[マクトゥーム・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム]]、[[ドバイ]][[アミール]]・[[アラブ首長国連邦]]副大統領(* [[1943年]])
* [[2007年]] - [[マレー・フィリューン]]、[[南アフリカの大統領|南アフリカ大統領]](* [[1915年]])
* 2007年 - [[ジョン・ウィスター・シンプソン]]、[[電子工学]]研究者(* [[1914年]])
* [[2008年]] - [[田村秀昭]]、元[[参議院議員]]、[[国民新党]]副代表(* [[1932年]])
* [[2009年]] - [[ジゼール・サランディ]]、[[プロボクサー]](* [[1987年]])
* [[2010年]] - [[山口彊]]、二重[[被爆]]が初認定された人物(* [[1916年]])
* 2010年 - [[永野茂門]]、[[陸上自衛隊]]の[[陸上幕僚長]]、[[法務大臣]](* [[1922年]])
* 2010年 - [[堂本元次]]、[[日本画家]](* [[1923年]])
* 2010年 - [[山元勉]]、[[衆議院|衆議院議員]](* [[1932年]])
* 2010年 - [[ケイシー・ジョンソン]]、[[ソーシャライト]](* [[1979年]])
* 2010年 - [[溝上恵]]、[[地震学|地震学者]](* [[1936年]])
* [[2011年]] - [[ミック・カーン]]、[[ミュージシャン]](* [[1958年]])
* [[2012年]] - [[イヴ・アーノルド]]、[[写真家]](* [[1912年]])
* [[2014年]] - [[今井重幸]]、[[現代音楽]][[作曲家]](* [[1933年]])
* [[2015年]] - [[阿部昭吾]]、政治家(* [[1928年]])
* 2015年 - [[藤本信行]]、[[脚本家]](* [[1957年]])
* [[2016年]] - [[三遊亭圓雀]](5代目)、落語家(* [[1949年]])
* 2016年 - [[矢形勝洋]]、元[[プロ野球選手]](* [[1934年]])
* [[2017年]] - [[ジョルジュ・プレートル]]、[[指揮者]](* [[1924年]])
* [[2018年]] - [[星野仙一]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/01/06/kiji/20180106s00001173071000c.html |title=星野仙一氏死去 死因はすい臓がん 楽天が発表「最期は昼寝でもしているような安らかな表情」 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=6 Jan 2018}}</ref>、元プロ野球選手、元[[プロ野球監督]](* [[1947年]])
* [[2019年]] - [[横田順弥]]、[[SF作家]](* [[1945年]])
* [[2020年]] - [[広谷順子]]、[[歌手]]、[[作曲家]](* [[1956年]])
* 2020年 - [[今宮純]]、[[モータースポーツ]][[ジャーナリスト]](* [[1949年]])
* [[2021年]] - [[マルティヌス・フェルトマン]]<ref>{{Cite web |url=https://www.uu.nl/en/news/nobel-prize-winner-martinus-veltman-passed-away |title=Nobel prize winner Martinus Veltman passed away |access-date=19 Feb 2023 |publisher=Utrecht University |date=6 January 2021 |language=En}}</ref>、[[物理学者]]、[[ノーベル物理学賞]]受賞者(* [[1931年]])
* 2021年 - [[ゆうき哲也]]、お笑いタレント、俳優(元[[チャンバラトリオ]])(* [[1941年]])
* 2021年 - [[タニア・ロバーツ]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sankei.com/article/20210106-SR4YZAYJXRJEPNIZPU5FPKFNPQ/ |title=元ボンドガール、タニア・ロバーツさん死去 「チャーリーズ・エンジェル」出演 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=6 Jan 2021}}</ref>、[[俳優#性別での分類|女優]](* [[1955年]])
== 記念日・年中行事 ==
* [[正月]]
** [[初売り]]
** [[鏡開き]](京都)
* 官公庁[[仕事始め|御用始め・仕事始め]]({{JPN}})
*: [[官公庁]]は[[1873年]](明治6年)より、[[12月29日]]から[[1月3日]]までを休暇とすることが[[法律]]で定められており、4日が[[仕事始め]]となる(土・日曜日の場合は直後の月曜日となる)。[[銀行]]等の金融機関はこの日を仕事始めの日とする所が多い。[[1869年]](明治2年)から改暦前までは[[12月29日 (旧暦)|旧12月29日]](年によっては[[大晦日]])から[[1月3日 (旧暦)|旧1月3日]]まであった。
* [[大発会・大納会|取引所大発会]]({{JPN}})
* [[独立記念日]]({{MMR}})
*: [[1948年]]1月4日に[[イギリス]]から独立しビルマ連邦共和国が成立した。
* 石の日
*: 「い(1)し(4)」(石)と読む語呂合わせから。 地蔵や狛犬、墓石などに触れると願いが叶うとされる。
* [[世界点字デー]] ([[世界盲人連合]])
*:[[ルイ・ブライユ]]の誕生日に因んで制定された。
* [[新日本プロレス]]は毎年この日、[[東京ドーム]]にて正月興行の「[[レッスルキングダム (プロレス興行)|WRESTLE KINGDOM]]」を行っており、プロレスファンからは「'''1.4(いってんよん)'''」の愛称で親しまれている。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0104|date=2011年6月}}
* [[宇宙世紀]]0079年 - 「[[コロニー落とし#ブリティッシュ作戦|ブリティッシュ作戦]]」開始。[[スペースコロニー]]・[[サイド (ガンダムシリーズ)#サイド2(ハッテ)|サイド2]]のひとつが、軌道を外れて地球へ落下を始める。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』)
* 年不明 - 有人火星探査機「カプリコン・1」打ち上げ。しかし、クルー3名は打ち上げ直前に別の場所へ移送される。(映画『[[カプリコン・1]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 生年不明 - 津崎青葉、漫画・アニメ『[[ジンキ-人機-]]』の主人公
* 生年不明 - 石神千空、漫画・アニメ『[[Dr.STONE]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://dr-stone.jp/news/2784/ |title=“石の日”記念‼千空誕生日お祝いイラスト公開&2022年誕生日お祝い企画スタート‼ |access-date=2022-08-22 |publisher=米スタジオ・Boichi/集英社・Dr.STONE製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - 海凪ひより、漫画・アニメ『[[スローループ]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://slowlooptv.com/chara.html |title=海凪ひより |access-date=2023-01-21 |publisher=[[うちのまいこ]]・[[芳文社]]/スローループ製作委員会 |work=『スローループ』}}</ref>
* 生年不明 - 鳥羽亜矢海、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/toba_ayami |title=三重 鳥羽亜矢海 |work=『温泉むすめ』 |accessdate=2023-01-21 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref>
* 生年不明 - うるティ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/ulti.html |title=うるティ |accessdate=2022-09-20 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |website=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - 手塚国風、漫画『[[COOL - RENTAL BODY GUARD -]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 大筒木インドラ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1478018331924115462}}</ref>
* 生年不明 - クランツ=マドゥーク、漫画・アニメ『[[BLACK CAT]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 春田いずみ、漫画『[[ロケットでつきぬけろ!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 鳥居夏実、漫画・アニメ『[[ぬらりひょんの孫]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - アタシノ、漫画・アニメ『[[トリコ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[べるぜバブの登場人物#六騎聖|出馬要]]、漫画・アニメ『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 久見幸次、漫画・アニメ『[[斉木楠雄のΨ難]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ガラン、漫画・アニメ『[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 朝霧桃子、漫画・アニメ『[[魔法少女サイト]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - イヨ、漫画・アニメ『[[アニマル横町]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|okomae|1610835218595991555}}</ref>
* 生年不明 - 奥山真澄、漫画・アニメ・ドラマ『[[のだめカンタービレ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Nodame_Official|1610290134624133120}}</ref>
* 生年不明 - ソルエン、漫画『[[ふしぎ遊戯 玄武開伝]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[おおきく振りかぶっての登場人物#野球部員|水谷文貴]]、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |year=2008|title=PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」|publisher=[[主婦と生活社]]|isbn=978-4-391-62643-8|page=13}}</ref>
* 生年不明 - 下一桁ひよ子、漫画『[[絶対☆霊域]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 住吉道生、漫画・アニメ『[[ALL OUT!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1469026271 |title=TVアニメ『ALL OUT!!(オールアウト)』キャラクター&声優紹介第22弾! 2年生・住吉道生役を務めるのは酒井広大さん! |access-date=2023-01-21 |publisher=animate Times |date=2016-07-22}}</ref>
* 生年不明 - 北城権兵衛、漫画『シニガミ×ドクター』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 如月星羅、小説・アニメ『[[黒魔女さんが通る!!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - アンジェリーナ・クドウ・シールズ、小説・アニメ『[[魔法科高校の劣等生]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|mahouka_rm|1610471210277560321}}</ref>
* 生年不明 - 似鳥愛一郎、小説・アニメ『[[ハイ☆スピード!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|iwatobi_sc|1345927934654103552}}</ref>
* 生年不明 - キャメロン・ウェルズ、小説・漫画・アニメ『[[メルヘン・メドヘン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://maerchen-anime.com/chara/cameron.html |title=キャメロン・ウェルズ |access-date=2023-01-21 |publisher=MMM/メルヘン・メドヘン製作委員会 |work=『メルヘン・メドヘン』}}</ref>
* 生年不明 - さくら、読者参加企画『[[Baby Princess]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 柊つぼみ、デジタル声優アイドルグループ『[[22/7 (アイドルグループ)|22/7]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://nanabunnonijyuuni.com/s/n129/page/c11?ima=0000&link=ROBO004 |title=柊 つぼみ |access-date=2023-01-21 |publisher=22/7 PROJECT |work=『22/7』}}</ref>
* 生年不明 - アーサー・トライン、アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 稲穂信、ゲーム『[[Memories Off]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gdiv1_5pb|1610289889710428161}}</ref>
* 生年不明 - ナタリー、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/index.html |title=住民名簿 1月 ナタリー |access-date=2023-01-21 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref>
* 生年不明 - ハルト、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=007 |title=ハルト |access-date=2023-01-21 |publisher=KONAMI |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref>
* 生年不明 - 野乃原結、ゲーム・アニメ『[[月は東に日は西に ~Operation Sanctuary~]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|august_soft|1478147915000401920}}</ref>
* 生年不明 - [[デイズシリーズの登場人物#桂言葉|桂言葉]]、ゲーム・アニメ『[[School Days]]』『[[Summer Days]]』『[[Cross Days]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |year=2007 |title=ヤンデレ大全 |publisher=[[インフォレスト]] |isbn=978-4-86190-260-4 |page=20}}</ref>
* 生年不明 - 小松ぼたん、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|684222608804429824}}</ref>
* 生年不明 - 遠矢正宗、ゲーム・アニメ『[[NORN9 ノルン+ノネット]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|norn9social_tw|816494966151098368}}</ref>
* 生年不明 - ルベル、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=176&cate=name&cont=Ruber |title=ルベル |access-date=2023-01-21 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref>
* 生年不明 - 天城一彩、ゲーム・漫画・アニメ『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ensemble-stars.jp/characters/amagi_hiiro/ |title=天城 一彩 |work=『あんさんぶるスターズ!!』 |publisher=Happy Elements |accessdate=2023-01-21}}</ref>
* 生年不明 - 夢野久作、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bunal_pr|1478018336525017099}}</ref>
* 生年不明 - 夢野久作、アニメ・小説・漫画『[[文豪ストレイドッグス]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#芹沢あさひ|芹沢あさひ]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/50013 |title=芹沢 あさひ(せりざわ あさひ) |access-date=2023-01-21 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 藤原尊、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_pos|683961419323146241}}</ref>
* 生年不明 - [[鞍馬唯臣]]、メディアミックス『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kimisute_INFO|1345746739911802882}}</ref>
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
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