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スタジオジブリ
株式会社スタジオジブリ(英: STUDIO GHIBLI INC.)は、日本のアニメーション制作会社。日本動画協会準会員。日本テレビホールディングスおよび日本テレビ放送網の子会社。通称「ジブリ」。長編アニメーション映画の制作を主力事業としている。 1990年代中期以降は、短編アニメーション映画の制作および実写映画の企画、日本国外のアニメーションの公開やDVDの販売、小冊子『熱風』の発行を行う出版事業や音楽事業、加えて三鷹の森ジブリ美術館への展示物定期制作など、関連事業は多岐にわたる。また、他社テレビ作品の動画グロスも請け負っている。 1985年6月15日、東映動画出身の原徹が設立したトップクラフトを前身に、徳間書店の出資によって子会社として株式会社スタジオジブリ設立。当時の同社社長である徳間康快が初代代表取締役社長に就任した。ただし、実質的な経営財務責任者はトップクラフトに引き続き原のままであった。当時はスタジオジブリ関連書籍の大半が徳間書店から出版され、同社の他メディア展開推進の中核的存在でもあった。 設立当初からしばらくの間は、映画の興行収入が水物であることを鑑みて、いつでも終わりにできるよう社員の雇用はせず、作品ごとに70人ほどのスタッフを集めて完成すると解散する方式を取っていた。アニメーターは他社同様に業務委託契約による歩合制で、場所も吉祥寺の貸しビルのワンフロアーだった。しかし、1989年公開の『魔女の宅急便』のヒットを機に、宮崎駿の提案によってスタッフの社員化と固定給の導入、新人の定期採用と育成という方針に転換し、スタジオの安定経営のために、宣伝にも積極的に取り組むようになった。同年7月の映画公開のタイミングで発売された『アニメージュ』に研修生採用試験の募集広告を掲載。一次試験はオリジナルの企画書による書類選考、二次試験は宮崎と高畑勲の設問による記述式で東京都で行われた。合格者のうち、10月に入社した者は1期生、翌1990年入社の者は2期生と数えられ、1期生には小西賢一、村田和也、2期生には安藤雅司、笹木信作、吉田健一らがいる。また細田守もこの試験を受けており、結果は不合格だった。この研修制度はこの1回限りで終了し、その役割は1995年と1998年に開催された東小金井村塾に引き継がれた。 1997年に徳間書店の社内制カンパニー導入により一旦は徳間書店に吸収合併されるが、2005年に鈴木敏夫、宮崎、高畑が取締役である株式会社スタジオジブリが、過去の作品も含めたスタジオジブリ作品の営業権を100億円から200億円の対価で徳間書店から譲渡されることで再び分離・独立する。 2014年に映画制作部門を解体し、一時アニメーション制作から撤退。以降、会社本体は存続させるが、主な事業形態を三鷹の森ジブリ美術館の運営管理や作品関連グッズや版権の管理事業に移行し、新たに作品制作に動き出す際に再びスタッフを集めるという体制となる。 2022年、愛知県長久手市の愛・地球博記念公園にジブリパークを開園。 「スタジオジブリ」の名称は、サハラ砂漠に吹く熱風に由来しており、第二次世界大戦中のイタリアのカプローニの偵察爆撃機の名前でもある。宮崎駿の思い込みから「ジブリ」となったが、「ギブリ」の方がイタリア語に近い発音である。 スタジオジブリのマークは、『となりのトトロ』に登場するトトロがデザインされている。スタジオジブリの第2レーベルで実写映画部門の「スタジオカジノ」の名称は、スタジオの所在地である梶野町から命名された。 2005年の徳間書店傘下からの独立に際して、「ジブリ」の名称を徳間書店から買い取らなければならなくなった。宮崎が買い取りに消極的な姿勢を示して鈴木敏夫もそれに同意し、新しい名称として宮崎が「シロッコ」という案を出したが社内での評判がよくなく、結局「ジブリ」の名称を継続することとなった。 日本映画製作者連盟によるデータ。 日本では1999年まで配給収入が用いられてきたが、2000年から興行収入に切り替わっている。 2023年3月12日現在、日本のアニメーション映画の興行収入トップ10のうち、4作品はスタジオジブリ制作である。 日経BPコンサルティングが、2001年から毎年実施しているブランド・ジャパンのコンシューマー市場調査結果によると、スタジオジブリは2002年から2006年まで消費者から最も評価されているブランド部門の上位5位以内に毎年ランクされていた。共感するブランド部門では、2002年から5年連続で1位に選ばれている。 電通ヤング・アンド・ルビカムが、2007年に実施したブランドに関する世界最大の消費者調査ブランド・エナジーのパワーランキングにおいて、スタジオジブリは2位に選ばれた。 ベルリン国際映画祭の金熊賞やアカデミー賞の長編アニメーション賞、ヴェネツィア国際映画祭の金オゼッラ賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けているスタジオジブリ作品であるが、そこに至る道のりは平坦ではなく、現在もその評価は一様ではない。 スタジオジブリ作品は早くから日本国外の映画祭に何度も出品したが、一般大衆レベルでスタジオジブリ作品が早くから受容されていたのは香港である。1987年に『天空の城ラピュタ』が『天空之城』のタイトルで公開され、興行収入はその年の香港における外国語映画2位となる1300万香港ドルのヒットとなった。1988年には『風の谷のナウシカ』が『風之谷』のタイトルで1070万香港ドル、同年に『となりのトトロ』が『龍猫』のタイトルで1100万香港ドルの興行収入を挙げた。いずれも、1997年時点で香港における日本映画の上位に食い込む好成績だった。以後も『魔女の宅急便』が『魔女宅急便』のタイトルで1990年に公開されるなど、スタジオジブリ作品は香港で上映されていった。 その後、スタジオジブリ作品はニューヨーク近代美術館などで回顧展が開かれたり、『千と千尋の神隠し』が映画批評を集計するサイトRotten Tomatoesでほぼパーフェクトに近い点を記録したり、同作がアカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞したり、国際的なフランス人漫画家メビウスが自分の娘に「ナウシカ」と命名したりと高い評価を受ける一方、『ゲド戦記』の原作者で小説家でもあるアーシュラ・K・ル=グウィンは、本作の原作改変部分やディティールの弱い絵などに強い違和感を示した。 フランスでも宮崎駿監督作品の正式な紹介は遅れ、1993年のアヌシー国際アニメーション映画祭では『紅の豚』が長編部門の作品賞を受けるものの、1995年の劇場公開では興行的に惨敗した。 アメリカにも『風の谷のナウシカ』が輸出されているが、配給権を得たのは低予算C級映画で知られるロジャー・コーマン配下の会社であった。116分の本編は95分にカット、ストーリーも大幅に改竄されて『Warriors of the Wind』と題して、アメリカ国内で短い期間劇場公開されたのちにビデオで販売され、さらにはヨーロッパ各国にも転売された。この『Warriors of the Wind』は、宮崎監督作品のファンたちの間では悪評が高い。このアメリカ向け短縮版は宮崎に無断で作成されたものだったが、この一件で宮崎とスタジオジブリは自社作品の輸出に当たってはノーカット公開を要求するようになった。その後のアメリカでは、1989年に『天空の城ラピュタ』が『Castle in the Sky』のタイトルで小規模な劇場公開があったが、欧米では本格的な劇場公開は行われず、正規ルートでのビデオ発売も遅れたため、不法コピーの海賊版が出回っていた。アメリカでの興行収入は、スタジオジブリ作品では『借りぐらしのアリエッティ』が1920万ドルで1位、『崖の上のポニョ』が1509万ドルで2位、『千と千尋の神隠し』が1005万ドルで3位となっている。これは公開館数の違いもあるが、『借りぐらしのアリエッティ』のポスターや予告編は、旧来のスタジオジブリ作品に比べてディズニー色が強くなっている。『崖の上のポニョ』公開時から、キャスリーン・ケネディやフランク・マーシャルが英語吹き替え版の製作総指揮を務めるようになった。後述のGKIDSとスタジオジブリの新たな結びつきが生まれる中、『風立ちぬ』はそれまで公開された宮崎監督作品や『借りぐらしのアリエッティ』と同様、ディズニーが北米の配給権を取得している。 2018年に、『となりのトトロ』が北京や上海など中国の約50都市で劇場公開。中国本土で約6000館におよぶ、スタジオジブリ作品初の大規模な上映となった。2019年には、約9000館で『千と千尋の神隠し』が初公開された。 アメリカで独立系の配給会社GKIDSとスタジオジブリの関わりは、2011年にニューヨークのIFCセンターで開催された特集上映に始まり、2012年から『コクリコ坂から』の劇場公開と2013年にはビデオ販売が行われた。続いて『かぐや姫の物語』と『思い出のマーニー』が公開され、2013年にタッチストーン・ピクチャーズで配給された『風立ちぬ』から、2016年にソニー・ピクチャーズ クラシックスで配給された『レッドタートル ある島の物語』まで、4年連続でスタジオジブリ作品がアカデミー賞の長編アニメーション賞にノミネートされた。 北米でGKIDSは過去のスタジオジブリ作品全ての配給権を保有して、レトロスペクティブ上映を実施。2016年から2017年にかけて『もののけ姫』や、2日間に400館以上で『千と千尋の神隠し』のリバイバル上映が行われ、それまで一般の劇場では上映されていなかった『おもひでぽろぽろ』や『海がきこえる』が初公開された。さらに、2016年からイベント上映を共同で手掛けるファゾム・イベンツとは、毎月1本のスタジオジブリ作品を上映するスタジオジブリ・フェストを、2017年から2019年にかけて毎年開催。2日から3日間の日程で、『天空の城ラピュタ』は648館、『風の谷のナウシカ』は751館、『魔女の宅急便』は753館で公開されるなど、吹き替え版と字幕版の両方が上映されている。 2017年よりGKIDSは北米で、それまでディズニーによってビデオが販売されていたスタジオジブリ作品の再発売を開始した。アメリカ国外ではフランスなどで、引き続きディズニーによってスタジオジブリ作品の流通が手掛けられた。 2016年にスタジオジブリと『レッドタートル ある島の物語』を共同製作したワイルドバンチは2020年、フランスにおけるスタジオジブリ作品のすべての権利を取得した。新作である『アーヤと魔女』も含まれる。フランスで、スタジオジブリ作品をリリースしていたディズニーのライセンス契約は失効した。ワイルドバンチはこれまでにも、スタジオジブリ作品の海外販売を担当していた。 スタジオジブリは、1997年に徳間書店に吸収合併された。徳間書店は社内カンパニー制を導入していたため、スタジオジブリは徳間書店の一カンパニーとなった。その後、徳間書店は1999年に事業部制を導入したため、スタジオジブリは徳間書店の一事業本部となった。徳間書店から分離・独立した2005年からは、再び株式会社となった。 2019年まで、スタジオジブリはインターネットでの動画配信に消極的だったが、動画配信サービスの爆発的な普及を受け、動画配信サービス会社と組むことで今までDVD購入または海賊版での鑑賞手段しかなかった海外におけるスタジオジブリ作品の認知度向上にもつながると判断した。 2019年、GKIDSはアメリカにおいて、ワーナーメディアのHBO Maxとスタジオジブリ作品のストリーミング配信における独占契約を締結したと発表した。サービスが開始される2020年から21作品が配信されている。GKIDSは2019年から北米で、HBO Maxと同じ21作品のダウンロード販売を開始した。販売されるプラットフォームはAmazon.com、Apple TV、Google Play、ソニー、マイクロソフト、Vudu、FandangoNOWである。 2020年に、Netflixはフランスのワイルドバンチより、アメリカと日本を除く世界約191か国での配信権を獲得。2月から4月にかけて21作品を順次配信すると発表した。 2022年11月11日、スタジオジブリはディズニー傘下の映画スタジオであるルーカスフィルムとの共同による短編アニメーション『禅 グローグーとマックロクロスケ』を製作したことを発表し、同月12日から定額制動画配信サービスのDisney+にて配信を開始した。同作が配信される国と地域に日本も含まれるため、他社との共同製作ながらもスタジオジブリのアニメーション作品が日本の動画配信サービスで配信される初めての事例となった。 2023年5月25日、ロシアの国営通信社であるタス通信は同国の動画配信サイト「キノポイスク」などで配信されているスタジオジブリ作品が同年6月以降は同国内で配信視聴できなくなることを報じた。2022年2月に開始したウクライナ侵攻に伴い、配信権の更新が出来なかったものと推測されている。その後、ロシアの配給会社「ロシアン・ワールド・ビジョン」が一部のスタジオジブリ作品の配給権を獲得し、視聴不可から一転して、継続になる見込みになったと同月26日にインタファクス通信が報じた。 2023年現在、前述の『禅 グローグーとマックロクロスケ』を除き、日本向けの動画配信ではダウンロードとストリーミング共に行われていない。2023年10月にスタジオジブリが定額制動画配信サービスのHuluを運営している日本テレビ放送網の傘下に入ることを同年9月に発表したが、スタジオジブリの作品が同サービスにて配信される可能性について、スタジオジブリ社長に就任する予定の福田博之(当時・日本テレビ専務)は「今のところ現状と何も変わっていない」と述べている。 なお、スタジオジブリ作品のうち、『火垂るの墓』は著作権の権利を新潮社と原作者の野坂昭如が保有しており、スタジオジブリは原作の出版権を保有していない事情から、インターネットでの動画配信の対象外となっている。 1980年代までは脇に俳優が起用されることもありつつ、主役級には主に声優事務所に所属する専業声優が起用されていたが、1990年代以降の作品では主役や主要人物の声はテレビドラマ等で有名な俳優が多く起用されており、これらは往々にしてスタジオジブリ作品の特徴として語られるが、舘野仁美によれば「俳優さんの仕事の中で声の仕事だけが専門化していったのは、1970年代くらいから」であり、宮崎駿や高畑勲は「昔ながらのやり方で役に合う俳優さんを選んでいるだけ」であったという。また、宮崎は特に高畑のキャスティングのセンスには全幅の信頼を置いていたという。しかし、名前が売れている俳優を起用すればテレビ番組などで勝手に映画の宣伝をしてくれるため、宣伝費や広告費が必然的に浮くからとも鈴木敏夫は述べている。声優の選考に関して、『千と千尋の神隠し』の完成報告記者会見で宮崎は、「自分の中のイメージができあがったあと、プロデューサーが次々に持ってくる声から選んでいる」と答えている。 外国メディアからのインタビューの中では、「日本の女性声優はコケティッシュで男性の気を引きたがっているかのような声の持ち主しかいないので、(『ハウルの動く城』の荒地の魔女役について)我々は日本の女性声優をまったく欲しくなかった」と述べている。ドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(総計6時間40分)では、ナウシカ役などを演じた島本須美が、職業上の仮面を引き剥がせず宮崎の要求する演技に応えられない様子が収録されている。 『もののけ姫』以後も、役名がクレジットされないキャラクターに文学座所属の俳優が多く起用される傾向にある。 もともと、スタジオジブリは『風の谷のナウシカ』の商業的な成功をきっかけに設立されたプロダクションであり、当初は同作制作の中心人物であった宮崎駿や高畑勲が監督する長編アニメーション映画の制作を主力事業としていた。そのため、社内では常に宮崎・高畑を頂点にして回っている一面があった。しかし、1990年代の時点で宮崎・高畑両監督ともすでにベテランであり、とりわけ国民的映像作家としての地位を固めていた宮崎の後継者の確保はスタジオジブリの経営にとっては大きな長期的課題の1つであり、比較的早い段階からさまざまな試みがなされていた。スタッフの正社員登用の開始に併せて演出家育成を制度化し、村田和也らを輩出した。 1995年、近藤喜文監督作品『耳をすませば』が公開。近藤はスタジオジブリの設立以前から数多くの宮崎・高畑監督作品を支え、また当時のスタジオジブリ作画陣の代表格ともいえる敏腕アニメーター・キャラクターデザイナーとして、同作の成功により宮崎・高畑の最良の後継者と認知され、スタジオジブリの内外から大きな期待を集める存在になった。しかし、その近藤は1998年に47歳で病死してしまう。 その後のスタジオジブリでは、長編アニメーション映画で宮崎・高畑の後釜を担える力量を認められた監督候補推として近藤に代わるだけの人材が決定的に不足しており、組織内の人材育成も難航を極めていた。また、それまでも含めて育成だけではなく外部からも今までに主に若手・中堅世代で注目したクリエイターを何名か監督候補として招いて制作作業に携わらせているものの、スタジオジブリの社風に馴染めず降板したケースが少なくなかったという。過去には『天空の城ラピュタ』の次作に企画されていた『アンカー』の押井守、『魔女の宅急便』の片渕須直、『ハウルの動く城』では東映動画から出向していた細田守の降板などが伝えられている。劇場長編実写映画では、『式日』の庵野秀明と『サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS』の本広克行を制作し、こちらは公開している。 このような状況を指して、庵野は1996年の時点で既に「宮さん(宮崎)におんぶにだっこのジブリの環境では、後継者は育ちませんよ」と指摘しており、のちには「当のジブリ経営陣であるはずの鈴木敏夫をして、ジブリは宮崎と高畑の2人のためのスタジオであり、人材が育つわけがない」と発言している。鈴木はスタジオジブリの若手・中堅世代のアニメーター育成のためにテレコム・アニメーションフィルムからベテランアニメーターの大塚康生を招聘したが、その大塚の主なアドバイスは「宮さんの言うことは、右から聞いたら左へ流しなさい。自分の好きなように描け」というものであったといい、前述の近藤はその発言を受け入れたことで頭角を現した1人だったという。近藤没後の2001年、『千と千尋の神隠し』の作画監督をした安藤雅司もまた「ある意味、ジブリを壊していかなくてはいけない」と、スタジオジブリの方法論に従うだけの現状を危惧し、実際に制作中スタジオジブリの外からアニメーターを積極的に受け入れるなどしていた。 鈴木は2006年、『ゲド戦記』の制作にあたって、当時三鷹の森ジブリ美術館の館長でそれまでアニメーション制作の仕事は実質未経験であった宮崎の長男の宮崎吾朗を監督に起用する人事を行った。これは鈴木が「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め宮崎や高畑が高齢であるため」と発表当初のインタビューで述べており、つまりは事実上の後継者の育成の一策として起用したものであると認めている。しかし、この吾朗の監督起用については、宮崎と鈴木の意見が真っ向から対立しており、2010年にも鈴木は質疑応答の中で「宮崎はいまだに『ゲド戦記』を吾朗くんに撮らせたことについて、僕のことを許していないんですよ」と明かしている。 2009年頃からは、宮崎の主導によるスタジオジブリ経営5か年計画がスタート。最初の3年間は若手の起用、最後の2年間は超大作の制作に充てるというプランで、この計画の第1弾としてスタジオジブリ生え抜きの米林宏昌の『借りぐらしのアリエッティ』が、第2弾として吾郎の『コクリコ坂から』が制作された。超大作として『風立ちぬ』が制作され、宮崎は長編映画からの引退を発表。2014年には『思い出のマーニー』制作終了後に制作部門が解体され、以降の長編アニメーション映画は、他のアニメーションスタジオと同じようにフリーのアニメーターを作品ごとに集め制作するスタイルに変わり、その最初の作品である『レッドタートル ある島の物語』は、海外のアニメーターであるマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットを監督に抜擢している。 『借りぐらしのアリエッティ』を試写室で観た宮崎の第一声は、「ジブリ育ちの演出がはじめて誕生した」とコメントを寄せている。宮崎・高畑は東映アニメーション出身、他の監督たちも他社からの移籍であり、純粋なスタジオジブリ出身の監督としては米林が初となった。 他方で鈴木は、経営再建中だった徳間書店の傘下から2005年にスタジオジブリが独立した際の資本金が1000万円であったのは、それが宮崎、高畑、鈴木の3人で拠出できる金額であったからで、宮崎と高畑の2人が引退したらスタジオジブリも終わるのが基本という旨のことも述べている。 2016年には、鈴木と鈴木の下で仕事を学んだ石井朋彦により、スタジオジブリ初の公開師弟対談が行われた。 スタジオジブリでは、制作にあたって多くの作品でロケーション・ハンティングを行ってきた。ただし、それらはあくまで架空世界のイメージを得るためであり、客観的現実世界をなぞった設定を作るためではない。実在の風景もまた、原作に向き合う態度と同様に、インスピレーションを得るための素材に過ぎない。宮崎駿は、ロケーション・ハンティング中に写真を撮る習慣がないとも言われている。あくまで自己の両眼で確認した情報・印象を主観的に記憶する思考パターンであるという。 一方で、高畑勲はリアリズムを重視し、『火垂るの墓』や『平成狸合戦ぽんぽこ』などでは現実舞台に忠実な物語を展開した。 日本各地にスタジオジブリグッズを販売する専門店は多数ある。東京駅八重洲口地下の東京キャラクターストリート内に営業するどんぐりガーデン、名古屋市に営業するめっせ、日向市に営業するむさしや、鹿児島市に営業するあみゅの森、高知市や宮崎市などに営業するどんぐり共和国などである。また、金曜ロードショーでスタジオジブリ作品を独占的に放映する日本テレビのグッズを扱う日テレ屋でも、スタジオジブリグッズが販売されている。 一方で、ゲーマーズやアニメイトではほとんどスタジオジブリグッズが販売されていない。
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"日経BPコンサルティングが、2001年から毎年実施しているブランド・ジャパンのコンシューマー市場調査結果によると、スタジオジブリは2002年から2006年まで消費者から最も評価されているブランド部門の上位5位以内に毎年ランクされていた。共感するブランド部門では、2002年から5年連続で1位に選ばれている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "電通ヤング・アンド・ルビカムが、2007年に実施したブランドに関する世界最大の消費者調査ブランド・エナジーのパワーランキングにおいて、スタジオジブリは2位に選ばれた。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ベルリン国際映画祭の金熊賞やアカデミー賞の長編アニメーション賞、ヴェネツィア国際映画祭の金オゼッラ賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けているスタジオジブリ作品であるが、そこに至る道のりは平坦ではなく、現在もその評価は一様ではない。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "スタジオジブリ作品は早くから日本国外の映画祭に何度も出品したが、一般大衆レベルでスタジオジブリ作品が早くから受容されていたのは香港である。1987年に『天空の城ラピュタ』が『天空之城』のタイトルで公開され、興行収入はその年の香港における外国語映画2位となる1300万香港ドルのヒットとなった。1988年には『風の谷のナウシカ』が『風之谷』のタイトルで1070万香港ドル、同年に『となりのトトロ』が『龍猫』のタイトルで1100万香港ドルの興行収入を挙げた。いずれも、1997年時点で香港における日本映画の上位に食い込む好成績だった。以後も『魔女の宅急便』が『魔女宅急便』のタイトルで1990年に公開されるなど、スタジオジブリ作品は香港で上映されていった。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "その後、スタジオジブリ作品はニューヨーク近代美術館などで回顧展が開かれたり、『千と千尋の神隠し』が映画批評を集計するサイトRotten 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Sky』のタイトルで小規模な劇場公開があったが、欧米では本格的な劇場公開は行われず、正規ルートでのビデオ発売も遅れたため、不法コピーの海賊版が出回っていた。アメリカでの興行収入は、スタジオジブリ作品では『借りぐらしのアリエッティ』が1920万ドルで1位、『崖の上のポニョ』が1509万ドルで2位、『千と千尋の神隠し』が1005万ドルで3位となっている。これは公開館数の違いもあるが、『借りぐらしのアリエッティ』のポスターや予告編は、旧来のスタジオジブリ作品に比べてディズニー色が強くなっている。『崖の上のポニョ』公開時から、キャスリーン・ケネディやフランク・マーシャルが英語吹き替え版の製作総指揮を務めるようになった。後述のGKIDSとスタジオジブリの新たな結びつきが生まれる中、『風立ちぬ』はそれまで公開された宮崎監督作品や『借りぐらしのアリエッティ』と同様、ディズニーが北米の配給権を取得している。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2018年に、『となりのトトロ』が北京や上海など中国の約50都市で劇場公開。中国本土で約6000館におよぶ、スタジオジブリ作品初の大規模な上映となった。2019年には、約9000館で『千と千尋の神隠し』が初公開された。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "アメリカで独立系の配給会社GKIDSとスタジオジブリの関わりは、2011年にニューヨークのIFCセンターで開催された特集上映に始まり、2012年から『コクリコ坂から』の劇場公開と2013年にはビデオ販売が行われた。続いて『かぐや姫の物語』と『思い出のマーニー』が公開され、2013年にタッチストーン・ピクチャーズで配給された『風立ちぬ』から、2016年にソニー・ピクチャーズ クラシックスで配給された『レッドタートル ある島の物語』まで、4年連続でスタジオジブリ作品がアカデミー賞の長編アニメーション賞にノミネートされた。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "北米でGKIDSは過去のスタジオジブリ作品全ての配給権を保有して、レトロスペクティブ上映を実施。2016年から2017年にかけて『もののけ姫』や、2日間に400館以上で『千と千尋の神隠し』のリバイバル上映が行われ、それまで一般の劇場では上映されていなかった『おもひでぽろぽろ』や『海がきこえる』が初公開された。さらに、2016年からイベント上映を共同で手掛けるファゾム・イベンツとは、毎月1本のスタジオジブリ作品を上映するスタジオジブリ・フェストを、2017年から2019年にかけて毎年開催。2日から3日間の日程で、『天空の城ラピュタ』は648館、『風の谷のナウシカ』は751館、『魔女の宅急便』は753館で公開されるなど、吹き替え版と字幕版の両方が上映されている。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2017年よりGKIDSは北米で、それまでディズニーによってビデオが販売されていたスタジオジブリ作品の再発売を開始した。アメリカ国外ではフランスなどで、引き続きディズニーによってスタジオジブリ作品の流通が手掛けられた。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2016年にスタジオジブリと『レッドタートル ある島の物語』を共同製作したワイルドバンチは2020年、フランスにおけるスタジオジブリ作品のすべての権利を取得した。新作である『アーヤと魔女』も含まれる。フランスで、スタジオジブリ作品をリリースしていたディズニーのライセンス契約は失効した。ワイルドバンチはこれまでにも、スタジオジブリ作品の海外販売を担当していた。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "スタジオジブリは、1997年に徳間書店に吸収合併された。徳間書店は社内カンパニー制を導入していたため、スタジオジブリは徳間書店の一カンパニーとなった。その後、徳間書店は1999年に事業部制を導入したため、スタジオジブリは徳間書店の一事業本部となった。徳間書店から分離・独立した2005年からは、再び株式会社となった。", "title": "歴代社長・経営者" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2019年まで、スタジオジブリはインターネットでの動画配信に消極的だったが、動画配信サービスの爆発的な普及を受け、動画配信サービス会社と組むことで今までDVD購入または海賊版での鑑賞手段しかなかった海外におけるスタジオジブリ作品の認知度向上にもつながると判断した。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2019年、GKIDSはアメリカにおいて、ワーナーメディアのHBO Maxとスタジオジブリ作品のストリーミング配信における独占契約を締結したと発表した。サービスが開始される2020年から21作品が配信されている。GKIDSは2019年から北米で、HBO Maxと同じ21作品のダウンロード販売を開始した。販売されるプラットフォームはAmazon.com、Apple TV、Google Play、ソニー、マイクロソフト、Vudu、FandangoNOWである。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2020年に、Netflixはフランスのワイルドバンチより、アメリカと日本を除く世界約191か国での配信権を獲得。2月から4月にかけて21作品を順次配信すると発表した。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2022年11月11日、スタジオジブリはディズニー傘下の映画スタジオであるルーカスフィルムとの共同による短編アニメーション『禅 グローグーとマックロクロスケ』を製作したことを発表し、同月12日から定額制動画配信サービスのDisney+にて配信を開始した。同作が配信される国と地域に日本も含まれるため、他社との共同製作ながらもスタジオジブリのアニメーション作品が日本の動画配信サービスで配信される初めての事例となった。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2023年5月25日、ロシアの国営通信社であるタス通信は同国の動画配信サイト「キノポイスク」などで配信されているスタジオジブリ作品が同年6月以降は同国内で配信視聴できなくなることを報じた。2022年2月に開始したウクライナ侵攻に伴い、配信権の更新が出来なかったものと推測されている。その後、ロシアの配給会社「ロシアン・ワールド・ビジョン」が一部のスタジオジブリ作品の配給権を獲得し、視聴不可から一転して、継続になる見込みになったと同月26日にインタファクス通信が報じた。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2023年現在、前述の『禅 グローグーとマックロクロスケ』を除き、日本向けの動画配信ではダウンロードとストリーミング共に行われていない。2023年10月にスタジオジブリが定額制動画配信サービスのHuluを運営している日本テレビ放送網の傘下に入ることを同年9月に発表したが、スタジオジブリの作品が同サービスにて配信される可能性について、スタジオジブリ社長に就任する予定の福田博之(当時・日本テレビ専務)は「今のところ現状と何も変わっていない」と述べている。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "なお、スタジオジブリ作品のうち、『火垂るの墓』は著作権の権利を新潮社と原作者の野坂昭如が保有しており、スタジオジブリは原作の出版権を保有していない事情から、インターネットでの動画配信の対象外となっている。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1980年代までは脇に俳優が起用されることもありつつ、主役級には主に声優事務所に所属する専業声優が起用されていたが、1990年代以降の作品では主役や主要人物の声はテレビドラマ等で有名な俳優が多く起用されており、これらは往々にしてスタジオジブリ作品の特徴として語られるが、舘野仁美によれば「俳優さんの仕事の中で声の仕事だけが専門化していったのは、1970年代くらいから」であり、宮崎駿や高畑勲は「昔ながらのやり方で役に合う俳優さんを選んでいるだけ」であったという。また、宮崎は特に高畑のキャスティングのセンスには全幅の信頼を置いていたという。しかし、名前が売れている俳優を起用すればテレビ番組などで勝手に映画の宣伝をしてくれるため、宣伝費や広告費が必然的に浮くからとも鈴木敏夫は述べている。声優の選考に関して、『千と千尋の神隠し』の完成報告記者会見で宮崎は、「自分の中のイメージができあがったあと、プロデューサーが次々に持ってくる声から選んでいる」と答えている。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "外国メディアからのインタビューの中では、「日本の女性声優はコケティッシュで男性の気を引きたがっているかのような声の持ち主しかいないので、(『ハウルの動く城』の荒地の魔女役について)我々は日本の女性声優をまったく欲しくなかった」と述べている。ドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(総計6時間40分)では、ナウシカ役などを演じた島本須美が、職業上の仮面を引き剥がせず宮崎の要求する演技に応えられない様子が収録されている。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "『もののけ姫』以後も、役名がクレジットされないキャラクターに文学座所属の俳優が多く起用される傾向にある。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "もともと、スタジオジブリは『風の谷のナウシカ』の商業的な成功をきっかけに設立されたプロダクションであり、当初は同作制作の中心人物であった宮崎駿や高畑勲が監督する長編アニメーション映画の制作を主力事業としていた。そのため、社内では常に宮崎・高畑を頂点にして回っている一面があった。しかし、1990年代の時点で宮崎・高畑両監督ともすでにベテランであり、とりわけ国民的映像作家としての地位を固めていた宮崎の後継者の確保はスタジオジブリの経営にとっては大きな長期的課題の1つであり、比較的早い段階からさまざまな試みがなされていた。スタッフの正社員登用の開始に併せて演出家育成を制度化し、村田和也らを輩出した。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1995年、近藤喜文監督作品『耳をすませば』が公開。近藤はスタジオジブリの設立以前から数多くの宮崎・高畑監督作品を支え、また当時のスタジオジブリ作画陣の代表格ともいえる敏腕アニメーター・キャラクターデザイナーとして、同作の成功により宮崎・高畑の最良の後継者と認知され、スタジオジブリの内外から大きな期待を集める存在になった。しかし、その近藤は1998年に47歳で病死してしまう。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "その後のスタジオジブリでは、長編アニメーション映画で宮崎・高畑の後釜を担える力量を認められた監督候補推として近藤に代わるだけの人材が決定的に不足しており、組織内の人材育成も難航を極めていた。また、それまでも含めて育成だけではなく外部からも今までに主に若手・中堅世代で注目したクリエイターを何名か監督候補として招いて制作作業に携わらせているものの、スタジオジブリの社風に馴染めず降板したケースが少なくなかったという。過去には『天空の城ラピュタ』の次作に企画されていた『アンカー』の押井守、『魔女の宅急便』の片渕須直、『ハウルの動く城』では東映動画から出向していた細田守の降板などが伝えられている。劇場長編実写映画では、『式日』の庵野秀明と『サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS』の本広克行を制作し、こちらは公開している。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "このような状況を指して、庵野は1996年の時点で既に「宮さん(宮崎)におんぶにだっこのジブリの環境では、後継者は育ちませんよ」と指摘しており、のちには「当のジブリ経営陣であるはずの鈴木敏夫をして、ジブリは宮崎と高畑の2人のためのスタジオであり、人材が育つわけがない」と発言している。鈴木はスタジオジブリの若手・中堅世代のアニメーター育成のためにテレコム・アニメーションフィルムからベテランアニメーターの大塚康生を招聘したが、その大塚の主なアドバイスは「宮さんの言うことは、右から聞いたら左へ流しなさい。自分の好きなように描け」というものであったといい、前述の近藤はその発言を受け入れたことで頭角を現した1人だったという。近藤没後の2001年、『千と千尋の神隠し』の作画監督をした安藤雅司もまた「ある意味、ジブリを壊していかなくてはいけない」と、スタジオジブリの方法論に従うだけの現状を危惧し、実際に制作中スタジオジブリの外からアニメーターを積極的に受け入れるなどしていた。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "鈴木は2006年、『ゲド戦記』の制作にあたって、当時三鷹の森ジブリ美術館の館長でそれまでアニメーション制作の仕事は実質未経験であった宮崎の長男の宮崎吾朗を監督に起用する人事を行った。これは鈴木が「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め宮崎や高畑が高齢であるため」と発表当初のインタビューで述べており、つまりは事実上の後継者の育成の一策として起用したものであると認めている。しかし、この吾朗の監督起用については、宮崎と鈴木の意見が真っ向から対立しており、2010年にも鈴木は質疑応答の中で「宮崎はいまだに『ゲド戦記』を吾朗くんに撮らせたことについて、僕のことを許していないんですよ」と明かしている。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2009年頃からは、宮崎の主導によるスタジオジブリ経営5か年計画がスタート。最初の3年間は若手の起用、最後の2年間は超大作の制作に充てるというプランで、この計画の第1弾としてスタジオジブリ生え抜きの米林宏昌の『借りぐらしのアリエッティ』が、第2弾として吾郎の『コクリコ坂から』が制作された。超大作として『風立ちぬ』が制作され、宮崎は長編映画からの引退を発表。2014年には『思い出のマーニー』制作終了後に制作部門が解体され、以降の長編アニメーション映画は、他のアニメーションスタジオと同じようにフリーのアニメーターを作品ごとに集め制作するスタイルに変わり、その最初の作品である『レッドタートル ある島の物語』は、海外のアニメーターであるマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットを監督に抜擢している。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "『借りぐらしのアリエッティ』を試写室で観た宮崎の第一声は、「ジブリ育ちの演出がはじめて誕生した」とコメントを寄せている。宮崎・高畑は東映アニメーション出身、他の監督たちも他社からの移籍であり、純粋なスタジオジブリ出身の監督としては米林が初となった。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "他方で鈴木は、経営再建中だった徳間書店の傘下から2005年にスタジオジブリが独立した際の資本金が1000万円であったのは、それが宮崎、高畑、鈴木の3人で拠出できる金額であったからで、宮崎と高畑の2人が引退したらスタジオジブリも終わるのが基本という旨のことも述べている。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "2016年には、鈴木と鈴木の下で仕事を学んだ石井朋彦により、スタジオジブリ初の公開師弟対談が行われた。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "スタジオジブリでは、制作にあたって多くの作品でロケーション・ハンティングを行ってきた。ただし、それらはあくまで架空世界のイメージを得るためであり、客観的現実世界をなぞった設定を作るためではない。実在の風景もまた、原作に向き合う態度と同様に、インスピレーションを得るための素材に過ぎない。宮崎駿は、ロケーション・ハンティング中に写真を撮る習慣がないとも言われている。あくまで自己の両眼で確認した情報・印象を主観的に記憶する思考パターンであるという。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "一方で、高畑勲はリアリズムを重視し、『火垂るの墓』や『平成狸合戦ぽんぽこ』などでは現実舞台に忠実な物語を展開した。", "title": "備考" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "日本各地にスタジオジブリグッズを販売する専門店は多数ある。東京駅八重洲口地下の東京キャラクターストリート内に営業するどんぐりガーデン、名古屋市に営業するめっせ、日向市に営業するむさしや、鹿児島市に営業するあみゅの森、高知市や宮崎市などに営業するどんぐり共和国などである。また、金曜ロードショーでスタジオジブリ作品を独占的に放映する日本テレビのグッズを扱う日テレ屋でも、スタジオジブリグッズが販売されている。", "title": "関連施設・店舗" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "一方で、ゲーマーズやアニメイトではほとんどスタジオジブリグッズが販売されていない。", "title": "関連施設・店舗" } ]
株式会社スタジオジブリは、日本のアニメーション制作会社。日本動画協会準会員。日本テレビホールディングスおよび日本テレビ放送網の子会社。通称「ジブリ」。長編アニメーション映画の制作を主力事業としている。 1990年代中期以降は、短編アニメーション映画の制作および実写映画の企画、日本国外のアニメーションの公開やDVDの販売、小冊子『熱風』の発行を行う出版事業や音楽事業、加えて三鷹の森ジブリ美術館への展示物定期制作など、関連事業は多岐にわたる。また、他社テレビ作品の動画グロスも請け負っている。
{{Pathnav|日本テレビホールディングス|日本テレビ放送網|frame=1}} {{基礎情報 会社 | 社名 = 株式会社スタジオジブリ | 英文社名 = STUDIO GHIBLI INC. | ロゴ = {{#property:P154}} | 画像 = Studio Ghibli studio 3.jpg | 画像説明 = | 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] | 市場情報 = <!-- 株式非公開会社において「非上場」などと書く必要はありません --> | 略称 = ジブリ | 国籍 = {{JPN}} | 本社郵便番号 = 184-0002 | 本社所在地 = [[東京都]][[小金井市]][[梶野町]]1丁目4番25号 | 本社緯度度 = 35 | 本社緯度分 = 42 | 本社緯度秒 = 11 | 本社N(北緯)及びS(南緯) = N | 本社経度度 = 139 | 本社経度分 = 31 | 本社経度秒 = 45 | 本社E(東経)及びW(西経) = E | 座標右上表示 = Yes | 本社地図国コード = JP | 本店郵便番号 = | 本店所在地 = | 設立 = [[1985年]][[6月15日]] | 業種 = 5250 | 統一金融機関コード = | SWIFTコード = | 事業内容 = [[アニメーション映画]]、[[テレビアニメ|テレビアニメーション]]、[[実写|実写映画]]、[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]などの企画・制作 | 代表者 = {{Plainlist| * [[鈴木敏夫]](代表取締役議長) * [[福田博之]](代表取締役社長) * [[中島清文]](代表取締役副社長) }} | 資本金 = 1000万円<ref name="fy">第21期決算公告、2023年(令和5年)7月27日付「官報」(号外第157号)69頁。</ref><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください --> | 発行済株式総数 = | 売上高 = | 営業利益 = | 経常利益 = | 純利益 = 34億3000万円<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください --><!-- 数値は通期のため、利益は〇年〇月期と記載してください --> | 純資産 = | 総資産 = 311億7900万円<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください --> | 従業員数 = 190名 | 支店舗数 = | 決算期 = [[3月31日]] | 所有者 = | 主要株主 = [[日本テレビ放送網]] | 主要子会社 = | 関係する人物 = [[#関連人物]]を参照 | 外部リンク = {{Official URL}} | 特記事項 = }} '''株式会社スタジオジブリ'''({{Lang-en-short|STUDIO GHIBLI INC.}})は、[[日本]]の[[アニメーション]]制作会社。[[日本動画協会]]準会員。[[日本テレビホールディングス]]および[[日本テレビ放送網]]の子会社。通称「'''ジブリ'''」<ref group="注">由来などについては、[[#名称]]も参照。</ref>。長編[[アニメーション映画]]の制作を主力事業としている。 [[1990年代]]中期以降は、[[短編映画|短編アニメーション映画]]の制作および[[実写|実写映画]]の企画、日本国外のアニメーションの公開やDVDの販売、小冊子『[[熱風]]』<ref>[https://www.ghibli.jp/shuppan/np/ 小冊子「熱風」のサイト](スタジオジブリ)</ref>の発行を行う出版事業や音楽事業、加えて[[三鷹の森ジブリ美術館]]への展示物定期制作など、関連事業は多岐にわたる。また、他社テレビ作品の動画[[グロス請け|グロス]]も請け負っている。 == 社歴 == [[1985年]][[6月15日]]、[[東映動画]]出身の[[原徹]]が設立した[[トップクラフト]]<ref group="注">『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』を制作。</ref>を前身に、[[徳間書店]]の出資によって子会社として株式会社スタジオジブリ設立<ref name="nhkreport">{{Cite web|和書|url= https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2006_07/060703.pdf|author= 七沢潔|title= 連続インタビュー 動くか、日本の映像コンテンツ③「コンテンツなんて言葉は、大嫌いだ。」スタジオジブリ社長・鈴木敏夫氏|date= 2006年7月|accessdate = 2022-08-04|website= |publisher=[[NHK]]}}</ref><ref name="animeanimebiz">{{Cite web|和書|date=2005-02-11|url=https://www.animeanime.biz/archives/10404|title=スタジオジブリ 徳間書店から独立へ|website=アニメ!アニメ!ビズ|publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2019-04-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140916090109/https://www.animeanime.biz/archives/10404|archivedate=2014-09-16}}</ref>。当時の同社社長である[[徳間康快]]が初代代表取締役社長に就任した。ただし、実質的な経営財務責任者はトップクラフトに引き続き原のままであった<ref group="注">原は、初代常務に就任。</ref>。当時はスタジオジブリ関連書籍の大半が徳間書店から出版され、同社の他メディア展開推進の中核的存在でもあった。 設立当初からしばらくの間は、[[映画]]の[[興行収入]]が水物であることを鑑みて、いつでも終わりにできるよう社員の雇用はせず、作品ごとに70人ほどのスタッフを集めて完成すると解散する方式を取っていた<ref name="nhkreport"/>。アニメーターは他社同様に業務委託契約による歩合制で、場所も吉祥寺の貸しビルのワンフロアーだった<ref name="nhkreport"/>。しかし、[[1989年]]公開の『[[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]』のヒットを機に、[[宮崎駿]]の提案によってスタッフの社員化と固定給の導入、新人の定期採用と育成という方針に転換し、スタジオの安定経営のために、宣伝にも積極的に取り組むようになった<ref name="nhkreport"/>。同年[[7月]]の映画公開のタイミングで発売された『[[アニメージュ]]』に研修生採用試験の募集広告{{Refnest|group="注"|アニメーターと演出の候補生を研修生として若干名募集するという内容の、宮崎駿直筆の[[漫画]]による広告。}}を掲載<ref name="toei-anim">{{Cite web|和書| url = https://www.toei-anim.co.jp/sp/ee_cgmovie/interview/036.html |author=野口光一| title =3DCGの未来 【第36回/2019年12月号】村田和也(アニメーション監督)| date =| accessdate = 2022-11-15| website = | publisher = [[東映アニメーション]]}}</ref>。一次試験はオリジナルの企画書による書類選考、二次試験は宮崎と[[高畑勲]]の設問による記述式で[[東京都]]で行われた<ref name="toei-anim"/>。合格者のうち、[[10月]]に入社した者は1期生、翌[[1990年]]入社の者は2期生と数えられ、1期生には[[小西賢一]]、[[村田和也]]、2期生には[[安藤雅司]]、[[笹木信作]]、[[吉田健一 (アニメーター)|吉田健一]]らがいる<ref name="toei-anim"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.style.fm/as/01_talk/konishi01.shtml |author= |title=『TOKYO GODFATHERS』作画監督 小西賢一インタビュー (前編) |date=2003-12-19 |accessdate= 2022-11-15|language=|website=WEBアニメスタイル|publisher=株式会社スタイル}}</ref>。また[[細田守]]もこの試験を受けており、結果は不合格だった<ref>{{Cite web|和書|url= https://fujinkoron.jp/articles/-/4143?page=5|author= |title= 細田監督「スタジオジブリを落ちた際、宮崎駿さんから手紙をもらって」岩崎良美×細田守×清水ミチコ〈後編〉(5)|date= 2021-08-05|accessdate = 2022-11-15|website=[[婦人公論]]|publisher= [[中央公論新社]]}}</ref>。この研修制度はこの1回限りで終了し、その役割は[[1995年]]と[[1998年]]に開催された[[東小金井村塾]]に引き継がれた<ref>{{Cite web|和書|url =https://akiba-souken.com/article/40383/ |author= |title =「宮崎監督を目指さないことが、正しい影響の受け方」宮崎駿の弟子・糸曽賢志監督が語る劇場用アニメ「サンタ・カンパニー〜クリスマスの秘密〜」で目指すものとは |date =2019-06-14 |accessdate= 2022-11-15|website =アキバ総研 |publisher =[[カカクコム]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1404410354029/?p=4 |author=たまごまご |title=今夜金曜ロードSHOW「黙れ小僧!」宮崎駿とジブリの転換点だった「もののけ姫」 (4) |date=2014-07-04 |accessdate= 2022-11-15|website= エキレビ|publisher= [[エキサイト]]}}</ref>。 [[1997年]]に徳間書店の社内制カンパニー導入により一旦は徳間書店に吸収合併されるが、[[2005年]]に[[鈴木敏夫]]、宮崎、高畑が取締役である株式会社スタジオジブリが、過去の作品も含めたスタジオジブリ作品の営業権を100億円から200億円の対価で徳間書店から譲渡されることで再び分離・独立する<ref name="animeanimebiz"/><ref name="ghiblihistory">{{Cite web|和書|date=2017-10|url=https://www.ghibli.jp/history/|title=「スタジオジブリの歴史」|website=STUDIO GHIBLI|publisher=株式会社スタジオジブリ|accessdate=2019-04-29}}</ref>。 [[2014年]]に映画制作部門を解体し、一時アニメーション制作から撤退<ref name="iza20140805">{{Cite web|和書|url= https://www.iza.ne.jp/article/20140805-P2FGHRQKUZNL5MX2EPKLG27SCI/3/|author=|title= ジブリ、アニメ撤退 映画制作部門を解体 「ポスト宮崎駿」育てられず|website= [[IZA|IZA イザ]]|publisher=[[産経新聞社]]|date= 2014-08-05|accessdate= 2022-08-04}}</ref>。以降、会社本体は存続させるが、主な事業形態を[[三鷹の森ジブリ美術館]]の運営管理や作品関連グッズや[[版権]]の管理事業に移行し、新たに作品制作に動き出す際に再びスタッフを集めるという体制となる<ref name="iza20140805"/>。 [[2022年]]、[[愛知県]][[長久手市]]の[[愛・地球博記念公園]]に[[ジブリパーク]]を開園<ref>{{Cite web|和書|url =https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221101/k10013876961000.html |author= |title =ジブリ作品の世界を表現 「ジブリパーク」開園 愛知 長久手 |date =2022-11-01 |accessdate= 2022-11-15|website = |publisher =[[NHK]]}}</ref><ref>{{cite news |url =https://www.yomiuri.co.jp/national/20221113-OYT1T50055/ |author= |title =「ジブリパーク」の夜空に大輪の花…今月開園、さっそく4000発打ち上げ |date =2022-11-13 |accessdate= 2022-11-15|publisher =[[読売新聞]]}}</ref>。 == 沿革 == [[ファイル:Toyota Headquarter Toyota City.jpg|thumb|[[2009年]]から[[2010年]]まで西ジブリが開設されていた、[[トヨタ自動車]]の本社ビル]] * [[1985年]][[6月15日]] - 株式会社スタジオジブリ(初代)設立。当初の場所は、[[吉祥寺駅]]付近の4階建ての第2井野ビルの2階。 * [[1987年]] - スプリングハウスが完成し、同ビル2階に第2スタジオが入居する<ref>[https://ghibli.jpn.org/report/old-studio-ghibli/ 吉祥寺の旧スタジオジブリ 1スタ・2スタを巡る | スタジオジブリ 非公式ファンサイト【ジブリのせかい】 宮崎駿・高畑勲の最新情報]</ref>。 * [[1989年]][[10月]] - [[徳間書店]]を退社した[[鈴木敏夫]]がスタジオジブリ専従の製作部長に就任。 * 1989年[[11月]] - スタッフの社員・常勤化、研修生制度、定期新人採用の開始。 * [[1991年]] - [[宮崎駿]]の新スタジオ建設案で、経営方針の対立が勃発。[[原徹]]が常務を辞任して退社し、後任に鈴木が就任。 * [[1992年]] - [[東小金井駅]]付近に宮崎設計でジャストホームの[[清川実]]が請け負った地上3階地下1階の新社屋が完成。 * [[1997年]] - 経営悪化した徳間書店の収益確保の一環で徳間書店に吸収合併され、株式会社スタジオジブリは解散。徳間書店の[[社内カンパニー]]'''株式会社徳間書店スタジオジブリ・カンパニー'''に改組。同年『[[もののけ姫]]』完成後、宮崎が退社。 * [[1999年]] - 徳間書店が[[事業部制]]を導入し、'''株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部'''に改称。さらに、宮崎がスタジオジブリ所長として復帰。 * [[2004年]] - 株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部を、[[有限会社]]スタジオジブリに分割。 * [[2005年]] - 徳間書店からの分離・独立により<ref name="animeanimebiz"/><ref name="ghiblihistory"/>、組織形態を有限会社から[[株式会社 (日本)|株式会社]]へ変更<ref name="koukoku2005">2005年(平成17年)2月1日『[[官報]]』第4024号29ページ「組織変更公告」</ref>。株式会社スタジオジブリ(2代)が、株式会社徳間書店スタジオジブリ事業本部の業務すべてを継承。鈴木が代表取締役社長に、宮崎と[[スティーブン・アルパート]]がそれぞれ取締役に就任した。 * [[2008年]] - 鈴木が社長を退任し、代表権を持つプロデューサーに就任。後任の代表取締役社長には元[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]]社長の[[星野康二]]が就任。 * [[2009年]] - [[トヨタ自動車]]<ref group="注">[[2022年]]開園の[[ジブリパーク]]にもグループ企業の[[豊田通商]]、および[[トヨタホーム]]と共にオフィシャルパートナーとして関わる。</ref>本社内に、新スタジオとして西ジブリを開設<ref>[[星野康二]]「スタジオジブリ新スタジオ“西ジブリ”設立について」『[https://www.ghibli.jp/info/005681/ スタジオジブリ - STUDIO GHIBLI - スタジオジブリ新スタジオ “西ジブリ”設立について]』スタジオジブリ、[[2009年]][[3月2日]]。</ref><ref>中井正裕「スタジオジブリ:トヨタ本社に新スタジオ開設へ――新人アニメーター養成」『[http://mainichi.jp/enta/mantan/anime/news/20090305mog00m200066000c.html スタジオジブリ:トヨタ本社に新スタジオ開設へ 新人アニメーター養成(まんたんウェブ) - 毎日jp(毎日新聞)]』[[毎日新聞社]]、[[2009年]][[3月6日]]。</ref>。 * [[2010年]] - 西ジブリを閉鎖。 * [[2014年]] - 制作部門の休止が発表。社内では、年内をもって制作部門スタッフ全員の退職が発表される<ref name="名前なし-1">舘野仁美『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社)p186</ref>。 * [[2015年]] - 第20回[[釜山国際映画祭]]で、アジア映画人賞が授与される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1546891.html|title=スタジオジブリに「唯一無二の成果」アジア映画人賞|publisher=2015-10-01|accessdate=2015-10-02}}</ref>。 * [[2017年]] - 宮崎の新作長編[[アニメーション映画]]の本格的な始動にともなう制作部門の活動再開、および新人スタッフの募集開始を発表。代表取締役社長に[[三鷹の森ジブリ美術館]]館長を務めていた[[中島清文]]が就任し、2008年から社長を務めていた星野は代表取締役会長に就任した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ghibli.jp/info/012804/|title=11月28日付で、スタジオジブリの会長に星野康二が就任し、社長に中島清文が就任いたしました。|publisher=2017-11-28|accessdate=2017-11-29}}</ref>。また現在、宮崎の新作長編アニメーション映画『[[君たちはどう生きるか (映画)|君たちはどう生きるか]]』と、[[宮崎吾朗]]のテレビアニメーション『[[アーヤと魔女]]』を2本同時で制作していることを発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0096544?__ct_ref=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2F|title=宮崎駿監督の新作『君たちはどう生きるか』は冒険活劇ファンタジー!|publisher=2017-11-28|accessdate=2018-03-29}}</ref>。 * [[2019年]] - [[中日新聞社]]と共同で、[[ジブリパーク]]の管理運営を担う株式会社ジブリパークを設立<ref>{{cite news |author= |url=https://www.chunichi.co.jp/article/80831 | title=ジブリの世界、心待ち 愛知・長久手に22年秋開業、運営会社設立 | newspaper=中日新聞 | date=2019-11-2 | accessdate=2022-1-31 }}</ref>。 * [[2021年]] - 社長の中島が退任し、三鷹の森ジブリ美術館の専従の総責任者として第2代館主に就任{{R|ghibli_20210210}}。会長の星野が社長を兼任することとなった{{R|ghibli_20210210}}。同美術館の設立時から館主であった宮崎は名誉館主となった{{R|ghibli_20210210}}。 * [[2023年]][[3月]] - 星野が会長兼社長を退任し、鈴木が社長に復帰<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2274234/full/|title=スタジオジブリ鈴木敏夫氏が社長復帰 星野康二氏は3月末で退任、6月退職へ 宮崎駿監督の新作完成をもって|newspaper=ORICON NEWS|date=2023-04-04|accessdate=2023-04-05}}</ref>。星野は6月末をもって退社した。 * 2023年[[9月]] - [[日本テレビホールディングス]]子会社の[[日本テレビ放送網]]がスタジオジブリを子会社化することが発表された。同年[[10月6日]]付けでの株式取得および同月[[10月30日|30日]]のスタジオジブリ株主総会決議をもって日本テレビの[[福田博之]]が代表取締役として就任し、鈴木は代表取締役議長、宮崎は取締役名誉会長となる<ref name="NTV-HD">{{Cite press release |和書|title= 日本テレビによるスタジオジブリの株式取得に関するお知らせ|publisher=日本テレビホールディングス |date= 2023-09-21|url= https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/docs/20230921.pdf|format= PDF|language=ja |trans-title= |access-date= 2023-09-21|archive-url= |archive-date= |quote= |ref=}}</ref>。 * 2023年[[10月]] - 日本テレビ放送網の子会社となり、これに伴い福田社長、鈴木議長の体制となる<ref name="NTV-HD"/>。 == 名称 == 「スタジオジブリ」の名称は、[[サハラ砂漠]]に吹く[[熱風]]に由来しており、[[第二次世界大戦]]中の[[イタリア]]の[[カプロニ|カプローニ]]の偵察爆撃機の名前でもある。{{要出典範囲|[[宮崎駿]]の思い込みから|date=2023-12-18}}「ジブリ」となったが、「[[ギブリ]]」の方が[[イタリア語]]に近い発音である<ref group="注">イタリアの[[マセラティ]]社の乗用車[[マセラティ・ギブリ|Ghibli]]は、[[日本]]でも[[1970年代]]から「ギブリ」と呼ばれている。</ref>。 スタジオジブリのマークは、『[[となりのトトロ]]』に登場するトトロがデザインされている。スタジオジブリの第2レーベルで[[実写|実写映画]]部門の「スタジオカジノ」の名称は、スタジオの所在地である[[梶野町]]から命名された。 [[2005年]]の[[徳間書店]]傘下からの独立に際して、「ジブリ」の名称を徳間書店から買い取らなければならなくなった。宮崎が買い取りに消極的な姿勢を示して[[鈴木敏夫]]もそれに同意し、新しい名称として宮崎が「[[シロッコ]]」<ref group="注">これもサハラ砂漠に吹く風に由来。</ref>という案を出したが社内での評判がよくなく、結局「ジブリ」の名称を継続することとなった<ref group="注">鈴木は、「『ジブリ』という名前を捨てるのは、もう全然気にならない」と記している。</ref><ref>鈴木敏夫『仕事道楽』岩波書店《岩波新書》、2008年、pp.184 - 185。</ref>。 == レーベル == === 映画 === ; スタジオジブリ : [[1985年]]の株式会社スタジオジブリの設立とともに発足したレーベル。自社で制作した長編[[アニメーション映画]]を手がけており、同社を代表するレーベルの1つである。 ; スタジオカジノ : 株式会社スタジオジブリの第2レーベルとして設立された。設立当初はスタジオジブリが従来手がけてこなかった実写分野を中心に活動していたが、のちにアニメーション分野にも進出している。 ; スタジオギブリ : 『[[ギブリーズ]]』および『[[ギブリーズ episode2]]』に登場する架空のアニメーションスタジオ。スタジオギブリのマークはスタジオジブリのマークと大抵は同様のデザインだが、同作に登場する野中くんが描かれている。また、同作のエンドロールでは「製作 スタジオギブリ」と表記されている。 ; 三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー : [[2007年]]に、株式会社スタジオジブリと[[財団法人]][[徳間記念アニメーション文化財団]]により設立されたレーベル。徳間記念アニメーション文化財団傘下の[[三鷹の森ジブリ美術館]]により運営されており、他社が制作した映画の公開およびDVDの販売を行っている<ref name="ghibli_museum_library">「世界の優れたアニメーションをお届けします。」『[https://www.ghibli-museum.jp/library/about/ 三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー - ジブリ美術館ライブラリーとは…]』[[徳間記念アニメーション文化財団]]。</ref>。主に[[日本]]国外のアニメーションを担当しており、[[宮崎駿]]や[[高畑勲]]の推薦などに基づき、三鷹の森ジブリ美術館が作品を選定している<ref name="ghibli_museum_library"/>。 === ビデオ === ; ジブリがいっぱいCOLLECTION : [[1996年]]に、[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]並びに日本法人の[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]]の間で、日本国内でのスタジオジブリ作品のビデオの販売および海外でのスタジオジブリ作品配給に関わる事業提携を締結した。これにともない、ジブリがいっぱいCOLLECTIONのシリーズが創設され、[[1997年]]発売の『[[となりのトトロ]]』よりVHSビデオの販売をウォルト・ディズニー・ジャパン(旧:[[ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント|ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント]]、ウォルト ディズニー スタジオ ホーム エンターテイメント、ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン)が行うようになった。また、[[2001年]]からはDVD版、[[2009年]]からはBlu-ray Disc版のパッケージ展開も開始している。発売時の[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]などの宣伝についても、ウォルト・ディズニー・ジャパンが行う。なお、販売・レンタル店向け営業はウォルト・ディズニー・カンパニーと提携関係にある[[ポニーキャニオン]]が行っている。[[2023年]][[2月22日]]以降における日本国内でのスタジオジブリ作品のビデオの販売は、[[タッチストーン・ピクチャーズ]]作品、[[ハリウッド・ピクチャーズ]]作品、[[ミラマックス|ミラマックス・フィルムズ]](2010年12月以前の作品)<ref group="注">『[[シンデレラマン]]』・『[[すべてはその朝始まった]]』・『[[最終絶叫計画4]]』・『[[こわれゆく世界の中で]]』の4作品を含む。</ref>と同様、[[ウォルト・ディズニー・スタジオ]]の映像レーベルとして取り扱っており、厳密には[[ディズニー作品の一覧|ディズニー作品]]とは異なる<ref>{{Cite web|和書|title=スタジオジブリ作品|ウォルト・ディズニー・スタジオ公式|url=https://www.waltdisneystudios.jp/ghibli|website=ウォルト・ディズニー・スタジオ公式|accessdate=2023-02-23}}</ref>。 : これ以前に発売された『[[耳をすませば#アニメ映画|耳をすませば]]』までのVHSビデオは、「TOKUMA VIDEO」のレーベルで[[徳間書店]]が発売元、販売元は[[徳間ジャパンコミュニケーションズ]]が担っていた。徳間書店によって発売されたスタジオジブリの旧作品についても、ジブリがいっぱいCOLLECTIONシリーズとしてVHSビデオおよびDVDで順次発売されている。DVDとBlu-ray Discについては、本編以外に絵コンテ集などの特典映像が収録されたディスクを含んだセルパッケージで発売されるタイトルがある<ref group="注">レンタルDVD仕様は本編ディスクのみ。</ref>。なお、レーザーディスクにおいては、徳間書店との関係が継続されたため、[[1998年]]発売の『[[もののけ姫]]』については徳間書店からの発売・販売となった。 : 「スタジオジブリ」の名を冠したレーベルではあるが、『[[ルパン三世 カリオストロの城]]』や『[[じゃりン子チエ]]』などのスタジオジブリ以外の宮崎・高畑監督作品もラインナップに組み込まれている。 ==== ジブリライブラリー ==== ; ジブリ学術ライブラリー : 過去に放送されたドキュメンタリー番組や、過去に公開されたノンフィクション映画のビデオを販売するレーベル。他社が制作した作品が中心である。 ; ジブリCINEMAライブラリー : 他社が制作した映画のビデオを販売するレーベル。三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーに移管された作品もある。 === 音楽 === ; スタジオジブリレコーズ : 徳間ジャパンコミュニケーションズと提携して設立したレーベル。主に、スタジオジブリ作品の[[サウンドトラック]]と主題歌を含んだアルバムCDをリリースしている。以前は、「アニメージュレコード」のレーベルで事業を行っていた。[[2006年]]の『[[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]]』より主題歌制作とシングルCD販売については[[ヤマハミュージックコミュニケーションズ]]<ref group="注">販売元は[[エイベックス・エンタテインメント]]。</ref>に移管された<ref group="注">[[2013年]]公開の『[[風立ちぬ (2013年の映画)|風立ちぬ]]』主題歌の[[松任谷由実]]による『[[ひこうき雲 (荒井由実の曲)|ひこうき雲]]』は、[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]。</ref>。 === 出版 === ; 文春ジブリ文庫 : 2013年創刊で、[[文藝春秋]]より毎月出版している。宮崎・高畑自身の著作の再刊や新装版<ref group="注">過去に徳間書店のシネマ・コミックや、同[[アニメージュ]]文庫などで出版された書目。</ref>に加え、作品論『ジブリの教科書』などオリジナル出版も行っている。 === 服飾 === ; 仕立屋スタジオジブリ : プライムゲートが、スタジオジブリとGHIBLIブランドの洋服および服飾小物の企画・製造・販売のライセンス契約を締結し、[[2004年]]から販売開始したメンズ・ブランド。イメージモデルは、『[[紅の豚]]』の主人公であるポルコ・ロッソ。本物志向の40歳代以上の男性がターゲットである。 == 作品一覧 == === 長編アニメーション映画 === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller;" ! # !! タイトル ! 公開日 !! 原作 !! 脚本 !! 監督 |- ! 1 !! [[天空の城ラピュタ]] | 1986年08月02日 || colspan="3" rowspan="2"|[[宮崎駿]] |- ! 2 !! [[となりのトトロ]] | rowspan="2"|1988年04月16日 |- ! 3 !! [[火垂るの墓#アニメ映画|火垂るの墓]] | [[野坂昭如]] || colspan="2"|[[高畑勲]] |- ! 4 !! [[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]] | 1989年07月29日 || [[角野栄子]] || colspan="2"|宮崎駿 |- ! 5 !! [[おもひでぽろぽろ]] | 1991年07月20日 || [[岡本螢]] || colspan="2"|高畑勲 |- ! 6 !! [[紅の豚]] | 1992年07月18日 || colspan="3" |宮崎駿 |- ! 7 !! [[平成狸合戦ぽんぽこ]] | 1994年07月16日 || colspan="3" |高畑勲 |- ! 8 !! [[耳をすませば#アニメ映画|耳をすませば]] | 1995年07月15日 || [[柊あおい]] || 宮崎駿 || [[近藤喜文]] |- ! 9 !! [[もののけ姫]] | 1997年07月12日 || colspan="3" |宮崎駿 |- ! 10 !! [[ホーホケキョ となりの山田くん]] | 1999年07月17日 || [[いしいひさいち]] || colspan=2|高畑勲 |- ! 11 !! [[千と千尋の神隠し]] | 2001年07月20日 || colspan="3" |宮崎駿 |- ! 12 !! [[猫の恩返し]] | 2002年07月20日 || 柊あおい || [[吉田玲子]] || [[森田宏幸]] |- ! 13 !! [[ハウルの動く城]] | 2004年11月20日 || [[ダイアナ・ウィン・ジョーンズ]] || colspan="2"|宮崎駿 |- ! 14 !! [[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]] | 2006年07月29日 || [[アーシュラ・K・ル=グウィン]] ||{{Ublist|[[丹羽圭子]]|[[宮崎吾朗]]}} || 宮崎吾朗 |- ! 15 !! [[崖の上のポニョ]] | 2008年07月19日 || colspan="3" |宮崎駿 |- ! 16 !! [[借りぐらしのアリエッティ]] | 2010年07月17日 || [[メアリー・ノートン]] || rowspan=2|{{Ublist|宮崎駿|丹羽圭子}} || [[米林宏昌]] |- ! 17 !! [[コクリコ坂から#アニメ映画|コクリコ坂から]] | 2011年07月16日 || [[佐山哲郎]] || 宮崎吾朗 |- ! 18 !! [[風立ちぬ (2013年の映画)|風立ちぬ]] | 2013年07月20日 || colspan="3" |宮崎駿 |- ! 19 !! [[かぐや姫の物語]] | 2013年11月23日 || ''『[[竹取物語]]』'' || {{Ublist|高畑勲|[[坂口理子]]}} || 高畑勲 |- ! 20 !! [[思い出のマーニー#アニメ映画|思い出のマーニー]] | 2014年07月19日 || [[ジョーン・G・ロビンソン]] || {{Ublist|丹羽圭子|安藤雅司|米林宏昌}} || 米林宏昌 |- ! 21 !! [[レッドタートル ある島の物語]] | 2016年09月17日 || [[マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット]] || {{Ublist|マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット|[[パスカル・フェラン]]}} || マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット |- ! 22 !! [[アーヤと魔女|劇場版 アーヤと魔女]] | 2021年08月27日 || ダイアナ・ウィン・ジョーンズ || {{Ublist|丹羽圭子|郡司絵美}} || 宮崎吾朗 |- ! 23 !! [[君たちはどう生きるか (映画)|君たちはどう生きるか]] | 2023年07月14日 || colspan="3" |宮崎駿 |} === テレビアニメーション === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller;" ! # !! タイトル ! 放映日 !! 放映局 !! 原作 !! 脚本 !! 監督 |- ! 1 !! [[海がきこえる (アニメ)|海がきこえる]] | 1993年05月05日 || rowspan="2" |[[日本テレビ系列]] || [[氷室冴子]] || 丹羽圭子 || [[望月智充]] |- ! 2 !! [[ギブリーズ]] | 2000年04月08日 || colspan="3" |[[百瀬義行]] |- ! 3 !! [[アーヤと魔女]] | 2020年12月30日 || [[NHK総合テレビジョン]] || ダイアナ・ウィン・ジョーンズ || {{Ublist|丹羽圭子|郡司絵美}} || 宮崎吾朗 |} === 短編アニメーション映画 === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller;" ! # !! タイトル ! 公開年 !! 監督 |- ! 1 !! [[On Your Mark#映像作品|On Your Mark]] | 1995年 || rowspan="6"|宮崎駿 |- ! 2 !! [[フィルムぐるぐる]] | rowspan="2"|2001年 |- ! 3 !! [[くじらとり]] |- ! 4 !! [[コロの大さんぽ]] | rowspan="5"|2002年 |- ! 5 !! [[めいとこねこバス]] |- ! 6 !! [[空想の空飛ぶ機械達]] |- ! 7 !! [[空想の機械達の中の破壊の発明]] | [[庵野秀明]] |- ! 8 !! [[ギブリーズ episode2]] | 百瀬義行 |- ! 9 !! [[ポータブル空港]] | 2004年 || rowspan="3"|[[百瀬ヨシユキ]] |- ! 10 !! [[space station No.9]] | rowspan="2"|2005年 |- ! 11 !! [[空飛ぶ都市計画]] |- ! 12 !! [[水グモもんもん]] | rowspan="4"|2006年 || rowspan="3"|宮崎駿 |- ! 13 !! [[星をかった日]] |- ! 14 !! [[やどさがし]] |- ! 15 !! ジュディ・ジェディ | 百瀬ヨシユキ |- ! 16 !! [[ちゅうずもう]] | rowspan="2"|2010年 || [[山下明彦]] |- ! 17 !! [[パン種とタマゴ姫]] | 宮崎駿 |- ! 18 !! [[たからさがし]] | 2011年 || ''不在''<ref group="注">監督は存在しないが宮崎が構成を、[[稲村武志]]が演出アニメーターをそれぞれ担当している。</ref> |- ! 19 !! [[毛虫のボロ]] | 2018年 || 宮崎駿 |- ! 20 !! 禅 グローグーとマックロクロスケ | 2022年 || [[近藤勝也]] |} === 長編実写映画 === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller;" ! # !! タイトル ! 公開日 !! 配給 !! 監督 |- ! 1 !! [[式日]] | 2000年12月07日 || 徳間書店 || 庵野秀明 |- ! 2 !! [[サトラレ|サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS]] | 2001年03月17日 || 東宝 || [[本広克行]] |} === 短編実写映画 === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller;" ! # !! タイトル ! 公開年 !! 監督 |- ! 1 !! [[巨神兵東京に現わる]] | rowspan="2"|2012年 || rowspan="2"|[[樋口真嗣]] |- ! 2 !! [[巨神兵東京に現わる|巨神兵東京に現わる 劇場版]] |} === テレビCM === * 日本テレビ『[[そらいろのたね]]』(1992年) * [[アサヒ飲料]]『旨茶』(2001年) * [[りそなホールディングス|りそなグループ]]『ひびきが丘物語』(2003年) * [[ハウス食品]]『おうちで食べよう。』(2004年) * [[読売新聞]]企業テレビCM(2004年 - ) * [[日清製粉グループ本社]]企業テレビCM(2010年 - ) * [[丸紅新電力]]『[[鳥獣人物戯画|鳥獣戯画]]』(2016年) * [[伊藤園]]『となりのおにぎり君』(2016年) === ラジオ番組 === * 『[[鈴木敏夫のジブリ汗まみれ]]』(2007年 - ) === その他 === * 『[[金曜ロードショー]]』オープニング映像(1997年 - 2009年) * 『[[香取慎吾の特上!天声慎吾]]』オープニング映像(2003年) * 『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』チャリTシャツデザイン(2006年、2010年) * 『堀田善衞展 スタジオジブリが描く乱世。』(2008年) * 『[[piece (新垣結衣の曲)|piece]]』プロモーションビデオ(2009年) * 『キュッキュの大冒険』(2011年) * 『風になって、遊ぼう。~ジブリパークのある愛知~』(2022年) == 日本国内歴代作品収入ランキング == [[日本映画製作者連盟]]によるデータ。 {| class="wikitable sortable" style="text-align:right; font-size:smaller;" ! 順位 !! class="unsortable"|作品 ! style="max-width:4em;"|配給収入(億円) !! style="max-width:4em;"|興行収入(億円) !! style="max-width:5em;"|観客動員数(万人) |- ! 1 !! [[千と千尋の神隠し]] | || 316.8 || 2350 |- ! 2 !! [[もののけ姫]] | 117.6 || 201.8 || 1420 |- ! 3 !! [[ハウルの動く城]] | || 196.0 || 1500 |- ! 4 !! [[崖の上のポニョ]] | || 155.5 || 1200 |- ! 5 !! [[風立ちぬ (2013年の映画)|風立ちぬ]] | || 120.2 || 810 |- ! 6 !! [[借りぐらしのアリエッティ]] | || 92.6 || 750 |- ! 7 !! [[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]] | || 78.4 || 588 |- ! 8 !! [[猫の恩返し]]/[[ギブリーズ episode2]] | || 64.8 || 550 |- ! 9 !! [[紅の豚]] | 28.0 || 54.0 || 304 |- ! 10 !! [[平成狸合戦ぽんぽこ]] | 26.3 || 44.7 || 325 |- ! 11 !! [[コクリコ坂から#アニメ映画|コクリコ坂から]] | || 44.6 || 355 |- ! 12 !! [[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]] | 21.5 || 43.0 || 264 |- ! 13 !! [[思い出のマーニー#アニメ映画|思い出のマーニー]] | || 35.3 ||250 |- ! 14 !! [[おもひでぽろぽろ]] | 18.7 || 31.8 || 216 |- ! 15 !! [[耳をすませば#アニメ映画|耳をすませば]]/[[On Your Mark]] | 18.5 || 31.5 || 208 |- ! 16 !! [[かぐや姫の物語]] | || 24.7 || 185 |- ! 17 !! [[ホーホケキョ となりの山田くん]] | 7.9 || 15.6 || 115 |- ! 18 !! [[となりのトトロ]]/[[火垂るの墓#アニメ映画|火垂るの墓]] | 5.9 || 11.7 || 80 |- ! 19 !! [[天空の城ラピュタ]] | 5.8 || 11.6 || 77 |- ! 20 !! [[アーヤと魔女|劇場版 アーヤと魔女]] | || 3.0 || |- ! 21 !! [[レッドタートル ある島の物語]] | || 0.9 || |} * [[海がきこえる (アニメ)|海がきこえる]] - [[視聴率]]17.4% * [[アーヤと魔女]] - 視聴率6.1% [[日本]]では[[1999年]]まで[[配給収入]]が用いられてきたが、[[2000年]]から[[興行収入]]に切り替わっている。 2023年3月12日現在、[[興行収入上位の日本のアニメ映画一覧|日本のアニメーション映画の興行収入トップ10]]のうち、4作品はスタジオジブリ制作である。 == 評価 == === 日本国内での評価 === [[日経BP]]コンサルティングが、[[2001年]]から毎年実施している[[ブランド・ジャパン]]のコンシューマー市場調査結果によると、スタジオジブリは[[2002年]]から[[2006年]]まで消費者から最も評価されているブランド部門の上位5位以内に毎年ランクされていた。共感するブランド部門では、2002年から5年連続で1位に選ばれている。 {{columns-list|10em| * [[2002年]] - 第3位 * [[2003年]] - 第4位 * [[2004年]] - 第5位 * [[2005年]] - 第2位 * [[2006年]] - '''第1位''' * [[2007年]] - 第12位 * [[2008年]] - 第2位 * [[2009年]] - 第4位 * [[2010年]] - 第3位 * [[2011年]] - 第8位 * [[2012年]] - 第12位 * [[2013年]] - 第5位 * [[2014年]] - 第3位 * [[2015年]] - 第4位 * [[2016年]] - 第12位 * [[2017年]] - '''第1位''' * [[2018年]] - 第2位 * [[2019年]] - 第15位 * [[2020年]] - 第11位 * [[2021年]] - 第13位 }} [[電通ヤング・アンド・ルビカム]]が、2007年に実施したブランドに関する世界最大の消費者調査ブランド・エナジーのパワーランキングにおいて、スタジオジブリは2位に選ばれた。 === 日本国外での作品公開と評価 === [[ベルリン国際映画祭]]の[[金熊賞]]や[[アカデミー賞]]の[[アカデミー長編アニメ映画賞|長編アニメーション賞]]<ref group="注">『[[千と千尋の神隠し]]』が受賞。</ref>、[[ヴェネツィア国際映画祭]]の[[金オゼッラ賞]]<ref group="注">スタジオジブリの技術に対する評価。</ref>を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けているスタジオジブリ作品であるが、そこに至る道のりは平坦ではなく、現在もその評価は一様ではない。 スタジオジブリ作品は早くから[[日本]]国外の映画祭に何度も出品したが、一般大衆レベルでスタジオジブリ作品が早くから受容されていたのは[[香港]]である。[[1987年]]に『[[天空の城ラピュタ]]』が『天空之城』のタイトルで公開され、[[興行収入]]はその年の香港における外国語映画2位となる1300万香港ドルのヒットとなった。[[1988年]]には『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』が『風之谷』のタイトルで1070万香港ドル、同年に『[[となりのトトロ]]』が『龍猫』のタイトルで1100万香港ドルの興行収入を挙げた。いずれも、[[1997年]]時点で香港における日本映画の上位に食い込む好成績だった。以後も『[[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]』が『魔女宅急便』のタイトルで[[1990年]]に公開されるなど、スタジオジブリ作品は香港で上映されていった<ref>叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、p67、p105、p128、p148。</ref>。 その後、スタジオジブリ作品は[[ニューヨーク近代美術館]]などで回顧展が開かれたり<ref>[http://press.moma.org/images/press/PRESS_RELEASE_ARCHIVE/ghibli.pdf "THE MUSEUM OF MODERN ART PRESENTS FIRST U.S. RETROSPECTIVE OF ACCLAIMED JAPANESE ANIMATION STUDIO"〔PDF〕]</ref>、『千と千尋の神隠し』が映画批評を集計するサイト[[Rotten Tomatoes]]<ref>[https://www.rottentomatoes.com/ ROTTEN TOMATOES]</ref>でほぼパーフェクトに近い点を記録したり、同作がアカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞したり、国際的なフランス人漫画家[[ジャン・ジロー|メビウス]]が自分の娘に「ナウシカ」と命名したり<ref>MIYAZAKI MOEBIUS:COUP D'ENVOL 2004年6月12日https://animeland.fr/forum/R%C3%A9pondre/voir/618/</ref>と高い評価を受ける一方、『[[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]]』の原作者で小説家でもある[[アーシュラ・K・ル=グウィン]]は、本作の原作改変部分やディティールの弱い絵などに強い違和感を示した<ref>asahi.com 2006年8月24日https://www.asahi.com/culture/movie/OSK200608240047.html</ref>。 [[フランス]]でも[[宮崎駿]]監督作品の正式な紹介は遅れ、[[1993年]]の[[アヌシー国際アニメーション映画祭]]では『[[紅の豚]]』が長編部門の作品賞を受けるものの、[[1995年]]の劇場公開では興行的に惨敗した。 [[アメリカ合衆国|アメリカ]]にも『風の谷のナウシカ』が輸出されているが、配給権を得たのは低予算C級映画で知られる[[ロジャー・コーマン]]配下の会社であった。116分の本編は95分にカット、ストーリーも大幅に改竄されて『Warriors of the Wind』と題して、アメリカ国内で短い期間劇場公開されたのちにビデオで販売され、さらには[[ヨーロッパ]]各国にも転売された<ref group="注">『風の谷のナウシカ』の[[風の谷のナウシカ (映画)#米国版|#海外版]]も参照のこと。</ref>。この『Warriors of the Wind』は、宮崎監督作品のファンたちの間では悪評が高い<ref group="注">[[朝日新聞社|朝日新聞]]の記事によれば、ロサンゼルス国際アニメーション映画祭の長編部門で1位になるなど、オリジナル版の評価はされていた。</ref>。このアメリカ向け短縮版は宮崎に無断で作成されたものだったが、この一件で宮崎とスタジオジブリは自社作品の輸出に当たってはノーカット公開を要求するようになった。その後のアメリカでは、[[1989年]]に『天空の城ラピュタ』が『Castle in the Sky』のタイトルで小規模な劇場公開があったが<ref>叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、p105</ref>、[[欧米]]では本格的な劇場公開は行われず、正規ルートでのビデオ発売も遅れたため、不法コピーの[[海賊版]]が出回っていた<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/51186120|title=米ネットフリックス、ジブリの21作品を配信へ 「完璧な映画」とファン期待|accessdate=2020年1月24日|publisher=BBC News(2020年1月21日作成)}}</ref>。アメリカでの興行収入は、スタジオジブリ作品では『[[借りぐらしのアリエッティ]]』が1920万ドルで1位<ref>{{Cite web|url=https://www.boxofficemojo.com/release/rl2739045889/|title=The Secret World of Arrietty (2012) - Box Office Mojo|publisher=Box Office Mojo|language=英語|accessdate=2013-06-27}}</ref>、『[[崖の上のポニョ]]』が1509万ドルで2位<ref>{{Cite web|url=https://www.boxofficemojo.com/release/rl2120975873/|title=Ponyo (2009) - Box Office Mojo|publisher=Box Office Mojo|language=英語|accessdate=2013-06-27}}</ref>、『千と千尋の神隠し』が1005万ドルで3位<ref>{{Cite web|url=https://www.boxofficemojo.com/release/rl661882369/|title=Spirited Away (2002) - Box Office Mojo|publisher=Box Office Mojo|language=英語|accessdate=2013-06-27}}</ref>となっている。これは公開館数の違い<ref group="注">『借りぐらしのアリエッティ』が1522館、『崖の上のポニョ』が927館、『千と千尋の神隠し』が714館。</ref>もあるが、『借りぐらしのアリエッティ』のポスターや予告編は、旧来のスタジオジブリ作品に比べて[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]色が強くなっている<ref>{{Cite web|url=https://movies.disney.com/the-secret-world-of-arrietty|title=The Secret World Of Arrietty Disney Official Site|publisher=Disney|language=英語|accessdate=2013-06-27}}</ref>。『崖の上のポニョ』公開時から、[[キャスリーン・ケネディ (映画プロデューサー)|キャスリーン・ケネディ]]や[[フランク・マーシャル]]が英語吹き替え版の製作総指揮を務めるようになった<ref>{{Cite web|和書|date=2012-02-21|url=https://www.oricon.co.jp/news/2007314/full/|title=『借りぐらしのアリエッティ』北米初登場9位の快挙、ジブリ作品史上最高のオープニング成績を記録…『崖の上のポニョ』と同じくキャスリーン・ケネディとフランク・マーシャルがエグゼクティブ・プロデューサー|website=ORICON NEWS|publisher=[[オリコン]]|accessdate=2018-08-29}}</ref><ref>{{Cite web|date=2012-06-06|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0042819|title=『コクリコ坂から』の北米配給決定!2013年のアカデミー賞も視野…英語版『崖の上のポニョ』のキャスリーン・ケネディとフランク・マーシャルが引き続き英語版を製作|website=[[シネマトゥデイ]]|publisher=株式会社シネマトゥデイ|accessdate=2018-11-28}}</ref><ref>{{Cite web|date=2014-07-16|url=https://eiga.com/news/20140716/12/#ampshare=https://eiga.com/news/20140716/12/|title=「かぐや姫の物語」の英語版キャストが発表 クロエ・モレッツがヒロインの声を担当…「コクリコ坂から」「風立ちぬ」と同様フランク・マーシャルが製作総指揮|website=[[映画.com]]|publisher=株式会社エイガ・ドット・コム|accessdate=2018-08-29}}</ref>。後述の[[GKIDS]]とスタジオジブリの新たな結びつきが生まれる中、『[[風立ちぬ (2013年の映画)|風立ちぬ]]』はそれまで公開された宮崎監督作品や『借りぐらしのアリエッティ』と同様、[[ウォルト・ディズニー・スタジオ|ディズニー]]が[[北アメリカ|北米]]の配給権を取得している<ref>{{Cite web|和書|date=2013-09-02|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0056025|title=『風立ちぬ』ディズニーがアメリカでの配給権を獲得|website=[[シネマトゥデイ]]|publisher=株式会社シネマトゥデイ|accessdate=2018-08-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2013-08-28|url=https://eiga.com/news/20130828/11/#ampshare=https://eiga.com/news/20130828/11/|title=宮崎駿監督「風立ちぬ」の全米配給、ディズニーに決定|website=映画.com|publisher=株式会社エイガ・ドット・コム|accessdate=2018-08-29}}</ref>。 2018年に、『となりのトトロ』が[[北京市|北京]]や[[上海市|上海]]など[[中国]]の約50都市で劇場公開<ref>{{Cite web|和書|date=2018-12-10|url=https://news.ntv.co.jp/category/international/411411|title=中国全土で「となりのトトロ」正式上映へ(北京や上海など50都市で上映)|website=[[日テレNEWS24]]|publisher=[[日本テレビ放送網]]|accessdate=2018-12-11}}</ref><ref>{{Cite news|date=2018-12-10|url=https://www.sanspo.com/geino/news/20181210/geo18121019020026-n1.html|title=「トトロ」中国で初上映へ、正式に輸入 スタジオジブリ会長「偽物を駆逐する上でも…」(約6000カ所の映画館で上映予定)|newspaper=[[サンケイスポーツ|sanspo.com]]|publisher=株式会社[[産業経済新聞社]]|accessdate=2018-12-18}}</ref><ref>{{Cite news|author=上海=宮嶋加菜子|date=2018-12-10|url=https://www.asahi.com/articles/ASLDB45CWLDBUHBI015.html|title=トトロ、中国で初の正式上映(中国語版吹き替えで母親役を担当した女優の秦嵐(チン・ラン)さんも『小さいころから見ていた映画に参加できて感動している』)|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|accessdate=2018-12-18}}</ref>。中国本土で約6000館におよぶ、スタジオジブリ作品初の大規模な上映となった<ref>{{Cite web|和書|date=2018-12-14|url=https://www.ghibli.jp/info/012939/|title=本日12/14(金)から中国で『となりのトトロ』の正式上映がはじまりました(ジブリ作品が中国本土で正式上映されるのは初。約6000館、12,000スクリーン…)|website=STUDIO GHIBLI 最新情報|publisher=スタジオジブリ|accessdate=2018-12-18}}</ref><ref>{{Cite news|date=2018-12-15|url=https://web.archive.org/web/20181218193419/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121500042|title=トトロ、中国全土で上映=公開から30年、正式配給(中国でジブリ作品が正式配給されるのは初めて…外国映画の本数規制から公開は見送られてきた)|agency=[[時事通信社|時事ドットコム]]|publisher=株式会社時事通信社|accessdate=2018-12-18}}</ref><ref>{{Cite web|author=ミン・イヒョウ 謙|date=2018-11-29|url=http://japanese.cri.cn/20181129/9858d8e5-f60b-e82d-d257-ccc5a03a605a.html|title=『となりのトトロ』中国アンバサダーが宮崎駿監督と初対面(女優の秦嵐(チン・ラン)が日本を訪れ宮崎監督と対面)(中国公開は日本語と中国語の2バージョンで2017年完成のデジタルリマスター版)(30年前は大規模な一般公開には至らなかった)|website=[http://japanese.cri.cn CRI online 日本語]|publisher=[[中国国際放送|中国国際放送局]]|accessdate=2018-12-18}}</ref>。2019年には、約9000館で『千と千尋の神隠し』が初公開された<ref>{{Cite news|date=2019-07-08|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3234136|title=「千と千尋の神隠し」が中国で大ヒット! 18年前の作品がなぜ?の背景|website=東方新報(日本創刊の中国語新聞)|agency=[[フランス通信社|AFP]]BB News|accessdate=2019-08-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=角山奈保子|date=2019-07-26|url=https://ddnavi.com/review/553501/a/|title=ついに4.7億元突破!『千と千尋の神隠し』が中国で大ヒットした理由|website=[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]ニュース|publisher=[[KADOKAWA]]|accessdate=2019-08-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-04|url=https://eiga.com/news/20190804/1/|title=【中国映画コラム】「千と千尋の神隠し」中国大ヒットのポイントは“18年前の旧作”という背景|website=[[映画.com]]|publisher=株式会社エイガ・ドット・コム|accessdate=2019-08-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=AU YEUNG YU LEUNG|date=2019-08-04|url=https://jp.ign.com/china-weekly/37434/feature/65181|title=中華娯楽週報 第65回:18年遅れの中国劇場公開でジブリ旧作が興収1位に!宮崎駿の圧倒的人気と海賊版の役割を解説(上)─「映画チケットを買って宮崎駿に恩返し」するチャンスは、ついに訪れた|website=[[IGN]] Japan|accessdate=2019-08-16}}</ref>。 ==== GKIDSとの関係 ==== アメリカで独立系の配給会社[[GKIDS]]とスタジオジブリの関わりは、2011年に[[ニューヨーク]]の[[:en:IFC Center|IFCセンター]]で開催された特集上映に始まり<ref>{{Cite web|和書|date=2011-11-15|url=https://animeanime.jp/article/2011/11/15/8942.html#ampshare=https://animeanime.jp/article/2011/11/15/8942.html|title=ジブリ長編15作が全米上映ツアー GKIDSと配給契約合意で|website=アニメ!アニメ!|publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2018-08-19}}</ref>、2012年から『[[コクリコ坂から]]』の劇場公開と2013年にはビデオ販売が行われた<ref group="注">興行収入は100万ドル。</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2013-01-27|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0049721|title=『コクリコ坂から』が3月からアメリカの主要都市で公開!…昨年11月に短期上映後、2013年3月15日からニューヨークとロサンゼルス、29日から全米主要都市で公開|website=[[シネマトゥデイ]]|publisher=株式会社シネマトゥデイ|accessdate=2018-11-28}}</ref><ref>{{Cite web|date=2013-09-01|url=https://animeanime.jp/article/2013/09/01/15403.html#ampshare=https://animeanime.jp/article/2013/09/01/15403.html|title=「風立ちぬ」ディズニーが米国配給権獲得 「コクリコ坂から」はGKIDSが英語版発売|website=アニメ!アニメ!|publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2018-08-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2017-01-21|url=http://animationbusiness.info/archives/1946|title=「セーラームーン」に「攻殻機動隊」ジブリ映画も 米国で相次ぐアニメの旧作公開|website=アニメーションビジネス・ジャーナル|accessdate=2018-08-20}}</ref>。続いて『[[かぐや姫の物語]]』<ref group="注">2014年公開、興行収入は70万ドル。</ref>と『[[思い出のマーニー]]』<ref group="注">2015年公開、興行収入は56万ドル。</ref>が公開され<ref>{{Cite web|和書|date=2014-10-20|url=https://www.cinemacafe.net/article/2014/10/20/26732.html|title=高畑勲監督『かぐや姫の物語』米国公開で好発進|website=シネマカフェ|publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2018-08-18}}</ref><ref name="retrospective">{{Cite web|和書|date= 2015-05-20|url=https://www.cinemacafe.net/article/2015/05/20/31346.html#ampshare=https://www.cinemacafe.net/article/2015/05/20/31346.html|title=『思い出のマーニー』全米公開!…配給はジブリの旧作品のレトロスペクティブ上映を北米各地で行っているGKIDS|website=シネマカフェ|publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2018-08-20}}</ref>、2013年に[[タッチストーン・ピクチャーズ]]で配給された『風立ちぬ』から<ref>{{Cite news|date=2014-02-27|url=https://www.sankei.com/entertainments/news/140227/ent1402270005-n1.html|title=「最後の贈り物」全米が称賛「風立ちぬ」…アカデミー賞ノミネート 450館で公開「ゆっくりとした時間の経過、静けさや沈黙を最大限に生かして描く手法」「現代の映画が嘆かわしくも失ってしまったもの」|newspaper=[[産経デジタル|産経ニュース]]|publisher=株式会社[[産業経済新聞社]]|accessdate=2018-08-30}}</ref>、2016年に[[ソニー・ピクチャーズ クラシックス]]で配給された『[[レッドタートル ある島の物語]]』まで、4年連続でスタジオジブリ作品がアカデミー賞の長編アニメーション賞にノミネートされた。 北米でGKIDSは過去のスタジオジブリ作品全ての配給権を保有して<ref>{{Cite web|和書|date=2018-01-29|url=http://animationbusiness.info/archives/4823|title=「メアリと魔女の花」北米公開は順調なスタートで過去最高…配給はスタジオジブリ全作品の北米配給権も保有するGKIDS|website=アニメーションビジネス・ジャーナル|accessdate=2018-08-19}}</ref>、レトロスペクティブ上映を実施<ref name="retrospective"/>。2016年から2017年にかけて『[[もののけ姫]]』や<ref>{{Cite web|和書|date=2017-01-05|url=https://natalie.mu/eiga/news/215735|title=「もののけ姫」20周年上映会がアメリカで開催、チャゲアス「On Your Mark」も|website=[[ナタリー (ニュースサイト)|映画ナタリー]]|publisher=株式会社ナターシャ|accessdate=2018-09-03}}</ref>、2日間に400館以上で『千と千尋の神隠し』のリバイバル上映が行われ<ref>{{Cite web|和書|date=2016-11-19|url=http://animationbusiness.info/archives/1280|title=「千と千尋の神隠し」米国400館でリバイバル上映「ギブリーズ episode2」も併映|website=アニメーションビジネス・ジャーナル|accessdate=2018-09-03}}</ref>、それまで一般の劇場では上映されていなかった『[[おもひでぽろぽろ]]』や『[[海がきこえる (アニメ)|海がきこえる]]』が初公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2016-01-02|url=https://natalie.mu/eiga/news/171107#ampshare=https://natalie.mu/eiga/news/171107|title=デイジー・リドリーが吹替担当「おもひでぽろぽろ」米国版トレイラー公開|website=[[ナタリー (ニュースサイト)|映画ナタリー]]|publisher=株式会社ナターシャ|accessdate=2018-08-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2017-01-01|url=https://cinefil.tokyo/_ct/17027088|title=1993年のジブリ作品『海がきこえる』が、初のアメリカ公開!限定2館の公開ながら評判を呼ぶ!海外予告!|website=シネフィル|publisher=株式会社Miramiru|accessdate=2018-08-20}}</ref>。さらに、2016年からイベント上映を共同で手掛ける[[:en:Fathom Events|ファゾム・イベンツ]]とは、毎月1本のスタジオジブリ作品を上映する[[:en:GKIDS#Studio Ghibli Fest|スタジオジブリ・フェスト]]を<ref>{{Cite web|url=https://www.fathomevents.com/series/studio-ghibli-fest|title=STUDIO GHIBLI FEST|website=Fathom Events|accessdate=2018-08-20}}</ref><ref>{{Cite web|date=2019-04-07|url=https://www.ghiblifest.com/|title=EXPERIENCE STUDIO GHIBLI ON THE BIG SCREEN|website=STUDIO GHIBLI FEST|publisher=GKIDS|accessdate=2019-04-28}}</ref>、2017年から2019年にかけて毎年開催<ref>{{Cite web|author=Zack Sharf|date=2017-03-28|url=https://www.indiewire.com/2017/03/studio-ghibli-fest-tickets-screening-schedule-miyazaki-1201797450/|title=Studio Ghibli Fest Bringing Six Animated Classics Back to the Big Screen — Exclusive|website=[[:en:IndieWire|インディ・ワイヤー]]|publisher=[[:en:Penske Media Corporation|ペンスキー・メディア]]|accessdate=2019-04-28}}</ref><ref>{{Cite web|author=SOURCE Fathom Events|date=2018-02-14|url=https://www.prnewswire.com/news-releases/gkids-and-fathom-events-present-a-new-studio-ghibli-series-of-animated-masterpieces-in-us-cinemas-throughout-2018-300598758.html|title=GKIDS and Fathom Events Present a New STUDIO GHIBLI Series of Animated Masterpieces in U.S. Cinemas Throughout 2018|website=[[:en:PR Newswire|PR ニュースワイヤー]]|publisher=[[:en:Cision|Cision]]|accessdate=2019-04-28}}</ref><ref>{{Cite web|author=SOURCE Fathom Events|date=2019-02-14|url=https://www.prnewswire.com/news-releases/gkids-and-fathom-events-return-with-a-new-studio-ghibli-series-lineup-of-celebrated-animated-masterpieces-in-us-cinemas-throughout-2019-300796030.html|title=GKIDS and Fathom Events Return with a New Studio Ghibli Series Lineup of Celebrated Animated Masterpieces in U.S. Cinemas Throughout 2019|website=[[:en:PR Newswire|PR ニュースワイヤー]]|publisher=[[:en:Cision|Cision]]|accessdate=2019-04-28}}</ref>。2日から3日間の日程で、『天空の城ラピュタ』は648館<ref>{{Cite web|date=2018-11-18|url=https://www.boxofficemojo.com/movies/?id=castleinthesky2018.htm|title=Castle in the Sky - Studio Ghibli Fest 2018|website=[[Box Office Mojo]]|publisher=[[Amazon.com]]|accessdate=2019-08-27}}</ref><ref>{{Cite web|date=2018|url=https://www.fathomevents.com/events/studio-ghibli-fest-2018-castle-in-the-sky|title=GKIDS Presents Studio Ghibli Fest 2018 ─ Castle in the Sky|website=[[:en:Fathom Events|ファゾム・イベンツ]]|accessdate=2019-08-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180225221824/https://www.fathomevents.com/events/studio-ghibli-fest-2018-castle-in-the-sky|archivedate=2018-02-25}}</ref>、『風の谷のナウシカ』は751館<ref>{{Cite web|url=https://www.boxofficemojo.com/release/rl1560839681/|title=Nausicaä of the Valley of the Wind (2019 Re-release)|website=[[Box Office Mojo]]|publisher=[[Amazon.com]]|accessdate=2020-03-18}}</ref><ref>{{Cite web|date=2019|url=https://www.fathomevents.com/events/nausicaa-of-the-valley-of-the-wind-studio-ghibli-fest-2019|title=GKIDS Presents Studio Ghibli Fest 2019 ─ Nausicaä of the Valley of the Wind: 35th Anniversary|website=[[:en:Fathom Events|ファゾム・イベンツ]]|accessdate=2019-09-15}}</ref>、『魔女の宅急便』は753館で公開されるなど<ref>{{Cite web|url=https://www.boxofficemojo.com/release/rl3339224577/|title=「Kiki's Delivery Service」(2019 Re-release) ─ Domestic(米国)|website=[[Box Office Mojo]]|publisher=[[Amazon.com]]|accessdate=2020-03-22}}</ref><ref>{{Cite web|date=2019|url=https://www.fathomevents.com/events/studio-ghibli-fest-2019-kikis-delivery-service|title=GKIDS Presents Studio Ghibli Fest 2019 ─ Kiki’s Delivery Service: 30th Anniversary|website=Fathom Events|accessdate=2021-02-22}}</ref>、吹き替え版と字幕版の両方が上映されている。 2017年よりGKIDSは北米で、それまでディズニーによってビデオが販売されていたスタジオジブリ作品の再発売を開始した<ref>{{Cite web|author=DAVE MCNARY|date=2017-07-17|url=https://variety.com/2017/film/news/gkids-studio-ghibli-japanese-animated-title-reissues-1202497246/#ampshare=https://variety.com/2017/film/news/gkids-studio-ghibli-japanese-animated-title-reissues-1202497246/|title=Reissues of Six Miyazaki Films in the Works From Studio Ghibli, Gkids|website=[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]|accessdate=2018-08-22}}</ref>。アメリカ国外ではフランスなどで、引き続きディズニーによってスタジオジブリ作品の流通が手掛けられた<ref>{{Cite web|和書|author=Cecilia D'Anastasio|date=2017-08-10|url=https://kotaku.com/gkids-takes-over-u-s-studio-ghibli-distribution-from-d-1797730952|title=GKIDS Takes Over U.S. Studio Ghibli Distribution From Disney(米国でGKIDSが、ジブリ作品の流通をディズニーから引き継ぐ)|website=[[Kotaku]]|accessdate=2018-08-22}}</ref>。 ==== ワイルドバンチとの関係 ==== 2016年にスタジオジブリと『レッドタートル ある島の物語』を共同製作した[[:en:Wild Bunch (company)|ワイルドバンチ]]は2020年、フランスにおけるスタジオジブリ作品のすべての権利を取得した。新作である『[[アーヤと魔女]]』も含まれる。フランスで、スタジオジブリ作品をリリースしていたディズニーのライセンス契約は失効した。ワイルドバンチはこれまでにも、スタジオジブリ作品の海外販売を担当していた<ref>{{Cite web|author=MELANIE GOODFELLOW(メラニー・グッドフェロー)|date=2020-09-12|url=https://www.screendaily.com/news/wild-bunch-acquires-studio-ghibli-library-for-france-including-earwig-and-the-witch/5153116.article|title=Wild Bunch acquires Studio Ghibli library for France, including ‘Earwig and the Witch’|website=[[:en:Screen International|スクリーン・デイリー]]|publisher=Media Business Insight|accessdate=2020-09-10}}</ref>。 == 歴代社長・経営者 == {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller;" ! colspan=2|期間 !! 会長/議長 !! 社長 !! 経営者 !! プロデューサー !! 副社長 |- ! 1985年6月 !! 1991年7月 | rowspan="6"| || rowspan="2"|[[徳間康快]] || [[原徹]] || rowspan="5"| || rowspan="9"| |- ! 1991年7月 !! 2000年9月 | rowspan="3"|[[鈴木敏夫]] |- ! 2000年9月 !! 2001年1月 | [[牧田謙吾]] |- ! 2001年1月 !! 2005年3月 | [[松下武義]] |- ! 2005年4月 !! 2008年1月 | 鈴木敏夫 || rowspan="6"| |- ! 2008年2月 !! 2017年11月 | [[星野康二]] || rowspan="3"|鈴木敏夫 |- ! 2017年11月 !! 2021年2月 | 星野康二 || [[中島清文]] |- ! 2021年2月 !! 2023年3月 | colspan="2"|星野康二 |- ! 2023年4月 !! 2023年9月 | || 鈴木敏夫 || rowspan="2"| |- ! 2023年10月 !! 現職 | 鈴木敏夫 || [[福田博之]] || 中島清文 |} スタジオジブリは、[[1997年]]に[[徳間書店]]に吸収合併された。徳間書店は[[社内カンパニー]]制を導入していたため、スタジオジブリは徳間書店の一カンパニーとなった。その後、徳間書店は[[1999年]]に[[事業部制]]を導入したため、スタジオジブリは徳間書店の一事業本部となった。徳間書店から分離・独立した[[2005年]]からは、再び[[株式会社]]となった。 == 関連人物 == === 監督・アニメーター === {{columns-list|10em| * [[宮崎駿]] * [[高畑勲]] * [[望月智充]] * [[近藤喜文]] * [[百瀬義行]] * [[森田宏幸]] * [[宮崎吾朗]]<ref group="注">宮崎の長男。</ref> * [[米林宏昌]] * [[安藤雅司]] * [[小西賢一]] * [[細田守]] * [[庵野秀明]] * [[近藤勝也]] * [[金田伊功]] * [[大平晋也]] * [[佐藤好春]] * [[稲村武志]] * [[山下明彦]] * [[田中敦子 (アニメーター)|田中敦子]] * [[河口俊夫]] * [[高坂希太郎]] * [[吉田健一 (アニメーター)|吉田健一]] * [[名倉靖博]] * [[須藤典彦]] * [[大塚雅彦]] * [[村田和也]] * [[宮地昌幸]] * [[笹木信作]] * [[二木真希子]] * [[大塚伸治]] * [[賀川愛]] * [[田辺修 (アニメーター)|田辺修]] * [[桑名郁朗]] * [[マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット]] }} === 美術・彩色 === {{columns-list|10em| * [[男鹿和雄]] * [[保田道世]] * [[山本二三]] * [[野崎俊郎]] * [[武重洋二]] * [[吉田昇]] * [[田中直哉]] * [[高屋法子]] * [[増山修]] }} === 撮影 === * [[奥井敦]] === 音響・録音 === {{columns-list|10em| * [[斯波重治]] * [[浅梨なおこ]] * [[浦上靖夫]] * [[若林和弘]] * [[木村絵理子]] * [[笠松広司]] }} === 製作・制作 === {{columns-list|10em| * [[鈴木敏夫]] * [[星野康二]] * [[徳間康快]] * [[原徹]] * [[木原浩勝]] * [[志茂文彦]] * [[高橋望]] * [[西村義明]] - [[2002年]]から[[2014年]]まで在籍し、[[2015年]]に[[スタジオポノック]]を設立。 }} === その他 === * [[川上量生]] - [[KADOKAWA]]取締役、[[ドワンゴ]]顧問。ドワンゴに所属しながらスタジオジブリにて見習い。 * [[瀬山武司]] - 多くの作品で編集を担当。 * [[久石譲]] - 多くの作品で音楽を担当。 * [[糸井重里]] - 『[[となりのトトロ]]』から『[[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]]』までキャッチコピーを担当。 == 備考 == * 2010年代頃まではジブリ作品の映像は、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]](日テレ)が[[放映権]]を独占していることや、『[[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]』からは日テレが[[出資]]に加わっている関係等から、日テレ以外のテレビ局で流されることは非常に少なかった。しかし2020年代からは、他局でも映像が流されることが増えており、2022年のジブリパーク開業時の報道の際にも映像が流されることが非常に多かった。 === 動画配信 === [[2019年]]まで、スタジオジブリはインターネットでの動画配信に消極的だったが、[[定額制動画配信サービス|動画配信サービス]]の爆発的な普及を受け、動画配信サービス会社と組むことで今までDVD購入または[[海賊版]]での鑑賞手段しかなかった海外におけるスタジオジブリ作品の認知度向上にもつながると判断した<ref name=":1" /><ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54593740Q0A120C2TJ1000/?n_cid=SNSTW001|title=米ネットフリックス 2月からジブリ作品を世界配信|accessdate=2020年1月20日|publisher=日本経済新聞(2020年1月20日作成)}}</ref>。 2019年、[[GKIDS]]は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]において、[[ワーナーメディア]]の[[HBO Max]]とスタジオジブリ作品の[[ストリーミング]]配信における独占契約を締結したと発表した<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20191020/8/|title=スタジオジブリ、米ストリーミングサービス「HBO Max」と独占配信契約|accessdate=2020年1月20日|publisher=映画.com(2019年10月20日作成)}}</ref>。サービスが開始される[[2020年]]から21作品が配信されている<ref>{{Cite web|和書|author=文/平井伊都子|date=2019-10-18|url=https://moviewalker.jp/news/article/209172/|title=『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』などジブリ全作品が北米で2020年春配信、ワーナー傘下のHBO Maxで!|website=[[Movie Walker]]|publisher=[[ムビチケ|株式会社ムービーウォーカー]]|accessdate=2019-11-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=Tadashi Sudo|date=2019-10-18|url=http://animationbusiness.info/archives/8653|title=スタジオジブリ長編映画を全米配信、ワーナー系定額課金見放題HBO Max|website=アニメーションビジネス・ジャーナル|accessdate=2019-11-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=ガジェ通ウェブライター(執筆者: 6PAC)|date=2019.10.18|url=https://getnews.jp/archives/2243654|title=ワーナーメディアがジブリ作品21タイトルのストリーミング配信権獲得 HBO Maxで配信へ|website=ガジェット通信|publisher=[[ガジェット通信|東京産業新聞社]]|accessdate=2019-11-22}}</ref><ref>{{Cite web|author=Nicole Sperling|date=2019年10月17日|url=https://www.nytimes.com/2019/10/17/business/media/studio-ghibli-japanese-anime-hbo-max.html|title=HBO Max Will Stream ‘Spirited Away’ and 20 Other Studio Ghibli Films|website=ニューヨーク・タイムズ|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ|ニューヨーク・タイムズ・カンパニー]]|accessdate=2019-11-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=吉谷篤樹|date=2019-10-18|url=https://kai-you.net/article/68487|title=ジブリ映画が米国ストリーミング配信 『千と千尋』『ナウシカ』など21作品|website=KAI-YOU.net|publisher=[[KAI-YOU|株式会社カイユウ]]|accessdate=2020-01-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=編集部:押野 由宇|date=2020-01-20|url=https://www.phileweb.com/news/d-av/202001/20/49522.html|title=2月1日から米Netflix、ジブリ作品を全世界配信。なお日本は除く(2020年5月からHBO Max)|website=PHILE WEB ファイルウェブ|publisher=[[音元出版|株式会社 音元出版]]|accessdate=2020-01-21}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2001/20/news110.html|title=Netflix、スタジオジブリの21作品放映権獲得(日本と北米以外で)|accessdate=2020年1月20日|publisher=ITmedia(2020年1月20日作成)}}</ref>。GKIDSは2019年から[[北アメリカ|北米]]で、HBO Maxと同じ21作品のダウンロード販売を開始した。販売されるプラットフォームは[[Amazon.com]]、[[Apple TV]]、[[Google Play]]、[[ソニー]]、[[マイクロソフト]]、[[:en:Vudu|Vudu]]、[[:en:Fandango Media|FandangoNOW]]である<ref>{{Cite web|和書|author=Yuuki Honda|date=2019-12-05|url=https://kai-you.net/article/69843|title=ジブリが米国とカナダでダウンロード販売解禁 『もののけ姫』など21作品|website=KAI-YOU.net|publisher=[[KAI-YOU|株式会社カイユウ]]|accessdate=2020-01-21}}</ref>。 2020年に、[[Netflix]]は[[フランス]]の[[:en:Wild Bunch (company)|ワイルドバンチ]]より、アメリカと[[日本]]を除く世界約191か国での配信権を獲得。[[2月]]から[[4月]]にかけて21作品を順次配信すると発表した<ref group="注">[[カナダ]]については、[[6月]]から[[8月]]にかけて順次配信している。</ref><ref name=":0" /><ref name=":2" /><ref name=":3">{{Cite web|和書|title=外堀徐々に埋まる! Netflix、カナダでのスタジオジブリ作品の配信を開始|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1261018.html|website=GAME Watch|date=2020-06-24|accessdate=2020-06-26|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=和田拓也|date=2020.01.20|url=https://kai-you.net/article/71150|title=ジブリ作品がNetflixで配信決定 日本、アメリカ、カナダは対象外|website=KAI-YOU.net|publisher=[[KAI-YOU|株式会社カイユウ]]|accessdate=2020-01-21}}</ref>。 2022年11月11日、スタジオジブリはディズニー傘下の映画スタジオである[[ルーカスフィルム]]との共同による短編アニメーション『[[禅 グローグーとマックロクロスケ]]』を製作したことを発表し、同月12日から[[定額制動画配信サービス]]の[[Disney+]]にて配信を開始した。同作が配信される国と地域に日本も含まれるため、他社との共同製作ながらもスタジオジブリのアニメーション作品が日本の動画配信サービスで配信される初めての事例となった<ref name=":4">{{Cite web|和書 |title=スター・ウォーズ×スタジオジブリ、“世紀のコラボ”短編アニメーション制作 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2256757/full/ |website=ORICON NEWS |access-date=2022-11-12 |date=2022-11-12}}</ref><ref name=":5">{{Cite web|和書 |title=スタジオジブリと「スター・ウォーズ」のコラボ作品『禅 グローグーとマックロクロスケ』が11月12日17:00よりDisney+で独占配信 |url=https://jp.ign.com/zen-grogu-and-dust-bunnies/63791/news/11121700disney |website=IGN Japan |date=2022-11-12 |access-date=2022-11-12 |first=Bankhurst |last=Adam}}</ref>。 2023年5月25日、[[ロシア]]の国営[[通信社]]である[[タス通信]]は同国の動画配信サイト「キノポイスク」などで配信されているスタジオジブリ作品が同年6月以降は同国内で配信視聴できなくなることを報じた。2022年2月に開始した[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ウクライナ侵攻]]に伴い、配信権の更新が出来なかったものと推測されている<ref>{{Cite web|和書|title=ジブリ作品、ロシアから消える 惜しむ配信サイトは2円セール |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2023052600228&g=int |website=時事通信 |access-date=2023-05-26 |date=2023-05-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=宮崎アニメ、ロシアで視聴不能に 動画配信、契約切れで |url=https://nordot.app/1034606955276107946 |website=共同通信 |date=2023-05-26 |access-date=2023-05-26}}</ref>。その後、ロシアの配給会社「ロシアン・ワールド・ビジョン」が一部のスタジオジブリ作品の配給権を獲得し、視聴不可から一転して、継続になる見込みになったと同月26日に[[インテルファクス通信|インタファクス通信]]が報じた<ref>{{Cite web|和書|title=宮崎アニメ、ロシアで視聴継続へ 新配給元が映画10本権利獲得 |url=https://nordot.app/1034961134512734383 |website=共同通信 |date=2023-05-27 |access-date=2023-05-27}}</ref>。 2023年現在、前述の『禅 グローグーとマックロクロスケ』を除き、日本向けの動画配信ではダウンロードとストリーミング共に行われていない。2023年10月にスタジオジブリが定額制動画配信サービスの[[Hulu]]を運営している日本テレビ放送網の傘下に入ることを同年9月に発表したが、スタジオジブリの作品が同サービスにて配信される可能性について、スタジオジブリ社長に就任する予定の[[福田博之]](当時・日本テレビ専務)は「今のところ現状と何も変わっていない」と述べている<ref>{{Cite web|和書|title=日本テレビ、スタジオジブリを子会社化 社長を派遣 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC216NO0R20C23A9000000/ |website=日本経済新聞 |date=2023-09-21 |access-date=2023-09-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ジブリ作品のHulu配信、現時点では未定 「これから考えたい」 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0139125 |website=シネマトゥデイ |date=2023-09-21 |access-date=2023-09-22 |author=倉本拓弥}}</ref>。 なお、スタジオジブリ作品のうち、『[[火垂るの墓]]』は著作権の権利を[[新潮社]]と原作者の[[野坂昭如]]が保有しており、スタジオジブリは原作の出版権を保有していない事情から、インターネットでの動画配信の対象外となっている<ref name=":2" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ghibli.jp/copyright/|title=スタジオジブリ関連作品の著作権表示について|accessdate=2020年1月24日|publisher=株式会社スタジオジブリ}}</ref>。 === 声優の配役の特徴 === [[1980年代]]までは脇に俳優が起用されることもありつつ<ref group="注">[[寺田農]]など。</ref>、主役級には主に声優事務所に所属する専業声優が起用されていたが、[[1990年代]]以降の作品では主役や主要人物の声はテレビドラマ等で有名な俳優が多く起用されており<ref group="注">『[[おもひでぽろぽろ]]』・『[[耳をすませば]]』の[[本名陽子]]、『[[千と千尋の神隠し]]』の[[入野自由]]は現在は専業声優だが、出演当時は子役だった。</ref>、これらは往々にしてスタジオジブリ作品の特徴として語られるが、[[舘野仁美]]によれば「俳優さんの仕事の中で声の仕事だけが専門化していったのは、[[1970年代]]くらいから」であり、[[宮崎駿]]や[[高畑勲]]は「昔ながらのやり方で役に合う俳優さんを選んでいるだけ」であったという<ref>舘野仁美『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社)p184</ref>。また、宮崎は特に高畑のキャスティングのセンスには全幅の信頼を置いていたという。しかし、名前が売れている俳優を起用すればテレビ番組などで勝手に映画の宣伝をしてくれるため、宣伝費や広告費が必然的に浮くからとも[[鈴木敏夫]]は述べている。声優の選考に関して、『千と千尋の神隠し』の完成報告記者会見で宮崎は、「自分の中のイメージができあがったあと、プロデューサーが次々に持ってくる声から選んでいる」と答えている<ref>宮崎駿『折り返し点』岩波書店、2008年、247-248頁</ref>。 外国メディアからのインタビューの中では、「日本の女性声優はコケティッシュで男性の気を引きたがっているかのような声の持ち主しかいないので、(『[[ハウルの動く城]]』の荒地の魔女役について)我々は日本の女性声優をまったく欲しくなかった」と述べている<ref>{{cite news|url=https://www.theguardian.com/film/2005/sep/14/japan.awardsandprizes|publisher=guardian.co.uk|title=A god among animators|accessdate=2010-09-03}}</ref>。ドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(総計6時間40分)<ref>浦谷年良『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(徳間書店、1998年10月)が出版</ref>では、ナウシカ役などを演じた[[島本須美]]が、職業上の仮面を引き剥がせず宮崎の要求する演技に応えられない様子が収録されている。 『[[もののけ姫]]』以後も、役名がクレジットされないキャラクターに[[文学座]]所属の俳優<ref group="注">[[つかもと景子]](『もののけ姫』から『[[崖の上のポニョ]]』まで5作品に出演)、[[斉藤志郎]]、[[山像かおり]]、[[山田里奈]]、[[八十川真由野]]、[[山本道子 (女優)|山本道子]]、[[山本郁子 (女優)|山本郁子]]など(複数作品出演者のみ)、洋画から韓国ドラマの吹き替えで活躍している顔ぶれが並ぶ。</ref>が多く起用される傾向にある。<!-- また『[[水曜どうでしょう]]』がジブリのスタッフに人気があった縁で[[TEAM NACS]]のメンバーも『千と千尋の神隠し』([[大泉洋]]と[[安田顕]])、『ハウルの動く城』(全員)で起用されている。 --> === 後継者の育成 === もともと、スタジオジブリは『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』の商業的な成功をきっかけに設立されたプロダクションであり、当初は同作制作の中心人物であった[[宮崎駿]]や[[高畑勲]]が監督する長編[[アニメーション映画]]の制作を主力事業としていた。そのため、社内では常に宮崎・高畑を頂点にして回っている一面があった。しかし、[[1990年代]]の時点で宮崎・高畑両監督ともすでにベテランであり、とりわけ国民的映像作家としての地位を固めていた宮崎の後継者の確保はスタジオジブリの経営にとっては大きな長期的課題の1つであり、比較的早い段階からさまざまな試みがなされていた。スタッフの正社員登用の開始に併せて演出家育成を制度化し、[[村田和也]]らを輩出した。 [[1995年]]、[[近藤喜文]]監督作品『[[耳をすませば]]』が公開。近藤はスタジオジブリの設立以前から数多くの宮崎・高畑監督作品を支え、また当時のスタジオジブリ作画陣の代表格ともいえる敏腕アニメーター・キャラクターデザイナーとして、同作の成功により宮崎・高畑の最良の後継者と認知され、スタジオジブリの内外から大きな期待を集める存在になった。しかし、その近藤は[[1998年]]に47歳で病死してしまう。 その後のスタジオジブリでは、長編アニメーション映画で宮崎・高畑の後釜を担える力量を認められた監督候補推として近藤に代わるだけの人材が決定的に不足しており、組織内の人材育成も難航を極めていた。また、それまでも含めて育成だけではなく外部からも今までに主に若手・中堅世代で注目したクリエイターを何名か監督候補として招いて制作作業に携わらせているものの、スタジオジブリの社風に馴染めず降板したケースが少なくなかったという。過去には『[[天空の城ラピュタ]]』の次作に企画されていた『[[アンカー (映画)|アンカー]]』の[[押井守]]<ref group="注">宮崎は[[1987年]]公開の『[[紅い眼鏡/The Red Spectacles]]』のパンフレットに、自身が脚本で押井が監督するはずだった長編アニメーション映画がつぶれてスケジュールが空いたときに、2人で知床まで自動車旅行をした話を寄稿している。</ref><ref group="注">脚本は宮崎。宮崎の構想によると、舞台は当時の[[東京]]。お姫様のような不思議な少女が何者かに追われて、偶然に出会った少年がその少女を逃がすためにある場所まで送り届けると、また違う人間が別の場所まで送り届けるという恋愛要素を含んだ冒険もの。</ref><ref>「ダカーポ 第496号」</ref>、『[[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]』の[[片渕須直]]、『[[ハウルの動く城]]』では[[東映アニメーション|東映動画]]から<ref group="注">宮崎・高畑も東映動画からキャリアをスタートしており、後輩にあたる。</ref>出向していた[[細田守]]の降板などが伝えられている。劇場長編[[実写|実写映画]]では、『[[式日]]』の[[庵野秀明]]と『[[サトラレ|サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS]]』の[[本広克行]]を制作し、こちらは公開している<ref group="注">これ以前に、スタジオジブリと合併した[[二馬力]]で製作が宮崎、監督が高畑で1987年公開の実写映画『[[柳川堀割物語]]』を制作している。</ref>。 このような状況を指して、庵野は[[1996年]]の時点で既に「宮さん(宮崎)におんぶにだっこのジブリの環境では、後継者は育ちませんよ」<ref>『Quick Japan』[[太田出版]]、1996年Vol.9。[[大泉実成]]編集『庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン』太田出版、1997年に再録。</ref>と指摘しており、のちには「当のジブリ経営陣であるはずの[[鈴木敏夫]]をして、ジブリは宮崎と高畑の2人のためのスタジオであり、人材が育つわけがない」と発言している。鈴木はスタジオジブリの若手・中堅世代のアニメーター育成のために[[テレコム・アニメーションフィルム]]からベテランアニメーターの[[大塚康生]]<ref group="注">東映動画での宮崎・高畑の先輩であり、数多くの作品でともに仕事をしてきた。また、宮崎・高畑の指導者的な立場でもあった。</ref>を招聘したが、その大塚の主なアドバイスは「宮さんの言うことは、右から聞いたら左へ流しなさい。自分の好きなように描け」というものであったといい、前述の近藤はその発言を受け入れたことで頭角を現した1人だったという<ref>[https://www.1101.com/ghibli/2004-07-27.html ほぼ日刊イトイ新聞 - ジブリの仕事のやりかた。]</ref>。近藤没後の[[2001年]]、『[[千と千尋の神隠し]]』の作画監督をした[[安藤雅司]]もまた「ある意味、ジブリを壊していかなくてはいけない」と、スタジオジブリの方法論に従うだけの現状を危惧し、実際に制作中スタジオジブリの外からアニメーターを積極的に受け入れるなどしていた<ref>『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』 p75-82</ref>。 鈴木は[[2006年]]、『[[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]]』の制作にあたって、当時[[三鷹の森ジブリ美術館]]の館長でそれまでアニメーション制作の仕事は実質未経験であった宮崎の長男の[[宮崎吾朗]]を監督に起用する人事を行った。これは鈴木が「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め宮崎や高畑が高齢であるため」と発表当初のインタビューで述べており、つまりは事実上の後継者の育成の一策として起用したものであると認めている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interview_20051226.htm |title=世界一早い「ゲド戦記」インタビュー 鈴木敏夫プロデューサーに聞く |accessdate=2008-10-05 |format= |work=yomiuri.co.jp }}</ref>。しかし、この吾朗の監督起用については、宮崎と鈴木の意見が真っ向から対立しており、[[2010年]]にも鈴木は質疑応答の中で「宮崎はいまだに『ゲド戦記』を吾朗くんに撮らせたことについて、僕のことを許していないんですよ」と明かしている<ref name="eigacom20101216">{{Cite web|和書|date=2010-12-16 |url=https://eiga.com/news/20101216/1/ |title=宮崎駿監督、「コクリコ坂から」吾朗監督に「映画監督は2本目が大事」|accessdate=2011-02-12 |format= |work=eiga.com }}</ref>。 [[2009年]]頃からは、宮崎の主導によるスタジオジブリ経営5か年計画がスタート。最初の3年間は若手の起用<ref group="注">企画と脚本だけは宮崎が用意。</ref>、最後の2年間は超大作の制作に充てるというプランで、この計画の第1弾としてスタジオジブリ生え抜きの[[米林宏昌]]の『[[借りぐらしのアリエッティ]]』が、第2弾として吾郎の『[[コクリコ坂から]]』が制作された<ref name="eigacom20101216" />。超大作として『[[風立ちぬ (2013年の映画)|風立ちぬ]]』が制作され、宮崎は長編映画からの引退を発表<ref group="注">ただし、のちに撤回している。</ref>。[[2014年]]には『[[思い出のマーニー]]』制作終了後に制作部門が解体され<ref name="名前なし-1"/>、以降の長編アニメーション映画は、他のアニメーションスタジオと同じようにフリーのアニメーターを作品ごとに集め制作するスタイルに変わり、その最初の作品である『[[レッドタートル ある島の物語]]』は、海外のアニメーターである[[マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット]]を監督に抜擢している。 『借りぐらしのアリエッティ』を試写室で観た宮崎の第一声は、「ジブリ育ちの演出がはじめて誕生した」<ref>借りぐらしのアリエッテイ劇場用色紙</ref>とコメントを寄せている。宮崎・高畑は東映アニメーション出身、他の監督たちも他社からの移籍であり、純粋なスタジオジブリ出身の監督としては米林が初となった。 他方で鈴木は、経営再建中だった[[徳間書店]]の傘下から[[2005年]]にスタジオジブリが独立した際の資本金が1000万円であったのは、それが宮崎、高畑、鈴木の3人で拠出できる金額であったからで、宮崎と高畑の2人が引退したらスタジオジブリも終わるのが基本という旨のことも述べている<ref>「ザ・要注意人物 鈴木敏夫」『[[サイゾー]]』インフォバーン、2006年6月号</ref>。 [[2016年]]には、鈴木と鈴木の下で仕事を学んだ[[石井朋彦]]により、スタジオジブリ初の公開師弟対談が行われた。 === ロケーション・ハンティング === スタジオジブリでは、制作にあたって多くの作品で[[ロケーション・ハンティング]]を行ってきた。ただし、それらはあくまで架空世界のイメージを得るためであり、客観的現実世界をなぞった設定を作るためではない。実在の風景もまた、原作に向き合う態度と同様に、インスピレーションを得るための素材に過ぎない。[[宮崎駿]]は、ロケーション・ハンティング中に写真を撮る習慣がないとも言われている。あくまで自己の両眼で確認した情報・印象を主観的に記憶する思考パターンであるという<ref> 2001年7月31日発行『別冊 COMIC BOX vol.6/千と千尋の神隠し 千尋の大冒険』掲載:『宮崎駿の創作論―または再構築作家としての肖像―』文:[[叶精二]]</ref>。 一方で、[[高畑勲]]は[[リアリズム]]を重視し、『[[火垂るの墓]]』や『[[平成狸合戦ぽんぽこ]]』などでは現実舞台に忠実な物語を展開した。 == 関連展覧会・イベント == === 展覧会 === ; ジブリがいっぱい スタジオジブリ原画展 : [[1996年]][[8月31日]]から[[9月16日]]、[[日本]]全国の[[三越]]で開催。『[[もののけ姫]]』までの原画が展示された。[[徳間書店]]と[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]との業務提携およびスタジオジブリ作品の世界進出のニュースが大きな話題となった。 ; ジブリがいっぱい スタジオジブリ立体造型物展 : [[2003年]][[6月14日]]から[[9月7日]]、[[東京都現代美術館]]で開催。『[[ハウルの動く城]]』までの世界を立体造型物として再現しており、公開当時の新聞記事と一体化したディスプレイが展示された。この展覧会では、22万人以上の動員を記録した。 ; [[男鹿和雄#展覧会|ジブリの絵職人 男鹿和雄展]] : [[2007年]][[7月21日]]から[[2010年]][[2月7日]]、東京都現代美術館や[[松坂屋|松坂屋美術館]]など計9か所で開催された。東京都現代美術館では30万人に迫る動員を記録した。 ; [[スタジオジブリ・レイアウト展]] : [[2008年]][[7月26日]]から[[2011年]][[11月27日]]、東京都現代美術館や[[大阪文化館・天保山|サントリーミュージアム]]など計9か所で開催された。東京都現代美術館では12万5000人以上の動員を記録した。『[[崖の上のポニョ]]』<ref group="注">[[2010年]]頃の会場からは『[[借りぐらしのアリエッティ]]』も。</ref>までの原画やレイアウト約1300点が展示された。 ; 借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展 : 2010年[[7月17日]]から[[10月3日]]、東京都現代美術館で開催された。 ; [[近藤勝也#展覧会|ジブリの動画家 近藤勝也展]] : [[2012年]][[7月20日]]から[[8月26日]]、[[新居浜市立郷土美術館]]で開催された。 ; 新潟が生んだジブリの動画家 近藤喜文展 : [[2014年]][[7月4日]]から8月31日、[[新潟県立万代島美術館]]で開催された。 ; ジブリの立体建造物展 : 2014年[[7月10日]]から[[12月14日]]、[[江戸東京たてもの園]]で開催された。解説は、建築家である[[藤森照信]]が担当した。 ; スタジオジブリ『思い出のマーニー』監督 米林宏昌原画展 : 2014年[[7月18日]]から[[7月28日]]、[[西武百貨店|西武池袋本店]]で開催された。 ; 思い出のマーニー×種田陽平展 : 2014年[[7月27日]]から[[9月15日]]、[[東京都江戸東京博物館]]で開催された。 ; この男がジブリを支えた。近藤喜文展 : [[2015年]][[8月4日]]から[[9月27日]]、[[香川県立ミュージアム]]で開催された。 ; ジブリの大博覧会 : 2015年[[9月12日]]から[[11月8日]]、[[愛・地球博記念公園]]で開催された。このイベントが2022年11月1日に同公園内にオープンした[[ジブリパーク]](後述)誘致のきっかけとなった。 ; ジブリの“大じゃない”博覧会 : [[2020年]][[7月22日]]から[[9月3日]]、[[愛知県美術館]]で開催された。 ; アニメージュとジブリ展 : [[2021年]][[4月15日]]から[[5月5日]]、[[松屋 (百貨店)|松屋銀座]]で開催された。 ; ジブリパークとジブリ展 : [[2022年]][[7月16日]]から[[10月10日]]、[[長野県立美術館]]で開催された。その後、愛知県美術館、[[熊本県立美術館]]、[[神戸市立博物館]]、[[山口県立美術館]]を巡る。 ; 金曜ロードショーとジブリ展 : [[2023年]][[6月29日]]から[[9月2日]]、[[寺田倉庫]]と[[10月7日]]から[[2024年]][[1月28日]]、[[富山県美術館]]で開催される<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2284853/full/|title=『金曜ロードショーとジブリ展』あす開幕 巨大・王蟲や人気作品のフォトスポットも登場|newspaper=[[オリコン|ORICON NEWS]]|date=2023-06-28|accessdate=2023-07-04}}</ref>。2024年春以降、全国各地で開催予定。 === イベント === ; スタジオジブリ総選挙 : 『[[レッドタートル ある島の物語]]』の公開を記念したスタジオジブリ総選挙が行われた。イベントは、[[2016年]][[8月13日]]午前0時から[[8月28日]]午後12時59分までの期間内に同作の公式サイト内の特設ページにて投票を募集し、『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』から『[[思い出のマーニー]]』までのスタジオジブリ長編[[アニメーション映画]]全21作品の中で、最も得票数が多かった1作品を全国5都市5劇場<ref group="注">[[札幌シネマフロンティア]]、[[TOHOシネマズ六本木ヒルズ]]、[[TOHOシネマズ名古屋ベイシティ]]、[[TOHOシネマズ梅田]]、[[TOHOシネマズ天神]]。</ref>で上映するという内容である<ref>{{Cite web|和書|title=「スタジオジブリ総選挙」開催 「ラピュタ」「トトロ」など21作品から選ばれたものを劇場で上映|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1608/12/news091.html|website=ITmedia NEWS|accessdate=2021-02-28|language=ja}}</ref>。中間発表では、上位5作品が『風の谷のナウシカ』、『[[天空の城ラピュタ]]』、『[[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]』、『もののけ姫』、『[[千と千尋の神隠し]]』であることが発表された<ref>{{Cite web|和書|title=ジブリ総選挙、中間発表!上位5作品はコレだ!|シネマトゥデイ|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0085448|website=シネマトゥデイ|accessdate=2021-02-28|language=ja}}</ref>。この5作品は、全て[[宮崎駿]]監督作品である。そして、[[9月]]には最終結果が発表され、1位に輝いた『千と千尋の神隠し』が1週間限定で全国5都市5劇場でリバイバル上映された<ref>{{Cite web|和書|title=『ジブリ総選挙』1位は『千と千尋の神隠し』、全国5都市で再上映|url=https://www.cinra.net/news/20160906-studioghiblisousenkyo|website=CINRA.NET|accessdate=2021-02-28|language=ja}}</ref>。 : なお、2位以下の作品の順位は未発表であるため不明となっている。 : ; 一生に一度は、映画館でジブリを。 : 2020年、「一生に一度は、映画館でジブリを。」と題し、『風の谷のナウシカ』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』、『[[ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記]]』の4作品が全国の劇場でリバイバル上映された<ref>{{Cite web|和書|title=「一生に一度は、映画館でジブリを。」全国でスタジオジブリ4作品が劇場上映されます - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI|url=https://www.ghibli.jp/info/013278/|website=www.ghibli.jp|accessdate=2020-10-25|language=ja|first=Shinichi|last=Takai}}</ref>。初週末の映画ランキングでは上位3位をこれらが独占するなど、[[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]感染拡大の中、異例の大ヒットを記録した<ref>{{Cite web|和書|title=ジブリ名作のリバイバル上映はなぜ成功した? コロナ影響下の映画館で再確認できたコンテンツの魅力|url=https://realsound.jp/movie/2020/07/post-582026.html|website=Real Sound|accessdate=2021-11-10|language=ja}}</ref>。 == 関連施設・店舗 == === 施設 === ; [[三鷹の森ジブリ美術館]] : [[ファイル:Ghibli museum.png|thumb|[[三鷹の森ジブリ美術館]]]][[2001年]][[10月1日]]オープン。スタジオジブリの世界を展示している。また、毎年内容が変わる企画展も好評である。 ; [[サツキとメイの家]] : [[ファイル:Satsuki and Mei's House 01.JPG|thumb|[[サツキとメイの家]]]][[2005年日本国際博覧会|愛・地球博]]の目玉パビリオンとして[[2005年]]竣工。『[[となりのトトロ]]』の草壁家を忠実に再現している。愛・地球博終了後も会場跡地に整備された愛・地球博記念公園内で引き続き公開されていたが、後述のジブリパークの工事のため、[[2020年]]7月13日から[[2022年]]10月31日まで一時公開を中止。2022年11月1日のジブリパークオープンと同時に「どんどこ森」エリアのメイン施設として公開を再開した。 ; [[ジブリパーク]] : [[File:ジブリパーク青春の丘.jpg|thumb|[[ジブリパーク]](青春の丘エリア)]]2022年11月1日に[[愛知県]][[長久手市]]の[[愛・地球博記念公園]]内に開園。「青春の丘」「ジブリの大倉庫」「どんどこ森」の3エリアが先行開園し、2023年秋頃に「もののけの里」「魔女の谷」の2エリアが開園する予定<ref>{{cite news |author= |url=https://www.chunichi.co.jp/article/410794 | title=「もののけの里」「魔女の谷」整備へ ジブリパーク・第2期 | newspaper=中日新聞 | date=2022-2-2 | accessdate=2022-2-2 }}</ref>。 === 店舗 === [[日本]]各地にスタジオジブリグッズを販売する専門店は多数ある。[[東京駅]]八重洲口地下の[[東京キャラクターストリート]]内に営業するどんぐりガーデン、[[名古屋市]]に営業するめっせ、[[日向市]]に営業するむさしや<ref group="注">[[宮崎市]]にもあったが閉店した。</ref>、[[鹿児島市]]に営業するあみゅの森、[[高知市]]や[[宮崎市]]などに営業するどんぐり共和国などである。また、[[金曜ロードショー]]でスタジオジブリ作品を独占的に放映する[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のグッズを扱う[[日テレ屋]]でも、スタジオジブリグッズが販売されている。 一方で、[[ゲーマーズ]]や[[アニメイト]]ではほとんどスタジオジブリグッズが販売されていない<ref group="注">アニメイトでは、グループ企業の[[ムービック]]が関わるグッズのみ販売。</ref>。 == スタッフ・OBが独立・起業した会社 == === 現在 === * [[STUDIO 4℃|スタジオよんどしい]] - ラインプロデューサーを務めた[[田中栄子 (プロデューサー)|田中栄子]]が[[森本晃司 (アニメーター)|森本晃司]]と共に設立。 * [[作楽クリエイト]] - アニメーターを務めた伊藤秀樹が設立。旧法人は2021年に閉鎖し、同年に同社東京スタジオを母体とした同名の新法人が設立されている。 * [[インスパイアード]] - 出身である[[増山修]]が[[DIRECTIONS|ディレクションズ]]を経て設立。 * [[スタジオポノック]] - プロデューサーを務めた[[西村義明]]が設立。 * [[えかきや]] - 出身である[[小林美代子]]が設立。 === 過去 === * [[ムークアニメーション]] - アニメーターを務めた[[百瀬義行]]が熊瀬哲郎と共に設立。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{Reflist|3|refs= <ref name="ghibli_20210210">{{Cite web|和書 |url=https://www.ghibli.jp/info/013431/ |title=「野中くん発 ジブリだより」2021年2月号 |author=野中晋輔 |publisher=スタジオジブリ |date=2021-02-10|accessdate=2022-02-08}}</ref> }} == 関連項目 == * [[三鷹の森ジブリ美術館]] * [[ジブリパーク]] * [[スタジオジブリ・レイアウト展]] * [[スタジオジブリの歌]] * [[徳間ジャパンコミュニケーションズ]] * [[徳間記念アニメーション文化財団]] * [[アニメ制作会社一覧]] * [[日本テレビ放送網]] - 親会社 == 外部リンク == {{Commonscat}} * {{Official website|name=スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI}} - 公式ウェブサイト * {{Mediaarts-db}} {{スタジオジブリ}} {{日本テレビ放送網}} {{日本動画協会}} {{日本のアニメ制作会社}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:すたしおしふり}} [[Category:スタジオジブリ|*]] [[Category:日本のアニメスタジオ]] [[Category:小金井市の企業]] [[Category:1985年設立の企業]] [[Category:徳間書店の歴史]] [[Category:日本テレビ放送網]]
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魔女の宅急便
『魔女の宅急便』(まじょのたっきゅうびん)とは、角野栄子による児童書(児童文学)である。宮崎駿監督によって1989年にアニメ映画化版が制作された。また2014年、清水崇監督により実写映画化された(主演・小芝風花、詳細節参照)。 シリーズ1作目『魔女の宅急便』は、主人公のキキが親元を離れ、知らない町で魔女として一人立ちする姿を描く。オリジナルは1982年から1983年にかけて『母の友』に連載された。その後シリーズ化されており、福音館書店から刊行されている。表紙画、挿画は第1巻が林明子、第2巻が広野多可子、第3 - 6巻は佐竹美保がそれぞれ手がけた。英語、イタリア語、中国語、スウェーデン語版も出版されている。2009年10月、最終巻『魔女の宅急便その6 それぞれの旅立ち』が刊行され、24年に亘って描かれた同シリーズは完結した。その後『魔女の宅急便特別編』として3冊が刊行されている。 1989年度制作のスタジオジブリのアニメ映画。本作の第1巻の前半部分を原作として制作された 童話ならではのファンタジー性が濃い作風である原作から一転し、主人公キキの持つ魔女由来の飛行能力をあくまで「人が持つ才能・特技の一種」として位置づけ、少女が特技を活かして独り立ちをしていくという現実的な視点に立った作風に描いており、映画オリジナルの要素が多い。 スタジオジブリとして4作目にあたる映画であり、観客動員数は『天空の城ラピュタ』の77万人、『となりのトトロ』『火垂るの墓』の80万人から、本作は264万人となり、スタジオジブリの知名度と人気を一挙に押し上げた作品である。 角野はアニメ映画化に際し、当初は唯一の注文として「キキが旅立つ時にキキの故郷の木に付けられていた鈴を鳴らすこと」のみを求めていた。その後制作が進むに連れ内容が大きく変わることに否定的になったが、宮崎と角野が数回対談し解決された。 1993年に横内謙介脚本、蜷川幸雄演出、宇崎竜童音楽によるミュージカル作品が制作された。 2017年に岸本功喜の脚本・演出による新たなミュージカル版を制作。 2016年に劇場アニメ『魔女の宅急便』の舞台化作品が、イギリスのサザーク・プレイハウスで12月8日から2017年1月8日まで上演。監督ケイティ・ヒューイット、脚色ジェシカ・シアン。 2014年3月1日公開の実写版日本映画。アニメ版のリメイクではなく、原作の第1巻・第2巻を基とした実写化であり、全編を通して原作者の角野栄子がナレーションを担当、カメオ出演もしている。 正式な制作発表に先立ち、2013年4月11日、スタジオジブリのアニメ作品を元とした実写リメイク映画が企画されていると一部で報道されたが、スタジオジブリ側はこれを否定し、実写作品の製作には関わっていないことを表明している。その後、同年4月24日にアニメではなく大元の小説を原作とする実写映画版が『呪怨』などを手がけた清水崇の監督で制作されることと、主演が制作当時16歳の小芝風花であることが発表された。小芝にとっては初主演作品となる。 プロデューサーの森重晃は、清水起用の理由を、他の数名の監督候補と比較して、作品に対するモチベーションの高さと、ホラー映画でのVFX使用のセンスなどを評価したためとしている。制作にあたり、監督の清水は、世界的に評価されているアニメ版により、大衆のイメージが固まっている中で実写版に挑戦することは「無謀」であるとしながらも「だからこそ挑戦したい」といい、映画オリジナルの世界観を時間をかけて見出したと語っている。 小芝は500人以上が参加したオーディションによって選ばれている。キャスティングに対してはインターネットを中心に議論が起き、一部の者が小芝のブログに批判を書きこんだこともあった。監督の清水は「直前まで違う子がイチオシだったりしましたが、その後、ひっくり返りました。最終的には、彼女じゃないと、撮りたくないってところまでいったんです」と、いきさつを語る。 撮影は同年5月23日から東映東京撮影所で開始され、キキの実家などをスタジオ撮影しているほか、5月30日より香川県の小豆島にて、地中海の雰囲気を持つ場所にオープンセットを設置してのロケーション撮影が行われている。6月7日に行われたロケ現場のマスコミ公開には原作者の角野も訪れ、実写化については自らも望んでいたことであるといって、アニメやミュージカル化などを含めて「いろいろなキキがあっていいと思います」とコメントし、実写化ならではのドラマティックな解釈に期待を寄せた。 小芝の演じるキキのビジュアルは、清水のアイデアにより「野生児」っぽさをイメージして、切りっぱなしに見える髪型を採用している。角野はそんな小芝について「すごくかわいらしくてイメージ通りです。今まで生身のキキを見たいとずっと思っていました」「風花さんに会って、ひとみの中に強い意志と何か憂いがひそんでいるのを見たとき、この人からどんなキキが生まれてくるかと、心がときめきました」「スケートできたえたという体で、どんな飛び方を見せてくれるでしょう。たのしみです。『風』という字をすでに持っている風花さん、この『魔女の宅急便』という映画をほうきにして、大きな世界に旅立って下さい」とコメントした。 なお、本作制作の数年前には原作を基としたハリウッドによる実写映画化の企画があったが、実現しなかったことが明らかになっている。 日本公開では全国281スクリーンで封切られ、2014年3月1日・2日の初週2日間の成績は動員11万6,857人、興収1億2,766万300円で全国映画動員ランキング(興行通信社調べ)3位を記録。ファミリー層をはじめとする幅広い観客を集め、大人6に対し子供4、男女比は4対6で、子供層では特に女児に訴求した結果となった。 日本以外では、2014年4月17日に香港、同年6月に台湾、同年10月にスペインで公開されるほか、シンガポール、インドネシア、ベトナム、ドイツでも公開が予定されている。 日清食品のカップ麺「カップヌードル」のテレビCMシリーズ『HUNGRY DAYS』第1弾として、2017年に本作品を翻案する形で作成された。 「もしキキがこの現代で17歳の女子高校生になって高校生活を送っていたら?」というコンセプトの元、横浜に住む高校生のキキとトンボの恋愛模様を描いており、キャラクターデザインを窪之内英策が担当、CMソングとしてBUMP OF CHICKENがオリジナル楽曲「記念撮影」を提供している。 横浜で黒猫のジジと一緒に住む17歳の女子高生、キキ。ある日、淡い恋心を抱く幼なじみのトンボが後輩の女子に告白されるのを見かけてしまう。心がざわつき、トンボと過ごした日々がフラッシュバックした刹那、キキは意を決する。 まず、書籍の題号は、登録商標としては扱っていないため対象外である。そして、特許庁では「魔女の宅急便」と「宅急便」を異なる言葉として扱っていて、「宅急便」はヤマト運輸(現:ヤマトホールディングス)が1979年4月27日に、「魔女の宅急便」はスタジオジブリが1992年10月30日にそれぞれ登録している。 また、タイトルが「ヤマト運輸の商標権に触れて問題になった」と一部で話題になった。原作者の角野栄子は「宅急便」を「普通名詞だと思っていた」といい、ヤマト運輸の登録商標だとは知らなかったためで、雑誌連載からの単行本化で第1巻の刊行時に、ヤマト運輸から「宅急便は登録商標だから使用禁止」とクレームが入ったものの「『魔女の』を冠した本なので問題はないということになり、一件落着しました」と後に角野は講演で明かしている。アニメ映画版にはヤマト運輸が映画に協賛し製作委員会に参加した(アニメ映像をそのまま同社の広告・CMに起用した)ほか、実写映画版においてもヤマトホールディングスが特別協力に名を連ねた。
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『魔女の宅急便』(まじょのたっきゅうびん)とは、角野栄子による児童書(児童文学)である。宮崎駿監督によって1989年にアニメ映画化版が制作された。また2014年、清水崇監督により実写映画化された(主演・小芝風花、詳細節参照)。 シリーズ1作目『魔女の宅急便』は、主人公のキキが親元を離れ、知らない町で魔女として一人立ちする姿を描く。オリジナルは1982年から1983年にかけて『母の友』に連載された。その後シリーズ化されており、福音館書店から刊行されている。表紙画、挿画は第1巻が林明子、第2巻が広野多可子、第3 - 6巻は佐竹美保がそれぞれ手がけた。英語、イタリア語、中国語、スウェーデン語版も出版されている。2009年10月、最終巻『魔女の宅急便その6 それぞれの旅立ち』が刊行され、24年に亘って描かれた同シリーズは完結した。その後『魔女の宅急便特別編』として3冊が刊行されている。
{{Otheruses|児童書および関連作品|そのうちの一つであるアニメ映画|魔女の宅急便 (1989年の映画)}} {{Portal|文学}} 『'''魔女の宅急便'''』(まじょのたっきゅうびん)とは、[[角野栄子]]による児童書([[児童文学]])である。[[宮崎駿]]監督によって[[1989年]]にアニメ映画化版が制作された。また2014年、[[清水崇]]監督により実写映画化された(主演・[[小芝風花]]、[[#実写映画|詳細節参照]])<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/04/24/kiji/K20130424005669450.html |title=「魔女の宅急便」初の実写映画化 ヒロインは武井咲“妹”の小芝風花|newspaper=[[スポーツニッポン]]|cite=スポニチアネックス|date=2013-4-24|accessdate=2013-5-9}}</ref>。 シリーズ1作目『魔女の宅急便』は、主人公の'''キキ'''が親元を離れ、知らない町で[[魔女]]として一人立ちする姿を描く。オリジナルは[[1982年]]から[[1983年]]にかけて『[[母の友]]』に連載された。その後シリーズ化されており、[[福音館書店]]から刊行されている。表紙画、挿画は第1巻が[[林明子]]、第2巻が[[広野多可子]]、第3 - 6巻は[[佐竹美保]]がそれぞれ手がけた。[[英語]]、[[イタリア語]]、[[中国語]]、[[スウェーデン語]]版も出版されている。2009年10月、最終巻『魔女の宅急便その6 それぞれの旅立ち』が刊行され、24年に亘って描かれた同シリーズは完結した<ref>[http://kiki-jiji.com/book/book-majo 角野栄子ホームページ 魔女の宅急便コーナー]</ref>。その後『魔女の宅急便特別編』として3冊が刊行されている<ref>[http://www.fukuinkan.co.jp/ninkimono/detail.php?id=11 福音館書店 みんなの人気者「魔女の宅急便」コーナー]</ref>。 == あらすじ == ;魔女の宅急便(第1巻) :主人公である魔女の少女キキは、13歳になったら魔女の修行のためよその町に移り住み独り立ちするというしきたりに従い、満月の夜、相棒の黒猫ジジと共に、新たな街を探して旅立った。 :紆余曲折を経て、定住先に決めたコリコの町のパン屋「グーチョキパン店」のおかみ・おソノさんに気に入られ、彼女の厚意でパン屋に居候させてもらったキキは、唯一のとりえである空飛ぶ魔法を活かして空飛ぶ宅急便屋を開業する。次々に舞い込むお届け物の仕事や飛行クラブの少年とんぼとの出会いなどの様々な出来事を経験していき、やがて1年目の里帰りを迎える。 ;魔女の宅急便 <その2>キキと新しい魔法(第2巻) :コリコの町での暮らしも2年目を迎え、キキは町の人々たちともすっかり打ち解けるようになった。そんな中、キキは魔女として生きることを止めるか否かを思い悩むほどの重大な問題に直面する。 ;魔女の宅急便 <その3>もうひとりの魔女(第3巻) :コリコの町での暮らしも3年目となり、16歳となったキキの元に、ケケと名乗る12歳の謎の魔女が転がり込む。ケケに振り回され時に傷つきながらも成長していくキキを通じ、2人の少女の自立の過程が描かれる。 ;魔女の宅急便 <その4>キキの恋(第4巻) :17歳になり、とんぼのことを異性として意識し始めたキキの恋模様が描かれる。 ;魔女の宅急便 <その5>魔法のとまり木(第5巻) :遠距離恋愛ゆえのとんぼとのすれ違いや魔法の力の低下、ジジとの意思疎通の不能など、19歳の大人となったキキに様々試練が訪れる。 ;魔女の宅急便 <その6>それぞれの旅立ち(第6巻) :第5巻の物語から13年後、キキはとんぼと結婚し二児の母親となっていた。 :キキの子供である双子の姉弟の姉ニニは魔女の血を受け継ぎながらも魔女になることに興味はなく、反対に双子の弟トトはそもそもなれやしない魔女に興味津々で男の子だから魔女にはなれないという現実が不満でならない。そんな葛藤や悩みを抱えつつ13歳を迎えた2人の子供たちと我が子を見守るキキ、そしてコリコの町の人々。それぞれの成長と旅立ちを描く完結編。 ;魔女の宅急便 特別編 キキに出会った人びと :グーチョキパン店のおソノさんの幼少時代からキキとの出会いまでを始め、コリコの町を彩った多彩なわき役たちや名もないコリコの住人たちをメインに据えて語られるサイドストーリー集。 ;魔女の宅急便 特別編 その2 キキとジジ :赤ちゃん時代から魔女になることを決意する10歳までのキキと黒猫ジジとの関わりを描く。 ;魔女の宅急便 特別編 その3 ケケと半分魔女 :本編第3巻に登場したケケが大人になって書いた「半分魔女―もうひとつのものがたり」という物語。4歳のときに母を亡くした少女タタは、母の遺した「おわりのとびら」という本を屋根裏部屋で見つけ「半分を探す旅」に出る。 == 登場人物 == ; キキ : 本作の主人公。魔女と普通の人間の間に生まれた少女。10歳を過ぎた頃に魔女として生きることを決意したため、しきたりに則って13歳の春の満月の夜、魔女の住んでいない町で独り立ちすべく相棒の黒猫ジジと共に旅立った。最初に着いたコリコの町で人々のキキに対する反応が冷たいことに戸惑うが、ふとしたきっかけから定住を決める。その後グーチョキパン屋というパン屋に居候し、粉置き場を改装して「魔女の宅急便」を開業。様々な出来事を経験しながら魔女として、1人の少女として成長していく。 :[[2月2日]]生まれ。15歳までは飛ぶことしかできなかったが、母コキリに習ってくしゃみの薬も作れるようになる。 ; ジジ : キキの相棒の[[黒猫]]。キキと同じ時期に生まれた{{Efn2|第1巻10 - 11頁参照。なおキキの誕生日は[[2月2日]]であることが第5巻249頁で明らかになっている。}}。キキの魔法で会話しているが、キキ以外の人間とは会話できない。キキの魔法力が弱まると会話ができなくなる{{Efn2|第5巻第6-8章で実際に発生している。}}。 ; オキノ : キキの父親。普通の人間で、民俗学者。妖精や魔女の伝説や民話について研究している。 ; コキリ : キキの母親。古い血筋の魔女。ほうきに乗って空を飛ぶことの他に「くしゃみの薬」{{Efn2|化学的に考えると、くしゃみを誘発する[[ジフェニルクロロアルシン]]、[[ジフェニルシアンアルシン]]などのいわゆる「くしゃみガス」の解毒剤と考えてもよい。}}を作る魔法を受け継いでいる。 ; おソノ : グーチョキパン屋のおかみさん。コリコの町に着いたばかりで泊まる所もなく、1人途方に暮れていたキキをパン屋に居候させる。キキが来た直後にノノちゃんという女の赤ちゃんを出産する。 ; おソノさんのだんなさん : パン職人。無口。フクオという名前だが、名前は4巻まで出てこない。 ; トンボ : 飛行クラブに所属するメガネの少年。キキより1歳年上で、「トンボさん」と呼ばれている。飛行クラブはじゅうたんや箒など非科学的な物で飛ぶ方法を研究していたが、これらの研究が失敗に終わったため{{Efn2|第1巻114頁でキキがとんぼさんにこれら研究が絶対に成功しないことを裏付けるセリフを残している。}}、15歳の夏に科学的な[[ハンググライダー]]飛行を行ったのを最後に、[[物理学]]から[[生物学]]に転向し、17歳の秋から21歳の春までの3年半、コリコの西のナルナの技術学校{{Efn2|第3巻313頁に進学先が、第4巻25・183頁に都市名とコリコからの方角が記載されている。}}で[[生物学]]を専攻し、卒業後はコリコに戻り中学校の生物教師となる。5巻と6巻の間でキキと結婚し、ニニとトトという双子が生まれる。 ; ニニとトト : キキととんぼの間に生まれた双子の姉弟で、6巻の主人公。[[12月28日]]生まれ。 : ニニは明るくお転婆な性格だが、トトは物静かな性格。 : ニニの相棒の猫はブブ、トトの相棒の猫はベベ。 == 書誌情報 == * 魔女の宅急便 **[[1985年]][[1月25日]][[初版]]発行。ISBN 978-4-8340-0119-8。 ** 福音館文庫版 [[2002年]][[6月20日]]初版発行。 ** [[角川文庫]]版 [[2013年]][[4月25日]]初版発行。 * 魔女の宅急便その2 キキと新しい魔法 **[[1993年]][[6月30日]]初版発行。ISBN 978-4-8340-1174-6。 ** 福音館文庫版 [[2003年]][[6月20日]]初版発行。 ** 角川文庫版 2013年[[5月22日]]初版発行。 * 魔女の宅急便その3 キキともうひとりの魔女 **[[2000年]][[10月20日]]初版発行。ISBN 978-4-8340-1704-5。 ** 福音館文庫版 [[2006年]][[10月20日]]初版発行。 ** 角川文庫版 2013年[[7月25日]]初版発行。 * 魔女の宅急便その4 キキの恋 **[[2004年]][[3月10日]]初版発行。ISBN 978-4-8340-0586-8。 ** 福音館文庫版 [[2012年]][[5月10日]]初版発行。 ** 角川文庫版 2013年[[9月25日]]初版発行。 * 魔女の宅急便その5 魔法の止まり木 **[[2007年]][[5月20日]]初版発行。ISBN 978-4-8340-2263-6。 ** 福音館文庫版 2013年[[2月10日]]初版発行。 ** 角川文庫版 2013年[[11月22日]]初版発行。 * 魔女の宅急便その6 それぞれの旅立ち **[[2009年]] [[10月7日]]初版発行。ISBN 978-4-8340-2466-1。 ** 福音館文庫版 2013年[[3月10日]]初版発行。 ** 角川文庫版 2013年[[12月25日]]初版発行。 * 魔女の宅急便特別編 キキに出会った人びと  **[[2016年]] [[1月25日]]初版発行。ISBN 978-4-8340-8236-4。 * 魔女の宅急便特別編その2 キキとジジ  **[[2017年]] [[5月25日]]初版発行。ISBN 978-4-8340-8338-5。 *魔女の宅急便特別編その3 ケケと半分魔女 **2022年 1月15日初版発行。ISBN 978-4-8340-8643-0。 == アニメ映画 == {{main|魔女の宅急便 (1989年の映画)}} 1989年度制作の[[スタジオジブリ]]のアニメ映画。本作の第1巻の前半部分を原作として制作された 童話ならではの[[ファンタジー]]性が濃い作風である原作から一転し、主人公キキの持つ魔女由来の飛行能力をあくまで「人が持つ才能・特技の一種」として位置づけ、少女が特技を活かして独り立ちをしていくという現実的な視点に立った作風に描いており、映画オリジナルの要素が多い。 [[スタジオジブリ]]として4作目にあたる映画であり、観客動員数は『[[天空の城ラピュタ]]』の77万人、『[[となりのトトロ]]』『[[火垂るの墓]]』の80万人から、本作は264万人となり、スタジオジブリの知名度と人気を一挙に押し上げた作品である。 角野はアニメ映画化に際し、当初は唯一の注文として「キキが旅立つ時にキキの故郷の木に付けられていた[[鈴]]を鳴らすこと」のみを求めていた。その後制作が進むに連れ内容が大きく変わることに否定的になったが、宮崎と角野が数回対談し解決された<ref>[[叶精二]]『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年</ref>{{Efn2|角野は「タイトルと名前」そして「世界を変えないで下さい」と伝えていたものの、「(映画は)お話の筋がちょっと違うのでびっくりしました。私はもう少し可愛いラブストーリーになるかと思ってたんです」と述べ、「映画を見てから原作を読む方が凄く多くて、それはそれで良かったと思います」と振り返っている。-『[[週刊朝日]]』2019年7月19日号<ref>{{Cite web|和書|author=構成・本誌:松岡かすみ / インタビュー:林真理子|url=https://dot.asahi.com/articles/-/117881?page=1|title=『魔女の宅急便』角野栄子さんがジブリ版を見て思ったこととは〈週刊朝日〉|website=[[AERA dot.]]|publisher=[[朝日新聞出版|株式会社朝日新聞出版]]|page=1|date=2019-07-13|accessdate=2022-10-23}}</ref>}}。 == 舞台 == === ミュージカル === ==== 1993年版 ==== 1993年に[[横内謙介]]脚本、[[蜷川幸雄]]演出、[[宇崎竜童]]音楽によるミュージカル作品が制作された。 :;1993年 :キキ役:[[工藤夕貴]]、トンボ役(前半):[[赤坂晃]]([[光GENJI]])、トンボ役(後半):[[森且行]]([[SMAP]])で上演。 :* 初演キャストの音源で[[ポニーキャニオン]]からCD「魔女の宅急便/オリジナル・サウンドトラック」が1993年5月に発売された。 :;1995年 :キキ役:[[小高恵美]]、[[入絵加奈子]]、トンボ役:[[遠藤直人]]([[忍者 (グループ)|忍者]])、[[坂本昌行]]([[ジャニーズJr.]])のダブルキャストで上演。 :;1996年 :キキ役:[[持田真樹]]、トンボ役:坂本昌行([[V6 (グループ)|V6]])、[[長野博]](V6)、[[原知宏]](ジャニーズJr.)で上演。 ==== 2017年版 ==== 2017年に[[岸本功喜]]の脚本・演出による新たなミュージカル版を制作<ref>{{Cite news|url= https://www.oricon.co.jp/news/2085773/full/ |title= 上白石萌歌主演でミュージカル『魔女の宅急便』 「一緒に成長していけたら」 |newspaper= ORICON NEWS |publisher= oricon ME |date= 2017-02-10 |accessdate= 2017-02-10 }}</ref>。 :;2017年 :キキ役 [[上白石萌歌]]、トンボ役:[[阿部顕嵐]](ジャニーズJr.)。 :* 期間:2017年6月1日 - 6月4日(東京公演)、8月31日 - 9月3日(大阪公演) :* 会場:[[新国立劇場]]・中劇場、[[梅田芸術劇場]][[梅田芸術劇場#シアター・ドラマシティ|シアター・ドラマシティ]] :* 主催:アークスインターナショナル、[[フジテレビジョン]](東京公演のみ)、[[朝日放送テレビ|朝日放送]](大阪公演のみ) :;2018年 :キキ役:[[福本莉子]]、トンボ役:[[大西流星]]([[関西ジャニーズJr.]])で上演される<ref>{{Cite news|url= https://natalie.mu/stage/news/276026 |title= 「魔女の宅急便」6月に上演決定、キキ役は福本莉子・トンボ役に大西流星 |newspaper= ステージナタリー |publisher= ナターシャ |date= 2018-03-31 |accessdate= 2018-03-31 }}</ref>。 :* 期間:2018年6月15日 - 6月24日(東京公演)、7月4日 - 7月5日(大阪公演) :* 会場:新国立劇場・中劇場、大阪[[メルパルク大阪|メルパルクホール]](ホテルメルパルク大阪) :;2021年 :キキ役:[[井上音生]]、トンボ役:[[那須雄登]]([[美 少年]]/ジャニーズJr.)で上演される<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/stage/news/412615|title=3度目のミュージカル「魔女の宅急便」井上音生がキキ、那須雄登がトンボに|accessdate=2021年1月16日|publisher=ステージナタリー}}</ref>。コキリ役:[[生田智子]]、オキノ役:[[横山だいすけ]]、フクオ役:[[藤原一裕]]([[ライセンス (お笑いコンビ)|ライセンス]])、おソノ役:[[白羽ゆり]]。 :* 期間:2021年3月25日 - 3月28日(東京公演)、4月10日 - 4月11日(名古屋公演)、4月15日 - 4月18日(大阪公演) :* 会場:新国立劇場中劇場、[[愛知県芸術劇場]][[愛知県芸術劇場#施設|大ホール]]、メルパルク大阪ホール :;2024年 :キキ役:山戸穂乃葉、トンボ役:[[深田竜生]]([[ジャニーズJr.#少年忍者|少年忍者]])で上演される<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/stage/news/552844|title=ミュージカル「魔女の宅急便」山戸穂乃葉がキキに、トンボ役は深田竜生|website=ステージナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-12-13|accessdate=2023-12-13}}</ref>。コキリ役:生田智子、オキノ役:横山だいすけ、フクオ役:藤原一裕(ライセンス)、おソノ役:白羽ゆり。 :* 期間:2024年3月8日 - 3月17日(東京公演)、3月21日 - 3月25日(大阪公演) :* 会場:[[日本青年館|日本青年館ホール]]、[[新歌舞伎座 (大阪)|新歌舞伎座]] === イギリスでの舞台 === 2016年に劇場アニメ『[[魔女の宅急便 (1989年の映画)|魔女の宅急便]]』の舞台化作品が、[[イギリス]]の[[サザーク・プレイハウス]]で12月8日から2017年1月8日まで上演。監督[[ケイティ・ヒューイット]]、脚色[[ジェシカ・シアン]]<ref>{{cite news|url=http://eiga.com/news/20160829/10/|title=スタジオジブリ「魔女の宅急便」が舞台に 今冬ロンドンで公演|newspaper=映画.com|date=2016-08-29|accessdate=2016-08-30}}</ref>。 {{main|魔女の宅急便 (1989年の映画)#舞台作品}} == 実写映画 == {{Infobox Film | 作品名 = 魔女の宅急便 | 原題 = Kiki's Delivery Service | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[清水崇]] | 脚本 = [[奥寺佐渡子]]<br />清水崇 | 原案 = | 原作 = 角野栄子 | 製作 = 梅川治男 | 製作総指揮 = 森重晃<br />修健 | ナレーター = [[角野栄子]] | 出演者 = [[小芝風花]]<br />[[尾野真千子]]<br />[[広田亮平]]<br />[[筒井道隆]]<br />[[宮沢りえ]] | 音楽 = [[岩代太郎]] | 主題歌 = [[倉木麻衣]]「[[Wake me up (倉木麻衣の曲)|Wake me up]]」 | 撮影 = [[谷川創平]] | 編集 = 高橋歩 | 製作会社 = 「魔女の宅急便」フィルムパートナーズ | 配給 = {{flagicon|JPN}} [[東映]]<br />{{Flagicon|HKG}} Edko Films<br />{{Flagicon|SIN}} Golden Village Pictures<br />{{Flagicon|ROC}} Sky Films<br />{{Flagicon|ESP}} Aurum Producciones<ref name="LUMIERE"/><br />{{Flagicon|SWE}} Njutafilms<br />{{Flagicon|NOR}} Another World Entertainment<ref name="IMDb(Company Credits)"/><br />{{Flagicon|NOR}} Arthaus<ref name="LUMIERE"/><br />{{Flagicon|BEL}} Liberation Films<ref name="LUMIERE">{{Cite web|url=http://lumiere.obs.coe.int/web/film_info/?id=52824|title=Majo no takkyûbin (JA) [Original title]|website=[[:en:Lumiere (database)|LUMIERE]](リュミエール・データベース)|publisher=[[:en:European Audiovisual Observatory|欧州オーディオビジュアル・オブザーバトリー]]|accessdate=2020-06-03}}</ref> | 公開 = {{flagicon|JPN}} [[2014年]][[3月1日]]<br />{{Flagicon|HKG}}{{Flagicon|SIN}} 2014年[[4月17日]]<br />{{Flagicon|ROC}} 2014年[[6月6日]]<br />{{Flagicon|ESP}} 2014年[[10月4日]]([[シッチェス・カタロニア国際映画祭|SITGES]])<ref name="IMDb(Release Info)"/><br />{{Flagicon|ESP}} 2014年[[10月10日]]<ref name="LUMIERE"/><br />{{Flagicon|SWE}} [[2015年]][[3月14日]]([[:en:BUFF International Film Festival|BUFF]])<ref name="IMDb(Release Info)"/><br />{{Flagicon|SWE}} 2015年[[6月5日]]<br />{{Flagicon|KOR}} 2015年[[8月5日]]([[:en:Seoul International Youth Film Festival|SIYFF]])<ref name="IMDb(Release Info)"/><br />{{Flagicon|NOR}} 2015年[[8月14日]]<ref name="IMDb(Release Info)">{{Cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt2865558/releaseinfo|title=Kiki's Delivery Service (2014)|website=[[インターネット・ムービー・データベース|IMDb]](Release Info)|publisher=[[Amazon.com]]|accessdate=2020-06-03}}</ref><ref name="IMDb(Company Credits)">{{Cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt2865558/companycredits|title=Kiki's Delivery Service (2014)|website=[[インターネット・ムービー・データベース|IMDb]](Company Credits)|publisher=[[Amazon.com]]|accessdate=2020-06-03}}</ref><br />{{Flagicon|NOR}} [[2018年]][[6月15日]]<ref name="LUMIERE"/> | 上映時間 = 108分 | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = 日本語 | 製作費 = | 興行収入 = 5.3億円<ref>『[[キネマ旬報]]』2015年3月下旬 映画業界決算特別号、92頁。</ref> | 前作 = | 次作 = }} [[2014年]][[3月1日]]公開の実写版[[日本映画]]。アニメ版のリメイクではなく、原作の第1巻・第2巻を基とした実写化であり<ref name="ctdy201358">{{Cite web|和書|author=福田麗 |date=2013-05-08 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0052777 |title=実写版「魔女宅」キキ・小芝風花、批判に心境吐露…「悲しい気持ちになる事を書かれた」|publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2013-06-10}}</ref><ref name="oricon610">{{Cite web|和書|date=2013-06-10 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2025427/full/ |title=実写『魔女の宅急便』おソノ役は尾野真千子 清水崇監督はオリジナル世界観に自信 |publisher=[[オリコン]] |accessdate=2013-06-10}}</ref>、全編を通して原作者の[[角野栄子]]がナレーションを担当、[[カメオ出演]]もしている。 === キャスト === <!--クレジット順--> {| cellpadding=3 |---- valign=top | * キキ - [[小芝風花]] (0歳:野村琴葉 / 3歳:[[横溝菜帆]] / 6歳:[[原涼子]]) * とんぼ - [[広田亮平]] * おソノ - [[尾野真千子]] * フクオ - [[山本浩司 (俳優)|山本浩司]] * すみれ - [[吉田羊]] * ナヅル - [[新井浩文]] * 園長 - [[志賀廣太郎]] * モリオ - [[文曄星]] * アッチ - [[段文凝]] * ジジ(声) - [[寿美菜子]]<ref>{{Cite web|和書|url =https://www.cinematoday.jp/news/N0059681|title =実写『魔女の宅急便』ジジ役は「けいおん」声優・寿美菜子!|publisher=シネマトゥデイ|date=2014-01-16|accessdate=2014-10-29}}</ref> * タカミ・カラ - [[YURI (歌手)|YURI]] * ナツメ - [[若山耀人]] * マル - [[須田琉雅]] * ミズミ - [[井上琳水]] * サキ - [[金澤美穂]] * タカ - [[松原菜野花]] * トン - [[松岡佑実]] * ミル - [[植田紗帆]] * サリ - 戸部日菜子(乳児期:藤塚菫) * イズ - [[和泉ちぬ]] | * モーラ - 原扶貴子 * シギ - [[宮地眞理子]] * ユーリ - [[村田唯]] * カジカ - [[麻亜里]] * パンを受け取る客 / ナレーション - 角野栄子 * ミア - [[佐藤芽]] * タスケ - 松下太亮 * ゴジ - 大田康太郎 * ワラビ - 藤井俊輔 * ノノ - 高本華瑠 * コリコの町の子供たち - 小野田翔空 * ラジオDJ - [[LiLiCo]] * イシ先生 - [[浅野忠信]] * オキノ - [[筒井道隆]] * コキリ - [[宮沢りえ]] |} === 製作 === 正式な制作発表に先立ち、2013年4月11日、[[スタジオジブリ]]のアニメ作品を元とした実写リメイク映画が企画されていると一部で報道されたが、スタジオジブリ側はこれを否定し、実写作品の製作には関わっていないことを表明している<ref name="ctdy2013411">{{Cite web|和書|author=福田麗 |date=2013-04-11 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0052013 |title=『魔女の宅急便』実写化のうわさ…ジブリは否定 |publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2013-06-10}}</ref>。その後、同年4月24日にアニメではなく大元の小説を原作とする実写映画版が『[[呪怨]]』などを手がけた清水崇の監督で制作されることと、主演が制作当時16歳の小芝風花であることが発表された<ref name="ctdy2013424">{{Cite web|和書|author=朝倉健人 |date=2013-04-24 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0052401 |title=実写映画版「魔女の宅急便」ヒロイン小芝風花、みなさんが想像する「キキ」とは違う…と展望明かす |publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2013-06-10}}</ref>。小芝にとっては初主演作品となる<ref name="ctdy2013424"/>。 プロデューサーの森重晃は、清水起用の理由を、他の数名の監督候補と比較して、作品に対する[[モチベーション]]の高さと、ホラー映画での[[VFX]]使用のセンスなどを評価したためとしている。制作にあたり、監督の清水は、世界的に評価されているアニメ版により、大衆のイメージが固まっている中で実写版に挑戦することは「無謀」であるとしながらも「だからこそ挑戦したい」といい、映画オリジナルの世界観を時間をかけて見出したと語っている<ref name="oricon610"/>。 小芝は500人以上が参加した[[オーディション]]によって選ばれている<ref name="ctdy2013610">{{Cite web|和書|author=市川遥 |date=2013-06-10 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0053740 |title=実写版『魔女の宅急便』おソノ役は尾野真千子!小豆島でロケ |publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2013-06-10}}</ref>。キャスティングに対してはインターネットを中心に議論が起き、一部の者が小芝のブログに批判を書きこんだこともあった<ref name="ctdy201358"/>。監督の清水は「直前まで違う子がイチオシだったりしましたが、その後、ひっくり返りました。最終的には、彼女じゃないと、撮りたくないってところまでいったんです」と、いきさつを語る<ref>{{Cite web|和書|title=清水崇監督、無謀と承知で『魔女の宅急便』にトライ!「なぜ、監督が俺?」 |url=https://moviewalker.jp/news/article/44781/ |website=MOVIE WALKER PRESS |access-date=2022-11-05 |language=ja |date=2014-02-28}}</ref>。 撮影は同年5月23日から[[東映東京撮影所]]で開始され<ref name="oricon610" />、キキの実家などをスタジオ撮影しているほか<ref name="ctdy2013531">{{Cite web|和書|author=市川遥 |date=2013-05-31 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0053463 |title=実写版『魔女の宅急便』キキのビジュアル公開! |publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2013-06-10}}</ref>、5月30日より[[香川県]]の[[小豆島]]にて、[[地中海]]の雰囲気を持つ場所にオープンセットを設置しての[[ロケーション撮影]]が行われている<ref name="oricon610" /><ref name="ctdy2013610" />。6月7日に行われたロケ現場のマスコミ公開には原作者の角野も訪れ、実写化については自らも望んでいたことであるといって、アニメやミュージカル化などを含めて「いろいろなキキがあっていいと思います」とコメントし、実写化ならではのドラマティックな解釈に期待を寄せた<ref name="oricon610" />。 小芝の演じるキキのビジュアルは、清水のアイデアにより「野生児」っぽさをイメージして、切りっぱなしに見える髪型を採用している<ref name="ctdy2013531" />。角野はそんな小芝について「すごくかわいらしくてイメージ通りです。今まで生身のキキを見たいとずっと思っていました」「風花さんに会って、ひとみの中に強い意志と何か憂いがひそんでいるのを見たとき、この人からどんなキキが生まれてくるかと、心がときめきました」「スケートできたえたという体で、どんな飛び方を見せてくれるでしょう。たのしみです。『風』という字をすでに持っている風花さん、この『魔女の宅急便』という映画をほうきにして、大きな世界に旅立って下さい」とコメントした<ref name="ctdy2013531" /><ref name="oricon610" />。 なお、本作制作の数年前には原作を基とした[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド]]による実写映画化の企画があったが、実現しなかったことが明らかになっている<ref name="ctdy2013411"/>。 === スタッフ === * 原作 - 角野栄子『魔女の宅急便』(角川文庫刊・福音館書店刊) * 監督 - [[清水崇]] * 脚本 - [[奥寺佐渡子]]、清水崇 * 音楽 - [[岩代太郎]] * 主題歌 - [[倉木麻衣]]「[[Wake me up (倉木麻衣の曲)|Wake me up]]」([[NORTHERN MUSIC]]/[[ビーイング|BEING]]) * 企画 - 小川富子 * エグゼクティブプロデューサー - 森重晃、修健 * プロデューサー - 梅川治男 * ラインプロデューサー - 梶川信幸 * 制作主任:[[高瀬大樹 (プロデューサー)|高瀬大樹]] * 撮影 - [[谷川創平]] * 美術 - 岩城南海子、[[伊藤豊 (アニメーター)|伊藤豊]] * VFXスーパーバイザー - [[秋山貴彦]] * 照明 - 金子康博 * 録音 - 深田晃 * 編集 - 高橋歩 * 音響効果 - [[柴崎憲治]] * 配給 - [[東映]] * 特別協力 - [[ヤマトホールディングス]]/[[ジャンボフェリー]] * 企画 - スペースポンド * 製作プロダクション - ステューディオスリー * [[製作委員会方式|製作委員会]] - 「魔女の宅急便」フィルムパートナーズ(ステューディオスリー、東映、北京泰楽国際文化発展、[[KADOKAWA]]、[[D.N.ドリームパートナーズ]]、[[オリコム]]、[[日本テレビ放送網]]、[[木下グループ]]、[[安樂影片]]、[[ビーイング]]、こだま印刷、[[読売新聞社]]、MY Promotion、[[讀賣テレビ放送]]) === 備考 === * スタジオジブリによるアニメーション版の世界観は「第二次世界大戦を経験しなかったヨーロッパの何処かの国」という設定であったが、本作では「魔女の存在が信じられている東洋の何処かの国」という設定になっている。作中では漢字・ひらがな・カタカナで表記された日本語が多く登場するほか、クリーニング屋の「すみれ」など、日本人風の名前を持つ登場人物が多々存在し、出演している俳優陣も全て日本人で占められているため「日本のような国」ということになっているが、劇中設定ではあくまでも日本ではないとしている。 * 原作者の角野栄子が自ら本作のナレーションを担当している。 === 封切り === 日本公開では全国281スクリーンで封切られ、2014年3月1日・2日の初週2日間の成績は動員11万6,857人、興収1億2,766万300円で全国映画動員ランキング([[興行通信社]]調べ)3位を記録。ファミリー層をはじめとする幅広い観客を集め、大人6に対し子供4、男女比は4対6で、子供層では特に女児に訴求した結果となった<ref>この段落の出典。{{Cite web|和書|author=壬生智裕 |date=2014-03-04 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0061138 |title=『ホビット』2014年洋画初のナンバーワン獲得!【映画週末興行成績】 |publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2014-03-04}}</ref>。 日本以外では、2014年4月17日に[[香港]]、同年6月に[[台湾]]、同年10月に[[スペイン]]で公開されるほか、[[シンガポール]]、[[インドネシア]]、[[ベトナム]]、[[ドイツ]]でも公開が予定されている<ref>{{Cite web|和書|date=2014-03-01 |url=http://eiga.com/news/20140301/9/ |title=実写版「魔女の宅急便」海外配給が決定 主演・小芝風花は感激の涙 |publisher=[[映画.com]] |accessdate=2014-03-01}}</ref><ref name="IMDb(Release Info)"/>。 === 評価 === ==== 受賞 ==== * [[ブルーリボン賞 (映画)#第57回(2014年度)|第57回ブルーリボン賞]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.cinematoday.jp/news/N0070022 |title= 第57回ブルーリボン賞が決定!佐々木蔵之介『超高速!参勤交代』が作品賞!|publisher= シネマトゥデイ |date= 2015-01-23 |accessdate= 2015-01-23}}</ref> ** 新人賞 - [[小芝風花]] * [[日本映画批評家大賞#第24回(2014年度)|第24回日本映画批評家大賞]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://mdpr.jp/news/detail/1490026 |title= 綾野剛、菅田将暉、小芝風花ら豪華集結「第24回日本映画批評家大賞」|publisher= モデルプレス |date= 2015-05-28 |accessdate= 2016-03-20}}</ref> ** 新人女優賞([[小森和子]]賞) - 小芝風花 === 関連商品 === * 書籍 - 2014年2月7日発売。「魔女の宅急便 魔女レシピ〜キキになれるかな〜」というタイトルで、小芝風花のフォトブックとなっている。 * DVD - 2014年9月19日発売。Blu-ray版およびDVD版の2種類。セル版の特典映像にはメイキング映像や映画公開前後のプロモーション風景、タカミ・カラが劇中で歌う「VOICE」のMVが納められている。 {{清水崇監督作品}} == アニメCM == [[日清食品]]の[[カップ麺]]「[[カップヌードル]]」のテレビCMシリーズ『HUNGRY DAYS』第1弾として、2017年に本作品を翻案する形で作成された<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2092548/full/ 『魔女の宅急便』キキが17歳女子校生に とんぼとの“恋の行方”をアニメCMとして放送],ORICON NEWS,2017年6月19日</ref>。 「もしキキがこの現代で17歳の女子高校生になって高校生活を送っていたら?」というコンセプトの元、[[横浜市|横浜]]に住む高校生のキキとトンボの恋愛模様を描いており、キャラクターデザインを[[窪之内英策]]が担当、CMソングとして[[BUMP OF CHICKEN]]がオリジナル楽曲「記念撮影」を提供している。 === ストーリー(アニメCM) === 横浜で黒猫のジジと一緒に住む17歳の女子高生、キキ。ある日、淡い恋心を抱く幼なじみのトンボが後輩の女子に告白されるのを見かけてしまう。心がざわつき、トンボと過ごした日々がフラッシュバックした刹那、キキは意を決する。 === 声の出演(アニメCM) === * キキ - [[浜辺美波]] * トンボ - [[梶裕貴]] === スタッフ(アニメCM) === * 原作 - 「魔女の宅急便」角野栄子 * キャラクターデザイン - 窪之内英策 * 音楽 - [[BUMP OF CHICKEN]]「記念撮影」 ** 作詞・作曲:[[藤原基央]]、編曲:BUMP OF CHICKEN & MOR * ECD - 木下一郎・斎藤和典 * クリエーティブディレクター・企画・コピー - 佐藤雄介 * アートディレクター・企画 - 瀬尾大 * コピーライター - 佐藤舞葉 * 監督 - [[柳沢翔]] * 原画・作画監督 - 高橋裕一 * 演出 - 曽我準 * 美術監督 - 竹田悠介 * 色彩設計 - 永井留美子 * 撮影監督 - 山田和弘 * 撮影監督補佐 - 田中直子 * 3DCG - 鈴木知美 * 動画検査 - 金子由紀江 * プロデューサー - 大松裕 * 制作 - 松永まり恵 * 制作協力 - モギシンゴ * アニメーション制作 - [[タツノコプロ]] * TVCM制作 ** プロデューサー - 早坂匡裕 ** プロダクションマネージャー - 森下大 ** VFX Artist - 佐々木賢一 ** ミキサー - 綾城重理人 ** 音響効果 - 中村佳央 * グラフィック制作 ** グラフィックデザイナー - 吉田順一 == 商標 == まず、書籍の題号は、登録[[商標]]としては扱っていないため対象外である<ref>[http://www.sungroup-pat.jp/The%20Invention/201305trademark.pdf 藤本昇特許事務所]</ref>。そして、[[特許庁]]では「魔女の宅急便」と「[[宅急便]]」を異なる言葉として扱っていて、「宅急便」は[[ヤマト運輸]](現:[[ヤマトホールディングス]])が1979年4月27日<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-1976-016948/B6E758BF8DCA071A6D628DC8DC4646B0BC2A0015596DDAD1508CA60FB6766E61/40/ja 登録番号 第1377677号]</ref>に、「魔女の宅急便」はスタジオジブリが1992年10月30日<ref>[https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-1989-051091/9B6164D2A5203FFDD5E59DBBAAEA14DE73DD3B54753E4783D653C9CC90786D30/40/ja 登録番号 第2462634号]</ref>にそれぞれ登録している。 また、タイトルが「ヤマト運輸の[[商標]]権に触れて問題になった」と一部で話題になった。原作者の角野栄子は「宅急便」を「[[普通名詞]]だと思っていた」といい、ヤマト運輸の登録商標だとは知らなかったためで、雑誌連載からの単行本化で第1巻の刊行時に、ヤマト運輸から「宅急便は登録商標だから使用禁止」とクレームが入ったものの「『魔女の』を冠した本なので問題はないということになり、一件落着しました」と後に角野は講演で明かしている{{Efn2|[[金沢星稜大学]] 平成19年度11月2日開催、人間科学会発足記念講演会 角野栄子先生「魔法はひとつ」にて。<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.seiryo-u.ac.jp/u/research/gakkai/ronbunlib/h_ronsyu_pdf/1_1/01p_baba_kouenkai.pdf|title=人間科学会発足記念講演会 角野栄子先生「魔法はひとつ」(人間科学研究 創刊号)|format=PDF|publisher=[[金沢星稜大学]]|page=3|date=2008-03|accessdate=2022-10-23}}</ref>}}。アニメ映画版にはヤマト運輸が映画に協賛し製作委員会に参加した(アニメ映像をそのまま同社の広告・[[コマーシャルメッセージ|CM]]に起用した)ほか、実写映画版においてもヤマトホールディングスが特別協力に名を連ねた。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * 小説 ** [http://kiki-jiji.com/book/book-majo 魔女の宅急便 ホームページ] * 映画 ** {{Twitter|majotakumovie}} ** {{Facebook|majotaku.movie}} ** {{Allcinema title|347053|魔女の宅急便}} ** {{Kinejun title|73048|魔女の宅急便}} ** {{IMDb title|2865558|Majo no takkyûbin}} ** [https://ameblo.jp/kiki-majotaku0301 キキ オフィシャルブログ『魔女の宅急便』] * ミュージカル ** [http://www.musical-majotaku.jp/ ミュージカル「魔女の宅急便」オフィシャルHP](2017年版) * {{Mediaarts-db}} {{魔女の宅急便}} {{デフォルトソート:ましよのたつきゆうひん}} [[Category:魔女の宅急便|*1]] [[Category:1982年の小説]] [[Category:日本の小説のシリーズ]] [[Category:日本のミュージカル作品]] [[Category:1990年代のミュージカル]] [[Category:2010年代のミュージカル]] [[Category:日本の小説を原作とする舞台作品]] [[Category:小説を原作とするミュージカル]] [[Category:1993年の舞台作品]] [[Category:2017年の舞台作品]] [[Category:2014年の映画]] [[Category:日本のファンタジー映画]] [[Category:児童文学を原作とする映画作品]] [[Category:KADOKAWAの映画作品]] [[Category:東映製作の映画作品]] [[Category:日本テレビ製作の映画]] [[Category:読売テレビ製作の映画]] [[Category:木下グループの映画作品]] [[Category:清水崇の監督映画]] [[Category:奥寺佐渡子の脚本映画]] [[Category:岩代太郎の作曲映画]] [[Category:魔法・呪術を題材とした映画作品]] [[Category:パンを題材とした作品]] [[Category:香川県で製作された映画作品]]<!-- 小豆島 --> [[Category:岡山県で製作された映画作品]]<!-- 岡山市 --> [[Category:千葉県で製作された映画作品]]<!-- 館山市 --> [[Category:相模原市で製作された映画作品]] [[Category:世田谷区で製作された映画作品]] [[Category:練馬区で製作された映画作品]] [[Category:茨城県で製作された映画作品]]<!-- 日立市 --> [[Category:山梨県で製作された映画作品]]<!-- 韮崎市 -->
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蒸気船ウィリー
『蒸気船ウィリー』(じょうきせんウィリー、原題:Steamboat Willie)は、1928年11月18日にアメリカ合衆国で公開されたディズニー制作の短編アニメーション作品である。 ミッキーマウスの短編映画シリーズとして最初に公開された作品である。 世界初のトーキー・アニメーション、つまり音声つきのアニメーション作品であるという評価がなされることが多いが、正確にはこれは間違いである。この作品以前にマックス・フライシャーが経営していたインクウェル・スタジオの『ソング・カー・テューンズ(Song Car-Tunes、1924年 - 27年)(全36作品中19作品がトーキー)』ポール・テリーの『ディナー・タイム(Dinner Time、1928年)』などが既に音声つきアニメーションとして制作されている。『蒸気船ウィリー』の価値は、サウンドトラック方式を世界で初めて採用したところにある。 一般的には、この作品がミッキーマウスとミニーマウスのデビュー作とされているため、公開日の11月18日はミッキーとミニーの誕生日、もしくはスクリーンデビューの日となっている。厳密には本作の前に作られた『プレーン・クレイジー』と『ギャロッピン・ガウチョ』に出演しているが、公開は本作が最初だった。 ウォルト・ディズニーは『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』の版権をユニバーサル映画に奪われてから、信頼するアニメーターであったアブ・アイワークスと共に新たなキャラクター、ミッキーマウスを考案した。当時の主流はサイレント映画であり、ミッキーを主役にしたサイレント映画を数本作ったが、配給会社には受け入れられなかった。しかし1927年に世界初のトーキー映画である『ジャズ・シンガー』が公開され、トーキーがこれからの主流になっていくと確信したウォルトはアニメでもトーキーを利用できないかと考え、当時サイレント映画用に作っていた『蒸気船ウィリー』をトーキー映画として作り直す。ニューヨークのコロニー・シアター(現:ブロードウェイ・シアター)で公開された本作はまさに大成功を喫し、その後のディズニーの基盤となった。ミッキーは裸足で素手だったものが、この映画の中で靴を履いている。 配給業者さがしに難航した本作であるが、封切られてからはプレスや観客の評判を呼び、映像と音声を完璧にシンクロさせた画期的・独創的な手法が評価された。 2007年公開の長編作品『ルイスと未来泥棒』以降、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作のアニメーション作品のオープニングロゴタイトルとして、本作の1カットを使ったものが新たに製作、使用されている。 とある貨物の蒸気船。ミッキーはいつものように口笛で「Steamboat Bill」を吹きながら機嫌よく船を操縦していたが、船長のピートに許可なく勝手に操縦していたため叱られてしまう。 港に着いた船は牛や七面鳥と言った家畜をミッキーの手伝いでクレーンを使って積み込んで出港するが、遅れてやってきたミッキーの恋人・ミニーが置いてけぼりを食らう。ミッキーはクレーンを操作してなんとか彼女を救い上げるものの、その時彼女が持っていた楽譜や楽器が床に散らばり、全部山羊に食べられてしまう。ところが不思議なことに、山羊はそれを食べたせいかオルゴールに変身する。そこでミニーが尻尾を回すと、わらの中の七面鳥が流れだす。楽しくなってきたミッキーはバケツやスプーン、果ては猫やアヒル、豚、牛まで楽器代わりにして大騒ぎする。 しかし調子に乗りすぎて、またしてもピートに叱られ、今度は罰として夕食の料理に使うジャガイモの皮をむく羽目となる。船窓からその無様な様子を見たオウムはミッキーを嘲笑う。腹が立ったミッキーはジャガイモをオウムに投げつけて外に突き落とし、その声を聞いて満足げに笑うのだった。 製作されたアメリカ合衆国ではタイトルカードに著作権標記が入り、著作権登録が行われたこと、また、著作権延長法によって保護期間が延長されたことから、2023年12月31日(公開後95年の年末)まで著作権が保持されている。しかし、日本国内の著作権法では公開後50年と戦時加算10年強を含めても60年以上が経過しているため、1989年5月の時点でパブリックドメインとなっている。 なお、本作でデビューしたミッキーマウスやミニーマウス自体は商標で保護されているが、商標権の侵害となるのは商品の目印となる使い方であり、商用目的であろうと著作物の題号は商標ではないため、ミッキーマウスやミニーマウスを題号に含んだ作品の販売は商標権の侵害にはあたらず自由である。 現在流通している本作のビデオソフトの中には一部シーンがカットされているものがある。ミッキーマウスが動物の鳴き声などを用いて『オクラホマミキサー』を演奏するシークエンスにおける、「母豚の乳を吸っている仔豚の尻尾を引いて鳴き声で曲を演奏する」シーンに続く「母豚の体を持ち上げて仔豚を振り落とし、振り落とされなかった仔豚を蹴り飛ばして母豚の乳房を楽器のように弄り母豚の鳴き声で曲を演奏する」というシーンである。カットされているバージョンにおいては、BGMがブツ切りにならないように編集がされておりカットされたことが分からないようにされている。
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『蒸気船ウィリー』は、1928年11月18日にアメリカ合衆国で公開されたディズニー制作の短編アニメーション作品である。 ミッキーマウスの短編映画シリーズとして最初に公開された作品である。
{{出典の明記|date=2019年3月2日 (土) 01:22 (UTC)}} {{Portal ディズニー}} {{Infobox Film | 作品名 = 蒸気船ウィリー | 原題 = Steamboat Willie | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[ウォルト・ディズニー]]<br>[[アブ・アイワークス]] | 製作総指揮 = | 製作 = ウォルト・ディズニー | 脚本 = | 出演者 = ウォルト・ディズニー | 音楽 = | 主題歌 = | 撮影 = | 編集 = | 製作会社 = [[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ウォルト・ディズニー・スタジオ]] | 配給 = [[セレブリティ・プロダクション]] | 公開 = {{Flagicon|USA}} [[1928年]][[11月18日]] | 上映時間 = 約7分 | 製作国 = {{USA}} | 言語 = [[英語]] | 制作費 = | 興行収入 = | 前作 = [[ギャロッピン・ガウチョ]] | 次作 = [[バーン・ダンス]] }} 『'''蒸気船ウィリー'''』(じょうきせんウィリー、原題:''Steamboat Willie'')は、[[1928年]][[11月18日]]に[[アメリカ合衆国]]で公開された[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]制作の短編アニメーション作品である。 [[ディズニーの短編映画の一覧#ミッキーマウスの短編映画シリーズ|ミッキーマウスの短編映画シリーズ]]として最初に公開された作品である。 == 概要 == 世界初の[[トーキー]]・アニメーション、つまり音声つきのアニメーション作品であるという評価がなされることが多いが、正確にはこれは間違いである。この作品以前にマックス・フライシャーが経営していた[[フライシャー・スタジオ|インクウェル・スタジオ]]の『ソング・カー・テューンズ([[:en:Song Car-Tunes|Song Car-Tunes]]、1924年 - 27年)(全36作品中19作品がトーキー)』[[ポール・テリー]]の『ディナー・タイム(Dinner Time、1928年)』などが既に音声つきアニメーションとして制作されている。『蒸気船ウィリー』の価値は、[[サウンドトラック]]方式を世界で初めて採用したところにある<ref>有馬哲夫著『ディズニーとライバルたち アメリカのカートゥーン・メディア史』(2004年 フィルムアート社)</ref>。 一般的には、この作品が[[ミッキーマウス]]と[[ミニーマウス]]のデビュー作とされているため、公開日の11月18日はミッキーとミニーの[[誕生日]]、もしくはスクリーンデビューの日となっている。厳密には本作の前に作られた『[[プレーン・クレイジー]]』と『[[ギャロッピン・ガウチョ]]』に出演しているが、公開は本作が最初だった。 [[ウォルト・ディズニー]]は『[[オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット]]』の版権を[[ユニバーサル映画]]に奪われてから、信頼するアニメーターであった[[アブ・アイワークス]]と共に新たなキャラクター、ミッキーマウスを考案した。当時の主流は[[サイレント映画]]であり、ミッキーを主役にしたサイレント映画を数本作ったが、配給会社には受け入れられなかった。しかし[[1927年]]に世界初のトーキー映画である『[[ジャズ・シンガー]]』が公開され、トーキーがこれからの主流になっていくと確信したウォルトはアニメでもトーキーを利用できないかと考え、当時サイレント映画用に作っていた『蒸気船ウィリー』をトーキー映画として作り直す。[[ニューヨーク]]のコロニー・シアター(現:[[ブロードウェイ]]・シアター)で公開された本作はまさに大成功を喫し、その後のディズニーの基盤となった。ミッキーは裸足で素手だったものが、この映画の中で靴を履いている。 配給業者さがしに難航した本作であるが、封切られてからはプレスや観客の評判を呼び、映像と音声を完璧にシンクロさせた画期的・独創的な手法が評価された。 2007年公開の長編作品『[[ルイスと未来泥棒]]』以降、[[ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ]]制作のアニメーション作品のオープニングロゴタイトルとして、本作の1カットを使ったものが新たに製作、使用されている。 == あらすじ == とある[[貨物]]の[[蒸気船]]。ミッキーはいつものように口笛で「Steamboat Bill」を吹きながら機嫌よく船を操縦していたが、船長のピートに許可なく勝手に操縦していたため叱られてしまう。 港に着いた船は[[牛]]や[[七面鳥]]と言った家畜をミッキーの手伝いで[[クレーン]]を使って積み込んで出港するが、遅れてやってきたミッキーの恋人・ミニーが置いてけぼりを食らう。ミッキーはクレーンを操作してなんとか彼女を救い上げるものの、その時彼女が持っていた[[楽譜]]や[[楽器]]が床に散らばり、全部[[山羊]]に食べられてしまう。ところが不思議なことに、山羊はそれを食べたせいか[[オルゴール]]に変身する。そこでミニーが尻尾を回すと、[[わらの中の七面鳥]]が流れだす。楽しくなってきたミッキーは[[バケツ]]や[[スプーン]]、果ては[[猫]]や[[アヒル]]、[[豚]]、牛まで楽器代わりにして大騒ぎする。 しかし調子に乗りすぎて、またしてもピートに叱られ、今度は罰として夕食の料理に使う[[ジャガイモ]]の皮をむく羽目となる。船窓からその無様な様子を見た[[オウム]]はミッキーを嘲笑う。腹が立ったミッキーはジャガイモをオウムに投げつけて外に突き落とし、その声を聞いて満足げに笑うのだった。 == スタッフ == * 製作・監督:[[ウォルト・ディズニー]] * 作画:[[アブ・アイワークス]]、[[レス・クラーク]]、[[ジョニー・キャノン]]、[[ウィルフレッド・ジャクソン]] == キャスト == {| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:small;" ! キャラクター !! 原語版 !! 旧吹き替え版 !新吹き替え版 |- | [[ミッキーマウス]] || rowspan="4"| [[ウォルト・ディズニー]] || [[後藤真寿美]] | rowspan="5" | - |- | [[ミニーマウス]] || [[下川久美子]] |- | [[ピート (ディズニーキャラクター)|ピート]] || [[内田稔]] |- | オウム || ? |- | [[ナレーター]] || - ||| [[土井美加]] |} == 著作権 == 製作されたアメリカ合衆国ではタイトルカードに著作権標記が入り、著作権登録が行われたこと、また、[[著作権延長法]]によって保護期間が延長されたことから、2023年12月31日(公開後95年の年末)まで[[著作権]]が保持されている<ref name=":0">{{Cite web|和書 |url=https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/skillup/00009/00073/ |title=ミッキーマウスの著作権が2023年終了 喜べない日本の複雑な事情 |accessdate=2019-11-01 |publisher=日経クロストレンド |date=2019-10-15 |author=福井健策}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |title=Mickey Mouse will soon belong to you and me — with some caveats |url=https://apnews.com/article/mickey-mouse-public-domain-disney-minnie-tigger-1dbfa3982a172334503bc8cf87302b6f |website=AP通信 |date=2023-12-15 |access-date=2023-12-17 |author=ANDREW DALTON}}</ref>。しかし、日本国内の[[著作権法]]では公開後50年と[[戦時加算 (著作権法)|戦時加算]]10年強を含めても60年以上が経過しているため、1989年5月の時点で[[パブリックドメイン]]となっていると推定される{{Efn2|なお、本作品を始めとする初期のディズニー作品はウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスの個人による共同著作または美術作品であるという見解もあり、仮にその見解を適用すると日本国内では最長で2052年5月までにディズニーによる著作権保護が継続する<ref>{{Cite web |title=「ミッキーマウスの著作権保護期間 ~史上最大キャラクターの日本での保護は 2020年5月で終わるのか。2052年まで続くのか~」 |url=https://www.kottolaw.com/column/190913.html |website=骨董通り法律事務所 For the Arts |access-date=2023-12-30 |author=福井健策 |date=2019-09-13}}</ref>。}}<ref name=":0" />。 なお、本作でデビューしたミッキーマウスやミニーマウス自体は[[商標]]で保護されているが、商標権の侵害となるのは商品の目印となる使い方であり、商用目的であろうと著作物の題号は商標ではないため、ミッキーマウスやミニーマウスを題号に含んだ作品の販売は商標権の侵害にはあたらず自由である<ref name=":0" /><ref name=":1" />。 == カットされたシーン == 現在流通している本作のビデオソフトの中には一部シーンがカットされているものがある{{なぜ|date=2023-09}}。ミッキーマウスが動物の鳴き声などを用いて『[[オクラホマミキサー]]』を演奏する[[シークエンス]]における、「母豚の乳を吸っている仔豚の尻尾を引いて鳴き声で曲を演奏する」シーンに続く「母豚の体を持ち上げて仔豚を振り落とし、振り落とされなかった仔豚を蹴り飛ばして母豚の乳房を楽器のように弄り母豚の鳴き声で曲を演奏する」というシーンである。カットされているバージョンにおいては、BGMがブツ切りにならないように編集がされておりカットされたことが分からないようにされている<ref group="注">ただし、「セレブレーション!ミッキーマウス!」では、カットされていない。</ref>。 == 日本での公開 == === 上映 === * 1930年5月19日<ref>{{Cite web|url=https://m.imdb.com/title/tt0019422/releaseinfo|title=Release Info|accessdate=2021-4-4}}</ref> === 収録 === * 『ミッキー ザ・グレーテスト・ヒッツ』(VHS、[[ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント|ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント]]) * 『ミッキーマウス/B&Wエピソード Vol.1 限定保存版』(DVD、ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント) * 『ミッキーマウス DVD BOX Vol.1』(DVD、[[宝島社]]) * 『セレブレーション! ミッキーマウス』(DVD・BD、ウォルト・ディズニー・ジャパン) * 『ミッキー&ミニー クラシックコレクション』(BD、ウォルト・ディズニー・ジャパン) == 備考 == * 本作は『'''[[:en:Gang War (1928 film)|Gang War]]'''』(邦題:'''ギャング・ワー''')の併映作品として公開された。 ** 『Gang War』の邦題は『ギャング・ワー』として取り扱われる事が多いが、本来「war(s)」の読みを日本語に書き表す際には「ウォー(ズ)」と表記するのが一般的であり、そちらの方が英語の発音に近い。 * 劇中のミッキーやミニー、[[ピート (ディズニーキャラクター)|ピート]]など全ての声をウォルト自身が演じている。 * 本作の原題『Steamboat Willie』は、1928年公開の映画『'''[[:en:Steamboat Bill, Jr.|Steamboat Bill, Jr.]]'''』(邦題:'''キートンの蒸気船''')のパロディである。 ** 内容も同作品のパロディとなっている。 ** なお、『キートンの蒸気船』のタイトルも1910年代のアメリカのヒット曲「'''[[:en:Steamboat Bill|Steamboat Bill]]'''」にちなんでおり、この楽曲は『蒸気船ウィリー』の冒頭でミッキーマウスが口笛で演奏している。 == 脚注 == === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == * [[ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ]] * [[オクラホマミキサー]](わらの中の七面鳥) - 劇中でミッキーが動物を使って演奏する曲。 * [[キングダム ハーツII]] - ゲームソフト。本作をモチーフとしたモノクロのワールド「タイムレス・リバー」が登場。 == 外部リンク == * [https://www.disneyplus.com/ja-jp/movies/steamboat-willie/1Lh1k4ammOG5 蒸気船ウィリーを視聴 | Disney+(ディズニープラス)]{{ja icon}} * {{imdb title|0019422|Steamboat Willie}} * {{bcdb title|3820|Steamboat Willie}} * [https://www.intanibase.com/shorts.aspx?shortid=96 Steamboat Willie (1928) - The Internet Animation Database]{{en icon}} * {{IMDb title|0019422|Steamboat Willie}} {{ミッキーマウス・シリーズ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しようきせんういりい}} [[Category:ミッキーマウスの短編映画]] [[Category:アニメ作品 し|ようきせんういりい]] [[Category:1928年のアニメ映画]] [[Category:アメリカ合衆国の白黒映画]] [[Category:アメリカ国立フィルム登録簿に登録された作品]] [[Category:船舶を舞台とした映画作品]] [[Category:自己検閲]]
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ファンタジア (映画)
『ファンタジア』(原題: Fantasia)は、1940年のアメリカ映画。アニメーション映画。ディズニー製作、監督はベン・シャープスティーン。1940年11月13日封切。ディズニー長編アニメーション第3作であり、史上初のステレオ音声方式による映画作品である。日本での公式公開は第二次世界大戦後の1955年9月23日であった。 オーケストラによるクラシック音楽をバックとした、アニメーションによる8編の物語集である。一部を除き、台詞は一切用いられていない。 全編にわたっての音楽演奏は、レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団が担当した。 ステレオ効果が利用された最初の映画で、なおかつサラウンドの原型ともいえるステレオ再生方式が世界で初めて一般的に導入され実用化された面においても、音響技術において非常に重要な歴史的映画である。最初に上映された際には前方3チャンネル(左、中央、右)のミキシング音声によるステレオだったが、再生に当り複数のスピーカーを劇場内に配置し、各チャンネルのスピーカーごとに違う音を出して、音の立体感を出した。フィルムの光学サウンドトラックは、当時主流のSPレコードのそれよりも低ノイズで周波数特性に優れ、かつ長時間録音が出来たため、実現出来た効果ともいえる。しかしながら、封切された1940年代ではそれぞれの音声チャンネル再生専用の映写機とアンプを用意し、これらの音声を同期させる必要があったために大掛かりなものとなってしまった。そのため、すべての劇場でこの音響効果を再現するのは不可能であったという(当時主流のアンプが真空管式であったことからも、その規模は想像に難くない)。しかし、オリジナルが9チャンネルのマルチ・ステレオ収録だった為、1950年代半ばにシネマ・スコープの登場によりサラウンド・ステレオにてリバイバル上映され、1991年に初めてビデオ・ソフト化された際、ハイファイ音声のビデオソフト・LDなどではドルビーサラウンドでこの音響が再現されている(ただし、この時に制作されたマスターによるDVDの日本語吹き替え版は、2.0chで前のみのステレオであった)。その後、ハイビジョン・デジタル修復版が2010年にBlu-Ray/DVDで発売された(日本では翌年)。ここではオリジナル英語は7.1ch、日本語は5.1chのサラウンド・ステレオで制作されている。また、GM規格の外部MIDI音源でも、ファンタジアの音色が登録されている。 日本においては、米国で公開された1940年当初は日米関係が悪化していた為に一般公開が行われなかったが、うしおそうじは太平洋戦争開戦直前に、海軍が拿捕したアメリカの輸送船から押収したフィルムが東宝砧撮影所に送られて試写室で上映された際に観覧しており、衝撃を受けて上映中に涙したと記している。太平洋戦争勃発後は、日本軍が占領した上海やマニラで『風と共に去りぬ』などと共に、本作のフィルムも押収された。軍関係者や映画制作関係者を集めた上映会も行われ、海軍省の試写室で本作を見たアニメーション監督の瀬尾光世は、「こんな映画を作る国には勝てない」と衝撃を受けた。その評判から東京でも軍関係者や東京帝国大学などで限定的に上映会が実施され、東大生だった江崎玲於奈も観賞したという。瀬尾は、『桃太郎 海の神兵』の制作にあたり、ミュージカル風の演出などに本作を参考にしている。 第二次世界大戦の終結から10年後の1955年になって、ようやく日本でも公開された。戦後に日本公開された本作品を観て衝撃を受けた冨田勲はその後ステレオを超えたマルチトラック録音の再生に対する強いこだわりを持つようになった。ウォルト・ディズニー・ホーム・ビデオが1991年11月1日に発売したビデオは、ビデオテープとレーザーディスクを合わせて100万本以上の売り上げを記録。当時の日本記録は『眠れる森の美女』と『ローマの休日』の約40万本であったとされ、その記録を大幅に更新することになった。日本では著作権の保護期間が終了したと考えられることから、現在パブリックドメインDVDでも発売されている。ただし、ストラヴィンスキー作曲の「春の祭典」が割愛されたものもある。シャフト株式会社が発売している現行商品では「春の祭典」は収録されている。 ウォルト・ディズニーは一連のミッキーマウス映画を製作しつつ、ミッキー映画と全く正反対の、芸術性の高い作品を製作することを願っていた。その手始めとしてSilly Symphony(シリー・シンフォニー)シリーズが誕生した。しかし、ウォルトはこれにも満足せず、さらに自身初の大作「白雪姫」を1937年に世に問うたことにより、かねてから願っていた「芸術性の高い映画」の目標を、完成度が高かった「白雪姫」よりもさらに高いものにすることに決めた。そこで、ウォルトはSilly Symphonyの方向性を多少は維持しながらもより物語性のある音楽作品を作ることにして、その筆頭候補として「魔法使いの弟子」を題材として取り上げることにした。さらにウォルトは、権威付けを狙って著名な指揮者の起用を考え、レオポルド・ストコフスキーを指名した。レストランで意気投合した後、1937年頃から製作を開始した。 ここで、最新の映画・映像・音響の各技術に関心が深いウォルト・ディズニーは、ストコフスキーから米ベル研究所に於いて自らの指揮で1932年にステレオ録音を行ったという話を聞いた(この時の米ベル研究所の録音が、現存する世界最古のステレオ録音である)。そこでディズニーはただちに映画『ファンタジア』をステレオ音響で制作することに決めた。 「魔法使いの弟子」の製作の際に、従来どおりミッキーが主役に選ばれたことに対してストコフスキーは異を唱えて新しいキャラクターを作ることを主張したが、パントマイムだからということでミッキーに落ち着いた。このようにして制作は進められたが、1年をかけた「魔法使いの弟子」が完成した段階で、既にかかった製作費がそれまでとは桁違いであることを知ってさすがのウォルトもたじろいだが、それであきらめたりなどはしなかった。その際に、ウォルトは本作品を音楽コンサートの形式として作ることを思いつく。音楽評論家ディームズ・テイラー(英語版)が顧問として迎えられて、協議をした結果100枚以上のレコードのなかから8つの曲が選ばれた。とりあげる曲の順序についていろいろ検討されたが、バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」を冒頭に持ってくることについては皆の意見が一致した。 演奏される楽曲のプログラムは次の通り。()はおおよその演奏時間。一部はストコフスキー自身による編曲もあるが、詳しくは「主な編曲箇所」の項目を参照のこと。 ドビュッシー作曲の「月の光」も最初は作品の中に含められる予定であったが、制作段階で削除された(戦後に公開された「メイク・マイン・ミュージック」の一部として使用された)。 演奏される楽曲の作曲家のうちで公開当時に在命であったのはストラヴィンスキーただひとりであった。しかし当時のストラヴィンスキーはソ連人であったので米国に於ける著作権を保持していなかったことから、ディズニー側はストラヴィンスキーから『春の祭典』の使用許諾を得る必要はなく、大幅なカットを行いまた楽章の演奏順序も変えた。このことが後に米国に移籍したストラヴィンスキーが、自曲の著作権取得にしばらく奔走していた理由のひとつであるといわれている。 11人の監督、120人以上のアニメーター、103人編成のオーケストラなど、投入されたスタッフはのべ1000人、描き上げられた原画100万枚、録音テープ(光学録音フィルム)の長さ42万フィート(そのうち映画の中で実際に使用されたのは1万8千フィート)、制作期間3年と前例のないスケールでの製作となった(コンピュータなど無い時代に人力だけで制作されたアニメーション作品として、史上最も手間をかけて作られた作品であるとも言われている。制作に掛けた経費があまりにも大きかったために、リバイバル上映を繰り返して1970年代になるまでは製作に投じた資金を回収できなかったとも言われる)。 完成の間近になって、ストコフスキーの発案で作品のタイトルは「ファンタジア」と命名された。 サウンドトラックのレコーディングは1939年4月に、特注システムとして制作された映画用光学式録音機により、9チャンネルのマルチトラック方式で収録された。全収録曲目のうちで、「時の踊り」と「アヴェ・マリア」はストコフスキーが指揮をした演奏の録音としてはこれが唯一のものであり、「魔法使いの弟子」と「春の祭典」は最後のものであり、「田園」と「禿山の一夜」は最初のものである。「トッカータとフーガ ニ短調」および「くるみ割り人形」はストコフスキーの十八番(おはこ)である。 1940年11月13日にニューヨークのブロードウェイ・シアターで封切されたが、評価は微妙なところであった。というのも、雑誌「タイム」が3ページにわたって特集を組んだが、映画扱いされることはなく、音楽欄で作品が論評されていた。また、「田園」と「春の祭典」に対しては『作品の本来のイメージとはかけ離れている』という批判が集中した。また、従来からのディズニー映画のファンですら作品に戸惑いを見せたという。さらに、この作品を上映するのに必要な装置にかかる費用が莫大だったため、上映できる映画館が非常に限られていたこともあり、始めから収益面では期待できなかった為、莫大な制作費を掛けたものの全く採算が合わずに大赤字となった。もっとも、ウォルトは「タイム」でのインタビューで「これは私が死んでからもずっと楽しんでもらえる作品だ」とコメントしている。事実、ウォルトが亡くなって3年後の1969年に再上映されて以来、ようやく商業的にも成功した作品となった。なお、ウォルトはこの「ファンタジア」を公開するたびに曲を入れ替えるという「演奏会形式」を目指していたが、これは実現できなかった。 1940年度のアカデミー賞では、ウォルトとストコフスキーが特別賞を受賞している。しかし、当時のアカデミー賞には長編アニメ映画に対する部門賞はなく、純粋に作品に対してアカデミー賞を授けられたとは言い難い。 ストコフスキー指揮のオリジナル・サウンド・トラックのマスターが老朽化してきたため、1982年にドルビー・サラウンド版の再録音版が公開された。再録音の演奏はアーウィン・コスタル指揮のフィラデルフィア管弦楽団が担当し当時最先端のデジタル録音方式で収録されたという。(日本でも公開) ただし、現在ではストコフスキーの元版がリマスターされて音質向上したこともあり、もっぱら元版が鑑賞されるようになっている。そのため、アーウィン・コスタル指揮の再録音版は、CDで聴くことはできるが、DVDやBD等で複数の音声トラックが収録できるようになっても収録されていない。 1990年に、この作品の初公開から50周年を迎えるのを機に、初めてビデオ・LDソフトにて発売されることとなる。この作品は、あまりの長さゆえに幾度もカット及び順序の変更が行われているが、このビデオソフト化に伴い、上記のプログラムに整えられた。なお、2000年にオリジナルに極めて近いバージョンが上映され、北米などではそれに基づくDVDも発売された。なお、以下のデジタル修復版が発売されるまでは、日本での正規でのDVDの発売は全て、1990年版の物であった。 1990年版のビデオ・DVDソフトにおいての北米版と日本版の主な相違点は以下の通りである。 この1990年版では、ソニック・ソルージョン・システムによる音声のノーノイズ化処理が行われた。しかし、このノーノイズ除去に於いて、ヒスノイズまで除去を行ったことにより、音が不自然に感じられてしまうという事態が起こっている(当時に、このシステムでヒスノイズの除去を行ったほとんどの音楽・ビデオソフトが、この現象を起こしている)。 なお、冒頭に言及した、アブロック社発売のパブリックドメイン版ファンタジアでは、ディームズ・テイラーの解説やストコフスキーの声はオリジナルだが休憩はカット、また映画終了後のスタッフロールもカットした。 編集段階でカットされたドビュッシーの「月の光」の映像は、その後再編集と再録音がなされてオムニバス「メイク・マイン・ミュージック」(1946年)中の一編「青いさざなみ」として日の目を見ることとなった。一方で映像の一部が欠落してしまったため、オリジナルの形での復元は長い間実現しなかったが、1992年にオリジナルのワーク・プリントが発見され、短編作品として当初の形通りに蘇った。この短編はディズニーによる正式な日本版DVDには特典映像として収録されていたが、現在のパブリック・ドメインDVDには入っていない。 その後ディズニープロダクションで、公開当時の作画に用いられた絵の具の持つ色彩の忠実な復元を目指してデジタル修復を行い、それによりハイビジョンマスターによるBlu-rayとDVDが米で2010年12月7日、日本では翌年の4月20日にリリースされた。ここでは、オリジナル英語音声は7.1chサラウンドに編集して制作された。さらに、各国語版共に1990年リリース版では音声のヒスノイズの除去処理において音楽性を著しく損ねていたほど技術が未熟だったものが、後に同処理においての技術が大幅に進歩し、この修復版ではそういった形跡が見られなくなった。LD盤では姿を見せず声だけの出演だったディームズ・テイラーが姿を見せ、解説の日本語吹き替えは矢島正明から垂木勉に交替。ストコフスキーとミッキーによる『魔法使いの弟子』終演直後のやりとりも音声吹き替え付きで収録された。 その後は『ハウス・オブ・マウス』やキングダムハーツシリーズなどでミッキーの元で働いている。 また、公開当時にはサンフラワー(英:Sunflower ひまわりという意味)というキャラクターがいたが、黒人のステレオタイプであるという批判を受けて現行のDVDでは彼女の出演シーンのカットや映っている部分のトリミングなどが行われている。 本作では、アニメーションと合わせる都合上、曲に少なからず改変が行われている。下にその一部を紹介する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "『ファンタジア』(原題: Fantasia)は、1940年のアメリカ映画。アニメーション映画。ディズニー製作、監督はベン・シャープスティーン。1940年11月13日封切。ディズニー長編アニメーション第3作であり、史上初のステレオ音声方式による映画作品である。日本での公式公開は第二次世界大戦後の1955年9月23日であった。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "オーケストラによるクラシック音楽をバックとした、アニメーションによる8編の物語集である。一部を除き、台詞は一切用いられていない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "全編にわたっての音楽演奏は、レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団が担当した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ステレオ効果が利用された最初の映画で、なおかつサラウンドの原型ともいえるステレオ再生方式が世界で初めて一般的に導入され実用化された面においても、音響技術において非常に重要な歴史的映画である。最初に上映された際には前方3チャンネル(左、中央、右)のミキシング音声によるステレオだったが、再生に当り複数のスピーカーを劇場内に配置し、各チャンネルのスピーカーごとに違う音を出して、音の立体感を出した。フィルムの光学サウンドトラックは、当時主流のSPレコードのそれよりも低ノイズで周波数特性に優れ、かつ長時間録音が出来たため、実現出来た効果ともいえる。しかしながら、封切された1940年代ではそれぞれの音声チャンネル再生専用の映写機とアンプを用意し、これらの音声を同期させる必要があったために大掛かりなものとなってしまった。そのため、すべての劇場でこの音響効果を再現するのは不可能であったという(当時主流のアンプが真空管式であったことからも、その規模は想像に難くない)。しかし、オリジナルが9チャンネルのマルチ・ステレオ収録だった為、1950年代半ばにシネマ・スコープの登場によりサラウンド・ステレオにてリバイバル上映され、1991年に初めてビデオ・ソフト化された際、ハイファイ音声のビデオソフト・LDなどではドルビーサラウンドでこの音響が再現されている(ただし、この時に制作されたマスターによるDVDの日本語吹き替え版は、2.0chで前のみのステレオであった)。その後、ハイビジョン・デジタル修復版が2010年にBlu-Ray/DVDで発売された(日本では翌年)。ここではオリジナル英語は7.1ch、日本語は5.1chのサラウンド・ステレオで制作されている。また、GM規格の外部MIDI音源でも、ファンタジアの音色が登録されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": 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『ファンタジア』は、1940年のアメリカ映画。アニメーション映画。ディズニー製作、監督はベン・シャープスティーン。1940年11月13日封切。ディズニー長編アニメーション第3作であり、史上初のステレオ音声方式による映画作品である。日本での公式公開は第二次世界大戦後の1955年9月23日であった。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Portal ディズニー}} {{Infobox Film | 作品名 = ファンタジア | 原題 = Fantasia | 画像 = Fantasia_1942_advert.jpg | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[ベン・シャープスティーン]] | 脚本 = [[ジョー・グラント]]<br>{{ill2|ディック・ヒューマー|en|Dick Huemer}} | 製作 = [[ウォルト・ディズニー]] | 製作総指揮 = | ナレーター = {{仮リンク|ディームズ・テイラー|en|Deems Taylor}} | 出演者 = {{仮リンク|ディームズ・テイラー|en|Deems Taylor}}<br>[[レオポルド・ストコフスキー]] | 音楽 = | 撮影 = | 編集 = | 製作会社 = [[ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ|ウォルト・ディズニー・プロダクション]] | 配給 = {{flagicon|USA}} [[RKO]]<br>{{flagicon|Japan}} [[大映]] | 公開 = {{flagicon|USA}} [[1940年]][[11月13日]]<br>{{flagicon|Japan}} [[1955年]][[9月23日]] | 上映時間 = 126分(オリジナル公開版)<br>80分([[1942年]]再公開版)<br>120分([[1990年]]リリース版) | 製作国 = {{USA}} | 言語 = [[英語]] | 製作費 = $2,280,000 | 興行収入 = {{flagicon|USA}} $7,650,882 | 前作 = [[ピノキオ (1940年の映画)|ピノキオ]] | 次作 = [[ファンタジア2000]](ファンタジアシリーズ)<br>[[ダンボ]](ディズニー・クラシックス全般) }} 『'''ファンタジア'''』(原題: ''Fantasia'')は、[[1940年]]の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]。[[アニメーション映画]]。[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]製作、監督は[[ベン・シャープスティーン]]。[[1940年]][[11月13日]]封切。ディズニー長編アニメーション第3作であり、史上初のステレオ音声方式による映画作品である。日本での公式公開は第二次世界大戦後の[[1955年]][[9月23日]]であった。 == 概要 == [[ファイル:Fantasia theatrical trailer.png|thumb|200px|right|オリジナルの劇場予告編のタイトル画面]] [[オーケストラ]]による[[クラシック音楽]]をバックとした、アニメーションによる8編の物語集である。一部を除き、台詞は一切用いられていない。 全編にわたっての音楽演奏は、[[レオポルド・ストコフスキー]]指揮[[フィラデルフィア管弦楽団]]が担当した。 [[ステレオ]]効果が利用された最初の映画で、なおかつ[[サラウンド]]の原型ともいえるステレオ再生方式が世界で初めて一般的に導入され実用化された面においても、音響技術において非常に重要な歴史的映画である。最初に上映された際には前方3チャンネル(左、中央、右)のミキシング音声によるステレオだったが、再生に当り複数の[[スピーカー]]を劇場内に配置し、各チャンネルのスピーカーごとに違う音を出して、音の立体感を出した。フィルムの光学サウンドトラックは、当時主流の[[SPレコード]]のそれよりも低[[ノイズ]]で[[周波数特性]]に優れ、かつ長時間録音が出来たため、実現出来た効果ともいえる。しかしながら、封切された[[1940年代]]ではそれぞれの音声チャンネル再生専用の[[映写|映写機]]と[[アンプ (音響機器)|アンプ]]を用意し、これらの音声を同期させる必要があったために大掛かりなものとなってしまった。そのため、すべての劇場でこの音響効果を再現するのは不可能であったという(当時主流のアンプが[[真空管]]式であったことからも、その規模は想像に難くない)。しかし、オリジナルが[[9チャンネル]]の[[マルチ・ステレオ]]収録だった為、[[1950年代]]半ばにシネマ・スコープの登場によりサラウンド・ステレオにてリバイバル上映され、[[1991年]]に初めてビデオ・ソフト化された際、ハイファイ音声のビデオソフト・[[レーザーディスク|LD]]などでは[[ドルビーラボラトリーズ|ドルビーサラウンド]]でこの音響が再現されている(ただし、この時に制作されたマスターによる[[DVD]]の[[日本語]][[吹き替え]]版は、2.0chで前のみのステレオであった)。その後、ハイビジョン・デジタル修復版が[[2010年]]にBlu-Ray/DVDで発売された(日本では翌年)。ここではオリジナル英語は7.1ch、日本語は5.1chのサラウンド・ステレオで制作されている。また、[[General MIDI|GM規格]]の外部MIDI音源でも、ファンタジアの音色が登録されている。 [[日本]]においては、米国で公開された1940年当初は[[第二次世界大戦の背景|日米関係が悪化していた為]]に一般公開が行われなかったが、[[うしおそうじ]]は[[太平洋戦争]]開戦直前に、海軍が拿捕したアメリカの輸送船から押収したフィルムが東宝砧撮影所に送られて試写室で上映された際に観覧しており、衝撃を受けて上映中に涙したと記している<ref>うしおそうじ 『手塚治虫とボク』 [[草思社]]、2007年、pp.193-195。</ref>。太平洋戦争勃発後は、日本軍が占領した上海やマニラで『[[風と共に去りぬ (映画)|風と共に去りぬ]]』などと共に、本作のフィルムも押収された。軍関係者や映画制作関係者を集めた上映会も行われ、[[海軍省]]の試写室で本作を見た<ref name="mochi">[[持永只仁]]『アニメーション日中交流記 持永只仁自伝』東方書店、2006年</ref>アニメーション監督の[[瀬尾光世]]は、「こんな映画を作る国には勝てない」と衝撃を受けた<ref name="tezu">[[手塚治虫]]『観たり撮ったり映したり』[[キネマ旬報社]]、1987年</ref>。その評判から東京でも軍関係者や東京帝国大学などで限定的に上映会が実施され、東大生だった[[江崎玲於奈]]も観賞したという。瀬尾は、『[[桃太郎 海の神兵]]』の制作にあたり、ミュージカル風の演出などに本作を参考にしている。 [[第二次世界大戦]]の終結から10年後の1955年になって、ようやく日本でも公開された。戦後に日本公開された本作品を観て衝撃を受けた[[冨田勲]]はその後ステレオを超えたマルチトラック録音の再生に対する強いこだわりを持つようになった。ウォルト・ディズニー・ホーム・ビデオが[[1991年]][[11月1日]]に発売したビデオは、[[磁気テープ#ビデオ用|ビデオテープ]]と[[レーザーディスク]]を合わせて100万本以上の売り上げを記録。当時の日本記録は『[[眠れる森の美女 (1959年の映画)|眠れる森の美女]]』と『[[ローマの休日]]』の約40万本であったとされ、その記録を大幅に更新することになった<ref>「ミッキー夢の記録 ビデオ・LD 100万個達成へ」『[[日経流通新聞]]』 [[1992年]][[1月21日]]付、23面。</ref>。日本では[[著作権の保護期間]]が終了したと考えられることから、現在[[パブリックドメインDVD]]でも発売されている。ただし、[[ストラヴィンスキー]]作曲の「[[春の祭典]]」が割愛されたものもある。シャフト株式会社が発売している現行商品では「春の祭典」は収録されている。 === 製作過程 === [[ウォルト・ディズニー]]は一連の[[ミッキーマウス]]映画を製作しつつ、ミッキー映画と全く正反対の、芸術性の高い作品を製作することを願っていた。その手始めとして'''Silly Symphony'''([[シリー・シンフォニー]])シリーズが誕生した。しかし、ウォルトはこれにも満足せず、さらに自身初の大作「[[白雪姫 (1937年の映画)|白雪姫]]」を[[1937年]]に世に問うたことにより、かねてから願っていた「芸術性の高い映画」の目標を、完成度が高かった「白雪姫」よりもさらに高いものにすることに決めた。そこで、ウォルトはSilly Symphonyの方向性を多少は維持しながらもより物語性のある音楽作品を作ることにして、その筆頭候補として「[[魔法使いの弟子]]」を題材として取り上げることにした。さらにウォルトは、権威付けを狙って著名な[[指揮者]]の起用を考え、[[レオポルド・ストコフスキー]]を指名した。レストランで意気投合した後、[[1937年]]頃から製作を開始した。 ここで、最新の映画・映像・音響の各技術に関心が深いウォルト・ディズニーは、ストコフスキーから米[[ベル研究所]]に於いて自らの指揮で[[1932年]]にステレオ録音を行ったという話を聞いた(この時の米[[ベル研究所]]の録音が、現存する世界最古のステレオ録音である)。そこでディズニーはただちに映画『ファンタジア』をステレオ音響で制作することに決めた{{efn2|世界初のテクニカラー・アニメーション映画である「[[花と木]]」も、ディズニーによって制作された。}}。 「魔法使いの弟子」の製作の際に、従来どおりミッキーが主役に選ばれたことに対してストコフスキーは異を唱えて新しいキャラクターを作ることを主張したが、[[パントマイム]]だからということでミッキーに落ち着いた。このようにして制作は進められたが、1年をかけた「魔法使いの弟子」が完成した段階で、既にかかった製作費がそれまでとは桁違いであることを知ってさすがのウォルトもたじろいだが、それであきらめたりなどはしなかった。その際に、ウォルトは本作品を音楽コンサートの形式として作ることを思いつく。音楽評論家{{仮リンク|ディームズ・テイラー|en|Deems Taylor}}が顧問として迎えられて、協議をした結果100枚以上のレコードのなかから8つの曲が選ばれた。とりあげる曲の順序についていろいろ検討されたが、バッハの「[[トッカータとフーガニ短調|トッカータとフーガ ニ短調]]」を冒頭に持ってくることについては皆の意見が一致した。 演奏される楽曲のプログラムは次の通り。()はおおよその演奏時間。一部はストコフスキー自身による編曲もあるが、詳しくは「主な編曲箇所」の項目を参照のこと。 * 1:「[[トッカータとフーガニ短調|トッカータとフーガ ニ短調]]」(9:22) - [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]] ** 標題音楽ではないこの曲を起用した経緯については、ウォルトが「抽象的な音楽もやってみよう」と提案したことによる。そのため、[[抽象画]]の映画を作り、当時アメリカに移住していた[[オスカー・フィッシンガー]]の意見を取り入れつつ製作された。 * 2:組曲「[[くるみ割り人形]]」 - [[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]](14:12) ** 最初の2曲はカットされ、また曲の順序も一部入れ替わっている。 * 3:「[[魔法使いの弟子]]」 - [[ポール・デュカス|デュカス]](9:17) * 4:「[[春の祭典]]」- [[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]](22:28) ** 舞台を[[人類]]時代の[[原始時代]]から、[[地球]]創世期~[[恐竜]]の時代に変更している。また、原曲の一部がカットされた上、順番が一部入れ替えられている。 * 休憩・「[[サウンド・トラック]]」{{efn2|ここでの「サウンド・トラック」はキャラクターとしての「サウンド・トラック」であり、細長い音の波形として登場する。}}の紹介。指揮者ストコフスキーが登場し、アニメのミッキーマウスと握手するという趣向を見せる。 ** この「休憩」と「[[サウンド・トラック]]」の紹介は、[[1990年]]発売のバージョンおよび、現在[[日本]]で発売されている[[DVD]]ではカットされている。パブリック・ドメインDVDには収録されている。 * 5:「[[交響曲第6番 (ベートーヴェン)|田園交響曲]]」 - [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]](22:00) ** 舞台を[[ギリシャ神話]]の世界に求めている。第4楽章以外は短縮されている。 * 6:「[[ラ・ジョコンダ|時の踊り]]」 - [[アミルカレ・ポンキエッリ|ポンキエッリ]](12:13) ** 担当者は研究のために[[動物園]]や[[バレエ]]公演に頻繁に通ったり、バレリーナの映像を参考にした上で製作された。 * 7:「[[禿山の一夜|はげ山の一夜]]」 - [[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]](7:25) * 8:「[[エレンの歌第3番|アヴェ・マリア]]」 - [[フランツ・シューベルト|シューベルト]](6:27) ** 7と8はアニメーションがつなぎ合わされ(「禿山の一夜」の終わりの音と、「アヴェ・マリア」の最初の音が偶然一緒だった)、「光と闇」という壮大なラストを表現している。 ** 歌詞は、本来ドイツ語のものを英語に直している(「アヴェ・マリア」)。 ** [[日本]]国内で販売されている1990年版の[[VHS]]及び[[DVD]]における日本語吹き替えでは、曲紹介の際、「[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]の」とすべきところを「[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]のアヴェ・マリア」とアナウンスするというごく基本的なミスを犯しているが、ハイビジョン・デジタル修復版における日本語吹き替えでは、ミスを犯していない。 [[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]作曲の「[[ベルガマスク組曲|月の光]]」{{efn2|一部のDVDでは特典映像として収録されている。}}も最初は作品の中に含められる予定であったが、制作段階で削除された(戦後に公開された「メイク・マイン・ミュージック」の一部として使用された)。 演奏される楽曲の作曲家のうちで公開当時に在命であったのはストラヴィンスキーただひとりであった。しかし当時のストラヴィンスキーはソ連人であったので米国に於ける著作権を保持していなかったことから、ディズニー側はストラヴィンスキーから『[[春の祭典]]』の使用許諾を得る必要はなく、大幅なカットを行いまた楽章の演奏順序も変えた。このことが後に米国に移籍したストラヴィンスキーが、自曲の著作権取得にしばらく奔走していた理由のひとつであるといわれている。 11人の監督、120人以上のアニメーター、103人編成のオーケストラなど、投入されたスタッフはのべ1000人、描き上げられた原画100万枚、録音テープ(光学録音フィルム)の長さ42万フィート(そのうち映画の中で実際に使用されたのは1万8千フィート)、制作期間3年と前例のないスケールでの製作となった(コンピュータなど無い時代に人力だけで制作されたアニメーション作品として、史上最も手間をかけて作られた作品であるとも言われている。制作に掛けた経費があまりにも大きかったために、リバイバル上映を繰り返して1970年代になるまでは製作に投じた資金を回収できなかったとも言われる)。 完成の間近になって、ストコフスキーの発案で作品のタイトルは「'''ファンタジア'''」と命名された。 === 録音についてのメモ === [[サウンドトラック]]の[[レコーディング]]は[[1939年]]4月に、特注システムとして制作された映画用光学式録音機により、9チャンネルの[[マルチトラック]]方式で収録された。全収録曲目のうちで、「時の踊り」と「アヴェ・マリア」はストコフスキーが指揮をした演奏の録音としてはこれが唯一のものであり、「魔法使いの弟子」と「春の祭典」は最後のものであり、「田園」と「禿山の一夜」は最初のものである。「トッカータとフーガ ニ短調」および「くるみ割り人形」はストコフスキーの十八番(おはこ)である。 === 封切後 === 1940年11月13日にニューヨークの[[ブロードウェイ・シアター]]で封切されたが、評価は微妙なところであった。というのも、雑誌「[[タイム (雑誌)|タイム]]」が3ページにわたって特集を組んだが、映画扱いされることはなく、音楽欄で作品が論評されていた。また、「田園」と「春の祭典」に対しては『作品の本来のイメージとはかけ離れている』という批判が集中した。また、従来からのディズニー映画のファンですら作品に戸惑いを見せたという。さらに、この作品を上映するのに必要な装置にかかる費用が莫大だったため、上映できる映画館が非常に限られていたこともあり、始めから収益面では期待できなかった為、莫大な制作費を掛けたものの全く採算が合わずに大赤字となった。もっとも、ウォルトは「タイム」でのインタビューで「これは私が死んでからもずっと楽しんでもらえる作品だ」とコメントしている。事実、ウォルトが亡くなって3年後の[[1969年]]に再上映されて以来、ようやく商業的にも成功した作品となった。なお、ウォルトはこの「ファンタジア」を公開するたびに曲を入れ替えるという「演奏会形式」を目指していたが、これは実現できなかった。 1940年度の[[アカデミー賞]]では、ウォルトとストコフスキーが特別賞を受賞している。しかし、当時のアカデミー賞には長編[[アニメ映画]]に対する部門賞はなく、純粋に作品に対してアカデミー賞を授けられたとは言い難い。 === アーウィン・コスタル指揮による再録音版 === ストコフスキー指揮のオリジナル・サウンド・トラックのマスターが老朽化してきたため、1982年にドルビー・サラウンド版の再録音版が公開された。再録音の演奏は[[アーウィン・コスタル]]指揮のフィラデルフィア管弦楽団が担当し当時最先端のデジタル録音方式で収録されたという<ref>公開時のパンフレットより。</ref>。(日本でも公開) ただし、現在ではストコフスキーの元版がリマスターされて音質向上したこともあり、もっぱら元版が鑑賞されるようになっている。そのため、アーウィン・コスタル指揮の再録音版は、CDで聴くことはできるが、DVDやBD等で複数の音声トラックが収録できるようになっても収録されていない。 === ビデオソフト化 === [[1990年]]に、この作品の初公開から50周年を迎えるのを機に、初めてビデオ・LDソフトにて発売されることとなる。この作品は、あまりの長さゆえに幾度もカット及び順序の変更が行われているが、このビデオソフト化に伴い、上記のプログラムに整えられた。なお、[[2000年]]にオリジナルに極めて近いバージョンが上映され、北米などではそれに基づく[[DVD]]も発売された。なお、以下のデジタル修復版が発売されるまでは、日本での正規でのDVDの発売は全て、1990年版の物であった{{efn2|ただし、1990年版のVHS(日本語吹き替え版)及びDVDでの収録時間は、117分だったのに対し、1990年版のVHS(日本語字幕スーパー版)での収録時間は、ディームズ・テイラーのイントロダクション付きによる119分であるため、収録時間が異なっている。}}。 1990年版のビデオ・DVDソフトにおいての北米版と日本版の主な相違点は以下の通りである。 ; [[ストコフスキー]]の声 : 北米版:オリジナルのまま、日本版:吹き替え ; {{仮リンク|ディームズ・テイラー|en|Deems Taylor}}の解説 : 北米版:ほぼオリジナル、日本版:大幅にカット ; 休憩 : 北米版:ほぼオリジナル、日本版:すべてカット この1990年版では、ソニック・ソルージョン・システムによる音声のノーノイズ化処理が行われた。しかし、このノーノイズ除去に於いて、ヒスノイズまで除去を行ったことにより、音が不自然に感じられてしまうという事態が起こっている(当時に、このシステムでヒスノイズの除去を行ったほとんどの音楽・ビデオソフトが、この現象を起こしている)。 なお、冒頭に言及した、アブロック社発売のパブリックドメイン版ファンタジアでは、ディームズ・テイラーの解説やストコフスキーの声はオリジナルだが休憩はカット、また映画終了後のスタッフロールもカットした。 編集段階でカットされた[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の「月の光」の映像は、その後再編集と再録音がなされて[[オムニバス]]「[[メイク・マイン・ミュージック]]」([[1946年]])中の一編「青いさざなみ」として日の目を見ることとなった。一方で映像の一部が欠落してしまったため、オリジナルの形での復元は長い間実現しなかったが、[[1992年]]にオリジナルのワーク・プリントが発見され、短編作品として当初の形通りに蘇った。この短編はディズニーによる正式な日本版DVDには特典映像として収録されていたが、現在のパブリック・ドメインDVDには入っていない。 === ハイビジョン・デジタル修復 === その後ディズニープロダクションで、公開当時の作画に用いられた絵の具の持つ色彩の忠実な復元を目指してデジタル修復を行い、それによりハイビジョンマスターによるBlu-rayとDVDが米で[[2010年]]12月7日、日本では翌年の4月20日にリリースされた。ここでは、オリジナル英語音声は7.1chサラウンドに編集して制作された。さらに、各国語版共に1990年リリース版では音声のヒスノイズの除去処理において音楽性を著しく損ねていたほど技術が未熟だったものが、後に同処理においての技術が大幅に進歩し、この修復版ではそういった形跡が見られなくなった。LD盤では姿を見せず声だけの出演だったディームズ・テイラーが姿を見せ、解説の日本語吹き替えは[[矢島正明]]から[[垂木勉]]に交替。ストコフスキーとミッキーによる『魔法使いの弟子』終演直後のやりとりも音声吹き替え付きで収録された。 == 登場キャラクター == === くるみ割り人形 === * しずくの精 * ホップ・ロウ * マッシュルーム・ダンサー * 花の踊り子 * 金魚 * あざみの少年たち * らんの少女たち * 秋の精 * とうわたの踊り子 * 霜の精 * 雪結晶の精 === 魔法使いの弟子 === * [[ミッキーマウス]] * [[イェン・シッド]] ** ミッキーマウスが[[魔法使い]]の弟子となった時、弟子入りした偉大な魔法使いの先生。大きな[[チョウ|蝶]]を出したり、[[大洪水]]を2つに分けてひかせるという[[魔法]]を見せる。''Yen Sid''の名は、Disney(ディズニー)のつづりを逆から読んだもの。[[キングダムハーツシリーズ]]でボイスが追加され、『エピックミッキー』ではオズワルド達の世界の創造主として登場している。 * ほうき ** ミッキーがイェン・シッドの帽子の力で生み出したほうき。当初はミッキーの命令で代わりに水汲みしていたが限度が過ぎた為にミッキーに斧で破壊されてしまうが、その破片からそれぞれ再生した事で大量に増えた。その後、イェン・シッドによって大人しくなった。 その後は『ハウス・オブ・マウス』やキングダムハーツシリーズなどでミッキーの元で働いている。 === 春の祭典 === * [[恐竜]]たちを[[主演|メインキャスト]]にして、[[地球]]創世期~[[生命]]誕生(勿論、登場するのは[[恐竜]]ばかりではなく、[[原生動物]]から[[多細胞生物]]である[[無脊椎動物]]、[[無顎類]]、[[シーラカンス]](あるいは[[肺魚]])まで多岐にわたる)、そして[[恐竜]]その他[[翼竜]]など、大部分の[[爬虫類]]の([[乾燥|異常乾燥]]による)[[絶滅]]までが描かれる。 === 田園交響曲 === * [[ペーガソス|ペガサス]] * [[ユニコーン]] * [[ブルダス]] * [[メリンダ]] * [[バックス (ローマ神話)|バッカス]] * [[ジャッカス]] * [[ゼウス]] * [[ウゥルカーヌス|ウルカヌス]] * [[アポローン|アポロン]] * [[イーリス|アイリス]] * [[ディアーナ|ディアナ]] * [[モーフェウス]] * [[クピードー|キューピッド]] * [[ケンタウロス|ケンタウルス]] また、公開当時にはサンフラワー(英:''Sunflower'' ひまわりという意味)というキャラクターがいたが、黒人のステレオタイプであるという批判を受けて現行のDVDでは彼女の出演シーンのカットや映っている部分のトリミングなどが行われている。 === 時の踊り === * ミラ・ユパノーバ * ヒヤシンス・ヒッポ * エレファンシーネ * ベン・アリ・ゲーター === はげ山の一夜 === * [[悪魔]] * [[幽霊]] * [[チェルナボーグ]] ** 本作の[[ディズニー・ヴィランズ]]。真夜中に悪魔や幽霊を禿山に誘い、夜会を催す。その後のディズニー作品でも悪役として登場している。 === アヴェ・マリア === * [[巡礼者]] == 主な編曲箇所 == 本作では、アニメーションと合わせる都合上、曲に少なからず改変が行われている。下にその一部を紹介する。 === トッカータとフーガ ニ短調 === * ストコフスキーによる編曲版が用いられているが、ストコフスキーが通常演奏していた編曲版とは異なる箇所がある。 ** ハープ独奏部分のチェレスタ・フルート{{要出典|date=2020年1月}}が無い。 === 組曲「くるみ割り人形」 === * 曲順の入れ替えがある。 ** 金平糖の踊り→中国の踊り→葦笛の踊り→アラビアの踊り→トレパーク→花のワルツ === 魔法使いの弟子 === * 用いられているのはストコフスキーによる編曲版である。 ** 冒頭のヴィオラ、チェロ、ヴァイオリンのピツィカートがカットされている。 ** ミッキーが箒に魔法をかけるシーンの直前部分に延長がある。 ** 箒が水を汲むシーンのホルンの応答が2回から1回になっている。 === 春の祭典 === * 曲順の入れ替えがある。 ** 第1場序奏→春のきざし→乙女達の踊り→誘拐→第2場序奏→乙女達の神秘的な集い→いけにえの賛美→祖先の呼び出し→祖先の儀式→大地への口付け→大地の踊り→第1場序奏冒頭部 === 田園交響曲 === * 第4楽章以外が短縮されている。 === 時の踊り === * 「昼の時の踊り」の編曲&繰り返し。 * 4箇所(ダチョウが転ぶシーン、ワニにカバが飛びつくシーンで2回、最後に扉が落ちるシーン)に大太鼓が入っている。 === 禿山の一夜 === * ストコフスキーによる編曲版が用いられている。 ** 冒頭部の弦トリルの追加。 ** 木管で奏される早いパッセージが弦で演奏される。 ** 弦のハーモニックスの追加 ** シロフォンの追加 ** 銅鑼の一撃にアクセントが付いている。 ** 終結部に合唱が入る(次曲への導入) === アヴェ・マリア === * 歌曲からの移調(ト長調)、編曲 == キャスト == {| class="wikitable" style="text-align: center" ! キャラクター !! 原語版 !! [[ウォルト・ディズニー・ホーム・エンターテイメント|BVHE]](旧)版 !! [[ウォルト・ディズニー・ホーム・エンターテイメント|BVHE]](新)版 |- | || {{仮リンク|ディームズ・テイラー|en|Deems Taylor}} || - || [[垂木勉]] |- | || [[レオポルド・ストコフスキー]] || 原語版流用 || [[松岡文雄]] |- | [[ミッキーマウス]] || [[ウォルト・ディズニー]] || 原語版流用 || [[青柳隆志]] |- | ナレーション || [[ティム・マシスン]] || [[矢島正明]] || - |} == スタッフ == ; 演奏:[[フィラデルフィア管弦楽団]] ; 指揮:レオポルド・ストコフスキー ; アドヴァイザー:オスカー・フィッシンガー == 脚注 == <!-- 関連項目節設置の脚注が{{Reflist}}位置に表示される様、当節を記事末に移動しました / 2020年6月2日 --> {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Notelist2}} '''出典''' {{Reflist}} == 参考文献 == * デヴィッド・R・スミス『ウォルト・ディズニー《ファンタジア》ライナーノーツ』ブエナ・ビスタ&ポニーキャニオン、1990年。 * 日野康一「画期的な世界最初のステレオ録音」『ウォルト・ディズニー《ファンタジア》ライナーノーツ』ブエナ・ビスタ&ポニーキャニオン、1990年。 * John Hunt "Leopold Stokowski Discography・Concert register" The Leopold stokowski Society、1996年。 * 萩原由加里『政岡憲三とその時代:「日本アニメーションの父」の戦前と戦後』青弓社、2015年。{{ISBN2|978-4-7872-7374-1}} *: 第5章"『ファンタジア』という呪縛―戦時下日本の漫画映画と制作者"、には、第2次世界大戦中に日本軍が占領接収したファンタジアなどの映画フィルムが、映画製作関係者や一部の軍の縁故者を限定に日本国内で上映会が行われ鑑賞されていた当時の状況の記述がある。 *「[[キネマ旬報]]」1947年4月号 *: [[シンガポール]]で『ファンタジア』を観た[[小津安二郎]]の感想を伝えている。 == 関連項目 == ; [[ネオ・ファンタジア]] : 原題は『Allegro Non Troppo』。ディズニーのものとは違い、大人向け。実写のシーンを狂言回しに、色々な作風のアニメーションが6作繋がった作品である。 ; [[ファンタジア2000]] : 『ファンタジア』上映から60年後、ウォルトの甥[[ロイ・E・ディズニー]]製作総指揮、[[ジェームズ・レヴァイン]]指揮、[[シカゴ交響楽団]]演奏による、新たな『ファンタジア』が制作された。前作の中から「魔法使いの弟子」をデジタルリマスター版で復活させ、新たに[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]作曲「[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番・運命]]」、[[オットリーノ・レスピーギ|レスピーギ]]作曲「[[ローマの松]]」、[[ジョージ・ガーシュウィン|ガーシュイン]]作曲「[[ラプソディー・イン・ブルー]]」、[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]作曲「[[ピアノ協奏曲第2番 (ショスタコーヴィチ)|ピアノ協奏曲第2番]]第1楽章」、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]作曲「[[動物の謝肉祭]]より終曲」、[[エドワード・エルガー|エルガー]]作曲「[[威風堂々 (行進曲)|威風堂々]]第4番・第2番・第3番・第1番」、[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]作曲「[[火の鳥 (ストラヴィンスキー)|火の鳥]]」を加えた8曲で構成されている。『ファンタジア』では[[ピアノ]]は一切使用されなかったが、この作品ではピアノが大々的に使用された。 ; ファンタジア ミッキーマウス・マジック : 1991年11月22日、[[セガ]]発売、[[インフォグラム]]開発の[[メガドライブ]]用アクションゲーム。内容は夢の世界に散らばった音符をミッキーマウスが魔法を駆使して夢の中で音符を探す冒険であるが、その内容とは裏腹に操作性が非常に悪いこともあって、メガドライブユーザーからは酷評されていた。 ; [[ロジャー・ラビット]] : 「魔法使いの弟子」から箒が出演。撮影スタジオの外でスタッフが吹くサックスのメロディに合わせ、掃除をしている。 ; [[キングダム ハーツ]] : 「魔法使いの弟子」より箒がディズニーキャッスルの使用人として登場。「はげ山の一夜」より「ファンタジアの魔人」という名前でチェルノボーグが登場する。ファイナルミックスではチェルノボーグとの戦闘時に、「はげ山の一夜」をアレンジしたものが流れる。 ; [[キングダム ハーツII]] : 「魔法使いの弟子」より箒とイェン・シッドが登場している。連携技にも「ファンタジア」という名前のものがある。 ; [[キングダム ハーツ 3D [ドリーム ドロップ ディスタンス]]] : ワールド「シンフォニー・オブ・ソーサリー」では「魔法使いの弟子」のミッキーを悪夢から救うため、楽譜の中の世界(本作をモチーフとしている)を冒険、リクはチェルノボーグと対決する。 : 全編を通してイェン・シッドも登場している。 ; [[ミッキーの大演奏会]] : [[1935年]]公開の短編アニメーション。こちらのほうが先に作られているが、「ファンタジア」で、指揮者レオポルド・ストコフスキーに見込まれて、この役を得たという裏設定がある。 ; [[東京ディズニーリゾートの花火の一覧|東京ディズニーリゾートの花火]] : [[東京ディズニーリゾートの花火の一覧#マジック・イン・ザ・スカイ|マジック・イン・ザ・スカイ]]、[[東京ディズニーリゾートの花火の一覧#スターライト・マジック|スターライト・マジック]]は「ファンタジア」の曲に合わせたショーである。 ; [[魔法使いの弟子 (映画)|魔法使いの弟子]] : 本作の「魔法使いの弟子」をベースとした2010年の実写映画。 ; [[ファンタズミック!]] : ミッキーの格好や演出など本作を参考にした部分が随所にある。 ; [[音楽ファンタジー・ゆめ]] : クラシック音楽を題材とした日本の子供向けアニメーション。 ; [[なつぞら]] : [[2019年]]度前期放映の[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]。同年([[令和]]元年)5月8日放送の第33話では、なつ(演:[[広瀬すず]])と天陽(演:[[吉沢亮]])が[[帯広市]]の映画館で「ファンタジア」を見て感動する場面があり、「魔法使いの弟子」と「禿山の一夜」を除く楽曲が数秒ずつ抜粋された。なつが入社を志す事になるアニメ製作会社が配給を行っているという設定がある。 ; [[ヒューレット・パッカード]] : 同社の最初期の製品であるオーディオ[[発振回路|発振器]]「HP 200B」を、ディズニーが本作の音響システムの開発およびテスト用として8台購入した。同社にとってディズニーは最初の主要な顧客となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.ext.hp.com/hp-information/about-hp/history/|title=HPの歴史|日本HP|accessdate=2019-06-09}}</ref>。 ; [[JALドリームエクスプレス]] : [[日本航空]]が運航するディズニーキャラクターの特別塗装機。「ファンタジア」の公開80周年を記念した「JAL DREAM EXPRESS FANTASIA 80」が2020年11月に登場、2022年まで国内線に就航した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://press.jal.co.jp/ja/items/uploads/b8682f5f1d4b3292b11abb67bd248228647f1b62.pdf |format=PDF |title=ディズニー映画『ファンタジア』公開80周年を記念した特別塗装機「JAL DREAM EXPRESS FANTASIA 80」が国内線に就航|publisher=日本航空|date=2020-10-23|accessdate=2020-11-28}}</ref>。 == 外部リンク == {{commonscat|Fantasia (1940 film)}} * [https://www.disney.co.jp/studio/animation/0023.html ファンタジア|ブルーレイ・DVD・デジタル配信|ディズニー公式]{{ja icon}} * [https://www.disneyplus.com/ja-jp/movies/fantasia/7lt6sjm8nbud ファンタジア | Disney+]{{ja icon}} * {{Allcinema title|19713|ファンタジア}} * {{Kinejun title|7702 |ファンタジア}} * {{Amg movie|16752|Fantasia}} * {{IMDb title|0032455|Fantasia}} * {{bcdb title|15|Fantasia}} {{ファンタジア}} {{ディズニーの長編アニメーション映画の一覧}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふあんたしあ}} [[Category:ミッキーマウスの映画作品]] [[Category:アニメ作品 ふ|あんたしあ]] [[Category:1940年のアニメ映画]] [[Category:アメリカ合衆国のアニメ映画]] [[Category:ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの映画作品]] [[Category:クラシック音楽を題材とした映画作品]] [[Category:音楽を題材としたアニメ映画]] [[Category:実写とアニメーションが混在した映画作品]] [[Category:アメリカ国立フィルム登録簿に登録された作品]] [[Category:フィルムが部分的に現存している映画]] [[Category:自己検閲]] [[Category:アメリカ合衆国のオムニバス映画]]
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白雪姫
「白雪姫」(しらゆきひめ、低地ドイツ語:Schneewittchen、標準ドイツ語:Schneeweißchen)は、元々はドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話とされている。 グリム兄弟の『グリム童話』(Kinder und Hausmärchen)に、KHM53番、エーレンベルク稿(1810年手稿)では43番として収載されている。 話者は、「マリー」ことマリー・ハッセンプフルーク(ドイツ語版)である。 タイトルおよび主人公の呼称の日本語訳名は「白雪姫」が一般的である。しかし、Schneewittchenが「雪のように白い子」の意であることから、厳密に正確な日本語訳とするなら「雪白姫(ゆきじろひめ)」が正しい。 ある国に、「白雪姫」と称される容貌に優れた王女がいた。しかし彼女の継母(グリム童話初版本では実母)である王妃は、自分こそが世界で一番美しいと信じていた。彼女が秘蔵する魔法の鏡は、「世界で一番美しいのはだれか」との問いにいつも「それは王妃様です」と答え、王妃は満足な日々を送っていた。 白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女は」と訊ねたところ、「それは白雪姫です」との答えが返ってくる。怒りに燃える王妃は猟師を呼び出すと、「白雪姫を殺し、証拠として彼女の肺臓と肝臓(※作品によっては心臓となっている)を取って帰ってこい」と命じる。しかし猟師は白雪姫を不憫がり、殺さずに森の中に置き去りにする。そして王妃へは証拠の品として、イノシシの肝臓を持ち帰る。王妃はその肝臓を白雪姫のものだと信じ、大喜びで塩茹にして食べる。 森に残された白雪姫は、7人の小人(sieben Zwerge)たちと出会い、生活を共にするようになる。一方、白雪姫を始末して上機嫌の王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しいのは?」と尋ねたところ「それは白雪姫です」との答えが返ってくる。白雪姫がまだ生きている事を知った王妃は物売りに化け、小人の留守を狙って腰紐を白雪姫に売りつける。そして腰紐を締めてあげる振りをして彼女を締め上げ、息を絶えさせる。 やがて帰ってきた7人の小人は、事切れている白雪姫に驚き、腰紐を切って息を吹き返させる。一方、王妃が再び世界一の美女を魔法の鏡に尋ねたことにより、白雪姫が生きている事が露見する。王妃は毒を仕込んだ櫛を作り、再度物売りに扮して白雪姫を訪ねる。白雪姫は頭に櫛を突き刺され倒れるが、小人たちに助けられる。 今度こそ白雪姫を始末したと上機嫌の王妃だが、魔法の鏡の答えで白雪姫の生還を悟る。王妃は、毒を仕込んだリンゴを造り、善良なリンゴ売りに扮して白雪姫を訪ねる。白雪姫は疑いもなくリンゴを齧り、息絶える。 やがて帰ってきた小人たちは息絶えた白雪姫を見つける。あらゆる手を尽くすが今度は蘇生する事はなかった。本当に死んでしまったものとして悲しみに暮れ、遺体をガラスの棺に入れる。そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり、死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける。 白雪姫の棺をかついでいた家来のひとりが木につまずき、棺が揺れた拍子に白雪姫は喉に詰まっていたリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返す。蘇生した白雪姫に王子は喜び、自分の国に連れ帰って妻として迎える。 白雪姫と王子の結婚披露宴の席。王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされる。 この物語は、グリムの他の物語同様に様々な変遷を経た。 比較民話研究会の岩瀬ひさみの研究では、白雪姫の類話には小人が登場する物が少なく、グリム童話の初版本及び第七版を除けば後述のウィーンのものとされる話と、アイスランドの2話、スイスの1話(後述)のみである。また、エーレンベルク稿やルートヴィヒ・ベヒシュタイン(ドイツ語版)の白雪姫、そして「もうひとりのグリム」ことアルベルト・ルートヴィヒ・グリム(ドイツ語版)の白雪姫、ヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウスのリヒルディスにも小人が登場する。さらには小人の数を7人と限定するとグリム童話のエーレンベルク稿、初版本、第七版、ウィーンの類話、ベヒシュタインの白雪姫、A・L・グリムの白雪姫しか該当するものがない。 一方、類話には主人公を匿う者として盗賊や山賊が登場する物が多い。たとえば、コルシカ島の類話「アンジウリーナ」では、母親に頼まれてその娘のアンジウリーナを殺すために攫う山賊が登場する(話では結局さらうだけで、殺さずに自分達の隠れ家に連れて行って匿っている)。 なお、類話の中でもかなり古いタイプと見られる話では、娘を見たら必ず殺してしまう十二人の悪い盗賊が登場する。また、Johannes Bolte、Georg Polivka 共著『Anmerkungen Zu den Kinder-und Hausmärchen der Brüder Grimm.(グリム童話註解)』には、自分たちの棲む洞穴にやって来る少女を手当たり次第に殺してしまう七人の小人が登場するウィーンの話とされる類話が収載されている。 さらには、スイスでの類話「まま娘」では、変装した継母に毒が仕掛けられたコルセットで締め上げられて殺されかけた継娘が、匿ってくれている小人の「今度、留守番中に誰かを家に入れたら、フライパンで焼いてしまうぞ」という忠告を守れず、再び変装した継母に毒りんごで殺されかけたために、継娘をフライパンで焼くべきか否かを十二人の小人たちが多数決で決めることにするエピソードがある。 1937年に発表されたディズニー初の長編カラーアニメーション映画である。 それぞれ2つの版があり、いずれもハローキティが白雪姫となっている。 「ハローキティのしらゆきひめ」のタイトルで、1993年7月にOVAとして制作。ダニエルが当時まだ正式に登場していなかったものの、王子様はダニエルと似たキャラクターとなっている。内容は、後に制作されたサンリオ世界名作劇場の同名作品よりも原作に近いものとなっている。 サンリオ世界名作映画館のものとは別に「ハローキティの白雪姫」という同名作品があり、ダニエルが王子様であるが、狩人に持ってくるよう命じる証拠品が「心臓」ではなく「血のついた矢」(しかし血のシーンは王女の服に隠れて一切見えない)となっている他、七人の小人ではなく、七人のきこり。毒りんごは半分しか塗らない(毒なんて入ってないと白雪姫に証拠を見せるため)など一部変更されている部分がある。 継母の末路では、王子のキスで目覚めた白雪姫の生存を知って発狂するところを兵士に取り押さえられ、王様の命令により焼かれた鉄の靴を履かせられたが、その描写が映されておらず継母の悲鳴が聞こえるのみで生死も不明。 また、タイトルも名作映画館版では「しらゆきひめ」とひらがな表記であったが、名作劇場版では「白雪姫」と漢字表記となっている。 などとするものもある。 ベヒシュタインの白雪姫では、白雪姫は気高い心の持ち主であるが故、継母である王妃を許し、仕返しも復讐も行わなかったが、一匹の“嫉妬”という名の毒虫に継母は心を苛まれるという結末を迎える。 また、A・L・グリムの白雪姫では、小人の王より九十九に掛けること九十九年の長きにわたって小人の王の城のガラスの棺の中に命なく横たわるものとするという罰を下される。 また、低年齢向けの絵本では継母の最期が描かれないものもある。 白雪姫には欧州各地を中心にアメリカやチリ、インドなどに類話が存在する。ドイツ及びゲルマン語圏よりもゲール語圏(ケルト系)やラテン語圏(ラテン系)に多くの話が残っているのが最大の特徴である。 類話としては以下の話を例として挙げることができる。 以下の書籍の該当頁には、類話の一部が載っているので参照されたい。
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"tag": "p", "text": "また、低年齢向けの絵本では継母の最期が描かれないものもある。", "title": "「白雪姫」の変遷" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "白雪姫には欧州各地を中心にアメリカやチリ、インドなどに類話が存在する。ドイツ及びゲルマン語圏よりもゲール語圏(ケルト系)やラテン語圏(ラテン系)に多くの話が残っているのが最大の特徴である。", "title": "「白雪姫」の変遷" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "類話としては以下の話を例として挙げることができる。", "title": "「白雪姫」の変遷" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "以下の書籍の該当頁には、類話の一部が載っているので参照されたい。", "title": "「白雪姫」の変遷" } ]
「白雪姫」は、元々はドイツのヘッセン州バート・ヴィルドゥンゲンの民話とされている。 グリム兄弟の『グリム童話』に、KHM53番、エーレンベルク稿(1810年手稿)では43番として収載されている。 話者は、「マリー」ことマリー・ハッセンプフルークである。 タイトルおよび主人公の呼称の日本語訳名は「白雪姫」が一般的である。しかし、Schneewittchenが「雪のように白い子」の意であることから、厳密に正確な日本語訳とするなら「雪白姫(ゆきじろひめ)」が正しい。
{{Otheruses|ドイツの民話|日本の伝承|夜叉ヶ池 (戯曲)|関連作品|白雪姫 (曖昧さ回避)}} [[Image:Marianne Stokes Schneewittchen.jpg|thumb|350px|ガラスの棺に入れられた白雪姫]] 「'''白雪姫'''」(しらゆきひめ、[[低地ドイツ語]]:{{de|Schneewittchen}}、標準[[ドイツ語]]:{{de|Schneeweißchen}})は、元々は[[ドイツ]]の[[ヘッセン州]][[バート・ヴィルドゥンゲン]]の民話とされている{{refnest|group="注釈"|[[ドイツ]]の[[郷土史家]]エックハルト・ザンダーの説による<ref>[[沖島博美]]、[[朝倉めぐみ]]、グリム童話で旅する ドイツ・メルヘン街道、ダイヤモンド社、2012年、p. 49 参照。</ref>。ただし、必ずしも言い切れない{{refnest|group="注釈"|「グリム童話を読む事典」KHM採話・出典一覧表の[[ヘッセン]]の項にKHM53番「白雪姫」は挙げられていない<ref name="iyi">{{Cite book|和書 |author = 高木昌史 著 |origyear =2002年 |title = グリム童話を読む事典 |publisher = 三交社 |isbn = 4-87919-149-3 |url = |accessdate = |pages = pp. 85, 387, 390, 393, 399, 410, 418, 483 }}</ref>。}}。グリム兄弟は、「文献からの採録」<ref>[[ハインツ・レレケ]]、グリム兄弟のメルヘン、岩波書店、1990年、p. 129 参照。</ref>、「話者(ほとんどが兄弟の友人や知人、親戚などの親しい若しくは近しい関係にある人物)に自分達の処に来てもらう」<ref>[[ハインツ・レレケ]]、前掲書、1990年、p. 126 参照。</ref>、「書簡にて送ってもらう」<ref name="iki">{{Cite book|和書 |author = 鈴木晶 著 |origyear =1991年 |title = グリム童話―メルヘンの深層― |publisher = 講談社 |isbn = 4-06-149034-6 |url = |accessdate = |pages = p. 120 }}</ref>をもっぱらメルヘン蒐集の手法としていた。レレケは話者のマリー・ハッセンプフルークが[[ヘッセン=カッセル方伯領|ヘッセン選帝侯国]](当時、現在の[[ヘッセン州]])の[[カッセル]]に来てから知った可能性を示唆している<ref>[[ハインツ・レレケ]]、前掲書、1990年、p. 125 参照。</ref>が、エリスは少しでも多くの場所に行ってメルヘン蒐集を行ったと印象づけるための細工だとしている<ref name="iki"/><ref>[[ジョン・M・エリス]]、一つよけいなおとぎ話、新曜社、1993年、pp. 52–53 参照。</ref>。また、話者であるマリー自身、全くのフランス精神の下で育ち、ペローの童話やフランスの民話等を知っていた可能性がある。事実、[[ペロー童話集]]に収載されている[[眠れる森の美女|いばら姫]]や[[赤ずきん|赤帽子]]{{refnest|group="注釈"|グリム童話集の原題に沿うと「赤帽子」が正しい邦訳名になる。[[シュバルム]]地方の民族衣装“ケプフェレ”(または“ケップヒェン”)が元になっている。[[アルスフェルト]]の赤ずきんの泉像もこの“ケプフェレ”を乗せている<ref>[[藤崎康夫]]、グリム童話の旅、京都書院、1997年、pp. 84, 92–94, 99 参照。</ref><ref>[[沖島博美]]、[[朝倉めぐみ]]、前掲書、2012年、pp. 92–94、カバー裏 参照。</ref>。}}を兄弟に語っている<ref>[[小澤俊夫]]、素顔の白雪姫、光村図書出版、1985年、pp. 114, 120 参照。</ref>また、フランスの民話には[[魔法の靴下]]<ref name="iyi"/><ref>[[新倉朗子]]、フランス民話集、岩波書店、1993年、pp. 154–159 参照。</ref>、[[かわい子ちゃん]]<ref name="名前なし-1">[[新倉朗子]]、前掲書、1993年、p. 297 参照。</ref>、[[アンジウリーナ]]<ref name="iyi"/><ref>[[樋口淳]]、[[樋口仁枝]]、フランス民話の世界、白水社、1989年、pp. 177–183 参照。</ref>という類話が存在する。}}{{refnest|group="注釈"|他方、ペンタメローネ[五日物語]二日目第八話の「奴隷娘」が「白雪姫」の原型的な話と考えられており、恐らく元々は地中海世界全体にあまねく分布していた話が元になっていると思われる<ref>[[ジャンバッティスタ・バジーレ]] 著、ペンタメローネ、大修館書店、1995年、pp. 182–186 参照。</ref><ref>[[原英一]] 著、お伽話による比較文化論、松柏社、1997年、pp. 68–69 参照。</ref>。}}。 [[グリム兄弟]]の『[[グリム童話]]』({{de|Kinder- und Hausmärchen}})に、KHM<ref group="注釈">グリム童話の通し番号。第7版(1857年版)で付された番号に由来する。文字通り「子供と家庭のメルヒェン集」の略</ref>53番、エーレンベルク稿(1810年手稿)では43番として収載されている。 話者は、「マリー」<ref>[[鈴木晶]]、前掲書、1991年、pp. 117–118 参照。</ref>{{refnest|group="注釈"|兄弟が所有していた童話集の初版本にヴィルヘルムの筆跡で書き込まれていた、「マリーから (von der Marie)」というメモと、[[ヘルマン・グリム]]が1895年に発表した回想を根拠に、かつては兄弟が住む家の近所で太陽薬局を営むヴィルト家(ヴィルヘルムの妻であり、ヘルマンの母親であるドルトヒェンの実家)に使用人として住んでいた、戦争未亡人で生粋の[[ヘッセン=カッセル方伯領|ヘッセン選帝侯国]](当時、現在の[[ヘッセン州]])出身のドイツ人である「[[マリー・ミュラー]](マリーおばあさん)」のこととされていた。回想ではヘルマンはこの「マリーおばあさん」に幼少の頃、幾度となく会っていたと書いているが、彼女はヘルマンが生まれる16年前にヴィルト家を辞して、当時太陽薬局のあった[[カッセル]]を去り、ヘルマンの生まれる2年前に身罷っている。ゆえに、いわゆる「マリーおばあさん」は架空の人物である<ref>[[竹原威滋]]、グリム童話と近代メルヘン、三弥井書店、2008年、pp. 90–92 参照。</ref><ref>[[小澤俊夫]]、グリム童話の誕生、朝日新聞社、1992年、pp. 104–108 参照。</ref><ref>[[ジョン・M・エリス]]、一つよけいなおとぎ話、新曜社、1993年、pp. 55–60 参照。</ref>。}}こと{{仮リンク|マリー・ハッセンプフルーク|de|Amalie Hassenpflug}}<ref>[[鈴木晶]]、前掲書、1991年、pp. 118, 124 参照。</ref>{{refnest|group="注釈"|中産階級の生まれ。母方がフランス系で[[ユグノー]]の子孫。家庭ではフランス語を話していた。グリム兄弟にメルヘンを語った時点では、まだ二十歳そこそこだった<ref>[[小澤俊夫]]、前掲書、1992年、pp. 108–109, 133–134 参照。</ref>。}}である<ref>[[吉原高志]]・[[吉原素子]]、初版 グリム童話集2、白水社、2007年、p. 191 参照。</ref>{{refnest|group="注釈"|彼女の話の終結部分に関して、書き留めたヤーコプはどうも納得いかなかったらしく、初版本ではマールブルグ近郊のトライザに住む牧師の息子、[[フェルディナンド・ジーベルト]]から送ってもらった、[[シュバルム]]地方の話に内容を差し替え<ref name="iyi"/><ref name="iji">{{Cite book|和書 |author = 小澤俊夫 著 |origyear =1999年 |title = グリム童話考 pp. 101, 115 参照 |publisher = 講談社 |isbn = 4-06-159408-7 |url = |accessdate = }}</ref>、更に第二版以降では、白雪姫の蘇生部分を[[フランクフルト・アム・マイン]]の[[ハインリヒ・レオポルド・シュタイン]]から送ってもらった話に内容を差し替えている<ref name="iyi"/><ref name="iji"/><ref>[[吉原高志]]・[[吉原素子]]、グリム〈初版〉を読む、白水社、1993年、pp. 18, 117–118 参照。</ref><ref>[[吉原高志]]・[[吉原素子]]、前掲書、2007年、pp. 191–192 参照。</ref>}}。 タイトルおよび主人公の呼称の日本語訳名は「白雪姫」が一般的である。しかし、{{de|Schneewittchen}}が「雪のように白い子」の意<ref>[[富山芳正]]、Sneewittchen、第三書房、1956年、p. 31 参照。</ref><ref name="ili">{{Cite book|和書 |author = ヤコブ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 採話 金田鬼一 訳 |origyear =1979年 |title = 完訳 グリム童話集2 p. 150 参照 |publisher = 岩波書店 |isbn = 4-00-324132-0 |url = |accessdate = }}</ref>であることから、厳密に正確な日本語訳とするなら「雪白姫(ゆきじろひめ)」が正しい<ref name="ili"/>。 == ストーリー == [[Image:Schneewittchen-Otto-Kubel.jpg|thumb|イラスト:オットー・クーベル(1930)]] ある国に、「白雪姫」と称される容貌に優れた王女がいた。しかし彼女の継母(グリム童話初版本では実母)である[[王妃 (白雪姫)|王妃]]は、自分こそが世界で一番美しいと信じていた。彼女が秘蔵する[[魔法]]の鏡は、「世界で一番美しいのはだれか」との問いにいつも「それは王妃様です」と答え、王妃は満足な日々を送っていた。 白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女は」と訊ねたところ、「それは白雪姫です」との答えが返ってくる。怒りに燃える王妃は[[猟師]]を呼び出すと、「白雪姫を殺し、証拠として彼女の[[肺臓]]と[[肝臓]](※作品によっては[[心臓]]となっている)を取って帰ってこい」と命じる。しかし猟師は白雪姫を不憫がり、殺さずに森の中に置き去りにする。そして王妃へは証拠の品として、[[イノシシ]]の肝臓を持ち帰る。王妃はその肝臓を白雪姫のものだと信じ、大喜びで[[塩茹で|塩茹]]にして食べる。 森に残された白雪姫は、7人の[[ドワーフ|小人]]({{De|sieben Zwerge}})たちと出会い、生活を共にするようになる。一方、白雪姫を始末して上機嫌の王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しいのは?」と尋ねたところ「それは白雪姫です」との答えが返ってくる。白雪姫がまだ生きている事を知った王妃は物売りに化け、小人の留守を狙って腰紐を白雪姫に売りつける。そして腰紐を締めてあげる振りをして彼女を締め上げ、息を絶えさせる。 やがて帰ってきた7人の小人は、事切れている白雪姫に驚き、腰紐を切って息を吹き返させる。一方、王妃が再び世界一の美女を魔法の鏡に尋ねたことにより、白雪姫が生きている事が露見する。王妃は毒を仕込んだ[[櫛]]を作り、再度物売りに扮して白雪姫を訪ねる。白雪姫は頭に櫛を突き刺され倒れるが、小人たちに助けられる。 今度こそ白雪姫を始末したと上機嫌の王妃だが、魔法の鏡の答えで白雪姫の生還を悟る。王妃は、毒を仕込んだ[[リンゴ]]を造り、善良なリンゴ売りに扮して白雪姫を訪ねる。白雪姫は疑いもなくリンゴを齧り、息絶える。 やがて帰ってきた小人たちは息絶えた白雪姫を見つける。あらゆる手を尽くすが今度は蘇生する事はなかった。本当に死んでしまったものとして悲しみに暮れ、遺体をガラスの[[棺]]に入れる。そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり、死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける。 白雪姫の棺をかついでいた家来のひとりが木につまずき、棺が揺れた拍子に白雪姫は喉に詰まっていたリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返す。蘇生した白雪姫に王子は喜び、自分の国に連れ帰って妻として迎える。 白雪姫と王子の結婚披露宴の席。王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされる。 == 登場人物== ; 白雪姫 : お妃が心に浮かべた願い通りに、雪のように[[白]]い肌、血のように[[赤]]い頬や唇、[[黒檀]]の窓枠の木のように[[黒]]い髪を持って産まれ、その身体的特徴をもって「白雪姫」と呼ばれた王女<ref name="iai">{{Cite book|和書 |author = ヤコブ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 採話 植田敏郎 訳 |origyear =1967年 |title = グリム童話集I 白雪姫 |publisher = 新潮社 |isbn = 978-4-10-208301-7 |url = |accessdate = |pages = 229–251 }}</ref>。 : 7歳の時、既に継母であるお妃よりも美しく育ったがために、それを妬み憎んだお妃に謀殺されそうになる。しかし言いつけられた猟師が同情し逃がしてくれる(もっとも猟師は自分の手にかけるのが忍びなかっただけで、末は獣に食べられるだけだろうと考えていた)<ref name="iai"/>。 : 王女は森の中を彷徨い七つの山を越え、偶然見つけた小人たちの家で、家事をすることを条件に暮らすことになる<ref name="iai"/>。 : だが、王女が生きていて、猟師に騙されたと知ったお妃の謀り事により、一度目はいろいろな色の絹で編んだ紐によって絞殺、二度目は魔術を使ってこしらえた櫛で術殺、三度目は毒を仕込んだ林檎で毒殺されてしまう<ref name="iai"/>。 : 王女は小人たちの努力も虚しく蘇生できず、しかし、遺体があまりに美しくまるで生きているようだったので、ガラスの棺に納められ山の上に置かれる<ref name="iai"/>。 : ある時、森に迷い込み小人たちの家に泊まりに来たある国の王子が、山の上で王女を見つけて見初め、小人たちに頼み込み王女を棺ごと貰い受けてしまう<ref name="iai"/>。 : だが、召使いたちが棺を運ぶ最中、潅木につまずき、その揺れで喉に詰まった林檎が飛び出し、王女は息を吹き返す。 : 喜んだ王子は王女にプロポーズし、盛大な結婚式が執り行われた<ref name="iai"/>。 : [[ドイツ]]の[[郷土史家]]エックハルト・ザンダーは白雪姫のモデルについて、[[1554年]]に[[ブリュッセル]]にて21歳で身罷った、{{仮リンク|マルガレータ・フォン・ヴァルデック|de|Margaretha von Waldeck|en|Margaretha von Waldeck}}だとしている。 : マルガレータは父{{仮リンク|ヴァルデック゠ヴィルドゥンゲン伯フィーリップ4世|de|Philipp IV. (Waldeck)|en|Philipp IV, Count of Waldeck}}によって、神聖ローマ皇帝カール5世に囚われた[[フィリップ1世 (ヘッセン方伯)|ヘッセン方伯フィリップ]]の釈放の際身柄の引き換えとして[[ブリュッセル]]に送られたが、異邦での暮らしに馴染めず病に臥し21歳の若さで1554年に身罷っている。 : しかしザンダーが発見した記録によると、マルガレータの美貌に我慢ならなくなった、父フィーリップ4世の2番目の妻であるカタリーナ・フォン・ハッツフェルトは、マルガレータを城から追い出そうとする。こうしてカタリーナの大変な嫉妬深さゆえに16歳で[[ブリュッセル]]の宮廷に送られてしまう。 : [[ブリュッセル]]での暮らしは困難を極め、躰を壊したマルガレータは1554年に身罷ることになるが、その死因は[[ヒ素|砒素]]による毒殺だとする説がある<ref>[[沖島博美]]、[[朝倉めぐみ]]、前掲書、2012年、pp. 47–49 参照。</ref><ref>「Schneewittchen kommt aus Bad Wildungen und die sieben Zwerge aus Bergfreiheit[http://schneewittchendorf.com/schnees1.htm]」2014年8月2日 閲覧</ref>。彼女は[[ブロンド]]であったようで、エーレンベルク稿(1810年手稿)では白雪姫の髪は[[黄色]]<ref name="imi">{{Cite book|和書 |author = ヤコブ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 採話 フローチャー美和子 訳 |origyear = 2001年 |title = 【初版以前】グリム・メルヘン集 |publisher = 東洋書林 |isbn = 978-4-88721-564-1 |url = |accessdate = |pages = 137–145 }}</ref>({{en|gelb}})である。 : ザンダーはこのマルガレータの生涯と、バート・ヴィルドゥンゲン近郊の落盤事故で廃鉱となった銅鉱山とその近くの廃村に小人達がいつしか住み着いた話とが結び付き、白雪姫の話の原型が出来上がったと見ている<ref>[[沖島博美]]、[[朝倉めぐみ]]、前掲書、2012年、pp. 48–49 参照。</ref>。 ; [[王妃 (白雪姫)|王妃]] : 白雪姫の母親。[[エーレンベルク]]稿(1810年手稿)や初版本(1812・15年版)では実母<ref name="imi"/><ref name="ivi">{{Cite book|和書 |author = ヤコブ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 採話 小澤俊夫 訳 |origyear =1989年 |title = ドイツロマン派全集第II期 第15巻 グリム兄弟 |publisher = 国書刊行会 |isbn = 978-4-336-02692-7 |url = |accessdate = |pages = 90–96 }}</ref><ref name="ini">{{Cite book|和書 |author = ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 採話 吉原高志・吉原素子 訳 |origyear =2007年 |title = 初版 グリム童話集2 |publisher = 白水社 |isbn = 978-4-560-07165-6 |url = |accessdate = |pages = 174–192 }}</ref><ref name="izi">{{Cite book|和書 |author = 小澤俊夫 著 |origyear =1985年 |title = 素顔の白雪姫 |publisher = 光村図書出版 |isbn = 4-89528-034-9 |url = |accessdate = |pages = 176–259 }}</ref>だが、第2版(1819年版)以降の版では、生母と継母(父王の後妻)<ref name="izi"/>の二人になる<ref group="注釈">グリム兄弟が集めた民話では、実母が悪女に豹変するものと継母が意地悪という両方のパターンがあった。類話でもグリム童話集より先に出版されている『リヒルデ(1782年)』などは継母である。</ref>。 :; 実母 :: 雪が舞い落ちる中、黒檀の窓枠のついた窓際で針仕事中、雪を見やった際に針で指を刺してしまう<ref name="iai"/>。 :: その血が三滴白い雪の上に滴ったのを見て、この雪のように白い肌、この血のように赤い唇、この窓枠の木のように真っ黒な髪の子供が欲しいと思い、その願い通り雪のように肌が白く、血のように赤い唇をし、黒檀のように真っ黒な髪をした可愛らしい王女が生まれたが、すぐに息を引き取った<ref name="iai"/>。 :; 継母 :: 綺麗なことを鼻にかけ、高慢で、器量で人に負けることが嫌い<ref name="iai"/>。 :: 問いかけると何でも答えてくれる不思議な鏡を持っている<ref name="iai"/>。 :: 継子の王女が自分よりも美しいことに我慢ならず、三度も王女を謀殺しようとし、最期にはその報いで真っ赤に灼けた鉄の靴を履かされ、祝宴の最中王女らの目前で死ぬまで踊り続けさせられる<ref name="iai"/>。 : なお、継母を魔女だとする見方がある<ref group="注釈">ディズニーアニメ版はこの解釈を採用し、王妃が魔法薬で婆さんに変身する(原作では顔に塗料を塗るなど変装の範疇)描写がある。</ref>が、これはかつて[[魔女狩り|魔女裁判]]において、真っ赤に灼けた鉄製の靴を履かせる拷問が実際に行われたこと等から生まれた解釈である<ref>[[金成陽一]]、誰が白雪姫を誘惑したか、大和書房、1991年、pp. 64–69 参照。</ref>。しかし、悪魔が塩気を嫌うことから、塩茹での肺臓と肝臓をためらうことなく平らげたことにより魔女ではないとする見方もある<ref>[[金成陽一]]、前掲書、1991年、pp. 68–69 参照。</ref>。 : その一方で、実母が子供が欲しいと願った際に、何らかの形で呪文を唱えたのではないかという考えがある。これは冬の最中に開け放した窓辺で縫い物をしているという、現実にはありえない行為や、指に針を刺したことで雪に血が一滴落ちたことの不自然さ等から生まれた解釈である<ref>[[ウラジミール・プロップ]]、魔法昔話の誕生、講談社、2009年、p. 71 参照。</ref>。 ; 七人の小人 : 行くあてのない王女に対し、「家の世話をし、料理を調え、ベッドをつくり、洗濯をし、縫ったり繕ったりして、何もかもきちんと綺麗にしておいてくれる」ことを条件に家に居ることを諒承する<ref name="iai"/>。この条件に対し白雪姫は「本当に、そうしたいわ」と答えて契約成立。 : 原語の「Zwerge」は英語の[[ドワーフ]](dwarf)に当たる小人、この物語の彼らも昼間は鉱石を掘りに行くので家を空ける描写がある。 : グリム童話などに措いて小人たちはあまり重要な役どころではないためか、彼らに名前や性格づけはなされていない。しかしディズニー映画に措いて重要な役回りとなったため、各々の性格や言動に則した名前が付され、現在それが踏襲される場合が多い。 :# ドク(Doc) = 先生 :# グランビー({{en|Grumpy}}) = 怒りんぼう(苦虫<ref name="i1i">{{Cite book|和書 |author = 赤坂一郎 訳 宮内秀雄 註 |origyear = 1950年 |title = アメリカ映画シナリオ・シリーズ‐20‐ 白雪姫 口絵 参照及び引用 |publisher = 國際出版社 |isbn = |url = |accessdate = }}</ref>) :# ハッピー({{en|Happy}}) = 幸せ(呑気屋<ref name="i1i"/>) :# スリーピー({{en|Sleepy}}) = 眠い(眠り屋<ref name="i1i"/>) :# バッシュフル({{en|Bashful}}) = 恥ずかしがりや(照れ助<ref name="i1i"/>) :# スニージー({{en|Sneezy}}) = くしゃみっぽい(苦沙弥<ref name="i1i"/>) :# ドーピー({{en|Dopey}}) = ぼんやり または おとぼけ(抜け作<ref name="i1i"/>) ; 王子 : 毒リンゴを食べて身罷った王女をガラスの棺ごとタダで貰い受ける<ref name="iai"/>。 : エーレンベルク稿(1810年手稿)では、最後に唐突に登場し、王女と結婚するだけで他には何もしていない<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 ; 魔法の鏡 : 継母であるお妃が持っている不思議な鏡。いわゆる魔鏡の類である<ref name="iai"/>。 : 問い掛けに対して何でも答えてくれるが、嘘は絶対つかないため、その内容は全て真実である<ref name="iai"/>。 == 「白雪姫」の変遷 == この物語は、グリムの他の物語同様に様々な変遷を経た。 === エーレンベルク稿(1810年手稿)での記述 === * タイトルが「白雪姫」ではなく、「雪白ちゃん/不幸な子ども」{{refnest|group="注釈"|「ドイツ・ロマン派全集第15巻」収載の小澤訳では白雪姫<ref name="ivi"/>。}}である<ref name="imi"/>。 * 黒檀のように黒いのは瞳である<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 髪の色は黒ではなく黄色{{refnest|group="注釈"|「ドイツ・ロマン派全集第15巻」収載の小澤訳では「金色の髪の毛」となっている<ref name="ivi"/>。}}である<ref name="imi"/>。 * 母親(王妃)が狩人に白雪姫を殺させようとするエピソードがない<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 母親は自ら白雪姫を森の中に置き去りにしている<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 母親に捨てられた時の白雪姫の年齢は不明<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 小人たちの職業が「山の仕事場に行っている」、「一日の仕事を終え」とあるだけで明確ではない{{refnest|group="注釈"|「ドイツ・ロマン派全集第15巻」収載の小澤訳では「山で鉱石をほってはたらいていて」となっており、明らかに鉱夫であることが示されている<ref name="ivi"/>。}}<ref name="imi"/>。 * 小人たちが自分たちの食事などが食べられているのを見つけた時、5人しか発言していない<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 白雪姫自ら食事をつくるからと、小人たちのところに置いてもらえるよう頼んでいる{{refnest|group="注釈"|「ドイツ・ロマン派全集第15巻」収載の小澤訳ではこびとの側から食事の用意をしてくれるよう頼んでいる<ref name="ivi"/>。}}<ref name="imi"/>。 * 半分にだけ毒を仕掛けられた林檎を白雪姫がかじり、白雪姫はその毒がもとで死んでいる(林檎が喉に詰まって仮死状態になったのではない)<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 白雪姫の遺体をガラスの棺に入れる前に葬っている{{refnest|group="注釈"|「【初版以前】 グリム・メルヘン編集」収載のフローチャー 訳ではこの部分がない<ref name="ini"/>。}}<ref name="ivi"/>。 * 白雪姫の遺体を小人たちが水やワインで洗うエピソードがない<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 小人たちが白雪姫の遺体をガラスの棺に入れたのは、美しい姿を永久保存{{refnest|group="注釈"|「ドイツ・ロマン派全集第15巻」収載の小澤訳では結果として美しい姿が永久保存されただけで、こびとたちは白雪姫を葬るためにガラスの棺に入れている<ref name="ivi"/>。}}するため<ref name="imi"/>。 * 父親である国王がガラスの棺に入れられた白雪姫を引き取り、国王(もしくはお付きの医者)が生き返らせている{{refnest|group="注釈"|「ドイツ・ロマン派全集第15巻」収載の小澤訳では白雪姫を生き返らせたのはお付きの医者<ref name="ivi"/>。}}<ref name="imi"/>。 * その際は、一本の綱を部屋の四隅にしっかりと張って呪文を唱えるという儀式が行われている{{refnest|group="注釈"|「ドイツ・ロマン派全集第15巻」収載の小澤訳では一本の縄を部屋の四隅に張っただけで白雪姫は生き返っており、呪文を唱えるエピソードがない<ref name="ivi"/>。}}<ref name="imi"/>。 * 王子との馴れ初めのエピソードがない<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 最後に焼けたサンダル{{refnest|group="注釈"|「ドイツ・ロマン派全集第15巻」収載の小澤訳では「うわばき」となっている<ref name="ivi"/>。}}を履かされ、死ぬまで踊らされたのは母親たる王妃<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 王妃が履かされたサンダルは鉄製とは書かれていない<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 「ほかの話では」として、小人たちが小さな魔法の槌で32回軽く叩くことで、白雪姫が生き返ったとしている<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 * 「ほかの書き出し」として、「雪のように白い、女の子が欲しい」「この血のように、きれいな赤い頬をしている娘がいたら」と望んだのは[[国王]]<ref group="注釈">金田鬼一 訳では[[伯爵]]となっている。</ref>としている{{refnest|group="注釈"|この類話では、さらに続けて国王は「鴉のように黒いかみの毛をもった女の子がほしいものだ」と望み、そのうちにその通りの女の子に行き当たっている<ref>[[金田鬼一]]、前掲書、1979年、p. 148 参照及び引用。</ref>。}}<ref name="imi"/><ref name="ivi"/>。 === 初版本(1812・15年版)での記述 === * 「血のように赤い」は白雪姫のどの身体的特徴と合致するのか表されていない<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 * 黒檀の木のように黒いのは瞳(冒頭ではどの身体的特徴と合致するのか表されていないが、王子が登場する直前に瞳であることが記されている)<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 * 髪の色が明確ではない<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 * 小人たちは(仮死状態の)白雪姫の体を水やワインで洗っていない<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 * 小人たちは白雪姫が入れられたガラスの棺を、自分達の住む小屋の中に安置し、交代で見張っている<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 * 王子は小人たちの住む小屋に泊めてもらうために訪れているが、なぜ泊まろうとしたのかその理由は不明<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 * ガラスの棺に入れられた白雪姫を王子は棺ごと金で買おうとした<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 * 小人たちに売るのを拒否されると、王子は白雪姫の遺体を譲ってくれるよう懇願しているが、お礼をするとは言っていない{{refnest|group="注釈"|「素顔の白雪姫」収載の小澤訳では贈り物として下さいと頼んでいる<ref name="izi"/>。}}<ref name="ini"/>。 * ガラスの棺の白雪姫を王子は城に運び入れ、四六時中白雪姫を見つめていた{{refnest|group="注釈"|「素顔の白雪姫」収載の小澤訳ではひと時も目を離すことができませんでしたとなっている<ref name="izi"/>。}}<ref name="ini"/>。 * 棺から離れなければならない時は、王子は白雪姫を見られないことに悲しみ、棺が横にないと食事も喉を通らない程だった{{refnest|group="注釈"|「素顔の白雪姫」収載の小澤訳ではひと口も食事をとることができませんとなっている<ref name="izi"/>。}}<ref name="ini"/>。 * 召使たちはいつも白雪姫の入った棺を運ばされるので腹を立てていた<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 * そのうちの一人が怒りに任せて白雪姫の背中を殴ると、喉につかえていた林檎の芯が飛び出し{{refnest|group="注釈"|「素顔の白雪姫」収載の小澤訳ではおそろしいリンゴのひとかけらが、のどからはずれて<ref name="izi"/>。}}、白雪姫は生き返った<ref name="ini"/>。 * 最後に真っ赤に焼けた鉄の上履きを履かされ、火傷を負いながら死ぬまで踊らされたのは、実の母親たる王妃<ref name="ini"/><ref name="izi"/>。 [[比較民話研究会]]の[[岩瀬ひさみ]]の研究では、白雪姫の類話には小人が登場する物が少なく、グリム童話の初版本及び第七版を除けば後述のウィーンのものとされる話<ref name="名前なし-2">「Sneewittchen (Schneeweißchen) (1812) (下のほうにある「Anhang Band 1 [XXXII] Zu Sneewittchen. No. 53.」)[https://de.wikisource.org/wiki/Sneewittchen_%28Schneewei%C3%9Fchen%29_%281812%29]」2014年9月21日 閲覧</ref>と、アイスランドの2話、スイスの1話(後述)のみである<ref name="i5i">{{Cite book|和書 |author = 日本昔話学会 編 岩瀬ひさみ 著 |origyear = 2007年 |title = 昔話-研究と資料-25号 昔話と呪物・呪宝 |publisher = 三弥井書店 |isbn = 4-8382-2030-8 |url = |accessdate = |pages = 183–184 }}</ref>。また、エーレンベルク稿や{{仮リンク|ルートヴィヒ・ベヒシュタイン|de|Ludwig Bechstein}}の白雪姫、そして「もうひとりのグリム」こと{{仮リンク|アルベルト・ルートヴィヒ・グリム|de|Albert Ludewig Grimm}}の白雪姫、[[ヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウス]]のリヒルディスにも小人が登場する。さらには小人の数を7人と限定するとグリム童話のエーレンベルク稿<ref name="imi"/>、初版本<ref name="i5i"/>、第七版<ref name="i5i"/>、ウィーンの類話<ref name="i5i"/><ref name="名前なし-2"/>、ベヒシュタインの白雪姫、A・L・グリムの白雪姫しか該当するものがない。 一方、類話には主人公を匿う者として盗賊や山賊が登場する物が多い。たとえば、[[コルシカ島]]の類話「アンジウリーナ」では、母親に頼まれてその娘のアンジウリーナを殺すために攫う山賊が登場する(話では結局さらうだけで、殺さずに自分達の隠れ家に連れて行って匿っている)<ref name="iyi"/><ref name="名前なし-3">[[樋口淳]]、[[樋口仁枝]]、前掲書、1989年、pp. 177–183 参照。</ref>。 なお、類話の中でもかなり古いタイプと見られる話では、娘を見たら必ず殺してしまう十二人の悪い盗賊が登場する<ref>[[カール=ハインツ・マレ]]、首をはねろ!、みすず書房、1989年、p. 191 参照。</ref>。また、Johannes Bolte、Georg Polivka 共著『Anmerkungen Zu den Kinder-und Hausmärchen der Brüder Grimm.(グリム童話註解<ref>[[金田鬼一]]、完訳 グリム童話1、岩波書店、1979年、p. 10 参照。</ref>)』には、自分たちの棲む洞穴にやって来る少女を手当たり次第に殺してしまう七人の小人が登場するウィーンの話とされる類話が収載されている<ref name="名前なし-4">[[金成陽一]]、前掲書、1991年、pp. 214–215 参照。</ref><ref name="名前なし-5">[[金田鬼一]]、前掲書、1979年、pp. 148–149 参照及び引用。</ref><ref name="名前なし-2"/>{{refnest|group="注釈"|この類話では、白雪姫を殺そうとする王妃は3人の連れ子を持つ継母で実母ではない。また「鏡」という名の犬が「娘三人子もちのおきさきさまよりも、七人の一寸ぼうし(Zwergeのこと)のうちにいる雪白姫がうつくしい」と返事しており、所謂魔鏡の類は出てこない<ref name="名前なし-5"/><ref name="名前なし-2"/>。}}。 さらには、[[スイス]]での類話「まま娘」では、変装した継母に毒が仕掛けられたコルセットで締め上げられて殺されかけた継娘が、匿ってくれている小人の「今度、留守番中に誰かを家に入れたら、フライパンで焼いてしまうぞ」という忠告を守れず、再び変装した継母に毒りんごで殺されかけたために、継娘をフライパンで焼くべきか否かを十二人の小人たちが多数決で決めることにするエピソードがある<ref>[[竹原威滋]]、前掲書、2008年、pp. 129–130 参照及び引用。</ref><ref>[[マリオ・ヤコービ]]、[[ヴェレーナ・カースト]]、[[イングリット・リーデル]]、悪とメルヘン、新曜社、2002年、pp. 20–21 参照。</ref><ref>[[竹原威滋]]、王子と美しいパセリちゃん、小峰書店、1989年、pp. 161–167 参照。</ref>。 === ディズニー映画の白雪姫 === {{main|白雪姫 (1937年の映画)}} 1937年に発表された[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]初の長編カラーアニメーション映画である。 * 白雪姫は、家来がつまずいた拍子ではなく王子の口づけにより目を覚ます。 * 継母は7人の小人に追われ、突然の雷に打たれて崖から落ちる。 === サンリオ版の白雪姫 === それぞれ2つの版があり、いずれも[[ハローキティ]]が白雪姫となっている。 ==== サンリオ世界名作映画館 ==== 「ハローキティのしらゆきひめ」のタイトルで、[[1993年]][[7月]]に[[OVA]]として制作。[[ディアダニエル|ダニエル]]が当時まだ正式に登場していなかったものの、王子様はダニエルと似たキャラクターとなっている。内容は、後に制作されたサンリオ世界名作劇場の同名作品よりも原作に近いものとなっている。 ==== サンリオ世界名作劇場 ==== サンリオ世界名作映画館のものとは別に「ハローキティの白雪姫」という同名作品があり、ダニエルが王子様であるが、狩人に持ってくるよう命じる証拠品が「心臓」ではなく「血のついた矢」(しかし血のシーンは王女の服に隠れて一切見えない)となっている他、七人の小人ではなく、七人のきこり。毒りんごは半分しか塗らない(毒なんて入ってないと白雪姫に証拠を見せるため<ref group="注釈">ただし、野村滋訳(ちくま文庫)では、リンゴの赤い方にのみ毒を塗り、白雪姫には赤い方を食べさせた、とある。</ref>)など一部変更されている部分がある。 継母の末路では、王子のキスで目覚めた白雪姫の生存を知って発狂するところを兵士に取り押さえられ、王様の命令により焼かれた鉄の靴を履かせられたが、その描写が映されておらず継母の悲鳴が聞こえるのみで生死も不明。 また、タイトルも名作映画館版では「しらゆきひめ」とひらがな表記であったが、名作劇場版では「白雪姫」と漢字表記となっている。 === その他 === * 白雪姫がリンゴを吐き出した理由を、以下の要因によるとする作品が存在する。 ** 家来が藪に足を取られて倒れ、その拍子に吐き出した ** [[王子]]が白雪姫を抱いているとき藪に足を取られて倒れ、その拍子に吐き出した ** 家来が白雪姫を運ぶのに疲れ、苛立って白雪姫を蹴りその拍子に吐き出した * 継母の最期については、毒リンゴを食べさせた後に再び誰がこの国で一番美しいかを訊ねたところ、以下の結末を迎える作品が存在する。 ** 白雪姫がまだなお生きていることを知り、怒りのあまり発狂し街へ飛び出しそのまま狂い死んでしまう ** 白雪姫がまだなお生きていることを知り、癇癪を起こして鏡を叩き割り、その破片が心臓に刺さる ** 隣国の王子の妃が最も美しいと聞いて結婚式を見に行き、妃が死んだ筈の白雪姫と知ってショック死 * 他に、残虐な描写を忌避する為に以下に挙げるように結末が書き換えられた作品が存在する。 ** 女王の座を白雪姫に奪われ、怒りに震え憤慨のあまり息が詰まり病気となり死亡{{refnest|group="注釈"|1823年にイギリスで出版されたエドガー・テイラーによる英訳本では結末部分がこのように書き換えられている<ref>[[原英一]]、前掲書、1997年、p. 72 参照。</ref><ref>[[金田鬼一]]、完訳グリム童話集5、岩波書店、1979年、p. 289 参照。</ref><ref>[[奈倉洋子]]、日本の近代化とグリム童話、世界思想社、2005年、p. 154 参照。</ref>}}。 ** 驚きのあまり白雪姫と王子の結婚式の途中で倒れた継母を、式が終わった後白雪姫と王子が介抱した{{refnest|group="注釈"|大正14年に刊行された「こどもグリム」収載の『雪子姫』は、エドガー・テイラーによる英訳本を底本としながらも子供への配慮を理由に、結末部分を付け加える形で改変している<ref>[[奈倉洋子]]、日本の近代化とグリム童話、世界思想社、2005年、pp. 153–155 参照。</ref>}}。 などとするものもある。 ベヒシュタインの白雪姫では、白雪姫は気高い心の持ち主であるが故、継母である王妃を許し、仕返しも復讐も行わなかったが、一匹の“嫉妬”という名の毒虫に継母は心を苛まれるという結末を迎える<ref>[[板倉敏之]]・佐藤茂樹・[[杉田正樹]]・[[浜田恂子]]・[[藤原怜子]]、もうひとつのいばら姫、八千代出版、1993年、p. 111 参照。</ref>。 また、A・L・グリムの白雪姫では、小人の王より九十九に掛けること九十九年の長きにわたって小人の王の城のガラスの棺の中に命なく横たわるものとするという罰を下される<ref>[[板倉敏之]]・佐藤茂樹・[[浜田恂子]]・[[藤原怜子]]、もうひとりのグリム、北星堂、1998年、p. 248 参照及び引用。</ref>。 また、低年齢向けの絵本では継母の最期が描かれないものもある。 === 白雪姫の類話 === 白雪姫には欧州各地を中心にアメリカやチリ、インドなどに類話が存在する。ドイツ及びゲルマン語圏よりもゲール語圏(ケルト系)やラテン語圏(ラテン系)に多くの話が残っているのが最大の特徴である<ref>[[竹原威滋]]、前掲書、2008年、pp. 120–121 参照。</ref><ref name="iyi"/>。 類話としては以下の話を例として挙げることができる。 * アイスランド ** ヴィルフリーズル・ヴェールフェグリの物語<ref>[[ヨウーン・アウトナソン]]、アイスランドの昔話、三弥井書店、1979年、pp. 271–287 参照。</ref><ref name="ibi">{{Cite book|和書 |author = 竹原威滋 著 |origyear = 2008年 |title = グリム童話と近代メルヘン |publisher = 三弥井書店 |isbn = 978-4-8382-3145-4 |url = |accessdate = |pages = 89–144 }}</ref><ref name="i5i"/> ** ヴィルフィンチ<ref name="i5i"/> * アイルランド ** アイルランドの輝く星<ref name="ibi"/><ref name="i5i"/> ** 一つ目の猫<ref name="i5i"/> ** 試練の話<ref name="i5i"/> ** 木の枝<ref name="i5i"/> * スコットランド ** 金の木と銀の木([[:en:Gold-Tree and Silver-Tree|Gold-Tree and Silver-Tree]]):白雪姫に当たるのが「金の木(Gold-Tree)」という王女、悪役が「銀の木(Silver-Tree)」という王妃(実母)。「質問に答えるのが古井戸のマス」、「王女の結婚が王妃による暗殺より前」、「蘇生させるのが王女の夫の後妻(悪い王妃を倒すのもこの後妻)」というのが白雪姫との大きな違い。<ref name="ibi"/><ref>[[ジョセフ・ジェイコブス]]、ケルト妖精民話集、社会思想社、1992年、pp. 78–84 参照。</ref> ** 炎の枝<ref name="i5i"/> ** 試練を捜しに<ref name="i5i"/> * フランス ** 魔法の靴下<ref name="iyi"/><ref>[[新倉朗子]]、前掲書、1993年、pp. 154–159 参照。</ref> ** かわい子ちゃん<ref name="i5i"/><ref name="名前なし-1"/><ref>[[新倉朗子]]、美しいユーラリ、1984年、pp. 83–92 参照。</ref> ** アンジウリーナ<ref name="iyi"/><ref name="i5i"/><ref name="名前なし-3"/> ** 王さまの小鳥<ref name="iyi"/><ref name="i5i"/><ref>[[小澤俊夫]]、[[中村志朗]]、新装 世界の民話第二期15巻 アイルランド・ブルターニュ、ぎょうせい、1999年、pp. 335–338 参照。</ref> * イタリア ** 奴隷娘<ref name="iyi"/><ref>[[ジャンバッティスタ・バジーレ]]、前掲書、1995年、pp. 182–186 参照。</ref> ** 美しいアンナの話<ref name="ibi"/><ref name="i5i"/> ** マリアの悪い継母と七人の強盗:<ref name="ibi"/><ref name="i5i"/> ** ジーリコッコラ<ref name="iyi"/><ref>[[イタロ・カルヴィーノ]]、みどりの小鳥、岩波書店、1994年、pp. 79–86 参照。</ref> ** 悲嘆と不幸について<ref>[[永野藤夫]]、ローマ人物語、東峰書店、1996年、pp. 35–37 参照。</ref> ** 魔法の指輪<ref name="i5i"/> ** 美しいテレジーナと七人の盗賊<ref name="i5i"/><ref>[[ガストーネ・ヴェントゥレッリ]]、イタリアの昔話‐トスカーナ地方‐、三弥井書店、1992年、pp. 165–179 参照。</ref> ** マルゼッタ<ref name="i5i"/> ** 悪い伯父<ref name="i5i"/> * スイス ** まま娘<ref name="ibi"/><ref name="i5i"/><ref>[[竹原威滋]]、前掲書、1989年、pp. 161–167 参照。</ref> * オーストリア ** 三人姉妹:悪役は母親(継母)ではなくヒロインの姉妹およびそれに協力する魔女のメイド。<ref name="i5i"/> * ドイツ ** リヒルデ(リヒルディス):「リヒルデ(Richilde)」は継母の名前で彼女視点の物語(白雪姫に当たるのは「ブランカ」という少女)というのが大きな違い、小人も出てこず最初の2回の蘇生は彼女に味方した医者によるもの(最後の蘇生は神による奇跡)。<ref name="iyi"/><ref>[[ヨーハン・カール・アウグスト・ムゼーウス]]、リューベツァールの物語、国書刊行会、2003年、pp. 61–102 参照。</ref> **「白雪姫の類話」<ref name="名前なし-4"/><ref name="名前なし-5"/><ref name="i5i"/><ref name="名前なし-2"/> * スペイン ** 娘と盗賊<ref name="i5i"/><ref>[[三原幸久]]・[[小山和子]]・[[村上由利子]]、スペインカスティーリア民話集 のんきなファン、東洋文化社、1981年、pp. 6–17 参照。</ref> * 美しいまま母<ref name="i5i"/><ref>[[サンチェス・ペレス]]、イスパニア民話100選、イスパニア昔話研究グループ、1973年、pp. 59–60 参照。</ref> * ギリシア ** ミュルシーナ:悪役は母親(継母)ではなくヒロインの姉妹。<ref name="iyi"/><ref>[[小澤俊夫]]、[[飯豊道男]]、世界の民話第一期4巻 東欧I、ぎょうせい、1977年、pp. 152–163 参照。</ref> ** マルーラ<ref name="i5i"/> * ハンガリー ** 世界一の美女<ref name="i5i"/><ref name="i5i"/><ref>「The folk-tales of the Magyars/The World's Beautiful Woman[https://en.wikisource.org/wiki/The_folk-tales_of_the_Magyars/The_World%27s_Beautiful_Woman]」2014年9月21日 閲覧</ref> * ポーランド ** 頭の中の針<ref name="i5i"/> * エストニア ** 盗賊の家の娘<ref name="i5i"/> * ロシア ** オレチュカ<ref>[[金成陽一]]、前掲書、1991年、pp. 179–195 参照。</ref> * インド ** 鳶の娘<ref name="iyi"/><ref>[[A.K.ラーマーヌジャン]]、インドの民話、青土社、1995年、pp. 184–191 参照。</ref> ** バタウン<ref name="iyi"/><ref>[[小澤俊夫]]、[[関楠生]]、新装 世界の民話第二期19巻 パンジャブ、ぎょうせい、1999年、pp. 47–52 参照。</ref> * アメリカ ** 孔雀の王<ref name="i5i"/> * チリ ** ブランカ・ローザ<ref name="i5i"/> 以下の書籍の該当頁には、類話の一部が載っているので参照されたい。 * [[小澤俊夫]]、『ドイツロマン派全集第II期 第15巻 グリム兄弟』、pp. 95–96 参照。 * [[フローチャー美和子]]、『【初版以前】グリム・メルヘン集』、pp. 144–145 参照。 * [[金田鬼一]]、『完訳 グリム童話集2』、pp. 148–150 参照。 * [[金成陽一]]、『誰が白雪姫を誘惑したか』、pp. 212–218 参照。 == 日本語訳 == === 明治期 === * 明治23年<ref group="注釈">“グリムのメルヒェン”の巻末資料では明治22年になっている</ref> [[中川霞城]] 訳 『雪姫物語』(雪姫の話)(少国民 10–13, 15, 18) 学齢館 刊<ref name="ioi">{{Cite book|和書 |author = 野口芳子 著 |origyear =1994年 |title = グリムのメルヒェン、巻末付属資料③ 参照 |publisher = 勁草書房 |isbn = 4-326-85130-9 |url = |accessdate = |pages = 144, 157 }}</ref><ref name="iti">{{Cite book|和書 |author = 川戸道昭、野口芳子、榊原貴教 著 |origyear =2000年 |title = 日本における グリム童話翻訳書誌、グリム童話翻訳文学年表1(明治期)、2(大正以降現代まで) 参照 |publisher = ナダ出版センター |isbn = 4-931522-07-6 |url = |accessdate = |pages = 51–79 }}</ref> * 明治29年 [[巖谷小波]] 訳 『小雪姫』(少年世界2巻8号) 博文館 刊<ref name="ioi"/><ref name="iti"/> * 明治37年 [[教授資料研究会]] 訳 『雪姫』(話の泉) 学海指針社 刊<ref name="iti"/> * 明治39年 [[橋本青雨]] 訳 『小雪姫』 (独逸童話集) [[大日本国民中学会]] 刊<ref name="iti"/> * 明治39年 山君([[森於菟]]) 訳 『雪姫』(萬年艸12号) 臨川書店 刊<ref name="ioi"/>{{refnest|group="注釈"|“グリム童話翻訳書誌”の年表では掲載誌は『心の花』になっている<ref name="iti"/>}} * 明治41年 [[木村小舟]] 訳 「雪姫物語』(教育お伽噺) 博文館 刊<ref name="iti"/> * 明治41年 [[寺谷大波]](友吉) 訳 『雪姫』(世界お伽噺第9) 博文館 刊<ref name="ioi"/> * 明治42年 [[水野繁太郎]]、[[権田保之助]] 訳 『雪姫』(独逸文学叢書第2編) 有朋堂書店 刊<ref name="iti"/> * 明治44年 [[くすを生]] 訳 『白雪姫』(新女界) 新人社 刊<ref name="iti"/> === 大正期 === * 大正3年 [[田中楳吉]] 訳 『小雪姫』(独和対訳独逸国民文庫第1編) 南山堂書店 刊<ref name="iui">{{Cite book|和書 |author = 川戸道昭、野口芳子、榊原貴教 著 |origyear =2000年 |title = 日本における グリム童話翻訳書誌、グリム童話翻訳文学年表2(大正以降現代まで) 参照 |publisher = ナダ出版センター |isbn = 4-931522-07-6 |url = |accessdate = |pages = 51–79 }}</ref> * 大正3年 [[年岡長汀]] 訳註 『雪姫』(独和対訳グリム十五童話) 南江堂書店 刊<ref name="iui"/> * 大正4年 [[藤沢衛彦]] 訳 『雪姫』(通俗叢書 通俗グリム童話物語) 通俗教育普及会出版局 刊<ref name="iui"/> * 大正5年 [[中島孤島]] 訳 『雪子姫』(グリム御伽噺) 冨山房 刊<ref name="iui"/> * 大正8年 [[巖谷小波]] 訳 『小雪姫』(教訓お伽噺) 博文館 刊<ref name="iui"/> * 大正10年 [[森川憲之助]] 訳 『雪子姫物語』(グリム童話集) 真珠書房(至誠堂書店) 刊<ref name="iui"/> * 大正13年 [[金田鬼一]] 訳 『雪白姫』(グリム童話集 第一部) 世界童話大系刊行会 刊<ref name="iui"/> * 大正14年 [[岸英雄]] 編 『雪子姫』(こどもグリム) イデア書院 刊<ref name="iui"/> * 大正15年 [[大田黒克彦]] 著 『ゆき子ひめ』(ひらがなぐりむ) 文園社 刊<ref name="iui"/> === 昭和(戦前)期 === {{節スタブ}} * 昭和2年 [[菊池寛]] 訳 『小雪姫<ref group="注釈">タイトルの読みは「こゆきひめ」。</ref>』(グリム童話集) 文藝春秋社 刊<ref name="iui"/> * 昭和2年 [[日本童話翻訳研究会]] 訳 『雪子姫物語』(学校家庭文庫3 グリム童話) 九段書房 刊<ref name="iui"/> * 昭和3年 [[金の星社]]編集部 訳 『雪姫と七人の矮人』(グリム童話集) 金の星社 刊<ref name="iui"/> * 昭和4年 [[金田鬼一]] 訳 『雪白姫』(全譯 グリム童話集) 岩波書店 刊<ref name="iui"/> * 昭和11年 [[谷崎伸]] 訳 『雪子ひめ』(ひらがなグリム二年生童話) 金襴社 刊<ref name="iui"/> {{commonscat|Snow White}} {{wikisourcelang|de|Schneewittchen|白雪姫}} == 翻案 == * [[白雪姫 (1937年の映画)|白雪姫]]([[1937年]][[12月21日]]に[[米国]]で公開。[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]の[[長編映画]]第1作目で、世界初のカラー長編[[アニメーション映画]]) * [[フェアリーテール・シアター]]([[1982年]]、米国の[[オムニバス]][[テレビドラマ|ドラマ]]) * [[白雪姫の伝説]]([[1994年]]、[[タツノコプロ]]製作の[[日本]]の[[テレビアニメ]]) * [[スノーホワイト (1997年の映画)|スノーホワイト]]([[1997年]]、[[ギャガ|ギャガ・コミュニケーションズ]]配給。米国では[[テレビ映画]]として放送されたが、日本では劇場公開された) * [[スノーホワイト/白雪姫]]([[2001年]]の米国の[[テレビ映画]]) * [[白雪姫と鏡の女王]]([[2012年]]に米国で公開。ギャガ配給) * [[スノーホワイト (2012年の映画)|スノーホワイト]]([[2012年]]に米国で公開。[[ユニバーサル・スタジオ|ユニバーサル・ピクチャーズ]]配給) * [[スノー・ホワイト (2024年の映画)]] - 『[[白雪姫 (1937年の映画)]]』の実写リメイク。2024年春公開予定。 * [[ブランカニエベス]]([[2012年]]に[[スペイン]]で公開。白黒[[サイレント映画|サイレント]]のファンタジー・ドラマ映画) * [[アドベンチャー・オブ・スノーホワイト]]([[2012年]]発売に米国で発売の[[オリジナルビデオ]]映画作品) * [[リルぷりっ|ひめチェン!おとぎチックアイドル リルぷりっ]]([[セガ]]と[[小学館]]共同開発の[[アーケードゲーム]]。及び日本の[[漫画]]や[[テレビアニメ]]) - 主人公の3人娘のひとりが白雪姫の生まれ変わり([[パラレルワールド]]の同一人物とも取れる節がある)であり、7つ子の弟がいる。 == その他 == * 『怖い童話』という本には、「白雪姫は初版だけに紹介されている」、「第二版以降カットしてしまった」という誤った記述がある{{refnest|group="注釈"|それらの記述のあいだに「……しかし兄弟はこの物語がフランスの話ではないか、と推測したため……」とあるので、明らかに[[長靴をはいた猫|長靴をはいた牡猫]]と間違えている<ref>[[中見利男]]、怖い童話、角川春樹事務所、2010年、p. 45 参照及び引用。</ref>。}}。 * [[カタール]]・[[ドーハ]]にあるSEKインターナショナルスクールに通う児童の父親から、「白雪姫」の絵本の中にわいせつで性的なほのめかしがあるとして猛抗議をし、受理されている。どの絵がわいせつにあたるのかの詳細は不明だが、絵本の内容はディズニー映画に基づいていた<ref>「「白雪姫の絵本はわいせつ」 学校、講義受け撤去 カタール」 - 2016年1月26日付[[中日新聞]]朝刊8面(国際欄)</ref>。 * 同じグリム童話で「[[しらゆき べにばら]]」がある(原語ではこちらの白雪も「Schneeweißchen」で同じ意味)。 *[[スイス]]の作曲家[[ハインツ・ホリガー]]<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.operacity.jp/concert/compo/2017/cd/|title = オペラ《白雪姫》|website = www.operacity.jp|publisher = www.operacity.jp|date = |accessdate = 2022-01-02}}</ref>は本作をオペラにしている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2014年6月}} * [[赤坂一郎]] 訳 [[宮内秀雄]] 註『白雪姫 Snow White and the SEVEN DWARFS』[[國際出版社]] 1950年 ISBN non code * [[富山芳正]] 編『Sneewittchen』[[第三書房]] 1956年 ISBN 4-8086-1368-9 * [[植田敏郎]] 訳『白雪姫 グリム童話集I』[[新潮社]] 1967年 ISBN 978-4-10-208301-7 * [[ホセ・アウグスト・サンチェス・ペレス]] 編 [[イスパニア昔話研究グループ]] 訳『イスパニア民話100選』[[イスパニア昔話研究グループ]] 1973年 自費出版本 * [[小澤俊夫]] 編 [[飯豊道男]] 訳『世界の民話第I期 第4巻東欧I』[[ぎょうせい]] 1977年 ISBN non code * [[ヨウーン・アウトナソン]] 著 [[菅原邦城]] 訳『アイスランドの昔話』[[三弥井書店]] 1979年 ISBN non code * [[金田鬼一]] 訳『完訳 グリム童話1』[[岩波書店]] 1979年 ISBN 4-00-324131-2 * 金田鬼一 訳『完訳 グリム童話2』岩波書店 1979年 ISBN 4-00-324132-0 * 金田鬼一 訳『完訳 グリム童話5』岩波書店 1979年 ISBN 4-00-324135-5 * [[三原幸久]]、[[小山和子]]、[[村上由利子]] 編訳『スペインカスティーリア民話集』[[東洋文化社]] 1981年 ISBN non code * [[新倉朗子]] 編訳『美しいユーラリ』[[小峰書店]] 1984年 ISBN 4-338-05009-8 * [[小澤俊夫]] 著『素顔の白雪姫』[[光村図書出版]] 1985年 ISBN 4-89528-034-9 * [[カール=ハインツ・マレ]] 著 [[小川真一]] 訳『首をはねろ!』[[みすず書房]] 1989年 ISBN 4-622-04957-0 * [[テオドル・ザイフェルト]] 著 [[入江良平]] 訳『おとぎ話にみる死と再生』[[新曜社]] 1989年 ISBN 4-7885-0344-1 * [[小澤俊夫]]、[[寺岡壽子]]、[[原研二 (1949年生のドイツ文学者)|原研二]]、[[堅田剛]]、[[谷口幸男]] 訳『ドイツ・ロマン派全集第II期 第15巻グリム兄弟』[[国書刊行会]] 1989年 ISBN 978-4-336-02692-7 * [[樋口淳]]・[[樋口仁枝]] 編訳『フランス民話の世界』[[白水社]] 1989年 ISBN 4-560-04244-6 * [[竹原威滋]] 編訳『王子と美しいパセリちゃん』[[小峰書店]] 1989年 ISBN 4-338-05024-1 * [[ハインツ・レレケ]] 著 [[小澤俊夫]] 訳『グリム兄弟のメルヒェン』[[岩波書店]] 1990年 ISBN 4-00-000438-7 * [[マリア・タタール]] 著 [[鈴木晶]]、[[高野真知子]]、[[山根玲子]]、[[吉岡千恵子]] 訳『グリム童話 その隠されたメッセージ』[[新曜社]] 1990年 ISBN 4-7885-0371-9 * [[金成陽一]] 著『誰が白雪姫を誘惑したか』[[大和書房]] 1991年 ISBN 4-479-75028-2 * [[鈴木晶]] 著『グリム童話‐メルヘンの深層‐』[[講談社]] 1991年 ISBN 4-06-149034-6 * [[小澤俊夫]] 著『グリム童話の誕生』[[朝日新聞社]] 1992年 ISBN 4-02-259555-8 * [[ジョーゼフ・ジェイコブス]] 著 [[小辻梅子]] 訳『ケルト妖精民話集』[[社会思想社]] 1992年 ISBN 4-390-11434-4 * [[吉原高志]]・[[吉原素子]] 著『グリム〈初版〉を読む カセットテープ付』[[白水社]] 1993年 ISBN 4-560-20454-3 * [[板倉敏之]]、佐藤茂樹 編訳 [[杉田正樹]]、[[浜田恂子]]、[[藤原怜子]] 訳『もうひとつのいばら姫』[[八千代出版]] 1993年 ISBN 4-8429-0850-5 * [[ジョン・M・エリス]] 著 [[池田香代子]]、[[薩摩竜郎]] 訳『一つよけいなおとぎ話』[[新曜社]] 1993年 ISBN 4-7885-0458-8 * [[新倉朗子]] 編訳『フランス民話集』[[岩波書店]] 1993年 ISBN 4-00-325941-6 * [[野口芳子]] 著『グリムのメルヒェン』[[勁草書房]] 1994年 ISBN 4-326-85130-9 * [[イタロ・カルヴィーノ]] 著 [[河島英昭]] 訳『岩波 世界児童文学集16 みどりの小鳥』[[岩波書店]] 1994年 ISBN 4-00-115716-0 * [[石塚正英]] 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訳『リューベツァールの物語』[[国書刊行会]] 2003年 ISBN 4-336-04602-6 * [[吉原高志]]・[[吉原素子]] 訳『初版 グリム童話集2』[[白水社]] 2007年 ISBN 978-4-560-07165-6 * [[竹原威滋]] 著『グリム童話と近代メルヘン』[[三弥井書店]] 2008年 ISBN 978-4-8382-3145-4 * [[中見利男]] 著『怖い童話』[[角川春樹事務所]] 2010年 ISBN 978-4-7584-3490-4 * [[沖島博美]] 文 [[朝倉めぐみ]] 絵『グリム童話で旅する ドイツ・メルヘン街道』[[ダイヤモンド社]] 2012年 ISBN 978-4-478-04349-3 == 外部リンク == * {{青空文庫|001091|42308|新字新仮名|白雪姫}}([[菊池寛]]訳) * [https://www.childstories.org/ja/little-snow-white-1890.html 白雪姫のイラストと日本語版] {{commonscat|Snow White}} {{wikisourcelang|de|Schneewittchen|白雪姫}} {{白雪姫}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しらゆきひめ}} [[Category:白雪姫|*]]
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もののけ姫
『もののけ姫』(もののけひめ、英題: Princess Mononoke)は、1997年にスタジオジブリが発表した長編アニメーション映画作品。監督は宮崎駿。キャッチコピーは、「生きろ。」。 興行収入193億円を記録し、当時『E.T.』(1982年)が保持していた日本の歴代興行収入記録を塗り替えた。 1980年(昭和55年)に宮崎駿がアニメ企画案のイメージボードとして構想した同名の作品があり(『宮崎駿イメージボード集』。ISBN 4-06-108068-7。 1983年に収録)、1993年(平成5年)にそれを基にした絵本(『もののけ姫』。ISBN 4-19-860040-6。 )が出版されている。 1994年にアニメージュでの『風の谷のナウシカ』の連載を終えた宮崎は1人準備班を立ち上げ最初の案を破棄して別ストーリーを構想。途中、『耳をすませば』や『On Your Mark』の製作で中断するも1995年4月3日に再開し安藤雅司作画監督と共にキャラクター作りから本格的作業をスタート。同年4月19日に企画書が完成。5月14日に屋久島5泊6日のロケハンをし帰京後の5月22日にスタッフルームが設けられる。 主題歌「もののけ姫」(作詞 - 宮崎駿 / 作曲・編曲 - 久石譲)を歌う米良美一は、女性のような高い声で歌うカウンターテナーが話題になり、この作品によって広く認知されるようになった。声優は『平成狸合戦ぽんぽこ』のおキヨの石田ゆり子、『紅の豚』のマンマユート・ボスの上條恒彦、『風の谷のナウシカ』のナウシカの島本須美とアスベルの松田洋治といった過去のジブリ作品にも出演した者が起用されている。 宮崎監督曰く、この映画にはやりたくて溜めてきた素材が三つも四つも入っている。絵コンテを読むと、エンターテイメント作品には通常不向きと思われる現代の厳しい課題が詰め込まれている。浦谷年良が整理すると、五つになる。 「問題がたくさん入りすぎていてハラハラしますね」と浦谷が水を向けると、監督は以下の通り語った。「解決不能な問題ですよね。今までの映画は、解決可能な小課題を作って、取り敢えず今日はそれを超えたと、それをひとつのセオリーにしてきたんですけどね。それが映画の枠内だと。それでやると、現代で僕らがぶつかっている問題とは拮抗しないという結論が出たんじゃないかなぁ」。 監督の論では、日本の通俗アニメーションを腐らせている一つに「動機の喪失」がある。例えば、監督が以前チベット民話『犬になった王子』(文:君島久子、岩波書店)に触発されて描いた『シュナの旅』である。ヤックルに乗る主人公シュナは、自国を貧困から救う穀物の種、「金色の種」を求め旅に出る。この旅の動機は崇高であるが、貧乏というリアリティが無い中では「胡散臭い」ものでしかない。アシタカの旅には、観客が共感できる動機が必要であった。すなわち「理不尽にも傷付けられ、呪われたと自覚した少年が、その呪いを癒す鍵を探して旅をする」ことである。 さらには、アシタカは自発的にではなく、村を追い出されてやむなく旅に出る。それは受難のヒーローというより、ヒーローであることを裏切り続けるアンチヒーローである。そしてヒロインのサンもまた、傷付いた自分を醜いと思っているアンチヒロインである。同じ物語を辿りながら、通常の主役であることを徹底的に裏返しにしていく。 物語の図式は森と人界の対立。乙事主たちとエボシたちが激突する、ここまでは観客の予想図式と一致する。普通の映画ではこれで全部辻褄が合う、ただの宿命の対決となる。ここで予想を破壊する、宿命も何も無い、もっと暴力的な図式を提示する。乙事主たちとエボシたちがぶつかる、そのエボシたちの後ろから侍たちの大きな勢力が加わっている。さらにそれが進行した形態として、侍たちが突出してエボシたちを飲み込み、乙事主たちと直接ぶつかっている図が描かれる。 アシタカが事態に気が付いたときには、既にこの図式のようになっており、なぜこんなことが起こったのだろう、という形で事態が転化していく。それはその中で翻弄されるアシタカの心境であり、それは観客と同じ次元になる。事件に気が付き、発生した順番の逆から出会って行くのが現代であるためである。 宮崎駿には、過去の自分の作品を一度徹底的に否定しなければ、本音で語ることはできないという思いが強烈にあった。スタジオジブリ作品への世間の期待について話が及ぶと、宮崎は(例えば自然保護に熱心なジブリなどの)期待に応えようとしてはいけない、一回期待を持つと、その期待を変えようとしないと返答した。 宮崎駿は以下の通り述べている。 監督が言う「我々が直面している最大の課題」は、主人公アシタカの設定に集約されているという。今この世の中に生きている若者は、いわれのない、不条理な、肉体的にも精神的な意味も含めてババを引いてしまった人間達である。それは東アジア、アメリカやヨーロッパ、アフリカでも共通の運命である。その理由は、一人の人間が感じられる悲劇が、ローマ時代であろうと鎌倉時代であろうと同じ故である。人口が五百万人しかいなかった鎌倉時代の日本は、現代から見れば山紫水明、遥かに美しい所が多数存在したが、人間が悲惨の極みであったため、鎌倉仏教のような宗教が生まれてきた。破局の規模が大きいから悲劇が大きいというのは嘘で、一つの村が滅びることが、その人間にとっては全世界が滅びることに等しい、そういう意味を持った時代がある。その意味では人間が感じられる絶望も、その苦痛も量は等しい。恐らくそれは、歴史の様々な場所で感じ取られてきた。「ただ何となくスケールが大きいからね、こりゃ本当のドン詰まりと思っているだけで。でもそれが本当にドン詰まりなのかというと、そうは簡単に行かないことも、歴史は証明してるから」。 浦谷年良はこの発言を以下のようにまとめている。現代の若者達は、意識の奥でみんなババを引いてしまったと感じている。自分は悪くないのに、なぜか傷付けられていると感じている。マイナスの磁場のようなものを抱えている。その「心の空洞」に向かって「明るく元気に生きよう」「貧しさから抜け出して豊かになろう」と言っても通じない。こうした絶望、閉塞感を大きな歴史認識の中で捉え、考え直すことで「不条理な運命の中で生きる」ことを模索し、提示していく。 なお監督は、物語のその後について、「アシタカとサンは、その後も良い関係を続けていく」、「アシタカは引き裂かれ、傷だらけになりながらも、サンやタタラ場のために努力し、それを曲げずに生きていく人物である」と語っている。 本作は照葉樹林文化論の示唆を受けた世界観を舞台としている。参考とされたのは中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』であり、日本文化の基底が稲や稲作農民ではないことを明らかにする同書の内容が製作に大きく影響しているとされる。本作では稲作農民に代表される平地の「定住民」とは全く別の生活圏を持つ「遍歴民(山民・海民・芸能民など)」が多く取り上げられる。『もののけ姫』は、遍歴民の世界で展開される物語である。叶精二によれば本作は日本映画で中世史をアウトサイダーの側から描くという、「時代劇の革命」を意図するものであり、網野善彦は本作を「ずいぶん勉強した上でつくられている」と評している。 宮崎監督は作家の司馬遼太郎と対談した時、司馬が新聞記者時代に京都の岩屋不動志明院に宿泊した際、奇っ怪な体験をした話しを聞き『もののけ姫』の着想になったといわれている。 かつて大和朝廷の支配に抵抗し、追われた人々。祭事の衣装や東北地方のマタギに似たアシタカの衣装、彼の使う「雅な椀」、娘の装束など、縄文時代の文化にブータンや北タイの焼き畑圏など照葉樹林文化圏の物が混ざった文化を形成している。 エミシ(蝦夷)を宮崎駿は、大和政権とその支配下に入った稲作農耕民から追われて本州北部の山中に隠れ住んだ、焼畑・狩猟・採集・工芸を生業とする原日本人の残党と解釈している。村をまとめているのは、占いで物事を決めていくという女性(ヒイ様)である。神社の中で拝んでいるのは岩倉(岩の壁)、御神体である岩の塊である。カヤが抜いた、刀身が直線的で先が尖っている刀は蕨手刀という。柄の方には輪が付いている。東日本各地から出土しており、東北地方を中心に8世紀ほどまで作られていた。生活雑器であるが武器にもなり、坂上田村麻呂と戦ったエミシの軍勢はそのような刀を持っていたと考えられている。また、未婚の女性が守り刀を男性に渡すという行為は、『粉河寺縁起』にもみられるように求婚の証であり、カヤが決して戻ってくることのないアシタカに守り刀を渡すという行為は、カヤが一生未婚のまま人生を全うすることを暗示しているとする指摘がある。 劇中の石火矢は火銃が発想の源。中国、ヨーロッパのハンドカノンをエボシが改良した石火矢は少し火縄銃のようになっているが、まだ付け火のような棒で火を付けており、火縄銃のようにはいかない。火縄は硝酸を木綿の組み紐に染み込ませてあるもので、火を点けると灯っていき、ゆっくり燃える。それを瞬間的に吹くと、また少し火勢が強くなる。よって火縄銃を撃つ時は、構えてから息を急に吹き掛け、火縄を挟み込み、火蓋を開けて引き金を引くと火縄挟みが落ち、弾が発射される。その段階に到達していないため、後装になっている。弾と火薬が入っているものをそのまま入れて撃つことにより、先から弾を込めなくて済むようになっている。後装は古い大砲にあったものである。弾丸が入った部品に火薬を入れ、砲身に入れる。そして木の楔を打ち込み、点火して撃ち、楔を抜いてこれを引き出し、次弾を装填する。 日本の史実では、鉄砲は南蛮貿易でポルトガルから種子島に伝来したものが発祥(鉄砲伝来)であるとされるが、劇中では中国の明王朝が由来とされる。 通常の火縄銃のライフル銃形態(エボシがシシ神の首切断で使用、タタラ場から猩々を撃退する攻撃で使用など)だけではなく、大口径で両手持ちの長い柄を持つバズーカ砲形態(山犬モロ一族に牛飼いが襲われた際の迎撃で使用、地侍との戦で使用など)や火炎放射器形態(ナゴの守退治で森や猪神たちを焼き払う焼夷弾用途で使用)など、様々な形態が存在する。 非人は中世では柿色の衣を着た人々で、一般平民とは区別されている。神人・供御人とも呼ばれる。非人に関連して浦谷年良は、宮崎駿が尊敬する作家、堀田善衛の『定家明月記私抄』を引用している。「元来天皇家というものが、これらの遊女、白拍子、舞人、猿楽、さらには武芸を事とする武人などの芸能民とともに、各種の職人、広い意味での宗教人など、いわば非農業民、それを別の言葉で言いかえるとして、『遊手浮食』の徒、『無縁の輩』などの『道々の輩』、すなわちこれら路上の遍歴民を統轄し保障をする存在であったことを確認しておきたい」。 製作時にはヤックルの走りの分解図、カヤ達エミシの村の娘達の衣装、アシタカが扱うエミシの矢の形(鏃は黒曜石で三枚羽)など、細かい指定が大量に書かれていた。中でも特徴的なのが「帯の位置」である。現代では、古来の着物の常識が失われているため帯の位置は高くなっているが、本来はへそ下であると注意書きがされていた。一方、その下には「これは『七人の侍』の三船敏郎以来の結び方、アシタカだけに使う」とあった。これは主人公アシタカの「現代の若者性」「若さと未熟さ」といった暗示であるのか、と意味を問われた宮崎駿は「三船のあれは、子供だってことでしょ」と答えている。市場を行き交う人々や、特に、成熟した大人として描かれるジコ坊の帯の位置は低い。 エボシのたたら場の構成員に対する態度は大きく2つに分かれる。戦争で人狩りにあって売られた女たちと、社会から差別を受けてきた癩者(ハンセン病患者)とみられる病者に対しては温かい手を差し伸べているのに対し、病者以外の男たちに対しては乙事主やその配下の猪神たちに対するおとりとして利用されて猪神ともども吹き飛ばされて命を失うことを承知の上でシシ神退治に動員し、その最後の様子を崖の上から眺めているなど、極めて冷淡な態度を取っている。 特に崖の下の牛飼いなど男衆には戦闘前にわざわざ防護柵を張り巡らせて敵の猪神の攻撃を防ごうとする姿勢は見受けられるが、実際は崖の斜面を登って来る敵の猪神を、唐傘連が震天雷を崖の上から落とし、崖に向かって来る猪神を、崖の下に地雷火を地中に埋めて吹き飛ばし、破片や猪神の死骸が落下して甚大な被害が出た。 だが、エボシは女たちに対しても重大な事実を隠している。それは、売られた鉄が武器に加工されて侍の手に渡り、戦争に用いられ、その結果、歴史学者の藤木久志が「奴隷狩り」と称した現象が引き起こされることである。つまり、女たちはエボシが作らせた鉄で作られた武器によって、奴隷として売られてエボシの下にやってきたのである。当然、エボシもこうした矛盾がいつかたたら場を崩壊させかねないことを認識していた。歴史学者の市沢哲はエボシがアシタカに告げた「私の秘密」の正体を社会的弱者である病者たちに新しい石火矢を作らせて同じ弱者である女たちに持たせて侍の鎧を打ち抜かせていくことで侍の力を奪い、鉄が侍のために使われるシステムを打破することで矛盾を解消し、さらに労働によって得られた果実の分配のあり方を変えていくという「国崩し」の実現を図ることとして捉え、森(=シシ神)との戦いはこの目的の中においては局所的なことに過ぎないとする。 その一方で、エボシの出現はサンの位置づけを根本的に変えた。元々サンは山の神(この場合はモロの君)へ生贄として捧げられたものである。しかしエボシが現れ人々が山の神に対抗しうる力を持ったことで、人々は神の力の前にただひれ伏す存在ではなくなった。それによりサンは宙ぶらりんの立場に追い込まれ、人でも神でもない、「もののけ」として生きざるをえなくなった。 女尊男卑する文化と建物構造も女重視で男軽視の構造になっている。 牛飼いたち男衆はタタラ場の中でも下層に住居も仕事場も全ての生活の場を構えており、敵と戦闘になった際は切り捨てて大屋根を含む上層だけを守り抜く構造になっている(しかし劇中では、アサノ軍に男たちがシシ神退治で留守中を狙われたので、トキたち女衆の防衛隊は最初から下層の防衛を捨てて上層の防衛に専念している)。 本作はスタジオジブリが1996年7月23日にウォルト・ディズニー・カンパニー(WDC)ならびに日本法人のウォルト・ディズニー・ジャパン(WDCJ)の間で国内でのビデオソフト(「ジブリがいっぱいCOLLECTION」)発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結したことに伴い、WDC(「ディズニー」表記)から初めて出資を受けた作品である。このため、『耳をすませば』までの「発売元:徳間書店・販売元:徳間ジャパン」ではなく、WDCJのビデオソフト部門であるブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント(のちのウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント)になった。ただし、レーザーディスク版のビデオソフトについては徳間からの発売・販売となった。 こうして本作のビデオは既に『アラジン』などで日本市場に大きな勢力を築いていたウォルト・ディズニー・ジャパン(実際はポニーキャニオンに委託)の流通ルートで販売された。また、アジアを除く全世界でWDC子会社のミラマックスが配給し、ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントからビデオとDVDが発売された。本作以降、ジブリはWDCならびにWDCJと親密になっていく。 映画のレイティングシステムは、日本(映倫)では「一般」に指定されているが、アメリカ(MPAA)では「PG-13」に指定された。 英語版のナレーションには同じくウォルト・ディズニー製作のアニメ『ガーゴイルズ』でナレーションを務めていたキース・デイヴィッドが起用された。 1997年7月の公開後、興行収入193億円、観客動員数1420万人を記録し、当時の日本映画の歴代興行収入第1位となった。 日本歴代興行収入ランキング第1位の大当たりに、製作総指揮の徳間康快は仲のよい岡田茂東映会長から「百年に一度の奇跡だぞ」と言われた。徳間は「何本も当てて世界のアニメプロデューサーになる」と豪語した。『もののけ姫』は日本で公開された洋画も含めても歴代一位で、徳間は岡田の受け売りで「百年に一本」を周りに吹いた。20世紀はあと数年しかなく、このまま日本での20世紀最大のヒットの称号をキープするかに思えたが、翌年『タイタニック』に抜かれた。2001年にすぐに『千と千尋の神隠し』で抜き返したが、徳間は2000年に死去しており、これを見ることはなかった。 日本国内におけるDVDとVHSを合わせたビデオグラム出荷本数は2007年5月時点で440万本。 1999年1月22日に『金曜ロードショー』で初のTV放送がされ関東地区で35.1%、西日本地区で40.8%の視聴率を記録した。 香港での興行収入は654万香港ドル、全米では1000万ドル。 2020年、新型コロナウイルスの流行によって新作映画の供給が困難になったことを受け、同年6月26日から8月まで全国の映画館で本作の再上映が行われた。再上映による興行収入は8.8億円にのぼり、同年12月15日にこれまでの興行収入(193.0億円)に加算され、正式な興行収入記録は201.8億円となった。これに伴い、同じくスタジオジブリ製作である『ハウルの動く城』の興行収入(196.0億円)を抜いた。 (日本国内) 現在発売されているDVDには、日本語、英語、フランス語、広東語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語の8か国語が収録されている。また、2001年には制作過程を描いたメイキングDVD『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント)が発売された。 イギリスの若手劇団「Whole Hog Theatre」(ホール・ホグ・シアター)によって舞台化される。劇団が宮崎監督の友人であるニック・パークを通してオファーしたところ、劇団が作成したテスト映像を見た宮崎監督がGOサインを出したという。宮崎監督が自作の舞台化を許諾するのはこれが初。 イギリスではロンドンにあるニュージオラマシアターにて上演。2013年4月2日-6日のチケットは発売から72時間で、6月18日-29日の再演は4時間半で売り切れた。日本では2013年4月29日-5月6日、渋谷アイアシアタートーキョーにて上演される。キャストの中には、唯一の日本人、ニューヨークを拠点に活動中の女優・ダンサー・シンガーのYuriko Miyake(三宅由利子)が含まれている。作中のテーマソング『もののけ姫』も彼女が歌っている。人間以外のキャラクターは古着・ビニールやペットボトルなどの廃材を使用して作られたパペットで表現していた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "『もののけ姫』(もののけひめ、英題: Princess Mononoke)は、1997年にスタジオジブリが発表した長編アニメーション映画作品。監督は宮崎駿。キャッチコピーは、「生きろ。」。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "興行収入193億円を記録し、当時『E.T.』(1982年)が保持していた日本の歴代興行収入記録を塗り替えた。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1980年(昭和55年)に宮崎駿がアニメ企画案のイメージボードとして構想した同名の作品があり(『宮崎駿イメージボード集』。ISBN 4-06-108068-7。 1983年に収録)、1993年(平成5年)にそれを基にした絵本(『もののけ姫』。ISBN 4-19-860040-6。 )が出版されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1994年にアニメージュでの『風の谷のナウシカ』の連載を終えた宮崎は1人準備班を立ち上げ最初の案を破棄して別ストーリーを構想。途中、『耳をすませば』や『On Your Mark』の製作で中断するも1995年4月3日に再開し安藤雅司作画監督と共にキャラクター作りから本格的作業をスタート。同年4月19日に企画書が完成。5月14日に屋久島5泊6日のロケハンをし帰京後の5月22日にスタッフルームが設けられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "主題歌「もののけ姫」(作詞 - 宮崎駿 / 作曲・編曲 - 久石譲)を歌う米良美一は、女性のような高い声で歌うカウンターテナーが話題になり、この作品によって広く認知されるようになった。声優は『平成狸合戦ぽんぽこ』のおキヨの石田ゆり子、『紅の豚』のマンマユート・ボスの上條恒彦、『風の谷のナウシカ』のナウシカの島本須美とアスベルの松田洋治といった過去のジブリ作品にも出演した者が起用されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "宮崎監督曰く、この映画にはやりたくて溜めてきた素材が三つも四つも入っている。絵コンテを読むと、エンターテイメント作品には通常不向きと思われる現代の厳しい課題が詰め込まれている。浦谷年良が整理すると、五つになる。", "title": "宮崎監督による解題" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「問題がたくさん入りすぎていてハラハラしますね」と浦谷が水を向けると、監督は以下の通り語った。「解決不能な問題ですよね。今までの映画は、解決可能な小課題を作って、取り敢えず今日はそれを超えたと、それをひとつのセオリーにしてきたんですけどね。それが映画の枠内だと。それでやると、現代で僕らがぶつかっている問題とは拮抗しないという結論が出たんじゃないかなぁ」。", "title": "宮崎監督による解題" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "監督の論では、日本の通俗アニメーションを腐らせている一つに「動機の喪失」がある。例えば、監督が以前チベット民話『犬になった王子』(文:君島久子、岩波書店)に触発されて描いた『シュナの旅』である。ヤックルに乗る主人公シュナは、自国を貧困から救う穀物の種、「金色の種」を求め旅に出る。この旅の動機は崇高であるが、貧乏というリアリティが無い中では「胡散臭い」ものでしかない。アシタカの旅には、観客が共感できる動機が必要であった。すなわち「理不尽にも傷付けられ、呪われたと自覚した少年が、その呪いを癒す鍵を探して旅をする」ことである。", "title": "宮崎監督による解題" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "さらには、アシタカは自発的にではなく、村を追い出されてやむなく旅に出る。それは受難のヒーローというより、ヒーローであることを裏切り続けるアンチヒーローである。そしてヒロインのサンもまた、傷付いた自分を醜いと思っているアンチヒロインである。同じ物語を辿りながら、通常の主役であることを徹底的に裏返しにしていく。", "title": "宮崎監督による解題" }, { 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"エミシ(蝦夷)を宮崎駿は、大和政権とその支配下に入った稲作農耕民から追われて本州北部の山中に隠れ住んだ、焼畑・狩猟・採集・工芸を生業とする原日本人の残党と解釈している。村をまとめているのは、占いで物事を決めていくという女性(ヒイ様)である。神社の中で拝んでいるのは岩倉(岩の壁)、御神体である岩の塊である。カヤが抜いた、刀身が直線的で先が尖っている刀は蕨手刀という。柄の方には輪が付いている。東日本各地から出土しており、東北地方を中心に8世紀ほどまで作られていた。生活雑器であるが武器にもなり、坂上田村麻呂と戦ったエミシの軍勢はそのような刀を持っていたと考えられている。また、未婚の女性が守り刀を男性に渡すという行為は、『粉河寺縁起』にもみられるように求婚の証であり、カヤが決して戻ってくることのないアシタカに守り刀を渡すという行為は、カヤが一生未婚のまま人生を全うすることを暗示しているとする指摘がある。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "劇中の石火矢は火銃が発想の源。中国、ヨーロッパのハンドカノンをエボシが改良した石火矢は少し火縄銃のようになっているが、まだ付け火のような棒で火を付けており、火縄銃のようにはいかない。火縄は硝酸を木綿の組み紐に染み込ませてあるもので、火を点けると灯っていき、ゆっくり燃える。それを瞬間的に吹くと、また少し火勢が強くなる。よって火縄銃を撃つ時は、構えてから息を急に吹き掛け、火縄を挟み込み、火蓋を開けて引き金を引くと火縄挟みが落ち、弾が発射される。その段階に到達していないため、後装になっている。弾と火薬が入っているものをそのまま入れて撃つことにより、先から弾を込めなくて済むようになっている。後装は古い大砲にあったものである。弾丸が入った部品に火薬を入れ、砲身に入れる。そして木の楔を打ち込み、点火して撃ち、楔を抜いてこれを引き出し、次弾を装填する。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "日本の史実では、鉄砲は南蛮貿易でポルトガルから種子島に伝来したものが発祥(鉄砲伝来)であるとされるが、劇中では中国の明王朝が由来とされる。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "通常の火縄銃のライフル銃形態(エボシがシシ神の首切断で使用、タタラ場から猩々を撃退する攻撃で使用など)だけではなく、大口径で両手持ちの長い柄を持つバズーカ砲形態(山犬モロ一族に牛飼いが襲われた際の迎撃で使用、地侍との戦で使用など)や火炎放射器形態(ナゴの守退治で森や猪神たちを焼き払う焼夷弾用途で使用)など、様々な形態が存在する。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "非人は中世では柿色の衣を着た人々で、一般平民とは区別されている。神人・供御人とも呼ばれる。非人に関連して浦谷年良は、宮崎駿が尊敬する作家、堀田善衛の『定家明月記私抄』を引用している。「元来天皇家というものが、これらの遊女、白拍子、舞人、猿楽、さらには武芸を事とする武人などの芸能民とともに、各種の職人、広い意味での宗教人など、いわば非農業民、それを別の言葉で言いかえるとして、『遊手浮食』の徒、『無縁の輩』などの『道々の輩』、すなわちこれら路上の遍歴民を統轄し保障をする存在であったことを確認しておきたい」。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "製作時にはヤックルの走りの分解図、カヤ達エミシの村の娘達の衣装、アシタカが扱うエミシの矢の形(鏃は黒曜石で三枚羽)など、細かい指定が大量に書かれていた。中でも特徴的なのが「帯の位置」である。現代では、古来の着物の常識が失われているため帯の位置は高くなっているが、本来はへそ下であると注意書きがされていた。一方、その下には「これは『七人の侍』の三船敏郎以来の結び方、アシタカだけに使う」とあった。これは主人公アシタカの「現代の若者性」「若さと未熟さ」といった暗示であるのか、と意味を問われた宮崎駿は「三船のあれは、子供だってことでしょ」と答えている。市場を行き交う人々や、特に、成熟した大人として描かれるジコ坊の帯の位置は低い。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "エボシのたたら場の構成員に対する態度は大きく2つに分かれる。戦争で人狩りにあって売られた女たちと、社会から差別を受けてきた癩者(ハンセン病患者)とみられる病者に対しては温かい手を差し伸べているのに対し、病者以外の男たちに対しては乙事主やその配下の猪神たちに対するおとりとして利用されて猪神ともども吹き飛ばされて命を失うことを承知の上でシシ神退治に動員し、その最後の様子を崖の上から眺めているなど、極めて冷淡な態度を取っている。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "特に崖の下の牛飼いなど男衆には戦闘前にわざわざ防護柵を張り巡らせて敵の猪神の攻撃を防ごうとする姿勢は見受けられるが、実際は崖の斜面を登って来る敵の猪神を、唐傘連が震天雷を崖の上から落とし、崖に向かって来る猪神を、崖の下に地雷火を地中に埋めて吹き飛ばし、破片や猪神の死骸が落下して甚大な被害が出た。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "だが、エボシは女たちに対しても重大な事実を隠している。それは、売られた鉄が武器に加工されて侍の手に渡り、戦争に用いられ、その結果、歴史学者の藤木久志が「奴隷狩り」と称した現象が引き起こされることである。つまり、女たちはエボシが作らせた鉄で作られた武器によって、奴隷として売られてエボシの下にやってきたのである。当然、エボシもこうした矛盾がいつかたたら場を崩壊させかねないことを認識していた。歴史学者の市沢哲はエボシがアシタカに告げた「私の秘密」の正体を社会的弱者である病者たちに新しい石火矢を作らせて同じ弱者である女たちに持たせて侍の鎧を打ち抜かせていくことで侍の力を奪い、鉄が侍のために使われるシステムを打破することで矛盾を解消し、さらに労働によって得られた果実の分配のあり方を変えていくという「国崩し」の実現を図ることとして捉え、森(=シシ神)との戦いはこの目的の中においては局所的なことに過ぎないとする。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "その一方で、エボシの出現はサンの位置づけを根本的に変えた。元々サンは山の神(この場合はモロの君)へ生贄として捧げられたものである。しかしエボシが現れ人々が山の神に対抗しうる力を持ったことで、人々は神の力の前にただひれ伏す存在ではなくなった。それによりサンは宙ぶらりんの立場に追い込まれ、人でも神でもない、「もののけ」として生きざるをえなくなった。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "女尊男卑する文化と建物構造も女重視で男軽視の構造になっている。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "牛飼いたち男衆はタタラ場の中でも下層に住居も仕事場も全ての生活の場を構えており、敵と戦闘になった際は切り捨てて大屋根を含む上層だけを守り抜く構造になっている(しかし劇中では、アサノ軍に男たちがシシ神退治で留守中を狙われたので、トキたち女衆の防衛隊は最初から下層の防衛を捨てて上層の防衛に専念している)。", "title": "舞台設定" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "本作はスタジオジブリが1996年7月23日にウォルト・ディズニー・カンパニー(WDC)ならびに日本法人のウォルト・ディズニー・ジャパン(WDCJ)の間で国内でのビデオソフト(「ジブリがいっぱいCOLLECTION」)発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結したことに伴い、WDC(「ディズニー」表記)から初めて出資を受けた作品である。このため、『耳をすませば』までの「発売元:徳間書店・販売元:徳間ジャパン」ではなく、WDCJのビデオソフト部門であるブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント(のちのウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント)になった。ただし、レーザーディスク版のビデオソフトについては徳間からの発売・販売となった。", "title": "ディズニーとの提携" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "こうして本作のビデオは既に『アラジン』などで日本市場に大きな勢力を築いていたウォルト・ディズニー・ジャパン(実際はポニーキャニオンに委託)の流通ルートで販売された。また、アジアを除く全世界でWDC子会社のミラマックスが配給し、ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントからビデオとDVDが発売された。本作以降、ジブリはWDCならびにWDCJと親密になっていく。", "title": "ディズニーとの提携" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "映画のレイティングシステムは、日本(映倫)では「一般」に指定されているが、アメリカ(MPAA)では「PG-13」に指定された。", "title": "ディズニーとの提携" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "英語版のナレーションには同じくウォルト・ディズニー製作のアニメ『ガーゴイルズ』でナレーションを務めていたキース・デイヴィッドが起用された。", "title": "ディズニーとの提携" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1997年7月の公開後、興行収入193億円、観客動員数1420万人を記録し、当時の日本映画の歴代興行収入第1位となった。", "title": "興行と賞歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "日本歴代興行収入ランキング第1位の大当たりに、製作総指揮の徳間康快は仲のよい岡田茂東映会長から「百年に一度の奇跡だぞ」と言われた。徳間は「何本も当てて世界のアニメプロデューサーになる」と豪語した。『もののけ姫』は日本で公開された洋画も含めても歴代一位で、徳間は岡田の受け売りで「百年に一本」を周りに吹いた。20世紀はあと数年しかなく、このまま日本での20世紀最大のヒットの称号をキープするかに思えたが、翌年『タイタニック』に抜かれた。2001年にすぐに『千と千尋の神隠し』で抜き返したが、徳間は2000年に死去しており、これを見ることはなかった。", "title": "興行と賞歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "日本国内におけるDVDとVHSを合わせたビデオグラム出荷本数は2007年5月時点で440万本。", "title": "興行と賞歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1999年1月22日に『金曜ロードショー』で初のTV放送がされ関東地区で35.1%、西日本地区で40.8%の視聴率を記録した。", "title": "興行と賞歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "香港での興行収入は654万香港ドル、全米では1000万ドル。", "title": "興行と賞歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2020年、新型コロナウイルスの流行によって新作映画の供給が困難になったことを受け、同年6月26日から8月まで全国の映画館で本作の再上映が行われた。再上映による興行収入は8.8億円にのぼり、同年12月15日にこれまでの興行収入(193.0億円)に加算され、正式な興行収入記録は201.8億円となった。これに伴い、同じくスタジオジブリ製作である『ハウルの動く城』の興行収入(196.0億円)を抜いた。", "title": "興行と賞歴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "(日本国内)", "title": "売上記録" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "現在発売されているDVDには、日本語、英語、フランス語、広東語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語の8か国語が収録されている。また、2001年には制作過程を描いたメイキングDVD『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント)が発売された。", "title": "DVD" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "イギリスの若手劇団「Whole Hog Theatre」(ホール・ホグ・シアター)によって舞台化される。劇団が宮崎監督の友人であるニック・パークを通してオファーしたところ、劇団が作成したテスト映像を見た宮崎監督がGOサインを出したという。宮崎監督が自作の舞台化を許諾するのはこれが初。", "title": "舞台化" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "イギリスではロンドンにあるニュージオラマシアターにて上演。2013年4月2日-6日のチケットは発売から72時間で、6月18日-29日の再演は4時間半で売り切れた。日本では2013年4月29日-5月6日、渋谷アイアシアタートーキョーにて上演される。キャストの中には、唯一の日本人、ニューヨークを拠点に活動中の女優・ダンサー・シンガーのYuriko Miyake(三宅由利子)が含まれている。作中のテーマソング『もののけ姫』も彼女が歌っている。人間以外のキャラクターは古着・ビニールやペットボトルなどの廃材を使用して作られたパペットで表現していた。", "title": "舞台化" } ]
『もののけ姫』は、1997年にスタジオジブリが発表した長編アニメーション映画作品。監督は宮崎駿。キャッチコピーは、「生きろ。」。 興行収入193億円を記録し、当時『E.T.』(1982年)が保持していた日本の歴代興行収入記録を塗り替えた。
{{Infobox Film | 作品名 = もののけ姫 | 原題 = Princess Mononoke | 画像 = Princess Mononoke logo.png | 画像サイズ = 240px | 画像解説 = | 監督 = [[宮崎駿]] | 脚本 = 宮崎駿 | 原案 = | 原作 = 宮崎駿 | 製作 = [[鈴木敏夫]] | 製作総指揮 = [[徳間康快]] | ナレーター = | 出演者 = [[松田洋治]]<br />[[石田ゆり子]]<br />[[田中裕子]]<br />[[小林薫]]<br />[[西村まさ彦|西村雅彦]]<br />[[上條恒彦]]<br />[[島本須美]]<br />[[渡辺哲]]<br />[[佐藤允]]<br />[[名古屋章]]<br />[[美輪明宏]]<br />[[森光子]]<br />[[森繁久彌]] | 音楽 = [[久石譲]] | 主題歌 = [[米良美一]]「[[もののけ姫 (曲)|もののけ姫]]」 | 撮影 = [[奥井敦]] | 編集 = [[瀬山武司]] | 制作会社 = [[スタジオジブリ]] | 製作会社 = [[徳間書店]]<br />[[日本テレビ放送網]]<br />[[電通]] | 配給 = {{Flagicon|JPN}} [[東宝]]<br />{{Flagicon|USA}} [[ミラマックス]]<br />{{Flagicon|CAN}} Alliance Films | 公開 = {{Flagicon|JPN}} 1997年7月12日<br />{{Flagicon|JPN}} 2020年6月26日(リバイバル)<ref name="oricon20200618">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.oricon.co.jp/news/2164829/ |title=スタジオジブリ4作品、26日から上映 『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』 |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2020-06-18 |accessdate=2020-06-18}}</ref><br />{{Flagicon|USA}} 1999年10月29日<br />{{Flagicon|CAN}} 1999年11月26日<br />{{Flagicon|GBR}} 2001年10月19日<br />{{Flagicon|KOR}} 2003年4月25日 | 上映時間 = 133分<ref>133分24秒22</ref> | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = {{Flagicon|JPN}} 21億円 | 興行収入 = {{Flagicon|JPN}} 201.8億円<ref name="kogyotsushin">{{Cite web|和書|url=http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/|title=歴代ランキング - CINEMAランキング通信|date=2020-12-15|accessdate=2020-12-15|publisher=[[興行通信社]]}}</ref><ref name="eiga20201215" />{{efn2|再上映を含まない場合は193億円。}} | 配給収入 = {{Flagicon|JPN}} 117.6億円<ref>{{映連配給収入|1997}}</ref> | 前作 = | 次作 = }} 『'''もののけ姫'''』(もののけひめ、英題: ''Princess Mononoke'')は、[[1997年]]に[[スタジオジブリ]]が発表した長編[[アニメーション映画]]作品。監督は[[宮崎駿]]。[[キャッチコピー]]は、「'''生きろ。'''」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ghibli.jp/works/mononoke/ |title=もののけ姫 |website=スタジオジブリ 公式サイト |publisher=[[スタジオジブリ]] |language=ja |accessdate=2023-01-04}}</ref>。 [[興行収入]]193億円を記録し<ref name="kogyotsushin20200412" />、当時『[[E.T.]]』(1982年)が保持していた[[日本歴代興行成績上位の映画一覧|日本の歴代興行収入記録]]を塗り替えた{{efn2|同年公開の『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』に更新されるまで日本記録を保持した。[[#再上映|2020年の再上映]]後の正式な興行収入は201億8千万円となっている<ref name="kogyotsushin" /><ref name="eiga20201215" />。}}。 == 概要 == [[1980年の日本|1980年]]([[昭和55年]])に宮崎駿が[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]企画案のイメージボードとして構想した同名の作品があり({{Cite book|和書|title=宮崎駿イメージボード集|isbn=4-06-108068-7}}1983年に収録)、1993年(平成5年)にそれを基にした[[絵本]]({{Cite book|和書|title=もののけ姫|isbn=4-19-860040-6}})が出版されている。 [[1994年]]に[[アニメージュ]]での『[[風の谷のナウシカ]]』の連載を終えた宮崎は1人準備班を立ち上げ最初の案を破棄して別ストーリーを構想。途中、『[[耳をすませば]]』や『[[On Your Mark]]』の製作で中断するも[[1995年]][[4月3日]]に再開し[[安藤雅司]]作画監督と共にキャラクター作りから本格的作業をスタート。同年[[4月19日]]に企画書が完成。5月14日に屋久島5泊6日のロケハンをし帰京後の5月22日にスタッフルームが設けられる。 主題歌「[[もののけ姫 (曲)|もののけ姫]]」(作詞 - 宮崎駿 / 作曲・編曲 - [[久石譲]])を歌う[[米良美一]]は、女性のような高い声で歌う[[カウンターテナー]]が話題になり、この作品によって広く認知されるようになった。声優は『[[平成狸合戦ぽんぽこ]]』のおキヨの[[石田ゆり子]]、『[[紅の豚]]』のマンマユート・ボスの[[上條恒彦]]、『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』のナウシカの[[島本須美]]とアスベルの[[松田洋治]]といった過去のジブリ作品にも出演した者が起用されている。 == 製作 == === 映像 === ; 作画枚数 : これまで宮崎駿の監督した長編アニメは、おおよそ5万から7万枚ほどの[[作画]]枚数で製作されてきたが、本作では14万枚以上もの枚数が使用された。宮崎は「ジブリを使いつぶす」ほどの覚悟で桁外れの労力と物量を本作に投入したというが、以降の『[[千と千尋の神隠し]]』(約11.2万枚)や『[[ハウルの動く城]]』(約14.8万枚)、『[[崖の上のポニョ]]』(約17万枚)もほぼ同規模かそれ以上の枚数であり、スタジオジブリの制作体制そのものを刷新する結果となった。 ; デジタル体制への移行 : スタジオジブリ最後の[[セル画]]と[[絵の具]]を使った作品となった。この作品でもサンの顔に付いた[[血糊]]や[[デイダラボッチ]]を[[3DCG]]で作った他画面の多重[[デジタル合成|合成]]も行われ、製作スケジュールの追い込みで[[デジタル]][[彩色]]も一部使用されていたが、以降のジブリ作品は線画をコンピュータに取り込み、デジタル彩色の手法を用いるフルデジタル処理で製作されるようになった。 : また、タタリ神やデイダラボッチの動く[[触手]]も、3DCGのパーティクルによる流体シミュレーション機能を応用して制作されている。ラストの植物が芽吹き再生していくシーンでも3DCGによる制作が行われており、こうした3DCGを積極的に利用した最初のジブリ作品となった。 ; 美術イメージ : 本作は背景も総力を挙げるために美術監督5人制とする。まず1995年5月14日に[[山本二三]]、[[田中直哉]]、[[武重洋二]]の3人が宮崎駿監督と安藤雅司作画監督、動画チェックの舘野仁美、太田清美、福留嘉一らと共に舞台となるシシ神の森を描くために[[屋久島]]5泊6日のロケから参加。帰京後、武重は『On Your Mark』のため一時降板。 : 同年6月10日に[[男鹿和雄]]が参加しアシタカが住むエミシの村を描くために[[白神山地]]の取材に訪れている。青森県の[[鰺ヶ沢町]]、津軽峠、天狗峠、一ツ森町などを写真を撮ったり絵を描いたりしながら歩き回り、その時のイメージを作品にちりばめている。その後、同年7月1日に[[黒田聡]]が7月11日に武重洋二がそれぞれINし、さらにCG的背景を創ろうと福留嘉一が特殊美術に任命され、11月5日に山本がチーフとなる。 === テーマ === ; 「神殺し」のモチーフ : 作中で描かれる「神殺し」のモチーフは、小説『[[梅原猛#著作|ギルガメシュ]]』からの影響であるが、過去に作者の[[梅原猛]]からアニメ化の要求があった際は、映像化するほど惹かれないとして断っている。本作を観た梅原は、似ているようで別物だと語っている{{sfn|宮崎|2008|loc=京都精華大学での網野善彦と梅原との対談}}。 ; [[ハンセン病]] : 宮崎はこの作品を通してハンセン病への考えを表現した<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000067123.html |title=初「もののけ姫でハンセン病描いた」宮崎駿氏語る |website=[[テレ朝news]] |publisher=[[テレビ朝日]] |date=2016-01-28 |accessdate=2023-04-07}}</ref>。 === 宣伝 === ; タイトル : 鈴木プロデューサーのもとに宮崎が訪ねてきて「鈴木さん、タイトル変えようと思うんだけど、『アシタカ𦻙記』{{efn2|「𦻙記」の読みは「せっき」。「𦻙」(草冠の旧字体の下に耳を二つ)は宮崎による「正史には残らずに耳から耳へ伝えられた物語」を意味する創作であり日本の漢字には存在しない。これに相当するものが台湾の漢字に存在し、[[Unicode]]ではU+26ED9(CJK統合漢字拡張B)に収録されている。「聶」(耳を三つ)は誤記あるいは代用表記。}}でいこう」ということになり話はそこで終了した。鈴木敏夫プロデューサーは直感的に『もののけ姫』というタイトルが気に入っていたので、金曜ロードショー内で放送した製作告知CMの初報を『もののけ姫』のタイトルで強行して制作した。しばらくしてことの次第を聞き付けた宮崎はさらに食い下がることはなかった。 ; キャッチコピー : 映画公開時のキャッチコピー「生きろ。」は、[[糸井重里]]によるもの。完成までには糸井と[[鈴木敏夫]]プロデューサーの間で激しいやり取りがあり、没になったコピー案は50本近くあった。主な候補に「おそろしいか、愛しいか。」「だいじなものは、ありますか。」「おまえは、まぶしい。」「昔々は、今の今。」「死ぬのと、生きるの、どっちが好きだ。」「死ぬなっ。」などがある<ref>{{Cite video|和書|date=2007-06-04|title=ゲツヨル!|medium=テレビ番組|publisher=日本テレビ放送網}}</ref>。 === 音楽 === : 音楽を担当した[[久石譲]]は、映画公開の2年前に[[宮崎駿]]と打ち合わせを行った際、映画の内容よりも今なぜこの作品を作らなければならないかという覚悟の話をされたという。宮崎の熱意に圧倒された久石は本作の音楽を[[オーケストラ|フルオーケストラ]]で書くことに決め、管弦楽は[[東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団]]が担当した。これまでの宮崎作品では臨時編成のオーケストラによる演奏であったが、本作で初めて常設のプロオーケストラが起用された<ref>岩切徹『人のかたち ノンフィクション短編20』平凡社、2015年4月。p198。</ref><ref>『「もののけ姫」を読み解く』ふゅーじょんぷろだくと、1997年、p120。</ref><ref>久石譲『WORKS IV』ライナーノーツ</ref>。 : 久石は本作のために[[YAMAHA]]の[[ヤマハ・VL/VPシリーズ|VP1]]や、[[AKAI professional|AKAI]]の[[サンプラー]]などを使用したデモを制作し、そこからさらに本編のためのオーケストラスコアを書き上げた。音楽は[[オーケストラ]]が主体であるが、[[シンセサイザー]]が全編で多用されているほか、[[和太鼓]]、[[篳篥]]、[[龍笛]]などの和楽器や、南米の[[ケーナ]]が使用されている{{sfn|叶|2006|p=208}}。久石は本作を次作の『[[千と千尋の神隠し]]』と共に、「スタンダードなオーケストラにはない要素を導入しながら、いかに新しいサウンドを生み出していくか、というチャレンジを試みていた時期ですね」と述懐している<ref>『KB SPECiAL 1997年9月号』立東社、1997年、p42-43。</ref><ref>久石譲『感動をつくれますか』角川書店、2006年、p141。</ref><ref>『久石譲in武道館 パンフレット』p15。</ref>。 : 冒頭の「ドーン」という音は、[[サンプラー|サンプリング]]の[[バスドラム|グランカッサ]]とエスニック系の[[太鼓]]、シティ・フィルの大太鼓、[[ティンパニ]]などをミックスした合成音で、映画館では椅子が振動する効果が出るほど一つの音に対してもこだわって作られた。久石は「今回は悔いが無くなるまで最後まで仕上げたと思ってます。ひきずるモノがまったくありません」「この仕事、終わってほしくない。でも寝てないから早く終われとか色々思いました(笑)」と述べている<ref>『KB SPECiAL 1997年9月号』立東社、1997年、p.43。</ref><ref>『「もののけ姫」を読み解く』ふゅーじょんぷろだくと、1997年、p121。</ref>。 : これまでの宮崎作品のエンドロールは全て絵を入れていたが、本作では文字だけになっている。そこに主題歌とメインテーマが流れるが、宮崎は「これはやっぱりきちんと聴くに値する音楽になったなと思います」「その音楽だけはそのまま座って聴いていて欲しい」と語り、本作の音楽について「自分達の作品に最もふさわしい才能を探したあげく、結局、いつも久石さんにたどり着くという繰り返しだった」と述べている<ref>NHK「トップランナー」制作班編著『トップランナー VOL.7』KTC中央出版、1998年、p.19-20</ref><ref>久石譲『WORKS I』ライナーノーツ</ref>。 == あらすじ == ; プロローグ : 中世([[室町時代]]の頃{{sfn|『映画パンフレット』|p=1}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=8}})の日本が舞台。東と北の間にあると言われる[[#エミシの村|エミシの村]]に住む少年'''アシタカ'''は、村を襲った'''タタリ神'''と呼ばれる化け物を退治した際、右腕に死の呪(のろ)いを受けてしまう。その正体は、何者かに鉛のつぶて{{sfn|『ロマンアルバム』|pp=13,15,20}}を撃ち込まれ、人への憎しみからタタリ神と化した巨大な'''猪神'''('''ナゴの守''')であった。アシタカは呪いの為村を追われ{{efn2|差別的に村から追いやられているが、表現を抑えているため、冒険へ旅立ったのだと勘違いされたという{{sfn|宮崎|2008|p=134}}。}}、呪いを絶つ為にも猪神が来た西の地へと旅立つ。 ; 序盤 : アシタカは旅の道中、[[乱妨取り]]に奔る[[地侍]]との戦いや謎の男'''ジコ坊'''との出会いを経て、古い神が棲むという"'''シシ神の森'''"に向かう。谷川の岸に辿り着くと、そこには谷に落ち川に流され、気絶している男達がいた。彼らを岸に助け上げ対岸を見ると、そこには傷ついた山犬と1人の少女の姿があった。山犬と少女はアシタカをにらみつけ、その場を去っていく。 : その後アシタカ達は、森の端で'''コダマ'''に会う。案内されるように森の中を進み、奥の池の岸に着くと、そこには金色に光る鹿のような生き物('''シシ神''')の姿があった。その姿を見た瞬間、アシタカの腕のあざが激しく反応する。 : シシ神の森を抜けて男達の村に着くと、そこは「'''タタラ場」'''と呼ばれる、鉄を作る村であった。その地を治める'''エボシ'''は「石火矢」と呼ばれる火砲を村人に作らせており、それを使って森に棲む「'''もののけ'''」や、村の鉄を狙う地侍達から村を守っていた。 : 彼らは鉄を作る為に自然を破壊しているという自覚はあったが、シシ神やもののけ達を敬っている訳ではなかった。アシタカはそこで村人達の話を聞くにつれ、彼らにとってエボシという存在は、生きる希望を与えてくれるものである事を知る。そして同時に、自分に呪いを与えた猪神に鉛のつぶてを撃ち込んだのも実はエボシである、という事実を知る事になる。 ; 中盤 : その夜、エボシの命を'''「もののけ姫」'''が狙いに来る。その正体はアシタカが川岸で会った、山犬に育てられた人間の娘、'''サン'''であった。アシタカは窮地に陥ったサンを救うが、同時に瀕死の重傷を負ってしまう。アシタカは倒れながら「生きろ」とサンに語りかけるも、人を憎むサンは聞く耳を持たず、アシタカを殺そうとする。しかしその時、サンはアシタカから「そなたは美しい」と言われて動揺し、思い留まる。 : その後サンは、アシタカを生と死を司るシシ神のいる池に連れて行く。シシ神がアシタカの傷を癒すのを見た彼女は、アシタカを生かす事に決め、介抱する。アシタカは次第に心を開いていくサンの姿を見て、森と人が争わずに済む道は無いのか、と思い悩むようになる。 ; 終盤 : その頃タタラ場には、エボシにシシ神殺しをさせようとする怪しげな装束の男達が集結していた。彼らを率いるのはジコ坊である。男達は[[朝廷|天朝]]よりシシ神殺しを許可され、不老不死の力があると噂されるシシ神の首を狙っていた。エボシ達もまた、森を切り開くのをもののけ達に邪魔されたくなかった為、協力を約束したのである。タタラ場を出発したエボシ達は、人間との最終決戦を行おうとする猪神の大群と大戦争を始める。ところが、エボシが留守にしたタタラ場は、鉄を狙っている侍の集団に襲われてしまう。 : 日が暮れる中、森の中でアシタカはシシ神の池に向かうエボシに会い、神殺しを止めて侍に襲われている村に帰るよう伝える。彼女と別れたアシタカはサンを探しに森の奥へ行くが、エボシは構わず池に向かうのであった。 ; ラスト : 池で月光を浴び、夜の姿に変わろうとするシシ神を見つけたエボシは、気絶したサンを抱えたアシタカが止めるのも構わず、遂にその首を取る。するとシシ神の体から不気味な体液が大量に飛び散り、それに触れた者達は死に、木は枯れてしまう。やがて体液は津波のような勢いで山を埋め尽くし、森は枯れ果てて、タタラ場も壊滅してしまうのであった。 : 目覚めたサンは、森を見て森が死んだと絶望し、人間に対する憎しみを爆発させる。しかし、アシタカはまだ望みはあるとサンを説得し、二人は協力して、シシ神の首を持って逃げようとするジコ坊を押し留め、首をシシ神に返す。シシ神は首を取り戻したが、朝日を浴びると同時に地に倒れて消える。その瞬間に風が吹き、枯れ果てた山には僅かながら緑が戻り、アシタカの腕の呪いも消えた。 ; エピローグ : アシタカのプロポーズに対し、サンは「アシタカは好きだが、人間を許す事は出来ない」と答える。アシタカは「それでもいい、サンは森で私はタタラ場で暮らそう、共に生きよう」と語る。エボシもタタラ場の村人達に、「新たに良い村を作ろう」と語りかけるのであった。 : 最後に、倒れた一本の大木の上に芽生えた若木の横に、1体のコダマが現れて、頭を動かしカラカラと音を立てる場面で終わる。 == 登場人物 == === 主要人物 === ; アシタカ : 本作の主人公。17歳。ヒイ様は「アシタカヒコ」と呼ぶ。エミシ([[蝦夷]]、現在のアイヌ民族の祖とする説もある)がヤマト(大和、ヤマト王権または[[大和朝廷]])との戦い(平安時代に起きた[[坂上田村麻呂]]の蝦夷征討)に敗れてから500年余り経過し、朝廷や[[征夷大将軍|将軍]]も衰えていた時代に、東と北の間にあると言われる村に生まれたエミシ一族の数少ない若者(エミシ一族も既に衰亡しつつある事をヒイ様達が口にしている)。エミシ一族の長になる為の教育を受けた、王家の血を引く少年であり、それにふさわしい気品を持つ。無口であるが正義感が強く、また潔く{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=68}}、村を襲おうとする[[祟り神|タタリ神]]に矢を放ち、命を奪う事と引き換えに死の呪いを受ける。それがきっかけとなり、村を追われる。村を出る前に、ヒイ様達の前でまげ(成人した男子の証{{sfn|『ロマンアルバム』|p=92}})を切り、御神体の岩壁に捧げた{{sfn|『ロマンアルバム』|p=13}}。まげを切った時に、彼は村の人間として暮らす資格を捨てた{{sfn|『映画パンフレット』|p=9}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=92}}。彼の矢尻は[[黒曜石]]製{{sfn|『ロマンアルバム』|pp=69,105}}。[[蕨手刀]]を持つ{{sfn|『ロマンアルバム』|p=92}}。 : 右腕には、呪いの印である「赤黒いあざ」が残る。それは「強大な力{{efn2|放った矢で敵兵の腕や首を吹き飛ばす、太刀をねじ曲げる、大量出血の銃創を負いながらもサンを抱えた状態で歩き続ける、10人がかりで開けるタタラ場の大門を1人で開けるなど。}}を与える代わりに、少しずつ呪いが進行して命を奪っていく」というものである。この呪いは強大な力を発揮する時に、黒い蛇状に変化する事があり、タタリヘビという{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。人を傷つけようとしたり、タタリ神が恨みを持っていた人が近くにいたりすると、呪いが暴れ出す。呪いが暴れると、アシタカに人を殺す気はないが、制御できない呪いの力のせいで殺す事になる。人を傷つけたり、殺めた後には呪いが進行している。タタリヘビが現れた時は不明であるが、呪いが暴れている時は、痛みと熱を発する為、力を使った後は、水をかけたり水に浸したりして、痛みと熱を取る。首を奪われた事で命を奪う黒い体液をまき散らし、暴走していたシシ神に、サンと共に首を返し、シシ神の風を浴びた後、右手に傷あとは残ったもののあざは消え去り、呪いによる死から免れる事が出来た。 : 狩猟で鍛え上げた優れた弓術(作中で外したのは侍の兜に弾かれた時のみである)と{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=68}}、高い身体能力とを持つ(侍の放った矢を至近距離かつ素手で受け止める離れ業をやっている)。また、トキいわく「[[イケメン|いい男]]」で、タタラ場に住む女達にもモテていた。敵対する相手には容赦の無い一方で無益な殺生を望まない誠実な性格でもある為、牛飼の男達やジコ防からも好感を持たれる。加えて森の住民のサンの心を開き、モロの君や乙事主からも一目を置かれ、シシ神もその命を助けている。エミシ一族は自給自足の為、硬貨{{efn2|銭(ロマンアルバムに当時の日本の銭は中国の明国〈みんこく〉の銭と記載{{sfn|『ロマンアルバム』|p=92}})、市場の女は「おあし」と言った。}}を持たない。監督の話によると、エミシの村に近い東北は金の産地なので、彼は砂金の大粒を持っていた{{sfn|『映画パンフレット』|p=9}}。 ; サン : 本作のヒロイン。15歳{{sfn|『ロマンアルバム』|p=63}}。[[もののけ]]姫。犬神(山犬)に育てられた人間。モロの君によると「森を侵した人間が、我が牙を逃れる為に投げてよこした赤子」だという。顔に赤い逆三角形の入れ墨{{sfn|『ロマンアルバム』|p=93}}、白い山犬の尾付きの毛皮のマント、白い袖なしの服と、その下に紺色の袖なしの服、白い袋状の革靴といういでたち。戦う時は赤い土面{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}{{sfn|『ロマンアルバム』|pp=70,93}}と耳付きの白い山犬の毛皮を被る。山犬の牙で出来た短剣と槍を持つ{{sfn|『ロマンアルバム』|p=93}}。アシタカと会った時、彼女はモロの君が負った石火矢(いしびや)の傷から、鉛の毒を含む血を口で吸い取り、吐き出していた{{sfn|浦谷|1998|p=17}}{{sfn|『THE ART OF』|p=51}}。 : 自然を荒らされた恨みから人間を深く憎んでおり、巨大な山犬にまたがり、タタラ場やエボシ御前に何度も襲撃を繰り返す。自分は山犬だと強く思い込むが、アシタカに会い、荒ぶる神々と人の間で心が揺れ動く{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。山犬を美しいと思い、自らを醜いと思っているが、アシタカの「美しい」との一言にひどく動揺する。アシタカがシシ神に助けられた後、彼を介抱し、彼に口移しで干し肉を食べさせたりした{{sfn|浦谷|1998|p=28}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=28}}。その後、気絶していた彼が目覚めた時に、彼女が「(ヤックルが)話してくれた。お前の事も古里の森の事も」と言ったが、ヤックルは人語を話す事の出来ない普通の動物である他、後に彼女が無言の山犬から玉の小刀を受け取る場面、終盤で彼女が無言の猪神から乙事主の居場所を教えてもらう場面から、彼女には彼らのテレパシーを感じる能力がある事を示唆している。また、森の外からの山犬の遠吠えを、彼女が森の中で聞き意味を理解する場面から、彼女には山犬の吠え声を理解する能力がある事も示唆している。 : 名前は、1980年に宮崎駿がアニメ企画案として構想した作品のヒロインが「三の姫」(三番目の姫)であった事に由来する<ref>{{Cite book|和書|author=宮崎駿|year=2002|title=風の帰る場所-ナウシカから千尋までの軌跡|publisher= ロッキング・オン|isbn=4-86052-007-6}}</ref>。 : 映画の最後に言った「アシタカは好きだが、人間を許す事は出来ない」は、アシタカのプロポーズに対する答えである<ref name="storyboard">{{Cite book|和書|author=宮崎駿|year=2002|title=もののけ姫-スタジオジブリ絵コンテ全集<11>|publisher=徳間書店、スタジオジブリ事業本部|isbn=4-19-861475-X}}</ref>。監督いわく「(あの後)二人はしょっちゅう会っている」。その証拠に、アシタカは「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ」と返している。 : アシタカが気絶して数日間眠っている時に、糸と針で完全にアシタカの衣服が修繕されていて、山犬の子供としてだけでなく人間としての家事能力も高い。 === もののけ === ; シシ神([[ディダラボッチ]]) : 生命の授与と奪取を行う森の神。イメージボードでは鹿神(ししがみ{{sfn|『ロマンアルバム』|p=26}})。夜に命を奪ったり、命を与えたりしている。夜そのもので、神の中では下級に位置する{{sfn|宮崎|2008|loc=京都精華大学での網野善彦と梅原との対談}}。新月の時に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返す。その首に不老不死の力があると信じられている{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=77}}。昼の姿は枝分かれした、樹木の角{{sfn|『映画パンフレット』|p=1}}{{sfn|『ロマンアルバム』|pp=6,8}}が無数に頭頂部から生えた、猿のように赤い人面{{sfn|『映画パンフレット』|p=1}}{{sfn|『ロマンアルバム』|pp=6,8}}の鹿(人間のようなアーモンド型の目〈瞳の色は赤〉、ヤギのような耳、猪のように前身が発達した胴体、カモシカのように長い体毛〈毛色は脚と尾および頭頂部から背面にかけては薄茶色、顔面の下から腹部にかけては白〉、小さな犬のような尾、3つの蹄のある鳥のような脚といった、無数の動物の様態〈角は植物で出来ている〉を持つ)のような生き物で、水面を浮いて歩く。地面では歩く度、足下で植物が一斉に成長しては枯れる。夜の姿は頭と背中に無数のとげのようなものがついたディダラボッチで、独特の黒い模様と半透明な体を持つ。身長十数mの巨人。体内で青い光を放ちながら、夜の森を徘徊し{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=77}}、森を育てている{{sfn|宮崎|2008|loc=京都精華大学での網野善彦と梅原との対談}}。人語を話す事は出来ない。アシタカが負った石火矢の傷を癒した。また、エボシに新石火矢で二回目に撃たれそうになった時に、新石火矢を見つめると、木の部分に枝葉が生え、撃てなくしようとした。 : 月光を浴び、夜の姿に変わり始めた瞬間にエボシの新石火矢で首を飛ばされた際は、シシ神の姿で首の付け根から黒い体液が飛び散った後、ディダラボッチの姿で首を求めて暴走を始め、あらゆる生物の命を吸い取った。アシタカとサンの手で首を返されたものの、朝日を浴びて倒れると同時に消滅してしまった。その際、辺り一帯に行き渡る程の暴風を起こし、その風の力によって枯死していた山々の植物を甦らせた。黒い体液は、水に浮き、水上では動きが遅くなる。 : アシタカとサンが首を返す直前に、首から流れ出る体液に触れ、タタリ神の黒いあざが二人の全身に拡がるが、首を返し、シシ神の風を浴びた後、二人の全身のあざが消え、アシタカの右腕の呪いのあざも、右手に薄く小さく傷あととして残る状態になり、呪いは消えている。 : さらにタタラ場の傷病者(甲六ら)やエボシ(右腕をモロに食いちぎられた)、アサノ軍の侍との交戦の矢によって負傷していたヤックル(アシタカが牛飼い頭に頼んで預けて、男衆と共にいかだでタタラ場に帰還途中に日の出を迎えた)、サンを乗せていた山犬の傷もシシ神の風で完全に治癒している。 ; モロの君(きみ) : 二本の尾を持つ白い巨大な300歳の雌の[[ニホンオオカミ|山犬]]。シシ神の森の近くの山頂の洞穴にサンや子供達と共に棲む。乙事主とは百年ほど前まで恋仲であった。実子の2頭の山犬同様に、人間に捨てられたサンを育て、娘として愛している。人語を解し、高度な知能と強靭な力を持つ。犬神として恐れられているが、子供想いの母性的な性格であり基本的には温和で争いを好まない。サンと同様に人間を嫌っている。シシ神の森を侵すエボシ御前を憎み、命を狙っている{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。ナゴの守同様にエボシから石火矢による傷を負わされ、既に身体が弱り、寿命が迫っているが、タタリ神と化したナゴの守と違い己の死を受け入れている。サンを人として解放しようとするアシタカには厳しく当たる一方、サンに対して「彼と共に生きる道もある」と諭す場面もあった。最期は、タタリ神になりかけた乙事主からサンを取り返し、彼女をアシタカに渡した後に、力尽きて倒れ、首以外はシシ神の体液に触れるが、執念で首のみで動き、エボシの右腕を食いちぎり、そのままシシ神の体液の中に飛び込んでいった。 : モロ役について、美輪は声を吹き込む前に宮崎から「モロはいわば観世音菩薩なんです」と告げられた。加えて「普段の美輪さんのまま演じて下さればいいですよ」と告げられ、アフレコはある程度スムースにいった<ref name="『文藝春秋』">「宮崎駿・いい意味の社会主義」 美輪明宏へのインタビュー、『文藝春秋』創刊100周年記念号(2022年1月号)、「100年の100人」コーナーより、p. 264。</ref>。 : しかし終盤モロが乙事主に「もはや言葉まで無くしたか」と言うシーンで、美輪は台本だけではモロの感情がつかめなかった{{efn2|具体的には、「タタリ神になりかけ理性を失った乙事主を、敵として成敗したいのか、あるいは慈悲で包みたいのか悩んだ」という。}}。そこで美輪がシーンの意図を尋ねると、宮崎はニヤリと笑って「遠い昔モロと乙事主は"いい仲"(恋愛関係)だったんです」と告げた。この一言で美輪は全てを理解して{{efn2|美輪は「モロの胸の中では『かつて愛しく思っていた乙事主への憐憫(れんびん)』、『青春時代の残景』、『"しかしそれとこれとは別だ"という戒めの気持ち』が複雑に絡み合ってる」と解釈した。}}演じると、一発でOKがもらえたとの事<ref name="『文藝春秋』" />。 ; [[猪]]神 : 人語を話す巨大な猪の神。大半は焦げ茶色の毛並みで、例外は白い毛並みの乙事主と茶色の毛並みであるナゴの守。 : 人間を憎んでいる点では山犬と同じである。また、一族の結束が強く、自らの誇りを優先する傾向があるが、それゆえに凝り固まった考えをしており、九州の森の主である乙事主と共にシシ神の森に来た猪神達と山犬との会談でも、ナゴの守の死を「山犬がシシ神を一人占めして、助けずに裏切った」、「山犬がナゴの守を食い殺した」と決めつけて非難した。終盤で人間と戦う前に、モロによると、シシ神の森の近くの森を、乙事主達が食い荒らしたという。その後、乙事主を除く猪神全員が白い泥を体に塗り、戦いの為の化粧をした。 : 作中ではタタリ神に変貌したナゴの守がアシタカに討たれ、乙事主と共に人間に総攻撃を仕掛けた多数の猪神も乙事主を除いて全滅、さらに乙事主自身もタタリ神に変貌しかけた挙げ句、シシ神に命を吸い取られた。 :; ナゴの守(かみ) :: 冒頭で登場したタタリ神の正体であり、アシタカがタタラ場に赴くきっかけとなった巨大な雄の猪神。乙事主と共に来た猪神達からは美しく強い兄弟だと称されている。 :: 元々は現在のタタラ場の領域にあった森に生息している猪神達を束ねる主であり、森を切り開こうとする人間を排除し続けていたが、エボシ御前が率いて討伐に乗り出してきた石火矢衆の石火矢により同胞は殺され、自身も重傷を負い、苦しみと死への恐怖、劣勢から森を逃げ出し、長い逃避行の中で呪いを取り込みつつ、怨念などの負の感情を増大させ、ついにはタタリ神に変貌、前述の森から遥か遠く離れたアシタカの村へとたどり着くと人間を襲おうとし、止めようとしたアシタカの右腕に呪いを掛けたが、彼に討たれた事で本来の姿と意識を取り戻し、彼の魂を慰め鎮めたいというヒイ様に対して、人間達への呪詛の言葉を吐きながら溶け、骨と化した。その後ヒイ様の命令により村で塚に埋葬された。 :: アシタカがタタラ場に到着後に、山犬の攻撃で谷に転落して死亡した牛飼いの通夜の際に、男衆の間でアシタカに説明するエボシの偉業としてナゴの守退治が話題に上がり、アシタカの右腕が痛んだ。 :: アシタカの右腕の暴走は、エボシに秘密の園の病者を紹介される際に(病者達がエボシに頼まれ、新石火矢を開発中なのを見て)、エボシを殺害しようとして発生し、彼が左手で必死に抑えたが、結局は病者の長の説得で完全に収まった。 :; 乙事主(おっことぬし) :: 四本牙を持つ巨大な白い雄の猪神。500歳の最長老。 :: 老齢の為に目は既に見えないが、嗅覚と洞察力が鋭く、ジコ坊達の偵察を見抜き、また重傷の身でありながらも巨大な岩を体当たりで粉砕する等身体能力も高い。 :: モロいわく「少しは話の分かるやつ」であるが、死ぬと分かっていても猪神一族の誇りを優先してしまう事があり、モロとの別れ際には、「たとえ我が一族がことごとく滅ぼうとも、人間に思い知らせてやる」と呟いている。モロの君とは旧知の間柄で良い仲(元々は恋人同士であった)であり、森を侵す人間を憎んでいる点では意見が一致しているものの、人間への対抗の方針を巡って意見が対立しており、百年ほど前に別れた{{sfn|浦谷|1998|p=389}}。また自分の一族が、食料として人間に狩られかねないほどに弱体化している事に焦燥感を募らせている(他の猪神は彼より体が小さい。また、彼が「〈一族〉みんな小さく、バカになりつつある」と言った)。アシタカの片手からナゴの守の匂いを嗅ぎ取り、テレパシーでナゴの守の最期の様子を知ったと思しき描写がある。 :: 一族であるナゴの守の死を受け、[[鎮西]](九州)からシシ神の森を守るために他の猪神を率いて海を越えて渡来、人間に大攻勢をかける{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}も、身体中から血を流すほどの重傷を負い、サンと共にシシ神の池へ向かう途中、死んだ猪神の皮をはいで被ったジバシリを「甦った一族」と誤認、罠に気づいたサンの制止も聞かずに、錯乱状態となりながら池へ暴走する。途中で倒れた彼に皮を被ったジバシリが毒矢を突き刺し、戦闘による傷の痛みと毒による苦しみにより、タタリ神へと変貌し始めた。名前の由来は、宮崎の[[別荘]]があった[[長野県]][[諏訪郡]][[富士見町]]の乙事から(下のエボシ御前、甲六等も同じ){{sfn|宮崎|2008|p=363}}。 :: {{要出典範囲|宮崎駿はモロと乙事主が昔は恋人同士であった事を絵コンテや台本に明記せず、美輪明宏のアフレコの出来に不満で、大急ぎでアフレコスタジオに駆け込んで、美輪に修正を指示し、元彼の乙事主へのモロの対応として、色恋を表現した女らしい高い声で演技をしてもらい、宮崎は満足した|date=2022-5}}。 ; モロの子 : 人語を解する2頭の白い雄の山犬の兄弟。母より体が小さい。月夜に森の端から出てくる時に、目が黄色く光る場面がある。共に作中で名は呼ばれないので不明。サンを乗せ、共に人間と戦う{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。サンに甘える場面がある為、弟分らしい{{sfn|『ロマンアルバム』|p=79}}。母やサンと同様にタタラ場の人間を憎んでいるが、終盤で猪に挟まれたの助けられた際は誰も襲わなかった。終盤で1頭がアシタカをエボシの所へ案内する途中で、自分より足の遅い彼を乗せた。前述の1頭は、アシタカとエボシが森の中で再会した直後に、アシタカを置いてサン達の所へ向かった。終盤でサンを乗せていた1頭は、サンと重傷を負った乙事主と共にシシ神の池に向かう時、彼も傷ついている。だが、彼の傷はシシ神の風で治った。 ; [[猩猩|猩々]](しょうじょう) : [[猿神]]。[[ニホンザル]]より大型の霊長類。濃い灰色の体毛(夜は黒く見える)。黒い瞳(夜は目が赤く光って見える)。人語を話す事が出来る。夜ごと崩された斜面に集まり、森を取り戻す為、木を植えようとする。森を奪った人間を憎んでいる{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。人間を倒す知恵を得る為に人間を食べようと考え、サンに重傷を負ったアシタカを渡すよう要求する。エボシと猪神達の戦いの直後、森に入ってきたジバシリにおののき逃げ出す。 ; [[木霊|コダマ(木霊)]] : [[精霊]]の一種で、豊かな森林に棲む。白い体や淡い緑色の体を持ち、頭を動かすとカラカラという音が鳴る。この音でシシ神を呼ぶ{{sfn|『ロマンアルバム』|p=18}}。暗い森の中や夜に淡く光り、半透明になったり姿を消す力を持つ。人語を話す事は出来ない。アシタカが森の端でコダマ達と会った時「ここにもコダマがいる」と言っており、エミシの村の近くの森にもいる模様{{sfn|『ロマンアルバム』|p=79}}。その後、森の中でコダマ達が集まる一本の大木を見て彼が「お前達の母親か。立派な木だ」と言った。怪我人をおんぶしているアシタカの真似をしたり、森の中で迷ったアシタカを導く等、特に人間に敵意を持っている訳ではないらしい{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。キャラクターデザインは、森に何かいるのが見えるというスタッフの手によるもの{{sfn|宮崎|2008|loc=「もののけ姫」1997}}。 : ディダラボッチの黒い体液に命を吸われ落下した個体も多いが、最後に生き残った1体が頭を振り回してカラカラと音を鳴らす。 : 監督とジブリスタッフの話し合いの中で、コダマは数百年〜数千年単位の長期に渡って森の中で成長して、最終的にはトトロになるとされており、『となりのトトロ』に登場した大トトロも、コダマが本作『もののけ姫』の室町時代から『となりのトトロ』の現代(昭和30年代)まで、500年程度経過した姿とされる。 ; タタリ神 : 作中で登場した巨大な[[荒神]]。動くだけで足元の植物や地面を焼けただれたものに変える等、無差別に呪いと死をまき散らす為、人間から恐れられている。 : 元々は猪神であり、瀕死の重傷を負い、死への恐怖と人間への憎しみによって呪いを集めて変貌した姿で蛇状の触手をまとっている。 : 作中で登場したタタリ神は2頭おり、それぞれ姿や経緯が異なる。 :; ナゴの守 :: 赤黒い蛇状の触手で覆われた姿。目が赤く光る。触手を変幻自在に操る事が出来、本来の姿では不可能と思われる行動(垂直に近い岩壁を這ったり、低姿勢で森の中を爆走したり、機械的に方向転換したり等)を取る事が可能。 :: アシタカの村を襲おうとした際、彼に左目を矢で射抜かれるも、触手を伸ばして彼の右腕にまとわりつき呪いを残したが、最期はこめかみを矢で射抜かれて倒れた。 :; 乙事主 :: 身体中の至る所から赤黒い蛇状の触手が生えた姿。ナゴの守と違い完全なタタリ神ではないが、言語能力を失い、血を吐きながら猛進する等かつての面影は無くなった。 :: サンを取り込み、彼女を取り戻そうと体に取り付いたアシタカを大きく振り払った後、モロの君にサンを取り返された。その後、こちらへ向かって来るシシ神の存在を感じて、死への恐怖心から呆然として動けなくなった上に、触手が溶けて形がなくなり、最期はシシ神に命を吸われ倒れた。蛇状の触手は、水に溶けてなくなる。 :: なお、ナゴの守のように呪いを発する事はなく、また死に際に言葉を発したナゴの守とは違い、最期まで言語能力を失ったままであった。 === 動物 === : シシ神の森には、上記の「もののけ」と呼ばれる神と精霊の他にも動物(鹿{{sfn|浦谷|1998|p=18}}、熊〈ジコ坊が毛皮を被っている{{sfn|浦谷|1998|p=27}}〉、蝶{{sfn|『映画パンフレット』|p=24}}、光虫\、オカモンガ{{sfn|『ロマンアルバム』|p=93}}、ナメムジナ{{sfn|『ロマンアルバム』|p=93}}、ヒネネズミ{{sfn|『ロマンアルバム』|p=93}}〈ヒネネズミはロマンアルバムの中の絵コンテでは、ヒネ鼡とも表記〉、ミノノハシ{{sfn|『ロマンアルバム』|p=93}}〈ミノノハシは『[[天空の城ラピュタ]]』にも登場し、彼らがラピュタ城の水辺にいた時、主人公のパズー達に驚き、水に飛び込む場面がある。また、漫画『風の谷のナウシカ』ワイド判第7巻の土鬼〈ドルク〉という国にある庭の水辺にも登場する〉)がいる。前述の光虫からミノノハシまでは架空の動物。なお、シシ神の森には光苔が生えている{{sfn|『THE ART OF』|p=88}}。 ; ヤックル : 「アカシシ」と呼ばれる大[[カモシカ]]。アカシシは現代では絶滅したという設定の架空の動物{{sfn|『映画パンフレット』|pp=5,9}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=75}}(ミノノハシと同様に、漫画『ナウシカ』の土鬼の庭にいる、人が乗れるほど大型の山羊達〈1頭だけケストという名がついている〉に似た形態)。赤茶色の体毛、大きな角。人語を話す事は出来ない。主人であるアシタカとは常に一心同体の関係にある。後にサンやモロの子達と親しくなる。アカシシは古くからエミシ一族に騎乗用に使われており、ヤックルの他にも村で飼われている個体の描写がある。 === タタラ場の民 === ; エボシ御前 : 深山の麓で、[[たたら製鉄|タタラ]]集団を率いる冷静沈着な女性。サンと互角の戦いを繰り広げる剣術の腕前を持ち、山犬の特性を知り戦略を立てる等、頭も切れる。山を削って得た薪を以て、川をさらって得た砂鉄を沸かし、鉄を打ち石火矢をも造り出す製錬場を築いたが、それが今回の争いの元となる。 : 敵対する者には容赦がなく、必要とあらばタタラ場の人間をも見捨てる事さえ辞さない。また、自分達の暮らしをより豊かにするためには、森を切り開き、神殺しをする事も恐れない。一方で、[[人身売買|売られた娘]]達を買い取り、本来は[[女人禁制]]のタタラ場で仕事を与えている他、業病にかかり、迫害された病者達をも人として丁重に扱う慈愛の心を持ち、タタラ場の人々に敬われ、慕われている{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。 : 終盤でジコ坊と共に部下を引き連れて、シシ神狩りに向かうが、新石火矢でシシ神の首を撃ち落とした後、モロの君に右腕を食いちぎられる。右腕の傷は、シシ神の風を浴びた事により完治している。 : シシ神が消えた後は、生き残ったタタラ場の者達と共に、新しい村作りをする事を決意した。 : 映画の最後のタタラ場の村民達への報告では山犬の背に運ばれたと発言しているので、シシ神退治でモロに右腕を食いちぎられた後、映像には描写されていないが、シシ神の体液から離脱する為にアシタカが頼んだようで、モロの子に運ばれ救助されており、アシタカへ感謝して、村民に対してアシタカを呼びに行ってくれと発言している。 : 監督の話によると、昔、[[白拍子]]であったという説もある{{sfn|『映画パンフレット』|p=9}}。宮崎駿の著書『折り返し点』によると、「鈴鹿山の立烏帽子」と呼ばれた伝説上の人物[[鈴鹿御前]]がモデルである。 : タタラ場を作る以前は、倭寇の頭領の人質という形で強引に妻にさせられていたが、ゴンザと連携して謀反に近い形で夫である倭寇の頭領を殺害して倭寇を離脱したとされる。 : 倭寇離脱の際に、中国の明国から最新兵器の石火矢(鉄砲の原型ないし類似武器。劇中に登場する物は、鉄と木で出来ている。発射するのは鉛の弾{{sfn|『ロマンアルバム』|pp=13,15,20}})を自分自身の手で日本に持ち帰ってきたとされる。 ; ゴンザ : エボシの側近。禿頭の大柄な男。牛飼いやワラット(藁徒:藁製の笠を被るエボシの護衛)の[[頭目]]。威張り屋かつ短気であり、アシタカを[[スパイ|間者]]と疑うが、本人は至って真面目。アシタカの右腕にタタリヘビが現れた時はもののけと疑った。ただし、トキには言い負かされている上に信用されておらず、エボシを守ると誓った時に「それが本当ならね」と言われて彼女にツッコミを入れると「アンタも女だったらよかったのさ!」と返された。密かにエボシに惚れている{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。泳げない。 : エボシがタタラ場を作る前の倭寇時代からエボシの部下になっているらしい。 ; 牛飼い : タタラ場に住んでいる牧畜・荷駄を担う職能集団。 : 主に男性の職業で牛を馴らし、牛に荷物を付けて米や鉄の運搬の仕事を担う{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。石火矢衆のように武器を持つ戦闘員ではないが、普段は山犬に襲われる危険な役回りで、死傷者が多数出る役職でもある。 : 山犬の攻撃を避けるために、移動中は石火矢衆の護衛を受けるが、それでも山犬に襲われて甚大な被害が出る。 : 劇中では甲六含め3人(石火矢衆1人を含めると、計4人)が山犬に襲われて谷底に転落し、甲六だけがアシタカに救助され生還し、残り2人が死亡扱いで通夜が営まれている。 :; 甲六 :: トキの夫で牛飼いの一人。集中豪雨の中で米を運搬中、モロの子に襲われ谷へ転落し、川の中からアシタカに助けられた。明るくドジであるが憎めない性格{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。妻のトキにはいつも言い負かされてばかりで頭が上がらない。牛と共に谷に落下した際には右腕を骨折したが、シシ神の風を浴びた後は折れた腕が治っていた。怪我の影響でエボシ率いる男衆のシシ神退治に参加できなかったが、戦死者が多数出た乙事主の猪神一族との激戦に参加せずに済み、塞翁が馬状態になった。コダマが目の前に出現した時に(シシ神が怖いので)おびえながら、アシタカに「こいつらはシシ神を呼ぶんだ」と教え{{sfn|『THE ART OF』|p=54}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=18}}、アシタカからシシ神の事を聞かれた時に「(山犬より)もっとおっかねぇ化け物の親玉だ」と言った。シシ神の体液で枯れた山の緑が、シシ神の風でわずかに芽吹くと、「すげぇ。シシ神は花咲かじじいだったんだぁ」と驚いた。 :: タタラ場に留守番で妻のトキとともに女衆のタタラ場防衛隊に参加し、侵攻してきたアサノ軍と戦うが、腕を負傷していて武器を使えず、戦力としては活躍していなかった。さらにアシタカがやってきた際に預かっていた弓矢を手渡すが、蓑と鞍を持って来なかったので、トキに「この役立たず!」と責められる。 :: ジバシリのことを知っていたらしく、女衆が気味悪がっている中、ただ一人「ありゃただの狩人じゃねぇ。ジバシリだ」と教えている。 :; 牛飼い頭 :: 牛飼い達をまとめている男。アシタカの身を案じており、彼を殺そうとした唐傘連を農具で殴ったり、猪神の死体の下敷きとなりながら生き残っていた1頭のモロの子を(エボシの所へ案内してもらう為)救助するなど、終始アシタカに協力的な態度で接する。 ; 番子 : タタラ(踏鞴)を踏み、砂鉄を溶かすための火を絶やさないよう作業を行う女衆。4日5晩の間、絶えず作業を行っている。 :; トキ :: 番子のまとめ役で甲六の妻。ゴンザを言い負かし、夫にも愛情故のきつい言葉を投げつけるほど、気の強い肝の据わった人物。女衆のリーダー的存在である。 :: タタラ場がアサノ軍の攻撃に遭った際には敵の攻撃の合間の一晩中起きて警戒し、シシ神の体液がタタラ場に襲ってきた時もアシタカが来た際に受けた「触れると命を吸われるが水で進行が遅くなる」という助言を守って、全員を湖に避難誘導する。甲六がタタラ場が壊滅する様子を見て絶望しているところを見て「生きてりゃ何とかなる!」と励ますなど、ポジティブ思考の持ち主。 :: アサノ軍に対抗していざという時に溶けた鉄をかける作戦を考えていた。 :; キヨ :: 山犬に夫を食い殺された番子。エボシを慕っている。また、夫の復讐の為山犬とサンの命を狙う。アシタカがサンを気絶させ肩に担いでタタラ場を出ようとした時に、石火矢を構えて制止しようとした。それに構わずアシタカが去ろうとした際、隣にいた女に止めるように言われた拍子に石火矢を誤射し、アシタカを後ろから撃ち抜いた。 ; 石火矢衆 : シシ神退治を条件に「師匠連」という謎の組織からエボシに貸し与えられた四十名の傭兵集団。柿色の着物に白い頭巾といった装束。[[明]]から輸入した[[石火矢]]を使い、もののけと戦う。ナゴの守の同胞を殺し、彼等の森を焼き払った。鉄や米の運搬時の護衛で、タタラ場全体の警備も務める{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。火炎放射器も使う{{sfn|『ロマンアルバム』|p=94}}。終盤、飛び散ったシシ神の体液を浴びて多数が命を落とし、生き残った者は逃亡した。 : 石火矢は様々なタイプが存在する、火縄銃タイプやバズーカ砲タイプや火炎放射器タイプなどが存在する。 :; ヤ七 :: 石火矢衆の一人。甲六同様に谷に落ち、瀕死の状態でアシタカに助けられる。 ; 病者 : エボシが引き取り、タタラ場の別棟に住まわせ看病している[[ハンセン病|業病]]の者たち。新石火矢の製造を任され、これの開発に成功する{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。終盤にトキに食べ物を渡すほど彼女と親しい病者の女が、最後はシシ神の風を浴びて病が治ったと思しき描写がある。 :; 長 :: 病者の中で最も症状が重く、顔全体を包帯で覆った、寝たきりの状態。彼以外の病者達がエボシの頼みで新石火矢を開発中で、森の生物をさらに殺そうとしているのを見て、アシタカの右手が、タタリ神のエボシへの新たな憎しみから刀を抜こうとした際、エボシが自分たちを引き取って丁重に看病してくれていることを涙ながらに語り、庇った。 ; タタラ者 : タタラ場に住む製鉄集団。黒装束に身を包み、昼夜を問わず鉄を作り続けている{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。 === 師匠連 === ; ジコ坊 : 物語の序盤、シシ神の森の存在をアシタカに教えた人物{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。中年の小柄な、赤白の着物および頭巾の僧体の男。実は謎の組織「師匠連」の一員で、その命令により、不老不死の力があるとされるシシ神の首を狙っている。唐傘連の頭領。石火矢衆の頭でもあり、狩人(ジバシリ)などをも動かす。唐傘連たちといでたちに若干の差異があり、口元は布で覆っておらず素顔、腕には手甲でなく青黒い包帯状の布をバンテージのように巻きつけている、脚絆を履いておらず履物は一本歯の高下駄である。 : 序盤で戦に巻き込まれた際、アシタカが介入により危険を回避できた事を恩義に感じている。アシタカからの質問に答えて「シシ神の森」についての情報も教えた。アシタカがタタラ場に向かう途中の村で米を買う時に代金として砂金の大粒を支払った際に、それが本物の砂金であることを見抜き(他の人間は知識が無かった)アシタカを助けるなど金品の知識は豊富である。その後も何かとアシタカを気にかけており、エボシにアシタカのことを尋ねたり、エボシを追ってきたアシタカに石火矢衆が発砲した際には止めたりするなど、アシタカには好感を持っているようである(同時にアシタカも彼には好感を持ち、終盤で対立した際も「あなたを殺めたくない」と漏らしている。また二人が戦った際もお互いに殺し合うという感じではなく、互いに相手を止めようとしたような戦いであった)。しかし、敵の猪神軍団のリーダーの乙事主のことを知らず、部下のジバシリの指摘で鎮西から一族を引き連れてやってきたことを知る。 : 恰幅のよい体型だが、一本歯の高下駄で岩から岩へと身軽に跳躍したり、ヤックルと並走できるほどの俊敏さなど高い身体能力を持つ。基本的に率先して戦おうとはせず実力を隠しているが、緊急時にはアシタカと渡り合えるほどの武術の手練れでもある。シシ神の首を取り運搬する際は一晩中走り回り、翌朝の日の出寸前までシシ神の体液から生き残った部下の唐傘連(首桶の神輿〈みこし〉の担ぎ手3名)と共に必死に逃げ延びたが、アシタカに捕まり戦っている間にシシ神に追いつかれ、体液が襲ってきて担ぎ手2名も首桶の神輿を落として大破させてしまって脱走し、残った部下1名と共に逃げ場を無くしたため仕方なくシシ神の首をアシタカに渡す。 : 表立っては飄々とした性格であるが、エボシをシシ神殺しのために利用しようと、エボシの抹殺を提案した部下を諭す一面もあるなど(一方のエボシもジコ坊達を信用しきっていないことをタタラ場の女衆に打ち明けている)食えない男である。シシ神が乙事主の命を奪った時は「なんと。シシ神は命を吸い取るのか」と驚いた。 : 映画の最後のセリフの担当であり、アシタカにシシ神の首を返却されてしまった不満もあるが、おかげでシシ神の体液に触れずに済んで部下1名と共に自分の命も助かったので「バカには勝てん」と言い残している。 ; 石火矢衆 : {{Main|もののけ姫#タタラ場の民}} ; 唐傘連 : ジコ坊に付き従う謎の集団。ジコ坊と同じ赤白の着物および頭巾の僧体で、ジコ坊と異なるところは口元は布でマスクのように覆い、両手には手甲、脚絆を着用し草鞋を履いている点。常に巨大な[[傘#和傘|唐傘]]をたずさえ、暗器や煙玉など[[忍者|忍]]のような技を使う。唐傘は柄と笠を分離する事ができ、柄は長い吹き矢となって毒針を撃ち込む。彼等が常に唐傘を持っているのは、石火矢の火縄の火が風で吹き消されないようにする為と、火縄と火薬が雨で湿らないようにする為である模様。ジコ坊の指揮下で、シシ神の首を狙って暗躍する。目的のためには手段を選ばない{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。終盤、飛び散ったシシ神の体液を浴びて多数が命を落とし、生き残った者はジコ坊と行動を共にしていた一人を除いて逃亡した。 : 乙事主の猪神軍団との戦闘において、味方戦力であるタタラ場の男衆を捨て駒にしたり、タタラ場が侍に襲撃されている事態をエボシに伝えるためにモロの子を救助しようとしていたアシタカに毒針を放つなど、タタラ場とその住民たちを全く顧みない言動のために、男衆の反感を買い、アシタカに加勢した男衆に袋叩きにされた。 : 猪神軍団との戦闘では、石火矢衆の3人だけが小高い丘に居座って石火矢を発砲していたが、猪神軍団の突撃で突き飛ばされてしまった。さらに崖を登って来る猪神軍団に、唐傘連が震天雷{{sfn|『ロマンアルバム』|p=94}}(爆弾)を崖の上から蹴落とした上に、崖の下に仕掛けられた地雷火(地中に埋めた爆弾{{sfn|『ロマンアルバム』|p=94}})により、崖に向かって突撃してきた猪神軍団自体を吹き飛ばしたので、柵を張り巡らせていて安全なはずの崖の下にいた男衆に、岩石の破片や猪神の死骸が落下した他、前述の爆弾により被害を受けた。 ; ジバシリ(地走り) : ジコ坊に雇われた通常の狩人よりも山野の知識に長けた者達。もののけに人と見破られないよう獣の生皮を被ったり、その血を顔に塗るなど、特殊な術を使う{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。その異相ぶりから、タタラ場の人間達にも気味悪がられていた。シシ神の偵察中、「シシ神の姿を見ると目が潰れる」などとおびえ、ジコ坊にたしなめられた者がいるなど、山の民として神を恐れる傾向が強い。 : 描写はされていないが、飛び散ったシシ神の体液を浴びて多数が命を落とし、生き残った者たちは、わずかに生き残った石火矢衆や唐傘連と共に一目散に逃亡した。 === エミシの村民 === ; カヤ : エミシの村の娘。アシタカを「兄様」(一族の中の年上の男子という意味{{sfn|『映画パンフレット』|p=12}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=79}})と呼ぶが実の兄妹ではなく<!--出典が「兄様」「姉様」である以上、不必要に「様」を削除するべきでない-->、里公認のアシタカの[[許嫁]]であった{{efn2|『もののけ姫』の映画パンフレット12頁に監督の「アシタカと結婚すると思い定めている娘(許嫁同然という事の様子)」という発言が記載されており、宮崎駿監督自身も2001年に発売されたDVD『「もののけ姫」はこうして生まれた』の中で「一族が選んだ許嫁」と語っている。}}。アシタカが村を出て行く際には、エミシの乙女が変わらぬ心の証しとして異性に贈るならわしのもの<ref name="storyboard" />である玉([[黒曜石]])の小刀{{sfn|浦谷|1998|p=92}}{{sfn|『ロマンアルバム』|p=92}}を贈った。仲間とともにタタリ神となったナゴの守に襲われて危機一髪であったところを、アシタカに守られる。 : 村の掟でアシタカの見送りをしてはいけないが、掟を破って罰を覚悟で見送りし黒曜石の小刀をアシタカに渡している。後にこれはアシタカがモロの子を通してサンに贈った。 : {{要出典範囲|オープニングタイトルの土面(カヤが後にアシタカの子を出産して、子孫がアシタカ伝説を誇示するために作った土面)は、アシタカがシシ神を倒したという伝説になってしまうが、シシ神を倒したのではなくサンと共にシシ神に首を返還しシシ神(デイタラボッチ)自身が朝日を浴びてしまって消滅してしまい、後にアシタカはタタラ場で暮らしたのでアシタカ伝説という形態で故郷の村に伝わり、一つ目の角の文様の意味で、製鉄業に携わる者は高温のまばゆい光で片目を失うとされており製鉄業を意味する一つ目と、シシ神を意味する大カモシカの角の形態が融合したものだとする説がある|date=2022-5}}。 ; ヒイ様 : エミシの隠れ里の老[[巫女]]であり、村をまとめている{{sfn|浦谷|1998|p=352}}。タタリ神になったナゴの守に対して塚を作って埋葬する。 : 石や木片などを並べてまじないで吉凶を占う。タタリ神の呪いを受けたアシタカを占い、西で不吉なことが起きているので西へ向かうよう告げる{{sfn|『映画パンフレット』|p=5}}。 : 村の衆にアシタカを救ってくれないかと懇願されるが、呪いはヒイ様の力でもどうにもならずナゴの守の死体内から出てきたタタリ神になる原因になった石火矢の[[弾丸|つぶて]]をアシタカに手渡し、掟に従って見送りなしで旅立つよう言い渡した。 === その他 === ; 侍 : 映画の後半で、鉄のためにタタラ場を狙う大侍([[領主]])・アサノ[[公方]]配下の武者達。下記の地侍{{sfn|『ロマンアルバム』|p=95}}と違い、完全武装で統率の取れた攻撃を仕掛ける{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}。鉄の貢納を要求したアサノの使者がエボシの命令でトキ達女衆により追い払われたため、昼間に報復と金になる鉄奪取のために、エボシと男衆がシシ神退治に出かけて留守のところを狙って侵攻してくる。タタラ場の下の城郭を攻め落とし、多少の物資を略奪したが攻め落としきれず、夜になったので攻撃をいったん中止し、再度の攻撃を準備していた矢先にシシ神(デイタラボッチ)の体液が陣地に襲いかかってきたために、タタラ場付近の陣地から慌てて全軍が撤退し、タタラ場もシシ神の体液で破壊焼失したので、ほとんど得られたものは無かった。 : 劇中ではアシタカに気付いた侍が鏑矢を放ち、集まった騎馬武者達数人が連携してアシタカを攻撃した。武者の放った矢がヤックルの足に命中して負傷させているが、逆上した(呪いの「赤黒いあざ」が拡がる描写がある)アシタカの反撃でほとんどが討ち取られて、残りは戦意を喪失し撤退している。 ; 地侍 : 映画の後半で、アサノ軍とは直接関係はないが、アサノに唆されてタタラ場の鉄を狙い攻撃を仕掛ける噛ませ犬にされ、エボシ率いる石火矢衆に大敗する。 : 石火矢の弾丸で手足を切断される雑兵や鎧ごと破壊される騎馬武者などがいた。石火矢衆も矢を受けて倒れるなど、完全に一方的な戦ではなかった。 : 旗や盾など家紋は毛利家(毛利元就家の3本矢の∴形状)の物を用いており、毛利家の家臣など毛利家と何かしらの関係をうかがわせる武士の軍勢である。 : 鎧のみを身につけた軽装備の雑兵がほとんどを占める。 : 上記の侍および地侍とは別に、映画の前半で、パンフレットの侍の解説に野武士{{sfn|『映画パンフレット』|p=6}}、ロマンアルバムに野伏(のぶせり)同然の雑兵、または雑兵と記載されている地侍が{{sfn|『ロマンアルバム』|pp=14,78,95}}、アシタカが旅の途中で戦をしている名もなき村を通った時に、女やアシタカに襲いかかったが(一人だけ彼の呪いの力の宿る反撃を受けた)、彼らはアサノともタタラ場とも関係がない。村を通り過ぎた後、町の市場で出会ったジコ坊がアシタカに「礼を言いたいのは拙僧の方でな。田舎侍の小競り合いに巻き込まれた折、そなたのお蔭で助かったのだ」と言ったのは{{sfn|『ロマンアルバム』|p=15}}、この村の戦の事だと思われる<ref>実際、映画での該当シーンでは映っている時間は非常に短いが、村で野武士から走って逃げたり高所へ避難しようと坂を登ろうとするジコ坊が描かれている。</ref>。 == 宮崎監督による解題 == === 主題 === 宮崎監督曰く、この映画にはやりたくて溜めてきた素材が三つも四つも入っている。絵コンテを読むと、エンターテイメント作品には通常不向きと思われる現代の厳しい課題が詰め込まれている。浦谷年良が整理すると、五つになる{{sfn|浦谷|1998|pp=49-50}}。 # 子供たちの心の空洞 # 至る所に起こる差別 # 人間と自然との関わり # 人間の憎悪の増幅作用、殺戮へ突き進む闘争本能 # [[神秘主義]]と[[合理主義]]の対立 「問題がたくさん入りすぎていてハラハラしますね」と浦谷が水を向けると、監督は以下の通り語った。「解決不能な問題ですよね。今までの映画は、解決可能な小課題を作って、取り敢えず今日はそれを超えたと、それをひとつのセオリーにしてきたんですけどね。それが映画の枠内だと。それでやると、現代で僕らがぶつかっている問題とは拮抗しないという結論が出たんじゃないかなぁ」{{sfn|浦谷|1998|pp=49-50}}。 === 主人公の動機 === 監督の論では、日本の通俗アニメーションを腐らせている一つに「動機の喪失」がある。例えば、監督が以前[[チベット]]民話『[[犬になった王子]]』(文:[[君島久子]]、[[岩波書店]])に触発されて描いた『[[シュナの旅]]』である。ヤックルに乗る主人公シュナは、自国を貧困から救う穀物の種、「金色の種」を求め旅に出る。この旅の動機は崇高であるが、貧乏というリアリティが無い中では「胡散臭い」ものでしかない。アシタカの旅には、観客が共感できる動機が必要であった。すなわち「理不尽にも傷付けられ、呪われたと自覚した少年が、その呪いを癒す鍵を探して旅をする」ことである{{sfn|浦谷|1998|pp=45-46}}。 さらには、アシタカは自発的にではなく、村を追い出されてやむなく旅に出る。それは受難のヒーローというより、ヒーローであることを裏切り続けるアンチヒーローである。そしてヒロインのサンもまた、傷付いた自分を醜いと思っているアンチヒロインである。同じ物語を辿りながら、通常の主役であることを徹底的に裏返しにしていく{{sfn|浦谷|1998|pp=45-46}}。 === 観客の予想を破壊すること === 物語の図式は森と[[人界]]の対立。乙事主たちとエボシたちが激突する、ここまでは観客の予想図式と一致する。普通の映画ではこれで全部辻褄が合う、ただの宿命の対決となる。ここで予想を破壊する、宿命も何も無い、もっと暴力的な図式を提示する。乙事主たちとエボシたちがぶつかる、そのエボシたちの後ろから侍たちの大きな勢力が加わっている。さらにそれが進行した形態として、侍たちが突出してエボシたちを飲み込み、乙事主たちと直接ぶつかっている図が描かれる{{sfn|浦谷|1998|pp=76-77}}。 アシタカが事態に気が付いたときには、既にこの図式のようになっており、なぜこんなことが起こったのだろう、という形で事態が転化していく。それはその中で翻弄されるアシタカの心境であり、それは観客と同じ次元になる。事件に気が付き、発生した順番の逆から出会って行くのが現代であるためである{{sfn|浦谷|1998|pp=76-77}}。 === 過去の作品の否定 === 宮崎駿には、過去の自分の作品を一度徹底的に否定しなければ、本音で語ることはできないという思いが強烈にあった。[[スタジオジブリ]]作品への世間の期待について話が及ぶと、宮崎は(例えば自然保護に熱心なジブリなどの)期待に応えようとしてはいけない、一回期待を持つと、その期待を変えようとしないと返答した{{sfn|浦谷|1998|pp=53-54}}。 === 「生きる」というイメージ === [[宮崎駿]]は以下の通り述べている。 {{Quotation| 百億の人口がねぇ、二億になったって別に滅亡じゃないですからね。そういう意味だったら、世界中の野獣は、もう滅亡、絶滅していますよね(笑)。そうですよ。元は百匹いたのに、今は二匹しかいないなんて生きもの一杯いますからね。そういう目に、今度人類が遭うんでしょ、きっと。でもそれは滅亡と違いますね。僕等の運命ってのは、多分、[[チェルノブイリ]]で、帰ってきた爺さんや婆さん達が、あそこでキノコ拾って食ったりね、その『汚染してるんだよ』って言いながら、やっぱり平気でジャガイモ食ってるようにして生きていくだんろうなっていうね…まぁ、その位のことしか言えないですよね。それでも結構楽しく生きようとするんじゃないかぁっていうね、どうも人間ってのは、その位のもんだぞって感じがね…|宮崎駿|『「もののけ姫」はこうして生まれた。』{{sfn|浦谷|1998|pp=136-137}} }} === 若者へのメッセージ === 監督が言う「我々が直面している最大の課題」は、主人公アシタカの設定に集約されているという。今この世の中に生きている若者は、いわれのない、不条理な、肉体的にも精神的な意味も含めて[[ジョーカー (トランプ)|ババ]]を引いてしまった人間達である。それは東アジア、アメリカやヨーロッパ、アフリカでも共通の運命である。その理由は、一人の人間が感じられる悲劇が、ローマ時代であろうと鎌倉時代であろうと同じ故である。人口が五百万人しかいなかった鎌倉時代の日本は、現代から見れば山紫水明、遥かに美しい所が多数存在したが、人間が悲惨の極みであったため、[[鎌倉仏教]]のような宗教が生まれてきた。破局の規模が大きいから悲劇が大きいというのは嘘で、一つの村が滅びることが、その人間にとっては全世界が滅びることに等しい、そういう意味を持った時代がある。その意味では人間が感じられる絶望も、その苦痛も量は等しい。恐らくそれは、歴史の様々な場所で感じ取られてきた。「ただ何となくスケールが大きいからね、こりゃ本当のドン詰まりと思っているだけで。でもそれが本当にドン詰まりなのかというと、そうは簡単に行かないことも、歴史は証明してるから」{{sfn|浦谷|1998|pp=52-53}}。 浦谷年良はこの発言を以下のようにまとめている。現代の若者達は、意識の奥でみんなババを引いてしまったと感じている。自分は悪くないのに、なぜか傷付けられていると感じている。マイナスの磁場のようなものを抱えている。その「心の空洞」に向かって「明るく元気に生きよう」「貧しさから抜け出して豊かになろう」と言っても通じない。こうした絶望、閉塞感を大きな歴史認識の中で捉え、考え直すことで「不条理な運命の中で生きる」ことを模索し、提示していく{{sfn|浦谷|1998|pp=53-54}}。 なお監督は、物語のその後について、「アシタカとサンは、その後も良い関係を続けていく」、「アシタカは引き裂かれ、傷だらけになりながらも、サンやタタラ場のために努力し、それを曲げずに生きていく人物である」と語っている<ref>{{Cite interview |year=2001 |subject=宮崎駿 |title=Interview to Hayao Miyazaki}}、記録媒体には未収録。{{Full citation needed|date=2023年1月}}</ref>。 == 舞台設定 == [[ファイル:Shiratani Unsui Gorge 17.jpg|thumb|right|250px|舞台のモデルとなった[[屋久島]]の森林]] === 世界観 === 本作は[[照葉樹林文化論]]の示唆を受けた世界観を舞台としている。参考とされたのは[[中尾佐助]]の『栽培植物と農耕の起源』であり、日本文化の基底が稲や稲作農民ではないことを明らかにする同書の内容が製作に大きく影響しているとされる{{sfn|浦谷|1998|p=81}}。本作では稲作農民に代表される平地の「定住民」とは全く別の生活圏を持つ「遍歴民(山民・海民・[[伝統芸能|芸能]]民など)」が多く取り上げられる。『もののけ姫』は、遍歴民の世界で展開される物語である。[[叶精二]]によれば本作は日本映画で中世史をアウトサイダーの側から描くという、「時代劇の革命」を意図するものであり<ref>{{Cite web|和書|author=叶精二|authorlink=叶精二|date=2000-03-16|url=http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku13.html|title=「もののけ姫」を読み解く-3,室町時代の民衆像|publisher=高畑勲・宮崎駿作品研究所|accessdate=2011-09-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120723223145/http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku13.html|archivedate=2012-07-23}}</ref>、[[網野善彦]]は本作を「ずいぶん勉強した上でつくられている」と評している<ref>{{Cite book|和書|author=網野善彦|authorlink=網野善彦|year=2003|title=「忘れられた日本人」を読む|publisher=[[岩波書店]]|pages=31-34|isbn=4-00-026610-1}}</ref>。 宮崎監督は作家の[[司馬遼太郎]]と対談した時、司馬が新聞記者時代に京都の岩屋不動志明院に宿泊した際、奇っ怪な体験をした話しを聞き『もののけ姫』の着想になったといわれている。 === エミシの村 === かつて[[大和朝廷]]の支配に抵抗し、追われた人々。祭事の衣装や東北地方の[[マタギ]]に似たアシタカの衣装、彼の使う「雅な椀」、娘の装束など、[[縄文時代]]の文化に[[ブータン]]や北タイの焼き畑圏など照葉樹林文化圏の物が混ざった文化を形成している<ref>{{Cite web|和書|author=叶精二|authorlink=叶精二|date=2000-03-16|url=http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku04.html|title=「もののけ姫」を読み解く-1,照葉樹林文化,宮崎作品に見る照葉樹林文化の思想|publisher=高畑勲・宮崎駿作品研究所|accessdate=2010-11-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120724002258/http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku04.html|archivedate=2012-07-24|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。 エミシ([[蝦夷]])を宮崎駿は、大和政権とその支配下に入った稲作農耕民から追われて本州北部の山中に隠れ住んだ、焼畑・狩猟・採集・工芸を生業とする原日本人の残党と解釈している。村をまとめているのは、占いで物事を決めていくという女性(ヒイ様)である。神社の中で拝んでいるのは岩倉(岩の壁)、御神体である岩の塊である。<!--岩の塊そのものが信仰の対象である。--><!--出典には「御神体」とあり、不適合。それに「信仰の対象」では意味が広すぎる-->カヤが抜いた、刀身が直線的で先が尖っている刀は[[蕨手刀]]という。柄の方には輪が付いている。東日本各地から出土しており、東北地方を中心に8世紀ほどまで作られていた。生活雑器であるが武器にもなり、[[坂上田村麻呂]]と戦ったエミシの軍勢はそのような刀を持っていたと考えられている{{sfn|浦谷|1998|pp=352-353}}。また、未婚の女性が守り刀を男性に渡すという行為は、『[[粉河寺縁起]]』にもみられるように求婚の証であり、カヤが決して戻ってくることのないアシタカに守り刀を渡すという行為は、カヤが一生未婚のまま人生を全うすることを暗示しているとする指摘がある{{sfn|市沢|2011|p=418}}。 === 石火矢 === 劇中の[[石火矢]]は火銃が発想の源。中国、ヨーロッパのハンドカノンをエボシが改良した石火矢は少し火縄銃のようになっているが、まだ付け火のような棒で火を付けており、火縄銃のようにはいかない。火縄は[[硝酸]]を木綿の[[組み紐]]に染み込ませてあるもので、火を点けると灯っていき、ゆっくり燃える。それを瞬間的に吹くと、また少し火勢が強くなる。よって火縄銃を撃つ時は、構えてから息を急に吹き掛け、火縄を挟み込み、火蓋を開けて引き金を引くと火縄挟みが落ち、弾が発射される。その段階に到達していないため、後装になっている。弾と火薬が入っているものをそのまま入れて撃つことにより、先から弾を込めなくて済むようになっている。後装は古い大砲にあったものである。弾丸が入った部品に火薬を入れ、砲身に入れる。そして木の楔を打ち込み、点火して撃ち、楔を抜いてこれを引き出し、次弾を装填する{{sfn|浦谷|1998|pp=275-278}}。 日本の史実では、鉄砲は南蛮貿易でポルトガルから種子島に伝来したものが発祥([[鉄砲伝来]])であるとされるが、劇中では中国の明王朝が由来とされる。 通常の火縄銃のライフル銃形態(エボシがシシ神の首切断で使用、タタラ場から[[猩猩|猩々]]を撃退する攻撃で使用など)だけではなく、大口径で両手持ちの長い柄を持つバズーカ砲形態(山犬モロ一族に牛飼いが襲われた際の迎撃で使用、地侍との戦で使用など)や火炎放射器形態(ナゴの守退治で森や猪神たちを焼き払う焼夷弾用途で使用)など、様々な形態が存在する。 === 非人 === [[非人]]は[[中世]]では[[柿色]]の衣を着た人々で、一般平民とは区別されている。[[神人]]・[[供御人]]とも呼ばれる。非人に関連して浦谷年良は、宮崎駿が尊敬する作家、[[堀田善衛]]の『定家明月記私抄』を引用している。「元来天皇家というものが、これらの[[遊女]]、[[白拍子]]、舞人、[[猿楽]]、さらには武芸を事とする武人などの[[伝統芸能|芸能]]民とともに、各種の職人、広い意味での宗教人など、いわば非農業民、それを別の言葉で言いかえるとして、『遊手浮食』の徒、『無縁の輩』などの『道々の輩』、すなわちこれら路上の遍歴民を統轄し保障をする存在であったことを確認しておきたい」{{sfn|浦谷|1998|pp=315-316}}。 === 着物 === 製作時にはヤックルの走りの分解図、カヤ達エミシの村の娘達の衣装、アシタカが扱うエミシの矢の形(鏃は[[黒曜石]]で[[矢#矢羽(やばね)|三枚羽]])など、細かい指定が大量に書かれていた。中でも特徴的なのが「帯の位置」である。現代では、古来の着物の常識が失われているため帯の位置は高くなっているが、本来はへそ下であると注意書きがされていた。一方、その下には「これは『[[七人の侍]]』の[[三船敏郎]]以来の結び方、アシタカだけに使う」とあった。これは主人公アシタカの「現代の若者性」「若さと未熟さ」といった暗示であるのか、と意味を問われた宮崎駿は「三船のあれは、子供だってことでしょ」と答えている。市場を行き交う人々や、特に、成熟した大人として描かれるジコ坊の帯の位置は低い{{sfn|浦谷|1998|pp=27-28}}。 === たたら場とエボシ御前 === エボシの[[たたら製鉄|たたら]]場の構成員に対する態度は大きく2つに分かれる。戦争で人狩りにあって売られた女たちと、社会から差別を受けてきた癩者(ハンセン病患者)とみられる病者に対しては温かい手を差し伸べているのに対し、病者以外の男たちに対しては乙事主やその配下の猪神たちに対するおとりとして利用されて猪神ともども吹き飛ばされて命を失うことを承知の上でシシ神退治に動員し、その最後の様子を崖の上から眺めているなど、極めて冷淡な態度を取っている{{sfn|市沢|2011|pp=418-419,435-436}}。 特に崖の下の牛飼いなど男衆には戦闘前にわざわざ防護柵を張り巡らせて敵の猪神の攻撃を防ごうとする姿勢は見受けられるが、実際は崖の斜面を登って来る敵の猪神を、唐傘連が震天雷を崖の上から落とし、崖に向かって来る猪神を、崖の下に地雷火を地中に埋めて吹き飛ばし、破片や猪神の死骸が落下して甚大な被害が出た。 だが、エボシは女たちに対しても重大な事実を隠している。それは、売られた鉄が武器に加工されて侍の手に渡り、戦争に用いられ、その結果、歴史学者の[[藤木久志]]が「奴隷狩り」と称した現象が引き起こされることである。つまり、女たちはエボシが作らせた鉄で作られた武器によって、奴隷として売られてエボシの下にやってきたのである。当然、エボシもこうした矛盾がいつかたたら場を崩壊させかねないことを認識していた。歴史学者の[[市沢哲]]はエボシがアシタカに告げた「私の秘密」の正体を社会的弱者である病者たちに新しい石火矢を作らせて同じ弱者である女たちに持たせて侍の鎧を打ち抜かせていくことで侍の力を奪い、鉄が侍のために使われるシステムを打破することで矛盾を解消し、さらに労働によって得られた果実の分配のあり方を変えていくという「国崩し」の実現を図ることとして捉え、森(=シシ神)との戦いはこの目的の中においては局所的なことに過ぎないとする{{sfn|市沢|2011|p={{要ページ番号|date=2023年1月}} }}{{sfn|市沢|2004|pp=105}}。 その一方で、エボシの出現はサンの位置づけを根本的に変えた。元々サンは山の神(この場合はモロの君)へ生贄として捧げられたものである。しかしエボシが現れ人々が山の神に対抗しうる力を持ったことで、人々は神の力の前にただひれ伏す存在ではなくなった。それによりサンは宙ぶらりんの立場に追い込まれ、人でも神でもない、「もののけ」として生きざるをえなくなった{{sfn|市沢|2011|p={{要ページ番号|date=2023年1月}} }}{{sfn|市沢|2004|pp=97}}。 女尊男卑する文化と建物構造も女重視で男軽視の構造になっている。 牛飼いたち男衆はタタラ場の中でも下層に住居も仕事場も全ての生活の場を構えており、敵と戦闘になった際は切り捨てて大屋根を含む上層だけを守り抜く構造になっている(しかし劇中では、アサノ軍に男たちがシシ神退治で留守中を狙われたので、トキたち女衆の防衛隊は最初から下層の防衛を捨てて上層の防衛に専念している)。 == ディズニーとの提携 == 本作はスタジオジブリが1996年7月23日に[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]](WDC)ならびに日本法人の[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]](WDCJ)の間で国内でのビデオソフト(「[[スタジオジブリ#ビデオ|ジブリがいっぱいCOLLECTION]]」)発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結したことに伴い、WDC(「ディズニー」表記)から初めて出資を受けた作品である。このため、『[[耳をすませば#アニメ映画|耳をすませば]]』までの「発売元:[[徳間書店]]・販売元:[[徳間ジャパン]]」ではなく、WDCJのビデオソフト部門である[[ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント]](のちの[[ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント]])になった。ただし、[[レーザーディスク]]版のビデオソフトについては徳間からの発売・販売となった。 こうして本作のビデオは既に『[[アラジン (1992年の映画)|アラジン]]』などで日本市場に大きな勢力を築いていた[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]](実際は[[ポニーキャニオン]]に委託)の流通ルートで販売された。また、アジアを除く全世界でWDC子会社の[[ミラマックス]]が配給し、ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメントからビデオとDVDが発売された。本作以降、ジブリはWDCならびにWDCJと親密になっていく。 [[映画のレイティングシステム]]は、日本([[映画倫理機構|映倫]])では「一般」に指定されているが、アメリカ([[アメリカ映画協会 (業界団体)|MPAA]])では「[[映画のレイティングシステム#PG-13(Parents strongly cautioned)|PG-13]]」に指定された。 英語版のナレーションには同じくウォルト・ディズニー製作のアニメ『[[ガーゴイルズ]]』でナレーションを務めていた[[キース・デイヴィッド]]が起用された。 == 声の出演 == {| class="wikitable" style="width:65%" ! style="width:15%" |キャラクター ! style="width:15%" |日本語版 ! style="width:35%" |英語版 |- |アシタカ |[[松田洋治]] |[[ビリー・クラダップ]] |- |サン||rowspan="2"|[[石田ゆり子]] |[[クレア・デインズ]] |- ||カヤ |[[タラ・ストロング]] |- |エボシ御前 |[[田中裕子]] |[[ミニー・ドライヴァー]] |- |ジコ坊 |[[小林薫]] |[[ビリー・ボブ・ソーントン]] |- |甲六||rowspan="2"|[[西村まさ彦|西村雅彦]] |ジョン・デミータ |- ||門番 | (不明) |- |ゴンザ |[[上條恒彦]] |[[ジョン・ディマジオ]] |- |トキ||rowspan="2"|[[島本須美]] |[[ジェイダ・ピンケット=スミス]] |- ||エミシの少女A | (不明) |- |山犬 |[[渡辺哲]] | (不明) |- |タタリ神 |[[佐藤允]] | (不明) |- |牛飼い頭 |[[名古屋章]] | (不明) |- |モロの君 |[[美輪明宏]] |[[ジリアン・アンダーソン]] |- |ヒイ様 |[[森光子]] | [[デビ・デリーベリー]] |- |乙事主||rowspan="2"|[[森繁久彌]] |[[キース・デイヴィッド]] |- ||エミシの老人 | (不明) |- |病者の長||rowspan="2"|[[飯沼慧]] | (不明) |- ||じいじ | |- |牛飼い |[[坂本あきら (俳優)|坂本あきら]]<br />[[近藤芳正]]<br />[[菅原大吉]]<br />[[斉藤志郎]] | (不明) |- |ジバシリ||rowspan="2"|[[冷泉公裕]] | (不明) |- ||牛飼い | (不明) |- |キヨ |[[香月弥生]] | (不明) |- |たたら場の女 |[[藤貴子]]<br />[[山本郁子 (女優)|山本郁子]] |[[トレス・マクニール]]<br />サリー・リン<br />デニース・ポワリエ<br />[[メアリー・エリザベス・マクグリン]](歌声) |- |エミシの少女B |[[飯沼希歩]] | |- |ナレーター | |キース・デイヴィッド |- |その他 |[[塚本景子]]<br />[[中村彰男]]<br />[[山本郁子 (女優)|山本郁子]]<br />[[松山鷹志]]<br />[[小林和矢]]<br />[[松田佑貴|松田健浩]]<br />[[藤巻直哉]]<br />[[深澤幸太]]<br />杉浦一恵<br />[[得丸伸二]]<br />ほうしげと<br />おちひろき<br />三宅重信<br />名倉勝利<br />[[瀬野雅彦]]<br />田代健二<br />桑原富和<br />浮部文雄<br />原田敦祥<br />渡辺伸一<br />福永大剛<br />荒井良章<br />小野亮太<br />加藤英二<br />外崎明彦<br />[[岡崎展久]]<br />近江徹大<br />増田良昭<br />吉見絹<br />角田文<br />村田和代<br />吉岡亜紀子<br />坂下しのぶ<br />安藤惠理子<br />高築さおり<br />鹿島優子<br />田島凛々<br />二階堂美由紀<br />植草和世 |[[パメラ・アドロン]]<br />ルイス・アークェット<br />[[コーリー・バートン]]<br />アレックス・フェルナンデス<br />ジャック・フレッチャー<br />パット・フラリー<br />ジョン・ホステッター<br />ジョン・ラフター・リー<br />マッタ・マッケンジー<br />マイケル・マクシェーン<br />[[マット・K・ミラー]]<br />マーニー・モジマン<br />アダム・ポール<br />デヴィッド・ラズナー<br />[[ドワイト・シュルツ]] |} == スタッフ == === 映像制作 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller;" |- |colspan="2"|製作||[[徳間康快]] |- |rowspan="3"|音楽||音楽<br />ピアノ||'''[[久石譲]]''' |- |[[指揮者|指揮]]||[[熊谷弘 (指揮者)|熊谷弘]] |- |演奏||[[東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団]] |- |colspan="2"|作画監督||[[安藤雅司]]、[[高坂希太郎]]、[[近藤喜文]] |- |colspan="2"|原画||style="font-size:smaller;"|[[大塚伸治]]、[[篠原征子]]、森友典子、[[賀川愛]]、[[小西賢一]]、遠藤正明、清水洋、粟田務、箕輪博子、[[三原三千夫|三原三千雄]]、大谷敦子、[[稲村武志]]、芳尾英明、[[二木真希子]]、山田憲一、松瀬勝<br />桑名郁朗、松尾真理子、[[河口俊夫]]、野田武広、杉野左秩子、[[近藤勝也]]、[[金田伊功]]、[[笹木信作]]、[[山森英司]]、[[吉田健一 (アニメーター)|吉田健一]]、[[高坂希太郎]]、近藤喜文<br />[[テレコム・アニメーションフィルム]]<br />[[田中敦子 (アニメーター)|田中敦子]] |- |colspan="2"|動画チェック||[[舘野仁美]]、中村勝利、斎藤昌哉、[[中込利恵]]、小野田和由 |- |colspan="2"|動画||style="font-size:smaller;"|手島晶子、大村まゆみ、北島由美子、真野鈴子、坂野方子、柴田和子、倉田美鈴、沢九里、鈴木麻紀子、鈴木まり子、菊池華、鶴岡耕次郎、[[田村篤]]、野口美律、藤井香織、[[米林宏昌]]<br />矢地久子、山田珠美、川田学、佐光幸恵、アレキサンドラ・ワエラウフ、ダビッド・エンシナス、東誠子、山浦由加里、西戸スミエ、槇田喜代子、富沢恵子、コマサ、土岐弥生、柴田絵里子<br />長嶋陽子、椎名律子、岩柳恵美子、藤森まや、近藤梨恵、常木志伸、西河広美、渡辺恵子、谷平久美子、矢野守彦、古屋浩美、安達昌彦、山本まゆみ、中山大介、田辺正恵、新留理恵、松下敦子<br />手塚寛子、原口ちはる<br />[[テレコム・アニメーションフィルム]]<br />飯盛夏子、渡邊奈津子、矢沢真由、東樹葉子、中路景子、毛利志乃舞、小高雅子、上田峰子、[[板垣伸]]、安留博子、富野昌江、式部美代子、与沢桂子、平井和子、藤倉雅代、宇田明彦 |- |colspan="2"|作画協力||アニメトロトロ、[[OH!プロダクション]]、[[スタジオコクピット]]、[[スタジオたくらんけ]]、グループどんぐり |- |colspan="2"|美術監督||[[山本二三]]<br />[[田中直哉]]、[[武重洋二]]、[[黒田聡]]、[[男鹿和雄]] |- |colspan="2"|背景||style="font-size:smaller;"|[[吉田昇]]、春日井直美、長縄恭子、斉藤久恵、伊奈涼子、平原さやか、荒井貞幸、太田清美、谷口淳一、長田昌子、佐々木洋明、[[田村せいき|田村盛揮]] |- |colspan="2"|特殊美術||福留嘉一 |- |colspan="2"|特殊効果||[[谷藤薫児]]、橋爪朋二、村上正博、榊原豊彦、谷口久美子 |- |colspan="2"|色彩設計||[[保田道世]] |- |colspan="2"|色指定||井関真代、森奈緒美、守屋加奈子 |- |rowspan="4"|仕上||彩色||style="font-size:smaller;"|小野暁子、熱田尚美、鍋田富美子、野村雪絵、山田和子、鈴木栄一、片山由里子<br />スタジオキリー<br />岩切当志子、高橋直美、宮本智恵美、清水まり子、森沢千代美、渡辺信子、平林和広、谷島香、石川香織、土屋裕美、工藤百合子、原井智恵、児玉淳、浦山和恵、平林ふみ子、泰野君子<br />石黒静、吉田美夜子、高木小百合、後藤恵子、大隈昌子、佐々木恵子、角田和子、中釜かおる<br />IMスタジオ<br />伊勢田美代子、尾崎美人、鉢田恒、浅井より子、西村豊美、森田薫、安味香織、大内一美、木村裕美子、天満友美、佐藤けい子、赤沼茂子、前原絹代、船崎幸子、板原多恵、小林一夫<br />トレーススタジオM<br />安斉直美、相原明子、杉山和歌子、金内順子、醍醐玲子、本橋恵美子、松尾めぐみ、大城ひろ子<br />[[東映動画]]<br />黒沢和子、奥西紀代美、坂野園江、入江三瓶子、五十嵐令子、古屋純子、藤橋清美、戸塚友子<br />テレコム・アニメーションフィルム<br />山本智子、人位万里、長嶋さゆり、太田真弥子、石川恵里子、西脇好美、宮川淳子、長岡純子 |- |トレスマシン||style="font-size:smaller;"|柚木脇達巳 |- |協力会社||style="font-size:smaller;"|[[スタジオOM青森ワークス]]、アニメハウス、はだしぷろ、ピーコック、ムッシュオニオン、スタジオOZ、スタジオアド |- |デジタルペイント||style="font-size:smaller;"|石井裕章、佐藤麻希子、杉野亮、服部圭一郎<br />高橋プロダクション/T2Studio<br />高橋加奈子、石堂めぐみ、村田ゆき、下江由美子、恒田由紀子<br />[[DR MOVIE]]<br />T&V |- |colspan="2"|技術協力||style="font-size:smaller;"|村尾守<br />スタック<br />斉藤芳郎<br />内外カーボンインキ<br />太陽色彩<br />北村繁治<br />CHROMACOLOUR INTERNATIONAL LTD <br />ROY EVANS |- |colspan="2"|CG||[[菅野嘉則]]、[[百瀬義行]]、[[片塰満則]]、井上雅史 |- |colspan="2"|撮影監督||[[奥井敦]] |- |colspan="2"|撮影||style="font-size:smaller;"|藪田順二、高橋わたる、[[古城環]] |- |colspan="2"|音響制作||[[オムニバスプロモーション]] |- |colspan="2"|[[音響監督]]||[[若林和弘]] |- |colspan="2"|音響助手||真山惠衣 |- |colspan="2"|録音<br />整音||井上秀司 |- |colspan="2"|録音助手||福原正博 |- |colspan="2"|整音助手||浅倉務、高木創、内田誠 |- |colspan="2"|音響効果制作||[[サウンドリング]] |- |colspan="2"|音響効果||[[伊藤道廣]] |- |colspan="2"|音響効果助手||石野貴久 |- |colspan="2"|音響効果協力||style="font-size:smaller;"|VDX<br />猪飼和彦、渡辺基、時田滋 |- |colspan="2"|音響効果取材協力||style="font-size:smaller;"|加藤隆雄、山村綱廣<br />愛知県鳳来町、東京都北区弓道連盟、正宗工芸 |- |rowspan="3"|音楽制作||会社||ワンダーシティ、スタジオジブリ |- |style="font-size:smaller;"|マネージメント||山下幸郎 |- |A&R||滝川透、稲城和実 |- |rowspan="3"|エンジニア||style="font-size:smaller;"|レコーディング||大川正義、森本信、浜田純伸 |- |style="font-size:smaller;"|マスタリング||加藤正昭 |- |style="font-size:smaller;"|アシスタント||石原裕也、古川健司 |- |rowspan="4"|CD制作||会社||[[徳間ジャパンコミュニケーションズ]] |- |A&R||岡田知子 |- |協力会社||[[ヤマハ]] |- |フォトグラファー||落合淳一、浦谷年良 |- |rowspan="2"|録音スタジオ||音楽収録||style="font-size:smaller;"|ワンダーステーション、[[アバコクリエイティブスタジオ]] |- |台詞収録||style="font-size:smaller;"|MITスタジオ<br />池場達也、西島理恵、八十嶋裕樹<br />アバコクリエイティブスタジオ<br />金井光晴、廣岡信貴 |- |colspan="2"|録音所||[[東京テレビセンター]] |- |colspan="2"|タイトル||真野薫、吉田由香里 |- |colspan="2"|リスマーク||CNT508 |- |colspan="2"|[[編集技師|編集]]||[[瀬山武司]] |- |colspan="2"|編集助手||style="font-size:smaller;"|水田経子、内田恵、田村眞子 |- |colspan="2"|編集所||style="font-size:smaller;"|瀬山編集室 |- |colspan="2"|監督助手||伊藤裕之 |- |colspan="2"|演出助手||有富興二、石曽根正勝 |- |colspan="2"|制作担当||[[川端俊之]] |- |colspan="2"|制作デスク||田中千義、西桐共昭 |- |colspan="2"|制作進行||大塚浩二、居村健治、鈴木健一郎 |- |colspan="2"|制作業務||野中晋輔、望月雄一郎 |- |colspan="2"|キャラクター商品開発||今井知巳、浅野宏一 |- |colspan="2"|インターネット||石光紀子 |- |colspan="2"|プロデューサー補||米沢敬博 |- |colspan="2"|出版担当||田居因 |- |colspan="2"|予告編制作||ガル・エンタープライズ<br />板垣恵一、花本浩子 |- |colspan="2"|海外プロモート担当||スティーブン・アルパート、森吉浩予、濱田啓路 |- |rowspan="4"|現像||会社||[[IMAGICA Lab.|IMAGICA]] |- |タイミング||平林弘明 |- |オプチカル||関口正晴 |- |デジタルフィルムI/O||辻英男 |- |rowspan="3"|DOLBY||技術協力||style="font-size:smaller;"|森幹生<br />コンチネンタル ファーイースト |- |光学録音||上田太士 |- |デジタル光学録音||[[西尾昇]] |- |colspan="2"|アニメーション制作||[[スタジオジブリ]] |- |colspan="2"|プロデューサー||[[鈴木敏夫]] |- |colspan="2"|原作<br />[[脚本家|脚本]]<br />[[映画監督|監督]]||'''[[宮崎駿]]''' |- |} === 製作委員会 === {| class="wikitable" style="font-size:85%;" |- |colspan="2"|総指揮||[[徳間康快]] |- |colspan="2"|代表||[[氏家齊一郎]]、[[成田豊]] |- |colspan="2"|代表委員||山下辰巳、藤井睦夫 |- |colspan="2"|推進指揮||[[漆戸靖治]]、[[間部耕苹]]、[[桂田光喜]] |- |colspan="2"|推進委員||[[大塚勤]]、[[萩原敏雄]]、[[俣木盾夫]] |- |colspan="2"|広報||山本珠実、長澤美奈子 |- |colspan="2"|プロデューサー||菊川幸夫、武井英彦、[[中谷敏夫]]、渡辺哲也 |- |colspan="2"|実行委員||style="font-size:smaller;"|[[徳間書店]]<br />[[小金井道宏]]、室井實、塚原昇、伊藤純子<br />[[日本テレビ]]<br />[[坂田信久]]、伊藤和明、長崎佳子、藤本鈴子、野元佳子、門屋大輔、紙谷知子<br />[[電通]]<br />[[百瀬伸夫]]、野田考也、勝田祥三、青柳教載、福山亮一、曽我有信<br />[[スタジオジブリ]]<br />古林繁、荒井章吉、一村晃夫、洞口朋紀、駒形正吾、藤津英子 |- |colspan="2"|製作担当||[[奥田誠治 (映画プロデューサー)|奥田誠治]] |- |colspan="2"|企画協力||[[アニメージュ]]編集部<br />渡邊隆史、松岡光譲 |- |style="font-size:smaller;" rowspan="3"|宣伝||プロデューサー||矢部勝 |- |係||style="font-size:smaller;"|東宝<br />新井重人、伴田雄輔<br />メイジャー<br />脇坂守一、岡村尚人、土屋勝、小柳道代、笹田文代、机ちひろ、福田のぞみ、加藤麻里子、原美恵子、渡辺美佳 |- |特別顧問||徳山雅也 |- |colspan="2"|キャッチコピー||style="font-size:smaller;"|[[糸井重里]] |- |colspan="2"|特別協賛||style="font-size:smaller;"|[[日本生命]] |- |colspan="2"|特別協力||style="font-size:smaller;"|[[読売新聞]] |- |colspan="2"|配給||[[東宝]] |- |} * 英語版演出 - ジャック・フレッチャー * 英語版脚本 - [[ニール・ゲイマン]] == 主題歌 == ; 「[[もののけ姫 (曲)|もののけ姫]]」 : 作詞 - [[宮崎駿]] / 作曲 - [[久石譲]] / 編曲 - 久石譲 / 歌 - [[米良美一]] == 挿入歌 == ; 「エボシ タタラうた」 : 作詞 - 宮崎駿 / 作曲 - 久石譲 / 編曲 - 久石譲 / 歌 - 新倉芳美、木村真紀、下成佐登子 == 興行と賞歴 == [[1997年]]7月の公開後、[[興行収入]]193億円<ref name="kogyotsushin20200412">{{Cite web|和書|url=http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/ |title=歴代ランキング - CINEMAランキング通信 |publisher=[[興行通信社]] |date=2020-04-12 |accessdate=2020-12-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200626215145/http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/ |archivedate=2020-06-26}}</ref>{{efn2|[[叶精二]]『宮崎駿全書』(2006年)では194億円{{sfn|叶|2006|p=212}}。}}、観客動員数1420万人を記録し{{sfn|叶|2006|p=212}}、当時の[[日本歴代興行成績上位の映画一覧#日本歴代興行収入ランキング|日本映画の歴代興行収入]]第1位となった。 日本歴代興行収入ランキング第1位の大当たりに、製作総指揮の[[徳間康快]]は仲のよい[[岡田茂 (東映)|岡田茂]][[東映]]会長から「百年に一度の奇跡だぞ」と言われた<ref name="朝日新聞20000922">{{Cite news|和書|title=豪放、進取の開拓者活字、映像、音楽を融合 故徳間康快氏 |date=2000-09-22 |newspaper=[[朝日新聞]] |edition=夕刊 |publisher=[[朝日新聞社]] |page=芸能 1}}</ref>。徳間は「何本も当てて世界のアニメプロデューサーになる」と豪語した<ref name="朝日新聞20000922" />。『もののけ姫』は日本で公開された[[映画|洋画]]も含めても歴代一位で、徳間は岡田の受け売りで「百年に一本」を周りに吹いた<ref name="朝日新聞20000922" />。[[20世紀]]はあと数年しかなく、このまま日本での20世紀最大のヒットの称号をキープするかに思えたが、翌年『[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]』に抜かれた<ref name="朝日新聞20000922" />。[[2001年]]にすぐに『[[千と千尋の神隠し]]』で抜き返したが、徳間は2000年に死去しており、これを見ることはなかった<ref name="朝日新聞20000922" />。 日本国内におけるDVDとVHSを合わせたビデオグラム出荷本数は2007年5月時点で440万本<ref>{{Cite news |title=110万冊無料配布。"ゲドを読む。"の狙いを読む 宮崎吾朗監督 作品「ゲド戦記」DVDのユニークなプロモーション |author=中村均 |newspaper=日経ビジネスオンライン |date=2007-05-23 |url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070521/125248/|accessdate=2007-05-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070524105728/http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070521/125248/ |archivedate=2007-05-24}}</ref>。 [[1999年]][[1月22日]]に『[[金曜ロードショー]]』で初のTV放送がされ関東地区で35.1%、西日本地区で40.8%の視聴率を記録した{{sfn|叶|2006|p=214}}。 香港での興行収入は654万香港ドル{{sfn|叶|2006|p=214}}、全米では1000万ドル{{sfn|叶|2006|p=214}}。 * 第1回[[文化庁メディア芸術祭アニメーション部門]]大賞 * 第52回[[毎日映画コンクール]]日本映画大賞・[[毎日映画コンクールアニメーション映画賞|アニメーション映画賞]] * 第21回[[日本アカデミー賞]]最優秀作品賞 * 朝日デジタルエンターテイメント大賞・シアター部門賞 * アニメーション神戸'97・部門賞(演出部門)、部門賞(デジタル技術部門)、アワード(劇場映画の部) * マルチメディアグランプリ'97・MMCA特別賞 * 第15回[[ゴールデングロス賞]]・最優秀金賞、特別功労大賞 * [[報知映画賞]]・特別賞 * [[日刊スポーツ映画大賞]]・監督賞 * [[石原裕次郎賞]] * 第39回毎日芸術賞・映像・映画部門 * エランドール賞・特別賞 * 日本映画ペンクラブ・97年度ベスト5日本映画部門1位 * [[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]・特別賞 * おおさか映画祭・特別賞 * [[高崎映画祭]]・最優秀監督賞 * 映画鑑賞団体全国連絡会議・日本映画作品賞 * 文化庁優秀映画・優秀映画作品賞 * 読売映画・演劇広告賞 優秀賞 * 日経優秀製品・サービス賞、最優秀賞、日本経済新聞賞 * [[第39回日本レコード大賞]]・作曲賞、アルバム企画賞(サントラ) * [[日本のメディア芸術100選]]アニメ部門選出 === 再上映 === [[2020年]]、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルスの流行]]によって新作映画の供給が困難になったことを受け、同年[[6月26日]]から8月まで全国の映画館で本作の再上映が行われた<ref name="oricon20200618" />。再上映による興行収入は8.8億円にのぼり、同年[[12月15日]]にこれまでの興行収入(193.0億円<ref name="kogyotsushin20200412" />)に加算され、正式な興行収入記録は201.8億円となった<ref name="kogyotsushin" />。これに伴い、同じくスタジオジブリ製作である『[[ハウルの動く城]]』の興行収入(196.0億円)を抜いた<ref name="eiga20201215">{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20201215/14/|title=「千と千尋の神隠し」歴代興行収入更新!再上映の8.8億加算で316.8億に|date=2020-12-15|accessdate=2020-12-15|publisher=映画.com}}</ref>。 ; 再上映時の週間興行順位の推移 {| class=wikitable style="text-align:left"| |- !上映週!!週末日付!!順位!!備考 |- |1 |2020年{{0}}6月27日-28日 |rowspan="3" style="text-align:center;background:#c0c0c0"|2位 | |- |2 |2020年{{0}}7月{{0}}4日-{{0}}5日 | |- |3 |2020年{{0}}7月11日-12日 |<ref>[https://news.nicovideo.jp/watch/nw7639251?news_ref=50_50 『千と千尋の神隠し』他ジブリ作品が動員ランキングTOP3をキープ。『私モテ』初登場4位に] ニコニコニュース/ぴあ (2020年7月13日)</ref><ref>[http://www.kogyotsushin.com/archives/weekly/202007/ 週間映画ランキング 2020年7月]([[興行通信社]]「CINEMAランキング通信」)</ref> |- |4 |2020年{{0}}7月18日-19日 |rowspan="3" style="text-align:center;background:#cc9966"|3位 |<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0117457 『今日から俺は!!劇場版』初登場1位を獲得!] シネマトゥデイ (2020年7月20日)</ref> |- |5 |2020年{{0}}7月25日-26日 |<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0117569 『今日から俺は!!』2週連続1位!『コンフィデンスマンJP』新作2位に初登場] シネマトゥデイ (2020年7月27日)</ref> |- |6 |2020年{{0}}8月{{0}}1日-{{0}}2日 |<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0117727 『今日から俺は!!』3週連続1位『コンフィデンスマンJP』が続く] シネマトゥデイ (2020年8月3日)</ref> |- |7 |2020年{{0}}8月{{0}}8日-{{0}}9日 | style="text-align:center"|7位 |<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0117905 『映画ドラえもん のび太の新恐竜』が初登場1位!] シネマトゥデイ (2020年8月11日)</ref> |} == 売上記録 == (日本国内) {| class="wikitable" style="margin-bottom:2em;" |- ! 内容 !! 記録 !! 補足 |- | 興行収入 | 201.8億円<ref name="kogyotsushin" /> | 英語版の日本興行分除く、再上映含めた2020年12月現在の正式な記録 |- | 配給収入 | 約113億円{{sfn|叶|2006|p=212}} | 英語版の日本興行分・再上映除く |- | 動員 | 1420万人{{sfn|叶|2006|p=212}} | 英語版の日本興行分・再上映除く |- | 『イメージアルバム』 | 7万枚出荷(1996年7月22日発売のCD){{sfn|叶|2006|p=209}}<br />0.5万枚出荷(2004年発売の再発CD){{sfn|叶|2006|p=209}} | |- | 『[[もののけ姫 サウンドトラック|サウンドトラック]]』 | 50万枚出荷(1997年7月2日発売のCD){{sfn|叶|2006|p=209}} | |- | 『交響組曲』 | 8万枚出荷(1998年7月8日発売のCD){{sfn|叶|2006|p=209}} | |- | 主題歌『もののけ姫』 | 60万枚出荷(1997年発売のシングルCD){{sfn|叶|2006|p=209}}<br />0.5万枚出荷(2004年発売の再発シングルCD){{sfn|叶|2006|p=209}} | |- | VHS(1998年9月発売) | 400万本出荷{{sfn|叶|2006|p=214}} | 2005年3月現在 |- | DVD(2001年11月発売、本編+映像特典の3枚組) | 50万枚出荷{{sfn|叶|2006|p=214}} | 2005年3月現在 |- | 映画パンフレット | 262万部<ref>『[[日経産業新聞]]』1998年4月22日付、3頁。</ref> | |- | [[フィルムコミック]] | 180万部以上<ref name="tokuma19980126">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.tokuma.com/news/n980126_1.html |title=出版界初の受賞 1997年日経優秀製品・サービス賞 最優秀賞に、コンテンツとしての『もののけ姫』 |website=徳間書店 |publisher=徳間書店 |date=1998-01-26 |accessdate=2001-05-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010524110933/www.tokuma.com/news/n980126_1.html |archivedate=2001-05-24}}</ref> | 4巻計 |- | 『THE ART OF The Princess MONONOKE<br />もののけ姫』 | 10万部近く<ref name="tokuma19980126" /> | 定価2800円 |} == テレビ放送の視聴率 == {| class=wikitable style="text-align:left" |- !回数!!放送日!!視聴率 |- |1 |1999年{{0}}1月22日(金) |{{Font color|red|35.1%}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.videor.co.jp/tvrating/past_tvrating/top30/199930.html |title=1999年 年間高世帯視聴率番組30(関東地区) |publisher=[[ビデオリサーチ]] |accessdate=2023-04-09}}</ref> |- |2 |2001年{{0}}1月26日(金) |26.9%<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.videor.co.jp/tvrating/past_tvrating/top30/200130.html |title=2001年 年間高世帯視聴率番組30(関東地区) |publisher=ビデオリサーチ |accessdate=2023-04-09}}</ref> |- |3 |2003年{{0}}2月14日(金) |27.0% |- |4 |2004年11月19日(金)<ref>[https://web.archive.org/web/20151211030904/http://www.ntv.co.jp/kinro/before200805/before200602/lineup/2004/1119/index.html 金曜ロードショー2004年11月19日放送分]</ref> |23.3% |- |5 |2006年{{0}}5月12日(金)<ref>[https://web.archive.org/web/20151225102007/http://www.ntv.co.jp/kinro/before200805/20060512/kaisetsu.html 金曜ロードショー2006年5月12日放送分]</ref> |18.2% |- |6 |2010年{{0}}1月{{0}}8日(金)<ref>[https://web.archive.org/web/20130617092326/http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20100108/ 金曜ロードショー2010年1月8日放送分]</ref> |18.4% |- |7 |2011年{{0}}7月{{0}}1日(金)<ref>[https://web.archive.org/web/20151211042730/http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20110701/ 金曜ロードショー2011年7月1日放送分]</ref> |15.9% |- |8 |2014年{{0}}7月{{0}}4日(金)<ref>[https://web.archive.org/web/20140820033835/https://kinro.jointv.jp/lineup/140704 金曜ロードSHOW!2014年7月4日放送分]</ref> |21.9% |- |9 |2016年{{0}}8月{{0}}5日(金) |15.1%<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/08/kiji/K20160808013102480.html 「もののけ姫」9回目でも15.1% 宮崎アニメ根強い人気 瞬間最高大台迫る19.0%]</ref> |- |10 |2018年10月26日(金) |{{Font color|blue|12.8%}}<ref>{{Cite news|title=もののけ姫:通算10回目の放送も12.8%の高視聴率|newspaper=MANTAN WEB|date=2018-10-29|url=https://mantan-web.jp/article/20181029dog00m200004000c.html|accessdate=2018-10-29}}</ref> |- |11 |2021年{{0}}8月13日(金) |13.8%<ref>{{Cite news|title=宮崎駿監督「もののけ姫」11度目放送13・8% 99年初回は35・1%|newspaper=日刊スポーツ|date=2021-08-16|url= https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108160000100.html |accessdate=2021-08-16}}</ref> |- |12 |2023年{{0}}7月21日(金) |12.6%<ref>{{Cite news|title=宮崎駿監督「もののけ姫」12度目放送12・6% アシタカ「生きろ。そなたは美しい」|newspaper=日刊スポーツ|date=2022-07-24|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202307210000103.html|accessdate=2022-07-24}}</ref> |} == DVD == 現在発売されている[[DVD]]には、[[日本語]]、[[英語]]、[[フランス語]]、[[広東語]]、[[ドイツ語]]、[[イタリア語]]、[[スペイン語]]、[[ポルトガル語]]の8か国語が収録されている。また、2001年には制作過程を描いたメイキングDVD『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント)が発売された。 == 舞台化 == イギリスの若手劇団「Whole Hog Theatre」(ホール・ホグ・シアター)によって舞台化される。劇団が宮崎監督の友人である[[ニック・パーク]]を通してオファーしたところ、劇団が作成したテスト映像を見た宮崎監督がGOサインを出したという。宮崎監督が自作の舞台化を許諾するのはこれが初<ref>{{Cite web|和書|url=http://princess-mononoke.jp/|title=舞台「Princess MONONOKE〜もののけ姫〜」公式サイト|accessdate=2013-03-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130308093338/http://princess-mononoke.jp/|archivedate=2013-03-08|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。 イギリスではロンドンにあるニュージオラマシアターにて上演。2013年4月2日-6日のチケットは発売から72時間で、6月18日-29日の再演は4時間半で売り切れた。日本では2013年4月29日-5月6日、渋谷アイアシアタートーキョーにて上演される。キャストの中には、唯一の日本人、ニューヨークを拠点に活動中の女優・ダンサー・シンガーのYuriko Miyake(三宅由利子)が含まれている。作中のテーマソング『もののけ姫』も彼女が歌っている。人間以外のキャラクターは古着・ビニールやペットボトルなどの廃材を使用して作られたパペットで表現していた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1367458932371/?p=2|title=宮崎駿が初めて認めた。イギリスの劇団が「もののけ姫」にチャレンジ、その真価は?|accessdate=2013-05-02}}</ref>。 === スタッフ === * 構成・演出:[[アレクサンドラ・ルター]] * 原作:『もののけ姫』[[宮崎駿]] * オリジナル音楽:[[久石譲]] * 舞台版編曲:[[ケリン・タットマン]] * 脚本翻訳/[[ドラマトゥルク]]:[[三宅由利子]] == 関連商品 == === 作品本編に関するもの === {{Dl2 | 映像ソフト | * もののけ姫 [[レーザーディスク|LD]] - [[徳間書店]](1998年6月26日) * もののけ姫 [[VHS]] - [[ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント]](1998年6月26日) ** 「もののけ姫」はこうして生まれた VHS - ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント(1998年6月26日) * もののけ姫 DVD - ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント(2001年11月21日) ** 「もののけ姫」はこうして生まれた DVD - ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント(2001年11月21日) ** DVD(宮崎駿監督作品集) - [[ウォルト・ディズニー・ジャパン|ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン]](2014年7月2日) * もののけ姫 Blu-ray Disc - ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン(2013年12月4日) ** Blu-ray Disc(宮崎駿監督作品集) - ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン(2014年7月2日) | 出版 | * もののけ姫(宮崎駿・絵、徳間書店、1993年12月31日){{ISBN2|4-19-860040-6}} * THE ART OF The Princess MONONOKE もののけ姫(スタジオジブリ責任編集、徳間書店、1997年8月20日){{ISBN2|4-19-810002-0}} * もののけ姫 上(徳間アニメ絵本)(徳間書店、1997年9月30日){{ISBN2|4-19-860762-1}} * もののけ姫 下(徳間アニメ絵本)(1997年9月30日){{ISBN2|4-19-860763-X}} * もののけ姫(ジス・イズ・アニメーション)(小学館、1997年10月1日){{ISBN2|4-09-101542-5}} * もののけ姫―フィルムコミック(1)(徳間書店、1997年10月1日){{ISBN2|4-19-770052-0}} * もののけ姫―フィルムコミック(2)(1997年10月1日){{ISBN2|4-19-770053-9}} * もののけ姫―フィルムコミック(3)(1997年11月1日){{ISBN2|4-19-770054-7}} * もののけ姫―フィルムコミック(4)(1997年11月1日){{ISBN2|4-19-770055-5}} * もののけ姫 ロマンアルバム([[アニメージュ]]編集部編、徳間書店、1997年11月1日){{ISBN2|4-19-720026-9}} * 「もののけ姫」の秘密 遥かなる縄文の風景(批評社、1998年10月10日){{ISBN2|4-8265-0261-3}} * 「もののけ姫」はこうして生まれた。(徳間書店、1998年10月30日){{ISBN2|4-19-860930-6}} * 『もののけ姫』から『ホーホケキョ となりの山田くん』へ テーマは「生きろ。」から「適当」へ…!?(スタジオジブリ・徳間書店、1999年7月31日){{ISBN2|4-19-861046-0}} * もののけ姫 完全版―フィルムコミック(1)(徳間書店、2000年4月28日){{ISBN2|4-19-770069-5}} * もののけ姫 完全版―フィルムコミック(2)(2000年4月28日){{ISBN2|4-19-770073-3}} * もののけ姫 完全版―フィルムコミック(3)(2000年4月28日){{ISBN2|4-19-770074-1}} * もののけ姫 完全版―フィルムコミック(4)(2000年4月28日){{ISBN2|4-19-770075-X}} * もののけ姫 完全版―フィルムコミック(5)(2000年6月1日){{ISBN2|4-19-770076-8}} * ROMAN ALBUM GHIBLI How did America view PRINCESS MONONOKE?(スタジオジブリ・徳間書店、2000年5月20日){{ISBN2|4-19-720117-6}} * もののけ姫(スタジオジブリ絵コンテ全集11)(スタジオジブリ・徳間書店、2002年1月28日){{ISBN2|4-19-861475-X}} * もののけ姫(シネマ・コミック10)(文藝春秋・文春ジブリ文庫、2018年12月){{ISBN2|978-4-16-812109-8}} | 音楽 | * [[もののけ姫 (曲)|もののけ姫]] [[徳間ジャパンコミュニケーションズ]](再発版2004年10月27日、オリジナル1997年6月25日) * もののけ姫 イメージアルバム 徳間ジャパンコミュニケーションズ(〈再発版CD/2004年9月29日〉TKCA-770946〈オリジナル盤 / 1996年7月22日〉) * [[もののけ姫 サウンドトラック]] 徳間ジャパンコミュニケーションズ(1997年7月2日) * 交響組曲 もののけ姫 徳間ジャパンコミュニケーションズ(1998年7月8日) }} == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist2|30em}} === 出典 === {{Reflist|20em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|title=「もののけ姫」 劇場パンフレット |year=1997 |month=7 |publisher=東宝 |ref={{sfnref|『映画パンフレット』}} }} * {{Cite web|和書|author=叶精二 |authorlink=叶精二 |date=1997-08-01 |url=http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/m_yomitoku.html |title=「もののけ姫」を読み解く |publisher=高畑勲・宮崎駿作品研究所 |accessdate=2023-01-26}} * {{Cite book|和書|others=[[スタジオジブリ]] 責任編集 |title=THE ART OF The Princess MONONOKE もののけ姫 |date=1997-08-20 |publisher=徳間書店 |series=ジブリTHE ARTシリーズ |isbn=4-19-810002-0 |ref={{sfnref|『THE ART OF』}} }} ** 初出は『[[コミックボックス|別冊 COMICBOX]] Vol.2「もののけ姫」を読み解く』([[ふゅーじょんぷろだくと]]、1997年8月) * {{Cite book|和書|author=浦谷年良 |editor=アニメージュ増刊編集部 |title=「もののけ姫」はこうして生まれた。 |year=1998 |month=10 |publisher=徳間書店 |isbn=4-19-860930-6 |ref={{sfnref|浦谷|1998}} }} * {{Cite book|和書|editor=アニメージュ編集部 |editor-link=アニメージュ |title=もののけ姫 ロマンアルバム |year=1997 |month=11 |publisher=徳間書店 |isbn=4-19-720026-9 |ref={{sfnref|『ロマンアルバム』}} }} * {{Cite book|和書|author=宮崎駿|year=2002|title=もののけ姫-スタジオジブリ絵コンテ全集<11>|publisher=徳間書店、スタジオジブリ事業本部|isbn=4-19-861475-X}} * {{Cite book|和書|author=宮崎駿|year=2002|title=風の帰る場所-ナウシカから千尋までの軌跡|publisher= ロッキング・オン|isbn=4-86052-007-6}}新版・文春ジブリ文庫(2013年11月) * {{Cite book|和書|author=網野善彦|authorlink=網野善彦|year=2003|title=「忘れられた日本人」を読む|publisher=[[岩波書店]]〈岩波セミナーブックス〉|isbn=4-00-026610-1}} * {{Cite book|和書|author=叶精二 |authorlink=叶精二 |date=2006-03-29 |title=宮崎駿全書 |publisher=フィルムアート社 |oclc=71254186 |isbn=4-8459-0687-2 |ref={{sfnref|叶|2006}} }} * {{Cite book|和書|author=市沢哲 |authorlink=市沢哲 |title=日本中世公家政治史の研究 |year=2011 |month=10 |publisher=校倉書房 |series=歴史科学叢書 |isbn=978-4-7517-4330-0 |chapter=映画『もののけ姫』分析―歴史ファンタジーに歴史学はどう関わるか |ref={{sfnref|市沢|2011}} }} ** 初出 {{Cite journal|和書|author=市沢哲 |title=映画『もののけ姫』分析 : 歴史ファンタジーに歴史学はどう関わるか(特集 歴史と文学) |year=2004 |month=3 |publisher=神戸大学文学部国語国文学会 |journal=國文論叢 |volume=34 |doi=10.24546/81011601 |hdl=20.500.14094/81011601 |pages=94-109 |ref={{sfnref|市沢|2004}} }} * {{Cite book|和書|author=宮崎駿 |date=2008-07-16 |title=折り返し点 1997〜2008 |publisher=岩波書店 |isbn=978-4-0002-2394-2 |ref={{sfnref|宮崎|2008}} }}エッセイ・発言集 == 関連文献 == * {{Cite book|和書|author=宮崎駿 |authorlink=宮崎駿 |date=1996-07-31 |title=出発点 1979〜1996 |publisher=徳間書店 |oclc=674559723 |isbn=4-19-860541-6}}エッセイ・発言集 * [[司馬遼太郎]]・[[堀田善衛]]・宮崎駿『時代の風音』 [[朝日新聞社]]〈[[朝日文庫]]〉、1997年3月、{{ISBN2|4-02-264139-8}} * スタジオジブリ編 『もののけ姫 ジブリの教科書10』 [[文藝春秋]]〈文春ジブリ文庫〉、2015年7月、{{ISBN2|978-4-16-812009-1}} == 外部リンク == {{Portal 映画}} {{ウィキポータルリンク|アニメ|[[画像:Wikipe-tan face.svg|34px|Portal:アニメ]]}} * [https://www.ghibli.jp/diary_m/ 「もののけ姫」制作日誌] * [https://www.ghibli.jp/works/mononoke/ もののけ姫 - スタジオジブリ公式サイト] * [https://viewer.kintoneapp.com/public/0a3f41a74b8bb9e879c82e5240035410e01df4c27f0dfc1d2ef44495962b1f44#/detail/def50200e1d6962fc49d8429187641aa6ecd31b6f92b33c2ab76d9d9d255938cccaa5c447a9c8e4a909933f5d0c71b17c5f3858a55144428533c807f03c2686ea723186fd5b4e1f5509542dcf175fdce9d3d16b5faeeebcf62b6dd433781790b57d088abef7cf5fbc2fff6bc9190298a90ac2f34fc185021084619bc53d2ed2f3a2a425d2949be29aa58941c5b326894dc1404ebdcfdf8523d もののけ姫 - 東宝WEB SITE] * {{JMDb title|1997|du001990|もののけ姫}} * {{Allcinema title|159561|もののけ姫}} * {{Kinejun title|30689|もののけ姫}} * {{Japanese-cinema-db|2625|もののけ姫}} * {{Japanese-cinema-db|571|The Princess Mononoke}} * {{Movie Walker|mv30301|もののけ姫}} * {{映画.com title|30139|もののけ姫}} * {{Amg movie|160429|The Princess Mononoke}} * {{IMDb title|0119698|The Princess Mononoke}} * [http://www.princess-mononoke.com/ Princess Mononoke]{{En icon}} * {{Wayback |url=http://princess-mononoke.jp/ |title=舞台「Princess 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外食産業
外食産業()とは、家庭外で食事を提供するサービス業。小学館『デジタル大辞泉』によれば、「外食産業」とは「大規模のチェーン店形式による飲食業の総称。ファーストフード店やファミリーレストランなど。」とあり、飲食店の中でも企業として大規模に展開するものを指すとされている。 「食事をする空間を提供する」という狭義の意味での外食産業は、日本初の百貨店であった三越日本橋本店に1907年(明治40年)4月に開業した食堂を嚆矢とする。「外食」の用語は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に戦時下の食料統制の一環として1941年(昭和16年)4月に導入された外食券制によって、配給された外食券で食事ができる食堂に「外食券食堂」との表記がなされたことによって広まった。現在ではここからさらに派生した「内食」「中食」などの用語(レトロニム)もある。 日本で本格的な外食産業の展開が始まった1970年(昭和45年)が「外食元年」とされる。この年は、7月に日本初のファミリーレストラン「すかいらーく」1号店が、中央道国立府中IC近くの東京都府中市西府町5-16-1(すかいらーく国立店、現・ガスト国立店)に開業した年である。 また、同年3月には、ケンタッキーフライドチキンが大阪万博に実験店を初出店、同年11月に名古屋市のダイヤモンドシティ・名西ショッピングセンター(現・イオンタウン名西)に常設店舗1号店の名西店を開店している(ただし名西店は翌年に閉店)。 ファーストフード店では、当時ダイエー系列であったドムドムハンバーガーが同年2月、町田市のダイエー原町田店に1号店を開店。日本初のハンバーガーチェーン店として、ダイエー系列の店舗を中心に出店を進めた。 翌1971年(昭和46年)7月20日には、マクドナルド1号店が三越銀座店1階に開店(テイクアウト専門店、1984年11月閉店)、4日後の7月24日には代々木駅前に代々木店を開店している(現存)。米国マクドナルド社は自家用車での来店を想定して1号店は郊外に作るべきとし、神奈川県茅ヶ崎市への出店を主張したが、当時の日本はまだモータリゼーション半ばであったこと、銀座の百貨店と言うブランド性などから三越銀座店への出店が決まった。1970年は銀座や新宿などで歩行者天国が始まった時期でもあり、マクドナルドではその後も新宿二幸(新宿アルタ)、三越新宿店など、都心部の百貨店へのテイクアウトカウンター式の店舗出店が続いた。 1970年代にはハンバーガーチェーン店の開業も相次ぎ、翌1972年(昭和47年)には、モスバーガーが3月12日に成増駅前商店街で実験店を出店(6月に現在の成増店の場所に正式な1号店として移転)、ロッテリアが日本橋髙島屋北別館1階に1号店を開店している。 こうして同年代からファミリーレストラン・ファーストフードのチェーンストア展開が始まり、マスメディアにも「外食産業」という用語が登場するようになる。それまでは祝い事や行事などの際の特別なものであった外食は、この時期以降は庶民にとっても日常的なものとなっていく。さらに1980年代後半から1990年代にかけてのバブル時代には、好景気を背景に空前の「グルメブーム」が起き、テレビのグルメ番組や『美味しんぼ』に代表されるグルメ漫画も流行するなど、外食が娯楽のひとつとして広く定着した。 現代の家庭における傾向としては、一般的に世帯主が若い家庭ほど食費に占める外食の割合が大きく、また単身世帯は2人以上の世帯よりも外食の割合が大きくなる。 外食の定義は、一般に狭義と広義の意味がある。 「狭義の外食は、食事をする空間とともに食事を提供する形態の業種を指す」。食堂、レストラン、ファーストフードや喫茶店(カフェ)など一般に「飲食店」と称する業種がこれにあたる。 証券市場では証券コード協議会における業種分類で、狭義の外食産業はスーパーマーケットやコンビニエンスストアなどと同じ小売業に、「中食」を手がける企業は食料品に分類されている。 「茶屋」が登場したのは室町時代といわれ、職人歌合など中世の図像史料には寺社の門前で簡素な店舗を営み茶食を提供する職人の姿が描かれており、近世に至る前近代には外食業は寺社との関係が濃密であった。 近世には都市が発達し旅人の往来する街道沿いや参詣地である寺社、遊興施設など集客機能を持った場所が成立し、また物流網が発達し青物や海産物、乾物など多様な食材が安定的に供給されるようになり、料理屋など外食産業が成立する基盤が整えられ、都市の経済的発展や賑わいを示す要素にもなっている。 江戸時代初期には「飯屋」(めし屋)が登場し、例えば井原西鶴の「西鶴置土産」によれば、1657年に浅草に出店した飯屋の奈良茶(茶飯、豆腐汁、煮しめ、煮豆のセットメニュー)は人気を博したという。中期から後期にはそば屋や、留守居茶屋(料亭の起源といわれる。大名がいない間、大名屋敷を預かる留守居役を相手とした高級茶屋。会席料理を出していた)、居酒屋などの業態が登場したとされる。また、惣菜用の料理を扱う「煮売屋」が茶屋(煮売茶屋)を兼ねて料理を提供することもあった。 また江戸では、蕎麦、寿司、天ぷらなど、屋台の外食産業が盛んとなり、また江戸時代の料理屋としては芝居小屋など娯楽施設と近接し、飯盛女を雇用した売春を兼業することもあった。娯楽施設に近接する料理屋はその性格から博徒などアウトロー集団や犯罪に関わる情報が集中しやすく、一方で目明かしなど公権力の人間も出入りし、犯罪発生と治安維持の両側面をもった性格であることが指摘される。こうした料理やの多面的性格は近代に売春業は遊廓、治安維持は警察と都市における機能分化がすすみ、純粋に飲食のみを提供する施設へと変化していく。 これらの業態は、個人による生業(なりわい)的なものがほとんどで、「のれん分け」による支店としての関係にとどまっていたが、1960年代にアメリカで起こったフランチャイズブームをきっかけに、日本にもフランチャイズ形式の店舗が登場する。 1963年にはダスキンがFC1号店を出店し、不二家の洋菓子店FC1号店を出店。1970年、日本万国博覧会会場にケンタッキーフライドチキンが出店し、翌1971年にはマクドナルドが銀座三越に出店、同年にはミスタードーナツも第1号店を出店した。ファミリーレストランでは1970年にすかいらーく、ロイヤルホストが出店している。1973年には吉野家が神奈川県小田原市にフランチャイズ第1号店を出店、同年にはシェーキーズも渋谷に第1号店を出店している。 1970年代から1980年代には、セントラルキッチンやPOSが導入され、より効率化が図られた。市場規模は、1980年で14兆7000億円に、1980年代後半には、20兆円を越えた。1980年代にはフランチャイズ形式を取り入れた居酒屋が登場しており、1983年には東京都内に白木屋1号店である中野南口店が出店している。 1990年代にはバブル崩壊によって成長は鈍化した。一方でバブル崩壊による地価下落等により地価や家賃が安くなり、ファミリーレストランの都心部への出店や、居酒屋チェーンの郊外への出店が容易になった。1990年代後半以降は、スターバックスなど外資系コーヒーチェーンも進出している。 2000年代には、2001年のBSE問題、2004年の鳥インフルエンザの流行が、関連店舗に打撃を与える。また飲酒運転の取り締まり強化がアルコール販売に影響を与えた。マクドナルドの80円バーガーなど低価格競争が話題になったが、収益は改善せず低価格競争からの脱却を計っている。日本の外食産業は成熟期に入り、価格から質へと方向が変化している。また、質の向上に伴い、例えばラーメンのレベルが高くなり新規出店のハードルが上がるといった状況もある。 市場規模は1997年をピークに、その後は20兆円台前半となっている。市場規模は今後拡大しないといわれる一方で、店舗数が増えている現状があり、競争の激化で業界の生き残り競争が熾烈となるとみられる。セブン&アイ・ホールディングスは外食部門の不振から、2008年度以降、外食部門の店舗数を削減すると発表している。 外食産業の倒産件数は、2000年代に入り右肩上がりに上昇。2007年以降の倒産件数は毎年600件前後に推移している。景気の良し悪しに左右される業態ともいわれてきたが、2017年は好景気から他の業種が倒産件数を大幅に減らす中、対前年比27%増の700件超を記録した。材料費の増加と人材難のほか、小規模事業経営者の高齢化と後継者難も背景にあると見られている。 フードビジネス総合研究所によると2015年の売上上位20社は以下のとおり。 ラケル、オレンジキッチン、ピーターパン、ポッポ、ピーコック、すかいらーく、ロイヤルホスト、デニーズ、ガスト、バーミヤン、ジョナサン、アンナミラーズ、ココスジャパン、サンデーサン、トマトアンドアソシエイツ、ジョイフル、和食さと、とんでん、まるまつ、ばんどう太郎、ムジャキフーズ、坂本、木曽路、かに道楽、ウエスト、トマト&オニオン、ひらまつ 中国、台湾などアジア諸国には、日々の食事を各家庭で調理するのでなく、屋台へ出向いて食事を摂ることが文化・伝統とされている地域もある。国民の収入の増加、食の安全への意識の高まりを背景に、外食産業は成長を遂げている。市場規模は、2006年で約1兆元、2010年には約2兆元(約29兆円)になると予想され、雇用規模は2006年で2000万人以上とされている。企業のM&Aも盛んに行われており、今後の発展が有望視されている。
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外食産業とは、家庭外で食事を提供するサービス業。小学館『デジタル大辞泉』によれば、「外食産業」とは「大規模のチェーン店形式による飲食業の総称。ファーストフード店やファミリーレストランなど。」とあり、飲食店の中でも企業として大規模に展開するものを指すとされている。
{{出典の明記|date = 2012年12月}} {{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}} [[File:A great day in Manhattan, NYC. (2954287931).jpg|right|250px|thumb|[[ニューヨーク]]にある外食店]] {{読み仮名|'''外食産業'''|がいしょくさんぎょう}}とは、[[家庭]]外で[[食事]]を提供する[[サービス業]]。[[小学館]]『[[大辞泉|デジタル大辞泉]]』によれば、「外食産業」とは「大規模の[[チェーンストア|チェーン店]]形式による飲食業の総称。[[ファーストフード]]店や[[ファミリーレストラン]]など。」とあり<ref>[https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%96%E9%A3%9F%E7%94%A3%E6%A5%AD/#jn-36178 外食産業(がいしょくさんぎょう)の意味 出典:デジタル大辞泉(小学館)] [[goo]][[国語辞典|国語辞書]]</ref>、[[飲食店]]の中でも[[企業]]として大規模に展開するものを指すとされている。 == 日本における外食産業 == [[ファイル:Gusto Restaurant in Japan 16.jpg|thumb|right|250 px|ガスト国立店。すかいらーく1号店が業態変更したもの(改築前の写真)]] 「[[食事]]をする空間を提供する」という狭義の意味での外食産業は、[[日本初の一覧|日本初]]の[[百貨店]]であった[[三越]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]本店に[[1907年]]([[明治]]40年)4月に開業した食堂を嚆矢とする<ref>[https://www.imhds.co.jp/ja/business/history/history_mitsukoshi.html 三越のあゆみ] 三越伊勢丹ホールディングス公式サイト</ref>。「外食」の[[用語]]は、[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]])中に[[戦中|戦時下]]の食料[[統制]]の一環として[[1941年]]([[昭和]]16年)4月に導入された外食券制によって、[[配給 (物資)|配給]]された外食券で食事ができる[[食堂]]に「[[外食券食堂]]」との表記がなされたことによって広まった<ref name=ndl />。現在ではここからさらに派生した「内食」「[[中食]]」などの用語([[レトロニム]])もある。 日本で本格的な外食産業の展開が始まった[[1970年]](昭和45年)が「'''外食元年'''」とされる<ref name="ndl">[https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu145.php 第145回常設展示 外食の歴史] [[国立国会図書館]]、2008年11月、2019年7月30日閲覧</ref>。この年は、7月に日本初の[[ファミリーレストラン]]「[[すかいらーく#すかいらーく開店|すかいらーく]]」1号店が、[[中央自動車道|中央道]][[国立府中インターチェンジ|国立府中IC]]近くの[[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]][[西府町]]5-16-1(すかいらーく国立店、現・[[すかいらーく|ガスト]]国立店)に開業した年である<ref>[https://www.skylark.co.jp/company/skylark_history.html 沿革] すかいらーくグループ公式サイト</ref>。 また、同年3月には、[[日本ケンタッキー・フライド・チキン|ケンタッキーフライドチキン]]が[[日本万国博覧会|大阪万博]]に実験店を初出店、同年11月に[[名古屋市]]の[[ダイヤモンドシティ・名西ショッピングセンター]](現・[[イオンタウン名西]])に常設店舗1号店の名西店を開店している<ref>[https://japan.kfc.co.jp/company/history.html 沿革] 日本KFCホールディングス公式サイト</ref>(ただし名西店は翌年に閉店)。 [[ファーストフード]]店では、当時[[ダイエー]]系列であった[[ドムドムハンバーガー]]が同年2月、[[町田市]]のダイエー[[原町田]]店に1号店を開店。日本初の[[ハンバーガー]]チェーン店として<ref>[https://domdomhamburger.com/about ドムドムとは] ドムドムハンバーガー公式サイト</ref>、ダイエー系列の店舗を中心に出店を進めた。 翌[[1971年]](昭和46年)[[7月20日]]には、[[日本マクドナルド|マクドナルド]]1号店が三越[[銀座]]店1階に開店<ref name=ndl /><ref>[http://www.mcdonalds.co.jp/company/outline/enkaku/ 沿革] 日本マクドナルド公式サイト</ref>([[テイクアウト]]専門店、[[1984年]]11月閉店)、4日後の7月24日には[[代々木駅]]前に代々木店を開店している(現存)<ref name="nikkei">[https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK1303L_U1A710C1000000/ マクドナルドに幻の1号店 外食店発祥の地を歩く] NIKKEI STYLE 2011年7月15日、[[日本経済新聞]]</ref>。[[アメリカ合衆国|米国]][[マクドナルド|マクドナルド社]]は[[自家用自動車|自家用車]]での来店を想定して1号店は[[郊外]]に作るべきとし、[[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]への出店を主張したが、当時の日本はまだ[[モータリゼーション]]半ばであったこと、銀座の百貨店と言う[[ブランド]]性などから三越銀座店への出店が決まった<ref name=nikkei />。1970年は銀座や[[新宿]]などで[[歩行者天国]]が始まった時期でもあり、マクドナルドではその後も新宿二幸([[新宿アルタ]])、三越新宿店など、[[都心]]部の百貨店へのテイクアウトカウンター式の店舗出店が続いた。 [[1970年代]]にはハンバーガーチェーン店の開業も相次ぎ、翌[[1972年]](昭和47年)には、[[モスバーガー]]が[[3月12日]]に[[成増駅]]前[[商店街]]で実験店を出店(6月に現在の成増店の場所に正式な1号店として移転)、[[ロッテリア]]が日本橋[[髙島屋]]北別館1階に1号店を開店している<ref name=nikkei />。 こうして同年代からファミリーレストラン・ファーストフードの[[チェーンストア]]展開が始まり、[[マスメディア]]にも「外食産業」という用語が登場するようになる<ref name=ndl />。それまでは祝い事や行事などの際の特別なものであった外食は、この時期以降は[[庶民]]にとっても日常的なものとなっていく<ref name=ndl />。さらに[[1980年代]]後半から[[1990年代]]にかけての[[バブル時代]]には、好景気を背景に空前の「[[グルメ]][[流行|ブーム]]」が起き、[[テレビ]]の[[グルメ番組]]や『[[美味しんぼ]]』に代表される[[料理・グルメ漫画|グルメ漫画]]も流行するなど、外食が[[娯楽]]のひとつとして広く定着した<ref name=ndl />。 現代の[[家庭]]における傾向としては、一般的に世帯主が若い家庭ほど食費に占める外食の割合が大きく、また単身世帯は2人以上の世帯よりも外食の割合が大きくなる<ref name="h18syokuryohakusyo">『第1節 食料自給率の向上に取り組む意義と課題』平成18年度食料・農業・農村白書([[農林水産省]])</ref>。 === 業種による分類 === 外食の定義は、一般に狭義と広義の意味がある。 「狭義の外食は、[[食事]]をする空間とともに食事を提供する形態の業種を指す」{{要出典|date=2014年5月}}{{誰|date=2014年5月}}。[[食堂]]、[[レストラン]]、[[ファーストフード]]や[[喫茶店]](カフェ)など一般に「[[飲食店]]」と称する業種がこれにあたる。<!--(以後、本稿では「''(狭義の)外食''」として扱う)。--> <!-- 広義の外食は、主として食事を提供する業種が全て含まれるとされる{{要出典|date=2014年5月}}。広義にのみ含まれる業種として、調理済みの[[弁当]]、[[惣菜]]の販売などの「'''[[中食]]'''」(なかしょく、ちゅうしょく)や、[[出前]]、デリバリー形態の販売、イベントや[[飛行機]]の[[機内食]]などの大人数分の仕出し([[ケータリング]])、工場などの社内食堂や病院など給食業務を請け負う事業がこれにあたる(以後、狭義に含まれない外食産業を本稿では「''中食、その他''」として扱う)。 --> [[証券市場]]では[[証券コード]]協議会における業種分類で、狭義の外食産業は[[スーパーマーケット]]や[[コンビニエンスストア]]などと同じ[[小売|小売業]]に、「中食」を手がける企業は[[食料品]]に分類されている。 ==== 店舗の例 ==== * [[食堂]] ** [[大衆食堂]] * [[レストラン]] ** [[ファミリーレストラン]] * [[喫茶店]] * [[ファーストフード]] * [[屋台]] ** [[出店]] * [[料亭]] * [[飲み屋]] * [[居酒屋]]([[割烹]]) * [[ビアガーデン]] * [[立ち食いそば・うどん店]] <!-- 外食に中食を含める出典が提示されていない。 基本的に別扱いのはず。 ==== 中食・その他 ==== '''中食'''とは食料品を購入後に自宅で食べる事をいい、[[調理]]を伴わない食事形態(調理を伴う場合を[[自炊]]や内食と称する)。 女性の社会進出の広がりや、主な販路である[[コンビニエンスストア]]の拡大に連れて成長が著しい。特にコンビニエンスストア向けの弁当を製造している工場は、24時間操業で稼働し、大規模なところでは一日に数 - 10万食あまりを製造している。 * [[弁当]] ** 弁当専門店 ** 仕出し - [[法事]]などのイベントに関連して注文により調理、配達 ** [[ケータリング]] - 仕出しの大規模版。専門業者や[[ホテル]]が手がけることが多い。 ** 店頭販売 - [[コンビニエンスストア|コンビニ]]、[[スーパーマーケット|スーパー]]、持ち帰り弁当店で販売 * [[惣菜]]店 * [[ピザ#宅配ピザ|宅配ピザ]] * ファーストフードのテイクアウト * [[出前]] * '''その他''' ** [[コントラクトフードサービス]] *** [[給食]]([[小学校]]、[[中学校]]、[[病院]]など) *** [[社員食堂]]([[会社]]、[[工場]]など) *** [[学生食堂]]([[大学]]、[[専門学校]]など) --> <!--{{要出典|date=2014年5月}} === 提供形態を示す用語 === 本稿では業種の違いとして「(狭義の)外食」と「中食、その他」に分けているが、そのどちらの業種にも自店舗で顧客に食事をしてもらうサービスと、食事を顧客に持ち帰ってもらうサービスを併せて営んでいる場合がある。これらを区別を指す言葉として、'''テイクアウト'''と'''イートイン'''がある。また、業者が顧客の元まで食事を届ける[[出前]]などがある。 * テイクアウト (take out) /持ち帰り - 外食産業で一般的に使われる言葉で、食事を持ち帰る形態を指す。 * イートイン - テイクアウトの対義語として用いられるようになった[[和製英語]]。いわゆる[[デパ地下]]や市中にある惣菜店やコンビニエンスストアなどの中食を提供する店舗内に、[[テーブル (家具)|テーブル]]や[[椅子]]を併設してその場で食べることもできるようにした形態を指す。 * [[出前]]/デリバリー * [[仕出し]]/[[ケータリング]] --> === 日本における外食の歴史 === {{出典の明記|date=2019年7月|section=1}} <!--==== (狭義の)外食 ====--> [[ファイル:Kanō Osanobu 71 utaiawase.jpg|thumb|300px|七十一番職人歌合二十四番 「一服一銭」(右図)]] 「[[茶屋]]」が登場したのは[[室町時代]]といわれ、[[職人歌合]]など中世の図像史料には寺社の門前で簡素な店舗を営み茶食を提供する[[職人]]の姿が描かれており、近世に至る前近代には外食業は寺社との関係が濃密であった。 近世には[[都市]]が発達し旅人の往来する[[街道]]沿いや参詣地である[[寺社]]、遊興施設など集客機能を持った場所が成立し、また物流網が発達し青物や海産物、乾物など多様な食材が安定的に供給されるようになり、[[料理屋]]など外食産業が成立する基盤が整えられ、都市の経済的発展や賑わいを示す要素にもなっている。 [[江戸時代]]初期には「[[飯屋]]」(めし屋)が登場し、例えば[[井原西鶴]]の「西鶴置土産」によれば、1657年に浅草に出店した飯屋の奈良茶(茶飯、豆腐汁、煮しめ、煮豆のセットメニュー)は人気を博したという。中期から後期にはそば屋や、留守居茶屋([[料亭]]の起源といわれる。大名がいない間、大名屋敷を預かる留守居役を相手とした高級茶屋。会席料理を出していた)、[[居酒屋]]などの業態が登場したとされる。また、[[惣菜]]用の料理を扱う「[[煮売屋]]」が茶屋(煮売茶屋)を兼ねて料理を提供することもあった。 また[[江戸]]では、[[蕎麦]]、[[寿司]]、[[天ぷら]]など、[[屋台]]の外食産業が盛んとなり、また江戸時代の料理屋としては[[芝居小屋]]など娯楽施設と近接し、[[飯盛女]]を雇用した[[売春]]を兼業することもあった。娯楽施設に近接する料理屋はその性格から[[博徒]]などアウトロー集団や犯罪に関わる情報が集中しやすく、一方で[[目明かし]]など公権力の人間も出入りし、犯罪発生と治安維持の両側面をもった性格であることが指摘される。こうした料理やの多面的性格は近代に売春業は[[遊廓]]、治安維持は[[警察]]と都市における機能分化がすすみ、純粋に飲食のみを提供する施設へと変化していく。 これらの業態は、個人による生業(なりわい)的なものがほとんどで、「[[のれん分け]]」による支店としての関係にとどまっていたが、[[1960年代]]にアメリカで起こった[[フランチャイズ]]ブームをきっかけに、日本にもフランチャイズ形式の店舗が登場する。 [[1963年]]には[[ダスキン]]がFC1号店を出店し、[[不二家]]の[[洋菓子]]店FC1号店を出店。[[1970年]]、[[日本万国博覧会]]会場に[[ケンタッキーフライドチキン]]が出店し、翌[[1971年]]には[[日本マクドナルド|マクドナルド]]が銀座三越に出店、同年には[[ミスタードーナツ]]も第1号店を出店した。[[ファミリーレストラン]]では1970年に[[すかいらーく]]、[[ロイヤルホスト]]が出店している。[[1973年]]には[[吉野家]]が神奈川県小田原市にフランチャイズ第1号店を出店、同年には[[シェーキーズ]]も[[渋谷]]に第1号店を出店している。<!--1963年[http://www.awok.co.jp/index2.htm A&W]が沖縄に出店しているが、ファーストフードと呼んでいいのか確証がもてないためコメントアウト--> [[1970年代]]から[[1980年代]]には、[[セントラルキッチン]]や[[販売時点情報管理|POS]]が導入され、より効率化が図られた。市場規模は、[[1980年]]で14兆7000億円に、1980年代後半には、20兆円を越えた<ref name="20070707toyo" />。1980年代にはフランチャイズ形式を取り入れた居酒屋が登場しており、1983年には東京都内に[[モンテローザ (企業)|白木屋]]1号店である中野南口店が出店している。 [[1990年代]]には[[バブル崩壊]]によって成長は鈍化した。一方でバブル崩壊による地価下落等により地価や家賃が安くなり、ファミリーレストランの都心部への出店や、居酒屋チェーンの郊外への出店が容易になった<ref name="20070707toyo" />。1990年代後半以降は、[[スターバックス]]など[[外資系企業|外資系]][[コーヒー]]チェーンも進出している。 [[2000年代]]には、2001年の[[BSE問題]]、2004年の[[鳥インフルエンザ]]の流行が、関連店舗に打撃を与える。また[[飲酒運転]]の取り締まり強化がアルコール販売に影響を与えた<ref name="20070707toyo" />。[[マクドナルド]]の80円バーガーなど低価格競争が話題になったが、収益は改善せず低価格競争からの脱却を計っている<ref name="20070707toyo" />。日本の外食産業は成熟期に入り、価格から質へと方向が変化している。また、質の向上に伴い、例えばラーメンのレベルが高くなり新規出店のハードルが上がるといった状況もある<ref name="20070707toyo" />。 <!-- [[Wikipedia:独自の研究]] ==== 中食・その他 ==== [[弁当]]は、起源は[[鎌倉時代]]後半までさかのぼる。[[江戸時代]]には[[幕の内弁当]]が、また[[明治時代]]には[[駅弁]]が登場した。詳細は[[弁当]]参照。 [[弁当]]内の'''弁当を作る方法'''に注意点として「[[食中毒]]を避ける」とあることからもわかるとおり、総菜は品質管理が難しかった。調理販売を経て速やかに食べられることが求められ、そのため戦前までの総菜屋は住宅街近くのいわゆる街角の総菜屋であり、零細な家内工業であった。だが、戦後になって冷蔵庫の登場、冷蔵輸送技術が発達するに伴い、総菜は売り場、品目を増やしていく。 * [[1960年代]]、[[ダイエー]]に端を発した[[スーパーマーケット]]の全国への広がりが、総菜にも影響を与える。スーパーの、1品ごとにパックされた商品を並べてお客が自由に選べる売り方は、従来の店員と対面しての量り売りに比べて気軽、簡単なためより総菜が買いやすくなった。また、チェーン化されたスーパーの登場は総菜の総売り場面積を増やすことになり、需要の増加により同一製品の大量生産ができるようになる。 * [[1980年代]]以降は、持ち帰り弁当チェーン店の展開が本格化され([[ほっかほっか亭]]1号店は1976年オープン)、同時期には[[コンビニエンスストア]]で弁当が売られるようになった。また、女性の社会進出などのライフスタイルの変化は、総菜宅配業といった新たな形態が登場する。 * [[1990年代]]には1991年のピザハット開業など、宅配ピザが登場した。 --> <!-- [[Wikipedia:中立的な観点]] === 従業員の労働環境 === 以下では、従業員の労働環境について述べる。 ; 店長 : 店舗の売上ノルマ達成や従業員の勤務シフト調整においては、地域内の店舗を統括する[[スーパーバイザー]](エリアマネジャーともいう)と、店舗のパート・アルバイトとの間で板ばさみとなり苦労することがある。また、[[管理職]]と見なされることが多いが、勤務実態との乖離や賃金抑制のための名目ではないかと[[訴訟]]になるケースがある。詳細は[[管理職#「名ばかり管理職」の問題]]を参照されたい。 ; パート・アルバイト : 一般的なパート・アルバイトの待遇問題については、[[非正規雇用#非正規雇用の特徴]]を参照されたい。雇用環境については、2008年には人手不足感が高まっており、正社員化などでパートの囲い込みを図っている事例が指摘されている<ref name="20080430nikkeibo">「激烈!パート獲得大作戦 「お試し」「前給」…あの手この手の流通・外食」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年4月30日付配信</ref>。 --> === 市場規模 === 市場規模は[[1997年]]をピークに、その後は20兆円台前半となっている<ref name="20070707toyo">『[[週刊東洋経済]]』2007年7月7日号 特集「風雲!外食戦線」</ref>。市場規模は今後拡大しないといわれる一方で、店舗数が増えている現状があり、競争の激化で業界の生き残り競争が熾烈となるとみられる。[[セブン&アイ・ホールディングス]]は外食部門の不振から、2008年度以降、外食部門の店舗数を削減すると発表している。 外食産業の倒産件数は、2000年代に入り右肩上がりに上昇。2007年以降の倒産件数は毎年600件前後に推移している。景気の良し悪しに左右される業態ともいわれてきたが、2017年は好景気から他の業種が倒産件数を大幅に減らす中、対前年比27%増の700件超を記録した。材料費の増加と人材難のほか、小規模事業経営者の高齢化と後継者難も背景にあると見られている<ref>{{Cite web|和書|date= 2018年01月30日|url= https://newswitch.jp/p/11861|title= 「居酒屋」倒産、まだまだ増える理由|publisher= 日本工業新聞ニュースイッチ|accessdate=2018-05-27}}</ref>。 [[フードビジネス総合研究所]]によると2015年の売上上位20社は以下のとおり。 {|class=wikitable style="font-size:small" |+ style="font-weight:bold" |外食産業における売上上位20社(2015年・上場企業) !順位!!社名!!売上(100万円) |- style="text-align:left" |1位||[[ゼンショーホールディングス]] ||525,709 |- style="text-align:left" |2位||[[すかいらーく]] ||351,146 |- style="text-align:left" |3位||[[コロワイド]] ||234,138 |- style="text-align:left" |4位||[[日本マクドナルドホールディングス]] ||189,473 |- style="text-align:left" |5位||[[吉野家ホールディングス]] ||185,738 |- style="text-align:left" |6位||[[サイゼリヤ]] ||139,277 |- style="text-align:left" |7位||[[ロイヤルホールディングス]] ||130,327 |- style="text-align:left" |8位||[[ワタミ]] ||128,246 |- style="text-align:left" |9位||[[ドトール・日レスホールディングス]] ||124,796 |- style="text-align:left" |10位||[[くら寿司]] ||105,306 |- style="text-align:left" |11位||[[クリエイト・レストランツ・ホールディングス]] ||103,271 |- style="text-align:left" |12位||[[トリドール]] ||95,587 |- style="text-align:left" |13位||[[日本KFCホールディングス]] ||88,180 |- style="text-align:left" |14位||[[松屋フーズ]] ||83,947 |- style="text-align:left" |15位||[[カッパ・クリエイト]] ||80,320 |- style="text-align:left" |16位||[[王将フードサービス]] ||75,317 |- style="text-align:left" |17位||[[モスフードサービス]] ||71,113 |- style="text-align:left" |18位||[[大庄]] ||70,765 |- style="text-align:left" |19位||[[サンマルクホールディングス]] ||66,056 |- style="text-align:left" |20位||[[ジョイフル]] ||62,880 |} === 多店舗展開している外食企業 === {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2019年7月}} ====特定の料理に特化した店==== {|class=wikitable style="font-size:small" !料理 !店 |- |style="white-space:nowrap"|[[ハンバーガー]] |[[ザッツバーガーカフェ]]、[[日本マクドナルド|マクドナルド]]、[[モスバーガー]]、[[ロッテリア]]、[[ファーストキッチン]]、[[ドムドムハンバーガー|DOMDOM]]、[[フレッシュネスバーガー]]、[[ウェンディーズ]]、[[デイリークイーン]]、[[バーガーキング]]、[[ラッキーピエロ]]、[[ベッカーズ]]、[[A&W (ファーストフード)|A&W]]、[[ジェフ沖縄]]、[[クア・アイナ|KUA `AINA]]、[[熊本バーガー ドラゴンリッチ]]、[[サンテオレ]]、[[ウマミバーガー]]、[[シェイクシャック]]、[[カールス・ジュニア]] |- |style="white-space:nowrap"|[[ラーメン]] |[[どさん子]]、[[どさん娘]]、[[熊ッ子]]、[[満龍]]、[[壱鵠堂]]、[[らーめん山頭火]]、[[天下一品]]、[[九州じゃんがら]]、[[香月]]、[[寿がきや]]、[[本郷亭]]、[[グロービート・ジャパン]]、[[ハイデイ日高|日高屋]]、[[幸楽苑]]、[[博多一風堂|一風堂]]、[[桂花]]、[[むつみ屋]]、[[味の時計台]]、[[ラーメン二郎]]、[[元祖ニュータンタンメン本舗]]、[[味千ラーメン]]、[[こむらさき]]、[[古久家]]、[[秀穂]]、[[福しん]]、[[ちりめん亭]]、[[8番らーめん]]、[[びっくりラーメン一番]]、[[第一旭]]、[[サイカラーメン]]、[[神座 (ラーメン店)|神座]]、[[くるまやラーメン]]、[[ラーメンめん丸]]、東大、[[中華そば青葉]]、歌志軒、江川亭 |- |style="white-space:nowrap"|[[蕎麦]] |[[富士そば]]、[[阪急そば]]、[[箱根そば]]、[[あじさい茶屋]]、[[梅もと]]、[[小竹林]]、[[かしわや]]、[[増田屋]]、[[家族亭]]、[[小諸そば]]、[[都そば]] |- |style="white-space:nowrap"|[[うどん]] |[[はなまるうどん]]、[[山田うどん]]、[[丸亀製麺]]、[[つるまる]]、[[味の民芸]]、[[グルメ杵屋|杵屋]]、[[三陽|三笠うどん]]、[[すぎのや|すぎのや本陣]]、[[阪南理美容#外食事業|伊予製麺]] |- |style="white-space:nowrap"|[[ちゃんぽん]] |[[リンガーハット]]、[[ちゃんぽん亭総本家]] |- |style="white-space:nowrap"|[[餃子]] |[[みよしのさっぽろ]]、[[ホワイト餃子店]] |- |style="white-space:nowrap"|[[ピザ]] |[[ドミノ・ピザ]]、[[ピザーラ]]、[[ピザハット]]、[[ピザ・カリフォルニア]]、[[ストロベリーコーンズ]]、[[ナポリの窯]]、[[ピザポケット]]、[[シェーキーズ]] |- |style="white-space:nowrap"|[[ステーキ]]・[[ハンバーグ]] |[[ペッパーランチ]]、[[いきなり!ステーキ]]、ハンバーグ&サラダバーけん、[[どん]]、[[ハングリータイガー]]、[[ビッグボーイ (レストラン)|ビッグボーイ]]、[[びっくりドンキー]]、[[三田屋]]、[[ジクト|ステーキ宮]]、[[フライングガーデン]]、[[シャロン]]、[[フォルクス]] |- |style="white-space:nowrap"|[[サンドイッチ]] |[[サブウェイ]]、[[クイズノス]]、[[プレタ・マンジェ]]、[[ジェイアール東日本フードビジネス|ラヴァンデリ]] |- |style="white-space:nowrap"|[[パン]] |[[トランドール]]、[[サンエトワール]]、[[ヴィ・ド・フランス]]、[[ヴイ・ディー・エフ・サンロイヤル]]、[[金沢ジャーマンベーカリー|ジャーマンベーカリー]]、[[ウィリーウィンキー]]、[[フジパンストアー]]、[[シュタイナー]]、[[九州フジパンストアー]]、[[リョーユーパン]]、[[リトルハピネス|ブーランジェリー・ボヌール、レ・サンク・サンス、ボヌールコッペ]]、[[マーメイドベーカリーパートナーズ|リトルマーメイド]]、[[パントーネシステム|パントーネ]]、[[サンマルクホールディングス|ベーカリーレストラン バケット、ベーカリーレストラン サンマルク]] |- |style="white-space:nowrap"|[[フライドチキン]] |[[ケンタッキーフライドチキン]] |- |style="white-space:nowrap"|[[ホットドッグ]] |[[ネイサンズ]] |- |style="white-space:nowrap"|[[ドーナツ (菓子)|ドーナツ]] |[[ミスタードーナツ]]、 [[ダンキンドーナツ]]、[[クリスピー・クリーム・ドーナツ]]、[[カリフォルニアドーナツ]]、[[ドーナッツプラント]]、[[ティムホートンズ]]、[[カフェデュモンド]]、[[はらドーナッツ]] |- |style="white-space:nowrap"|[[コーヒー]] |[[ドトールコーヒー]]、[[スターバックス]]、[[銀座ルノアール|ルノアール]]、[[コメダ|コメダ珈琲店]]、[[イタリアントマト]]、[[BECK'S COFFEE SHOP]]、[[プロントコーポレーション|プロント]]、[[丸福商店|丸福珈琲店]]、[[サンマルクホールディングス|サンマルクカフェ]]、[[ムジカ]]、[[ヒロコーヒー]]、[[タリーズコーヒー]]、[[カフェ・ベローチェ]]、[[シアトルズベストコーヒー]]、[[高倉町珈琲]] |- |style="white-space:nowrap"|[[カレーライス]] |[[カレーハウスCoCo壱番屋]]、[[レストラン京王|カレーショップC&C]]、[[ゴーゴーカレー]]、[[バルチックカレー]]、[[カレーの王様]]、[[リトルスプーン]]、[[みよしの]]、[[カレーのチャンピオン]]、[[レインズインターナショナル|カレキチ]]、[[ジェイアール東日本フードビジネス|タイム]] |- |style="white-space:nowrap"|[[酒]] |[[土風炉]]、[[つぼ八]]、[[養老乃瀧]]、[[モンテローザ (企業)|白木屋]]([[笑笑]]など)、[[魚民]]、[[ワタミ|和民]]、[[村さ来]]、八百八町、[[酔虎伝]]([[マルシェ (企業) |八剣伝]]など)、[[甘太郎]]、[[テンアライド|天狗]]、[[やぐら茶屋]]、[[庄や]]、[[日本海庄や]]、[[やるき茶屋]]、[[かっぽうぎ]]、[[塚田農場]] |- |style="white-space:nowrap"|[[牛丼]] |[[吉野家]]、[[松屋フーズ|松屋]]、[[すき家]]、[[なか卯]]、[[神戸らんぷ亭]]、[[牛丼太郎]]、[[どん亭]] |- |style="white-space:nowrap"|[[焼肉]] |[[牛角]]、[[肉の万世]]、[[焼肉屋さかい]]、[[バリバリ]]、[[安楽亭]]、[[叙々苑]]、[[あみやき亭]]、[[食道園 (大阪) |食道園]]、[[はや]]、[[焼肉じゅうじゅうカルビ]]、[[ワン・カルビ]]、[[焼肉酒家えびす]] |- |style="white-space:nowrap"|[[焼鳥]] |[[秋吉 (焼き鳥) |秋吉]]、[[備長炭のこだわり串鳥七兵衛]] |- |style="white-space:nowrap"|[[天ぷら]] |[[ハゲ天]]、[[テンコーポレーション|天丼てんや]]、[[えびのや]] |- |style="white-space:nowrap"|[[豚カツ]] |[[とんかつ&サラダバー よしかつ]][[とんかつ和幸]]、[[グリーンハウス (フードサービス)|新宿とんかつさぼてん]]、[[浜勝]]、[[かつや]]、[[曲田商店|KYK]] |- |style="white-space:nowrap"|[[串カツ]] |[[だるま (食堂)|だるま]]、[[串家物語]] |- |style="white-space:nowrap"|[[寿司]] |[[がんこ|がんこ寿司]]、[[柿家鮨]]、[[すし処 おとわ]]、[[桃太郎すし]]、[[焼肉坂井ホールディングス|平禄寿司]]、[[アトム (飲食業)|アトムボーイ]]、[[かっぱ寿司]]、[[元気寿司]]、[[くら寿司]]、[[あきんどスシロー]]、[[函館市場]]、[[ジェイアール東日本フードビジネス|うず潮]]、[[マリンポリス]]、[[柿家鮨]]、[[回転江戸前すしとれとれ屋]]、[[はま寿司]] |- |style="white-space:nowrap"|[[アイスクリーム]] |[[バスキン・ロビンス|サーティワン]]、[[ハーゲンダッツ]]、[[ブルーシール]]、[[オレンジフードコート|ディッパーダン]]、[[シャトレーゼ]]、[[キハチ]]、[[レディーボーデン]]、[[コールド・ストーン・クリーマリー]]、[[ディッピン・ドッツ]]、[[ヴィト]]、[[RHコーポレーション|レインボーハットアイスクリーム]] |- |style="white-space:nowrap"|[[パンケーキ]] |[[オリジナルパンケーキハウス]]、[[エッグスンシングス]] |- |style="white-space:nowrap"|[[クレープ]] |[[マリオンクレープ]]、[[フレーズ (企業)|コムクレープ]]、[[ミルクワークス|パオクレープミルク]] |- |style="white-space:nowrap"|[[たい焼き]] |[[ピーターパンコモコ|一口茶屋]]、[[会津屋]]、[[元祖たこ昌]]、[[たいやき本舗 藤家]]、[[築地銀だこ]]、[[たい夢]] |- |style="white-space:nowrap"|[[お好み焼き]] |[[千房]]、[[ぼてぢゅう]]、[[鶴橋風月]] |- |style="white-space:nowrap"|[[おにぎり]] |[[ばくだん焼本舗]]、[[多司]] |} ====特定のカテゴリーの料理に特化した店==== {|class=wikitable style="font-size:small" !料理のカテゴリー !店 |- |style="white-space:nowrap"|[[鍋料理]] |[[MKレストラン]] |- |style="white-space:nowrap"|[[シーフード]] |[[レッドロブスター]] |- |style="white-space:nowrap"|[[弁当]] |[[ほっともっと]]、[[ほっかほっか亭]]、[[本家かまどや]]、[[オリジン弁当]]、[[ヒライ (食品製造)|お弁当のヒライ]]、[[どんどん]]、[[日本レストランエンタプライズ]]、[[崎陽軒]]、[[空弁]] |- |style="white-space:nowrap"|[[イタリア料理]] |[[カプリチョーザ]]、[[サイゼリヤ]]、[[馬車道 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ステレオ
音響工学におけるステレオ(英: stereo)またはステレオフォニック(英: stereophonic)とは、立体的な音場を再現した録音・再生方式のことである。厳密には2つ以上のマイクロフォンやスピーカーを用いた方式すべてを指すが、多くの場合は左右2つのスピーカーで再生する方式を指す。 広義には、ステレオフォニック再生のための音声信号を集音、録音、伝送、通信、放送、加工する技術全般、またはステレオフォニック再生のための音響再生装置(ステレオ・セット)を指す。 単一のスピーカーを用いるモノラル方式と対比される。 以下は主に音響工学に厳密な古典的な文であり、サラウンド、ヘッドフォンなど聴取形態が多様化した現在では以下の様な細かな事はほとんど言われない。特に音楽ファンに於いては音声信号が一つのものは再生方法に関わらずモノかモノラル、左右二つのものはステレオと言う。 (ただしステレオ初期のレコードにはモノフォニック、ステレオフォニックとの表示があった。) ステレオフォニック再生は、典型的には、聴取者の水平方向前方左右30度の位置に一対のスピーカーを配して2チャンネルの音声を再生する。それに対し、前方正面の1つのスピーカーから1チャンネルの音声を再生する方式をモノフォニックと呼ぶ。なお、一般にモノラルと混同されるが、これは後述の通り別の再生方式である。また、1チャンネルの音声をステレオフォニック用の2つのスピーカーから同時に再生して聴取する方式はダイオティックと呼ばれ、モノフォニックとは厳密には区別される。 ステレオフォニック再生はモノフォニック再生に比較して、音像定位や音場感が加わり、再生音の臨場感が増す効果がある。2つのスピーカと聴取者頭部が一辺3メートルの正三角形に位置する配置が最も望ましいとされている。この時の聴取者の位置のことをリスニング・ポイントまたはスイート・スポットと呼ぶ。 録音については、左右1対のマイクロフォンで集音してそのまま2チャンネルの音声とする方式と、個々の楽器や歌手に個別のマイクをあてがい、オーディオミキサーで2チャンネルの音声にまとめる方式とがある。現在の殆どのコンパクトディスクはステレオフォニック再生用として収録されているが、前者の方式で録音されたものは一部のクラシック音楽(ソロパートに専用マイクを使う事は多い)などであり、大半は後者の方式で録音されている。 ステレオフォニック再生で臨場感が増す理由として、人間が元々左右の耳に入る音の位相差および音量差などを利用して音源の方向を把握している点が挙げられる。これを2つのマイクロフォンでシミュレーションする方式として2チャンネル音声伝送は考案されたが、当初はステレオフォニックではなく、バイノーラルと呼ばれる方式であった。これは、2つのマイクロフォンを両耳の位置に備えた擬似頭部を用いて集音した2チャンネル音声を左右の耳にあてがった1対のイヤーフォンで聴取するもので、この再生方式をバイノーラルと呼ぶ。因みに、左右どちらか一方の耳で1つのイヤーフォンで聴取する再生方式をモノラル(モノーラル)と呼ぶ。 バイノーラル再生の効果はパリ博覧会にて複数の電話を用いることで偶然に発見されたとされているが、真偽は不明である。現在に至るまで、バイノーラル録音はドイツで研究が盛んであり、HATS(ヘッド・アンド・トルソー・シミュレータ : ダミーヘッドに肩部や胴体も加えたシステム)も性能を高め、サラウンド以上の臨場感が得られるケースも出てきている。 音源が普通のステレオ録音の場合、通常のステレオ装置ではステレオフォニック再生、ヘッドフォンステレオではバイフォニック再生を行っていることになる。モノ録音のCDを普通のステレオで再生すると、厳密にはモノフォニックにはならない(わずかながら左右のチャンネルの特性が異なること、スピーカーの個体差および設置条件により再生が全く同じ音を発しないから)。 ステレオ録音する際のマイクセッティング方法は様々なものが提案されてきた。 また、殆どの商業録音ではマルチマイク録音が行われる。これは各楽器、パート別に多数のマイクロフォンを配置し、マルチトラックレコーダを用いて多チャンネル録音を行い、後で各チャンネルの音楽的バランスをとりつつ2チャンネル(あるいは伝送媒体の規定するチャンネル数)にステレオミックスする方法である。音像の位置はパンポットを用いた左右の音量差のみで決めることが普通である。 単一のスピーカーとは限らないが、ステレオ音源に対比して単一の信号音源を出力する方式である。スピーカが単一又は複数にかかわらない。ステレオ録音の音源の再生では、左右の和信号の再生をしないと片方だけの信号になるため和信号の再生が一般的である。左右の和信号を得るのはワンポイントステレオマイクによる録音やマルチマイクによる録音では問題がないが、間隔をあけたペアマイクによる収録では位相差に伴うコムフィルタ効果が問題になる。 名称の「モノラル」、「モノ」あるいは「モノーラル」(英:monaural, mono)は、「バイノーラル」(英:Binaural)に対するレトロニムである。 3つ以上のスピーカーを使って音を出すサラウンドサウンドは、通常はスピーカーのうち2つが前方左右に配されており、ステレオの一種である。DVD など新しい記録メディアでは、多チャンネル記録によってサラウンド効果を出せるよう、最初から規格化されている。 1881年、クレマン・アデールは世界初の2チャンネル音響システムをパリで公開した。オペラ座の舞台からパリ電気博覧会会場に設置した部屋まで一連の電話通信装置を接続し、オペラ座での公演の音声を生中継で転送して聞かせるものだった。サイエンティフィック・アメリカン誌はこの模様を次のようにレポートしている。 この2チャンネル電話方式はフランスで Théâtrophone の名で1890年から1932年まで、イギリスでは Electrophone の名で1895年から1925年まで販売された。どちらもホテルやカフェに硬貨投入式の受話器を設置するか、個人宅で受信設備を導入してサービス提供を受ける形式だった。 1930年代、EMIのアラン・ブラムレイン (Alan Blumlein) がステレオ録音、ステレオ映画、さらにはサラウンドの特許を取得した。1931年、EMIのブラムレインらは2チャンネルのステレオ録音方式を開発し、1933年に特許を取得した。これは25年後ステレオレコードの主流となる方式と同じで、レコードの溝の2つの壁を直角に交わらせて左右の壁に2つのチャンネルを録音するもので、1933年にEMIが開発した。ベル研究所のハーヴェイ・フレッチャーもステレオ録音・再生方式を研究していた。フレッチャーの試した方式の1つに "wall of sound"(音の壁)と呼ばれるものがある。これは、オーケストラの前に多数のマイクロフォンをずらっと並べて録音し、別のリスニングルームでそれぞれの録音を同じ形に配置したスピーカーで再生するものである。最大80個のマイクロフォンを使ったことがある。1932年3月には、フィラデルフィアの Academy of Music が2つのマイクロフォンで1つのレコード盤に2つの溝を刻む方式(バイノーラル盤に近い)も試されている。演奏はフィラデルフィア管弦楽団で指揮はレオポルド・ストコフスキーである。このときの録音で現存している最古のものは、1932年3月12日に録音されたスクリャービンの『プロメテ - 火の詩』である。 1933年4月27日、ベル研究所が3チャンネルのステレオ音声のデモンストレーションを行った。これは、フィラデルフィアでフィラデルフィア管弦楽団が演奏した音声をワシントンD.C.の Constitution Hall に生中継し、指揮者のレオポルド・ストコフスキーが Constitution Hall で音声のミキシングを制御するというデモンストレーションだった。同年開催されたシカゴ万国博覧会でも、ベル研究所がバイノーラル音声のデモンストレーションを行っている。このときは、2つの信号を振幅変調でそれぞれ別の周波数で放送した。 1940年4月9日と10日にベル研究所がカーネギー・ホールで行ったデモンストレーションは、3台の大型スピーカーシステムを使用した。映画用フィルムに3つのサウンドトラックの形で録音することで3チャンネルの同期を達成している。ダイナミックレンジが制限されているため、音量圧縮技法が使われ、第4のトラックを音量伸長の調節に使用した。1970年代のドルビーノイズリダクションシステムも基本は似たような技法だが、はるかに洗練されている。音量圧縮と伸長は完全自動ではなく、手動で音質を改善させることを意図して設計してあった。すなわち、全体の音量と各トラックの相対音量を芸術的感性で調節可能だった。音響技術に興味を持っていたレオポルド・ストコフスキーの指揮でフィラデルフィア管弦楽団の演奏を録音した。ストコフスキー自身も録音の「改善」に参加した。 スピーカーは合計で1500ワットの音声出力であり、100デシベルの音声レベルを生成した。デモンストレーションの模様を報じた記事によれば、観客は「魅了され、時には大いに恐れた」という。デモンストレーションを聴いたセルゲイ・ラフマニノフは、「驚くべきものだった」と述べたが、同時に「余りにも音量が大きすぎて、なんとなく音楽的ではなかった」とも述べている。また、「『展覧会の絵』は、あまりにも『改善』され、あまりにもストコフスキー的だったため、よくよく聴くまで曲名がわからなかった」とも述べている。 1937年、ニューヨークのベル研究所で、同研究所と Electrical Research Products, Inc. が開発した2チャンネルステレオ音声つき映画のデモンストレーションが行われた。レオポルド・ストコフスキーの指揮でフィラデルフィアの Academy of Music が開発した9トラック音響システムに録音し、ユニバーサル・ピクチャーズが1937年に撮影した映画『オーケストラの少女』のサウンドトラックに使用したものである。9トラックで録音したものをミキシングして2トラックにしている。1938年、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが映画のサウンドトラックとして3トラック方式を採用し、すぐに4トラックに改良した。1トラックは俳優の台詞用、2トラックは音楽用、1トラックは音響効果用である。この方式はステレオ音声にすることを目的としたものではなく、4トラックをミキシングして1つの光学式サウンドトラックを作りやすくするためのものだった。この方式を採用した最初の映画は1938年の『初恋合戦』で、ジュディ・ガーランドの歌 "It Never Rains But What It Pours" がバイノーラル録音されている(最終的にはモノラルになっている)。 ステレオ音声を映画館に導入した最初の映画はウォルト・ディズニーの『ファンタジア』で、1940年11月の公開である。このために特別な音響方式 Fantasound を開発している。Fantasound では4つの光学式サウンドトラックを持つ別のフィルムを使っている。そのうち3トラックが音声トラックで、残る1つは映画館のアンプの音量を制御するための情報が格納されていた。興行的には失敗したが、主要都市で音響設備の整った映画館だけで2か月間公開した後、サウンドトラックをモノラルにミキシングし直して、拡大公開を行った。1940年代初めごろ、アルフレッド・ニューマンが20世紀フォックスの多チャンネル録音が可能な録音ステージの建設を指揮した。この時代に録音された多チャンネルのサウンドトラックはいくつか現存しており、DVDのリリース時に使われた。例えば、『わが谷は緑なりき』、『アンナとシャム王』、『銀嶺セレナーデ』、『地球の静止する日』などがある。 磁気テープによる録音の発明により、高音質で多チャンネルを同期させて録音することが容易になり、また安価にできるようになった。1950年代初めには主要なスタジオが35mm磁気テープで録音するようになった。しかし実際に映画がステレオ音声で公開されるには、映画館側の整備が必要である。1952年9月20日に公開された『これがシネラマだ』 (This is Cinerama) は、ステレオが興行的に成り立つことを証明した。シネラマは現代のIMAXと比較しても遜色のないワイドスクリーン方式である。このため、シネラマを上映する映画館は構造的にいくつかの条件を満たす必要があった。シネラマのサウンドトラックは磁気テープ上の7トラックで構成され、5トラックはスクリーンの背後の5台のスピーカーを駆動し、2トラックがサラウンド用である。このシステムは磁気録音技術の先駆者 Hazard E. Reeves が開発した。シネラマを体験したことのある人によると、その音響は現代の標準と比較しても素晴らしいものだった。 1953年4月、ニューヨークでのみ『これがシネラマだ』が公開されているころ、多くの観客はヴィンセント・プライス主演の立体映画『肉の蝋人形』(ワーナー・ブラザース)でステレオ音声を体験していた。その音響方式は WarnerPhonic と呼ばれ、35mm磁気テープに左右と中央の3トラックを記録し、これを2台の映写機と同期させ、映画のフィルムにも光学式でサウンドトラックを設けている。光学式サウンドトラックの1つは他に問題が生じたときのバックアップとしてモノラル音声を記録している。WarnerPhonic を使った立体映画は他に2本だけ製作された(The Charge at Feather River と Island in the Sky)。これらの映画の磁気テープトラックは紛失している。他にも立体映画が製作されたが、その多くが3チャンネルの磁気テープによる音声を採用していた。例えば、It Came from Outer Space、I, the Jury、The Stranger Wore a Gun、Kiss Me, Kate などがある。 シネラマに触発され、映画業界はより単純で安価なワイドスクリーンシステムの開発に乗り出した。20世紀フォックスが開発したシネマスコープは4トラックの磁気サウンドトラックを採用していた。シネマスコープは標準的な35mmフィルムを採用していたため、既存の映画館で上映が可能だった。20世紀フォックスは、55mmフィルムを採用した CinemaScope 55 も開発した。こちらは6トラックのステレオを採用していた。しかし、こちらは新たな映写機を必要とするため失敗に終わり、2作品(『回転木馬』と『王様と私』)がこの方式で作られたが、結局35mmのシネマスコープで公開された。埋め合わせのため、『回転木馬』は6トラックのサウンドトラックで公開され、『王様と私』は1961年に70mmフィルムと6トラックのサウンドトラックで再公開された。 1954年以降も、磁気テープのサウンドトラックによるステレオ設備を導入できない映画館のため、ステレオ音声の映画をモノラルに変換し、光学で記録したものが必要とされた。ドルビーラボラトリーズのドルビーステレオ(ステレオ音声を光学で記録したもの)が使われ始めた1975年ごろまで、このような状況が続いた。例えば、フランコ・ゼフィレッリの『ロミオとジュリエット』のサウンドトラックのアルバムはステレオになっていた。ステレオを使う映画は、『ウエスト・サイド物語』、『マイ・フェア・レディ』、Camelotなどのミュージカル映画、『クレオパトラ』などの叙事詩、サイモン&ガーファンクルの曲を多用した『卒業』のような音楽を重視した映画に限られていた。今では、映画は基本的に全てステレオで公開されている。 1940年代から1970年代にかけてのステレオの進歩は、複数チャンネルの録音・再生時の同期の困難さを技術的に克服していく過程であり、同時に新たな録音媒体と録音再生装置を市場に売り込んでいく過程だった。大まかに言って、ステレオシステムはアンプとスピーカーが2つずつ必要となり、モノフォニックシステムの2倍のコストがかかる。消費者がそれだけの金額を出すに値すると考えるかどうかは明らかではなかった。 1952年、エモリー・クック(1913年 - 2002年)はバイノーラル盤を作成する装置を開発した。レコード盤上に2本の溝が刻まれていて、両方に針を落とし、同時に再生する。それぞれのピックアップは別々のアンプとスピーカーに接続されていた。クックはレコード製造装置を売る目的でこれをニューヨークのオーディオフェアに出品した。しかし、すぐにバイノーラル盤のレコードを作って欲しいという注文が入るようになり、クックはレコード盤の商業生産に乗り出した。クックが製造したレコードは、鉄道の音から嵐の音まで様々なものがあった。なお、「バイノーラル盤」とバイノーラル録音には直接の関係はない。1953年のクックのカタログには、オーディオマニア向けの25種類のステレオレコードが掲載されている。 1952年、1/4インチ磁気テープに2つの録音・再生ヘッドを使ってステレオ録音するデモンストレーションが行われた。1953年、Remington Records は、ソーア・ジョンソン (Thor Johnson) 指揮のシンシナティ交響楽団の演奏などをステレオでテープ録音し始めた。同年RCAビクターもレオポルド・ストコフスキーやニューヨークのミュージシャンの演奏を試験的にステレオ・テープ録音している。1954年2月21日・22日、RCAはシャルル・ミュンシュ指揮のボストン交響楽団の演奏によるベルリオーズの『ファウストの劫罰』をテープ録音し、それをきっかけとして同社はステレオ・テープ録音を常に行うようになった。直後、伝説の指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1957年没)の最後の2回のコンサートが磁気テープにステレオで録音された。しかし、これら初期のステレオ録音がステレオのままでリリースされるのは1987年から2007年のことである。イギリスでは1954年中ごろ、デッカ・レコードがステレオでのテープ録音を始めた。1954年、ConcertapesやRCAビクターといった企業がステレオ録音済みオープンリールテープをモノラル録音の2倍の価格で発売した。オーディオマニアがこれを購入し、ついに一般家庭にステレオ音響がもたらされた。ステレオ録音は音楽業界では1957年までに広く採用されることになった。 1957年11月、世界初のステレオ盤レコードの大量生産を弱小レーベル Audio Fidelity Records が始めた。創業者で社長のシドニー・フレイはウェスタン・エレクトリックのWestrexブランドのステレオレコード製造装置を使い、大手レーベルに対抗しようとした。A面は Dukes of Dixieland、B面は鉄道の音だった。12月16日フレイはビルボード誌に広告を掲載し、その中で業界関係者が会社のレターヘッド入り用箋で申し込んできたら、試聴用レコードを無料で進呈すると書いた。 この動きは大いにメディアに取り上げられた。フレイはさらに4タイトルのステレオ盤レコードをリリースした。ステレオ蓄音機の販売店は他に選択肢がないので Audio Fidelity Records のレコードを店頭で流した。ステレオ盤レコードの普及は、1958年にステレオ用カートリッジが250ドルから29.95ドルに値下げしたことで拍車がかかった。1958年夏、Audio Fidelity の Marching Along with the Phenomenal Dukes of Dixieland, Volume 3 を筆頭としてステレオ盤レコードが一般の店頭に大量に並ぶようになった。 完全ステレオ化以前、英米ではポピュラー音楽中心にステレオ盤LPレコードの多くには同タイトルのモノラル盤が存在した(ステレオ盤の方が1ドルほど高かった)。 1960年代中期、モノラル録音を電気的にステレオ風に加工した(擬似ステレオ, 略して擬似ステ, デュオフォニック)ステレオ盤が多数製作された。 その頃のポピュラー音楽では同じ曲をモノラル録音と別に(後に、もしくは同時期に)ほぼ同じバージョンでステレオで録音し直す事もあった。例えばビートルズのレコードにはモノ録音、ステレオ録音(擬似ステに対し true stereo と言う)、擬似ステ、そしてステレオ録音を単に足したモノラル(擬似モノと言う事がある)のものが存在する。ビートルズの場合、さらに最新リマスター(リミックス)版が加わる。 1968年までにレコード会社の多くはモノラル盤の新譜発売をやめた(アメリカでのシングルのステレオ化は1970年代初頭)。 1925年12月、ノーサンプトンシャーのダヴェントリーにあるBBCの試験放送局 5XX が世界初のステレオラジオ放送を行った。内容はハミルトン・ハーティ指揮でマンチェスターで行われたコンサートである。右のチャンネルは長波の全国放送で、左のチャンネルは中波のローカル放送だった。BBCは1926年まで、ロンドンの 2LO とダヴェントリーの 5XX を使った実験を繰り返した。1958年にはロンドンでFMステレオの試験放送が開始され、毎週土曜日の朝にテレビの音声と中波(AM)ラジオで両方のチャンネルを提供した。BBCのFMステレオの本放送は1962年8月28日に始まった。 1952年5月22日、シカゴのAMラジオ放送局 WGN(FM局はWGNB)は1時間のステレオ試験放送を行った。1つのチャンネルをAM局で放送し、もう1つをFM局で放送する方式である。ニューヨークのWQXRは1952年10月にステレオ放送を部分的に開始し、1954年には全ての音楽番組をステレオ放送にしている。こちらもAMとFMで左右のチャンネルを放送する方式である。レンセラー工科大学は1952年11月、キャンパスにある2つのAM局を使って1週間のステレオ放送を行ったが、受信エリアはキャンパス内だけだった。 (日本においても1954年11月13日からNHKのラジオ放送で「立体音楽堂」という番組枠として最初はAM波により、NHKラジオ第1を左チャンネル、ラジオ第2を右チャンネルに用いてステレオ放送を行った。 同番組のAM2波による放送は1964年4月4日までであり、1963年12月22日からはFMステレオ1波によるステレオ放送が開始して1966年4月2日まで放送された。) ペンシルベニア州ピッツバーグのKDKA-FMは、1960年7月から8月にかけて、FMのみのステレオ放送システム6種類の比較試験を行った。連邦通信委員会は1961年4月、ステレオFM放送の技術規格を発表し、1961年6月1日、アメリカで初のステレオFM放送が正式にライセンスされることになった。最初のステレオFM放送を行ったのは、シカゴのWEFMとスケネクタディのWGFMである 。 1952年12月11日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で演じられたオペラ『カルメン』をケーブルテレビ方式で全米各地の劇場に放送し、それにRCAの開発したステレオ音響システムが使われた。1958年から1959年には、ABCネットワークが75の受信エリアで音楽番組 The Lawrence Welk Show を何回か実験的にステレオで放送した。このときは一方のチャンネルをABCのAMラジオネットワークで放送した。1958年10月21日、NBCも同じようにテレビとラジオのネットワークを使い、The George Gobel Show という番組の中で3分間だけステレオ放送を行ったことがある。1959年1月30日、ABCは Walt Disney Presents の番組枠で The Peter Tchaikovsky Story のステレオ放送を実施した。これはディズニーのアニメ映画『眠れる森の美女』の場面を使ったもので、ABCはAM局とFM局を動員して左右の音声チャンネルを放送した。 1961年にFMステレオ放送が始まると、サイマル放送方式で音楽テレビ番組の音声をFMステレオで放送する例も出てきた。1960年代から1970年代にそのような放送を行う場合、録画素材の音声をオープンリールテープにしてFM局に送り、手動で同期させていた。1980年代には放送衛星で番組を配信できるようになり、同期も自動化された。サイマル方式のステレオテレビ放送はFCCが MTS stereo を承認するまで行われていた。 ケーブルテレビは MTS stereo が普及するまで複数の周波数を使ってステレオ番組を提供していた。ステレオケーブル放送をいち早く採用したのは The Movie Channel だが、ステレオ放送を最も多用したのはMTVである。 日本では、1978年にNHKと日本テレビ放送網が音声多重放送の実験放送を開始し、同年10月より前述の2局に加えてTBSテレビ、フジテレビジョン、テレビ朝日及び一部地域を除く系列局が、また同年12月下旬に東京12チャンネル(現・テレビ東京)がステレオ放送の本放送を開始した。テレビアニメでは『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』第99話似て初めてステレオ音源が使用された。1984年には、番組の12%、時間にして一週間のうち14時間から15時間が音声多重放送となっている。テレビ放送のステレオ化は、番組よりもコマーシャル放送のほうが先行し、1980年代末にはほぼ全てのコマーシャル放送がステレオになった。それを利用ししてタイマー録画においてコマーシャルを自動的にカットする機能が、1990年代初頭に販売されたビデオデッキに搭載された事がある。 西ドイツでは1984年、第2ドイツテレビがステレオ番組の放送を開始した。 アメリカでは、1984年に MTS(Multichannel Television Sound) がFCCによって標準化された。NTSCフォーマットの音声搬送波に3つの音声チャンネルを追加で符号化する技法である。1984年6月26日、NBCが部分的にこれを使ったステレオ放送を開始した(ただし、ニューヨーク局のみ)。定期的なステレオ放送は1985年になってからである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "音響工学におけるステレオ(英: stereo)またはステレオフォニック(英: stereophonic)とは、立体的な音場を再現した録音・再生方式のことである。厳密には2つ以上のマイクロフォンやスピーカーを用いた方式すべてを指すが、多くの場合は左右2つのスピーカーで再生する方式を指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "広義には、ステレオフォニック再生のための音声信号を集音、録音、伝送、通信、放送、加工する技術全般、またはステレオフォニック再生のための音響再生装置(ステレオ・セット)を指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "単一のスピーカーを用いるモノラル方式と対比される。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "以下は主に音響工学に厳密な古典的な文であり、サラウンド、ヘッドフォンなど聴取形態が多様化した現在では以下の様な細かな事はほとんど言われない。特に音楽ファンに於いては音声信号が一つのものは再生方法に関わらずモノかモノラル、左右二つのものはステレオと言う。 (ただしステレオ初期のレコードにはモノフォニック、ステレオフォニックとの表示があった。)", "title": "ステレオフォニック再生" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ステレオフォニック再生は、典型的には、聴取者の水平方向前方左右30度の位置に一対のスピーカーを配して2チャンネルの音声を再生する。それに対し、前方正面の1つのスピーカーから1チャンネルの音声を再生する方式をモノフォニックと呼ぶ。なお、一般にモノラルと混同されるが、これは後述の通り別の再生方式である。また、1チャンネルの音声をステレオフォニック用の2つのスピーカーから同時に再生して聴取する方式はダイオティックと呼ばれ、モノフォニックとは厳密には区別される。", "title": "ステレオフォニック再生" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ステレオフォニック再生はモノフォニック再生に比較して、音像定位や音場感が加わり、再生音の臨場感が増す効果がある。2つのスピーカと聴取者頭部が一辺3メートルの正三角形に位置する配置が最も望ましいとされている。この時の聴取者の位置のことをリスニング・ポイントまたはスイート・スポットと呼ぶ。", "title": "ステレオフォニック再生" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "録音については、左右1対のマイクロフォンで集音してそのまま2チャンネルの音声とする方式と、個々の楽器や歌手に個別のマイクをあてがい、オーディオミキサーで2チャンネルの音声にまとめる方式とがある。現在の殆どのコンパクトディスクはステレオフォニック再生用として収録されているが、前者の方式で録音されたものは一部のクラシック音楽(ソロパートに専用マイクを使う事は多い)などであり、大半は後者の方式で録音されている。", "title": "ステレオフォニック再生" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ステレオフォニック再生で臨場感が増す理由として、人間が元々左右の耳に入る音の位相差および音量差などを利用して音源の方向を把握している点が挙げられる。これを2つのマイクロフォンでシミュレーションする方式として2チャンネル音声伝送は考案されたが、当初はステレオフォニックではなく、バイノーラルと呼ばれる方式であった。これは、2つのマイクロフォンを両耳の位置に備えた擬似頭部を用いて集音した2チャンネル音声を左右の耳にあてがった1対のイヤーフォンで聴取するもので、この再生方式をバイノーラルと呼ぶ。因みに、左右どちらか一方の耳で1つのイヤーフォンで聴取する再生方式をモノラル(モノーラル)と呼ぶ。", "title": "ステレオフォニック再生" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "バイノーラル再生の効果はパリ博覧会にて複数の電話を用いることで偶然に発見されたとされているが、真偽は不明である。現在に至るまで、バイノーラル録音はドイツで研究が盛んであり、HATS(ヘッド・アンド・トルソー・シミュレータ : ダミーヘッドに肩部や胴体も加えたシステム)も性能を高め、サラウンド以上の臨場感が得られるケースも出てきている。", "title": "ステレオフォニック再生" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "音源が普通のステレオ録音の場合、通常のステレオ装置ではステレオフォニック再生、ヘッドフォンステレオではバイフォニック再生を行っていることになる。モノ録音のCDを普通のステレオで再生すると、厳密にはモノフォニックにはならない(わずかながら左右のチャンネルの特性が異なること、スピーカーの個体差および設置条件により再生が全く同じ音を発しないから)。", "title": "録音・再生方法" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ステレオ録音する際のマイクセッティング方法は様々なものが提案されてきた。", "title": "録音・再生方法" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "また、殆どの商業録音ではマルチマイク録音が行われる。これは各楽器、パート別に多数のマイクロフォンを配置し、マルチトラックレコーダを用いて多チャンネル録音を行い、後で各チャンネルの音楽的バランスをとりつつ2チャンネル(あるいは伝送媒体の規定するチャンネル数)にステレオミックスする方法である。音像の位置はパンポットを用いた左右の音量差のみで決めることが普通である。", "title": "録音・再生方法" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "単一のスピーカーとは限らないが、ステレオ音源に対比して単一の信号音源を出力する方式である。スピーカが単一又は複数にかかわらない。ステレオ録音の音源の再生では、左右の和信号の再生をしないと片方だけの信号になるため和信号の再生が一般的である。左右の和信号を得るのはワンポイントステレオマイクによる録音やマルチマイクによる録音では問題がないが、間隔をあけたペアマイクによる収録では位相差に伴うコムフィルタ効果が問題になる。", "title": "録音・再生方法" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "名称の「モノラル」、「モノ」あるいは「モノーラル」(英:monaural, mono)は、「バイノーラル」(英:Binaural)に対するレトロニムである。", "title": "録音・再生方法" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "3つ以上のスピーカーを使って音を出すサラウンドサウンドは、通常はスピーカーのうち2つが前方左右に配されており、ステレオの一種である。DVD など新しい記録メディアでは、多チャンネル記録によってサラウンド効果を出せるよう、最初から規格化されている。", "title": "サラウンド" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1881年、クレマン・アデールは世界初の2チャンネル音響システムをパリで公開した。オペラ座の舞台からパリ電気博覧会会場に設置した部屋まで一連の電話通信装置を接続し、オペラ座での公演の音声を生中継で転送して聞かせるものだった。サイエンティフィック・アメリカン誌はこの模様を次のようにレポートしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "この2チャンネル電話方式はフランスで Théâtrophone の名で1890年から1932年まで、イギリスでは Electrophone の名で1895年から1925年まで販売された。どちらもホテルやカフェに硬貨投入式の受話器を設置するか、個人宅で受信設備を導入してサービス提供を受ける形式だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1930年代、EMIのアラン・ブラムレイン (Alan Blumlein) がステレオ録音、ステレオ映画、さらにはサラウンドの特許を取得した。1931年、EMIのブラムレインらは2チャンネルのステレオ録音方式を開発し、1933年に特許を取得した。これは25年後ステレオレコードの主流となる方式と同じで、レコードの溝の2つの壁を直角に交わらせて左右の壁に2つのチャンネルを録音するもので、1933年にEMIが開発した。ベル研究所のハーヴェイ・フレッチャーもステレオ録音・再生方式を研究していた。フレッチャーの試した方式の1つに \"wall of sound\"(音の壁)と呼ばれるものがある。これは、オーケストラの前に多数のマイクロフォンをずらっと並べて録音し、別のリスニングルームでそれぞれの録音を同じ形に配置したスピーカーで再生するものである。最大80個のマイクロフォンを使ったことがある。1932年3月には、フィラデルフィアの Academy of Music が2つのマイクロフォンで1つのレコード盤に2つの溝を刻む方式(バイノーラル盤に近い)も試されている。演奏はフィラデルフィア管弦楽団で指揮はレオポルド・ストコフスキーである。このときの録音で現存している最古のものは、1932年3月12日に録音されたスクリャービンの『プロメテ - 火の詩』である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1933年4月27日、ベル研究所が3チャンネルのステレオ音声のデモンストレーションを行った。これは、フィラデルフィアでフィラデルフィア管弦楽団が演奏した音声をワシントンD.C.の Constitution Hall に生中継し、指揮者のレオポルド・ストコフスキーが Constitution Hall で音声のミキシングを制御するというデモンストレーションだった。同年開催されたシカゴ万国博覧会でも、ベル研究所がバイノーラル音声のデモンストレーションを行っている。このときは、2つの信号を振幅変調でそれぞれ別の周波数で放送した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1940年4月9日と10日にベル研究所がカーネギー・ホールで行ったデモンストレーションは、3台の大型スピーカーシステムを使用した。映画用フィルムに3つのサウンドトラックの形で録音することで3チャンネルの同期を達成している。ダイナミックレンジが制限されているため、音量圧縮技法が使われ、第4のトラックを音量伸長の調節に使用した。1970年代のドルビーノイズリダクションシステムも基本は似たような技法だが、はるかに洗練されている。音量圧縮と伸長は完全自動ではなく、手動で音質を改善させることを意図して設計してあった。すなわち、全体の音量と各トラックの相対音量を芸術的感性で調節可能だった。音響技術に興味を持っていたレオポルド・ストコフスキーの指揮でフィラデルフィア管弦楽団の演奏を録音した。ストコフスキー自身も録音の「改善」に参加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "スピーカーは合計で1500ワットの音声出力であり、100デシベルの音声レベルを生成した。デモンストレーションの模様を報じた記事によれば、観客は「魅了され、時には大いに恐れた」という。デモンストレーションを聴いたセルゲイ・ラフマニノフは、「驚くべきものだった」と述べたが、同時に「余りにも音量が大きすぎて、なんとなく音楽的ではなかった」とも述べている。また、「『展覧会の絵』は、あまりにも『改善』され、あまりにもストコフスキー的だったため、よくよく聴くまで曲名がわからなかった」とも述べている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1937年、ニューヨークのベル研究所で、同研究所と Electrical Research Products, Inc. が開発した2チャンネルステレオ音声つき映画のデモンストレーションが行われた。レオポルド・ストコフスキーの指揮でフィラデルフィアの Academy of Music が開発した9トラック音響システムに録音し、ユニバーサル・ピクチャーズが1937年に撮影した映画『オーケストラの少女』のサウンドトラックに使用したものである。9トラックで録音したものをミキシングして2トラックにしている。1938年、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが映画のサウンドトラックとして3トラック方式を採用し、すぐに4トラックに改良した。1トラックは俳優の台詞用、2トラックは音楽用、1トラックは音響効果用である。この方式はステレオ音声にすることを目的としたものではなく、4トラックをミキシングして1つの光学式サウンドトラックを作りやすくするためのものだった。この方式を採用した最初の映画は1938年の『初恋合戦』で、ジュディ・ガーランドの歌 \"It Never Rains But What It Pours\" がバイノーラル録音されている(最終的にはモノラルになっている)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ステレオ音声を映画館に導入した最初の映画はウォルト・ディズニーの『ファンタジア』で、1940年11月の公開である。このために特別な音響方式 Fantasound を開発している。Fantasound では4つの光学式サウンドトラックを持つ別のフィルムを使っている。そのうち3トラックが音声トラックで、残る1つは映画館のアンプの音量を制御するための情報が格納されていた。興行的には失敗したが、主要都市で音響設備の整った映画館だけで2か月間公開した後、サウンドトラックをモノラルにミキシングし直して、拡大公開を行った。1940年代初めごろ、アルフレッド・ニューマンが20世紀フォックスの多チャンネル録音が可能な録音ステージの建設を指揮した。この時代に録音された多チャンネルのサウンドトラックはいくつか現存しており、DVDのリリース時に使われた。例えば、『わが谷は緑なりき』、『アンナとシャム王』、『銀嶺セレナーデ』、『地球の静止する日』などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "磁気テープによる録音の発明により、高音質で多チャンネルを同期させて録音することが容易になり、また安価にできるようになった。1950年代初めには主要なスタジオが35mm磁気テープで録音するようになった。しかし実際に映画がステレオ音声で公開されるには、映画館側の整備が必要である。1952年9月20日に公開された『これがシネラマだ』 (This is Cinerama) は、ステレオが興行的に成り立つことを証明した。シネラマは現代のIMAXと比較しても遜色のないワイドスクリーン方式である。このため、シネラマを上映する映画館は構造的にいくつかの条件を満たす必要があった。シネラマのサウンドトラックは磁気テープ上の7トラックで構成され、5トラックはスクリーンの背後の5台のスピーカーを駆動し、2トラックがサラウンド用である。このシステムは磁気録音技術の先駆者 Hazard E. Reeves が開発した。シネラマを体験したことのある人によると、その音響は現代の標準と比較しても素晴らしいものだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1953年4月、ニューヨークでのみ『これがシネラマだ』が公開されているころ、多くの観客はヴィンセント・プライス主演の立体映画『肉の蝋人形』(ワーナー・ブラザース)でステレオ音声を体験していた。その音響方式は WarnerPhonic と呼ばれ、35mm磁気テープに左右と中央の3トラックを記録し、これを2台の映写機と同期させ、映画のフィルムにも光学式でサウンドトラックを設けている。光学式サウンドトラックの1つは他に問題が生じたときのバックアップとしてモノラル音声を記録している。WarnerPhonic を使った立体映画は他に2本だけ製作された(The Charge at Feather River と Island in the Sky)。これらの映画の磁気テープトラックは紛失している。他にも立体映画が製作されたが、その多くが3チャンネルの磁気テープによる音声を採用していた。例えば、It Came from Outer Space、I, the Jury、The Stranger Wore a Gun、Kiss Me, Kate などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "シネラマに触発され、映画業界はより単純で安価なワイドスクリーンシステムの開発に乗り出した。20世紀フォックスが開発したシネマスコープは4トラックの磁気サウンドトラックを採用していた。シネマスコープは標準的な35mmフィルムを採用していたため、既存の映画館で上映が可能だった。20世紀フォックスは、55mmフィルムを採用した CinemaScope 55 も開発した。こちらは6トラックのステレオを採用していた。しかし、こちらは新たな映写機を必要とするため失敗に終わり、2作品(『回転木馬』と『王様と私』)がこの方式で作られたが、結局35mmのシネマスコープで公開された。埋め合わせのため、『回転木馬』は6トラックのサウンドトラックで公開され、『王様と私』は1961年に70mmフィルムと6トラックのサウンドトラックで再公開された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1954年以降も、磁気テープのサウンドトラックによるステレオ設備を導入できない映画館のため、ステレオ音声の映画をモノラルに変換し、光学で記録したものが必要とされた。ドルビーラボラトリーズのドルビーステレオ(ステレオ音声を光学で記録したもの)が使われ始めた1975年ごろまで、このような状況が続いた。例えば、フランコ・ゼフィレッリの『ロミオとジュリエット』のサウンドトラックのアルバムはステレオになっていた。ステレオを使う映画は、『ウエスト・サイド物語』、『マイ・フェア・レディ』、Camelotなどのミュージカル映画、『クレオパトラ』などの叙事詩、サイモン&ガーファンクルの曲を多用した『卒業』のような音楽を重視した映画に限られていた。今では、映画は基本的に全てステレオで公開されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1940年代から1970年代にかけてのステレオの進歩は、複数チャンネルの録音・再生時の同期の困難さを技術的に克服していく過程であり、同時に新たな録音媒体と録音再生装置を市場に売り込んでいく過程だった。大まかに言って、ステレオシステムはアンプとスピーカーが2つずつ必要となり、モノフォニックシステムの2倍のコストがかかる。消費者がそれだけの金額を出すに値すると考えるかどうかは明らかではなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1952年、エモリー・クック(1913年 - 2002年)はバイノーラル盤を作成する装置を開発した。レコード盤上に2本の溝が刻まれていて、両方に針を落とし、同時に再生する。それぞれのピックアップは別々のアンプとスピーカーに接続されていた。クックはレコード製造装置を売る目的でこれをニューヨークのオーディオフェアに出品した。しかし、すぐにバイノーラル盤のレコードを作って欲しいという注文が入るようになり、クックはレコード盤の商業生産に乗り出した。クックが製造したレコードは、鉄道の音から嵐の音まで様々なものがあった。なお、「バイノーラル盤」とバイノーラル録音には直接の関係はない。1953年のクックのカタログには、オーディオマニア向けの25種類のステレオレコードが掲載されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1952年、1/4インチ磁気テープに2つの録音・再生ヘッドを使ってステレオ録音するデモンストレーションが行われた。1953年、Remington Records は、ソーア・ジョンソン (Thor Johnson) 指揮のシンシナティ交響楽団の演奏などをステレオでテープ録音し始めた。同年RCAビクターもレオポルド・ストコフスキーやニューヨークのミュージシャンの演奏を試験的にステレオ・テープ録音している。1954年2月21日・22日、RCAはシャルル・ミュンシュ指揮のボストン交響楽団の演奏によるベルリオーズの『ファウストの劫罰』をテープ録音し、それをきっかけとして同社はステレオ・テープ録音を常に行うようになった。直後、伝説の指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1957年没)の最後の2回のコンサートが磁気テープにステレオで録音された。しかし、これら初期のステレオ録音がステレオのままでリリースされるのは1987年から2007年のことである。イギリスでは1954年中ごろ、デッカ・レコードがステレオでのテープ録音を始めた。1954年、ConcertapesやRCAビクターといった企業がステレオ録音済みオープンリールテープをモノラル録音の2倍の価格で発売した。オーディオマニアがこれを購入し、ついに一般家庭にステレオ音響がもたらされた。ステレオ録音は音楽業界では1957年までに広く採用されることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1957年11月、世界初のステレオ盤レコードの大量生産を弱小レーベル Audio Fidelity Records が始めた。創業者で社長のシドニー・フレイはウェスタン・エレクトリックのWestrexブランドのステレオレコード製造装置を使い、大手レーベルに対抗しようとした。A面は Dukes of Dixieland、B面は鉄道の音だった。12月16日フレイはビルボード誌に広告を掲載し、その中で業界関係者が会社のレターヘッド入り用箋で申し込んできたら、試聴用レコードを無料で進呈すると書いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "この動きは大いにメディアに取り上げられた。フレイはさらに4タイトルのステレオ盤レコードをリリースした。ステレオ蓄音機の販売店は他に選択肢がないので Audio Fidelity Records のレコードを店頭で流した。ステレオ盤レコードの普及は、1958年にステレオ用カートリッジが250ドルから29.95ドルに値下げしたことで拍車がかかった。1958年夏、Audio Fidelity の Marching Along with the Phenomenal Dukes of Dixieland, Volume 3 を筆頭としてステレオ盤レコードが一般の店頭に大量に並ぶようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "完全ステレオ化以前、英米ではポピュラー音楽中心にステレオ盤LPレコードの多くには同タイトルのモノラル盤が存在した(ステレオ盤の方が1ドルほど高かった)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1960年代中期、モノラル録音を電気的にステレオ風に加工した(擬似ステレオ, 略して擬似ステ, デュオフォニック)ステレオ盤が多数製作された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "その頃のポピュラー音楽では同じ曲をモノラル録音と別に(後に、もしくは同時期に)ほぼ同じバージョンでステレオで録音し直す事もあった。例えばビートルズのレコードにはモノ録音、ステレオ録音(擬似ステに対し true stereo と言う)、擬似ステ、そしてステレオ録音を単に足したモノラル(擬似モノと言う事がある)のものが存在する。ビートルズの場合、さらに最新リマスター(リミックス)版が加わる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1968年までにレコード会社の多くはモノラル盤の新譜発売をやめた(アメリカでのシングルのステレオ化は1970年代初頭)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1925年12月、ノーサンプトンシャーのダヴェントリーにあるBBCの試験放送局 5XX が世界初のステレオラジオ放送を行った。内容はハミルトン・ハーティ指揮でマンチェスターで行われたコンサートである。右のチャンネルは長波の全国放送で、左のチャンネルは中波のローカル放送だった。BBCは1926年まで、ロンドンの 2LO とダヴェントリーの 5XX を使った実験を繰り返した。1958年にはロンドンでFMステレオの試験放送が開始され、毎週土曜日の朝にテレビの音声と中波(AM)ラジオで両方のチャンネルを提供した。BBCのFMステレオの本放送は1962年8月28日に始まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1952年5月22日、シカゴのAMラジオ放送局 WGN(FM局はWGNB)は1時間のステレオ試験放送を行った。1つのチャンネルをAM局で放送し、もう1つをFM局で放送する方式である。ニューヨークのWQXRは1952年10月にステレオ放送を部分的に開始し、1954年には全ての音楽番組をステレオ放送にしている。こちらもAMとFMで左右のチャンネルを放送する方式である。レンセラー工科大学は1952年11月、キャンパスにある2つのAM局を使って1週間のステレオ放送を行ったが、受信エリアはキャンパス内だけだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "(日本においても1954年11月13日からNHKのラジオ放送で「立体音楽堂」という番組枠として最初はAM波により、NHKラジオ第1を左チャンネル、ラジオ第2を右チャンネルに用いてステレオ放送を行った。 同番組のAM2波による放送は1964年4月4日までであり、1963年12月22日からはFMステレオ1波によるステレオ放送が開始して1966年4月2日まで放送された。)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ペンシルベニア州ピッツバーグのKDKA-FMは、1960年7月から8月にかけて、FMのみのステレオ放送システム6種類の比較試験を行った。連邦通信委員会は1961年4月、ステレオFM放送の技術規格を発表し、1961年6月1日、アメリカで初のステレオFM放送が正式にライセンスされることになった。最初のステレオFM放送を行ったのは、シカゴのWEFMとスケネクタディのWGFMである 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1952年12月11日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で演じられたオペラ『カルメン』をケーブルテレビ方式で全米各地の劇場に放送し、それにRCAの開発したステレオ音響システムが使われた。1958年から1959年には、ABCネットワークが75の受信エリアで音楽番組 The Lawrence Welk Show を何回か実験的にステレオで放送した。このときは一方のチャンネルをABCのAMラジオネットワークで放送した。1958年10月21日、NBCも同じようにテレビとラジオのネットワークを使い、The George Gobel Show という番組の中で3分間だけステレオ放送を行ったことがある。1959年1月30日、ABCは Walt Disney Presents の番組枠で The Peter Tchaikovsky Story のステレオ放送を実施した。これはディズニーのアニメ映画『眠れる森の美女』の場面を使ったもので、ABCはAM局とFM局を動員して左右の音声チャンネルを放送した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1961年にFMステレオ放送が始まると、サイマル放送方式で音楽テレビ番組の音声をFMステレオで放送する例も出てきた。1960年代から1970年代にそのような放送を行う場合、録画素材の音声をオープンリールテープにしてFM局に送り、手動で同期させていた。1980年代には放送衛星で番組を配信できるようになり、同期も自動化された。サイマル方式のステレオテレビ放送はFCCが MTS stereo を承認するまで行われていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ケーブルテレビは MTS stereo が普及するまで複数の周波数を使ってステレオ番組を提供していた。ステレオケーブル放送をいち早く採用したのは The Movie Channel だが、ステレオ放送を最も多用したのはMTVである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "日本では、1978年にNHKと日本テレビ放送網が音声多重放送の実験放送を開始し、同年10月より前述の2局に加えてTBSテレビ、フジテレビジョン、テレビ朝日及び一部地域を除く系列局が、また同年12月下旬に東京12チャンネル(現・テレビ東京)がステレオ放送の本放送を開始した。テレビアニメでは『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』第99話似て初めてステレオ音源が使用された。1984年には、番組の12%、時間にして一週間のうち14時間から15時間が音声多重放送となっている。テレビ放送のステレオ化は、番組よりもコマーシャル放送のほうが先行し、1980年代末にはほぼ全てのコマーシャル放送がステレオになった。それを利用ししてタイマー録画においてコマーシャルを自動的にカットする機能が、1990年代初頭に販売されたビデオデッキに搭載された事がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "西ドイツでは1984年、第2ドイツテレビがステレオ番組の放送を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "アメリカでは、1984年に MTS(Multichannel Television Sound) がFCCによって標準化された。NTSCフォーマットの音声搬送波に3つの音声チャンネルを追加で符号化する技法である。1984年6月26日、NBCが部分的にこれを使ったステレオ放送を開始した(ただし、ニューヨーク局のみ)。定期的なステレオ放送は1985年になってからである。", "title": "歴史" } ]
音響工学におけるステレオまたはステレオフォニックとは、立体的な音場を再現した録音・再生方式のことである。厳密には2つ以上のマイクロフォンやスピーカーを用いた方式すべてを指すが、多くの場合は左右2つのスピーカーで再生する方式を指す。 広義には、ステレオフォニック再生のための音声信号を集音、録音、伝送、通信、放送、加工する技術全般、またはステレオフォニック再生のための音響再生装置(ステレオ・セット)を指す。 単一のスピーカーを用いるモノラル方式と対比される。
{{Otheruses}} {{脚注の不足|date=2021-03-21}} [[電気音響工学|音響工学]]における'''ステレオ'''({{Lang-en-short|stereo}})または'''ステレオフォニック'''({{Lang-en-short|stereophonic}})とは、立体的な音場を再現した[[録音]]・再生方式のことである。厳密には2つ以上の[[マイクロフォン]]や[[スピーカー]]を用いた方式すべてを指すが、多くの場合は左右2つのスピーカーで再生する方式を指す<ref name="AES PAR">{{Cite web|url=https://www.aes.org/par/|title=Pro Audio Reference|publisher=Audio Engineering Society|author=Dennis Bohn|accessdate=2023-3-25}}</ref>。 広義には、ステレオフォニック再生のための音声信号を集音、[[録音]]、伝送、[[電気通信|通信]]、[[放送]]、加工する技術全般、またはステレオフォニック再生のための音響再生装置('''ステレオ・セット''')を指す<ref>{{Cite Kotobank|word=ステレオ|encyclopedia=精選版 日本国語大辞典|access-date=2023-3-25}}</ref>。 単一のスピーカーを用いる[[モノラル]]方式と対比される。 == ステレオフォニック再生 == {{参照方法|date=2021年6月|section=1}} 以下は主に音響工学に厳密な古典的な文であり、サラウンド、ヘッドフォンなど聴取形態が多様化した現在では以下の様な細かな事はほとんど言われない。特に音楽ファン{{誰|date=2021年6月25日 (金) 00:59 (UTC)}}に於いては音声信号が一つのものは再生方法に関わらずモノかモノラル、左右二つのものはステレオと言う。 (ただしステレオ初期{{いつ|date=2021年6月25日 (金) 00:59 (UTC)}}のレコードにはモノフォニック、ステレオフォニックとの表示があった。) ステレオフォニック再生は、典型的には、聴取者の水平方向前方左右30度の位置に一対のスピーカーを配して2チャンネルの音声を再生する。それに対し、前方正面の1つのスピーカーから1チャンネルの音声を再生する方式をモノフォニックと呼ぶ。なお、一般にモノラルと混同されるが、これは後述の通り別の再生方式である。また、1チャンネルの音声をステレオフォニック用の2つのスピーカーから同時に再生して聴取する方式はダイオティックと呼ばれ、モノフォニックとは厳密には区別される。 ステレオフォニック再生はモノフォニック再生に比較して、音像定位や音場感が加わり、再生音の臨場感が増す効果がある。2つのスピーカと聴取者頭部が一辺3メートルの正三角形に位置する配置が最も望ましいとされている。この時の聴取者の位置のことをリスニング・ポイントまたはスイート・スポットと呼ぶ。 録音については、左右1対のマイクロフォンで集音してそのまま2チャンネルの音声とする方式と、個々の楽器や歌手に個別のマイクをあてがい、オーディオミキサーで2チャンネルの音声にまとめる方式とがある。現在の殆どの[[コンパクトディスク]]はステレオフォニック再生用として収録されているが、前者の方式で録音されたものは一部のクラシック音楽(ソロパートに専用マイクを使う事は多い)などであり、大半は後者の方式で録音されている。 ステレオフォニック再生で臨場感が増す理由として、[[人間]]が元々左右の[[耳]]に入る音の[[位相]]差および[[音量]]差などを利用して[[音源]]の方向を把握している点が挙げられる。これを2つのマイクロフォンでシミュレーションする方式として2チャンネル音声伝送は考案されたが、当初はステレオフォニックではなく、バイノーラルと呼ばれる方式であった。これは、2つのマイクロフォンを両耳の位置に備えた擬似頭部を用いて集音した2チャンネル音声を左右の耳にあてがった1対のイヤーフォンで聴取するもので、この再生方式をバイノーラルと呼ぶ。因みに、左右どちらか一方の耳で1つのイヤーフォンで聴取する再生方式をモノラル(モノーラル)と呼ぶ。 バイノーラル再生の効果はパリ博覧会にて複数の電話を用いることで偶然に発見されたとされているが、真偽は不明である。現在に至るまで、[[バイノーラル録音]]はドイツで研究が盛んであり、HATS(ヘッド・アンド・トルソー・シミュレータ : ダミーヘッドに肩部や胴体も加えたシステム)も性能を高め、サラウンド以上の臨場感が得られるケースも出てきている。 == 音響工学的な定義 == {{参照方法|date=2021年6月|section=1}} [[Image:stereofig.PNG|thumb|270px]] ; ステレオフォニック({{Lang-en-short|stereophonic}}) : 立体的な音場を再現した録音・再生方式のこと<ref name="AES PAR"/>。 : 代表的なものは2つのスピーカー(バイフォニック、{{Lang-en-short|biphonic}}<ref>[[連邦規則]]47巻73条310項 ({{CodeFedReg|47|73|310}} FM technical definitions.)</ref>)により再生する方式である。応用分野によってはこれのみを指す場合もある(例:日本の[[電波法]]<ref>{{Egov law|325M50080000014|電波法施行規則}}</ref>)。 : あまり使われないが、3スピーカー(トリフォニック、{{Lang-en-short|triphonic}})や、4スピーカー([[4チャンネルステレオ]]、クアドラフォニック、{{Lang-en-short|quadraphonic}})による方式もある。 ; [[バイノーラル]]({{Lang-en-short|binaural}}) : 左右の[[鼓膜]]の位置にマイクロフォンを内蔵した[[ダミーヘッド]]で録音することで、[[頭部伝達関数]]などを反映した臨場感の高い[[立体音響]]を再現するステレオ音響技術<ref name="AES PAR"/>。一般的に[[ヘッドフォン]]で再生されるが、スピーカーによる再生システムもある<ref>{{Cite web|url=https://www.ieice-hbkb.org/files/ad_base/view_pdf.html?p=/files/02/02gun_06hen_07.pdf|title=2群6編 音響信号処理 7章 音場再現|author=伊勢史郎|work=[https://www.ieice-hbkb.org/portal/ 電子情報通信学会 知識ベース「知識の森」]|date=2012|accessdate=2023-3-25}}</ref>。 ; [[サラウンド]]({{Lang-en-short|surround}}) : 3つ以上のスピーカーを用いる方式の総称。一般的には聴取者の周囲に立体的な音場を再現する方式であるが、定義上は平面的な音場を再現するためのものも含まれる<ref name="AES PAR"/>。特に[[映画]]音響に用いられる<ref>{{Cite journal|和書|title=サラウンドサウンド方式とオーディオアンプ|author=小谷野進司; 太田佳樹|journal=電気学会誌|volume=125|issue=5|pages=229-232|publisher=電気学会|date=2005|doi=10.1541/ieejjournal.125.229}}</ref>。 == 録音・再生方法 == {{参照方法|date=2021年6月|section=1}} 音源が普通のステレオ録音の場合、通常のステレオ装置ではステレオフォニック再生、ヘッドフォンステレオではバイフォニック再生を行っていることになる。モノ録音のCDを普通のステレオで再生すると、厳密にはモノフォニックにはならない(わずかながら左右のチャンネルの特性が異なること、スピーカーの個体差および設置条件により再生が全く同じ音を発しないから)。 === 収録時のマイクセッティング === ステレオ録音する際のマイクセッティング方法は様々なものが提案されてきた。 ; A・Bステレオ : [[マイクロフォン#指向性による分類|全指向性]]のマイク2本を、マイク中心から20cm〜2mほど離し、音源に向かって水平に配置したものである。[[録音機|ハンディレコーダー]]にはマイクを外側に傾けたものや、内側に傾けてXYステレオに切り替えられる機種も存在する。 ; MSステレオ : {{See|[[M/Sプロセッシング]]}} : [[マイクロフォン#指向性による分類|単一指向性]]のマイク(Midマイク)1本を音源に向け、[[マイクロフォン#指向性による分類|双指向性]]のマイク(Sideマイク)1本を横に向けて録音する方式。Sideマイクを単一指向性×2としたものも存在する。マイクの種類や設定などでは不可能だが、MidマイクとSideマイクをそれぞれ異なるトラックに記録できる。録音時にMSマトリックスというアナログ回路を用いたり、録音後にMS Decoderというソフトウェアなどでステレオデータに変換することができる。XYステレオ同様マイクを近接配置するため、[[マイクロフォン#ワンポイントステレオマイク|ワンポイントステレオマイク]]に多い。 ; XYステレオ : 2本の単一指向性のマイクを極力近づけて、内側に90度〜120度程度に傾けたセッティング方法。ワンポイントステレオマイクに多い。ワンポイントマイクによっては、[[ダイヤフラム]]に角度をつけ、マイクカプセルを回転させることで2段階に交差角を切り替えられる機種もある。非圧縮の状態で記録されていれば、録音後にMS EncoderというソフトウェアでMSステレオに変換でき、Mid、Sideのゲインを調節したあとMS Decoderで標準的なステレオデータに戻すことができる。 ; ORTFステレオ : フランス公共放送(Office de Radiodiffusion Television Francaise)が使用しているセッティング方式。マイクを17cm離し、外側に110度開く。 ; NOSステレオ : オランダ公共放送(Nederlandse Omroep Stichting)が使用するセッティング方式で、マイク間隔は30cmとし、外側に90度傾ける。 ; バイノーラル :: {{See|[[バイノーラル]]}} : 2つの超小型全指向性マイクをダミーヘッドや収録者の耳に組み込み、ヘッドホンやイヤホンで再生する。 また、殆どの商業録音ではマルチマイク録音が行われる。これは各楽器、パート別に多数のマイクロフォンを配置し、[[マルチトラックレコーダ]]を用いて多チャンネル録音を行い、後で各チャンネルの音楽的バランスをとりつつ2チャンネル(あるいは伝送媒体の規定するチャンネル数)にステレオミックスする方法である。音像の位置は[[パンニング (音響)|パンポット]]を用いた左右の音量差のみで決めることが普通である。 === モノラル再生 === 単一の[[スピーカー]]とは限らないが、ステレオ音源に対比して単一の信号音源を出力する方式である。スピーカが単一又は複数にかかわらない。ステレオ録音の音源の再生では、左右の和信号の再生をしないと片方だけの信号になるため和信号の再生が一般的である。左右の和信号を得るのはワンポイントステレオマイクによる録音やマルチマイクによる録音では問題がないが、間隔をあけたペアマイクによる収録では位相差に伴う[[コムフィルタ]]効果が問題になる。 名称の「モノラル」、「モノ」あるいは「モノーラル」(英:monaural, mono)は、「バイノーラル」(英:Binaural)に対する[[レトロニム]]である。 == サラウンド == {{参照方法|date=2021年6月|section=1}} {{main|サラウンド}} 3つ以上のスピーカーを使って音を出すサラウンドサウンドは、通常はスピーカーのうち2つが前方左右に配されており、ステレオの一種である。[[DVD]] など新しい記録メディアでは、多チャンネル記録によってサラウンド効果を出せるよう、最初から規格化されている。 == 歴史 == === 1881年 === [[ファイル:Theatrophone - Clement Ader 1881.JPG|thumb|left|パリ電気博覧会(1881年)で使用したクレマン・アデールのThéatrophoneのプロトタイプの図]] 1881年、[[クレマン・アデール]]は世界初の2チャンネル音響システムをパリで公開した。[[ガルニエ宮|オペラ座]]の舞台からパリ電気博覧会会場に設置した部屋まで一連の電話通信装置を接続し、オペラ座での公演の音声を生中継で転送して聞かせるものだった。''[[サイエンティフィック・アメリカン]]''誌はこの模様を次のようにレポートしている。 :「産業宮(博覧会会場)でこの電話を聴く幸運に恵まれた人々は、2つの電話機で両方の耳で聴き、口をそろえて1つの受話器では生み出せないような臨場感があったと述べた… この現象は非常に奇妙である。それは双聴覚的音響の理論の近似であり、我々の知る限り、これまでになかったものである。この驚嘆すべきイリュージョンは立体音響の名にふさわしいかもしれない」<ref>Early Radio History. Scientific American, December 31, 1881, pages 422–23. [http://earlyradiohistory.us/1881opr.htm ''The Telephone at the Paris Opera''] Retrieved March 27, 2009.</ref> この2チャンネル電話方式はフランスで [[:en:Théâtrophone|Théâtrophone]] の名で1890年から1932年まで、イギリスでは [[:en:Electrophone (information system)|Electrophone]] の名で1895年から1925年まで販売された。どちらもホテルやカフェに硬貨投入式の受話器を設置するか、個人宅で受信設備を導入してサービス提供を受ける形式だった<ref>"Court Circular", ''The Times'' (London), Nov. 6, 1895, p. 7. "Post Office Electrical Engineers. The Electrophone Service", ''The Times'' (London), Jan. 15, 1913, p. 24. "Wired Wireless", ''The Times'' (London), June 22, 1925, p. 8.</ref>。 === 1930年代 === 1930年代、[[EMI]]のアラン・ブラムレイン ([[:en:Alan Blumlein|Alan Blumlein]]) がステレオ録音、ステレオ映画、さらには[[サラウンド]]の特許を取得した<ref>{{cite news |first= |last= |authorlink= |coauthors= |title=Early stereo recordings restored |url= http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/7537782.stm |quote=Blumlein lodged the patent for 'binaural sound' in 1931, in a paper that patented stereo records, stereo films, and also surround sound. He and his colleagues then made a series of experimental recordings and films to demonstrate the technology to see if there was any commercial interest from the fledgling film and audio industry. |work=[[BBC]] |year=2008 |accessdate=2008-08-07 }}</ref>。1931年、[[EMI]]のブラムレインらは2チャンネルのステレオ録音方式を開発し、1933年に特許を取得した。これは25年後ステレオ[[レコード]]の主流となる方式と同じで、レコードの溝の2つの壁を直角に交わらせて左右の壁に2つのチャンネルを録音するもので、1933年にEMIが開発した。[[ベル研究所]]の[[ハーヴェイ・フレッチャー]]もステレオ録音・再生方式を研究していた。フレッチャーの試した方式の1つに "wall of sound"(音の壁)と呼ばれるものがある。これは、オーケストラの前に多数のマイクロフォンをずらっと並べて録音し、別のリスニングルームでそれぞれの録音を同じ形に配置したスピーカーで再生するものである。最大80個のマイクロフォンを使ったことがある。1932年3月には、[[フィラデルフィア]]の [[:en:Academy of Music (Philadelphia)|Academy of Music]] が2つのマイクロフォンで1つのレコード盤に2つの溝を刻む方式(バイノーラル盤に近い)も試されている。演奏は[[フィラデルフィア管弦楽団]]で指揮は[[レオポルド・ストコフスキー]]である。このときの録音で現存している最古のものは、1932年3月12日に録音された[[アレクサンドル・スクリャービン|スクリャービン]]の『[[交響曲第5番 (スクリャービン)|プロメテ - 火の詩]]』である{{efn|[[デューク・エリントン]]と彼のオーケストラも偶然から[[1932年]][[2月3日]]にステレオ録音を行った([[RCA]]ビクターによる録音)。当時、マイクを複数設置して同時に録音するやり方が普通に行われていた。これは後でそれぞれを聞き比べて最もよいマイク位置を選択するためである。また、マスター盤に何かあった場合のスペアの意味もあった。あるコレクターが同時に録音されたものを複数入手し、それらを同時に再生するとステレオになることに気づいた。これが後に22枚組CD "The Duke Ellington Centennial Edition" に入れられ、販売されている。同様の例は[[1933年]][[4月11日]]に[[エドワード・エルガー]]が自身の指揮で[[BBC交響楽団]]と共に[[アビー・ロード・スタジオ]]で録音した「[[コケイン]]」(後半の5分が現存)などでも見られ、エルガーの「ステレオ」録音はオリジナルの録音と共に[[ナクソス (レコードレーベル)|ナクソス]]から発売されている<ref>[http://numabe.exblog.jp/5132445/ 1933年、「偶然の」ステレオ]</ref>}}。 1933年4月27日、ベル研究所が3チャンネルのステレオ音声のデモンストレーションを行った。これは、[[フィラデルフィア]]で[[フィラデルフィア管弦楽団]]が演奏した音声を[[ワシントンD.C.]]の [[:en:DAR Constitution Hall|Constitution Hall]] に生中継し、指揮者の[[レオポルド・ストコフスキー]]が Constitution Hall で音声のミキシングを制御するというデモンストレーションだった。同年開催された[[シカゴ万国博覧会 (1933年)|シカゴ万国博覧会]]でも、ベル研究所が[[バイノーラル録音|バイノーラル音声]]のデモンストレーションを行っている<ref>B.B. Bauer, "Some Techniques Toward Better Stereophonic Perspective", ''IEEE Transactions on Audio'', May–June 1963, p. 89.</ref>。このときは、2つの[[信号 (電気工学)|信号]]を[[振幅変調]]でそれぞれ別の周波数で放送した<ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=yS0DAAAAMBAJ&pg=PA104&redir_esc=y&hl=ja Radio Adds Third Dimension]", ''Popular Science'', Jan. 1953, p. 106.</ref>。 === 1940年代以降 === ==== 1940年: カーネギー・ホールでのデモンストレーション ==== 1940年4月9日と10日に[[ベル研究所]]が[[カーネギー・ホール]]で行ったデモンストレーションは、3台の大型スピーカーシステムを使用した。[[映画]]用フィルムに3つのサウンドトラックの形で録音することで3チャンネルの同期を達成している。ダイナミックレンジが制限されているため、音量圧縮技法が使われ、第4のトラックを音量伸長の調節に使用した。1970年代の[[ドルビーノイズリダクションシステム]]も基本は似たような技法だが、はるかに洗練されている。音量圧縮と伸長は完全自動ではなく、手動で音質を改善させることを意図して設計してあった。すなわち、全体の音量と各トラックの相対音量を芸術的感性で調節可能だった。音響技術に興味を持っていた[[レオポルド・ストコフスキー]]の指揮で[[フィラデルフィア管弦楽団]]の演奏を録音した。ストコフスキー自身も録音の「改善」に参加した。 スピーカーは合計で1500ワットの音声出力であり、100デシベルの音声レベルを生成した。デモンストレーションの模様を報じた記事によれば、観客は「魅了され、時には大いに恐れた」という<ref>"Sound Waves 'Rock' Carnegie Hall as 'Enhanced Music' is Played", ''The New York Times'', April 10, 1940, p. 25.</ref>。デモンストレーションを聴いた[[セルゲイ・ラフマニノフ]]は、「驚くべきものだった」と述べたが、同時に「余りにも音量が大きすぎて、なんとなく音楽的ではなかった」とも述べている。また、「『[[展覧会の絵]]』は、あまりにも『改善』され、あまりにもストコフスキー的だったため、よくよく聴くまで曲名がわからなかった」とも述べている。 ==== 映画 ==== 1937年、ニューヨークの[[ベル研究所]]で、同研究所と Electrical Research Products, Inc. が開発した2チャンネルステレオ音声つき[[映画]]のデモンストレーションが行われた<ref>"New Sound Effects Achieved in Film", ''The New York Times'', Oct. 12, 1937, p. 27.</ref>。[[レオポルド・ストコフスキー]]の指揮で[[フィラデルフィア]]の Academy of Music が開発した9トラック音響システムに録音し、[[ユニバーサル・ピクチャーズ]]が1937年に撮影した映画『[[オーケストラの少女]]』のサウンドトラックに使用したものである<ref>Nelson B. Bell, "Rapid Strides are Being Made in Development of Sound Track", ''[[ワシントン・ポスト|The Washington Post]]'', April 11, 1937, p. TR1.</ref><ref>''Motion Picture Herald'', September 11, 1937, p. 40.</ref>。9トラックで録音したものをミキシングして2トラックにしている。1938年、[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー]]が映画のサウンドトラックとして3トラック方式を採用し、すぐに4トラックに改良した。1トラックは俳優の台詞用、2トラックは音楽用、1トラックは音響効果用である。この方式はステレオ音声にすることを目的としたものではなく、4トラックをミキシングして1つの光学式[[サウンドトラック]]を作りやすくするためのものだった{{要出典|date=2009年3月}}。この方式を採用した最初の映画は1938年の『[[初恋合戦]]』で、[[ジュディ・ガーランド]]の歌 "It Never Rains But What It Pours" がバイノーラル録音されている(最終的にはモノラルになっている)。 ステレオ音声を映画館に導入した最初の映画は[[ウォルト・ディズニー]]の『[[ファンタジア (映画)|ファンタジア]]』で、1940年11月の公開である。このために特別な音響方式 [[:en:Fantasound|Fantasound]] を開発している。Fantasound では4つの光学式サウンドトラックを持つ別のフィルムを使っている。そのうち3トラックが音声トラックで、残る1つは映画館のアンプの音量を制御するための情報が格納されていた<ref>Andrew R. Boone, "[https://books.google.co.jp/books?id=NicDAAAAMBAJ&pg=PA65&redir_esc=y&hl=ja Mickey Mouse Goes Classical]", ''[[ポピュラーサイエンス|Popular Science]]'', January 1941, p. 65.</ref>。興行的には失敗したが、主要都市で音響設備の整った映画館だけで2か月間公開した後、サウンドトラックをモノラルにミキシングし直して、拡大公開を行った。1940年代初めごろ、[[アルフレッド・ニューマン]]が[[20世紀フォックス]]の多チャンネル録音が可能な録音ステージの建設を指揮した。この時代に録音された多チャンネルのサウンドトラックはいくつか現存しており、DVDのリリース時に使われた。例えば、『[[わが谷は緑なりき]]』、『[[アンナとシャム王]]』、『銀嶺セレナーデ』、『[[地球の静止する日]]』などがある。 [[磁気記録|磁気テープによる録音]]の発明により、高音質で多チャンネルを同期させて録音することが容易になり、また安価にできるようになった。1950年代初めには主要なスタジオが35mm磁気テープで録音するようになった。しかし実際に映画がステレオ音声で公開されるには、映画館側の整備が必要である。1952年9月20日に公開された『これがシネラマだ』 ([[:en:This is Cinerama|This is Cinerama]]) は、ステレオが興行的に成り立つことを証明した。[[シネラマ]]は現代の[[IMAX]]と比較しても遜色のないワイドスクリーン方式である。このため、シネラマを上映する映画館は構造的にいくつかの条件を満たす必要があった。シネラマのサウンドトラックは磁気テープ上の7トラックで構成され、5トラックはスクリーンの背後の5台のスピーカーを駆動し、2トラックがサラウンド用である。このシステムは磁気録音技術の先駆者 [[:en:Hazard E. Reeves|Hazard E. Reeves]] が開発した。シネラマを体験したことのある人によると、その音響は現代の標準と比較しても素晴らしいものだった。 1953年4月、ニューヨークでのみ『これがシネラマだ』が公開されているころ、多くの観客は[[ヴィンセント・プライス]]主演の[[立体映画]]『[[肉の蝋人形 (1953年の映画)|肉の蝋人形]]』([[ワーナー・ブラザース]])でステレオ音声を体験していた。その音響方式は WarnerPhonic と呼ばれ、35mm磁気テープに左右と中央の3トラックを記録し、これを2台の映写機と同期させ、映画のフィルムにも光学式でサウンドトラックを設けている。光学式サウンドトラックの1つは他に問題が生じたときのバックアップとしてモノラル音声を記録している。WarnerPhonic を使った立体映画は他に2本だけ製作された(''The Charge at Feather River'' と ''Island in the Sky'')。これらの映画の磁気テープトラックは紛失している。他にも立体映画が製作されたが、その多くが3チャンネルの磁気テープによる音声を採用していた。例えば、''[[:en:It Came from Outer Space|It Came from Outer Space]]''、''I, the Jury''、''The Stranger Wore a Gun''、''[[:en:Kiss Me, Kate (film)|Kiss Me, Kate]]'' などがある。 シネラマに触発され、映画業界はより単純で安価なワイドスクリーンシステムの開発に乗り出した。[[20世紀フォックス]]が開発した[[シネマスコープ]]は4トラックの磁気サウンドトラックを採用していた。シネマスコープは標準的な35mmフィルムを採用していたため、既存の映画館で上映が可能だった。20世紀フォックスは、55mmフィルムを採用した [[:en:CinemaScope 55|CinemaScope 55]] も開発した。こちらは6トラックのステレオを採用していた。しかし、こちらは新たな映写機を必要とするため失敗に終わり、2作品(『[[回転木馬 (ミュージカル)|回転木馬]]』と『[[王様と私 (1956年の映画) |王様と私]]』)がこの方式で作られたが、結局35mmのシネマスコープで公開された。埋め合わせのため、『回転木馬』は6トラックのサウンドトラックで公開され、『王様と私』は1961年に70mmフィルムと6トラックのサウンドトラックで再公開された。 1954年以降も、磁気テープのサウンドトラックによるステレオ設備を導入できない映画館のため、ステレオ音声の映画をモノラルに変換し、光学で記録したものが必要とされた<ref>[http://www.widescreenmuseum.com/widescreen/wingcs5.htm CinemaScope] Widescreen Museum</ref>。[[ドルビーラボラトリーズ]]のドルビーステレオ(ステレオ音声を光学で記録したもの)が使われ始めた1975年ごろまで、このような状況が続いた。例えば、[[フランコ・ゼフィレッリ]]の『[[ロミオとジュリエット]]』のサウンドトラックのアルバムはステレオになっていた。ステレオを使う映画は、『[[ウエスト・サイド物語 (映画)|ウエスト・サイド物語]]』、『[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]』、''[[:en:Camelot (film)|Camelot]]''<ref>[https://www.imdb.com/title/tt0061439/ Camelot (1967)] IMDb</ref>などのミュージカル映画、『[[クレオパトラ (1963年の映画)|クレオパトラ]]』などの叙事詩、[[サイモン&ガーファンクル]]の曲を多用した『[[卒業 (1967年の映画)|卒業]]』のような音楽を重視した映画に限られていた。今では、映画は基本的に全てステレオで公開されている。 ==== レコードと磁気テープ ==== {{Tall image|Stereo Stack-A kaleidoscopic-wonderland of hi-fidelity and dual-dynamic vibrancy.jpg|250|500|alt=|LP盤のステレオ表記|right}} 1940年代から1970年代にかけてのステレオの進歩は、複数チャンネルの録音・再生時の同期の困難さを技術的に克服していく過程であり、同時に新たな録音媒体と録音再生装置を市場に売り込んでいく過程だった。大まかに言って、ステレオシステムは[[アンプ (音響機器)|アンプ]]と[[スピーカー]]が2つずつ必要となり、モノフォニックシステムの2倍のコストがかかる。消費者がそれだけの金額を出すに値すると考えるかどうかは明らかではなかった。 1952年、エモリー・クック(1913年 - 2002年)は[[レコード|バイノーラル盤]]を作成する装置を開発した。レコード盤上に2本の溝が刻まれていて、両方に針を落とし、同時に再生する。それぞれのピックアップは別々のアンプとスピーカーに接続されていた。クックはレコード製造装置を売る目的でこれをニューヨークのオーディオフェアに出品した。しかし、すぐにバイノーラル盤のレコードを作って欲しいという注文が入るようになり、クックはレコード盤の商業生産に乗り出した。クックが製造したレコードは、鉄道の音から嵐の音まで様々なものがあった。なお、「バイノーラル盤」と[[バイノーラル録音]]には直接の関係はない。1953年のクックのカタログには、[[オーディオマニア]]向けの25種類のステレオレコードが掲載されている<ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=YgoEAAAAMBAJ&pg=PA15&redir_esc=y&hl=ja Commercial Binaural Sound Not Far Off]", ''Billboard'', Oct. 24, 1953, p. 15.</ref>。 1952年、1/4インチ磁気テープに2つの録音・再生ヘッドを使ってステレオ録音するデモンストレーションが行われた<ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=jNwDAAAAMBAJ&pg=PA216&redir_esc=y&hl=ja Adventures in Sound]", ''Popular Mechanics'', September 1952, p. 216.</ref>。1953年、[[:en:Remington Records|Remington Records]] は、ソーア・ジョンソン ([[:en:Thor Johnson|Thor Johnson]]) 指揮の[[シンシナティ交響楽団]]の演奏などをステレオでテープ録音し始めた。同年[[RCAレコード|RCAビクター]]も[[レオポルド・ストコフスキー]]やニューヨークのミュージシャンの演奏を試験的にステレオ・テープ録音している。1954年2月21日・22日、RCAは[[シャルル・ミュンシュ]]指揮の[[ボストン交響楽団]]の演奏による[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]の『[[ファウストの劫罰]]』をテープ録音し{{efn|ただし、この録音はステレオとモノラルの双方の方式で行われており、実際にレコードとして発売されたのはモノラル録音のほうであった。このステレオ録音は結局はレコードとして発売されず、そのうちに第4部の「奈落への騎行」の一部だけを残してテープが行方不明になってしまった。}}、それをきっかけとして同社はステレオ・テープ録音を常に行うようになった{{efn|RCA社としての最初期のステレオ録音のうちで実際にレコードとして発売された最初のものは、1954年3月6日録音の[[フリッツ・ライナー]]指揮[[シカゴ交響楽団]]の演奏による[[リヒャルト・シュトラウス]]「サロメ~7枚のヴェールの踊り」(インゲ・ボルク〈Sp〉)と同『英雄の生涯』である。}}。直後、伝説の指揮者[[アルトゥーロ・トスカニーニ]](1957年没)の最後の2回のコンサートが磁気テープにステレオで録音された。しかし、これら初期のステレオ録音がステレオのままでリリースされるのは1987年から2007年のことである。イギリスでは1954年中ごろ、[[デッカ・レコード]]がステレオでのテープ録音を始めた。1954年、ConcertapesやRCAビクターといった企業がステレオ録音済みオープンリールテープをモノラル録音の2倍の価格で発売した<ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=EBsEAAAAMBAJ&pg=PA34&redir_esc=y&hl=ja Tape Trade Group to Fix Standards]", ''Billboard'', July 10, 1954, p. 34.</ref>。オーディオマニアがこれを購入し、ついに一般家庭にステレオ音響がもたらされた<ref>"Hi-Fi: Two-Channel Commotion", ''The New York Times'', November 17, 1957, p. XX1.</ref>。ステレオ録音は音楽業界では1957年までに広く採用されることになった。 [[ファイル:Audio Fidelity first stereo LP.jpg|thumb|left|upright=1.3|Audio Fidelity Records のステレオをデモンストレーションするためのレコード(1958年ごろ)]] 1957年11月、世界初のステレオ盤レコードの大量生産を弱小レーベル [[:en:Audio Fidelity Records|Audio Fidelity Records]] が始めた。創業者で社長のシドニー・フレイは[[ウェスタン・エレクトリック]]のWestrexブランドのステレオレコード製造装置を使い、大手レーベルに対抗しようとした<ref>[http://www.jazzology.com/jazzbeat.php?id=50 Jazzbeat 2007-10-26]</ref><ref>[http://www.thedukesofdixieland.com/history.htm Harry R. Porter history]</ref>。A面は Dukes of Dixieland、B面は鉄道の音だった。12月16日フレイは[[ビルボード]]誌に広告を掲載し、その中で業界関係者が会社の[[レターヘッド]]入り用箋で申し込んできたら、試聴用レコードを無料で進呈すると書いた<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=wR0EAAAAMBAJ&pg=PA33&redir_esc=y&hl=ja Audio Fidelity advertisement], ''Billboard'', Dec. 16, 1957, p. 33.</ref><ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=wR0EAAAAMBAJ&pg=PA27&redir_esc=y&hl=ja Mass Produced Stereo Disk is Demonstrated]", ''Billboard'', Dec. 16, 1957, p. 27.</ref>。 この動きは大いにメディアに取り上げられた<ref>Alfred R. Zipser, "Stereophonic Sound Waiting for a Boom", ''The New York Times'', August 24, 1958, p. F1.</ref>。フレイはさらに4タイトルのステレオ盤レコードをリリースした。ステレオ蓄音機の販売店は他に選択肢がないので Audio Fidelity Records のレコードを店頭で流した。ステレオ盤レコードの普及は、1958年にステレオ用[[レコードプレーヤー#ピックアップ(カートリッジ)|カートリッジ]]が250ドルから29.95ドルに値下げしたことで拍車がかかった<ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=txgEAAAAMBAJ&pg=PA36&redir_esc=y&hl=ja Audio Fidelity Bombshell Had Industry Agog]", ''Billboard'', Dec. 22, 1962, p. 36.</ref>。1958年夏、Audio Fidelity の ''Marching Along with the Phenomenal Dukes of Dixieland, Volume 3'' を筆頭としてステレオ盤レコードが一般の店頭に大量に並ぶようになった<ref>Bruce Laing, [http://afd.brucelaing.com/pages/gen1858.html The Audio Fidelity Database], 2007. 同じタイトルがモノラルのレコードとステレオテープで以前リリースされていた。"New Releases", ''Billboard'', Oct. 28, 1957, p. 12.</ref><ref>"'45-45' Stereo Disks On the Way", ''The New York Times'', January 12, 1958, p. X11.</ref>。 完全ステレオ化以前、英米ではポピュラー音楽中心にステレオ盤LPレコードの多くには同タイトルのモノラル盤が存在した(ステレオ盤の方が1ドルほど高かった)。 1960年代中期、モノラル録音を電気的にステレオ風に加工した(擬似ステレオ, 略して擬似ステ, [[デュオフォニック]])ステレオ盤が多数製作された。 その頃のポピュラー音楽では同じ曲をモノラル録音と別に(後に、もしくは同時期に)ほぼ同じバージョンでステレオで録音し直す事もあった。例えば[[ビートルズ]]のレコードにはモノ録音、ステレオ録音(擬似ステに対し true stereo と言う)、擬似ステ、そしてステレオ録音を単に足したモノラル(擬似モノと言う事がある)のものが存在する。ビートルズの場合、さらに最新リマスター(リミックス)版が加わる。 1968年までにレコード会社の多くはモノラル盤の新譜発売をやめた(アメリカでのシングルのステレオ化は1970年代初頭)<ref>Sylvan Fox, "Disks Today: New Sounds and Technology Spin Long-Playing Record of Prosperity", ''The New York Times'', August 28, 1967, p. 35.</ref><ref>[http://ronpenndorf.com/labelography4.html RCA Victor Red Seal Labelography (1950–1967)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120111011131/http://ronpenndorf.com/labelography4.html |date=2012年1月11日 }}.</ref><ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=wAoEAAAAMBAJ&pg=PA1&redir_esc=y&hl=ja Mfrs. Strangle Monaural]", ''Billboard'', Jan. 6, 1968, p. 1.</ref>。 ==== ラジオ放送 ==== 1925年12月、[[ノーサンプトンシャー]]のダヴェントリーにある[[英国放送協会|BBC]]の試験放送局 5XX が世界初のステレオラジオ放送を行った。内容は[[ハミルトン・ハーティ]]指揮で[[マンチェスター]]で行われたコンサートである。右のチャンネルは[[長波]]の全国放送で、左のチャンネルは[[中波]]のローカル放送だった。BBCは1926年まで、ロンドンの 2LO とダヴェントリーの 5XX を使った実験を繰り返した。1958年にはロンドンで[[周波数変調|FM]]ステレオの試験放送が開始され、毎週土曜日の朝にテレビの音声と中波([[振幅変調|AM]])ラジオで両方のチャンネルを提供した。BBCのFMステレオの本放送は1962年8月28日に始まった。 1952年5月22日、[[シカゴ]]のAM[[ラジオ]]放送局 WGN([[周波数変調|FM]]局はWGNB)は1時間のステレオ試験放送を行った。1つのチャンネルをAM局で放送し、もう1つをFM局で放送する方式である<ref>W-G-N and WGNB to Unveil New 'Visual' Sound", ''The Chicago Tribune'', May 19, 1952, p. B-6.</ref>。ニューヨークのWQXRは1952年10月にステレオ放送を部分的に開始し、1954年には全ての音楽番組をステレオ放送にしている。こちらもAMとFMで左右のチャンネルを放送する方式である<ref>"News of TV and Radio", ''The New York Times'', Oct. 26, 1952, p. X-11. "Binaural Devices", ''The New York Times'', March 21, 1954, p. XX-9.</ref>。[[レンセラー工科大学]]は1952年11月、キャンパスにある2つのAM局を使って1週間のステレオ放送を行ったが、受信エリアはキャンパス内だけだった<ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=3y0DAAAAMBAJ&pg=PA20&redir_esc=y&hl=ja Binaural Music on the Campus]", ''Popular Science, April 1953, p. 20.</ref>。 (日本においても1954年11月13日からNHKのラジオ放送で「[[立体音楽堂]]」という番組枠として最初はAM波により、NHKラジオ第1を左チャンネル、ラジオ第2を右チャンネルに用いてステレオ放送を行った。  同番組のAM2波による放送は1964年4月4日までであり、1963年12月22日からはFMステレオ1波によるステレオ放送が開始して1966年4月2日まで放送された。) [[ファイル:Scott350.jpg|thumb|HH Scott Model 350(1961年頃)。アメリカ初のFMステレオチューナー]] [[ペンシルベニア州]][[ピッツバーグ]]のKDKA-FMは、1960年7月から8月にかけて、FMのみのステレオ放送システム6種類の比較試験を行った<ref>{{cite web |title= Commentary: Dick Burden on FM Stereo Revisited |url= http://www.rwonline.com/article/812 |date= February 1, 2007 |publisher= RADIOWORLD |accessdate=September 22, 2009}}</ref>。[[連邦通信委員会]]は1961年4月、ステレオ[[周波数変調|FM]]放送の技術規格を発表し、1961年6月1日、アメリカで初のステレオFM放送が正式にライセンスされることになった<ref>"Conversion to Stereo Broadcasts on FM is Approved by F.C.C.", ''The New York Times'', April 20, 1961, p. 67.</ref>。最初のステレオFM放送を行ったのは、シカゴのWEFMと[[スケネクタディ (ニューヨーク州)|スケネクタディ]]のWGFMである<ref>"Stereophonic FM Broadcast Begun by WEFM", ''The Chicago Tribune'', June 2, 1961, p. B-10.</ref> 。 ==== テレビ放送 ==== 1952年12月11日、ニューヨークの[[メトロポリタン歌劇場]]で演じられたオペラ『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』をケーブルテレビ方式で全米各地の劇場に放送し、それに[[RCA]]の開発したステレオ音響システムが使われた<ref>"Theater to Have Special Sound System for TV", ''Los Angeles Times'', Dec. 5, 1952, p. B-8.</ref>。1958年から1959年には、[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]ネットワークが75の受信エリアで音楽番組 ''The Lawrence Welk Show'' を何回か実験的にステレオで放送した。このときは一方のチャンネルをABCのAMラジオネットワークで放送した<ref>"A Television First! Welk Goes Stereophonic" (advertisement), ''Los Angeles Times'', September 10, 1958, p. A-7.</ref><ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=-QoEAAAAMBAJ&pg=PA23&redir_esc=y&hl=ja Dealers:—Lawrence Welk Leads in Stereo!]" (advertisement), ''Billboard'', Oct. 13, 1958, p. 23.</ref>。1958年10月21日、[[NBC]]も同じようにテレビとラジオのネットワークを使い、''The George Gobel Show'' という番組の中で3分間だけステレオ放送を行ったことがある<ref>"[https://books.google.co.jp/books?id=4AoEAAAAMBAJ&pg=PA37&redir_esc=y&hl=ja Expect Giant TV Stereo Audience]", ''Billboard'', Oct. 20, 1958, p. 12.</ref>。1959年1月30日、ABCは ''[[ディズニーランド (テレビ番組)|Walt Disney Presents]]'' の番組枠で ''The Peter Tchaikovsky Story'' のステレオ放送を実施した。これはディズニーのアニメ映画『[[眠れる森の美女 (アニメ映画)|眠れる森の美女]]』の場面を使ったもので、ABCはAM局とFM局を動員して左右の音声チャンネルを放送した。 1961年にFMステレオ放送が始まると、[[サイマル放送]]方式で音楽テレビ番組の音声をFMステレオで放送する例も出てきた<ref>例えば: Jack Gould, "TV: Happy Marriage With FM Stereo", ''The New York Times'', Dec. 26, 1967, p. 67.</ref>。1960年代から1970年代にそのような放送を行う場合、録画素材の音声を[[オープンリール]]テープにしてFM局に送り、手動で同期させていた。1980年代には[[衛星放送|放送衛星]]で番組を配信できるようになり、同期も自動化された。サイマル方式のステレオテレビ放送は[[連邦通信委員会|FCC]]が [[:en:Multichannel television sound|MTS stereo]] を承認するまで行われていた。 [[ケーブルテレビ]]は MTS stereo が普及するまで複数の周波数を使ってステレオ番組を提供していた。ステレオケーブル放送をいち早く採用したのは [[:en:The Movie Channel|The Movie Channel]] だが、ステレオ放送を最も多用したのは[[MTV]]である。 日本では、1978年に[[日本放送協会|NHK]]と[[日本テレビ放送網]]が[[音声多重放送]]の実験放送を開始し<ref name="Japan's Stereo TV System">"[http://www.nytimes.com/1984/06/16/business/japan-s-stereo-tv-system.html Japan's Stereo TV System]", ''The New York Times'', June 16, 1984.</ref>、同年10月より前述の2局に加えて[[TBSテレビ]]、[[フジテレビジョン]]、[[テレビ朝日]]及び一部地域を除く系列局が、また同年12月下旬に東京12チャンネル(現・[[テレビ東京]])がステレオ放送の本放送を開始した{{Efn|[http://www.terramedia.co.uk/Chronomedia/years/1982.htm Chronomedia: 1982].Chronomediaには1982年12月10日が日本のテレビがステレオ放送の本放送開始日と記述されており、それ以前の約4年2ヵ月間を試験放送とみなしているなど、諸説ある。}}。テレビアニメでは『[[ルパン三世 (TV第2シリーズ)]]』第99話似て初めてステレオ音源が使用された。1984年には、番組の12%、時間にして一週間のうち14時間から15時間が音声多重放送となっている。テレビ放送のステレオ化は、番組よりもコマーシャル放送のほうが先行し、1980年代末にはほぼ全てのコマーシャル放送がステレオになった。それを利用ししてタイマー録画においてコマーシャルを自動的にカットする機能が、1990年代初頭に販売されたビデオデッキに搭載された事がある。 [[西ドイツ]]では1984年、[[第2ドイツテレビ]]がステレオ番組の放送を開始した<ref name="Japan's Stereo TV System"/>。 アメリカでは、1984年に '''MTS'''(Multichannel Television Sound) が[[連邦通信委員会|FCC]]によって[[標準化]]された。[[NTSC]]フォーマットの音声[[搬送波]]に3つの音声チャンネルを追加で符号化する技法である。1984年6月26日、NBCが部分的にこれを使ったステレオ放送を開始した(ただし、ニューヨーク局のみ)<ref>Peter W. Kaplan, "TV Notes", ''New York Times'', July 28, 1984, sec. 1, p. 46.</ref>。定期的なステレオ放送は1985年になってからである。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[サラウンド]] * [[振幅変調]] :[[AMステレオ放送]] * [[周波数変調]] :[[テレビ]]・[[ラジオ#FMラジオ|FM放送]]におけるステレオ放送方式はこちらを参照。 * [[音声多重放送]] * [[音響機器]] * [[バイノーラル録音]] * [[M/Sプロセッシング]] * [[映像機器]] * [[セパレート型ステレオ]] *[[デュオフォニック]] == 外部リンク == * [https://www.youtube.com/watch?v=QlagwjphwXA Stereo before there was stereo: 1950s Cook Binaural records] YouTube 画像。独立のレコードの溝2つをつかうバイノーラルレコードを紹介している。 {{Normdaten}} {{デフォルトソート:すてれお}} [[Category:ステレオ|*]] [[category:音響機器]] [[category:音響工学]]
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朝食
朝食()とは、睡眠から目覚めたのち、朝に取る最初の食事。朝餉()、朝飯()、朝御飯()とも。 英語の「Breakfast」(ブレックファスト)は「朝食」と訳されることが多いが、これは「夜間の断食(fast)期間を破る」という意味である。 朝食を摂るまでもなく簡単に済ませられるぐらい容易なことを「朝飯前」と呼んだりする。起床してから朝食を摂るまでの時間が比較的短いことから、「その間に済ませられるぐらい容易なこと」という意味である。 英語の「Dinner」(ディナー)は古フランス語「Disner」(「ディーニー」)からの借用であり、これはもともと「断食すること」の意味であった。13世紀半ばにその意味が変わるまでは、「その日(の朝)に取る最初の食事」を意味していた。 「Breakfast」が「朝に取る食事」を意味する「Dinner」からの翻訳借用の言葉として英語で使われるようになったのは15世紀以降のことであり、これは「夜間の断食期間を破る」という意味であった。 古英語においては、この単語は「Morgenmete」(「モルゲンメーテ」)、すなわち「朝に食べる食べ物」を意味していた。 朝食の一覧も併せて参照されたい。 パン(バゲットまたはクロワッサン)や、加工穀類、 飲み物やカフェ・オ・レ、コーヒー。パンにはジャムやバターを添えることがある。 パン(多くライ麦の入った酸味のあるものが好まれる)・コーヒー・ヴルスト(ソーセージ)・ハム。果物を摂ることもある。コーヒーでなく、紅茶や野菜ないし果物ジュース・麦芽を溶いたミルクを好むものもある。火を使わないものを並べる。これを「カルトエッセン」と呼び、夕食にも食される。 ドイツ料理には、「バウエルンフリュシュトゥーク」(Bauernfrühstück) (「農夫の朝食」)と呼ばれるジャガイモ料理があるが、これが朝食に食べられることはない。「農夫のように肉体労働をする人なら、朝食に食べるかもしれないが」という意味合いで、実際にはブランチ、もしくは昼食に食べられるものである。 「イングリッシュ・ブレックファスト(English Breakfast)や「アメリカン・ブレックファスト」(American Breakfast)と呼び、ヨーロッパ大陸で見られる簡素な食事を「大陸風朝食」(Continental Breakfast)と呼ぶ。 18世紀以前は他の大陸諸国と同じく簡素な食事だったが、産業革命期に現在の英国風朝食のスタイルが生じてきた。 ベーコン、卵料理(通常は目玉焼き)を基本とし、英国風ソーセージ、マッシュルームのソテー、焼きトマト、 ブラック・プディング(豚の血で作った黒ソーセージ)、ベイクド・ビーンズ(豆の煮物)にバターやジャムを塗ったトースト、揚げパンとミルク付きの紅茶を添えるが、簡素な加工穀類やトーストで済ませる者もいる。連合王国全体においては、イングランド以外でも同様の朝食をとる食習慣があるが、スコットランドではこのような朝食を「スコティッシュ・ブレックファスト」(Scottish Breakfast)と呼ぶ。 隣国のアイルランドでもそのような朝食をとるが、これは「アイリッシュ・ブレックファスト」(Irish Breakfast)と呼ばれる。 地域によって異なるが、概ね粥、麺、饅頭(マントウ)が多い。粥には「油条」(揚げパンの一種)が供される場合がある。香港では「港式早餐」と呼ばれる卵料理、ハムやソーセージ、トーストとマカロニ、ビーフン、あるいはインスタントラーメンが入ったスープを組み合わせたものが茶餐廳で提供されている。 平安時代の天皇は、巳の刻(『寛平御遺誡』)、南北朝時代では午の刻(『建武年中行事』)、江戸時代では卯の刻に身を清め神仏を拝んだ後、辰の刻朝五ツ半(9時頃)に朝食を摂った。一方、近世の征夷大将軍は辰の刻朝五ツ(8時頃)に朝食を摂っており、天皇より早めの朝食を摂っていた。 アメリカ合衆国においては様々な形態の朝食が並立している。移民たちがそれぞれの出身国の伝統を持ち込んでいることに加え、アメリカの大地で生み出された新たな選択肢も加わる。出身国で見られる朝食を取る家庭も相当数ある。イギリス系の人々はイギリス風の、ドイツ系の人々はドイツ風の、中国系の人々は中国風の朝食を摂る。 トースト、 シリアル、 卵料理 、ベーコン、 ハム、 ソーセージ、 パンケーキ、 ワッフル、 フレンチトースト、 ドーナツ、 マフィン、 ベーグル、 果物、ハッシュドポテト、コーンビーフハッシュ、これらを好みで選択する。 ホテルで提供される朝食においては、パン、ベーコン、 ハム、 ソーセージ、各種卵料理が多い。 日本の旅館では、和風朝食の標準的な献立を中心に、客間で客それぞれに配膳する、いわゆる「部屋食」が正式な給仕法であるが、食堂でビュッフェ形式の朝食を提供する機会が多くなった。 ホテルにおいては、洋風と日本風の料理が混在している場合が多い。食事無し・素泊まりの宿泊を提供するホテルでも、簡素なパンや飲み物をサービスとして提供するホテルもある。 イギリスにおいては、イギリス式とアメリカ式、いずれかの様式が選べるホテルもある。 日本国内の飲食店においては、早朝から営業開始し、朝食を提供している店もある。典型例として、喫茶店で提供されるモーニングサービス(和製英語。「モーニングセット」「モーニング」と呼ばれることもある)が挙げられる。ファーストフード店やファミリーレストランが時間限定でのメニューを提供しており、マクドナルドの朝マックや牛丼屋のチェーン店が提供しているものもこれにあたる。 大学が学生食堂で朝食を格安や無料で提供している例もある(東北大学や宮城教育大学)。早起きして学生食堂に来た学生にだけ格安で提供するパターンや、運動競技の強化選手指定を受けている学生に対して、(十分な栄養を摂取し、良い成績を残すことを期待して)無料で提供している。 交通機関においても朝食が提供されることがある。宿泊設備を備えた船舶や列車(寝台列車や長距離フェリー)で提供されるのが一般的であるが、一般の特急列車でも、朝の通勤時に列車内で食べられるような朝食用の駅弁が販売される場合がある(高崎駅での上州の朝がゆ)。東海道新幹線では、朝8時30分までに東京駅、名古屋駅、新大阪駅を発車する列車内において、サンドイッチとコーヒーをセットにしたものが車内販売されている。航空では、国際線の機内食で朝食を提供する場合もあり、その内容は航空会社ごとに様々である。 福島県喜多方市においては朝食にラーメンを食べる習慣があり、「朝ラー」という言葉で新聞にもとりあげられた。 肥満や糖尿病に悩む人に向けて開設された『ダイエット・ドクター』(Diet Doctor)の最高経営責任者でスウェーデンの医師、アンドゥリーアス・イーエンフェルト(Andreas Eenfeldt)は「空腹で、何かを食べたくてたまらないのであれば、朝食を取ればいい。空腹でないのなら、朝食を取る必要は無い。朝食を取らずとも何の弊害も起こらない。朝食を取らないことで体重が増える心配は無い」「絶食すると、インスリン(Insulin)の濃度が上がる、という主張もあるが、これは明らかに間違っている。空腹時のヒトのインスリンの濃度は極めて低い」「断食は血圧を上昇させる、という主張があるが、実際には、眠りから目覚めたあとに何も食べずにいると、血圧は低いままである」と述べ、「朝食を取るべきか否か、ではなく、空腹のときに食べなさい」と奨めている。 空腹時や絶食状態の時は、血漿遊離脂肪酸の比率が増加し、脂肪分解率の上昇が確認されている。
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朝食とは、睡眠から目覚めたのち、朝に取る最初の食事。朝餉、朝飯、朝御飯とも。 英語の「Breakfast」(ブレックファスト)は「朝食」と訳されることが多いが、これは「夜間の断食(fast)期間を破る」という意味である。 朝食を摂るまでもなく簡単に済ませられるぐらい容易なことを「朝飯前」と呼んだりする。起床してから朝食を摂るまでの時間が比較的短いことから、「その間に済ませられるぐらい容易なこと」という意味である。
{{出典の明記|date= 2021年1月23日 (土) 06:25 (UTC)}} [[File:Full English breakfast.jpg|thumb|full English breakfast]] {{食事}} {{読み仮名|'''朝食'''|ちょうしょく}}とは、[[睡眠]]から目覚めたのち、[[朝]]に取る最初の[[食事]]<ref>{{Cite web|url = http://www.thefreedictionary.com/breakfast |title = Breakfast – definition of breakfast|publisher=Free Online Dictionary, Thesaurus and Encyclopedia |date = 2012 |access-date = 28 March 2012 }}</ref>。{{読み仮名|朝餉|あさげ}}、{{読み仮名|朝飯|あさめし}}、{{読み仮名|朝御飯|あさごはん}}とも。 [[英語]]の「''Breakfast''」(ブレックファスト)は「朝食」と訳されることが多いが、これは「夜間の[[断食]](fast)期間を破る」という意味である<ref name = "Anderson1-2013" >Anderson, Heather Arndt (2013). [https://books.google.com/books?id=5LghYCqDJw8C&printsec=frontcover#v=onepage&q&f=false ''Breakfast: A History'']. AltaMira Press. {{ISBN2|0759121656}}</ref>。 朝食を摂るまでもなく簡単に済ませられるぐらい容易なことを「朝飯前」と呼んだりする。起床してから朝食を摂るまでの時間が比較的短いことから、「その間に済ませられるぐらい容易なこと」という意味である<ref>{{Cite book|和書|title=広辞苑 第四版|editor=新村出|publisher=[[岩波書店]]|page=38|year=1991|isbn=4000801015}}</ref>。 == 英語圏における「''Breakfast''」の意味と変遷 == [[英語]]の「''Dinner''」(ディナー)は[[古フランス語]]「''Disner''」(「ディーニー」)からの借用であり、これはもともと「[[断食]]すること」の意味であった。[[13世紀]]半ばにその意味が変わるまでは、「その[[日]](の[[朝]])に取る最初の[[食事]]」を意味していた<ref>{{Cite book |last= Albala |first= Ken |title = Hunting for Breakfast in Medieval and Early Modern Europe |year = 2002 |location = Devon, UK }}</ref>。 「''Breakfast''」が「朝に取る食事」を意味する「''Dinner''」からの翻訳借用の言葉として英語で使われるようになったのは[[15世紀]]以降のことであり、これは「夜間の断食期間を破る」という意味であった<ref name = "Anderson1-2013" />{{rp|6}}。 [[古英語]]においては、この単語は「''Morgenmete''」(「モルゲンメーテ」)、すなわち「朝に食べる食べ物」を意味していた<ref>{{cite web |url = http://www.etymonline.com/index.php?allowed_in_frame=0&search=breakfast&searchmode=none | title = Breakfast |publisher = Etymonline.com |access-date =0 February 2, 2013 }}</ref>。 == 各地域における朝食 == [[朝食の一覧]]も併せて参照されたい。 === ヨーロッパ === ==== フランス ==== [[パン]]([[バゲット]]または[[クロワッサン]])や、[[シリアル食品|加工穀類]]、 飲み物や[[カフェ・オ・レ]]、[[コーヒー]]。パンには[[ジャム]]や[[バター]]を添えることがある。 ==== ドイツ ==== [[パン]](多く[[ライ麦]]の入った酸味のあるものが好まれる)・[[コーヒー]]・[[ヴルスト]]([[ソーセージ]])・[[ハム]]。果物を摂ることもある。コーヒーでなく、紅茶や[[野菜]]ないし果物[[ジュース]]・[[麦芽]]を溶いたミルクを好むものもある。火を使わないものを並べる。これを「カルトエッセン」と呼び、夕食にも食される。 [[ドイツ料理]]には、「バウエルンフリュシュトゥーク」(''Bauernfrühstück'') (「[[農夫の朝食]]」)と呼ばれる[[ジャガイモ]]料理があるが、これが朝食に食べられることはない。「農夫のように肉体労働をする人なら、朝食に食べるかもしれないが」という意味合いで、実際にはブランチ、もしくは昼食に食べられるものである。 ==== イギリス・アイルランド ==== [[File:British breakfast.jpg|200px|thumb|ブリティッシュ・ブレックファストの一例]] 「[[フル・ブレックファスト|イングリッシュ・ブレックファスト]](''English Breakfast'')や「アメリカン・ブレックファスト」(''American Breakfast'')と呼び、[[ヨーロッパ大陸]]で見られる簡素な食事を「大陸風朝食」(''Continental Breakfast'')と呼ぶ。 [[18世紀]]以前は他の大陸諸国と同じく簡素な食事だったが、産業革命期に現在の英国風朝食のスタイルが生じてきた。 [[ベーコン]]、[[卵料理]](通常は[[目玉焼き]])を基本とし、英国風[[ソーセージ]]、[[マッシュルーム]]の[[ソテー]]、焼き[[トマト]]、 ブラック・プディング([[ブラッドソーセージ|豚の血で作った黒ソーセージ]])、ベイクド・ビーンズ([[豆]]の煮物)にバターやジャムを塗った[[トースト]]、揚げパンと[[牛乳|ミルク]]付きの[[紅茶]]を添えるが、簡素な加工穀類やトーストで済ませる者もいる。連合王国全体においては、[[イングランド]]以外でも同様の朝食をとる食習慣があるが、[[スコットランド]]ではこのような朝食を「スコティッシュ・ブレックファスト」(''Scottish Breakfast'')と呼ぶ。 隣国の[[アイルランド]]でもそのような朝食をとるが、これは「アイリッシュ・ブレックファスト」(''Irish Breakfast'')と呼ばれる。 === アジア === ==== 中国大陸・香港・台湾 ==== 地域によって異なるが、概ね[[粥]]、[[麺]]、[[饅頭]](マントウ)が多い。粥には「[[油条]]」(揚げパンの一種)が供される場合がある。[[香港]]では「港式早餐」と呼ばれる[[卵料理]]、[[ハム]]や[[ソーセージ]]、[[トースト]]と[[マカロニ]]、[[ビーフン]]、あるいは[[インスタントラーメン]]が入った[[スープ]]を組み合わせたものが[[茶餐廳]]で提供されている。 ==== 日本 ==== [[平安時代]]の[[天皇]]は、[[巳の刻]](『[[寛平御遺誡]]』)、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]では[[午の刻]](『[[建武年中行事]]』)、江戸時代では[[卯の刻]]に身を清め神仏を拝んだ後、[[辰の刻]]朝五ツ半(9時頃)に朝食を摂った<ref>『図解!江戸時代』 ([[三笠書房]]、[[2015年]]) p.130.</ref>。一方、近世の[[征夷大将軍]]は辰の刻朝五ツ(8時頃)に朝食を摂っており<ref>『図解!江戸時代』(三笠書房、2015年(平成27年)) p.133.</ref>、天皇より早めの朝食を摂っていた。 === 北アメリカ === ==== アメリカ合衆国 ==== [[アメリカ合衆国]]においては様々な形態の朝食が並立している。移民たちがそれぞれの出身国の伝統を持ち込んでいることに加え、アメリカの大地で生み出された新たな選択肢も加わる。出身国で見られる朝食を取る家庭も相当数ある。[[イギリス系アメリカ人|イギリス系]]の人々はイギリス風の、[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ系]]の人々はドイツ風の、[[中国系アメリカ人|中国系]]の人々は中国風の朝食を摂る。 [[トースト]]、 [[シリアル食品|シリアル]]、 [[卵料理]] 、[[ベーコン]]、 [[ハム]]、 [[ソーセージ]]、 [[ホットケーキ|パンケーキ]]、 [[ワッフル]]、 [[フレンチトースト]]、 [[ドーナツ (菓子)|ドーナツ]]、 [[マフィン]]、 [[ベーグル]]、 [[果物]]、[[ハッシュドポテト]]、[[コーンビーフハッシュ]]、これらを好みで選択する。 == ギャラリー == <gallery widths="140px"> 画像:Petit dejeuner.jpg|[[フランス]]での典型的な朝食<br/>[[カフェオレ]] + [[クロワッサン]](あるいは[[バゲット]])。この写真では飲み物がコップに入っているが、フランスの家庭ではボウル状の器でカフェオレを飲む人も多い。 画像:English american breakfast.jpg|[[イギリス]](やアメリカ)での典型的な朝食の一種。[[目玉焼き]] + [[ベーコン]]・[[ソーセージ]]類 + 焼き[[トマト]]。 画像:AmCountryBreakfast.JPG|この[[写真]]はアメリカの[[田舎]]で見られる朝食の一例である。[[現代 (時代区分)|現代風]]の[[ワッフル]] + グレープフルーツ。 画像:Palestine breakfast.jpg|[[パレスチナ]]の典型的な朝食。[[ピタ]](パンの一種)+ labaneh(クリーミーなチーズにオリーブオイルをかけたもの)。 画像:Chinese rice congee.jpg|[[中華人民共和国|中国]]や[[台湾]]で見られる典型的な朝食。お粥に漬物の朝食。 画像:Tamagokake-gohan.JPG|日本での朝食の一例。[[卵かけご飯]]。 画像:Toast.jpg|「[[食パン]]」を付けた朝食。 画像:Breakfast at Tamahan Ryokan, Kyoto.jpg|日本の[[旅館]]での朝食の一例。 画像:Breakfast of Champions.jpg|シリアル類。写真は[[コーンフレーク]]に[[牛乳]]をかけたもの。 </gallery> == 宿泊施設での朝食 == [[ホテル]]で提供される朝食においては、[[パン]]、[[ベーコン]]、 [[ハム]]、 [[ソーセージ]]、各種卵料理が多い。 [[画像:Kyoto Breakfast.jpg|thumb|160px|right|[[京都]]の旅館での朝食。「部屋食」と呼ばれる]] [[日本]]の[[旅館]]では、和風朝食の標準的な献立を中心に、客間で客それぞれに[[配膳]]する、いわゆる「部屋食」が正式な給仕法であるが、食堂で[[ビュッフェ]]形式の朝食を提供する機会が多くなった。 ホテルにおいては、洋風と日本風の料理が混在している場合が多い<ref name = "FCJ" >{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=Ley_r5VldNUC&q=breakfast+japan&pg=PA119|title=Food culture in Japan|last1=Ashkenazi|first1=Michael|last2=Jacob|first2=Jeanne|year=2003|isbn=9780313324383|pages=119–20}}</ref>。食事無し・素泊まりの宿泊を提供するホテルでも、簡素なパンや飲み物をサービスとして提供するホテルもある。 [[イギリス]]においては、イギリス式とアメリカ式、いずれかの様式が選べるホテルもある。 == 日本の飲食店や各種施設等での朝食提供 == [[ファイル:Café na fazenda (1), N.ELAC.jpg|サムネイル|ブラジルの朝食]] ; 飲食店 日本国内の[[飲食店]]においては、早朝から営業開始し、朝食を提供している店もある。典型例として、喫茶店で提供される[[モーニングサービス]]([[和製英語]]。「モーニングセット」「モーニング」と呼ばれることもある)が挙げられる。[[ファーストフード]]店や[[ファミリーレストラン]]が時間限定でのメニューを提供しており、[[マクドナルド]]の[[朝マック]]や[[牛丼]]屋のチェーン店が提供しているものもこれにあたる。 {{main|モーニングサービス}} ; 教育施設 [[大学]]が[[学生食堂]]で朝食を格安や無料で提供している例もある([[東北大学]]や[[宮城教育大学]])。早起きして学生食堂に来た学生にだけ格安で提供するパターンや、運動競技の強化選手指定を受けている学生に対して、(十分な栄養を摂取し、良い成績を残すことを期待して)無料で提供している。 ; 交通機関 [[交通機関]]においても朝食が提供されることがある。宿泊設備を備えた[[船舶]]や[[列車]]([[寝台列車]]や長距離[[フェリー]])で提供されるのが一般的であるが、一般の特急列車でも、朝の通勤時に列車内で食べられるような朝食用の[[駅弁]]が販売される場合がある([[高崎駅]]での[[高崎弁当#上州の朝がゆ|上州の朝がゆ]])。[[東海道新幹線]]では、朝8時30分までに[[東京駅]]、[[名古屋駅]]、[[新大阪駅]]を発車する列車内において、[[サンドイッチ]]と[[コーヒー]]をセットにしたものが[[車内販売]]されている。航空では、国際線の[[機内食#朝食|機内食]]で朝食を提供する場合もあり、その内容は航空会社ごとに様々である。 ; 特定地域の珍しい習慣 [[福島県]][[喜多方市]]においては朝食に[[ラーメン]]を食べる習慣があり、「[[朝ラー]]」という言葉で新聞にもとりあげられた<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/komimi/TKY200708290069.html|title=「朝ラー」大入り 喜多方|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2007-09-09|accessdate=2021-01-23}} {{ja icon}}</ref>。 {{main|朝ラーメン}} == 朝食の有無と健康への影響 == [[肥満]]や[[糖尿病]]に悩む人に向けて開設された『ダイエット・ドクター』(''Diet Doctor'')の最高経営責任者で[[スウェーデン]]の医師、[[アンドゥリーアス・イーエンフェルト]](''Andreas Eenfeldt'')は「空腹で、何かを食べたくてたまらないのであれば、朝食を取ればいい。空腹でないのなら、朝食を取る必要は無い。朝食を取らずとも何の弊害も起こらない。朝食を取らないことで体重が増える心配は無い」「絶食すると、[[インスリン]](''Insulin'')の濃度が上がる、という主張もあるが、これは明らかに間違っている。空腹時のヒトのインスリンの濃度は極めて低い」「[[断食]]は血圧を上昇させる、という主張があるが、実際には、眠りから目覚めたあとに何も食べずにいると、血圧は低いままである」と述べ、「朝食を取るべきか否か、ではなく、空腹のときに食べなさい」と奨めている<ref>{{Cite web |url = https://www.dietdoctor.com/skipping-breakfast-deadly |title = Is Skipping Breakfast Deadly? |author = Dr. Andreas Eenfeldt, MD |date = 29 December 2013 |website = dietdoctor.com |archive-url = https://web.archive.org/web/20140101003307/https://www.dietdoctor.com/skipping-breakfast-deadly |archive-date = 1 January 2014 |accessdate = 7 March 2021 }}</ref>。 空腹時や絶食状態の時は、血漿[[遊離脂肪酸]]の比率が増加し、脂肪分解率の上昇が確認されている<ref>[https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3152802/ Adipose Triglyceride Lipase and Hormone-Sensitive Lipase Are Involved in Fat Loss in JunB-Deficient Mice] Montserrat Pinent, Andreas Prokesch, Hubert Hackl, Peter J. Voshol, Ariane Klatzer, Evelyn Walenta, Ute Panzenboeck, Lukas Kenner, Zlatko Trajanoski, Gerald Hoefler, and Juliane G. Bogner-Strauss. Endocrinology. 2011 Jul; 152(7): 2678–2689. Published online 2011 May 3. {{PMID|21540289}} {{doi|10.1210/en.2010-1477}}</ref>。 == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons|Breakfast}} * [[朝食の一覧]] * [[食事]] * [[昼食]] * [[夕食]] * {{ill2|早餐店|zh|早餐店}} ‐ アジアにみられる朝食専門屋台・レストラン。 {{料理}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちようしよく}} [[Category:朝食|*]]
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野尻抱介
野尻 抱介(のじり ほうすけ、1961年 –)は、日本の小説家、SF作家。ハンドルネームは尻P。宇宙作家クラブ会員。 1961年、三重県生まれ。当初は計測制御・CADプログラマーやゲームデザイナーとして働いていた。1990年、ゲーム制作会社「ホビー・データ」の設立に参加。同社が運営するプレイバイメールのゲーム管理者(マスター)の一人として活動する。1992年、同社のプレイバイメール『クレギオン』のノベライズ『ヴェイスの盲点』を上梓し、作家デビュー。以後、宇宙を題材にしたSFを書き続ける。それらの著作が評価され、星雲賞の日本短編部門を5回、日本長編部門を2回受賞している。野尻抱影のファンで、ペンネームも彼に由来している。 ハードSF的傾向の強い作品が多い。例えば「クレギオン」シリーズは太陽系外惑星を主な舞台としており、巻ごとにまったく異なる性質の惑星を登場させて惑星物理学がストーリーの根幹に大きく関わっている。「ロケットガール」シリーズでは、有人ロケット打ち上げの技術的問題を正面から扱っている(女子高生が宇宙に飛び出すのにも、軽い体重という厳然たる物理学的根拠がある、という設定である)。 正義や友情でなく心の優しさを前面においたスペースオペラというコンセプト(アンクスの海賊あとがきより)による処女作。 銀河を駆けめぐる零細運送会社・ミリガン運送。社長のロイド以下、凄腕の女性パイロット・マージと新米ナビゲーターのメイの2人しか社員のいない零細企業である。持ち舟はかなりガタのきた恒星間宇宙船アルフェッカ号一艘のみ。金銭と野望のためなら明日のことは一切考えないロイドが引き起こす騒動に巻き込まれ、不平を垂れつつマージとメイはアルフェッカ号を操り数々の惑星を冒険する...(富士見ファンタジア文庫→ハヤカワ文庫JAより再刊) 女子高生・森田ゆかりは、むかしハネムーン先で失踪した父親を探しているうちにひょんなことから宇宙開発団体「ソロモン宇宙協会」の宇宙飛行士として強引に採用されてしまった。ロケットを打ち上げる際の質量比の問題から宇宙飛行士の体重を削らざるを得ず、彼女は軽い体重を見込まれて宇宙飛行士として大気圏外に飛び立つことになったのだ。(富士見ファンタジア文庫) 海洋惑星ピニェルに博物商の交易船が着陸した。その宇宙船には、画工・モニカという美少女が乗っていた。主人公・スタンは交易船に商品を売り込みに行って、そこでモニカに一目惚れ、交易船に密航してしまう。シリーズ作品と銘打っているものの、まだ第1巻しか出ていない。(ソノラマ文庫) 本人はニコニコ動画ユーザーとしても知られ(ニコニコ動画においてはファンが命名した「尻P」というハンドルネームで活動)、動画を何本か投稿している。 投稿する動画はボーカロイドに関連したものが多く自身「初音ミクはSFである」という持論を主張している。第40回星雲賞では「ニコニコ動画」をモデルにした作品『南極点のピアピア動画』が日本短編部門を受賞した。 『そらのおとしもの』を題材にした羽ばたき飛行機『空飛ぶパンツ』の監修も担当。クエスチョナーズより商品化もされた。 「ロケットガール」の名を冠した文部科学省女子中高生理系進路選択支援事業「ロケットガール養成講座」が秋田大学にて2006年12月より開講(~2007年3月下旬)。ロケットガール養成講座によるハイブリッドロケット製作、打ち上げを抱介はたびたび訪れた。
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野尻 抱介は、日本の小説家、SF作家。ハンドルネームは尻P。宇宙作家クラブ会員。
{{存命人物の出典明記|date=2014年4月8日 (火) 04:50 (UTC)}} {{Infobox 作家 | name = {{ruby|野尻 抱介|のじり ほうすけ}} | image = | imagesize = | caption = | pseudonym = 尻P | birth_name = | birth_date = [[1961年]] | birth_place = {{Flagicon|JPN}} [[三重県]] | death_date = | death_place = | occupation = [[小説家]] | nationality = | period = [[1992年]] - | genre = [[SF小説]] | subject = | movement = | notable_works = 『[[ロケットガール]]』([[1995年]])<br />『[[天使は結果オーライ]]』([[1996年]])<br />『[[私と月につきあって]]』([[1999年]])<br />『太陽の簒奪者』([[2002年]]) | awards = [[星雲賞]]日本短編部門<br />([[2000年]]、[[2007年]]、[[2008年]]、[[2009年]])<br />星雲賞日本長編部門<br />(2002年、[[2003年]]) | debut_works = 『[[ヴェイスの盲点|ヴェイスの盲点――クレギオン]]』<br />(1992年) | spouse = | partner = | children = | relations = | influences = | influenced = | signature = | website = [http://njb.virtualave.net/web/ 野尻抱介リファレンス・マニュアル] <!--| footnotes = --> }} {{読み仮名_ruby不使用|'''野尻 抱介'''|のじり ほうすけ|1961年 – }}は、[[日本]]の[[小説家]]、[[SF作家]]。[[ハンドルネーム]]は'''尻P'''。[[宇宙作家クラブ]]会員。 == 概要 == 1961年、[[三重県]]生まれ。当初は計測制御・[[CAD]][[プログラマー]]や[[ゲームデザイナー]]として働いていた。[[1990年]]、ゲーム制作会社「[[ホビー・データ]]」の設立に参加。同社が運営する[[プレイバイメール]]の[[ゲームマスター|ゲーム管理者(マスター)]]の一人として活動する。[[1992年]]、同社のプレイバイメール『[[クレギオン]]』のノベライズ『[[ヴェイスの盲点]]』を上梓し、作家デビュー。以後、宇宙を題材にした[[サイエンス・フィクション|SF]]を書き続ける。それらの著作が評価され、[[星雲賞]]の日本短編部門を5回、日本長編部門を2回受賞している。[[野尻抱影]]のファンで、ペンネームも彼に由来している。[http://njb.virtualave.net/nmain0212.html#nmain20060825223330] == 作風 == <!-- {{要出典}} -->[[ハードSF]]的傾向の強い作品が多い。例えば「クレギオン」シリーズは[[太陽系外惑星]]を主な舞台としており、巻ごとにまったく異なる性質の惑星を登場させて[[惑星物理学]]がストーリーの根幹に大きく関わっている。「ロケットガール」シリーズでは、有人[[ロケット]]打ち上げの技術的問題を正面から扱っている(女子高生が宇宙に飛び出すのにも、軽い体重という厳然たる物理学的根拠がある、という設定である)。 == 作品 == ===「クレギオン」シリーズ=== {{See also|クレギオン#小説版}} 正義や友情でなく心の優しさを前面においた[[スペースオペラ]]というコンセプト(アンクスの海賊あとがきより)による処女作。 銀河を駆けめぐる零細運送会社・ミリガン運送。社長のロイド以下、凄腕の女性パイロット・マージと新米ナビゲーターのメイの2人しか社員のいない零細企業である。持ち舟はかなりガタのきた恒星間宇宙船アルフェッカ号一艘のみ。金銭と野望のためなら明日のことは一切考えないロイドが引き起こす騒動に巻き込まれ、不平を垂れつつマージとメイはアルフェッカ号を操り数々の惑星を冒険する…([[富士見ファンタジア文庫]]→[[ハヤカワ文庫]]JAより再刊) # ヴェイスの盲点 # フェイダーリンクの鯨 # アンクスの海賊 # サリバン家のお引越し # タリファの子守歌 # アフナスの貴石 # ベクフットの虜 === 「ロケットガール」シリーズ === 女子高生・森田ゆかりは、むかしハネムーン先で失踪した父親を探しているうちにひょんなことから宇宙開発団体「ソロモン宇宙協会」の宇宙飛行士として強引に採用されてしまった。ロケットを打ち上げる際の質量比の問題から宇宙飛行士の体重を削らざるを得ず、彼女は軽い体重を見込まれて宇宙飛行士として大気圏外に飛び立つことになったのだ。(富士見ファンタジア文庫) {{Main|ロケットガール}} # 女子高生、リフトオフ! # 天使は結果オーライ # 私と月につきあって # 魔法使いとランデヴー * [[マギウス#その他の原作もの|ロケットガールRPG]]([[富士見ドラゴンブック]]) - 著者当人のゲームデザインによる[[テーブルトークRPG]] ===「銀河博物誌」シリーズ=== 海洋惑星ピニェルに博物商の交易船が着陸した。その宇宙船には、画工・モニカという美少女が乗っていた。主人公・スタンは交易船に商品を売り込みに行って、そこでモニカに一目惚れ、交易船に密航してしまう。シリーズ作品と銘打っているものの、まだ第1巻しか出ていない。([[ソノラマ文庫]]) * ピニェルの振り子 ===単発作品=== ; ふわふわの泉([[ファミ通文庫]]、のちハヤカワ文庫)ISBN 978-4757704053/ISBN 978-4-15-031074-5 : 浜松西高校で化学部の部長を務める天才少女・浅倉泉は、文化祭の展示物質を生成しようと化学実験を行っているうちにとんでもないものを発明してしまった。[[ダイヤモンド]]よりも硬く、中空構造で[[空気]]よりも軽いというまさに夢の物質である。「ふわふわ」と名付けられたこの物質は[[立方晶窒化炭素]]といい、ダイヤモンドの炭素が一部窒素に置換されたもので緊密な結晶構造からダイヤモンドをしのぐ硬度を持つ。泉の発明した「ふわふわ」は中空構造となっており内部が真空のため、全体としての比重は空気よりも軽くできあがっていた。ふわふわの大量生産技術を手に入れた泉はこれで一儲けをたくらみ、[[マスドライバー]]建設の夢を突き進む。なおタイトルはアーサー・C・クラークの『楽園の泉』を意識した命名で、主人公の名前もアーサー・C・クラークのもじりである。サブ主人公の昶も崩せば泉という字になるが、作者によればこちらは意図していなかった偶然らしい。 ; 太陽の簒奪者([[早川書房|ハヤカワ]]SFシリーズ Jコレクション) : 近未来のある日、水星の地表から突然鉱物資源が舞い上げられ太陽を取り巻く直径数千万kmのリングが形成された。[[ダイソン球]]のように太陽を取り囲むそのリングは地球から日照を奪い、人類文明の破滅の危機に陥る。リングを建造したのは何者か?そして何の目的で人類から太陽を奪おうというのか?科学者である白石亜紀は、人生を賭けてこの謎に挑みかける。短編版と長編版の双方で星雲賞を獲得した、抱介の代表作である。[[2005年]]3月、[[ハヤカワ文庫]]JAで文庫化された。また[[2006年]]5月、NHK-FM『[[青春アドベンチャー]]』でラジオドラマ化もされた。 ; 沈黙のフライバイ(ハヤカワ文庫 JA879) ISBN 978-4-15-030879-7 : SF短編集。 :# 沈黙のフライバイ(SFオンライン 1998年11月号) :# 轍の先にあるもの([[SFマガジン]] 2001年5月号) :# 片道切符(SFマガジン 2002年2月号) :# ゆりかごから墓場まで(書き下ろし) :# 大風呂敷と蜘蛛の糸(SFマガジン 2006年4月号) : ; 太陽の浮気者(ロマンアルバム ギャラクシーエンジェルレシピブック) : TVアニメ『[[ギャラクシーエンジェル]]』のムックのために書き下ろされた短編。主人公の1人、ヴァニラ・H(アッシュ)の視点で叙述される。なお、抱介は同アニメのために2本のシナリオを執筆している(「激レアフォーチュンクッキー」「ポンコツラーメン替え玉有り」)。 ; {{Anchors|南極点のピアピア動画}}南極点のピアピア動画(ハヤカワ文庫 JA1058)ISBN 978-4150310585 : [[ニコニコ動画]]と[[VOCALOID]]([[初音ミク]])、宇宙開発を題材にした短編連作集。 :# 南極点のピアピア動画(SFマガジン 2008年4月号~5月号) :# コンビニエンスなピアピア動画(SFマガジン 2010年2月号) :# 歌う潜水艦とピアピア動画(SFマガジン 2011年8月号) :# 星間文明とピアピア動画(書き下ろし) ===ノンフィクション=== * [[SETI]]@homeファンブック―おうちのパソコンで宇宙人探し([[ローカス (出版社)|LOCUS]]) ISBN 4-89814-086-6 ===ニコニコ動画=== 本人は[[ニコニコ動画]]ユーザーとしても知られ(ニコニコ動画においてはファンが命名した「尻P」というハンドルネームで活動)、動画を何本か投稿している。 投稿する動画は[[ボーカロイド]]に関連したものが多く自身「[[初音ミク]]はSFである」という持論を主張している。第40回星雲賞では「ニコニコ動画」をモデルにした作品『南極点のピアピア動画』が日本短編部門を受賞した。 『[[そらのおとしもの]]』を題材にした[[オーニソプター|羽ばたき飛行機]]『空飛ぶパンツ』の監修も担当。クエスチョナーズより商品化もされた。 == 社会活動 == {{Main|ロケットガール#ロケットガール養成講座}} 「ロケットガール」の名を冠した[[文部科学省]]女子中高生理系進路選択支援事業「ロケットガール養成講座」が[[秋田大学]]にて[[2006年]]12月より開講(~[[2007年]]3月下旬)。ロケットガール養成講座によるハイブリッドロケット製作、打ち上げを抱介はたびたび訪れた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mono.akita-u.ac.jp/index.html |title=秋田大学工学資源学部 ものづくり創造工学センター |publisher=秋田大学 |accessdate=2007-2-4 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061102102409/http://www.mono.akita-u.ac.jp/ |archivedate=2006-11-2 |deadlinkdate=2014-4-8 }}</ref>。 == 賞歴 == * [[2000年]] -『太陽の簒奪者』(短編版)で第31回星雲賞日本短編部門を受賞。 * [[2002年]] -『ふわふわの泉』で第33回星雲賞日本長編部門を受賞。 * [[2003年]] -『太陽の簒奪者』(長編版)で第34回星雲賞日本長編部門を受賞。 * [[2007年]] -『大風呂敷と蜘蛛の糸』で第38回星雲賞日本短編部門を受賞。 * [[2008年]] -『沈黙のフライバイ』で第39回星雲賞日本短編部門を受賞。 * [[2009年]] -『南極点のピアピア動画』で第40回星雲賞日本短編部門を受賞。 * [[2012年]] -『歌う潜水艦とピアピア動画』で第43回星雲賞日本短編部門を受賞。 == 注釈 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://njb.virtualave.net/web/ 野尻抱介リファレンス・マニュアル] - 野尻の公式サイト。 * [https://web.archive.org/web/19981205205021/http://www.asahi-net.or.jp/~xb2n-aok/index.htm 旧公式サイト] * [https://nojiri-h.hatenablog.com/ 野尻blog] - 野尻の公式[[ブログ]]。 * {{Twitter|nojiri_h|尻P}} - 公式アカウント {{星雲賞日本長編部門|第33・34回}} {{星雲賞日本短編部門|第31・38・39・40・43回}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:のしり ほうすけ}} [[Category:日本の小説家]] [[Category:日本のSF作家]] [[Category:三重県出身の人物]] [[Category:1961年生]] [[Category:存命人物]]
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アニメーション
アニメーション(英語: Animation)は、動画(どうが)とも呼ばれ、コマ撮りなどによって、複数の静止画像により動きを作る技術。連続して変化する絵や物により発生する仮現運動を利用した映像手法である。略語はアニメ。 Animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するAnima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する。映画が誕生し、フィルム上に1枚ずつ描画して動きを表現していたものを実写と区別してAnimated Cartoonと称していたが、やがてAnimationと呼ぶようになった。 明治期末に国外から短編アニメーションが輸入、上映され、「凸坊新画帖」と題されて公開された。これが最初のアニメーションの日本語訳ともみなされる。 黎明期の国産アニメ第1号としては長く、映画雑誌『キネマレコード』1917年(大正6年)7月号に、天然色活動写真株式会社(天活)が東京・浅草のキネマ倶楽部で同年1月に上映したとの記述があり、作品名は「芋川椋三玄関番の巻」(下川凹天作)の可能性が高いとされてきた。これに対して、ドイツの研究者が同作品の公開は4月で、天活で下川が制作した「凸坊新画帖 名案の失敗」が1917年2月初旬上映で先行するとの異説を提起。さらにアニメ史研究家の渡辺泰らが『活動写真雑誌』1917年3月号に、同年1月に下川作「凸坊新画帖 芋助猪狩の巻」が封切られたとあることを指摘したが、フィルム現物や他の記録が未発見なため、未だに確定していない。 アニメの主流である商業用セルアニメーションは、映画の場合は「漫画映画」、テレビの場合は「テレビ漫画」と呼ばれていたが、今日では「Animation」をそのままカタカナに訳した「アニメーション」、略して「アニメ」と呼ばれている。「動画」は、日本最初期のアニメーション制作専門会社である日本動画株式会社設立に加わったアニメーターの政岡憲三による提唱で、アニメーションの日本語訳として使われ、その後もアニメーション業界団体が多数加盟している社団法人日本動画協会や、制作工程での原画・動画としてなどにも使われている。さらに遡ると、「線画」「漫画」「繰画」という呼称があったという。 映画のクレジット等の記録では、1930年代は「線画」がほとんどであった。「線画」の概念には、「線」による「画」という意味があり、実写映画に使われる地図、グラフや図表などを意味することがあった。スタッフはアニメーションだけでなく、地図、グラフや表、字幕なども描くことがあった。 1940年代は「線画」と「動画」が混在し、第二次世界大戦後は、ほとんど「動画」が使われるようになった。 1943年のアニメーション入りの実写映画『ニッポンバンザイ』(朝日映画社)では、「線画」が使われている。同年のフルアニメーション映画『くもとちゅうりっぷ』では、「動画」がクレジットに使用され、製作は松竹動画研究所となっている。1944年、それまで「線画」を使用していた朝日映画社も、『フクちゃんの潜水艦』で「動画」のクレジットを入れる。 1947年、日本動画社が設立。製作された『すて猫トラちゃん』でも、「動画」がクレジットとして使われた。 1948年7月5日の参議院労働委員会で、東宝の労働問題に関する報告のなかで、「動画」が使用されている。 1960年代から1980年代頃までは、アニメーション映画興行の『東映まんがまつり』やテレビアニメの『まんが日本昔ばなし』など、「まんが」が使われている。当時の世代の人は、今でもアニメのことを「漫画映画」「テレビまんが」「TVマンガ」と呼ぶことがある。また、主題歌CD集などでは2000年代においても現行作品を指してアニメーションと特撮を一括してテレビまんがと呼ぶ事例もある(日本コロムビアの混載CD「テレビまんが大行進」シリーズなど)。 1980年代以降は、テレビや映画などの映像物である動画の「アニメ」と、印刷物など静止画の「漫画」は区別されて呼称されるようになり、アニメーションを「漫画」とする用例は衰退していった。 詳細は各記事を参照。 日本においては毎年制作されるアニメーションのほとんどがセルアニメに分類される。他はその使用する素材によって区分され、人形アニメ、ペーパーアニメ、切り抜きアニメ、シルエット(影絵)アニメ、千代紙アニメ、ピンボードアニメ、クレイ(粘土)アニメ、CGアニメなどがある。なお現在セルアニメは制作工程のデジタル化により同様の映像効果を得るのにセルを使用せずに制作されている。 上記のほか、油絵、黒板にチョークで描いた絵、岩に描いた絵などをコマ撮りするなどの様々な手法がある。 上記のほか、砂絵や毛糸を置いて作った絵や、平面に貼り付けた粘土をコマ撮りするなど、様々な技法が存在する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アニメーション(英語: Animation)は、動画(どうが)とも呼ばれ、コマ撮りなどによって、複数の静止画像により動きを作る技術。連続して変化する絵や物により発生する仮現運動を利用した映像手法である。略語はアニメ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するAnima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する。映画が誕生し、フィルム上に1枚ずつ描画して動きを表現していたものを実写と区別してAnimated Cartoonと称していたが、やがてAnimationと呼ぶようになった。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "明治期末に国外から短編アニメーションが輸入、上映され、「凸坊新画帖」と題されて公開された。これが最初のアニメーションの日本語訳ともみなされる。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "黎明期の国産アニメ第1号としては長く、映画雑誌『キネマレコード』1917年(大正6年)7月号に、天然色活動写真株式会社(天活)が東京・浅草のキネマ倶楽部で同年1月に上映したとの記述があり、作品名は「芋川椋三玄関番の巻」(下川凹天作)の可能性が高いとされてきた。これに対して、ドイツの研究者が同作品の公開は4月で、天活で下川が制作した「凸坊新画帖 名案の失敗」が1917年2月初旬上映で先行するとの異説を提起。さらにアニメ史研究家の渡辺泰らが『活動写真雑誌』1917年3月号に、同年1月に下川作「凸坊新画帖 芋助猪狩の巻」が封切られたとあることを指摘したが、フィルム現物や他の記録が未発見なため、未だに確定していない。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "アニメの主流である商業用セルアニメーションは、映画の場合は「漫画映画」、テレビの場合は「テレビ漫画」と呼ばれていたが、今日では「Animation」をそのままカタカナに訳した「アニメーション」、略して「アニメ」と呼ばれている。「動画」は、日本最初期のアニメーション制作専門会社である日本動画株式会社設立に加わったアニメーターの政岡憲三による提唱で、アニメーションの日本語訳として使われ、その後もアニメーション業界団体が多数加盟している社団法人日本動画協会や、制作工程での原画・動画としてなどにも使われている。さらに遡ると、「線画」「漫画」「繰画」という呼称があったという。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "映画のクレジット等の記録では、1930年代は「線画」がほとんどであった。「線画」の概念には、「線」による「画」という意味があり、実写映画に使われる地図、グラフや図表などを意味することがあった。スタッフはアニメーションだけでなく、地図、グラフや表、字幕なども描くことがあった。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1940年代は「線画」と「動画」が混在し、第二次世界大戦後は、ほとんど「動画」が使われるようになった。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1943年のアニメーション入りの実写映画『ニッポンバンザイ』(朝日映画社)では、「線画」が使われている。同年のフルアニメーション映画『くもとちゅうりっぷ』では、「動画」がクレジットに使用され、製作は松竹動画研究所となっている。1944年、それまで「線画」を使用していた朝日映画社も、『フクちゃんの潜水艦』で「動画」のクレジットを入れる。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1947年、日本動画社が設立。製作された『すて猫トラちゃん』でも、「動画」がクレジットとして使われた。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1948年7月5日の参議院労働委員会で、東宝の労働問題に関する報告のなかで、「動画」が使用されている。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1960年代から1980年代頃までは、アニメーション映画興行の『東映まんがまつり』やテレビアニメの『まんが日本昔ばなし』など、「まんが」が使われている。当時の世代の人は、今でもアニメのことを「漫画映画」「テレビまんが」「TVマンガ」と呼ぶことがある。また、主題歌CD集などでは2000年代においても現行作品を指してアニメーションと特撮を一括してテレビまんがと呼ぶ事例もある(日本コロムビアの混載CD「テレビまんが大行進」シリーズなど)。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1980年代以降は、テレビや映画などの映像物である動画の「アニメ」と、印刷物など静止画の「漫画」は区別されて呼称されるようになり、アニメーションを「漫画」とする用例は衰退していった。", "title": "日本における導入と訳語の変化" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "詳細は各記事を参照。", "title": "絵の動かし方による分類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本においては毎年制作されるアニメーションのほとんどがセルアニメに分類される。他はその使用する素材によって区分され、人形アニメ、ペーパーアニメ、切り抜きアニメ、シルエット(影絵)アニメ、千代紙アニメ、ピンボードアニメ、クレイ(粘土)アニメ、CGアニメなどがある。なお現在セルアニメは制作工程のデジタル化により同様の映像効果を得るのにセルを使用せずに制作されている。", "title": "絵の動かし方による分類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "上記のほか、油絵、黒板にチョークで描いた絵、岩に描いた絵などをコマ撮りするなどの様々な手法がある。", "title": "絵の動かし方による分類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "上記のほか、砂絵や毛糸を置いて作った絵や、平面に貼り付けた粘土をコマ撮りするなど、様々な技法が存在する。", "title": "絵の動かし方による分類" } ]
アニメーションは、動画(どうが)とも呼ばれ、コマ撮りなどによって、複数の静止画像により動きを作る技術。連続して変化する絵や物により発生する仮現運動を利用した映像手法である。略語はアニメ。
{{Otheruseslist|アニメーション全般|アニメーションの歴史|アニメーションの歴史|主にセル、もしくはデジタルで制作される日本の商業アニメ|アニメ (日本のアニメーション作品)|ダンススタイルの1つ|アニメーションダンス}} {{redirect|ANIMATION|ノーナ・リーヴスのアルバム|ANIMATION (ノーナ・リーヴスのアルバム)}} {{独自研究|date=2009年11月}} '''アニメーション'''({{lang-en|Animation}})は、'''動画'''(どうが)とも呼ばれ、コマ撮りなどによって、複数の[[静止画像]]により動きを作る技術。連続して変化する絵や物により発生する[[仮現運動]]を利用した映像手法である<ref>『大人も知らない?続ふしぎ現象事典』2023年、マイクロマガジン社、p.96</ref>。略語はアニメ。 {{multiple image | align = right | direction = vertical | image1 = Animexample.gif | width1 = 85 | caption1 = 10[[コマ (映画・漫画)|フレーム]]/秒のアニメーション([[gifアニメ]]) | width = 150 | image2 = Animexample3edit.png | width2 = 150 | caption2 = 上のアニメーションはこの6種のコマで構成される | footer_align = center | height1 = 160 | height2 = 80 | total_width = | alt1 = Weare }} == 語源 == {{lang|en|Animation}}(アニメーション)は、[[ラテン語]]で[[霊魂]]を意味する{{lang|la|Anima}}([[アニマ]])に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する<ref name="yamamura230">[[#山村|アニメ・マンガで地域振興]] P.230</ref>。[[映画]]が誕生し、[[フィルム]]上に1枚ずつ描画して動きを表現していたものを実写と区別してAnimated Cartoonと称していたが、やがてAnimationと呼ぶようになった<ref>[[山口康男]]『日本のアニメ全史 - 世界を制した日本アニメの奇跡』テン・ブックス、2004年、22頁、{{ISBN2|978-4886960115}}</ref>。 == 日本における導入と訳語の変化 == {{see also|アニメの歴史}} [[明治期]]末に国外から短編'''アニメーション'''が輸入、上映され、「凸坊新画帖」と題されて公開された。これが最初の'''アニメーション'''の日本語訳ともみなされる。 [[黎明期]]の国産アニメ第1号としては長く、映画雑誌『キネマレコード』1917年(大正6年)7月号に、[[天然色活動写真]]株式会社(天活)が東京・[[浅草]]の[[キネマ倶楽部]]で同年1月に上映したとの記述があり、作品名は「[[芋川椋三玄関番の巻]]」([[下川凹天]]作)の可能性が高いとされてきた。これに対して、ドイツの研究者が同作品の公開は4月で、天活で下川が制作した「[[凸坊新畫帖 名案の失敗|凸坊新画帖 名案の失敗]]」が1917年2月初旬上映で先行するとの異説を提起。さらにアニメ史研究家の[[渡辺泰]]らが『活動写真雑誌』1917年3月号に、同年1月に下川作「[[凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻|凸坊新画帖 芋助猪狩の巻]]」が封切られたとあることを指摘したが、フィルム現物や他の記録が未発見なため、未だに確定していない<ref>『[[読売新聞]]』朝刊2017年2月14日文化面「記者ノート/国産アニメ100年 幻の第1作」</ref>。 アニメの主流である商業用セル'''アニメーション'''は、[[映画]]の場合は「[[漫画映画]]」、[[テレビ]]の場合は「テレビ漫画」と呼ばれていたが、今日では「Animation」をそのままカタカナに訳した「'''アニメーション'''」、略して「<u>アニメ</u>」と呼ばれている。「動画」は、日本最初期の'''アニメーション'''制作専門会社である日本動画株式会社設立に加わった[[アニメーター]]の[[政岡憲三]]による提唱で、'''アニメーション'''の日本語訳として使われ、その後も'''アニメーション'''業界団体が多数加盟している社団法人[[日本動画協会]]や、制作工程での原画・動画としてなどにも使われている。さらに遡ると、「線画」「漫画」「繰画」という呼称があったという。 === 線画から動画へ === 映画のクレジット等の記録では、[[1930年代]]は「線画」がほとんどであった。「線画」の概念には、「線」による「画」という意味があり、[[実写]]映画に使われる地図、グラフや図表などを意味することがあった。スタッフはアニメーションだけでなく、地図、グラフや表、字幕なども描くことがあった<ref>[http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0902/exh090213.html 米軍管理下での製作(せいさく)とフィルムの接収]「線画発注書」の説明参照。広島平和記念資料館バーチャル・ミュージアム内を参照</ref>。 [[1940年代]]は「線画」と「動画」が混在し、[[第二次世界大戦]]後は、ほとんど「動画」が使われるようになった。 [[1943年]]の'''アニメーション'''入りの実写映画『ニッポンバンザイ』([[朝日映画製作|朝日映画社]])では、「線画」が使われている<ref>[http://www.jmdb.ne.jp/1943/bs000320.htm 『ニッポンバンザイ』日本映画データベース]</ref>。同年のフルアニメーション映画『くもとちゅうりっぷ』<ref>[http://www.jmdb.ne.jp/1943/bs000260.htm 『くもとちゅうりっぷ』日本映画データベース]</ref>では、「動画」がクレジットに使用され、製作は[[松竹動画研究所]]となっている。[[1944年]]、それまで「線画」を使用していた[[朝日映画製作|朝日映画社]]も、『フクちゃんの潜水艦』で「動画」のクレジットを入れる<ref>[http://www.jmdb.ne.jp/1944/bt000460.htm 『フクちゃんの潜水艦』日本映画データベース]</ref>。 [[1947年]]、日本動画社が設立。製作された『すて猫トラちゃん』でも、「動画」がクレジットとして使われた<ref>[http://www.jmdb.ne.jp/1947/bw000760.htm 『すて猫トラちゃん』日本映画データベース]</ref>。 [[1948年]][[7月5日]]の参議院労働委員会で、東宝の労働問題に関する報告のなかで、「動画」が使用されている<ref name="shiba">[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=100215289X01619480705 1948年7月5日の参議院労働委員会第16号]での柴田義彦・労働委員会專門員の発言から。国会議事録検索システム</ref>。 === 漫画映画・テレビまんがからアニメへ === [[1960年代]]から[[1980年代]]頃までは、[[アニメーション映画]]興行の『[[東映まんがまつり]]』や[[テレビアニメ]]の『[[まんが日本昔ばなし]]』など、「まんが」が使われている。当時の世代の人は、今でもアニメのことを「漫画映画」「テレビまんが」「TVマンガ」と呼ぶことがある。また、主題歌CD集などでは2000年代においても現行作品を指して'''アニメーション'''と特撮を一括してテレビまんがと呼ぶ事例もある([[日本コロムビア]]の混載CD「テレビまんが大行進」シリーズなど)。 1980年代以降は、テレビや映画などの映像物である動画の「<u>アニメ</u>」と、印刷物など静止画の「漫画」は区別されて呼称されるようになり、'''アニメーション'''を「漫画」とする用例は衰退していった。 == 絵の動かし方による分類 == * [[フルアニメ|フル・アニメーション]] * [[リミテッド・アニメーション]] * [[ストップモーション・アニメーション]] 詳細は各記事を参照。 日本においては毎年制作される'''アニメーション'''のほとんどがセルアニメに分類される<ref name="yamaguchi2004p23-26">[[山口康男]]『日本のアニメ全史 - 世界を制した日本アニメの奇跡』テン・ブックス、2004年、23-26頁、{{ISBN2|978-4886960115}}</ref>。他はその使用する素材によって区分され、人形アニメ、ペーパーアニメ、切り抜きアニメ、シルエット(影絵)アニメ、千代紙アニメ、ピンボードアニメ、クレイ(粘土)アニメ、CGアニメなどがある<ref name="yamaguchi2004p23-26" />。なお現在セルアニメは制作工程の[[デジタル化]]により同様の映像効果を得るのに[[セル]]を使用せずに制作されている<ref name="yamaguchi2004p23-26" />。 === 平面素材 === ; [[セルアニメ|セルアニメーション]] : 動かない背景画の上に、[[セル画|セル]]と呼ばれる透明なフィルムシート上に部分的な描写を変化させて動きを描いた絵を重ねて撮影する(多重合成する場合は[[マルチプレーン・カメラ]]を使用する)。動かない部分を描く必要はなく、分業化が容易なため、商業用'''アニメーション'''の主要な制作手法となった。一般に<u>アニメ</u>といえばこの<u>セルアニメ</u>のことを指している場合が多く、3DCGをメインとした<u>アニメ</u>で<u>セルアニメ</u>のような構図や演出で構成されたものをセルルックという。セルと呼ばれるのは、かつては実際に[[セルロイド]]を用いたため。 : [[1990年代]]以降は、パソコンなどコンピュータの発展・普及に伴い、紙上に描かれた原画を[[スキャナー]]に取り込んで、<u>セルアニメーション</u>の彩色と背景画の合成の過程をコンピュータで行う[[デジタルアニメ]]化している。液晶タブレットが普及し始めると、紙上ではなく直接パソコン内の制作ソフトで描くデジタル作画の環境が登場する。また後述の''CGアニメーション''と併用されることもある。パソコンと制作・管理用ソフトの性能向上で、<u>アニメ</u>制作が容易になっている。 ; [[切り紙アニメーション]] : キャラクターの[[切り絵]]を用いて背景画の上に置いてコマ撮りする。[[影絵]]'''アニメーション'''はバリエーションの1つ。 : 動きに応じてキャラクターごと絵を1つ1つ描く場合と、キャラクターの絵をあらかじめ関節など各パーツに分けて動かしながらコマ撮りする場合がある。 : <u>セルアニメーション</u>が登場する以前は盛んに用いられ、日本では[[1923年]]前後から使われ始めた。[[1930年代]]半ばにアメリカでは、<u>セルアニメーション</u>に移行していたが、セルが高価だったため、日本では安価な'''''切り絵アニメーション'''''が主流であり技術も高度に発達した。<u>セルアニメーション</u>が普及した後も[[ユーリ・ノルシュテイン]]や[[ルネ・ラルー]]などの'''アニメーション'''作家が用いている。 ; ペーパーアニメーション{{Anchors|ペーパーアニメーション}} : 紙に描く、俗に言う[[パラパラマンガ]]で、重ね合わせが使えないため、動かない背景やキャラクターまで全て1枚ずつ描く必要がある。'''アニメーション'''の歴史では最初期に使われたが、分業が困難なため、多人数による量産に向かず、商業的にはセルアニメーションに取って代わられる。画材を自由に選べる利点から、アート性の強い''アニメーション作家''の作品に使われたり、紙と画材さえあればいいというハードルの低さから、個人制作の''アマチュアアニメ''で使われる技法である。 ; ピンスクリーン : 数万本の針に照明を当て、その影の明暗で作られた白黒の絵をコマ撮りしていく。ピンボードとも言う。特殊な技法で、[[アレクサンドル・アレクセイエフ]]や[[ジャック・ドゥルーアン]]など使う作家は限られている。 上記のほか、[[油絵]]、[[黒板]]に[[チョーク]]で描いた絵、岩に描いた絵などをコマ撮りするなどの様々な手法がある。 === 立体素材 === ; [[人形アニメ]] : [[人形]]など立体物を少しずつ動かしながらコマ撮りする。[[パペット]]アニメーションとも呼ばれる。人形の材質の種類は木、布、粘土など多種多様。陶器の人形の焼き物に関節をつけて動かすセラミックドール・アニメーション等もある。 ; [[クレイアニメ]] : 粘土を用いて作られた造形物をコマ撮りしていく。素材が粘土質なため、コマごとに自由に造形物のポーズを変化させることもできる。 ; [[ピクシレーション]] : 実写で人間などをコマ撮りする。 上記のほか、砂絵や毛糸を置いて作った絵や、平面に貼り付けた粘土をコマ撮りするなど、様々な技法が存在する。 == カメラを用いない手法 == ; カメラレス・アニメーション : 投射フィルムに直接絵を描く。そのうち、現像済みの真っ黒のフィルムを引っかいて絵を描くものはシネカリグラフ、透明なフィルムに直接絵を描くものをフィルム・ペインティングという。 ; [[CGアニメーション]] : CG([[コンピュータグラフィックス]])により、撮影のプロセスを経ることなく、各コマの静止画像を順番に作成して、一連の動画に仕上げる手法。上記のサンプル画像も、パソコン上で作成したCGアニメーションと言える。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |author = 山村高淑 |date = 2011-04 |title = アニメ・マンガで地域振興 |publisher = [[東京法令出版]] |isbn = 978-4809040610 |ref = 山村 }} * 萩原由加里:「正岡憲三とその時代 -「日本アニメーションの父」の戦前と戦後」,青弓社、ISBN 978-4-7872-7374-1 (2015年3月27日). * 渡辺泰、松本夏樹、フレデリック・S・リッテン(訳:中川譲)、企画・監修:一般社団法人日本動画協会『アニメNEXT_100』:「にっぽんアニメ創生記」、集英社、ISBN 978-4087816877(2020年3月5日)。 * [[山口康男]]『日本のアニメ全史 - 世界を制した日本アニメの奇跡』テン・ブックス、2004年、{{ISBN2|978-4886960115}} == 関連項目 == * [[アニメーター]] * [[アニメーション映画]] * [[アニメーションの歴史]] * [[アニメ制作会社一覧]] * [[アニメ関係者一覧]] * [[アニメ作品一覧]] * [[オープニングアニメーション]] * [[エンディングアニメーション]] * [[パラパラマンガ]] * [[GIFアニメーション]] * [[光学合成]]、[[デジタル合成]] - アニメーション作業における「撮影」の実態。 * [[コンピュータアニメーション]] * [[アニミズム]] * [[なつぞら]] == 外部リンク == {{Commons|Animation}} * [http://palapala.jp/ ぱらぱらアニメ] * [https://aja.gr.jp/ 日本動画協会] ** [http://anime100.jp 日本のアニメ総合データベース「アニメ大全」] - 日本動画協会によるデータベース(2022年8月25日公開) * [https://aja.gr.jp/jigyou/ikusei/%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E5%88%B6%E4%BD%9C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B-%E5%88%B6%E4%BD%9C%E9%80%B2%E8%A1%8C%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5 「アニメシリーズ制作における 制作進行のマニュアル」(日本動画協会、2020年8月一般無償公開)] * {{Kotobank}} {{美術}} {{Animation}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あにめえしよん}} [[Category:アニメ|** あにめえしよん]]<!--例外--> [[Category:画像処理]]
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紫式部
紫式部()は、平安時代中期の歌人・作家・女房(女官)。歌人として「百人一首」、「女房三十六歌仙」の和歌が知られ、「紫式部日記」(18首)、「紫式部集」、「拾遺和歌集」などにも多くの和歌を残しており、娘の大弐三位も「百人一首」、「女房三十六歌仙」の歌人として知られる。また「源氏物語」の作者でもあり、和歌795首が詠み込まれたこの作品は生涯で唯一の物語作品となった。 正確な誕生年と没年は不明である。近年の研究では、天禄元年(970年)から天元元年(978年)の間に生まれ、少なくとも寛仁3年(1019年)までは存命したとされ、その後の没年は誕生年と同じく、研究者ごとに様々な説が出されるがどれも確証はなく不明である。(各説は「生没年」参照) 歌人として『百人一首』に収められている和歌(57番)は広く知られており、中古三十六歌仙および女房三十六歌仙の一人でもある。また子供時代から晩年に至るまで自らが詠んだ和歌から選び収めた家集『紫式部集』があり、『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に計51首の和歌が収められている。 また長編物語で54帖から成る『源氏物語』の作者とされ、和歌795首が詠み込まれ平安中期の貴族社会が描かれている。日記作品としては藤原道長の要請で宮中に上がった際に宮中の様子を書いた『紫式部日記』を残しており、和歌18首が詠み込まれている。後に、この2作品は『源氏物語絵巻』『紫式部日記絵巻』として絵画化された。 父の藤原為時は、官位は正五位下と下級貴族ながら、花山天皇に漢学を教えた漢詩人、歌人である。藤原宣孝と結婚し、一女(大弐三位)を産んだ。長保3年(1001年)、結婚からわずか3年ほどで夫が卒去する。その後『源氏物語』を書き始め、その評判を聞いた道長に召し出されて、その娘で、一条天皇中宮の彰子に仕えている間に『源氏物語』を完成させた。 なお、『紫式部集』には、夫の卒去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている。 藤原北家良門流の越後守・藤原為時の娘で、母は摂津守・藤原為信女であるが、幼少期に母を亡くしたとされる。同母の兄弟に藤原惟規がいる(同人の生年も不明であり、式部とどちらが年長かについては両説が存在する)ほか、姉がいたこともわかっている。三条右大臣・藤原定方、堤中納言・藤原兼輔はともに父方の曽祖父で、一族には文辞を以って聞こえた人が多い。 幼少の頃より当時の女性に求められる以上の才能で漢文を読みこなしたなど、才女としての逸話が多い。54帖にわたる大作『源氏物語』、宮仕え中の日記『紫式部日記』を著したというのが通説で、和歌集『紫式部集』が伝わっている。 父・為時は30代に東宮の読書役を始めとして東宮が花山天皇になると蔵人、式部大丞と出世したが、花山天皇が出家すると散位となる(位禄はある)。10年後、一条天皇に詩を奉じた結果、越前国の受領となる。紫式部は娘時代の約2年を父の任国で過ごす。 長徳4年(998年)頃、親子ほども年の差があり、又従兄妹でもある山城守・藤原宣孝と結婚して長保元年(999年)に一女・藤原賢子(大弐三位)を儲けた。この結婚生活は長く続かず、間もなく長保3年4月15日(1001年5月10日)に宣孝と死別した。 寛弘2年12月29日(1006年1月31日)、もしくは寛弘3年の同日(1007年1月20日)より、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の長女、のち院号宣下して上東門院)に女房兼(現代でいえば)家庭教師役として仕え、少なくとも寛弘8年(1012年)頃まで奉仕し続けたようである。 なおこれに先立ち、永延元年(987年)の藤原道長と源倫子の結婚の際に、倫子付きの女房として出仕した可能性が指摘されている。『源氏物語』解説書の『河海抄』『紫明抄』や歴史書『今鏡』には紫式部の経歴として倫子付き女房であったことが記されている。それらは伝承の類であり信憑性には乏しいが、他にも『紫式部日記』からうかがえる、新参の女房に対するものとは思えぬ道長や倫子からの格別な信頼・配慮があること、永延元年当時は為時が散位であったこと、倫子と紫式部はいずれも曽祖父に藤原定方を持ち遠縁に当たることなどが挙げられる。また女房名からも、為時が式部丞だった時期は彰子への出仕の20年も前であり、さらにその間に越前国の国司に任じられているため、寛弘2年に初出仕したのであれば父の任国「越前」や亡夫の任国・役職の「山城」「右衛門権佐」にちなんだ名を名乗るのが自然で、地位としてもそれらより劣る「式部」を女房名に用いるのは考えがたく、そのことからも初出仕の時期は寛弘2年以前であるという説である。 『詞花集』に収められた伊勢大輔の「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」という和歌は宮廷に献上された八重桜を受け取り中宮に奉る際に詠んだものだが、『伊勢大輔集』によればこの役目は当初紫式部の役目だったものを式部が新参の大輔に譲ったものだった。 藤原実資の日記『小右記』長和2年5月25日(1014年6月25日)条で「実資の甥で養子である藤原資平が実資の代理で皇太后彰子のもとを訪れた際『越後守為時女』なる女房が取り次ぎ役を務めた」旨の記述が紫式部で残された最後のものとし、よって三条天皇の長和年間(1012年 - 1016年)に没したとするのが昭和40年代までの通説だったが、現在では、『小右記』寛仁3年正月5日(1019年2月18日)条で、実資に応対した「女房」を紫式部本人と認め、さらに、西本願寺本『平兼盛集』巻末逸文に「おなじ宮の藤式部、...式部の君亡くなり...」とある詞書と和歌を、岡一男説の『頼宗集』の逸文ではなく、『定頼集』の逸文と推定し、この詠歌以前には死亡していたとする萩谷朴説、今井源衛説が存在する。さらに森本元子は、この逸名歌集の編纂者を藤原道綱の娘豊子・美作三位とし、没年時は萩谷説に矛盾はないとした。これに対し、逸名歌集12首の詠作年次を治安元年(1021年)春、彰子後宮女房の歌稿集の編纂者として伊勢大輔とする上原作和説もある。 現在、日本銀行券のD号券の2000円札の裏には小さな肖像画と『源氏物語絵巻』の一部を使用している。 紫式部の本名は不明であるが、『御堂関白記』の寛弘4年1月29日(1007年2月19日)の条において掌侍になったとされる記事のある藤原 香子(かおるこ/たかこ/こうし)とする角田文衛の説もある。この説は発表当時「日本史最大の謎」として新聞報道されるなどしている。 ただし、この説は仮定を重ねている部分も多く推論の過程に誤りが含まれているといった批判もある。その他にも、もし紫式部が「掌侍」という律令制に基づく公的な地位を有していたのなら勅撰集や系譜類に何らかの言及があると思えるのにそのような痕跡が全く見えないのはおかしいとする批判も根強くある。その後、萩谷朴の香子説追認論文も提出されたが、未だにこの説に関しての根本的否定は提出されておらず、しかしながら広く認められた説ともなっていないのが現状である。また、香子の読みを「よしこ」とする説もある。 女房名は「藤式部」。「式部」は父為時の官位(式部省の官僚・式部大丞だったこと)に由来するとする説と、同母兄弟の惟規の官位によるとする説とがある。 現在一般的に使われている「紫式部」という呼称について、「紫」のような色名を冠した呼称はこの時代他に例が無く、このような名前で呼ばれるようになった理由については様々に推測されている。一般的には「紫」の称は『源氏物語』または特にその作中人物「紫の上」に由来すると考えられている。 また、上原作和は、『紫式部集』の宣孝と思しき人物の詠歌に「ももといふ名のあるものを時の間に散る桜にも思ひおとさじ」とあることから、幼名・通称を「もも」とする説を提示した。今後の検証が待たれる。 紫式部の夫としては藤原宣孝がよく知られており、これまで式部の結婚はこの一度だけであると考えられてきた。しかし、「紫式部=藤原香子」説との関係で、『権記』の長徳3年(997年)8月17日条に現れる「後家香子」なる女性が藤原香子=紫式部であり、紫式部の結婚は藤原宣孝との一回限りではなく、それ以前に紀時文との婚姻関係が存在したのではないかとする説が唱えられている。 『尊卑分脈』において紫式部が藤原道長妾であるとの記述がある(後述)ことは古くからよく知られていたが、この記述については後世になって初めて現れたものであり、事実に基づくとは考えがたいとするのが一般的な受け取り方であった。しかしこれは『紫式部日記』にある「紫式部が藤原道長からの誘いをうまくはぐらかした」旨の記述が存在することを根拠として「紫式部は二夫にまみえない貞婦である」とした『尊卑分脈』よりずっと後になって成立した観念的な主張に影響された判断であり、一度式部が道長からの誘いを断った記述が存在し、たとえそのこと自体が事実だとしても、最後まで誘いを断り続けたのかどうかは日記の記述からは不明であり、また当時の婚姻制度や家族制度から見て式部が道長の妾になったとしても法的にも道徳的にも問題があるわけではないのだから、『尊卑分脈』の記述を否定するにはもっときちんとしたそれなりの根拠が必要であり、この記述はもっと真剣に検討されるべきであるとする主張もある。 『源氏の物語』を女房に読ませて聞いた一条天皇が作者を褒めてきっと日本紀(『日本書紀』のこと)をよく読み込んでいる人に違いないと言ったことから「日本紀の御局」とあだ名されたとの逸話があるが、これには女性が漢文を読むことへの揶揄があり本人には苦痛だったようであるとする説が通説である。 当時の受領階級の女性一般がそうであるように、紫式部の生没年を明確な形で伝えた記録は存在しない。そのため紫式部の生没年については様々な状況を元に推測した複数の説が存在しており、定説が無い状態である。 生年については両親が婚姻関係になったのが父の為時が初めて国司となって播磨国へ赴く直前と考えられることからそれ以降であり、かつ同母の姉がいることから、そこからある程度経過した時期であろうと推測される。だが同母兄弟である藤原惟規とどちらが年長であるのかも不明であり、以下のような様々な説が混在する。 また、没年についても、紫式部と思われる「為時女なる女房」の記述が何度か現れる藤原実資の日記『小右記』において、長和2年5月25日(1014年6月25日)の条で「実資の甥で養子である藤原資平が実資の代理で皇太后彰子のもとを訪れた際『越後守為時女』なる女房が取り次ぎ役を務めた」旨の記述が紫式部について残された明確な記録のうち最後のものであるとする認識が有力なものであったが、これについても異論が存在し、これ以後の明確な記録がないこともあって、以下のような様々な説が存在している。 紫式部の墓と伝えられるものが京都市北区紫野西御所田町(堀川北大路下ル西側)に残されており、小野篁の墓とされるものに隣接して建てられている。この場所は淳和天皇の離宮があり、紫式部が晩年に住んだと言われ、後に大徳寺の別坊となった雲林院百毫院の南にあたる。京都市の建札によれば、この場所から東北の地域はかつては小野氏の領地だったが、後に藤原氏の所有となった。この地に紫式部古くは14世紀中頃の『源氏物語』注釈書『河海抄』(四辻善成)に、「式部墓所在雲林院白毫院南 小野篁墓の西なり」と明記されており、15世紀後半の注釈書『花鳥余情』(一条兼良)、江戸時代の書物『扶桑京華志』や『山城名跡巡行志』『山州名跡志』にも記されている。この情報が長い間にわたり、両家の墓所として保たれてきた理由を示している。1989年に社団法人紫式部顕彰会によって整備された。この時、篤志家・近藤清一氏はこの計画に賛同、四国の吉野川上流で産出した大きな花崗岩(高さ1950m、幅120m)を碑石として寄附した。京都市北区の観光名所の一つになっている。 貴族では珍しくイワシが好物であったという説話があるが、元は『猿源氏草紙』での和泉式部の話であり、後世の作話と思われる。 同時期の有名だった女房たちの人物評が見られる。中でも最も有名なのが『枕草子』作者の清少納言に対する下りである(以下は意訳)。 殆ど陰口ともいえる辛辣な批評である。これらの表記は近年に至るまで様々な憶測や、ある種野次馬的な興味(紫式部が清少納言の才能に嫉妬していたのだ、など)を持って語られている。もっとも本人同士は年齢や宮仕えの年代も10年近く異なるため、実際に面識は無かったものと見られている。近年では、『紫式部日記』の政治的性格を重視する視点から、清少納言の『枕草子』が故皇后・定子を追懐し、紫式部の主人である中宮・彰子の存在感を阻んでいることに苛立ったためとする解釈が提出されている。同輩であった歌人の和泉式部(「素行は良くないが、歌は素晴らしい」など)や赤染衛門(「家柄は良くないが、歌は素晴らしい」など)には、否定的な批評もありながらも概ね好感を見せている。 『紫式部日記』には、夜半に道長が彼女の局をたずねて来る一節があり、鎌倉時代の公家系譜の集大成である『尊卑分脈』(『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』)になると、「上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾」と紫式部の項にはっきり「道長妾」との註記が付くようになるが、彼女と道長の関係は不明である。 紫式部学会とは昭和7年(1932年)6月4日に東京帝国大学文学部国文学科主任教授であった藤村作(会長)、東京帝国大学文学部国文学科教授であった久松潜一(副会長)、東京帝国大学文学部国文学研究室副手であった池田亀鑑(理事長)らによって、『源氏物語』に代表される古典文学の啓蒙を目的として設立された学会である。昭和39年(1964年)1月より事務局が神奈川県横浜市鶴見区にある鶴見大学文学部日本文学科研究室に置かれている。現在の会長は藤原克巳が務めている。 講演会を実施したり『源氏物語』を題材にした演劇の上演を後援したりしているほか、以下の出版物を刊行している。
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1016年)に没したとするのが昭和40年代までの通説だったが、現在では、『小右記』寛仁3年正月5日(1019年2月18日)条で、実資に応対した「女房」を紫式部本人と認め、さらに、西本願寺本『平兼盛集』巻末逸文に「おなじ宮の藤式部、...式部の君亡くなり...」とある詞書と和歌を、岡一男説の『頼宗集』の逸文ではなく、『定頼集』の逸文と推定し、この詠歌以前には死亡していたとする萩谷朴説、今井源衛説が存在する。さらに森本元子は、この逸名歌集の編纂者を藤原道綱の娘豊子・美作三位とし、没年時は萩谷説に矛盾はないとした。これに対し、逸名歌集12首の詠作年次を治安元年(1021年)春、彰子後宮女房の歌稿集の編纂者として伊勢大輔とする上原作和説もある。", "title": "略伝" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "現在、日本銀行券のD号券の2000円札の裏には小さな肖像画と『源氏物語絵巻』の一部を使用している。", "title": "略伝" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "紫式部の本名は不明であるが、『御堂関白記』の寛弘4年1月29日(1007年2月19日)の条において掌侍になったとされる記事のある藤原 香子(かおるこ/たかこ/こうし)とする角田文衛の説もある。この説は発表当時「日本史最大の謎」として新聞報道されるなどしている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ただし、この説は仮定を重ねている部分も多く推論の過程に誤りが含まれているといった批判もある。その他にも、もし紫式部が「掌侍」という律令制に基づく公的な地位を有していたのなら勅撰集や系譜類に何らかの言及があると思えるのにそのような痕跡が全く見えないのはおかしいとする批判も根強くある。その後、萩谷朴の香子説追認論文も提出されたが、未だにこの説に関しての根本的否定は提出されておらず、しかしながら広く認められた説ともなっていないのが現状である。また、香子の読みを「よしこ」とする説もある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "女房名は「藤式部」。「式部」は父為時の官位(式部省の官僚・式部大丞だったこと)に由来するとする説と、同母兄弟の惟規の官位によるとする説とがある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "現在一般的に使われている「紫式部」という呼称について、「紫」のような色名を冠した呼称はこの時代他に例が無く、このような名前で呼ばれるようになった理由については様々に推測されている。一般的には「紫」の称は『源氏物語』または特にその作中人物「紫の上」に由来すると考えられている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "また、上原作和は、『紫式部集』の宣孝と思しき人物の詠歌に「ももといふ名のあるものを時の間に散る桜にも思ひおとさじ」とあることから、幼名・通称を「もも」とする説を提示した。今後の検証が待たれる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "紫式部の夫としては藤原宣孝がよく知られており、これまで式部の結婚はこの一度だけであると考えられてきた。しかし、「紫式部=藤原香子」説との関係で、『権記』の長徳3年(997年)8月17日条に現れる「後家香子」なる女性が藤原香子=紫式部であり、紫式部の結婚は藤原宣孝との一回限りではなく、それ以前に紀時文との婚姻関係が存在したのではないかとする説が唱えられている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "『尊卑分脈』において紫式部が藤原道長妾であるとの記述がある(後述)ことは古くからよく知られていたが、この記述については後世になって初めて現れたものであり、事実に基づくとは考えがたいとするのが一般的な受け取り方であった。しかしこれは『紫式部日記』にある「紫式部が藤原道長からの誘いをうまくはぐらかした」旨の記述が存在することを根拠として「紫式部は二夫にまみえない貞婦である」とした『尊卑分脈』よりずっと後になって成立した観念的な主張に影響された判断であり、一度式部が道長からの誘いを断った記述が存在し、たとえそのこと自体が事実だとしても、最後まで誘いを断り続けたのかどうかは日記の記述からは不明であり、また当時の婚姻制度や家族制度から見て式部が道長の妾になったとしても法的にも道徳的にも問題があるわけではないのだから、『尊卑分脈』の記述を否定するにはもっときちんとしたそれなりの根拠が必要であり、この記述はもっと真剣に検討されるべきであるとする主張もある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "『源氏の物語』を女房に読ませて聞いた一条天皇が作者を褒めてきっと日本紀(『日本書紀』のこと)をよく読み込んでいる人に違いないと言ったことから「日本紀の御局」とあだ名されたとの逸話があるが、これには女性が漢文を読むことへの揶揄があり本人には苦痛だったようであるとする説が通説である。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "当時の受領階級の女性一般がそうであるように、紫式部の生没年を明確な形で伝えた記録は存在しない。そのため紫式部の生没年については様々な状況を元に推測した複数の説が存在しており、定説が無い状態である。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "生年については両親が婚姻関係になったのが父の為時が初めて国司となって播磨国へ赴く直前と考えられることからそれ以降であり、かつ同母の姉がいることから、そこからある程度経過した時期であろうと推測される。だが同母兄弟である藤原惟規とどちらが年長であるのかも不明であり、以下のような様々な説が混在する。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "また、没年についても、紫式部と思われる「為時女なる女房」の記述が何度か現れる藤原実資の日記『小右記』において、長和2年5月25日(1014年6月25日)の条で「実資の甥で養子である藤原資平が実資の代理で皇太后彰子のもとを訪れた際『越後守為時女』なる女房が取り次ぎ役を務めた」旨の記述が紫式部について残された明確な記録のうち最後のものであるとする認識が有力なものであったが、これについても異論が存在し、これ以後の明確な記録がないこともあって、以下のような様々な説が存在している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "紫式部の墓と伝えられるものが京都市北区紫野西御所田町(堀川北大路下ル西側)に残されており、小野篁の墓とされるものに隣接して建てられている。この場所は淳和天皇の離宮があり、紫式部が晩年に住んだと言われ、後に大徳寺の別坊となった雲林院百毫院の南にあたる。京都市の建札によれば、この場所から東北の地域はかつては小野氏の領地だったが、後に藤原氏の所有となった。この地に紫式部古くは14世紀中頃の『源氏物語』注釈書『河海抄』(四辻善成)に、「式部墓所在雲林院白毫院南 小野篁墓の西なり」と明記されており、15世紀後半の注釈書『花鳥余情』(一条兼良)、江戸時代の書物『扶桑京華志』や『山城名跡巡行志』『山州名跡志』にも記されている。この情報が長い間にわたり、両家の墓所として保たれてきた理由を示している。1989年に社団法人紫式部顕彰会によって整備された。この時、篤志家・近藤清一氏はこの計画に賛同、四国の吉野川上流で産出した大きな花崗岩(高さ1950m、幅120m)を碑石として寄附した。京都市北区の観光名所の一つになっている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "貴族では珍しくイワシが好物であったという説話があるが、元は『猿源氏草紙』での和泉式部の話であり、後世の作話と思われる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "同時期の有名だった女房たちの人物評が見られる。中でも最も有名なのが『枕草子』作者の清少納言に対する下りである(以下は意訳)。", "title": "紫式部日記" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "殆ど陰口ともいえる辛辣な批評である。これらの表記は近年に至るまで様々な憶測や、ある種野次馬的な興味(紫式部が清少納言の才能に嫉妬していたのだ、など)を持って語られている。もっとも本人同士は年齢や宮仕えの年代も10年近く異なるため、実際に面識は無かったものと見られている。近年では、『紫式部日記』の政治的性格を重視する視点から、清少納言の『枕草子』が故皇后・定子を追懐し、紫式部の主人である中宮・彰子の存在感を阻んでいることに苛立ったためとする解釈が提出されている。同輩であった歌人の和泉式部(「素行は良くないが、歌は素晴らしい」など)や赤染衛門(「家柄は良くないが、歌は素晴らしい」など)には、否定的な批評もありながらも概ね好感を見せている。", "title": "紫式部日記" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "『紫式部日記』には、夜半に道長が彼女の局をたずねて来る一節があり、鎌倉時代の公家系譜の集大成である『尊卑分脈』(『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』)になると、「上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾」と紫式部の項にはっきり「道長妾」との註記が付くようになるが、彼女と道長の関係は不明である。", "title": "紫式部日記" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "紫式部学会とは昭和7年(1932年)6月4日に東京帝国大学文学部国文学科主任教授であった藤村作(会長)、東京帝国大学文学部国文学科教授であった久松潜一(副会長)、東京帝国大学文学部国文学研究室副手であった池田亀鑑(理事長)らによって、『源氏物語』に代表される古典文学の啓蒙を目的として設立された学会である。昭和39年(1964年)1月より事務局が神奈川県横浜市鶴見区にある鶴見大学文学部日本文学科研究室に置かれている。現在の会長は藤原克巳が務めている。", "title": "紫式部学会" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "講演会を実施したり『源氏物語』を題材にした演劇の上演を後援したりしているほか、以下の出版物を刊行している。", "title": "紫式部学会" } ]
紫式部は、平安時代中期の歌人・作家・女房(女官)。歌人として「百人一首」、「女房三十六歌仙」の和歌が知られ、「紫式部日記」(18首)、「紫式部集」、「拾遺和歌集」などにも多くの和歌を残しており、娘の大弐三位も「百人一首」、「女房三十六歌仙」の歌人として知られる。また「源氏物語」の作者でもあり、和歌795首が詠み込まれたこの作品は生涯で唯一の物語作品となった。
{{Otheruses}} {{Infobox 作家 | name = 紫式部<br />むらさきしきぶ | image = Murasaki-Shikibu-composing-Genji-Monogatari.png | image_size = 200px | caption = 紫式部([[土佐光起]]画、[[石山寺]]蔵) | pseudonym = <!--ペンネーム--> | birth_name = <!--出生名--> | birth_date = 不明{{efn|正確な誕生年は不明である。近年の研究では[[天禄]]元年([[970年]])から[[天元 (日本)|天元]]元年([[978年]])の間に生まれたとされる。その間の正確な誕生年は、研究者ごとに様々な説が出されるがどれも確証はなく不明である<ref name="birth"> [[三田村雅子]]『「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』(NHK出版、2015年12月25日発行)p.26。</ref>。(各説は「[[#生没年|生没年]]」参照)}} | birth_place = <!--生誕地、出身地--> | death_date = 不明{{efn|正確な没年は不明である。近年の研究では少なくとも[[寛仁]]3年([[1019年]])までは存命したとされる。その後の没年は、研究者ごとに様々な説が出されるがどれも確証はなく不明である<ref name="birth"/>。(各説は「[[#生没年|生没年]]」参照)}} | death_place = <!--死亡地--> | resting_place = <!--墓地、埋葬地--> | occupation = [[歌人]]、[[作家]]、[[女房|女官]] | language = [[日本語]] | nationality = {{JPN}} | education = <!--受けた教育、習得した博士号など--> | alma_mater = <!--出身校、最終学歴--> | period = [[990年代]] - [[1000年代]] | genre = [[和歌]]、[[物語]]、[[日記文学]] | subject = <!--全執筆対象、主題(ノンフィクション作家の場合)--> | movement = <!--作家に関連した、もしくは関わった文学運動--> | religion = <!--信仰する宗教--> | notable_works = 和歌『[[百人一首]](57番)』『[[紫式部日記]](18首)』『[[紫式部集]]』『[[拾遺和歌集]]』、物語作品『[[源氏物語]]』、日記作品『[[紫式部日記]]』 | spouse = [[藤原宣孝]] | partner = <!--結婚していない仕事のパートナー(親族など)--> | children = [[大弐三位]] | relations = 父・[[藤原為時]] 母・[[藤原為信女]] | influences = <!--影響を受けた作家名--> | influenced = <!--影響を与えた作家名--> | awards = <!--主な受賞歴--> | debut_works = <!--処女作--> | signature = <!--署名・サイン--> <!--| footnotes = (脚注・小話)--> }} [[ファイル:Murasaki Shikibu.jpg|thumb|紫式部([[菊池容斎]]『[[前賢故実]]』)]] {{ウィキポータルリンク|文学|[[File:Genji emaki 01003 009.jpg|80px]]}} {{読み仮名|'''紫式部'''|むらさきしきぶ}}は、[[平安時代]]中期の[[歌人]]・[[作家]]・[[女房]]([[女官]])。歌人として「[[百人一首]]」、「[[女房三十六歌仙]]」の[[和歌]]が知られ、「[[紫式部日記]]」(18首)、「[[紫式部集]]」、「[[拾遺和歌集]]」などにも多くの和歌を残しており、娘の[[大弐三位]]も「百人一首」、「女房三十六歌仙」の歌人として知られる。また「[[源氏物語]]」の作者でもあり、和歌795首が詠み込まれたこの作品は生涯で唯一の物語作品となった。 == 概要 == 正確な誕生年と没年は不明である。近年の研究では、[[天禄]]元年([[970年]])から[[天元 (日本)|天元]]元年([[978年]])の間に生まれ、少なくとも[[寛仁]]3年([[1019年]])までは存命したとされ、その後の没年は誕生年と同じく、研究者ごとに様々な説が出されるがどれも確証はなく不明である<ref name="birth"/>。(各説は「[[#生没年|生没年]]」参照) [[歌人]]として『[[百人一首]]』に収められている[[和歌]](57番)は広く知られており{{efn|「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」<ref>[https://www.shigureden.or.jp/about/database_03.html?id=57 小倉百人一首文化財団・時雨殿]</ref>}}、[[中古三十六歌仙]]および[[女房三十六歌仙]]の一人でもある。また子供時代から晩年に至るまで自らが詠んだ[[和歌]]から選び収めた[[家集]]『[[紫式部集]]』があり、『[[拾遺和歌集]]』以下の[[勅撰和歌集]]に計51首の和歌が収められている<ref>{{Cite Kotobank|word=紫式部|encyclopedia=朝日日本歴史人物事典|access-date=2020年7月9日}}</ref>。 また長編物語で54帖から成る『[[源氏物語]]』の作者とされ、和歌795首が詠み込まれ[[平安時代|平安]]中期の[[貴族#日本|貴族]]社会が描かれている。日記作品としては[[藤原道長]]の要請で[[宮中]]に上がった際に宮中の様子を書いた『[[紫式部日記]]』を残しており、和歌18首が詠み込まれている。後に、この2作品は『[[源氏物語絵巻]]』『[[紫式部日記絵巻]]』として絵画化された{{efn|約150年後の平安時代末期に『[[源氏物語絵巻]]』、約200年後の鎌倉時代初期に『[[紫式部日記絵巻]]』が制作された。}}。 父の[[藤原為時]]は、[[官位]]は[[正五位|正五位下]]と下級貴族ながら{{efn|[[律令制#日本の律令制|律令制]]における「[[貴族#日本|貴族]]」とは五位以上の者を指した。五位は、さらに4つに分かれ、上から、正五位上、正五位下、従五位上、従五位下。詳細は「[[位階#律令制における位階|律令制における位階]]」とその一覧表を参照。}}<ref name=genji-shikibu> [[三田村雅子]]『「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』(NHK出版、2015年12月25日発行)</ref>、[[花山天皇]]に[[漢学]]を教えた[[漢詩人]]、歌人である<ref name=genji-shikibu/>。[[藤原宣孝]]と結婚し、一女([[大弐三位]])を産んだ。[[長保]]3年([[1001年]])、結婚からわずか3年ほどで夫が卒去する。その後『源氏物語』を書き始め{{efn|『紫式部日記』より。[[日本文学]]研究者の[[三田村雅子]]によれば、当初、仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合ったりして楽しんでいたことから「最初は現代の[[同人誌]]のような楽しみ方だった」という<ref name=genji-shikibu/>。}}、その評判を聞いた道長に召し出されて、その娘で、[[一条天皇]][[中宮]]の[[藤原彰子|彰子]]に仕えている間に『源氏物語』を完成させた<ref>『百科事典[[マイペディア]]』「紫式部」の項([[平凡社]]、[[2006年]])</ref>。 なお、『[[紫式部集]]』には、夫の卒去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている{{efn|name="shikibu-waka"|意味は「夫が火葬により煙となった夜から塩釜をとても身近に思う」。「塩釜」は[[海藻]]を焼き塩を取ることで知られる地名で、現在の[[宮城県]][[塩竈市]]。}}。 == 略伝 == [[ファイル:大弐三位歌碑.JPG|thumb|200px|<center>紫式部歌碑<br />「めぐりあひて 見しや<br />それとも わかぬ間に<br />雲がくれにし<br />夜半の月影(百人一首 57番)」<br />&nbsp; &nbsp; [[京都市]][[上京区]]廬山寺内<ref>[http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/31sikibu.html 廬山寺公式HP-紫式部] - 天台圓淨宗廬山寺 2018年4月15日閲覧</ref> &nbsp; &nbsp;</center>]] [[ファイル:Series D 2K Yen Bank of Japan note - back.jpg|231px|thumb|[[二千円紙幣]]D券裏面に描かれている紫式部(右下)。]] [[藤原氏|藤原北家]][[藤原良門|良門流]]の[[越後国|越後守]]・[[藤原為時]]の娘で、母は[[摂津国|摂津守]]・[[藤原為信]]女であるが、幼少期に母を亡くしたとされる。同母の兄弟に[[藤原惟規]]がいる(同人の生年も不明であり、式部とどちらが年長かについては両説が存在する<ref>堀内秀晃「紫式部諸説一覧 二 惟規との前後関係」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』(明治書院、[[1970年]]8月)pp. 338</ref>)ほか、姉がいたこともわかっている。三条[[右大臣]]・[[藤原定方]]、堤中納言・[[藤原兼輔]]はともに父方の曽祖父で、一族には文辞を以って聞こえた人が多い。 幼少の頃より当時の女性に求められる以上の才能で[[漢文]]を読みこなしたなど、才女としての逸話が多い。54帖にわたる大作『[[源氏物語]]』、宮仕え中の日記『[[紫式部日記]]』を著したというのが通説で、和歌集『[[紫式部集]]』が伝わっている。 父・為時は30代に[[東宮]]の読書役を始めとして東宮が[[花山天皇]]になると[[蔵人]]、[[式部大丞]]と出世したが、花山天皇が[[出家]]すると[[散位]]となる(位禄はある)。10年後、[[一条天皇]]に詩を奉じた結果、[[越前国]]の[[受領]]となる。紫式部は娘時代の約2年を父の任国で過ごす。 [[長徳]]4年([[998年]])頃、親子ほども年の差があり、又従兄妹でもある{{efn|紫式部の父方の祖母と、宣孝の父方の祖父・[[藤原朝頼]]がともに[[藤原定方]]の子である。}}[[山城国|山城守]]・[[藤原宣孝]]と結婚して[[長保]]元年([[999年]])に一女・藤原賢子([[大弐三位]])を儲けた。この結婚生活は長く続かず、間もなく長保3年4月15日([[1001年]]5月10日)に宣孝と死別した。 [[寛弘]]2年[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]([[1006年]][[1月31日]])、もしくは[[寛弘]]3年の同日([[1007年]][[1月20日]])より、一条天皇の[[中宮]]・[[藤原彰子|彰子]]([[藤原道長]]の長女、のち[[院号]]宣下して上東門院)に[[女房]]兼(現代でいえば)[[家庭教師]]役として仕え、少なくとも寛弘8年([[1012年]])頃まで奉仕し続けたようである。 なおこれに先立ち、[[永延]]元年([[987年]])の藤原道長と[[源倫子]]の結婚の際に、倫子付きの女房として出仕した可能性が指摘されている。『源氏物語』解説書の『[[河海抄]]』『[[紫明抄]]』や歴史書『[[今鏡]]』には紫式部の経歴として倫子付き女房であったことが記されている。従来の伝記では顧みられることはなかった。しかし、他にも『紫式部日記』からうかがえる、新参の女房に対するものとは思えぬ道長や倫子からの格別な信頼・配慮があること、永延元年当時は為時が散位であったこと、倫子と紫式部はいずれも曽祖父に藤原定方を持ち遠縁に当たることなどが挙げられる。また[[女房名]]からも、為時が式部丞だった時期は彰子への出仕の20年も前であり、さらにその間に越前国の国司に任じられているため、寛弘2年に初出仕したのであれば父の任国「越前」や亡夫の任国・役職の「[[山城国|山城]]」「右衛門権佐」にちなんだ名を名乗るのが自然で、地位としてもそれらより劣る「式部」を女房名に用いるのは考えがたく、そのことからも初出仕の時期は寛弘2年以前であるという説である<ref>徳満澄雄「紫式部は鷹司殿倫子の女房であったか」(『語文研究』第62号、[[1986年]])pp. 1-12</ref>。 『[[詞花和歌集|詞花集]]』に収められた[[伊勢大輔]]の「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」という和歌は宮廷に献上された八重桜を受け取り中宮に奉る際に詠んだものだが、『伊勢大輔集』によればこの役目は当初紫式部の役目だったものを式部が新参の大輔に譲ったものだった。 [[藤原実資]]の日記『[[小右記]]』[[長和]]2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]([[1014年]][[6月25日]])条で「実資の甥で養子である[[藤原資平]]が実資の代理で皇太后彰子のもとを訪れた際『越後守為時女』なる女房が取り次ぎ役を務めた」旨の記述が紫式部で残された最後のものとし、よって[[三条天皇]]の長和年間([[1012年]] - [[1016年]])に没したとするのが[[昭和]]40年代までの通説だったが、現在では、『小右記』寛仁3年正月5日([[1019年]][[2月18日]])条で、実資に応対した「女房」を紫式部本人と認め<ref name="tsunoda-1966-name">[[角田文衞]]「紫式部の本名」『紫式部とその時代』([[角川書店]]、1966年)。</ref>、さらに、西本願寺本『[[平兼盛|平兼盛集]]』巻末逸文に「おなじ宮の藤式部、…式部の君亡くなり…」とある詞書と和歌を、岡一男説<ref>岡一男「紫式部の晩年の生活附説 紫式部の没年について 『平兼盛集』を新資料として」(『増訂 源氏物語の基礎的研究 紫式部の生涯と作品』[[東京堂出版]]、[[1966年]])pp. 143-170。</ref>の『[[藤原頼宗|頼宗集]]』の逸文ではなく、『定頼集』の逸文と推定し、この詠歌以前には死亡していたとする萩谷朴説<ref>萩谷朴「解説・作者について」(『紫式部日記全注釈』下巻、 角川書店、[[1973年]]8月)pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217。</ref>、今井源衛説が存在する。さらに[[森本元子]]は、この逸名歌集の編纂者を[[藤原道綱]]の娘豊子・美作三位とし、没年時は萩谷説に矛盾はないとした<ref>{{Cite book|和書 |title=森本元子「西本願寺本兼盛集付載の佚名家集―その性格と作者」『古典文学論考 枕草子 和歌 日記』 |date=1998年9月1日 |year= |publisher=新典社}}</ref>。これに対し、逸名歌集12首の詠作年次を[[治安 (元号)|治安元年]](1021年)春、[[藤原彰子|彰子]]後宮女房の歌稿集の編纂者として伊勢大輔とする上原作和説もある<ref>{{Cite book|和書 |title=紫式部伝-平安王朝百年を見つめた生涯 |date=2023-10-20 |year=2023 |publisher=勉誠社 |author=上原作和 |page=295-301 |isbn=978-4585390350}}</ref>。 現在、[[日本銀行券]]の[[D号券]]の[[2000円札]]の裏には小さな肖像画と『[[源氏物語絵巻]]』の一部を使用している。 == 人物 == [[ファイル:Lune Ishiyama Yoshitoshi.jpg|thumb|『石山月』([[月岡芳年]]『月百姿』)『源氏物語』を執筆する紫式部]] [[ファイル:Murasaki Shikibu 1876.jpg|thumb|「古今姫鑑」紫式部 月岡芳年/画([[明治]]9)[[1876年]]]] === 本名 === 紫式部の本名は不明とされてきた<ref>島津久基『紫式部・人とその作品』(日本書院、1948年)87頁</ref>。ただし、『[[御堂関白記]]』の[[寛弘]]4年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]([[1007年]][[2月19日]])の条において[[掌侍]]になったとされる記事のある'''藤原 香子'''(かおるこ/たかこ/こうし)とする[[角田文衛]]の説(1963年)がある<ref name="tsunoda-1966-name" />{{efn|なお、発表後にあった批判に対する反論と誤謬の訂正を加え、『紫式部伝― その生涯と『源氏物語』―』(法蔵館、2007年)に角田説は集大成されている。}}。この説は発表当時「日本史最大の謎」として讀賣新聞等で報道された。 ただし、この説は仮定を重ねている部分も多く推論の過程に誤りが含まれているといった批判もある<ref>今井源衛「紫式部本名香子説を疑う」(『国語国文』34巻1号、[[1965年]]) のち『王朝文学の研究』(角川書店、[[1976年]])および『今井源衛著作集 3 紫式部の生涯』に収録。</ref>。その他にも、もし紫式部が「[[掌侍]]」という[[律令制]]に基づく公的な地位を有していたのなら[[勅撰集]]や系譜類に何らかの言及があると思えるのにそのような痕跡が全く見えないのはおかしいとする批判も根強くある<ref>岡一男「紫式部の本名 藤原香子説の根本的否定」(『増訂 源氏物語の基礎的研究 -紫式部の生涯と作品-』東京堂出版、[[1966年]]8月)pp. 598-613。</ref>。その後、萩谷朴の香子説追認論文<ref>萩谷朴「解説・作者について」『紫式部日記全注釈』下巻(角川書店、[[1973年]]8月)pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217 </ref>も提出されたが、未だにこの説に関しての根本的否定は提出されておらず、しかしながら広く認められた説ともなっていないのが現状である。また、香子の読みを「よしこ」とする説もある。 === その他の名前 === [[女房名]]は「藤式部」。「式部」は父為時の官位([[式部省]]の官僚・式部大丞だったこと)に由来するとする説と、同母兄弟の惟規の官位によるとする説とがある<ref>堀内秀晃「紫式部諸説一覧 九 式部と呼ばれた理由」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』 明治書院、[[1970年]]8月)pp. 348。</ref>。 現在一般的に使われている「紫式部」という呼称について、「[[紫]]」のような色名を冠した呼称はこの時代他に例が無く、このような名前で呼ばれるようになった理由については様々に推測されている。一般的には「紫」の称は『源氏物語』または特にその作中人物「[[紫の上]]」に由来すると考えられている<ref>堀内秀晃「紫式部諸説一覧 10 藤式部が紫式部と呼ばれた理由」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』(明治書院、[[1970年]]8月)pp. 348-350。</ref>。 また、[[上原作和]]は、『紫式部集』の宣孝と思しき人物の詠歌に「ももといふ名のあるものを時の間に散る桜にも思ひおとさじ」とあることから、幼名・通称を「もも」とする説を提示した<ref>上原作和「紫式部伝4-生い立ちI-幼名「もも」説の提唱」上原作和・編集『人物で読む源氏物語』「藤壺の宮」巻([[勉誠出版]]、[[2005年]]5月)pp. 317-319 ISBN 978-4-585-01144-6。</ref>。今後の検証が待たれる。 === 婚姻関係 === 紫式部の夫としては[[藤原宣孝]]がよく知られており、これまで式部の結婚はこの一度だけであると考えられてきた。しかし、「紫式部=藤原香子」説との関係で、『[[権記]]』の[[長徳]]3年([[997年]])8月17日条に現れる「後家香子」なる女性が藤原香子=紫式部であり、紫式部の結婚は藤原宣孝との一回限りではなく、それ以前に[[紀時文]]との婚姻関係が存在したのではないかとする説が唱えられている<ref>上原作和「ある紫式部伝 本名・藤原香子説再評価のために」[[南波浩]]『紫式部の方法 源氏物語 紫式部集 紫式部日記』(笠間書院、[[2002年]]11月)pp. 469-492。ISBN 4-305-70245-2 </ref>。 『[[尊卑分脈]]』において紫式部が[[藤原道長]][[妾]]であるとの記述がある([[#道長妾|後述]])ことは古くからよく知られていたが、この記述については後世になって初めて現れたものであり、事実に基づくとは考えがたいとするのが一般的な受け取り方であった。しかしこれは『紫式部日記』にある「紫式部が藤原道長からの誘いをうまくはぐらかした」旨の記述が存在することを根拠として「紫式部は二夫にまみえない貞婦である」とした『尊卑分脈』よりずっと後になって成立した観念的な主張に影響された判断であり、一度式部が道長からの誘いを断った記述が存在し、たとえそのこと自体が事実だとしても、最後まで誘いを断り続けたのかどうかは日記の記述からは不明であり、また当時の婚姻制度や家族制度から見て式部が道長の妾になったとしても法的にも道徳的にも問題があるわけではないのだから、『尊卑分脈』の記述を否定するにはもっときちんとしたそれなりの根拠が必要であり、この記述はもっと真剣に検討されるべきであるとする主張もある{{要出典|date=2013年5月}}。 === 日本紀の御局 === 『[[源氏物語|源氏の物語]]』を女房に読ませて聞いた一条天皇が作者を褒めてきっと日本紀(『[[日本書紀]]』のこと)をよく読み込んでいる人に違いないと言ったことから「日本紀の御局」とあだ名されたとの逸話があるが、これには女性が漢文を読むことへの揶揄があり本人には苦痛だったようであるとする説が通説である。 {{Cquote|「内裏の上の源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに この人は日本紀をこそよみたまへけれまことに才あるべし とのたまはせけるをふと推しはかりに いみじうなむさえかある と殿上人などに言ひ散らして日本紀の御局ぞつけたりけるいとをかしくぞはべるものなりけり」(『[[紫式部日記]]』)}} === 生没年 === 当時の受領階級の女性一般がそうであるように、紫式部の生没年を明確な形で伝えた記録は存在しない。そのため紫式部の生没年については様々な状況を元に推測した複数の説が存在しており、定説が無い状態である。 生年については両親が婚姻関係になったのが父の為時が初めて国司となって[[播磨国]]へ赴く直前と考えられることからそれ以降であり、かつ同母の姉がいることから、そこからある程度経過した時期であろうと推測される。だが同母兄弟である藤原惟規とどちらが年長であるのかも不明であり、以下のような様々な説が混在する<ref>堀内秀晃「紫式部諸説一覧 出生年次」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』明治書院、[[1970年]]8月、pp. 336-338。</ref>。 * 天禄元年([[970年]])説(今井源衛<ref>今井源衛「紫式部の出生年度」『文学研究』第63輯、[[1966年]]3月。のち『王朝文学の研究』角川書店、[[1970年]]。及び『今井源衛著作集 3 紫式部の生涯』笠間書院、2003年7月30日、pp. 181-205。ISBN 4-305-60082-X </ref>、[[稲賀敬二]]<ref>稲賀敬二「天禄元年ころの誕生か」『日本の作家12 源氏の作者 紫式部』(新典社、[[1982年]]11月)pp. 13-14。ISBN 978-4787970121 </ref>、後藤祥子) * 天禄3年([[972年]])説(小谷野純一<ref>小谷野純一「解説」『紫式部日記』笠間書院、[[2007年]]4月、pp. 197-227 ISBN 978-4-305-70420-7 </ref>) * [[天延]]元年([[973年]])説([[岡一男]]<ref>岡一男「紫式部の生涯」『源氏物語講座 第二巻作者と時代』(有精堂、[[1971年]]12月)pp. 1-58 </ref>、角田文衛{{Sfn|角田|2007|p=600}}) * 天延2年([[974年]])説([[萩谷朴]]<ref>萩谷朴「解説・作者について」『紫式部日記全注釈』下巻、角川書店、[[1973年]]8月、pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217 </ref>) * 天延3年([[975年]])説(南波浩<ref>南波浩『紫式部全評釈』笠間書院、[[1983年]]</ref>) * 天元元年([[978年]])説([[安藤為章]]『[[紫家七論]]』、[[与謝野晶子]]、[[島津久基]]<ref>島津久基『日本文学者評伝全書 紫式部』青梧堂、1943年。</ref>)資料・作品などから[[1008年]](寛弘5年)に30歳くらいと推測されることなどを理由とする。 また、没年についても、紫式部と思われる「為時女なる女房」の記述が何度か現れる[[藤原実資]]の日記『[[小右記]]』において、長和2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]([[1014年]][[6月25日]])の条で「実資の甥で養子である[[藤原資平]]が実資の代理で皇太后彰子のもとを訪れた際『越後守為時女』なる女房が取り次ぎ役を務めた」旨の記述が紫式部について残された明確な記録のうち最後のものであるとする認識が有力なものであったが、これについても異論が存在し、これ以後の明確な記録がないこともあって、以下のような様々な説が存在している<ref>堀内秀晃「紫式部諸説一覧 紫式部の没年」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』(明治書院、[[1970年]]8月)pp. 352-354。</ref>。 * 長和3年([[1014年]])2月の没とする岡一男の説<ref>岡一男「紫式部の晩年の生活附説 紫式部の没年について 『平兼盛集』を新資料として」『増訂 源氏物語の基礎的研究 紫式部の生涯と作品』(東京堂出版、[[1966年]])pp. 143-170。</ref>。なお、岡説は前掲の西本願寺本『平兼盛集』の逸文に「おなじみやのとうしきぶ、おやのゐなかなりけるに、『いかに』などかきたりけるふみを、しきぶのきみなくなりて、そのむすめ見はべりて、ものおもひはべりけるころ、見てかきつけはべりける」とある詞書を、賢子と交際のあった[[藤原頼宗]]の『頼宗集』の残欠が混入したものと仮定している。 * 長和5年([[1016年]])頃没とする[[与謝野晶子]]の説<ref>与謝野晶子「紫式部新考」『[[太陽 (博文館)|太陽]]』昭和3年2月号。のち『日本文学研究資料叢書 源氏物語 1』 有精堂、[[1969年]]10月、pp. 1-16。ISBN 4-640-30017-4 </ref>(『小右記』[[長和]]5年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]([[1016年]][[6月6日]])条にある父・為時の出家を近しい身内(式部)の死と結びつける説が有力であることによる) * 寛仁元年([[1017年]])以後の没とする[[山中裕]]による説(『源氏物語』の主人公である光源氏が「[[太上天皇]]になずらふ」存在となったのは、紫式部が同年の[[敦明親王]]の[[皇太子#日本の皇太子|皇太子]]辞退と[[准太上天皇]]の待遇授与の事実を知っていたからとする)<ref>山中裕「紫式部の生涯と後宮」(書き下ろし)『源氏物語の史的研究』([[思文閣出版]]、[[1997年]][[6月1日]]) ISBN 978-4-7842-0941-5。</ref> * 寛仁3年([[1019年]])『[[小右記]]』正月5日条に実資と相対した「女房」を紫式部と認め、かつ西本願寺本『平兼盛集』巻末逸文を、娘・賢子の交友関係から『定頼集』の逸文と推定して寛仁3年内の没とする、萩谷朴<ref>萩谷朴「解説・作者について」『紫式部日記全注釈』下巻(角川書店、[[1973年]]8月)pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217。</ref>や今井源衛による説。 * [[治安 (元号)|治安元年]](1021年)春を西本願寺本『平兼盛集』巻末逸名歌12首の詠作年次とし、疫病蔓延の前年(1020年)暮れまでに没したとする上原作和説<ref>{{Cite book|和書 |title=紫式部伝-平安王朝百年を見つめた生涯 |date=2023-10-20 |year=2023 |publisher=勉誠社 |page=295-301 |isbn=978-4585390350}}</ref>。 * [[万寿]]2年([[1025年]])以後の没とする安藤為章による説(『[[栄花物語]]』「楚王の夢」の解釈を根拠として娘の大弐三位が後の[[後冷泉天皇]]の[[乳母]]となった時点で式部も生存していたと考えられるとする)。 * 『[[小右記]]』に見える「女房」を紫式部とすれば、万寿、長元年間まで生存していたとする倉本一宏説<ref>{{Cite book|和書 |title=紫式部と藤原道長 |date=2023-9-21 |year=2023 |publisher=講談社現代新書 |author=倉本一宏 |pages=312-317 |isbn=978-4065332542}}</ref>。 * 長元4年([[1031年]])没とする角田文衛による説(『[[続後撰和歌集|続後撰集]]』に長元3年8月([[1030年]])の作品が確認出来ることなどを理由とする)<ref>角田文衞「紫式部の歿年」『紫式部とその時代』(角川書店、[[1971年]])所収、のち『紫式部伝―その生涯と「源氏物語」』([[法藏館]]、2007年)pp. 216-241。</ref>。ただし、この詠歌は『紫式部集』からの再録であり、本来の詞書「土御門院」を、再録に際して「東北院」と改めたに過ぎない。 === 墓所 === 紫式部の[[墓]]と伝えられるものが[[京都市]][[北区 (京都市)|北区]]紫野西御所田町(堀川北大路下ル西側)に残されており、[[小野篁]]の墓とされるものに隣接して建てられている。この場所は[[淳和天皇]]の[[離宮]]があり、紫式部が晩年に住んだと言われ、後に[[大徳寺]]の別坊となった[[雲林院]]百毫院の南にあたる。京都市の建札によれば、この場所から[[東北地方|東北]]の地域はかつては[[小野氏]]の領地だったが、後に[[藤原氏]]の所有となった。<ref>{{Cite book|和書 |title=観世三十三巻 |date=12月1日 |year=1966年12月 |publisher=檜書店 |pages=q22-23}}</ref>この地に紫式部古くは[[14世紀]]中頃の『源氏物語』注釈書『[[河海抄]]』([[四辻善成]])に、「式部墓所在雲林院白毫院南 小野篁墓の西なり」と明記されており、[[15世紀]]後半の注釈書『[[花鳥余情]]』([[一条兼良]])、[[江戸時代]]の書物『扶桑京華志』や『山城名跡巡行志』『山州名跡志』にも記されている。この情報が長い間にわたり、両家の墓所として保たれてきた理由を示している。[[1989年]]に社団法人紫式部顕彰会によって整備された。<ref>{{Cite web|和書|title=紫式部顕彰会|url=http://murasaki-shikibu.la.coocan.jp/|website=murasaki-shikibu.la.coocan.jp|accessdate=2019-04-07}}</ref>この時、篤志家・近藤清一氏はこの計画に賛同、[[四国]]の[[吉野川]]上流で産出した大きな[[花崗岩]](高さ1950m、幅120m)を碑石として寄附した<ref>{{Cite book|和書 |title=紫式部外伝-その生涯と『源氏物語』- |date=1月25日 |year=2007年 |publisher=法蔵館 |pages=255-256}}</ref>。[[京都市北区の町名|京都市北区]]の観光名所の一つになっている。 === その他 === 貴族では珍しく[[イワシ]]が好物であったという説話があるが、元は『猿源氏草紙』での[[和泉式部]]の話であり、後世の作話と思われる。 == 紫式部日記 == [[ファイル:Hyakuninisshu 057.jpg|thumb|200px|紫式部 [[百人一首]] 57番より「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」]] [[ファイル:RosanjiTeien.jpg|thumb|200px|紫式部邸址(廬山寺「源氏庭」)]] === 人物評 === 同時期の有名だった女房たちの人物評が見られる。中でも最も有名なのが『[[枕草子]]』作者の[[清少納言]]に対する下りである(以下は意訳)。 *「得意げに真名(漢字)を書き散らしているが、よく見ると間違いも多いし大した事はない」(「清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば まだいと足らぬこと多かり」『紫日記』黒川本)、 *「こんな人の行く末にいいことがあるだろうか(いや、ない)」(「そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ」『紫日記』黒川本) 殆ど陰口ともいえる辛辣な批評である。これらの表記は近年に至るまで様々な憶測や、ある種野次馬的な興味(紫式部が清少納言の才能に嫉妬していたのだ、など)を持って語られている。もっとも本人同士は年齢や宮仕えの年代も10年近く異なるため、実際に面識は無かったものと見られている。近年では、『紫式部日記』の政治的性格を重視する視点から、清少納言の『枕草子』が故皇后・[[藤原定子|定子]]を追懐し、紫式部の主人である中宮・彰子の存在感を阻んでいることに苛立ったためとする解釈が提出されている<ref>山本淳子「『紫式部日記』清少納言批評の背景」(『古代文化』2001年9月号)。</ref>。同輩であった歌人の[[和泉式部]](「素行は良くないが、歌は素晴らしい」など)や[[赤染衛門]](「家柄は良くないが、歌は素晴らしい」など)には、否定的な批評もありながらも概ね好感を見せている。 === 道長妾 === 『紫式部日記』には、夜半に道長が彼女の局をたずねて来る一節があり、[[鎌倉時代]]の[[公家]]系譜の集大成である『[[尊卑分脈]]』(『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』)になると、「上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾」と紫式部の項にはっきり「道長[[妾]]」との註記が付くようになるが、彼女と道長の関係は不明である。 === 主な派生作品 === * 『[[紫式部日記絵巻|紫式部日記絵詞]]』([[国宝]]、[[藤田美術館]]蔵) == 紫式部学会 == 紫式部学会とは昭和7年([[1932年]])[[6月4日]]に[[東京大学|東京帝国大学]][[文学部]][[国文学科]]主任教授であった[[藤村作]](会長)、東京帝国大学文学部国文学科教授であった[[久松潜一]](副会長)、東京帝国大学文学部国文学研究室副手であった[[池田亀鑑]](理事長)らによって、『源氏物語』に代表される古典文学の啓蒙を目的として設立された[[学会]]である。昭和39年([[1964年]])1月より事務局が[[神奈川県]][[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]にある[[鶴見大学]]文学部日本文学科研究室に置かれている。現在の会長は[[藤原克巳]]が務めている。 講演会を実施したり『源氏物語』を題材にした演劇の上演を後援したりしているほか、以下の出版物を刊行している。 * 機関誌『むらさき』戦前(昭和9年([[1934年]])8月〜昭和19年([[1944年]])6月)は月刊、戦後版(昭和37年([[1962年]])〜)は年刊 * 論文集『研究と資料 古代文学論叢』昭和年([[1969年]])6月〜年刊 武蔵野書院より刊行 == 関連作品 == <!--[[Wikipedia:関連作品]]より「記事の対象が、大きな役割を担っている(主役、準主役、メインキャラクター、キーパーソン、メインレギュラー、メインライバル、メイン敵役等)わけではない作品」や未作成記事作品を追加しないで下さい。--> ; 小説 * [[杉本苑子]]『散華 <small>紫式部の生涯</small>』 : ([[中央公論社|中央公論新社]]、[[1991年]]) 上 ISBN 4-12-001994-2、下 ISBN 4-12-001995-0 : ([[中公文庫]]、[[1994年]]) 上 ISBN 4-12-202060-3、下 ISBN 4-12-202075-1 * [[三枝和子]]『小説 紫式部香子の恋』 : ([[読売新聞社]]、1991年) ISBN 4-643-91087-9 : (福武文庫、1994年) ISBN 4-8288-5702-8 * 須山ユキヱ『紫式部幻影』 : (青弓社、1991年) * [[近藤富枝]]『紫式部の恋』 : ([[講談社]]、1992年)ISBN 4-062-05698-4 : ([[河出文庫]]、2011年)ISBN 978-4-309-41072-2 * [[ライザ・ダルビー]]、[[岡田好惠]]訳『紫式部物語 その恋と生涯』 : ([[光文社]]、2000年)上 ISBN 978-4-334-96102-2、下 ISBN 978-4-334-96103-9 : ([[光文社文庫]]、2005年)上 ISBN 978-4-334-76155-4、下 ISBN 978-4-334-76156-1 * [[夏山かほる]]『新・紫式部日記』 : ([[日本経済新聞出版]]、2020年) ISBN 978-4-532-17154-4 ; 映画 * 『紫式部』(1939年、演:歌川絹枝) * 『[[千年の恋 ひかる源氏物語]]』(2001年、演:[[吉永小百合]]) * 『[[源氏物語 千年の謎]]』(2011年、演:[[中谷美紀]]) ; テレビドラマ * 『女人連祷』(1958年、[[CBCテレビ]]、演:井川則子→[[山岡久乃]]) * 『紫式部絵巻』(1962年、[[TBS]]、演:[[香川京子]]) * 『源氏物語』(1965年、[[毎日放送]]、演:[[池内淳子]]) * 『[[源氏物語 上の巻・下の巻]]』(1991年、TBS、演:[[三田佳子]]) * 『[[光る君へ]]』(2024年予定、NHK[[大河ドラマ]]、演:[[吉高由里子]]) - 作中の名前は'''まひろ'''となっている。 ; 漫画 * さかぐち直美『紫式部―はなやかな源氏絵巻 (学研まんが人物日本史 平安時代)』([[学研ホールディングス|学研]]、1981年) * あおむら純『紫式部(小学館版学習まんが 少年少女人物日本の歴史)』([[小学館]]、1984年) * [[千明初美]]『紫式部(学習漫画日本の伝記)』([[集英社]]、1988年) * [[そにしけんじ]]『[[ねこねこ日本史]]』([[実業之日本社]]、2014年 - 、[[Eテレ]]アニメ版の声は[[小林ゆう]]) * 北神諒『紫式部(学研まんがNEW日本の伝記)』(学研プラス、2015年) * 高梨みどり『清少納言と紫式部(小学館版学習まんが人物館)』(小学館、2019年) * [[D・キッサン]]『神作家・紫式部のありえない日々』(『[[月刊コミックZERO-SUM]]』2021年12月号 - 、既刊3巻) ; バラエティ * [[ワルイコあつまれ]] (2022年8月13日、番組内コーナー『慎吾ママの部屋』、演 : [[宮澤エマ]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{reflist|20em}} == 参考文献 == * [[岡一男]]『増訂 源氏物語の基礎的研究 -紫式部の生涯と作品-』(東京堂出版、[[1966年]]8月) * 堀内秀晃「紫式部諸説一覧」[[阿部秋生]]編『諸説一覧源氏物語』(明治書院、[[1970年]]8月)pp. 335-354。 * [[萩谷朴]]「解説・作者について」『紫式部日記全注釈』下巻(角川書店、[[1973年]]8月)pp. 467-508 ISBN 978-4047610217 * [[今井源衛]]『今井源衛著作集 3 紫式部の生涯』(笠間書院、[[2003年]]7月30日) ISBN 4-305-60082-X * [[角田文衞]]『紫式部伝―その生涯と『源氏物語』―』(法藏館、[[2007年]]1月25日) ISBN 978-4-8318-7664-5 * [[倉本一宏]]『紫式部と平安の都』(吉川弘文館、[[2014年]]9月18日) ISBN 978-4642067867 * 倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書、2023年9月21日) {{ISBN2| 978-4065332542}} * [[上原作和]]『紫式部伝ー平安王朝百年を見つめた生涯』(勉誠社、2023年10月20日) {{ISBN2|978-4-585-39035-0}} == 関連項目 == <!-- 大きく関わるもののみ掲載。〜という作品に登場、程度のものは除外 --> * 『[[源氏物語]]』 * 『[[紫式部日記]]』 * 『[[紫式部日記絵巻]]』 * 『[[紫式部集]]』 * [[藤原為時]] - 紫式部の父 * [[藤原宣孝]] - 紫式部の夫 * [[大弐三位]] - 紫式部の娘 * [[藤原道長]] - 紫式部の支援者。 * 『[[御堂関白記]]』 - 藤原道長の日記。 * [[石山寺]] - 『源氏物語』執筆の場所とされる。 * [[大雲寺 (京都市)|大雲寺]] - [[源氏物語]] 第5帖「[[若紫]]」の舞台で、紫式部の曽祖父が初代[[住職]]。 * [[廬山寺]] - 紫式部邸宅址。 * [[宇治市源氏物語ミュージアム]] * [[紫式部公園]] - 父の任国・越前[[国府]]跡の公園([[福井県]][[越前市]])。 * [[紫式部文学賞]] - [[京都府]][[宇治市]]主催、女性の文学作品対象の文学賞。 * [[アニーローリー]] - 日本語で紫式部について歌う(題名『才女』)。 == 外部リンク == * {{青空文庫著作者|52}} * [http://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/ 紫式部邸宅址 廬山寺] * {{Kotobank}} * [https://www.kyotoside.jp/heian/ 平安時代の特設サイト(京都府公式メディア)] * {{Commonscat-inline}} * {{Wikiquote-inline|紫式部}} {{百人一首}} {{源氏物語}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:むらさきしきふ}} [[Category:紫式部|*]] [[Category:女房名]] [[Category:10世紀の歌人]] [[Category:11世紀の歌人]] [[Category:10世紀日本の女性著作家]] [[Category:11世紀日本の女性著作家]] [[Category:10世紀日本の小説家]] [[Category:11世紀日本の小説家]] [[Category:小倉百人一首の歌人]] [[Category:源氏物語]] [[Category:良門流]] [[Category:日本の女性歌人]] [[Category:平安時代の女官]] [[Category:平安時代の歌人]] [[Category:日本の女性小説家]] [[Category:女性日記作家]] [[Category:日本の日記作家]] [[Category:日本の紙幣の人物]] [[Category:藤原彰子]] [[Category:970年代生]] [[Category:11世紀没]]
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講談社X文庫
講談社X文庫(こうだんしゃエックスぶんこ)は、1984年創刊、講談社発行の文庫シリーズ。 初期の講談社X文庫(以下「旧X文庫」)は、漫画・アニメ(OVA『メガゾーン23』や『幻夢戦記レダ』など)・映画のノベライズ、ゲームブックや、タレント本などのレーベルであった。 1987年、X文庫のサブレーベルとして、少女小説の「ティーンズハート」が創刊された。整理番号は旧X文庫と同一であり、第一冊目は、著者番号57番、高岡みちしげ『ときめいてチャンピオン』。Xのマークをはじめとした背表紙などのデザインが変更されたのはこの時だと思われる。これにともない、旧X文庫の新刊や、重版分も新しいデザインになっている。この後、旧X文庫は絶版になってしまった。 その後はティーンズハートと、後に創設された「ホワイトハート」が続刊していたが、現在はホワイトハートのみ発売が継続されている。 昭和が終焉して間もなくは、レーベルと呼ぶには刊行点数が少ないとはいえ講談社X文庫「フレンド」より漫画・漫画家と連携した文庫群、講談社X文庫「BETSUFURE」として花井愛子の作品といった文庫小説も出版されていた。
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講談社X文庫(こうだんしゃエックスぶんこ)は、1984年創刊、講談社発行の文庫シリーズ。 初期の講談社X文庫(以下「旧X文庫」)は、漫画・アニメ(OVA『メガゾーン23』や『幻夢戦記レダ』など)・映画のノベライズ、ゲームブックや、タレント本などのレーベルであった。 1987年、X文庫のサブレーベルとして、少女小説の「ティーンズハート」が創刊された。整理番号は旧X文庫と同一であり、第一冊目は、著者番号57番、高岡みちしげ『ときめいてチャンピオン』。Xのマークをはじめとした背表紙などのデザインが変更されたのはこの時だと思われる。これにともない、旧X文庫の新刊や、重版分も新しいデザインになっている。この後、旧X文庫は絶版になってしまった。 その後はティーンズハートと、後に創設された「ホワイトハート」が続刊していたが、現在はホワイトハートのみ発売が継続されている。 昭和が終焉して間もなくは、レーベルと呼ぶには刊行点数が少ないとはいえ講談社X文庫「フレンド」より漫画・漫画家と連携した文庫群、講談社X文庫「BETSUFURE」として花井愛子の作品といった文庫小説も出版されていた。
{{出典の明記|date=2023年1月}} '''講談社X文庫'''(こうだんしゃエックスぶんこ)は、[[1984年]]創刊、[[講談社]]発行の[[文庫本|文庫]]シリーズ。 初期の講談社X文庫(以下「旧X文庫」)は、漫画・アニメ([[OVA]]『[[メガゾーン23]]』や『[[幻夢戦記レダ]]』など)・映画の[[小説化|ノベライズ]]、[[ゲームブック]]や、タレント本などのレーベルであった。 1987年、X文庫のサブレーベルとして、少女小説の「[[講談社X文庫ティーンズハート|ティーンズハート]]」が創刊された。整理番号は旧X文庫と同一であり、第一冊目は、著者番号57番、高岡みちしげ『ときめいてチャンピオン』。Xのマークをはじめとした背表紙などのデザインが変更されたのはこの時だと思われる。これにともない、旧X文庫の新刊や、重版分も新しいデザインになっている。この後、旧X文庫は絶版になってしまった。 その後はティーンズハートと、後に創設された「[[講談社X文庫ホワイトハート|ホワイトハート]]」が続刊していたが、現在はホワイトハートのみ発売が継続されている。 昭和が終焉して間もなくは、レーベルと呼ぶには刊行点数が少ないとはいえ講談社X文庫「フレンド」より漫画・漫画家と連携した文庫群、講談社X文庫「BETSUFURE」として[[花井愛子]]の作品といった文庫小説も出版されていた。 == 関連項目 == * [[文庫レーベル一覧]] == 脚注 == <references/> {{DEFAULTSORT:こうたんしやえつくすふんこ}} [[Category:講談社X文庫|*]] [[Category:講談社の文庫本|えつくすふんこ]] [[Category:廃刊したライトノベルレーベル]] [[Category:1984年刊行開始の刊行物]]
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9月28日
9月28日(くがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から271日目(閏年では272日目)にあたり、年末まであと94日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "9月28日(くがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から271日目(閏年では272日目)にあたり、年末まであと94日ある。", "title": null } ]
9月28日(くがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から271日目(閏年では272日目)にあたり、年末まであと94日ある。
{{カレンダー 9月}} '''9月28日'''(くがつにじゅうはちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から271日目([[閏年]]では272日目)にあたり、年末まであと94日ある。 == できごと == [[File:Tapisserie bato1.jpg|thumb|180px|[[ノルマン・コンクエスト]](1066年)。[[イングランド]]を征服した[[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]]は現代に続く[[イギリス王室]]の始祖となる]] {{multiple image | footer = [[第一インターナショナル]]結成(1864)。[[第一インターナショナル創立宣言]]を起草した[[カール・マルクス]]が指導権を得る | image1 = FRE-AIT.svg | width1 = 90 | alt1 = IWAロゴ | image2 = Karl Marx.jpg | width2 = 90 | alt2 = マルクス }} [[File:Douglas DC-8-62, Japan Airlines (JAL) JP6862131.jpg|thumb|180x180px|[[ダッカ日航機ハイジャック事件]](1977)]] [[File:港人聲援佔中抗拒警方封鎖 (15).jpg|thumb|180x180px|「雨傘革命」と呼ばれた[[2014年香港反政府デモ]](2014)]] * [[紀元前48年]] - [[古代ローマ|ローマ]]の[[執政官]][[グナエウス・ポンペイウス|ポンペイウス]]が[[プトレマイオス朝|エジプト]]軍の刺客により暗殺される。 * [[351年]] - [[ローマ内戦 (350年-353年)]]: [[ムルサ・マジョールの戦い]]([[:en:Battle_of_Mursa_Major|Battle of Mursa Major]]) * [[365年]] - [[プロコピウス]]が[[元老院 (ローマ)#コンスタンティノポリス元老院|コンスタンティノープル元老院]]からローマ皇帝と宣言される。 * [[935年]] - ボヘミア公[[ヴァーツラフ1世 (ボヘミア公)|ヴァーツラフ1世]]が弟{{仮リンク|ボレスラフ1世 (ボヘミア公)|en|Boleslaus I, Duke of Bohemia|label=ボレスラフ}}のクーデターにより殺害。 * [[1066年]] - [[ノルマンディー公]]ギヨーム([[ウィリアム1世 (イングランド王)|ウィリアム1世]])が[[イングランド王国|イングランド]]に侵入。[[ノルマン・コンクエスト]]が始まる。 * [[1106年]] - [[タンシュブレーの戦い]]が起こる。 * [[1238年]] - [[バレンシア包囲戦 (1238年)|バレンシア包囲戦]]([[:es:Sitio_de_Valencia_(siglo_XIII)|Sitio de Valencia (siglo XIII)]])が終了し同市が陥落する。この功績から[[アラゴン王]][[ハイメ1世 (アラゴン王)|ハイメ1世]]は後世「征服王」と呼ばれるようになる。 * [[1322年]] - [[ミュールドルフの戦い]]([[:en:Battle_of_Mühldorf|Battle of Mühldorf]])。[[神聖ローマ帝国]]皇帝[[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]が[[オーストリア大公]][[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]を破る。 * [[1394年]] - [[対立教皇]]として[[ベネディクトゥス13世 (対立教皇)|ベネディクトゥス13世]]が就任する。 * [[1538年]] - [[プレヴェザの海戦]]が行われる。 * [[1542年]] - [[フアン・ロドリゲス・カブリリョ]]が航海の末現在[[サンディエゴ|サンディエゴ湾]]と呼ばれる場所に上陸し、「サンミゲル」と命名。[[カリフォルニア]]に上陸した最初のヨーロッパ人になる。 * [[1708年]] - [[大北方戦争]]: [[レスナーヤの戦い]]。 * [[1745年]] - ロンドンの{{仮リンク|ドルリー・レーン王立劇場|en|Theatre Royal, Drury Lane}}で、後にイギリス国歌となる「[[女王陛下万歳]]」が初めて演奏。 * [[1779年]] - [[サミュエル・ハンティントン (連合会議議長)|サミュエル・ハンティントン]]が[[ジョン・ジェイ]]の後任として[[大陸会議]]議長に選ばれる。 * [[1781年]] - [[アメリカ独立戦争]]: アメリカ・フランス軍が[[ヨークタウン (バージニア州)|ヨークタウン]]のイギリス軍を包囲。[[ヨークタウンの戦い]]が始まる。 * [[1791年]] - [[モーツァルト]]の最後のオペラ「[[魔笛]]」が完成する。 * [[1794年]] - [[エコール・ポリテクニーク]]が創設される。 * [[1821年]] - [[メキシコ帝国独立宣言]]([[:en:Declaration_of_Independence_of_the_Mexican_Empire|Declaration of Independence of the Mexican Empire]])が起草される。 * [[1823年]] - [[レオ12世 (ローマ教皇)|レオ12世]]が[[ローマ教皇]]に即位。 * [[1844年]] - 父の死により[[スウェーデン=ノルウェー]]の王位を継承した[[オスカル1世 (スウェーデン王)|オスカル1世]]が戴冠式で戴冠。 * [[1864年]] - [[ロンドン]]で[[カール・マルクス|マルクス]]、[[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]らの主導により諸国の労働者代表が会合。国際労働者協会([[第一インターナショナル]])を結成。 * [[1867年]] - [[トロント]]が[[カナダ]]・[[オンタリオ州]]の州都になる。 * [[1868年]] - {{仮リンク|アルコレアの戦い|en|Battle of Alcolea (1868)}}、[[スペイン]]の[[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]がフランスに逃亡。 * [[1871年]] - [[ブラジル]]で[[奴隷]]の子供の解放を目的とした新生児自由法([[リオ・ブランコ法]])が制定。 * [[1889年]] - 第1回[[国際度量衡総会]]が開かれ、[[キログラム]]を[[白金]]と[[イリジウム]]の合金である国際キログラム原器の質量と定義し、国際キログラム原器を[[国際度量衡局]] (BIPM) が保管することが決定される、また[[メートル原器|国際メートル原器]]も承認された。 * [[1893年]] - [[ポルトガル]]・[[ポルト]]に本拠地を置く[[サッカー]]クラブである[[FCポルト]]が設立。 * [[1896年]] - [[シャルル・パテ]]([[:en:Charles_Pathé|Charles Pathé]])、[[エミール・パテ]]([[:en:Émile_Pathé|Émile Pathé]])、[[テオフィル・パテ]](Théophile Pathé)、[[ジャック・パテ]](Jacques Pathé)のパテ4兄弟が[[パリ]]にフォノグラフ・レコード([[蓄音機]])を販売する「パテ兄弟商会」(Société Pathé Frères)を設立。映画会社[[パテ (映画会社)|パテ・フレール]]の始まり。 * [[1898年]]([[光緒]]24年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]) - [[戊戌の変法|戊戌の政変]]: 政変の後に復権した[[西太后]]により捕らえられた[[楊深秀]]ら変法派の六人(「戊戌六君子」、下記「忌日」の項を参照)が処刑される。 * [[1901年]] - [[米比戦争]]: [[バレンジーガの戦い]]([[:en:Battle_of_Balangiga|Battle of Balangiga]]) * [[1902年]] - [[足尾台風]]が関東・東北南部を通過。小田原で[[小田原大海嘯]]が発生するなどし、全国で死者300人以上。 * [[1908年]] - [[ニザーム藩王国]]統治下の[[ハイデラバード (インド)|ハイデラバード]]で[[ムーシー川]]が大氾濫。 * [[1912年]] - [[アルスター規約]]([[:en:Ulster_Covenant|Ulster Covenant]])の署名が反第3次アイルランド自治法案を掲げる約50万人のプロテスタントによりなされる。 * 1912年 - [[アメリカ陸軍]]の[[フランク・S・スコット]]([[:en:Frank_S._Scott|Frank S. Scott]])が飛行機墜落事故で死亡し米陸軍初の飛行機事故での死亡者となる。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[アントワープ包囲戦]]([[:en:Siege_of_Antwerp_(1914)|Siege of Antwerp (1914)]])が始まる。 * [[1918年]] - [[白虹事件]]: [[大阪朝日新聞]]社長[[村山龍平]]が国粋団体[[黒龍会]]会員に襲撃される。 * 1918年 - [[第一次世界大戦]]: [[第五次イーペル会戦]]([[:en:Fifth_Battle_of_Ypres|Fifth Battle of Ypres]])が始まる。 * [[1919年]] - [[ラトビア大学]]がラトビア独立により創設される。 * [[1920年]] - 台風が関東地方、東北地方に接近。神奈川県で死者65人、埼玉県、栃木県、茨城県内で死者91人<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p339 河出書房新社 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。 * [[1921年]] - [[安田財閥]]総帥の[[安田善次郎]]が、大磯の別邸で右翼浪人に暗殺される。 * [[1924年]] - [[ダグラス DWC]]が[[4月4日]]以来175日をかけて、編成部隊による[[:en:First aerial circumnavigation|初の航空機世界一周]]を達成する。 * [[1926年]] - 京浜線(現在の[[京浜東北線]]の一部)に[[自動ドア]]の電車が初めて登場。 * [[1938年]] - [[オスターの陰謀]]([[:en:Oster_conspiracy|Oster conspiracy]])。 * [[1939年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ナチス・ドイツ]]と[[ソビエト連邦]]が[[ドイツ・ソビエト境界友好条約]]を締結。両国の[[ポーランド第二共和国|ポーランド]]における勢力圏が画定する。 * 1939年 - 第二次世界大戦: [[ナチス・ドイツ]]軍が[[ポーランド第二共和国|ポーランド]]の首都[[ワルシャワ]]を占領。 * [[1941年]] - [[満州国|満洲]]・朝鮮国境の[[水豊ダム]]が営業発電を開始。 * 1941年 - [[ギリシャ]]北部での[[ブルガリア]]による占領に反対する[[ドラマの反乱]]([[:en:Drama_uprising|Drama uprising]])が始まる。 * [[1944年]] - ソ連軍が[[エストニア]]の[[クローガ強制収容所]]([[:en:Klooga_concentration_camp|Klooga_concentration_camp]])を解放。 * [[1948年]] - [[国際司法裁判所]]に関する[[国際連合安全保障理事会決議58]]が採択される。 * [[1950年]] - [[国際連合安全保障理事会決議86]]の採択を受けて[[インドネシア]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[1958年]] - [[フランス第五共和政]]の新[[フランス共和国憲法|憲法]]が国民投票([[1958年フランス憲法国民投票]]([[:en:1958_French_constitutional_referendum|1958 French constitutional referendum]]))で承認。 * 1958年 - [[ギニア]]の[[フランス共同体]]への加盟が国民投票で否決され、独立が決まる。 * [[1960年]] - 同日になされた[[国際連合安全保障理事会決議158]]と同[[国際連合安全保障理事会決議159|159]]の採択により分離前[[マリ連邦]]として既に加盟していた[[セネガル]]と[[マリ共和国|マリ]]が国際連合に再加盟。 * [[1961年]] - [[シリア]]が[[アラブ連合共和国]]から離脱。 * [[1964年]] - [[琵琶湖大橋]]が開通<ref>{{Cite web|和書|date=16 Seb 2015 |url=https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kendoseibi/douro/18960.html |title=橋、トンネル 琵琶湖大橋 |publisher=滋賀県 |accessdate=9 Mar 2023}}</ref>。 * 1964年 - [[三島由紀夫]]の小説『[[宴のあと]]』がプライバシーを侵害したとして、[[有田八郎]]元外相が作者と発行元の[[新潮社]]を訴えていた[[宴のあと#「宴のあと」裁判|『宴のあと』事件]]で、[[東京地方裁判所]]が原告勝訴の判決を下す。 * [[1966年]] - 前年1月に国連を脱退していたインドネシアが再加盟。 * [[1967年]] - [[上越線]]の[[清水トンネル#新清水トンネル|新清水トンネル]]が開通し、全線の複線化が完成。 * [[1970年]] - [[エジプト]]大統領[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]が心臓発作で急死。副大統領[[アンワル・アッ=サーダート]]が大統領に就任。 * [[1971年]] - [[宇宙科学研究所|東大宇宙航空研]]が第1号科学衛星「[[しんせい (人工衛星)|しんせい]]」を打ち上げ。 * 1971年 - [[美濃部亮吉]]東京都知事が都議会でゴミ処理危機を訴える「[[東京ゴミ戦争|ゴミ戦争]]宣言」を行う。 * [[1975年]] - イギリスロンドンで黒人強盗団が[[スパゲッティ・ハウス立てこもり事件]]を起こす。10月3日まで。 * [[1977年]] - [[ダッカ日航機ハイジャック事件]]。 * [[1978年]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が世界初の[[音声多重放送]]を開始。 * [[1984年]] - 高度情報通信システム([[ISDN|INS]])のモデル実験が[[三鷹市]]・[[武蔵野市]]で開始。 * [[1986年]] - [[民主進歩党]]の結党が132人の党外活動家後援が[[台北市]][[円山大飯店]]で開催されていた「党外後援会公認候補推薦大会組織」の席上突然にして宣言される。[[戒厳令]]の下の[[台湾]]では非合法とされたが当時の[[蔣経国]]総統により黙認される。 * [[1987年]] - [[青函トンネル]]に初の試運転列車が走る。 * [[1992年]] - [[パキスタン国際航空268便墜落事故]]。 * [[1994年]] - [[エストニア]]の[[フェリー]]「[[エストニア (クルーズフェリー)|エストニア号]]」が[[バルト海]]で沈没。死者852名。 * [[1995年]] - [[イツハク・ラビン]]と[[パレスチナ解放機構|PLO]]議長[[ヤーセル・アラファート|アラファート]]により[[タバ協定]]<ref group="注">別名「第二次オスロ協定(Oslo II Accord)」「ヨルダン川西岸とガザ地区に関する暫定合意(Interim Agreement on the West Bank and the Gaza Strip)」</ref>([[:en:Oslo_II_Accord|Oslo II Accord]])の署名がなされる。 * [[2000年]] - [[パレスチナ問題#2000 - 2005:第二次インティファーダ|パレスチナ問題]]: 野党時代の[[リクード]]党首[[アリエル・シャロン]]が[[神殿の丘]]に立ち入り、[[:en:Second Intifada|第二次インティファーダ]]の契機となる。 * [[2005年]] - [[北海道]][[根室市]]沖合で、[[イスラエル]][[国籍#船舶の国籍|船籍]]の「ZIM・アジア」による[[当て逃げ]]により[[サンマ]][[漁船]]「第三新生丸」が沈没、乗員7名死亡。 * [[2006年]] - [[タイ王国|タイ]]に、アジア最大規模となる[[スワンナプーム国際空港]]が開港。 * [[2008年]] - [[麻生内閣]]の[[中山成彬]]が自らの失言の責任を取り就任4日目で[[国土交通大臣]]を辞任<ref>{{Cite web|和書|date=29 Sep 2008 |url=http://japanese.joins.com/article/335/105335.html |title=麻生内閣早くも不安…懸念される総選挙 |publisher=中央日報 |accessdate=9 Mar 2023}}</ref>。 * 2008年 - アメリカの民間企業[[スペースX]]のロケット「[[ファルコン1]]」が初めて打ち上げに成功<ref>{{Cite web|和書|date=30 Sep 2008 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2522726 |title=民間ロケット「ファルコン1」の打ち上げ成功、民間企業で初 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=9 Mar 2023}}</ref>。 * 2008年 - F1世界選手権が[[1950年のF1世界選手権|1950年]]に始まってから数えて800レース目であると同時に、F1史上初のナイトレースである[[2008年シンガポールグランプリ]]が開催される。 * 2008年 - [[1964年]]より44年間続いた[[TBSラジオ]]の「[[全国こども電話相談室]]」が放送終了。 * [[2009年]] - [[ギニア]]で[[ムサ・ダディス・カマラ]]大統領に反対する野党集会に大統領警護隊が無差別発砲<ref>{{Cite web|和書|date=29 Sep 2009 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2647757 |title=軍事政権への抗議デモに発砲、87人死亡 ギニア |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=9 Mar 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=29 Sep 2009 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2647774 |title=ギニア軍政への抗議デモ鎮圧、死者157人か |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=9 Mar 2023}}</ref>。 * [[2012年]] - [[シーター・エア601便墜落事故]]。[[ネパール]]の首都[[カトマンズ]]郊外で[[ドルニエ 228]]型双発旅客機が墜落、乗客・乗員19人全員が死亡<ref>{{Cite web|和書|date=28 Sep 2012 |url=https://www.jiji.com/jc/d4?p=naf928-jlp13376531&d=d4_disaster |title=ネパール警察によると、首都カトマンズ郊外…:ネパール国内線墜落事故 写真特集 |work=JIJI.COM |publisher=[[時事通信社]] |accessdate=9 Mar 2023}}</ref>。 * 2012年 - [[キスマヨの戦い]]([[:en:Battle_of_Kismayo_(2012)|Battle of Kismayo (2012)]])。ソマリアなどのアフリカ連合軍が[[アル・シャバブ (ソマリア)|アル・シャバブ]]の過激派から都市を奪還。 * [[2014年]] - [[2014年香港反政府デモ]]において、[[香港]]中心部での座り込みとそれに対する警察の[[催涙スプレー]]などの使用による排除が始まる。 * [[2015年]] - [[クンドゥーズの戦い]]: ターリバーンがアフガニスタン第5の都市である州都[[クンドゥーズ]]市に突入し一時市内を掌握。 * 2015年 - 北アメリカの東部、南アメリカ、西ヨーロッパ、アフリカなどで[[月食]]が確認される({{仮リンク|2015年9月28日の月食|en|September 2015 lunar eclipse}})。 * 2015年 - [[インド]]初の多波長観測に特化した[[宇宙望遠鏡]]である[[アストロサット]]が打ち上げ。 * 2015年 - NASAが[[火星の生命|火星の水]]([[:en:Water_on_Mars|Water on Mars]])の存在を肯定<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/mars-water-idJPKCN0RT03320150929 |title=火星地表に「水」の流れ、NASAが発見 |access-date=9 Mar 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=28 Sep 2015}}</ref>。 * [[2016年]] - [[南オーストラリア州停電]]([[:en:2016_South_Australian_blackout|2016 South Australian blackout]])が発生する。 * [[2018年]] - インドネシアでマグニチュード7.5の[[スラウェシ島地震]]が発生する。4,340人が死亡、10,679人が負傷。 == 誕生日 == [[File:Caravaggio - Cena in Emmaus.jpg|thumb|[[バロック絵画]]を代表する[[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ]](1573-1610)誕生。画像は《エマオの晩餐》(1601)|180x180ピクセル]] {{multiple image | footer = [[イギリス]]の[[建築家]]、[[ジョサイア・コンドル]](1852-1920)誕生。右は[[旧岩崎邸庭園]]にある岩崎久弥茅町本邸洋館(1896) | image1 = Josiah-Conder-Portrait-1.jpg | width1 = 70 | alt1 = コンドル | image2 = Former Iwasaki Family House and Garden 2010.jpg | width2 = 110 | alt2 = 茅町本邸洋館 }} {{multiple image | footer = [[建築家]]、[[長野宇平治]](1867-1937)誕生。右は[[日本銀行本店]]別館(1938) | image1 = 長野宇平治.jpg | width1 = 65 | alt1 = 長野宇平治 | image2 = Bank of Japan headquarters extension part 2010.jpg | width2 = 115 | alt2 = 別館 }} {{multiple image | image1 = Ellis Peters.jpg | caption1 = 英国の[[小説家]][[イーディス・パージター]](1912-1995)誕生 | width1 = 90 | alt1 = イーディス・パージター | image2 = Brigitte Bardot.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[俳優|女優]]、[[ブリジット・バルドー]](1934-)誕生 | alt2 = 別館 }} {{multiple image | image1 = Ben E. King2.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[アメリカ合衆国|米国]]の[[ソウルミュージック|ソウル]]歌手[[ベン・E・キング]](1938-2015)誕生。代表曲は『[[スタンド・バイ・ミー (ベン・E・キングの曲)|スタンド・バイ・ミー]]』 | alt1 = ベン・E・キング | image2 = Sylvia Kristel (1973).jpg | width2 = 90 | caption2 = 『[[エマニエル夫人]]』で知られる[[オランダ]]の女優[[シルビア・クリステル]](1952-2012)誕生 | alt2 = シルビア・クリステル }} {{multiple image | image1 = Mika4.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[フィンランド]]の[[レーシング・ドライバー]][[ミカ・ハッキネン]](1968-)誕生 | alt1 = ミカ・ハッキネン | image2 = Kimiko Date Krumm 2010 Toray Pan Pacific Open.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[テニス]]プレイヤー[[伊達公子]](1970-)誕生 | alt2 = 伊達公子 }} [[File:Fedor Emelianenko 2012.jpg|thumb|90px|[[ロシア]]の[[総合格闘家]][[エメリヤーエンコ・ヒョードル]](1976-)誕生]] * [[616年]] - [[ジャヴァンシル]]([[:en:Javanshir|Javanshir]])、カフカス・アルバニア王(+ [[680年]]) * [[1555年]] - [[アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ (ブイヨン公)|アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ]]、[[ブイヨン公]](+ [[1623年]]) * [[1573年]] - [[テオドール・ド・マイエルヌ]]、医師(+ [[1654年]]) * [[1597年]]([[慶長]]2年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[松平忠国 (播磨国明石藩主)|松平忠国]]、初代[[明石藩|明石藩主]](+ [[1659年]]) * [[1605年]] - [[イスマイル・ブリオルド]]([[:en:Ismaël_Bullialdus|Ismaël Bullialdus]])、天文学者(+ [[1694年]]) * [[1681年]] - [[ヨハン・マッテゾン]]<ref>{{Cite web |title=Johann Mattheson {{!}} German musician and writer |url=https://www.britannica.com/biography/Johann-Mattheson |website=Britannica |access-date=2023-03-09 |language=en}}</ref>、[[作曲家]](+ [[1764年]]) * [[1698年]] - [[ピエール・ルイ・モーペルテュイ]]、数学者(+ [[1759年]]) * [[1705年]] - [[ヘンリー・フォックス (初代ホランド男爵)|ヘンリー・フォックス]]、初代[[ホランド男爵 (グレートブリテン貴族)|ホランド男爵]](+ [[1774年]]) * [[1721年]]([[享保]]6年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[蜂須賀宗鎮]]、第8代[[徳島藩|徳島藩主]](+ [[1780年]]) * [[1735年]] - [[オーガスタス・フィッツロイ (第3代グラフトン公)|オーガスタス・フィッツロイ]]、第3代[[グラフトン公]](+ [[1811年]]) * [[1746年]] - [[ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)|ウィリアム・ジョーンズ]]、[[言語学|言語学者]]、[[裁判官]](+ [[1794年]]) * [[1765年]] - [[フレゼリク・クリスチャン2世]]、''[[アウグステンブルク家|シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク公]](+'' [[1814年]]'')'' * [[1771年]]([[明和]]8年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[水野忠光]]、第3代[[唐津藩|唐津藩主]](+ [[1814年]]) * [[1803年]] - [[プロスペル・メリメ]]、[[作家]](+ [[1870年]]) * [[1809年]] - [[アルヴァン・ウェントワース・チャップマン]]、医師(+ [[1899年]]) * [[1819年]] - [[ナルシス・ムントリオル]]、[[技術者]]、[[芸術家]](+ [[1885年]]) * [[1823年]] - [[アレクサンドル・カバネル]]、画家(+ [[1889年]]) * [[1834年]] - [[シャルル・ラムルー]]、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1899年]]) * [[1836年]] - [[トーマス・クラッパー]]([[:en:Thomas_Crapper|Thomas Crapper]])、発明家(+ [[1910年]]) * [[1841年]] - [[ジョルジュ・クレマンソー]]、[[フランス首相]](+ [[1929年]]) * [[1844年]] - [[ロバート・スタウト]]([[:en:Robert_Stout|Robert Stout]])、[[政治家]]、[[ニュージーランドの首相|ニュージーランド首相]](+ [[1930年]]) * [[1846年]]([[弘化]]3年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[蜂須賀茂韶]]、[[徳島藩|徳島藩主]]、政治家(+ [[1918年]]) * [[1852年]] - [[ジョサイア・コンドル]]、[[建築家]](+ [[1920年]]) * 1852年 - [[アンリ・モアッサン]]、[[化学者]](+ [[1907年]]) * [[1856年]] - [[ケイト・ダグラス・ウィギン]]、作家(+ [[1923年]]) * [[1860年]] - [[ポール・ヴィラール]]、[[ガンマ線]]を発見した化学者、物理学者(+ [[1934年]]) * [[1863年]] - [[カルロス1世 (ポルトガル王)|カルロス1世]]、ポルトガル王(+ [[1908年]]) * [[1865年]] - [[アメリー・ドルレアン]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[カルロス1世 (ポルトガル王)|カルロス1世]]の王妃(+ [[1951年]]) * [[1867年]]([[慶応]]3年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[長野宇平治]]、建築家(+ [[1937年]]) * [[1870年]] - [[フローラン・シュミット]]、作曲家(+ [[1958年]]) * [[1877年]] - [[アルバート・ヤング]]([[:en:Albert_Young_(boxer)|Albert Young (boxer)]])、ボクサー(+ [[1940年]]) * [[1878年]] - [[ジョゼフ・ラディ|ジョセフ・ラディ]]([[:en:Joe_Ruddy|Joe Ruddy]])、水泳選手(+ [[1962年]]) * [[1882年]] - [[マート・サール]]([[:en:Mart_Saar|Mart Saar]])、作曲家(+ [[1963年]]) * [[1884年]] - [[杉村陽太郎]]、[[外交官]]、[[国際オリンピック委員会|IOC委員]](+ [[1939年]]) * [[1885年]] - [[エミル・ヴァーレ]]、レスリング選手(+ [[1974年]]) * [[1887年]] - [[アベリー・ブランデージ]]、[[国際オリンピック委員会|IOC]]第5代会長(+ [[1975年]]) * [[1889年]] - [[ジャック・フルニエ]]([[:en:Jack_Fournier|Jack Fournier]])、[[プロ野球選手]](+ [[1973年]]) * [[1892年]] - [[エルマー・ライス]]、[[脚本家]](+ [[1967年]]) * [[1893年]] - [[ヒルダ・ガイリンガー]]([[:en:Hilda_Geiringer|Hilda Geiringer]])、数学者(+ [[1973年]]) * [[1895年]] - [[ウォレス・K・ハリソン]]([[:en:Wallace_Harrison|Wallace Harrison]])、建築家(+ [[1981年]]) * [[1898年]] - [[カール・クラウベルク]]([[:en:Carl_Clauberg|Carl Clauberg]])、[[ナチス・ドイツ]]で活動した医師(+ [[1957年]]) * [[1900年]] - [[イザベル・ペル]]([[:en:Isabel_Pell|Isabel Pell]])、[[レジスタンス運動|レジスタンス]]活動家(+ [[1951年]]) * [[1901年]] - [[ウィリアム・S・ペイリー]]([[:en:William_S._Paley|William S. Paley]])、[[CBS]]設立者(+ [[1990年]]) * 1901年 - [[エド・サリヴァン]]、司会者(+ [[1974年]]) * [[1903年]] - [[ヘイウッド・ハンセル|ヘイウッド・S・ハンセル]]、軍人(+ [[1988年]]) * [[1905年]] - [[マックス・シュメリング]]、[[プロボクサー]](+ [[2005年]]) * 1905年 - [[ビル・ノータム]]([[:en:Bill_Northam|Bill Northam]])、[[セーリング|セーリング競技]]選手(+ [[1988年]]) * [[1906年]] - [[フーベルト・バルワーザー]]、[[フルート奏者]](+ [[1985年]]) * [[1908年]] - [[藤田良雄]]、[[天文学者]](+ [[2013年]]) * [[1909年]] - [[アル・キャップ]]([[:en:Al_Capp|Al Capp]])、作家(+ [[1979年]]) * [[1910年]] - [[ディオスダド・マカパガル]]、政治家、第9代[[フィリピン]][[フィリピンの大統領|大統領]](+ [[1997年]]) * [[1911年]] - [[エルスワース・バインズ]]、[[テニス]]選手(+ [[1994年]]) * [[1912年]] - [[大原富枝]]、[[小説家]](+ [[2000年]]) * [[1913年]] - [[イーディス・パージター]](エリス・ピーターズ)、[[作家]](+ [[1995年]]) * 1913年 - [[アリス・マーブル]]、[[テニス]]選手(+ [[1990年]]) * [[1914年]] - [[マリア・フランツィスカ・フォン・トラップ]]、亡命者(+ [[2014年]]) * [[1915年]] - [[坂東文夫]]、[[彫刻家]](+ [[2006年]]) * 1915年 - [[浜崎忠治]]、プロ野球選手(+ 没年不詳) * 1915年 - エセル・グリーングラス・ローゼンバーグ、[[ローゼンバーグ事件]]で知られる夫妻の妻(+ [[1953年]]) * [[1916年]] - [[ピーター・フィンチ]]、[[俳優]](+ [[1977年]]) * 1916年 - [[オルガ・レペシンスカヤ]]([[:en:Olga_Lepeshinskaya_(dancer)|Olga Lepeshinskaya (dancer)]])、[[バレリーナ]]、[[コレオグラファー]](+ [[2008年]]) * [[1918年]] - [[アンヘル・ラブルナ]]、[[サッカー選手]](+ [[1983年]]) * 1918年 - {{仮リンク|アーノルド・スタング|en|Arnold Stang}}、俳優(+ 2009年) * [[1920年]] - [[柚木進]]、元プロ野球選手(+ [[1997年]]) * [[1922年]] - [[ラリー・マンソン]]([[:en:Larry_Munson|Larry Munson]])、司会者、スポーツキャスター(+ [[2011年]]) * [[1923年]] - [[島田ばく]]、[[児童文学者]]、[[詩人]](+ [[2004年]]) * 1923年 - [[ジョン・スコット (第9代バックルフ公爵)|ジョン・スコット]]([[:en:John_Scott,_9th_Duke_of_Buccleuch|John Scott, 9th Duke of Buccleuch]])、第9代バックルフ公爵(+ [[2007年]]) * 1923年 - [[ウィリアム・ウィンダム (俳優)|ウィリアム・ウィンダム]]、俳優(+ [[2012年]]) * [[1924年]] - [[マルチェロ・マストロヤンニ]]、俳優(+ [[1996年]]) * 1924年 - [[ルドルフ・バルシャイ]]、[[ヴィオラ]]奏者、[[指揮者]](+ [[2010年]]) * 1924年 - [[ロゼッタ・ライツ]]([[:en:Rosetta_Reitz|Rosetta Reitz]])、[[社会運動家一覧|社会活動家]]、[[歴史家]]、[[ジャズ]]ミュージシャン(+ [[2008年]]) * [[1925年]] - [[シーモア・クレイ]]、[[スーパーコンピュータ]]設計者(+ 1996年) * 1925年 - [[マーティン・デヴィッド・クルスカル]]([[:en:Martin_David_Kruskal|Martin David Kruskal]])、物理学者(+ 2006年) * [[1927年]] - [[ナウム・シュタルクマン]]、ピアニスト(+ [[2006年]]) * [[1928年]] - [[ココ・テイラー]]、歌手(+ [[2009年]]) * [[1929年]] - [[三船浩]]、[[歌手]](+ [[2005年]]) * 1929年 - [[ラタ・マンゲシュカル]]、歌手、作曲家(+ [[2022年]]) * 1929年 - [[鄭小燕]]([[:en:Zheng_Xiaoying|Zheng Xiaoying]])、指揮者 * [[1930年]] - [[イマニュエル・ウォーラーステイン]]、[[社会学者]](+ [[2019年]]) * [[1931年]] - [[小倉基]]、政治家(+ [[2015年]]) * 1931年 - [[森谷司郎]]、[[映画監督]](+ [[1984年]]) * [[1932年]] - [[ビクトル・ハラ]]、シンガーソングライター、詩人(+ [[1973年]]) * [[1933年]] - [[湯浅憲明]]、映画監督(+ [[2004年]]) * 1933年 - [[ジョー・ベントン]]([[:en:Joe_Benton|Joe Benton]])、政治家 * [[1934年]] - [[ブリジット・バルドー]]、女優 * 1934年 - [[ジャネット・マンロー]]([[:en:Janet_Munro|Janet Munro]])、女優(+ [[1972年]]) * [[1935年]] - [[ロナルド・レイシー]]、俳優(+ [[1991年]]) * 1935年 - [[ヒーザー・シアーズ]]([[:en:Heather_Sears|Heather Sears]])、女優(+ [[1994年]]) * [[1936年]] - [[赤木健一]]、元プロ野球選手 * 1936年 - [[ロバート・ウォルダーズ]]([[:en:Robert_Wolders|Robert Wolders]])、俳優(+ [[2018年]]) * [[1937年]] - [[ロバート・シュール]]、陸上競技選手 * [[1938年]] - [[ベン・E・キング]]、歌手(+ [[2015年]]) * 1938年 - [[中村稔 (投手)|中村稔]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]]) * [[1939年]] - [[スチュアート・カウフマン]]、[[生物学者]] * 1939年 - [[ブルース・フローミング]]、メジャーリーグ審判員 * 1939年 - [[スチュアート・カウフマン]]、生物学者 * [[1940年]] - [[アレクサンドル・イワンチェンコフ]]、[[宇宙飛行士]] * [[1941年]] - [[デイヴィド・ルイス|デヴィッド・ルイス]]、哲学者(+ [[2001年]]) * 1941年 - [[エドムント・シュトイバー]]、[[バイエルン州]]知事 * [[1942年]] - [[石谷訓啓]]、元プロ野球選手 * 1942年 - [[ピエール・クレマンティ]]([[:en:Pierre_Clémenti|Pierre Clémenti]])、俳優(+ [[1999年]]) * 1942年 - [[ドナ・レオン]]([[:en:Donna_Leon|Donna Leon]])、作家 * [[1943年]] - [[土井喜美夫]]、政治家(+ [[2011年]]) * 1943年 - [[J・T・ウォルシュ]]、俳優(+ [[1998年]]) * [[1944年]] - [[ミロシュ・ゼマン]]、政治家、第3代[[チェコの大統領|チェコ大統領]] * 1944年 - [[東隆明]]、俳優 * 1944年 - [[サイモン・ウィンチェスター]]、ジャーナリスト、著作家 * 1944年 - [[小池雄介]]、俳優 * 1944年 - [[山口芳忠]]、元サッカー選手 * 1944年 - [[マーシャ・ミュラー]]、[[推理作家]] * [[1945年]] - [[マリエル・ゴイツェル]]([[:en:Marielle_Goitschel|Marielle_Goitschel]])、アルペンスキーヤー * 1945年 - [[重信房子]]、[[日本赤軍]]設立者 * 1946年 - [[ヘレン・シャピロ]]、歌手 * [[1947年]] - [[鈴木啓示]]、元プロ野球選手、元[[プロ野球監督]] * 1947年 - [[金田誠一]]、政治家(+ [[2023年]]) * 1947年 - [[千藤三樹男]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[ジェフリー・ジョーンズ]]、俳優 * 1947年 - [[シェイク・ハシナ]]、第10代バングラデシュ首相 * 1947年 - [[ボブ・カー]]([[:en:Bob_Carr|Bob Carr]])、第37代オーストラリア外務大臣 * [[1948年]] - [[大塚範一]]、[[アナウンサー]] * 1948年 - [[所雅樹]]、俳優 * [[1950年]] - [[周富輝]]、料理人 * 1950年 - [[内藤やす子]]、[[歌手]] * 1950年 - [[ポール・バージェス]]([[:en:Paul_Burgess_(musician)|Paul Burgess (musician)]])、ドラマー * 1950年 - [[クリスティーナ・ホフ・ソマーズ]]([[:en:Christina_Hoff_Sommers|Christina Hoff Sommers]])、女優 * 1950年 - [[ジョン・セイルズ]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[俳優]] * [[1951年]] - [[デヴィッド・レーシッチ]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[シルヴィア・ディオニシオ]]([[:en:Silvia_Dionisio|Silvia Dionisio]])、女優 * [[1952年]] - [[喜多秀喜]]、元マラソン選手 * 1952年 - [[シルビア・クリステル]]、女優、モデル(+ [[2012年]]) * 1952年 - [[クリストファー・バックリー]]([[:en:Christopher_Buckley_(novelist)|Christopher Buckley (novelist)]])、風刺小説家 * 1952年 - [[アンディ・ウォード]]、ミュージシャン * [[1953年]] - [[オットマール・ハスラー]]、政治家、第11代[[リヒテンシュタインの首相|リヒテンシュタイン首相]] * [[1954年]] - [[ジョージ・リンチ]]、[[ギタリスト]] * 1954年 - [[犬塚直史]]、政治家 * 1954年 - [[田中昌宏]]、元プロ野球選手 * 1954年 - [[スティーブ・ラージェント]]、[[アメリカンフットボール]][[アメリカンフットボール選手一覧|選手]] * 1954年 - [[マルゴット・ヴァルストローム]]、第42代スウェーデン外務大臣 * [[1955年]] - [[ステファン・ディオン]]([[:en:Stéphane_Dion|Stéphane Dion]])、第15代カナダ環境大臣 * 1955年 - [[マーシー・マンチ]]、[[コサ人]]の[[社会運動家一覧|社会活動家]] * 1955年 - [[ケニー・カークランド]]、[[ピアニスト]] * [[1956年]] - [[ジェームズ・ハルセル]]、[[宇宙飛行士]] * [[1957年]] - [[ティエリー・フィッシャー]]、[[指揮者]]、[[フルート奏者]] * 1957年 - [[ビル・カシディー]]([[:en:Bill_Cassidy|Bill Cassidy]])、政治家 * [[1958年]] - [[和泉宏隆]]、[[ピアニスト]](+ [[2021年]]) * [[1959年]] - [[小西博之]]、俳優 * 1959年 - [[徳井優]]、俳優 * 1959年 - [[田島克彦]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[野崎進]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[ロン・フェローズ]]、[[レーシングドライバー|レーサー]] * [[1960年]] - [[ジェニファー・ラッシュ]]([[:en:Jennifer_Rush|Jennifer Rush]])、シンガーソングライター * 1960年 - [[ソクラテス・ビジェガス]]([[:en:Socrates_Villegas|Socrates Villegas]])、フィリピンの大司教 * [[1963年]] - [[秋原正俊]]、映画監督 * 1963年 - [[エリック・コマス]]、レーサー * [[1965年]] - [[西田二郎]]、ディレクター * 1965年 - [[ジンジャー・フィッシュ]]、[[ドラマー]]([[マリリン・マンソン]]) * 1965年 - [[水野弘道]]、投資家 * [[1966年]] - [[吉川元 (政治家)|吉川元]]、政治家 * [[1967年]] - [[貴闘力忠茂]]、元大相撲力士、年寄16代[[大嶽 (相撲)|大嶽]] * 1967年 - [[藤木千穂]]、元アナウンサー * 1967年 - [[ミラ・ソルヴィノ]]、女優 * [[1968年]] - [[ミカ・ハッキネン]]、[[レーシング・ドライバー]] * 1968年 - [[藪恵壹]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[フランソワ・ボタ]]、[[格闘家]] * 1968年 - [[邪道 (プロレスラー)|邪道]]、[[プロレスラー]] * 1968年 - [[内田浩一]]、[[調教助手]]、元[[騎手]] * 1968年 - [[ナオミ・ワッツ]]、女優 * 1968年 - [[コーネリオ・ヴェラスケス]]、騎手 * [[1969年]] - [[大浦正文]]、元[[バレーボール選手]](+ [[2013年]]) * 1969年 - [[仙道敦子]]、女優 * 1969年 - [[渡辺美奈代]]、[[タレント]] * 1969年 - [[キム・ヘソン (1969年生の女優)|キム・ヘソン]]、女優 * [[1970年]] - [[岸祐二]]、俳優 * 1970年 - [[伊達公子]]、元[[テニス]]選手 * 1970年 - [[フィラット・アルスラン]]、[[プロボクサー]] * 1970年 - [[中山英子]]、[[スケルトン (スポーツ)|スケルトン]]選手 * 1970年 - [[ブライアン・バンクス]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[岩本真典]]、ハンドボール選手 * [[1971年]] - [[矢島学]]、アナウンサー * 1971年 - ジョセフ・アーサー([[:en:Joseph Arthur|Joseph Arthur]])、シンガーソングライター * [[1972年]] - [[ディタ・フォン・ティース]]、ダンサー * 1972年 - [[ヴェルナー・シュラガー]]、卓球選手 * [[1973年]] - [[水都あくあ]]、[[漫画家]] * [[1974年]] - [[福永一茂]]、アナウンサー * [[1975年]] - [[レニー・クレーゼルバーグ]]、競泳選手 * 1975年 - [[飯塚智広]]、元野球選手 * 1975年 - [[フアン・モレノ (内野手)|フアン・モレノ]]、元野球選手 * [[1976年]] - [[エメリヤーエンコ・ヒョードル]]、[[総合格闘家]] * 1976年 - [[イブラーヒム・ウェイス]]、外交官 * [[1977年]] - [[葛城育郎]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[木村剛 (俳優)|木村剛]]、俳優 * [[1978年]] - [[加藤督朗]]、元[[キックボクサー]] <!-- 特筆性は? * 1978年 - 回陽健太、[[ミュージシャン]]([[スムルース]]) --> * 1978年 - マルツェナ・ゴデッキ([[:en:Marzena Godecki|Marzena Godecki]])、女優 * 1978年 - ブシドー([[:en:Bushido (rapper)|Bushido]])、ラッパー * [[1979年]] - [[バム・マージェラ]]、スケートボーダー * 1979年 - [[KENCHI]]、ダンサー([[EXILE]]) * [[1980年]] - 石川龍、ミュージシャン([[ランクヘッド]]) * 1980年 - [[ステラかなえ]]、ファッションモデル * [[1981年]] - [[久保田直子]]、アナウンサー * 1981年 - [[神楽坂恵]]、女優 * 1981年 - [[ととねみぎ]]、[[漫画家]] * [[1982年]] - [[吹石一恵]]、女優 * 1982年 - [[青木剛]]、元サッカー選手 * 1982年 - [[みなみかわ]]、お笑いタレント(元[[ピーマンズスタンダード]]) * 1982年 - [[林一嘉]]、映画監督 <!-- 特筆性は? * 1982年 - Keiko、[[ピアニスト]]([[Vanilla Mood]]) --> * 1982年 - [[アレクサンデル・アニュコフ]]、元サッカー選手 * 1982年 - [[アンダーソン・ヴァレジャオ]]、バスケットボール選手 * 1982年 - [[エメカ・オカフォー]]、バスケットボール選手 * 1982年 - アビナヴ・ビンドラ([[:en:Abhinav Bindra|Abhinav Bindra]])、射撃選手 * 1982年 - [[ノルウェン・ルロワ]]、歌手 * 1982年 - ランビール・カプール([[:en:Ranbir Kapoor|Ranbir Kapoor]])、俳優 * 1982年 - [[マイカ・オーウィングス]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[イザベル・ピエマン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1983年 - [[岩合智史]]、俳優、ファッションモデル * [[1984年]] - [[ライアン・ジマーマン]]、元プロ野球選手 * 1984年 - メロディ・ソーントン([[:en:Melody Thornton|Melody Thornton]])、歌手、ダンサー * 1984年 - [[若乃島史也]]、元大相撲力士 * 1984年 - オカリナ、お笑いタレント([[おかずクラブ]]) * [[1985年]] - アリーナ・イブラギモヴァ([[:en:Alina Ibragimova|Alina Ibragimova]])、ヴァイオリニスト * [[1986年]] - [[井野亜季子]]、元バレーボール選手 * 1986年 - [[福井仁美]]、タレント * 1986年 - [[アンドレス・グアルダード]]、サッカー選手 * 1986年 - [[ザック・スチュワート]]、元プロ野球選手 * [[1987年]] - [[ヒラリー・ダフ]]、歌手、女優 * 1987年 - [[クロエ・ハンスリップ]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1987年 - 土佐卓也、お笑いタレント([[土佐兄弟]]) * [[1988年]] - [[ホラン千秋]]、女優、タレント * 1988年 - [[橋本良平]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[原田真利]]、元プロレスラー * 1988年 - [[エスミー・デンターズ]]、歌手 * 1988年 - [[星野香織]]、タレント * 1988年 - [[キャメロン・ラップ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[青山めぐ]]、タレント * 1988年 - [[瀬戸英里奈]]、声優 * [[1989年]] - [[マーク・ランドール]]、サッカー選手 * 1989年 - [[土井杏利]]、ハンドボール選手 * [[1990年]] - [[スレイド・ヒースコット]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[キルステン・プラウト]]、女優、歌手 * [[1991年]] - [[エディ・ロザリオ]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[田上真里奈]]、女優 * 1991年 - [[都丸ちよ]]、声優 * 1991年 - 宝眞榮日也美、女優 * [[1992年]] - [[スカイ・マッコール・バートシアク]]、女優(+ [[2014年]]) * 1992年 - [[鶴見虹子]]、元体操選手 * [[1993年]] - [[石川紗都美]]、元女優 * 1993年 - [[岡田サリオ]]、タレント * 1993年 - [[樋越優一]]、元プロ野球選手 * [[1994年]] - [[立石晴香]]、ファッションモデル、女優 * [[1995年]] - [[金井大旺]]、元[[陸上競技選手]] * 1995年 - [[小深田大翔]]、プロ野球選手 * 1995年 - [[平井亜門]]、俳優、ファッションモデル * 1995年 - [[白戸ゆめの]]、フリーアナウンサー * [[1996年]] - [[佐々木美波]]、アナウンサー * [[1997年]] - [[楊勇緯]]、柔道選手 * [[1998年]] - [[八伏紗世]]、女優、タレント * [[1999年]] - [[那須泰斗]]、モデル * [[1999年]] - [[角田太輝]]、プロバスケットボール選手 * 1999年 - [[黄冠亨|ヘンドリー]]、アイドル([[NCT (音楽グループ)|NCT]]) * [[2000年]] - [[望月歩]]、俳優 * [[2002年]] - [[濱岸ひより]]、アイドル([[日向坂46]]) * [[2004年]] - [[工藤由愛]]、アイドル([[Juice=Juice]]) * [[2005年]] - [[荒木飛羽]]、俳優 * 2005年 - [[山﨑天]]、アイドル([[櫻坂46]]) * 生年不明 - [[萌木原ふみたけ]]、[[イラストレーター]] * 生年不明 - [[蘭華]]、[[シンガーソングライター]] * 生年不明 - [[宝野アリカ]]、歌手([[ALI PROJECT]]) * 生年不明 - [[大崎梢]]、作家 * 生年不明 - [[長江里加]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aoni.co.jp/search/nagae-rika.html |title=長江 里加 |publisher=[[青二プロダクション]] |accessdate=9 Mar 2023}}</ref>、声優 * 生年不明 - しゆん、歌い手([[KnightA-騎士A-]]) == 忌日 == [[File:Ermordung Wenzels.jpg|thumb|90px|[[ボヘミア君主一覧|ボヘミア公]][[ヴァーツラフ1世 (ボヘミア公)|ヴァーツラフ1世]](907-937)、弟{{仮リンク|ボレスラフ|en|Boleslaus I, Duke of Bohemia}}から殺害]] {{multiple image | footer = [[戊戌の政変]]により刑死 | image1 = Yang Shenxiu.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[楊深秀]](1849-1898) | alt1 = 楊深秀 | image2 = Liu Guangdi.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[劉光第]](1859-1898) | alt2 = 劉光第 }} {{multiple image | footer = [[戊戌の政変]]により刑死 | image1 = Tansitong.jpg | width1 = 70 | caption1 = [[譚嗣同]](1865-1898) | alt1 = 譚嗣同 | image2 = Ling Heuk.JPG | width2 = 110 | caption2 = [[林旭]](1875-1898) | alt2 = 林旭 }} {{multiple image | image1 = Gamal Abdel Nasser (c. 1960s).jpg | width1 = 90 | caption1 = 第2代[[近代エジプトの国家元首の一覧#エジプト共和国|エジプト共和国大統領]][[ガマール・アブドゥル=ナーセル]](1918-1970)没 | alt1 = ガマール・アブドゥル=ナーセル | image2 = Ioannes Paulus I, at the window, 1978 (retouched) (cropped).tif | width2 = 90 | caption2 = 第263代[[ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ1世]](1912-1978)在位33日で急逝 | alt2 = ヨハネ・パウロ1世 }} [[File:Ferdinand Marcos (cropped).jpg|thumb|90px|元[[フィリピン]]大統領[[フェルディナンド・マルコス]](1917-1989)ハワイで死去]] * [[935年]] - [[ヴァーツラフ1世 (ボヘミア公)|ヴァーツラフ1世]](聖ヴァーツラフ)、[[ボヘミア君主一覧|ボヘミア公]](* [[907年]]) * [[1197年]] - [[ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ6世]]、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1165年]]) * [[1456年]]([[康正]]2年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]) - [[伏見宮貞成親王]]、[[室町時代]]の[[皇族]](* [[1372年]]) * [[1678年]] - [[マウリツィオ・カッツァーティ]]、[[作曲家]](* [[1616年]]) * [[1790年]] - [[ニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージ]]、[[ハプスブルク君主国]]軍の[[元帥]](* [[1714年]]) * [[1859年]] - [[カール・リッター]]、[[地理学者]](* [[1779年]]) * [[1865年]]([[慶応]]元年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[橋本経子]]、[[仁孝天皇]]の[[典侍]](* [[1826年]]) * [[1873年]] - [[エミール・ガボリオ]]、[[小説家]](* [[1832年]]) * [[1890年]] - [[黒川良安]]、[[蘭学|蘭学者]](* [[1817年]]) * [[1891年]] - [[ハーマン・メルヴィル]]、小説家(* [[1819年]]) * [[1895年]] - [[ルイ・パストゥール]]、細菌学者(* [[1822年]]) * [[1898年]]([[光緒]]24年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]) - [[楊深秀]]、[[清]]の[[戊戌の変法|変法派]]活動家(* [[1849年]]) * 1898年(光緒24年8月13日) - [[楊鋭]]、清の変法派活動家(* [[1857年]]) * 1898年(光緒24年8月13日) - [[劉光第]]、清の変法派活動家(* [[1859年]]) * 1898年(光緒24年8月13日) - [[譚嗣同]]、清の変法派活動家(* [[1865年]]) * 1898年(光緒24年8月13日) - [[康有溥]]、清の変法派活動家(* [[1867年]]) * 1898年(光緒24年8月13日) - [[林旭]]、清の変法派活動家(* [[1875年]]) * [[1906年]] - [[佐々友房]]、[[衆議院|衆議院議員]]、[[政治活動家]](* [[1854年]]) * [[1907年]] - [[フリードリヒ1世 (バーデン大公)|フリードリヒ1世]]、[[バーデン大公国|バーデン大公]](* [[1826年]]) * [[1911年]] - [[香川松石]]、[[書道|書道家]](* [[1844年]]) * [[1915年]] - [[斎藤一]]、[[新選組]]隊士(* 1844年) * [[1918年]] - [[ゲオルク・ジンメル]]、[[社会学者]]・[[哲学者]](* [[1858年]]) * [[1921年]] - [[安田善次郎]]、[[実業家]]、[[安田財閥]]創業者(* [[1838年]]) * [[1927年]] - [[ウィレム・アイントホーフェン]]、[[医学者]](* [[1860年]]) * [[1935年]] - [[ウィリアム・K・L・ディクソン]]、[[発明家]](* 1860年) * [[1943年]] - [[リチャード・オースティン・フリーマン]]、[[医者]]、[[推理作家]](* [[1862年]]) * [[1944年]] - [[ヨーゼフ・ビュルケル]]、政治家、[[ナチ党]]の指導者(* [[1895年]]) * [[1948年]] - [[グレッグ・トーランド]]、[[撮影監督]](* [[1904年]]) * [[1953年]] - [[エドウィン・ハッブル]]、[[天文学者]](* [[1889年]]) * [[1956年]] - [[ウィリアム・ボーイング]]、[[ボーイング]]創業者(* [[1881年]]) * [[1959年]] - [[ルドルフ・カラツィオラ]]、レーシングドライバー(* [[1901年]]) * [[1964年]] - [[ハーポ・マルクス]]、[[喜劇俳優]]、[[マルクス兄弟]]の次男(* [[1888年]]) * [[1966年]] - [[アンドレ・ブルトン]]、[[詩人]](* [[1896年]]) * [[1968年]] - [[ノーマン・ブルックス]]、[[テニス]]選手(* [[1877年]]) * [[1970年]] - [[ジョン・ドス・パソス]]、小説家、[[画家]](* [[1896年]]) * 1970年 - [[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]、政治家、第2代[[近代エジプトの国家元首の一覧|エジプト大統領]](* [[1918年]]) * [[1978年]] - [[ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ1世]]、[[教皇|ローマ教皇]](* [[1912年]]) * [[1985年]] - [[ケルテース・アンドル]]、[[写真家]](* [[1894年]]) * [[1986年]] - [[中村幸四郎]]、[[数学者]](* [[1901年]]) * [[1988年]] - [[美濃政市]]、[[政治家]](* [[1912年]]) * [[1989年]] - [[フェルディナンド・マルコス]]、政治家、[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]](* [[1917年]]) * [[1991年]] - [[ウジェーヌ・ボザ]]、作曲家(* [[1905年]]) * 1991年 - [[マイルス・デイヴィス]]、[[ジャズ]]トランペッター(* [[1926年]]) * [[1998年]] - [[秋山武史]]、[[俳優]](* [[1953年]]) * [[2000年]] - [[ピエール・トルドー]]、政治家、[[カナダ首相]](* [[1919年]]) * [[2001年]] - [[猪熊功]]、[[柔道|柔道家]](* [[1938年]]) * [[2002年]] - [[坂本一亀]]、[[編集者]](* [[1921年]]) * [[2003年]] - [[エリア・カザン]]、[[映画監督]](* [[1909年]]) * 2003年 - [[アリシア・ギブソン]]、テニス選手(* [[1927年]]) * [[2005年]] - [[レオ・スターンバック]]、[[化学者]](* [[1908年]]) * [[2009年]] - [[かがくいひろし]]、[[絵本作家]](* [[1955年]]) * [[2014年]] - [[小尾信彌]]、[[天文学者]](* [[1925年]]) * [[2016年]] - [[風見章子]]、女優(* [[1921年]]) * 2016年 - [[シモン・ペレス]]、政治家、第9代[[イスラエルの大統領|イスラエル大統領]](* [[1923年]]) * 2016年 - [[小沢馨]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20161001/ddf/041/060/018000c|title=訃報:小沢馨さん 85歳=元岡山県立倉敷工業高校野球部監督|publisher=毎日新聞|date=2016-10-01|accessdate=2020-11-27}}{{リンク切れ|date=2023年3月}}</ref>、元[[プロ野球選手]](* [[1930年]]) * [[2018年]] - [[渚ようこ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2120548/full/ |title=歌手・渚ようこさん急死 クレイジーケンバンド・横山剣らとコラボ |access-date=9 Mar 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]] |date=30 Sep 2018}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASL9Z5T7DL9ZUCLV005.html |title=歌手の渚ようこさん死去 昭和歌謡、阿久悠さんと連携も |publisher=[[朝日新聞]] |date=2018-09-30 |accessdate=9 Mar 2023}}</ref>、[[歌手]](* 生年非公表) * [[2021年]] - [[高嶋徹]]、元プロ野球選手(* [[1970年]]) == 記念日・年中行事 == * [[世界狂犬病デー]] *: [[2006年]]に発足した狂犬病予防連盟が制定。[[狂犬病]]ワクチンの開発者である[[ルイ・パスツール]]の忌日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/12.html |title=9月28日世界狂犬病デーについて |access-date=9 Mar 2023 |publisher=[[厚生労働省]]}}</ref>。 * 聖ヴァーツラフの日({{CZE}}) *: [[935年]]、ボヘミア公[[ヴァーツラフ1世 (ボヘミア公)|ヴァーツラフ1世]]が弟のクーデターにより殺害された日。ヴァーツラフ1世はチェコの[[守護聖人]](聖ヴァーツラフ)である。 <!-- enによればフィリピンの「反児童ポルノの日」らしいが、祝日ではない模様--> * パソコン記念日({{JPN}}) *: [[1979年]]9月28日に[[日本電気|NEC]]が[[パソコン]]ブームの火付け役となった[[PC-8001]]を発売したことに由来<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/magazine/today/pc_anniversary/ |title=パソコン記念日(9月28日)|意味や由来・広報PRに活用するポイントと事例を紹介 |access-date=9 Mar 2023 |publisher=PR TIMES MGAZINE}}</ref>。 * プライバシー・デー({{JPN}}) *: [[宴のあと#「宴のあと」裁判|「宴のあと」事件]]で、日本で初めて[[プライバシー]]の権利を認めた判決が[[1964年]]9月28日に下されたことに由来。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0928|date=Aug 2023}} * 1947年(昭和22年)- 椿英輔元[[子爵]]の娘、美禰子が[[大森 (大田区)|大森]]の[[割烹]][[旅館]]<ref group="注">「妙齢の女性が単身割烹旅館の門をくぐることは勇気がいる」とあり、[[連れ込み宿]]であることが示唆されている。</ref>「松月」に来訪し、[[金田一耕助]]と面談(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第1章) === 誕生日(フィクション) === * 2016年(平成28年) - 江月みらい、ドラマ『[[セブンティウイザン|70才、初めて産みますセブンティウイザン。]]』に登場するキャラクター<ref group="注">誕生年はみらい誕生時に父の朝一が記入した手術承諾書から。また、原作とドラマとで誕生日が異なり、原作では「19日の火曜日」に誕生している。</ref> * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]346年 - アシュトン・アンカース、ゲーム『[[スターオーシャン セカンドストーリー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=43|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - 羽佐間正義、アニメ『[[サムライフラメンコ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|noitamina_shop|780953988585750528}}</ref> * 生年不明 - ジャック、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Jack.html |title=ジャック |access-date=2022-08-30 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - 吉田優子、漫画・アニメ『[[まちカドまぞく]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=キャラクター 吉田優子 |website=TVアニメ「まちカドまぞく」公式ホームページ |publisher=[[TBSテレビ|TBS]] |url=https://www.tbs.co.jp/anime/machikado/1st/character/ |accessdate=2022-08-30}}</ref><ref>[[伊藤いづも]]『[[まちカドまぞく]]』[[芳文社]]〈[[まんがタイムKRコミックス]]〉2019年、26頁、{{ISBN2|978-4-8322-7102-9}}。</ref> * 生年不明 - 廣井きくり、漫画・アニメ・舞台『[[ぼっち・ざ・ろっく!]]』に登場するキャラクター・漫画『ぼっち・ざ・ろっく!外伝 廣井きくりの深酒日記』の主人公<ref>{{Twitter status|kumichooooo|1707051795477070122}}</ref> * 生年不明 - 滝浪涼香、漫画・アニメ『[[この音とまれ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|konooto_anime|1177871534448205824}}</ref> * 生年不明 - ファルク、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>[[東まゆみ]]監修 『EREMENTAR GERAD オフィシャルガイド』 [[マッグガーデン]]〈ブレイドコミックス〉、2005年、44頁、{{ISBN2|4-86127-152-5}}。</ref><ref>東まゆみ監修 『エレメンタルジェレイド アルティメットガイド』 マッグガーデン〈ブレイドコミックス〉、2009年、35頁、{{ISBN2|978-4-86127-616-3}}。</ref> * 生年不明 - 徳川英次郎、漫画『[[東京★イノセント]]』に登場するキャラクター<ref>[[鳴見なる]] 『東京★イノセント』7巻、[[スクウェア・エニックス]]〈[[ガンガンONLINE#ガンガンコミックスONLINE|ガンガンコミックスONLINE]]〉、2009年、66頁、{{ISBN2|978-4-7575-2585-6}}。</ref> * 生年不明 - 葉山隼人、小説・アニメ『[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_oregairu|1574775872007045120}}</ref> * 生年不明 - ダスト、小説・アニメ『[[この素晴らしい世界に祝福を!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|konosubafd|1310391692080545792}}</ref> * 生年不明 - ミオ/トッキュウ3号、特撮『[[烈車戦隊トッキュウジャー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei.co.jp/tv/toqger/story/1204191_2183.html |title=第30駅『誕生日のお祝いは』 |access-date=2023-01-30 |publisher=[[東映株式会社]] |work=『烈車戦隊トッキュウジャー』}}</ref> * 生年不明 - 六合塚弥生、アニメ『[[PSYCHO-PASS サイコパス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|noitamina_shop|648315986936901632}}</ref> * 生年不明 - 佐城雪美、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20077 |title=佐城 雪美(さじょう ゆきみ) |access-date=2022-08-30 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 東雲レイ、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130417_153330/ |title=【ガールフレンド(仮)通信20】ボクっ娘天才ハッカー 東雲レイちゃん(CV:喜多村英梨) |access-date=2022-08-30 |publisher=ファミ通App |date=2013-04-17}}</ref> * 生年不明 - 神無木栞、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/shiori.html |title=神無木 栞 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=1 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - 桃井恭介、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.i-chu.jp/unit/ars/kyosuke/ |title=桃井 恭介 |access-date=9 Mar 2023 |work=『アイ★チュウ』 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 岸楓佳、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/kishi |title=岸 楓佳 |access-date=9 Mar 2023 |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref> * 生年不明 - 御鷹寿史、ゲーム『[[ワールドエンドヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|worldendheroes|1045629719448707073}}</ref> * 生年不明 - 日名倉莉子、ゲーム・アニメ『[[CUE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cue-liber.jp/character-12 |title=日名倉 莉子 |access-date=9 Mar 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=『CUE! -See You Everyday-』}}</ref> * 生年不明 - 神里綾華、ゲーム『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Genshin_7|1442700621652496386}}</ref> * 生年不明 - 平安名すみれ、メディアミックス『[[ラブライブ!スーパースター!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/yuigaoka/member/ |title=メンバー紹介|平安名すみれ |access-date=9 Mar 2023 |publisher=プロジェクトラブライブ!スーパースター!! |work=『ラブライブ!スーパースター!!』}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|28 September}} {{新暦365日|9|27|9|29|[[8月28日]]|[[10月28日]]|[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]|0928|9|28}} {{1年の月と日}}
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児童文学
児童文学()は、0歳から10代、概ね12歳頃までのプレティーンの読み手や聞き手を対象にした文学作品およびジャンルであるが、ティーンエイジャーまでを範疇に含む場合もある。イラストレーションが添えられている場合が多い。 この語は娯楽性に重きを置いているエンターテイメント作品群であるヤングアダルト小説(ライトノベルや少女小説)や漫画などの他のジャンルと区別する形で使われる場合もある。明確に子ども向けに作られた書物は17世紀までには既に存在していた。児童文学の研究のための職業団体、専門の出版物、大学の専攻課程なども存在する。国や世代を超えて読み継がれる名作や、幅広い世代に受け入れられるベストセラーやロングセラー作品が数多くある。 日本においては、子どもを対象としたフィクションの文学ジャンルについては、童話という用語が使われていることが多い。しかし、空想的なお話というジャンルとしての用語として使われることもあり、昭和時代以降は、広義には児童文学が使われるようになっており、童話に関しては、年少者向けという狭義の意味合いで一般には流布している。出版社や出版業界では、こうしたものや絵本を児童書あるいは児童図書と呼んで扱っている。 児童文学という言葉が何を指すかについては議論がある。 おそらく、もっとも一般的な児童文学の定義は、意図的に児童(子供)たちに向けて書かれた本というものであろう。南フロリダ大学教育学部准教授のナンシー・アンダーソンは、児童文学を「漫画本、ジョーク集、辞書や百科事典のような通読を意図していないノンフィクション、参考書など」を除く子どものために書かれた全ての本であると定義している。こうした作品の中には大人にも非常に人気のあるものも含まれる。J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズは当初は子どものために書かれマーケティングされていたが、子どものみならず大人にも非常に人気となり『ニューヨーク・タイムズ』が専用のベストセラー表を作成するまでになった。ある本が一般の文学と児童文学のどちらに含まれるかは決定し難いことも多く、多くの本で大人と子どもの両方をターゲットにしたマーケティングが行われている。 子どもを主人公、または子ども社会とその文化をテーマとしつつ、子どもを必ずしも読者対象としていない作品もあるが、そうしたものはこの観点からは児童文学ではなく一般の文学と見なされる。 一般には子ども自身によって書かれた作品すなわち児童文学とはならないが、隣接分野のものとして無視できないものである。欧米ではデイジー・アシュフォードが9歳の時に書いた『小さなお客さんたち』や、ジェーン・オースティンが兄弟姉妹を楽しませるために書いた子ども時代の作品(en:juvenilia)などがある。日本では、豊田正子の『綴方教室』(1937年)や安本末子『にあんちゃん』(1958年)などはベストセラーになり、映画化もされて大きな話題を巻き起こした。これらは作文や日記であったが、創作では第8回 福島正実記念SF童話賞を受賞した竹下龍之介『天才えりちゃん 金魚を食べた』(1991年)が6歳の子が書いた作品として話題になり、シリーズ化作品も出版された。 最も制限的な児童文学の定義は、各種の権威が子どもに「相応しい」と認定した本というものである。ここでの権威には教師、書評家、学者、親、出版社、司書、小売商、出版賞の選考委員などがある。一例として日本では全国学校図書館協議会が推薦図書を選定している。 子どもを人生のあまり幸福でない側面から守りたいと願う両親はしばしば伝統的な童話、童謡やその他の冒険譚などを問題視する。こうした物語で得てして最初に起こるのは大人の影響の除去であり、主人公は自分自身で物事に対処せざるを得なくなる。有名な例としては『白雪姫』『ヘンゼルとグレーテル』『バンビ』『世にも不幸なできごと』などがある。しかしながらこうした要素は物語に必要なものと考えられている。結局のところ、ほとんどの場合で物語の本質は人物たちが「大人になってゆく」ことなのである。 児童文学の最も広い定義は、子どもたちが実際に選んで読む本というものである。子どもたちは、たとえば漫画のような、伝統的な意味では文学とは全く考えようとしない人達もいる本も選んで読む。また子どもたちは古典文学や、現代作家による世に認められた偉大な作品も読むことがあるし、重層的な語りを持つ複雑な物語も楽しむ。小説家オースン・スコット・カードの意見によれば、「子どもたちはしばしば真に偉大な世界の文学の守り手となると考えることができる。子どもたちは物語を愛す一方で文体の流行や文学的な仕掛けには無関心であり、的確に真実と力の方へと引き寄せられるのであるから。」子ども時代に『不思議の国のアリス』を楽しんだ人が、大人となって再読した時に、子どもの時には気付かなかったその暗いテーマに気付くといったこともあるであろう。 加えて、当初は大人に向けて書かれた古典的な作品が今日では子ども向けと考えられるようになっている例も多い。マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』も本来は大人向けに書かれたものであったが、今日ではアメリカ合衆国の小学校のカリキュラムの一環として広く読まれている。 児童文学はさまざまな観点から分類されうる。 文学ジャンルとは、文芸作品のカテゴリである。 ジャンルは技法、口調、内容、長さなどによって決定される。 ナンシー・アンダーソンは児童文学を6つの大きなカテゴリと、いくつかの重要なサブジャンルに分類している―― これらは最も広い意味での「児童文学」もしくは「児童書」であり、児童文学という分野を限定的に考える場合には、実用的な教本や文章によらない絵本、さらには固有の創作者を持たない昔話や神話、娯楽を主体としたフィクションなどは除外されることもある。 児童文学そのものも大人の文学と対になる年齢によるカテゴリであるが、0歳から18歳まででは子どもの理解力や興味もさまざまであるため発達段階に応じて形態や内容も違ってくる。 こうした分類の基準は、児童文学そのものを定義する基準と同様に、曖昧で問題を含むものである。明確な違いの1つに幼い子ども向けの本はイラストレーションが添えられることが多いということが挙げられるが、絵を作品の不可分な一部として持つ絵本であってもこうしたジャンルや年齢層に収まらないものがある。ピーター・シスの『チベット――赤い箱を通して』は大人の読者に向けた絵本の1例である。 子どもや若年者の成長への感化を念頭に置いた、教育的な意図、配慮がその根底にあるものが多く、子どもの興味や発育に応じた平易な言葉で書かれる。しかし難しい内容を扱わないという訳ではなく、難しい内容でも子どもに必要と考え、わかりやすい例や言葉で表現する作家もいる。平易な表現で根源的なことを語っている場合があり、子どもに受け入れられる児童文学作品には大人の鑑賞にも堪えられる秀逸なものも多い。たとえば灰谷健次郎著の『兎の眼』やあさのあつこ著の『バッテリー』など一般の文庫本となって大人読者に広く流布する作品がある。児童文学は大人向けに書かれた「文学」の価値観が持ち込まれているという指摘がある。 おおむね10代中・後半から20代初め頃の時期をヤングアダルトと呼ぶが、児童の年代を超えた年齢層にも児童文学的な内容が求められる事がある。J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)に見られるように、この世代特有の問題、例えば、恋愛、いじめ、薬物依存、自殺などを扱ったジャンルも登場し、「ヤングアダルト」という名称で呼ばれる事もある。日本では重松清(作品はナイフ・エイジなど)らがヤングアダルト世代向けの作品を手がけている。 創作童話と呼ばれる作品は文学性を有する場合が多い。創作童話は狭義の童話概念であるためヤングアダルト層は対象としないが、小学校高学年程度向けの作品も含まれる事がある。 ある児童書が成功を収めると、作者はその話に続編を書いたりシリーズを立ち上げたりしようとすることが多く、ライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』や那須正幹の『ズッコケ三人組』などがその例である。『ハリー・ポッター』シリーズや原ゆたかの『かいけつゾロリ』のように、最初からシリーズとして企画された作品もある。イーニッド・ブライトンやR・L・スタインは終わりのないシリーズを専門にしている。シリーズはその作者よりも長続きすることもある。ライマン・フランク・ボームが亡くなると、出版社はルース・プラムリー・トンプソン(英語版)を雇って続編を書き継がせた。『少女探偵ナンシー』などのように、1つのペンネームを共有して複数の作者により書かれたシリーズもある。 児童書にはしばしばイラストレーションがふんだんに添えられている。一般的に、幼い読者に向けた本であるほど絵が果たす役割は大きくなり、特にまだ文字を読めない幼児向けの本がそうである。子ども向けの絵本は幼い子どもにとって、高水準な芸術に認識可能な形で触れることのできる機会となりうる。 多くの児童文学作家は気に入ったイラストレーター(挿絵画家、イラストレーター、漫画家)に自分の言葉を絵にしてもらうが、最初からイラストレーターと共に本作りをする場合もあれば、イラストレーターが自分自身で本を書く場合もある。イラストなしでも話を楽しめるだけの読書力に達した後も、子どもたちは本に時々出て来る絵を楽しんで眺めるものである。 児童文学の定義自体が明確なものではないので、その歴史がいつ始まったのかを特定するのも難しい。ここでは子どもに向けた、もしくは子どもに広く受容された書物あるいは文学の発達を概観する。 子どもに人気のある物語の中には非常に古い時代に書かれたものもある。『イソップ寓話』は紀元前3世紀に成立し今も世界中の子どもたちに愛されているし、トマス・マロリーの『アーサー王の死』(1486年)や『ロビン・フッド』(1450年頃)は子どものことを念頭に置いて書かれたものではないが、何世紀にも亘って子どもたちを魅了してきた。 1658年、チェコのコメニウスがイラスト入りの知識の書『世界図絵』を著した。これが明確に子どもに向けて書かれた最初の絵入り本であると考えられている。また、この時代にはフランスのシャルル・ペロー(1628-1703)が童話の基礎を築いた。ペローの物語には『赤ずきん』『眠れる森の美女』『長靴をはいた猫』『シンデレラ』などが含まれている。 1744年、イギリスでジョン・ニューベリー(英語版)が『小さなかわいいポケットブック』を出版した。ニューベリーはこの本を男の子にはボール、女の子には針刺し付きで販売した。明確に子どもに向けて販売された娯楽書の始まりとして時代を画するものであったと考えられている。ニューベリー以前は、子どもと大人のための物語の豊かな口承は存在したが、子どもに向けて販売される文学は子どもを教育することを意図したものであった。 19世紀初頭に、ヤコブとウィルヘルムのグリム兄弟が『白雪姫』『ラプンツェル』『ヘンゼルとグレーテル』などのドイツの口承を記録し保存に努めた。E. T. A.ホフマンの物語『くるみ割り人形とねずみの王様』1816年にドイツの子供向け物語集に掲載されました。これは、児童文学に奇妙でグロテスクな要素を導入した最初の現代短編小説でした。 1835-1848年にかけて、デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンが『人魚姫』(1836年)、『裸の王様』(1837年)、『みにくいアヒルの子』(1844年)、『雪の女王』(1845年)などの、伝承に基づかない創作性の高い童話を刊行した。アンデルセンはヨーロッパ中の子どもたちに喜びを与えたとして、存命中から王族によって祝宴が行われ称揚された。アンデルセンの童話は150以上もの言語に翻訳され、今日でも世界中で百万部単位で刊行され、他の数多くの作品にも影響を与え続けている。「裸の王様」や「みにくいアヒル」は現代英語や日本語などでも良く知られた慣用句として通っている。 1865年、イギリスでルイス・キャロル(1832年 - 1898年)が『不思議の国のアリス』を刊行した。この物語は論理学とも戯れており、子どもだけでなく大人にも長く人気となっている。『アリス』は文学的ナンセンスの最も特徴的な例の1つと考えられており、その物語の進行と構造は主にファンタジーの分野で極めて大きな影響力を持った。 1880年に、スイスでヨハンナ・シュピリ(1827年 - 1901年)が『ハイジ』(1880年)を出版した。副題には、この本が「子どもと、子どもを愛する人のため」の本であると謳われている。ジョーエル・チャンドラー・ハリス(1845年 - 1908年)はアフリカ系アメリカ人の方言を話す動物キャラクターが登場する民話を書いた。 1900年、アメリカ合衆国でライマン・フランク・ボームが『オズの魔法使い』を発表した。以後、さまざまな版が絶えず刊行されている。1902年には舞台化され、1939年には映画化された。アメリカ文化の中でも最も知られた物語の1つであり、40ヵ国語に翻訳された。『オズ』の大成功を受けてボームは13篇の続編を書き、ボームの死後も複数の作者が数十年間に亘り続編を書き続けた。 1902年、ビアトリクス・ポターは『ピーターラビットのおはなし』を発表した。いたずら好きで反抗的な若い兎のピーターラビットが、マクレガーさんの農場に忍び込む話である。発表以降100年以上に亘り、この本を基にした玩具、皿、食品、衣類、ビデオなどの夥しいグッズが生み出された。1903年にピーターラビット人形の特許権を取得したポターは、こうしたグッズ化の先駆けの一人となった。 1911年、ジェームス・マシュー・バリーは『ピーター・パンとウェンディ(英語版)』を著した。ピーター・パンは児童文学で最も有名なキャラクターの1人であり、魔法によって歳を取らなくなってネバーランドと呼ばれる小さな島で終わることのない子ども時代を過ごしている。 第二次世界大戦中の1943年に、飛行士アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900年 - 1944年)は『星の王子さま』を出版した。砂漠に不時着した主人公が、星からやって来た子どもの心を持った王子と語らうこの物語は人間性の洞察に富み、現在までに180ヶ国語に翻訳され8000万部を売り上げている。 グローバリゼーションに伴い翻訳による創作児童文学作品の世界的・爆発的な普及が見られるようになり、イギリスのC・S・ルイス(1898年 - 1963年)の『ナルニア国ものがたり』(1950年 - 1956年)シリーズは41言語で通算1億2千万部以上、同じくイギリスのJ・K・ローリング(1965年 - )の『ハリー・ポッター』(1997年 - 2007年)シリーズは63ヵ国語以上に翻訳され4億部以上を売り上げた。 日本の児童文学は、近代文学成立とほぼ同時期に確立されたと考えられる。巖谷小波による『こがね丸』や小川未明の第一童話集『赤い船』(1910年12月)が始まりとされる。1918年には鈴木三重吉主宰の雑誌『赤い鳥』が刊行された。芥川龍之介・有島武郎・北原白秋などが参加したこの雑誌は、後に新美南吉らを輩出するなど児童文学の普及・発展に貢献した。宮沢賢治は同時代の作家だが、擬声語やリズム感が当時の童話としては異質だったため、生前は評価されることがなかった。その後日本では、大人から児童に向けた教育を主眼とした内容のものが主流となっていたが、1960年代頃から遊びの要素を持ちエンターテイメントとしても優れたものや、大人の文学表現にも匹敵する作品が登場するようになった。詩においてはまど・みちおが著名である。当時の絵本は文字を主、絵を従としたものだったが、いわさきちひろは絵で展開する絵本を制作し、国際的にも高い評価を得た。やなせたかしの『アンパンマン』は当初大人向けに書かれたが後に幼児向けの絵本として再発表され、テレビアニメで絶大な人気を博した。 近年では児童文学研究の地位が高まりつつある。児童文学批評(英語版)の分野での文芸評論分析が増加しているほか、児童文学協会(英語版)(ChLA)、児童書作家・画家協会(英語版)(SCBWI)、国際児童図書評議会(IBBY)、カナダ国際児童図書評議会(英語版)などの児童文学の学術協会も数多く存在している。 国際児童図書評議会(IBBY)が機関誌として1963年から発行する世界の児童文学誌『Bookbird』は、初の多言語版として2010年から邦訳『ブックバード日本版』がマイティブックから発売されている。 児童文学における文化はさまざまな学問領域で研究されている。アメリカ合衆国では、幼児教育および初等教育の教員の養成過程で児童文学の講義が必修となっていることが多い。 日本における児童文学の学問的研究は体系的に整備されているとは言い難いが、白百合女子大学・玉川大学・梅花女子大学・東京純心大学などは専門の学科・研究科を設置している。また他の大学・短大も、何らかの形で児童文学関連の講座を設置しているところが多い。なお、教育系の学部・学科においては、幼児教育や児童学と関連づけられる場合がほとんどである。 児童文学など児童書関連が公開されている資料センターとして国際子ども図書館(東京・上野公園内)と大阪府立国際児童文学館(大阪府立中央図書館内)がある。国際子ども図書館は国立国会図書館の児童書関連を移管して2000年に開館した(全面開館は2002年)。大阪国際児童文学館は1984年に鳥越信の蔵書12万点のコレクションをもとにマンガ、紙芝居などを含めた児童文化の資料館・研究施設として開館した。両者の資料点数は拮抗しているが、研究・レファレンス及び収集方針の専門員による差異により、貴重本の収集や資料保存方法などでは大阪の方が充実している。例えば、国際子ども図書館では、旧来の図書館としての保存方法で、カバー・帯の廃棄や保存カバー・バーコードの装備で資料が変形されたり、雑誌が合本化されて閲覧しにくく資料性が欠損したりしている場合がある。一方、大阪国際児童文学館では、1点ずつの個別保存で雑誌の合本化もなく付録も貴重な児童文化財として保存している。 児童文学者の団体としては、1946年に児童文学者協会(後の日本児童文学者協会)が設立され、1955年に日本児童文芸家協会が成立した。それぞれ機関誌として「日本児童文学」、「児童文芸」を刊行している。他に児童書のイラストレーターの団体として日本児童出版美術家連盟(童美連)があり、この三者に日本書籍出版協会の児童書部門を含めた通称“四者懇”があり、児童書をめぐる著作権等の諸問題について協調して行動している。 また、研究者の団体としては、日本児童文学学会や英米児童文学学会があり、読書運動では、親子読書地域文庫全国連絡会(機関誌『子どもと読書』)などがある。 児童文学の賞のうち高名なものとして以下のものがある。 日本において、児童文学作品を主に扱っている出版社には次のようなものがある。 日本において、児童文学作品を扱っているレーベルには次のようなものがある。
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T. A.ホフマンの物語『くるみ割り人形とねずみの王様』1816年にドイツの子供向け物語集に掲載されました。これは、児童文学に奇妙でグロテスクな要素を導入した最初の現代短編小説でした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1835-1848年にかけて、デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンが『人魚姫』(1836年)、『裸の王様』(1837年)、『みにくいアヒルの子』(1844年)、『雪の女王』(1845年)などの、伝承に基づかない創作性の高い童話を刊行した。アンデルセンはヨーロッパ中の子どもたちに喜びを与えたとして、存命中から王族によって祝宴が行われ称揚された。アンデルセンの童話は150以上もの言語に翻訳され、今日でも世界中で百万部単位で刊行され、他の数多くの作品にも影響を与え続けている。「裸の王様」や「みにくいアヒル」は現代英語や日本語などでも良く知られた慣用句として通っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1865年、イギリスでルイス・キャロル(1832年 - 1898年)が『不思議の国のアリス』を刊行した。この物語は論理学とも戯れており、子どもだけでなく大人にも長く人気となっている。『アリス』は文学的ナンセンスの最も特徴的な例の1つと考えられており、その物語の進行と構造は主にファンタジーの分野で極めて大きな影響力を持った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1880年に、スイスでヨハンナ・シュピリ(1827年 - 1901年)が『ハイジ』(1880年)を出版した。副題には、この本が「子どもと、子どもを愛する人のため」の本であると謳われている。ジョーエル・チャンドラー・ハリス(1845年 - 1908年)はアフリカ系アメリカ人の方言を話す動物キャラクターが登場する民話を書いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1900年、アメリカ合衆国でライマン・フランク・ボームが『オズの魔法使い』を発表した。以後、さまざまな版が絶えず刊行されている。1902年には舞台化され、1939年には映画化された。アメリカ文化の中でも最も知られた物語の1つであり、40ヵ国語に翻訳された。『オズ』の大成功を受けてボームは13篇の続編を書き、ボームの死後も複数の作者が数十年間に亘り続編を書き続けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1902年、ビアトリクス・ポターは『ピーターラビットのおはなし』を発表した。いたずら好きで反抗的な若い兎のピーターラビットが、マクレガーさんの農場に忍び込む話である。発表以降100年以上に亘り、この本を基にした玩具、皿、食品、衣類、ビデオなどの夥しいグッズが生み出された。1903年にピーターラビット人形の特許権を取得したポターは、こうしたグッズ化の先駆けの一人となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1911年、ジェームス・マシュー・バリーは『ピーター・パンとウェンディ(英語版)』を著した。ピーター・パンは児童文学で最も有名なキャラクターの1人であり、魔法によって歳を取らなくなってネバーランドと呼ばれる小さな島で終わることのない子ども時代を過ごしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦中の1943年に、飛行士アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900年 - 1944年)は『星の王子さま』を出版した。砂漠に不時着した主人公が、星からやって来た子どもの心を持った王子と語らうこの物語は人間性の洞察に富み、現在までに180ヶ国語に翻訳され8000万部を売り上げている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "グローバリゼーションに伴い翻訳による創作児童文学作品の世界的・爆発的な普及が見られるようになり、イギリスのC・S・ルイス(1898年 - 1963年)の『ナルニア国ものがたり』(1950年 - 1956年)シリーズは41言語で通算1億2千万部以上、同じくイギリスのJ・K・ローリング(1965年 - )の『ハリー・ポッター』(1997年 - 2007年)シリーズは63ヵ国語以上に翻訳され4億部以上を売り上げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "日本の児童文学は、近代文学成立とほぼ同時期に確立されたと考えられる。巖谷小波による『こがね丸』や小川未明の第一童話集『赤い船』(1910年12月)が始まりとされる。1918年には鈴木三重吉主宰の雑誌『赤い鳥』が刊行された。芥川龍之介・有島武郎・北原白秋などが参加したこの雑誌は、後に新美南吉らを輩出するなど児童文学の普及・発展に貢献した。宮沢賢治は同時代の作家だが、擬声語やリズム感が当時の童話としては異質だったため、生前は評価されることがなかった。その後日本では、大人から児童に向けた教育を主眼とした内容のものが主流となっていたが、1960年代頃から遊びの要素を持ちエンターテイメントとしても優れたものや、大人の文学表現にも匹敵する作品が登場するようになった。詩においてはまど・みちおが著名である。当時の絵本は文字を主、絵を従としたものだったが、いわさきちひろは絵で展開する絵本を制作し、国際的にも高い評価を得た。やなせたかしの『アンパンマン』は当初大人向けに書かれたが後に幼児向けの絵本として再発表され、テレビアニメで絶大な人気を博した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "近年では児童文学研究の地位が高まりつつある。児童文学批評(英語版)の分野での文芸評論分析が増加しているほか、児童文学協会(英語版)(ChLA)、児童書作家・画家協会(英語版)(SCBWI)、国際児童図書評議会(IBBY)、カナダ国際児童図書評議会(英語版)などの児童文学の学術協会も数多く存在している。 国際児童図書評議会(IBBY)が機関誌として1963年から発行する世界の児童文学誌『Bookbird』は、初の多言語版として2010年から邦訳『ブックバード日本版』がマイティブックから発売されている。", "title": "研究・団体" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "児童文学における文化はさまざまな学問領域で研究されている。アメリカ合衆国では、幼児教育および初等教育の教員の養成過程で児童文学の講義が必修となっていることが多い。", "title": "研究・団体" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "日本における児童文学の学問的研究は体系的に整備されているとは言い難いが、白百合女子大学・玉川大学・梅花女子大学・東京純心大学などは専門の学科・研究科を設置している。また他の大学・短大も、何らかの形で児童文学関連の講座を設置しているところが多い。なお、教育系の学部・学科においては、幼児教育や児童学と関連づけられる場合がほとんどである。", "title": "研究・団体" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "児童文学など児童書関連が公開されている資料センターとして国際子ども図書館(東京・上野公園内)と大阪府立国際児童文学館(大阪府立中央図書館内)がある。国際子ども図書館は国立国会図書館の児童書関連を移管して2000年に開館した(全面開館は2002年)。大阪国際児童文学館は1984年に鳥越信の蔵書12万点のコレクションをもとにマンガ、紙芝居などを含めた児童文化の資料館・研究施設として開館した。両者の資料点数は拮抗しているが、研究・レファレンス及び収集方針の専門員による差異により、貴重本の収集や資料保存方法などでは大阪の方が充実している。例えば、国際子ども図書館では、旧来の図書館としての保存方法で、カバー・帯の廃棄や保存カバー・バーコードの装備で資料が変形されたり、雑誌が合本化されて閲覧しにくく資料性が欠損したりしている場合がある。一方、大阪国際児童文学館では、1点ずつの個別保存で雑誌の合本化もなく付録も貴重な児童文化財として保存している。", "title": "研究・団体" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "児童文学者の団体としては、1946年に児童文学者協会(後の日本児童文学者協会)が設立され、1955年に日本児童文芸家協会が成立した。それぞれ機関誌として「日本児童文学」、「児童文芸」を刊行している。他に児童書のイラストレーターの団体として日本児童出版美術家連盟(童美連)があり、この三者に日本書籍出版協会の児童書部門を含めた通称“四者懇”があり、児童書をめぐる著作権等の諸問題について協調して行動している。", "title": "研究・団体" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "また、研究者の団体としては、日本児童文学学会や英米児童文学学会があり、読書運動では、親子読書地域文庫全国連絡会(機関誌『子どもと読書』)などがある。", "title": "研究・団体" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "児童文学の賞のうち高名なものとして以下のものがある。", "title": "賞" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "日本において、児童文学作品を主に扱っている出版社には次のようなものがある。", "title": "出版社" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "日本において、児童文学作品を扱っているレーベルには次のようなものがある。", "title": "レーベル" } ]
児童文学は、0歳から10代、概ね12歳頃までのプレティーンの読み手や聞き手を対象にした文学作品およびジャンルであるが、ティーンエイジャーまでを範疇に含む場合もある。イラストレーションが添えられている場合が多い。 この語は娯楽性に重きを置いているエンターテイメント作品群であるヤングアダルト小説(ライトノベルや少女小説)や漫画などの他のジャンルと区別する形で使われる場合もある。明確に子ども向けに作られた書物は17世紀までには既に存在していた。児童文学の研究のための職業団体、専門の出版物、大学の専攻課程なども存在する。国や世代を超えて読み継がれる名作や、幅広い世代に受け入れられるベストセラーやロングセラー作品が数多くある。 日本においては、子どもを対象としたフィクションの文学ジャンルについては、童話という用語が使われていることが多い。しかし、空想的なお話というジャンルとしての用語として使われることもあり、昭和時代以降は、広義には児童文学が使われるようになっており、童話に関しては、年少者向けという狭義の意味合いで一般には流布している。出版社や出版業界では、こうしたものや絵本を児童書あるいは児童図書と呼んで扱っている。
<!-- 2022.6「児童書」「児童書籍」がここに飛んでいるけど不正確なのでは? {{pathnav|frame=1|児童書}}-->[[Image:Children reading The Grinch.jpg|thumb|155x155px|right|[[ドクター・スース]]の本<!--『{{仮リンク|グリンチはどうやってクリスマスを盗んだのか|en|How the Grinch Stole Christmas!}}』-->を読む4人の子どもたち]] [[Image:Aprettylittlepocketbook.jpg|thumb|200px|『[[小さなかわいいポケットブック]]』(1744)。男の子にはボール、女の子には針刺し付きで販売された]] <!-- 日本の児童文学の画像を募集しています --> {{読み仮名|'''児童文学'''|じどうぶんがく}}は、0歳から10代、概ね12歳頃までの[[プレティーン]]の読み手や聞き手を対象にした[[文学]]作品およびジャンルであるが、[[ティーンエイジャー]]までを範疇に含む場合もある。[[イラストレーション]]が添えられている場合が多い。 この語は娯楽性に重きを置いている[[エンターテイメント]]作品群である[[ヤングアダルト]]小説([[ライトノベル]]や[[少女小説]]){{sfn|大橋|2014|p=18}}や[[漫画]]などの他のジャンルと区別する形で使われる場合もある。明確に子ども向けに作られた書物は17世紀までには既に存在していた。児童文学の研究のための職業団体、専門の出版物、大学の専攻課程なども存在する。<!--児童書の市場規模は大きくはないが、:億部単位のシリーズが多数あるので…-->国や世代を超えて読み継がれる名作や、幅広い世代に受け入れられる[[ベストセラー]]やロングセラー作品が数多くある。 日本においては、子どもを対象としたフィクションの文学ジャンルについては、'''[[童話]]'''という用語が使われていることが多い。しかし、空想的なお話というジャンルとしての用語として使われることもあり、昭和時代以降は、広義には'''児童文学'''が使われるようになっており、'''童話'''に関しては、年少者向けという狭義の意味合いで一般には流布している。[[出版社]]や出版業界では、こうしたものや[[絵本]]を'''児童書'''あるいは'''児童図書'''と呼んで扱っている。 == 児童文学の定義 == 児童文学という言葉が何を指すかについては議論がある。 === 子どものために書かれた本 === おそらく、もっとも一般的な児童文学の定義は、意図的に[[児童]]([[子供]])たちに向けて書かれた本というものであろう。[[南フロリダ大学]]教育学部准教授のナンシー・アンダーソン<ref name=bio>{{cite web | title = Biography of Nancy A. Anderson, EdD | url = http://www.nancyaanderson.com/ | accessdate = 2009-03-03}}</ref>は、児童文学を「[[漫画]][[本]]<!-- comic books ..., cartoon books: 日本語だとどちらも「漫画」に -->、[[ジョーク]]集、[[辞書]]や[[百科事典]]のような通読を意図していない[[ノンフィクション]]、[[参考書]]など」を除く子どものために書かれた全ての本であると定義している<ref>Anderson 2006, p. 2.</ref>。こうした作品の中には大人にも非常に人気のあるものも含まれる。[[J・K・ローリング]]の『[[ハリー・ポッターシリーズ|ハリー・ポッター]]』シリーズは当初は子どものために書かれマーケティングされていたが、子どものみならず大人にも非常に人気となり『[[ニューヨーク・タイムズ]]』が専用の[[ベストセラー]]表を作成するまでになった。ある本が一般の文学と児童文学のどちらに含まれるかは決定し難いことも多く、多くの本で大人と子どもの両方をターゲットにしたマーケティングが行われている。 子どもを主人公、または子ども社会とその文化をテーマとしつつ、子どもを必ずしも読者対象としていない作品もあるが、そうしたものはこの観点からは児童文学ではなく一般の[[文学]]と見なされる。 === 子どもによって書かれた本 === [[Image:Daisy Ashford - Project Gutenberg eText 21415.jpg|thumb|子どもの頃の[[デイジー・アシュフォード]]]] 一般には子ども自身によって書かれた作品すなわち児童文学とはならないが<!-- 子どものために書かれているなどの他の要件を満たせば児童文学でしょう-->、隣接分野のものとして無視できないものである。欧米では[[デイジー・アシュフォード]]が9歳の時に書いた『小さなお客さんたち』や、[[ジェーン・オースティン]]が兄弟姉妹を楽しませるために書いた子ども時代の作品([[:en:juvenilia]])などがある。日本では、[[豊田正子]]の『綴方教室』(1937年)や安本末子『[[にあんちゃん]]』(1958年)などはベストセラーになり、映画化もされて大きな話題を巻き起こした。これらは作文や日記であったが、創作では第8回 福島正実記念SF童話賞を受賞した[[竹下龍之介]]『天才えりちゃん 金魚を食べた』(1991年)が6歳の子が書いた作品として話題になり、シリーズ化作品も出版された。 === 子ども向けに選ばれた本 === 最も制限的な児童文学の定義は、各種の権威が子どもに「相応しい」と認定した本というものである。ここでの権威には教師、書評家、学者、親、出版社、司書、小売商、出版賞の選考委員などがある。一例として日本では[[全国学校図書館協議会]]が推薦図書を選定している。 子どもを人生のあまり幸福でない側面から守りたいと願う両親はしばしば伝統的な[[童話]]、[[童謡]]やその他の冒険譚などを問題視する。こうした物語で得てして最初に起こるのは大人の影響の除去であり、主人公は自分自身で物事に対処せざるを得なくなる。有名な例としては『[[白雪姫]]』『[[ヘンゼルとグレーテル]]』『[[バンビ (映画)|バンビ]]』『[[世にも不幸なできごと]]』などがある。しかしながらこうした要素は物語に必要なものと考えられている。結局のところ、ほとんどの場合で物語の本質は人物たちが「大人になってゆく」ことなのである。<!-- ちょっと脱線気味ですね --> === 子どもによって選ばれる本 === <!-- 加筆:この節には日本からの例が1つは必要です --> [[Image:Huck-and-jim-on-raft.jpg|thumb|[[ハックルベリー・フィンの冒険|ハックルベリー・フィン]]]] 児童文学の最も広い定義は、子どもたちが実際に選んで読む本というものである。子どもたちは、たとえば漫画のような、伝統的な意味では文学とは全く考えようとしない人達もいる本も選んで読む。また子どもたちは古典文学や、現代作家による世に認められた偉大な作品も読むことがあるし、重層的な語りを持つ複雑な物語も楽しむ。小説家[[オースン・スコット・カード]]の意見によれば、「子どもたちはしばしば真に偉大な世界の文学の守り手となると考えることができる。子どもたちは物語を愛す一方で文体の流行や文学的な仕掛けには無関心であり、的確に真実と力の方へと引き寄せられるのであるから。」<ref>{{cite web | last = Card | first = Orson Scott | title = Hogwarts | work = Uncle Orson Reviews Everything | publisher = Hatrack River Enterprises Inc | date = 2001-11-05 | url = http://www.hatrack.com/osc/reviews/everything/2001-11-05.shtml | accessdate = 2009-03-03}}</ref>子ども時代に『[[不思議の国のアリス]]』を楽しんだ人が、大人となって再読した時に、子どもの時には気付かなかったその暗いテーマに気付くといったこともあるであろう。 加えて、当初は大人に向けて書かれた古典的な作品が今日では子ども向けと考えられるようになっている例も多い。[[マーク・トウェイン]]の『[[ハックルベリー・フィンの冒険]]』も本来は大人向けに書かれたものであったが<ref>{{cite web | last = Liukkonen | first = Petri | title = Mark Twain | date = 2008 | url = http://www.kirjasto.sci.fi/mtwain.htm | accessdate = 2009-03-03}}</ref>、今日ではアメリカ合衆国の小学校のカリキュラムの一環として広く読まれている。 <!-- 日本で大人向けに書かれて子ども向けになった有名な本はありますかね?あれば是非例示を --> == 児童文学の種類 == 児童文学はさまざまな観点から分類されうる。 === ジャンルによる分類 === 文学ジャンルとは、文芸作品のカテゴリである。 ジャンルは技法、口調、内容、長さなどによって決定される。 ナンシー・アンダーソンは児童文学を6つの大きなカテゴリと、いくつかの重要なサブジャンルに分類している<ref name="Anderson">Anderson 2006</ref>―― # [[絵本]]。<!-- [[ボードブック]]、--><!-- [[五十音|あいうえお]] -->[[アルファベット]][[文字]]や[[数字]]を教える教本、{{訳語疑問点範囲|パターンブック|date=2010年3月|pattern books|cand_prefix=原文}}、文字のない本などを含む。 # 伝承[[文学]]。これには10の特徴がある<ref>Anderson 2006, pp. 84–85.</ref>――(1) 作者不明、(2) 紋切り型の出だしと終わり(「むかしむかしあるところに……」)、(3) 漠然とした設定、(4) ステレオタイプの人物、(5) [[擬人観]]、(6) 原因と結果、(7) 主人公のハッピーエンド、(8) 魔法が普通に受け入れられている、(9) 単純で直接的なプロットを持つ簡潔な話、(10) 行動と言葉のパターンの反復。伝承文学の大部分は[[民話]]からなっており、昔の人々の伝説、習慣、迷信、信仰などを伝えている。この大ジャンルはさらにサブジャンルに分けることができる――[[神話]]、[[寓話]]、[[バラッド]]、[[フォークソング|フォークミュージック]]、[[伝説]]、[[童話]]<ref>Anderson 2006, p. 89.</ref>。 # [[フィクション]]。[[ファンタジー]]と現実的なフィクション(現代的・歴史的の双方を含む)からなる。<!--このジャンルにはまた{{仮リンク|スクール・ストーリー|en|school story}}(学園もの)と呼ばれる全寮制の学校を舞台とする児童文学特有のジャンルも含まれる。:学園ものは日本にもありますが色々ズレてそうなのでコメントアウト--> # [[ノンフィクション]] # [[伝記]]。[[自伝]]を含む。 # [[詩]]と[[韻文]] これらは最も広い意味での「児童文学」もしくは「児童書」であり、児童文学という分野を限定的に考える場合には、実用的な教本や文章によらない絵本、さらには固有の創作者を持たない昔話や神話、娯楽を主体としたフィクションなどは除外されることもある。 === 年齢層と発達段階 === 児童文学そのものも大人の文学と対になる年齢によるカテゴリであるが、0歳から18歳まででは子どもの理解力や興味もさまざまであるため発達段階に応じて形態や内容も違ってくる。 * [[絵本]]は0-5歳程度の、まだ文字を(充分には)読めない「読者以前」の子どもたちにも向いている。<!--[[コールデコット賞]]の作品はこのカテゴリに含まれることが多い。:USPOV--> * 5-7歳頃の、読み書きを覚えたばかりの子どもに向けた本は、簡単な[[童話]]や[[昔話]]などを主題とし、子どもに読書力をつけるよう工夫されていることが多い。 * 7-12歳頃の子どもは発達に応じて、もう少し長い、章立てのある本(チャプターブック)も読めるようになり、児童文学の中核となっている。 <!-- * {{訳語疑問点範囲|チャプターブック|date=2010年3月|Chapter book|cand_prefix=原文}}は7-12歳児向けである。 ** 短いチャプターブックは7-9歳児向け、 ** 長いチャプターブックは9-12歳児向けである。[[ニューベリー賞]]作品はこのカテゴリに含まれることが多い。 --> * [[ヤングアダルト]]小説([[ジュブナイル]])は概ね13歳以降のティーンエイジャー(ヤングアダルト)を読者に想定している。 <!--** 日本でいう[[ライトノベル]]はヤングアダルトから大人までを対象にした娯楽性の高い作品である。--> こうした分類の基準は、児童文学そのものを定義する基準と同様に、曖昧で問題を含むものである。明確な違いの1つに幼い子ども向けの本は[[イラストレーション]]が添えられることが多いということが挙げられるが、絵を作品の不可分な一部として持つ[[絵本]]であってもこうしたジャンルや年齢層に収まらないものがある。[[ピーター・シス]]の『チベット――赤い箱を通して』は大人の読者に向けた絵本の1例である。<!-- 境界が揺らぐケースとして、明らかに絵本だがはっきり大人向けなものの例…もう少し分かりやすい例がいい --> == 内容 == [[Image:Cowardly lion2.jpg|thumb|220px|[[ライマン・フランク・ボーム]]『[[オズの魔法使い]]』(1900)。{{仮リンク|W・W・デンズロー|en|William Wallace Denslow}}画]] 子どもや若年者の成長への感化を念頭に置いた、教育的な意図、配慮がその根底にあるものが多く{{sfn|大橋|2014|p=103}}、子どもの興味や発育に応じた平易な言葉で書かれる。しかし難しい内容を扱わないという訳ではなく、難しい内容でも子どもに必要と考え、わかりやすい例や言葉で表現する[[作家]]もいる。平易な表現で根源的なことを語っている場合があり、子どもに受け入れられる児童文学作品には大人の鑑賞にも堪えられる秀逸なものも多い。たとえば[[灰谷健次郎]]著の『兎の眼』や[[あさのあつこ]]著の『バッテリー』など一般の文庫本となって大人読者に広く流布する作品がある。児童文学は大人向けに書かれた「文学」の価値観が持ち込まれているという指摘がある{{sfn|大橋|2014|p=18}}。 <!-- 「児童文学」としてはややオフトピック --> おおむね10代中・後半から20代初め頃の時期を[[ヤングアダルト]]と呼ぶが、[[児童]]の年代を超えた年齢層にも児童文学的な内容が求められる事がある。[[J・D・サリンジャー]]の『[[ライ麦畑でつかまえて]]』(1951年)に見られるように、この世代特有の問題、例えば、恋愛、[[いじめ]]、薬物依存、自殺などを扱ったジャンルも登場し、「ヤングアダルト」という名称で呼ばれる事もある。日本では[[重松清]](作品は[[ナイフ (小説)|ナイフ]]・[[エイジ (小説)|エイジ]]など)らがヤングアダルト世代向けの作品を手がけている。 '''創作童話'''と呼ばれる作品は文学性を有する場合が多い。創作童話は狭義の[[童話]]概念であるためヤングアダルト層は対象としないが、小学校高学年程度向けの作品も含まれる事がある。 === シリーズ === ある児童書が成功を収めると、作者はその話に続編を書いたりシリーズを立ち上げたりしようとすることが多く、[[ライマン・フランク・ボーム]]の『[[オズの魔法使い]]』や[[那須正幹]]の『[[ズッコケ三人組]]』などがその例である。『[[ハリー・ポッターシリーズ|ハリー・ポッター]]』シリーズや[[原ゆたか]]の『[[かいけつゾロリ]]』のように、最初からシリーズとして企画された作品もある。[[イーニッド・ブライトン]]や[[R・L・スタイン]]は終わりのないシリーズを専門にしている。シリーズはその作者よりも長続きすることもある。ライマン・フランク・ボームが亡くなると、出版社は{{仮リンク|ルース・プラムリー・トンプソン|en|Ruth Plumly Thompson}}を雇って続編を書き継がせた。『[[少女探偵ナンシー]]』などのように、1つのペンネームを共有して複数の作者により書かれたシリーズもある。 <!-- シリーズものは児童文学特有というわけではなく、[[サイエンス・フィクション]]や[[推理小説]]といったジャンルでも一般的である。:蛇足? --> == イラストレーション == [[Image:The Journey2.jpg|thumb|right|220px|{{仮リンク|エリザベス・シッペン・グリーン|en|Elizabeth Shippen Green}}『旅』(1903)]] 児童書にはしばしば[[イラストレーション]]がふんだんに添えられている。一般的に、幼い読者に向けた本であるほど絵が果たす役割は大きくなり、特にまだ文字を読めない幼児向けの本がそうである。子ども向けの絵本は幼い子どもにとって、高水準な[[芸術]]に認識可能な形で触れることのできる機会となりうる。 多くの児童文学作家は気に入ったイラストレーター(挿絵画家、[[イラストレーター]]、[[漫画家]])に自分の言葉を絵にしてもらうが、最初からイラストレーターと共に本作りをする場合もあれば、イラストレーターが自分自身で本を書く場合もある。イラストなしでも話を楽しめるだけの読書力に達した後も、子どもたちは本<!-- chapter book -->に時々出て来る絵を楽しんで眺めるものである。 == 歴史 == <!-- 将来編集してくださる皆様へ: この節を作家の見苦しいリストにしないため、1つの四半世紀につき1人だけ、代表的な作家を選ぶようにしてください。 (以上、英語版の注意書き。既に19世紀後半以降は守られてないように見えなくもないですが…精神としてはということで) * 加えるなら『指輪物語』『エーミールと探偵たち』『ゲド戦記』あたりか?:加えるより減らすべき * 日本のものは世界的影響という観点からはここには書き辛いので日本の節に書くと良いでしょう。 * 西洋でも日本でもないアジア中東アフリカ中南米を概説して下さる方を求めています --> 児童文学の定義自体が明確なものではないので、その歴史がいつ始まったのかを特定するのも難しい。ここでは子どもに向けた、もしくは子どもに広く受容された書物あるいは文学の発達を概観する。 === 前史 === 子どもに人気のある物語の中には非常に古い時代に書かれたものもある。『[[イソップ寓話]]』は紀元前3世紀に成立し今も世界中の子どもたちに愛されているし、[[トマス・マロリー]]の『[[アーサー王の死]]』(1486年)や『[[ロビン・フッド]]』(1450年頃)は子どものことを念頭に置いて書かれたものではないが、何世紀にも亘って子どもたちを魅了してきた。 === 17世紀 === 1658年、[[チェコ]]の[[コメニウス]]がイラスト入りの知識の書『[[世界図絵]]』を著した。これが明確に子どもに向けて書かれた最初の絵入り本であると考えられている。また、この時代にはフランスの[[シャルル・ペロー]](1628-1703)が[[童話]]の基礎を築いた。ペローの物語には『[[赤ずきん]]』『[[眠れる森の美女]]』『[[長靴をはいた猫]]』『[[シンデレラ]]』などが含まれている。 === 18世紀 === 1744年、イギリスで{{仮リンク|ジョン・ニューベリー|en|John Newbery}}が『[[小さなかわいいポケットブック]]』を出版した。ニューベリーはこの本を男の子にはボール、女の子には針刺し付きで販売した。明確に子どもに向けて販売された娯楽書の始まりとして時代を画するものであったと考えられている。ニューベリー以前は、子どもと大人のための物語の豊かな[[口承]]は存在したが、子どもに向けて販売される文学は子どもを教育することを意図したものであった。 === 19世紀 === [[Image:Grimm.jpg|thumb|200px|ウィルヘルム(左)とヤコブ(右)の[[グリム兄弟]]。{{訳語疑問点範囲|Elisabeth Jerichau-Baumann|date=2010年3月||cand_prefix=原文}}画(1855)]] <!--1800–1825--> 19世紀初頭に、ヤコブとウィルヘルムの[[グリム兄弟]]が『[[白雪姫]]』『[[ラプンツェル]]』『[[ヘンゼルとグレーテル]]』などのドイツの口承を記録し保存に努めた。[[E.T.A.ホフマン|E. T. A.ホフマン]]の物語『[[くるみ割り人形とねずみの王様]]』1816年にドイツの子供向け物語集に掲載されました。これは、児童文学に奇妙でグロテスクな要素を導入した最初の現代短編小説でした。 <!--1825–1850--> <!-- このあたりが創作としての児童文学のスタートラインでしょうか --> 1835-1848年にかけて、デンマークの[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン]]が『[[人魚姫]]』(1836年)、『[[裸の王様]]』(1837年)、『[[みにくいアヒルの子]]』(1844年)、『[[雪の女王]]』(1845年)などの、伝承に基づかない創作性の高い童話を刊行した。アンデルセンはヨーロッパ中の子どもたちに喜びを与えたとして、存命中から王族によって祝宴が行われ称揚された。アンデルセンの童話は150以上もの言語に翻訳され、今日でも世界中で百万部単位で刊行され、他の数多くの作品にも影響を与え続けている<ref name="EB">Elias Bredsdorff, ''Hans Christian Andersen: the story of his life and work 1805–75'', Phaidon (1975) ISBN 0-7148-1636-1</ref>。「裸の王様」や「みにくいアヒル」は現代英語や日本語などでも良く知られた慣用句として通っている。 <!--1850–1875--> 1865年、イギリスで[[ルイス・キャロル]](1832年 - 1898年)が『[[不思議の国のアリス]]』を刊行した。この物語は[[論理学]]とも戯れており、子どもだけでなく大人にも長く人気となっている。『アリス』は[[文学的ナンセンス]]の最も特徴的な例の1つと考えられており、その物語の進行と構造は主に[[ファンタジー]]の分野で極めて大きな影響力を持った。 <!--1875–1900--> <!-- 子どもと大人の両睨みであることが重要 --> 1880年に、[[スイス]]で[[ヨハンナ・シュピリ]](1827年 - 1901年)が『[[アルプスの少女ハイジ|ハイジ]]』(1880年)を出版した。副題には、この本が「子どもと、子どもを愛する人のため」の本であると謳われている。[[ジョーエル・チャンドラー・ハリス]](1845年 - 1908年)は[[アフリカ系アメリカ人]]の[[方言]]を話す動物キャラクターが登場する民話を書いた。 <!-- 特に位置付けなし。カット 1883年、[[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]は[[海賊]]冒険小説の古典『[[宝島]]』を書いた。伝統的に[[教養小説]]と考えられてきたが、またその雰囲気、キャラクター、アクション、さらには[[ロング・ジョン・シルバー]]に見られるような道徳の両義性に関する皮肉な解説でも知られている。あらゆる小説の中で最も頻繁に舞台化されてきたものの1つであり、海賊というものの一般的な認識に及ぼした影響は計り知れない。 1894年、[[ラドヤード・キップリング]]は『[[ジャングル・ブック (小説)|ジャングル・ブック]]』を出版した。これはジャングルで動物たちと暮らす少年の物語集で、アニメ映画や実写映画のシリーズにもなった。 --> === 20世紀 === <!-- 20世紀、特に後半は有名な作品の羅列になっています。さらに絞り込んで、児童文学の流れを押さえるまとまりのある文章に改める必要がありそうです。 →「有名なだけ」のものはコメントアウトしました。 --> <!--1900–1925--> 1900年<!--厳密には19世紀ですけど-->、アメリカ合衆国で[[ライマン・フランク・ボーム]]が『[[オズの魔法使い]]』を発表した。以後、さまざまな版が絶えず刊行されている。1902年には舞台化され、1939年には[[オズの魔法使|映画化]]された。アメリカ文化の中でも最も知られた物語の1つであり、40ヵ国語に翻訳された。『オズ』の大成功を受けてボームは13篇の続編を書き、ボームの死後も複数の作者が数十年間に亘り続編を書き続けた。 [[Image:Tale of peter rabbit 12.jpg|thumb|240px|『ピーターラビットのおはなし』]] 1902年、[[ビアトリクス・ポター]]は『[[ピーターラビットのおはなし]]』を発表した。いたずら好きで反抗的な若い兎の[[ピーターラビット]]が、マクレガーさんの農場に忍び込む話である。発表以降100年以上に亘り、この本を基にした玩具、皿、食品、衣類、ビデオなどの夥しいグッズが生み出された。1903年にピーターラビット人形の特許権を取得したポターは、こうしたグッズ化の先駆けの一人となった。 <!-- カット 1908年、[[イングランド銀行]]の事務員を辞職した[[ケネス・グレアム]]は『[[たのしい川べ]]』を書いた。グレアムは田舎へ引越し、本に登場する動物たちがしていたようにして[[テムズ川]]で時間を過ごしていた。すなわち、この本で最も有名な言葉の1つの通り、息子のために「ボートの上で無為に過ごし」ていた。 --> <!--[[Image:PeterAndWendy.png|thumb|200px|[[ピーター・パン]]とウェンディ]]--> 1911年、[[ジェームス・マシュー・バリー]]は『{{仮リンク|ピーター・パンとウェンディ|en|Peter and Wendy}}』を著した。[[ピーター・パン]]は児童文学で最も有名なキャラクターの1人であり、魔法によって歳を取らなくなって[[ネバーランド]]と呼ばれる小さな島で終わることのない子ども時代を過ごしている。 <!--1925–1950--> <!-- カット 1926年から、[[A・A・ミルン]](1882年 - 1956年)は[[クマのプーさん]]とその森の友達の詩と物語を書いた(後に[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]のアニメとなった)。 1933年に、アメリカ合衆国で[[ローラ・インガルス・ワイルダー]](1867年 - 1957年)は[[西部開拓時代|西部開拓者]]家族の中で過ごした自分の子ども時代を基に『[[大きな森の小さな家]]』シリーズの第1回を刊行した。最初の出版時から継続的に出版され続けており、アメリカの児童文学の古典と考えられている。これらのうち5作品がニューベリー名誉賞を追贈されている。また、アメリカの人気テレビシリーズ『[[大草原の小さな家]]』の原作となっている。 --> [[第二次世界大戦]]中の1943年に、飛行士[[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ]](1900年 - 1944年)は『[[星の王子さま]]』を出版した。砂漠に不時着した主人公が、星からやって来た子どもの心を持った王子と語らうこの物語は人間性の洞察に富み、現在までに180ヶ国語に翻訳され8000万部を売り上げている。 <!--1950–1975--> [[グローバリゼーション]]に伴い翻訳による創作児童文学作品の世界的・爆発的な普及が見られるようになり、イギリスの[[C・S・ルイス]](1898年 - 1963年)の『[[ナルニア国ものがたり]]』(1950年 - 1956年)シリーズは41言語で通算1億2千万部以上、同じくイギリスの[[J・K・ローリング]](1965年 - )の『[[ハリー・ポッターシリーズ|ハリー・ポッター]]』(1997年 - 2007年)シリーズは63ヵ国語以上に翻訳され4億部以上を売り上げた。 <!-- 1950年、イギリスで[[C・S・ルイス]](1898年 - 1963年)は『[[ナルニア国ものがたり]]』シリーズの第1回を刊行した。このシリーズは41言語で通算1億2千万部以上を売り上げており、全体もしくは部分的に幾度となくラジオ、テレビ、演劇、映画化されている。伝統的な[[キリスト教]]のテーマの他にも、[[ギリシア神話]]や[[ローマ神話]]、イギリスやアイルランドの童話などからもキャラクターやアイデアを借用している。 [[ドクター・スース]](1904年 - 1991年)はカラフルなイラストレーションで描かれたキャラクターたちが韻文で想像的なファンタジーを作り上げる数多くの本で数世代の子どもたちを虜にした。 [[ロアルド・ダール]](1916年 - 1990年)は1940年代に頭角を現した。ダールの子ども向けファンタジー小説は意外な結末と、感傷的でない、非常に暗いユーモアで知られている。『[[チャーリーとチョコレート工場]]』などダールの作品の多くはダール自身の少年時代の経験から着想を得ている。 !--1975–2000-- 1997年、イギリスで[[J・K・ローリング]](1965年 - )は『[[ハリー・ポッターシリーズ|ハリー・ポッター]]』シリーズの第1作を出版した。ローリングの本は63ヵ国語以上に翻訳され全世界で4億部以上を売り上げ、ローリングは世界で最も豊かな女性の一人となった。 --> <!-- 歴史にするにはまだ早い? === 21世紀 === 2001年、アイルランドで[[オーエン・コルファー]]が『[[アルテミス・ファウルシリーズ|アルテミス・ファウル]]』シリーズの第1作を刊行した。2008年にはこのシリーズが6週連続でベストセラーとなり、{{仮リンク|ペンギンブックス|en|Penguin Books}}は不況下にもかかわらず過去最高の黒字を記録した<ref>{{cite press release | title = Penguin Group Announces Record 2008 Profits | publisher = Book Trade Announcements | date = Monday 2009-03-02 | url = http://www.booktrade.info/index.php/showarticle/20011 | accessdate = 2009-03-03}}</ref>。 --> === 日本 === <!-- 加筆のお願い:『赤い鳥』からいきなり現代にワープしてしまっていますが、こちらも四半世紀に1-2人の代表者を挙げて頂けるとバランス良くなるかと思います。 たとえば次のような記述が考えられます―― * 江戸までの子ども向けの書物や物語についての記述もあればさらに良いでしょう。 ** 日本古来の説話、童話、昔話(始点は[[竹取物語]]?) * 森鴎外によるアンデルセンの翻訳紹介 ** 児童文学に占める翻訳の位置は大きいので、翻訳事情は全時代を通じて既述が必要かと思われます * 『赤い鳥』(既述) * 「童画」と児童文学 * 創作童話の発展――宮沢賢治、小川未明 * 明治期・大正期に子どもを富国強兵の人材と捉え穢れ無きものとして理想化する「童心主義」 * 第二次世界大戦による断絶 ** 反戦と児童文学(井上ひさし、那須正幹など。記述は慎重に…) * 制度としての「児童文学」の確立/日本は児童文学賞の整備が早かったことに触れる * 主要なシリーズとして(全部挙げる必要はないです) ** 『少年探偵団』シリーズ(1530万部) 1936-62 ** 『ズッコケ三人組』(2100万部) 1978-2004 ** 『ぼくら』(1500万部) 1985- → ライトノベルの形成。「エンターテイメントとしても優れたものや…」 ** 『かいけつゾロリ』(2300万部) 1987- 日本の児童文学は残念ながら国外ではあまり読まれていないようですが、視野を広げる意味では『ポケットモンスター』のような文学でないが世界的な影響力を持った日本の児童向け作品に軽く言及しても良いかもしれません。 --> {{節スタブ}} [[File:Akai-Tori first issue.jpg|thumb|雑誌『[[赤い鳥]]』創刊号(1918)]] 日本の児童文学は、[[日本の近現代文学史|近代文学]]成立とほぼ同時期に確立されたと考えられる。[[巖谷小波]]による『こがね丸』や小川未明の第一童話集『[[赤い船]]』(1910年12月)が始まりとされる。[[1918年]]には[[鈴木三重吉]]主宰の雑誌『[[赤い鳥]]』が刊行された。[[芥川龍之介]]・[[有島武郎]]・[[北原白秋]]などが参加したこの雑誌は、後に[[新美南吉]]らを輩出するなど児童文学の普及・発展に貢献した。[[宮沢賢治]]は同時代の作家だが、擬声語やリズム感が当時の童話としては異質だったため、生前は評価されることがなかった。その後日本では、大人から児童に向けた教育を主眼とした内容のものが主流となっていたが、1960年代頃から遊びの要素を持ちエンターテイメントとしても優れたものや、大人の文学表現にも匹敵する作品が登場するようになった。詩においては[[まど・みちお]]が著名である。当時の絵本は文字を主、絵を従としたものだったが、[[いわさきちひろ]]は絵で展開する絵本を制作し、国際的にも高い評価を得た。[[やなせたかし]]の『[[アンパンマン]]』は当初大人向けに書かれたが後に幼児向けの絵本として再発表され、[[テレビアニメ]]で絶大な人気を博した。<!-- 1980年代には[[那須正幹]]『それゆけズッコケ三人組』、[[矢玉四郎]]『はれときどきぶた』、[[國末俊英]]『[[おかしな金曜日]]』等の作品が生まれた。--> == 研究・団体 == 近年では児童文学研究の地位が高まりつつある。{{仮リンク|児童文学批評|en|children's literature criticism}}の分野での[[文芸評論]]分析が増加しているほか、{{仮リンク|児童文学協会|en|Children's Literature Association}}(ChLA)、{{仮リンク|児童書作家・画家協会|en|Society of Children's Book Writers and Illustrators}}(SCBWI)、[[国際児童図書評議会]](IBBY)、{{仮リンク|カナダ国際児童図書評議会|en|IBBY Canada}}などの児童文学の学術協会も数多く存在している。 [[国際児童図書評議会]](IBBY)が機関誌として1963年から発行する世界の児童文学誌[[『Bookbird』]]は、初の多言語版として2010年から邦訳[http://www.bookbird.jp/ 『ブックバード日本版』]がマイティブックから発売されている。 <!-- enwpにも記事がない以下のものは割愛 [[International Research Society for Children's Literature]] [[Library Association Youth Libraries Group]] [[Irish Society for the Study of Children's Literature]] Centre for International Research in Childhood: Literature, Culture, Media (CIRCL) [[National Centre for Research in Children's Literature]] --> 児童文学における文化はさまざまな学問領域で研究されている。アメリカ合衆国では、幼児教育および初等教育の教員の養成過程で児童文学の講義が必修となっていることが多い。<!-- アメリカ限定の話ですが、教員養成に児童文学の単位が必修というのは児童文学の地位向上のメルクマールとして大きいのではないかと--> === 日本での研究・団体 === 日本における児童文学の[[学問]]的研究は体系的に整備されているとは言い難いが、[[白百合女子大学]]・[[玉川大学]]・[[梅花女子大学]]・[[東京純心大学]]などは専門の学科・研究科を設置している。また他の大学・短大も、何らかの形で児童文学関連の講座を設置しているところが多い。なお、教育系の学部・学科においては、[[幼児教育]]や児童学と関連づけられる場合がほとんどである。 児童文学など児童書関連が公開されている資料センターとして[[国際子ども図書館]](東京・上野公園内)と[[大阪府立国際児童文学館]]([[大阪府立中央図書館]]内)がある。国際子ども図書館は[[国立国会図書館]]の児童書関連を移管して2000年に開館した(全面開館は2002年)。大阪国際児童文学館は1984年に[[鳥越信]]の蔵書12万点のコレクションをもとにマンガ、紙芝居などを含めた児童文化の資料館・研究施設として開館した。両者の資料点数は拮抗しているが、研究・レファレンス及び収集方針の専門員による差異により、貴重本の収集や資料保存方法などでは<!--先行して開館した-->大阪の方が充実している。例えば、国際子ども図書館では、旧来の図書館としての保存方法で、カバー・帯の廃棄や保存カバー・バーコードの装備で資料が変形されたり、雑誌が合本化されて閲覧しにくく資料性が欠損したりしている場合がある。一方、大阪国際児童文学館では、1点ずつの個別保存で雑誌の合本化もなく付録も貴重な児童文化財として保存している。 [[児童文学者]]の団体としては、1946年に児童文学者協会(後の[[日本児童文学者協会]])が設立され、1955年に[[日本児童文芸家協会]]が成立した。それぞれ機関誌として「日本児童文学」、「児童文芸」を刊行している。他に児童書のイラストレーターの団体として[[日本児童出版美術家連盟]](童美連)があり、この三者に[[日本書籍出版協会]]の児童書部門を含めた通称“四者懇”があり、児童書をめぐる著作権等の諸問題について協調して行動している。 また、研究者の団体としては、日本児童文学学会や英米児童文学学会があり、読書運動では、親子読書地域文庫全国連絡会(機関誌『子どもと読書』)などがある。 == 賞 == [[Image:Wendy Binks piirtää C241 C.JPG|thumb|240px|ボローニャ国際児童図書賞が発表される[[ボローニャ国際児童図書展]]の様子]] {{see also|Category:児童文学の賞}} 児童文学の[[賞]]のうち高名なものとして以下のものがある。 * 国際的なもの:[[国際アンデルセン賞]]、<!-- [[国際グリム賞]]、: ほとんど知られていないようです-->[[アストリッド・リンドグレーン記念文学賞]]、[[ボローニャ国際児童図書展|ボローニャ国際児童図書賞]]など。 * オーストラリア:{{仮リンク|オーストラリア児童書評議会|en|Children's Book Council of Australia}}(CBCA)が運営する{{仮リンク|オーストラリア児童図書賞|en|List of CBCA Awards}}。 * カナダ:{{仮リンク|カナダ総督文学賞|en|Governor General's Awards|label=総督文学賞}}の児童文学・イラストレーション部門(英語とフランス語を対象としている)があるほか、CBCAも複数の年次賞を運用している。 * アメリカ合衆国:主要な賞は[[アメリカ図書館協会]]の下部組織である{{仮リンク|児童図書館協会|en|Association for Library Service to Children}}が授与している――著作対象の[[ニューベリー賞]]、10代向け著作対象の[[マイケル・L・プリンツ賞]]、イラストレーション対象の[[コールデコット賞]]、知識書対象の{{仮リンク|サイバート賞|en|Sibert Medal}}、読みはじめの子どものための本が対象の{{仮リンク|セオドア・スース・ガイゼル賞|en|Geisel Award}}、長年に亘り影響を与え続けた作品が対象の[[児童文学遺産賞]]、翻訳作品対象の{{仮リンク|バチェルダー賞|en|Batchelder Award}}、{{仮リンク|コレッタ・スコット・キング賞|en|Coretta Scott King Award}}、ラテン系作家対象の{{仮リンク|ベルプレ賞|en|Belpré Medal}}など。その他の重要な賞には[[全米図書賞]]の児童文学部門や、子ども向け[[ノンフィクション]]の優秀作に贈られる{{仮リンク|世界図絵賞|en|Orbis Pictus Award}}などがある。 * イギリス:図書の[[カーネギー賞]]と、イラストレーションの[[ケイト・グリーナウェイ賞]]、{{仮リンク|ネスレ子どもの本賞|en|Nestlé Smarties Book Prize}}(2008年に廃止)、[[ガーディアン賞]]など。 * フランス:大きな賞として{{仮リンク|ソルシエール賞|fr|Prix Sorcières}}(魔法使い賞)と書店が主体となって選ぶ{{仮リンク|アンコリュプティブル賞|fr|Prix des Incorruptibles}}(不朽の名作賞)があるほか、{{仮リンク|モントルイユ児童書見本市|fr|Salon du livre et de la presse jeunesse}}で授与される絵本の{{仮リンク|バオバブ賞|fr|prix Baobab}}、児童が選ぶ{{仮リンク|タムタム賞|fr|prix Tam-Tam}}、ノンフィクションの{{仮リンク|プレス・デ・ジューヌ賞|fr|Prix de la presse des jeunes}}がある。 * ドイツ:1956年に創設された国営の[[ドイツ児童文学賞]]が権威。 * 日本:戦後早くから、[[小学館児童出版文化賞]]<!--1952-->、[[産経児童出版文化賞]]<!--1954-->、[[講談社児童文学新人賞]]<!--1959-->と[[野間児童文芸賞]]<!--1963-->、[[日本児童文学者協会賞]]<!--1961-->と[[日本児童文学者協会新人賞]]、[[赤い鳥文学賞]]<!--1971-->とイラストレーションの[[赤い鳥さし絵賞]]など数多くの児童文学賞がある。([[:Category:日本の児童文学賞]]も参照) == 出版社 == 日本において、児童文学作品を主に扱っている出版社には次のようなものがある。 * [[あかね書房]] * [[岩崎書店]] * [[偕成社]] * [[Gakken|学研]] * [[金の星社]] * [[国土社]] * [[小峰書店]] * [[童心社]] * [[ポプラ社]] * [[理論社]] == レーベル == 日本において、児童文学作品を扱っているレーベルには次のようなものがある。 * [[岩波少年文庫]] * [[角川つばさ文庫]] *カドカワ 銀のさじ * [[青い鳥文庫]] *[[講談社KK文庫]] * [[YA!ENTERTAINMENT]] *[[BOOK WITH YOU]] *[[ジャンプ ジェイ ブックス]] *[[集英社みらい文庫]] *[[小学館ジュニア文庫]] *[[双葉社ジュニア文庫]] *[[PHPジュニアノベル]] *[[実業之日本社ジュニア文庫]] *[[フォア文庫]] *[[ポプラカラフル文庫]] * [[ポプラポケット文庫]] *[[ポケット・ショコラ]] *[[野いちごジュニア文庫]] *[[ポプラキミノベル]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == *{{cite book |last=Anderson |first=Nancy |title=Elementary Children's Literature |location=Boston |publisher=Pearson Education |year=2006 |isbn=0205452299 }} *{{cite book |last=Chapleau |first=Sebastien |title=New Voices in Children's Literature Criticism |location=Lichfield |publisher=Pied Piper Publishing |year=2004 |isbn=9780954638443 }} *{{cite book |last=Huck |first=Charlotte |title=Children's Literature in the Elementary School, 7th ed. |location=New York |publisher=McGraw-Hill |year=2001 |isbn=0072322284 }} *{{cite book |last=Hunt |first=Peter |title=Criticism, Theory, and Children's Literature |location=Oxford |publisher=Blackwell |year=1991 |isbn=0631162313 }} *{{cite book |last=Hunt |first=Peter |title=International Companion Encyclopedia of Children's Literature |location=London |publisher=Routledge |year=1996 |isbn=0415088569 }} *{{cite book |last=Lesnik-Oberstein |first=Karin |year=1996 |chapter=Defining Children's Literature and Childhood |editor=Hunt, Peter (ed.) |title=International Companion Encyclopedia of Children's Literature |pages=17–31 |location=London |publisher=Routledge |isbn=0415088569}} *{{cite book |last=Lesnik-Oberstein |first=Karin |title=Children's Literature: Criticism and the Fictional Child |location=Oxford |publisher=Clarendon Press|year=1994 |isbn=0198119984}} *{{cite book |last=Lesnik-Oberstein |first=Karin |title=Children's Literature: New Approaches |location=Basingstoke |publisher=Palgrave|year=2004 |isbn=1403917388}} *{{cite book |last=Rose |first=Jacqueline |title=The Case of Peter Pan or the Impossibility of Children's Fiction |location=Philadelphia |publisher=University of Pennsylvania Press|year=1993, orig. pub. 1984 |isbn=0812214358}} *{{Cite book ja-jp|author=大橋崇行|year=2014|title=ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために|url=http://kasamashoin.jp/2014/09/post_3009.html|publisher=[[笠間書院]]|isbn=978-4305707437|ref={{sfnref|大橋|2014}}}} == 書誌 == <!-- ==Further reading== --> *''The Oxford encyclopedia of children's literature'', ed. by Jack Zipes, Oxford [etc]: Oxford Univ. Press, 2006, 4 vls. *[http://www.bookbird.jp/ 『ブックバード日本版』] == 関連項目 == *[[ミリオンセラーの児童文学一覧]] *[[児童文学作家一覧]] *[[日本の児童文学研究者の一覧]] *[[こどもの文化]] *[[漫画]] / [[学習漫画]] *[[紙芝居]] *[[童謡]] / [[童話]] / [[童画]] *[[宮沢賢治]] *[[ジュブナイル]] / [[ヤングアダルト]] *[[ライトノベル]] == 外部リンク == {{Wikisourcelang|en|Category:Children's books|児童文学}} {{Commonscat|Children's books}} *[http://www.ehon-ej.com/ 特定非営利活動法人 絵本・児童文学研究センター] *[http://www.jscl.internet.ne.jp/ 日本児童文学学会] *[http://wwwsoc.nii.ac.jp/jscle/ 日本イギリス児童文学会] *[http://www.jidoubungei.jp/ 日本児童文芸家協会] *[http://www.jibunkyo.or.jp/ 日本児童文学者協会] *[http://www.dobiren.org/ 日本児童出版美術家連盟(童美連)] *{{Wayback|url=http://www.d1.dion.ne.jp/~ueda_nob/shiryo/shiryo.html |title=児童文学資料研究 |date=19991006182543}} **[http://nob.internet.ne.jp/ 上田信道の児童文学ホームページ] *[https://dl.ndl.go.jp/ 国立国会図書館デジタルコレクション] - [[国際子ども図書館]]で所蔵する児童書の一部(おもに昭和30年以前刊行のもの)を、デジタル画像で全文閲覧できる。 *[http://www.kodomo.go.jp/resource/search/toc.html 児童書総合目録] (国際子ども図書館) === 英語他 === <!-- 外部リンク多すぎるのでバッサリ切ってもいいかも --> * [http://www.childrenslibrary.org/ 子どもの国際デジタル図書館] - 48ヵ国語、2827冊の児童書が閲覧できる。([http://www.childrenslibrary.org/icdl/ResultByWorld?area=2&start=0&pgct=12&ilang=English&view=cover&sort=title&type=0&country=country7 日本語の本]) * [http://www.itsasmallworld.co.nz 小さな世界の本――世界中からの児童文学] * [http://www.gutenberg.org/catalog/world/results?subject=Children 子ども向け電子テキスト] - [[プロジェクト・グーテンベルク]]([http://www.gutenberg.org/catalog/world/results?locc=PZ 詳細]) * [http://www.arnenixoncenter.org 児童文学研究のためのアーン・ニクソン・センター] - [[カリフォルニア州立大学]] * [http://special.lib.umn.edu/clrc/ 児童文学研究コレクション] - [[ミネソタ大学]] * [http://www.uflib.ufl.edu/UFDC/UFDC.aspx?c=juv 児童文学のボールドウィン・デジタルライブラリ]{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }} - [[フロリダ大学]] * [http://www.ibby.org 国際児童図書評議会(IBBY)] * [http://www.scbwi.org 児童書作家・画家協会] * [http://www.goethe.de/kue/lit/prj/kju/deindex.htm ドイツの児童とヤングアダルト文学ポータル] {{de icon}} - [[ゲーテ・インスティテュート]] * [http://expositions.bnf.fr/livres-enfants/ バーチャル展示「昔と今の児童書――ババール、ハリーポッターと仲間たち」] {{fr icon}} - [[フランス国立図書館]] * [http://cci.zjnu.edu.cn/ 中国児童文化研究網] {{zh icon}} - 浙江師範大学 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しとうふんかく}} [[Category:児童文学|*]]
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ミヒャエル・エンデ
ミヒャエル・アンドレアス・ヘルムート・エンデ(Michael Andreas Helmuth Ende、1929年11月12日 - 1995年8月28日)は、ドイツの児童文学作家。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。また、日本の黒姫童話館にはエンデに関わる多くの資料が収集されている。 日本では岩波書店から『エンデ全集』(全19巻)が出されている。
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ミヒャエル・アンドレアス・ヘルムート・エンデは、ドイツの児童文学作家。父はシュールレアリスム画家のエドガー・エンデ。日本と関わりが深く、1989年に『はてしない物語』の翻訳者佐藤真理子と結婚している。また、日本の黒姫童話館にはエンデに関わる多くの資料が収集されている。
{{Infobox 作家 | name = ミヒャエル・エンデ<br>Michael Ende | birth_date = {{生年月日と年齢|1929|11|12|no}} | birth_place = {{DEU1919}} [[ガルミッシュ=パルテンキルヒェン]] | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1929|11|12|1995|8|28}} | death_place = {{GER}} [[フィルダーシュタット]] | occupation = | nationality = {{GER}} | period = | genre = {{plainlist| * [[児童文学]] * [[ファンタジー]] }} | subject = | movement = | notable_works = {{plainlist| * [[モモ (児童文学)|モモ]] * [[はてしない物語]] }} | awards = | signature = Michael-Ende-Unterschrift.png | debut_works = | spouse = {{仮リンク|インゲボルク・ホフマン|en|Ingeborg_Hoffmann}}(1964年 - 1985年) [[佐藤真理子 (翻訳家)|佐藤真理子]](1989年 - 1995年) | influences = {{plainlist| * [[ノヴァーリス]] * [[E.T.A.ホフマン]] * [[ベルトルト・ブレヒト]] * [[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]] * [[フリードリヒ・フォン・シラー]] * [[ウィリアム・シェイクスピア]] * [[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]] * [[ルドルフ・シュタイナー]] * [[シルビオ・ゲゼル]] * [[荘子]] * [[カバラ]] * [[エドガー・エンデ]] }} | influenced = [[ラルフ・イーザウ]] }} '''ミヒャエル・アンドレアス・ヘルムート・エンデ'''(Michael Andreas Helmuth Ende、[[1929年]][[11月12日]] - [[1995年]][[8月28日]])は、[[ドイツ]]の[[児童文学作家]]。父は[[シュールレアリスム]]画家の[[エドガー・エンデ]]。[[日本]]と関わりが深く、[[1989年]]に『[[はてしない物語]]』の翻訳者[[佐藤真理子 (翻訳家)|佐藤真理子]]と結婚している。また、日本の[[黒姫童話館]]にはエンデに関わる多くの資料が収集されている。 == 年譜 == * [[1929年]][[11月12日]] - [[バイエルン州]]の[[ガルミッシュ=パルテンキルヒェン]]で生まれる。この頃から[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が台頭し、ミヒャエルが小学校に入学する頃、父エドガーが「[[退廃芸術]]家」の烙印を押され、生活が苦しくなった。 * [[1941年]] - [[ギムナジウム]]を落第。 * [[1945年]] - 16歳の時、疎開した14 - 15歳の少年が軍に[[徴兵]]され、一日訓練を受けた後、前線に送られ、初日に学友3名が戦死する。ミヒャエルにも[[召集令状]]が来たが、彼は令状を破り捨て、[[ミュンヘン]]まで[[シュヴァルツヴァルト]]の森の中を夜間のみ80[[キロメートル]]歩いて、疎開していた母の所へ逃亡。その後、近所に住む[[イエズス会]]神父の依頼で[[レジスタンス運動|レジスタンス]]組織「バイエルン自由行動」の反ナチス運動を手伝い、伝令としてミュンヘンを自転車で駆け回った。 * [[1948年]] - 戦後に転入した[[ルドルフ・シュタイナー|シュタイナー]]学校を退学、演劇学校に入学。 * [[1950年]] - 演劇学校卒業。1シーズンだけ舞台に立つ。 * [[1951年]] - [[俳優|女優]]{{仮リンク|インゲボルク・ホフマン|de|Ingeborg Hoffmann (Schauspielerin)}}と知り合う。 * [[1953年]] - 父がミヒャエルとほぼ同年齢の愛人と同棲。ミヒャエルは絶望した母を精神的、経済的に支える。 * [[1961年]] - ''Jim Knopf und Lukas der Lokomotivführer'' (日本語訳:『[[ジム・ボタンの冒険|ジム・ボタンの機関車大旅行]]』)が[[ドイツ児童文学賞]]をとり、生活が安定{{sfn|桑原|2007|p=43}}。 * [[1964年]] - 8歳年上のインゲボルク・ホフマンと[[結婚]]。[[イタリア]]移住。 * [[1973年]] - ''Momo'' (日本語訳:『[[モモ (児童文学)|モモ]]』)完成{{sfn|桑原|2007|pp=44,45}}。 * [[1974年]] - ''Momo'' で二度目のドイツ児童文学賞受賞{{sfn|桑原|2007|pp=44,45}}。 * [[1977年]] - 初来日。[[能]]・[[歌舞伎]]を鑑賞。[[禅僧]]と対談する。 * [[1979年]] - ''Die unendliche Geschichte: Von A bis Z'' (日本語訳:『[[はてしない物語]]』)完成{{sfn|桑原|2007|p=44}}。 * [[1985年]] - 妻インゲボルク・ホフマン死亡(享年63)。[[ミュンヘン]]に戻る。周囲に[[ドイツ語]]を話す人がいなくなったことが帰国理由。 * [[1989年]] - 「エンデ父子展」のため再来日。『[[はてしない物語]]』の翻訳者[[佐藤真理子 (翻訳家)|佐藤真理子]]と結婚。 [[File:Michael Endes Grab.jpg|thumb|{{仮リンク|森林墓地 (ミュンヘン)|label=ミュンヘンの森林墓地|wikidata|Q253763}}にあるエンデの墓]] * [[1995年]][[8月28日]] - [[胃癌]]のため、[[フィルダーシュタット]]で生涯を閉じた。{{没年齢|1929|11|12|1995|8|28}}。葬儀はミュンヘンの[[キリスト者共同体]]で執り行われた。 == 作品一覧 == 日本では[[岩波書店]]から『[[エンデ全集]]』(全19巻)が出されている。 === 小説 === * 『[[ジム・ボタンの冒険|ジム・ボタンの機関車大旅行]]』 ''Jim Knopf und Lukas der Lokomotivführer'' 1960年 (テレビアニメ『[[ジムボタン]]』のベースとなった) * 『[[ジム・ボタンの冒険|ジム・ボタンと13人の海賊]]』 ''Jim Knopf und die Wilde 13'' 1962年 * 『[[モモ (児童文学)|モモ]]』 ''Momo oder Die seltsame Geschichte von den Zeit-Dieben und von dem Kind, das den Menschen die gestohlene Zeit zurückbrachte'' 1973年 * 『[[はてしない物語]]』 ''Die unendliche Geschichte'' 1979年 * 『鏡のなかの鏡―迷宮』 ''Der Spiegel im Spiegel: Ein Labyrinth'' 1984年 * 『魔法のカクテル』 ''Der satanarchäolügenialkohöllische Wunschpunsch'' 1989年 * 『自由の牢獄』 ''Das Gefängnis der Freiheit'' 1992年 * 『[[満月の夜の伝説]]』 ''Die Vollmondlegende'' 1993年 === 絵本 === * 『いたずらっ子の本』 ''Das Schnurpsenbuch'' 1969年 * 『[[がんばりやのかめトランキラ]]』 ''Tranquilla Trampeltreu, die beharrliche Schildkröte'' 1972年 * 『カスペルとぼうや』 ''Das Kleine Lumpenkasperle'' 1978年 * 『ゆめくい小人』 ''Das Traumfresserchen'' 1978年 * 『リルム ラルム バルム おかしなおかしな物語』 ''Lirum Larum Willi Warum'' 1978年 * 『おとなしいきょうりゅうとうるさいちょう』 ''Der Lindwurm und der Schmetterling oder Der seltsame Tausch'' 1981年 * 『森の賢者ヒダエモン』 ''Filemon Faltenreich'' 1984年 * 『はだかのサイ』 ''Norbert Nackendick oder Das nackte Nashorn'' 1984年 * 『オフェリアと影の一座』 ''Ophelias Schattentheater'' 1988年 * 『まほうのスープ』 ''Die Geschichte von der Schüssel und vom Löffel'' 1990年 * 『レンヒェンのひみつ』 ''Lenchens Geheimnis'' 1991年 * 『[[サンタ・クルスへの長い旅]]』 ''Der lange Weg nach Santa Cruz'' 1992年 * 『テディベアと動物たち』 ''Der Teddy und die Tiere'' 1993年 === 詩集 === * 『影の縫製機』 ''Die Schattennähmaschine'' 1982年 * 『夢のボロ市 真夜中に小声でうたう』 ''Trödelmarkt der Träume. Mitternachtslieder und leise Balladen'' 1986年 === 戯曲 === * 『遺産相続ゲーム―地獄の喜劇』 ''Die Spielverderber oder Das Erbe der Narren'' 1967年 * 『[[サーカス物語]]』 ''Das Gauklermärchen'' 1982年 * 『スナーク狩り―L・キャロルの原詩による変奏』 ''Die Jagd nach dem Schlarg'' 1987年 * 『ハーメルンの死の舞踏』 ''Der Rattenfänger. Ein Hamelner Totentanz'' 1993年 === アンソロジー === * 『エンデのメモ箱』 ''Michael Endes Zettelkasten'' 1989年 * 『だれでもない庭―エンデが遺した物語集』 ''Der Niemandsgarten. Aus dem Nachlass'' 1998年 (死後刊行) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!-- 注釈が0件なので一旦コメントアウトします。注釈を付ける際にコメントアウトを外して下さい。 [野良人 2020年10月23日] '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' --> {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Citation|和書 | first=ヒサ子 | last=桑原 |year=2007 |periodical=人文社会科学研究所年報 |number=5 |title= 読書体験の物語化、読書へのオマージュとしての『はてしない物語』(特集 ファンタジー--大人が読む児童文学) |url=http://nirr.lib.niigata-u.ac.jp/bitstream/10623/25132/1/keiwa_356_5_43-58.pdf |format=[[Portable Document Format|PDF]] |publisher=[[敬和学園大学]] |page=43-58 |id={{国立国会図書館書誌ID|8859292}} |accessdate=2017-11-28 |ref=harv }} == 関連項目 == {{Commonscat|Michael Ende}} * [[ラルフ・イーザウ]] - 晩年のエンデに見出された作家 * [[ルドルフ・シュタイナー]] - [[シュタイナー教育]]を提唱した学者 * [[NHKスペシャル]] - 「[[アインシュタインロマン]]」(1991年)にプレゼンターとして出演 * [[ファンタージエン]] * [[ネバーエンディング・ストーリー]] == 外部リンク == * [http://userweb.www.fsinet.or.jp/necoco/ende.htm ミヒャエル・エンデ館] - 森陽子 * [http://www3.plala.or.jp/mig/will-jp.html エンデの遺言] - Miguel Yasuyuki Hirota * [http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/09/3/092041+.html 岩波書店のエンデ全集] * [http://www.avis.ne.jp/~dowakan/ende_shiryo.html 黒姫童話館のエンデ資料] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:えんて みひやえる}} [[Category:ミヒャエル・エンデ|!]] [[Category:20世紀ドイツの小説家]] [[Category:ドイツの児童文学作家]] [[Category:ドイツのファンタジー作家]] [[Category:バイエルン州出身の人物]] [[Category:1929年生]] [[Category:1995年没]]
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児童文学作家一覧
児童文学作家一覧(じどうぶんがくさっかいちらん)は、五十音順の児童文学作家の一覧である。 インド 韓国 中国
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児童文学作家一覧(じどうぶんがくさっかいちらん)は、五十音順の児童文学作家の一覧である。
'''児童文学作家一覧'''(じどうぶんがくさっかいちらん)は、[[五十音順]]の[[児童文学]]作家の一覧である。 ==日本== ===あ=== <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> あ * [[青木和雄 (作家)|青木和雄]] * [[青山季市]] * [[赤木由子]] * [[赤座憲久]] * [[赤坂三好]] * [[赤羽末吉]] * [[芥川耿子]] * [[浅川じゅん]] * [[浅田宗一郎]] * [[あさのあつこ]] * [[浅野真澄|あさのますみ]] * [[阿部夏丸]] * [[あべ弘士]] * [[阿部よしこ]] * [[天沢退二郎]] * [[天沼春樹]] * [[あまんきみこ]] * [[新木恵津子]] * [[安房直子]] * [[安東みきえ]] * [[安藤美紀夫]] </td><td width="20%"> い * [[李慶子]] * [[イ・サンクム]] * [[飯田栄彦]] * [[飯野和好]] * [[池澤夏樹]] * [[池田浩彰]] * [[池田美代子]] * [[伊沢由美子]] * [[いしいしんじ]] * [[石井桃子]] * [[石井睦美]] * [[石川宏千花]] * [[石崎洋司]] * [[石森延男]] * [[泉啓子]] * [[泉久恵]] * [[市川朔久子]] * [[市川宣子]] * [[伊藤たかみ]] * [[伊藤貴麿]] * [[伊藤永之介]] * [[いとうひろし]] * [[伊藤充子]] * [[伊藤遊]] * [[糸永えつこ]] * [[糸賀美智子]] * [[稲垣昌子]] * [[稲吉紘実]] * [[いぬいとみこ]] * [[猪野省三]] * [[井上こみち]] * [[井上林子]] * [[井江春代]] * [[今井恭子]] * [[今泉吉晴]] * [[今江祥智]] * [[今西乃子]] * [[今西祐行]] * [[今村葦子]] * [[今森光彦]] * [[入江好之]] * [[岩崎京子]] * [[岩瀬成子]] * [[岩田道雄]] * [[いわままりこ]] * [[いわむらかずお]] * [[岩本敏男 (作家)|岩本敏男]] * [[巖谷小波]] * [[岩神愛]] </td><td width="20%"> う * [[上沢謙二]] * [[上野瞭]] * [[上橋菜穂子]] * [[魚住直子]] * [[宇田川優子]] * [[歌代朔]] * [[打木村治]] * [[内田庶]] * [[内田莉莎子]] * [[内田麟太郎]] * [[宇野和子]] * [[漆原智良]] </td><td width="20%"> え * [[江國香織]] * [[江崎雪子]] * [[江副信子]] * [[エムナマエ]] * [[遠藤公男]] * [[遠藤寛子 (作家)|遠藤寛子]] </td><td width="20%"> お * [[及川和男]] * [[大石真]] * [[おおえひで]] * [[大竹伸朗]] * [[大谷美和子]] * [[大塚篤子]] * [[大西伝一郎]] * [[大西暢夫]] * [[大庭桂]] * [[大原興三郎]] * [[大海赫]] * [[丘修三]] * [[岡信子]] * [[由利聖子|丘文子]] * [[岡田依世子]] * [[岡田貴久子]] * [[岡田淳]] * [[岡田なおこ]] * [[岡沢ゆみ]] * [[岡本良雄]] * [[小川英子]] * [[小川みなみ]] * [[小川未明]] * [[沖井千代子]] * [[荻原規子]] * [[奥田継夫]] * [[奥山かずお]] * [[小栗かずまた]] * [[小笹正子]] * [[小沢聡]] * [[小沢正]] * [[長田弘]] * [[落合聡三郎]] * [[越智田一男]] * [[乙骨淑子]] * [[鬼塚りつ子]] * [[小野州一]] * [[おのちゅうこう]] * [[小野恭靖]] * [[小納弘]] * [[尾上尚子]] * [[小野木学]] * [[小野寺悦子]] </td></tr> </table> ===か=== <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> か * [[香川茂]] * [[柿本幸造]] * [[角田雅子]] * [[角田光男 (児童文学作家)|角田光男]] * [[角田光代]] * [[かこさとし]] * [[樫崎茜]] * [[柏葉幸子]] * [[風野潮]] * 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valign="top"><td width="20%"> は * [[灰谷健次郎]] * [[橋本ときお]] * [[長谷健]] * [[長谷川集平]] * [[長谷川摂子]] * [[長谷川博]] * [[畠山重篤]] * [[蜂飼耳]] * [[蜂屋誠一]] * [[花岡大学]] * [[花形みつる]] * [[羽生田敏]] * [[帚木蓬生]] * [[浜たかや]] * [[はまみつを]] * [[浜田けい子]] * [[浜田廣介]] * [[浜野えつひろ]] * [[濱野京子]] * [[浜野卓也]] * [[林信太郎 (火山学者)|林信太郎]] * [[林多加志]] * [[はやみねかおる]] * [[早船ちよ]] * [[原ゆたか]] * [[原田一美]] * [[はらだゆうこ]] </td><td width="20%"> ひ * [[比嘉富子]] * [[ひこ・田中]] * [[ひしいのりこ]] * [[肥田美代子]] * [[日野多香子]] * [[日比茂樹]] * [[平方浩介]] * [[平塚武二]] * [[廣嶋玲子]] </td><td width="20%"> ふ * [[深沢邦朗]] * [[深沢美潮]] * [[福川祐司]] * [[福田清人]] * [[福田庄助]] * [[福田隆浩]] * [[福永令三]] * [[藤江じゅん]] * [[武鹿悦子]] * [[藤川幸之助]] * [[藤咲あゆな]] * [[藤崎康夫]] * [[藤田圭雄]] * [[藤田のぼる]] * [[藤野恵美]] * [[藤牧久美子]] * [[船木枳郎]] * [[舟崎克彦]] * [[舟崎靖子]] * [[古田足日]] </td><td width="20%"> へ * [[別役実]] </td><td width="20%"> ほ * [[星あかり]] * [[堀直子]] * [[堀内純子]] * [[堀米薫]] * [[本多明]] </td></tr> </table> ===ま=== <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="20%"> ま * [[前川康男]] * [[牧瀬かおる]] * [[牧原辰]] * [[牧野節子]] * 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[[わたりむつこ]] </td><td width="20%"> </td><td width="20%"> </td><td width="20%"> </td><td width="20%"> </td></tr> </table> == アジア == '''インド''' * [[ビーシュム・サーヘニー]] * [[アルプ・クマル・ダッタ]] * [[サタジット・レイ]] '''韓国''' * [[ドラゴンラージャ|イ・ヨンド]] * [[チョン・ミンヒ]] (ジョン・ミンヒ) * [[黄善美]](ファン・ソンミ) '''中国''' * [[湯素蘭]] ==欧米・オセアニア== ===あ=== <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="33%"> * [[デイヴィッド・アーモンド]] * [[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|アンデルセン]] * [[ローレンス・イェップ]] * [[ヨシコ・ウチダ]] </td><td width="33%"> * [[アイソーポス|イソップ]] * [[ラルフ・イーザウ]] * [[ウィーダ]] </td><td width="33%"> * [[ジョーン・エイキン]] * [[ミヒャエル・エンデ]] * [[ウィルバート・オードリー]] </td></tr> </table> ===か=== <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="33%"> * [[エリック・カール]] * [[ヴェニアミン・カヴェーリン]] * [[E・L・カニグズバーグ]] * [[エレノア・カメロン]] </td><td width="33%"> * [[シルヴァーナ・ガンドルフィ]] * [[ルイス・キャロル]] * [[グリム兄弟]] * [[ジェームズ・クリュス]] </td><td width="33%"> * [[ケネス・グレアム]] * [[ラドヤード・キップリング]] * [[ハーディー・グラマトキー]] * [[エーリッヒ・ケストナー]] </td></tr> </table> ===さ=== * [[アレン・セイ]] * [[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ]] * [[シェル・シルヴァスタイン]] ===た=== * [[ロアルド・ダール]] * [[ショーン・タン]] * [[トマス・M・ディッシュ]]<!-- 「トースター」二部作があるからって児童文学作家でしょうか? --> * [[リザ・テツナー]] * [[ウィリアム・ペン・デュボア]] * [[マーク・トウェイン]] * [[パメラ・トラバース|P・L・トラヴァース]] * [[J・R・R・トールキン]] ===な=== * [[イーディス・ネズビット]] * [[スターリング・ノース]] ===は=== <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="33%"> * [[パーヴェル・バジョーフ]] * [[トールモー・ハウゲン]] * [[キャサリン・パターソン]] * [[バージニア・リー・バートン]] * [[フィリパ・ピアス]] * [[ヴィタリー・ビアンキ]] * [[エリナー・ファージョン]] </td><td width="33%"> * [[ポール・フライシュマン]] * [[シド・フライシュマン]] * [[イーニッド・ブライトン]] * [[レイモンド・ブリッグズ]] * [[エレノア・ブレント=ダイアー]] * [[オトフリート・プロイスラー]] * [[クルト・ヘルト]] </td><td width="33%"> * [[アンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルク]] * [[ルーシー・M・ボストン]] * [[ビアトリクス・ポター]] * [[E・B・ホワイト]] * [[マイケル・ボンド]] </td></tr> </table> ===ま=== * [[カール・マイ]] * [[カイ・マイヤー]] * [[ジョージ・マクドナルド]] * [[A・A・ミルン]] * [[マウゴジャタ・ムシェロヴィチ]] * [[ジョン・メイスフィールド]] * [[L・M・モンゴメリ]] ===や=== * [[トーベ・ヤンソン]] * [[ルーネル・ヨンソン]] ===ら=== <table border="0" cellpadding="5" width="100%"> <tr valign="top"><td width="33%"> * [[アーサー・ランサム]] * [[アストリッド・リンドグレーン]] * [[パトリシア・ライトソン]] * [[クルト・リュートゲン]] </td><td width="33%"> * [[C・S・ルイス]] * [[アーシュラ・K・ル=グウィン]] * [[ロイス・ローリー]] </td><td width="33%"> * [[J・K・ローリング]] * [[ジャンニ・ロダーリ]] * [[ヒュー・ロフティング]] </td></tr> </table> ===わ=== * [[ローラ・インガルス・ワイルダー]] ==関連項目== * [[児童文学研究者]] * [[日本の児童文学研究者の一覧]] * [[文学]] * [[作家]] * [[小説家]] * [[小説家一覧]] * [[児童文学]] * [[絵本作家]] * [[教育絵本]] * [[子供]] ==外部リンク== * [http://www.iiclo.or.jp/ 大阪府立国際児童文学館] {{DEFAULTSORT:しとうふんかくさつか}} [[Category:小説家一覧]] [[Category:児童文学作家|*いちらん]]
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小林泰三
小林 泰三(こばやし やすみ、1962年8月7日 - 2020年11月23日)は、日本の小説家、SF作家、ホラー作家、推理作家。 京都府生まれ。洛南高等学校、大阪大学基礎工学部卒業。大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。三洋電機ニューマテリアル研究所で開発者として勤務。日本推理作家協会、宇宙作家クラブの会員である。元日本SF作家クラブ会員。 1995年、「玩具修理者」で第2回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。1996年、同作を収録した短編集『玩具修理者』で単行本デビューする。同作は単行本だけで15万部を超えるベストセラーとなり、田中麗奈主演で映画化された。 2006年(第8回)と2007年(第9回)の2年間、日本SF新人賞の選考委員をつとめた。 『S-Fマガジン』2006年4月号で発表された「'06オールタイム・ベストSF」の国内短編部門で、「海を見る人」が11位に「酔歩する男」が14位に選ばれた。 同じく関西在住作家の田中啓文、牧野修、田中哲弥と合わせて「まんがカルテット」と呼ばれる。 2020年11月23日5時56分、がんのため大阪府内の病院で死去。58歳没。 「」内が小林泰三の作品
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小林 泰三は、日本の小説家、SF作家、ホラー作家、推理作家。
{{otheruses|作家|美術史学者|小林泰三 (美術史学者)}} {{Infobox 作家 |name=小林 泰三<br />(こばやし やすみ) |birth_date={{生年月日と年齢|1962|8|7|no}} |birth_place={{JPN}}・[[京都府]] |death_date={{死亡年月日と没年齢|1962|8|7|2020|11|23}} |death_place={{JPN}}・[[大阪府]] |occupation=[[小説家]] |nationality= |alma_mater=[[大阪大学大学院基礎工学研究科・基礎工学部|大阪大学大学院基礎工学研究科]][[修士課程]]修了 |period=1996年 - 2020年 |genre=[[サイエンス・フィクション|SF]]、[[ホラー小説|ホラー]]、[[ミステリ]]、[[恋愛小説]] |subject= |movement= |notable_works= |awards=[[日本ホラー小説大賞]]短編賞(1995年)<br>[[S-Fマガジン]]読者賞国内部門(1998年)<br>[[星雲賞]]日本長編部門(2012年) |debut_works=『玩具修理者』 |spouse= |website=[http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/ 小林泰三の不確定領域] }} {{読み仮名_ruby不使用|'''小林 泰三'''|こばやし やすみ|[[1962年]]<ref name="PRF">{{Cite web|和書|date=2017-07-22|url=http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/kuwasiikeireki.html |title=詳細な経歴 |website=小林泰三の不確定領域 |accessdate=2020-05-20}}</ref><ref name="MWJ">{{Cite web|和書|date=|url=http://www.mystery.or.jp/member/detail/0687 |title=会員名簿 小林泰三|日本推理作家協会 |accessdate=2020-05-18}}</ref>[[8月7日]]<ref>{{Twitter status2|KOBAYASI_yasumi|629676204816244736|2015年8月8日|5=2021年11月19日}}</ref> - [[2020年]][[11月23日]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hayakawa-online.co.jp/new/2020-11-25-192724.html|title=作家・小林泰三先生ご逝去のお知らせ (2020/11/25)|accessdate=2020-11-25|date=2020-11-25|publisher=[[早川書房]]}} </ref>}}は、[[日本]]の[[小説家]]、[[SF作家]]、[[ホラー小説|ホラー作家]]、[[推理作家]]。 == 経歴・人物 == [[京都府]]生まれ<ref name="PRF" /><ref name="MWJ" />。[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]、[[大阪大学]][[基礎工学部]]卒業。[[大阪大学大学院基礎工学研究科・基礎工学部|大阪大学大学院基礎工学研究科]][[修士課程]]修了<ref name="MWJ" />。[[三洋電機]]ニューマテリアル研究所で開発者として勤務。[[日本推理作家協会]]、[[宇宙作家クラブ]]の会員である<ref name="PRF" /><ref name="MWJ" /><ref>{{Cite web|和書|date=2013-10-16|url=https://www.sacj.org/member.htm |title=SAC メンバーリスト(宇宙作家公式サイト)|accessdate=2020-05-20}}</ref>。元[[日本SF作家クラブ]]会員<ref>{{Cite web|和書 |title=会員名簿 SFWJ |url=http://sfwj.jp/members/ |accessdate=2020-05-20|archiveurl=https://archive.today/Z0Huk|archivedate=2014-04-20 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=一般社団法人 日本SF作家クラブ 会員名簿 - SFWJ|url=http://sfwj.jp/members/ |accessdate=2020-05-20|archiveurl=https://archive.today/fChdT|archivedate=2020-02-03 }}</ref>。 1995年、「[[玩具修理者]]」で第2回[[日本ホラー小説大賞]]短編賞を受賞<ref name="PRF" /><ref name="MWJ" />。1996年、同作を収録した短編集『玩具修理者』で単行本デビューする。同作は単行本だけで15万部を超えるベストセラーとなり、[[田中麗奈]]主演で映画化された<ref>[https://web.archive.org/web/20131213062127/https://www.bandaivisual.co.jp/press_pdf/1/7.pdf 「玩具修理者」のDVDとビデオを5月25日発売 - バンダイビジュアル]</ref>。 2006年(第8回)と2007年(第9回)の2年間、[[日本SF新人賞]]の選考委員をつとめた<ref>『SF Japan』2007年SPRING(3月号)</ref><ref>『SF Japan』2008年SPRING(3月号)</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2015-10-17|url=https://prizesworld.com/prizes/sf/nsfw.htm#list008 |title=日本SF新人賞受賞作・候補作一覧1-11回|文学賞の世界 |accessdate=2020-05-20}}</ref>。 『[[S-Fマガジン]]』2006年4月号で発表された「'06オールタイム・ベストSF」の国内短編部門で、「海を見る人」が11位に「酔歩する男」が14位に選ばれた。 同じく関西在住作家の[[田中啓文]]、[[牧野修]]、[[田中哲弥]]と合わせて「まんがカルテット」と呼ばれる。 [[2020年]][[11月23日]]5時56分、[[がん]]のため大阪府内の病院で死去<ref>{{Cite news2|title=作家の小林泰三さん死去 58歳 代表作に「玩具修理者」「アリス殺し」など|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/11/25/kiji/20201125s00041000453000c.html|newspaper=Sponichi ANNEX|agency=スポーツニッポン新聞社|date=2020-11-25|accessdate=2020-11-25}}</ref>。{{没年齢|1962|8|7|2020|11|23}}。 == 文学賞受賞歴 == * 1995年 - 「玩具修理者」で第2回[[日本ホラー小説大賞]]短編賞受賞。 * 1998年 - 「海を見る人」で第10回[[S-Fマガジン]]読者賞国内部門受賞。 * 2012年 - 『天獄と地国』で第43回[[星雲賞]]日本長編部門受賞。 * 2014年 - 『アリス殺し』で2014年[[啓文堂]]大賞(文芸書部門)受賞<ref>[http://www.keibundo.co.jp/award/prize/detail/2014_9.html 2014年 文芸書大賞が決まりました |啓文堂書店]</ref>。 * 2017年 - 『ウルトラマンF』で第48回[[星雲賞]]日本長編部門受賞。 * 2021年 - 第41回[[日本SF大賞]]功績賞受賞。 == 作品リスト == === 単行本 === * [[玩具修理者]](1996年4月 [[角川書店]] / 1999年4月 [[角川ホラー文庫]]) ** 玩具修理者:『[[野性時代]]』1995年4月号 ** 酔歩する男:書き下ろし * 人獣細工(1997年6月 角川書店 / 1999年12月 角川ホラー文庫 / 2023年4月 角川ホラー文庫) ** 人獣細工:書き下ろし ** 吸血狩り:書き下ろし ** 本:書き下ろし * 密室・殺人(1998年7月 角川書店 / 2001年6月 角川ホラー文庫 / 2014年1月 [[創元推理文庫]]) * 肉食屋敷(1998年11月 角川書店 / 2000年9月 角川ホラー文庫) ** 肉食屋敷:『[[S-Fマガジン]]』1998年9月号 ** ジャンク:『[[異形コレクション|屍者の行進 異形コレクション]]』 ** 妻への3通の告白:『[[小説NON]]』1998年5月号 ** 獣の記憶:『[[小説現代]] 1998年5月号増刊 [[メフィスト (文芸誌)|メフィスト]]』 * 奇憶(2000年10月 [[祥伝社文庫]]) * AΩ(2001年6月 角川書店) ** 【改題】AΩ 超空想科学怪奇譚(2004年3月 角川ホラー文庫 / 2023年8月 [[角川文庫]]) * 海を見る人(2002年5月 [[早川書房]] / 2005年5月 [[ハヤカワ文庫|ハヤカワ文庫JA]]) ** 時計の中のレンズ:『S-Fマガジン』1997年10月号 ** 独裁者の掟:『NOVEL21 少女の空間』 ** 天獄と地国:『S-Fマガジン』1999年5月号 ** キャッシュ:書き下ろし ** 母と子と渦を旋る冒険:『S-Fマガジン』2000年2月号 ** 海を見る人:『S-Fマガジン』1998年2月号 ** 門:『S-Fマガジン』2001年2月号 * 家に棲むもの(2003年3月 角川ホラー文庫) ** 家に棲むもの:『憑き者』 ** 食性:書き下ろし ** 五人目の告白:『野性時代』1995年7月号 ** 肉:書き下ろし ** 森の中の少女:『[[小説新潮]]』2000年4月号 ** 魔女の家:『小説新潮』2002年7月号 ** お祖父ちゃんの絵:書き下ろし * 目を擦る女(2003年9月 ハヤカワ文庫JA) ** 目を擦る女:『[[小説すばる]]』1999年12月号 ** 超限探偵Σ:『SFバカ本 天然パラダイス篇』 ** 脳喰い:『夢魔 異形コレクション』 ** 空からの風が止む時:『S-Fマガジン』2002年4月号 ** 刻印:『蚊―か―コレクション』 ** 未公開実験:書き下ろし ** 予め決定されている明日:『S-Fマガジン』2001年8月号 * ネフィリム 超吸血幻想譚(2004年8月 角川書店 / 2007年9月 角川ホラー文庫) * 脳髄工場(2006年3月 角川ホラー文庫) ** 脳髄工場:書き下ろし ** 友達:『小説non』1998年10月号 ** 停留所まで:『[[YOU&I SANYO]]』1999年5月 - 7月号 ** 同窓会:『YOU&I SANYO』1998年1月号 ** 影の国:『小説non』1997年9月号 ** 声:『YOU&I SANYO』1999年1月 - 3月号 ** C市:『秘神界 ―現代編―』 ** アルデバランから来た男:『YOU&I SANYO』2000年1月 - 11月号 ** 綺麗な子:『玩具館 異形コレクション』 ** 写真:『YOU&I SANYO』1998年11月号 ** タルトはいかが?:『血の12幻想』 * 忌憶(2007年3月 角川ホラー文庫) ** 奇憶:『奇憶』 ** 器憶:書き下ろし ** 垝憶:書き下ろし * モザイク事件帳(2008年2月 [[創元クライム・クラブ]]) ** 【改題】大きな森の小さな密室(2011年10月 [[創元推理文庫]]) *** 大きな森の小さな密室:『[[ミステリーズ!|ミステリーズ!]]』vol.03 WINTER 2003 - vol.04 SPRING 2004 *** 氷橋:『ミステリーズ!』vol.13 OCTOBER 2005 *** 自らの伝言:『ミステリーズ!』vol.15 FEBRUARY 2006 *** 更新世の殺人:『ミステリーズ!』vol.17 JUNE 2006 *** 正直者の逆説:『ミステリーズ!』vol.19 OCTOBER 2006、vol.21 FEBRUARY 2007 *** 遺体の代弁者:『ミステリーズ!』vol.23 JUNE 2007 *** 路上に放置されたパン屑の研究:書き下ろし * 天体の回転について(2008年3月 早川書房 / 2010年9月 ハヤカワ文庫JA) ** 天体の回転について:『S-Fマガジン』2005年2月号 ** 灰色の車輪:『S-Fマガジン』2001年11月号 ** あの日:『教室 異形コレクション』 ** 性交体験者:『[[SF Japan]]』2003年秋季号 ** 銀の舟:『YOU&I SANYO』1997年1月 - 11月号 ** 三〇〇万:『S-Fマガジン』2008年2月号 ** 盗まれた昨日:『S-Fマガジン』2007年2月号 ** 時空争奪:書き下ろし * 臓物大展覧会(2009年3月 角川ホラー文庫) ** プロローグ:書き下ろし ** 透明女:書き下ろし ** ホロ:『心霊理論 異形コレクション』 ** 少女、あるいは自動人形:『クリスピー物語』 ** 攫われて:『ミステリ・アンソロジーII 殺人鬼の放課後』 ** 釣り人:YOU&I SANYO 1999年9月 - 11月号 ** SPR:『稲生モノノケ大全 陽之巻』 ** 十番星:『[[Newtype]]』1995年11月号 ** 造られしもの:『小説すばる』2003年3月号 ** 悪魔の不在証明:書き下ろし ** エピローグ:書き下ろし * セピア色の凄惨(2010年2月 [[光文社文庫]]) ** 探偵と依頼人:書き下ろし ** 待つ女:書き下ろし ** ものぐさ:書き下ろし ** 安心:書き下ろし ** 英雄:書き下ろし ** 依頼人と探偵:書き下ろし * 人造救世主(2010年8月 角川ホラー文庫) * 完全・犯罪(2010年9月 東京創元社 / 2012年7月 創元推理文庫) ** 完全・犯罪:『ミステリーズ!』vol.39 FEBRUARY 2010 ** ロイス殺し:『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』 ** 双生児:『ミステリーズ!』vol.35 JUNE 2009 ** 隠れ鬼:『ミステリーズ!』vol.37 OCTOBER 2009 ** ドッキリチューブ:書き下ろし * 人造救世主 ギニー・ピッグス(2011年2月 角川ホラー文庫) * 天獄と地国(2011年4月 ハヤカワ文庫JA) ** 天獄と地国:『S-Fマガジン』1999年5月号 ** 頭上の大地、眼下の星海:『S-Fマガジン』2006年8月号 ** 巨神覚醒す:『S-Fマガジン』2008年11月号 ** 巨神たち:『S-Fマガジン』2009年2月号 ** ワイバーン:『S-Fマガジン』2009年5月号 ** エクトプラズム:『S-Fマガジン』2009年8月号 ** カルラ:『S-Fマガジン』2009年11月号 ** シャヘラザード:『S-Fマガジン』2010年3月号 ** ナタ:『S-Fマガジン』2010年6月号 ** アルゴスの目:『S-Fマガジン』2010年9月号 ** コクーン:『S-Fマガジン』2010年11月号 ** 大攻撃:『S-Fマガジン』2011年2月号 * 人造救世主 アドルフ・クローン(2011年9月 角川ホラー文庫) * 惨劇アルバム(2012年5月 光文社文庫) * 見晴らしのいい密室(2013年3月 ハヤカワ文庫JA) ** 超限探偵Σ:『SFバカ本 天然パラダイス篇』 ** 目を擦る女:『小説すばる』1999年12月号 ** 探偵助手:『[[数学セミナー]]』2009年4月号 ** 忘却の侵略:『[[NOVA 書き下ろし日本SFコレクション|NOVA1 書き下ろし日本SFコレクション]]』 ** 未公開実験:『目を擦る女』 ** 囚人の両刀論法:『S-Fマガジン』2010年2月号 ** 予め決定されている明日:『S-Fマガジン』2001年8月号 * アリス殺し(2013年9月 創元クライム・クラブ / 2019年4月 創元推理文庫) * 百舌鳥魔先生のアトリエ(2014年1月 角川ホラー文庫) ** ショグゴス:『Fの肖像―フランケンシュタインの幻想たち 異形コレクション』 ** 首なし:書き下ろし ** 兆:『絆』 ** 朱雀の池:『京都宵 異形コレクション』 ** 密やかな趣味:書き下ろし ** 試作品三号:『未来妖怪 異形コレクション』 ** 百舌鳥魔先生のアトリエ:『逆想コンチェルト 奏の2 イラスト先行・競作小説アンソロジー Inspired by Yoshimi Moriyama's Illustrations』 * 幸せスイッチ(2015年4月 光文社文庫) ** 怨霊:書き下ろし ** 勝ち組人生:書き下ろし ** どっちが大事:書き下ろし ** 診断:書き下ろし ** 幸せスイッチ:書き下ろし ** 哲学的ゾンビもしくはある青年の物語:書き下ろし * 記憶破断者(2015年8月 [[幻冬舎]]):書き下ろし ** 【改題】殺人鬼にまつわる備忘録(2018年10月 [[幻冬舎文庫]]) * 世界城(2015年12月 [[日経文芸文庫]]):冒頭部分は『[[生本 ―NAMABON―]]』2002年11月号 - 2003年8月号に加筆修正 * 安楽探偵(2016年2月 光文社文庫) ** アイドルストーカー:[[Web光文社文庫]] 2015年8、9月 ** 消去法:Web光文社文庫 2015年9、10月 ** ダイエット:Web光文社文庫 2015年10、11月 ** 食材:Web光文社文庫 2015年12月 ** 命の軽さ:書き下ろし ** モリアーティー:書き下ろし * 失われた過去と未来の犯罪(2016年5月 [[KADOKAWA]] / 2019年8月 角川文庫):『[[文芸カドカワ]]』2015年7月号 - 2016年4月号 * クララ殺し(2016年6月 創元クライム・クラブ / 2020年2月 創元推理文庫):『ミステリーズ!』vol.71 JUNE 2015 - vol.76 APRIL 2016 * ウルトラマンF(2016年7月 早川書房 / 2018年10月 ハヤカワ文庫JA):『S-Fマガジン』2015年12月号 - 2016年6月号 * 因業探偵 新藤礼都の事件簿(2017年6月 光文社文庫) ** プロローグ:書き下ろし ** 保育補助:Web光文社文庫 2016年11、12月 ** 剪定:Web光文社文庫 2016年12、2017年1月 ** 散歩代行:Web光文社文庫 2017年1、2月 ** 家庭教師:Web光文社文庫 2017年2月、3月 ** パチプロ:書き下ろし ** 後妻:書き下ろし * わざわざゾンビを殺す人間なんていない。(2017年6月 [[一迅社]] / 2021年7月 二見ホラー×ミステリ文庫) * ドロシイ殺し(2018年4月 創元クライム・クラブ / 2021年6月 創元推理文庫):『ミステリーズ!』vol.81 FEBRUARY 2017 - vol.86 DECEMBER 2017 * パラレルワールド(2018年7月 KADOKAWA / 2019年9月 [[ハルキ文庫]]):[[Webランティエ]] 2017年6月 - 11月 ** お父さんとお母さんとヒロ君:Kizuna:Fiction for Japan (a charity anthology)(2011年9月) * 因業探偵リターンズ 新藤礼都の冒険(2018年12月 光文社文庫) ** ユーチューバー:Web光文社文庫 2018年2、3月 ** メイド喫茶店員:Web光文社文庫 2018年3、4月 ** マルチ商法会員:Web光文社文庫 2018年4、5月 ** ナンパ教室講師:書き下ろし ** 鶯嬢:書き下ろし ** 探偵補佐:書き下ろし * 人外サーカス(2018年12月 KADOKAWA / 2021年1月 角川ホラー文庫):『[[文芸カドカワ]]』2018年2月号 - 9月号 * C市からの呼び声(2018年12月 [[創土社]]) ** C市に続く道:書き下ろし ** C市:『秘神界 ―現代編―』(2002年9月 創元推理文庫) * 神獣の都 京都四神異譚録(2019年6月 [[新潮文庫nex]]):書き下ろし * 代表取締役アイドル(2020年6月 [[文藝春秋]] / 2022年9月 [[文春文庫]]):『[[別冊文藝春秋]]』2017年11月号 - 2018年5月号 * 杜子春の失敗 名作万華鏡 芥川龍之介篇(2020年6月 光文社文庫) ** 杜子春の失敗:光文社文庫サイトYomeba! 2019年10月 - 11月 ** 蜘蛛の糸の崩壊:光文社文庫サイトYomeba! 2019年11月 - 12月 ** 河童の攪乱:光文社文庫サイトYomeba! 2020年1月 - 2月 ** 白の恐怖:書き下ろし * ティンカー・ベル殺し(2020年6月 創元クライム・クラブ / 2022年10月 創元推理文庫):『ミステリーズ!』vol.94 APRIL 2019 - vol.99 FEBRUARY 2020 * 未来からの脱出(2020年8月 KADOKAWA / 2022年7月 角川ホラー文庫):『カドブンノベル』2019年11月号 - 2020年6月号 * 逡巡の二十秒と悔恨の二十年(2021年10月 角川ホラー文庫) ** 玩具:『こんなのはじめて』 ** 逡巡の二十秒と悔恨の二十年:『二十の悪夢 角川ホラー文庫創刊20周年記念アンソロジー』 ** 侵略の時:『ホラー短編傑作選 兇〈惨〉』 ** イチゴンさん:『小説新潮』2015年8月号 ** 草食の楽園:『SF JACK』 ** メリイさん:『[[ジャーロ (文芸誌)|ジャーロ]]』No.58 2016 AUTUMN-WINTER ** 流れの果て:『[[アレ!|アレ!]]』2011年10月号 ** 食用人:『小説新潮』2015年11月号 ** 吹雪の朝:『毒殺協奏曲』 ** サロゲート・マザー:『NOVA9 書き下ろし日本SFコレクション』 === アンソロジー === 「」内が小林泰三の作品 * 絆(1996年8月 [[カドカワノベルズ]])「兆」(『百舌鳥魔先生のアトリエ』収録) ** 【改題】 ゆがんだ闇(1998年4月 角川ホラー文庫) * 現代の小説 1998(1998年5月 [[徳間書店]])「時計の中のレンズ」(『海を見る人』収録) * 舌づけ(1998年7月 [[祥伝社]] [[ノン・ポシェット]])「影の国」(『脳髄工場』収録) * 屍者の行進 異形コレクション(1998年9月 [[廣済堂出版|廣済堂文庫]])「ジャンク」(『肉食屋敷』収録) * 十の恐怖(1999年3月 角川書店 / 2002年1月 角川ホラー文庫)「十番星」(『臓物大展覧会』収録) * [[ザ・ベストミステリーズ 推理小説年鑑|ザ・ベストミステリーズ1999 推理小説年鑑]](1999年6月 講談社)「獣の記憶」(『肉食屋敷』収録) ** 【改題・分冊】密室+アリバイ=真犯人 ミステリー傑作選40(2002年2月 講談社文庫) * 密室+アリバイ=真犯人 ミステリー傑作選40(2000年2月 [[講談社文庫]])「獣の記憶」(『肉食屋敷』収録) * 憑き者(2000年3月 [[メディアワークス]] A-NOVELS)「家に棲むもの」(『家に棲むもの』収録) * 血の12幻想(2000年4月 [[エニックス]] / 2002年4月 講談社文庫)「タルトはいかが?」(『脳髄工場』収録) * ゆきどまり(2000年7月 祥伝社文庫)「友達」(『脳髄工場』収録) * NOVEL21 少女の空間(2001年2月 [[徳間デュアル文庫]])「独裁者の掟」(『海を見る人』収録) * 夢魔 異形コレクション(2001年6月 光文社文庫)「脳喰い」(『目を擦る女』収録) * 玩具館 異形コレクション(2001年9月 光文社文庫)「綺麗な子」(『脳髄工場』収録) * SFバカ本 天然パラダイス篇(2001年11月 [[メディアファクトリー]])「超限界探偵Σ」(『目を擦る女』、『見晴らしのいい密室』収録) * 蚊―か―コレクション(2002年2月 [[電撃文庫]])「刻印」(『目を擦る女』収録) * ミステリ・アンソロジーII 殺人鬼の放課後(2002年2月 [[角川スニーカー文庫]])「攫われて」(『臓物大展覧会』収録) * 秘神界 ―現代編―(2002年9月 [[創元推理文庫]])「C市」(『脳髄工場』収録) * 教室 異形コレクション(2003年9月 光文社文庫)「あの日」(『天体の回転について』収録) * 青に捧げる悪夢(2005年3月 角川書店 / 2013年2月 角川文庫)「攫われて」(『臓物大展覧会』収録) * 稲生モノノケ大全 陽之巻(2005年5月 [[毎日新聞社]])「SRP」(『臓物大展覧会』収録) * 本格ミステリ05 2005年本格短編ベスト・セレクション(2005年6月 [[講談社ノベルズ]])「大きな森の小さな密室」(『大きな森の小さな密室』収録) ** 【改題】大きな棺の小さな鍵 本格短編ベスト・セレクション(2009年1月 講談社文庫) * あなたが名探偵(2005年8月 東京創元社 / 2007年4月 創元推理文庫)「大きな森の小さな密室」(『大きな森の小さな密室』収録) * クリスピー物語(2006年4月 [[ネスレ]]文庫プロジェクト)「少女、あるいは自動人形」(『臓物大展覧会』収録) * 密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー(2006年11月 東京創元社 / 2020年8月 創元推理文庫)「ロイス殺し」(『完全・犯罪』収録) * 心霊理論 異形コレクション(2007年8月 光文社文庫)「ホロ」(『臓物大展覧会』収録) * 未来妖怪 異形コレクション(2008年7月 光文社文庫)「試作品三号」(『百舌鳥魔先生のアトリエ』収録) * 京都宵 異形コレクション(2008年9月 光文社文庫)「朱雀の池」(『百舌鳥魔先生のアトリエ』収録) * 本格ミステリ09 2009年本格短編ベスト・セレクション(2009年6月 講談社ノベルズ)「路上に放置されたパン屑の研究」(『大きな森の小さな密室』収録) ** 【改題】空飛ぶモルグ街の研究 本格短編ベスト・セレクション(2013年1月 講談社文庫) * [[年刊日本SF傑作選|年刊日本SF傑作選 超弦領域]](2009年6月 [[創元SF文庫]])「時空争奪」(『天体の回転について』収録) * NOVA1 書き下ろし日本SFコレクション(2009年12月 [[河出文庫]])「忘却の侵略」(『見晴らしのいい密室』収録) * 逆想コンチェルト 奏の2 イラスト先行・競作小説アンソロジー Inspired by Yoshimi Moriyama's Illustrations(2010年8月 [[徳間書店]])「百舌鳥魔先生のアトリエ」(『百舌鳥魔先生のアトリエ』収録) * Fの肖像―フランケンシュタインの幻想たち 異形コレクション(2010年9月 光文社文庫)「ショグゴス」(『百舌鳥魔先生のアトリエ』収録) * 逃げゆく物語の話 ゼロ年代日本SFベスト集成〈F〉(2010年10月 創元SF文庫)「予め決定されている明日」(『目を擦る女』、『見晴らしのいい密室』収録) * 不思議の扉 ありえない恋(2011年2月 角川文庫)「海を見る人」(『海を見る人』収録) * 空飛ぶモルグ街の研究 本格短編ベスト・セレクション(2013年1月 講談社ノベルズ)「路上に放置されたパン屑の研究」(『大きな森の小さな密室』収録) * NOVA9 書き下ろし日本SFコレクション(2013年1月 河出文庫)「サロゲート・マザー」(『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』収録) * SF JACK(2013年2月 角川書店 / 2016年2月 角川文庫)「草食の楽園」(『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』収録) * 教えて下さい、あなただけが知ってる「怖い話」 〜upppiホラー小説コンテスト優秀作品集〜(2013年3月 [[キリック]]【電子書籍】)「掌の上の宇宙」 * ホラー短編傑作選 兇〈惨〉(2013年3月 キリック【電子書籍】)「侵略の時」(『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』収録) * 日本SF短編50 IV 日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー(2013年8月 ハヤカワ文庫JA)「海を見る人」(『海を見る人』収録) * SF宝石(2013年8月 光文社)「シミュレーション仮説」 * 二十の悪夢 角川ホラー文庫創刊20周年記念アンソロジー(2013年10月 角川ホラー文庫)「逡巡の二十秒と悔恨の二十年」(『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』収録) * 超時間の闇(2013年11月 創土社 クトゥルー・ミュトス・ファイルズ)「大いなる種族」 * [ガラシャ物語3]花も花なれ、人も人なれ(2014年4月 [[京都フラワーツーリズム]]【電子書籍】)「花も花なれ、人も人なれ」 * ガラシャ物語全集(2014年4月 京都フラワーツーリズム【電子書籍】)「花も花なれ、人も人なれ」 * 多々良島ふたたび ウルトラ怪獣アンソロジー(2015年7月 早川書房)「マウンテンピーナッツ」 * こんなのはじめて(2016年2月 [[興奮社]] マッパノベルズ【同人誌】)「玩具」 (『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』収録) * みんなの怪盗ルパン(2016年3月 [[ポプラ社]])「最初の角逐」 * 毒殺協奏曲(2016年6月 [[原書房]] / 2019年1月 [[PHP文芸文庫]])「吹雪の朝」(『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』収録) * 彼方からの幻影(2016年7月 創土社)「此方より」 * 関西魂 〜五の祭り〜(2016年9月 [[関西魂出版]]【同人誌】)「漢」 * OUT TO LAUNCH(2016年11月 興奮社【同人誌】)「易者」 * 年刊日本SF傑作選 行き先は特異点(2017年7月 東京創元社)「玩具」(『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』収録) * 大沢在昌 選 スペシャル・ブレンド・ミステリー 謎010(2017年9月 講談社文庫)「獣の記憶」(『肉食屋敷』収録) * だから見るなといったのに 九つの奇妙な物語(2018年8月 新潮文庫)「自分霊」 * revisions 時間SFアンソロジー(2018年12月 ハヤカワ文庫JA)「時空争奪」(『天体の回転について』収録) * NOVA 2019年春号(2018年12月 河出文庫)「クラリッサ殺し」 * 恐怖 角川ホラー文庫ベストセレクション(2021年9月 角川ホラー文庫)「人獣細工」(『人獣細工』収録) === その他単行本未収録作品 === * 変身(『YOU&I SANYO』1998年3月号) * 作家誕生(『YOU&I SANYO』1998年5月号) * 環境裁判(『YOU&I SANYO』1998年7月号) * 漂流者(『YOU&I SANYO』1998年9月号) * きらきらした小路(『S-Fマガジン』2002年7月号 / 『S-Fマガジン』2021年4月号〈再録〉) * 虹色の高速道路(『S-Fマガジン』2003年4月号 / 『S-Fマガジン』2021年4月号〈再録〉) * 単純な形(『S-Fマガジン』2003年6月号 / 『S-Fマガジン』2021年4月号〈再録〉) * 量子密室(『小説新潮』2013年8月号) * 二人を繋ぐ夢(『小説新潮』2014年1月号) * 愛玩(『小説新潮』2015年3月号) * 強いAI(『人工知能』2016年11月号) * 名作万華鏡 太宰治篇(光文社文庫サイトYomeba! 2020年6月 - ) ** 古典風の怪奇 ** メロスの疑念 * 籠城(光文社文庫サイトYomeba! 2020年7月) * 時の旅(『S-Fマガジン』2021年4月号) === ゲームシナリオ === * [[真かまいたちの夜 11人目の訪問者]](2011年12月 チュンソフト) == メディア・ミックス == === 映画 === * [[玩具修理者]](2002年1月1日公開、監督:[[はくぶん]]、主演:[[田中麗奈]]) * ラブサイコ 狂惑のホラー(2006年7月15日公開、監督:[[安達正軌]]、主演:[[近藤公園]]、原作:「食性」)<ref>[http://www.kadokawa.co.jp/ks/ 角川ホラーシネマ オフィシャルサイト]</ref> * ラブサイコ 妖赤のホラー(2006年7月15日公開、監督:[[岡島久宜]]、主演:[[伊藤裕子]]、原作:「家に棲むもの」) === テレビドラマ === * 影の国(2003年3月24日、[[フジテレビ]]系列「[[世にも奇妙な物語]] 春の特別編」で放送、主演:[[桜井幸子]]、[[大杉漣]]) * ドッキリチューブ(2011年5月14日、[[フジテレビ]]系列「[[世にも奇妙な物語 21世紀 21年目の特別編]]」で放送、主演:[[坂口憲二]])<ref>[http://www.ponycanyon.co.jp/yonimo/21seiki.html 世にも奇妙な物語 〜21世紀 21年目の特別編〜]</ref> === 漫画 === * 玩具修理者(漫画:[[MEIMU]]、1998年11月 [[角川コミックス]]) ** 収録作品:玩具修理者 / 人獣細工 / 吸血狩り / 兆 / 本 === 舞台 === * 玩具修理者(アジマリカム 2002年10月初演) == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20220218151544/http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/ 小林泰三の不確定領域] - 公式サイト * {{Twitter|KOBAYASI_yasumi}} * [http://www.sf-encyclopedia.com/entry/kobayashi_yasumi Entry] in the [[Encyclopedia of Science Fiction]] * {{Isfdb name|id=137745|name=Yasumi Kobayashi}} {{星雲賞日本長編部門|第43・48回}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:こはやし やすみ}} [[Category:20世紀日本の小説家]] [[Category:21世紀日本の小説家]] [[Category:日本のSF作家]] [[Category:日本のホラー作家]] [[Category:日本の推理作家]] [[Category:大阪大学出身の人物]] [[Category:洛南高等学校出身の人物]] [[Category:三洋電機の人物]] [[Category:京都府出身の人物]] [[Category:1962年生]] [[Category:2020年没]]
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エリック・アイドル
エリック・アイドル(英: Eric Idle、1943年3月29日 - )は、イギリスのコメディアンでミュージシャン。コメディグループのモンティ・パイソンのメンバー。 1943年にイングランドのサウス・シールズに生まれた。アイドルの父は英国空軍の軍人だったが、アイドルが2歳のときのクリスマス・イブに交通事故で死去する。その後アイドルは親戚などに預けられ、7歳から大学入学までの12年間、王立の全寮制学校で暮らす。学校は厳格で強制収容所のようだったらしく、アイドルはあまりいい印象を持っていない。 ケンブリッジ大学へ入学し、英文学を専攻する。その年、1963年にケンブリッジ大学のコメディ・サークル『ケンブリッジ・フットライツ』へ入り、後には代表まで務めた。代表時代には、女人禁制制度を廃止し、女性メンバーの加入を正式に認めるなど、数々の改革を行った。大学を卒業後は、キャバレーでの下積みを経て、ラジオやTVの台本の執筆をするようになる。1967年には子供番組『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット』に参加。後のパイソンメンバーであるマイケル・ペイリン、テリー・ジョーンズらと組んだ。 1969年、アイドルは他の5人のメンバーと共にモンティ・パイソンを結成し、BBCにてTVシリーズ『空飛ぶモンティ・パイソン』の放送が開始された。パイソンの中でのアイドルは一匹狼であり、一人で台本を執筆するのが特徴であった。大学時代に英文学を学んでいたこともあり、「しゃべり」重視の、言葉遊びやワンライナー・ジョークをテンポよく織り交ぜた短いスケッチを多く書いた。また、ミュージシャンでもあるアイドルは、訛りなどのクセのあるしゃべりかたの物まねがうまく、数々の有名人をネタにしたキャラクターを演じている。代表的な出演スケッチに「ナッジ・ナッジ(ちょんちょん、このお!)」「マネー・プログラム」「アナグラムでしゃべる男」「旅行代理店」などがある。その後のパイソン映画にも出演した。 アイドルはビジネスにも長けており、パイソン・レコードやパイソン本の類の考案者はアイドルである。 またアイドルは、パイソンの音楽面でも一役買っていた。彼が作詞、作曲して歌った『ライフ・オブ・ブライアン』のエンディング曲「Always Look on the Bright Side of Life』はヒットを記録したほか、「銀河系の歌」「エリック・ザ・ハーフ・ア・ビー」(英: Eric the Half-a-Bee)などの名曲がある。アイドルは、パイソン関連のレコードで数多くの楽曲を発表している。 スケッチ中では長身のジョン・クリーズ(196cm)やグレアム・チャップマン(188cm)と写っている印象で小柄という印象が強いが、彼自身も183cmとそれなりに長身である。 パイソンの終了後は、当時アイドルが制作していたラジオ番組『ラジオ・ファイブ・オン・ラジオ・ワン』がTV番組化され、『ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン』として放送。元ボンゾ・ドッグ・バンドのメンバーであるニール・イネスと制作したこの番組は、セットが天気予報並みという低予算ながら好評を博した。 ザ・ビートルズのパロディバンドであるザ・ラトルズ(The Rutles)のメンバーでもある。実際アイドルにはビートルズと交友関係があり、映画『ライフ・オブ・ブライアン』はジョージ・ハリスンの出資によって完成している。 また、SFコメディ小説も書いている。1993年にリック・モラニス、バーバラ・ハーシー、ジョン・クリーズ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズらと共演した『相続王座決定戦』では脚本・主題歌・製作総指揮も担当している。 1995年に出演したクリスティーナ・リッチ主演の『キャスパー』では、悪女とその弁護士という設定でキャシー・モリアーティと嫌味なコンビを演じ、製作総指揮のスティーヴン・スピルバーグから大絶賛された。ロビン・ウィリアムズやスティーヴ・マーティンなどと親交がある。現在はアメリカ合衆国に在住し、米人気アニメの『ザ・シンプソンズ』において声優としても活躍している。 2012年ロンドンオリンピックの閉会式で『Always Look on the Bright Side of Life』を披露した。 2011年8月にアイドル自身が脚本を務めた『スパマロット』の日本公演が決定し、初来日を果たす。駐日英国大使館で執り行われた公演の記者会見では駐日英国大使や日本版の出演者ユースケ・サンタマリアや池田成志らと共に登壇。コメディアンらしくジョークを飛ばしつつも、東日本大震災にも配慮したシリアスなコメントも残している。また、『Always Look on the Bright Side of Life』を日本語で披露したり、公演の宣伝のために同舞台出演者のユースケ・サンタマリアと共演したCMや、タモリ司会の『笑っていいとも!』にゲスト出演した。
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エリック・アイドルは、イギリスのコメディアンでミュージシャン。コメディグループのモンティ・パイソンのメンバー。
{{ActorActress | 芸名 = Eric Idle | ふりがな = エリック・アイドル | 画像ファイル = Eric Idle.jpg | 画像サイズ = | 画像コメント = 2003年撮影 | 本名 = | 別名義 = | 出生地 = {{Flagicon|UK}}[[イギリス]]・[[ダラム (カウンティ)|ダラム州]]・[[サウス・シールズ]](現在は[[タイン・アンド・ウィア|タイン・アンド・ウィア州]]に属す) | 死没地 = | 民族 = | 身長 = | 生年 = 1943 | 生月 = 3 | 生日 = 29 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[コメディアン]]<br />[[俳優]]<br />[[脚本家]]<br />[[歌手]]<br />[[プロデューサー]]<br />[[小説家]]<br />[[声優]] | ジャンル = [[コメディ]]<br />[[パロディ]] | 活動期間 = [[1966年]] - | 配偶者 = リン・アシュレイ([[1969年]] - [[1975年]])<br />タニア・コセヴィッチ([[1981年]] -) | 著名な家族 = <!-- 『著名活動をしている人物』で記事対象の家族として公開されている人物がいる場合に記載。単にメディアで紹介された新生児の名前などは書かないように注意 --> | 事務所 = | 公式サイト = | 主な作品 = 『[[空飛ぶモンティ・パイソン]]』<br />『[[モンティ・パイソン・アンド・ナウ]]』<br />『[[モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル]]』<br />『[[ライフ・オブ・ブライアン]]』<br />『[[人生狂騒曲]]』<br />『[[バロン (映画)|バロン]]』<br />『[[相続王座決定戦]]』<br />『[[キャスパー (映画)|キャスパー]]』<br />『[[シュレック3]]』 | グラミー賞 = '''ミュージカル・ショー・アルバム賞'''<br />[[2006年]]『[[スパマロット]]』 | その他 = 「[[モンティ・パイソン]]」メンバー<br />「[[ラトルズ|ザ・ラトルズ]]」メンバー }} '''エリック・アイドル'''({{lang-en-short|Eric Idle}}、[[1943年]][[3月29日]] - )は、[[イギリス]]の[[コメディアン]]で[[ミュージシャン]]。[[喜劇|コメディ]]グループの[[モンティ・パイソン]]のメンバー。 == 経歴 == === 生い立ち === 1943年にイングランドの[[サウス・シールズ]]に生まれた。アイドルの父は英国空軍の軍人だったが、アイドルが2歳のときのクリスマス・イブに交通事故で死去する<ref name="telegraph1">{{cite news|url=https://www.telegraph.co.uk/finance/personalfinance/fameandfortune/12086923/Eric-Idle-The-BBC-paid-us-2000-a-series-for-Monty-Python.html|title=Eric Idle: 'The BBC paid us £2,000 a series for Monty Python'|publisher=[[デイリー・テレグラフ|テレグラフ]]|date=2016-01-10|author=Angela Wintle|accessdate=2016-06-05}}</ref>。その後アイドルは親戚などに預けられ、7歳から大学入学までの12年間、王立の全寮制学校で暮らす{{r|telegraph1}}。学校は厳格で強制収容所のようだったらしく、アイドルはあまりいい印象を持っていない{{r|telegraph1}}。 [[ケンブリッジ大学]]へ入学し、[[英文学]]を専攻する。その年、1963年にケンブリッジ大学のコメディ・サークル『ケンブリッジ・フットライツ』へ入り、後には代表まで務めた。代表時代には、女人禁制制度を廃止し、女性メンバーの加入を正式に認めるなど、数々の改革を行った。大学を卒業後は、キャバレーでの下積みを経て、ラジオやTVの台本の執筆をするようになる。1967年には子供番組『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット』に参加。後のパイソンメンバーである[[マイケル・ペイリン]]、[[テリー・ジョーンズ]]らと組んだ。 === モンティ・パイソン === 1969年、アイドルは他の5人のメンバーと共に[[モンティ・パイソン]]を結成し、[[英国放送協会|BBC]]にてTVシリーズ『[[空飛ぶモンティ・パイソン]]』の放送が開始された。パイソンの中でのアイドルは一匹狼であり、一人で台本を執筆するのが特徴であった。大学時代に英文学を学んでいたこともあり、「しゃべり」重視の、[[言葉遊び]]やワンライナー・ジョークをテンポよく織り交ぜた短い[[スケッチ・コメディー|スケッチ]]を多く書いた。また、ミュージシャンでもあるアイドルは、訛りなどのクセのあるしゃべりかたの物まねがうまく、数々の有名人をネタにしたキャラクターを演じている。代表的な出演スケッチに「[[ナッジ・ナッジ]](ちょんちょん、このお!)」「マネー・プログラム」「[[アナグラム]]でしゃべる男」「旅行代理店」などがある。その後のパイソン映画にも出演した。 アイドルはビジネスにも長けており、パイソン・レコードやパイソン本の類の考案者はアイドルである。 またアイドルは、パイソンの音楽面でも一役買っていた。彼が作詞、作曲して歌った『[[ライフ・オブ・ブライアン]]』のエンディング曲「[[Always Look on the Bright Side of Life]]』はヒットを記録したほか、「[[銀河系の歌]]」「エリック・ザ・ハーフ・ア・ビー」({{lang-en-short|Eric the Half-a-Bee}})などの名曲がある。アイドルは、パイソン関連のレコードで数多くの楽曲を発表している。 スケッチ中では長身のジョン・クリーズ(196cm)やグレアム・チャップマン(188cm)と写っている印象で小柄という印象が強いが、彼自身も183cmとそれなりに長身である。 === パイソン後の活動 === パイソンの終了後は、当時アイドルが制作していたラジオ番組『ラジオ・ファイブ・オン・ラジオ・ワン』がTV番組化され、『ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン』として放送。元[[ボンゾ・ドッグ・バンド]]のメンバーである[[ニール・イネス]]と制作したこの番組は、セットが天気予報並みという低予算ながら好評を博した。 [[ビートルズ|ザ・ビートルズ]]のパロディバンドである[[ラトルズ|ザ・ラトルズ]](The Rutles)のメンバーでもある。実際アイドルにはビートルズと交友関係があり、映画『ライフ・オブ・ブライアン』は[[ジョージ・ハリスン]]の出資によって完成している。 また、SFコメディ小説も書いている。[[1993年]]に[[リック・モラニス]]、[[バーバラ・ハーシー]]、[[ジョン・クリーズ]]、[[キャサリン・ゼタ=ジョーンズ]]らと共演した『[[相続王座決定戦]]』では脚本・主題歌・製作総指揮も担当している。 [[1995年]]に出演した[[クリスティーナ・リッチ]]主演の『[[キャスパー (映画)|キャスパー]]』では、悪女とその弁護士という設定で[[キャシー・モリアーティ]]と嫌味なコンビを演じ、製作総指揮の[[スティーヴン・スピルバーグ]]から大絶賛された。[[ロビン・ウィリアムズ]]や[[スティーヴ・マーティン]]などと親交がある。現在は[[アメリカ合衆国]]に在住し、米人気アニメの『[[ザ・シンプソンズ]]』において[[声優]]としても活躍している。 [[2012年ロンドンオリンピックの閉会式]]で『[[Always Look on the Bright Side of Life]]』を披露した。 === 来日 === [[2011年]][[8月]]にアイドル自身が脚本を務めた『[[スパマロット]]』の日本公演が決定し、初[[来日]]を果たす。[[駐日英国大使館]]で執り行われた公演の記者会見では[[駐日英国大使]]や日本版の出演者[[ユースケ・サンタマリア]]や[[池田成志]]らと共に登壇。コメディアンらしくジョークを飛ばしつつも、[[東日本大震災]]にも配慮したシリアスなコメントも残している<ref>{{YouTube|5Xybaj63SXc|エリック・アイドル来日会見 - 朝日新聞社}}</ref>。また、『[[Always Look on the Bright Side of Life]]』を日本語で披露したり、公演の宣伝のために同舞台出演者のユースケ・サンタマリアと共演したCMや、[[タモリ]]司会の『[[笑っていいとも!]]』にゲスト出演した。 == 主な出演作品 == [[ファイル:Eric Idle with Guitar.jpg|thumb|300px|ギターを持つアイドル。パイソンズ時代からミュージシャンとしての一面も見せていた]] === テレビ === * ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット ''Do Not Adjust Your Set''(1967年 - 1969年) - DVD題「モンティ・パイソン・レアリティーズ ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット」 * [[空飛ぶモンティ・パイソン]] ''Monty Python's Flying Circus''(1969年 - 1974年) * ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン ''Rutland Weekend Television''(1975年) * オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ ''All You Need Is Cash''(1978年) * [[フェアリーテール・シアター]] ''Faerie Tale Theatre''(1982年)監督・ナレーション・出演 * ミカド ''The Mikado''(1987年) === 映画 === * [[モンティ・パイソン・アンド・ナウ]] ''And Now for Something Completely Different''(1971年) - 兼脚本 * [[モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル]] ''Monty Python and Holy Grail''(1975年) - 兼脚本 * モンティ・パイソン/[[ライフ・オブ・ブライアン]] ''Life of Brian''(1979年) - 兼脚本 * [[モンティ・パイソン・ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル]] ''Monty Python Live at the Hollywood Bowl''(1982年) - 兼脚本 * モンティ・パイソン/[[人生狂騒曲]] ''The Meaning of Life''(1983年) - 兼脚本 * ナショナル・ランプーンズ/ヨーロピアン・バケーション ''European Vacation''(1985年) * [[バロン (映画)|バロン]] ''The Adventure of Baron Munchausen''(1988年) * ナンズ・オンザ・ラン 走れ! 尼さん ''Nuns on the Run''(1990年) * ストレンジ・ピープル ''Too Much Sun''(1991年) * スペース・エイド ''Mom and Dad Save the World''(1992年) * [[相続王座決定戦]] ''Splitting Heirs''(1993年) - 兼脚本・主題歌・製作総指揮 * [[キャスパー (映画)|キャスパー]] ''Casper''(1995年) * ''The Wind in the Willows''(1996年) * [[アラン・スミシー・フィルム]] ''An Alan Smithee Film:Burn Hollywood Burn''(1997年) * [[魔法の剣 キャメロット]] ''Quest for Camelot''(1998年) * [[ダドリーの大冒険]] ''Dudley Do-Right''(1999年) * [[102 (映画)|102]] ''102 Dalmatians''(2002年) - 声の出演 * [[ピノッキオ (映画)|ピノッキオ]] ''Pinocchio''(2002年) - 英語版の声の出演 * [[ハリウッド的殺人事件]] ''Hollywood Homicide''(2003年) * [[アン・ハサウェイ 魔法の国のプリンセス]] ''Ella Enchanted''(2004年) - 声の出演 * [[モンティ・パイソン ノット・ザ・メシア]] ''Not the Messiah (He's a Very Naughty Boy)''(2010年) - 兼脚本 * [[ミラクル・ニール!]] ''Absolutely Anything''(2015年) - 声の出演 === アニメ映画 === * [[トランスフォーマー ザ・ムービー]] ''The Transformers: The Movie''(1986年) * [[サウスパーク/無修正映画版]] ''South Park: Bigger, Longer & Uncut''(1999年) * [[シュレック3]] ''Shrek the Third''(2007年) === テレビアニメ === * [[アニマニアックス|ピンキー&ブレイン]] ''Pinky and the Brain''(1998年) * [[ヘラクレス (TVシリーズ)|ヘラクレス]] ''Hercules''(1998年 - 1999年) * [[リセス 〜ぼくらの休み時間〜]] ''Recess''(1998年 - 1999年) * スペース・レンジャー バズ・ライトイヤー ''Buzz Lightyear of Star Command''(2000年) * [[ハウス・オブ・マウス]] ''House of Mouse''(2001年 - 2002年) * [[ザ・シンプソンズ]] ''The Simpsons''(2003年 - 2004年、2007年) * [[スーパー・ロボット・モンキー・チーム・ハイパーフォース GO!]] ''Super Robot Monkey Team Hyperforce Go!''(2004年 - 2005年) === その他 === * [[ミクロ・オーディエンス]] ''Honey, I Shrunk the Audience!''(1994年 - ) : [[ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート]]などにあるアトラクションのムービーに出演している。[[東京ディズニーランド]]では『[[ミクロアドベンチャー!]]』の名称となっている。 == 関連項目 == * [[ペンブルックプレイヤーズ]] * [[エリック・アイドル (小惑星)]] - 小惑星番号9620。他のメンバーや、モンティ・パイソンの名前も小惑星名に使われている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}}<!-- === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 ===--> {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commonscat|Eric Idle}} {{Wikiquotelang|en|Eric Idle}} * {{Official website|https://ericidle.com/}}{{en icon}} * [http://www.montypython.com/ Monty Python Official Site - モンティ・パイソンの公式サイト]{{en icon}} * {{IMDb name|0001385}} {{モンティ・パイソン}} {{ラトルズ}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:あいとる えりつく}} [[Category:20世紀イングランドのコメディアン]] [[Category:21世紀イングランドのコメディアン]] [[Category:20世紀の無神論者]] [[Category:21世紀の無神論者]] [[Category:モンティ・パイソンのメンバー]] [[Category:イングランドの男優]] [[Category:イギリスの声優]] [[Category:イングランドの無神論者]] [[Category:ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジ出身の人物]] [[Category:サウス・シールズ出身の人物]] [[Category:1943年生]] [[Category:存命人物]]
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1602年
1602年(1602 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
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1602年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1602}} {{year-definition|1602}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬寅]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[慶長]]7年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2262年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[万暦]]30年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[宣祖]]35年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3935年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[弘定]]3年 *** [[莫朝|高平莫氏]] : [[乾統 (莫朝)|乾統]]10年 * [[仏滅紀元]] : 2144年 - 2145年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1010年 - 1011年 * [[ユダヤ暦]] : 5362年 - 5363年 * [[ユリウス暦]] : 1601年12月22日 - 1602年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1602}} == できごと == * [[3月20日]] - [[オランダ東インド会社]](世界初の[[株式会社]])設立{{要出典|date=2021-04}} * 『[[坤輿万国全図]]』が[[北京]]で刊行 * [[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の『[[ハムレット]]』初演(推定) * [[教如]]が[[東本願寺]]を建立し、[[本願寺]]が東西に分裂 * [[4月11日 (旧暦)|4月11日]] - [[徳川家康]]が[[関ヶ原の戦い]]に関する[[薩摩国]]の[[島津氏]]に関する処分を発表する。 * [[12月28日 (旧暦)|12月28日]] - [[島津忠恒]]が、[[伏見城]]において家康に謁する。 == 誕生 == {{see also|Category:1602年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月4日]]([[慶長]]6年[[閏]][[11月11日 (旧暦)|11月11日]]) - [[藤堂高次]]、[[伊勢国|伊勢]][[津藩]]第2代藩主。[[藤堂高虎]]の嫡男(+ [[1676年]]) * [[3月7日]](慶長7年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]])- [[狩野探幽]]、[[狩野派]]絵師(+ [[1674年]]) * [[4月28日]](慶長7年[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]) - [[徳川頼宣]]、[[紀州藩]]初代藩主(+ [[1671年]]) * [[5月2日]] - [[アタナシウス・キルヒャー]]、ドイツの学者、[[イエズス会]][[司祭]](+ [[1680年]]) * [[5月26日]] - [[フィリップ・ド・シャンパーニュ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Philippe-de-Champaigne Philippe de Champaigne Flemish-born painter] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[画家]](+ [[1674年]]) * [[7月14日]] - [[ジュール・マザラン|マザラン]]、[[フランス王国]]首席大臣・[[枢機卿]](+ [[1661年]]) * [[9月4日]](慶長7年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]])- [[阿部忠秋]]、[[老中]](+ [[1675年]]) * [[11月30日]] - [[オットー・フォン・ゲーリケ]]、[[科学者]]。[[マクデブルクの半球]]で有名(+ [[1686年]]) * [[ジュゼッペ・キアラ]]、[[イエズス会]][[宣教師]](+ [[1685年]]) == 死去 == {{see also|Category:1602年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月11日]] - [[エミリオ・デ・カヴァリエーリ]]、[[作曲家]](* [[1550年]]頃) * [[3月22日]] - [[アゴスティーノ・カラッチ]]、[[画家]](* [[1557年]]) * [[3月24日]]([[慶長]]7年[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]) - [[井伊直政]]、戦国武将、[[近江国|近江]][[佐和山藩]]初代藩主(* [[1561年]]) * [[5月7日]](万暦30年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[李卓吾|李贄]]、[[明]]末の[[思想|思想家]](* [[1527年]]) * [[5月22日]] - [[レナータ・フォン・ロートリンゲン]]、[[バイエルン大公|バイエルン公]][[ヴィルヘルム5世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム5世]]の妃(* [[1544年]]) * [[6月2日]](慶長7年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[里村紹巴]]、[[連歌|連歌師]](* [[1525年]]) * 6月2日(慶長7年4月14日)- [[内藤正成]]、戦国武将(* [[1528年]]) * [[6月25日]](慶長7年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[相馬治胤]]、戦国武将(* [[1541年]]) * [[7月9日]](慶長7年[[5月20日 (旧暦)|5月20日]]) - [[前田玄以]]、[[豊臣政権]][[五奉行]](* [[1539年]]) * [[8月12日]] - [[アブル・ファズル]]、[[ムガル帝国]]([[インド]])の[[思想家]]・[[歴史家]](* [[1551年]]) * [[10月2日]](慶長7年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[伊集院忠真]]、戦国武将(* [[1576年]]) * [[10月13日]](慶長7年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[於大の方]]、[[松平広忠]]・[[久松俊勝]]の[[正室]]、[[徳川家康]]の母(* [[1528年]]) * [[10月]] - [[トマス・モーリー]]、作曲家(* [[1557年]]) * [[11月29日]] - [[アントニー・ホルボーン]]、作曲家(* [[1545年]]頃) * 11月29日(慶長7年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]]) - [[卜半斎了珍]]、[[和泉国]]の[[地頭]](* [[1526年]]) * [[11月30日]](慶長7年[[10月17日 (旧暦)|10月17日]]) - [[立花誾千代]]、[[立花氏]]の女性当主(* [[1569年]]) * [[12月1日]](慶長7年[[10月18日 (旧暦)|10月18日]]) - [[小早川秀秋]]、[[備前国|備前]][[岡山藩]]主(* [[1582年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1602}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1602ねん}} [[Category:1602年|*]]
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1848年
1848年(1848 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。
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1848年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1848}} {{year-definition|1848}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊申]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[天保暦]]) ** [[弘化]]5年、[[嘉永]]元年2月28日 - ** [[皇紀]]2508年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]28年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]14年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4181年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[嗣徳]]元年  * [[仏滅紀元]] : 2390年 - 2391年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1264年1月24日 - 1265年2月5日 * [[ユダヤ暦]] : 5608年4月25日 - 5609年4月6日 * [[ユリウス暦]] : 1847年12月20日 - 1848年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -3973 - -3608 * [[リリウス日]](LD) : 96868 - 97233 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1848}} == できごと == * [[1月22日]]([[弘化]]4年[[12月17日 (旧暦)|12月17日]])- [[大江姓北小路家]]が[[堂上家]]([[半家 (公家)|半家]])に昇進する。 * [[1月24日]] - 米国[[カリフォルニア]]<!-- まだ州でない-->で[[ジェームズ・マーシャル]]が[[砂金]]を発見([[カリフォルニア・ゴールドラッシュ|ゴールド・ラッシュ]]が始まる) * [[2月2日]] - [[米墨戦争]]: [[グアダルーペ・イダルゴ条約]]締結により終結 * [[2月21日]] - [[カール・マルクス|マルクス]]と[[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]が「[[共産党宣言]]」を発表 * [[2月24日]] - [[1848年革命]]: パリで革命が勃発し国王[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]が追放される * [[2月26日]] - フランス第二共和政が宣言される。 * [[3月13日]] - [[1848年革命]]: [[ウィーン]]で革命。[[メッテルニヒ]]亡命 * [[3月15日]] - [[1848年革命]]: [[ブダペスト]]で革命 * [[3月20日]] - [[バイエルン王国]]で[[ルートヴィヒ1世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ1世]]退位 * [[3月20日]] - [[オーストリア帝国]]で[[農奴制]]廃止 * [[3月21日]] - [[1848年革命]]: [[プロイセン王国]]で[[フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム4世]]が憲法の制定を約束 * [[3月25日]] - [[バイエルン王国]]で[[マクシミリアン2世 (バイエルン王)|マクシミリアン2世]]即位 * [[4月10日]] - [[ロンドン]]のケニントン・コモン広場での[[チャーティズム|チャーティスト]]集会と第三回国民請願 * [[4月18日]] - [[第二次シク戦争]]開始( - 1849年) * [[5月18日]] - [[フランクフルト国民議会]]開催 * [[5月29日]] - 米国で[[ウィスコンシン州|ウィスコンシン]]が30番目に州となる * [[7月3日]] - [[デンマーク]]領西インド諸島(後の[[アメリカ領ヴァージン諸島]])総督ペーター・ヴァン・ショルテンが奴隷解放宣言 * [[7月4日]] - 米国で[[ワシントン記念塔]]起工([[1885年]]除幕) * [[7月11日]] - [[ロンドン]]で[[ウォータールー駅]]開業 * [[8月17日]] - [[メキシコ]]で[[ユカタン州]]が公式に編入 * [[8月31日]] - [[ヨハン・シュトラウス1世]]『[[ラデツキー行進曲]]』初演 * 10月 - [[ハンガリー]][[独立宣言]] * [[11月7日]] - [[1848年アメリカ合衆国大統領選挙|米大統領選挙]]で[[ザカリー・テイラー]]が勝利 * [[12月2日]] - [[オーストリア帝国]]で[[フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)|フェルディナント1世]]が退位し[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]が即位 * [[12月10日]] - [[1848年革命]]: [[フランス第二共和政|フランス]]で[[ナポレオン3世|ルイ=ナポレオン]]が初代大統領に選出される == 誕生 == {{see also|Category:1848年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月4日]]([[弘化]]4年[[11月28日 (旧暦)|11月28日]]) - [[桂太郎]]、[[陸軍軍人]]・[[政治家]]・第11・13・15代内閣総理大臣(+ [[1913年]]) * [[1月15日]] - [[ラファエル・フォン・ケーベル]]、[[哲学者]](+ [[1923年]]) * [[1月21日]] - [[アンリ・デュパルク]]、[[作曲家]](+ [[1933年]]) * [[1月24日]] - [[ワシーリー・スリコフ]]、[[画家]](+ [[1916年]]) * [[1月27日]](弘化4年[[12月22日 (旧暦)|12月22日]]) - [[東郷平八郎]]、海軍軍人(+ [[1934年]]) * [[1月29日]] - [[デニー・マックナイト]]、メジャーリーグ監督(+ [[1900年]]) * [[2月5日]] - [[ジョリス=カルル・ユイスマンス]]、[[小説家]](+ [[1907年]]) * 2月5日 - [[ベル・スター]]、[[西部開拓時代]]の[[アウトロー]](+ [[1889年]]) * [[2月14日]] - [[バンジャマン・バイヨー]]、[[天文学者]](+ 1934年) * [[2月16日]] - [[オクターヴ・ミルボー]]、小説家・[[劇作家]](+ [[1917年]]) * [[2月18日]] - [[ルイス・カムフォート・ティファニー]]、宝飾[[デザイナー]]・[[ガラス工芸|ガラス工芸家]](+ 1933年) * [[2月25日]] - [[ヴィルヘルム2世 (ヴュルテンベルク王)|ヴィルヘルム2世]]、[[ヴュルテンベルク王国|ヴュルテンベルク王]](+ [[1921年]]) * [[2月27日]] - [[チャールズ・ヒューバート・パリー]]、作曲家(+ [[1918年]]) * 2月27日 - [[エレン・テリー]]、[[俳優|女優]](+ [[1928年]]) * [[3月19日]] - [[ワイアット・アープ]]、西部開拓時代の[[保安官]](+ [[1929年]]) * 3月19日 - [[ジョージ・ロマネス]]、[[生物学者]](+ [[1894年]]) * [[3月29日]] - [[アレクセイ・クロパトキン]]、帝政ロシアの[[軍人]](+ [[1925年]]) * [[4月13日]]([[嘉永]]元年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[浅野総一郎]]、[[実業家]]・[[浅野財閥]]創業者(+ [[1930年]]) * [[4月26日]](嘉永元年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[日高壮之丞]]、海軍軍人(+ [[1932年]]) * [[4月27日]] - [[オットー1世 (バイエルン王)|オットー1世]]、[[バイエルン王国|バイエルン王]](+ 1916年) * [[5月10日]] - [[トーマス・リプトン]]、[[リプトン]]創業者(+ [[1931年]]) * [[5月15日]] - [[ヴィクトル・ヴァスネツォフ]]、[[画家]](+ [[1926年]]) * [[5月22日]](嘉永元年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[井伊直憲]]、第16代[[彦根藩|彦根藩主]](+ [[1904年]]) * [[5月23日]] - [[オットー・リリエンタール]]、[[航空]][[技術者]](+ [[1896年]]) * [[6月7日]] - [[ポール・ゴーギャン]]、[[画家]](+ [[1903年]]) * [[6月12日]] - [[フリードリヒ・ザイツ]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](+ 1918年) * [[7月9日]] - [[ロベルト1世 (パルマ公)|ロベルト1世]]、[[パルマ公国|パルマ公]](+ [[1907年]]) * [[7月10日]] - [[アナトーリイ・ステッセリ]]、ロシア帝国の軍人(+ [[1915年]]) * [[7月15日]] - [[ヴィルフレド・パレート]]、[[経済学者]]・[[社会学|社会学者]](+ [[1923年]]) * [[7月19日]] - [[エドウィン・ダン]]、[[農学者]](+ [[1931年]]) * [[7月22日]] - [[アドルフ・フリードリヒ5世 (メクレンブルク=シュトレーリッツ大公)|アドルフ・フリードリヒ5世]]、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公(+ [[1914年]]) * [[7月25日]] - [[アーサー・バルフォア]]、[[イギリスの首相]](+ 1930年) * [[7月26日]](嘉永1年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]])- [[木村鐙子]]、[[教育者]]、[[明治女学校|明治女学院]]を創設(+ [[1886年]]) * [[7月27日]] - [[ヴラディーミル・ド・パハマン]]、[[ピアニスト]](+ 1933年) * [[8月16日]] - [[ヘンリー・ダイアー]]、[[お雇い外国人]]の[[教育者]](+ 1918年) * [[8月22日]](嘉永元年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[小川又次]]、陸軍軍人(+ [[1909年]]) * [[8月26日]](嘉永元年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[林忠崇]]、[[請西藩|請西藩主]](+ [[1941年]]) * [[9月8日]] - [[ヴィクトル・マイヤー]]、[[化学者]](+ [[1897年]]) * [[9月18日]](嘉永元年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[阿部正方]]、[[備後福山藩|備後福山藩主]](+ [[1867年]]) * [[9月23日]](嘉永元年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[土屋光春]]、陸軍軍人(+ [[1920年]]) * [[10月1日]](嘉永元年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]) - [[大島久直]]、陸軍軍人(+ 1928年) * [[10月18日]] - [[キャンディ・カミングス]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1924年]]) * [[10月23日]](嘉永元年[[9月27日 (旧暦)|9月27日]]) - [[外山正一]]、教育者・[[文学者]]・社会学者(+ [[1900年]]) * [[11月8日]] - [[ゴットロープ・フレーゲ]]、[[数学者]]・[[論理学|論理学者]]・[[思想|思想家]](+ [[1925年]]) * [[11月11日]] - [[ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー]]、[[バルチック艦隊]]司令長官(+ 1909年) * [[11月12日]](嘉永元年[[10月17日 (旧暦)|10月17日]]) - [[益田孝]]、[[財界人]]・[[茶人]]・[[男爵]](+ [[1938年]]) * [[11月13日]] - [[アルベール1世 (モナコ大公)|アルベール1世]]、[[モナコ]]大公(+ [[1922年]]) * [[11月27日]] - [[ヘンリー・ローランド]]、[[物理学者]](+ [[1901年]]) * [[12月6日]] - [[ヨハン・パリサ]]、天文学者(+ [[1925年]]) * 12月6日(嘉永元年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]]) - [[川上操六]]、陸軍軍人(+ [[1899年]]) * [[12月8日]] - [[ジョーエル・チャンドラー・ハリス]]、[[ジャーナリスト]]・作家(+ [[1908年]]) == 死去 == {{see also|Category:1848年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月20日]] - [[クリスチャン8世 (デンマーク王)|クリスチャン8世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](* [[1786年]]) * [[2月23日]] - [[ジョン・クィンシー・アダムズ]]、第6代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1767年]]) * [[4月8日]] - [[ガエターノ・ドニゼッティ]]、[[作曲家]](* [[1797年]]) * [[7月4日]] - [[フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン]]、[[著作家]]・[[フランス王国|フランス]]外相(* [[1768年]]) * [[7月8日]]([[嘉永]]元年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]])- [[徳川斉匡]]、第3代[[田安徳川家]]当主(* [[1779年]]) * [[7月13日]](嘉永元年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]])- [[池田慶行]]、第10代[[鳥取藩|鳥取藩主]](* [[1832年]]) * [[7月31日]](嘉永元年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]])- [[土井利位]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[古河藩|古河藩主]](* [[1789年]]) * [[8月7日]] - [[イェンス・ベルセリウス]]、[[化学者]](* [[1779年]]) * [[8月8日]](嘉永元年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]])- [[山内豊熈]]、第13代[[土佐藩|土佐藩主]](* [[1815年]]) * [[8月12日]] - [[ジョージ・スチーブンソン]]、[[技術者]](* [[1781年]]) * [[9月14日]](嘉永元年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[土生玄碩]]、[[眼科医]](* [[1762年]]) * [[10月7日]] - [[エドガー・アラン・ポー]]、[[作家]](* [[1809年]]) * [[11月10日]] - [[イブラーヒーム・パシャ]]、[[エジプト]]総督(* [[1789年]]) * [[11月24日]] - [[ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵)|第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム]]、[[イギリスの首相]](* [[1779年]]) * [[12月1日]](嘉永元年[[11月6日 (旧暦)|11月6日]]) - [[曲亭馬琴]]、[[読本]]作者(* [[1767年]]) * [[12月19日]] - [[エミリー・ブロンテ]]、[[小説家]](* [[1818年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1848}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1848ねん}} [[Category:1848年|*]]
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城()は、敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物・設備。 主に近代以前の軍事的な防衛施設を呼ぶ。戦闘拠点であるとともに食糧や武器や資金の備蓄場所でもある。主要な城は、為政者や指揮官の住居であり、政治や情報の拠点であった。純防衛用として山地に建築されることも多いが、街道や河川などの交通の要衝を抑え利用することも多い。 城の一部、施設を館や塔、城壁、堀、城門と呼ぶのに対し、全体を指し示す場合には、城郭ともいう。敵との境界線に近い前線の要塞を「出城」と言い、主戦場を指す語にもなる。 ヨーロッパ、中国などの大陸では、都市を囲む城壁と戦闘拠点の城砦(城塞、城館)とを区別する。「城」という漢字自身、本来は、前者の城壁都市を意味する。しかし日本においては城壁で囲まれた城壁都市が普及しなかったこともあり、主に後者の城砦の意味で使用される。本稿でもこれを説明する。 城には、一般的に次の機能がある。ただし、規模によっては、どちらか一方を欠く城塞も存在した。 城は、軍事拠点を指す語だが、同様の目的で建設された近代以降の施設は、主に「基地」などと呼ばれる。この線引きは、明確ではなく習慣的である。 広義における城(弥生時代の環濠集落を含めた場合)の総数は約3万とされる。 日本の城は、古代から江戸末期までに平地や丘陵、山を利用して築かれた。しかし、日本における城は古代と中世以降で使われている土木、建築技術や用途が多少異なる。現在までに、城(しろ)といわれているものは中世から明治時代までに築かれたもので、武家や城主などが日本国内の敵対する武力集団から守るための防衛施設である。 古代、日本では「城」を“き”と読み、「柵」の字も用いた。「柵」は主にヤマト王権が東北地方に設置した政治行政施設を併設する防御施設(城柵)を意味する。「城」は水城や大野城のような西日本に点在した古代山城や防壁の類いを意味する。これらは663年の白村江の戦いに敗れたヤマト王権が敵対した唐や新羅からの侵攻を想定して、滅亡した百済から日本に亡命した人々の指導によって築かれた防御施設で、版築土塁の外郭城壁をもつ特徴があったが、後の中世以降の築城技術へとは継承されることはなかった。 中世、戦国時代では小高い丘陵や山などに郭(曲輪)と言う平地をいくつか設け、その郭を柵や土塁で囲ったり、切岸と言って、斜面を急に加工して下の郭から上がりにくくしたり、堀切や竪堀という尾根を分けるように切った堀などで、他の郭からの侵入を困難にしたり、区分けをした。郭の入り口を小口(虎口)といい、その小口に門を設けたりもした(この時代は矢倉門や冠木門が主流)。大抵は、主郭(一の丸、本丸)、二の郭(二の丸)、三の郭(三の丸)という風に郭を名付ける。 戦国時代中ごろまで弓矢や槍が中心だった古来の戦い方に、新たにポルトガルから伝わった火縄銃が加わったことで、塀や建物に防弾を考慮する必要が生じた。織田氏や豊臣氏の台頭する時代から徳川氏が政権を樹立した江戸時代までの城は、こうした銃器に対する策として、内部に石や瓦礫を入れた分厚い土壁(太鼓壁)やおもに寺院に使われていた屋根瓦、銃弾の届きにくい幅の堀、そして石垣が多用されることとなる。(土塁の方が銃弾や砲弾の衝撃を吸収しやすいが、傾斜を急にしにくかったり、威圧感が薄かったり、崩壊しやすく、城壁や櫓などを作るには不向きであるため多用されなかった。五稜郭はこの辺を考慮して土塁の城になったと考えられる。)城地の選択も、主力であった山や山岳からより利便性の高い平地や平地に近い丘陵にも多く築かれるようになった。山城の麓に館を営んで生活や政務を行っていた城主や領主は、それまで有事のときにだけ篭っていた城内に生活の場所を移すようになった。この城郭の利便性の追求と建築の恒久化は寺院建築や住宅建築の特徴を多く取り入れ、日本城郭特有の天守のような重層な櫓の要素をもった楼閣建築を発生させた。このように、城の外観には戦うためだけのものというだけではなく、内外に主の権威をしめす目的も含まれるようになり、現在まで日本で見られるような独特な形式の城となった。 鹿児島県の奄美諸島および沖縄地方の城は「グスク」または「スク」と呼ばれるものである。12世紀、沖縄地方に点在していた領主の「按司」(あじ)の居城で、城内に「ウタキ」(御嶽)や「ウガンジュ」(拝所)と呼ばれる沖縄地方特有の信仰施設を持つ。元々聖地のような土地を取り込んで築かれている。 三山時代に多くのグスクが築かれ、現在までに見られる多くのグスクはこのころのものである。土木や建築の技術、特に石垣は日本内地の石垣とは異なり、琉球石灰岩を加工した石積みの石垣であって外観も曲線をなして角さえも丸みを帯びている。また、中国や朝鮮半島で「馬面」(マーミェン)や「雉」(チ)と呼ばれる横矢がかりの出張りや、城門においては牌楼や石造のアーチ門(拱門)が見られるなど、日本内地の城郭建築と異にする箇所が見られる。建築物では日本城郭の二重櫓や天守のような高層建築はなく、ぎっしりと建てられた舎殿のほか櫓としては門上の櫓のみである。 城塞の技術は、15世紀 - 16世紀の火薬、大砲、銃の活躍によって大きく変化した。有史以来の防護設備、砦、城、要塞の基本は壁と塔であった。壁により敵の侵入を防ぎながら、塔から高さを生かした攻撃を行うもので、重力を利用すれば、弓矢の威力は増し、単なる石や丸太も武器として利用することができた。攻撃側は、壁を壊すための器具を工夫したが、いずれも大がかりで時間のかかるもので、守備側の優位は堅かった。 しかし、大砲、銃が使われ出すと、火薬を使った銃弾の威力は高さの優位を減少させ、大砲により高いが比較的薄い壁は容易に打ち壊されるようになった。このため要塞と城の機能は分離されるようになり、要塞は高さより、厚さを重視するものになり、永久要塞としては星型(稜堡式)要塞が、野戦要塞としては塹壕が主流となった。一方、城は防衛機能より居住性や壮大さや豪華さを重視した、優雅で窓の多いものが作られるようになる。フランス語のシャトー(château、複数形châteaux)は日本語で城と訳されているが、荘園主によるものは城郭というよりはイギリス・アイルランドにおけるマナー・ハウスに相当する。 中近東を含めた地域では文明が興り都市が形成されるとその周囲に城壁(囲壁)を巡らしていたが、これは街の防護と戦時の拠点とするためだった。古代ギリシアでは、アクロポリスが作られ、その影響を受けたローマ人も戦時は、丘に立て籠もった。こうした様相は、当時文明の中心であった地中海周辺ばかりでなく、例えばガイウス・ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』には険阻な地形に築かれたガリア人の都市を攻略する様子が度々登場するように広く見られるものである。首都ローマにも都市を守る城壁(囲壁)であるセルウィウス城壁が築かれていた。また仮設であるがローマ軍団は、進軍した先で十分な防御能力を備えた陣地を構築しており、これも城の一種と見ることもできる。恒久的な基地としてはティベリウスの親衛隊の兵舎が挙げられる。 古代ローマの全盛期になると、もはや侵入できる外敵が存在しなくなり、都市機能の拡大に合わせて城壁を拡大していく必要がなくなった。ローマ帝国の防衛は国境線に築かれた防壁リメス並びに軍団及び補給物資を迅速に投射できるローマ街道等の輸送路の維持によって行われていた。しかしながらローマ帝国が衰退する4世紀頃以降、ゲルマン人の侵入に対抗するため都市に城壁(囲壁)を築いて防衛する必要性が生じた。ローマ帝国最盛期には城壁を持たなかった首都ローマも、全周約19km・高さ8m・厚さ3.5mのローマン・コンクリートで造られたアウレリアヌス城壁で防御されることになった。 城壁の素材は地域や時代・建築技術の程度によって様々で、日干しレンガや焼きレンガ・石・木・土など様々である。なお『ガリア戦記』に記されているガリアの城壁は木を主体としたものであり、北西ヨーロッパに本格的に石造建築が導入されるのはローマ化以降のことである。ローマ帝国の最盛期には強固なローマン・コンクリートで城壁(囲壁)や塔が造られるようになっていた。 このように、古代地中海世界を含めて、10世紀半ばまでのヨーロッパには厳密に「城」と呼べるものは存在せず、主に都市や国を囲んで防御する城壁(囲壁)や塔が造られていた。 西ローマ帝国の消滅後、古代ローマの建築技術は急速に失われ、土塁並びに木造の塔や柵が再び主流をなす時代が訪れた。10世紀、農業技術革命による生産力の上昇に伴い人口の増大と富の蓄積が始まると、それらを守るための施設を作り維持する社会的余裕も生まれた。またカロリング朝フランク王国が衰退・分裂して中央の支配力が緩みだし、ノルマン人やマジャール人の侵入が激しくなると、各地の領主は半ば自立して領地や居舘の防備を強化しはじめた。当初は居館と附属施設の周りに直径50mほどの屏を作り、濠を掘る程度だったが、10世紀の終わり頃から城と呼べる建築物を作るようになった。 多くは木造の簡易なもので、代表的な形態がモット・アンド・ベーリー型である。平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして、濠(空濠が多かった)を形成し、その土で小山と丘を盛り上げた。小山は粘土で固めてその頂上に木造または石造の塔(天守)を作った。この丘は『モット(Motte)』と呼ばれる。また、丘の脇または周囲の附属地を木造の外壁で囲んで、貯蔵所や住居などの城の施設を作った。この土地は『ベイリー(Bailey)』と呼ばれた。これは非常に簡単に建築でき、100人の労働者が20日働けば建設できたと考えられている。このような城は、東西は現在のポーランドからイングランドやフランス、南北はスカンディナビア半島からイタリア半島の南部までの広範囲に広がっており、特にフランスで多く使われていた。 また、ほとんどの街も城壁を有する城郭都市となった。古い街の中には、古代ローマ時代の城壁を再建・補強して用いた場合もあった。 11世紀には、天守や外壁が石造りの城が建築されるようになるが、石造りの城は建造に長期間(数年)かかり費用も高額になるため、王や大貴族による建設が中心であり、地方では木造の城も多く残っていた。石壁には四角い塔が取り付けられ、壁を守る形になった。 12世紀の十字軍の時代には、中東におけるビザンティン、アラブの技術を取り入れ、築城技術に革新的変化がみられた。集中式城郭と呼ばれる城は、モットの頂上に置かれた石造りの直方体の天守塔『キープ(Keep)』が、同心円状に配置された二重またはそれ以上の城壁で守られていた。内側に行く程、壁を高くして、外壁を破られても内側の防御が有利になるよう工夫されている場合もあった。 石造りの城を攻撃するためには、地下道を掘って城壁を崩したり、攻城塔や破城槌を使う従前の方法だけでなく、12世紀後半には十字軍が中東から学んだカタパルト (投石機)が使われるようになる。投石機は50kgの石を200m余り飛ばすことが出来るものもあり、14世紀末に大砲にその役が取って代わられるまで城攻めの中心的兵器であった。この投石機より飛来する石弾の衝撃を逸し吸収するため、直方体の塔は多角形を経て円筒形になり、また壁の厚みも増していった。 代表的なものにクラク・デ・シュバリエ城、ガイヤール城がある。 カタパルト (投石機)と並んで弓矢による攻撃技術も発展したが、城に立て籠もった防御側の抵抗手段は塔の上から石や熱した油を落とす程度のものであった。12世紀後半になり、塔や城壁に矢狭間を設けてクロスボウを用いて反撃を行うようになった。城壁には壁面から突出する半円形の塔(側防塔)を配し、そこに矢狭間を設けることで城壁に取り付く敵兵に左右から射掛けることが可能となった。こうして城の軍事的機能の中心は天守塔(キープ)から側防塔を配した城壁に移行していった。ついには、城とは強固な城門(ゲートハウス)と側防塔を配した城壁そのものとなり、城壁に内接する形で居住スペースなどの建物が配置された。この様式の城(城壁)のことをカーテンウォール式城郭と呼ぶ。 ここに至り天守塔(キープ)の軍事的意味は消滅し、強固な城門であるゲートハウスがその役目を担うことになった。だが、城主たちは天守塔の持つ支配と権力の象徴性を重視し天守塔を建てることに固執した場合もあった。 ビザンツ帝国ではギリシアの火と呼ばれる火炎放射器が使われていたが、これが西ヨーロッパに広まることはなく、14世紀頃に中国から伝わった黒色火薬の製造技術が大砲の製造を可能にした。当初は鍛鉄の棒を円筒形に並べた固定したものや、青銅の鋳物を用いた「大型の大砲」が造られ、15世紀中頃からは高炉技術の普及で鋳鉄を用いた「中型・小型の大砲」が大量生産されるようになる。15世紀の砲弾には炸薬や信管は無かったが、初速が大きく水平に近い軌道で飛ぶ砲弾の破壊力は大きかった。高い建造物は大砲の標的となったため城壁は高さよりも厚さを重視するようになり、さらに地下に掘り下げて建設され地上からはその姿を見いだせないような要塞型の城となっていく。この形の城は最終的に星型要塞となった。 これに対して、王侯貴族の住居は国境から遥かに離れた安全な地に防衛機能より居住性や壮大さや豪華さを重視した、優雅で窓の多い城や邸宅が建てられた。また、地方の中小貴族層は住居と所領経営の拠点である小型の邸宅に住むようになった。現在のヨーロッパの城のイメージは、近世に建築されたこれらの軍事機能を持たない城や邸宅によるものである。 中世において、城を構築する平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして濠を形成し、その土で盛り上げた城の中心となるために造った小高い丘のことをモット(Motte)という。または自然の地形を利用して、既存の小さな丘を用いることもあった。この丘の上には当初は監視所が、後に塔が建てられて城を防衛する上で戦略上重要な場所であった。一つの城には一つのモットが標準であるが、リンカン城のように二つのモットが造られた城もある。 ベイリー(Bailey)とは、モットと共に濠や柵、城壁で囲まれた城内の区域。住居施設や倉庫、防御施設のほか武器を整備する工房や城内教会(王家のチャペル)などが建てられていることもあった。一つの城に、二つ以上のベイリーが造られていることも多く、防御区画や異なる城内機能の区分けとして用いられていた。中庭(Courtyards)と表記されることもある。 キープ(Keep)とは中世ヨーロッパの城で中心となる建造物。モットの頂上に建てられ、当初は木造の塔が、後に石造りの塔が造られた。日本語で主塔、大塔、天守塔、またはフランス語読みのドンジョン(フランス語: Donjon)と表記されることもある。初期のモット・アンド・ベーリー式の城郭であっても、モットの頂上は少なくとも木造の矢来で囲まれており、時には塔や他の構築物で囲まれていることもあった。これらの木造の構造物が11世紀から12世紀頃にはキープと呼ばれる石造りの建築物となった。多角形の石造りの外壁で囲った包囲建築物であるシェル・キープ(shell keep)が初期に多く見られ、後に2〜3階建ての低い建物ホール・キープ(hall keep)、さらには3階以上の高い塔タワー・キープ(tower keep)と発展した。キープの平面形状は、初期は四角形であったが、11世紀後期頃からは円形(円筒形)やそれに小塔を付けたもの、12世紀中頃には四つ葉型、12世紀後期以降は多角形のものが建てられるようになった。また15世紀頃以降、タワー・ハウス(Tower house)と呼ばれる居住空間をも包含した小型の城のような形態も現れた。 城壁(Enceinte)とは、城(モット及びベイリー)を包囲して防御機能を果たす幕壁(カーテンウォール)及び城壁塔・堡塁などの一連の構築物のこと。初期の単純な形の城壁は、城壁上部の歩廊に狭間(Crenellation)付き胸壁(Battlement)を備えた壁で、しばしば狭間窓(射眼)が設けられていることもあった。攻城技術の発達に伴い、城壁の構築技術は13世紀頃にかけて頂点に達した。城壁には壁面から突出する半円形の塔(側防塔)を配し、そこに矢狭間を設けることで城壁に取り付く敵兵に左右から射掛けることが可能となった。幕壁部分の下部に傾斜面を設けることで、掘削による壁の破壊を難しくし、攻城塔が取り付きにくくすると共に、この傾斜面が幕壁を分厚くすることで砲撃に対するより高い抵抗力を持つようになった。幕壁(カーテンウォール)には一定間隔で塔(側防塔など)が造られ、塔の戦術上の重要性が認識されてくるとその間隔は短くなっていった。この塔は防衛目的のために造られた側防塔(Defensive Tower)のほか、戦術上有利な地点に設けられたタレット(Turret)や張り出し櫓(Bartizan)、主に居住空間を提供した居住塔(Lodging Tower)などがあった。 一部の城では、城壁や塔の頂上部に屋根状の木造構造物を架けたものもあり、これを櫓(Hoardings)という。 城(城壁)には少なくとも一箇所の城門(Gateway)があり、一基の塔内部に門が組み込まれている場合(Gate tower)と、1〜2基の塔が門の脇を固めている場合のいずれかであった。13世紀になると、城門とキープの機能を兼ね備えた楼門(ゲートハウス)が造られるようになった。この楼門は双子の円筒型の塔の間に四角形の居住用建物が追加されたものが多かった。城門を閉じるために、跳ね橋(Drawbridge)、落とし格子(Portcullis)及び門扉が備えられるのが一般的であった。さらに防御機能を強化するため、門の外側に要塞化した小堡(バービカン)が設けられることもあった。 古代オリエントでは、上記のヨーロッパの項目にあるように城壁で囲まれた都市国家が成立した。その後、ローマ帝国によって併合されると、やはり上記通り恒久的な要塞ではなくローマ街道による機動的な防衛により大規模な城塞は、建設されずにいた。しかしやがてイスラム勢力が台頭し、ローマ帝国の勢力が衰えるとヨーロッパとは異なる進歩を歩み始めた。 城は、軍事技術だけでなく現地の為政者と結びつく関係上、文化的な差異から逃れることは、出来なかった。イスラム教圏は、様々な地域に跨るため城の建築は、現地の文化を取り込んだり、逆に現地に影響を与えた。アルハンブラ宮殿、トルヒーリョ城、アンベール城、ラール・キラー、トプカプ宮殿、ルメリ・ヒサールなど広範な地域で著名な城が建設された。美術面での違いを除けば中国やヨーロッパの城と同じく火砲に備え、塔や城壁を持つ点で全体的には、似た部分も多い。 中国における城とは、本来城壁のことを意味し、都市や村など居住地全周を囲む防御施設を指すことが多い。そのため中国語では都市のことを城市といい、欧州や日本に見られるような城は城堡という。ちなみに城壁のことは城牆(じょうしょう)という。 大規模なものは、宮殿など支配者の住む場所を囲む内城と、都市全域を囲む外城に分かれており、内城は城、外城は郭と呼ばれ、併せて城郭といわれる。辺境では北方騎馬民族の侵入への備えとして万里の長城を発達させた。また、城とは呼ばれないが長大堅固な城壁を持つ要塞として、交通の要所におく「関(かん)」が重要である。 城壁は当初、版築による土壁であり、唐長安城の城壁も全長27kmに及ぶ長大な土牆(どしょう)であった。時代が下るとさらに城壁の強度が求められ、現在中国各地に遺構として残る明代以後の城壁はその多くが堅牢な煉瓦造りである。城壁の上部は城兵が往来可能な通路となっており、城壁に取り付いた敵軍を射撃するために「堞」(女牆)と呼ばれるスリットの入った土塀が備えられていた。城壁は一定間隔ごとに「馬面」という突出部を持ち、これが堡塁の役目を果たして敵を側面から攻撃するのを助けた。 城壁には市街に出入りするための城門が設けられていた。石造りの土台をくり抜き、トンネル状として(これを「闕(けつ)」という)その上部に木造重層の楼閣が建てられ、その上には門の名称を記した「扁額」が掲げられた。城門はその多くが二重構造となっており、城門の手前に敵を食い止める目的で半円形の小郭が設けられていた。これは「甕城(おうじょう)」と呼ばれ、洋の東西を問わず普遍的に見られる防御構造であり、日本城郭では「枡形虎口」がこれに相当する。外敵が城内に攻め入るためにはまず、この甕城で足止めされることになるため、城兵は城壁や箭楼(甕城に設けられた櫓)から銃撃をしかけることができた。 中華人民共和国時代に入って、市域拡張のため、また近代化の妨げになるという批判もあり、ほとんどの都市では城壁は取り壊されたが、西安や平遥のように中華人民共和国国家歴史文化名城という文化遺産保護制度で保護されているものも多い。 朝鮮半島の城は、朝鮮固有の形式である山城の他に中国の影響を強く受けた都市城壁を持つ邑城(ウプソン)の2形式があるが時代が下るとともに邑城へと移行した。しかし山がちな地勢上、完全な邑城は少なく山城との折衷形式のものが多く見られる。文禄・慶長の役で日本軍の攻囲に耐えた延安城、また一旦は日本軍の攻撃を退けた晋州城はその折衷形式のものである。現在の韓国水原市にある水原城は、李氏朝鮮の独自性を狙った造りだともいわれる。 井上秀雄の調査によると、韓国の城郭址は、原始時代から現代に至るまでで総数1806城あり、文献と遺跡とが一致するのは381城であり、全体の21パーセントとする。 また文禄・慶長の役で南岸域を中心に日本軍が造った日本式の城も多く存在し、それらは「倭城」(わじょう)と呼ばれている。日本式の総石垣造りで、日本国内の城と同様に櫓や城門、塀を建て並べ、天守を上げた城もあった。 現存する城は、戦闘時や城主の居住に供されるだけでなく、権勢を誇示するために意匠を凝らして建てたものも多く残るため、地方の観光資源になっているものが多い。フランスにおけるロワールの古城めぐり、ドイツにおけるロマンティック街道は城が観光資源となっている例である。城は史跡や文化遺産でもあるため、見学者の立ち入りをどこまで認めるか、再建・修復時に歴史上存在した状態と観光面での利便性をどう両立するかが常に課題となる。熱海城のように、一度も存在したことがない城郭が現代になって新築された例もある。 財団法人日本城郭協会が、昭和49年度(1974年度)の事業として4月6日を「城の日」と定めた。平成4年(1992年)に全国的な普及キャンペーンを行い、現在では各地の城でも天守の無料開放などの行事を行うことが多くなっている。この日は、多くの城で桜が咲く頃でもある。一般社団法人日本記念日評議会に平成25年(2013年)公式認定されている。 姫路市は4月6日を「しろの日」と定めている。1990年から姫路城を中心としたイベント(姫路城でのイベント)を行い、通常は公開されていない櫓の内部の公開などをしている。 日本城郭協会は2006年に「日本100名城」を、2010年にヨーロッパ100名城、2017年に「続日本100名城」を選定した。地元住民や観光客にとっての人気度に加えて、歴史的な重要性、復元における正確性、保存状態などを基準としている。 ウクライナでは、2011年に専門家たちが選んだ名城・宮殿から7か所を投票で決めた七名城(ウクライナ語:Сім чудесних замків та палаців України,「 ウクライナの七大宮殿・城」の意)を決定した。 ポルトガルの七名所(英語版)のギマランイシュ城、オビドス城などもある。 イングランドの文化遺産保護団体イングリッシュ・ヘリテッジは、Facebookの投票から、 TOP 10 Castlesを発表した。ドーヴァー城、KENILWORTH CASTLE、ティンタジェル城、ボルゾーヴァー城、ポーチェスター城、ワークワース城、ダンスタンバラ城、カリスブルック城、ミドルハム城、ビーストン城の10名城が挙げられた。 イギリスの歴史・自然保護団体ナショナル・トラストもTop 10 Castlesを公表している。ボディアム城、Castle Drogo、チャーク城、コーフ城、Dunster Castle、Lindisfarne Castle、Penrhyn Castle、Sizergh Castle、Tattershall Castle、Wray Castleが挙げられている。 中世ヨーロッパの築城を研究するために、1997年からフランスのブルゴーニュ地方ゲドロンで、当時の技術を用いて、ゲドロン城(フランス語版)という新しい城の築城を行う試みが行われた。 城跡の状態でも観光施設となり、現存している場合は博物館、政府施設、兵舎、刑務所、ホテルなどへの再利用も見られる。刑務所としての利用はバスティーユ牢獄など、ホテルとしては大洲城やオックスフォード城などが活用されている。 ベリー公のいとも豪華なる時祷書のように多くの芸術作品のモデルともなった。 砂浜に行けば城が作られる場合もあるが、フィリピンのボラカイ島やイタリアのエラクレーアなどで環境保護などの理由で砂の城を作ることを禁止し、作られた場合は罰金を取るとしている。 城が撮影地になることもある。
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"日本の城は、古代から江戸末期までに平地や丘陵、山を利用して築かれた。しかし、日本における城は古代と中世以降で使われている土木、建築技術や用途が多少異なる。現在までに、城(しろ)といわれているものは中世から明治時代までに築かれたもので、武家や城主などが日本国内の敵対する武力集団から守るための防衛施設である。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "古代、日本では「城」を“き”と読み、「柵」の字も用いた。「柵」は主にヤマト王権が東北地方に設置した政治行政施設を併設する防御施設(城柵)を意味する。「城」は水城や大野城のような西日本に点在した古代山城や防壁の類いを意味する。これらは663年の白村江の戦いに敗れたヤマト王権が敵対した唐や新羅からの侵攻を想定して、滅亡した百済から日本に亡命した人々の指導によって築かれた防御施設で、版築土塁の外郭城壁をもつ特徴があったが、後の中世以降の築城技術へとは継承されることはなかった。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "中世、戦国時代では小高い丘陵や山などに郭(曲輪)と言う平地をいくつか設け、その郭を柵や土塁で囲ったり、切岸と言って、斜面を急に加工して下の郭から上がりにくくしたり、堀切や竪堀という尾根を分けるように切った堀などで、他の郭からの侵入を困難にしたり、区分けをした。郭の入り口を小口(虎口)といい、その小口に門を設けたりもした(この時代は矢倉門や冠木門が主流)。大抵は、主郭(一の丸、本丸)、二の郭(二の丸)、三の郭(三の丸)という風に郭を名付ける。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "戦国時代中ごろまで弓矢や槍が中心だった古来の戦い方に、新たにポルトガルから伝わった火縄銃が加わったことで、塀や建物に防弾を考慮する必要が生じた。織田氏や豊臣氏の台頭する時代から徳川氏が政権を樹立した江戸時代までの城は、こうした銃器に対する策として、内部に石や瓦礫を入れた分厚い土壁(太鼓壁)やおもに寺院に使われていた屋根瓦、銃弾の届きにくい幅の堀、そして石垣が多用されることとなる。(土塁の方が銃弾や砲弾の衝撃を吸収しやすいが、傾斜を急にしにくかったり、威圧感が薄かったり、崩壊しやすく、城壁や櫓などを作るには不向きであるため多用されなかった。五稜郭はこの辺を考慮して土塁の城になったと考えられる。)城地の選択も、主力であった山や山岳からより利便性の高い平地や平地に近い丘陵にも多く築かれるようになった。山城の麓に館を営んで生活や政務を行っていた城主や領主は、それまで有事のときにだけ篭っていた城内に生活の場所を移すようになった。この城郭の利便性の追求と建築の恒久化は寺院建築や住宅建築の特徴を多く取り入れ、日本城郭特有の天守のような重層な櫓の要素をもった楼閣建築を発生させた。このように、城の外観には戦うためだけのものというだけではなく、内外に主の権威をしめす目的も含まれるようになり、現在まで日本で見られるような独特な形式の城となった。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "鹿児島県の奄美諸島および沖縄地方の城は「グスク」または「スク」と呼ばれるものである。12世紀、沖縄地方に点在していた領主の「按司」(あじ)の居城で、城内に「ウタキ」(御嶽)や「ウガンジュ」(拝所)と呼ばれる沖縄地方特有の信仰施設を持つ。元々聖地のような土地を取り込んで築かれている。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "三山時代に多くのグスクが築かれ、現在までに見られる多くのグスクはこのころのものである。土木や建築の技術、特に石垣は日本内地の石垣とは異なり、琉球石灰岩を加工した石積みの石垣であって外観も曲線をなして角さえも丸みを帯びている。また、中国や朝鮮半島で「馬面」(マーミェン)や「雉」(チ)と呼ばれる横矢がかりの出張りや、城門においては牌楼や石造のアーチ門(拱門)が見られるなど、日本内地の城郭建築と異にする箇所が見られる。建築物では日本城郭の二重櫓や天守のような高層建築はなく、ぎっしりと建てられた舎殿のほか櫓としては門上の櫓のみである。", "title": "日本" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "城塞の技術は、15世紀 - 16世紀の火薬、大砲、銃の活躍によって大きく変化した。有史以来の防護設備、砦、城、要塞の基本は壁と塔であった。壁により敵の侵入を防ぎながら、塔から高さを生かした攻撃を行うもので、重力を利用すれば、弓矢の威力は増し、単なる石や丸太も武器として利用することができた。攻撃側は、壁を壊すための器具を工夫したが、いずれも大がかりで時間のかかるもので、守備側の優位は堅かった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "しかし、大砲、銃が使われ出すと、火薬を使った銃弾の威力は高さの優位を減少させ、大砲により高いが比較的薄い壁は容易に打ち壊されるようになった。このため要塞と城の機能は分離されるようになり、要塞は高さより、厚さを重視するものになり、永久要塞としては星型(稜堡式)要塞が、野戦要塞としては塹壕が主流となった。一方、城は防衛機能より居住性や壮大さや豪華さを重視した、優雅で窓の多いものが作られるようになる。フランス語のシャトー(château、複数形châteaux)は日本語で城と訳されているが、荘園主によるものは城郭というよりはイギリス・アイルランドにおけるマナー・ハウスに相当する。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "中近東を含めた地域では文明が興り都市が形成されるとその周囲に城壁(囲壁)を巡らしていたが、これは街の防護と戦時の拠点とするためだった。古代ギリシアでは、アクロポリスが作られ、その影響を受けたローマ人も戦時は、丘に立て籠もった。こうした様相は、当時文明の中心であった地中海周辺ばかりでなく、例えばガイウス・ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』には険阻な地形に築かれたガリア人の都市を攻略する様子が度々登場するように広く見られるものである。首都ローマにも都市を守る城壁(囲壁)であるセルウィウス城壁が築かれていた。また仮設であるがローマ軍団は、進軍した先で十分な防御能力を備えた陣地を構築しており、これも城の一種と見ることもできる。恒久的な基地としてはティベリウスの親衛隊の兵舎が挙げられる。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "古代ローマの全盛期になると、もはや侵入できる外敵が存在しなくなり、都市機能の拡大に合わせて城壁を拡大していく必要がなくなった。ローマ帝国の防衛は国境線に築かれた防壁リメス並びに軍団及び補給物資を迅速に投射できるローマ街道等の輸送路の維持によって行われていた。しかしながらローマ帝国が衰退する4世紀頃以降、ゲルマン人の侵入に対抗するため都市に城壁(囲壁)を築いて防衛する必要性が生じた。ローマ帝国最盛期には城壁を持たなかった首都ローマも、全周約19km・高さ8m・厚さ3.5mのローマン・コンクリートで造られたアウレリアヌス城壁で防御されることになった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "城壁の素材は地域や時代・建築技術の程度によって様々で、日干しレンガや焼きレンガ・石・木・土など様々である。なお『ガリア戦記』に記されているガリアの城壁は木を主体としたものであり、北西ヨーロッパに本格的に石造建築が導入されるのはローマ化以降のことである。ローマ帝国の最盛期には強固なローマン・コンクリートで城壁(囲壁)や塔が造られるようになっていた。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "このように、古代地中海世界を含めて、10世紀半ばまでのヨーロッパには厳密に「城」と呼べるものは存在せず、主に都市や国を囲んで防御する城壁(囲壁)や塔が造られていた。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "西ローマ帝国の消滅後、古代ローマの建築技術は急速に失われ、土塁並びに木造の塔や柵が再び主流をなす時代が訪れた。10世紀、農業技術革命による生産力の上昇に伴い人口の増大と富の蓄積が始まると、それらを守るための施設を作り維持する社会的余裕も生まれた。またカロリング朝フランク王国が衰退・分裂して中央の支配力が緩みだし、ノルマン人やマジャール人の侵入が激しくなると、各地の領主は半ば自立して領地や居舘の防備を強化しはじめた。当初は居館と附属施設の周りに直径50mほどの屏を作り、濠を掘る程度だったが、10世紀の終わり頃から城と呼べる建築物を作るようになった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "多くは木造の簡易なもので、代表的な形態がモット・アンド・ベーリー型である。平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして、濠(空濠が多かった)を形成し、その土で小山と丘を盛り上げた。小山は粘土で固めてその頂上に木造または石造の塔(天守)を作った。この丘は『モット(Motte)』と呼ばれる。また、丘の脇または周囲の附属地を木造の外壁で囲んで、貯蔵所や住居などの城の施設を作った。この土地は『ベイリー(Bailey)』と呼ばれた。これは非常に簡単に建築でき、100人の労働者が20日働けば建設できたと考えられている。このような城は、東西は現在のポーランドからイングランドやフランス、南北はスカンディナビア半島からイタリア半島の南部までの広範囲に広がっており、特にフランスで多く使われていた。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "また、ほとんどの街も城壁を有する城郭都市となった。古い街の中には、古代ローマ時代の城壁を再建・補強して用いた場合もあった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "11世紀には、天守や外壁が石造りの城が建築されるようになるが、石造りの城は建造に長期間(数年)かかり費用も高額になるため、王や大貴族による建設が中心であり、地方では木造の城も多く残っていた。石壁には四角い塔が取り付けられ、壁を守る形になった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "12世紀の十字軍の時代には、中東におけるビザンティン、アラブの技術を取り入れ、築城技術に革新的変化がみられた。集中式城郭と呼ばれる城は、モットの頂上に置かれた石造りの直方体の天守塔『キープ(Keep)』が、同心円状に配置された二重またはそれ以上の城壁で守られていた。内側に行く程、壁を高くして、外壁を破られても内側の防御が有利になるよう工夫されている場合もあった。 石造りの城を攻撃するためには、地下道を掘って城壁を崩したり、攻城塔や破城槌を使う従前の方法だけでなく、12世紀後半には十字軍が中東から学んだカタパルト (投石機)が使われるようになる。投石機は50kgの石を200m余り飛ばすことが出来るものもあり、14世紀末に大砲にその役が取って代わられるまで城攻めの中心的兵器であった。この投石機より飛来する石弾の衝撃を逸し吸収するため、直方体の塔は多角形を経て円筒形になり、また壁の厚みも増していった。 代表的なものにクラク・デ・シュバリエ城、ガイヤール城がある。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "カタパルト (投石機)と並んで弓矢による攻撃技術も発展したが、城に立て籠もった防御側の抵抗手段は塔の上から石や熱した油を落とす程度のものであった。12世紀後半になり、塔や城壁に矢狭間を設けてクロスボウを用いて反撃を行うようになった。城壁には壁面から突出する半円形の塔(側防塔)を配し、そこに矢狭間を設けることで城壁に取り付く敵兵に左右から射掛けることが可能となった。こうして城の軍事的機能の中心は天守塔(キープ)から側防塔を配した城壁に移行していった。ついには、城とは強固な城門(ゲートハウス)と側防塔を配した城壁そのものとなり、城壁に内接する形で居住スペースなどの建物が配置された。この様式の城(城壁)のことをカーテンウォール式城郭と呼ぶ。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ここに至り天守塔(キープ)の軍事的意味は消滅し、強固な城門であるゲートハウスがその役目を担うことになった。だが、城主たちは天守塔の持つ支配と権力の象徴性を重視し天守塔を建てることに固執した場合もあった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ビザンツ帝国ではギリシアの火と呼ばれる火炎放射器が使われていたが、これが西ヨーロッパに広まることはなく、14世紀頃に中国から伝わった黒色火薬の製造技術が大砲の製造を可能にした。当初は鍛鉄の棒を円筒形に並べた固定したものや、青銅の鋳物を用いた「大型の大砲」が造られ、15世紀中頃からは高炉技術の普及で鋳鉄を用いた「中型・小型の大砲」が大量生産されるようになる。15世紀の砲弾には炸薬や信管は無かったが、初速が大きく水平に近い軌道で飛ぶ砲弾の破壊力は大きかった。高い建造物は大砲の標的となったため城壁は高さよりも厚さを重視するようになり、さらに地下に掘り下げて建設され地上からはその姿を見いだせないような要塞型の城となっていく。この形の城は最終的に星型要塞となった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "これに対して、王侯貴族の住居は国境から遥かに離れた安全な地に防衛機能より居住性や壮大さや豪華さを重視した、優雅で窓の多い城や邸宅が建てられた。また、地方の中小貴族層は住居と所領経営の拠点である小型の邸宅に住むようになった。現在のヨーロッパの城のイメージは、近世に建築されたこれらの軍事機能を持たない城や邸宅によるものである。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "中世において、城を構築する平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして濠を形成し、その土で盛り上げた城の中心となるために造った小高い丘のことをモット(Motte)という。または自然の地形を利用して、既存の小さな丘を用いることもあった。この丘の上には当初は監視所が、後に塔が建てられて城を防衛する上で戦略上重要な場所であった。一つの城には一つのモットが標準であるが、リンカン城のように二つのモットが造られた城もある。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ベイリー(Bailey)とは、モットと共に濠や柵、城壁で囲まれた城内の区域。住居施設や倉庫、防御施設のほか武器を整備する工房や城内教会(王家のチャペル)などが建てられていることもあった。一つの城に、二つ以上のベイリーが造られていることも多く、防御区画や異なる城内機能の区分けとして用いられていた。中庭(Courtyards)と表記されることもある。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "キープ(Keep)とは中世ヨーロッパの城で中心となる建造物。モットの頂上に建てられ、当初は木造の塔が、後に石造りの塔が造られた。日本語で主塔、大塔、天守塔、またはフランス語読みのドンジョン(フランス語: Donjon)と表記されることもある。初期のモット・アンド・ベーリー式の城郭であっても、モットの頂上は少なくとも木造の矢来で囲まれており、時には塔や他の構築物で囲まれていることもあった。これらの木造の構造物が11世紀から12世紀頃にはキープと呼ばれる石造りの建築物となった。多角形の石造りの外壁で囲った包囲建築物であるシェル・キープ(shell keep)が初期に多く見られ、後に2〜3階建ての低い建物ホール・キープ(hall keep)、さらには3階以上の高い塔タワー・キープ(tower keep)と発展した。キープの平面形状は、初期は四角形であったが、11世紀後期頃からは円形(円筒形)やそれに小塔を付けたもの、12世紀中頃には四つ葉型、12世紀後期以降は多角形のものが建てられるようになった。また15世紀頃以降、タワー・ハウス(Tower house)と呼ばれる居住空間をも包含した小型の城のような形態も現れた。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "城壁(Enceinte)とは、城(モット及びベイリー)を包囲して防御機能を果たす幕壁(カーテンウォール)及び城壁塔・堡塁などの一連の構築物のこと。初期の単純な形の城壁は、城壁上部の歩廊に狭間(Crenellation)付き胸壁(Battlement)を備えた壁で、しばしば狭間窓(射眼)が設けられていることもあった。攻城技術の発達に伴い、城壁の構築技術は13世紀頃にかけて頂点に達した。城壁には壁面から突出する半円形の塔(側防塔)を配し、そこに矢狭間を設けることで城壁に取り付く敵兵に左右から射掛けることが可能となった。幕壁部分の下部に傾斜面を設けることで、掘削による壁の破壊を難しくし、攻城塔が取り付きにくくすると共に、この傾斜面が幕壁を分厚くすることで砲撃に対するより高い抵抗力を持つようになった。幕壁(カーテンウォール)には一定間隔で塔(側防塔など)が造られ、塔の戦術上の重要性が認識されてくるとその間隔は短くなっていった。この塔は防衛目的のために造られた側防塔(Defensive Tower)のほか、戦術上有利な地点に設けられたタレット(Turret)や張り出し櫓(Bartizan)、主に居住空間を提供した居住塔(Lodging Tower)などがあった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "一部の城では、城壁や塔の頂上部に屋根状の木造構造物を架けたものもあり、これを櫓(Hoardings)という。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "城(城壁)には少なくとも一箇所の城門(Gateway)があり、一基の塔内部に門が組み込まれている場合(Gate tower)と、1〜2基の塔が門の脇を固めている場合のいずれかであった。13世紀になると、城門とキープの機能を兼ね備えた楼門(ゲートハウス)が造られるようになった。この楼門は双子の円筒型の塔の間に四角形の居住用建物が追加されたものが多かった。城門を閉じるために、跳ね橋(Drawbridge)、落とし格子(Portcullis)及び門扉が備えられるのが一般的であった。さらに防御機能を強化するため、門の外側に要塞化した小堡(バービカン)が設けられることもあった。", "title": "ヨーロッパ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "古代オリエントでは、上記のヨーロッパの項目にあるように城壁で囲まれた都市国家が成立した。その後、ローマ帝国によって併合されると、やはり上記通り恒久的な要塞ではなくローマ街道による機動的な防衛により大規模な城塞は、建設されずにいた。しかしやがてイスラム勢力が台頭し、ローマ帝国の勢力が衰えるとヨーロッパとは異なる進歩を歩み始めた。", "title": "イスラム圏" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "城は、軍事技術だけでなく現地の為政者と結びつく関係上、文化的な差異から逃れることは、出来なかった。イスラム教圏は、様々な地域に跨るため城の建築は、現地の文化を取り込んだり、逆に現地に影響を与えた。アルハンブラ宮殿、トルヒーリョ城、アンベール城、ラール・キラー、トプカプ宮殿、ルメリ・ヒサールなど広範な地域で著名な城が建設された。美術面での違いを除けば中国やヨーロッパの城と同じく火砲に備え、塔や城壁を持つ点で全体的には、似た部分も多い。", "title": "イスラム圏" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "中国における城とは、本来城壁のことを意味し、都市や村など居住地全周を囲む防御施設を指すことが多い。そのため中国語では都市のことを城市といい、欧州や日本に見られるような城は城堡という。ちなみに城壁のことは城牆(じょうしょう)という。", "title": "中国" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "大規模なものは、宮殿など支配者の住む場所を囲む内城と、都市全域を囲む外城に分かれており、内城は城、外城は郭と呼ばれ、併せて城郭といわれる。辺境では北方騎馬民族の侵入への備えとして万里の長城を発達させた。また、城とは呼ばれないが長大堅固な城壁を持つ要塞として、交通の要所におく「関(かん)」が重要である。", "title": "中国" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "城壁は当初、版築による土壁であり、唐長安城の城壁も全長27kmに及ぶ長大な土牆(どしょう)であった。時代が下るとさらに城壁の強度が求められ、現在中国各地に遺構として残る明代以後の城壁はその多くが堅牢な煉瓦造りである。城壁の上部は城兵が往来可能な通路となっており、城壁に取り付いた敵軍を射撃するために「堞」(女牆)と呼ばれるスリットの入った土塀が備えられていた。城壁は一定間隔ごとに「馬面」という突出部を持ち、これが堡塁の役目を果たして敵を側面から攻撃するのを助けた。", "title": "中国" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "城壁には市街に出入りするための城門が設けられていた。石造りの土台をくり抜き、トンネル状として(これを「闕(けつ)」という)その上部に木造重層の楼閣が建てられ、その上には門の名称を記した「扁額」が掲げられた。城門はその多くが二重構造となっており、城門の手前に敵を食い止める目的で半円形の小郭が設けられていた。これは「甕城(おうじょう)」と呼ばれ、洋の東西を問わず普遍的に見られる防御構造であり、日本城郭では「枡形虎口」がこれに相当する。外敵が城内に攻め入るためにはまず、この甕城で足止めされることになるため、城兵は城壁や箭楼(甕城に設けられた櫓)から銃撃をしかけることができた。", "title": "中国" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "中華人民共和国時代に入って、市域拡張のため、また近代化の妨げになるという批判もあり、ほとんどの都市では城壁は取り壊されたが、西安や平遥のように中華人民共和国国家歴史文化名城という文化遺産保護制度で保護されているものも多い。", "title": "中国" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "朝鮮半島の城は、朝鮮固有の形式である山城の他に中国の影響を強く受けた都市城壁を持つ邑城(ウプソン)の2形式があるが時代が下るとともに邑城へと移行した。しかし山がちな地勢上、完全な邑城は少なく山城との折衷形式のものが多く見られる。文禄・慶長の役で日本軍の攻囲に耐えた延安城、また一旦は日本軍の攻撃を退けた晋州城はその折衷形式のものである。現在の韓国水原市にある水原城は、李氏朝鮮の独自性を狙った造りだともいわれる。", "title": "朝鮮半島" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "井上秀雄の調査によると、韓国の城郭址は、原始時代から現代に至るまでで総数1806城あり、文献と遺跡とが一致するのは381城であり、全体の21パーセントとする。", "title": "朝鮮半島" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "また文禄・慶長の役で南岸域を中心に日本軍が造った日本式の城も多く存在し、それらは「倭城」(わじょう)と呼ばれている。日本式の総石垣造りで、日本国内の城と同様に櫓や城門、塀を建て並べ、天守を上げた城もあった。", "title": "朝鮮半島" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "現存する城は、戦闘時や城主の居住に供されるだけでなく、権勢を誇示するために意匠を凝らして建てたものも多く残るため、地方の観光資源になっているものが多い。フランスにおけるロワールの古城めぐり、ドイツにおけるロマンティック街道は城が観光資源となっている例である。城は史跡や文化遺産でもあるため、見学者の立ち入りをどこまで認めるか、再建・修復時に歴史上存在した状態と観光面での利便性をどう両立するかが常に課題となる。熱海城のように、一度も存在したことがない城郭が現代になって新築された例もある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "財団法人日本城郭協会が、昭和49年度(1974年度)の事業として4月6日を「城の日」と定めた。平成4年(1992年)に全国的な普及キャンペーンを行い、現在では各地の城でも天守の無料開放などの行事を行うことが多くなっている。この日は、多くの城で桜が咲く頃でもある。一般社団法人日本記念日評議会に平成25年(2013年)公式認定されている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "姫路市は4月6日を「しろの日」と定めている。1990年から姫路城を中心としたイベント(姫路城でのイベント)を行い、通常は公開されていない櫓の内部の公開などをしている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "日本城郭協会は2006年に「日本100名城」を、2010年にヨーロッパ100名城、2017年に「続日本100名城」を選定した。地元住民や観光客にとっての人気度に加えて、歴史的な重要性、復元における正確性、保存状態などを基準としている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ウクライナでは、2011年に専門家たちが選んだ名城・宮殿から7か所を投票で決めた七名城(ウクライナ語:Сім чудесних замків та палаців України,「 ウクライナの七大宮殿・城」の意)を決定した。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ポルトガルの七名所(英語版)のギマランイシュ城、オビドス城などもある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "イングランドの文化遺産保護団体イングリッシュ・ヘリテッジは、Facebookの投票から、 TOP 10 Castlesを発表した。ドーヴァー城、KENILWORTH CASTLE、ティンタジェル城、ボルゾーヴァー城、ポーチェスター城、ワークワース城、ダンスタンバラ城、カリスブルック城、ミドルハム城、ビーストン城の10名城が挙げられた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "イギリスの歴史・自然保護団体ナショナル・トラストもTop 10 Castlesを公表している。ボディアム城、Castle Drogo、チャーク城、コーフ城、Dunster Castle、Lindisfarne Castle、Penrhyn Castle、Sizergh Castle、Tattershall Castle、Wray Castleが挙げられている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "中世ヨーロッパの築城を研究するために、1997年からフランスのブルゴーニュ地方ゲドロンで、当時の技術を用いて、ゲドロン城(フランス語版)という新しい城の築城を行う試みが行われた。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "城跡の状態でも観光施設となり、現存している場合は博物館、政府施設、兵舎、刑務所、ホテルなどへの再利用も見られる。刑務所としての利用はバスティーユ牢獄など、ホテルとしては大洲城やオックスフォード城などが活用されている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "ベリー公のいとも豪華なる時祷書のように多くの芸術作品のモデルともなった。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "砂浜に行けば城が作られる場合もあるが、フィリピンのボラカイ島やイタリアのエラクレーアなどで環境保護などの理由で砂の城を作ることを禁止し、作られた場合は罰金を取るとしている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "城が撮影地になることもある。", "title": "文化" } ]
城は、敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物・設備。
{{出典の明記|date=2019年8月}} {{Redirect|出城|大阪市の地名|出城 (大阪市)}} {{Otheruses||その他|城 (曖昧さ回避)}} [[ファイル:Hameen linna ja bastioni.jpg|thumb|250px|[[フィンランド]]、[[ハメーンリンナ]]の[[ハメ城]]。]] {{読み仮名|'''城'''|しろ}}は、敵を防ぐために土や石で堅固に築いた[[建物]]・設備。 == 概説 == 主に近代以前の軍事的な防衛施設を呼ぶ。[[戦闘]]拠点であるとともに[[食品|食糧]]や[[武器]]や資金の備蓄場所でもある。主要な城は、為政者や指揮官の住居であり、[[政治]]や[[情報]]の拠点であった。純防衛用として山地に建築されることも多いが、[[街道]]や[[川|河川]]などの交通の要衝を抑え利用することも多い。 城の一部、施設を館や塔、[[城壁]]、[[堀]]、城門と呼ぶのに対し、全体を指し示す場合には、'''[[城郭]]'''ともいう。敵との境界線に近い前線の要塞を「出城」と言い、主戦場を指す語にもなる。 [[ヨーロッパ]]、中国などの大陸では、都市を囲む[[城壁]]と戦闘拠点の[[城砦]](城塞、城館)とを区別する<ref group="注釈">[[城壁]]と[[城砦]]は、[[ドイツ語]]では「{{lang|de|Stadtmauer}}」と「{{lang|de|Burg}}」、[[英語]]では「{{lang|en|city wall}}」と「{{lang|en|castle}}」、[[フランス語]]では「{{lang|fr|muraille}}」と「{{lang|fr|château}}」として区別する。</ref>。「城」という漢字自身、本来は、前者の[[城壁都市]]を意味する。しかし日本においては城壁で囲まれた城壁都市が普及しなかったこともあり、主に後者の[[城砦]]の意味で使用される。本稿でもこれを説明する。 城には、一般的に次の機能がある。ただし、規模によっては、どちらか一方を欠く城塞も存在した。 ;防衛機能 :不意の攻撃や戦力に劣る場合、籠城する。この時、備蓄された装備や城壁などの施設が味方の居住性を高め、逆に敵の移動や視界、攻撃を妨害する効果が守備側に有利に働く。[[攻撃三倍の法則|攻者三倍の法則]]などの経験則が唱えられたが守備側が籠城だけで敵を撃退することは難しく、基本的に援軍を待つための時間稼ぎである。また敵の侵入に備え、国境の監視などの役割も果たした。 :日本の[[山城]]などは、こちらの機能はあるが居住性は低いとされる。 ;居住性 :[[城館]]は、多くの場合、領地を支配する支配者と結びついた。領主の生活の場であり、[[政庁]]となって領地支配の象徴としたり、敵地への勢力拡大の前線基地とする。延いては、領主の別荘として作られた城も存在する。都市を囲む城壁という意味では、領民の住居になった。このため生活に必要な施設が城内に全て揃えられた。しかしこの場合、農耕地は、城壁の外にある場合が多い。 :フランスの[[シャンボール城]]などは、居住性のみで防衛機能はない。 城は、軍事拠点を指す語だが、同様の目的で建設された近代以降の施設は、主に「'''基地'''」などと呼ばれる。この線引きは、明確ではなく習慣的である。 == 日本 == {{main|日本の城}} [[ファイル:屋嶋城 城門遺構 421.jpg|right|thumb|250px|[[古代山城]]の石垣([[屋島城]] - 香川県高松市)]] 広義における城([[弥生時代]]の[[環濠集落]]を含めた場合)の総数は約3万とされる<ref>[[千田嘉博]]『城郭考古学の冒険』[[幻冬舎新書]]、2021年。p.3.</ref>。 日本の城は、古代から江戸末期までに平地や丘陵、山を利用して築かれた。しかし、日本における城は古代と中世以降で使われている土木、建築技術や用途が多少異なる。現在までに、城(しろ)といわれているものは中世から[[明治時代]]までに築かれたもので、[[武家]]や城主などが日本国内の敵対する武力集団から守るための防衛施設である。 古代、日本では「城」を“き”と読み、「柵」の字も用いた。「柵」は主に[[ヤマト王権]]が東北地方に設置した政治行政施設を併設する防御施設([[城柵]])を意味する。「城」は水城や大野城のような西日本に点在した古代山城や防壁の類いを意味する。これらは663年の[[白村江の戦い]]に敗れたヤマト王権が敵対した[[唐]]や[[新羅]]からの侵攻を想定して、滅亡した[[百済]]から日本に亡命した人々の指導によって築かれた防御施設で、[[版築]][[土塁]]の外郭城壁をもつ特徴があったが、後の中世以降の築城技術へとは継承されることはなかった<ref>香川元太郎『歴群[図解]マスター 城』学習研究社、2012年。</ref>。{{See also|城 (き)|城柵}} 中世、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]では小高い丘陵や山などに郭(曲輪)と言う平地をいくつか設け、その郭を柵や土塁で囲ったり、切岸と言って、斜面を急に加工して下の郭から上がりにくくしたり、堀切や竪堀という尾根を分けるように切った堀などで、他の郭からの侵入を困難にしたり、区分けをした。郭の入り口を小口(虎口)といい、その小口に門を設けたりもした(この時代は矢倉門や冠木門が主流)。大抵は、主郭(一の丸、本丸)、二の郭(二の丸)、三の郭(三の丸)という風に郭を名付ける。 [[画像:130608 Matsumoto Castle Matsumoto Nagano pref Japan02bs4.jpg|right|thumb|250px|近世城郭の建築と水堀([[松本城]] - 長野県松本市)]] 戦国時代中ごろまで[[弓矢]]や[[槍]]が中心だった古来の戦い方に、新たに[[ポルトガル]]から伝わった[[火縄銃]]が加わったことで、塀や建物に防弾を考慮する必要が生じた。[[織田氏]]や[[豊臣氏]]の台頭する時代から[[徳川氏]]が政権を樹立した江戸時代までの城は、こうした銃器に対する策として、内部に石や瓦礫を入れた分厚い[[土壁]](太鼓壁)やおもに寺院に使われていた屋根[[瓦]]、銃弾の届きにくい幅の堀、そして[[石垣]]が多用されることとなる。(土塁の方が銃弾や砲弾の衝撃を吸収しやすいが、傾斜を急にしにくかったり、威圧感が薄かったり、崩壊しやすく、城壁や櫓などを作るには不向きであるため多用されなかった。五稜郭はこの辺を考慮して土塁の城になったと考えられる。)城地の選択も、主力であった山や山岳からより利便性の高い平地や平地に近い丘陵にも多く築かれるようになった。山城の麓に館を営んで生活や政務を行っていた城主や領主は、それまで有事のときにだけ篭っていた城内に生活の場所を移すようになった。この城郭の利便性の追求と建築の恒久化は[[寺院]]建築や[[住宅]]建築の特徴を多く取り入れ、日本城郭特有の[[天守]]のような重層な櫓の要素をもった楼閣建築を発生させた。このように、城の外観には戦うためだけのものというだけではなく、内外に主の権威をしめす目的も含まれるようになり、現在まで日本で見られるような独特な形式の城となった。 === 奄美・沖縄地方 === {{main|グスク}} [[File:Naha Shuri Castle09s5s3200.jpg|right|thumb|250px|グスクの石垣と建築群(首里城。沖縄県那覇市)]] 鹿児島県の奄美諸島および沖縄地方の城は「グスク」または「スク」と呼ばれるものである。12世紀、沖縄地方に点在していた領主の「按司」(あじ)の居城で、城内に「ウタキ」(御嶽)や「ウガンジュ」(拝所)と呼ばれる沖縄地方特有の信仰施設を持つ。元々聖地のような土地を取り込んで築かれている。 三山時代に多くのグスクが築かれ、現在までに見られる多くのグスクはこのころのものである。土木や建築の技術、特に石垣は日本内地の石垣とは異なり、[[琉球石灰岩]]を加工した石積みの石垣であって外観も曲線をなして角さえも丸みを帯びている。また、中国や朝鮮半島で「馬面」(マーミェン)や「雉」(チ)と呼ばれる横矢がかりの出張りや、城門においては[[牌楼]]や石造のアーチ門(拱門)が見られるなど、日本内地の城郭建築と異にする箇所が見られる<ref>西ヶ谷恭弘編著『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京堂出版 2008年</ref>。建築物では日本城郭の二重櫓や天守のような高層建築はなく、ぎっしりと建てられた舎殿のほか櫓としては門上の櫓のみである。 == ヨーロッパ == === 歴史 === 城塞の技術は、15世紀 - 16世紀の[[火薬]]、[[大砲]]、[[銃]]の活躍によって大きく変化した。有史以来の防護設備、砦、城、[[要塞]]の基本は壁と塔であった。壁により敵の侵入を防ぎながら、塔から高さを生かした攻撃を行うもので、重力を利用すれば、[[弓矢]]の威力は増し、単なる石や丸太も[[武器]]として利用することができた。攻撃側は、壁を壊すための[[攻城戦|器具]]を工夫したが、いずれも大がかりで時間のかかるもので、守備側の優位は堅かった。 しかし、大砲、銃が使われ出すと、火薬を使った銃弾の威力は高さの優位を減少させ、大砲により高いが比較的薄い壁は容易に打ち壊されるようになった。このため要塞と城の機能は分離されるようになり、要塞は高さより、厚さを重視するものになり、永久要塞としては星型(稜堡式)要塞が、野戦要塞としては[[塹壕]]が主流となった。一方、城は防衛機能より居住性や壮大さや豪華さを重視した、優雅で窓の多いものが作られるようになる。フランス語の'''シャトー'''(château、複数形châteaux)は日本語で城と訳されているが、[[荘園]]主によるものは城郭というよりは[[イギリス]]・[[アイルランド]]における[[マナー・ハウス]]に相当する。 ====古代==== [[File:Hadrian's Wall west of Housesteads 3.jpg|thumb|right|250px|[[リメス]]の最北端[[ハドリアヌスの長城]]]] [[File:Celio - le mura tra porta san Sebastiano e porta Ardeatina 1974.JPG|thumb|right|250px|帝都ローマの[[アウレリアヌス城壁]]]] [[中近東]]を含めた地域では文明が興り都市が形成されるとその周囲に[[城壁]](囲壁)を巡らしていたが、これは街の防護と戦時の拠点とするためだった。古代ギリシアでは、[[アクロポリス]]が作られ、その影響を受けたローマ人も戦時は、丘に立て籠もった。こうした様相は、当時文明の中心であった[[地中海]]周辺ばかりでなく、例えば[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]の『[[ガリア戦記]]』には険阻な地形に築かれた[[ガリア人]]の都市を攻略する様子が度々登場するように広く見られるものである。首都ローマにも都市を守る城壁(囲壁)である[[セルウィウス城壁]]が築かれていた。また仮設であるが[[ローマ軍団]]は、進軍した先で十分な防御能力を備えた陣地を構築しており、これも城の一種と見ることもできる。恒久的な基地としては[[ティベリウス]]の[[プラエトリアニ|親衛隊]]の兵舎が挙げられる。 [[古代ローマ]]の全盛期になると、もはや侵入できる外敵が存在しなくなり、都市機能の拡大に合わせて城壁を拡大していく必要がなくなった。[[ローマ帝国]]の防衛は国境線に築かれた防壁[[リメス]]並びに[[ローマ軍団|軍団]]及び補給物資を迅速に投射できる[[ローマ街道]]等の輸送路の維持によって行われていた。しかしながら[[ローマ帝国]]が衰退する[[4世紀]]頃以降、[[ゲルマン人]]の[[ゲルマン民族の大移動|侵入]]に対抗するため都市に城壁(囲壁)を築いて防衛する必要性が生じた<ref>Claridge, Amanda 1998 ''Rome: An Oxford Archaeological Guide''</ref>。ローマ帝国最盛期には城壁を持たなかった首都ローマも、全周約19km・高さ8m・厚さ3.5mの[[ローマン・コンクリート]]で造られた[[アウレリアヌス城壁]]で防御されることになった。 城壁の素材は地域や時代・建築技術の程度によって様々で、日干しレンガや焼きレンガ・石・木・土など様々である。なお『ガリア戦記』に記されている[[ガリア]]の城壁は木を主体としたものであり、北西ヨーロッパに本格的に石造建築が導入されるのはローマ化以降のことである。ローマ帝国の最盛期には強固な[[ローマン・コンクリート]]で城壁(囲壁)や塔が造られるようになっていた。 このように、古代地中海世界を含めて、[[10世紀]]半ばまでのヨーロッパには厳密に「城」と呼べるものは存在せず<ref name="horikoshi_sirototensyutou">堀越 宏一 「戦争の技術と社会」3.城と天守塔, 〜 15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史 ISBN 978-4-623-06459-5</ref>、主に都市や国を囲んで防御する[[城壁]](囲壁)や[[塔]]が造られていた。 {{clear}} ==== 中世 ==== ===== 10世紀 モット・アンド・ベーリー型の城 ===== [[File:Cléden-Poher 34A motte castrale plan.jpg|thumb|right|200px|[[モット・アンド・ベーリー]]]] [[File:Cittadella aerea.jpg|thumb|right|200px|[[城郭都市]] [[チッタデッラ]]]] [[西ローマ帝国]]の消滅後、古代ローマの建築技術は急速に失われ、土塁並びに木造の塔や柵が再び主流をなす時代が訪れた。10世紀、農業技術革命による生産力の上昇に伴い人口の増大と富の蓄積が始まると、それらを守るための施設を作り維持する社会的余裕も生まれた<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。また[[カロリング朝]][[フランク王国]]が衰退・分裂して中央の支配力が緩みだし、[[ノルマン人]]や[[マジャル人|マジャール人]]の侵入が激しくなると、各地の領主は半ば自立して領地や居舘の防備を強化<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />しはじめた。当初は居館と附属施設の周りに直径50mほど<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />の屏を作り、濠を掘る程度だったが、10世紀の終わり頃から城と呼べる建築物を作るようになった。 多くは木造の簡易なもので、代表的な形態が'''[[モット・アンド・ベーリー]]'''型である。平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして、濠(空濠が多かった)を形成し、その土で小山と丘を盛り上げた。小山は粘土で固めてその頂上に木造または石造の塔(天守)を作った。この丘は『'''モット'''(Motte)』と呼ばれる<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。また、丘の脇または周囲の附属地を木造の外壁で囲んで、貯蔵所や住居などの城の施設を作った。この土地は『'''ベイリー'''(Bailey)』と呼ばれた<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。これは非常に簡単に建築でき、100人の労働者が20日働けば建設できたと考えられている<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。このような城は、東西は現在の[[ポーランド]]から[[イングランド]]や[[フランス]]、南北は[[スカンディナビア半島]]から[[イタリア半島]]の南部までの広範囲に広がっており<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />、特にフランスで多く使われていた。 また、ほとんどの街も城壁を有する[[城郭都市]]となった。古い街の中には、古代ローマ時代の城壁を再建・補強して用いた場合もあった。 {{clear}} ===== 11世紀 - 12世紀 集中式城郭 ===== [[File:Krak des chevaliers - artist rendering.jpg|thumb|right|200px|[[集中式城郭]] [[クラック・デ・シュヴァリエ]]城]] [[File:Aerial Tower of London.jpg|thumb|right|200px|[[集中式城郭]] [[ロンドン塔]]]] 11世紀には、天守や外壁が石造りの城が建築されるようになるが、石造りの城は建造に長期間(数年)かかり費用も高額になるため、王や大貴族による建設が中心であり、地方では木造の城も多く残っていた。石壁には四角い塔が取り付けられ、壁を守る形になった。 12世紀の[[十字軍]]の時代には、中東における[[ビザンティン]]、[[アラブ]]の技術を取り入れ、[[築城 (城)|築城]]技術に革新的変化がみられた。'''[[集中式城郭]]'''と呼ばれる城は、モットの頂上に置かれた石造りの直方体の天守塔『'''キープ'''(Keep)』が、同心円状に配置された二重またはそれ以上の城壁で守られていた。内側に行く程、壁を高くして、外壁を破られても内側の防御が有利になるよう工夫されている場合もあった。 石造りの城を攻撃するためには、地下道を掘って城壁を崩したり、攻城塔や[[破城槌]]を使う従前の方法だけでなく、[[12世紀]]後半には十字軍が中東から学んだ[[カタパルト (投石機)]]が使われるようになる<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。投石機は50kgの石を200m余り飛ばすことが出来るものもあり、[[14世紀]]末に[[大砲]]にその役が取って代わられるまで城攻めの中心的兵器であった<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。この投石機より飛来する石弾の衝撃を逸し吸収するため、直方体の塔は多角形を経て円筒形になり、また壁の厚みも増していった<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。 代表的なものに[[クラク・デ・シュバリエ]]城、[[ガイヤール城]]がある。 {{clear}} ===== 13世紀 カーテンウォール式城郭 ===== [[File:Beaumaris aerial.jpg|thumb|right|200px|カーテンウォール式城郭 [[ビューマリス城]]]] [[カタパルト (投石機)]]と並んで[[弓矢]]による攻撃技術も発展したが、城に立て籠もった防御側の抵抗手段は塔の上から石や熱した油を落とす程度<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />のものであった。12世紀後半になり、塔や城壁に矢狭間を設けて[[クロスボウ]]を用いて反撃を行う<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />ようになった。城壁には壁面から突出する半円形の塔(側防塔)を配し、そこに矢狭間を設けることで城壁に取り付く敵兵に左右から射掛けることが可能となった<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。こうして城の軍事的機能の中心は天守塔(キープ)から側防塔を配した城壁に移行していった。ついには、城とは強固な城門([[ゲートハウス]])と[[側防塔]]を配した城壁そのものとなり、城壁に内接する形で居住スペースなどの建物が配置された<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。この様式の城(城壁)のことを'''[[カーテンウォール (城壁)|カーテンウォール]]式城郭'''と呼ぶ。 ここに至り天守塔(キープ)の軍事的意味は消滅し、強固な城門であるゲートハウスがその役目を担うことになった。だが、城主たちは天守塔の持つ支配と権力の象徴性を重視し天守塔を建てることに固執した場合もあった<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。 {{clear}} ==== 近世 ==== [[File:Fortbourtange.jpg|thumb|right|200px|[[星形要塞]] ブルタング要塞]] ===== 14世紀 - 15世紀 要塞 ===== [[File:Castle Neuschwanstein.jpg|thumb|left|200px|[[ノイシュヴァンシュタイン城]]]] [[File:Savonlinna heinäkuu 2002 IMG 1635.JPG|thumb|right|200px|14世紀に建てられた[[フィンランド]]の[[サヴォンリンナ]]にある{{ill|オラヴィ城|en|Olavinlinna}}]] [[東ローマ帝国|ビザンツ帝国]]では[[ギリシア火薬|ギリシアの火]]と呼ばれる火炎放射器が使われていたが、これが西ヨーロッパに広まることはなく、14世紀頃に中国から伝わった[[黒色火薬]]の製造技術が[[大砲]]の製造を可能にした。当初は[[鍛鉄]]の棒を円筒形に並べた固定したものや、青銅の[[鋳物]]を用いた「大型の大砲」が造られ<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />、15世紀中頃からは[[高炉]]技術の普及で[[鋳鉄]]を用いた「中型・小型の大砲」が大量生産されるようになる<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。15世紀の砲弾には[[炸薬]]や[[信管]]は無かったが、初速が大きく水平に近い軌道で飛ぶ砲弾の破壊力は大きかった。高い建造物は大砲の標的となったため城壁は高さよりも厚さを重視するようになり、さらに地下に掘り下げて建設され地上からはその姿を見いだせないような'''[[要塞]]'''型の城となっていく<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。この形の城は最終的に[[星型要塞]]となった。 これに対して、王侯貴族の住居は国境から遥かに離れた安全な地に防衛機能より居住性や壮大さや豪華さを重視した、優雅で窓の多い城や邸宅が建てられた。また、地方の中小貴族層は住居と所領経営の拠点である小型の邸宅に住むようになった<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。現在のヨーロッパの城のイメージは、近世に建築されたこれらの軍事機能を持たない城や邸宅によるものである。 {{clear}} === 構造 === ==== モット ==== [[File:Clough Castle Motte and Bailey.jpg|thumb|right|200px|[[:en:Clough Castle|クラフ城]](左側の丘がモット、右側がベイリー)]] [[File:Windsor Castle from the Air wideangle.jpg|thumb|right|200px|[[ウィンザー城]](中央のモット(キープ)と、左右のベイリー)]] 中世において、城を構築する平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして濠を形成し、その土で盛り上げた城の中心となるために造った小高い丘のことをモット(Motte)という。または自然の地形を利用して、既存の小さな丘を用いることもあった。この丘の上には当初は監視所が、後に塔が建てられて城を防衛する上で戦略上重要な場所であった<ref name="Malcolm Hislop">マルコム・ヒスロップ Dr. Malcolm Hislop 著 『歴史的古城を読み解く』(桑平幸子訳) ISBN 978-4-88282-912-6</ref>。一つの城には一つのモットが標準であるが、[[:en:Lincoln Castle|リンカン城]]のように二つのモットが造られた城もある。 ==== ベイリー ==== ベイリー(Bailey)とは、モットと共に濠や柵、城壁で囲まれた城内の区域。住居施設や倉庫、防御施設<ref name="Malcolm Hislop" />のほか武器を整備する工房や城内教会(王家のチャペル)などが建てられていることもあった。一つの城に、二つ以上のベイリーが造られていることも多く、防御区画や異なる城内機能の区分けとして用いられていた<ref name="Malcolm Hislop" />。'''中庭'''(Courtyards)と表記されることもある。 ==== キープ ==== [[キープ (城)|キープ]](Keep)とは中世ヨーロッパの城で中心となる建造物。モットの頂上に建てられ、当初は木造の塔が、後に石造りの塔が造られた。日本語で'''主塔'''、'''大塔'''、'''天守塔'''、またはフランス語読みの'''ドンジョン'''({{lang-fr|Donjon}})と表記されることもある。初期の[[モット・アンド・ベーリー]]式の城郭であっても、モットの頂上は少なくとも木造の矢来で囲まれており、時には塔や他の構築物で囲まれていることもあった。これらの木造の構造物が11世紀から12世紀頃にはキープと呼ばれる石造りの建築物となった<ref name="Malcolm Hislop" />。多角形の石造りの外壁で囲った包囲建築物である'''シェル・キープ'''([[:en:Shell keep|shell keep]])が初期に多く見られ、後に2〜3階建ての低い建物'''ホール・キープ'''(hall keep)、さらには3階以上の高い塔'''タワー・キープ'''(tower keep)と発展した<ref name="Malcolm Hislop" />。キープの平面形状は、初期は四角形であったが、11世紀後期頃からは円形(円筒形)やそれに小塔を付けたもの、12世紀中頃には四つ葉型、12世紀後期以降は多角形のものが建てられるようになった<ref name="Malcolm Hislop" />。また15世紀頃以降、'''タワー・ハウス'''([[:en:Tower house|Tower house]])と呼ばれる居住空間をも包含した小型の城のような形態<ref name="Malcolm Hislop" />も現れた。 <gallery> File:Donjon chateau a motte saint sylvain.jpg|[[:en:Saint-Sylvain-d'Anjou|Saint-Sylvain-d'Anjou]]城(木造キープ) File:Cliffords Tower York UK.JPG|[[:en:York Castle|ヨーク城]](シェル・キープ) File:ConisbroughCastle2.jpg|[[:en:Conisbrough Castle|コニスボロー城]](円筒形に小塔を付加したタワー・キープ) File:Etampestour1.jpg|[[:en:Château d'Étampes|エタンプ城]](四つ葉型のタワー・キープ) File:Warkworth Castle 2.jpg|[[:en:Warkworth Castle|ワークワース城]](大型のタワー・キープ) File:Szczecin zamek dziedziniec menniczy.jpg|[[:en:Ducal Castle, Szczecin|シュチェチン]]の城 (小さな中庭と塔), ポーランド </gallery> ==== 城壁 ==== [[城壁]](Enceinte)とは、城(モット及びベイリー)を包囲して防御機能を果たす'''幕壁([[カーテンウォール (城壁)|カーテンウォール]])'''及び'''城壁塔'''・'''[[堡塁]]'''などの一連の構築物のこと。初期の単純な形の城壁は、城壁上部の歩廊に[[狭間]](Crenellation)付き[[胸壁]](Battlement)を備えた壁で、しばしば狭間窓(射眼)が設けられていることもあった<ref name="Malcolm Hislop" />。[[攻城戦|攻城]]技術の発達に伴い、城壁の構築技術は13世紀頃にかけて頂点に達した。城壁には壁面から突出する半円形の塔([[側防塔]])を配し、そこに矢狭間を設けることで城壁に取り付く敵兵に左右から射掛けることが可能となった<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。幕壁部分の下部に傾斜面を設けることで、掘削による壁の破壊を難しくし、[[攻城塔]]が取り付きにくくすると共に、この傾斜面が幕壁を分厚くすることで砲撃に対するより高い抵抗力を持つようになった<ref name="Malcolm Hislop" />。幕壁(カーテンウォール)には一定間隔で塔(側防塔など)が造られ、塔の戦術上の重要性が認識されてくるとその間隔は短くなっていった。この塔は防衛目的のために造られた側防塔(Defensive Tower)のほか、戦術上有利な地点に設けられた[[タレット (建築)|タレット]](Turret)や[[張り出し櫓]](Bartizan)、主に居住空間を提供した居住塔(Lodging Tower)などがあった<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。 一部の城では、城壁や塔の頂上部に屋根状の木造構造物を架けたものもあり、これを[[櫓 (ヨーロッパの城郭)|櫓]](Hoardings)という。 城(城壁)には少なくとも一箇所の[[城門]](Gateway)があり、一基の塔内部に門が組み込まれている場合([[:en:Gate tower|Gate tower]])と、1〜2基の塔が門の脇を固めている場合のいずれかであった。13世紀になると、城門とキープの機能を兼ね備えた'''楼門([[ゲートハウス]])'''が造られるようになった。この楼門は双子の円筒型の塔の間に四角形の居住用建物が追加されたものが多かった<ref name="horikoshi_sirototensyutou" />。城門を閉じるために、[[跳ね橋]](Drawbridge)、[[落とし格子]](Portcullis)及び門扉が備えられるのが一般的であった。さらに防御機能を強化するため、門の外側に要塞化した小堡([[甕城|バービカン]])が設けられることもあった。 <gallery> File:Creneau.romain.png|狭間(凹部)付き胸壁 File:Arrow slat corfe castle.jpg|狭間窓(射眼) File:Krak des Chevaliers 13.jpg|側防塔と幕壁の傾斜面 File:Turrets at Willersley Castle - geograph.org.uk - 597604.jpg|小塔 Turrets File:Giarita.jpg|張り出し櫓 Bartizan File:Carcassonne Graben zwischen Chateau und Cité.JPG|塔や城壁の上部に造られた櫓 File:SDJ Harlech Castle Gatehouse.jpg|楼門(ゲートハウス) File:Nuremberg White Tower f w.jpg|小堡(バービカン) </gallery> == イスラム圏 == 古代オリエントでは、上記のヨーロッパの項目にあるように城壁で囲まれた都市国家が成立した。その後、ローマ帝国によって併合されると、やはり上記通り恒久的な要塞ではなくローマ街道による機動的な防衛により大規模な城塞は、建設されずにいた。しかしやがてイスラム勢力が台頭し、ローマ帝国の勢力が衰えるとヨーロッパとは異なる進歩を歩み始めた。 城は、軍事技術だけでなく現地の為政者と結びつく関係上、文化的な差異から逃れることは、出来なかった。イスラム教圏は、様々な地域に跨るため城の建築は、現地の文化を取り込んだり、逆に現地に影響を与えた。[[アルハンブラ宮殿]]、[[トルヒーリョ|トルヒーリョ城]]、[[アンベール城]]、[[赤い城|ラール・キラー]]、[[トプカプ宮殿]]、[[ルメリ・ヒサール]]など広範な地域で著名な城が建設された。美術面での違いを除けば中国やヨーロッパの城と同じく火砲に備え、塔や城壁を持つ点で全体的には、似た部分も多い。 * {{ill2|サーサーン朝の城|fa|فهرست قلعه‌های ساسانی}} * {{ill2|エジプトの城の一覧|en|List of Egyptian castles, forts, fortifications and city walls}} == 中国 == [[ファイル:Forbidden City1.JPG|thumb|right|250px|明清代皇帝の居城、[[紫禁城]]]] 中国における城とは、本来城壁のことを意味し、都市や村など居住地全周を囲む防御施設を指すことが多い。そのため中国語では都市のことを城市といい、欧州や日本に見られるような城は城堡という。ちなみに城壁のことは城牆(じょうしょう)という。 大規模なものは、[[宮殿]]など支配者の住む場所を囲む内城と、都市全域を囲む外城に分かれており、内城は城、外城は郭と呼ばれ、併せて'''城郭'''といわれる。辺境では北方騎馬民族の侵入への備えとして[[万里の長城]]を発達させた。また、城とは呼ばれないが長大堅固な城壁を持つ要塞として、交通の要所におく「関(かん)」が重要である。 === 構造 === 城壁は当初、[[版築]]による土壁であり、[[唐]][[長安城]]の城壁も全長27kmに及ぶ長大な土牆(どしょう)であった。時代が下るとさらに城壁の強度が求められ、現在中国各地に遺構として残る[[明|明代]]以後の城壁はその多くが堅牢な[[煉瓦]]造りである。城壁の上部は城兵が往来可能な通路となっており、城壁に取り付いた敵軍を射撃するために「[[銃眼|堞]]」(女牆)と呼ばれるスリットの入った土塀が備えられていた。城壁は一定間隔ごとに「馬面」という突出部を持ち、これが堡塁の役目を果たして敵を側面から攻撃するのを助けた<ref>{{cite book | 和書 | title = 戦略戦術兵器事典 | volume = 中国古代編 | publisher = 学習研究社 | year = 1994 | id = }}</ref>。 城壁には市街に出入りするための[[城門]]が設けられていた。石造りの土台をくり抜き、トンネル状として(これを「闕(けつ)」という)その上部に木造重層の[[楼閣]]が建てられ、その上には門の名称を記した「[[扁額]]」が掲げられた。城門はその多くが二重構造となっており、城門の手前に敵を食い止める目的で半円形の小郭が設けられていた。これは「[[甕城]](おうじょう)」と呼ばれ、洋の東西を問わず普遍的に見られる防御構造であり、日本城郭では「[[虎口|枡形虎口]]」がこれに相当する。外敵が城内に攻め入るためにはまず、この甕城で足止めされることになるため、城兵は城壁や箭楼(甕城に設けられた櫓)から銃撃をしかけることができた。 [[中華人民共和国]]時代に入って、市域拡張のため、また近代化の妨げになるという批判もあり、ほとんどの都市では城壁は取り壊されたが、[[西安]]や[[平遥]]のように[[中華人民共和国国家歴史文化名城]]という[[文化遺産保護制度]]で保護されているものも多い。 <gallery> Image:XiAn_CityWall_DiLou.jpg|西安城に残る城壁 Image:XiAn CityWall SouthGate3.jpg|西安城南大門の甕城 Image:Deshengmen.JPG|[[北京城]]徳勝門甕城の箭楼。多数開いた窓は[[銃眼]]。 Image:皇城1.jpg|北京城見取図。四周を堀と城壁が囲む。 </gallery> == 朝鮮半島 == [[ファイル:Hwaseong west gate.jpg|right|thumb|250px|李氏朝鮮の城門(華城華西門〈大韓民国京畿道水原市〉)]] [[ファイル:Ulsan waesung attack.jpg|right|thumb|250px|蔚山城(蔚山倭城)(「蔚山籠城図屏風」)]] [[朝鮮半島]]の城は、朝鮮固有の形式である[[山城]]の他に中国の影響を強く受けた都市城壁を持つ[[邑城]](ウプソン)の2形式があるが時代が下るとともに邑城へと移行した。しかし山がちな地勢上、完全な邑城は少なく山城との折衷形式のものが多く見られる。[[文禄・慶長の役]]で日本軍の攻囲に耐えた[[延安城]]、また一旦は日本軍の攻撃を退けた[[晋州城攻防戦|晋州城]]はその折衷形式のものである。現在の[[大韓民国|韓国]][[水原市]]にある[[華城|水原城]]は、李氏朝鮮の独自性を狙った造りだともいわれる。 [[井上秀雄]]の調査によると、韓国の城郭址は、原始時代から現代に至るまでで総数1806城あり、文献と遺跡とが一致するのは381城であり、全体の21[[パーセント]]とする<ref>[[井上秀雄]] 『倭・倭人・倭国 東アジア古代史再検討』 [[人文書院]] 1991年 p.89.</ref>。 === 倭城 === また[[文禄・慶長の役]]で南岸域を中心に日本軍が造った日本式の城も多く存在し、それらは「倭城」(わじょう)と呼ばれている。日本式の総石垣造りで、日本国内の城と同様に櫓や城門、塀を建て並べ、天守を上げた城もあった。 {{main|倭城}} ==文化== === 観光 === 現存する城は、戦闘時や城主の居住に供されるだけでなく、権勢を誇示するために意匠を凝らして建てたものも多く残るため、地方の観光資源になっているものが多い。フランスにおける[[ロワール]]の古城めぐり、ドイツにおける[[ロマンティック街道]]は城が観光資源となっている例である。城は史跡や文化遺産でもあるため、見学者の立ち入りをどこまで認めるか、再建・修復時に歴史上存在した状態と観光面での利便性をどう両立するかが常に課題となる。[[熱海城]]のように、一度も存在したことがない城郭が現代になって新築された例もある。 <gallery> Image:Château de Chenonceau - west view from Catherine de Medici Gardens 1a (4 May 2006).JPG|[[ロワール渓谷]]にある[[シュノンソー城]]([[世界遺産]]) Image:Château de la Clayette vu de la rive du lac.jpg|[[ラ・クレイェット城]] ([[ブルゴーニュ地域圏]]) Image:Atami_Castle_20120915.jpg|[[熱海城]] </gallery> === 城の日 === 財団法人[[日本城郭協会]]が、昭和49年度([[1974年]]度)の事業として[[4月6日]]を「'''[[4月6日#記念日・年中行事|城の日]]'''」と定めた<ref>{{Cite web|和書| url = http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/jigyo.html | title = 日本城郭協会 昭和49年度事業 (平成4年度事業も) | accessdate = 2008年9月6日}}</ref>。[[平成]]4年([[1992年]])に全国的な普及キャンペーンを行い、現在では各地の城でも天守の無料開放などの行事を行うことが多くなっている。この日は、多くの城で[[サクラ|桜]]が咲く頃でもある。一般社団法人日本記念日評議会に[[平成]]25年([[2013年]])公式認定されている。 [[姫路市]]は4月6日を「'''しろの日'''」と定めている<ref group="注釈">市制100周年の記念事業「ふるさと創生事業」の一環として[[1989年]]に行われた企画アイデアの公募によって決まった{{Cite web|和書| url = http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/various.html | title = 姫路城公式ホームページ内雑学姫路城 | accessdate = 2008年9月4日}}。</ref>。[[1990年]]から姫路城を中心としたイベント([[姫路城#イベント|姫路城でのイベント]])を行い、通常は公開されていない櫓の内部の公開などをしている。 === 名城 === 日本城郭協会は2006年に「[[日本100名城]]」を、2010年に[[ヨーロッパ100名城]]、2017年に「[[続日本100名城]]」を選定した。地元住民や観光客にとっての人気度に加えて、歴史的な重要性、復元における正確性、保存状態などを基準としている。 ウクライナでは、2011年に専門家たちが選んだ名城・宮殿から7か所を投票で決めた[[ウクライナの七名所#七名城|七名城]](ウクライナ語:Сім чудесних замків та палаців України,「 ウクライナの七大宮殿・城」の意)を決定した。 {{ill2|ポルトガルの七名所|en|Seven Wonders of Portugal}}の[[ギマランイシュ城]]、[[オビドス城]]などもある。 イングランドの文化遺産保護団体[[イングリッシュ・ヘリテッジ]]は、Facebookの投票から、 TOP 10 Castlesを発表した<ref>{{Cite web |url=https://www.english-heritage.org.uk/visit/familydaysout/top-10-castles/ |title=Top 10 Castles |access-date=2022-08-02 |website=English Heritage}}</ref>。ドーヴァー城、KENILWORTH CASTLE、[[ティンタジェル城]]、ボルゾーヴァー城、ポーチェスター城、ワークワース城、ダンスタンバラ城、カリスブルック城、ミドルハム城、ビーストン城の10名城が挙げられた。 イギリスの歴史・自然保護団体ナショナル・トラストもTop 10 Castlesを公表している<ref>{{Cite web |url=https://www.nationaltrust.org.uk/lists/top-10-castles |title=Top 10 castles |access-date=2022-08-02 |website=National Trust |language=en}}</ref>。ボディアム城、Castle Drogo、[[チャーク城]]、[[コーフ城]]、Dunster Castle、Lindisfarne Castle、Penrhyn Castle、Sizergh Castle、Tattershall Castle、Wray Castleが挙げられている。 === 実験考古学 === 中世ヨーロッパの築城を研究するために、1997年からフランスのブルゴーニュ地方ゲドロンで、当時の技術を用いて、{{ill2|ゲドロン城|fr|Guédelon}}という新しい城の築城を行う試みが行われた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=190523 |title=完全再現!黄金期のフランス古城|BS世界のドキュメンタリー|NHK BS1 |access-date=2022-06-22 |last=日本放送協会 |website=BS世界のドキュメンタリー|NHK BS1 |language=ja}}</ref>。 === 再利用 === 城跡の状態でも観光施設となり、現存している場合は博物館、政府施設、兵舎、刑務所、ホテルなどへの再利用も見られる。刑務所としての利用はバスティーユ牢獄など、ホテルとしては[[大洲城]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47157770Z00C19A7AM1000/ |title=お城に宿泊、殿様気分 愛媛・大洲城や長崎・平戸城 |access-date=2022-06-22 |date=2019-07-11 |website=日本経済新聞 |language=ja}}</ref>や[[オックスフォード城]]などが活用されている。 === 芸術作品 === {{main|Category:城を舞台にした映画作品}} [[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]のように多くの芸術作品のモデルともなった。 砂浜に行けば城が作られる場合もあるが<ref>{{Cite web |url=http://www.theguardian.com/lifeandstyle/2009/aug/01/how-to-build-perfect-sandcastle |title=How to build the perfect sandcastle |access-date=2022-06-22 |last=Staff |first=Guardian |date=2009-07-31 |website=the Guardian |language=en}}</ref>、フィリピンのボラカイ島<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20220622230426/https://www.sankeibiz.jp/macro/news/181107/mcb1811070548009-n1.htm |title=砂城作りも規制…環境保護へ「禁止令の島」に 比・ボラカイ島、観光客受け入れ再開 |access-date=2022-06-22 |date=2018-11-07 |website=SankeiBiz(サンケイビズ) |language=ja-JP}}</ref>やイタリアの[[エラクレーア]]などで環境保護などの理由で砂の城を作ることを禁止し、作られた場合は罰金を取るとしている<ref>{{Cite web |url=http://www.theguardian.com/world/2008/aug/16/italy |title=Italy bans sandcastles and bikinis |access-date=2022-06-22 |date=2008-08-15 |website=the Guardian |language=en}}</ref>。 城が撮影地になることもある。 == 著名人 == === 築城家 === *[[ヒラム]] - エルサレム *[[マスター・ジェイムズ]] - ウェールズ *{{ill2|Cormac MacCarthy|en|Cormac MacCarthy}} - [[ブラーニー城]]などイギリス南部の城を建設 *{{ill2|ロチェスターのガンドルフ|en|Gundulf of Rochester}} *[[セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン]] - フランス。世界遺産[[ヴォーバンの防衛施設群]]が有名 *{{ill2|フランソワ・ニコラ・ブノワ・アクソー|en|François-Nicolas-Benoît Haxo}} - フランス。ナポレオンの指揮下で城塞建築で多くの功績を残しヴォーバンと比較された。 *[[メンノ・フォン・クーホルン]] - オランダ。ホラント州のヴォーバンとも呼ばれる。 *[[エウジェーニオ・ドス・サントス]] - [[ポルトガル]] *[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]] - イタリア。 *[[フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ]] - イタリア。 *戦国期の日本 **[[黒田孝高]] **[[加藤清正]] **[[藤堂高虎]] === 研究者 === <!-- 基準を設定するほうがよいです。少なくとも,世界の城についての著作がある人。 --> * [[太田静六]] * [[千田嘉博]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == {{関連項目過剰|date=2023年4月}} === 一覧 === {{Col-begin}} {{Col-2}} * [[:Category:城画像|城の画像一覧]] * [[:Category:日本の城画像|日本の城の画像一覧]] * [[:Category:ヨーロッパの城|ヨーロッパの城]] {{Col-2}} * [[日本の城一覧]] * [[日本100名城]] * [[ヨーロッパ100名城]] {{Col-end}} === 構造・様式 === {{Col-begin}} {{Col-5}} * [[城郭都市]] * [[城塞]]([[城砦]]) * [[要塞]] * [[倭城]] * [[山城]] * [[平城]] * [[平山城]] * [[海城 (城郭)|海城]] * [[古代山城]] * [[環濠集落]] * [[水城]] * [[長城]] {{Col-5}} * [[天守]] * [[曲輪]] * [[城門]] * [[塀 (城郭)]] * [[櫓 (城郭)]] * [[構 (建築)]] * [[築地塀]] * [[土塀]] * [[櫓門]] * [[城柵]] {{Col-5}} * [[狭間]] * [[石落とし]] * [[出し狭間]] * [[破風]] * [[塀 (城郭)|板塀]] * [[落とし格子]] * [[土塁]] * [[石垣]] * [[虎口]] * [[切岸]] * [[犬走り]] * [[堀]] {{Col-break}} * [[鯱]] * [[穴蔵]] * [[唐造]] * [[神籠石]] * [[防塁]] * [[守護所]] * [[陣屋]] * [[台場]]­ {{Col-break}} * [[タレット (建築)|タレット]] * [[シャトー]] * [[グスク]] * [[チャシ]] {{Col-end}} === その他の関連用語 === * [[攻城戦]] - [[攻城兵器]] * [[廃城]] - [[破城]](戦国期)/[[一国一城令]](近世期)/[[廃城令]](近代期) * [[城絵図]] - [[正保城絵図]] * [[外城制]] - 薩摩藩の制度 * [[教会]] - 旧約聖書 詩篇(口語訳) 第31篇 3節 「まことに、あなたはわたしの岩、わたしの城です。」とあり、主を城に見立てたことから、防衛能力を持つ教会が作られた。 * [[ルーク]] - 城のような形をした[[チェスの駒]]。 * {{ill2|ブロッホ (考古学)|en|Broch}} - スコットランドで鉄器時代に作られた石造の建物。戦略的な場所に建てられていることから防衛拠点として建てられたと考える研究者もいるが、実際の建築目的は不明。 == 外部リンク == {{wikiquote|城}} {{Commons&cat|Castle|Castles}} * [https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000193697 日本の城についてわかりやすく書かれた本を探している。 | レファレンス協同データベース] * [https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000188354 中世ヨーロッパの城の役割について | レファレンス協同データベース] * [https://rnavi.ndl.go.jp/jp/maps/post_1007.html 城絵図・城郭図を調べるには | 調べ方案内 | 国立国会図書館] * [http://www.castles.today/ja/ 世界の城] {{城と要塞}} {{normdaten}} {{DEFAULTSORT:しろ}} [[Category:城|*]] [[Category:軍事史]]
2003-03-28T16:03:36Z
2023-12-16T00:17:04Z
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国際連合安全保障理事会決議687
国際連合安全保障理事会決議687(こくさいれんごうあんぜんほしょうりじかいけつぎ687、英: United Nations Security Council Resolution 687)は、1991年4月3日に国際連合安全保障理事会で採択されたイラク・クウェート情勢に関する決議。略称はUNSCR687。 国連安保理決議687は、湾岸戦争に関する決議で、イラク政府に対し、戦争終結に際し9項目にわたって和平の条件を定めるもの。決議自体は全33項目から構成され、A~Iの全9項からなる。そのうちC項の9項目がイラクに対する和平の条件である。同決議は賛成12:反対1(キューバ):棄権2(エクアドル、イエメン)で採択された。 後のイラク戦争に際しては、フランス、ロシアなどの反対がある中でアメリカ合衆国やイギリスが新たな国連決議なしにイラクに対して武力を行使することができるかどうかが問題になった。これに際し、日本政府はこの決議と国連決議678、1441を挙げて新たな決議なしでも武力行使をすることが可能だと論じた。この見解は3月17日、当時の小泉純一郎首相、川口順子外相(参議院予算委員会)などによって表明された。同様に3月18日、武力行使直前のブッシュ大統領による最後通告の際にも、大統領演説のなかでこの3つの国連決議がとりあげられ、武力行使の根拠があると主張された。
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国際連合安全保障理事会決議687は、1991年4月3日に国際連合安全保障理事会で採択されたイラク・クウェート情勢に関する決議。略称はUNSCR687。
{{Infobox UN resolution |number =687 |organ =SC |year =1991 |date =[[4月3日]] |meeting =2981 |code =S/RES/687 (UNSCR687) |document =http://www.un.org/Depts/unmovic/documents/687.pdf |document-j = |for =12 |abstention =2 |against =1 |subject = </span> * イラクに武器査察受入れを強制 * [[国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会|UNSCOM]]の設置を決定 |result =採択 |image = |caption = }} '''国際連合安全保障理事会決議687'''(こくさいれんごうあんぜんほしょうりじかいけつぎ687、{{Lang-en-short|'''United Nations Security Council Resolution 687'''}})は、[[1991年]][[4月3日]]に[[国際連合安全保障理事会]]で採択された[[イラク]]・[[クウェート]]情勢に関する決議。略称は'''UNSCR687'''。 == 概要 == [[国際連合安全保障理事会決議|国連安保理決議]]687は、[[湾岸戦争]]に関する決議で、イラク政府に対し、戦争終結に際し9項目にわたって和平の条件を定めるもの。決議自体は全33項目から構成され、A~Iの全9項からなる。そのうちC項の9項目がイラクに対する和平の条件である。同決議は賛成12:反対1([[キューバ]]):棄権2([[エクアドル]]、[[イエメン]])で採択された。 == 主な内容 == === イラクへの要求内容(決議抜粋) === * [[1925年]]の「'''窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書'''」([[ジュネーヴ議定書 (1925年)|ジュネーヴ議定書]])における義務を無条件に受け入れ、[[1972年]]の「'''細菌兵器([[生物兵器]])及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約'''」([[生物兵器禁止条約]])に批准することを奨励 * 国際監視の下、(a)すべての生物化学兵器及び(b)150キロの射程を超える全ての[[弾頭ミサイル]]の無条件の廃棄を受け入れることを決定 * 前項の履行のため、[[国際連合事務総長|事務総長]]に対し、本決議採択後15日以内に、前項に列挙されるすべての項目の所在・数量・種類を記載した申告書を提出し、緊急の立入査察を受け入れること。 * 事務総長は、本決議採択後45日以内に、次の一連の行動のための実施計画を策定し理事会に提出すること。 # イラクの生物化学兵器及び[[ミサイル]]開発能力に関する立入査察を行う特別委員会の設置(→[[国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会|UNSCOM]]) # イラクによる特別委員会の武器廃棄・除去・無力化権限の受入れ # 委員会に対する[[国際原子力機関]](IAEA)長官の協力を可能にする手配 * 上記に掲げる項目に該当する武器類の使用・開発・製造・調達の禁止を無条件で受け入れ、事務総長は本決議採択後120日以内に、これらの動向の将来的な監視・検査を行う仕組みについて策定し理事会に提出すること。 * 1968年の[[核拡散防止条約]]における義務の無条件受入れを再確認することを奨励 * [[核兵器]]及び核兵器製造物資の調達及び開発を行わないことに無条件で合意すること * IAEA長官は、イラクの核開発能力について即時に立入査察を実施し、本決議採択後45日以内に、理事会の承諾を得て、上記に列挙される武器類の廃棄・除去・無力化を実施するための実施計画を策定し実施し、拡散防止条約におけるイラクの義務に基づき、将来的に監視・検査を行う仕組みについて策定し、理事会の承諾を得ること。 * 本決議のパラグラフ8~13においてイラクに求める行動は、[[中東]]地域における[[大量破壊兵器]]不在ゾーンを構築するためのものであり、世界規模の化学兵器撤廃を目指すものであることを想起する。 === イラクへの要求内容 (駐日大使館まとめ)=== # あらゆる化学・生物兵器、生物・化学剤のすべての在庫、関連するすべてのサブシステム、構成部分、およびあらゆる研究・開発・支援・製造施設を、国際的監視の下で破壊、除去、または無力化することを無条件に受け入れること。 # 核兵器または核兵器に使用できる材料や研究・開発・製造施設を入手または開発しないことに、無条件で同意すること。 # 射程150kmを超える弾道ミサイルおよび関連する主要部品および修理・生産施設をすべて国際的監視の下で破壊、除去、または無力化することを無条件に受け入れること。 # いかなる大量破壊兵器をも使用、開発、建造、または入手しないこと。 # 核拡散防止条約に基づく義務を改めて確約すること。 # [[大量破壊兵器]]計画の全容を明らかにすること。 # [[テロリズム|テロ]]を実行または支援せず、テロ組織がイラク国内で活動することを許さないこと。 # クウェート人その他の行方不明者および死者に関する情報提供に協力すること。 # 湾岸戦争中にクウェートから没収した財産を返還すること。 == 備考 == 後の[[イラク戦争]]に際しては、[[フランス]]、[[ロシア]]などの反対がある中で[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]が新たな[[国際連合|国連]]決議なしにイラクに対して武力を行使することができるかどうかが問題になった。これに際し、[[日本国政府|日本政府]]はこの決議と[[国際連合安全保障理事会決議678|国連決議678]]、[[国連決議1441|1441]]を挙げて新たな決議なしでも武力行使をすることが可能だと論じた。この見解は[[3月17日]]、当時の[[小泉純一郎]][[内閣総理大臣|首相]]、[[川口順子]][[外務大臣 (日本)|外相]]([[参議院]][[予算委員会]])などによって表明された。同様に[[3月18日]]、武力行使直前の[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]による最後通告の際にも、大統領演説のなかでこの3つの国連決議がとりあげられ、武力行使の根拠があると主張された。 == 関連項目 == *[[国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会]](UNSCOM) *[[国際連合安全保障理事会決議660]] *[[国際連合安全保障理事会決議661]] *[[国際連合安全保障理事会決議662]] *[[国際連合安全保障理事会決議678]] *[[国際連合安全保障理事会決議688]] *[[国際連合安全保障理事会決議1154]] *[[国際連合安全保障理事会決議1441]] *[[飛行禁止空域 (イラク)]] *[[イラク武装解除問題]] *[[イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法]] - [[自衛隊イラク派遣]] == 外部リンク == *[http://www.un.org/Depts/unmovic/documents/687.pdf 決議全文]{{en icon}} - 国連安全保障理事会 *[http://www.un.org/Depts/unscom/Chronology/resolution687.htm 決議の成立経緯を手短にまとめたもの]{{en icon}} - 国連大量破壊兵器廃棄特別委員会 *[http://www.un.org/documents/scres.htm 安全保障理事会決議集]{{en icon}} - 国連安全保障理事会 *[http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20030331d1.html ファクトシート:国連安保理決議に対するサダム・フセインの抵抗] - 駐日米国大使館 {{UNSCR 1991}} {{DEFAULTSORT:こくさいれんこうあんせんほしようりしかいけつき0687}} [[Category:1991年の国際連合安全保障理事会決議|0687]] [[Category:核拡散関連の国際連合安全保障理事会決議|0687]] [[Category:イラク関連の国際連合安全保障理事会決議|0687]] [[Category:クウェート関連の国際連合安全保障理事会決議|0687]] [[Category:1991年のイラク]] [[Category:1991年のクウェート]] [[Category:1991年4月]] [[Category:湾岸戦争]] [[Category:イラクに対する制裁]]
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国際連合決議
国際連合決議(こくさいれんごうけつぎ、United Nations resolution)とは、国際連合の機関によって採択された正式文書のこと。 国際連合のすべての機関が発することができるが、実際にはそのほとんどが、安全保障理事会か総会によって採択されたものである。 国際連合安全保障理事会決議は国際連合憲章第5章による。法的拘束力を持つため国連加盟国は安保理決議に従う義務がある。安保理決議のもとでは武力行使を伴う強制行動がとられることも許されうる。安全保障理事会決議は、15の理事国のうち9か国の賛成により決議されるが、拒否権を有する常任理事国の5大国のうちの1か国でも反対すると決議されない。 国際連合総会決議は国際連合憲章第4章による。これはあくまで「勧告」(憲章第10条、および第13条)にとどまり法的拘束力を持たない。よって国連加盟国には決議に従う義務はない。そのため総会決議には法的な意味がないとされることもあるが、しかし加盟国の法的信念が示されているという意味で法的に意味を持つとされる。 また、総会決議は国家の明示の合意が表明されたものであるため一種の条約であるという見識や、法的信念が表明されただけで慣習法として成立するという見解(インスタント慣習法論)もある。また、法的拘束力はないものの、加盟国の行動に一定の枠をはめたりその指針を示したりする点で「ソフト・ロー」と呼ばれることもある。 国際連合決議の全文は、1974年から95年までの分については、以下のGopherサイトからたどると参照できる。(テキストファイル形式) 1946年から現在までのドキュメントを網羅したアーカイブが以下にある。ただし、スキャニングの質の関係で多少見づらいものもある。(PDF形式)
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国際連合決議とは、国際連合の機関によって採択された正式文書のこと。 国際連合のすべての機関が発することができるが、実際にはそのほとんどが、安全保障理事会か総会によって採択されたものである。
'''国際連合決議'''(こくさいれんごうけつぎ、United Nations resolution)とは、[[国際連合]]の機関によって採択された正式文書のこと。 国際連合のすべての機関が発することができるが、実際にはそのほとんどが、[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]か[[国際連合総会|総会]]によって採択されたものである。 == 安保理決議 == {{main|国際連合安全保障理事会決議}} 国際連合安全保障理事会決議は[[国際連合憲章]]第5章による。法的拘束力を持つため国連加盟国は安保理決議に従う義務がある。安保理決議のもとでは[[軍事力|武力行使]]を伴う強制行動がとられることも許されうる。安全保障理事会決議は、15の理事国のうち9か国の賛成により決議されるが、[[国際連合安全保障理事会における拒否権|拒否権]]を有する[[国際連合安全保障理事会常任理事国|常任理事国]]の5大国のうちの1か国でも反対すると決議されない。 == 総会決議 == {{main|国際連合総会決議}} 国際連合総会決議は国際連合憲章第4章による。これはあくまで「勧告」(憲章第10条、および第13条)にとどまり法的拘束力を持たない。よって国連加盟国には決議に従う義務はない。そのため総会決議には法的な意味がないとされることもあるが、しかし[[国際連合加盟国|加盟国]]の[[法的信念]]が示されているという意味で法的に意味を持つとされる。 また、総会決議は国家の明示の合意が表明されたものであるため一種の[[条約]]であるという見識や、法的信念が表明されただけで[[慣習法]]として成立するという見解(インスタント慣習法論)もある<ref>松井芳郎ほか『国際法』第5版、有斐閣、2007年。pp.31-32。</ref>。また、法的拘束力はないものの、加盟国の行動に一定の枠をはめたりその指針を示したりする点で「ソフト・ロー」と呼ばれることもある<ref>松井芳郎ほか、上掲書。p.32。</ref>。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == *[[国際連合安全保障理事会決議687]] - [[湾岸戦争]]に関する決議 *[[国際連合安全保障理事会決議1284]] - [[イラク武装解除問題]]に関する決議 *[[国際連合安全保障理事会決議1441]] - [[イラク武装解除問題]]に関する決議 *[[アルバニア決議|国際連合総会2758号決議]] - 中国の国連代表権問題に関する決議(いわゆる「アルバニア決議」) *[[オリンピック休戦]] - 各大会で国際連合決議により実施 *[[国際連合安全保障理事会決議2623]] - [[2022年ロシアのウクライナ侵攻]]に関する[[第11回国際連合緊急特別総会]]を開催するための決議 == 外部サイト == {{wikisource|en:UN Security Council Resolution|UN Security Council Resolutions}} 国際連合決議の全文は、1974年から95年までの分については、以下の[[Gopher]]サイトからたどると参照できる。(テキストファイル形式) *gopher://gopher.undp.org/11/undocs/scd/scouncil%09%09%2B 1946年から現在までの[[ドキュメント]]を網羅した[[アーカイブ]]が以下にある。ただし、スキャニングの質の関係で多少見づらいものもある。([[Portable Document Format|PDF]]形式) *[http://www.un.org/documents/scres.htm the Information Technology Section, Department of Public Information, United Nations] {{国際連合}} [[Category:国際連合決議|*]]
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倉庫番
『倉庫番』(そうこばん)は、1982年12月に有限会社シンキングラビットから発売されたコンピュータパズルゲーム。開発者は同社社長の今林宏行。 最初にBASICでプログラミングされたPC-8801版が発売され、以後様々な家庭用ゲーム機などで移植された。海外でもSokobanとして知られるが、名前が変えてあることもある。 また、ユーザーからオリジナル面を募集するコンテスト「究極をつくろうコンテスト」も行われた。 現在はファルコン株式会社が著作権を有している。 忍耐力の必要な難易度と地味なゲーム性から、ゲームライターの中には「(平成末期時点において)アクションやシューティングが辛くなってきたと感じた中高年に向いているゲームかもしれない」と評する向きもある。 1988年にComputer Gaming Worldはレビューで中毒性を持つことを挙げて本作が「純粋でシンプル、とても遊びやすく、思考への挑戦」と賞賛した。ドラゴンのレビューでは5つ星のうち4と1/2の星を獲得した。 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計23点(満40点)、『メガドライブFAN』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、14.00点(満30点)となっている。 ゲーム誌『BEEP!メガドライブ』の「BEメガ・ドッグレース」では5、6、8、6の合計25点(満40点)となっている。レビュアーはPC版とほぼ同じで操作が親切になっているのはありがたく、パズル好きにはお勧めだとした一方で、昔くささは否めない、セールスポイントにあまり魅力を感じない、本作をやりたくてMDを買う人はいるのかと疑問を呈して極論かもしれないがパズルは他機種に任せた方がいいとした者もいた。 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計27点(満40点)、『PC Engine FAN』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、20.61点(満30点)となっている。また、この得点はPCエンジン全ソフトの中で293位(485本中、1993年時点)となっている。 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計25点(満40点)となっている。 ゲーム誌『ファミコン通信』のクロスレビューでは合計25点(満40点)、『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、18.6点(満30点)となっている。
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『倉庫番』(そうこばん)は、1982年12月に有限会社シンキングラビットから発売されたコンピュータパズルゲーム。開発者は同社社長の今林宏行。
[[Image:Sokoban_ani.gif|thumb|倉庫番形式のパズルの正解(動画)]] {{コンピュータゲーム | Title = 倉庫番 | Genre = [[パズルゲーム]] | Plat = [[PC-8800シリーズ|PC-8801]]<br />[[PC-8000シリーズ|PC-8001 mkII]]<br />[[FM-7|FM-7/8]]<br />[[X1 (コンピュータ)|X1/turbo]] | Dev = [[シンキングラビット]] | Pub = シンキングラビット | distributor = | producer = | director = | designer = 今林宏行 | writer = | programmer = | composer = | artist = | license = | series = | Ver = | Play = 1人 | Media = [[コンパクトカセット|カセットテープ]] | Date = {{vgrelease new|JP|December 1982}} | Rating = | ContentsIcon = | Download content = | Device = | Spec = | Engine = | aspect ratio = | resolution = | Sale = | etc = }} {{ウィキポータルリンク|コンピュータゲーム|[[画像:Gamepad.svg|34px|Portal:コンピュータゲーム]]}} 『'''倉庫番'''』(そうこばん)は、[[1982年]]12月に有限会社[[シンキングラビット]]から発売されたコンピュータ[[パズルゲーム]]。開発者は同社社長の[[今林宏行]]。 == 概要 == 最初に[[BASIC]]でプログラミングされた[[PC-8800シリーズ|PC-8801]]版が発売され、以後様々な[[家庭用ゲーム機]]などで移植された。海外でも'''Sokoban'''として知られるが、名前が変えてあることもある。 また、ユーザーからオリジナル面を募集するコンテスト「究極をつくろうコンテスト」も行われた。 現在は[[ファルコン (ソフトウェア企業)|ファルコン株式会社]]<ref>[[ファルコン株式会社]]:{{法人番号|1180001087951}}、[[愛知県]][[岩倉市]]大地町葉広、[https://www.falconkk.co.jp/] 2019年にウェブサイト写真(2023年4月1日閲覧)の社屋から移転している。(法人番号サイトより)</ref>が著作権を有している。 忍耐力の必要な難易度と地味なゲーム性から、ゲームライターの中には「([[平成]]末期時点において)アクションやシューティングが辛くなってきたと感じた中高年<ref>この論評においては[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]世代や[[スーパーファミコン]]世代を指しているものと思われる。</ref>に向いているゲームかもしれない」と評する向きもある<ref name="natsumega">[http://qbq.jp/ 株式会社QBQ]編 『懐かしのメガドライブ 蘇れメガドライバー !!』マイウェイ出版発行、2018年。ISBN 9784865118704 p74</ref>。 == ゲーム内容 == * フィールドは最大横32×縦20の壁、荷物、格納場所、そしてプレイヤーが操作する人間からなる。 * ゲームの目的は人間を操作し、すべての荷物を格納場所に運ぶことである。 * 人間は上下左右に移動することができる。進行方向に荷物がある場合、その荷物を押すことができる。但し、荷物は1つずつ押す事しかできない。また、荷物は押すのみで、引くことはできない。 * 製品によっては歩数制限があることもある。 * 最初の「倉庫番」には、'''消える壁'''を発見して通り抜けないと解けない面があったが(壁抜け面と呼ぶ)、次製品からは廃止された。 * 「究極の倉庫番」のステージ3には、格納場所に置くと消える荷物が存在する。 *アーケード版の「倉庫番デラックス」は、アーケードゲームという性質上、時間制限が設けられている。アーケードゲーム版はこの1作のみ。 == 歴史 == {|class="wikitable" style="white-space:nowrap; font-size:85%" |- ! No. ! 発売日 ! 対応機種 ! タイトル ! 開発元 ! 発売元 ! メディア ! 型式 ! 備考 |- | style="text-align:right" | 1 | {{vgrelease new|JP|1982年12月}} | [[PC-6000シリーズ|PC-6001/mkII]]<br />[[PC-8000シリーズ|PC-8001 mkII]]<br />[[PC-8800シリーズ|PC-8801]]<br />[[FM-7|FM-7/8]]<br />[[X1 (コンピュータ)|X1]]<br />[[MZ-2000|MZ-2000/2200]] ! 倉庫番 | [[シンキングラビット]] | シンキングラビット | [[コンパクトカセット|カセットテープ]] | - | 10面 + 壁抜け面10面 |- | style="text-align:right" | 2 | {{vgrelease new|JP|1983年8月}} | [[PC-8800シリーズ|PC-8801]]<br />[[PC-9800シリーズ|PC-9801]] !倉庫番[番外編]<ref>{{cite magazine|last=|first=|title=今回はこのゲームを開発した THINKING RABBIT さんにお願いして, 市販品とは別に10の倉庫をつくってもらいましたので|language=ja|magazine=[[:ja:PCマガジン|PCマガジン]]|issue=|date=August 1983|pages=52–56|doi=|pmid=|access-date=}}</ref> | シンキングラビット | [[PCマガジン]] | [[ソースコード]] | - | 10面 |- | style="text-align:right" | 3 | {{vgrelease new|JP|1984年2月}} |[[PC-6000シリーズ|PC-6001/mkII]]<br />[[PC-8000シリーズ|PC-8001 mkII]]<br />[[PC-8800シリーズ|PC-8801]]<br />[[PC-9800シリーズ|PC-9801]]<br />[[FM-7|FM-7/8]]<br />[[X1 (コンピュータ)|X1]]<br />[[ベーシックマスター|S1]] ! 倉庫番2 | シンキングラビット | シンキングラビット |[[コンパクトカセット|カセットテープ]]<br />フロッピーディスク | - | 50面 |- | style="text-align:right" | 4 | {{vgrelease new|JP|May 1984}} | [[MSX]] ! 倉庫番 | シンキングラビット |[[アスキー (企業)|アスキー]] |[[ロムカセット]] | 00240 | 60面(倉庫番10面 + 倉庫番2 50面)<br>別売ツールキット([[コンパクトカセット|カセットテープ]])41面 |- | style="text-align:right" | 5 | {{vgrelease new|JP|April 1985}} |[[ゲームポケコン]] ! 倉庫番 | シンキングラビット |[[エポック社]] | ロムカセット | - | - |- | style="text-align:right" | 6 | {{vgrelease new|JP|December 1985}} |[[SC-3000|SG-1000/SC-3000]] ! 倉庫番 | シンキングラビット |[[セガ]] | [[マイカード]] | C-56 | 100面(倉庫番10面 + 倉庫番2 50面 + ツールキット40面) |- | style="text-align:right" | 7 | {{vgrelease new|JP|1986-07-30}} |[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]] ! 涙の倉庫番スペシャル | シンキングラビット | アスキー |[[ディスクカード]] | ASC-001 | 150面 |- | style="text-align:right" | 8 | {{vgrelease new|NA|1988年}} |[[TRS-80|TRS-80 Color Computer]]<br />[[Apple II]]<br />[[コモドール64]]<br />[[PC/AT互換機|PC/AT互換機(DOS)]] ! SOKO-BAN | スペクトラムホロバイト | スペクトラムホロバイト | フロッピーディスク | - | - |- | style="text-align:right" | 9 | {{vgrelease new|JP|1989-09-01|NA|February 1990|EU|1990}} | [[ゲームボーイ]] !{{Flagicon|JPN}}倉庫番<br />{{Flagicon|USA}}{{Flagicon|EU}}Boxxle | アトリエドゥーブル |{{vgrelease new|JP|[[ポニーキャニオン]]|NA|[[フジサンケイグループ|FCI]]|EU|FCI}} | 256[[キロビット]]ロムカセット<ref name="famimaga199">{{Cite journal|和書 |author = |authorlink = |title = 5月24日号特別付録 ファミコンディスクカード ゲームボーイ スーパーファミコン オールカタログ |date = 1991-05-24 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 10 |naid = |pages = 199 |url = |ref = harv}}</ref> |{{vgrelease new|JP|DMG-SOJ|NA|DMG-SO-USA|EU|DMG-SO-UKV}} | - |- | style="text-align:right" | 10 | {{vgrelease new|JP|1989-11-21}} | [[X68000]]<br />PC-8801/SR<br />PC-9801<br />X1/X1 turbo<br />[[MSX2]]<br />[[J-3100シリーズ|J3100]] ! 倉庫番 パーフェクト | シンキングラビット | シンキングラビット | フロッピーディスク | - | 306面 |- | style="text-align:right" | 11 | {{vgrelease new|JP|1990-01-30|NA|May 1990}} | [[メガドライブ]] ! {{Flagicon|JPN}}史上最大の倉庫番<br />{{Flagicon|USA}}Shove It! ...The Warehouse Game |[[日本コンピュータシステム|NCS]] |{{vgrelease new|JP|[[メサイヤ (ゲームブランド)|メサイヤ]]|NA|DreamWorks Games}} | 2[[メガビット]]ロムカセット<ref name="megafan96">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 7月号特別付録 メガドライブ&ゲームギア オールカタログ'93 |date = 1993-07-15 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ドリームキャストFAN|メガドライブFAN]] |volume = 5 |number = 7 |naid = |pages = 96 |url = |ref = harv}}</ref> | {{vgrelease new|JP|T-25023|NA|T-25036}} |{{vgrelease new|JP|250面|NA|160面}} |- | style="text-align:right" | 12 | {{vgrelease new|JP|1990-03-16|NA|1990年}} |[[PCエンジン]] ! {{Flagicon|JPN}}倉庫番WORLD<br />{{Flagicon|USA}}BOXYBOY |[[メディアリング]] | メディアリング | 2メガビット[[HuCARD]]<ref name="pcfan135">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 10月号特別付録 PCエンジンオールカタログ'93 |date = 1993-10-01 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[PC Engine FAN]] |volume = 6 |number = 10 |naid = |pages = 135 |url = |ref = harv}}</ref> |{{vgrelease new|JP|MR90001}} | - |- | style="text-align:right" | 13 | {{vgrelease new|JP|August 1990|NA|November 1990}} |[[アーケードゲーム|アーケード]] !{{Flagicon|JPN}}倉庫番デラックス<br />{{Flagicon|USA}}BOXY BOY |[[バンダイナムコエンターテインメント|ナムコ]] | ナムコ |[[アーケードゲーム基板|業務用基板]](1.07[[メガバイト]]) | - | - |- | style="text-align:right" | 14 | {{vgrelease new|JP|1990-12-15}} |[[ゲームギア]] ! 倉庫番 | シンキングラビット |[[リバーヒルソフト]] | 1メガビットロムカセット<ref name="megafan114">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 7月号特別付録 メガドライブ&ゲームギア オールカタログ'93 |date = 1993-07-15 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ドリームキャストFAN|メガドライブFAN]] |volume = 5 |number = 7 |naid = |pages = 114 |url = |ref = harv}}</ref> | T-53017 | - |- | style="text-align:right" | 15 | {{vgrelease new|JP|1991年}} | X68000<br />PC-8801<br />PC-9801<br />J3100 ! 倉庫番 リベンジ | シンキングラビット | シンキングラビット | フロッピーディスク | - | 306面 |- | style="text-align:right" | 16 | {{vgrelease new|JP|1991年}} | PC-9801 ! 倉庫番 セレクト30 | シンキングラビット | [[花王]] | フロッピーディスク | - | - |- | style="text-align:right" | 17 | {{vgrelease new|JP|1993-01-29}} |[[スーパーファミコン]] ! スーパー倉庫番 | シンキングラビット | [[パック・イン・ビデオ]] | ロムカセット | SHVC-VN | - |- | style="text-align:right" | 18 | {{vgrelease new|JP|1996-09-13}} |[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]] ! 究極の倉庫番 | 伊藤忠商事コンテンツ事業部 | [[伊藤忠商事]] |[[CD-ROM]] | SLPS-00475 | 96面 |- | style="text-align:right" | 19 | {{vgrelease new|JP|January 1997}} |[[携帯型ゲーム]] ! チョー倉庫番55 |[[エクシング]] |[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント]] | 内蔵ゲーム | - | - |- | style="text-align:right" | 20 | {{vgrelease new|JP|1997-08-07}} | PlayStation ! 倉庫番ベーシック | 伊藤忠商事コンテンツ事業部 | 伊藤忠商事 | CD-ROM | - |280面(練習:40面、<br />初級:新作29面+パーフェクトより7面+リベンジより4面、<br />中級:パーフェクトより40面、<br />上級:リベンより40面、<br />天才:パーフェクトより27面+リベンジより13面、<br />職人:パーフェクトより40面、<br />仙人:リベンより40面) |- | style="text-align:right" | 21 |{{vgrelease new|JP|October 1997}} |[[Microsoft Windows|Windows]] ! rowspan="2" | 倉庫番セレクション | rowspan="2" | 伊藤忠商事コンテンツ事業部 | rowspan="2" | 伊藤忠商事 | rowspan="2" | フロッピーディスク | rowspan="2" | - | rowspan="2" | 170面 |- | style="text-align:right" | 22 | {{vgrelease new|JP|December 1997}} |[[Macintosh]] |- | style="text-align:right" | 23 | {{vgrelease new|JP|January 1998}} |[[Microsoft Windows 95|Windows 95]] ! 倉庫番スペシャル102 | 伊藤忠商事コンテンツ事業部 | 富士通パレックス | フロッピーディスク | - | - |- | style="text-align:right" | 24 | {{vgrelease new|JP|March 1998}} | Windows 95 ! 究極の倉庫番 | - |[[アンバランス (ゲーム会社)|アンバランス]] | CD-ROM | - | 96面 |- | style="text-align:right" | 25 |{{vgrelease new|JP|August 1998}} |PlayStation !倉庫番ベーシック2 | rowspan="2" | - | rowspan="2" |[[アンバランス (ゲーム会社)|アンバランス]] | rowspan="2" |CD-ROM | rowspan="2" | - | rowspan="2" |100面(新作48面、リベンジより52面) |- | style="text-align:right" | 26 |{{vgrelease new|JP|October 1998}} |Windows 95/98 !倉庫番ベーシック |- | style="text-align:right" | 27 | {{vgrelease new|JP|1999-01-01}} | スーパーファミコン ! POWER倉庫番 | [[任天堂]] | 任天堂 | フラッシュロムカセット | SHVC-BPSJ-JPN | 書き換え専用、同年6月にパッケージ版発売 |- | style="text-align:right" | 28 | {{vgrelease new|JP|1999-04-01}} | PlayStation ! 倉庫番 難問指南 | - |[[アンバランス (ゲーム会社)|アンバランス]] | CD-ROM | SLPS-02010 <ref name="pcfan135">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 10月号特別付録 PCエンジンオールカタログ'93 |date = 1993-10-01 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[PC Engine FAN]] |volume = 6 |number = 10 |naid = |pages = 135 |url = |ref = harv}}</ref> | 100面(新作21面、パーフェクトより30面、リベンジより49面) |- | style="text-align:right" | 29 | {{vgrelease new|JP|1999-12-23}} | ゲームボーイ ! ~倉庫番伝説~ 光と闇の国 | [[J・ウイング (ゲーム会社)|J・ウイング]] | J・ウイング | ロムカセット | DMG-AWIJ-JPN | - |- | style="text-align:right" | 30 | {{vgrelease new|JP|March 2000}} | Windows ! 倉庫番 for Windows | rowspan="2" | 伊藤忠商事コンテンツ事業部 | rowspan="2" | 伊藤忠商事 | rowspan="2" | フロッピーディスク | rowspan="2" | - | rowspan="2" | 306面(倉庫番パーフェクトと同じ) |- | style="text-align:right" | 31 |{{vgrelease new|JP|2000年}} |[[Macintosh]] !倉庫番 for Macintosh |- | style="text-align:right" | 32 | {{vgrelease new|JP|June 2000}} | Windows ! 倉庫番 難問指南 | - |[[アンバランス (ゲーム会社)|アンバランス]] | CD-ROM | - | 100面(新作21面、パーフェクトより30面、リベンジより49面) |- | style="text-align:right" | 33 | {{vgrelease new|JP|April 2004}} |[[iアプリ]]<br />[[EZアプリ]]<br />[[Yahoo!ケータイ|ボーダフォンライブ]] ! 倉庫番 ファーストステップ | - |[[スクウェア・エニックス]] |[[ダウンロード販売|ダウンロード]] | - | - |- | style="text-align:right" | 34 | {{vgrelease new|JP|2004年}} | iアプリ<br />EZアプリ<br />ボーダフォンライブ ! 倉庫番 パーフェクト | - | スクウェア・エニックス | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 35 | {{vgrelease new|JP|2005年}} | iアプリ<br />EZアプリ<br />ボーダフォンライブ ! 倉庫番 リベンジ | - | スクウェア・エニックス | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 36 | {{vgrelease new|JP|2006年3}} | iアプリ<br />EZアプリ<br />[[S!アプリ]] ! コナミワイワイ倉庫番 | - |[[コナミデジタルエンタテインメント]] | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 37 | {{vgrelease new|JP|September 2015}} | Windows ! 倉庫番パーフェクトプラス A面 | シンキングラビット | シンキングラビット | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 38 | {{vgrelease new|JP|November 2015}} | Windows ! 倉庫番パーフェクトプラス B面 | シンキングラビット | シンキングラビット | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 39 | {{vgrelease new|JP|February 2016}} | Windows ! 倉庫番ファーストステップ プラス | シンキングラビット | シンキングラビット | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 40 | {{vgrelease new|JP|March 2016}} |[[Android (オペレーティングシステム)|Android]] ! 倉庫番Touch | シンキングラビット | シンキングラビット | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 41 | {{vgrelease new|JP|April 2016}} | Windows ! 倉庫番リベンジ 復刻版 | シンキングラビット | シンキングラビット | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 42 | {{vgrelease new|JP|July 2016}} |[[iPhone]]/[[iPad]]<br />([[iOS]]) ! 倉庫番Touch | シンキングラビット | シンキングラビット | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 44 |{{vgrelease new|JP|August 2016}} | Windows ! 倉庫番 35周年コンプリートパック | シンキングラビット |[[スキルインフォメーションズ]] | CD-ROM | - | - |- | style="text-align:right" | 45 |{{vgrelease new|JP|May 2018}} | Windows ! 倉庫番スマート | シンキングラビット | シンキングラビット | ダウンロード | - | - |- | style="text-align:right" | 46 |{{vgrelease new|JP|2019-05-23|NA|2021-10-28|EU|2021-10-28}} |[[Nintendo Switch]] ! rowspan=2 | {{Flagicon|JPN}} みんなの倉庫番<br />{{Flagicon|US}}{{Flagicon|EU}} The Sokoban | rowspan=2 | [[ファルコン (ソフトウェア企業)|ファルコン]] | rowspan=2 | アンバランス | rowspan=2 | ダウンロード | rowspan=2 | - | rowspan=2 | - |- | style="text-align:right" | 47 |{{vgrelease new|JP|2019-08-29|NA|2021-10-28|EU|2021-10-28|AU|2021-10-28}} | [[PlayStation 4]] |- |} == 評価 == {{コンピュータゲームレビュー |title = |Fam = 25/40点(GB・倉庫番)<ref name="famitsu"/><br />24/40点(GB・倉庫番伝説)<ref name="famitsu2"/><br />23/40点(MD)<ref name="famitsu3"/><br />27/40点(PCE)<ref name="famitsu4"/><br />25/40点(GG)<ref name="famitsu5"/><br />25/40点(SFC)<ref name="famitsu6"/><br />25/40点(PS・究極)<ref name="famitsu7"/><br />22/40点(PS・ベーシック)<ref name="famitsu8"/><br />22/40点(PS・難問指南)<ref name="famitsu9"/> |rev1 = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |rev1Score = 13.45/25点(FC)<ref name="famimaga98"/><br />18.78/30点(GB・倉庫番)<ref name="famimaga199"/><br />18.6/30点(SFC)<ref name="daigirin250"/> |rev2 = [[ドリームキャストFAN|メガドライブFAN]] |rev2Score = 14.00/30点(MD)<ref name="megafan96"/> |rev3 = [[PC Engine FAN]] |rev3Score = 20.61/30点(PCE)<ref name="pcfan135"/> |rev4 = [[ゲーマガ|BEEP!メガドライブ]] |rev4Score = 25/40点(MD)<ref name="BEEP" /> }} 1988年に[[:en:Computer Gaming World|Computer Gaming World]]はレビューで中毒性を持つことを挙げて本作が「純粋でシンプル、とても遊びやすく、思考への挑戦」と賞賛した<ref name= "CGW">{{cite journal |title=Puzzling Encounters |date=May 1988 |last=Wagner|first=Roy |periodical=[[:en:Computer Gaming World|Computer Gaming World]] |issue=47 |pages=42–43}} </ref>。[[ドラゴン (雑誌)|ドラゴン]]のレビューでは5つ星のうち4と1/2の星を獲得した<ref name="Dragon132"> {{cite journal |title=The Role of Computers |date=April 1988 |last1=Lesser|last2=Lesser|last3=Lesser|first1=Hartley|first2=Patricia|first3=Kirk |periodical=[[ドラゴン (雑誌)|ドラゴン]] |issue=132 |pages=80–85}}</ref>。 ;ファミリーコンピュータ版 *ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、13.45点(満25点)となっている<ref name="famimaga98">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 5月24日号特別付録 ファミコンディスクカード ゲームボーイ スーパーファミコン オールカタログ |date = 1991-05-24 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 10 |naid = |pages = 98 |url = |ref = harv}}</ref>。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 3.79 || 2.51 || 2.53 || 2.05 || - || 2.57 ! 13.45 |} ;ゲームボーイ版 *'''倉庫番''' **ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計25点(満40点)<ref name="famitsu">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=13818 |title= 倉庫番 まとめ [ゲームボーイ]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>、『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、18.78点(満30点)となっている<ref name="famimaga199"/>。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 3.02 || 2.99 || 3.31 || 3.26 || 3.10 || 3.10 ! 18.78 |} *'''~倉庫番伝説~ 光と闇の国''' **ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計24点(満40点)となっている<ref name="famitsu2">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=12901 |title= ~倉庫番伝説~ 光と闇の国 まとめ [ゲームボーイ]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>。 ;メガドライブ版 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計23点(満40点)<ref name="famitsu3">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=7095 |title= 史上最大の倉庫番 まとめ [メガドライブ]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>、『[[ドリームキャストFAN|メガドライブFAN]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、14.00点(満30点)となっている<ref name="megafan96"/>。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 2.06 || 1.92 || 2.74 || 2.52 || 2.18 || 2.58 ! 14.00 |} ゲーム誌『[[ゲーマガ|BEEP!メガドライブ]]』の「BEメガ・ドッグレース」では5、6、8、6の合計25点(満40点)となっている<ref name="BEEP">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = BEメガ・ドッグレース |date = 1990-02 |publisher = [[SBクリエイティブ]] |journal = [[ゲーマガ|BEEP!メガドライブ]] |volume = 6 |number = 2 |naid = |pages = 108 |url = |ref = harv}}</ref>。レビュアーはPC版とほぼ同じで操作が親切になっているのはありがたく、パズル好きにはお勧めだとした一方で、昔くささは否めない、セールスポイントにあまり魅力を感じない、本作をやりたくてMDを買う人はいるのかと疑問を呈して極論かもしれないがパズルは他機種に任せた方がいいとした者もいた<ref name="BEEP" />。 ;PCエンジン版 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計27点(満40点)<ref name="famitsu4">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=7109 |title= 倉庫番WORLD まとめ [PCエンジン]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>、『[[PC Engine FAN]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、20.61点(満30点)となっている<ref name="pcfan135"/>。また、この得点はPCエンジン全ソフトの中で293位(485本中、1993年時点)となっている<ref name="pcfan135"/>。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 3.81 || 3.12 || 3.60 || 3.60 || 3.17 || 3.30 ! 20.61 |} ;ゲームギア版 ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計25点(満40点)となっている<ref name="famitsu5">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=16063 |title= 倉庫番 まとめ [ゲームギア]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>。 ;スーパーファミコン版 ゲーム誌『ファミコン通信』のクロスレビューでは合計25点(満40点)<ref name="famitsu6">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=16063 |title= スーパー倉庫番 まとめ [スーパーファミコン]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>、『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、18.6点(満30点)となっている<ref name="daigirin250">{{Cite journal|和書 |author = |authorlink = |title = 超絶 大技林 '98年春版 |date = 1998-04-15 |publisher = 徳間書店/インターメディア・カンパニー |journal = Play Station Magazine |volume = 増刊4月15日号 |number = |naid = |pages = 250 |id = 雑誌26556-4/15 |url = |ref = harv}}</ref>。 {|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || お買得度 || 操作性 || 熱中度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 3.1 || 3.0 || 3.0 || 3.0 || 3.4 || 3.1 ! 18.6 |} ;PlayStation版 *'''究極の倉庫番 ひとりだけのカーテンコール''' **ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計25点(満40点)となっている<ref name="famitsu7">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=16330 |title= 究極の倉庫番 まとめ [PS]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>。 *'''倉庫番ベーシック''' **ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計22点(満40点)となっている<ref name="famitsu8">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=16764 |title= 倉庫番ベーシック まとめ [PS]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>。 *'''倉庫番 難問指南''' **ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計22点(満40点)となっている<ref name="famitsu9">{{Cite web|和書 |url= http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=18709 |title= 倉庫番 難問指南 まとめ [PS]/ ファミ通.com |accessdate= 2016-10-08 |date= |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] }}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://www.sokoban.jp/ Sokoban Official Site] (倉庫番オフィシャルサイト) {{Puzzle-videogame-stub}} {{DEFAULTSORT:そうこはん}} [[Category:1982年のパソコンゲーム]] [[Category:1982年のコンピュータゲーム]] [[Category:Android用ゲームソフト]] [[Category:Apple II用ゲームソフト]] [[Category:DOSのゲームソフト]] [[Category:FM-7シリーズ用ゲームソフト]] [[Category:iPhone用ゲームソフト]] [[Category:Linux用ゲームソフト]] [[Category:MSX/MSX2用ソフト]] [[Category:MZ用ゲームソフト]] [[Category:Nintendo Switch用ソフト]] [[Category:PC-6000/6600用ゲームソフト]] [[Category:PC-8001用ゲームソフト]] [[Category:PC-8800用ゲームソフト]] [[Category:PC-9800シリーズ用ゲームソフト]] [[Category:PCエンジン用ソフト]] [[Category:PlayStation用ソフト]] [[Category:SG-1000用ソフト]] [[Category:Windows用ゲームソフト]] [[Category:X1用ゲームソフト]] [[Category:X68000用ゲームソフト]] [[Category:ZX Spectrum用ゲームソフト]] [[Category:携帯電話アプリゲーム]] [[Category:ゲームギア用ソフト]] [[Category:ゲームボーイ用ソフト]] [[Category:コモドール64用ゲームソフト]] [[Category:スーパーファミコン用ソフト]] [[Category:セガ・マークIII&マスターシステム用ソフト]] [[Category:ディスクシステム用ソフト]] [[Category:日本で開発されたコンピュータゲーム]] [[Category:日本の発明]] [[Category:ニンテンドウパワー書き換えソフト]] [[Category:パズルゲーム]] [[Category:メガドライブ用ソフト]] [[Category:コンピュータゲームのシリーズ]]
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ダース・ベイダー
ダース・ベイダー(Darth Vader)は、アメリカのSF映画『スター・ウォーズ』シリーズに登場する人物。このシリーズにおける代表的なアンチヒーローでもある。日本語名には表記揺れとして「ダース・ヴェイダー」と「ダース・ベーダー」が見られる。 本名およびジェダイの騎士であった頃の名はアナキン・スカイウォーカーで、天性の才能の持ち主に加えて優れた戦闘能力、技術力に長けた騎士であったがフォースの暗黒面に囚われ銀河帝国皇帝シーヴ・パルパティーン(ダース・シディアス)に師事するシスの暗黒卿となる。かつての師オビ=ワン・ケノービとの決闘で四肢を失い全身に火傷を負ったためにサイボーグ化され、常に生命維持装置と連動したマスク(仮面)を着装している(※『呼吸音』も参照)。 エピソード4~6にかけては皇帝の手足となって帝国の支配と恐怖の体現者としての役回りを担っており、ジェダイの生き残りと帝国への抵抗を試みる勢力に対する脅威を与える存在として立ち回っている。そこから実子のルーク・スカイウォーカーとの対面を経てシスの暗黒卿からジェダイの騎士へと返り咲くまでの経緯が描かれ、エピソード1~3にかけては上記のアナキンとして登場し、生い立ちやジェダイになるまでの経緯と自身の苦悩からシスの暗黒卿に変貌するまでの経緯が描かれた。 その人生は正にジェダイの予言にある「フォースにバランスをもたらす者」を体現した者であった。なお『スター・ウォーズ』シリーズにおけるジェダイの騎士およびシスの暗黒卿の中でも最強のフォースの持ち主とされるのはジョージ・ルーカスの発言によるとオビ=ワン・ケノービとの決闘で敗れて大火傷を負いサイボーグになる前の五体満足な状態で、その潜在能力のすべてを開花させた彼であったとのこと。 ジェダイ時代のアナキンは、愛する者を守りたいという純粋な願望と若さ故の激情から、ジェダイの掟を何度となく破ってしまう。特に、妻パドメ・アミダラが死の運命にあるという予知夢を見た後は、妻を救う力を得たいと願うあまりにシスの暗黒卿ダース・シディアス(後の銀河帝国皇帝)の「妻を救えるかもしれない」という甘言に屈し、ジェダイ・マスターのメイス・ウィンドゥ殺害に手を貸してしまい、引き返す道を絶たれた状態でシスの暗黒卿へと転向して「ダース・ベイダー」という名前を与えられた。その直後、秩序を取り戻すという名目でクローン兵のアポーが率いるクローン・トルーパー第501大隊を指揮してジェダイ聖堂を襲撃、そこにいた子供を含む全てのジェダイとその弟子・訓練生を虐殺、さらにパルパティーンの命により、辺境の惑星ムスタファーで独立星系連合の幹部たちも抹殺した。 完全に後戻りできなくなったアナキンは、この時点で目的が「妻を救う」から「銀河を支配し自分たちの障壁を排除する」というものになっており、彼の身を気遣ってムスタファーを訪れたパドメ・アミダラに、シディアスをも倒し、自分と共に銀河を支配し思うがままに生きようと誘う。しかし彼女が暗黒面に魅了され様変わりしてしまった彼を否定し、彼の誘惑を拒絶したこと、さらに、彼女の意図したものではないとはいえその場にオビ=ワン・ケノービを連れて来ていたため、オビ=ワンに自分を殺させに来たという誤解により、彼は怒りに任せて非力なパドメにフォースチョークを行使し、昏倒させてしまう。そしてかつての師に怒りの矛先を向けて戦いを挑む。暗黒面の力を得たが、このときのアナキンは冷静さを欠いており、熟練したオビ=ワンの戦法に思うままに攻撃できず、地の利を得たことで挑発をしたオビ=ワンの誘いにのってしまい、攻撃に移る一瞬の隙を突かれ、オビ=ワンのライトセーバーで左腕と両足を切り落とされ敗北。暗黒面に堕ちたかつての弟子を哀れむオビ=ワンに、彼はもはや憎しみしか抱いていなかった。溶岩の熱で服が発火して全身に火傷を負い、自然呼吸も不可能な体となってしまった(ただし、『帝国の逆襲』の劇中、帝国軍の旗艦「エクゼキューター」の瞑想用の個室で、マスクを外して自然呼吸をしているシーンがある)。 危機を察して駆けつけたシディアスにより救出され、サイボーグ化手術を施されて一命は取り留めたもののシディアスが期待していた「自身やヨーダをも超えるほどの可能性を秘めたフォースの潜在能力」は戦傷と火傷により生身の肉体の大半が失われたためにそのすべてを開花させることはできなくなってしまうが、この体験に加えて自らが手に掛けたことと暗黒面に堕ちてしまったことによるショックでパドメが死亡してしまったことで虚無感を抱くようになり、物事の全てに対する興味をなくしたことで「アナキン」として抱くことが多かった執着や迷いがなくなり、皮肉にも隙の無い性格となった。また暗黒面のフォースを学んだことで開花しなかった潜在能力を差し引いても依然高い実力を保っており、他の騎士の追随を許さぬほどであった。そのため皇帝もルーク・スカイウォーカーというかつての彼に比肩する才能が現れるまでの長い間新たな弟子を取ることもなく自身の右腕として利用し、生き残ったジェダイや銀河帝国の抵抗勢力に脅威を与えることとなった。 以降は帝国軍の指揮官として反乱同盟軍によるレジスタンス活動の制圧に従事することとなり、『反乱者たち』ではその反乱軍として働いていたジェダイの生き残りであるケイナンとその弟子エズラを圧倒し、さらにかつての自身の弟子であるアソーカ・タノとも再会、交戦している。『ローグ・ワン』から『エピソード4/新たなる希望』にかけては反乱軍が入手したデス・スターの設計データを奪還のために動き、執拗な追撃の末その設計データを隠し持っていたとされるレイア姫を捕らえ、彼女を救うべくデス・スターに侵入したオビ=ワンも倒すが、結局データは反乱軍本部の手に渡り、攻撃を仕掛けてきた反乱軍に対してデス・スターを守るため自らTIEアドバンストx1に乗ってこれを迎え撃つも最終的にはデス・スターの破壊を許してしまう結果となる。 デス・スターの破壊によって、治安の悪いアウター・リムを統治していたターキン総督をはじめとする権力者たちが一気に死亡、各地で反乱の火の手が上がり、反乱同盟軍が急速に勢力を拡大した。皇帝はこれを鎮圧すべく、『エピソード5/帝国の逆襲』において、ベイダーにあらゆる政治的束縛、手続、規制を受けない特権を与え、また第一級の艦船からなる機動艦隊「死の小艦隊」の指揮を任せた。反乱の追撃・鎮圧にあたるベイダーの行動は冷徹かつ迅速確実で、部下の失態にも容赦がなく、ケンダル・オゼル提督などがフォース・チョークで処刑されている。クラウド・シティで息子と対面してからはその傾向はなくなっており、一度もフォース・チョークで処刑していない(『エピソード6』の第2デス・スターの未公開シーンでは、部下をフォース・チョークで処刑しようとして思いとどまるシーンがある)。 四肢を失い大火傷を負ったことで、皇帝やヨーダをも遥かに超える可能性を秘めたフォースの潜在能力をすべて開花させることはできなくなったが、依然その戦闘能力やパイロット技術は高く、モールですら「俺だけではベイダーに勝てない」と評するほどであった。そのこともあり長らく皇帝は新たな弟子に乗り換えることはなかった。しかしながら、それは同時に、ベイダー自身では皇帝を超えることが叶わず、自らが銀河を統治し不毛な争いを終わらせるという野望が叶わぬという事実を示すことでもあった。 そんな折、息子であるルーク・スカイウォーカーと出会い皇帝すら凌ぐ可能性を秘めた類稀なる才能に目をつける。対決したルークを打ち負かし、自身がルークの父親であることを告げて自らの手ほどきでフォースの暗黒面に引き込み、まだ開花していないルークの潜在能力を解放させようと考えて皇帝を倒し親子で銀河を支配しようと誘うが拒否されてしまう。それに対して既にベイダーの野心とルークの高い潜在能力に気付いていた皇帝はルークをベイダーに代わる新たな弟子として迎えるべくベイダーとルークの決闘を仕組んだ。この戦いの最中ベイダーは不用意な言動でルークを逆上させ、激情に任せたルークの激しい攻撃にライトセーバーごと右手首から先を切り飛ばされ敗れてしまう。ルークが激情に走り怒りと憎しみに任せてベイダーを打ち倒したのを見計らって皇帝はルークに対してもはや戦意を喪失したベイダーを殺害するように教唆する。これはかつて皇帝がベイダーを暗黒面に籠絡するために無力化した相手を殺害させたのと同じ計略である。しかしルークのとった行動は追い詰められたドゥークー伯爵の命を奪った若き日のベイダーとは全く違うジェダイの騎士としてあくまでも毅然としたものであり、その証拠にライトセーバーを放り捨てて攻撃の意思がないことを証明した。ルークの「僕は暗黒面には入らない。僕はジェダイだ、かつて父がそうだったように。」という言葉と、皇帝が放つフォース・ライトニングに撃たれながらも父の良心を信じ続ける叫びに心を打たれてかつてのジェダイの騎士であった頃のアナキン・スカイウォーカーとしての心を取り戻したベイダーはジェダイの騎士に帰還し、捨て身の覚悟で皇帝を第2デス・スターの巨大な原子炉に投げ込んで倒した。ここにかつてクワイ=ガン・ジンにより見出されたフォースにバランスをもたらす「選ばれし者」としての使命を果たしたのである。 しかしその最中、皇帝のフォース・ライトニングを受けて生命維持装置を破壊されてしまいベイダーの命も風前の灯となってしまう。立つのもやっとの状態のままルークに肩を預けて第2デス・スターからの脱出の最中マスクを外せばすぐに事切れるような状態にも係わらず「直接、自分の目でお前の顔を見たい」と瀕死のベイダーはルークにマスクを外してもらい、自身の目で息子の成長した姿を確かめて自身を暗黒面から救ってくれたことに感謝を示しつつ息子の腕の中で静かに息を引き取った。この際「娘に愛していたと伝えてくれ」とルークに頼んでいることから“父親”となっていれば愛情を持って子供を育てていたと思われる。遺体はルークの手で第2デス・スターから運び出されて荼毘に付され、その魂はフォースと一体となる。オビ=ワンやヨーダと共にダース・ベイダーではなく本来あり得たであろう“父親”としての姿で戦いを終えたルークたちを見守ることとなった。この時遺体と共にベイダーの装甲服やヘルメットは燃やされたがヘルメットの残骸は残ったようであり、エンドアの戦いから約30年後の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』ではハン・ソロとレイア・オーガナの息子にしてベイダーの孫であり、ベイダーのようにフォースの暗黒面に堕ちたカイロ・レンがヘルメットの残骸を所有していた。 銀河帝国成立時から長らく皇帝の右腕として活躍した彼であるが、その地位は最初から必ずしも高いものではなかった。かつてターキンは存命中に皇帝に次ぐ帝国第二位の絶対的地位に留まり続け、ベイダーにとっては明確な上位者として君臨していた。ベイダー(アナキン)はかねてジェダイの頃からターキンに優れた軍人としての敬意を表しており、以前は良き友好関係を築いていたのである。デス・スター喪失によるターキンの死はベイダーにとっても大きな痛手であった。ヤヴィンの戦いにおける指揮官の一人であったベイダーは度重なる失態によって皇帝の大きな不興を買っていた。皇帝はデス・スター司令官の中で唯一その脆弱性を指摘していたカシオ・タッグを大将軍(銀河帝国最高司令官)に任命し、ベイダーをその配下に格下げした。 その一方『ローグ・ワン』劇中においてはムスタファ―のベイダーの居城においてはベイダーが浸かっているバクタ・タンクの両脇をインペリアル・ガードの隊員2名が警護のために控えており、これは皇帝以外で彼らを配下に置いていた珍しい例である。また、この居城にはベイダーの従者であるヴァネーが詰めている。さらにベイダーの死後に判明した新事実として『エピソード9』にあたる『スカイウォーカーの夜明け』において居城の一角に銀河系の未知領域に存在する惑星エグゼゴルへの導きとなる存在であり、銀河帝国では2つしか存在しないウェイファインダーの片方が隠されていたのが判明した。なおもう片方のウェイファインダーは皇帝が所持し、第2デス・スターが破壊された後もその残骸の中に残されたままとなっていたのを発見されるがこのウェイファインダーの件を見る限り帝国軍の地位とは別にシスの暗黒卿の師弟としての関係からシス絡みの重要事項については皇帝から信頼を置かれた上で任されていた模様。 2012年のウォルト・ディズニー・カンパニーによる『スター・ウォーズ』シリーズの制作会社ルーカスフィルムの買収に伴い、それ以前に展開していたスピンオフ(外伝)作品は「レジェンズ(非正史)」として分別されることになった。以下は、それら「レジェンズ」に属するスピンオフ作品での設定を挙げる。 名前は「ダーク・ファーザー」のもじりで、ルーカス自身の父親との確執が反映されたキャラクターなどとされている(別説あり)。実際オランダ語では、父親のことを「vader(ファーダー)」と言う。 また、身に着けているヘルメット、マスク、装甲服、マントは、いずれもフォースの暗黒面を象徴しているかのように黒い。頭を全て覆うヘルメットおよびマスクは、仙台市博物館の館長だった濱田直嗣によれば仙台市博物館所蔵の「黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用」の兜を参考にしているというが、ナラティヴ・アートのルーカス博物館(英語版)の館長のレイラ・フレンチによれば、ジョン・モロが役者をロンドンのコスチュームショップに連れて行き、そこで黒いオートバイ・スーツと黒いマントを見つけ、それに第一次世界大戦中のドイツ軍のガスマスクとナチスのフリッツヘルメット(シュタールヘルム)をモデルにしたヘルメットを追加したものであるという。R2-D2やC-3POなども担当したラルフ・マクウォーリー(英語版)によってデザインされた。 マクウォーリーは「ダース・ベイダーは、顔を黒い絹布のようなもので隠して、日本の武士のような兜を被るようにしたらどうか、とジョージ・ルーカスが言ったんだ。だが、『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーが最初に登場するシーンで、ストームトルーパーは宇宙服を着ているのに彼は着ていないという問題が残った。ダース・ベイダーは壁に穴を開けて、他の宇宙船に乗り移ることができる。だが、酸素のない宇宙空間では生きていられないはずだ、と私が指摘すると、ジョージが呼吸装置のようなものをつけようと言ったんだ。こうして、ダース・ベイダーが着る装甲服は、鎧兜の特徴と宇宙服の特徴を持っていて、そこに生命維持装置とコミュニケーション装置をつけたものにしようと考えた」と、『スター・ウォーズ・インサイダー』誌のインタビューにコメントしている。 大柄でがっちりとした体型に全身黒ずくめの衣装、傷ついた顔を隠す上に恐ろしさを見せ付けるマスク、不気味な呼吸音で見る者に強烈な印象を残すキャラクターである。またテーマ音楽であるインペリアル・マーチ(帝国のマーチ、ベイダーのテーマ)は映画のテーマ曲と並んで有名。初期の劇中での存在感から、威圧的・高圧的人物や悪の大ボスなどの代名詞とされることも多く、「AFI アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」(2003年)の悪役部門で第3位に選出されている。 「エピソード4 - 6」で使用されたベイダーのマスクは、形状が左右対称ではなく(マスクの口元やヘルメット上部にかなり大きな歪みがある)、マスク部分のシルバーとガンメタルの塗り分けも左右で違うものであった。マスクを制作したブライアン・ミュアーによると、ロボットに見えないよう左右で表情を付けるためにこのようにしたとのことである。作品ごとに新しく製作されていたため、「エピソード4 - 6」3作ごとに微妙にデザインや塗り分け、色味が異なる。『エピソード3』で再登場するにあたり「エピソード4 - 6」のデザインから若干変更があり、片側だけ製作した型をコンピュータによって左右反転コピーするという方法で形状が左右対称になったほか、マスク部分が若干小型化され、シルバーとガンメタルの塗り分けが無くなり黒1色の塗装となっている。『エピソード3』DVDのメイキングでのマスクの製作担当者の発言では、「エピソード4 - 6」のベイダーのマスクとヘルメットが非常に巨大なのは、演じたスーツアクター(デヴィッド・プラウズ)の頭が非常に大きかったためで、ヘイデンの頭のサイズに合わせると同時に、生まれたばかりのベイダーの若さをイメージしたとのこと。また、『エピソード4』の直前を描く『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』では、デザインを『エピソード4』のものに合わせ、左右非対称で色分けが左右で異なっているマスクが使用されている。 ヘルメットとマスクを外したベイダーの頭部には大きな刀傷がみられる。この傷はオビ=ワンとの死闘の際に負ったもので、旧3部作では、この傷が元で生命維持装置が必要になったという設定であった。しかし、その戦いが描かれたエピソード3では、溶岩の熱によって全身を焼かれたために、生命維持装置が必要になったという設定に変更された。溶岩に焼かれている最中に、この傷を負ったことになっている。 ルーカスは、三船敏郎の熱烈なファンであり、オビ=ワン役のオファーがあったが、三船プロダクションの番組制作出演契約のため断り、それならばと『エピソード6』で「アナキン・スカイウォーカー役では?」と再度依頼があるも、同じく三船プロの運営のため断った。三船敏郎のイメージを残したかったルーカスは、アナキン役のセバスチャン・ショウのメイクをなるべく三船に似せるようにしろと指示した。ケナー社アクションフィギュアの初期パッケージのイラストはショウよりも三船にそっくりであった。このフィギュアはオークションなどで高値で取引されている。 顔をマスクで覆っており、身振りと声のみで台詞を表現するキャラクターであるため声は別人がアフレコで演じている。これを利用して、『エピソード5』でルークに自らが父親であることを明かすシーンでは、関係者からのネタバレを防ぐため、スーツアクターには偽物のセリフを与えていたというエピソードがある。試写会で本当のセリフを聞かされたスーツアクターのデビッド・プラウズは偽の台本を渡されていたことに唖然としたという逸話がある。その偽物の台詞とは、『エピソード4』でオビ=ワンから父親を殺したのはベイダーであると教えられていたルークに対し、反論としてベイダーが「オビ=ワンこそがお前の父親を殺した犯人だ」と糾弾するというものであり、撮影現場全体がこの偽物のセリフをもとに撮影・演技をしていた。 台詞が偽物であることと本物のセリフを知っていたのは、ルーカスと監督のアービン・カーシュナーとルーク役のマーク・ハミル、そしてアフレコの時に知らされたジェームズ・アール・ジョーンズ(ベイダーの声を担当)のみであったとされており、登場人物では唯一ハミルだけが「お前の父は私だ」という真の台詞を基に演技をしていた。ルーカスと監督から「これからデビッドが台本とは違う台詞をしゃべるが、気にしないで演技を続けてくれ」と言われたそうである。脚本が漏れることを極度に警戒したための措置である。なお、オビ=ワンは結果的に「父親を殺したのはベイダーである」とルークを騙したことになるが、『エピソード6』にはこのことへのフォローのシーンがある。 生命維持装置と連動したマスク(仮面)を通した「シューコー、シューコー」という独特の機械的呼吸音 (Darth Vader's breathing sound) は単独で通用するほど世界に広く知られている。アメリカ国内では2009年5月12日付で音の商標(サウンドマーク)として権利登録された。 米国特許商標庁登録申請日:2008年3月11日、登録日:2009年5月12日。登録権利者:ルーカスフィルム。US登録商標:第3618322号。音の制作方法:スクーバダイビング用レギュレーターによる。音の定義:スクーバタンクのレギュレーターを使って呼吸することで作り出される、周期的で機械的な人間の呼吸音(原文:The mark consists of the sound of rhythmic mechanical human breathing created by breathing through a scuba tank regulator.)。 「エピソード4 - 6」を中心に、ダース・ベイダーおよびアナキン・スカイウォーカーを演じた人物を本節に記述する。 2004年製作以降の映像ソフトでは死後フォースと一体化し霊体として登場するアナキン・スカイウォーカーの姿がセバスチャン・ショウが演じる姿から『エピソード2』や『エピソード3』に合わせてヘイデン・クリステンセンが演じる姿へ変更になった(頭部のみの挿げ替え)。 この変更は、シスの暗黒卿ダース・ベイダーから、そうなる以前のジェダイの騎士アナキン・スカイウォーカーであった頃の姿へとフォースの暗黒面から帰還したことを、より明確に表現するためと、ダース・ベイダーの年齢が、本作の後年に制作された「エピソード1 - 3」の設定で換算するなら「エピソード4 - 6」では41 - 45歳前後と、撮影当時に想定されていた年齢より大きく若い設定になってしまったことによる。撮影当時の設定でも、アナキンは師匠オビ=ワン・ケノービの数歳ほど年下の想定であったが、アナキンを演じた際のセバスチャン・ショウの年齢はすでに70歳を越えており、オビ=ワン役のアレック・ギネスよりも年上であった。また、マスクを脱いだシーンでも、瞳の色がヘイデン・クリステンセンと同じ青色に変えられている。 スターワルツ企画・運営の非公式イベントでは、1999年より、デヴィッド・プラウズ、C・アンドリュー・ネルソン、マット・スローンらが来日し、ベイダーの演じわけを公表したが、記録は一般には発表されていない。ベイダーマスク製作者のブライアン・ミューアーも、2010年に招聘され、左右非対称な仮面は、ジョージ・ルーカスの指示で、ロボットではなく、人間性を暗示するようにデザインされたことが語られた。鼻の部分に当たるへこみは、彼の親指をスタンプしたものである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ダース・ベイダー(Darth Vader)は、アメリカのSF映画『スター・ウォーズ』シリーズに登場する人物。このシリーズにおける代表的なアンチヒーローでもある。日本語名には表記揺れとして「ダース・ヴェイダー」と「ダース・ベーダー」が見られる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本名およびジェダイの騎士であった頃の名はアナキン・スカイウォーカーで、天性の才能の持ち主に加えて優れた戦闘能力、技術力に長けた騎士であったがフォースの暗黒面に囚われ銀河帝国皇帝シーヴ・パルパティーン(ダース・シディアス)に師事するシスの暗黒卿となる。かつての師オビ=ワン・ケノービとの決闘で四肢を失い全身に火傷を負ったためにサイボーグ化され、常に生命維持装置と連動したマスク(仮面)を着装している(※『呼吸音』も参照)。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "エピソード4~6にかけては皇帝の手足となって帝国の支配と恐怖の体現者としての役回りを担っており、ジェダイの生き残りと帝国への抵抗を試みる勢力に対する脅威を与える存在として立ち回っている。そこから実子のルーク・スカイウォーカーとの対面を経てシスの暗黒卿からジェダイの騎士へと返り咲くまでの経緯が描かれ、エピソード1~3にかけては上記のアナキンとして登場し、生い立ちやジェダイになるまでの経緯と自身の苦悩からシスの暗黒卿に変貌するまでの経緯が描かれた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "その人生は正にジェダイの予言にある「フォースにバランスをもたらす者」を体現した者であった。なお『スター・ウォーズ』シリーズにおけるジェダイの騎士およびシスの暗黒卿の中でも最強のフォースの持ち主とされるのはジョージ・ルーカスの発言によるとオビ=ワン・ケノービとの決闘で敗れて大火傷を負いサイボーグになる前の五体満足な状態で、その潜在能力のすべてを開花させた彼であったとのこと。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ジェダイ時代のアナキンは、愛する者を守りたいという純粋な願望と若さ故の激情から、ジェダイの掟を何度となく破ってしまう。特に、妻パドメ・アミダラが死の運命にあるという予知夢を見た後は、妻を救う力を得たいと願うあまりにシスの暗黒卿ダース・シディアス(後の銀河帝国皇帝)の「妻を救えるかもしれない」という甘言に屈し、ジェダイ・マスターのメイス・ウィンドゥ殺害に手を貸してしまい、引き返す道を絶たれた状態でシスの暗黒卿へと転向して「ダース・ベイダー」という名前を与えられた。その直後、秩序を取り戻すという名目でクローン兵のアポーが率いるクローン・トルーパー第501大隊を指揮してジェダイ聖堂を襲撃、そこにいた子供を含む全てのジェダイとその弟子・訓練生を虐殺、さらにパルパティーンの命により、辺境の惑星ムスタファーで独立星系連合の幹部たちも抹殺した。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "完全に後戻りできなくなったアナキンは、この時点で目的が「妻を救う」から「銀河を支配し自分たちの障壁を排除する」というものになっており、彼の身を気遣ってムスタファーを訪れたパドメ・アミダラに、シディアスをも倒し、自分と共に銀河を支配し思うがままに生きようと誘う。しかし彼女が暗黒面に魅了され様変わりしてしまった彼を否定し、彼の誘惑を拒絶したこと、さらに、彼女の意図したものではないとはいえその場にオビ=ワン・ケノービを連れて来ていたため、オビ=ワンに自分を殺させに来たという誤解により、彼は怒りに任せて非力なパドメにフォースチョークを行使し、昏倒させてしまう。そしてかつての師に怒りの矛先を向けて戦いを挑む。暗黒面の力を得たが、このときのアナキンは冷静さを欠いており、熟練したオビ=ワンの戦法に思うままに攻撃できず、地の利を得たことで挑発をしたオビ=ワンの誘いにのってしまい、攻撃に移る一瞬の隙を突かれ、オビ=ワンのライトセーバーで左腕と両足を切り落とされ敗北。暗黒面に堕ちたかつての弟子を哀れむオビ=ワンに、彼はもはや憎しみしか抱いていなかった。溶岩の熱で服が発火して全身に火傷を負い、自然呼吸も不可能な体となってしまった(ただし、『帝国の逆襲』の劇中、帝国軍の旗艦「エクゼキューター」の瞑想用の個室で、マスクを外して自然呼吸をしているシーンがある)。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "危機を察して駆けつけたシディアスにより救出され、サイボーグ化手術を施されて一命は取り留めたもののシディアスが期待していた「自身やヨーダをも超えるほどの可能性を秘めたフォースの潜在能力」は戦傷と火傷により生身の肉体の大半が失われたためにそのすべてを開花させることはできなくなってしまうが、この体験に加えて自らが手に掛けたことと暗黒面に堕ちてしまったことによるショックでパドメが死亡してしまったことで虚無感を抱くようになり、物事の全てに対する興味をなくしたことで「アナキン」として抱くことが多かった執着や迷いがなくなり、皮肉にも隙の無い性格となった。また暗黒面のフォースを学んだことで開花しなかった潜在能力を差し引いても依然高い実力を保っており、他の騎士の追随を許さぬほどであった。そのため皇帝もルーク・スカイウォーカーというかつての彼に比肩する才能が現れるまでの長い間新たな弟子を取ることもなく自身の右腕として利用し、生き残ったジェダイや銀河帝国の抵抗勢力に脅威を与えることとなった。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "以降は帝国軍の指揮官として反乱同盟軍によるレジスタンス活動の制圧に従事することとなり、『反乱者たち』ではその反乱軍として働いていたジェダイの生き残りであるケイナンとその弟子エズラを圧倒し、さらにかつての自身の弟子であるアソーカ・タノとも再会、交戦している。『ローグ・ワン』から『エピソード4/新たなる希望』にかけては反乱軍が入手したデス・スターの設計データを奪還のために動き、執拗な追撃の末その設計データを隠し持っていたとされるレイア姫を捕らえ、彼女を救うべくデス・スターに侵入したオビ=ワンも倒すが、結局データは反乱軍本部の手に渡り、攻撃を仕掛けてきた反乱軍に対してデス・スターを守るため自らTIEアドバンストx1に乗ってこれを迎え撃つも最終的にはデス・スターの破壊を許してしまう結果となる。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "デス・スターの破壊によって、治安の悪いアウター・リムを統治していたターキン総督をはじめとする権力者たちが一気に死亡、各地で反乱の火の手が上がり、反乱同盟軍が急速に勢力を拡大した。皇帝はこれを鎮圧すべく、『エピソード5/帝国の逆襲』において、ベイダーにあらゆる政治的束縛、手続、規制を受けない特権を与え、また第一級の艦船からなる機動艦隊「死の小艦隊」の指揮を任せた。反乱の追撃・鎮圧にあたるベイダーの行動は冷徹かつ迅速確実で、部下の失態にも容赦がなく、ケンダル・オゼル提督などがフォース・チョークで処刑されている。クラウド・シティで息子と対面してからはその傾向はなくなっており、一度もフォース・チョークで処刑していない(『エピソード6』の第2デス・スターの未公開シーンでは、部下をフォース・チョークで処刑しようとして思いとどまるシーンがある)。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "四肢を失い大火傷を負ったことで、皇帝やヨーダをも遥かに超える可能性を秘めたフォースの潜在能力をすべて開花させることはできなくなったが、依然その戦闘能力やパイロット技術は高く、モールですら「俺だけではベイダーに勝てない」と評するほどであった。そのこともあり長らく皇帝は新たな弟子に乗り換えることはなかった。しかしながら、それは同時に、ベイダー自身では皇帝を超えることが叶わず、自らが銀河を統治し不毛な争いを終わらせるという野望が叶わぬという事実を示すことでもあった。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "そんな折、息子であるルーク・スカイウォーカーと出会い皇帝すら凌ぐ可能性を秘めた類稀なる才能に目をつける。対決したルークを打ち負かし、自身がルークの父親であることを告げて自らの手ほどきでフォースの暗黒面に引き込み、まだ開花していないルークの潜在能力を解放させようと考えて皇帝を倒し親子で銀河を支配しようと誘うが拒否されてしまう。それに対して既にベイダーの野心とルークの高い潜在能力に気付いていた皇帝はルークをベイダーに代わる新たな弟子として迎えるべくベイダーとルークの決闘を仕組んだ。この戦いの最中ベイダーは不用意な言動でルークを逆上させ、激情に任せたルークの激しい攻撃にライトセーバーごと右手首から先を切り飛ばされ敗れてしまう。ルークが激情に走り怒りと憎しみに任せてベイダーを打ち倒したのを見計らって皇帝はルークに対してもはや戦意を喪失したベイダーを殺害するように教唆する。これはかつて皇帝がベイダーを暗黒面に籠絡するために無力化した相手を殺害させたのと同じ計略である。しかしルークのとった行動は追い詰められたドゥークー伯爵の命を奪った若き日のベイダーとは全く違うジェダイの騎士としてあくまでも毅然としたものであり、その証拠にライトセーバーを放り捨てて攻撃の意思がないことを証明した。ルークの「僕は暗黒面には入らない。僕はジェダイだ、かつて父がそうだったように。」という言葉と、皇帝が放つフォース・ライトニングに撃たれながらも父の良心を信じ続ける叫びに心を打たれてかつてのジェダイの騎士であった頃のアナキン・スカイウォーカーとしての心を取り戻したベイダーはジェダイの騎士に帰還し、捨て身の覚悟で皇帝を第2デス・スターの巨大な原子炉に投げ込んで倒した。ここにかつてクワイ=ガン・ジンにより見出されたフォースにバランスをもたらす「選ばれし者」としての使命を果たしたのである。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "しかしその最中、皇帝のフォース・ライトニングを受けて生命維持装置を破壊されてしまいベイダーの命も風前の灯となってしまう。立つのもやっとの状態のままルークに肩を預けて第2デス・スターからの脱出の最中マスクを外せばすぐに事切れるような状態にも係わらず「直接、自分の目でお前の顔を見たい」と瀕死のベイダーはルークにマスクを外してもらい、自身の目で息子の成長した姿を確かめて自身を暗黒面から救ってくれたことに感謝を示しつつ息子の腕の中で静かに息を引き取った。この際「娘に愛していたと伝えてくれ」とルークに頼んでいることから“父親”となっていれば愛情を持って子供を育てていたと思われる。遺体はルークの手で第2デス・スターから運び出されて荼毘に付され、その魂はフォースと一体となる。オビ=ワンやヨーダと共にダース・ベイダーではなく本来あり得たであろう“父親”としての姿で戦いを終えたルークたちを見守ることとなった。この時遺体と共にベイダーの装甲服やヘルメットは燃やされたがヘルメットの残骸は残ったようであり、エンドアの戦いから約30年後の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』ではハン・ソロとレイア・オーガナの息子にしてベイダーの孫であり、ベイダーのようにフォースの暗黒面に堕ちたカイロ・レンがヘルメットの残骸を所有していた。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "銀河帝国成立時から長らく皇帝の右腕として活躍した彼であるが、その地位は最初から必ずしも高いものではなかった。かつてターキンは存命中に皇帝に次ぐ帝国第二位の絶対的地位に留まり続け、ベイダーにとっては明確な上位者として君臨していた。ベイダー(アナキン)はかねてジェダイの頃からターキンに優れた軍人としての敬意を表しており、以前は良き友好関係を築いていたのである。デス・スター喪失によるターキンの死はベイダーにとっても大きな痛手であった。ヤヴィンの戦いにおける指揮官の一人であったベイダーは度重なる失態によって皇帝の大きな不興を買っていた。皇帝はデス・スター司令官の中で唯一その脆弱性を指摘していたカシオ・タッグを大将軍(銀河帝国最高司令官)に任命し、ベイダーをその配下に格下げした。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "その一方『ローグ・ワン』劇中においてはムスタファ―のベイダーの居城においてはベイダーが浸かっているバクタ・タンクの両脇をインペリアル・ガードの隊員2名が警護のために控えており、これは皇帝以外で彼らを配下に置いていた珍しい例である。また、この居城にはベイダーの従者であるヴァネーが詰めている。さらにベイダーの死後に判明した新事実として『エピソード9』にあたる『スカイウォーカーの夜明け』において居城の一角に銀河系の未知領域に存在する惑星エグゼゴルへの導きとなる存在であり、銀河帝国では2つしか存在しないウェイファインダーの片方が隠されていたのが判明した。なおもう片方のウェイファインダーは皇帝が所持し、第2デス・スターが破壊された後もその残骸の中に残されたままとなっていたのを発見されるがこのウェイファインダーの件を見る限り帝国軍の地位とは別にシスの暗黒卿の師弟としての関係からシス絡みの重要事項については皇帝から信頼を置かれた上で任されていた模様。", "title": "作中での動向" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2012年のウォルト・ディズニー・カンパニーによる『スター・ウォーズ』シリーズの制作会社ルーカスフィルムの買収に伴い、それ以前に展開していたスピンオフ(外伝)作品は「レジェンズ(非正史)」として分別されることになった。以下は、それら「レジェンズ」に属するスピンオフ作品での設定を挙げる。", "title": "レジェンズ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "名前は「ダーク・ファーザー」のもじりで、ルーカス自身の父親との確執が反映されたキャラクターなどとされている(別説あり)。実際オランダ語では、父親のことを「vader(ファーダー)」と言う。", "title": "キャラクター制作" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また、身に着けているヘルメット、マスク、装甲服、マントは、いずれもフォースの暗黒面を象徴しているかのように黒い。頭を全て覆うヘルメットおよびマスクは、仙台市博物館の館長だった濱田直嗣によれば仙台市博物館所蔵の「黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用」の兜を参考にしているというが、ナラティヴ・アートのルーカス博物館(英語版)の館長のレイラ・フレンチによれば、ジョン・モロが役者をロンドンのコスチュームショップに連れて行き、そこで黒いオートバイ・スーツと黒いマントを見つけ、それに第一次世界大戦中のドイツ軍のガスマスクとナチスのフリッツヘルメット(シュタールヘルム)をモデルにしたヘルメットを追加したものであるという。R2-D2やC-3POなども担当したラルフ・マクウォーリー(英語版)によってデザインされた。", "title": "キャラクター制作" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "マクウォーリーは「ダース・ベイダーは、顔を黒い絹布のようなもので隠して、日本の武士のような兜を被るようにしたらどうか、とジョージ・ルーカスが言ったんだ。だが、『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーが最初に登場するシーンで、ストームトルーパーは宇宙服を着ているのに彼は着ていないという問題が残った。ダース・ベイダーは壁に穴を開けて、他の宇宙船に乗り移ることができる。だが、酸素のない宇宙空間では生きていられないはずだ、と私が指摘すると、ジョージが呼吸装置のようなものをつけようと言ったんだ。こうして、ダース・ベイダーが着る装甲服は、鎧兜の特徴と宇宙服の特徴を持っていて、そこに生命維持装置とコミュニケーション装置をつけたものにしようと考えた」と、『スター・ウォーズ・インサイダー』誌のインタビューにコメントしている。", "title": "キャラクター制作" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "大柄でがっちりとした体型に全身黒ずくめの衣装、傷ついた顔を隠す上に恐ろしさを見せ付けるマスク、不気味な呼吸音で見る者に強烈な印象を残すキャラクターである。またテーマ音楽であるインペリアル・マーチ(帝国のマーチ、ベイダーのテーマ)は映画のテーマ曲と並んで有名。初期の劇中での存在感から、威圧的・高圧的人物や悪の大ボスなどの代名詞とされることも多く、「AFI アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」(2003年)の悪役部門で第3位に選出されている。", "title": "キャラクター制作" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "「エピソード4 - 6」で使用されたベイダーのマスクは、形状が左右対称ではなく(マスクの口元やヘルメット上部にかなり大きな歪みがある)、マスク部分のシルバーとガンメタルの塗り分けも左右で違うものであった。マスクを制作したブライアン・ミュアーによると、ロボットに見えないよう左右で表情を付けるためにこのようにしたとのことである。作品ごとに新しく製作されていたため、「エピソード4 - 6」3作ごとに微妙にデザインや塗り分け、色味が異なる。『エピソード3』で再登場するにあたり「エピソード4 - 6」のデザインから若干変更があり、片側だけ製作した型をコンピュータによって左右反転コピーするという方法で形状が左右対称になったほか、マスク部分が若干小型化され、シルバーとガンメタルの塗り分けが無くなり黒1色の塗装となっている。『エピソード3』DVDのメイキングでのマスクの製作担当者の発言では、「エピソード4 - 6」のベイダーのマスクとヘルメットが非常に巨大なのは、演じたスーツアクター(デヴィッド・プラウズ)の頭が非常に大きかったためで、ヘイデンの頭のサイズに合わせると同時に、生まれたばかりのベイダーの若さをイメージしたとのこと。また、『エピソード4』の直前を描く『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』では、デザインを『エピソード4』のものに合わせ、左右非対称で色分けが左右で異なっているマスクが使用されている。", "title": "キャラクター制作" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ヘルメットとマスクを外したベイダーの頭部には大きな刀傷がみられる。この傷はオビ=ワンとの死闘の際に負ったもので、旧3部作では、この傷が元で生命維持装置が必要になったという設定であった。しかし、その戦いが描かれたエピソード3では、溶岩の熱によって全身を焼かれたために、生命維持装置が必要になったという設定に変更された。溶岩に焼かれている最中に、この傷を負ったことになっている。", "title": "キャラクター制作" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ルーカスは、三船敏郎の熱烈なファンであり、オビ=ワン役のオファーがあったが、三船プロダクションの番組制作出演契約のため断り、それならばと『エピソード6』で「アナキン・スカイウォーカー役では?」と再度依頼があるも、同じく三船プロの運営のため断った。三船敏郎のイメージを残したかったルーカスは、アナキン役のセバスチャン・ショウのメイクをなるべく三船に似せるようにしろと指示した。ケナー社アクションフィギュアの初期パッケージのイラストはショウよりも三船にそっくりであった。このフィギュアはオークションなどで高値で取引されている。", "title": "キャラクター制作" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "顔をマスクで覆っており、身振りと声のみで台詞を表現するキャラクターであるため声は別人がアフレコで演じている。これを利用して、『エピソード5』でルークに自らが父親であることを明かすシーンでは、関係者からのネタバレを防ぐため、スーツアクターには偽物のセリフを与えていたというエピソードがある。試写会で本当のセリフを聞かされたスーツアクターのデビッド・プラウズは偽の台本を渡されていたことに唖然としたという逸話がある。その偽物の台詞とは、『エピソード4』でオビ=ワンから父親を殺したのはベイダーであると教えられていたルークに対し、反論としてベイダーが「オビ=ワンこそがお前の父親を殺した犯人だ」と糾弾するというものであり、撮影現場全体がこの偽物のセリフをもとに撮影・演技をしていた。", "title": "演技" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "台詞が偽物であることと本物のセリフを知っていたのは、ルーカスと監督のアービン・カーシュナーとルーク役のマーク・ハミル、そしてアフレコの時に知らされたジェームズ・アール・ジョーンズ(ベイダーの声を担当)のみであったとされており、登場人物では唯一ハミルだけが「お前の父は私だ」という真の台詞を基に演技をしていた。ルーカスと監督から「これからデビッドが台本とは違う台詞をしゃべるが、気にしないで演技を続けてくれ」と言われたそうである。脚本が漏れることを極度に警戒したための措置である。なお、オビ=ワンは結果的に「父親を殺したのはベイダーである」とルークを騙したことになるが、『エピソード6』にはこのことへのフォローのシーンがある。", "title": "演技" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "生命維持装置と連動したマスク(仮面)を通した「シューコー、シューコー」という独特の機械的呼吸音 (Darth Vader's breathing sound) は単独で通用するほど世界に広く知られている。アメリカ国内では2009年5月12日付で音の商標(サウンドマーク)として権利登録された。", "title": "呼吸音" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "米国特許商標庁登録申請日:2008年3月11日、登録日:2009年5月12日。登録権利者:ルーカスフィルム。US登録商標:第3618322号。音の制作方法:スクーバダイビング用レギュレーターによる。音の定義:スクーバタンクのレギュレーターを使って呼吸することで作り出される、周期的で機械的な人間の呼吸音(原文:The mark consists of the sound of rhythmic mechanical human breathing created by breathing through a scuba tank regulator.)。", "title": "呼吸音" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "「エピソード4 - 6」を中心に、ダース・ベイダーおよびアナキン・スカイウォーカーを演じた人物を本節に記述する。", "title": "配役" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2004年製作以降の映像ソフトでは死後フォースと一体化し霊体として登場するアナキン・スカイウォーカーの姿がセバスチャン・ショウが演じる姿から『エピソード2』や『エピソード3』に合わせてヘイデン・クリステンセンが演じる姿へ変更になった(頭部のみの挿げ替え)。", "title": "配役" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "この変更は、シスの暗黒卿ダース・ベイダーから、そうなる以前のジェダイの騎士アナキン・スカイウォーカーであった頃の姿へとフォースの暗黒面から帰還したことを、より明確に表現するためと、ダース・ベイダーの年齢が、本作の後年に制作された「エピソード1 - 3」の設定で換算するなら「エピソード4 - 6」では41 - 45歳前後と、撮影当時に想定されていた年齢より大きく若い設定になってしまったことによる。撮影当時の設定でも、アナキンは師匠オビ=ワン・ケノービの数歳ほど年下の想定であったが、アナキンを演じた際のセバスチャン・ショウの年齢はすでに70歳を越えており、オビ=ワン役のアレック・ギネスよりも年上であった。また、マスクを脱いだシーンでも、瞳の色がヘイデン・クリステンセンと同じ青色に変えられている。", "title": "配役" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "スターワルツ企画・運営の非公式イベントでは、1999年より、デヴィッド・プラウズ、C・アンドリュー・ネルソン、マット・スローンらが来日し、ベイダーの演じわけを公表したが、記録は一般には発表されていない。ベイダーマスク製作者のブライアン・ミューアーも、2010年に招聘され、左右非対称な仮面は、ジョージ・ルーカスの指示で、ロボットではなく、人間性を暗示するようにデザインされたことが語られた。鼻の部分に当たるへこみは、彼の親指をスタンプしたものである。", "title": "配役" } ]
ダース・ベイダーは、アメリカのSF映画『スター・ウォーズ』シリーズに登場する人物。このシリーズにおける代表的なアンチヒーローでもある。日本語名には表記揺れとして「ダース・ヴェイダー」と「ダース・ベーダー」が見られる。 本名およびジェダイの騎士であった頃の名はアナキン・スカイウォーカーで、天性の才能の持ち主に加えて優れた戦闘能力、技術力に長けた騎士であったがフォースの暗黒面に囚われ銀河帝国皇帝シーヴ・パルパティーン(ダース・シディアス)に師事するシスの暗黒卿となる。かつての師オビ=ワン・ケノービとの決闘で四肢を失い全身に火傷を負ったためにサイボーグ化され、常に生命維持装置と連動したマスク(仮面)を着装している(※『呼吸音』も参照)。
{{出典の明記|date=2016-10-28}} {{Infobox スターウォーズ登場人物 |name = ダース・ベイダー<br />Darth Vader |image = SWC 6 - Darth Vader Costume (7865106344).jpg |image_alt = |size = 200px |caption = |alias = |species = 人間(サイボーグ) |gender = 男性 |family = [[シミ・スカイウォーカー]]<br />[[パドメ・アミダラ]]<br />[[ルーク・スカイウォーカー]]<br />[[レイア・オーガナ]] |position = [[シス (スター・ウォーズ)|シスの暗黒卿]] |planet = [[タトゥイーン]] |affiliation = シス<br />[[銀河帝国 (スター・ウォーズ)|銀河帝国]] |first = 『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|新たなる希望]]』(1977年) |portrayer = [[デヴィッド・プラウズ]]<br />[[ボブ・アンダーソン (フェンサー)|ボブ・アンダーソン]]<br />[[セバスチャン・ショウ]]<br />[[ヘイデン・クリステンセン]]<br/>{{仮リンク|スペンサー・ワイルディング|en|Spencer Wilding}} |voiceactor = [[ジェームズ・アール・ジョーンズ]]<br />[[マット・スローン (声優)|マット・スローン]]<br />[[スコット・ローレンス]] }} '''ダース・ベイダー'''('''Darth Vader'''{{Sfn|Britannica}}{{r|"kb_P英和中4"}})は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[SF映画]][[スター・ウォーズシリーズ|『スター・ウォーズ』シリーズ]]に登場する人物{{r|kb}}。このシリーズにおける代表的な[[アンチヒーロー]]でもある。[[日本語]]名には[[wikt:表記揺れ|表記揺れ]]として「ダース・'''ヴェイダー'''」と「ダース・'''ベーダー'''{{r|"kb_P英和中4"}}」が見られる。 本名および[[ジェダイ]]の騎士であった頃の名は'''[[アナキン・スカイウォーカー]]'''で、天性の才能の持ち主に加えて優れた戦闘能力、技術力に長けた騎士であったが{{r|kb}}[[フォース (スター・ウォーズ)|フォース]]の暗黒面に囚われ[[銀河帝国 (スター・ウォーズ)|銀河帝国]]皇帝[[ダース・シディアス|シーヴ・パルパティーン(ダース・シディアス)]]に師事する[[シス (スター・ウォーズ)|シス]]の暗黒卿となる{{r|kb}}。かつての師[[オビ=ワン・ケノービ]]との決闘で四肢を失い全身に[[火傷]]を負ったため{{r|kb}}に[[サイボーグ]]化され、常に[[生命維持装置]]と連動したマスク([[仮面]])を着装している{{r|kb}}({{small|※『[[#呼吸音|呼吸音]]』も参照}})。 == 概要 == エピソード4~6にかけては皇帝の手足となって帝国の支配と恐怖の体現者としての役回りを担っており、ジェダイの生き残りと帝国への抵抗を試みる勢力に対する脅威を与える存在として立ち回っている。そこから実子の[[ルーク・スカイウォーカー]]との対面を経てシスの暗黒卿からジェダイの騎士へと返り咲くまでの経緯が描かれ、エピソード1~3にかけては上記のアナキンとして登場し、生い立ちやジェダイになるまでの経緯と自身の苦悩からシスの暗黒卿に変貌するまでの経緯が描かれた。 その人生は正にジェダイの予言にある「フォースにバランスをもたらす者」を体現した者であった。なお『スター・ウォーズ』シリーズにおけるジェダイの騎士およびシスの暗黒卿の中でも最強のフォースの持ち主とされるのは[[ジョージ・ルーカス]]の発言によると[[オビ=ワン・ケノービ]]との決闘で敗れて大火傷を負い[[サイボーグ]]になる前の五体満足な状態で、その潜在能力のすべてを開花させた彼であったとのこと。 == 作中での動向 == === 旧共和国時代 === ジェダイ時代のアナキンは、愛する者を守りたいという純粋な願望と若さ故の激情から、ジェダイの掟を何度となく破ってしまう。特に、妻[[パドメ・アミダラ]]が死の運命にあるという予知夢を見た後は<ref group="注">母のシミの死を予知夢しながらも救えなかったことも起因している。</ref>、妻を救う力を得たいと願うあまりにシスの暗黒卿[[ダース・シディアス]](後の銀河帝国皇帝)の「妻を救えるかもしれない」という甘言に屈し、[[ジェダイ#旧共和国時代|ジェダイ・マスター]]の[[メイス・ウィンドゥ]]殺害に手を貸してしまい、引き返す道を絶たれた状態でシスの暗黒卿へと転向して「ダース・ベイダー」という名前を与えられた。その直後、秩序を取り戻すという名目でクローン兵のアポーが率いる[[クローン・トルーパー]][[クローン・トルーパー#部隊|第501大隊]]を指揮して[[ジェダイ聖堂]]を襲撃、そこにいた子供を含む全てのジェダイとその弟子・訓練生を虐殺、さらにパルパティーンの命により、辺境の惑星[[スター・ウォーズ惑星一覧|ムスタファー]]で[[独立星系連合]]の幹部たちも抹殺した。 完全に後戻りできなくなったアナキンは、この時点で目的が「妻を救う」から「銀河を支配し自分たちの障壁を排除する」というものになっており、彼の身を気遣ってムスタファーを訪れたパドメ・アミダラに、シディアスをも倒し、自分と共に銀河を支配し思うがままに生きようと誘う。しかし彼女が暗黒面に魅了され様変わりしてしまった彼を否定し、彼の誘惑を拒絶したこと、さらに、彼女の意図したものではないとはいえその場に[[オビ=ワン・ケノービ]]を連れて来ていたため、オビ=ワンに自分を殺させに来たという誤解により、彼は怒りに任せて非力なパドメにフォースチョークを行使し、昏倒させてしまう。そしてかつての師に怒りの矛先を向けて戦いを挑む。暗黒面の力を得たが、このときのアナキンは冷静さを欠いており、熟練したオビ=ワンの戦法に思うままに攻撃できず、地の利を得たことで挑発をしたオビ=ワンの誘いにのってしまい、攻撃に移る一瞬の隙を突かれ、オビ=ワンの[[ライトセーバー]]で左腕と両足を切り落とされ敗北。暗黒面に堕ちたかつての弟子を哀れむオビ=ワンに、彼はもはや憎しみしか抱いていなかった。溶岩の熱で服が発火して全身に火傷を負い、自然呼吸も不可能な体となってしまった(ただし、『[[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|帝国の逆襲]]』の劇中、帝国軍の旗艦「エクゼキューター」の瞑想用の個室で、マスクを外して自然呼吸をしているシーンがある)。 危機を察して駆けつけたシディアスにより救出され、サイボーグ化手術を施されて一命は取り留めたもののシディアスが期待していた「自身や[[ヨーダ]]をも超えるほどの可能性を秘めたフォースの潜在能力」は戦傷と火傷により生身の肉体の大半が失われたためにそのすべてを開花させることはできなくなってしまうが、この体験に加えて自らが手に掛けたことと暗黒面に堕ちてしまったことによるショックでパドメが死亡してしまったことで虚無感を抱くようになり、物事の全てに対する興味をなくしたことで「アナキン」として抱くことが多かった執着や迷いがなくなり、皮肉にも隙の無い性格となった。また暗黒面のフォースを学んだことで開花しなかった潜在能力を差し引いても依然高い実力を保っており、他の騎士の追随を許さぬほどであった。そのため皇帝も[[ルーク・スカイウォーカー]]というかつての彼に比肩する才能が現れるまでの長い間新たな弟子を取ることもなく自身の右腕として利用し、生き残ったジェダイや銀河帝国の抵抗勢力に脅威を与えることとなった。 === 銀河帝国時代 === 以降は帝国軍の指揮官として[[スター・ウォーズ登場組織一覧|反乱同盟軍]]によるレジスタンス活動の制圧に従事することとなり、『[[スター・ウォーズ 反乱者たち|反乱者たち]]』ではその反乱軍として働いていたジェダイの生き残りであるケイナンとその弟子エズラを圧倒し、さらにかつての自身の弟子である[[アソーカ・タノ]]とも再会、交戦している。『[[ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー|ローグ・ワン]]』から『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|エピソード4/新たなる希望]]』にかけては反乱軍が入手した[[デス・スター]]の設計データを奪還のために動き、執拗な追撃の末その設計データを隠し持っていたとされるレイア姫を捕らえ、彼女を救うべくデス・スターに侵入したオビ=ワンも倒すが、結局データは反乱軍本部の手に渡り、攻撃を仕掛けてきた反乱軍に対してデス・スターを守るため自らTIEアドバンストx1に乗ってこれを迎え撃つも最終的にはデス・スターの破壊を許してしまう結果となる。 デス・スターの破壊によって、治安の悪い[[アウター・リム]]を統治していたターキン総督をはじめとする権力者たちが一気に死亡、各地で反乱の火の手が上がり、反乱同盟軍が急速に勢力を拡大した。皇帝はこれを鎮圧すべく、『[[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|エピソード5/帝国の逆襲]]』において、ベイダーにあらゆる政治的束縛、手続、規制を受けない特権を与え、また第一級の艦船からなる機動艦隊「死の小艦隊」の指揮を任せた。反乱の追撃・鎮圧にあたるベイダーの行動は冷徹かつ迅速確実で、部下の失態にも容赦がなく、[[ケンダル・オゼル]]提督などがフォース・チョークで処刑されている。クラウド・シティで息子と対面してからはその傾向はなくなっており、一度もフォース・チョークで処刑していない(『[[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還|エピソード6]]』の第2デス・スターの未公開シーンでは、部下をフォース・チョークで処刑しようとして思いとどまるシーンがある)。 四肢を失い大火傷を負ったことで、皇帝や[[ヨーダ]]をも遥かに超える可能性を秘めたフォースの潜在能力をすべて開花させることはできなくなったが、依然その戦闘能力やパイロット技術は高く、[[ダース・モール|モール]]ですら「俺だけではベイダーに勝てない」と評する<ref>『反乱者たち』シーズン2第22話</ref>ほどであった。そのこともあり長らく皇帝は新たな弟子に乗り換えることはなかった。しかしながら、それは同時に、ベイダー自身では皇帝を超えることが叶わず、自らが銀河を統治し不毛な争いを終わらせるという野望が叶わぬという事実を示すことでもあった。 そんな折、息子である[[ルーク・スカイウォーカー]]と出会い皇帝すら凌ぐ可能性を秘めた類稀なる才能に目をつける。対決したルークを打ち負かし、自身がルークの父親であることを告げて自らの手ほどきでフォースの暗黒面に引き込み、まだ開花していないルークの潜在能力を解放させようと考えて皇帝を倒し親子で銀河を支配しようと誘うが拒否されてしまう。それに対して既にベイダーの野心とルークの高い潜在能力に気付いていた皇帝はルークをベイダーに代わる新たな弟子として迎えるべくベイダーとルークの決闘を仕組んだ。この戦いの最中ベイダーは不用意な言動でルークを逆上させ、激情に任せたルークの激しい攻撃にライトセーバーごと右手首から先を切り飛ばされ敗れてしまう。ルークが激情に走り怒りと憎しみに任せてベイダーを打ち倒したのを見計らって皇帝はルークに対してもはや戦意を喪失したベイダーを殺害するように教唆する。これはかつて皇帝がベイダーを暗黒面に籠絡するために無力化した相手を殺害させたのと同じ計略である。しかしルークのとった行動は追い詰められた[[ドゥークー伯爵]]の命を奪った若き日のベイダーとは全く違うジェダイの騎士としてあくまでも毅然としたものであり、その証拠にライトセーバーを放り捨てて攻撃の意思がないことを証明した。ルークの「僕は暗黒面には入らない。僕はジェダイだ、かつて父がそうだったように。」という言葉と、皇帝が放つ[[スター・ウォーズシリーズ#劇中用語|フォース・ライトニング]]に撃たれながらも父の良心を信じ続ける叫びに心を打たれてかつてのジェダイの騎士であった頃の[[アナキン・スカイウォーカー]]としての心を取り戻したベイダーはジェダイの騎士に帰還し、捨て身の覚悟で皇帝を第2デス・スターの巨大な原子炉に投げ込んで倒した。ここにかつて[[クワイ=ガン・ジン]]により見出されたフォースにバランスをもたらす「選ばれし者」としての使命を果たしたのである。 しかしその最中、皇帝のフォース・ライトニングを受けて[[生命維持装置]]を破壊されてしまいベイダーの命も風前の灯となってしまう。立つのもやっとの状態のままルークに肩を預けて第2デス・スターからの脱出の最中マスクを外せばすぐに事切れるような状態にも係わらず「直接、自分の目でお前の顔を見たい」<ref group="注">『[[スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐|シスの復讐]]』において、サイボーグ化手術の最期にマスクを装着される場面において、マスクの内側の、ベイダーの生身の両目の前に位置する部分は視覚センサーが捉えた情報をモニターする部位になっており、マスクを装着した状態のベイダーの目に見えるのは赤をベースとした映像という、いかにもサイボーグらしいものであることが判明した。</ref>と瀕死のベイダーはルークにマスクを外してもらい、自身の目で息子の成長した姿を確かめて自身を暗黒面から救ってくれたことに感謝を示しつつ息子の腕の中で静かに息を引き取った。この際「娘に愛していたと伝えてくれ」とルークに頼んでいることから“'''父親'''”となっていれば愛情を持って子供を育てていたと思われる。遺体はルークの手で第2デス・スターから運び出されて[[火葬|荼毘]]に付され、その魂はフォースと一体となる。オビ=ワンやヨーダと共にダース・ベイダーではなく本来あり得たであろう“'''父親'''”としての姿で戦いを終えたルークたちを見守ることとなった。この時遺体と共にベイダーの装甲服やヘルメットは燃やされたがヘルメットの残骸は残ったようであり、エンドアの戦いから約30年後の『[[スター・ウォーズ/フォースの覚醒]]』ではハン・ソロとレイア・オーガナの息子にしてベイダーの孫であり、ベイダーのようにフォースの暗黒面に堕ちた[[カイロ・レン]]がヘルメットの残骸を所有していた。 === 帝国軍における地位 === 銀河帝国成立時から長らく皇帝の右腕として活躍した彼であるが、その地位は最初から必ずしも高いものではなかった。かつて[[グランド・モフ・ウィルハフ・ターキン|ターキン]]は存命中に皇帝に次ぐ帝国第二位の絶対的地位に留まり続け、ベイダーにとっては明確な上位者として君臨していた。ベイダー(アナキン)はかねてジェダイの頃からターキンに優れた軍人としての敬意を表しており、以前は良き友好関係を築いていたのである<ref>『[[スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ (テレビアニメ)#シーズン3(暴かれた秘密)|スター・ウォーズ クローン・ウォーズ』シーズン3]]、第20話「勝利の代償」</ref>。デス・スター喪失によるターキンの死はベイダーにとっても大きな痛手であった。ヤヴィンの戦いにおける指揮官の一人であったベイダーは度重なる失態によって皇帝の大きな不興を買っていた。皇帝はデス・スター司令官の中で唯一その脆弱性を指摘していたカシオ・タッグを大将軍(銀河帝国最高司令官)に任命し、ベイダーをその配下に格下げした。 その一方『ローグ・ワン』劇中においてはムスタファ―のベイダーの居城においてはベイダーが浸かっているバクタ・タンクの両脇をインペリアル・ガードの隊員2名が警護のために控えており、これは皇帝以外で彼らを配下に置いていた珍しい例である。また、この居城にはベイダーの従者であるヴァネーが詰めている。さらにベイダーの死後に判明した新事実として『エピソード9』にあたる『[[スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け|スカイウォーカーの夜明け]]』において居城の一角に銀河系の未知領域に存在する惑星エグゼゴルへの導きとなる存在であり、銀河帝国では2つしか存在しないウェイファインダーの片方が隠されていたのが判明した。なおもう片方のウェイファインダーは皇帝が所持し、第2デス・スターが破壊された後もその残骸の中に残されたままとなっていたのを発見されるがこのウェイファインダーの件を見る限り帝国軍の地位とは別にシスの暗黒卿の師弟としての関係からシス絡みの重要事項については皇帝から信頼を置かれた上で任されていた模様。 == 能力 == ; 戦闘能力 : [[オビ=ワン・ケノービ]]との決闘で負った重傷と後遺症から皇帝やヨーダをも遥かに凌ぐと予見されていた潜在能力の全てが開花することはなくなったが、シディアスの下で暗黒面の攻撃的なフォースの術技を学んだ事と持ち前の[[ライトセーバー]]の剣技や[[TIEファイター|スターファイター]]の操縦技術は依然として高い実力を誇っていた。 : その事実からシディアスすらも超える潜在能力を持つとされる[[ルーク・スカイウォーカー]]という類稀なる才能の若者が現れるまでの長い間シディアスも新たな弟子に乗り換えることなく自らの腹心として長年に渡り手元に置いた。帝国に対する反乱勢力の中にも長年に渡りベイダーを倒せるだけの実力者は現れず、かのオビ=ワンや[[ヨーダ]]ですらも“新たなる希望”となり得るルークが成長するまでは長い隠遁を余儀なくされた。 : アンソロジー・シリーズ第1弾『[[ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー]]』では多くの反乱軍兵士を単身で一度に相手取り、フォースでブラスターの銃弾を押し返したりブラスターを強引に引き寄せて攻撃手段を奪う(ただしこれは「丸腰の敵を倒す」というジェダイとしては禁じられた行為である)などをしつつライトセーバーを振るい瞬く間に多くの兵士を斬り捨てて殺害した。 : スピンオフ作品『[[スター・ウォーズ 反乱者たち]]』ではジェダイの生き残りケイナン・ジャラスとその弟子エズラ・ブリッジャーが二人がかりでベイダーに挑むもその圧倒的な実力の前には全く歯が立たなかった。ベイダーの手を逃れて辛くも逃げおおせた後もケイナンは「レベルが違いすぎる」と吐露していた。 : ライトセーバー戦では若い頃のスピード重視の戦闘法から身体の機械化により強化された腕力を生かしたパワー重視の戦闘法へと変化している。『エピソード4』でのオビ=ワンとの再戦では以前とは異なり冷静に戦いを進めて勝利しており、『エピソード5』ではダース・シディアスにも勝る潜在能力を秘めたルークを彼自身がまだ修行中の身でもあってか序盤はライトセーバーを片手だけで操るほどの余裕を見せるなど終始圧倒した。続く『エピソード6』ではルークが修行を積み大きく成長を遂げたことで両者の実力差はほぼ解消され、互角の勝負を繰り広げた。しかし、戦闘終盤ルークの心をフォースで読むことでレイアの存在を知ることとなり、「もしルークが拒むなら代わりにレイアを暗黒面に堕としてやる」と不用意な発言をした事で激しい怒りによって自らの潜在能力を引き出したルークの猛攻であえなく右腕を斬り落とされ、ついに敗れた。 : 他には暗黒面の[[フォース (スター・ウォーズ)|フォース]]を用いた戦闘も得意とする。フォースで相手の首を締め上げる、あるいは首の骨をへし折る(フォース・チョーク)、フォースで周囲の物体を操り相手にぶつける、フォースでライトセーバーをブーメランの如く投擲するなどといった巧みな攻撃を得意とする。またクラウド・シティで[[ハン・ソロ]]と対峙した際にはソロの放った[[スター・ウォーズ登場テクノロジー一覧#ブラスター|ブラスター]]の光弾を掌から放たれたフォース・プッシュ([[斥力]])で相殺し、さらにはフォース・プル([[引力]])でブラスターをソロの手元から引き寄せ奪い取るといった芸当を見せた。 : 『エピソード4』では反乱同盟軍による[[デス・スター]]総攻撃に際して自身の設計した戦闘機「TIEアドバンストX1」に乗り込み自らの戦闘機部隊「ブラック中隊」を率いて反乱軍を迎え撃ち、その卓越した操縦技術で数多くの反乱軍パイロットを撃墜した。『反乱者たち』では反乱軍のフェニックス中隊とその艦隊を自ら操るTIEアドバンストX1単機のみでほぼ壊滅寸前にまで追い詰めた。 : 死後約30年が経った『エピソード7』に当たる『[[スター・ウォーズ/フォースの覚醒]]』の時代でも帝国軍を率いたシスの暗黒卿ダース・ベイダーの圧倒的な戦闘力は語り継がれており、彼を信奉する暗黒面の戦士カイロ・レンは自身が「ダース・ベイダーのように強くはなれないのでは?」という不安を内面に抱えている。 ; 司令官として : 皇帝同様にベイダーもまた冷酷非情な司令官として君臨し、部下たちに絶対的な恐怖を植え付けていた。失態を犯した部下に対してはフォース・チョークで容赦なき制裁を下し、速やかに代わりの者を充当させている。このことはベイダーが帝国軍の総司令官に君臨してからは士官の昇格が異常なほど速いペースで行われている要因となっている。ただし皇帝がじき視察に来るにもかかわらず第二デス・スターの建造の遅れに対する言い訳や増員の要求ばかりをする現地司令官に向かって「皇帝にそう申し上げろ」と言い、司令官が要員のシフトを増設すると答えると「それが正しい判断だ。皇帝陛下は私のように寛大ではない」と告げるなど皇帝と比べればある程度の寛容さはあったようである。 : [[クローン大戦]]で将軍として活躍した経験を生かし、帝国軍の総司令官でありながら自ら進んで最前線に立つことも多い。またダークサイドの能力で冷徹な判断を下せるようになったことから戦略・戦術的にも一層優れた才能を発揮しており、先述の一切の政治的束縛を受けない特権を受けてからはポテンシャルがさらに高まった。 : 先見の明に優れた聡明さも兼ね備えており、誰もがデス・スターの絶対的優位を確信していた中で「人間が作るものに完璧はない」「惑星を一撃で破壊する力もフォースの前には取るに足らん」などと看破していた(映画の結末を見ても分かるように劇中で実際にデス・スターは破壊され、ベイダーが正しいこととなった)。 : またルークを誘き寄せるための謀略や仲間への拷問、囚人に対する自白剤を用いた尋問には手を染めるがライトセーバーにおける決闘では正々堂々と戦っている。 ; 弱点 : 戦闘能力は高く、司令官をこなせるだけの知能や洞察力を十分に有するベイダーではあるがそれでも人間誰しもに言えることではあるが完全無欠というわけではない。例えばベイダーは最愛の妻パドメを喪うも彼女が宿していた自身の血を分けた子についてはパドメ共々死亡したと思い込んでおり、結果としてルークとレイアの存在については当初は認識していなかった。これはパドメの死を伝えた皇帝でさえも彼女が死の直前にルークとレイアを出産したことを察していなかったのに加え、双子の存在を知るオビ=ワンやヨーダらがその存在を隠蔽したことが大きい。 : なおルークはベイダー自身の生まれ故郷であるタトゥイーンで自身の義兄弟であるラーズ夫妻によって育てられるも「スカイウォーカー」の姓を名乗っていたため、『帝国の逆襲』の時点では気付いていたが『新たなる希望』のヤヴィンの戦いでルークが搭乗するXウイングとの交戦時においては「良いフォースの資質を持っている」と察するのみで息子である事には気づいていなかった。一方レイアはベイルとプレハの養女となって「オーガナ」の姓を名乗ったことでルーク以上にベイダーとの親子関係が分かりにくくなっており、『新たなる希望』で自らが乗っていたタンティヴIVが拿捕されて自身も捕まえられるがベイダーは彼女と直接対面するも娘であることに全く気付かずにデス・スターの設計図の在り処を突き止めるべく拷問を行った(ただしベイダーは自らは拷問は行わず、これに特化したIT-0尋問ドロイドを用いている)。その後もベイダーはレイアとの関係に気付かず、先述の通り『ジェダイの帰還』におけるルークとの戦いの中でようやく気付くに至る。 == レジェンズ == [[2012年]]の[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]による[[スター・ウォーズ・シリーズ|『スター・ウォーズ』シリーズ]]の制作会社[[ルーカスフィルム]]の[[M&A|買収]]に伴い、それ以前に展開していた[[スター・ウォーズのスピンオフ一覧|スピンオフ]](外伝)作品は「レジェンズ(非正史)」として分別されることになった{{Sfn|『スター・ウォーズ ニューズウィーク 日本版 SPECIAL EDITION』|2015|p=78}}。以下は、それら「レジェンズ」に属するスピンオフ作品での設定を挙げる。 <!--できるだけ、雑多な羅列でなく、作中での時系列順に記述をお願いいたします。--> * 娘[[レイア・オーガナ]]の前に霊体として現われ、惑星オルデランを破壊した自らの非を詫びたり、復活したパルパティーンによってルークがフォースの暗黒面に魅了されそうになる危機を伝えるために現われたりという描写がある。また[[スローン大提督]]の前に新共和国軍が勝利を収めたのは、レイアが彼の娘であり、合わせて彼女がノーグリの信頼を勝ち得たためである。 * 『エピソード3』の直後を描いたスピンオフ『暗黒卿ダース・ヴェイダー』の設定では、全身の機械化には、[[グリーヴァス将軍]]に使用された技術をさらに発展させたものが利用されている。機械化手術直後の初期の装甲服には欠陥や日常生活上の問題が多く、ベイダーは「これではとても生きているとは言えない」と嘆いた。その後ベイダーは自身の機械工学の才能を生かして、自ら装甲服の改良を重ねていったとされる。 * 装甲服の素材は宇宙船の船体にも使用されるデュラスチールであり、強靱な上にTIEファイター用のフライトスーツと同様の簡易宇宙服としての機能も有する。義手はフォースを用いずとも、成人男性を片手で持ち上げ、そのまま首の骨をへし折るほどの強力な腕力を誇る。ライトセーバー戦では主にフォーム5「シエン」を用いる。ただし、ジェダイ時代に最も得意としていたシエンの派生型「ドジェム・ソ」は使えなくなったとされる。これはドジェム・ソが圧倒的なスピードと、両腕の関節の可動性を最大限に活かしたフォームであるのに対して、ベイダーは両手両足が義肢となったことでその双方が失われたため、現在の身体の利点を生かした戦闘方法に変更したとされる。 * ただし、決して他のフォームが使えないわけではなく、状況によってはフォーム4「アタール」のような軽快な動きも可能である。『エピソード5』と『エピソード6』の間を描いたスピンオフ作品『シャドウズ・オブ・ジ・エンパイア[帝国の影]』では、何パターンもの剣術をプログラムされた、特注のグラディエーター・ドロイドを相手に訓練を行っている。 * 『エピソード4』の裏側を描いたスピンオフ『デス・スター』によると、TIEファイターでの模擬戦で、当時帝国軍で最高といわれたパイロットと対決し、TIEファイターの戦術コンピューターを使うことなく、フォースによる空間把握と未来予知とを駆使して完全に圧倒した。その伝説的な技術は尊敬とともに畏怖の対象であり、「ベイダーと戦うことになったら、自分で死ぬ時を選べる分だけ自爆した方がマシ」とも噂されるほどである。 * 『スター・ウォーズ マスターズ・オブ・テラス・カシ』など一部ゲームや、スピンオフ作品ではフォースを増強する「伝説のカイバー・クリスタル」の影響下にある時には「[[スター・ウォーズシリーズ#劇中用語|フォース・ライトニング]]」も使用する。 == キャラクター制作 == 名前は「ダーク・ファーザー」のもじりで、ルーカス自身の父親との確執が反映されたキャラクターなどとされている(別説あり)。実際[[オランダ語]]では、父親のことを「vader(ファーダー)」と言う。 [[ファイル:2017-08-19 10-20-47 reconst-histo-belfort.jpg|thumb|ナチスの[[ヘルメット (ドイツ軍)|フリッツヘルメット]]]] また、身に着けている[[ヘルメット]]、[[マスク]]、装甲服、[[マント]]は、いずれもフォースの暗黒面を象徴しているかのように黒い。頭を全て覆うヘルメットおよびマスクは、[[仙台市博物館]]の館長だった濱田直嗣によれば仙台市博物館所蔵の「黒漆五枚胴具足 [[伊達政宗]]所用」の[[兜]]を参考にしているというが<ref>{{Cite web|和書|date=2007年|url=http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/s-new9/page01.html|title=ダースベイダーと伊達政宗…その意外な関係|work=仙台NEW 第9号|publisher=仙台市|accessdate=2007年7月23日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090525074614/http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/s-new9/page01.html|archivedate=2009年5月25日}}</ref><ref>{{Harvnb|"Star Wars: The Magic of Myth" (hardcover edition)|1997|p=}} {{要ページ番号|date=2020年2月13日}}</ref>{{Sfn|"Star Wars: The Magic of Myth" (paperback edition)|1997|p=187}}、{{仮リンク|ナラティヴ・アートのルーカス博物館|en|Lucas Museum of Narrative Art}}の館長のレイラ・フレンチによれば、[[ジョン・モロ]]が役者をロンドンのコスチュームショップに連れて行き、そこで黒いオートバイ・スーツと黒いマントを見つけ、それに[[第一次世界大戦]]中のドイツ軍のガスマスクとナチスの[[ヘルメット (ドイツ軍)|フリッツヘルメット]](シュタールヘルム)をモデルにしたヘルメットを追加したものであるという<ref>{{Cite web |url= https://www.pri.org/stories/2017-11-10/military-history-behind-star-wars-costumes|title=The military history behind the Star Wars costumes|date=2017年11月10日|accessdate= 2020年10月18日|last=Kott|first= Lidia Jean |work= [https://www.pri.org/ The World] |language= 英語}}</ref>。[[R2-D2]]や[[C-3PO]]なども担当した{{仮リンク|ラルフ・マクウォーリー|en|Ralph McQuarrie}}によってデザインされた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0040043 |title=『スター・ウォーズ』シリーズのコンセプトデザイナー、ラルフ・マクウォーリー氏が死去 |publisher=シネマトゥディ |date=2012-03-06 |accessdate=2012-03-06}}</ref>。 マクウォーリーは「ダース・ベイダーは、顔を黒い絹布のようなもので隠して、日本の武士のような兜を被るようにしたらどうか、とジョージ・ルーカスが言ったんだ。だが、『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーが最初に登場するシーンで、[[ストームトルーパー]]は宇宙服を着ているのに彼は着ていないという問題が残った。ダース・ベイダーは壁に穴を開けて、他の宇宙船に乗り移ることができる。だが、酸素のない宇宙空間では生きていられないはずだ、と私が指摘すると、ジョージが呼吸装置のようなものをつけようと言ったんだ。こうして、ダース・ベイダーが着る装甲服は、鎧兜の特徴と宇宙服の特徴を持っていて、そこに生命維持装置とコミュニケーション装置をつけたものにしようと考えた」と、『スター・ウォーズ・インサイダー』誌のインタビューにコメントしている<ref>偕成社『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐 データブック』45ページ</ref>。 大柄でがっちりとした体型に全身黒ずくめの衣装、傷ついた顔を隠す上に恐ろしさを見せ付けるマスク、不気味な呼吸音で見る者に強烈な印象を残すキャラクターである。またテーマ音楽である[[インペリアル・マーチ]](帝国のマーチ、ベイダーのテーマ)は映画のテーマ曲と並んで有名。初期の劇中での存在感から、威圧的・高圧的人物や悪の大ボスなどの代名詞とされることも多く、「[[アメリカン・フィルム・インスティチュート|AFI]] [[アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100]]」(2003年)の悪役部門で第3位に選出されている。 「エピソード4 - 6」で使用されたベイダーのマスクは、形状が左右対称ではなく(マスクの口元やヘルメット上部にかなり大きな歪みがある)、マスク部分のシルバーとガンメタルの塗り分けも左右で違うものであった。マスクを制作した[[ブライアン・ミュアー]]によると、ロボットに見えないよう左右で表情を付けるためにこのようにしたとのことである{{Sfn|『月刊モデルグラフィックス 2010年10月号』|2010|P=45}}。作品ごとに新しく製作されていたため、「エピソード4 - 6」3作ごとに微妙にデザインや塗り分け、色味が異なる。『エピソード3』で再登場するにあたり「エピソード4 - 6」のデザインから若干変更があり、片側だけ製作した型をコンピュータによって左右反転コピーするという方法で形状が左右対称になったほか、マスク部分が若干小型化され、シルバーとガンメタルの塗り分けが無くなり黒1色の塗装となっている。『エピソード3』DVDのメイキングでのマスクの製作担当者の発言では、「エピソード4 - 6」のベイダーのマスクとヘルメットが非常に巨大なのは、演じたスーツアクター(デヴィッド・プラウズ)の頭が非常に大きかったためで、ヘイデンの頭のサイズに合わせると同時に、生まれたばかりのベイダーの若さをイメージしたとのこと。また、『エピソード4』の直前を描く『[[ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー]]』では、デザインを『エピソード4』のものに合わせ、左右非対称で色分けが左右で異なっているマスクが使用されている。 ヘルメットとマスクを外したベイダーの頭部には大きな刀傷がみられる。この傷はオビ=ワンとの死闘の際に負ったもので、旧3部作では、この傷が元で生命維持装置が必要になったという設定であった。しかし、その戦いが描かれたエピソード3では、溶岩の熱によって全身を焼かれたために、生命維持装置が必要になったという設定に変更された。溶岩に焼かれている最中に、この傷を負ったことになっている。 ルーカスは、[[三船敏郎]]の熱烈なファンであり、オビ=ワン役のオファーがあったが、[[三船プロダクション]]の番組制作出演契約のため断り、それならばと『エピソード6』で「アナキン・スカイウォーカー役では?」と再度依頼があるも、同じく三船プロの運営のため断った。三船敏郎のイメージを残したかったルーカスは、アナキン役のセバスチャン・ショウのメイクをなるべく三船に似せるようにしろと指示した。ケナー社アクションフィギュアの初期パッケージのイラストはショウよりも三船にそっくりであった。このフィギュアはオークションなどで高値で取引されている。 == 演技 == 顔をマスクで覆っており、身振りと声のみで[[台詞]]を表現するキャラクターであるため声は別人が[[アフレコ]]で演じている。これを利用して、『エピソード5』でルークに自らが父親であることを明かすシーンでは、関係者からの[[ネタバレ]]を防ぐため、スーツアクターには偽物のセリフを与えていたというエピソードがある。試写会で本当のセリフを聞かされた[[スーツアクター]]のデビッド・プラウズは偽の台本を渡されていたことに唖然としたという逸話がある<ref>{{harvnb|ジェンキンズ・野田|1998}} {{要ページ番号|date=2020年2月13日}}</ref>。その偽物の台詞とは、『エピソード4』でオビ=ワンから父親を殺したのはベイダーであると教えられていたルークに対し、反論としてベイダーが「オビ=ワンこそがお前の父親を殺した犯人だ」と糾弾するというものであり、撮影現場全体がこの偽物のセリフをもとに撮影・演技をしていた。 台詞が偽物であることと本物のセリフを知っていたのは、ルーカスと監督の[[アービン・カーシュナー]]とルーク役の[[マーク・ハミル]]、そしてアフレコの時に知らされたジェームズ・アール・ジョーンズ(ベイダーの声を担当)のみであったとされており、登場人物では唯一ハミルだけが「お前の父は私だ」という真の台詞を基に演技をしていた。ルーカスと監督から「これからデビッドが台本とは違う台詞をしゃべるが、気にしないで演技を続けてくれ」と言われたそうである。脚本が漏れることを極度に警戒したための措置である。なお、オビ=ワンは結果的に「父親を殺したのはベイダーである」とルークを騙したことになるが、『エピソード6』にはこのことへのフォローのシーンがある。 == 呼吸音 == [[生命維持装置]]と連動したマスク([[仮面]])を通した「シューコー、シューコー」という<ref group="注">日本語の[[オノマトペ]]では「シュコー、シュコー」と表現されることが多く、ほかにも「スコー、スコー」や「コーパー、コーパー」などがある。しかし実際の音(平時の音)のテンポはそこまで速くない。</ref>独特の機械的[[呼吸]]音 (Darth Vader's breathing sound) は単独で通用するほど世界に広く知られている。アメリカ国内では[[2009年]][[5月12日]]付で{{r|"富田_2015"}}音の[[商標]](サウンドマーク)として権利登録された{{r|"富田_2015"}}。 [[米国特許商標庁]]登録申請日:2008年3月11日{{r|uspto_20090116}}、登録日:2009年5月12日{{r|uspto_20090116|"富田_2015"}}。登録権利者:[[ルーカスフィルム]]{{r|"富田_2015"}}。US登録商標:第3618322号{{r|"富田_2015"}}。音の制作方法:[[スクーバダイビング]]用[[圧力レギュレータ|レギュレーター]]による{{r|"富田_2015"}}。音の定義:スクーバタンクのレギュレーターを使って呼吸することで作り出される、周期的で機械的な人間の呼吸音(原文:The mark consists of the sound of rhythmic mechanical human breathing created by breathing through a scuba tank regulator.{{r|uspto_20090116}})。 == 配役 == 「エピソード4 - 6」を中心に、ダース・ベイダーおよびアナキン・スカイウォーカーを演じた人物を本節に記述する。 ; [[デヴィッド・プラウズ]] [[file:David_Prowse_at_Mountain-Con_III_in_2007.png|thumb|デヴィッド・プラウズ]] : 「エピソード4 - 6」でサイボーグの[[スーツアクター]]として動きを演じた[[イギリス]]人俳優。[[ボディビルダー]]であり[[ウエイトリフティング]]の選手でもあった。198cmの長身と並外れた胸板の厚さを持ち、ベイダーの体格を印象付けている。一方で出身地である[[ブリストル]]特有の訛りが強く声を別に用意する必要があった。また剣戟は苦手で、『エピソード4』では寸止めを誤って[[ライトセーバー]]のプロップを何本も折ってしまったため、『エピソード5』以降はボブ・アンダーソンがスタントに入った。 : オーディションでは[[チューバッカ]]もしくはベイダーのどちらかを演じてほしいと言われ、「チューバッカは暑そう」「猿は嫌だ」という理由でベイダー役を選んだ。 : 体格を生かした怪物役が多く、特にフランケンシュタインの役は複数回演じている。一方で、素顔での出演は『[[時計じかけのオレンジ]]』以外にほとんど無い。 ; [[ジェームズ・アール・ジョーンズ]] : 「エピソード4 - 6」および『エピソード3』で訛りのあるプラウズに代わりベイダーの機械合成の声を担当。エピソード4 - 6では当初クレジットに記されていなかったが、『特別篇』にて追加された。また、『反乱者たち』および『ローグ・ワン』、『オビ=ワン・ケノービ』でも声を担当している。 ; [[セバスチャン・ショウ]] : 『エピソード6』において息子ルークに素顔を見せるシーン、フォースと一体化しルークを見守るシーンで登場。2004年のDVD版以降、ラストに霊体となってルークを見守るシーンはヘイデンに差し替えられており、またマスクを取って素顔を見せるシーンでも、ショウの瞳と睫毛がCG合成でヘイデンと同じ色に修正されている。 ; [[ヘイデン・クリステンセン]] : 「エピソード2・3」において、サイボーグとなる前のアナキン・スカイウォーカー、およびベイダーを演じる。『エピソード6』のDVD版以降では、ルークを見守るシーンのアナキンの霊体もヘイデンの顔に変更されている。『[[スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け|エピソード9]]』でも声のみ登場し、[[レイ (スター・ウォーズ)|レイ]]に言葉を掛けている。ドラマ『[[オビ=ワン・ケノービ (テレビドラマ)|オビ=ワン・ケノービ]]』ではスーツアクターとして実際にコスチュームを着てベイダーを演じた。 : 『エピソード3』にてサイボーグのベイダーとなった姿は、負傷前を演じていたヘイデンが引き続き担当。ヘイデンは身長183cmと長身だが<ref>https://web.archive.org/web/20130611102340/http://www.mtvjapan.com/news/cinema/9683 {{リンク切れ|date=2020年2月13日}}</ref>、198cmのプラウズが演じていたベイダーとなるには小さく、10cm近い上げ底のブーツを使っている。 ; [[ジェイク・ロイド]] : 『エピソード1』において幼少期のアナキンを演じる。ゲーム版でも声優を務めた。 ; [[ボブ・アンダーソン (フェンサー)|ボブ・アンダーソン]] : 「エピソード5・6」で剣戟の苦手なブラウズに代わってスタント、殺陣を演じたイギリス人のスタントマン。俳優としても活動しており、『エピソード5』では端役で出演している。 ; [[マット・ランター]] : 『クローン・ウォーズ』『反乱者たち』にてアナキンの声を担当。 ; {{仮リンク|スペンサー・ワイルディング|en|Spencer Wilding}} : 『ローグ・ワン』で、対話場面でのスーツアクターを務めた。 ; {{仮リンク|ダニエル・ナプラス|fr|Daniel Naprous}} : 『ローグ・ワン』で、終盤の剣術シーンでのスーツアクターを務めた。 ; その他 : ゲーム作品では、{{仮リンク|マット・スローン (ディレクター)|label=マット・スローン|en|Matt_Sloan_(director)}}と[[スコット・ローレンス]]が声を担当することが多い。 : ポージングなどでは{{仮リンク|ピーター・ダイアモンド (俳優)|label=ピーター・ダイアモンド|en|Peter Diamond (actor)}}が、特別編と公式イベントやグッズ写真では C・アンドリュー・ネルソン (C. Andrew Nelson) が演じている。 === 『エピソード6』での配役変更 === [[2004年]]製作以降の映像ソフトでは死後フォースと一体化し霊体として登場する[[アナキン・スカイウォーカー]]の姿が[[セバスチャン・ショウ]]が演じる姿から『エピソード2』や『エピソード3』に合わせて[[ヘイデン・クリステンセン]]が演じる姿へ変更になった(頭部のみの挿げ替え)。 この変更は、シスの暗黒卿ダース・ベイダーから、そうなる以前のジェダイの騎士アナキン・スカイウォーカーであった頃の姿へとフォースの暗黒面から帰還したことを、より明確に表現するためと、ダース・ベイダーの年齢が、本作の後年に制作された「エピソード1 - 3」の設定で換算するなら「エピソード4 - 6」では41 - 45歳前後と、撮影当時に想定されていた年齢より大きく若い設定になってしまったことによる。撮影当時の設定でも、アナキンは師匠[[オビ=ワン・ケノービ]]の数歳ほど年下の想定であったが、アナキンを演じた際のセバスチャン・ショウの年齢はすでに70歳を越えており、オビ=ワン役の[[アレック・ギネス]]よりも年上であった。また、マスクを脱いだシーンでも、瞳の色がヘイデン・クリステンセンと同じ青色に変えられている。 === 演者・関係者の来日 === [[スターワルツ]]企画・運営の非公式イベントでは、1999年より、デヴィッド・プラウズ、C・アンドリュー・ネルソン、マット・スローンらが来日し、ベイダーの演じわけを公表したが、記録は一般には発表されていない。ベイダーマスク製作者のブライアン・ミューアーも、2010年に招聘され、左右非対称な仮面は、ジョージ・ルーカスの指示で、ロボットではなく、人間性を暗示するようにデザインされたことが語られた。鼻の部分に当たるへこみは、彼の親指をスタンプしたものである。 == 日本語吹き替え声優 == *; [[大平透]] : 『エピソード4〜6』(ソフト版)、『エピソード3』、『[[スター・ウォーズシリーズ#パチンコ|CRフィーバースター・ウォーズ ダース・ベイダー降臨]]』、『[[レゴ スター・ウォーズ#LEGO スター・ウォーズ パダワン・メナス|パダワン・メナス]]』、『[[レゴ スター・ウォーズ#LEGO スター・ウォーズ エンパイア・ストライクス・アウト|エンパイア・ストライクス・アウト]]』、『ロボットチキン』、『[[スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー]]』、NTTドコモのCM、『[[スター・ウォーズ 反乱者たち|反乱者たち]]』(シーズン1) *; [[楠大典]] : 『反乱者たち』(シーズン2以降)、『[[第66回NHK紅白歌合戦]]』、『[[ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー|ローグ・ワン]]』、『[[スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け|スカイウォーカーの夜明け]]』、『[[オビ=ワン・ケノービ (テレビドラマ)|オビ=ワン・ケノービ]]』 *; [[浪川大輔]] : 『エピソード3』(サイボーグ化前)、『反乱者たち』(シーズン2 第21話の一部シーンのみ)、『[[オビ=ワン・ケノービ (テレビドラマ)|オビ=ワン・ケノービ]]』(回想、一部シーンの声) *; [[鈴木瑞穂]] : 『エピソード4』(日本テレビ1983年放送版)、『エピソード5~6』(日本テレビ版) *; [[坂口芳貞]] : 『エピソード4』(日本テレビ1985年放送版)、『エピソード4 特別篇』(日本テレビ版) *; [[石田太郎]] : 『エピソード5』(テレビ朝日版) *; [[南原宏治]] : 『エピソード4〜5』(劇場公開版) *; [[大友龍三郎]] : 『[[スター・ウォーズ ギャラクティック・バトルグラウンド|ギャラクティック・バトルグラウンド]]』 *; [[銀河万丈]] : 『[[スター・ウォーズ ローグ スコードロン II|ローグ スコードロン II]]』、『[[スター・ウォーズ ローグ スコードロン III|ローグ スコードロン III]]』 *; [[土師孝也]] : 『[[レゴ スター・ウォーズ#LEGO スター・ウォーズ:ヨーダ・クロニクル|ヨーダ・クロニクル]]』、『[[フィニアスとファーブ|フィニアスとファーブ/スター・ウォーズ大作戦]]』、『[[LEGO スター・ウォーズ:ドロイド・テイルズ|ドロイド・テイルズ]]』、『[[LEGO スター・ウォーズ/フリーメーカーの冒険|フリーメーカーの冒険]]』、『[[LEGO スター・ウォーズ/ホリデー・スペシャル]]』、『[[レゴ スター・ウォーズ#LEGO スター・ウォーズ/恐怖のハロウィーン|LEGO スター・ウォーズ/恐怖のハロウィーン]]』、[[伊右衛門|特茶]]のCM、『[[LEGO スター・ウォーズ/サマー・バケーション]]』 *; [[中村浩太郎]] : 『[[レゴ スター・ウォーズ/フォースの覚醒]]』、『[[スター・ウォーズ バトルフロント (2015)|バトルフロント]]』、『[[スター・ウォーズ ジェダイ:フォールン・オーダー|フォールン・オーダー]]』、『レゴ スカイウォーカー・サーガ』 == 他のメディア == === ゲーム === * [[フォートナイト (ゲーム)|フォートナイト]] - チャプター3シーズン3のバトルパスにて入手可能キャラクターとして登場<ref>{{cite web|url=https://www.epicgames.com/fortnite/en-US/chapter-3-season-3|title=FORTNITE CHAPTER 3 SEASON 3: VIBIN’|work=epicgames|language=en|accessdate=September 3, 2022}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|refs= <ref name=kb>{{Cite web|和書|author=小学館『デジタル[[大辞泉]]』|title=ダース・ベイダー |url=https://kotobank.jp/word/ダース・ベイダー-1723520 |publisher=コトバンク |accessdate=2020-02-12 }}</ref> <ref name="kb_P英和中4">{{Cite web |author=[[小学館]]『[[プログレッシブ (辞典)|プログレッシブ]]英和中辞典』第4版 |title=Darth Vader |url=https://kotobank.jp/ejword/darth%20vader |publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2020-02-12 }}</ref> <ref name="富田_2015">{{Cite web|和書|author=富田款(代理士)|date=2015-05-25 |title=ダース・ベイダーの『呼吸音』にも知的財産権。。。|url=http://tmt-law.jp/2015/05/25/9990 |publisher=虎ノ門 富田国際特許事務所 |accessdate=2020-02-13 }}</ref> <ref name=uspto_20090116>{{Cite web |date=16 January 2009 |title=Trademark Snap Shot Publication Stylesheet |url=http://tsdr.uspto.gov/documentviewer?caseId=sn77419252&docId=MRK20090309160326#docIndex=13&page=1 |publisher=[[米国特許商標庁|United States Patent and Trademark Office]] (uspto) |language=en |accessdate=2020-02-13 }}</ref> |2}} == 参考文献 == *<!--ジェンキンズ-->{{Cite book |和書 |author=ゲリー・ジェンキンズ<!--Garry Jenkins--> |translator=[[野田昌宏]] |date=1998-05-01 |title=ルーカス帝国の興亡―『スター・ウォーズ』知られざる真実 |origdate=1997-10 |publisher=[[扶桑社]] |oclc=675156789 |ref={{SfnRef|ジェンキンズ・野田|1998}} }}ISBN 4-594-02495-5、ISBN 978-4-594-02495-6。 ** 原著:{{Cite book |last=Jenkins |first=Garry |author=Garry Jenkins |authorlink= |date=October 1997 |title=Empire Building: The Remarkable Real-Life Story of Star Wars |edition=first printing |location= |publisher=Citadel Press |language=en |oclc=40631957 |ref={{SfnRef|Jenkins|1997}} }}{{spaces}}ISBN 080651941X, ISBN 978-0806519418. *<!--Henderson-->{{Cite book |last=Henderson |first=Mary S. |author=Mary S. Henderson |date=1 October 1997 |title=Star Wars: The Magic of Myth |location=[[ニューヨーク|New York City]] |publisher=[[:en:Bantam Books|Bantam Books]] |language=en |oclc=36648531 |ref={{SfnRef|Henderson|1997}} }}{{spaces}}ISBN 0553378104, ISBN 978-0553378108. ** ハードカバー版:{{Wikicite |ref={{SfnRef|"Star Wars: The Magic of Myth" (hardcover edition)|1997}} |reference="Star Wars: The Magic of Myth" (hardcover edition)}} ** ペーパーバック版:{{Wikicite |ref={{SfnRef|"Star Wars: The Magic of Myth" (paperback edition)|1997}} |reference="Star Wars: The Magic of Myth" (paperback edition)}} <!--※法人等。--> * {{Cite book |和書 |date=2015-12-09 |title=スター・ウォーズ ニューズウィーク 日本版 SPECIAL EDITION 『フォースの覚醒』を導いたスター・ウォーズの伝説 |publisher=[[CCCメディアハウス]] |series=MEDIA HOUSE MOOK |oclc=933208089 |ref={{SfnRef|『スター・ウォーズ ニューズウィーク 日本版 SPECIAL EDITION』|2015}} }}ISBN 4-484-14715-7、ISBN 978-4-484-14715-4。 <!--※ムックと雑誌。--> * {{Cite journal |和書 |author= |date=2010-08-25 |title=月刊モデルグラフィックス 2010年10月号 ─特集 航空母艦スタイル |url=https://www.amazon.co.jp/Model-Graphix-モデルグラフィックス-2010年-10月号/dp/B003Y7SRV0 |publisher=[[大日本絵画]] |journal=月刊[[モデルグラフィックス]] |volume= |issue= |asin=B003Y7SRV0 |ref={{SfnRef|『月刊モデルグラフィックス 2010年10月号』|2010}} }} == 外部リンク == {{Commonscat|Darth Vader}} * {{Wikicite |ref={{SfnRef|Star Wars Databank}} |reference={{Star Wars Databank |subject=darth-vader|text=Darth Vader}}}}{{en icon}} * {{Wikicite |ref={{SfnRef|Star Wars Databank_Anakin Skywalker}} |reference={{Star Wars Databank |subject=anakin-skywalker|text=Anakin Skywalker}}}}{{en icon}} * {{Wikicite |ref={{SfnRef|Wookieepedia}} |reference={{Wookieepedia|アナキン・スカイウォーカー|アナキン・スカイウォーカー / ダース・ベイダー}}}} * {{wayback|date=20171008220235|url=http://www.imdb.com/character/ch0000005/|title=Darth Vader (Character) - IMDb}}{{en icon}} * {{Wikicite |ref={{SfnRef|Britannica}} |reference={{Britannica|topic|Darth-Vader|Darth Vader}}}}{{en icon}} {{スター・ウォーズ・シリーズ}} {{浪川大輔}} {{ソウルシリーズ}} {{Movie-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たあすへいたあ}} [[Category:シスの暗黒卿]] [[Category:映画の悪役]] [[Category:架空のサイボーグ]] [[Category:架空のパイロット]] [[Category:架空の将軍]] [[Category:架空の切断障害を持つ人物]]
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ESRI
ESRI(Environmental Systems Research Institute, Inc.)は、地理情報システム (GIS) のソフトウェア、データ、出版、提供を行なっている企業。米国のカリフォルニア州レッドランズ市に所在し、GIS関連では世界有数の企業である。 海外では、2010年までは「イー・エス・アール・アイ」と読むのが正式で、社長のジャック・デンジャモンドをはじめ、ESRIが自社名を呼称する際にはこう呼んでいた。ただ、海外のユーザは「エズリ」と呼ぶ人が多く、2010年のブランド改変に伴いEsriは自らを「エズリ」と呼称するようになった。 これに伴い、文書中の表記も変更された。これまでは米国法人を"ESRI"と表記していたが、2010年以降は"Esri"と表記する。 日本では最初の正規代理店だった株式会社パスコが「エスリ製品」と呼んでいたことからこの呼称が一般的である。現在の国内総販売代理店であるESRIジャパン株式会社の社名は「エスリジャパン」と発音するのが正式である。2010年以降も法人名は「ESRIジャパン株式会社」であり、「エスリ」と表音する。 現在主流の販売ソフトウェアであるArcGISではジオデータベースをネイティブフォーマットとしている。GISのデファクトスタンダード フォーマットとなっているシェープファイルがネイティブ形式だと思っている人が多いがそれは誤りである。シェープファイルは仕様が公開されており,他社のGIS製品でも多く採用されているが,このためか国内ではジオデータベースは普及していない。
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ESRIは、地理情報システム (GIS) のソフトウェア、データ、出版、提供を行なっている企業。米国のカリフォルニア州レッドランズ市に所在し、GIS関連では世界有数の企業である。
{{Otheruses|米国の企業|内閣府の機関|経済社会総合研究所}} {{Infobox company | name = ESRI | logo = | image = | image_caption = ESRI本社のビルディングQ | type = プライベート | industry = {{ublist|[[ソフトウェア]]|[[地理情報システム]]}} | founded = {{start date|1969}} | founders = {{ublist|[[Jack Dangermond]]<ref>{{Cite web|last=Redlands|first=Jennifer M. Dobbs, University of|title=Esri, University of Redlands partner to give away trees|url=https://www.redlandscommunitynews.com/news/esri-university-of-redlands-partner-to-give-away-trees/article_2ae7fa16-a131-11ea-956c-abd891985967.html|access-date=2020-06-20|website=Redlands News|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|date=2020-04-01|title=Esri to provide mapping resources to WHO Member States|url=https://www.gpsworld.com/esri-to-provide-mapping-resources-to-who-member-states/|access-date=2020-06-20|website=GPS World|language=en-US}}</ref>|Laura Dangermond}} | hq_location_city = [[カリフォルニア州]][[レッドランズ市]] | hq_location_country = [[アメリカ合衆国]] | products = [[ArcGIS]], [[ArcGIS Desktop]], ArcGIS Enterprise, [[ArcGIS Online]] | revenue = $11億 (2014年) <ref>{{cite web|last1=Heltt|first1=Miguel|title=The Godfather of Digital Maps|url=https://www.forbes.com/sites/miguelhelft/2016/02/10/the-godfather-of-digital-maps/#77731a736598|website=Forbes/Tech|publisher=Forbes Magazine|access-date=25 March 2016}}</ref> | num_employees = 3,800 (2016年) <ref>https://finance.yahoo.com/news/esri-named-forbes-best-midsize-135100557.html</ref> | website = {{Official URL}} }} '''ESRI'''({{en|Environmental Systems Research Institute, Inc.}})は、[[地理情報システム]] (GIS) のソフトウェア、データ、出版、提供を行なっている企業。[[アメリカ合衆国|米国]]の[[カリフォルニア州]][[レッドランズ市]]に所在し、GIS関連では世界有数の企業である。 == 社名の読み == 海外では、2010年までは「イー・エス・アール・アイ」と読むのが正式で、社長の[[ジャック・デンジャモンド]]をはじめ、ESRIが自社名を呼称する際にはこう呼んでいた。ただ、海外のユーザは「エ'''ズ'''リ」と呼ぶ人が多く、2010年のブランド改変に伴いEsriは自らを「エズリ」と呼称するようになった。 これに伴い、文書中の表記も変更された。これまでは米国法人を"ESRI"と表記していたが、2010年以降は"Esri"と表記する。 日本では最初の正規代理店だった[[パスコ_(航空測量)|株式会社パスコ]]が「エ'''ス'''リ製品」と呼んでいたことからこの呼称が一般的である。現在の国内総販売代理店である[[ESRIジャパン株式会社]]の社名は「エスリジャパン」と発音するのが正式である<ref>http://www.esrij.com/about/outline/</ref>。2010年以降も法人名は「ESRIジャパン株式会社」であり、「エスリ」と表音する。 == データ形式 == 現在主流の販売ソフトウェアである[[ArcGIS]]では[[ジオデータベース]]をネイティブフォーマットとしている<ref>http://www.esrij.com/products/geodatabase/</ref>。GISのデファクトスタンダード フォーマットとなっている'''シェープファイル'''がネイティブ形式だと思っている人が多いがそれは誤りである。シェープファイルは仕様が公開されており,他社のGIS製品でも多く採用されているが,このためか国内ではジオデータベースは普及していない。{{main|シェープファイル}} == 主な製品(国内販売製品) == *デスクトップGIS **ArcView:地図表現、データ編集、データ分析のための高機能デスクトップGIS **ArcEditor:高度なデータ編集、データ管理者向けのデスクトップGIS **ArcInfo:GISプロフェッショナル向けの完全なデスクトップGIS **ArcGIS Engine:カスタム デスクトップGISアプリケーションの開発と配布を可能にするコンポーネント製品 **ArcGIS Explorer:さまざまなGISデータに対応した無償の次世代GISブラウザ **ArcReader:無償の参照専用GIS *ArcGIS Desktopエクステンション **ArcGIS Spatial Analyst:高度なラスタGIS空間分析 **ArcGIS 3D Analyst:3Dデータのビジュアライゼーション、分析 **ArcGIS Network Analyst:交通ネットワーク分析 **ArcGIS Tracking Analyst:時系列データのビジュアライゼーション、分析 **ArcGIS Geostatistical Analyst:空間データの高度な統計分析、モデリング **ArcGIS Schematics:GISデータから模式図を自動作成 **ArcGIS Publisher:フリー配布用マップ ファイル作成 **ArcScan for ArcGIS:ラスタ・ベクタ変換 **Maplex for ArcGIS:高機能注記テキスト配置エンジン **FeatureAssist for ArcGIS:Stereo Analyst上で3Dモデルを効率的に作成 **Feature Analyst for ArcGIS:画像からフィーチャを半自動抽出 **LIDAR Analyst for ArcGIS:LIDARデータから地形、3D建物、3D樹木データを抽出 **NITF for ArcGIS:NITFデータの読み込み、書き出し、マップのエクスポート、メタデータ表示・編集 *サーバGIS **ArcGIS Server:エンタープライズGISサービスを提供するための高機能サーバGIS **ArcIMS:Web上でのメタデータ検索(GISポータル)機能を提供するマルチプラットフォームGISサーバ *モバイルGIS **ArcGIS Mobile:ArcGIS Server用モバイル クライアント アプリケーション **ArcPad:屋外調査用の高機能モバイルGIS *開発ツール **ArcGIS Web Mapping APIs:RIA(リッチ インターネット アプリケーション)を開発するためのツール **EDN(ESRI Developer Network):ArcGISでの開発を支援するサブスクリプション ベースのプログラム *データ **ArcGISデータコレクション:インストール後すぐに利用できるオフラインGISデータ **ArcGIS Online:インターネット経由ですぐに利用できるオンラインGISサービス **GISonDemand:全国建物住所ジオコーディングの無制限利用サービス *その他製品 **ArcExplorer ==脚注== <references/> == 外部リンク == * [http://www.esri.com/ Environmental Systems Research Institute, Inc.](米国法人) * [http://www.esrij.com/ ESRIジャパン株式会社](日本国内総販売代理店) {{company-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いいえすああるあい}} [[Category:カリフォルニア州の企業]] [[Category:アメリカ合衆国のインターネット企業]] [[Category:GIS]]
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ICカード
ICカード(アイシーカード、英: integrated circuit card; ICC)とは、情報(データ)の記録や演算をするために集積回路 (IC) を組み込んだカードのことである。国際的にはスマートカード (smart card) やチップカード (chip card) とも呼ばれ、日本では、特に演算処理機能を持つものをスマートカードと呼ぶ。 カード内にRAMやROM、EEPROMといった半導体メモリを組み込むことにより、情報量が従来の磁気ストライプカードと比べて数十倍から数千倍になる。さらに、CPUやコプロセッサなどを内蔵することで、カード内部で情報処理が可能になるという特徴がある。これを応用して、Intelが専用のドックに専用のICカードを挿入し、パーソナルコンピュータとして利用できるインテル Compute Cardを開発した。情報処理や記憶は全てカード上で行う。 ICカードの普及以前は、1960年にIBMによって発明された磁気ストライプカードが使われていた。 ICカードは、ドイツでは1968年にヘルムート・グレトルップ(Helmut Gröttrup)とユルゲン・デトロフ(Jürgen Dethloff)が共同で、日本では1970年に有村國孝が、フランスでは1974年にローラン・モレノ (Roland Moreno) が、それぞれ発明している。グレトルップは1968年に特許を申請したが、認められたのは1982年になった。 ICカードをその機能により分類すると、次の4つに分けられる。 CPUを搭載して単体で演算能力を持つICカードは1970年代後半に登場した。製品としてはブルとモトローラが共同で、1973年から1979年に掛けてメモリカードやマイコンカード(EEPROM内蔵CPU、CPU搭載EEPROM、1チップ化したもの)を開発した。これがICカードの始まりとなった。ブルのICカード部門会社のブルCP8は日本国内において大日本印刷と合弁でSPOM JAPANを設立した。マイコンカードの基本技術はCP8技術、或いはSPOM (Self Programmable One-chip Microcomputer) 特許として知られ、世界中のカードメーカーにライセンスされた。その後、現在のSTMicroelectronics NVが1982年にセキュア・メモリICを開発した。 日本では1981年に大日本印刷が研究を開始し、1983年に大日本印刷や凸版印刷がICチップインカードを、東芝が1984年にICカードを、日立製作所(現在のルネサス エレクトロニクス)が1985年にICカードマイコン (HD65901) をそれぞれ開発した。ソニーも1988年から非接触ICカードの研究開発に着手していた。 初期のCPUは4bit - 8bitCPUであったが、その後16bit - 32bitCPUが搭載された。8051、8052、6805、Z80、H8、AE-4、AVR、ARM、MIPSなどの既存アーキテクチャを使うものだけでなく、独自の非公開アーキテクチャを採用するものもある。 メモリサイズは当初256bit - 8kByteであったが、徐々に大きくなり、2003年頃には32kByte - 512kByte、1MByteになっている。 不揮発性メモリとしては、EEPROMの他にフラッシュメモリやFeRAM (FRAM) を搭載したカードがある。当初、EEPROMの書き換えにはIC駆動に用いるVccとは別に専用の電圧を必要としていたが、その後Vccだけで動作できる様に改良された。 RSA用コプロセッサ搭載カードは1990年代前半に登場した。DES/トリプルDESはソフトウェアで実装される場合と、専用回路で実現する場合がある。 当初のICカードはプログラムをROMに格納していたが、1990年代後半にはプログラムを不揮発性メモリにダウンロードできる仕組みを持つプラットフォーム型ICカードと呼ばれるMULTOSカードやJavaカードが開発された。MULTOSカードはMasterCard、大日本印刷、日立製作所が開発し、プラットフォーム型ICカードの先駆けとなった。MULTOSカードは、MELという専用のアセンブラライクな言語でプログラムを記述する。1999年にはクレジットカードとして大規模に発行開始し、世界初のプラットフォーム型ICカードの実用化となった。Javaカードはカード内にJava VMを内蔵し、Javaで記述されたプログラムを実行する事ができる。Javaの実行環境を含めたJavaカードなどでは、暗号化や電子署名の技術を使う事ができるものもある。 カードOS(通信制御・ファイル管理など)にITRONを採用しているカードもある。また、TRONプロジェクトが提唱している電子身分証のeTRONカードもICカードの一種である。 ICカードはプラスチックを使っているが、凸版印刷はリサイクル可能な紙を材料としたものを開発し、2009年4月から販売を開始した。併せて回収と再生までのリサイクルの体制の確立も行う。 ICカードはその目的に合わせて様々な機能を有し、それらは様々な形式で実装される。以下はその一例である。 電源と通信は同じ形式でおこなう場合が多く、これら2機能に基づいて「接触型ICカード」「非接触型ICカード」の2形式にしばしば分類される。 ICカードは各形式ごとにそれぞれ幾つかの方式が標準化・規格化されている。 接触型ICカードは、読み取り機に挿入した際に表面の金メッキの端子部分から外部電源が供給される仕組みになっている。物理的な仕様からコマンドなどの論理面までの必要最小限の部分が国際規格 ISO/IEC 7816(Part 1 - 15 がある)で標準化されている。国際規格でのICカード関連の規格は、カードの規格 (ISO) を参照。 ISO/IEC 7816では最小部分しか規格化されていないので、業界やサービスに特化した仕様が作成されている。 金融向けに、EMV仕様と呼ばれるユーロペイ、MasterCard、Visaによるデビットカードとクレジットカードの標準仕様がある。 GSM、3GPPでUIMカード仕様がある。 複数のアプリケーションが搭載可能なカードやプラットフォームの仕様として、Javaカード仕様やMULTOS仕様がある。Javaカードには、VisaによるVisa Open Platform仕様がある(現在Global Platform)。 日本では、ISO/IEC 7816を元にした日本産業規格 JIS X 6300 がある。 業界標準仕様には、JICSAP仕様や全銀協ICキャッシュカード標準仕様などがある。 限定受信システム (B-CAS)用のICカード仕様は、ARIB STD-B25(デジタル放送に於けるアクセス制御方式)の第1部第4章で記述されている。 建設ICカードの標準として、日本建設機械化協会規格がある(JCMAS G 001-1 建設業務用ICカード―カード―第1部:物理特性 1997、JCMAS G 001-2 建設業務用ICカード―カード―第2部:機能仕様)。 業界標準は、ISO準拠だけではカード間の相互運用ができない場合があるという実装上の課題を解決するために生まれ、初期にはS型実装仕様などがあった。業界標準を規格化するために、JICSAP仕様を基にして、JIS・ISOの原案が作成されている。 非接触型ICカードは、読取り機の磁界を通過する電磁誘導の起電力を利用している。国際規格ISO/IEC 14443がある。リーダとライタの通信距離に応じて「密着型」「近接型」「近傍型」「遠隔型」の4種類に区別され、さらに近接型は「Type A」「Type B」に分類される。欧州ではType Aカード、特にオランダのフィリップスエレクトロニクスが開発したMIFAREが普及している。米国ではモトローラが開発したType Bカードも普及している。 ソニーは自社が開発したFeliCaをType CとしてISO/IEC 14443に提案したが、この国際規格には採用されず、後にFeliCaとMIFAREの上位通信方式がISO/IEC 18092 (NFC, Near Field Communication) として標準化された(FeliCaと同時期にType D - Gも提案されていたが、規格が乱立するとして標準化の議論を停止した)。2005年1月には、拡張規格であるNFC IP-2がISO/IEC 21481として国際標準規格に制定されType Bにも対応した。 日本ではJIS X 6321 - 6323がある。特定用途向けの規格に、住民基本台帳カード仕様 (Type B)、日本鉄道サイバネティクス協議会によるFeliCaの技術を採用したICカード乗車券規格(サイバネ規格)などが普及している。サイバネ規格のアプリケーションに関係する部分を除いた部分は、JICSAP仕様の第4部で仕様が規定されている。 ICカードの最初の大規模な適用先は、1983年にフランステレコム(現・Orange)が公衆電話の支払い用に使い捨てのプリペイドカードとして採用したテレフォンカードである。なお、フランスのICテレフォンカードは接触型である。日本でも国際電信電話(KDD、現・KDDI)が接触型のカードを採用している。1999年3月には日本電信電話が磁気テレホンカードの偽造対策として非接触型のICテレホンカード(ICテレカ)を導入し、同時にICカード式公衆電話も導入した。 その後、公衆電話は世界的に携帯電話に取って代わられ、プリペイドカードとしての利用は減少した。そのため、NTTは2005年1月20日に利用者の減少を理由に、費用がかかるICテレホンカードとICカード式公衆電話の廃止を発表し、翌2006年3月までに、全てのIC公衆電話を撤去し、利用者の多かった場所のみ磁気カード式公衆電話に置き換えている。 GSM携帯電話、NTT docomoの第3世代移動通信システムFOMAのFOMAカード、第3.9世代移動通信システムのXi及び第4世代移動通信システムのPREMIUM 4Gで使用されるドコモUIMカード、auのau VoLTEで使用されるau ICカード、ソフトバンクのSoftBank 3GにおけるSoftBank 3G USIMカード、イー・モバイルにおけるEM chipなどは、SIMカード/UIMカードという電話番号などが記録されたICカードが搭載された。SIM/UIMカードは取り外す事ができて、カードを別の端末に挿入する事で、別の端末に同じ番号を引き継ぐ事が可能になっており、通話用端末とデータ通信用端末とを1枚のカードを抜き差しして利用できる。 日本においては、これと別に「おサイフケータイ」としてNTTドコモを皮切りに、auとVodafone(現・ソフトバンク)が相次いで、非接触ICチップ (FeliCa) を携帯電話のアプリケーションとして導入している。 en:Videocryptによる課金管理システムにはICカードが使用されている。 日本では、2000年12月1日に開始されたBSデジタル放送の視聴制御用カードとして、接触型ICカードのB-CASカードが導入された。B-CASカードにはID番号とマスター鍵が格納され、受信機に同梱されて配布されている。有料放送(WOWOW、スター・チャンネルBSなど)のスクランブル解除のための秘密鍵を配布管理する手段として利用された。その後、地上デジタルテレビジョン放送(2003年12月開始)や110度CSデジタル放送でもB-CASカードが採用されている。2003年5月までに17万枚を発行している。2004年4月5日にはデジタル放送のコピー制御(コピーワンス)が始まり、B-CASカードが挿入されていないと視聴できなくなった。B-CASカードは(株)ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズが発行している。 スカパー! でも、視聴するために受信機にICカード(スカイパーフェクカード又はパーフェクカード)を入れる。 PPVの課金管理も行われる。 デジタルケーブルテレビ(デジタル化されたケーブルテレビ)の視聴には、接触型ICカードのC-CASカードが使用される。但し、再放送される各種デジタル放送(上記の一般のB-CASカードが対象とする放送)の視聴にはC-CASカードの他にケーブルテレビ用のB-CASカードが必要である。そのため、B-CAS/C-CASの両方に対応する受信機 (STB) もある。C-CASは受信機メーカー間で仕様の差異が課題になっている。C-CASカードやケーブルテレビ用のB-CASカードの運用業務は「一般社団法人 日本ケーブルテレビ連盟 (JCTA)」が行っている。 キャッシュカード(バンクカード)、クレジットカード(日本)やプリペイドカードのメディアは、磁気カードからICカードへの切り替えが進んでいる。 フランスでは、1989年頃からバンクカードにICカードが導入された(1984年には最初のATMバンクカードが登場している)。日本では、クレジットカードは2001年頃から、パチンコ用プリペイドICカードは2000年からそれぞれ導入されている。クレジット・プリペイドカードに続いて、2004年からキャッシュカードのICカード化が始まった。 1993年に、クレジットカード大手のEuropay・MasterCard・Visaは、クレジットカード決済業務用ICカードの共通仕様開発に合意し、共通仕様を3社の頭文字をとってEMV仕様と名付け、以降、接触型ICチップを採用したクレジットカードやキャッシュカードは、全世界でEMV仕様のICカードが世界標準となっている。その後EMVには、JCB・American Express・中国銀聯・ディスカバーカードも加入している。 相次ぐ不正使用対策の為、割賦販売法を改正し、2018年6月1日に加盟店に対してIC決済対応を義務化された。 ICキャッシュカードとは、口座番号などの取引に必要な情報と秘密鍵を書き込んだICチップを搭載したキャッシュカードのことである。従来の磁気ストライプカードより偽造が困難である。 磁気ストライプ式キャッシュカードでは、磁性体の塗布や磁気カードリーダー/ライターを使って磁気情報を読み取る「スキミング」が容易にでき、偽造カードによる被害が多発したため、分解・解析しようとすると壊れる(耐タンパー性)ICチップを採用したキャッシュカードが必要となった。 フランスでは、1990年 - 1993年にかけてICキャッシュカードが普及したことにより、カード偽造による被害額が1989年と比較して、1998年にはおよそ10分の1に減少した。 中華民国では、2006年3月1日にICキャッシュカードに全面移行し、従来の磁気式キャッシュカードの使用を停止した。 韓国では、2014年2月よりATMにおける、磁気ストライプ式キャッシュカードの取り扱いを中止する予定(2013年2月から試験運用開始)。 日本では、2001年3月に旧・全国銀行協会が「ICキャッシュカード標準仕様」を制定し、2002年頃から導入検討や実証実験などが行われていたが、カード偽造が拡大し、その被害が報道された2004年 - 2005年以降、導入が加速した。ICチップ自体の耐タンパー性に加えて指静脈認証などの生体認証機能を搭載する事によって、強固な本人確認を可能にしている。なお、現行の規格上は、2049年末まで利用可能となっており、2050年以降でも利用可能な規格の新規開発ないしはソフトウェアのバージョンアップなどが必要とされる。 2008年現在では、いまだICキャッシュカードにも磁気ストライプが付いている事が多い(後述のように、みずほ信託銀行は2012年3月までに、ICカード付きキャッシュカードを使用不可とする措置を取り、差し替えの上で磁気ストライプのみのカードに戻している)。これはICチップ通信に対応していないATMや決済端末のための後方互換性の問題があるからだが、磁気ストライプでの引き出し金額を低く設定するサービスを行っている金融機関が多い。また、接触式ICチップに加えて非接触式ICカード通信方式に対応したものも登場し、ICカード乗車券として使えるものも登場している。 ICカードは電子マネーにも導入されている。 欧州では、ゲルトカルテ(独・1996年)やモンデックス(英・1995年7月)などICカードベースの電子マネーが導入されている。 日本では、2001年10月にビットワレット(当時)が電子マネーサービス楽天Edy(FeliCaを採用)、NTTコミュニケーションズからICカード搭載の電子マネーサービス「セーフティパス」の提供が開始された。2004年3月には、東日本旅客鉄道(JR東日本)がSuica電子マネーを開始している。 偽造耐性や(磁気カードと比べて)大容量メモリを活かして、運輸業界などからクレジットカードとプリペイドカード、ポイントカードの機能を融合した複合型カードも登場している。クレジットカードと乗車カードが合体したカード(VIEW SuicaやHANA PLUSなど)や、クレジットカードに電子マネーを搭載したカード (My Sony Card) もある。また、乗車カードをコンビニエンスストアなどの店舗でも利用できる様にしたカード (Suica・PiTaPa) もある。電子マネー(ちょコム)や電子チケット(ぴあ)、インターネットでの本人確認手段など幾つかの機能を1枚のカードで提供するサービス (SAFETY PASS) も登場している。 日本国内発行のクレジットカードについて、ICカード化・カード決済端末のIC対応化を、割賦販売法の改正により、2020年までに完了させる予定。 スキミングなど、急増するクレジットカード不正使用対策の為、従来型の磁気ストライプカード決済を廃止し、EMV規格に準拠したIC又は非接触決済への変更が急務となっている。 2015年(平成27年)10月より、セキュリティの高いICチップ対応の信用照会端末を設置していない場合の不正使用被害が、クレジットカードイシュア会社による損害保証対象外となり、カード加盟店の自責扱い(加盟店とアクワイアラーが賠償費用負担)となる制度変更が、クレジットカードイシュア最大手のVisaから2015年(平成27年)5月7日に通達され、同年10月1日に実行されたため、EMV規格に準拠した信用照会端末のIC対応化が急務となった。 ICカード乗車券は、1992年にフィンランド・オウル市のバス会社が「バスカード」として導入したものが世界初である。 非接触ICカードにはType-A(NFC-A)やType-B(NFC-B)などの規格があり、日本で初めてのIC乗車カード導入事例となったユーバスカード(静岡県豊田町〈現・磐田市〉、1997年10月)ではType-Aが採用されたが、ほぼ同時期(1997年9月)に香港の八達通ではソニーの非接触型ICカードFeliCaが採用され、その後日本でもサイバネ規格に採用されたが、FeliCaの国際展開はその後停滞した。 これらのICカードは、駅の自動改札機、自動券売機やバスの運賃箱など、各種の駅務機器や車載処理器で使用する。 ICカードは、磁気カードに比べて記録できる情報量が多いのはいうまでもないが、非接触式(無線式)であるため、自動改札機や運賃箱などの可動部分を減らす事ができ、メンテナンスの頻度を減らす効果も期待できる。もっとも、自動改札機の場合は実際には磁気券との共用機が多いので、メンテナンスの頻度が直ちに減る訳ではない。 日本における普及当初は事業者単独、かつ鉄道部門単独またはバス部門単独(事業者によっては路線限定)での導入が基本だったが、2002年1月21日より長崎県の主要バス事業者(西肥自動車、佐世保市交通局、島原鉄道、長崎県交通局、長崎自動車)が全国初の複数事業者共通バスICカードとして長崎スマートカードを導入した。鉄道・バスで共通利用できるICカードは遠州鉄道が2002年3月1日より試験導入したEG1CARDが全国初であり、本格導入された鉄道・バス共通ICカードとしても同社のナイスパス(2004年8月20日導入)が全国初である。 日本の鉄道分野では、1996年頃に「汎用電子乗車券技術研究組合」が設立され、技術検討や実証実験が行われていた。その後、2000年3月に日本鉄道サイバネティクス協議会によるICカードを利用した乗車券の規格であるサイバネ規格が定められ、その後、各事業者でICカードの導入が進んだ。 日本のバスでも特に21世紀に入ってからは各地の事業者での導入が本格化している。 その他に実証実験を行っている会社もある。 多くのカードは、JIS X 6319-4とサイバネ規格に準拠したチップを採用しており、技術的には同一の端末機器で読み書きできる。これを利用して、2013年3月23日からは「交通系ICカード全国相互利用サービス」を開始し、全国10種の交通系ICカードが乗車カード・電子マネー(PiTaPaによる電子マネーとしての利用を除く)として相互利用可能となっている。また、一部の地域単位で導入されているICカードのエリアについては「交通系ICカード全国相互利用サービス」の10種のカードで利用可能(逆は基本的に不可)としているケースがある。 この他、地域単位で導入されているICカードについては、個別に相互利用・片利用を可能としているケースがある。 アメリカ合衆国 フィンランド 香港 マレーシア 中国 シンガポール 中華民国(台湾) イギリス アイルランド マカオ 韓国 タイ王国 オーストラリア ニュージーランド フランス バングラデシュ 日本のノンストップ通行料金支払いシステムであるETCシステムでは、「ETCカード」と呼ばれる専用のICカードを車内のETC車載器にセットして利用する。通行料金の支払いはシステムの性質上クレジットカードまたは、東日本・中日本・西日本の各高速道路株式会社への後払い(ETCパーソナルカードならびにETCコーポレートカード)となる。 日本では、地方自治体が独自に市民カード、図書館カードや施設予約カードなどにICカードを導入していたが、2003年以降、統一的に「住民基本台帳カード」(2003年8月25日から。2015年12月末に新規発行終了)、バイオメトリック・パスポート(IC日本国旅券、2006年3月20日から)、運転免許証(ICカード免許証、2007年1月4日から)、在留カード(2012年7月9日から)、マイナンバーカード(個人番号カード)(2016年1月4日から)にICカード(ICチップ)の採用が進んだ。また、e-Japan戦略に関連して「国家公務員身分証明書ICカード」が2006年に導入された。政策総括監に総務省の職員の出向を得てIT CITYを標榜している大阪府箕面市では、全国に先駆けて職員証にICカードを導入した。 霞ヶ関WANやLGWANにおける電子証明書を発給するための認証のため官職カードが各官庁や都道府県、市町村に導入された。 厚生労働省では、2004年9月30日、「医療情報ネットワーク基盤検討会」の最終報告書において保健医療福祉分野での公開鍵基盤の必要性が示された。それに基づき2006年度に「保健医療福祉分野における公開鍵基盤認証局の整備と運営に関する専門家会議」の配下で保健医療福祉分野公開鍵基盤(HPKI)が構築され、医師・薬剤師・看護師など27種類の保健医療福祉分野の国家資格を証明するHPKIカードが導入された。 アメリカ合衆国では、米国政府従業員証 (PIV) としてICカードが採用されている。またアメリカ国土安全保障省が2009年11月から導入を開始した国民身分証「Real ID」にもICカードが導入された。 マレーシアでは、多目的市民カード「MyKad」としてICカードが採用されている。2001年4月に導入され、2003年7月までに約570万枚が配布された。アプリケーションとして、身分証明(氏名・性別・住所・生年月日・出身地など)、個人認証 (PKI)、健康情報、キャッシュカード、電子マネー、運転免許証、パスポート(近隣出入国管理)、コンタクトレス・ペイメントシステムがある。 フランスでは、1998年にICカード式の健康保険証ヴィタルカードが配布開始された。また、医師にはCPS (Carte de Professional de Sante) カードが配布された。保険金の還付手続きを電子化する事で、事務処理費用の削減と払い戻し期間の短縮などが実現された。 香港では、2003年6月23日からICチップを内蔵した香港身分証(香港IDカード)の発行が開始された。香港政府は、4年後の2007年6月までにすべてのIDカードをICカードに置き換えたいとしている。同カードは、公共図書館の利用やe-道 (e-channnel) と呼ばれる自動出入境ゲートでも使用できる(香港は国ではないので「出入国」と言わない)。2007年には、免許証としての利用も開始される予定である。 台湾では、全民健康保険(台湾の国民健康保険)の健康保険証をIC化した「健保ICカード」を2002年に導入、2003年に全面的にICカードに移行した。また、台湾の外国人登録証である「外僑居留証」も2007年よりICカード化され、2008年に全面的にICカードに移行する予定である。 ICカードは企業の社員証や学生証などのIDカードとしても利用可能であり、1980年代の後半には社員カードとしてICカードが採用され、同じく日本で初めて高知工科大学が学生証にICカードを採用した。身分証明書としてだけではなく、ビル入館許可証(例 : ドコモタワー、NTT幕張ビル、ららぽーと豊洲、西日本旅客鉄道本社ビル、東京ミッドタウン)や大学の講義の出席管理、勤怠管理タイムレコーダーの打刻カード、情報端末の解錠用カード、社内の食堂や売店、自動販売機での支払い管理に利用されている。 2004年には、FeliCaを利用した社員カード・学生カードの普及とサービスの拡大を目的にFeliCa共通利用フォーマット推進フォーラム[現在は一般社団法人FCF推進フォーラム](通称:FCF )が発足し、IDカードとしての共通フォーマットを提唱している。FCFには2016年10月現在153社のカードソリューション企業が参加している。FCFが提唱する教育機関向けの学生証・教職員証のための共通フォーマット「FCFキャンパスカード」は2016年10月現在296教育関連機関(大学、短大、高校、中学など)で採用され120万枚以上が発券されている。 建設業界では、「建設ICカード (Construction Card)」として共通に利用できるカードがある。1995年頃から建設業務用ICカードの規格制定が始まり、翌1996年頃から建設ICカードの発行も始まった。2004年には発行累積枚数が13万枚を超えた。建設現場の入退管理、機械操作の資格確認などの合理化に使用されている。1つの現場には工程毎に様々な企業が関係し、人の出入りが複雑なため、企業や現場を超えて共通して参照できるカードが必要とされた。例えば、機械(クレーンなど)を運転する際にICカードで資格確認と運転履歴の記録を行う。カードから読み出した資格・技能コードで資格判定し、OKの時にはエンジン起動ロックが解除される。 日本では、2008年7月1日より自動販売機でのタバコ購入に際し、一種の身分証明とも言えるICカード「taspo」(タスポ)の発行を受けているので、taspoカードをセンサーに読み込ませないとタバコの購入ができない(対人販売の場合はカードなしで購入可能)。なお、「taspo」には電子マネー機能も付随し、カードに金額を入金すると残高分の金額でタバコを購入する事ができたが2014年3月31日をもってチャージの受付を終了、2015年2月25日をもって電子マネーでのたばこの購入終了を予定している。 東京都世田谷区の烏山駅前通り商店街にて、1988年にICカード「IC-CARDIA」を導入し、スタンプのカード化を行っている。その後、プリペイド機能とクレジット機能が追加され、商店街カードとして利用されている。 2006年には、より安全・快適に使用できるセキュアなNTTコミュニケーションズが提供するセーフティパス機能付きICカードを搭載した「えるもーる LUCK CARD」を導入を行った。 最近では、Edyを商店街単位で導入するところも増えている。 また、SuicaやPASMOなどIC乗車カードすべてがそのままポイントカードとして利用できる地域ポイントカードのシステムが開発・運営されており、東京都内のJRや私鉄沿線の商店街では利用客の大多数がSuicaなどを所持・携帯している事、新規カード発行費用の負担削減などの理由からこのシステムを導入する動きが広まっている。 施設内のアーケードゲーム機などの支払い管理用(プリペイドカード)だけではなく、プレイデータの記録管理用のIDカードにも使われている。セガとバンダイナムコアミューズメントは、かつてはタイトル毎の専用ICカードを必要としていたが、一元管理システムである「Aime」「バナパスポート」へ移行していった。2018年10月25日からセガ・インタラクティブ、バンダイナムコアミューズメント、コナミアミューズメントの3社の規格を統一した「Amusement IC」サービスが開始され、「Aime」「バナパスポート」「e-amusement pass」の相互利用サービスが開始された。タイトーも、2019年3月より「Aime」「バナパスポート」「e-amusement pass」との相互利用サービスが開始された。 日本の中央競馬では、日本中央競馬会が発行する、勝馬投票券購入用のICカードがある。 ICカードは磁気カードよりも安全であると考えられており、偽造対策等のセキュリティの向上を目的とした置き換えが進んでいる。 磁気ストライプ上の情報には不正な読み書きを防止する仕組みはないため、比較的安価な装置で改ざんやコピーができるのに対して、ICカードの場合にはICチップでアクセス制御を行う事ができるため、偽造を行うには、ICチップを分解し、専用装置を用いて内部を解析しなければならず、その手間やコストが掛かる分だけ安全であるという。しかし、1990年代中頃からポール・コーチャ (Paul Kocher) やロス・アンダーソン (Ross Anderson) 達の研究によりサイドチャネル攻撃など数々の攻撃方法が開発され、秘密鍵の読み出しが容易なICカードも存在する事が判明した。これらの新しい攻撃方法に対処したICカードの開発が課題となっている。 ICカードは、偽装や変造などの不正行為が磁気カードよりも困難である事を期待されている。その根拠を以下に示す。 そこで、プリペイドカード(テレホンカード、パチンコカード、乗車カード)やクレジットカード・キャッシュカードの偽造変造による被害を防止するために、ICカードへの置き換えが進んでいる。 高機能なCPUを搭載したICカードは、カード内部で複雑な処理が可能であり、磁気カードよりも多機能なカードとして利用できることが期待されている。例えば、パスワードをICカードに格納し、利用者が入力したパスワードを、ICカード内で検証する事が考えられる。 プログラムダウンロード可能な仕組みを持つICカードは、発行後にも新しい機能をICカードに追加する事ができ、多目的なカードとして利用できる事が期待されている。1サービス毎に1枚のカードを発行する従来の方式では、複数のサービスを利用する人は複数枚のカードを持つ事になるが、多目的カードでは1枚のカードにできる事になる。 以上の様に、偽造耐性があり、多機能・多目的なカードとしてICカードは期待されている。 フランスでは、バンクカード(クレジットカード)をICカード化する事により、それまで発生していたカード偽造犯罪を激減させる事ができた[ECOM99]。 日本では、磁気テレホンカードの偽造対策として1999年にICカードを導入したが、公衆電話の利用者減少を理由に2006年3月末にICカードを廃止した。 同じく磁気カード(PETカード)であったJR東日本の従来のオレンジカード・イオカードに代わって導入されたSuicaでは、2008年3月現在に於いて偽造変造は知られていない。 数百億円の不正使用があったパチンコカードもICカード化されているが、ICカード化以前にサービスの縮小やサーバーでのID管理などによって不正使用対策を施したため、ICカード化の効果は未知である。 チップ自体の耐タンパー性、OSやライブラリの実装方式、アプリの設計など様々なレベルで、対応が検討されている。また、第三者による評価・認証も求められている。 認証制度には、ISO/IEC 15408,FIPS PUB 140-2や業界独自の認定(Visaによる認定など)がある。 ICカード用のICチップを製造している主なメーカー EAL5 ライン EAL4+ ライン なし
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ICカード(アイシーカード、英: integrated circuit card; ICC)とは、情報(データ)の記録や演算をするために集積回路 (IC) を組み込んだカードのことである。国際的にはスマートカード (smart card) やチップカード (chip card) とも呼ばれ、日本では、特に演算処理機能を持つものをスマートカードと呼ぶ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "カード内にRAMやROM、EEPROMといった半導体メモリを組み込むことにより、情報量が従来の磁気ストライプカードと比べて数十倍から数千倍になる。さらに、CPUやコプロセッサなどを内蔵することで、カード内部で情報処理が可能になるという特徴がある。これを応用して、Intelが専用のドックに専用のICカードを挿入し、パーソナルコンピュータとして利用できるインテル Compute Cardを開発した。情報処理や記憶は全てカード上で行う。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ICカードの普及以前は、1960年にIBMによって発明された磁気ストライプカードが使われていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ICカードは、ドイツでは1968年にヘルムート・グレトルップ(Helmut Gröttrup)とユルゲン・デトロフ(Jürgen Dethloff)が共同で、日本では1970年に有村國孝が、フランスでは1974年にローラン・モレノ (Roland Moreno) が、それぞれ発明している。グレトルップは1968年に特許を申請したが、認められたのは1982年になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ICカードをその機能により分類すると、次の4つに分けられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "CPUを搭載して単体で演算能力を持つICカードは1970年代後半に登場した。製品としてはブルとモトローラが共同で、1973年から1979年に掛けてメモリカードやマイコンカード(EEPROM内蔵CPU、CPU搭載EEPROM、1チップ化したもの)を開発した。これがICカードの始まりとなった。ブルのICカード部門会社のブルCP8は日本国内において大日本印刷と合弁でSPOM JAPANを設立した。マイコンカードの基本技術はCP8技術、或いはSPOM (Self Programmable One-chip Microcomputer) 特許として知られ、世界中のカードメーカーにライセンスされた。その後、現在のSTMicroelectronics NVが1982年にセキュア・メモリICを開発した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "日本では1981年に大日本印刷が研究を開始し、1983年に大日本印刷や凸版印刷がICチップインカードを、東芝が1984年にICカードを、日立製作所(現在のルネサス エレクトロニクス)が1985年にICカードマイコン (HD65901) をそれぞれ開発した。ソニーも1988年から非接触ICカードの研究開発に着手していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "初期のCPUは4bit - 8bitCPUであったが、その後16bit - 32bitCPUが搭載された。8051、8052、6805、Z80、H8、AE-4、AVR、ARM、MIPSなどの既存アーキテクチャを使うものだけでなく、独自の非公開アーキテクチャを採用するものもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "メモリサイズは当初256bit - 8kByteであったが、徐々に大きくなり、2003年頃には32kByte - 512kByte、1MByteになっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "不揮発性メモリとしては、EEPROMの他にフラッシュメモリやFeRAM (FRAM) を搭載したカードがある。当初、EEPROMの書き換えにはIC駆動に用いるVccとは別に専用の電圧を必要としていたが、その後Vccだけで動作できる様に改良された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "RSA用コプロセッサ搭載カードは1990年代前半に登場した。DES/トリプルDESはソフトウェアで実装される場合と、専用回路で実現する場合がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "当初のICカードはプログラムをROMに格納していたが、1990年代後半にはプログラムを不揮発性メモリにダウンロードできる仕組みを持つプラットフォーム型ICカードと呼ばれるMULTOSカードやJavaカードが開発された。MULTOSカードはMasterCard、大日本印刷、日立製作所が開発し、プラットフォーム型ICカードの先駆けとなった。MULTOSカードは、MELという専用のアセンブラライクな言語でプログラムを記述する。1999年にはクレジットカードとして大規模に発行開始し、世界初のプラットフォーム型ICカードの実用化となった。Javaカードはカード内にJava VMを内蔵し、Javaで記述されたプログラムを実行する事ができる。Javaの実行環境を含めたJavaカードなどでは、暗号化や電子署名の技術を使う事ができるものもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "カードOS(通信制御・ファイル管理など)にITRONを採用しているカードもある。また、TRONプロジェクトが提唱している電子身分証のeTRONカードもICカードの一種である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ICカードはプラスチックを使っているが、凸版印刷はリサイクル可能な紙を材料としたものを開発し、2009年4月から販売を開始した。併せて回収と再生までのリサイクルの体制の確立も行う。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ICカードはその目的に合わせて様々な機能を有し、それらは様々な形式で実装される。以下はその一例である。", "title": "形式" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "電源と通信は同じ形式でおこなう場合が多く、これら2機能に基づいて「接触型ICカード」「非接触型ICカード」の2形式にしばしば分類される。", "title": "形式" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ICカードは各形式ごとにそれぞれ幾つかの方式が標準化・規格化されている。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "接触型ICカードは、読み取り機に挿入した際に表面の金メッキの端子部分から外部電源が供給される仕組みになっている。物理的な仕様からコマンドなどの論理面までの必要最小限の部分が国際規格 ISO/IEC 7816(Part 1 - 15 がある)で標準化されている。国際規格でのICカード関連の規格は、カードの規格 (ISO) を参照。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ISO/IEC 7816では最小部分しか規格化されていないので、業界やサービスに特化した仕様が作成されている。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "金融向けに、EMV仕様と呼ばれるユーロペイ、MasterCard、Visaによるデビットカードとクレジットカードの標準仕様がある。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "GSM、3GPPでUIMカード仕様がある。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "複数のアプリケーションが搭載可能なカードやプラットフォームの仕様として、Javaカード仕様やMULTOS仕様がある。Javaカードには、VisaによるVisa Open Platform仕様がある(現在Global Platform)。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "日本では、ISO/IEC 7816を元にした日本産業規格 JIS X 6300 がある。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "業界標準仕様には、JICSAP仕様や全銀協ICキャッシュカード標準仕様などがある。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "限定受信システム (B-CAS)用のICカード仕様は、ARIB STD-B25(デジタル放送に於けるアクセス制御方式)の第1部第4章で記述されている。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "建設ICカードの標準として、日本建設機械化協会規格がある(JCMAS G 001-1 建設業務用ICカード―カード―第1部:物理特性 1997、JCMAS G 001-2 建設業務用ICカード―カード―第2部:機能仕様)。 業界標準は、ISO準拠だけではカード間の相互運用ができない場合があるという実装上の課題を解決するために生まれ、初期にはS型実装仕様などがあった。業界標準を規格化するために、JICSAP仕様を基にして、JIS・ISOの原案が作成されている。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "非接触型ICカードは、読取り機の磁界を通過する電磁誘導の起電力を利用している。国際規格ISO/IEC 14443がある。リーダとライタの通信距離に応じて「密着型」「近接型」「近傍型」「遠隔型」の4種類に区別され、さらに近接型は「Type A」「Type B」に分類される。欧州ではType Aカード、特にオランダのフィリップスエレクトロニクスが開発したMIFAREが普及している。米国ではモトローラが開発したType Bカードも普及している。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ソニーは自社が開発したFeliCaをType CとしてISO/IEC 14443に提案したが、この国際規格には採用されず、後にFeliCaとMIFAREの上位通信方式がISO/IEC 18092 (NFC, Near Field Communication) として標準化された(FeliCaと同時期にType D - Gも提案されていたが、規格が乱立するとして標準化の議論を停止した)。2005年1月には、拡張規格であるNFC IP-2がISO/IEC 21481として国際標準規格に制定されType Bにも対応した。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "日本ではJIS X 6321 - 6323がある。特定用途向けの規格に、住民基本台帳カード仕様 (Type B)、日本鉄道サイバネティクス協議会によるFeliCaの技術を採用したICカード乗車券規格(サイバネ規格)などが普及している。サイバネ規格のアプリケーションに関係する部分を除いた部分は、JICSAP仕様の第4部で仕様が規定されている。", "title": "標準" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ICカードの最初の大規模な適用先は、1983年にフランステレコム(現・Orange)が公衆電話の支払い用に使い捨てのプリペイドカードとして採用したテレフォンカードである。なお、フランスのICテレフォンカードは接触型である。日本でも国際電信電話(KDD、現・KDDI)が接触型のカードを採用している。1999年3月には日本電信電話が磁気テレホンカードの偽造対策として非接触型のICテレホンカード(ICテレカ)を導入し、同時にICカード式公衆電話も導入した。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "その後、公衆電話は世界的に携帯電話に取って代わられ、プリペイドカードとしての利用は減少した。そのため、NTTは2005年1月20日に利用者の減少を理由に、費用がかかるICテレホンカードとICカード式公衆電話の廃止を発表し、翌2006年3月までに、全てのIC公衆電話を撤去し、利用者の多かった場所のみ磁気カード式公衆電話に置き換えている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "GSM携帯電話、NTT docomoの第3世代移動通信システムFOMAのFOMAカード、第3.9世代移動通信システムのXi及び第4世代移動通信システムのPREMIUM 4Gで使用されるドコモUIMカード、auのau VoLTEで使用されるau ICカード、ソフトバンクのSoftBank 3GにおけるSoftBank 3G USIMカード、イー・モバイルにおけるEM chipなどは、SIMカード/UIMカードという電話番号などが記録されたICカードが搭載された。SIM/UIMカードは取り外す事ができて、カードを別の端末に挿入する事で、別の端末に同じ番号を引き継ぐ事が可能になっており、通話用端末とデータ通信用端末とを1枚のカードを抜き差しして利用できる。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "日本においては、これと別に「おサイフケータイ」としてNTTドコモを皮切りに、auとVodafone(現・ソフトバンク)が相次いで、非接触ICチップ (FeliCa) を携帯電話のアプリケーションとして導入している。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "en:Videocryptによる課金管理システムにはICカードが使用されている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "日本では、2000年12月1日に開始されたBSデジタル放送の視聴制御用カードとして、接触型ICカードのB-CASカードが導入された。B-CASカードにはID番号とマスター鍵が格納され、受信機に同梱されて配布されている。有料放送(WOWOW、スター・チャンネルBSなど)のスクランブル解除のための秘密鍵を配布管理する手段として利用された。その後、地上デジタルテレビジョン放送(2003年12月開始)や110度CSデジタル放送でもB-CASカードが採用されている。2003年5月までに17万枚を発行している。2004年4月5日にはデジタル放送のコピー制御(コピーワンス)が始まり、B-CASカードが挿入されていないと視聴できなくなった。B-CASカードは(株)ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズが発行している。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "スカパー! でも、視聴するために受信機にICカード(スカイパーフェクカード又はパーフェクカード)を入れる。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "PPVの課金管理も行われる。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "デジタルケーブルテレビ(デジタル化されたケーブルテレビ)の視聴には、接触型ICカードのC-CASカードが使用される。但し、再放送される各種デジタル放送(上記の一般のB-CASカードが対象とする放送)の視聴にはC-CASカードの他にケーブルテレビ用のB-CASカードが必要である。そのため、B-CAS/C-CASの両方に対応する受信機 (STB) もある。C-CASは受信機メーカー間で仕様の差異が課題になっている。C-CASカードやケーブルテレビ用のB-CASカードの運用業務は「一般社団法人 日本ケーブルテレビ連盟 (JCTA)」が行っている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "キャッシュカード(バンクカード)、クレジットカード(日本)やプリペイドカードのメディアは、磁気カードからICカードへの切り替えが進んでいる。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "フランスでは、1989年頃からバンクカードにICカードが導入された(1984年には最初のATMバンクカードが登場している)。日本では、クレジットカードは2001年頃から、パチンコ用プリペイドICカードは2000年からそれぞれ導入されている。クレジット・プリペイドカードに続いて、2004年からキャッシュカードのICカード化が始まった。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1993年に、クレジットカード大手のEuropay・MasterCard・Visaは、クレジットカード決済業務用ICカードの共通仕様開発に合意し、共通仕様を3社の頭文字をとってEMV仕様と名付け、以降、接触型ICチップを採用したクレジットカードやキャッシュカードは、全世界でEMV仕様のICカードが世界標準となっている。その後EMVには、JCB・American Express・中国銀聯・ディスカバーカードも加入している。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "相次ぐ不正使用対策の為、割賦販売法を改正し、2018年6月1日に加盟店に対してIC決済対応を義務化された。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ICキャッシュカードとは、口座番号などの取引に必要な情報と秘密鍵を書き込んだICチップを搭載したキャッシュカードのことである。従来の磁気ストライプカードより偽造が困難である。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "磁気ストライプ式キャッシュカードでは、磁性体の塗布や磁気カードリーダー/ライターを使って磁気情報を読み取る「スキミング」が容易にでき、偽造カードによる被害が多発したため、分解・解析しようとすると壊れる(耐タンパー性)ICチップを採用したキャッシュカードが必要となった。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "フランスでは、1990年 - 1993年にかけてICキャッシュカードが普及したことにより、カード偽造による被害額が1989年と比較して、1998年にはおよそ10分の1に減少した。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "中華民国では、2006年3月1日にICキャッシュカードに全面移行し、従来の磁気式キャッシュカードの使用を停止した。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "韓国では、2014年2月よりATMにおける、磁気ストライプ式キャッシュカードの取り扱いを中止する予定(2013年2月から試験運用開始)。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "日本では、2001年3月に旧・全国銀行協会が「ICキャッシュカード標準仕様」を制定し、2002年頃から導入検討や実証実験などが行われていたが、カード偽造が拡大し、その被害が報道された2004年 - 2005年以降、導入が加速した。ICチップ自体の耐タンパー性に加えて指静脈認証などの生体認証機能を搭載する事によって、強固な本人確認を可能にしている。なお、現行の規格上は、2049年末まで利用可能となっており、2050年以降でも利用可能な規格の新規開発ないしはソフトウェアのバージョンアップなどが必要とされる。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "2008年現在では、いまだICキャッシュカードにも磁気ストライプが付いている事が多い(後述のように、みずほ信託銀行は2012年3月までに、ICカード付きキャッシュカードを使用不可とする措置を取り、差し替えの上で磁気ストライプのみのカードに戻している)。これはICチップ通信に対応していないATMや決済端末のための後方互換性の問題があるからだが、磁気ストライプでの引き出し金額を低く設定するサービスを行っている金融機関が多い。また、接触式ICチップに加えて非接触式ICカード通信方式に対応したものも登場し、ICカード乗車券として使えるものも登場している。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ICカードは電子マネーにも導入されている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "欧州では、ゲルトカルテ(独・1996年)やモンデックス(英・1995年7月)などICカードベースの電子マネーが導入されている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "日本では、2001年10月にビットワレット(当時)が電子マネーサービス楽天Edy(FeliCaを採用)、NTTコミュニケーションズからICカード搭載の電子マネーサービス「セーフティパス」の提供が開始された。2004年3月には、東日本旅客鉄道(JR東日本)がSuica電子マネーを開始している。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "偽造耐性や(磁気カードと比べて)大容量メモリを活かして、運輸業界などからクレジットカードとプリペイドカード、ポイントカードの機能を融合した複合型カードも登場している。クレジットカードと乗車カードが合体したカード(VIEW SuicaやHANA PLUSなど)や、クレジットカードに電子マネーを搭載したカード (My Sony Card) もある。また、乗車カードをコンビニエンスストアなどの店舗でも利用できる様にしたカード (Suica・PiTaPa) もある。電子マネー(ちょコム)や電子チケット(ぴあ)、インターネットでの本人確認手段など幾つかの機能を1枚のカードで提供するサービス (SAFETY PASS) も登場している。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "日本国内発行のクレジットカードについて、ICカード化・カード決済端末のIC対応化を、割賦販売法の改正により、2020年までに完了させる予定。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "スキミングなど、急増するクレジットカード不正使用対策の為、従来型の磁気ストライプカード決済を廃止し、EMV規格に準拠したIC又は非接触決済への変更が急務となっている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2015年(平成27年)10月より、セキュリティの高いICチップ対応の信用照会端末を設置していない場合の不正使用被害が、クレジットカードイシュア会社による損害保証対象外となり、カード加盟店の自責扱い(加盟店とアクワイアラーが賠償費用負担)となる制度変更が、クレジットカードイシュア最大手のVisaから2015年(平成27年)5月7日に通達され、同年10月1日に実行されたため、EMV規格に準拠した信用照会端末のIC対応化が急務となった。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "ICカード乗車券は、1992年にフィンランド・オウル市のバス会社が「バスカード」として導入したものが世界初である。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "非接触ICカードにはType-A(NFC-A)やType-B(NFC-B)などの規格があり、日本で初めてのIC乗車カード導入事例となったユーバスカード(静岡県豊田町〈現・磐田市〉、1997年10月)ではType-Aが採用されたが、ほぼ同時期(1997年9月)に香港の八達通ではソニーの非接触型ICカードFeliCaが採用され、その後日本でもサイバネ規格に採用されたが、FeliCaの国際展開はその後停滞した。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "これらのICカードは、駅の自動改札機、自動券売機やバスの運賃箱など、各種の駅務機器や車載処理器で使用する。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ICカードは、磁気カードに比べて記録できる情報量が多いのはいうまでもないが、非接触式(無線式)であるため、自動改札機や運賃箱などの可動部分を減らす事ができ、メンテナンスの頻度を減らす効果も期待できる。もっとも、自動改札機の場合は実際には磁気券との共用機が多いので、メンテナンスの頻度が直ちに減る訳ではない。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "日本における普及当初は事業者単独、かつ鉄道部門単独またはバス部門単独(事業者によっては路線限定)での導入が基本だったが、2002年1月21日より長崎県の主要バス事業者(西肥自動車、佐世保市交通局、島原鉄道、長崎県交通局、長崎自動車)が全国初の複数事業者共通バスICカードとして長崎スマートカードを導入した。鉄道・バスで共通利用できるICカードは遠州鉄道が2002年3月1日より試験導入したEG1CARDが全国初であり、本格導入された鉄道・バス共通ICカードとしても同社のナイスパス(2004年8月20日導入)が全国初である。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "日本の鉄道分野では、1996年頃に「汎用電子乗車券技術研究組合」が設立され、技術検討や実証実験が行われていた。その後、2000年3月に日本鉄道サイバネティクス協議会によるICカードを利用した乗車券の規格であるサイバネ規格が定められ、その後、各事業者でICカードの導入が進んだ。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "日本のバスでも特に21世紀に入ってからは各地の事業者での導入が本格化している。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "その他に実証実験を行っている会社もある。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "多くのカードは、JIS X 6319-4とサイバネ規格に準拠したチップを採用しており、技術的には同一の端末機器で読み書きできる。これを利用して、2013年3月23日からは「交通系ICカード全国相互利用サービス」を開始し、全国10種の交通系ICカードが乗車カード・電子マネー(PiTaPaによる電子マネーとしての利用を除く)として相互利用可能となっている。また、一部の地域単位で導入されているICカードのエリアについては「交通系ICカード全国相互利用サービス」の10種のカードで利用可能(逆は基本的に不可)としているケースがある。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "この他、地域単位で導入されているICカードについては、個別に相互利用・片利用を可能としているケースがある。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "フィンランド", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "香港", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "マレーシア", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "中国", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "シンガポール", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "中華民国(台湾)", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "イギリス", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "アイルランド", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "マカオ", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "韓国", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "タイ王国", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "オーストラリア", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "ニュージーランド", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "フランス", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "バングラデシュ", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "日本のノンストップ通行料金支払いシステムであるETCシステムでは、「ETCカード」と呼ばれる専用のICカードを車内のETC車載器にセットして利用する。通行料金の支払いはシステムの性質上クレジットカードまたは、東日本・中日本・西日本の各高速道路株式会社への後払い(ETCパーソナルカードならびにETCコーポレートカード)となる。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "日本では、地方自治体が独自に市民カード、図書館カードや施設予約カードなどにICカードを導入していたが、2003年以降、統一的に「住民基本台帳カード」(2003年8月25日から。2015年12月末に新規発行終了)、バイオメトリック・パスポート(IC日本国旅券、2006年3月20日から)、運転免許証(ICカード免許証、2007年1月4日から)、在留カード(2012年7月9日から)、マイナンバーカード(個人番号カード)(2016年1月4日から)にICカード(ICチップ)の採用が進んだ。また、e-Japan戦略に関連して「国家公務員身分証明書ICカード」が2006年に導入された。政策総括監に総務省の職員の出向を得てIT CITYを標榜している大阪府箕面市では、全国に先駆けて職員証にICカードを導入した。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "霞ヶ関WANやLGWANにおける電子証明書を発給するための認証のため官職カードが各官庁や都道府県、市町村に導入された。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "厚生労働省では、2004年9月30日、「医療情報ネットワーク基盤検討会」の最終報告書において保健医療福祉分野での公開鍵基盤の必要性が示された。それに基づき2006年度に「保健医療福祉分野における公開鍵基盤認証局の整備と運営に関する専門家会議」の配下で保健医療福祉分野公開鍵基盤(HPKI)が構築され、医師・薬剤師・看護師など27種類の保健医療福祉分野の国家資格を証明するHPKIカードが導入された。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国では、米国政府従業員証 (PIV) としてICカードが採用されている。またアメリカ国土安全保障省が2009年11月から導入を開始した国民身分証「Real ID」にもICカードが導入された。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "マレーシアでは、多目的市民カード「MyKad」としてICカードが採用されている。2001年4月に導入され、2003年7月までに約570万枚が配布された。アプリケーションとして、身分証明(氏名・性別・住所・生年月日・出身地など)、個人認証 (PKI)、健康情報、キャッシュカード、電子マネー、運転免許証、パスポート(近隣出入国管理)、コンタクトレス・ペイメントシステムがある。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "フランスでは、1998年にICカード式の健康保険証ヴィタルカードが配布開始された。また、医師にはCPS (Carte de Professional de Sante) カードが配布された。保険金の還付手続きを電子化する事で、事務処理費用の削減と払い戻し期間の短縮などが実現された。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "香港では、2003年6月23日からICチップを内蔵した香港身分証(香港IDカード)の発行が開始された。香港政府は、4年後の2007年6月までにすべてのIDカードをICカードに置き換えたいとしている。同カードは、公共図書館の利用やe-道 (e-channnel) と呼ばれる自動出入境ゲートでも使用できる(香港は国ではないので「出入国」と言わない)。2007年には、免許証としての利用も開始される予定である。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "台湾では、全民健康保険(台湾の国民健康保険)の健康保険証をIC化した「健保ICカード」を2002年に導入、2003年に全面的にICカードに移行した。また、台湾の外国人登録証である「外僑居留証」も2007年よりICカード化され、2008年に全面的にICカードに移行する予定である。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "ICカードは企業の社員証や学生証などのIDカードとしても利用可能であり、1980年代の後半には社員カードとしてICカードが採用され、同じく日本で初めて高知工科大学が学生証にICカードを採用した。身分証明書としてだけではなく、ビル入館許可証(例 : ドコモタワー、NTT幕張ビル、ららぽーと豊洲、西日本旅客鉄道本社ビル、東京ミッドタウン)や大学の講義の出席管理、勤怠管理タイムレコーダーの打刻カード、情報端末の解錠用カード、社内の食堂や売店、自動販売機での支払い管理に利用されている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "2004年には、FeliCaを利用した社員カード・学生カードの普及とサービスの拡大を目的にFeliCa共通利用フォーマット推進フォーラム[現在は一般社団法人FCF推進フォーラム](通称:FCF )が発足し、IDカードとしての共通フォーマットを提唱している。FCFには2016年10月現在153社のカードソリューション企業が参加している。FCFが提唱する教育機関向けの学生証・教職員証のための共通フォーマット「FCFキャンパスカード」は2016年10月現在296教育関連機関(大学、短大、高校、中学など)で採用され120万枚以上が発券されている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "建設業界では、「建設ICカード (Construction Card)」として共通に利用できるカードがある。1995年頃から建設業務用ICカードの規格制定が始まり、翌1996年頃から建設ICカードの発行も始まった。2004年には発行累積枚数が13万枚を超えた。建設現場の入退管理、機械操作の資格確認などの合理化に使用されている。1つの現場には工程毎に様々な企業が関係し、人の出入りが複雑なため、企業や現場を超えて共通して参照できるカードが必要とされた。例えば、機械(クレーンなど)を運転する際にICカードで資格確認と運転履歴の記録を行う。カードから読み出した資格・技能コードで資格判定し、OKの時にはエンジン起動ロックが解除される。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "日本では、2008年7月1日より自動販売機でのタバコ購入に際し、一種の身分証明とも言えるICカード「taspo」(タスポ)の発行を受けているので、taspoカードをセンサーに読み込ませないとタバコの購入ができない(対人販売の場合はカードなしで購入可能)。なお、「taspo」には電子マネー機能も付随し、カードに金額を入金すると残高分の金額でタバコを購入する事ができたが2014年3月31日をもってチャージの受付を終了、2015年2月25日をもって電子マネーでのたばこの購入終了を予定している。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "東京都世田谷区の烏山駅前通り商店街にて、1988年にICカード「IC-CARDIA」を導入し、スタンプのカード化を行っている。その後、プリペイド機能とクレジット機能が追加され、商店街カードとして利用されている。 2006年には、より安全・快適に使用できるセキュアなNTTコミュニケーションズが提供するセーフティパス機能付きICカードを搭載した「えるもーる LUCK CARD」を導入を行った。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "最近では、Edyを商店街単位で導入するところも増えている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "また、SuicaやPASMOなどIC乗車カードすべてがそのままポイントカードとして利用できる地域ポイントカードのシステムが開発・運営されており、東京都内のJRや私鉄沿線の商店街では利用客の大多数がSuicaなどを所持・携帯している事、新規カード発行費用の負担削減などの理由からこのシステムを導入する動きが広まっている。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "施設内のアーケードゲーム機などの支払い管理用(プリペイドカード)だけではなく、プレイデータの記録管理用のIDカードにも使われている。セガとバンダイナムコアミューズメントは、かつてはタイトル毎の専用ICカードを必要としていたが、一元管理システムである「Aime」「バナパスポート」へ移行していった。2018年10月25日からセガ・インタラクティブ、バンダイナムコアミューズメント、コナミアミューズメントの3社の規格を統一した「Amusement IC」サービスが開始され、「Aime」「バナパスポート」「e-amusement pass」の相互利用サービスが開始された。タイトーも、2019年3月より「Aime」「バナパスポート」「e-amusement pass」との相互利用サービスが開始された。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "日本の中央競馬では、日本中央競馬会が発行する、勝馬投票券購入用のICカードがある。", "title": "ICカードの適用先" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "ICカードは磁気カードよりも安全であると考えられており、偽造対策等のセキュリティの向上を目的とした置き換えが進んでいる。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "磁気ストライプ上の情報には不正な読み書きを防止する仕組みはないため、比較的安価な装置で改ざんやコピーができるのに対して、ICカードの場合にはICチップでアクセス制御を行う事ができるため、偽造を行うには、ICチップを分解し、専用装置を用いて内部を解析しなければならず、その手間やコストが掛かる分だけ安全であるという。しかし、1990年代中頃からポール・コーチャ (Paul Kocher) やロス・アンダーソン (Ross Anderson) 達の研究によりサイドチャネル攻撃など数々の攻撃方法が開発され、秘密鍵の読み出しが容易なICカードも存在する事が判明した。これらの新しい攻撃方法に対処したICカードの開発が課題となっている。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ICカードは、偽装や変造などの不正行為が磁気カードよりも困難である事を期待されている。その根拠を以下に示す。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "そこで、プリペイドカード(テレホンカード、パチンコカード、乗車カード)やクレジットカード・キャッシュカードの偽造変造による被害を防止するために、ICカードへの置き換えが進んでいる。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "高機能なCPUを搭載したICカードは、カード内部で複雑な処理が可能であり、磁気カードよりも多機能なカードとして利用できることが期待されている。例えば、パスワードをICカードに格納し、利用者が入力したパスワードを、ICカード内で検証する事が考えられる。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "プログラムダウンロード可能な仕組みを持つICカードは、発行後にも新しい機能をICカードに追加する事ができ、多目的なカードとして利用できる事が期待されている。1サービス毎に1枚のカードを発行する従来の方式では、複数のサービスを利用する人は複数枚のカードを持つ事になるが、多目的カードでは1枚のカードにできる事になる。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "以上の様に、偽造耐性があり、多機能・多目的なカードとしてICカードは期待されている。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "フランスでは、バンクカード(クレジットカード)をICカード化する事により、それまで発生していたカード偽造犯罪を激減させる事ができた[ECOM99]。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "日本では、磁気テレホンカードの偽造対策として1999年にICカードを導入したが、公衆電話の利用者減少を理由に2006年3月末にICカードを廃止した。 同じく磁気カード(PETカード)であったJR東日本の従来のオレンジカード・イオカードに代わって導入されたSuicaでは、2008年3月現在に於いて偽造変造は知られていない。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "数百億円の不正使用があったパチンコカードもICカード化されているが、ICカード化以前にサービスの縮小やサーバーでのID管理などによって不正使用対策を施したため、ICカード化の効果は未知である。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "チップ自体の耐タンパー性、OSやライブラリの実装方式、アプリの設計など様々なレベルで、対応が検討されている。また、第三者による評価・認証も求められている。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "認証制度には、ISO/IEC 15408,FIPS PUB 140-2や業界独自の認定(Visaによる認定など)がある。", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "ICカード用のICチップを製造している主なメーカー", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "EAL5 ライン", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "EAL4+ ライン", "title": "セキュリティ" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "なし", "title": "セキュリティ" } ]
ICカードとは、情報(データ)の記録や演算をするために集積回路 (IC) を組み込んだカードのことである。国際的にはスマートカード やチップカード とも呼ばれ、日本では、特に演算処理機能を持つものをスマートカードと呼ぶ。 カード内にRAMやROM、EEPROMといった半導体メモリを組み込むことにより、情報量が従来の磁気ストライプカードと比べて数十倍から数千倍になる。さらに、CPUやコプロセッサなどを内蔵することで、カード内部で情報処理が可能になるという特徴がある。これを応用して、Intelが専用のドックに専用のICカードを挿入し、パーソナルコンピュータとして利用できるインテル Compute Cardを開発した。情報処理や記憶は全てカード上で行う。
{{Redirect|スマートカード|長崎県の交通系ICカード|長崎スマートカード}} [[File:IC Card Reader Writer RW-5100W.jpg|thumb|200px|「接触型ICカードリーダ/ライタ」と「[[個人番号カード|マイナンバーカード(個人番号カード)]]」]] [[File:Contactless Ic Card Reader Writer RC-S370.jpg|thumb|200px|「非接触型 ICカード リーダ/ライタ」と「マイナンバーカード」]] '''ICカード'''(アイシーカード、{{Lang-en-short|integrated circuit card}}; {{Lang|en|ICC}})とは、[[情報]]([[データ]])の記録や演算をするために[[集積回路]] ({{Lang|en|IC}}) を組み込んだ[[カード]]のことである。国際的には'''スマートカード''' ({{Lang|en|smart card}}) や'''チップカード''' ({{Lang|en|chip card}}) とも呼ばれ、[[日本]]では、特に演算処理機能を持つものをスマートカードと呼ぶ。 カード内に[[Random Access Memory|RAM]]や[[Read Only Memory|ROM]]、[[EEPROM]]といった[[半導体メモリ]]を組み込むことにより、情報量が従来の[[磁気ストライプカード]]と比べて数十倍から数千倍になる。さらに、[[CPU]]や[[コプロセッサ]]などを内蔵することで、カード内部で情報処理が可能になるという特徴がある。これを応用して、[[Intel]]が専用のドックに専用のICカードを挿入し、[[パーソナルコンピュータ]]として利用できるインテル Compute Cardを開発した。情報処理や記憶は全てカード上で行う。 == 歴史 == ICカードの普及以前は、[[1960年]]に[[IBM]]によって発明された[[磁気ストライプカード]]が使われていた。 ICカードは、ドイツでは[[1968年]]に[[ヘルムート・グレトルップ]](Helmut Gröttrup)とユルゲン・デトロフ(Jürgen Dethloff)が共同で、日本では[[1970年]]に[[有村國孝]]が、フランスでは[[1974年]]にローラン・モレノ (Roland Moreno) が、それぞれ発明している。グレトルップは1968年に[[特許]]を申請したが、認められたのは1982年になった。 ICカードをその機能により分類すると、次の4つに分けられる。 * メモリーカード(メモリのみ、ヒューズメモリなど) : 使い捨てプリペイドカードなどに利用 * ロジック付きカード(アクセス制御機能などを備えたもの) * CPU搭載カード * その他(専用コプロセッサなど) [[CPU]]を搭載して単体で演算能力を持つICカードは[[1970年代]]後半に登場した。製品としては[[ブル]]と[[モトローラ]]が共同で、[[1973年]]から[[1979年]]に掛けてメモリカードやマイコンカード(EEPROM内蔵CPU、CPU搭載EEPROM、1チップ化したもの)を開発した。これがICカードの始まりとなった。[[ブル]]のICカード部門会社の[[ブルCP8]]は日本国内において[[大日本印刷]]と合弁で[[SPOM JAPAN]]を設立した。マイコンカードの基本技術はCP8技術、或いはSPOM (Self Programmable One-chip Microcomputer) 特許として知られ、世界中のカードメーカーにライセンスされた。その後、現在の[[STマイクロエレクトロニクス|STMicroelectronics NV]]が[[1982年]]にセキュア・メモリICを開発した。 日本では[[1981年]]に[[大日本印刷]]が研究を開始し、[[1983年]]に[[大日本印刷]]や[[凸版印刷]]がICチップインカードを、[[東芝]]が[[1984年]]にICカードを、[[日立製作所]](現在の[[ルネサス エレクトロニクス]])が[[1985年]]にICカードマイコン (HD65901) をそれぞれ開発した。[[ソニー]]も[[1988年]]から非接触ICカードの研究開発に着手していた。 初期のCPUは4bit - 8bitCPUであったが、その後16bit - 32bitCPUが搭載された。[[8051]]、[[8052]]、[[6805]]、[[Z80]]、[[H8]]、[[AE-4]]、[[Atmel AVR|AVR]]、[[ARMアーキテクチャ|ARM]]、[[MIPSアーキテクチャ|MIPS]]などの既存アーキテクチャを使うものだけでなく、独自の非公開アーキテクチャを採用するものもある。 メモリサイズは当初256bit - 8kByteであったが、徐々に大きくなり、[[2003年]]頃には32kByte - 512kByte、1MByteになっている。 [[不揮発性メモリ]]としては、EEPROMの他に[[フラッシュメモリ]]や[[FeRAM]] (FRAM) を搭載したカードがある。当初、EEPROMの書き換えにはIC駆動に用いるVccとは別に専用の電圧を必要としていたが、その後Vccだけで動作できる様に改良された。 [[RSA暗号|RSA]]用コプロセッサ搭載カードは[[1990年代]]前半に登場した。[[Data Encryption Standard|DES]]/[[トリプルDES]]はソフトウェアで実装される場合と、専用回路で実現する場合がある。 当初のICカードは[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]をROMに格納していたが、1990年代後半にはプログラムを不揮発性メモリにダウンロードできる仕組みを持つプラットフォーム型ICカードと呼ばれる[[MULTOS]]カードや[[Javaカード]]が開発された。[[MULTOS]]カードは[[MasterCard]]、[[大日本印刷]]、[[日立製作所]]が開発し、プラットフォーム型ICカードの先駆けとなった。[[MULTOS]]カードは、MELという専用の[[アセンブラ]]ライクな言語でプログラムを記述する。1999年にはクレジットカードとして大規模に発行開始し、世界初のプラットフォーム型ICカードの実用化となった。Javaカードはカード内に[[Java仮想マシン|Java VM]]を内蔵し、[[Java]]で記述されたプログラムを実行する事ができる。Javaの実行環境を含めたJavaカードなどでは、[[暗号化]]や[[電子署名]]の技術を使う事ができるものもある。 カードOS(通信制御・ファイル管理など)に[[ITRON]]を採用しているカードもある。また、[[TRONプロジェクト]]が提唱している電子身分証の[[eTRON]]カードもICカードの一種である。 ICカードは[[プラスチック]]を使っているが、[[凸版印刷]]は[[リサイクル]]可能な[[紙]]を材料としたものを開発し、[[2009年]]4月から販売を開始した。併せて回収と[[再生]]までの[[リサイクル]]の体制の確立も行う<ref>{{Cite web|和書|date=2009-02-27|url=http://www.toppan.co.jp/news/newsrelease871.html|title=リサイクル・リユース可能な紙素材のICカード「KAMICARD」を開発|publisher=[[凸版印刷]]|accessdate=2009-04-07 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-02-27|url=http://www.monz.co.jp/2009/02/ic_8.html|title=凸版印刷 リサイクル・リユース可能な紙素材のICカードを開発|publisher=印刷タイムス|accessdate=2009-04-07}}</ref><ref>[[読売新聞]]2009年3月26日12版19面</ref>。 <!-- 他の形態として、携帯、PCやCPUへの導入、USBメモリ、MOPASSなどもあることの記述 --> <!-- smartSD はICカードに記述すべきか --> == 形式 == ICカードはその目的に合わせて様々な機能を有し、それらは様々な形式で実装される。以下はその一例である。 * 電源<ref>"半導体チップを動かす電力を供給する手段によって、「接触型」と 「非接触型」に分類されます。" DENSO. ''[https://www.denso-wave.com/ja/adcd/fundamental/ic_card/ic_card_tec/index.html ICカードとは(技術編)]''. 2022-09-16閲覧.</ref> ** 接触型: 接点端子を介した電流による給電<ref name=":0">"接点端子 接触型において、リーダライタとのデータ交換" DENSO. ''[https://www.denso-wave.com/ja/adcd/fundamental/ic_card/ic_card_tec/index.html ICカードとは(技術編)]''. 2022-09-16閲覧.</ref> ** 非接触型: アンテナコイルを介した電磁誘導による給電<ref name=":1">"アンテナコイル 非接触型において、リーダライタとのデータ交換" DENSO. ''[https://www.denso-wave.com/ja/adcd/fundamental/ic_card/ic_card_tec/index.html ICカードとは(技術編)]''. 2022-09-16閲覧.</ref> * 通信 ** 接触型: 接点端子を介した電流による通信<ref name=":0" /> ** 非接触型: アンテナコイルを介した電波による通信<ref name=":1" /> 電源と通信は同じ形式でおこなう場合が多く、これら2機能に基づいて「接触型ICカード」「非接触型ICカード」の2形式にしばしば分類される<ref>"ハードウェアという切り口では、ICカードは「'''接触型'''」と「'''非接触型'''」に分類される。" 長谷川. (2005). ''[https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/0508/12/news090.html 知っておきたいICカードのタイプと使われ方]''. @IT.</ref>。 == 標準 == [[ファイル:CarteVitale2.jpg|thumb|200px|[[フランス]]の[[保険証]] ([[ヴィタルカード|Carte Vitale]])]] ICカードは各形式ごとにそれぞれ幾つかの方式が標準化・規格化されている。 === 接触型 === 接触型ICカードは、読み取り機に挿入した際に表面の金メッキの端子部分から外部電源が供給される仕組みになっている。物理的な仕様からコマンドなどの論理面までの必要最小限の部分が[[国際標準化機構|国際規格]] ISO/IEC 7816(Part 1 - 15 がある)で標準化されている。国際規格でのICカード関連の規格は、[[カード#ISO -- International Organization for Standardization|カードの規格 (ISO)]] を参照。 [[ISO/IEC 7816]]では最小部分しか規格化されていないので、業界やサービスに特化した仕様が作成されている。 [[金融]]向けに、EMV仕様と呼ばれる[[ユーロペイ・インターナショナル|ユーロペイ]]、[[マスターカード|MasterCard]]、[[Visa]]によるデビットカードとクレジットカードの標準仕様がある。 [[GSM]]、[[3GPP]]で[[UIMカード]]仕様がある。 複数のアプリケーションが搭載可能なカードやプラットフォームの仕様として、Javaカード仕様やMULTOS仕様がある。Javaカードには、VisaによるVisa Open Platform仕様がある(現在Global Platform)。 日本では、ISO/IEC 7816を元にした[[日本産業規格]] JIS X 6300 がある。 {{See also|カード#JISC}} 業界標準仕様には、[[日本ICカードシステム利用促進協議会|JICSAP]]仕様や[[全国銀行協会|全銀協]]ICキャッシュカード標準仕様などがある。 [[限定受信システム]] ([[B-CAS]])用のICカード仕様は、ARIB STD-B25(デジタル放送に於けるアクセス制御方式)の第1部第4章で記述されている。 建設ICカードの標準として、日本建設機械化協会規格がある(JCMAS G 001-1 建設業務用ICカード―カード―第1部:物理特性 1997、JCMAS G 001-2 建設業務用ICカード―カード―第2部:機能仕様)。 <!-- ETCはどこで規格? --> 業界標準は、ISO準拠だけではカード間の相互運用ができない場合があるという実装上の課題を解決するために生まれ、初期にはS型実装仕様などがあった。業界標準を規格化するために、JICSAP仕様を基にして、JIS・ISOの原案が作成されている。 === 非接触型 === [[ファイル:Defaced_EZ-Link_Card.jpg|thumb|FeliCa RC-S860の内部回路]] 非接触型ICカードは、読取り機の磁界を通過する[[電磁誘導]]の起電力を利用している。国際規格[[ISO/IEC 14443]]がある。リーダとライタの通信距離に応じて「密着型」「近接型」「近傍型」「遠隔型」の4種類に区別され、さらに近接型は「Type A」「Type B」に分類される。欧州ではType Aカード、特に[[オランダ]]の[[フィリップスエレクトロニクス]]が開発した[[MIFARE]]が普及している。米国では[[モトローラ]]が開発したType Bカードも普及している。 [[ソニー]]は自社が開発した[[FeliCa]]をType CとしてISO/IEC 14443に提案したが、この国際規格には採用されず、後にFeliCaとMIFAREの上位通信方式がISO/IEC 18092 ([[近距離無線通信|NFC]], Near Field Communication) として標準化された(FeliCaと同時期にType D - Gも提案されていたが、規格が乱立するとして標準化の議論を停止した)。2005年1月には、拡張規格であるNFC IP-2がISO/IEC 21481として国際標準規格に制定されType Bにも対応した。 日本ではJIS X 6321 - 6323がある。特定用途向けの規格に、[[住民基本台帳カード]]仕様 (Type B)、[[日本鉄道技術協会#日本鉄道サイバネティクス協議会|日本鉄道サイバネティクス協議会]]によるFeliCaの技術を採用した[[乗車カード|ICカード乗車券]]規格(サイバネ規格)などが普及している。サイバネ規格のアプリケーションに関係する部分を除いた部分は、[[日本ICカードシステム利用促進協議会|JICSAP]]仕様の第4部で仕様が規定されている。 == ICカードの適用先 == === 通信放送分野での導入 === ==== 公衆電話 ==== ICカードの最初の大規模な適用先は、[[1983年]]にフランステレコム(現・[[Orange (通信会社)|Orange]])が[[公衆電話]]の支払い用に使い捨ての[[プリペイドカード]]として採用したテレフォンカードである。なお、フランスのICテレフォンカードは接触型である<ref>[https://web.archive.org/web/20040215005122/http://www.u-card.co.jp/faq/faq_ic01.html ICカード75の質問-1] - [[NTTカードソリューション]]([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。[[日本]]でも<!-- ○○年に? -->国際電信電話(KDD、現・[[KDDI]])が接触型のカードを<!-- 何の用途に? -->採用している。[[1999年]][[3月]]には[[日本電信電話]]が[[テレホンカード|磁気テレホンカード]]の偽造対策として非接触型の[[ICテレホンカード]](ICテレカ)を導入し、同時にICカード式[[日本の公衆電話|公衆電話]]も導入した。 その後、[[公衆電話]]は世界的に[[携帯電話]]に取って代わられ、プリペイドカードとしての利用は減少した。そのため、NTTは[[2005年]][[1月20日]]に利用者の減少を理由に、費用がかかるICテレホンカードとICカード式公衆電話の廃止を発表し、翌[[2006年]]3月までに、全てのIC公衆電話を撤去し、利用者の多かった場所のみ磁気カード式公衆電話に置き換えている。 ==== 携帯電話 ==== [[GSM]][[携帯電話]]、[[NTTドコモ|NTT docomo]]の[[第3世代移動通信システム]][[FOMA]]の[[FOMAカード]]、[[第3.9世代移動通信システム]]の[[Xi (携帯電話)|Xi]]及び[[第4世代移動通信システム]]の[[PREMIUM 4G]]で使用される[[ドコモUIMカード]]、[[Au (携帯電話)|au]]の[[au VoLTE]]で使用される[[au ICカード]]、[[ソフトバンク]]の[[SoftBank 3G]]における[[SoftBank 3G USIMカード]]、[[イー・モバイル]]における[[EM chip]]などは、[[SIMカード]]/[[UIMカード]]という電話番号などが記録されたICカードが搭載された。SIM/UIMカードは取り外す事ができて、カードを別の端末に挿入する事で、別の端末に同じ番号を引き継ぐ事が可能になっており、通話用端末とデータ通信用端末とを1枚のカードを抜き差しして利用できる。 <!-- USIMカードの無線LANなどへの多目的利用の検討がある --> 日本においては、これと別に「[[おサイフケータイ]]」としてNTTドコモを皮切りに、auと[[Vodafone]](現・ソフトバンク)が相次いで、非接触ICチップ ([[FeliCa]]) を携帯電話のアプリケーションとして導入している。 <!-- フランスのテレカは1984年なのでは?英語版が1983年になっている --> ==== デジタル放送 ==== [[ファイル:B-CAS CARD 3.JPG|thumb|200px|BS 110度CS 地上デジタル共用B-CASカード]] [[ファイル:スカパーCARD.JPG|thumb|200px|スカパーカード]] [[:en:Videocrypt]]による課金管理システムにはICカードが使用されている。<!--Videocrypt pay-TVが何か説明要--> <!-- 欧州の状況を加筆希望 --> 日本では、[[2000年]][[12月1日]]に開始された[[衛星放送|BSデジタル放送]]の視聴制御用カードとして、接触型ICカードの[[B-CAS]]カードが導入された。B-CASカードにはID番号とマスター鍵が格納され、受信機に同梱されて配布されている。有料放送([[WOWOW]]、[[スター・チャンネル|スター・チャンネルBS]]など)のスクランブル解除のための秘密鍵を配布管理する手段として利用された。その後、[[地上デジタルテレビジョン放送]](2003年12月開始)や[[衛星放送|110度CSデジタル放送]]でもB-CASカードが採用されている。2003年[[5月]]までに17万枚を発行している。[[2004年]][[4月5日]]にはデジタル放送の[[コピーガード|コピー制御]](コピーワンス)が始まり、B-CASカードが挿入されていないと視聴できなくなった。B-CASカードは[[ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズ|(株)ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズ]]が発行している。 [[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]] でも、視聴するために受信機にICカード(スカイパーフェクカード又はパーフェクカード)を入れる。<!-- いつから?、B-CASより前 --> [[ペイ・パー・ビュー|PPV]]の課金管理も行われる。 デジタル[[ケーブルテレビ]](デジタル化されたケーブルテレビ)の視聴には、接触型ICカードのC-CASカードが使用される。但し、再放送される各種デジタル放送(上記の一般のB-CASカードが対象とする放送)の視聴にはC-CASカードの他にケーブルテレビ用のB-CASカードが必要である。そのため、B-CAS/C-CASの両方に対応する受信機 (STB) もある。C-CASは受信機メーカー間で仕様の差異が課題になっている。<!-- CATVでのC-CAS,B-CAS採用はいつか -->C-CASカードやケーブルテレビ用のB-CASカードの運用業務は「一般社団法人 [[日本ケーブルテレビ連盟]] (JCTA)」が行っている。 === 決済手段としての導入 === [[キャッシュカード]](バンクカード)、[[クレジットカード (日本)|クレジットカード(日本)]]や[[プリペイドカード]]のメディアは、磁気カードからICカードへの切り替えが進んでいる。 [[フランス]]では、[[1989年]]頃からバンクカードにICカードが導入された(1984年には最初の[[現金自動預け払い機|ATM]]バンクカードが登場している)。日本では、クレジットカードは[[2001年]]頃から、[[パチンコ]]用プリペイドICカードは[[2000年]]からそれぞれ導入されている。クレジット・プリペイドカードに続いて、2004年からキャッシュカードのICカード化が始まった。 ==== ICクレジットカード ==== {{see also|en:EMV}} [[1993年]]に、クレジットカード大手の[[ユーロペイ|Europay]]・[[マスターカード|MasterCard]]・[[Visa]]は、クレジットカード決済業務用ICカードの共通仕様開発に合意し、共通仕様を3社の頭文字をとって'''EMV仕様'''と名付け、以降、接触型ICチップを採用したクレジットカードやキャッシュカードは、全[[世界]]でEMV仕様のICカードが[[世界標準]]となっている。その後EMVには、[[ジェーシービー|JCB]]・[[アメリカン・エキスプレス|American Express]]・[[中国銀聯]]・[[ディスカバーカード]]も加入している。 相次ぐ不正使用対策の為、[[割賦販売法]]を改正し、[[2018年]][[6月1日]]に加盟店に対してIC決済対応を義務化された。 {{See also|{{節リンク|割賦販売法|平成28年改正概要}}}} ==== ICキャッシュカード ==== '''ICキャッシュカード'''とは、口座番号などの取引に必要な情報と[[秘密鍵]]を書き込んだICチップを搭載した[[キャッシュカード]]のことである。従来の[[磁気ストライプカード]]より偽造が困難である。 磁気ストライプ式キャッシュカードでは、磁性体の塗布や磁気カードリーダー/ライターを使って磁気情報を読み取る「[[スキミング]]」が容易にでき、偽造カードによる被害が多発したため、分解・解析しようとすると壊れる({{仮リンク|耐タンパー性|en|Tamper resistance}})ICチップを採用したキャッシュカードが必要となった。 フランスでは、[[1990年]] - 1993年にかけてICキャッシュカードが普及したことにより、カード偽造による被害額が[[1989年]]と比較して、[[1998年]]にはおよそ10分の1に減少した。 中華民国では、2006年[[3月1日]]にICキャッシュカードに全面移行し、従来の磁気式キャッシュカードの使用を停止した。 韓国では、2014年2月より[[現金自動預け払い機|ATM]]における、磁気ストライプ式キャッシュカードの取り扱いを中止する予定(2013年2月から試験運用開始)。 日本では、2001年3月に旧・[[全国銀行協会]]が「ICキャッシュカード標準仕様」を制定し、[[2002年]]頃から導入検討や実証実験などが行われていたが、カード偽造が拡大し、その被害が報道された2004年 - 2005年以降、導入が加速した。ICチップ自体の耐タンパー性に加えて指静脈認証などの[[生体認証]]機能を搭載する事によって、強固な[[本人確認]]を可能にしている。なお、現行の規格上は、[[2049年]]末まで利用可能となっており、[[2050年]]以降でも利用可能な規格の新規開発ないしはソフトウェアのバージョンアップなどが必要とされる。 [[2008年]]現在では、いまだICキャッシュカードにも磁気ストライプが付いている事が多い(後述のように、[[みずほ信託銀行]]は[[2012年]]3月までに、ICカード付きキャッシュカードを使用不可とする措置を取り、差し替えの上で磁気ストライプのみのカードに戻している)。これはICチップ通信に対応していないATMや決済端末のための後方互換性の問題があるからだが、磁気ストライプでの引き出し金額を低く設定するサービスを行っている金融機関が多い。また、接触式ICチップに加えて非接触式ICカード通信方式に対応したものも登場し、ICカード乗車券として使えるものも登場している。 ; 2004年 * [[東京三菱銀行]](現・[[三菱UFJ銀行]]) : 「スーパーICカード『東京三菱-VISA』」(10月12日)ICキャッシュカード、クレジットカード、電子マネー ([[Edy]])、手のひら静脈認証を搭載。カードOSはJava Card/Visa Global Platform と Felica OSの2つで、接触/非接触のデュアルI/F。及び「ICキャッシュカード」クレジットカード機能を搭載しないもの。ただし、[[2010年]][[6月22日]]以降新規発行ないし差替え分は、Edyは搭載されない。その後、これまで磁気ストライプのみで発行してきた一般のカード(貯蓄預金のキャッシュカードなど、ICカード対象外の口座もある)がICカード標準とされたため、有効期限のないカードとなったが、ディズニーデザインでは[[J-Debit]]の利用を不可とする仕様を取った。 * [[UFJ銀行]](現・三菱UFJ銀行) : 「オールワンICカード」(11月)ICキャッシュカード…[[2007年]][[5月21日]]発行分より、IC対応他行のATMでのIC取引に対応させるため、仕様の一部を変更(それ以前の発行分は、自行ATM以外では[[ゆうちょ銀行]]と[[コンビニATM]]([[セブン銀行]]・[[イーネット]])のみIC取引に対応)。有効期限後は、新システム仕様に変更されることに伴い、差替カードは全て上述の旧東京三菱銀行の仕様に変更された。 ; 2005年 * [[三井住友銀行]] : (2月21日)ICキャッシュカード、(12月19日)指静脈認証。指静脈認証対応カードは磁気ストライプレスかつ生体認証登録を要する専用カードで、一部[[コンビニATM]]を除いて他行利用ができないというものであったが、後に、窓口での即時発行対応開始に伴い、生体認証の搭載の可否の区別のないカードが発行されるようになった([[貯蓄預金]]専用カードなどIC化は可能だが、即時発行非対応のカードもあり)。なお、SMBC CARDなどのクレジットカード一体型などを除き、ダブルストライプカードなどは、基本的にICに対応していない。(2023年3月1日)1枚にキャッシュカード、クレジットカード、デビットカード、ポイント払い(プリペイドカード)機能を集約した「[[Olive (金融サービス)|Olive]]」のサービスを開始。 * [[みずほ銀行]] : 「みずほICキャッシュカード」(3月7日)ICキャッシュカード、(2006年10月2日)指静脈認証 * [[広島銀行]] : 「<ひろぎん>バリューワン」(4月)クレジット&ICキャッシュカード、手のひら静脈認証。「<ひろぎん>ICキャッシュカード」(2006年8月28日)ICキャッシュカード、手のひら静脈認証。 * [[新銀行東京]] (現 : [[きらぼし銀行]](旧 : SGT店『{{Color|#0ba|■}}』取扱)) : (4月1日)ICキャッシュカード、セーフティパス機能、(7月1日)[[Suica]]機能。有料発行となる単体型と無償発行となる[[JALマイレージバンク]](都内の一部[[三越]]店舗のポイントカード機能を含む)提携型を除き、すべてクレジットカードと一体になっていた(Suica機能付きやPASMOが別途分離発行されるなどもクレジット一体型となった)。その後、無償化したうえで、ICキャッシュカード単体のみのものにすべて切り替えとなった(有効期限もその後撤廃し、強制切り替えとされた)。合併後の[[きらぼし銀行]]では、旧[[東京都民銀行]]方式での発行となり、システム統合までの間、カードの裏面に『{{Color|#f00|●}}{{Color|#0ba|■}}』の両方のマークがつくことになった。新銀行東京名のカードも引き続き利用可能だが、旧3行が個別に提携していた各金融機関及び[[コンビニATM]]の範囲でしか拡張されないため、[[MICS]]扱いでの利用は、きらぼし銀行名([[2020年]]4月までに発行した分については、『{{Color|#f00|●}}{{Color|#0ba|■}}』マーク付き)のカードへ発行換えする必要がある。 * [[池田銀行]](現 : [[池田泉州銀行]](旧 : 池田店『{{Color|#0ba|●}}』取扱)) : 「+sa-ica(プラスサイカ)」(6月20日)ICキャッシュカード、手のひら * [[関西アーバン銀行]](現 : [[関西みらい銀行]](旧 : 関西アーバン店『{{Color|#0040FF|■}}』取扱)) : (7月19日)ICキャッシュカード、4桁の暗証番号に加え、[[アルファベット暗証番号]]による認証。システム統合時に、旧・近畿大阪仕様に変更され、アルファベット暗証番号は廃止された。生体認証およびりそなデビットカードの利用希望者、旧びわこ店で店舗統合歴がある店舗利用者で、廃止店のカードを利用していた場合などは、システム統合後のカードの発行が必要になった。 * [[尼崎信用金庫]] : (8月22日)ICキャッシュカード<信用金庫業界初>(ATM利用は8月30日より対応)、(2007年4月19日)指静脈認証 * [[セブン銀行]] : (10月11日)ICキャッシュカード * [[千葉銀行]] : (10月17日)ICキャッシュカード、(2006年8月7日<ICキャッシュ単体型(但し6店にて先行、それ以外の店舗では2006年9月19日)>、(2006年9月19日<ICキャッシュ+クレジット一体型>)指静脈認証 * [[横浜銀行]] : (10月24日)ICバンクカード・ICキャッシュカード * [[岐阜信用金庫]] : (11月1日)ICキャッシュカード、手のひら静脈認証、(2007年3月19日)手のひら静脈認証・指静脈認証併用 * [[京都銀行]] : (11月21日)ICキャッシュカード、指静脈認証<ref>{{PDFlink|[https://www.kyotobank.co.jp/news/data/20140514_949.pdf 「IC キャッシュカードの店頭即時発行」の取り扱いを開始!]|}}</ref> * [[十六銀行]] : (11月28日)ICキャッシュカード、(12月26日)指静脈認証<一部店舗のみ取り扱い> * [[第四銀行]](現・[[第四北越銀行]]) : 「だいしICキャッシュカード」(11月28日)、(2006年7月13日)指静脈認証 : 生体認証登録が必須のカードで、有効期限毎の更新が必要だったが、2017年1月の勘定系リプレースにより、既存の利用者は新仕様のカードに差し替えとなり、以降の新規発行及び磁気カードからの切り替えについても生体認証は必須でなくなり、併せて有効期限が撤廃されることになった。 : 第四北越銀行発足後は、名称を「だいしICキャッシュカード」から「ICキャッシュカード」に改められた。 * [[南都銀行]] : (12月19日)ICキャッシュカード、手のひら静脈認証 * [[岡崎信用金庫]] : (12月19日)ICキャッシュカード * [[中国銀行 (日本)|中国銀行]] : 「DREAMe-W(ドリーミーダブル)」(12月2日)クレジット&ICキャッシュカード(2006年3月20日からはキャッシュカード単体のICカードの取り扱いを開始) ; 2006年 * [[びわこ銀行]](現・[[関西みらい銀行]]) : (1月23日)システム統合後は、旧来からの[[関西アーバン銀行]]の様式のカードを発行。びわこ銀行時代に店舗統合を行った店舗で廃止店のままのカードを使用していた場合、関西みらい銀行発足後のシステム統合時に使用不可とされたため、強制切換の対象とされた。 * [[福岡銀行]] : (1月23日)ICキャッシュカード、(3月20日)指静脈認証 * [[武蔵野銀行]] : (2月27日)ICキャッシュカード 指静脈認証 * [[静岡銀行]] : 「しずぎんjoyca」(3月1日)キャッシュ&クレジットICカード(同時にICキャッシュ単体型も発行) * [[泉州銀行]](現 : [[池田泉州銀行]](旧 : 泉州店『{{Color|#f00|■}}』取扱)) : 「<センギン>ICキャッシュカード」(3月1日)ICキャッシュカード、(9月1日)掌/指双方向静脈認証 : 合併後のシステム統合後発行分は、旧池田店仕様で発行される。 * [[北洋銀行]] : 「clover(クロバー)」(3月3日)キャッシュ&クレジットICカード * [[北越銀行]](現・[[第四北越銀行]]) : (3月13日)ICキャッシュカード。合併後は、旧[[第四銀行]]仕様のカードを発行。   * [[八十二銀行]] : 「八十二ICクイックカード」(3月20日)ICキャッシュカード、(2007年5月16日)掌静脈認証 * [[常陽銀行]] : 「常陽ICエースカード」(3月22日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[滋賀銀行]] : (3月22日)ICキャッシュカード、手のひら静脈認証 * [[住友信託銀行]](現・[[三井住友信託銀行]]) : (3月22日)ICキャッシュカード、(2007年1月4日)指静脈認証→合併後のシステム統合以後の発行分は、旧中央三井の発行様式のカードに切り替え(有効期限のないカードをシステム統合前に発行した場合は、従来通り利用可能)。 * [[第三銀行]](現・[[三十三銀行]]) : (3月27日)ICキャッシュカード、指静脈認証。合併後は、旧・第三銀行方式のカードが発行されるが、[[統一金融機関コード]]が旧・[[三重銀行]]のものとなったため、合併後発行分は、明細に旧・三重銀行の0154が表示されることになった。 * [[中央三井信託銀行]](現・[[三井住友信託銀行]]) : (3月29日)「オールインカード」キャッシュ&クレジットICカード(同時にICキャッシュ単体型も発行)、三井住友信託銀行の新システム稼働後は、旧住信店で行われていた通帳レス口座(ユアパートナー)の開始に伴ってユアパートナー取引証を兼ねた専用ICキャッシュカードを発行開始(併せて、明細に表示される統一金融機関コードも0291から0294へ変更された)。 * [[紀陽銀行]] : (4月3日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[みなと銀行]] : (4月3日)ICキャッシュカード * [[京都信用金庫]] : (4月3日)ICキャッシュカード、指静脈認証<ref>[http://www.kyoto-shinkin.co.jp/whatsnew/n01-1020.htm 生体認証「ICキャッシュカード」取扱開始:京都信用金庫]</ref> * [[みずほ信託銀行]] : (4月10日)ICキャッシュカード、(2007年4月2日)指静脈認証→利用者により、2012年1月ないしは同年3月を以って、有効期限にかかわらずIC機能の使用停止。旧来の磁気ストライプのみのカードに差し替えとなった。 * [[但馬銀行]] : (5月8日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[みちのく銀行]] : 「Michinoku Card(みちのくカード)<みちのくICキャッシュ&クレジット>」(5月15日)ICキャッシュ&クレジットカード(ICキャッシュ単体も発行。こちらは、5年ごとの更新手数料が発生)、(2007年2月16日)指静脈認証 * [[山陰合同銀行]] : (5月15日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[東邦銀行]] : (6月22日)ICキャッシュカード * [[鳥取銀行]] : 「IC TORICA<アイシートリカ>」(6月26日)ICキャッシュ&クレジットカード * [[碧海信用金庫]] : (7月18日)ICキャッシュカード * [[商工組合中央金庫]] : (7月24日)ICキャッシュカード * [[北海道労働金庫]] : (7月24日)ICキャッシュカード * [[東北労働金庫]] : (7月24日)ICキャッシュカード * [[甲府信用金庫]] : (7月24日)ICキャッシュカード * [[四国労働金庫]] : (7月24日)ICキャッシュカード * [[百十四銀行]] : (8月1日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[七十七銀行]] : (8月14日)ICキャッシュカード、掌静脈認証(ATM利用は[[8月21日]]より対応)。自行利用限定型と[[コンビニATM]]を含む他行利用可能型が設定され、前者には磁気ストライプが付加されない(前者は、IC対応ATMを設置した他行でも利用はできない)。当初は有効期限があって、なおかつ発行・更新手数料が徴収されるものであったが、[[2012年]][[3月21日]]以降、順次窓口での即時発行開始に伴って、カードの様式が変更され、エンボスレスで有効期限のないカードの発行を開始。有効期限のある旧カードは、有効期限到達後に新様式に切り替え(併せて、磁気ストライプのみのカードは発行停止)。 * [[肥後銀行]] : (9月4日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[栃木銀行]] : (9月11日)ICキャッシュカード、(2007年2月19日)指静脈認証 * [[徳島銀行]](現・[[徳島大正銀行]]) : (9月11日)ICキャッシュカード、カナ入力による第二暗証 * [[大分銀行]] : (9月19日)ICキャッシュカード * [[足利銀行]] : (9月25日)ICキャッシュカード * [[近畿労働金庫]] : (9月25日)ICキャッシュカード * [[山口銀行]] : (9月25日)ICキャッシュカード * [[四国銀行]] : (9月28日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[JAバンク]](関東以西) : (10月1日)ICキャッシュカード、キャッシュカード一体型JAカード、掌静脈認証(生体認証は、一部の県のみ) : 当初は、キャッシュカード単体のものにも有効期限の設定があったが後に撤廃され、以前からの利用者に対しては期限到来の差し替えカードに切り替えた時点で有効期限のないカードを利用する形となった。なお、一般デザインは有効期限のある時点でグローブデザインからリーフデザインに変更されたため、当該利用者の差し替えもリーフデザインで発行替えとなった。キャラクターデザインとなる[[ちょきんぎょ]]デザインの場合は[[2017年]]以降の各県単位の切替のタイミング以降に有効期限が到来する場合にサザエさんデザインで発行される形をとった。[[2022年]]以降のキャラクターデザインは、サザエさんから[[よりぞう]]に変更されている。 * [[大光銀行]] : (10月2日)ICキャッシュカード * [[日本郵政公社]]([[郵便貯金]]、現・[[ゆうちょ銀行]]) : (10月2日)ICキャッシュカード、指静脈認証、電子マネー「[[Edy]]」機能(2010年2月26日申込分をもって発行終了<ref>[https://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/card/kj_crd_emoney.html ゆうちょ銀行 電子マネー搭載キャッシュカード] 内より</ref>)、(2009年4月20日)[[乗車カード|IC乗車カード]]「[[Suica]]」機能(地域限定) * [[りそな銀行]]・[[埼玉りそな銀行]] : (10月10日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[近畿大阪銀行]](現・[[関西みらい銀行]]) : (10月10日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[十八銀行]] : (10月10日)「<18>ICキャッシュ&クレジットカード」 * [[浜松信用金庫]] (現 : [[浜松磐田信用金庫]]) : (10月16日)ICキャッシュカード、指静脈認証。 * [[トマト銀行]] : (11月9日)「トマト・MOTTOカード」ICキャッシュ&クレジットカード(但し同行のIC対応ATM設置は2008年度中に実施) * [[東京都民銀行]] (現 : [[きらぼし銀行]](旧 : 都民銀店『{{Color|#f00|●}}』取扱)) : (11月14日)ICキャッシュカード、指静脈認証。合併時点で、[[新銀行東京]]との間のみシステム統合を行ったため、旧八千代店とのシステム統合までの間は、カード裏面に『{{Color|#f00|●}}{{Color|#0ba|■}}』の両方のマークがつくことになった)。 * [[名古屋銀行]] : (11月14日)ICキャッシュカード、掌静脈認証 ; 2007年 * [[JAバンク]](東北以北) : (1月1日)ICキャッシュカード、キャッシュカード一体型JAカード、掌ないしは指静脈認証(生体認証は、一部の県のみ) : 当初は、キャッシュカード単体のものにも有効期限の設定があったが後に撤廃され、以前からの利用者に対しては期限到来の差し替えカードに切り替えた時点で有効期限のないカードを利用する形となった。なお、一般デザインは有効期限のある時点でグローブデザインからリーフデザインに変更されたため、当該利用者の差し替えもリーフデザインで発行替えとなった。キャラクターデザインとなる[[ちょきんぎょ]]デザインの場合は[[2017年]]以降の各県単位の切替のタイミング以降に有効期限が到来する場合にサザエさんデザインで発行される形をとった。[[2022年]]以降のキャラクターデザインは、サザエさんから[[よりぞう]]に変更されている。 * [[伊予銀行]] : (1月25日)ICキャッシュカード(販売開始は2月1日) * [[愛知銀行]] : (2月5日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[宮崎銀行]] : (2月13日)ICキャッシュカード * [[香川銀行]] : (2月13日)ICキャッシュカード * [[スルガ銀行]] : (2月15日)[[SURUGA VISAデビットカード]](12月より指静脈認証対応型発行)…当初は、指認証対応させる場合のみ、VISAデビットなしも可能となっていたが、指認証登録がなくとも単体利用が可能なICカードが後に登場した。 * [[西日本シティ銀行]] : (2月15日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[山形銀行]] : (2月19日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[群馬銀行]] : (2月19日)ICキャッシュカード、掌静脈認証 * [[千葉興業銀行]] : (2月19日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[愛媛銀行]] : (2月23日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[長野銀行]] : (3月12日)ICキャッシュカード * [[青森銀行]] : (3月15日)ICキャッシュカード、掌静脈認証(2010年9月1日)「aomo(アオモ)」ICキャッシュ&クレジットカード(キャッシュカード単独型は、5年ごとの更新で、新規発行ないしは切り替えまたは更新毎に1080円かかる)。 : [[2016年]]に開設されたあおぎんネット支店では標準発行されるが、再発行手数料が一般店舗の倍額の2160円徴収される。 * [[岩手銀行]] : (3月19日)ICキャッシュカード、指静脈認証(生体認証は有料オプションで発行されるゴールドカードで利用可能。デフォルトのシルバーカードと2種類あるローンカードは生体認証非対応)。貯蓄預金一体型(但し貯蓄における磁気ストライプの利用は不可)やローンカード一体型も可能。なお、イーハトーヴ支店のキャッシュカードについては、生体認証対応のゴールドカード発行は不可。これに伴って、磁気キャッシュカードの発行は停止された(特に、クレジットカード一体型を除けば、普通預金以外の科目が他行で利用可能な一体型カードがどのような形でも新規発行ができなくなった)。当初は有効期限があったが、後にないカードに切り替えられ、有効期限のあるカードが発行された顧客は、当初の有効期限が来た時点で、有効期限のないカードへの差し替えを行った。 * [[佐賀銀行]] : (3月19日)「moteca(モテカ)ICカード」ICキャッシュ&クレジットカード(ICキャッシュ単体も発行)、指静脈認証 * [[豊橋信用金庫]] : (3月19日)ICキャッシュカード、掌静脈認証 * [[福井銀行]] : (3月23日)ICキャッシュカード、指静脈認証(但し、利用は4月2日以降) * [[鹿児島銀行]] : (3月26日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[秋田銀行]] : (4月2日)「Only One」ICキャッシュ&クレジットカード(ICキャッシュ単体も発行。ただし、貯蓄預金一体型のWカードのIC化とあきぎんこまち支店のキャッシュカードは不可。5年ごとの有効期限及び切替毎の手数料あり)、指静脈認証。2021年10月より、指静脈認証の取引が停止された。 * [[中京銀行]] : (4月23日)ICキャッシュカード * [[清水銀行]] : (5月1日)ICキャッシュカード * [[大垣共立銀行]] : (5月7日)ICキャッシュカード、電子マネー「Edy」機能(但し電子マネー「Edy」機能はゴールド・スーパーゴールドの各総合口座のみの搭載) * [[東北銀行]] : (5月28日)ICキャッシュカード、指静脈認証(貯蓄預金又はカードローンのダブルストライプ対応型もあり)。2012年7月の勘定系リプレース以降発行のカードは、有効期限なし。 * [[琉球銀行]] : (6月4日)ICキャッシュカード * [[山梨中央銀行]] : (7月9日)ICキャッシュカード、掌静脈認証 * イーバンク銀行(現 : [[楽天銀行]]) : (7月23日)「イーバンクマネーカード」(現 : 楽天銀行VISAデビットカード)ICキャッシュカード、[[Visa]]デビット機能(既存利用者の先行発行手続開始日は6月16日)。楽天銀行移行後に「楽天銀行JCBデビットカード」、「楽天銀行MasterCardデビットカード」も発行開始(ブランド変更は有償対応)。 * [[八千代銀行]] (現 : [[きらぼし銀行]](旧 : 八千代店『{{Color|#ef810f|◆}}』取扱)) : (8月13日)ICキャッシュカード、指静脈認証。[[全銀協]]仕様であるとの理由により、原則、[[2049年]][[12月]]までの有効期限がエンボスされたカードが発行される。システム統合後は、旧都民銀仕様の発行に変更された。 * [[京都北都信用金庫]] : (9月)ICキャッシュカード * [[住信SBIネット銀行]] : (10月11日)ICキャッシュカード(受付開始は9月24日)。なお、有効期限のエンボスが刻印されているカードであっても、有効期限以降も差し替えなく同じカードを使い続ける形となる。[[2016年]][[1月27日]]より、日本では初めて[[Visa payWave]]に対応した[[VISAデビットカード]](後に、MasterCardコンタクトレスに対応した[[MasterCardデビットカード]]も発行開始)の発行に伴い、従来の単体のICキャッシュカードは発行停止となった(従来のカード利用者も切り替えによる発行が可能)。[[2020年]]時点で、[[JALマイレージバンク|JAL支店]]のカードを除き、キャッシュカード単体の発行は行っていない。 * [[イオン銀行]] : (10月29日)「イオンバンクカード」ICキャッシュカード、自社電子マネー「[[WAON]]」機能(受付開始は10月20日)。2016年より、イオンクレジットサービスが銀行代理店として運営している神田店利用時に限定する形で、指紋認証を取り入れた窓口およびATM取引をモニター形式で実験的に行っている([[2020年]]内に取扱いを停止し、生体認証情報は削除を予定)。後にクレジットカードないしはJCBデビット一体型も発行開始。 * [[北都銀行]] : (12月10日)ICキャッシュカード、指静脈認証。これに伴い、一般の磁気のみのキャッシュカードの発行を停止(当初は有効期限があったが、のちに撤廃され、撤廃時点以降の年月が記載された有効期限のあるカードも、切り替えなしで継続利用可能とした。現行のカードは、デザインは同一だが、有効期限の欄が省略されている)。[[2011年]][[4月1日]]より、銀行本体発行クレジットカード一体型の「北都ブライトワン」を発行開始。[[2020年]]9月末、生体認証の新規登録を中止し、以降発行されるカード(「北都ブライトワン」の有効期限差し替えカードを含む)は生体認証非対応のカードとなる。[[2021年]][[2月28日]]を以て、ATMでの生体認証の扱いを終了し、指静脈の情報は破棄された。 ; 2008年 * [[金沢信用金庫]] : (2月22日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[北國銀行]] : (3月13日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[百五銀行]] : (3月25日)「105BESTIO(イチマルゴベスティオ)」クレジット&ICキャッシュカード、指静脈認証(4月11日からはキャッシュカード単体の指静脈認証ICカードの取り扱いを開始)。 * [[荘内銀行]] : (4月1日)ICキャッシュカード、指静脈認証([[荘銀カード]]が発行する[[UCカード]]一体型ないしは[[クレディセゾン]]が発行するセゾンVISA一体型のキャッシュカードについても、同日以降に発行された分については生体認証を含めたICキャッシュカードとして利用可能。同年[[10月14日]]より、[[VJA]]本体加盟によるクレジット一体型の「<荘銀>ブライトワン」を発行開始)。単体カードは、わたしの支店利用者は無償で発行されるが、一般の支店では有料発行となる。[[2020年]]9月末、生体認証の新規登録を中止し、以降発行されるカード(「<荘銀>ブライトワン」の有効期限差し替えカードを含む)は生体認証非対応のカードとなる。 * [[筑波銀行]] : (10月14日)ICキャッシュカード、指静脈認証(旧[[関東つくば銀行]]として。旧[[茨城銀行]]の店舗だった拠点は、2010年5月のシステム統合後に発行開始された) * [[北海道銀行]] : (10月27日)ICキャッシュカード、指静脈認証([[道銀カード]]が発行する「道銀キャッシュ・クレジットカード」については2009年3月27日対応開始) * [[シティバンク銀行]] : (12月1日)ICキャッシュカード、指静脈認証 : 2015年10月末を以て、シティバンク銀行としての個人向け営業が終了したため、発行はその時点までとなった。 : SMBC信託銀行へ口座を移管された後の[[2018年]]7月以降、下7桁が口座番号となっている16桁でエンボス表示された番号のうち、上7、8桁目がいずれも0となっているカードはICの有無に関わらず以後使用不可とされた。[[2021年]]9月、日本国外での引き出しを停止。 * [[石動信用金庫]] : (12月1日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[巣鴨信用金庫]] : (12月1日)ICキャッシュカード ; 2009年 * 熊本ファミリー銀行(現・[[熊本銀行]]) : (1月5日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[きらやか銀行]] : (4月1日)ICキャッシュカード、生体認証無し(後に、[[きらやかカード]]発行の[[UC]]ブランドのきらやかキャッシュ&クレジットカードについては、ICキャッシュカードとしての利用が可能となった) * [[蒲郡信用金庫]] : (6月8日)ICキャッシュカード * [[豊川信用金庫]] : (10月1日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[大東銀行]] : (月日不明)ICキャッシュカード、生体認証無し ; 2010年 * [[長崎銀行]] : (1月18日)ICキャッシュカード<ref>{{PDFlink|[http://www.nagasakibank.co.jp/top/pdf/release201001.pdf ICキャッシュカードの取扱開始について]|長崎銀行ニュースリリース:2010年1月15日発表}}</ref> * [[南日本銀行]] : (1月18日)ICキャッシュカード * [[鹿児島相互信用金庫]] : (3月1日)ICキャッシュカード、指静脈認証 * [[大正銀行]](現・[[徳島大正銀行]]) : (4月1日)ICキャッシュカード。[[2020年]]1月の合併後発行分は、従来の[[徳島銀行]]の仕様に変更。 ; 2011年 * [[北日本銀行]] : (8月10日)「W-Linkカード」クレジット&ICキャッシュカード、生体認証なし(キャッシュカード単独型は、[[2015年]][[7月13日]]に開業したインターネット支店で開設された口座に対しては発行される) * [[仙台銀行]] : (12月1日)「仙銀キャッシュ・クレジットカード」クレジット&ICキャッシュカード、生体認証なし(キャッシュカード単独型はなし) ; 2012年 * [[東京スター銀行]] : (10月1日)キャッシュカード単独型、生体認証なし * [[秋田信用金庫]] : (10月1日)キャッシュカード単独型、生体認証なし ; 2015年 * [[SMBC信託銀行]] : (11月1日)キャッシュカード単独型、指静脈認証(システム移行後、自社ATMを廃止し三井住友銀行のATMを利用することになったため、三井住友銀行のATMで認証が可能)。ただし、ドル預金専用カードは、IC非対応。[[2021年]]9月より、セキュリティ上の理由により、従来のカード([[シティバンク銀行]]から継承された旧カードを含む)による海外での出金が不可となるため(日本国内では継続して利用可能)、代替策として、[[2019年]]10月よりVISAデビット([[Visa payWave|payWave]]対応)一体型の、'''PRESTIA「GLOBAL PASS」'''の発行を開始。従来のカードはこれに併せて新規発行停止。また、旧来の円預金カードの海外利用停止に合わせて、ドル預金専用カードも廃止され、一切の使用不可とされた。 ; 2016年 * [[京都中央信用金庫]] : (11月16日)ICキャッシュカード ; 2018年 * [[GMOあおぞらネット銀行]] :(7月17日)VISAデビット([[Visa payWave|payWave]]対応)一体型ICキャッシュカード(キャッシュカード部分の磁気ストライプなし)。ただし、15歳未満の名義に対してはVISAデビットなしのカードを発行。 * [[ローソン銀行]] : (10月15日)キャッシュカード単独型。 ; 2021年 * [[auじぶん銀行]] : (5月4日)ICキャッシュカード<ref>[https://www.jibunbank.co.jp/landing/ib_renewal_2021/ インターネットバンキングリニューアル | auじぶん銀行]</ref> <!-- {{予定|section=1}} ; 20xx年 * [[xxx]]:(xx月xx日)ICキャッシュカード、 --> ==== 電子マネーへの導入 ==== ICカードは[[電子マネー]]にも導入されている。 [[ヨーロッパ|欧州]]では、[[ゲルトカルテ]](独・1996年)や[[モンデックス]](英・1995年7月)などICカードベースの[[電子マネー]]が導入されている。 日本では、[[2001年]]10月に[[ビットワレット]](当時)が電子マネーサービス[[楽天Edy]]([[FeliCa]]を採用)、[[NTTコミュニケーションズ]]からICカード搭載の電子マネーサービス「セーフティパス」の提供が開始された。[[2004年]]3月には、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)が[[Suica電子マネー]]を開始している。 ==== 決済手段の融合 ==== 偽造耐性や(磁気カードと比べて)大容量メモリを活かして、運輸業界などからクレジットカードとプリペイドカード、[[ポイントカード]]の機能を融合した複合型カードも登場している。クレジットカードと乗車カードが合体したカード(VIEW SuicaやHANA PLUSなど)や、クレジットカードに電子マネーを搭載したカード ([[ソニーカード#My Sony Card|My Sony Card]]) もある。また、乗車カードを[[コンビニエンスストア]]などの店舗でも利用できる様にしたカード (Suica・PiTaPa) もある。電子マネー([[電子マネーちょコム|ちょコム]])や電子チケット(ぴあ)、インターネットでの本人確認手段など幾つかの機能を1枚のカードで提供するサービス (SAFETY PASS) も登場している。<!-- ごく一部を除き2007年10月をもってサービス終了 --> <!-- 導入順を確認して、整理を。決済以外の、多目的カードの記述を --> ==== ICクレジットカード100%へ ==== 日本国内発行のクレジットカードについて、ICカード化・カード決済端末のIC対応化を、[[割賦販売法]]の改正により、[[2020年]]までに完了させる予定<ref>{{cite news | url = https://messe.nikkei.co.jp/nf/news/128245.html | title =20年までに全量IC化、政府、クレジットカードで目標 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = [[日本経済新聞社]] | date = 2014-07-09 }}</ref><ref>{{Cite press release | 和書 | author = 商務流通保安グループ 商取引監督課 | url = http://www.meti.go.jp/press/2015/02/20160223005/20160223005.html | title = クレジットカード取引におけるセキュリティ対策の強化に向けた実行計画を取りまとめました~国際水準のクレジットカード決済環境の整備を進めます~ | publisher = [[経済産業省]] | date = 2016-02-22 | accessdate = 2016-10-25 }}</ref>。 [[スキミング]]など、急増するクレジットカード不正使用対策の為、従来型の[[磁気ストライプカード]]決済を廃止し、EMV規格に準拠したIC又は非接触決済への変更が急務となっている<ref>{{cite news | author = 加藤園子 | url = http://www.sankei.com/affairs/news/160223/afr1602230024-n1.html | title = カード不正利用2年連続100億円超えか 転売目的?中国人組織が関与 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = [[産経新聞社]] | date = 2016-02-22 | accessdate = 2016-10-25 }}</ref>。 2015年([[平成]]27年)[[10月]]より、セキュリティの高いICチップ対応の[[信用照会]]端末を設置していない場合の不正使用被害が、クレジットカードイシュア会社による損害保証対象外となり、カード加盟店の自責扱い(加盟店とアクワイアラーが賠償費用負担)となる制度変更が、クレジットカードイシュア最大手の[[Visa]]から[[2015年]](平成27年)[[5月7日]]に通達され、同年[[10月1日]]に実行されたため、EMV規格に準拠した[[信用照会端末]]のIC対応化が急務となった<ref>{{cite news | author = 原隆 | url = https://xtech.nikkei.com/it/atcl/column/14/346926/050800244/ | title = Visaの10年越しの変心、スマホ決済事業者に広がる憤怒と安堵 | newspaper = ITPro | publisher = [[日経BP]] | date = 2015-05-11 | accessdate = 2016-09-14 }}</ref>。 === 公共交通での導入 === {{See also|乗車カード|Category:IC乗車カード}} '''ICカード乗車券'''は、[[1992年]]にフィンランド・[[オウル]]市のバス会社が「バスカード」として導入したもの<ref group="注">現在は 「Oulucard」。</ref>が世界初である。 非接触ICカードにはType-A(NFC-A)やType-B(NFC-B)などの規格があり、日本で初めてのIC乗車カード導入事例となった[[ユーバスカード]]([[静岡県]]豊田町〈現・[[磐田市]]〉、1997年10月)ではType-Aが採用されたが、ほぼ同時期(1997年9月)に[[香港]]の[[八達通]]では[[ソニー]]の非接触型ICカード[[FeliCa]]<ref group="注">かつてはType-Cとも呼ばれていた。現在はNFC-FおよびNFC-Vに分類されている。</ref>が採用され、その後日本でもサイバネ規格に採用されたが、FeliCaの国際展開はその後停滞した。 これらのICカードは、[[鉄道駅|駅]]の[[自動改札機]]、[[自動券売機]]や[[バス (交通機関)|バス]]の[[運賃箱]]など、各種の[[駅務機器]]や車載処理器で使用する。 ICカードは、磁気カードに比べて記録できる情報量が多いのはいうまでもないが、非接触式(無線式)であるため、自動改札機や運賃箱などの可動部分を減らす事ができ、メンテナンスの頻度を減らす効果も期待できる。もっとも、自動改札機の場合は実際には磁気券との共用機が多いので、メンテナンスの頻度が直ちに減る訳ではない。 日本における普及当初は事業者単独、かつ鉄道部門単独またはバス部門単独(事業者によっては路線限定)での導入が基本だったが、[[2002年]][[1月21日]]より[[長崎県]]の主要バス事業者([[西肥自動車]]、[[佐世保市交通局]]、[[島原鉄道]]、[[長崎県交通局]]、[[長崎自動車]])が全国初の複数事業者共通バスICカードとして[[長崎スマートカード]]を導入した<ref>[http://www.sony.co.jp/Products/felica/contents04.html ソース]</ref>。鉄道・バスで共通利用できるICカードは[[遠州鉄道]]が2002年[[3月1日]]より試験導入した[[EG1CARD]]が全国初であり、本格導入された鉄道・バス共通ICカードとしても同社の[[ナイスパス (遠州鉄道)|ナイスパス]]([[2004年]][[8月20日]]導入)が全国初である<ref>[https://web.archive.org/web/20040814113227/http://navi.entetsu.co.jp/np/nicepass.htm NicePass] 遠州鉄道([[ウェイバック]])</ref>。 ==== 日本の鉄道 ==== [[ファイル:Iccard.gif|thumb|200px|日本の鉄道改札での非接触型ICカードの使用方法]] [[日本の鉄道]]分野では、1996年頃に「汎用電子乗車券技術研究組合」が設立され、技術検討や実証実験が行われていた。その後、2000年3月に[[日本鉄道サイバネティクス協議会]]によるICカードを利用した乗車券の規格である'''サイバネ規格'''が定められ、その後、各事業者でICカードの導入が進んだ。 <!-- 導入時期順にならべる --> * [[スカイレールサービス]]の「IC定期券」(1998年9月→新システムに移行済) * [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の「[[Suica]]」(スイカ)<ref name="J_IC-Card">全国相互利用サービス対応ICカード乗車券</ref>(2001年11月18日) * [[遠州鉄道]]の「[[EG1CARD]]」(イージーワンカード)(2002年3月1日→ナイスパスへ移行済) * [[埼玉高速鉄道]]の「IC定期券」(2002年3月28日→PASMOに移行済) * [[東京モノレール]]の「モノレールSuica」(モノレールスイカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2002年4月21日) * [[東京急行電鉄]]([[東急世田谷線|世田谷線]])の「[[せたまる]]」(2002年7月7日→PASMOに移行済) * [[東京臨海高速鉄道]]の「りんかいSuica」(りんかいスイカ)(2002年12月1日) * [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の「[[ICOCA]]」(イコカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2003年11月1日) * [[スルッとKANSAI]]協議会の「[[PiTaPa]]」(ピタパ)<!--([[ポストペイ]](後払い)方式)--><ref name="J_IC-Card"/>(2004年8月1日) * [[嵐電]]の「[[京福電気鉄道#ICカード|らんでんカード]]」(2004年8月1日) * 遠州鉄道の「NicePass」([[ナイスパス (遠州鉄道)|ナイスパス]])(2004年8月20日) * [[北陸鉄道]]の「[[ICa]]」(アイカ)(2004年12月1日) * [[高松琴平電気鉄道]]の「[[IruCa]]」(イルカ)(2005年2月2日) * [[鹿児島市交通局]]の「[[ラピカ (IC乗車カード)|ラピカ]]」(Rapica)(2005年4月1日) * [[伊予鉄道]]の「[[ICい〜カード]]」(2005年8月23日) * [[富山ライトレール]]の「[[passca]]」(パスカ)(2006年4月29日→ecomycaに統合済) * [[岡山電気軌道]]の「[[Hareca]]」(ハレカ)<ref group="注">商標は[[岡山県バス協会]]の登録商標である。</ref>(2006年10月1日) * [[静岡鉄道]]の「[[LuLuCa]]」(ルルカ)<ref group="注" name="LuLuCa">学生[[LuLuCa|ルルカ]]は[[2016年]][[10月31日]]までは[[しずてつジャストライン|バス]]専用だったが、同年[[11月1日]]から電車・バス共通化された。但し、電車・バス共通学生ルルカへの変更は手続きが必要。</ref>(2006年10月28日) * [[東海旅客鉄道]](JR東海)の「[[TOICA]]」(トイカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2006年11月25日) * 株式会社[[パスモ]]の「[[PASMO]]」(パスモ)<ref name="J_IC-Card"/>(2007年3月18日) * [[北九州高速鉄道]]の「monoca」(モノカ)<ref group="注">Type-B</ref>(2008年1月15日→mono SUGOCAを本格導入) * [[東海旅客鉄道]](JR東海)・[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の「[[エクスプレス予約#EX-ICサービス|EX-ICカード]]」<ref group="注">これは乗車券だけでなく、特急券としての効力も持っている。</ref>(2008年3月29日) * [[西日本鉄道]]の「[[nimoca]]」(ニモカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2008年5月18日) * 長崎電気軌道の「[[長崎スマートカード]]」(2008年3月20日→nagasaki nimocaに移行済) * [[北海道旅客鉄道]](JR北海道)の「[[Kitaca]]」(キタカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2008年10月25日) * 株式会社ですかの「ICカード 『[[ですか]]』」(2009年1月25日) * [[札幌市交通局]]の「[[SAPICA]]」(サピカ、札幌総合情報サービス発行)(2009年1月30日)他、バス会社3社が参入 * [[九州旅客鉄道]](JR九州)の「[[SUGOCA]]」(スゴカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2009年3月1日) * [[福岡市交通局]]の「[[はやかけん]]」<!--([[福岡市]]発行)-->(2009年3月7日)<ref name="J_IC-Card"/> * [[富山地方鉄道]]の「[[ecomyca]]」(えこまいか)(2010年3月14日) *[[福島交通]]の「[[NORUCA]]」(ノルカ)(2010年10月30日) * [[名古屋鉄道]]・[[名古屋市交通局]]他の「[[manaca]]」(マナカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2011年2月11日) <ref group="注">2016年9月1日より、名古屋市が交付している[[敬老パス (名古屋市)|敬老パス]]がこれまでの磁気カードからmanacaへ順次切り替わり、11月1日からは、同じく名古屋市が交付している[[福祉特別乗車券 (名古屋市)|福祉特別乗車券]]も磁気カードからmanacaへ移行となった。</ref> * [[熊本市交通局]]の「[[nimoca|でんでんnimoca]]」(でんでんニモカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2014年3月28日) * 松浦鉄道の「長崎スマートカード」(2011年3月12日→nagasaki nimocaに移行済) *[[仙台市交通局]]の「[[icsca]]」(イクスカ)(2014年12月6日) * [[筑豊電気鉄道]]の「nimoca」(ニモカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2015年3月14日) * [[熊本電気鉄道]]の「[[熊本地域振興ICカード]]([[くまモン]]のIC CARD)(肥銀カード)」(2015年4月1日) * 北九州高速鉄道の「mono SUGOCA」(モノスゴカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2015年10月1日) * [[函館市企業局交通部]]の「[[nimoca|ICAS nimoca]]」(イカスニモカ)<ref name="J_IC-Card"/>(2017年3月25日) * [[松浦鉄道]]の「[[nimoca|nagasaki nimoca]]」(ナガサキニモカ)<ref name="J_IC-Card" />(2020年3月1日) * [[長崎電気軌道]]の「nagasaki nimoca」(ナガサキニモカ)<ref name="J_IC-Card" />(2020年3月22日) ==== 日本のバス ==== [[日本のバス]]でも特に21世紀に入ってからは各地の事業者での導入が本格化している。 <!-- 導入時期順にならべる --> * [[磐田市バス|磐田市バス(旧豊田町営)「ユーバス」]]の「[[ユーバスカード]]」(1997年10月1日→機器の老朽化に伴い2006年7月17日をもって取り扱い終了しナイスパスへ移行済) * [[東急トランセ]]の「[[トランセカード]]」(1998年7月28日→PASMO導入に伴い2007年8月23日をもって取り扱い終了) * [[道北バス]]の(旧)「[[Doカード|ドゥカード]]」(1999年11月30日→新システムに移行済) * [[山梨交通]]の「[[バスICカード (山梨交通)|バスICカード]]」(2000年2月28日→PASMOへ移行済) * [[福島交通]]の(旧)「[[バスICカード (福島交通)|バスICカード]]」(2001年4月2日→NORUCAへ移行済) * [[北九州市交通局]]の「[[ひまわりバスカード]]」(2001年9月20日→2021年にnimocaへ移行) * 長崎県交通局などの「[[長崎スマートカード]]」(2002年1月21日→[[長崎自動車]]・[[さいかい交通]]は2019年にエヌタスTカードを、島原鉄道を除く他社局は2020年nimocaを導入し島原鉄道も2020年取扱終了) * [[宮崎交通]]の「[[宮交バスカ]]」(2002年10月10日→2016年3月31日をもって取り扱い終了しnimocaへ移行済) * [[北海道北見バス]]の「[[バスカード (北海道北見バス)|バスカード]]」(2003年3月) * [[近江鉄道]]([[立命館大学|立命館]]路線)の「バスICカード」(2003年3月→2021年にICOCAに移行) * [[平和交通 (千葉県)|平和交通]]の「タウンバスカード」(2003年3月→取り扱い終了済) * [[遠鉄バス|遠州鉄道]]の「[[ナイスパス (遠州鉄道)|EG1CARD]]」(イージーワンカード)(2003年4月→ナイスパスへ移行)<!--一応本格導入はされていますので表記--> * [[関東鉄道]]の「ICバスカード」([[関東鉄道取手営業所|取手営業所]]のみ。2003年12月22日~2010年3月31日→PASMOへ移行済) * [[みなと観光バス (神戸市)|みなと観光バス]](2004年7月→取り扱い終了) * 遠州鉄道の「[[ナイスパス (遠州鉄道)|NicePass]]」(ナイスパス)(2004年8月20日) * [[北陸鉄道]]の「[[ICa]]」(アイカ)(2004年12月1日) * [[奈良交通]]の「[[CI-CA]]」(シーカ)(2004年12月15日) * [[ことでんバス]]、[[徳島西部交通]]の「[[IruCa]]」(イルカ)(2005年2月2日) * [[鹿児島市交通局]]、[[南国交通]]、[[北薩線|JR九州バス(北薩線)]]の「[[ラピカ (IC乗車カード)|ラピカ]]」(Rapica)(2005年4月1日) * [[いわさきコーポレーション]]([[鹿児島交通]]、[[大隅交通ネットワーク]]、[[三州自動車]]、[[いわさきバスネットワーク]])の「[[いわさきICカード]]」(2005年4月1日) * [[伊予鉄道]]の「[[ICい〜カード]]」(2005年8月23日) * [[神姫バス]]、[[神姫ゾーンバス]]の「[[NicoPa]]」(ニコパ)(2006年1月20日) * [[しずてつジャストライン]]の「[[LuLuCa]]」(ルルカ)<ref group="注" name="LuLuCa" />(2006年3月24日) * [[両備ホールディングス|両備バス]]、[[岡山電気軌道]]、[[下津井電鉄]]、[[中鉄バス]]、[[宇野自動車|宇野バス]]の「[[Hareca]]」(ハレカ)(2006年10月1日) * [[岐阜乗合自動車]]の「[[ayuca]]」(アユカ)(2006年12月1日) * 株式会社[[パスモ]]の「[[PASMO]]」(パスモ)(2007年3月18日) * [[日立電鉄交通サービス]]の「[[でんてつハイカード]]」(2007年10月1日) * [[広島県バス協会]]の「[[PASPY]]」(パスピー)(2008年1月26日サービス開始 - 2009年10月31日当初導入計画完了) * [[伊丹市交通局]]の「[[itappy]]」(いたっぴー)(2008年4月1日) * [[西日本鉄道]](2008年5月18日)・[[日田バス]](2009年7月24日)・[[昭和自動車]](2010年2月27日)・[[直方線|JR九州バス(直方線)]](2013年4月1日)・宮崎交通(2015年11月14日)・[[佐賀市交通局]](2017年2月16日)・[[祐徳バス]](2019年3月1日)の「[[nimoca]]」(ニモカ) * [[大分交通]]・[[大分バス]]・[[亀の井バス]]の「[[めじろんnimoca]]」(大分ICカード開発)(2010年12月26日) * [[函館バス]]の「[[nimoca|ICAS nimoca]]」(イカすニモカ)(2017年3月25日) * [[九州急行バス]]の「[[Nimoca|nagasaki nimoca]]」(長崎ニモカ)(2020年3月27日) * [[福島交通]]の「[[NORUCA]]」(ノルカ)(2010年10月30日) * [[九州産交バス|九州産交バス・産交バス]]・熊本電気鉄道・[[熊本バス]]・[[熊本都市バス]]の「[[熊本地域振興ICカード]](くまモンのIC CARD)」(肥銀カード)(2015年4月1日) * [[茨城交通]]の「[[いばっピ]]」(2015年12月1日) * 仙台市交通局、[[宮城交通]]、[[ミヤコーバス]]の「[[icsca]]」(イクスカ)(2015年12月6日) * [[三重交通]]、[[三交伊勢志摩交通]]、[[八風バス]]、[[三重急行自動車]]の「[[emica]]」(エミカ)(2016年4月1日) * [[南海バス]]、[[南海ウイングバス金岡]]、[[南海ウイングバス南部]]の「[[なっち (IC乗車カード)|なっち]]」(2016年10月1日) * [[高槻市交通部]]の「[[Tsukica]]」(ツキカ)(2018年10月1日) * 長崎自動車、さいかい交通の「[[Tポイント#エヌタスTカード|エヌタスTカード]]」(株式会社エヌタス)(2019年9月16日) その他に実証実験を行っている会社もある。 ==== ICカード相互利用 ==== [[File:ICCard_Connection.svg|thumb|350px|IC乗車カード相互利用相関図]] {{main|首都圏ICカード相互利用サービス|交通系ICカード全国相互利用サービス}} 多くのカードは、JIS X 6319-4とサイバネ規格に準拠したチップを採用しており、技術的には同一の端末機器で読み書きできる。これを利用して、2013年3月23日からは「[[交通系ICカード全国相互利用サービス]]」を開始し、全国10種の交通系ICカードが乗車カード・電子マネー(PiTaPaによる電子マネーとしての利用を除く)として相互利用可能となっている。また、一部の地域単位で導入されているICカードのエリアについては「交通系ICカード全国相互利用サービス」の10種のカードで利用可能(逆は基本的に不可)としているケースがある。 この他、地域単位で導入されているICカードについては、個別に相互利用・片利用を可能としているケースがある。 *「[[Asaca CARD]]」([[旭川電気軌道]])⇔「[[Doカード]]」([[道北バス]]) *「[[icsca]]」([[仙台市交通局]])⇔「Suica」(仙台エリアのみ。Suica以外は片利用扱い) *「[[ecomyca]]」([[富山地方鉄道|富山地鉄]])⇔「[[passca]]」([[富山ライトレール]]) *「[[RapiCa]]」(鹿児島県内のバスなど)⇔「[[いわさきICカード]]」([[いわさきコーポレーション]]) *「ICOCA」⇒「[[PASPY]]」([[広島電鉄|広電]]および、広島県内) *「ICOCA」「PiTaPa」⇒「[[Hareca]]」([[岡山電気軌道|岡電]]及び、[[両備バス]]、[[下津井電鉄|下電バス]]、[[中鉄バス]])「[[hanica]]」([[阪急バス]]・[[阪神バス]])、「[[CI-CA]]」([[奈良交通]])「[[NicoPa]]」([[神姫バス]])「[[らんでんカード]]」([[京福電気鉄道|嵐電]]) ==== 日本以外の交通機関 ==== {{Flag|USA}} * [[チャーリーカード]] ({{Interlang|en|CharlieCard}})(マサチューセッツ州ボストン、2006年導入、Type-A) * スマートリンク (Smart Link)([[パストレイン]] PATH Transit system ニューヨーク州&ニュージャージー州 MiFare) {{Flag|FIN}} * バスカード Koskilinjat OY<ref>[http://www.koskilinjat.fi/ Koskilinjat OY]</ref>([[オウル]]のバス会社、1992年1月導入) {{Flag|HKG}} * [[八達通|オクトパス(八達通)]](OCTPUS) カード(1997年9月導入、FeliCa) {{Flag|MYS}} * [[Touch'n Goカード]](1998年導入、Type-A) {{Flag|CHN}} * [[琴島通]]([[青島市]]、1996年5月非接触型導入、1999年9月1日非接触型導入) * [[上海公共交通カード]](1999年12月末導入) * [[羊城通]]([[広州市]]、2001年12月末導入) * [[北京市政交通カード]](2003年12月末導入) * [[深圳通]](2004年12月導入) * [[無錫太湖交通カード]](上海公共交通カードと相互利用可能) {{Flag|SGP}} * [[EZ-link|ez-linkカード]](2002年4月導入、FeliCa) {{ROC-TW}} * [[悠遊カード|悠遊卡]](Easy Card、[[台北市]]、2002年6月導入) * <s>[[基隆交通カード]]</s>([[基隆市]]バス、2004年導入) * <s>[[台中e卡通]]</s>([[台中市]]、2004年8月導入) * <s>[[台湾通]]</s>([[桃園市]]・[[新竹市]]・[[新竹県]]・[[苗栗県]]) * <s>[[金門交通カード]]</s>([[福建省]][[金門県]]) * <s>{{仮リンク|e通カード|label=E通卡|zh|E通卡 (遠通電收)}}</s>(2006-2015年) * [[一カー通|一卡通]](iPASS、[[高雄市]]、2007年-) * [[icash|愛金卡]](icash2.0、[[統一企業]]、2014年よりIC乗車カード機能付与) * [[HappyCash|有銭卡]](HappyCash、{{仮リンク|遠東集団|zh|遠東集團 (臺灣)}}、2014年参入) * {{仮リンク|ETC (台湾)|zh|高速公路電子收費系統 (臺灣)}}([[交通部公路総局]]管轄の[[台湾の高速道路|有料道路]]用) {{Flag|GBR}} * [[オイスターカード]] ({{Lang|en|Oyster Card}})(2003年2月導入、Type-A) {{Flag|IRL}} * [[リープカード]]({{Lang|en|Leap Card}}) {{Flag|MAC}} * [[澳門通]] {{Flag|KOR}} * [[Tマネー]](ソウル首都圏の主な鉄道・バスで使用可能、Uパスと互換性あり) * [[Uパス]](ソウル首都圏の主な鉄道・バスで使用可能、Tマネーと互換性あり) * [[cashbee]] * <s>[[マイビカード]]</s> * <s>[[ハナロカード]]</s> * テギョン交通カード([[大邱広域市]]) {{Flag|THA}} * [[ラビット・カード]] スカイ・スマートカードの後継 * スカイ・スマートカード([[バンコク・スカイトレイン]]、2007年導入、2012年発行停止) * MRTAカード([[バンコク・メトロ]]) {{Flag|AUS}} * [[ゴーカード]] (go card)([[ブリスベン]]、2008年導入)(スマートカード) * [[スマートライダー]] (Smart Rider)([[パース (西オーストラリア州)|パース]])(スマートカード) {{Flag|NZL}} * メトロカード (Metrocard)([[クライストチャーチ]]・バス) {{Flag|FRA}} * [[Navigo]] {{Flag|BGD}} * [[Spass]]([[バングラデシュ道路交通公社]]、2009年9月導入、FeliCa) === 有料道路での導入 === {{Main|{{節リンク|ETC|ETCカード}}}} 日本のノンストップ通行料金支払いシステムである[[ETC]]システムでは、「ETCカード」と呼ばれる専用のICカードを車内のETC車載器にセットして利用する。通行料金の支払いはシステムの性質上[[クレジットカード (日本)|クレジットカード]]または、東日本・中日本・西日本の各高速道路株式会社への後払い(ETCパーソナルカードならびにETCコーポレートカード)となる。 === 行政分野への導入 === 日本では、地方自治体が独自に[[市民カード]]、[[図書館]]カードや施設予約カードなどにICカードを導入していたが、2003年以降、統一的に「[[住民基本台帳カード]]」(2003年8月25日から。2015年12月末に新規発行終了)、[[バイオメトリック・パスポート]](IC[[日本国旅券]]、2006年3月20日から)、[[運転免許証]](ICカード免許証、2007年1月4日から)、[[在留カード]](2012年7月9日から)、[[マイナンバーカード]](個人番号カード)(2016年1月4日から)にICカード(ICチップ)の採用が進んだ<!-- げんきカード というICカードがあちこちの自治体にある -->。また、[[e-Japan]]戦略に関連して「[[国家公務員]][[身分証明書]]ICカード」が2006年に導入された<!-- 官職カード?国土交通省大臣の印 -->。政策総括監に[[総務省]]の職員の出向を得てIT CITYを標榜している[[大阪府]][[箕面市]]では、全国に先駆けて職員証にICカードを導入した。 [[霞ヶ関]][[Wide Area Network|WAN]]やLGWANにおける[[電子証明書]]を発給するための認証のため官職カードが各官庁や[[都道府県]]、[[市町村]]に導入された。 [[厚生労働省]]では、2004年9月30日、「[https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-isei_127297.html 医療情報ネットワーク基盤検討会]」の最終報告書において保健医療福祉分野での公開鍵基盤の必要性が示された。それに基づき2006年度に「[https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-isei_127305.html 保健医療福祉分野における公開鍵基盤認証局の整備と運営に関する専門家会議]」の配下で[[保健医療福祉分野公開鍵基盤]](HPKI)が構築され、[[医師]]・[[薬剤師]]・[[看護師]]など27種類の保健医療福祉分野の[[国家資格]]を証明するHPKIカードが導入された。 [[アメリカ合衆国]]では、米国政府従業員証 (PIV) としてICカードが採用されている。また[[アメリカ国土安全保障省]]が2009年11月から導入を開始した国民身分証「Real ID」にもICカードが導入された。<!-- メモ:米国のIDカード(軍関係) の記述を・・ --> [[マレーシア]]では、多目的市民カード「MyKad」としてICカードが採用されている。2001年4月に導入され、2003年7月までに約570万枚が配布された。[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]として、身分証明(氏名・性別・住所・生年月日・出身地など)、個人認証 (PKI)、健康情報、キャッシュカード、電子マネー、運転免許証、パスポート(近隣[[出入国管理]])、コンタクトレス・ペイメントシステムがある。 フランスでは、1998年にICカード式の健康保険証[[ヴィタルカード]]が配布開始された。また、医師にはCPS (Carte de Professional de Sante) カードが配布された。保険金の還付手続きを電子化する事で、事務処理費用の削減と払い戻し期間の短縮などが実現された。 [[香港]]では、2003年[[6月23日]]からICチップを内蔵した香港身分証(香港IDカード)の発行が開始された。香港政府は、4年後の2007年[[6月]]までにすべてのIDカードをICカードに置き換えたいとしている。同カードは、公共図書館の利用や[[e-道]] (e-channnel) と呼ばれる自動出入境ゲートでも使用できる(香港は国ではないので「出入国」と言わない)。2007年には、免許証としての利用も開始される予定である。 [[台湾]]では、全民健康保険(台湾の国民健康保険)の健康保険証をIC化した「健保ICカード」を2002年に導入、2003年に全面的にICカードに移行した。また、台湾の外国人登録証である「外僑居留証」も2007年よりICカード化され、2008年に全面的にICカードに移行する予定である。 === 社員カード・学生カード === ICカードは企業の社員証や[[学生証]]などのIDカードとしても利用可能であり、[[1980年代]]の後半には社員カードとしてICカードが採用され、同じく日本で初めて[[高知工科大学]]が学生証にICカードを採用した。身分証明書としてだけではなく、ビル入館許可証(例 : [[ドコモタワー]]、NTT幕張ビル、[[ららぽーと豊洲]]、[[西日本旅客鉄道]]本社ビル、[[東京ミッドタウン]])や大学の講義の出席管理、勤怠管理[[タイムレコーダー]]の打刻カード、情報端末の解錠用カード、社内の[[食堂]]や[[売店]]、[[自動販売機]]での支払い管理に利用されている。 2004年には、FeliCaを利用した社員カード・学生カードの普及とサービスの拡大を目的にFeliCa共通利用フォーマット推進フォーラム[現在は'''一般社団法人FCF推進フォーラム'''](通称:FCF [http://www.fcf.jp/])が発足し、IDカードとしての共通フォーマットを提唱している。FCFには2016年10月現在153社のカードソリューション企業が参加している。FCFが提唱する教育機関向けの学生証・教職員証のための共通フォーマット「FCFキャンパスカード」は2016年10月現在296教育関連機関(大学、短大、高校、中学など)で採用され120万枚以上が発券されている。 建設業界では、「建設ICカード (Construction Card)」として共通に利用できるカードがある。1995年頃から建設業務用ICカードの規格制定が始まり、翌1996年頃から建設ICカードの発行も始まった。2004年には発行累積枚数が13万枚を超えた。建設現場の入退管理、機械操作の資格確認などの合理化に使用されている。1つの現場には工程毎に様々な企業が関係し、人の出入りが複雑なため、企業や現場を超えて共通して参照できるカードが必要とされた。例えば、機械([[クレーン]]など)を運転する際にICカードで資格確認と運転履歴の記録を行う。カードから読み出した資格・技能コードで資格判定し、OKの時にはエンジン起動ロックが解除される。 日本では、[[2008年]][[7月1日]]より自動販売機での[[タバコ]]購入に際し、一種の身分証明とも言えるICカード「[[taspo]]」(タスポ)の発行を受けているので、taspoカードをセンサーに読み込ませないとタバコの購入ができない(対人販売の場合はカードなしで購入可能)。なお、「taspo」には電子マネー機能も付随し、カードに金額を入金すると残高分の金額でタバコを購入する事ができたが2014年3月31日をもってチャージの受付を終了、2015年2月25日をもって電子マネーでのたばこの購入終了を予定している。 <!-- 電子入札に利用されているICカードがある --> === 商店街での導入 === [[東京都]][[世田谷区]]の烏山駅前通り商店街にて、[[1988年]]にICカード「IC-CARDIA」を導入し、スタンプのカード化を行っている。その後、プリペイド機能とクレジット機能が追加され、商店街カードとして利用されている。 2006年には、より安全・快適に使用できるセキュアなNTTコミュニケーションズが提供するセーフティパス機能付きICカードを搭載した「えるもーる LUCK CARD」を導入を行った。 最近では、Edyを商店街単位で導入するところも増えている。 また、SuicaやPASMOなど[[乗車カード#各地域のICカード乗車券一覧|IC乗車カード]]すべてがそのままポイントカードとして利用できる[[ポイントサービス|地域ポイントカード]]のシステムが開発・運営されており、東京都内のJRや私鉄沿線の商店街では利用客の大多数がSuicaなどを所持・携帯している事、新規カード発行費用の負担削減などの理由からこのシステムを導入する動きが広まっている<ref>{{Cite web|和書|author=ITpro|authorlink=日経BP|date=2008-03-26|url=https://xtech.nikkei.com/it/article/JIREI/20080325/296964/|title=Suicaを地域ポイントカードとして活用、都内の駅前商店街で導入広がる|accessdate=2008-07-20}}</ref>。 === アミューズメントでの利用 === 施設内の[[アーケードゲーム]]機などの支払い管理用(プリペイドカード)だけではなく、プレイデータの記録管理用のIDカードにも使われている。[[セガ]]と[[バンダイナムコアミューズメント]]は、かつてはタイトル毎の専用ICカードを必要としていたが、一元管理システムである「[[ALL.Net#Aime|Aime]]」「[[ALL.Net#バナパスポート|バナパスポート]]」へ移行していった。2018年10月25日からセガ・インタラクティブ、バンダイナムコアミューズメント、[[コナミアミューズメント]]の3社の規格を統一した「[[Amusement IC]]」サービスが開始され、「Aime」「バナパスポート」「[[e-AMUSEMENT PASS|e-amusement pass]]」の相互利用サービスが開始された。[[タイトー]]も、2019年3月より「Aime」「バナパスポート」「e-amusement pass」との相互利用サービスが開始された。 {{main|Amusement IC}} *「[[ALL.Net#Aime|Aime]]」([[セガ]]) *「[[ALL.Net#バナパスポート|バナパスポート]]」([[バンダイナムコアミューズメント]]) *「[[e-AMUSEMENT PASS]]」([[コナミアミューズメント]]) *「[[NESiCAxLive#ICカード「NESiCA」|NESiCA]]」([[タイトー]]) === 公営競技での利用 === 日本の[[中央競馬]]では、[[日本中央競馬会]]が発行する、勝馬投票券購入用のICカードがある。 *「[[JRA-UMACA]]」 == セキュリティ == ICカードは[[磁気カード]]よりも安全であると考えられており、偽造対策等の[[情報セキュリティ|セキュリティ]]の向上を目的とした置き換えが進んでいる。 磁気ストライプ上の情報には不正な読み書きを防止する仕組みはないため、比較的安価な装置で改ざんや[[コピー]]ができるのに対して、ICカードの場合にはICチップでアクセス制御を行う事ができるため、偽造を行うには、ICチップを分解し、専用装置を用いて内部を解析しなければならず、その手間やコストが掛かる分だけ安全であるという。しかし、[[1990年代]]中頃からポール・コーチャ (Paul Kocher) やロス・アンダーソン (Ross Anderson) 達の研究により[[サイドチャネル攻撃]]など数々の攻撃方法が開発され、[[秘密鍵]]の読み出しが容易なICカードも存在する事が判明した。これらの新しい攻撃方法に対処したICカードの開発が課題となっている。<!-- 特に非接触型は、一部からセキュリティの脆弱性を指摘されている。;ここで指摘されているのは接触型についてです。--> === 期待 === ICカードは、偽装や変造などの不正行為が磁気カードよりも困難である事を期待されている。その根拠を以下に示す。 * CPUとメモリが1チップ化され、さらに[[エポキシ樹脂]]などで固められている。接触型の場合は、外部端子(I/O,CLK,RST,Vcc,Vpp,GNDの6本)、非接触型の場合は、内蔵アンテナだけがメモリにアクセスする手段である。 ** 内部の配線が露出していないため、制御信号に細工したり、バス信号をモニタするのは難しい。 ** チップを分解して直接メモリを読み出すには、高価な専用装置が必要である。 * 外部端子や内蔵アンテナからのアクセスには、CPUによるアクセス制御(パスワードなど)を掛ける事ができるため、不正な読み書きは難しい。 そこで、プリペイドカード(テレホンカード、パチンコカード、乗車カード)やクレジットカード・キャッシュカードの偽造変造による被害を防止するために、ICカードへの置き換えが進んでいる。 高機能なCPUを搭載したICカードは、カード内部で複雑な処理が可能であり、磁気カードよりも多機能なカードとして利用できることが期待されている。例えば、パスワードをICカードに格納し、利用者が入力した[[パスワード]]を、ICカード内で検証する事が考えられる。 プログラムダウンロード可能な仕組みを持つICカードは、発行後にも新しい機能をICカードに追加する事ができ、多目的なカードとして利用できる事が期待されている。1サービス毎に1枚のカードを発行する従来の方式では、複数のサービスを利用する人は複数枚のカードを持つ事になるが、多目的カードでは1枚のカードにできる事になる。 以上の様に、偽造耐性があり、多機能・多目的なカードとしてICカードは期待されている。 <!-- その他 --> <!-- 非接触通信の手軽さでドアの開錠に --> <!-- 磁気カードに比べて大容量と言えるメモリを使って、電子通帳(銀行)や電子カルテ(病院)への応用も検討されていた。--> === 効果 === <!-- 不正の低減 --> フランスでは、バンクカード(クレジットカード)をICカード化する事により、それまで発生していたカード偽造犯罪を激減させる事ができた[ECOM99]{{要出典|date=2008年3月}}。 日本では、[[テレホンカード#偽造テレホンカード問題|磁気テレホンカードの偽造対策]]として[[1999年]]にICカードを導入したが、[[公衆電話]]の利用者減少を理由に[[2006年]][[3月]]末にICカードを廃止した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ntt-east.co.jp/release/0501/050120.html|title=ICカード公衆電話の見直しについて 〜ICカード公衆電話の磁気カード公衆電話への一本化〜|author=東日本電信電話株式会社 |accessdate=2008-03-07 |date}}</ref>。 同じく磁気カード(PETカード)であったJR東日本の従来の[[オレンジカード]]・[[イオカード]]に代わって導入された[[Suica]]では、[[2008年]][[3月]]現在に於いて偽造変造は知られていない。 数百億円の不正使用があった[[パチンコ]]カードもICカード化されているが、ICカード化以前にサービスの縮小やサーバーでのID管理などによって不正使用対策を施したため、ICカード化の効果は未知である。 === 問題点 === <!-- ICカードの限界を示す、事故や事件 --> * [[1997年]][[9月]]、[[モンデックス]]カード(Hitachi's H8/3101、スィンドンの実験で使用)に内部情報を読み出す事ができる[[脆弱性]]がある事が公開された。この脆弱性は少なくとも[[1996年]][[5月]]頃には発見されていたが、この脆弱性に対処した新しいチップ「H8/3109」ができるまで秘密にされていた。ICチップ内の切れたヒューズをマイクロプローブを用いて接続し直すとテストモードになり、外部端子にメモリ内容がダンプできるという。発見したのはTNOの技術者で、Eurocrypt'97にて発表した。スィンドン実験では共通鍵暗号ベースの電子マネーを使用していて1枚のカードから秘密鍵が読み出されるとシステム全体に影響があるため、衝撃的な報告であった。 * [[1999年]][[6月]]、フランスのバンクカードが偽造されて、偽造した技術者が逮捕される(2000年1月)という事件が起きた(地下鉄の切符を購入したため)。偽装できた原因はカードの認証に使用する[[RSA暗号]]の鍵長が十分に長くなかったため、計算機によって解読された([[素因数分解]]された)事にある。 * [[1992年]][[12月]]、[[シーメンス]]のSLE44C80Sがクラックされ、ROMコード (Chip Managemnt System) が読み出された(逆アセンブルしたリストを公開)。SLE44はドイツの電子署名カードやゲルトカルテ (Geld kartes) で使用されているICチップである。Siemens社によると、プログラマブルなカードのROMコードを読み出せただけで、この情報を利用してゲルトカルテや電子署名カードを攻撃できる訳ではない、としている。 * [[2002年]][[5月]]、[[GSM]]で使用されているSIMカードの秘密鍵を1分で取得できる攻撃方法がある事が発表された。partitioning attackというサイドチャネル攻撃の一種。多くのSIMカードに実装されているCOMP128の鍵 (128bit) を取得するには8個の選択平文が必要である。 * [[2004年]][[3月]]、日本のLSI技術者が市販ICカードに使用されているLSIを取り出し、内部メモリを観察できる事を示した。必要な装置は高価ではあるが、誰でも入手できるLSI故障解析用の製品である。これらの装置の購入金額よりICカードを攻撃して得られる金額は少ない事が望ましい、或いは故障解析技術の進化に合わせてセキュリティ対策も見直す事が大切とも言える。 <!--*2004年[[9月]]、日本の鉄道用のIC乗車カード「[[ICOCA]]」を使って駅員らが無賃乗車(キセル)を行っていたとの発表があった。ICカードを解析して不正を行ったのではなく、駅窓口の処理機を用いて入場記録を消去していたという。詳しくは[[ICOCA#ICOCAを巡る出来事|こちらを参照の事]]。--><!--入出場記録を不正に操作する犯罪手法そのものは磁気券の頃から存在しており、他のICカード自体の脆弱性や問題点とは本質的に異なると思われる--> * 2007年12月、Chaos Communication CongressにてMifare Classic chipの暗号回路を解析したところ、脆弱性(乱数のエントロピーが不足)が見つかったという発表があった<ref>{{Cite web|url=http://events.ccc.de/congress/2007/Fahrplan/events/2378.en.html|title=Mifare --- Little Security, Despite Obscurity|author=24th Chaos Communication Congress |accessdate=2008-03-07 |date}}</ref>。 <!-- VIDEOCRYPT, PAY-TV / その他、研究発表されたもの --> * [[2011年]]以前から、B-CASカードのプログラム及び秘密鍵が解析されていた可能性が指摘されている。"Friio"用デジタル放送におけるアクセス制御方式回避プログラム「softcas」(以後ICカードの物理的実体を必要としない物を同様に呼ぶ)は、公式スペックではICカードのB-CASは2 TSID(後に4 TSIDに改良される)が処理可能な限界なのに対して、softcasは全世界にあるsoftcasクライアントのリクエストに応じており、本物のB-CASカードでは無い事は明らかであった。2011年以後、B-CASカードの各ブロックへのアクセス鍵が解読され、ICカードのカーネルへのアクセス以外の全ての鍵が取り出される。これを用いて種々のB-CASカードへの[[クラッキング (コンピュータ)|クラッキング]]が行わた(その結果[[私電磁的記録不正作出罪]]における刑事裁判で有罪となる者が出る)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.amazon.co.jp/dp/4990578783|title=B-CAS 事故 '8674422' 2012年テレビ視聴制限崩壊の真実 [単行本]|author=鳥取ループ|accessdate=2014-02-24|date}}</ref>。最終的にB-CASプログラムブロックが取り出され[[リバースエンジニアリング]]を経て、スタンドアローンで動作するB-CAS[[エミュレーター]] softcas (winscard.dll) が[[ソースコード]]と共に公開され、その後[[Linux]]・[[macOS]]・その他のOSに移植された。ICカードの[[PHY]]の鍵は解読できていない為、ブランクのICカードをB-CASカードにする事は出来ないので、市販チューナーに本プログラムを適用する事は出来ない。デジタル放送におけるアクセス制御方式を定義する [http://www.arib.or.jp/tyosakenkyu/kikaku_hoso/hoso_std-b025.html ARIB STD-B25は6.3版](2013年12月10日ICカードのセキュリティ強化のために、第1部に規定する関連情報の一部項目のバイト長を拡大する)改定を行い、新方式に移行する為2013年11月の実機実験を始めとし、本問題を解決すべくメーカー各社の協力を要請した<ref group="注">[[1998年]]以降発売した全機種が対応可能である事を[[技術エンスロ委員会]]の懇談会で表明したのは[[ソニー]]一社のみで、[[CA-System]]に関するロジックは[[FPGA]]なので[[ファームウェア]][[アップデート]]で対応可能とした。一方ソニーからの[[OEM]]を受けていない他社は一部の機種で、CA-Systemを含む暗号化・復号処理をハードワイヤードの[[ASIC]]で構築してセキュリティを高めた結果、今回の改定は勿論、それ以前に提唱された[[ダビング10]]を含め、セキュリティに対する変更を受け入れられない機種が存在する事を明らかにした。[[耐タンパー性]]の観点から、[[パナソニック]]と[[東芝]]は[[エンジニアリングスロット]]からのファームウエアのリモートセキュリティ変更は不可能で、セキュリティに関する変更は適切に署名された[[SDカード]]の挿入のみ対応とした。全カードの交換は部材費で27億円、人件費やエンジニアリングスロットの使用料、ハードウエアの変更・交換などを含む総費用は200億円を超えると試算されており、また問題のあるB-CASカードや受信機は[[2038年問題]]で自動的に解決する事から、計画の中には本問題に対する対処を総被害額を超えてまで対応する必要は無い「放置・無視」する事も選択肢に含めている。莫大な費用をかけて旧式となる現行ハイビジョンを救済するより、[[4K2K]]に移行する際に解決すれば良いとも指摘されている</ref>。 === 対応 === チップ自体の耐タンパー性、OSやライブラリの実装方式、アプリの設計など様々なレベルで、対応が検討されている。また、第三者による評価・認証も求められている。 認証制度には、[[コモンクライテリア|ISO/IEC 15408]],FIPS PUB 140-2や業界独自の認定(Visaによる認定など)がある。 <!-- カードベンダと提供カード、その機能 / 研究 --> ==== 評価認定機関 ==== ; [[コモンクライテリア|ISO 15408 (コモンクライテリア)]] <!-- 15408によるカード評価や、その実態などを --> <!-- とりあえず、一覧から --> * 1998年10月創設 ** 英Communications-Electronics Security Group and Department of Trade and Industry (CESG) UK IT Security Evaluation & Certification Scheme ** 仏Direction Centrale de la Securite des Systemes d'Information (DCSSI) ** 独Bundesamt fur Sicherheit in der Informationstechnik (BSI)、TuVIT ** 米National Information Assurance Partnership (NIAP) ** 加Communications Security Establishment (CSE) Canadian Common Criteria Evaluation and Certification Scheme (CCS) * 1999年10月参加 ** 豪Australian Information Security Evaluation Program(AISEP) Defence Signals Directorate (DSD) ** ニGovernment Communications Security Bureau * 2003年10月参加 ** 日Japan Information Technology Security Evaluation and Certification Scheme(JISEC) [[情報処理推進機構|IPA]] [[独立行政法人]][[情報処理推進機構]] ; [[ISO/IEC 17025|ISO17025]] * 仏Soliatis LAB(スマートカード関連のISO認定テストハウス) * 2008年参加 ; ISO/IEC WD 19790 * FIPS140-2 (CMVP) ベース ; 業界独自の評価プログラム * [[Visa|VISA]] * [[マスターカード]] MasterCard * [[MULTOS]] * [[全国銀行協会|全銀協]] ==== チップメーカー ==== ICカード用のICチップを製造している主なメーカー EAL5 ライン * インフィニオン Infineon(ジーメンス Siemens) ** SLE44/ ** SLE66/SLE66CX322P with RSA2048(EAL5+ @BSI、2002年5月取得) * NXP(フィリップス) ** P8WE5032V0B(EAL3 @BSI、1999年11月取得) ** P8WE5032V0G(EAL4 @BSI、2001年1月取得) ** P8WE6017V1I(EAL5+ @BSI、2001年7月取得) ** P83/ * [[STマイクロエレクトロニクス]] ** ST16/ ** ST19/ST19XR34,ST19XS08,ST19XS04(EAL4+ @DCSSI SERMA、2000年5月取得) ** ST22/ (EAL5) EAL4+ ライン * [[ルネサス エレクトロニクス]] ** H8/3101・H8/3109(1997年9月発表)、H8/3111・H8/3112(1998年9月発表、E6 1999年9月取得)、H8/3113・H8/3113S・H8/3114(1999年2月発表)、H8/3114S(E6 2001年7月取得) ** AE-3/ ** AE-4/AE45C(E6 2002年4月取得、EAL4+ @BSI T-Systems ISS GmbH 2002年5月取得)、AE43C(EAL4+ @BSI 2003年5月取得) ** AE-5/ * Atmel ** AT90SC19264RC(EAL4+ @DCSSI 2002年11月取得) * [[サムスン電子]] ** S3CC9PB(EAL4+ @DCSSI 2002年12月取得) * [[パナソニック|松下電器産業]] ** MN63Y1005(2001年9月) ** MN103S41(2002年)、MN103S41H(2003年1月発表) ** MN101CY727(2003年9月開発を発表、2004年4月発表) <!-- 確認中 Japan の Matsushia って一つしかないよね? --> ** MN67S360(EAL4+ @TuVIT 2004年10月取得、2005年2月発表) <!-- やっと発表された --> ** MN67S140(EAL4 @BSI 2007年1月取得) * [[シャープ]] ** SM4128 (V3) A5-step module(EAL4+ @BSI 2005年9月取得)VLA.3 なし * [[ソニー]] ** RC-S860(EAL4 @CESG 2002年3月取得) *** RC-S860は、SoF-basicである事に注意。 ** RC-S853 (EAL4)、RC-S854 (EAL4) *** RC-853/854のEAL4取得はメーカカタログでのみ確認。<!-- どこが認定したのか見つからない。日英仏独 以外? --> ** RC-S960/1(EAL4 @BSI 2007年6月取得) *** チップは[[富士通]] MB94RS402 * [[モトローラ]] ** MC68HC05SC0401(E3 @DCSSI 1998年6月) * [[東芝]] ** JT6N55(2000年1月発表) * [[富士通]] ==== カードベンダ ==== * [[大日本印刷]] * [[凸版印刷]] * [[共同印刷]] * [[日立マクセル]] * 昌栄印刷 * ナテック * [[ジェムアルト]] Gemalto * Oberthur Card System * [[ギーゼッケ アンド デブリエント|Giesecke & Devrient GmbH]] * Incard * Sagem Orga * [[サンディスク]] * 富士フイルムイメージテック株式会社 * [http://www.orangetags.co.jp 株式会社オレンジタグス] * [[NTTデータ]] ** Xaica-alpha(EAL4+ @DCSSI SERMA、2005年取得) ** Xaica-alpha64K(EAL4+ @DCSSI SERMA、2007年取得) ==== カード発行機 ==== * データカード Datacard * 日本メカテック株式会社 http://www.j-mecha.com/ == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * [ECOM99] 電子商取引実証推進協議会「電子商取引に関するECOM欧州視察団報告書」平成11年、pp.&nbsp;66–67(カードの偽造について) ==関連項目== {{Commonscat|Smart cards|スマートカード}} *[[RFID]] *[[ICタグ]] *[[Plet's]] *[[パスポート]] *[[キャッシュカード]] *[[クレジットカード (日本)]] *[[電子マネー]] *[[taspo]] == 外部リンク == * {{Cite web|和書 |author = <!-- ウェブサイトの作成者名。--> |date = |url = https://www.jicsap.com/ |title = JICSAP ホームページ |work = <!-- 作品名 --> |publisher = [[日本ICカードシステム利用促進協議会]] <!-- ウェブサイトを設置している組織・団体・企業・官公庁など。--> |accessdate = 2012-03-12 }} * {{Cite web|和書 |author = <!-- ウェブサイトの作成者名。--> |date = |url = https://www.ipa.go.jp/security/jisec/ |title = ITセキュリティ評価及び認証制度(JISEC) <!-- |work = 情報セキュリティ--> |publisher = [[情報処理推進機構]] <!-- ウェブサイトを設置している組織・団体・企業・官公庁など --> |accessdate = 2012-03-12 }} * {{Cite web|和書 |author = <!-- ウェブサイトの作成者名。--> |date = 2011-10-19 |url = https://www.ipa.go.jp/security/certification/smartcard/ |title = ITセキュリティ評価及び認証制度(JISEC):参考資料 <!-- |work = 情報セキュリティ --> |publisher = 情報処理推進機構 <!-- ウェブサイトを設置している組織・団体・企業・官公庁など --> |accessdate = 2012-03-12 }} * [https://www.emvco.com/ EMVCo] * [https://www.fcf.jp/ 一般社団法人FCF推進フォーラム] * [https://www.rfid-nfc-realtouchshop.com/ ICタグのトータルサポーター RFID NFC RealTouchShop] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ICかあと}} [[Category:ICカード|*]] [[Category:半導体メモリ]] [[Category:セキュリティ技術]]
2003-03-29T00:02:06Z
2023-12-03T13:39:10Z
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核酸
核酸(かくさん、英: nucleic acid)は、リボ核酸 (RNA)とデオキシリボ核酸 (DNA)の総称で、塩基と糖、リン酸からなるヌクレオチドがホスホジエステル結合で連なった生体高分子である。糖の部分がリボースであるものがRNA、リボースの2'位の水酸基が水素基に置換された2-デオキシリボースであるものがDNAである。RNAは2'位が水酸基であるため、加水分解を受けることにより、DNAよりも反応性が高く、熱力学的に不安定である。糖の 1'位には塩基(核酸塩基)が結合している。さらに糖の 3'位と隣の糖の 5'位はリン酸エステル構造で結合しており、その結合が繰り返されて長い鎖状になる。転写や翻訳は 5'位から 3'位への方向へ進む。 なお、糖鎖の両端のうち、5'にリン酸が結合して切れている側のほうを 5'末端、反対側を 3'末端と呼んで区別する。また、隣り合う核酸上の領域の、5'側を上流、3'側を下流という。 核酸の一次構造とは、(デオキシ)ヌクレオシド成分がホスホジエステル結合によって、連続的に連結され、枝分かれのない、ポリヌクレオチド(ヌクレオチドの重合体。核酸と区別して、20程度の短いものを指すことがある)鎖を形成させるような(デオキシ)ヌクレオシド配列である。 核酸の二次構造とは、一本鎖の主にホモポリヌクレオチド(塩基成分が同一のヌクレオチド重合体)の場合には、塩基間の相互作用によって規定されるヌクレオシド成分の空間的配置をさす。2本の相補鎖の場合には、同一の鎖の隣接塩基間の相互作用と、互いに平行している鎖の対向塩基間の水素結合により安定化された規則的な二重螺旋(DNAには三重、四重螺旋も存在する)を意味する。 核酸の三次構造は、固定化された二重螺旋とそれ以外のタイプの配列で形成される。 核酸の四次構造は、リボソームやヌクレオソームのような核蛋白質と相互作用している高分子の空間的配置を意味する。特に、ポリヌクレオチドとポリペプチドの相互依存による高分子構造を指す。 核酸塩基 (nucleobase) は核酸 (DNA, RNA) を構成する塩基成分で、主なものにアデニン、グアニン、シトシン、チミン、ウラシルがあり、それぞれ A, G, C, T, U と略す。構造の骨格からプリン塩基 (A, G) とピリミジン塩基 (C, T, U) とに分けられる。 核酸やヌクレオチドの構成単位(の繰り返し数)として、たとえば、10塩基(1本鎖の場合)または10塩基対(2重鎖の場合)などと便宜的に用いる。 DNAの場合、アデニン (A) とチミン (T)、グアニン (G) とシトシン (C) は水素結合を形成する。AT対が二つの水素結合を形成するのに対し、GC対は三つの水素結合を形成する。そのため、GC含有量が大きい領域では安定性が高まる。略号の A + T が Weak の頭文字W、G + C が Strong の頭文字Sとなっているわけである。 一方、RNAは、アデニン (A) とウラシル (U)、グアニン (G) とシトシン (C) で塩基対を形成する。塩基としてチミンではなくウラシルで構成されるが、ウラシルもチミン同様ピリミジン骨格であり、アデニンと塩基対を形成する。ウラシルは、チミンのメチル基が水素基に置換された塩基である。 比較的広範囲で使われている略号を示した。分野によってはこれと異なった略号を用いることもある(修飾塩基など)。また、塩基とヌクレオシドを区別したい場合は三文字の略号を使う場合もある。 核酸や蛋白質などの巨大分子に起こる現象の一つで、一般的に二次以上の構造に関係している非共有結合交互作用の破壊を指し、核酸の場合では二本鎖から一本鎖の変換を意味し、慣用的に融解といわれる。変性の化学的外因は紫外線、熱、加圧、攪拌、酸・塩基、溶媒のイオンなどである。これらのような刺激を与え続ければ、核酸の螺旋構造(以下、単に螺旋構造といえば二重螺旋の二次構造を指し、螺旋分子といえばその構造を持った核酸分子を意味する)は解けてゆき、最終的には平行していた鎖が完全に解離し、一本鎖となるだろう。この遷移の所要時間をその螺旋構造の安定性といえる。鎖の解離は対向塩基間の水素結合の切断によって進行するが、G/C塩基対の3本の結合より、A/T塩基対の2本の塩基対の破壊が容易であることは明らかである。スタッキング相互作用も安定性に関わるが、それは − Δ G 37 ∘ {\displaystyle -\Delta G_{37}^{\circ }} の項で詳述する。 また、溶液のイオン強度にも影響を受ける。螺旋分子の主鎖には負電荷を持つリン酸基があり、2本の鎖上のこれらの負電荷は互いに近くにあるので、遮蔽されていなければ鎖同士を反発させようとし、分離を促す。イオン濃度が高いと、陽イオンによって負電荷を遮断し、螺旋は安定化される。 G/C含量が増えるたびに、また溶液のイオン強度が強くなるたびに、変性にかかる時間は増加する。溶液のイオン濃度(他に温度、pHなども)を一定に保てばこの時間は塩基組成に依存するので、測定により、その螺旋構造の安定性を定量化することができる。安定性の指標として主に、温度、pH、塩基組成からの計算などがあり、それぞれ、Tm、pHm、 − Δ G 37 ∘ {\displaystyle -\Delta G_{37}^{\circ }} と表す。以下にそれぞれの詳細を記述する。 融解温度という。螺旋分子溶液を徐々に加熱すると、そのポリヌクレオチドに特異的な一定の温度範囲内で、その溶液の性質が急変する。温度の増加に伴う種種の性質の変化は螺旋構造の崩壊の進行に比例する。加熱前の螺旋分子の温度と、変性完了の瞬間の温度の、中間の温度が融解温度なのである。熱変性には旋光度や粘度の減少、沈降定数の増大などを伴うが、この遷移の経過の検出に最も広く用いられる変化は吸光度の増加である。そこで、吸光度の観測実験を例に取り上げ、Tmの具体的な説明をする。 種種の螺旋分子の溶液を加熱したときの吸光度の変化を観察すると、明らかに狭い温度範囲で吸光度の増加が起こり、ある温度から再び吸光度は一定になる、という特徴が見られる。上昇が止まった吸光度は二次構造の完全な崩壊を意味するので、遷移の途中での螺旋部分の割合(θ)と、非螺旋部分の割合(1-θ)は次の式で求められる。 ここでD∞, Dt, D0は、完全に変性した分子の吸光度、ある中間温度でのポリヌクレオチド溶液の吸光度、低温でのポリヌクレオチドの吸光度である。 上で「変性完了の瞬間の温度の、中間の温度が融解温度」と述べたが、この式から表現すると、融解温度とは「螺旋部分の割合と非螺旋部分の割合が等しくなる(θ = 1 - θ = 0.5)温度」である。 Tmの値は、一定の外部条件化では一定であり、ためにその構造のみで規定される螺旋分子の安定性を指標することができる。 pHmは、上昇前のpHと、変性の完了の瞬間のpHの、中間のpHの値である。定義については上のTmで、温度をpH、TmをpHmを代入したものと同様であるので、pHm について特に解説することはない。以下に、両者の変性過程に共通して関わることを述べる。 螺旋分子の変性の遷移過程の特徴として、nativeの状態から変性状態へ遷移するときの遷移間隔の幅(⊿Tm、⊿pHm)があげられる。螺旋分子の変性過程を、上で示した吸光度の観測実験のように解析した結果において、1-θ曲線に対する点での接点が、直線1-θ=1(全変性)、および1-θ=0(未変性)と交差する温度の差から求められる。これは遷移の協力性、すなわち温度(pH)の上昇に伴う螺旋構造の要素のすべてが崩壊する同時性の度合いを反映する。螺旋構造がある温度で同時に消失するとき、⊿Tm(⊿pHm) = 0となる。DNAは決してそのような融解はしない。 今まで二重螺旋のことばかり扱ってきたが、核酸には一重や、三重、四重螺旋も存在し、また部分的に二重螺旋を持つ三次構造も存在する。それらと比べ、単一の種類の螺旋分子の未変性温度およびpHは極めて低く、また⊿Tmは特徴的に低い(3〜7°C)ので、他の構造とほとんど区別できる。 構造安定エネルギーという。上で示した通り、螺旋構造の安定性はG/C含量に依存することを述べたが、実はそれだけでなく、スタッキング相互作用も関与している。水素結合は螺旋の軸に垂直に、スタッキング相互作用はほぼ平行に形成されるため、両者の、安定性への寄与を分けて考えることが可能である。 Δ G 37 ∘ {\displaystyle \Delta G_{37}^{\circ }} は37度における構造形成の自由エネルギーを意味し、 − Δ G 37 ∘ {\displaystyle -\Delta G_{37}^{\circ }} は水素結合とスタッキング相互作用の両者の寄与から予想された、安定性の指標の一つである。 この指標はI. Tinocoらが1971年に最塩基対モデルとして提案され、このモデルは「核酸の塩基対形成に関して最も影響を与えるのは既に生成している隣の塩基対である」という考えを基本にしている。なぜなら、水素結合の強度は1塩基対における二つの塩基の組み合わせに決定され、スタッキング相互作用は距離の6乗に反比例するので、ある塩基対と隣接塩基対のさらに隣の塩基対との間に働く力は無視できると考えられるためである。すなわち、螺旋構造の安定性は、隣接する塩基対の足し合わせによって求められると考えられた。 螺旋構造において可能な最近接塩基対の組は、DNA/DNAおよびRNA/RNAで10種類、DNA/RNAで16種類である。 もし螺旋構造の安定性がこのモデルに従えば、異なる塩基配列を持つ螺旋分子同士でも、同じ最近接塩基対の組成を持つのなら安定性は等しい。最近接塩基対モデルから、上図に示した最近接塩基対の組の構造安定エネルギーの実験的測定の網羅から、構造安定性は解読されている。 ほぼすべての生物に含まれていると考えられる。重量比では、酵母(Baker's yeast/Saccharomyces cerevisiae)、海苔(Purple laver)、白子(鮭)、牡蠣、大豆、肝臓(豚)などでの検出値が高い。
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核酸は、リボ核酸 (RNA)とデオキシリボ核酸 (DNA)の総称で、塩基と糖、リン酸からなるヌクレオチドがホスホジエステル結合で連なった生体高分子である。糖の部分がリボースであるものがRNA、リボースの2'位の水酸基が水素基に置換された2-デオキシリボースであるものがDNAである。RNAは2'位が水酸基であるため、加水分解を受けることにより、DNAよりも反応性が高く、熱力学的に不安定である。糖の 1'位には塩基(核酸塩基)が結合している。さらに糖の 3'位と隣の糖の 5'位はリン酸エステル構造で結合しており、その結合が繰り返されて長い鎖状になる。転写や翻訳は 5'位から 3'位への方向へ進む。 なお、糖鎖の両端のうち、5'にリン酸が結合して切れている側のほうを 5'末端、反対側を 3'末端と呼んで区別する。また、隣り合う核酸上の領域の、5'側を上流、3'側を下流という。
[[File:Nukleotid num.svg|thumb|[[フラノース]]分子部の位置関係]] [[File:Phosphodiester Bond Diagram.svg|thumb|ヌクレオチドを接続する[[ホスホジエステル結合]]]] [[ファイル:RNA-comparedto-DNA_thymineAndUracilCorrected.png|thumb|300px|right|RNAとDNA、それぞれの核酸塩基]] '''核酸'''(かくさん、{{lang-en-short|nucleic acid}})は、[[リボ核酸]] (RNA)と[[デオキシリボ核酸]] (DNA)の総称で、[[塩基]]と[[糖]]、[[リン酸]]からなる[[ヌクレオチド]]が[[ホスホジエステル結合]]で連なった[[生体高分子]]である。糖の部分が[[リボース]]であるものがRNA、リボースの2'位の水酸基が水素基に置換された2-[[デオキシリボース]]であるものがDNAである。RNAは2'位が水酸基であるため、[[加水分解]]を受けることにより、DNAよりも反応性が高く、熱力学的に不安定である。糖の 1'位には塩基(核酸塩基)が結合している。さらに糖の 3'位と隣の糖の 5'位は[[リン酸エステル]]構造で結合しており、その結合が繰り返されて長い鎖状になる。[[転写 (生物学)|転写]]や[[翻訳 (生物学)|翻訳]]は 5'位から 3'位への方向へ進む。 なお、[[糖鎖]]の両端のうち、5'にリン酸が結合して切れている側のほうを 5'末端、反対側を 3'末端と呼んで区別する。また、隣り合う核酸上の領域の、5'側を上流、3'側を下流という。 ==構造== ===一次構造=== 核酸の[[一次構造]]とは、(デオキシ)ヌクレオシド成分がホスホジエステル結合によって、連続的に連結され、枝分かれのない、ポリヌクレオチド(ヌクレオチドの[[重合体]]。核酸と区別して、20程度の短いものを指すことがある)鎖を形成させるような(デオキシ)ヌクレオシド配列である。 ===二次構造=== 核酸の[[二次構造]]とは、一本鎖の主にホモポリヌクレオチド(塩基成分が同一のヌクレオチド重合体)の場合には、塩基間の相互作用によって規定されるヌクレオシド成分の空間的配置をさす。2本の相補鎖の場合には、同一の鎖の隣接塩基間の相互作用と、互いに平行している鎖の対向塩基間の[[水素結合]]により安定化された規則的な二重螺旋(DNAには三重、四重螺旋も存在する)を意味する。 ===三次構造=== 核酸の[[三次構造]]は、固定化された二重螺旋とそれ以外のタイプの配列で形成される。 ===四次構造=== 核酸の四次構造は、[[リボソーム]]や[[ヌクレオソーム]]のような[[核蛋白質]]と相互作用している高分子の空間的配置を意味する。特に、ポリヌクレオチドと[[ポリペプチド]]の相互依存による高分子構造を指す。 == 核酸塩基 == '''[[核酸塩基]]''' (nucleobase) は核酸 ([[デオキシリボ核酸|DNA]], [[リボ核酸|RNA]]) を構成する塩基成分で、主なものに[[アデニン]]、[[グアニン]]、[[シトシン]]、[[チミン]]、[[ウラシル]]があり、それぞれ A, G, C, T, U と略す。構造の骨格から[[プリン塩基]] (A, G) と[[ピリミジン塩基]] (C, T, U) とに分けられる。 {| class="wikitable" style="margin: 0 auto" ! 塩基 ! 略号 ! 分類 ! 構造式 ! DNA<br />or<br />RNA !ヌクレオシド !リボヌクレオチド !デオキシリボヌクレオチド |- | [[アデニン]] | A |rowspan="2"|プリン塩基 | [[ファイル:Adenine.svg|150px]] |rowspan="2"|DNA<br />and<br />RNA |[[アデノシン]] |[[アデニル酸|アデノシン一リン酸]] (AMP)<br />[[アデノシン二リン酸]] (ADP)<br />[[アデノシン三リン酸]] (ATP) |[[デオキシアデノシン一リン酸]] (dAMP)<br />[[デオキシアデノシン二リン酸]] (dADP)<br />[[デオキシアデノシン三リン酸]] (dATP) |- | [[グアニン]] | G | [[ファイル:Guanine chemical structure.png|150px]] |[[グアノシン]] |[[グアニル酸|グアノシン一リン酸]] (GMP)<br />[[グアノシン二リン酸]] (GDP)<br />[[グアノシン三リン酸]] (GTP) |[[デオキシグアノシン一リン酸]] (dGMP)<br />[[デオキシグアノシン二リン酸]] (dGDP)<br />[[デオキシグアノシン三リン酸]] (dGTP) |- | [[チミン]] | T |rowspan="3"|ピリミジン塩基 | [[ファイル:Thymine chemical structure.png|150px]] |DNA |[[チミジン]]<br />または<br />[[5-メチルウリジン]] |[[5-メチルウリジン一リン酸]] (TMP)<br />[[5-メチルウリジン二リン酸]] (TDP)<br />[[5-メチルウリジン三リン酸]] (TTP) |[[チミジル酸|チミジン一リン酸]] (dTMP)<br />[[チミジン二リン酸]] (dTDP)<br />[[チミジン三リン酸]] (dTTP) |- | [[シトシン]] | C | [[ファイル:Cytosine chemical structure.png|150px]] |DNA<br />and<br />RNA |[[シチジン]] |[[シチジル酸|シチジン一リン酸]] (CMP)<br />[[シチジン二リン酸]] (CDP)<br />[[シチジン三リン酸]] (CTP) |[[デオキシシチジン一リン酸]] (dCMP)<br />[[デオキシシチジン二リン酸]] (dCDP)<br />[[デオキシシチジン三リン酸]] (dCTP) |- | [[ウラシル]] | U | [[ファイル:Uracil chemical structure.png|150px]] | RNA |[[ウリジン]] |[[ウリジル酸|ウリジン一リン酸]] (UMP)<br />[[ウリジン二リン酸]] (UDP)<br />[[ウリジン三リン酸]] (UTP) |[[デオキシウリジン一リン酸]] (dUMP)<br />[[デオキシウリジン二リン酸]] (dUDP)<br />[[デオキシウリジン三リン酸]] (dUTP) |} 核酸や[[ヌクレオチド]]の構成[[単位]](の繰り返し数)として、たとえば、10塩基(1本鎖の場合)または10[[塩基対]](2重鎖の場合)などと便宜的に用いる。 == 塩基対における水素結合 == {| class="wikitable floatright" |+'''核酸塩基略号表''' |- ! 略号 ! 塩基(略称の由来) |- |A |[[アデニン]] (Adenine) |- |T |[[チミン]] (Thymine) |- |G |[[グアニン]] (Guanine) |- |C</td> |[[シトシン]] (Cytosine) |- |U</td> |[[ウラシル]] (Uracil) |- |R |[[プリン (化学)|プリン]] (puRine) |- |Y |[[ピリミジン]] (pYrimidine) |- |M |A あるいは C (aMino) |- |K |G あるいは T (Keto) |- |S |G あるいは C (G と C の結合は強い (Strong)) |- |W |A あるいは T (A と T の結合は弱い (Weak)) |- |B |G あるいは T あるいは C (A の次は B) |- |H |A あるいは T あるいは C (G の次は H) |- |V |A あるいは G あるいは C (TU の次は V)</td> |- |D |A あるいは G あるいは T (C の次は D) |- |N |AGTCのどれか (aNy) |} DNAの場合、アデニン (A) とチミン (T)、グアニン (G) とシトシン (C) は水素結合を形成する。AT対が二つの水素結合を形成するのに対し、GC対は三つの水素結合を形成する。そのため、GC含有量が大きい領域では安定性が高まる。略号の A + T が '''W'''eak の頭文字W、G + C が '''S'''trong の頭文字Sとなっているわけである。 一方、RNAは、アデニン (A) とウラシル (U)、グアニン (G) とシトシン (C) で塩基対を形成する。塩基としてチミンではなくウラシルで構成されるが、ウラシルもチミン同様ピリミジン骨格であり、アデニンと塩基対を形成する。ウラシルは、チミンの[[メチル基]]が水素基に置換された塩基である。 比較的広範囲で使われている略号を示した。分野によってはこれと異なった略号を用いることもある([[修飾塩基]]など)。また、塩基とヌクレオシドを区別したい場合は三文字の略号を使う場合もある。 ==化学的性質== ===変性=== 核酸や[[蛋白質]]などの巨大分子に起こる現象の一つで、一般的に二次以上の構造に関係している非共有結合交互作用の破壊を指し、核酸の場合では二本鎖から一本鎖の変換を意味し、<ref group="注">蛋白質の変性については[[変性#変性(生体高分子)]]参照</ref>慣用的に'''融解'''といわれる。変性の化学的外因は紫外線、熱、加圧、攪拌、酸・塩基、溶媒のイオンなどである。これらのような刺激を与え続ければ、核酸の螺旋構造(以下、単に螺旋構造といえば二重螺旋の二次構造を指し、螺旋分子といえばその構造を持った核酸分子を意味する)は解けてゆき、最終的には平行していた鎖が完全に解離し、一本鎖となるだろう。この[[遷移]]の所要時間をその螺旋構造の''安定性''といえる。鎖の解離は対向塩基間の[[水素結合]]の切断によって進行するが、G/C塩基対の3本の結合より、A/T塩基対の2本の塩基対の破壊が容易であることは明らかである。[[スタッキング相互作用]]も安定性に関わるが、それは<math>- \Delta G_{37}^\circ</math>の項で詳述する。 また、溶液の[[イオン強度]]にも影響を受ける。螺旋分子の主鎖には負電荷を持つ[[リン酸基]]があり、2本の鎖上のこれらの負電荷は互いに近くにあるので、遮蔽されていなければ鎖同士を反発させようとし、分離を促す。イオン濃度が高いと、陽イオンによって負電荷を遮断し、螺旋は安定化される。 G/C含量が増えるたびに、また溶液のイオン強度が強くなるたびに、変性にかかる時間は増加する。溶液のイオン濃度(他に温度、pHなども)を一定に保てばこの時間は塩基組成に依存するので、測定により、その螺旋構造の安定性を定量化することができる。安定性の指標として主に、温度、pH、塩基組成からの計算などがあり、それぞれ、'''T<sub>m</sub>'''、'''pH<sub>m</sub>'''、<math>- \Delta G_{37}^\circ</math>と表す。以下にそれぞれの詳細を記述する。 ====T<sub>m</sub>の値<ref>N. K. カチェトコフ/E. I. ブドフスキー 編、橋爪たけし 監訳「核酸の有機化学 上」 1974年 講談社出版</ref>==== '''融解温度'''という。螺旋分子溶液を徐々に加熱すると、そのポリヌクレオチドに特異的な一定の温度範囲内で、その溶液の性質が急変する。温度の増加に伴う種種の性質の変化は螺旋構造の崩壊の進行に比例する。加熱前の螺旋分子の温度と、変性完了の瞬間の温度の、中間の温度が融解温度なのである。熱変性には[[旋光度]]や[[粘度]]の減少、[[沈降定数]]の増大などを伴うが、この遷移の経過の検出に最も広く用いられる変化は[[吸光度]]の増加である。そこで、吸光度の観測実験を例に取り上げ、T<sub>m</sub>の具体的な説明をする。 種種の螺旋分子の溶液を加熱したときの吸光度の変化を観察すると、明らかに狭い温度範囲で吸光度の増加が起こり、ある温度から再び吸光度は一定になる、という特徴が見られる。上昇が止まった吸光度は二次構造の完全な崩壊を意味するので、遷移の途中での螺旋部分の割合(θ)と、非螺旋部分の割合(1-θ)は次の式で求められる。 :<math>\theta = \frac{D_{\infin}-D_t}{D_{\infin}-D_0}</math> ここでD<sub>&infin;</sub>, D<sub>t</sub>, D<sub>0</sub>は、完全に変性した分子の吸光度、ある中間温度でのポリヌクレオチド溶液の吸光度、低温でのポリヌクレオチドの吸光度である。 上で「変性完了の瞬間の温度の、中間の温度が融解温度」と述べたが、この式から表現すると、融解温度とは「螺旋部分の割合と非螺旋部分の割合が等しくなる(θ = 1 - θ = 0.5)温度」である。 T<sub>m</sub>の値は、一定の外部条件化では一定であり、ためにその構造のみで規定される螺旋分子の安定性を指標することができる。 ====pH<sub>m</sub>==== pH<sub>m</sub>は、上昇前のpHと、変性の完了の瞬間のpHの、中間のpHの値である。定義については上の''T<sub>m</sub>''で、温度をpH、T<sub>m</sub>をpH<sub>m</sub>を代入したものと同様であるので、pH<sub>m</sub> について特に解説することはない。以下に、両者の変性過程に共通して関わることを述べる。 螺旋分子の変性の遷移過程の特徴として、[[変性|native]]の状態から変性状態へ遷移するときの遷移間隔の幅(⊿T<sub>m</sub>、⊿pH<sub>m</sub>)があげられる。螺旋分子の変性過程を、上で示した吸光度の観測実験のように解析した結果において、1-θ曲線に対する点での接点が、直線1-θ=1(全変性)、および1-θ=0(未変性)と交差する温度の差から求められる。これは遷移の'''協力性'''<ref group="注">{{lang|ru|КООПБРАТИВНОСТЬ}}の暫定的和訳。英語ではcooperativeness</ref>、すなわち温度(pH)の上昇に伴う螺旋構造の要素のすべてが崩壊する同時性の度合いを反映する。螺旋構造がある温度で同時に消失するとき、⊿T<sub>m</sub>(⊿pH<sub>m</sub>) = 0となる。DNAは決してそのような融解はしない。 今まで二重螺旋のことばかり扱ってきたが、核酸には一重や、三重、四重螺旋も存在し、また部分的に二重螺旋を持つ三次構造も存在する。それらと比べ、単一の種類の螺旋分子の未変性温度およびpHは極めて低く、また⊿T<sub>m</sub>は特徴的に低い(3〜7℃)ので、他の構造とほとんど区別できる。 ====- &Delta; G<sub>37</sub>°==== '''構造安定エネルギー'''という。上で示した通り、螺旋構造の安定性はG/C含量に依存することを述べたが、実はそれだけでなく、スタッキング相互作用も関与している。水素結合は螺旋の軸に垂直に、スタッキング相互作用はほぼ平行に形成されるため、両者の、安定性への寄与を分けて考えることが可能である。<math>\Delta G_{37}^\circ</math>は37度における構造形成の[[自由エネルギー]]を意味し、<math>- \Delta G_{37}^\circ</math>は水素結合とスタッキング相互作用の両者の寄与から予想された、安定性の指標の一つである。 この指標はI. Tinocoら<ref group="注">I. Tinoco, Jr., O. C. Uhlenbeck, M. D. Levine</ref>が1971年に'''最塩基対モデル'''として提案され、このモデルは「核酸の塩基対形成に関して最も影響を与えるのは既に生成している隣の塩基対である」という考えを基本にしている。なぜなら、水素結合の強度は1塩基対における二つの塩基の組み合わせに決定され、スタッキング相互作用は距離の6乗に反比例するので、ある塩基対と隣接塩基対のさらに隣の塩基対との間に働く力は無視できると考えられるためである。すなわち、螺旋構造の安定性は、隣接する塩基対の足し合わせによって求められると考えられた。 螺旋構造において可能な最近接塩基対の組は、DNA/DNAおよびRNA/RNAで10種類、DNA/RNAで16種類である。<ref>下の図のアイディアは杉本直己「遺伝子化学」2002年 p36 に書かれている図3.9から流用</ref> ## DNA/DNA二重螺旋 DNA<math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>AA</math> <math>GG</math> <math>AC</math> <math>CA</math> <math>TT</math> <math>CC</math> <math>TG</math> <math>GT</math> DNA<math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> DNA<math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>AT</math> <math>TA</math> <math>GC</math> <math>CG</math> <math>AC</math> <math>CA</math> <math>TA</math> <math>AT</math> <math>CG</math> <math>GC</math> <math>TG</math> <math>GT</math> DNA<math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> ## RNA/RNA二重螺旋 RNA<math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>AA</math> <math>GG</math> <math>AC</math> <math>CA</math> <math>UU</math> <math>CC</math> <math>UG</math> <math>GU</math> RNA<math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> RNA<math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>AU</math> <math>UA</math> <math>GC</math> <math>CG</math> <math>AC</math> <math>CA</math> <math>UA</math> <math>AU</math> <math>CG</math> <math>GC</math> <math>UG</math> <math>GU</math> RNA<math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> ## RNA/DNA二重螺旋 RNA<math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>AA</math> <math>UU</math> <math>CC</math> <math>GG</math> <math>AC</math> <math>UG</math> <math>CA</math> <math>GU</math> <math>TT</math> <math>AA</math> <math>GG</math> <math>CC</math> <math>TG</math> <math>AC</math> <math>GT</math> <math>AA</math> DNA<math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> RNA<math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>\rightarrow</math> <math>AU</math> <math>UA</math> <math>CG</math> <math>GC</math> <math>AG</math> <math>GU</math> <math>CU</math> <math>UC</math> <math>TA</math> <math>AT</math> <math>GC</math> <math>CG</math> <math>TC</math> <math>CA</math> <math>GA</math> <math>AG</math> DNA<math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> <math>\leftarrow</math> もし螺旋構造の安定性がこのモデルに従えば、異なる塩基配列を持つ螺旋分子同士でも、同じ最近接塩基対の組成を持つのなら安定性は等しい。最近接塩基対モデルから、上図に示した最近接塩基対の組の構造安定エネルギーの実験的測定の網羅から、構造安定性は解読されている。 == 存在 == ほぼすべての生物に含まれていると考えられる。重量比では、酵母(Baker's yeast/Saccharomyces cerevisiae)、海苔(Purple laver)、白子(鮭)、牡蠣、大豆、肝臓(豚)などでの検出値が高い。<ref>{{cite journal |title=Nucleic Acid Contents of Japanese Foods |journal=NIPPON SHOKUHIN KOGYO GAKKAISHI|volume=36|issue=11|year=1989|page=Table 2 |pmid=|doi=10.3136/nskkk1962.36.11_934 }}</ref> == 注釈 == {{Reflist|group="注"}} == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == *[[フリードリッヒ・ミーシェル]]-発見者 *[[ヌクレオチド]] - [[イノシン酸]]・[[グアニル酸]]は[[呈味性ヌクレオチド]]と呼ばれ、[[うま味]]物質として使われている == 外部リンク == {{Wiktionary|核酸}} *{{Hfnet|562|核酸 (DNA, RNA)}} *[http://www.chem.qmul.ac.uk/iubmb/misc/naseq.html Nomenclature for Incompletely Specified Bases in Nucleic Acid Sequences] {{核酸}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かくさん}} [[Category:生化学]] [[Category:栄養素]] [[Category:核酸|*かくさん]]
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ソラリス
ソラリス(Solaris)
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ソラリス(Solaris)
'''ソラリス'''(Solaris) == 商品・ブランド名 == * [[Solaris]] - [[サン・マイクロシステムズ]](現[[オラクル (企業)|オラクル]])によって開発された[[UNIX]]系OSの商標。 * Solaris - [[フェッラーニア]]の写真フィルム関連商品に付けられたブランド名。[[フェッラーニア#フィルム]]を参照。 * ソラリス - [[現代自動車]]のサブコンパクトカー「[[ヒュンダイ・アクセント|アクセント]]」4代目のロシアでの名称。 == 題名 == * [[ソラリスの陽のもとに]]、またはソラリス(原題:''Solaris'') - [[スタニスワフ・レム]]のSF小説。前者は1964年の日本語訳、後者は2004年の日本語訳の訳題。以下は同小説を原作とする。 ** [[惑星ソラリス]] - 1972年のソ連映画。[[アンドレイ・タルコフスキー]]監督作品。 ** [[ソラリス (映画)]] - 2002年のアメリカ映画。[[スティーヴン・ソダーバーグ]]監督作品。 ** [[ソラリス (オペラ)]] - [[藤倉大]]作曲のオペラ。 == 団体・施設名 == * [[ソラリス (バス)]] - ポーランドのバスメーカー。 * [[ソラリス (バンド)]] - ハンガリーのプログレッシブ・ロック・バンド。 * [[solaris (日本のバンド)]] - 日本のインディーズ・ロック・バンド。 * ソラリス - [[フォーラムシネマネットワーク]]が運営する山形県山形市の映画館。 {{Aimai}} {{DEFAULTSORT:そらりす}} [[Category:同名の作品]]
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Solaris
Solaris(ソラリス)はサン・マイクロシステムズ(サン)によって開発され、UNIXとして認証を受けたオペレーティングシステム (OS) である。2010年1月27日のオラクルによるサン買収に伴い、現在の開発は同社が担っている。 プロプライエタリソフトウェアであるが、かつてコア部分(ONという:OS+NETの略)はOpenSolarisとしてオープンソース化されたことがある。しかし2010年8月以降、ONのソースコードの公開はされていない。 なお、公開されていたONのソースコードは、有志の手によってillumosプロジェクトとしてオープンソース化されたまま更新が続けられている。 1990年代初頭、サンはBSDベースだったSunOS 4をUNIX System V Release 4 (SVR4) ベースのものに置き換えた(SVR4はAT&Tとサンが共同で開発した)。元々の名称はSunOS 5.0であったが、Solaris 2という市場用の製品名もついていた。遡ってSunOS 4.1.xもSolaris 1と呼ばれるようになったが、ほとんどの場合Solarisという名前はSVR4ベースのSunOS 5.0以降のものにしか使われない。 SolarisはSunOSオペレーティングシステムにグラフィカル環境(デスクトップ環境を参照)やONC+などのコンポーネントを加えたものとされている。Solarisのリリース名にはSunOSのマイナーバージョン名が含まれていて、例えばSolaris 2.4のコアにはSunOS 5.4が含まれている。Solaris 2.6以降は "2." の部分がなくなっており、Solaris 7はSunOS 5.7を、最新のSolaris 11はSunOS 5.11をそれぞれコアとしている。 商業的な歴史についてはUNIX戦争を参照。 SolarisはSPARCアーキテクチャとx86アーキテクチャ(AMD64/EM64Tを含む)をサポートし、 両アーキテクチャで共通のコードベースを使用している。バージョン2.5.1ではPowerPCアーキテクチャ(PRePプラットフォーム)にも移植されたが、それ以降はリリースされていない。Itaniumのサポートは一度は計画されたが、市場導入には至っていない。x86システムでLinuxの実行ファイルをネイティブに実行できるようにするため、Solaris 10にLinux ABIを実装することが計画されている。 Solarisは多数のCPUを搭載したSMPマシンに適していると評されることが多い。またSolaris 7以降は一貫して64ビット SPARCアプリケーションをサポートしている。SolarisはサンのSPARCハードウェアと密接に統合されており、両者は互いに組み合わせで設計・販売されてきた。これにより信頼性の高いシステムを構築することができたが、PCハードウェアによるシステム(x86システム)に比較すると非常に高コストであった。とはいえ、x86システムもSolaris 2.1以降は一貫してサポートされてきており、また、Solaris 10からはAMD64を中心に設計されているため、AMD64アーキテクチャベースの64ビット CPUマシンを利用することもできる。 2009年の時点では、サンはハイエンドではSPARCサーバを中心としながら、ローエンドでは2〜16コアのAMD64ベースのワークステーションやサーバの販売にも重点をおいていた。 2012年の時点では、オラクルはハイエンドではSPARCサーバを中心としながら、Intel Xeonのサーバも販売されている。 最初のSolarisのデスクトップ環境はOpenWindowsだったが、 Solaris2.5でCDEが採用され、 Solaris 10ではGNOMEベースのJava Desktop Systemとなっている。 Solaris 11では、OpenSolarisと同様、通常のGNOMEデスクトップが採用された。 また、有料版だけでなく無料版にも、ATOKやリコーフォント等の商用ソフトウェアが入っている。 Solaris 11においては、Oracle Technology Network Developer Licenseを参照。 ソースコードは非公開。ただし、OpenSolarisプロジェクトから派生したillumosプロジェクトでは、Common Development and Distribution License (CDDL) の下オープンソースとして公開されている。CDDLはOSIが承認したライセンスで、公開されているソースコードは、使用料が無料であり、無保証で非独占的な利用が可能である。頒布にあたって、ソフトウェアを実行可能なコード形式で提供する場合は、CDDLに従ってソースコードの提供が義務づけられており、CDDLのコピーを添付しなくてはならない。ただし、Free Software FoundationのGPLと似ている部分があるが、互換ではないと考えられている。 OpenSolarisは2005年6月14日にSolarisの開発コードから誕生し、バイナリ版とソースコード版を無料でダウンロードできるようになった。すでにXenサポート等の新しい機能がOpenSolarisプロジェクトに追加されており、サンは将来のSolarisはOpenSolarisから派生したものをリリースすると表明しており、実際にそうなった。 OS本体を無料化する一方でパッチのダウンロードは一部が有料化されていた。 オラクルによるサン買収後の2010年4月に、90日の試用後は商用利用では有償のサポート契約が必須、個人利用、開発用途では無料となった。 2010年8月以降、ソースコードをオープンにしながらの開発をやめ、snv_147というバージョン以降のソースコードの公開は停止している。同時期にCDDLで公開されているSolarisのソースコードの一部をベースにある程度の互換性をもつコミュニティベースでオープンソースのillumos Projectが派生している。このライセンスはCDDLを中心にBSDLで配布されているモジュールも含む。 Solarisのバージョンは以下の通りである: Solaris 9までのバージョンはすでに販売されておらずサポートも終了している(Solaris 7は2008年8月まで、Solaris 8は2012年3月まで、Solaris 9は2014年10月までサポートされていた)。Solaris 10は2021年1月まで、Solaris 11は2034年11月までサポート予定。 各バージョンの詳細は(英文)を参照。 リリース履歴はSolaris 2 FAQ(英文)にも記載がある。 サポート終了日は(英文)を参照。 現行のSolarisの特徴的な機能として、 DTrace・Doors・Service Management Facility・Solaris Containers ・Solaris Multiplexed I/O・Solaris Volume Manager・ZFSが挙げられる。 この他、開発・早期評価版であるSolaris Expressでのリリースを区切りとして追加または変更されている機能が多数ある。各リリースの詳細な概要説明は Solaris 10の概要 を参照されたい。 2017年9月にオラクルが Solaris 開発の大半の社員を解雇したことが報道された。Solaris 11が最後のバージョンとなり12はリリースされない予定。 Solarisのコードベースは1980年代後半に開発が開始されて以来、 絶え間ない改良が加えられてきた。 Solaris 10といった各々のバージョンは そのリリースの前後にメインの開発コードから切り放され、 リリース以降は派生プロジェクトとしてメンテナンスされる。 派生したプロジェクトに対する更新は 次の公式なメジャーリリースがあるまで年に数回行なわれる。 2006年では、開発版のSolarisはOpenSolarisから派生しており Nevadaと名付けられている。 2003年に新しいSolarisの開発プロセスが導入され、 Solaris Expressという名前で 開発版の月ごとのスナップショットをダウンロードできるようになった。 これによりだれでも新しい機能を試したり、 OSの品質・安定性をテストできるようになり、 次期の公式Solarisリリースを促進させることとなった。 Solaris ExpressはOpenSolarisプロジェクトよりも前に開始されたため、 もともとはバイナリのみを提供するプログラムであったが、 現在ではOpenSolaris開発者向けのSolaris Express: Community Releaseと呼ばれるバージョンが存在した(現在は配布をしていない)。 Solaris 11の機能先出し版として、2010年11月に、Solaris 11 Expressがリリースされている。 illumosプロジェクトではオラクルがソースコード公開をしたら追従するSpork(先割れスプーン)と宣言しているが、illumos側は他のオープンソースOSの様々な部分を取り入れており、事実上ONの最終公開バージョンであるバージョンsnv_147からのForkとなっている。 また一方で、最新版のSolaris 11にも時流に合わせて様々な機能(仮想化機能、ファイルシステム強化、パッケージシステム強化等)が追加されており、最新の技術潮流に合わせて強化が進められている。 そのため、同じ根をもつOracle Solarisとillumosは、徐々に差を開きつつあるといえる。
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の部分がなくなっており、Solaris 7はSunOS 5.7を、最新のSolaris 11はSunOS 5.11をそれぞれコアとしている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "商業的な歴史についてはUNIX戦争を参照。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "SolarisはSPARCアーキテクチャとx86アーキテクチャ(AMD64/EM64Tを含む)をサポートし、 両アーキテクチャで共通のコードベースを使用している。バージョン2.5.1ではPowerPCアーキテクチャ(PRePプラットフォーム)にも移植されたが、それ以降はリリースされていない。Itaniumのサポートは一度は計画されたが、市場導入には至っていない。x86システムでLinuxの実行ファイルをネイティブに実行できるようにするため、Solaris 10にLinux ABIを実装することが計画されている。", "title": "サポートされているアーキテクチャ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "Solarisは多数のCPUを搭載したSMPマシンに適していると評されることが多い。またSolaris 7以降は一貫して64ビット SPARCアプリケーションをサポートしている。SolarisはサンのSPARCハードウェアと密接に統合されており、両者は互いに組み合わせで設計・販売されてきた。これにより信頼性の高いシステムを構築することができたが、PCハードウェアによるシステム(x86システム)に比較すると非常に高コストであった。とはいえ、x86システムもSolaris 2.1以降は一貫してサポートされてきており、また、Solaris 10からはAMD64を中心に設計されているため、AMD64アーキテクチャベースの64ビット CPUマシンを利用することもできる。", "title": "サポートされているアーキテクチャ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": 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Solaris(ソラリス)はサン・マイクロシステムズ(サン)によって開発され、UNIXとして認証を受けたオペレーティングシステム (OS) である。2010年1月27日のオラクルによるサン買収に伴い、現在の開発は同社が担っている。 プロプライエタリソフトウェアであるが、かつてコア部分はOpenSolarisとしてオープンソース化されたことがある。しかし2010年8月以降、ONのソースコードの公開はされていない。 なお、公開されていたONのソースコードは、有志の手によってillumosプロジェクトとしてオープンソース化されたまま更新が続けられている。
{{otheruses|オペレーティングシステム|その他|ソラリス}} {{Infobox OS | logo = Oracle Solaris logo.svg | name = Solaris | screenshot = | caption = | developer = [[オラクル (企業)|オラクル]] | family = [[UNIX]], [[UNIX System V|System V]] | source_model = [[オープンソース]](ただし公開されていない部分もある。[[#ライセンス]]参照) | released = 1992年 | working_state = 開発中 | latest_release_version = 11.4<ref>{{cite web | title = Oracle Solaris 11.4 Released for General Availability | url = https://blogs.oracle.com/solaris/oracle-solaris-114-released-for-general-availability | date = August 28, 2018 | accessdate = August 28, 2018}}</ref> | latest_release_date = {{Release date and age|2018|08|28}} | kernel_type = [[モノリシックカーネル]] | ui = [[Java Desktop System]]または[[GNOME]] | license = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | supported_platforms = [[SPARC]]、[[x86]] ([[x64|AMD64]]、[[x64|EM64T]]を含む)[http://sun.com/bigadmin/hcl] | website = https://www.oracle.com/jp/solaris/ }} '''Solaris'''('''ソラリス''')は[[サン・マイクロシステムズ]](サン)によって開発され、[[UNIX]]として[[Single UNIX Specification|認証を受けた]][[オペレーティングシステム]] (OS) である。2010年1月27日の[[オラクル (企業)|オラクル]]によるサン買収に伴い、現在の開発は同社が担っている。 [[プロプライエタリソフトウェア]]であるが、かつてコア部分(ONという:OS+NETの略)は[[OpenSolaris]]として[[オープンソース]]化されたことがある。しかし2010年8月以降、ONの[[ソースコード]]の公開はされていない。 なお、公開されていたONのソースコードは、有志の手によって[[illumos]]プロジェクトとしてオープンソース化されたまま更新が続けられている。 == 概要 == 1990年代初頭、サンは[[Berkeley Software Distribution|BSD]]ベースだった'''[[SunOS]] 4'''を[[UNIX]] [[UNIX System V#SVR4|System V Release 4]] (SVR4) ベースのものに置き換えた(SVR4は[[AT&T]]とサンが共同で開発した)。元々の名称は'''SunOS 5.0'''であったが、'''Solaris 2'''という市場用の製品名もついていた。遡ってSunOS 4.1.''x''も'''Solaris 1'''と呼ばれるようになったが、ほとんどの場合Solarisという名前はSVR4ベースのSunOS 5.0以降のものにしか使われない。 SolarisはSunOSオペレーティングシステムにグラフィカル環境([[#デスクトップ環境|デスクトップ環境]]を参照)や[[Open Network Computing Remote Procedure Call|ONC+]]などのコンポーネントを加えたものとされている。Solarisのリリース名にはSunOSのマイナーバージョン名が含まれていて、例えば'''Solaris 2.4'''のコアにはSunOS 5.4が含まれている。Solaris 2.6以降は "2." の部分がなくなっており、Solaris 7はSunOS 5.7を、最新の'''Solaris 11'''はSunOS 5.11をそれぞれコアとしている。 商業的な歴史については[[UNIX戦争]]を参照。 == サポートされているアーキテクチャ == Solarisは[[SPARC]]アーキテクチャと[[x86]]アーキテクチャ([[x64|AMD64/EM64T]]を含む)をサポートし、 両アーキテクチャで共通のコードベースを使用している。バージョン2.5.1では[[PowerPC]]アーキテクチャ([[PReP]]プラットフォーム)にも移植されたが、それ以降はリリースされていない。[[Itanium]]のサポートは一度は計画されたが、市場導入には至っていない。x86システムで[[Linux]]の実行ファイルをネイティブに実行できるようにするため、Solaris 10にLinux [[アプリケーションバイナリインタフェース|ABI]]を実装することが計画されている。 Solarisは多数の[[CPU]]を搭載した[[対称型マルチプロセッシング|SMP]]マシンに適していると評されることが多い。またSolaris 7以降は一貫して[[64ビット]] SPARCアプリケーションをサポートしている。SolarisはサンのSPARCハードウェアと密接に統合されており、両者は互いに組み合わせで設計・販売されてきた。これにより信頼性の高いシステムを構築することができたが、PCハードウェアによるシステム(x86システム)に比較すると非常に高コストであった。とはいえ、x86システムもSolaris 2.1以降は一貫してサポートされてきており、また、Solaris 10からは[[x64|AMD64]]を中心に設計されているため、AMD64アーキテクチャベースの64ビット CPUマシンを利用することもできる。 2009年の時点では、サンはハイエンドではSPARCサーバを中心としながら、ローエンドでは2〜16コアのAMD64ベースの[[ワークステーション]]や[[サーバ]]の販売にも重点をおいていた。 2012年の時点では、オラクルはハイエンドではSPARCサーバを中心としながら、Intel Xeonの[[サーバ]]も販売されている。 == デスクトップ環境 == 最初のSolarisの[[デスクトップ環境]]はOpenWindowsだったが、 Solaris2.5で[[Common Desktop Environment|CDE]]が採用され、 Solaris 10では[[GNOME]]ベースの[[Java Desktop System]]となっている。 Solaris 11では、OpenSolarisと同様、通常のGNOMEデスクトップが採用された。 また、有料版だけでなく無料版にも、ATOKやリコーフォント等の商用ソフトウェアが入っている。 == ライセンス == Solaris 11においては、[http://www.oracle.com/technetwork/licenses/solaris-cluster-express-license-167852.html Oracle Technology Network Developer License]を参照。 ソースコードは非公開。ただし、[[OpenSolaris]]プロジェクトから派生した[[illumos]]プロジェクトでは、[[Common Development and Distribution License]] (CDDL) の下オープンソースとして公開されている。CDDLは[[Open Source Initiative|OSI]]が承認したライセンスで、公開されているソースコードは、使用料が無料であり、無保証で非独占的な利用が可能である。頒布にあたって、ソフトウェアを実行可能なコード形式で提供する場合は、CDDLに従ってソースコードの提供が義務づけられており、CDDLのコピーを添付しなくてはならない。ただし、[[フリーソフトウェア財団|Free Software Foundation]]の[[GNU General Public License|GPL]]と似ている部分があるが、互換ではないと考えられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gnu.org/licenses/license-list.ja.html#CDDL |title=さまざまなライセンスとそれらについての解説 |publisher=[[フリーソフトウェア財団|FSF]] |accessdate=2019-10-03}}</ref>。 OpenSolarisは2005年6月14日にSolarisの開発コードから誕生し、バイナリ版とソースコード版を無料でダウンロードできるようになった。すでに[[Xen (仮想化ソフトウェア)|Xen]]サポート等の新しい機能がOpenSolarisプロジェクトに追加されており、サンは将来のSolarisはOpenSolarisから派生したものをリリースすると表明しており、実際にそうなった。 OS本体を無料化する一方で[[パッチ]]のダウンロードは一部が有料化されていた。 オラクルによるサン買収後の2010年4月に、90日の試用後<ref>現在のトライアルライセンスは、試用期間が30日間に限定されている。(2016年08月01日 時点)</ref>は商用利用では有償のサポート契約が必須、個人利用、開発用途では無料<ref>{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/news/2010/04/01/020/index.html |title=Solaris、ライセンス変更とSystem Z移植の中止 |date=2010-04-01 |author=後藤大地 |newspaper=マイナビニュース |accessdate=2018-04-07}}</ref>となった。 2010年8月以降、ソースコードをオープンにしながらの開発をやめ、snv_147というバージョン以降のソースコードの公開は停止している。同時期にCDDLで公開されているSolarisのソースコードの一部をベースにある程度の互換性をもつコミュニティベースでオープンソースのillumos Projectが派生している。このライセンスはCDDLを中心にBSDLで配布されているモジュールも含む。 == バージョン == Solarisのバージョンは以下の通りである: {| class="wikitable" !Solarisのバージョン !SunOSのバージョン !リリース日 !主な特徴 |- | 2.0 || 5.0 || [[1992年]]6月 || 準備的なリリース。sun4cアーキテクチャしかサポートしなかった。 |- | 2.1 || 5.1 || 1992年12月(SPARC), [[1993年]]5月(x86) || sun4/sun4mアーキテクチャのサポート追加。最初のx86版のリリース。 |- | 2.2 || 5.2 || 1993年5月 || sun4dアーキテクチャのサポート追加。 |- | 2.3 || 5.3 || 1993年11月 || OpenWindows 3.3が[[NeWS]]から[[Display PostScript]]へ変更。SunViewサポートの削除(SPARCのみ)。 |- | 2.4 || 5.4 || [[1994年]]11月 || SPARC/x86の最初の統合リリース。OSF/Motifランタイムをサポート。 |- | 2.5 || 5.5 || [[1995年]]11月 || 最初のUltraSPARCのサポート。CDE, [[Network File System|NFSv3]], NFS/TCPのサポート。sun4([[VMEバス|VME]])のサポート削除。 |- | 2.5.1 || 5.5.1 || [[1996年]]5月 || PowerPCプラットフォームをサポートする唯一のリリース。Ultra Enterpriseサポート追加。ユーザID・グループID(uid_t, gid_t)の32ビット化。 |- | 2.6 || 5.6 || [[1997年]]7月 || Kerberos 5, PAM, TrueType fonts, WebNFS, 大規模ファイルサポート。 |- | 7 || 5.7 || [[1998年]]11月 || 64-bit UltraSPARCのサポート。メタデータのロギング機能(UFS logging)追加。[[Micro Channel Architecture|MCA]]サポートの終了(Intelプラットフォーム)。 |- | 8 || 5.8 || [[2000年]]2月 || マルチパスI/O、IPv6、IPsec。[[ロールベースアクセス制御]](RBAC)を追加。sun4cアーキテクチャのサポート終了。最終リリースはSolaris 8 2/04。 |- | 9 || 5.9 || [[2002年]]5月28日(SPARC), [[2003年]]2月6日(x86) || iPlanet Directory Server, Resource Manager, [[Solaris Volume Manager]], [[拡張ファイル属性]], Linux互換性サポートを追加。OpenWindowsの削除。sun4dアーキテクチャのサポート終了。最終リリースはSolaris 9 9/05。 |- | 10 || 5.10 || [[2005年]]1月31日 || x64(AMD64/EM64T)サポート, DTrace (Dynamic Tracing), Solaris Containers, Service Management Facility (SMF), [[Network File System|NFSv4]], 最小特権セキュリティモデルの追加。sun4mアーキテクチャとクロックが200MHz以下のUltraSPARC Iプロセッサのサポート終了。EISAデバイス/EISAベースPCのサポート終了。Java Desktop System([[GNOME]]ベース)をデフォルトのデスクトップとして採用。Solaris 10 1/06では、ブートローダとして[[GNU GRUB|GRUB]]を採用(x86)、[[iSCSI]]サポート追加。Solaris 10 6/06では[[Zettabyte File System]](ZFS)追加。 |- | 11 || 5.11 || [[2011年]]11月9日 || IPS(新パッケージマネージャ)、COMSTAR(iSCSIターゲット)、Crossbow(ネットワーク仮想化)、ZFSの強化(重複排除機能、暗号化など)、Solaris Containersの強化(リソースの仮想化機能や、制限機能の強化)、その他 (snv175) |} Solaris 9までのバージョンはすでに販売されておらずサポートも終了している(Solaris 7は2008年8月まで、Solaris 8は2012年3月まで、Solaris 9は2014年10月までサポートされていた)。Solaris 10は2021年1月まで、Solaris 11は2034年11月までサポート予定。 各バージョンの詳細は<ref>{{cite web | url = http://www.ocf.berkeley.edu/solaris/versions | title = SunOS & Solaris Version History | publisher = UC Berkeley Open Computing Facility | archiveurl = https://web.archive.org/web/20100309003011/https://www.ocf.berkeley.edu/solaris/versions | archivedate = 2010-03-09 | accessdate = 2021-05-08 }}</ref>(英文)を参照。 リリース履歴はSolaris 2 FAQ<ref>{{cite web | url = http://www.science.uva.nl/pub/solaris/solaris2/Q1.5.html | archivedate=2014-7-29 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20140729071036/http://www.science.uva.nl/pub/solaris/solaris2/Q1.5.html | title = What machines does Solaris 2.x run on? | accessdate = 2006-09-10 | author = Casper Dik | date = April 26, 2005 | work = Solaris 2 FAQ }}</ref>(英文)にも記載がある。 サポート終了日は<ref>{{cite web | url = http://www.sun.com/service/eosl/solaris/solaris_vintage_eol_5.2005.xml | title = EOSL - Solaris Operating System Retirement End Of Life Matrix | accessdate = 2007-06-26 | publisher = Sun Microsystems, Inc }}</ref>(英文)を参照。 現行のSolarisの特徴的な機能として、 DTrace・Doors・Service Management Facility・Solaris Containers ・Solaris Multiplexed I/O・[[Solaris Volume Manager]]・[[Zettabyte File System|ZFS]]が挙げられる。 === Solaris 10のアップデート履歴 === {| class="wikitable" !アップデート名 !リリース日 !主な変更・追加点 |- | Solaris 10 '''3/05''' || [[2005年]]3月 || 予測的自己修復機能の追加、[Java Desktop System Release 3|Java Desktop System、Unicode Version 4.0 サポートの追加、x86 システムにおける64 ビットのサポート及びSunVTS のサポートの追加 |- | Solaris 10 '''1/06''' || [[2006年]]1月 || x86システムにおいてGRUBベースのブートへの変更、Sun Update Connectionの追加 |- | Solaris 10 '''6/06''' || 2006年6月 || [[Zettabyte File System|ZFS]]の統合、PostgreSQL・RealPlayer等の標準添付、PDAサポートの追加。 |- | Solaris 10 '''11/06''' || 2006年11月 || |- | Solaris 10 '''8/07''' || [[2007年]]8月 || |- | Solaris 10 '''5/08''' || [[2008年]]5月 || |- | Solaris 10 '''10/08''' || 2008年10月 || |- | Solaris 10 '''05/09''' || [[2009年]]5月 || |- | Solaris 10 '''10/09''' || 2009年10月 || |- | Solaris 10 '''9/10''' || [[2010年]]9月 || |- | Solaris 10 '''8/11''' || [[2011年]]9月 || Oracle Solaris 10 8/11 としてリリース。 |- | Solaris 10 '''1/13''' || [[2013年]]2月 || |} この他、開発・早期評価版であるSolaris Expressでのリリースを区切りとして追加または変更されている機能が多数ある。各リリースの詳細な概要説明は [http://docs.oracle.com/cd/E19253-01/819-0359/ Solaris 10の概要] を参照されたい。 === Solaris 11のアップデート履歴 === {| class="wikitable" !アップデート名 !リリース日 !主な変更・追加点 |- | Solaris 11.1 || [[2012年]]10月 || |- | Solaris 11.2 || [[2014年]]4月 || |- | Solaris 11.3 || [[2015年]]10月 || |- |Solaris 11.4 |2018年8月 | |} 2017年9月にオラクルが Solaris 開発の大半の社員を解雇したことが報道された<ref>[https://www.theregister.co.uk/2017/09/04/oracle_layoffs_solaris_sparc_teams/ Oracle staff report big layoffs across Solaris, SPARC teams • The Register]</ref>。Solaris 11が最後のバージョンとなり12はリリースされない予定。<ref>{{Cite web|和書|title=オラクル、今後のSolarisはメジャーバージョンアップせず。継続的デリバリで頻繁にリリースする新方針を表明。Solaris 11のサポート期間は2034年まで延長 |url=https://www.publickey1.jp/blog/17/solarissolaris_112034.html |website=www.publickey1.jp |access-date=2022-07-26 |language=ja}}</ref> == 開発リリース == Solarisのコードベースは1980年代後半に開発が開始されて以来、 絶え間ない改良が加えられてきた。 Solaris 10といった各々のバージョンは そのリリースの前後にメインの開発コードから切り放され、 リリース以降は派生プロジェクトとしてメンテナンスされる。 派生したプロジェクトに対する更新は 次の公式なメジャーリリースがあるまで年に数回行なわれる。 2006年では、開発版のSolarisはOpenSolarisから派生しており '''Nevada'''と名付けられている。 2003年に新しいSolarisの開発プロセスが導入され、 [http://sun.com/solaris-express '''Solaris Express''']という名前で 開発版の月ごとのスナップショットをダウンロードできるようになった。 これによりだれでも新しい機能を試したり、 OSの品質・安定性をテストできるようになり、 次期の公式Solarisリリースを促進させることとなった。 Solaris ExpressはOpenSolarisプロジェクトよりも前に開始されたため、 もともとはバイナリのみを提供するプログラムであったが、 現在ではOpenSolaris開発者向けの[http://www.opensolaris.org/os/downloads/on/ '''Solaris Express: Community Release''']と呼ばれるバージョンが存在した(現在は配布をしていない)。 Solaris 11の機能先出し版として、2010年11月に、Solaris 11 Expressがリリースされている。 == illumos プロジェクト == [[illumos]]プロジェクトではオラクルがソースコード公開をしたら追従するSpork(先割れスプーン)と宣言しているが、illumos側は他の[[オープンソース]]OSの様々な部分を取り入れており、事実上ONの最終公開バージョンであるバージョンsnv_147からのForkとなっている。 また一方で、最新版のSolaris 11にも時流に合わせて様々な機能(仮想化機能、ファイルシステム強化、パッケージシステム強化等)が追加されており、最新の技術潮流に合わせて強化が進められている。 そのため、同じ根をもつOracle Solarisとillumosは、徐々に差を開きつつあるといえる。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[SunOS]] * [[SVR4]] * [[illumos]] * [[スケジューリング#Solaris|スケジューリング]] == 外部リンク == * [https://www.oracle.com/jp/solaris/solaris11/ Solaris 11 公式サイト] {{Sun Microsystems}} {{Unix-like}} [[Category:System V]] [[Category:サン・マイクロシステムズ]] [[Category:1992年のソフトウェア]]
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Object Pascal
Object Pascal(オブジェクト パスカル)は、コンピュータのプログラミング言語のひとつ。広義にはPascal言語にオブジェクト指向の概念を導入したものを指し、狭義には統合開発環境 (IDE) であるDelphiや、コンパイラであるFree Pascalで使用される言語仕様を指す。 Object Pascalは1980年代に登場したPascalのオブジェクト指向拡張に端を発する。Pascalは当時アップルコンピュータ(現Apple)の主要な開発言語として利用されており、Apple Pascal(英語版)と呼ばれる処理系の実装が存在した。Apple LisaにおいてもLisa Pascalと呼ばれる開発環境が使われていた。1983年、アップルコンピュータのラリー・テスラー率いるチームはPascal言語の発明者であるニクラウス・ヴィルトを招き、Lisa Pascalにオブジェクト指向のための拡張を導入し、これをClascal(英語版)と名付けた。このClascalがMacintosh上のObject Pascalにつながっていくことになる。 Object Pascalは、現在ではクラスライブラリと呼ばれる拡張可能なMacintoshアプリケーションフレームワークであるMacApp(英語版)をサポートするために必要だった。Object Pascalをサポートするソフトウェア開発環境であるMacintosh Programmer's Workshop(英語版) (MPW) の開発は1985年に始まり、1986年に製品となった。しばらくの間、Object PascalはアップルやMacintoshの主要な開発言語の1つになった。MPW Pascalのサポートは1995年11月まで続いた。後にMPW Pascal (Apple Object Pascal) は遡ってMac Pascalと命名された。また、Object Pascal拡張はSymantec社のTHINK PascalやMetrowerks(英語版)社のCodeWarrior Pascalにも実装された。 1990年にリリースされたボーランド社のTurbo Pascal 5.5でも類似のObject Pascal拡張が実装されており、Object Pascalを最大限に利用したTurbo Vision等のCUIライブラリが製品に付属するようになった。これらのObject Pascalクラスライブラリの技術は後のDelphiとDelphiに付属するVisual Component Library (VCL) へと引き継がれていった。 1995年にリリースされたボーランド社のWindows用Rapid Application Development (RAD) ツールであるDelphiは、当初難解だったWindows GUIアプリケーション開発の難易度を下げるだけでなく効率も高めることで成功を収め、また無償の個人向けエディションも配布されていたことから、多くの一般ホビープログラマにObject Pascalが認知されることとなった。Microsoft Visual Basicと異なり、Delphiでは当初から高速な機械語コードを実行可能なネイティブバイナリを出力する方式であったこと、またC++と比べてコンパイルが高速であったことも人気に影響した。 DelphiのバージョンXE2以降には従来のクラスライブラリ (VCL) に加え、マルチプラットフォーム用クラスライブラリであるFireMonkey(英語版) (FMX) と各プラットフォーム向けのクロスコンパイラが付属する。 なお、開発環境としてのDelphiで使用されるプログラミング言語は、Delphi 6まではObject Pascalと呼ばれていたが、Delphi 7よりDelphi言語 (Delphi Language) と改称された。その後、ボーランドの開発ツール部門CodeGearは2008年にエンバカデロ・テクノロジーズに合併され、DelphiおよびDelphi言語はエンバカデロに移管された。Appmethodが登場してからは再びObject Pascalと呼ばれるようになっているが、ドキュメント類にはDelphi言語という表記も依然として残っている。 同じくWindows用RADツールとしてVisual Basicをリリースしていたマイクロソフト社は、DelphiのプログラミングスタイルおよびVCLの完成度の高さに着目し、Object Pascalのように言語に依存しないものとして、.NET Frameworkと呼ばれるアプリケーション開発・実行環境を開発した。.NETの主要言語であるC#の言語仕様、.NETの基本クラスライブラリの設計思想、およびRADとしてのVisual C#は、それぞれObject Pascal、VCL、およびRADとしてのDelphiに強く影響を受けている。なお、C#の開発者アンダース・ヘルスバーグは、もともとボーランドに在籍しており、Delphiの開発者でもあった。 ボーランド社の.NET用 Object Pascal コンパイラは、Delphi 8から始まりRAD Studio 2007まで存在していた。これらはDelphi for .NETと呼ばれた。代替製品としてRAD StudioにはRemObjects社のOxygeneがDelphi Prismという名称でRAD Studio 2009からXE3まで付属した。Oxygeneの開発は現在も継続されており、言語名もOxygene言語となっている。 一方、オープンソースのObject Pascal実装としてはFree PascalやGNU Pascalがある。Free Pascalは当初Turbo Pascalの言語仕様をベースにして作られた。現在ではApple互換モードやDelphi互換モードも実装され、さらにはクロスプラットフォームのための独自の仕様追加や、C言語のようなマクロ等の拡張も行われている。Delphiのような統合開発環境をマルチプラットフォームで実現するためのLazarusやクラスライブラリLazarus Component Library(英語版) (LCL) の開発もオープンソースの元で進められている。GNU Pascalは標準Pascal (ISO/IEC 7185) や拡張Pascal (ISO/IEC 10206) をメインに実装されているが、Delphiの機能も部分的に実装している。また、GNU PascalにもDev-Pascalと呼ばれる統合開発環境が存在する。 Object Pascalは(C++系統の)オブジェクト指向言語の三大要素である、カプセル化、継承、および多態性(ポリモーフィズム)をサポートしている。Object Pascalにおける、従来のPascalからの主な拡張点は次のような点が挙げられる。 クラスの定義構文は、従来のPascalにおけるrecord(C言語の構造体に相当)の定義構文を拡張したものである。クラス型の要素として変数以外にも手続きや関数を書けるようになっている。クラスに属する変数はフィールド(C++のメンバ変数に相当)、また手続きおよび関数はメソッド(C++のメンバ関数に相当)と呼ばれ、通常の変数、手続きおよび関数と区別される。 また、クラスの属性であるフィールドにアクセスする際に、冗長なメソッドを用いるのではなく、より簡潔に記述するための仕組みとして、プロパティと呼ばれる構文が用意されている。プロパティを用いることで、オブジェクト指向のカプセル化を維持しつつ、あたかもフィールドに直接アクセスしているかのような直感的な記述でクラスの属性を操作することが可能となる。 メソッドの実装は(クラス名).(メソッド名)という形で記述する。 例: クラス名は慣例的にTypeを意味する 'T' で始められることが多く、フィールド名は慣例的に 'F' で始められることが多い。 type TX = class の構文は、Systemユニットで定義されている基底クラスTObjectから暗黙的に派生することを意味する。type TB = class(TA) の構文において、クラスTAはTObjectそのものであるか、あるいはTObjectから派生している必要がある。一方、type TB = object(TA) の構文を使用することで、TObjectから派生せず、組み込みのコンストラクタやデストラクタなどのメソッドをサポートしないオブジェクト型の宣言を行なうことができるが、DelphiやAppmethodにおいては下位互換性を保つ目的でのみ残されており、オブジェクト型の使用は推奨されていない。 クラスの定義にユニット (unit) を用いる場合、クラスの宣言は interface 部に、メソッドの実装は implementation 部に記述する。 例: Object PascalはC++と異なり、実装の多重継承をサポートしない。その代わりに、インターフェイスを実装することによる型の多重継承をサポートする。インターフェイス名は慣例的にInterfaceを意味する 'I' で始められることが多い。 Object Pascalにおける継承の機能やメカニズムはJavaとよく似ており、のちにC#にも受け継がれることになった。 C++などのオブジェクト指向言語と比較して、Object Pascalが優れている点として、クラス参照型のサポートが挙げられる。クラス参照型の変数には、実体ではないクラス自体を変数に代入することができる。これは、設計図をもとに作られた製品ではなく、設計図自体を格納する変数を定義できると考えれば分かりやすい。クラス参照型はメタクラスとも呼ばれ、実行時型情報 (RTTI) によって実現される。クラス参照型は、その実際の型がコンパイル時にわからないクラスまたはオブジェクトでクラスメソッドまたは仮想コンストラクタを呼び出したい場合(例えば逆シリアライズなど)に便利である。 Object Pascalは、エラーハンドリング機構として例外をサポートしている。例外オブジェクトは、エラーやその他のイベントによりプログラムの通常の実行が中断された場合に生成される。例外を用いることで、整数値エラーコードを用いるよりも多くの情報を呼び出し側に伝播させることができる。 例外処理の構文には try...except および try...finally がある。 Object Pascalはそのコンパクトで明快な言語仕様ゆえに、オブジェクト指向言語の学習に適していると言われる(C++の演算子オーバーロード、テンプレートや多重継承のような便利だが比較的難解で複雑な機能を持たない)。反面、近年多くのプログラミング言語が導入しているジェネリクスやラムダ式をサポートしていなかったため、ジェネリックプログラミングや関数型プログラミングには不向きだった。 DelphiではDelphi 2006で演算子のオーバーロードが、Delphi 2009でジェネリクスおよび無名メソッド(匿名メソッド)が、Delphi 10.3 Rioで型推論可能なインライン変数宣言が実装されたため、柔軟な記述が可能になっている。また、Delphi 2005以降ではインライン関数がサポートされ、実行速度面での強化も図られている。Delphi 2010ではRTTIが強化され、リフレクションをサポートするようになった。 また、DelphiのVCLやFMXは単なるクラスライブラリにとどまらず、コンポーネントと呼ばれるソフトウェア部品の集合で構成され、このコンポーネントを組み合わせて視覚的にアプリケーションを開発する方式となっている。Delphiではユーザープログラマがコンポーネントを自由に作成して開発環境自体に組み込むことができるため、「コンポーネント指向言語」と呼ばれることもある。
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Object Pascalは、コンピュータのプログラミング言語のひとつ。広義にはPascal言語にオブジェクト指向の概念を導入したものを指し、狭義には統合開発環境 (IDE) であるDelphiや、コンパイラであるFree Pascalで使用される言語仕様を指す。
{{出典の明記|date=2019-05}} '''Object Pascal'''('''オブジェクト パスカル''')は、[[コンピュータ]]の[[プログラミング言語]]のひとつ。広義には[[Pascal]]言語に[[オブジェクト指向]]の概念を導入したものを指し、狭義には[[統合開発環境]] (IDE) である[[Delphi]]や、[[コンパイラ]]である[[Free Pascal]]で使用される言語仕様を指す。 == 沿革 == Object Pascalは1980年代に登場したPascalのオブジェクト指向拡張に端を発する。Pascalは当時[[アップルコンピュータ]](現[[Apple]])の主要な開発言語として利用されており、{{仮リンク|Apple Pascal|en|Apple Pascal}}と呼ばれる処理系の実装が存在した。[[Lisa (コンピュータ)|Apple Lisa]]においてもLisa Pascalと呼ばれる開発環境が使われていた。1983年、アップルコンピュータの[[ラリー・テスラー]]率いるチームはPascal言語の発明者である[[ニクラウス・ヴィルト]]を招き、Lisa Pascalにオブジェクト指向のための拡張を導入し、これを{{仮リンク|Clascal|en|Clascal}}と名付けた。このClascalが[[Macintosh]]上のObject Pascalにつながっていくことになる。 Object Pascalは、現在ではクラスライブラリと呼ばれる拡張可能なMacintoshアプリケーションフレームワークである{{仮リンク|MacApp|en|MacApp}}をサポートするために必要だった。Object Pascalをサポートするソフトウェア開発環境である{{仮リンク|Macintosh Programmer's Workshop|en|Macintosh Programmer's Workshop}} (MPW) の開発は1985年に始まり、1986年に製品となった。しばらくの間、Object PascalはアップルやMacintoshの主要な開発言語の1つになった。MPW Pascalのサポートは1995年11月まで続いた。後にMPW Pascal (Apple Object Pascal) は遡って'''Mac Pascal'''と命名された<ref>[https://wiki.freepascal.org/Mac_Pascal Mac Pascal - Free Pascal wiki]</ref>。また、Object Pascal拡張は[[Symantec]]社のTHINK Pascalや{{仮リンク|Metrowerks|en|Metrowerks}}社の[[CodeWarrior]] Pascalにも実装された。 1990年にリリースされた[[ボーランド]]社の[[Turbo Pascal]] 5.5でも類似のObject Pascal拡張が実装されており、Object Pascalを最大限に利用したTurbo Vision等の[[キャラクタユーザインタフェース|CUI]][[ライブラリ]]が製品に付属するようになった。これらのObject Pascalクラスライブラリの技術は後の[[Delphi]]とDelphiに付属する'''[[Visual Component Library]]''' (VCL) へと引き継がれていった。 1995年にリリースされたボーランド社のWindows用[[Rapid Application Development]] (RAD) ツールである[[Delphi]]は、当初難解だったWindows [[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]][[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]開発<ref>[[Windows API]]および[[C言語]]あるいは[[C++]]の知識を必要とし、またVisual Basic以外のRADは十分にサポートされていなかった。</ref>の難易度を下げるだけでなく効率も高めることで成功を収め、また無償の個人向けエディションも配布されていたことから、多くの一般ホビープログラマにObject Pascalが認知されることとなった。[[Microsoft Visual Basic]]と異なり、Delphiでは当初から高速な[[機械語]]コードを実行可能なネイティブバイナリを出力する方式であったこと、またC++と比べてコンパイルが高速であったことも人気に影響した。 [[Delphi]]のバージョンXE2以降には従来のクラスライブラリ (VCL) に加え、[[マルチプラットフォーム]]用クラスライブラリである'''{{仮リンク|FireMonkey|en|FireMonkey}}''' (FMX) と各プラットフォーム向けのクロスコンパイラが付属する。 なお、開発環境としてのDelphiで使用されるプログラミング言語は、Delphi 6まではObject Pascalと呼ばれていたが、Delphi 7より'''Delphi言語''' ('''Delphi Language''') と改称された。その後、ボーランドの開発ツール部門[[CodeGear]]は2008年に[[エンバカデロ・テクノロジーズ]]に合併され、DelphiおよびDelphi言語はエンバカデロに移管された。[[Appmethod]]が登場してからは再びObject Pascalと呼ばれるようになっているが、ドキュメント類にはDelphi言語という表記も依然として残っている。 同じくWindows用RADツールとして[[Visual Basic]]をリリースしていた[[マイクロソフト]]社は、[[Delphi]]のプログラミングスタイルおよびVCLの完成度の高さに着目し、Object Pascalのように言語に依存しないものとして、[[.NET Framework]]と呼ばれるアプリケーション開発・実行環境を開発した。[[.NET]]の主要言語である[[C Sharp|C#]]の言語仕様、.NETの[[基本クラスライブラリ]]の設計思想、およびRADとしての[[Microsoft Visual C Sharp|Visual C#]]は、それぞれObject Pascal、VCL、およびRADとしてのDelphiに強く影響を受けている。なお、C#の開発者[[アンダース・ヘルスバーグ]]は、もともとボーランドに在籍しており、Delphiの開発者でもあった<ref>[https://www.embarcadero.com/jp/products/delphi/features/delphi 主な機能 - Embarcadero Website]</ref>。 ボーランド社の.NET用 Object Pascal コンパイラは、Delphi 8から始まり[[RAD Studio]] 2007まで存在していた。これらは'''Delphi for .NET'''と呼ばれた。代替製品として[[RAD Studio]]には[[:en:RemObjects|RemObjects]]社の[[:en:Oxygene|Oxygene]]が'''Delphi Prism'''という名称で[[RAD Studio]] 2009からXE3まで付属した。[[:en:Oxygene|Oxygene]]の開発は現在も継続されており、言語名もOxygene言語となっている。 一方、[[オープンソース]]のObject Pascal実装としては[[Free Pascal]]や[[GNU Pascal]]がある。[[Free Pascal]]は当初[[Turbo Pascal]]の言語仕様をベースにして作られた。現在ではApple互換モードやDelphi互換モードも実装され、さらにはクロスプラットフォームのための独自の仕様追加や、[[C言語]]のようなマクロ等の拡張も行われている。[[Delphi]]のような[[統合開発環境]]を[[マルチプラットフォーム]]で実現するための[[Lazarus]]やクラスライブラリ'''{{仮リンク|Lazarus Component Library|en|Lazarus Component Library}}''' (LCL) の開発もオープンソースの元で進められている。[[GNU Pascal]]は標準Pascal ([[ISO/IEC 7185]]) や拡張Pascal (ISO/IEC 10206) をメインに実装されているが、[[Delphi]]の機能も部分的に実装している。また、[[GNU Pascal]]にも[[:en:Dev-Pascal|Dev-Pascal]]と呼ばれる[[統合開発環境]]が存在する。 == Pascalからの拡張 == Object Pascalは([[C++]]系統の)オブジェクト指向言語の三大要素である、[[カプセル化]]、[[継承 (プログラミング)|継承]]、および[[多態性]](ポリモーフィズム)をサポートしている。Object Pascalにおける、従来のPascalからの主な拡張点は次のような点が挙げられる。 === クラス === [[クラス (コンピュータ)|クラス]]の定義構文は、従来のPascalにおけるrecord([[C言語]]の[[構造体]]に相当)の定義構文を拡張したものである。クラス型の要素として変数以外にも手続きや関数を書けるようになっている。クラスに属する変数は[[フィールド (計算機科学)|フィールド]](C++のメンバ変数に相当)、また手続きおよび関数は[[メソッド (計算機科学)|メソッド]](C++のメンバ関数に相当)と呼ばれ、通常の変数、手続きおよび関数と区別される。 また、クラスの属性であるフィールドにアクセスする際に、冗長なメソッドを用いるのではなく、より簡潔に記述するための仕組みとして、[[プロパティ (プログラミング)|プロパティ]]と呼ばれる構文が用意されている。プロパティを用いることで、オブジェクト指向のカプセル化を維持しつつ、あたかもフィールドに直接アクセスしているかのような直感的な記述でクラスの属性を操作することが可能となる。 メソッドの実装は(クラス名).(メソッド名)という形で記述する。 例: <syntaxhighlight lang="pascal"> program MyObjectPascalTest; type TMyBaseClass = class private Fa: Integer; Fb: Integer; public procedure SetValueA(v: Integer); function GetValueA: Integer; property ValueB: Integer read Fb write Fb; // 読み書き両方が可能なプロパティ。 procedure DoSomething; virtual; abstract; end; TMySubClass = class(TMyBaseClass) public procedure DoSomething; override; end; procedure TMyBaseClass.SetValueA(v: Integer); begin Fa := v end; function TMyBaseClass.GetValueA: Integer; begin Result := Fa end; procedure TMySubClass.DoSomething; begin WriteLn('TMySubClass.DoSomething is called.'); WriteLn('ValueA = ', GetValueA); WriteLn('ValueB = ', ValueB) end; var obj: TMyBaseClass; begin obj := TMySubClass.Create; // オブジェクトの生成。 obj.SetValueA(100); obj.ValueB := -5; obj.DoSomething; // 派生クラスでオーバーライドされたメソッドが実行される(ポリモーフィズム)。 obj.Free; // オブジェクトの解放。 obj := Nil end. </syntaxhighlight> クラス名は慣例的にTypeを意味する 'T' で始められることが多く、フィールド名は慣例的に 'F' で始められることが多い。 '''type''' TX = '''class''' の構文は、Systemユニットで定義されている基底クラスTObjectから暗黙的に派生することを意味する。'''type''' TB = '''class'''(TA) の構文において、クラスTAはTObjectそのものであるか、あるいはTObjectから派生している必要がある<ref><code>TObject</code>は、Javaにおける暗黙の最上位基底クラスである[[オブジェクト型]]{{Javadoc:SE|name=java.lang.Object|java/lang|Object}}や、.NETにおける<code>System.Object</code>に相当するが、Object Pascalにおける「オブジェクト型」という用語は意味が異なるので注意されたい。</ref>。一方、'''type''' TB = '''object'''(TA) の構文を使用することで、TObjectから派生せず、組み込みのコンストラクタやデストラクタなどのメソッドをサポートしない'''オブジェクト型'''の宣言を行なうことができるが、DelphiやAppmethodにおいては下位互換性を保つ目的でのみ残されており、オブジェクト型の使用は推奨されていない<ref>{{Cite web|和書|url=http://docs.embarcadero.com/products/rad_studio/cbuilder6/JA/oplg.pdf|title=Object Pascal 言語ガイド|author=Borland|page=124|date=2001|accessdate=2019-01-11}}</ref><ref>[http://docwiki.appmethod.com/appmethod/1.16/topics/ja/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88 クラスとオブジェクト(Object Pascal) - Appmethod Topics]</ref><ref>[http://docwiki.embarcadero.com/RADStudio/ja/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88%EF%BC%88Delphi%EF%BC%89 クラスとオブジェクト(Delphi) - Embarcadero DocWiki]</ref>。 クラスの定義にユニット (unit) を用いる場合、クラスの宣言は interface 部に、メソッドの実装は implementation 部に記述する。 例: <syntaxhighlight lang="pascal"> unit MyUnit; interface type TMyClass = class public procedure Proc; end; implementation procedure TMyClass.Proc; begin { ここに実装を記述 } end; end. </syntaxhighlight> === インターフェイス === Object PascalはC++と異なり、実装の[[多重継承]]をサポートしない。その代わりに、[[インタフェース (抽象型)|インターフェイス]]を実装することによる型の多重継承をサポートする。インターフェイス名は慣例的にInterfaceを意味する 'I' で始められることが多い。 {{see also|インタフェース (抽象型)}} Object Pascalにおける継承の機能やメカニズムは[[Java]]とよく似ており、のちにC#にも受け継がれることになった。 === クラス参照型 === C++などのオブジェクト指向言語と比較して、Object Pascalが優れている点として、[[クラス参照型]]のサポートが挙げられる。クラス参照型の変数には、実体ではないクラス自体を変数に代入することができる。これは、設計図をもとに作られた製品ではなく、設計図自体を格納する変数を定義できると考えれば分かりやすい。クラス参照型は[[メタクラス]]とも呼ばれ、[[実行時型情報]] (RTTI) によって実現される。クラス参照型は、その実際の型がコンパイル時にわからないクラスまたはオブジェクトでクラスメソッドまたは仮想コンストラクタを呼び出したい場合(例えば逆[[シリアライズ]]など)に便利である。 === 例外 === Object Pascalは、エラーハンドリング機構として[[例外処理|例外]]をサポートしている。例外オブジェクトは、エラーやその他のイベントによりプログラムの通常の実行が中断された場合に生成される。例外を用いることで、整数値エラーコードを用いるよりも多くの情報を呼び出し側に伝播させることができる。 例外処理の構文には '''try...except''' および '''try...finally''' がある。 == 言語としての特徴 == Object Pascalはそのコンパクトで明快な言語仕様ゆえに、オブジェクト指向言語の学習に適していると言われる(C++の演算子オーバーロード、[[テンプレート (プログラミング)|テンプレート]]や[[多重継承]]のような便利だが比較的難解で複雑な機能を持たない)。反面、近年多くのプログラミング言語が導入している[[ジェネリクス]]や[[ラムダ式]]をサポートしていなかったため、[[ジェネリックプログラミング]]や[[関数型プログラミング]]には不向きだった。 DelphiではDelphi 2006で演算子のオーバーロードが、Delphi 2009でジェネリクスおよび[[無名関数|無名メソッド]](匿名メソッド)が、Delphi 10.3 Rioで[[型推論]]可能なインライン変数宣言が実装された<ref>[http://docwiki.embarcadero.com/RADStudio/Rio/ja/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%A4%89%E6%95%B0%E5%AE%A3%E8%A8%80 インライン変数宣言 - RAD Studio]</ref>ため、柔軟な記述が可能になっている。また、Delphi 2005以降ではインライン関数がサポートされ、実行速度面での強化も図られている。Delphi 2010ではRTTIが強化され、[[リフレクション (情報工学)|リフレクション]]をサポートするようになった。 また、DelphiのVCLやFMXは単なるクラスライブラリにとどまらず、[[ソフトウェアコンポーネント|コンポーネント]]と呼ばれるソフトウェア部品の集合で構成され、このコンポーネントを組み合わせて視覚的にアプリケーションを開発する方式となっている。Delphiではユーザー[[プログラマ]]が[[ソフトウェアコンポーネント|コンポーネント]]を自由に作成して開発環境自体に組み込むことができるため、「'''コンポーネント指向言語'''」と呼ばれることもある。 == 出典・脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[Pascal]] * [[Delphi]] * [[C Sharp|C#]] == 外部リンク == * [https://www.embarcadero.com/jp/products/delphi/downloads Delphi Downloads] - Delphi Architect Edition(30日評価版)のダウンロードページ * [https://www.embarcadero.com/jp/products/delphi/starter Delphi Community Edition] - Delphi Community Edition(無償版)のダウンロードページ * [http://www.freepascal.org/ Free Pascal] - [[Free Pascal]] はオープンソースの Pascal コンパイラ。Object Pascal もサポートしている。 * [http://www.gnu-pascal.de/gpc/h-index.html GNU Pascal] - [[GNU Pascal]] はオープンソースの Pascal コンパイラ。Object Pascal も一部サポートしている。 * [http://www.lazarus.freepascal.org/ Lazarus] - [[Lazarus]] は [[Free Pascal]] の[[統合開発環境]]。 {{Computer-stub}} [[Category:Pascal]] [[Category:オブジェクト指向言語]] [[Category:ボーランド]]
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パウエル報告
パウエル報告(パウエルほうこく)は、2003年2月5日の国際連合安全保障理事会において、アメリカの国務長官であったコリン・パウエルによって行われた報告。イラクが化学兵器、生物兵器などを密かに開発、所持していることを示すためのものであったが、後にほとんどが事実誤認や捏造された情報だったことが判明している。 イラクは湾岸戦争の停戦時に、国連によって、大量破壊兵器やその開発プログラム、製造設備などを破棄することを義務付けられた。その義務が果たされているかどうかを調査が専門家からなる武器査察団によって行われることになった。この査察活動に対してイラクは必ずしも全面的な協力を行わず、一部の武器を申告しない、製造設備を偽装する、などの行為を行ったとされる。また、査察団がスパイ活動を行っているなど査察に対する批判も行った。結果、イラクの武装解除は難航した。(イラク武装解除問題) 2003年に、アメリカはイラクに対して批判的な姿勢を強め、武力行使も辞さないという発言が当時の大統領らによって行われた。イラクの武装解除や武器査察をめぐる国連安保理の合意(国際連合安全保障理事会決議1441)では、武力行使の可能性は暗に示唆されていた程度に留まっており(パラグラフ13)、査察団への協力の欠如や、禁止されている兵器の開発などがあった場合に安保理が速やかに協議を行うということになっていた(パラグラフ12)。また、査察団の報告は、イラク側が必ずしも全面的に協力しているわけではないものの査察活動は進展しており、より時間をかけた査察が必要だとするものであった。だが、アメリカ側はこのような査察団の見解に不満を抱き、フランスをはじめとする常任理事国が武器査察の継続を支持したことにも反対を表明し、もはや査察による武装解除ではなく、より強硬な手段をとるべきだとした。 この背景には、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件の被害があったこと、そのテロを支援する(またはその可能性がある)国家のひとつとしてイラクを指摘していたこと、具体的にイラクに支援されたテロ組織がアメリカを標的とした活動を行うのを待たずに先制攻撃をかける権利があると主張していたこと、などが挙げられる。 アメリカは自国の情報を用いて、武器査察が有効に機能しておらず、長距離ミサイル、移動式の化学兵器製造設備などが存在している可能性を示した。 報告は約90分に渡るものだった。 軍事関係の専門家の中にはその報告の内容について、イラクの申告漏れの証拠であると高く評価する者もいたが、逆に幾つかの欠陥を指摘し、重視する声もあった。 同報告が、重要な情報源として高く評価し、言及していたイギリス政府による報告書が、実はイラクの研究を行うアメリカの大学院生の論文からのかなり長い剽窃を含んでおり、その論文が1991年当時の情報に基づいたものであること、軍事業界の専門誌「ジェーンズ・インテリジェンス・レビュー」からの剽窃も含んでいたこと、などが後に多くの報道機関によって指摘された。 また、イラクがナイジェリアから500トンのウラニウムを購入しようとした(ニジェール疑惑)証拠として提出された書類は、偽造であることが指摘された。かなり稚拙な偽造であるとの批判がなされた。アメリカ政府の意図的な工作を疑う声もあったが、政府側は、偽造であることが見破られないままに証拠として考慮されたものであるとした。 パウエル自身も後にABCニュースのインタビューでこの報告を『私の生涯の汚点であり、報告内容はひどいものだった』と反省の弁を述べている。
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パウエル報告(パウエルほうこく)は、2003年2月5日の国際連合安全保障理事会において、アメリカの国務長官であったコリン・パウエルによって行われた報告。イラクが化学兵器、生物兵器などを密かに開発、所持していることを示すためのものであったが、後にほとんどが事実誤認や捏造された情報だったことが判明している。
'''パウエル報告'''(パウエルほうこく)は、[[2003年]][[2月5日]]の[[国際連合安全保障理事会]]において、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]であった[[コリン・パウエル]]によって行われた報告。[[イラク]]が[[化学兵器]]、[[生物兵器]]などを密かに開発、所持していることを示すためのものであったが、後にほとんどが事実誤認や捏造された情報だったことが判明している。 == 背景 == イラクは[[湾岸戦争]]の停戦時に、国連によって、[[大量破壊兵器]]やその開発プログラム、製造設備などを破棄することを義務付けられた。その義務が果たされているかどうかを調査が専門家からなる武器査察団によって行われることになった。この査察活動に対してイラクは必ずしも全面的な協力を行わず、一部の武器を申告しない、製造設備を偽装する、などの行為を行ったとされる。また、査察団が[[スパイ]]活動を行っているなど査察に対する批判も行った。結果、イラクの武装解除は難航した。([[イラク武装解除問題]]) 2003年に、アメリカはイラクに対して批判的な姿勢を強め、武力行使も辞さないという発言が当時の[[大統領]]らによって行われた。イラクの武装解除や武器査察をめぐる[[国際連合安全保障理事会|国連安保理]]の合意([[国際連合安全保障理事会決議1441]])では、武力行使の可能性は暗に示唆されていた程度に留まっており(パラグラフ13)、査察団への協力の欠如や、禁止されている兵器の開発などがあった場合に安保理が速やかに協議を行うということになっていた(パラグラフ12)。また、査察団の報告は、イラク側が必ずしも全面的に協力しているわけではないものの査察活動は進展しており、より時間をかけた査察が必要だとするものであった。だが、アメリカ側はこのような査察団の見解に不満を抱き、フランスをはじめとする常任理事国が武器査察の継続を支持したことにも反対を表明し、もはや査察による武装解除ではなく、より強硬な手段をとるべきだとした。 この背景には、[[2001年]][[9月11日]]に[[アメリカ同時多発テロ事件]]の被害があったこと、そのテロを支援する(またはその可能性がある)国家のひとつとしてイラクを指摘していたこと、具体的にイラクに支援されたテロ組織がアメリカを標的とした活動を行うのを待たずに先制攻撃をかける権利があると主張していたこと、などが挙げられる。 == 報告の内容と評価 == アメリカは自国の情報を用いて、武器査察が有効に機能しておらず、長距離[[ミサイル]]、移動式の化学兵器製造設備などが存在している可能性を示した。 報告は約90分に渡るものだった。 軍事関係の専門家の中にはその報告の内容について、イラクの申告漏れの証拠であると高く評価する者もいたが、逆に幾つかの欠陥を指摘し、重視する声もあった。 同報告が、重要な情報源として高く評価し、言及していた[[イギリス]]政府による報告書が、実はイラクの研究を行うアメリカの[[大学院生]]の論文からのかなり長い剽窃を含んでおり、その論文が[[1991年]]当時の情報に基づいたものであること、軍事業界の専門誌「ジェーンズ・インテリジェンス・レビュー」からの剽窃も含んでいたこと、などが後に多くの報道機関によって指摘された。 また、イラクが[[ナイジェリア]]から500トンの[[ウラニウム]]を購入しようとした([[ニジェール疑惑]])証拠として提出された書類は、偽造であることが指摘された。かなり稚拙な偽造であるとの批判がなされた。アメリカ政府の意図的な工作を疑う声もあったが、政府側は、偽造であることが見破られないままに証拠として考慮されたものであるとした。 パウエル自身も後にABCニュースのインタビューでこの報告を『私の生涯の汚点であり、報告内容はひどいものだった』と反省の弁を述べている。 == 外部リンク == * [[ホワイトハウス]] ** [http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2003/02/20030205-1.html "U.S. Secretary of State Colin Powell Addresses the U.N. Security Council"] - パウエル報告の記録と使用されたスライド * [[CBS]] ** [http://www.cbsnews.com/stories/2003/02/05/60II/main539564.shtml "Powell - Rather Interview Transcript"] - ダン・ラザーによる同報告をめぐるコリン・パウエルへのインタビュー ** [http://www.cbsnews.com/track/search/stories/2003/02/05/iraq/main539520.shtml "Expert: Powell Presented A Strong Case"] - パウエル報告の内容が信憑性の高いものだとする専門家の見方を扱った記事 * [[ガーディアン]] ** [http://politics.guardian.co.uk/foreignaffairs/story/0,11538,890917,00.html "UK war dossier a sham, say experts: British 'intelligence' lifted from academic articles" Michael White and Brian Whitaker, Friday February 7, 2003] - イギリス政府の報告書に含まれる剽窃部分とその問題点を扱った記事 * [[CNN (アメリカの放送局)|CNN]] ** [https://edition.cnn.com/2003/US/03/14/sprj.irq.documents/index.html David Ensor,Fake Iraq documents 'embarrassing' for U.S., March 14, 2003.] - イラクがナイジェリアからウラニウムを購入しようとした証拠とされた書類が偽造であった件を扱った記事 * [http://www.ribbon-project.jp/SR-shiryou/shiryou-08.htm スコット・リッター招聘実行委員会緊急レポート「パウエル報告の問題点」] - パウエル報告に懐疑的な立場からのやや詳細な反論 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はうえるほうこく}} [[category:イラク戦争]] [[Category:捏造]] [[Category:アメリカ合衆国国務省]] [[Category:国際連合安全保障理事会]] [[Category:2003年の国際連合]] [[Category:2003年2月]]
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特別急行列車
特別急行列車(とくべつきゅうこうれっしゃ)は、鉄道における急行系統の列車であり、急行列車の上位に位置する列車種別である。略して、特急列車(とっきゅうれっしゃ)、または単に、特急(とっきゅう)という。 鉄道会社や鉄道路線ごとに多少の違いはあるものの、概ねその路線で最も早く目的地に到達する列車に与えられる呼称である。 また、一般に普通列車に比べ停車駅が少なく、運転速度も速いことにより、利用区間の到達時間が短くなるという速達性がある種別。 本項では、特急料金が必要な優等列車(長距離列車)としての特急列車のほか、以下についても取り扱うこととする。 特別急行(特急)列車が設定される前、急行列車より速い列車には「最急行」という種別をつけることがあった。その中でも1906年(明治39年)4月16日に、国有鉄道の新橋駅 - 神戸駅間で設定された「最急行 1列車・2列車」は、運賃以外に初めて速達サービスのための料金を徴収する列車となるなど、現在の有料特急・急行の元祖と位置づけられるものであった。 「特別急行」の種別を初めて用いたのは、1912年(明治45年)6月に前述した「最急行 1列車・2列車」を区間延長する形により、関釜連絡船を介して中国・欧州などへの国際連絡運輸の一翼を担う「大陸連絡列車」として、新橋駅 - 下関駅(山口県下関市)間で運転を開始した 1列車・2 列車である。編成内容も一等車・二等車のみで洋食専門の食堂車を連結し、展望車が最後尾に連結されるなど、「日本の国威」を対外宣伝するためのような存在であった。1914年(大正3年)12月に東京駅が開業すると、1列車・2列車も東京駅始発となった。 1923年(大正12年)7月、同区間に三等車のみで構成された 3列車・4列車が運転開始される。そこからも分かるように、この列車は食堂車も急行列車と同様の和食堂車を連結するなど、どちらかと言えば大衆向けの設定であった。昭和に入ると特急列車に「列車愛称」が付けられるようになり、新しい列車の設定も見られたが、間も無く戦争に突入したため、結局戦前の特急列車は下記の 4種のみにとどまった。また戦前の特急列車は、東京以西の路線(東海道本線、山陽本線、鹿児島本線、長崎本線)のみで設定されていた。しかし第二次世界大戦の戦局が悪化した1944年(昭和19年)3月14日には、決戦非常措置要綱に基づく旅客の輸送制限に関する件が閣議決定され、特急および急行列車などの全廃が決定。同年4月を以て「富士」を最後にそれらは全て廃止され、日本の特急列車は一旦消滅した。 終戦直後は、石炭・車両・整備の状況が戦時中以上に悪化したこともあって、特急列車どころか普通の列車すらまともに運転できない状態となり、1947年(昭和22年)の1月から4月に掛けては急行列車まで全廃された。その後、それらの状況がやっと好転して来た1949年(昭和24年)9月、東京駅-大阪駅間に「へいわ」が運転開始される。同区間を9時間で結び、速度こそ戦前の水準に及ばなかったが、この時1944年(昭和19年)以来5年ぶりに展望車・食堂車が復活するなど、見るべきことは多かった。 その後、特急列車は次第に各線で設定・増発され、特徴ある物も増えた。戦後の特急列車史に残る列車としては、下記の列車などが挙げられる。(新幹線は除く) 特急列車が普及したダイヤ改正として著名なものには、1961年(昭和36年)10月1日の改正(通称「サン・ロク・トオ」ダイヤ改正)と、1968年(昭和43年)10月1日の改正(通称「ヨン・サン・トオ」ダイヤ改正)がある。1961年(昭和36年)の改正ではそれまで東北・東海道・山陽・鹿児島・長崎の各本線と常磐線でしか運転されていなかった特急列車が全国の幹線を走り始め、1968年(昭和43年)の改正では、それまではその名の通り「特別」な列車であった特急列車が、需要の多い線区では1964年(昭和39年)10月に開業した東海道新幹線と同様ネットダイヤ化が進み、大衆化をも推し進めることになった。 1972年(昭和47年)10月より一部の昼行特急には、「エル特急」と言う愛称が与えられた。後に従来の急行列車を昇格して特急列車とした際にもこの扱いを行うことが多かった。しかしJR東日本が2002年(平成14年)12月にエル特急を名称上全廃したのを皮切りに、他のJR各社でもエル特急の名称が廃止されていった。最後までエル特急の名称が残ったJR東海も、2018年3月のダイヤ改正でエル特急の名称を廃止したため、登場から45年半でエル特急の名称は消滅した。 1972年(昭和47年)- 1985年(昭和60年)に掛けて、山陽新幹線・東北新幹線・上越新幹線といった新幹線が次々と開通するにつれ、長距離を走る特急列車は新幹線に取って代わられる形で次第に減少し、それと引き換えに新幹線の沿線から離れた都市と、新幹線との連絡・接続を図る、中-短距離の列車が増えていった。 1985年(昭和60年)3月 - 2002年(平成14年)12月までの間、東北本線(宇都宮線)・高崎線などでは同線内相互間の輸送を目的とした一部のエル特急を「新特急」と称していた。元々は、短・中距離の急行列車を増収のためほとんど停車駅は変えず特急列車に格上げした物で、定期券でも乗車できることとし、料金も 50km 以下の区間は急行料金と同額とするなど、特急と急行の中間的な設定にされた。しかし前述のような理由で設定された特急であり、使われていた185系はそれまでの特急列車の車両より設備が劣り、関西では快速列車に使うような車両にデッキを付けただけのような物であったが、後に座席は通常の特急用と同じものに交換された。2001年(平成13年)12月にそれ以外の列車と特急料金が同額になり、「新特急」を列車名に冠する必要が無くなったためか翌年消滅した。因みにその頃までには東北本線の新特急は朝夕の時間帯を除いて一般車使用の快速に格下げされ、高崎線の新特急もアコモデーションのリニューアルや日中時間帯の停車駅の大幅な削減などの改善策が行われた。また、湘南新宿ラインの開通後は東北・高崎線の快速・普通列車においてもグリーン車の連結が行われるようになったため、旧「新特急」が担当していた高崎線内相互間の着席輸送においては、快速・普通列車のグリーン車の拡充を重視する傾向になっている。 2004年(平成16年)3月に九州新幹線が開通して以来、JR九州は「きりしま」のうち霧島神宮・国分発着のものや、「はやとの風」、また2009年10月10日から運転の「海幸山幸」といった臨時特急列車などが存在するが、これらの列車は停車駅こそ限定されてはいるもの、いずれも同区間を走る普通列車と同等か、それより遅い列車も存在する。これは速達性を意味する「特別な急行列車」の意味ではなく、新幹線との接続性を重視しているものや、また車内設備のサービスに対して料金を取るか取らないかどうかや、観光に特化したサービスの提供などといったサービスの違いで「快速列車」・「普通列車」などと区分するために、「特急列車」を名乗らせているものである。このような観光に特化した特急列車のことをJR九州では便宜的に「観光特急」などと呼ぶことが多い。 1950年代までは客車による長大編成が組まれた。しかし、1960年代以降、速達化を計る観点から、昼行列車から使用車種を電車・気動車へ変更してゆく事となった。 この初例としては、運用の効率化を図った登場時の151系を用いた「こだま」の編成がある。詳細はこちらを参照されたいが、これは、簡易食堂「ビュフェ」付き三等車と二等車を編成中央に組み込んで8両編成で運用するものであったが、速達化・快適性の向上がなされた。その後、運行されていた客車特急列車の電車化を行う際には、運用の効率化よりも旧来の客車編成との摺り合わせがなされたため、10両 - 12両で運用された。 しかし、利用者が少ないとされた地方線区での使用が予想されたキハ82系では食堂車と一等車(後のグリーン車)を各1両備えた6両編成を基本とした編成が基本とされた。 電車でも二等車(→普通車)の両数の差があるものの、編成が短くなり、おおむね8両 - 12両程度で運用される従来のものから大きく変容するようになる。 その初例として、1976年(昭和51年)に設定された佐世保線エル特急「みどり」では485系新製車両では最も短い4両編成で運用される事例がみられるようになった。ただし、「みどり」の事例は「かもめ」と併結運転を行う多層建て列車として運行する関係もあり、線路容量が小さい路線での措置として異例とされた。 本格的な短編成化として知られるようになったのは、高速バスとの競争が激しくなった鹿児島本線エル特急「有明」である。この列車群では、車種統一を図った1984年(昭和59年)以降改造車両を用い、1本あたりの編成組成を短くする代わりに本数を増発する手法を採ったため、1986年(昭和61年)には「3両編成を組んだ特急」が運行されるようになった。 ただし、電車による短編成化には運用上の限界があり、2両編成の電車特急列車は1990年(平成2年)登場の札幌→旭川間運行の臨時特急「モーニングエクスプレス」があったものの、1994年(平成4年)には使用車両である785系の当時の所定編成であった4両編成に戻され、以降電車での短編成運行は485系・183系・253系・373系による3両編成が最小になったが、2010年に8000系の付属編成を2両に減じたため、2両編成電車特急が復活。後継となる8600系では、2両または3両編成で製作、運用されている。 しかし、気動車ではキハ82系の編成を元に設計したキハ181系・キハ183系では「大出力エンジンを積む」や(後者のみであるが)「極寒地仕様のため先頭車両は非貫通」とした事もあり、例えばキハ181系は2両で運行することは可能であるが、「便所がない」・「座席数が少ない」という問題もあった。 そこで、1986年(昭和61年)に運用を開始したキハ185系気動車では2両編成で運用可能とした設計とた。これには急行列車の格上げによる「急行形気動車の置き換え」ともされている。また実際に四国旅客鉄道(JR四国)は高徳線のエル特急「うずしお」の運用開始時に実施した。なお、同車両は2016年(平成28年)現在2両 - 3両の短編成で運用される事が多く、当初よりの所有会社であるJR四国では主に徳島県内の特急列車群で、一部は 九州旅客鉄道(JR九州)が購入し久大本線・豊肥本線を運行する特急列車群で運用されている。 また、西日本旅客鉄道(JR西日本)では「地域輸送の高速化」という観点から、キハ185系以降にて2両固定編成での運用を前提としたキハ187系を新製した。また、キハ181系を最後まで使用していた「はまかぜ」ではグリーン車連結の4両編成であったが、キハ189系では普通車のみの3両編成で置き換えた。 客車については、151系が登場した1960年代以降定員が少ない寝台車を中心にして運行されたこともあるため、食堂車、電源・荷物車を込みで10両 - 15両程度の長大編成を組んでいたが、14系客車では分割併合での簡易電源車連結の手間を省略するため、サービス電力を高出力ながら乗客を乗せない専用の電源車ではなく、編成の端に連結する緩急車より供給する関係で6両程度で組成をすることとなり、その編成単位の組み合わせで運行されるようになった。 なお、「はやぶさ」が1985年(昭和60年)にロビーカー連結により15両編成となった(東京駅 - 熊本駅間)がこれが、客車列車としては最長となった。 しかし、1980年代以降、長期的な夜行列車・寝台列車の凋落傾向から必ずしも10両程度の需要がないことから、短編成化された列車も存在した。例えば、1984年 - 1989年までの「出雲2・3号」は8両編成で運行されたが、廃止直前(2000年以降)の「彗星」の様にB寝台車のみの4両編成で運行された列車もあった。 なお、「富士」・「はやぶさ」は、運行末期である2005年(平成17年)より2009年(平成21年)の廃止までは門司以降のJR九州管内においては6両編成、東京 - 門司間ではそれを2編成組み合わせた12両で運行されていた。 なお、末期の寝台列車で運用されたものの編成は以下の通りであった。 なお、2022年9月23日現在で最長編成の列車は以下の通りとなる。 新幹線で運行される列車も特急列車として分類される。また、在来線と直通する列車も特別急行列車と定義されている。このため、以下の列車も特別急行列車として取り扱われる。 なお、1975年(昭和50年)3月より1982年6月まで東海道・山陽新幹線のみであったことから料金は単一で設定されていたが、東北新幹線開業に際して個別の新幹線での設定がなされている。 それ以前、東海道新幹線開業より1972年(昭和47年)3月の山陽新幹線岡山開業までは「ひかり」は超特急、「こだま」は特急として区別しており、速達タイプの「ひかり」と各駅停車タイプの「こだま」は料金に区別があった。 新幹線で、220km/h超の速達列車に対する付加料金設定は、1992年(平成4年)3月に登場した「のぞみ」も「ひかり」・「こだま」とは料金に格差が設けられた。当初は、専用新型車両である300系開発のためと称したため、「のぞみ」特定となってきたが、2003年(平成15年)10月1日に「のぞみ」にも自由席を設定。「ひかり」・「こだま」と同一とした。 ただし、在来車両である200系・E2系により275km/hで運行された上越新幹線の実績もあり、東北新幹線での2002年12月の「はやて」設定時こそ行われなかったものの、E5系・H5系による2011年12月の「はやぶさ」設定に際し、最高時速を320km/hまで運行できる区間(ここでは宇都宮 - 盛岡間)を含む場合に列車名指定なしで料金付加を行っている。 沿革にある通り、JR の場合特急列車を利用する場合、乗車券のほかに特別急行券(特急券)が必要である。料金などの詳細については、「特別急行券」の項を参照されたい。 特急列車への定期乗車券での乗車は原則として認められていないが、近年は特例として一部の列車・路線で定期乗車券に自由席特急券ないしは立席特急券を追加すれば乗車が認められるようになってきている。現在では、自由席については昼行列車の全列車が定期乗車券との組み合わせで乗れるようになった。しかし、指定席は認めていない場合も多い。 普通列車が一切ないなどの理由で、特急列車に乗車しても特急料金がかからない区間がある(ただし、新幹線車両使用区間を除く)。 他の種別の列車の車両と異なる特急形車両を使っており、高速性能や、座席などの車内設備が他の種別の列車用より優れている。原則として特急列車に専用されるが、利用客の少ない末端区間で普通列車になる場合や、運用の関係で全区間普通列車として運転される場合もある。 国鉄時代の特急の特色として、綺麗なデザインが施されたヘッドマークやテールマーク(両方合わせて本節で「トレインマーク」という)がある。また、国鉄時代に製造された車両には、特急列車用の国鉄特急エンブレムが車両前面に装着されている。列車の前後、中央部に目立つように掲示したものである。戦前にすでに運行されていた「富士」「さくら」の列車愛称命名時に絵柄を入れた金属製のものを取り付けたのが端緒である。 戦後、1950年(昭和25年)に復活した特急「へいわ」号以降、特急列車のシンボルとして列車の前後に取り付けられるようになった。以降、特急列車である「つばめ」・「はと」・「さくら」・「かもめ」・「あさかぜ」・「はつかり」・「さちかぜ」・「平和」・「はやぶさ」・「みずほ」まで絵柄入りのトレインマークが用意された。 しかし、"ビジネス特急「こだま」"用として1958年(昭和33年)に登場したモハ20系→151系(のちの181系)には、「特急マーク」と称される「T」をモチーフにしたエンブレムや、日本国有鉄道の英略である「JNR」をモチーフにしたロゴを制定したものの、トレインマーク自体は列車名のみのものとなった。この後に登場した気動車初の特急形車両であるキハ81系も151系の特急マーク・国鉄ロゴ・ボンネットスタイルを踏襲し、トレインマークについては列車名のみとなった。 またブルートレイン用客車の20系客車では、電源車・緩急車のテールマークについては当初地色を列車ごとに変えたが、のちに白地に濃紺(ローマ字表記は赤)でいずれも列車名のみを表示する形とした。後継の14系客車・24系客車といった客車も当初は列車名のみの表記となっていた。 客車の絵柄入りのテールマークは廃されたものの、機関車取り付けのヘッドマークは残り、寝台特急のシンボルとなった。その一方で、取り外しが面倒、費用が嵩む、あるいは盗難にあうなどの理由で1975年(昭和50年)には東京 - 西日本・九州方面のブルートレイン7列車以外はすべて廃止された。 しかしながらその3年後、1978年(昭和53年)10月には話題性も目論んで、すべての電車特急にイラストを施したトレインマークを採用することになった。当初は、交換が容易な幕式愛称標を備えた制御車に採用されたため、同じ電車列車でも透過式アクリルトレインマークを使用したボンネットタイプの制御車を持つ車両ではイラストなしの愛称標を使用していた。続いて、14系客車・24系客車を使用したブルートレインに波及し、幕式愛称標を装備していなかったキハ82系・181系も1985年(昭和60年)1月までに絵柄入りトレインマークが採用された。 1987年(昭和62年)4月1日のJR発足後の新型車両については、LEDを利用したトレインマークが採用されたり、トレインマーク自体を掲げなったりするものも増加した。代わりに、車両を特徴付けるエンブレムやロゴマークを車体に直接表示する場合も増えた。絵柄入りトレインマークを使用する場合も、JR西日本の北近畿ビッグXネットワークやJR四国の各特急列車など図案を簡略化したものも現れた。 例外として、埼京線・川越線・相鉄線直通列車にはJR東日本の公式サイトの時刻表上にのみ「特急」の列車種別が設定されているが、これはJR線内(羽沢横浜国大駅まで)において「各駅停車」として走る電車が直通先の相模鉄道本線・相鉄新横浜線内において後述の料金不要の「特急」として走ることを意味しており、本節で述べた「特急列車」とは全く性質の異なるものである。 国鉄時代には貨物列車にも「特急」が存在した。 戦前においては、正式な種別としての「特急」ではないが、1927年(昭和2年)12月より、下関発梅小路行きの急行貨物第154列車が運転を開始、同列車は鮮魚を主体とした急送品輸送に特化しており、途中の操車場での増解結を省略して同区間を17時間40分(表定速度34.2km/h)で結び、従来よりも11時間もの大幅な時間短縮を実現したことから「貨物特別急行列車」「鮮魚特急列車」と通称された。正式な種別としての「特急」は、1932年(昭和7年)9月に首都圏内発着の軽量小口貨物の速達化を図るために、短編成のボギー貨車で組成された「特急貨物列車」で、2往復が設定され、途中の操車場での増解結を省略して旅客列車並みの最高速度85km/hで運転された。 戦後、1959年(昭和34年)11月5日より、コンテナ貨車で組成された特別急行貨物列車「たから号」が運転を開始し、最高速度85km/h、汐留・梅田間を10時間55分で結び、表定速度は50.7km/hに達した。これが貨物列車としては戦後最初の「特急」となり、その後も最高速度85km/hの貨物列車に対し「特急貨物列車」の種別が与えられている。1961年(昭和36年)10月より「たから号」は2往復体制となり、1964年(昭和39年)10月時点は特急貨物列車全体で東海道・山陽・鹿児島本線で1日10本、1965年(昭和40年)10月時点では東京~北海道方面にもコンテナ特急貨物列車が1往復設定され、全国で1日27本の特急貨物列車が設定された。 1966年(昭和41年)10月からは、10000系貨車で組成された貨物列車が1日9本の運転を開始、最高速度が100km/hに引き上げられて「高速特別急行貨物列車」の種別が与えられ、最高速度85km/hの「特急貨物列車」との併存となった。1967年(昭和42年)10月時点では自動車輸送に特化した特急貨物列車「アロー号」も設定されるなど、高速特急貨物列車9本、特急貨物列車47本体制となった。 1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正では貨物列車の列車種別が整理され、最高速度85km/hの旧「特急貨物列車」は「急行貨物列車」となり、最高速度100km/hの旧「高速特急貨物列車」のみが「特急貨物列車」となり、全国で1日15本体制となった。 1969年(昭和44年)4月より、東京・大阪間で、拠点間を直行し、トラックとの協同一貫輸送を行うコンテナ貨物列車「フレートライナー」が1日5往復設定され、うち1往復が最高速度100km/hの特急貨物列車として運転され、同年10月には1往復増発されている。 1971年(昭和46年)10月より、最高速度95km/h対応で専用の機関車を必要としないコキ50000形コンテナ貨車による「フレートライナー」が設定され、最高速度100km/hの列車を「特急貨物列車A」、最高速度95km/hの列車を「特急貨物列車B」とした。 その後もコンテナ貨物列車の増発は続き、1976年(昭和51年)3月時点では全国に1日129本の特急貨物列車が設定されるに至ったが、その後はオイルショック後の不景気、運賃・料金の大幅値上げ、高速道路網の整備の進捗、「スト権スト」の影響などによる鉄道貨物輸送の大幅な縮減を受け、同年10月には1日121本に削減され、その後も削減傾向は続いた。 1978年(昭和53年)10月ダイヤ改正で、貨物列車の種別が再編され、最高速度100km/hの列車を「高速貨物列車A」、最高速度95km/hの列車を「高速貨物列車B」としたため、「特急貨物列車」の種別は廃止された。 阪和線の前身である阪和電気鉄道時代より同路線では特急や超特急といった無料の速達列車が運行されていた。同社が南海鉄道山手線を経て1944年(昭和19年)5月に国有化された時点ではそれらはすべて急行となり、それらも戦時中にいったん廃止されるが、1946年12月改正で準急が、1949年3月改正で急行が復活し、1950年10月改正で流電こと52系電車を使用した特急が復活した。これらの列車は他の国鉄特急とは制度的に別種の列車で料金不要の列車であり、また国電区間で初めて設定された特急であったことから、阪和線の特急は特急電車と呼ばれ他と区別された。 しかし、1950年代後半になってくると他線区でも電車による優等列車が走るようになり、1958年には電車による有料特急「こだま」の運行開始が予定されていたのと、同年には阪和線においても気動車による有料準急「きのくに」が運行を開始したため、阪和線の準急電車・急行電車・特急電車は1958年(昭和33年)10月の称号改正で特急電車が快速列車、急行及び準急電車が直行列車に改められた。 私鉄では南海鉄道(現在:南海電気鉄道)が1926年(大正15年)12月3日に、初めてこの名前の列車を運転したといわれている。また、料金を別途必要とする有料制の特急列車については、近畿日本鉄道が1947年(昭和22年)に名古屋 - 上本町間において運転を開始した のが最初である。 利用するためには、鉄道会社によってJRと同様に乗車券のほかに特急料金(またはそれに類した追加料金)が必要なものと、乗車券だけで利用できるもの、および座席指定車と料金不要の自由席車の両方を連結したものの3種類がある。 また、私鉄にはオリジナルの列車種別が設定されていることも多く、用途や行先を冠することで、複数の「特急」(例:名鉄の場合ミュースカイ・快速特急・特急)が設定されているケースも少なくはない。また、近年では、ラッシュ時に「通勤ライナー」的な性格の列車が運転されているケースも多い。 種別としての性格は、東武鉄道など特別急行料金を徴収するJRの特急列車と同等のものと、名古屋鉄道や京浜急行電鉄、京阪電気鉄道など、本来特別急行料金は設定していなかったが、座席指定料として運賃とは別に料金を徴収するようになったものとがある。 JRと同様に、高速性、車内設備などが他の種別に使用している車両に比べて優れている特急用の専用車両が使用されており、差別化を図っている。一部の私鉄や第三セクター鉄道には、JR線から特急列車が乗り入れている(一部は相互直通運転を実施)。 なお、事業者によっては料金不要車両を併結する列車も運行されているが、これについては次項「#有料車両・料金不要車両連結列車」を参照。 京浜急行電鉄(土休日昼間の指定列車)と名古屋鉄道(「ミュースカイ」を除く)と南海電気鉄道(「サザン」「天空」のみ)および京阪電気鉄道(8000系、3000系)では、有料車両と料金不要車両の両方を連結する列車が運転されている。この場合、有料車両については専用車両で指定席、料金不要車両については一般車両で自由席となっている。 この4事業者に加え、阪急電鉄でも京都本線の特急・通勤特急・準特急の一部車両に指定席を導入する予定がある。 他の列車種別より停車駅が少ないもの、いわゆる最速達列車として「特急」を運行している事業者も存在する。そのため、他種別の列車と同じく通勤形車両を用いるのが一般的である。ゆえに、このタイプの「特急」は JR における「特別快速」または「新快速」(前述した国鉄阪和線における特急電車と類似、いわゆる普通列車の一種)と同義の種別であると考えることができる(「急行列車#料金不要の「急行」」も参照)が、一部の私鉄には快速に相当する種別を「特急」として、その上に「快特(快速特急)」といった、さらに上位の種別を設定している事業者もある。しかし、競合する他事業者の鉄道路線がある場合には、料金不要の列車といえども車内設備や性能の優れた専用車両を充当することがある。 こうした例は、東海道線や横須賀・総武快速線と競合する京浜急行電鉄と京成電鉄、中央線快速と競合する京王電鉄、中京地区で東海道本線と競合する名古屋鉄道、JR京都線・JR神戸線と競合する阪急電鉄・京阪電気鉄道・阪神電気鉄道・山陽電気鉄道、鹿児島本線と競合する西日本鉄道に見られる。 このほか、「特急」に類似する種別としては以下のようなものがある。詳細は各記事を参照。 名古屋市電気局(名古屋市電)では戦時中、他の市電と同じく節電目的で一部の停留場を通過する急行運転を1940年より実施していたが、1943年から1945年の間には通過停留場をさらに増やした特急が設定されていた。 鉄道事業者によっては、特急列車に専用乗務員を充て、かつ特急乗務員専用行路を与えていることもある。特に運転士にいたっては、運転技術で選抜された者や、特別な研修・実地訓練を受けた者に対してその任務が充てられることがある。 バスにおいても、特に停車する停留所を限定している系統が「特急」を名乗る場合がある(例:特急仙台・山形線、山陰特急バス)。ただしその中でも高速道路を主として走行する物は「高速バス」と呼ばれることが多い。「高速バス」「急行バス」の項目も参照のこと。 ちなみに阪急バスでは、高速バスの方向幕表示を通常「高速 高知」「高速 長野」などと表示しているが(LED 幕車では行き先のみ表示)、スーパーノンストップ便に関しては「特急 福岡」「特急 有馬温泉」と標示し、「特急」を「高速」よりも格上の存在と位置づけている。 フェリーに関しては1971年から2005年まで、「特急」と冠した「大阪高知特急フェリー」が存在した。 列車種別の分類は国や鉄道事業者によってまちまちであるが、そのうち他の列車より速い、専用車両を用いる、特別料金を必要とするなど、日本の特急に近い性格を持つもののことを、日本語で「特急」と表記することがある。ただし正確を期する必要のある場合には原語表記やその直訳、仮名転写などが用いられる。またTGVやICEなどの高速鉄道の列車は「超特急」や「新幹線」と訳されることもある。 韓国では、1984年まで韓国国鉄において「トゥックプ(特急)」という種別が存在した。同年以降、長らく韓国に「特急」という種別は存在しなかったが、2017年より首都圏電鉄1号線(京釜線・京仁線)の速達列車として「特急」が新設された。なお、現在の韓国鉄道公社(KORAIL)の長距離座席指定列車であるKTX、ITX-セマウルなどの列車では、観光ガイドなどで便宜的に「特急」という表現が使われることがあるものの、愛称が列車種別を兼ねているため、正式には「特急」の名称は使用していない。 米国には、特別料金を支払って乗車する上等客のみを扱う "LIMITED" (リミテッド)と呼ばれる豪華列車が1910年代から運転されたが、「特急」に該当する列車種別は無い。過去の代表的なリミテッドには、ニューヨーク・シカゴ間をノンストップで結んだ「20世紀特急」(20th Century Limited)やニューヨーク・ワシントンDC・シンシナティ・セントルイスを結んだ「ナショナル特急」(National Limited)があった。21世紀の現代にアムトラックが運行する列車の愛称にはレイクショア・リミテッドやキャピトル・リミテッドのようにリミテッドを名乗るものがあるが、他の旅客列車と種別が異なるものではない。 欧州では、古くから日本の特急に相当する列車の運転が盛んである。イタリアでは1936年から電車による特急列車が運転された。1957年にはヨーロッパ各地を日帰りで行き来できるビジネスライクな TEE 列車網が整備され、これらの列車には特別急行券を必要とした。その後はインターシティ "InterCity (IC)" 列車に変更された。これは都市間連絡を主たる目的とする在来線優等列車であり、21世紀において欧州では TGV や ICE などのいわゆる新幹線タイプの特急列車が中心である。しかし、かつては「ラインゴルト」、「ミストラル」、「ゴールデンアロー」、「セッテベッロ」などの著名な特急列車が運転され、高速なだけでなく、その走行区間において最も豪華な列車として運転されていた。これらの特急列車はほとんどが一等(三等級時代は一、二等)のみで編成され、パーラーカーや食堂車やバー、ブチックやラウンジを備えていた。これらの列車には他の列車より高額であり、特別急行券を必要としていた。 通常英訳には、かつての米国の例に倣い「Limited Express」が当てられるが、米国では鉄道旅客輸送の衰退に伴いほとんど死語になっている。ただし、Sunset Limitedのようにアムトラックが引き継いだ列車愛称の一部にその名残が見られる。 事業者によってはこれを“Limited Exp.”, “Ltd. Express”, “LTD. EXP.” などと略すが、京王電鉄ではSpecial Express となっている。 デビット・ベネット(レノボ・ジャパン社長、2021年当時)は、「Limited」という英単語には「制限された」というニュアンスがあることを指摘し、語感に則れば「急行より遅い」と受け止められる可能性があるとしている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "特別急行列車(とくべつきゅうこうれっしゃ)は、鉄道における急行系統の列車であり、急行列車の上位に位置する列車種別である。略して、特急列車(とっきゅうれっしゃ)、または単に、特急(とっきゅう)という。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "鉄道会社や鉄道路線ごとに多少の違いはあるものの、概ねその路線で最も早く目的地に到達する列車に与えられる呼称である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "また、一般に普通列車に比べ停車駅が少なく、運転速度も速いことにより、利用区間の到達時間が短くなるという速達性がある種別。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "本項では、特急料金が必要な優等列車(長距離列車)としての特急列車のほか、以下についても取り扱うこととする。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "特別急行(特急)列車が設定される前、急行列車より速い列車には「最急行」という種別をつけることがあった。その中でも1906年(明治39年)4月16日に、国有鉄道の新橋駅 - 神戸駅間で設定された「最急行 1列車・2列車」は、運賃以外に初めて速達サービスのための料金を徴収する列車となるなど、現在の有料特急・急行の元祖と位置づけられるものであった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「特別急行」の種別を初めて用いたのは、1912年(明治45年)6月に前述した「最急行 1列車・2列車」を区間延長する形により、関釜連絡船を介して中国・欧州などへの国際連絡運輸の一翼を担う「大陸連絡列車」として、新橋駅 - 下関駅(山口県下関市)間で運転を開始した 1列車・2 列車である。編成内容も一等車・二等車のみで洋食専門の食堂車を連結し、展望車が最後尾に連結されるなど、「日本の国威」を対外宣伝するためのような存在であった。1914年(大正3年)12月に東京駅が開業すると、1列車・2列車も東京駅始発となった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1923年(大正12年)7月、同区間に三等車のみで構成された 3列車・4列車が運転開始される。そこからも分かるように、この列車は食堂車も急行列車と同様の和食堂車を連結するなど、どちらかと言えば大衆向けの設定であった。昭和に入ると特急列車に「列車愛称」が付けられるようになり、新しい列車の設定も見られたが、間も無く戦争に突入したため、結局戦前の特急列車は下記の 4種のみにとどまった。また戦前の特急列車は、東京以西の路線(東海道本線、山陽本線、鹿児島本線、長崎本線)のみで設定されていた。しかし第二次世界大戦の戦局が悪化した1944年(昭和19年)3月14日には、決戦非常措置要綱に基づく旅客の輸送制限に関する件が閣議決定され、特急および急行列車などの全廃が決定。同年4月を以て「富士」を最後にそれらは全て廃止され、日本の特急列車は一旦消滅した。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "終戦直後は、石炭・車両・整備の状況が戦時中以上に悪化したこともあって、特急列車どころか普通の列車すらまともに運転できない状態となり、1947年(昭和22年)の1月から4月に掛けては急行列車まで全廃された。その後、それらの状況がやっと好転して来た1949年(昭和24年)9月、東京駅-大阪駅間に「へいわ」が運転開始される。同区間を9時間で結び、速度こそ戦前の水準に及ばなかったが、この時1944年(昭和19年)以来5年ぶりに展望車・食堂車が復活するなど、見るべきことは多かった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "その後、特急列車は次第に各線で設定・増発され、特徴ある物も増えた。戦後の特急列車史に残る列車としては、下記の列車などが挙げられる。(新幹線は除く)", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "特急列車が普及したダイヤ改正として著名なものには、1961年(昭和36年)10月1日の改正(通称「サン・ロク・トオ」ダイヤ改正)と、1968年(昭和43年)10月1日の改正(通称「ヨン・サン・トオ」ダイヤ改正)がある。1961年(昭和36年)の改正ではそれまで東北・東海道・山陽・鹿児島・長崎の各本線と常磐線でしか運転されていなかった特急列車が全国の幹線を走り始め、1968年(昭和43年)の改正では、それまではその名の通り「特別」な列車であった特急列車が、需要の多い線区では1964年(昭和39年)10月に開業した東海道新幹線と同様ネットダイヤ化が進み、大衆化をも推し進めることになった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1972年(昭和47年)10月より一部の昼行特急には、「エル特急」と言う愛称が与えられた。後に従来の急行列車を昇格して特急列車とした際にもこの扱いを行うことが多かった。しかしJR東日本が2002年(平成14年)12月にエル特急を名称上全廃したのを皮切りに、他のJR各社でもエル特急の名称が廃止されていった。最後までエル特急の名称が残ったJR東海も、2018年3月のダイヤ改正でエル特急の名称を廃止したため、登場から45年半でエル特急の名称は消滅した。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1972年(昭和47年)- 1985年(昭和60年)に掛けて、山陽新幹線・東北新幹線・上越新幹線といった新幹線が次々と開通するにつれ、長距離を走る特急列車は新幹線に取って代わられる形で次第に減少し、それと引き換えに新幹線の沿線から離れた都市と、新幹線との連絡・接続を図る、中-短距離の列車が増えていった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1985年(昭和60年)3月 - 2002年(平成14年)12月までの間、東北本線(宇都宮線)・高崎線などでは同線内相互間の輸送を目的とした一部のエル特急を「新特急」と称していた。元々は、短・中距離の急行列車を増収のためほとんど停車駅は変えず特急列車に格上げした物で、定期券でも乗車できることとし、料金も 50km 以下の区間は急行料金と同額とするなど、特急と急行の中間的な設定にされた。しかし前述のような理由で設定された特急であり、使われていた185系はそれまでの特急列車の車両より設備が劣り、関西では快速列車に使うような車両にデッキを付けただけのような物であったが、後に座席は通常の特急用と同じものに交換された。2001年(平成13年)12月にそれ以外の列車と特急料金が同額になり、「新特急」を列車名に冠する必要が無くなったためか翌年消滅した。因みにその頃までには東北本線の新特急は朝夕の時間帯を除いて一般車使用の快速に格下げされ、高崎線の新特急もアコモデーションのリニューアルや日中時間帯の停車駅の大幅な削減などの改善策が行われた。また、湘南新宿ラインの開通後は東北・高崎線の快速・普通列車においてもグリーン車の連結が行われるようになったため、旧「新特急」が担当していた高崎線内相互間の着席輸送においては、快速・普通列車のグリーン車の拡充を重視する傾向になっている。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "2004年(平成16年)3月に九州新幹線が開通して以来、JR九州は「きりしま」のうち霧島神宮・国分発着のものや、「はやとの風」、また2009年10月10日から運転の「海幸山幸」といった臨時特急列車などが存在するが、これらの列車は停車駅こそ限定されてはいるもの、いずれも同区間を走る普通列車と同等か、それより遅い列車も存在する。これは速達性を意味する「特別な急行列車」の意味ではなく、新幹線との接続性を重視しているものや、また車内設備のサービスに対して料金を取るか取らないかどうかや、観光に特化したサービスの提供などといったサービスの違いで「快速列車」・「普通列車」などと区分するために、「特急列車」を名乗らせているものである。このような観光に特化した特急列車のことをJR九州では便宜的に「観光特急」などと呼ぶことが多い。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1950年代までは客車による長大編成が組まれた。しかし、1960年代以降、速達化を計る観点から、昼行列車から使用車種を電車・気動車へ変更してゆく事となった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "この初例としては、運用の効率化を図った登場時の151系を用いた「こだま」の編成がある。詳細はこちらを参照されたいが、これは、簡易食堂「ビュフェ」付き三等車と二等車を編成中央に組み込んで8両編成で運用するものであったが、速達化・快適性の向上がなされた。その後、運行されていた客車特急列車の電車化を行う際には、運用の効率化よりも旧来の客車編成との摺り合わせがなされたため、10両 - 12両で運用された。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "しかし、利用者が少ないとされた地方線区での使用が予想されたキハ82系では食堂車と一等車(後のグリーン車)を各1両備えた6両編成を基本とした編成が基本とされた。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "電車でも二等車(→普通車)の両数の差があるものの、編成が短くなり、おおむね8両 - 12両程度で運用される従来のものから大きく変容するようになる。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "その初例として、1976年(昭和51年)に設定された佐世保線エル特急「みどり」では485系新製車両では最も短い4両編成で運用される事例がみられるようになった。ただし、「みどり」の事例は「かもめ」と併結運転を行う多層建て列車として運行する関係もあり、線路容量が小さい路線での措置として異例とされた。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "本格的な短編成化として知られるようになったのは、高速バスとの競争が激しくなった鹿児島本線エル特急「有明」である。この列車群では、車種統一を図った1984年(昭和59年)以降改造車両を用い、1本あたりの編成組成を短くする代わりに本数を増発する手法を採ったため、1986年(昭和61年)には「3両編成を組んだ特急」が運行されるようになった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ただし、電車による短編成化には運用上の限界があり、2両編成の電車特急列車は1990年(平成2年)登場の札幌→旭川間運行の臨時特急「モーニングエクスプレス」があったものの、1994年(平成4年)には使用車両である785系の当時の所定編成であった4両編成に戻され、以降電車での短編成運行は485系・183系・253系・373系による3両編成が最小になったが、2010年に8000系の付属編成を2両に減じたため、2両編成電車特急が復活。後継となる8600系では、2両または3両編成で製作、運用されている。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "しかし、気動車ではキハ82系の編成を元に設計したキハ181系・キハ183系では「大出力エンジンを積む」や(後者のみであるが)「極寒地仕様のため先頭車両は非貫通」とした事もあり、例えばキハ181系は2両で運行することは可能であるが、「便所がない」・「座席数が少ない」という問題もあった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "そこで、1986年(昭和61年)に運用を開始したキハ185系気動車では2両編成で運用可能とした設計とた。これには急行列車の格上げによる「急行形気動車の置き換え」ともされている。また実際に四国旅客鉄道(JR四国)は高徳線のエル特急「うずしお」の運用開始時に実施した。なお、同車両は2016年(平成28年)現在2両 - 3両の短編成で運用される事が多く、当初よりの所有会社であるJR四国では主に徳島県内の特急列車群で、一部は 九州旅客鉄道(JR九州)が購入し久大本線・豊肥本線を運行する特急列車群で運用されている。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また、西日本旅客鉄道(JR西日本)では「地域輸送の高速化」という観点から、キハ185系以降にて2両固定編成での運用を前提としたキハ187系を新製した。また、キハ181系を最後まで使用していた「はまかぜ」ではグリーン車連結の4両編成であったが、キハ189系では普通車のみの3両編成で置き換えた。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "客車については、151系が登場した1960年代以降定員が少ない寝台車を中心にして運行されたこともあるため、食堂車、電源・荷物車を込みで10両 - 15両程度の長大編成を組んでいたが、14系客車では分割併合での簡易電源車連結の手間を省略するため、サービス電力を高出力ながら乗客を乗せない専用の電源車ではなく、編成の端に連結する緩急車より供給する関係で6両程度で組成をすることとなり、その編成単位の組み合わせで運行されるようになった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "なお、「はやぶさ」が1985年(昭和60年)にロビーカー連結により15両編成となった(東京駅 - 熊本駅間)がこれが、客車列車としては最長となった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "しかし、1980年代以降、長期的な夜行列車・寝台列車の凋落傾向から必ずしも10両程度の需要がないことから、短編成化された列車も存在した。例えば、1984年 - 1989年までの「出雲2・3号」は8両編成で運行されたが、廃止直前(2000年以降)の「彗星」の様にB寝台車のみの4両編成で運行された列車もあった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "なお、「富士」・「はやぶさ」は、運行末期である2005年(平成17年)より2009年(平成21年)の廃止までは門司以降のJR九州管内においては6両編成、東京 - 門司間ではそれを2編成組み合わせた12両で運行されていた。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "なお、末期の寝台列車で運用されたものの編成は以下の通りであった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "なお、2022年9月23日現在で最長編成の列車は以下の通りとなる。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "新幹線で運行される列車も特急列車として分類される。また、在来線と直通する列車も特別急行列車と定義されている。このため、以下の列車も特別急行列車として取り扱われる。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "なお、1975年(昭和50年)3月より1982年6月まで東海道・山陽新幹線のみであったことから料金は単一で設定されていたが、東北新幹線開業に際して個別の新幹線での設定がなされている。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "それ以前、東海道新幹線開業より1972年(昭和47年)3月の山陽新幹線岡山開業までは「ひかり」は超特急、「こだま」は特急として区別しており、速達タイプの「ひかり」と各駅停車タイプの「こだま」は料金に区別があった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "新幹線で、220km/h超の速達列車に対する付加料金設定は、1992年(平成4年)3月に登場した「のぞみ」も「ひかり」・「こだま」とは料金に格差が設けられた。当初は、専用新型車両である300系開発のためと称したため、「のぞみ」特定となってきたが、2003年(平成15年)10月1日に「のぞみ」にも自由席を設定。「ひかり」・「こだま」と同一とした。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ただし、在来車両である200系・E2系により275km/hで運行された上越新幹線の実績もあり、東北新幹線での2002年12月の「はやて」設定時こそ行われなかったものの、E5系・H5系による2011年12月の「はやぶさ」設定に際し、最高時速を320km/hまで運行できる区間(ここでは宇都宮 - 盛岡間)を含む場合に列車名指定なしで料金付加を行っている。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "沿革にある通り、JR の場合特急列車を利用する場合、乗車券のほかに特別急行券(特急券)が必要である。料金などの詳細については、「特別急行券」の項を参照されたい。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "特急列車への定期乗車券での乗車は原則として認められていないが、近年は特例として一部の列車・路線で定期乗車券に自由席特急券ないしは立席特急券を追加すれば乗車が認められるようになってきている。現在では、自由席については昼行列車の全列車が定期乗車券との組み合わせで乗れるようになった。しかし、指定席は認めていない場合も多い。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "普通列車が一切ないなどの理由で、特急列車に乗車しても特急料金がかからない区間がある(ただし、新幹線車両使用区間を除く)。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "他の種別の列車の車両と異なる特急形車両を使っており、高速性能や、座席などの車内設備が他の種別の列車用より優れている。原則として特急列車に専用されるが、利用客の少ない末端区間で普通列車になる場合や、運用の関係で全区間普通列車として運転される場合もある。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "国鉄時代の特急の特色として、綺麗なデザインが施されたヘッドマークやテールマーク(両方合わせて本節で「トレインマーク」という)がある。また、国鉄時代に製造された車両には、特急列車用の国鉄特急エンブレムが車両前面に装着されている。列車の前後、中央部に目立つように掲示したものである。戦前にすでに運行されていた「富士」「さくら」の列車愛称命名時に絵柄を入れた金属製のものを取り付けたのが端緒である。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "戦後、1950年(昭和25年)に復活した特急「へいわ」号以降、特急列車のシンボルとして列車の前後に取り付けられるようになった。以降、特急列車である「つばめ」・「はと」・「さくら」・「かもめ」・「あさかぜ」・「はつかり」・「さちかぜ」・「平和」・「はやぶさ」・「みずほ」まで絵柄入りのトレインマークが用意された。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "しかし、\"ビジネス特急「こだま」\"用として1958年(昭和33年)に登場したモハ20系→151系(のちの181系)には、「特急マーク」と称される「T」をモチーフにしたエンブレムや、日本国有鉄道の英略である「JNR」をモチーフにしたロゴを制定したものの、トレインマーク自体は列車名のみのものとなった。この後に登場した気動車初の特急形車両であるキハ81系も151系の特急マーク・国鉄ロゴ・ボンネットスタイルを踏襲し、トレインマークについては列車名のみとなった。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "またブルートレイン用客車の20系客車では、電源車・緩急車のテールマークについては当初地色を列車ごとに変えたが、のちに白地に濃紺(ローマ字表記は赤)でいずれも列車名のみを表示する形とした。後継の14系客車・24系客車といった客車も当初は列車名のみの表記となっていた。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "客車の絵柄入りのテールマークは廃されたものの、機関車取り付けのヘッドマークは残り、寝台特急のシンボルとなった。その一方で、取り外しが面倒、費用が嵩む、あるいは盗難にあうなどの理由で1975年(昭和50年)には東京 - 西日本・九州方面のブルートレイン7列車以外はすべて廃止された。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "しかしながらその3年後、1978年(昭和53年)10月には話題性も目論んで、すべての電車特急にイラストを施したトレインマークを採用することになった。当初は、交換が容易な幕式愛称標を備えた制御車に採用されたため、同じ電車列車でも透過式アクリルトレインマークを使用したボンネットタイプの制御車を持つ車両ではイラストなしの愛称標を使用していた。続いて、14系客車・24系客車を使用したブルートレインに波及し、幕式愛称標を装備していなかったキハ82系・181系も1985年(昭和60年)1月までに絵柄入りトレインマークが採用された。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1987年(昭和62年)4月1日のJR発足後の新型車両については、LEDを利用したトレインマークが採用されたり、トレインマーク自体を掲げなったりするものも増加した。代わりに、車両を特徴付けるエンブレムやロゴマークを車体に直接表示する場合も増えた。絵柄入りトレインマークを使用する場合も、JR西日本の北近畿ビッグXネットワークやJR四国の各特急列車など図案を簡略化したものも現れた。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "例外として、埼京線・川越線・相鉄線直通列車にはJR東日本の公式サイトの時刻表上にのみ「特急」の列車種別が設定されているが、これはJR線内(羽沢横浜国大駅まで)において「各駅停車」として走る電車が直通先の相模鉄道本線・相鉄新横浜線内において後述の料金不要の「特急」として走ることを意味しており、本節で述べた「特急列車」とは全く性質の異なるものである。", "title": "国鉄・JRの特別急行列車" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "国鉄時代には貨物列車にも「特急」が存在した。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "戦前においては、正式な種別としての「特急」ではないが、1927年(昭和2年)12月より、下関発梅小路行きの急行貨物第154列車が運転を開始、同列車は鮮魚を主体とした急送品輸送に特化しており、途中の操車場での増解結を省略して同区間を17時間40分(表定速度34.2km/h)で結び、従来よりも11時間もの大幅な時間短縮を実現したことから「貨物特別急行列車」「鮮魚特急列車」と通称された。正式な種別としての「特急」は、1932年(昭和7年)9月に首都圏内発着の軽量小口貨物の速達化を図るために、短編成のボギー貨車で組成された「特急貨物列車」で、2往復が設定され、途中の操車場での増解結を省略して旅客列車並みの最高速度85km/hで運転された。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "戦後、1959年(昭和34年)11月5日より、コンテナ貨車で組成された特別急行貨物列車「たから号」が運転を開始し、最高速度85km/h、汐留・梅田間を10時間55分で結び、表定速度は50.7km/hに達した。これが貨物列車としては戦後最初の「特急」となり、その後も最高速度85km/hの貨物列車に対し「特急貨物列車」の種別が与えられている。1961年(昭和36年)10月より「たから号」は2往復体制となり、1964年(昭和39年)10月時点は特急貨物列車全体で東海道・山陽・鹿児島本線で1日10本、1965年(昭和40年)10月時点では東京~北海道方面にもコンテナ特急貨物列車が1往復設定され、全国で1日27本の特急貨物列車が設定された。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1966年(昭和41年)10月からは、10000系貨車で組成された貨物列車が1日9本の運転を開始、最高速度が100km/hに引き上げられて「高速特別急行貨物列車」の種別が与えられ、最高速度85km/hの「特急貨物列車」との併存となった。1967年(昭和42年)10月時点では自動車輸送に特化した特急貨物列車「アロー号」も設定されるなど、高速特急貨物列車9本、特急貨物列車47本体制となった。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正では貨物列車の列車種別が整理され、最高速度85km/hの旧「特急貨物列車」は「急行貨物列車」となり、最高速度100km/hの旧「高速特急貨物列車」のみが「特急貨物列車」となり、全国で1日15本体制となった。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1969年(昭和44年)4月より、東京・大阪間で、拠点間を直行し、トラックとの協同一貫輸送を行うコンテナ貨物列車「フレートライナー」が1日5往復設定され、うち1往復が最高速度100km/hの特急貨物列車として運転され、同年10月には1往復増発されている。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "1971年(昭和46年)10月より、最高速度95km/h対応で専用の機関車を必要としないコキ50000形コンテナ貨車による「フレートライナー」が設定され、最高速度100km/hの列車を「特急貨物列車A」、最高速度95km/hの列車を「特急貨物列車B」とした。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "その後もコンテナ貨物列車の増発は続き、1976年(昭和51年)3月時点では全国に1日129本の特急貨物列車が設定されるに至ったが、その後はオイルショック後の不景気、運賃・料金の大幅値上げ、高速道路網の整備の進捗、「スト権スト」の影響などによる鉄道貨物輸送の大幅な縮減を受け、同年10月には1日121本に削減され、その後も削減傾向は続いた。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1978年(昭和53年)10月ダイヤ改正で、貨物列車の種別が再編され、最高速度100km/hの列車を「高速貨物列車A」、最高速度95km/hの列車を「高速貨物列車B」としたため、「特急貨物列車」の種別は廃止された。", "title": "特急貨物列車" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "阪和線の前身である阪和電気鉄道時代より同路線では特急や超特急といった無料の速達列車が運行されていた。同社が南海鉄道山手線を経て1944年(昭和19年)5月に国有化された時点ではそれらはすべて急行となり、それらも戦時中にいったん廃止されるが、1946年12月改正で準急が、1949年3月改正で急行が復活し、1950年10月改正で流電こと52系電車を使用した特急が復活した。これらの列車は他の国鉄特急とは制度的に別種の列車で料金不要の列車であり、また国電区間で初めて設定された特急であったことから、阪和線の特急は特急電車と呼ばれ他と区別された。", "title": "特急電車" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "しかし、1950年代後半になってくると他線区でも電車による優等列車が走るようになり、1958年には電車による有料特急「こだま」の運行開始が予定されていたのと、同年には阪和線においても気動車による有料準急「きのくに」が運行を開始したため、阪和線の準急電車・急行電車・特急電車は1958年(昭和33年)10月の称号改正で特急電車が快速列車、急行及び準急電車が直行列車に改められた。", "title": "特急電車" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "私鉄では南海鉄道(現在:南海電気鉄道)が1926年(大正15年)12月3日に、初めてこの名前の列車を運転したといわれている。また、料金を別途必要とする有料制の特急列車については、近畿日本鉄道が1947年(昭和22年)に名古屋 - 上本町間において運転を開始した のが最初である。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "利用するためには、鉄道会社によってJRと同様に乗車券のほかに特急料金(またはそれに類した追加料金)が必要なものと、乗車券だけで利用できるもの、および座席指定車と料金不要の自由席車の両方を連結したものの3種類がある。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "また、私鉄にはオリジナルの列車種別が設定されていることも多く、用途や行先を冠することで、複数の「特急」(例:名鉄の場合ミュースカイ・快速特急・特急)が設定されているケースも少なくはない。また、近年では、ラッシュ時に「通勤ライナー」的な性格の列車が運転されているケースも多い。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "種別としての性格は、東武鉄道など特別急行料金を徴収するJRの特急列車と同等のものと、名古屋鉄道や京浜急行電鉄、京阪電気鉄道など、本来特別急行料金は設定していなかったが、座席指定料として運賃とは別に料金を徴収するようになったものとがある。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "JRと同様に、高速性、車内設備などが他の種別に使用している車両に比べて優れている特急用の専用車両が使用されており、差別化を図っている。一部の私鉄や第三セクター鉄道には、JR線から特急列車が乗り入れている(一部は相互直通運転を実施)。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "なお、事業者によっては料金不要車両を併結する列車も運行されているが、これについては次項「#有料車両・料金不要車両連結列車」を参照。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "京浜急行電鉄(土休日昼間の指定列車)と名古屋鉄道(「ミュースカイ」を除く)と南海電気鉄道(「サザン」「天空」のみ)および京阪電気鉄道(8000系、3000系)では、有料車両と料金不要車両の両方を連結する列車が運転されている。この場合、有料車両については専用車両で指定席、料金不要車両については一般車両で自由席となっている。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "この4事業者に加え、阪急電鉄でも京都本線の特急・通勤特急・準特急の一部車両に指定席を導入する予定がある。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "他の列車種別より停車駅が少ないもの、いわゆる最速達列車として「特急」を運行している事業者も存在する。そのため、他種別の列車と同じく通勤形車両を用いるのが一般的である。ゆえに、このタイプの「特急」は JR における「特別快速」または「新快速」(前述した国鉄阪和線における特急電車と類似、いわゆる普通列車の一種)と同義の種別であると考えることができる(「急行列車#料金不要の「急行」」も参照)が、一部の私鉄には快速に相当する種別を「特急」として、その上に「快特(快速特急)」といった、さらに上位の種別を設定している事業者もある。しかし、競合する他事業者の鉄道路線がある場合には、料金不要の列車といえども車内設備や性能の優れた専用車両を充当することがある。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "こうした例は、東海道線や横須賀・総武快速線と競合する京浜急行電鉄と京成電鉄、中央線快速と競合する京王電鉄、中京地区で東海道本線と競合する名古屋鉄道、JR京都線・JR神戸線と競合する阪急電鉄・京阪電気鉄道・阪神電気鉄道・山陽電気鉄道、鹿児島本線と競合する西日本鉄道に見られる。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "このほか、「特急」に類似する種別としては以下のようなものがある。詳細は各記事を参照。", "title": "私鉄の特別急行列車" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "名古屋市電気局(名古屋市電)では戦時中、他の市電と同じく節電目的で一部の停留場を通過する急行運転を1940年より実施していたが、1943年から1945年の間には通過停留場をさらに増やした特急が設定されていた。", "title": "路面電車の特急運転" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "鉄道事業者によっては、特急列車に専用乗務員を充て、かつ特急乗務員専用行路を与えていることもある。特に運転士にいたっては、運転技術で選抜された者や、特別な研修・実地訓練を受けた者に対してその任務が充てられることがある。", "title": "特急乗務員" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "バスにおいても、特に停車する停留所を限定している系統が「特急」を名乗る場合がある(例:特急仙台・山形線、山陰特急バス)。ただしその中でも高速道路を主として走行する物は「高速バス」と呼ばれることが多い。「高速バス」「急行バス」の項目も参照のこと。", "title": "鉄道以外における「特急」" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ちなみに阪急バスでは、高速バスの方向幕表示を通常「高速 高知」「高速 長野」などと表示しているが(LED 幕車では行き先のみ表示)、スーパーノンストップ便に関しては「特急 福岡」「特急 有馬温泉」と標示し、「特急」を「高速」よりも格上の存在と位置づけている。", "title": "鉄道以外における「特急」" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "フェリーに関しては1971年から2005年まで、「特急」と冠した「大阪高知特急フェリー」が存在した。", "title": "鉄道以外における「特急」" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "列車種別の分類は国や鉄道事業者によってまちまちであるが、そのうち他の列車より速い、専用車両を用いる、特別料金を必要とするなど、日本の特急に近い性格を持つもののことを、日本語で「特急」と表記することがある。ただし正確を期する必要のある場合には原語表記やその直訳、仮名転写などが用いられる。またTGVやICEなどの高速鉄道の列車は「超特急」や「新幹線」と訳されることもある。", "title": "日本国外の例" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "韓国では、1984年まで韓国国鉄において「トゥックプ(特急)」という種別が存在した。同年以降、長らく韓国に「特急」という種別は存在しなかったが、2017年より首都圏電鉄1号線(京釜線・京仁線)の速達列車として「特急」が新設された。なお、現在の韓国鉄道公社(KORAIL)の長距離座席指定列車であるKTX、ITX-セマウルなどの列車では、観光ガイドなどで便宜的に「特急」という表現が使われることがあるものの、愛称が列車種別を兼ねているため、正式には「特急」の名称は使用していない。", "title": "日本国外の例" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "米国には、特別料金を支払って乗車する上等客のみを扱う \"LIMITED\" (リミテッド)と呼ばれる豪華列車が1910年代から運転されたが、「特急」に該当する列車種別は無い。過去の代表的なリミテッドには、ニューヨーク・シカゴ間をノンストップで結んだ「20世紀特急」(20th Century Limited)やニューヨーク・ワシントンDC・シンシナティ・セントルイスを結んだ「ナショナル特急」(National Limited)があった。21世紀の現代にアムトラックが運行する列車の愛称にはレイクショア・リミテッドやキャピトル・リミテッドのようにリミテッドを名乗るものがあるが、他の旅客列車と種別が異なるものではない。", "title": "日本国外の例" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "欧州では、古くから日本の特急に相当する列車の運転が盛んである。イタリアでは1936年から電車による特急列車が運転された。1957年にはヨーロッパ各地を日帰りで行き来できるビジネスライクな TEE 列車網が整備され、これらの列車には特別急行券を必要とした。その後はインターシティ \"InterCity (IC)\" 列車に変更された。これは都市間連絡を主たる目的とする在来線優等列車であり、21世紀において欧州では TGV や ICE などのいわゆる新幹線タイプの特急列車が中心である。しかし、かつては「ラインゴルト」、「ミストラル」、「ゴールデンアロー」、「セッテベッロ」などの著名な特急列車が運転され、高速なだけでなく、その走行区間において最も豪華な列車として運転されていた。これらの特急列車はほとんどが一等(三等級時代は一、二等)のみで編成され、パーラーカーや食堂車やバー、ブチックやラウンジを備えていた。これらの列車には他の列車より高額であり、特別急行券を必要としていた。", "title": "日本国外の例" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "通常英訳には、かつての米国の例に倣い「Limited Express」が当てられるが、米国では鉄道旅客輸送の衰退に伴いほとんど死語になっている。ただし、Sunset Limitedのようにアムトラックが引き継いだ列車愛称の一部にその名残が見られる。", "title": "特急の訳語" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "事業者によってはこれを“Limited Exp.”, “Ltd. Express”, “LTD. EXP.” などと略すが、京王電鉄ではSpecial Express となっている。", "title": "特急の訳語" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "デビット・ベネット(レノボ・ジャパン社長、2021年当時)は、「Limited」という英単語には「制限された」というニュアンスがあることを指摘し、語感に則れば「急行より遅い」と受け止められる可能性があるとしている。", "title": "特急の訳語" } ]
特別急行列車(とくべつきゅうこうれっしゃ)は、鉄道における急行系統の列車であり、急行列車の上位に位置する列車種別である。略して、特急列車(とっきゅうれっしゃ)、または単に、特急(とっきゅう)という。 鉄道会社や鉄道路線ごとに多少の違いはあるものの、概ねその路線で最も早く目的地に到達する列車に与えられる呼称である。 また、一般に普通列車に比べ停車駅が少なく、運転速度も速いことにより、利用区間の到達時間が短くなるという速達性がある種別。 本項では、特急料金が必要な優等列車(長距離列車)としての特急列車のほか、以下についても取り扱うこととする。 特急貨物列車:高速輸送の貨物列車 特急電車:かつて日本国有鉄道(国鉄)で運行されていた特急料金不要の列車(普通列車) 特急料金不要の「特急」:現在日本の私鉄で運行されている列車であり、国鉄・JRでは広義の普通列車に含まれる列車 鉄道以外の「特急」
{{脚注の不足|date=2014年10月}} '''特別急行列車'''(とくべつきゅうこうれっしゃ)は、[[鉄道]]における急行系統の[[列車]]であり、[[急行列車]]の上位に位置する[[列車種別]]である。略して、'''特急列車'''(とっきゅうれっしゃ)、または単に、'''特急'''(とっきゅう)という。 [[鉄道事業者|鉄道会社]]や[[鉄道路線]]ごとに多少の違いはあるものの、概ねその路線で最も早く目的地に到達する列車に与えられる呼称である{{refnest|group="注釈"|例外ではあるが[[2015年]][[3月]]のダイヤ改正時点でも有料特急の所要時間が通勤快速と同等の路線がある(JR 京葉線 特急/東京 18:00 発→蘇我 18:33 着 所要時間 33 分 、通勤快速/東京 18:16 発→蘇我 18:49 着 所要時間 33 分)。また、特急停車駅の「海浜幕張駅」を通勤快速は通過するのも異例である<ref>JTBパブリッシング 『JTB時刻表』2015年3月号 京葉線のページを参照。</ref>。}}。 また、一般に普通列車に比べ停車駅が少なく、運転速度も速いことにより、利用区間の到達時間が短くなるという速達性がある種別。 本項では、[[特急料金]]が必要な[[優等列車]]([[長距離列車]])としての特急列車のほか、以下についても取り扱うこととする。 * 特急貨物列車:高速輸送の貨物列車 * 特急電車:かつて[[日本国有鉄道]](国鉄)で運行されていた特急料金不要の列車([[普通列車]]) * 特急料金不要の「特急」:現在日本の[[私鉄]]で運行されている列車であり、国鉄・[[JR]]では広義の[[普通列車]]に含まれる列車{{refnest|group="注釈"|私鉄では速達列車は料金徴収の有無を問わず優等列車として扱われることもあるが、料金不要列車も優等列車の範疇に含めるかどうかは事業者によって異なり、[[京王電鉄]]のように料金不要列車には速達列車であっても優等列車という表現を用いない事業者もある([[優等列車#私鉄]]も参照)。}} * 鉄道以外の「特急」 == 国鉄・JRの特別急行列車 == === 沿革・概要 === ==== 戦前特別急行列車の創始とその終焉 ==== 特別急行(特急)列車が設定される前、急行列車より速い列車には「'''[[最急行]]'''」という種別をつけることがあった。その中でも[[1906年]]([[明治]]39年)[[4月16日]]に、国有鉄道の[[新橋駅]] - [[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]]間で設定された「最急行 1列車・2列車」は、運賃以外に初めて速達サービスのための料金を徴収する列車となるなど、現在の有料特急・急行の元祖と位置づけられるものであった。 「'''特別急行'''」の種別を初めて用いたのは、[[1912年]](明治45年)[[6月]]に前述した「最急行 1列車・2列車」を区間延長する形により、[[関釜連絡船]]を介して[[中国]]・欧州などへの[[連絡運輸#国際連絡運輸|国際連絡運輸]]の一翼を担う「大陸連絡列車」として、[[新橋駅]] - [[下関駅]]([[山口県]][[下関市]])間で運転を開始した 1列車・2 列車である。編成内容も[[一等車]]・[[二等車]]のみで[[洋食]]専門の[[食堂車]]を連結し、[[展望車]]が最後尾に連結されるなど<ref name=ry>[{{NDLDC|952037/55}} 『鉄道旅行案内. 大正5年版』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>、「日本の国威」を対外宣伝するためのような存在であった。[[1914年]]([[大正]]3年)[[12月]]に[[東京駅]]が開業すると、1列車・2列車も東京駅始発となった。 [[1923年]](大正12年)[[7月]]、同区間に[[普通車 (鉄道車両)|三等車]]のみで構成された 3列車・4列車が運転開始される<ref>[{{NDLDC|974232/58}} 『鉄道省年報. 大正12年度』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。そこからも分かるように、この列車は食堂車も急行列車と同様の和食堂車を連結するなど、どちらかと言えば大衆向けの設定であった。[[昭和]]に入ると特急列車に「[[列車愛称]]」が付けられるようになり<ref name=nep4>[{{NDLDC|1076916/61}} 『鉄道省年報. 昭和4年度』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>、新しい列車の設定も見られたが、間も無く戦争に突入したため、結局戦前の特急列車は下記の 4種のみにとどまった。また戦前の特急列車は、東京以西の路線([[東海道本線]]、[[山陽本線]]、[[鹿児島本線]]、[[長崎本線]])のみで設定されていた。しかし[[第二次世界大戦]]の戦局が悪化した[[1944年]]([[昭和]]19年)[[3月14日]]には、[[決戦非常措置要綱]]に基づく旅客の輸送制限に関する件が閣議決定され、特急および急行列車などの全廃が決定<ref>決戦に備えて旅行を大幅制限(昭和19年3月15日 毎日新聞(東京) 『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p783 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。同年[[4月]]を以て「富士」を最後にそれらは全て廃止され、日本の特急列車は一旦消滅した。 ===== この時期の特急列車 ===== * '''[[富士 (列車)|富士(ふじ)]]''':[[1929年]](昭和4年)[[9月]]、当時の国有鉄道を運営していた[[鉄道省]]は前述した 1列車・2列車に「富士」と命名した<ref name=nep4/>。これは日本初であり、また公募によるもので(公募については[[列車愛称]]を参照)、後述する「櫻」・「燕」もそこから命名されている。「富士」は戦前の日本を代表する列車となり、一等展望車を最後尾に連結していた。[[1942年]](昭和17年)[[11月]]、[[関門トンネル (山陽本線)|関門トンネル]]の開業により「富士」は運転区間を[[長崎駅|長崎]]まで延長、翌年[[博多駅|博多]]までに短縮し、1944年(昭和19年)4月に廃止された。 * '''[[さくら (列車)|櫻(さくら)]]''':1列車・2列車に「富士」と命名されると同時に、3列車・4列車には「櫻」と命名<ref name=nep4/>。[[1934年]](昭和9年)12月までは、「富士」に対して十数分先行するような時刻で運転された。前述した「大衆列車」としての使命を全うして運転されていたが、1942年(昭和17年)11月に急行列車に格下げられた。 * '''[[つばめ (列車)#太平洋戦争前超特急「燕」|燕(つばめ)]]''':[[1930年]](昭和5年)[[10月]]、東京駅-神戸駅間に一・二・三等の各等をすべて連結した列車として運転を開始。この列車には所要時間を短縮するために、機関車の後位に水槽車を連結して横浜駅 - 名古屋駅間を無停車運行とするなど様々な工夫がなされ<ref>[{{NDLDC|1076934/89}} 『鉄道省年報. 昭和5年度』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>、[[丹那トンネル]]が開通した1934年(昭和9年)12月には東京 - [[大阪駅|大阪]]間を8時間で運転、戦前の最高記録を打ち立てた。[[1943年]](昭和18年)10月に廃止。 * '''[[かもめ (列車)|{{JIS2004フォント|&#40407;}}(かもめ)]]''':[[1937年]](昭和12年)7月、東京 - 神戸間に運転を開始。前述した「櫻」・「燕」の補助的性格の強い列車であった。1943年(昭和18年)[[2月]]に廃止。 ==== 太平洋戦争後の復活とその後の展開 ==== 終戦直後は、石炭・車両・整備の状況が戦時中以上に悪化したこともあって、特急列車どころか普通の列車すらまともに運転できない状態となり、[[1947年]](昭和22年)の[[1月]]から4月に掛けては急行列車まで全廃された。その後、それらの状況がやっと好転して来た[[1949年]](昭和24年)9月、東京駅-大阪駅間に「へいわ」が運転開始される。同区間を9時間で結び、速度こそ戦前の水準に及ばなかったが、この時1944年(昭和19年)以来5年ぶりに展望車・[[食堂車]]が復活するなど、見るべきことは多かった。 ===== 特徴のある特急列車 ===== [[File:国鉄151系.jpg|thumb|200px|こだま]] その後、特急列車は次第に各線で設定・増発され、特徴ある物も増えた。戦後の特急列車史に残る列車としては、下記の列車などが挙げられる。([[新幹線]]は除く) * '''[[つばめ (列車)#太平洋戦争後の展開|「つばめ」・「はと」]]''':[[1950年]](昭和25年)1月、前述した「へいわ」を運転開始3か月で「つばめ」と改称し、戦前の名列車の名前が蘇った(戦後は「つばめ」と平仮名書き)。同年6月、同区間にその姉妹列車として「はと」が登場する。さらに同じ年の10月には東京 - 大阪間の所要時間を戦前同様の8時間とし、東海道本線が全線電化された[[1956年]](昭和31年)11月には7時間30分にまで短縮する。後述する「こだま」が登場するまで、「つばめ」・「はと」は戦後の[[日本国有鉄道|国鉄]]を象徴する列車として走り続けた。 * '''「[[あさかぜ (列車)|あさかぜ]]」''':1956年(昭和31年)11月、東京 - 博多間に戦後初の夜行特急列車として登場した。関西圏を深夜時間帯に通過したりするなど、話題に尽きない列車であった。2年後の[[1958年]](昭和33年)10月には使用車両を新型の[[国鉄20系客車|20系客車]]に置き換え、初の「'''[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]'''」となった。 * '''「[[東北本線優等列車沿革|はつかり]]」''':1958年(昭和33年)10月に[[上野駅|上野]] - [[青森駅|青森]]間、即ち戦前戦後を通じて初めて東京以北へ向かう特急列車として設定された。当初は[[客車]]を使用していたが、2年後の[[1960年]](昭和35年)12月にこれまた日本で初めての'''[[国鉄キハ80系気動車|気動車]]'''による特急列車となった。[[1968年]](昭和43年)10月の改正で電車特急となる。 * '''「[[こだま (列車)#東海道新幹線特急「こだま」|こだま]]」''':1958年(昭和33年)11月、東京駅-大阪駅間に'''[[電車]]'''を使用した特急列車として登場。当初同区間を、それまでの機関車列車の所要時間より40分も早い6時間50分で結び、電車の優位性を見せ付けた。2年後の1960年(昭和35年)6月には、それをさらに6時間30分にまで短縮している(同時に「つばめ」・「はと」も電車に置き換え)。これによって東京 - 大阪間の日帰りが可能となったことから'''「ビジネス特急」'''と呼ばれ、[[東海道新幹線]]の開業まで東海道本線の代表列車として疾走した。 ==== 特急列車運行の全国展開 ==== 特急列車が普及したダイヤ改正として著名なものには、1961年(昭和36年)[[10月1日]]の改正(通称「[[サンロクトオ|サン・ロク・トオ]]」ダイヤ改正)と、1968年(昭和43年)10月1日の改正(通称「[[ヨンサントオ|ヨン・サン・トオ]]」ダイヤ改正)がある。1961年(昭和36年)の改正ではそれまで東北・東海道・山陽・鹿児島・長崎の各本線と常磐線でしか運転されていなかった特急列車が全国の幹線を走り始め、1968年(昭和43年)の改正では、それまではその名の通り「特別」な列車であった特急列車が、需要の多い線区では1964年(昭和39年)10月に開業した東海道新幹線と同様ネット[[ダイヤグラム|ダイヤ]]化が進み、大衆化をも推し進めることになった。 ===== この時期の著名な列車 ===== * '''「[[白鳥 (列車)#使用車両|白鳥]]」''':[[1961年]](昭和36年)10月、大阪 - 青森・上野([[信越本線]]経由)間を結ぶ気動車による特急列車として登場。[[直江津駅|直江津]]で上野編成と青森編成とを切り離し・併結すると言う、同時に登場した「[[かもめ (列車)|かもめ]]」とともに、日本初の分割・併結を行う特急列車となった。[[1965年]](昭和40年)10月に、上野への編成が上野 - [[金沢駅|金沢]]間の「[[はくたか]]」として独立、そして1972年(昭和47年)10月には使用車両を電車に変えるが、その後も[[2001年]](平成13年)3月まで大阪 - 青森間 1040.0km を結ぶ、在来線では日本最長距離を走る昼行特急列車として君臨し続けた。 * '''「[[富士 (列車)#東京対日豊本線夜行列車「高千穂」「富士」|富士]]」''':[[1964年]](昭和39年)10月に、東京 - [[大分駅|大分]]間を結ぶ寝台特急列車として登場、翌1965年(昭和40年)10月から運転区間を[[鹿児島中央駅|西鹿児島]](現在:鹿児島中央)まで延長し、[[1980年]](昭和55年)10月に運転区間を短縮するまでは、東京 - 西鹿児島間を[[日豊本線]]経由で 1574.2km を走る、日本最長距離走行の特急列車であった。 ==== エル特急の登場とその後の展開 ==== {{see also|エル特急}} [[1972年]](昭和47年)10月より一部の昼行特急には、「[[エル特急]]」と言う愛称が与えられた。後に従来の[[急行列車]]を昇格して特急列車とした際にもこの扱いを行うことが多かった。しかし[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が[[2002年]](平成14年)12月にエル特急を名称上全廃したのを皮切りに、他のJR各社でもエル特急の名称が廃止されていった。最後までエル特急の名称が残った[[東海旅客鉄道|JR東海]]も、[[2018年]]3月のダイヤ改正でエル特急の名称を廃止したため、登場から45年半でエル特急の名称は消滅した。 1972年(昭和47年)- [[1985年]](昭和60年)に掛けて、[[山陽新幹線]]・[[東北新幹線]]・[[上越新幹線]]といった新幹線が次々と開通するにつれ、長距離を走る特急列車は新幹線に取って代わられる形で次第に減少し、それと引き換えに新幹線の沿線から離れた都市と、新幹線との連絡・接続を図る、中-短距離の列車が増えていった。 1985年(昭和60年)3月 - 2002年(平成14年)12月までの間、[[宇都宮線|東北本線(宇都宮線)]]・[[高崎線]]などでは同線内相互間の輸送を目的とした一部のエル特急を「[[新特急]]」と称していた。元々は、短・中距離の急行列車を増収のためほとんど停車駅は変えず特急列車に格上げした物で、[[定期乗車券|定期券]]でも乗車できることとし、料金も 50km 以下の区間は急行料金と同額とするなど、特急と急行の中間的な設定にされた。しかし前述のような理由で設定された特急であり、使われていた[[国鉄185系電車|185系]]はそれまでの特急列車の車両より設備が劣り、関西では[[快速列車]]に使うような車両に[[デッキ]]を付けただけのような物であったが、後に座席は通常の特急用と同じものに交換された。2001年(平成13年)12月にそれ以外の列車と特急料金が同額になり、「新特急」を列車名に冠する必要が無くなったためか翌年消滅した。因みにその頃までには東北本線の新特急は朝夕の時間帯を除いて一般車使用の快速に格下げされ、高崎線の新特急もアコモデーションのリニューアルや日中時間帯の停車駅の大幅な削減などの改善策が行われた。また、[[湘南新宿ライン]]の開通後は東北・高崎線の快速・普通列車においても[[グリーン車]]の連結が行われるようになったため、旧「新特急」が担当していた高崎線内相互間の着席輸送においては、快速・普通列車のグリーン車の拡充を重視する傾向になっている。 [[2004年]](平成16年)3月に[[九州新幹線]]が開通して以来、[[九州旅客鉄道|JR九州]]は「[[きりしま (列車)|きりしま]]」のうち霧島神宮・国分発着のものや、「[[はやとの風]]」、また2009年10月10日から運転の「[[海幸山幸 (列車)|海幸山幸]]」といった臨時特急列車などが存在するが、これらの列車は停車駅こそ限定されてはいるもの、いずれも同区間を走る普通列車と同等か、それより遅い列車も存在する。これは速達性を意味する「'''特別な'''急行列車」の意味ではなく、新幹線との接続性を重視しているものや、また車内設備のサービスに対して料金を取るか取らないかどうかや、観光に特化したサービスの提供などといったサービスの違いで「快速列車」・「[[普通列車]]」などと区分するために、「特急列車」を名乗らせているものである。このような観光に特化した特急列車のことをJR九州では便宜的に「観光特急」などと呼ぶことが多い。 ==== 編成について ==== {{See also|編成_(鉄道)|特急形車両|Category:列車編成図}} [[#太平洋戦争後の復活とその後の展開|1950年代]]までは[[客車]]による[[編成 (鉄道)|長大編成]]が組まれた。しかし、1960年代以降、速達化を計る観点から、昼行列車から使用車種を[[電車]]・[[気動車]]へ変更してゆく事となった。 この初例としては、運用の効率化を図った登場時の[[国鉄181系電車|151系]]を用いた「[[こだま (列車)|こだま]]」の編成がある。詳細は[[こだま (列車)#東海道本線電車特急「こだま」|こちら]]を参照されたいが、これは、簡易食堂「ビュフェ」付き三等車と二等車を編成中央に組み込んで8両編成で運用するものであったが、速達化・快適性の向上がなされた。その後、運行されていた客車特急列車の電車化を行う際には、運用の効率化よりも旧来の客車編成との摺り合わせがなされたため、10両 - 12両で運用された。 しかし、利用者が少ないとされた地方線区での使用が予想された[[国鉄キハ80系気動車|キハ82系]]では[[食堂車]]と[[一等車]](後の[[グリーン車]])を各1両備えた6両編成を基本とした編成が基本とされた{{refnest|group="注釈"|なお、鉄道ファン1991年12月号のキハ80系・キハ181系の記事によると、当時の時刻表の編成図には、一等車は「ロ」、二等車は「ハ」、食堂車は「シ」と記載されていたため、編成は「ハ・ハ・ハ・シ・ロ・ハ」となり、「はっ、はっ、はっ白歯」と[[駄洒落]]めいた表現で編成内容を覚えることができたとされる。}}。 電車でも[[普通車 (鉄道車両)|二等車(→普通車)]]の両数の差があるものの、編成が短くなり、おおむね8両 - 12両程度で運用される従来のものから大きく変容するようになる。 その初例として、[[1976年]](昭和51年)に設定された[[佐世保線]][[エル特急]]「[[みどり (列車)|みどり]]」では[[国鉄485系電車|485系]]新製車両では最も短い4両編成で運用される事例がみられるようになった。ただし、「みどり」の事例は「[[かもめ (列車)|かもめ]]」と[[増解結|併結]]運転を行う[[多層建て列車]]として運行する関係もあり、[[線路容量]]が小さい路線での措置として異例とされた。 本格的な短編成化として知られるようになったのは、[[高速バス]]との競争が激しくなった[[鹿児島本線]]エル特急「[[有明 (列車)|有明]]」である。この列車群では、車種統一を図った[[1984年]](昭和59年)以降改造車両を用い、1本あたりの編成組成を短くする代わりに本数を増発する手法を採ったため、[[1986年]](昭和61年)には「3両編成を組んだ特急」が運行されるようになった。 ただし、電車による短編成化には運用上の限界があり、2両編成の電車特急列車は[[1990年]](平成2年)登場の[[札幌駅|札幌]]→[[旭川駅|旭川]]間運行の[[臨時列車|臨時]]特急「[[カムイ (列車)|モーニングエクスプレス]]」があったものの、[[1994年]](平成4年)には使用車両である[[JR北海道785系電車|785系]]の当時の所定編成であった4両編成に戻され、以降電車での短編成運行は485系・[[国鉄183系電車#JR西日本の183系|183系]]・[[JR東日本253系電車|253系]]・[[JR東海373系電車|373系]]による3両編成が最小になったが、[[2010年]]に[[JR四国8000系電車|8000系]]の付属編成を2両に減じたため、2両編成電車特急が復活。後継となる[[JR四国8600系電車|8600系]]では、2両または3両編成で製作、運用されている。 しかし、気動車ではキハ82系の編成を元に設計した[[国鉄キハ181系気動車|キハ181系]]・[[国鉄キハ183系気動車|キハ183系]]では「大出力エンジンを積む」や(後者のみであるが)「極寒地仕様のため先頭車両は非貫通」とした事もあり、例えばキハ181系は2両で運行することは可能であるが、「[[列車便所|便所]]がない」・「座席数が少ない」という問題もあった。 そこで、1986年(昭和61年)に運用を開始した[[国鉄キハ185系気動車|キハ185系気動車]]では2両編成で運用可能とした設計とた。これには急行列車の格上げによる「[[急行形車両|急行形気動車]]の置き換え」ともされている。また実際に[[四国旅客鉄道]](JR四国)は[[高徳線]]のエル特急「[[うずしお (列車)|うずしお]]」の運用開始時に実施した。なお、同車両は2016年(平成28年)現在2両 - 3両の短編成で運用される事が多く、当初よりの所有会社であるJR四国では主に徳島県内の特急列車群で、一部は [[九州旅客鉄道]](JR九州)が購入し[[久大本線]]・[[豊肥本線]]を運行する特急列車群で運用されている。 また、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)では「[[ローカル線|地域輸送]]の高速化」という観点から、キハ185系以降にて2両固定編成での運用を前提とした[[JR西日本キハ187系気動車|キハ187系]]を新製した。また、キハ181系を最後まで使用していた「[[はまかぜ_(列車)|はまかぜ]]」ではグリーン車連結の4両編成であったが、[[JR西日本キハ189系気動車|キハ189系]]では普通車のみの3両編成で置き換えた。 客車については、151系が登場した1960年代以降定員が少ない[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]を中心にして運行されたこともあるため、食堂車、[[電源車|電源]]・[[荷物車]]を込みで10両 - 15両程度の長大編成を組んでいたが、[[国鉄14系客車|14系客車]]では分割併合での簡易電源車連結の手間を省略するため、サービス電力を高出力ながら乗客を乗せない専用の電源車ではなく、編成の端に連結する[[緩急車]]より供給する関係で6両程度で組成をすることとなり、その編成単位の組み合わせで運行されるようになった。 なお、「[[はやぶさ (列車)|はやぶさ]]」が[[1985年]](昭和60年)に[[ロビーカー]]連結により15両編成となった(東京駅 - [[熊本駅]]間{{refnest|group="注釈"|電源・荷物車込みとなるため車号番号としては14号車までとなる。}})がこれが、客車列車としては最長となった。{{refnest|group="注釈"|「はやぶさ」自体は厳密には[[国鉄20系客車|20系客車]]時代にも[[:Template:JNR PC 20 at Shinagawa Depot 1972-1975|15両編成]]にもなったが、1両の長さが標準的なナハネ20形車両では20.5[[メートル|m]]であるが、1985年当時使用の[[国鉄24系客車|24系25形]]で標準となるオハネ25形車両であると21,3mとなることから。}} しかし、[[1980年代]]以降、長期的な[[夜行列車]]・[[寝台列車]]の凋落傾向から必ずしも10両程度の需要がないことから、短編成化された列車も存在した。例えば、[[1984年]] - [[1989年]]までの「[[サンライズ出雲|出雲2・3号]]」は8両編成で運行されたが、廃止直前([[2000年]]以降)の「[[彗星 (列車)|彗星]]」の様に[[B寝台]]車のみの4両編成で運行された列車もあった{{refnest|group="注釈"|なお「彗星」の末期は多客時でも6両編成であった。}}。 なお、「[[富士 (列車)|富士]]」・「[[はやぶさ (列車)|はやぶさ]]」は、運行末期である[[2005年]](平成17年)より[[2009年]](平成21年)の廃止までは[[門司駅|門司]]以降のJR九州管内においては6両編成、東京 - 門司間ではそれを2編成組み合わせた12両で運行されていた。 なお、末期の寝台列車で運用されたものの編成は以下の通りであった。 * [[2010年]](平成22年)に廃止された「[[北陸 (列車)|北陸]]」の運行末期はA寝台連結で8両編成であった。 *「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」・「[[トワイライトエクスプレス]]」・「[[カシオペア (列車)|カシオペア]]」では[[終着駅]]である[[札幌駅]]のホーム最大[[有効長]]に合わせた12両編成となっていた。 ===== 編成の長短について ===== {{節スタブ}} なお、2022年[[9月23日]]現在で最長編成の列車は以下の通りとなる。 ; 電車列車 * [[東北新幹線]]:「[[はやぶさ (新幹線)|はやぶさ]]」・「[[こまち (列車)|こまち]]」:東京 - [[盛岡駅|盛岡]]間での17両編成{{refnest|group="注釈"|なお、「[[やまびこ (列車)|やまびこ]]」・「[[つばさ (列車)|つばさ]]」の東京駅 - [[福島駅 (福島県)|福島駅]]間の17両編成でも車両の両数上同数となるが、[[新幹線E2系電車|E2系電車]]・[[新幹線E3系電車|E3系電車]]と[[新幹線E5系電車|E5系・H5系電車]]・[[新幹線E6系電車|E6系電車]]の先頭車両の差<!--({(E3系電車:23,075 [[ミリメートル|mm]]×2)+(E2系電車:26,500mm×2)}<nowiki>-{</nowiki>(E6系電車23,070mm×2)+(E5系電車25,700mm×2)}=1,600 mm=1,6[[メートル|m]])-->により、「はやぶさ」・「こまち」となる。}} ** 単独貫通列車の場合:[[東海道新幹線]]・[[山陽新幹線]]:[[新幹線N700系電車|N700系]]・[[新幹線N700S系電車|N700S系]]の16両編成。 * [[在来線]]:東京 - [[岡山駅|岡山]]間での[[JR西日本285系電車|285系]]「サンライズ瀬戸」・「サンライズ出雲」併結及び東京 - [[熱海駅|熱海]]間での[[JR東日本E257系電車|E257系]]「[[踊り子 (列車)|踊り子]]」([[伊豆急下田駅|伊豆急下田]]・[[修善寺駅|修善寺]]発着)・「[[湘南_(列車)|湘南]]」の14両編成が最長となる。{{refnest|group="注釈"|[[国鉄185系電車|185系]]15両編成「踊り子」は[[1981年]]10月の列車設定当時より[[2021年]][[3月13日]][[JRダイヤ改正|改正]]まで在来線電車特急列車では最長だった。}} ** 単独貫通列車の場合:[[ひたち_(列車)|「ひたち」「ときわ」]][[JR東日本E657系電車|E657系]]10両編成が最長となる。 <!-- ; 気動車列車--> ==== 新幹線列車の扱い ==== [[File:JR-Central-Tokyo-STA Shinkansen-concourse Digital-Signage.jpg|thumb|200px|新幹線の「こだま」は各駅停車であっても「特急」扱いとなる。]] [[新幹線]]で運行される列車も特急列車として分類される。また、[[在来線]]と直通する列車も特別急行列車と定義されている。このため、以下の列車も特別急行列車として取り扱われる。 *直通するため在来線を改修し、在来線直通を意図した車両を用いた列車(いわゆる「ミニ新幹線」):「[[つばさ (列車)|つばさ]]」・「[[こまち (列車)|こまち]]」 *新幹線規格で施工された区間で、営業・法令上在来線として運用されている区間:[[博多南線]]運行列車(列車名なし)・[[上越線]]支線扱いとなる上越新幹線支線[[ガーラ湯沢駅]]を発着する「[[たにがわ (列車)|たにがわ]]」 なお、[[1975年]](昭和50年)3月より[[1982年]][[6月]]まで[[東海道新幹線|東海道]]・[[山陽新幹線]]のみであったことから料金は単一で設定されていたが、[[東北新幹線]]開業に際して個別の新幹線での設定がなされている。 それ以前、東海道新幹線開業より1972年(昭和47年)3月の山陽新幹線[[岡山駅|岡山]]開業までは「ひかり」は[[超特急]]、「こだま」は特急として区別しており、速達タイプの「[[ひかり (列車)|ひかり]]」と各駅停車タイプの「こだま」は料金に区別があった。 新幹線で、220[[キロメートル毎時|km/h]]超の速達列車に対する付加料金設定は、[[1992年]](平成4年)3月に登場した「[[のぞみ (列車)|のぞみ]]」も「ひかり」・「こだま」とは料金に格差が設けられた。当初は、専用新型車両である[[新幹線300系電車|300系]]開発のためと称したため、<u>「のぞみ」特定</u>となってきたが、[[2003年]](平成15年)[[10月1日]]に「のぞみ」にも[[自由席]]を設定。「ひかり」・「こだま」と同一とした。 ただし、在来車両である[[新幹線200系電車|200系]]・[[新幹線E2系電車|E2系]]により275km/hで運行された上越新幹線の実績もあり、東北新幹線での[[2002年]][[12月]]の「[[はやて_(列車)|はやて]]」設定時こそ行われなかったものの、[[新幹線E5系・H5系電車|E5系・H5系]]による[[2011年]]12月の「[[はやぶさ (新幹線)|はやぶさ]]」設定に際し、最高時速を320km/hまで運行できる区間(ここでは[[宇都宮駅|宇都宮]] - [[盛岡駅|盛岡]]間)を含む場合に列車名指定なしで料金付加を行っている。 {{-}} === 特急料金 === [[#戦前特別急行列車の創始とその終焉|沿革]]にある通り、JR の場合特急列車を利用する場合、[[乗車券]]のほかに特別急行券(特急券)が必要である。料金などの詳細については、「[[特別急行券]]」の項を参照されたい。 特急列車への[[定期乗車券]]での乗車は原則として認められていないが、近年は特例として一部の列車・路線で定期乗車券に自由席特急券ないしは立席特急券を追加すれば乗車が認められるようになってきている。現在では、自由席については昼行列車の<!--いわゆる「夜行列車」でも[[寝台車_(鉄道)|寝台車]]の「ヒルネ」が認められていない事例があるため。-->全列車が定期乗車券との組み合わせで乗れるようになった。しかし、指定席は認めていない場合も多い。 ==== 特急料金が不要な区間 ==== 普通列車が一切ないなどの理由で、特急列車に乗車しても特急料金がかからない区間がある(ただし、新幹線車両使用区間を除く)。 {{main|特別急行券#特急料金不要の特例区間}} === 車両 === {{main|特急形車両}} [[File:JRE limited express train photo shoot 20231011.jpg|thumb|right|250px|特別急行列車用車両の例<br/>(2023年 [[東日本旅客鉄道|JR東日本]])]] 他の種別の列車の車両と異なる[[特急形車両]]を使っており、高速性能や、座席などの車内設備が他の種別の列車用より優れている<ref>PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』p.78</ref>。原則として特急列車に専用されるが、利用客の少ない末端区間で普通列車になる場合や、運用の関係で全区間普通列車として運転される場合もある。 {{-}} === トレインマーク === {{出典の明記|section=1|date=2015年7月}} {{see also|方向幕#ヘッドマーク|ブルートレイン_(日本)#沿革}} [[File:Tc481-1500-Tsubasa.jpg|thumb|right|200px|国鉄[[エル特急]]の「つばさ」のトレインマークと国鉄特急エンブレム([[上野駅]])]]<!--画像提供者の項目に転載フリーの記述あり--> [[日本国有鉄道|国鉄]]時代の特急の特色として、綺麗なデザインが施された[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]やテールマーク(両方合わせて本節で「トレインマーク」という)がある。また、国鉄時代に製造された車両には、特急列車用の国鉄特急エンブレムが車両前面に装着されている。<!--丸い←丸くない形状もあり。-->列車の前後、中央部に目立つように掲示したものである。戦前にすでに運行されていた「[[富士 (列車)|富士]]」「[[さくら (列車)|さくら]]」の列車愛称命名時に絵柄を入れた金属製のものを取り付けたのが端緒である。 戦後、[[1950年]](昭和25年)に復活した[[東海道本線優等列車沿革|特急「へいわ」号]]以降、特急列車のシンボルとして列車の前後に取り付けられるようになった。以降、特急列車である[[東海道本線優等列車沿革|「つばめ」・「はと」・「さくら」]]・「[[かもめ_(列車)|かもめ]]」・「[[あさかぜ_(列車)|あさかぜ]]」・「[[はつかり_(列車)|はつかり]]」・[[さくら_(列車)|「さちかぜ」・「平和」]]・[[はやぶさ_(列車)|「はやぶさ」・「みずほ」]]{{refnest|group="注釈"|「みずほ」については「こだま」登場以降だが、運行当初は在来形車両での運行であるためこれに含める。}}まで絵柄入りのトレインマークが用意された。 しかし、"ビジネス特急「[[こだま (列車)#東海道本線電車特急「こだま」|こだま]]」"用として1958年(昭和33年)に登場したモハ20系→151系(のちの[[国鉄181系電車|181系]])には、「特急マーク」と称される「T」をモチーフにした[[エンブレム]]や、[[日本国有鉄道]]の[[英語|英]][[略語|略]]である「JNR」をモチーフにした[[ロゴタイプ|ロゴ]]を制定したものの、トレインマーク自体は列車名のみのものとなった。この後に登場した[[気動車]]初の[[特急形車両]]である[[国鉄キハ80系気動車|キハ81系]]も151系の特急マーク・国鉄ロゴ・ボンネットスタイルを踏襲し、トレインマークについては列車名のみとなった。 また[[ブルートレイン_(日本)|ブルートレイン]]用客車の[[国鉄20系客車|20系客車]]では、[[電源車]]・[[緩急車]]のテールマークについては当初地色を列車ごとに変えたが{{refnest|group="注釈"|例えば、「あさかぜ」は薄水色、「さくら」は桃色、「はやぶさ」は黄色、「みずほ」は水色で文字が黄色。}}、のちに白地に濃紺(ローマ字表記は赤)でいずれも列車名のみを表示する形とした。後継の[[国鉄14系客車|14系客車]]・[[国鉄24系客車|24系客車]]といった客車も当初は列車名のみの表記となっていた。 客車の絵柄入りのテールマークは廃されたものの、機関車取り付けのヘッドマークは残り、寝台特急のシンボルとなった。その一方で、取り外しが面倒、費用が嵩む、あるいは[[窃盗|盗難]]にあうなどの理由で[[1975年]](昭和50年)には東京 - 西日本・九州方面の[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]7列車以外はすべて廃止された。 しかしながらその3年後、[[1978年]](昭和53年)10月には話題性も目論んで、すべての電車特急にイラストを施したトレインマークを採用することになった。当初は、交換が容易な[[方向幕|幕式愛称標]]を備えた[[制御車]]に採用されたため、同じ電車列車でも透過式アクリルトレインマークを使用したボンネットタイプの制御車を持つ車両ではイラストなしの愛称標を使用していた。続いて、14系客車・24系客車を使用したブルートレインに波及し、幕式愛称標を装備していなかった[[国鉄キハ80系気動車|キハ82系]]・[[国鉄キハ181系気動車|181系]]も[[1985年]](昭和60年)1月までに絵柄入りトレインマークが採用された。 [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]の[[JR]]発足後の新型車両については、[[発光ダイオード|LED]]を利用したトレインマークが採用されたり、トレインマーク自体を掲げなったりするものも増加した。代わりに、車両を特徴付ける[[エンブレム]]や[[ロゴタイプ|ロゴマーク]]を車体に直接表示する場合も増えた。絵柄入りトレインマークを使用する場合も、JR西日本の[[北近畿ビッグXネットワーク]]や[[四国旅客鉄道|JR四国]]の各特急列車など図案を簡略化したものも現れた。 === 例外 === 例外として、[[埼京線]]・[[川越線]]・[[相鉄・JR直通線|相鉄線直通列車]]にはJR東日本の公式サイトの時刻表上にのみ「特急」の列車種別が設定されているが、これはJR線内([[羽沢横浜国大駅]]まで)において「各駅停車」として走る列車が直通先の[[相模鉄道]][[相鉄本線|本線]]・[[相鉄新横浜線]]内において後述の[[特別急行列車#料金不要の「特急」|料金不要の「特急」]]として走ることを意味しており<ref group="注釈">ちなみに行先表示器上では「各駅停車/相鉄線内特急」表示。</ref><ref group="注釈">JRでいう「快速」に相当する。なお、[[小田急電鉄]][[小田急小田原線|小田原線]]内において[[急行列車#料金不要の「急行」|料金不要の「急行」]]として走る[[常磐緩行線]]も同様の記載があるが、小田急線内準急となる列車には記載がない。</ref>、本節で述べた「特急列車」とは全く性質の異なるものである。 == 特急貨物列車 == 国鉄時代には[[貨物列車]]にも「特急」が存在した<ref>{{Cite book|和書|title=貨物鉄道百三十年史(中巻)|date=平成19年(2007年)6月|year=平成19年(2007年)|publisher=日本貨物鉄道株式会社}}</ref>。 [[戦前]]においては、正式な種別としての「特急」ではないが、1927年(昭和2年)12月より、[[下関駅|下関]]発[[京都貨物駅|梅小路]]行きの急行貨物第154列車が運転を開始、同列車は鮮魚を主体とした急送品輸送に特化しており、途中の操車場での増解結を省略して同区間を17時間40分(表定速度34.2km/h)で結び、従来よりも11時間もの大幅な時間短縮を実現したことから「貨物特別急行列車」「鮮魚特急列車」と通称された。正式な種別としての「特急」は、1932年(昭和7年)9月に首都圏内発着の軽量小口貨物の速達化を図るために、短編成のボギー貨車で組成された「特急貨物列車」で、2往復が設定され、途中の操車場での増解結を省略して旅客列車並みの最高速度85km/hで運転された。 戦後、[[1959年|1959年(昭和34年)]]11月5日より、[[コンテナ車|コンテナ貨車]]で組成された特別急行貨物列車「[[たから (列車)|たから号]]」が運転を開始し、最高速度85km/h、[[汐留駅 (国鉄)|汐留]]・[[梅田信号場|梅田]]間を10時間55分で結び、表定速度は50.7km/hに達した。これが貨物列車としては戦後最初の「特急」となり、その後も最高速度85km/hの貨物列車に対し「特急貨物列車」の種別が与えられている。[[サンロクトオ|1961年(昭和36年)10月]]より「たから号」は2往復体制となり、[[1964年10月1日国鉄ダイヤ改正|1964年(昭和39年)10月]]時点は特急貨物列車全体で[[東海道本線|東海道]]・[[山陽本線|山陽]]・[[鹿児島本線]]で1日10本、[[1965年10月1日・11月1日国鉄ダイヤ改正|1965年(昭和40年)10月]]時点では東京~北海道方面にもコンテナ特急貨物列車が1往復設定され、全国で1日27本の特急貨物列車が設定された。 [[1966年|1966年(昭和41年)]]10月からは、[[国鉄10000系貨車|10000系貨車]]で組成された貨物列車が1日9本の運転を開始、最高速度が100km/hに引き上げられて「高速特別急行貨物列車」の種別が与えられ、最高速度85km/hの「特急貨物列車」との併存となった。[[1961年-1975年の国鉄ダイヤ改正|1967年(昭和42年)10月]]時点では[[国鉄ク5000形貨車|自動車輸送]]に特化した特急貨物列車「アロー号」も設定されるなど、高速特急貨物列車9本、特急貨物列車47本体制となった。 [[ヨンサントオ|1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正]]では貨物列車の列車種別が整理され、最高速度85km/hの旧「特急貨物列車」は「急行貨物列車」となり、最高速度100km/hの旧「高速特急貨物列車」のみが「特急貨物列車」となり、全国で1日15本体制となった。 [[1969年|1969年(昭和44年)]]4月より、東京・大阪間で、拠点間を直行し、トラックとの[[インターモーダル輸送|協同一貫輸送]]を行うコンテナ貨物列車「[[日本フレートライナー|フレートライナー]]」が1日5往復設定され、うち1往復が最高速度100km/hの特急貨物列車として運転され、同年10月には1往復増発されている。 [[1971年|1971年(昭和46年)]]10月より、最高速度95km/h対応で専用の機関車を必要としない[[国鉄コキ50000形貨車|コキ50000形]]コンテナ貨車による「フレートライナー」が設定され、最高速度100km/hの列車を「特急貨物列車A」、最高速度95km/hの列車を「特急貨物列車B」とした。 その後もコンテナ貨物列車の増発は続き、[[1976年|1976年(昭和51年)]]3月時点では全国に1日129本の特急貨物列車が設定されるに至ったが、その後は[[オイルショック]]後の不景気、運賃・料金の大幅値上げ、高速道路網の整備の進捗、「[[スト権スト]]」の影響などによる鉄道貨物輸送の大幅な縮減を受け、同年10月には1日121本に削減され、その後も削減傾向は続いた。 [[ゴーサントオ|1978年(昭和53年)10月ダイヤ改正]]で、貨物列車の種別が再編され、最高速度100km/hの列車を「[[高速貨物列車|高速貨物列車A]]」、最高速度95km/hの列車を「[[高速貨物列車|高速貨物列車B]]」としたため、「特急貨物列車」の種別は廃止された。 == 特急電車 == [[阪和線]]の前身である[[阪和電気鉄道]]時代より同路線では特急や[[超特急]]といった無料の速達列車が運行されていた。同社が[[南海電気鉄道|南海鉄道]]山手線を経て[[1944年]](昭和19年)5月に[[日本国有鉄道|国有化]]された時点ではそれらはすべて急行となり、それらも戦時中にいったん廃止されるが、1946年12月改正で[[準急列車#国鉄の「準急電車」|準急]]が、1949年3月改正で[[急行列車#急行電車(急電)|急行]]が復活し、1950年10月改正で流電こと[[国鉄52系電車|52系電車]]を使用した特急が復活した<ref name=RP728-50>{{Cite journal |和書|author = 寺本光照|title = 阪和線 列車運転史|date = 2003-02|publisher = 鉄道図書刊行会 |journal = 鉄道ピクトリアル |volume = 728 |page=50 }}</ref>。これらの列車は他の国鉄特急とは制度的に別種の列車で料金不要の列車であり、また国電区間で初めて設定された特急であったことから、阪和線の特急は'''特急電車'''と呼ばれ他と区別された<ref name=RP728-50/>。 しかし、1950年代後半になってくると他線区でも電車による優等列車が走るようになり、1958年には電車による有料特急「こだま」の運行開始が予定されていたのと、同年には阪和線においても気動車による有料準急「[[きのくに (列車)|きのくに]]」が運行を開始したため、阪和線の準急電車・急行電車・特急電車は[[1958年]](昭和33年)10月の称号改正で特急電車が[[快速列車]]、急行及び準急電車が[[直行 (列車)|直行列車]]に改められた<ref name=RP728-51>{{Cite journal |和書|author = 寺本光照|title = 阪和線 列車運転史|date = 2003-02|publisher = 鉄道図書刊行会 |journal = 鉄道ピクトリアル |volume = 728 |page=51}}</ref>。 == 私鉄の特別急行列車 == [[私鉄]]では[[南海電気鉄道|南海鉄道(現在:南海電気鉄道)]]が[[1926年]](大正15年)12月3日に、初めてこの名前の列車を運転したといわれている<ref>PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』2010年7月 p.30 - p.31</ref>。また、料金を別途必要とする有料制の特急列車については、[[近畿日本鉄道]]が[[1947年]](昭和22年)に[[近鉄名古屋駅|名古屋]] - [[大阪上本町駅|上本町]]間において運転を開始した{{refnest|group="注釈"|ただ、当時は[[近鉄名古屋線|名古屋線]]と[[近鉄大阪線|大阪線]]で軌間が異なっていたため、[[伊勢中川駅]]での乗り換えを要していた。近鉄において名阪間の直通運転が可能になったのは1959年12月のことである([[近鉄特急史]]も参照のこと)。}} のが最初である。 利用するためには、鉄道会社によってJRと同様に[[乗車券]]のほかに[[特別急行券|特急料金]](またはそれに類した追加料金)が必要なものと、乗車券だけで利用できるもの、および座席指定車と料金不要の自由席車の両方を連結したものの3種類がある。 また、私鉄にはオリジナルの列車種別が設定されていることも多く、用途や行先を冠することで、複数の「特急」(例:[[名古屋鉄道|名鉄]]の場合ミュースカイ・快速特急・特急)が設定されているケースも少なくはない。また、近年では、[[ラッシュ時]]に「[[ホームライナー|通勤ライナー]]」的な性格の列車が運転されているケースも多い。 === 有料特急列車 === [[File:JRE-EC253-Tobu-100.jpg|thumb|200px|JR線へ相互直通運転をする特急列車の一例(東武鉄道)]] 種別としての性格は、[[東武鉄道]]など特別急行料金を徴収するJRの特急列車と同等のものと、[[名古屋鉄道]]や[[京浜急行電鉄]]、[[京阪電気鉄道]]など、本来特別急行料金は設定していなかったが、[[座席指定券|座席指定料]]として運賃とは別に料金を徴収するようになったものとがある。 JRと同様に、高速性、車内設備などが他の種別に使用している車両に比べて優れている[[特急形車両|特急用の専用車両]]が使用されており、[[差別化]]を図っている。一部の私鉄や[[第三セクター鉄道]]には、JR線から特急列車が乗り入れている(一部は相互[[直通運転]]を実施)。 なお、事業者によっては料金不要車両を併結する列車も運行されているが、これについては次項「[[#有料車両・料金不要車両連結列車]]」を参照。 ==== 自社の専用車両を用いて運行する列車 ==== * [[臨時列車]]を除く。 * 「<sup>×</sup>」表記のものは、かつて(定期)運行されていた運行事業者・路線 * 列車愛称は現行愛称を中心に掲載(詳細は各種記事を参照)<!--全網羅すると際限がなくなるため--> * 通勤ライナーとして独立した列車種別で運行されている有料列車については[[列車種別#ライナー]]および[[ホームライナー#私鉄・第三セクターにおける類似列車]]を参照。<!--ライナー的運用でも列車種別が特急系種別であるもののみ対象--> {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|北海道地方 !運行事業者 !愛称 !運行路線(通過駅あり) !備考 |- |<sup>×</sup>[[じょうてつ|定山渓鉄道]] |<sup>×</sup>むいね<br /><sup>×</sup>もみじ<br /><sup>×</sup>しらかば<br /><sup>×</sup>みどり |<sup>×</sup>[[定山渓鉄道線]] |1961年10月廃止。<br />『むいね』『もみじ』は下り、『しらかば』『みどり』は上り列車<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 1号 北海道―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900357|pages=54-55}}</ref>。 |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|東北・関東地方 !rowspan="2"|運行事業者 !colspan="2"|愛称 !colspan="2"|運行路線 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:8.5em;"|ブランド名・通称 !style="width:10.5em;"|列車愛称など !style="width:12em;"|通過駅あり !style="width:6em;"|各駅に停車 |- |[[会津鉄道]] | |rowspan="3"|[[けごん#野岩鉄道・会津鉄道接続列車|リバティ会津]] |colspan="2"|[[会津鉄道会津線|会津線]](一部各停) |rowspan="4"|[[東武500系電車|500系「リバティ」]]で運行。<br />鬼怒川線・会津鬼怒川線・会津線内のみ相互利用の場合、乗車券のみで乗車可能。<br />※鬼怒川線は早晩のみ[[東武ワールドスクウェア駅]]通過。 |- |[[野岩鉄道]] | |colspan="2"|[[野岩鉄道会津鬼怒川線|会津鬼怒川線]](一部各停) |- |rowspan="7"|[[東武鉄道]] |rowspan="6"| |rowspan="2"|[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]・[[東武日光線|日光線]]<br />[[東武鬼怒川線|鬼怒川線]]※ |rowspan="2"|鬼怒川線※ |- |[[けごん|リバティきぬ]] |- |[[けごん|きぬ]]<br />[[けごん|けごん<br />リバティけごん]]<br /><sup>×</sup>[[きりふり]]<br /><sup>×</sup>[[しもつけ (列車)|しもつけ]] |伊勢崎線・日光線<br />鬼怒川線(きぬ)<br /><sup>×</sup>[[東武宇都宮線|宇都宮線]](しもつけ) | |『リバティけごん』は500系「リバティ」、『きぬ』『けごん』は[[東武100系電車|100系「スペーシア」]]、<br />『きりふり』『しもつけ』は[[東武300系電車|350系]]で運行。<br />1964-69年の間は[[東武1720系電車|1720系]]使用列車にD特急の列車種別を使用し、<br />1969-71年の間は1720系使用列車をA特急、1700系使用列車を<br />B特急と列車種別で区別した。 |- |[[りょうもう]]<br />[[りょうもう|リバティりょうもう]] |伊勢崎線<br />[[東武桐生線|桐生線]](りょうもう)<br />[[東武佐野線|佐野線]](りょうもう) | |『りょうもう』は[[東武200系電車|200系・250系]]、『リバティりょうもう』は500系「リバティ」で運行。 |- |[[スカイツリーライナー]] |伊勢崎線 | |rowspan="2"|特急ライナー |- |[[アーバンパークライナー]] |伊勢崎線・[[東武野田線|野田線]] | |- | |<sup>×</sup>[[東武東上本線#フライング東上|フライング東上]] |<sup>×</sup>[[東武東上本線|東上本線]] | |1956年頃無料化。1962年急行格下げ。1967年廃止。 |- |rowspan="2"|[[西武鉄道]] |rowspan="2"|[[レッドアロー]]<br />[[西武001系電車|ラビュー]]<br />スタジアムエクスプレス |[[ちちぶ (列車)|ちちぶ<br />むさし<br />ドーム]] |[[西武池袋線|池袋線]]<br />[[西武秩父線]](ちちぶ)<br />[[西武狭山線]](ドーム) | | |- |[[小江戸 (列車)|小江戸]] |[[西武新宿線|新宿線]] | | |- |rowspan="2"|[[京成電鉄]] |rowspan="2"|[[スカイライナー]] |[[スカイライナー]] |[[京成本線|本線]]<br />[[京成成田空港線|成田空港線]] | |列車種別もスカイライナーで、特急(無料)の上位に位置する。 |- |<sup>×</sup>[[スカイライナー#シティライナー(臨時運行)|シティライナー]] |本線 | |列車種別もシティライナーで、特急(無料)の上位に位置する。<br />2015年12月5日定期運行廃止。 |- |[[小田急電鉄]] |rowspan="3"|[[小田急ロマンスカー]] |rowspan="3"|[[はこね (列車)|はこね<br />スーパーはこね<br />メトロはこね<br />さがみ<br />メトロさがみ]]<br />[[えのしま (列車)|えのしま<br />メトロえのしま]]<br />[[モーニングウェイ・ホームウェイ|ホームウェイ<br />メトロホームウェイ<br />モーニングウェイ<br />メトロモーニングウェイ]] |[[小田急小田原線|小田原線]]<br />[[小田急江ノ島線|江ノ島線]](えのしま)<br /><sup>×</sup>[[小田急多摩線|多摩線]] | |rowspan="3"|列車種別は特急ロマンスカー<br />『はこね』が付く列車は箱根登山鉄道直通<br />『メトロ』が付く列車は東京メトロ直通<br />『ホームウェイ』は全線設定(多摩線は2016年3月廃止)<br />『モーニングウェイ』は多摩線以外に設定 |- |[[東京地下鉄]] |[[東京メトロ千代田線|千代田線]](メトロ系) | |- |[[箱根登山鉄道]] |[[箱根登山鉄道鉄道線|鉄道線]](はこね系) | |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|中部地方 !rowspan="2"|運行事業者 !colspan="2"|愛称 !colspan="2"|運行路線 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:8.5em;"|ブランド名・通称 !style="width:10.5em;"|列車愛称など !style="width:13em;"|通過駅あり !style="width:6em;"|各駅に停車 |- |[[富士山麓電気鉄道]] | |[[富士山麓電気鉄道富士急行線#特急「フジサン特急」|フジサン特急]]<br />[[富士山麓電気鉄道富士急行線#特急「富士山ビュー特急」|富士山ビュー特急]] |[[富士山麓電気鉄道富士急行線|大月線]] |河口湖線 |河口湖線区間のみ利用の場合は特急料金不要 |- |[[長野電鉄]] | |[[長野電鉄1000系電車|ゆけむり]]<br />[[長野電鉄2100系電車|スノーモンキー]] |[[長野電鉄長野線|長野線]] | |列車種別はA特急、B特急およびS特急<br />かつてはC特急、D特急、E特急も存在した |- |rowspan="2"|[[富山地方鉄道]] |rowspan="2"| |[[富山地方鉄道#特急列車|うなづき]]<br />[[富山地方鉄道#特急列車|くろべ]] |[[富山地方鉄道本線|本線]] | |rowspan="2"| |- |[[アルペン特急]]<br />[[富山地方鉄道#特急列車|立山]] |本線<br />[[富山地方鉄道立山線|立山線]] | |- |[[大井川鐵道]] | |[[きかんしゃトーマス号]] |[[大井川鐵道大井川本線|大井川本線]] | |新金谷→家山→新金谷間の往復運転で折り返す家山駅では乗降不可 |- |rowspan="3"|[[名古屋鉄道]] |rowspan="3"|[[名鉄特急]] |[[ミュースカイ]] |[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]<br />[[名鉄常滑線|常滑線]]・[[名鉄空港線|空港線]]<br />[[名鉄犬山線|犬山線]]・[[名鉄広見線|広見線]]・<sup>×</sup>[[名鉄各務原線|各務原線]] | |列車種別はミュースカイ<br />2008年12月27日改正以前は全車特別車の特急および快速特急<br />各務原線は2021年5月22日廃止 |- |<sup>×</sup>(全車特別車特急)<br /><sup>×</sup>(全車指定席車特急) |<sup>×</sup>名古屋本線・<sup>×</sup>[[名鉄豊川線|豊川線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄西尾線|西尾線]]・<sup>×</sup>[[名鉄蒲郡線|蒲郡線]]<br /><sup>×</sup>常滑線・<sup>×</sup>空港線<br /><sup>×</sup>[[名鉄河和線|河和線]]・<sup>×</sup>[[名鉄知多新線|知多新線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄津島線|津島線]]<br /><sup>×</sup>犬山線・<sup>×</sup>広見線<br /><sup>×</sup>各務原線 |<sup>×</sup>[[名鉄尾西線|尾西線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄小牧線|小牧線]] |列車種別は特急及び快速特急<br />1999年5月9日までは全車指定席車・座席指定券<br />1999年5月10日からは全車特別車・特別車両券([[ミューチケット]])<br />2008年12月27日改正までに全廃 |- |<sup>×</sup>[[名鉄特急#デラックス特急|パノラマDX]] |<sup>×</sup>名古屋本線<br /><sup>×</sup>常滑線<br /><sup>×</sup>河和線・<sup>×</sup>知多新線<br /><sup>×</sup>犬山線 | |列車種別はデラックス特急<br />券種はデラックス座席指定券<br />1992年11月24日廃止 |- |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|近畿地方 !rowspan="2"|運行事業者 !colspan="2"|愛称 !colspan="2"|運行路線 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:8.5em;"|ブランド名・通称 !style="width:10.5em;"|列車愛称など !style="width:12em;"|通過駅あり !style="width:6em;"|各駅に停車 |- |rowspan="3"|[[近畿日本鉄道]] |rowspan="3"|[[近鉄特急]] |[[近鉄80000系電車|ひのとり]] |[[近鉄難波線|難波線]]・[[近鉄奈良線|奈良線]]<br />[[近鉄大阪線|大阪線]]・[[近鉄名古屋線|名古屋線]]<br /> | |特色のある車両については車両愛称があるが、列車愛称は付与していない。<br />湯の山線の特急は2004年定期運行廃止。 |- |[[近鉄特急#観光特急「しまかぜ」(大阪・京都・名古屋 - 伊勢志摩間)|しまかぜ]] |難波線・奈良線<br />京都線・橿原線<br />大阪線・名古屋線<br />山田線・鳥羽線・志摩線 | |rowspan="2"|伊勢志摩や吉野の観光地へ向かう旅客のための「観光特急」として運行。<br />特急券の他に専用の専用の車両券が必要となる。 |- |[[近鉄特急#観光特急「青の交響曲(シンフォニー)」(大阪 - 吉野間)|青の交響曲]] |南大阪線・吉野線 | |- |rowspan="3"|[[南海電気鉄道]] |rowspan="3"| |[[ラピート|ラピートα<br />ラピートβ]] |[[南海本線]] |[[南海空港線|空港線]] | |- |[[こうや|こうや<br />りんかん]] |南海本線<br />[[南海高野線|高野線]] | | |- |rowspan="2"|[[泉北ライナー]] |rowspan="2"|南海本線<br />高野線<br />[[泉北高速鉄道線]] |rowspan="2"| |rowspan="2"|全区間の運行を南海に委託。 |- |[[泉北高速鉄道]] | |- |[[WILLER TRAINS]]<br />(京都丹後鉄道) | |[[たんごリレー]] |[[京都丹後鉄道宮福線|宮福線]]<br /> [[京都丹後鉄道宮豊線|宮豊線]] | | |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|中国地方 !運行事業者 !運行路線(通過駅あり) !備考 |- |<sup>×</sup>[[一畑電車|一畑電気鉄道]] |<sup>×</sup>[[一畑電車北松江線|北松江線]] |1973年5月15日廃止<ref name="SHIN-11_p56">{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2011|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 11号 中国四国―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900456|page=56}}</ref>。 |} ==== 国鉄・JRと直通運転を行う列車 ==== {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|国鉄・JRから私鉄路線への直通 !colspan="3"|運行事業者 !愛称 !運行路線 !備考 |- |[[東日本旅客鉄道|JR東日本]] |→ |富士山麓電気鉄道 |[[富士回遊]] |富士急行線 |JR東日本車両で運行<br />全列車が「[[あずさ (列車)|あずさ]]」または「[[かいじ (列車)|かいじ]]」と併結(臨時列車を除く)<br />富士急行線相互の利用は空席に限定される |- | JR東日本 |→ |[[伊豆急行]] |[[踊り子 (列車)|踊り子<br />サフィール踊り子]] |[[伊豆急行線]] |JR東日本車両で運行 |- |JR東日本<br />[[東海旅客鉄道|JR東海]] |→ |[[伊豆箱根鉄道]] |[[踊り子 (列車)|踊り子]] |[[伊豆箱根鉄道駿豆線|駿豆線]] |JR東日本→JR東海→伊豆箱根鉄道の直通運転<br />JR東日本車両で運行<br />駿豆線内は2021年3月12日までは快速、以降は特急<br />駿豆線相互の利用は2021年3月12日までは自由席、以降は空席に限定される |- |JR東日本 |→ |[[えちごトキめき鉄道]] |[[しらゆき (列車)|しらゆき]] |[[えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン|妙高はねうまライン]] |JR東日本車両で運行<br />妙高はねうまライン相互の利用は自由席に限定される |- |JR東海<br />[[西日本旅客鉄道|JR西日本]] |→ |[[伊勢鉄道]] |[[南紀 (列車)|南紀]] |[[伊勢鉄道伊勢線|伊勢線]] |JR東海→伊勢鉄道→JR東海→JR西日本の直通運転<br />JR東海車両で運行<br />特急料金のみ設定。グリーン料金の設定なし<br />伊勢線内相互の利用は自由席に限定される |- |JR西日本 |→ |[[IRいしかわ鉄道]] |[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]<br />[[能登かがり火]]<br />[[花嫁のれん (列車)|花嫁のれん]] |[[IRいしかわ鉄道線]] |JR西日本(「サンダーバード」のみ)→IRいしかわ鉄道→JR西日本の直通運転<br />特急料金のみ設定<br />グリーン料金の設定なし<br />「花嫁のれん」は特定日に運行 |- |<sup>×</sup>JR四国 |→ |<sup>×</sup>[[阿佐海岸鉄道]] |<sup>×</sup>[[うずしお_(列車)|うずしお]]<br /><sup>×</sup>[[剣山_(列車)|剣山]]<br /><sup>×</sup>[[むろと_(列車)|むろと]]<br /> |<sup>×</sup>[[阿佐海岸鉄道阿佐東線|阿佐東線]] |阿佐東線内は普通列車。<br />1999年うずしおの系統分割に伴いむろとに乗り入れ変更。2001年むろと乗り入れ廃止。2008年剣山の乗り入れ廃止。2009年再開。2011年剣山の乗り入れ廃止。 |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|私鉄から国鉄・JR路線への直通 !colspan="3"|運行事業者 !愛称 !運行路線 !備考 |- |JR東海 |← |小田急電鉄 |[[ふじさん]] |小田原線 |JR御殿場線直通。 |- |rowspan="2"|<sup>×</sup>国鉄<br /><sup>×</sup>JR東海<br /><sup>×</sup>JR西日本 |← |<sup>×</sup>名古屋鉄道 |rowspan="2"| <sup>×</sup>[[名鉄特急#高山本線直通列車|北アルプス]] |<sup>×</sup>名古屋本線・<sup>×</sup>犬山線 |rowspan="2"| 名鉄→国鉄→地鉄の直通運転。全区間名鉄車使用<br />国鉄分割民営化後は名鉄→JR東海→JR西日本の直通運転<br />地鉄直通は1984年7月1日廃止。JR西日本直通は1990年3月10日廃止。JR東海直通は2001年10月1日廃止。 |- | → |<sup>×</sup>富山地方鉄道 |<sup>×</sup>本線・<sup>×</sup>立山線 |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|相互直通 !colspan="3"|運行事業者 !愛称 !運行路線 !備考 |- |JR東日本 |↔︎ |東武鉄道 |[[日光 (列車)|スペーシア日光<br />スペーシアきぬがわ]] |日光線<br />鬼怒川線 | |- |JR西日本 |↔︎ |WILLER TRAINS<br />(京都丹後鉄道) |[[はしだて (列車)|はしだて]] |宮福線<br />宮豊線 |JR所有車両は電車、京都丹後鉄道車両は気動車と、乗り入れ車両種が異なる。 |- |JR西日本 |↔︎ |[[智頭急行]] |[[スーパーはくと]]<br />[[いなば (列車)|スーパーいなば]] |[[智頭急行智頭線|智頭線]] |JR西日本→智頭急行→JR西日本の直通運転<br />智頭急行車両の管理をJR西日本に委託 |- |<sup>×</sup>JR西日本<br />[[四国旅客鉄道|JR四国]] |↔︎ |[[土佐くろしお鉄道]] |<sup>×</sup>[[南風 (列車)|南風]]<br />[[しまんと (列車)|しまんと]]<br />[[あしずり (列車)|あしずり]] |[[土佐くろしお鉄道中村線|中村線]]<br />[[土佐くろしお鉄道宿毛線|宿毛線]] |土佐くろしお鉄道所有車両の管理をJR四国に委託。他はJR四国車両を使用<br />「南風」の直通(JR西日本→JR四国→土佐くろしお鉄道直通運転)は2020年3月14日廃止 |- |<sup>×</sup>JR東日本<br /><sup>×</sup>JR西日本 |↔︎ |<sup>×</sup>[[北越急行]] |<sup>×</sup>[[はくたか#在来線特急「はくたか」|はくたか]] |<sup>×</sup>[[北越急行ほくほく線|ほくほく線]] |JR東日本↔︎北越急行↔︎JR西日本の直通運転。<br />北越急行所有車両の管理をJR西日本に委託。<br />JR東日本の車両は2005年で撤退、2015年3月13日廃止。 |} === 有料車両・料金不要車両連結列車 === 京浜急行電鉄(土休日昼間の指定列車)と名古屋鉄道(「ミュースカイ」を除く)と南海電気鉄道(「サザン」「天空」のみ)および京阪電気鉄道([[京阪8000系電車|8000系]]、[[京阪3000系電車 (2代)|3000系]])では、有料車両と料金不要車両の両方を連結する列車が運転されている。この場合、有料車両については専用車両で指定席、料金不要車両については一般車両で自由席となっている。 この4事業者に加え、阪急電鉄でも京都本線の特急・通勤特急・準特急の一部車両に指定席を導入する予定がある<ref name="press_20221012">{{Cite press release|和書|url=https://www.hankyu-hanshin.co.jp/release/docs/dd2e3f9dbc4759095b47e378f4d54e59336a79ac.pdf|title=2022年12月17日(土)初発より阪急全線(神戸線・宝塚線・京都線)でダイヤ改正を実施 ~2024年に京都線で座席指定サービスを開始します~|date=2022年10月12日|publisher=阪急電鉄株式会社|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221012051939/https://www.hankyu-hanshin.co.jp/release/docs/dd2e3f9dbc4759095b47e378f4d54e59336a79ac.pdf|archivedate=2022年10月12日|url-status=live}}</ref>。 {{see also|急行列車#有料車両・料金不要車両連結列車}} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" !rowspan="2"|運行事業者 !colspan="2"|愛称 !colspan="2"|運行路線 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:8.5em;"|ブランド名・通称 !style="width:10.5em;"|列車愛称など !style="width:12em;"|通過駅あり !style="width:6em;"|各駅に停車 |- |[[京浜急行電鉄]] |[[ウィング号 (京急)|ウィング・シート]] |<sup>×</sup>ラ・メール号<br /><sup>×</sup>パルラータ号<br /><sup>×</sup>快速特急南房総号 |[[京急本線]] |久里浜線 |列車種別は「快特」。指定列車の2号車のみ座席指定。乗車駅が指定されており、一部停車駅からのみ発売。 |- |名古屋鉄道 |[[名鉄特急]] | |名古屋本線・<sup>×</sup>西尾線<br />常滑線・空港線・河和線<br />津島線<br />犬山線・<sup>×</sup>広見線 |豊川線<br />知多新線<br />尾西線<br /> |列車種別は「特急」および「快速特急」。[[ミューチケット]]を必要とする特別車両を「特別車」、それ以外を「一般車」と呼称。<br />特別車はリクライニングシート、一般車は通常転換クロスシート車または転換セミクロスシート車、およびロングシート車のいずれか。<br />広見線・西尾線は2023年3月18日廃止 |- | rowspan="2"| 南海電気鉄道 | rowspan="2"| |[[サザン (列車)|サザン]] |南海本線 |[[南海和歌山港線|和歌山港線]] |指定席車はリクライニングシート車であるが、自由席車は通勤形のロングシート。 |- |[[南海高野線#観光列車「天空」|天空]] |高野線 | |展望車のみ座席指定。 |- |[[京阪電気鉄道]] |[[京阪特急]] |洛楽(快速特急) |[[京阪本線]]<br />[[京阪鴨東線|鴨東線]] | |列車種別は「快速特急」(快速特急「洛楽」)・「特急」・「快速急行」。座席指定車「プレミアムカー」はリクライニングシート、自由席車は転換セミクロスシート車。特急専用車8000系は、これに加えて2階建て車両「ダブルデッカー」(自由席)も連結している。 |} === 料金不要の「特急」 === {{単一の出典|section=1|date=2019年3月}} 他の列車種別より停車駅が少ないもの、いわゆる最速達列車として「特急」を運行している事業者も存在する。そのため、他種別の列車と同じく[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形車両]]を用いるのが一般的である。ゆえに、このタイプの「特急」は JR における「[[特別快速]]」または「[[新快速]]」(前述した国鉄阪和線における特急電車と類似、いわゆる[[普通列車]]の一種)と同義の種別であると考えることができる(「[[急行列車#料金不要の「急行」]]」も参照)が、一部の私鉄には快速に相当する種別を「特急」として、その上に「[[快速特急|快特(快速特急)]]」といった、さらに上位の種別を設定している事業者もある。しかし、競合する他事業者の鉄道路線がある場合には、料金不要の列車といえども車内設備や性能の優れた専用車両を充当することがある。 こうした例は、[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]や[[横須賀線|横須賀]]・[[総武快速線]]と競合する[[京浜急行電鉄]]と[[京成電鉄]]、[[中央本線|中央線]][[中央線快速|快速]]と競合する[[京王電鉄]]、中京地区で[[東海道線 (名古屋地区)|東海道本線]]と競合する[[名古屋鉄道]]、[[JR京都線]]・[[JR神戸線]]と競合する[[阪急電鉄]]・[[京阪電気鉄道]]・[[阪神電気鉄道]]・[[山陽電気鉄道]]、[[鹿児島本線]]と競合する[[西日本鉄道]]に見られる。 *臨時列車を除く。 *表中の「派生種別」については特急の派生に限る。急行・準急など他の派生種別は各項を参照。 *「<sup>×</sup>」表記のものはかつて(定期)運行されていた運行事業者・路線および派生種別。 *表中の「廃止日」は、原則として当該列車が設定されなくなった[[ダイヤ改正]]日を示すが、一部は運行された最終日を記載しているものもある。<!--[[ノート:急行列車]]で記載しているように、現状は混在している状況にありますので、今後の統一も目指して記載します。--> {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|関東地方 !style="width:10em;" rowspan="2"|運行事業者 !colspan="2"|運行路線 !style="width:8em;" rowspan="2"|派生種別 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:9em;"|通過駅あり !style="width:7.5em;"|各駅に停車 |- |rowspan="2"|[[東武鉄道]] |<sup>×</sup>[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]<br /><sup>×</sup>[[東武日光線|日光線]] | | |1948年6月運行休止。同年6月から8月まで進駐軍専用車。<br />1948年8月以降は有料・座席指定<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 5号 首都圏私鉄―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900395|page=47}}</ref>。 |- |[[東武東上本線|東上本線]] | |<sup>×</sup>特急<br />川越特急 |従来の特急は2008年6月廃止<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 5号 首都圏私鉄―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900395|page=48}}</ref>。<br />[[2019年]][[3月16日]]より川越特急を新設<ref name="tobu20190117">{{PDFlink|1=[http://www.tobu.co.jp/file/pdf/a22c9b7381aa0bcc3e364c1c4e71d8b3/190117_4.pdf 2019年3月16日(土) 東武東上線ダイヤ改正 東上線に新種別「川越特急」が誕生します]}} - 東武鉄道、2019年1月17日</ref>。 |- |[[芝山鉄道]] | |[[芝山鉄道線]] |[[快速特急]]<br />通勤特急 |rowspan="3"|都営浅草線よりエアポート快特が直通するが<br />3社線内では種別を変更する。 |- |[[北総鉄道]] |[[北総鉄道北総線|北総線]] | | |- |[[京成電鉄]] |[[京成本線|本線]]<br />[[京成押上線|押上線]]<br />[[京成成田空港線|成田空港線]] |[[京成東成田線|東成田線]] |快速特急<br /><sup>×</sup>エアポート特急<br />アクセス特急<br />通勤特急 |- |[[東京都交通局]]<br />([[都営地下鉄]]) | |[[都営地下鉄浅草線|浅草線]] |[[エアポート快特]]<br />快特(快速特急)<br /><sup>×</sup>エアポート特急<br />アクセス特急<br />通勤特急 |乗り入れ列車種別がそのまま援用されるが、エアポート快特以外は線内各停。 |- |[[京浜急行電鉄]] |[[京急本線|本線]] |[[京急久里浜線|久里浜線]]<br />[[京急空港線|空港線]]<br />[[京急逗子線|逗子線]] |エアポート快特<br />快特(快速特急)<br /><sup>×</sup>通勤快特<br /><sup>×</sup>エアポート特急<br /><sup>×</sup>ハイキング特急<br /><sup>×</sup>週末特急<br /><sup>×</sup>海水浴特急<br />アクセス特急<br />通勤特急 |快速特急、アクセス特急、通勤特急は<br />直通先の京成線内の列車種別で京急線内は案内上の表示のみ。 |- |[[京王電鉄]] |[[京王線]]<br />[[京王高尾線|高尾線]]<br />[[京王相模原線|相模原線]] | |<sup>×</sup>[[準特急]] |案内上,単に「[[新宿駅|新宿]]行き」と表示される列車を含め、[[京王新線]]は経由しない。<br />2022年3月12日のダイヤ改正で特急に統合<ref>{{Cite press release|和書|title=2022年3月12日(土)始発から京王線ダイヤ改正を実施します |url=https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2021/nr20220127_daiya.pdf#page=4 |publisher=京王電鉄 |format=PDF |date=2022-1-27 |accessdate=2022-3-14}}</ref>。 |- |[[東急電鉄]] |[[東急東横線|東横線]] | |rowspan="2"|通勤特急 |rowspan="2"|[[東京メトロ副都心線]]および[[東武東上本線|東武東上線]]・[[西武有楽町線]]・[[西武池袋線|池袋線]]へ乗り入れる。<br />大半の列車を[[Fライナー]]と称するが、直通先での列車種別は特急ではない。 |- |[[横浜高速鉄道]] |[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]] | |- |[[相模鉄道]] |[[相鉄本線|本線]]<br />[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]] |[[相鉄新横浜線]] |通勤特急 |JR線直通列車はJR新宿駅まで普通(各駅停車)、<br />新宿駅以北[[埼京線]]・[[川越線]]内は各駅停車・快速・通勤快速 [[東急新横浜線]]・[[東急東横線]]・[[東急目黒線]]直通列車は、[[新横浜駅]]にみて、急行・各駅停車(東急目黒線直通列車のみ)に種別変更する。 |- |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|中部地方 !style="width:10em;" rowspan="2"|運行事業者 !colspan="2"|運行路線 !style="width:8em;" rowspan="2"|派生種別 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:9em;"|通過駅あり !style="width:7.5em;"|各駅に停車 |- |<sup>×</sup>[[京福電気鉄道]]<br />福井本社 |<sup>×</sup>[[えちぜん鉄道勝山永平寺線|越前本線]] | | |[[2000年]]廃止<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 6号 北信越―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900401|page=56}}</ref> |- |rowspan="2"|[[名古屋鉄道]] |[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄豊川線|豊川線]]<br />[[名鉄西尾線|西尾線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄蒲郡線|蒲郡線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄三河線|三河線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄挙母線|挙母線]]<br />[[名鉄常滑線|常滑線]]<br />[[名鉄空港線|空港線]]<br />[[名鉄河和線|河和線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄津島線|津島線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄尾西線|尾西線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄犬山線|犬山線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄広見線|広見線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄八百津線|八百津線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄各務原線|各務原線]]<br /><sup>×</sup>[[名鉄小牧線|小牧線]] |[[名鉄知多新線|知多新線]] |<sup>×</sup>[[超特急]] |全車一般車特急(旧・全車一般席車特急、一般特急)<br />豊川線の一般特急は[[1969年]][[7月5日]]廃止(正月臨時輸送は[[1999年]]まで継続)<ref name="SHIN-7_p50">{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900418|page=50}}</ref><br />挙母線の一般特急は[[1973年]][[3月3日]]廃止(廃線)<ref name="SHIN-7_p51"/><br />[[名鉄特急#三河線特急|三河線の一般特急]]は[[1974年]][[9月16日]]廃止<ref name="SHIN-7_p51">{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900418|page=51}}</ref><br />八百津線の一般特急は同年翌[[9月17日]]改正以降に廃止<ref>{{Cite book|和書|author=徳田耕一|year =2001|title = 名鉄の廃線を歩く|publisher =JTB|isbn = 978-4533039232|page=36}}</ref><br />[[名鉄津島線#特急|津島線・尾西線の一般特急]]は翌1975年9月15日廃止<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900418|page=54}}</ref><br />小牧線([[犬山駅|犬山]] - [[羽黒駅 (愛知県)|明治村口]]間)の一般特急の有料化時期不明<ref>{{Cite book|和書|author=徳田耕一|year=2015|title=名鉄 昭和のスーパーロマンスカー|publisher=JTBパブリッシング|ISBN=978-4533106392|page=75}}</ref><br />蒲郡線の一般特急は[[1977年]][[3月19日]]廃止<ref name="SHIN-7_p50"/><br />犬山線・各務原線・広見線の一般特急は1977年3月19日廃止<br />(翌日改正で「[[名鉄特急#高速|高速]]」に変更)<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900418|page=53}}</ref> |- |<sup>×</sup>[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]] | | |1977年3月19日廃止<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900418|page=55}}</ref> |- |<sup>×</sup>[[知多鉄道]] |rowspan="2"|<sup>×</sup>知多鉄道線<br /><sup>×</sup>常滑線 |rowspan="2"| |rowspan="2"| |rowspan="2"|名古屋鉄道合併まで運行、合併後も運行継続(戦時中に廃止)<ref name="SHIN-7_p48">{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2010|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900418|page=48}}</ref> |- |rowspan="2"|<sup>×</sup>[[愛知電気鉄道]] |- |<sup>×</sup>豊橋線 | |<sup>×</sup>超特急 |名古屋鉄道合併まで運行、合併後も運行継続(戦時中に廃止)<ref name="SHIN-7_p48"/> |- |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|近畿地方 !style="width:10em;" rowspan="2"|運行事業者 !colspan="2"|運行路線 !style="width:8em;" rowspan="2"|派生種別 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:9em;"|通過駅あり !style="width:7.5em;"|各駅に停車 |- |<sup>×</sup>[[伊勢電気鉄道]] |<sup>×</sup>本線 | | |rowspan="2"|参宮急行電鉄合併まで運行、合併後も運行継続<ref name="SHIN-10_p33">{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2011|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900449|page=33}}</ref><br />[[1938年]][[12月]]に急行に統合 |- |<sup>×</sup>[[近鉄特急史#関西急行電鉄|関西急行電鉄]] |<sup>×</sup>関西急行電鉄線 | | |- |<sup>×</sup>[[大阪電気軌道]] |<sup>×</sup>[[近鉄奈良線|奈良線]]<br /><sup>×</sup>[[近鉄大阪線|桜井線]] | |rowspan="2"| |rowspan="2"|1938年12月に急行に統合 |- |<sup>×</sup>[[参宮急行電鉄]] |<sup>×</sup>[[近鉄山田線|参急本線]]<br /><sup>×</sup>津線<br /><sup>×</sup>[[近鉄名古屋線|名古屋伊勢本線]] | |- |<sup>×</sup>[[大阪鉄道 (2代目)|大阪鉄道]] |<sup>×</sup>[[近鉄南大阪線|本線]] | | |1940年頃に運行([[近鉄特急史#戦時体制と近畿日本鉄道発足|近鉄特急史]]) |- |rowspan="2"|<sup>×</sup>[[近畿日本鉄道]] |<sup>×</sup>大阪線<br /><sup>×</sup>奈良線 |<sup>×</sup>[[近鉄難波線|難波線]] | |1972年11月6日廃止<br />翌日改正から[[快速急行]]に<ref name="SHIN-10_p33"/> |- |rowspan="2"|<sup>×</sup>奈良線<br /><sup>×</sup>[[近鉄橿原線|橿原線]]<br /><sup>×</sup>[[近鉄京都線|京都線]](旧奈良電) |rowspan="2"| |rowspan="2"| |rowspan="2"|近畿日本鉄道合併まで運行、合併後も運行継続<br />1964年8月2日廃止<ref name="SHIN-10_p33"/><br />[[奈良電気鉄道#特急電車]]も参照 |- |<sup>×</sup>[[奈良電気鉄道]] |- |rowspan="2"|<sup>×</sup>[[南海電気鉄道]] |<sup>×</sup>[[南海本線]] |<sup>×</sup>[[南海和歌山港線|和歌山港線]] | |2012年3月31日廃止 |- |<sup>×</sup>南海本線<br /><sup>×</sup>[[南海高野線|高野線]] | | |1952年7月18日廃止<br />19日より有料化<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2011|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900449|page=43}}</ref> |- |<sup>×</sup>[[阪和電気鉄道]]<br />(<sup>×</sup>南海鉄道) |<sup>×</sup>[[阪和線|本線]]<br />(<sup>×</sup>山手線) | |<sup>×</sup>超特急 |南海鉄道時代に廃止 |- |rowspan="3"|[[京阪電気鉄道]] |[[京阪本線]]<br />[[京阪鴨東線|鴨東線]] | |<sup>×</sup>K特急<br />快速特急 |詳細は[[京阪特急]]を参照 |- |<sup>×</sup>[[京阪京津線|京津線]] | | |1934年設定(廃止時期不明)<ref name="SHIN-10_p48">{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2011|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900449|page=48}}</ref> |- |<sup>×</sup>[[新京阪鉄道|新京阪線]] | |<sup>×</sup>超特急 |旧[[新京阪鉄道]]。京阪神急行電鉄時代に一旦廃止<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2011|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900449|page=51}}</ref> |- |rowspan="3"|[[阪急電鉄]] |[[阪急京都本線|京都本線]] | |<sup>×</sup>快速特急A<br />快速特急<br />通勤特急<br />準特急 |2022年12月17日のダイヤ改正で快速特急Aを廃止し、快速急行を準特急に改称<ref name="press_20221012"/> |- |[[阪急神戸本線|神戸本線]] |[[阪急神戸高速線|神戸高速線]] |通勤特急<br />準特急<br />S特急 |S特急は山陽電鉄線内始発のみ<br/>2022年12月17日のダイヤ改正で快速急行を準特急に改称<ref name="press_20221012"/> |- |[[阪急宝塚本線|宝塚本線]] | |通勤特急 |rowspan="2"|詳細は[[日生エクスプレス]]を参照 |- |[[能勢電鉄]] |[[能勢電鉄妙見線|妙見線]] |[[能勢電鉄日生線|日生線]] | |- |<sup>×</sup>[[神戸電鉄]] |<sup>×</sup>[[神戸電鉄有馬線|有馬線]]<br /><sup>×</sup>[[神戸電鉄三田線|三田線]] |<sup>×</sup>[[神戸電鉄神戸高速線|神戸高速線]] | |1998年3月21日廃止<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2011|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900449|page=57}}</ref><br />現在は[[神戸電鉄有馬線#特快速|特快速]]が最上位種別。 |- |[[阪神電気鉄道]] |[[阪神本線|本線]]<br /><sup>×</sup>[[阪神なんば線|西大阪線]] |[[阪神神戸高速線|神戸高速線]] |[[直通特急 (阪神・山陽)|直通特急]]<br /><sup>×</sup>西大阪線特急<br />区間特急<br /><sup>×</sup>夜間特急<br />S特急 | |- |[[山陽電気鉄道]] | |[[山陽電気鉄道本線|本線]] |直通特急<br /><sup>×</sup>通勤特急<br />S特急 |西代駅 - 須磨浦公園駅間の系統は各駅に停車。<br />東二見駅 - 山陽姫路駅間系統は通過運転を行う。 |} {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+style="text-align:left; padding-top:1em;"|中国・九州地方 !style="width:10em;" rowspan="2"|運行事業者 !colspan="2"|運行路線 !style="width:8em;" rowspan="2"|派生種別 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:9em;"|通過駅あり !style="width:7.5em;"|各駅に停車 |- |[[一畑電車]] |[[一畑電車北松江線|北松江線]]<br />[[一畑電車大社線|大社線]] | |<sup>×</sup>通勤特急 |転換クロスシート車両には「スーパーライナー」の愛称が付く。<br />大社線は土・日・祝のみ運行。 |- |[[西日本鉄道]] |[[西鉄天神大牟田線|天神大牟田線]] | | |詳細は[[西鉄特急]]を参照 |} === 私鉄における特急のバリエーション === *有料列車として運行されている列車種別<!--スカイライナー、シティライナー、特急ロマンスカー、A特急、B特急、C特急、D特急、E特急、ミュースカイ、デラックス特急-->については[[#自社の専用車両を用いて運行する列車|私鉄有料特急]]の節を参照。 *通勤ライナーとして運行されている列車種別<!--あいの風ライナー、イブニングライナー、S-TRAIN、京王ライナー、京急ウィング号、TJライナー、拝島ライナー、モーニング・ウィング号、モーニングライナー、京阪のライナー-->については「[[列車種別#ライナー]]」および「[[ホームライナー#私鉄・第三セクターにおける類似列車]]」を参照。 *以下の種別については各記事を参照。 **[[超特急]] **[[快速特急]](快特、通勤快特、快速特急A含む)およびその派生種別 **[[エアポート快特]](エアポート特急含む) **[[直通特急]]([[直通特急 (阪神・山陽)]]も参照) **[[準特急]] *「序列」は各事業者内の列車種別における特急に対する位置関係を示す **上位/同位/下位:特急と比べて停車駅が少ない/同じ/多い **千鳥:特急通過駅に停車する一方で一部の特急停車駅を通過する **なし:派生種別のみで「特急」が運行されていない *「<sup>×</sup>」表記のものはかつて(定期)運行されていた運行事業者・路線 {| class="wikitable" style="font-size:90%;" !rowspan="2"|種別名 !rowspan="2"|運行事業者 !rowspan="2"|序列 !colspan="2"|運行路線 !rowspan="2"|備考 |- !style="width:8em;"|通過駅あり !style="width:10em;"|各駅に停車 |- !rowspan="13"|通勤特急 |[[京成電鉄]] |rowspan="2"|下位 |[[京成本線|本線]]<br />[[京成押上線|押上線]] |[[京成東成田線|東成田線]] |rowspan="2"|3代目(2代目は特急より上位)<br />直通先([[都営地下鉄]]、[[京浜急行電鉄]])でも案内表示のみ行われる |- |[[芝山鉄道]] | |[[芝山鉄道線]] |- |<sup>×</sup>[[京浜急行電鉄|京浜電気鉄道]] |不明 |本線 | |1925年頃運行<ref>週刊『歴史でめぐる鉄道全路線・大手私鉄No.10・京浜急行電鉄』</ref> |- |[[東急電鉄]] |rowspan="3"|下位 |[[東急東横線|東横線]] | |rowspan="2"|[[東京地下鉄]]以北へ乗入れるが直通先での列車種別は特急ではない |- |[[横浜高速鉄道]] |[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]] | |- |[[相模鉄道]] |[[相鉄本線|本線]]、[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]] | | |- |rowspan="4"|[[阪急電鉄]] |千鳥 |[[阪急京都本線|京都本線]] | |3代目(2代目は特急より上位)<br />西院駅、大宮駅に停車するが淡路駅を通過する |- |rowspan="2"|下位 |[[阪急宝塚本線|宝塚本線]] | | |- |[[阪急神戸本線|神戸本線]] |[[阪急神戸高速線|神戸高速線]] | |- |rowspan="3"|下位 |rowspan="3"|<sup>×</sup>[[山陽電気鉄道本線|本線]] |rowspan="3"|<sup>×</sup>(阪急)神戸本線<br /><sup>×</sup>神戸高速線<br /><sup>×</sup>(阪神)[[阪神本線|本線]] |rowspan="3"|山陽電鉄の阪神・阪急乗り入れ<br />1991年4月改正でS特急に変更<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介、原武史(監修)|year =2011|title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 10号 関西私鉄―全線全駅全優等列車|publisher =新潮社|isbn = 978-4107900449|page=55}}</ref> |- |<sup>×</sup>[[山陽電気鉄道]] |- |<sup>×</sup>[[阪神電気鉄道]] |- |<sup>×</sup>[[一畑電車|一畑電気鉄道]] |下位 |<sup>×</sup>[[一畑電車北松江線|北松江線]] |<sup>×</sup>[[一畑電車大社線|大社線]] |<ref>『鉄道ジャーナル』鉄道ジャーナル社 1971年8月号(通巻52号)57頁、61-62頁</ref><ref name="SHIN-11_p56"/> |- ! [[阪神本線#区間特急|区間特急]] | 阪神電気鉄道 | 千鳥 | 本線 | | 魚崎駅 - 香櫨園駅間各駅と今津駅、野田駅に停車するが西宮駅を通過する |- !rowspan="2"| <sup>×</sup>[[京阪本線#K特急|K特急]] |rowspan="2"| [[京阪電気鉄道]] | 上位 | <sup>×</sup>[[京阪本線]]<br /><sup>×</sup>[[京阪鴨東線|鴨東線]] | | 2008年10月18日廃止<ref name="SHIN-10_p48"/><br />19日の改正で快速特急、特急に変更 |- | なし | <sup>×</sup>京阪本線 | <sup>×</sup>[[京阪交野線|交野線]] |2008年10月18日廃止、19日の改正で通勤快急「おりひめ」に変更<ref name="SHIN-10_p48"/> |- !rowspan="3"| [[山陽電気鉄道本線#S特急|S特急]] |山陽電気鉄道 |千鳥 |本線 | |rowspan="3"|山陽電鉄の阪神・阪急乗り入れ<br/>山陽電鉄線内、西代駅 - 須磨浦公園駅間は速達運転を行い<br />特急よりも上位であるが、東二見駅 - 山陽姫路駅間は<br />各駅に停車するため下位となる。 |- |阪神電気鉄道 |上位 |神戸高速線 | |- |阪急電鉄 |同位 | |神戸高速線 |- ! [[京成成田空港線#アクセス特急|アクセス特急]] | 京成電鉄 | 上位 | 本線<br />押上線 | | 直通先(都営地下鉄、京浜急行電鉄)でも案内表示のみ行われる |- ! [[東武東上本線#川越特急|川越特急]] | 東武鉄道 | なし | [[東武東上本線|東上本線]] | | 2019年3月16日新設<ref name="tobu20190117">{{PDFlink|1=[http://www.tobu.co.jp/file/pdf/a22c9b7381aa0bcc3e364c1c4e71d8b3/190117_4.pdf 2019年3月16日(土) 東武東上線ダイヤ改正 東上線に新種別「川越特急」が誕生します]}} - 東武鉄道、2019年1月17日</ref><br/>[[L/Cカー|ロング・クロスシート転換可能シート]]車両のみに限定運用される。 |- ! <sup>×</sup>[[京急本線#ハイキング特急|ハイキング特急]] | rowspan="3"| 京浜急行電鉄 | 上位 | rowspan="3"|<sup>×</sup>本線<br /><sup>×</sup>逗子線<br /><sup>×</sup>久里浜線 | rowspan="3"| | 1965年秋廃止 |- ! <sup>×</sup>[[京急本線#週末特急|週末特急]] | 上位 | 1968年6月廃止 |- ! <sup>×</sup>[[京急本線#海水浴特急|海水浴特急]] | 上位 | 1973年廃止 |- ! <sup>×</sup>[[阪神なんば線#西大阪線特急|西大阪線特急]] | rowspan="2"| 阪神電気鉄道 | 千鳥 | <sup>×</sup>本線<br /><sup>×</sup>[[阪神なんば線|西大阪線]] | | 尼崎駅に停車するが御影駅、芦屋駅を通過する<br />1974年11月廃止 |- ! <sup>×</sup>[[阪神電気鉄道のダイヤ改正#1959年4月改正|夜間特急]] | 下位 | <sup>×</sup>本線 | | 1959年頃設定(廃止時期不明) |} このほか、「特急」に類似する種別としては以下のようなものがある。詳細は各記事を参照。 *[[最急行]](最大急行含む) *[[高速 (列車)|高速]] *[[直行 (列車)|直行]] == 路面電車の特急運転 == [[File:Nagoya City Tram Limited Express.JPG|250px|thumb|right|特急表示板を掲示した名古屋市電]] [[名古屋市交通局|名古屋市電気局]]([[名古屋市電]])では戦時中、他の市電と同じく節電目的で一部の停留場を通過する急行運転を[[1940年]]より実施していたが、[[1943年]]から[[1945年]]の間には通過停留場をさらに増やした特急が設定されていた。 == 特急乗務員 == {{出典の明記|date=2015年7月|section=1}} 鉄道事業者によっては、特急列車に専用[[乗務員]]を充て、かつ特急乗務員専用行路を与えていることもある。特に[[運転士]]にいたっては、運転技術で選抜された者や、特別な研修・実地訓練を受けた者に対してその任務が充てられることがある。 *[[JR]]各社 **[[在来線]]の場合:概ね制限はない(新任運転士でも乗務することがある)。 **[[新幹線]]の場合:在来線運転士を数年間経験し、選抜試験を通過して研修と実地訓練を受け、操縦免許の転換試験に合格した者。ただし例外もある。 <!----*[[西武鉄道]]の場合 - *[[京成電鉄]]の場合 - *[[東武鉄道]]の場合- *[[小田急電鉄]]の場合 - *[[伊豆急行]]の場合 - *[[富士急行]]の場合 - *[[長野電鉄]]の場合 - *[[北越急行]]の場合 - *[[富山地方鉄道]]の場合 - *[[名古屋鉄道]]の場合 - --> *[[近畿日本鉄道]]の場合:運転士と車掌を5年以上経験した者で、研修と実地訓練を受けた者。 *[[京阪電気鉄道]]の場合:一般列車を半年以上乗務した者。([[京阪8000系電車|8000系0番台]]・[[京阪3000系電車 (初代)|30番台]]使用で淀屋橋 - 出町柳の全区間運転列車のみ) *[[南海電気鉄道]]の場合:南海本線では選抜された者。高野線では希望調査。 *[[西日本鉄道]]の場合:一般列車を1年以上乗務し、研修を受けた者。<!-- *[[北近畿タンゴ鉄道]]の場合 - *[[智頭急行]]の場合 - - --> == 鉄道以外における「特急」 == [[File:Nihon_Kotsu_Tottori_0430.jpg|thumb|200px|特急バスの例:山陰特急バス(日本交通)]] バスにおいても、特に停車する停留所を限定している系統が「特急」を名乗る場合がある(例:[[仙台 - 山形線|特急仙台・山形線]]、[[山陰特急バス]])。ただしその中でも[[高速道路]]を主として走行する物は「高速バス」と呼ばれることが多い。「[[高速バス]]」「[[急行バス]]」の項目も参照のこと。 ちなみに[[阪急バス]]では、高速バスの[[方向幕|方向幕表示]]を通常「高速 高知」「高速 長野」などと表示しているが(LED 幕車では行き先のみ表示)、スーパーノンストップ便に関しては「特急 福岡」「特急 有馬温泉」と標示し、「特急」を「高速」よりも格上の存在と位置づけている。 フェリーに関しては[[1971年]]から[[2005年]]まで、「特急」と冠した「[[大阪高知特急フェリー]]」が存在した。 == 日本国外の例 == 列車種別の分類は国や鉄道事業者によってまちまちであるが、そのうち他の列車より速い、専用車両を用いる、特別料金を必要とするなど、日本の特急に近い性格を持つもののことを、日本語で「特急」と表記することがある。ただし正確を期する必要のある場合には原語表記やその直訳、仮名転写などが用いられる。また[[TGV]]や[[ICE]]などの[[高速鉄道]]の列車は「[[超特急]]」や「[[新幹線]]」と訳されることもある。 [[大韓民国|韓国]]では、[[1984年]]まで[[鉄道庁 (韓国)|韓国国鉄]]において「[[トンイル号|トゥックプ(特急)]]」という種別が存在した。同年以降、長らく韓国に「特急」という種別は存在しなかったが、[[2017年]]より[[首都圏電鉄1号線]]([[京釜線]]・[[京仁線]])の速達列車として「特急」が新設された。なお、現在の[[韓国鉄道公社]](KORAIL)の長距離座席指定列車である[[韓国高速鉄道|KTX]]、[[ITX-セマウル]]などの列車では、観光ガイドなどで便宜的に「特急」という表現が使われることがあるものの<ref>一例として、[http://www.konest.com/contents/traffic_info_detail.html?id=1654 ソウルから地方への行き方~鉄道編~] - コネスト</ref>、愛称が列車種別を兼ねているため、正式には「特急」の名称は使用していない。 [[アメリカ合衆国|米国]]には、特別料金を支払って乗車する上等客のみを扱う "''LIMITED''" (リミテッド)と呼ばれる豪華列車が1910年代から運転されたが、「特急」に該当する列車種別は無い。過去の代表的なリミテッドには、ニューヨーク・シカゴ間をノンストップで結んだ「[[20世紀特急]]」(''20th Century Limited'')やニューヨーク・ワシントンDC・シンシナティ・セントルイスを結んだ「ナショナル特急」(''National Limited'')があった。21世紀の現代に[[アムトラック]]が運行する列車の愛称には[[レイクショア・リミテッド]]や[[キャピトル・リミテッド]]のようにリミテッドを名乗るものがあるが、他の旅客列車と種別が異なるものではない。 [[ヨーロッパ|欧州]]では、古くから日本の特急に相当する列車の運転が盛んである。イタリアでは1936年から電車による特急列車が運転された。1957年にはヨーロッパ各地を日帰りで行き来できるビジネスライクな [[TEE|TEE 列車網]]が整備され、これらの列車には[[特別急行券]]を必要とした。その後は[[インターシティ]] "''InterCity (IC)''" 列車に変更された。これは都市間連絡を主たる目的とする在来線優等列車であり、21世紀において欧州では TGV や ICE などのいわゆる新幹線タイプの特急列車が中心である。しかし、かつては「[[ラインゴルト (列車)|ラインゴルト]]」、「[[ル・ミストラル (列車)|ミストラル]]」、「[[黄金の矢 (列車)|ゴールデンアロー]]」、「[[イタリア国鉄ETR300電車|セッテベッロ]]」などの著名な特急列車が運転され、高速なだけでなく、その走行区間において最も豪華な列車として運転されていた。これらの特急列車はほとんどが[[一等車|一等]](三等級時代は一、[[二等車|二等]])のみで編成され、パーラーカーや[[食堂車]]やバー、ブチックや[[ロビーカー|ラウンジ]]<!--利用客へのフリースペースという観点からのリンク-->を備えていた。これらの列車には他の列車より高額であり、特別急行券を必要としていた。 == 特急の訳語 == 通常英訳には、かつての米国の例に倣い「Limited Express」が当てられるが、米国では鉄道旅客輸送の衰退に伴いほとんど[[廃語|死語]]になっている。ただし、[[サンセット・リミテッド|Sunset Limited]]のように[[アムトラック]]が引き継いだ列車愛称の一部にその名残が見られる。 事業者によってはこれを“Limited Exp.”, “Ltd. Express”, “LTD. EXP.” などと略すが、[[京王電鉄]]では[[#料金不要の「特急」|Special Express]] となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keio.co.jp/train/map/index.html|title=路線図|京王グループ |publisher=[[京王電鉄]] |accessdate=2017-01-15}}</ref>。 デビット・ベネット([[レノボ・ジャパン]]社長、2021年当時)は、「Limited」という英単語には「制限された」というニュアンスがあることを指摘し、語感に則れば「急行より遅い」と受け止められる可能性があるとしている<ref name="デビット">{{Cite web|和書|url=https://toyokeizai.net/articles/-/425280|title=外国人が語る東京の「鉄道表記」難しすぎる問題 |author=デビット・ベネット|publisher=東洋経済オンライン |accessdate=2022-12-10 |date=2021-05-03 }}</ref>。 {{-}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈"/> === 出典 === <references /> == 参考文献 == {{参照方法|date=2015年7月|section=1}} * [[PHP研究所]] [[梅原淳]]『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』2010年7月。 * [[JTBパブリッシング]] 三宅俊彦・[[寺本光照]]『キャンブックス 国鉄・JR 特急列車100年』 * [[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』No.486 特集:特急開拓史 == 関連項目 == * [[列車種別]] * [[列車愛称]] * [[日本の列車愛称一覧]] * [[高速化 (鉄道)]] * [[山陽本線特急列車脱線事故]] * [[高速鉄道]] * [[新幹線直行特急]] * [[新幹線]] * [[ミニ新幹線]] * [[特急乗り継ぎ旅]] {{日本における列車種別一覧}} {{DEFAULTSORT:とくへつきゆうこうれつしや}} [[Category:列車種別]] [[Category:日本の特急列車|*]]
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スケート
アイススケート(英: ice skating、単にスケートとも) は、氷を張った面(スケートリンク)の上を、刃のついた靴(スケート靴、英: ice skate)で刃の先を氷に当てて滑るスポーツ。スキーと並ぶ代表的なウィンタースポーツである。 スケート靴の摩擦抵抗の低さと、体中心から外側に向けて蹴りだす力により、平地で使用する体力が少なくとも高速で滑走する事が出来る。超高速度滑走やスピンやジャンプなど競技類はそれなりの筋力を使用する。 日本において、最初にスケートをして見せたのは、江戸時代に根室に来航したロシア帝国のアダム・ラクスマンまたは同船したクルーである。1792年から翌年にかけて同地で越冬しているうちに氷結した海面を、鉄刃をつけた靴を履いて滑る様子が絵と文で『魯西亜』(刈谷市図書館所蔵)に記録されている。両脚だけでなく片脚でも氷上を速く移動したり回ったりできることを書き留めている。日本人に正式にスケートを教えたのは、1877年(明治10年)に札幌農学校へ着任したアメリカ人教師ブルックスとされている。 氷上で滑る原理にはいくつかの説があるが、解明されていない。 主な用具は靴底に専用のブレードが付いたスケート靴で、スピードを競う競技ではヘルメットやネックガードを、アイスホッケーでは全身に防具を付ける。 スケートリンクの上で出演者がスケート技術を披露して行われるショーは、アイスショーという。
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アイススケートの上を、刃のついた靴で刃の先を氷に当てて滑るスポーツ。スキーと並ぶ代表的なウィンタースポーツである。 スケート靴の摩擦抵抗の低さと、体中心から外側に向けて蹴りだす力により、平地で使用する体力が少なくとも高速で滑走する事が出来る。超高速度滑走やスピンやジャンプなど競技類はそれなりの筋力を使用する。
{{Otheruses|氷の上で刃のついた靴を履いて滑るスポーツ|ボードに車輪をつけて滑るスポーツ|スケートボード|靴に車輪をつけて滑るスポーツ|ローラースケート}}{{出典の明記|date=2015年5月}} [[画像:JaapEden.jpg|200px|thumb|アイススケート]] '''アイススケート'''({{lang-en-short|ice skating}}、単に'''スケート'''とも) は、[[氷]]を張った面([[スケートリンク]])の上を、刃のついた靴([[スケート靴]]、{{lang-en-short|ice skate}})で刃の先を氷に当てて滑る[[スポーツ]]<ref>『観戦必携/すぐわかる スポーツ用語辞典』(1998年1月20日発行、発行人・中山俊介)3頁</ref>。[[スキー]]と並ぶ代表的な[[ウィンタースポーツ]]である。 スケート靴の[[摩擦抵抗]]の低さと、体中心から外側に向けて蹴りだす力により、平地で使用する体力が少なくとも高速で滑走する事が出来る。超高速度滑走やスピンやジャンプなど競技類はそれなりの筋力を使用する。 == スケートの起源 == {{リンクのみの節|date=2016年9月7日 (水) 13:28 (UTC)}} {{Main|フィギュアスケートの歴史|スピードスケート#歴史|アイスホッケー#歴史}} === 日本への伝来 === [[日本]]において、最初にスケートをして見せたのは、[[江戸時代]]に[[根室市|根室]]に来航した[[ロシア帝国]]の[[アダム・ラクスマン]]または同船したクルーである。[[1792年]]から翌年にかけて同地で越冬しているうちに氷結した海面を、鉄刃をつけた靴を履いて滑る様子が絵と文で『魯西亜』([[刈谷市図書館]]所蔵)に記録されている。両脚だけでなく片脚でも氷上を速く移動したり回ったりできることを書き留めている。日本人に正式にスケートを教えたのは、[[1877年]]([[明治]]10年)に[[札幌農学校]]へ着任した[[アメリカ人]]教師ブルックスとされている<ref>[https://www.asahi.com/articles/photo/AS20201210000976.html 【はじまりを歩く】スケート(根室市)230年前の氷上 滑った男とは][[be (朝日新聞)|『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」]]2020年12月12(6-7面)2021年1月27日閲覧</ref>。 == 滑る原理 == [[File:Eislaufen 01.ogv|thumb|氷上を滑るスケーター]] 氷上で滑る原理にはいくつかの説があるが、解明されていない。 ;圧力融解説:スケートの刃先と氷との接触面積が大変小さいために体重が集中して、高い圧力がかかって氷が融ける。[[1886年]]にジョン・ジョリー<ref group="注釈">{{lang-en-short|John Joly}}</ref>が発表した<ref>田崎晴明 [[学習院大学]][[理学部]][[物理学]]教室 「スケートが滑る理由」について</ref>。スケート靴の刃で氷の上に立つと、体重によって刃先に強い圧力が掛かる。圧力が高いと氷の[[融点]](=[[水]]の[[凝固点]])が下がるため、刃先部分の氷がわずかに融け、刃先と氷の間に薄い水の層が発生する。これにより刃先と氷の間の[[摩擦力]]が極端に下がり、非常に滑りやすい状態となる。今日でもこの解説を用いられることがあるものの、Bowden、Hugbesの実験により人の体重程度では氷が融けるには不十分であると否定されている<ref>対馬勝年 単結晶氷の摩擦に関する研究 I : 鋼球と氷の(0001)面および(0110)面の摩擦に及ぼす荷重,速度,温度の効果ならびに摩擦機構としての凝着説/[[北海道大学]]低温科学研究所</ref>。 ;摩擦融解説:スケート靴を履いて氷の表面を滑ると、刃と氷との間に摩擦熱が発生し、その熱は接触面の氷をわずかに融かし、これが潤滑の役割を果たす。[[1939年]]にフランク・フィリップ・バウデン<ref group="注釈">{{lang-en-short|Frank Philip Bowden}}</ref>らが発表した<ref>勝田敏彦「スケートなぜ滑る?」『朝日新聞』夕刊2006年2月28日6面</ref>。 == 用具 == {{リンクのみの節|date=2016年9月7日 (水) 13:28 (UTC)}} 主な用具は靴底に専用のブレードが付いた[[スケート靴]]で、スピードを競う競技ではヘルメットやネックガードを、[[アイスホッケー]]では全身に防具を付ける。 {{main|スケート靴}} == スケートリンク == {{see|スケートリンク}} {{中央|<gallery widths="180px" heights="150px"> Neusiedl am See 11 090110.JPG|凍った[[ノイジードル湖]]の湖上でのスケート Festival WalkIceskatingrink 20070729.jpg|屋内リンク<br />([[香港]]の{{仮リンク|フェスティバル・ウォーク|en|Festival Walk}}) </gallery>}} == 競技スケート == ; [[スピードスケート]] : スケートリンクを[[陸上競技]]のグランドのようにし、そこを周回する速さを競う。 ; [[ツアースケート]],[[ノルディックスケート]] : 凍っている湖に行って、[[スノープラウ]]が準備した道を通るか自由に行く。[[リュックサック]]で[[弁当]]を持参し、安全のためにパイクや[[isdubbar]](糸で繋がる両方手で持つ小さい二つのパイクという[[スウェーデン]]の発明品)を持っていく。 ; [[フィギュアスケート]] : 音楽に合わせて前後左右に自在に進む方向を操りながら[[スケートリンク|リンク]]の表面に図形を描くかのように滑走することを基本として、さらにジャンプやスピンの美しさを競う。 ; [[アイスホッケー]],[[バンディ]] : [[サッカー]]のようにパックと呼ばれる円盤状の球を相手チームのゴールに入れて得点を競う。[[バンディ]]ではプラスチックのボールを使用する。 ; [[エクストリーム・スポーツ]] : その他には[[スノーボードクロス]]のスケート版といえる[[アイスクロス]]なども存在する。 == スケートのショー == [[スケートリンク]]の上で出演者がスケート技術を披露して行われるショーは、[[アイスショー]]という。 == スケートを題材にした作品 == === 音楽 === * [[ワルツ]]『[[スケートをする人々]]』([[フランス|仏]]:[[エミール・ワルトトイフェル]]、作品183) * [[ポルカ・シュネル]]『[[スケート (ポルカ)|スケート]]』([[オーストリア|墺]]:[[ヨーゼフ・シュトラウス]]、作品261) * 『ペストとオーフェンのアイス・スケートの[[ギャロップ]]』(墺:[[エドゥアルト・シュトラウス1世]]、作品96) === 絵画 === * 『[[スケートをする牧師]]』([[イギリス|英]]:[[ヘンリー・レイバーン]]、[[1790年代]]制作) === 映画 === {{see also|フィギュアスケート#映画}} * [[スラップ・ショット]]([[アメリカ合衆国|米]]) * [[スラップ・ショット2]](米) * [[スラップ・ショット3]](米) * [[アイス・プリンセス]](米) * [[ミラクル (2004年の映画)|ミラクル]](米) * [[俺たちフィギュアスケーター]](米) * [[スマイル 聖夜の奇跡]](日) * [[COACH コーチ 40歳のフィギュアスケーター]](日) * [[俺たち喧嘩スケーター]](米) * [[指輪をはめたい]](日) == 注釈 == {{脚注ヘルプ}} {{Notelist}} == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[スケート靴]] * [[フィギュアスケート]] - [[フィギュアスケートの歴史]] * [[スピードスケート]] == 外部リンク == {{Commonscat|Ice skating}} * 対馬勝年([[富山大学]])「スケートはどうして滑るのですか?」『伝熱』Vol. 45 (2006) No. 190 P 56-59 {{doi|10.11368/htsj1999.45.56}} * [https://www.gakushuin.ac.jp/~881791/td/comments.html 田崎晴明 学習院大学理学部物理学教室 「スケートが滑る理由」について] * [https://www.joc.or.jp/sports/skating.html JOC - 競技紹介:スケート] * [https://skatingjapan.or.jp/ 日本スケート連盟] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すけえと}} [[Category:スケート|*]] [[Category:ブーツ系スポーツ]] [[Category:冬の季語]] [[ca:Patinatge]]
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陸上競技
陸上競技()は、主に野外競技場のトラックやフィールドあるいは道路で行われる、走る・跳ぶ・投げるの3基本技を中心とする競技の総称。単に陸上()と呼ぶことも多い。 陸上競技とは、主に屋外(屋外競技場のフィールドやトラック、あるいは道路など)で行われる、走る、跳ぶ、投げる、という3種の基本技を中心とする競技の総称である。世界室内陸上競技選手権大会のように室内で行う陸上競技大会もあり、60m走など室内のみ正式種目となっている種目もある。 その歴史は紀元前776年の第1回古代オリンピックまで遡る。→#歴史 陸上競技は大分類としては、走種目を主体とし競技場のトラックで実施されるトラック競技、跳躍(走幅跳など)や投擲(ハンマー投など)を主体としトラック内側のフィールドで実施されるフィールド競技、さらにマラソンや競歩など競技場外の道路上に設定されたコースを走るロードレースがある。ただし、競技場によってはフィールド競技(特に跳躍)の競技場所がトラック外側に設置されていることがある。トラック競技およびフィールド競技は、陸上競技場内で行われる競技としてトラック&フィールド競技と一括して扱われることがある。 男子用のユニフォームはシャツに短パン、女子用のユニフォームはブラとブルマーの組み合わせが典型的である。女子用のユニフォームは体型が出やすく露出も多いため、性的画像撮影の被害が問題になっている。 陸上競技は紀元前776年の第1回古代オリンピック に遡る歴史のある競技である。この時(第一回)にはスタジアムの長さ分の走種目、スタディオン走(現代で言うところの短距離走)のみが行われ、その後種目が増えた。古代ギリシアの中期オリンピックでは、スタディオン走(短距離走)に加え、ディアウロス走(中距離走)、ドリコス走(長距離走)、五種競技、円盤投、やり投、走り高跳びも行われた。なお、ギリシアではこのほかにもネメアー大祭、イストミア大祭、ピューティア大祭といった大競技大会が開催されていた。 他にもケルト人やチュートン人、ローマ帝国を倒したゴート人といった民族も陸上競技の大会を開き、人気を集めていたようである。しかし、これらの民族では陸上競技は軍事鍛錬と関連したものであるのが一般的で、それほど大きく組織立ったものとはならなかった。中世には、貴族の子息たちが乗馬、馬上槍、剣術などの鍛錬に加え、ランニング、跳躍、レスリングなどの鍛錬を行っていたようである。競争相手のライバルや友人たちとの間で競技会を開催することも公式、非公式を問わず、広く行われていた。 時代の枠を越えて、ヨーロッパ全土で多くの陸上競技スポーツが親しまれていた様子が確認されている。陸上競技は、ルネサンス以降に近代スポーツとして発展し、1896年に開催された第1回アテネオリンピックをきっかけとして、世界各国へと普及した。陸上種目の多くはその起源を古代にまで遡るものが多く、古代ギリシアで既にその競技種目としての形式が確立されていた。陸上競技は、1896年の第1回近代オリンピック大会でも実施され、常に実施競技としてありつづけるとともに、同じく第1回大会から常に実施されていてオリンピック前半の花形競技とされる競泳と並んで、オリンピック後半の花形競技とされる。陸上競技と水泳については、オリンピック以外でも総合的なスポーツ大会で競技ナンバーが1番と2番になることが多く、陸上競技の棒高跳びや投てきを例外としても、基本的には道具や対戦相手を必要とせず、己の身体のみで人類の限界に挑むと言う普遍的なスポーツであることからその存在価値が重視されている。格闘技や球技等、プロとしてお金を稼ぐことを目的とする商業スポーツと比べて、その存在意義も異なる。ただし20世紀前半には国際競技大会に出場する選手はアマチュアでなくてはならないという厳格な規定が存在したが、20世紀後半に入ると東側諸国においても西側諸国においても徐々に有名無実化していき、1990年代初頭にはこうした規定は存在しなくなった。19世紀には陸上競技は男性のものであり、オリンピックにおいても男性のみ参加となっていたが、1921年に国際女子スポーツ連盟が創設されると女子陸上競技大会も開催されるようになり、1928年のアムステルダムオリンピックにおいて女子陸上がオリンピックの種目となった。 国際競技統括団体ワールドアスレティックスは1912年に創設され、1983年からは、オリンピックとは別に陸上競技のみの大会として、世界陸上競技選手権大会を開催するようになった。世界陸上は世界有数のスポーツイベントの1つで、2009年のベルリン大会では約3300万人がイベントを視聴したとされる。他に世界室内陸上競技選手権大会やヨーロッパ陸上競技選手権大会なども開催されている。また、アジア競技大会など大陸別の競技大会においても陸上競技は必ず開催され、花形競技の1つとなっている。特にオリンピックを始め、主要な陸上競技大会の期間中は高い注目を集めるものの、スポーツ全般から見ると多くの国で一般からの関心の度合いはやや低くなりがちである。 トラック&フィールド競技では、世界各地の競技会を転戦して総合成績を競うサーキット大会IAAFグランプリが1985年に創設された。IAAFグランプリはIAAFゴールデンリーグ・IAAFスーパーグランプリを経て、2010年から両者が統合されIAAFダイヤモンドリーグとなり、IAAFワールドチャレンジ(2020年よりワールドアスレティックスコンチネンタルツアー)とともに毎年春から夏にかけて開催されている。一方マラソン競技においては世界各地で大規模なマラソン大会が行われており、なかでも2006年よりボストンマラソン・ロンドンマラソン・ベルリンマラソン・シカゴマラソン・ニューヨークシティマラソンの5大会とオリンピック・世界陸上の計7大会でワールドマラソンメジャーズが開催されるようになった。さらに2013年大会より、東京マラソンがワールドマラソンメジャーズに加入し、計8大会となった。 イギリスでは13世紀から16世紀にかけてスポーツを楽しむことに国家的な制限を課していた。これはアーチェリーの鍛錬に支障が出ないようにするためであった。この制約が17世紀になって除かれた後、イギリスではスポーツが再び盛んになった。陸上競技組織の活動は19世紀になって行われるようになった。これには学校においてスポーツ体育が実施されるようになった影響もある。正規の学校における陸上競技が取り入れられた初出としてイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校において1812年、1825年に行われたとの説もあるが、これを補強する証拠は今のところない。記録に残っている最古の会合は同国のシュロップシャー州シュルーズベリーで1940年に王立シュルーズベリー校が開催したもので、当時1838年から1841年まで生徒として在籍していたCTロビンソンが60年後に複数の手紙に当時の詳細について書き残している。 1868年に刊行された『最新陸上競技』によれば、当時の陸上競技のほとんどの競技はハンディキャップ・レースだったという。陸上競技はギャンブルの対象であり、観客は記録よりも勝ち負けとレースの過程や公正さを重視した。そのため、資格を持ったハンディキャッパーが競技者の実績によってスタート位置を調整するなどのハンディキャップを付け、白熱したレースを演出していた。一方、プロフェッショナルランナーを排除し、紳士のスポーツによる人格形成を目的としたアマチュア陸上クラブが1866年にロンドンで組織され、常設の陸上競技場による競技が行われた。陸上競技のハンディキャップ・レースはオリンピックなどの公式レースでも20世紀前半まで行われたが、スポーツが競戯からアマチュア・ルールによる近代スポーツへと変化する過程で消滅した。 日本では1873年(明治6年)3月21日に、東京・築地にあった海軍兵学寮のイギリス人教師が開いた「競闘遊戯」が最初の陸上競技大会である。競闘遊戯はathletic sportsの訳語で、雀雛出巣(すずめのすだち、150ヤード走)、燕子学飛(つばめのとびならい、300ヤード走)、大鯔跋扈(ぼらのあみごえ、走高跳)などの種目があった。また同年10月に開成学校(東京大学の源流)にて明治天皇隣席の下で行われた「体操御覧」の1種目「行飛」が競走であった可能性がある。本格的に陸上競技が日本人の間で行われるようになるのは、1875年(明治8年)に東京英語学校(後の東京大学)に着任したフレデリック・ウィリアム・ストレンジによる普及活動以降である。ストレンジはイートン・カレッジの出身で、陸上競技とボート競技を得意とし、余暇にこれらを実践して学生の関心を惹き、普及させた。1883年(明治16年)には東京大学の3学部と予備門合同の陸上運動会が開かれ、以降東大の名物となった。この運動会では後に藤井實が100mと棒高跳で世界記録を樹立した。 明治30年代(1897年 - 1906年)になると、東京帝国大学と第一高等学校を中心に、学習院や高等商業学校(後の一橋大学)でも陸上競技が盛んとなり、明治40年代(1907年 - 1912年)にはスパイクシューズが使用され始め、早稲田大学・慶応義塾大学が新勢力として台頭した。東京高等師範学校(後の筑波大学)では嘉納治五郎校長の下で校内長距離走が開かれていたが、陸上競技界ではまだ弱小であった。大正時代初期まで「陸上競技」という日本語は存在せず、この頃に創部した陸上競技部は、東京高等師範学校では「徒歩部」(後に筑波大学陸上競技部に改称)、早稲田大学や明治大学では「競走部」を名乗っている。 日本が初めて近代オリンピックに参加したのは、1912年(明治45年)の第5回ストックホルム大会であり、短距離走の三島弥彦と長距離走の金栗四三が参加した。日本で初めて組織立って(学校以外の組織が主催して)開かれた陸上競技大会は、この日本代表を選抜するための大会「国際オリムピック大会選手予選会」(大日本体育協会主催)であった。金栗はオリンピックの後、生涯をマラソンの普及に捧げ、東京箱根間大学駅伝競走を創設した。 全米アマチュア競技連盟が米国における統括団体であったが、1970年代にプロフェッショナルスポーツとしての促進が進むと、その管轄を外れた。新たな統括団体として、TAC (The Athletics Congress) と呼ばれる団体が結成され、後に全米陸上競技連盟 (USA Track and Field; USATF; USA T&F) と改名した。さらにより緩やかな組織として、ロードレースの普及促進を図る団体として全米ロードランナークラブ(RRCA)がある。両団体とも、以前は偽アマチュアリズムとされた、レース出場を通じて金銭を得る行為を禁止していない。 下記の種目が世界記録として公認される。日本記録も準拠する。ハーフマラソンや駅伝競走はオリンピックや世界陸上競技選手権大会には採用されていない。これはマラソン同様に陸上競技場の外、つまり公道をコースとせざるを得なく、更に男女別で分ける必要もあることから、公道での交通規制が増えすぎてしまい、警備への負担増加、規制による市民生活への影響などが大きいためとも考えられる。女子の場合は長距離走と競歩、また跳躍競技、投擲競技などの大半は日本陸連から日本記録公認外種目として始まったものが多い。大部分は1930年までに公認されたが、長距離走と競歩は1980年、三段跳は1986年、棒高跳、ハンマー投は1993年になって公認されるようになった。 以下の種目が世界記録としてワールドアスレティックスにより公認される。 g次の種目は日本陸上競技連盟により日本記録として公認される。 以下の種目がU20世界記録として公認される。 以下の種目が室内世界記録として公認される。 以下の種目は世界記録として公認されていない。或いはかつて公認されており、夏季オリンピックでも実施されていた屋外種目。 風速は、各種目下記の秒数計測し、100分の1メートル以下を10分の1メートルに切り上げる。 測定器はトラック競技の場合は1レーン側のトラックから2メートル以内のフィニッシュラインから50メートルところに設置し、フィールド競技の場合は踏み切り板から20メートルのところで、助走路から2メートル以内のところに設置する。また高さは、トラック、フィールド共に1.22メートルのところで測定する。 1912年の創設以来、ワールドアスレティックス(WA)が陸上競技の国際競技連盟となっている。創設当初は「国際アマチュア陸上競技連盟」(IAAF、International Amateur Athletic Federation)という名称であったが、1970年代後半にスポーツがアマチュアリズムからプロフェッショナリズムへと移行したことを反映して、2001年にはアマチュアの名称を削除し、「国際陸上競技連盟」(International Association of Athletics Federations、略称は同じくIAAF)に変更された。さらに2019年11月に再度名称を変更し、現名称となった。 WAには215の加盟国と地域があり、六大州それぞれに統括する競技連盟が存在する。6つの大陸連盟は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア、北アメリカ、南アメリカである。WAの本部は1993年以降モナコにおかれている。
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陸上競技は、主に野外競技場のトラックやフィールドあるいは道路で行われる、走る・跳ぶ・投げるの3基本技を中心とする競技の総称。単に陸上と呼ぶことも多い。
{{複数の問題|出典の明記=2012年3月|wikify=2020年2月25日 (火) 23:00 (UTC)}} {{Infobox sport | name = 陸上競技 | image = Athletics competitions.jpg | imagesize = 300px | caption = | union =[[ワールドアスレティックス]](WA) | mgender = あり | category = 屋内および屋外 | olympic = 第1回夏期[[1896年アテネオリンピック]]以来 | paralympic = 第1回夏期[[1960年ローマパラリンピック]]以来 }} [[ファイル:Naisten 400 m aidat.jpg|thumb|250px|[[屋外]]の[[陸上競技場]]における競技の模様(女子[[400メートルハードル|400mハードル]])]] [[ファイル:Shikishima std.jpg|thumb|250px|陸上競技場の例([[群馬県立敷島公園県営陸上競技場|敷島公園陸上競技場]]、[[群馬県]][[前橋市]])]] {{読み仮名|'''陸上競技'''|りくじょうきょうぎ}}は、主に野外[[競技場]]の[[トラック (陸上競技)|トラック]]や[[運動場|フィールド]]あるいは[[道路]]で行われる、[[走る]]・[[wikt:ジャンプ|跳ぶ]]・[[投擲|投げる]]の3基本技を中心とする[[競技]]の[[総称]]<ref name="daijisen">[[大辞泉]]</ref>。単に{{読み仮名|'''陸上'''|りくじょう}}と呼ぶことも多い。 == 概要 == 陸上競技とは、主に屋外(屋外[[競技場]]の[[運動場|フィールド]]や[[トラック (陸上競技)|トラック]]、あるいは[[道路]]など)で行われる、走る、跳ぶ、投げる、という3種の基本技を中心とする競技の総称である<ref name="daijisen" />。[[世界室内陸上競技選手権大会]]のように室内で行う陸上競技大会もあり、[[60メートル競走|60m走]]など室内のみ正式種目となっている種目もある。 その歴史は[[紀元前776年]]の第1回[[古代オリンピック]]まで遡る。→[[#歴史]] 陸上競技は大分類としては、走種目を主体とし競技場のトラックで実施される'''[[トラックレース|トラック競技]]'''、跳躍([[走幅跳]]など)や投擲([[ハンマー投]]など)を主体としトラック内側のフィールドで実施される'''フィールド競技'''、さらに[[マラソン]]や[[競歩]]など競技場外の道路上に設定されたコースを走る'''[[公道コース|ロードレース]]'''がある。ただし、競技場によってはフィールド競技(特に跳躍)の競技場所がトラック外側に設置されていることがある。トラック競技およびフィールド競技は、[[陸上競技場]]内で行われる競技として[[トラック&フィールド]]競技と一括して扱われることがある。 男子用のユニフォームはシャツに短パン、女子用のユニフォームはブラとブルマーの組み合わせが典型的である。女子用のユニフォームは体型が出やすく露出も多いため、性的画像撮影の被害が問題になっている。 == 歴史 == 陸上競技は[[紀元前776年]]の第1回[[古代オリンピック]]<ref>「スポーツの文化史 古代オリンピックから21世紀まで」p29 ヴォルフガング・べーリンガー 髙木葉子訳 法政大学出版局 2019年3月25日初版第1刷</ref> に遡る歴史のある競技である。この時(第一回)にはスタジアムの長さ分の走種目、[[スタディオン走]](現代で言うところの短距離走)のみが行われ、その後種目が増えた。古代ギリシアの中期オリンピックでは、[[スタディオン走]](短距離走)に加え、[[ディアウロス走]](中距離走)、[[ドリコス走]](長距離走)、[[五種競技]]、[[円盤投]]、[[やり投]]、[[走高跳|走り高跳び]]も行われた<ref>「図説 人類の歴史 別巻 古代の科学と技術 世界を創った70の大発明」p207 ブライアン・M・フェイガン編 西秋良宏監訳 朝倉書店 2012年5月30日初版第1刷</ref><ref group="注">なお、現代の「陸上」とは分類が異なるが、当時は(屋外で)他にも戦車競走、レスリング、ボクシング(拳闘)、[[パンクラティオン]]も行われた。</ref>。なお、ギリシアではこのほかにも[[ネメア祭|ネメアー大祭]]、[[イストミア大祭]]、[[ピューティア大祭]]といった大競技大会が開催されていた<ref>「スポーツの文化史 古代オリンピックから21世紀まで」p41-42 ヴォルフガング・べーリンガー 髙木葉子訳 法政大学出版局 2019年3月25日初版第1刷</ref>。 他にも[[ケルト人]]や[[チュートン人]]、ローマ帝国を倒した[[ゴート人]]といった民族も陸上競技の大会を開き、人気を集めていたようである。しかし、これらの民族では陸上競技は軍事鍛錬と関連したものであるのが一般的で、それほど大きく組織立ったものとはならなかった。[[中世]]には、貴族の子息たちが乗馬、[[馬上槍]]、剣術などの鍛錬に加え、ランニング、跳躍、レスリングなどの鍛錬を行っていたようである。競争相手のライバルや友人たちとの間で競技会を開催することも公式、非公式を問わず、広く行われていた。 時代の枠を越えて、ヨーロッパ全土で多くの陸上競技スポーツが親しまれていた様子が確認されている。陸上競技は、[[ルネサンス]]以降に近代スポーツとして発展し、[[1896年]]に開催された[[1896年アテネオリンピック|第1回アテネオリンピック]]をきっかけとして、世界各国へと普及した。陸上種目の多くはその起源を古代にまで遡るものが多く、古代ギリシアで既にその競技種目としての形式が確立されていた。陸上競技は、[[1896年]]の第1回近代オリンピック大会でも実施され<ref>https://www.joc.or.jp/sp/column/olympic/history/002.html 「近代オリンピックの始まり」公益財団法人日本オリンピック委員会 2020年4月4日閲覧</ref>、常に実施競技としてありつづけるとともに、同じく第1回大会から常に実施されていてオリンピック前半の花形競技とされる[[競泳]]と並んで、オリンピック後半の花形競技とされる。陸上競技と水泳については、オリンピック以外でも総合的なスポーツ大会で競技ナンバーが1番と2番になることが多く、陸上競技の棒高跳びや投てきを例外としても、基本的には道具や対戦相手を必要とせず、己の身体のみで人類の限界に挑むと言う普遍的なスポーツであることからその存在価値が重視されている。格闘技や球技等、プロとしてお金を稼ぐことを目的とする商業スポーツと比べて、その存在意義も異なる。ただし20世紀前半には国際競技大会に出場する選手はアマチュアでなくてはならないという厳格な規定が存在したが、20世紀後半に入ると[[東側諸国]]においても[[西側諸国]]においても徐々に有名無実化していき、1990年代初頭にはこうした規定は存在しなくなった<ref name="ReferenceA">「スポーツの世界地図」p86 Alan Tomlinson著 阿部生雄・寺島善一・森川貞夫監訳 丸善出版 平成24年5月30日</ref>。19世紀には陸上競技は男性のものであり、オリンピックにおいても男性のみ参加となっていたが、1921年に[[国際女子スポーツ連盟]]が創設されると女子陸上競技大会も開催されるようになり、1928年の[[1928年アムステルダムオリンピック|アムステルダムオリンピック]]において女子陸上がオリンピックの種目となった<ref>「陸上競技のコーチング学」p3-4 日本陸上競技学会編 大修館書店 2020年2月1日初版第1刷</ref>。 国際競技統括団体[[ワールドアスレティックス]]は[[1912年]]に創設され、[[1983年]]からは、オリンピックとは別に陸上競技のみの大会として、[[世界陸上競技選手権大会]]を開催するようになった<ref>https://www.jp.tdk.com/athletic/wca_tdk/ 「世界陸上競技選手権大会とTDK」TDK株式会社 2020年4月4日閲覧</ref>。世界陸上は世界有数のスポーツイベントの1つで、2009年の[[2009年世界陸上競技選手権大会|ベルリン大会]]では約3300万人がイベントを視聴したとされる<ref>「スポーツの世界地図」p97 Alan Tomlinson著 阿部生雄・寺島善一・森川貞夫監訳 丸善出版 平成24年5月30日</ref>。他に[[世界室内陸上競技選手権大会]]や[[ヨーロッパ陸上競技選手権大会]]なども開催されている。また、[[アジア競技大会]]など大陸別の競技大会においても陸上競技は必ず開催され、花形競技の1つとなっている。特にオリンピックを始め、主要な陸上競技大会の期間中は高い注目を集めるものの、スポーツ全般から見ると多くの国で一般からの関心の度合いはやや低くなりがちである。 トラック&フィールド競技では、世界各地の競技会を転戦して総合成績を競うサーキット大会[[IAAFグランプリ]]が1985年に創設された。IAAFグランプリは[[IAAFゴールデンリーグ]]・[[IAAFスーパーグランプリ]]を経て、[[2010年]]から両者が統合され[[ダイヤモンドリーグ|IAAFダイヤモンドリーグ]]となり<ref>https://www.afpbb.com/articles/-/2677080?cx_part=search 「2009年、世界を再び熱くさせたボルト」AFPBB 2009年12月22日 2020年4月4日閲覧</ref>、[[IAAFワールドチャレンジミーティングス|IAAFワールドチャレンジ]](2020年より[[ワールドアスレティックスコンチネンタルツアー]])とともに毎年春から夏にかけて開催されている<ref name="ReferenceA"/>。一方マラソン競技においては世界各地で大規模なマラソン大会が行われており、なかでも2006年より[[ボストンマラソン]]・[[ロンドンマラソン]]・[[ベルリンマラソン]]・[[シカゴマラソン]]・[[ニューヨークシティマラソン]]の5大会とオリンピック・世界陸上の計7大会で[[ワールドマラソンメジャーズ]]が開催されるようになった<ref>「スポーツの世界地図」p69 Alan Tomlinson著 阿部生雄・寺島善一・森川貞夫監訳 丸善出版 平成24年5月30日</ref>。さらに2013年大会より、[[東京マラソン]]がワールドマラソンメジャーズに加入し、計8大会となった<ref>https://www.marathon.tokyo/about/founders-history/ 「大会の沿革」TOKYO MARATHON 2020 2020年4月4日閲覧</ref>。 === イギリス === イギリスでは13世紀から16世紀にかけてスポーツを楽しむことに国家的な制限を課していた。これは[[アーチェリー]]の鍛錬に支障が出ないようにするためであった<ref>岡尾惠市『陸上競技のルーツをさぐる』 文理閣 1996年 p.6</ref>。この制約が17世紀になって除かれた後、イギリスではスポーツが再び盛んになった。陸上競技組織の活動は19世紀になって行われるようになった。これには学校においてスポーツ体育が実施されるようになった影響もある。正規の学校における陸上競技が取り入れられた初出としてイギリスの[[サンドハースト王立陸軍士官学校]]において[[1812年]]、[[1825年]]に行われたとの説もあるが、これを補強する証拠は今のところない。記録に残っている最古の会合は同国の[[シュロップシャー|シュロップシャー州]][[シュルーズベリー]]で[[1940年]]に王立シュルーズベリー校が開催したもので、当時[[1838年]]から[[1841年]]まで生徒として在籍していた[[CTロビンソン]]が60年後に複数の手紙に当時の詳細について書き残している。 [[1868年]]に刊行された『最新陸上競技』によれば、当時の陸上競技のほとんどの競技はハンディキャップ・レースだったという<ref name="Nakamura">中村敏雄『スポーツルールの社会学』朝日新聞社〈朝日選書〉1991年、ISBN 402259523X pp.32-50.</ref>。陸上競技は[[ギャンブル]]の対象であり、観客は記録よりも勝ち負けとレースの過程や公正さを重視した。そのため、資格を持ったハンディキャッパーが競技者の実績によってスタート位置を調整するなどのハンディキャップを付け、白熱したレースを演出していた。一方、プロフェッショナルランナーを排除し、[[紳士]]のスポーツによる人格形成を目的としたアマチュア陸上クラブが[[1866年]]にロンドンで組織され、常設の陸上競技場による競技が行われた<ref name="Nakamura"/>。陸上競技のハンディキャップ・レースはオリンピックなどの公式レースでも20世紀前半まで行われたが、スポーツが競戯からアマチュア・ルールによる近代スポーツへと変化する過程で消滅した。 === 日本 === [[日本]]では[[1873年]](明治6年)[[3月21日]]に、[[東京府|東京]]・[[築地]]にあった[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学寮]]のイギリス人教師が開いた「[[競闘遊戯]]」が最初の陸上競技大会である{{sfn|長谷川|2013|pp=59-60}}。競闘遊戯は''athletic sports''の訳語で、雀雛出巣(すずめのすだち、150ヤード走)、燕子学飛(つばめのとびならい、300ヤード走)、大鯔跋扈(ぼらのあみごえ、[[走高跳]])などの種目があった{{sfn|長谷川|2013|pp=59-60}}。また同年10月に[[開成学校]]([[東京大学]]の源流)にて[[明治天皇]]隣席の下で行われた「体操御覧」の1種目「行飛」が競走であった可能性がある{{sfn|長谷川|2013|p=59}}。本格的に陸上競技が[[日本人]]の間で行われるようになるのは、[[1875年]](明治8年)に[[外国語学校 (明治初期)#東京英語学校|東京英語学校]](後の東京大学)に着任した[[フレデリック・ウィリアム・ストレンジ]]による普及活動以降である{{sfn|長谷川|2013|p=60}}。ストレンジは[[イートン・カレッジ]]の出身で、陸上競技と[[ボート競技]]を得意とし、余暇にこれらを実践して学生の関心を惹き、普及させた{{sfn|長谷川|2013|p=60}}。[[1883年]](明治16年)には[[東京大学 (1877-1886)|東京大学]]の3学部と予備門合同の陸上運動会が開かれ、以降東大の名物となった{{sfn|長谷川|2013|pp=60-61}}。この運動会では後に[[藤井實]]が100mと棒高跳で世界記録を樹立した{{sfn|長谷川|2013|p=61}}。 明治30年代([[1897年]] - [[1906年]])になると、東京帝国大学と[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を中心に、[[学習院]]や[[高等商業学校]](後の[[一橋大学]])でも陸上競技が盛んとなり、明治40年代([[1907年]] - [[1912年]])には[[スパイクシューズ]]が使用され始め、[[早稲田大学]]・[[慶応義塾大学]]が新勢力として台頭した{{sfn|長谷川|2013|pp=61-62}}。[[東京高等師範学校]](後の[[筑波大学]])では[[嘉納治五郎]]校長の下で校内長距離走が開かれていたが、陸上競技界ではまだ弱小であった{{sfn|長谷川|2013|pp=41-47}}。[[大正]]時代初期まで「陸上競技」という日本語は存在せず、この頃に創部した陸上競技部は、東京高等師範学校では「徒歩部」(後に[[筑波大学陸上競技部]]に改称)、[[早稲田大学競走部|早稲田大学]]や[[明治大学体育会競走部|明治大学]]では「競走部」を名乗っている。 日本が初めて[[近代オリンピック]]に参加したのは、[[1912年]](明治45年)の第5回[[1912年ストックホルムオリンピック|ストックホルム大会]]であり、短距離走の[[三島弥彦]]と長距離走の[[金栗四三]]が参加した{{sfn|長谷川|2013|pp=112-128}}。日本で初めて組織立って(学校以外の組織が主催して)開かれた陸上競技大会は、[[1912年ストックホルムオリンピックの日本選手団|この日本代表]]を選抜するための大会「[[国際オリムピック大会選手予選会]]」([[日本スポーツ協会|大日本体育協会]]主催)であった{{sfn|長谷川|2013|p=66}}。金栗はオリンピックの後、生涯をマラソンの普及に捧げ、[[東京箱根間大学駅伝競走]]を創設した{{sfn|長谷川|2013|pp=141-267}}。 === 米国 === 全米アマチュア競技連盟が米国における統括団体であったが、1970年代に[[プロフェッショナルスポーツ]]としての促進が進むと、その管轄を外れた。新たな統括団体として、TAC (The Athletics Congress) と呼ばれる団体が結成され、後に[[全米陸上競技連盟]] (USA Track and Field; USATF; USA T&F) と改名した。さらにより緩やかな組織として、ロードレースの普及促進を図る団体として[[全米ロードランナークラブ]](RRCA)がある。両団体とも、以前は[[アマチュアリズム|偽アマチュアリズム]]とされた、レース出場を通じて金銭を得る行為を禁止していない。 == 種目 == 下記の種目が世界記録として公認される。日本記録も準拠する。ハーフマラソンや駅伝競走はオリンピックや世界陸上競技選手権大会には採用されていない。これはマラソン同様に陸上競技場の外、つまり公道をコースとせざるを得なく、{{要出典範囲|更に男女別で分ける必要もあることから、公道での交通規制が増えすぎてしまい、警備への負担増加、規制による市民生活への影響などが大きいためとも考えられる|date=2012年4月}}。女子の場合は長距離走と競歩、また跳躍競技、投擲競技などの大半は[[日本陸連]]から日本記録公認外種目として始まったものが多い。大部分は[[1930年]]までに公認されたが、長距離走と競歩は[[1980年]]、三段跳は[[1986年]]、棒高跳、ハンマー投は[[1993年]]になって公認されるようになった。 ===世界記録=== 以下の種目が[[陸上競技の世界記録一覧|世界記録]]としてワールドアスレティックスにより公認される。 * 短距離 - [[100メートル競走|100m]]、[[200メートル競走|200m]]、[[400メートル競走|400m]] * ハードル - [[100メートルハードル|100mハードル]]<ref name="♀">女子のみ</ref>、[[110メートルハードル|110mハードル]]<ref name="♂">男子のみ</ref>、[[400メートルハードル|400mハードル]] * 中距離 - [[800メートル競走|800m]]、[[1000メートル競走|1000m]]、[[1500メートル競走|1500m]]、[[1マイル競走|1マイル]]、[[2000メートル競走|2000m]]、[[3000メートル競走|3000m]]、[[3000メートル障害|3000m障害]] * 長距離 - [[5000メートル競走|5000m]]、[[10000メートル競走|10000m]]、[[20000メートル競走|20000m]]、[[1時間競走|1時間]]、[[25000メートル競走|25000m]]、[[30000メートル競走|30000m]] * リレー - [[400メートルリレー走|4×100mリレー]]、[[800メートルリレー走|4×200mリレー]]、[[1600メートルリレー走|4×400mリレー]]、[[3200メートルリレー走|4×800mリレー]]、[[6000メートルリレー走|4×1500mリレー]]<ref name="♂"/>、ディスタンスメドレーリレー * 道路競走 - [[1マイル競走|1マイル]]、5km、[[10km]]、[[ハーフマラソン]]、[[マラソン|フルマラソン]]、[[ウルトラマラソン|100km]]、[[ロードリレー]](42.195km) * 競歩 - [[10000メートル競歩|10000m競歩]]<ref name="♀"/>、[[20000メートル競歩|20000m競歩]]、[[30000メートル競歩|30000m競歩]]<ref name="♂"/>、[[50000メートル競歩|50000m競歩]]<ref name="♂"/> / [[20キロメートル競歩|20km競歩]]、[[50キロメートル競歩|50km競歩]] * 跳躍 - [[走高跳]]、[[棒高跳]]、[[走幅跳]]、[[三段跳]] * 投てき - [[砲丸投]]、[[円盤投]]、[[ハンマー投]]、[[やり投]] * [[混成競技]] - [[七種競技]]<ref name="♀"/>、[[十種競技]]<ref name="♂"/> ===各国国内記録=== ====日本==== g次の種目は日本陸上競技連盟により[[陸上競技の日本記録一覧|日本記録]]として公認される。 * 短距離 - [[300メートル競走|300m]] * 道路競走 -[[1マイル競走|1マイル]]、15km、10マイル<ref name="♂" />、20km、25km、30km、35km<ref name="♂" /> * 競歩 - [[5000メートル競歩|5000m競歩]] / 5km<ref name="♀" />、[[10000メートル競歩|10km競歩]]、15km、30km<ref name="♂" /> ===U20世界記録=== 以下の種目がU20世界記録として公認される。 * [[100メートル競走|100m]]、[[200メートル競走|200m]]、[[400メートル競走|400m]]、[[800メートル競走|800m]]、[[1000メートル競走|1000m]]、[[1500メートル競走|1500m]]、[[1マイル競走|1マイル]]、[[3000メートル競走|3000m]] * [[100メートルハードル|100mハードル]]<ref name="♀"/>、[[110mハードル]]<ref name="♂"/>、[[400メートルハードル|400mハードル]]、[[400メートルリレー走|4×100mリレー]]、[[1600メートルリレー走|4×400mリレー]] * 5000m、[[10000メートル競走|10000m]]、2000m障害<ref>男子日本記録</ref>、3000m障害 * 5000m競歩<ref>女子日本記録</ref>、10000m競歩、10km競歩 * 走高跳、棒高跳、走幅跳、三段跳、砲丸投、円盤投、ハンマー投、やり投、七種競技<ref name="♀"/>、十種競技<ref>女子は7300点以上</ref> ===室内世界記録=== 以下の種目が室内世界記録として公認される。 * [[50メートル競走|50m]]、60m、200m、400m、800m、1000m、1500m、1マイル、3000m、5000m * [[50mハードル]]、[[60メートルハードル|60mハードル]]、4×200mリレー、4×400mリレー、4×800mリレー *[[3000メートル競歩|3000m競歩]]<ref name="♀"/>、5000m競歩 * 走高跳、棒高跳、走幅跳、三段跳、砲丸投、[[五種競技]]<ref name="♀"/>、七種競技<ref name="♂"/> ===その他=== 以下の種目は世界記録として公認されていない。或いはかつて公認されており、[[夏季オリンピック]]でも実施されていた屋外種目。 * [[60メートル競走|60m]]、[[100ヤード競走|100ヤード]]、[[150メートル競走|150m]] * [[1600mメドレーリレー]]、[[3000m団体]]、[[3マイル団体]]、[[5000m団体]]、[[4マイル団体]]、[[5マイル]]、[[クォーターマラソン]] *[[クロスカントリー競走|クロスカントリー]]個人、クロスカントリー団体 * [[80メートルハードル|80mハードル]]、[[1500m障害]]、[[2500m障害]]、[[2590m障害]]、[[3200m障害]]、[[4000m障害]] *[[3km競歩]]、[[3500m競歩]] * [[立ち幅跳び]]、[[立ち高跳び]]、[[立ち三段跳び]] * [[砲丸両手投げ]]、[[円盤両手投げ]]、[[ギリシア式円盤投げ]]、[[やり両手投げ]]、[[重錘投]]、[[ジャベリックスロー]]、[[ジャベリックボール投]]、[[やり投げ自由形]] * [[三種競技]]、[[四種競技]]、[[五種競技]]、[[八種競技]]、[[十四種競技]]、[[二十種競技]] == 世界記録 == {{Main|陸上競技の世界記録一覧}} {{See also|陸上競技のオリンピック記録一覧|陸上競技の日本記録一覧}} == 競技規則 == === 計測・単位について === ;フィニッシュタイムの計測について(トラック競技) * [[トルソー]](ここでは頭、首、腕、手及び足を含まない部分を示す)のいずれかがフィニッシュラインのスタートラインに近い端を含む垂直面に到達した時点で走者のフィニッシュとされる<ref name="jaaf">[http://www.jaaf.or.jp/athlete/rule/handbook_pdf/04.pdf トラック競技審判長] 日本陸上競技連盟</ref>。なお、トルソーと首の境界は胸部上部の凹部と第7頸椎の突起部を結んだ線であり腕との境界肩胛骨の外端である<ref name="jaaf"/>。 * [[写真判定]]装置を用いる場合、10000メートル以下の競技では、1000分の1秒以下を100分の1秒に繰り上げる。10000メートルよりも長い競技では、100分の1秒以下を10分の1秒に繰り上げる。また、一部でも競技場外で行われるレースにおいては、10分の1秒以下を秒に繰り上げる。 * [[計時|手動計時]]の場合は、トラック種目の場合は100分の1秒以下を10分の1秒に繰り上げ、一部でも競技場外で行われるレースにおいては、10分の1秒以下を秒に繰り上げる。また、3個の[[時計]]のうち2個が一致する場合はそのタイムが記録となり、全て異なる場合は真ん中のタイムが記録となる。尚、時計が2つのときは遅いほうのタイムを記録とする。そのため、同じ着順の計時を複数名で担当する。 ;距離の単位について(トラック競技) * 基本的に競技場内で行われる競技はメートル、公道へ出る競技はキロメートルで表される。 ;距離の計測について(フィールド競技) *[[センチメートル]]未満を切り捨て、メートル単位で記録する。 === 風速の測定について === [[風速]]は、各種目下記の秒数計測し、100分の1メートル以下を10分の1メートルに切り上げる。 * 60メートル スタートから5秒間 * 100メートル スタートから10秒間 * 200メートル 先頭の選手が直線に入ってから10秒間 * 100メートルハードル スタートから13秒間 * 110メートルハードル スタートから13秒間 * 走幅跳 踏み切り板から40メートル離れ、助走路のそばにあるマーク通過から5秒間で、競技者の助走が40メートル未満なら助走開始時から5秒間。 * 三段跳 踏み切り板から35メートル離れ、助走路のそばにあるマーク通過から5秒間で、競技者の助走が35メートル未満なら助走開始時から5秒間。 測定器はトラック競技の場合は1レーン側のトラックから2メートル以内のフィニッシュラインから50メートルところに設置し、フィールド競技の場合は踏み切り板から20メートルのところで、助走路から2メートル以内のところに設置する。また高さは、トラック、フィールド共に1.22メートルのところで測定する。 === 競技時の服装について === [[ファイル:XavierCarter1.JPG|thumb|150px|競技時の服装の例]] * 服装は濡れても透けないもの。 * 前と後ろにナンバーカード(旧呼称:[[ゼッケン]])をつける<ref group="注">走り高跳及び棒高跳は前か後ろ片方だけでよい。</ref>。 **普通、数字で1桁から4桁。ロードレースでは5桁も。 **小規模の開催では選手側が用意する。 **ある程度の大会(予選会や標準記録があり参加者が限られるもの)では開催名やスポンサー名の入ったナンバーカードが配られることがある。 **最近は競技会、種目によって(セパレートレーンの短距離走やフィールド種目などで)はナンバーカードをつけないことがある。 *トラック競技は[[写真判定]]のためにレーンナンバーを示す腰ナンバーカードをつける(リレー種目は[[アンカー]]のみのことが多い)。 **ちなみに、最近の腰ナンバーカードは直ぐに取り外しできるよう(レーンが決まるのはレース直前であるから)シール状になっていることが多い。このシールは特にスパッツの生地には全く馴染まないため競技開始直後に剥がれることが多く、オリンピックや世界選手権の決勝レースにおいてもスタートと同時に選手が白いナンバーカードを「落とす」光景が見られる。そのため、水濠で足が濡れることでよりシールが剥がれやすくなってしまう3000メートル障害では太ももなどの地肌に直接ナンバーシールを貼る選手もいる。 === 主な失格について === *トラック競技で、'''一度でも[[不正スタート]]の責任を有する競技者'''。ただし混成競技(国内ルールでは道路競走、駅伝競走を加える)では、1回の不正スタートの後、2回目以降に不正スタートをした競技者。 **1回目の不正スタートが即失格となるこのルールは、2010年1月より[[ワールドアスレティックス|WA主催大会]]で適用されている。日本国内でも2010年度から3年間は試行的に適用され、2013年度以降は[[日本陸上競技連盟]]主催・共催の全大会(小学生を除く)で適用されている。地区大会は各陸上競技協会の判断によるが、新ルールの適用が推奨される。フライング判定装置の設置が原則となるが、装置がない場合は目視とビデオ映像で判定する。[[日本学生陸上競技連合]]も日本学生陸上競技個人選手権大会と[[日本学生陸上競技対校選手権大会]]の両大会で新ルールが適用されている。[[2011年世界陸上競技選手権大会|2011年世界陸上]]の男子100メートル決勝で、世界記録保持者の[[ウサイン・ボルト]]が不正スタートで一発失格となったことからこの新ルールが注目された<ref name="名前なし-1">「陸上競技のコーチング学」p5 日本陸上競技学会編 大修館書店 2020年2月1日初版第1刷</ref>。 **2003年から導入された各レースで1度フライングがあった後は2度目以降が誰でも失格になるルールは、1回目のフライングが失格にならない事を逆手に取り、駆け引きのため故意にフライング出来る事が問題視されていた<ref>[https://web.archive.org/web/20090917022224/http://www.asahi.com/sports/update/0812/TKY200908120244.html フライングしたら即失格 国際陸連が新ルール導入へ] - [[朝日新聞]]</ref>。 **[[全国小学生陸上競技交流大会]]では、同一競技者が2回不正スタートを行った場合に失格となる。 *他の走者の進路を故意に塞ぐ等、他の競技者の妨害をすること。 *オープンレーンのトラック競技において、走者が競技中に他の走者以外の者と接触すること(部外者の手助けを受けたとみなされるため。競技中の走者同士であれば手助けをしても構わない)。 *オープンレーンのトラック競技において、指定のレーンよりも内側に侵入すること。 *セパレートレーンのトラック競技において、競技中に自身のレーンを逸脱すること。 *リレー走で、バトンの受け渡しをテークオーバーゾーン外で行うこと。 *リレー走で、バトンパスを成立させていないとき(受け取る走者に触れる前に落としたバトンを受ける走者が拾う、投げ渡す等)。 *ハードル走で、ハードルをはみ出して低い位置で跳んだり、ハードルを故意に倒すなど。 *指定時刻までに招集(競技開始前の点呼)に応じないとき。 *[[ドーピング|禁止された薬物等を使用]]すること。 *[[性別]]を偽って競技に出場すること。 *その他、定められた失格行為に至ること。 === 国際競技会における走種目のスタート合図について === * スターターは[[英語]]・[[フランス語]]・開催地の言語のいずれかで合図を行う。 ** 400m以下の場合、スターターはまず「位置について(On your marks)」と言って選手をスタート位置につかせる。その後、スターターは「用意(Set)」と言って選手に[[クラウチングスタート]]の姿勢を取らせ、[[スターターピストル]]を撃つ。 ** 400mを超える場合、スターターは「位置について(On your marks)」と言って選手をスタート位置につかせ、選手が[[スタンディングスタート]]の姿勢になっているのを確認してからスターターピストルを撃つ。 * 2006年度の競技規則改正により、下記の競技会においてはスターターによる合図を英語に統一することになった。 ** [[世界陸上競技選手権大会]]、[[夏季オリンピック|オリンピック]]および[[ワールドアスレティックスコンチネンタルカップ]] *** 世界選手権は2007年の大阪大会、オリンピックは2008年の北京大会から適用される。 ** WAが独占統轄権をもつ陸上競技選手権大会 ** 上記以外の国際競技会については、従来どおり開催する国や地域の言語、英語またはフランス語で合図する。 == 公認種目、公認記録の扱い == * 公認種目はWA等が公認した種目で、その種目において世界で最高の記録が出ると、WAによって[[世界記録]]として認められる。この認定権はIAAFが保持している<ref>https://www.jaaf.or.jp/pdf/about/rule/1918.pdf 「陸上競技ルールブック2019」p371 日本陸上競技連盟 2019年11月4日閲覧</ref>。また、公認種目以外の種目では「世界最高記録」として扱われる。公認種目では、公認記録(世界記録、各国記録、各種大会記録)として100メートル、200メートル、100メートルハードル、110メートルハードルと[[走幅跳]]、[[三段跳]]の場合は追い風2.0m以内であれば公認記録となる。追い風2.0mを超えると各種大会の順位付けの記録は付くが、公認記録としては認められず「[[追い風参考記録]]」にとどめられる<ref name="名前なし-1"/>。 * 混成競技では、風速を計測する種目の平均風速が追い風2.0m以内であれば混成競技の記録として公認され、そうでなければ「追い風参考記録」となる(2010ルール改正)。 * WAの競技規則に沿った競技会での記録でないと、公認記録とならない<ref>https://www.jaaf.or.jp/athlete/rule/handbook_pdf/02.pdf 「公認競技会」日本陸上競技連盟 2019年11月4日閲覧</ref>。 == 国際競技連盟 == 1912年の創設以来、[[ワールドアスレティックス]](WA)が陸上競技の[[国際競技連盟]]となっている。創設当初は「国際アマチュア陸上競技連盟」(IAAF、International Amateur Athletic Federation)という名称であったが<ref>「スポーツの世界地図」p94 Alan Tomlinson著 阿部生雄・寺島善一・森川貞夫監訳 丸善出版 平成24年5月30日</ref>、1970年代後半にスポーツが[[アマチュアリズム]]からプロフェッショナリズムへと移行したことを反映して<ref name="ReferenceA"/>、2001年にはアマチュアの名称を削除し、「国際陸上競技連盟」(International Association of Athletics Federations、略称は同じくIAAF)に変更された<ref name="ReferenceB">「スポーツの世界地図」p95 Alan Tomlinson著 阿部生雄・寺島善一・森川貞夫監訳 丸善出版 平成24年5月30日</ref>。さらに2019年11月に再度名称を変更し、現名称となった<ref>https://www.jaaf.or.jp/news/article/13372/ 「IAAF組織名称変更に関するお知らせ」日本陸上競技連盟 2019年11月22日 2020年4月3日閲覧</ref>。 WAには215の加盟国と地域があり、[[六大州]]それぞれに統括する競技連盟が存在する<ref>[http://www.iaaf.org/aboutiaaf/structure/federations/index.html IAAF National Member Federations] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090903231859/http://www.iaaf.org/aboutiaaf/structure/federations/index.html |date=2009-09-03 }}. [[IAAF]]. Retrieved on 26 March 2010.</ref>。6つの大陸連盟は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニア、北アメリカ、南アメリカである。WAの本部は1993年以降[[モナコ]]におかれている<ref name="ReferenceB"/>。 [[File:IAAF map.png|thumb|upright=1.15|right|WAに属する六大陸の陸上競技連盟管轄区域]] * {{legend2|#FF00FF}}&nbsp; AAA – [[アジア陸上競技連盟]] * {{legend2|#FF813E}}&nbsp; CAA – [[アフリカ陸上競技連盟]] * {{legend2|#00FF81}}&nbsp; CONSUDATLE – [[南アメリカ陸上競技連盟]] * {{legend2|#FF0081}}&nbsp; NACACAA – [[北中米カリブ陸上競技連盟]] * {{legend2|#0081FF}}&nbsp; EAA – [[ヨーロッパ陸上競技連盟]] * {{legend2|#FFFF00}}&nbsp; OAA – オセアニア陸上競技連盟 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注"/> === 出典 === {{Reflist|25em}} == 関連項目 == {{div col|colwidth=20em}} * [[ワールドアスレティックス]] (WA) * [[日本陸上競技連盟]] (JAAF) * [[パラ陸上競技]] * [[U20世界陸上競技選手権大会]] * [[世界ユース陸上競技選手権大会]] * [[ワールドアスレティックスコンチネンタルカップ]] * [[世界ハーフマラソン選手権大会]] * [[世界クロスカントリー選手権大会]] * [[ワールドマラソンメジャーズ]] * [[陸上競技場]] * [[陸上競技選手一覧]] * [[マラソン選手一覧]] * [[Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事/スポーツ/陸上競技]] * [[陸上競技大会一覧]] * [[アスリートの性的画像問題]] * [http://www.rikujouweb.com/link/linkcont.htm 陸上競技リンク集][https://web.archive.org/web/20041116014817fw_/http://www.ne.jp/asahi/rikujouweb/terada/link/linkcont.htm] {{Div col end}} == 参考文献 == * {{cite book|和書|author=長谷川孝道|title=走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版|publisher=[[熊本日日新聞社]]・熊本陸上競技協会|date=2013-08-20|page=347|isbn=978-4-87755-467-5|ref={{sfnref|長谷川|2013}}}} * 東京教育大学体育史研究室編 『図説 世界体育史』 新思潮社 1964年 == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|陸上競技}} {{Commonscat|Athletics}} * [https://www.worldathletics.org/ ワールドアスレティックス]{{en icon}} * [https://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟] - JAAF * [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]{{en icon}} * [https://world-masters-athletics.com/ 世界マスターズ陸上競技連盟]{{en icon}} * [https://olympics.com/tokyo-2020/ja/paralympics/sports/athletics/ パラリンピック競技:陸上競技|東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会] * {{Kotobank}} {{陸上競技}} {{国際陸上競技}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:りくしようきようき}} [[Category:陸上競技|*]] [[Category:スポーツ競技]] [[Category:オリンピック競技]]
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水泳
水泳(、英: swimming)とは、水の中を泳ぐこと。 動物同様に、人類も昔から河川・池・湖・海などで泳いでいた。中世の日本では、水の中を泳ぐ技術は「水術」と呼ばれ、武術の1つともされた。現代では水泳は、落水時などに身を守るために教えられており、またレクリエーションやスポーツとして行われている。 人類は古来から楽しんだり、暑気を凌いだりするために泳いでいる。主に夏に、海や川で人々は泳ぎを楽しんでいる。また、人類が橋のない川を渡る際、舟を作成する時間・費用をかけられない場合は、泳いで渡ることになる。古代でも中世でも世界各地で兵士たちは戦時にはしばしば武具を身につけたまま川を泳いで渡らなければならなかった。また落水事故や転覆事故(海難事故)に遭った際、水面に浮き続け、生き延びるための泳ぎができるかは自分の生死に直結する。たとえば漁師は泳ぎを身につける。集団での漁では皆自分の仕事に精一杯で仲間のことにまで気が回らなくなりがちであり漁師の落水はしばしば見落とされるので、漁師は溺死しないために泳ぎを身につける。現代では世界各地で、自分の身を守るための水泳や落水した人を救助するための水泳の教育が行われている。 水泳は、全身の筋肉と総合的な身体能力を養える運動であり、水圧によるマッサージ効果によって全身の血行が促進されるので、健康の維持に有効である。水泳は水中で行うので浮力のおかげで下肢や膝などの関節に負担がかかりにくく、これらの部分に問題のある患者のための有酸素運動として優れており、リハビリテーションでも積極的に活用されている。熱中症の危険が低いので「暑い日に好適な運動」としても選ばれるが、脱水症にならないように水泳においてもあらかじめ水分補給はしっかりしておくことが望ましい。 競技としての水泳を競泳という。初期には、川・池・湖・海などの水面をロープなどで区切って簡易なコースをつくり行われることが一般的であったが、次第に人工的なプールでの競技が普及した。初めはプールには屋根がなかったが、屋外の塵や枯葉などによる水質悪化を防ぐため、屋内プールが普及した。さらに、水温も調節されるようになった。現在、水泳の競技大会はプールで行われている。一方、プールでない水面つまり海や湖など自然の水面(オープンウォーター)で長距離を泳ぐ競技が「オープンウォータースイミング」やトライアスロンの「スイム」である。 水泳は人気のあるスポーツであり、プロ選手だけでなく一般市民もレクリエーションとして、また健康を目的として水泳を楽しんでいる。自ら行う運動としての水泳は、特に設備の整った先進諸国において人気が高く、ウォーキングやエアロビクスに次ぐ競技人口を持っている。日本でも水泳をする人は多く、2012年の調査では日本で1年以内に水泳を行った人数は1200万人を数え、ウォーキングとボウリングに次いで実施人口が多かった。 全ての動物は泳ぐ動物から進化したので、多くの動物が生まれつき泳げる。いわゆる恐竜の子孫だとされ、飛翔するようになった鳥類ですら泳げる。地表の80%が海であり、陸にも川・湖・池が多くあるため動物は地表を移動すればしばしば泳ぐことにもなる。なお樹上の進化の歴史が長くなった霊長類は他の動物よりは泳ぎが苦手な傾向がある。 人類は地表を移動するために川や湖を泳いだだけでなく、さまざまな目的で泳いできた。泳いでいる人を描いた約9000年前の壁画がある。古代ギリシア時代には水泳が盛んであったことも当時の絵画や彫刻からわかる。古代ギリシア・古代ローマ時代の身体訓練では水泳が重要で、「文化人の条件」としても、文字が読めることと並んで水泳ができることが必要とされていた。アッシリア王国の旧地から発掘されたレリーフには、泳いで川を渡っている兵士が描かれている。記録としては、古代エジプトのパピルス文書(紀元前2000年)、アッシリアのニムルド出土の兵士の図(紀元前9世紀)、古代中国の荘子、列子、淮南子などがある。19世紀に入り、スポーツの近代化とブルジョワジーが「賭けレース」をするようになったことを背景として泳ぎにスピードが求められるようになった。「速く泳ぐための泳ぎ」がつくられてゆき、もっとも原始的な泳ぎの形であるとともに平泳ぎの原型となる「両手で同時に水を掻き、両足で同時に水を後方に押しやる泳ぎ」から「両手で同時に水を掻き、両足を左右に開いたのち勢いよく水を挟んで前進力を得るウェッジキック」が考案され、現在の平泳ぎが完成した。18世紀には西欧において水泳の一般化と競技化が進み、1837年にはイギリスにおいて初の水泳競技大会が開催されている。1822年にはマシュー・ウェッブが世界初のドーバー海峡横断泳を成功させ、水泳人気はさらに高まった。20世紀に入ると女性の水泳参加も徐々に進んでいき、1999年のストックホルムオリンピックからは水泳女子種目が開始された。 アメリカ合衆国などではコーチと母親が一緒になって乳幼児をプールに浮かべて泳がせる教室もあり、吸収の速い乳幼児に水に触れさせることで簡単に泳ぎを習得させている。その時期を過ぎると、逆に人は訓練無しには泳げなくなってしまう。一方で、一度習得すると長い間泳いでいなくても忘れることはなく、最も忘れ難い運動とも言われている。特に泳ぎが下手な人間のことを俗に「カナヅチ」という。 ハーバード大学医学部によると、通常、子どもは4歳まで水泳能力を獲得するための認知能力を持たないので、注意が必要であるとしている。 ドイツとオーストリアでは、子どもの約90%に「初歩泳者」(Frühscwimmer)資格を取らせることを目的とした小学校のカリキュラムがある。教育大臣によって設定された目標は95%であり、実際のパーセンテージは一部の学校で75%と低い。この資格を定めたのは、オーストリアでは民間組織と政府機関の共同委員会であるオーストリア水救助作業委員会(Arbeitsginschaft Österreichisches Wasserrettungswesen)である。次のレベル1の 「自由泳者」(Freischwimmer)は、13分間の自由形、1mの高さからの飛び込み、および水泳のルール10項の習得を必要とする。レベル3「日常泳者」(Allroundswimmer)は、クロールと背泳ぎ各100メートルのメドレー、100メートル自由形2分30秒未満、水平潜水10メートル、2.5キログラムの重りをつけての垂直潜水2メートル(厚い物体を拾う)、背泳ぎ50メートル、同程度の体重の人との20メートルの救助泳(英語版)、水泳のルール10項の習得を必要とする。ドイツでは「水泳記章」(Schwimmabzeichen)は初歩、銅、銀、金の4つのレベルに分かれる。「初歩泳者」の水泳テストでは、飛込、25メートル自由形、水面下のものの拾得を行う。銀バッジでは、400メートル自由形12分以内、2メートル以上の垂直潜水(物体を拾う)、飛込、10メートルの水平潜水が必要である。ライフガード証明書は、組織ごとに別々に制定されている。初歩レベルは、世界最大の水難救命機関のドイツ救命協会(ドイツ語版)DLRGでは下級救助者(Junior-Retter)、ドイツ赤十字の水難救助分社である水守衛社では下級水救助者(Juniorwasserretter)に相当する。 スイスでは 「水泳試験」(Schwimmtests)は技能横断的な構成になっていない。各能力は単独でテストされ、複数のテスト証明書がグループを成す。基本レベル・グループなら「カニ」(Krebs)、「カワウソ」(Seepferd)、「カエル」(Frosch)、「ペンギン」(Pinguin)、「鳥類」(Tintenfisch)、「ワニ」(Krokodil)、「北極熊」(Eisbär)の7種の試験がある。 スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドでは、5年生(11歳)で、すべての子供が泳ぐ方法と水の近くで緊急事態に対処する方法を学ぶべきだと定めている。オランダとベルギーでは、水泳の授業を政府が支援している。フランスでは、小学校2-3年生・4-6歳の体育で水泳が行われる。英国には、11歳までに泳げない児童を対象に、集中的な毎日のレッスンを受けるよう求める「トップアップ制度」がある。スコットランドでは、8-9歳の生徒が水泳の授業を受ける。一般に、STA(水泳教師協会)またはASA(アマチュアスイミングアソシエーション)の2方式の制度に従い、優秀カリキュラムには泳げる距離についての定めがない。 日本赤十字社が、安全に水と親しみ、事故を防止しつつ泳ぎの基本や身を守る方法を習得するため、また水の事故に遭った場合の救助法・手当法なども習得するための講習を行っている。救助員Iと救助員IIの講習がある。 日本では、9年間の義務教育課程である小学校および中学校で、水泳教育が適切な水泳場を確保できない場合を除き必修化され「体育」の授業で水泳が行われている(なお小学校低学年では「水遊び」と呼ばれる)。1960年代から文部省が、プールや体育館などの体育設備の設置に補助金を支出したことにより、プールの設置が進んだ。夏休みにプール指導が行われている学校も多い。なお2012年度以降、学習指導要領は小中学校の授業での飛び込みの指導を禁止している。学校や地域によっては、水難事故に備えた着衣水泳なども行われている。日本泳法・古式泳法の伝承、海での遠泳や寒中水泳などを教育や訓練の一環として行っている学校もある。また、水泳授業以外でも学校主催の旅行や自然学校、林間学校で海や川などでの体験学習として楽しむ水泳なども学校管理下や自治体の主催で幅広く行われている。この他、自衛隊員や消防隊員などの特定職では一定上の水泳の能力を得られる教育を行っている。 水難から身を守り、総合的な身体能力を養うために、幼少時から水泳を習うことは非常に効果的であり、またスポーツ少年団より手軽で保護者負担がないことから、水泳は習い事としても人気である。2015年の調査では37.9%の子供が学校以外にスイミングスクールなどで習い事として水泳を学んでいる。また成人しても、数多く開設されているスイミングスクールやフィットネスクラブ、公営のプールなどで日常的に水泳を行う者も青年・中高年層を問わず多い。スイミングスクールやスポーツクラブでは水泳の習得や身体トレーニングのためだけではなく、水泳(特に競泳)の有力選手を輩出する大きな役割を担っているが、各施設での指導カリキュラム・レベル認定は統一されていない。 学校に設置された25m屋外プールの建設費用は、概算で1億円。25mプルプル(422立方メートル)を一回満水にする必要な水道料金は約27万円。学校に於ける屋外プール設置総数は2万8千箇所(2007年時)となっている。プールが無い場合や気象条件により十分な授業時間が確保できない場合は通年で利用可能な専用施設を借りて授業を行うことがある。近年では、学校生徒だけでなく一般市民も利用可能な学校内プールもある。 シンガポールでは、ほとんどの水泳学校が、新加坡体育理事会の支援を得て、2010年7月に新加坡國家水安全理事會によって導入された「游泳安全計劃」を教え、子供たちに泳ぐ方法と水中での安全の保ち方を学ばせる。子供はまた、水の安全性一般、プールの入り方、水中を前後に移動する方法についても学ぶことができる。「游泳安全階段3:個人水生存和中風發展技能」では子供たちは水中で生き残る方法と、さまざまな救助技術の扱い方を学び、100メートル泳ぐ。課程の最後は「游泳安全黃金:高級個人水生存和游泳技能熟練」である。 米国の疾病予防管理センターでは、溺死を防ぐための予防措置を講じたうえで、1-4歳の子供たちに水泳を習うことを勧めている。ライフガード証明書はアメリカ赤十字が直接主催するコースで取得する。 米国では、ほとんどのスイミングスクールで、アメリカ赤十字社が定義したスイミングレベル「泳ぐことを学ぶ」を使用している。 カナダでは、毎年100万人以上がカナダ赤十字水泳プログラムに参加している。生徒がプログラムを進め、経験を積むにつれて、深い水で泳ぐために学んだテクニックを身に付け、水泳中も安全であるという自信を高めるようになっている。より速いペースで同じ仕組みの追加プログラムが、安全に水泳する方法を学び自信を深めたい10代の人や大人に向け用意されている。 以上のような国別の教育のほか、ウォータースポーツ類の多くが水泳を基本的技術として含んでおり、そうしたスポーツのレッスン・講習では泳ぎ方も教えられる。たとえばライフセービング、サーフィン、スキューバダイビング、フィンスイミングは基本技術として水泳を含んでおり、それぞれの泳ぎ方のレッスンが行われる。 水泳を効率よく行うために、さまざまな泳法が存在する。競泳において用いられるものは、クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4つの泳法であるが、日本泳法のようにこれらに属さない泳法も存在する。日本泳法をはじめ、世界各地に独自の伝統泳法が存在し、南アメリカの伝統泳法から抜き手が、オーストラリアの伝統泳法からバタ足が導入されたように、伝統泳法から近代泳法への技術導入がなされることもある。また、初心者はしばしば犬掻きを行う。 4泳法のなかで最も古いものは、紀元前3000年頃の古代エジプトですでに近いものが成立していたクロールであるとされるが、近代西欧世界においては平泳ぎが主流の泳法となっており、やがてその派生として横泳ぎも成立した。19世紀に始まった競泳においても、初期は平泳ぎか横泳ぎで行われていた。やがて、1873年にイギリスのアーサー・トラジオンがトラジオン・ストロークを考案し、抜き手の技法が競技泳法に導入された。トラジオン・ストロークでは足はまだ挟み足となっていたが、1902年にオーストラリアのディック・カヴィルがこの泳法にバタ足を導入し、クロールと呼ばれる泳法がここで成立した。背泳ぎの成立はヨーロッパで15世紀頃にさかのぼるが、このころは足は平泳ぎと同じ動きだった。やがて手の動きはクロールのようになり、足もバタ足となって、1912年に現在の泳法が成立する。最後に、平泳ぎが進化する形で1933年にバタフライが成立し、1952年に独立した1つの泳法として認められたことで、競技4泳法が出そろった。 水泳はあくまで「水の中で泳ぐこと」全般であり、このうち主にタイムを競う競技類を競泳と言う。 水泳競技には競泳・飛込競技・水球・アーティスティックスイミング・オープンウォータースイミングなどの競技を含むので、夏季オリンピックや世界水泳選手権、日本選手権水泳競技大会で水泳という場合にはこれらすべてを含む場合がある。通常、日本語では競泳を指して水泳と言うことが多いが、飛込や水球だけを指して水泳と言うことはない。英語のswimmingは日本語の(広義の)水泳をさす場合と競泳をさす場合がある。特に、広義の水泳を指す場合、aquaticsを用いることが多い。これらの競技は、競技大会の日程及び会場等がそれぞれ異なることや競技特性の違いから一般的には別の競技とされる 。 水泳を行う際、通常は水着を着用する。インナーウェア(下着)として水着インナーを着用する場合もある。プールを使う水泳の場合、学校であれ公営プールであれ、水質悪化を防いだり感染症を防ぐためにスイムキャップやゴーグルの着用が義務付けられていることも多い。水着は19世紀頃の通常の衣服とそれほどの違いのないものから、体に密着して動きやすく、肌の露出が多い方向へと変化してきた。通常の水着のほか、水中での体温低下を抑えるウェットスーツや、イスラム教の戒律の関係で肌の露出を極力抑えた水着であるブルキニなどさまざまな特殊用途の水着が開発され、水泳で使用されている。これに対し水難事故防止の目的で訓練される着衣泳においては、落水時を想定してあえて普段の服を着て泳ぐ。 初心者が水泳技術を習得したり、トレーニングのために使用する用具として、抵抗を増し推進力をつけるためのパドルやフィン、浮力を得るためのビート板やプルブイなどが使われることもある。 競泳では通常、水着を着用しスイムキャップやゴーグルも使用する。タイムを競う競技では水着の抵抗が影響し、素材・裁断・縫製などでタイムが変わるので、スポーツ用品メーカー各社が激しい開発競争を行ってきた。2008年の北京オリンピックの競泳ではSPEEDO社の開発したレーザー・レーサーという競泳用水着が大会を席巻し、世界新記録が相次いで樹立されたものの、特殊な水着を入手できる一部の競技者だけが有利になってしまったことから2009年に規定が大幅に改訂され、素材・形状などに関して細かいルールが設定された。アーティスティックスイミングのルーティン競技ではある演目のためだけに特注デザインの水着を用意することもある。水球では、相手選手に引っ張られたりしにくい特殊な生地の水着を着用する。競技によってはインナーウェアの着用が禁止されている場合がある。
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"paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "競技としての水泳を競泳という。初期には、川・池・湖・海などの水面をロープなどで区切って簡易なコースをつくり行われることが一般的であったが、次第に人工的なプールでの競技が普及した。初めはプールには屋根がなかったが、屋外の塵や枯葉などによる水質悪化を防ぐため、屋内プールが普及した。さらに、水温も調節されるようになった。現在、水泳の競技大会はプールで行われている。一方、プールでない水面つまり海や湖など自然の水面(オープンウォーター)で長距離を泳ぐ競技が「オープンウォータースイミング」やトライアスロンの「スイム」である。", "title": "目的" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "水泳は人気のあるスポーツであり、プロ選手だけでなく一般市民もレクリエーションとして、また健康を目的として水泳を楽しんでいる。自ら行う運動としての水泳は、特に設備の整った先進諸国において人気が高く、ウォーキングやエアロビクスに次ぐ競技人口を持っている。日本でも水泳をする人は多く、2012年の調査では日本で1年以内に水泳を行った人数は1200万人を数え、ウォーキングとボウリングに次いで実施人口が多かった。", "title": "目的" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "全ての動物は泳ぐ動物から進化したので、多くの動物が生まれつき泳げる。いわゆる恐竜の子孫だとされ、飛翔するようになった鳥類ですら泳げる。地表の80%が海であり、陸にも川・湖・池が多くあるため動物は地表を移動すればしばしば泳ぐことにもなる。なお樹上の進化の歴史が長くなった霊長類は他の動物よりは泳ぎが苦手な傾向がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "人類は地表を移動するために川や湖を泳いだだけでなく、さまざまな目的で泳いできた。泳いでいる人を描いた約9000年前の壁画がある。古代ギリシア時代には水泳が盛んであったことも当時の絵画や彫刻からわかる。古代ギリシア・古代ローマ時代の身体訓練では水泳が重要で、「文化人の条件」としても、文字が読めることと並んで水泳ができることが必要とされていた。アッシリア王国の旧地から発掘されたレリーフには、泳いで川を渡っている兵士が描かれている。記録としては、古代エジプトのパピルス文書(紀元前2000年)、アッシリアのニムルド出土の兵士の図(紀元前9世紀)、古代中国の荘子、列子、淮南子などがある。19世紀に入り、スポーツの近代化とブルジョワジーが「賭けレース」をするようになったことを背景として泳ぎにスピードが求められるようになった。「速く泳ぐための泳ぎ」がつくられてゆき、もっとも原始的な泳ぎの形であるとともに平泳ぎの原型となる「両手で同時に水を掻き、両足で同時に水を後方に押しやる泳ぎ」から「両手で同時に水を掻き、両足を左右に開いたのち勢いよく水を挟んで前進力を得るウェッジキック」が考案され、現在の平泳ぎが完成した。18世紀には西欧において水泳の一般化と競技化が進み、1837年にはイギリスにおいて初の水泳競技大会が開催されている。1822年にはマシュー・ウェッブが世界初のドーバー海峡横断泳を成功させ、水泳人気はさらに高まった。20世紀に入ると女性の水泳参加も徐々に進んでいき、1999年のストックホルムオリンピックからは水泳女子種目が開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国などではコーチと母親が一緒になって乳幼児をプールに浮かべて泳がせる教室もあり、吸収の速い乳幼児に水に触れさせることで簡単に泳ぎを習得させている。その時期を過ぎると、逆に人は訓練無しには泳げなくなってしまう。一方で、一度習得すると長い間泳いでいなくても忘れることはなく、最も忘れ難い運動とも言われている。特に泳ぎが下手な人間のことを俗に「カナヅチ」という。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ハーバード大学医学部によると、通常、子どもは4歳まで水泳能力を獲得するための認知能力を持たないので、注意が必要であるとしている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ドイツとオーストリアでは、子どもの約90%に「初歩泳者」(Frühscwimmer)資格を取らせることを目的とした小学校のカリキュラムがある。教育大臣によって設定された目標は95%であり、実際のパーセンテージは一部の学校で75%と低い。この資格を定めたのは、オーストリアでは民間組織と政府機関の共同委員会であるオーストリア水救助作業委員会(Arbeitsginschaft Österreichisches Wasserrettungswesen)である。次のレベル1の 「自由泳者」(Freischwimmer)は、13分間の自由形、1mの高さからの飛び込み、および水泳のルール10項の習得を必要とする。レベル3「日常泳者」(Allroundswimmer)は、クロールと背泳ぎ各100メートルのメドレー、100メートル自由形2分30秒未満、水平潜水10メートル、2.5キログラムの重りをつけての垂直潜水2メートル(厚い物体を拾う)、背泳ぎ50メートル、同程度の体重の人との20メートルの救助泳(英語版)、水泳のルール10項の習得を必要とする。ドイツでは「水泳記章」(Schwimmabzeichen)は初歩、銅、銀、金の4つのレベルに分かれる。「初歩泳者」の水泳テストでは、飛込、25メートル自由形、水面下のものの拾得を行う。銀バッジでは、400メートル自由形12分以内、2メートル以上の垂直潜水(物体を拾う)、飛込、10メートルの水平潜水が必要である。ライフガード証明書は、組織ごとに別々に制定されている。初歩レベルは、世界最大の水難救命機関のドイツ救命協会(ドイツ語版)DLRGでは下級救助者(Junior-Retter)、ドイツ赤十字の水難救助分社である水守衛社では下級水救助者(Juniorwasserretter)に相当する。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "スイスでは 「水泳試験」(Schwimmtests)は技能横断的な構成になっていない。各能力は単独でテストされ、複数のテスト証明書がグループを成す。基本レベル・グループなら「カニ」(Krebs)、「カワウソ」(Seepferd)、「カエル」(Frosch)、「ペンギン」(Pinguin)、「鳥類」(Tintenfisch)、「ワニ」(Krokodil)、「北極熊」(Eisbär)の7種の試験がある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドでは、5年生(11歳)で、すべての子供が泳ぐ方法と水の近くで緊急事態に対処する方法を学ぶべきだと定めている。オランダとベルギーでは、水泳の授業を政府が支援している。フランスでは、小学校2-3年生・4-6歳の体育で水泳が行われる。英国には、11歳までに泳げない児童を対象に、集中的な毎日のレッスンを受けるよう求める「トップアップ制度」がある。スコットランドでは、8-9歳の生徒が水泳の授業を受ける。一般に、STA(水泳教師協会)またはASA(アマチュアスイミングアソシエーション)の2方式の制度に従い、優秀カリキュラムには泳げる距離についての定めがない。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本赤十字社が、安全に水と親しみ、事故を防止しつつ泳ぎの基本や身を守る方法を習得するため、また水の事故に遭った場合の救助法・手当法なども習得するための講習を行っている。救助員Iと救助員IIの講習がある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "日本では、9年間の義務教育課程である小学校および中学校で、水泳教育が適切な水泳場を確保できない場合を除き必修化され「体育」の授業で水泳が行われている(なお小学校低学年では「水遊び」と呼ばれる)。1960年代から文部省が、プールや体育館などの体育設備の設置に補助金を支出したことにより、プールの設置が進んだ。夏休みにプール指導が行われている学校も多い。なお2012年度以降、学習指導要領は小中学校の授業での飛び込みの指導を禁止している。学校や地域によっては、水難事故に備えた着衣水泳なども行われている。日本泳法・古式泳法の伝承、海での遠泳や寒中水泳などを教育や訓練の一環として行っている学校もある。また、水泳授業以外でも学校主催の旅行や自然学校、林間学校で海や川などでの体験学習として楽しむ水泳なども学校管理下や自治体の主催で幅広く行われている。この他、自衛隊員や消防隊員などの特定職では一定上の水泳の能力を得られる教育を行っている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "水難から身を守り、総合的な身体能力を養うために、幼少時から水泳を習うことは非常に効果的であり、またスポーツ少年団より手軽で保護者負担がないことから、水泳は習い事としても人気である。2015年の調査では37.9%の子供が学校以外にスイミングスクールなどで習い事として水泳を学んでいる。また成人しても、数多く開設されているスイミングスクールやフィットネスクラブ、公営のプールなどで日常的に水泳を行う者も青年・中高年層を問わず多い。スイミングスクールやスポーツクラブでは水泳の習得や身体トレーニングのためだけではなく、水泳(特に競泳)の有力選手を輩出する大きな役割を担っているが、各施設での指導カリキュラム・レベル認定は統一されていない。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "学校に設置された25m屋外プールの建設費用は、概算で1億円。25mプルプル(422立方メートル)を一回満水にする必要な水道料金は約27万円。学校に於ける屋外プール設置総数は2万8千箇所(2007年時)となっている。プールが無い場合や気象条件により十分な授業時間が確保できない場合は通年で利用可能な専用施設を借りて授業を行うことがある。近年では、学校生徒だけでなく一般市民も利用可能な学校内プールもある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "シンガポールでは、ほとんどの水泳学校が、新加坡体育理事会の支援を得て、2010年7月に新加坡國家水安全理事會によって導入された「游泳安全計劃」を教え、子供たちに泳ぐ方法と水中での安全の保ち方を学ばせる。子供はまた、水の安全性一般、プールの入り方、水中を前後に移動する方法についても学ぶことができる。「游泳安全階段3:個人水生存和中風發展技能」では子供たちは水中で生き残る方法と、さまざまな救助技術の扱い方を学び、100メートル泳ぐ。課程の最後は「游泳安全黃金:高級個人水生存和游泳技能熟練」である。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "米国の疾病予防管理センターでは、溺死を防ぐための予防措置を講じたうえで、1-4歳の子供たちに水泳を習うことを勧めている。ライフガード証明書はアメリカ赤十字が直接主催するコースで取得する。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "米国では、ほとんどのスイミングスクールで、アメリカ赤十字社が定義したスイミングレベル「泳ぐことを学ぶ」を使用している。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "カナダでは、毎年100万人以上がカナダ赤十字水泳プログラムに参加している。生徒がプログラムを進め、経験を積むにつれて、深い水で泳ぐために学んだテクニックを身に付け、水泳中も安全であるという自信を高めるようになっている。より速いペースで同じ仕組みの追加プログラムが、安全に水泳する方法を学び自信を深めたい10代の人や大人に向け用意されている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "以上のような国別の教育のほか、ウォータースポーツ類の多くが水泳を基本的技術として含んでおり、そうしたスポーツのレッスン・講習では泳ぎ方も教えられる。たとえばライフセービング、サーフィン、スキューバダイビング、フィンスイミングは基本技術として水泳を含んでおり、それぞれの泳ぎ方のレッスンが行われる。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "水泳を効率よく行うために、さまざまな泳法が存在する。競泳において用いられるものは、クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4つの泳法であるが、日本泳法のようにこれらに属さない泳法も存在する。日本泳法をはじめ、世界各地に独自の伝統泳法が存在し、南アメリカの伝統泳法から抜き手が、オーストラリアの伝統泳法からバタ足が導入されたように、伝統泳法から近代泳法への技術導入がなされることもある。また、初心者はしばしば犬掻きを行う。", "title": "泳法" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "4泳法のなかで最も古いものは、紀元前3000年頃の古代エジプトですでに近いものが成立していたクロールであるとされるが、近代西欧世界においては平泳ぎが主流の泳法となっており、やがてその派生として横泳ぎも成立した。19世紀に始まった競泳においても、初期は平泳ぎか横泳ぎで行われていた。やがて、1873年にイギリスのアーサー・トラジオンがトラジオン・ストロークを考案し、抜き手の技法が競技泳法に導入された。トラジオン・ストロークでは足はまだ挟み足となっていたが、1902年にオーストラリアのディック・カヴィルがこの泳法にバタ足を導入し、クロールと呼ばれる泳法がここで成立した。背泳ぎの成立はヨーロッパで15世紀頃にさかのぼるが、このころは足は平泳ぎと同じ動きだった。やがて手の動きはクロールのようになり、足もバタ足となって、1912年に現在の泳法が成立する。最後に、平泳ぎが進化する形で1933年にバタフライが成立し、1952年に独立した1つの泳法として認められたことで、競技4泳法が出そろった。", "title": "泳法" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "水泳はあくまで「水の中で泳ぐこと」全般であり、このうち主にタイムを競う競技類を競泳と言う。 水泳競技には競泳・飛込競技・水球・アーティスティックスイミング・オープンウォータースイミングなどの競技を含むので、夏季オリンピックや世界水泳選手権、日本選手権水泳競技大会で水泳という場合にはこれらすべてを含む場合がある。通常、日本語では競泳を指して水泳と言うことが多いが、飛込や水球だけを指して水泳と言うことはない。英語のswimmingは日本語の(広義の)水泳をさす場合と競泳をさす場合がある。特に、広義の水泳を指す場合、aquaticsを用いることが多い。これらの競技は、競技大会の日程及び会場等がそれぞれ異なることや競技特性の違いから一般的には別の競技とされる 。", "title": "競技" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "水泳を行う際、通常は水着を着用する。インナーウェア(下着)として水着インナーを着用する場合もある。プールを使う水泳の場合、学校であれ公営プールであれ、水質悪化を防いだり感染症を防ぐためにスイムキャップやゴーグルの着用が義務付けられていることも多い。水着は19世紀頃の通常の衣服とそれほどの違いのないものから、体に密着して動きやすく、肌の露出が多い方向へと変化してきた。通常の水着のほか、水中での体温低下を抑えるウェットスーツや、イスラム教の戒律の関係で肌の露出を極力抑えた水着であるブルキニなどさまざまな特殊用途の水着が開発され、水泳で使用されている。これに対し水難事故防止の目的で訓練される着衣泳においては、落水時を想定してあえて普段の服を着て泳ぐ。", "title": "衣類・道具類" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "初心者が水泳技術を習得したり、トレーニングのために使用する用具として、抵抗を増し推進力をつけるためのパドルやフィン、浮力を得るためのビート板やプルブイなどが使われることもある。", "title": "衣類・道具類" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "競泳では通常、水着を着用しスイムキャップやゴーグルも使用する。タイムを競う競技では水着の抵抗が影響し、素材・裁断・縫製などでタイムが変わるので、スポーツ用品メーカー各社が激しい開発競争を行ってきた。2008年の北京オリンピックの競泳ではSPEEDO社の開発したレーザー・レーサーという競泳用水着が大会を席巻し、世界新記録が相次いで樹立されたものの、特殊な水着を入手できる一部の競技者だけが有利になってしまったことから2009年に規定が大幅に改訂され、素材・形状などに関して細かいルールが設定された。アーティスティックスイミングのルーティン競技ではある演目のためだけに特注デザインの水着を用意することもある。水球では、相手選手に引っ張られたりしにくい特殊な生地の水着を着用する。競技によってはインナーウェアの着用が禁止されている場合がある。", "title": "衣類・道具類" } ]
水泳(すいえい、とは、水の中を泳ぐこと。 動物同様に、人類も昔から河川・池・湖・海などで泳いでいた。中世の日本では、水の中を泳ぐ技術は「水術」と呼ばれ、武術の1つともされた。現代では水泳は、落水時などに身を守るために教えられており、またレクリエーションやスポーツとして行われている。
{{Redirect|スイミング|[[深田恭子]]の楽曲|スイミング (深田恭子の曲)}} {{複数の問題 |出典の明記=2021年11月 |独自研究=2021年11月 |正確性=2021年11月}} {{読み仮名|'''水泳'''|すいえい|{{lang-en-short|swimming}}}}とは、[[水]]の中を泳ぐこと<ref>広辞苑【水泳】</ref>。 動物同様に、人類も昔から[[河川]]・[[池]]・[[湖]]・[[海]]などで泳いでいた。中世の日本では、水の中を泳ぐ技術は「水術」と呼ばれ、[[武術]]の1つともされた<ref name="名前なし-1">https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202108/202108_05_jp.html 「日本の伝統的な泳法」Public Relations Office of the Government of Japan 2021年8月 2022年3月22日閲覧</ref>。現代では水泳は、落水時などに身を守るために教えられており、また[[レクリエーション]]や[[スポーツ]]として行われている。 == 目的 == [[ファイル:swimming.breaststroke.arp.750pix.jpg|thumb|right|200px|水着でゆったりと平泳ぎを楽しんでいる女性。]] [[File:U.S. Reconnaissance Marines, Mongolian soldiers train on basic water survival techniques during Khaan Quest 2016 160526-N-WI365-129.jpg|thumb|200px|[[着衣泳]]のトレーニングを受ける米軍兵士。通常の服を着ている状態で落水したり泳がなければならない時に[[サバイバル]]するためのトレーニング。]] 人類は古来から楽しんだり、暑気を凌いだりするために泳いでいる。主に夏に、海や川で人々は泳ぎを楽しんでいる。また、人類が橋のない川を渡る際、舟を作成する時間・費用をかけられない場合は、泳いで渡ることになる。古代でも中世でも世界各地で兵士たちは戦時にはしばしば武具を身につけたまま川を泳いで渡らなければならなかった。また落水事故や[[転覆]]事故([[海難事故]])に遭った際、水面に浮き続け、生き延びるための泳ぎができるかは自分の生死に直結する。たとえば[[漁師]]は泳ぎを身につける。集団での漁では皆自分の仕事に精一杯で仲間のことにまで気が回らなくなりがちであり漁師の落水はしばしば見落とされるので、漁師は[[溺死]]しないために泳ぎを身につける。現代では世界各地で、自分の身を守るための水泳や落水した人を救助するための水泳の教育が行われている。 水泳は、全身の[[筋肉]]と総合的な身体能力を養える運動であり、水圧による[[マッサージ]]効果によって全身の[[血行]]が促進されるので、[[健康]]の維持に有効である。水泳は水中で行うので[[浮力]]のおかげで[[下肢]]や[[膝]]などの[[関節]]に負担がかかりにくく、これらの部分に問題のある患者のための[[有酸素運動]]として優れており、[[リハビリテーション]]でも積極的に活用されている<ref>「健康・スポーツ科学における運動処方としての水泳・水中運動」p69-76 出村愼一編著 杏林書院 2016年9月20日第1版第1刷</ref>。[[熱中症]]の危険が低いので「暑い日に好適な運動」としても選ばれるが、[[脱水症]]にならないように水泳においてもあらかじめ水分補給はしっかりしておくことが望ましい<ref>[http://www.heat.jp/water/swimming.html 水泳の水分補給「熱中症、熱射病、日射病のHP」])</ref>。 [[競技]]としての水泳を[[競泳]]という。初期{{いつ|date=2022年3月}}には、川・池・湖・海などの水面をロープなどで区切って簡易なコースをつくり行われることが一般的であったが、次第に人工的な[[プール]]での競技が普及した。初めはプールには屋根がなかったが、屋外の塵や枯葉などによる水質悪化を防ぐため、屋内プールが普及した。さらに、水温も調節されるようになった。現在、水泳の競技大会はプールで行われている。一方、プールでない水面つまり海や湖など自然の水面(オープンウォーター)で長距離を泳ぐ競技が「[[オープンウォータースイミング]]」や[[トライアスロン]]の「スイム」である。 水泳は人気のあるスポーツであり、プロ選手だけでなく一般市民もレクリエーションとして、また健康を目的として水泳を楽しんでいる。自ら行う運動としての水泳は、特に設備の整った[[先進国|先進諸国]]において人気が高く{{Efn|逆に、[[発展途上国]]の多くではプールを建造する経済的な余裕が無く、競技の環境が整わず、競技の水泳を行う人数は増えにくい。}}、[[ウォーキング]]や[[エアロビクスダンス|エアロビクス]]に次ぐ競技人口を持っている<ref name="名前なし-5"/>。日本でも水泳をする人は多く、2012年の調査では日本で1年以内に水泳を行った人数は1200万人を数え、ウォーキングと[[ボウリング]]に次いで実施人口が多かった<ref>「健康・スポーツ科学における運動処方としての水泳・水中運動」p20 出村愼一編著 杏林書院 2016年9月20日第1版第1刷</ref>。 == 歴史 == [[File:Deer swimming in Lake Shasta.jpg|thumb|泳ぐ[[シカ]](米国[[カリフォルニア州]][[シャスタ湖]]]] 全ての動物は泳ぐ動物から[[進化]]したので、多くの[[動物]]が生まれつき泳げる。いわゆる恐竜の子孫だとされ、[[飛行|飛翔]]するようになった[[鳥類]]ですら泳げる。地表の70%が海であり、陸にも川・湖・池が多くあるため動物は地表を移動すればしばしば泳ぐことにもなる。なお樹上の進化の歴史が長くなった[[霊長類]]は他の動物よりは泳ぎが苦手な傾向がある。 人類は地表を移動するために川や湖を泳いだだけでなく、さまざまな目的で泳いできた。泳いでいる人を描いた約9000年前の[[壁画]]がある。[[古代ギリシア]]時代には水泳が盛んであったことも当時の絵画や[[彫刻]]からわかる。古代ギリシア・[[古代ローマ]]時代の身体訓練では水泳が重要で、「文化人の条件」としても、文字が読めることと並んで水泳ができることが必要とされていた。[[アッシリア王国]]の旧地から発掘された[[レリーフ]]には、泳いで川を渡っている兵士が描かれている。記録としては、[[古代エジプト]]のパピルス文書(紀元前2000年)、アッシリアの[[ニムルド]]出土の兵士の図([[紀元前9世紀]])、[[古代中国]]の[[荘子]]、[[列子]]、[[淮南子]]などがある<ref name="history">[http://100.yahoo.co.jp/detail/水泳/ 水泳の歴史]{{リンク切れ|date=2022年9月}}</ref>。[[中世]]までの泳ぎは動物の模倣で、[[犬掻き]]や[[平泳ぎ]]に似ていた。[[19世紀]]に入り、スポーツの近代化と[[ブルジョワジー]]が「[[賭博|賭け]]レース」をするようになったことを背景として泳ぎにスピードが求められるようになった。「速く泳ぐための泳ぎ」がつくられてゆき、もっとも原始的な泳ぎの形であるとともに平泳ぎの原型となる「両手で同時に水を掻き、両足で同時に水を後方に押しやる泳ぎ」から「両手で同時に水を掻き、両足を左右に開いたのち勢いよく水を挟んで前進力を得るウェッジキック」が考案され、現在の平泳ぎが完成した<ref name="history"/>。19世紀には西欧において水泳の一般化と競技化が進み<ref>「なぜ人間は泳ぐのか? 水泳を巡る歴史、現在、未来」p45-47 リン・シェール 高月園子訳 太田出版 2013年4月30日第1版第1刷発行</ref>、1837年にはイギリスにおいて初の水泳競技大会が開催されている<ref name="名前なし-2">「泳ぐことの科学」p49 吉村豊・小菅達男 NHKブックス 2008年1月30日第1刷発行</ref>。1875年には[[マシュー・ウェッブ]]が世界初の[[ドーバー海峡]]横断泳を成功させ、水泳人気はさらに高まった<ref>「なぜ人間は泳ぐのか? 水泳を巡る歴史、現在、未来」p47-48 リン・シェール 高月園子訳 太田出版 2013年4月30日第1版第1刷発行</ref>。20世紀に入ると女性の水泳参加も徐々に進んでいき、1912年の[[1912年ストックホルムオリンピック|ストックホルムオリンピック]]からは水泳女子種目が開始された<ref>https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h30/zentai/html/honpen/b1_s00_01.html 「スポーツにおける女性の活躍」男女共同参画白書 平成30年版 日本国内閣府男女共同参画局 2022年3月29日閲覧</ref>。 アメリカ合衆国などではコーチと母親が一緒になって乳幼児をプールに浮かべて泳がせる教室もあり、吸収の速い乳幼児に水に触れさせることで簡単に泳ぎを習得させている。その時期を過ぎると、逆に人は訓練無しには泳げなくなってしまう。一方で、一度習得すると長い間泳いでいなくても忘れることはなく、最も忘れ難い運動とも言われている。特に泳ぎが下手な人間のことを俗に「[[槌|カナヅチ]]」という。 == 教育 == [[ファイル:École de natation au Pont d'Iéna.jpg|thumb|right|180px|Pont d'Iénaでの水泳教室(Garsonnet画、[[1852年]])]]ハーバード大学医学部によると、通常、子どもは4歳まで水泳能力を獲得するための認知能力を持たないので、注意が必要であるとしている<ref>{{Cite web |title=Swimming lessons save lives: What parents should know |url=https://www.health.harvard.edu/blog/swimming-lessons-10-things-parents-should-know-2018061514064 |website=Harvard Health |date=2018-06-15 |access-date=2022-06-10 |language=en |first=Claire McCarthy |last=MD}}</ref>。 === 欧州での水泳教育 === [[ドイツ]]と[[オーストリア]]では、子どもの約90%に「初歩泳者」(''Frühschwimmer'')資格を取らせることを目的とした小学校の[[カリキュラム]]がある。教育大臣によって設定された目標は95%であり、実際のパーセンテージは一部の学校で75%と低い。この資格を定めたのは、オーストリアでは民間組織と政府機関の共同委員会であるオーストリア水救助作業委員会(''Arbeitsgemeinschaft Österreichisches Wasserrettungswesen'')である。次のレベル1の 「自由泳者」(''Freischwimmer'')は、15分間の自由形、1mの高さからの飛び込み、および水泳のルール10項の習得を必要とする。レベル3「日常泳者」(''Allroundswimmer'')は、クロールと背泳ぎ各100メートルのメドレー、100メートル自由形2分30秒未満、水平潜水10メートル、2.5キログラムの重りをつけての垂直[[潜水]]2メートル(厚い物体を拾う)、背泳ぎ50メートル、同程度の体重の人との20メートルの{{仮リンク|救助泳|en|Rescue swimming}}、水泳のルール10項の習得を必要とする。ドイツでは「水泳記章」(''Schwimmabzeichen'')は初歩、銅、銀、金の4つのレベルに分かれる。「初歩泳者」の水泳テストでは、飛込、25メートル自由形、水面下のものの拾得を行う。銀バッジでは、400メートル自由形12分以内、2メートル以上の垂直潜水(物体を拾う)、飛込、10メートルの水平潜水が必要である。ライフガード証明書は、組織ごとに別々に制定されている。初歩レベルは、世界最大の水難救命機関の{{仮リンク|ドイツ救命協会|de|Deutsche Lebens-Rettungs-Gesellschaft}}[[DLRG]]では下級救助者(''Junior-Retter'')、[[ドイツ赤十字社|ドイツ赤十字]]の水難救助分社である水守衛社では下級水救助者(''Juniorwasserretter'')に相当する。 [[スイス]]では 「水泳試験」(''Schwimmtests'')は技能横断的な構成になっていない。各能力は単独でテストされ、複数のテスト証明書がグループを成す。基本レベル・グループなら「カニ」(''Krebs'')、「カワウソ」(''Seepferd'')、「カエル」(''Frosch'')、「ペンギン」(''Pinguin'')、「鳥類」(''Tintenfisch'')、「ワニ」(''Krokodil'')、「北極熊」(''Eisbär'')の7種の試験がある。 [[スウェーデン]]、[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]、[[フィンランド]]では、5年生(11歳)で、すべての子供が泳ぐ方法と水の近くで緊急事態に対処する方法を学ぶべきだと定めている。[[オランダ]]と[[ベルギー]]では、水泳の授業を政府が支援している。[[フランス]]では、小学校2-3年生・4-6歳の体育で水泳が行われる。[[英国]]には、11歳までに泳げない児童を対象に、集中的な毎日のレッスンを受けるよう求める「トップアップ制度」がある。スコットランドでは、8-9歳の生徒が水泳の授業を受ける。一般に、STA(水泳教師協会)またはASA(アマチュアスイミングアソシエーション)の2方式の制度に従い、優秀カリキュラムには泳げる距離についての定めがない。 === 日本での水泳教育 === [[日本赤十字社]]が、安全に水と親しみ、事故を防止しつつ泳ぎの基本や身を守る方法を習得するため、また水の事故に遭った場合の救助法・手当法なども習得するための講習を行っている<ref name="jrc_water">[https://www.jrc.or.jp/study/kind/water/ 水上安全法]</ref>。救助員Iと救助員IIの講習がある<ref name="jrc_water" />。 日本では、9年間の[[義務教育]]課程である[[小学校]]および[[中学校]]で、水泳教育が適切な水泳場を確保できない場合を除き必修化され「[[体育]]」の授業で水泳が行われている<ref name="名前なし-3">「健康・スポーツ科学における運動処方としての水泳・水中運動」p185 出村愼一編著 杏林書院 2016年9月20日第1版第1刷</ref>(なお[[小学校]][[低学年]]では「[[水遊び]]」と呼ばれる)。1960年代から[[文部省]]が、[[プール]]や体育館などの体育設備の設置に補助金を支出したことにより、プールの設置が進んだ<ref>[https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318467.htm 三 学校体育施設の充実] 学制百二十年史編集委員会、2022年1月23日閲覧</ref>。夏休みにプール指導が行われている学校も多い。なお2012年度以降、学習指導要領は<u>小中学校の授業での飛び込みの指導を禁止</u>している。学校や地域によっては、[[水難事故]]に備えた[[着衣水泳]]なども行われている。[[日本泳法]]・[[古式泳法]]の伝承、海での[[遠泳]]や[[寒中水泳]]などを[[教育]]や[[訓練]]の一環として行っている学校もある。また、水泳授業以外でも学校主催の旅行や自然学校、林間学校で海や川などでの体験学習として楽しむ水泳なども学校管理下や自治体の主催で幅広く行われている。この他、[[自衛隊員]]や[[消防士|消防隊員]]などの特定職では一定上の水泳の能力を得られる教育を行っている<ref>[https://www.mod.go.jp/pco/miyagi/kaiji/kaiji26/kaiji26.html 水泳]</ref>。 水難から身を守り、総合的な身体能力を養うために、幼少時から水泳を習うことは非常に効果的であり、またスポーツ少年団より手軽で保護者負担がないことから、水泳は習い事としても人気である。2015年の調査では37.9%の子供が学校以外に[[スイミングスクール]]などで習い事として水泳を学んでいる<ref>「健康・スポーツ科学における運動処方としての水泳・水中運動」p21-22 出村愼一編著 杏林書院 2016年9月20日第1版第1刷</ref>。また成人しても、数多く開設されている[[スイミングスクール]]や[[フィットネスクラブ]]、公営のプールなどで日常的に水泳を行う者も青年・中高年層を問わず多い<ref>「健康・スポーツ科学における運動処方としての水泳・水中運動」p23-28 出村愼一編著 杏林書院 2016年9月20日第1版第1刷</ref>。スイミングスクールや[[スポーツクラブ]]では水泳の習得や身体トレーニングのためだけではなく、水泳(特に競泳)の有力選手を輩出する大きな役割を担っているが、各施設での指導カリキュラム・レベル認定は統一されていない。 学校に設置された25m屋外プールの建設費用は、概算で1億円<ref>[http://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/3043/1/siryou2602-1.pdf 参考資料① (17645kbyte) - 富山市]</ref><ref>[https://www.shichigahama.com/benricho/oshirase/documents/c70-1750b.pdf 平成 26 年度 七ヶ浜中学校プール改築工事基本設計及び実施設計業務委託 実施設計仕様書]</ref><ref>[http://www.townnews.co.jp/0606/i/2012/07/06/150326.html 初の学校プール完成 | 大磯・二宮・中井 | タウンニュース]</ref>。25mプール(422立方メートル)を一回満水にする必要な水道料金は約27万円。学校に於ける屋外プール設置総数は2万8千箇所(2007年時)となっている<ref>[https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa04/shisetsu/kekka/__icsFiles/afieldfile/2010/04/14/1261398_1_1_1.pdf 体育・スポーツ施設現況調査の概要] 文部科学省</ref>。プールが無い場合や気象条件により十分な授業時間が確保できない場合は通年で利用可能な専用施設を借りて授業を行うことがある<ref>[http://www.kanaloco.jp/article/36331 多摩区で水泳の授業に温水プール利用、天候に左右されず水道代削減も/川崎] 神奈川新聞</ref>。近年では、学校生徒だけでなく一般市民も利用可能な学校内プールもある。 ;安全性 {{Main|プール#安全性}} === シンガポールでの水泳教育 === [[シンガポール]]では、ほとんどの水泳学校が、新加坡体育理事会の支援を得て、2010年7月に新加坡國家水安全理事會によって導入された「游泳安全計劃」を教え、子供たちに泳ぐ方法と水中での安全の保ち方を学ばせる。子供はまた、水の安全性一般、プールの入り方、水中を前後に移動する方法についても学ぶことができる。「游泳安全階段3:個人水生存和中風發展技能」では子供たちは水中で生き残る方法と、さまざまな救助技術の扱い方を学び、100メートル泳ぐ。課程の最後は「游泳安全黃金:高級個人水生存和游泳技能熟練」である。 === 米国での水泳教育 === 米国の疾病予防管理センターでは、溺死を防ぐための予防措置を講じたうえで、1-4歳の子供たちに水泳を習うことを勧めている<ref>[http://www.cdc.gov/features/drowningprevention/index.html#two "Drowning Happens Quickly– Learn How to Reduce Your Risk"]. 疾病予防管理センター。 2014年8月18日閲覧。</ref>。[[ライフガード]]証明書は[[アメリカ赤十字]]が直接主催するコースで取得する。 米国では、ほとんどのスイミングスクールで、アメリカ赤十字社が定義したスイミングレベル「泳ぐことを学ぶ」を使用している。 * レベル1:水技の紹介 ** 水慣れ。バタ足、ボビング、水中探検、伏し浮き・背浮き、水中での開眼を行う。ビート板、腕用の浮き輪を補助具として使用する場合が多い。 * レベル2:基礎的水泳技能 ** クロール・背泳ぎで15フィート(4.6m)泳ぎ、潜水して物を取る。 * レベル3:泳ぎの基礎 ** クロール・背泳ぎで15ヤード(14m)泳ぎ、深い水に飛び込む。 * レベル4:泳ぎの開発 ** 25ヤード(23m)のクロール・背泳ぎ、15ヤード(14m)のバタフライと平泳ぎを行う。ターンも認められる。 * レベル5:泳ぎの洗練 ** すべての泳ぎで25ヤード(23m)泳ぐ。[[フリップターン]]は潜行距離が15ヤード(14m)以下ならば認められる。 * レベル6:泳ぎの熟達 ** クロール・背泳ぎ100ヤード(91.4m)、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、横泳ぎ50ヤード(46m)の、計500ヤード(457米)を連続で泳ぐ === カナダでの水泳教育 === カナダでは、毎年100万人以上がカナダ赤十字水泳プログラムに参加している。生徒がプログラムを進め、経験を積むにつれて、深い水で泳ぐために学んだテクニックを身に付け、水泳中も安全であるという自信を高めるようになっている。より速いペースで同じ仕組みの追加プログラムが、安全に水泳する方法を学び自信を深めたい10代の人や大人に向け用意されている<ref>[http://www.redcross.ca/what-we-do/swimming-and-water-safety/swimming-lessons Swimming Lessons Information from the Canadian Red Cross – Canadian Red Cross]. カナダ赤十字。 2016年6月12日閲覧。</ref>。 === 他 === 以上のような国別の教育のほか、[[ウォータースポーツ]]類の多くが水泳を基本的技術として含んでおり、そうしたスポーツのレッスン・講習では泳ぎ方も教えられる。たとえば[[ライフセービング (スポーツ)|ライフセービング]]、[[サーフィン]]、[[スキューバダイビング]]、[[フィンスイミング]]は基本技術として水泳を含んでおり、それぞれの泳ぎ方のレッスンが行われる。 == 泳法 == [[ファイル:Swimming_dog_bgiu.jpg|thumb|150px|[[犬掻き]]。原初的な泳法であり、四脚動物の多くがこれを行う。人間でも水泳をまだ習ったことがない人やまだ習いたての段階では、とっさに、自然とこの泳法になることがある。]] 水泳を効率よく行うために、さまざまな[[泳法]]が存在する。競泳において用いられるものは、クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4つの泳法であるが、日本泳法のようにこれらに属さない泳法も存在する<ref>「泳ぐことの科学」p37-38 吉村豊・小菅達男 NHKブックス 2008年1月30日第1刷発行</ref>。日本泳法をはじめ、世界各地に独自の伝統泳法が存在し、南アメリカの伝統泳法から抜き手が、オーストラリアの伝統泳法からバタ足が導入されたように、伝統泳法から近代泳法への技術導入がなされることもある<ref name="名前なし-4">「泳ぐことの科学」p41 吉村豊・小菅達男 NHKブックス 2008年1月30日第1刷発行</ref>。また、初心者はしばしば[[犬掻き]]を行う<ref>「なぜ人間は泳ぐのか? 水泳を巡る歴史、現在、未来」p90 リン・シェール 高月園子訳 太田出版 2013年4月30日第1版第1刷発行</ref>。 4泳法のなかで最も古いものは、[[紀元前3000年]]頃の[[古代エジプト]]ですでに近いものが成立していた[[クロール]]であるとされるが<ref>「泳ぐことの科学」p39-40 吉村豊・小菅達男 NHKブックス 2008年1月30日第1刷発行</ref>、近代西欧世界においては[[平泳ぎ]]が主流の泳法となっており、やがてその派生として[[横泳ぎ]]も成立した<ref>「なぜ人間は泳ぐのか? 水泳を巡る歴史、現在、未来」p84-89 リン・シェール 高月園子訳 太田出版 2013年4月30日第1版第1刷発行</ref>。19世紀に始まった競泳においても、初期は平泳ぎか横泳ぎで行われていた<ref name="名前なし-2"/>。やがて、1873年にイギリスのアーサー・トラジオンが[[トラジオン・ストローク]]を考案し、[[抜き手]]の技法が競技泳法に導入された<ref>「なぜ人間は泳ぐのか? 水泳を巡る歴史、現在、未来」p93-94 リン・シェール 高月園子訳 太田出版 2013年4月30日第1版第1刷発行</ref><ref name="名前なし-4"/>。トラジオン・ストロークでは足はまだ挟み足となっていたが、1902年にオーストラリアのディック・カヴィルがこの泳法に[[バタ足]]を導入し、クロールと呼ばれる泳法がここで成立した<ref>「なぜ人間は泳ぐのか? 水泳を巡る歴史、現在、未来」p94-95 リン・シェール 高月園子訳 太田出版 2013年4月30日第1版第1刷発行</ref>。[[背泳ぎ]]の成立はヨーロッパで15世紀頃にさかのぼるが、このころは足は平泳ぎと同じ動きだった。やがて手の動きはクロールのようになり、足もバタ足となって、1912年に現在の泳法が成立する<ref>「泳ぐことの科学」p57-58 吉村豊・小菅達男 NHKブックス 2008年1月30日第1刷発行</ref>。最後に、平泳ぎが進化する形で1933年に[[バタフライ]]が成立し<ref>「泳ぐことの科学」p69 吉村豊・小菅達男 NHKブックス 2008年1月30日第1刷発行</ref>、1952年に独立した1つの泳法として認められたことで、競技4泳法が出そろった<ref name="名前なし-5">「スポーツの世界地図」p82 Alan Tomlinson著 阿部生雄・寺島善一・森川貞夫監訳 丸善出版 平成24年5月30日</ref>。 {{Gallery |width = 200px |ファイル:Phelps 400m IM Missouri GP 2008.jpg|[[平泳ぎ]] |File:Hàbit Saludable.jpg|[[クロール]] |File:Backstroke (3651790401).jpg|[[背泳ぎ]] |ファイル:Nina Dittrich 200m-butterfly Schwechat2008.jpg|[[バタフライ]] }} == 競技 == {{See also|Category:水泳大会}} 水泳はあくまで「水の中で泳ぐこと」全般であり、このうち主にタイムを競う[[競技]]類を[[競泳]]と言う。 水泳競技には[[競泳]]・[[飛込競技]]・[[水球]]・[[アーティスティックスイミング]]・[[オープンウォータースイミング]]などの競技を含むので、[[夏季オリンピック]]や[[世界水泳選手権]]、[[日本選手権水泳競技大会]]で水泳という場合にはこれらすべてを含む場合がある。通常、日本語では競泳を指して水泳と言うことが多いが、飛込や水球だけを指して水泳と言うことはない。英語のswimmingは日本語の(広義の)水泳をさす場合と競泳をさす場合がある。特に、広義の水泳を指す場合、aquaticsを用いることが多い。これらの競技は、競技大会の日程及び会場等がそれぞれ異なることや競技特性の違いから一般的には別の競技とされる[https://www.joc.or.jp/sports/aquatics.html#categories] 。 ;[[競泳]] [[File:Swimming competition jump.jpeg|thumb|200px|水泳競技。スタート台からのスタートの瞬間。]] :プールを使用して、定められた距離を泳ぎきるのにかかる時間を競う。男女別に行われ、それぞれ個人種目とリレー種目がある。個人種目には、[[自由形]](通常は[[クロール (泳法)|クロール]]、Free Style、略称'''Fr''')、[[平泳ぎ]](Breast Stroke、略称'''Br''')、[[背泳ぎ]](Back Stroke、略称'''Ba'''または'''Bc''')、[[バタフライ]](Butterfly Stroke、略称'''Bu'''または'''Fly''')の4つの泳法と、4泳法を1人で決められた順番にすべて泳ぐ[[個人メドレー]](Individual Medley、略称'''IM''')がある。リレー種目は、4人とも自由形で泳ぐ[[フリーリレー]](略称'''FR''')と、4人が背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ・自由形の順に泳ぐ[[メドレーリレー]](略称'''MR''')がある。なお、リレー種目には男子2名・女子2名の混合競技がある。距離は、25m(短水路のみ)から200mまであり、自由形のみ400m、800m、1500mもある。使用されるプールには片道50mの[[長水路]]と、片道25mの[[短水路]]があり、ターンの回数が多い25mプールの方が良い記録が出るため、短水路記録として別に扱われる。泳法やスタート、ターン、リレーの引継ぎなどには細かい規定がある。[[1896年アテネオリンピック]]から実施され、世界的に競技人口が多いメジャーな競技とされている。また、競泳を含むスポーツとして、[[近代五種競技]]がある。 {{see also|en:Swimming stroke}} ;[[飛込競技]] :専用の飛込プールとそこに設置された飛び込み台を使用して水面に向かって飛び込み、その過程の技術を競う競技である。飛び板飛込と高飛込に大別される。男女別に行われ、個人種目の1m飛び板飛込、3m飛び板飛込、10m高飛込と、2名で同時に同じ演技を行いその同調性を競うシンクロナイズド種目の3m飛び板飛込、10m高飛込がある。シンクロナイズド種目は男子1名・女子1名の混合3m飛び板飛込、10m高飛込がある。チームダイビング(団体)は男子1名・女子1名がそれぞれ3m飛び板と10m台を使って競技する。 [[File:Synchro.jpg|thumb|right|200px|[[シンクロナイズドダイビング]]]] ;[[水球]] :プールをフィールドとして、7名ずつの2チームで行う[[球技]]で、男女別に行われ、相手の[[ゴール (スポーツ)|ゴール]]に[[ボール]]を入れることで得点を挙げる<ref>https://www.joc.or.jp/sports/waterpolo.html 「水泳・水球」公益財団法人日本オリンピック委員会 2022年3月22日閲覧</ref>、ハンドボールに似た競技である。プールの底に足をつけてボールを扱うことは反則である(公式競技では水深2m以上とされている)ため、基本的には[[立ち泳ぎ]]をしながらゲームを行う。 [[File:Serbia-Greece 16. 06. 2008.(Svetska liga).jpg|thumb|right|200px|[[水球]]]] ;[[アーティスティックスイミング]] :1名(ソロ)、2名(デュエット)、あるいは団体(チーム、通常8名)で、音楽に合わせて技術と芸術性を競う競技である。2018年までは'''シンクロナイズドスイミング'''(略称:シンクロ)と呼ばれていた<ref>https://www.joc.or.jp/sports/artisticswimming.html 「水泳・アーティスティックスイミング」公益財団法人日本オリンピック委員会 2022年3月22日閲覧</ref>。音楽なしで基礎技術のみを行うフィギュア(通常はテレビ放送されることはない)、音楽に合わせて規定の技術を盛り込んで短時間で演技するテクニカルルーティン、それより長時間で音楽に合わせて技術と芸術性を競うフリールーティンがある。競技会はこの3種目の組合せで行われるが、オリンピックや日本選手権はテクニカルルーティンとフリールーティンで行われる。8〜10名の競技者がルーティンを組み合わせて構成するフリーコンビネーションやハイライトルーティンが行われる競技会もある。女子のスポーツとされていたが、国内では[[2001年]]公開の映画『[[ウォーターボーイズ]]』のヒットにより「男のシンクロ」も知られるようになった。国際的には男子1名・女子1名のミックスデュエット種目のテクニカルルーティン、フリールーティンが行われている。 [[ファイル:Synchronized swimming - jumping.jpg|thumb|right|200px|[[アーティスティックスイミング]]]] ;[[オープンウォータースイミング]] :海・川・湖など自然環境で行われる競泳である。日本泳法の訓練あるいは行事として行われる「[[遠泳]]」と似ているように思われるが、遠泳が団体での協調性や泳ぎ切るための精神的側面を重視するのに対し、OWSはいかに早くゴールするかという競技であり、まったく異なる。 :泳法に制限がないのでクロール泳法が主体だが、泳ぐ方向や風向・潮流の方向などを判断しながらの競技であるため、その局面に合わせた技術が必要である。天候や潮汐など外部からのさまざまな影響を受けやすいため、危機管理も含めて自然の中で泳ぐための知識や経験も必要とされるのは遠泳とも共通する。世界オープンウォータースイミング選手権では、男女ともに5km、10km、25kmで競技が行われている。1.25km×4名のリレー競技が行われることもある。また、10kmの競技を特に'''マラソンスイミング'''と称しオリンピック種目になっている<ref>https://www.joc.or.jp/sports/swimming.html 「水泳・競泳」公益財団法人日本オリンピック委員会 2022年3月22日閲覧</ref>。 :また、オープンウォータースイミングを含むスポーツとして、[[トライアスロン]]がある。 ;[[ハイダイビング]] :人工環境(プール)で行われる競泳に対して、自然環境で行われるオープンウォータースイミングがあるように、飛込プールで行われる飛込に対して、自然環境からの飛び込みを競技化したものがハイダイビングである。競技会では港湾など十分な水深が確保できる場所に、男子27m、女子20mの飛び込み台を設置して行われ、個人種目が行われる。足からの入水に限定されており、安全のため着水点の周囲にダイバーが配置されている。 ;[[日本泳法]] :日本泳法は、主に江戸時代に日本各地で武術として発祥・伝承された技術である。自己鍛錬、自己訓練として行われ遠泳、寒中水泳等の行事を伝統とする団体も多い。他方、競技としても行われる。競技会では、泳法技術の完成度を競う採点競技である泳法競技、おもりを持って立ち泳ぎをして耐久時間を競う支重競技、横泳ぎによる競泳が行われる。毎年開かれる日本泳法大会は、日本水泳連盟公認13流派が集う全国大会である<ref name="名前なし-1"/>。 ;水泳選手 {{main|Category:水泳選手|Category:競泳選手}} == 衣類・道具類 == 水泳を行う際、通常は[[水着]]を着用する<ref>「健康・スポーツ科学における運動処方としての水泳・水中運動」p170 出村愼一編著 杏林書院 2016年9月20日第1版第1刷</ref>。[[インナーウェア]]([[下着]])として[[水着#水着インナー|水着インナー]]を着用する場合もある。プールを使う水泳の場合、学校であれ公営プールであれ、水質悪化を防いだり[[感染症]]を防ぐために[[スイムキャップ]]や[[ゴーグル]]の着用が義務付けられていることも多い。水着は19世紀頃の通常の衣服とそれほどの違いのないものから、体に密着して動きやすく、肌の露出が多い方向へと変化してきた。通常の水着のほか、水中での体温低下を抑える[[ウェットスーツ]]や、[[イスラム教]]の戒律の関係で肌の露出を極力抑えた水着である[[ブルキニ]]などさまざまな特殊用途の水着が開発され、水泳で使用されている<ref>「健康・スポーツ科学における運動処方としての水泳・水中運動」p170-171 出村愼一編著 杏林書院 2016年9月20日第1版第1刷</ref>。これに対し水難事故防止の目的で訓練される[[着衣泳]]においては、落水時を想定してあえて普段の服を着て泳ぐ<ref>「健康・スポーツ科学における運動処方としての水泳・水中運動」p171-183 出村愼一編著 杏林書院 2016年9月20日第1版第1刷</ref>。 初心者が水泳技術を習得したり、トレーニングのために使用する用具として、抵抗を増し推進力をつけるための[[パドル]]や[[フィン]]、浮力を得るための[[ビート板]]や[[プルブイ]]などが使われることもある。 競泳では通常、水着を着用し[[スイムキャップ]]や[[ゴーグル]]も使用する。タイムを競う競技では水着の[[抵抗]]が影響し、[[素材]]・裁断・[[縫製]]などでタイムが変わるので、スポーツ用品メーカー各社が激しい開発競争を行ってきた。2008年の[[2008年北京オリンピックの競泳競技|北京オリンピックの競泳]]では[[SPEEDO]]社の開発した[[レーザー・レーサー]]という競泳用水着が大会を席巻し、世界新記録が相次いで樹立されたものの、特殊な水着を入手できる一部の競技者だけが有利になってしまったことから2009年に規定が大幅に改訂され、素材・形状などに関して細かいルールが設定された<ref>https://news.yahoo.co.jp/articles/84710a8194d8afda061929168f415aa901e330f1?page=2 「スラップスケートOKで高速水着禁止の過去…ナイキ厚底シューズは“技術ドーピング”なのか、それとも技術革新なのか?」THE PAGE 2020/1/17 2022年3月29日閲覧</ref>。アーティスティックスイミングのルーティン競技ではある演目のためだけに特注デザインの水着を用意することもある。水球では、相手選手に引っ張られたりしにくい特殊な生地の水着を着用する。競技によってはインナーウェアの着用が禁止されている場合がある。 <gallery> File:Swim-cap colour-isolated.jpg|[[スイムキャップ]]。眼につけているのは[[ゴーグル]]。 File:Campeonato de Invierno (14951133956).jpg|水泳用の水着、男性用の例。 File:Chloe Sutton.jpg|水泳用の水着、女性用の例。 File:Burqini.jpg|[[ブルキニ]]。[[イスラーム]]の女性用の水着。 File:Swimming kick board.jpg|[[ビート板]] </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈"/> === 出典 === <references /> == 関連項目 == * [[海水浴]] *[[寒中水泳]] *[[遠泳]] * [[着衣水泳]] * [[全裸水泳]] * [[プール]] * [[海水浴場]] * [[咽頭結膜熱]] (プール熱) * [[溺水]] * [[世界水泳連盟]](WA) * [[日本水泳連盟]](JASF) == 外部リンク == {{Commons&cat|Swimming|Swimming}} ;文部科学省 :* [https://www.mext.go.jp/component/a_menu/sports/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/06/10/1348570_7_1.pdf 水泳指導と安全] (※PDF) :* [https://www.mext.go.jp/component/a_menu/sports/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/06/10/1348570_1_1.pdf 学校体育実技指導資料 第4集 水泳指導の手引](※PDF) :* [https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a165239.htm プール事故に係る安全対策強化に関する質問主意書] : ;岐阜県 :* [https://www.pref.gifu.lg.jp/page/27330.html 水難事故等に関するQ&A(よくある質問)] :* [https://www.pref.gifu.lg.jp/page/27316.html 水難事故の状況] :* [https://www.pref.gifu.lg.jp/page/14923.html 水難事故に注意] : ;競技関連 :* [https://www.worldaquatics.com/ World Aquatics] - [[世界水泳連盟]] {{en icon}} :* [https://www.swim.or.jp/ JASF] - [[日本水泳連盟]] {{ja icon}} : {{水泳競技}} {{スポーツ一覧}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:すいえい}} [[Category:水泳|*]]
2003-03-29T04:36:03Z
2023-12-03T05:22:47Z
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5,526
こどもの日
こどもの日(こどものひ)とは、日本における国民の祝日の一つで、端午の節句である5月5日に制定されている。国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としている。またこどもの日と男の子の成長を祝う端午の節句は同日だが別物である。 1948年2月に金子洋文、三島通陽が国会で子どもの日について議論した。專門調査員武藤智雄が5月5日を希望する請願を紹介した。同年6月8日に、衆議院議員松澤兼人は「神戸市内児童約二万七千名の署名」による「こどもの日」制定の請願を紹介した。
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こどもの日(こどものひ)とは、日本における国民の祝日の一つで、端午の節句である5月5日に制定されている。国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としている。またこどもの日と男の子の成長を祝う端午の節句は同日だが別物である。
{{Otheruses||[[世界]]の祝日|子供の日}} [[ファイル:Japanese_people_of_all_ages.jpg|thumb|right|200px|[[日本]]の子供と[[家族]]([[2003年]])]]<!-- 祭りの画像は5月5日開催ではないかもしれないので置けない --> {{Infobox Holiday |holiday_name = こどもの日 |type = DodgerBlue |longtype = |image = |caption = |official_name = |nickname = |observedby = 日本国民 |litcolor = |begins = |ends = |date = 5月5日 |celebrations = |observances = |relatedto = [[世界こどもの日]] }} {{国民の祝日}} '''こどもの日'''(こどものひ)とは、[[日本]]における[[国民の祝日]]の一つで、[[端午]]の[[節句]]である[[5月5日]]に制定されている。[[国民の祝日に関する法律]](祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)では「[[子供|こども]]の人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC1000000178 国民の祝日に関する法律] - e-Gov法令検索</ref>ことを趣旨としている。またこどもの日と[[男の子]]の成長を祝う[[端午の節句]]は同日だが別物である。 == 制定の経緯 == [[1948年]]2月に[[金子洋文]]、[[三島通陽]]が国会で子どもの日について議論した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=100215072X00119480202 第2回国会 参議院 文化委員打合会 第1号 昭和23年2月2日]</ref><ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=100215069X00219480206 第2回国会 参議院 文化委員会 第2号 昭和23年2月6日]</ref>。專門調査員の武藤智雄が5月5日を希望する請願を紹介した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=100205069X00519480413 第2回国会 衆議院 文化委員会 第5号 昭和23年4月13日]</ref>。同年6月8日に、衆議院議員[[松澤兼人]]は「神戸市内児童約二万七千名の署名」による「こどもの日」制定の請願を紹介した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=100205069X00919480608 第2回国会 衆議院 文化委員会 第9号 昭和23年6月8日]</ref>。 == 発行物 == * 制定後最初の「こどもの日」にあたる1949年5月5日、こどもの日の切手が発行された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[七五三]] * [[五月人形]] * [[世界こどもの日]] * [[子供の日|世界のさまざまな子供の日]] * [[多摩動物公園]] == 外部リンク == * [https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou/kaku.html#kodomo 各「国民の祝日」について - 内閣府] {{Japan-culture-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ことものひ}} [[Category:日本の祝日]] [[Category:5月の記念日]] [[Category:端午]] [[Category:日本の子供]]
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1533年
1533年(1533 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1533年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1533}} {{year-definition|1533}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天文 (元号)|天文]]2年 *** [[宝寿]]元年([[私年号]]) ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2193年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[嘉靖]]12年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[中宗 (朝鮮王)|中宗]]28年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3866年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[莫朝]] : [[大正 (莫朝)|大正]]4年 ** [[黎朝|後黎朝]] : [[元和 (黎朝)|元和]]元年 * [[仏滅紀元]] : 2075年 - 2076年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 939年 - 940年 * [[ユダヤ暦]] : 5293年 - 5294年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1533|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[6月1日]] - [[アン・ブーリン]]がイングランド王ヘンリー8世の正式な王妃となる{{要出典|date=2021-03}}。 * スペインによってインカ帝国が滅ぼされる<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d36f710410dd6338fa23266b388d666101885a60|title=大航海の時代、日本では大地震が頻発する中、3英傑が天下統一を果たす|publisher=ヤフーニュース|date=2020-07-13|accessdate=2020-10-20}}</ref>。 == 誕生 == {{see also|Category:1533年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月4日]](天文2年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]) - [[島津義久]]、[[武将]]、[[島津氏]]第16代当主(+[[1611年]]) * [[9月7日]] - [[エリザベス1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Elizabeth-I Elizabeth I queen of England] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[イングランド王国|イングランド]][[女王]](+ [[1603年]]) * [[10月12日]](天文2年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]) - [[朝倉義景]]<ref>{{Kotobank|朝倉義景}}</ref>、越前の[[戦国大名]](+ [[1573年]]) * [[石川数正]]、武将(+[[1593年]]) * [[小早川隆景]]、武将(+[[1597年]]) == 死去 == {{see also|Category:1533年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!-- === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} --> === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1533}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1533ねん}} [[Category:1533年|*]]
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5,529
1793年
1793年(1793 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
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1793年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1793}} {{year-definition|1793}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛政]]5年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2453年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]58年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]17年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4126年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[西山朝]] : [[景盛]]元年 * [[仏滅紀元]] : 2335年 - 2336年 * [[ヒジュラ暦]] : 1207年 - 1208年 * [[ユダヤ暦]] : 5553年 - 5554年 * [[ユリウス暦]] : 1792年12月21日 - 1793年12月20日 * [[フランス革命暦]] : I年雪月12日 - II年雪月11日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1793}} == できごと == * [[1月23日]] - [[第二次ポーランド分割]]。 * [[9月]] - [[ジョージ・マカートニー (初代マカートニー伯爵)|ジョージ・マカートニー]]率いる使節団が[[熱河]]離宮で避暑滞在中の[[乾隆帝]]に謁見する。 * [[12月9日]] - [[ノア・ウェブスター]]がニューヨーク初の日刊紙『アメリカン・ミネヴァ』を創刊する。 * [[第一次対仏大同盟]]が結成される。 * [[アメリカ合衆国造幣局]]の硬貨製造業務が開始される。 * [[イギリス東インド会社]]統治下の[[ベンガル地方]]で[[ザミーンダーリー制度]]が導入される。 === フランス === * [[1月21日]] - [[フランス革命]]:[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]が処刑される。 * [[2月1日]] - [[フランス革命戦争]]:[[グレートブリテン王国]]と[[ネーデルラント連邦共和国]]に宣戦布告する。 * [[3月7日]] - フランス革命戦争:[[スペイン王国]]に宣戦布告する。 * [[4月6日]] - フランス革命:[[公安委員会 (フランス革命)|第1期公安委員会]]が成立する。 * [[6月2日]] - フランス革命:[[ジャコバン派]]が[[国民公会]]から[[ジロンド派]]を追放し、[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]が権力を掌握する。 * [[8月10日]] - [[パリ]]で[[ルーヴル美術館]]が、当時「諸芸術の中央美術館」の名称で開館(ただし、限定的であり、一般人への公開は[[1801年]]から)。 * [[8月23日]] - フランス革命:[[国民皆兵]]制度が導入される。 * [[10月16日]] - フランス革命:フランス王妃[[マリー・アントワネット]]が処刑される。 * [[11月6日]] - フランス革命:[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]を倒して王位に就こうと野心を燃やしていた[[ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)|オルレアン公ルイ・フィリップ2世ジョゼフ]]が処刑される。死にたくなくて自身はルイ・フィリップ1世の子ではないと主張したが、信じる者は誰もいなかった。 * [[11月12日]] - フランス革命: パリ・コミューン初代市長ジャン=シルヴァン・バイイが処刑される。 * [[12月7日]] - フランス革命:[[デュ・バリー夫人]]が処刑される。 == 誕生 == {{see also|Category:1793年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月11日]]([[寛政]]4年[[11月29日 (旧暦)|11月29日]]) - [[大国隆正]]、[[国学|国学者]](+ [[1871年]]) * [[2月22日]] - [[イザーク・ヨースト]]、[[歴史家]](+ [[1860年]]) * [[3月2日]] - [[サミュエル・ヒューストン]]、[[テキサス共和国|テキサス]]大統領(+ [[1863年]]) * [[3月4日]](寛政5年[[1月22日 (旧暦)|1月22日]]) - [[大塩平八郎]]、[[陽明学者]]・[[与力]](+ [[1837年]]) * [[3月30日]] - [[フアン・マヌエル・デ・ロサス]]、[[アルゼンチン]]の指導者(+ [[1877年]]) * [[4月8日]] - [[カール・ヘンケ]]、[[天文学者]](+ [[1866年]]) * [[4月15日]] - [[フリードリッヒ・フォン・シュトルーベ]]、天文学者(+ [[1864年]]) * [[4月19日]] - [[フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)|フェルディナント1世]]、[[オーストリア皇帝]](+ [[1875年]]) * [[6月22日]](寛政5年[[5月14日 (旧暦)|5月14日]]) - [[徳川家慶]]、[[江戸幕府]]第12代[[征夷大将軍]](+ [[1853年]]) * [[6月24日]](寛政5年[[5月16日 (旧暦)|5月16日]]) - [[山内豊興]]、第11代[[土佐藩|土佐藩主]](+ [[1809年]]) * [[7月5日]] - [[パーヴェル・ペステリ]]、[[デカブリストの乱]]指導者(+ [[1826年]]) * [[9月2日]](寛政5年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[松平定則]]、第10代[[伊予松山藩|伊予松山藩主]](+ [[1809年]]) * [[9月4日]] - [[エドワード・ベイツ]]、[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1869年]]) * [[9月27日]](寛政5年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[遠山景元]]、[[旗本]]、[[江戸]][[北町奉行]]、[[南町奉行]]、「[[遠山の金さん]]」のモデル(+ [[1855年]]) * 9月27日(寛政5年8月23日) - [[徳川斉朝]]、第10代[[尾張藩|尾張藩主]](+ [[1850年]]) * [[10月20日]]([[寛政]]5年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[渡辺崋山]]、[[画家]]・[[田原藩]][[家老]](+ [[1841年]]) * [[11月3日]] - [[スティーブン・オースティン]]、[[テキサス州]]の入植指導者(+ [[1836年]]) * [[千葉周作]]、[[北辰一刀流]]創始者(+ [[1856年]]) * [[ドースト・ムハンマド・ハーン]]、[[アフガニスタン]]王(+ [[1863年]]) == 死去 == {{see also|Category:1793年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月21日]] - [[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]、フランス国王(* [[1754年]]) * [[2月6日]] - [[カルロ・ゴルドーニ]]、[[劇作家]]・[[リブレット (音楽)|リブレット]]作家(* [[1707年]]) * [[6月26日]] - [[ギルバート・ホワイト]]、[[博物学者]](* [[1720年]]) * [[7月21日]] - [[アントワーヌ・ブリュニー・ダントルカストー]]、[[探検家]](* [[1737年]]) * [[7月28日]]([[寛政]]5年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[林子平]]、[[経世論|経世論家]](* [[1738年]]) * [[10月16日]] - [[マリー・アントワネット]]、フランス王妃(* [[1755年]]) * [[12月8日]] - [[デュ・バリー夫人]]<ref>[https://www.britannica.com/biography//Jeanne-Becu-comtesse-du-Barry Jeanne Bécu, countess du Barry mistress of Louis XV of France] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の[[公妾]](* [[1743年]]) == フィクションのできごと == * 一旦はパリに戻り、亡命した英国の各地を転々としたフローリアン・F・ド・ジェローデルは霧に包まれた谷間の薔薇が咲き乱れる「ポーの村」に迷い込み、美しい兄妹エドガーとメリーベルに出会って一族に迎えられる。(漫画『[[ベルサイユのばら]]』のエピソード9「ロザリー」編 第4話) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} =<!-- = 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1793}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1793ねん}} [[Category:1793年|*]]
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5,530
1854年
1854年(1854 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。 ※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。
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1854年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1854}} {{year-definition|1854}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[甲寅]] * 日本([[天保暦]]) ** [[嘉永]]6年12月3日 - 嘉永7年11月12日 ** [[皇紀]]2514年 * [[清]] ** [[咸豊]]3年12月3日 - 咸豊4年11月12日 * [[朝鮮]] <!--* [[李氏朝鮮]]:独自の年号なし--> ** [[李氏朝鮮]] : [[哲宗 (朝鮮王)|哲宗]]5年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4187年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]) ** [[嗣徳]]7年  * [[仏滅紀元]]:2396年 - 2397年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1270年4月1日 - 1271年4月10日 * [[ユダヤ暦]]:5614年4月1日 - 5615年4月10日 * [[修正ユリウス日]](MJD):-1781 - -1417 * [[リリウス日]](LD):99060 - 99424 <div style="font-size:smaller"> ※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br /> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定に伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用禁止。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1854}} == できごと == === 1月 === * [[1月3日]](嘉永6年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]]) - [[エフィム・プチャーチン|プチャーチン]]が軍艦4隻を率いて[[長崎港|長崎]]に再入港 === 2月 === * [[2月5日]](嘉永7年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - プチャーチンが長崎を退去し[[樺太]]に向かう * [[2月11日]](嘉永7年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]) - [[マシュー・ペリー|ペリー]]が軍艦9隻を率いて[[浦賀]]に再来し江戸湾に入り威嚇 * [[2月17日]] - 英国が[[オレンジ自由国]]の独立を承認 * [[2月27日]] - [[ロベルト・シューマン]]が[[入水自殺]]未遂 * [[2月28日]] - [[アメリカ合衆国|米]][[ウィスコンシン州]][[リポン (ウィスコンシン州)|リポン]]で[[共和党 (アメリカ)|共和党]]結成 === 3月 === * [[3月1日]](嘉永7年2月3日) - 幕府が[[異国船見物禁止令]]を布告 * [[3月8日]](嘉永7年2月10日) - 幕府、ペリーと横浜で会談開始 * [[3月27日]] - [[クリミア戦争]]: イギリスがロシアに宣戦布告(クリミア戦争開始) * [[3月28日]] - クリミア戦争: フランスがロシアに宣戦布告 * [[3月31日]](嘉永7年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[日米和親条約]] === 4月 === * [[4月14日]] - [[サンサルバドル]]が地震で崩壊 * [[4月24日]](嘉永7年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) ** [[吉田松陰]]が[[下田]]で[[黒船]]へ密航を試み翌日幕吏に捕わる。[[佐久間象山]]連座。 ** オーストリア皇帝[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]が[[エリーザベト (オーストリア皇后)|エリーザベト]]と結婚 === 5月 === * [[5月2日]](嘉永7年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - 京都女院御所より出火、[[京都御所]]・[[仙洞御所]]が全焼したほか、[[今出川通]]・[[浄福寺通]]・[[烏丸通]]・[[椹木町通]]に囲まれた地域を広範囲に焼く大火となる。 * [[5月5日]](嘉永7年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - 下田・箱館の開港を布告 === 6月 === * [[6月5日]](嘉永7年5月10日) - 日本で建造された初の洋式大型軍艦[[鳳凰丸]]竣工。 * [[6月10日]] ** [[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|米国海軍兵学校]]で第1期生が卒業 ** [[ベルンハルト・リーマン]]が[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]就任講演「幾何学の基礎にある仮説について(Über die Hypothesen welche der Geometrie zu Grunde liegen)」 * [[6月17日]](嘉永7年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]) - [[下田条約]](日米和親条約付録)調印 * [[6月21日]] - クリミア戦争: [[オーランド諸島]]の戦闘([[:en:Bomarsund, Åland|Bomarsund]])(後に[[ヴィクトリア十字章]]の初対象となる) === 7月 === * [[7月6日]] - 米[[ミシガン州]]・[[ジャクソン (ミシガン州)|ジャクソン]]で初の共和党大会開催 * [[7月9日]] - [[伊賀上野地震]]発生。 * [[7月13日]] - 米艦キュアネ([[:en:USS Cyane (1837)|USS Cyane]])がニカラグアのサン・ファン・デル・ノルテ([[:en:San Juan del Norte|San Juan del Norte]])を砲撃し壊滅させる === 8月 === * [[8月2日]](嘉永7年7月9日) - 江戸幕府が日章旗を日本国惣船印とすることを決定。 * [[8月9日]] - [[ヘンリー・デイヴィッド・ソロー]]「ウォールデン([[:en:Walden|Walden]])」出版 * [[8月17日]] - [[グラッタンの虐殺]] * [[8月18日]] - クリミア戦争: [[ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦|ペトロパブロフスク攻囲戦]]開始(〜[[1855年]][[4月]]) * [[8月28日]] - [[ロンドン]]のブロード街で大流行した[[コレラ]]の最初の犠牲者が確認される。 === 9月 === * [[9月4日]] - クリミア戦争: 英仏軍が[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー]]を急襲 * [[9月7日]](嘉永7年閏[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - 英支那方面艦隊司令官[[ジェームズ・スターリング (西オーストラリア州総督)|スターリング]]少将が軍艦4隻を率いて[[長崎港|長崎]]に来港 * [[9月20日]] - クリミア戦争: [[アルマの戦い]] === 10月 === * [[10月14日]](嘉永7年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[日英和親条約]]締結 * [[10月17日]] - クリミア戦争: [[セヴァストポリ包囲戦 (1854年-1855年)|セヴァストポリ攻囲戦]]開始(〜[[1855年]][[9月11日]]) * [[10月21日]] - クリミア戦争: [[フローレンス・ナイチンゲール]]他38名が従軍 * [[10月25日]] - クリミア戦争: [[バラクラヴァの戦い]] === 11月 === * [[11月5日]] - クリミア戦争: [[インカーマンの戦い]] === 12月 === * [[12月3日]] - [[ユーリカ砦の反乱]]([[オーストラリア]]最大の武装蜂起)が起こる。 * 12月3日(嘉永7年10月14日) - ロシアのプチャーチン軍艦ディアナ号で下田来航。 * [[12月8日]] - 教皇[[ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世]]が[[無原罪の御宿り]]を公認 * [[12月9日]] - [[アルフレッド・テニスン]]「[[バラクラヴァの戦い#軽騎兵旅団の突撃|軽騎兵旅団の突撃]] ([[:en:The Charge of the Light Brigade (poem)|The Charge of the Light Brigade]])」公表 * [[12月22日]](嘉永7年[[11月3日 (旧暦)|11月3日]]) - 日露交渉始まる * [[12月23日]](嘉永7年[[11月4日 (旧暦)|11月4日]]) - [[安政東海地震]]発生 * [[12月24日]](嘉永7年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]) - [[安政南海地震]]発生(安政東海地震の32時間後) * [[12月26日]](嘉永7年[[11月7日 (旧暦)|11月7日]]) - [[豊予海峡地震]]発生 === 日付不詳 === * [[パリ]]の食料品店経営者ユジェーヌ・フランソワが[[角砂糖]]を発明 == 誕生 == {{see also|Category:1854年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月12日]] - [[ヒューゴ・ビルイェル]]、[[画家]](+ [[1887年]]) * 1月12日(嘉永6年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]) - [[片岡七郎]]、[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍人]](+ [[1920年]]) * [[1月18日]](嘉永6年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[片山東熊]]、[[建築家]](+ [[1917年]]) * [[1月29日]](嘉永7年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[高平小五郎]]、[[外交官]](+ [[1926年]]) * [[2月17日]](嘉永7年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - 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トウガラシ
トウガラシ(唐辛子、蕃椒、学名: Capsicum annuum)は、ナス科トウガラシ属の多年草または低木(日本など温帯では一年草)。また、その果実のこと。メキシコ原産(南米アンデス地方という説もある)。果実は、辛味のある香辛料(唐辛子)または野菜として食用にされる。 広義にはトウガラシ属をトウガラシと総称することがあるが、ここでは主に C. annuum 1種について述べる。この C. annuum はリンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである。 和名トウガラシは唐(中国)から伝わった辛子(辛いたね)の意味である。ただし、「唐」は漠然と「外国」を指す言葉で、中国経由ということではない。別名では、ナンバン、コウライコショウ、ナンバンコショウともよばれる。異名の「ナンバン」(南蛮)は、16世紀ごろに南蛮船によりポルトガル人が日本へ伝えたといわれるところから名付けられたものである。 植物種としてのトウガラシ(学名: Capsicum annuum)には辛みのある辛味種と辛みがない甘味種があり、一般に「トウガラシ」とよばれるものは辛味種のほうを指している。具体的には、果肉が薄く甘味があるベル形の中果種を「ピーマン」、甘味がある果肉が厚い大果種を「パプリカ」とよび、辛味のない小果種を「シシトウガラシ」(シシトウ)、辛味があり香辛料として使われる小果種を「トウガラシ」とよんで区別している。 英名はchili pepper(チリ・ペッパー)、仏名はpiment commum(ピモン・コムム)、伊名ではpeperoncino(ペペロンチーノ)、中国語では辣椒(らっしょう、Làjiāo ラーチァオ)と言う。 学名では、属名 Capsicum はギリシア語で「箱」や「袋」を意味する caspa が語源で、袋状の果実の形状に由来する。異説には「噛む」を意味する kapto が語源との説もある。また種小名の annuum は、「一年生の」植物の意味である。 温帯では一年草で、熱帯では多年草でやや低木(灌木)状になる。世界の温帯から熱帯の広い地域で栽培されている。植物学上は、トウガラシはピーマン、パプリカ、シシトウガラシと同種の植物に分類され、ピーマン・パプリカ・シシトウともトウガラシの栽培品種である。 草丈は40 - 60 cm(センチメートル)。茎は多数に枝分かれし、全体に無毛である。葉は互生。柄が長く卵状披針形、葉の先は尖り全縁。花期は7 - 11月ごろで、白い花を付ける。花弁には斑点が見られない。花の後に上向きに緑色で内部に空洞のある細長い5 cmほどの実がなる。果実は熟すると、一般に赤くなる。品種によっては丸みを帯びたものや短いもの、色づくと黄色や紫色になるものもある。種子の色は、淡黄白色から黄色になる。 辛味成分カプサイシンは種子の付く胎座に最も多く含まれており、トウガラシは胎座でカプサイシンを作り出している。トウガラシの種子にはカプサイシンがほとんど含まれていないため、種子だけを食べると辛味を全く感じない。カプサイシンは果皮にも含まれるが、胎座ほど多くない。 シシトウガラシなどの甘い品種は辛い品種と交配が可能である。甘い品種の雌蕊に辛い品種の花粉を交配してできた実は(胎座は甘い品種なので)甘いが、この種子から育った実の胎座は辛くなることがある。従って、辛い品種と甘い品種を植えるときはなるべく距離を置くように注意することが必要である。 中南米の熱帯アメリカ地域が原産とされる。栽培の起源地はメキシコだと考えられていて、メキシコ中部で紀元前6500 - 5000年頃の栽培型が出土している。アメリカ大陸の各地では、約2000年以上前から栽培が行われていた。南米ペルーでは、1世紀頃の遺跡からトウガラシ模様が入った織物が発見されている。インカ人はトウガラシをアヤ・ウチュ(「辛辣な者」の意)神として崇拝していた。 ヨーロッパへは、アメリカ大陸に到達したクリストファー・コロンブスが1493年にスペインへ持ち帰ったことにより、ヨーロッパ全域に広がった。以後、シルクロードを経て、インドや中国に伝わる。トウガラシは19世紀になるまでアルプスの北側ではあまり食べられてこなかった(この地域では辛味を加える食材としては、寒冷な気候でも栽培しやすいマスタードやホースラディッシュのほうが今でも好まれている)。 日本への伝来は、安土桃山時代以降の16世紀から17世紀頃に複数のルートで同時期に伝わったとされ、1592年の豊臣秀吉による朝鮮出兵のときに種子が導入されたという説や、1542年にポルトガル人によってタバコとともにトウガラシが伝来したという説がある。江戸時代中期から広く栽培されるようになった。江戸時代までは辛味がある品種しかなく、明治時代になって欧米から辛味のない品種(シシトウガラシ)が導入されて、当初は「甘トウガラシ」と呼んでいた。 世界中に様々な品種があるが、大きく分けて香辛料として使う辛味種(ホットペッパー、英: Hot pepper)と、ピーマンやパプリカ、シシトウガラシなどの甘味種(スイートペッパー、英: Sweet pepper)に分けられる。赤唐辛子などの辛味品種は、アメリカからヨーロッパに渡って香辛料になり、さらにアジアへと広まった。 実の形状は、ほとんどが小さく長細いものだが、野生種チルテピンの実は小さく丸い。他に といったものもある。 主な品種、栽培種は次の通りで、栽培品種は5 - 6群にまとめられていている。 なお、植物種としてのトウガラシの近縁種に、多年草で茎が木質化するキダチトウガラシ(木立唐辛子、C. frutescens)があり、島唐辛子、タバスコペッパー、プリッキーヌーはこの系統の品種である。強烈な辛さで知られるハバネロ、ブートジョロキアも別種カプシクム・キネンセ(C. chinense)である。(#近縁種を参照) 榎実群、またはチェリー群とも。 Chili groupの中の1群で、鷹の爪群、またはコーン群とも。学名は Capsicum annuum L. Conoides group。世界的に利用されるトウガラシの栽培種。日本の「鷹の爪」「本鷹」「ダルマ」や、メキシコのチリ(chilies)やアメリカのタバスコ(tabasco)など。 Chili groupの中の1群で、八房群ともいう。 伏見群、またはパプリカ群。別名ロングペッパー(Long pepper)。 大果群または青果群。別名、ベルペッパー(bell pepper)、またはスイートペッパー(sweet peppers)とも。ピーマン(ベル形の中・大果)もこのグループに含まれる。 辛味の強い品種に、鷹の爪、八房、伏見辛などがある。辛味がほとんどない種の代表がシシトウと通称されるシシトウガラシで、京野菜の伏見とうがらし、万願寺とうがらしなどが有名である。 露地栽培では、ふつう春に種をまき、夏から秋にかけて果実を収穫する。高温性があり、栽培適温は25 - 30度、夜間は15度以上、地温は25度前後とされる。生育後期は低温に対して強さがあり、晩秋ごろまで生育する。過湿には弱く、根はピーマンよりも繊細であることから、排水性がよい土壌での栽培に適している。一般には、完熟した果実を収穫して、雨の当たらない風通しのよいところに吊して乾燥させてから利用する。未熟果は青トウガラシとして爽やかな辛みを楽しむことができる。 苗作りは育苗箱に1 cm間隔で種をまき、日中20 - 30度、夜間は15度以上に保温養生して発芽させ、本葉が1枚出たころに育苗ポットに移植して、本葉8 - 9枚ぐらいになるまで育苗する。畑は元肥に堆肥などを十分にすき込んで畝をつくり、地温を上げるために黒色ポリフィルムなどでマルチングをして、初期育成の促進に役立てる。苗の植え付けは、畝のマルチに穴を開けて45 cm前後の間隔で行い、早めに支柱を立てて倒伏防止をはかる。定植後の半月後に最初の追肥を行い、以後は15 - 20日ごとに畝の周囲の土に肥料を混ぜ込んで土寄せを行う。植え付けから45日後くらいに収穫期が始まり、葉トウガラシにするときは果実が4 - 5&nbso;cmくらいになったころに株ごと引き抜いて、葉もむしり取って利用する。成熟果は、開花後50 - 60日後がたつと実が赤く熟する。株ごと引き抜いて収穫し、軒下などに吊して乾果にしたら随時利用できる。 食用にするのは主に果実で、世界中で香辛料として使われていて、日本人にも深くなじみがある。辛味があり香辛料として使用される辛味種と、辛味がないかほとんどない代わりに糖度が高く、主に野菜として食される甘唐辛子(甘味種)がある。熟して赤い辛味唐辛子のこと赤唐辛子といって、別名「鷹の爪」と呼ばれる、乾燥されたものを使うのが一般的である。また、未熟果で緑色をしている辛味唐辛子は青唐辛子といって、タイなどのアジア諸国でよく使われる。甘味種は、品種や栽培環境によって果実に辛味が出る場合がある。辛味種は、赤唐辛子は刺激的な辛味を持ち、特に種子に強い辛味があり、青唐辛子のなかにはシシトウガラシのような味わいを持つものもある。伏見辛の葉のように、葉の部分を食用にできる品種もあり、特有の芳香と苦味、ピリッとした辛さが好まれ、佃煮やしそ巻きになどに使われる。 食材としての旬は夏(7 - 9月)で、赤唐辛子は鮮やかな赤色で、皮につやと張りがあるもの。青唐辛子は、形が揃って緑色が濃いものが良品とされる。 辛味種は、赤唐辛子でも青唐辛子でも様々な調味料が作られていて、料理に刺激的なメリハリをつける香辛料として、炒め物、パスタ料理、漬物など、幅広く使用される。また甘味種は、煮物、揚げ物などにして、そのものの味を楽しむ料理に使われる。唐辛子を揚げ物に使うときは、実の中の空気が膨張して破裂してしまうので、実は切って使うか、あらかじめ穴をあけておく。葉を使うときは灰汁(アク)が少ないため、下茹でする必要はない。 日本ではあまり栽培されないが、パプリカには多少辛い品種もある。乾燥させて粉末とし香辛料または天然着色料としても使われる。 果実は香辛料として有名だが、食欲増進、消化促進、健胃、唾液分泌促進作用、皮膚刺激作用があり、薬用として使われることがある。秋に果実が赤熟したものを採集して、陰干ししたものを蕃椒(ばんしょう)か辣椒(らっしょう)、または唐辛子と称している。一般用漢方製剤には配合されていないが、主に辛味性健胃薬や筋肉痛、しもやけなどの局所刺激薬として用いられている。日本薬局方では、アルコールなどを加えてチンキにした、トウガラシチンキの製薬原料としている。腰痛、筋肉痛、肩こり、リュウマチ、関節痛、神経痛にトウガラシチンキを塗る。エキスにして温湿布剤に配合したり、筋肉痛、凍傷、養毛に使われたりする。 民間療法では、食欲がないときや消化がよくないとき、胃腸が冷えているときの腹痛・下痢などに、細かく刻んだ唐辛子を薬味(香辛料)として用いる。足のしもやけ予防に、靴の中のつま先部分に、ガーゼなどに唐辛子1 - 2個を包んで入れておく。神経痛、しもやけの外用薬でトウガラシチンキを作るときは、唐辛子を刻み、約3倍量の35度のホワイトリカーに約1か月漬けて、患部に塗る。ただし、トウガラシチンキは温める効果が強いため、患部が冷えていることを確認してから塗るなど用法には注意を要する。 トウガラシには防虫効果がある事が古くから知られており、書物の保存、ひな人形、五月人形などの物品保存などにも使用されてきた。箪笥などの衣装箱に入れておけば、防虫剤になる。また米の保存など食品保存に用いられていた事もある。かつては、倉庫などで唐辛子の粉を火にくべて、ネズミ駆除にも用いられていた。トウガラシを焼酎に漬け込んで害虫忌避効果がある自然農薬を作る菜園家もいる。トウガラシをアブラナ科、ネギ科、キク科の野菜畑のあちこちに植えておいて、害虫よけにする利用法もある。 アルコール抽出した成分には種の細菌の増殖を抑制する抗菌効果が有るとする報告があるが、乾燥加工した物品では保存中や流通加工工程中で増殖するカビによって、カビ毒に汚染される可能性が指摘されている。 花をつけた頃から実が未熟な頃にかけて茎ごと収穫し、葉物野菜の葉唐辛子として利用される。 トウガラシの果実は全体の約75%が水分で構成されており、栄養素は比率の多い順で可食部100グラム (g) あたり炭水化物16.3 gが最も多く、たんぱく質3.9 g、脂質3.4 g、灰分1.4 gと続く。果皮には辛味成分のカプサイシンやデヒドロカプサイシン、赤色素のカプサンチン、黄色素のβ-カロテンのほか、ルチン、ビタミンB1・B2・Cなどを含んでいる。そのほかには、アデニン、ベタイン、コリン、ジヒドロカプサイシン、ホモカプサイシン、クリプトキサンチン、ルテイン、クリプトカプシンなどが含まれる。 カプサイシンは非揮発性で、皮膚や粘膜につくと炎症などを起こす、作用の激しい成分である。ただし、注目に値する様々な機能性をもっていることがわかっており、血管を広げて血行をよくして身体を温める作用や、唾液分泌量を増やして食欲を増進させて消化吸収を助ける作用があり、さらに中枢神経を刺激して副腎ホルモンのひとつアドレナリンの分泌量を増やして代謝を活発にする働きもあるとされる。調理にトウガラシを使うと、ヒトが味の塩気の物足りなさを感じにくくなり、食塩の使用量を減らせる効果を得られることについては、カプサイシンそのものが食塩要求量を減らすという研究報告もある。このカプサイシンの割合を示す値はスコヴィル値と呼ばれ、カプサイシンの含有量と割合の高低を測定する上でその単位は無くてはならないものとなっている。 トウガラシにはβ-カロテンが豊富で、生にはビタミンCも豊富に含まれている。他の野菜に比べてビタミン・ミネラル類を含む割合は圧倒的に多いが、使われ方から実際に口に含む量はごく少量であるから、栄養源としては期待できない。 トウガラシの一種、シシトウガラシの栄養成分はピーマンとほぼ同じで、カロテンやビタミンCが豊富に含まれる。トウガラシの葉や葉柄の部分を食用する葉唐辛子は、緑黄色野菜であり、カロテンやビタミンCを多量に含む。 国連食糧農業機関(FAO)の2018年時点データによると、国別生産量はインド(180万トン)が世界シェア40%で首位を占める。中華人民共和国(32万トン)は2位だが、経済発展で増える需要を国産だけでは賄い切れず、インドから輸入している。一方で、日本の自給率も10%未満で、年間輸入量(1万2000トン~1万5000トン程度)の約9割が中国産である。火鍋の流入などで、日本も消費量が拡大傾向にある。 日本の主産地は、栃木県、徳島県、千葉県、岐阜県などで、シシトウガラシの場合では、高知県、千葉県、和歌山県、岐阜県などがある。海外から日本へは、主に中国、タイなどの産地から輸入されている。 トウガラシが属するトウガラシ属は温帯から亜熱帯にかけて分布している。これらのうち、標準和名では C. annuum 1種をトウガラシと呼ぶ。 日本で栽培されているのは主にトウガラシだが、沖縄ではキダチトウガラシの品種の島唐辛子が栽培されている。 トウガラシ、キダチトウガラシ、カプシクム・キネンセの3種は花の形態などが酷似しており、交配すると雑種ができるが、雑種が形成する花粉の数割は生殖能力を持たないため、この3種の間には不完全な生殖的隔離が見られる。
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Conoides group。世界的に利用されるトウガラシの栽培種。日本の「鷹の爪」「本鷹」「ダルマ」や、メキシコのチリ(chilies)やアメリカのタバスコ(tabasco)など。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "Chili groupの中の1群で、八房群ともいう。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "伏見群、またはパプリカ群。別名ロングペッパー(Long pepper)。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "大果群または青果群。別名、ベルペッパー(bell pepper)、またはスイートペッパー(sweet peppers)とも。ピーマン(ベル形の中・大果)もこのグループに含まれる。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "辛味の強い品種に、鷹の爪、八房、伏見辛などがある。辛味がほとんどない種の代表がシシトウと通称されるシシトウガラシで、京野菜の伏見とうがらし、万願寺とうがらしなどが有名である。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "露地栽培では、ふつう春に種をまき、夏から秋にかけて果実を収穫する。高温性があり、栽培適温は25 - 30度、夜間は15度以上、地温は25度前後とされる。生育後期は低温に対して強さがあり、晩秋ごろまで生育する。過湿には弱く、根はピーマンよりも繊細であることから、排水性がよい土壌での栽培に適している。一般には、完熟した果実を収穫して、雨の当たらない風通しのよいところに吊して乾燥させてから利用する。未熟果は青トウガラシとして爽やかな辛みを楽しむことができる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "苗作りは育苗箱に1 cm間隔で種をまき、日中20 - 30度、夜間は15度以上に保温養生して発芽させ、本葉が1枚出たころに育苗ポットに移植して、本葉8 - 9枚ぐらいになるまで育苗する。畑は元肥に堆肥などを十分にすき込んで畝をつくり、地温を上げるために黒色ポリフィルムなどでマルチングをして、初期育成の促進に役立てる。苗の植え付けは、畝のマルチに穴を開けて45 cm前後の間隔で行い、早めに支柱を立てて倒伏防止をはかる。定植後の半月後に最初の追肥を行い、以後は15 - 20日ごとに畝の周囲の土に肥料を混ぜ込んで土寄せを行う。植え付けから45日後くらいに収穫期が始まり、葉トウガラシにするときは果実が4 - 5&nbso;cmくらいになったころに株ごと引き抜いて、葉もむしり取って利用する。成熟果は、開花後50 - 60日後がたつと実が赤く熟する。株ごと引き抜いて収穫し、軒下などに吊して乾果にしたら随時利用できる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "食用にするのは主に果実で、世界中で香辛料として使われていて、日本人にも深くなじみがある。辛味があり香辛料として使用される辛味種と、辛味がないかほとんどない代わりに糖度が高く、主に野菜として食される甘唐辛子(甘味種)がある。熟して赤い辛味唐辛子のこと赤唐辛子といって、別名「鷹の爪」と呼ばれる、乾燥されたものを使うのが一般的である。また、未熟果で緑色をしている辛味唐辛子は青唐辛子といって、タイなどのアジア諸国でよく使われる。甘味種は、品種や栽培環境によって果実に辛味が出る場合がある。辛味種は、赤唐辛子は刺激的な辛味を持ち、特に種子に強い辛味があり、青唐辛子のなかにはシシトウガラシのような味わいを持つものもある。伏見辛の葉のように、葉の部分を食用にできる品種もあり、特有の芳香と苦味、ピリッとした辛さが好まれ、佃煮やしそ巻きになどに使われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "食材としての旬は夏(7 - 9月)で、赤唐辛子は鮮やかな赤色で、皮につやと張りがあるもの。青唐辛子は、形が揃って緑色が濃いものが良品とされる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "辛味種は、赤唐辛子でも青唐辛子でも様々な調味料が作られていて、料理に刺激的なメリハリをつける香辛料として、炒め物、パスタ料理、漬物など、幅広く使用される。また甘味種は、煮物、揚げ物などにして、そのものの味を楽しむ料理に使われる。唐辛子を揚げ物に使うときは、実の中の空気が膨張して破裂してしまうので、実は切って使うか、あらかじめ穴をあけておく。葉を使うときは灰汁(アク)が少ないため、下茹でする必要はない。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "日本ではあまり栽培されないが、パプリカには多少辛い品種もある。乾燥させて粉末とし香辛料または天然着色料としても使われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "果実は香辛料として有名だが、食欲増進、消化促進、健胃、唾液分泌促進作用、皮膚刺激作用があり、薬用として使われることがある。秋に果実が赤熟したものを採集して、陰干ししたものを蕃椒(ばんしょう)か辣椒(らっしょう)、または唐辛子と称している。一般用漢方製剤には配合されていないが、主に辛味性健胃薬や筋肉痛、しもやけなどの局所刺激薬として用いられている。日本薬局方では、アルコールなどを加えてチンキにした、トウガラシチンキの製薬原料としている。腰痛、筋肉痛、肩こり、リュウマチ、関節痛、神経痛にトウガラシチンキを塗る。エキスにして温湿布剤に配合したり、筋肉痛、凍傷、養毛に使われたりする。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "民間療法では、食欲がないときや消化がよくないとき、胃腸が冷えているときの腹痛・下痢などに、細かく刻んだ唐辛子を薬味(香辛料)として用いる。足のしもやけ予防に、靴の中のつま先部分に、ガーゼなどに唐辛子1 - 2個を包んで入れておく。神経痛、しもやけの外用薬でトウガラシチンキを作るときは、唐辛子を刻み、約3倍量の35度のホワイトリカーに約1か月漬けて、患部に塗る。ただし、トウガラシチンキは温める効果が強いため、患部が冷えていることを確認してから塗るなど用法には注意を要する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "トウガラシには防虫効果がある事が古くから知られており、書物の保存、ひな人形、五月人形などの物品保存などにも使用されてきた。箪笥などの衣装箱に入れておけば、防虫剤になる。また米の保存など食品保存に用いられていた事もある。かつては、倉庫などで唐辛子の粉を火にくべて、ネズミ駆除にも用いられていた。トウガラシを焼酎に漬け込んで害虫忌避効果がある自然農薬を作る菜園家もいる。トウガラシをアブラナ科、ネギ科、キク科の野菜畑のあちこちに植えておいて、害虫よけにする利用法もある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "アルコール抽出した成分には種の細菌の増殖を抑制する抗菌効果が有るとする報告があるが、乾燥加工した物品では保存中や流通加工工程中で増殖するカビによって、カビ毒に汚染される可能性が指摘されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "花をつけた頃から実が未熟な頃にかけて茎ごと収穫し、葉物野菜の葉唐辛子として利用される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "トウガラシの果実は全体の約75%が水分で構成されており、栄養素は比率の多い順で可食部100グラム (g) あたり炭水化物16.3 gが最も多く、たんぱく質3.9 g、脂質3.4 g、灰分1.4 gと続く。果皮には辛味成分のカプサイシンやデヒドロカプサイシン、赤色素のカプサンチン、黄色素のβ-カロテンのほか、ルチン、ビタミンB1・B2・Cなどを含んでいる。そのほかには、アデニン、ベタイン、コリン、ジヒドロカプサイシン、ホモカプサイシン、クリプトキサンチン、ルテイン、クリプトカプシンなどが含まれる。", "title": "栄養素と辛味成分" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "カプサイシンは非揮発性で、皮膚や粘膜につくと炎症などを起こす、作用の激しい成分である。ただし、注目に値する様々な機能性をもっていることがわかっており、血管を広げて血行をよくして身体を温める作用や、唾液分泌量を増やして食欲を増進させて消化吸収を助ける作用があり、さらに中枢神経を刺激して副腎ホルモンのひとつアドレナリンの分泌量を増やして代謝を活発にする働きもあるとされる。調理にトウガラシを使うと、ヒトが味の塩気の物足りなさを感じにくくなり、食塩の使用量を減らせる効果を得られることについては、カプサイシンそのものが食塩要求量を減らすという研究報告もある。このカプサイシンの割合を示す値はスコヴィル値と呼ばれ、カプサイシンの含有量と割合の高低を測定する上でその単位は無くてはならないものとなっている。", "title": "栄養素と辛味成分" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "トウガラシにはβ-カロテンが豊富で、生にはビタミンCも豊富に含まれている。他の野菜に比べてビタミン・ミネラル類を含む割合は圧倒的に多いが、使われ方から実際に口に含む量はごく少量であるから、栄養源としては期待できない。", "title": "栄養素と辛味成分" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "トウガラシの一種、シシトウガラシの栄養成分はピーマンとほぼ同じで、カロテンやビタミンCが豊富に含まれる。トウガラシの葉や葉柄の部分を食用する葉唐辛子は、緑黄色野菜であり、カロテンやビタミンCを多量に含む。", "title": "栄養素と辛味成分" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "国連食糧農業機関(FAO)の2018年時点データによると、国別生産量はインド(180万トン)が世界シェア40%で首位を占める。中華人民共和国(32万トン)は2位だが、経済発展で増える需要を国産だけでは賄い切れず、インドから輸入している。一方で、日本の自給率も10%未満で、年間輸入量(1万2000トン~1万5000トン程度)の約9割が中国産である。火鍋の流入などで、日本も消費量が拡大傾向にある。", "title": "生産と消費" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "日本の主産地は、栃木県、徳島県、千葉県、岐阜県などで、シシトウガラシの場合では、高知県、千葉県、和歌山県、岐阜県などがある。海外から日本へは、主に中国、タイなどの産地から輸入されている。", "title": "生産と消費" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "トウガラシが属するトウガラシ属は温帯から亜熱帯にかけて分布している。これらのうち、標準和名では C. annuum 1種をトウガラシと呼ぶ。", "title": "近縁種" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "日本で栽培されているのは主にトウガラシだが、沖縄ではキダチトウガラシの品種の島唐辛子が栽培されている。", "title": "近縁種" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "トウガラシ、キダチトウガラシ、カプシクム・キネンセの3種は花の形態などが酷似しており、交配すると雑種ができるが、雑種が形成する花粉の数割は生殖能力を持たないため、この3種の間には不完全な生殖的隔離が見られる。", "title": "近縁種" } ]
トウガラシは、ナス科トウガラシ属の多年草または低木(日本など温帯では一年草)。また、その果実のこと。メキシコ原産(南米アンデス地方という説もある)。果実は、辛味のある香辛料(唐辛子)または野菜として食用にされる。 広義にはトウガラシ属をトウガラシと総称することがあるが、ここでは主に C. annuum 1種について述べる。この C. annuum はリンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである。
{{otheruses|植物種|香辛料|唐辛子}} {{生物分類表 |名称 = トウガラシ |色 = lightgreen |画像 = [[ファイル:Capsicum_annuum_-_Köhler–s_Medizinal-Pflanzen-027.jpg|200px]] |分類体系 = [[APG IV]], Cantino ''et al.'' (2007)<ref>{{cite book|first1=Philip D.|last1=Cantino|first2=James A.|last2=Doyle|first3=Sean W.|last3=Graham|first4=Walter S.|last4=Judd|first5=Richard G.|last5=Olmstead|first6=Douglas E.|last6=Soltis|first7=Pamela S.|last7=Soltis|first8=Michael J.|last8=Donoghue|title=Towards a phylogenetic nomenclature of ''Tracheophyta''|journal=Taxon|date=2007|volume=56|issue=3|pages=E1-E44|ref=cantino}}</ref> |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiospermae}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||Eudicotyledoneae}} |亜綱階級なし = [[キク類]] {{Sname||Asteridae}} |下綱階級なし = [[シソ類]] {{Sname||Garryidae}} |目 = [[ナス目]] {{Sname||Solanales}} |科 = [[ナス科]] {{Sname||Solanaceae}} |属 = [[トウガラシ属]] {{snamei||Capsicum}} |種 = '''トウガラシ {{snamei||Capsicum annuum|C. annuum}}''' |学名 = {{snamei||Capsicum annuum}} {{AU|L.}} {{small|([[1753年|1753]])}}<ref name="YList">{{YList|id=4169|taxon=Capsicum annuum L. トウガラシ(標準)|accessdate=2023-04-11}}</ref> |和名 = トウガラシ、唐辛子、蕃椒 |英名 = [[:en:Capsicum annuum|chile pepper]]<br>capsicum pepper<br>red pepper<br />sweet pepper }} '''トウガラシ'''('''唐辛子'''、'''蕃椒'''<ref>木村修次・黒澤弘光『大修館現代漢和辞典』([[大修館書店|大修館出版]]、1996年12月10日発行)p.992</ref>、[[学名]]: {{snamei|Capsicum annuum}})は、[[ナス科]][[トウガラシ属]]の[[多年草]]または[[低木]]([[日本]]など[[温帯]]では[[一年草]])。また、その[[果実]]のこと。[[メキシコ]]原産([[南アメリカ|南米]][[アンデス山脈|アンデス地方]]という説もある)。果実は、[[辛味]]のある[[香辛料]]([[唐辛子]])または[[野菜]]として食用にされる。 広義にはトウガラシ[[属 (分類学)|属]]をトウガラシと総称することがあるが、ここでは主に {{snamei|C. annuum}} 1種について述べる。この {{Snamei|C. annuum}} は[[カール・フォン・リンネ|リンネ]]の『[[植物の種]]』([[1753年]]) で[[記載]]された植物の一つである<ref>{{Cite book|last=Linnaeus|first=Carolus|year=1753|title=Species Plantarum|location=Holmia[Stockholm]|publisher=Laurentius Salvius|page=188|url=https://www.biodiversitylibrary.org/page/358207|ref=harv|language=la}}</ref>。 == 名称 == 和名'''トウガラシ'''は[[唐]]([[中国]])から伝わった[[からし|辛子]](辛いたね)の意味である{{sfn|田中孝治|1995|p=194}}。ただし、「唐」は漠然と「[[外国]]」を指す言葉で、[[中国]]経由ということではない。別名では、ナンバン{{sfn|貝津好孝|1995|p=49}}、コウライコショウ{{sfn|貝津好孝|1995|p=49}}、ナンバンコショウ<ref name="熊本大"/>ともよばれる。異名の「ナンバン」(南蛮)は、16世紀ごろに[[南蛮船]]により[[ポルトガル人]]が日本へ伝えたといわれるところから名付けられたものである{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。 植物種としてのトウガラシ(学名: {{snamei|Capsicum annuum}})には辛みのある辛味種と辛みがない甘味種があり、一般に「トウガラシ」とよばれるものは辛味種のほうを指している<ref>{{Cite web|和書|url=https://life.ja-group.jp/food/shun/detail?id=50|title=トウガラシ(唐辛子)|work=とれたて大百科|publisher=JAグループ|accessdate=2023-08-13}}</ref>。具体的には、果肉が薄く甘味があるベル形の中果種を「[[ピーマン]]」、[[甘味]]がある果肉が厚い大果種を「[[パプリカ]]」とよび、辛味のない小果種を「[[シシトウガラシ]]」(シシトウ)、辛味があり香辛料として使われる小果種を「トウガラシ」とよんで区別している{{sfn|講談社編|2013|p=86}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=46}}。 [[英語|英名]]は{{lang|en|chili pepper}}(チリ・ペッパー)、[[フランス語|仏名]]は{{lang|fr|piment commum}}(ピモン・コムム)、[[イタリア語|伊名]]では{{lang|it|peperoncino}}(ペペロンチーノ){{sfn|講談社編|2013|p=86}}、中国語では辣椒(らっしょう{{sfn|貝津好孝|1995|p=49}}、Làjiāo ラーチァオ)<ref name="YList"/>と言う。 学名では、属名 ''Capsicum'' はギリシア語で「箱」や「袋」を意味する caspa が語源で、袋状の果実の形状に由来する。異説には「噛む」を意味する kapto が語源との説もある。また種小名の ''annuum'' は、「一年生の」植物の意味である。 == 特徴 == [[ファイル:Capsicum0.jpg|thumb|トウガラシの果実 - 種子が付着した中央部が最も辛い[[胎座]]である]] [[温帯]]では[[一年草]]で、[[熱帯]]では[[多年草]]でやや低木([[灌木]])状になる{{sfn|田中孝治|1995|p=194}}<ref name="熊本大"/>。世界の温帯から熱帯の広い地域で栽培されている{{sfn|貝津好孝|1995|p=49}}。植物学上は、トウガラシは[[ピーマン]]、[[パプリカ]]、[[シシトウガラシ]]と同種の植物に分類され、ピーマン・パプリカ・シシトウともトウガラシの栽培[[品種]]である{{sfn|講談社編|2013|p=86}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=46}}。 草丈は40 - 60 cm([[センチメートル]])。[[茎]]は多数に枝分かれし、全体に無毛である<ref name="熊本大"/>。[[葉]]は[[互生]]。柄が長く卵状披針形、葉の先は尖り全縁<ref name="熊本大"/>。花期は7 - 11月ごろで、白い花を付ける<ref name="熊本大">{{Cite web|和書|url=https://www.pharm.kumamoto-u.ac.jp/yakusodb/detail/003518.php|title=トウガラシ Capsicum annuum L.|website=熊本大学薬学部 薬草園 植物データベース|publisher=熊本大学薬学部/大学院薬学教育部|accessdate=2023-08-13}}</ref>。[[花弁]]には斑点が見られない。花の後に上向きに緑色で内部に空洞のある細長い5 cmほどの実がなる。果実は熟すると、一般に赤くなる。品種によっては丸みを帯びたものや短いもの、色づくと黄色や紫色になるものもある<ref name="熊本大"/>。種子の色は、淡黄白色から黄色になる。 辛味成分[[カプサイシン]]は[[種子]]の付く[[胎座]]に最も多く含まれており<ref>[http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/08/09/0914.html トウガラシで一番辛い箇所]『[[所さんの目がテン!]]』番組HP</ref>、トウガラシは胎座でカプサイシンを作り出している<ref name="武田薬品"/>。トウガラシの種子にはカプサイシンがほとんど含まれていないため、種子だけを食べると辛味を全く感じない。カプサイシンは[[果皮]]にも含まれるが、胎座ほど多くない。 シシトウガラシなどの甘い品種は辛い品種と[[交配]]が可能である。甘い品種の[[雌蕊]]に辛い品種の[[花粉]]を交配してできた実は(胎座は甘い品種なので)甘いが、この種子から育った実の胎座は辛くなることがある。従って、辛い品種と甘い品種を植えるときはなるべく距離を置くように注意することが必要である。 <gallery widths="180px" heights="150px"> Capsicum annuum flower.JPG|トウガラシの花 Piment fort.jpg|草型 </gallery> == 歴史 == [[ラテンアメリカ|中南米]]の熱帯アメリカ地域が原産とされる{{sfn|貝津好孝|1995|p=49}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=47}}。栽培の起源地は[[メキシコ]]だと考えられていて、メキシコ中部で紀元前6500 - 5000年頃の栽培型が出土している{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。アメリカ大陸の各地では、約2000年以上前から栽培が行われていた{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。[[ラテンアメリカ|南米]][[ペルー]]では、1世紀頃の遺跡からトウガラシ模様が入った織物が発見されている{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。[[インカ]]人はトウガラシをアヤ・ウチュ(「辛辣な者」の意)神<ref>アヤ・ウチュ 太陽神インディの息子。</ref>として崇拝していた<ref name=":0" />。 [[ヨーロッパ]]へは、アメリカ大陸に到達した[[クリストファー・コロンブス]]が1493年に[[スペイン]]へ持ち帰ったことにより、ヨーロッパ全域に広がった{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。以後、[[シルクロード]]を経て、[[インド]]や[[中国]]に伝わる{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2020|p=47}}。トウガラシは19世紀になるまでアルプスの北側ではあまり食べられてこなかった(この地域では辛味を加える食材としては、寒冷な気候でも栽培しやすい[[マスタード]]や[[ホースラディッシュ]]のほうが今でも好まれている)<ref name=":0" />。 日本への伝来は、[[安土桃山時代]]以降の16世紀から17世紀頃に複数のルートで同時期に伝わったとされ{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=47}}、1592年の[[豊臣秀吉]]による[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]のときに種子が導入されたという説や<ref name="日本粉末薬品">{{Cite web|和書|url=https://www.nfy.co.jp/foods/chili_pepper|title=トウガラシ|publisher=日本粉末薬品|accessdate=2023-08-13}}</ref>、1542年にポルトガル人によって[[タバコ]]とともにトウガラシが伝来したという説がある{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。[[江戸時代]]中期から広く栽培されるようになった<ref name="武田薬品">{{Cite web|和書|url=https://www.takeda.co.jp/kyoto/area/plantno72.html|title=トウガラシ|publisher=武田薬品工業|accessdate=2023-08-13}}</ref>。江戸時代までは辛味がある品種しかなく、[[明治|明治時代]]になって欧米から辛味のない品種(シシトウガラシ)が導入されて、当初は「甘トウガラシ」と呼んでいた{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。 <!--朝鮮半島に初めてトウガラシが伝えられたのは、日本からだったとされる。<ref>{{Cite book|和書 |title=トウガラシの世界史 |date=2016年2月25日 |publisher=中央公論新社 |page=162}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.city.kikuchi.lg.jp/article/view/1403/1950.html |title=韓国発見シリーズ69 「韓国料理はいつから辛くなったのか(2019.9)」 |access-date=2023年10月9日 |publisher=菊池市}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1302074751232/ |title=唐辛子は日本から韓国に伝わってきた!?――唐辛子のおもしろ由来 |access-date=2023年10月9日 |publisher=exciteニュース}}</ref> (さまざまな説があるため、一応コメントアウト)--> == 品種 == [[File:Chiltepin mexico sonora.jpg|thumb|チルテピン]] 世界中に様々な品種があるが、大きく分けて香辛料として使う辛味種(ホットペッパー、[[英語|英]]: Hot pepper)と、ピーマンやパプリカ、シシトウガラシなどの甘味種(スイートペッパー、英: Sweet pepper)に分けられる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}。赤唐辛子などの辛味品種は、アメリカからヨーロッパに渡って香辛料になり、さらにアジアへと広まった{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=76}}。 実の形状は、ほとんどが小さく長細いものだが、野生種[[チルテピン]]の実は小さく丸い。他に * 大振り曲状で肩が大きく張り出したもの - [[弘前市|弘前]]在来トウガラシ * 大きく「[[鐘|ベル]]形」 - ピーマン、パプリカ といったものもある。 === 植物和名ー学名インデックス YList による分類 === * {{Snamei|Capsicum annuum}} {{AU|L.}} ([[1753年|1753]]) - トウガラシの標準学名、中国名:辣椒 * {{Snamei|Capsicum annuum}} {{AU|L.}} Acuminatum group ([[1832年|1832]]) - 和名:ソラミトウガラシ、別名:トウガラシ (s. str.)、Cayenne group: {{AU|Erwin}} ([[1932年|1932]])とする説もある。<ref>{{YList|id=16354|taxon=Capsicum annuum L. Acuminatum group トラミトウガラシ(標準)|accessdate=2023-08-13}}</ref> * {{Snamei|Capsicum annuum}} {{AU|L.}} Cerasiforme group ([[1898年|1898]]) - 和名:ホシトウガラシ、別名:チェリーペッパー、和名は牧野富太郎による命名で、学名(裸名)を {{Snamei|C. glossum}} var. {{Snamei|cerasiforme}} ({{AU|Mill.}}) {{AU|Makino}} ([[1897年|1897]]) とした。<ref>{{YList|id=16355|taxon=Capsicum annuum L. Cerasiforme group ホシトウガラシ|accessdate=2023-08-13}}</ref> * {{Snamei|Capsicum annuum}} {{AU|L.}} Conoides group ([[1898年|1898]]) - 和名:ゴシキトウガラシ、別名:タバスコペッパー、中国名:朝天椒<ref>{{YList|id=16356|taxon=Capsicum annuum L. Conoides group ゴシキトウガラシ(標準)|accessdate=2023-08-13}}</ref> * {{Snamei|Capsicum annuum}} {{AU|L.}} Grossum group ([[1846年|1846]]) - 和名:ピーマン、別名:シシトウガラシ<ref>{{YList|id=12262|taxon=Capsicum annuum L. Grossum group ピーマン(標準)|accessdate=2023-08-13}}</ref> * {{Snamei|Capsicum annuum}} {{AU|L.}} Longum group ([[1846年|1846]]) - 和名:ナガミトウガラシ、別名:ロングペッパー、中国名:長辣椒<ref>{{YList|id=16358|taxon=Capsicum annuum L. Longum group ナガミトウガラシ(標準)|accessdate=2023-08-13}}</ref> 主な品種、栽培種は次の通りで、栽培品種は5 - 6群にまとめられていている。 なお、植物種としてのトウガラシの近縁種に、多年草で茎が木質化する[[キダチトウガラシ]](木立唐辛子、{{snamei|C. frutescens}})があり、[[島唐辛子]]、[[タバスコペッパー]]、[[プリッキーヌー]]はこの系統の品種である{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。強烈な辛さで知られる[[ハバネロ]]、[[ブートジョロキア]]も別種[[カプシクム・キネンセ]]({{snamei|C. chinense}})である。([[#近縁種]]を参照) === Cerasiforme group === 榎実群、またはチェリー群とも。 [[File:Capsicum annuum Twilight.jpg|thumb|ニューメックス・トワイライト(観賞用トウガラシの1種、学名: ''Capsicum annuum'' L. var. ''acuminatum'')]] [[File:Capsicum annuum1.jpg|thumb|五色トウガラシ]] * チェリー・ペッパー([[ホシトウガラシ]]、''C. a.'' Cerasiforme group)- 観賞用や香辛料のトウガラシで、実は小型でほぼ球形。 * [[ゴシキトウガラシ]](五色唐辛子、''C. a.'' var. ''abbreviatum'')- 観賞用トウガラシのハナトウガラシの中で古くから栽培されている品種。''Capsicum annuum'' 系統の五色群 (Celestial group) の品種に分類されている。 === Conoides group === Chili groupの中の1群で、鷹の爪群、またはコーン群とも。学名は ''Capsicum annuum'' L. Conoides group。世界的に利用されるトウガラシの栽培種。日本の「鷹の爪」「本鷹」「ダルマ」や、メキシコのチリ(chilies)やアメリカのタバスコ(tabasco)など。 * [[タカノツメ]](鷹の爪、''C. a.'' var. ''conoides'') - [[タキイ種苗]]が育成した日本を代表する品種。小さな果実が房状にたくさんできる。乾燥させて香辛料にする{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。スコヴィル値は4万 - 5万SHU。 * チリペッパー - メキシコのチリ(chilies)やアメリカのタバスコ(tabasco)など。'Aci Sivri'、'Bolivian Rainbow'、'Goat Horn'、'Kung Pao'、'Pequin'、'Poblano' (aka Ancho)、'Thai Small' など。 === Fasciculatum group === Chili groupの中の1群で、八房群ともいう。 * [[ヤツブサ]](八房、''C. a.'' ver. ''fasciculatum'') - 早生品種で、赤い実が上向きにたくさん集まってつくのが特徴で、名前の由来になっている。「愛知三鷹」「静岡三鷹」「細八房」「静岡鷹の爪」「栃木三鷹」「八房」「磐田八房」「仰天」「立八房」「長八房」「姫とうがらし」「光輝(こうき)」などの品種がある。 * [[栃木三鷹]](とちぎさんたか) === Longum group (Cayenne group) === 伏見群、またはパプリカ群。別名ロングペッパー(Long pepper)。 [[File:Immature jalapeno capsicum annuum var annuum.jpeg|thumb|ハラペーニョ]] * フシミ(伏見、''C. a.'' var. ''longum'') - 果実が細長く、別名ロングペッパー(long pepper)とも。実は長く、長さ30&nbsp;cmほどになるものもある。「あじめコショウ」「剣崎なんば」「三宝甘長トウガラシ」「清水森ナンバ」「日光」「[[ひもとうがらし]]」「伏見辛」「伏見甘」「伏見甘長」「魔女の杖」「水引とうがらし」など。 * [[カイエンペッパー]](Cayenne pepper、ソラミトウガラシ、''C. a.'' L. Acuminatum group) - 実は下向きに垂れ下がってつき、果長は10 - 25&nbsp;cm。辛みが強いのが特徴。Cayenne groupを分けることもある。'Carolina Cayenne Pepper'、'Cayenne'、'Cayenne Carolina'、'Cayenne Iberian'、'Cayenne Indonesian'、'Cayenne Large Red Thick'、'Cayenne Passion'など。 * [[ハラペーニョ]](Jalapeno Pepper) - メキシコの品種で「メキシコ唐がらし」とも呼ばれる{{sfn|講談社編|2013|p=87}}。実は7 - 9 cmの楕円形をしていて肉厚で、非常に辛く(30,000 - 50,000[[スコヴィル単位]])、[[ピクルス]]などにして使われる {{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=77}}。        * [[ニューメキシコチリ]](New Mexico chile) - 米国[[ニューメキシコ州]]を代表する青唐辛子。チリペッパーの1種。 * [[チリセラーノ]](Chile serrano、''C. a.'' 'Serrano Sinahusia' ) - メキシコ産の赤トウガラシで、未熟な緑果も利用される。メキシコ料理によく使われる。 * [[トリニダード・モルガ・スコーピオン]]('Trinidad Scorpion Moruga') - ホットチリペッパーの1品種。スコヴィル値は139 - 80万SHU。 * [[チルテピン]](チテピン、Chiltepin、''C. a.'' var. ''glabrisuculum'') - 野生もある多年生の低木で、高さ1 - 3&nbsp;m。[[メキシコ]]のソノラ州やアリゾナ州南部の砂漠の山岳地帯に分布し、9月から1月まで栽培<ref name=":0">{{Cite book|和書 |title=トウガラシの歴史 |date=2017年8月22日 |publisher=株式会社原書房 |page= |pages=24, 38, 66}}</ref>。Capsicum annuum種で最も古い品種と考えられている。野生種は[[ハバネロ]]よりも辛みが強く、スコヴィル値は5万 - 10万SHU。 === Grossum group === 大果群または青果群。別名、ベルペッパー(bell pepper)、またはスイートペッパー(sweet peppers)とも。[[ピーマン]](ベル形の中・大果)もこのグループに含まれる。 [[File:Red capsicum and cross section.jpg|thumb|赤ピーマン(パプリカ)]] [[File:Poblano Pepper.jpg|thumb|ポブラノ]] * [[シシトウガラシ]](獅子唐辛子) - 辛味が少なく、わずかな[[苦味]]と特有の香りがあるが、中には辛いものもある。先の形が[[ライオン|獅子]]の鼻に似ていることから{{sfn|主婦の友社編|2011|p=257}}。 * [[ベルペッパー]](Bell pepper) - [[アメリカ合衆国]]産ピーマン、{{lang|en|[[:en:Bell pepper|Bell pepper]])}}、{{sname|cv. ''angulosum''}} あるいは、{{sname|c Cv. ''gulosum''}} とする説もある。 ** [[ピーマン]] - 果実が緑色の未熟果を利用する。辛みは全くない。 ** [[パプリカ]] - 大果で肉厚、色は鮮やかな赤色や黄色、オレンジ色などがある。 * [[ピメント]](Pimento pepper、Sweet Salad group) - 大きくて赤いハート形のトウガラシの種類。果肉は甘くて水気が多く、他のトウガラシよりも香りが強い。辛味種のスコヴィル値は100 - 500SHU。「パーフェクション」「スイートミートグローリー」など。 * [[キューバネル]](Cubanelle Pepper, Frying Pepper) - 小型のベル形甘味種。果実は薄緑黄色、しわのある長い円錐形。キューバ、プエルトリコ、ドミニカなどで利用が多い。 * [[スカッシュ]](Squash pepper) - 扁平な果実で、アメリカに多い種類。「サンニー」「ブラック」など。 * [[ホットベル]](Hot Bell Peppers) - マイルドな辛みを持つトウガラシの一種。'Mexibell' など。 * [[ポブラノ]](Poblano Pepper、''C. a.'' var. ''annuum'' 'Poblano') - メキシコの[[プエブラ州]]が原産のマイルドでスパイシーなトウガラシ。スコヴィル値は1,000 - 1,500SHU。 <!--分類不明-- * 朝鮮なんばん - 韓国の品種。実は9 - 10 cmと小型で、未熟のうちから辛味が強い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=77}}。 * ゴールドチリ - コロンビア原産種。実は熟すと黄色くなり、非常に辛い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=77}}。 * ベルビセン - イタリア原産種。実は最初は白く、赤、オレンジ、黄色など様々な色に熟す。 * チューペリオ - ブラジル原産種。中辛種。実は先端が尖り、中央が膨らむ独特の形状が特徴{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=77}}。 * インディアンペッパー - メキシコ原産品種 --> === 日本特産種 === 辛味の強い品種に『鷹の爪』、辛みの薄い品種に『八房トウガラシ<ref>{{Cite web |title=内藤トウガラシ {{!}} 江戸東京野菜について |url=https://www.tokyo-ja.or.jp/farm/edo/21.php |website=東京の農業 {{!}} JA東京中央会 |access-date=2023-10-28 |language=ja}}</ref>』や『伏見とうがらし<ref>{{Cite web |title=伏見とうがらし | 【公式】JA京都 暮らしのなかにJAを |url=https://jakyoto.com/product/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%8C%E3%82%89%E3%81%97/ |website=JA京都 – 暮らしのなかにJAを |access-date=2023-10-28 |language=ja}}</ref>』などがある。辛味がほとんどない種の代表がシシトウと通称されるシシトウガラシで、[[京野菜]]の伏見とうがらし、万願寺とうがらしなどが有名である{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。 * [[万願寺とうがらし]] *: [[京都府]][[舞鶴市]]の特産種で、京野菜の一つ。果実は全長10 cm以上になる大型で、果肉に厚みがあり、甘味がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=257}}。伏見甘長とうがらしとカリフォルニアワンダー{{efn|ピーマンの栽培品種の一つで、肉厚で短い円筒型が特徴{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=48}}。}}との交配種{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=76}}。 * [[伏見とうがらし]](伏見甘長とうがらし) *: [[京都市]][[伏見区|伏見地区]]の特産で、京野菜の一つ。果実は細くて全長15 cmと細長く、軟らかくて辛味がない{{sfn|主婦の友社編|2011|p=257}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=76}}。葉は葉唐辛子として[[佃煮]]などにして食べられる{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=48}}。 * 甘とう美人 - 果実の長さ15 cmで、やさしい辛味で軟らかい品種{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=76}}。草勢があり分枝の発生が多く、多収穫できる[[F1品種]]で、辛味果の発生は比較的少ない{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=50}}。 * 田中とうがらし(田中ししとう) - 甘味種で濃い緑色が特徴。明治初期から[[京都府]][[愛宕郡]][[田中村 (京都府)|田中村]](現:京都市[[左京区]]田中)でつくられていたというシシトウガラシの一種{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=76}}。 * かぐらなんばん - 辛味種で、[[新潟県]][[長岡市]]の伝統野菜。15世紀に入ってきた南蛮の原種に近いといわれ、形がピーマンに似ている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=77}}。果しんとわたが辛く、外皮は甘い{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。 * 大和とうがらし - 甘味種で、[[奈良県]](旧[[大和国]])南部の伝統野菜。「紫とうがらし」ともいわれ、加熱すると紫色が淡黄緑色に変化する{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=77}}。多収穫できる固定品種で、実の長さは5 cmで肉厚{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=50}}。 * 篠しし唐がらし - シシトウの一種で、実は長さ14 cmほどで、黒に近い緑色で、肉厚でしっかりしている{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。 * ひもとうがらし - 鉛筆ほどの細さと長さを持つ甘味種。実は濃緑色で、皮が軟らかく、甘味が強い{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=50}}。 * 土佐ししとう - [[高知県]](旧[[土佐国]])南部の海岸地域の農家で栽培されきたシシトウガラシの伝統品種。実は全体に細長く、果頂部は獅子頭状ではなくスマートな形をしている{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=50}}。 * あじめコショウ - [[岐阜県]][[中津川市]][[福岡町 (岐阜県)|福岡]]地区の伝統野菜。細長い見かけが、地元の川に生息する魚類[[アジメドジョウ]]に似ていることから、こう呼ばれる。辛味が強く、[[味噌]]や[[砂糖]]、[[みりん]]、[[シソ|青じそ]]とともに炒めて辛味噌をつくる<ref>ご飯の“お友”(中)独特の辛み 病みつきに『[[日本農業新聞]]』2021年9月20日7面</ref>。 * 牛角大王 - [[トキタ種苗]]の品種。ピーマンのような食感で、綿の部分に辛みがあり、スパイシーな味わいがある{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。 == 栽培 == 露地栽培では、ふつう春に種をまき、夏から秋にかけて果実を収穫する{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。高温性があり、栽培適温は25 - 30[[セルシウス度|度]]、夜間は15度以上、地温は25度前後とされる{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。生育後期は低温に対して強さがあり、晩秋ごろまで生育する{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。過湿には弱く、根はピーマンよりも繊細であることから、排水性がよい土壌での栽培に適している{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。一般には、完熟した果実を収穫して、雨の当たらない風通しのよいところに吊して乾燥させてから利用する{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。未熟果は青トウガラシとして爽やかな辛みを楽しむことができる{{sfn|板木利隆|2020|p=34}}。 苗作りは育苗箱に1&nbsp;cm間隔で種をまき、日中20 - 30度、夜間は15度以上に保温養生して発芽させ、本葉が1枚出たころに育苗ポットに移植して、本葉8 - 9枚ぐらいになるまで育苗する{{sfn|板木利隆|2020|p=35}}。畑は元肥に堆肥などを十分にすき込んで[[畝]]をつくり、地温を上げるために黒色ポリフィルムなどで[[マルチング]]をして、初期育成の促進に役立てる{{sfn|板木利隆|2020|p=35}}。苗の植え付けは、畝のマルチに穴を開けて45&nbsp;cm前後の間隔で行い、早めに支柱を立てて倒伏防止をはかる{{sfn|板木利隆|2020|p=35}}。定植後の半月後に最初の追肥を行い、以後は15 - 20日ごとに畝の周囲の土に肥料を混ぜ込んで[[土寄せ]]を行う{{sfn|板木利隆|2020|p=35}}。植え付けから45日後くらいに収穫期が始まり、葉トウガラシにするときは果実が4 - 5&nbso;cmくらいになったころに株ごと引き抜いて、葉もむしり取って利用する{{sfn|板木利隆|2020|p=35}}。成熟果は、開花後50 - 60日後がたつと実が赤く熟する。株ごと引き抜いて収穫し、軒下などに吊して乾果にしたら随時利用できる{{sfn|板木利隆|2020|p=35}}。 == 用途 == === 食用 === {{See also|唐辛子}} 食用にするのは主に果実で、世界中で[[香辛料]]として使われていて{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=50}}、日本人にも深くなじみがある<ref name="武田薬品"/>。辛味があり香辛料として使用される辛味種と、辛味がないかほとんどない代わりに[[糖度]]が高く、主に野菜として食される[[甘唐辛子]](甘味種)がある。熟して赤い辛味唐辛子のこと'''赤唐辛子'''といって、別名「[[鷹の爪]]」と呼ばれる、乾燥されたものを使うのが一般的である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}。また、未熟果で緑色をしている辛味唐辛子は'''青唐辛子'''といって、タイなどのアジア諸国でよく使われる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}。甘味種は、品種や栽培環境によって果実に辛味が出る場合がある{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。辛味種は、赤唐辛子は刺激的な辛味を持ち、特に種子に強い辛味があり、青唐辛子のなかにはシシトウガラシのような味わいを持つものもある{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。伏見辛の葉のように、葉の部分を食用にできる品種もあり、特有の芳香と苦味、ピリッとした辛さが好まれ、佃煮やしそ巻きになどに使われる{{sfn|講談社編|2013|p=87}}。 食材としての[[旬]]は夏(7 - 9月)で、赤唐辛子は鮮やかな赤色で、皮につやと張りがあるもの{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}。青唐辛子は、形が揃って緑色が濃いものが良品とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}。 * 香辛料 - [[鷹の爪]]、[[本鷹]]、[[三鷹]]、[[八房]]、[[ハラペーニョ]]、[[スーパーチリ]]、[[カイエンペッパー]]、[[エスプレット (トウガラシ)|エスプレット]]、{{仮リンク|スコッチボンネットペッパー|en|Scotch bonnet}}など * 野菜 - [[ピーマン]]、[[パプリカ]]、[[シシトウガラシ|ししとう]]、[[ひもとうがらし]]、[[弘前在来トウガラシ]]、[[伏見唐辛子]]、[[万願寺とうがらし]]、[[ピメント]]など 辛味種は、赤唐辛子でも青唐辛子でも様々な[[調味料]]が作られていて{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=60}}、料理に刺激的なメリハリをつける香辛料として、炒め物、パスタ料理、漬物など、幅広く使用される{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}。また甘味種は、煮物、揚げ物などにして、そのものの味を楽しむ料理に使われる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}。唐辛子を揚げ物に使うときは、実の中の空気が膨張して破裂してしまうので、実は切って使うか、あらかじめ穴をあけておく{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。葉を使うときは[[灰汁]](アク)が少ないため、下茹でする必要はない{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。 日本ではあまり栽培されないが、パプリカには多少辛い品種もある。乾燥させて粉末とし香辛料または天然着色料としても使われる。 === 薬用 === 果実は香辛料として有名だが、食欲増進、消化促進、健胃、唾液分泌促進作用、皮膚刺激作用があり、薬用として使われることがある<ref name="熊本大"/><ref name="武田薬品"/>。秋に果実が赤熟したものを採集して、陰干ししたものを'''蕃椒'''(ばんしょう)か'''辣椒'''(らっしょう)、または'''唐辛子'''と称している{{sfn|田中孝治|1995|p=195}}。一般用漢方製剤には配合されていないが、主に辛味性健胃薬や筋肉痛、しもやけなどの局所刺激薬として用いられている<ref name="武田薬品"/>{{sfn|田中孝治|1995|p=195}}。[[日本薬局方]]では、アルコールなどを加えて[[チンキ]]にした、トウガラシチンキの製薬原料としている<ref name="日本粉末薬品"/>{{sfn|田中孝治|1995|p=195}}。[[腰痛]]、[[筋肉痛]]、[[肩こり]]、[[リュウマチ]]、[[関節痛]]、[[神経痛]]にトウガラシチンキを塗る<ref name="熊本大"/>。[[エキス]]にして温[[湿布]]剤に配合したり、[[筋肉痛]]、[[凍傷]]、[[脱毛の治療|養毛]]に使われたりする。 [[民間療法]]では、食欲がないときや消化がよくないとき、胃腸が冷えているときの腹痛・下痢などに、細かく刻んだ唐辛子を薬味(香辛料)として用いる{{sfn|田中孝治|1995|p=195}}。足の[[しもやけ]]予防に、靴の中のつま先部分に、[[ガーゼ]]などに唐辛子1 - 2個を包んで入れておく{{sfn|田中孝治|1995|p=195}}。神経痛、しもやけの外用薬でトウガラシチンキを作るときは、唐辛子を刻み、約3倍量の35度の[[ホワイトリカー]]に約1か月漬けて、患部に塗る{{sfn|貝津好孝|1995|p=49}}。ただし、トウガラシチンキは温める効果が強いため、患部が冷えていることを確認してから塗るなど用法には注意を要する{{sfn|貝津好孝|1995|p=49}}。 === 防虫・抗菌効果 === トウガラシには[[防虫]]効果がある事が古くから知られており、書物の保存、[[ひな人形]]、[[五月人形]]などの物品保存などにも使用されてきた。[[箪笥]]などの衣装箱に入れておけば、防虫剤になる{{sfn|田中孝治|1995|p=195}}。また[[米]]の保存など食品保存に用いられていた事もある。かつては、倉庫などで唐辛子の粉を火にくべて、[[ネズミ]]駆除にも用いられていた{{sfn|田中孝治|1995|p=195}}。トウガラシを[[焼酎]]に漬け込んで[[害虫]]忌避効果がある自然農薬を作る菜園家もいる{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=55}}。トウガラシを[[アブラナ科]]、[[ネギ科]]、[[キク科]]の野菜畑のあちこちに植えておいて、害虫よけにする利用法もある{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=55}}。 [[アルコール]]抽出した成分には種の[[細菌]]の増殖を抑制する抗菌効果が有るとする報告がある<ref>[http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/handle/123456789/1330 東盛キヨ子、大城ちか子「沖縄産香辛野菜の腐敗細菌に対する抗菌作用」]『[[琉球大学]]教育学部紀要』no.56 pp.279 -286,{{hdl|123456789/1330}}</ref>が、乾燥加工した物品では保存中や流通加工工程中で増殖する[[カビ]]<ref>[https://doi.org/10.3358/shokueishi.12.516 堀江義一、山崎幹夫、宮木高明、宇田川俊一「香辛料を汚染するカビについて」]『食品衛生学雑誌』1971年 12巻 6号 pp.516-519, {{DOI|10.3358/shokueishi.12.516}}</ref>によって、[[カビ毒]]に汚染される可能性が指摘されている<ref>[http://mycotoxin.or.jp/wp-content/themes/mycotoxin/pdf/kabirenraku2012.pdf 大図祐二「輸入香辛料のカビ毒汚染について」](財)マイコトキシン検査協会 カビ毒研究連絡会 ミニシンポジウム 2012</ref><ref>[https://doi.org/10.11402/cookeryscience.42.349 一戸正勝「食品の一次加工,調理によるカビ毒の消長と輸入食品のカビ毒産生菌」]『日本調理科学会誌』Vol.42 (2009年) No.5 p.349-354, {{DOI|10.11402/cookeryscience.42.349}}</ref>。 === 葉物野菜 === 花をつけた頃から実が未熟な頃にかけて茎ごと収穫し、[[葉菜類|葉物野菜]]の[[葉唐辛子]]として利用される。 == 栄養素と辛味成分 == {{栄養価 | name=トウガラシ(hot chile, sun-dried)| water =7.15 g| kcal =324| protein =10.58 g| fat =5.81 g| carbs =69.86 g| fiber =28.7 g| sugars =41.06 g| calcium_mg =45| iron_mg =6.04| magnesium_mg =88| phosphorus_mg =159| potassium_mg =1870| sodium_mg =91| zinc_mg =1.02| vitC_mg =31.4| thiamin_mg =0.081| riboflavin_mg =1.205| niacin_mg =8.669| vitB6_mg=0.81| vitB12_ug =0| vitE_mg =3.14| vitD_iu =0| vitK_ug =108.2| satfat =0.813 g| monofat =0.468 g| polyfat =3.079 g| right=1 | source_usda=1 }} トウガラシの果実は全体の約75%が水分で構成されており、栄養素は比率の多い順で可食部100[[グラム]] (g) あたり[[炭水化物]]16.3 gが最も多く、[[たんぱく質]]3.9 g、脂質3.4 g、灰分1.4 gと続く{{sfn|講談社編|2013|p=87}}。果皮には辛味成分の[[カプサイシン]]や[[デヒドロカプサイシン]]、赤色素の[[カプサンチン]]、黄色素の[[β-カロテン]]のほか、[[ルチン]]、[[ビタミンB1]]・[[ビタミンB2|B2]]・[[ビタミンC|C]]などを含んでいる{{sfn|田中孝治|1995|p=194}}。そのほかには、[[アデニン]]、[[ベタイン]]、[[コリン]]、[[ジヒドロカプサイシン]]、[[ホモカプサイシン]]、[[クリプトキサンチン]]、[[ルテイン]]、[[クリプトカプシン]]などが含まれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lab.toho-u.ac.jp/phar/yakusou/togarashi.html|title=トウガラシ|publisher=東邦大学 薬学部付属薬用植物園|accessdate=2023-08-13}}</ref>。 カプサイシンは非[[相転移#物理学的性質|揮発性]]で、皮膚や粘膜につくと[[炎症]]などを起こす、作用の激しい成分である{{sfn|田中孝治|1995|p=195}}。ただし、注目に値する様々な機能性をもっていることがわかっており、血管を広げて血行をよくして身体を温める作用や、唾液分泌量を増やして食欲を増進させて消化吸収を助ける作用があり、さらに中枢神経を刺激して副腎ホルモンのひとつ[[アドレナリン]]の分泌量を増やして代謝を活発にする働きもあるとされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}{{sfn|講談社編|2013|p=87}}。調理にトウガラシを使うと、ヒトが味の塩気の物足りなさを感じにくくなり、食塩の使用量を減らせる効果を得られることについては、カプサイシンそのものが食塩要求量を減らすという研究報告もある{{sfn|講談社編|2013|p=87}}。このカプサイシンの割合を示す値は'''[[スコヴィル値]]'''と呼ばれ、カプサイシンの含有量と割合の高低を測定する上でその[[単位]]は無くてはならないものとなっている。 トウガラシには[[β-カロテン]]が豊富で、生にはビタミンCも豊富に含まれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=256}}。他の野菜に比べてビタミン・ミネラル類を含む割合は圧倒的に多いが、使われ方から実際に口に含む量はごく少量であるから、栄養源としては期待できない{{sfn|講談社編|2013|p=87}}。 トウガラシの一種、シシトウガラシの栄養成分はピーマンとほぼ同じで、カロテンやビタミンCが豊富に含まれる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=76}}。トウガラシの葉や葉柄の部分を食用する葉唐辛子は、[[緑黄色野菜]]であり、カロテンやビタミンCを多量に含む{{sfn|講談社編|2013|p=87}}。 == 生産と消費 == [[国連食糧農業機関]](FAO)の2018年時点データによると、国別生産量は[[インド]](180万[[トン]])が世界シェア40%で首位を占める。[[中華人民共和国]](32万トン)は2位だが、経済発展で増える需要を国産だけでは賄い切れず、インドから輸入している。一方で、日本の自給率も10%未満で、年間輸入量(1万2000トン~1万5000トン程度)の約9割が中国産である。[[火鍋]]の流入などで、日本も消費量が拡大傾向にある<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56366650U0A300C2QM8000/ 「唐辛子、10年で7割高/中国産 中国・日本で需要拡大」]『[[日本経済新聞]]』朝刊2020年3月6日(マーケット商品面)2020年3月7日閲覧</ref>。 日本の主産地は、[[栃木県]]、[[徳島県]]、[[千葉県]]、[[岐阜県]]などで、シシトウガラシの場合では、高知県、千葉県、[[和歌山県]]、岐阜県などがある{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。海外から日本へは、主に[[中国]]、[[タイ王国|タイ]]などの産地から輸入されている{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。 == 近縁種 == {{Main|トウガラシ属}} トウガラシが属するトウガラシ属は温帯から[[亜熱帯]]にかけて分布している。これらのうち、[[標準和名]]では {{snamei|C. annuum}} 1種をトウガラシと呼ぶ。 * {{snamei|C. annuum}} (トウガラシ) * {{snamei|C. baccatum}} ([[アヒ・アマリージョ]]/カプシクム・バッカータム) - [[アヒ・リモン]]など。 * {{snamei|C. chinense}} ([[カプシクム・キネンセ]]) - [[ハバネロ]]など。 * {{snamei|C. frutescens}} ([[キダチトウガラシ]]) - [[島唐辛子]](沖縄島とうがらし)、[[プリッキーヌー]]など。 * {{snamei|C. pubescens}} ([[ロコト]]) * {{snamei|C. chacoense}} ([[チャコエンセ]]) * {{snamei|C.chinense}} × {{Snamei|C.frutescense}} ’Bhut-jolokia’([[ブート・ジョロキア]]) 日本で栽培されているのは主にトウガラシだが、[[沖縄県|沖縄]]ではキダチトウガラシの品種の島唐辛子が栽培されている。 トウガラシ、キダチトウガラシ、カプシクム・キネンセの3種は花の形態などが酷似しており、交配すると[[雑種]]ができるが、雑種が形成する花粉の数割は生殖能力を持たないため、この3種の間には不完全な[[生殖的隔離]]が見られる<ref>Pickersgill, B. 1988. The genus ''Capsicum'' - a multidisciplinary approach to the taxonomy of cultivated and wild plants. ''Biologisches Zentralblatt'' 107 (4): 381-389.</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author =板木利隆|title = 決定版 野菜づくり大百科|date=2020-03-16|publisher = [[家の光協会]]|isbn=978-4-259-56650-0|pages =34 - 35|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages =76 - 77|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =貝津好孝|title = 日本の薬草|date=1995-07-20|publisher = [[小学館]]|series = 小学館のフィールド・ガイドシリーズ|isbn=4-09-208016-6|page =49|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =学研・たまねぎ舎編|title = 何つくる? 迷ったらこの1冊! こだわり野菜づくり 品種ガイドブック 夏野菜編133品種|date=2015-03-28|publisher = [[学研パブリッシング]]|isbn=978-4-05-610788-3|series=野菜だより特別編集|pages =45 - 60|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =講談社編|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|page =86|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =256 - 257|ref=harv}} * {{Cite |和書 |author=田中孝治 |title=効きめと使い方がひと目でわかる 薬草健康法 |date=1995-2-15 |publisher=[[講談社]] |series=ベストライフ |isbn=4-06-195372-9 |pages=194 - 195 |ref=harv }} {{参照方法|date=2020年7月|section=1}} * アマール・ナージ『トウガラシの文化誌』訳者:林真理、奥田裕子、山本紀夫、[[晶文社]]。ISBN 4-7949-6331-9。 * [[加藤千洋]]『辣(ラー)の道:トウガラシ2500キロの旅』[[平凡社]]、2014年。ISBN 978-4582836431。 == 関連項目 == {{Commons|Capsicum annuum|トウガラシ}} {{Wikispecies|Capsicum annuum}} * [[渡辺達夫]] * [[ひもとうがらし]] * [[トウガラシチンキ]] == 外部リンク == * {{Hfnet|507|トウガラシ}} * [http://karamatsu.shinshu-u.ac.jp/lab/plantbreeding/zukantougarasi.html 信州大学 農学部 植物遺伝育種学研究室 育種研植物図鑑] * [http://www.fatalii.net/ Fatalii - Chilehead from Finland, great pictures.] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:とうからし}} [[Category:トウガラシ属]] [[Category:香辛料]] [[Category:果菜]] [[Category:生薬]] [[Category:薬用植物]] [[Category:1753年に記載された植物]] [[Category:カール・リンネによって名付けられた分類群]]
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5,533
数学者
数学者(すうがくしゃ、英: mathematician)とは、数学に属する分野の事柄を第一に、調査および研究する者を指していう呼称である。 数学者が扱うものは、論理、数、空間と変換といったものに関する問題や概念、あるいはそのようなものを扱うためのさらに一般かつ抽象的な概念や操作およびそれらに関する問題などである。 また、理論物理学者エドワード・ウィッテンのように、数学との学際領域での研究を行う一部の科学者が、その数学的成果を以って数学者としても扱われる場合がある。
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数学者とは、数学に属する分野の事柄を第一に、調査および研究する者を指していう呼称である。
{{独自研究|date=2008年2月}} '''数学者'''(すうがくしゃ、{{lang-en-short|mathematician}})とは、[[数学]]に属する[[wikt:分野|分野]]の事柄を第一に、[[調査]]および[[研究]]する者を指していう呼称である<ref group="注">[[国際数学連合]]は出版している人名簿への載録許可基準として基本的に[[Mathematical Reviews]]/{{仮リンク|Referativnyi Zhurnal|en|Referativnyi Zhurnal}}/[[zbMATH|Zentralblatt]]のいずれかで批評されている論文が5年以内に2本以上あることとしている {{harv|IMU|2002}}。</ref>。 == 概念 == 数学者が扱うものは、[[論理]]、[[数]]、[[空間]]と[[変換 (数学)|変換]]といったものに関する[[問題]]や[[概念]]、あるいはそのようなものを扱うためのさらに一般かつ抽象的な概念や操作およびそれらに関する問題などである。 また、理論物理学者[[エドワード・ウィッテン]]のように、数学との学際領域での研究を行う一部の[[科学者]]が、その数学的成果を以って数学者としても扱われる場合がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} == 参考文献 == * {{cite book |author = International Mathematical Union |authorlink = 国際数学連合 |year = 2002 |title = World Directory of Mathematicians 2002 |edition = 12th |publisher = [[国際数学連合|International Mathematical Union]] |isbn = 978-9992067031 |ref = {{sfnref|IMU|2002}} }} == 関連項目 == {{Commonscat|Mathematicians}} {{Wikiquotelang|en|Mathematicians}} {{columns-list|colwidth=10em| * [[数学]] * [[数学者の一覧]] * [[アマチュア数学者のリスト]]([[:en:List_of_amateur_mathematicians|List of amateur mathematicians]]) * [[物理学者]] * [[天文学者]] * [[水理学者]] * [[論理学者]] * [[科学者]] * [[哲学者]] * [[フィールズ賞]] * [[アーベル賞]] }} == 外部リンク == * [http://www.com.mie-u.ac.jp/~kanie/tosm/humanind/jinmei.htm Human Indexes of my Books on Mathematics].(人名索引) * [http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/history/index0.html The MacTutor History of Mathematics archive]. 詳しい伝記の素晴らしいリスト(英語サイト) * [http://genealogy.math.ndsu.nodak.edu/ The Mathematics Genealogy Project]. 数学者たちの師弟関係などを調べることの出来るページ(英語版) * [http://owpdb.mfo.de/ The Oberwolfach Photo Collection]. 世界の数学者の写真(英語版) * [http://mathworld.wolfram.com/UnsolvedProblems.html Unsolved Problems]. 有名な16の数学上の未解決問題のリスト(英語版) {{数学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すうかくしや}} [[Category:数学者|*]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:科学関連の職業]]
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1493年
1493年(1493 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1493年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1493}} {{year-definition|1493}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[明応]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2153年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[弘治 (明)|弘治]]6年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[成宗 (朝鮮王)|成宗]]24年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3826年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[洪徳 (黎朝)|洪徳]]24年 * [[仏滅紀元]] : 2035年 - 2036年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 898年 - 899年 * [[ユダヤ暦]] : 5253年 - 5254年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1493|Type=J|表題=可視}} == できごと == *(明応2年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]]) - [[明応の政変]]、[[管領]][[細川政元]]が[[クーデター]]を起こして[[征夷大将軍|将軍]][[足利義稙]]を追放。清晃([[足利義澄]])を擁立する * [[今川氏]]家臣伊勢宗瑞([[北条早雲]])の[[伊豆国]]侵攻。 * ハルトマン・シェーデルのニュルンベルク年代記が発刊 == 誕生 == {{see also|Category:1493年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月25日]] - [[マッシミリアーノ・スフォルツァ]]、[[ミラノ公国|ミラノ公]](+ [[1530年]]) * [[5月13日]] - [[マルティン・デ・アスピルクエタ]]、[[スペイン]]の[[ルネサンス]]期の[[神学者]]、[[哲学者]]、[[法学者]](+ [[1586年]]) * [[9月29日]] - [[李光軾]]、[[李氏朝鮮]]の武官(+ [[1563年]]) * [[11月11日]] - [[ベルナルド・タッソ]]、[[イタリア]]の[[詩人]]、宮廷人(+ [[1569年]]) * [[11月13日]] - [[ヴィルヘルム4世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム4世]]、[[バイエルン大公|バイエルン公]](+ [[1550年]]) * [[12月25日]] - [[アントワネット・ド・ブルボン=ヴァンドーム]]、[[ギーズ公]][[クロード (ギーズ公)|クロード]]の妻(+ [[1583年]]) * [[12月30日]](明応2年[[11月22日 (旧暦)|11月22日]]) - [[朝倉孝景 (10代当主)|朝倉孝景]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[戦国大名]]、[[朝倉氏]]の第10代当主(+ [[1548年]]) * [[赤穴光清]]、戦国時代の[[武将]](+ [[1542年]]) * [[阿蘇惟豊]]、戦国時代の戦国大名、[[阿蘇氏]]の18代当主(+ [[1559年]]) * [[色部勝長]]、戦国時代の武将(+ [[1569年]]) * [[木曾義在]]、戦国時代の戦国大名(+ [[1558年]]) * [[南部安信]]、戦国時代の戦国大名、[[南部氏]]の第23代当主(+ [[1541年]]) * [[北条幻庵]]、戦国時代の武将(+ [[1589年]]) * [[水野忠政]]、戦国時代の戦国大名(+ [[1543年]]) * [[簗田高助]]、戦国時代の武将(+ [[1550年]]) * [[山本勘助]]、戦国時代の武将(+ [[1561年]]) * [[亘理宗隆]]、戦国時代の武将(+ [[1556年]]) == 死去 == {{see also|Category:1493年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月9日]](明応2年[[閏]][[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - [[畠山政長]]、[[室町時代]]、戦国時代の[[室町幕府]][[管領]]、[[守護大名]]、戦国大名(* [[1442年]]) * [[8月19日]] - [[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Frederick-III-Holy-Roman-emperor Frederick III Holy Roman emperor] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1415年]]) * [[12月7日]](明応2年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]) - [[菊池重朝]]、室町時代、戦国時代の戦国大名、[[菊池氏]]の第21代当主(* [[1449年]]) * [[12月25日]](明応2年[[11月17日 (旧暦)|11月17日]]) - [[横川景三]]、室町時代、戦国時代の[[臨済宗]]の僧(* [[1429年]]) * [[12月26日]](明応2年[[11月18日 (旧暦)|11月18日]]) - [[上原元秀]]、[[室町時代]]、戦国時代の武将、[[守護代]](* 生年未詳) * [[大友親繁]]、室町時代、戦国時代の守護大名、戦国大名、[[大友氏]]の第15代当主(* [[1411年]]) * [[小笠原政秀]]、室町時代、戦国時代の[[守護]]、戦国大名(* 生年未詳) * [[正広]]、室町時代、戦国時代の僧、[[歌人]](* [[1412年]]) * [[千葉自胤]]、室町時代、戦国時代の武将(* [[1446年]]) * [[トゥパック・インカ・ユパンキ]]、[[インカ帝国]]の第10代[[サパ・インカ]](* 生年未詳) * [[波多野全慶]]、室町時代、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[マルティン・アロンソ・ピンソン]]、スペインの航海者、[[探検家]](* [[1441年]]頃) * [[結城直朝 (白河氏)|結城直朝]]、室町時代、戦国時代の武将、[[白河結城氏]]の第7代当主(* 1410年頃) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1493}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1493ねん}} [[Category:1493年|*]]
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戦後
戦後(、英: Post-war、仏: après-guerre)または戦後期(せんごき)は、戦争の終結後の短期または長期的な期間を指す言葉・概念。用語としての戦後は、通常、1945年に終わった第二次世界大戦後の期間を指す。同じ当事者間の戦争が再開された場合、戦後期は、のちに戦間期になることがある。 たとえば、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の期間である。 大きな戦争を一つの時代の区切りとして、戦前・戦中・戦後という区分をする。 「戦後」という用語は、異なる地域や国によって異なる意味を持ち、各地での戦争の影響や戦後処理によっても期間が異なってくる。ここでは、戦後の主要な出来事を簡単に示す。 21世紀の2023年(令和5年)現在の日本において、戦後とは、直近の戦争で20世紀の1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結(終戦)後を指す。日本人にとって精神的に大きな影響を与えた1945年(昭和20年)8月15日(終戦の日)以降を戦後の始まりとし、「戦前・戦中」「戦後」として区分し、認識されている場合が多い。この1945年(昭和20年)を「戦後0年」として、その後の年は「戦後n年」と表現される。2023年は「戦後78年」に当たる。「近代」の終わりと規定する考察もある。 日本においては戦後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)により様々な戦後改革が実施されたこと、連合国軍占領期以降イギリスやアメリカ合衆国、フランスなどからの文化が戦前より広範にもたらされたこと、新技術が開発されたこと、高度経済成長を遂げたことなどにより、戦前・戦中に比べて社会システムが急速に大きく変化したため、他の国よりも「戦後」という言葉のもつ意味合いは大きい。日本は第二次世界大戦以後、大規模な国際紛争・戦争に巻き込まれていないため、「戦後」=「第二次世界大戦後から現在」というイメージが固定されている。 ただし、その時期については明確な定義はなく、戦中の始まりを満州事変とするか、盧溝橋事件とするか、真珠湾攻撃とするかなど人によって差異がある。日本が再び国際社会の一員となり、「もはや戦後ではない」 といわれた1956年(昭和31年)までの激動の期間と定義する意見もある。 太平洋戦争(大東亜戦争)終結を具体的にいつとみなすかは種々の意見があるため、“戦後”の始まりについても同様に種々の意見がある。 “戦後”という用語・概念は、日本人・日本にとって大きな変革を及ぼした。第二次世界大戦の経験を踏まえ、国民主権と戦争放棄・恒久平和主義を謳う日本国憲法を新たに制定した日本はアメリカ合衆国と軍事同盟を締結し西側陣営の資本主義・民主主義国家の一員として国際社会に復帰し、高度経済成長を経て世界一二を争う経済大国となったが、1990年代以降低成長期に転じ、さまざまな論争が行われている。 第二次世界大戦(1939年 - 1945年)以降も10年から20年単位で不正規戦争を繰り返しているアメリカ合衆国では、「戦後(post-war)」という概念は存在しない。辛うじて同国史上唯一の内戦である南北戦争を境に「戦前(antebellum, pre-war)」「戦後(postbellum, post-war)」といわれることもある。 イギリスでは、1945年のクレメント・アトリー政権から 1979年のマーガレット・サッチャー政権までの期間を、Post-war consensus(戦後コンセンサス期間)という。 スイスで「戦後」は一般的に1815年以降(ナポレオン戦争後)のことを指す。1815年のウィーン会議においてスイスは国家としての「永世中立国」が認められたからである。第一次世界大戦と第二次世界大戦でも武装中立を維持し積極的に戦争には加わらなかったため、他のヨーロッパ諸国とは違い1815年からの「戦後」は続いた。
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戦後(せんご、または戦後期は、戦争の終結後の短期または長期的な期間を指す言葉・概念。用語としての戦後は、通常、1945年に終わった第二次世界大戦後の期間を指す。同じ当事者間の戦争が再開された場合、戦後期は、のちに戦間期になることがある。 たとえば、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の期間である。 大きな戦争を一つの時代の区切りとして、戦前・戦中・戦後という区分をする。
{{See Wiktionary}} {{国際化|date=2023年11月}} {{独自研究|date=2021年10月3日 (日) 11:58 (UTC)}} [[Image:Frenchciviliansburon.jpg|thumb|[[1944年]]7月、{{仮リンク|カーンの戦い|en|Battle for Caen}}で破壊された[[村]]に戻る[[フランス]]の[[家族]]]] {{読み仮名|'''戦後'''|せんご|{{lang-en-short|Post-war}}、{{lang-fr-short|après-guerre}}}}または'''戦後期'''(せんごき)は、[[戦争]]の終結後の短期または長期的な期間を指す[[言葉]]・[[概念]]。[[用語]]としての戦後は、通常、[[1945年]]に終わった[[第二次世界大戦]]後の期間を指す<ref>[https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/postwar Postwar],Cambridge Academic Content Dictionary,Cambridge University Press & Assessment.</ref>。同じ当事者間の戦争が再開された場合、戦後期は、のちに[[戦間期]]になることがある。 たとえば、[[第一次世界大戦]]と第二次世界大戦の間の期間である。 大きな戦争を一つの時代の区切りとして、'''[[戦前]]'''・'''[[戦中]]'''・'''戦後'''という区分をする。 == 概要 == {{See|第二次世界大戦の影響}} 「戦後」という用語は、異なる地域や国によって異なる意味を持ち、各地での戦争の影響や戦後処理によっても期間が異なってくる。ここでは、戦後の主要な出来事を簡単に示す。 *[[冷戦]] (1947年 - 1989年) - 第二次世界大戦後、[[ソビエト連邦]]を中心とした[[東側諸国|東側諸国 (共産主義ブロック)]]と、アメリカ合衆国や西ヨーロッパを中心とした[[西側諸国]]との間で、長期にわたる対立があり、これを[[冷戦]]と呼ぶ<ref>{{コトバンク|冷戦}}</ref>。冷戦は、[[1947年]]から[[1989年]]の[[マルタ会談]]での終了宣言まで続き、さらに1991年の[[ソ連崩壊]]に至った。 *[[朝鮮戦争]](1950-53) *[[ベトナム戦争]](1955–1975) == 日本での「戦後」の位置づけ == {{日本の歴史|Shinkansen type 0 Hikari 19890506a.jpg|200px|画像説明=[[新幹線0系電車]]([[1964年]]10月開業)}} [[21世紀]]<!--([[2001年]] - )-->の[[2023年]]([[令和]]5年)現在の[[日本]]において、'''戦後'''とは、直近の戦争で'''[[20世紀]]の[[1945年]]([[昭和]]20年)の[[第二次世界大戦]]の終結([[終戦]])後'''を指す。[[日本人]]にとって[[日本人論|精神的]]に大きな影響を与えた'''[[1945年]]([[昭和]]20年)[[8月15日]]([[終戦の日]])以降'''を戦後の始まりとし、「戦前・戦中」「戦後」として区分し、認識されている場合が多い。この'''[[1945年]]([[昭和]]20年)を「戦後[[0年]]」'''として、その後の年は「戦後n年」と表現される。<!-- [[私年号]]も広く用いられている ←私年号と言えるか微妙 -->[[{{#time:Y|+9hours}}年]]は「'''戦後{{#expr:{{#time:Y|+9hours}}-1945}}年'''」に当たる。「[[近代]]」の終わりと規定する考察もある。 日本においては戦後に[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ/SCAP)により様々な[[日本の戦後改革|戦後改革]]が実施されたこと、[[連合国軍占領下の日本|連合国軍占領期]]以降[[イギリス]]や[[アメリカ合衆国]]、[[フランス]]などからの文化が戦前より広範にもたらされたこと、新技術が開発されたこと、高度経済成長を遂げたことなどにより、戦前・戦中に比べて[[社会]]システムが急速に大きく変化したため、他の国よりも「戦後」という言葉のもつ意味合いは大きい。日本は第二次世界大戦以後、大規模な[[国際紛争]]・[[戦争]]に巻き込まれていないため、「戦後」=「第二次世界大戦後から現在」というイメージが固定されている。 ただし、その時期については明確な定義はなく、戦中の始まりを[[満州事変]]とするか、[[盧溝橋事件]]とするか、[[真珠湾攻撃]]とするかなど人によって差異がある。日本が再び[[国際社会]]の一員となり、「もはや戦後ではない」<ref group="注">[[経済]]上の指標からの定義で、[[高度経済成長]]が始まった時期([[経済企画庁]]編纂、年次経済報告〈[[経済白書]]〉、1956年(昭和31年)7月)。</ref> といわれた[[1956年]]([[昭和]]31年)までの激動の期間と定義する意見もある。 [[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])終結を具体的にいつとみなすかは種々の意見があるため、“戦後”の始まりについても同様に種々の意見がある。 *[[玉音放送]]によって[[ポツダム宣言]]を受諾し[[日本の降伏|日本が降伏した]]ことを多数の日本国民が知ることになった日('''[[1945年]](昭和20年)[[8月15日]]''')を戦後の始まりとする意見 *'''[[1945年]](昭和20年)[[8月23日]]'''終結のソ連に対する[[樺太の戦い (1945年)|樺太の戦い]]の終結をもって始まりとする意見 *占領期間中に[[日本国憲法]]が施行された'''[[1947年]](昭和22年)[[5月3日]]'''([[憲法記念日]])とする意見 “戦後”という用語・概念は、日本人・日本にとって大きな変革を及ぼした。第二次世界大戦の経験を踏まえ、[[国民主権]]と戦争放棄・恒久[[平和主義]]を謳う[[日本国憲法]]を新たに制定した日本は[[アメリカ合衆国]]と軍事同盟を締結し[[西側陣営]]の[[資本主義]]・[[民主主義]]国家の一員として国際社会に復帰し、[[高度経済成長]]で世界第2位の[[経済大国]]となったが、1990年代以降[[失われた30年|低成長期]]に転じ、さまざまな論争が行われている。 === 第二次世界大戦後の日本の主な年表 === ==== 戦後混乱期 ==== {{see also|連合国軍占領下の日本}} *[[1945年]](昭和20年) **[[8月14日]] [[ポツダム宣言]]受諾。 **[[8月15日]] 正午([[日本時間]]。[[グリニッジ標準時]]午前3時) [[玉音放送]]でポツダム宣言受諾([[日本の降伏]])が[[国民]]に公表される。 **[[9月2日]] 戦艦[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]艦上において[[日本の降伏文書|降伏文書]]に調印([[日本の降伏]])。 *[[1946年]](昭和21年) **[[1月1日]] [[昭和天皇]]の「[[人間宣言]]」。 **[[11月3日]] [[大日本帝国憲法]]の改正手続を経て、[[日本国憲法]]公布。 *[[1947年]](昭和22年)[[5月3日]] 日本国憲法施行、大日本帝国憲法失効。 *[[1949年]](昭和24年) [[ドッジ・ライン]]([[安定恐慌]])。 ==== 戦後復興期 ==== *[[1950年]](昭和25年) ** [[5月]] - [[朝鮮戦争]]([[朝鮮特需]])。 *[[1951年]](昭和26年) ** [[9月8日]] - 一部の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]との[[日本国との平和条約]](サンフランシスコ講和条約)、[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]](旧安保)調印。 {{see also|連合国軍占領期後の日本}} *[[1952年]](昭和27年) ** [[3月1日]] - [[計量法]]が施行。 ** [[4月28日]] - 日本国との平和条約発効、日本の主権回復。 *[[1953年]](昭和28年) ** [[7月]] - [[昭和の大合併]]が始まる。 ** [[12月25日]] - [[奄美諸島]]が日本復帰。 *[[1954年]](昭和29年) ** [[3月1日]] - [[ビキニ環礁]]で[[水素爆弾|水爆]]実験([[キャッスル作戦]])、[[第五福竜丸]]の乗組員が[[被曝]]する。 ** [[7月1日]] - [[警察予備隊]]から[[保安隊]]と編制を経て、[[自衛隊]]([[陸上自衛隊]]・[[海上自衛隊]]・[[航空自衛隊]])設立。防衛庁(現在の[[防衛省]])設置。 ** この年の12月から、[[神武景気]]([[高度経済成長|高度経済成長期]])が始まる。 ==== 高度経済成長期 ==== *[[1955年]](昭和30年) **[[10月13日]] 社会党の[[社会党右派|右派]]と[[社会党左派|左派]]が[[社会党再統一|再統一]]され、[[日本社会党]]が成立。 **[[11月15日]] [[保守合同]]により[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]と[[日本民主党]]が合併し、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が成立(いわゆる「[[55年体制]]」の始まり)。 *[[1956年]](昭和31年) **[[10月16日]] [[ソビエト連邦]]との[[日ソ共同宣言]]調印。 **[[11月19日]] [[東海道本線]]全線電化。 **[[12月18日]] [[国際連合]]加盟。 **『[[経済白書]]』で「'''もはや戦後ではない'''」という言葉が使われ、戦後の復興が完了した。 *[[1957年]](昭和32年) [[なべ底不況]]。 ** [[11月15日]] - [[名古屋市営地下鉄]]が開業。 *[[1958年]](昭和33年) [[岩戸景気]]。 *[[1959年]](昭和34年) [[紀勢本線]]が全通。 *[[1960年]](昭和35年)[[6月19日]] [[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]](新安保)調印。 *[[1962年]](昭和37年)から、[[オリンピック景気]]が始まる。 *[[1963年]](昭和38年) ** [[名神高速道路]]開通。 *[[1964年]](昭和39年) **[[10月1日]] [[東海道新幹線]]開通。 **[[10月10日]] - [[10月24日]] [[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]開催。 **[[11月8日]] - [[11月12日]] [[1964年東京パラリンピック|東京パラリンピック]]開催。 *[[1965年]](昭和40年) ** [[6月]] - [[東京都議会]]が解散。都道府県議会の解散は戦後初。 ** [[6月22日]] [[大韓民国]](韓国)との間に[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]を締結。 **この年の11月から、[[いざなぎ景気]]が始まる。 *[[1966年]](昭和41年) 日本の総[[人口]]が1億人を突破。 *[[1967年]](昭和42年) ** [[2月11日]] 前年施行の改正[[国民の祝日に関する法律|祝日法]]適用および「建国記念の日となる日を定める[[政令]]」施行により、[[1873年]](明治6年)に定められ[[1948年]](昭和23年)に廃止された旧[[祝祭日]]の[[紀元節]]<ref group="注">初代・[[神武天皇]]が[[即位]]したとされる日を[[紀元前660年]][[2月11日]](旧暦:[[1月1日 (旧暦)|1月1日]])とし、同年を「元年」とした[[神武天皇即位紀元]](皇紀)によるもの(例:西暦1967年=皇紀2627年)。</ref> が、[[国民の祝日]]の一つ「[[建国記念の日]]」として事実上復活。 *[[1968年]](昭和43年) ** 9月 - 明治維新100周年。 *[[1969年]](昭和44年) ** [[5月26日]] - [[東名高速道路]]が開通。 *[[1970年]](昭和45年) ** [[3月14日]] - [[9月13日]] [[大阪府]]で初の[[日本万国博覧会]]開催。 *[[1971年]](昭和46年) ** [[熊本県]]を中心に[[九州地方]]で[[豚熱]]が広まる。 ** [[6月30日]] - [[三大都市圏]]近郊以外で初の高速自動車国道として[[九州自動車道]]が初開通。 ** 8月 - [[ニクソン・ショック]]。 *[[1972年]](昭和47年) ** [[2月3日]] - [[2月13日]] [[1972年札幌オリンピック|札幌オリンピック]]開催。 ** [[3月15日]] - [[山陽新幹線]][[岡山駅]]まで開業。 ** [[5月13日]] - 大阪[[千日デパート火災]]。 ** [[5月15日]] - [[アメリカ合衆国]]からの[[沖縄返還]]、日米両政府間の[[沖縄返還協定]]発効による[[沖縄県]]の日本復帰。 ** [[9月29日]] - [[中華人民共和国]]との[[日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明|日中共同声明]]調印。 ** [[12月16日]] - [[横浜市営地下鉄]]が開業。 *[[1973年]](昭和48年) ** 10月 - 第一次[[オイルショック]]。 ** [[11月29日]] - 熊本[[大洋デパート火災]]。 ==== 安定成長期 ==== *[[1974年]](昭和49年) ** 戦後初のマイナス成長。 *[[1975年]](昭和50年) **[[3月10日]] - [[山陽新幹線]]が全通し、[[九州]]に初めて新幹線が走る。 *[[1976年]](昭和51年) ** 7月 -[[ロッキード事件]]。 *[[1977年]](昭和52年) **[[3月13日]] - [[神戸市地下鉄]]が開業、地下鉄で初めて冷房車が走る。 *[[1978年]](昭和53年) **[[4月6日]] - 池袋[[サンシャイン60]]が開業。 **[[5月21日]] - [[成田国際空港]]開港。 **[[8月12日]] [[日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約|日中友好条約]]調印。 **[[12月]] 第二次[[オイルショック]]。 *[[1979年]](昭和54年) ** [[4月28日]] - [[渋谷109]]が開業。 ** 11月 - [[四十日抗争]] *[[1980年]](昭和55年) **[[6月22日]] - 初の[[衆参同日選挙]]が開催。 *[[1981年]](昭和56年) **[[2月5日]] - 世界初の無人運転電車[[ポートライナー]]が神戸市で開業。3月16日には2例目となった大阪市の[[ニュートラム]]([[南港ポートタウン線]])が開業。 **[[5月29日]] - [[京都市地下鉄]]が開業。 **[[7月26日]] - [[福岡市地下鉄]]が開業。 *[[1982年]](昭和57年) **[[6月23日]] - [[東北新幹線]]が初開業。 ** [[11月10日]] - [[中央自動車道]]が全通。 ** [[11月15日]] - [[上越新幹線]]が開業。 ** [[11月27日]] - [[中曽根康弘]]が「'''戦後政治の総決算'''」を掲げ第72代[[内閣総理大臣]]に就任。 *[[1983年]](昭和58年) **[[3月24日]] - [[中国自動車道]]が全通。 ** [[4月15日]] - [[東京ディズニーランド]]開業。 *[[1985年]](昭和60年) ** [[4月1日]] - [[日本電信電話公社]]・[[日本専売公社]]が[[民営化]]、[[日本電信電話]](NTT)・[[日本たばこ産業]](JT)の発足。 ** [[8月12日]] - [[御巣鷹山墜落事故]] ** [[9月22日]] - [[プラザ合意]]([[円高不況]])。 ** [[10月2日]] - [[関越自動車道]]が全通。 ==== バブル経済期 ==== *[[1986年]](昭和61年) **[[7月30日]] - [[東北自動車道]]が全通。 **12月から、[[バブル景気]](平成景気)が始まる。 *[[1987年]](昭和62年) **[[2月22日]] [[ルーブル合意]]。 **4月1日 [[国鉄分割民営化]]。[[JR]]グループの発足。 *[[1988年]](昭和63年) **[[3月13日]] - [[青函トンネル]]開業。 **[[4月10日]] - [[瀬戸中央自動車道]]が開通。 **[[リクルート事件]]。 *[[1989年]](昭和64年/平成元年)[[1月7日]] [[昭和天皇]]が[[崩御]]、[[上皇明仁|皇太子明仁親王]]が第125代[[天皇]]に践祚。 **[[1月8日]] [[元号法]]の規定により、元号が「昭和」から「[[平成]]」に改められる。 **[[12月29日]] [[日経平均株価]]史上最高値に(ザラ場 38957.44円、終値38915.87円) *[[1990年]](平成2年) **[[大阪花博]]が開催。 *[[1991年]](平成3年) **この年の6月から、いわゆる[[バブル崩壊]]([[失われた30年]])が始まる。 **[[6月5日]] - [[9月11日]] 初の[[自衛隊海外派遣]]([[海上自衛隊]]の[[自衛隊ペルシャ湾派遣|ペルシャ湾派遣]])。 **[[12月25日]] [[ソビエト連邦の崩壊]]。 ==== 低成長期 ==== *[[1992年]](平成4年) ** [[3月14日]] - 東海道新幹線で開業以来27年半ぶりの新種別[[のぞみ (列車)]]運行開始。 *[[1993年]](平成5年) ** [[8月9日]] [[細川護熙]]が首相に就任、[[細川内閣]]成立により[[55年体制]]崩壊。 *[[1994年]](平成6年) ** [[9月4日]] - [[関西国際空港]]開港。 *[[1995年]](平成7年) '''戦後50年''' ** [[1月17日]] [[兵庫県南部地震]]、[[阪神・淡路大震災]]発生。 ** [[3月20日]] [[地下鉄サリン事件]]発生。 ** [[7月27日]] - [[九州自動車道]]が全通。 ** 8月15日 [[村山内閣 (改造)|村山改造内閣]]下で、[[村山富市]]首相による[[村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」]]が発表される。 *[[1996年]](平成8年) ** [[民主党 (日本 1996-1998)|民主党]]結成。 ** [[森且行]]が[[SMAP]]を脱退しオートレーサーへ。 *[[1997年]](平成9年) ** [[アジア通貨危機]]。 ** [[10月1日]] - [[北陸新幹線]]が初開業。 ** [[12月14日]] - [[山陽自動車道]]全通。 *[[1998年]](平成10年) ** [[2月7日]] - [[2月22日]] [[1998年長野オリンピック|長野オリンピック]]開催。 ** [[3月5日]] - [[3月14日]] [[長野パラリンピック]]開催。 ** [[4月5日]] - [[明石海峡大橋]]が開通し[[神戸淡路鳴門自動車道]]が全通。 *[[1999年]](平成11年) ** [[5月1日]] - [[瀬戸内しまなみ海道]]が全通。 *[[2000年]](平成12年) **[[ITバブル]]崩壊。 ** [[12月1日]] BSデジタル放送開始。 *[[2001年]](平成13年) ** [[1月6日]] [[中央省庁再編]] *[[2002年]](平成14年) ** [[5月31日]] - [[6月30日]] [[2002 FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]を[[大韓民国]]と日本が共催。 ** [[12月1日]] - [[東北新幹線]]が[[八戸駅]]まで延長。 *[[2003年]](平成15年) ** [[12月1日]] 3大都市圏である[[東京都|東京]]・[[大阪府|大阪]]および[[名古屋市|名古屋]]の[[日本放送協会|NHK]]3局、[[民間放送|民放]]16社から[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]開始。 *[[2004年]](平成16年) ** [[3月13日]] - [[九州新幹線]]が初開業。 ** [[4月1日]] - [[営団地下鉄]]民営化に伴い[[東京地下鉄]]が設立。[[成田国際空港]]民営化。 ** 国会議員の年金未納問題が相次ぐ。 *[[2005年]](平成17年)'''戦後60年'''。'''日本の総人口の減少'''が始まる。 ** [[3月25日]] - [[9月25日]] [[愛知県]]にて[[2005年日本国際博覧会]](「愛・地球博」、愛知万博)開催 - [[1970年]](昭和45年)の[[日本国際博覧会|大会]]以来2回目。 ** [[10月1日]] - [[道路四公団]]民営化。 ** [[AKB48]]がデビュー。 *[[2006年]](平成18年) ** [[9月26日]] -「'''[[戦後レジーム]]からの脱却'''」を公約に掲げた[[安倍晋三]]が、[[自由民主党総裁]]及び第90代[[内閣総理大臣]]に就任(初の戦後生まれの総理大臣となる)、[[第1次安倍内閣]]が発足するが、短期間で終わる。 ** [[12月1日]] 全47[[都道府県庁所在地]]および近接[[市町村]]で地上デジタル放送開始。 ** [[12月22日]] - [[教育基本法]]改正公布・施行。 *[[2007年]](平成19年) ** [[1月9日]] - 防衛庁が[[防衛省]]に移行。 ** [[5月14日]] - [[日本国憲法の改正手続に関する法律]]成立(同年[[5月18日]]公布)。 ** [[10月1日]] - [[郵政民営化]]。 ** [[11月]] - [[サブプライムローン]]ショック。 *[[2008年]](平成20年) ** [[4月1日]] - [[後期高齢者医療制度]]が開始。 ** 9月 - [[世界金融危機]]([[リーマン・ショック]])。 ** 12月 - [[新型インフルエンザ]]の世界大流行が始まる。 *[[2009年]](平成21年) ** [[3月20日]] - [[阪神なんば線]]が全通。 ** 3月 - [[ワールドベースボールクラシック]]で日本が優勝。 ** [[9月16日]] - [[鳩山由紀夫]]が首相に就任、[[鳩山由紀夫内閣]]が発足([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]による本格的[[政権交代]]が実現)。 *[[2010年]](平成22年) ** [[2010年欧州ソブリン危機|欧州ソブリン危機]]。 ** [[宮崎県]]で[[口蹄疫]]が蔓延。 ** [[7月17日]] - [[京成成田空港線]]が全通。 ** [[12月4日]] - [[東北新幹線]]全通。 *[[2011年]](平成23年) ** [[3月11日]] [[東日本大震災]]([[東北地方太平洋沖地震]])・[[福島第一原子力発電所事故]]発生。 ** [[3月12日]] - [[九州新幹線]]全通。 ** [[5月1日]] - [[大阪駅]]大改造が完了し大阪ステーションシティが開業。 ** [[7月24日]] - [[東北地方]][[太平洋]]沖主要被災3県([[岩手県]]、[[宮城県]]、[[福島県]])を除く44[[都道府県]]の全局が地上アナログテレビ放送停波、地上デジタル放送へ完全移行。 ** [[8月11日]] - [[乃木坂46]]がデビュー。 *[[2012年]](平成24年) ** [[3月31日]] - 東日本大震災の影響で延期されていた[[岩手県]]、[[宮城県]]、[[福島県]]の3県の地上アナログテレビ放送停波、日本全国での[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]化が完了した。 ** [[12月26日]] - [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]下野。[[自由民主党 (日本)|自民党]]による政権奪還が実現、[[公明党]]との[[自公連立政権]]が復活。[[第2次安倍内閣]]が発足。 ==== アベノミクス期 ==== *[[2013年]](平成25年) ** [[3月16日]] - [[東急東横線]]と[[東京メトロ副都心線]]の相互直通を開始。 ** [[12月13日]] - [[特定秘密の保護に関する法律|特定秘密保護法]]公布。 *[[2014年]](平成26年) ** [[3月7日]] - [[あべのハルカス]]が開業。 ** [[7月20日]] - [[舞鶴若狭自動車道]]全通。 ** [[12月10日]] - 特定秘密保護法施行。 *[[2015年]](平成27年)'''戦後70年'''。 ** [[3月14日]] - [[北陸新幹線]]が[[金沢駅]]まで開業。 ** [[8月14日]] - 第97代[[内閣総理大臣]]の[[安倍晋三]]が、[[第3次安倍内閣]]における[[閣議 (日本)|閣議]]決定に基づき「[[安倍内閣総理大臣談話]]」を発表。 ** [[9月19日]] - [[自公連立政権]]の下で、[[平和安全法制]]成立。 ** [[10月5日]] - [[行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律|マイナンバー法]]施行。 *[[2016年]](平成28年) ** [[3月26日]] - [[北海道新幹線]][[新函館北斗駅]]まで開業。 **[[3月27日]] - [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]と[[維新の党]]が合流して[[民進党]]結成。 ** [[3月29日]] - 平和安全法制施行。 ** [[4月16日]] - [[熊本地震 (2016年)|熊本・大分地震]]。 ** [[6月19日]] - 改正[[公職選挙法]]施行。[[18歳選挙権]]成立、71年ぶりの[[選挙権]]年齢拡大<ref group="注">選挙権が「25歳男子」から「20歳男女」に拡大し引き下げられて[[普通選挙|完全普通選挙]]が導入された[[1945年]](昭和20年)以来</ref>。同年[[7月10日]]投開票の[[第24回参議院議員通常選挙]]・[[2016年鹿児島県知事選挙]]から適用。 ** [[7月31日]] - [[2016年東京都知事選挙]]で[[小池百合子]]が初当選。 ** [[8月8日]] [[上皇明仁|明仁天皇]]が「[[象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば]]」として、国民に向けてビデオ映像を用いての自らのメッセージを発表。 ** [[12月31日]] - [[SMAP]]が解散。 *[[2017年]](平成29年) ** [[6月16日]] - [[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]公布。 ** [[9月25日]] - [[民進党]]左右分裂、[[希望の党 (日本 2017)|希望の党]]結成。 ** [[10月3日]] - [[民進党]]左派が[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]結成。 ** [[10月22日]] - [[第48回衆議院議員総選挙]]。 ** [[北朝鮮によるミサイル発射実験]]激化。 *[[2018年]](平成30年) ** [[5月7日]] - 民進党右派と希望の党が合流して[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]結成。 ** [[6月28日]] - [[7月8日]] [[平成30年7月豪雨|西日本豪雨]]発生。 *[[2019年]](平成31年/令和元年) ** [[4月30日]] - [[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]施行。明仁天皇が退位し[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]となる。 ** [[5月1日]] - [[徳仁|皇太子徳仁親王]]が「第126代[[天皇]]」に[[践祚]]・[[即位]]し「[[平成]]」から「[[令和]]」に[[改元]]、202年ぶりの[[譲位]]<ref group="注">[[江戸時代]]後期にあたる[[1817年]][[5月7日]](旧暦:[[文化 (元号)|文化]]14年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]])の[[光格天皇]]から[[仁孝天皇]]への譲位以来。</ref>。 ** 9~10月 - ラグビーワールドカップが日本で開催。 ** [[11月]] - [[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]が発生。 ==== コロナ禍 ==== *[[2020年]](令和2年) ** 2月 - 新型コロナウイルス感染症の大流行が日本全国にも広がる。 ** [[6月1日]] - [[北神急行電鉄]]が[[神戸市営地下鉄北神線]]となる。 ** 9月 - 安倍晋三が首相を退陣。 *[[2021年]](令和3年) ** [[7月23日]] - [[8月8日]] [[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]開催 - [[1964年]](昭和39年)の[[1964年東京オリンピック|大会]]以来2回目、[[1940年]](昭和15年)の[[1940年東京オリンピック|未開催大会]]も含めれば3回目。 ** [[8月24日]] - [[9月5日]] [[東京パラリンピック (2020年)|東京パラリンピック]]開催 - 1964年(昭和39年)の[[1964年東京パラリンピック|大会]]以来2回目。 *[[2022年]](令和4年) ** [[4月1日]] - 改正[[民法 (日本)|民法]]施行。成人年齢([[成年]])が「20歳」から「18歳」に引き下げ、女性の[[結婚|婚姻]]可能年齢が「16歳」から「18歳」に引き上げ、男性と同等になる。 ** [[7月8日]] - [[奈良県]][[奈良市]][[大和西大寺駅]]北口において、遊説中の[[安倍晋三]]元総理が[[安倍晋三銃撃事件|銃撃され死去した]]。総理経験者が襲撃され死亡した事件は戦後初である。 ** [[9月22日]] - [[西九州新幹線]]が部分開業。 *[[2023年]](令和5年) ** 3月 - [[ワールドベースボールクラシック]]で日本が14年ぶりに優勝。 ** 10月 - [[阪神タイガース]]が38年ぶりに日本一を達成。 ** [[11月24日]] - [[麻布台ヒルズ]]が完成、日本一高いビルとなる。 ==== 今後の予定 ==== *[[2024年]](令和6年) ** [[3月16日]] - [[北陸新幹線]]が[[敦賀駅]]まで延長。 *[[2025年]](令和7年)'''戦後80年'''。 ** [[4月1日]] - [[京成電鉄]]が[[新京成電鉄]]を合併。 ** [[5月3日]] - [[11月3日]] [[大阪府]]にて[[2025年日本国際博覧会]](大阪・関西万博)開催 - [[2005年]](平成17年)の[[2005年日本国際博覧会|大会]]以来3回目。 ** 8月 - 世界陸上東京大会が開催予定。 *[[2026年]](令和8年) ** 9月 - アジア大会名古屋大会が開催予定。 *[[2028年]](令和10年) ** 3月 - 東京駅前に標高390mの東京トーチビルが開業予定。 == その他の戦後 == {{See also|戦争一覧}} === アメリカ合衆国 === {{See|:en:Post-war}} [[第二次世界大戦]](1939年 - 1945年)以降も10年から20年単位で[[不正規戦争]]を繰り返している[[アメリカ合衆国]]では、「戦後(post-war)」という概念は存在しない{{要出典|date=2023年11月}}。辛うじて同国史上唯一の[[内戦]]である[[南北戦争]]を境に「戦前([[アンテベルム|antebellum]], pre-war)」「戦後(postbellum, post-war)」といわれることもある。 {{See also|アメリカの戦争と外交政策}} ===イギリス=== イギリスでは、1945年の[[クレメント・アトリー]]政権から 1979年の[[マーガレット・サッチャー]]政権までの期間を、[[:en:Post-war consensus|Post-war consensus]](戦後コンセンサス期間)という。 === スイス === [[スイス]]で「戦後」は一般的に[[1815年]]以降([[ナポレオン戦争]]後)のことを指す。1815年の[[ウィーン会議]]においてスイスは国家としての「[[永世中立国]]」が認められたからである。[[第一次世界大戦]]と第二次世界大戦でも[[武装中立]]を維持し積極的に戦争には加わらなかったため、他のヨーロッパ諸国とは違い1815年からの「戦後」は続いた。 === その他 === *[[大韓民国|韓国]]・[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]] - [[朝鮮戦争]]後([[1953年]] - )。特に韓国では、[[日本統治時代の朝鮮|日本の植民地支配]]から解放された[[1945年]][[8月15日]]を境に「解放前」「解放後」という表現が用いられ、「戦前」「戦後」よりも「解放前」「解放後」の使用頻度が高い。[[朝鮮半島]]が南北に分断された1945年を「分断0年」として、現在の年を「分断n年」と表現することもある(日本の「戦後n年」に相当)。 *[[ユーゴスラビア|旧ユーゴスラビア連邦諸国]] - [[ユーゴスラビア紛争]]後(およそ[[1995年]] - ) *[[京都]]においては、『この前の「戦」』が第二次世界大戦ではなく[[応仁の乱]]を指し、戦後とはそれ以降であるといわれることがある。これは[[細川護貞]]が「前の戦争(応仁の乱)で[[細川氏|細川家]]の宝物が焼けた」と言ったという話が元になっている。京都市民の間でもそのように捉えている人は少数にとどまり<ref>{{Cite web|和書 | url = http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20170414000072 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20170415191449/kyoto-np.co.jp/local/article/20170414000072 | title = 先の戦って「応仁の乱」? 京都人100人に聞く | publisher = [[京都新聞社]] | date = 2017-4-14 | accessdate = 2017-12-17 | archivedate = 2017-4-15 | deadlinkdate = 2019年12月5日 }}</ref>、[[京都府]]の公文書などの公的な場でこのような表現が行われることはない。 *[[福島県]][[会津|会津地方]](旧[[会津藩]]、主に現在の[[会津若松市]])においては、同様に『この前の「戦」』が[[戊辰戦争]]を指し、戦後とはそれ以降であるというジョークがある。第二次世界大戦での戦災が比較的少なく、それよりも戊辰戦争による旧[[長州藩]](現在の山口県[[萩市]]にほぼ相当)に対する遺恨が深いためである<ref>千石涼太郎『噂の県民ジョーク』(リイド文庫、2009年)88-89ページ</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Div col}} *[[戦間期]] *[[戦前]] *[[戦中]] *[[第二次世界大戦の影響]] *[[終戦]] - [[終戦の日]] *[[日本の降伏]] *[[連合国軍占領下の日本]] *[[戦後混乱期]] *[[戦後復興期]] *[[現代 (時代区分)]] *[[アプレゲール]] *[[昭和]] - [[平成]] - [[令和]] *[[新しい戦前]] {{Div col end}} == 外部リンク == *[http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/index.html シリーズ・戦後60年]{{リンク切れ|date=2019年12月}}([[2005年]]、[[西日本新聞社]]) **{{Wayback |url=http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/index.html |date=20130525073725 |title=上記サイトのアーカイブ }} {{日本の歴史一覧|1945年-現在}} {{日本の経済史}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せんこ}} [[Category:軍事史]] [[Category:政治史]] [[Category:日本の歴史 (時代別)|+5]] [[Category:戦後の日本|*]] [[Category:昭和時代戦後|*]] [[Category:戦後日本の経済]]
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1859年
1859年(1859 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。 ※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。
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1859年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1859}} {{year-definition|1859}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[己未]] * [[日本]]([[天保暦]]) ** [[安政]]5年[[11月28日 (旧暦)|11月28日]] - 安政6年[[12月8日 (旧暦)|12月8日]] ** [[皇紀]]2519年 * [[清]] ** [[咸豊]]8年11月28日 - 咸豊9年12月8日  * [[朝鮮]] <!--* [[李氏朝鮮]]:独自の年号なし--> ** [[李氏朝鮮]] : [[哲宗 (朝鮮王)|哲宗]]10年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4192年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]) ** [[嗣徳]]12年  * [[仏滅紀元]]:2401年 - 2402年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1275年5月26日 - 1276年6月6日 * [[ユダヤ暦]]:5619年4月25日 - 5620年4月5日 * [[修正ユリウス日]](MJD):45 - 409 * [[リリウス日]](LD):100886 - 101250 <div style="font-size:smaller"> ※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br /> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定に伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用禁止。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1859}} == できごと == === 1月 === * [[1月22日]] -[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]][[ピアノ協奏曲第1番 (ブラームス)|ピアノ協奏曲第1番]]初演([[ハノーファー]]){{要出典|date=2021-02}} * [[1月24日]] - [[ワラキア]]・[[モルダヴィア]]両国が[[アレクサンドル・ヨアン・クザ]]によりルーマニアという名で統一([[ルーマニア公国]],正式な統一は1918年12月1日) === 2月 === * [[2月16日]] - フランスで[[イ音]]([[中央ハ]]の上)を435 Hzとする法律成立: [[音律]]に関する初めての標準 * [[2月14日]] - 米国で[[オレゴン州|オレゴン]]が33番目に州となる === 3月 === * [[3月9日]] - [[第二次イタリア独立戦争]]: [[サルデーニャ王国]]が軍を動員 * [[3月19日]] - [[シャルル・グノー]]歌劇「[[ファウスト (グノー)|ファウスト]]」初演([[パリ]]) * [[3月19日]] - [[スコットランド国立美術館]]開館 === 4月 === * [[4月25日]] - [[スエズ運河]]起工([[1869年]]完成) * [[4月26日]] - [[第二次イタリア独立戦争]]: [[ジュゼッペ・ガリバルディ]]のアルプス猟兵隊が[[ヴァレーゼ]]で[[オーストリア]]軍と対峙 * [[4月28日]]-[[5月18日]] [[イギリス]]で{{仮リンク|1859年イギリス総選挙|label=解散総選挙|en|United Kingdom general election, 1859}}。少数与党[[保守党 (イギリス)|保守党]]が議席伸ばす。 * [[4月29日]] - [[第二次イタリア独立戦争]]: 墺軍が[[ティチーノ川]]を渡河し戦争勃発 * [[4月30日]] - [[チャールズ・ディケンズ]]『[[二都物語]]』連載開始(11月26日完結) === 5月 === * [[5月2日]] - 英国で[[コーンウォール]]と[[デヴォン州]]を結ぶ[[ロイヤルアルバート橋]]開通 * [[5月5日]] - [[ブラジル]]・[[ベネズエラ]]国境条約調印 * [[5月21日]](安政6年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[安政の大獄]]: [[吉田松陰]]の江戸送致が[[長州藩]]に下達される * [[5月30日]] - [[第二次イタリア独立戦争]]: [[パレストロ]]の戦い === 6月 === * [[6月4日]] - [[第二次イタリア独立戦争]]: [[マジェンタの戦い]] * [[6月6日]] - {{仮リンク|ウィリシズ・ルームズ|en|Willis's Rooms}}で[[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)|ラッセル]]派ホイッグ、[[ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)|パーマストン]]派ホイッグ、[[ピール派]]、{{仮リンク|急進派 (イギリス)|label=急進派|en|Radicals (UK)}}の議員が会合し、[[自由党 (イギリス)|イギリス自由党]]が結成される。 * [[6月10日]] - イギリス議会で自由党が内閣不信任案を可決させ、ダービー伯爵内閣総辞職不可避に。 * [[6月12日]] - 米国[[ネヴァダ]]で[[コムストック銀山]]([[:en:Comstock Silver Lode|Comstock Silver Lode]])発見 * [[6月15日]] - [[サンフアン諸島]]で英米両国が衝突([[ブタ戦争 (サンフアン諸島)|ブタ戦争]]) * [[6月17日]] - イギリスで第2次[[ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)|パーマストン子爵]]内閣([[自由党 (イギリス)|自由党]]政権)成立 * [[6月24日]] - [[第二次イタリア独立戦争]]: [[ソルフェリーノの戦い]] * [[6月30日]] ** (安政6年6月1日) - [[東海道]]と[[横浜港|開港場]](横浜)を結ぶ[[横浜道]]が完成 ** フランス人の軽業師[[シャルル・ブロンダン]]が[[ナイアガラ川]]を綱渡りで横断した。{{Sfn|ファータド|2013|p=544|ps=「フランス人軽業師、ナイアガラを綱渡り」}} * 英国初代駐日総領事[[ラザフォード・オールコック|オールコック]]が江戸に着任 === 7月 === * [[7月1日]](安政6年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) ** [[横浜港]]正式開港、[[外国人居留地]]設置 ** 米国で初の大学対抗野球試合([[アマースト大学]]対ウィリアムズ大学) * [[7月8日]] ** [[第二次イタリア独立戦争]]: 休戦協定締結 ** [[スウェーデン=ノルウェー]]王[[オスカル1世 (スウェーデン王)|オスカル1世]]死去: [[カール15世 (スウェーデン王)|カール15世]](ノルウェー王としてはカール4世)即位 === 9月 === * [[9月1日]] - [[リチャード・キャリントン]]が初めて[[太陽フレア]]を観測([[1859年の太陽嵐]])大規模[[磁気嵐]]発生( - 9月2日)([[オーロラ (代表的なトピック)|オーロラ]]が[[キューバ]]でも観測、[[電信]]途絶) * [[9月6日]](安政6年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - 仏国初代駐日総領事[[ギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクール|ベルクール]]が江戸に着任 * [[9月7日]] - 英国で[[ビッグ・ベン]]運用開始 * [[9月25日]](安政6年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]) - [[安政の大獄]]: [[徳川慶喜]]が隠居謹慎に処さる === 10月 === * [[10月4日]](安政6年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - 英貿易商[[トーマス・ブレーク・グラバー]]が長崎に来航 * [[10月16日]] - 米国で[[ジョン・ブラウン (奴隷制度廃止運動家)|ジョン・ブラウン]]が[[奴隷制度廃止運動]]として反乱を起す([[ハーパーズ・フェリー蜂起事件]]) * [[10月18日]] - 米国で[[ロバート・E・リー]]中佐率いる海兵隊がジョン・ブラウン以下を鎮圧 * [[10月22日]] - [[スペイン=モロッコ戦争]]: スペインがモロッコに宣戦布告 === 11月 === * [[11月1日]](安政6年[[10月7日 (旧暦)|10月7日]]) - [[安政の大獄]]: [[橋本左内]]・[[頼三樹三郎]]らが斬首刑に処さる * [[11月10日]] - [[第二次イタリア独立戦争]]: [[チューリッヒ条約]]調印により終結 * [[11月21日]](安政6年[[10月27日 (旧暦)|10月27日]]) - [[安政の大獄]]: [[吉田松陰]]が斬首刑に処さる * [[11月24日]] ** [[チャールズ・ダーウィン]]『[[種の起源]]』刊行(即日完売) ** 仏海軍戦艦[[ラ・グロワール]]進水(初の外洋航行可能な甲鉄戦艦) === 12月 === * [[12月2日]] - 米国で[[ジョン・ブラウン (奴隷制度廃止運動家)|ジョン・ブラウン]]が絞首刑に処さる === 日付不詳 === * [[ベルンハルト・リーマン]]が[[リーマン予想]]を提示 * [[ジョン・スチュアート・ミル]]『[[自由論 (ミル)|自由論]]』発表 == 誕生 == {{see also|Category:1859年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]] - [[サミュエル・アレクサンダー]]、[[イギリス]]の[[哲学者]](+ [[1938年]]) * [[1月17日]](安政5年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]) - [[小金井良精]]、[[解剖学者]]・[[人類学者]](+ [[1944年]]) * [[1月20日]] - [[トニー・マレーン]]、元[[メジャーリーガー]](+ [[1944年]]) * [[1月27日]] - [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]、[[ドイツ]][[皇帝]](+ [[1941年]]) * [[2月1日]] - [[ヴィクター・ハーバート]]、[[音楽家]](+ [[1924年]]) * [[2月9日]](安政6年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]) - [[秋山好古]]、陸軍軍人(+ [[1930年]]) * [[2月22日]] - [[ヨゼフ・ボフスラフ・フェルステル]]、[[作曲家]](+ [[1951年]]) * 2月22日(安政6年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]])- [[妻木頼黄]]、[[建築家]](+ [[1916年]]) * [[3月2日]] - [[ショーレム・アレイヘム]]、[[劇作家]]・[[小説家]]・[[ジャーナリスト]](+ 1916年) * [[3月8日]] - [[ケネス・グレアム]]、[[児童文学]][[作家]](+ [[1932年]]) * [[3月26日]] - [[アルフレッド・エドワード・ハウスマン]]、[[詩人]]・[[批評家]](+ [[1936年]]) * [[3月30日]] - [[薩鎮氷]]、[[清末民初]]の軍人・政治家 (+ [[1952年]]) * [[4月5日]] - [[エド・アンドリュース]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1934年]]) * [[4月8日]] - [[エトムント・フッサール]]、オーストリアの[[数学者]]・[[哲学者]](+ [[1938年]]) * 4月8日 - [[レディ・ボールドウィン]]、メジャーリーガー(+ 1937年) * [[5月15日]] - [[ピエール・キュリー]]、[[物理学者]](+ [[1906年]]) * [[5月21日]] - [[フレッド・ダンラップ]]、メジャーリーガー(+ [[1902年]]) * [[5月22日]] - [[アーサー・コナン・ドイル]]、作家(+ 1930年) * [[6月19日]](安政6年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]) - [[野崎廣太]]、[[財界人]]・[[茶人]](+ [[1941年]]) * [[6月22日]](安政6年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]) - 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[[ヴィルヘルム・グリム]]、言語学者・[[文学者]](* [[1786年]]) <!-- == 注釈 == {{Reflist|group="注"}} --> == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp |author=ピーター・ファータド(編集) |year=2013 |title=世界の歴史を変えた日 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-4198-8 |ref={{Sfnref|ファータド|2013}}}}<!-- 2013年10月15日初版1刷 --> == 関連項目 == {{Commonscat|1859}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1859ねん}} [[Category:1859年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1859%E5%B9%B4
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アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ
アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(伊: Aglio, olio e peperoncino)は、イタリア料理の一種。日本ではパスタ料理として、ペペロンチーノの略称で広く知られている。 イタリア語で、アーリオ(aglio)はニンニクを、オーリオ(olio)は油(特にオリーブ・オイル)を、ペペロンチーノ (peperoncino)は唐辛子を意味する。また、イタリア語の「e」は接続詞で、日本語の「と」、英語の「and」と同義であり、「Pasta aglio, olio e peperoncino」は「ニンニクとオリーブオイルと唐辛子のパスタ」となる。 カンパニア州ナポリを起源とするシンプルでベーシックなパスタ料理であり、特にそのシンプルさゆえに「小さなナポリ料理」という意味のクッチーナ・ピッチーナ・パルテノペア (伊: cucina piccina partenopea) や、「貧しい人々の食事」 (伊: piatti poveri) というサブ・カテゴリーに分類される一品である。なおパルテノペはナポリの古名で、パルテノペアで女性形形容詞の「ナポリの」という意味になる。 パスタは主にスパゲッティ、ヴェルミチェッリかリングイーネが使われ、塩茹でしたヴェルミチェッリを弱火で焦がさないようにオリーブ・オイルで黄金色に炒めた薄切りニンニクで和えたものをヴェルミチェッリ・アーリオ・エ・オーリオ(伊: vermicellii aglio e olio)と呼ぶ。 パスタ・アーリオ・エ・オーリオの特にスパゲッティで作られたものに唐辛子を加えたものをスパゲッティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(伊: Spaghetti aglio, olio e peperoncino)と呼び、こちらはラツィオ州のローマの料理とされる。 アーリオ・オーリオは、イタリアでは主に家庭での軽食や夜食(和食に例えれば「茶漬け」や「塩むすび」のような)として食べられることが多い。レストランのメニューとして並ぶ事はほとんどないが、敢えて注文すれば出てくることが多い。ただし、イタリアでは現地パスタレシピの原点のような位置づけとみなされており、また材料の良し悪しが味に影響しやすいだけに細部にまでこだわりを持つイタリア人も多い。 日本には唐辛子入りのレシピが最初に紹介されたために「ペペロンチーノ」と呼ばれるようになったが、諸外国ではアーリオ・エ・オーリオのバリエーションのひとつとして捉えられているため、この略称は通用しない。日本ではオリーブ・オイル・ベースのパスタソースの総称としてペペロンチーノという名称を使うケースが見られるようになり、様々な具を追加したレシピもペペロンチーノと呼んだり、中には唐辛子やニンニクを使わないレシピですらペペロンチーノと呼ぶケースがあるが、本来の意味からはかけ離れている。 また日本では材料に一般的に同じロングパスタでもスパゲッティ(約1.9 mm)よりも細目の、スパゲッティーニ(約1.6 mm)やフェデリーニ(約1.4 mm)が使われることが多い。 日本人として初めてイタリアへ料理留学した𠮷川敏明が、「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ」だと覚えにくいと考えたため「ディスペラート」(絶望の)と紹介した。 本場イタリアと異なり、日本ではレストランでも良く見かけるメニューである。 ソースはニンニク、オリーブ・オイル、唐辛子のみ。これに多めの塩を加えてパスタを茹でた湯を加えることで、オリーブオイルの乳化を促してパスタと絡みやすくする。またこれにより、塩気と小麦粉の旨味を補う。 後は好みによってイタリアンパセリなどのハーブ類、胡椒やアンチョビを加える程度だが、日本ではアレンジレシピとしてパンチェッタやベーコン、野菜類や魚介類を加えたり、ブイヨンなどで味をしっかりとつけて出す店もある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(伊: Aglio, olio e peperoncino)は、イタリア料理の一種。日本ではパスタ料理として、ペペロンチーノの略称で広く知られている。 イタリア語で、アーリオ(aglio)はニンニクを、オーリオ(olio)は油(特にオリーブ・オイル)を、ペペロンチーノ (peperoncino)は唐辛子を意味する。また、イタリア語の「e」は接続詞で、日本語の「と」、英語の「and」と同義であり、「Pasta aglio, olio e peperoncino」は「ニンニクとオリーブオイルと唐辛子のパスタ」となる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "カンパニア州ナポリを起源とするシンプルでベーシックなパスタ料理であり、特にそのシンプルさゆえに「小さなナポリ料理」という意味のクッチーナ・ピッチーナ・パルテノペア (伊: cucina piccina partenopea) や、「貧しい人々の食事」 (伊: piatti poveri) というサブ・カテゴリーに分類される一品である。なおパルテノペはナポリの古名で、パルテノペアで女性形形容詞の「ナポリの」という意味になる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "パスタは主にスパゲッティ、ヴェルミチェッリかリングイーネが使われ、塩茹でしたヴェルミチェッリを弱火で焦がさないようにオリーブ・オイルで黄金色に炒めた薄切りニンニクで和えたものをヴェルミチェッリ・アーリオ・エ・オーリオ(伊: vermicellii aglio e olio)と呼ぶ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "パスタ・アーリオ・エ・オーリオの特にスパゲッティで作られたものに唐辛子を加えたものをスパゲッティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(伊: Spaghetti aglio, olio e peperoncino)と呼び、こちらはラツィオ州のローマの料理とされる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "アーリオ・オーリオは、イタリアでは主に家庭での軽食や夜食(和食に例えれば「茶漬け」や「塩むすび」のような)として食べられることが多い。レストランのメニューとして並ぶ事はほとんどないが、敢えて注文すれば出てくることが多い。ただし、イタリアでは現地パスタレシピの原点のような位置づけとみなされており、また材料の良し悪しが味に影響しやすいだけに細部にまでこだわりを持つイタリア人も多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本には唐辛子入りのレシピが最初に紹介されたために「ペペロンチーノ」と呼ばれるようになったが、諸外国ではアーリオ・エ・オーリオのバリエーションのひとつとして捉えられているため、この略称は通用しない。日本ではオリーブ・オイル・ベースのパスタソースの総称としてペペロンチーノという名称を使うケースが見られるようになり、様々な具を追加したレシピもペペロンチーノと呼んだり、中には唐辛子やニンニクを使わないレシピですらペペロンチーノと呼ぶケースがあるが、本来の意味からはかけ離れている。", "title": "日本の食文化への順応" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "また日本では材料に一般的に同じロングパスタでもスパゲッティ(約1.9 mm)よりも細目の、スパゲッティーニ(約1.6 mm)やフェデリーニ(約1.4 mm)が使われることが多い。", "title": "日本の食文化への順応" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本人として初めてイタリアへ料理留学した𠮷川敏明が、「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ」だと覚えにくいと考えたため「ディスペラート」(絶望の)と紹介した。", "title": "日本の食文化への順応" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "本場イタリアと異なり、日本ではレストランでも良く見かけるメニューである。", "title": "日本の食文化への順応" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ソースはニンニク、オリーブ・オイル、唐辛子のみ。これに多めの塩を加えてパスタを茹でた湯を加えることで、オリーブオイルの乳化を促してパスタと絡みやすくする。またこれにより、塩気と小麦粉の旨味を補う。", "title": "典型となる材料の例" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "後は好みによってイタリアンパセリなどのハーブ類、胡椒やアンチョビを加える程度だが、日本ではアレンジレシピとしてパンチェッタやベーコン、野菜類や魚介類を加えたり、ブイヨンなどで味をしっかりとつけて出す店もある。", "title": "典型となる材料の例" } ]
アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノは、イタリア料理の一種。日本ではパスタ料理として、ペペロンチーノの略称で広く知られている。 イタリア語で、アーリオ(aglio)はニンニクを、オーリオ(olio)は油(特にオリーブ・オイル)を、ペペロンチーノ (peperoncino)は唐辛子を意味する。また、イタリア語の「e」は接続詞で、日本語の「と」、英語の「and」と同義であり、「Pasta aglio, olio e peperoncino」は「ニンニクとオリーブオイルと唐辛子のパスタ」となる。
{{Otheruses|イタリア料理|[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]に所属するバーチャルYouTuber|アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ (VTuber)}} {{出典の明記|date=2016年2月}} {{Infobox prepared food | name = アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ | image = Aglio_e_olio.jpg | caption =スパゲッティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ | alternate_name = | country = {{ITA}} | national_cuisine = [[イタリア料理]] | enname = Spaghetti aglio e olio | year = | mintime = | maxtime = | type = | course = [[プリモ・ピアット]] | served = 熱々 | main_ingredient = *[[スパゲッティ]]または[[パスタ]] *[[ニンニク]] *[[オリーブ・オイル]] *[[唐辛子]] | minor_ingredient = | variations = | serving_size = | calories = | protein = | fat = | carbohydrate = | glycemic_index = | similar_dish = | other = | complexity = }} '''アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ'''({{lang-it-short|Aglio, olio e peperoncino}})は、[[イタリア料理]]の一種。[[日本]]では[[パスタ]]料理として、'''ペペロンチーノ'''の略称で広く知られている。 イタリア語で、アーリオ(aglio)は[[ニンニク]]を、オーリオ(olio)は[[油]](特に[[オリーブ・オイル]])を、ペペロンチーノ (peperoncino)は[[唐辛子]]を意味する。また、イタリア語の「e」は接続詞で、日本語の「と」、英語の「and」と同義であり、「'''Pasta''' aglio, olio e peperoncino」は「ニンニクとオリーブオイルと唐辛子のパスタ」となる<ref>{{Cite web|和書|title=「ペペロンチーノ」の語源・由来 | 蒲田で接待にも使える鉄板焼き店なら鉄板焼 野澤 |url=http://teppanyaki-nozawa.jp/blog/2032 |website=蒲田で接待にも使える鉄板焼き店なら鉄板焼 野澤 |accessdate=2022-02-14 |language=ja}}</ref>。 == 概要 == === パスタ・アーリオ・エ・オーリオ === [[カンパニア州]][[ナポリ]]を起源とするシンプルでベーシックなパスタ料理であり<ref name=":02">{{Cite web|title=VERMICELLI AGLIO E OLIO|url=https://www.accademiaitalianadellacucina.it/en/ricette/ricetta/vermicelli-aglio-e-olio|website=www.accademiaitalianadellacucina.it|accessdate=2022-01-11|publisher=Accademia Italiana della Cucina|language=it}}</ref>、特にそのシンプルさゆえに「小さなナポリ料理」という意味のクッチーナ・ピッチーナ・[[ナポリ|パルテノペア]] (伊: cucina piccina partenopea) や、「貧しい人々の食事」 (伊: piatti poveri) というサブ・カテゴリーに分類される一品である<ref>{{Cite book|洋書|title=La cucina napoletana|url=https://www.worldcat.org/oclc/955283329|publisher=Grimaldi & C|date=2010|location=Napoli|isbn=978-88-89879-58-0|oclc=955283329|first=Jeanne|last=Caròla Francesconi|language=it}}</ref>。なお[[パルテノペ]]はナポリの古名で、パルテノペアで[[形容詞#欧州言語の形容詞|女性形形容詞]]の「ナポリの」という意味になる。 パスタは主に[[スパゲッティ]]、[[ヴェルミチェッリ]]<ref group="注釈">イタリアではヴェルミチェッリはスパゲッティより太いロングパスタである。</ref><ref>{{Cite web|title=Vermicelli|url=https://sharethepasta.org/pasta-shapes/vermicelli/|website=Share the Pasta|date=2018-08-24|accessdate=2022-01-11|language=en-US}}</ref>か[[リングイネ|リングイーネ]]が使われ、[[塩茹で]]したヴェルミチェッリを弱火で焦がさないように[[オリーブ・オイル]]で黄金色に炒めた薄切りニンニクで和えたものをヴェルミチェッリ・アーリオ・エ・オーリオ(伊: vermicellii aglio e olio)と呼ぶ<ref name=":02" />。 === スパゲッティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ === パスタ・アーリオ・エ・オーリオの特にスパゲッティで作られたものに唐辛子を加えたものをスパゲッティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(伊: Spaghetti aglio, olio e peperoncino)と呼び、こちらは[[ラツィオ州]]のローマの料理とされる<ref>{{Cite web|title=SPAGHETTI AGLIO, OLIO E PEPERONCINO|url=https://www.accademiaitalianadellacucina.it/en/ricette/ricetta/spaghetti-aglio-olio-e-peperoncino|website=www.accademiaitalianadellacucina.it|accessdate=2022-01-11|publisher=Accademia Italiana della Cucina|language=it}}</ref>。 アーリオ・オーリオは、イタリアでは主に家庭での軽食や夜食([[日本料理|和食]]に例えれば「[[茶漬け]]」や「塩[[おにぎり|むすび]]」のような)として食べられることが多い。レストランのメニューとして並ぶ事はほとんどないが、敢えて注文すれば出てくることが多い。ただし、イタリアでは現地パスタレシピの原点のような位置づけとみなされており、また材料の良し悪しが味に影響しやすいだけに細部にまでこだわりを持つイタリア人も多い{{要出典|date=2022年1月}}。 == 日本の食文化への順応 == 日本には唐辛子入りのレシピが最初に紹介されたために「ペペロンチーノ」と呼ばれるようになったが、諸外国ではアーリオ・エ・オーリオのバリエーションのひとつとして捉えられているため、この略称は通用しない。日本ではオリーブ・オイル・ベースのパスタソースの総称としてペペロンチーノという名称を使うケースが見られるようになり、様々な具を追加したレシピもペペロンチーノと呼んだり、中には唐辛子やニンニクを使わないレシピですらペペロンチーノと呼ぶケースがあるが、本来の意味からはかけ離れている{{要出典|date=2022年1月}}。 また日本では材料に一般的に同じロングパスタでもスパゲッティ(約1.9 [[ミリメートル|mm]])よりも細目の、スパゲッティーニ(約1.6 mm)やフェデリーニ(約1.4 mm)が使われることが多い{{要出典|date=2022年1月}}。 日本人として初めてイタリアへ料理留学した𠮷川敏明が、「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ」だと覚えにくいと考えたため「ディスペラート」(絶望の)と紹介した<ref>{{Cite web|和書|title=「絶望」と名付けられたパスタ|url=https://cuisine-kingdom.com/toshiaki-yoshikawa/|accessdate=2022-02-18|publisher=料理王国}}</ref>。 本場イタリアと異なり、日本ではレストランでも良く見かけるメニューである。 == 典型となる材料の例 == [[ソース (調味料)|ソース]]はニンニク、オリーブ・オイル、唐辛子のみ。これに多めの塩を加えてパスタを茹でた湯を加えることで、オリーブオイルの[[エマルション#料理におけるエマルション|乳化]]を促してパスタと絡みやすくする。またこれにより、塩気と[[小麦粉]]の旨味を補う。 後は好みによって[[イタリアンパセリ]]などの[[ハーブ]]類、[[コショウ|胡椒]]やアンチョビを加える程度だが、日本ではアレンジレシピとして[[パンチェッタ]]や[[ベーコン]]、[[野菜]]類や[[魚介類]]を加えたり、[[ブイヨン]]などで味をしっかりとつけて出す店もある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} === 関連書籍 === {{参照方法|date=2022年1月|section=1}} {{Citation|和書|title=一流シェフが手ほどきする パスタ&ピッツァ |publisher=[[世界文化社]] |series=別冊[[家庭画報]] |isbn=4-418-97101-7 }} :アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノのレシピが9人のシェフによって9通り紹介されている。 {{Citation|和書|title=アーリオ オーリオのつくり方 明日も食べたいパスタ読本 |publisher=[[集英社]] |series=[[集英社文庫]] |isbn=4-08-747046-6 }} :イタリア料理店のオーナーシェフが、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノについて語ったエッセー集。レシピも幾つか紹介されている。 == 関連項目 == {{Commonscat|Spaghetti aglio, olio e peperoncino}} * [[イタリア料理]] * [[ニンニク]] - [[唐辛子]] - [[オリーブ・オイル]] - [[塩]] - [[イタリアンパセリ]] * [[オイルソース]] * [[パスタ]] - [[スパゲッティ]] - [[アルデンテ]] * [[ナポリタン]] - [[ミートソース]] * [[ヴォンゴレ]] {{food-stub}} {{パスタ料理}} {{DEFAULTSORT:あありおおりろへへろんちいの}} [[Category:パスタ料理]] [[Category:ニンニク料理]] [[Category:唐辛子]] [[Category:イタリアの食文化]] [[Category:カンパニア州の食文化]] [[Category:イタリア語の語句]]
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パスタ
パスタ (伊: pasta) は、マカロニ、ペンネ、スパゲッティ、ラザニアなどの、イタリア語での麺食品の総称である。イタリア料理の主要な素材のひとつ。主な原料は小麦粉 (特にデュラム小麦) で、他に水、塩、鶏卵などが用いられる。 パスタは大きく分けると2種類に分類でき、マカロニに代表される小型のショートパスタとスパゲッティに代表される麺状のロングパスタがある。他に団子状や板状のものもある。 イタリアには地方独特のものも含め650種類ものパスタがあると言われており、毎年のように新しい種類が発表されている。乾燥パスタが多く市販されているが、家庭で生パスタを手打ちすることも出来る。 イタリア語 pasta はいくつかの異なる意味を持っている。いずれも英語: paste (ペースト)、フランス語: pâté (パテ) や、英語 pastry (ペイストリー)、フランス語 pâtisserie (パティスリー)、イタリア語 pasticceria (パスティッチェリーア) などと同じ語源をもち、俗ラテン語の pasta (パスタ。生地、練りもの) に由来するものである。 日本語や英語などでの用法は上記 1. に近く、加えて 1. のパスタを使った「パスタ料理」を単にパスタと呼ぶことも多い。本項ではこれらの用法にもとづいて解説している。 なお、類語としてパスタシュッタ (伊: pastasciutta) があり、上記 1. とほぼ同じ意味で使われたり、乾燥パスタの別名などとされることがあるが、これは本来、「スープパスタ以外のパスタ料理」を指す言葉である。 スープパスタ (パスタ・イン・ブロード、伊: pasta in brodo) が最も一般的なパスタの献立であった時代に、パスタをスープに入れる代わりにソースをかけて食べる食べ方を明示的に「パスタ・アシュッタ」 (伊: pasta asciutta, 乾いたパスタ) と呼んで区別した名残りなのだという。 イタリア半島におけるパスタの歴史は大変古い。チェルヴェーテリにある紀元前4世紀のエトルリア人の遺跡からは現在のものとほぼ同じ形態のパスタを作る道具が出土している。古代ローマ時代にはラガーナ (lagana) というパスタがあったが、現在のように茹でて食べるものではなく、焼いたり揚げたりして食べた。 その後パスタは、肉、ミルクなどと共に茹でられて食べられていた。1000年頃からチーズと共に食べられ、13世紀の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が砂糖をかけて食したのを始め、金持ちはシナモンなどの香辛料をかけていた。 現在と同じような食べ方をしている事を記録している最古の書物は、1224年8月2日付のジェノヴァの公正証書 (ベルガモの医師ルッジェーノが患者の羊毛商人ボッソにあてた文章) である。 現在見られるような乾燥パスタが普及したのは、16世紀半ばにナポリで飢饉に備えるために保存食が必要になったことがきっかけであったとされ、ダイスを用いた押し出し製法が発明され低コストでの量産が可能となった。この普及は民衆にパスタを日常的に食べる機会を与えたともいい、それまで打ち立ての麺の旨さを味わえた富裕層以外にも、「ご馳走」としてではなく賞味できるようになった。ナポリ近郊のグラニャーノ (Gragnano)で生産されるパスタは世界的に著名でありIGPに指定されている。 18世紀初めまでは、スパゲッティは民衆の食べもので、チーズだけをかけて手でつかみ、頭上にかざして下から食べるものであった。1770年代、庶民の風俗を深く愛したナポリ国王フェルディナンド2世が宮廷で毎日スパゲッティを供することを命じ、この時にスパゲッティを品良く食べるため、からみやすいように先が4本のフォークが考案されたと言われる。 1554年、医者であるアンドレア・マッテイオーリがトマトを使ったソースを作る試みをした。17世紀末、料理人アントニオ・ラティーニのスペイン風トマトソースがきっかけとなり、パスタをトマトソースで食べる食べ方が普及した。 1995年10月25日に、イタリア・ローマで第1回世界パスタ会議が開催されたことを記念して、毎年10月25日が世界パスタデーに制定された。EUやイタリアパスタ製造業者連合会などが合同でパスタの販売促進キャンペーンを行っている。 イタリア料理の正餐 (antipasto「前菜」、primo piatto「第一の皿」、secondo piatto「第二の皿」、dolce「デザート」、コーヒーまたはグラッパを順番に食す) では、主菜である secondo piatto の肉料理や魚料理の前に「プリモ・ピアット」 (「第一の皿」、primo piatto) として供する。日本人の視点から見ると「パスタは前菜なのでパスタだけを注文することはできない」と言われることがあるが、イタリア人にとってもイタリアのフルコースは量が多すぎるため、正餐のうちの一部の料理、secondo piatto とパンで食事を済ませることは一般的である。したがって、パスタだけを注文することもよほど高級なレストランでない限り問題ない。 アメリカ合衆国とイギリスではマカロニ・アンド・チーズがよく食べられており、食堂やスーパーマーケットの惣菜コーナーで提供されているほか、様々なインスタント食品としても売られている。また、アメリカのスパゲッティ・ウィズ・ミートボールも世界的に有名である。アングロアメリカでは茹でたショートパスタと生野菜をサラダドレッシングで和えたパスタサラダも人気がある。パスタ料理を専門としたレストランチェーンもあり、ショッピングモールやレストエリアのフードコートでもよく見られる。 日本では、幕末に外国人居留地で食べられ始め、1883年頃にフランス人のマルク・マリー・ド・ロ神父が長崎市で製造したのが始まりである。1928年に、日本で初めての国産スパゲッティをボルカノが製造販売、1955年、日本マカロニ (マ・マカローニ) の設立、オーマイブランド (ニップン) の発売が始まった。戦後日本のパスタ普及に貢献したのがスパゲッティ・ナポリタンの流行である。ミートソーススパゲティやナポリタンは、戦後のデパート食堂や喫茶店で定番のメニューとなった。 1970年代にはファミリーレストランのメニューとしても登場し、1980年代にはイタリア人やイタリアで修業をしてきた日本人により本格的なイタリアンレストランが開業され、1990年代には「イタめし」の流行が起きた。 本来のイタリア料理としてだけでなく、イタリアンスパゲッティ、梅しそやたらこスパゲッティ、納豆や刻み海苔など、日本独自の味付けによるスパゲッティ料理も数多く存在し、スパゲッティ屋やパスタハウスと呼ばれるレストランもある。肉料理や弁当などにスパゲッティやマカロニサラダが付け合わせとして添えられることも珍しくない。 タイでは、スパゲッティキーマオというバジルやニンニク、唐辛子、ナンプラーなどを使用したパッキーマオの味付けのパスタ料理が存在している。 各国ではレトルト食品や瓶詰・缶詰のソースが売られており、簡便に食事が取れることから、米やパンに替わる主食としてパスタが広く普及している。 主な原料は小麦粉であり、中でもデュラム小麦のセモリナ (粗挽き粉) を使ったものが最も良いとされる。デュラム小麦はガラス質と呼ばれる半透明の硬い胚乳が特徴で、パンやうどんなどに適した小麦とは性質が異なっている。 基本的にはこのデュラムセモリナ粉に水、塩などの材料を入れて混ぜ合わせ、空気を抜くように捏ね上げる。生パスタは日本の麺類と同じように仕上げるが (麺切りと押し出しの両方の方法がある。)、乾燥パスタの場合は成形する機械の中に捏ねた材料を入れ、できるだけ空気を抜きながら押し出すように成形し、そのまま乾燥させるのが通常である (この成形の際には、半固形の捏ねた材料をダイスを通して押し出すのだが (参考:押出成形)、そのダイスの形状及び表面の性質がパスタの形状及び麺表面の性質を決める事になる。近年はダイス形状の工夫により、スパゲッティーニの太さで3分程度の茹で時間のパスタも各社から出てきている。)。薄い黄色はデュラム小麦自体の色。 なお、イタリアにおいては法律によって、乾燥パスタはデュラムセモリナ粉と水で作ることをパスタ生産者に義務付けている。生パスタは普通コムギの小麦粉を使って作られることが多い。 風味もしくは彩りを持たせるために、生地にイカ墨、唐辛子、ホウレンソウ、トマトなどを練り込む場合もある。生パスタには鶏卵が入ることが多い。 ロンバルディア州ヴァルテッリーナには、そば粉を使用したピッツォッケリと呼ばれるパスタが存在する。 その他、米粉を原料としたパスタも作られている。小麦が入ったパスタを食べることができないセリアック病の人が食べられる数少ないパスタである。 パスタの主な栄養素は炭水化物 (糖質) であるため、糖質制限ダイエットなどにおいて目の敵にされがちであった。だが2018年、カナダ・トロントのセント・マイケルズ病院(英語版)の研究チームにより、実際にはGI値の低い食品であり、たとえ精白小麦を原料に使用している場合でも、パスタはほかの精白小麦食品と比べて平均的にビタミンやミネラルなどの微量栄養素の含有量が多いことや全粒粉を使用したものでもGI値には通常のものと大きな違いがないことが明らかとなった。 これにより「同じ炭水化物でも白米やパンとは違う」特徴があることが解明されることとなり、研究チームは論文で、 と記している。 また、研究論文の筆頭筆者で、同病院の臨床栄養・リスク緩和センターに所属する臨床科学者のジョン・シーベンパイパーは、「太ると敬遠されるパスタは、実際は低GI食として、健康的な食事のメニューに加えて良さそうだ」とコメントしており、研究の結果においては、「パスタを食べても太ることはないと、ある程度の確証を持って言うことができる」と述べている。 同研究結果は学術誌「BMJオープン(英語版)」に掲載された。 パスタはソースと組合わせて食べる。以下にその主な種類。 パスタとソースには相性があり、例えばナポリではスパゲッティ (ヴェルミチェッリ) はトマトソースやミートソースと、リングィーニは魚介類と合わせることが多い。 日本ではたらこスパゲッティや、納豆、梅、きのこなどを使った和風のソースも数多くあり、軽食として供されてきたナポリタンもまた日本独特のものである。 日本ではソースがスープ状で粘度が低いパスタ料理がありスープパスタと呼ばれるが、イタリアのパスタソースは通常ソースがパスタに絡みついたものとなる。イタリアで類似のものとしてはスープにパスタを入れた料理となるが、あくまでもスープとして位置づけられる。 カンパーニア地方では、豆 (いんげん豆、レンズ豆、ひよこ豆、グリーンピース)、じゃがいも、かぼちゃなどをパスタと煮たスープがよく作られる。スープに入れたパスタは柔らかくなるまで煮込むのが普通で、アルデンテの状態で食べることはまずない。スープに入れるパスタの形状は管状のパスタ、幅広のパスタ、パスタ・ミスタ、折ったヴァーミチェリまたはカペッリーニなど様々である。具によって好まれるパスタの種類が異なり、例えば豆の入ったスープでは、豆が中に入るような管状のパスタが特に好まれるが、スープに入れるパスタの種類は地域によっても異なる。 パスタを使ったミネストラはイタリアの他の地域にも存在する。いんげん豆とパスタのミネストラ (パスタ・エ・ファジョーリ) はその最も一般的なものである。またトスカーナ州ルッカ県では、折ったラザーニェ、じゃがいも、トマトを煮込んだミネストラが作られている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "パスタ (伊: pasta) は、マカロニ、ペンネ、スパゲッティ、ラザニアなどの、イタリア語での麺食品の総称である。イタリア料理の主要な素材のひとつ。主な原料は小麦粉 (特にデュラム小麦) で、他に水、塩、鶏卵などが用いられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "パスタは大きく分けると2種類に分類でき、マカロニに代表される小型のショートパスタとスパゲッティに代表される麺状のロングパスタがある。他に団子状や板状のものもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "イタリアには地方独特のものも含め650種類ものパスタがあると言われており、毎年のように新しい種類が発表されている。乾燥パスタが多く市販されているが、家庭で生パスタを手打ちすることも出来る。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "イタリア語 pasta はいくつかの異なる意味を持っている。いずれも英語: paste (ペースト)、フランス語: pâté (パテ) や、英語 pastry (ペイストリー)、フランス語 pâtisserie (パティスリー)、イタリア語 pasticceria (パスティッチェリーア) などと同じ語源をもち、俗ラテン語の pasta (パスタ。生地、練りもの) に由来するものである。", "title": "語釈" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "日本語や英語などでの用法は上記 1. に近く、加えて 1. のパスタを使った「パスタ料理」を単にパスタと呼ぶことも多い。本項ではこれらの用法にもとづいて解説している。", "title": "語釈" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "なお、類語としてパスタシュッタ (伊: pastasciutta) があり、上記 1. とほぼ同じ意味で使われたり、乾燥パスタの別名などとされることがあるが、これは本来、「スープパスタ以外のパスタ料理」を指す言葉である。 スープパスタ (パスタ・イン・ブロード、伊: pasta in brodo) が最も一般的なパスタの献立であった時代に、パスタをスープに入れる代わりにソースをかけて食べる食べ方を明示的に「パスタ・アシュッタ」 (伊: pasta asciutta, 乾いたパスタ) と呼んで区別した名残りなのだという。", "title": "語釈" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "イタリア半島におけるパスタの歴史は大変古い。チェルヴェーテリにある紀元前4世紀のエトルリア人の遺跡からは現在のものとほぼ同じ形態のパスタを作る道具が出土している。古代ローマ時代にはラガーナ (lagana) というパスタがあったが、現在のように茹でて食べるものではなく、焼いたり揚げたりして食べた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "その後パスタは、肉、ミルクなどと共に茹でられて食べられていた。1000年頃からチーズと共に食べられ、13世紀の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が砂糖をかけて食したのを始め、金持ちはシナモンなどの香辛料をかけていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "現在と同じような食べ方をしている事を記録している最古の書物は、1224年8月2日付のジェノヴァの公正証書 (ベルガモの医師ルッジェーノが患者の羊毛商人ボッソにあてた文章) である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "現在見られるような乾燥パスタが普及したのは、16世紀半ばにナポリで飢饉に備えるために保存食が必要になったことがきっかけであったとされ、ダイスを用いた押し出し製法が発明され低コストでの量産が可能となった。この普及は民衆にパスタを日常的に食べる機会を与えたともいい、それまで打ち立ての麺の旨さを味わえた富裕層以外にも、「ご馳走」としてではなく賞味できるようになった。ナポリ近郊のグラニャーノ (Gragnano)で生産されるパスタは世界的に著名でありIGPに指定されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "18世紀初めまでは、スパゲッティは民衆の食べもので、チーズだけをかけて手でつかみ、頭上にかざして下から食べるものであった。1770年代、庶民の風俗を深く愛したナポリ国王フェルディナンド2世が宮廷で毎日スパゲッティを供することを命じ、この時にスパゲッティを品良く食べるため、からみやすいように先が4本のフォークが考案されたと言われる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1554年、医者であるアンドレア・マッテイオーリがトマトを使ったソースを作る試みをした。17世紀末、料理人アントニオ・ラティーニのスペイン風トマトソースがきっかけとなり、パスタをトマトソースで食べる食べ方が普及した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1995年10月25日に、イタリア・ローマで第1回世界パスタ会議が開催されたことを記念して、毎年10月25日が世界パスタデーに制定された。EUやイタリアパスタ製造業者連合会などが合同でパスタの販売促進キャンペーンを行っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "イタリア料理の正餐 (antipasto「前菜」、primo piatto「第一の皿」、secondo piatto「第二の皿」、dolce「デザート」、コーヒーまたはグラッパを順番に食す) では、主菜である secondo piatto の肉料理や魚料理の前に「プリモ・ピアット」 (「第一の皿」、primo piatto) として供する。日本人の視点から見ると「パスタは前菜なのでパスタだけを注文することはできない」と言われることがあるが、イタリア人にとってもイタリアのフルコースは量が多すぎるため、正餐のうちの一部の料理、secondo piatto とパンで食事を済ませることは一般的である。したがって、パスタだけを注文することもよほど高級なレストランでない限り問題ない。", "title": "各国では" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国とイギリスではマカロニ・アンド・チーズがよく食べられており、食堂やスーパーマーケットの惣菜コーナーで提供されているほか、様々なインスタント食品としても売られている。また、アメリカのスパゲッティ・ウィズ・ミートボールも世界的に有名である。アングロアメリカでは茹でたショートパスタと生野菜をサラダドレッシングで和えたパスタサラダも人気がある。パスタ料理を専門としたレストランチェーンもあり、ショッピングモールやレストエリアのフードコートでもよく見られる。", "title": "各国では" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "日本では、幕末に外国人居留地で食べられ始め、1883年頃にフランス人のマルク・マリー・ド・ロ神父が長崎市で製造したのが始まりである。1928年に、日本で初めての国産スパゲッティをボルカノが製造販売、1955年、日本マカロニ (マ・マカローニ) の設立、オーマイブランド (ニップン) の発売が始まった。戦後日本のパスタ普及に貢献したのがスパゲッティ・ナポリタンの流行である。ミートソーススパゲティやナポリタンは、戦後のデパート食堂や喫茶店で定番のメニューとなった。", "title": "各国では" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1970年代にはファミリーレストランのメニューとしても登場し、1980年代にはイタリア人やイタリアで修業をしてきた日本人により本格的なイタリアンレストランが開業され、1990年代には「イタめし」の流行が起きた。", "title": "各国では" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "本来のイタリア料理としてだけでなく、イタリアンスパゲッティ、梅しそやたらこスパゲッティ、納豆や刻み海苔など、日本独自の味付けによるスパゲッティ料理も数多く存在し、スパゲッティ屋やパスタハウスと呼ばれるレストランもある。肉料理や弁当などにスパゲッティやマカロニサラダが付け合わせとして添えられることも珍しくない。", "title": "各国では" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "タイでは、スパゲッティキーマオというバジルやニンニク、唐辛子、ナンプラーなどを使用したパッキーマオの味付けのパスタ料理が存在している。", "title": "各国では" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "各国ではレトルト食品や瓶詰・缶詰のソースが売られており、簡便に食事が取れることから、米やパンに替わる主食としてパスタが広く普及している。", "title": "各国では" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "主な原料は小麦粉であり、中でもデュラム小麦のセモリナ (粗挽き粉) を使ったものが最も良いとされる。デュラム小麦はガラス質と呼ばれる半透明の硬い胚乳が特徴で、パンやうどんなどに適した小麦とは性質が異なっている。", "title": "原料・製法" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "基本的にはこのデュラムセモリナ粉に水、塩などの材料を入れて混ぜ合わせ、空気を抜くように捏ね上げる。生パスタは日本の麺類と同じように仕上げるが (麺切りと押し出しの両方の方法がある。)、乾燥パスタの場合は成形する機械の中に捏ねた材料を入れ、できるだけ空気を抜きながら押し出すように成形し、そのまま乾燥させるのが通常である (この成形の際には、半固形の捏ねた材料をダイスを通して押し出すのだが (参考:押出成形)、そのダイスの形状及び表面の性質がパスタの形状及び麺表面の性質を決める事になる。近年はダイス形状の工夫により、スパゲッティーニの太さで3分程度の茹で時間のパスタも各社から出てきている。)。薄い黄色はデュラム小麦自体の色。", "title": "原料・製法" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "なお、イタリアにおいては法律によって、乾燥パスタはデュラムセモリナ粉と水で作ることをパスタ生産者に義務付けている。生パスタは普通コムギの小麦粉を使って作られることが多い。", "title": "原料・製法" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "風味もしくは彩りを持たせるために、生地にイカ墨、唐辛子、ホウレンソウ、トマトなどを練り込む場合もある。生パスタには鶏卵が入ることが多い。", "title": "原料・製法" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ロンバルディア州ヴァルテッリーナには、そば粉を使用したピッツォッケリと呼ばれるパスタが存在する。", "title": "原料・製法" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "その他、米粉を原料としたパスタも作られている。小麦が入ったパスタを食べることができないセリアック病の人が食べられる数少ないパスタである。", "title": "原料・製法" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "パスタの主な栄養素は炭水化物 (糖質) であるため、糖質制限ダイエットなどにおいて目の敵にされがちであった。だが2018年、カナダ・トロントのセント・マイケルズ病院(英語版)の研究チームにより、実際にはGI値の低い食品であり、たとえ精白小麦を原料に使用している場合でも、パスタはほかの精白小麦食品と比べて平均的にビタミンやミネラルなどの微量栄養素の含有量が多いことや全粒粉を使用したものでもGI値には通常のものと大きな違いがないことが明らかとなった。", "title": "栄養と健康" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "これにより「同じ炭水化物でも白米やパンとは違う」特徴があることが解明されることとなり、研究チームは論文で、", "title": "栄養と健康" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "と記している。", "title": "栄養と健康" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、研究論文の筆頭筆者で、同病院の臨床栄養・リスク緩和センターに所属する臨床科学者のジョン・シーベンパイパーは、「太ると敬遠されるパスタは、実際は低GI食として、健康的な食事のメニューに加えて良さそうだ」とコメントしており、研究の結果においては、「パスタを食べても太ることはないと、ある程度の確証を持って言うことができる」と述べている。", "title": "栄養と健康" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "同研究結果は学術誌「BMJオープン(英語版)」に掲載された。", "title": "栄養と健康" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "パスタはソースと組合わせて食べる。以下にその主な種類。", "title": "料理法・ソース" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "パスタとソースには相性があり、例えばナポリではスパゲッティ (ヴェルミチェッリ) はトマトソースやミートソースと、リングィーニは魚介類と合わせることが多い。", "title": "料理法・ソース" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "日本ではたらこスパゲッティや、納豆、梅、きのこなどを使った和風のソースも数多くあり、軽食として供されてきたナポリタンもまた日本独特のものである。", "title": "料理法・ソース" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "日本ではソースがスープ状で粘度が低いパスタ料理がありスープパスタと呼ばれるが、イタリアのパスタソースは通常ソースがパスタに絡みついたものとなる。イタリアで類似のものとしてはスープにパスタを入れた料理となるが、あくまでもスープとして位置づけられる。", "title": "料理法・ソース" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "カンパーニア地方では、豆 (いんげん豆、レンズ豆、ひよこ豆、グリーンピース)、じゃがいも、かぼちゃなどをパスタと煮たスープがよく作られる。スープに入れたパスタは柔らかくなるまで煮込むのが普通で、アルデンテの状態で食べることはまずない。スープに入れるパスタの形状は管状のパスタ、幅広のパスタ、パスタ・ミスタ、折ったヴァーミチェリまたはカペッリーニなど様々である。具によって好まれるパスタの種類が異なり、例えば豆の入ったスープでは、豆が中に入るような管状のパスタが特に好まれるが、スープに入れるパスタの種類は地域によっても異なる。", "title": "料理法・ソース" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "パスタを使ったミネストラはイタリアの他の地域にも存在する。いんげん豆とパスタのミネストラ (パスタ・エ・ファジョーリ) はその最も一般的なものである。またトスカーナ州ルッカ県では、折ったラザーニェ、じゃがいも、トマトを煮込んだミネストラが作られている。", "title": "料理法・ソース" } ]
パスタ は、マカロニ、ペンネ、スパゲッティ、ラザニアなどの、イタリア語での麺食品の総称である。イタリア料理の主要な素材のひとつ。主な原料は小麦粉 (特にデュラム小麦) で、他に水、塩、鶏卵などが用いられる。 パスタは大きく分けると2種類に分類でき、マカロニに代表される小型のショートパスタとスパゲッティに代表される麺状のロングパスタがある。他に団子状や板状のものもある。 イタリアには地方独特のものも含め650種類ものパスタがあると言われており、毎年のように新しい種類が発表されている。乾燥パスタが多く市販されているが、家庭で生パスタを手打ちすることも出来る。
{{出典の明記|date=2023年6月}} {{Otheruses}} [[ファイル:Tagliatelle_al_ragù_(image_modified).jpg|250px|thumb|パスタの一種、ロングパスタに分類される[[タリアテッレ]]を使った伝統的な[[ボロネーゼ]]]] [[File:(Pasta)_by_David_Adam_Kess_(pic.2).jpg|250px|thumb|様々な種類のパスタ]] [[File:Pasta Venice.jpg|250px|thumb|[[イタリア]]、[[ヴェネツィア]]の店頭にディスプレイされる様々な種類のパスタ]] '''パスタ''' ({{lang-it-short|pasta}}) は、[[マカロニ]]、[[ペンネ]]、[[スパゲッティ]]、[[ラザニア]]などの、[[イタリア語]]での[[麺]]食品の総称である。[[イタリア料理]]の主要な素材のひとつ。主な原料は[[小麦粉]] (特に[[デュラムコムギ|デュラム小麦]]) で、他に[[水]]、[[塩]]、[[鶏卵]]などが用いられる。 パスタは大きく分けると2種類に分類でき、マカロニに代表される小型のショートパスタとスパゲッティに代表される麺状のロングパスタがある。他に[[団子]]状や板状のものもある。 [[イタリア]]には地方独特のものも含め650種類ものパスタがあると言われており、毎年のように新しい種類が発表されている。乾燥パスタが多く市販されているが、家庭で生パスタを手打ちすることも出来る。 == 語釈 == イタリア語 {{lang|it|pasta}} はいくつかの異なる意味を持っている。いずれも{{lang-en|[[ペースト|paste]]}} (ペースト)、{{lang-fr|[[パテ (料理)|pâté]]}} (パテ) や、英語 {{lang|en|[[ペイストリー|pastry]]}} (ペイストリー)、フランス語 {{lang|fr|[[パティスリー|pâtisserie]]}} (パティスリー)、イタリア語 [[パスティッチェリーア|{{lang|it|pasticceria}}]] (パスティッチェリーア) などと同じ語源をもち、[[俗ラテン語]]の {{lang|la|pasta}} (パスタ。生地、練りもの) に由来するものである。 # [[イタリア料理]]の[[主食]]の一つである、[[小麦粉]]などを主体とした練り物 (生パスタ)、およびそれを乾燥した製品 (乾燥パスタ) を指す。より厳密には、'''パスタ・アリメンターレ''' ({{lang-it-short|pasta alimentare}}, 「食用の {{lang|it|pasta}}」の意) と呼ぶこともある。日本語の「[[麺]]」に近い用法だが、細長い形状にこだわらない点が異なる<ref group="注">細長い形状にこだわらないという点では、むしろ[[中国語]]の「{{lang|zh-tw|麵}}」 (簡体字「{{lang|zh|面}}」) に非常に近いと言える。</ref>。[[うどん]]や[[蕎麦]]に[[餅]]や[[団子]]も、イタリア語話者から見れば「日本の pasta」ということになる。 # やや広義の用法として、[[菓子]]類も含め、小麦粉を使ったいわゆる[[粉食|粉物]]の生地全般を指す。各種の[[パン]]、[[ピザ]]、[[フォカッチャ]]、各種[[ケーキ]]類や[[マルチパン]]など、さまざまな生地を含む。俗ラテン語の原義に最も近い用法。なお中国語における「麺」も広義ではこの意味の用例がある。 # とくに菓子類において、生地を焼いて出来上がった製品の種類を指す場合がある。 # 派生義として、食品以外のものも含め、ペースト状の製品や物質全般を指す用法がある。日用品の例としてパスタ・ダッチューゲ ({{lang-it-short|pasta d'acciughe}}, [[カタクチイワシ科|アンチョビ]]のペースト)、パスタ・デンティフリーチャ ({{lang-it-short|pasta dentifricia}}, 練り歯磨き) など。 日本語や英語などでの用法は上記 1. に近く、加えて 1. のパスタを使った「パスタ料理」を単にパスタと呼ぶことも多い。本項ではこれらの用法にもとづいて解説している。 なお、類語として'''パスタシュッタ''' ({{lang-it-short|pastasciutta}}) があり、上記 1. とほぼ同じ意味で使われたり、乾燥パスタの別名などとされることがあるが、これは本来、「[[スープ]]パスタ以外のパスタ料理」を指す言葉である。 スープパスタ (パスタ・イン・ブロード、{{lang-it-short|pasta in brodo}}) が最も一般的なパスタの献立であった時代に、パスタをスープに入れる代わりに[[ソース (調味料)|ソース]]をかけて食べる食べ方を明示的に「パスタ・アシュッタ」 ({{lang-it-short|pasta asciutta}}, 乾いたパスタ) と呼んで区別した名残りなのだという<ref>[http://florencefoodie.wordpress.com/2007/07/09/pastasciutta/ Emily Wise Miller - A Food Lover in Florence]</ref>。 <!-- [[:it:pastasciutta|pastasciutta]] は pasta へのリダイレクトとなっているようなのでコメントアウトしておきます。2009-4-24 --> == 歴史 == [[ファイル:6-alimenti, pasta,Taccuino Sanitatis, Casanatense 4182..jpg|thumb|200px|<!--Preparazione della pasta, [[Tacuinum sanitatis]] Casanatense ([[XIV secolo]]).-->パスタづくり (14世紀)]] [[ファイル:Moser Spaghetti essender Junge.jpg|thumb|200px|『少年とスパゲッティ』ユリウス・モーザー画、[[1808年]]頃]] イタリア半島におけるパスタの歴史は大変古い。[[チェルヴェーテリ]]にある[[紀元前4世紀]]の[[エトルリア人]]の遺跡からは現在のものとほぼ同じ形態のパスタを作る道具が出土している<ref>Schwartz, Arthur. ''Naples at Table''. Harper Collins, New York, 1996. p.128</ref>。<!--その後[[1295年]]頃に、[[マルコ・ポーロ]]が[[中国]]から麺類を持ち帰り、スパゲッティを作ったことから始まるという説があるが、マルコ・ポーロ以前の資料にその存在が記されていることなどから事実ではないことがわかっている。-->古代ローマ時代にはラガーナ (lagana) というパスタがあったが、現在のように茹でて食べるものではなく、焼いたり揚げたりして食べた。 その後パスタは、[[食肉|肉]]、[[乳|ミルク]]などと共に茹でられて食べられていた。1000年頃から[[チーズ]]と共に食べられ、[[13世紀]]の[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]が[[砂糖]]をかけて食したのを始め、金持ちは[[シナモン]]などの香辛料をかけていた<ref name="池上">池上俊一『パスタでたどるイタリア史』岩波ジュニア新書</ref>。 現在と同じような食べ方をしている事を記録している最古の書物は、[[1224年]]8月2日付の[[ジェノヴァ]]の公正[[証書]] ([[ベルガモ]]の医師ルッジェーノが患者の羊毛商人ボッソにあてた文章) である。 現在見られるような乾燥パスタが普及したのは、[[16世紀]]半ばに[[ナポリ]]で飢饉に備えるために保存食が必要になったことがきっかけであったとされ、ダイスを用いた押し出し製法が発明され低コストでの量産が可能となった。この普及は民衆にパスタを日常的に食べる機会を与えたともいい、それまで打ち立ての麺の旨さを味わえた富裕層以外にも、「ご馳走」としてではなく賞味できるようになった<ref>石毛直道『世界の食べもの 食の文化地理』P234 講談社学術文庫。</ref>。ナポリ近郊の[[:it:Gragnano|グラニャーノ (Gragnano)]]で生産されるパスタは世界的に著名でありIGPに指定されている。<!--[https://it.wikipedia.org/wiki/Pasta_di_Gragnano]--> [[18世紀]]初めまでは、スパゲッティは民衆の食べもので、チーズだけをかけて手でつかみ、頭上にかざして下から食べるものであった。[[1770年代]]、庶民の風俗を深く愛したナポリ国王[[フェルディナンド1世 (両シチリア王)|フェルディナンド2世]]が宮廷で毎日スパゲッティを供することを命じ、この時にスパゲッティを品良く食べるため、からみやすいように先が4本の[[フォーク (食器)|フォーク]]が考案されたと言われる。 [[1554年]]、医者であるアンドレア・マッテイオーリが[[トマト]]を使ったソースを作る試みをした。17世紀末、料理人アントニオ・ラティーニのスペイン風[[トマトソース]]がきっかけとなり、パスタをトマトソースで食べる食べ方が普及した<ref name="池上"/>。 [[1995年]][[10月25日]]に、[[イタリア]]・[[ローマ]]で第1回世界パスタ会議が開催されたことを記念して、毎年10月25日が'''世界パスタデー'''に制定された。[[欧州連合|EU]]やイタリアパスタ製造業者連合会などが合同でパスタの販売促進キャンペーンを行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.walkerplus.com/article/34114/ |title=10月25日は世界パスタデー |accessdate=2014-10-25}}</ref>。 == 各国では == [[イタリア料理]]の正餐 (antipasto「[[オードブル|前菜]]」、primo piatto「第一の皿」、secondo piatto「第二の皿」、dolce「[[デザート]]」、[[コーヒー]]または[[グラッパ]]を順番に食す) では、主菜である secondo piatto の[[食肉|肉]]料理や[[魚類|魚]]料理の前に「プリモ・ピアット」 (「第一の皿」、primo piatto) として供する。日本において「パスタは前菜なのでパスタだけを注文することはできない」と言われることがあるが、イタリア人にとってもイタリアのフルコースは量が多すぎるため、正餐のうちの一部の料理、secondo piatto とパンで食事を済ませることは一般的である。したがって、よほど高級なレストランでない限りパスタだけを注文することも問題ではない。 === 英語圏 === [[アメリカ合衆国]]と[[イギリス]]では[[マカロニ・アンド・チーズ]]がよく食べられており、[[飲食店|食堂]]や[[スーパーマーケット]]の[[惣菜]]コーナーで提供されているほか、様々な[[インスタント食品]]としても売られている。また、アメリカの[[スパゲッティ・ウィズ・ミートボール]]も世界的に有名である。[[アングロアメリカ]]では茹でたショートパスタと生野菜を[[サラダドレッシング]]で和えた[[パスタサラダ]]も人気がある。パスタ料理を専門としたレストランチェーンもあり、[[ショッピングセンター|ショッピングモール]]やレストエリアの[[フードコート]]でもよく見られる。 === 日本 === {{Main|#日本におけるスパゲッティの歴史|ナポリタン#日本への伝来}} [[日本]]では、幕末に[[外国人居留地]]で食べられ始め、1883年頃にフランス人の[[マルク・マリー・ド・ロ]]神父が長崎市で製造したのが始まりである。1928年に、日本で初めての国産スパゲッティを[[日本製麻|ボルカノ]]が製造販売、[[1955年]]、日本マカロニ (マ・マカローニ) の設立、オーマイブランド ([[ニップン]]) の発売が始まった。戦後日本のパスタ普及に貢献したのが[[スパゲッティ]]・[[ナポリタン]]の流行である<ref>{{Cite book |和書|title=ニッポン定番メニュー事始め |publisher=[[彩流社]]|author=澁川祐子|page=41}}</ref>。ミートソーススパゲティやナポリタンは、戦後のデパート食堂や喫茶店で定番メニューとなった。 1970年代には[[ファミリーレストラン]]のメニューとしても登場し、1980年代にはイタリア人やイタリアで修業をしてきた日本人により本格的なイタリアンレストランが開業され、1990年代には「[[イタめし]]」の流行が起きた<ref name="池上" />。 本来のイタリア料理としてだけでなく、[[イタリアンスパゲッティ]]、[[梅干し|梅]][[シソ|しそ]]や[[たらこスパゲッティ]]、[[納豆]]や刻み[[海苔]]など、日本独自の味付けによるスパゲッティ料理も数多く存在し、スパゲッティ屋やパスタハウスと呼ばれるレストランもある。肉料理や[[弁当]]などにスパゲッティや[[マカロニサラダ]]が付け合わせとして添えられることも珍しくない。 === タイ === [[タイ王国|タイ]]では、スパゲッティキーマオという[[バジル]]やニンニク、唐辛子、[[ナンプラー]]などを使用した[[パッキーマオ]]の味付けのパスタ料理が存在している<ref>{{Cite web|和書|title=タイ料理:スパゲティキーマオ(สปาเก็ตตี้ผัดขี้เมา) {{!}} タイNavi|url=https://thailand-navi.com/introduce/thai-stir-fried-basil-spaghetti|website=thailand-navi.com|date=2019-03-20|accessdate=2021-01-11|language=ja}}</ref>。 === その他 === 各国では[[レトルト食品]]や[[瓶詰]]・[[缶詰]]の[[ソース (調味料)|ソース]]が売られており、簡便に食事が取れることから、[[米]]や[[パン]]に替わる[[主食]]としてパスタが広く普及している。 == 原料・製法 == [[ファイル:Pasta machine.jpg|thumb|200px|パスタメーカー]] [[ファイル:Pasta2.jpg|thumb|200px|茹でる前のパスタ]] 主な原料は[[小麦粉]]であり、中でも[[デュラムコムギ|デュラム小麦]]の[[セモリナ]] (粗挽き粉) を使ったものが最も良いとされる。デュラム小麦は[[ガラス]]質と呼ばれる半透明の硬い胚乳が特徴で、[[パン]]や[[うどん]]などに適した小麦とは性質が異なっている。 基本的にはこのデュラムセモリナ粉に[[水]]、[[塩]]などの材料を入れて混ぜ合わせ、空気を抜くように捏ね上げる。生パスタは日本の麺類と同じように仕上げるが (麺切りと押し出しの両方の方法がある。)、乾燥パスタの場合は成形する機械の中に捏ねた材料を入れ、できるだけ空気を抜きながら押し出すように成形し、そのまま乾燥させるのが通常である (この成形の際には、半固形の捏ねた材料をダイスを通して押し出すのだが (参考:[[押出成形]])、そのダイスの形状及び表面の性質がパスタの形状及び麺表面の性質を決める事になる。近年はダイス形状の工夫により、スパゲッティーニの太さで3分程度の茹で時間のパスタも各社から出てきている。)。薄い黄色は[[デュラムコムギ|デュラム小麦]]自体の色。 なお、イタリアにおいては法律<ref>[http://www.frascati.enea.it/spp/legislazione/Igiene_alimenti/DPR187_01.pdf DECRETO DEL PRESIDENTE DELLA REPUBBLICA 9 febbraio 2001, n. 187 ]</ref>によって、乾燥パスタはデュラムセモリナ粉と水で作ることをパスタ生産者に義務付けている。生パスタは[[パンコムギ|普通コムギ]]の小麦粉を使って作られることが多い。 風味もしくは彩りを持たせるために、生地に[[イカ墨]]、[[唐辛子]]、[[ホウレンソウ]]、[[トマト]]などを練り込む場合もある。生パスタには[[鶏卵]]が入ることが多い。 [[ロンバルディア州]][[ヴァルテッリーナ]]には、[[蕎麦粉|そば粉]]を使用した[[ピッツォッケリ]]と呼ばれるパスタが存在する。 その他、[[米粉]]を原料としたパスタも作られている。小麦が入ったパスタを食べることができない[[セリアック病]]の人が食べられる数少ないパスタである。 == 栄養と健康 == パスタの主な[[栄養素]]は[[炭水化物]] (糖質) であるため、[[糖質制限ダイエット]]などにおいて目の敵にされがちであった。だが[[2018年]]、[[カナダ]]・[[トロント]]の{{仮リンク|セント・マイケルズ病院|en|St. Michael's Hospital (Toronto)}}の研究チームにより、実際には[[GI値]]の低い食品であり、たとえ精白小麦を原料に使用している場合でも、パスタはほかの精白小麦食品と比べて平均的にビタミンやミネラルなどの微量栄養素の含有量が多いことや[[全粒粉]]を使用したものでもGI値には通常のものと大きな違いがないことが明らかとなった。 これにより「同じ炭水化物でも白米やパンとは違う」特徴があることが解明されることとなり、研究チームは論文で、{{quotation|炭水化物を食べると太るという情報が氾濫しているだけに、この研究結果は重要だ。こうした情報は、毎日の食卓に影響を及ぼしており、炭水化物、特にパスタの消費量は最近になって減少する傾向にあった。}}と記している。 また、研究論文の筆頭筆者で、同病院の臨床栄養・リスク緩和センターに所属する臨床科学者のジョン・シーベンパイパーは、「太ると敬遠されるパスタは、実際は低GI食として、健康的な食事のメニューに加えて良さそうだ」とコメントしており、研究の結果においては、「パスタを食べても太ることはないと、ある程度の確証を持って言うことができる」と述べている。 同研究結果は学術誌「{{仮リンク|BMJオープン|en|BMJ Open}}」に掲載された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/04/post-9882.php |title=「パスタは食べても太らない」──カナダ研究 |date=2018-04-04 |work=[[ニューズウィーク#日本版|ニューズウィーク日本版]] |accessdate=2018-04-08}}</ref>。 == パスタの種類 == === ロングパスタ === [[File:Pasta_2006_1.jpg|thumb|200px|様々なロングパスタ]] [[ファイル:Pasta 2006 5.jpg|thumb|200px|様々な平打ちパスタ]] [[ファイル:Pasta 2006 6.jpg|thumb|200px|様々なパスタ]] [[ファイル:Pasta 2006 7.jpg|thumb|200px|様々なパスタ。上よりコンキリエ、カンネッローニ (2種)、レジネッテ、ラザーニェ]] [[ファイル:Pastasorten1.JPG|thumb|200px|様々なパスタ]] [[ファイル:Pasta 2006 2.jpg|thumb|200px|様々なパスタ]] [[ファイル:Pasta 2006 3.jpg|thumb|200px|様々なパスタ]] [[ファイル:Pasta 2006 4.jpg|thumb|200px|様々なパスタ]] ; [[スパゲッティ]] (spaghetti) : [[デュラムコムギ|デュラム小麦]]の[[セモリナ]]を使った、円形の断面を持つロングパスタ。太さは様々だが、主に{{Nowrap|1.8 [[ミリメートル|mm]]}}前後。名称は「ひも (spago) 」の指小形に由来する。 ; [[スパゲッティ|スパゲッティーニ]] (spaghettini) : 名称はスパゲッティの[[指小辞|指小形]]で、「より細いスパゲッティ」という意味。太さはさまざまだが、その名の通りスパゲッティより細く、{{Nowrap|1.6-1.7 mm}}。 ; [[フェデリーニ]] (fedelini) : 細めのスパゲッティ。{{Nowrap|1.4-1.5 mm}}。 ; [[ヴェルミチェッリ]] (vermicelli) : 名称はミミズやヒルのような長い虫という意味の「ヴェルメ」 (verme) の指小形で「小さいヴェルメ」の意。[[ナポリ]]では、スパゲッティやスパゲッティーニはヴェルミチェッリと呼ばれることの方が多い。スパゲッティよりやや太めの{{Nowrap|2.08-2.14 mm}}。英語読みの「'''ヴァーミセリ'''」としても知られている。 ; [[カペッリーニ]] (capellini) : 円形の断面を持つロングパスタのうち最も細い種類のもので、名称は細さを「髪の毛」 (capelli) に喩えたところから来ている。'''カペッリ・ダンジェロ''' (capelli d'angelo、「[[天使]]の髪の毛」) の別名がある。スープや冷製に用いる。 ; [[リングイネ]] (linguine) : 楕円形の断面を持つパスタ。短径{{Nowrap|1 mm}}、長径{{Nowrap|3 mm}}ほど。 ; [[ブカティーニ]] (bucatini) : 中央に穴の開いているロングパスタ。スパゲッティよりもやや太い。名称は「穴」 (buco) に由来する。 ; [[キタッラ]] (chitarra) : 四角い断面を持つパスタで、[[アブルッツォ州]]の郷土料理に用いられる。スパゲッティ・アッラ・キタッラとも言う。chitarra は「ギター」の意で、このパスタをつくる弦を張った道具の名でもある。 ; [[タリアテッレ]] (tagliatelle) : '''[[フェットゥチーネ]]''' (fettuccine) と呼ぶ地域もある。卵を入れた練り粉をのばして、幅{{Nowrap|7-8 mm}}で平たく切り分けたパスタ。乾燥パスタもある。 ; [[パッパルデッレ]] (pappardelle) : 薄い板状にのばした手打ちパスタを{{Nowrap|20-30 mm}}の幅に切り分けた[[リボン]]状のパスタ。 ; [[ピッツォッケリ]] (pizzoccheri) : 蕎麦を主体とした練り粉を薄く伸ばし、[[きしめん]]状に切り分けた手打ちパスタ。 ; [[パッサテッリ]] (passatelli) : [[パン粉]]と[[チーズ]]、[[ナツメグ]]を混ぜ合わせて生地にし、専用の押し出す道具で太い短めのスパゲッティ状に成形したもの。 ; [[ストロンカテッリ]] (stroncatelli) : スパゲッティ状の[[マルケ州]][[アンコーナ]]地方の手打ち生パスタ。 ; [[タリオリーニ]] (tagliolini) : 卵入りの練り粉を伸ばし、幅{{Nowrap|1-5 mm}}に細長く切り分けた蕎麦状から平ひも状のパスタ。タリエリーニともいう。[[ピエモンテ州]]で人気のパスタで、同州では[[ピエモンテ語]]のタヤリン (tajarin) として知られる。タヤリンは一般的なタリオリーニよりほんの少し細めの場合が多い。 ; [[トレネッテ]] (trenette) : 幅{{Nowrap|3-4 mm}}、厚さ{{Nowrap|1-2 mm}}の断面が長方形の[[リグーリア州]]のパスタ。 ; [[ビゴリ]] (Bigoli) ;[[ピチ (パスタ)]](Pici) : <gallery> Flickr_-_cyclonebill_-_Bacon_og_spaghetti.jpg|[[スパゲッティ]] Fideo_(coiled_vermicelli).JPG|[[ヴェルミチェッリ]] Capelli_angelo.jpg|[[カペッリーニ]] Linguine.jpg|[[リングイネ]] Bucatini.jpg|[[ブカティーニ]] Spaghetti_alla_chitarra.jpg|[[キタッラ]] Fettucine1.JPG|[[フェットゥチーネ]] Pappardelle.jpg|[[パッパルデッレ]] Pizzoccheri.jpg|[[ピッツォッケリ]] Passatelli_3.jpg|[[パッサテッリ]] Taglioni_side.png|[[タリオリーニ]] Trenette.jpg|[[トレネッテ]] Bigoli2.jpg|[[ビゴリ]] File:Pici con albume.jpeg|[[ピチ (パスタ)]] </gallery> === ショートパスタ === ; [[マカロニ|マッケローネ]] (maccherone) : 日本では'''マカロニ'''という表記が一般的。マッケローニはもともと、穴のあいた棒状のものを指す。 ; [[セーダニ]] (sedani) : マカロニよりもやや大型で、わずかに湾曲している。 ; [[ペンネ]] (penne) : [[ペン]]先のように斜めに切られた筒状のパスタ。表面に波状の筋が入ったものは'''ペンネ・リガーテ''' (penne rigate)、小型のものは'''ペンネッテ''' (pennette) と呼ばれる。 ; [[リガトーニ]] (rigatoni) : 外側に波状の筋が入った、太めのショートパスタ。 ; [[ファルファッレ]] (farfalle) : イタリア語で「蝶」の意味。蝶の形をしたパスタ。 ; [[コンキリエ]] (conchiglie) : イタリア語で「貝」の意味。貝殻のように小さく巻いたパスタ。大型のものを'''コンキリオーニ''' (conchiglioni)、小型のものを'''コンキリエッテ''' (conchigliette) とも言う。 ; [[フジッリ]] (fusilli) : [[螺旋]] (らせん) 状のショートパスタ。 ; [[ルオーテ]] (ruote) : 車輪のような形をしたパスタ。[[中華人民共和国|中国]]では、この変型として、内側を「福」や「壽」などの[[漢字]]に変えた物が作られている。[[日本]]では、[[ハローキティ]]などのキャラクターマカロニとして市販されている。 ; [[オレッキエッテ]] (orecchiette) : 「小さな耳」を意味する。[[プッリャ州]]で作られる。 ; {{仮リンク|ガルガネッリ|it|Garganelli}} (garganelli) : [[ロマーニャ]]地方産の手打ちマカロニ。 ; [[ガッセ]] (gasse) : 十文字に結んで結び目を作り、両端を密着させたリグーリア地方のパスタ。 ; [[ステッリーネ]] (stelline) : 星形をしたパスタ。 ; [[ツィーテ]] (zite) : マカロニより太い管状のパスタ。 ; [[カサレッチェ]] (casarecce) : 切り口がS字状で2本のパスタが絡み合っているようなパスタ。シチリア島生まれで主に南イタリアで食される。 ; [[コルツェッティ]] : 直径{{Nowrap|5 [[センチメートル|cm]]}}から{{Nowrap|7 cm}}ほどの平べったい円形のパスタでの総称。イタリア北西部リグーリア州が発祥。専用の木製スタンプで家紋などの模様が押されている。 ; [[ジェメッリ]] : イタリア語の双子から来ているパスタの一種。1本のパスタがS字型にひねってある。 ; [[トロフィエ]] (trofie) : イタリア北西部リグーリア州ジェノヴァで生まれた手打ちのショートパスタ。小麦粉に水、塩、オリーブオイルを加えて練った生地を手のひらで{{Nowrap|4 cm}}から{{Nowrap|5 cm}}の長さの細いひも状に伸ばし、左右の端がねじれた形につくる。 木くず、かんなくずを意味する“TRUCIOLO“が語源。 ; [[パッケリ]] ; [[カヴァタッピ]] (カバタッピ) ≒[[トルテリョーニ]] : <gallery> Macaroni2.jpg|[[マカロニ]] Sedani_zoom.png|[[セーダニ]] Penne_rigate.jpg|[[ペンネ]] Rigatoni.jpg|[[リガトーニ]] Farfalle_Pasta.JPG|[[ファルファッレ]] Conchiglie_rigate.png|[[コンキリエ]] Fusilli.png|[[フジッリ]] Stacchioddi.JPG|[[オレッキエッテ]] Croxetti.png|[[コルツェッティ]] Gemelli.jpg|[[ジェメッリ]] Trofie_pasta_macro.jpg|トロフィエ[[:it:Trofie]] Paccheri3.jpg|[[パッケリ]] Cellentani2.jpg|[[カヴァタッピ]] </gallery> === 詰め物入りのパスタ === ; [[ラビオリ]] ([[w:ravioli|ravioli]]) : 詰め物入りのパスタ。2枚で閉じている。ピエモンテ地方には、[[デル・プリン]] ([[w:Del Plin|Del Plin]]) と呼ばれる、独特の食感のラビオリもある。 ; {{仮リンク|トルテッリ|it|Tortelli}} ([[w:tortelli|tortelli]]) : 詰め物入りのパスタ。1枚で閉じている。 ; [[トルテリーニ|トルテッリーニ]] ([[w:tortellini|tortellini]]) : 小型のトルテッリ。正方形の生地で詰め物を包み、三角形になるように二つに折り、両端を合わせて指輪状にして留める。[[ファルス (料理)|詰め物]]は[[挽肉]]や[[リコッタ]]チーズであることが多い。 ; {{仮リンク|アノリーニ|it|Anolini}} ([[w:anolini|anolini]]) : イタリア北部[[エミリア=ロマーニャ州]]の詰め物入り小形パスタ。 ; [[カルツォニッキ]] ([[w:calzonicchi|calzonicchi]]) : 炒めた[[脳]]と卵のペーストを詰め、三角形にかたどった[[ローマ]]地方のパスタ。 ; [[カンネッローニ]] ([[w:cannelloni|cannelloni]]) : 詰め物を筒型に巻いたパスタ。日本では「'''[[カネロニ]]'''」とも表記される。 ; [[カソンセイ]] ([[w:casonsei|casonsei]]) : 方形状の詰め物入りパスタ。 ; [[チャルツォンス]] ([[w:cialzons|cialzons]]) : イタリア北部、山岳地方の[[ホウレンソウ]]、[[レーズン|干しブドウ]]、卵のペーストを詰めたパスタ。 ; [[クリンジョネス]] ([[w:culingiones|culingiones]]) : [[サルデーニャ]]地方のラビオリ。 ; [[パンツェロッティ]] ([[w:panzerotti|panzerotti]]) : 詰め物をした半月状のパスタ。揚げて食す。 ; {{仮リンク|アグノロッティ|it|Agnolotti piemontesi}} ([[w:agnolotti|agnolotti]]) : イタリアのピエモンテ地方の典型的なパスタの一種。ローストした肉や野菜の詰め物の上に折り畳まれた小さなパスタ生地で作られている。 <gallery> Ravioli_di_lattuga.jpg|[[ラビオリ]] Tortellini_Bolognesi.jpg|[[トルテリーニ]] Cannelloni2.png|[[カネロニ]] Calzone_fritto.jpg|[[パンツェロッティ]] Agnolotti2.jpg|[[:it:Agnolotti]] </gallery> === その他のパスタ === ; [[ラザニア|ラザーニェ]] ([[w:lasagne|lasagne]]) : 板状のパスタ。中には縁に波状のよれを入れた物や、縁をギザギザにカットされたものもある。日本国内では「ラザニア」という呼称が一般的。さらにこれを小さくしたような[[ラザニエッテ]]というパスタも存在する。 ; [[ニョッキ]] ([[w:gnocchi|gnocchi]]) : 潰した[[ジャガイモ]]、ホウレンソウ、リコッタチーズ、[[カボチャ]]などを混ぜて作られる[[ダンプリング]] (団子) 状のパスタ。 ; [[クスクス]] ([[w:Couscous|couscous]]) : [[デュラムコムギ|デュラム小麦]]の[[セモリナ]]に水をふりかけ、粟粒大に丸めたもの。アメリカ以外ではパスタとして扱わない。起源は[[北アフリカ]]で、[[ベルベル人]]の伝統料理とされ、[[モロッコ料理]]などで用いられる。イタリアでは[[シチリア]]、[[サルデーニャ]]、[[リヴォルノ]]で作られる。 ; [[リゾーニ]] ([[w:risoni|risoni]]) : 米粒状のパスタ。元々[[オオムギ]]を原料に作られていたことから、イタリアではオオムギを意味する「'''オルゾ''' (または'''オルゾー''') 」 ('''[[w:Orzo (pasta)|Orzo]]''') と呼ばれることもある<ref group="注">日本では、本来のオオムギの意味と区別するために「オルゾ・パスタ」または「オルゾー・パスタ」といった呼び名も見られる。</ref>。しかし日本では、イタリアの[[バリラ]]社が[[ニップン]]を通じて「risoni」 ([[イタリア語]]で大きな米の意味) という商品名で販売していることからこの名が定着している。現在では[[セモリナ粉]]を原料としており、[[マカロニ]]の一種として分類されることもある。 ; {{仮リンク|マルタリアーティ|it|Maltagliati}} ([[w:maltagliati|maltagliati]]) : 変則の梯形状に切った細長い手打ちパスタ。 ; [[パスタ・ミスタ]] ([[w:pasta mista|pasta mista]]) : 「混ぜたパスタ」の意。「パスタ・ミスキアータ」 (pasta mischiata) とも。パスタ・ミスタとはパスタの種類ではなく、形や大きさの異なるパスタを取り混ぜたもので、主な用途はパスタを使った[[ミネストラ]] (minestra、[[スープ]]の一種) である (「料理法・ソース」で後述)。第一次世界大戦後に包装されたパスタが広く市販されるまでは、パスタは食料品店で量り売りされていた。少量残ったパスタは、欠けたり折れたりしたパスタと混ぜて「ミヌッツァリア」 (minuzzaglia) または「ムンネッツァリア」 (munnezzaglia) と呼び、安い値段で売った。現在では「パスタ・ミスタ」という名称で、箱入りや袋入りの混合パスタが市販されている<ref>Schwartz, Arthur. ''Naples at Table''. Harper Collins, New York, 1996. p.134</ref>。 ; [[フレグラ]] : ; [[トルテッローニ]] : [[サルデーニャ]]のパスタの一種。 <gallery> Lasagnettejp.JPG|[[ラザニエッテ]] GnocchiUpCloseGrooved_(8324575897).jpg|[[ニョッキ]] Organic_couscous-01.jpg|[[クスクス]] Orzo.jpg|[[リゾーニ]] UncookedFregula.jpg|[[フレグラ]] </gallery> == 料理法・ソース == === ギャラリー === [[ファイル:Spaghetti aglio olio e peperoncino by matsuyuki.jpg|thumb|150px|[[アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ]]]] [[ファイル:Spaghetti all' arrabbiata.jpg|thumb|150px|[[アラビアータ]]]] [[ファイル:Carbonara_of_Italian_Tomato_Cafe_(2).jpg|thumb|150px|[[カルボナーラ]]]] [[File:PastaWithPesto.JPG|thumb|150px|[[ジェノヴェーゼ]]]] [[ファイル:Spaghetti vongole 2.jpg|thumb|150px|[[ヴォンゴレ]]]] [[File:Orecchiette_al_Pomodoro.jpg|thumb|150px|[[パスタ・アル・ポモドーロ]]]] [[ファイル:Tortelliniinbrodo.jpg|thumb|150px|トルテッリーニのスープ]] [[File:Frittata-di-spaghetti.jpg|thumb|150px|Frittata di pasta]] === 調理 === [[ファイル:CSIRO_ScienceImage_11385_Pasta_made_from_durum_wheat.jpg|right|thumb|フォーク]] # 大きめの深鍋にたっぷりの湯を沸かし、1%程度の塩を入れる<ref name=tsuji>{{Cite book|和書 |author=[[大阪あべの辻調理師専門学校]]著 |year=2000 |title=パスタプロの隠し技 |publisher=光文社 |isbn=4-334-97285-3 |page=20-23}}</ref>。パスタ100グラムに対して水1リットル、塩10グラムが基本である。200グラム以下のパスタを茹でる場合であっても、最低でも水2リットル程度は必要である。塩には、パスタに[[下味]]をつける、パスタを引き締める、表面がうどんのようにぬるぬるするのを防ぐ (澱粉の糊化を阻害する) といった役割がある。[[ヨーロッパ]]では水の[[硬度 (水)|硬度]]が高いため、塩を入れなくても問題ない。 # パスタを鍋に入れる。全体を湯に浸からせたらくっつかないよう、菜箸などでゆっくり掻き混ぜてほぐす。混ぜすぎるとパスタの表面が傷むのでほどほどに。火加減は強すぎず弱すぎず、ポコポコと沸き続けてパスタが静かに踊る程度である<ref name=tsuji/>。 # パスタがほどよく (ロングパスタであれば一般に[[アルデンテ]]の状態に<ref name=tsuji/>) 茹だったらザルなどに上げる。茹で汁は、ソースに入れることで濃度を調節したり、ソースや具に少量加えてパスタに絡めやすくしたり、パスタがくっついたりぱさぱさになってしまった場合に少量加えてほどくように活用できる。 * 本場、イタリアでは「パスタを食べる際に[[スプーン]]を使うのは、[[子供]]だけ」とされ、[[マナー]]違反であり、[[フォーク (食器)|フォーク]]のみで食べる<ref name="子供">[https://www.moneypost.jp/305458 イタリアでパスタを食べる時にスプーンを使うのは子供だけ] マネーポストWEB、2018年8月9日</ref><ref name="意外">[https://delishkitchen.tv/articles/298 意外と知らない!?パスタの食べ方のマナーを解説!] DELISH KITCHEN、2020年8月14日</ref>。 * [[フォーク (食器)|フォーク]]を[[反時計回り]]に回して巻くと、向かいに座っている人にソースが飛び跳ねる可能性があり、時計回りに回すのがマナーとされる。また「[[反時計回り]]に回して巻くと、不幸になる」という言い伝えがある{{r|子供}}{{r|意外}}。 === 種類 === パスタはソースと組合わせて食べる。以下にその主な種類。 ==== オイルソース ==== * [[アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ]]:[[ニンニク]]、[[オリーブ・オイル]]、[[唐辛子]]を使った最も基本的な料理法。イタリアではチーズを掛けたり余計な具材を追加したりしない。 * [[ヴォンゴレ]] ・ビアンコ:[[アサリ]]の入ったもの。白ワインベース。ペスカトーレやフルッティ・ディ・マーレに近いが、貝以外の魚介類は入らない。 * [[:it:Frutti_di_mare|フルッティ・ディ・マーレ]]/[[:it:Spaghetti_allo_scoglio|アロ・スコーリオ]]:どちらも白ワインベースの魚介類のパスタ。 * [[ネーロ]]:「黒」という意味。[[イカスミスパゲッティ]]。白ワインベース。 * [[:it:Pasta con i peperoni cruschi]] ==== トマトソース ==== {{See also|トマトソース}} * [[アラビアータ]]:怒りん坊風。[[トマトソース]]に唐辛子を混ぜたもの。カッカと熱くなることから。 * [[アマトリチャーナ]]:[[アマトリーチェ]]風。トマトソースに[[タマネギ|玉葱]]、[[パンチェッタ]]。仕上げに[[ペコリーノ・ロマーノ]]。 * [[プッタネスカ]]:娼婦風。トマトに[[オリーブ]]と[[カタクチイワシ科|アンチョビ]]と[[ケッパー]]のパスタ。 * ヴォンゴレ・ロッソ:アサリの入ったもので、トマトソース仕立てのもの。 * [[ペスカトーレ]]:漁師風。[[魚介類]]のパスタ。トマト風味であることが多いが、白[[ワイン]]風味のものもある。 * [[マリナーラ]]:船乗り風。トマトソースに[[オレガノ]]が加わった[[マリナーラソース]]を使用したもの。あっさり味。ただし、[[ナポリ]]では[[プッタネスカ]]のことをマリナーラと呼ぶこともある。 * [[パスタ・アッラ・ノルマ]] ([[:it:Pasta alla Norma]]) :揚げた茄子を加えたトマトソースパスタ。 * [[パスタ・アル・ポモドーロ]] * [[スパゲッティ・アッラ・ナポレターナ]] ==== ミートソース ==== {{See also|ミートソース}} * [[ボロネーゼ]]:[[ボローニャ]]風。いわゆる[[ミートソース]]のパスタ。 * [[スーゴ・アッラ・ジェノヴェーゼ]]:ジェノヴェーゼという名前だがバジルソースではなく肉、玉葱、[[ニンジン]]、[[セロリ]]で作ったソースをからめたパスタのこと。ナポリとその周辺の料理。 ==== クリームソース ==== {{See also|クリームソース}} * ポルチーニクリーム * サーモンクリーム * [[ボスカイオーラ]] ==== バジルソース ==== {{See also|バジルソース}} * [[ペスト・アッラ・ジェノヴェーゼ]]:[[ジェノヴァ]]風。普通は生の[[バジリコ]]の葉と[[松の実]]、エキストラバージンオリーブオイル、ニンニクを主材料とするソース ([[ペスト・ジェノヴェーゼ]]) を使ったパスタ。パスタとともにジャガイモとさやいんげんを茹でて具とする。日本では一般に「ジェノベーゼ」と略されるが、イタリアではジェノヴェーゼというとナポリ発祥の[[スーゴ・アッラ・ジェノヴェーゼ]]を指す<ref>{{Cite web|和書|url=https://nama-pasta.com/media/2803/ |title=「リングイネ」を知る!おすすめのパスタ3選 |work=ニューオークボ |accessdate=2021-11-15}}</ref>。 * [[ペスト・トラパネーゼ]]:[[トラーパニ]]風。松の実の代わりに[[アーモンド]]が入り、トマトが入っている。 ==== チーズ系ソース ==== {{See also|チーズ}} * [[カルボナーラ]]:炭焼き風。[[ペコリーノ・ロマーノ]]、[[卵黄]]、[[コショウ]]を用いたソースと、油を出すように炒めた[[グアンチャーレ]]またはパンチェッタを使う。イタリアでは生クリームは使わないが、日本を含むイタリア以外では生クリームを使うことが多くイタリア人から批判を浴びることが多い。 * [[フェットゥチーネ・アルフレード|アルフレード]] ([[フェットゥチーネ・アルフレード]]):[[バター]]、[[パルミジャーノ・レッジャーノ]]から成るソース。アルブッロとも。イタリアでは生クリームは使わないが日本を含むイタリア以外では生クリームを使うことが多くイタリア人から批判を浴びることが多い。 * [[パスタ・イン・ビアンコ]] * [[カチョエペペ]]:ペコリーノ・ロマーノを茹で汁で伸ばし、胡椒を加えたソース。 * [[スパゲッティ・アッラ・ネラーノ]] ==== その他 ==== * [[ケーゼ・シュペッツェレ]]:小麦粉・卵・塩バター・[[ナツメグ]]を入れたパスタ生地をすりおろし器で細分化し、茹で冷水に浸し、コンソメスープ・チーズを焼きかき混ぜて完成となる[[ドイツ料理]]。 * [[ボスカイオラ]]:きこり風。[[キノコ]]など山の幸のパスタ。 * [[和風ソース]] * [[フリッタータ・ディ・パスタ]] ([[:it:Frittata di pasta]]) * [[ペンネ・アラ・ウォッカ]]:ペンネとウォッカを使用して作られるパスタ料理。通常はペンネとウォッカのほかにヘビークリーム、刻んだトマトとタマネギが使用される。 * [[ティンバッロ]] * [[ペスト・アッラ・トラパネーゼ]] ==== 備考 ==== パスタとソースには相性があり、例えばナポリではスパゲッティ (ヴェルミチェッリ) はトマトソースやミートソースと、リングィーニは魚介類と合わせることが多い。 日本では[[たらこスパゲッティ]]や、[[納豆]]、[[ウメ|梅]]、[[キノコ|きのこ]]などを使った和風のソースも数多くあり、軽食として供されてきた[[ナポリタン]]もまた日本独特のものである。 === パスタを使ったミネストラ (スープ) === 日本ではソースがスープ状で粘度が低いパスタ料理がありスープパスタと呼ばれるが、イタリアのパスタソースは通常ソースがパスタに絡みついたものとなる。イタリアで類似のものとしてはスープにパスタを入れた料理となるが、あくまでもスープとして位置づけられる。 [[カンパニア州|カンパーニア]]地方では、豆 ([[インゲンマメ|いんげん豆]]、[[レンズマメ|レンズ豆]]、[[ヒヨコマメ|ひよこ豆]]、[[グリーンピース]])、[[ジャガイモ|じゃがいも]]、[[カボチャ|かぼちゃ]]などをパスタと煮たスープがよく作られる。スープに入れたパスタは柔らかくなるまで煮込むのが普通で、[[アルデンテ]]の状態で食べることはまずない。スープに入れるパスタの形状は管状のパスタ、幅広のパスタ、パスタ・ミスタ、折ったヴァーミチェリまたはカペッリーニなど様々である。具によって好まれるパスタの種類が異なり、例えば豆の入ったスープでは、豆が中に入るような管状のパスタが特に好まれるが、スープに入れるパスタの種類は地域によっても異なる<ref>Schwartz, Arthur. ''Naples at Table''. Harper Collins, New York, 1996. p.93-95</ref>。 パスタを使った[[ミネストラ]]はイタリアの他の地域にも存在する。いんげん豆とパスタのミネストラ ([[パスタ・エ・ファジョーリ]]) はその最も一般的なものである。また[[トスカーナ州]][[ルッカ県]]では、折った[[ラザーニェ]]、じゃがいも、トマトを煮込んだミネストラが作られている<ref>Anne Bianchi. ''From the Tables of Tuscan Women''. Ecco, Hopewell, New Jersey, 1995</ref>。 == パスタ製造会社 == === イタリア === * [[ディ・チェコ]] (DE CECCO) * [[バリラ]] (Barilla) * アルチェネロ (Alcenero) * ディヴェッラ (Divella) * ラ・モリサーナ (La Molisana) * アネージ (Agnesi) * {{仮リンク|ジュゼッペコッコ|it|Cav. Giuseppe Cocco}} (Cav. Giuseppe Cocco) * デルヴェルデ (Delverde) * ガロファロ (Garofalo) * [[ブイトーニ]] (Buitoni) * {{仮リンク|グラノーロ|it|Granoro}} (Granoro) * ルンモ (RUMMO) * ヴォイエロ (Voiello) === 日本 === * [[日本製麻]] - 1928年、日本で初めての国産スパゲッティを「ボルカノ」ブランドで製造販売。 * [[日清フーズ]] - 「マ・マー」で知られる。 * [[ニップン]] - 「オーマイ」で知られる。 * [[はごろもフーズ]] - 「ポポロ」で知られる。サラダ専用スパゲッティの「サラスパ」が主力。 * [[赤城食品]] * [[奥本製粉]] * [[コルノマカロニ]] * [[昭和産業]] * ジャパスタリア - 2017年、日本発祥の国産パスタブランドとして誕生。(群馬県産小麦「きぬの波」を使用した生パスタ専門の製麺所) === トルコ === * セルバ (Selva)<ref>{{Cite web|title=Pasta|url=https://www.selva.com.tr/Categories/Pasta/104|website=www.selva.com.tr|accessdate=2021-10-19}}</ref> === ラトビア === * ドベリ (Dobele)<ref>{{Cite web|title=Pasta – Dobeles Dzirnavnieks|url=https://dobelemill.eu/category/products/pasta/|accessdate=2021-10-19|language=en-US}}</ref> === ギリシャ === * ユリマック (EURIMAC)<ref>{{Cite web|title=Eurimac|url=https://www.eurimac.gr/|website=www.eurimac.gr|accessdate=2021-11-05|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=美しい国から、美しい味のパスタ|ラティーノ パスタ|富永貿易株式会社|url=https://www.tominaga.co.jp/pr/latino/|website=富永貿易株式会社 {{!}} 富永貿易株式会社|accessdate=2021-11-05|language=ja}}</ref> == パスタを題材とした作品 == * [[バンビ〜ノ!]] - [[せきやてつじ]]による[[漫画]]。パスタだけでなく、イタリア料理全般を扱っている (2004年 - 2012年)。 * [[パスタの流儀]] - 原作:[[花形怜]]、作画:[[才谷ウメタロウ]]による[[漫画]]。2021年に[[芳文社]]の[[週刊漫画TIMES]]で連載が開始され、2022年12月現在で単行本4巻まで刊行されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * {{仮リンク|パスタの一覧|en|List of pasta}} * {{仮リンク|パスタ料理の一覧|en|List of pasta dishes}} * [[ファリーナ00]] ([[:it:00]]) == 外部リンク == {{Commons|Category:Pasta}} * [https://www.pasta.or.jp/index.html 一般社団法人日本パスタ協会] - パスタレシピの情報が満載。 * [https://www.food-info.net/uk/products/pasta/shapes.htm Largest list of pasta shapes] * [https://japastalia.com/ ジャパスタリア] {{料理}} {{麺}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はすた}} [[Category:パスタ|*]] [[Category:イタリアの食文化]] [[Category:北米の食文化]] [[Category:冷やし麺]] [[Category:国民食]] [[Category:イタリア語の語句]]
2003-03-29T06:25:25Z
2023-12-02T23:33:49Z
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[ "Template:Lang-en", "Template:Nowrap", "Template:Cite book", "Template:Lang-it-short", "Template:仮リンク", "Template:R", "Template:麺", "Template:出典の明記", "Template:Otheruses", "Template:Lang-fr", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Normdaten", "Template:料理", "Template:Lang", "Template:Main", "Template:Quotation", "Template:See also", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Commons" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%BF
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スパゲッティ
スパゲッティ(スパゲティー、スパゲッティー、スパゲティなどとも、イタリア語: Spaghetti)は、イタリア料理で使われる麺類であるパスタの一種で、断面が円形で、紐(ひも)のように細長いものをいう。イタリアでは太さにより呼び分けられる(後述)。 イタリア本国においては数あるパスタの中で麺の一種を指す代表的なパスタであり、よく食べられているパスタの一つでもある。 スパゲッティ (spaghetti) という語は、紐を意味するイタリア語 spago に縮小辞のついた形 (spaghetto) の複数形である。イタリアでは直径1.9 - 2mm程度のもののみをスパゲッティと呼ぶが、日本においては、断面が正円のロングパスタは太さに関わらずスパゲッティと呼ぶことがある(イタリアのメーカーも、日本輸出向けのパッケージはSpaghettiと表記している)。 イタリアでは、 と呼び分ける。 なお、ヴェルミチェッリは英語のヴァミセリーに相当する単語だが、英語でヴァミセリーと言うと一般に春雨や素麺のような極細の麺を意味し、アメリカ合衆国の規格では直径0.06インチ(約1.5ミリメートル)以下のパスタを指す。 調理法などについては本項「#スパゲッティ料理」「#日本におけるスパゲッティの歴史」や「パスタ#料理法・ソース」「パスタ#調理」を参照。 小麦粉と食塩の他に、イカスミや唐辛子、ホウレンソウなどを練り込んだスパゲッティもあり、乾麺として市販されている。 乾麺のゆで時間は、直径1.4mm前後で5分、1.6mm前後で8分、1.8mm前後で10分、2.1mm前後で15分程度であるが、一部のメーカーでは乾燥状態での麺の断面を改良して最短でゆであがりを2分としているものもある。ゆでる時には硬水の使用が望ましい。軟水でゆでる場合にはアルペンザルツ(岩塩)やにがりで硬度を補う。日本では調理が簡単なソフトスパゲッティ式めんも製造・販売されている。 現代の日本料理としてはツナ缶、たらこ、辛子明太子、海苔、山菜、納豆、大根おろし、シソなどを使ったり、醤油などで和風の味付けをしたりしたスパゲッティ料理が広く親しまれ、和風スパゲッティと呼ばれている。 欧米ではパスタにソースがからめられた状態での缶詰が古くから販売されており非常に一般的だが、日本では人気がなくほとんど見かけることはない。 缶詰や瓶詰めの市販ソースは国産、輸入ともに多数販売されており、スパゲッティとソースをセットにした商品もある。種類もミートソースとナポリタンを筆頭に、和風なものからイタリア風なものまで多岐にわたる。 近年では冷凍食品の品揃えも充実しており、またレトルトパウチに入った常温保存の効く商品もコンビニエンスストアを中心に販売されている。また、即席麺でも「日清Spa王」(日清食品)のような商品が登場している。 日本で初めての国産スパゲッティ「ボルカノ」は、兵庫県尼崎市南塚口町3丁目(現在のピッコロシアターの地)にあった高橋マカロニ(髙橋胖)によって1928年に製造された。この商品名は髙橋胖がイタリアでスパゲッティに出会った時に見たヴェスヴィオ火山にちなんでおり、当時は「スパゲッチ」と称した(現在は日本製麻株式会社ボルカノ食品事業部)。 スパゲッティは、第二次世界大戦後の1945年から1952年までの連合国軍占領下の日本において、進駐軍の糧食を通して広く知られるようになった。大量生産の軍用食であるため、あらかじめゆでた麺をトマトソースやトマトケチャップで味付けしたものが主流だった。1953年当時の東京でスパゲッティが食べられる店は帝国ホテルと、米国CIA東京支局初代局長のポール・ブルームが自邸の元料理人に開かせた田村町(現在の西新橋)のHole in the Wall(「壁の穴」の前身)など3軒ほどしかなく、帝国ホテルでは960円、Hole in the Wallでは100円で提供された。同店は、手頃な価格とオーダーボイル(注文後に麺をゆでる)とアルデンテ(歯ごたえを残す)を実行したことにより、在日外国人客や海外通に支持された。1960年代には広く一般家庭でも料理されるようになったが、当時は大都市部を除けばまだイタリア料理を出す店がなく、本格的な食材の入手も容易ではなかった。この頃に誕生したのがバジルの代わりにシソの葉を用いた「スパゲッティ・バジリコ」である。オリーブオイルや生バジルが手に入らない中で編み出された苦肉の策であったが、当時としては斬新でおしゃれなメニューとして流行の先端を行く若者たちの憧れの的となった。 当時の国産スパゲッティはデュラム小麦のセモリナではなく一般的な強力粉で作られており、また麺はゆで置きが主流であった(ゆでるときに入れる食塩もほんのひとつまみであったため、麺自体にはほとんど味もコシも効いていないが、当時はむしろそのような方が好まれたようである)。また、日本の学校給食ではレトルトのうどんのようなソフト麺もよく使用された。ナポリタン、イタリアンなどと称されるケチャップ炒めスパゲティが昭和ノスタルジーの風物として人気を得ている。 1970年ごろまでの日本においてスパゲッティといえば基本的にミートソースかナポリタンの二択であり洋食屋や喫茶店、デパートの大食堂などで提供されるものであった(伊丹十三は、1968年に刊行されたエッセイ集『女たちよ!』において、「スパゲティは断じて、炒めうどん(焼きうどん)ではない」と書いている)。しかし日本万国博覧会を期に多種多様な外国料理が紹介されるようになり、1970年代の後半に入ると円高の影響で外国製のパスタが安価に輸入されるようになった。また壁の穴が発明したたらこスパゲッティ(明太子スパゲッティ)や納豆スパゲッティといった和風スパゲッティ、さらにはボンゴレ、ペスカトーレといった新しいメニューが雑誌などを通して紹介されるようになったのもこの頃からである。さらに1980年代後半に始まるバブル期には「イタメシブーム」が起こり、本場イタリア風のさまざまなパスタ料理が紹介されるようになった。そして1990年代半ば頃には家庭での調理や冷凍食品も本場イタリアの調理法を踏襲するものとなり、また前述のような和風パスタも一般家庭に浸透していった。 地方で考案され、ご当地グルメとして根付いたスパゲッティ料理も数種類ある。「あんかけスパゲッティ」(愛知県)や、熱した鉄板の上にスパゲッティと豚カツをのせてミートソースをかけた「スパカツ」(北海道釧路市)、アサリの煮汁の旨味に着目したスープ系パスタ「ボンゴレスープスパゲッティ」(群馬県高崎市)などが代表例である。 スパゲッティを両端から曲げると高確率で3本以上に分割されることが経験上知られていたが、理由についてはリチャード・P・ファインマンなどの物理学者が取り組んだものの長らく不明のままだった。この現象を研究したフランスにあるピエール・アンド・マリー・キュリー大学の研究者は2006年のイグノーベル賞物理学賞を受賞している。さらに2018年に米国マサチューセッツ工科大学の研究者らが、捻ることで2つに折れると明らかにした。
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スパゲッティは、イタリア料理で使われる麺類であるパスタの一種で、断面が円形で、紐(ひも)のように細長いものをいう。イタリアでは太さにより呼び分けられる(後述)。 イタリア本国においては数あるパスタの中で麺の一種を指す代表的なパスタであり、よく食べられているパスタの一つでもある。
[[ファイル:Flickr - cyclonebill - Bacon og spaghetti.jpg|thumb|240px|乾麺]] [[ファイル:Spaghetti-cooking.jpg|thumb|240px|茹でている最中のスパゲッティ]] [[ファイル:Spaghetti.jpg|thumb|240px|茹でたスパゲッティ]] '''スパゲッティ'''('''スパゲティー、スパゲッティー、スパゲティ'''などとも、{{lang-it|Spaghetti}}<ref group="注">複数形。原型は{{lang|it|spaghetto}}。</ref>)は、[[イタリア料理]]で使われる[[麺|麺類]]である[[パスタ]]の一種で、断面が[[円形]]で、[[紐]](ひも)のように細長いものをいう。[[イタリア]]では太さにより呼び分けられる(後述)。 イタリア本国においては数あるパスタの中で[[麺]]の一種を指す代表的なパスタであり、よく食べられているパスタの一つでもある。 == 種類 == [[ファイル:Pasta machine.jpg|thumb|right|パスタメーカー]] スパゲッティ (spaghetti) という語は、紐を意味する[[イタリア語]] spago に[[縮小辞]]のついた形 (spaghetto) の複数形である。イタリアでは直径1.9 - 2mm程度のもののみをスパゲッティと呼ぶが、[[日本]]においては、断面が正円のロングパスタは太さに関わらずスパゲッティと呼ぶことがある(イタリアのメーカーも、日本輸出向けのパッケージはSpaghettiと表記している<ref>[http://barilla.co.jp/products/index.html ロングパスタ 商品情報 Barilla Japan]</ref>)。 イタリアでは、 * 直径2.3 - 2.5mm前後のものを'''[[ヴェルミチェッリ]]'''(vermicelli) * 直径2.1 - 2.2mm前後のものを'''スパゲットーニ''' (spaghettoni) または'''ヴェルミチェッリーニ''' (vermicellini) * 直径1.9 - 2.0mm前後のものを'''スパゲッティ''' * 直径1.6 - 1.8mm前後のものを'''スパゲッティーニ''' (spaghettini) * 直径1.3 - 1.5mm前後のものを'''フェデリーニ''' (fedelini) * 直径1.3mm未満の物を'''[[カペッリーニ]]''' (capellini) と呼び分ける。 なお、ヴェルミチェッリは[[英語]]のヴァミセリーに相当する単語だが、英語でヴァミセリーと言うと一般に[[春雨 (食品)|春雨]]や[[素麺]]のような極細の麺を意味し、[[アメリカ合衆国]]の規格では直径0.06[[インチ]](約1.5ミリメートル)以下のパスタを指す。{{see also|ヴェルミチェッリ#ロングパスタの太さの比較}} [[調理法]]などについては本項「[[#スパゲッティ料理]]」「[[#日本におけるスパゲッティの歴史]]」や「[[パスタ#料理法・ソース]]」「[[パスタ#調理]]」を参照。 [[小麦粉]]と[[食塩]]の他に、[[イカスミ]]や[[トウガラシ|唐辛子]]、[[ホウレンソウ]]などを練り込んだスパゲッティもあり、[[乾麺]]として市販されている。 乾麺のゆで時間は、直径1.4mm前後で5分、1.6mm前後で8分、1.8mm前後で10分、2.1mm前後で15分程度であるが、一部のメーカーでは乾燥状態での麺の断面を改良して最短でゆであがりを2分としているものもある<ref>[https://www.nisshin.com/products/detail/4902110362442.html マ・マー早ゆで2分スパゲティ1.4mmチャック付結束タイプ 商品情報]</ref>。ゆでる時には[[硬水]]の使用が望ましい。[[軟水]]でゆでる場合にはアルペンザルツ([[岩塩]])や[[にがり]]で[[硬度 (水)|硬度]]を補う<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.alpensalz.co.jp/r_pasta.html|accessdate=2016-03-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171024035124/http://www.alpensalz.co.jp:80/r_pasta.html|archivedate=2017-10-24|title=パスタをゆでるときにアルペンザルツをおすすめする訳}}</ref>。日本では調理が簡単な[[ソフトスパゲッティ式めん]]も製造・販売されている。 == スパゲッティ料理 == {{main|{{ill2|パスタ料理の一覧|it|Piatti a base di pasta}}}} === 代表的なメニュー === * [[ボロネーゼ]]([[ミートソース]]) * [[カルボナーラ]] * [[ヴォンゴレ]] * [[ペスカトーレ]] * [[アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ|ペペロンチーノ]](アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ) * [[ペスト・ジェノヴェーゼ|ジェノヴェーゼ]] * [[プッタネスカ]] * [[アラビアータ]] * [[イカスミスパゲッティ]](ネーロ) *[[ビーゴリ・イン・サルサ]]([[:it:Bigoli con le sardelle]]) {{Gallery |title= |footer= |width=200 |height=150 |lines= |File:Lutong Bahay - Bolognese Spaghetti.jpg| ボロネーゼ |File:Carbonara fiorentina.jpg| カルボナーラ |File:Spaghetti alle vongole.jpg| ヴォンゴレ |File:Spaghetti agll' aglio, olio e peperoncino by kawanet.jpg| ペペロンチーノ |File:Puttanesca-1.jpg| プッタネスカ |File:Spaghetti all' arrabbiata.jpg| アラビアータ |File:Flickr - cyclonebill - Spaghetti i blæksprutteblæk.jpg| ネーロ |File:Bigołi.jpg| ビーゴリ・イン・サルサ }} === 和風スパゲッティ === * [[ナポリタン]] * [[たらこスパゲッティ]](明太子スパゲッティ) * [[和風きのこスパゲッティ]] * [[納豆スパゲティ]] * [[あんかけスパゲッティ|あんかけスパゲッティ(名古屋)]] * [[しょうゆマヨスパゲティ]] {{Gallery |title= |footer= |width=200 |height=150 |lines= |File:Naporitan by Toshihiro Oimatsu.jpg| ナポリタン |File:Tarako spaghetti.jpg| たらこスパゲッティ |File:Wafu Mushroom Spaghetti.jpg| 和風きのこスパゲッティ |File:Natto spaghetti 001.jpg| 納豆スパゲッティ |File:AnkakeSpa1.jpg| あんかけスパゲッティ |File:Italian-Spaghetti-4.jpg| 鉄板スパゲッティ }} 現代の[[日本料理]]としては[[シーチキン|ツナ缶]]、[[たらこ]]、[[辛子明太子]]、[[海苔]]、[[山菜]]、[[納豆]]、[[大根おろし]]、[[シソ]]などを使ったり、[[醤油]]などで和風の味付けをしたりしたスパゲッティ料理が広く親しまれ、'''和風スパゲッティ'''と呼ばれている。 === 調理済み製品 === 欧米ではパスタに[[ソース (調味料)|ソース]]がからめられた状態での[[缶詰]]が古くから販売されており非常に一般的だが、日本では人気がなくほとんど見かけることはない。 缶詰や瓶詰めの市販ソースは国産、輸入ともに多数販売されており、スパゲッティとソースをセットにした商品もある。種類もミートソースとナポリタンを筆頭に、和風なものからイタリア風なものまで多岐にわたる。 近年では[[冷凍食品]]の品揃えも充実しており、また[[レトルトパウチ]]に入った常温保存の効く商品も[[コンビニエンスストア]]を中心に販売されている。また、[[即席麺]]でも「[[日清Spa王]]」([[日清食品]])のような商品が登場している。 == 日本におけるスパゲッティの歴史 == 日本で初めての国産スパゲッティ「ボルカノ」は、[[兵庫県]][[尼崎市]]南塚口町3丁目(現在の[[ピッコロシアター]]の地)にあった高橋マカロニ(髙橋胖)によって[[1928年]]に製造された。この商品名は髙橋胖がイタリアでスパゲッティに出会った時に見た[[ヴェスヴィオ]]火山にちなんでおり、当時は「スパゲッチ」と称した(現在は[[日本製麻]]株式会社ボルカノ食品事業部)。 スパゲッティは、[[第二次世界大戦]]後の[[1945年]]から[[1952年]]までの[[連合国軍占領下の日本]]において、[[進駐軍]]の糧食を通して広く知られるようになった。大量生産の[[軍用食]]であるため、あらかじめゆでた麺を[[トマトソース]]や[[トマトケチャップ]]で味付けしたものが主流だった。[[1953年]]当時の[[東京]]でスパゲッティが食べられる店は[[帝国ホテル]]と、[[アメリカ合衆国|米国]][[中央情報局|CIA]]東京支局初代局長の[[ポール・ブルーム]]が自邸の元料理人に開かせた田村町(現在の[[西新橋]])のHole in the Wall(「[[壁の穴]]」の前身)など3軒ほどしかなく、帝国ホテルでは960円、Hole in the Wallでは100円で提供された<ref name=kabe>[http://www.kabenoana.com/what/ 壁の穴とは] - 壁の穴</ref>。同店は、手頃な価格とオーダーボイル(注文後に麺をゆでる)と[[アルデンテ]](歯ごたえを残す)を実行したことにより、在日外国人客や海外通に支持された<ref name=kabe/>。[[1960年代]]には広く一般家庭でも料理されるようになったが、当時は大都市部を除けばまだイタリア料理を出す店がなく、本格的な食材の入手も容易ではなかった。この頃に誕生したのが[[バジル]]の代わりに[[シソ]]の葉を用いた「スパゲッティ・バジリコ」である<ref>[https://cuisine-kingdom.com/spaghetti-basilico/ 60年以上変わらぬ不変のレシピ!?創意工夫により編み出された日本独自の「スパゲッティバジリコ」 - 料理王国]</ref>。[[オリーブオイル]]や生バジルが手に入らない中で編み出された苦肉の策であったが、当時としては斬新でおしゃれなメニューとして流行の先端を行く若者たちの憧れの的となった。 当時の国産スパゲッティは[[デュラム小麦]]の[[セモリナ]]ではなく一般的な[[強力粉]]で作られており、また麺はゆで置きが主流であった(ゆでるときに入れる食塩もほんのひとつまみであったため、麺自体にはほとんど味もコシも効いていないが、当時はむしろそのような方が好まれたようである)<!--注文に合わせて肉、ピーマンやタマネギなどと油で炒め、単純に市販のケチャップでからめてそのまま味付けとする方法が一般的であった(つまり[[焼きそば]]のような調理法である)。--><!--ナポリタンに限定しない-->。また、[[日本の学校給食]]では[[レトルト]]の[[うどん]]のような[[ソフト麺]]もよく使用された。ナポリタン、イタリアンなどと称される[[ケチャップ]]炒めスパゲティが[[昭和]]ノスタルジーの風物として人気を得ている。 [[1970年]]ごろまでの日本においてスパゲッティといえば基本的に[[ミートソース]]か[[ナポリタン]]の二択であり<ref>[https://www.cookdoor.jp/european-dish/dictionary/21010_europ_010/ クックドア]レストランの定番メニュー「スパゲティ」の歴史</ref>[[洋食]]屋や[[喫茶店]]、[[デパート]]の大食堂などで提供されるものであった([[伊丹十三]]{{efn2|伊丹はスパゲッティに関して『[[ヨーロッパ退屈日記]]』(1965年)で「[[アルデンテ]]」という言葉や食べ方を普及させた。「…皿の一隅に、タバコの箱くらいの小さなスペースを作り、…巻く専用の場所に指定する。…フォークの先を軽く皿に押しつけて、そのまま時計廻りの方へ静かに巻いてゆく…フォークの四本の先は、スパゲッティを巻き取るあいだじゅう、決して皿から離してはいけない」<ref>{{cite book|和書|chapter=スパゲッティの正しい食べ方|title=ヨーロッパ退屈日記|publisher=文藝春秋|author=伊丹十三|series=ポケット文庫|year=1965|page=209}}</ref>。}}は、[[1968年]]に刊行されたエッセイ集『女たちよ!』において、「'''スパゲティは断じて、[[炒め]][[うどん]]([[焼きうどん]])ではない'''」と書いている{{要ページ番号|date=2018-10-17}})。しかし[[日本万国博覧会]]を期に多種多様な外国料理が紹介されるようになり、[[1970年代]]の後半に入ると円高の影響で外国製のパスタが安価に輸入されるようになった。また壁の穴が発明したたらこスパゲッティ(明太子スパゲッティ)や納豆スパゲッティといった和風スパゲッティ、さらにはボンゴレ、ペスカトーレといった新しいメニューが雑誌などを通して紹介されるようになったのもこの頃からである。さらに[[1980年代]]後半に始まる[[バブル経済|バブル期]]には「イタメシブーム」が起こり、本場[[イタリア]]風のさまざまなパスタ料理が紹介されるようになった。そして[[1990年代]]半ば頃には家庭での調理や冷凍食品も本場イタリアの調理法を踏襲するものとなり、また前述のような和風パスタも一般家庭に浸透していった。 地方で考案され、[[ご当地グルメ]]として根付いたスパゲッティ料理も数種類ある。「[[あんかけスパゲッティ]]」([[愛知県]])や、熱した鉄板の上にスパゲッティと[[豚カツ]]をのせて[[ミートソース]]をかけた「[[スパカツ]]」([[北海道]][[釧路市]])、[[アサリ]]の煮汁の[[旨味]]に着目したスープ系パスタ「ボンゴレスープスパゲッティ」([[群馬県]][[高崎市]])などが代表例である。 == 物理 == スパゲッティを両端から曲げると高確率で3本以上に分割されることが経験上知られていたが、理由については[[リチャード・P・ファインマン]]などの物理学者が取り組んだものの長らく不明のままだった<ref name=yajiuma1138248>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/yajiuma/1138248.html 【やじうまPC Watch】MIT、“必ず3つ以上に折れる”スパゲッティの乾麺を2つに折る方法を発見] - PC Watch</ref>。この現象を研究した[[フランス]]にある[[パリ第6大学|ピエール・アンド・マリー・キュリー大学]]の研究者は2006年の[[イグノーベル賞]]物理学賞を受賞している<ref name=yajiuma1138248 />。さらに2018年に米国[[マサチューセッツ工科大学]]の研究者らが、捻ることで2つに折れると明らかにした<ref name=yajiuma1138248 />。 ==スパゲッティと文化、比喩表現など== * [[空飛ぶスパゲッティ・モンスター教]] ; スパゲッティの絡まった様子から : [[スパゲティプログラム]] - ごちゃごちゃに書かかれて可読性を損なう[[コンピュータープログラム]]。 : スパゲティー・ジャンクション - 多数の路線が入り乱れて複雑な構造となった[[ジャンクション (道路)|ジャンクション]]・[[インターチェンジ]]。 : スパゲッティ症候群(spaghetti syndrome) - 入院中の患者が[[人工呼吸器]]や[[点滴]]、[[心電図]]のセンサーなどにつながれた状態の比喩。 : [[スパゲティボウル現象]] - [[自由貿易協定]](FTA)の問題点をスパゲッティが入ったボウルに例えて表現した経済学の概念。 : '''スパゲッティの細長い様子から''' : [[スパゲッティ化現象]] - 常に強く不均一な[[重力場]]によって、物体が垂直方向への引き延ばしおよび水平方向の圧縮を受け、スパゲッティのように細長い形状になる現象。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|食|[[画像:2013 09 10 Tomate.jpg|50px|Portal:食]]}} {{Commons&cat|Spaghetti|Spaghetti}} * [[イタリア料理]] * [[パスタ]] * [[アルデンテ]] * [[ソフトスパゲッティ式めん]] {{麺}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すはけつてい}} [[Category:パスタ]] [[Category:イタリアの食文化]] [[Category:洋食]] [[Category:麺料理]] [[Category:麺]] [[Category:イタリア語の語句]]
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イタリア料理
イタリア料理(イタリアりょうり、イタリア語: cucina italiana)とは、イタリアを発祥とする料理・料理法・食文化の総称。世界の多くの地域で好まれている。 2010年、イタリア料理はギリシア料理、スペイン料理、モロッコ料理と共に「地中海の食事」として国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) の無形文化遺産に登録された。 日本では「イタリアン」「イタ飯(イタめし)」等の呼び名で親しまれている。 日本で認識されている特徴としては、オリーブ・オイル、麺類、トマトを多用することが挙げられる。しかし、これはあくまでもナポリなどの南イタリアの都市で食される料理の特徴であり、北イタリアでは隣接するフランスやスイスと同様にバターや生クリームを利用した料理が多い。イタリア東部ではオーストリアやスロベニアの影響が見られる。また、シチリアなどの北アフリカに近い地域ではアラブ人やベルベル人の料理の影響を受けており、クスクス、アランチーニ、スプリなどの料理が食べられている。 総体としては、素材を生かした素朴な料理が多い。 地中海に面する地域には魚介類を用いた料理が多く、沿岸諸国以外のヨーロッパの国々で食べられることのないタコやイカも食材として使われる。しかしその一方で、北部や内陸の地域では肉や乳製品を使った料理も多く食べられる。 このようにイタリア料理は地方ごとに特徴があるため、「イタリア料理などという料理は存在しない」とする見方もある。これは、南北に長いイタリアは地理的にも多様な特徴があることや、イタリア王国による統一まで多数の独立国家があり、その国ごとにまったく特徴の異なる、例えばナポリ料理やジェノヴァ料理といった具合に郷土料理が発達しているためである。 その一方でパスタはイタリア各地で好まれ、様々な形で調理されている。 トマトの多用も特徴の一つであるが、トマトはラテンアメリカ原産であり、イタリアに広まったのは16世紀以降である。それ以前の特徴としてはアンチョビの形で魚醤を多く用い、見た目も質素であった。トマトの流入でヴァリエーションも増え、色彩も鮮やかになったが、反面それ以前の特徴の多くが失われたとの指摘もある。トマトソースに用いられるサンマルツァーノ種をはじめとするイタリアのトマトは日本のトマトとは異なり、酸味が強く生食に向かない品種である。日本のトマトは加熱調理に向かないため、日本ではトマトの缶詰をイタリアから輸入している。 現代イタリア料理の基盤はたいへんに古く、古代ローマ帝国にまでさかのぼる。ローマ人たちは当時から食事にかける時間をとても大切にし、1日3食の構成をとっていた。そして1食をコース料理にし、2 - 3時間もかけて食事する習慣があった。彼らは満腹になると鳥の羽で咽喉を刺激して作為的に嘔吐をし、空腹になるとまた食べたという。ルキウス・アンナエウス・セネカは、「ローマ人は食べるために吐き、吐くために食べる」と評している。さらに裕福なローマ人たちの間で、腕利きの料理人を呼んで料理を客に披露することが流行だった。料理人たちはそれぞれ競って腕を磨いて新しい料理作りに励んだことで、周辺の国々の追随を許さない優れた食文化が誕生し、これがローマ帝国の発展とともにヨーロッパ各地へと広がっていった。具体例をいくつかあげると、ローマ軍の遠征兵士のスタミナ源として携帯されたことが契機となり、同様に欧州各地に広まったチーズやメロン、牡蠣などもそうである。 イタリア料理は、フランス料理の原型でもある。1533年、フィレンツェの名門貴族であるメディチ家のカテリーナ(後のカトリーヌ・ド・メディシス)がフランスのアンリ2世に嫁いでパリに移り住む際、大勢のイタリア人料理人や香料師を連れてイタリア料理や氷菓、ナイフやフォークの使用といったものをフランスに持ち込んだ。それをきっかけにして、当時粗野だったフランスの宮廷料理やテーブルマナーが洗練された。ちなみにフォークの爪は4本だが、これはナポリ王国国王・フェルディナンド4世の宮廷で、パスタがよく絡んで食べやすいように爪の数を増やしたとされている。 このように、西洋を代表して世界三大料理に数えられているフランス料理は、イタリア料理の影響を受けて成長した。ローマ時代から続くイタリアの食文化が西洋料理の母的存在と言われるのは、こうした歴史によるものと言える。 スパゲッティソースやピザソースに使われるトマトはメキシコ原産であり、トマトがヨーロッパに持ち込まれたのは16世紀からとされ、食用に一般的に利用され始めたのは18世紀に入ってからになる。それ以前のスパゲッティはチーズなどで食されていた。 いったん口に入れた果物の種や皮などを再度口から出す行為は印象が悪い。 果物やパンにかぶりついて食べることもマナーが悪く、大きな塊で給仕されたスイカ等はナイフで小さく切ってから食べる。 食事の際の口直しや皿のソースを拭って食べるためにパンが提供される。一般的にピザはコース料理には入らず、ピザを食べる際はパンは提供されない。ただし、トラットリア格以下ではピザとコース料理の両方をメニューに載せているレストランも多く、どの料理を食べるか、どの順番で給仕してもらいたいのかは客が自由にウェイターに頼むことができる。 レストランでは、これらの全てを注文しなければならないわけではない。レストランにおいてデザートやコーヒーは、食後に再度ウェイターが注文を取りに来ることが一般的である。 イタリア料理のコースでは、料理の出る伝統的な順番が存在する。メニューも一般的にこの順序で記載されている。 ローマでは、曜日によって食べるべき料理の伝統が残っている。特に木曜・金曜・土曜の習慣は偏在であり、市内のレストランではそれらを守っているところもある。また、金曜の習慣に関してはイタリア全土でも言える。 イタリア料理の飲食店は各種形態がある。 パスタ料理は第一皿に分類される。小麦粉を練って作った種々の形態の麺類(パスタ)とソースの組合せが基本である。パスタは、サラダに入れたりスープの具にしたりしても用いられる。グラタンもパスタ料理の一種である。デザートで「パスタ」の名がつくものがあるが、これはペースト状の菓子の意味を示す(パスタ参照)。 ピッツァ(ピザ, pizza)は、平たく伸ばしたパン生地の上に具材を載せて焼いた一品料理。軽食として供されることが多い。イタリア本国ではリストランテ格の店で商品化していない店が多く、ピッツェリアと呼ばれる専門店で提供される。またイタリアでは、安く簡単に素早く食事を済ませると言えばピッツェリアでピザを食べることが一般的である。イタリア各地で味付けや生地に差があり、ミラノのピザが最も薄い。最も伝統あるピザがナポリピッツァである。ローマのピザは、ミラノとナポリの中間の厚さであることが多い。味付けや具材などはアメリカのものとは大きく異なる。 米料理と言えばリゾットが有名だが、米は小型のパスタと同様に扱われることも多い。米をデザートに用いるのも一般的である。イタリアは欧州一の米どころであり、料理ごとに最適な種類の米を使い分ける。カルナローリ米やアルボリオ米といった品種が有名で、最も普及している。 料理が給仕されるまでの空腹を紛らわせるため、また食事とともに口直ししたり、皿のソースを拭って食べたりするのに用いられる。具材を乗せたり挟んだりし、一品の軽食料理として食べることもある(パニーノ)。 ガス無しは Naturale(ナトゥラーレ)、ガス入りは Frizzante(フリッザンテ)。 日本最古のイタリア料理店は、1880年に新潟市でピエトロ・ミリオーレが開業したイタリア軒である。イタリア軒は、日本に現存する最古の西洋料理店とされている。また、明治末期にはじめてマカロニが輸入された記録もあり、ホテルで広まっていった。第二次世界大戦後は、日本に残されたイタリア(旧ファシスト政権側)の元軍人や軍属が日本人と結婚し、日本に永住するにあたって料理店を開いた。1970年代以前には本格的イタリア料理店は日本には数えるほどしかなかったが、ピザやパスタが注目されるようになった1970年代から全国的にイタリア料理として親しまれるようになり、日本人の麺類嗜好と重なって定着したとされる。バブル期には「イタ飯」と俗に呼ばれることもあった。イタ飯は、後の「〇〇めし」という俗語の初出であった。
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イタリア料理とは、イタリアを発祥とする料理・料理法・食文化の総称。世界の多くの地域で好まれている。 2010年、イタリア料理はギリシア料理、スペイン料理、モロッコ料理と共に「地中海の食事」として国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) の無形文化遺産に登録された。
{{複数の問題 | 出典の明記 = 2014年1月 | 独自研究 = 2016年8月 }} [[ファイル:Italian food.JPG|thumb|イタリア料理]] [[ファイル:Artusi_1a_ed.jpg|thumb|イタリア料理の父[[ペッレグリーノ・アルトゥージ]]により1891年に発行された{{仮リンク|イタリア料理大全|it|La scienza in cucina e l'arte di mangiar bene}}。]] [[ファイル:Tagliatelle al ragù (image modified).jpg|thumb|伝統的に[[タリアテッレ]]と和えて調理された[[ボロネーゼ]](タリアテッレ・アル・ラグー)]] '''イタリア料理'''(イタリアりょうり、{{lang-it|cucina italiana}})とは、[[イタリア]]を発祥とする[[料理]]・料理法・[[食文化]]の総称。世界の多くの地域で好まれている。 2010年、イタリア料理は[[ギリシア料理]]、[[スペイン料理]]、[[モロッコ料理]]と共に「[[地中海食|地中海の食事]]」として[[国際連合教育科学文化機関]] (UNESCO) の[[無形文化遺産]]に登録された。 == 名称と定義 == [[ファイル:Oliven_V1.jpg|thumb|オリーブ・オイル]] [[日本]]では「'''イタリアン'''」「'''イタ飯'''(イタめし)<ref group="注">[[マガジンハウス]]発行の女性雑誌『[[Hanako|Olive]]』1982年7月3日号が俗称として名付けた。</ref>」等の呼び名で親しまれている。 日本で認識されている特徴としては、[[オリーブ・オイル]]、麺類、[[トマト]]を多用することが挙げられる。しかし、これはあくまでも[[ナポリ]]などの[[南イタリア]]の都市で食される料理の特徴であり、[[北イタリア]]では隣接する[[フランス]]や[[スイス]]と同様に[[バター]]や[[クリーム (食品)#日本での分類|生クリーム]]を利用した料理が多い。イタリア東部では[[オーストリア]]や[[スロベニア]]の影響が見られる。また、[[シチリア]]などの[[北アフリカ]]に近い地域では[[アラブ人]]や[[ベルベル人]]の料理の影響を受けており、[[クスクス]]、[[アランチーニ]]、[[アランチーニ|スプリ]]などの料理が食べられている。 == 概要 == [[ファイル:Aceto_Balsamico.jpg|thumb|[[バルサミコ酢]]]] 総体としては、素材を生かした素朴な料理が多い。 [[地中海]]に面する地域には[[魚介類]]を用いた料理が多く、沿岸諸国以外の[[ヨーロッパ]]の国々で食べられることのない[[タコ]]や[[イカ]]も食材として使われる。しかしその一方で、北部や内陸の地域では[[食肉|肉]]や[[乳製品]]を使った料理も多く食べられる。 このようにイタリア料理は地方ごとに特徴があるため、「イタリア料理などという料理は存在しない」とする見方もある<ref>{{Citation|和書 |author=[[西村暢夫]] |editor=[[地中海学会]] |year=1990 |title=イタリアの地方料理 |periodical=地中海文化の旅(2) |publisher=[[河出書房新社]] |isbn=4-309-47194-3 |page=216 }}</ref><ref>{{Citation|和書 |author=日仏料理協会 編 |year=2007 |title=フランス 食の事典(普及版) |publisher=[[白水社]] |isbn=978-4-560-09202-6|page=45}}“料理も『イタリア』と呼べるものはあまり存在しない。”</ref>。これは、南北に長いイタリアは地理的にも多様な特徴があることや、[[イタリア王国]]による統一まで多数の[[国家の独立|独立国家]]があり、その国ごとにまったく特徴の異なる、例えば[[ナポリ料理]]や[[ジェノヴァ]]料理といった具合に[[郷土料理]]が発達しているためである。 その一方で[[パスタ]]はイタリア各地で好まれ、様々な形で調理されている。 [[トマト]]の多用も特徴の一つであるが、トマトは[[ラテンアメリカ]]原産であり、イタリアに広まったのは[[16世紀]]以降である。それ以前の特徴としては[[カタクチイワシ科|アンチョビ]]の形で[[魚醤]]を多く用い、見た目も質素であった。トマトの流入でヴァリエーションも増え、色彩も鮮やかになったが、反面それ以前の特徴の多くが失われた{{誰範囲2|との指摘もある|date=2022年8月}}。[[トマトソース]]に用いられるサンマルツァーノ種をはじめとするイタリアのトマトは日本のトマトとは異なり、[[酸味]]が強く生食に向かない品種である。日本のトマトは[[加熱調理]]に向かないため、日本ではトマトの[[缶詰]]をイタリアから輸入している。 == 歴史 == [[ファイル:Apicius 1541.jpg|thumb|『[[アピキウス (書物)|アピキウス]]』''De re culinaria''([[リヨン]]:セバスチャン・グリューフィウス、1541年)]] 現代イタリア料理の基盤はたいへんに古く、古代[[ローマ帝国]]にまでさかのぼる。ローマ人たちは当時から食事にかける時間をとても大切にし、1日3食の構成をとっていた。そして1食をコース料理にし、2 - 3時間もかけて食事する習慣があった。彼らは満腹になると鳥の羽で咽喉を刺激して作為的に嘔吐をし、空腹になるとまた食べたという。[[ルキウス・アンナエウス・セネカ]]は、「ローマ人は食べるために吐き、吐くために食べる」と評している。さらに裕福なローマ人たちの間で、腕利きの料理人を呼んで料理を客に披露することが流行だった。料理人たちはそれぞれ競って腕を磨いて新しい料理作りに励んだことで、周辺の国々の追随を許さない優れた食文化が誕生し、これがローマ帝国の発展とともにヨーロッパ各地へと広がっていった。具体例をいくつかあげると、ローマ軍の遠征兵士のスタミナ源として携帯されたことが契機となり、同様に欧州各地に広まった[[チーズ]]や[[メロン]]、[[カキ (貝)|牡蠣]]などもそうである。 イタリア料理は、[[フランス料理]]の原型でもある。1533年、[[フィレンツェ]]の名門貴族である[[メディチ家]]のカテリーナ(後の[[カトリーヌ・ド・メディシス]])が[[フランス]]の[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]に嫁いで[[パリ]]に移り住む際、大勢のイタリア人料理人や香料師を連れてイタリア料理や[[冷菓#氷菓|氷菓]]、[[ナイフ]]や[[フォーク (食器)|フォーク]]の使用といったものをフランスに持ち込んだ。それをきっかけにして、当時粗野だったフランスの宮廷料理やテーブルマナーが洗練された。ちなみにフォークの爪は4本だが、これは[[ナポリ王国]]国王・[[フェルディナンド1世 (両シチリア王)|フェルディナンド4世]]の宮廷で、パスタがよく絡んで食べやすいように爪の数を増やしたとされている。 このように、西洋を代表して[[世界三大料理]]に数えられているフランス料理は、イタリア料理の影響を受けて成長した。ローマ時代から続くイタリアの食文化が西洋料理の母的存在と言われるのは、こうした歴史によるものと言える。 [[スパゲッティ]]ソースや[[ピザ]]ソースに使われるトマトは[[メキシコ]]原産であり、トマトがヨーロッパに持ち込まれたのは16世紀からとされ、食用に一般的に利用され始めたのは18世紀に入ってからになる。それ以前のスパゲッティはチーズなどで食されていた。 == 食事作法 == いったん口に入れた[[果物]]の種や皮などを再度口から出す行為は印象が悪い。 果物や[[パン]]にかぶりついて食べることもマナーが悪く、大きな塊で給仕された[[スイカ]]等はナイフで小さく切ってから食べる。 食事の際の口直しや皿のソースを拭って食べるためにパンが提供される。一般的にピザはコース料理には入らず、ピザを食べる際はパンは提供されない。ただし、トラットリア格以下ではピザとコース料理の両方をメニューに載せているレストラン<ref group="注">イタリア語ではリストランテ ({{lang|it|ristorante}}) と呼ぶ。語源は[[英語]]の "restaurant" と同じである。</ref>も多く、どの料理を食べるか、どの順番で給仕してもらいたいのかは客が自由に[[ウェイター]]に頼むことができる。 レストランでは、これらの全てを注文しなければならないわけではない。レストランにおいて[[デザート]]や[[コーヒー]]は、食後に再度ウェイターが注文を取りに来ることが一般的である。 イタリア料理のコースでは、料理の出る伝統的な順番が存在する。メニューも一般的にこの順序で記載されている。 ; 1. アペリティーヴォ ([[:en:Apéritif and digestif|aperitivo]]) [[ファイル:Aperitivo_al_bar.jpg|thumb|アペリティーヴォ]] : [[食前酒]]。食欲を増進させるため、[[ビターズ|アマーロ]](イタリア語で「苦い」の意)のような薬草入りの酒、[[カンパリ]]、[[スパークリングワイン#イタリア|スプマンテ]](発泡[[ワイン]])などを飲む。レストランに行く前に、[[バール (飲食店)|バール]]などで[[ビール]]等をアペリティーヴォに取ることが多い。 ; 2. [[アンティパスト]] (antipasto) [[ファイル:Antipasto_Toscano.jpg|thumb|アンティパスト]] : 前菜([[オードブル]])として作り置きの料理が多い。[[ハム]]や[[チーズ]]、[[燻製]]、[[カルパッチョ]]など。プリモ・ピアットが出来るまでの時間稼ぎともいえる。 ; 3. [[プリモ・ピアット]] (primo piatto) : [[主食|主菜]]。直訳すると第一皿となるが、一皿だけとは限らない。[[サラダ]]や[[パスタ]]、[[リゾット]]、[[ポレンタ]]、[[スープ]]などが分類される。[[サルデーニャ]]では[[クスクス]]もプリモ・ピアットとして供される。 ; 4. [[セコンド・ピアット]] (secondo piatto) : 主菜。直訳すると第二皿となる。大きく[[:Category:魚介料理|魚料理]]と[[:Category:肉料理|肉料理]]の2種類に分類される。その両方がコースに含まれる場合、まず魚が給仕される。 ; 5. [[コントルノ]] (contorno) : 副菜([[副食]])、サイドディッシュ。ミニサラダや野菜(焼き野菜や煮野菜)。付け合わせ。通常セコンド・ピアットの料理には日本の様な付け合わせの野菜が付かないため、野菜を取りたいときにはコントルノを別に注文する必要がある。茹でる、焼く、揚げる、煮る、[[マリネ]]にするなどシンプルに調理されているものが多い。伝統的なメニューではセコンド・ピアットといっしょにサラダが出るということになっている。品物によってはセコンド・ピアットと同じ皿に載っている。 ; 6. ドルチェ (dolce) / チーズと果物(formaggio e frutta) : [[デザート]]([[甘味]])。[[ドルチェ]](菓子)としてしばしば手の込んだ一皿が供される他、ドルチェが供されるまでの繋ぎとしてなど、伝統的にはこの前後で[[チーズ]]や[[果物]]も供され、これを特に分けて称する際はformaggio e frutta(「チーズと果物」の意)などとする。 ; 7. カッフェ (caffè) : [[コーヒー]]。基本的に[[エスプレッソ]]・コーヒーである。カフェ・ルンゴ(長いコーヒー)と注文した場合、若干のお湯で割ったものが出る(日本の[[コーヒー#ブレンドとストレート|ブレンドコーヒー]]と同程度の濃さ)。[[カプチーノ|カップッチーノ]](エスプレッソ・コーヒーの上に泡立てたミルクを載せたもの)や[[ラッテ・マキアート]](染み付きミルク。泡立てない温かい[[牛乳]]の上にエスプレッソコーヒーを注いだもの)などミルクの入ったものは満腹でないことを意味するため、避けるのが無難。イタリア人は食後にカプチーノは飲まないが、カフェ・マキアット(染み付きコーヒー。エスプレッソコーヒーの中に少量の泡立てたミルクを垂らしたもの)は食後にもよく注文される。 ; 8. ディジェスティーヴォ (digestivo) : [[食後酒]]。[[グラッパ]]や[[リモンチェッロ]]などの[[リキュール]]類が小さなグラスで供される。 == 曜日との関係 == {{節スタブ}} [[ローマ]]では、曜日によって食べるべき料理の伝統が残っている。特に木曜・金曜・土曜の習慣は偏在であり、市内のレストランではそれらを守っているところもある。また、金曜の習慣に関してはイタリア全土でも言える。 * 月曜日 - [[:it:Carne bollito|Carne bollito]]{{リンク切れ|date=2022年8月}} と [[:it:Brodo|Brodo]]、[[ミネストローネ]]など。 * 火曜日 - [[:it:Polpette di bollito|Polpette di bollito]]{{リンク切れ|date=2022年8月}} など。月曜日の余った肉を利用することが多い。 * 水曜日 - [[もつ|内臓料理]]や[[オックステール]]。 * 木曜日 - [[ニョッキ]]。金曜日には粗食となるため、腹持ちの良いニョッキ。 * 金曜日 - [[バカラオ|バッカラ]]。[[イエス・キリスト|キリスト]]が亡くなった曜日であるため、肉類はタブーとなることから。 * 土曜日 - [[ハチノス#ハチノスを使った料理|トリッパ]]。 * 日曜日 - [[ラザニア]]などの [[:it:Pasta al forno|Pasta al forno]] 系料理。 == 飲食店の種類 == イタリア料理の飲食店は各種形態がある。 ; リストランテ (Ristorante) : コース料理を中心とする高級料理店。リストランテクラスの高級店ながら、オステリア・トラットリア、[[エノテーカ]]([[居酒屋]])と名乗ってカジュアルな印象を持たせたりする場合があり、店名だけでは判断しにくくなってきている。 ; [[トラットリア]] (Trattoria) : [[大衆食堂]]。地方料理や家庭料理を出す個人経営、家庭経営の店。アルコール類も楽しめ、アラカルト料理を中心とする。 ; [[オステリア]] (Osteria) : 軽食堂、居酒屋で、歴史をもち高級な料理店。アルコール類も楽しめ、アラカルト料理を中心とする。 ; ベットラ ([[:it:Bettola (disambigua)|Bettola]]) : オステリアとほぼ同様。イタリア語で食堂、台所という意味。 ; [[タヴェルナ]] (Taverna) : トラットリアとほぼ同様。調理済みメニューを出す簡易店もある。 ; [[ロカンダ]] (Locanda) ; 専門店 : 以下の[[ピザ|ピッツァ]]、[[パスタ]]、[[ワイン]]専門店の他に、[[ビール]]、[[カクテル]]、[[ジェラート]]を専門に扱う店もある。 :; [[ピッツェリア]] (Pizzeria) :: ピッツァ中心の専門店。 :; [[スパゲッテリア]] (Spaghetteria) :: パスタ中心の専門店。 :; [[エノテーカ]] (Enoteca) :: ワイン中心の専門店。居酒屋。「エノテカ」とも言う。 :; [[バーカロ]] ([[:it:Bacaro]]) :; [[パニノテッカ]] (Paninotec) :: [[サンドイッチ]]屋。 :; [[ビレリア]] ([[:it:Birreria]]) :: ビールバー。 :; [[ターヴォラ・カルダ]] ([[:it:Tavola calda]]) :: 店内での飲食可能な[[惣菜]]屋。 ; [[バール (飲食店)#イタリア|バール]] (Bar) : カウンター席を持つ[[喫茶店]]。夜には日本のショットバー類似となる。軽食、エスプレッソ、パン、ジェラートなどを出す店もある。小さな集落にも必ず存在し、コミュニティの中心的な役割も担っている。また[[富くじ|宝くじ]]や[[バス (交通機関)|バス]]の切符なども販売したりと、[[コンビニエンスストア]]的な役割も果たしている。 ; [[カフェテリア]] (Caffetteria) : 喫茶店。バールと混ざった形態のものもある<ref>{{Cite book |和書 |author = 川上文代 |title =イチバン親切なイタリア料理の教科書 |date = 2007-07 |publisher = [[新星出版社]] |isbn = 4-405-09152-8 }}</ref>。 :; パスティチェリア (Pasticeria) :: 菓子専門店。 :; ジェラテリア (Gelateri) :: [[アイスクリーム]]専門店。(Gelateria) ;[[アグリツーリズム]] ;[[ベーカリー]] ;[[:it:Pasticceria]] ;[[:it:Bruschetteria]] ;[[:it:Fiaschetteria]] ;[[:it:Formaggeria]] ;[[:it:Frasca]] ;[[:it:Pastificio]] ;[[:it:Piadineria]] ;[[:it:Polenteria]] ;[[:it:Ristorante]] ;[[:it:Rosticceria]] ;[[:it:Salumeria]] ;Paninoteca/Panineria == 地域分類 == [[File:Map_Folklore_II_1990_-_Componenti_alimentari_di_base_-_Touring_Club_Italiano_CART-TEM-097_(cropped).jpg|thumb|各州でどのような食材が使用されるかを示した地図(1990年時点)。<br />frequente - よく使用される食材<br />raro - まれに使用される食材]] {{翻訳中途|1=[[:it:Cucina italiana#Le cucine regionali d'Italia]]|date=2021年2月}} {{Div col}} * [[:it:Cucina abruzzese]] * [[:it:Cucina lucana]] * [[:it:Cucina calabrese]] * [[:it:Cucina campana]] ** [[ナポリ料理]] * [[:it:Cucina emiliana]] ** [[:it:Cucina bolognese]] ** [[:it:Cucina modenese]] ** [[:it:Cucina parmigiana]] ** [[:it:Cucina piacentina]] ** [[:it:Cucina reggiana]] * Cucina del Friuli-Venezia Giulia ** [[:it:Cucina friulana]] ** [[:it:Cucina goriziana]] ** [[:it:Cucina triestina]] * Cucina laziale ** [[:it:Cucina ciociara]] ** ローマ料理 ([[:it:Cucina romana]]) * [[:it:Cucina ligure]] ** [[:it:Cucina dell'Oltregiogo]] * [[:it:Cucina lombarda]] ** [[:it:Cucina milanese]] ** [[:it:Cucina mantovana]] *** [[:it:Cucina dell'Alto Mantovano]] ** [[:it:Cucina lodigiana]] * [[:it:Cucina marchigiana]] ** [[:it:Cucina ascolana]] * [[:it:Cucina molisana]] * [[:it:Cucina piemontese]] ** [[:it:Cucina torinese]] * [[:it:Cucina pugliese]] ** [[:it:Cucina barese]] ** [[:it:Cucina foggiana]] *** [[:it:Cucina cerignolana]] ** [[:it:Cucina salentina]] * [[:it:Cucina romagnola]] ** [[:it:Cucina cesenate]] * [[:it:Cucina sarda]] * [[:it:Cucina siciliana]] ** [[:it:Cucina agrigentina]] ** [[:it:Cucina catanese]] ** [[:it:Cucina messinese]] ** [[:it:Cucina palermitana]] ** [[:it:Cucina ragusana]] ** [[:it:Cucina siracusana]] ** [[:it:Cucina trapanese]] * [[:it:Cucina toscana]] ** [[:it:Cucina fiorentina]] * Cucina del Trentino-Alto Adige ** [[:it:Cucina altoatesina]] ** [[:it:Cucina trentina]] * [[:it:Cucina umbra]] * [[:it:Cucina valdostana]] * Cucina veneta ** [[:it:Cucina trevigiana]] ** [[:it:Cucina veneziana]] ** [[:it:Cucina vicentina]] ** [[:it:Cucina veronese]] {{Div col end}} == イタリア料理の分類と一覧 == === パスタ === {{food-stub}} {{seealso|[[パスタ#料理法・ソース]]}} [[パスタ]]料理は第一皿に分類される。小麦粉を練って作った種々の形態の麺類(パスタ)と[[ソース (調味料)|ソース]]の組合せが基本である。パスタは、サラダに入れたりスープの具にしたりしても用いられる。[[グラタン]]もパスタ料理の一種である。デザートで「パスタ」の名がつくものがあるが、これはペースト状の菓子の意味を示す([[パスタ]]参照)。 {{Div col}} * [[ヴェルミチェッリ]] * [[カネロニ]] * [[スパゲッティ]] * [[タリアテッレ]] * [[タリオリーニ]]/タリエリーニ/タヤリン * [[トルテッローニ]] * [[ニョッキ]] * [[フェットゥチーネ]] * [[ブカティーニ]] * [[フリッタータ・ディ・パスタ]] * [[ペンネ]] *[[ピチ (パスタ)]] * [[マカロニ]] * [[ラザニア]] * [[ラビオリ]] * [[:it:Agnolini]] * [[:it:Agnolotti piemontesi|Agnolotti del plin]] * [[:it:Agnolotti pavesi]] * [[:it:Agnolotti piemontesi]] * [[:it:Anelletti al forno|Anelletti]] * [[:it:Anolini]] * [[:it:Bavette]] * [[:it:Bigoli]] * [[:it:Bucatini]] * [[:it:Fusilli|Busiate]] * [[:it:Caccavelle]] * [[:it:Capelli d'angelo (pasta)|Capelli d'angelo]] * [[:it:Cappellacci di zucca|Cappellacci]] * [[:it:Cappellacci di zucca]] * [[:it:Cappelletti]] * [[:it:Capunsei]] * [[:it:Cascà]] * [[:it:Casoncelli]] * [[:it:Cavatelli]] * [[:it:Cavati e ravioli alla ragusana|Cavati]] * [[:it:Ceppe]] * [[:it:Chitarrine]] * [[チャルソンス]] ([[:it:Cjarsons]]) * [[:it:Conchiglie (pasta)|Conchiglie]] * [[:it:Conchiglie (pasta)|Conchiglioni]] * [[:it:Corzetti]] * [[:it:Cannelloni]] * [[:it:Culurgiones]] * [[:it:Cuscus|Cuscussu trapanese]] * [[:it:Ditali]] * [[:it:Tagliatelle|Fettuccine]] * [[:it:Fileja]] * [[:it:Filindeu]] * [[:it:Ferretti (pasta)|Ferretti]] * [[:it:Frascatula]] * [[:it:Fregula]] * [[:it:Frizzuli]] * [[:it:Fusilli]] * [[:it:Fusilli|Fusilli avellinesi]] * [[:it:Fusilli bucati]] * [[:it:Fusilli|Fusilli felittesi]] * [[:it:Ferretti (pasta)|Fusilli amalfitani]] * [[:it:Garganelli]] * [[:it:Gnocchi]] * [[:it:Gnocchi di malga]] * [[:it:Gnocchi|Gnocchi di polenta]] * [[:it:Gnocchi ricci]] * [[:it:Gnocchi alla romana|Gnocchi romani]] * [[:it:Gnocchi di zucca]] * [[:it:Gratini]] * [[:it:Laina]] * [[:it:Lagane]] * [[:it:Lasagne (gastronomia)|Lasagne]] * [[:it:Lorighittas]] * [[:it:Pipe (pasta)|Lumache]] * [[:it:Macarrones de busa]] * [[:it:Maccaronara]] * [[:it:Maccaruni]] * [[:it:Maccheroni]] * [[:it:Maccheroni|Maccheroni al ferretto]] * [[:it:Maccheroni al pettine]] * [[:it:Maccheroncini di Campofilone]] * [[:it:Malfacc]] * [[:it:Malfatti (gastronomia)|Malfatti]] * [[:it:Malfatto di Carpenedolo]] * [[:it:Malloreddus]] * [[:it:Maltagliati]] * [[:it:Marubini]] * [[:it:Mafalde]] * [[:it:Mezzi ziti]] * [[:it:Millefanti]] * [[:it:Schlutzkrapfen|Mezzelune]] * [[:it:Orecchiette]] * [[:it:Paccheri]] * [[:it:Pansoti]] * [[:it:Paparele]] * [[:it:Passatelli]] * [[:it:Pasta di Gragnano|Pasta di Gragnano IGP]] * [[:it:Pastina]] * [[:it:Pappardelle]] * [[:it:Patacucci]] * [[:it:Penne (pasta)|Penne]] * [[:it:Parmatieddi di Teggiano|Parmatieddi]] * [[:it:Pici]] * [[:it:Pipe (pasta)|Pipe]] * [[:it:Pizzoccheri della Valtellina|Pizzoccheri]] * [[:it:Ravioli]] * [[:it:Cavati e ravioli alla ragusana|Ravioli siciliani]] * [[:it:Ma:it:ccheroni|Rigatoni]] * [[:it:Minestrina|Risoni]] * [[:it:Sagne]] * [[:it:Sagne|Sagne 'ncannulate]] * [[:it:Scarpinocc]] * [[:it:Scilatelle]] * [[:it:Scialatielli]] * [[:it:Sfoglia|Sfoglia emiliana]] * [[:it:Spaghetti]] * [[:it:Spaghetti alla chitarra]] * [[:it:Nero di seppia|Spaghetti al nero di seppia]] * [[:it:Spätzle]] * [[:it:Strangozzi]] * [[:it:Strascinati]] * [[:it:Stroncatura]] * [[:it:Strozzapreti]] * [[:it:Tagliatelle di castagne|Taiette]] * [[:it:Tagliatelle]] * [[:it:Tagliatelle di castagne]] * [[:it:Brodo con tagliolini di crespelle|Tagliolini di crespelle]] * [[:it:Testaroli]] * [[:it:Tortel Dols di Colorno|Tortél Dóls]] * [[:it:Tortelloni|Tortellacci]] * [[:it:Tortelli]] * [[:it:Tortello amaro di Castel Goffredo|Tortelli amari]] * [[:it:Tortello fior di verza|Tortelli di verza]] * [[:it:Tortelli di zucca di Villanova de Bellis|Tortelli di Villanova]] * [[:it:Tortelli cremaschi]] * [[:it:Tortello maremmano con spinaci|Tortelli maremmani]] * [[:it:Tortello di patate|Tortelli del Mugello]] * [[:it:Tortelli alla piacentina]] * [[:it:Tortelli verdi|Tortelli d'erbetta]] * [[:it:Tortelli di zucca]] * [[:it:Tortellini]] * [[:it:Tortellini di Valeggio sul Mincio|Tortellini di Valeggio]] * [[:it:Tortelloni]] * [[:it:Tortelloni|Tortelloni di zucca]] * [[:it:Trenette]] * [[:it:Ciciri e tria|Tria]] * [[:it:Troccoli]] * [[:it:Trofie]] * [[:it:Trofiette]] * [[:it:Vermicelli]] * [[:it:Vincisgrassi]] * [[:it:Ziti]] {{Div col end}} {{Gallery |ファイル:Lutong Bahay - Bolognese Spaghetti.jpg|スパゲッティ |ファイル:Penne Lisce Con Sugo.jpg|ペンネ |ファイル:Ravioli_Capresi.jpg|ラビオリ |ファイル:Gnocchi_di_ricotta_burro_e_salvia.jpg|ニョッキ |ファイル:Lasagna_bolognese.jpg|ラザニア |ファイル:Bucatini_amatriciana.JPG|ブカティーニ |ファイル:Tagliatelle_al_ragù_03.jpg|タリアテッレ |ファイル:Shrimp_Fettucini_Alfredo.jpg|フェットゥチーネ |ファイル:Vermicelli_with_a_lemon-pecorino_fonduta_with_fennel_fronds_and_bottarga.jpg|ブカティーニ |ファイル:Tortelloni_tomatosauce2.JPG|トルテッローニ |ファイル:Cjalsons.jpg|チャルソンス }} === ピッツァ === ピッツァ([[ピザ]], pizza)は、平たく伸ばしたパン生地の上に具材を載せて焼いた一品料理。軽食として供されることが多い。イタリア本国ではリストランテ格の店で商品化していない店が多く、ピッツェリアと呼ばれる専門店で提供される。またイタリアでは、安く簡単に素早く食事を済ませると言えば[[ピッツェリア]]でピザを食べることが一般的である。イタリア各地で味付けや生地に差があり、[[ミラノ]]のピザが最も薄い。最も伝統あるピザが[[ナポリピッツァ]]である。[[ローマ]]のピザは、ミラノとナポリの中間の厚さであることが多い。味付けや具材などは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のものとは大きく異なる。 *[[揚げピザ]] * [[カプリチョーザ]] ([[:it:Pizza capricciosa]]) * [[カルツォーネ]] * [[クアットロ・スタジョーニ]] ([[:it:Pizza alle quattro stagioni]]) * [[クアットロ・フォルマッジ]] * [[ボスカイオラ]] * [[ナポリピッツァ]] * [[マルゲリータ (ピッツァ)|マルゲリータ]] * [[マリナーラソース#マリナーラ・ピザ|マリナーラ]] * [[ロマーナ (ピッツァ)]] ([[:en:Roman pizza]]) {{Gallery |ファイル:Pizza_Calzone.jpg|カルツォーネ |ファイル:Pizza_Quattro_Stagioni_transparent.png|クアットロ・スタジョーニ |ファイル:Pizza_marinara.jpg|マリナーラ |ファイル:Eq_it-na_pizza-margherita_sep2005_sml.jpg|マルゲリータ |ファイル:Thin_crust_Roman_style_pizza_on_table.jpg|ロマーナ }} === 米料理 === [[:Category:米料理|米料理]]と言えばリゾットが有名だが、米は小型のパスタと同様に扱われることも多い。米をデザートに用いるのも一般的である。イタリアは欧州一の米どころであり、料理ごとに最適な種類の米を使い分ける。[[カルナローリ米]]や[[アルボリオ米]]といった品種が有名で、最も普及している。 * [[アランチーニ]](スプリ) - イタリア風ライス[[コロッケ]]。 * [[インサラータ・ディ・リーゾ]] - 米のサラダ。 * [[リゾット]] - 米を具とともにブロード(イタリア語で「出汁」。[[ブイヨン]]参照)で煮たもの。 * [[:it:Risi e bisi]] * [[:it:Venere (riso)]] {{Gallery |ファイル:Arancini messinesi.JPG|アランチーニ |ファイル:Insalata di riso.jpg|インサラータ・ディ・リーゾ |ファイル:Italian_Risotto.png|リゾット |ファイル:Risi_e_bisi.JPG|Risi e bisi |File:Porc_fermier_des_Alpes_de_Haute_Provence_au_miel_de_Lavande_sublimé_par_son_riz_noir_du_Piémont_aux_saveurs_citronnées.jpg|Venere (riso) }} === パン === ==== パン ==== 料理が給仕されるまでの空腹を紛らわせるため、また食事とともに口直ししたり、皿のソースを拭って食べたりするのに用いられる。具材を乗せたり挟んだりし、一品の軽食料理として食べることもある([[パニーノ]])。 * [[グリッシーニ]] - [[トリノ]]で有名な細長く硬いパン。 * {{仮リンク|コルネット (イタリアのパン)|it|Cornetto (pasticceria)}} * [[ズガベオ]] * [[タラーリ]] * [[ティジェッレ]](クレシェンティーナ) * [[ニョッコ・フリット]] * [[パーネ・カラザウ]] - [[サルデーニャ]]島伝統の薄い醗酵パン。 * [[パーネ・トスカーノ]] - [[トスカーナ州]]で作られる、塩の入っていない大きなパン。 * [[パンツェロッティ]] - ピザ風の[[揚げパン]]。 * {{仮リンク|フィローネ|en|Filone}} * {{仮リンク|フィアドン|it|Fiadone}} * [[フォカッチャ]] - 平らなパン。 * [[ロゼッタ (イタリアのパン)|ロゼッタ]] * [[:it:Casatiello]] *[[:it:Canederli]] * [[:it:Pane di Altamura]] - 「パンの街」と呼ばれる[[アルタムーラ]]の、[[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・プロテッタ]] (D.O.P.) に認定されているパン。 * [[:it:Pane di Matera]] *[[:it:Vinschger Paarl]] {{Gallery |ファイル:Grissinistirati.jpg|グリッシーニ |ファイル:Cornetto_3.JPG|コルネット |ファイル:Sgabei.jpg|ズガベオ |ファイル:Taralli.jpg|タラーリ |ファイル:Crescentine.jpg|ティジェッレ(クレシェンティーナ) |ファイル:Gnocco_fritto_of_Modena.JPG|ニョッコ・フリット |ファイル:Carasadu4.JPG|パーネ・カラザウ |ファイル:Pane_toscano.jpg|パーネ・トスカーノ |ファイル:Calzone_fritto.jpg|パンツェロッティ |ファイル:Fiadone.jpg|フィアドン |ファイル:Focaccia.png|フォカッチャ |ファイル:Michetta (pane)1.JPG|ロゼッタ |File:Casatielli.jpg|Casatiello |File:Semmelknödel.jpg|Canederli |ファイル:Pane-di-altamura-dop-official.jpg|Pane di Altamura |File:Pane_di_Matera_(cropped).jpg|Pane di Matera |File:Vinschgauer.jpg|Vinschger Paarl }} ==== パン料理 ==== * [[クロスティーニ]] * [[パッパ・アル・ポモドーロ]] - トマトのパン[[粥]]。 * パニーニ([[パニーノ]]) - パンに具材を挟んだ[[サンドイッチ]]。 * [[パンツァネッラ]] * [[ピアーダ]]([[ピアディーナ]]) - [[エミリア=ロマーニャ州]]の平らな無醗酵パン。 * [[ブルスケッタ]] {{Gallery |ファイル:Crostini_by_Charles_Haynes.jpg|クロスティーニ |File:PappaPomodoro.png|パッパ・アル・ポモドーロ |ファイル:Italian_Sandwich.jpeg|パニーニ(パニーノ) |ファイル:Italian_Panzanella.jpg|パンツァネッラ |ファイル:Piadina.jpg|ピアーダ(ピアディーナ) |ファイル:Bruschetta.jpg|ブルスケッタ }} === スープ === *[[アヴゴレモノ]] * [[アクアコッタ]] - 野菜ならび残り物を使ったスープ料理。元々は[[トスカーナ州]]の郷土料理である。 * [[ミネストローネ]] - 野菜や豆、パスタ等を入れたごった煮風スープ。 * {{仮リンク|ズッパ・ディ・パヴェーゼ|it|Zuppa pavese}} * [[ズッパ・ディ・パーネ]] - パンを入れたスープ。 * {{仮リンク|ズッパ・ディ・ペシェ|it|Zuppa di pesce}} - 魚のごった煮。 * [[パッパ・アル・ポモドーロ]] * [[リボリータ]] * [[:it:Brodetto di pesce]] * [[:it:Buridda]] * [[:it:Stracciatella (zuppa)]] {{Gallery |ファイル:Acquacotta_soup_(cropped).jpg|アクアコッタ |ファイル:PappaPomodoro.png|パッパ・アル・ポモドーロ |ファイル:Minestrone_soup.jpg|ミネストローネ |ファイル:Minestra_di_pane.jpg|リボリータ |ファイル:Foto_brodetto_.jpg|Brodetto di pesce |ファイル:Straciatella_-_bowl.JPG|Stracciatella |ファイル:Seafood_stew.jpg|Zuppa di pesce }} === 肉料理 === * [[アロスティチーニ]] * [[オッソ・ブーコ]] - 仔牛の骨付きスネ肉の煮込み。 * [[カルネ・クルダ]] - [[ピエモンテ州]]を代表する肉の前菜料理。牛肉の[[たたき]]。 * [[カチャトーラ]] * [[カルパッチョ]] - 生の牛肉を薄切りにしたもの。[[ヴェネツィア]]料理。 * [[コテキーノ#コテキーノの種類|ザンポーネ]] * [[コトレッタ]] * [[コトレッタ・アッラ・ボロネーゼ]] * [[コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ]] - [[ミラノ]]風[[カツレツ]]。 * [[サルティンボッカ]] - [[ローマ]]料理。[[仔牛肉]]の包み焼。 * [[スカロピーネ]] * [[タリアータ]] * [[ピカタ]] * [[ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ]] - [[フィレンツェ]]風[[ステーキ#分類|Tボーンステーキ]]。 * [[ポルケッタ]] * [[ランプレドット]] * [[:it:Trippa alla romana]] {{Gallery |ファイル:Campo_Imperatore_2009_-Ristoro_Mucciante_Arrosticini-_by_RaBoe_014.jpg|アロスティチーニ |ファイル:Redaktionsvortreffen_EuT_2_ossobuco_16.04.2011_22-59-12.2011_22-59-12.jpg|オッソ・ブーコ |ファイル:Chicken_cacciatore_(cropped).jpg|カチャトーラ |ファイル:Carpaccio.jpg|カルパッチョ |ファイル:Cotoletta_e_patate_al_forno.jpg|コトレッタ |ファイル:Saltimbocca_alla_Romana2.jpg|サルティンボッカ |ファイル:Zampone.jpg|ザンポーネ |ファイル:Veal_scaloppine.jpg|スカロピーネ |ファイル:Trippa_Alla_Romana.jpg|タリアータ |ファイル:Veal_piccata.jpg|ピカタ |ファイル:Bistecca_Fiorentina,_1200_грамм_-еда_-запрещёнка_-Toscana_-.jpg|ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ |ファイル:PorchettaBlackPepperAUSFeb09.jpg|ポルケッタ |ファイル:Lampredotto_sandwich.JPG|ランプレドット }} ==== サラミ、ハムなどの肉製品 ==== * [[グアンチャーレ]] * [[クラテッロ・ディ・ジベッロ]] * [[コテキーノ]]パンチェッタ * [[サラミ]] * [[パンチェッタ]] * {{仮リンク|コッパ (ハム)|label=コッパ|it|Capocollo}} *[[フィノッキオーナ]] ** [[:it:Finocchiona]] * [[ブレザオラ]] - 牛肉の[[ハム]]。 * [[プロシュット]] ** [[プロシュット・ディ・パルマ]](パルマハム) ** [[プロシュット・ディ・サン・ダニエーレ]] * [[モルタデッラ]] * [[ラルド]] ** [[ラルド・ディ・コロンナータ]] * [[:it:Mortadella Bologna]] * [[:it:'Nduja]] * [[:it:Speck Alto Adige]] {{Gallery |ファイル:2019-01-31_Guanciale_al_Pepe_ca_800g.JPG|グアンチャーレ |ファイル:Coppa_de_Corse_-_Coppa_di_Corsica_-_002.jpg|コッパ |ファイル:Cotechino.jpg|コテキーノ |ファイル:Pancetta.jpg|パンチェッタ |ファイル:Bresaola_&_Mozzarella_(5824152348).jpg|ブレザオラ |ファイル:Parmaschinken BMK.jpg|プロシュット・ディ・パルマ |ファイル:Mortadella.jpg|モルタデッラ |ファイル:Il_candido_Lardo_di_Colonnata.JPG|ラルド・ディ・コロンナータ |ファイル:Finocchiona_gigante.jpg|Finocchiona |ファイル:'Nduja.JPG|'Nduja |ファイル:Südtiroler_Speck_g.g.A._mit_Gütesiegel.jpg|Speck Alto Adige }} === 魚料理 === * [[アクアパッツア]] * [[イカフライ]] * [[フリッター|フリット]] - [[フライ (料理)|フライ]]。通常、[[イカ]]や[[エビ]]を用いる。 * [[:it:Baccalà alla lucana]] * [[:it:Cacciucco]] * [[:it:Frittura di paranza]] * [[:it:Insalata di mare]] * [[:it:Polpi alla lucìana]] * [[:it:Sarde a beccafico]] {{Gallery |ファイル:Acqua_pazza.jpg|アクアパッツア |ファイル:Baccalà_Avigliano.jpg|Baccalà alla lucana |ファイル:Cacciucco_0422.jpg|Cacciucco |ファイル:Food_italy_2011-by-RaBoe-02.jpg|Insalata di mare |ファイル:FrittoMisto.jpg|Frittura di paranza |ファイル:Sarde_a_beccafico.jpg|Sarde a beccafico |ファイル:Polipo_alla_Luciana.jpg|Polpi alla lucìana }} === 野菜料理 === * [[カプレーゼ]] * [[カポナータ]] * [[バーニャ・カウダ]] * [[パルミジャーナ]]・ディ・メランザーネ * [[:it:Carciofi alla Romana]] *[[:it:Farinata di ceci]] * [[:it:Frittella di fiori di zucca]] *[[:it:Olive ascolane]] {{Gallery |ファイル:Caprese-1.jpg|カプレーゼ |ファイル:Sicilian_caponata.jpg|カポナータ |ファイル:Bagna_càuda_dip.jpg|バーニャ・カウダ |ファイル:Melanzane_alla_parmigiana.jpg|パルミジャーナ |ファイル:Carciofi_alla_Romana_1.jpg|Carciofi alla Romana |ファイル:Frittelle_di_fiori_di_zucca.JPG|Frittella di fiori di zucca |File:Olive all'ascolana.jpg|Olive ascolane }} === その他の料理 === *[[アリアータ]] * [[カッポン・マーグロ]] *[[サーバ (食品)]] * [[ティンバッロ]] * [[トルタ・パスクアリーナ]] * [[生ハムメロン]] * [[フォンドゥータ]] * [[フリコ]] * [[フリッタータ]] * [[ボッタルガ]] - [[カラスミ]]の一種。 * [[ポレンタ]] *[[マロンパイ]] * [[:it:Agliata]] - 肉、魚、野菜などからどれか。 * [[:it:Frittata di luppolo selvatico]] * [[:it:Fritto misto alla piemontese]] {{Gallery |ファイル:CapponMagroMD.jpg|カッポン・マーグロ |ファイル:Timballo_Pattadese_-_20110306.JPG|ティンバッロ |ファイル:Pastel de Acelga.jpg|トルタ・パスクアリーナ |ファイル:Melón_con_jamón_SDC14106-1.JPG|生ハムメロン |ファイル:Fricotenero.jpg|フリコ |ファイル:Frittata.jpg|フリッタータ |ファイル:Musciame.jpg|ボッタルガ |ファイル:Polenta_con_sopressa_e_funghi.jpg|ポレンタ |ファイル:Fried_cauliflower_with_agliata.jpg|Agliata }} === チーズ === {{Main|イタリアのチーズ}} {{Div col}} * [[アジアーゴ・チーズ]] * [[カチョカヴァッロ]] * [[グラナ・パダーノ]] * [[ゴルゴンゾーラ]] * [[タレッジョ]] * [[パルミジャーノ・レッジャーノ]] * [[フォンティーナ]] * [[ブッラータ]] * [[ペコリーノ]] * [[ベル・パエーゼ]] * [[マスカルポーネ]] * [[モッツァレッラ]] * [[リコッタ]] * [[:it:Caprino della Limina]] * [[:it:Paglierina]] * [[:it:Robiola di Roccaverano]] * [[:it:Provolone Valpadana]] * [[:it:Stracchino]] {{Div col end}} {{Gallery |ファイル:Caciocavallo.JPG|カチョカヴァッロ |ファイル:Grana_Padano-Carved-1.jpg|グラナ・パダーノ |ファイル:Gorgonzola_3.jpg|ゴルゴンゾーラ |ファイル:Parmigiano_reggiano_piece.jpg|パルミジャーノ・レッジャーノ |ファイル:Fontina_DOP.jpg|フォンティーナ |ファイル:Burrata2.jpg|ブッラータ |ファイル:Fava-italia-italy.jpg|ペコリーノとファーベ |ファイル:Mozzarella_di_bufala3.jpg|モッツァレッラ |ファイル:Ricotta_salata_e_zucchina.jpg|リコッタ |ファイル:Paglierina_in_tavola.jpg|Paglierina |ファイル:Robiolaconsorzio.jpg|Robiola di Roccaverano }} === デザート(菓子) === {{Div col}} * [[アフォガート]] * [[アマレッティ]] * [[カッサータ]] * [[カントゥッチ]] * [[カンノーロ]] * [[グラニータ]] * [[ザバイオーネ]] * [[ジェラート]] * [[ジャンドゥーヤ]]([[ジャンドゥイオッティ]]) * [[スフォリアテッレ]] * [[ストゥルーデル]] * [[ズッコット]] * [[ズッパ・イングレーゼ]] * [[セミフレッド]] * [[ティラミス]] * [[ザバイオーネ]] * [[パスティエーラ]] * [[ババ (菓子)]] * [[パンフォルテ]] * [[パンナ・コッタ]] * [[ビスコッティ・サヴォイアルディ]] * [[ボネ]] * [[マチェドニア]] * [[マルチパン|マルツァパーネ]] * [[モンブラン (ケーキ)|モンテビアンコ]] * [[パネットーネ]] * [[パンドーロ]] * [[カントゥチーニ]] with [[ヴィン・サント]] or [[シャッケートラ]] ([[:it:Sciachetrà]]) * [[Baci]] * [[フェレロ|Ferrero Rocher]] * [[タルトゥフォ]] * [[カファレル]] * [[トローネ]] * [[スプモーネ]] * [[ヌテラ]] * [[モスタルダ]] * [[ジャンドゥイオット]] * [[トゥロン]] * [[シュトゥルーデル]] * [[マリトッツォ]] *[[カッサテッラ]] *[[:it:Cassata siciliana]] * [[:it:Colomba pasquale]] * [[:it:Bruttiboni]] * [[:it:Panforte]] * [[:it:Zuppa Inglese]] * [[:it:Zeppole]] * [[:it:Bocconotto]] * [[:it:Crostata]] *[[:it:Torta mimosa]] * [[:it:Zeppola]] * [[:it:Torta pazientina]] {{Div col end}} {{Gallery |ファイル:Affogato.JPG|アフォガート |ファイル:Panna_cotta_with_chocolate_mousse.jpg|パンナ・コッタ |ファイル:Marsala_sabayon_with_cookie_and_local_stone_fruit.jpg|ザバイオーネ |ファイル:Vin_santo2.jpg|カントゥチーニ with ヴィン・サント or シャッケートラ |ファイル:Sfogliatelle_on_plate.jpg|スフォリアテッレ |ファイル:Tiramisu_-_Raffaele_Diomede.jpg|ティラミス |ファイル:Panettone_vero.jpg|[[クリスマス]]に食べられるパネットーネ |ファイル:Pandoro_cut_01.jpg|クリスマスに食べられるパンドーロ |ファイル:Freshly_baked_Roman_maritozzo.jpg|マリトッツォ |ファイル:Gianduiotti.jpg|ジャンドゥイオット |ファイル:Mostardadicremona.jpg|モスタルダ |ファイル:Colomba_pasquale,_edizione_2013_-_ND0_4662_(8564331585).jpg|Colomba pasquale |ファイル:Nutella ak.jpg|ヌテラ |ファイル:Zeppula.jpg|Zeppola |ファイル:Cannoli_siciliani_(7472226896).jpg|カンノーロ |ファイル:Torta_pazientina.jpg|Torta pazientina }} === 酒類 === ==== ワイン ==== {{Main|イタリアワイン}} {{Div col}} * [[ヴァルポリチェッラ]] * [[ヴィン・サント]] *[[ヴェルナッチャ]] * [[キャンティ]] * [[シャッケートラ]] ([[:it:Sciachetrà]]) * [[スイート・ベルモット]] * [[ソアーヴェ (ワイン)|ソアーヴェ]] * [[タウラジ]] * {{仮リンク|ノヴェッロ (ワイン)|en|Vino Novello}}(ノヴェッロ) * [[バルドリーノ (ワイン)|バルドリーノ]] * [[バルバレスコ (ワイン)|バルバレスコ]] * [[バルベーラ・ダルバ]] * [[バローロ (ワイン)|バローロ]] * [[ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ]] * [[マルサラ (ワイン)|マルサラ]] * [[ムルスム]] ([[:it:Mulsum|it]]) * [[モンテプルチャーノ・ダブルッツォ]] * [[ラクリマクリスティー]] {{Div col end}} {{Gallery |ファイル:Vin_santo2.jpg|ヴィン・サント with カントゥチーニ |ファイル:Valpolicella_Ripasso_classico_superiore_su_Recioto.JPG|ヴァルポリチェッラ |ファイル:Fiasco_di_vino_rosso_da_tavola_Monteriggioni.jpg|キャンティ |ファイル:Soave_classico.jpg|ソアーヴェ |ファイル:Bottiglia_di_Barolo_Selezione_Ufficiale_dell'Enoteca_Regionale_del_Barolo.jpg|バローロ |ファイル:Barbaresco_2016.jpg|バルバレスコ |ファイル:MARSALA_1962.jpg|マルサラ }} ==== スパークリングワイン ==== * [[アスティ・スプマンテ]] * [[フランチャコルタ]] * [[プロセッコ]] * [[ランブルスコ]] {{Gallery |ファイル:Cinzano_Asti_Spumante,_2012.jpg|アスティ |ファイル:Franciacorta_milledi.jpg|フランチャコルタ |ファイル:Prosecco_di_Conegliano_bottle_and_glass.jpg|プロセッコ |ファイル:Lambrusco.jpg|ランブルスコ }} ==== 蒸留酒 ==== * [[グラッパ]] {{Gallery |ファイル:Grappa_soorten.JPG|グラッパ }} ==== リキュール ==== * [[アペロール]] * [[アマレット]] * [[アマーロ (リキュール)|アマーロ]] * [[ガリアーノ (リキュール)]] * [[カンパリ]] * [[ストレガ]] * [[チナール]] * [[トスキ・ノチェロ]] * [[フランジェリコ]] * [[ベルモット|ヴェルムト]] * [[マラスキーノ]] * [[リモンチェッロ]] {{Gallery |ファイル:Aperol_Flasche.jpg|アペロール |ファイル:AmarettoDisaronno.jpg|アマレット |ファイル:Bottle of Campari (United States).jpg|カンパリ |ファイル:SIMAL_limoncello_jp.jpg|リモンチェッロ }} ==== ビール ==== {{See|イタリアのビール}} {{Div col}} * [[ビッラ・モレッティ]] * [[ペローニ]] * [[:it:Birra Busalla|Birra Busalla]] * [[:it:Birra Castello|Birra Castello]] * [[:it:Birra d'Abruzzo|Birra d'Abruzzo]] * [[:it:Birra Forst|Birra Forst]] * [[:it:Birra Ichnusa|Birra Ichnusa]] * [[:it:Birra Italia|Birra Italia]] * [[:it:Birra Livorno|Birra Livorno]] * [[:it:Birra Menabrea|Birra Menabrea]] * [[:it:Birra Metzger|Birra Metzger]] * [[:it:Birra Morena|Birra Morena]] * [[:it:Birra Nastro Azzurro|Birra Nastro Azzurro]] * [[:it:Birra Pedavena|Birra Pedavena]] * [[:it:Birra Peroni (azienda)|Birra Peroni]] * [[:it:Birra Raffo|Birra Raffo]] * [[:it:Birra Theresianer|Birra Theresianer]] * [[:it:Birra Venezia|Birra Venezia]] *[[:it:Dreher]] * [[:it:Gaetano Pasqui|Gaetano Pasqui]] * [[:it:Wührer|Wührer]] {{Div col end}} {{Gallery |ファイル:Ichnusa_non_filtrata.jpg|イクヌーザ ([[:it:Birra Ichnusa]]) |ファイル:DreherLagerOriginale.jpg|ドレハー ([[:it:Dreher]]) |ファイル:Moretti_03.JPG|ビッラ・モレッティ |ファイル:Birra_Peroni_Package.jpg|ペローニのペローニ |ファイル:Nastro_Azzurro.JPG|ペローニの[[ペローニ#ナストロ・アズーロ|ナストロ・アズーロ]] (Birra Nastro Azzurro) |ファイル:BirraMessina2019.jpeg|メッシーナ ([[:it:Birra Messina]]) |ファイル:Menabrea_original_beer_bottle(2008).png|メナブレア ([[:it:Birra Menabrea]]) }} ==== その他の酒類 ==== {{節スタブ}} ==== カクテル ==== * [[アメリカーノ (カクテル)]] * [[カンパリ・オレンジ]] * [[スプモーニ]] * [[スプリッツ]] * [[ネグローニ]] * [[ベリーニ]] * [[:it:Negroni sbagliato]] {{Gallery |ファイル:Aperol Spritz - Santa Ynez Kitchen - Sarah Stierch.jpg|スプリッツ |ファイル:Negroni_served_in_Vancouver_BC.jpg|ネグローニ |ファイル:Bellini_Cipriani,_Macaroni_Grill,_Dunwoody_GA.jpg|ベリーニ |ファイル:Negroni_sbagliato.jpg|Negroni sbagliato }} === 飲み物 === ==== コーヒー ==== [[ファイル:Caffé_Tazza_D’Oro.jpg|thumb|ローマの老舗バールである[[タッツア・ドーロ]]]] {{Div col}} * [[アフォガート]] * [[アメリカーノ (コーヒー)|エスプレッソ・アメリカーノ]] * [[エスプレッソ]] * [[エスプレッソ・トニック]] * [[カフェ・オ・レ]] * [[カフェ・コレット]] * {{仮リンク|カフェ・コン・パンナ|en|Espresso con panna}} * [[カッフェ・ドルゾ]] * [[カフェ・フレッド・シェケラート]] * [[カフェ・マキアート]] * [[カフェモカ|カフェ・モカ]] * [[カフェ・ラッテ]] * [[カプチーノ]] * [[ビチェリン]] * [[フラットホワイト]] * [[ラッテ・マキアート]] {{Div col end}} {{Gallery |ファイル:Affogato.JPG|アフォガート |ファイル:Tazzina_di_caffè_a_Ventimiglia.jpg|エスプレッソ |ファイル:Cappuccino_PeB.jpg|カプチーノ |ファイル:Orzo_latte.png|カッフェ・ドルゾ |ファイル:Caffè con panna.jpg|カフェ・コン・パンナ |ファイル:Koffie_verkeerd_cafe_MP_Amsterdam.jpg|カフェ・ラッテ |ファイル:Bicerin.jpg|ビチェリン |ファイル:Latte_macchiato_with_coffee_beans_new.jpg|ラッテ・マキアート }} ==== ミネラルウォーター ==== ガス無しは Naturale(ナトゥラーレ)、ガス入りは Frizzante(フリッザンテ)。 * [[アクアパンナ]] * [[サンベネデット]] * [[サンペレグリノ]] * [[フェッラレッレ]] ([[:it:Ferrarelle]]) * [[:it:Acqua Sant'Anna]] * [[:it:Acqua Vera]] {{Gallery |ファイル:Acqua_Panna_mineral_water_in_a_glass_bottle_-_20140408.jpg|アクアパンナ |ファイル:San_Pelligrino_-_1L_bottle_(cropped).JPG|サンペレグリノ }} ==== 清涼飲料水 ==== * [[サンペレグリノ#CHINO|CHINO]] {{Gallery |File:2021 — Erste Julireise Mateus2019 — Batch (229).jpg|CHINO }} == イタリアの料理人 == * [[:it:Pellegrino Artusi]] * [[マッシモ・ボットゥーラ]] * [[ロサルバ・デ・カルロ]] * [[ベリッシモ・フランチェスコ]] == イタリア料理研究家 == * ベリッシモ・フランチェスコ * [[パンツェッタ貴久子]] * [[ロザンナ・ザンボン]] * [[マリオ・バターリ]] * ロサルバ・デ・カルロ == 日本におけるイタリア料理 == === 歴史 === 日本最古のイタリア料理店は、1880年に[[新潟市]]でピエトロ・ミリオーレが開業した[[ホテルイタリア軒|イタリア軒]]である。イタリア軒は、日本に現存する最古の西洋料理店とされている。また、[[明治]]末期にはじめて[[マカロニ]]が輸入された記録もあり、ホテルで広まっていった。[[第二次世界大戦]]後は、日本に残されたイタリア(旧[[ファシスト党|ファシスト]]政権側)の元軍人や軍属が日本人と結婚し、日本に永住するにあたって料理店を開いた。1970年代以前には本格的イタリア料理店は日本には数えるほどしかなかったが<ref>澤口恵一(2012)「日本におけるイタリア料理の産業史とコックのライフ・ヒストリー研究:その序論的考察」『[[大正大学]]研究紀要』97: 143-154</ref>、ピザやパスタが注目されるようになった1970年代から全国的にイタリア料理として親しまれるようになり、日本人の麺類嗜好と重なって定着したとされる<ref>木戸星哲(1988)「イタリア料理」『[[世界大百科事典]]』[[平凡社]]</ref>。[[バブル景気|バブル期]]には「イタ飯」と俗に呼ばれることもあった。イタ飯は、後の「〇〇めし」という俗語の初出であった<ref>{{Cite web|和書|title=【ファッションフードの平成史】“イタ飯”が日本人にウケた本当の理由 {{!}} citrus(シトラス)|url=https://citrus-net.jp/article/64000|website=citrus|publisher=[[オールアバウト#子会社|オールアバウトナビ]]|accessdate=2021-05-05|language=ja}}{{リンク切れ|date=2023年7月}}</ref>。 === 日本にあるイタリア料理チェーン店 === * [[サイゼリヤ]] * [[カプリチョーザ]] * [[イタリアントマト]] * [[すかいらーく#現在展開しているチェーン店|グラッチェガーデンズ]] * [[ピエトロ (福岡県)|ピエトロ]] * [[セガフレード・ザネッティ]] * [[ジョリーパスタ]] * [[イタリアン (新潟)#みかづきとフレンド|みかづき]] * [[イタリアン (新潟)#みかづきとフレンド|フレンド]] == その他 == {{節スタブ}} * [[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・プロテッタ]] (DOP, D.O.P.) * [[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・コントロッラータ]] (DOC, D.O.C.) * [[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・コントロッラータ・エ・ガランティータ]] (DOCG, D.O.C.G) * [[:it:Indicazione geografica protetta]] (IGP) * [[:it:Specialità tradizionale garantita]] (STG) * [[:it:Vino da tavola]] (VdT) * [[:it:Indicazione geografica tipica]] (IGT) * [[IGI]] {{要曖昧さ回避|date=2022年8月}} == 関連項目 == [[ファイル:Pellegrino Artusi.jpg|thumb|[[ペッレグリーノ・アルトゥージ]]]] * {{仮リンク|イタリア料理大全|it|La scienza in cucina e l'arte di mangiar bene}} - イタリア料理の父[[ペッレグリーノ・アルトゥージ]]により、1891年に発行。 * [[世界三大料理]] * [[ガンベロロッソ]] - イタリア国内のレストランガイド本。 * [[9月17日]](イタリア料理の日) - 日本イタリア料理協会が制定。イタリア語で料理を意味する「cucina(クチーナ)」の語呂合わせから。 * [[Eataly]] * [[スローフード]] *[[エリオ・オルサーラ]] * [[落合務]] - 日本イタリア料理協会会長。 * [[ローマの料理]] - 古代ローマの料理についての単独記事。現代のローマで供される料理については[[:it:Cucina romana|イタリア語版の記事]]もしくは[[:en:Roman cuisine|英語版の記事]]を参照のこと。 * [[コペルト]] (Coperto) - チャージ(パン代)。 * [[:it:Hecto|etto]]<!--ウィキペディア日本語版においては現状、etto の語句は[[広電宮島ガーデン]]の記事へのリダイレクトになっています。--> - 100 {{要説明範囲|g&nbsp;|date=2022年8月}}という意味。 * [[MOI (イタリア)]] *[[アルチェネロ]] *[[真のナポリピッツァ協会]] *[[イタリア系アメリカ料理]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参照 == {{参照方法|date=2018年6月|section=1}} * [https://theryugaku.jp/1261/ イタリアの食品に付いてる「DOP」「IGP」マークとは?イタリアで安心した食事をするための豆知識 {{!}} THE RYUGAKU &#91;ザ・留学&#93;] == 外部リンク == {{Commonscat|Cuisine of Italy}} * {{Kotobank|イタリア料理}} {{イタリア}} {{料理}} {{ヨーロッパの題材|料理|mode=2|part=2}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:いたりありようり}} [[Category:イタリアの食文化|*]] [[Category:地域別の料理]] [[Category:イタリアの菓子|*]]
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列車
列車(、英: train)とは、イギリスでは、2両以上の鉄道用の車両が連結されたものでそのうち1両は機関車であるものか、あるいは(他の鉄道車両と連結されていない)(単独の)機関車とされており、日本においては、停車場以外の線路を運転させる目的で組成された一連の車両のことを指す。 列車の定義は国によって微妙に異なる。 (鉄道の歴史が長い)イギリスでは、1993年鉄道法(英語版)83(1)条において、列車 (train) を「(a)2両またはそれ以上の鉄道車両が連結されたもので、少なくともそのうち1両は機関車であるもの、(b)他の鉄道車両と連結されていない機関車」と定義している(機関車方式が前提となった定義を掲載している)。なおOxford Dictionaryでは「機関車や(車両と)一体化したモータ群(integral motors)によって動かされる、一連の連結された鉄道車両や貨車」という定義を掲載しており、機関車方式以外も想定している。。 アメリカ合衆国のアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道の1948年の運行規程では列車を「客貨車の有無にかかわらず、1両またはそれ以上の機関車が連結されており、標識類が示されたもの」と定義していた。 日本においては国土交通省の定めた、2002年施行の鉄道に関する技術上の基準を定める省令第2条13項で、「停車場外の線路を運転させる目的で組成された車両をいう」とされている。日本では、「電車」という言葉で鉄道の線路を走る車両すべてを指すことがあるが、電車は本来は電力によって走行する鉄道車両のことを指しており、列車であるためにはどのような動力源を用いていてもよい。(日本では)専門的には、停車場(駅)の外の線路を運転させる目的で組成された車両のことを特に「列車」と呼び、同じ車両であっても運転させる目的をもたずに留置されているようなものは列車ではなく、単なる車両である。 (上述のイギリス、アメリカ、日本の法規や運行規定の定義で、三国とも同様だと判るが)、車両数に関係なく、動力車単独であっても「列車」となりうる。 列車はその目的、運転時期、使用動力車、性質などにより分類できる。 英語の「train トレイン」の語源は古フランス語の名詞の「train トラン」(男性形)や 「traine トレーヌ」 (女性形)である。これは古フランス語の「trahiner」という動詞から派生する。これは更にラテン語の「trahere」(=引く、引っ張る)にたどり着く。 列車は複数の車両を連結して運転されることがあり、このことを「編成を組む」などと呼び、組み合わせた車両を指して編成と呼ぶ。編成には、列車として具備するべき前述の条件に加えて、動力装置、電源系統、サービス設備などの制約もある。 機関車が客貨車を牽引する動力集中方式の場合は、牽引定数が問題となる。列車ダイヤで定められた時刻を守って列車を運転するためには一定の速度以上で走行する必要があり、運転対象路線にある勾配と機関車の性能から、牽引する編成の重量は一定の範囲内に収まっている必要がある。編成の各車両に動力が分散している電車方式(動力分散方式)の列車では、運転を想定している路線の勾配に合わせて、動力車の比率(MT比)を決める必要がある。 列車暖房においては、蒸気暖房の時代には蒸気機関車またはそれ以外の機関車では蒸気発生装置から蒸気を供給して暖房を行っており、蒸気発生装置のない電気機関車・ディーゼル機関車では暖房を使えなかった。電気暖房においても、機関車に電気暖房用の送電設備、客車にそれに対応したヒーターが搭載されている必要があり、対応しなければ暖房を使えないという制約がある。冷房の面でも、冷房装置とそれに対応した電源がなければ冷房を使えない。 サービスの面では、必要に応じてグリーン車(一等車)などの優等車両と普通車の割合を決めて編成に連結する。現代では売店での食品販売や外食産業に押されて連結は減少しているが、供食設備として食堂車やビュフェ車が連結されることがある。優等車両や寝台車を連結するに際しては、特別料金を払っていない旅客がこうした車両内を通り抜けることを防止するために、編成の一端にまとめて優等車両や寝台車を連結したり、食堂車やロビーカーを間に挟んだりする対策が行われる。荷物車や郵便車は駅における取り扱い設備の配置の関係から、連結位置が決まっている。 線路容量や車両数の制約から、列車の分割・併合を行うことがある。列車が進行していく際に、輸送需要が低くなるにつれて一部の車両を切り離していく、あるいは輸送需要が高くなるにつれて車両を増結していくような運行の仕方(増解結)をすることがある。またはそうした切り離した車両が支線に直通して別の終着駅となる列車になっていたり、別の始発駅を出発して支線から直通してくる列車を増結したりする(多層建て列車)こともある。 初期の車両では、1両単位で電源や暖房などが独立した構成になっており、自由に連結・解放することができた。しかしそうした機器類にかかる費用を節約するため、走行に必要な機器類や空調電源などを編成全体でまとめて最適設計して各車両に配置する、固定編成という考えが生まれた。さらに基本編成と付属編成という組み合わせにして、輸送需要に応じて付属編成を切り離すといった運用が行われている。 列車の運行計画は、ダイヤグラム(列車ダイヤ)の形で立案される。 運行計画においてはまず、対象路線の輸送量を想定し、各種列車の輸送力を設定する。乗車率(混雑率)が低いほど、旅客にとって座席を確保しやすくなってサービス上は好ましいが、乗車率が低いと輸送量に対し必要とされる車両数が増えることになり、鉄道事業者の運営コスト上は好ましくない。競合する交通機関の状況を踏まえて決定される。 続いて列車の設定本数と区間を決定する。輸送量に応じて列車本数を調整したり、編成両数を増減したりする。また列車の運転する区間や異なる路線への直通列車の設定を検討する。列車本数が多い方が旅客にとっては利用しやすいが、線路容量や車両運用との兼ね合いもある。 設定した列車の配列順序・出発時刻を決定する。利用者の利便性を考慮しつつ、線路容量や駅の発着番線の都合などを考えて、各列車の順序と時刻を決定する。そして各列車の使用車両の性能や線路の条件に応じて計算された基準運転時分に基づいて駅間の走行時間を決め、各列車の停車駅と停車時間を定めて列車の時刻を確定していく。こうした時刻を決定するにあたっては、各駅間の閉塞の条件、線路容量、駅の信号の条件、車両の性能といった条件から決まる最短時隔を守る必要がある。 列車には、他の列車と区別するために、列車番号が与えられる。列車のおおよその性質を知ることができるような番号体系が定められており、運行管理上重要であることから、同一駅に同一番号の列車が発着しないようにされている。 列車の時刻決定と表裏一体のものとして、列車に乗務員および車両の割り当てを行う、乗務員運用計画および車両運用計画(運用)が作成される。乗務員や車両が循環して各列車に割り当たっていくことで、実際の列車の運行が行われる。 列車の運転は、常に当初の計画通りに行えるわけではなく、何らかの原因で列車に遅れが生じることがある。そうした列車の運行状況を監視し、必要に応じて対応策を講じて正常な運転に復帰させるために運行管理が行われる。 元来は、中央の運転指令所から電話で各地の駅や列車と連絡を取って指示命令を行っていた。現代においては、列車集中制御装置 (CTC) の導入が進み、運転指令所から各駅の信号設備を遠隔制御して列車の運行を制御している。また運転指令所と列車の情報伝達には、列車無線が用いられるようになった。 CTCにおいても、列車の現在位置と列車ダイヤをもとに指令員が判断を行い、制御盤から信号を制御して列車の運行を管理していた。さらなる発展として、列車の運行状況をコンピューターを用いて自動的に追跡・監視し、あらかじめ入力された列車ダイヤのデータと照合して、自動的に運行管理を行う自動進路制御装置 (PRC) という装置が導入されるようになった。 列車ダイヤが乱れた際には、運転指令員が列車ダイヤや車両・乗務員運用計画の変更を行う。この作業のことを運転整理と呼ぶ。運転整理は、評価基準があいまいで難しく、制約が厳しいうえに大規模な組合せ最適化問題であるという、非常に難しい問題である。 用途目的による列車の分類として、運賃を徴収して一般の旅客貨物を輸送する営業用列車と、鉄道事業者の業務の都合上運転する事業用列車の区分がある。営業用列車はさらに、下記のようにいくつかに区分されている。 旅客列車は、旅客(人)を乗せて運ぶ列車である。 貨物列車は、貨物の輸送を行うための列車である。 また、鉄道車両自体を貨物として輸送する甲種鉄道車両輸送や、大物車を使った特大貨物輸送も貨物列車の一種である。 客車と貨車を併結した列車を混合列車という。さらに区別して、客車に貨車を併結した列車を混合列車、貨車に客車を併結した列車を準混合列車という。準混合列車は貨物列車としての運行が主体であり、貨車の解結、貨物の積み下ろしに重点が置かれて、旅客扱いは従たるものである。 事業用列車は、鉄道事業のために用いられるが営業列車ではない列車である。一般の旅客貨物を輸送する列車と使命が異なる列車として、特殊列車とも呼ぶ。 列車は動力車の種類により、機関車牽引列車、電車列車、気動車列車などに分類される。異種動力車が併結されている場合はメインとなる動力車が基準となる。機関車牽引列車には、蒸気機関車を使用する蒸機列車、電気機関車を使用する電機列車、内燃機関車を使用する内燃機列車などがある。機関車牽引列車は、特に蒸機列車は、「汽車」とも呼ばれる。 日本の鉄道の運転取り扱いでは、旅客や貨物の輸送に直接鉄道車両を使っている場合と、それ以外の場合を区別している。輸送に直接使われる、停車場間での鉄道車両の運転(移動)を「列車」と呼び、それ以外の鉄道車両の移動を単に「車両」と呼ぶ。輸送の準備や後始末で駅構内や車両基地において行う移動(入換)が車両である。列車として運転する場合には、車両に比べて高度な安全要件を満たすことが要求される。 列車として具備するべき条件は、以下のようなものがある。 旅客にアピールする目的で、列車に「黄金の矢」(イギリス・フランス)や「20世紀特急」(アメリカ合衆国)など、列車愛称を付けることがある。そうした愛称付きの列車(ネームド・トレイン named train)には、シンボルマークを描いたヘッドマーク・テールマークを取り付けることがある。 世界で最初に愛称を付けた列車は、1848年にイギリスで運行開始した「アイリッシュ・メール」である。鉄道の普及以前には、駅馬車(ステージコーチ)の中でもっとも速いものに郵便物を載せて運んでおり、そうしたステージコーチを特にメールコーチと呼ぶ慣習があった。そのためにメールが付く名前には速いという印象があったことから、アイルランド行き最速列車をアピールしてアイリッシュ・メールと名付けられた(ただしアイルランドへ直通しているわけではなく、アイルランド行きの船が出る港への列車である)。以降、行き先の地名にメールを付けた愛称がつけられていった。また、競走馬のザフライングダッチマンの名前にちなんでグレート・ウェスタン鉄道が名付けた「フライング・ダッチマン」も人気を博し、「フライング・スコッツマン」など同様にフライングを付けた列車名がイギリス国外を含めて広がっていった。 日本では長らく列車番号のみで列車を識別していたが、昭和初期の不況で輸送力が余剰気味であったことから、列車に愛称を付けて親しんでもらおうという意図で、東京 - 下関間の特急列車2往復に愛称を付けることになり、列車名を一般公募して「富士」「櫻」と名付けて1929年(昭和4年)9月15日のダイヤ改正から時刻表にも掲載されて運行されるようになった。第二次世界大戦中一時的に列車愛称は途絶えるが、戦後復活し、列車の増発とともに愛称は増加していった。同じような運行系統・運行目的の列車を「○○1号・2号」あるいは「第1・第2○○」のように番号付きで区別することも始まり、ヨンサントオ(昭和43年10月1日ダイヤ改正)で同一区間の列車名はできるだけ愛称を統一することや、末尾に1号・2号と付番することで出発順序を区別することなどが決められた。 なお、「とびうお」「たから」など、貨物列車に愛称がつけられた事例もある。
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列車(れっしゃ、とは、イギリスでは、2両以上の鉄道用の車両が連結されたものでそのうち1両は機関車であるものか、あるいは機関車とされており、日本においては、停車場以外の線路を運転させる目的で組成された一連の車両のことを指す。
{{Train topics}} {{読み仮名|'''列車'''|れっしゃ|{{lang-en-short|train}}}}とは、イギリスでは、2両以上の[[鉄道]]用の[[車両]]が連結されたものでそのうち1両は[[機関車]]であるものか、あるいは(他の鉄道車両と連結されていない)(単独の)機関車とされており、日本においては、[[停車場]]以外の[[線路 (鉄道)|線路]]を運転させる[[目的]]で組成された一連の車両のことを指す<ref name="sekaidaihyakka">平凡社『[[世界大百科事典]]』「列車」、[[土田廣]] 執筆。</ref>。 == 概説 == 列車の定義は国によって微妙に異なる。 ;定義 (鉄道の歴史が長い)[[イギリス]]では、{{仮リンク|1993年鉄道法|en|Railways Act 1993}}83(1)条において、列車 ({{Lang|en|train}}) を「(a)2両またはそれ以上の鉄道車両が連結されたもので、少なくともそのうち1両は機関車であるもの、(b)他の鉄道車両と連結されていない機関車」と定義している<ref name = "1993年鉄道法" />([[動力集中方式|機関車方式]]が前提となった定義を掲載している)。なおOxford Dictionaryでは「機関車や(車両と)一体化したモータ群(integral motors)によって動かされる、一連の連結された鉄道車両や貨車」という定義を掲載しており、機関車方式以外も想定している。<!--「A series of connected railway carriages or wagons moved by a locomotive or by integral motors.」--><ref name="Oxford Dic">[https://www.lexico.com/en/definition/train Oxford Dictionary Lexico "train"]</ref>。 [[アメリカ合衆国]]の[[アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道]]の[[1948年]]の運行規程では列車を「客貨車の有無にかかわらず、<u>1両またはそれ以上の機関車が連結</u>されており、<u>[[鉄道標識|標識]]類が示されたもの</u>」と定義していた<ref name = "ATSF" />。 [[日本]]においては[[国土交通省]]の定めた、[[2002年]]施行の[[鉄道に関する技術上の基準を定める省令]]第2条13項で、「停車場外の線路を運転させる目的で組成された車両をいう」とされている<ref name = "省令" />。日本では、「[[電車]]」という言葉で鉄道の線路を走る車両すべてを指すことがあるが<ref name = "鉄道のひみつ_96-97" />、電車は本来は電力によって走行する鉄道車両のことを指しており<ref name = "電車" />、列車であるためにはどのような動力源を用いていてもよい<ref name = "日本大百科全書" />。(日本では)専門的には、[[停車場]]([[鉄道駅|駅]])の外の線路を運転させる目的で組成された車両のことを特に「列車」と呼び、同じ車両であっても運転させる目的をもたずに留置されているようなものは列車ではなく、単なる車両である<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。 (上述のイギリス、アメリカ、日本の法規や運行規定の定義で、三国とも同様だと判るが)、車両数に関係なく、動力車単独であっても「列車」となりうる<ref name = "世界大百科事典" />。 ;種類 列車はその目的、運転時期、使用動力車、性質などにより分類できる<ref name = "世界大百科事典" />。 {{main|[[#列車の種類]]}} ;語源 英語の「train トレイン」の語源は[[古フランス語]]の[[名詞]]の「train トラン」(男性形)や 「traine トレーヌ」 (女性形)である。これは古フランス語の「trahiner」という[[動詞]]から派生する。これは更に[[ラテン語]]の「trahere」(=引く、引っ張る)にたどり着く<ref name="Oxford Dic" />。 == 編成 == {{Main|編成 (鉄道)}} 列車は複数の車両を連結して運転されることがあり、このことを「編成を組む」などと呼び、組み合わせた車両を指して編成と呼ぶ。編成には、列車として具備するべき前述の条件に加えて、動力装置、電源系統、サービス設備などの制約もある<ref name = "編成_3-5" />。 [[機関車]]が客貨車を牽引する[[動力集中方式]]の場合は、[[牽引定数]]が問題となる。列車ダイヤで定められた時刻を守って列車を運転するためには一定の速度以上で走行する必要があり、運転対象路線にある[[縦断勾配|勾配]]と機関車の性能から、牽引する編成の重量は一定の範囲内に収まっている必要がある<ref name = "編成_186-192" />。編成の各車両に動力が分散している電車方式([[動力分散方式]])の列車では、運転を想定している路線の勾配に合わせて、動力車の比率([[MT比]])を決める必要がある<ref name = "編成_129-132" />。 列車暖房においては、[[蒸気暖房 (鉄道)|蒸気暖房]]の時代には[[蒸気機関車]]またはそれ以外の機関車では[[蒸気発生装置]]から蒸気を供給して暖房を行っており、蒸気発生装置のない[[電気機関車]]・[[ディーゼル機関車]]では暖房を使えなかった。[[電気暖房 (鉄道)|電気暖房]]においても、機関車に電気暖房用の送電設備、客車にそれに対応したヒーターが搭載されている必要があり、対応しなければ暖房を使えないという制約がある<ref name = "編成_139-148" />。冷房の面でも、冷房装置とそれに対応した電源がなければ冷房を使えない<ref name = "編成_148-152" />。 サービスの面では、必要に応じて[[グリーン車]]([[一等車]])などの優等車両と[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]の割合を決めて編成に連結する<ref name = "編成_101-105" />。現代では売店での食品販売や外食産業に押されて連結は減少しているが、供食設備として[[食堂車]]やビュフェ車が連結されることがある<ref name = "編成_88-92" />。優等車両や[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]を連結するに際しては、特別料金を払っていない旅客がこうした車両内を通り抜けることを防止するために、編成の一端にまとめて優等車両や寝台車を連結したり、食堂車や[[ロビーカー]]を間に挟んだりする対策が行われる<ref name = "編成_59-66" />。[[荷物車]]や[[郵便車]]は駅における取り扱い設備の配置の関係から、連結位置が決まっている<ref name = "編成_67-72" />。 [[線路容量]]や車両数の制約から、列車の分割・併合を行うことがある。列車が進行していく際に、輸送需要が低くなるにつれて一部の車両を切り離していく、あるいは輸送需要が高くなるにつれて車両を増結していくような運行の仕方([[増解結]])をすることがある。またはそうした切り離した車両が支線に直通して別の終着駅となる列車になっていたり、別の始発駅を出発して支線から直通してくる列車を増結したりする([[多層建て列車]])こともある<ref name = "編成_132-136" />。 初期の車両では、1両単位で電源や暖房などが独立した構成になっており、自由に連結・解放することができた。しかしそうした機器類にかかる費用を節約するため、走行に必要な機器類や空調電源などを編成全体でまとめて最適設計して各車両に配置する、固定編成という考えが生まれた。さらに基本編成と付属編成という組み合わせにして、輸送需要に応じて付属編成を切り離すといった運用が行われている<ref name = "車両研究_15-17" />。 == 列車の設定と運行 == === 列車の運行計画 === [[File:Diagram-Cross.jpg|thumb|300px|列車ダイヤ(ダイヤグラム)]] {{Main|鉄道運行計画|ダイヤグラム|運用 (鉄道)}} 列車の運行計画は、[[ダイヤグラム]](列車ダイヤ)の形で立案される<ref name = "鉄道工学ハンドブック_218" />。 運行計画においてはまず、対象路線の輸送量を想定し、各種列車の輸送力を設定する。乗車率(混雑率)が低いほど、旅客にとって座席を確保しやすくなってサービス上は好ましいが、乗車率が低いと輸送量に対し必要とされる車両数が増えることになり、鉄道事業者の運営コスト上は好ましくない。競合する交通機関の状況を踏まえて決定される<ref name = "鉄道工学ハンドブック_213-214" />。 続いて列車の設定本数と区間を決定する。輸送量に応じて列車本数を調整したり、編成両数を増減したりする。また列車の運転する区間や異なる路線への直通列車の設定を検討する。列車本数が多い方が旅客にとっては利用しやすいが、線路容量や車両運用との兼ね合いもある<ref name = "鉄道工学ハンドブック_214" />。 設定した列車の配列順序・出発時刻を決定する。利用者の利便性を考慮しつつ、線路容量や駅の発着番線の都合などを考えて、各列車の順序と時刻を決定する<ref name = "鉄道工学ハンドブック_214" />。そして各列車の使用車両の性能や線路の条件に応じて計算された[[基準運転時分]]に基づいて駅間の走行時間を決め、各列車の停車駅と停車時間を定めて列車の時刻を確定していく<ref name = "鉄道工学ハンドブック_214-216" />。こうした時刻を決定するにあたっては、各駅間の[[閉塞 (鉄道)|閉塞]]の条件、線路容量、駅の信号の条件、車両の性能といった条件から決まる[[運転時隔|最短時隔]]を守る必要がある<ref name = "鉄道工学ハンドブック_216-218" />。 列車には、他の列車と区別するために、[[列車番号]]が与えられる。列車のおおよその性質を知ることができるような番号体系が定められており、運行管理上重要であることから、同一駅に同一番号の列車が発着しないようにされている<ref name = "日本大百科全書" />。 列車の時刻決定と表裏一体のものとして、列車に乗務員および車両の割り当てを行う、乗務員運用計画および車両運用計画([[運用 (鉄道)|運用]])が作成される。乗務員や車両が循環して各列車に割り当たっていくことで、実際の列車の運行が行われる<ref name = "鉄道工学ハンドブック_222" />。 === 運行管理 === [[File:Japanese National Railways head office 19971108-5.jpg|thumb|300px|運転指令所から列車の運行管理が行われる。]] {{Main|運転整理}} 列車の運転は、常に当初の計画通りに行えるわけではなく、何らかの原因で列車に遅れが生じることがある。そうした列車の運行状況を監視し、必要に応じて対応策を講じて正常な運転に復帰させるために運行管理が行われる<ref name = "鉄道工学ハンドブック_223" />。 元来は、中央の[[運転指令所]]から[[電話]]で各地の駅や列車と連絡を取って指示命令を行っていた。現代においては、[[列車集中制御装置]] (CTC) の導入が進み、運転指令所から各駅の信号設備を遠隔制御して列車の運行を制御している<ref name = "ハンドブック_445" /><ref name = "鉄道工学ハンドブック_223" />。また運転指令所と列車の情報伝達には、[[列車無線]]が用いられるようになった<ref name = "ハンドブック_445" />。 CTCにおいても、列車の現在位置と列車ダイヤをもとに指令員が判断を行い、制御盤から信号を制御して列車の運行を管理していた。さらなる発展として、列車の運行状況をコンピューターを用いて自動的に追跡・監視し、あらかじめ入力された列車ダイヤのデータと照合して、自動的に運行管理を行う[[自動進路制御装置]] (PRC) という装置が導入されるようになった<ref name = "ハンドブック_446-447" />。 列車ダイヤが乱れた際には、運転指令員が列車ダイヤや車両・乗務員運用計画の変更を行う。この作業のことを[[運転整理]]と呼ぶ。運転整理は、評価基準があいまいで難しく、制約が厳しいうえに大規模な[[組合せ最適化]]問題であるという、非常に難しい問題である<ref name = "ハンドブック_436-443" />。 == 列車の種類 == === 用途目的による分類 === 用途目的による列車の分類として、運賃を徴収して一般の旅客貨物を輸送する営業用列車と、鉄道事業者の業務の都合上運転する事業用列車の区分がある<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。営業用列車はさらに、下記のようにいくつかに区分されている。 ==== 旅客列車 ==== {{Main|旅客列車}} [[旅客列車]]は、旅客(人)を乗せて運ぶ列車である<ref name="world52" />。 ; [[長距離列車]] : 都市や観光地など需要の集中する地点を結んで設定され、中長距離を移動する人の需要を主体に考えた列車である。所要時間の関係から[[夜行列車]]となる場合もある。場合によって[[特別急行列車|特急列車]]、[[急行列車]]、[[準急列車]]などの優等列車として設定される。長距離列車は、旅客列車の中ではもっとも大きな収入源となる<ref name = "鉄道論_148-152" />。 ; [[通勤列車]] : 大都市圏を中心に、通勤輸送を担当する列車である。膨大な輸送需要と時間的な需要の変化が大きいことを特徴とする。鉄道旅客輸送が斜陽となっている国においても、大都市の通勤輸送に限っては鉄道の巨大な輸送力に頼らざるを得ない傾向がある。輸送力の整備に多大な費用が掛かるにもかかわらず、その設備が短時間しか稼働せず、しかも社会的な要請により割引率の高い運賃となっていることから、鉄道経営に与える負担が大きい<ref name = "鉄道論_152-155" />。 ; [[団体専用列車]] : 事前に申し込みを受け付けた団体の輸送のために運転される列車である。大口団体輸送と小口団体輸送に分けられ、大口団体の場合はそのために特別に列車を編成して臨時列車として運転するが、小口団体は一般旅客と混乗輸送となる<ref name = "鉄道論_155-156" />。小口団体を何組も合わせて同一列車で輸送する集約臨時列車もある<ref name = "鉄道辞典下_1760-1761" />。 ; [[荷物列車]] : 乗客の手荷物や小口荷物を扱う旅客列車の一種<ref name="world52" />。荷物類は本質的には、貨物列車で運んでいる貨物と異なるものではないが、旅客の手荷物は旅客と一緒に輸送する必要があり、また小荷物類は速達の必要があることから、旅客列車に連結した[[荷物車]]で運ぶことになり、旅客輸送の一部であるとされてきた。しかし手小荷物の取扱量が増えると、その積み下ろしのために旅客列車を長時間停車させることはサービス上問題であり、輸送効率の点からも荷物車だけを集約した荷物列車を運行することになって、さらに貨物列車との差異は小さくなった<ref name = "鉄道論_156-157" />。なお[[郵便車]]による郵便物輸送も同様の理由で旅客輸送の一部であるとされる<ref name = "鉄道論_158-159" />。 ; 観光列車 : 単なる移動手段でなく、乗車自体を観光目的とするサービス(豪華な内外装の車両・景色・食事など)を提供する列車<ref name = "観光列車" />。 <gallery mode="nolines" widths="150" heights="150"> ファイル:Acela old saybrook ct summer2011.jpg|長距離列車の例:[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[アセラ・エクスプレス]] ファイル:TRA ED827 at Qiaotou Station 20140502.jpg|通勤列車の例:[[台湾]]の[[区間車]] ファイル:Salonexpresstokyo.jpg|団体専用列車の例:[[日本]]の[[サロンエクスプレス東京]] ファイル:Hugh llewelyn 325 002 (6520031505).jpg|荷物列車の例:[[イギリス]]の[[イギリス国鉄325形電車|325形郵便物輸送電車]] ファイル:GlacierLandwasser.jpg|観光列車の例:[[スイス]]の[[氷河急行]] </gallery> ==== 貨物列車 ==== {{Main|貨物列車}} [[貨物列車]]は、貨物の輸送を行うための列車である<ref name="world52" />。 ; 一般貨物列車 : 様々な種類の貨物を搭載した雑多な貨車を連結した貨物列車である。発地も着地もばらばらであり、[[操車場 (鉄道)|操車場]]で貨車をつなぎ変えながら目的地へ輸送する<ref name = "貨物種類" /><ref name = "manifest" />。1両の貨車を特定の荷主で占有(貸切)して輸送するものを車扱い(しゃあつかい)、複数の荷主で共有して輸送するものを小口扱いという<ref name = "鉄道論_161-163" />。 ; 専用貨物列車 : 専用貨物列車はユニットトレインとも呼ばれ、単一種類の貨物を単一種類の貨車で、決まった発地から着地まで輸送する<ref name = "貨物種類" />。一般貨物列車とは異なり、途中で貨車をつなぎ変えることなく直送するため、時間的にも費用的にも有利な方式である。[[石炭]]・[[穀物]]・[[セメント]]など多くの[[ばら積み貨物]]がこの方式で輸送されている<ref name = "unit" />。 ; インターモーダル貨物列車 : [[インターモーダル輸送]]を行う貨物列車で、[[コンテナ船]]や[[貨物自動車|トラック]]など、異なる貨物輸送手段との間を連絡して貨物を輸送する。貨物を搭載した[[輸送コンテナ]](一般的に[[ISO 668]]で規格化された[[海上コンテナ]])や[[牽引自動車|トレーラー]]を貨物列車に搭載する。トレーラーを搭載する場合[[ピギーバック輸送]]となる<ref name = "貨物種類" /><ref name = "intermodal" />。 また、鉄道車両自体を貨物として輸送する[[車両輸送|甲種鉄道車両輸送]]や、[[大物車]]を使った特大貨物輸送も貨物列車の一種である<ref name = "鉄道工学ハンドブック_211" />。 <gallery mode="nolines" widths="150" heights="150"> ファイル:Carnforth wcml geograph-2188751.jpg|雑多な貨車を連ねた一般貨物列車([[イギリス]]) ファイル:Tail of Japan Oil Transportation Freight Train.jpg|[[タンク車]]による[[石油]]の専用貨物列車([[日本]]) ファイル:Wagons 550.jpg|[[石灰岩]]を運ぶ鉱石の専用貨物列車(イギリス) ファイル:BNSF 5216 West Kingman Canyon AZ (293094839).jpg|[[ダブルスタックカー]]を使って[[大陸横断鉄道]]を走るインターモーダル貨物列車([[アメリカ合衆国|アメリカ]]) ファイル:Maschen NS 010405.jpg|貨物列車の貨車を組み替える[[操車場 (鉄道)|操車場]]([[ドイツ]]) </gallery> ==== 混合列車 ==== [[File:Nemuro-Line 442train.jpg|thumb|300px|混合列車の例。機関車に近い側に客車が、後ろ側に貨車が連結されている。]] {{Main|混合列車}} 客車と貨車を併結した列車を[[混合列車]]という。さらに区別して、客車に貨車を併結した列車を混合列車、貨車に客車を併結した列車を準混合列車という<ref name="world52" />。準混合列車は貨物列車としての運行が主体であり、貨車の解結、貨物の積み下ろしに重点が置かれて、旅客扱いは従たるものである<ref name = "鉄道辞典上_265" />。 ==== 事業用列車 ==== {{Main|特殊列車}} [[事業用列車]]は、鉄道事業のために用いられるが営業列車ではない列車である<ref name="world53" />。一般の旅客貨物を輸送する列車と使命が異なる列車として、[[特殊列車]]とも呼ぶ<ref name = "用語事典_234" />。 ; 工事列車 : 鉄道の工事用材料を運搬する列車で、[[軌条]]・砂利などを運び、停車場以外の場所でも積み下ろしする<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。 ; 試運転列車 : 新製車両や修理完了した車両の試験・確認や、線路・橋梁などの状態確認といった目的で運転される列車<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。 ; [[回送|回送列車]] : 車両を車両基地から発駅まで送り込んだり、貨物を降ろした貨車を送り返したり(返空)する目的で運転される列車<ref name = "用語事典_31" />。回送列車を特殊列車の分類ではなく、旅客列車や貨物列車の分類とする考え方もある<ref name = "鉄道工学ハンドブック_210" />。{{Anchors|単行列車}}機関車が客車や貨車を連結せずに単独で走ることを特に単行機関車列車、略して単機という<ref name = "用語事典_291" />。 ; 排雪列車 : 線路の[[除雪]]をするために運転される列車。[[雪かき車]]を用いて積雪を排除しながら運転する。近くに適当な雪捨て場がない場合に、貨車に雪を積み込んで河川などの適当な雪捨て場まで運ぶために運転する雪捨列車もある<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。[[ラッセル車]]を用いる排雪列車は列車ダイヤに組み込まれて冬期間は定期的に運転される例が多く、[[ロータリー車]]を用いる排雪列車は特殊排雪列車などと呼ばれ、必要に応じて臨時に設定されることが多い。[[モーターカー]]を用いた排雪も行われるが、正式には車両ではなく機械としての扱いである<ref name = "用語事典_388" />。 ; 救援列車 : 事故や故障が発生した際に、現場に復旧のための資材や要員を送り込んだり、車両を収容したりする目的で運転される列車である。その性格上、列車としての要件に例外が認められており、駅間での後退が認められたり、信号条件にかかわらず1閉塞区間に複数列車の進入が認められたりする<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。 ; 配給列車 : 鉄道事業者内部で必要とされる物品を部内各所に配給するために運転される列車である<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。 ; [[お召し列車]] : お召し列車、ロイヤルトレイン(宮廷列車)といった貴賓を乗せる列車も特殊列車として扱われることがある。日本の場合は、天皇・皇后が乗る列車がお召し列車、皇太子が乗る列車が御乗用列車と呼ばれる。またお召し列車の安全のために、その直前に先行して走らせる列車を指導列車、通称露払い列車と呼ぶ<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" /><ref name = "用語事典_314" />。 <gallery mode="nolines" widths="150" heights="150"> File:RhB Xrotd 9213 am Lago Bianco 3.jpg|[[スイス]]・[[レーティッシュ鉄道]]のロータリー雪かき車 </gallery> === 動力車による分類 === 列車は動力車の種類により、[[機関車]]牽引列車、[[電車]]列車、[[気動車]]列車などに分類される<ref name="world53" />。異種動力車が併結されている場合はメインとなる動力車が基準となる<ref name="world53" />。機関車牽引列車には、蒸気機関車を使用する蒸機列車、電気機関車を使用する電機列車、内燃機関車を使用する内燃機列車などがある<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。機関車牽引列車は、特に蒸機列車は、「[[汽車 (曖昧さ回避)|汽車]]」とも呼ばれる<ref>『現代国語例解辞典』第二版、 1993年、小学館、279頁。ISBN 4-09-501032-0。</ref>。 <gallery mode="nolines" widths="150" heights="150"> ファイル:HXD3D 1921@NXH (20180630052455).jpg|機関車牽引列車の例:[[ロシア]]・[[中華人民共和国|中国]]の[[ボストーク (列車)|ボストーク]] ファイル:Shinkansen-0 300 700.JPG|電車列車の例:[[日本]]の[[新幹線]] ファイル:TRA DR3114 at Fangliao Station 20150124.jpg|気動車列車の例:[[台湾]]の[[自強号]] </gallery> === 運行時期による分類 === ; [[ダイヤグラム#定期列車・定期便|定期列車]] : 毎日定期的に運行される列車(ただし曜日により時刻が多少異なる場合を含む)<ref name="world53" />。 ; [[季節列車]] : 特定の期間限定して運行される列車<ref name="world53" />。たとえば、夏の多客期や冬のスキーシーズンに合わせて運転されるような列車のことで、季節による輸送需要の変化に対応するためのものである<ref name = "鉄道工学ハンドブック_211" />。 ; [[臨時列車]] : 特定の日に限定して運行される列車<ref name="world53" />。団体向けの列車([[団体専用列車]])や年末年始・ゴールデンウィークなどの多客時期に増発する列車、イベントのために設定する列車、鉄道事業者の内部目的で運転される[[特殊列車]](試運転・排雪・救援・工事・配給など)などがある<ref name = "鉄道工学ハンドブック_211" />。 === 運行距離による分類 === ; [[長距離列車]] : 直通列車あるいは直行列車などとも呼び、ある区間の全部を始点から終点まで通しで運転する列車である<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。 ; 区間列車 : 比較的短区間を運転するもので、近郊列車、ローカル列車などとも呼ぶ<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。 ; 小運転列車 : 区間列車の中でも特に短い区間を運行する列車のことを区別して小運転列車、俗に「ちょん行」と呼ぶ<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。 === 運転時間帯による分類 === ; 昼行列車 : 昼間有効時間帯に運転される列車であり、始発駅の出発時刻がおおむね5時以降、終着駅の到着時刻がおおむね23時以前程度になるものである<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。昼行列車は夜行列車に比べると快速性に重きをおき、1日をできるだけ有効に使えるような時刻設定が良いとされる<ref name = "鉄道論_149-151" />。 ; [[夜行列車]] : おおむね18時以降に始発駅を出発し、おおむね翌朝8時頃までに終着駅に到着するような列車である。主要な大都市相互間の有効時間帯を考慮して設定される。所要時間が長い列車になると、昼間に運転される区間については昼行列車の性格を併せ持つことがある<ref name = "鉄道辞典下_1775-1776" />。夜行列車の場合は必ずしも速達性は重視されず、出発地と到着地が適時になることが重視される<ref name = "鉄道論_149-151" />。所要時間が6時間を超えると、旅客は昼行列車より夜行列車を好む傾向があるとされている<ref name = "夜行選好" />。 == 日本での技術的要件 == 日本の鉄道の運転取り扱いでは、旅客や貨物の輸送に直接鉄道車両を使っている場合と、それ以外の場合を区別している。輸送に直接使われる、停車場間での鉄道車両の運転(移動)を「列車」と呼び、それ以外の鉄道車両の移動を単に「車両」と呼ぶ。輸送の準備や後始末で駅構内や車両基地において行う移動([[入換 (鉄道)|入換]])が車両である。列車として運転する場合には、車両に比べて高度な安全要件を満たすことが要求される<ref name = "ハンドブック_428" />。 列車として具備するべき条件は、以下のようなものがある<ref name = "ハンドブック_429" />。 ; 運転時刻の設定 : 旅客や係員への周知のほか、列車相互の安全確保のためにも、あらかじめ時刻を決めて列車を運転する。 ; 編成 : 計画した時刻通りに列車の運転ができるように、動力車の配置など所定の編成を確保し、その編成長は停車場に停車した際に他の線路を支障しないように、所定の長さに収まるようにする。 ; ブレーキ : 所要のブレーキ力を発揮できるように、[[貫通ブレーキ]]を装備し、ブレーキ力が作用する車軸が編成全体で一定の割合以上となるようにする。連結した車両が分離した場合でも停止させられるように、何らかの手段で自動的にブレーキが作用するようにしておく。運転に先立ってブレーキテストを行い、正しくブレーキが動作することを確認する。 ; 乗務員 : [[運転士]]を乗務させる。必要に応じて列車防護などの役割をする他の乗務員を乗務させる。運転に際しては安全かつ円滑に運転できるように、最前部を運転席とする。 ; 標識 : 所定の運転方向がわかるように、連結した車両の最前部には前部標識を、最後部には後部標識を掲げる。 ; 危険品の扱い : 貨物列車において危険品を積載するときには、当該車両の前後に定められた両数の空車または危険のない貨物を搭載した車両を挟む。 == 愛称付き列車 == [[File:London victoria 2052605 b6a388dc.jpg|thumb|300px|[[ロンドン・ヴィクトリア駅]]を出発する「[[黄金の矢 (列車)|黄金の矢]]」号。蒸気機関車の前頭部にヘッドマークを掲げている。]] [[File:Takara Container Train.jpg|thumb|300px|貨物列車に愛称を付けた例。日本国有鉄道のコンテナ特急「[[たから (列車)|たから]]」。先頭車ではなく、最後尾の車掌車に「たから」と表示されていた。]] {{Main|列車愛称}} 旅客にアピールする目的で、列車に「[[黄金の矢 (列車)|黄金の矢]]」([[イギリス]]・[[フランス]])や「[[20世紀特急]]」([[アメリカ合衆国]])など、[[列車愛称]]を付けることがある<ref name = "列車名大事典_14-35" />。そうした愛称付きの列車(ネームド・トレイン {{Lang|en|named train}})には、シンボルマークを描いた[[ヘッドマーク]]・テールマークを取り付けることがある<ref name = "ネームドトレイン50年" />。 世界で最初に愛称を付けた列車は、1848年にイギリスで運行開始した「アイリッシュ・メール」である。鉄道の普及以前には、[[駅馬車]](ステージコーチ)の中でもっとも速いものに郵便物を載せて運んでおり、そうしたステージコーチを特にメールコーチと呼ぶ慣習があった。そのためにメールが付く名前には速いという印象があったことから、[[アイルランド]]行き最速列車をアピールしてアイリッシュ・メールと名付けられた(ただしアイルランドへ直通しているわけではなく、アイルランド行きの船が出る港への列車である)。以降、行き先の地名にメールを付けた愛称がつけられていった<ref name = "ヨーロッパ鉄道_85-86" />。また、[[競走馬]]の[[ザフライングダッチマン]]の名前にちなんで[[グレート・ウェスタン鉄道]]が名付けた「[[フライング・ダッチマン (列車)|フライング・ダッチマン]]」も人気を博し、「[[フライング・スコッツマン]]」など同様にフライングを付けた列車名がイギリス国外を含めて広がっていった<ref name = "ヨーロッパ鉄道_86-87" />。 日本では長らく列車番号のみで列車を識別していたが、昭和初期の不況で輸送力が余剰気味であったことから、列車に愛称を付けて親しんでもらおうという意図で、東京 - 下関間の特急列車2往復に愛称を付けることになり、列車名を一般公募して「[[富士 (列車)|富士]]」「[[さくら (列車)|櫻]]」と名付けて1929年(昭和4年)9月15日のダイヤ改正から時刻表にも掲載されて運行されるようになった。[[第二次世界大戦]]中一時的に列車愛称は途絶えるが、戦後復活し、列車の増発とともに愛称は増加していった。同じような運行系統・運行目的の列車を「○○1号・2号」あるいは「第1・第2○○」のように番号付きで区別することも始まり、[[ヨンサントオ]](昭和43年10月1日ダイヤ改正)で同一区間の列車名はできるだけ愛称を統一することや、末尾に1号・2号と付番することで出発順序を区別することなどが決められた<ref name = "列車名大事典_14-35" />。 なお、「[[鮮魚貨物列車|とびうお]]」「[[たから (列車)|たから]]」など、貨物列車に愛称がつけられた事例もある<ref name = "百三十年史_261-263" />。 {{-}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|30em|refs= <ref name = "world52">[[#world|『ダイヤグラムで広がる鉄の世界』p.52]]</ref> <ref name = "world53">[[#world|『ダイヤグラムで広がる鉄の世界』p.53]]</ref> <ref name = "車両研究_15-17">[[#車両研究|『車両研究で広がる鉄の世界』pp.15 - 17]]</ref> <ref name = "鉄道辞典上_265">[[#鉄道辞典上|『鉄道辞典 上巻』p.265]]</ref> <ref name = "鉄道辞典下_1760-1761">[[#鉄道辞典下|『鉄道辞典 下巻』pp.1760 - 1761]]</ref> <ref name = "鉄道辞典下_1775-1776">[[#鉄道辞典下|『鉄道辞典 下巻』pp.1775 - 1776]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_210">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』p.210]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_211">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』p.211]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_213-214">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』pp.213 - 214]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_214">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』p.214]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_214-216">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』pp.214 - 216]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_216-218">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』pp.216 - 218]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_218">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』p.218]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_222">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』p.222]]</ref> <ref name = "鉄道工学ハンドブック_223">[[#鉄道工学ハンドブック|『鉄道工学ハンドブック』p.223]]</ref> <ref name = "用語事典_31">[[#用語事典|『新版 鉄道用語事典』p.31]]</ref> <ref name = "用語事典_234">[[#用語事典|『新版 鉄道用語事典』p.234]]</ref> <ref name = "用語事典_291">[[#用語事典|『新版 鉄道用語事典』p.291]]</ref> <ref name = "用語事典_314">[[#用語事典|『新版 鉄道用語事典』p.314]]</ref> <ref name = "用語事典_388">[[#用語事典|『新版 鉄道用語事典』p.388]]</ref> <ref name = "ハンドブック_428">[[#ハンドブック|『電気鉄道ハンドブック』p.428]]</ref> <ref name = "ハンドブック_429">[[#ハンドブック|『電気鉄道ハンドブック』p.429]]</ref> <ref name = "ハンドブック_436-443">[[#ハンドブック|『電気鉄道ハンドブック』pp.436 - 443]]</ref> <ref name = "ハンドブック_445">[[#ハンドブック|『電気鉄道ハンドブック』p.445]]</ref> <ref name = "ハンドブック_446-447">[[#ハンドブック|『電気鉄道ハンドブック』pp.446 - 447]]</ref> <ref name = "鉄道のひみつ_96-97">[[#鉄道のひみつ|『鉄道のひみつ』pp.96 - 97]]</ref> <ref name = "列車名大事典_14-35">[[#列車名大事典|『国鉄・JR列車名大事典』pp.14 - 35]]</ref> <ref name = "ヨーロッパ鉄道_85-86">[[#ヨーロッパ鉄道|『小池滋のヨーロッパ鉄道 歴史と文化II』pp.85 - 86]]</ref> <ref name = "ヨーロッパ鉄道_86-87">[[#ヨーロッパ鉄道|『小池滋のヨーロッパ鉄道 歴史と文化II』pp.86 - 87]]</ref> <ref name = "編成_3-5">[[#編成の謎|『国鉄/JR列車編成の謎を解く』pp.3 - 5]]</ref> <ref name = "編成_59-66">[[#編成の謎|『国鉄/JR列車編成の謎を解く』pp.59 - 66]]</ref> <ref name = "編成_67-72">[[#編成の謎|『国鉄/JR列車編成の謎を解く』pp.67 - 72]]</ref> <ref name = "編成_88-92">[[#編成の謎|『国鉄/JR列車編成の謎を解く』pp.88 - 92]]</ref> <ref name = "編成_101-105">[[#編成の謎|『国鉄/JR列車編成の謎を解く』pp.101 - 105]]</ref> <ref name = "編成_129-132">[[#編成の謎|『国鉄/JR列車編成の謎を解く』pp.129 - 132]]</ref> <ref name = "編成_132-136">[[#編成の謎|『国鉄/JR列車編成の謎を解く』pp.132 - 136]]</ref> <ref name = "編成_139-148">[[#編成の謎|『国鉄/JR列車編成の謎を解く』pp.139 - 148]]</ref> <ref name = 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https://kotobank.jp/word/%E5%88%97%E8%BB%8A-661736#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 | title = 列車 | publisher = コトバンク(日本大百科全書) | accessdate = 2018-02-11}}</ref> <ref name = "世界大百科事典">{{Cite web|和書| url = https://kotobank.jp/word/%E5%88%97%E8%BB%8A-661736#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 | title = 列車 | publisher = コトバンク(世界大百科事典 第2版) | accessdate = 2018-02-11}}</ref> <ref name = "電車">{{Cite web|和書| url = https://kotobank.jp/word/%E9%9B%BB%E8%BB%8A-102420#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 | title = 電車 | publisher = コトバンク | accessdate = 2018-02-11}}</ref> <ref name = "省令">{{Cite web|和書| url = https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=413M60000800151&openerCode=1 | title = 鉄道に関する技術上の基準を定める省令 | publisher = e-gov | accessdate = 2018-02-12}}</ref> <ref name = "1993年鉄道法">{{Cite web | url = 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2003-03-29T07:13:49Z
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子供の日
子供の日(こどものひ、英: Children's Day)は、子どもの権利を尊重し、成長を祝うことなどを目的にした記念日。国際連合の世界こどもの日をはじめ、多くの国・地域で祝日が制定されている。 1920年にトルコが4月23日を国家主権と子どもの日と制定、その後の1925年にジュネーブの子どもの福祉世界会議で、6月1日が国際子どもの日(International Children's Day)と制定された。1954年には国連総会により、11月20日が世界こどもの日(Universal Children's Day)と制定された。 国により日付は異なるが、旧共産圏諸国を中心に、6月1日としている国が多い。学校が休校になったり、催事が行われたり、また子どもにプレゼントが贈られる習慣がある地域もある。 1954年に国際連合が制定した記念日。児童の権利に関する宣言と児童の権利に関する条約が採択された11月20日となっている。 など
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子供の日は、子どもの権利を尊重し、成長を祝うことなどを目的にした記念日。国際連合の世界こどもの日をはじめ、多くの国・地域で祝日が制定されている。 1920年にトルコが4月23日を国家主権と子どもの日と制定、その後の1925年にジュネーブの子どもの福祉世界会議で、6月1日が国際子どもの日と制定された。1954年には国連総会により、11月20日が世界こどもの日と制定された。 国により日付は異なるが、旧共産圏諸国を中心に、6月1日としている国が多い。学校が休校になったり、催事が行われたり、また子どもにプレゼントが贈られる習慣がある地域もある。
{{Otheruses||日本の祝日([[5月5日]])|こどもの日}} [[ファイル:2011. День защиты детей в Донецке 174.jpg|thumb|200px|[[ウクライナ]]・[[ドネツィク]]]] '''子供の日'''(こどものひ、{{Lang-en-short|Children's Day}})は、[[子どもの権利]]を尊重し、成長を祝うことなどを目的にした記念日。[[国際連合]]の[[世界こどもの日]]をはじめ、多くの国・地域で[[祝日]]が制定されている。 1920年にトルコが4月23日を国家主権と子どもの日と制定、その後の1925年にジュネーブの子どもの福祉世界会議で、'''[[6月1日]]'''が'''国際子どもの日'''(International Children's Day)と制定された。1954年には[[国連総会]]により、'''[[11月20日]]'''が'''世界こどもの日'''(Universal Children's Day)と制定された。 国により日付は異なるが、旧[[共産圏]]諸国を中心に、6月1日としている国が多い。学校が休校になったり、催事が行われたり、また子どもにプレゼントが贈られる習慣がある地域もある。 == 世界こどもの日 == 1954年に国際連合が制定した記念日。[[児童の権利に関する宣言]]と[[児童の権利に関する条約]]が採択された11月20日となっている。 {{Main|世界こどもの日}} == 各国の子供の日 == {{Div col}} * '''[[6月1日]]を子供の日としている国と地域''' ** [[アゼルバイジャン]] ** [[アルバニア]] ** [[アルメニア]] ** [[アンゴラ]] ** [[イエメン]] ** [[ウズベキスタン]] ** [[ウクライナ]](2009年制定) ** [[エクアドル]] ** [[エストニア]] ** [[エチオピア]] ** [[エリトリア]] ** [[カーボベルデ]] ** [[カザフスタン]] ** [[カンボジア]] ** [[ギニアビサウ]] ** [[キューバ]] ** [[キルギスタン]] ** [[クロアチア]] ** [[ジョージア (国)|ジョージア]] ** [[スロベニア]] ** [[セルビア]] ** [[タジキスタン]] ** [[タンザニア]] ** [[チェコ共和国]] ** [[中華人民共和国]](1949年制定:{{簡体字|六一国际儿童节}})<ref>[http://www.yfzs.gov.cn/gb/info/LawData/gjf2001q/gwyfg/2003-07/14/1532482085.html 国务院关于“六一儿童节”改为放假一天的通知]</ref> ** [[朝鮮民主主義人民共和国]] ** [[トルクメニスタン]] ** [[東ティモール]] ** [[ブルガリア]] ** [[ベトナム]] ** [[ベナン]] ** [[ベラルーシ]] ** [[ポーランド]] ** [[ボスニアヘルツェゴビナ]] ** [[マカオ]] ** [[マケドニア共和国]] ** [[モザンビーク]] ** [[モルドバ]] ** [[モンゴル]] ** [[モンテネグロ]] ** [[ラオス]] ** [[ラトビア]] ** [[リトアニア]] ** [[ルーマニア]] ** [[ロシア]] {{Div col end}} * '''[[11月20日]]を子供の日としている国''' ** [[エジプト]] ** [[カナダ]]<ref>{{cite web | url = http://www.canlii.org/en/ca/laws/stat/sc-1993-c-18/latest/sc-1993-c-18.html | title = Child Day Act | publisher = [[Free Access to Law Movement|Canlii]] | accessdate = 2009-05-16}}</ref> ** [[パキスタン]] ** [[バングラデシュ]](祝日ではないが、企業による催し物などが行われる) * '''その他の日を子供の日としている国・地域''' ** [[アルゼンチン]] - [[8月]]の第2日曜日。かつては8月の第1日曜日だったが、年によっては給料日前となるため、1990年代に変更された<ref>[http://www.me.gov.ar/efeme/diadelninio/ Día del niño], en el sitio del Ministerio de Educación de Argentina.</ref>。 ** [[イスラエル]] - [[10月19日]] ** [[イラン]] - [[10月8日]] ** [[インド]] - [[11月14日]](子供好きで知られたインドの初代首相[[ジャワハルラール・ネルー]]の誕生日にちなむ<ref>[http://www.rrtd.nic.in/jawaharlalnehru.htm]</ref>) ** [[インドネシア]] - [[7月23日]]に祝われる。 ** [[ウルグアイ]] ― [[1月]]の第2日曜日 ** [[エルサルバドル]] - [[10月1日]] ** [[オーストラリア]] - [[7月]]の第1日曜日 ** [[北キプロス]] - [[4月23日]] ** [[キューバ]] - [[7月]]の第3日曜日 ** [[グアテマラ]] - [[10月1日]] ** [[コスタリカ]] - [[9月9日]] ** [[コロンビア]] - [[4月]]最終週の週末 ** [[シンガポール]] - [[10月1日]] ** [[スウェーデン]] - [[10月]]の第1月曜日 ** [[スリランカ]] - [[10月1日]] ** [[タイ王国]] - [[1月]]の第2土曜日 ** [[大韓民国]] - [[5月5日]]<ref>http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/380182.html</ref><ref>{{cite web|url=http://www.korea.net/news/news/NewsView.asp?serial_no=20070504035 |title=Children's Day rooted in vision of one man&#124; Korea.net News |publisher=Korea.net |date=2007-05-05 |accessdate=2009-08-16}}</ref> ** [[台湾]] - [[4月4日]]<ref>[http://law.moj.gov.tw/Scripts/Query4A.asp?FullDoc=all&Fcode=D0020033 紀念日及節日實施辦法]</ref> ** [[トリニダードトバゴ]] - [[10月]]の第1月曜日 ** [[トルコ]] - [[4月23日]](国家主権と子供の日) ** [[中部アフリカ]]諸国([[コンゴ共和国]]、[[コンゴ民主共和国]]、[[カメルーン]]、[[赤道ギニア]]、[[ガボン]]、[[チャド]]、[[中央アフリカ共和国]]、[[サントメ・プリンシペ]]) - 12月25日 ** [[ドイツ]] - [[冷戦]]中は[[西ドイツ]]が[[9月20日]]を「世界子供の日」(Weltkindertag)、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]が6月1日を「国際子供の日」(Internationaler Kindertag)と定めていたが、1990年に旧西ドイツのものに統一された。旧東ドイツ地区の住民の多くはこれを受け入れず、6月1日を子供の日として祝っている。 ** [[ナイジェリア]] - [[5月27日]] ** [[日本]] - [[1948年]]より[[端午]]の節句である[[5月5日]]を、[[こどもの日]]として祝日に制定したほか、[[桃の節句]]である[[3月3日]]が[[雛祭り]]として、女の子の健康と成長を祈る日となっている。{{Main|こどもの日}} ** [[チュニジア]] - [[1月11日]] ** [[ハンガリー]] - [[5月]]の最終日曜日 ** [[バヌアツ]] - [[7月24日]] ** [[パラグアイ]] - [[8月16日]] ** [[ブラジル]] - [[10月12日]](聖母アパレシーダの日) ** [[ベネズエラ]] - [[7月]]の第3日曜日 ** [[ペルー]] - [[8月]]の第3日曜日 ** [[ボリビア]] - [[4月12日]] ** [[香港]] - [[4月4日]]([[1931年]]制定)<ref>{{cite web|url=http://www.news.gov.hk/tc/hkforkids/default/050404/html/050404tc50001.htm |title=¤µÓ¨àµ£¸` ±Ð§AÀx¿ú¯µ³Z |publisher=News.gov.hk |date=2005-04-04 |accessdate=2009-08-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.info.gov.hk/gia/general/200603/30/P200603300161.htm |title=香港郵政署長在「兒童郵票 ─ 小熊穿新衣」特別郵票發行儀式上致辭全文 |publisher=Info.gov.hk |date=2006-03-30 |accessdate=2009-08-16}}</ref> ** [[マレーシア]] - [[10月]]の最終土曜日 ** [[メキシコ]] - [[4月30日]] * '''子供の日を特に制定していない国・地域''' ** [[アメリカ合衆国]] ** [[イギリス]] ** [[フランス]] など == 関連項目 == *[[花の日]] - 19世紀にアメリカ合衆国のプロテスタント教会で発祥した行事。「子供の日」(Children's Day) とも呼ばれる。 == 脚注 == {{Reflist}} {{Event-stub}} {{DEFAULTSORT:ことものひ}} [[Category:祝日]] [[Category:子供]] [[Category:夏の季語]]
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商標
商標(しょうひょう、英: trademark)とは、商品や役務の提供者(事業者)が、提供元(出所)を他者と区別するために使用する標識をいう。 法域にもよるが、商品についてはトレードマーク(TM)、役務についてはサービスマーク(SM)などと呼ばれることもある。 商品や役務を提供される需要者が、商品や役務の提供者を認知するための文字、図形、記号、立体的形状、色彩、音などの標識で、14世紀の法学者バルト―ルスが紋章法(英語版)と併せて発案した概念である。 商品や役務の提供者が、商品の販売時に商品や包装、役務の提供に使用される物や電磁的な映像面などに商標を付すと、需要者は商標により出所を認識して選択できる。商品や役務の提供を一定以上の質で継続すると、商標は広範の需要者から認知が高まるとともに信用度が向上して財産的価値が生じ、特許権や著作権などと同様に知的財産権として条約や法律で保護される。優れた商標は産業の発展と需要者の利益に資する。 出願時の審査、アメリカなどの先使用主義、日本やヨーロッパなどの先願主義、など各国や地域で異なる。商標の保護を求める国に直接出願するか、マドリッド協定議定書による国際出願をしない限り、保護の対象は国内に限定され、国際出願をした場合も、原則として保護を求める国で審査を受ける必要がある。 商品の商標はトレードマーク、役務の商標はサービスマークなどと称される。視覚により伝達される文字、図形、記号など平面的なものや、商品や看板などの特徴的な立体形状のほかに、音響、匂い、味、手触りなど需要者が特徴を覚知すれば機能を発揮する。 商品やサービスに付される目印を保護し、それらの出所を明示し、品質を保証し、広告機能を持たせることで、商標を使用する者の業務上の信用を保護して産業の発展を図ると同時に、需要者の利益を保護する。 法域によっては、商標であることを示すために商標マークや登録商標マークの表示が求められることがある。 アメリカにおいてはこれらのマークの使用が法定されている。特に登録商標マーク(®)は、中国が2002年8月3日に中華人民共和国商標法実施条例37条2項で公布するなど広く世界で用いられている。 日本の商標制度においては、商標法施行規則17条で「登録商標」の文字と登録番号で登録商標を表示すると定めるのみであり、登録商標マークについて定めはない。 有形の商品に表示を行う際は本体や包装に商標を付すことが多い。無形の役務について表示を行う場合は、役務を提供する店舗や車両などの設備に表示する、ウェブサイトなどの画面に出力する、役務の提供に伴って販売または貸与する有形の商品に商標を付すなどの方法が取られることが多い。 一般的に、他人の商標が使用されても、それが「商標的使用」でなければ商標の効力は働かない。商標的使用とは、自他商品識別機能または出所表示機能を発揮する態様での使用をいう。例えば、単なる説明文における使用やデザイン上の形式的な表示などは商標的使用ではないとされる。 商標は財産としての価値があり売買や差押の対象となっている。
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商標とは、商品や役務の提供者(事業者)が、提供元(出所)を他者と区別するために使用する標識をいう。 法域にもよるが、商品についてはトレードマーク(™)、役務についてはサービスマーク(℠)などと呼ばれることもある。
{{redirect|トレードマーク|他の人と違っていること|wikt:特徴}} {{Pathnav|権利|知的財産権|工業所有権|商標|frame=1|hide=1}} {{WikipediaPage| *[[:File:Wikipedia-logo-v2.svg|ウィキペディアの球体ロゴ]]<!-- 財団の商標一覧にリンクさせたい -->など[[ウィキメディア財団]]が保有する商標の利用方針については、[[m:Trademark_policy/ja|Trademark policy]]をご覧ください。 *[[ウィキペディア]]では、マークについて言及する場合を除き、[[商標記号]]は省略しています。「[[Wikipedia:免責事項#商標について]]」も参照。}} {{otheruses|商標権全般|日本の商標制度|日本の商標制度}} {{出典の明記|date=2014年9月4日 (木) 18:03 (UTC)}} {{特殊文字|説明=[[商標マーク]]TM、[[登録商標マーク]](R)、[[サービスマーク記号]]SM}} '''商標'''(しょうひょう、{{lang-en-short|trademark}})とは、[[商品]]や[[サービス|役務]]の提供者(事業者)が、提供元(出所)を他者と区別するために使用する標識をいう<ref>{{cite kotobank|word=商標|encyclopedia=ブランド用語集|accessdate=2021-08-26}}</ref>。 [[法域]]にもよるが、商品についてはトレードマーク({{lang|en|'''™'''}})、役務についてはサービスマーク({{lang|en|'''℠'''}})<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kjpaa.jp/qa/46478.html|title=Q&A サービスマークとは何ですか。|website=日本弁理士会関西会|accessdate=2021-08-26}}</ref>などと呼ばれることもある。 == 概要 == [[商品]]や役務を提供される需要者が、商品や役務の提供者を認知するための文字、図形、記号、立体的形状、色彩、音などの標識で、[[14世紀]]の法学者[[バルトールス・デ・サクソフェラート|バルト―ルス]]が{{仮リンク|紋章法|en|Law of heraldic arms|preserve=1}}と併せて発案した概念である。 商品や役務の提供者が、商品の販売時に商品や包装、役務の提供に使用される物や電磁的な映像面などに商標を付すと、需要者は商標により出所を認識して選択できる。商品や役務の提供を一定以上の質で継続すると、商標は広範の需要者から認知が高まるとともに信用度が向上して財産的価値が生じ、[[特許権]]や[[著作権]]などと同様に[[知的財産権]]として[[条約]]や[[法律]]で保護される。優れた商標は産業の発展と需要者の利益に資する。 == 制度 == 出願時の審査、アメリカなどの先使用主義、日本やヨーロッパなどの先願主義、など各国や地域で異なる。商標の保護を求める国に直接出願するか、[[マドリッド協定議定書]]による国際出願をしない限り、保護の対象は国内に限定され、国際出願をした場合も、原則として保護を求める国で審査を受ける必要がある。 {{Main2|日本の商標制度|日本の商標制度}} == 種類 == 商品の商標は'''トレードマーク'''、役務の商標は[[サービスマーク]]などと称される。視覚により伝達される文字、図形、記号など平面的なものや、商品や看板などの特徴的な立体形状のほかに、[[音響]]、[[匂い]]、[[味]]、[[皮膚感覚|手触り]]など需要者が特徴を覚知すれば機能を発揮する。 == 機能 == 商品やサービスに付される目印を保護し、それらの出所を明示し、品質を保証し、広告機能を持たせることで、商標を使用する者の業務上の信用を保護して産業の発展を図ると同時に、需要者の利益を保護する<ref>{{Cite web|和書|author= |url=https://www.jpo.go.jp/system/trademark/gaiyo/seidogaiyo/chizai07.html |title=商標とは |website=特許庁ウェブサイト |publisher= |date= |accessdate=2021-07-13 |ref=harv}}</ref>。 == 商標であることの表示 == 法域によっては、商標であることを示すために[[商標マーク]]や[[登録商標マーク]]の表示が求められることがある。 [[アメリカ]]においてはこれらのマークの使用が法定されている。特に[[登録商標マーク]](®)は、中国が2002年8月3日に中華人民共和国商標法実施条例37条2項で公布するなど広く世界で用いられている。 [[日本の商標制度]]においては、[[商標法]]施行規則17条で「登録商標」の文字と登録番号で登録商標を表示すると定めるのみであり、[[登録商標マーク]]について定めはない。 有形の商品に表示を行う際は本体や包装に商標を付すことが多い。無形の役務について表示を行う場合は、役務を提供する店舗や車両などの設備に表示する、ウェブサイトなどの画面に出力する、役務の提供に伴って販売または貸与する有形の商品に商標を付すなどの方法が取られることが多い。 {|class=wikitable !目的!!表記 |- |[[商標マーク|商標]] | *{{lang|en|trade mark}} *{{lang|en|TM}} *{{lang|en|&trade;}} |- |[[役務商標マーク|役務商標]] | *{{lang|en|service mark}} *{{lang|en|SM}} *{{lang|en|℠}} |- |[[登録商標マーク|登録商標]] | *{{lang|en|registered trademark}} *{{lang|en|(R)}} *{{lang|en|&reg;}} |} ==商標的使用== 一般的に、他人の商標が使用されても、それが「商標的使用」でなければ商標の効力は働かない。商標的使用とは、自他商品識別機能または出所表示機能を発揮する態様での使用をいう。例えば、単なる説明文における使用やデザイン上の形式的な表示などは商標的使用ではないとされる<ref>{{Cite web|和書|author= |url=http://www.jpo.go.jp/resources/shingikai/sangyo-kouzou/shousai/shohyo_shoi/document/seisakubukai-21-shiryou/sankou2.pdf|title=判例の商標的使用論の例 |website=特許庁ウェブサイト |publisher= |date= |accessdate=2021-07-13 |ref=harv}}</ref>。 ==財産としての商標== 商標は財産としての価値があり売買や[[差押]]の対象となっている。 * [[2010年]]、[[YOZAN]]が有していた『[[着メロ]]』の商標権が都税の滞納により差し押さえられ、[[東京都主税局]]により[[Yahoo! オークション]]に出品され[[ビジュアルアーツ]]に落札された<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0309/TKY201003080454.html 「着メロ」商標権2550万円 都の公売で落札] asahi.com2010年3月9日。</ref>。 * 2019年には、韓国での訴訟の結果、[[三菱重工業]]が韓国内で有していた登録商標2件が差し押さえられた<ref>{{Cite news |和書|title=三菱重工の「ロゴマーク」差し押さえ 元挺身隊訴訟の原告 |newspaper=日本経済新聞 |date=2019-03-28 |author= |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43006540Y9A320C1EAF000/ |accessdate=2021-07-13}}</ref>。 *[[第二次世界大戦]]でドイツが敗北したため、戦前に日本でドイツ商社が登録していた商標権は、[[連合国軍最高司令官総司令部]]が戦後賠償財産として接収、所有することとなった。1950年、日本の商社が[[ロバート・ボッシュ (企業)|ボッシュ]]社の機械を輸入しようとしたところ、商標法に違反するものとして問題となった<ref>「ドイツ有名商品 販売は違法 商標権侵害が問題化」『日本経済新聞』昭和25年12月12日3面</ref>。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[商標法]] * [[商標マーク]] {{lang|en|'''™'''}} - 商標 * [[登録商標マーク]]® - 登録商標 * [[役務商標マーク]] {{lang|en|'''℠'''}} - [[サービスマーク|役務商標]] * [[ブランド]] * [[ブランディング (戦略・手法)|ブランディング]] * [[ドメイン名]] * [[シンボル]] * [[命名]] * [[広告]] == 外部リンク== {{wikt}} {{Commonscat|With trademark}} * [https://www.j-platpat.inpit.go.jp/ 特許情報プラットフォーム|J-PlatPat] * {{Egov law|334AC0000000127|商標法}} * {{Kotobank}} * [http://tmfesta.com/ TMfesta.com]:世界中の商標に関する最新情報を公開するウェブサイト {{知財権}} {{商標法}}{{Normdaten}} {{デフォルトソート:しようひよう}} [[Category:知的財産権]] [[Category:商標法|*]] [[Category:シンボル]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E6%A8%99
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飛行機
飛行機(ひこうき、英: airplane, aeroplane, plane)とは、空中を飛行する機械である航空機のうち、前方への 推力を得て加速前進し、かつ、その前進移動と主翼によって発生する揚力で滑空および浮上するものを言う。 飛行機というのは、航空機のうち、前方への推力を得て加速前進し、かつ、その前進移動と主翼によって発生する揚力で滑空および浮上するもののことである。 なお形状は似ているが、動力を持たず、牽引されないと滑空しかできない航空機は「飛行機」には分類されず、グライダーと分類される。(ただし、飛行機とグライダーの中間的なもの、小さくて非力なモーターを搭載したモーターグライダーというものもあり、それに関してはどちらに分類するかは、文脈・分野にもよるので、やや曖昧な面もある。) 第二次世界大戦期には(軍用の)ロケット飛行機というものもあったがこの推進方式は一般化せず消えてしまい、ジェット機が一般的になったので、あまり言及されない。 飛行機は他の一般的な乗り物、たとえば船、鉄道、車、自転車などと比較すると移動速度が速い、という特徴がある。それと関連するが、飛行機は「移動距離あたりの」死亡事故発生割合が、船、鉄道、車などの乗り物よりも低いというデータを提示される。航空会社はしばしばそれを根拠に「世界で最も安全な乗り物」と宣伝する。ただし「単位移動時間あたりの」死亡事故発生割合のデータで比較すると、それらは異なった順位となる。また飛行機は、一度事故が起こると、甚大な被害になる場合が多いという特徴もある。 近年では、地球温暖化対策(脱炭素)を各国政府や国連が進めており、飛行機による移動は航空燃料を大量に燃やすので問題だと指摘されることも増えている。 簡単に言えば飛行機は、ジェットエンジンやプロペラ等を用いて前進することで、その翼に対して「対気速度」を得て、それにより自身の重量より大きな揚力を得ることで上昇する。水平飛行の時は飛行機の重さと揚力が釣り合っている場合である。 飛行機を支える揚力というのは、空気の流れの(あるいは風の)力の一種である。 静止した物体にある速さの風が当たる場合と、ある物体が同じ速さで反対方向に進む場合では、風の力の生じ方は変わらない。例えば静止した空気の中をジェット機が250m/sという速さで飛べば、250m/sという、ものすごい速さで風が前方から機体に当たってきている。風の力というのは風速の2乗に比例しており、台風の風速50-60m/sの風ですら家屋を破壊するような巨大な力を持っていることを思えば、ジェット機に働く風の力の大きさを想像できるようになる。翼の揚力は、同じ迎え角であると、速度の2乗に比例して増加する、また同一の速度であると、迎え角が大きくなるほど揚力は増加する。飛行機は、ある高さを保って水平飛行を続ける時は、揚力が重力とつりあい、かつ、推進装置の推力と飛行機全体に働く抗力がつりあうようにしなければならない。よって(水平に飛ぶ時は)、高速で飛ぶ時は迎え角を小さくし、低速で飛ぶ時は迎え角を大きくして、揚力と重力がつりあうように調整して飛んでいる。 なお、上記の説明だけだと、「翼の迎え角をどんどん大きくしてゆくと速度を落としても水平飛行可能」ということになるが、実際には迎え角がある限界に達した段階で失速という現象が起きる。よって飛行機には安全に飛行できる最小速度というものがあり、それを「最小速度」や「失速速度」と呼んでいる。それは例えば、ジェット輸送機だと一般に200-250 km/h程度になる。つまりこの場合、(かつての)新幹線の最高速度程度以上の速度は出さないと安全に飛べないのである。 平凡社『世界大百科事典』(1988年版)では、飛行機の構造(あるいは構成)として「翼、推進装置、操縦装置、胴体、降着装置」を挙げている。『飛行機の基本と仕組み』によると、飛行機を形作っている部品の数は、大型旅客機であるエアバス等の場合300万点を超えるが、構造物として大別すればいずれの飛行機も胴体・主翼・尾部の3つの部位に分けられる。 なお上記は飛行機の代表的な構造についての説明であり、それとは異なった構造の機種もある。例えば、B-2爆撃機のように胴体と尾翼を持たない全翼機も(少数ではあるが)実用化されている。 機体(つまり推進システムを含まない部分)の構造の種類としては、トラス、ビーム、ロッド、チューブ・ワイヤなどから構成された固定骨組み構造に外板として羽布を張り、羽布は基本的に強度を負担せず、固定骨組み構造が強度を負担するトラス構造がその一種である。このほか、アルミニウム合金の外板の内側にフレーム(助材)の骨組み構造部材を取付けたモノコック構造、アルミニウム合金の外板の内側にフレーム(助材)やストリンガ(縦通材)、ロンジロン(強力縦通材)の骨組み構造部材を取付けたセミモノコック構造がある また、2枚の板状外板の間に芯材を挟んでサンドイッチ状にした板を外板に使用して、強度および剛性を大きくして、軽量化を図り、補強材の使用をこれまでより少なくして工数を大きく削減できるサンドイッチ構造があり、主に主翼に取付けられている動翼のスポイラー、フラップ、補助翼などで使用されている。 主翼は、クッタ・ジュコーフスキーの定理により翼の上下に空気の循環が生じ、見かけ上、翼の下側より翼の上側のほうが空気の流れが速くなる断面形状をしている。(「翼の上面は下面より膨らんでいるが、上側を通る気流と下側を通る気流は同時に翼後端に到達するので経路の長い上側の気流の方が速くなる」という俗説は誤り。そもそも上側の気流と下側の気流が同時に後端に到達するという前提に根拠がないし、背面飛行や紙飛行機の飛行などを説明できない。)ベルヌーイの定理より、空気の流れが速い上部の圧力は下部より下がり、この圧力差により飛行方向に対して上向きの力(揚力)を発生する。一般に、低亜音速機に用いられる翼断面形(翼型)は上側が膨れた凸状であるが、飛行速度や用途によって様々な翼型がある。翼型と翼平面形(上から見た主翼のカタチ)は飛行特性に大きな影響を与える。効率的に揚力を発生させるには細長い平面形状が適する。主翼の縦と横の比率を「アスペクト比」(「縦横比」とも)と呼んでおり、翼幅/翼面積で表される、アスペクト比が大きいほど、主翼に発生する揚抗比(揚力と抗力の比)が大きくなり、主翼の翼端渦により発生する誘導抗力が小さくなる。そのため、高く遠くへ飛ぶ飛行機は、主翼のアスペクト比を大きく設定した細長い翼が有利である。東京大学教授の鈴木真二によると、ライト兄弟の時代からアスペクト効果は理解されていたという。ただし、あまりアスペクト比を大きくすると強度の問題等が出てくる 翼を長くすると揚力の面では優位であるが、当然の結果として翼の付け根の負荷が増大することは避けられない。高速で飛ぶ飛行機の主翼には、高速での空気抵抗が少ない後退翼が採用される。つまり、後退角を付けると主翼の前縁に音速付近での直角方向速度成分が少なくなり、衝撃波の抗力を少なくできる利点がある(この利点から主翼以外にも後退翼が採用される)。 さらに揚力と速度の間の関係から、超音速機は速度が速い分翼が小さくて済む。このため、超音速機はではアスペクト比が極端に少ないデルタ翼やオージー翼が採用される。逆に揚力の面を重視する場合、例えば航続距離世界記録機の航研機や、高々度の極狭い速度領域を飛行するスパイ偵察機「U-2」ではアスペクト比(縦横比)の大きい翼が採用される。 翼の構造には、強度と軽量性を両立させるため、後述する胴体と同じくセミモノコック構造が採用されることが多い。 翼桁・翼小骨・外板によって応力外皮構造であるトーション・ボックス構造を構成している。トーション・ボックスとは、ねじり荷重を機体に伝達する箱状の構造であり、曲げ・せん断力・ねじりに強くなっている。種類としては、1つの桁に前縁外板を取付けた構造の単桁応力外皮構造、前桁と後桁を横に配置して、その間の上下に外板を取付けた構造の2本桁応力外皮構造、前桁と主桁と後桁を横に配置して、その上下に外板を取付けた構造の3本桁応力外皮構造、2本桁応力外皮構造と3本桁応力外皮構造にストリンガを外板の内側の翼幅方向に取付けることでストリンガと外板に曲げ荷重を負担させるマルチストリンガ構造がある。翼桁は機体胴体内にある主翼の荷重を胴体に伝達する構造部材のキャリスル・メンバに、補助桁は機体胴体内にある取付け金具にそれぞれ取付けられるが、中・大型機では、キャリスル・メンバをトーション・ボックス構造にしており、左右の主翼をこれに取付けている。また、翼に発生する揚力などの空気力は、 外板→ 翼小骨 → 翼桁 → 胴体と伝わる。 翼桁の太さ・外板の厚さと材質はその部分にかかる応力に応じて設定され、翼の先端近くでは桁は細く外板は薄く設定される。最近ではこれらの構造を大きな金属槐から直接削り出す工法も採用されている。飛行中は主翼を上に曲げる方向に揚力が働くため、下面外板には引っ張りに強い素材、上面外板には圧縮に強い素材を選定する。戦闘機のような薄翼では、各場所にかかる応力に応じて素材を組み合わせて使う複合材料が多用される。 主翼内部のトーション・ボックスを耐燃料性シーラントにより密閉構造にして燃料タンクに使うことが多く、この方式をインテグラルタンクと呼ぶ。また主翼にエンジンや主脚などの降着装置を装備することが多い。攻撃機などでは主翼に兵装爆弾・ミサイルや増加燃料タンクをずらりとぶら下げているが、いずれの場合も主翼には充分な強度が要求され、脚や兵装の取り付け部は充分な補強が実施されている。 現代の飛行機は、特殊な場合を除き主翼は左右各1枚(単葉)である。主翼後部(後縁部)にはエルロン(補助翼)や、主翼の前部と後部には、離着陸の低速時に揚力を増大させるフラップやスラットなどの高揚力装置が装備される。主翼上面には、着陸滑走時や飛行中にエアーブレーキを掛ける際や主翼の揚力を減らすためのスポイラーを備えるものもある。また、また、主翼と胴体の結合部での渦の発生による抗力の増加を防ぐためのフィレットや主翼端での渦流の発生による抵抗を減らすためのウイングレットを装着するものもある。 飛行機の操縦装置は、機体の3軸まわりの姿勢(ピッチング、ヨーイング、ローリング)を変化させるための主操縦翼面である補助翼・昇降舵・方向舵を操作する主操縦装置と、エンジンおよびスロットルの操作や、フラップ、エアーブレーキ、タブ、スポイラ、スラットといった補助操縦翼面を操作する副操縦装置とに分けられている。後者はそれらを操作した場合の表示装置が必要である。 また、操縦装置の種類は人力操縦装置、動力操縦装置、ブースター操縦装置、フライ・バイ・ワイヤ操縦装置に大別される。人力操縦装置は小・中型機で使用されており、操縦席と操縦翼面の間を索(ケーブル)、滑車、またはロッド、レバー等を利用したリンク機構で繋ぎ、操縦翼面を人力だけで操作するものであり、工作や整備が容易で、信頼性が高い長所がある。これには、索と滑車を利用する索操縦系統、プッシュ・プル・ロッドを利用するプッシュ・プル・ロッド操縦系統、トーション・チューブと呼ばれるチューブを利用するトーション・チューブ操縦系統がある。索操縦系統は軽量で遊びがなく、方向転換が自由で安価である。一方で摩擦や摩耗、スペースが必要であること、予め張力が必要で伸びが大きいことが短所である。また索は操縦席と操縦翼面との間で2本使われ、往復式で使用される、これは、1本の場合だと飛行中での急激な姿勢変化により、重力加速度が索に掛かることで索がたるみ、操縦翼面が勝手に動いてしまうためである。プッシュ・プル・ロッド操縦系統は、摩耗が少なく伸びがない。一方で重く遊びがあり、高価である短所がある。主に運搬で主翼などを外す必要があり、組立の際に調整を簡単にすることができるグライダーで使用されている。トーション・チューブ操縦系統は、レバー型式とギア型式とに分かれる。前者は主翼後部に取付けられたフラップを操作するフラップ系統に使用されている。後者は摩擦力が小さいのが特徴で、方向転換の大きい箇所で使用されている。 動力操縦装置は、大きな操縦力が必要な大型機や超音速または亜音速域で飛行する飛行機で使用されている。操縦席と操縦翼面の間に設けたリンク機構を介して飛行機の主油圧系統から供給される高圧油圧により作動する油圧サーボ・アクチュエータを作動させることにより、操縦翼面を作動させるものである。ブースター操縦装置は、動力操縦装置の一種であり、操縦席と操縦翼面の間は、人力操縦装置と同じリンク機構を介して直接操作するが、操縦者の操舵力に比例した力を高圧油圧とサーボ・バルブにより倍力して、油圧アクチュエータによりその力を操縦翼面に加えるものである。フライ・バイ・ワイヤ操縦装置とは、機械的なリンクに代え電線が操作量を伝達するものであり、操縦装置への入力が発信器で電気信号に変換され、その電気信号が、加速度と傾きを検知するセンサーとコンピュータを組み込んだ飛行制御コンピュータを介して、油圧サーボ・アクチュエータに伝達されて操縦翼面を作動させるものである。 補助翼は主翼の左右、後ろ側の縁に、ヒンジによって付けられている。補助翼というのは、一方を上げると他方が下がる仕組みになっている。例えば、右側を下げるとそれと連動して左側が上がり、左側を下げるとそれと連動して右側が上がる。例えば左側の補助翼を下げ、右側の補助翼を上げると、左側の翼の揚力が増し、右側の翼の揚力が減るので、機体を右に傾ける向きのモーメントが働く。このモーメントによって、機体を右に傾けることも可能であるし、左に傾き過ぎていた機体を水平に戻すことも可能となる。また、大型のジェット機の場合には、主翼の外側に低速域用の補助翼と内側にあるフラップの間に全速度域用の補助翼の2つの補助翼を装備しており、低速での飛行の際には2つの補助翼が作動し、高速での飛行の際には外側の低速域用の補助翼はロックされ、内側の全速度域用の補助翼だけが作動する。両者とも、補助翼の作動と同時に傾ける側の主翼の上部に装備されたフライト・スポイラーを作動させて機体を傾かせる。また、補助翼は機体を旋回させる際には必ず使用され、旋回する前に補助翼により機体を傾かせてから方向舵を作動させて旋回する。 上下方向に装備されるものを垂直尾翼、左右に伸びるものを水平尾翼と呼んでいる。垂直尾翼は、胴体に固定された部分を垂直安定板、その後ろの可動部分を方向舵(あるいはラダー)と呼ぶ。水平尾翼は同様に水平安定板と昇降舵(エレベーター)からなるのが一般的で、後者は主翼からの洗流(英語:「down・wash」)を考慮して、胴体への取付角度を水平よりやや上向きとしている。尾翼は一般に、モーメントを確保するために主翼から十分に離れた位置に置かれる。多くは胴体後端に設置されるが、胴体前部に設置した先尾翼機(エンテ型飛行機)もある。尾翼の構造は主翼に準じるが、主翼に比べ強度上の問題も小さく簡素である。尾翼(両方もしくは水平尾翼のみ)の無い飛行機は無尾翼機と呼ばれる。また、固定の水平安定板を持たず水平尾翼面全体が可動のフライング・テールと呼ばれる方式もある。この場合、水平尾翼はスタビレーター(スタビライザー + エレベーター)と呼ばれる。この方式は第一次世界大戦から現在まで、運動性を要求される戦闘機に採用されることが多い。一方、翼面全体が動翼となり効率が高いため、小さく軽い尾翼で済むという利点から小型機にも多く採用されている。亜音速から遷音速域を飛行するジェット旅客機で動力操縦装置を装備している機体には、トリム・タブが使用できないのと、昇降舵の舵の角度を大きく取ると、舵面の先端から衝撃波が発生して、操舵力が急に増加したり、舵の効きが低下するため、水平安定板の取付角度を飛行中に変化させて、昇降舵の操舵量を小さくする方式が採用されており調整式安定板と呼ばれている。この場合は、水平安定板は長期的なピッチ姿勢の安定(トリム)、水平尾翼は短期的なコントロールに使用する。 翼に揚力を発生させるには、正面から当たってくる空気の流れの抵抗に打ち勝って、飛行に必要な速度を機体に与える推進装置が必要である。 現在の飛行機用エンジンは、レシプロエンジン(ディーゼルエンジンとガソリンエンジンのうちピストンを持つもの)と、ガスタービンエンジン(いわゆるジェットエンジン)とに大別される。 レシプロ機はエンジン出力軸の回転数を減速し、プロペラを駆動して、各プロペラブレードに生じる前方向きの揚力で推進する方式がほとんどであるが、ガスタービンのものは、推進力を得る方式の違いにより以下がある。 このうち、ターボジェットエンジンは、タービン軸から機械的に駆動力を取り出す方式との区別のため、「ピュア・ジェットエンジン」と呼ばれることもある。それぞれは、その特性を生かし、用途により使い分けられている。 このほかに、電動機(モーター)でプロペラを回す電動航空機も既に飛行例があり、新型の開発も進んでいる。空飛ぶ自動車としての機能を持つタイプも研究されている。電力は搭載電池や、エンジンと組み合わせた発電機から得るハイブリッド型 のほか、機体に取り付けた太陽電池を使うソーラープレーンもある。 人間の筋力でプロペラを回す人力飛行機も、主に冒険やスポーツ・娯楽目的に存在する。 その他、過去に採用されたことがあるエンジンとしては、第二次世界大戦の前から終戦までのドイツでは、クルップとユンカースによる上下対向式(de)2サイクルディーゼルエンジン、ユモ 205やユモ 207を搭載したドルニエ Do 18(ドイツ語版)やブローム・ウント・フォス BV 138、BV 222水上輸送機、小型プロペラ機用のヴァンケルロータリーエンジン、巡航ミサイルV1に用いられたパルスジェットエンジンのほか、やはりドイツで大戦末期に登場した戦闘機、Me 163や、アメリカの超音速実験機ベルX-1などのロケットエンジンはミサイル用として現役の技術であり、超音速(ロケットモーターに比べて)長距離ミサイル用のラムジェットエンジンも現役の技術である。このうち、ディーゼルエンジンについては、地球温暖化防止に効果があるとして、近年再興の可能性が出てきた。極超音速長距離ミサイル他用に向けスクラムジェットエンジンが開発中である。 日本での航空機エンジンの数え方は、「発動機」に由来した「発」で表される。これは戦前からの慣習で、現在でもそのまま使われている。一基装備の機体を「単発機」(略して単発)、二基のものを「双発機」(双発)と呼び、それ以上はエンジンの数に「~発(機)」を付けて、「3発(機)」「4発(機)」...などと呼ぶ。 重量と体積の大きいレシプロエンジンでは、エンジン搭載位置の自由度は低くなり、単発機はもちろん、奇数発機のエンジンのうちの一つは、機首や機尾、パラソル式(支柱支持高翼配置)の主翼上など、平面視での機体中心線上に置かれる。左右非対称の機体(BV 141)でも、尾翼の付いた胴体側(操縦席の無い方)の中心線上にある。双発以上の偶数発機では、多くが主翼前縁に配置される。強度上の理由で、エンジンをまとめて設置するために2基一組にしたもの(ドルニエ Do X)や、速度を追求するために前面投影面積を増やさずに2基エンジンとしたもの(ドルニエ Do 335)ではタンデム配置のものもある。また、隣合う二つのエンジンをギアで連結し、2基のエンジンで一つのプロペラを駆動するもの(ハインケル He 177)も見られた。これらは全て戦時中のドイツ生まれである。その亜種に星型エンジンの段数を増やした例が幾つかある。 レシプロ機はライト兄弟の1号機から使われている方式。現在では趣味で乗る自家用機のほか、飛行訓練や写真撮影、農薬散布、アクロバット飛行、遊覧飛行、水上タクシー等に使用されている。 比較的近距離の路線で頻繁に離着陸する小型から中型の機体は、ジェット機よりも離着陸性能の良いターボプロップ機の方が適している。そのため、コミューター機と呼ばれる10人 - 50人乗りの旅客機や、条件の悪い飛行場での運用を考慮した軍用輸送機はターボプロップ機が多い。自家用機程度の小型機でターボプロップエンジンを積むものもある。 現代において、中型から大型の旅客機や、軍用機のうち高速を要求されるタイプ(戦闘機など)は全てジェット機である。その中でも純粋にジェットの排気エネルギーで推力をまかなう方式をターボジェットと呼ぶ。騒音が大きく、燃料の消費も非常に多い。経済性や航続距離、環境性能が重視させる旅客機では現在、燃費も良く、騒音も比較的少ないターボファン方式が主流である。これはエンジン内最前部にファンを設け、タービン軸出力でこのファンを回して得た推力と、ジェット排気の推力の両方を利用する方式。空港でジェット旅客機のエンジンを正面から見ると、多数の羽根(ファンブレード)を有するファンが回っているのが良く見える。詳しくはジェットエンジンを参照。 機体へのエンジンの搭載方法としては、ピストン・エンジンを単発機に搭載する場合では、機体胴体の最先端に防火壁を介して取付けられたエンジン・マウント(発動機架)にボルトやナット、振動吸収ゴム・クッションまたはパッドを介して取付けられる。多発機の場合では、主翼に外板、カウリング、構造部材、防火壁、エンジン・マウントで構成されたセミモノコック構造のナセルを設けて、そこにエンジンを取付けている。ジェット・エンジンの場合には、主翼下または機体胴体後部にパイロンを設けて、防火壁とエンジン・マウントを介してエンジン・ポットと結合され、並列に配置するものが多い。ジェット戦闘機に代表される速度と運動性を重視する機体では、機体に対して大きなエンジンは空気抵抗低減と質量 (mass) 集中のため、単発、多発とも、エンジンは胴体内に置かれる。 単発機に搭載されたピストン・エンジンの場合には、その周囲に取り外しが可能なカウリングに覆われている。大型のレシプロ・エンジンまたはターボプロップ・エンジンを搭載する場合には、防火壁が付いたカウル・パネルで覆われているものがあり、ヒンジによりカウル・パネルを開くことが可能である。また、空冷のピストン・エンジンを搭載している場合では、カウリングまたはカウル・パネルに、エンジンを冷却をするためのカウル・フラップを装備しており、飛行中に作動させると、前面からカウル・フラップを抜ける空気の流れができることでエンジンを冷却する。ジェット・エンジンのカウル・パネルは、エンジン本体外側に流れる空気を滑らかに流すとともに、エンジン自体を損傷から守るために取付けられており、先端にあるノーズ・カウル、上面または下面にヒンジが取付けられ取り外しが可能なカウル・パネル、固定されたカウル・パネルで構成されている。 胴体には、パイロットを含む乗員・乗客・荷物(貨物)を搭載する。また(中型以上の飛行機では一般的に)前脚を格納する。さらに燃料タンク・主脚を搭載するものもある。操縦席部分は「コックピット」、客室部分は「キャビン」、床下貨物室部分は「ベリー」と呼ぶ。単発機や3発機では胴体の最前部または最後部に1発のエンジンを搭載する。最初の飛行機には胴体と呼べるものは無く、操縦席は木製骨組みの上に簡素なイスを載せたものであった。その後木製の骨組を丈夫な帆布で覆った構造になり、現在は縦横に組み合わせた骨組の表面にアルミ合金や炭素繊維強化プラスチック(CFRP)製の薄い板を張ったセミモノコック構造が主流である。なお空気の薄い(したがって気圧が低く酸素の少ない)高空を飛ぶ旅客機は、胴体内部を円形の前部圧力隔壁と後部圧力隔壁で仕切り その間のエリアを8000 ft以下の気圧高度に保っている、これを「与圧」と呼んでいる。そのため、胴体構造は飛行時での荷重のほかに、圧力容器として内圧に耐える構造でなくてはならない。 セミモノコック構造の胴体は、主に以下の部材からなる。 現在ほとんどの機種は前輪式と呼ばれる「脚柱(ストラット)+ 車輪(ホイール)」からなる脚が3個所に付いている形態を採用している。胴体前部にノーズギア(前脚)と呼ばれる小ぶりの脚があり、重心より少し後方の左右に一対の主脚が配置されている。主輪は機体重量の90%を支持している上に、着陸時にはさらに大きな負荷がかかるため、軽量且つ堅牢な構造と緩衝サスペンションが求められる。現在では、小型機を除く多くの飛行機は、空気抵抗を軽減するために、飛行中に降着装置を折り畳んで機体胴体やナセル、主翼内部に格納する「引き込み脚」を備えており、着陸装置を格納する部分はホイール・ウェルと呼ばれている。また、フロートを有した水上機や水陸両用機、積雪地用にスキーを装備するものもある。 着陸滑走時に使用するブレーキは油圧作動のディスクブレーキである。小型機の場合ディスクは1枚が多いが、大型機では複数のディスクを使用するセグメンテッド・ロータ方式が多い。アンチスキッド機能を有するものも多い。また車輪のタイヤは大型機では一本の脚に四輪や八輪のタイヤを装着している機体もある。多くのタイヤを並べて接地時のショックの分散を図り衝撃に耐えさせている。さらに不測のパンクにも備えるためである。いずれにしても過酷な条件で使用されるため寿命が短く、各機種ごとに着陸回数に応じてタイヤ交換やゴムの巻き代え時間が定められている。 ほとんどの固定翼機は離陸や着陸にある程度の長さを持つ滑走路が必要である。垂直離着陸機、回転翼機も整備や燃料補給が欠かせないため、飛行機はこれらを支える施設を持つ飛行場(民間空港や空軍基地)を拠点とする。飛行機の組み立て工場も、完成後にそのまま飛行できるよう飛行場に隣接しているか、滑走路を備えていることが多い。 軽量の軍用機などは野外の不整地で離着陸した例もある(第二次世界大戦中のグラン・サッソ襲撃など)。水上機や飛行艇は海面、湖面での離着陸が可能である。また航空母艦は、艦載機(艦上機)を運用できる。 飛行機の操縦士はパイロット、点検・修理を行う技術者を航空整備士と呼ぶ。 1903年12月17日に米国でライト兄弟がライトフライヤー号による有人飛行を行い、サントスデュモンは、1906年10月22日にヨーロッパで「14-bis」を飛行させた。この飛行機は、独自の手段で離陸した最初の航空機だった。この時代、骨組は木製、翼は布張りが一般的であった。 「飛行機の種類」と言っても、分類するための単なるグループ分け、といった程度のものである。ここでは既存の入門書などに倣って、用途と大きさに着目した分類、さらに外観に注目した分類を示す。 付記として代表的な機体を一部例示する。 操縦資格はエンジンの種類(レシプロかタービン)、エンジンの数(単発か多発)、運用場所(陸上のみか水上)の8等級で分類されている。 なお「複葉機 / 単葉機」は、主翼の枚数で分類する、歴史的な分類法である。現在では1枚が一般的で当たり前になっているので、わざわざ「単葉機」とは分類しないことが一般的。 本稿では武器を積んでいない非武装機でも軍事目的として利用されている場合は軍用機としている。 非軍用の国際機関(国際連合など)、多国政府共同運用(EUなど)、中央政府機関、自治領、地方政府・地方自治体などの機体。任務は民間機・軍用機の一部と被る場合がある。 複葉機・単葉機・三葉機・多葉機・タンデム翼機 単葉機における分類。詳細は単葉機を参照。 低翼、中翼、高翼(貨物の出し入れが容易なため輸送機に多い)、パラソル翼(飛行艇に多い) 平面形での分類=矩形・後退・前進・三角・可変・楕円・オージー。 単発の場合通常ジェット機は胴体内、レシプロでは機体の最前部もしくは最後部に取り付けられる。双発以上の場合ほとんど位置は主翼か胴体後方である。現在軽飛行機や一部の作戦用・訓練用軍用機以外は故障のリスクを考えエンジンは双発以上である。 単発機・双発機(ツインジェット)・三発機(トライジェット)・四発機(クワッドジェット)・多発機。 プロペラ機における分類。 推進式・牽引式・プッシュプル方式 前輪式・尾輪式・尾橇式・タンデム式・フロート・艇体(飛行艇)・ソリ 音速を基準として亜音速、遷音速(マッハ0.75~1.25)、超音速(マッハ1.25以上)に分類。 垂直離着陸機、短距離離陸垂直着陸機、垂直/短距離離着陸機、短距離離着陸機、通常離着陸機、CATOBAR機や短距離離陸拘束着艦機(航空母艦でカタパルトやアレスティング・ワイヤー、アレスティング・フックを使用)、空中発進機、橇着陸機 日本語の「飛行機」という表現は、森鷗外が「小倉日記」1901年(明治34年)3月1日条に記したのが初出だとされる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "飛行機(ひこうき、英: airplane, aeroplane, plane)とは、空中を飛行する機械である航空機のうち、前方への 推力を得て加速前進し、かつ、その前進移動と主翼によって発生する揚力で滑空および浮上するものを言う。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "飛行機というのは、航空機のうち、前方への推力を得て加速前進し、かつ、その前進移動と主翼によって発生する揚力で滑空および浮上するもののことである。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "なお形状は似ているが、動力を持たず、牽引されないと滑空しかできない航空機は「飛行機」には分類されず、グライダーと分類される。(ただし、飛行機とグライダーの中間的なもの、小さくて非力なモーターを搭載したモーターグライダーというものもあり、それに関してはどちらに分類するかは、文脈・分野にもよるので、やや曖昧な面もある。)", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦期には(軍用の)ロケット飛行機というものもあったがこの推進方式は一般化せず消えてしまい、ジェット機が一般的になったので、あまり言及されない。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "飛行機は他の一般的な乗り物、たとえば船、鉄道、車、自転車などと比較すると移動速度が速い、という特徴がある。それと関連するが、飛行機は「移動距離あたりの」死亡事故発生割合が、船、鉄道、車などの乗り物よりも低いというデータを提示される。航空会社はしばしばそれを根拠に「世界で最も安全な乗り物」と宣伝する。ただし「単位移動時間あたりの」死亡事故発生割合のデータで比較すると、それらは異なった順位となる。また飛行機は、一度事故が起こると、甚大な被害になる場合が多いという特徴もある。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "近年では、地球温暖化対策(脱炭素)を各国政府や国連が進めており、飛行機による移動は航空燃料を大量に燃やすので問題だと指摘されることも増えている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "簡単に言えば飛行機は、ジェットエンジンやプロペラ等を用いて前進することで、その翼に対して「対気速度」を得て、それにより自身の重量より大きな揚力を得ることで上昇する。水平飛行の時は飛行機の重さと揚力が釣り合っている場合である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "飛行機を支える揚力というのは、空気の流れの(あるいは風の)力の一種である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "静止した物体にある速さの風が当たる場合と、ある物体が同じ速さで反対方向に進む場合では、風の力の生じ方は変わらない。例えば静止した空気の中をジェット機が250m/sという速さで飛べば、250m/sという、ものすごい速さで風が前方から機体に当たってきている。風の力というのは風速の2乗に比例しており、台風の風速50-60m/sの風ですら家屋を破壊するような巨大な力を持っていることを思えば、ジェット機に働く風の力の大きさを想像できるようになる。翼の揚力は、同じ迎え角であると、速度の2乗に比例して増加する、また同一の速度であると、迎え角が大きくなるほど揚力は増加する。飛行機は、ある高さを保って水平飛行を続ける時は、揚力が重力とつりあい、かつ、推進装置の推力と飛行機全体に働く抗力がつりあうようにしなければならない。よって(水平に飛ぶ時は)、高速で飛ぶ時は迎え角を小さくし、低速で飛ぶ時は迎え角を大きくして、揚力と重力がつりあうように調整して飛んでいる。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "なお、上記の説明だけだと、「翼の迎え角をどんどん大きくしてゆくと速度を落としても水平飛行可能」ということになるが、実際には迎え角がある限界に達した段階で失速という現象が起きる。よって飛行機には安全に飛行できる最小速度というものがあり、それを「最小速度」や「失速速度」と呼んでいる。それは例えば、ジェット輸送機だと一般に200-250 km/h程度になる。つまりこの場合、(かつての)新幹線の最高速度程度以上の速度は出さないと安全に飛べないのである。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "平凡社『世界大百科事典』(1988年版)では、飛行機の構造(あるいは構成)として「翼、推進装置、操縦装置、胴体、降着装置」を挙げている。『飛行機の基本と仕組み』によると、飛行機を形作っている部品の数は、大型旅客機であるエアバス等の場合300万点を超えるが、構造物として大別すればいずれの飛行機も胴体・主翼・尾部の3つの部位に分けられる。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "なお上記は飛行機の代表的な構造についての説明であり、それとは異なった構造の機種もある。例えば、B-2爆撃機のように胴体と尾翼を持たない全翼機も(少数ではあるが)実用化されている。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "機体(つまり推進システムを含まない部分)の構造の種類としては、トラス、ビーム、ロッド、チューブ・ワイヤなどから構成された固定骨組み構造に外板として羽布を張り、羽布は基本的に強度を負担せず、固定骨組み構造が強度を負担するトラス構造がその一種である。このほか、アルミニウム合金の外板の内側にフレーム(助材)の骨組み構造部材を取付けたモノコック構造、アルミニウム合金の外板の内側にフレーム(助材)やストリンガ(縦通材)、ロンジロン(強力縦通材)の骨組み構造部材を取付けたセミモノコック構造がある また、2枚の板状外板の間に芯材を挟んでサンドイッチ状にした板を外板に使用して、強度および剛性を大きくして、軽量化を図り、補強材の使用をこれまでより少なくして工数を大きく削減できるサンドイッチ構造があり、主に主翼に取付けられている動翼のスポイラー、フラップ、補助翼などで使用されている。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "主翼は、クッタ・ジュコーフスキーの定理により翼の上下に空気の循環が生じ、見かけ上、翼の下側より翼の上側のほうが空気の流れが速くなる断面形状をしている。(「翼の上面は下面より膨らんでいるが、上側を通る気流と下側を通る気流は同時に翼後端に到達するので経路の長い上側の気流の方が速くなる」という俗説は誤り。そもそも上側の気流と下側の気流が同時に後端に到達するという前提に根拠がないし、背面飛行や紙飛行機の飛行などを説明できない。)ベルヌーイの定理より、空気の流れが速い上部の圧力は下部より下がり、この圧力差により飛行方向に対して上向きの力(揚力)を発生する。一般に、低亜音速機に用いられる翼断面形(翼型)は上側が膨れた凸状であるが、飛行速度や用途によって様々な翼型がある。翼型と翼平面形(上から見た主翼のカタチ)は飛行特性に大きな影響を与える。効率的に揚力を発生させるには細長い平面形状が適する。主翼の縦と横の比率を「アスペクト比」(「縦横比」とも)と呼んでおり、翼幅/翼面積で表される、アスペクト比が大きいほど、主翼に発生する揚抗比(揚力と抗力の比)が大きくなり、主翼の翼端渦により発生する誘導抗力が小さくなる。そのため、高く遠くへ飛ぶ飛行機は、主翼のアスペクト比を大きく設定した細長い翼が有利である。東京大学教授の鈴木真二によると、ライト兄弟の時代からアスペクト効果は理解されていたという。ただし、あまりアスペクト比を大きくすると強度の問題等が出てくる", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "翼を長くすると揚力の面では優位であるが、当然の結果として翼の付け根の負荷が増大することは避けられない。高速で飛ぶ飛行機の主翼には、高速での空気抵抗が少ない後退翼が採用される。つまり、後退角を付けると主翼の前縁に音速付近での直角方向速度成分が少なくなり、衝撃波の抗力を少なくできる利点がある(この利点から主翼以外にも後退翼が採用される)。 さらに揚力と速度の間の関係から、超音速機は速度が速い分翼が小さくて済む。このため、超音速機はではアスペクト比が極端に少ないデルタ翼やオージー翼が採用される。逆に揚力の面を重視する場合、例えば航続距離世界記録機の航研機や、高々度の極狭い速度領域を飛行するスパイ偵察機「U-2」ではアスペクト比(縦横比)の大きい翼が採用される。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "翼の構造には、強度と軽量性を両立させるため、後述する胴体と同じくセミモノコック構造が採用されることが多い。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "翼桁・翼小骨・外板によって応力外皮構造であるトーション・ボックス構造を構成している。トーション・ボックスとは、ねじり荷重を機体に伝達する箱状の構造であり、曲げ・せん断力・ねじりに強くなっている。種類としては、1つの桁に前縁外板を取付けた構造の単桁応力外皮構造、前桁と後桁を横に配置して、その間の上下に外板を取付けた構造の2本桁応力外皮構造、前桁と主桁と後桁を横に配置して、その上下に外板を取付けた構造の3本桁応力外皮構造、2本桁応力外皮構造と3本桁応力外皮構造にストリンガを外板の内側の翼幅方向に取付けることでストリンガと外板に曲げ荷重を負担させるマルチストリンガ構造がある。翼桁は機体胴体内にある主翼の荷重を胴体に伝達する構造部材のキャリスル・メンバに、補助桁は機体胴体内にある取付け金具にそれぞれ取付けられるが、中・大型機では、キャリスル・メンバをトーション・ボックス構造にしており、左右の主翼をこれに取付けている。また、翼に発生する揚力などの空気力は、 外板→ 翼小骨 → 翼桁 → 胴体と伝わる。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "翼桁の太さ・外板の厚さと材質はその部分にかかる応力に応じて設定され、翼の先端近くでは桁は細く外板は薄く設定される。最近ではこれらの構造を大きな金属槐から直接削り出す工法も採用されている。飛行中は主翼を上に曲げる方向に揚力が働くため、下面外板には引っ張りに強い素材、上面外板には圧縮に強い素材を選定する。戦闘機のような薄翼では、各場所にかかる応力に応じて素材を組み合わせて使う複合材料が多用される。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "主翼内部のトーション・ボックスを耐燃料性シーラントにより密閉構造にして燃料タンクに使うことが多く、この方式をインテグラルタンクと呼ぶ。また主翼にエンジンや主脚などの降着装置を装備することが多い。攻撃機などでは主翼に兵装爆弾・ミサイルや増加燃料タンクをずらりとぶら下げているが、いずれの場合も主翼には充分な強度が要求され、脚や兵装の取り付け部は充分な補強が実施されている。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "現代の飛行機は、特殊な場合を除き主翼は左右各1枚(単葉)である。主翼後部(後縁部)にはエルロン(補助翼)や、主翼の前部と後部には、離着陸の低速時に揚力を増大させるフラップやスラットなどの高揚力装置が装備される。主翼上面には、着陸滑走時や飛行中にエアーブレーキを掛ける際や主翼の揚力を減らすためのスポイラーを備えるものもある。また、また、主翼と胴体の結合部での渦の発生による抗力の増加を防ぐためのフィレットや主翼端での渦流の発生による抵抗を減らすためのウイングレットを装着するものもある。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "飛行機の操縦装置は、機体の3軸まわりの姿勢(ピッチング、ヨーイング、ローリング)を変化させるための主操縦翼面である補助翼・昇降舵・方向舵を操作する主操縦装置と、エンジンおよびスロットルの操作や、フラップ、エアーブレーキ、タブ、スポイラ、スラットといった補助操縦翼面を操作する副操縦装置とに分けられている。後者はそれらを操作した場合の表示装置が必要である。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "また、操縦装置の種類は人力操縦装置、動力操縦装置、ブースター操縦装置、フライ・バイ・ワイヤ操縦装置に大別される。人力操縦装置は小・中型機で使用されており、操縦席と操縦翼面の間を索(ケーブル)、滑車、またはロッド、レバー等を利用したリンク機構で繋ぎ、操縦翼面を人力だけで操作するものであり、工作や整備が容易で、信頼性が高い長所がある。これには、索と滑車を利用する索操縦系統、プッシュ・プル・ロッドを利用するプッシュ・プル・ロッド操縦系統、トーション・チューブと呼ばれるチューブを利用するトーション・チューブ操縦系統がある。索操縦系統は軽量で遊びがなく、方向転換が自由で安価である。一方で摩擦や摩耗、スペースが必要であること、予め張力が必要で伸びが大きいことが短所である。また索は操縦席と操縦翼面との間で2本使われ、往復式で使用される、これは、1本の場合だと飛行中での急激な姿勢変化により、重力加速度が索に掛かることで索がたるみ、操縦翼面が勝手に動いてしまうためである。プッシュ・プル・ロッド操縦系統は、摩耗が少なく伸びがない。一方で重く遊びがあり、高価である短所がある。主に運搬で主翼などを外す必要があり、組立の際に調整を簡単にすることができるグライダーで使用されている。トーション・チューブ操縦系統は、レバー型式とギア型式とに分かれる。前者は主翼後部に取付けられたフラップを操作するフラップ系統に使用されている。後者は摩擦力が小さいのが特徴で、方向転換の大きい箇所で使用されている。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "動力操縦装置は、大きな操縦力が必要な大型機や超音速または亜音速域で飛行する飛行機で使用されている。操縦席と操縦翼面の間に設けたリンク機構を介して飛行機の主油圧系統から供給される高圧油圧により作動する油圧サーボ・アクチュエータを作動させることにより、操縦翼面を作動させるものである。ブースター操縦装置は、動力操縦装置の一種であり、操縦席と操縦翼面の間は、人力操縦装置と同じリンク機構を介して直接操作するが、操縦者の操舵力に比例した力を高圧油圧とサーボ・バルブにより倍力して、油圧アクチュエータによりその力を操縦翼面に加えるものである。フライ・バイ・ワイヤ操縦装置とは、機械的なリンクに代え電線が操作量を伝達するものであり、操縦装置への入力が発信器で電気信号に変換され、その電気信号が、加速度と傾きを検知するセンサーとコンピュータを組み込んだ飛行制御コンピュータを介して、油圧サーボ・アクチュエータに伝達されて操縦翼面を作動させるものである。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "補助翼は主翼の左右、後ろ側の縁に、ヒンジによって付けられている。補助翼というのは、一方を上げると他方が下がる仕組みになっている。例えば、右側を下げるとそれと連動して左側が上がり、左側を下げるとそれと連動して右側が上がる。例えば左側の補助翼を下げ、右側の補助翼を上げると、左側の翼の揚力が増し、右側の翼の揚力が減るので、機体を右に傾ける向きのモーメントが働く。このモーメントによって、機体を右に傾けることも可能であるし、左に傾き過ぎていた機体を水平に戻すことも可能となる。また、大型のジェット機の場合には、主翼の外側に低速域用の補助翼と内側にあるフラップの間に全速度域用の補助翼の2つの補助翼を装備しており、低速での飛行の際には2つの補助翼が作動し、高速での飛行の際には外側の低速域用の補助翼はロックされ、内側の全速度域用の補助翼だけが作動する。両者とも、補助翼の作動と同時に傾ける側の主翼の上部に装備されたフライト・スポイラーを作動させて機体を傾かせる。また、補助翼は機体を旋回させる際には必ず使用され、旋回する前に補助翼により機体を傾かせてから方向舵を作動させて旋回する。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "上下方向に装備されるものを垂直尾翼、左右に伸びるものを水平尾翼と呼んでいる。垂直尾翼は、胴体に固定された部分を垂直安定板、その後ろの可動部分を方向舵(あるいはラダー)と呼ぶ。水平尾翼は同様に水平安定板と昇降舵(エレベーター)からなるのが一般的で、後者は主翼からの洗流(英語:「down・wash」)を考慮して、胴体への取付角度を水平よりやや上向きとしている。尾翼は一般に、モーメントを確保するために主翼から十分に離れた位置に置かれる。多くは胴体後端に設置されるが、胴体前部に設置した先尾翼機(エンテ型飛行機)もある。尾翼の構造は主翼に準じるが、主翼に比べ強度上の問題も小さく簡素である。尾翼(両方もしくは水平尾翼のみ)の無い飛行機は無尾翼機と呼ばれる。また、固定の水平安定板を持たず水平尾翼面全体が可動のフライング・テールと呼ばれる方式もある。この場合、水平尾翼はスタビレーター(スタビライザー + エレベーター)と呼ばれる。この方式は第一次世界大戦から現在まで、運動性を要求される戦闘機に採用されることが多い。一方、翼面全体が動翼となり効率が高いため、小さく軽い尾翼で済むという利点から小型機にも多く採用されている。亜音速から遷音速域を飛行するジェット旅客機で動力操縦装置を装備している機体には、トリム・タブが使用できないのと、昇降舵の舵の角度を大きく取ると、舵面の先端から衝撃波が発生して、操舵力が急に増加したり、舵の効きが低下するため、水平安定板の取付角度を飛行中に変化させて、昇降舵の操舵量を小さくする方式が採用されており調整式安定板と呼ばれている。この場合は、水平安定板は長期的なピッチ姿勢の安定(トリム)、水平尾翼は短期的なコントロールに使用する。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "翼に揚力を発生させるには、正面から当たってくる空気の流れの抵抗に打ち勝って、飛行に必要な速度を機体に与える推進装置が必要である。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "現在の飛行機用エンジンは、レシプロエンジン(ディーゼルエンジンとガソリンエンジンのうちピストンを持つもの)と、ガスタービンエンジン(いわゆるジェットエンジン)とに大別される。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "レシプロ機はエンジン出力軸の回転数を減速し、プロペラを駆動して、各プロペラブレードに生じる前方向きの揚力で推進する方式がほとんどであるが、ガスタービンのものは、推進力を得る方式の違いにより以下がある。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "このうち、ターボジェットエンジンは、タービン軸から機械的に駆動力を取り出す方式との区別のため、「ピュア・ジェットエンジン」と呼ばれることもある。それぞれは、その特性を生かし、用途により使い分けられている。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "このほかに、電動機(モーター)でプロペラを回す電動航空機も既に飛行例があり、新型の開発も進んでいる。空飛ぶ自動車としての機能を持つタイプも研究されている。電力は搭載電池や、エンジンと組み合わせた発電機から得るハイブリッド型 のほか、機体に取り付けた太陽電池を使うソーラープレーンもある。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "人間の筋力でプロペラを回す人力飛行機も、主に冒険やスポーツ・娯楽目的に存在する。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "その他、過去に採用されたことがあるエンジンとしては、第二次世界大戦の前から終戦までのドイツでは、クルップとユンカースによる上下対向式(de)2サイクルディーゼルエンジン、ユモ 205やユモ 207を搭載したドルニエ Do 18(ドイツ語版)やブローム・ウント・フォス BV 138、BV 222水上輸送機、小型プロペラ機用のヴァンケルロータリーエンジン、巡航ミサイルV1に用いられたパルスジェットエンジンのほか、やはりドイツで大戦末期に登場した戦闘機、Me 163や、アメリカの超音速実験機ベルX-1などのロケットエンジンはミサイル用として現役の技術であり、超音速(ロケットモーターに比べて)長距離ミサイル用のラムジェットエンジンも現役の技術である。このうち、ディーゼルエンジンについては、地球温暖化防止に効果があるとして、近年再興の可能性が出てきた。極超音速長距離ミサイル他用に向けスクラムジェットエンジンが開発中である。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "日本での航空機エンジンの数え方は、「発動機」に由来した「発」で表される。これは戦前からの慣習で、現在でもそのまま使われている。一基装備の機体を「単発機」(略して単発)、二基のものを「双発機」(双発)と呼び、それ以上はエンジンの数に「~発(機)」を付けて、「3発(機)」「4発(機)」...などと呼ぶ。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "重量と体積の大きいレシプロエンジンでは、エンジン搭載位置の自由度は低くなり、単発機はもちろん、奇数発機のエンジンのうちの一つは、機首や機尾、パラソル式(支柱支持高翼配置)の主翼上など、平面視での機体中心線上に置かれる。左右非対称の機体(BV 141)でも、尾翼の付いた胴体側(操縦席の無い方)の中心線上にある。双発以上の偶数発機では、多くが主翼前縁に配置される。強度上の理由で、エンジンをまとめて設置するために2基一組にしたもの(ドルニエ Do X)や、速度を追求するために前面投影面積を増やさずに2基エンジンとしたもの(ドルニエ Do 335)ではタンデム配置のものもある。また、隣合う二つのエンジンをギアで連結し、2基のエンジンで一つのプロペラを駆動するもの(ハインケル He 177)も見られた。これらは全て戦時中のドイツ生まれである。その亜種に星型エンジンの段数を増やした例が幾つかある。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "レシプロ機はライト兄弟の1号機から使われている方式。現在では趣味で乗る自家用機のほか、飛行訓練や写真撮影、農薬散布、アクロバット飛行、遊覧飛行、水上タクシー等に使用されている。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "比較的近距離の路線で頻繁に離着陸する小型から中型の機体は、ジェット機よりも離着陸性能の良いターボプロップ機の方が適している。そのため、コミューター機と呼ばれる10人 - 50人乗りの旅客機や、条件の悪い飛行場での運用を考慮した軍用輸送機はターボプロップ機が多い。自家用機程度の小型機でターボプロップエンジンを積むものもある。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "現代において、中型から大型の旅客機や、軍用機のうち高速を要求されるタイプ(戦闘機など)は全てジェット機である。その中でも純粋にジェットの排気エネルギーで推力をまかなう方式をターボジェットと呼ぶ。騒音が大きく、燃料の消費も非常に多い。経済性や航続距離、環境性能が重視させる旅客機では現在、燃費も良く、騒音も比較的少ないターボファン方式が主流である。これはエンジン内最前部にファンを設け、タービン軸出力でこのファンを回して得た推力と、ジェット排気の推力の両方を利用する方式。空港でジェット旅客機のエンジンを正面から見ると、多数の羽根(ファンブレード)を有するファンが回っているのが良く見える。詳しくはジェットエンジンを参照。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "機体へのエンジンの搭載方法としては、ピストン・エンジンを単発機に搭載する場合では、機体胴体の最先端に防火壁を介して取付けられたエンジン・マウント(発動機架)にボルトやナット、振動吸収ゴム・クッションまたはパッドを介して取付けられる。多発機の場合では、主翼に外板、カウリング、構造部材、防火壁、エンジン・マウントで構成されたセミモノコック構造のナセルを設けて、そこにエンジンを取付けている。ジェット・エンジンの場合には、主翼下または機体胴体後部にパイロンを設けて、防火壁とエンジン・マウントを介してエンジン・ポットと結合され、並列に配置するものが多い。ジェット戦闘機に代表される速度と運動性を重視する機体では、機体に対して大きなエンジンは空気抵抗低減と質量 (mass) 集中のため、単発、多発とも、エンジンは胴体内に置かれる。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "単発機に搭載されたピストン・エンジンの場合には、その周囲に取り外しが可能なカウリングに覆われている。大型のレシプロ・エンジンまたはターボプロップ・エンジンを搭載する場合には、防火壁が付いたカウル・パネルで覆われているものがあり、ヒンジによりカウル・パネルを開くことが可能である。また、空冷のピストン・エンジンを搭載している場合では、カウリングまたはカウル・パネルに、エンジンを冷却をするためのカウル・フラップを装備しており、飛行中に作動させると、前面からカウル・フラップを抜ける空気の流れができることでエンジンを冷却する。ジェット・エンジンのカウル・パネルは、エンジン本体外側に流れる空気を滑らかに流すとともに、エンジン自体を損傷から守るために取付けられており、先端にあるノーズ・カウル、上面または下面にヒンジが取付けられ取り外しが可能なカウル・パネル、固定されたカウル・パネルで構成されている。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "胴体には、パイロットを含む乗員・乗客・荷物(貨物)を搭載する。また(中型以上の飛行機では一般的に)前脚を格納する。さらに燃料タンク・主脚を搭載するものもある。操縦席部分は「コックピット」、客室部分は「キャビン」、床下貨物室部分は「ベリー」と呼ぶ。単発機や3発機では胴体の最前部または最後部に1発のエンジンを搭載する。最初の飛行機には胴体と呼べるものは無く、操縦席は木製骨組みの上に簡素なイスを載せたものであった。その後木製の骨組を丈夫な帆布で覆った構造になり、現在は縦横に組み合わせた骨組の表面にアルミ合金や炭素繊維強化プラスチック(CFRP)製の薄い板を張ったセミモノコック構造が主流である。なお空気の薄い(したがって気圧が低く酸素の少ない)高空を飛ぶ旅客機は、胴体内部を円形の前部圧力隔壁と後部圧力隔壁で仕切り その間のエリアを8000 ft以下の気圧高度に保っている、これを「与圧」と呼んでいる。そのため、胴体構造は飛行時での荷重のほかに、圧力容器として内圧に耐える構造でなくてはならない。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "セミモノコック構造の胴体は、主に以下の部材からなる。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "現在ほとんどの機種は前輪式と呼ばれる「脚柱(ストラット)+ 車輪(ホイール)」からなる脚が3個所に付いている形態を採用している。胴体前部にノーズギア(前脚)と呼ばれる小ぶりの脚があり、重心より少し後方の左右に一対の主脚が配置されている。主輪は機体重量の90%を支持している上に、着陸時にはさらに大きな負荷がかかるため、軽量且つ堅牢な構造と緩衝サスペンションが求められる。現在では、小型機を除く多くの飛行機は、空気抵抗を軽減するために、飛行中に降着装置を折り畳んで機体胴体やナセル、主翼内部に格納する「引き込み脚」を備えており、着陸装置を格納する部分はホイール・ウェルと呼ばれている。また、フロートを有した水上機や水陸両用機、積雪地用にスキーを装備するものもある。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "着陸滑走時に使用するブレーキは油圧作動のディスクブレーキである。小型機の場合ディスクは1枚が多いが、大型機では複数のディスクを使用するセグメンテッド・ロータ方式が多い。アンチスキッド機能を有するものも多い。また車輪のタイヤは大型機では一本の脚に四輪や八輪のタイヤを装着している機体もある。多くのタイヤを並べて接地時のショックの分散を図り衝撃に耐えさせている。さらに不測のパンクにも備えるためである。いずれにしても過酷な条件で使用されるため寿命が短く、各機種ごとに着陸回数に応じてタイヤ交換やゴムの巻き代え時間が定められている。", "title": "構成・構造" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ほとんどの固定翼機は離陸や着陸にある程度の長さを持つ滑走路が必要である。垂直離着陸機、回転翼機も整備や燃料補給が欠かせないため、飛行機はこれらを支える施設を持つ飛行場(民間空港や空軍基地)を拠点とする。飛行機の組み立て工場も、完成後にそのまま飛行できるよう飛行場に隣接しているか、滑走路を備えていることが多い。", "title": "運用を支える施設・人員" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "軽量の軍用機などは野外の不整地で離着陸した例もある(第二次世界大戦中のグラン・サッソ襲撃など)。水上機や飛行艇は海面、湖面での離着陸が可能である。また航空母艦は、艦載機(艦上機)を運用できる。", "title": "運用を支える施設・人員" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "飛行機の操縦士はパイロット、点検・修理を行う技術者を航空整備士と呼ぶ。", "title": "運用を支える施設・人員" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1903年12月17日に米国でライト兄弟がライトフライヤー号による有人飛行を行い、サントスデュモンは、1906年10月22日にヨーロッパで「14-bis」を飛行させた。この飛行機は、独自の手段で離陸した最初の航空機だった。この時代、骨組は木製、翼は布張りが一般的であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "「飛行機の種類」と言っても、分類するための単なるグループ分け、といった程度のものである。ここでは既存の入門書などに倣って、用途と大きさに着目した分類、さらに外観に注目した分類を示す。 付記として代表的な機体を一部例示する。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "操縦資格はエンジンの種類(レシプロかタービン)、エンジンの数(単発か多発)、運用場所(陸上のみか水上)の8等級で分類されている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "なお「複葉機 / 単葉機」は、主翼の枚数で分類する、歴史的な分類法である。現在では1枚が一般的で当たり前になっているので、わざわざ「単葉機」とは分類しないことが一般的。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "本稿では武器を積んでいない非武装機でも軍事目的として利用されている場合は軍用機としている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "非軍用の国際機関(国際連合など)、多国政府共同運用(EUなど)、中央政府機関、自治領、地方政府・地方自治体などの機体。任務は民間機・軍用機の一部と被る場合がある。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "複葉機・単葉機・三葉機・多葉機・タンデム翼機", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "単葉機における分類。詳細は単葉機を参照。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "低翼、中翼、高翼(貨物の出し入れが容易なため輸送機に多い)、パラソル翼(飛行艇に多い)", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "平面形での分類=矩形・後退・前進・三角・可変・楕円・オージー。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "単発の場合通常ジェット機は胴体内、レシプロでは機体の最前部もしくは最後部に取り付けられる。双発以上の場合ほとんど位置は主翼か胴体後方である。現在軽飛行機や一部の作戦用・訓練用軍用機以外は故障のリスクを考えエンジンは双発以上である。 単発機・双発機(ツインジェット)・三発機(トライジェット)・四発機(クワッドジェット)・多発機。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "プロペラ機における分類。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "推進式・牽引式・プッシュプル方式", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "前輪式・尾輪式・尾橇式・タンデム式・フロート・艇体(飛行艇)・ソリ", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "音速を基準として亜音速、遷音速(マッハ0.75~1.25)、超音速(マッハ1.25以上)に分類。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "垂直離着陸機、短距離離陸垂直着陸機、垂直/短距離離着陸機、短距離離着陸機、通常離着陸機、CATOBAR機や短距離離陸拘束着艦機(航空母艦でカタパルトやアレスティング・ワイヤー、アレスティング・フックを使用)、空中発進機、橇着陸機", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "日本語の「飛行機」という表現は、森鷗外が「小倉日記」1901年(明治34年)3月1日条に記したのが初出だとされる。", "title": "その他、雑学など" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "", "title": "その他、雑学など" } ]
飛行機とは、空中を飛行する機械である航空機のうち、前方への 推力を得て加速前進し、かつ、その前進移動と主翼によって発生する揚力で滑空および浮上するものを言う。
{{redirect|ひこうき|フィッシュマンズの曲|ひこうき (フィッシュマンズの曲)}} [[ファイル:ANA_B747-400D(JA8960)_(9105867227).jpg|サムネイル|275x275px|[[ジャンボジェット機]]]] '''飛行機'''(ひこうき、{{lang-en-short|airplane, aeroplane, plane}})とは、空中を[[飛行]]する機械である[[航空機]]のうち、前方への [[推力]]を得て加速前進し、かつ、その前進移動と主翼によって発生する[[揚力]]で[[滑空]]および浮上するものを言う<ref>『[[広辞苑]]』第五版 p.2234 【飛行】内【飛行機】</ref><ref name="sekaipedi">[[平凡社]]『[[世界大百科事典]]』23巻1988年版 p.409-417【飛行機】 項目執筆担当木村秀政・導入部p.409-410</ref><ref>木村秀政編『初歩の航空ハンドブック』 1951年、[[山海堂 (出版社)|山海堂]]刊</ref>。 == 概説 == 飛行機というのは、[[航空機]]のうち、前方への[[推力]]を得て加速前進し、かつ、その前進移動と主翼によって発生する[[揚力]]で[[滑空]]および浮上するもののことである。 なお形状は似ているが、[[動力]]を持たず、牽引されないと滑空しかできない航空機は「飛行機」には分類されず、[[グライダー]]と分類される。(ただし、飛行機とグライダーの中間的なもの、小さくて非力なモーターを搭載した[[モーターグライダー]]というものもあり、それに関してはどちらに分類するかは、文脈・分野にもよるので、やや曖昧な面もある。) [[第二次世界大戦]]期には(軍用の)ロケット飛行機というものもあったがこの推進方式は一般化せず消えてしまい、[[ジェット機]]が一般的になったので、あまり言及されない。 飛行機は他の一般的な乗り物、たとえば船、鉄道、車、自転車などと比較すると移動速度が速い、という特徴がある。それと関連するが、飛行機は「移動距離あたりの」死亡事故発生割合が、船、鉄道、車などの乗り物よりも低いというデータを提示される。航空会社はしばしばそれを根拠に「世界で最も安全な乗り物」と宣伝する。ただし「単位移動時間あたりの」死亡事故発生割合のデータで比較すると、それらは異なった順位となる。また飛行機は、一度事故が起こると、甚大な被害になる場合が多いという特徴もある。 近年では、[[地球温暖化]]対策([[脱炭素]])を各国政府や[[国連]]が進めており、{{要出典|date=2023年10月|飛行機による移動は[[航空燃料]]を大量に燃やすので問題だと指摘されることも増えている。}} {{Gallery|width = 300px|title = さまざまな飛行機 |File:Boeing 747-436 G-BNLU British Airways (10446761566).jpg |大型旅客機 [[ボーイング747-400]](ジャンボジェット機) |File:HondaJet_Ryabtsev.jpg|小さめのジェット機、[[ビジネスジェット]]の例、[[HondaJet]] |File:Cessna.172rg.jpg|[[プロペラ]]で推進する比較的小さな飛行機の例、[[セスナ]]172RG |File:F-35A_flight_(cropped).jpg|軍用の飛行機の例、[[F-35 (戦闘機)|F-35A]] |File:2017RedBullAirRaceChibaN31YM_MuroyaYoshihide.jpg|[[エアレース]]用(競技用)の飛行機の例([[室屋義秀]]が操縦した機体) }} === 飛行の原理 === {{Seealso|揚力|航空力学}} 簡単に言えば飛行機は、[[ジェットエンジン]]やプロペラ等を用いて前進することで、その[[翼]]に対して「対気速度」を得て、それにより自身の重量より大きな揚力を得ることで上昇する。水平飛行の時は飛行機の重さと揚力が釣り合っている場合である<ref>小林昭夫著『紙ヒコーキで知る飛行の原理』講談社 1993年刊 ISBN 978-4061327337</ref>。 飛行機を支える揚力というのは、[[空気]]の流れの(あるいは[[風]]の)[[力 (物理学)|力]]の一種である<ref name="sekaipedi_genri">平凡社『世界大百科事典』23巻2007年改訂版 p.412-421【飛行機】【飛行の原理】</ref><ref group="注">なお、一部には「飛行機がなぜ飛ぶかという原理は、科学的に解明されていない」とする風説があるが、これは誤りで、実際には100年以上も前に解明されている(リンク切れ。{{cite news |title=「飛行機がなぜ飛ぶか」分からないって本当? |newspaper=[[日経ビジネス]] |date=2014-5-14 |url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140514/264597/ |accessdate=2014-5-17| author =山中浩之}})</ref>。 静止した物体にある速さの風が当たる場合と、ある物体が同じ速さで反対方向に進む場合では、風の力の生じ方は変わらない<ref name="sekaipedi_genri" />。例えば静止した空気の中をジェット機が250m/sという速さで飛べば、250m/sという、ものすごい速さで風が前方から機体に当たってきている。風の力というのは[[風速]]の[[自乗|2乗]]に[[比例]]しており、台風の風速50-60m/sの風ですら家屋を破壊するような巨大な力を持っていることを思えば、ジェット機に働く風の力の大きさを想像できるようになる。翼の揚力は、同じ[[迎え角]]であると、速度の2乗に比例して増加する、また同一の速度であると、迎え角が大きくなるほど揚力は増加する。飛行機は、ある高さを保って水平飛行を続ける時は、揚力が重力とつりあい、かつ、推進装置の推力と飛行機全体に働く[[抗力]]がつりあうようにしなければならない。よって(水平に飛ぶ時は)、高速で飛ぶ時は迎え角を小さくし、低速で飛ぶ時は迎え角を大きくして、揚力と重力がつりあうように調整して飛んでいる<ref name="sekaipedi_genri" />。 なお、上記の説明だけだと、「翼の迎え角をどんどん大きくしてゆくと速度を落としても水平飛行可能」ということになるが、実際には迎え角がある限界に達した段階で[[失速]]という現象が起きる<ref name="sekaipedi_genri" />。よって飛行機には安全に飛行できる最小速度というものがあり、それを「最小速度」や「失速速度」と呼んでいる<ref name="sekaipedi_genri" />。それは例えば、ジェット輸送機だと一般に200-250&nbsp;km/h程度になる。つまりこの場合、(かつての)[[新幹線]]の最高速度程度以上の速度は出さないと安全に飛べないのである<ref name="sekaipedi_genri" />。 == 構成・構造 == [[平凡社]]『[[世界大百科事典]]』(1988年版)では、飛行機の構造(あるいは構成<ref group="注">『世界大百科事典』はあくまで一般向けの百科事典なので、「構造」という名の章で扱っているが、「構造」には様々な意味があり、(専門家的に言えば)この文の「構造」は、「構成」と読み替えたほうが誤解が生じないかも知れない。</ref>)として「[[翼]]、[[推進装置]]、[[操縦装置]]、[[胴体]]、[[降着装置]]」を挙げている<ref name="sekaipedi_s_k">平凡社『世界大百科事典』23巻 p.415-420【飛行機】【性能と構造】</ref>。『飛行機の基本と仕組み』によると、飛行機を形作っている[[部品]]の数は、大型[[旅客機]]である[[エアバス]]等の場合300万点を超えるが、構造物として大別すればいずれの飛行機も胴体・[[主翼]]・尾部の3つの部位に分けられる<ref>中山直樹・佐藤晃共著『飛行機の基本と仕組み』[[秀和システム]] 2005年 13頁 ISBN 4798010685</ref>。 なお上記は飛行機の代表的な構造についての説明であり、それとは異なった構造の機種もある。例えば、[[B-2 (航空機)|B-2]][[爆撃機]]のように胴体と尾翼を持たない[[全翼機]]も(少数ではあるが)実用化されている。 ;機体の構造 {{main|機体}} [[ファイル:Airframe (4 types).PNG|thumb|right|400px|飛行機における機体の構造、1. トラス構造(帆布) 2. トラス構造(波板金属板) 3. モノコック構造 4. セミモノコック構造]] [[機体]](つまり推進システムを含まない部分)の[[構造]]の種類としては、[[トラス]]、[[はり部材|ビーム]]、ロッド、チューブ・[[ワイヤ]]などから構成された固定骨組み構造に外板として[[羽布]]を張り、羽布は基本的に強度を負担せず、固定骨組み構造が強度を負担する'''[[トラス]]構造'''がその一種である。このほか、[[アルミニウム]]合金の外板の内側にフレーム(助材)の骨組み構造部材を取付けた'''[[モノコック構造]]'''、アルミニウム合金の外板の内側にフレーム(助材)やストリンガ(縦通材)、ロンジロン(強力縦通材)の骨組み構造部材を取付けた'''セミモノコック構造'''がある<ref group="注">トラス構造は「枠組み構造」とも呼ばれており、ロンジロン(強力縦通材)が縦横の支柱で連結されたプラット・トラス構造とロンジロン(強力縦通材)が斜めの支柱で連結された[[ワーレン・トラス構造]]がある。</ref><ref group="注">モノコック構造、セミモノコック構造は骨組み構造と外板とで、強度を分担する構造であることから'''応力外皮構造'''と呼ばれている。</ref> また、2枚の板状外板の間に芯材を挟んで[[サンドイッチ]]状にした板を外板に使用して、強度および[[剛性]]を大きくして、軽量化を図り、補強材の使用をこれまでより少なくして工数を大きく削減できる'''[[サンドイッチ構造]]'''があり、主に主翼に取付けられている動翼の[[スポイラー (航空機)|スポイラー]]、[[高揚力装置|フラップ]]、[[補助翼]]などで使用されている<ref>藤原洋編『飛行機構造』社団法人日本航空技術協会 2012年4月1日第3版第1刷 p4-p8 ISBN 4-902151-02-2。</ref><ref group="注">外板と芯材の材料には、[[合成樹脂]]または金属が使用されるが、[[荷重]]は主に外板が負担するので、芯材は荷重に弱い構造となっている。また、芯材の形状には、泡状・波状などが使用されている。代表的な形状としては、六角形の[[蜂の巣]]状(ハニカム)を使用しており、これを使用したものを、[[ハニカム・サンドイッチ構造]]と呼ばれている。</ref>。 === 翼 === ==== 主翼==== {{main|主翼}} [[ファイル:Control surfaces on airfoil.svg|thumb|300px|大型ジェット旅客機の主翼と各装置類、1ウイングチップ・2補助翼(低速用)・3補助翼(高速用)・4フラップトラックフェアリング・5前縁フラップ(クルーガ・フラップ)・6スラット・7後縁フラップ(内側)・8後縁フラップ(外側)9スポイラー・10スポイラー(エアーブレーキ用)]] [[主翼]]は、[[クッタ・ジュコーフスキーの定理]]により翼の上下に空気の循環が生じ、見かけ上、翼の下側より翼の上側のほうが空気の流れが速くなる断面形状をしている。(「翼の上面は下面より膨らんでいるが、上側を通る気流と下側を通る気流は同時に翼後端に到達するので経路の長い上側の気流の方が速くなる」という俗説は誤り。そもそも上側の気流と下側の気流が同時に後端に到達するという前提に根拠がないし、背面飛行や紙飛行機の飛行などを説明できない。)[[ベルヌーイの定理]]より、空気の流れが速い上部の圧力は下部より下がり、この圧力差により飛行方向に対して上向きの力([[揚力]])を発生する。一般に、低亜音速機に用いられる翼断面形([[翼型]])は上側が膨れた[[凸]]状であるが、飛行速度や用途によって様々な翼型がある。翼型と[[翼平面形]](上から見た主翼のカタチ)は飛行特性に大きな影響を与える。効率的に揚力を発生させるには細長い平面形状が適する。主翼の縦と横の比率を「[[アスペクト比]]」(「縦横比」とも)と呼んでおり、翼幅<sup>2</sup>/翼面積で表される、アスペクト比が大きいほど、主翼に発生する揚抗比(揚力と抗力の比)が大きくなり、主翼の翼端渦により発生する誘導抗力が小さくなる。そのため、高く遠くへ飛ぶ飛行機は、主翼のアスペクト比を大きく設定した細長い翼が有利である<ref>小林昭夫『紙ヒコーキで知る飛行の原理』[[講談社]]、1993年刊69頁</ref>。[[東京大学]]教授の[[鈴木真二]]によると、[[ライト兄弟]]の時代からアスペクト効果は理解されていたという<ref>鈴木真二『飛行機物語』[[中公新書]]1694、2003年刊126頁</ref>。ただし、あまりアスペクト比を大きくすると[[強度]]の問題等が出てくる 翼を長くすると揚力の面では優位であるが、当然の結果として翼の付け根の負荷が増大することは避けられない。高速で飛ぶ飛行機の主翼には、高速での[[抗力|空気抵抗]]が少ない[[翼平面形#後退翼|後退翼]]が採用される。つまり、後退角を付けると主翼の前縁に音速付近での直角方向速度成分が少なくなり、[[衝撃波]]の抗力を少なくできる利点がある(この利点から主翼以外にも後退翼が採用される)。 さらに揚力と速度の間の関係から、超音速機は速度が速い分翼が小さくて済む。このため、[[超音速機]]はではアスペクト比が極端に少ないデルタ翼や[[オージー翼]]が採用される。逆に揚力の面を重視する場合、例えば航続距離世界記録機の[[航研機]]や、高々度の極狭い速度領域を飛行するスパイ偵察機「[[U-2 (航空機)|U-2]]」ではアスペクト比(縦横比)の大きい翼が採用される<ref>飯田誠一『飛ぶ・そのしくみと流体力学』[[オーム社]]、1995年</ref>。 翼の構造には、強度と軽量性を両立させるため、後述する胴体と同じくセミモノコック構造が採用されることが多い<ref>中山直樹・佐藤晃共著『飛行機の基本と仕組み』秀和システム 2005年 14頁 ISBN 4798010685</ref>。 * 翼桁(ウイング・スパー): 翼の翼幅方向の曲げ[[荷重]]と[[せん断]]力を主に受け持つ部材。小型機では片翼につき1本が多い。大型機では2~3本のものや、もっと多くのものがあり、補助的なものはストリンガと呼ばれる。 * 翼小骨(ウイング・リブ): 桁と直交する薄い板で、翼型をしており、翼型を保持する上で必要である。外板およびストリンガからの空気力を翼桁に伝える役目を持っているが、翼型を保持するのみで空気力を翼桁に伝える役目を持たない補助小骨がある。翼幅方向に多数が配置される。 * 外板(スキン): リブの表面を覆う薄い板。ねじり荷重を受け持つ。 翼桁・翼小骨・外板によって[[応力]]外皮構造である'''トーション・ボックス構造'''を構成している。トーション・ボックスとは、ねじり荷重を機体に伝達する箱状の構造であり、曲げ・せん断力・ねじりに強くなっている。種類としては、1つの桁に前縁外板を取付けた構造の'''単桁応力外皮構造'''、前桁と後桁を横に配置して、その間の上下に外板を取付けた構造の'''2本桁応力外皮構造'''、前桁と主桁と後桁を横に配置して、その上下に外板を取付けた構造の'''3本桁応力外皮構造'''、2本桁応力外皮構造と3本桁応力外皮構造にストリンガを外板の内側の翼幅方向に取付けることでストリンガと外板に曲げ荷重を負担させる'''マルチストリンガ構造'''がある。翼桁は機体胴体内にある主翼の荷重を胴体に伝達する構造部材の'''キャリスル・メンバ'''に、補助桁は機体胴体内にある取付け金具にそれぞれ取付けられるが、中・大型機では、キャリスル・メンバをトーション・ボックス構造にしており、左右の主翼をこれに取付けている。また、翼に発生する揚力などの空気力は、 外板→ 翼小骨 → 翼桁 → 胴体と伝わる。 翼桁の太さ・外板の厚さと材質はその部分にかかる[[応力]]に応じて設定され、翼の先端近くでは桁は細く外板は薄く設定される。最近ではこれらの構造を大きな金属槐から直接削り出す工法も採用されている。飛行中は主翼を上に曲げる方向に揚力が働くため、下面外板には引っ張りに強い素材、上面外板には圧縮に強い素材を選定する。[[戦闘機]]のような薄翼では、各場所にかかる応力に応じて素材を組み合わせて使う[[複合材料]]が多用される。 主翼内部のトーション・ボックスを耐燃料性シーラントにより密閉構造にして燃料タンクに使うことが多く、この方式を[[インテグラルタンク]]と呼ぶ。また主翼にエンジンや主脚などの降着装置を装備することが多い。[[攻撃機]]などでは主翼に兵装[[爆弾]]・[[ミサイル]]や[[増槽|増加燃料タンク]]をずらりとぶら下げているが、いずれの場合も主翼には充分な強度が要求され、脚や兵装の取り付け部は充分な補強が実施されている。 現代の飛行機は、特殊な場合を除き主翼は左右各1枚(単葉)である。主翼後部(後縁部)には[[エルロン]](補助翼)や、主翼の前部と後部には、離着陸の低速時に揚力を増大させる[[高揚力装置|フラップ]]やスラットなどの[[高揚力装置]]が装備される。主翼上面には、着陸滑走時や飛行中にエアーブレーキを掛ける際や主翼の揚力を減らすための[[スポイラー (航空機)|スポイラー]]を備えるものもある。また、また、主翼と胴体の結合部での渦の発生による抗力の増加を防ぐためのフィレットや主翼端での渦流の発生による抵抗を減らすための[[ウイングレット]]を装着するものもある。 ==== 操縦装置(補助翼、昇降舵、方向舵) ==== 飛行機の操縦装置は、機体の3軸まわりの姿勢([[ピッチング]]、[[ヨーイング]]、[[ローリング]])を変化させるための主操縦翼面である補助翼・[[昇降舵]]・[[方向舵]]を操作する'''主操縦装置'''と、エンジンおよび[[スロットル]]の操作や、フラップ、エアーブレーキ、[[タブ (航空機)|タブ]]、[[スポイラー (航空機)|スポイラ]]、[[スラット]]といった補助操縦翼面を操作する'''副操縦装置'''とに分けられている。後者はそれらを操作した場合の表示装置が必要である<ref group="注">エンジンの回転速度、タブのトリム舵角度、フラップの角度位置などの表示装置が操縦席に装備される。</ref>。 [[File:ControlSurfaces.gif|thumb|300px|人力操縦装置の索操縦系統での操縦翼面(補助翼、昇降舵、方向舵)の動き。操縦席から操縦翼面の間は2本の索による往復式で動かされている]] また、操縦装置の種類は'''人力操縦装置'''、'''動力操縦装置'''、'''ブースター操縦装置'''、'''フライ・バイ・ワイヤ操縦装置'''に大別される。人力操縦装置は小・中型機で使用されており、操縦席と操縦翼面の間を索(ケーブル)、[[滑車]]、または[[ロッド]]、レバー等を利用したリンク機構で繋ぎ<ref group="注">索の動きを、クォードランドとトルク・チューブを介して、プッシュ・プル・ロッドに伝達するトルク・チューブ、プッシュ・プル・ロッドの動きの方向を変えるベルクランク、セクタと呼ばれる部品を動かすことにより、索に動きを伝達するセクタ、操作輪に繋がったケーブルドラムを回すことで索を巻き付けたり巻き戻したりするケーブルドラムがある</ref>、操縦翼面を人力だけで操作するものであり、工作や整備が容易で、信頼性が高い長所がある。これには、索と[[滑車]]を利用する'''索操縦系統'''、プッシュ・プル・ロッドを利用する'''プッシュ・プル・ロッド操縦系統'''、トーション・チューブと呼ばれるチューブを利用する'''トーション・チューブ操縦系統'''がある。索操縦系統は軽量で遊びがなく、方向転換が自由で安価である。一方で[[摩擦]]や[[摩耗]]、スペースが必要であること、予め[[張力]]が必要で伸びが大きいことが短所である。また索は操縦席と操縦翼面との間で2本使われ、往復式で使用される、これは、1本の場合だと飛行中での急激な姿勢変化により、[[重力加速度]]が索に掛かることで索がたるみ、操縦翼面が勝手に動いてしまうためである。プッシュ・プル・ロッド操縦系統は、摩耗が少なく伸びがない。一方で重く遊びがあり、高価である短所がある。主に運搬で主翼などを外す必要があり、組立の際に調整を簡単にすることができる[[グライダー]]で使用されている。トーション・チューブ操縦系統は、[[レバー (操作機具)|レバー]]型式とギア型式とに分かれる。前者は主翼後部に取付けられたフラップを操作するフラップ系統に使用されている。後者は摩擦力が小さいのが特徴で、方向転換の大きい箇所で使用されている。 動力操縦装置は、大きな操縦力が必要な大型機や超音速または亜音速域で飛行する飛行機で使用されている。操縦席と操縦翼面の間に設けたリンク機構を介して飛行機の主[[油圧]]系統から供給される高圧油圧により作動する[[油圧サーボ]]・[[アクチュエータ]]を作動させることにより、操縦翼面を作動させるものである。ブースター操縦装置は、動力操縦装置の一種であり、操縦席と操縦翼面の間は、人力操縦装置と同じリンク機構を介して直接操作するが、操縦者の操舵力に比例した力を高圧油圧と[[サーボ・バルブ]]により倍力して、油圧[[アクチュエータ]]によりその力を操縦翼面に加えるものである。[[フライ・バイ・ワイヤ]]操縦装置とは、機械的なリンクに代え[[電線]]が操作量を伝達するものであり、操縦装置への入力が発信器で[[電気信号]]に変換され、その電気信号が、[[加速度]]と傾きを検知するセンサーとコンピュータを組み込んだ飛行制御コンピュータを介して、油圧[[サーボ機構|サーボ]]・アクチュエータに伝達されて操縦翼面を作動させるものである。 ===== 補助翼 ===== [[ファイル:Aileron roll.gif|thumb|180px|right|エルロン(補助翼)の動きとそれに伴うローリング運動。]] [[補助翼]]は主翼の左右、後ろ側の縁に、[[ヒンジ]]によって付けられている。補助翼というのは、一方を上げると他方が下がる仕組みになっている。例えば、右側を下げるとそれと連動して左側が上がり、左側を下げるとそれと連動して右側が上がる。例えば左側の補助翼を下げ、右側の補助翼を上げると、左側の翼の揚力が増し、右側の翼の揚力が減るので、機体を右に傾ける向きの[[モーメント]]が働く。このモーメントによって、機体を右に傾けることも可能であるし、左に傾き過ぎていた機体を水平に戻すことも可能となる。また、大型のジェット機の場合には、主翼の外側に低速域用の補助翼と内側にあるフラップの間に全速度域用の補助翼の2つの補助翼を装備しており、低速での飛行の際には2つの補助翼が作動し、高速での飛行の際には外側の低速域用の補助翼はロックされ、内側の全速度域用の補助翼だけが作動する。両者とも、補助翼の作動と同時に傾ける側の主翼の上部に装備されたフライト・スポイラーを作動させて機体を傾かせる。また、補助翼は機体を旋回させる際には必ず使用され、旋回する前に補助翼により機体を傾かせてから方向舵を作動させて旋回する。 ===== 尾翼 ===== 上下方向に装備されるものを[[垂直尾翼]]、左右に伸びるものを[[水平尾翼]]と呼んでいる。垂直尾翼は、胴体に固定された部分を垂直安定板、その後ろの可動部分を[[方向舵|方向舵(あるいはラダー)]]と呼ぶ。水平尾翼は同様に水平安定板と[[昇降舵|昇降舵(エレベーター)]]からなるのが一般的で、後者は主翼からの洗流(英語:「down・wash」)を考慮して、胴体への取付角度を水平よりやや上向きとしている。尾翼は一般に、[[モーメント]]を確保するために主翼から十分に離れた位置に置かれる。多くは胴体後端に設置されるが、胴体前部に設置した先尾翼機([[エンテ型飛行機]])もある。尾翼の構造は主翼に準じるが、主翼に比べ強度上の問題も小さく簡素である。尾翼(両方もしくは水平尾翼のみ)の無い飛行機は無尾翼機と呼ばれる。また、固定の水平安定板を持たず水平尾翼面全体が可動のフライング・テールと呼ばれる方式もある。この場合、水平尾翼はスタビレーター([[スタビライザー]] + エレベーター)と呼ばれる。この方式は[[第一次世界大戦]]から現在まで、運動性を要求される戦闘機に採用されることが多い。一方、翼面全体が動翼となり効率が高いため、小さく軽い尾翼で済むという利点から小型機にも多く採用されている。亜音速から遷音速域を飛行するジェット旅客機で動力操縦装置を装備している機体には、[[タブ (航空機)|トリム・タブ]]が使用できないのと、昇降舵の舵の角度を大きく取ると、舵面の先端から[[衝撃波]]が発生して、操舵力が急に増加したり、舵の効きが低下するため、水平安定板の取付角度を飛行中に変化させて、昇降舵の操舵量を小さくする方式が採用されており'''調整式安定板'''と呼ばれている。この場合は、水平安定板は長期的なピッチ姿勢の安定(トリム)、水平尾翼は短期的なコントロールに使用する。 <gallery widths="180" style="font-size:90%"> ファイル:Aileron pitch.gif|エレベーター(昇降舵)の動きとそれに伴う[[ピッチング]]運動。 ファイル:Aileron yaw.gif|ラダー(方向舵)の動きとそれに伴う[[ヨーイング]]運動。 ファイル:Tail of a conventional aircraft.svg|大型ジェット旅客機[[エアバスA380]]の尾翼、赤色の部分が垂直安定板・桃色の部分が方向舵(ラダー)・青色の部分が水平安定板・水色の部分が昇降舵(エレベーター)。 </gallery> === エンジン === [[File:British Airways Airbus A380-841 F-WWSK PAS 2013 07 Trent 970 engine.jpg|thumb|[[ジェットエンジン]] ([[エアバスA380]])]] 翼に揚力を発生させるには、正面から当たってくる空気の流れの抵抗に打ち勝って、飛行に必要な速度を機体に与える推進装置が必要である<ref name="sekaipedi_s_k" />。 現在の[[航空用エンジン|飛行機用エンジン]]は、[[レシプロエンジン]]([[ディーゼルエンジン]]と[[ガソリンエンジン]]のうち[[ピストン]]を持つもの)と、[[ガスタービンエンジン]](いわゆる[[ジェットエンジン]])とに大別される。 レシプロ機はエンジン出力軸の回転数を[[減速機|減速]]し、[[プロペラ]]を駆動して、各プロペラブレードに生じる前方向きの揚力で推進する方式がほとんどであるが、ガスタービンのものは、推進力を得る方式の違いにより以下がある。 * 燃焼ガス(排気)の噴出[[エネルギー]]の[[反動]]を[[推力]]とする、もっとも[[歴史]]の長い[[ジェットエンジン|ターボジェットエンジン]] * タービン軸の回転を減速してプロペラを駆動する[[ターボプロップエンジン]] * 排気反力に加え、タービンで大径[[ファン (曖昧さ回避)|ファン]]を駆動し、推力を得る[[ターボファンエンジン]] このうち、ターボジェットエンジンは、タービン軸から機械的に駆動力を取り出す方式との区別のため、「[[:wikt:純粋|ピュア]]・ジェットエンジン」と呼ばれることもある。それぞれは、その特性を生かし、用途により使い分けられている。 このほかに、[[電動機]](モーター)でプロペラを回す[[電動航空機]]も既に飛行例があり、新型の開発も進んでいる。[[空飛ぶクルマ|空飛ぶ自動車]]としての機能を持つタイプも研究されている。[[電力]]は搭載[[電池]]や、エンジンと組み合わせた[[発電機]]から得るハイブリッド型<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180913/ddm/016/040/003000c 「電動航空機 次世代へ注目/騒音も振動も少なく」]『毎日新聞』朝刊2018年9月13日(科学の森面)2018年9月16日閲覧。</ref> のほか、機体に取り付けた[[太陽電池]]を使う[[ソーラープレーン]]もある。 人間の筋力でプロペラを回す[[人力飛行機]]も、主に冒険や[[スポーツ]]・娯楽目的に存在する。 その他、過去に採用されたことがあるエンジンとしては、[[第二次世界大戦]]の前から終戦までのドイツでは、[[クルップ]]と[[ユンカース]]による[[:de:Gegenkolbenmotor|上下対向式(de)]][[2ストローク機関|2サイクル]][[ディーゼルエンジン]]、[[ユンカース ユモ 205|ユモ 205やユモ 207]]を搭載した[[Do 18 (航空機)|ドルニエ Do 18]]([[:de:Dornier Do 18|ドイツ語版]])や[[ブローム・ウント・フォス BV 138]]、[[:en:Blohm + Voss BV 222|BV 222]][[水上機|水上]][[輸送機]]、小型プロペラ機用のヴァンケル[[ロータリーエンジン]]、[[巡航ミサイル]][[V1飛行爆弾|V1]]に用いられた[[パルスジェット|パルスジェットエンジン]]のほか、やはりドイツで大戦末期に登場した戦闘機、[[メッサーシュミットMe163|Me 163]]や、アメリカの超音速実験機[[ベルエアクラフト|ベル]][[X-1 (航空機)|X-1]]などの[[ロケット|ロケットエンジン]]はミサイル用として現役の技術であり、超音速(ロケットモーターに比べて)長距離ミサイル用の[[ラムジェットエンジン]]も現役の技術である。このうち、ディーゼルエンジンについては、[[地球温暖化]]防止に効果があるとして、近年再興の可能性が出てきた。極超音速長距離ミサイル他用に向け[[スクラムジェットエンジン]]が開発中である。 日本での航空機エンジンの数え方は、「[[発動機]]」に由来した「発」で表される。これは[[戦前]]からの慣習で、現在でもそのまま使われている。一基装備の機体を「単発機」(略して単発)、二基のものを「双発機」(双発)と呼び、それ以上はエンジンの数に「~発(機)」を付けて、「3発(機)」「4発(機)」...などと呼ぶ。 [[重さ|重量]]と[[体積]]の大きいレシプロエンジンでは、エンジン搭載位置の自由度は低くなり、単発機はもちろん、奇数発機のエンジンのうちの一つは、機首や機尾、パラソル式(支柱支持高翼配置)の主翼上など、平面視での機体中心線上に置かれる。左右非対称の機体([[BV 141 (航空機)|BV 141]])でも、尾翼の付いた胴体側([[操縦席]]の無い方)の中心線上にある。双発以上の偶数発機では、多くが[[主翼]]前縁に配置される。強度上の理由で、エンジンをまとめて設置するために2基一組にしたもの([[ドルニエ Do X]])や、速度を追求するために[[前面投影面積]]を増やさずに2基エンジンとしたもの([[ドルニエDo335|ドルニエ Do 335]])では[[タンデム]]配置のものもある。また、隣合う二つのエンジンをギアで連結し、2基のエンジンで一つのプロペラを駆動するもの([[He 177 (航空機)|ハインケル He 177]])も見られた。これらは全て戦時中のドイツ生まれである。その亜種に[[星型エンジン]]の段数を増やした例が幾つかある。 レシプロ機は[[ライト兄弟]]の1号機から使われている方式。現在では[[趣味]]で乗る[[自家用機]]のほか、飛行訓練や[[空中写真|写真撮影]]、[[農薬]]散布、[[曲技飛行|アクロバット飛行]]、遊覧飛行、[[水上タクシー]]等に使用されている。 比較的近距離の路線で頻繁に離着陸する小型から中型の機体は、ジェット機よりも離着陸性能の良い[[ターボプロップ]]機の方が適している。そのため、[[コミューター機]]と呼ばれる10人 - 50人乗りの旅客機や、条件の悪い[[飛行場]]での運用を考慮した軍用[[輸送機]]はターボプロップ機が多い。自家用機程度の小型機でターボプロップエンジンを積むものもある。 現代において、中型から大型の[[旅客機]]や、[[軍用機]]のうち高速を要求されるタイプ([[戦闘機]]など)は全てジェット機である。その中でも純粋にジェットの[[排気]][[エネルギー]]で[[推力]]をまかなう方式を[[ターボジェットエンジン|ターボジェット]]と呼ぶ。[[騒音]]が大きく、[[燃料]]の[[消費]]も非常に多い。経済性や[[航続距離]]、環境性能が重視させる旅客機では現在、燃費も良く、騒音も比較的少ない[[ターボファンエンジン|ターボファン]]方式が主流である。これはエンジン内最前部にファンを設け、タービン軸出力でこのファンを回して得た推力と、ジェット排気の推力の両方を利用する方式。[[空港]]でジェット旅客機のエンジンを正面から見ると、多数の羽根(ファンブレード)を有するファンが回っているのが良く見える。詳しくは[[ジェットエンジン]]を参照。 ==== 機体への搭載 ==== 機体へのエンジンの搭載方法としては、ピストン・エンジンを単発機に搭載する場合では、機体胴体の最先端に防火壁を介して取付けられたエンジン・マウント(発動機架)に[[ねじ|ボルトやナット]]、振動吸収ゴム・クッションまたはパッドを介して取付けられる。多発機の場合では、主翼に外板、[[カウル|カウリング]]、構造部材、防火壁、エンジン・マウントで構成されたセミモノコック構造の'''ナセル'''を設けて、そこにエンジンを取付けている。ジェット・エンジンの場合には、主翼下または機体胴体後部に'''パイロン'''を設けて、防火壁とエンジン・マウントを介してエンジン・ポットと結合され、並列に配置するものが多い。ジェット戦闘機に代表される[[速さ|速度]]と[[運動性]]を重視する機体では、機体に対して大きなエンジンは[[空気抵抗]]低減と[[質量]] (mass) 集中のため、単発、多発とも、エンジンは胴体内に置かれる。 単発機に搭載されたピストン・エンジンの場合には、その周囲に取り外しが可能なカウリングに覆われている。大型のレシプロ・エンジンまたはターボプロップ・エンジンを搭載する場合には、防火壁が付いたカウル・パネルで覆われているものがあり、[[蝶番|ヒンジ]]によりカウル・パネルを開くことが可能である。また、[[空冷エンジン|空冷のピストン・エンジン]]を搭載している場合では、カウリングまたはカウル・パネルに、エンジンを冷却をするためのカウル・フラップを装備しており、飛行中に作動させると、前面からカウル・フラップを抜ける空気の流れができることでエンジンを冷却する。ジェット・エンジンのカウル・パネルは、エンジン本体外側に流れる空気を滑らかに流すとともに、エンジン自体を損傷から守るために取付けられており、先端にあるノーズ・カウル、上面または下面にヒンジが取付けられ取り外しが可能なカウル・パネル、固定されたカウル・パネルで構成されている。 === 胴体 === {{Main|胴体 (航空)}} 胴体には、[[パイロット (航空)|パイロット]]を含む乗員・乗客・荷物([[貨物]])を搭載する。また(中型以上の飛行機では一般的に)前脚を格納する<ref group="注">降着装置の脚部は、ほとんど現在の飛行機は、前輪式の三支点輪取り付け方式である。主脚は重心位置の主翼に取り付けられるのが主流である。</ref>。さらに[[燃料]]タンク・主脚を搭載するものもある。操縦席部分は「[[旅客機のコックピット|コックピット]]」、客室部分は「[[キャビン]]」、床下貨物室部分は「ベリー」と呼ぶ。単発機や3発機では胴体の最前部または最後部に1発のエンジンを搭載する。最初の飛行機には胴体と呼べるものは無く、操縦席は木製骨組みの上に簡素な[[椅子|イス]]を載せたものであった。その後木製の骨組を丈夫な帆布で覆った構造になり、現在は縦横に組み合わせた骨組の表面に[[アルミ]]合金や[[炭素繊維強化プラスチック]](CFRP)製の薄い板を張ったセミモノコック構造が主流である。なお空気の薄い(したがって[[気圧]]が低く[[酸素]]の少ない)高空を飛ぶ旅客機は、胴体内部を円形の前部圧力隔壁と後部圧力隔壁で仕切り<ref group="注">降着装置(ランディング・ギア)を格納する部分(ホイール・ウェル)は、胴体を切り欠いた後に平板形の圧力隔壁により構成されている。</ref> その間のエリアを8000 ft以下の気圧高度に保っている、これを「[[与圧]]」と呼んでいる。そのため、胴体構造は飛行時での荷重のほかに、[[圧力容器]]として内圧に耐える構造でなくてはならない。 セミモノコック構造の胴体は、主に以下の部材からなる。 * 縦通材(ストリンガ): 胴体の長手方向の曲げ[[荷重]]を主に受け持つ部材であり、外板の[[剛性]]を増す役割を持っている。小型機でも数本、大型機では円周上に何十本も配置される。特に強度の大きなものはロンジロンと呼ばれる。 * 円きょう(フレーム): ストリンガと直交する胴体の縦方向の部材であり、胴体形状を保つ。主要なフレームの間には、胴体形状を一定の形に保つためのリングフレームが挿入されている。 * 外板(スキン): フレームの外側に張られる薄い板。引っ張り・圧縮荷重の一部を受け持つ。 === 降着装置 === {{Main|降着装置}} 現在ほとんどの機種は前輪式と呼ばれる「脚柱(ストラット)+ 車輪(ホイール)」からなる脚が3個所に付いている形態を採用している。胴体前部にノーズギア(前脚)と呼ばれる小ぶりの脚があり、重心より少し後方の左右に一対の主脚が配置されている。主輪は機体重量の90%を支持している上に、着陸時にはさらに大きな負荷がかかるため、軽量且つ堅牢な構造と緩衝[[サスペンション]]が求められる。現在では、小型機を除く多くの飛行機は、空気抵抗を軽減するために、飛行中に降着装置を折り畳んで機体胴体やナセル、主翼内部に格納する「引き込み脚」を備えており、着陸装置を格納する部分は'''ホイール・ウェル'''と呼ばれている。また、フロートを有した[[水上機]]や[[水陸両用機]]、積雪地用に[[スキー]]を装備するものもある。 着陸滑走時に使用する[[ブレーキ]]は油圧作動の[[ディスクブレーキ]]である。小型機の場合ディスクは1枚が多いが、大型機では複数のディスクを使用するセグメンテッド・ロータ方式が多い。[[アンチロック・ブレーキ・システム|アンチスキッド機能]]を有するものも多い。また車輪の[[タイヤ]]は大型機では一本の脚に四輪や八輪のタイヤを装着している機体もある。多くのタイヤを並べて接地時のショックの分散を図り衝撃に耐えさせている。さらに不測の[[パンク]]にも備えるためである。いずれにしても過酷な条件で使用されるため寿命が短く、各機種ごとに着陸回数に応じてタイヤ交換やゴムの巻き代え時間が定められている<ref>石川幹武編『日本航空整備㈱マニュアル』1959版</ref>。 == 運用を支える施設・人員 == ほとんどの固定翼機は[[離陸]]や[[着陸]]にある程度の長さを持つ[[滑走路]]が必要である。[[垂直離着陸機]]、[[回転翼機]]も整備や燃料補給が欠かせないため、飛行機はこれらを支える施設を持つ[[飛行場]](民間[[空港]]や[[軍用飛行場|空軍基地]])を拠点とする。飛行機の組み立て工場も、完成後にそのまま飛行できるよう飛行場に隣接しているか<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASKBZ5Q55KBZOIPE02R.html MRJの展示施設、予約開始 11月末オープン][[朝日新聞]]DIGITAL(2017年10月31日)2018年9月16日閲覧。</ref>、滑走路を備えていることが多い。 軽量の[[軍用機]]などは野外の不整地で離着陸した例もある(第二次世界大戦中の[[グラン・サッソ襲撃]]など)。[[水上機]]や[[飛行艇]]は海面、湖面での離着陸が可能である。また[[航空母艦]]は、[[艦載機]]([[艦上機]])を運用できる。 飛行機の[[操縦士]]は[[パイロット (航空)|パイロット]]、点検・修理を行う技術者を[[航空整備士]]と呼ぶ。 == 歴史 == {{main|飛行機の歴史|<!--航空史-->|航空に関する年表}} [[File:Wrightflyer.jpg|thumb|世界初の飛行機 ([[ライトフライヤー]])]] 1903年12月17日に米国で[[ライト兄弟]]が[[ライトフライヤー号]]による有人飛行を行い、サントスデュモンは、1906年10月22日にヨーロッパで「14-bis」を飛行させた。この飛行機は、独自の手段で離陸した最初の航空機だった。この時代、骨組は木製、翼は布張りが一般的であった<ref name="WDL">{{cite web |url = http://www.wdl.org/en/item/11372/ |title = Telegram from Orville Wright in Kitty Hawk, North Carolina, to His Father Announcing Four Successful Flights, 1903 December 17 |website = [[World Digital Library]] |date = 1903-12-17 |accessdate = 2013-07-21 }}</ref>。 == 種類 == 「飛行機の種類」と言っても、分類するための単なるグループ分け、といった程度のものである。ここでは既存の入門書などに倣って、用途と大きさに着目した分類、さらに外観に注目した分類を示す。<ref>中山直樹・佐藤晃共著『飛行機の基本と仕組み』秀和システム 2005年刊 18-24頁 ISBN 4798010685</ref> 付記として代表的な機体を一部例示する<ref>例示基準機体としては最もポピュラーな図典『大図典View』講談社1984年刊掲載機を優先した。</ref>。 操縦資格は[[航空用エンジン|エンジン]]の種類([[レシプロエンジン|レシプロ]]か[[タービンエンジン|タービン]])、エンジンの数(単発か多発)、運用場所(陸上のみか[[水上機|水上]])の8等級で分類されている。 なお「[[複葉機]] / [[単葉機]]」は、主翼の枚数で分類する、歴史的な分類法である。現在では1枚が一般的で当たり前になっているので、わざわざ「単葉機」とは分類しないことが一般的。 ===用途別種類分類=== ====民間機==== #[[練習機]] =[[ボーイング・ステアマン モデル75|ステアマン モデル75]] #[[旅客機]] ##[[エアバス]]<ref group="注">本来エアバスはワイドボディ旅客機のカテゴリだったが、近年は[[エアバス]]社の台頭により、他社のワイドボディ機をエアバスと表現しなくなってきている。</ref>=[[エアバスA320]]、[[ボーイング747]] ##[[コミューター航空会社|コミューター]]・[[リージョナルジェット]]<ref group="注">中小型機により幹線空路を補完する航空輸送サービス路線</ref>=[[デ・ハビランド・カナダ DHC-8]]、[[エンブラエル ERJ 145]] #[[貨物機]] <ref group="注">旅客機を改造した機体が多い</ref> ##[[郵便機]]<ref group="注">[[郵便物]]を運ぶために使用される航空機。現代では貨物機や旅客機の空きスペースに積むため専用機は無い。郵便事業が民間に開放され、小荷物宅配事業などと共に民間が行う国もある。</ref> #[[ゼネラル・アビエーション]]<ref group="注">航空運送事業以外で使用される機体。航空写真、報道、遊覧、自家用に用いられる民間機</ref> ##[[農業機]]=[[グラマン アグキャット]] ##[[ビジネス機]]=[[MU-2|三菱MU-2ムーニー]] ##消防・防災機 <ref group="注">警察や消防などから防災・救急任務などを請け負う民間機。</ref> ###[[消防防災ヘリコプター|防災機]]<ref group="注">災害状況を空中から確認する機体。</ref> ###[[空中消火|空中消火機]] ###[[救難機]] ###[[航空救急|航空救急機]]<ref group="注">[[ドクターヘリ]]が多い。</ref> ##スポーツ機<ref group="注">競技用ではなく遊覧飛行など個人が娯楽とし飛行させる機体</ref>=[[セスナ 172]]、 ##レース機 ###[[曲芸飛行]]<ref group="注">エアレース用と曲芸用は共通の機体が多い</ref>=[[ピッツ・スペシャル]] ###[[エアレース]]機=[[ジブコ エッジ540]] #[[実験機]] #研究機 ====軍用機==== 本稿では武器を積んでいない非武装機でも軍事目的として利用されている場合は軍用機としている。 #[[戦闘機]]=[[F-15 (戦闘機)|F-15 イーグル]]、[[ミラージュ2000 (戦闘機)|ミラージュ2000]]、[[MiG-21 (航空機)|MiG-21]] #[[爆撃機]]=[[アブロ バルカン]]、[[Tu-22M (航空機)|ツポレフTu-22Mバックファイヤー]]、[[B-1 (航空機)|ロックウェルB-1]] #[[偵察機]]=[[SR-71 (航空機)|ロッキードSR-71]] #[[早期警戒機]]=[[E-2 (航空機)|グラマンE-2Aホークアイ]] #[[早期警戒管制機]]=[[E-3 (航空機)]] #空中指揮機=[[E-4 (航空機)]]、[[E-6 (航空機)]] #[[輸送機]]<ref group="注">一般に人員輸送も任務に含む。</ref>=[[C-1 (輸送機)|川崎C-1]]、[[C-130 (航空機)|ロッキードC-130ハーキュリーズ]] #[[空中給油機]]=[[KC-135 (航空機)|ボーイングKC-135ストラトタンカー]] #[[哨戒機]]=[[PS-1|新明和PS-1]]、[[P-3 (航空機)|ロッキードP-3Cオライオン]] #[[救難機]] #[[実験機]] #研究機 #試験機<ref group="注">空港・レーダー施設などの試験・検定</ref> #<small>'''※'''(マルチロール機)=[[F-16]]以降現在主要各国戦闘機は多用途機化が進んでいる。</small> ====政府機関機==== 非軍用の国際機関([[国際連合]]など)、多国政府共同運用([[欧州連合|EU]]など)、中央政府機関、[[自治領]]、[[地方政府]]・[[地方政府|地方自治体]]などの機体。任務は民間機・軍用機の一部と被る場合がある。 #[[政府専用機]](要人移動用。[[日本国政府専用機]]、米国[[エアフォースワン]]など) #[[消防]]・防災機 #[[空中消火|空中消火機]] #[[救難機]] #[[航空救急|航空救急機]]<ref group="注">[[ドクターヘリ]]が多い。</ref> #[[輸送機]] #警戒機<ref group="注">警察・陸上[[国境]]警備・[[麻薬]]輸入警戒など</ref> #[[哨戒機]]<ref group="注">哨戒任務を軍以外の政府機関が行う国もある。</ref> #試験機<ref group="注">空港・空路施設などの試験・検定</ref> #[[実験機]] #研究機 #[[観測機]]<ref group="注">観測対象は地上・水域・気象・宇宙など</ref> #[[地図]]・[[海図]]等用撮影機 #[[郵便機]]<ref group="注">[[郵便物]]を運ぶための政府専用航空機。現代では政府機関の郵便専用機は無い。</ref> ===形状別種類分類=== ====翼の数==== [[複葉機]]・[[単葉機]]・[[三葉機]]・[[多葉機]]・[[タンデム翼機]] ====翼の位置==== [[File:Wing angles.jpg|thumb|航空機の主翼の形状(薄緑の部分)<br/>左から[[翼平面形#テーパー翼・逆テーパー翼|矩形(テーパー)翼]]([[P-51 (航空機)|P-51]])<br/> [[翼平面形#後退翼|後退翼]]([[F-100 (戦闘機)|F-100]])<br/> [[翼平面形#前進翼|前進翼]]([[X-29 (航空機)|X-29]])<br/> [[翼平面形#デルタ翼|三角翼]]([[F-102 (戦闘機)|F-102]])<br/> [[可変翼]]([[F-111 (航空機)|F-111]])<br/> [[可変翼#斜め翼|可変翼(斜め翼)]](AD-1)]] 単葉機における分類。詳細は[[単葉機#主翼取付位置による分類|単葉機]]を参照。 [[低翼機|低翼]]、中翼、[[高翼機|高翼]](貨物の出し入れが容易なため輸送機に多い)、パラソル翼([[飛行艇]]に多い) ====主翼の形==== 平面形での分類='''矩形・後退・前進・三角・[[可変翼機|可変]]'''・楕円・オージー。 ====エンジンの数==== 単発の場合通常ジェット機は胴体内、レシプロでは機体の最前部もしくは最後部に取り付けられる。双発以上の場合ほとんど位置は主翼か胴体後方である。現在軽飛行機や一部の作戦用・訓練用[[軍用機]]以外は故障のリスクを考えエンジンは双発以上である。<br/> '''単発機・双発機([[ツインエンジンジェット|ツインジェット]])・[[三発機]]([[トライジェット]])・四発機([[クワッドジェット]])・多発機'''。 ====エンジン種類==== #[[レシプロエンジン|レシプロ]] #[[タービンエンジン|タービン]](ターボ、ターボファン、ターボプロップ、ラム、パルス) #[[ロケット]]<ref group="注">「飛行機のエンジンはピストンエンジンかガスタービンエンジンに限る」とした見解がある、従ってその場合はロケットエンジンを搭載している機器スペースシャトル等は飛行機の範疇外となる(※なおミサイルは当初から除外)。(出典:中山直樹 佐藤晃共著『飛行機の基本と仕組み』秀和システム2005年12頁)</ref>=[[X-1 (航空機)|音速機実験機ベルX-1]]・[[メッサーシュミット Me163|Me-163コメート]]・[[秋水]]・[[ナッター]]<sub>'''※'''ナッターは邀撃ミサイルではあるが有人有翼であるので飛行機として例示記載。</sub> #[[電動機]] ====推進方式==== [[プロペラ機]]における分類。 [[推進式 (航空機)|推進式]]・[[牽引式 (航空機)|牽引式]]・[[プッシュプル方式 (航空機)|プッシュプル方式]] ====降着装置==== 前輪式・尾輪式・尾橇式・タンデム式・フロート・艇体(飛行艇)・ソリ ===スピードによる分類=== [[音速]]を基準として亜音速、遷音速([[マッハ]]0.75~1.25)、[[超音速]](マッハ1.25以上)に分類。<ref group="注">「マッハ数」は[[音速]](気温15℃1気圧の地上で340.3m/s。約1,225㎞/hour)を基準とした比率で速度を表す方法。なお、プロペラ機はどれも「亜音速」に分類される。[[ピストンエンジン]]の最高速度はマッハ0.55程度だからである。</ref> ===離着陸方法による分類=== {{main|航空機の離着陸方法}} [[垂直離着陸機]]、短距離離陸垂直着陸機、[[垂直/短距離離着陸機]]、短距離離着陸機、通常離着陸機、[[CATOBAR]]機や短距離離陸拘束着艦機([[航空母艦]]で[[カタパルト]]や[[アレスティング・ワイヤー]]、[[アレスティング・フック]]を使用)、空中発進機、[[そり|橇]]着陸機 == その他、雑学など == ;日本語の「飛行機」という名称の初出 [[日本語]]の「飛行<u>機</u>」という表現は、[[森鷗外]]が「小倉日記」[[1901年]]([[明治]]34年)3月1日条に記したのが初出だとされる{{efn2|この日、森(当時、[[第12師団 (日本軍)|第12師団]][[軍医]]部長)を訪問した[[矢頭良一]]が「飛行機の沿革を説く」とある<ref>[https://doi.org/10.1587/essfr.4.105 明治時代に開発された我が国最初の計算機「自働算盤」] 電子情報通信学会 基礎・境界ソサイエティ Fundamentals Review 2010年 4巻 2号 p.105-112, {{doi|10.1587/essfr.4.105}}</ref>。ただし構想していた飛行機械そのものは[[飛行船]]であった可能性もあると考えられている<ref>「矢頭良一の機械式卓上計算機「自働算盤」に関する調査報告」([http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/ かはく技術史大系(技術の系統化調査報告書)])p.286</ref>。先行の[[二宮忠八]]は「飛行<u>器</u>」という表現を用いていた。}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|2}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == {{Commonscat|Aircraft}}<!--実際は航空機だが--> {{Wiktionary|飛行機}} * [[w:Aircraft flight mechanics|Aircraft flight mechanics]] * [[旅客機]] * [[航空]] * [[w:Environmental impact of aviation|Aviation and the environment]] * [[飛行機の歴史]] * [[w:Fuel efficiency|Fuel efficiency]] * [[w:Flight altitude record|List of altitude records reached by different aircraft types]] * [[w:Maneuvering speed|Maneuvering speed]] * [[回転翼機]] * [[モーターグライダー]] - 自力で離陸・再上昇が可能な[[グライダー]]。 == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{航空機部品および航空機システム}} {{公害}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひこうき}} [[Category:飛行機|*]]
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5,554
国鉄の車両形式
日本国有鉄道は日本で初めて鉄道を建設した1870年当時から続いた政府機関(内務省鉄道局、鉄道院、鉄道省など)が、戦後改組されて発足した歴史ある組織である。また、発展過程で多くの民間鉄道事業者を国策により合併した。このため、複数会社の鉄道車両を抱えることになり何回もの車両形式称号規程の整理・変更が実施された。この規程の変遷についての概観的な説明は国鉄車両称号規程の変遷による。 また、国鉄は日本全国にわたり総合的な運輸サービスを提供していたため、地域特性(地形や気候など)やサービス内容に合わせて準備された車両の種類も極めて多く、従って形式の命名方法も多様である。そのため、車両の種類毎にそれぞれの形式を説明する。 鉄道省と国鉄での「けいしき」には「形」の字が使われる。
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洗濯
洗濯(せんたく、英: laundry)とは、衣類などについた汚れを洗い落とすこと。機械的作用と化学的作用を利用して衣類などの布地を洗うこと。 一般家庭における洗濯は一般に、(まず一度洗濯表示の確認をした後に)浸水、洗い、すすぎ、脱水、乾燥、(アイロンがけ)、折りたたみ、収納、という過程を経る。 洗濯することを職業としている人々もいる。専門の業種は「クリーニング業」と呼ばれる。界面活性剤による洗濯のほか、ドライクリーニングなどの手法を用いて洗浄する。業者による洗濯の過程には、一般家庭同様の「浸水、洗い、すすぎ、脱水、乾燥、アイロンがけ」の他にも「ネーム付け」「プレス」「検査」「包装」などがある。 洗濯は長い時代にわたり、女性の家事労働のなかでもかなり大きな部分を占めるような大変な作業だったが、(20世紀の)電気洗濯機の普及や化学繊維や新しいタイプの洗剤の出現などにより、(先進国では)洗濯に費やす時間と労力は相当に削減できるようになった。 水中でわたを打つ漂(洗濯)を仕事とする人を漂母と呼び、水でふやけた皺を漂母皮と呼ぶ。安土桃山時代では洗濯士という職人が現れ、江戸時代に入ると染物を行う紺屋から独立して洗い物を行う江戸では洗濁屋、京都では洗い物屋という専業の洗濯業者が現れた。英語圏では、洗濯に従事する女性をWasherwoman(英語版)という。 洗濯や洗浄剤に関する歴史(つまり文字による記録)は四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・中国文明)の黎明期には既にあり、特に古代オリエントには多くの記録が発見されている。 古代、人々は水辺に住んでその水を利用して洗濯していた。一方、水の乏しい地域では砂でもんで洗濯をしていた。古代エジプトや古代ギリシャでは洗濯方法は踏み洗いが一般的だった。古代エジプトでは洗濯は水中の2本の足の象形文字(ヒエログリフ)で表現された。また、古代ギリシャの叙事詩オデッセイには王女ナウシカアーが川で踏み洗いをする記述がある。日本の平安時代末期の扇面古写経にも洗濯の様子が描かれており、日本でも踏み洗いが一般的だったことが判る。なお日本の『万葉集』(7世紀後半-8世紀後半)には「ときあらい」という言葉があり、日本では着物をほどいて洗う方法も行われていた。 紀元前5000年頃には洗浄剤が使用されるようになった。紀元前3000年頃のエジプトでは湖水から得られる天然炭酸ソーダが利用された。 紀元前3000年頃からは、洗浄剤として灰を溶かした灰汁が利用されるようになり、19世紀後半まで最も一般的な洗浄剤だった。日本でも『古事記』の「さねかずら」、『万葉集』の「さなかづら」や「さいかち」など植物の浸出液を洗濯に使っており、平安時代には灰汁も使われるようになった。 また重曹やアンモニアが溶けて弱アルカリ性となった水は、汚れの皮脂成分の脂肪酸と反応して水溶性の鹸化物質となり汚れが落ちる。古代ローマでは回収して発酵させた尿を使って洗濯する業者がいたことが知られている。またフラー土やモンモリロナイトなど油を吸着する性質の泥や土も用いられた。 なお、冷水よりも温水のほうが汚れ落ちの効果が高いことは「古く??」から知られていた。(正確性)「" 最初 " の " 洗濯条件 " の改良は湯の使用」と某研究者は主張した。(時代が跳んで平安期、西暦9世紀後半-10世紀ころの『枕草子』にも湯による洗濯の記述がある。) 中世になるとヨーロッパでは湯沸かし、洗濯槽、たたき洗いに使用する石、洗濯板などを備えた共同の洗濯場が設置されるようになった。一週間のうち主に月曜日が「洗濯日」とされ、洗濯は社会的行事であった。(イギリス、ドイツなど伝染病が広がった歴史のある地域では)都市部の家庭の女性が自宅内で洗濯する場合は、かまどで煮沸しつつ棒でかきまわしつつ洗濯したり、あるいは床においた金属性のタライに水と洗濯物を入れ、手で洗ったり足で踏んで、きれいな水ですすぐ、などといった方法が一般的だった。 1930年代のアメリカでは一般家庭に電気と水道が供給されるようになり、電気洗濯機が普及した。先進国では洗濯機の普及とともに粉末の合成洗剤も使われるようになった。 「洗濯」という表現は、たとえば以下のように、比喩的にも使われる。
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洗濯とは、衣類などについた汚れを洗い落とすこと。機械的作用と化学的作用を利用して衣類などの布地を洗うこと。
[[File:Laundry room (tvättstuga).JPG|thumb|250px|現代の先進国、[[スウェーデン]]の一般家庭の洗濯室の風景。電気洗濯機複数台 +乾燥機 + 洗濯物の干場。]] [[File:Woman doing laundry.jpg|thumb|250px|現代の[[インド]]、[[チェンナイ]]で洗濯をする女性(2006年)]] '''洗濯'''(せんたく、{{Lang-en-short|laundry}}<ref name="kotobank">[https://kotobank.jp/word/%E6%B4%97%E6%BF%AF-88554 コトバンク]</ref>)とは、[[衣類]]などについた[[汚れ]]を洗い落とすこと<ref name="kotobank" />。機械的作用と化学的作用を利用して衣類などの[[布地]]を[[洗浄|洗う]]こと<ref name="ninomiya">{{Cite journal |和書|title=洗浄と清潔の歴史概観|url=https://doi.org/10.11419/senshoshi1960.37.292 |author=二宮健一|journal=繊維製品消費科学 |volume=37 |issue=6 |pages=292-299 |year=1996 |doi=10.11419/senshoshi1960.37.292 |publisher=日本繊維製品消費科学会 |accessdate=2020-07-23}}</ref>。 == 概説 == 一般[[家庭]]における洗濯は一般に、(まず一度[[洗濯表示]]の確認をした後に)浸水、洗い、すすぎ、脱水、乾燥、([[アイロン]]がけ)、折りたたみ、収納、という過程を経る。 洗濯することを職業としている人々もいる。専門の業種は「クリーニング業」と呼ばれる。[[界面活性剤]]による洗濯のほか、[[ドライクリーニング]]などの手法を用いて[[洗浄]]する。業者による洗濯の過程には、一般家庭同様の「浸水、洗い、すすぎ、脱水、乾燥、アイロンがけ」の他にも「ネーム付け」「プレス」「検査」「包装」などがある。 洗濯は長い時代にわたり、女性の[[家事]]労働のなかでもかなり大きな部分を占めるような大変な作業だったが、(20世紀の)[[電気洗濯機]]の普及や[[化学繊維]]や新しいタイプの[[洗剤]]の出現などにより、(先進国では)洗濯に費やす時間と労力は相当に削減できるようになった<ref name='kotobank' />。 水中でわたを打つ漂(洗濯)を仕事とする人を漂母と呼び、水でふやけた[[皺]]を漂母皮と呼ぶ<ref>{{cite kotobank|漂母}}</ref><ref>{{cite kotobank|水死}}</ref>。安土桃山時代では洗濯士という職人が現れ、江戸時代に入ると染物を行う[[紺屋]]から独立して洗い物を行う江戸では洗濁屋、京都では洗い物屋という専業の洗濯業者が現れた<ref>{{cite kotobank|洗濁屋}}</ref>。英語圏では、洗濯に従事する女性を{{ill2|洗濯婦|en|Washerwoman|label=Washerwoman}}という。 {{Gallery|width = 300px|title = 現代のさまざまな洗濯 |File:Woman_making_laundry_on_the_bank_of_Lake_Pichola,_20191207_1506_7234.jpg|インド、ピチョーラー湖で、洗濯物を{{ill2|洗濯棒|en|Washing paddle}}で叩いて汚れを落とす女性(2019年) |File:Katmandou (17806110319).jpg|現代のネパール、[[カトマンズ]]の洗濯風景(2015年) |File:Tatay is doing the laundry in the river.jpg|現代の[[フィリピン]]の洗濯風景 |Laundry in the river.jpg|現代の[[アフリカ]]、[[象牙海岸]]、[[アビジャン]]の川で洗濯をする男性たち(2006年) |File:Laundry time.jpg|現代の[[アメリカ]]の一般家庭の洗濯室(洗濯中)。 |File:Laundromat J1.jpg|現代の[[ベルギー]]の[[コインランドリー]]。洗濯機の中で自分の洗濯物が回る様子をのぞきこんでいる女性。 |File:Laundry in Belgium - sept. 2015.jpg|現代の[[ベルギー]]の一般家庭でのシャツの天日干し |File:Laundry day in Napoli - Flickr - briethe.jpg|[[イタリア]]、[[ナポリ]]のアパート群で隣の建物との間に互いに紐を渡して洗濯物を干しているところ。観光客が面白がる風景なのでナポリの観光ガイドブックにも大抵は掲載されている。<!--紐は環状に渡してあり、紐を引っ引っ張れば引っ張った側の洗濯物は手元に寄ってくるので、引っ張っては窓から取り込む。洗濯物を干す時は、洗濯物をひとつ紐につけては、環の逆側の紐を引っ張り、道路上へと送り出す。--> }} == 歴史 == === 古代 === 洗濯や洗浄剤に関する[[歴史]](つまり文字による記録)は[[世界四大文明|四大文明]]([[メソポタミア文明]]・[[エジプト文明]]・[[インダス文明]]・[[中国文明]])の黎明期には既にあり、特に[[古代オリエント]]には多くの[[記録]]が発見されている<ref name="ninomiya">{{Cite journal |和書|title=洗浄と清潔の歴史概観|url=https://doi.org/10.11419/senshoshi1960.37.292 |author=二宮健一|journal=繊維製品消費科学 |volume=37 |issue=6 |pages=292-299 |year=1996 |doi=10.11419/senshoshi1960.37.292 |publisher=日本繊維製品消費科学会 |accessdate=2020-07-23}}</ref>。 [[古代]]、人々は[[水辺]]に住んでその[[水]]を利用して洗濯していた<ref name="ninomiya" />。一方、水の乏しい地域では[[砂]]でもんで洗濯をしていた<ref name="ninomiya" />。古代エジプトや古代ギリシャでは洗濯方法は'''踏み洗い'''が一般的だった<ref name="ninomiya" />。[[古代エジプト]]では洗濯は水中の2本の足の[[ヒエログリフ|象形文字(ヒエログリフ)]]で表現された<ref name="ninomiya" />。また、[[古代ギリシャ]]の叙事詩[[オデュッセイア|オデッセイ]]には王女[[ナウシカアー]]が川で踏み洗いをする記述がある<ref name="ninomiya" />。日本の[[平安時代]]末期の扇面古写経にも洗濯の様子が描かれており、日本でも踏み洗いが一般的だったことが判る<ref name="ninomiya" />。なお日本の『[[万葉集]]』(7世紀後半-8世紀後半)には「ときあらい」という言葉があり、日本では着物をほどいて洗う方法も行われていた<ref name="ninomiya" />。 [[紀元前5000年]]頃には洗浄剤が使用されるようになった<ref name="ninomiya" />。[[紀元前3000年]]頃のエジプトでは湖水から得られる天然[[炭酸ソーダ]]が利用された<ref name="ninomiya" />。 紀元前3000年頃からは、洗浄剤として[[灰]]を溶かした灰汁が利用されるようになり、19世紀後半まで最も一般的な洗浄剤だった<ref name="ninomiya" />。日本でも『[[古事記]]』の「さねかずら」、『万葉集』の「さなかづら」や「さいかち」など植物の浸出液を洗濯に使っており、平安時代には灰汁も使われるようになった<ref name="ninomiya" />。 また[[重曹]]や[[アンモニア]]が溶けて[[弱アルカリ性]]となった水は、汚れの[[皮脂]]成分の[[脂肪酸]]と反応して水溶性の[[鹸化]]物質となり汚れが落ちる。[[古代ローマ]]では回収して[[発酵]]させた[[尿]]を使って洗濯する業者がいたことが知られている<ref>排出されたばかりの尿にアンモニアは含まれないが、体外では土中の[[細菌]]などによってアンモニアに分解される。{{Cite web|和書|url=https://gigazine.net/news/20180405-ancient-roman-bathrooms/|title=「尿を使って衣服を洗濯していた」など現代では想像できない古代ローマのトイレ事情とは? |publisher=[[Gigazine]] |date=2018-04-05 |accessdate=2018-11-12}}</ref>。また[[フラー土]]や[[モンモリロナイト]]など油を吸着する性質の泥や土も用いられた。 なお、冷水よりも温水のほうが汚れ落ちの効果が高いことは「古く??{{いつ|date=2022年3月}}」から知られていた<ref name="ninomiya" />。(正確性)「" {{要検証範囲|最初||date=2022年3月}} " の " 洗濯条件 " の改良は湯の使用」と某研究者は主張した。(時代が跳んで[[平安時代|平安]]期、西暦[[9世紀]]後半-10世紀ころの『[[枕草子]]』にも湯による洗濯の記述がある<ref name="ninomiya" />。) === 中世〜近世 === [[中世]]になると[[ヨーロッパ]]では湯沸かし、洗濯槽、たたき洗いに使用する石、[[洗濯板]]などを備えた'''共同の洗濯場'''が設置されるようになった<ref name="ninomiya" />。一週間のうち主に月曜日が「洗濯日」とされ、洗濯は社会的行事であった<ref name="ninomiya" />。(イギリス、ドイツなど伝染病が広がった歴史のある地域では)都市部の家庭の女性が自宅内で洗濯する場合は、かまどで煮沸しつつ棒でかきまわしつつ洗濯したり、あるいは床においた[[金属]]性の[[たらい|タライ]]に水と洗濯物を入れ、手で洗ったり足で踏んで、きれいな水ですすぐ、などといった方法が一般的だった。 {{Gallery|width = 300px |File:Léon Augustin Lhermitte - Lavoir.jpg|フランスの[[レアリスム]]画家 [[レオン・レルミット]]([[1844年]]-[[1925年]])が描いた洗濯の風景 |Lavoir de Bondigoux.jpg|[[南フランス]]に残る共同洗濯場 |File:Les merveilles de l'industrie, 1873 "L'atelier de savonnage dans un lavoir public, à Paris". (4859422435).jpg|フランスの共同洗濯場([[ジュール・フェラ]]画、1870年ころ)<ref name=Figuier/> |File:Laundry copper.jpg|イギリス [[イプスウィッチ]]に残る、衣類を[[煮沸]]しつつ洗濯するためのかまど。ヨーロッパでは[[ペスト]]が大流行したので、洗濯時に衣類を煮沸する方法が定着し、現代のヨーロッパの電気洗濯機にもしばしば「煮沸洗濯」の設定ボタンがある。 |Jahn Ekenaes Women doing laundry 1891.jpg|河を覆う氷にあけた穴で洗濯をする人々([[ノルウェイ]]、[[1891年]]の絵画) |File:Knight-Daniel-Ridgway-Women-Washing-Clothes-by-a-Stream.jpg|川の流れで洗濯する女性([[ダニエル・リッジウェイ・ナイト]]画、[[1898年]]ころ) |File:Laken wassende vrouw-Rijksmuseum RP-P-1956-628.jpeg|[[江戸時代]]中期、川で洗濯をする様子。[[鈴木春信]]画([[1770年]]頃) |File:Japanese women wash clothes, Japan. (10796577693).jpg|[[たらい]]で洗濯する女性(右)と物干し竿に[[和服|着物]]を干す女性(左) (日本、1925年 |File:Rhof-histWaschmaschine.ogv|動画。歴史的な手動洗濯機で洗う様子。お湯で洗う。 }} === 近現代 === 1930年代のアメリカでは一般家庭に電気と水道が供給されるようになり、[[電気洗濯機]]が普及した<ref name="ninomiya" />。[[先進国]]では洗濯機の普及とともに[[粉末]]の[[合成洗剤]]も使われるようになった。 {{Gallery|width = 300px |File:Caroline Augusta Lord-Acme Laundry in Cincinnati3.jpg|[[1911年]]のアメリカ、[[シンシナティ]]の洗濯風景。 |File:Washing machine with wringer Rural Electrification Administration USA 1930s.gif|[[1930年代]]のアメリカ |File:Bundesarchiv Bild 183-38136-0001, LPG Griesheim, Blick in die Wäscherei.jpg|1956年、ドイツ |File:Plastic spoon n Laundry detergent n Washing powder in white.jpg|20世紀に普及した粉状の合成洗剤。 }} == 家庭の洗濯用品 == ;洗浄のための機械・道具類 * 洗濯[[桶]] + [[洗濯板]] * [[洗濯機]] ( + [[洗濯ネット]] ) * 洗濯[[ブラシ]] * {{ill2|洗濯棒|en|Washing paddle}} ‐ 明治時代になって洗濯板が導入される以前は踏み洗い、洗濯棒で叩く洗い方をしていた<ref name=miyagi-reki>{{Cite web|和書|url=https://www.city.tome.miyagi.jp/rekihaku/i_new.html |title=デジタルミュージアム「昔のくらしと道具」 |access-date=2023-10-04 |website=www.city.tome.miyagi.jp}}</ref>。 ;洗浄剤、柔軟剤、ノリなど * [[洗剤]] * [[漂白剤]] * [[柔軟剤]] * [[洗濯糊]] * [[灰汁]]・石灰・[[アンモニア]]、無患子(むくろじ)の皮、さいかちの実<ref>{{Cite web|和書|url=https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000021953 |title=江戸時代、洗濯に石鹸と洗濯板を使用したか。 |access-date=2023-10-04 |last=国立国会図書館 |website=レファレンス協同データベース |language=ja}}</ref>、尿<ref>{{Cite web|和書|url=https://gigazine.net/news/20180405-ancient-roman-bathrooms/ |title=「尿を使って衣服を洗濯していた」など現代では想像できない古代ローマのトイレ事情とは? - GIGAZINE |access-date=2023-10-04 |date=2018-04-05 |website=gigazine.net |language=ja}}</ref>。 ;乾燥のための道具類 * [[物干し]]([[物干し竿]]、物干しロープ、[[物干しスタンド]]、[[洗濯ばさみ]]など) * [[エアサーキュレーター]]、[[扇風機]]、[[乾燥機]] * [[衣類乾燥機]] ;しわのばし * [[砧]](きぬた) ‐ 生乾きの状態の洗濯物を棒や槌で伸ばす道具。 * [[衣類スチーマー]] * [[アイロン]]、火熨斗(ひのし)、炭火アイロン ‐ 鍋やこて形で、中に炭火や燠を入れて、衣類を熱しながら、しわを伸ばす方法が取られた<ref>{{cite kotobank|火熨斗}}</ref><ref name=miyagi-reki/>。 <gallery> 20140418_washboard2.jpg|洗濯[[桶]] + [[洗濯板]] Jean-François Millet Les lavandières.jpg|[[ジャン=フランソワ・ミレー|作:ミレー]]。{{ill2|洗濯棒|en|Washing paddle}}を使っているケルト神話の洗濯婦{{ill2|Les Lavandières|en|Les Lavandières}} Top_Loading_Washing_Machine.png|[[洗濯機]] Laundry detergents.jpg|洗剤(近年は液状が一般的)、漂白剤、柔軟剤など Frýdlant, Jizerská, prádlo 01.jpg|[[物干し]] Clothespin-2459e.jpg|[[洗濯ばさみ]] Kinuta.jpg|砥石の上に置かれる皺伸ばしようの[[砧]] PuckMuseum24.JPG|煮洗い用の鍋{{ill2|Wash copper|en|Wash copper}}でかき混ぜるために使用された{{ill2|Posser|en|Posser}} </gallery> == 業者による洗濯 == {{節スタブ|date=2021年7月}} {{Gallery|width = 300px |File:Les merveilles de l'industrie, 1873 "Atellier des piles raffineuses et blanchisseuses". (4727232488).jpg|19世紀フランスの洗濯業者([[1870年]]ころ)<ref name=Figuier>[[ルイ・フィギエ|Louis Figuier]]著、Les merveilles de l'industrie, Tome 3 (1875)より</ref> |File:Superior Laundry, exterior and interior views, ca 1910 (SEATTLE 1795).jpg|[[1910年代]]、アメリカ、[[シアトル]]の洗濯業者。「Five Wagons Always At Your Service. (常時5台の荷[[馬車]]でお役に立ちます)」と書かれた、おそらく宣伝用のカード。 |File:Laundry in Wartime- the work of Gleniffer Laundry, Catford, London, England, UK, 1944 D23406.jpg|1944年、イギリス、ロンドン近郊キャットフォードの洗濯業者 |File:Industrial laundry sorting.jpg|現代の産業的な洗濯業者(洗濯工場)の例。飲食業界の洗濯物を引き受けている洗濯業者、病院のリネン類の洗濯ばかりを引き受ける洗濯業者...など業種の棲み分けをしていることも。 |File:Industrial laundry dryer.jpg|乾燥後、[[ベルトコンベアー]]から次々と落ちてくる洗濯物を受け止めている洗濯業者。 |File:Industrial laundry linen press, exit.jpg|現代の洗濯工場の乾燥機から落ちてくる洗濯物 }} == 比喩 == 「洗濯」という表現は、たとえば以下のように、比喩的にも使われる。 * 命の洗濯<ref>三省堂 2002『何でもわかる日本語便利帳』 p.341</ref> *心の洗濯<ref>山口鍾一 · 2005 『心の洗濯: 新潟県の四季素人の写真集』</ref><ref>[[アルボムッレ・スマナサーラ]] 、2008『こころの洗濯』</ref><ref>『東洋の知恵・[[内観]]: こころの洗濯法』1985 </ref> == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[クリーニング業法]] **[[クリーニング所]]、[[クリーニング業]] * [[コインランドリー]] * [[ドライクリーニング]] * [[洗張]] * [[乾燥]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline|Laundry}} * {{Wiktionary-inline|洗濯}} * {{PDFlink|[http://www.intertek.com/uploadedFiles/Intertek/Divisions/Consumer_Goods/Media/PDFs/Services/Low%20Res%20CompleteCareLabelling.pdf Caring about the consumers beyond the label]|636&nbsp;[[キビバイト|KiB]]}} [[インターテック (認証企業)|Intertek]] - 世界の洗濯等取扱い絵 * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:せんたく}} [[Category:洗濯|*]] [[Category:生活]] [[Category:家事]] [[Category:洗濯・理容・美容・浴場業]]
2003-03-29T09:08:48Z
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7月20日
7月20日(しちがつはつか、しちがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から201日目(閏年では202日目)にあたり、年末まであと164日ある。
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7月20日(しちがつはつか、しちがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から201日目(閏年では202日目)にあたり、年末まであと164日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月20日'''(しちがつはつか、しちがつにじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から201日目([[閏年]]では202日目)にあたり、年末まであと164日ある。 == できごと == [[ファイル:Lemke Skirmish with Polish Tatars.png|thumb|[[北方戦争]]、[[ワルシャワの戦い (1656年)|ワルシャワの戦い]](1656)]] [[ファイル:Alex_MacKenzie_from_Canada_by_land.jpg|thumb|探検家[[アレグザンダー・マッケンジー (探検家)|アレグザンダー・マッケンジー]](1764-1820)、[[カナダ]]横断を達成]] [[ファイル:Die_Seeschlacht_bei_Lissa.jpg|thumb|[[普墺戦争]]、[[リッサ海戦]](1866)]] [[ファイル:Bundesarchiv_Bild_183-R24391%2C_Konkordatsunterzeichnung_in_Rom.jpg|thumb|200px|[[ナチス・ドイツ]]副首相[[フランツ・フォン・パーペン]](左から二人目)とローマ教皇庁の[[ピウス12世 (ローマ教皇)|パチェッリ枢機卿]](右から3番目)の間で[[コンコルダート]]([[政教条約]])締結(1933)]] {{multiple image | footer = [[7月20日事件|ヒトラー暗殺未遂事件]](1944)。右画像は首謀者[[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]](上)の記念切手 | image1 = Bundesarchiv_Bild_146-1972-025-12%2C_Zerst%C3%B6rte_Lagerbaracke_nach_dem_20._Juli_1944.jpg | width1 = 200 | alt1 = 事件現場 | image2 = Claus_Schenk_Graf_von_Stauffenberg_-_Helmuth_James_Graf_von_Moltke.jpg | width2 = 160 | alt2 = クラウス・フォン・シュタウフェンベルクの記念切手 }} [[File:Apollo 11 Landing - first steps on the moon.ogv|thumb|260px|[[アポロ11号]]が[[月]]に到達し人類が初めて月面に降り立つ(1969)。{{Squote|これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。――[[ニール・アームストロング]](動画の最後に聞かれる)}}]] {{multiple image | footer = [[火星探査機]][[バイキング1号]]のランダーが火星に着陸(1976)、初の本格的な探査に成功。右画像は最初に送られてきた火星表面の映像 | image1 = Viking_lander_model.jpg | width1 = 120 | alt1 = ランダー | image2 = Mars Viking 12a001.png | width2 = 200 | alt2 = 火星表面の映像。右下にランダーのフットパッド }} [[ファイル:Aung San Suu Kyi 2016.jpg|thumb|100px|ビルマの民主化運動指導者[[アウンサンスーチー]]軟禁される(1989)]] [[ファイル:Osaka_Kaiyukan01s3872.jpg|thumb|水族館「[[海遊館]]」開館(1990)]] * [[514年]] - [[ホルミスダス (ローマ教皇)|ホルミスダス]]が[[教皇|ローマ教皇]]に即位。 * [[911年]] - [[ロロ]]が[[シャルトル]]を包囲。 * [[1402年]] - [[アンカラの戦い]]。 * [[1656年]] - [[北方戦争]]: [[ワルシャワの戦い (1656年)|ワルシャワの戦い]]が終結。 * [[1793年]] - [[探検家]][[アレグザンダー・マッケンジー (探検家)|アレグザンダー・マッケンジー]]が[[太平洋]]に到達し、初めて[[カナダ]]を横断した欧米人となる。 * [[1810年]] - {{仮リンク|クンディナマルカ自由国|es|Estado Libre de Cundinamarca|en|Free and Independent State of Cundinamarca}}が[[スペイン]]からの独立を宣言。([[コロンビア]]の独立記念日) * [[1846年]]([[弘化]]3年閏[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]) - アメリカの東インド艦隊司令長官[[ジェームズ・ビドル]]が浦賀に来航し通商を要求。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[ピーチツリークリークの戦い]]。 * [[1866年]] - [[普墺戦争]]: [[リッサ海戦]]。 * [[1876年]] - [[明治天皇]]が灯台監視船に乗っての東北地方巡幸を終え[[横浜港]]に帰着。(海の記念日、[[海の日]]の由来) *[[1894年]] - 総武鉄道(現在の[[総武本線]])[[市川駅]] - [[佐倉駅]]間が開業。市川駅、[[船橋駅]]、[[千葉駅]]、佐倉駅が開業。 * [[1906年]] - 日本初の[[専用線]]電話サービスが[[日本銀行]]と[[横浜正金銀行]]本店間で開始。 * 1906年 - [[ロシア帝国海軍]]の[[装甲巡洋艦|一等巡洋艦]]「[[パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)|パーミャチ・アゾーヴァ]]」で水兵らによる叛乱が発生(現地で使用していた[[ユリウス暦]])。[[ロシア帝国]]・[[バルチック艦隊|バルト艦隊]]で初めての叛乱事件。 * [[1907年]] - 福岡・[[豊国炭鉱]]で爆発事故。死者365人を出す明治期最悪の炭鉱事故となる。 * [[1912年]] - [[宮内省]]が、[[尿毒症]]で[[明治天皇]]が重体と官報で発表。東京株式市場が大暴落。 * [[1924年]] - [[パリ]]で[[国際チェス連盟]]が発足する。 * [[1925年]] - 東京放送局(現在の[[日本放送協会|NHK]])が初の[[各国語学講座|語学講座]]「基礎英語講座」を放送開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20111203051635/https://www.nhk.or.jp/museum/event/211091301.html|title=語学番組の変遷|publisher=[[日本放送協会|NHK]]|accessdate=2020-07-20}}</ref>。 * [[1927年]] - ルーマニア国王[[フェルディナンド1世 (ルーマニア王)|フェルディナンド1世]]が死去。孫で5歳の[[ミハイ1世 (ルーマニア王)|ミハイ1世]]が即位。 * [[1933年]] - [[ナチス・ドイツ]]の[[フランツ・フォン・パーペン]]副首相と[[ローマ教皇庁]]のパチェッリ[[枢機卿]](後の[[ピウス12世 (ローマ教皇)|ローマ教皇ピウス12世]])との間で[[コンコルダート]]締結。 * [[1936年]] - [[ボスポラス海峡]]・[[マルマラ海]]・[[ダーダネルス海峡]]の通航制度を定めた[[モントルー条約]]に調印。 * [[1939年]] - 石川県[[七尾市]]が市制施行。 * [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]: [[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]][[大佐]]らを首謀者とする[[ヒトラー暗殺計画|ヒトラー暗殺未遂事件]]が発生([[7月20日事件]])。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[太平洋戦争]]・[[日本への原子爆弾投下]]: [[アメリカ陸軍航空軍|アメリカ軍]]が[[パンプキン爆弾]]による[[原子爆弾]]投下訓練を開始。 * [[1947年]] - [[沖縄人民党]]結成。 * [[1948年]] - [[国民の祝日に関する法律]](祝日法)が公布・施行。9つの[[国民の祝日]]が誕生。 * [[1951年]] - [[エルサレム]]を訪問中の[[ヨルダン王の一覧|ヨルダン国王]][[アブドゥッラー1世]]が[[パレスチナ人]]に暗殺される。 * 1951年 - [[町田警察署]]に旧[[在日本朝鮮人連盟]]メンバー約150人が乱入。警察官7人が負傷<ref>「朝鮮人百五十人乱入」『日本経済新聞』昭和26年7月21日 3面</ref>。 * [[1952年]] - [[福井放送]](FBC)、「ラジオ福井」の愛称でラジオ放送開始。 * [[1954年]] - ヨーン事件。[[西ドイツ]]連邦憲法擁護庁 (BfV) 長官[[オットー・ヨーン]]が西ベルリンから失踪。23日、ラジオで[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]への亡命を表明。 * [[1955年]] - 経済審議庁を改組し[[経済企画庁]]が発足。 * [[1964年]] - [[トップレス]][[水着]]が[[軽犯罪法]]に反する旨を[[警察庁]]が[[通達]]。 * [[1967年]] - [[文化大革命]]: [[湖北省]][[武漢市]]で群衆が[[毛沢東]]らが滞在する宿舎などを包囲、これを切っ掛けとして市内各所で武力衝突が激化([[武漢事件]])。 * [[1968年]] - 第1回[[スペシャルオリンピックス]]夏季国際大会が[[シカゴ]]で開催。 * [[1969年]] - [[アポロ計画]]: 「[[アポロ11号]]」が、人類史上初めて[[月]]に到達<ref>{{Cite web|url=https://www.nasa.gov/mission_pages/apollo/apollo11.html|title=Apollo 11 July 20, 1969: One Giant Leap For Mankind|website=NASA|accessdate=2020-07-20}}</ref>。 * [[1971年]] - [[マクドナルド]]日本1号店が東京銀座の[[三越]]内に開店<ref name=entrance>{{Cite web|和書|url=https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK1303L_U1A710C1000000/|title=マクドナルド1号店は茅ケ崎の予定だった|publisher=NIKKEI STYLE|date=2011-07-15|accessdate=2020-07-20}}</ref>。 * 1971年 - 国産初の[[超音速]][[航空機]]である[[T-2 (航空機・日本)|T-2]]が初飛行を行った。 * [[1973年]] - [[ドバイ日航機ハイジャック事件]]。[[日本赤軍]]と[[パレスチナ解放人民戦線]]の混成部隊がパリ発羽田行きの[[日本航空]]機を[[ハイジャック]]。 * [[1974年]] - [[キプロス紛争]]: [[ギリシャ]]方によるクーデターの後初めて[[トルコ]]軍が[[キプロス]]領海内へ侵入し、爆撃を開始。[[国際連合安全保障理事会|国連安保理]]は即時停戦を決議。 * 1974年 - [[日本国有鉄道|国鉄]][[湖西線]]・[[山科駅]] - [[近江塩津駅]]間が開業。 * 1974年 - [[東京都]][[品川区]]に[[船の科学館]]が開館<ref>{{Cite web|和書|url=https://funenokagakukan.or.jp/#topabout|title=ABOUT/船の科学とは|publisher=船の科学館|accessdate=2020-07-20}}</ref>。 * [[1975年]] - [[沖縄国際海洋博覧会]]開幕。翌[[1976年]][[1月18日]]まで。 * [[1976年]] - アメリカの火星探査機「[[バイキング1号]]」のランダーが[[火星]]に着陸。 * [[1987年]] - 国連安保理が[[イラン・イラク戦争]]の即時停戦を決議([[国際連合安全保障理事会決議598|598号決議]])。 * [[1989年]] - ビルマの民主化運動指導者[[アウンサンスーチー]]が軍事政権により自宅[[軟禁]]下に置かれる<ref>{{Cite web|url=https://www.onthisday.com/people/aung-san-suu-kyi|title=Aung San Suu Kyi|website=On This Day|accessdate=2020-07-20}}</ref>。 * [[1990年]] - [[大阪府]][[大阪市]][[港区 (大阪市)|港区]]に水族館「[[海遊館]]」が開館。 * [[1992年]] - [[ヴァーツラフ・ハヴェル]]が[[チェコの大統領|チェコスロバキア大統領]]を辞任。 * [[1996年]] - [[海洋法に関する国際連合条約]]が、日本において発効。それと同時に[[海の日]]開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaiyo/law.html|title=海洋の国際法秩序と国連海洋法条約|publisher=[[外務省]]|date=2020-07-14|accessdate=2020-07-20}}</ref>。(2003年からは、7月第3月曜日) * [[2001年]] - [[宮崎駿]]の映画『[[千と千尋の神隠し]]』 が劇場公開。 * [[2003年]] - [[平成15年7月豪雨]]により、[[熊本県]][[水俣市]]で大規模な[[土石流災害]]が発生([[水俣市土石流災害]])。19人が死亡、7人が負傷した<ref>{{Cite web|和書|url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/72/|title=熊本県水俣市土石流災害(2003年)|publisher=[[Yahoo! JAPAN]]天気・災害|date=2003-07-20|accessdate=2020-07-20}}</ref>。 * 2006年 - ワールド・ジャンプ・デー[[世界時]](GMT)10時39分13秒「[[西半球]]で6億人の人が同時にジャンプして[[地球]]の軌道をずらし、[[地球温暖化]]をストップさせよう」という計画が行われた。 * [[2010年]] - [[大韓航空機爆破事件]]の実行犯[[金賢姫]]が来日。[[田口八重子]]らの拉致被害者の家族と面会するなどし、[[8月23日]]に帰国。 * [[2011年]] - [[Apple]]が[[Mac OS X v10.6]] (Snow Leopard) の次期[[オペレーティングシステム]]、[[Mac OS X Lion]]を[[Mac App Store]]にて一般ユーザー向けにリリース。 * [[2012年]] - [[アメリカ合衆国]][[コロラド州]]にて、[[オーロラ銃乱射事件]]が発生<ref>{{Cite web|和書|date=2012-07-21 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2100I_R20C12A7CC0000/ |title=容疑者は神経科学専攻の学生 米コロラド州銃乱射事件 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2020-07-20}}</ref>。12人が死亡、50人以上が負傷<ref>{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE86K00U20120721|title=米銃乱射容疑者は博士課程の医学生、映画の悪役名乗る|work=ロイター|publisher=[[ロイター]]|date=2012-07-21|accessdate=2020-10-23}}</ref>。 * [[2017年]] - [[サルバドール・ダリ]]の娘を名乗る人物の要請に応じた[[マドリード]]裁判所の判決によって、ダリのDNA型を採取すべく墓から遺体が掘り出された<ref>{{Cite web|和書|date=2017-07-21 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3136518 |title=巨匠ダリの遺骨掘り起こし検体採取、「一人娘」とのDNA鑑定へ |publisher=AFPBB News|accessdate=2020-07-20}}</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[ファイル:1D line.svg|260px]]}} {{multiple image | footer = 詩人・[[人文主義者]]、[[ペトラルカ]](1304-1374)誕生。右画像は手稿。 | image1 = Francesco-Petrarca.jpg | width1 = 140 | alt1 = ペトラルカ | image2 = Bundesarchiv_Bild_183-1985-0819-019%2C_Handschrift%2C_Francesco_Petrarca.jpg | width2 = 140 | alt2 = ペトラルカの手稿 }} {{multiple image | footer = [[遺伝学]]の祖、司祭[[グレゴール・ヨハン・メンデル]](1822-1884)誕生。右画像は[[メンデルの法則]]の図解 | image1 = Gregor_Mendel.png | width1 = 100 | alt1 = グレゴール・ヨハン・メンデル | image2 = Mendelian_inheritance.svg | width2 = 80 | alt2 = メンデルの法則 }} {{multiple image | footer = 画家[[マックス・リーバーマン]](1847-1935)。右画像は『海水浴する少年たち』(1898) | image1 = Max_Liebermann_1904.jpeg | width1 = 100 | alt1 = マックス・リーバーマン | image2 = Max_Liebermann_Boys_Bathing.jpg | width2 = 260 | alt2 = 『海水浴する少年たち』 }} {{multiple image | footer = [[南極]]探検家、[[白瀬矗]](1861-1946)。右画像は探検に用いられた[[開南丸]] | image1 = Nobu_Shirase.jpg | width1 = 120 | alt1 = 白瀬矗 | image2 = Kainan-Maru.JPG | width2 = 180 | alt2 = 開南丸 }} {{multiple image | footer = 飛行船・飛行機双方のパイオニア、飛行家[[アルベルト・サントス・デュモン]](1873-1932) | image1 =Alberto_Santos_Dumont.jpg | width1 = 120 | alt1 = 風刺画 | image2 = Santos - Nov12 1906.jpg | width2 = 240 | alt2 = 1906年の飛行 }} * [[紀元前356年]] - [[アレクサンドロス3世]]、マケドニア王国バシレウス (紀元前323年) * [[1304年]] - [[ペトラルカ]]、[[詩人]](+ [[1374年]]) * [[1659年]] - [[イアサント・リゴー]]、[[画家]](+ [[1743年]]) * [[1744年]] - [[ジョシュア・クレイトン]]、[[医師]]、[[政治家]](+ [[1798年]]) * [[1765年]]([[天明]]6年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[相馬祥胤]]、第9代[[相馬中村藩|中村藩主]](+ [[1816年]]) * [[1770年]]([[天明]]6年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[松平頼慎]]、第4代[[守山藩|守山藩主]](+ [[1830年]]) * [[1786年]]([[天明]]6年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[山内豊武]]、第3代[[土佐新田藩|土佐新田藩主]](+ [[1825年]]) * [[1804年]] - [[リチャード・オーウェン]]、[[生物学者]](+ [[1892年]]) * [[1819年]]([[文政]]2年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]) - [[徳川斉温]]、第11代[[尾張藩|尾張藩主]](+ [[1839年]]) * [[1822年]] - [[グレゴール・ヨハン・メンデル]]、遺伝学者、修道士(+ [[1884年]]) * [[1847年]] - [[マックス・リーバーマン]]、画家(+ [[1935年]]) * [[1861年]]([[文久]]元年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[白瀬矗]]、[[南極]]探険家(+ [[1946年]]) * [[1864年]] - [[ルッジェーロ・オッディ]]、[[解剖学者]]、[[生理学者]](+ [[1913年]]) * [[1866年]] ([[慶応]]2年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]])- [[二宮忠八]]、[[航空機]]研究者(+ [[1936年]]) * [[1871年]]([[明治]]4年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[中山平次郎]]、[[考古学者]](+ [[1956年]]) * [[1873年]] - [[アルベルト・サントス・デュモン]]、航空研究家(+ [[1932年]]) * [[1876年]] - [[北沢楽天]]、[[漫画家]]、[[日本画家]](+ [[1955年]]) * [[1889年]] - [[森幸太郎]]、[[政治家]](+ [[1964年]]) * [[1890年]] - [[ジョルジョ・モランディ]]、画家(+ [[1964年]]) * [[1896年]] - [[アダチ龍光]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%81%20%E7%AB%9C%E5%85%89-1637263 アダチ 竜光] [[コトバンク]] - 典拠は[[日外アソシエーツ]]『20世紀日本人名事典』など</ref>、[[マジシャン (奇術)|奇術師]](+ [[1982年]]) * 1896年 - [[ルドルフ・コーリッシュ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1978年]]) * [[1897年]] - [[タデウシュ・ライヒスタイン]]、[[科学者]](+ [[1996年]]) * [[1901年]] - [[ヘイニー・マナシュ]]、[[野球選手]](+ [[1971年]]) * [[1909年]] - [[田中義雄]]、[[プロ野球選手]](+ [[1985年]]) * [[1912年]] - [[糸川英夫]]、[[工学者]](+ [[1999年]]) * 1912年 - [[中内力]]、[[政治家]](+ [[2001年]]) * [[1914年]] - [[杉浦清]]、プロ野球選手(+ [[1987年]]) * [[1915年]] - [[景浦將]]、プロ野球選手(+ [[1945年]]) * [[1919年]] - [[エドモンド・ヒラリー]]、[[登山家]]、[[冒険家]](+ [[2008年]]) * [[1923年]] - [[今田智憲]]、[[アニメーション映画|アニメ]][[映画プロデューサー]](+ [[2006年]]) * [[1924年]] - [[松登晟郎]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[1986年]]) * [[1925年]] - [[フランツ・ファノン]]、思想家、精神科医、革命家(+ [[1961年]]) * 1925年 - [[ジャック・ドロール]]、[[経済学者]](+ [[2023年]]) * [[1926年]] - [[黒尾重明]]、元プロ野球選手(+ [[1974年]]) * [[1927年]] - [[ミヒャエル・ギーレン]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](+ [[2019年]]) * [[1928年]] - [[パヴェル・コホウト]]、[[小説家]]、[[劇作家]]、[[詩人]] * [[1930年]] - [[チャック・デイリー]]、[[NBA]]コーチ、[[バルセロナオリンピック]][[バスケットボール男子アメリカ合衆国代表|ドリームチーム]]の監督(+ [[2009年]]) * [[1931年]] - [[山中恒]]、[[児童文学作家]] * 1931年 - [[穂積隆信]]、[[俳優]]、[[声優]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dot.asahi.com/wa/2018102700030.html?page=1l|title=「積木くずし」穂積隆信さん、死去の7カ月前から生活保護に 所得税延滞金700万円抱え、年金0の壮絶晩年 (1/3) 〈週刊朝日〉|publisher=AERA dot. (アエラドット)|date=2018-10-28|accessdate=2020-12-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASLBN2WF2LBNUCVL001.html|title=俳優の穂積隆信さん死去 娘との実話「積木くずし」著者|publisher=朝日新聞デジタル|date=2018-10-20|accessdate=2020-11-21}}</ref><ref>{{Cite news |title=「積木くずし」穂積隆信さん、死去 胆のうがん87歳 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2018-10-20 |url=https://hochi.news/articles/20181020-OHT1T50079.html |accessdate=2020-10-31}}</ref>) * [[1932年]] - [[松山昇]]、元プロ野球選手 * 1932年 - [[ナム・ジュン・パイク]]、現代美術家(+ [[2006年]]) * 1932年 - [[吉成武雄]]、元プロ野球選手(+ [[1960年]]) * [[1934年]] - [[ウーヴェ・ヨーンゾン]]、[[小説家]](+ [[1984年]]) * 1934年 - [[山内鉄也]]、[[映画監督]](+ [[2010年]]) * [[1935年]] - [[西尾幹二]]、[[評論家]]、[[ドイツ文学者]] * [[1936年]] - [[原田忠幸]]、[[サクソフォーン|バリトン・サクソフォーン]]奏者 * [[1937年]] - [[緒形拳]]、俳優(+ [[2008年]]) * 1937年 - [[愛知和男]]、政治家 * [[1938年]] - [[尾崎洋二]]、[[天文学者]] * 1938年 - [[トニー・オリバ]]、元プロ野球選手 * 1938年 - [[ナタリー・ウッド]]、女優(+ [[1981年]]) * 1938年 - [[ダイアナ・リグ]]、女優 * [[1940年]] - [[三原新二郎]]、高校野球指導者 * 1940年 - [[萩野浩基]]、政治家(+ [[2015年]]) * [[1943年]] - [[北浜流一郎]]、株式アドバイザー、作家 * 1943年 - [[クリス・エイモン]]、レーシングドライバー(+ [[2016年]]) * [[1944年]] - [[田中章 (野球)|田中章]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[長谷川勝敏]]、元大相撲力士 * [[1945年]] - [[タイガー服部]]、元[[レフェリー]] * [[1946年]] - [[井上修 (内野手)|井上修]]、元プロ野球選手 * 1946年 - [[市川段四郎 (4代目)]]、歌舞伎役者(+ [[2023年]]) * [[1947年]] - [[津島勝]]、[[映画監督]](+ [[2011年]]) * 1947年 - [[カルロス・サンタナ]]、ギタリスト * [[1948年]] - [[稲見哲男]]、政治家 * 1948年 - [[桂春団治 (4代目)]]、落語家 * [[1949年]] - [[間寛平]]、[[お笑いタレント]]、俳優 * 1949年 - [[藤田一枝]]、政治家 * 1949年 - [[金子マーティン]]、[[社会学者]] * [[1950年]] - [[松村彰士]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[松坂慶子]]、女優 * 1952年 - [[高浦美佐緒]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[倉持明]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[鈴木聖美]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、歌手 * 1952年 - [[松盛茂]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[森口益光]]、元プロ野球選手 * 1953年 - [[久保正彰 (アナウンサー)|久保正彰]]、アナウンサー * 1953年 - [[トーマス・フリードマン]]、ジャーナリスト * [[1954年]] - [[グエン・スアン・フック]]、政治家、第7代[[ベトナムの首相|ベトナム首相]]、第10代国家主席 * [[1955年]] - [[八波一起]]、司会者 * 1955年 - [[トーマス・ヌコノ]]、元サッカー選手 * 1955年 - [[藤原智美]]、作家 * [[1956年]] - [[石橋凌]]、俳優 * 1956年 - [[浦山迅]]、声優、俳優 * 1956年 - [[ミマ・ヤウソベッツ]]、元テニス選手 * [[1957年]] - [[かおりくみこ]]、歌手 * 1957年 - [[佐和タカシ]]、俳優 * 1957年 - [[石井洋祐]]、俳優 * [[1958年]] - [[北島健二]]、ミュージシャン、[[ギタリスト]]([[FENCE OF DEFENSE]]、[[PEARL (バンド)|PEARL]]) * 1958年 - [[君波隆祥]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[平辻朝子]]、女優、声優 * 1960年 - [[マイク・ウィット]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[佐々木睦]]、俳優、声優 * 1961年 - [[西尾芳彦]]、作曲家、作詞家、音楽プロデューサー * [[1962年]] - [[中川勝彦]]、俳優、歌手(+ [[1994年]]) * 1962年 - [[山崎賢一]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[玄岡正充]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[ジョバンナ・アマティ]]、レーシングドライバー * [[1963年]] - [[森山良二]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[アレクサンドル・ズーリン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1964年]] - [[ディーン・ウィンタース]]、俳優 * 1964年 - [[桂歌蔵]]、落語家 * [[1965年]] - [[日詰正文]]、言語聴覚士 * [[1966年]] - [[藤島ジュリー景子]]、元女優、実業家 * 1966年 - [[赤坂芳恵]]、元アイドル * 1966年 - [[楠芳伸]]、警察官僚 * 1966年 - [[ストーン・ゴッサード]]、ミュージシャン([[パール・ジャム]]他) * 1966年 - [[山口敏太郎]]、作家、オカルト研究家 * [[1967年]] - [[荒井晶子]]、女優、歌手 * [[1968年]] - [[長谷高成泰]]、元野球選手 * 1968年 - [[パスカル・ラヴァンシー]]、フィギュアスケート選手 * 1968年 - [[柏木広樹]]、チェリスト * 1968年 - [[日野晃博]]、ゲームクリエイター * 1968年 - [[梶田茂生]]、元野球選手 * 1968年 - [[樽見金典]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[川島堅]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[ジョシュ・ホロウェイ]]、俳優 * 1969年 - [[谷口英規]]、元野球選手、指導者 * [[1970年]] - [[藺草英己]]、アナウンサー * [[1971年]] - [[佐々木明義]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[田中健二 (お笑い芸人)|田中健二]]、[[タレント]] * 1971年 - [[江井康胤]]、野球選手 * [[1972年]] - [[魏涼子]]、女優、声優 * 1972年 - [[野田美佳子]]、アナウンサー * [[1973年]] - [[小川範子]]、女優、歌手 * 1973年 - [[ピーター・フォースバーグ]]、アイスホッケー選手 * 1973年 - [[ヴェサ・ランタ]]、音楽家、写真家、グラフィックデザイナー * 1973年 - [[橋本信治]]、[[プロ野球審判員]] * [[1974年]] - [[ベンジー・モリーナ]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[児島玲子]]、タレント * 1974年 - [[サイモン・レックス]]、俳優 * [[1975年]] - [[レイ・アレン]]、バスケットボール選手 * [[1976年]] - [[はなわ]]、お笑いタレント * [[1977年]] - [[三都主アレサンドロ]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[大田正樹]]、俳優 * [[1978年]] - [[佳村さちか]]、歌手、女優、モデル * 1978年 - [[川島眞也]]、元サッカー選手 * [[1980年]] - [[堤内健]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[ジゼル・ブンチェン]]、[[スーパーモデル]] * 1980年 - [[加藤和恵]]、漫画家 * 1980年 - [[丹野祐樹]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[古藤真彦]]、俳優 * [[1981年]] - [[由田慎太郎]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[宍戸ヴィシャス]]、お笑い芸人 * [[1982年]] - [[高津カリノ]]、[[漫画家]] * 1982年 - [[上原歩]]、ファッションモデル * 1982年 - [[ジェイク・フォックス]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[深澤しほ]]、女優 * 1983年 - [[阪田智靖]]、声優、俳優 * 1983年 - [[島村まみ]]、ファッションモデル * 1983年 - [[レスリー・ナカル]]、野球選手 * [[1984年]] - [[佐野泰臣]]、俳優 * 1984年 - [[富松崇彰]]、バレーボール選手 * 1984年 - [[鈴木涼子]]、タレント * 1984年 - [[沖佳苗]]、声優、女優 * [[1985年]] - [[折井あゆみ]]、声優、女優、元[[アイドル]](元[[AKB48]]) * 1985年 - [[平松千花]]、アナウンサー * 1985年 - [[イェウヘン・セレズニョウ]]、サッカー選手 * 1985年 - [[加藤潤一]]、俳優 * [[1986年]] - [[ホルヘ・パドロン]]、野球選手 * [[1987年]] - [[鯨井康介]]、俳優、声優 * 1987年 - [[伊藤みき]]、元スキー選手 * 1987年 - [[岩尾利弘]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[スティーブン・ストラスバーグ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[松元恵美]]、ミュージカル俳優 * 1988年 - [[タイ・ケリー]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[尻無浜冴美]]、モデル、タレント(元[[SDN48]]) * 1989年 - [[クリスティアン・パスクアート]]、サッカー選手 * 1989年 - [[タイラー・サラディーノ]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[川原真琴]]、元ファッションモデル * 1990年 - [[蜂須賀孝治]]、サッカー選手 * 1990年 - [[横澤夏子]]、お笑いタレント * 1990年 - [[矢田千夏]]、女優 * 1990年 - [[東慶悟]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ワンディ・ルナール]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ラース・ウンナーシュタル]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ウィリアム・トゥポウ]]、ラグビー選手 * [[1991年]] - 大鶴肥満、お笑いタレント([[ママタルト]]) * 1991年 - [[茶島雄介]]、サッカー選手 * 1991年 - [[千代翔馬富士雄]]、大相撲力士 * [[1992年]] - [[和田凌太]]、元プロ野球選手 * [[1993年]] - [[斉藤優里]]、元タレント、元アイドル(元[[乃木坂46]]) * [[1994年]] - [[アンソニー・アルフォード]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[小幡和輝]]、起業家 * 1994年 - [[具智元]]、ラグビー選手 * [[1995年]] - [[石川亮]]、プロ野球選手 * 1995年 - [[砂田毅樹]]、プロ野球選手 * [[1996年]] - [[小川雄勢]]、柔道家 * [[1998年]] - [[大久保桜子]]、女優 * 1998年 - [[張俊 (競歩選手)|張俊]]、陸上競技選手<ref>{{cite web|url=https://www.worldathletics.org/athletes/_/14714603|title=Jun ZHANG|publisher=World Athletics|accessdate=2021-08-08}}</ref> * 1998年 - [[徳本夏恵]]、ファッションモデル * [[2004年]] - [[葵るり]]、アイドル([[ukka]]) * 2004年 - [[折田涼夏]]、[[YouTube]]、[[TikToker]] * 2004年 - [[西條妃華]]、女優 * [[2005年]] - [[中山夏月姫]]、アイドル([[OCHA NORMA]]) {{-}} == 忌日 == {{multiple image | footer = フランス王「敬虔王」[[ロベール2世 (フランス王)|ロベール2世]](972-1031)没 | image1 = Robert le Pieux Orléans.jpg | width1 = 100 | alt1 = ロベール2世 | image2 = | width2 = 100 | alt2 = 横臥像 }} {{multiple image | image1 = Emperor_Toba.jpg | width1 = 80 | alt1 = 鳥羽天皇 | caption1 = 第74代天皇、[[鳥羽天皇]](1103-1156)没 | image2 = Burgos_-_Cartuja_de_Miraflores_-_Tumba_de_Juan_II_de_Castilla.jpg | width2 = 100 | alt2 = フアン2世 | caption2 = カスティーリャ王[[フアン2世 (カスティーリャ王)|フアン2世]](1405-1454)没 }} {{multiple image | footer = [[琳派]]の始祖、画家・工芸家[[尾形光琳]](1658-1716)没 | image1 = Irises_screen_1.jpg | width1 = 200 | alt1 = 燕子花図 | caption1 = 燕子花図 | image2 = Red_Prunus_Korin.jpg | width2 = 140 | alt2 = 紅白梅図屏風(紅梅図) | caption2 = 紅白梅図屏風(紅梅図) }} [[ファイル:Georg_Friedrich_Bernhard_Riemann.jpeg|thumb|100px|数学者[[ベルンハルト・リーマン]](1826-1866)]] [[ファイル:Iwakura_500JPY.jpg|thumb|180px|公家・政治家、[[岩倉具視]](1825-1883)]] {{multiple image | footer = 詩人[[ポール・ヴァレリー]](1871-1945)没。右画像はヴァレリーの眠る、出身地[[セット (エロー県)|セット]]の[[地中海]]沿岸の墓地。 | image1 = Paul_Val%C3%A9ry.jpg | width1 = 80 | alt1 = ポール・ヴァレリー | image2 = Sete cimetiere marin.JPG | width2 = 180 | alt2 = 海辺の墓地 }} {{multiple image | footer = 映画俳優、[[ブルース・リー]](1940-1973)没 | image1 = Bruce_Lee_Stencil.jpg | width1 = 100 | alt1 = ブルース・リー | image2 = BruceLee_T.JPG | width2 = 70 | alt2 = 墓 }} * [[1031年]] - [[ロベール2世 (フランス王)|ロベール2世]]、[[フランス王国|フランス]]王(* [[972年]]) * [[1156年]]([[保元]]元年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - [[鳥羽天皇]]、第74代[[天皇]](* [[1103年]]) * [[1454年]] - [[フアン2世 (カスティーリャ王)|フアン2世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王(* [[1405年]]) * [[1496年]]([[明応]]5年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[大友政親]]、[[戦国大名]](* [[1444年]]) * [[1524年]] - [[クロード・ド・フランス]]、フランス王[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]の王妃(* [[1499年]]) * [[1616年]]([[元和 (日本)|元和]]2年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[本多正信]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[玉縄藩|玉縄藩主]](* [[1538年]]) * [[1650年]]([[慶安]]3年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[岩佐又兵衛]]、[[絵師]](* [[1578年]]) * [[1716年]]([[享保]]元年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[尾形光琳]]、[[美術家|日本画家]](* [[1658年]]) * [[1752年]] - [[ヨハン・クリストフ・ペープシュ]]、[[作曲家]](* [[1667年]]) * [[1823年]]([[文政]]6年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[石塚龍麿]]、[[国学者]](* [[1764年]]) * [[1866年]] - [[ベルンハルト・リーマン]]、[[数学者]](* [[1826年]]) * [[1883年]] - [[岩倉具視]]、[[政治家]]、[[明治維新]]の元勲(* [[1825年]]) * [[1888年]] - [[パウル・ランゲルハンス]]、[[医学者]]、[[生物学者]](* [[1847年]]) * [[1889年]] - [[グスタフ・ランゲ]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](* [[1830年]]) * [[1892年]] - [[松井つね]]、[[新選組]]局長[[近藤勇]]の正妻(* [[1837年]]) * [[1903年]] - [[レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世]]、[[教皇|ローマ教皇]](* [[1810年]]) * [[1908年]] - [[ディミトリオス・ヴィケラス]]、[[国際オリンピック委員会]]初代会長(* [[1835年]]) * [[1913年]] - [[林董]]、第21代[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]、[[逓信省#歴代大臣|逓信大臣]](* [[1850年]]) * [[1923年]] - [[細川潤次郎]]、[[法学者]]、[[司法大輔]]、教育家(* [[1834年]]) * 1923年 - [[パンチョ・ビリャ]]、[[革命家]](* [[1878年]]) * [[1926年]] - [[フェリックス・ジェルジンスキー]]、[[ソビエト連邦]]の[[秘密警察]]創始者(* [[1877年]]) * [[1927年]] - [[フェルディナンド1世 (ルーマニア王)|フェルディナンド1世]]、[[ルーマニア国王]](* [[1865年]]) * [[1937年]] - [[グリエルモ・マルコーニ]]、[[科学者]](* [[1874年]]) * [[1944年]] - [[ヴェルナー・フォン・ヘフテン]]、ドイツ陸軍少尉(* [[1908年]]) * [[1945年]] - [[ポール・ヴァレリー]]、[[詩人]]・批評家(* [[1871年]]) * [[1951年]] - [[ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1882-1951)|ヴィルヘルム]]、[[ドイツ帝国|ドイツ]][[皇太子]](* [[1882年]]) * 1951年 - [[アブドゥッラー1世]]、[[ヨルダン]]王(* [[1882年]]) * [[1959年]] - [[ウィリアム・リーヒ]]、[[アメリカ海軍]][[元帥]](* [[1875年]]) * [[1962年]] - [[暁テル子]]、[[歌手]](* [[1921年]]) * [[1967年]] - [[モリス・スワデシュ]]、[[言語学者]](* [[1909年]]) * [[1968年]] - [[ヨーゼフ・カイルベルト]]、[[指揮者]](* [[1908年]]) * [[1973年]] - [[ブルース・リー]]、武道家、[[截拳道]]創始者、[[映画俳優]](* [[1940年]]) * 1973年 - [[ロバート・スミッソン]]、[[現代美術家]](* [[1938年]]) * 1973年 - [[ミハイル・イサコフスキー]]、詩人(* [[1900年]]) * [[1977年]] - [[藪田貞治郎]]、[[化学者]](* [[1888年]]) * [[1980年]] - [[オコト・ビテック]]、[[作家]]、[[詩人]]、[[社会学者]]、[[サッカー選手]](* [[1931年]]) * [[1983年]] - [[富松信彦]]、元[[プロ野球選手]](* [[1917年]]) * [[1987年]] - [[有島一郎]]、[[俳優]](* [[1916年]]) * [[1990年]] - [[セルゲイ・パラジャーノフ]]、[[映画監督]](* [[1924年]]) * [[1993年]] - [[ビンス・フォスター]]、[[弁護士]](* [[1945年]]) * 1993年 - [[津田恒実]]、プロ野球選手(* [[1960年]]) * [[1994年]] - [[ポール・デルヴォー]]、[[画家]](* [[1897年]]) * [[1998年]] - [[秋野豊]]、[[政治学者]](* [[1950年]]) * 1998年 - [[大原恒一]]、[[ロシア文学者]]、[[翻訳家]]、[[評論家]]、元[[コロンビア大学]][[客員教授]]、[[実業家]](* [[1920年]]) * [[2000年]] - [[アイベン・アール]]、画家(* [[1916年]]) * [[2005年]] - [[ジェームズ・ドゥーアン]]、俳優(* [[1920年]]) * 2005年 - [[カヨ・マタノ・ハッタ]]、映画監督(* [[1958年]]) * [[2007年]] - [[カイ・シーグバーン]]、[[物理学者]](* [[1918年]]) * [[2009年]] - [[山門敬弘]]、[[ライトノベル作家]](* 不明) * [[2010年]] - [[早乙女愛]]、女優(* [[1958年]]) * [[2011年]] - [[伊藤利夫]]、元プロ野球選手、高校野球指導者(* [[1922年]]) * [[2013年]] - [[ヘレン・トーマス]]、記者(* [[1920年]]) * 2013年 - [[野上龍雄]]、[[脚本家]](* [[1928年]]) * 2013年 - [[武哲山剛]]、[[大相撲力士]](* [[1971年]]) * [[2015年]] - [[鶴見俊輔]]、[[哲学者]](* [[1922年]]) * [[2017年]] - [[チェスター・ベニントン]]、歌手、ミュージシャン([[リンキン・パーク]])(* [[1976年]]) * 2017年 - [[山野浩一]]、[[小説家]]、[[競馬評論家]](* [[1939年]]) * [[2018年]] - [[又吉イエス]]、[[政治家]](* [[1944年]]) * [[2020年]] - [[坪山豊]]、[[唄者]]、[[作曲家]](* [[1930年]]) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[コロンビア]]の独立記念日。1810年に[[スペイン]]からの{{仮リンク|コロンビアの独立宣言|en|Colombian Declaration of Independence|label=独立を宣言}}。{{audio|United States Navy Band - ¡Oh, gloria inmarcesible!.ogg|国歌を聴く}} | image1 = Colombia_(orthographic_projection).svg | width1 = 100 | alt1 = コロンビアの位置 | caption1 = コロンビア | image2 = Congreso_de_Cúcuta.jpg | width2 = 140 | alt2 = 独立の英雄たち | caption2 = 独立の英雄たち }} {{multiple image | footer = [[アポロ11号]]、[[月]]に到達(1969) | image1 = Apollo_11_Lunar_Module_Eagle_in_landing_configuration_in_lunar_orbit_from_the_Command_and_Service_Module_Columbia.jpg | width1 = 100 | caption1 = 月面に向かう着陸船イーグル | image2 = Armstrong on Moon (As11-40-5886) (cropped).jpg | width2 = 100 | caption2 = 月面で作業するアームストロング | image3 = Land_on_the_Moon_7_21_1969-repair.jpg | width3 = 100 | caption3 = 翌日の報道 }} * [[独立記念日]]({{COL}}) *: [[1810年]]のこの日、コロンビアが[[スペイン]]からの独立を宣言した。 * 月面着陸の日 *: [[1969年]]のこの日、[[アポロ11号]]が月面に着陸し、人類が初めて月面に降り立った。日本時間では[[7月21日]]早朝であるため、7月21日を月面着陸の日としている書籍もある。 * 海の記念日({{JPN}}、[[1941年]] - [[1995年]])、[[海の日]]({{JPN}}、[[1996年]] - [[2002年]]・[[2009年]]・[[2015年]]) *: [[1876年]]7月20日に[[明治天皇]]が東北地方の巡幸を終えて、それまでの軍艦ではなく初めて灯台巡視の汽船によって航海して横浜港に帰港したことに記念し、[[1941年]]に当時の[[村田省蔵]][[逓信大臣]]の提唱により制定された。[[1996年]]に[[海の日]]と名前を変えて[[国民の祝日]]となり、[[国民の祝日に関する法律|祝日法]]の改正により、[[2003年]]から「海の日」は7月の第3月曜日となっている。なお、[[2009年]]、[[2015年]]のように、7月の第3月曜日が従前の「7月20日」になる場合もある。 * [[ハンバーガー]]の日({{JPN}}) *: [[1971年]]のこの日、東京・銀座の三越内に日本初のハンバーガーチェーンである[[日本マクドナルド]]の1号店が開店した<ref name=entrance/>。 * 夏割りの日({{JPN}}) *: 和酒、洋酒を好きな飲料で割って夏を楽しんでもらいたいと、[[麒麟麦酒|キリンビール株式会社]]が制定。日付は、7と20で夏割りと読む語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=28|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * [[ファクシミリ]]記念日({{JPN}}) *: [[1981年]]のこの日、[[郵政省]]が東京・名古屋・大阪の三都市間でファクシミリ電送業務を開始した。 * [[Tシャツ]]の日({{JPN}}) *: 愛知県のファッションメーカー・ファッションミシマヤが制定。[[T]]がアルファベットの20番目の文字であり、また、「海の記念日」がTシャツのイメージにふさわしいことから。 * [[修学旅行]]の日({{JPN}}) *:[[1899年]]のこの日、[[山梨師範学校|山梨女子師範学校]]の教師と生徒22人が[[京都府]]、[[奈良県]]、[[伊勢神宮|伊勢]]への「体力養成実地修学」の旅に出発し、これが女子で日本初の修学旅行となったといわれている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bonds-dgc.com/2017/07/18/%E3%81%93%E3%81%AE%E6%97%A5-%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%AE%E6%97%A5-7%E6%9C%8820%E6%97%A5/|title=【この日、なんの日?】7月20日|work=[[東京メトロ]]|date=2017-07-18|accessdate=2020-07-28}}</ref>。 * [[ビリヤード]]の日({{JPN}}) *: [[1955年]]のこの日に、国会で[[撞球場|ビリヤード場]]を[[風俗営業法]]の適用対象外とする法案が可決されたことを記念。ビリヤードをスポーツ化するために尽力した[[真鍋儀十]]は撞球純正スポーツの父と呼ばれる。 * [[中小企業]]の日({{JPN}}) *:2019年に施行。中小企業基本法の公布・施行日である7月20日を「中小企業の日」、7月の1ヶ月間を「中小企業魅力発信月間」となっている。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0720|date=2011年6月}} === 誕生日(フィクション) === * [[1981年]] - 宮前遥、漫画『[[はるか17]]』の主人公 * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]505年 - ヴィクトル・オークヴィル、ゲーム『[[スターオーシャン5 -Integrity and Faithlessness-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=77|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - 九ノ瀬宙太、漫画・アニメ『[[エルドライブ【ēlDLIVE】]]』の主人公 * 生年不明 - 岬明乃、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|work=TVアニメ「ハイスクール・フリート」公式サイト |url=https://www.hai-furi.com/character/01_01/ |title=岬 明乃|CHARACTER |accessdate=2022-09-12 |publisher=AAS/新海上安全整備局}}</ref> * 生年不明 - 友希あいね、ゲーム・アニメ『[[アイカツフレンズ!]]』の主人公のひとり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/aikatsufriends_01/character/aine.html |title=友希 あいね CV:松永 あかね |access-date=2022-09-12 |publisher=『アイカツフレンズ!』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 碧井風夏、漫画『[[風夏]]』に登場するヒロインのひとり<ref>{{Twitter status|seokouji|887894435433861120}}</ref> * 生年不明 - 海藤みなみ(キュアマーメイド)、アニメ『[[Go!プリンセスプリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/character/curemermaid.php |work=『Go!プリンセスプリキュア』 |title=海藤 みなみ キュアマーメード |accessdate=2023-01-19 |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - [[碧志摩メグ]]、[[三重県]][[志摩市]]のPRを担う公認キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ama-megu.com/ |title=碧志摩メグ |access-date=2022-09-12 |publisher=伊勢志摩海女萌えキャラクター 『碧志摩 メグ』 公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 城崎亜莉咲、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/kinosaki_arisa |title=兵庫 城崎亜莉咲 |work=『温泉むすめ』 |accessdate=2022-01-19 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref> * 生年不明 - ジョバンニ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/giovanni.html |title=ジョバンニ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-12 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 星海坊主/神晃、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 平善之、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1549410243549052930}}</ref> * 生年不明 - 財前光、ゲーム『[[テニスの王子様|新テニスの王子様 RisingBeat]] 』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|risingbeat_app|1417137415471329282}}</ref> * 生年不明 - 及川徹、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|date=2012-08-03|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088704821|volume=2巻|page=154}}</ref> * 生年不明 - [[暗殺教室#主要生徒|潮田渚]]、漫画・アニメ『[[暗殺教室]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#岸朝霞|岸朝霞]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=160|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - 小森大介、漫画・アニメ『[[MAJOR]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[りぶねす#水無月真琴|水無月真琴]]、漫画『[[りぶねす]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=堂本裕貴|authorlink=堂本裕貴|date=2018-04-09|title=りぶねす|volume=10巻|page=192|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社コミックス]]|isbn=978-4065112724}}</ref> * 生年不明 - ポセイドン、漫画・アニメ『[[魔王城でおやすみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|maoujo_anime|1417378746781167617}}</ref> * 生年不明 - 大島留々、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』8巻 株式会社[[芳文社]].2020年.カバー裏</ref> * 生年不明 - [[おおきく振りかぶっての登場人物#野球部員|沖一利]]、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2008-05-01|title=おおきく振りかぶって|page=15|publisher=[[主婦と生活社]]|series=生活シリーズ―PASH!アニメーションファイル|isbn=978-4391626438}}</ref> * 生年不明 - 日下部みさお、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、漫画・アニメ『[[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - クロエ・フォン・アインツベルン、漫画・アニメ『[[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 美遊・エーデルフェルト、漫画・アニメ『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』に登場するキャラクター * 生年不明 - 立花マリン、漫画・アニメ『[[オオカミ少女と黒王子]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 阿波根うみこ 、漫画・アニメ『[[NEW GAME!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://newgame-anime.com/character/ |title=CHARACTER|阿波根うみこ |publisher=NEW GAME!!製作委員会 |accessdate=2022-09-12 |work=TVアニメ『NEW GAME!!』オフィシャルサイト}}</ref> * 生年不明 - 桜井美景 、漫画・アニメ『[[恋する小惑星]]』に登場するキャラクター<ref name="OfficialChara04">{{Cite web|和書|url=http://koiastv.com/chara04.html|title=Character 桜井美景|work=TVアニメ「恋する小惑星」公式サイト|publisher=星咲高校地学部|accessdate=2023-07-20}}</ref> * 生年不明 - ミネルヴァ、小説・アニメ『[[Re:ゼロから始める異世界生活]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 一之瀬帆波、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/ichinose.html |title=一之瀬 帆波 |accessdate=2023-01-19 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』 |publisher=MF文庫J [[衣笠彰梧]]・[[KADOKAWA]]刊/ようこそ実力至上主義の教室へ製作委員会}}</ref> * 生年不明 - アンドリュー・バルトフェルド、アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - リヴァル・カルデモンド、アニメ『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|geass_game|1549408723893977091}}</ref> * 生年不明 - 三宅日向、アニメ『[[宇宙よりも遠い場所]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 趙金雲、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2022-09-12}}</ref> * 生年不明 - 鈴原・くるみ、アニメ『[[戦翼のシグルドリーヴァ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sigururi|1321068111823425536}}</ref> *生年不明 - スペイシーっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=講談社|editor-link=講談社|date=2010-01-20|title=Tamagotchi iD らくらく育て方ガイド|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4063648140|page=52}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author1=ウィズ (玩具)|ウィズ|authorlink1=ウィズ (玩具)|ウィズ|author2=バンダイ(監修)|authorlink2=バンダイ|date=2011-11-01|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4097510482|page=21}}</ref> *生年不明 - 海野聡、ゲーム・アニメ『[[学園ヘヴン BOY'S LOVE HYPER!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://spray.product.co.jp/product/heaven/umino.html |title=海野聡 |access-date=2022-09-12 |publisher=Spray |work=学園ヘヴンPC版}}</ref> *生年不明 - 古河秋生 、ゲーム・漫画・アニメ『[[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 伊吹風子 、ゲーム・漫画・アニメ『CLANNAD』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小笠原千花、ゲーム・アニメ『[[真剣で私に恋しなさい!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.minatosoft.com/majikoi/ |title=登場人物 2ーF 小笠原 千花 |access-date=2022-09-12 |publisher=みなとそふと |work=真剣で私に恋しなさい!}}</ref> * 生年不明 - 春花、ゲーム『[[閃乱カグラ -少女達の真影-|閃乱カグラ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://senrankagura.marv.jp/shinovishoujyo/chara/?haruka&mode=1 |title=春花 |access-date=2022-09-12 |publisher=Marvelous Inc.HONEY PARADE GAMES Inc. |work=閃乱カグラ シノビ少女図鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#龍崎薫|龍崎薫]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/20187 |title=龍崎 薫(りゅうざき かおる) |access-date=2023-01-19 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 杉坂海、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20091 |title=杉坂 海(すぎさか うみ) |access-date=2023-01-19 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 栢嶋乙女、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gf_kari_music|755416954056298496}}</ref> * 生年不明 - 橘響子、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130731_197463/ |title=【ガールフレンド(仮)通信82】チビっこ先生はおっちょこちょい!? 橘響子先生(CV:新谷良子) |access-date=2022-09-12 |publisher=ファミ通App}}</ref> * 生年不明 - 久遠寺シズカ、ゲーム・映画『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://t7s.jp/character/chara/08.html |title=久遠寺シズカ |access-date=2022-09-12 |publisher=DONUTS Co. |work=Tokyo 7th シスターズ}}</ref> * 生年不明 - 神楽亜貴、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_revel.html |title=Revel 神楽亜貴 |accessdate=2022-09-12 |website=TVアニメ『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』公式サイト |publisher=coly/SMHP}}</ref> * 生年不明 - 兵頭九門、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=[夏組]兵頭 九門 |accessdate=2022-09-12 |publisher=Liber Entertainment Inc. |website=『A3!』}}</ref> * 生年不明 - 古波蔵棗、ゲーム・アニメ『[[結城友奈は勇者である 花結いのきらめき]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://yuyuyui.jp/character/character17.html |title=古波蔵 棗 |work=『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』 |accessdate=2023-01-19 |publisher=[[KADOKAWA]] altplus}}</ref> * 生年不明 - エルマ、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/jounetsutaikai/elma/ |title=エルマ |access-date=2023-01-19 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - 林憲明、メディアミックス作品『[[博多豚骨ラーメンズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://note.com/kisakichiaki/n/n45700921bd7f |title=『博多豚骨ラーメンズ』のキャラクター設定について |accessdate=2022-09-12 |publisher=木崎ちあき |website=note}}</ref> * 生年不明 - 嶋葵、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://posweb.jp/pos/character/mihashi/03.html |title=三橋高校|嶋葵 |access-date=2023-01-19 |publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |work=『プリンス・オブ・ストライド』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 20|20 July}} {{新暦365日|7|19|7|21|[[6月20日]]|[[8月20日]]|[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]|0720|7|20}} {{1年の月と日}}
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9月20日
9月20日(くがつはつか、くがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から263日目(閏年では264日目)にあたり、年末まであと102日ある。
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{{カレンダー_9月}} '''9月20日'''(くがつはつか、くがつにじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から263日目([[閏年]]では264日目)にあたり、年末まであと102日ある。 == できごと == [[ファイル:Bataille de Valmy ag1.jpg|thumb|200px|[[1792年]]、[[ヴァルミーの戦い]]]] [[File:UnyoBattle.jpg|thumb|200px|[[1875年]]、[[江華島事件]]]] * [[紀元前480年]] - [[サラミスの海戦]]([[9月29日]]説あり)。[[アテネ]]南西の水道で[[ギリシャ]]軍が約2倍の[[ペルシャ]]軍を撃滅。 * [[1058年]] - [[アグネス・フォン・ポワトゥー]]と[[ハンガリー君主一覧|ハンガリー王]][[アンドラーシュ1世 (ハンガリー王)|アンドラーシュ1世]]が[[ブルゲンラント州|ブルゲンラント]]の国境についての会合を行う。 * [[1066年]] - [[フルフォードの戦い]]。 * [[1187年]] - [[サラーフッディーン|サラディン]]による{{仮リンク|エルサレム包囲戦 (1187年)|en|Siege of Jerusalem (1187)}}が開始。 * [[1260年]] - プロイセン人による[[ドイツ騎士団]]に対する{{仮リンク|プロイセン大反乱|en|Great Prussian Uprising}}が始まる。 * [[1336年]]([[延元]]元年/[[建武 (日本)|建武]]3年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - 北朝の[[光明天皇]]が即位。再び[[南北朝時代 (日本)|南北朝分離]]へ。 * [[1378年]] - [[教会大分裂]]: 4月に選出されたローマ教皇[[ウルバヌス6世 (ローマ教皇)|ウルバヌス6世]]を支持しないフランス人枢機卿が独自に教皇選挙を行い、その結果ロベール・ド・ジュネーヴが[[クレメンス7世 (対立教皇)|クレメンス7世]]として即位。教会大分裂の始まり。 * [[1498年]]([[明応]]7年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]]) - [[明応地震]]、[[鎌倉大仏]]の大仏殿が数メートル級の[[津波]]により流される。 * [[1519年]] - [[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]が5隻の軍艦・265人で[[スペイン]]を出航、[[世界一周]]航海に出発。 * [[1580年]]([[天正]]8年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]) - [[織田信長]]が、[[佐久間信盛]]に19ヶ条にわたる折檻状を突きつけ追放。 * [[1609年]] - [[オランダ東インド会社]]が[[平戸市|平戸]]に日本支社の商館を開設。 * [[1620年]]([[元和 (日本)|元和]]6年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - 伊達政宗の[[慶長遣欧使節|使節]]としてスペインに赴いた[[支倉常長]]が7年振りに帰国。 * [[1697年]] - [[レイスウェイク条約]]が締結され、[[大同盟戦争]](プファルツ継承戦争)が終結。 * [[1737年]] - [[デラウェア州]]の{{仮リンク|ウォーキング買収|en|Walking Purchase}}が完了。 * [[1792年]] - [[フランス革命]]: [[フランス]]で初の男子[[普通選挙]]による議会である[[国民公会]]が召集。 * 1792年 - [[フランス革命戦争]]: [[ヴァルミーの戦い]]。 * [[1807年]]([[文化 (元号)|文化]]4年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[永代橋崩落事故]]。深川[[富岡八幡宮]]の祭礼に詰め掛けた群衆が大勢巻き込まれ、1,400名もの死者・行方不明者が出た。 * [[1835年]] - {{仮リンク|ファラーポス戦争|en|Ragamuffin War}}開始。ブラジルの反政府勢力が[[ポルト・アレグレ]]を占領。 * [[1848年]] - [[アメリカ科学振興協会]]設立。 * [[1854年]] - [[クリミア戦争]]: {{仮リンク|アルマの戦い|en|Battle of Alma}}。[[セヴァストーポリ]]要塞の攻略を目指す[[イギリス]]・[[フランス]]・[[オスマン帝国]]同盟軍がアルマ河で[[ロシア]]軍と対戦。 * [[1860年]] - [[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]が、[[プリンス・オブ・ウェールズ]]としては初となる北米訪問を行う。 * [[1869年]]([[明治]]2年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - 明治政府が[[蝦夷地]]を「[[北海道]]」と改称する布告。 * [[1870年]] - [[イタリア王国]]による{{仮リンク|ローマ占領|en|Capture of Rome}} * [[1871年]] - [[メラネシア]]の最初の司教である{{仮リンク|ジョン・コールリッジ・パテソン|en|John Coleridge Patteson}}司教が、現在[[ソロモン諸島]]にある{{仮リンク|ヌカプ|en|Nukapu}}で殉教。 * [[1875年]] - サルディニア王国が改名した[[イタリア王国]]がローマ教皇領を併合し、イタリア地域の統一を完成。(東京書籍 世界史Aの教科書より) * [[1875年]] - [[江華島事件]]: 日本海軍の軍艦「[[雲揚 (砲艦)|雲揚]]」が[[朝鮮]][[漢江]]河口の[[江華島]]附近で朝鮮守備隊と交戦。 * [[1881年]] - 米大統領[[ジェームズ・ガーフィールド]]の暗殺に伴い、副大統領[[チェスター・A・アーサー]]が第21代大統領に就任。 * [[1886年]] - [[東洋紡|大阪紡績]]が夜間照明に日本の民間初の電灯となる[[アーク灯]]を使用。 * [[1909年]] - イギリスで「職業紹介所法」成立、[[失業保険]]制度が開始。 * 1909年 - イギリスで{{仮リンク|南アフリカ法 (1909年)|en|South Africa Act 1909}}が国王の裁可([[:en:Royal_assent|Royal assent]])を受け成立。翌[[1910年]][[5月31日]]施行。 * [[1911年]] - [[山田猪三郎]]考案の山田式飛行船が東京上空を初飛行。(空の日) * 1911年 - [[オリンピック号]]が[[イギリス海軍]]の[[エドガー級防護巡洋艦]]「[[ホーク (防護巡洋艦)|ホーク]]」と衝突。[[タイタニック (客船)|タイタニック号]]の事故と並び当時最大だった同客船の不沈伝説を崩す一件となった。 * [[1920年]] - [[アイルランド独立戦争]]: {{仮リンク|バルブリガンの略奪|en|Sack of Balbriggan}} * [[1923年]] - [[ワシントン海軍軍縮条約]]に基づき、日本海軍の戦艦「三笠」「薩摩」「安芸」「香取」「鹿島」、巡洋戦艦「生駒」「鞍馬」「伊吹」が除籍。 * [[1925年]] - [[東京六大学野球連盟|東京六大学野球]]リーグ戦が開幕。 * [[1927年]] - [[日本海軍]]の[[青葉型重巡洋艦]]「[[青葉 (重巡洋艦)|青葉]]」が竣工。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]・[[リトアニアにおけるホロコースト]]: [[ネメンチネ]]にて虐殺が行われ403人が死亡。 * [[1945年]] - 「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件([[ポツダム命令#ポツダム緊急勅令|ポツダム緊急勅令]])公布・即日施行。 * 1945年 - [[文部省]]が[[教科書]]の戦時教育部分の削除を通達。生徒に墨で塗りつぶさせる「[[墨塗り教科書]]」となる。 * [[1946年]] - [[第1回カンヌ国際映画祭]]開催。 * 1946年 - [[デンマーク王]][[クリスチャン10世 (デンマーク王)|クリスチャン10世]]が[[9月14日|14日]]の{{仮リンク|フェロー諸島独立国民投票 (1946年)|en|1946 Faroese independence referendum}}で賛成多数となった[[フェロー諸島]]の独立を無効にする。 * [[1948年]] - [[花森安治]]が『美しい暮しの手帖』(『[[暮しの手帖]]』の前身)を創刊。 * [[1949年]] - [[武生事件]]。[[福井地方裁判所|福井地裁]]・[[福井地方検察庁|福井地検]]武生支部の建物が放火により全焼。 * [[1950年]] - GHQが米兵と日本人女性の結婚禁止令を解除。 * [[1951年]] - [[詩人]]・[[峠三吉]]が『[[原爆詩集]]』を[[謄写版|ガリ版]]刷りにより発行。 * [[1954年]] - 第1期[[全国人民代表大会]]で「[[中華人民共和国憲法]]」を採択。 * [[1955年]] - {{仮リンク|ソ連と東ドイツの関係に関する条約|en|Treaty on Relations between the USSR and the GDR}}が調印される。 * [[1957年]] - [[糸川英夫]][[東京大学]]教授らが、初の国産観測[[ロケット]]「[[カッパロケット|カッパー4C型]]」の打上げ実験に成功。 * [[1960年]] - [[福岡県]][[田川郡]][[川崎町 (福岡県)|川崎町]]の中元寺川の堤防が[[集中豪雨]]により決壊。[[上尊鉱業豊州炭鉱]]の坑内が水没して、67人が死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=148|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1961年]] - [[武州鉄道汚職事件]]で[[楢橋渡]]元運輸相夫妻を逮捕。 * 1961年 - {{仮リンク|コンスタンティノス・ドーヴァス|en|Konstantinos Dovas}}が[[ギリシャの首相|ギリシャの暫定首相]]に就任。 * [[1962年]] - 民間のテレビ視聴率調査会社の[[ビデオリサーチ]]が設立。 * [[1972年]] - [[王貞治]]([[読売ジャイアンツ|巨人]])が[[村山実]]([[阪神タイガース|阪神]])から7試合連続となる本塁打を放つ。 * [[1973年]] - [[衆議院]]が、[[北方領土問題|北方領土]]の返還に関する決議を全会一致で可決。 * [[1977年]] - [[ベトナム|ベトナム社会主義共和国]]が国連に加盟。 * [[1982年]] - [[ナショナルフットボールリーグ]]のアメリカンフットボール選手が57日間のストライキを開始。 * [[1984年]] - 車の中から自爆テロ犯が[[レバノン]]の[[ベイルート]]にある米国大使館を攻撃([[:en:1984_United_States_embassy_annex_bombing_in_Beirut|1984 United States embassy annex bombing in Beirut]])し、22人が死亡。 * [[1986年]] - [[ウルグアイ]]で開催された[[関税および貿易に関する一般協定|GATT]]閣僚会議で多角的新貿易交渉([[ウルグアイ・ラウンド]])の開始を宣言。 * [[1987年]] - 第42回[[国民体育大会|国体]]夏季大会([[第42回国民体育大会|海邦国体]])が[[沖縄県]]で開幕し、国体が全都道府県を一巡。 * 1987年 - [[おニャン子クラブ]]が[[国立代々木競技場#第一体育館|代々木第一体育館]]でのライブを最後に解散。 * [[1990年]] - [[南オセチア]]が[[グルジア]]からの独立を宣言。 * [[1994年]] - [[イチロー]]がNPB史上初のシーズン200安打を達成。 * [[1998年]] - [[ボルチモア・オリオールズ]]の[[カル・リプケン・ジュニア]]が2,632試合連続出場を達成。 * [[2001年]] - この日の演説で、米国大統領[[ジョージ・W・ブッシュ|ジョージ・ブッシュ]]が「[[対テロ戦争]]」を宣言。 * [[2008年]] - [[イスラマバード・マリオット・ホテル爆破テロ事件]]。 * [[2011年]] - アメリカ政府が「[[:en:Don't_ask,_don't_tell|Don't_ask,_don't_tell]]」の方針を終了。 * [[2014年]] - [[ISIL]]に拉致されていたトルコ人ら46人が無事解放され帰国<ref>{{Cite web|和書|title=イスラム国が拉致のトルコ総領事ら46人、無事解放 イラク |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3026570 |website=AFP BB News |access-date=4 May 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |date=21 Sep 2014}}</ref>。 * [[2017年]] - [[核兵器禁止条約]]の署名が開始<ref>{{Cite web|和書|date=21 Sep 2017 |url=https://www.sankei.com/article/20170921-XC2YLEMG3JLBNIWEGCKVV43LWM/ |title=核兵器禁止条約、署名開始 初日は50カ国 発効に前進 |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=4 May 2023}}</ref>。 * [[2018年]] - [[2018年自由民主党総裁選挙|自由民主党総裁選挙]]で[[安倍晋三]]が3選を果たす<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/abe-ldp-win-instantviews-idJPKCN1M00PM |title=安倍首相、自民党総裁選で連続3選:識者はこうみる |access-date=4 May 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=20 Sep 2018}}</ref>。 * [[2019年]] - [[ラグビーワールドカップ2019|ラグビーワールドカップ日本大会]]が[[味の素スタジアム|東京スタジアム]]で開幕する。 * 2019年 - [[グローバル気候マーチ]]: 世界最大規模の気候ストライキが始まる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASMB44W42MB4UTFL007.html |title=午後4時、LUSH新宿店は電気を消した 動き出す企業 |access-date=4 May 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=23 Oct 2019}}</ref>。 * 2019年 - [[スリーマイル島原子力発電所]]1号機の営業運転が終了<ref>{{Cite web|和書|title=米スリーマイル島原発が運転終了 60年かけて廃炉へ:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASM9P2FPVM9PUHBI00C.html?iref=ogimage_rek |date=21 Sep 2019 |access-date=4 May 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]]}}</ref>。 * [[2023年]] - [[Jubeat]] beyond the ave.が稼働 == 誕生日 == [[ファイル:Herzog Christian von Braunschweig-Lüneburg.jpg|thumb|120px|[[クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル|ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公クリスティアン]](1599-1626)]] [[ファイル:King Chulalongkorn portrait photograph.jpg|thumb|120px|タイ国王[[ラーマ5世]](1853-1910)]] [[ファイル:Sophia Loren headshot Allan Warren.jpg|thumb|120px|[[ソフィア・ローレン]](1934-)]] [[ファイル:Taro Aso in World Economic Forum Annual Meeting in Davos (cropped).jpg|thumb|120px|[[麻生太郎]](1940-)]] [[ファイル:Brian JOUBERT 2008 World Championships.jpg|thumb|120px|[[ブライアン・ジュベール]](1984-)]] * [[1486年]] - [[アーサー・テューダー]]、イギリス王太子(+ [[1502年]]) * [[1564年]]([[永禄]]7年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[水野勝成]]、備後[[備後福山藩|福山藩]]初代藩主(+ [[1651年]]) * [[1593年]] - {{仮リンク|ゴットフリート・シェート|en|Gottfried Scheidt}}、オルガニスト(+ [[1661年]]) * [[1599年]] - [[クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル]]、[[プロテスタント|プロテスタント派]]指導者(+ [[1626年]]) * [[1608年]] - {{仮リンク|ジャン=ジャック・オリエ|en|Jean-Jacques Olier}}、司祭(+ [[1657年]]) * [[1613年]] - {{仮リンク|ジャン・フランソワ・ポール・ド・ゴンディ|en|Jean François Paul de Gondi}}、枢機卿、[[フロンドの乱]]参加者(+ [[1679年]]) * [[1614年]] - [[マルティノ・マルティニ]]、[[イエズス会]]修道士・[[中国学者]](+ 1661年) * [[1631年]]([[寛永]]8年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - [[小笠原貞信]]、越前[[越前勝山藩|勝山藩]]初代藩主(+ [[1714年]]) * [[1636年]](寛永13年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[大村純長]]、肥前[[大村藩]]4代藩主(+ [[1706年]]) * [[1663年]] - {{仮リンク|ピッロ・アルベルガティ|en|Pirro Albergati}}、貴族・[[作曲家]](+ [[1735年]]) * [[1677年]]([[延宝]]5年8月24日) - [[毛利吉元]]、長門[[長州藩]]5代藩主(+ [[1731年]]) * [[1713年]]([[正徳 (日本)|正徳]]3年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[松平明矩]]、播磨[[姫路藩]]初代藩主(+ [[1749年]]) * [[1723年]]([[享保]]8年8月21日) - [[仙石政辰]]、但馬[[出石藩]]3代藩主(+ [[1779年]]) * [[1778年]] - [[ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン]]、[[ロシア海軍]][[大将]]、[[南極大陸]]発見者(+ [[1852年]]) * [[1812年]]([[文化 (元号)|文化]]9年8月15日) - [[池田清直]]、因幡[[若桜藩]]8代藩主(+ [[1858年]]) * [[1819年]] - [[テオドール・シャセリオー]]、[[画家]](+ [[1856年]]) * [[1822年]] - [[エリザベス・スミス・ミラー]]、社会事業家(+[[1911年]]) * [[1829年]]([[文政]]12年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[米津政易]]、出羽[[長瀞藩]]3代藩主(+ [[1873年]]) * [[1830年]]([[天保]]元年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[吉田松陰]] 、[[長州藩|長州藩士]]、[[思想家]]、[[教育者]](+ [[1859年]]) * [[1833年]] - [[エルネスト・テオドロ・モネータ]]、ジャーナリスト、平和運動家(+ [[1918年]]) * [[1837年]](天保8年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[浜田彦蔵]]、[[通訳]]、貿易商(+ [[1897年]]) * [[1842年]] - [[ジェイムズ・デュワー]]、化学者、物理学者(+ [[1923年]]) *[[1847年]] - {{仮リンク|スザンナ・ルビンスタイン|en|Susanna Rubinstein}}、[[心理学者]](+ [[1914年]]) * [[1849年]]([[嘉永]]2年8月4日) - [[松平直致]]、播磨[[明石藩]]10代藩主(+ [[1884年]]) * [[1851年]] - {{仮リンク|ヘンリー・アーサー・ジョーンズ|en|Henry Arthur Jones}}、劇作家(+ [[1929年]]) * [[1853年]] - [[ラーマ5世]]、[[タイ王国|シャム]](タイ)[[チャクリー王朝]]第5代国王(+ [[1910年]]) * [[1860年]] - [[ヘンリー・ボイル (野球)|ヘンリー・ボイル]]、[[プロ野球選手]](+ [[1932年]]) * [[1863年]] - {{仮リンク|アンドリュー・アモス|en|Andrew Amos}}、[[サッカー選手]](+ [[1931年]]) * [[1866年]] - {{仮リンク|フェルディナンド・ロット|en|Ferdinand Lot}}、歴史家(+ [[1952年]]) * [[1872年]] - [[モーリス・ガムラン]]、軍人(+ [[1958年]]) * [[1873年]] - {{仮リンク|フェレンク・シス|en|Ferenc Szisz}}、レーシングドライバー(+ [[1944年]]) * [[1875年]] - [[マティアス・エルツベルガー]]、[[政治家]]、財務大臣(+ [[1921年]]) * * [[1878年]] - [[アプトン・シンクレア]]、[[小説家]](+ [[1968年]]) * 1878年 - {{仮リンク|フランシスコ・ラゴス・チャザロ|en|Francisco Lagos Cházaro}}、[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]]代理(+ [[1932年]]) * [[1879年]] - [[ヴィクトル・シェストレム]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](+ [[1960年]]) * [[1880年]] - [[大山郁夫]]、政治家、[[政治学者]](+ [[1955年]]) * 1880年 - [[イルデブランド・ピツェッティ]]、作曲家(+ [[1968年]]) * [[1882年]] - [[杉本京太]]、[[発明家]]、[[実業家]](+ [[1972年]]) * [[1884年]] - [[マックス・パーキンズ]]、書籍[[編集者]](+ [[1947年]]) * [[1885年]] - {{仮リンク|エンリコ・ミッツィ|en|Enrico Mizzi}}、政治家、第6代[[マルタの首相|マルタ首相]](+ [[1950年]]) * [[1886年]] - [[ツェツィーリエ・フォン・メクレンブルク=シュヴェリーン]]、ドイツ皇太子妃(+ [[1954年]]) * [[1887年]] - [[黒田重太郎]]、[[画家]](+ [[1970年]]) * [[1889年]] - [[チャールズ・レイドパス]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1975年]]) * [[1890年]] - [[大野伴睦]]、政治家、第42・43代[[衆議院議長]](+ [[1964年]]) * [[1891年]] - {{仮リンク|トマス・ガリード・カナバル|en|Tomás Garrido Canabal}}、政治家(+ [[1943年]]) * [[1893年]] - [[ハンス・シャロウン]]、[[建築家]](+ [[1972年]]) * [[1898年]] - [[中山伊知郎]]、[[経済学者]](+ [[1980年]]) * 1898年 - {{仮リンク|ノーマン・ゼノス・マクラウド|en|Norman Z. McLeod}}、映画監督(+ [[1964年]]) * [[1899年]] - [[レオ・シュトラウス]]、[[政治哲学]]者(+ [[1973年]]) * [[1902年]] - {{仮リンク|スティーヴィー・スミス|en|Stevie Smith}}、作家(+ [[1971年]]) * [[1903年]] - [[ヴィリー・シェーラー]]、陸上競技選手(+ [[1982年]]) * [[1905年]] - [[杉本健吉]]、画家(+ [[2004年]]) * [[1906年]] - [[石塚友二]]、俳人、小説家、編集者(+ [[1986年]]) * 1906年 - {{仮リンク|ジャン・ドレヴィル|en|Jean Dréville}}、[[俳優]]、映画監督(+ [[1997年]]) * [[1908年]] - {{仮リンク|アレクサンダー・ミッチャーリヒ|en|Alexander Mitscherlich (psychologist)}}、精神分析医(+ [[1982年]]) * [[1910年]] - [[田中龍夫]]、政治家(+ [[1998年]]) * [[1914年]] - [[ケネス・モア]]、俳優(+ [[1982年]]) * 1914年 - [[マルセル・キント]]、[[自転車競技]]([[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]])選手(+ [[2002年]]) * [[1915年]] - [[藤堂明保]]、中国語学者、中国文学者(+ [[1985年]]) * [[1916年]] - [[小田切秀雄]]、[[文芸評論家]](+ [[2000年]]) * [[1917年]] - [[レッド・アワーバック]]、バスケットボール指導者(+ [[2006年]]) * 1917年 - [[フェルナンド・レイ]]、俳優(+ [[1994年]]) * 1917年 - {{仮リンク|オルガ・ダール|en| Olga Dahl}}、[[系図学者]](+ [[2009年]]) * 1917年 - [[遠藤忠二郎]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * 1917年 - [[オブドゥリオ・バレラ]]、サッカー選手(+ [[1996年]]) * [[1918年]] - [[アルド・ロンコーニ]]、自転車競技選手(+ [[2012年]]) * [[1919年]] - [[白木義一郎]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]]) * [[1921年]] - [[チコ・ハミルトン]]、ドラマー(+ [[2013年]]) * [[1922年]] - [[伊佐二久]]、[[陸軍軍人]]、[[医師]]、[[著作家]] * 1922年 - [[佐藤巧 (工学者)|佐藤巧]]、[[工学者]]、[[建築学者]]、[[建築史家]](+ [[2018年]]) * 1922年 - [[ウィリアム・カペル]]、[[ピアニスト]](+ [[1953年]]) * [[1923年]] - [[根上淳]]、俳優(+ [[2005年]]) * 1923年 - [[植田隼美]]、元プロ野球選手 * 1923年 - [[アッキネーニ・ナゲシュワラ・ラオ]]、俳優(+ [[2014年]]) * 1923年 - {{仮リンク|モーリス・ソーヴェ|en|Maurice Sauvé}}、[[経済学者]](+ [[1992年]]) * [[1925年]] - [[大塚芳満]]、実業家、[[大塚製薬]]元会長(+[[1999年]]) * 1925年 - [[ラーマ8世]]、タイ・チャクリー王朝第8代国王(+ [[1946年]]) * 1925年 - [[ジェイムズ・バーナード (作曲家)|ジェイムズ・バーナード]]、作曲家(+ [[2001年]]) * [[1926年]] - [[リベロ・リベラーティ]]、[[オートバイ]]レーサー(+ [[1962年]]) * 1926年 - [[石井庄八]]、[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手(+ [[1980年]]) * [[1927年]] - [[レッド・ミッチェル]]、[[ジャズ]]・[[コントラバス|ダブルベース]]奏者、[[作詞家]]、[[詩人]]、[[作曲家]](+ [[1992年]]) * 1927年 - {{仮リンク|コレット・ボヌール|en|Colette Bonheur}}、歌手(+ [[1966年]]) * 1927年 - {{仮リンク|ジョン・ダンクワース|en|John Dankworth}}、[[サクソフォーン|サックス奏者]](+ [[2010年]]) * 1927年 - [[レイチェル・ロバーツ (女優)|レイチェル・ロバーツ]]、[[俳優|女優]](+ [[1980年]]) * [[1928年]] - [[橋爪四郎]]、元オリンピック競泳選手(+[[2023年]]) * 1928年 - {{仮リンク|ドナルド・ホール|en|Donald Hall}}、詩人(+ [[2018年]]) * [[1929年]] - [[アン・メイラ]]、女優(+ [[2015年]]) * 1929年 - [[タヴィアーニ兄弟|ヴィットリオ・タヴィアーニ]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](+ [[2018年]]) * [[1930年]] - [[リチャード・モンタギュー]]、[[数学者]]、[[論理学者]]、[[言語哲学者]](+ [[1971年]]) * [[1931年]] - {{仮リンク|チュート・ソンスリ|en|Cherd Songsri}}、映画監督(+ [[2006年]]) * [[1932年]] - [[中村宏]]、画家 * 1932年 - [[坂本登]]、元プロ野球選手(+ [[1989年]]) * [[1933年]] - [[デニス・ヴァイオレット]]、元[[プロサッカー選手]](+ [[1999年]]) * [[1934年]] - [[ソフィア・ローレン]]、女優 * 1934年 - [[末吉興一]]、政治家 * 1934年 - {{仮リンク|ハミト・カプラン|en|Hamit Kaplan}}、レスリング選手(+ [[1976年]]) * 1934年 - [[窪田孝行]]、空手家 * 1934年 - [[ジェフ・モリス]]、俳優(+ [[2004年]]) * [[1935年]] - {{仮リンク|デヴィッド・ペッグ|en|David Pegg}}、サッカー選手(+ [[1958年]]) * 1935年 - [[オルランド・ペサーニャ・デ・カルヴァーリョ]]、サッカー選手(+ [[2010年]]) * 1935年 - [[キース・ロバーツ]]、[[SF作家]](+ [[2000年]]) * [[1936年]] - {{仮リンク|アンドリュー・デイヴィス|en|Andrew Davies (writer)}}、作家 * [[1937年]] - [[モニカ・ゼタールンド]]、[[歌手]]、女優(+ [[2005年]]) * 1937年 - [[山本文男]]、元プロ野球選手、[[プロ野球審判員|審判]] * 1937年 - [[野呂邦暢]]、[[小説家]](+ [[1980年]]) * 1937年 - {{仮リンク|ビルギッタ・ダール|en|Birgitta Dahl}}、スウェーデン環境大臣 * 1937年 - {{仮リンク|ギャリー・ジョンソン|en|Garry Johnson}}、軍人 * [[1938年]] - [[守屋浩]]、歌手(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|title=「僕は泣いちっち」の守屋浩さん 前立腺がんで死去 81歳 引退後は榊原郁恵ら発掘 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/23/kiji/20200923s00041000013000c.html |website=Sponichi Annex |access-date=4 May 2023 |language=ja |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=23 Sep 2020}}</ref>) * 1938年 - [[鷲尾悦也]]、[[労働運動]]家、第3代[[日本労働組合総連合会|連合]]会長(+ [[2012年]]) * 1938年 - [[エリック・ゲイル]]、セッション・ギタリスト(+ [[1994年]]) * 1938年 - [[吉田英司]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[ピーター・ラドフォード]]、陸上競技選手 * [[1940年]] - [[麻生太郎]]、政治家、第92代[[内閣総理大臣]] * 1940年 - [[大沢辰美]]、政治家 * 1940年 - [[ウィリアム・フィンレイ]]、俳優(+ [[2012年]]) * 1940年 - [[ブルハーヌッディーン・ラッバーニー]]、初代[[アフガニスタンの国家元首の一覧|アフガニスタン・イスラーム国大統領]](+ [[2011年]]) * [[1941年]] - [[ハンフリー・ナイプ]]、[[著作家]]、[[脚本家]](+ [[2023年]]) * 1941年 - [[デイル・チフーリ]]、ガラス彫刻家 * [[1942年]] - [[三宅榛名]]、ピアニスト * 1942年 - [[ローズ・フランシーヌ・ロゴンベ]]、[[ガボン]]暫定[[ガボンの大統領|大統領]](+ [[2015年]]) * [[1943年]] - [[大島正太郎]]、外交官 * 1943年 - [[サニ・アバチャ]]、軍人、政治家、[[ナイジェリアの大統領|ナイジェリア第10代大統領]](+ [[1998年]]) * 1943年 - [[関根忍]]、[[柔道家]](+ [[2018年]]) * [[1944年]] - [[村井國夫]]、俳優 * [[1945年]] - [[中島葵]]、女優(+[[1991年]]) * 1945年 - [[范徐麗泰]]、政治家 * [[1947年]] - [[小田和正]]、歌手 * 1947年 - [[ミア・マルティーニ]]、歌手(+ [[1995年]]) * 1947年 - {{仮リンク|ブルース・パスタナック|en|Bruce Pasternack}}、実業家、[[スペシャルオリンピックス]]国際本部会長(+ [[2021年]]) * 1947年 - {{仮リンク|パトリック・ポワーヴル・ダルヴォル|en|Patrick Poivre d'Arvor}}、ジャーナリスト * [[1948年]] - [[南城竜也]]、元俳優 * 1948年 - [[ジョージ・R・R・マーティン]]、作家 * 1948年 - {{仮リンク|マヘシュ・バット|en|Mahesh Bhatt}}、映画監督 * 1948年 - {{仮リンク|チャック・パノッツォ|en|Chuck Panozzo}}、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1948年 - {{仮リンク|ジョン・パノッツォ|en|John Panozzo}}、ミュージシャン(+ [[1996年]]) * 1948年 - [[新居千秋]]、建築家 * [[1949年]] - [[浅野哲夫]]、[[計算機科学者]] * 1949年 - [[大塚富夫]]、アナウンサー * 1949年 - [[アンソニー・ジョン・デニソン]]、[[俳優]] * [[1950年]] - [[すがやみつる]]、[[漫画家]] * [[1951年]] - [[ハビエル・マリアス]]、翻訳家、作家(+ [[2022年]]) * 1951年 - [[ギイ・ラフレール]]、[[アイスホッケー]]選手 * 1951年 - [[グレッグ・バレンタイン]]、プロレスラー * 1951年 - [[小橋英明]]、元アマチュア野球選手 * [[1952年]] - [[五十嵐淳子]]、女優 * [[1953年]] - [[ロッキー・マッチョーリ]]、プロボクサー * [[1954年]] - [[ヘンリ・サミュエリ]]、[[Broadcom]]の設立者 * [[1955年]] - {{仮リンク|ホセ・リヴェロ|en|José Rivero}}、ゴルファー * [[1956年]] - [[ゲイリー・コール]]、俳優 * 1956年 - [[スティーヴ・コールマン]]、サックス奏者 * [[1957年]] - [[福原峰夫]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[中村尚登]]、報道記者、アナウンサー * 1957年 - {{仮リンク|ウラジーミル・トカチェンコ|en|Vladimir Tkachenko}}、バスケットボール選手 * [[1958年]] - [[ミヤコ (お笑い芸人)|ミヤコ]]、[[漫才]]師([[非常階段 (お笑いコンビ)|非常階段]])(+ [[1996年]]) * 1958年 - [[マイケル・ダナ]]、作曲家 * 1958年 - [[アーン・アンダーソン]]、プロレスラー * [[1959年]] - [[三原康可]]、俳優、歌手、音楽プロデューサー * 1959年 - [[石川ひとみ]]、歌手 * 1959年 - [[飯田正男]]、元プロ野球 * 1959年 - {{仮リンク|ジョアンナ・ドマンスカ|en|Joanna Domańska}}、ピアニスト * 1959年 - {{仮リンク|メラル・オカイ|en|Meral Okay}}、女優選手(+[[2012年]]) * 1959年 - {{仮リンク|ホルヘ・ヴィアナ|en|Jorge Viana}}、政治家 * [[1960年]] - [[玉井たけし]]、漫画家(+ [[2004年]]) * 1960年 - [[アリス・ブラウン]]、陸上競技選手 * 1960年 - [[山口美江]]、実業家、[[タレント]](+ [[2012年]]) * 1960年 - [[ジェームズ・パウェルチェイク]]、宇宙飛行士 * 1960年 - {{仮リンク|ピーター・フェルプス|en|Peter Phelps}}、俳優 * [[1962年]] - [[山本譲司]]、政治家 * 1962年 - [[矢口壹琅]]、プロレスラー、音楽家、俳優 * [[1964年]] - [[中田宏]]、政治家 * 1964年 - [[張曼玉]]、女優 * 1964年 - [[金子一馬]]、[[イラストレーター]] * 1964年 - [[手塚貴久]]、[[調教師]] * [[1965年]] - [[渡辺勝也]]、監督、[[演出家]] * 1965年 - [[斉藤満]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[口笛太郎]]、口笛奏者 * 1966年 - [[ヌーノ・ベッテンコート]]、ミュージシャン * 1966年 - [[小暮紀一]]、ガラス作家 * 1966年 - [[滝内泉]]、プロデューサー * [[1967年]] - [[柳広司]]、小説家、推理作家 * 1967年 - [[高橋真美]]、タレント(元[[わらべ]]) * 1967年 - [[麻乃佳世]]、女優 * 1967年 - [[福島明弘]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[工藤めぐみ]]、元[[プロレスラー]] * 1969年 - [[野辺剛正]]、ミュージシャン * [[1971年]] - [[ヘンリク・ラーション]]、サッカー選手 * 1971年 - [[有田洋之]]、[[声優]] * 1971年 - [[浜渦正志]]、ゲーム音楽作曲家 * [[1972年]] - [[遠藤政隆]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[鈴木砂羽]]、女優 * [[1973年]] - [[新井祐子]]、フェンシング選手 * 1973年 - [[石井聖子]]、元歌手 * [[1974年]] - [[新藤晴一]]、ミュージシャン([[ポルノグラフィティ]]) * 1974年 - [[レイチェル・チャン]]、[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティー]] * [[1975年]] - [[ファン・パブロ・モントーヤ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー * 1975年 - [[アーシア・アルジェント]]、女優 * 1975年 - [[岡田みはる]]、[[気象予報士]]、タレント * 1975年 - [[三宅宣行]]、アナウンサー * [[1976年]] - [[寺田学]]、政治家 * 1976年 - [[一青窈]]、歌手 * 1976年 - [[倉橋ヨエコ]]、元歌手 * 1976年 - [[堀江由衣]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/堀江由衣/ |title=堀江由衣 |access-date=4 May 2023 |publisher=[[NTTレゾナント|NTT Resonant Inc.]] |website=goo人名事典}}</ref><ref>{{Cite book|和書|year=2007|title=[[オリコン・エンタテインメント|オリコン・ウィーク The Ichiban]]Vol.21|pages=30|publisher=[[オリコン]]}}</ref>、声優、歌手 * 1976年 - [[鈴木貴男]]、テニス選手 * 1976年 - [[徳元敏]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[藤原一裕]]、お笑い芸人([[ライセンス (お笑いコンビ)|ライセンス]]) * 1977年 - [[今井裕介]]、競輪選手 * 1977年 - [[永瀬知恵]]、パーソナリティ * 1977年 - [[安室奈美恵]]、元歌手 * 1977年 - [[橋龍吾]]、俳優 * 1977年 - [[ラディシャ・イリッチ]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[エルキン・ムリージョ]]、サッカー選手 * [[1978年]] - [[若林正恭]]、お笑い芸人([[オードリー (お笑いコンビ)|オードリー]]) * 1978年 - [[滝本竜彦]]、小説家 * 1978年 - [[草下シンヤ]]、編集者、ライター、マンガ原作者 * [[1979年]] - [[山本英児]]、元ラグビー選手 * 1979年 - [[さかいゆう]]、歌手 * 1979年 - [[渡辺雄介]]、[[脚本家]] * [[1980年]] - [[入野久彦]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[高山香織]]、アナウンサー * 1980年 - [[グスタボ・チャシーン]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[田勢邦史]]、卓球選手 * [[1982年]] - [[堀江秀幸]]、津軽三味線・和楽器奏者 * [[1983年]] - [[杏さゆり]]、女優 * 1983年 - [[磯貝サイモン]]、ミュージシャン * 1983年 - [[伊藤由奈]]、歌手 * 1983年 - [[ショーン・アン]]、俳優(+ [[2015年]]) * [[1984年]] - [[高野和馬]]、[[騎手]] * 1984年 - [[ブライアン・ジュベール]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1984年 - [[高木里代子]]、ジャズ・ピアニスト * [[1985年]] - [[山崎真実]]、タレント * 1985年 - [[西舘さをり]]、元タレント * 1985年 - [[アルバン・プレオベール]]、フィギュアスケート選手 * [[1986年]] - [[ディエゴ・マラドーナ・ジュニア]]、サッカー選手 * 1986年 - [[土屋修平]]、プロボクサー * 1987年 - [[鬼頭由芽]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.vasp.co.jp/talent/4381.html |title=鬼頭 由芽 |access-date=4 May 2023 |publisher=V.A.S.P Inc.}}</ref>、ラジオ[[ディスクジョッキー|DJ]] * 1987年 - [[サラ・ナトチェニー]]、[[声優]] * [[1988年]] - [[大本彩乃]]、歌手([[Perfume]]) * 1988年 - [[佐藤ありさ]]、[[ファッションモデル]] * 1988年 - [[南里美希]]、ファッションモデル * 1988年 - [[久保井朝美]]、[[気象予報士]]、[[日本のアナウンサー|アナウンサー]] * 1988年 - [[佐藤千亜妃]]、ミュージシャン * 1988年 - [[石田早織]]、元バレーボール選手 * 1988年 - [[スティーブ・ロンバードージー・ジュニア]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[千代田唯]]、タレント * [[1990年]] - [[青木沙耶香]]、[[プロボクサー]] * 1990年 - [[ケン・ジャイルズ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[一色龍次郎]]、ミュージカル俳優 * 1990年 - [[星美りか]]、タレント、元[[AV女優]]、元[[グラビアアイドル]] * [[1991年]] - [[松川尚瑠輝]]、俳優 * 1991年 - [[沈東燮]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[駒谷麻妃]]、元野球選手 * 1991年 - [[谷本和]]、柔道家 * 1991年 - 秋山寛貴、お笑いタレント([[ハナコ (お笑いトリオ)|ハナコ]]) * [[1992年]] - [[泉明日香]]、タレント、グラビアアイドル * 1992年 - [[ますぶちさちよ]]、[[フードファイター]] * 1992年 - [[ジェフリー・スプリングス]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[滝口ひかり]]、アイドル ([[ゑんら]]) * 1994年 - [[末吉咲子]]、アイドル ([[風男塾]]・紅竜真咲)、舞台女優 * [[1995年]] - [[ラウラ・デッカー]]、海洋冒険家 * 1995年 - SAYAKA、パフォーマー([[Happiness (グループ)|Happiness]]、元[[E-girls]]) * 1995年 - [[サミー・ハンラティ]]、女優 * 1995年 - [[金澤豊]]、歌手 * [[1996年]] - [[島ゆいか]]、女優、タレント(元[[可憐Girl's]]) * [[1997年]] - [[集貝はな]]、声優 * 1997年 - [[大西桃香]]、アイドル([[AKB48]]) * 1997年 - [[加藤有輝]]、サッカー選手 * 1997年 - [[蝦名達夫]]、プロ野球選手 * [[1998年]] - [[日比美思]]、女優、グラビアアイドル、歌手(元[[Dream5]]) * 1998年 - [[指出毬亜]]、声優 * 1998年 - [[高瀬愛奈]]、アイドル([[日向坂46]]) * [[1999年]] - [[雨宮かのん]]、元アイドル(元[[はちみつロケット]] ) * 1999年 - 上野遥、元アイドル(元[[HKT48]]) * 1999年 - [[高橋耕平]]、サッカー選手 * 1999年 - [[藤咲凪]]、タレント * [[2000年]] - [[白雪姫乃]]、元アイドル([[悲撃のヒロイン症候群]]) * [[2001年]] - [[山内瑞葵]]、アイドル(AKB48) * [[2002年]] - [[猪狩蒼弥]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://j-island.net/artist/person/id/26 |title=猪狩蒼弥 プロフィール |website=ISLAND TV |accessdate=4 May 2023 |publisher=Johnny’s Island}}</ref>、アイドル([[ジャニーズJr.]]、[[HiHi Jets]] ) * 2002年 - [[光野有菜]]、タレント、グラビアアイドル * [[2005年]] - [[はっぴちゃん。]]、お笑い芸人 * [[2006年]] - [[寺島季咲]]、モデル、女優 * 生年不明 - [[二木静美]]、声優 * 生年不明 - [[阿部里果]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vims.co.jp/talent_profile_detail.php?id=27 |title=阿部 里果 プロフィール |accessdate=4 May 2023 |publisher=VIMS}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[西沢広香]]、声優 * 生年不明 - [[葉咲うらら]]、女優 == 忌日 == [[ファイル:Die Gartenlaube (1858) b 560.jpg|thumb|120px|[[ヤーコプ・グリム]](1785-1863)]] [[ファイル:Pablo de Sarasate par Pierre Petit.jpg|thumb|120px|[[パブロ・デ・サラサーテ]](1844-1908)]] [[ファイル:Ida Rubinstein Face.jpg|thumb|120px|[[イダ・ルビンシュタイン]](1885-1960)]] [[ファイル:Stamps of Germany (DDR) 1961, MiNr 0865.jpg|thumb|120px|[[ゲルマン・チトフ]](1935-2000)]] * [[1381年]] - [[ルイ1世・ダンジュー|ルイ1世]]、[[ナポリ王国]]の[[対立王]](* [[1339年]]) * [[1440年]] - [[フリードリヒ1世 (ブランデンブルク選帝侯)|フリードリヒ1世]]、[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]](* [[1371年]]) * [[1460年]] - [[ジル・バンショワ]]、[[作曲家]](* [[1400年]]頃) *[[1501年]] - [[アゴスティーノ・バルバリーゴ]]、[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]の元首(ドージェ)(* [[1420年]]) * [[1645年]]([[正保]]2年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[松平忠昌]]、[[福井藩|福井藩主]](* [[1598年]]) * [[1803年]] - {{仮リンク|ロバート・エメット|en|Robert Emmet}}、抵抗運動家(* [[1778年]]) * [[1804年]] - [[ピエール・メシャン]]、天文学者(* [[1744年]]) * [[1840年]]([[天保]]11年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]])- [[松平宗発]]、[[江戸幕府]][[老中]](* [[1782年]]) * [[1862年]]([[文久]]2年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]])- [[長野主膳]]、[[井伊直弼]]の謀臣(* [[1815年]]) * [[1863年]] - [[ヤーコプ・グリム]]、[[言語学|言語学者]]、[[グリム兄弟]]の兄(* [[1785年]]) * [[1890年]] - [[グスタヴ・ヴィルヘルム・パルム]]、[[画家]](* [[1810年]]) * [[1898年]] - [[テオドール・フォンターネ]]、[[小説家]]、[[詩人]](* [[1819年]]) * [[1906年]] - [[ロバート・ヒット]]、政治家(* [[1834年]]) * [[1908年]] - [[パブロ・デ・サラサーテ]]、作曲家、ヴァイオリン奏者(* [[1844年]]) * [[1919年]] - [[サイ・セイモアー]]、プロ野球選手(* [[1872年]]) * [[1932年]] - [[マックス・スレーフォークト]]、画家(* [[1868年]]) * [[1933年]] - [[アニー・ベサント]]、作家、[[神智学協会]]会長(* [[1847年]]) * [[1937年]] - [[ハリー・ストービー]]、プロ野球選手(* [[1856年]]) * [[1942年]] - [[ヴァルター・フォン・リュトヴィッツ]]、軍人(* [[1859年]]) * [[1943年]] - [[児玉花外]]、詩人(* [[1874年]]) * 1943年 - [[鈴木梅太郎]]、[[農芸化学|農芸化学者]](* 1874年) * [[1948年]] - [[草川信]]、作曲家(* [[1893年]]) * [[1957年]] - [[ジャン・シベリウス]]、作曲家(* [[1865年]]) * [[1960年]] - [[イダ・ルビンシュタイン]]、[[バレリーナ]](* [[1885年]]) * [[1965年]] - [[アーサー・ホームズ]]、地質学者(* [[1890年]]) * [[1971年]] - [[イオルゴス・セフェリス]]、詩人、外交官(* [[1900年]]) * [[1975年]] - [[サン=ジョン・ペルス]]、詩人、[[外交官]](* [[1887年]]) * [[1980年]] - [[林家三平 (初代)|林家三平]]、[[落語家]](* [[1926年]]) * [[1981年]] - [[石井光次郎]]、第54代[[衆議院議長]](* [[1889年]]) * 1981年 - [[大ノ海久光]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1916年]]) * [[1985年]] - [[川本泰三]]、元[[サッカー選手]]、指導者(* [[1914年]]) * [[1986年]] - [[日高富明]]、歌手(元[[ガロ (フォークグループ)|ガロ]])(* [[1950年]]) * [[1987年]] - [[杉山龍丸]]、陸軍軍人、[[インド]]の「緑の父」(* [[1919年]]) * [[1988年]] - [[東海林武雄]]、実業家、旭電化工業社長、[[日本たばこ産業|日本専売公社]]総裁(* [[1900年]]) * 1988年 - [[中村汀女]]、[[俳人]](* 1900年) * [[1989年]] - [[リッチー・ギンサー]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(* [[1930年]]) * [[1990年]] - [[ジークフリート・ベーレント]]、指揮者、作曲家(* [[1933年]]) * [[1993年]] - [[エーリヒ・ハルトマン]]、空軍軍人、敵機撃墜数最多記録(352機)保持者(* [[1922年]]) * 1993年 - [[乾豊彦]]、実業家、[[乾汽船]]会長、[[日本ゴルフ協会]]名誉会長(* [[1913年]]) * [[1996年]] - [[ポール・エルデシュ]]、[[数学者]](* [[1913年]]) * 1996年 - [[佐野鋤]]、作曲家(* [[1908年]]) * [[1999年]] - [[ライサ・ゴルバチョワ]]、[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ書記長]]夫人(* [[1932年]]) * [[2000年]] - [[徳間康快]]、実業家、[[徳間書店]]社長ほか(* [[1921年]]) * 2000年 - [[ゲルマン・チトフ]]、[[宇宙飛行士]]、政治家(* [[1935年]]) * [[2004年]] - [[白石一郎]]、[[小説家]](* [[1931年]]) * 2004年 - [[ブライアン・クラフ]]、[[サッカー]]選手、指導者(* [[1935年]]) * [[2005年]] - [[サイモン・ヴィーゼンタール]]、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]戦犯追跡家(* [[1908年]]) * [[2006年]] - [[スヴェン・ニクヴィスト]]、[[映画監督]](* [[1922年]]) * 2006年 - [[アルミン・ジョルダン]]、[[指揮者]](* [[1932年]]) * [[2008年]] - [[ナッピー・ブラウン]]、[[ブルース]][[歌手]](* [[1929年]]) * [[2009年]] - [[水野忠夫]]、[[ロシア文学者]]、翻訳家(* [[1937年]]) * [[2014年]] - [[土井たか子]]<ref>{{Cite web|和書|title=元社民党党首、土井たか子氏が死去 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG28H05_Y4A920C1000000/ |date=28 Sep 2014 |access-date=4 May 2023 |publisher=[[日本経済新聞]]}}</ref>、政治家(* [[1938年]]) * [[2016年]] - [[カーティス・ハンソン]]、映画監督(* [[1945年]]) * [[2018年]] - [[田中廣臣]]<ref>{{Cite web|和書|title=劇団四季の俳優、田中廣臣さん死去 昨年12月「ライオンキング」ザズ役での出演が最後の舞台 |url=https://www.sankei.com/article/20180921-EV5FGBQYJJIP7EALKCE6NYMRIY/ |date=21 Sep 2018 |access-date=4 May 2023 |publisher=[[産経新聞]]}}</ref>、ミュージカル俳優(* [[1967年]]) * [[2019年]] - [[日顕 (日蓮正宗)|阿部日顕]]<ref>{{Cite web|和書|title=阿部日顕さん死去 |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14187316.html?iref=ogimage_rek |website=[[朝日新聞デジタル]] |date=21 Sep 2019 |access-date=4 May 2023}}</ref>、僧侶、[[大石寺]]第67世[[法主]](* [[1922年]]) * [[2020年]] - [[藤木孝]]<ref>{{Cite web|和書|title=藤木孝さん死去 80歳 大河「太平記」など出演|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=20 Sep 2020|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202009200000375.html|accessdate=4 May 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=俳優・藤木孝さん死去 80歳 大河ドラマ「太平記」「新選組!」に出演 |website=Sponichi ANNEX |date=20 Sep 2020 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/20/kiji/20200920s00041000205000c.html |accessdate=4 May 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]]}}</ref>、俳優、[[歌手]] (* [[1940年]]) == 記念日・年中行事 == * 国民の歯の日({{PRC}}) * 秋の[[彼岸]]({{JPN}})※このころ *: [[秋分]]とその前後3日を秋の彼岸という。 * 秋の[[社日]]({{JPN}}、このころ)※[[秋分]]に最も近い[[戊]]の日 * [[敬老の日]]({{JPN}}、[[2004年]]・[[2010年]]・[[2021年]])※9月第3月曜日 * [[空の日]]({{JPN}}) *: [[1940年]]、[[徳川好敏]]、[[日野熊蔵]]両[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[大尉]]が[[代々木公園|代々木練兵場]]において[[日本]]初の動力飛行に成功して30周年、ならびに[[紀元二千六百年記念行事|紀元2600年]]を記念して制定した「航空日」にその起源を持つ(なお実際には初飛行は12月で、時期を秋の晴れの[[特異日]]にしたとされる)。航空の安全と一層の成長を願い広く国民に親しまれるようにアピールしていくのが目的で、[[1992年]]に[[運輸省]](現在の[[国土交通省]])[[航空局]]が「空の日」へ改称した<ref>{{Cite web|和書|title=もっと感動、空はフロンティア なぜ9月20日なの? |url=https://www.mlit.go.jp/koku/03_information/02_sora/p02.html |publisher=国土交通省航空局 |access-date=4 May 2023}}</ref>。[[航空局]]・[[航空会社]]・空港管理会社等が各地の空港・レーダー事務所等において、[[管制塔]]などの空港施設見学、航空教室等を開催し、[[成田山新勝寺]]([[成田国際空港]])や[[穴守稲荷神社]]([[東京国際空港]])、[[飛行神社]]などの航空産業と関わりの深い[[航空神社|社寺]]では、[[航空安全]]の[[祈祷]]式が執り行われる。 * 若者の日({{THA}}) *: [[チャクリー王朝]]の第5代国王[[ラーマ5世]]と第8代国王[[ラーマ8世]]の誕生日。 * [[バスの日]]({{JPN}}) *: [[1903年]]9月20日に、日本で初めての[[バス (交通機関)|営業バス]]が[[京都市]]内を走ったことに由来し、[[1987年]]に[[日本バス協会]]が制定。 * [[動物愛護週間]]({{JPN}}、[[9月26日]]まで) * [[お手玉]]の日({{JPN}}) *: 日本のお手玉の会が制定。[[1992年]]のこの日、第1回全国お手玉遊び大会が[[愛媛県]][[新居浜市]]で開かれた。 * コンタクトセンターの日({{JPN}}) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0920|date=2023年5月}} * 年不明 - 月曜日、フェラーズ夫人とロジャー・アクロイドの合同[[検死審問]]が行われる。(小説『[[アクロイド殺し]]』第12章) * 1953年(昭和28年)- [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の旧法眼邸で[[生首]][[風鈴]]が発見される。(小説『[[病院坂の首縊りの家]]』第1部) * 1955年(昭和30年)- [[金田一耕助]]と磯川[[警部]]が[[京都駅]]で東西に分かれる。(小説『[[悪魔の手毬唄]]』結末) * 2000年 - 東京に爆弾が投下されて50万人が死亡する。(『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1847年]] - [[ファニー・ヴァレンタイン]]、漫画・アニメ『[[スティール・ボール・ラン|ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン]]』に登場するキャラクター * [[1905年]] - 久我千歳、漫画『[[紡ぐ乙女と大正の月]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=紡ぐ乙女と大正の月 3|date=2022-08-26|publisher=[[芳文社]]|page=3|isbn=978-4832273894|author=ちうね}}</ref> * [[1985年]] - 高橋絵里子、漫画・アニメ『[[女子高生 (漫画)|女子高生girl's high]]』の主人公<ref>{{Twitter status|towa_oshima|1174977911931060225}}</ref> * [[1986年]] - 進藤ヒカル、漫画・アニメ『[[ヒカルの碁]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |title=ヒカルの碁 碁ジャス キャラクターズガイド |date=9 Apr 2002 |publisher=[[集英社]] |page=14 |author=[[ほったゆみ]] |author2=[[小畑健|小畑 健]] |author3=[[梅沢由香里]]([[日本棋院]]) |isbn=4-08-873278-2}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://frequ.jp/2228 |title=進藤ヒカルのキャラ紹介!サイと共に成長する主人公まとめ |access-date=4 May 2023 |publisher=frequ |date=2021-07-02}}</ref> * 生年不明 - メル、[[サンリオ]]の「[[ウィッシュミーメル]]」に登場するメインキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/character/wishmemell/ |title=メル |accessdate=4 May 2023 |publisher=[[サンリオ|SANRIO CO., LTD.]] |work=ウィッシュミーメル}}</ref> * 生年不明 - 柚木夏紗、アニメ『[[number24]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://number24-anime.com/character/natsusayuzuki/ |title=柚木夏紗 |access-date=4 May 2023 |publisher=[[ムービック|movic]] |work=『number24』}}</ref> * 生年不明 - アセイラム・ヴァース・アリューシア、アニメ『[[アルドノア・ゼロ]]』のヒロイン<ref>{{Cite book|和書|year=2014|title=ALDNOAH.ZERO ARCHIVEZ BOOK1:SETTINGS & DOCUMENTS|pages=12|publisher=[[アニプレックス]]}}</ref> * 生年不明 - ソラ・ハレワタール/キュアスカイ、アニメ『[[ひろがるスカイ!プリキュア]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|title=キュアスカイ/ソラ・ハレワタール |url=http://www.toei-anim.co.jp/tv/precure/character/ |access-date=4 May 2023 |publisher=[[朝日放送グループホールディングス|ABC-A]]・[[東映アニメーション]] |work=『ひろがるスカイ!プリキュア』}}</ref> * 生年不明 - 木兎光太郎、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|series=[[ジャンプ・コミックス]]|title=ハイキュー!!|publisher=集英社|isbn=978-4-08-880043-1|date=2014-04-04|volume=10巻|page=126}}</ref> * 生年不明 - 天空寺宙、漫画・アニメ『[[ド級編隊エグゼロス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|hxeros_anime|1307333626162565122}}</ref><ref>{{Twitter status|R_Kitada|1307555016199163904}}</ref> * 生年不明 - [[サファイア (ポケットモンスターSPECIAL)|サファイア]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1307591686697005056}}</ref> * 生年不明 - 天音・グレイス、アニメ『[[群青のファンファーレ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|fanfare_anime|1480857026582437889}}</ref> * 生年不明 - 橘右京、ゲーム『[[サムライスピリッツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.snk-corp.co.jp/official/samuraispirits/characters/ukyo.php |title=橘右京 |access-date=4 May 2023 |publisher=[[SNK (2001年設立の企業)|SNK CORPORATION]] |work=『SAMURAI SPIRITS』}}</ref> * 生年不明 - セルモノー・リュー、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 渡良瀬準、ゲーム・アニメ『[[はぴねす!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://windmill.suki.jp/product/6th/chara3.htm |title=渡良瀬準 |access-date=4 May 2023 |work=『はぴねす!』 |publisher=[[ういんどみる]]}}</ref> * 生年不明 - 脇山珠美、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20189 |title=脇山 珠美(わきやま たまみ) |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate= 4 May 2023 |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 霞、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/kasumi.php |title=霞 |access-date=4 May 2023 |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#永吉昴|永吉昴]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場 キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30023 |title=永吉 昴(ながよし すばる) |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate= 4 May 2023 |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 久我恭介、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_pos|910156608037990401}}</ref> <!--== その他 == *{{仮リンク|9月20日通り|it|Via Venti Settembre (Roma)}} - [[ローマ]]にある[[クイリナーレ]]広場を起点とするまっすぐな通りの名称。以前のピア通り。--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{新暦365日|9|19|9|21|[[8月20日]]|[[10月20日]]|[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]|0920|9|20}} {{1年の月と日}}
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10月20日
10月20日(じゅうがつはつか、じゅうがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から293日目(閏年では294日目)にあたり、年末まであと72日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月20日'''(じゅうがつはつか、じゅうがつにじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から293日目([[閏年]]では294日目)にあたり、年末まであと72日ある。 == できごと == [[Image:SydneyOperaHouse.jpg|thumb|190px|シドニー・オペラハウス開場(1973)]] * [[1687年]] - [[ペルー]]で[[マグニチュード|M]]8.6の地震。死者5000人。 * [[1827年]] - [[ギリシャ独立戦争]]: [[ナヴァリノの海戦]]。 * [[1870年]] - [[第1バチカン公会議]]閉会。 * [[1883年]] - [[ペルー]]と[[チリ]]が[[太平洋戦争_(1879年-1884年)|太平洋戦争]]の講和条約・[[アンコン条約]]に調印。 * [[1885年]] - [[日本]]が[[メートル条約]]に加盟。 * [[1933年]] - [[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]沖合で客船「屋島丸(946トン)」が台風接近の暴風雨により沈没<ref>別府航路の客船、須磨沖合で遭難『大阪毎日新聞』昭和8年10月21日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p47 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。乗客41人、船員26人死亡、乗客2人行方不明<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.mlit.go.jp/jmat/monoshiri/judai/judai.htm#kai |title=日本の重大海難 海員懲戒法時代(明治30年~昭和22年) |publisher=国土交通省海難審判所 |date= |accessdate=2023-02-16}}</ref>。 * [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]・[[フィリピンの戦い (1944-1945年)|フィリピンの戦い]]: [[ダグラス・マッカーサー]]率いるアメリカ軍が[[フィリピン]]・[[レイテ島]]に上陸。[[レイテ島の戦い]]が始まる。 * [[1945年]] - [[日本共産党]]機関誌『[[しんぶん赤旗|赤旗]]』が再刊。 * [[1948年]] - [[島根県]]で約300人が政令201号違反で起訴された者の釈放を求めて[[松江地方裁判所]]、[[松江刑務所]]前に押しかける。後に首謀者が騒乱罪で起訴されたが適用されず<ref>戦後騒乱罪が適用された事件『朝日新聞』昭和44年(1969年)11月11日夕刊、3版、11面</ref>。 * [[1949年]] - 日本戦歿学生手記編集委員会が戦没学生の手記を集めた『[[きけ わだつみのこえ]]』が刊行。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: 国連軍が北朝鮮の臨時首都・[[平壌直轄市|平壌]]を占領。 * [[1961年]] - [[森光子]]主演の[[舞台]]『[[放浪記]]』が[[芸術座]]で初演。 * [[1963年]] - [[日生劇場]]が開場。 * [[1967年]] - [[代々木公園]]が開園。 * [[1968年]] - [[ジャクリーン・ケネディ・オナシス|ジャクリーン・ケネディ]]がギリシャの海運王[[アリストテレス・オナシス|オナシス]]と再婚。 * [[1970年]] - 日本政府が初の[[防衛白書]]を発表。 * [[1973年]] - [[ウォーターゲート事件]]: [[土曜日の夜の虐殺]]。[[リチャード・ニクソン]]米大統領が特別検察官の[[アーチボルド・コックス]]を解任。 * 1973年 - [[シドニー・オペラハウス]]が開場。 * [[1982年]] - [[ルジニキの惨事]]。[[群集事故]]により死者340人超。 * [[1985年]] - [[成田空港問題]]: [[10.20成田現地闘争]]。 * [[1991年]] - [[インド]]北部でM6.8の地震。死者1800人。 * [[1993年]] - [[上皇后美智子|皇后美智子]]が、週刊誌などに載った批判記事による心労が元で[[赤坂御所]]にて倒れ、[[失声症]]となる。 * 1993年 - [[新右翼]]「風の会」代表の[[野村秋介]]が[[朝日新聞東京本社]]に乱入、社長室で拳銃自殺。 * [[1996年]] - [[第41回衆議院議員総選挙]]。[[小選挙区比例代表並立制]]を導入。 * [[1999年]] - [[テレビアニメ]]「[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]」放送開始。 * [[2004年]] - [[平成16年台風第23号|台風23号]]が[[高知県]][[土佐清水市]]付近に上陸。死者・行方不明者98人を出し、[[平成]]時代では最悪の台風被害。 * 2009年 - [[日本郵政]]の[[西川善文]]社長が[[郵政民営化]]見直しの責任で辞任。 * [[2011年]] - [[ムアンマル・アル=カッザーフィーの死]]: [[ムアンマル・アル=カッザーフィー]]大佐が死亡し、[[1969年]]から42年間続いた[[リビア]]の独裁政権に幕を下ろす<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2836275 リビア国民評議会、カダフィ大佐の死亡を発表] AFPBB News (2011年10月21日) 2020年12月27日閲覧。</ref><ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2908223 「カダフィ拘束」のスクープ写真から1年、当時を振り返るAFPカメラマン] AFPBB News (2012年10月22日) 2020年12月27日閲覧。</ref>。 * [[2017年]] - [[シリア民主軍]]、[[ISIL]]が首都とする[[ラッカ]]の解放を宣言<ref>{{Cite web|和書 |date=2017-10-20 |url=https://mainichi.jp/articles/20171021/k00/00m/030/086000c |title=シリア:ラッカ解放 シリア民主軍が正式発表 |publisher=毎日新聞 |accessdate=2017-10-30}}</ref>。 *[[2021年]] - 日本時間午前11時44分ごろ、同43分発生の阿蘇山の噴火を気象庁が発表。直後の同48分に[[噴火警戒レベル]]を3に引き上げる。<ref>{{Cite web|和書|title=阿蘇山が噴火 警戒レベル3に|url=https://news.yahoo.co.jp/pickup/6407484|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2021-10-20|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=熊本 阿蘇山で噴火発生 気象庁 噴火警戒レベル3に引き上げ|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211020/k10013314381000.html|website=NHKニュース|accessdate=2021-10-20|last=日本放送協会}}</ref> == 誕生日 == === 人物 === [[File:Sugita Genpaku.jpg|thumb|100px|[[蘭学者]][[杉田玄白]](1733-1817)誕生]] {{multiple image | image1 = Carjat Arthur Rimbaud 1872.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[詩人]][[アルチュール・ランボー]](1854-1891)誕生{{Squote|見つかった、何が、永遠が、海と溶け合う太陽が――『[[地獄の季節]]』}} | alt1 = アルチュール・ランボー | image2 = Kawakami Hajime.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[マルクス経済学]]に傾倒し、[[32年テーゼ]]を翻訳した[[河上肇]](1879-1946)誕生{{Squote|人は水に渇いても死ぬが溺れて死ぬ者もある。然るに今や天下の人の大多数は水に渇いて死んでいくのに、他方には水に溺れて死ぬ者もいる――『貧乏物語』}} | alt2 = 河上肇 }} {{multiple image | image1 = Ellery Queen NYWTS.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[推理小説]]作家エラリー・クイーンの1人[[エラリー・クイーン|フレデリック・ダネイ]](1905-1981)誕生(左)。ダネイと従兄弟のマンフレッド・ベニントン・リーによる共同執筆 | alt1 = アルチュール・ランボー | image2 = Sakaguchi ango.jpg | width2 = 120 | caption2 = [[作家]][[坂口安吾]](1906-1982)誕生{{Squote|人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる――『堕落論』}} | alt2 = 坂口安吾 }} [[File:Empress Michiko cropped 20140424.jpg|thumb|100px|[[上皇后美智子]](1934-)誕生]] * [[1620年]] - [[アルベルト・カイプ]]、画家(+ [[1691年]]) * [[1733年]]([[享保]]18年[[9月13日 (旧暦)|9月13日]]) - [[杉田玄白]]、[[蘭学者]](+ [[1817年]]) * [[1775年]]([[安永 (元号)|安永]]4年[[9月26日 (旧暦)|9月26日]]) - [[京極高有]]、[[豊岡藩|豊岡藩主]](+ [[1841年]]) * [[1780年]](安永9年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]) - [[鍋島斉直]]、[[佐賀藩|佐賀藩主]](+ [[1839年]]) * [[1784年]] - パーマストン子爵[[ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)|ヘンリー・ジョン・テンプル]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1865年]]) * [[1793年]]([[寛政]]5年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[渡辺崋山]]、[[画家]]、[[田原藩]]家老(+ [[1841年]]) * [[1819年]] - [[カール・ミクリ]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](+ [[1897年]]) * 1819年([[文政]]2年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[遠山友禄]]、[[苗木藩|苗木藩主]](+ [[1894年]]) * [[1825年]] - [[マーシャル・ジュウェル]]、第29代および第31代[[コネチカット州知事]]、第28代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1883年]]) * [[1854年]] - [[アルチュール・ランボー]]、[[詩人]](+ [[1891年]]) * [[1859年]] - [[ジョン・デューイ]]、[[哲学者]](+ [[1952年]]) * [[1865年]]([[慶応]]元年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[石橋忍月]]、[[文芸評論家]]、小説家(+ [[1926年]]) * [[1879年]] - [[河上肇]]、[[経済学者]](+ [[1946年]]) * [[1894年]] - [[オリーヴ・トーマス]]、[[俳優|女優]]、[[ソーシャライト]](+ [[1920年]]) * [[1900年]] - [[赤堀四郎]]、[[生化学者]](+ [[1992年]]) * [[1902年]] - [[吉川清一]]、実業家(+ [[1990年]]) * [[1903年]] - [[芥田武夫]]、[[プロ野球監督]](+ [[1987年]]) * [[1905年]] - [[エラリー・クイーン|フレデリック・ダネイ]]、作家(+ [[1982年]]) * [[1906年]] - [[坂口安吾]]、[[作家]](+ [[1955年]]) * [[1907年]] - [[大伴麟三]]、[[映画監督]](+ [[1944年]]) * [[1909年]] - [[杉山寧]]、[[日本画家]](+ [[1993年]]) * [[1911年]] - [[石津謙介]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2005年]]) * [[1915年]] - [[岡本利三]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2002年]]) * [[1916年]] - [[藤井勇]]、元プロ野球選手(+ [[1986年]]) * [[1917年]] - [[ステファン・エセル]]、 [[外交官]]、大使、人権擁護家 (+ [[2013年]]) * [[1923年]] - [[オトフリート・プロイスラー]]、[[児童文学作家]](+ [[2013年]]) * [[1925年]] - [[野中広務]]、[[政治家]](+ [[2018年]]) * [[1928年]] - [[李鵬]]、政治家(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|title=李鹏同志逝世-新华网|url=http://www.xinhuanet.com/politics/2019-07/23/c_1124789462.htm|website=www.xinhuanet.com|accessdate=2020-10-31|publisher=|date=2019-07-23}}</ref>) * [[1929年]] - [[サシュコ・ガヴリーロフ]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1930年]] - [[小沢馨]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20161001/ddf/041/060/018000c|title=訃報:小沢馨さん 85歳=元岡山県立倉敷工業高校野球部監督|publisher=毎日新聞|date=2016-10-01|accessdate=2020-11-27}}</ref>) * 1930年 - [[中島執]]、元プロ野球選手 * [[1931年]] - [[田中東雨]]、[[書家]](+ [[2017年]]) * 1931年 - [[ミッキー・マントル]]、プロ野球選手(+ [[1995年]]) * [[1932年]] - [[納谷六朗]]、[[声優]](+ [[2014年]]) * [[1933年]] - [[橋本力 (野球)|橋本力]]、元プロ野球選手、元[[俳優]](+ [[2017年]]) * 1933年 - [[浮洲重紀]]、元プロ野球選手 * [[1934年]] - [[眉村卓]]、[[小説家]] (+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書 | url = https://www.sankei.com/article/20191103-XWBOQGLQH5JT5KHBA6WLKVHKWY/ | title = 作家、眉村卓さん死去 85歳 「ねらわれた学園」「妻に捧げた1778話」、本紙「朝晴れエッセー」選考委員も | website = 産経ニュース | publisher = [[産業経済新聞社|産経新聞社]] | date = 2019-11-03 | accessdate = 2021-01-06 }}</ref>) * [[1934年]] - [[入江昭]]、[[政治学者]] * 1934年 - [[上皇后美智子]]、[[皇后|上皇后]] * [[1935年]] - [[ファビオ・クディチーニ]]、元サッカー選手 * 1935年 - [[武藤章生]]、俳優 (+[[1995年]]) * [[1936年]] - [[各務三郎]]、評論家、編集者 * [[1937年]] - [[一代のぼる]]、[[作曲家]](+ [[2000年]]) * 1937年 - [[増沢末夫]]、[[騎手]]、[[調教師]] * 1937年 - [[フアン・マリシャル]]、元プロ野球選手 * [[1938年]] - [[武邦彦]]、騎手、調教師(+ [[2016年]]) * [[1939年]] - [[原彬久]]、[[政治学者]] * 1939年 - [[森中千香良]]、元プロ野球選手(+ [[2008年]]) * [[1940年]] - [[青尾幸]]、[[アナウンサー]] * 1940年 - [[葛西敬之]]、実業家、[[東海旅客鉄道]](JR東海)[[会長]](+ [[2022年]]) * [[1941年]] - [[青森伸]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/青森伸|title=青森伸(あおもりしん)の解説 - goo人名事典|accessdate=2020-11-25}}</ref>、声優 * [[1944年]] - [[山下律夫]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]) * 1944年 - [[夢大作]]、[[コメディアン]]、[[競艇]][[評論家]] * 1944年 - [[いもとようこ]]、絵本作家 * [[1945年]] - [[堀田眞三]]、俳優 * 1945年 - [[佐賀ノ海輝一]]、元大相撲力士、元プロ野球選手(+ [[1999年]]) * [[1946年]] - [[エルフリーデ・イェリネク]]、[[小説家]]、[[劇作家]] * 1946年 - [[秋元肇 (野球)|秋元肇]]、元プロ野球選手 * [[1947年]] - [[鵜飼克雄]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[大谷泰雄]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[眞木準]]、[[コピーライター]] (+ [[2009年]]) * 1948年 - [[谷ナオミ]]、[[俳優|女優]] * [[1950年]] - [[織田あきら]]、俳優 * 1950年 - [[広井てつお]]、[[漫画家]](+ [[2008年]]) * 1950年 - [[白柳和吉]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[クラウディオ・ラニエリ]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]監督 * 1951年 - [[橋本圭一郎]]、経営者 * [[1952年]] - [[野路由紀子]]、歌手 * [[1953年]] - [[キース・ヘルナンデス]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[中島常幸]]、[[ゴルファー]] * 1954年 - [[松岡洋子 (声優)|松岡洋子]]、声優 * [[1955年]] - [[高英傑]]、プロ野球選手 * [[1956年]] - [[向谷実]]、音楽家 * 1956年 - [[辻親八]]、声優 * 1956年 - [[角南源五]]、[[ジャーナリスト]]、実業家 * [[1958年]] - [[大石大二郎]]、元プロ野球選手、監督 * 1958年 - [[山崎養世]]、[[経済評論家]] * 1958年 - [[ヴィゴ・モーテンセン]]、俳優 * 1958年 - [[イーヴォ・ポゴレリチ]]、[[ピアニスト]] * [[1959年]] - [[川西幸一]]、[[ドラマー]]([[UNICORN]]) * [[1960年]] - [[伊黒俊彦]]、[[ベーシスト]]([[ECHOES]]) * 1960年 - [[西川りゅうじん]]、[[マーケティング]]コンサルタント * [[1961年]] - [[富沢美智恵]]、声優 * [[1962年]] - [[茂木健一郎]]、[[脳科学|脳科学者]]、[[博士(理学)]] * [[1963年]] - [[西村正美]]、政治家 * [[1964年]] - [[カマラ・ハリス]]、政治家、[[アメリカ合衆国副大統領]] * 1964年 - [[山口智子]]、女優 * 1964年 - [[萩森侚子]]、声優 * 1964年 - [[相馬知実]]、元アナウンサー * [[1965年]] - [[KATSUMI]]、ミュージシャン * 1965年 - [[前田典子]]、ファッションモデル * 1965年 - [[ウィリアム・ザブカ]]、俳優 * [[1966年]] - [[ジョナサン・ハースト]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[ハービー・プリアム]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[吉沢秋絵]]、元[[タレント]](元[[おニャン子クラブ]]) * [[1970年]] - [[サンデル・ボスフケル]]、元サッカー選手 * 1970年 - [[タイガーマスク (4代目)|タイガーマスク]](4代目)、プロレスラー * [[1971年]] - [[平松省二]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[岩下賢一郎]]、アナウンサー、ディレクター * 1971年 - [[スヌープ・ドッグ]]、ヒップホップ[[MC (ヒップホップ)|MC]]、俳優 * 1971年 - [[ダニー・ミノーグ]]、歌手、女優 * [[1972年]] - [[石橋真]]、アナウンサー * 1972年 - [[本村伸子]]、政治家 * 1972年 - [[小菅真美]]、声優 * [[1975年]] - [[周防彰悟]]、[[音楽プロデューサー]] * 1975年 - [[原田郁子]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[クラムボン (バンド)|クラムボン]]) * 1975年 - [[キャプテン渡辺]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]] * 1975年 - [[横井健一]]、元アナウンサー * [[1976年]] - [[添野豪]]、俳優、元お笑い芸人(元[[アルカリ三世]]) * [[1978年]] - [[平尾由希]]、元アナウンサー * 1978年 - [[松尾れい子]]、女優 * 1978年 - [[平野ノラ]]、お笑いタレント * [[1979年]] - [[高野真太郎]]、ミュージシャン(元[[CHARCOAL FILTER]]) * 1979年 - [[ポール・アンソニー・テレック]]、陸上競技選手 * 1979年 - [[森田洋平 (アナウンサー)|森田洋平]]、アナウンサー * [[1980年]] - [[山村宏太]]、[[バレーボール選手]] * [[1981年]] - [[杉本明洋]]、陸上選手 * [[1982年]] - [[石田充]]、アナウンサー * [[1983年]] - [[山田孝之]]、俳優 * 1983年 - [[ミシェル・フォルム]]、元サッカー選手 * [[1984年]] - [[高田あゆみ]]、歌手([[キャナァーリ倶楽部]]) * 1984年 - [[長谷実果]]、歌手 * [[1985年]] - [[橘佳奈]]、歌手(元[[Dream (音楽グループ)|DRM]]) * 1985年 - [[牧野志帆]]、タレント * [[1986年]] - [[池田圭 (サッカー選手)|池田圭]]、サッカー選手 * 1986年 - [[松崎祐介]]、タレント、アイドル([[ふぉ〜ゆ〜]]) * 1986年 - [[山口理恵]]、元声優、元歌手 * [[1987年]] - [[河合郁人]]、タレント、アイドル([[A.B.C-Z]]) * 1987年 - [[戸村健次]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[角一晃]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[米良はるか]]、[[実業家]] * 1987年 - [[小松野希海]]、ミュージカル女優 * [[1988年]] - [[新垣里沙]]、歌手(元[[モーニング娘。]]) * 1988年 - [[足助美岐子]]、元タレント * 1988年 - [[馬龍]]、[[卓球]]選手 * 1988年 - [[フランセナ・マッコロリー]]、陸上競技選手 * 1988年 - [[キャンディス・スワンポール]]、ファッションモデル * [[1989年]] - [[伊原茉莉花]]、タレント、女優 * 1989年 - [[ジェス・グリン]]、[[シンガーソングライター]] * [[1990年]] - [[柳生みゆ]]、[[ファッションモデル]]、女優、[[タレント]] * 1990年 - [[伊藤祐介]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[竹下真吾]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[後藤紗亜弥]]、歌手 * 1990年 - [[上野真未]]、タレント * 1990年 - [[クセニア・ドロニナ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1990年 - [[菅野英樹]]、声優 * [[1992年]] - [[マッティア・デ・シリオ]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[Rainych]]、歌手、YouTuber * [[1993年]] - [[古村徹]]、元プロ野球選手 * 1993年 - [[原田修佑]]、元アナウンサー * [[1995年]] - [[遊馬晃祐]]、俳優 * 1995年 - [[二瓶有加]]、歌手(元[[PINK CRES.]]) * [[1996年]] - [[三浦透子]]、女優 * 1996年 - [[ギャビー]]、ファッションモデル * [[1997年]] - [[藤原樹]]、俳優、ダンサー([[THE RAMPAGE from EXILE TRIBE]]) * 1997年 - [[前田大然]]、サッカー選手 * 1997年 - [[岡本桃香]]、フリーアナウンサー * [[1998年]] - [[ReoNa]]、歌手 * [[1999年]] - [[新沼希空]]<ref>{{Cite web|和書 | url=http://www.helloproject.com/tsubakifactory/profile/kisora_niinuma/ | title=つばきファクトリー 新沼希空プロフィール | work=ハロー!プロジェクト オフィシャルサイト | accessdate=2021-01-13}}</ref>、アイドル([[つばきファクトリー]]) * 1999年 - [[チュウ (歌手)|チュウ]]、歌手(元[[今月の少女]]) * [[2003年]] - [[松川虎生]]、プロ野球選手 * [[2004年]] - [[岡村美波]]、アイドル([[BEYOOOOONDS]]) * 生年不明 - [[河合優子 (ピアニスト)|河合優子]]、ピアニスト === 人物以外(動物など) === *[[1996年]] - [[シャバーニ]]、[[ニシローランドゴリラ]] *[[1999年]] - [[まさお君]]、[[ラブラドール・レトリバー]](+ [[2006年]]) == 忌日 == {{multiple image | image1 = Muso soseki.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[禅僧]][[夢窓疎石]](1275-1351)没。[[天龍寺]]や全国の[[安国寺利生塔|安国寺]]を建立し、7度の国師号を賜与された | alt1 = 夢窓疎石 | image2 = TanomuraChikuden田能村竹田.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[岡藩]]出身の[[南画]]家[[田能村竹田]](1777-1885)没 | alt2 = 田能村竹田 }} {{multiple image | footer = [[イギリス]]の[[探検家]][[リチャード・フランシス・バートン]](1821-1890)没。『[[千夜一夜物語]]』翻訳など、19世紀を代表する冒険家 | image1 = RichardFrancisBurton.jpeg | width1 = 100 | alt1 = バートン | image2 = Burtontomb1.jpg | width2 = 120 | alt2 = バートンの墓碑 }} [[File:Muammar al-Gaddafi at the AU summit.jpg|thumb|120px|[[リビア]]の独裁指導者カダフィ大佐こと[[ムアンマル・アル=カッザーフィー]](1942-2011)[[2011年リビア内戦]]で政権崩壊し、殺害される]] * [[891年]]([[寛平]]3年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[源興基]]、[[皇族]]、[[官人]](* 生年不詳) * [[1139年]] - [[ハインリヒ10世 (バイエルン公)|ハインリヒ10世]]、[[バイエルン大公]]、[[ザクセン君主一覧|ザクセン大公]](* [[1108年]]頃) * [[1351年]]([[観応]]2年[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]) - [[夢窓疎石]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[僧]](* [[1275年]]) * [[1438年]] - [[ヤコポ・デッラ・クエルチャ]]、[[彫刻家]](* [[1374年]]頃) * [[1516年]] - [[ジュリアーノ・ダ・サンガッロ]]、[[建築家]](* [[1445年]]) * [[1631年]] - [[ミヒャエル・メストリン]]、[[天文学者]](* [[1550年]]) * [[1740年]] - [[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1685年]]) * [[1762年]]([[宝暦]]12年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]) - [[前田利幸]]、第5代[[富山藩|富山藩主]](* [[1730年]]) * [[1835年]](天保6年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]) - [[田能村竹田]]、[[南画]]家(* [[1777年]]) * [[1842年]]([[天保]]13年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[閑院宮愛仁親王]]、[[江戸時代]]の皇族(* [[1818年]]) * [[1865年]]([[慶応]]元年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[松原忠司]]、[[新選組]]副長助勤(* [[1835年]]?) * [[1890年]] - [[リチャード・フランシス・バートン]]、[[探検家]](* [[1821年]]) * [[1896年]] - [[フェリックス・チスラン]]、天文学者(* [[1845年]]) * [[1906年]] - [[バック・ユーイング]]、[[プロ野球選手]](* [[1859年]]) * [[1909年]] - [[正親町三条実愛|嵯峨実愛]]、[[幕末]]の[[公卿]](* [[1820年]]) * [[1916年]] - [[高松凌雲]]、[[医師]](* [[1837年]]) * [[1931年]] - [[エマヌエル・モール]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]]、楽器発明家(* [[1863年]]) * [[1936年]] - [[アン・サリヴァン]]、[[教育者]](* [[1866年]]) * [[1942年]] - [[フレデリック・ストック]]、[[指揮者]](* [[1872年]]) * [[1944年]] - [[萩武]]、[[野球選手]](* [[1920年]]) * [[1950年]] - [[ヘンリー・スティムソン]]、[[アメリカ合衆国国務長官]]・[[アメリカ合衆国陸軍長官|陸軍長官]](* [[1867年]]) * [[1952年]] - [[ミハイル・ロストフツェフ]]、[[歴史学者]]、[[経済学者]](* [[1870年]]) * [[1959年]] - [[阿部次郎]]、[[哲学者]]、[[美学者]]、[[作家]](* [[1883年]]) * [[1964年]] - [[ハーバート・フーヴァー]]、第31代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1874年]]) * [[1965年]] - [[黒島亀人]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[少将]](* [[1893年]]) * [[1967年]] - [[吉田茂]]、元[[内閣総理大臣]](* [[1878年]]) * [[1971年]] - [[当間重剛]]、元[[那覇市|那覇市長]]、[[琉球政府]][[行政主席]](* [[1895年]]) * [[1972年]] - [[ハーロー・シャプレー]]、天文学者(* [[1885年]]) * [[1976年]] - [[金子大栄]]、[[仏教]][[思想家]](* [[1881年]]) * [[1977年]] - [[瀬藤象二]]、[[電気工学|電気工学者]](* [[1891年]]) * [[1978年]] - [[グンナー・ニルソン]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーシングドライバー(* [[1948年]]) * [[1979年]] - [[中村裕二]]、元野球選手(* [[1949年]]) * [[1980年]] - [[ロバート・ホイッタカー]]、[[生物学者]](* [[1920年]]) * [[1984年]] - [[ポール・ディラック]]、[[物理学者]](* [[1902年]]) * 1984年 - [[マキノ智子]]、[[俳優|女優]](* [[1907年]]) * 1984年 - [[ピエール・カスト]]、[[映画監督]](* [[1920年]]) * [[1985年]] - [[浦山桐郎]]、映画監督(* [[1930年]]) * [[1987年]] - [[アンドレイ・コルモゴロフ]]、[[数学者]](* [[1903年]]) * [[1991年]] - [[勝田正之]]、[[実業家]](* [[1912年]]) * [[1993年]] - [[杉山寧]]、[[日本画家]](* [[1909年]]) * 1993年 - [[野村秋介]]、[[新右翼]]活動家(* [[1935年]]) * 1993年 - [[山本安英]]、[[新劇]]女優(* [[1906年]]) * [[1994年]] - [[バート・ランカスター]]、[[俳優]](* [[1913年]]) * 1994年 - [[セルゲイ・ボンダルチュク]]、俳優、映画監督、[[脚本家]](* [[1920年]]) * [[1998年]] - [[廣慶太郎]]、実業家(* [[1908年]]) * [[2002年]] - [[メル・ハーダー]]、プロ野球選手(* [[1909年]]) * [[2003年]] - [[ジャック・イーラム]]、俳優(* [[1918年]]) * [[2006年]] - [[ジェーン・ワイアット]]、女優(* [[1910年]]) * 2006年 - [[マキシ・ヘルバー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1920年]]) * 2006年 - [[藤岡琢也]]、俳優(* [[1930年]]) * 2006年 - [[中村源左衞門 (2代目)]]、[[歌舞伎役者]](* [[1934年]]) * [[2008年]] - [[ジョー・ルーツ]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](* [[1925年]]) * 2008年 - [[土田晃透]]、元[[明治生命保険]]社長(* [[1921年]]) * 2008年 - [[ピエール・サンカン]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1916年]]) * [[2011年]] - [[ムアンマル・アル=カッザーフィー]]、[[リビア]]革命指導者、リビア首相(* [[1942年]]) * [[2012年]] - [[エドワード・ドナル・トーマス]]、医学者(* [[1920年]]) * [[2013年]] - [[ローレンス・クライン]]、経済学者(* [[1920年]]) * 2013年 - [[天野祐吉]]、[[コラムニスト]](* [[1933年]]) * [[2016年]] - [[肝付兼太]]<ref name="oricon1024">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2080417/full/|title=声優の肝付兼太さん死去 『ドラえもん』初代スネ夫役|accessdate=2020-11-10|date=2016-10-24|publisher=ORICON STYLE}}</ref>、声優(* [[1935年]]) * 2016年 - [[田部井淳子]]、[[登山家]](* [[1939年]]) * 2016年 - [[平尾誠二]]、元ラグビー選手、元日本代表監督(* [[1963年]]) * 2016年 - [[小路啓之]]、[[漫画家]](* [[1970年]]) * [[2018年]] - [[芦田淳]]<ref>{{Cite news|title=デザイナーの芦田淳さん死去 皇族の服も手がける|date=2018-10-22|url=https://www.asahi.com/articles/ASLBQ5J2VLBQUCLV01G.html|newspaper=朝日新聞|accessdate=2020-11-25}}</ref>、[[ファッションデザイナー]](* [[1930年]]) * [[2020年]] - [[芦沢俊郎]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oita-press.co.jp/1002000000/2020/10/21/NP2020102101001874|title=芦沢俊郎氏死去 Gate|publisher=大分合同新聞プレミアムオンライン|date=2020-10-21|accessdate=2020-12-12}}</ref><ref>{{Cite news2|title=芦沢俊郎さん死去 脚本家、元日本シナリオ作家協会理事|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/63427/|newspaper=[[東京新聞]]|agency=[[中日新聞社]]|date=2020-10-22|accessdate=2020-11-08}}</ref>、脚本家(* [[1930年]]) * 2020年 - [[片岡知子]]、[[音楽家]]([[インスタントシトロン]])(* [[1969年]]) * [[2022年]] - [[山田三郎 (実業家)|山田三郎]]、実業家(* [[1930年]]) * [[2023年]] - [[中庸助]]、俳優 声優(* [[1930年]]) == 記念日・年中行事 == * [[ジョモ・ケニヤッタ|ケニヤッタ]]デー({{KEN}}) * [[革命記念日]]({{GTM}}) * [[えびす講]]({{JPN}}) * [[地久節|皇后誕生日]]({{JPN}} [[1989年]] - [[2018年]]) * [[世界骨粗鬆症デー]]([[国際デー]]) * [[統計の日#世界統計デー|世界統計デー]] (国際デー) * [[リサイクル]]の日({{JPN}}) *:日本リサイクルネットワーク会議が[[1990年]]に制定。日付は、「ひとまわり」(10)&「ふたまわり」(20)の語呂合わせ<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www-cycle.nies.go.jp/magazine/mame/202012.html |title=ごみ・リサイクルの記念日 リサイクルの日 |access-date=2022-11-13 |publisher=国立環境研究所 資源循環・廃棄物研究センター}}</ref>。 * [[新聞広告]]の日({{JPN}}) *: [[日本新聞協会]]が[[1958年]]に制定。日付は、10月15日からの[[新聞週間]]の中の区切りのよい20日とした<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=164|isbn=978-4-422-02115-7}}</ref>。 * 頭髪の日({{JPN}}) *: 日本毛髪科学協会が[[1977年]]に制定。頭髪や頭皮に関する知識の普及を目指すことを目的に、10月20日を「頭髪の日」とした<ref>{{Cite web|和書 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000186.000013377.html |title=10月20日は「頭髪の日」髪に必要なのはバランスの良い食生活と良質な睡眠 |access-date=2022-11-13 |publisher=PR TIMES |date=2018-10-15}}</ref>。日付は 「とう(10)はつ(20)」の語呂合せ。 * ヘアブラシの日({{JPN}}) *: 全日本ブラシ工業協同組合が[[1996年]]に制定。頭髪「とう(10)はつ(20)」の語呂合せで、ヘアブラシの日と決められた<ref>{{Cite web|和書 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000133.000009321.html |title=10月20日はヘアブラシの日 ヘアブラシの選び方にこだわりはあるのか? |access-date=2022-11-13 |publisher=PR TIMES |date=2022-09-15}}</ref>。 * [[疼痛]]ゼロの日({{JPN}}) *: 「とう(10)つう(two)ゼロ(0)」の語呂合せ。疼痛治療に関する情報提供を行っていた非営利団体JPAP(Japan Partners Against Pain※解散済)が制定。 * 群青忌 *: [[右翼]]活動家・[[野村秋介]]の自決日を追悼。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1020|date=2011年7月}} * 1930年(昭和5年)- 古舘一人[[伯爵]]が、妻の加奈子を斬り殺し尾形静馬の左腕を切り落としたが、静馬の返り討ちで斬殺された。(小説『[[迷路荘の惨劇]]』発端) * 1937年(昭和12年)- [[ソプラノ]][[歌手]]原さくらの死体が[[コントラバス]]のケースから転がり出る。(小説『[[蝶々殺人事件]]』第1章) * [[2035年]] - 第82回聖桜学園祭開催(アニメ・漫画『[[がくえんゆーとぴあ まなびストレート!]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0081年 - [[地球連邦軍]]と[[アナハイム・エレクトロニクス]]との共同による[[ガンダム開発計画]]始動。(『[[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY]]』) * 年不明 - 秘密組織「UB」の女性エージェントである篠塚高(No.9)が、後に組織公認の伴侶となる護衛対象者の橘慎悟を護衛すべく、「男子生徒」と性別を偽って転入生という形で潜入。(漫画『[[9番目のムサシ]]』第1シリーズ「DUTY7:メッセージ(1)」) === 誕生日(フィクション) === * [[1955年]] - 鷹羽俊/アステカイザー、特撮『[[プロレスの星 アステカイザー]]』の主人公<ref>第10話の調査データより</ref> * [[1971年]] - 樹多正彦、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=大場つぐみ|authorlink1=大場つぐみ|author2=小畑健|authorlink2=小畑健 |year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 30 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9}}</ref> * [[1985年]] - セガ・マークⅢ、アニメ『[[セガ・ハード・ガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://shg.sega.jp/chara.html |title=キャラクター セガ・マークⅢ |access-date=2022-08-27 |publisher=セガ ハード・ガールズ公式サイト}}</ref> *生年不明 - 穂月もみじ、漫画・アニメ『[[お兄ちゃんはおしまい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onimai.jp/character/momiji.html|title=穂月もみじ |access-date=2023-02-11 |publisher=[[ねことうふ]]・[[一迅社]]/「おにまい」製作委員会 |work=『お兄ちゃんはおしまい!』}}</ref> * 生年不明 - 乃木坂春香、小説・漫画・アニメ『[[乃木坂春香の秘密]]』のヒロイン<ref>{{Cite web|和書 |url=http://d-game.dengeki.com/haruka/psp/chara/index.html |title=キャラクター 乃木坂 春香 |access-date=2022-08-27 |publisher=乃木坂春香の秘密 同人誌はじめました❤️}}</ref> * 生年不明 - [[綾小路清隆]]、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/ |title=綾小路清隆 |accessdate=2022-08-27 |publisher=[[衣笠彰梧]]・KADOKAWA刊 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 天秤座の童虎、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=35 |title=天秤座(ライブラ)の童虎(ドウコ) |access-date=2023-02-01 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館 |author=[[車田正美]] |work=聖闘士星矢}}</ref><ref>『聖闘士星矢大全』 [[集英社]]、2001年、44頁。</ref> * 生年不明 - ティラノサウルス、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Tyrannosaurus.html |title=ティラノサウルス |access-date=2022-08-27 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - チェリー、漫画『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=コンプティーク|year=2009|title=らき☆すた おきらく公式ガイドブック こなたは俺をヨメ!!|publisher=角川書店|isbn=978-4-04-854420-7}}</ref> * 生年不明 - 時田萌子、漫画・アニメ『[[わかば*ガール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 高橋咲子、漫画『佐藤さんはPJK』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=佐藤さんはPJK 2巻 (まんがタイムKRコミックス) |date=2020-02-27 |publisher=[[芳文社]] |page=4}}</ref> * 生年不明 - 龍園翔、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/ryuuen.html |title=龍園翔 |accessdate=2022-08-27 |publisher=[[衣笠彰梧]]・KADOKAWA刊 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 無名(ムメイ)、アニメ・ゲーム『[[甲鉄城のカバネリ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_kabaneri|1053450786795966465}}</ref> * 生年不明 - 時雨亜沙、ゲーム・アニメ『[[SHUFFLE!]]』 ゲーム『[[Really? Really!]]』『SHUFFLE! Essence+』に登場するキャラクター<ref>『[[電撃G's magazine]]』2009年11月号、[[アスキー・メディアワークス]]、74頁。</ref> * 生年不明 - 氷上スミレ、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.aikatsu.net/03/character/02.html |title=氷上スミレ |publisher=BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO |accessdate=2022-08-27 |work=アイカツ!}}</ref> *生年不明 - 霧生典子、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130521_163931/ |title=【ガールフレンド(仮)通信41】知的でクールな風紀委員 霧生典子ちゃん(CV:白石涼子) |access-date=2022-08-27 |publisher=ファミ通App |year=2013-05-21}}</ref> *生年不明 - 高嶺アコ、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]] |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/ako.html |title=高嶺 アコ CV:ももの はるな |work=スクールガールストライカーズ2 |accessdate=2022-08-27}}</ref> * 生年不明 - シュニー、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=79&cate=name&cont=Schnee |title=シュニー |access-date=2022-08-27 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - テオドール、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=101&cate=name&cont=Theodor |title=テオドール |access-date=2022-08-27 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 保崎悦子、ゲーム・漫画・アニメ『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/hosaki-etsuko/ |title=群馬県 保崎 悦子 |access-date=2022-08-27 |publisher=アイドル事変製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 坂口安吾、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BunAl_PR|1318205324302712843}}</ref> * 生年不明 - 蓮美朔、ゲーム・アニメ『[[フットサルボーイズ!!!!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|futsal_boys|1281558789334818816}}</ref> <!-- * 2012年 - チャック・スェーガー、アニメ『[[超音戦士ボーグマン]]』に登場するキャラクター --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|20 October}} {{新暦365日|10|19|10|21|[[9月20日]]|[[11月20日]]|[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]|1020|10|20}} {{1年の月と日}}
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11月20日
11月20日(じゅういちがつはつか、じゅういちがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から324日目(閏年では325日目)にあたり、年末まであと41日ある。
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11月20日(じゅういちがつはつか、じゅういちがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から324日目(閏年では325日目)にあたり、年末まであと41日ある。
{{カレンダー 11月}} '''11月20日'''(じゅういちがつはつか、じゅういちがつにじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から324日目([[閏年]]では325日目)にあたり、年末まであと41日ある。 == できごと == * [[1578年]]([[天正]]6年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]) - [[織田信長]]に帰属していた[[荒木村重]]が謀反{{要出典|date=2021-03}}。 * [[1620年]]([[ユリウス暦]][[11月11日]]) - [[メイフラワー号]]に乗ってアメリカに渡った[[ピルグリム・ファーザーズ]]が[[メイフラワー誓約]]に署名。 * [[1805年]] - [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]唯一の[[オペラ]]『[[フィデリオ]]』が初演。ベートーヴェン自身が指揮をするが失敗。 * [[1889年]] - [[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第1番 (マーラー)|交響曲第1番]]が初演。 * [[1910年]] - [[メキシコ革命]]: [[フランシスコ・マデロ]]が[[ポルフィリオ・ディアス]]大統領の大統領選での不正と当選無効を訴えて一斉蜂起。メキシコ革命が始まる。 * [[1917年]] - [[ウクライナ]]初の近代国家となる[[ウクライナ人民共和国]]が独立を宣言。 * 1917年 - [[第一次世界大戦]]: [[カンブレーの戦い]]はじまる。 * [[1927年]] - [[御岳登山鉄道]]設立。 * [[1934年]] - [[辻政信]]らの働きかけで、[[皇道派]]の[[村中孝次]]大尉・[[磯部浅一]]一等主計ら3人と[[陸軍士官学校]]生徒5人を[[クーデター]]謀議で逮捕([[陸軍士官学校事件]])。 * [[1936年]] - [[秋田県]][[鹿角市]]にあった[[尾去沢鉱山]]で[[鉱滓ダム]]が決壊。下流の住宅街や商店街が流失するなどして<ref>鉱毒水沈殿用ダムが決壊、三百戸埋没『東京日日新聞』昭和11年11月21日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p199 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>死者362人。 * [[1937年]] - [[国民政府]]([[蔣介石政権]])が南京から重慶への遷都を宣言。 * [[1938年]] - [[岩波書店]]が「[[岩波新書]]」の刊行を開始。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ハンガリー]]、[[ルーマニア]]、[[スロバキア]]が[[日独伊三国同盟]]に加盟。 * [[1945年]] - [[ドイツ]]の[[ニュルンベルク]]で[[第二次世界大戦]]の戦犯を裁く国際軍事裁判([[ニュルンベルク裁判]])が始まる。 * [[1947年]] - [[イギリス]]のエリザベス王女(後の国王[[エリザベス2世]])と[[フィリップ (エディンバラ公)|エディンバラ公フィリップ]]が結婚。 * 1947年 - [[任天堂]]設立。 * [[1948年]] - 日本初の[[競輪]]が[[小倉競輪場]]で開始。 * [[1954年]] - 神奈川県[[相模原市]]が市制施行。 * [[1962年]] - [[京葉臨海鉄道]]設立。 * [[1963年]] - 国連総会で人種差別撤廃宣言を採択。 * [[1970年]] - [[関東地方]]から[[東北地方]]南部の太平洋沿岸に[[集中豪雨]]。[[東京都]]内で約500戸が床上、床下浸水<ref>38年ぶり初冬の大雨 都内で五百戸が浸水 常磐線がズタズタ『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月20日夕刊 3面 11面</ref>。[[千葉県]]内で死者3人、床上、床下浸水約2000戸。[[常磐線]]が[[福島県]]内など各地で寸断<ref>大雨北上、東北で被害 常磐線、また普通『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月21日朝刊 12版 23面</ref>。 * 1970年 - 都市交通労連による時限[[ストライキ]]が発生。[[東京都]]下、[[兵庫県]][[姫路市]]、[[山口県]][[宇部市]]のバスなどが始発から1時間止まる<ref>交通ストで七万の足乱れる『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月20日夕刊 3面 11面</ref>。 * [[1971年]] - [[中華航空825便爆破事件]]。 * [[1979年]] - [[アル=ハラム・モスク占拠事件]]。 * [[1980年]] - [[文化大革命]]を指導した[[四人組]]の裁判が開始。 * 1980年 - [[川治プリンスホテル火災]]。死者数45名。 * [[1981年]] - [[野岩鉄道]]設立。 * [[1985年]] - [[マイクロソフト]]が[[Microsoft Windows 1.0]]を発売。 * [[1992年]] - [[イギリス王室]]の離宮・[[ウィンザー城]]で火災([[1992年ウィンザー城火災]])。 * [[1998年]] - [[国際宇宙ステーション]]の最初のモジュール「[[ザーリャ]]」が[[カザフスタン]]の[[バイコヌール宇宙基地]]から打上げ。 * 1998年 - アメリカ[[マサチューセッツ州]][[ボストン]]近郊で[[トランスジェンダー]]の{{仮リンク|リタ・ヘスター|de|Rita Hester|fr|Rita Hester}}が惨殺された([[トランスジェンダー追悼の日]]の由来)。 * [[2000年]] - [[加藤紘一]]が[[森内閣]]倒閣を宣言し、[[内閣不信任案]]賛成を言明するも直前で断念する([[加藤の乱]])。 * [[2001年]] - [[シアトル・マリナーズ]]の[[イチロー]]が、[[メジャーリーグベースボール]]で日本人初の[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]を獲得。 * [[2005年]] - 日本の小惑星探査機「[[はやぶさ (探査機)|はやぶさ]]」が小惑星[[イトカワ (小惑星)|イトカワ]]の岩石の採取を試みるも失敗し、イトカワの地表に不時着。 * [[2007年]] - 改正[[出入国管理及び難民認定法]]施行。一部の例外を除き、外国人の指紋採取・写真撮影の義務化がスタート<ref>{{Cite web|和書 |date=2008-01-10 |url=https://www.kantei.go.jp/jp/q&a/archive/20080110a.html |title=お答えします |publisher=首相官邸 |accessdate=2018-02-12}}</ref>。 * [[2013年]] - [[小笠原諸島]]の無人島、[[西之島]]近海で39年ぶりに噴火が発生<ref>{{Cite news|url=https://news.ntv.co.jp/category/society/240673|title=小笠原諸島で噴火“新しい島”を確認|newspaper=[[日テレNEWS24]]|publisher=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]|date=2013-11-21|accessdate=2020-12-30}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2004X_Q3A121C1CC1000/|title=小笠原・西之島周辺で噴火 海保が警戒呼びかけ|newspaper=[[日本経済新聞]]|publisher=[[日本経済新聞社]]|date=2013-11-20|accessdate=2020-12-30}}</ref>。 * [[2020年]] - [[国立天文台ハワイ観測所すばる望遠鏡]]が、地球から約580万kmの距離にあるはやぶさ2を捉える<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nao.ac.jp/news/topics/2020/20201126-subaru.html|title=すばる望遠鏡、一足先に「はやぶさ2」を出迎える|publisher=[[国立天文台]](NAOJ)|date=2020-11-26|accessdate=2020-12-30}}</ref>。 == 誕生日 == * [[1619年]]([[元和 (日本)|元和]]5年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[山名矩豊]]、[[村岡藩|村岡領主]](+ [[1698年]]) * [[1625年]] - [[パウルス・ポッテル]]、[[画家]](+ [[1654年]]) * [[1646年]]([[正保]]3年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[松平重栄]]、第2代[[杵築藩|杵築藩主]](+ [[1720年]]) * [[1689年]]([[元禄]]2年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[加藤泰統]]、第4代[[大洲藩|大洲藩主]](+ [[1727年]]) * [[1696年]]([[元禄]]9年[[10月26日 (旧暦)|10月26日]]) - [[徳川宗春]]、第7代[[尾張藩|尾張藩主]](+ [[1764年]]) * [[1752年]] - [[トーマス・チャタートン]]、[[詩人]](+ [[1770年]]) * [[1753年]] - [[ルイ=アレクサンドル・ベルティエ]]、[[軍人]](+ [[1815年]]) * [[1779年]]([[安永 (元号)|安永]]3年10月13日) - [[酒井忠実]]、第4代[[姫路藩|姫路藩主]](+ [[1848年]]) * [[1803年]]([[ユリウス暦]][[11月8日]]) - [[エフィム・プチャーチン]]、海軍将官(+ [[1883年]]) * [[1834年]]([[天保]]3年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]) - [[大関増昭]]、第13代[[黒羽藩|黒羽藩主]](+ [[1856年]]) * [[1840年]](天保11年[[10月27日 (旧暦)|10月27日]]) - [[小笠原貞正]]、第9代[[小倉新田藩|小倉新田藩主]](+ [[1906年]]) * [[1843年]](天保14年閏[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - [[品川弥二郎]]、[[長州藩|長州藩士]]・[[政治家]](+ [[1900年]]) * [[1851年]] - [[マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ]]、[[イタリア王国|イタリア]]王妃(+ [[1926年]]) * [[1858年]] - [[セルマ・ラーゲルレーヴ]]、[[小説家]](+ [[1940年]]) * [[1862年]] - [[ジョルジュ・パラント]]、[[思想]]家、[[哲学|哲学者]](+ [[1925年]]) * 1862年 - [[エドワード・ウェスターマーク]]、哲学者、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[1939年]]) * 1862年 - [[ダン・ケイシー]]、[[プロ野球選手]](+ [[1943年]]) * [[1866年]] - [[ケネソー・マウンテン・ランディス]]、MLB[[コミッショナー]](+ [[1944年]]) * [[1869年]] - [[クラーク・グリフィス]]、元プロ野球選手(+ [[1955年]]) * [[1871年]] - [[ウィリアム・ヒアド・キルパトリック]]、[[教育学|教育学者]](+ [[1965年]]) * [[1886年]] - [[カール・フォン・フリッシュ]]、動物行動学者(+ [[1982年]]) * [[1889年]] - [[エドウィン・ハッブル]]、[[天文学者]](+ [[1953年]]) * 1889年 - [[中井一夫]]、[[裁判官]]、[[弁護士]]、[[政治家]](+ [[1991年]]) * 1889年 - [[小野竹喬]]、[[日本画家]](+ [[1979年]]) * [[1892年]] - [[末川博]]、[[民法]]学者(+ [[1977年]]) * [[1896年]] - [[林達夫]]、[[思想]]家、[[評論家]](+ [[1984年]]) * [[1897年]] - [[中島清次郎]]、[[寿司職人]](+ [[1972年]]) * [[1899年]] - [[田嶋一雄]]、[[実業家]]、[[ミノルタ|ミノルタカメラ]]創業者(+ [[1985年]]) * [[1903年]] - [[アレクサンドラ・ダニロワ]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[1997年]]) * [[1904年]] - [[中馬馨]]、政治家、第13代[[大阪市長]](+ [[1971年]]) * [[1907年]] - [[アンリ=ジョルジュ・クルーゾー]]、[[映画監督]](+ [[1977年]]) * [[1912年]] - [[オットー・フォン・ハプスブルク]]、[[ハプスブルク家]]当主(+ [[2011年]]) * [[1913年]] - [[ヤコフ・ザーク]]、[[ピアニスト]](+ [[1976年]]) * [[1914年]] - [[エミリオ・プッチ]]、[[ファッションデザイナー]]、政治家(+ [[1992年]]) * 1914年 - [[見坊豪紀]]、[[日本語学|国語学]]者(+ [[1992年]]) * [[1915年]] - [[市川崑]]、[[映画監督]](+ [[2008年]]) * 1915年 - [[庄野英二]]、[[児童文学|児童文学者]](+ [[1993年]]) * 1915年 - [[胡耀邦]]、[[政治家]]、[[中国共産党]]総書記・党主席(+ [[1989年]]) * [[1922年]] - [[ノエル・ミュートン=ウッド]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1953年]]) * 1922年 - [[野村泰治]]、アナウンサー(+ [[2002年]]) * [[1923年]] - [[ナディン・ゴーディマー]]、作家 (+ [[2014年]]) * [[1924年]] - [[ブノワ・マンデルブロ]]、[[数学者]](+ [[2010年]]) * [[1925年]] - [[ロバート・ケネディ]]、政治家(+ [[1968年]]) * 1925年 - [[マイヤ・プリセツカヤ]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[2015年]]) * 1925年 - [[三木久一]]、元プロ野球選手(+ [[1948年]]) * [[1926年]] - [[根本陸夫]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]](+ [[1999年]]) * 1926年 - [[赤羽賢司]]、[[天文学者]](+ [[2015年]]) * [[1932年]] - [[内藤ルネ]]、[[イラストレーター]](+ [[2007年]]) * 1932年 - [[萬屋錦之介]]、[[俳優]](+ [[1997年]]) * [[1934年]] - [[蓜島久美]]、元プロ野球選手 * [[1936年]] - [[ドン・デリーロ]]、[[小説家]]、[[劇作家]] * [[1937年]] - [[ルース・ラレード]]、[[ピアニスト]](+ [[2005年]]) * [[1941年]] - [[清國勝雄]]、元大相撲力士、年寄7代[[伊勢ヶ濱]] * 1941年 - [[前川芳男]]、[[プロ野球審判員]] * [[1942年]] - [[大沢昇]]、元[[空手道|空手家]]、元[[ボクサー (スポーツ)|ボクサー]]、元[[キックボクサー]] * 1942年 - [[ジョー・バイデン]]、政治家、第46代[[アメリカ合衆国]][[歴代アメリカ合衆国大統領の一覧|大統領]] * [[1943年]] - [[浜美枝]]、女優 * [[1945年]] - [[リック・マンデイ]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[デュアン・オールマン]]、[[ギタリスト]](+ [[1971年]]) * 1946年 - [[猪瀬直樹]]、[[ノンフィクション作家]]、政治家、第18代[[東京都知事]] * 1946年 - [[徳永二男]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1947年]] - [[ジョー・ウォルシュ]]、[[音楽家]] * 1947年 - [[上甲秀男]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[坂元龍三]]、実業家 * [[1948年]] - [[篠塚建次郎]]、[[ラリー]]ドライバー * [[1950年]] - [[渥美マリ]]、元女優、[[歌手]] * [[1951年]] - [[柴田林太郎]]、俳優 * [[1954年]] - [[島田敏]]<ref name="goo人名事典">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/島田敏|title=島田敏(しまだびん)の解説 - goo人名事典|accessdate=2020-11-06}}</ref>、[[声優]] * 1954年 - [[和田京平]]、[[審判員|レフェリー]] * [[1957年]] - [[ステファン・ベロフ]]、カーレーサー(+ [[1985年]]) * 1957年 - [[竹島将]]、作家(+ [[1990年]]) * [[1960年]] - [[坪田まり子]]、[[キャリアカウンセラー]]、元歌手、女優 * 1960年 - [[崔一九]]、放送記者 * [[1961年]] - [[ピエール・エルメ]]、[[パティシエ]]、[[ショコラティエ]] * 1961年 - [[山口英彰]]、[[水産庁]][[長官]] * [[1962年]] - [[あさりよしとお]]、[[漫画家]] * 1962年 - [[ラージクマール・ヒラーニ]]、映画監督 * [[1963年]] - [[ジム・ワトキンス]]、[[実業家]]、[[2ちゃんねる]]管理人 * 1963年 - [[鈴木貴久]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]]) * 1963年 - [[ミン・ナ]]、女優、声優 * 1963年 - [[小林千絵]]、歌手、[[タレント]] * 1963年 - [[川本和宏]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[万延海]]、エイズ研究者、人権活動家 * [[1964年]] - [[アンドレイ・カラシニコフ]]、[[レスリング]]選手 * 1964年 - [[さくま良子]]、漫画家 * 1964年 - [[上別府仁資]]、声優 * 1964年 - [[室塚一也]]、プロ[[車いすマラソン]]ランナー * [[1965年]] - [[草尾毅]]<ref name="allcinema">{{Cite web|和書|url=https://www.allcinema.net/person/123878|title=草尾毅 のプロフィール - allcinema|accessdate=2020-11-10}}</ref>、声優 * 1965年 - [[YOSHIKI]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[X JAPAN]]) * 1965年 - [[光山英和]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[高田佳枝]]、卓球選手 * [[1967年]] - [[金谷俊一郎]]、歴史コメンテーター、塾講師 * [[1969年]] - [[ポール・シェアリング]]、[[脚本家]] * 1969年 - [[芙苑晶]]、[[音楽家]] * 1969年 - [[sakura (ドラマー)|sakura]]、[[ドラマー]](元[[L'Arc〜en〜Ciel]]、[[SONS OF ALL PUSSYS]]、[[Lion Heads]]) * 1969年 - [[八木さおり]]、女優 * [[1970年]] - [[佐野康之]]、声優(+ [[2020年]]) * 1970年 - [[原久美子]]、女優、タレント * [[1971年]] - [[さくまひでき]]、ミュージシャン * [[1972年]] - [[山田広二]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[比嘉俊次]]、アナウンサー * [[1973年]] - [[南雲玲生]]、[[作曲家]]、[[ゲームクリエイター]] * 1973年 - [[SU (RIP SLYME)|SU]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]](元[[RIP SLYME]]) * 1973年 - [[荒木慶大]]、元野球選手、元[[プロボクサー]] * [[1974年]] - [[島田大介]]、映像作家、写真家、アートディレクター * 1974年 - [[ハチミツ二郎]]、[[お笑いタレント]]([[東京ダイナマイト]]) * [[1975年]] - [[水野あおい]]、元[[ライブアイドル|地下アイドル]] * 1975年 - [[桜沢菜々子]]、元[[AV女優]] * 1975年 - [[TAIGA]]、お笑いタレント * [[1976年]] - [[米山篤志]]、元[[サッカー]]選手 * [[1977年]] - [[ダニエル・スヴェンソン]]、ミュージシャン * [[1978年]] - [[森圭介]]、アナウンサー * 1978年 - [[BUCCI]]、MC(元[[ET-KING]]) <!-- 特筆性は? * [[1979年]] - ドラマチック貞、お笑いタレント([[スーパースター (お笑いコンビ)|スーパースター]]) --> * [[1980年]] - [[小池栄子]]、女優、タレント * [[1981年]] - [[西原玲奈]]、元[[騎手]]、調教助手 * 1981年 - [[川口悠子]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1981年 - [[藤田大介]]、アナウンサー * 1981年 - [[キンバリー・ウォルシュ]]、ミュージシャン([[ガールズ・アラウド]]) * 1981年 - [[サム・ファルド]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[グレゴール・ウルバス]]、フィギュアスケート選手 * [[1983年]] - [[フューチャー (ラッパー)|フューチャー]]、[[MC (ヒップホップ)|ラッパー]] * [[1984年]] - [[目黒萌絵]]、元[[カーリング]]選手 * 1984年 - [[山添拓]]、政治家 * [[1985年]] - [[藤井宏海]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[マリア・ムホルトワ]]、フィギュアスケート選手 * [[1986年]] - [[塚越広大]]、レーシングドライバー * 1986年 - [[堀越耕平]]、漫画家 * 1986年 - [[アレックス・ゲレーロ]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[カルロス・エドゥアルド・サントス・オリベイラ]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[池田朋子]]、女優、声優 * 1987年 - [[平野潤也]]、俳優、声優 * 1987年 - [[藤村鼓乃美]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/藤村鼓乃美/|title=藤村鼓乃美(ふじむらこのみ)の解説|work=goo人名事典|accessdate=2020-11-13}}</ref>、声優 <!-- 特筆性は? * [[1988年]] - 中村一太、ミュージシャン([[plenty]]) --> * [[1989年]] - [[アゴン・メーメティ]]、サッカー選手 * 1989年 - [[ホームランなみち]]、タレント * [[1990年]] - [[大和侑也]]、プロ[[キックボクサー]] * 1990年 - [[西山大希]]、柔道選手 * 1990年 - [[仲野ひろみ]]、モデル * 1990年 - 中野周平、お笑いタレント([[蛙亭]]) * 1991年 - [[琴恵光充憲]]、大相撲力士 * [[1991年]] - [[青峰佑樹]]、 俳優 * [[1992年]] - [[石村舞波]]、元タレント(元[[Berryz工房]]) * 1992年 - [[松田岳 (俳優)|松田岳]]、俳優 * 1992年 - [[阿知羅拓馬]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[田村丈]]、元プロ野球選手、アメリカンフットボール選手 * [[1993年]] - [[関田誠大]]、[[バレーボール選手]] * 1993年 - [[佐藤すみれ]]、元アイドル(元[[SKE48]]) * 1993年 - [[宮﨑香蓮]]、女優 * 1993年 - [[磯貝初奈]]、アナウンサー * [[1994年]] - [[上野紗稀]]、[[サッカー]]選手 <!-- 特筆性は? * [[1995年]] - マイケル・クリフォード、ミュージシャン([[ファイヴ・セカンズ・オブ・サマー]]) --> <!-- 特筆性は? * [[1996年]] - [[室加奈子]]、アイドル([[NMB48]]) --> * [[1997年]] - [[栗原大河]]、俳優 * 1997年 - [[山崎エリイ]]、声優 * [[1998年]] - [[柴山サリー]]、歌手 * 1998年 - [[めいちゅん]]、[[YouTuber]] * 1998年 - [[花狩まい]]、AV女優 * [[2000年]] - [[コニー・タルボット]]、歌手 * 2000年 - [[宮﨑優]]、女優 * 2000年 - [[山口まゆ (女優)|山口まゆ]]、女優 * [[2001年]] - 神尾香澄、騎手 * [[2002年]] - [[掛橋沙耶香]]、アイドル([[乃木坂46]]) * [[2003年]] - 久保怜音、アイドル(元[[AKB48]]) * 2003年 - [[今牧輝琉]]、俳優 * [[2004年]] - [[隅谷百花]]、女優、歌手、パフォーマー([[Girls2]]) * 生年不明 - [[川上莉央]]、声優 == 忌日 == * [[1419年]]([[文明 (日本)|文明]]元年[[10月17日 (旧暦)|10月17日]]) - [[一条政房]]、[[室町時代]]の[[公卿]](* [[1443年]]?) * [[1518年]] - [[ピエール・ド・ラ=リュー]]、[[作曲家]](* [[1460年]]頃) * [[1616年]]([[元和 (日本)|元和]]2年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]]) - [[松前慶広]]、初代[[松前藩|松前藩主]](* [[1548年]]) * [[1708年]]([[宝永]]5年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[藤堂高睦]]、第4代[[津藩|津藩主]](* [[1667年]]) * [[1757年]] - [[キャロライン・オブ・アーンズバック|キャロライン]]、[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の妃(* [[1683年]]) * [[1758年]] - [[ユーハン・ヘルミク・ルーマン]]、[[作曲家]](* [[1694年]]) * [[1764年]] - [[クリスティアン・ゴルトバハ]]、[[数学者]](* [[1690年]]) * [[1856年]] - [[ボーヤイ・ファルカシュ]]、数学者(* [[1775年]]) * [[1862年]]([[文久]]2年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - [[松平正和]]、第8代[[大多喜藩|大多喜藩主]](* [[1823年]]) * [[1863年]] - 第8代[[エルギン伯爵]][[ジェイムズ・ブルース (第8代エルギン伯爵)|ジェイムズ・ブルース]]、[[外交官]]、[[植民地]][[官僚]](* [[1811年]]) * [[1871年]]([[明治]]4年[[10月8日 (旧暦)|10月8日]]) - [[安藤信正]]、第5代[[磐城平藩|磐城平藩主]]、[[江戸幕府]][[老中]](* [[1820年]]) * [[1882年]] - [[ヘンリー・ドレイパー]]、天文学者、[[医師]](* [[1837年]]) * [[1883年]] - [[天璋院]]、[[徳川家定]]の正室(* [[1836年]]) * [[1894年]] - [[アントン・ルビンシテイン]]、[[ピアニスト]]、作曲家(* [[1829年]]) * [[1910年]] - [[レフ・トルストイ]]、[[小説家]](* [[1828年]]) * [[1919年]] - [[劉師培]]、国学者、教育者、政治家(* [[1884年]]) * [[1922年]] - [[沈曾植]]、学者、[[能書家]](* [[1850年]]) * [[1925年]] - [[アレクサンドラ・オブ・デンマーク|アレクサンドラ]]、[[イギリス]]王[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]の妃(* [[1844年]]) * [[1927年]] - [[ヴィルヘルム・ステーンハンマル]]、作曲家(* [[1871年]]) * [[1934年]] - [[ウィレム・ド・ジッター]]、[[化学者]](* [[1872年]]) * [[1936年]] - [[ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ]]、スペイン[[ファランヘ党]]党首(* [[1903年]]) * [[1938年]] - [[松永延造]]、小説家(* [[1895年]]) * [[1940年]] - [[小熊秀雄]]、[[詩人]](* [[1901年]]) * [[1943年]] - [[川上秋月]]、[[俳優]]、[[噺家]]、[[講釈師]]、[[寄席]][[芸人]](* [[1873年]]) * 1943年 - [[エドワード・ポールトン]]、[[生物学者]](* [[1856年]]) * [[1945年]] - [[本庄繁]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[大将]]、[[関東軍]]司令官(* [[1876年]]) * 1945年 - [[フランシス・アストン]]、[[化学者]](* [[1877年]]) * [[1947年]] - [[ヴォルフガング・ボルヒェルト]]、[[小説家]]、[[劇作家]]、[[詩人]](* [[1920年]]) * [[1949年]] - [[若槻禮次郎]]、第25・28代[[内閣総理大臣]](* [[1866年]]) * [[1950年]] - [[フランチェスコ・チレア]]、作曲家(* 1866年) * [[1952年]] - [[ベネデット・クローチェ]]、[[思想]]家、[[歴史家]](* 1866年) * [[1958年]] - [[山田孝雄]]、[[日本語学|国語学]]者(* [[1875年]]) * [[1960年]] - [[鈴木為次郎]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1883年]]) * [[1961年]] - [[小倉正恒]]、元[[大蔵大臣]]、[[実業家]](* [[1875年]]) * [[1965年]] - [[ローレンス・ウェイジャー]]、[[地質学者]]、[[探検家]](* [[1904年]]) * [[1967年]] - [[カシミール・フンク]]、[[生化学|生化学者]](* [[1884年]]) * [[1969年]] - [[中村岳陵]]、[[日本画|日本画家]](* [[1890年]]) * 1969年 - [[アルツール・フリーデンライヒ]]、[[サッカー]]選手(* [[1892年]]) * [[1972年]] - [[エンニオ・フライアーノ]]、[[作家]]、[[ジャーナリスト]](* [[1910年]]) * [[1975年]] - [[フランシスコ・フランコ]]、[[軍人]]、[[政治家]](* 1892年) * [[1976年]] - [[トロフィム・ルイセンコ]]、[[農学者]](* [[1898年]]) * 1976年 - [[駒井哲郎]]、[[版画家]](* [[1920年]]) * [[1978年]] - [[ジョルジョ・デ・キリコ]]、[[画家]](* [[1888年]]) * 1978年 - [[オルゴニシュタ・オルガ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1901年]]) * [[1981年]] - [[小林勇]]、[[編集者]]、[[随筆家]]、[[画家]](* [[1903年]]) * [[1982年]] - [[松田昇 (野球)|松田昇]]、高校野球指導者(* [[1905年]]) * [[1984年]] - [[アレクサンデル・モイゼス]]、作曲家(* [[1906年]]) * [[1985年]] - [[武智修]]、元[[プロ野球選手]](* [[1925年]]) * [[1986年]] - [[平山嵩]]、[[建築家]](* [[1903年]]) * [[1990年]] - [[ヘルベルト・ケーゲル]]、[[指揮者]](* 1920年) * [[1991年]] - [[山崎正之]]、プロ野球選手(* [[1938年]]) * [[1994年]] - [[福田恆存]]、[[評論家]]、[[翻訳家]]、[[劇作家]](* [[1912年]]) * [[1995年]] - [[須田開代子]]、[[ボウリング|プロボウラー]](* [[1938年]]) * 1995年 - [[セルゲイ・グリンコフ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1967年]]) * [[1998年]] - [[太宰久雄]]、[[俳優]](* [[1923年]]) * [[1999年]] - [[アミントレ・ファンファーニ]]、政治家(* [[1908年]]) * [[1999年]] - [[牛久保海平]]、[[サンデンホールディングス|サンデン]]創業者(* [[1905年]]) * [[2000年]] - [[三浦真一郎]]、[[プロ野球審判員]](* [[1946年]]) * [[2001年]] - [[フランコ・グッリ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1926年]]) * 2001年 - [[稲葉誠治]]、アマチュア野球指導者(* [[1917年]]) * [[2005年]] - [[村上三島]]、[[書家]](* [[1921年]]) * [[2006年]] - [[斎藤茂太]]、[[作家]]、[[精神科医]](* [[1916年]]) * 2006年 - [[ロバート・アルトマン]]、[[映画監督]](* [[1925年]]) * [[2007年]] - [[三沢郷]]、作曲家(* [[1928年]]) * [[2011年]] - [[成田豊]]、[[電通|電通グループ]]会長(* [[1929年]]) * [[2013年]] - [[神楽坂浮子]]、[[うぐいす芸者歌手|芸者歌手]](* [[1938年]]) * [[2014年]] - [[矢野清]]、元プロ野球選手(* [[1940年]]) * [[2015年]] - [[北の湖敏満]]<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/11/20/kiji/K20151120011544020.html 北の湖理事長が死去、62歳 直腸がん多臓器不全 優勝24回で一時代] スポニチアネックス 2015年11月20日20時28分</ref>、大相撲力士、第55代[[横綱]]、一代年寄北の湖、第9,12代日本相撲協会理事長(* [[1953年]]) * [[2016年]] - [[コンスタンディノス・ステファノプロス]]、政治家(* [[1926年]]) * 2016年 - [[ウィリアム・トレヴァー]]<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22H0R_S6A121C1CC0000/ ウィリアム・トレバー氏が死去 アイルランドの作家] 日本経済新聞 2016年11月22日</ref>、小説家(* [[1939年]]) * 2016年 - [[島田伸也]]、元プロ野球選手(* [[1945年]]) * [[2017年]] - [[杉内雅男]]<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20171123/k00/00m/040/050000c|title=訃報杉内雅男さん97歳=現役最高齢棋士「囲碁の神様」|publisher=毎日新聞|date=2017-11-22|accessdate=2020-11-23}}</ref>、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1920年]]) * [[2020年]] - [[矢口高雄]]<ref>{{Cite tweet|user=yaguchi_takao |number=1331447586524258306 |title=矢口の次女 かおるです。父・矢口高雄は11/20に家族が見守るなか、眠るように息を引き取りました。 |date=2020-11-25 |accessdate=2020-12-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://mangajapaninfo.blogspot.com/2020/11/blog-post_25.html|title=訃報・会員 矢口高雄先生|publisher=一般社団法人マンガジャパン|date=2020-11-25|accessdate=2020-12-09}}</ref>、漫画家(* [[1939年]]) == 記念日・年中行事 == * [[世界こどもの日]]({{UN}}) *: [[1954年]]の[[国際連合総会|国連総会]]で制定された[[国際デー]]。[[1959年]]に[[児童の権利に関する宣言]]が採択された日。[[1989年]]のこの日には[[児童の権利に関する条約]]の採択も行われている。 * [[アフリカ工業化の日]]({{UN}}) *: [[1989年]]の国連総会で制定された国際デー。 * [[革命]]記念日({{MEX}}) *: [[1910年]]のこの日に[[メキシコ革命]]が始まったことを記念。 * [[教師の日|先生の日]]({{VNM}}) *: [[1982年]]制定。教師や先生に感謝する日。 * [[トランスジェンダー追悼の日]] ({{USA}}) *: [[トランスジェンダー]]のリタ・ヘスターが惨殺されたことの追悼に由来。 * [[えびす講]]({{JPN}}) *: [[えびす|えびす神]]を祭る民間行事。地方によって異なるが[[10月20日]]または[[月遅れ]]で11月20日に行われることが多い。 * [[毛皮]]の日({{JPN}}) *: 日本毛皮協会が[[1989年]]に制定。「いい(11)ファー(20)」の語呂合わせ。 * [[ピザ]]の日({{JPN}}) *: ピザの原型といわれるピッツァ・マルゲリータの名前の由来となった[[イタリア]]王妃[[マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ|マルゲリータ]]の誕生日に由来。[[凸版印刷]]が[[1995年]]に制定。 * [[山梨県民の日]]({{JPN}} {{flag|山梨県}}) *: [[1871年]]([[明治]]4年)[[11月20日 (旧暦)|旧暦11月20日]]、[[甲府県]]が山梨県に改称されたことに由来し、山梨県が制定。新暦に換算すると12月31日になってしまうため、旧暦の日付を記念日とした。 * [[ホテル]]の日({{JPN}}) *: [[1890年]](明治23年)に、[[帝国ホテル]]が開業したのを記念して制定された。 * [[毛布]]の日({{JPN}}) *: [[1887年]](明治20年)の、日本初の毛布生産から130周年となる、[[2017年]]([[平成]]29年)に制定。 <!--*モチモチの木に灯がともる晩([[斎藤隆介]]『[[モチモチの木]]』) *:作中では「霜月20日」,すなわちこの日の丑三つ時(午前2時)に主人公とその祖父が住む猟師小屋前のモチモチの木に灯が灯るという現象が描かれている。また,この現象は'''勇気のある1人の男の子しか見ることができないが,祖父・父と二代続けて見た実績がある山の神様の祭典'''とされており,架空であるが'''年中行事の一つ'''とみなす。--> == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1120|date=2011年7月}} * [[1992年]] - 明訓五人衆などの高校生選手がドラフト指名される。(漫画『[[ドカベン プロ野球編]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1922年]](大正11年) - 常盤萌(日高萌)、ドラマ『[[すずらん (テレビドラマ)|すずらん]]』の主人公<ref>作中での実母の発言より。</ref> * 2157年 - [[カイ・キスク|カイ=キスク]]、ゲーム『[[GUILTY GEARシリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=カイ=キスク |url=http://www.ggxrd.com/rev/ac/character/ky.html |website=GUILTY GEAR Xrd REV 2 AC版公式サイト |accessdate=2022-10-16 |publisher=ARC SYSTEM WORKS}}</ref> * 生年不明 - 美翔舞、アニメ『[[ふたりはプリキュア Splash Star]]』の主人公のひとり<ref>{{Twitter status|precure_marv|1461869574031347715}}</ref> * 生年不明 - 真中らぁら、ゲーム・アニメ『[[プリパラ]]』及び『[[アイドルタイムプリパラ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|T_ARTS_PRETTY|533113491649863680}}</ref><ref>「プリパラ SoLaMi SMILEコーデセット」トモチケ裏面のプロフィールより。</ref><ref>{{Cite book|和書|author=柴崎恵美子|title=テレビ超ひゃっか プリパラ アイドルずかん|publisher=小学館|year=2016|page628|ISBN=978-4-09-750417-7}}</ref> * 生年不明 - 孔雀舞、漫画『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋和希|title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書|publisher= 集英社|series=Vジャンプブックス|year=2015|page=10|ISBN=978-4-08-779722-0}}</ref> * 生年不明 - 木更津亮、漫画『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1329440556406149130}}</ref> * 生年不明 - 木更津淳、漫画『テニスの王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1329440556087390220}}</ref> * 生年不明 - 国土亜耶、小説・アニメ『[[楠芽吹は勇者である]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://yuyuyu.tv/churutto/character/#/kokudoaya |title=楠芽吹は勇者である|国土 亜耶 |publisher=「結城友奈は勇者である ちゅるっと!」公式サイト |accessdate=2022-10-16}}</ref> * 生年不明 - ユフィ・キサラギ、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVII]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ffviir_cloud|1461892059460108294}}</ref> * 生年不明 - 下鶴改、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2022-10-16}}</ref> * 生年不明 - 櫻井明音、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130325_144254/ |title=【ガールフレンド(仮)通信03】 元気いっぱい放送娘! 櫻井明音ちゃん(CV:佐藤利奈) |access-date=2022-10-16 |publisher=ファミ通App |date=2013-03-25}}</ref> * 生年不明 - 愛媛なお、ゲーム・アニメ『[[プリパラ]]』に登場するキャラクター<ref>アニメ第71話でらぁらと同じ日とわかる</ref><ref>{{Twitter status|prettyseriespr|800116456633475072}}</ref> * 生年不明 - 樫野亜沙、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/kashino |publisher=Akatsuki Inc. |title=樫野 亜沙 |accessdate=2022-10-16 |work=八月のシンデレラナイン公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 八神陸、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_pos|932262242149527552}}</ref> * 生年不明 - 平沢みゆ、メディアミックス『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/hirasawa-miyu/ |title=北海道 平沢 みゆ |access-date=2022-10-16 |publisher=MAGES. アイドル事変製作委員会}}</ref> * 生年不明 - [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#秋風塁|秋風塁]]、メディアミックス『[[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#アプリゲーム|少女☆歌劇 レヴュースタァライト -Re LIVE-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|starlightrelive|1196805327473299462}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|20 November}} {{新暦365日|11|19|11|21|[[10月20日]]|[[12月20日]]|[[11月20日 (旧暦)|11月20日]]|1120|11|20}} {{1年の月と日}}
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12月20日
12月20日(じゅうにがつはつか、じゅうにがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から354日目(閏年では355日目)にあたり、年末まであと11日ある。 香港の歌手ケイツェ(英語版)の曲:12月20日
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12月20日(じゅうにがつはつか、じゅうにがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から354日目(閏年では355日目)にあたり、年末まであと11日ある。
{{カレンダー 12月}} '''12月20日'''(じゅうにがつはつか、じゅうにがつにじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から354日目([[閏年]]では355日目)にあたり、年末まであと11日ある。 == できごと == [[File:Tokyo Station 2.jpg|thumb|200px|東京駅開業(1914)]] [[Image:JNR-Bus,First.JPG|thumb|200px|国鉄バス運行開始(1930)]] [[Image:Ebr-1.zdv.jpg|thumb|200px|[[EBR-I]]で世界初の[[原子力発電]]に成功(1951)]] [[Image:Kongo_Bus_2203_at_Tondabayashi_Station.JPG|thumb|200px|[[金剛自動車]]廃業(2023)]] * [[217年]] - [[教皇|ローマ教皇]][[ゼフィリヌス (ローマ教皇)|ゼフィリヌス]]が死去。[[カリストゥス1世 (ローマ教皇)|カリストゥス1世]]が後任に選出されるが、神学者[[ヒッポリュトス (対立教皇)|ヒッポリュトス]]に反対される。 * [[762年]]([[天平宝字]]6年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]) - [[多賀城碑]]が建立される。 * [[1582年]] - フランスが[[グレゴリオ暦]]を採用する(後に中断)。 * [[1722年]]([[康熙]]61年[[11月13日 (旧暦)|11月13日]])- [[清]]で[[康熙帝]]が没し[[雍正帝]]が即位。 * [[1830年]] - [[ベルギー独立革命]]: イギリス・フランスなど列国が[[ベルギー]]の[[ネーデルラント連合王国]]からの[[国家の承認|独立を承認]]。 * [[1848年]] - [[ナポレオン3世|ルイ・ナポレオン]]が[[フランス第二共和政]][[共和国大統領 (フランス)|大統領]]に就任。 * [[1857年]]([[安政]]4年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]) - [[吉田松陰]]が[[松下村塾]]を開講する。 * [[1858年]]([[安政]]5年[[11月16日]]) - [[西郷隆盛]]が、[[清水寺]]の僧侶[[月照]]とともに[[錦江湾]]へ入水自殺した。西郷は救助されたが、月照はそのまま亡くなった<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.pref.kagoshima.jp/ab23/reimeikan/josetsu/theme/gendai/toubaku/kgs04_s1_1.html |title=西郷・月照入水の後始末書 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=[[鹿児島県]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.kiyomizudera.or.jp/read/成就院-維新の足跡 |title=成就院 維新の足跡 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=音羽山 清水寺}}</ref>。 * [[1860年]] - [[サウスカロライナ州]]が[[アメリカ合衆国]]から離脱。南部諸州がこれに続き、翌年2月に[[アメリカ連合国]]を結成。 * [[1899年]] - 東京郵便電信局で、初めて[[年賀状|年賀郵便]]特別扱いを開始。翌年から[[12月15日|15日]]受付開始となる。 * [[1904年]] - [[三越|三越呉服店]]創立。[[三井財閥|三井]]との連名で「[[百貨店|デパートメントストア]]」宣言を行う。 * [[1914年]] - [[東京駅]]開業。[[東海道本線]]の起点を[[新橋駅]]から東京駅に変更。横浜の[[高島町駅]]までとの間で[[京浜東北線|京浜線電車]]の運行を開始。 * [[1917年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]初の[[秘密警察]]「[[チェーカー]]」設立。 * [[1924年]] - [[ミュンヘン一揆]]を主導した罪で[[ランツベルク刑務所]]に収監されていた[[アドルフ・ヒトラー]]が出所。 * [[1930年]] - [[岡崎駅]] - [[多治見駅]]・[[瀬戸記念橋駅]] - [[高蔵寺駅]]で初の省営自動車(後の[[国鉄バス]])である[[瀬戸南線|岡多線]]が運行開始。 * [[1939年]] - 大日本音楽著作権協会([[日本音楽著作権協会]]〈JASRAC〉の前身)設立。 * [[1940年]] - 神奈川県[[小田原市]]が市制施行。 * [[1942年]] - [[トルコ]]北中部で[[マグニチュード|M]]6.9、1500人が亡くなった。 * [[1946年]] - [[首相官邸デモ事件]]。[[内閣総理大臣官邸|首相官邸]]が[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]に襲撃され、警察官に負傷者が出るとともに拳銃が奪われる。 * [[1947年]] - [[臨時石炭鉱業管理法]]公布。炭鉱が国家管理下に置かれる。 * [[1948年]] - 「[[日本専売公社|日本専売公社法]]」「[[日本国有鉄道|日本国有鉄道法]]」公布。 * 1948年 - [[帝銀事件]]の初公判で、被告人・[[平沢貞通]]が自白を翻し容疑を全面否認。 * [[1950年]] - [[岡山県立聾学校寄宿舎火災]]。生徒16人死亡<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sankei.com/article/20211211-NIMPGYSONBKHXFW6Q7QJRI6ITY/ |title=聴覚障害の児童が避難できなかった昭和の大惨事 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=11 Dec 2021}}</ref><ref>「生徒16名が焼死」『日本経済新聞』昭和25年12月21日3面</ref>。 * [[1951年]] - アメリカ・[[アイダホ州]]の[[高速増殖炉]][[EBR-I]]で世界初の[[原子力発電]]に成功。 * [[1952年]] - 東京・[[青山 (東京都港区)|青山]]に東京ボウリングセンターが開場。日本初の民間[[ボウリング]]場。 * 1952年 - 乗客、乗組員115名を乗せ、ワシントンから[[サンアントニオ]]に向かっていたアメリカ軍の[[C-124 (航空機)|C-124輸送機]]が墜落<ref>{{Cite web |url=https://www.flightjournal.com/washington-state-c-124-crash-remembered/ |title=Washington State C-124 Crash Remembered |access-date=26 Jun 2023 |publisher=Air Age Media |date=25 Dec 2012 |website=Flight Journal}}</ref><ref>「米軍の大型輸送機墜落」『日本経済新聞』昭和28年6月19日 9面</ref>。 * [[1955年]] - [[カーディフ]]が[[ウェールズ]]の首都になる。 * [[1959年]] - [[山梨放送|ラジオ山梨(現・山梨放送)]]テレビジョン放送開始。 * [[1960年]] - [[南ベトナム解放民族戦線]](ベトコン)結成。 * [[1961年]] - [[赤城乳業]]株式会社設立。 * [[1962年]] - [[首都高速道路|首都高速]]初の開通区間である[[首都高速都心環状線]]・[[京橋出入口 (東京都)|京橋]] - [[浜崎橋ジャンクション|浜崎橋]]間と[[首都高速1号羽田線|首都高速1号線]]・浜崎橋 - [[芝浦出入口|芝浦]]間が開通。 * [[1968年]] - [[サンフランシスコ]]で[[ゾディアック事件]]の最初の殺人事件が起こる。 * [[1969年]] - [[東京メトロ千代田線|営団地下鉄千代田線]]開業([[北千住駅]]〜[[大手町駅 (東京都)|大手町駅]]間)。 * [[1970年]] - [[コザ暴動]]。 * [[1973年]] - [[スペインの首相|スペイン首相]][[ルイス・カレーロ・ブランコ|ルイス・カレーロ=ブランコ]]が[[バスク祖国と自由|ETA]]により{{仮リンク|ルイス・カレーロ・ブランコ暗殺事件|label=暗殺|en|Assassination of Luis Carrero Blanco}}。 * [[1977年]] - [[ジブチ]]と[[ベトナム]]が[[国際連合]]に加盟。 * [[1985年]] - [[横浜エフエム放送]](FM横浜)が開局。 * [[1987年]] - [[フィリピン]]のタブラス海峡で貨客船[[ドニャ・パス号]]が小型タンカービクトル号と接触し沈没。公称で1575人、実際には4000人以上が死亡。 * [[1988年]] - 国連総会で[[麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約]](麻薬新条約)が採択。 * [[1989年]] - [[アメリカ合衆国]]が[[パナマ侵攻|パナマに侵攻]]。 * [[1990年]] - 初の[[World Wide Web]]のシステムが稼動。 * 1990年 - [[上越新幹線]](線籍上は[[上越線]]支線)・[[越後湯沢駅]] - [[ガーラ湯沢駅]]間が開業。 * [[1991年]] - [[トイザらス]]の日本第1号店が[[茨城県]][[稲敷郡]][[阿見町]]に開店。 * [[1994年]] - [[日本テレビ郵便爆弾事件]]。 * [[1995年]] - [[アメリカン航空965便墜落事故]]。 * [[1996年]] - [[Apple]]が[[NeXT]]を買収することで合意。[[スティーブ・ジョブズ]]がアップルに復帰。 * [[1999年]] - [[ポルトガル]]から[[中華人民共和国]]へ[[マカオ]]が[[マカオ返還|返還]]。 * [[2000年]] - [[新潟県民エフエム放送]]が開局([[2020年]][[6月30日]]閉局)。 * [[2007年]] - [[エリザベス2世]]が[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]の81歳7か月29日を抜いて史上最高齢のイギリス国王となる。 * [[2013年]] - [[バニラ・エア]]が就航<ref>{{Cite web|和書 |date=21 Dec 2013 |url=http://www.chibanippo.co.jp/news/economics/171687 |title=出直しLCC バニラ・エア運航開始 まず台北と那覇2路線 |newspaper=[[千葉日報]]オンライン |publisher=[[千葉日報社]] |accessdate=26 Jun 2023}}</ref>。 * [[2016年]] - [[磁気圏#地球磁気圏|ジオスペース]]探査衛星[[あらせ]]が[[イプシロンロケット]]2号機により打ち上げられる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tsukuba-sci.com/?p=1342 |title=ジオスペース探査衛星「あらせ」打ち上げ成功。軌道に乗る :宇宙航空研究開発機構 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=公益財団法人 つくば科学万博記念財団 |website=つくばサイエンスニュース |date=20 Dec 2016}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |date=21 Dec 2016 |url=http://japanese.joins.com/article/789/223789.html |title=日本、固体燃料ロケット「イプシロン」2号機の打ち上げに成功 |publisher=[[中央日報]] |accessdate=26 Jun 2023}}</ref>。 * 2016年 - [[2016年サン・パブリート市場花火爆発事故]]。 * [[2018年]] - [[日本海]]沖にて、[[大韓民国海軍|韓国海軍]]の[[駆逐艦]]「[[広開土大王 (駆逐艦)|広開土大王]]」が、[[海上自衛隊]]の[[P-1 (哨戒機)|P-1哨戒機]]に対して[[射撃管制装置|火器管制レーダー]]を照射<ref>{{Cite web|和書 |url=http://japan.hani.co.kr/arti/international/32409.html |title=日本「韓国軍が自衛隊哨戒機に射撃統制用レーダー照射」抗議 |publisher=[[ハンギョレ|hankyoreh]] japan |date=22 Dec 2018 |accessdate=26 Jun 2023}}</ref>([[韓国海軍レーダー照射問題]])。 * [[2021年]] - 全国宝石卸商協同組合により日本の[[誕生石]]が63年ぶりに改訂。[[2月]]に[[猫目石|クリソベリル・キャッツ・アイ]]、[[3月]]に[[ブラッドストーン]]と[[菫青石|アイオライト]]、[[4月]]に[[モルガナイト]]、[[6月]]に[[アレキサンドライト]]、[[7月]]に[[チタン石|スフェーン]]、[[8月]]に[[スピネル]]、[[9月]]に[[リシア輝石|クンツァイト]]、[[12月]]に[[タンザナイト]]と[[ジルコン]]が追加され全29種に<ref>{{Cite web|和書|title=「誕生石」63年ぶり改定 新たに10種類の石を追加 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211220/k10013395871000.html |publisher=[[日本放送協会|NHK]]|date=20 Dec 2021 |accessdate=26 Jun 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=日本の誕生石、63年ぶりに改訂 新たに宝石10石追加、全29石に|url=https://maidonanews.jp/article/14368447|publisher=まいどなニュース|date=20 Dec 2021|accessdate=26 Jun 2023}}</ref>。 * [[2023年]] - [[2024年問題]]: [[金剛自動車]]がこの日の運行を以て路線バスの運行を全て終了。 == 誕生日 == * [[1537年]] - [[ヨハン3世 (スウェーデン王)|ヨハン3世]]、[[スウェーデン]]・[[ヴァーサ朝]]第3代国王(+ [[1592年]]) * [[1629年]] - [[ピーテル・デ・ホーホ]]<ref>{{Cite web |url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/271165/Pieter-de-Hooch |title=Pieter de Hooch|Dutch painter |publisher=Britannica |accessdate=26 Jun 2023}}</ref>、[[画家]](+ [[1684年]]) * [[1764年]] ([[貞享]]4年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]])- [[秋月種弘]]、第5代[[高鍋藩|高鍋藩主]] (+ [[1753年]]) * [[1722年]] ([[享保]]7年[[11月13日 (旧暦)|11月13日]])- [[山内豊産]]、初代[[土佐新田藩|土佐新田藩主]] (+ [[1791年]]) * [[1728年]] (享保13年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]])- [[土井利信]]、初代[[刈谷藩|刈谷藩主]] (+ [[1771年]]) * [[1736年]] ([[元文]]元年[[11月19日 (旧暦)|11月19日]])- [[大久保忠由]]、第5代[[小田原藩|小田原藩主]] (+ [[1769年]]) * [[1737年]] (元文2年[[11月29日 (旧暦)|11月29日]])- [[分部光庸]]、第7代[[大溝藩|大溝藩主]] (+ [[1790年]]) * [[1764年]] ([[明和]]元年[[11月28日 (旧暦)|11月28日]])- [[阿部正識]]、第7代[[忍藩|忍藩主]] (+ [[1803年]]) * [[1818年]] ([[文政]]元年[[11月23日 (旧暦)|11月23日]])- [[阿部正身]]、第7代[[佐貫藩|佐貫藩主]] (+ [[1868年]]) * [[1830年]] (文政11年[[11月6日 (旧暦)|11月6日]])- [[板倉勝全]]、第10代[[庭瀬藩|庭瀬藩主]] (+ [[1858年]]) * [[1848年]] ([[嘉永]]元年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]])- [[池田徳定]]、第10代[[鳥取藩#若桜藩|若桜藩]]、[[子爵]] (+ [[1910年]]) * [[1851年]] - [[クヌート・ヴィクセル]]<ref>{{Cite web |title=Knut Wicksell {{!}} Swedish economist |url=https://www.britannica.com/biography/Knut-Wicksell |website=Britannica |access-date=26 Jun 2023}}</ref>、[[経済学者]](+ [[1926年]]) * [[1856年]] - [[アンドリュー・セス]]、[[哲学者]](+ [[1931年]]) * 1856年 - [[ハリー・ストービー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1937年]]) * [[1858年]] - [[ヤン・トーロップ]]、画家(+ [[1928年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[11月22日 (旧暦)|11月22日]]) - [[竹内栖鳳]]、[[日本画家]](+ [[1912年]]) * [[1868年]] - [[ハーベイ・ファイアストーン]]、[[実業家]]、[[ファイアストン]]社創業者(+ [[1938年]]) * [[1873年]] - [[朝河貫一]]、[[歴史学者]](+ [[1948年]]) * [[1888年]] - [[フレッド・マークル]]、元プロ野球選手(+ [[1956年]]) * [[1890年]] - [[柴田徳次郎]]、[[教育者]](+ [[1973年]]) * [[1896年]] - [[福田邦三]]、[[生理学者]](+[[1988年]]) * [[1897年]] - [[呉茂一]]、[[西洋古典学|西洋古典学者]](+ [[1977年]]) * [[1898年]] - [[アイリーン・ダン]]、[[俳優|女優]](+ [[1990年]]) * [[1899年]] - [[高田稔]]、[[俳優]](+ [[1977年]]) * [[1900年]] - [[タチヤーナ・マーヴリナ]]、画家(+ [[1996年]]) * 1900年 - [[ギャビー・ハートネット]]、元プロ野球選手(+ [[1972年]]) * [[1901年]] - [[保利茂]]、[[政治家]]、第59代[[衆議院議長]](+ [[1979年]]) * [[1902年]] - [[出羽ヶ嶽文治郎]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[1950年]]) * [[1904年]] - [[藤本定義]]、[[野球選手]]、監督(+ [[1981年]]) * [[1907年]] - [[藤枝静男]]、[[作家]](+ [[1993年]]) * 1907年 - [[竹内理三]]、歴史学者(+ [[1997年]]) * [[1912年]] - [[飯田三郎]]、[[作曲家]](+ [[2003年]]) * [[1917年]] - [[デヴィッド・ボーム]]、物理学者(+ [[1992年]]) * [[1920年]] - [[大崎憲司]]、元プロ野球選手 * [[1921年]] - [[五味康祐]]、作家(+ [[1980年]]) * [[1922年]] - [[ジョージ・ロイ・ヒル]]、[[映画監督]](+ [[2002年]]) * [[1927年]] - [[金泳三]]、[[政治家]]、第14代[[大韓民国|韓国]][[大統領 (大韓民国)|大統領]](+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://toyokeizai.net/articles/-/93703 |title=韓国・金泳三元大統領が死去、その功罪とは? 反軍部独裁・民主化運動に献身 |publisher=[[東洋経済新報社]] |date=22 Nov 2015 |accessdate=26 Jun 2023 |website=東洋経済ONLINE}}</ref>) * [[1929年]] - [[カルロ・ファッシ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1997年]]) * [[1933年]] - [[小山恒三]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]]) * 1933年 - [[大橋一郎 (内野手)|大橋一郎]]、元プロ野球選手 * {{要出典範囲|[[1934年]] - [[中村哲夫]]、元アナウンサー(+ [[2015年]])|date=2023年10月}} * [[1935年]] - [[沢りつお]]、俳優、[[声優]] * 1935年 - [[関口房朗]]、実業家、[[競走馬]]馬主(+ 没年不詳) * [[1938年]] - [[広瀬襄]]、映画監督 * [[1940年]] - [[辻佳紀]]、元プロ野球選手(+ [[1989年]]) * 1940年 - [[池田元久]]、政治家 * 1940年 - [[野口悠紀雄]]、経済学者 * [[1941年]] - [[タイガー立石]]、画家、[[漫画家]]、[[絵本作家]]、[[陶芸家]](+ [[1998年]]) * [[1942年]] - [[金子一義]]、政治家 * 1942年 - [[岩尾正隆]]、俳優 * 1942年 - [[ジャン=クロード・トリシェ]]、[[欧州中央銀行]][[総裁]] * [[1943年]] - [[佐野真樹夫]]、元プロ野球選手 * [[1945年]] - [[黒澤久雄]]、[[タレント]]、俳優、[[歌手]]、実業家 * [[1946年]] - [[ユリ・ゲラー]]、[[超能力者]] * 1946年 - [[ジョン・スペンサー (俳優)|ジョン・スペンサー]]、俳優(+ [[2005年]]) * [[1947年]] - [[大矢明彦]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]] * 1947年 - [[ジリオラ・チンクェッティ]]、歌手 * [[1948年]] - [[内田光子]]、[[ピアニスト]] * 1948年 - [[アラン・パーソンズ]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[アラン・パーソンズ・プロジェクト]]) * [[1949年]] - [[加藤初]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]) * 1949年 - [[オスカー・ギャンブル]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]]) * [[1951年]] - [[鈴木茂 (ギタリスト)|鈴木茂]]、[[ギタリスト]] * 1951年 - [[高橋寛]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[トミー・スナイダー]]、ミュージシャン、[[ドラマー]]([[ゴダイゴ]]) * [[1954年]] - [[高橋正巳]]、元プロ野球選手 * [[1955年]] - [[マルティン・シュルツ]]、政治家 * 1955年 - [[野田秀樹]]、[[劇作家]] * 1955年 - [[山下浩二]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]]) * [[1956年]] - [[平田淳嗣]]、[[プロレスラー]] * [[1957年]] - [[新宅雅也]]、元[[陸上競技]]選手 * [[1958年]] - [[桂米團治 (5代目)|桂米團治]](五代目)、[[落語家]] * 1958年 - [[はやみけい]]、声優 * [[1959年]] - [[草上仁]]、[[小説家]] * 1959年 - [[中山竹通]]、マラソン選手 * [[1960年]] - [[桑田茂]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[キム・ギドク]]、映画監督、[[脚本家]]、[[映画プロデューサー]](+ [[2020年]]) * [[1961年]] - [[フレディ・スペンサー]]、オートバイ・レーサー * 1961年 - [[倉橋寛]]、漫画家、イラストレーター * 1961年 - [[義本博司]]、官僚 * [[1962年]] - [[マルコ・マッツィエーリ]]、元プロ野球選手、監督 * [[1963年]] - [[奴田原文雄]]、レーシングドライバー * 1963年 - [[三井比佐子]]、歌手 * [[1964年]] - [[藤森健太郎]]、[[歴史学者]] * 1964年 - [[マーク・コールマン]]、[[総合格闘家]] * 1964年 - [[斎藤歩]]、俳優、劇作家、演出家 * [[1965年]] - [[服部義夫]]、[[アナウンサー]] * 1965年 - [[伊藤史生]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[冬馬由美]]、声優 * 1966年 - [[片桐勝彦]]、ギタリスト * 1966年 - [[エト・デ・フーイ]]、元サッカー選手 * [[1968年]] - [[カール・ヴェンドリンガー]]、レーシングドライバー * [[1969年]] - [[池森秀一]]、ミュージシャン([[DEEN]]) * 1969年 - [[横山智佐]]、声優 * 1969年 - [[荻原健司]]、ノルディック複合選手、政治家 * 1969年 - [[荻原次晴]]、[[スポーツ]][[コメンテーター]] * 1969年 - [[ナデジダ・グラチョーワ]]、[[バレリーナ]] * 1969年 - [[ティエリ・ジレ]]、フランス騎手協会事務局長、元[[騎手]] * [[1971年]] - [[マーク・バルデス]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[力皇猛]]、元プロレスラー、元大相撲力士 * 1972年 - [[虚淵玄]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://natalie.mu/eiga/artist/101848 |title=虚淵玄 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナターシャ]] |website=映画ナタリー}}</ref>、[[ゲームシナリオライター|シナリオライター]] * [[1973年]] - [[浅越ゴエ]]、漫談家、[[お笑いタレント]]([[ザ・プラン9]]) * 1973年 - [[桜井幸子]]、女優 * [[1974年]] - [[Die (ミュージシャン)|Die]]、ギタリスト([[DIR EN GREY|Dir en grey]]) * 1974年 - [[高橋知秀]]、[[シンガーソングライター]] * [[1975年]] - [[柴田望]]、詩人 * 1975年 - [[和佐由紀子]]、元アナウンサー * 1975年 - [[桜井涼子]]、元[[AV女優]]、元[[ストリップ (性風俗)|ストリッパー]] * [[1978年]] - [[村田一誠]]、騎手 * 1978年 - [[アマンダ・スウィステン]]、モデル、女優 * 1978年 - [[矢野良子]]、[[バスケットボール選手]] * 1978年 - [[梯篤司]]、声優 * [[1979年]] - [[増川弘明]]、ミュージシャン([[BUMP OF CHICKEN]]) * 1979年 - [[松本賢一 (ミュージシャン)|松本賢一]]、ミュージシャン、[[ベーシスト]] * 1979年 - [[デビッド・デヘスース]]、プロ野球選手 * [[1980年]] - [[アシュリー・コール]]、元[[サッカー選手]] * [[1981年]] - [[クリス・ナーブソン]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[ジェームズ・シールズ]]、プロ野球選手 * [[1982年]] - [[デビッド・ライト (野球)|デビッド・ライト]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[倉貫匡弘]]、俳優 * 1982年 - [[テミストクレス・レフテリス]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1983年]] - [[大島崇行]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[柴田奈津子]]、元アナウンサー * 1983年 - [[吉田隼人 (競馬)|吉田隼人]]、騎手 * 1983年 - [[寺島拓篤]]、声優 * 1983年 - [[ルーシー・ピンダー]]、声優 * [[1984年]] - [[アンドレイ・マキシミーシン]]、フィギュアスケート選手 * [[1987年]] - [[コージ]]、お笑いタレント、俳優(元[[ブリリアン]]) * 1987年 - [[青山レイラ]]、[[ファッションモデル]] * 1987年 - [[沢城千春]] 、声優 * 1987年 - [[平沼ファナ]]、ファッションモデル * 1987年 - [[大塚豊]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[山下翔央]]、元俳優(元[[ジャニーズJr.]]、元[[Ya-Ya-yah]]) * 1988年 - [[芝間大悟]]、写真家 * 1988年 - [[岩本和真]]、プロアイスホッケー選手 * [[1990年]] - [[水田航生]]、俳優 * 1990年 - [[橘杏里]]、タレント * 1990年 - [[ジョジョ (歌手)|ジョジョ]]、シンガーソングライター * 1990年 - [[髙橋ミナミ]]、声優 * [[1991年]] - [[平井克典]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[クセニヤ・マカロワ]]、フィギュアスケート選手 * 1992年 - [[外崎修汰]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[木下ミシェル]]、モデル、元アイドル(元[[SKE48]]) * 1993年 - [[西村優奈]]、女優 * 1993年 - [[久馬悠]]、陸上競技選手 * 1993年 - [[久馬萌]]、陸上競技選手 * [[1994年]] - [[村崎真彩]]、女優 * 1994年 - [[瀧中瞭太]]、プロ野球選手 * [[1995年]] - [[川端千都]]、陸上選手 * [[1996年]] - [[市ノ瀬加那]]、声優 * 1996年 - [[南谷真鈴]]、[[登山家]]、[[冒険家]] * 1996年 - [[片瀬美月]]、アイドル、グラビアアイドル(+ [[2023年]]) * [[1997年]] - [[中元すず香]]、アイドル(元[[可憐Girl's]]、元[[さくら学院]]、[[BABYMETAL]]) * [[1998年]] - [[キリアン・エムバペ|キリアン・エムパべ]]、サッカー選手 * 1998年 - [[黒田みゆ]]、[[日本テレビ]]アナウンサー * [[2001年]] - [[花尾恭輔]]、[[陸上競技]]選手 * [[2002年]] - [[杉山優奈]]、元女優 * [[2003年]] - 道枝咲、タレント(元[[AKB48]]) * [[2004年]] - [[杉本瑛]]、タレント * [[2007年]] - [[豫風瑠乃]]、アイドル([[つばきファクトリー]]) * 生年不明 - [[Mao (歌手)|mao]]、歌手 * 生年不明 - [[Lia]]、歌手 * 生年不明 - [[関通利]]、声優 * 生年不明 - [[ねことうふ]]、漫画家、[[同人作家]] * 生年不明 - [[磯谷佳江]]、作詞家 == 忌日 == * [[217年]] - [[ゼフィリヌス (ローマ教皇)|ゼフィリヌス]]、[[教皇|ローマ教皇]](* 生年不明) * [[961年]]([[応和]]元年[[11月10日 (旧暦)|11月10日]])- [[源経基]]、[[平安時代]]中期の[[皇族]]、[[武将]](* 生年不明) * [[1223年]]([[貞応]]2年[[11月27日 (旧暦)|11月27日]]) - [[大友能直]]、[[武将]](* [[1172年]]) * [[1355年]] - [[ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン (セルビア皇帝)|ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン]]、[[セルビア王国 (中世)|セルビア王国]]国王、[[セルビア帝国]]皇帝(* [[1308年]]) * [[1590年]] - [[アンブロワーズ・パレ]]、[[外科医]](* [[1510年]]) * [[1676年]]([[延宝]]4年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]) - [[藤堂高次]]、[[津藩]]第2代藩主(* [[1601年]]) * [[1722年]]([[康熙]]61年[[11月13日 (旧暦)|11月13日]]) - [[康熙帝]]<ref>{{Cite web |title=Kangxi {{!}} Emperor of Qing Dynasty, Reformer & Scholar |url=https://www.britannica.com/biography/Kangxi |access-date=26 Dec 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[清]]の第4代[[皇帝]](* [[1654年]]) * [[1783年]] - [[アントニオ・ソレール]]<ref>{{Cite web |title=Antonio Soler {{!}} Spanish composer |url=https://www.britannica.com/biography/Antonio-Soler |access-date=26 Jun 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[作曲家]](* [[1729年]]) * [[1858年]]([[安政]]5年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]) - [[月照]]、[[僧侶]](* [[1813年]]) * [[1892年]] - [[伊達宗城]]、[[宇和島藩]]第8代藩主、政治家(* [[1818年]]) * [[1918年]] - [[ヨン・バウエル]]、[[画家]](* [[1882年]]) * [[1925年]] - [[エドワード・S・モース]]、[[生物学者]](* [[1838年]]) * [[1929年]] - [[岸田劉生]]、[[画家|洋画家]](* [[1891年]]) * [[1934年]] - [[ニコライ・マル]]、[[言語学|言語学者]]、[[民族学|民族学者]](* [[1865年]]) * [[1937年]] - [[エーリヒ・ルーデンドルフ]]、[[ドイツ軍]]の将軍(* 1865年) * [[1953年]] - [[エマニュエル・デュ・マルゲリー]]、[[地質学|地質学者]]、[[地球物理学|地球物理学者]](* [[1862年]]) * [[1954年]] - [[ジェームズ・ヒルトン]]、[[小説家]](* [[1900年]]) * [[1957年]] - [[ヤン・ダーメン]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1898年]]) * [[1968年]] - [[マックス・ブロート]]、[[作家]]、作曲家(* [[1886年]]) * 1968年 - [[ジョン・スタインベック]]、小説家(* [[1902年]]) * [[1970年]] - [[加藤鐐五郎]]、政治家、第48代[[衆議院議長]](* [[1883年]]) * [[1971年]] - [[鈴木重義 (サッカー選手)|鈴木重義]]、[[サッカー選手]]、指導者(* [[1902年]]) * [[1972年]] - [[ギャビー・ハートネット]]、プロ野球選手(* [[1900年]]) * [[1974年]] - [[アンドレ・ジョリヴェ]]、作曲家(* [[1905年]]) * [[1982年]] - [[アルトゥール・ルービンシュタイン]]、[[ピアニスト]](* [[1887年]]) * [[1984年]] - [[ドミトリー・ウスチノフ]]、政治家(* [[1908年]]) * 1984年 - [[藤原審爾]]、[[作家]](* [[1921年]]) * [[1994年]] - [[ディーン・ラスク]]、元[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1909年]]) * [[1996年]] - [[カール・セーガン]]、[[天文学者]](* [[1934年]]) * [[1997年]] - [[伊丹十三]]、[[映画監督]]、[[俳優]](* [[1933年]]) * [[1998年]] - [[アラン・ロイド・ホジキン]]、[[生理学者]](* [[1914年]]) * [[2001年]] - [[レオポール・セダール・サンゴール]]、[[セネガル]]初代[[セネガルの大統領|大統領]](* [[1906年]]) * 2001年 - [[南原宏治]]、俳優(* [[1927年]]) * [[2006年]] - [[青島幸男]]、[[タレント]]、[[放送作家]]、政治家(* [[1932年]]) * 2006年 - [[中島忠幸]]、お笑いタレント([[カンニング (お笑いコンビ)|カンニング]])(* [[1971年]]) * [[2007年]] - [[田中和実]]、[[声優]]、[[ナレーター]](* [[1951年]]) * 2007年 - [[田中徳三]]、映画監督(* [[1920年]]) * 2007年 - [[リディア・メンドーサ]]、[[テハノ・ミュージック]]の歌手(* [[1916年]]) * [[2009年]] - [[ブリタニー・マーフィ]]、[[俳優|女優]](* [[1977年]]) * [[2011年]] - [[森田芳光]]、映画監督(* [[1950年]]) * [[2014年]] - [[岩崎俊一 (コピーライター)|岩崎俊一]]、[[コピーライター]](* [[1947年]]) * [[2016年]] - [[ミシェル・モルガン]]<ref>{{Cite web|和書| |title=仏大女優ミシェル・モルガンさん死去 「映画界で最も美しい瞳」 |website=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3111983 |date=21 Dec 2016 |accessdate=26 Jun 2023}}</ref>、[[俳優|女優]](* [[1920年]]) * [[2017年]] - [[山本健一 (マツダ)|山本健一]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25058990V21C17A2LC0000/ |title=困難に挑む姿勢脈々 山本健一・元マツダ社長死去 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=26 Dec 2017}}</ref>、自動車技術者、[[マツダ]]社長(* [[1922年]]) * [[2020年]] - [[中村泰士]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012240000427.html |title=中村泰士さん肝臓がんで死去 「喝采」など 81歳 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=24 Dec 2020}}</ref>、[[作詞家]]、[[作曲家]](* [[1939年]]) * 2020年 - [[ファニー・ウォーターマン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://m-festival.biz/17749|title=訃報 〓 ファニー・ウォーターマン, 英国のピアニスト / リーズ国際ピアノ・コンクールの創設者|publisher=月刊音楽祭|date=21 Dec 2020|accessdate=26 Jun 2023}}</ref> 、[[ピアニスト]]、[[音楽]][[教育家]](* [[1920年]]) * 2020年 - [[エズラ・ヴォーゲル]]<ref>{{Cite web|和書|title=エズラ・ボーゲル死去 ジャパン・アズ・ナンバーワン |url=https://www.asahi.com/articles/ASNDP36TDNDPUHBI00F.html |accessdate=26 Jun 2023 |date=21 Dec 2020 |publisher=[[朝日新聞]]デジタル }}</ref>、[[社会学者]](* [[1930年]]) * [[2021年]] - [[夏原平和]]、実業家、[[平和堂]]会長(* [[1944年]]) == 記念日・年中行事 == * 人間の連帯国際デー *: [[2005年]]の国連総会で制定された[[国際デー]]。多様性の中での人類の連帯を祝い、2000年に定められた[[ミレニアム開発目標]]の達成に向けて団結の重要性を思い起こす日。 * 澳門特別行政区成立紀念日({{MAC}}) *: [[1999年]]のこの日、[[マカオ]]が[[ポルトガル]]から[[中華人民共和国]]に返還され、澳門特別行政区が発足した。 * 果ての二十日 *: 身を慎み災いを避ける忌み日。由来については諸説あり、[[近畿地方]]では罪人の[[処刑]]をこの日に行っていたからと言われる。また、[[山の神]]に深く関わる忌み日とされ、この日に山に入ることが忌まれる。 * [[霧笛]]記念日({{JPN}}) *: [[1879年]]のこの日、尻屋埼灯台([[青森県]][[東通村]])に蒸気式[[霧笛]]が採用されたことを記念。 * [[デパート]]開業の日({{JPN}}) *: [[1904年]]のこの日、[[東京]]・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の三井呉服店が[[三越]]呉服店と改称。日本初の[[デパート]]式の営業を開始した。 * [[シーラカンス]]の日 *: [[1952年]]のこの日、[[コモロ諸島]]の[[アンジュアン島]]でシーラカンスが捕獲され、学術調査が行われたことに由来する。最初の標本は[[1938年]][[12月22日]]に[[南アフリカ共和国]]で確認されていたが、腐敗のため、充分な調査ができなかった。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1220|date=Jun 2023}} * [[1872年]] - 午後8時50分、フィリアス・フォッグらが80日間世界一周の旅を終えロンドンに到着。(小説『[[八十日間世界一周]]』) * [[1998年]] - キュリアン邸事件解決。(ゲーム『[[ザ・ハウス・オブ・ザ・デッドシリーズ|ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド]]』シリーズ) === 誕生日(フィクション) === * [[1979年]] - 黒桐幹也、小説・アニメ『[[空の境界]]』に登場するキャラクター<ref>DVDのブックレットに記載されている誕生日。</ref> * 2309年 - ポリリーナ/シャルロッテ・ミニヨン、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場する人気番組「お嬢様仮面ポリリーナ」のヒロイン<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/poly.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:ポリリーナ|date=20090411141947}}</ref><ref group="注釈">ちなみにポリリーナを演じている「リア」の実際の生年月日は2283年3月13日。{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/lia.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:リア|date=20100923224347}}</ref> * 生年不明 - 一条楽、漫画・アニメ『[[ニセコイ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|nisekoi_k|678391240249896961}}</ref> * 生年不明 - 金木研、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2012|title=東京喰種トーキョーグール|publisher=[[集英社]]|isbn=978-4-08-879272-9|date=|volume=1巻|quote=カバー裏}}</ref> * 生年不明 - こしばけんと、ベネッセの教材『[[こどもちゃれんじ]]』、アニメ『[[しまじろうヘソカ]]』『[[しまじろうのわお!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kodomochallenge|147183198781186048}}</ref> * 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#南葛中学校|井沢守]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year = 2003|title = キャプテン翼 3109日全記録|publisher = [[集英社]] |isbn = 4-08-782789-5|page = 57 }}</ref> * 生年不明 - 葵剣太郎、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1604855326020407296}}</ref> * 生年不明 - 朧、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=[[集英社]]|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-873288-X|page=21}}</ref> * 生年不明 - [[日番谷冬獅郎]]、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|author=[[久保帯人]]|title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|publisher=[[集英社]]|series=ジャンプ・コミックス|year=2006|page=133|isbn=4-08-874079-3}}</ref> * 生年不明 - 有馬貴将、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2016|title=東京喰種トーキョーグール:re|publisher=[[集英社]]|location=|isbn=978-4-08-890497-9|date=|volume=8巻|quote=カバー裏}}</ref> * 生年不明 - [[咲-Saki-の登場人物#夢乃マホ|夢乃マホ]]、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=夢乃マホ(ゆめの まほ)|url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=26 Jun 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref> * 生年不明 - 小早川ゆたか、漫画・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>『ら・ら・ら らき☆すた ファンブック』([[月刊コンプエース]]2007年9月号付録)[[角川書店]]、2007年、9頁。</ref> * 生年不明 - 角崎英介、漫画・アニメ・ドラマ『[[鹿楓堂よついろ日和]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yotsuiro_biyori|1340499196336431106}}</ref> * 生年不明 - [[双葉理保]]、ゲーム『[[Love Songs アイドルがクラスメ〜ト]]』他[[D3パブリッシャー]]のゲーム作品に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ドリームクラブ ZERO ビジュアルファンブック|publisher=[[ソフトバンククリエイティブ]]|year=2011|page=48|ISBN=978-4-7973-6114-8}}</ref> * 生年不明 - 市ノ瀬莉佳、ゲーム・アニメ『[[蒼の彼方のフォーリズム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aokana_TVanime|1605138477791604737}}</ref> * 生年不明 - ヴィスカ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-154 |title=ヴィスカ |publisher= Vespa Inc. |work=『キングスレイド』 |accessdate=26 Jun 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190418004919/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=154 |archivedate=18 Apr 2019}}</ref> * 生年不明 - リッシュ、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yumekuro.com/character/meister/gastronomy/riche/ |title=リッシュ |access-date=26 Jun 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - 本城香澄、メディアミックス『[[Re:ステージ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://rst-anime.com/character/#/ |title=CHARACTER 本城香澄 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=Re:ステージ! ドリームデイズ♪ 製作委員会 |work=『Re:ステージ! ドリームデイズ♪』}}</ref> * 生年不明 - 河野都、メディアミックス『[[22/7 (アイドルグループ)|22/7]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://nanabunnonijyuuni.com/s/n129/page/c1?ima=0000&link=ROBO004 |title=河野都 |access-date=26 Jun 2023 |publisher=22/7 PROJECT |work=『22/7』}}</ref> === 忌日(フィクション) === * [[2005年]] - 天空寺龍、特撮ドラマ『[[仮面ライダーゴースト]]』、特撮映画『[[仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス]]』に登場するキャラクター == 歌 == 香港の歌手{{仮リンク|ケイツェ|en|Kay Tse}}の曲:12月20日 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} === 注釈 === <references group="注釈" /> == 関連項目 == {{commonscat|20 December}} {{新暦365日|12|19|12|21|[[11月20日]]|[[1月20日]]|[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]|1220|12|20}} {{1年の月と日}}
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気動車
気動車(きどうしゃ)とは、人員・荷物もしくは貨物を積載する空間を有し、動力源として内燃機関や蒸気機関などの熱機関を搭載して自走する鉄道車両である。 現在の気動車は、動力として一般に内燃機関の中でも熱効率と安全性に優れるディーゼルエンジンが用いられている。そのため、日本では「ディーゼル動車」または「ディーゼルカー」(Diesel Car, DC)、「汽車」 などとも呼ばれる。対して、英語圏では動力分散方式の車両を「マルチプル ユニット」と呼ぶことから、気動車を「DMU」(Diesel Multiple-Unit) と称する。また「レールカー」(Railcar) とも呼ばれる。 電車と同様に動力分散方式の鉄道車両に分類される。一両ごとに蒸気もしくは内燃機関を搭載し、単独または複数両の車両で運行される。複数両の車両を連ねる場合には、かつては動力車一両ごとに運転手が乗務してそれぞれの車両を操作していたが、現在では先頭車の運転台から一括して制御する総括制御方式が一般化している。気動車の構造はその種類により異なる。 動力源として蒸気機関を用いた気動車を蒸気動車と呼ぶ。蒸気動車は蒸気機関車と同様、燃料に石炭を使用しており、運転者以外に機関助手の乗務による投炭作業を要した。 世界最初の蒸気動車はイースタン・カウンティ鉄道の機関車技師であるジェームス サミュエルによって設計され、1847年にウィリアム・ブリッジズ・アダムスによって製造され、1847年10月23日にショーディッチとケンブリッジの間で試運転された。日本では、明治時代末期から戦後間もないころまでは蒸気動車が使用された。当初は単に「自働車」「汽動車」と呼ばれ、内燃機関を搭載した動車が登場したことで「蒸気動車」と呼ばれるようになった。 ガソリン動車、ディーゼル動車、天然ガス動車、ガス発生炉搭載動車(発生炉ガス動車)、ガスタービン動車など内燃機関を搭載した気動車を内燃動車と呼ぶこともある。この他、動力を持たない気動車として付随車(気動付随車)と制御車(気動制御車)があり、動力を持つ気動車とともに使用される。 大正時代から1950年代までは、燃料にガソリンを使用したガソリンエンジンを動力とする「ガソリン動車」(「ガソリンカー」とも)が存在し、取り扱いの簡易さから特に1930年代には盛んに用いられた。1940年の西成線列車脱線火災事故とその後のディーゼルエンジン技術の改良がきっかけとなり、安全性と経済性に劣るガソリン動車は戦後すぐに置き換えが進み、日本においては1969年の磐梯急行電鉄廃止に伴い営業用車両は全廃されている。 ディーゼル動車(ディーゼルカー)は、熱機関にディーゼルエンジンを搭載した気動車である。燃料は現代のディーゼル動車では軽油が用いられている。また、一部の鉄道会社においてバイオディーゼル燃料が試験的に導入されている。 歴史的に見ると日本における気動車用ディーゼル機関は、4ストローク式が主流で、かつての私鉄における少数の例外を除き、2ストローク式の採用例はほとんど見られない。 現在営業運行に供されている日本の気動車では、車体床下台車間に機関を搭載している。過去においても機関の搭載場所は床下が主流であったが、初期には単端式気動車のように自動車に倣って車輌端に機関を搭載した車輌も多く、車体内床上に搭載した車輌(キハニ36450形)や台車に搭載した車輌(長門鉄道キコハ10など)も少数ながら存在した。サハリンの鉄道向けに日本で製造された車両も厳冬期のメンテナンス性の観点から車体内に機関を搭載ししている。 車体は、床下に架装されるエンジンと変速機、燃料などの重量や動揺に対応するため台枠強度を上げてあること、遮音・吸音に配慮されていること以外には一般的な客車や電車と大きく変わるところはない。出力面での制約を補うため、概して軽量化への志向が強い。日本国内では客車時代の基準でプラットホームの高さが低いままの地方線区での使用が多く、乗降口にステップを備えている車両が多かったが、バリアフリー化のため近年は運用線区のホームをかさ上げしてステップをなくしたものも出てきている(JR四国など)。信楽高原鐵道の車両には、低床化を行って段差をなくしているものもある。 戦争の影響による石油の不足により石油燃料に統制が敷かれていた1940年代には、ガソリン機関を(終戦後はディーゼル機関も)改造して木炭ガスや天然ガスを燃料に使用した例もある。 ガス発生炉搭載動車(発生炉ガス動車)は、車載ガス発生炉で固形燃料を不完全燃焼させ、発生した合成ガスを燃料にして走行する内燃動車。代用燃料車(代燃車)の代表的存在であり、 ガス発生炉搭載動車のみを指して代用燃料車(代燃車)と呼ぶこともある。木炭自動車の気動車版といえる。 ガスタービンエンジンを搭載した「ガスタービン動車」(「ターボトレイン」とも)も研究され、1960年代以降アメリカ・カナダ・フランス・革命前のイラン(フランスより輸入)などで実用化されたが、日本では燃費の悪さと甲高い騒音、故障の頻発が嫌われ、さらにオイルショックにも見舞われたため、キハ07 901、キハ391-1の2両が試作されたのみで、実用化されなかった。 日本国外ではマイクロガスタービンを使用した新世代ガスタービン-エレクトリック式気動車が開発されつつある。 自動車のマニュアルトランスミッション車同様に、多段変速機とクラッチを用いる原始的方式だが、伝達効率は良い。過去においてはそれぞれ手動操作であり、日本では1950年代前半まで主流だったが、クラッチ容量の限界による出力向上の制約や、当時の日本ではこの方式による総括制御の研究が進まなかったため、1960年代までにほぼ廃れた。欧州では総括制御技術が開発されたこともあり採用例が多く、特にイギリスでは1980年代初頭の統計では電気式、液体式の合計よりも車輌数が多く 気動車の主流となっていた。 ただし昨今の技術向上に伴い、電子制御による総括制御が可能になったこともあり、次項の流体式との差は小さくなってきている。デンマークでは機械式気動車を用いた200 km/h運転の試験が行われているが、これは多段変速液体式のトルクコンバータ(略称・トルコン)を省略して摩擦クラッチのみの装備に置換したものである。 起動から低中速域にかけてトルクコンバータを使用することで総括制御を可能とした変速方式。流体式・液圧式とも。比較的軽量なことが特徴。戦後の日本における主流。かつてはトルクコンバータに依存する領域が広く、動力伝達時のロスを生じがちだったが、1990年代以降多段式の遊星歯車変速機を電子制御してトルクコンバータと組み合わせることで、広い速度域に適応させつつトルクコンバータへの依存領域を小さくする手法(2速以降はトルクコンバータを介さない)が普及し、伝達効率を向上させている。その為、現在の流体式と電子制御化された機械式との違いは、実質的に「起動の方法の違い」のみとなっている。 エンジン動力で発電を行い、発生電力でモーターを駆動して走行する方式。現在ではほとんどがディーゼルエンジンを用いたディーゼル・エレクトリック方式である。モーターから輪軸への減速方法は電車と同じく一段固定で、多段変速機は持たない。大出力向けで伝達効率自体は良く、システム全体では重量と体積が増加するものの、保守点検も液体式に比べて容易であるため世界的には主流とする国が多い。 日本では1930年代と1950年代に若干の採用例が見られ、それ以降はしばらくの間液体式が主流となり一度は廃れた方式であったが、パワーエレクトロニクスが発展し、重量面のハンデを緩和させた2000年代以降は、シリーズ式ハイブリッド気動車やEDC方式という形で復活した。さらに2017年 - 2020年にかけて製造し、2019年8月から新潟・秋田地区で営業運転を開始したGV-E400系においては、量産型の純粋なディーゼル・エレクトリック方式の電気式気動車が約半世紀ぶりに復活した。 JR北海道でも既存の液体式気動車キハ40系と置き換えるための電気式気動車をJR東日本と共同で開発し、GV-E400系をベースとしたH100形が導入された。JR東日本で導入される電気式気動車と同型の試作車(量産先行車)を製作し、走行試験等による冬期の検証を2年行った上で、2019年(平成31年)度以降に量産車の製造を予定し、極寒冷地対策を考慮した変更を加えている。JR西日本ではディーゼル・エレクトリック方式車両の次世代型気動車であるDEC700形を開発中で、今後各種技術検証を実施する予定である 。なお、JR四国ではこれらの技術を採用した気動車はなく、最新の2700系でも引き続き液体式を採用しているが、ハイブリッド方式の電気式気動車を2025年度までに開発するとしている。 自動車のように原則として一方向にしか進めない気動車は単端式気動車と呼ばれる。英語の「Single ended car」の訳語とされ、日本車輌製造が1931年頃より自社のカタログで使用していた。変速機には逆走位置もあるが、逆走は入換時など短時間に限られ、通常は終点で何らかの方法で進行方向を逆向きにする必要がある。アメリカ合衆国では転車台が幅広く整備されており、単端式気動車が長期間使用された。 1920年代の日本では、ガソリンエンジン・変速機などの量産自動車用パワーユニットを流用し、当時のバス相当のシンプルな車体を備えた単端式気動車が多数就役しており、ことに「軌道自動車」を商品名とした日本車輌製造製のそれは、設計の規格化と量産効果による製作コストの低減、それに運用の容易さによる高頻度運転の実現などにより、地方の弱小鉄軌道が1920年代当時、急速に台頭し始めていたバスに対抗する上で大きな成果を上げたことで知られている。 両運転台式気動車は電車と同じく前後の双方向に支障なく走行でき、通常は車体両端に運転台のある車両を指す。ヨーロッパのローカル線は転車台が少ないことから両運気動車が発達したが、運転台が車体中央の1箇所のみで屋根から突出したスタイルの車両も存在した。 日本の内燃動車初の両運転台式車は1927年に製造された南越鉄道ガ1で、梅鉢鉄工所の第1作かつ1,067 mm軌間用では日本初のガソリン動車でもあった。 ドイツ国鉄は1932年に2両編成連接車体の流線型電気式気動車を開発し、高速列車「フリーゲンダー・ハンブルガー」の運行を開始した。これに影響を受けて欧米諸国では流線型気動車の開発が進められ、アメリカ合衆国では動力集中方式の気動車による「シティ・オブ・サライナ」や「パイオニア・ゼファー」が登場している。東アジアでは南満洲鉄道が1935年にジテ1形を、日本国鉄が1937年にキハ43000形を導入している。 第二次大戦後にアメリカのバッド社が導入したRDC(Rail Diesel Car)は、総括制御が可能な液体式気動車で連結運転が可能であった。日本国鉄で1953年より量産されたキハ45000系(キハ10系)は、前面貫通型で総括制御が可能な液体式気動車であった。 2000年代以降はパワーエレクトロニクス技術の向上により、エンジンで発生した動力をそのまま使わずに、発電機や蓄電池、電動機と組み合わせた電動化が進められている。 ハイブリッドカーのようにエンジンによる発電機と蓄電池を併用し、電動機で走行する気動車である。JR東日本では、日本初の営業用のハイブリッド気動車であるキハE200形を開発し、2007年より小海線で運行を開始している。その後、当車両で開発されたシステムをHB-E300系やHB-E210系でも使用している。 また、キハ160系もITTの導入に向けて試験走行が行われ、開発された技術を取り入れた車両としてJR北海道キハ285系が製作された。しかしJR北海道管内で不祥事が続発する中で「現状としては、『安全対策』と『新幹線の開業準備』に限られた『人』『時間』『資金』等を優先的に投入する必要がある」と判断、「コストとメンテナンスの両面から過大な仕様であること」「速度向上よりも安全対策を優先すること」「従来形式での車両形式の統一によって、予備車共通化による全体両数の抑制と機器共通化によるメンテナンス性の向上が図られること」として、試作車落成直前の2014年9月10日に開発の中止が発表された。 JR西日本のクルーズトレイン「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」において使用される87系寝台気動車や、JR九州の一般形気動車YC1系においてもシリーズハイブリッド方式が採用され、JR東海も特急「ひだ」「南紀」の現行車両であるキハ85系を置き換えるべくシリーズハイブリッド方式のHC85系を開発中で、2019年12月より試験走行車による試験を行い、2022年7月に営業運転を開始した。 電気・ディーゼル両用車両は、電動機で駆動するが、駆動用電源は発電機による発電と外部(架線・第三軌条)からの給電の両方に対応する。端的に言えば電気式ディーゼルに対して架線などから電力を得る回路を付加した形である。デュアルモード車両、バイモード車両、重複動力装備車輌などとも呼ばれる。 日本ではJR東日本が2017年5月1日に運行を開始したクルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」用のE001形がこれに該当する。 蓄電池・燃料電池車両は、電源機構が一般的な熱機関に該当しない電気動力車であるため、正確には気動車の範疇に含まれない。ただし、非電化路線での気動車を代替する運用の想定や、在来型気動車およびハイブリッド気動車との開発研究上の兼ね合いから、気動車を解説する文脈で併せて取り上げられることが多い。 近年の蓄電池容量の向上により、特定の条件(電化区間と非電化区間を直通する列車で、非電化区間を走行する距離が比較的短く、普通列車程度の速度の場合)であれば、電化区間で満充電した蓄電池を電源として非電化区間を運行する蓄電池電車への置き換えも可能になっており、JR東日本では烏山線用EV-E301系や男鹿線用EV-E801系が導入され、JR九州でも同様に筑豊本線などで蓄電池電車のBEC819系を導入し、電車への置き換えが行われている。 西ドイツ国鉄は1950年代にローカル線用小型気動車シーネンオムニバスを増備した。これにヒントを得て日本で小規模輸送用にバスの部品を流用して昭和20年代から30年代に製造された、国鉄のキハ01系、南部縦貫鉄道のキハ101・102などが、日本における「レールバス」の始祖とされることがある。 1980年代には地方私鉄や第三セクター鉄道、JR各社向けのレールバスが開発された。富士重工業の「LE-Car・LE-DC」シリーズ、新潟鐵工所の「NDC」シリーズの車両が該当したが、1980年代から1990年代にかけて製造されたバスのような外観の車両は1990年代後半以降廃れ、信楽高原鐵道列車衝突事故でレールバスが大破した教訓もあり本来の鉄道車両的な構造へと回帰しつつある。 1940年代-1950年代の鶴居村営軌道や山鹿温泉鉄道ではボンネットバスを改造して鉄輪をつけた、文字通りの「レールバス」を走らせていた。 1920年代から法規上併用軌道に該当する路線でガソリンカーを運行した事例は存在したが、本格的な事例として札幌市交通局は1958年に軌道線(路面電車)の延伸開業時に電化設備を省略するため、軌道線仕様で低床式の路面電車ならぬ路面気動車を導入した。これは車体形状や台車規格などに路面電車並みの構造を用いたものである。1967年に電化されて路面気動車も大半が通常の電車に改造された。 ドイツでは市内の路面電車と一般鉄道を直通する路面電車が運行されており、ノルトハウゼン市電の「コンビーノ・デュオ」は市街地では電車、郊外では気動車として走る電気・ディーゼル両用車両となっている。 車体を傾斜させることによりカーブを高速で通過できる機能を持った「車体傾斜車両」は、かつてはエンジントルクの反作用で車体がエンジンの回転方向の反対方向に傾くことや、プロペラシャフトの伸縮の制約などから気動車では不可能と見られていた。 1989年に試作車が製作されたJR四国2000系気動車によって実現し、翌1990年より量産が開始された。「制御付き自然振り子式気動車」で、エンジンの2基搭載によるエンジントルクの反作用相殺や、スプラインに変わるボール式伸縮機構の採用によりそれらの問題を克服した。また最大傾斜角6度の高性能気動車JR北海道キハ283系気動車が実用化された。以降多くの車体傾斜式の気動車が各社で営業投入され、曲線区間の多い非電化幹線での大幅な高速化に寄与している。 空気ばねによる車体傾斜装置を搭載した車両もあり、JR北海道の札幌近郊用キハ201系、特急列車用キハ261系で採用されている。このうちキハ201系は731系電車との協調運転が可能な設計であり、函館本線小樽駅以東で併結運転が実施されている。 JR北海道は2002年より道路と鉄道線路の両方を走行可能なデュアル・モード・ビークル(DMV)の開発を開始した。鉄道・道路両用車はこれ以前にも1930年代にイギリスの「ロードレイラー」、1950年代の西ドイツ国鉄で「シーネンシュトラーセンオムニバス」、1960年代の日本国鉄で「アンヒビアン・バス」の開発例がある。 DMVはJR北海道での開発中止により、2023年10月時点では徳島県海部郡海陽町の海部駅と高知県安芸郡東洋町の甲浦駅とを結ぶ阿佐東線を運営する阿佐海岸鉄道のみがDMVを運行している。 直接的な運転経費では動力費や保守整備費用で電車に劣る反面、発電所・変電所・架線など車両を動かすための電力系統の地上設備は不要である。輸送量が小さい路線において運用される場合、総合的に見ると経済的で環境負荷も少ない。こうした特徴を利点として、東京横浜電鉄(現在の東急電鉄東横線)がキハ1形を導入したケースのように、電化線において変電所強化なしで列車増発を実施する目的で気動車を採用する事例が存在した。 編成として機能する特急形を除き、気動車は多くの場合1両ごとでの単独運転(単行)が可能である。 かつて日本国有鉄道(国鉄)の気動車は、特急形車両を除いて制御段数・制御信号及びブレーキシステムが統一、もしくは新旧互換化されており、急行形・通勤形を問わず、全ての車両で連結・総括制御運転が可能であった。そのため、国鉄形の気動車を使用した列車には、一般用のキハ40系と急行用のキハ58系の混成編成など、異なる形式による編成も少なくなかった。しかし、整備や車両運用の効率化を追求し、互換性を過度に重視したシステムは、車両性能の進化を束縛することにもつながっていた。JRへの移行後はその傾向が弱まり、ようやく走行性能面での近代化が進展することになった。 また、電化設備の有無や変電所容量などの影響を受けずに走行が可能であるため、運用面でも柔軟性が高い。しかし実際には気動車の運転免許(甲種内燃車運転免許)を有する動力車操縦者(運転士、乗務員)が必要となることや、自動列車保安装置の互換性などから、営業用の気動車が通常運行されていない区間に臨時列車として入線することは少なくなっている。他方、電化区間と非電化区間が混在する地域で機動性を求められる事業用車(「East i-D」など)での採用例は、気動車の柔軟性を生かしたものと言える。 そのほか、電化区間でも閑散化が著しい場合、普通列車には編成単位の大きくなる電車でなく、小単位運用の可能な気動車を近傍の非電化路線との共通運用によって代用する例もある。特異な例として、仙石線の陸前小野駅 - 矢本駅 - 石巻駅間は、東日本大震災の津波で電化設備の故障のため、2015年5月30日の完全復旧まで気動車を用いていた。仙石線の完全復旧とともに開通した仙石東北ラインでは、電化方式が異なる仙石線と東北本線との連絡線が未電化のため、新たに用意されたハイブリッド気動車HB-E210系が使用されている。 なお、車両の動作メカニズム上、気動車は停電などの非常時にも容易に運行可能と思われることがある。だが現在の日本の鉄道の場合、実際には非電化路線でも信号機・閉塞・ATS・CTC・駅舎内照明・踏切などさまざまな地上側設備に電力が使用されていることから、停電になった場合にはこれら地上側設備用の予備の電源系か、停電時にも使用可能な代替の閉塞方式が確保されていなければ、安全確保の都合上運行することは不可能である。すなわち、構造上自走は可能であるが保安設備が作動しないので安全な運行が不可能となる。自動車で例えれば、交差点等の信号灯が点灯していない一般道を交通整理なしで走る状態に相当する。 高性能レールバスが出現すると、一部私鉄では電気鉄道でありながら気動車を運用する方が低コストと判断し、気動車運行に転換する例も出現した。元々1920年代から1930年代にかけて、電化私鉄がコスト対策からガソリンカー併用を行った先駆例が複数存在するが、新型レールバス出現後の1980年代以降の電化路線の気動車化では、名古屋鉄道の一部路線(現在は路線廃止)、近江鉄道(現在は電車運転)、くりはら田園鉄道(現在は路線廃止)といった例がある。最もこれらの試みは、気動車のランニングコストが電車より高いことに加え(これには、国鉄やJRのように車両やその部品をまとまった単位で発注できないという点も大きい)、電車と気動車で保守・整備に必要な要員の技能・知識がほぼまったく異なること、追加の地上設備も必要となるため、成功したとはいい難く、名鉄と近江では結局電車に回帰し、その他はどの路線も廃止か、廃止の対象となりうる水準の収支状態となっている。 なお、肥薩おれんじ鉄道、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインにおいても気動車運行に転換しているが、これは架線などの設備維持費を負担しない(貨物調整金を前提にJR貨物が負担する)ための対策で、前記の例とは事情が異なる。一方、ランニングコストと既存設備活用を重視してイニシャルコストの高い交流用電車の導入に踏み切った青い森鉄道は、赤字ではあるものの青森県が継続して支援可能な水準の収支となっている。 また、JR北海道の自社単独で維持不可能な路線など、経営が厳しい鉄道事業者では鉄路維持が出来ない事情に加えて、ディーゼルエンジンが環境面での改良により環境面でも問題は軽減した事から、きめ細かなバス・サービスの展開でハード面のコストが少ない代替バスや循環バス・コミュニティーバス・ジャトルバス・デマンドバスに転換する事で鉄道運行でのコスト軽減や環境影響を軽減する面からバス代行の動きもある。 電動機に比べると、内燃機関の出力重量比が小さく、性能面で不利な傾向がある。 この点は国鉄時代に顕著であり、たとえばキハ58形で自重38 t, 360 PS=270 kWであるのに対し、117系電車モハ117形は自重44 tで480 kWであった。国鉄分割民営化以降の車両ではJR北海道のキハ283系が1両平均自重42 t, 710 PS=530 kWであるなど性能向上がなされているが、同社の789系電車の電動車は920 kWと性能向上がなされており、差は縮まっていない。 内燃機関一般の特徴として、常用域でのトルク変動が少なく出力が回転数にほぼ比例して上がり、高回転域で最大出力に到達するという点がある。この特性を生かすためには多段変速機を用いてエンジンが最大出力を発揮している領域を使う必要がある。また、燃料の供給を調節することでほぼ任意の出力領域で部分負荷運転に対応できる。すなわち、おおむねどの速度域でも連続力行が可能となる。他方で、内燃機関は過負荷・過回転への耐性が低く、設計最高値を超える範囲での使用はオーバーヒートや焼きつきを発生させ、最終的にはエンジンブローを招くため不可能である。負荷や回転数が許容範囲内にあっても、部品寸法の公差や組付け不良による不具合発生のリスクは電動機より高くなる。電動機で一般的に見られる「短時間定格」運転の許容幅は極めて小さいか、許されていない。このため電動機で常用される「連続」定格を越えた出力での運転が困難である。 また、同様に拘束状態からの起動ができない。自動車の運転方法を見れば明らかなように、エンジンは常に一定(アイドリング)以上の回転数で稼働していなければならない。エンジンを停止した状態でギヤを噛み合わせ、その後エンジンを起動することは実用上不可能である。そのため、クラッチ機構が必要である。現代の日本の鉄道車両では起動トルクの確保と半クラッチ制御を要しない点から、変速機の1段目は全てトルクコンバータを介している。このため低速域での「動輪周引張力」と「起動加速力」は電車より大きいことが多い。 よって、 ということが言える。 国鉄時代の気動車が鈍重であったことも、おおむね上記の内容で説明される。すなわち一つには絶対的な出力不足であり、もう一つは変直2段の変速機しか持たなかったことが原因である。上述の通り、変速機の低速側は起動用のトルクコンバータ段であることは変えられない。直結段はエンジンの最大回転数(最高馬力付近)と車両の最高速度によって、比較的高速ギヤに固定されてしまう。したがって直結段に移ると途端にトルクが低下し、満足に加速しない、上り坂になれば速度が低下し変速段まで落とさなければ維持できないということが生じていたのである。これは自動車において、1速と4速しか使えない場合と、1、2、3、4速の全てが使える場合(超ワイドレシオとクロースレシオ)の走り方をイメージすればわかりやすい。 日本の非電化鉄道路線では、1872年(明治5年)の鉄道創業から長らく蒸気機関車が牽引する客車列車を主力としていた。運転経費の低減とフリークエンシー向上に効果のある「自走式車両」の開発も試みられ、1905年に蒸気機関を搭載して自走する蒸気動車が出現したが、1910年代までに限られた両数が製造されたのみで一般化はしなかった。 その後、1921年にはガソリンエンジン動力の「ガソリンカー」が営業運転を開始、列車本数頻発や運行コスト低減のメリットから1930年代には国鉄・私鉄を通じて広く普及した。ディーゼルエンジン動力の「ディーゼルカー」は日本では1928年に出現したが、エンジン技術の未発達から戦前にはほとんど普及しなかった。 1937年の日中戦争勃発以降、ガソリン不足によって内燃動車の新製および運行が年々困難となった。さらに1940年に発生した西成線列車脱線火災事故により、ガソリンカーの火災危険性が指摘された。これに伴いディーゼルカーへの転換が図られることになるが、同時期、戦時体制による燃料そのものの欠乏から、内燃動車の運行自体が一時衰退する。 1944年11月、国鉄はガソリン、アルコールによって運転していた気動車の運転を廃止することを表明した。 1950年以降、ディーゼルエンジン技術と燃料供給が改善されると、戦前のガソリンカーに代わってディーゼルカーが隆盛を極めることになった。特に1953年の液体式変速機実用化は、気動車による長大編成組成を可能とし、国鉄での著しい気動車普及の原動力となった。 蒸気機関車牽引列車に比して優れた居住性と走行性能を生かし、気動車による準急・急行列車が出現、さらに1960年には特急列車も登場した。戦後しばらくの間、国鉄線は主要幹線でも電化率が低かったこともあって、気動車は全国で広範に用いられるに至った。 1970年代までには5,000両を超える大量の気動車増備が図られ、日本国有鉄道は世界最多の気動車保有数を誇った時期もあった。しかし、同時期に主要幹線の電化が進展したことで、気動車の地位は徐々に後退する。一方で、極端な車両標準化施策及び労使関係の悪化により、気動車技術の発達も停滞した。1980年代以降、第三セクター鉄道向け軽量気動車の開発や新型エンジンの出現、電子制御式多段変速機の実用化などの技術改良から性能は大きく改善されたが、数を減らしつつあり、運用路線は主として地方の非電化亜幹線とローカル線に限定されるようになっている。 現在、JR各社では亜幹線・ローカル線を中心に運用され、非電化区間は気動車の独壇場である。国鉄時代には気動車の荷物車・郵便車も存在したが、JR移行後は、少数の事業用車両を除いてほとんどが旅客車である。客車列車はすでに定期運用から完全撤退しており、イベント用としてごく僅かに残存しているにすぎない。気動車に客車を連結して運転することも可能であり、分割民営化後も北海道の夜行列車で運転されていたが、現在の旅客列車では冬季の津軽鉄道の津軽21形による臨時的なストーブ客車の牽引を除き見られない。 国鉄およびJR各社、一部の第三セクター鉄道では、気動車列車の列車番号は原則として末尾に D(ディーゼル)が付けられる。例外もあり、信楽高原鉄道では土休日運行列車にKを、東海旅客鉄道(JR東海)・伊勢鉄道ではワンマン運転列車には C を、 西日本旅客鉄道(JR西日本)では山陰本線(浜坂駅 - 出雲市駅・西出雲駅間。ただし出雲神西駅以西直通の出雲市駅 - 西出雲駅間と出雲市駅 - 西出雲駅間の区間運転列車除く)・境線の土休日ダイヤの快速(「とっとりライナー」)・普通列車に K(気)を付ける。また、北陸新幹線では末尾を東海道・山陽新幹線のA、東北新幹線のB、上越新幹線のCに続いてDを付ける予定であったが、在来線気動車列車と紛らわしいためEとなった。 かつては日本の主要な鉄道車両メーカーのほとんどが気動車製造を手がけていたが、1960年代以来大手メーカーは電車製造に重点を置くようになり、メーカーの寡占化が進んだ。1970年代以降、日本における気動車の大多数は客車ともども新潟鐵工所と富士重工業の2社で製造されるようになっていた。 しかし、2002年に新潟鐵工所が経営破綻し、さらに富士重工業も鉄道車両製造事業からの実質的撤退を発表した。その後、石川島播磨重工業(現IHI)が新潟鐵工所の当該部門へ出資したことにより新潟トランシス株式会社が設立され、上記2社の鉄道車両製造事業の一部を承継した。現在、新潟トランシスの気動車分野における日本国内シェアは約8割に達する寡占状態である。そのほかのメーカーでは日本車輌製造が近年気動車製造に力を入れていて、1970年代以降製造車両が少なかった私鉄においても納入例が増加しており、また近畿車輛も、2012年に気動車の製造に再参入することが発表されているほか、川崎重工業も2010年代に入ってJR北海道・JR東日本・JR四国・JR九州向けに気動車(電気式・ハイブリッド含む)を本格的に製造している。 なお、自身が気動車新製能力をもつ鉄道事業者は国鉄分割民営化以降JR北海道(苗穂工場)とJR西日本(後藤総合車両所)のみとなっている。 昨今では、ディーゼルエンジンの環境に対する悪影響(大気汚染や酸性雨、地球温暖化)が強く指摘され、気動車やディーゼル機関車のエンジンにも環境対策を施す例が見られるようになった。 自動車や建設機械、農業機械においては自動車排出ガス規制や自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法、ディーゼル車規制条例、特定特殊自動車排出ガスの規制等に関する法律などで法的な規制があり、2005年(平成17年)4月に中央環境審議会「今後の自動車排出ガス低減対策のあり方について(第8次答申)」では、2009年よりディーゼル自動車排出ガスを低減する方針「ポスト新長期規制」(クリーンディーゼル)が決まり、当時としては世界最高水準の排ガス規制に適合している。 2014年時点では、気動車やディーゼル機関車などの鉄道車両に対する法的な排ガス規制はないが、エンジンの直噴化・ユニットインジェクターやコモンレールと電子制御インジェクターの組み合わせによる超高圧・多段燃料噴射の導入・自動車用エンジンで培われた熱効率向上など機関の改良が行なわれている。またDPF(粒子状物質減少装置)取付や尿素SCRシステムによる排気浄化・燃料のバイオディーゼルへの移行といった環境対策技術も導入されつつあり、変速・駆動系の改良も進んでいる。一部ではハイブリッド自動車と同じく、エンジンの回転エネルギーや走行時の運動エネルギーを電気エネルギーに変換して、蓄電池や電動機と組み合わせた方式も実用化されるようになった。→鉄道車両におけるハイブリッドを参照
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "気動車(きどうしゃ)とは、人員・荷物もしくは貨物を積載する空間を有し、動力源として内燃機関や蒸気機関などの熱機関を搭載して自走する鉄道車両である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "現在の気動車は、動力として一般に内燃機関の中でも熱効率と安全性に優れるディーゼルエンジンが用いられている。そのため、日本では「ディーゼル動車」または「ディーゼルカー」(Diesel Car, DC)、「汽車」 などとも呼ばれる。対して、英語圏では動力分散方式の車両を「マルチプル ユニット」と呼ぶことから、気動車を「DMU」(Diesel Multiple-Unit) と称する。また「レールカー」(Railcar) とも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "電車と同様に動力分散方式の鉄道車両に分類される。一両ごとに蒸気もしくは内燃機関を搭載し、単独または複数両の車両で運行される。複数両の車両を連ねる場合には、かつては動力車一両ごとに運転手が乗務してそれぞれの車両を操作していたが、現在では先頭車の運転台から一括して制御する総括制御方式が一般化している。気動車の構造はその種類により異なる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "動力源として蒸気機関を用いた気動車を蒸気動車と呼ぶ。蒸気動車は蒸気機関車と同様、燃料に石炭を使用しており、運転者以外に機関助手の乗務による投炭作業を要した。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "世界最初の蒸気動車はイースタン・カウンティ鉄道の機関車技師であるジェームス サミュエルによって設計され、1847年にウィリアム・ブリッジズ・アダムスによって製造され、1847年10月23日にショーディッチとケンブリッジの間で試運転された。日本では、明治時代末期から戦後間もないころまでは蒸気動車が使用された。当初は単に「自働車」「汽動車」と呼ばれ、内燃機関を搭載した動車が登場したことで「蒸気動車」と呼ばれるようになった。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ガソリン動車、ディーゼル動車、天然ガス動車、ガス発生炉搭載動車(発生炉ガス動車)、ガスタービン動車など内燃機関を搭載した気動車を内燃動車と呼ぶこともある。この他、動力を持たない気動車として付随車(気動付随車)と制御車(気動制御車)があり、動力を持つ気動車とともに使用される。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "大正時代から1950年代までは、燃料にガソリンを使用したガソリンエンジンを動力とする「ガソリン動車」(「ガソリンカー」とも)が存在し、取り扱いの簡易さから特に1930年代には盛んに用いられた。1940年の西成線列車脱線火災事故とその後のディーゼルエンジン技術の改良がきっかけとなり、安全性と経済性に劣るガソリン動車は戦後すぐに置き換えが進み、日本においては1969年の磐梯急行電鉄廃止に伴い営業用車両は全廃されている。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ディーゼル動車(ディーゼルカー)は、熱機関にディーゼルエンジンを搭載した気動車である。燃料は現代のディーゼル動車では軽油が用いられている。また、一部の鉄道会社においてバイオディーゼル燃料が試験的に導入されている。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "歴史的に見ると日本における気動車用ディーゼル機関は、4ストローク式が主流で、かつての私鉄における少数の例外を除き、2ストローク式の採用例はほとんど見られない。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "現在営業運行に供されている日本の気動車では、車体床下台車間に機関を搭載している。過去においても機関の搭載場所は床下が主流であったが、初期には単端式気動車のように自動車に倣って車輌端に機関を搭載した車輌も多く、車体内床上に搭載した車輌(キハニ36450形)や台車に搭載した車輌(長門鉄道キコハ10など)も少数ながら存在した。サハリンの鉄道向けに日本で製造された車両も厳冬期のメンテナンス性の観点から車体内に機関を搭載ししている。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "車体は、床下に架装されるエンジンと変速機、燃料などの重量や動揺に対応するため台枠強度を上げてあること、遮音・吸音に配慮されていること以外には一般的な客車や電車と大きく変わるところはない。出力面での制約を補うため、概して軽量化への志向が強い。日本国内では客車時代の基準でプラットホームの高さが低いままの地方線区での使用が多く、乗降口にステップを備えている車両が多かったが、バリアフリー化のため近年は運用線区のホームをかさ上げしてステップをなくしたものも出てきている(JR四国など)。信楽高原鐵道の車両には、低床化を行って段差をなくしているものもある。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "戦争の影響による石油の不足により石油燃料に統制が敷かれていた1940年代には、ガソリン機関を(終戦後はディーゼル機関も)改造して木炭ガスや天然ガスを燃料に使用した例もある。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ガス発生炉搭載動車(発生炉ガス動車)は、車載ガス発生炉で固形燃料を不完全燃焼させ、発生した合成ガスを燃料にして走行する内燃動車。代用燃料車(代燃車)の代表的存在であり、 ガス発生炉搭載動車のみを指して代用燃料車(代燃車)と呼ぶこともある。木炭自動車の気動車版といえる。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ガスタービンエンジンを搭載した「ガスタービン動車」(「ターボトレイン」とも)も研究され、1960年代以降アメリカ・カナダ・フランス・革命前のイラン(フランスより輸入)などで実用化されたが、日本では燃費の悪さと甲高い騒音、故障の頻発が嫌われ、さらにオイルショックにも見舞われたため、キハ07 901、キハ391-1の2両が試作されたのみで、実用化されなかった。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "日本国外ではマイクロガスタービンを使用した新世代ガスタービン-エレクトリック式気動車が開発されつつある。", "title": "機関・燃料の種類による分類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "自動車のマニュアルトランスミッション車同様に、多段変速機とクラッチを用いる原始的方式だが、伝達効率は良い。過去においてはそれぞれ手動操作であり、日本では1950年代前半まで主流だったが、クラッチ容量の限界による出力向上の制約や、当時の日本ではこの方式による総括制御の研究が進まなかったため、1960年代までにほぼ廃れた。欧州では総括制御技術が開発されたこともあり採用例が多く、特にイギリスでは1980年代初頭の統計では電気式、液体式の合計よりも車輌数が多く 気動車の主流となっていた。", "title": "動力伝達方式による分類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ただし昨今の技術向上に伴い、電子制御による総括制御が可能になったこともあり、次項の流体式との差は小さくなってきている。デンマークでは機械式気動車を用いた200 km/h運転の試験が行われているが、これは多段変速液体式のトルクコンバータ(略称・トルコン)を省略して摩擦クラッチのみの装備に置換したものである。", "title": "動力伝達方式による分類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "起動から低中速域にかけてトルクコンバータを使用することで総括制御を可能とした変速方式。流体式・液圧式とも。比較的軽量なことが特徴。戦後の日本における主流。かつてはトルクコンバータに依存する領域が広く、動力伝達時のロスを生じがちだったが、1990年代以降多段式の遊星歯車変速機を電子制御してトルクコンバータと組み合わせることで、広い速度域に適応させつつトルクコンバータへの依存領域を小さくする手法(2速以降はトルクコンバータを介さない)が普及し、伝達効率を向上させている。その為、現在の流体式と電子制御化された機械式との違いは、実質的に「起動の方法の違い」のみとなっている。", "title": "動力伝達方式による分類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "エンジン動力で発電を行い、発生電力でモーターを駆動して走行する方式。現在ではほとんどがディーゼルエンジンを用いたディーゼル・エレクトリック方式である。モーターから輪軸への減速方法は電車と同じく一段固定で、多段変速機は持たない。大出力向けで伝達効率自体は良く、システム全体では重量と体積が増加するものの、保守点検も液体式に比べて容易であるため世界的には主流とする国が多い。", "title": "動力伝達方式による分類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "日本では1930年代と1950年代に若干の採用例が見られ、それ以降はしばらくの間液体式が主流となり一度は廃れた方式であったが、パワーエレクトロニクスが発展し、重量面のハンデを緩和させた2000年代以降は、シリーズ式ハイブリッド気動車やEDC方式という形で復活した。さらに2017年 - 2020年にかけて製造し、2019年8月から新潟・秋田地区で営業運転を開始したGV-E400系においては、量産型の純粋なディーゼル・エレクトリック方式の電気式気動車が約半世紀ぶりに復活した。", "title": "動力伝達方式による分類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "JR北海道でも既存の液体式気動車キハ40系と置き換えるための電気式気動車をJR東日本と共同で開発し、GV-E400系をベースとしたH100形が導入された。JR東日本で導入される電気式気動車と同型の試作車(量産先行車)を製作し、走行試験等による冬期の検証を2年行った上で、2019年(平成31年)度以降に量産車の製造を予定し、極寒冷地対策を考慮した変更を加えている。JR西日本ではディーゼル・エレクトリック方式車両の次世代型気動車であるDEC700形を開発中で、今後各種技術検証を実施する予定である 。なお、JR四国ではこれらの技術を採用した気動車はなく、最新の2700系でも引き続き液体式を採用しているが、ハイブリッド方式の電気式気動車を2025年度までに開発するとしている。", "title": "動力伝達方式による分類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "自動車のように原則として一方向にしか進めない気動車は単端式気動車と呼ばれる。英語の「Single ended car」の訳語とされ、日本車輌製造が1931年頃より自社のカタログで使用していた。変速機には逆走位置もあるが、逆走は入換時など短時間に限られ、通常は終点で何らかの方法で進行方向を逆向きにする必要がある。アメリカ合衆国では転車台が幅広く整備されており、単端式気動車が長期間使用された。", "title": "運転方式による分類" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1920年代の日本では、ガソリンエンジン・変速機などの量産自動車用パワーユニットを流用し、当時のバス相当のシンプルな車体を備えた単端式気動車が多数就役しており、ことに「軌道自動車」を商品名とした日本車輌製造製のそれは、設計の規格化と量産効果による製作コストの低減、それに運用の容易さによる高頻度運転の実現などにより、地方の弱小鉄軌道が1920年代当時、急速に台頭し始めていたバスに対抗する上で大きな成果を上げたことで知られている。", "title": "運転方式による分類" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "両運転台式気動車は電車と同じく前後の双方向に支障なく走行でき、通常は車体両端に運転台のある車両を指す。ヨーロッパのローカル線は転車台が少ないことから両運気動車が発達したが、運転台が車体中央の1箇所のみで屋根から突出したスタイルの車両も存在した。", "title": "運転方式による分類" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "日本の内燃動車初の両運転台式車は1927年に製造された南越鉄道ガ1で、梅鉢鉄工所の第1作かつ1,067 mm軌間用では日本初のガソリン動車でもあった。", "title": "運転方式による分類" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ドイツ国鉄は1932年に2両編成連接車体の流線型電気式気動車を開発し、高速列車「フリーゲンダー・ハンブルガー」の運行を開始した。これに影響を受けて欧米諸国では流線型気動車の開発が進められ、アメリカ合衆国では動力集中方式の気動車による「シティ・オブ・サライナ」や「パイオニア・ゼファー」が登場している。東アジアでは南満洲鉄道が1935年にジテ1形を、日本国鉄が1937年にキハ43000形を導入している。", "title": "運転方式による分類" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "第二次大戦後にアメリカのバッド社が導入したRDC(Rail Diesel Car)は、総括制御が可能な液体式気動車で連結運転が可能であった。日本国鉄で1953年より量産されたキハ45000系(キハ10系)は、前面貫通型で総括制御が可能な液体式気動車であった。", "title": "運転方式による分類" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2000年代以降はパワーエレクトロニクス技術の向上により、エンジンで発生した動力をそのまま使わずに、発電機や蓄電池、電動機と組み合わせた電動化が進められている。", "title": "気動車の電動化" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ハイブリッドカーのようにエンジンによる発電機と蓄電池を併用し、電動機で走行する気動車である。JR東日本では、日本初の営業用のハイブリッド気動車であるキハE200形を開発し、2007年より小海線で運行を開始している。その後、当車両で開発されたシステムをHB-E300系やHB-E210系でも使用している。", "title": "気動車の電動化" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、キハ160系もITTの導入に向けて試験走行が行われ、開発された技術を取り入れた車両としてJR北海道キハ285系が製作された。しかしJR北海道管内で不祥事が続発する中で「現状としては、『安全対策』と『新幹線の開業準備』に限られた『人』『時間』『資金』等を優先的に投入する必要がある」と判断、「コストとメンテナンスの両面から過大な仕様であること」「速度向上よりも安全対策を優先すること」「従来形式での車両形式の統一によって、予備車共通化による全体両数の抑制と機器共通化によるメンテナンス性の向上が図られること」として、試作車落成直前の2014年9月10日に開発の中止が発表された。", "title": "気動車の電動化" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "JR西日本のクルーズトレイン「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」において使用される87系寝台気動車や、JR九州の一般形気動車YC1系においてもシリーズハイブリッド方式が採用され、JR東海も特急「ひだ」「南紀」の現行車両であるキハ85系を置き換えるべくシリーズハイブリッド方式のHC85系を開発中で、2019年12月より試験走行車による試験を行い、2022年7月に営業運転を開始した。", "title": "気動車の電動化" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "電気・ディーゼル両用車両は、電動機で駆動するが、駆動用電源は発電機による発電と外部(架線・第三軌条)からの給電の両方に対応する。端的に言えば電気式ディーゼルに対して架線などから電力を得る回路を付加した形である。デュアルモード車両、バイモード車両、重複動力装備車輌などとも呼ばれる。", "title": "気動車の電動化" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "日本ではJR東日本が2017年5月1日に運行を開始したクルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」用のE001形がこれに該当する。", "title": "気動車の電動化" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "蓄電池・燃料電池車両は、電源機構が一般的な熱機関に該当しない電気動力車であるため、正確には気動車の範疇に含まれない。ただし、非電化路線での気動車を代替する運用の想定や、在来型気動車およびハイブリッド気動車との開発研究上の兼ね合いから、気動車を解説する文脈で併せて取り上げられることが多い。", "title": "気動車の電動化" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "近年の蓄電池容量の向上により、特定の条件(電化区間と非電化区間を直通する列車で、非電化区間を走行する距離が比較的短く、普通列車程度の速度の場合)であれば、電化区間で満充電した蓄電池を電源として非電化区間を運行する蓄電池電車への置き換えも可能になっており、JR東日本では烏山線用EV-E301系や男鹿線用EV-E801系が導入され、JR九州でも同様に筑豊本線などで蓄電池電車のBEC819系を導入し、電車への置き換えが行われている。", "title": "気動車の電動化" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "西ドイツ国鉄は1950年代にローカル線用小型気動車シーネンオムニバスを増備した。これにヒントを得て日本で小規模輸送用にバスの部品を流用して昭和20年代から30年代に製造された、国鉄のキハ01系、南部縦貫鉄道のキハ101・102などが、日本における「レールバス」の始祖とされることがある。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1980年代には地方私鉄や第三セクター鉄道、JR各社向けのレールバスが開発された。富士重工業の「LE-Car・LE-DC」シリーズ、新潟鐵工所の「NDC」シリーズの車両が該当したが、1980年代から1990年代にかけて製造されたバスのような外観の車両は1990年代後半以降廃れ、信楽高原鐵道列車衝突事故でレールバスが大破した教訓もあり本来の鉄道車両的な構造へと回帰しつつある。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1940年代-1950年代の鶴居村営軌道や山鹿温泉鉄道ではボンネットバスを改造して鉄輪をつけた、文字通りの「レールバス」を走らせていた。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1920年代から法規上併用軌道に該当する路線でガソリンカーを運行した事例は存在したが、本格的な事例として札幌市交通局は1958年に軌道線(路面電車)の延伸開業時に電化設備を省略するため、軌道線仕様で低床式の路面電車ならぬ路面気動車を導入した。これは車体形状や台車規格などに路面電車並みの構造を用いたものである。1967年に電化されて路面気動車も大半が通常の電車に改造された。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ドイツでは市内の路面電車と一般鉄道を直通する路面電車が運行されており、ノルトハウゼン市電の「コンビーノ・デュオ」は市街地では電車、郊外では気動車として走る電気・ディーゼル両用車両となっている。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "車体を傾斜させることによりカーブを高速で通過できる機能を持った「車体傾斜車両」は、かつてはエンジントルクの反作用で車体がエンジンの回転方向の反対方向に傾くことや、プロペラシャフトの伸縮の制約などから気動車では不可能と見られていた。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1989年に試作車が製作されたJR四国2000系気動車によって実現し、翌1990年より量産が開始された。「制御付き自然振り子式気動車」で、エンジンの2基搭載によるエンジントルクの反作用相殺や、スプラインに変わるボール式伸縮機構の採用によりそれらの問題を克服した。また最大傾斜角6度の高性能気動車JR北海道キハ283系気動車が実用化された。以降多くの車体傾斜式の気動車が各社で営業投入され、曲線区間の多い非電化幹線での大幅な高速化に寄与している。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "空気ばねによる車体傾斜装置を搭載した車両もあり、JR北海道の札幌近郊用キハ201系、特急列車用キハ261系で採用されている。このうちキハ201系は731系電車との協調運転が可能な設計であり、函館本線小樽駅以東で併結運転が実施されている。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "JR北海道は2002年より道路と鉄道線路の両方を走行可能なデュアル・モード・ビークル(DMV)の開発を開始した。鉄道・道路両用車はこれ以前にも1930年代にイギリスの「ロードレイラー」、1950年代の西ドイツ国鉄で「シーネンシュトラーセンオムニバス」、1960年代の日本国鉄で「アンヒビアン・バス」の開発例がある。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "DMVはJR北海道での開発中止により、2023年10月時点では徳島県海部郡海陽町の海部駅と高知県安芸郡東洋町の甲浦駅とを結ぶ阿佐東線を運営する阿佐海岸鉄道のみがDMVを運行している。", "title": "特殊用途・設計" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "直接的な運転経費では動力費や保守整備費用で電車に劣る反面、発電所・変電所・架線など車両を動かすための電力系統の地上設備は不要である。輸送量が小さい路線において運用される場合、総合的に見ると経済的で環境負荷も少ない。こうした特徴を利点として、東京横浜電鉄(現在の東急電鉄東横線)がキハ1形を導入したケースのように、電化線において変電所強化なしで列車増発を実施する目的で気動車を採用する事例が存在した。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "編成として機能する特急形を除き、気動車は多くの場合1両ごとでの単独運転(単行)が可能である。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "かつて日本国有鉄道(国鉄)の気動車は、特急形車両を除いて制御段数・制御信号及びブレーキシステムが統一、もしくは新旧互換化されており、急行形・通勤形を問わず、全ての車両で連結・総括制御運転が可能であった。そのため、国鉄形の気動車を使用した列車には、一般用のキハ40系と急行用のキハ58系の混成編成など、異なる形式による編成も少なくなかった。しかし、整備や車両運用の効率化を追求し、互換性を過度に重視したシステムは、車両性能の進化を束縛することにもつながっていた。JRへの移行後はその傾向が弱まり、ようやく走行性能面での近代化が進展することになった。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "また、電化設備の有無や変電所容量などの影響を受けずに走行が可能であるため、運用面でも柔軟性が高い。しかし実際には気動車の運転免許(甲種内燃車運転免許)を有する動力車操縦者(運転士、乗務員)が必要となることや、自動列車保安装置の互換性などから、営業用の気動車が通常運行されていない区間に臨時列車として入線することは少なくなっている。他方、電化区間と非電化区間が混在する地域で機動性を求められる事業用車(「East i-D」など)での採用例は、気動車の柔軟性を生かしたものと言える。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "そのほか、電化区間でも閑散化が著しい場合、普通列車には編成単位の大きくなる電車でなく、小単位運用の可能な気動車を近傍の非電化路線との共通運用によって代用する例もある。特異な例として、仙石線の陸前小野駅 - 矢本駅 - 石巻駅間は、東日本大震災の津波で電化設備の故障のため、2015年5月30日の完全復旧まで気動車を用いていた。仙石線の完全復旧とともに開通した仙石東北ラインでは、電化方式が異なる仙石線と東北本線との連絡線が未電化のため、新たに用意されたハイブリッド気動車HB-E210系が使用されている。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "なお、車両の動作メカニズム上、気動車は停電などの非常時にも容易に運行可能と思われることがある。だが現在の日本の鉄道の場合、実際には非電化路線でも信号機・閉塞・ATS・CTC・駅舎内照明・踏切などさまざまな地上側設備に電力が使用されていることから、停電になった場合にはこれら地上側設備用の予備の電源系か、停電時にも使用可能な代替の閉塞方式が確保されていなければ、安全確保の都合上運行することは不可能である。すなわち、構造上自走は可能であるが保安設備が作動しないので安全な運行が不可能となる。自動車で例えれば、交差点等の信号灯が点灯していない一般道を交通整理なしで走る状態に相当する。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "高性能レールバスが出現すると、一部私鉄では電気鉄道でありながら気動車を運用する方が低コストと判断し、気動車運行に転換する例も出現した。元々1920年代から1930年代にかけて、電化私鉄がコスト対策からガソリンカー併用を行った先駆例が複数存在するが、新型レールバス出現後の1980年代以降の電化路線の気動車化では、名古屋鉄道の一部路線(現在は路線廃止)、近江鉄道(現在は電車運転)、くりはら田園鉄道(現在は路線廃止)といった例がある。最もこれらの試みは、気動車のランニングコストが電車より高いことに加え(これには、国鉄やJRのように車両やその部品をまとまった単位で発注できないという点も大きい)、電車と気動車で保守・整備に必要な要員の技能・知識がほぼまったく異なること、追加の地上設備も必要となるため、成功したとはいい難く、名鉄と近江では結局電車に回帰し、その他はどの路線も廃止か、廃止の対象となりうる水準の収支状態となっている。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "なお、肥薩おれんじ鉄道、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインにおいても気動車運行に転換しているが、これは架線などの設備維持費を負担しない(貨物調整金を前提にJR貨物が負担する)ための対策で、前記の例とは事情が異なる。一方、ランニングコストと既存設備活用を重視してイニシャルコストの高い交流用電車の導入に踏み切った青い森鉄道は、赤字ではあるものの青森県が継続して支援可能な水準の収支となっている。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "また、JR北海道の自社単独で維持不可能な路線など、経営が厳しい鉄道事業者では鉄路維持が出来ない事情に加えて、ディーゼルエンジンが環境面での改良により環境面でも問題は軽減した事から、きめ細かなバス・サービスの展開でハード面のコストが少ない代替バスや循環バス・コミュニティーバス・ジャトルバス・デマンドバスに転換する事で鉄道運行でのコスト軽減や環境影響を軽減する面からバス代行の動きもある。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "電動機に比べると、内燃機関の出力重量比が小さく、性能面で不利な傾向がある。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "この点は国鉄時代に顕著であり、たとえばキハ58形で自重38 t, 360 PS=270 kWであるのに対し、117系電車モハ117形は自重44 tで480 kWであった。国鉄分割民営化以降の車両ではJR北海道のキハ283系が1両平均自重42 t, 710 PS=530 kWであるなど性能向上がなされているが、同社の789系電車の電動車は920 kWと性能向上がなされており、差は縮まっていない。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "内燃機関一般の特徴として、常用域でのトルク変動が少なく出力が回転数にほぼ比例して上がり、高回転域で最大出力に到達するという点がある。この特性を生かすためには多段変速機を用いてエンジンが最大出力を発揮している領域を使う必要がある。また、燃料の供給を調節することでほぼ任意の出力領域で部分負荷運転に対応できる。すなわち、おおむねどの速度域でも連続力行が可能となる。他方で、内燃機関は過負荷・過回転への耐性が低く、設計最高値を超える範囲での使用はオーバーヒートや焼きつきを発生させ、最終的にはエンジンブローを招くため不可能である。負荷や回転数が許容範囲内にあっても、部品寸法の公差や組付け不良による不具合発生のリスクは電動機より高くなる。電動機で一般的に見られる「短時間定格」運転の許容幅は極めて小さいか、許されていない。このため電動機で常用される「連続」定格を越えた出力での運転が困難である。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "また、同様に拘束状態からの起動ができない。自動車の運転方法を見れば明らかなように、エンジンは常に一定(アイドリング)以上の回転数で稼働していなければならない。エンジンを停止した状態でギヤを噛み合わせ、その後エンジンを起動することは実用上不可能である。そのため、クラッチ機構が必要である。現代の日本の鉄道車両では起動トルクの確保と半クラッチ制御を要しない点から、変速機の1段目は全てトルクコンバータを介している。このため低速域での「動輪周引張力」と「起動加速力」は電車より大きいことが多い。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "よって、", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ということが言える。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "国鉄時代の気動車が鈍重であったことも、おおむね上記の内容で説明される。すなわち一つには絶対的な出力不足であり、もう一つは変直2段の変速機しか持たなかったことが原因である。上述の通り、変速機の低速側は起動用のトルクコンバータ段であることは変えられない。直結段はエンジンの最大回転数(最高馬力付近)と車両の最高速度によって、比較的高速ギヤに固定されてしまう。したがって直結段に移ると途端にトルクが低下し、満足に加速しない、上り坂になれば速度が低下し変速段まで落とさなければ維持できないということが生じていたのである。これは自動車において、1速と4速しか使えない場合と、1、2、3、4速の全てが使える場合(超ワイドレシオとクロースレシオ)の走り方をイメージすればわかりやすい。", "title": "運用・性能特性" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "日本の非電化鉄道路線では、1872年(明治5年)の鉄道創業から長らく蒸気機関車が牽引する客車列車を主力としていた。運転経費の低減とフリークエンシー向上に効果のある「自走式車両」の開発も試みられ、1905年に蒸気機関を搭載して自走する蒸気動車が出現したが、1910年代までに限られた両数が製造されたのみで一般化はしなかった。", "title": "日本の気動車の略史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "その後、1921年にはガソリンエンジン動力の「ガソリンカー」が営業運転を開始、列車本数頻発や運行コスト低減のメリットから1930年代には国鉄・私鉄を通じて広く普及した。ディーゼルエンジン動力の「ディーゼルカー」は日本では1928年に出現したが、エンジン技術の未発達から戦前にはほとんど普及しなかった。", "title": "日本の気動車の略史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "1937年の日中戦争勃発以降、ガソリン不足によって内燃動車の新製および運行が年々困難となった。さらに1940年に発生した西成線列車脱線火災事故により、ガソリンカーの火災危険性が指摘された。これに伴いディーゼルカーへの転換が図られることになるが、同時期、戦時体制による燃料そのものの欠乏から、内燃動車の運行自体が一時衰退する。 1944年11月、国鉄はガソリン、アルコールによって運転していた気動車の運転を廃止することを表明した。", "title": "日本の気動車の略史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "1950年以降、ディーゼルエンジン技術と燃料供給が改善されると、戦前のガソリンカーに代わってディーゼルカーが隆盛を極めることになった。特に1953年の液体式変速機実用化は、気動車による長大編成組成を可能とし、国鉄での著しい気動車普及の原動力となった。", "title": "日本の気動車の略史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "蒸気機関車牽引列車に比して優れた居住性と走行性能を生かし、気動車による準急・急行列車が出現、さらに1960年には特急列車も登場した。戦後しばらくの間、国鉄線は主要幹線でも電化率が低かったこともあって、気動車は全国で広範に用いられるに至った。", "title": "日本の気動車の略史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "1970年代までには5,000両を超える大量の気動車増備が図られ、日本国有鉄道は世界最多の気動車保有数を誇った時期もあった。しかし、同時期に主要幹線の電化が進展したことで、気動車の地位は徐々に後退する。一方で、極端な車両標準化施策及び労使関係の悪化により、気動車技術の発達も停滞した。1980年代以降、第三セクター鉄道向け軽量気動車の開発や新型エンジンの出現、電子制御式多段変速機の実用化などの技術改良から性能は大きく改善されたが、数を減らしつつあり、運用路線は主として地方の非電化亜幹線とローカル線に限定されるようになっている。", "title": "日本の気動車の略史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "現在、JR各社では亜幹線・ローカル線を中心に運用され、非電化区間は気動車の独壇場である。国鉄時代には気動車の荷物車・郵便車も存在したが、JR移行後は、少数の事業用車両を除いてほとんどが旅客車である。客車列車はすでに定期運用から完全撤退しており、イベント用としてごく僅かに残存しているにすぎない。気動車に客車を連結して運転することも可能であり、分割民営化後も北海道の夜行列車で運転されていたが、現在の旅客列車では冬季の津軽鉄道の津軽21形による臨時的なストーブ客車の牽引を除き見られない。", "title": "日本の気動車の略史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "国鉄およびJR各社、一部の第三セクター鉄道では、気動車列車の列車番号は原則として末尾に D(ディーゼル)が付けられる。例外もあり、信楽高原鉄道では土休日運行列車にKを、東海旅客鉄道(JR東海)・伊勢鉄道ではワンマン運転列車には C を、 西日本旅客鉄道(JR西日本)では山陰本線(浜坂駅 - 出雲市駅・西出雲駅間。ただし出雲神西駅以西直通の出雲市駅 - 西出雲駅間と出雲市駅 - 西出雲駅間の区間運転列車除く)・境線の土休日ダイヤの快速(「とっとりライナー」)・普通列車に K(気)を付ける。また、北陸新幹線では末尾を東海道・山陽新幹線のA、東北新幹線のB、上越新幹線のCに続いてDを付ける予定であったが、在来線気動車列車と紛らわしいためEとなった。", "title": "日本の気動車の略史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "かつては日本の主要な鉄道車両メーカーのほとんどが気動車製造を手がけていたが、1960年代以来大手メーカーは電車製造に重点を置くようになり、メーカーの寡占化が進んだ。1970年代以降、日本における気動車の大多数は客車ともども新潟鐵工所と富士重工業の2社で製造されるようになっていた。", "title": "気動車の体制変化" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "しかし、2002年に新潟鐵工所が経営破綻し、さらに富士重工業も鉄道車両製造事業からの実質的撤退を発表した。その後、石川島播磨重工業(現IHI)が新潟鐵工所の当該部門へ出資したことにより新潟トランシス株式会社が設立され、上記2社の鉄道車両製造事業の一部を承継した。現在、新潟トランシスの気動車分野における日本国内シェアは約8割に達する寡占状態である。そのほかのメーカーでは日本車輌製造が近年気動車製造に力を入れていて、1970年代以降製造車両が少なかった私鉄においても納入例が増加しており、また近畿車輛も、2012年に気動車の製造に再参入することが発表されているほか、川崎重工業も2010年代に入ってJR北海道・JR東日本・JR四国・JR九州向けに気動車(電気式・ハイブリッド含む)を本格的に製造している。", "title": "気動車の体制変化" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "なお、自身が気動車新製能力をもつ鉄道事業者は国鉄分割民営化以降JR北海道(苗穂工場)とJR西日本(後藤総合車両所)のみとなっている。", "title": "気動車の体制変化" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "昨今では、ディーゼルエンジンの環境に対する悪影響(大気汚染や酸性雨、地球温暖化)が強く指摘され、気動車やディーゼル機関車のエンジンにも環境対策を施す例が見られるようになった。", "title": "気動車の体制変化" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "自動車や建設機械、農業機械においては自動車排出ガス規制や自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法、ディーゼル車規制条例、特定特殊自動車排出ガスの規制等に関する法律などで法的な規制があり、2005年(平成17年)4月に中央環境審議会「今後の自動車排出ガス低減対策のあり方について(第8次答申)」では、2009年よりディーゼル自動車排出ガスを低減する方針「ポスト新長期規制」(クリーンディーゼル)が決まり、当時としては世界最高水準の排ガス規制に適合している。", "title": "気動車の体制変化" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2014年時点では、気動車やディーゼル機関車などの鉄道車両に対する法的な排ガス規制はないが、エンジンの直噴化・ユニットインジェクターやコモンレールと電子制御インジェクターの組み合わせによる超高圧・多段燃料噴射の導入・自動車用エンジンで培われた熱効率向上など機関の改良が行なわれている。またDPF(粒子状物質減少装置)取付や尿素SCRシステムによる排気浄化・燃料のバイオディーゼルへの移行といった環境対策技術も導入されつつあり、変速・駆動系の改良も進んでいる。一部ではハイブリッド自動車と同じく、エンジンの回転エネルギーや走行時の運動エネルギーを電気エネルギーに変換して、蓄電池や電動機と組み合わせた方式も実用化されるようになった。→鉄道車両におけるハイブリッドを参照", "title": "気動車の体制変化" } ]
気動車(きどうしゃ)とは、人員・荷物もしくは貨物を積載する空間を有し、動力源として内燃機関や蒸気機関などの熱機関を搭載して自走する鉄道車両である。 現在の気動車は、動力として一般に内燃機関の中でも熱効率と安全性に優れるディーゼルエンジンが用いられている。そのため、日本では「ディーゼル動車」または「ディーゼルカー」(Diesel Car, DC)、「汽車」 などとも呼ばれる。対して、英語圏では動力分散方式の車両を「マルチプル ユニット」と呼ぶことから、気動車を「DMU」(Diesel Multiple-Unit) と称する。また「レールカー」(Railcar) とも呼ばれる。
{{出典の明記|date=2017年2月}} {{混同|[[ディーゼル機関車]]}} '''気動車'''(きどうしゃ)とは、人員・荷物もしくは貨物を積載する空間を有し、動力源として[[内燃機関]]や[[蒸気機関]]などの[[熱機関]]を搭載して自走する[[鉄道車両]]である。<!--[[日本語]]の「気動車」は、[[蒸気機関]]を搭載する[[蒸気動車]]に対しても、[[内燃機関]]を搭載する車両に対しても用いる。そのうち、内燃機関を動力とする車両を「内燃動車」と呼ぶが一般にはあまり使われていない。:「熱機関を搭載する車両」なのだから、蒸気機関、内燃機関を搭載する車両が「気動車」なのは自明ではないか?--> 現在の気動車は、動力として一般に内燃機関の中でも[[熱効率]]と安全性に優れる[[ディーゼルエンジン]]が用いられている。そのため、[[日本]]では「'''ディーゼル動車'''」または「'''ディーゼルカー'''」(Diesel Car, DC)、「'''汽車'''」 などとも呼ばれる<ref group="注釈">一部の[[鉄道ファン]]が使う「キハ」という呼称は、[[鉄道省]]が定めた「三等(座席)気動車」(現在の[[普通車 (鉄道)|普通]]気動車)に当てた用途記号に過ぎず、気動車全体や気動車列車を表すものではない。</ref>。対して、英語圏では[[動力分散方式]]の車両を「マルチプル ユニット」と呼ぶことから、気動車を「DMU」(Diesel Multiple-Unit) と称する<ref group="注釈">但し、「DMU」(Diesel Multiple-Unit) が動力分散式のディーゼル列車を意味する言葉であるのに対し、日本語の気動車は蒸気動車、ガソリンカーも含む点で異なる。日本語の気動車の意味により近い英語にはSelf-propelled Railway Vehicle(もしくはSelf-propelled Car)がある。</ref>。また「レールカー」(Railcar) とも呼ばれる。 == 概要 == [[電車]]と同様に[[動力分散方式]]の鉄道車両に分類される。一両ごとに蒸気もしくは内燃機関を搭載し、単独または複数両の車両で運行される。複数両の車両を連ねる場合には、かつては動力車一両ごとに運転手が乗務してそれぞれの車両を操作していたが、現在では先頭車の[[操縦席|運転台]]から一括して制御する[[総括制御]]方式が一般化している。気動車の構造はその種類により異なる。 == 機関・燃料の種類による分類 == === 蒸気動車 === 動力源として蒸気機関を用いた気動車を蒸気動車と呼ぶ。蒸気動車は[[蒸気機関車]]と同様、燃料に[[石炭]]を使用しており、運転者以外に[[火夫|機関助手]]の乗務による投炭作業を要した。 世界最初の蒸気動車はイースタン・カウンティ鉄道の機関車技師であるジェームス サミュエルによって設計され、1847年にウィリアム・ブリッジズ・アダムスによって製造され、1847年10月23日にショーディッチとケンブリッジの間で試運転された{{sfn|Rush|1971|pp=16–18}}。日本では、[[明治]]時代末期から[[戦後]]間もないころまでは[[蒸気動車]]が使用された。当初は単に「自働車」「汽動車」と呼ばれ、内燃機関を搭載した動車が登場したことで「蒸気動車」と呼ばれるようになった<ref name="湯口2013_p1">湯口徹『日本の内燃動車』p.1</ref>。 === 内燃動車 === ガソリン動車、ディーゼル動車、天然ガス動車、ガス発生炉搭載動車(発生炉ガス動車)、ガスタービン動車など内燃機関を搭載した気動車を内燃動車と呼ぶこともある。この他、動力を持たない気動車として[[付随車]](気動付随車)と[[制御車]](気動制御車)があり、動力を持つ気動車とともに使用される。 ==== ガソリン動車 ==== [[大正]]時代から[[1950年代]]までは、燃料に[[ガソリン]]を使用した[[ガソリンエンジン]]を動力とする「'''ガソリン動車'''」(「ガソリンカー」とも)が存在し、取り扱いの簡易さから特に1930年代には盛んに用いられた。[[1940年]]の[[西成線列車脱線火災事故]]とその後のディーゼルエンジン技術の改良がきっかけとなり、安全性と経済性に劣るガソリン動車は戦後すぐに置き換えが進み、日本においては[[1969年]]の[[磐梯急行電鉄]]廃止に伴い営業用車両は全廃されている。 ==== ディーゼル動車 ==== ディーゼル動車(ディーゼルカー)は、熱機関に[[ディーゼルエンジン]]を搭載した気動車である。燃料は現代のディーゼル動車では[[軽油]]が用いられている。また、一部の鉄道会社において[[バイオディーゼル]]燃料が試験的に導入されている。 歴史的に見ると日本における気動車用ディーゼル機関は、[[4ストローク機関|4ストローク式]]が主流で、かつての私鉄における少数の例外<ref group="注釈">1930年代にドイツ・[[ユンカース]]製[[ユニフロー掃気ディーゼルエンジン]]を輸入搭載して新造されたものや、[[太平洋戦争]]後に既存気動車に[[民生デイゼル工業]]製の[[自動車]]用[[クルップ]]式や[[デトロイトディーゼル]]式の[[ユニフロー掃気ディーゼルエンジン|ユニフロー掃気エンジン]]を換装搭載した事例が数例ある。</ref>を除き、[[2ストローク機関#2ストロークディーゼル機関|2ストローク式]]の採用例はほとんど見られない<ref group="注釈">国鉄で気動車開発に携わった技術者が、1930年代中期、2ストロークディーゼルエンジンが低回転でも高出力を得られることに関心を示していた形跡が、発表された論文等で確認できるが、実際の採用にまでは至っていない。(例)伊藤三枝(鉄道省工作局技師)「ディーゼル動車用機関の形態に就て」(「機械學會誌」213号p43-44 1935年1月)等</ref>。 現在営業運行に供されている日本の気動車では、車体床下台車間に機関を搭載している。過去においても機関の搭載場所は床下が主流であったが、初期には[[単端式気動車]]のように自動車に倣って車輌端に機関を搭載した車輌も多く、車体内床上に搭載した車輌([[国鉄キハニ36450形気動車|キハニ36450形]])や台車に搭載した車輌(長門鉄道キコハ10など)も少数ながら存在した。[[サハリンの鉄道]]向けに日本で製造された車両も厳冬期のメンテナンス性の観点から車体内に機関を搭載ししている。 車体は、床下に架装されるエンジンと変速機、[[燃料]]などの重量や動揺に対応するため[[台枠]]強度を上げてあること、遮音・吸音に配慮されていること以外には一般的な客車や電車と大きく変わるところはない。出力面での制約を補うため、概して軽量化への志向が強い。日本国内では客車時代の基準でプラットホームの高さが低いままの地方線区での使用が多く、乗降口にステップを備えている車両が多かったが、[[バリアフリー]]化のため近年は運用線区のホームをかさ上げしてステップをなくしたものも出てきている([[JR四国]]など)。[[信楽高原鐵道]]の車両には、低床化を行って段差をなくしているものもある。 ==== ガス発生炉搭載動車・天然ガス動車 ==== [[戦時体制|戦争の影響]]による石油の不足により[[石油燃料]]に[[統制]]が敷かれていた[[1940年代]]には、ガソリン機関を(終戦後はディーゼル機関も)改造して[[木炭自動車|木炭ガス]]や[[天然ガス]]を燃料に使用した例もある。 ガス発生炉搭載動車(発生炉ガス動車)は、車載ガス発生炉で固形燃料を不完全燃焼させ、発生した[[合成ガス]]<ref group="注釈">発生したガスは使用した燃料により「木炭ガス」、「シンダガス」等と呼ばれるが成分的には大差がないものである。</ref>を燃料にして走行する内燃動車。代用燃料車(代燃車)<ref group="注釈">戦時中は正規の燃料油以外の燃料を代用燃料と称した。代用燃料を使って走行する内燃動車が代用燃料車である。天然ガス動車も戦時中は代用燃料車の一種として扱われた。</ref>の代表的存在であり、 ガス発生炉搭載動車のみを指して代用燃料車(代燃車)と呼ぶこともある。[[木炭自動車]]の気動車版といえる。 ==== ガスタービン動車 ==== [[ガスタービンエンジン]]を搭載した「'''[[ガスタービン動車]]'''」(「ターボトレイン」とも)も研究され、1960年代以降[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カナダ]]・[[フランス]]・革命前の[[イラン]](フランスより輸入)などで実用化されたが、日本では燃費の悪さと甲高い騒音、故障の頻発が嫌われ、さらに[[オイルショック]]にも見舞われたため、[[国鉄キハ07形気動車#キハ07 901|キハ07 901]]、[[国鉄キハ391系気動車|キハ391-1]]の2両が試作されたのみで、実用化されなかった<!--<ref group="*">[[国鉄キハ181系気動車|キハ181系気動車]]の性能が概ね[[国鉄485系電車|485系電車]]と並ぶものであった([[速度種別]]A31)ことから、日本ではあえてガスタービン車を開発する必要性も薄かった。←ガスタービン動車の試作がキハ181系量産開始後で、しかも伯備線を除く投入計画線区がオイルショックでことごとく電化・電車特急の投入に計画変更となったことを無視した暴論ではないでしょうか? 投入予定の線区の内、伯備線と紀勢線がオイルショックで電化決定・381系電車投入となったわけですし、当時の「やくも」運用の実態を見る限り、高速性能重視の特性を備えたキハ181系は曲線の多い両線区においては性能的に適切とは言い難いものでした。-->。 日本国外では[[ガスタービンエンジン#マイクロガスタービン|マイクロガスタービン]]を使用した新世代ガスタービン-エレクトリック式気動車が開発されつつある。 == 動力伝達方式による分類 == {{Main|気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式}} === 機械式気動車 === 自動車の[[マニュアルトランスミッション]]車同様に、多段変速機と[[クラッチ]]を用いる原始的方式だが、伝達効率は良い。過去においてはそれぞれ手動操作であり、日本では[[1950年代]]前半まで主流だったが、クラッチ容量の限界による出力向上の制約や、当時の日本ではこの方式による総括制御の研究が進まなかったため、[[1960年代]]までにほぼ廃れた。欧州では総括制御技術が開発されたこともあり採用例が多く、特にイギリスでは[[1980年代]]初頭の統計では電気式、液体式の合計よりも車輌数が多く<ref>渡辺肇「イギリス動力車あれこれ・その5」交友社『鉄道ファン』1984年9月号(通巻281号)</ref> 気動車の主流となっていた。 ただし昨今の技術向上に伴い、電子制御による総括制御が可能になったこともあり、次項の流体式との差は小さくなってきている。<!--単純にモーターアシストとの振り分けの問題であるし、ハイブリッド車両を機械式の範疇に入れることは問題があろう:液体式のトルコンによる変速領域のロスを回避する見地から、[[鉄道車両におけるハイブリッド|ハイブリッド気動車]]として復権の兆しが見えている(→[[JR北海道キハ160形気動車]])。-->デンマークでは機械式気動車を用いた200 km/h運転の試験が行われているが、これは多段変速液体式の[[トルクコンバータ]](略称・トルコン)を省略して摩擦クラッチのみの装備に置換したものである。 === 液体式気動車 === 起動から低中速域にかけてトルクコンバータを使用することで総括制御を可能とした変速方式。流体式・液圧式とも。比較的軽量なことが特徴。戦後の日本における主流。かつてはトルクコンバータに依存する領域が広く、動力伝達時のロスを生じがちだったが、1990年代以降多段式の遊星歯車変速機を電子制御してトルクコンバータと組み合わせることで、広い速度域に適応させつつトルクコンバータへの依存領域を小さくする手法([[ロックアップ|2速以降はトルクコンバータを介さない]])が普及し、伝達効率を向上させている。その為、現在の流体式と電子制御化された機械式との違いは、実質的に「起動の方法の違い」のみとなっている。 === 電気式気動車 === エンジン動力で発電を行い、発生電力でモーターを駆動して走行する方式。現在ではほとんどがディーゼルエンジンを用いた[[ディーゼル・エレクトリック方式]]である。モーターから[[輪軸 (鉄道車両)|輪軸]]への減速方法は電車と同じく一段固定で、多段変速機は持たない。大出力向けで伝達効率自体は良く、システム全体では重量と体積が増加するものの、保守点検も液体式に比べて容易であるため世界的には主流とする国が多い。 日本では1930年代と1950年代に若干の採用例が見られ、それ以降はしばらくの間液体式が主流となり一度は廃れた方式であったが、[[パワーエレクトロニクス]]が発展し、重量面のハンデを緩和させた[[2000年代]]以降は、シリーズ式[[鉄道車両におけるハイブリッド|ハイブリッド]]気動車や[[TRAIN SUITE 四季島|EDC方式]]という形で復活した。さらに2017年 - 2020年にかけて製造し、2019年8月から新潟・秋田地区で営業運転を開始した[[JR東日本GV-E400系気動車|GV-E400系]]<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2015/20150510.pdf 新潟・秋田地区への新型電気式気動車の投入について]}} - JR東日本 プレスリリース(2015年5月19日)</ref>においては、量産型の純粋なディーゼル・エレクトリック方式の電気式気動車が約半世紀ぶりに復活した。 JR北海道でも既存の液体式気動車[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]と置き換えるための電気式気動車をJR東日本と共同で開発し、GV-E400系をベースとした[[JR北海道H100形気動車|H100形]]が導入された<ref>{{Cite web|和書|url=http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2015/06/12_21.html|title=JR北海道も電気式気動車導入へ。|work=鉄道ホビダス(RMニュース )|publisher=[[ネコ・パブリッシング]]|date=2015-06-11|accessdate=2017-4-7}}</ref>。JR東日本で導入される電気式気動車と同型の試作車(量産先行車)を製作し、走行試験等による冬期の検証を2年行った上で、2019年(平成31年)度以降に量産車の製造を予定<ref>{{Cite press release |和書 |title=新型一般気動車の試作車(量産先行車)の製作について |publisher=北海道旅客鉄道 |date=2015年6月10日 |url=http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2015/150610-2.pdf |format=PDF |language=日本語 |accessdate=2017年2月10日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150615183250/http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2015/150610-2.pdf |archivedate=2015年6月15日}}</ref>し、極寒冷地対策を考慮した変更を加えている。JR西日本ではディーゼル・エレクトリック方式車両の次世代型気動車である[[JR西日本DEC700形気動車|DEC700形]]を開発中で、今後各種技術検証を実施する予定である<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210625_03_dec700.pdf 新型電気式気動車(DEC700)の導入について ]}} - 西日本旅客鉄道ニュースリリース (2021年6月25日)</ref> 。なお、JR四国ではこれらの技術を採用した気動車はなく、最新の[[JR四国2700系気動車|2700系]]でも引き続き液体式を採用しているが、ハイブリッド方式の電気式気動車を2025年度までに開発するとしている。 == 運転方式による分類 == === 単端式気動車 === {{詳細記事|単端式気動車}} [[自動車]]のように原則として一方向にしか進めない気動車は[[単端式気動車]]と呼ばれる<ref name="湯口2013_p9">湯口徹『日本の内燃動車』p.9</ref>。英語の「Single ended car」の訳語とされ、[[日本車輌製造]]が1931年頃より自社のカタログで使用していた<ref name="湯口2013_p9" />。変速機には逆走位置もあるが、逆走は入換時など短時間に限られ、通常は終点で何らかの方法で進行方向を逆向きにする必要がある<ref name="湯口2013_p9" />。アメリカ合衆国では[[転車台]]が幅広く整備されており、単端式気動車が長期間使用された<ref name="湯口2013_p10">湯口徹『日本の内燃動車』p.10</ref>。 1920年代の日本では、ガソリンエンジン・変速機などの量産自動車用パワーユニットを流用し、当時のバス相当のシンプルな車体を備えた単端式気動車が多数就役しており、ことに「軌道自動車」を商品名とした日本車輌製造製のそれは、設計の規格化と量産効果による製作コストの低減、それに運用の容易さによる高頻度運転の実現などにより、地方の弱小鉄軌道が1920年代当時、急速に台頭し始めていたバスに対抗する上で大きな成果を上げたことで知られている。 === 両運転台式気動車 === 両運転台式気動車は電車と同じく前後の双方向に支障なく走行でき、通常は車体両端に運転台のある車両を指す<ref name="湯口2013_p10" />。ヨーロッパのローカル線は転車台が少ないことから両運気動車が発達したが、運転台が車体中央の1箇所のみで屋根から突出したスタイルの車両も存在した<ref name="湯口2013_p9" />。 日本の内燃動車初の両運転台式車は1927年に製造された[[南越鉄道]][[南越鉄道ガ1|ガ1]]で、[[梅鉢鉄工所]]の第1作かつ1,067 mm軌間用では日本初のガソリン動車でもあった<ref name="湯口2013_p18">湯口徹『日本の内燃動車』p.18</ref>。 === 固定編成・総括制御気動車 === [[ドイツ国営鉄道|ドイツ国鉄]]は1932年に2両編成連接車体の流線型電気式気動車を開発し、高速列車「[[フリーゲンダー・ハンブルガー]]」の運行を開始した<ref name="湯口2013_p77">湯口徹『日本の内燃動車』p.77</ref><ref>「[https://www.rtri.or.jp/rd/news/vehicle/vehicle_201404.html 解説 ディーゼル車両の変遷- PART 1 -]」『車両ニュースレター』2014年4月号、鉄道総合施術研究所、</ref>。これに影響を受けて欧米諸国では流線型気動車の開発が進められ、アメリカ合衆国では[[動力集中方式]]の気動車による「[[ユニオン・パシフィック鉄道M-10000形列車|シティ・オブ・サライナ]]」や「[[パイオニア・ゼファー]]」が登場している<ref name="湯口2013_p78">湯口徹『日本の内燃動車』p.78</ref>。東アジアでは[[南満洲鉄道]]が1935年に[[日本の電気式気動車#満鉄ジテ1形|ジテ1形]]を、日本国鉄が1937年に[[国鉄キハ43000形気動車|キハ43000形]]を導入している<ref name="湯口2013_p79">湯口徹『日本の内燃動車』p.79</ref>。 第二次大戦後にアメリカの[[バッド (車両メーカー)|バッド]]社が導入した[[RDC (鉄道車両)|RDC]](Rail Diesel Car)は、[[総括制御]]が可能な液体式気動車で連結運転が可能であった<ref name="湯口2013_p103">湯口徹『日本の内燃動車』p.103</ref>。日本国鉄で1953年より量産された[[国鉄キハ10系気動車|キハ45000系]](キハ10系)は、前面貫通型で総括制御が可能な液体式気動車であった<ref name="湯口2013_p102">湯口徹『日本の内燃動車』p.102</ref>。 == 気動車の電動化 == 2000年代以降は[[パワーエレクトロニクス]]技術の向上により、エンジンで発生した動力をそのまま使わずに、発電機や蓄電池、電動機と組み合わせた電動化が進められている。 === ハイブリッド気動車 === {{Main|鉄道車両におけるハイブリッド}} [[ハイブリッドカー]]のようにエンジンによる発電機と蓄電池を併用し、電動機で走行する気動車である。JR東日本では、日本初の営業用の[[鉄道車両におけるハイブリッド|ハイブリッド]]気動車である[[JR東日本キハE200形気動車|キハE200形]]を開発し、2007年より[[小海線]]で運行を開始している<ref>{{Cite web|和書|url=http://toyokeizai.net/articles/-/122845|title=「架線なし」蓄電池電車が世界で増える理由|accessdate=2017年4月7日|author=森口 将之|date=2016年06月17日|work=東洋経済オンライン|publisher=[[東洋経済新報社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160616214520/http://toyokeizai.net/articles/-/122845|archivedate=2016年6月16日}}</ref>。その後、当車両で開発されたシステムを[[JR東日本HB-E300系気動車|HB-E300系]]や[[JR東日本HB-E210系気動車|HB-E210系]]でも使用している。 また、[[JR北海道キハ160形気動車|キハ160系]]もITTの導入に向けて試験走行が行われ、開発された技術を取り入れた車両として[[JR北海道の車両形式#気動車_2|JR北海道キハ285系]]が製作された。しかしJR北海道管内で不祥事が続発する中で「現状としては、『安全対策』と『新幹線の開業準備』に限られた『人』『時間』『資金』等を優先的に投入する必要がある」と判断、「コストとメンテナンスの両面から過大な仕様であること」「速度向上よりも安全対策を優先すること」「従来形式での車両形式の統一によって、予備車共通化による全体両数の抑制と機器共通化によるメンテナンス性の向上が図られること」として、試作車落成直前の2014年9月10日に開発の中止が発表された<ref>{{Cite press release|和書|format=PDF|url=http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2014/140910-1.pdf|title=新型特急車両の開発中止について|publisher=北海道旅客鉄道|date=2014-09-10|accessdate=2014-11-28}}</ref><ref name="mynavi20140910">{{Cite news|url=https://news.mynavi.jp/article/20140910-a557/|title=JR北海道、新型特急車両の開発を中止 - 当面はキハ261系気動車の製作を継続|newspaper=マイナビニュース|date=2014-09-10|accessdate=2014-11-28}}</ref>。 JR西日本のクルーズトレイン「[[TWILIGHT EXPRESS 瑞風]]」において使用される87系寝台気動車や、JR九州の一般形気動車[[JR九州YC1系気動車|YC1系]]においてもシリーズハイブリッド方式が採用され、JR東海も特急「[[ひだ (列車)|ひだ]]」「[[南紀 (列車)|南紀]]」の現行車両である[[JR東海キハ85系気動車|キハ85系]]を置き換えるべくシリーズハイブリッド方式の[[JR東海HC85系気動車|HC85系]]を開発中で、2019年12月より試験走行車による試験を行い、2022年7月に営業運転を開始した。<ref>{{Cite web|和書|title=車両のご案内|JR東海 |url=https://railway.jr-central.co.jp/train/express/detail_02_08/index.html#:~:text=HC85%E7%B3%BB%E3%81%AF%E3%80%81%E7%89%B9%E6%80%A5%E3%80%8C%E3%81%B2%E3%81%A0,%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E7%89%B9%E6%80%A5%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82 |website=railway.jr-central.co.jp |access-date=2023-11-09}}</ref> === 電気・ディーゼル両用車両 === [[電気・ディーゼル両用車両]]は、電動機で駆動するが、駆動用電源は発電機による発電と外部([[架線]]・[[第三軌条方式|第三軌条]])からの給電の両方に対応する。端的に言えば電気式ディーゼルに対して架線などから電力を得る回路を付加した形である。デュアルモード車両、バイモード車両、重複動力装備車輌<ref>湯口徹「日本の内燃動車」成山堂書店2013年</ref>などとも呼ばれる。 日本では[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が[[2017年]][[5月1日]]に運行を開始したクルーズトレイン「[[TRAIN SUITE 四季島]]」用の[[JR東日本E001形電車|E001形]]がこれに該当する<ref>{{Cite web|和書|title=豪華列車、技術も注目 JR東の「四季島」|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ24H1N_U6A820C1000000/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2020-01-03|language=ja}}</ref><ref>{{Cite press release |和書 |title=「日本を楽しむあなただけの上質な体験」を感じる旅が始まります。 ~ クルーズトレインの新造について ~ |publisher=東日本旅客鉄道 |date=2013年6月4日 |url=http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130603.pdf |format=PDF |language=日本語 |accessdate=2017年2月10日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130612162543/http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130603.pdf |archivedate=2013年6月13日}}</ref><ref>{{Cite journal ja-jp |和書 |author=鉄道ファン編集部・JR東日本・川崎重工業 |title=新車速報 JR東日本 E001形「TRAIN SUITE四季島」 |url=http://railf.jp/japan_railfan_magazine/point/667/667-058.html |year=2016 |publisher=[[交友社]] |journal=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] |serial=通巻667号(2016年11月号) |volume=56 |pages=58-67 |ASIN=B01IW56PUS|ref=RF667_58-67}}</ref>。 === 蓄電池動車・燃料電池動車 === [[蓄電池]]・[[燃料電池]]車両は、電源機構が一般的な熱機関に該当しない電気動力車であるため、正確には気動車の範疇に含まれない。ただし、非電化路線での気動車を代替する運用の想定や、在来型気動車および[[鉄道車両におけるハイブリッド|ハイブリッド]]気動車との開発研究上の兼ね合いから、気動車を解説する文脈で併せて取り上げられることが多い。 近年の蓄電池容量の向上により、特定の条件(電化区間と非電化区間を直通する列車で、非電化区間を走行する距離が比較的短く、普通列車程度の速度の場合)であれば、電化区間で満充電した蓄電池を電源として非電化区間を運行する[[蓄電池電車]]への置き換えも可能になっており、JR東日本では[[烏山線]]用[[JR東日本EV-E301系電車|EV-E301系]]や[[男鹿線]]用[[JR東日本EV-E801系電車|EV-E801系]]<ref>{{Cite news|title=JR東日本EV-E801系、新型交流蓄電池電車デビューに向け秋田地区で準備開始|newspaper=[[マイナビニュース]]|date=2016-12-5|author=上新大介|url=http://news.mynavi.jp/news/2016/12/05/264/|publisher=[[マイナビ]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161206132810/http://news.mynavi.jp/news/2016/12/05/264/|archivedate=2016-12-6|accessdate=2017年4月7日}}</ref>が導入され、JR九州でも同様に[[筑豊本線]]などで蓄電池電車の[[JR九州BEC819系電車|BEC819系]]を導入し、電車への置き換えが行われている。 == 特殊用途・設計 == === レールバス === [[ファイル:Tarumi-Haimo180DC.jpg|thumb|150 px|[[富士重工業]]製レールバス[[LE-Car]]([[樽見鉄道]][[樽見鉄道ハイモ180-100形気動車|ハイモ180-200]])]] {{詳細記事|レールバス}} [[西ドイツ国鉄]]は1950年代にローカル線用小型気動車[[シーネンオムニバス]]を増備した<ref name="湯口2013_p147">湯口徹『日本の内燃動車』p.147</ref>。これにヒントを得て日本で小規模輸送用にバスの部品を流用して昭和20年代から30年代に製造された、国鉄の[[国鉄キハ01系気動車|キハ01系]]、[[南部縦貫鉄道]]の[[南部縦貫鉄道キハ10形気動車|キハ101・102]]などが、日本における「'''レールバス'''」の始祖とされることがある。 1980年代には地方私鉄や[[第三セクター鉄道]]、JR各社向けのレールバスが開発された<ref name="湯口2013_p152">湯口徹『日本の内燃動車』p.152</ref>。[[富士重工業]]の「[[LE-Car]]・[[LE-DC]]」シリーズ、[[新潟鐵工所]]の「[[NDC (鉄道車両)|NDC]]」シリーズの車両が該当したが、1980年代から1990年代にかけて製造された[[バス (車両)|バス]]のような外観の車両は1990年代後半以降廃れ、[[信楽高原鐵道列車衝突事故]]でレールバスが大破した教訓もあり本来の鉄道車両的な構造へと回帰しつつある。 1940年代-1950年代の[[鶴居村営軌道]]や[[山鹿温泉鉄道]]では[[ボンネットバス]]を改造して鉄輪をつけた、文字通りの「レールバス」を走らせていた。 === 路面気動車 === 1920年代から法規上併用軌道に該当する路線でガソリンカーを運行した事例は存在したが、本格的な事例として[[札幌市交通局]]は1958年に軌道線([[路面電車]])の延伸開業時に電化設備を省略するため、軌道線仕様で低床式の路面電車ならぬ'''路面気動車'''を導入した。これは車体形状や台車規格などに路面電車並みの構造を用いたものである。1967年に電化されて路面気動車も大半が通常の電車に改造された<ref name="湯口2013_p163">湯口徹『日本の内燃動車』p.163</ref>。 ドイツでは市内の路面電車と一般鉄道を直通する路面電車が運行されており、[[ノルトハウゼン市電]]の「[[コンビーノ・デュオ]]」は市街地では電車、郊外では気動車として走る[[電気・ディーゼル両用車両]]となっている<ref name="湯口2013_p166">湯口徹『日本の内燃動車』p.166</ref>。 === 車体傾斜式気動車 === [[ファイル:JR四国2000系・宇和海号.jpg|thumb|JR四国の振り子式気動車2000系]] 車体を傾斜させることによりカーブを高速で通過できる機能を持った「[[振り子式車両|車体傾斜車両]]」は、かつてはエンジントルクの反作用で車体がエンジンの回転方向の反対方向に傾くことや、[[プロペラシャフト]]の伸縮の制約などから気動車では不可能と見られていた。 [[1989年]]に試作車が製作された[[JR四国2000系気動車]]によって実現し、翌1990年より量産が開始された。「制御付き自然振り子式気動車」で、エンジンの2基搭載によるエンジントルクの反作用相殺や、[[スプライン]]に変わるボール式伸縮機構の採用<ref group="注釈">車体が傾斜した際、プロペラシャフトに大きなトルクがかかっていてもスムーズに伸縮できるように、[[ボールベアリング]]を数列並べた伸縮機構を持つプロペラシャフトを導入した。</ref>によりそれらの問題を克服した。また最大傾斜角6度の高性能気動車[[JR北海道キハ283系気動車]]が実用化された。以降多くの車体傾斜式の気動車が各社で営業投入され、曲線区間の多い非電化幹線での大幅な高速化に寄与している。 [[空気ばね]]による車体傾斜装置を搭載した車両もあり、JR北海道の札幌近郊用[[JR北海道キハ201系気動車|キハ201系]]、特急列車用[[JR北海道キハ261系気動車|キハ261系]]で採用されている<ref name="湯口2013_p132">湯口徹『日本の内燃動車』p.132</ref>。このうちキハ201系は[[JR北海道731系電車|731系電車]]との[[協調運転]]が可能な設計であり、[[函館本線]][[小樽駅]]以東で併結運転が実施されている<ref name="湯口2013_p132" />。 === デュアル・モード・ビークル(DMV) === [[ファイル:Dual Mode Vehicle.jpg|thumb|JR北海道のDMV(2008年)]] {{詳細記事|デュアル・モード・ビークル}} JR北海道は2002年より[[道路]]と[[線路 (鉄道)|鉄道線路]]の両方を走行可能な[[デュアル・モード・ビークル]](DMV)の開発を開始した。鉄道・道路両用車はこれ以前にも1930年代にイギリスの「ロードレイラー」、1950年代の西ドイツ国鉄で「[[シーネンシュトラーセンオムニバス]]」、1960年代の日本国鉄で「[[アンヒビアン・バス]]」の開発例がある<ref name="湯口2013_p167">湯口徹『日本の内燃動車』p.167</ref>。 DMVはJR北海道での開発中止により、2023年10月時点では[[徳島県]][[海部郡 (徳島県)|海部郡]][[海陽町]]の[[海部駅]]と[[高知県]][[安芸郡 (高知県)|安芸郡]][[東洋町]]の[[甲浦駅]]とを結ぶ[[阿佐海岸鉄道阿佐東線|阿佐東線]]を運営する[[阿佐海岸鉄道]]のみがDMVを運行している。<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLZO12516500T00C17A2LA0000/ 阿佐海岸鉄道、線路・道路両用車両を20年までに導入]日本経済新聞、2017年2月4日</ref> == 運用・性能特性 == === 運用特性 === 直接的な運転経費では動力費や保守整備費用で電車に劣る反面、[[発電所]]・[[変電所]]・[[架線]]など車両を動かすための[[電力系統]]の地上[[設備]]は不要である<ref group="注釈">但し、2010年代には[[蓄電池|バッテリー]]駆動車両([[JR東日本EV-E301系電車]]など)のように連続した架線設備がなくても走行できる電車も開発されており、これらの点も必ずしもメリットとはいい切れなくなっている。</ref>。[[輸送量]]が小さい[[鉄道路線|路線]]において[[運用 (鉄道)|運用]]される場合、総合的に見ると[[効率性|経済的]]で[[環境負荷]]も少ない。こうした特徴を利点として、[[東京横浜電鉄]](現在の[[東急電鉄]][[東急東横線|東横線]])が[[東京横浜電鉄キハ1形気動車|キハ1形]]を導入したケースのように、電化線において変電所強化なしで列車増発を実施する目的で気動車を採用する事例が存在した。 [[編成 (鉄道)|編成]]として[[機能]]する[[特急形車両|特急形]]を除き、気動車は多くの場合1両ごとでの単独運転(単行)が可能である。<!--多くが2両以上の車両によるユニット構成を採る電車と異なり、1両単位での編成組成が可能で、需要に応じて編成両数を柔軟に増減することも容易である。:重複--> [[画像:Kiha28-2346 Isumi-Railway.jpg|thumb|200 px|国鉄形気動車(キハ58系と[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]])の混成編成。画像は[[いすみ鉄道]]移籍後であるが、このような列車は国鉄時代には各地の非電化区間で見られた。]] [[画像:19870208 hosono stasion.jpg|thumb|200 px|国鉄時代末期の電化前の[[片町線]](現愛称:学研都市線)[[祝園駅]]でのキハ58系と[[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]の混成編成。(1987年2月)]] かつて[[日本国有鉄道]](国鉄)の気動車は、特急形車両を除いて[[制御]]段数・制御[[鉄道信号機|信号]]及び[[鉄道のブレーキ|ブレーキシステム]]が統一、もしくは新旧[[互換性|互換]]化されており、[[急行形車両|急行形]]・[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形]]を問わず、全ての車両で連結・[[総括制御]]運転が可能であった。そのため、国鉄形の気動車を使用した列車には、一般用の[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]と急行用の[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]の混成編成など、異なる形式による編成も少なくなかった<ref group="注釈">かつての日本では、編成中の1両1両が違う形式で組成された気動車列車は国鉄・[[私鉄]]を問わずありふれたもので、[[1950年代]]から[[1970年代]]にかけて製造された形態も塗色も違う複数系列の気動車群が「気動車の展覧会」の如く凸凹だらけの長大編成を組んで走り回っている光景は、国鉄時代には珍しいものではなかった。</ref>。しかし、[[メンテナンス|整備]]や車両運用の効率化を追求し、互換性を過度に重視したシステムは、車両[[性能]]の[[進化]]を束縛することにもつながっていた。[[JR]]への移行後はその傾向が弱まり、ようやく走行性能面での近代化が進展することになった。 また、電化設備の有無や変電所容量などの影響を受けずに走行が可能であるため、運用面でも柔軟性が高い。しかし実際には気動車の運転免許(甲種内燃車運転免許)を有する[[動力車操縦者]]([[運転士]]、[[乗務員]])が必要となることや、[[自動列車保安装置]]の互換性などから、[[営業]]用の気動車が通常運行されていない区間に[[臨時列車]]として入線することは少なくなっている。他方、電化区間と非電化区間が混在する地域で機動性を求められる[[事業用車]]([[JR東日本キヤE193系気動車|「East i-D」]]など)での採用例は、気動車の柔軟性を生かしたものと言える。 そのほか、電化区間でも閑散化が著しい場合、普通列車には編成単位の大きくなる電車でなく、小単位運用の可能な気動車を近傍の非電化路線との共通運用によって代用する例もある<ref group="注釈">例として[[直流電化]]と[[交流電化]]の境界が存在する[[羽越本線]]の[[村上駅 (新潟県)|村上駅]]-[[酒田駅]]、および[[えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン]]の[[糸魚川駅]]-[[直江津駅]]間の普通列車には、製造コストのかさむ[[交直流電車]]の代わりに気動車が運用されている。また、現在は[[富山ライトレール]]となった[[富山地方鉄道富山港線|富山港線]]では、その末期、電化区間ながら日中の列車にワンマン運転が可能な気動車を投入していた。[[肥薩おれんじ鉄道]]も旅客列車は交流電車ではなく気動車による運転である。[[2012年]][[10月]]から[[室蘭本線]][[苫小牧駅]] - [[東室蘭駅]]間の普通列車も全区間交流電化区間でありながらコスト削減のため従来の電車に代わって気動車によるワンマン運転が行われている。</ref>。特異な例として、[[仙石線]]の[[陸前小野駅]] - [[矢本駅]] - [[石巻駅]]間は、[[東日本大震災]]の[[津波]]で電化設備の故障のため、2015年5月30日の完全復旧まで気動車を用いていた。仙石線の完全復旧とともに開通した[[仙石東北ライン]]では、電化方式が異なる仙石線と[[東北本線]]との連絡線が未電化のため、新たに用意されたハイブリッド気動車[[JR東日本HB-E210系気動車|HB-E210系]]が使用されている。 なお、車両の動作メカニズム上、気動車は[[停電]]などの非常時にも容易に運行可能と思われることがある。だが現在の日本の鉄道の場合、実際には非電化路線でも[[鉄道信号機|信号機]]・[[閉塞 (鉄道)|閉塞]]・ATS・[[列車集中制御装置|CTC]]・[[駅舎]]内照明・[[踏切]]などさまざまな地上側設備に電力が使用されていることから、停電になった場合にはこれら地上側設備用の予備の電源系か、停電時にも使用可能な代替の閉塞方式が確保されていなければ、安全確保の都合上運行することは不可能である。すなわち、構造上自走は可能であるが保安設備が作動しないので安全な運行が不可能となる。自動車で例えれば、交差点等の信号灯が点灯していない一般道を交通整理なしで走る状態に相当する。 高性能レールバスが出現すると、一部私鉄では電気鉄道でありながら気動車を運用する方が低コストと判断し、気動車運行に転換する例も出現した。元々1920年代から1930年代にかけて、電化私鉄がコスト対策からガソリンカー併用を行った先駆例が複数存在するが、新型レールバス出現後の1980年代以降の電化路線の気動車化では、[[名古屋鉄道]]の一部路線(現在は路線廃止)、[[近江鉄道]](現在は電車運転)、[[くりはら田園鉄道]](現在は路線廃止)といった例がある。最もこれらの試みは、気動車のランニングコストが電車より高いことに加え(これには、国鉄やJRのように車両やその部品をまとまった単位で発注できないという点も大きい)、電車と気動車で保守・整備に必要な要員の技能・知識がほぼまったく異なること、追加の地上設備も必要となるため、成功したとはいい難く、名鉄と近江では結局電車に回帰し、その他はどの路線も廃止か、廃止の対象となりうる水準の収支状態となっている。 なお、[[肥薩おれんじ鉄道]]、[[えちごトキめき鉄道]][[えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン|日本海ひすいライン]]においても気動車運行に転換しているが、これは架線などの設備維持費を負担しない(貨物調整金を前提にJR貨物が負担する)ための対策で、前記の例とは事情が異なる。一方、ランニングコストと既存設備活用を重視してイニシャルコストの高い交流用電車の導入に踏み切った[[青い森鉄道]]は、赤字ではあるものの[[青森県]]が継続して支援可能な水準の収支となっている。 また、JR北海道の自社単独で維持不可能な路線<ref>{{Cite press release |和書 |title=「持続可能な交通体系のあり方」について(PPT版) |publisher=北海道旅客鉄道 |date=2016年7月29日 |url=https://web.archive.org/web/20161215232032/http://www.jrhokkaido.co.jp/pdf/161215-7.pdf |format=PDF |language=日本語 |accessdate=2017年4月9日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161215232032/http://www.jrhokkaido.co.jp/pdf/161215-7.pdf |archivedate=2016年12月15日}}</ref>など、経営が厳しい鉄道事業者では鉄路維持が出来ない事情に加えて、ディーゼルエンジンが環境面での改良により環境面でも問題は軽減した事<ref>{{Cite web|和書|author=山田 正昭|date=2015年4月7日 |url=https://www.zba.jp/car-kaitori/cont/column-20150407/ |title=今こそ「ディーゼルエンジン」に注目!環境に悪影響を及ぼす嫌われ者からエコな優等生へ |publisher=ウェブクルー |accessdate=2017年4月7日|archiveurl=https://archive.is/2017.04.07-002159/https://www.zba.jp/car-kaitori/cont/column-20150407/ |archivedate=2017年4月7日 |deadlinkdate=}}</ref>から、きめ細かなバス・サービスの展開でハード面のコストが少ない代替バスや循環バス・コミュニティーバス・ジャトルバス・デマンドバスに転換する事で鉄道運行でのコスト軽減や環境影響を軽減する面からバス代行の動きもある<ref name="env.go.jp/policy/kihon_keikaku/plan/kento-team/team02" />。 === 走行性能の特性 === [[電動機]]に比べると、[[内燃機関]]の[[パワーウエイトレシオ|出力重量比]]が小さく、性能面で不利な傾向がある。 この点は国鉄時代に顕著であり、たとえば[[国鉄キハ58系気動車|キハ58形]]で自重38 t, 360 PS=270 kWであるのに対し、[[国鉄117系電車|117系電車]]モハ117形は自重44 tで480 kWであった<ref group="注釈">国鉄MT54形主電動機の場合、[[直流電化|直流形電車]]と[[交直流電車|交直両用形電車]]では印加電圧が375 Vで、電動車1両あたりの出力は120 kWx4=480 kWであるが、架線電圧の高い[[交流型電車|交流専用車]]では印加電圧が500 Vとされ、1両あたりの出力は150 kWx4=600 kWとさらに大きい。</ref>。国鉄分割民営化以降の車両ではJR北海道の[[JR北海道キハ283系気動車|キハ283系]]が1両平均自重42 t, 710 PS=530 kWであるなど性能向上がなされているが、同社の[[JR北海道789系電車|789系電車]]の電動車は920 kWと性能向上がなされており、差は縮まっていない。 内燃機関一般の特徴として、常用域での[[トルク]]変動が少なく[[出力]]が[[回転速度|回転数]]にほぼ[[比例]]して上がり、高回転域で最大出力に到達するという点がある。この特性を生かすためには多段[[変速機]]を用いてエンジンが最大出力を発揮している領域を使う必要がある。また、燃料の供給を調節することでほぼ任意の出力領域で部分[[負荷]]運転に対応できる。すなわち、おおむねどの速度域でも連続[[力行]]が可能となる。他方で、内燃機関は過負荷・過回転への耐性が低く、設計最高値を超える範囲での使用は[[オーバーヒート]]や[[焼きつき]]を発生させ、最終的には[[エンジンブロー]]を招くため不可能である。負荷や回転数が許容範囲内にあっても、[[部品]][[寸法]]の[[公差]]や組付け不良による不具合発生のリスクは電動機より高くなる。電動機で一般的に見られる「短時間定格」運転の許容幅は極めて小さいか、許されていない。このため電動機で常用される「連続」定格を越えた出力での運転が困難である。 また、同様に拘束状態からの起動ができない。自動車の運転方法を見れば明らかなように、エンジンは常に一定([[アイドリング]])以上の回転数で稼働していなければならない。エンジンを停止した状態でギヤを噛み合わせ、その後エンジンを起動することは[[実用]]上不可能である。そのため、[[クラッチ]]機構が必要である。現代の日本の鉄道車両では起動トルクの確保と[[半クラッチ]]制御を要しない点から、変速機の1段目は全てトルクコンバータを介している。このため低速域での「動輪周引張力」と「起動加速力」は電車より大きいことが多い。 よって、 * 電車の場合、[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]あるいは[[電機子チョッパ制御]]等においてはいずれの速度域においても連続力行可能であるが、[[抵抗制御]]車の場合、[[抵抗器]]が全て短絡された状態になければ連続力行は不可能である。したがって任意の速度で、かつ自由な出力で力行が可能な気動車は速度の調整において、抵抗制御の電車に比較すると気動車が有利な点がある。例えば「速度制限のかかった勾配を連続して登る」場合には運転が容易になる。気動車は適切な出力で連続力行すれば良いが、抵抗制御車は断続的に力行と惰行の繰り返し([[鋸|ノコギリ]]運転)を強いられる場合がある。また、[[空転]]をしない限りは前述のトルクコンバータの作用により起動不可能に陥ることは少ない。 * [[電動機]]は回路に流せる最大電流によって、最大トルクが決定される。しかし、気動車ではトルクコンバータの増幅作用により、低速域で大きなトルク=加速力を引き出すことができる。ただし、内燃機関は過負荷・過回転への耐性が低く、電動機で許容される短時間「定格外」運転の許容幅は極めて小さいため「連続」定格を越えた出力での運転が困難である。電車の場合はこの特徴を利用して停止状態から常用速度まで大きな加速を得ている。相対的に加減速を繰り返す運転をやや苦手とすることは否めない。 * 電動機における[[電気車の速度制御|特性領域]]では[[トルク]]は速度の二乗に反比例して低下し最大出力を発揮できないが、「定トルク特性の機関」+変速機(適切な歯車比)の組み合わせで駆動されている気動車ではこのようなことは生じない。よって高速域での加速力低下が比較的小さい。このように機関の常用回転域の上限付近での加速機会が多い場合は有利に働く。ただし、この点は性能の設計次第の問題であり、例えば[[国鉄EF66形電気機関車|EF66形電気機関車]]では、[[電気車の速度制御|定出力域]]が72 km/h - 108 km/hに設定されており、特性領域は108 km/hを越えた部分であるが、車両の最高運転速度は110 km/hであり特性領域はほとんど使用しない。 ということが言える。 国鉄時代の気動車が鈍重であったことも、おおむね上記の内容で説明される。すなわち一つには絶対的な出力不足であり、もう一つは変直2段の変速機しか持たなかったことが原因である。上述の通り、変速機の低速側は起動用のトルクコンバータ段であることは変えられない。直結段はエンジンの最大回転数(最高馬力付近)と車両の最高速度によって、比較的高速ギヤに固定されてしまう。したがって直結段に移ると途端にトルクが低下し、満足に加速しない、上り坂になれば速度が低下し変速段まで落とさなければ維持できないということが生じていたのである。これは自動車において、1速と4速しか使えない場合と、1、2、3、4速の全てが使える場合(超ワイドレシオと[[クロスレシオトランスミッション|クロースレシオ]])の走り方をイメージすればわかりやすい。 <!-- のトルクパターンは車両駆動に求められるものの逆であり、多段変速機が必要となる。車両を起動するときに最も大きなトルクが必要とされ、速度を上げると反比例的にトルクが小さくなり、その結果として全速度域にわたって同じ出力を維持することが望ましいためである。鉄道では鉄の車輪とレール間の摩擦が少ないため、あらゆる速度域で一定の加速度を維持することが要求される。←だったらフラットトルクの方が良いでしょ?{{要出典|=自動車の有段変速のように途切れ途切れに加速度を上げると車輪が空転してしまう。空転は摩擦力に対して車輪に加えたトルクが勝れば無条件に起こる。電動機は理想的なトルクパターンを持っているため、固定減速機だけで無段変速のまま一定の加速度を維持できるのに対し ←VVVF以前の抵抗制御は有段でしたよね? 一定出力では一定加速度になりませんよね?/VVVF車では、電圧が最大に達するまで、抵抗性御車では抵抗が抜けきるまでが定トルク特性の領域でありそれ以上では加速度は速度に応じて低下する。定格速度までは一定出力を発揮するが、一定出力と言う事は速度とトルクは反比例する。弱め磁界、あるいはCVVF制御域は電気回路で変速している様なもの。フリーラン領域に至っては速度の二乗に反比例する、気動車では変速の度に加速が途切れ、高速への到達時間が遅れる。|date=2013年7月}}気動車の大きくて重い多段変速機は台車枠に設置できず、エンジンとともに車両に吊り下げられ、台車に向けて推進軸を出す長大な駆動系となり、振動が多く、信頼性が低下する。実際に、高速車両では駆動系トラブルが多く、重大事故も発生している。--> == 日本の気動車の略史 == {{main|日本の気動車史}} 日本の[[非電化]]鉄道路線では、[[1872年]](明治5年)の鉄道創業から長らく[[蒸気機関車]]が牽引する客車列車を主力としていた。運転経費の低減とフリークエンシー向上に効果のある「自走式車両」の開発も試みられ、[[1905年]]に蒸気機関を搭載して自走する蒸気動車が出現したが、[[1910年代]]までに限られた両数が製造されたのみで一般化はしなかった。 その後、[[1921年]]には[[ガソリンエンジン]]動力の「ガソリンカー」が営業運転を開始、列車本数頻発や運行コスト低減のメリットから[[1930年代]]には国鉄・私鉄を通じて広く普及した。ディーゼルエンジン動力の「ディーゼルカー」は日本では[[1928年]]に出現したが、エンジン技術の未発達から[[戦前]]にはほとんど普及しなかった。 [[1937年]]の[[日中戦争]]勃発以降、ガソリン不足によって内燃動車の新製および運行が年々困難となった。さらに[[1940年]]に発生した[[西成線列車脱線火災事故]]により、ガソリンカーの火災危険性が指摘された。これに伴いディーゼルカーへの転換が図られることになるが、同時期、戦時体制による燃料そのものの欠乏から、内燃動車の運行自体が一時衰退する。 1944年11月、国鉄はガソリン、アルコールによって運転していた気動車の運転を廃止することを表明した<ref>国鉄がガソリン・カーを廃止(昭和19年11月4日 毎日新聞(東京)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p607 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 1950年以降、ディーゼルエンジン技術と燃料供給が改善されると、戦前のガソリンカーに代わってディーゼルカーが隆盛を極めることになった。特に[[1953年]]の液体式変速機実用化は、気動車による長大編成組成を可能とし、国鉄での著しい気動車普及の原動力となった。 蒸気機関車牽引列車に比して優れた居住性と走行性能を生かし、気動車による[[準急列車|準急]]・[[急行列車]]が出現、さらに[[1960年]]には[[特別急行列車|特急列車]]も登場した。戦後しばらくの間、国鉄線は主要幹線でも電化率が低かったこともあって、気動車は全国で広範に用いられるに至った。 [[1970年代]]までには5,000両を超える大量の気動車増備が図られ、日本国有鉄道は世界最多の気動車保有数を誇った時期もあった。しかし、同時期に主要幹線の電化が進展したことで、気動車の地位は徐々に後退する。一方で、極端な車両標準化施策及び労使関係の悪化により、気動車技術の発達も停滞した。1980年代以降、[[第三セクター鉄道]]向け軽量気動車の開発や新型エンジンの出現、電子制御式多段変速機の実用化などの技術改良から性能は大きく改善されたが、数を減らしつつあり、運用路線は主として地方の非電化亜幹線と[[地方交通線|ローカル線]]に限定されるようになっている。 現在、JR各社では亜幹線・ローカル線を中心に運用され、非電化区間は気動車の独壇場である<ref group="注釈">ただし、2010年代後半には、電化区間と接する短距離の支線において[[蓄電池電車]]が使われる例も見られる。</ref>。国鉄時代には気動車の[[荷物車]]・[[郵便車]]も存在したが、JR移行後は、少数の[[事業用車|事業用車両]]を除いてほとんどが旅客車である。客車列車はすでに定期運用から完全撤退しており、イベント用としてごく僅かに残存しているにすぎない。気動車に客車を連結して運転することも可能であり、分割民営化後も北海道の夜行列車で運転されていたが、現在の旅客列車では冬季の[[津軽鉄道]]の[[津軽鉄道津軽21形気動車|津軽21形]]による臨時的なストーブ客車の牽引を除き見られない<ref group="注釈">旅客列車以外では[[国鉄マヤ34形客車|マヤ34形]]などの事業用客車を挟んで運行する例がある。</ref>。 国鉄およびJR各社、一部の[[第三セクター鉄道]]では、気動車列車の[[列車番号]]は原則として末尾に D(ディーゼル)が付けられる。例外もあり、[[信楽高原鉄道]]では土休日運行列車にKを、[[東海旅客鉄道]](JR東海)・[[伊勢鉄道]]では[[ワンマン運転]]列車には C を、 [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)では[[山陰本線]]([[浜坂駅]] - [[出雲市駅]]・[[西出雲駅]]間。ただし[[出雲神西駅]]以西直通の出雲市駅 - 西出雲駅間と出雲市駅 - 西出雲駅間の区間運転列車除く)・[[境線]]の土休日ダイヤの快速(「[[とっとりライナー]]」)・普通列車に K(気)を付ける。また、[[北陸新幹線]]では末尾を[[東海道・山陽新幹線]]のA、[[東北新幹線]]のB、[[上越新幹線]]のCに続いてDを付ける予定であったが、在来線気動車列車と紛らわしいためEとなった。 == 気動車の体制変化 == <!--鉄道車両に特化した出典をお願いします。--> === メーカーの寡占化 === かつては日本の主要な鉄道車両メーカーのほとんどが気動車製造を手がけていたが、1960年代以来大手メーカーは電車製造に重点を置くようになり、メーカーの寡占化が進んだ。1970年代以降、日本における気動車の大多数は客車ともども新潟鐵工所と富士重工業の2社で製造されるようになっていた。 しかし、[[2002年]]に新潟鐵工所が経営破綻し、さらに富士重工業も鉄道車両製造事業からの実質的撤退を発表した。その後、石川島播磨重工業(現[[IHI]])が新潟鐵工所の当該部門へ出資したことにより[[新潟トランシス]]株式会社が設立され、上記2社の鉄道車両製造事業の一部を承継した。現在、新潟トランシスの気動車分野における日本国内シェアは約8割に達する寡占状態である。そのほかのメーカーでは[[日本車輌製造]]が近年気動車製造に力を入れていて、1970年代以降製造車両が少なかった私鉄においても納入例が増加しており、また[[近畿車輛]]も、2012年に気動車の製造に再参入することが発表されている<ref>{{Cite news |date=2012年3月29日 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNZO39961660Y2A320C1TJ1000/ |title=近畿車両、30年ぶりにディーゼル車両の生産再開 |publisher=[[日本経済新聞]] |newspaper=[[日本経済新聞電子版]] |accessdate=2017年2月10日|archiveurl=https://megalodon.jp/2017-0210-1653-26/www.nikkei.com/article/DGXNZO39961660Y2A320C1TJ1000/ |archivedate=2017年2月10日}}</ref>ほか、[[川崎重工業]]も2010年代に入ってJR北海道・JR東日本・JR四国・JR九州向けに気動車(電気式・ハイブリッド含む)を本格的に製造している。 なお、自身が気動車新製能力をもつ鉄道事業者は[[国鉄分割民営化]]以降[[北海道旅客鉄道|JR北海道]]([[北海道旅客鉄道苗穂工場|苗穂工場]])と[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]([[後藤総合車両所]])のみとなっている。 === 環境対策 === 昨今では、ディーゼルエンジンの環境に対する悪影響([[大気汚染]]や[[酸性雨]]、[[地球温暖化]])が強く指摘され、気動車やディーゼル機関車のエンジンにも環境対策を施す例が見られるようになった<ref>{{Cite web|和書|year=2012 |url=http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/law/prtr/h24kohyo/todokedegai_haisyutsu/syousai/15.pdf |title=15.鉄道車両に係る排出量 |format=PDF |publisher=[[経済産業省]] |accessdate=2017年4月7日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170407003942/http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/law/prtr/h24kohyo/todokedegai_haisyutsu/syousai/15.pdf |archivedate=2017年4月7日 |deadlinkdate=}}</ref>。 自動車や[[建設機械]]、[[農業機械]]においては[[自動車排出ガス規制]]や[[自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法]]、[[ディーゼル車規制条例]]、[[特定特殊自動車排出ガスの規制等に関する法律]]などで法的な規制があり、[[2005年]](平成17年)4月に[[中央環境審議会]]「今後の自動車排出ガス低減対策のあり方について(第8次答申)」では、[[2009年]]よりディーゼル自動車排出ガスを低減する方針「ポスト新長期規制」(クリーンディーゼル)が決まり、当時としては世界最高水準の排ガス規制に適合している<ref>{{Cite web|和書|work=環境展望台 |date=2012年11月 |url=http://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=20 |title=クリーンディーゼル |publisher=[[国立環境研究所]] |accessdate=2017年4月7日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121211092029/http://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=20 |archivedate=2012年12月11日 |deadlinkdate=}}</ref><ref name="env.go.jp/policy/kihon_keikaku/plan/kento-team/team02">{{Cite web|和書|date=2000年6月 |url=https://www.env.go.jp/policy/kihon_keikaku/plan/kento-team/team02.pdf |title=「環境への負荷の少ない交通」報告書 |format=PDF |publisher=[[環境省]] |accessdate=2017年4月7日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030415075441/http://www.env.go.jp/policy/kihon_keikaku/plan/kento-team/team02.pdf |archivedate=2003年4月15日 |deadlinkdate=}}</ref>。 2014年時点では、気動車やディーゼル機関車などの鉄道車両に対する法的な排ガス規制はないが<ref>{{Cite web|和書|date=2014年12月17日 |url=https://www.rim-intelligence.co.jp/contents/info/NewsScope/index_NO055.html |title=我が国の排出ガス規制の概要 |publisher=一般社団法人[[日本陸用内燃機関協会]] |accessdate=2018年7月15日|}}</ref>、エンジンの直噴化・[[ユニットインジェクター]]や[[噴射ポンプ#コモンレール式|コモンレール]]と電子制御インジェクターの組み合わせによる超高圧・多段燃料噴射の導入・自動車用エンジンで培われた熱効率向上など機関の改良が行なわれている。また[[ディーゼル微粒子捕集フィルター|DPF(粒子状物質減少装置)]]取付や[[尿素SCRシステム]]による排気浄化・燃料の[[バイオディーゼル]]への移行といった環境対策技術も導入されつつあり<ref>{{Cite web|和書|work=やさしいエネルギー講座 |date=2014年1月10日 |url=https://www.rim-intelligence.co.jp/contents/info/NewsScope/index_NO055.html |title=第55回 ~電車の大先輩、気動車さんです!の巻 |publisher=リム情報開発 |accessdate=2017年4月7日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170407000720/https://www.rim-intelligence.co.jp/contents/info/NewsScope/index_NO055.html |archivedate=2017年4月7日 |deadlinkdate=}}</ref>、変速・駆動系の改良も進んでいる。一部では[[ハイブリッドカー|ハイブリッド自動車]]と同じく、エンジンの[[回転エネルギー]]や走行時の[[運動エネルギー]]を[[電気エネルギー]]に変換して、[[蓄電池]]や[[電動機]]と組み合わせた方式も実用化されるようになった。→[[鉄道車両におけるハイブリッド]]を参照 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * 湯口徹『日本の内燃動車』成山堂書店、2013年 * {{Cite book|title=British Steam Railcars|year=1971|last=Rush|first=R.W|publisher=Oakwood Press|isbn=0-85361-144-0}} == 関連項目 == {{commonscat|Diesel multiple units}} * [[日本の電気式気動車]] * [[日本の気動車史]] * [[国鉄気動車の車両形式]] * [[機関車]]・[[ディーゼル機関車]] * [[客車]] * [[電車]] * [[軽油]] * [[ディスクブレーキ]] * [[温水暖房]] * [[暖機運転]] * [[ドゥードゥルバグ]] * [[ギャロッピンググース]] * [[ミシュリーヌ]] * [[西成線列車脱線火災事故]] * [[単端式気動車]] * [[レールバス]] {{Rail-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:きとうしや}} [[Category:気動車|*]]
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ニョッキ
ニョッキ(イタリア語: gnocchi)は団子状のパスタの一種で、ジャガイモと小麦粉との組合せで作られるイタリア料理である。 名称そのものは「塊」を意味し、(木の)節目を意味するゲルマン語派のロンゴバルド語(英語版)の knokka(ノッカ)から派生した、(指の)節目を意味する nocca(ノッカ)から来ている。理由はその形からと推測される。イタリアでは滋養のあるものや重い食べ物を木曜日に食べる習慣がある。ニョッキは結構腹に溜まる料理なので木曜日に食べることが多くなり、gnocchi Giovedì(ニョッキ・ジョヴェディ、木曜のニョッキ)と呼ばれるようになった。 元々は現在のようにジャガイモやカボチャで作るものではなく、小麦粉を練って作っていた。ジャガイモのニョッキが作られるようになったのは、16世紀の後半に南米のアンデス山脈原産のジャガイモがヨーロッパに持ち込まれ、17世紀になって、イタリアでも栽培されるようになってからである。 イタリアで作られているニョッキはジャガイモを利用したものが主流だが、ローマでは硬質小麦のひき割り粉で作る。他にもジャガイモの代わりにカボチャやパンを使ったもの、ホウレンソウとリコッタチーズを使ったものなど多数のバリエーションが存在する。 成形の際に、ソースとの絡みを良くする為に、フォーク等を利用して表面に溝を付けることが多い。
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ニョッキは団子状のパスタの一種で、ジャガイモと小麦粉との組合せで作られるイタリア料理である。
{{出典の明記|date=2014年1月9日 (木) 04:10 (UTC)}} {{混同|x1=クレイアニメの|ニャッキ!}} [[Image:Gnocchi al pomodoro.JPG|thumb|200px|トマトソースのニョッキ]] [[Image:Gnocchi asparagi.JPG|thumb|200px|ホワイトアスパラガスのニョッキ]] [[Image:Gnocchi with truffle.jpg|thumb|200px|削った[[セイヨウショウロ|トリュフ]]をのせたニョッキ]] '''ニョッキ'''({{Lang-it|gnocchi}}<ref>「ニョッキ」は複数形、単数形は「ニョッコ」({{lang|it|gnocco}})。</ref>)は[[ダンプリング|団子状]]の[[パスタ]]の一種で、[[ジャガイモ]]と[[小麦粉]]との組合せで作られる[[イタリア料理]]である<ref>{{Cite web|和書|title=ジャガイモのニョッキ キノコクリームソース【ワインと楽しむこの一皿】|url=https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1328046.html|date=2023-10-2|access-date=2023-11-19|publisher=静岡新聞}}</ref>。 ==語源== 名称そのものは「塊」を意味し、(木の)節目を意味する[[ゲルマン語派]]の{{仮リンク|ロンゴバルド語|en|Lombardic language}}の {{lang|lng|knokka}}(ノッカ)から派生した、(指の)節目を意味する {{lang|it|nocca}}(ノッカ)から来ている。理由はその形からと推測される。イタリアでは滋養のあるものや重い食べ物を木曜日に食べる習慣がある。ニョッキは結構腹に溜まる料理なので木曜日に食べることが多くなり、{{lang|it|gnocchi Giovedì}}(ニョッキ・ジョヴェディ、木曜のニョッキ)と呼ばれるようになった。 ==歴史== 元々は現在のようにジャガイモや[[カボチャ]]で作るものではなく、小麦粉を練って作っていた。ジャガイモのニョッキが作られるようになったのは、[[16世紀]]の後半に[[南アメリカ|南米]]の[[アンデス山脈]]原産のジャガイモが[[ヨーロッパ]]に持ち込まれ、[[17世紀]]になって、[[イタリア]]でも栽培されるようになってからである。 イタリアで作られているニョッキはジャガイモを利用したものが主流だが、[[ローマ]]では硬質[[小麦]]の[[ひき割り]]粉で作る。他にもジャガイモの代わりにカボチャや[[パン]]を使ったもの、[[ホウレンソウ]]と[[リコッタ|リコッタチーズ]]を使ったものなど多数のバリエーションが存在する。 成形の際に、[[ソース (調味料)|ソース]]との絡みを良くする為に、[[フォーク (食器)|フォーク]]等を利用して表面に溝を付けることが多い。 ==脚注== <references/> == 関連項目 == {{Commonscat|Gnocchi}} * [[イタリア料理]] * [[ダンプリング]] * [[いももち]] * [[オレッキエッテ]] {{ジャガイモ料理}} {{DEFAULTSORT:によつき}} [[Category:パスタ]] [[Category:ダンプリング]] [[Category:ジャガイモ料理]]
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1202年
1202年(1202 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1202年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1202}} {{year-definition|1202}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]]:[[壬戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[建仁]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1862年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]]:[[嘉泰 (宋)|嘉泰]]2年 ** [[金 (王朝)|金]]:[[泰和 (金)|泰和]]2年 * 中国周辺 ** [[西遼]]:[[天禧 (西遼)|天禧]]25年? ** [[西夏]]{{Sup|*}}:[[天慶 (西夏)|天慶]]9年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]]:[[神宗 (高麗王)|神宗]]5年 ** [[檀君紀元|檀紀]]:3535年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]]:[[天資嘉瑞]]17年、[[天嘉宝祐]]元年旧8月 - * [[仏滅紀元]]:1744年 - 1745年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:598年 - 599年 * [[ユダヤ暦]]:4962年 - 4963年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1202|Type=J|表題=可視}} == できごと == * 3月 - イングランド王[[ジョン (イングランド王)|ジョン]]がフランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]からフランス王国内の知行没収を宣告される。 * 秋 - [[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]が東側の部族[[タタール]]を攻略 * [[第4回十字軍]](-[[1204年]]) === 日本 === * [[1月19日]]([[建仁]]元年[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]) - [[近衛天皇]]と[[二条天皇]]の二代の天皇の后となった、[[太皇太后]]・[[藤原多子]]が崩御する(=最後の太皇太后)。 * [[建仁寺]]建立 == 誕生 == {{see also|Category:1202年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[11月1日]](建仁2年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[円爾]]、[[鎌倉時代]]の[[臨済宗]]の[[僧]](+ [[1280年]]) * [[史天沢]]、[[モンゴル帝国]]の[[漢人]]の[[軍人]](+ [[1275年]]) * [[島津忠時]]、鎌倉時代の[[武将]]、[[島津氏]]の第2代当主(+ [[1272年]]) * [[宗性]]、鎌倉時代の[[東大寺]]の僧(+ [[1278年]]) * [[竹御所]]、[[鎌倉幕府]]第4代[[征夷大将軍|将軍]][[藤原頼経]]の[[正室]](+ [[1234年]]) * [[マティルド・ド・ダンマルタン]]、[[ブローニュ=シュル=メール|ブローニュ]]女伯、ポルトガル王[[アフォンソ3世 (ポルトガル王)|アフォンソ3世]]の王妃(+ [[1260年]]) * [[毛利季光]]、鎌倉時代の武将、[[御家人]](+ [[1247年]]) == 死去 == {{see also|Category:1202年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月19日]](建仁元年[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]) - [[藤原多子]]、[[近衛天皇]]の[[皇后]]、のちに[[二条天皇]]の后(* [[1140年]]) * [[2月8日]](建仁2年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]) - [[源義重]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]](* [[1114年]]) * [[3月3日]](建仁2年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]) - [[稲庭時定]]、平安時代、鎌倉時代の[[官人]](* 生年未詳) * [[3月13日]] - [[ミェシュコ3世]]、[[ポーランド王国|ポーランド]]大公(* [[1121年]]?) * [[4月13日]] (建仁2年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]]) - [[藤原成経]]、平安時代、鎌倉時代の[[公卿]](* [[1156年]]?) * [[7月6日]](建仁2年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[小槻広房]]、平安時代、鎌倉時代の官人(* 生年未詳) * [[8月9日]](建仁2年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[寂蓮]]、平安時代、鎌倉時代の[[歌人]]、[[僧]](* [[1139年]]?) * [[9月13日]](建仁2年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[守覚法親王]]、平安時代、鎌倉時代の[[皇族]]、法親王(* [[1150年]]) * [[11月7日]](建仁2年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]) - [[源通親]]、平安時代、鎌倉時代の公卿(* [[1149年]]) * [[スヴェレ・シグルツソン]]、[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー王]](* [[1149年]]) * [[比企尼の三女]]、[[源頼家]]の[[乳母]](* 生年未詳) * [[藤原成頼]]、平安時代、鎌倉時代の公卿(* [[1136年]]) * [[明宗 (高麗王)|明宗]]、第19代[[高麗王]](* [[1131年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1202}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1202ねん}} [[Category:1202年|*]]
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1236年
1236年(1236 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1236年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1236}} {{year-definition|1236}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丙申]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[嘉禎]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1896年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[端平]]3年 * 中国周辺 ** [[モンゴル帝国]]{{Sup|*}} : 太宗([[オゴデイ]])8年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[高宗 (高麗王)|高宗]]23年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3569年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[天応政平]]5年 * [[仏滅紀元]] : 1778年 - 1779年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 633年 - 634年 * [[ユダヤ暦]] : 4996年 - 4997年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1236|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[高麗八万大蔵経]]の板木(初雕本)が、[[蒙古]]軍の襲来によって焼失する == 誕生 == {{see also|Category:1236年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[大友親時]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]]、[[大友氏]]の第4代当主(+ [[1295年]]) * [[忠烈王]]、第25代[[高麗王]](+ [[1308年]]) * [[日昭]]、鎌倉時代の[[日蓮宗]]の[[僧]](+ [[1323年]]) * [[バヤン (バアリン部)|バヤン]]、[[モンゴル帝国]]の将軍(+ [[1294年]]) * [[文天祥]]、[[南宋]]の[[軍人]]、[[政治家]](+ [[1283年]]) * [[陸秀夫]]、南宋の政治家(+ [[1279年]]) == 死去 == {{see also|Category:1236年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月27日]](嘉禎2年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - [[実尊]]、[[鎌倉時代]]の[[法相宗]]の[[僧]](* [[1180年]]) * [[4月7日]](嘉禎2年[[2月30日 (旧暦)|2月30日]]) - [[広橋頼資]]、鎌倉時代の[[公卿]](* [[1182年]]) * [[4月25日]](嘉禎2年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[南部光行]]、[[平安時代]]、鎌倉時代の[[武将]](* [[1165年]]?) * [[4月29日]] - [[シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ]]、[[インド]]の[[奴隷王朝]]の第3代[[君主]](* 生年未詳) * [[5月12日]](嘉禎2年[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]) - [[中原季時]]、平安時代、鎌倉時代の武将(* 生年未詳) * [[7月29日]] - [[インゲボルグ (フランス王妃)|インゲボルグ]]、[[フランス王国|フランス]]国王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]の2度目の王妃(* [[1175年]]) * [[12月1日]](嘉禎2年[[11月2日 (旧暦)|11月2日]]) - [[親巌]]、平安時代、鎌倉時代の[[真言宗]]の僧(* [[1151年]]) <!--詳細不明のためコメントアウト:* [[:zh:郭虾蟆|郭蝦蟆]]、[[金 (王朝)|金]]の将軍--> * [[フィリップ・ル・シャンスリエ]]、[[パリ大学]]の学長、[[哲学者]]、[[詩人]](* [[1165年]]?) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1236}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1236ねん}} [[Category:1236年|*]]
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1253年
1253年(1253 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1253年(1253 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。", "title": null } ]
1253年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1253}} {{year-definition|1253}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[建長]]5年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1913年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[宝祐]]元年 * 中国周辺 ** [[モンゴル帝国]]{{Sup|*}} : 憲宗([[モンケ]])3年 ** [[大理国]] : [[天定 (大理)|天定]]2年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[高宗 (高麗王)|高宗]]40年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3586年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[元豊 (陳朝)|元豊]]3年 * [[仏滅紀元]] : 1795年 - 1796年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 650年 - 651年 * [[ユダヤ暦]] : 5013年 - 5014年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1253|Type=J|表題=可視}} == できごと == == 誕生 == {{see also|Category:1253年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月27日]] (建長5年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]) - [[北条宗政]]、[[鎌倉時代]]の[[武士]] (+ [[1281年]]) * [[3月16日]] (建長5年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[日向 (日蓮宗)|日向]]、鎌倉時代の[[日蓮宗]]の[[僧]] (+ [[1314年]]) * [[新田基氏]]、鎌倉時代の武士、[[新田氏]]本宗家の第6代当主 (+ [[1324年]]) * [[北条義宗]]、鎌倉時代の武士、[[赤橋流北条氏]]の第2代当主 (+ [[1277年]]) * [[唯善]]、鎌倉時代の[[浄土真宗]]の僧 (+ [[1317年]]) == 死去 == {{see also|Category:1253年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月30日]] (建長5年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[安達義景]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]]、[[鎌倉幕府]]の[[御家人]] (* [[1210年]]) * [[7月8日]] - [[テオバルド1世 (ナバラ王)|テオバルド1世]]、[[シャンパーニュ伯]]、[[ナバラ王国|ナバラ王]] (* [[1201年]]) * [[8月11日]] - [[アッシジのキアラ]]、[[イタリア]]の[[カトリック教会]]、[[聖公会]]、[[ルーテル教会]]の[[聖人]] (* [[1194年]]) * [[9月22日]] - [[ヴァーツラフ1世 (ボヘミア王)|ヴァーツラフ1世]]、[[プシェミスル朝]]の[[ボヘミア君主一覧|ボヘミア王]] (* [[1205年]]) * 9月22日 (建長5年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[道元]]<ref>{{Cite book |和書 |author=中村元ほか(編) |coauthors= |others= |date=2002-10 |title=岩波仏教辞典 |edition=第二版 |publisher=岩波書店 |page=752-753 }}</ref>、鎌倉時代の[[僧]]、[[曹洞宗]]の開祖 (* [[1200年]]) * [[10月9日]] - [[ロバート・グロステスト]]、[[イギリス]]出身の[[神学者]]、[[科学者]]、[[司教]] (* [[1175年]]?) * [[11月29日]] - [[オットー2世 (バイエルン公)|オットー2世]]、[[バイエルン大公|バイエルン公]]兼[[ライン宮中伯]] (* [[1206年]]) * [[12月30日]] (建長5年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]) - [[二階堂行盛]]、鎌倉時代の武将、鎌倉幕府の[[政所]]執事、[[評定衆]] (* [[1181年]]) * [[アクターイ]]、[[マムルーク朝|バフリー・マムルーク朝]]の将軍 (* 生年未詳) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1253}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1253ねん}} [[Category:1253年|*]]
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旅客列車
旅客列車()とは、旅客輸送を目的とする鉄道車両及び列車。 車両に対しては主に旅客車と称する。車種は電車、気動車、客車が用いられている。 旅客用の鉄道車両は旅客車と称する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "旅客列車()とは、旅客輸送を目的とする鉄道車両及び列車。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "車両に対しては主に旅客車と称する。車種は電車、気動車、客車が用いられている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "旅客用の鉄道車両は旅客車と称する。", "title": "旅客車両の分類" } ]
旅客列車とは、旅客輸送を目的とする鉄道車両及び列車。 車両に対しては主に旅客車と称する。車種は電車、気動車、客車が用いられている。
{{出典の明記|date=2016年12月16日 (金) 03:00 (UTC)|ソートキー=鉄}} {{Train topics}} {{読み仮名|'''旅客列車'''|りょかくれっしゃ}}とは、[[旅客]]輸送を目的とする[[鉄道車両]]及び[[列車]]。 車両に対しては主に[[旅客車]]と称する。車種は[[電車]]、[[気動車]]、[[客車]]が用いられている。 == 主な分類 == === 輸送形態 === ; [[高速列車]] : 主に200km/h以上の速度で高速運行する列車。日本の[[新幹線]]やフランスの[[TGV]]、ドイツの[[ICE]]などの例がある。 ; [[都市間鉄道|都市間列車]] : 都市と都市を結ぶ列車。中長距離を運転することも多く、一般の列車から高速列車まで速度。ヨーロッパでは[[インターシティ]]が運行されている。 ; [[通勤列車]] : 郊外と都心部を結ぶ通勤客を輸送する列車。 ; 地域輸送列車 : 地域輸送に供される列車。一般的には[[普通列車]]や[[快速列車]]が該当する。 ; [[夜行列車]] : 夜間を通じて運行される列車。寝台車が主体の列車の場合は[[寝台列車]]とも称する。 ; 観光列車 : 観光地への輸送、あるいは乗車自体を目的としたサービスを提供する列車。 ; [[団体専用列車]] : 一定人数の集団で車両を貸し切って運行する列車。JRグループの[[ジョイフルトレイン]]は主に団体列車用として登場した。 === 列車種別 === ; [[普通列車]] : 小駅を含めてほぼ各駅に停車する列車。 ; [[快速列車]] : 普通列車よりも停車駅を少なくして速達輸送を行う列車。 ; [[準急列車]] : 普通列車より停車駅が少なく、急行列車より多い準速達列車。 ; [[急行列車]] : 普通列車に対して停車駅を主要駅のみに絞り、所要時間を短縮した列車。 ; [[特別急行列車]] : 急行列車の上位に当たる種別。 == 旅客車両の分類 == 旅客用の鉄道車両は[[旅客車]]と称する。 *接客設備によるもの **[[一等車]]、[[二等車]]、[[普通車 (鉄道車両)|三等車]] **[[グリーン車]]、[[普通車 (鉄道車両)|普通車]] **[[寝台車 (鉄道)|寝台車]] **[[食堂車]] **[[展望車]] **[[2階建車両]](ダブルデッカー) **[[ハイデッカー]] **[[荷物車]] **[[郵便車]] *利用目的によるもの(旧国鉄の分類の例) **[[一般形車両 (鉄道)|一般形車両]] **[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形車両]] **[[近郊形車両]] **[[急行形車両]] **[[特急形車両]] ==関連項目== *[[貨物列車]] *[[事業用列車]] *[[荷物列車]] {{DEFAULTSORT:りよかくれつしや}} [[Category:列車|種]] [[Category:列車種別|†]]
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5,571
1282年
1282年(1282 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1282年(1282 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
1282年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1282}} {{year-definition|1282}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]]:[[壬午]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[弘安]]5年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1942年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]]:[[至元 (元世祖)|至元]]19年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]]:[[忠烈王]]8年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3615年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]]:[[紹宝]]4年 * [[仏滅紀元]]:1824年 - 1825年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:680年 - 681年 * [[ユダヤ暦]]:5042年 - 5043年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1282|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[3月30日]] - [[シチリア]]で[[カルロ1世 (シチリア王)|シャルル・ダンジュー]]の圧制に対して暴動が発生。([[シチリアの晩祷]]) == 誕生 == {{see also|Category:1282年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[インノケンティウス6世 (ローマ教皇)|インノケンティウス6世]]、第199代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1362年]]) * [[慈道法親王]]、[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[法親王]]、[[歌人]](+ [[1341年]]) * [[宗峰妙超]]、鎌倉時代の[[臨済宗]]の[[僧]](+ [[1338年]]) * [[フアン・マヌエル]]、[[カスティーリャ王国]]の王族(+ [[1349年]]?) * [[マリア・ビトムスカ]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[カーロイ1世 (ハンガリー王)|カーロイ1世ローベルト]]の最初の妃(+ [[1317年]]) * [[無極志玄]]、鎌倉時代、南北朝時代の臨済宗の僧(+ [[1359年]]) * [[ユーグ5世 (ブルゴーニュ公)|ユーグ5世]]、[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ公]](+ [[1315年]]) * [[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]、[[神聖ローマ皇帝]]、[[バイエルン大公|上バイエルン公]]、下バイエルン公(+ [[1347年]]) == 死去 == {{see also|Category:1282年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月8日]](弘安4年[[11月27日 (旧暦)|11月27日]]) - [[北条義政]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]]、[[歌人]](* [[1242年]]/1243年) * [[4月1日]] - [[アバカ]]、[[イルハン朝]]の第2代[[ハーン|ハン]](* [[1234年]]) * [[4月3日]](弘安5年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]]) - [[今川国氏]]、鎌倉時代の武将(* [[1243年]]) * 8月27日から9月13日 - [[ヴワディスワフ・オポルスキ]]、[[ヴィエルニ]]公、[[オポーレ公|オポーレ]]=[[ラチブシュ]]公(* [[1225年]]) * [[11月21日]](弘安5年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[日蓮]]、鎌倉時代の[[僧]]、[[日蓮宗]]([[法華宗]])の宗祖(* [[1222年]]) * [[12月11日]] - [[ミカエル8世パレオロゴス]]、[[東ローマ帝国]][[パレオロゴス王朝]]の初代[[皇帝]](* [[1225年]]) * 12月11日 - [[ルウェリン・アプ・グリフィズ]]、[[ウェールズ大公]](* [[1228年]]?) * [[アフマド・ファナーカティー]]、[[モンゴル帝国]]の官僚(* 生年未詳) * [[パオロ・マラテスタ]]、[[イタリア]]の[[外交官]](* [[1246年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1282}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1282ねん}} [[Category:1282年|*]]
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5,572
1315年
1315年(1315 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1315年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1315}} {{year-definition|1315}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[正和]]4年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]] : 1975年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]] : [[延祐]]2年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[忠粛王]]2年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3648年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[大慶 (陳朝)|大慶]]2年 * [[仏滅紀元]] : 1857年 - 1858年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 714年 - 715年 * [[ユダヤ暦]] : 5075年 - 5076年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1315|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[4月20日]] - [[鎌倉大火]]が発生 * [[11月15日]] - [[モルガルテンの戦い]]で[[スイス]]軍が[[ハプスブルク家|ハプスブルク]]軍に勝利 == 誕生 == {{see also|Category:1315年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月20日]] - [[ボンヌ・ド・リュクサンブール]]、[[フランス王国|フランス]]王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]の妃(+ [[1349年]]) * [[11月13日]](正和4年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]]) - [[懽子内親王]]、[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[皇族]]、[[斎宮|伊勢斎宮]]、[[光厳天皇|光厳上皇]]の[[妃]](+ [[1362年]]) * [[斯波兼頼]]、南北朝時代の[[武将]](+ [[1379年]]) * [[洞院実夏]]、南北朝時代の[[公卿]](+ [[1367年]]) * [[エティエンヌ・マルセル]]、フランス王国の市民指導者、[[パリ]]市長(+ [[1358年]]) * [[ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ5世]]、[[バイエルン大公|上バイエルン公]]、[[ブランデンブルク辺境伯]]、[[チロル伯]] (+ [[1361年]]) == 死去 == {{see also|Category:1315年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月9日]] - [[ユーグ5世 (ブルゴーニュ公)|ユーグ5世]]、[[ブルゴーニュ公]](* [[1282年]]) * [[6月27日]] - [[ミェシュコ1世 (チェシン公)|ミェシュコ1世]]、[[ラチブシュ]]公、初代[[チェシン公]](* 1252年/1256年) * [[8月15日]] - [[マルグリット・ド・ブルゴーニュ (フランス王妃)|マルグリット・ド・ブルゴーニュ]]、[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世]]の王妃(* [[1290年]]) * [[8月18日]](正和4年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[北条煕時]]、[[鎌倉幕府]]第12代[[執権]](* [[1279年]]) * [[10月23日]](正和4年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[西園寺公衡]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]](* [[1264年]]) * [[11月25日]] - [[ジョン・ベイリャル (スコットランド王)|ジョン・ベイリャル]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* [[1250年]]?) * [[日家]]、鎌倉時代の[[日蓮宗]]の[[僧]](* [[1258年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1315}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1315ねん}} [[Category:1315年|*]]
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1327年
1327年(1327 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1327年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1327}} {{year-definition|1327}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[嘉暦]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]] : 1987年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]] : [[泰定 (元)|泰定]]4年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[忠粛王]]14年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3660年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[開泰 (陳朝)|開泰]]4年 * [[仏滅紀元]] : 1869年 - 1870年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 727年 - 728年 * [[ユダヤ暦]] : 5087年 - 5088年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1327|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[1月20日]] - [[イングランド]]で[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]が議会で廃位。 * [[1月25日]] - [[エドワード3世_(イングランド王)|エドワード3世]]がイングランド王に15歳で即位。 * [[9月21日]] - エドワード2世が密かに処刑される。 == 誕生 == {{see also|Category:1327年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[10月30日]] - [[アンドレア・ドゥンゲリア]]、[[カラブリア]]公、[[ナポリ王国|ナポリ]]女王ジョヴァンナ1世の最初の夫(+ [[1345年]]) * [[11月20日]](嘉暦2年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]) - [[抜隊得勝]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[僧]]、[[臨済宗向嶽寺派]]の祖(+ [[1387年]]) * [[安倍有世]]、南北朝時代、[[室町時代]]の[[陰陽師]]、[[公卿]](+ [[1405年]]) * [[バルドゥス・デー・ウバルディス]]、[[イタリア]]の[[法学者]](+ [[1400年]]) * [[大崎直持]]、南北朝時代の[[武将]]、[[陸奥国|陸奥]][[大崎氏]]の初代当主(+ [[1383年]]) * [[ジョヴァンナ1世 (ナポリ女王)|ジョヴァンナ1世]]、ナポリ女王(+ [[1382年]]) * [[楠木正時]]、南北朝時代の武将 == 死去 == {{see also|Category:1327年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月29日]] - [[アドルフ (ライン宮中伯)|アドルフ]]、[[ライン宮中伯]](* [[1300年]]) * [[3月12日]](嘉禎2年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[呑海]]、[[鎌倉時代]]の[[時宗]]の[[僧]](* [[1265年]]) * [[9月1日]](嘉暦2年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[洞院実泰]]、鎌倉時代の[[公卿]](* [[1269年]]) * [[9月21日]] - [[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]、[[イングランド王]](* [[1284年]]) * [[9月22日]](嘉暦2年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]) - [[北条維貞]]、鎌倉時代の[[武将]]、[[歌人]](* [[1285年]]?) * [[11月2日]] - [[ハイメ2世 (アラゴン王)|ハイメ2世]]、[[アラゴン王国|アラゴン王]](* [[1267年]]) * [[12月20日]](嘉暦2年[[11月7日 (旧暦)|11月7日]]) - [[長井宗秀]]、鎌倉時代の[[官人]](* [[1265年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1327}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1327ねん}} [[Category:1327年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1327%E5%B9%B4
5,574
1226年
1226年(1226 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1226年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1226}} {{year-definition|1226}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丙戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[嘉禄]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1886年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[宝慶]]2年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[正大]]3年 *** [[大真国]] : [[大同 (蒲鮮万奴)|大同]]3年 * 中国周辺 ** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[乾定]]4年、[[宝義]]元年旧7月 - ** [[モンゴル帝国]]{{Sup|*}} : 太祖([[チンギス・カン|チンギス・ハーン]])21年 ** [[大理国]] : [[天輔 (大理)|天輔]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[高宗 (高麗王)|高宗]]13年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3559年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天彰有道]]2年([[12月10日 (旧暦)|12月10日]]まで) ** [[陳朝]] : [[建中 (陳朝)|建中]]元年[[12月11日 (旧暦)|12月11日]] - 2年 * [[仏滅紀元]] : 1768年 - 1769年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 622年 - 624年 * [[ユダヤ暦]] : 4986年 - 4987年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1226|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[西夏]]の皇帝である[[末主 (西夏)|李睍]]が[[モンゴル]]に投降、その後李睍は毒殺され西夏は名実共に滅亡した。 * [[鎌倉幕府]]が評定衆を設置する。 == 誕生 == {{see also|Category:1226年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月21日]] - [[ボレスワフ5世]]、[[サンドミェシュ]]公、[[クラクフ]]公(+ [[1279年]]) * [[顕智]]、[[鎌倉時代]]の[[浄土真宗]]の[[僧]](+ [[1310年]]) * [[アラーウッディーン・アターマリク・ジュヴァイニー]]、[[モンゴル帝国]]の[[イルハン朝]]の[[政治家]]、[[歴史家]](+ [[1283年]]) * [[白仁甫]]、[[金 (王朝)|金]]、[[元 (王朝)|元]]の[[元曲]]の[[作家]](+ [[1306年]]) * [[無学祖元]]、[[中国]]出身の鎌倉時代の[[臨済宗]]の僧(+ [[1286年]]) * [[頼瑜]]、鎌倉時代の[[真言宗]]の僧(+ [[1304年]]) == 死去 == {{see also|Category:1226年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月17日]](嘉禄元年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]) - [[佐竹秀義]]、[[平安時代]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]]、[[佐竹氏]]の第3代当主(* [[1151年]]) * [[7月10日]] - [[ザーヒル]]、[[アッバース朝]]の第35代[[カリフ]](* [[1175年]]) * [[10月3日]] - [[アッシジのフランチェスコ]]、[[カトリック教会]]の[[修道士]]、[[聖人]]、[[フランシスコ会]]の創設者(* 1181年/1182年) * [[11月8日]] - [[ルイ8世 (フランス王)|ルイ8世]]、[[フランス王国]][[カペー朝]]第8代国王(* [[1187年]]) * [[献宗 (西夏)|献宗]]、[[西夏]]の第9代皇帝(* [[1181年]]) * [[久我通平]]、平安時代、鎌倉時代の[[公卿]](* [[1203年]]) * [[上覚]]、平安時代、鎌倉時代の[[真言宗]]の[[僧]](* [[1147年]]) * [[神宗 (西夏)|神宗]]、西夏の第8代皇帝(* [[1211年]]) * [[李恵宗]]、[[ベトナム]]の[[李朝 (ベトナム)|李朝]]の第8代[[皇帝]](* [[1194年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1226}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1226ねん}} [[Category:1226年|*]]
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1339年
1339年(1339 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1339年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1339}} {{year-definition|1339}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[南朝 (日本)|南朝]] : [[延元]]4年 ** [[北朝 (日本)|北朝]] : [[暦応]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]] : 1999年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]] : [[至元 (元順帝)|至元]]5年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[忠粛王]]([[重祚]])8年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3672年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[開祐]]11年 * [[仏滅紀元]] : 1881年 - 1882年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 739年 - 740年 * [[ユダヤ暦]] : 5099年 - 5100年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1339|Type=J|表題=可視}} == できごと == * 百年戦争 * [[3月 (旧暦)|3月]] - [[後村上天皇|義良親王]]が[[吉野]]で[[立太子]]する。 == 誕生 == {{see also|Category:1339年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月30日]](延元4年/暦応2年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[日陣]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[室町時代]]の[[僧]]、[[法華宗陣門流]]の派祖(門祖)(+ [[1414年]]) * [[6月21日]] - ラウペンの戦い(英語版)が起こり、都市国家ベルンが貴族に勝利。 * [[7月23日]] - [[ルイ1世・ダンジュー]]、[[アンジュー公]]、[[プロヴァンス伯]]、[[ナポリ王国]]の[[対立王]](+ [[1384年]]) * [[11月1日]] - [[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]、[[オーストリア大公]](+ [[1365年]]) * [[朝倉氏景 (3代当主)|朝倉氏景]]、南北朝時代、室町時代の[[武将]]、[[朝倉氏]]の第3代当主(+ [[1405年]]) * [[アレクサンデル5世 (対立教皇)|アレクサンデル5世]]、[[対立教皇]](+ [[1410年]]) * [[アンナ・シフィドニツカ]]、[[神聖ローマ皇帝]]兼[[ボヘミア]]王[[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]の3番目の妃(+ [[1362年]]) * [[エリク12世 (スウェーデン王)|エリク12世]]、[[スウェーデン]]王(+ [[1359年]]) * [[南条貞宗]]、南北朝時代の武将(+ [[1391年]]?) * [[フアナ・マヌエル・デ・カスティーリャ]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[エンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世]]の王妃(+ [[1381年]]) * [[ブランカ・デ・ボルボーン (1339-1361)|ブランカ・デ・ボルボーン]]、カスティーリャ王[[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]]の[[教会法]]上の最初の王妃(+ [[1361年]]) * [[フリードリヒ (バイエルン公)|フリードリヒ]]、[[バイエルン大公|バイエルン公]](+ [[1393年]]) * [[ラーメースワン]]、[[アユタヤ王朝]]の国王(+ [[1395年]]) * [[李文忠]]、[[明]]の将軍(+ [[1384年]]) * [[高師夏]]、南北朝時代の武将。[[足利尊氏]]の家臣。[[高師直]]の嫡子(+ [[1351年]]) == 死去 == {{see also|Category:1339年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]](延元3年/暦応元年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]]) - [[結城宗広]]、[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[武将]](* [[1266年]]) * [[2月17日]] - [[オットー (オーストリア公)|オットー]]、[[オーストリア君主一覧|オーストリア公]]、[[ケルンテン公国|ケルンテン公]](* [[1301年]]) * [[2月25日]](延元4年/暦応2年[[1月16日 (旧暦)|1月16日]]) - [[今出川兼季]]、鎌倉時代、[[室町時代]]の[[公卿]]、[[従一位]][[太政大臣]]( [[1281年]]) * [[4月1日]](延元4年/暦応2年[[2月22日 (旧暦)|2月22日]]) - [[土岐頼貞]]、南北朝時代の武将(* [[1271年]]) * [[5月23日]](延元4年/暦応2年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]) - [[西園寺婉子]]、[[関白]][[二条道平]]の[[正室]](* 生年未詳) * [[5月26日]] - [[アルドナ・オナ・ゲディミナイテ]]、[[ポーランド王国|ポーランド]]王[[カジミェシュ3世 (ポーランド王)|カジミェシュ3世]]の最初の妃(* [[1309年]]) * [[9月1日]] - [[ハインリヒ14世 (バイエルン公)|ハインリヒ14世]]、[[バイエルン大公|下バイエルン公]](* [[1305年]]) * [[9月19日]](延元4年/暦応2年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[後醍醐天皇]]、第96代[[天皇]](* [[1288年]]) * [[10月29日]] - [[アレクサンドル・ミハイロヴィチ (トヴェリ大公)|アレクサンドル・ミハイロヴィチ]]、[[ウラジーミル・スーズダリ大公国|ウラジーミル大公]]、[[トヴェリ]][[大公]](* [[1301年]]) * [[12月10日]] - [[ヤドヴィガ・ボレスワヴヴナ]]、ポーランド王[[ヴワディスワフ1世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ1世]]の妃(* [[1266年]]) * [[木曾家村]]、鎌倉時代、南北朝時代の武将、[[木曾家]]の第7代当主(* [[1292年]]) * [[忠粛王]]、第27代[[高麗王]](* [[1294年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1339}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1339ねん}} [[Category:1339年|*]]
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1361年
1361年(1361 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1361年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1361}} {{year-definition|1361}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[南朝 (日本)|南朝]] : [[正平 (日本)|正平]]16年 ** [[北朝 (日本)|北朝]] : [[延文]]6年、[[康安]]元年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2021年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]] : [[至正]]21年 *** [[韓林児]] : [[龍鳳 (韓林児)|龍鳳]]7年 *** [[陳友諒]] : [[大定 (陳友諒)|大定]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[恭愍王]]10年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3694年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[大治 (陳朝)|大治]]4年 * [[仏滅紀元]] : 1903年 - 1904年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 762年 - 763年 * [[ユダヤ暦]] : 5121年 - 5122年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1361|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[正平地震]] * [[旧暦]]6月に[[斯波氏経]]が[[九州探題]]となる。 * 旧暦8月に[[菊池武光]]が[[少弐冬資]]らを[[筑前国|筑前]]に破り、[[懐良親王]]を[[大宰府]]に奉じる。 == 誕生 == {{see also|Category:1361年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月26日]] - [[ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝)|ヴェンツェル]]、[[ルクセンブルク家]]の[[神聖ローマ皇帝]]、[[ボヘミア]]国王、[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]]、[[ルクセンブルク君主一覧|ルクセンブルク公]](+ [[1419年]]) * [[カルロス3世 (ナバラ王)|カルロス3世]]、[[ナバラ王国|ナバラ王]]、[[エヴルー]]伯、[[ヌムール]]公(+ [[1425年]]) * [[陳晛]]、[[ベトナム]]の[[陳朝]]の第11代[[皇帝]](+ [[1388年]]) * [[冷泉為尹]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[室町時代]]の[[公卿]]、[[歌人]](+ [[1417年]]) == 死去 == {{see also|Category:1361年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月19日]](延文5年/正平15年[[12月12日 (旧暦)|12月12日]]) - [[関山慧玄]]、[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[臨済宗]]の[[僧]](* [[1277年]]) * [[6月27日]](康安元年/正平16年[[5月24日 (旧暦)|5月24日]]) - [[孤峰覚明]]、鎌倉時代、南北朝時代の臨済宗の僧(* [[1271年]]) * [[9月18日]] - [[ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ5世]]、[[バイエルン大公|上バイエルン公]]、[[ブランデンブルク辺境伯]]、[[チロル伯]](* [[1315年]]) * [[11月21日]] - [[フィリップ1世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ1世]]、[[ブルゴーニュ公]](* [[1346年]]) * [[エルジュビェタ・カジミェジュヴナ]]、[[ポンメルン]]のスウプスク=ヴォルガスト公[[ボグスワフ5世]]の妻(* [[1326年]]) * [[ガジャ・マダ]]、[[ジャワ島]]の[[マジャパヒト朝]]の宰相(* 生年未詳) * [[ブランカ・デ・ボルボーン (1339-1361)|ブランカ・デ・ボルボーン]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]]の[[教会法]]上の最初の王妃(* [[1339年]]) * [[マリア・デ・パディーリャ]]、カスティーリャ王ペドロ1世の愛妾(* [[1334年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1361}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1361ねん}} [[Category:1361年|*]]
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1291年
1291年(1291 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1291年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1291}} {{year-definition|1291}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[正応]]4年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1951年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]] : [[至元 (元世祖)|至元]]28年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[忠烈王]]17年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3624年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[重興 (陳朝)|重興]]7年 * [[仏滅紀元]] : 1833年 - 1834年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 689年 - 691年 * [[ユダヤ暦]] : 5051年 - 5052年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1291|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[3月10日]] - [[イルハン朝]]の第4代君主[[アルグン]]が現在のアゼルバイジャン共和国のあるアッラーン地方で冬営中に34歳で病没した{{要出典|date=2021-03}}。 * [[7月23日]] - [[イルハン朝]]の第5代君主[[ゲイハトゥ]]がヴァン湖西部のアフラート(en)の近郊で最初の即位を行った{{要出典|date=2021-03}}。 * [[8月1日]] - [[ウーリ州|ウーリ]]・[[シュヴィーツ州|シュヴィーツ]]・[[ウンターヴァルデン]](現在の[[オプヴァルデン準州]]ならびに[[ニトヴァルデン準州]])の3州が盟約者同盟結成を宣言、[[スイス]][[建国記念日|建国の日]]とされる。 *[[アッコ]]が陥落し[[エルサレム王国]]が滅亡。[[十字軍]]の失敗が明らかに。 *[[ウーリ]]、[[シュヴィーツ]]、[[ウンターヴァルデン]]の3州が[[永久盟約]]を締結。[[スイス]]の[[神聖ローマ帝国]]からの独立を主張。 == 誕生 == {{see also|Category:1291年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月8日]] - [[アフォンソ4世 (ポルトガル王)|アフォンソ4世]]、第7代[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](+ [[1357年]]) * [[8月12日]]([[正応]]4年[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]) - [[一条内経]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]]、[[歌人]](+ [[1325年]]) * [[9月23日]] - [[ボレスワフ3世ロズジュトヌィ]]、[[レグニツァ公国|レグニツァ]]=[[ブジェク公国|ブジェク]]公、[[ヴロツワフ]]公(+ [[1352年]]) * [[12月15日]] - [[アイモーネ・ディ・サヴォイア]]、[[サヴォイア家|サヴォイア伯]]、[[アオスタ]]伯、[[モリアーナ]]伯(+ [[1343年]]) * [[クレメンス6世 (ローマ教皇)|クレメンス6世]]、第198代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1352年]]) * [[ジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯)|ジャンヌ2世]]、[[フランス王国|フランス王]][[フィリップ5世 (フランス王)|フィリップ5世]]の[[王妃]](+ [[1330年]]) * [[伊達行朝]]、鎌倉時代、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[武将]](+ [[1348年]]) * [[洞院公賢]]、南北朝時代の公卿(+ [[1360年]]) * [[芳賀高名]]、鎌倉時代、南北朝時代の武将(+ [[1372年]]) * [[北条随時]]、鎌倉時代の武将(+ [[1321年]]) * [[由阿]]、鎌倉時代、南北朝時代の[[時宗]]の[[僧]](+ [[1379年]]?) == 死去 == {{see also|Category:1291年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月2日]](正応3年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]) - [[尊助法親王]]、[[鎌倉時代]]の[[法親王]](* [[1217年]]) * [[1月9日]](正応3年[[12月8日 (旧暦)|12月8日]]) - [[石川光長]]、鎌倉時代の[[武将]]、[[陸奥石川氏]]の第9代目当主(* 生年未詳) * [[3月10日]] - [[アルグン]]、[[イルハン朝]]の第4代君主(* [[1258年]]?) * [[5月29日]](正応4年[[5月1日 (旧暦)|5月1日]]) - [[曾谷教信]]、鎌倉時代の武将(* [[1224年]]) * [[6月15日]] - [[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]、[[ドイツ王]]、[[オーストリア君主一覧|オーストリア公]](* [[1218年]]) * [[6月18日]] - [[アルフォンソ3世 (アラゴン王)|アルフォンソ3世]]、[[アラゴン王国|アラゴン王]](* [[1265年]]) * [[6月26日]] - [[エリナー・オブ・プロヴァンス]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]の王妃(* [[1223年]]) * [[8月16日]] - [[フリードリヒ・トゥタ]]、[[マイセン辺境伯]](* [[1269年]]) * [[9月14日]](正応5年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[少弐経資]]、鎌倉時代の[[御家人]](* [[1225年]]?) * [[12月19日]](正応4年[[11月27日 (旧暦)|11月27日]]) - [[聖守]]、鎌倉時代の[[東大寺]]の[[僧]](* [[1215年]]) * [[洪茶丘]]、[[高麗]]、[[元 (王朝)|元]]の[[軍人]](* [[1244年]]) * [[サアディー]]、[[イラン]]の[[詩人]](* [[1184年]]?) * [[サンガ (元)|サンガ]]、[[モンゴル帝国]]の官僚(* 生年未詳) * [[陳聖宗]]、[[大越]][[陳朝]]の第2代[[皇帝]](* [[1240年]]) * [[トゥラ・ブカ]]、[[ジョチ・ウルス]]の第8代宗主(* 生年未詳) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1291}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1291ねん}} [[Category:1291年|*]]
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1337年
1337年(1337 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1337年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1337}} {{year-definition|1337}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]]:[[丁丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[南朝 (日本)|南朝]]:[[延元]]2年 ** [[北朝 (日本)|北朝]]:[[建武 (日本)|建武]]4年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]:1997年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]]:[[至元 (元順帝)|至元]]3年 *** [[朱光卿]]:[[赤符]]元年旧正月 - 旧7月 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]]:[[忠粛王]]([[重祚]])6年 ** [[檀君紀元|檀紀]]:3670年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]]:[[開祐]]9年 * [[仏滅紀元]]:1879年 - 1880年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:737年 - 738年 * [[ユダヤ暦]]:5097年 - 5098年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1337|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[1月23日]](延元元年/建武2年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]) - [[後醍醐天皇]]が[[京都]]を脱出して[[吉野]]へ移り[[南朝 (日本)|南朝]]を開く([[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の開始)。 * [[4月7日]](延元2年/建武3年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[斯波高経]]、[[越前国|越前]][[金ヶ崎城]]を攻略([[金ヶ崎の戦い (南北朝時代)|金ヶ崎の戦い]])。 * イングランドの[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]、[[ヴァロワ朝]]フランス王国に対し宣戦布告。[[百年戦争]]始まる。 == 誕生 == {{see also|Category:1337年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月25日]] - [[ヴェンツェル1世 (ルクセンブルク公)|ヴェンツェル1世]]、[[ルクセンブルク家]]の初代[[ルクセンブルク公]]、[[ブラバント公]](+ [[1383年]]) * [[6月10日]](延元2年/建武4年[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]) - [[千葉氏胤]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[武将]]、[[千葉氏]]の第13代当主(+ [[1365年]]) * [[小田孝朝]]、南北朝時代、室町時代の武将、[[小田氏]]の第9代当主(+ [[1414年]]) * [[シュテファン3世 (バイエルン公)|シュテファン3世]]、[[バイエルン大公|バイエルン公]](+ [[1413年]]) * [[忠穆王]]、第29代[[高麗王]](+ [[1348年]]) * [[陳睿宗]]、[[ベトナム]]の[[陳朝]]の第10代[[皇帝]](+ [[1377年]]) * [[鄭夢周]]、[[高麗]]の[[儒学者]](+ [[1392年]]) * [[トウ愈|鄧愈]]、[[明]]の[[軍人]](+ [[1377年]]) * [[ルイ2世 (ブルボン公)|ルイ2世]]、第3代[[ブルボン公]](+ [[1410年]]) * [[ルドヴィーコ (シチリア王)|ルドヴィーコ]]、[[シチリア王国|シチリア王]](+ [[1355年]]) == 死去 == {{see also|Category:1337年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月8日]] - [[ジョット・ディ・ボンドーネ]]、[[イタリア]]の[[画家]]、[[彫刻家]]、[[建築家]](* [[1267年]]頃) * [[2月13日]](延元2年/建武4年[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]) - [[瓜生保]]、[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[武将]](* 生年未詳) * [[4月7日]](延元2年/建武4年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[尊良親王]]、鎌倉時代、南北朝時代の[[皇族]]、[[後醍醐天皇]]の[[皇子]](* 生年未詳([[1306年]]から[[1311年]]頃)) * 4月7日(延元2年/建武4年3月6日) - [[新田義顕]]、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* [[1318年]]) * 4月7日(延元2年/建武4年3月6日) - [[得能通綱]]、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳) * [[4月19日]](延元2年/建武4年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[細川直俊]]、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* [[1319年]]) * [[5月26日]](延元2年/建武4年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[天目]]、鎌倉時代、南北朝時代の[[法華宗]]の[[僧]](* [[1245年]]) * [[6月7日]] - [[ギヨーム1世 (エノー伯)|ギヨーム1世]]、[[エノー伯]]。[[ホラント伯]]、[[ゼーラント伯]](* [[1286年]]) * [[6月11日]](延元2年/建武4年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]) - [[珣子内親王]]、後醍醐天皇の[[中宮]](* [[1311年]]) * [[アネシュカ・プシェミスロヴナ]]、ヤヴォル公[[ヘンリク1世 (ヤヴォル公)|ヘンリク1世]]の妃(* [[1305年]]) * [[一色頼行]]、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳) * [[相馬重胤#相馬重胤 (鎌倉時代・南北朝時代)|相馬重胤]]、鎌倉時代、南北朝時代の武将、[[陸奥国|陸奥]][[相馬氏]]の第6代当主(* 生年未詳) * [[フェデリーコ2世 (シチリア王)|フェデリーコ2世]]、[[シチリア王国|シチリア王]](* [[1272年]]) * [[ムーサー (イルハン朝)|ムーサー]]、[[イルハン朝]]の第11代君主(* 生年未詳) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1337}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1337ねん}} [[Category:1337年|*]]
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1654年
1654年(1654 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
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1654年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1654}} {{year-definition|1654}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲午]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[承応]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2314年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[順治]]11年 ** [[南明]] : [[永暦 (南明)|永暦]]8年 ** [[朱亶セキ|朱亶塉]]([[南明]]) : [[定武]]9年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[孝宗 (朝鮮王)|孝宗]]5年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3987年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[盛徳 (黎朝)|盛徳]]2年 *** [[莫朝|高平莫氏]] : [[順徳 (莫朝)|順徳]]17年 * [[仏滅紀元]] : 2196年 - 2197年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1064年 - 1065年 * [[ユダヤ暦]] : 5414年 - 5415年 * [[ユリウス暦]] : 1653年12月22日 - 1654年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1654}} == できごと == * [[1月18日]] - [[ウクライナ]]で[[ペラヤースラウ会議 (1654年)|ペラヤースラウ会議]]が行われ、結果ウクライナは[[ロシア]]の保護下に入る。 * [[4月5日]] - [[ウェストミンスター和約]]締結により[[第一次英蘭戦争]]([[1652年]] - )終結。 * [[6月7日]] - [[スウェーデン]]で[[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]が従兄[[カール10世 (スウェーデン王)|カール10世]]に国王を譲位。 * [[7月6日]] - [[ルイ14世 (フランス王)|フランス王ルイ14世]]が戴冠。 * [[7月21日]] - [[中国]]・[[甘粛省|甘粛]]でマグニチュード8の[[地震]]([[天水地震]])が発生。死者31,000人。 * [[10月12日]] - [[オランダ]]・[[デルフト市|デルフト]]で火薬庫の火薬が爆発、市街地が大きな被害を受ける([[デルフト大爆発]]([[:en:Delft Explosion|en]]))。死者100人以上、負傷者1,000人以上。 * [[10月30日]](承応3年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[後光明天皇]]崩御。 * [[中国]]の[[僧|禅僧]]・[[隠元隆琦]]来日、[[黄檗宗]]を伝える。 == 誕生 == {{see also|Category:1654年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月22日]] - [[リチャード・ブラックモア]]([[w:Richard Blackmore|Richard Blackmore]])、[[詩人]]、[[医師]](+ [[1729年]]) * [[2月3日]] - [[ピエトロ・アントニオ・フィオッコ]]、[[作曲家]](+ [[1714年]]) * [[5月4日]]([[順治]]11年3月18日) - [[康熙帝]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Kangxi Kangxi emperor of Qing dynasty] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[清]]の第4代[[皇帝]](+ [[1722年]]) * [[7月9日]](承応3年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[霊元天皇]]、第112代[[天皇]](+ [[1732年]]) * [[9月]]頃 - [[ヴィンツェント・リューベック]]、作曲家、[[オルガニスト]](+ [[1740年]]) * 月日不明 - [[服部嵐雪]]、[[俳人]](+ [[1707年]]) * 月日不明 - [[井沢弥惣兵衛]]、治水家(+ [[1738年]]) * 月日不明 - [[ルドヴィコ・ロンカッリ]]、[[貴族]]、[[ギター]]奏者(+ [[1713年]]) == 死去 == {{see also|Category:1654年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月13日]] - [[ジャック・ルメルシエ]]([[w:Jacques Lemercier|Jacques Lemercier]])、[[建築家]](* [[1585年]]頃) * [[1月17日]] - [[パウルス・ポッテル]]、[[画家]](* [[1625年]]) * [[1月21日]](承応2年[[12月3日 (旧暦)|12月3日]]) - [[脇坂安元]]、[[大名]]、[[歌人]](* [[1584年]]) * [[2月6日]] - [[フランチェスコ・モーキ]]、[[彫刻家]](* [[1580年]]) * [[2月18日]] - [[ジャン=ルイ・ゲー・ド・バルザック]]([[w:Jean-Louis Guez de Balzac|Jean-Louis Guez de Balzac]])、[[随筆家]](* [[1597年]]) * [[6月10日]] - [[アレッサンドロ・アルガルディ]]、彫刻家、建築家(* [[1595年]]) * [[6月27日]] - [[ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ]]、[[神学者]](* [[1586年]]) * [[7月9日]] - [[フェルディナント4世 (ローマ王)|フェルディナント4世]]、[[神聖ローマ皇帝]][[フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント3世]]の長男、[[ローマ王]](* [[1633年]]) * [[8月27日]](承応3年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[大橋宗古|二代大橋宗古]]、[[将棋指し]]、二世[[名人戦 (将棋)|名人]](* [[1576年]]) * [[8月28日]] - [[アクセル・オクセンシェルナ]]、[[スウェーデン]][[宰相]](* [[1585年]]) * [[8月31日]] - [[オーレ・ヴォーム]]、医師、博物学者、[[好古家]](* [[1588年]]) * [[9月8日]] - [[ペトロ・クラヴェル]]([[w:Peter Claver|Peter Claver]])、聖職者、[[聖人]](* [[1581年]]) * [[10月12日]] - [[カレル・ファブリツィウス]]、画家(* [[1622年]]) * [[10月30日]](承応3年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[後光明天皇]]、第110代天皇(* [[1633年]]) * [[10月]]か[[11月]] - [[フランシスコ・コレア・デ・アラウホ]]、[[聖職者]]、作曲家、オルガニスト(* [[1584年]]) * [[11月30日]] - [[ジョン・セルデン]]、[[法学者]]、[[政治家]]、[[歴史学者]](* [[1584年]]) * 月日不明 - [[フランシスコ・パチェコ]]([[w:Francisco Pacheco|Francisco Pacheco]])、画家(* [[1564年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1654}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1654ねん}} [[Category:1654年|*]]
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1384年
1384年(1384 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。 ヤドヴィガがポーランド王に即位。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1384年(1384 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ヤドヴィガがポーランド王に即位。", "title": "できごと" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
1384年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1384}} {{year-definition|1384}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[南朝 (日本)|南朝]] : [[弘和]]4年、[[元中]]元年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]] - ** [[北朝 (日本)|北朝]] : [[永徳]]4年、[[至徳 (日本)|至徳]]元年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2044年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[洪武]]17年 * 中国周辺 ** [[北元]] : [[天元 (北元)|天元]]6年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[王禑|辛禑]]10年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3717年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[昌符]]8年 * [[仏滅紀元]] : 1926年 - 1927年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 785年 - 786年 * [[ユダヤ暦]] : 5144年 - 5145年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1384|Type=J|表題=可視}} == できごと == ヤドヴィガがポーランド王に即位。 == 誕生 == {{see also|Category:1384年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * 8月 - [[アントワーヌ (ブラバント公)|アントワーヌ]]、[[ブラバント公]](+ [[1415年]]) * [[8月11日]] - [[ヨランド・ダラゴン]]、[[アンジューの領主一覧|アンジュー公]][[ルイ2世・ダンジュー]]の妃(+ [[1442年]]) * [[ハリール・スルタン]]、[[ティムール朝]]の第2代君主(+ [[1411年]]) == 死去 == {{see also|Category:1384年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月17日]](永徳3年/弘和3年[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]) - [[三条公忠]]、[[北朝 (日本)|北朝]]の[[公卿]] * [[6月8日]](至徳元年/元中元年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]])- [[今川範国]]、[[駿河国]]の[[守護大名]](* [[1295年]]?) * 6月8日(至徳元年/元中元年5月19日)- [[観阿弥]]、[[猿楽|猿楽師]](* [[1333年]]) * [[9月6日]] - [[頼重]]、[[琉球]]波上山[[護国寺]]の開祖(* 生年不詳) * [[9月20日]] - [[ルイ1世・ダンジュー|ルイ1世]]、[[アンジューの領主一覧|アンジュー公]]、[[プロヴァンス伯]]、[[ナポリ王国]]の[[対立王]](* [[1339年]]) * [[11月26日]](至徳元年/元中元年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[伊賀局 (篠塚重広の娘)|伊賀局]]、[[楠木正儀]]の妻(* 生年不詳) * [[12月23日]] - [[トマ・プレリュボヴィチ]]、[[エピロス専制侯国|エピロス専制侯]](* 生年不詳) * [[12月31日]] - [[ジョン・ウィクリフ]]、[[神学者]](* [[1320年]]頃) * [[中条長秀]]、[[中条流]]平法の創始者(* 生年不詳) * [[李文忠]]、[[明]]の将軍(* [[1339年]]) * [[ディミトリオス・カンダクジノス]]、[[モレアス専制公領]]の統治者(* [[1343年]]頃) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1384}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1384ねん}} [[Category:1384年|*]]
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1300年
1300年(1300 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
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1300年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
{{年代ナビ|1300}} {{year-definition|1300}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[庚子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[正安]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1960年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[元 (王朝)|元]] : [[大徳 (元)|大徳]]4年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[忠烈王]]26年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3633年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[興隆]]8年 * [[仏滅紀元]] : 1842年 - 1843年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 699年 - 700年 * [[ユダヤ暦]] : 5060年 - 5061年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1300|Type=J|表題=可視}} == できごと == == 誕生 == {{see also|Category:1300年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月28日]] (正安2年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]) - [[中巌円月]]、[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[臨済宗]]の[[僧]] (+ [[1375年]]) * [[2月1日]] - [[ボルコ2世 (ジェンビツェ公)|ボルコ2世]]、[[ヤヴォル]]=[[ルヴヴェク]]=[[シフィドニツァ]]=[[ジェンビツェ]]公 (+ [[1341年]]) * [[9月27日]] - [[アドルフ (ライン宮中伯)|アドルフ]]、[[ライン宮中伯]] (+ [[1327年]]) * [[邦良親王]]、鎌倉時代の[[皇族]] (+ [[1326年]]) * [[コシラ]]、[[モンゴル帝国]]の第11代[[ハーン|カアン]] (+ [[1329年]]) * [[陳明宗]]、[[ベトナム]]の[[陳朝]]の第5代[[皇帝]] (+ [[1357年]]) == 死去 == {{see also|Category:1300年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月26日]] (正安2年[[1月4日 (旧暦)|1月4日]]) - [[如信]]、[[鎌倉時代]]の[[浄土真宗]]の[[僧]] (* [[1235年]]) * [[10月4日]] (正安2年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[寒巌義尹]]、鎌倉時代の[[皇族]]、[[曹洞宗]]の僧 (* [[1217年]]) * [[10月30日]] (正安2年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[大友頼泰]]、鎌倉時代の[[御家人]]、[[大友氏]]第3代当主 (* [[1222年]]) * [[金方慶]]、[[高麗]]の将軍 (* [[1212年]]) * [[ココジン]]、[[モンゴル帝国]]の王族[[チンキム]]の夫人 (* 生年未詳) * [[島津忠景]]、鎌倉時代の御家人、[[歌人]] (* [[1241年]]) * [[陳興道]]、[[大越]][[陳朝]]の王族、武将 (* [[1228年]]) * [[ヨハン1世 (ニュルンベルク城伯)|ヨハン1世]]、[[ニュルンベルク城伯]] (* [[1279年]]?) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|ソートキー=年1300|section=1|date=2011年7月}} * [[ダンテ・アリギエーリ]]が古代ローマの詩人[[ウェルギリウス]]に導かれ、地獄・煉獄・天国を巡る。([[神曲]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1300}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=13|年代=1200}} {{デフォルトソート:1300ねん}} [[Category:1300年|*]]
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1397年
1397年(1397 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1397年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1397}} {{year-definition|1397}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[応永]]4年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2057年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[洪武]]30年 *** [[田九成]] : [[龍鳳 (田九成)|龍鳳]]元年正月 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[李成桂|太祖]]6年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3730年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[陳朝]] : [[光泰]]10年 * [[仏滅紀元]] : 1939年 - 1940年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 799年 - 800年 * [[ユダヤ暦]] : 5157年 - 5158年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1397|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[7月20日]] - [[カルマル同盟]]が締結される。 == 誕生 == {{see also|Category:1397年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月22日]] - [[ルイ・ド・ギュイエンヌ]]、[[フランス王国]]の[[ドーファン|王太子]](+ [[1415年]]) * [[1月29日]](応永3年[[12月30日 (旧暦)|12月30日]]) - [[法尊]]、[[室町時代]]の[[真言宗]]の[[僧]](+ [[1419年]]) * [[2月21日]] - [[イザベル・ド・ポルテュガル]]、[[ブルゴーニュ公]][[フィリップ3世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ3世]]の3度目の妃(+ [[1471年]]) * [[5月7日]] - [[世宗 (朝鮮王)|世宗]]、[[李氏朝鮮]]の第4代[[国王]](+ [[1450年]]) * [[6月29日]] - [[フアン2世 (アラゴン王)|フアン2世]]、[[アラゴン王国|アラゴン王]]、[[バレンシア王国|バレンシア王]]、[[バルセロナ伯]]、[[シチリア王国|シチリア王]]、[[ナバラ王国|ナバラ王]](+ [[1479年]]) * [[8月10日]] - [[アルブレヒト2世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト2世]]、[[オーストリア君主一覧|オーストリア公]]、[[ボヘミア]]王、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王、ドイツ王(+ [[1439年]]) * [[11月15日]] - [[ニコラウス5世 (ローマ教皇)|ニコラウス5世]]、第208代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1455年]]) * [[パオロ・ウッチェロ]]、[[イタリア]]の[[フィレンツェ]]出身の[[ルネサンス]]期の[[画家]](+ [[1475年]]) * [[国分盛定]]、室町時代の[[武士]](+ [[1450年]]) * [[斯波義淳]]、室町時代の[[武将]]、[[守護大名]]、[[管領]]、[[斯波氏#武衛家|斯波氏武衛家]]の第7代当主(+ [[1434年]]) * [[パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ]]、フィレンツェの[[地理学者]]、[[数学者]]、[[天文学者]](+ [[1482年]]) * [[能阿弥]]、室町時代の[[水墨画]]家、[[茶道|茶人]]、[[連歌師]]、[[鑑定|鑑定家]]、[[表具|表具師]](+ [[1471年]]) * [[日野義資]]、室町時代の[[公家]]、[[藤原北家]][[日野家]]の第22代当主(+ [[1434年]]) == 死去 == {{see also|Category:1397年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月21日]] - [[アルブレヒト2世 (バイエルン公)|アルブレヒト2世]]、[[バイエルン大公|下バイエルン=シュトラウビング公]](* [[1369年]]) * [[6月2日]](応永4年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[細川頼元]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、[[室町時代]]の[[武将]]、幕府[[管領]](* [[1343年]]) * [[9月2日]] - [[フランチェスコ・ランディーニ]]、[[イタリア]]の[[作曲家]]、[[オルガニスト]]、歌手、[[詩人]]、楽器製作者(* [[1325年]]?) * 9月2日(応永4年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[土岐頼忠]]、南北朝時代、室町時代の武将、[[美濃国|美濃]][[守護]](* 生年未詳) * 9月8日/9月9日 - [[トマス・オブ・ウッドストック]]、[[オーマール公]]、初代[[グロスター公]](* [[1355年]]) * [[10月8日]](応永4年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[小笠原長房 (若狭守護代)|小笠原長房]]、南北朝時代、室町時代の武将、[[守護代]](* 生年未詳) * [[スキルガイラ]]、[[リトアニア大公国]]の[[摂政]](* 1353年/1354年) * [[ヨハン2世 (バイエルン公)|ヨハン2世]]、[[バイエルン大公|バイエルン公]](* [[1341年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1397}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=14|年代=1300}} {{デフォルトソート:1397ねん}} [[Category:1397年|*]]
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7月21日
7月21日(しちがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から202日目(閏年では203日目)にあたり、年末まであと163日ある。
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{{カレンダー 7月}} '''7月21日'''(しちがつにじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から202日目([[閏年]]では203日目)にあたり、年末まであと163日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[身延山]]/[[日蓮]]/[[久遠寺]], [[開拓使官有物払下げ事件]], [[明治十四年の政変]], [[日本労働総同盟]]/[[大日本産業報国会]], [[指輪物語]]/[[旅の仲間]] [[忍野八海]], [[MTSAT]]/[[ひまわり (気象衛星)]], --> [[Image:Ac_artemisephesus.jpg|thumb|[[アルテミス神殿]]が放火され倒壊(BC356)。「名を残す」という動機による放火で、「[[ヘロストラトス]]の名誉」という言葉が生まれた]] [[Image:The French fleet attacks Bembridge.jpg|thumb|[[イタリア戦争]]、フランス軍がイングランドのワイト島に侵攻(1545)]] [[Image:Francois-Louis-Joseph_Watteau_001.jpg|thumb|[[エジプト・シリア戦役]]、[[ピラミッドの戦い]](1798)。{{Squote|兵士たちよ、[[ピラミッド]]の高みから、40の世紀が諸君を見守っている。――[[ナポレオン・ボナパルト]]}}]] <!-- Soldats, du haut de ces pyramides, quarante siècles vous contemplent. : 意訳「4000年の歴史が…」 --> {{multiple image | footer = [[アグスティン・デ・イトゥルビデ]]がメキシコ皇帝として戴冠、第一次[[メキシコ帝国]]成立(1822) | image1 = Coronamiento Iturbide.JPG | width1 = 140 | alt1 = 戴冠式 | image2 = Agustin_de_Iturbide.jpg | width2 = 100 | alt2 = メキシコ皇帝としての肖像 }} <!-- [[Image:Bullrun2.jpg|thumb|[[南北戦争]]、[[第一次ブルランの戦い]](1861)]] --> <!-- [[Image:USS_Maryland_BB-46.jpg|thumb|300px|戦艦[[メリーランド (戦艦)|メリーランド]](1921)]] XXX 図版に限らず、起工・進水・就役のどの日付を載せるのか?アメリカの戦艦ばかり載っているのではないか?そもそも艦船の登場をいちいち「できごと」に載せる必要があるのか? --> [[Image:First_flag_on_Guam_-_1944.jpg|thumb|米軍がグアム上陸、[[グアムの戦い (1944年)|グアムの戦い]]はじまる(1944)]] <!-- [[Image:USMC-M-Guam-OFC.jpg|thumb|[[グアムの戦い (1944年)|グアムの戦い]](1944)]] --> [[Image:100B-yen.JPG|thumb|295px|米軍占領下の[[沖縄県|沖縄]]で[[日本円]]の流通が禁止され、[[B円]]のみが正式通貨となる(1948)]] {{multiple image | footer = [[ジュネーヴ協定]]成立により[[第一次インドシナ戦争]]休戦(1954)。右画像は1964年[[ホーチミン市|サイゴン]]の「国恥記念日」の様子 | image1 = Gen-commons.jpg | width1 = 140 | alt1 = ジュネーヴ会議 | image2 = Charles DeGaulle and Ho Chi Minh are hanged in effigy during the National Shame Day celebration in Saigon, July 1964.jpg | width2 = 140 | alt2 = 10年後の学生デモ }} <!-- [[Image:NSsavannah-1962.gif|thumb|原子力貨物船[[サヴァンナ (原子力貨物船)|サヴァンナ]]進水(1959)]] 起工・進水・就役の…(以下略)。「世界で2番目の非軍事原子力船」ではあるらしい --> [[Image:AswanHighDam_Egypt.jpg|thumb|[[アスワン・ハイ・ダム]]完成(1970)]] <!-- [[Image:USS_Constitution_Sail200d.jpg|thumb|140px|就役200年目の帆船[[コンスティチューション (帆走フリゲート)|コンスティチューション]]、修復され116年ぶりの航海(1997)]] 絵的には面白い。重要性は…? --> * [[紀元前356年]] - [[ヘロストラトス]]が[[エフェソス]]の[[アルテミス神殿]]に放火。<!-- enより --> * [[285年]] - [[ローマ皇帝]][[ディオクレティアヌス]]が[[マクシミアヌス]]を[[カエサル (称号)|副帝]]に任命し、帝国の西側の統治者とする。<!-- enより --> * [[1274年]]([[文永]]11年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[身延山]]に[[日蓮]]の庵室が完成。現在の[[日蓮宗]][[総本山]][[久遠寺]]の起源とされる。 * [[1545年]] - [[イタリア戦争]]: [[フランス王国|フランス]]軍が[[イングランド]]の[[ワイト島]]に侵攻。 ([[:en:French invasion of the Isle of Wight]]) <!-- 1588年の[[アルマダの海戦]]はグレゴリオ暦の[[7月31日]]へ移動 --> * [[1590年]]([[天正]]18年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[天正遣欧少年使節]]の一行が[[長崎県|長崎]]に帰国。 * [[1654年]]([[承応]]3年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[玉川上水]]が完成。 * [[1718年]] - [[オスマン帝国]]と[[オーストリア]]などが[[パッサロヴィッツ条約]]を締結。オスマン帝国の[[バルカン半島]]の領土の一部をオーストリアに割譲。<!-- enより --> * [[1773年]] - [[ローマ教皇]][[クレメンス14世 (ローマ教皇)|クレメンス14世]]が[[イエズス会]]に解散を命じる。 * [[1774年]] - [[露土戦争]]: [[オスマン帝国]]と[[ロシア帝国]]が[[キュチュク・カイナルジ条約]]を締結し、[[露土戦争 (1768年)|第一次露土戦争]]が終結。 * [[1787年]]([[天明]]7年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[御所千度参り]]はじまる。この日から[[京都御所]]のまわりで大勢の人々が連日お千度参りを行い、12日目には約7万人がつめかけた。 * [[1798年]] - [[エジプト・シリア戦役]]: [[ピラミッドの戦い]]で[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]軍が勝利。 * [[1822年]] - [[メキシコ]]皇帝[[アグスティン・デ・イトゥルビデ]](アグスティン1世)が戴冠。第一次[[メキシコ帝国]]が成立。 * [[1831年]] - [[レオポルド1世 (ベルギー王)|レオポルド1世]]が[[ベルギー]]の初代国王に即位。 * [[1841年]]([[天保]]12年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - 操業中に遭難した土佐の漁師・万次郎([[ジョン万次郎]])がアメリカの捕鯨船に救助される。 * [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[第一次ブルランの戦い]]で北軍が南軍に大敗する。 * [[1863年]]([[文久]]3年[[6月6日 (旧暦)|6月6日]]) - [[長州藩]]の[[高杉晋作]]らが[[奇兵隊]]を結成。 * [[1873年]] - [[西部開拓時代]]: [[ジェシー・ジェイムズ]]とその兄弟が最初の列車強盗を行う。<!-- enより --> * [[1881年]] - [[開拓使官有物払下げ事件]]。[[北海道]]の[[開拓長官]]・[[黒田清隆]]が、官有の施設・設備を安値で払い下げる決定を行う。払下げへの反対運動が起き、[[明治十四年の政変]]のきっかけとなる。 <!-- 確認できず。それより前に官設鉄道が発行しているという話(これも未確認)も* [[1896年]] - [[山陽鉄道]]が日本初の通学[[定期乗車券]]発売。 --> * [[1896年]] - [[日清通商航海条約]]が締結。 * [[1899年]] - [[布引丸事件]]。[[フィリピン独立革命]]を支援するための武器弾薬を載せた布引丸が暴風雨で沈没。 * [[1921年]] - [[アメリカ海軍]]の[[戦艦]]「[[メリーランド (戦艦)|メリーランド]]」が竣工。 * [[1925年]] - [[カナダ]]の[[アルバータ山]]に[[日本山岳会]]メンバーらが初登頂<ref>「絶壁と格闘十六時間、ついに登頂に成功」『大阪毎日新聞』1925年8月1日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp.660-661 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1930年]] - 「早起きラジオ体操会」が[[東京都]][[千代田区]][[神田佐久間町]]の佐久間公園で開始。[[ラジオ体操#ラジオ体操会|ラジオ体操会]]の発祥の1つ。 * [[1931年]] - [[日本銀行]]が[[二十円紙幣|乙貳拾圓券]]の発行を開始。日本最後の兌換紙幣となった。 * [[1932年]] - [[カナダ]]の[[オタワ]]で{{仮リンク|イギリス連邦経済会議|en|British Empire Economic Conference}}を開催。[[世界恐慌]]克服のために[[ポンド (通貨)|ポンド]]圏に[[ブロック経済]]方式を導入するオタワ協定を締結。 * [[1940年]] - [[日本労働総同盟]]が自主解散を決議し、[[大日本産業報国会]]に合流。 * [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]・[[太平洋戦争]]: 米軍が[[グアム島]]に上陸、[[グアムの戦い (1944年)|グアムの戦い]]がはじまる。 * 1944年 - 深夜0時、[[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]]ら前日の[[ヒトラー暗殺計画]]の実行犯が処刑される。 * [[1948年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]占領下の[[沖縄県|沖縄]]で[[円 (通貨)|日本円]]の流通が禁止され[[B円]]のみが沖縄唯一の正式通貨とされる。 * [[1951年]] - [[秋田県]]・[[青森県]]一帯で[[集中豪雨]]。[[大館市]]で500戸以上が浸水。[[奥羽本線]]、[[五能線]]など鉄道不通箇所多数。[[電話線]]断線のため、東京 - 青森間の長距離電話が不通に<ref>「大館市水浸し」『日本経済新聞』昭和26年7月21日 3面</ref>。 * [[1952年]] - [[破壊活動防止法]]施行。[[公安調査庁]]設置。 * [[1954年]] - [[第一次インドシナ戦争]]: [[ジュネーヴ協定]]成立により第一次インドシナ戦争が休戦。[[ベトナム]]の南北分裂が決定的となる。 <!-- 毎年2回あることをいちいち書いているとキリがない * 1954年 - 第31回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]・[[直木三十五賞|直木賞]]の銓衡委員会で、芥川賞に[[吉行淳之介]]の「驟雨」、直木賞に[[有馬頼義]]の「終身未決囚」が選ばれる。 --> * [[1959年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の原子力貨物船[[サヴァンナ (原子力貨物船)|サヴァンナ]]が進水。 * [[1960年]] - [[シリマヴォ・バンダラナイケ]]が[[スリランカの首相]]に就任し、世界初の[[選出もしくは任命された女性の政府首脳の一覧|女性首相]]となる。 * [[1961年]] - アメリカ合衆国2機目の有人宇宙船[[マーキュリー・レッドストーン4号]]が打ち上げ。 * 1961年 - [[サンケイホール]]で開催された第3回[[中村八大]]リサイタルにて、『[[上を向いて歩こう]]』が[[坂本九]]の歌唱により初披露される。 * [[1969年]] - 前日に人類初の月面到達に成功した[[アポロ11号]]の月着陸船が月面を出発(アメリカ時間)。<!-- また、日本時間では月面着陸に成功したのが1969年7月21日5時17分にあたる。 --> * [[1970年]] - [[アスワン・ハイ・ダム]]が完成。 * [[1972年]] - [[血の金曜日事件 (1972年)|血の金曜日事件]]。[[北アイルランド]]・[[ベルファスト]]で[[IRA暫定派]]による連続[[爆弾]][[テロリズム|テロ]]が行われ150名以上に上る死傷者が出た。 * 1972年 - 刑事ドラマ『[[太陽にほえろ!]]』が放送開始。<!-- 特筆性? 有名どころではあるのでしょうが、どう線を引くか… --> <!-- * 1972年 - [[モスフードサービス]]創業。 特筆性? :ほぼ全世界規模の国際企業と、創設自体に歴史的意義があるものに限るべきだと思います。…が、7月20日ではマクドナルドの日本1号店を記念日扱いしています…ダブスタにならぬよう襟を正す必要があるかもしれません。 --> * [[1973年]] - {{仮リンク|リレハンメル事件|en|Lillehammer affair}}。[[ノルウェー]]の[[リレハンメル]]で[[イスラエル諜報特務庁]](モサッド)が、[[1972年]]の[[ミュンヘンオリンピック事件]]の黒幕とされる[[アリー・ハサン・サラーマ]]らしき人物を射殺するが、無関係の人物であることが判明。 * [[1977年]] - {{仮リンク|リビア・エジプト戦争|en|Libyan–Egyptian War}}が勃発。 * [[1983年]] - 南極の[[ボストーク基地|ヴォストーク基地]]で氷点下89.2℃を記録。世界最低気温。 * 1989年 - 寝台特急「[[トワイライトエクスプレス]]」が運転開始。 * [[1994年]] - [[トニー・ブレア]]が[[労働党 (イギリス)|イギリス労働党]]党首に選出。 * 1994年 - [[北海道]]で[[日蓮正宗住職交通事故死事件]]発生。 * [[1995年]] - [[第三次台湾海峡危機]]: [[中華人民共和国]]の[[人民解放軍]]が[[台湾]]北方の海上へ向けてミサイル発射実験を開始。<!-- enより --> * 1995年 - [[オウム真理教]]を取り上げた番組で[[サブリミナル効果|サブリミナル的手法]]を用いていた[[TBSテレビ|TBS]]に対し、[[郵政省]]が厳重注意を行う。 *[[1996年]] - [[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]の[[1996年アトランタオリンピックのサッカー競技・男子|男子サッカー]]グループリーグD組第1戦において、[[U-23サッカー日本代表|U-23日本代表]]が[[U-23サッカーブラジル代表|U-23ブラジル代表]]を撃破(現地時間)。([[マイアミの奇跡]]) <!-- 特筆性低い * 1995年 - 3Dゲーム機[[バーチャルボーイ]]発売。 --> * [[ファイル:Twilight Express EF81 43 20090831.jpg|サムネイル|寝台特急「トワイライトエクスプレス」運転開始(1989)]][[1997年]] - 就役200周年目の[[アメリカ海軍]]の帆船[[コンスティチューション (帆走フリゲート)|コンスティチューション]]が、44カ月の分解修理を終えて116年ぶりに航海に出る。 <!-- 特筆性低い * [[1997年]] - 週刊少年ジャンプ34号にて「ONE PIECE」が連載開始。 --> * [[2001年]] - [[明石花火大会歩道橋事故]]が発生。 <!-- 改正法の施行はこの年の1月1日。この日は改正後の初めての海の日 * [[2003年]] - [[国民の祝日に関する法律|祝日法]]の改正により[[海の日]]が、7月の第3月曜日に制定。 --> <!-- 6月21日 * [[2004年]] - [[スケールド・コンポジッツ]]の有人[[宇宙船]]『[[スペースシップワン]]』が[[民間企業]]開発の宇宙船としてはじめて高度10万メートルの上空で[[有人宇宙飛行]]を行う。 --> * [[2005年]] - [[6月28日]]に気象衛星[[MTSAT|ひまわり6号]]が運用を開始したのを受けて、耐用年数を大幅に超えて運用されていた[[ひまわり (気象衛星)|ひまわり5号]]が運用を終了。 * 2005年 - [[ロンドン地下鉄]]で[[7月7日]]に続き[[ロンドン同時爆破事件#再発|同時爆破事件]]。 * 2005年 - 中国が[[人民元改革]]を実施。[[人民元]]に管理[[変動相場制]]および[[通貨バスケット制]]が導入される。[[File:STS-135 landing cropped.jpg|thumb|210px|[[スペースシャトル]]の最後の任務を終了(2011)]] * [[2008年]] - [[セルビア]]大統領・[[ボリス・タディッチ]]が、[[旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷]]により指名手配されていた元[[スルプスカ共和国]][[スルプスカ共和国の大統領|大統領]]・[[ラドヴァン・カラジッチ]]を拘束したと発表。 * 2008年 - 中国[[雲南省]][[昆明市]]で、[[昆明バス爆破事件|連続バス爆破テロ]]発生。 * [[2009年]] - [[第45回衆議院議員総選挙#解散へ|衆議院解散]]。 <!-- 特筆性? * [[2009年]] - 大雨の影響で[[山口県]]・[[防府市]]で土石流が発生。 --> * [[2011年]] - [[STS-135]]のミッションを終えた[[スペースシャトル]]・[[スペースシャトル・アトランティス|アトランティス]]が帰還し、スペースシャトル最後のミッションを完了。30年の歴史に幕を下ろす。 * [[2017年]] - 横綱[[白鵬翔]]が名古屋場所(7月場所)13日目の取組で、通算勝ち星を1048勝とし、魁皇の記録を抜いて歴代単独トップとなる<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170721/k10011068251000.html 大相撲 白鵬が通算1048勝 歴代単独1位に] NHK 2017年7月21日</ref>。 * 2023年 - JR東海東海道新幹線の車内チャイムが「AMBITIOUS JAPAN!」から「会いに行こう」に変更された == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> {{multiple image | footer = [[ルネサンス教皇]]の典型、ローマ教皇[[シクストゥス4世 (ローマ教皇)|シクストゥス4世]](1414-1484)誕生。右画像は教皇が普請させた[[システィーナ礼拝堂]]の天井画 | image1 = Pope_Sixtus_IV_%28head%29.jpg | width1 = 100 | alt1 = シクストゥス4世 | image2 = Lightmatter_Sistine_Chapel_ceiling.jpg | width2 = 200 | alt2 = システィーナ礼拝堂の天井画 }} {{multiple image | footer = 作家[[アーネスト・ヘミングウェイ]](1899-1961)誕生。 {{Squote|偉大な芸術家は、それまでなされもしくは知られたものを超え、自分自身の何かを作り出す――『午後の死』(1932)}} {{Squote|人間は打ち負かされるようなものではない。殺されてしまうことはあっても、打ち負かされることはない。<!-- Man is not made for defeat. A man can be destroyed but not defeated. -->――『[[老人と海]]』(1952)}} | image1 = ErnestHemingwayBabyPicture.gif | width1 = 120 | alt1 = 赤ちゃんだったヘミングウェイ | image2 = EH2723PMilan1918.jpg | width2 = 120 | alt2 = 1918年のアーネスト・ヘミングウェイ }} <!-- WANTED: 天沢退二郎 --> <!-- [[Image:Yusuf_Islam_%28Cat_Stevens%29.jpg|thumb|100px|シンガーソングライター、[[キャット・スティーヴンス]](1948-)]] --> * [[1414年]] - [[シクストゥス4世 (ローマ教皇)|シクストゥス4世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1484年]]) * [[1587年]]([[天正]]15年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[酒井忠勝 (小浜藩主)|酒井忠勝]]、若狭国[[小浜藩]]初代藩主(+ [[1662年]]) * [[1618年]]([[元和 (日本)|元和]]4年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]) - [[林鵞峰]]、[[儒学者]](+ [[1680年]]) * [[1620年]] - [[ジャン・ピカール]]、[[天文学者]](+ [[1682年]]) * [[1625年]]([[寛永]]2年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[前田利意]]、上野国[[七日市藩]]2代藩主(+ [[1685年]]) * [[1631年]]([[寛永]]8年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[毛利元知]]、長門国[[長府藩]]初代藩主(+ [[1683年]]) * [[1693年]] - ニューカッスル公[[トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公)|トマス・ペラム=ホールズ]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1768年]]) * [[1700年]]([[元禄]]13年[[6月6日 (旧暦)|6月6日]]) - [[阿部正福]]、備後国[[福山藩]]2代藩主(+ [[1769年]]) * [[1734年]]([[享保]]19年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[島津久柄]]、日向国[[佐土原藩]]8代藩主(+ [[1805年]]) * [[1757年]]([[宝暦]]7年6月6日) - [[阿部正福]]、備中国[[新見藩]]4代藩主(+ [[1774年]]) * [[1777年]]([[安永 (元号)|安永]]6年6月17日) - [[関長輝]]、備中国新見藩6代藩主(+ [[1826年]]) * [[1806年]] - [[土岐村路]]、曲亭馬琴の筆記助手(+ [[1858年]]) * [[1810年]] - [[アンリ・ヴィクトル・ルニョー]]、[[化学者]]、[[物理学者]](+ [[1878年]]) * [[1816年]] - [[ポール・ジュリアス・ロイター]]、[[実業家]]、[[ロイター]]創業者(+ [[1899年]]) * [[1823年]]([[文政]]6年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[柳沢光昭]]、越後国[[黒川藩]]7代藩主(+ [[1900年]]) * [[1858年]] - [[マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ (1858-1929)|マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ]]、[[スペイン]]王妃、[[摂政]](+ [[1929年]]) * [[1866年]] - [[マット・キルロイ]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1940年]]) * [[1877年]] - [[波多野精一]]、[[宗教哲学者]]、[[哲学史家]](+ [[1950年]]) * [[1880年]] - [[ミラン・シュテファーニク]]、[[スロバキア]]の[[軍人]]、[[政治家]]、[[天文学者]](+ [[1919年]]) * [[1881年]] - [[ジョニー・エバース]]、元プロ野球選手(+ [[1947年]]) * [[1882年]] - [[ダヴィド・ブルリューク]]、[[画家]](+ [[1967年]]) * [[1885年]] - [[ジャック・フェデー]]、[[映画監督]](+ [[1948年]]) * [[1887年]] - [[膳桂之助]]、実業家、[[政治家]](+ [[1951年]]) * [[1888年]] - [[樺島勝一]]、[[挿絵画家]]、[[漫画家]](+ [[1965年]]) * [[1890年]] - [[エリック・ハインリッヒス]]、[[フィンランド]]の軍人(+ [[1965年]]) * [[1895年]] - [[栗栖赳夫]]、[[銀行家]]、[[財政家]](+ [[1966年]]) * [[1899年]] - [[アーネスト・ヘミングウェイ]]、[[小説家]](+ [[1961年]]) * [[1902年]] - [[星甲実義]]、元[[大相撲]][[力士]](+ [[1944年]]) * [[1911年]] - [[マーシャル・マクルーハン]]、[[社会学者]](+ [[1980年]]) * 1911年 - [[熊田五郎]](千佳慕)、[[グラフィックデザイナー]]、[[絵本]][[画家]](+ [[2009年]]) * [[1914年]] - [[中村又五郎 (2代目)]]、[[歌舞伎役者]](+ 2009年) * 1914年 - [[フィリップ・アリエス]]、[[歴史家]](+ [[1984年]]) * [[1915年]] - [[服部安司]]、政治家(+ [[2011年]]) * [[1919年]] - [[レン・カスパラビッチ]]、元プロ野球選手(+ [[1994年]]) * [[1920年]] - [[金田正泰]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](+ [[1992年]]) * 1920年 - [[アイザック・スターン]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2001年]]) * [[1921年]] - [[土井垣武]]、元プロ野球選手(+ [[1999年]]) * 1921年 - [[ロバート・メリフィールド]]、[[生化学者]](+ [[2006年]]) * [[1923年]] - [[上田三四二]]、[[歌人]](+ [[1989年]]) * 1923年 - [[ルドルフ・マーカス]]、[[化学者]] * [[1925年]] - [[藤沢嵐子]]、[[歌手]](+ [[2013年]]) * 1925年 - [[大沢喜好]]、元プロ野球選手 * [[1926年]] - [[ノーマン・ジュイソン]]、[[映画監督]] * [[1928年]] - [[宇沢弘文]]、[[経済学者]](+ [[2014年]]) * [[1930年]] - [[谷川和穂]]、政治家(+ [[2018年]]) * [[1931年]] - [[二見忠男]]、[[俳優]]、[[声優]](+ [[1994年]]) * [[1933年]] - [[池坊専永]]、[[華道家]] * [[1934年]] - [[江崎照雄]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]) * [[1936年]] - [[天沢退二郎]]、[[詩人]]、[[児童文学作家]](+ [[2023年]]) * 1936年 - [[田名網敬一]]、グラフィックデザイナー、[[イラストレーター]] * 1936年 - [[三笑亭可楽 (9代目)|三笑亭可楽(9代目)]]、[[落語家]] * [[1938年]] - [[川地民夫]]、俳優(+ [[2018年]]) * [[1939年]] - [[ジョン・ネグロポンテ]]、初代[[アメリカ合衆国国家情報長官]] * [[1941年]] - [[川谷拓三]]、俳優(+ [[1995年]]) * [[1943年]] - [[堀部隆一]]、俳優、声優(+ [[2018年]]) * [[1946年]] - [[中野翠]]、[[コラムニスト]] * 1946年 - [[渡辺孝博]]、元プロ野球選手 * [[1947年]] - [[日吉ミミ]]、歌手(+ [[2011年]]) * 1947年 - [[柳家小さん (6代目)]]、落語家 * [[1948年]] - [[キャット・スティーヴンス]]、[[シンガーソングライター]] * 1948年 - [[宇多田照實]]、[[音楽プロデューサー]] * 1948年 - [[三井修]]、歌人 * [[1949年]] - [[手嶋龍一]]、ジャーナリスト * 1949年 - [[中牟田俊男]]、シンガーソングライター、[[ギタリスト]]([[海援隊 (フォークグループ)|海援隊]]) * 1949年 - [[リュドミラ・スミルノワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1950年]] - [[ウバルド・フィジョール]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者 * 1950年 - [[制野秀一]]、漫画家(+ [[2005年]]) * [[1951年]] - [[ロビン・ウィリアムズ]]、俳優(+ [[2014年]]) * [[1952年]] - [[三枝規悦]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[ジャネット八田]]、元[[俳優|女優]] * 1953年 - [[シルヴィア・チャン]]、女優 * [[1954年]] - [[中島弘美]]、元プロ野球選手 * [[1955年]] - [[マルセロ・ビエルサ]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * 1955年 - [[海渡雄一]]、弁護士 * [[1956年]] - [[黒田福美]]、女優 * 1956年 - [[あさぎり夕]]、漫画家(+ [[2018年]]<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/11/02/kiji/20181102s00041000289000c.html 「なな色マジック」の漫画家・あさぎり夕さん死去 62歳 重い肺炎から回復かなわず… ] スポニチアネックス、2018年11月2日配信。</ref><ref>[http://www.asagiriyu.to/ あさぎり夕らんど ホーム]</ref>) * [[1958年]] - [[巻来功士]]、[[漫画家]] * [[1959年]] - [[佐伯一麦]]、[[小説家]] * 1959年 - [[横山信一]]、政治家 * 1959年 - [[井辺康二]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[船越英一郎]]、俳優 * 1960年 - [[水谷茂雄]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[藤田東吾]]、[[実業家]]、[[イーホームズ]]創業者 * 1961年 - [[羽賀研二]]、元[[タレント]] * 1961年 - [[安穂野香]]、歌手、セーラー服おじさん * 1961年 - [[伊藤栄次]]、声優 * [[1962年]] - [[武内享]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[チェッカーズ]]) * 1962年 - [[大迫純一]]、小説家 * 1962年 - [[土生栄二]]、[[厚生労働省|厚生労働]][[官僚]] * [[1963年]] - [[勝村政信]]、俳優 * 1963年 - [[池田聡]]、歌手 * 1963年 - [[ジャイアント・シルバ]]、[[プロレスラー]] * [[1964年]] - [[あきまん]]、[[ゲームクリエイター]]、[[キャラクターデザイナー]] * 1964年 - [[大田勇治]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[イェンス・バイスフロク]]、[[スキージャンプ]]選手 * 1964年 - [[宇野善昌]]、官僚 * [[1965年]] - [[杉本哲太]]、俳優 * 1965年 - [[海老野貴勇]]、[[アスレティックトレーナー]] * [[1967年]] - [[遠山奬志]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[永野吉成]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[加藤いづみ]]、歌手 * [[1969年]] - [[井上昌己 (歌手)|井上昌己]]、[[歌手]] * [[1970年]] - [[藤本隆宏 (俳優)|藤本隆宏]]、俳優、元[[水泳選手]] * [[1971年]] - [[シャルロット・ゲンズブール]]、女優、歌手 * 1971年 - [[ハイロ・ラモス・ジッツィ]]、[[野球選手]] * [[1972年]] - [[荒井昭吾]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[大谷晋二郎]]、プロレスラー * 1972年 - [[キャサリン・ヌデレバ]]、[[マラソン選手]] * 1972年 - [[はるな愛]]、タレント * 1972年 - [[山﨑一玄]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[古市幸子]]、元[[アナウンサー]] * 1973年 - [[ブライアン・ブキャナン]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[マンディ・ベッツェル]]、フィギュアスケート選手 * 1973年 - [[大橋晋也]]、元[[野球選手]] * [[1976年]] - [[久保山由清]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * [[1977年]] - [[関口由香里]]、元アナウンサー * 1977年 - 小野まじめ、お笑い芸人([[クールポコ。]]) * 1977年 - [[玄覺悠子]]、女優 * 1977年 - [[高橋伸顕]]、元俳優 * [[1978年]] - [[岩崎恭子]]、元水泳選手、[[スポーツキャスター]] * 1978年 - [[ジョシュ・ハートネット]]、俳優 * 1978年 - [[ジャスティン・バーサ]]、俳優 * 1978年 - [[ダミアン・マーリー]]、[[レゲエ]][[ミュージシャン]] * [[1979年]] - [[デビッド・カー (アメリカンフットボール)|デビッド・カー]]、元[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1980年]] - [[藤川球児]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[CC・サバシア]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[Miko (モデル)|miko]]、女優、モデル * 1981年 - [[由良浩明]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1981年 - [[根本裕一]]、元サッカー選手、指導者 * 1981年 - [[岡見勇信]]、[[総合格闘家]] * 1981年 - [[ホアキン・サンチェス]]、サッカー選手 * 1981年 - [[アナベル・ラングロワ]]、フィギュアスケート選手 * 1981年 - [[木下紗華]]、声優 * [[1982年]] - [[小林麻央]]、[[ニュースキャスター|キャスター]]、女優(+ [[2017年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASK4B62D0K4BUCLV01B.html|title=小林麻央さん死去 乳がんで闘病、34歳|publisher=朝日新聞デジタル|date=2017-06-23|accessdate=2020-11-14}}</ref>) * 1982年 - [[諸見里大介]]、お笑いタレント、[[コメディアン|喜劇俳優]](元[[ハム (お笑いコンビ)|ハム]]) * 1982年 - [[マイケル・マクファーソン]]、フィギュアスケート選手 * 1982年 - [[久野知美]]、フリーアナウンサー * [[1983年]] - [[小由里]]、タレント * 1983年 - [[吉村和紘]]、声優、俳優 * [[1984年]] - [[セルゲイ・ベルビーロ]]、元フィギュアスケート選手 * [[1985年]] - [[陳偉殷]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[海宝あかね]]、ミュージカル俳優 * [[1986年]] - [[荒川優 (ミュージシャン)|荒川優]]、元俳優(元BACKDRAFT SMITHS) * [[1987年]] - [[吉川綾乃]]、元[[グラビアアイドル]] * 1987年 - [[杉山菜摘]]、タレント * 1987年 - [[安藤龍]]、俳優、タレント * 1987年 - [[ディエゴ・モレノ]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[榎下陽大]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[ネラ・シマオヴァ]]、フィギュアスケート選手 * [[1989年]] - [[浅沼寿紀]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[徳山武陽]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[旭日松広太]]、元大相撲力士 * [[1990年]] - [[中田廉]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[稲生夏季]]、競艇選手 * 1990年 - [[小林美樹 (ヴァイオリニスト)|小林美樹]]、ヴァイオリニスト * 1990年 - [[岩田さゆり]]、女優、歌手 * 1990年 - [[永野彰一]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]] * 1990年 - [[ファブリス・エンサカラ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[クリッシー・ヒューズ]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[吉田裕太]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[安井謙太郎]]、タレント([[Love-tune#7ORDER project|7ORDER project]]、元[[ジャニーズJr.]]、元[[Love-tune]]) * [[1992年]] - [[レイチェル・フラット]]、フィギュアスケート選手 * 1992年 - [[メーガン・ハーディン]]、ゴルフ選手 * [[1993年]] - [[桑原将志]]、プロ野球選手 * [[1995年]] - 志村禎雄、歌手([[XOX]]) * [[1997年]] - [[オコエ瑠偉]]、プロ野球選手 * [[1998年]] - [[名取燎太]]、陸上選手 * 1998年 - [[和海]]、タレント、モデル(元[[りんご娘]] とき) * [[1999年]] - [[鍛治島彩]]、アイドル([[アップアップガールズ(2)]]) * [[2000年]] - [[アーリング・ブラウト・ハーランド]]、サッカー選手 * [[2001年]] - [[佐藤一世]]、陸上選手 * 2001年 - [[高梨優佳]]、モデル * [[2002年]] - [[紀平梨花]]、フィギュアスケート選手 * [[2003年]] - [[RUANN]]、シンガーソングライター([[MOONCHILD]]) * 2003年 - [[松村キサラ]]、女優 * 生年不明 - [[乃神亜衣子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.production-ace.co.jp/ace_talent/aikonogami/|title=公式プロフィール |publisher=[[プロダクション・エース]] |accessdate=2021-1-9}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[佐藤竜太郎]]、声優 {{-}} == 忌日 == <!-- WANTED: 藤原純友 --> {{multiple image | footer = 武将[[細川高国]](1484-1531)、[[広徳寺 (尼崎市)|広徳寺]](右画像)にて自害。{{Squote|絵にうつし石をつくりし海山を後の世までも目かれずや見む――辞世の句}} | image1 = Hosokawa_Takakuni.jpg | width1 = 60 | alt1 = 細川高国 | image2 = %E5%BB%A3%E5%BE%B3%E5%AF%BA1.jpg | width2 = 100 | alt2 = 広徳寺 }} {{multiple image | footer = 詩人、[[ロバート・バーンズ]](1759-1796)没。『[[蛍の光]]』などの[[スコットランド]]民謡収集でも知られた。 {{Squote|人の人に対する非人間性が無数の人を嘆かせる。人は嘆くよう創られた。――『人は嘆くよう創られた』(1786)}} | image1 = Burns_2.jpg | width1 = 100 | alt1 = ロバート・バーンズ像 | image2 = Robert_Burns_Mausoleum%2C_Dumfries.jpg | width2 = 80 | alt2 = 墓所 }} <!-- ベックは20日? 念のためCO {{multiple image | footer = [[ヒトラー暗殺計画|ヒトラー暗殺未遂事件]]の関与者ら、[[フリードリヒ・フロム]]による即決の軍法会議で銃殺(1944) | image1 = Bundesarchiv_Bild_183-C0716-0046-003%2C_Claus_Schenk_Graf_v._Stauffenberg.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]](1907-1944) | image2 = Bundesarchiv_Bild_146-1980-033-04%2C_Ludwig_Beck.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[ルートヴィヒ・ベック]](1880-1944)。自殺を許された }} --> <!-- [[Image:Albert_Lutuli_%28458603639%29.jpg|thumb|100px|[[南アフリカ共和国]]の黒人解放運動指導者、[[アルバート・ルツーリ]](1898-1967)事故死]] --> === 人物 === * [[1403年]] - [[ヘンリー・パーシー (ホットスパー)|ヘンリー・パーシー]]、[[騎士]](* [[1364年]]?) * [[1425年]] - [[マヌエル2世パレオロゴス]]、[[東ローマ帝国]]皇帝(* [[1350年]]) * [[1531年]]([[享禄]]4年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[細川高国]]、[[守護大名]](* [[1484年]]) * [[1793年]] - [[アントワーヌ・ブリュニー・ダントルカストー]]、[[探検家]](* [[1737年]]) * [[1796年]] - [[ロバート・バーンズ]]、[[詩人]](* [[1759年]]) * [[1899年]] - [[ロバート・グリーン・インガーソル]]、演説者、[[無神論|無神論者]](* [[1833年]]) * [[1938年]] - [[久川藤太郎]]、稲荷藤節の創作者 (* [[1858年]]) * [[1943年]] - [[チャールズ・パドック]]、[[陸上競技]]選手(* [[1900年]]) * [[1944年]] - [[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]]、[[ヒトラー暗殺計画]]の実行者の1人(* [[1907年]]) * 1944年 - [[ルートヴィヒ・ベック]]、ヒトラー暗殺計画の中心人物(* [[1880年]])<!-- en,DE,fr,ru:7/20 ja,it:7/21 深夜だったため? --> * [[1945年]] - [[加藤忠仁]]、[[野球選手]](* [[1918年]]) * [[1948年]] - [[アーシル・ゴーキー]]、[[画家]](* [[1904年]]) * [[1960年]] - [[古茂田守介]]、[[洋画家]](* [[1918年]]) * [[1967年]] - [[ジミー・フォックス]]、元プロ野球選手(* [[1907年]]) * 1967年 - [[アルバート・ルツーリ]]、[[政治家]]、[[ノーベル平和賞]]受賞者(* [[1898年]]?) * 1967年 - [[ベイジル・ラスボーン]]、[[俳優]](* [[1892年]]) * [[1970年]] - [[ミハイル・ゲラシモフ]]、[[人類学者]](* [[1907年]]) * [[1972年]] - [[ラルフ・クレイグ]]、陸上競技選手(* [[1889年]]) * [[1976年]] - [[アール・コームス]]、元プロ野球選手(* [[1899年]]) * [[1978年]] - [[ゼンジー中村]]、[[マジシャン (奇術)|手品師]](* [[1929年]]) * [[1998年]] - [[アラン・シェパード]]、アメリカ初の[[宇宙飛行士]](* [[1923年]]) * [[1999年]] - [[江藤淳]]、[[文芸評論家]](* [[1932年]]) * [[2001年]] - [[シヴァージ・ガネーサン]]、[[俳優]](* [[1928年]]) * [[2004年]] - [[ジェリー・ゴールドスミス]]、[[映画音楽]][[作曲家]](* [[1929年]]) * 2004年 - [[エドワード・ルイス]]、[[遺伝学者]]、[[ノーベル生理学・医学賞]]受賞者(* [[1918年]]) * [[2005年]] - [[大道寺小三郎]]、[[みちのく銀行]]会長(* [[1925年]]) * [[2006年]] - [[マコ岩松]]、俳優(* [[1933年]]) * 2006年 - [[タ・モク]]、[[ポル・ポト]]派最高幹部(* [[1926年]]) * 2006年 - [[清水九兵衛]]、[[彫刻家]](* [[1922年]]) * [[2009年]] - [[若杉弘]]、[[指揮者]](* [[1935年]]) * 2009年 - [[金田伊功]]、[[アニメーター]](* [[1952年]]) * 2009年 - [[マルセル・ヤコブ]]、[[ベーシスト]]([[タリスマン (バンド)|タリスマン]])(* [[1964年]]) * [[2011年]] - [[拝藤聖雄]]、元[[プロ野球選手]](* [[1932年]]) * [[2012年]] - [[池田隆政]]、[[華族]]、[[実業家]](* [[1926年]]) * [[2016年]] - [[竹田和平]]、[[実業家]]、[[投資家]](* [[1933年]]) * [[2017年]] - [[平尾昌晃]]、[[作曲家]]、[[歌手]](* [[1937年]]) * [[2018年]] - [[松本龍 (政治家)|松本龍]]、政治家、[[衆議院議員]](* [[1951年]]) * [[2020年]] - [[山本寛斎]]、ファッションデザイナー(* [[1944年]]) * 2020年 - [[弘田三枝子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN7W56M7N7WUCLV00B.html|title=歌手の弘田三枝子さん死去 ヴァケーションなどがヒット|publisher=朝日新聞デジタル|date=2020-07-27|accessdate=2020-12-17}}</ref><ref>{{Cite news|url= https://www.daily.co.jp/gossip/2020/07/27/0013547695.shtml |title= 弘田三枝子さんが死去 73歳「ヴァケーション」「夢みるシャンソン人形」など |newspaper= デイリースポーツ online |publisher= 株式会社デイリースポーツ |date= 2020-07-27 |accessdate= 2020-11-13 }}</ref>、歌手(* [[1947年]]) === 人物以外(動物など) === * 2020年 - [[ビワハヤヒデ]]、[[競走馬]](* [[1990年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[ベルギー]]の独立記念日。{{audio|La Brabançonne.oga|国歌『ブラバントの歌』を聴く}} <!-- | direction = vertical --> | image1 = EU-Belgium.svg | width1 = 100 | caption1 = ベルギーの位置 | image2 = Oostende_Leopold_I_plein_901.jpg | width2 = 180 | caption2 = 初代ベルギー王[[レオポルド1世 (ベルギー王)|レオポルド1世]] }} * [[独立記念日]]({{BEL}}) *: [[1930年]]に[[オランダ]]からの独立を宣言したベルギーで、[[1831年]]のこの日に最初の王である[[レオポルド1世 (ベルギー王)|レオポルド1世]]が即位したことを記念。 * 解放記念日({{GUM}}) *: [[1944年]]のこの日、アメリカ軍が日本占領下のグアムに上陸し[[グアムの戦い (1944年)|グアムの戦い]]が始まったことを記念。 * {{仮リンク|民族融和の日|en|Racial Harmony Day}}({{SGP}}) *: [[1964年]]のこの日、[[ムハンマド]]の生誕<!-- ヒジュラ暦 -->を祝う[[マレー人]]と[[中国人]]が衝突し暴動となったことによる。 * [[海の日]]({{JPN}}、[[2003年]]以降7月の第3月曜日・2003年・[[2008年]]・[[2014年]]・[[2025年]]) * [[自然公園]]の日({{JPN}}) *: [[1957年]]のこの日、[[自然公園法]]が制定された。[[国土交通省]]と[[林野庁]]はこの日から[[7月31日]]までを「森と湖に親しむ旬間」とし、[[環境省]]はこの日から[[8月20日]]までを「自然に親しむ運動期間」としている。 * [[神前結婚]]記念日({{JPN}}) *: [[1900年]]のこの日、東京の神宮奉斎会本院(現在の[[東京大神宮]])が神前結婚式のPRを始めた。 * ナツイチの日({{JPN}}) *: [[集英社|株式会社集英社]]が制定。「ナツイチ」とは、「夏休みに一冊、中高生にも文庫を手に取ってほしい」と、毎年集英社文庫が行ってるキャンペーンで、読書習慣を普及するのが目的。日付は、「ナ(7)ツイチ(21)」の語呂合わせから<ref name="Jul21">{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=28|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * 烏骨鶏の日({{JPN}}) *: 烏骨鶏を手がける[[岐阜県]]の株式会社デリカスイト、株式会社烏骨鶏本舗、[[香川県]]の東かがわ烏骨鶏ファーム株式会社、有限会社松本ファームの4社が制定。烏骨鶏の魅力をより多くの人に知ってもらうのが目的。日付は烏骨鶏が[[1942年]]のこの日、大分、三重、広島などの主産地で天然記念物に指定されたことから<ref name="Jul21"/>。 {{multiple image | header = <center>[[日本三景]]</center> | image1 = Matsushima_otakamori08Dec07.jpg | width1 = 150 | caption1 = [[松島]] | image2 = Amanohashidate view from Kasamatsu Park01s3s4410.jpg | width2 = 150 | caption2 = [[天橋立]] | image3 = Itsukushimajinja-5.jpg | width3 = 133 | caption3 = [[厳島|宮島(厳島神社)]] }} * [[日本三景]]の日({{JPN}}) *: 日本三景観光連絡協議会が制定。江戸時代の儒学者[[林鵞峰|林鵞峰(春斎)]]が『日本国事跡考』で絶賛した[[松島]]・[[天橋立]]・[[厳島|宮島]]の[[日本三景]]をより広くPRするのが目的。日付は林鵞峰が[[1618年]](元和4年)のこの日に生まれたことから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=28|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0721|date=2011年6月}} * [[1988年]] - 「日之出食堂」で、「子供向けオムレツ鰻丼」「女性向け山葵醤油鰻丼」「一般向け山かけ鰻丼」が発売される(アニメ『[[ミスター味っ子]]』第40話「うな丼勝負! 黄金のうなぎを求めて」)。 * [[2005年]] - 21時33分、[[フロリダ州]][[オーランド]]で[[ロンドン]]発[[ダラス]]行き2882便が燃料系統の[[故障]]で[[墜落]]。生存者2名を除き[[乗員]]・[[乗客]]は全員[[死亡]]([[漫画]]『[[ストーンオーシャン|ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン]]』)。 * [[2012年]] - 15時46分頃、東京で東京湾北部を震源とする[[マグニチュード]]8.0の[[巨大地震]]が発生(アニメ『[[東京マグニチュード8.0]]』)。 * [[2027年]] - [[成歩堂龍一]]が[[弁護士]]復帰後初めての法廷に立つ(ゲーム『[[逆転裁判5]]』特別編)。 === 誕生日(フィクション) === * [[1959年]] - [[サンダー・ホーク]]、ゲーム[[ストリートファイター (ゲーム)#シリーズ一覧|『ストリートファイター』シリーズ]]に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|streetfighterja|1549771612433649664}}</ref> * [[1964年]] - [[リュウ (ストリートファイター)|リュウ]]、ゲーム『ストリートファイター』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|streetfighterja|1549771360364158983}}</ref> * [[1968年]] - 紙村英、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ |coauthors = [[小畑健]] |year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 30 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9 }}</ref> * 生年不明 - [[鵺野鳴介]]、漫画・アニメ『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |author=週刊少年ジャンプ特別編集 |authorlink=週刊少年ジャンプ |year=1997 |title=地獄先生ぬ〜べ〜大百科 |page=22 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス デラックス]] |isbn=4-08-858883-5}}</ref> * 生年不明 - [[ゴールド (ポケットモンスターSPECIAL)|ゴールド]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』の主人公のひとり<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1417615628572057601}}</ref> * 生年不明 - 鮫島灼熱、漫画『[[灼熱のニライカナイ]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |author=田村隆平 |authorlink=田村隆平 |year=2020 |title=灼熱のニライカナイ |volume=1巻 |page=130 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4-08-882510-6}}</ref> * 生年不明 - インセクター羽蛾、漫画・アニメ『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=高橋和希 |title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書 |publisher=集英社 |series=Vジャンプブックス |year=2015 |page=102 |isbn=978-4-08-779722-0}}</ref> * 生年不明 - はがねコテツ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史 |authorlink=岸本斉史 |year=2002 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |page=77 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=4-08-873288-X}}</ref> * 生年不明 - [[To LOVEる -とらぶる-の登場人物#籾岡里紗|籾岡里紗]]、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-]]』『To LOVEる -とらぶる- ダークネス』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author1=矢吹健太朗 |authorlink1=矢吹健太朗 |author2=長谷見沙貴 |authorlink2=長谷見沙貴 |year=2011 |title=To LOVEる -とらぶる-&To LOVEる -とらぶる- ダークネス公式データブック「ぱ〜ふぇくとらぶる! 」 |page=30 |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |isbn=978-4-08-874852-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=矢吹健太朗、長谷見沙貴 |year=2014 |title=To LOVEる-とらぶる-ダークネス 楽園計画ガイドブック「とらぶまにあ」 |page=108 |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |isbn=978-4-08-880260-2}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=矢吹健太朗、長谷見沙貴 |year=2015 |title=To LOVEる -とらぶる- ダークネス総選挙BOOK「とらぶるくいーんず」 |page=18 |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |isbn=978-4-08-880576-4}}</ref> * 生年不明 - 照屋文香、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1152594146751897600}}</ref> * 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#姫島朱乃|姫島朱乃]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|598435816835129344}}</ref><ref>{{Twitter status|hdd_social_marv|1020489620025294848}}</ref> * 生年不明 - 松田航輝、小説・アニメ『[[ラブオールプレー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|loveallplay2022|1501513173282689025}}</ref> * 生年不明 - 名瀬博臣、小説・アニメ『[[境界の彼方]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://tv.anime-kyokai.com/character/hiromi/ |title=名瀬博臣 |access-date=2023-01-15 |publisher=[[鳥居なごむ]]・[[京都アニメーション]]/境界の彼方製作委員会 |work=『境界の彼方』}}</ref> * 生年不明 - ゆめち、アニメ『[[アキバ冥途戦争|アキバ冥土戦争]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://akibamaidwar.com/character/detail/?character=yumechi |title=ゆめち |access-date=2023-01-15 |publisher=「アキバ冥途戦争」製作委員会 |work=『アキバ冥土戦争』}}</ref> * 生年不明 - 棗ひびき、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|755970566981427201}}</ref> * 生年不明 - ウィロー博士、ゲーム『[[Pokémon GO]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pokemongoappjp|1417650536493506560}}</ref> * 生年不明 - 香具山日冥、[[読者参加型ゲーム|読者参加企画]]『[[おひめさまナビゲーション]]』に登場するキャラクター<ref>『[[電撃G's magazine]]』2009年2月号、[[アスキーメディアワークス]]、50頁。</ref> * 生年不明 - 小桜茉莉(マリー)、小説・楽曲・アニメ等『[[カゲロウプロジェクト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|mekakushidan|1549891910130552832}}</ref> <!--* 生年不明 - [[GetBackers-奪還屋-の登場人物#筧朔羅|筧朔羅]]、漫画『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター--> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 21|21 July}} {{新暦365日|7|20|7|22|[[6月21日]]|[[8月21日]]|[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]|0721|7|21}} {{1年の月と日}}
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1707年
1707年(1707 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
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1707年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1707}} {{year-definition|1707}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁亥]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[宝永]]4年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2367年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]46年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]33年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4040年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[永盛 (黎朝)|永盛]]3年 * [[仏滅紀元]] : 2249年 - 2250年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1118年 - 1119年 * [[ユダヤ暦]] : 5467年 - 5468年 * [[ユリウス暦]] : 1706年12月21日 - 1707年12月20日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1707}} == できごと == * [[イングランド|イングランド王国]]と[[スコットランド|スコットランド王国]]が[[合同法 (1707年)|合同法]]の批准で合併し、[[グレートブリテン王国]]となる。 * [[1月1日]] - [[ジョアン5世]]がポルトガル王に即位。 * [[10月28日]]([[宝永]]4年[[10月4日 (旧暦)|10月4日]]) - [[宝永地震]]。マグニチュード⒏6-⒐3[[東海地方|東海]]から[[九州]]にかけて巨大[[地震]]と大[[津波]]が発生。 * [[12月16日]](宝永4年[[11月23日 (旧暦)|11月23日]])、[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]が噴火([[宝永大噴火]])。降砂は12月31日(宝永4年12月8日)朝まで16日間続いた<ref>知野泰明「近世の災害2」/ 北原糸子編著『日本災害史』吉川弘文館 2006年 190ページ</ref>。[[火山爆発指数]]:VEI5 == 誕生 == {{see also|Category:1707年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月25日]] - [[カルロ・ゴルドーニ]]、[[劇作家]]・[[リブレット (音楽)|リブレット]]作家(+ [[1793年]]) * [[4月10日]] - [[ジョン・プリングル]]、[[医師]]、[[王立協会]]会長(+ [[1782年]]) * [[4月15日]] - [[レオンハルト・オイラー]]、[[数学者]]、[[物理学者]]、[[天文学者]](+ [[1783年]]) * [[4月22日]] - [[ヘンリー・フィールディング]]、[[劇作家]]、[[小説家]](+ [[1754年]]) * [[5月23日]] - [[カール・フォン・リンネ]]、[[博物学者]](+ [[1778年]]) * [[8月25日]] - [[ルイス1世 (スペイン王)|ルイス1世]]、[[スペイン]]王(+ [[1724年]]) * [[9月7日]] - [[ビュフォン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Georges-Louis-Leclerc-comte-de-Buffon Georges-Louis Leclerc, count de Buffon French naturalist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、博物学者・数学者・[[植物学者]](+ [[1788年]]) * [[9月19日]]([[宝永]]4年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - [[牧野貞通]]、[[京都所司代]](+ [[1749年]]) * [[12月18日]] - [[チャールズ・ウェスレー]]、[[メソジスト]]指導者、[[賛美歌]]執筆者(+ [[1788年]]) == 死去 == {{see also|Category:1707年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月2日]] - [[尚純]]、[[琉球王国]][[王子]](* [[1660年]]) * [[3月3日]] - [[アウラングゼーブ]]、[[ムガル帝国]]第6代[[皇帝]](* [[1618年]]) * [[3月8日]](宝永4年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]) - [[津田永忠]]、[[岡山藩]]士(* [[1640年]]) * [[3月30日]] - [[セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン]]、[[軍人]]、[[軍事]][[技術者]](* [[1633年]]) * [[4月2日]](宝永4年[[2月30日 (旧暦)|2月30日]]) - [[宝井其角]]、[[俳諧師]](* [[1661年]]) * [[4月20日]] - [[ヨハン・クリストフ・デンナー]]、[[木管楽器]]製作者(* [[1655年]]) * [[5月9日]] - [[ディートリヒ・ブクステフーデ]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]](* [[1637年]]頃) * [[7月16日]] - [[ジェレマイア・クラーク]]、作曲家、オルガニスト(* [[1674年]]) * [[10月10日]] - [[ヨハン・パトクル]]、[[政治家]](* [[1660年]]) * [[10月22日]]または[[10月23日|23日]] - {{仮リンク|クラウズリー・ショヴェル|en|Cloudesley Shovell}}、軍人(* [[1650年]]) * [[11月6日]](宝永4年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[服部嵐雪]]、[[俳人]](* [[1654年]]) * 日付不明 - [[石濤]]、画家(* [[1642年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1707}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1707ねん}} [[Category:1707年|*]]
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7月22日
7月22日(しちがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から203日目(閏年では204日目)にあたり、年末まであと162日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "7月22日(しちがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から203日目(閏年では204日目)にあたり、年末まであと162日ある。", "title": null } ]
7月22日(しちがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から203日目(閏年では204日目)にあたり、年末まであと162日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月22日'''(しちがつにじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から203日目([[閏年]]では204日目)にあたり、年末まであと162日ある。 == できごと == {{multiple image | caption1 = [[ゴドフロワ・ド・ブイヨン]]、[[聖墳墓教会]]の守護者に任命される(1099) | image1 =Godfrey_of_Bouillon,_holding_a_pollaxe._(Manta_Castle,_Cuneo,_Italy.jpg | width1 = 90 | alt1 = ゴドフロワ・ド・ブイヨン | caption2 = 第二次[[バーゼルの和約]]締結(1795)。画像は講和成立後のヨーロッパ。 | image2 = Peace_of_Basel.png | width2 = 90 | alt2 = ゴドフロワ・ド・ブイヨン }} {{multiple image | caption1 = [[加藤清正]][[名古屋城]]天守周辺を普請(1610) | image1 = Nagoya_Castle_1979.1.48P01B.jpg | width1 = 90 | alt1 = 名古屋城 | caption2 = [[フィニステレ岬の海戦]](1805) | image2 = Battle of Cape Finisterre.jpg | width2 = 90 | alt2 = フィニステレ岬の海戦 }} {{multiple image | caption1 = 英葡連合軍と仏による[[半島戦争]]、[[サラマンカの戦い]](1812) | image1 = Battle of Salamanca.jpg | width1 = 90 | alt1 = サラマンカの戦い | caption2 = [[南北戦争]]、[[アトランタの戦い]](1864) | image2 = Battle_of_Atlanta.png | width2 = 90 | alt2 = アトランタの戦い }} {{multiple image | caption1 = [[第2次近衛内閣]]成立(1940) | image1 = Second Cabinet of Fumimaro Konoe.jpg | width1 = 80 | alt1 = 第2次近衛内閣 | image2 = Kuniaki Koiso Cabinet 19440722.png | caption2 = [[小磯内閣]]成立(1944) | width2 = 100 | alt2 = 小磯内閣 }} {{multiple image | caption1 = 44ヶ国による連合国通貨金融会議で、[[ブレトン・ウッズ協定]]が締結される。画像は会場となったマウント・ワシントン・ホテル。 | image1 = Mount Washington Hotel 2003.JPG | width1 = 90 | alt1 = マウント・ワシントン・ホテル | image2 = PKWN Manifest.jpg | width2 = 90 | alt2 = ルブリン委員会綱領 |caption2=[[ポーランド国民解放委員会]]結成(1944)。画像は同日発表されたルブリン委員会綱領。}} {{multiple image | caption1 = [[キング・デイヴィッド・ホテル爆破事件]](1946) | image1 = KD 1946.JPG | width1 = 90 | alt1 = キング・デイヴィッド・ホテル爆破事件 | caption2 = [[インドの国旗]]制定(1947) | image2 = Flag_of_India.svg | width2 = 90 | alt2 = インドの国旗 }} {{multiple image | caption1 = [[ソ連の宇宙犬]]史上初めて大気圏外へ出る(1951)。画像は宇宙犬用モジュール | image1 = Russian_space_dog_box.jpg | width1 = 90 | alt1 = 宇宙犬用モジュール | caption2 = [[マリナー1号]]打ち上げ失敗(1962) | image2 = Atlas_Agena_with_Mariner_1.jpg | width2 = 90 | alt2 = マリナー1号 }} {{multiple image | footer = [[中華人民共和国]]、[[法輪功]]を全面禁止(1999)。左画像は法輪功の練習風景、右は拷問による犠牲者の追悼 | image1 = 1_Bereshit.jpg | width1 = 90 | alt1 = 法輪功の練習 | image2 = Candel_light_vigil_for_those_who_are_tortured_and_killed_in_China.jpg | width2 = 90 | alt2 = 蝋燭を手に哀悼を捧げる人達 }} {{multiple image | footer = [[2009年7月22日の日食]]。右画像はバングラデシュで撮影された[[皆既日食]] | image1 = Solar_eclipse_animate_%282009-Jul-22%29.gif | width1 = 90 | alt1 = 地球儀上の日食アニメーション | image2 = Solar eclipse 22 July 2009 taken by Lutfar Rahman Nirjhar from Bangladesh.jpg | width2 = 90 | alt2 = バングラデシュで撮影された皆既日食 }} * [[1099年]] - [[第1回十字軍]]: 十字軍の指導者[[ゴドフロワ・ド・ブイヨン]]が「[[聖墳墓教会]]の守護者」(実質的な初代[[エルサレム王国|エルサレム王]])に任ぜられる。 * [[1298年]] - 第一次スコットランド独立戦争: [[フォルカークの戦い]]。 * [[1490年]]([[延徳]]2年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - [[足利義稙|足利義材]]が室町幕府第10代将軍に就任。 * [[1587年]] - [[ウォルター・ローリー]]によって派遣された[[ロアノーク植民地]]の第二次開拓団が[[ロアノーク島]]に上陸。 * [[1610年]]([[慶長]]15年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[加藤清正]]が[[名古屋城]][[天守]]周辺を普請する<ref>{{Cite web|和書 |url=https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/3966 |title=名古屋城と加藤清正~尾張名古屋は城でもつ |date=8 Mar 2022 |accessdate=24 Nov 2023 |publisher=[[PHP研究所]] |website=WEB歴史街道}}</ref>。 * [[1795年]] - [[フランス革命戦争]]: [[フランス]]と[[スペイン]]の間で第二次[[バーゼルの和約]]が締結され講和が成立する。 * [[1802年]] - [[ベトナム]]の阮福映([[嘉隆帝]])が[[ハノイ]]を攻略して[[西山朝]]を滅ぼし、新王朝[[阮朝]]を開く。 * [[1805年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[フィニステレ岬の海戦]]。 * [[1812年]] - [[半島戦争]]: [[サラマンカの戦い]]。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[アトランタの戦い]]。 * [[1878年]] - [[太政官布告]]第17号として[[郡区町村編制法]]などの[[地方三新法]]が制定。それまでの[[大区小区制]]に代わり郡区町村が設置される。 * [[1894年]] - [[パリ]]・[[ルーアン]]間で[[フランス]]最初の自動車競走開催。 * [[1896年]] - [[横田切れ]]: [[新潟県]]で[[信濃川]]の[[堤防]]が決壊、[[水害]]により被害面積18,000ヘクタール、床下床上浸水43,600戸の被害。 * [[1910年]] - [[大阪商船]]の[[大連]]発の鉄嶺丸が出航直後の竹島燈台附近で沈没。死者200人以上。 * [[1912年]] - [[5月5日]]から開催されていた[[1912年ストックホルムオリンピック|第5回夏季オリンピック・ストックホルム大会]]が閉幕。 * [[1916年]] - [[ムーニー事件]]。[[サンフランシスコ]]で行われたデモで官憲の謀略により爆裂弾が破裂し9人死亡。犯人として労働運動の指導者トマス・ムーニーらが逮捕される。 * [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]: シャム(現在の[[タイ王国|タイ]])が[[ドイツ帝国]]および[[オーストリア=ハンガリー帝国]]に[[宣戦布告]]。 * [[1921年]] - [[第3次リーフ戦争]]: [[アンワールの戦い]]で[[スペイン]]軍が[[リーフ共和国]]軍に敗退。 * [[1928年]] - [[鈴木茂三郎]]らが[[無産政党]]・[[無産大衆党]]を結成。 * [[1933年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の飛行家[[ウィリー・ポスト]]、世界初の単独[[世界一周飛行]]に成功。7日間19時間45分の記録が打ち立てられる。 * [[1934年]] - [[連邦捜査局|FBI]]から「社会の敵ナンバーワン」に指名されていた[[ジョン・デリンジャー]]がFBI捜査官により射殺される。 * [[1940年]] - [[米内内閣]]総辞職に伴い、[[近衛文麿]]が第38代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第2次近衛内閣]]が成立。[[基本国策要綱]]閣議決定、[[日独伊三国軍事同盟]]と[[日ソ中立条約]]の締結、[[大政翼賛会]]の結成などを行った。 * [[1943年]] - [[ハスキー作戦]]: アメリカ軍が[[イタリア]]の[[パレルモ]]に進軍した<ref>{{Cite web |url=https://www.warhistoryonline.com/world-war-ii/60-amazing-photos-operation-husky-allied-invasion-of-sicily-x.html |title=60 Amazing Photos Of Operation Husky, The Amphibious Invasion Of Sicily In WWII |date=2 Dec 2016 |accessdate=24 Nov 2023 |website=WAR HISTORY ONLINE}}</ref>。 * [[1944年]] - [[小磯國昭]]が第41代内閣総理大臣に就任し、[[小磯内閣]]が成立。 * 1944年 - 米[[ニューハンプシャー州]][[ブレトン・ウッズ]]において開かれていた連合国金融通貨会議において[[ブレトン・ウッズ協定]]が締結される。 * 1944年 - [[ポーランド亡命政府]]に対抗して、[[ソビエト連邦|ソ連]]の支援により[[ポーランド国民解放委員会]]([[ルブリン]]政府)が結成される。 * [[1946年]] - [[エルサレム]]で[[キング・デイヴィド・ホテル爆破事件]]が起こる。 * [[1947年]] - [[インドの国旗]]が制定される。 * 1947年 - Aクラスの戦犯銅像と決まった東京神田の[[広瀬中佐]]と杉野兵曹長の銅像が、撤去される。 * [[1951年]] - ソ連がロケットで2頭の野良犬を打ち上げ。2頭は史上初めて大気圏外に出た[[ソ連の宇宙犬|宇宙犬]]になる<ref>{{Cite web |url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/601672-first-dog-in-space |title=First dog in space |access-date=24 Nov 2023 |publisher=Guinness World Records Limited}}</ref>。 * [[1952年]] - [[恩賜上野動物園|上野動物園]]の職員が同行して[[サイ]]([[日本]]で初お目見え)・[[カバ]]・[[キリン]]などを乗せた[[オランダ]]船が、[[ケニア]]から[[横浜港]]に到着。 * [[1954年]] - [[キャセイ・パシフィック航空機撃墜事件]]。 * [[1962年]] - [[マリナー計画]]: アメリカで[[惑星探査機]]「[[マリナー1号]]」が打ち上げられたが打上げは失敗した。 * [[1968年]] - [[滋賀県]]・[[三重県]]の県境の[[鈴鹿山脈]]一帯からなる[[鈴鹿国定公園]]が指定される。 * 1969年 - [[スペイン]][[総統]][[フランシスコ・フランコ・バーモンデ|フランコ]]が元スペイン国王[[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]の孫[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス]]を、将来のスペイン王にする法律をコルテス(議会)に提示する<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Juan-Carlos |title=Juan Carlos|king of Spain |accessdate=24 Nov 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。 * [[1971年]] - [[熊本県]]で[[集中豪雨]]。[[小川町 (熊本県)|小川町]]内で[[砂川 (熊本県)|砂川]]が氾濫して2戸が流出。死者6人<ref>「集中豪雨、今度は九州襲う」『[[中國新聞]]』昭和46年7月22日夕刊 7面</ref>。 * [[1972年]] - [[鳥取県]][[境港市]]と[[島根県]][[松江市]]を結ぶ[[境水道大橋]](おさかな大橋)が開通。 * [[1974年]] - [[埼玉県]][[熊谷市]]と[[比企郡]][[滑川町]]に[[国営武蔵丘陵森林公園]]が開園。 * 1974年 - [[横綱審議委員会]]が[[大関]][[北の湖敏満|北の湖]]を[[横綱]]に推挙することを決め、21歳2箇月の史上最年少横綱が誕生することとなった。 * [[1986年]] - [[第3次中曽根内閣]]成立。 * [[1993年]] - 自民党分裂と総選挙敗北の責任をとり[[宮澤喜一]]首相が退陣を表明。 * 1993年 - [[金丸信]](元[[自由民主党副総裁|自民党副総裁]])の[[金丸事件|脱税事件]]の初[[公判]]が[[東京地方裁判所|東京地裁]]で開かれ、金丸元副総裁は[[無罪]]を主張<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK05027_X00C11A9000000/ |title=佐川事件で失脚 政界再編の端緒に 「政界のドン」金丸信(7)政客列伝 特別編集委員・安藤俊裕 |work=[[日本経済新聞]] |date=11 Sep 2011 |accessdate=24 Nov 2023}}</ref>。 * [[1995年]] - [[東住吉事件|東住吉冤罪事件]]: 大阪市東住吉区の住宅で火災が発生し、11歳の少女が死亡する事故が発生。少女の母親が放火殺人罪で2006年に有罪判決を受けるが、[[2016年]][[8月10日]]、再審無罪となる<ref>{{Cite web |url=https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/visualisation/falseaccusation/case11.html |title=東住吉事件 |access-date=24 Nov 2023 |publisher=日本弁護士連合会}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://bunshun.jp/articles/-/45680?page=3 |title=冤罪で20年を奪われた女性が、ミニスカートを履く理由――青木惠子さん55歳の世にも数奇な物語【再公開】 「東住吉冤罪事件」のその後 |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[文藝春秋]] |website=文春オンライン |date=24 May 2021}}</ref>。 * [[1996年]] - [[Yahoo!ニュース]]のサービスが開始<ref>{{Cite web|和書 |url=https://news.yahoo.co.jp/newshack/info/lookback2016_hensyukoki.html |title=「号外ニュースで振り返る2016年」――スタッフ編集後記 |date=31 Dec 2016 |accessdate=24 Nov 2023 |publisher=[[Yahoo! JAPAN]] |website=news HACK}}</ref>。 * [[1999年]] - [[中華人民共和国]]政府が[[法輪功]]を全面禁止。 * [[2000年]] - [[八掌渓事件]]。 * [[2003年]] - [[イラク戦争]]: [[イラク]]の[[モスル]]で[[サッダーム・フセイン]]前イラク大統領の息子、[[ウダイ・サッダーム・フセイン|ウダイ]]と[[クサイ・サッダーム・フセイン|クサイ]]が[[アメリカ軍]]との銃撃戦の末に射殺される。 * [[2006年]] - [[京浜急行電鉄]][[横浜駅]]に[[上大岡駅|上大岡]]・[[横須賀中央駅|横須賀中央]]方面専用の新ホームが完成し、上下線の乗降が分離される。 * [[2007年]] - フランス東部グルノーブル近郊の山道で、ポーランド人巡礼者ら60人を乗せたバスが川のほとりに転落し炎上、26人が死亡した<ref>{{Cite web |url=https://www.ctvnews.ca/bus-crash-in-france-kills-26-polish-pilgrims-1.249652 |title=Bus crash in France kills 26 Polish pilgrims |access-date=24 Nov 2023 |publisher=BellMedia |date=July 22, 2007 |website=CTV news}}</ref>。 * [[2008年]] - [[八王子通り魔事件]]。 * [[2009年]] - [[2009年7月22日の日食]]。日本各地、中華人民共和国、インド、太平洋の島で[[皆既日食]]を観測。 * 2009年 - [[Microsoft Windows 7]]の開発が完了。 * [[2011年]] - [[ノルウェー]]の[[オスロ]]とウトヤ島で連続[[テロリズム|テロ]]が起こり、77名が犠牲となる。([[ノルウェー連続テロ事件]]) * [[2012年]] - [[KDDI]]および[[沖縄セルラー電話]]([[au (携帯電話)|各au]])の周波数再編に伴い、日本における[[第二世代携帯電話]]の全サービスが終了。 * [[2018年]] - [[アフガニスタン]]の首都[[カーブル|カブール]]の空港で、副大統を狙った自爆テロと思われる爆発があり、11人が死亡、14人が負傷した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33265720S8A720C1000000/ |title=副大統領狙ったテロか アフガン首都空港で爆発 |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=22 Jul 2018}}</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} {{multiple image | footer = 第121代天皇、[[孝明天皇]](1831-1867)誕生。幕末期に政治への関与を強めた。右画像は[[冕冠]] | image1 = The_Emperor_Komei.jpg | width1 = 90 | alt1 = 孝明天皇 | image2 = Benkan_emperor_komei.jpg | width2 = 90 | alt2 = 冕冠 }} {{multiple image | footer = 洋画家、[[浅井忠]](1856-1907)誕生。右画像は『裁縫』 | image1 = Asai_chu.jpg | width1 = 90 | alt1 = 浅井忠 | image2 = Asai Chu - Woman Sewing - Google Art Project.jpg | width2 = 90 | alt2 = 裁縫 }} {{multiple image | footer = 画家[[エドワード・ホッパー]](1882-1967)誕生。右画像は『[[ナイトホークス (絵画)]]』(1942) | image1 = Edward Hopper, New York artist LCCN2016871478.jpg | width1 = 70 | alt1 = エドワード・ホッパー | image2 = Nighthawks by Edward Hopper 1942.jpg | width2 = 110 | alt2 = ナイトホークス }} {{multiple image | footer = 物理学者[[グスタフ・ヘルツ]](1887-1975)。[[フランク=ヘルツの実験]]で[[原子]]のとるエネルギーが離散的であることを実証 | image1 = Gustav Hertz.jpg | width1 = 70 | alt1 = グスタフ・ヘルツ | image2 = Franck-Hertz_en.svg | width2 = 110 | alt2 = エネルギーの離散性を示すグラフ }} {{multiple image | footer = 芸術家[[アレクサンダー・カルダー]](1898-1976)。動く彫刻「[[モビール]]」を発明。右画像は『Crinkly avec disc Rouge』(1973) | image1 = Alexander Calder 1947 - Photo by Carl Van Vechten.jpg | width1 = 85 | alt1 = アレクサンダー・カルダー | image2 = Alexander_Calder_Crinkly_avec_disc_Rouge_1973-1.jpg | width2 = 95 | alt2 = 『Crinkly avec disc Rouge』 }} * [[1510年]] - [[アレッサンドロ・デ・メディチ]]、[[フィレンツェ公国|フィレンツェ]]公爵(+ [[1537年]]) * [[1622年]] - [[アントニー・アシュリー=クーパー (初代シャフツベリ伯爵)|シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー]]、[[政治家]](+ [[1683年]]) * [[1705年]]([[宝永]]2年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[徳川宗勝]]、[[尾張藩]]の第8代藩主(+ [[1761年]]) * [[1784年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル]]、[[数学者]]、[[天文学者]](+ [[1846年]]) * [[1805年]]([[文化 (元号)|文化]]2年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]) - [[池田仲律]]、[[鹿奴藩]]の第8代藩主(+ [[1850年]]) * [[1808年]](文化5年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]) - [[加藤明邦]]、[[水口藩]]の第8代藩主(+ [[1856年]]) * [[1817年]](文化14年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[秋月種殷]]、[[高鍋藩]]の第10代藩主(+ [[1874年]]) * [[1827年]]([[文政]]2年6月29日) - [[永井直輝]]、[[高槻藩]]の第11代藩主(+ [[1874年]]) * [[1831年]]([[天保]]2年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[孝明天皇]]、第121代[[天皇]](+ [[1867年]]) * [[1849年]] - [[ゲザ・ジチー]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1924年]]) * [[1850年]]([[嘉永]]3年6月14日) - [[松平忠礼]]、[[上田藩]]の第7代藩主(+ [[1895年]]) * [[1855年]] - [[塚田清市]]、[[陸軍]][[軍人]](+ [[1934年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[浅井忠]]、[[画家]](+ [[1907年]]) * [[1857年]] - [[ジャック・グラスコック]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1947年]]) * [[1878年]] - [[リュシアン・フェーヴル]]、[[歴史学者]](+ [[1956年]]) * [[1882年]] - [[エドワード・ホッパー]]、画家(+ [[1967年]]) * [[1887年]] - [[グスタフ・ヘルツ]]、[[物理学者]](+ [[1975年]]) * [[1889年]] - [[青山杉作]]、[[俳優]]、[[演出家]]、[[映画監督]](+ [[1956年]]) * [[1892年]] - [[アルトゥル・ザイス=インクヴァルト]]、[[政治家]](+ [[1946年]]) * 1892年 - [[三宅周太郎]]、演劇評論家(+ [[1967年]]) * [[1893年]] - [[ジェシー・ヘインズ]]、元プロ野球選手(+ [[1978年]]) * [[1895年]] - [[ハンス・ロスバウト]]、[[指揮者]](+ [[1962年]]) * [[1898年]] - [[アレクサンダー・カルダー]]、[[彫刻家]](+ [[1976年]]) * [[1902年]] - [[フィリップ・ヘンリー・キューネン]]、[[地質学者]](+ [[1976年]]) * [[1904年]] - [[ドナルド・ヘッブ]]、[[心理学者]](+ [[1985年]]) * [[1907年]] - [[江田三郎]]、政治家(+ [[1977年]]) * [[1917年]] - [[浜口庫之助]]、[[作曲家]](+ [[1990年]]) * [[1920年]] - [[浦太郎]]、[[数学者]] * [[1927年]] - [[日下章]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]]) * [[1929年]] - [[古川麒一郎]]、天文学者(+ [[2016年]]) * [[1936年]] - [[中原ひとみ]]、女優 * 1936年 - [[中村敏行]]、元プロ野球選手(+ [[1979年]]) * [[1937年]] - [[一色俊作]]、高校野球指導者(+ [[2013年]]) * [[1938年]] - [[福田雅章]]、[[法学者]] * 1938年 - [[山本一義]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]) * [[1939年]] - [[テレンス・スタンプ]]、俳優 * [[1941年]] - [[ジョージ・クリントン (ミュージシャン)|ジョージ・クリントン]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1941年 - [[ロン・ターコット]]、騎手 * [[1942年]] - [[安西水丸]]、[[イラストレーター]]、[[漫画家]](+ [[2014年]])   * [[1943年]] - [[江本勝]]、『[[水からの伝言]]』の著者(+ [[2014年]]) * [[1946年]] - [[岡林信康]]、[[シンガーソングライター]] * 1946年 - [[村越稔]]、元プロ野球選手 * [[1947年]] - [[江本孟紀]]、元プロ野球選手、元政治家 * 1947年 - [[ドン・ヘンリー]]、ミュージシャン * [[1948年]] - [[田母神俊雄]]、軍事[[評論家]] * [[1949年]] - [[高杉俊介]]、俳優、歌手 * 1949年 - [[アラン・メンケン]]、[[映画]][[作曲家]] * [[1953年]] - [[藤原優]]、元ラグビー選手 * 1953年 - [[水谷啓昭]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[玉龍大蔵]]、元大相撲力士 * [[1955年]] - [[田窪一世]]、俳優 * [[1958年]] - [[原辰徳]]<ref>{{Cite web |url=https://sp.baseball.findfriends.jp/player/%E5%8E%9F%E8%BE%B0%E5%BE%B3/ |title=原辰徳 |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[週刊ベースボール]]}}</ref><ref>{{cite book | title=プロ野球カラー名鑑 2008 | publisher=[[ベースボール・マガジン社]] | year=2008 | pages=11 | isbn=978-4-583-61526-4}}</ref>、元プロ野球選手、監督 * 1958年 - [[イヴァ・ビトヴァ]]、[[音楽家]] * [[1959年]] - [[森公美子]]、[[オペラ]][[歌手]]、[[タレント]] * 1959年 - [[ピーター・カルザース]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1961年]] - [[松本秀夫]]、アナウンサー * [[1962年]] - [[樹林伸]]、漫画原作者、小説家、脚本家 * [[1963年]] - [[高橋ミチ]]、[[テディベア]][[アーティスト]]、アートプロデューサー、[[アートディレクター]]、ソフトスカルプター© * 1963年 - [[只隈伸也]]、元[[大東文化大学]]陸上部監督 * 1963年 - [[デニー・ゴンザレス]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[内村光良]]、お笑いタレント、映画監督([[ウッチャンナンチャン]]) * 1964年 - [[藤本修二]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[アダム・ゴドリー]]、俳優 * [[1965年]] - [[中舘英二]]、元騎手 * 1965年 - [[ショーン・マイケルズ]]、[[プロレスラー]] * 1965年 - [[渡辺典子]]、[[俳優|女優]]、歌手 * 1965年 - [[鈴木晶子]]、声優 * 1965年 - [[津村まこと]]、声優 * [[1966年]] - [[兼元謙任]]、[[実業家]] * [[1967年]] - [[水津邦治]]、[[アナウンサー]] * [[1968年]] - [[工藤孝裕]]、アクション俳優 * 1968年 - [[薬師寺保栄]]、元[[プロボクサー]]、タレント、俳優 * 1968年 - [[福田健吾]]、プロボクサー * [[1969年]] - [[藤井恒久]]、元アナウンサー * [[1970年]] - [[新妻秀規]]、政治家 * [[1971年]] - [[アダム・クーパー]]、[[バレエ]]ダンサー * 1971年 - [[紺野直幸]]、[[キャラクターデザイナー]] * 1971年 - [[松倉義明]]、元プロボクサー * 1971年 - [[カズ有沢]]、元プロボクサー * 1971年 - [[コウジ有沢]]、元プロボクサー * [[1972年]] - [[伊藤利尋]]、フジテレビアナウンサー * 1972年 - [[お〜い!久馬]]、お笑いタレント([[ザ・プラン9]])、[[脚本家]] * [[1973年]] - [[マイク・スウィーニー]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[春野恵子]]、[[浪花節|浪曲師]]、タレント * 1973年 - [[斉藤肇]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[鮫島秀旗]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[スコット・シールズ]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[藤本祐介]]、[[格闘家]] * [[1976年]] - [[KOKIA]]、歌手 * 1976年 - [[アブドーラ・小林]]、プロレスラー * [[1977年]] - [[ライアン・ボーグルソン]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[伊藤裕正]]、俳優 * [[1978年]] - [[長谷川京子]]、女優 * 1978年 - [[松宮麻衣子]]、元タレント * 1978年 - [[小郷知子]]、NHKアナウンサー * [[1979年]] - [[ヤデル・マルティ]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[フアン・ウリーベ]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[ディルク・カイト]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[スコット・ディクソン]]、レーサー * 1980年 - [[朝長孝介]]、元[[バレーボール]]選手 * 1980年 - [[水鳥寿思]]、[[体操競技]]選手 * [[1981年]] - [[季子]]、歌手、[[声優]] * 1981年 - [[澁谷良子]]、タレント * 1981年 - [[エンヘル・チャベス]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[星ひとみ]]、作家、元タレント * 1981年 - [[カーティス・ハッセイ]]、プロレスラー * [[1982年]] - [[こにわ]]、お笑いタレント * 1982年 - [[トリスタン・クロフォード]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[田代有三]]、元サッカー選手 * 1982年 - [[上野由岐子]]、[[ソフトボール]]選手 * [[1983年]] - [[中丸シオン]]、女優(+[[2022年]]) * 1983年 - [[堀内くみ子]]、アナウンサー * [[1984年]] - [[スチュワート・ダウニング]]、サッカー選手 * 1984年 - [[松本美千穂]]、女優 * 1984年 - [[芹澤みづき]]、女優、歌手 * 1984年 - [[フリスティナ・ヴァシレヴァ]]、フィギュアスケート選手 * [[1985年]] - [[イ・ドンフィ]]、俳優 * 1985年 - [[まりゑ]]、女優 * 1985年 - [[酒井良太]]、ミュージカル俳優 * [[1986年]] - [[末永遥]]、タレント * 1986年 - [[邑野みあ]]、元女優 * [[1987年]] - [[武藤好貴]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[千家典子]]、元[[皇族]]、[[高円宮]]家の次女 * 1988年 - [[吉高由里子]]、女優 * 1988年 - [[伊藤百合南]]、[[グラビアアイドル]] * 1988年 - [[保泉沙耶]]、女優 * 1988年 - [[小豆畑眞也]]、元プロ野球選手 * 1988年 - 亜生、お笑いタレント([[ミキ (お笑いコンビ)|ミキ]]) * 1988年 - [[ウィリアム・ビュイック]]、騎手 * [[1989年]] - [[須田健太]]、元野球選手、 * 1989年 - [[竹下恭平]]、俳優 * 1989年 - [[真朝ユヅキ]]、[[小説家]] * 1989年 - [[浦野博司]]、元プロ野球選手 * [[1990年]] - [[秋吉翔太]]、プロゴルファー * 1990年 - [[吉川ウィリアム]]、元サッカー選手 * 1990年 - 水川かたまり、お笑いタレント([[空気階段]]) * 1990年 - [[西田望見]]、声優 * [[1991年]] - [[稲森寿世]]、ファッションモデル、歌手 * 1991年 - [[ジェイク・バレット]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[仁藤萌乃]]、元タレント(元[[AKB48]]) * 1992年 - [[戸塚純貴]]、俳優 * 1992年 - [[セレーナ・ゴメス]]、女優、歌手 * 1992年 - [[三ツ間卓也]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[コムアイ]]、歌手(元[[水曜日のカンパネラ]]) * [[1993年]] - [[仲村美涼]]、[[琉球放送]]アナウンサー * 1993年 - [[長与梨加]]、女優 * 1993年 - [[森夏美 (岐阜県出身)|森夏美]]、[[東海テレビ放送]]アナウンサー * [[1994年]] - [[佐伯伊織]]、声優、歌手 * 1994年 - [[吉原雅斗]]、タレント、俳優([[BOYS AND MEN]]) * [[1995年]] - [[神田穣]]、俳優 * [[1996年]] - [[須藤蓮]]、俳優 * 1996年 - [[スカイラー・ギソンド]]、俳優 * [[1997年]] - [[高野洸]]、俳優(元[[Dream5]]) * [[1998年]] - [[趙嘉敏]]、アイドル([[SNH48]]) * 1998年 - [[佐久本宝]]、俳優 * 1998年 - [[マルク・ククレジャ]]、サッカー選手 * 1998年 - [[フェデリコ・バルベルデ]]、サッカー選手 * [[1999年]] - [[岸本理沙]]、アナウンサー * 1999年 - [[野沢芽生]]、元子役 * 1999年 - [[鈴木仁 (俳優)|鈴木仁]]、俳優、モデル * [[2000年]] - 武藤小麟、アイドル([[AKB48]]) * [[2002年]] - [[フェリックス (デンマーク王子)|フェリックス]]、デンマークの王族 * [[2006年]] - 杉山歩南、アイドル(元[[SKE48]]) * [[2013年]] - [[ジョージ・オブ・ウェールズ|ジョージ・オブ・ウェールズ王子]]、イギリスの王族 == 忌日 == {{multiple image | caption1 = [[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]](1403-1461)没 | image1 = Charles7levictorieux.jpg | width1 = 90 | alt1 = シャルル7世 | caption2 = 天文学者[[ジュゼッペ・ピアッツィ]](1746-1826) | image2 = Piazzi.jpg | width2 = 100 | alt2 = ジュゼッペ・ピアッツィ }} {{multiple image | footer = [[尾形乾山]](1663-1743)没。左画像は、[[清水寺]]乾山記念碑、右画像は白泥染付金彩薄文蓋物([[サントリー美術館]]) | image1 = Kiyomizu-dera National Treasure World heritage Kyoto 国宝・世界遺産 清水寺 京都122.jpg | width1 = 70 | alt1 = 清水寺乾山記念碑 | image2 = Covered box with silver grass design in underglaze blue, overglaze iron oxide, and gold, Suntory Museum of Art.jpg | width2 = 110 | alt2 = 白泥染付金彩薄文蓋物 }} {{multiple image | caption1 = [[ナポレオン2世]](1811-1832)、肺結核で没。 | image1 = 80_Napoleon_II.jpg | width1 = 90 | alt1 = ナポレオン2世 | caption2 = 科学者・実業家[[高峰譲吉]](1854-1922) | image2 = Jokichi_Takamine.jpg | width2 = 90 | alt2 = 高峰譲吉 }} {{multiple image | caption1 = 「[[ラジオ]]放送の父」、発明家[[レジナルド・フェッセンデン]](1866-1932)没。 | image1 = Fessenden.JPG | width1 = 90 | alt1 = レジナルド・フェッセンデン | caption2 = [[アメリカ]]の[[ギャング]]、[[ジョン・デリンジャー]](1903-1934)没。 | image2 = John_Dillinger_mug_shot.jpg | width2 = 90 | alt2 = ジョン・デリンジャー }} {{multiple image | caption1 = 作家[[マヌエル・プイグ]](1932-1990) | image1 = Manuel_Puig.JPG | width1 = 90 | alt1 = マヌエル・プイグ | caption2 = [[サッダーム・フセイン]]の息子[[ウダイ・サッダーム・フセイン|ウダイ]](左; 1964-2003)と[[クサイ・サッダーム・フセイン|クサイ]](1966-2003)没 | image2 = Airborne and Special Forces Uday-Qusay raid, 2003.jpg | width2 = 90 | alt2 = アメリカ陸軍 }} * [[708年]]([[和銅]]元年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[伊福吉部徳足比売]]、[[采女]] * [[1461年]] - [[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]、[[フランス王国|フランス]]国王(* [[1403年]]) * [[1645年]] - [[ガスパール・デ・グスマン]]、第3代[[オリバーレス伯爵]]、[[スペイン]]首席大臣(* [[1587年]]) * [[1676年]] - [[クレメンス10世 (ローマ教皇)|クレメンス10世]]、第239代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1590年]]) * [[1683年]]([[延宝]]7年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[徳川徳松]]、[[徳川綱吉]]の長男(* [[1679年]]) * [[1732年]]([[享保]]17年[[6月1日 (旧暦)|6月1日]]) - [[林鳳岡]]、[[儒学者]](* [[1645年]]) * [[1743年]]([[寛保]]3年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[尾形乾山]]、[[絵師]]、[[陶芸家]](* [[1663年]]) * [[1802年]] - [[マリー・フランソワ・クサヴィエ・ビシャ]]、[[解剖学者]]、[[生理学者]](* [[1771年]]) * [[1826年]] - [[ジュゼッペ・ピアッツィ]]、[[天文学者]](* [[1746年]]) * [[1832年]] - [[ナポレオン2世]]、[[ローマ王]]、ライヒシュタット公(* [[1811年]]) * [[1870年]] - [[ヨーゼフ・シュトラウス]]、[[作曲家]](* [[1827年]]) * [[1908年]] - [[ウィリアム・ランダル・クリーマー]]、[[平和運動|平和運動家]](* [[1828年]]) * [[1922年]] - [[高峰譲吉]]、[[化学者]](* [[1854年]]) * [[1926年]] - [[フリードリヒ・フォン・ヴィーザー]]、[[経済学者]](* [[1851年]]) * [[1932年]] - [[レジナルド・フェッセンデン]]、[[発明家]](* [[1866年]]) * [[1934年]] - [[ジョン・デリンジャー]]、[[ギャング]](* [[1903年]]) * [[1943年]] - [[中田武雄 (野球)|中田武雄]]、[[野球選手]](* [[1915年]]) * [[1950年]] - [[笑福亭松鶴 (5代目)]]、[[落語家]](* [[1884年]]) * [[1958年]] - [[ミハイル・ゾーシチェンコ]]、[[小説家]](* [[1895年]]) * [[1967年]] - [[カール・サンドバーグ]]、詩人(* [[1878年]]) * [[1979年]] - 細井[[日達]]、僧侶、[[大石寺]]第66代法主(* [[1902年]]) * 1979年 - [[シャーンドル・コチシュ]]、[[サッカー選手]](* [[1929年]]) * [[1980年]] - [[フレッド・カップス]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](* [[1926年]]) * [[1982年]] - [[ソニー・スティット]]、[[ミュージシャン]](* [[1924年]]) * [[1990年]] - [[マヌエル・プイグ]]、作家(* [[1932年]]) * [[1995年]] - [[小林孝三郎]]、[[実業家]]、[[コーセー]]創業者(* [[1897年]]) * [[1996年]] - [[ロブ・コリンズ]]、ミュージシャン([[ザ・シャーラタンズ]])(* [[1963年]]) * [[1998年]] - [[ヘルマン・プライ]]、[[バリトン]][[歌手]](* [[1929年]]) * [[2000年]] - [[クロード・ソーテ]]、[[映画監督]](* [[1924年]]) * 2000年 - [[真木洋子]]、[[俳優|女優]](* [[1948年]]) * [[2002年]] - [[草柳大蔵]]、[[評論家]]・[[ノンフィクション作家]](* [[1924年]]) * [[2003年]] - [[ウダイ・サッダーム・フセイン]]、イラク大統領の長男(* [[1964年]]) * 2003年 - [[クサイ・サッダーム・フセイン]]、イラク大統領の次男(* [[1966年]]) * [[2004年]] - [[星セント]]、[[漫才師]](* 1948年) * [[2005年]] - [[杉浦日向子]]、[[漫画家]](* [[1958年]]) * [[2007年]] - [[ウルリッヒ・ミューエ]]、俳優(* [[1953年]]) * [[2009年]] - [[アベフトシ]]、ギタリスト(* [[1966年]]) * 2009年 - [[高久進]]、[[脚本家]](*[[1933年]]) * [[2013年]] - [[デニス・ファリーナ]]、俳優(* [[1944年]]) * 2013年 - [[アリ・マオ・マーラン]]、世界最後の自然感染による[[天然痘]]患者(* [[1954年]]) * [[2015年]] - [[佐々木襄]]、[[声楽家]]、歌手(元[[ロイヤルナイツ (ボーカルグループ)|ロイヤルナイツ]])(* [[1937年]]) * [[2016年]] - [[大倉修吾]]、ラジオパーソナリティ(* [[1941年]]) * [[2017年]] - [[根岸重治]]、[[弁護士]]、元[[東京高等検察庁]]検事長、元[[最高裁判所裁判官|最高裁判所判事]](* [[1928年]]) * [[2018年]] - [[都千代]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33451750W8A720C1CC1000/ |title=都千代さんが死去 国内最高齢 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=26 Jul 2018 |accessdate=24 Nov 2023}}</ref>、世界最高齢の[[長寿]]の女性(* [[1901年]]) * [[2019年]] - [[李鵬]]<ref>{{Cite web |url=https://jp.reuters.com/article/china-lipeng-idJPKCN1UI24I |title=中国の李鵬元首相が死去、天安門事件の強硬派 90歳 |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=24 Jul 2019}}</ref>、[[政治家]]、元[[中華人民共和国]][[国務院総理]](* [[1928年]]) * [[2022年]] - [[村上豊]]、画家(* [[1936年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == [[Image:Pi pie2.jpg|thumb|180x180px|[[円周率の日|円周率近似値の日]]]] * [[円周率の日|円周率近似値の日]] *: [[円周率]]の近似値が[[22/7]]であることから。 * 革命記念日({{GMB}}) *: [[1994年]]のこの日、[[ヤヒヤ・ジャメ]]中尉による無血軍事クーデターが発生し、長期政権となっていた[[ダウダ・ジャワラ]]大統領が退陣・亡命したことを記念。 * [[下駄]]の日({{JPN}}) *: 全国木製はきもの業組合連合会が、下駄の良さを見直してもらおうと制定。「七寸七分」など下駄の寸法を表すのに7がよく使われることと、雪道を下駄で歩くと漢字の二の字に似た跡が見えることから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=29|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * [[ナッツの日]]({{JPN}}) *: 日本ナッツ協会が制定。「ナ(7)ッ(2)ツ(2)」の語呂合わせ。 * [[著作権]]制度の日({{JPN}}) *: [[1899年]]のこの日、日本で(旧)[[著作権法]]が制定されたことを記念。 * [[ONE PIECE]]の日({{JPN}}) *: 株式会社[[集英社]]が制定。[[1997年]]の連載開始日にちなみ、連載20周年を記念し、[[2017年]]に制定<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sp.shonenjump.com/j/op-20th-anniv/article/page_16.html |title=7月22日が「ONE PIECEの日」に決定! |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]] [[週刊少年ジャンプ]] [[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] [[バンダイナムコエンターテインメント|BANDAI NAMCO Entertainment Inc.]] [[LINE (アプリケーション)|LINE]] |accessdate=24 Nov 2023 |website=ONE PIECE 20th ANNIVERSARY |date=21 Jul 2017}}</ref>。 * [[ディスコ]]の日({{JPN}}) *:[[1978年]]の7月22日に映画([[サタデー・ナイト・フィーバー]])の日本公開時がその日を記念にした日でもあり、[[DJ OSSHY]]が制定。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0722|date=Nov 2023}} * [[1997年]] - [[アレクサンドリア]]で生きたシーマンが釣り上げられる<ref>{{Cite book|和書 |author1=ジャン=ポール・ガゼー |author2=斎藤由多加(監修) |authorlink2=斎藤由多加 |translator=[[神崎京介]] |date=1999-07-01 |title=ジャン=ポール・ガゼーの日記―失われた24日間 |pages=4-5 |publisher=[[幻冬舎]] |isbn=978-4877283148}}</ref>。(ゲーム『[[シーマン]]』) * [[2011年]] - [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]に新球団「京都ウォーリアーズ」と「新潟ドルフィンズ」が誕生。これを祝し、翌年3月より16球団によるトーナメント戦が開催されることが発表される。(漫画『[[ドカベン ドリームトーナメント編]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1972年]] - ローラー・パーマー、テレビドラマ・映画『[[ツイン・ピークス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=ジェニファー・リンチ(著)、 飛田野裕子(翻訳)|date=2017-07-25|title=ツイン・ピークス ローラの日記 |publisher=[[角川文庫]]|isbn=978-4041057438}}</ref> * [[1978年]] - 鶴姫(ニンジャホワイト)、特撮『[[忍者戦隊カクレンジャー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2018-04-25|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1994 忍者戦隊カクレンジャー|series=講談社シリーズMOOK|pages=10-11|editor=[[講談社]]|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4065096147}}</ref> * [[1990年]] - 森宮蒼乃、アニメ『[[sola (久弥直樹・七尾奈留)|sola]]』に登場するキャラクター * [[2003年]] - 九条美海、漫画・アニメ『[[鉄のラインバレル]]』に登場するキャラクター * [[2020年]] - [[モモンガ]]、漫画・アニメ『[[ちいかわ なんか小さくてかわいいやつ]]』に登場するキャラクター * [[2100年代|2107年]] - 羽佐間容子、アニメ『[[蒼穹のファフナー]]』に登場するキャラクター * [[23世紀|2285年]] - 絹江・クロスロード、アニメ『[[機動戦士ガンダム00]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[アルル・ナジャ]]、ゲーム・漫画・小説『[[魔導物語]]』、『[[ぷよぷよ]]シリーズ』([[ぷよぷよフィーバー|フィーバー]]以前)の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://puyo.sega.jp/puyopuyo!/producer/003/index.html |title=全22名のキャラクター |accessdate=24 Nov 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]] |work=『ぷよぷよ!』プロデューサーコラム}}</ref> * 生年不明 - 田仲俊彦、漫画・アニメ『[[シュート!]]』の主人公 * 生年不明 - [[川平啓太]]、小説・アニメ『[[いぬかみっ!]]』の主人公 * 生年不明 - 鴇羽舞衣、ゲーム・アニメ・漫画『[[舞-HiME]]』の主人公<ref>{{Cite web |url=https://www.sunrise-inc.co.jp/my-hime/web/character/chara/mai.html |title=鴇羽 舞衣 |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] |work=『〔舞-HiME〕 風華学園』}}</ref> * 生年不明 - 桜あかり、アニメ『[[ジュエルペット てぃんくる☆]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |date=2010-06-15 |author=ジュエルペット製作委員会 (監修) |series=小学館のテレビ絵本シリーズ |title=ジュエルペット てぃんくる☆ |publisher=[[小学館 ]] |page=8 |isbn=978-4091158291}}</ref> * 生年不明 - 荘敦大、漫画・アニメ『[[あっくんとカノジョ]]』の主人公 * 生年不明 - 愛乃モモカ、特撮『[[魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!]]』の主人公 * 生年不明 - 姫野みゆき、漫画『[[ツルモク独身寮]]』のヒロイン * 生年不明 - 舘山寺萌湖、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/kanzanji_moko |title=静岡 舘山寺萌湖 |work=『温泉むすめ』 |accessdate=24 Nov 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref> * 生年不明 - シャーロット・プラリネ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Charlotte_Praline.html |title=シャーロット・プラリネ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=24 Nov 2023|publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 桃坂未月、漫画『[[Mr.FULLSWING]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 才崎美徳、漫画『[[保健室の死神]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 沢村響子、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1550134754955218944}}</ref> * 生年不明 - インゲニウム、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ポーランド 、漫画・アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=AXIS POWESヘタリア |date=2008-12-31 |publisher=[[幻冬舎]] |page=17 |author=[[日丸屋秀和]] |volume=2}}</ref> * 生年不明 - 九条月夜、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=神のみぞ知るセカイ |date=22 Jul 2009 |publisher=[[小学館]] |page=189 |author=[[若木民喜]] |volume=5 |isbn=978-4-09-121709-7}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=若木民喜|authorlink=若木民喜|editor=キャラメル・ママ |date=2013-09-18 |title = 神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック |page=56|publisher = [[小学館]] |series=少年サンデーコミックススペシャル|isbn = 978-4091244512 }}</ref> * 生年不明 - 母、漫画・アニメ『[[あたしンち]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 吉川由紀、漫画・アニメ『[[堀さんと宮村くん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|horimiya_anime|1417861932820750341}}</ref> * 生年不明 - 音砂みはり、漫画・アニメ『[[マンガ家さんとアシスタントさんと]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 簗瀬芽依、漫画・アニメ『[[あいうら]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 伊万里、小説・アニメ『[[火魅子伝]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 佐伯希星(キラ)、小説・アニメ『[[少年ハリウッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://king-cr.jp/special/shonen-hollywood-anime/character/ |title=キャラクター《少年ハリウッド》 佐伯 希星 -キラ- |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[キングレコード|King Records. Co., Ltd.]] ノエルジャパンエージェンシー |work=『少年ハリウッド』}}</ref> * 生年不明 - 早水海馬(シーマ)、小説・アニメ『[[少年ハリウッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://king-cr.jp/special/shonen-hollywood-anime/character/ |title=キャラクター 初代少年ハリウッド 早水海馬 -シーマ- |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[キングレコード|King Records. Co., Ltd.]] ノエルジャパンエージェンシー |work=『少年ハリウッド』}}</ref> * 生年不明 - 姫川ハユル、小説・アニメ『[[魔装学園H×H]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.masou-hh.com/character/ |title=CHARACTER 姫川 ハユル 2/3 |access-date=24 Nov 2023|publisher=[[久慈マサムネ]]・Hisasi/[[KADOKAWA]]/魔装学園製作委員会 |work=『魔装学園HxH』}}</ref> * 生年不明 - 加賀城雀、小説・アニメ『[[楠芽吹は勇者である]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://yuyuyu.tv/churutto/character/#/kagajosuzume |title=加賀城 雀 |publisher=Project 2H |accessdate=24 Nov 2023 |work=『楠芽吹は勇者である』}}</ref> * 生年不明 - チャウヤン、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m07.html |title=住民名簿 7月 チャウヤン |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref> * 生年不明 - 高坂輝弥、ゲーム『[[Φなる・あぷろーち|Φなる・あぷろーち2 〜1st priority〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://www.oaks-soft.co.jp/princess-soft/final2_psp/index.html |title=高坂 輝弥(こうさか かぐや) |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[プリンセスソフト|PrincessSoft.]] |work=『Φなる・あぷろーち2 ポータブル』 |archive-url=https://web.archive.org/web/20090204111333/http://oaks-soft.co.jp/princess-soft/final2_psp/character/kaguya.html |archive-date=4 Feb 2009}}</ref> * 生年不明 - 近藤杏子、ゲーム 『[[Clear -クリア-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 方丈慧、ゲーム『[[VitaminZ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.d3p.co.jp/vitamin_z/ |title=CHARACTER 方丈慧 |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[ヒューネックス|HuneX]] [[ディースリー・パブリッシャー|D3 PUBLISHER]] |work=『VitaminZ』}}</ref> * 生年不明 - 方丈那智、ゲーム『[[VitaminZ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.d3p.co.jp/vitamin_z/ |title=CHARACTER 方丈那智 |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[ヒューネックス|HuneX]] [[ディースリー・パブリッシャー|D3 PUBLISHER]] |work=『VitaminZ』}}</ref> * 生年不明 - 楠リッカ、ゲーム・アニメ『[[GOD EATER]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#佐藤心|佐藤心]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20078 |title=佐藤 心(さとう しん) |access-date=24 Nov 2023 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 水潟九美、ゲーム・アニメ『[[ガンスリンガー ストラトス|GUNSLINGER STRATOS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gunspr|1020231987787902976}}</ref> * 生年不明 - 戸塚陽、ゲーム・アニメ『[[神々の悪戯]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#黒野玄武|黒野玄武]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40023 |title=黒野 玄武(くろの げんぶ) |access-date=24 Nov 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#八宮めぐる|八宮めぐる]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://shinycolors.idolmaster.jp/idol/illuminationstars/meguru.html |title=八宮 めぐる(はちみや めぐる) |website=『アイドルマスター シャイニーカラーズ』 |accessdate=24 Nov 2023 |publisher=THE IDOLM@STER™ [[バンダイナムコエンターテインメント]]}}</ref> * 生年不明 - 天音巫呼、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heaven-burns-red.com/character/31c/tenne-miko/ |title=天音巫呼 |website=『ヘブンバーンズレッド』 |publisher=[[WFS (企業)|WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS]] [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=24 Nov 2023}}</ref> * 生年不明 - [[矢澤にこ]]、メディアミックス『[[ラブライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/member/member09.html |title=矢澤 にこ |publisher=プロジェクトラブライブ! |accessdate=24 Nov 2023|work=『ラブライブ! School idol project』}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 22|22 July}} {{新暦365日|7|21|7|23|[[6月22日]]|[[8月22日]]|[[7月22日 (旧暦)|7月22日]]|0722|7|22}} {{1年の月と日}}
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7月24日
7月24日(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から205日目(閏年では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。
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7月24日(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から205日目(閏年では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月24日'''(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から205日目([[閏年]]では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。 == できごと == {{multiple image | caption1 = スコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]](画像左)が廃位され、長男[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ]](画像右)が即位 | image1 = Mary Stuart James.jpg|thumb | width1 = 90 | alt1 = ジェームズ1世が即位 | caption2 =[[末日聖徒イエス・キリスト教会]](モルモン教)の信徒が[[ソルトレイクシティ]]に到着。(1847) | image2 = Crossing the Mississippi on the Ice by C.C.A. 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[[信濃国]]を分割して[[諏訪国]]を設置。 * [[757年]]([[天平宝字]]元年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]]) - [[橘奈良麻呂の乱]]: [[橘奈良麻呂]]らによる[[藤原仲麻呂]]打倒計画が発覚し逮捕。 * [[825年]]([[天長]]2年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[桓武天皇]]の孫・[[高棟王]]が臣籍に下り[[平姓]]を賜る。[[桓武平氏]]の始まり。 * [[930年]]([[延長 (元号)|延長]]8年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]])- [[清涼殿落雷事件]]。[[清涼殿]]に落雷して公卿2人が即死し、[[菅原道真]]の[[怨霊]]との噂が流れる。 * [[1216年]] - チェンチオ・サヴェッリが[[教皇|ローマ教皇]][[ホノリウス3世]]となる。 * [[1411年]] - {{仮リンク|ハーロウの戦い|en|Battle of Harlaw}} * [[1567年]] - [[スコットランド王国|スコットランド]]女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]が退位させられ、1歳の長男[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ]]が即位する。 * [[1587年]]([[天正]]15年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[豊臣秀吉]]が[[バテレン追放令]]を発令。 * [[1847年]] - [[ブリガム・ヤング]]率いる[[末日聖徒イエス・キリスト教会]]の信徒が[[ソルトレイクシティ]]に到着、教会の本拠を置く。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[第二次カーンズタウンの戦い]]が行われる。 * [[1866年]] - [[レコンストラクション]]: [[テネシー州]]が[[アメリカ連合国]]諸州ではじめて[[アメリカ合衆国]]に復帰した。 * [[1907年]] - [[第三次日韓協約]]が締結される。 * [[1908年]] - [[ロンドンオリンピック (1908年)|ロンドンオリンピック]]: 男子[[マラソン]]で[[ドランド・ピエトリ]]が係員の助けを借りて最初にゴールにたどり着いたが失格となり、2着の[[ジョニー・ヘイズ]]が[[金メダル]]となる。 * [[1911年]] - [[ハイラム・ビンガム3世]]が[[マチュ・ピチュ]]遺跡を発見する。 * [[1923年]] - [[希土戦争 (1919年-1922年)|希土戦争]]の講和条約[[ローザンヌ条約]]が締結される。 * [[1927年]] - [[小説家]][[芥川龍之介]]が服毒自殺する。遺著として『[[或阿呆の一生]]』などが見つかった。 * [[1929年]] - [[不戦条約]](ケロッグ=ブリアン協定)が発効。 * [[1932年]] - [[全国労農大衆党]]と[[社会民衆党]]が合同して[[社会大衆党]]結成。 * [[1938年]] - [[フリッツ・カスパレク]]、[[ハインリヒ・ハラー]]、アンデール・ヘックマイヤー、ルートヴィヒ・フェルクの4人の登山家チームが[[アイガー]]北壁の初登頂に成功する<ref>{{Cite web |url=https://www.swissinfo.ch/jpn/multimedia/-swisshistorypics_%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E5%8C%97%E5%A3%81-%E5%88%9D%E5%88%B6%E8%A6%87%E3%81%8B%E3%82%89%EF%BC%98%EF%BC%90%E5%B9%B4/44279016 |title=スイスのアイガー北壁、初制覇から80年 |access-date=18 Dec 2023 |publisher=SWI swissinfo.ch |date=25 Jul 2018}}</ref>。 * [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ハンブルク空襲]]が始まる。5万人以上の死者を出した。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]・[[日本本土空襲]]: [[呉軍港空襲]]。戦艦[[日向 (戦艦)|日向]]、空母[[龍鳳 (空母)|龍鳳]]が大破。 * 1945年 - [[京城府民館事件]]起こる。 * [[1948年]] - [[李承晩]]が初代[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]]に就任。 * [[1950年]] - [[RTV-G-4 (ロケット)|パンパー8]]の打ち上げで、[[ケープカナベラル空軍基地]]が初めてロケットの打ち上げに使われる。 * 1950年 - [[レッドパージ]]: [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が新聞社に[[日本共産党|共産党]]員やその同調者を解雇するよう勧告。 * 1950年 - 日本初の[[国定公園]]として[[琵琶湖国定公園]]を指定。 * [[1958年]] - 報道各社が[[上皇明仁|皇太子]]の結婚相手についての報道を正式発表まで自発的に規制することを決定。 * [[1959年]] - 第8代[[ミス・ユニバース]]に日本人として(アジア人としても)初めて[[児島明子]]が選ばれる。[[スリーサイズ]]は歴代の欧米美女を超える37-23-38インチ(94.0-58.4-96.5cm)。 * 1959年 - [[冷戦]]: [[モスクワ]]で{{仮リンク|アメリカ博覧会 (モスクワ)|en|American National Exhibition|label=アメリカ博覧会}}が開幕。展示場のモデルハウスにおいて[[ソビエト連邦|ソ連]]共産党第一書記の[[ニキータ・フルシチョフ]]と[[アメリカ合衆国|米]]副大統領の[[リチャード・ニクソン]]が[[資本主義]]と[[共産主義]]の利点についての討論を行う([[台所論争]])。 * [[1964年]] - [[ウッドリバー臨界事故]]: [[アメリカ]]・[[ロードアイランド州]]の[[ウラン]]回収施設で[[臨界状態|臨界]]が発生。作業員が450[[シーベルト]]以上を[[被曝]]して死亡。 * [[1965年]] - 第二次大戦後初の日本からの[[樺太|サハリン]]墓参団が出発。 * [[1967年]] - ケベック独立運動: [[モントリオール万博]]のため[[カナダ]]を訪問していた[[フランス]]大統領[[シャルル・ド・ゴール]]が、「[[自由ケベック万歳!]]」の演説を行う。 * 1967年 - [[南海本線]][[箱作駅]]構内で、貨物列車と和歌山市行き急行列車が衝突。93名重軽傷<ref>「南海電鉄衝突 93人重軽傷」『朝日新聞』昭和42年(1967年)7月24日朝刊12版、1面</ref>。 * [[1969年]] - 史上はじめて月面着陸に成功したアメリカの有人宇宙船[[アポロ11号]]が地球に帰還<ref>{{Cite web |url=https://gendai.media/articles/-/74317 |title=7月24日 アポロ11号が地球に帰還(1969年) |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[講談社]] |website=ブルーバックス |work=サイエンス365days}}</ref>。 * [[1972年]] - [[四日市ぜんそく]]訴訟で[[津地方裁判所]]が原告勝訴の判決を下す<ref>{{Cite web |url=https://www.city.yokkaichi.lg.jp/www/contents/1501823867143/simple/201708tokushuA3.pdf |title=四日市公害について |accessdate=18 Dec 2023 |publisher=四日市役所 |format=[[PDF]] |page=2(1)}}</ref>。 * [[1974年]] - [[北の湖敏満|北の湖]]が史上最年少(21歳2か月)で第55代[[横綱]]昇進。 * 1974年 - [[ウォーターゲート事件]]: [[アメリカ合衆国最高裁判所|アメリカ最高裁]]が、ニクソン大統領と首席補佐官が事件対策を話しあう様子が収められた録音テープの引渡しを大統領側に命じる判決を出す。 * 1974年 - [[ギリシャ軍事政権]]崩壊後、[[コンスタンディノス・カラマンリス]]が緊急政府の首相としてアテネに召還される<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Konstantinos-Karamanlis |title=Konstantinos Karamanlis {{!}} Greek statesman |accessdate=18 Dec 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。 * [[1977年]] - {{仮リンク|リビア・エジプト戦争|en|Libyan–Egyptian War}}が4日間で終結。 * [[1983年]] - [[パインタール事件]]。[[メジャーリーグベースボール]](MLB)の[[ニューヨーク・ヤンキース]]対[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦で、ロイヤルズの[[ジョージ・ブレット]]が最終回に逆転[[本塁打]]を放ったところでヤンキース側が本塁打は無効として抗議。裁判にまで発展し、[[8月18日]]に試合が再開される。 * [[1985年]] - [[熊本県]][[上益城郡]][[甲佐町]]で[[熊本母娘殺害事件]]が発生。加害者の男は1962年に元妻の母(義母)を殺害したとして[[尊属殺|尊属殺人罪]]で[[懲役#無期懲役|無期懲役刑]]に処されたが、その[[仮釈放]]中に元妻の親族たちへの[[逆恨み]]から犯行に及んだ。 * [[1987年]] - [[イラン・イラク戦争]]: 米軍による[[クウェート]]の[[タンカー]]護衛がはじまる([[アーネスト・ウィル作戦]])。 * [[1989年]] - 首相の[[宇野宗佑]]が、[[第15回参議院議員通常選挙|参院選]]惨敗と自身の女性問題により退陣を表明。 * 1989年 - [[北海道]][[旭岳]]にて倒木で作られた[[SOS]]の文字が発見される([[SOS遭難事件]])。 * [[2001年]] - 元[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王]][[シメオン・サクスコブルクゴツキ]](シメオン2世)が[[ブルガリア]]首相に就任する。 * 2001年 - [[スリランカ内戦]]: [[バンダラナイケ国際空港襲撃事件]]。[[タミル・イーラム解放のトラ]](LTTE)がスリランカ空軍の基地とそれに隣接する[[バンダラナイケ国際空港]]を襲撃。 * [[2002年]] - 自民党有志([[例外的に夫婦の別姓を実現させる会]])、家裁の許可を要件とする例外的[[夫婦別氏]]制度(いわゆる家裁許可制)の民法改正案を自民党法務部会に提出。 * [[2005年]] - [[ランス・アームストロング]]が[[ツール・ド・フランス]]7連覇を達成(後に[[ランス・アームストロングのドーピング問題|ドーピング]]が発覚して優勝取消)。 * [[2007年]] - [[リビアのエイズ感染事件]]: [[リビア]]政府により[[死刑]]から[[終身刑]]に減刑されブルガリア政府に引渡された[[ブルガリア]]の6人の医療従事者が帰国。ブルガリア政府はすぐに[[恩赦]]を実施。 * [[2008年]] - [[岩手県沿岸北部地震]]が発生。青森県八戸市などで最大震度6弱を観測<ref>{{Cite web |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/0810/29a/200810291630.html |title=岩手県洋野町大野の震度データについて- 本年7月の岩手県沿岸北部の地震の最大震度を6強から6弱に修正 - |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[気象庁]]地震火山部地震津波監視課 |date=29 Oct 2008}}</ref>。 * [[2010年]] - [[石川県]][[珠洲市]]が地上波アナログテレビ放送を中止し、[[地上デジタルテレビ放送|地上波デジタル放送]]に完全移行<ref>{{Cite web|和書 |date=26 Jul 2010 |url=https://japan.cnet.com/article/20417345/ |title=普及率83%「ようやくここまできた」--地デジ化“1年前の集い”で原口大臣ら |publisher=[[CNET|ASAHI INTERACTIVE, Inc.]] |accessdate=18 Dec 2023 |website=CNET Japan}}</ref>。 * 2010年 - [[フィリピン]]、[[ミンダナオ島]]で[[マグニチュード]]7クラスの[[深発地震]]が3回発生<ref>{{Cite web|和書 |date=5 Aug 2010 |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1008/05a/1007eq-world.pdf |title=世界の主な地震活動 |format=[[PDF]] |publisher=[[気象庁]] |accessdate=18 Dec 2023 |page=3}}</ref>。 * [[2011年]] - [[東日本大震災]]で大きな被害を受けた[[福島県]]、[[宮城県]]、[[岩手県]]を除く日本の44都道府県で[[NTSC|地上波のアナログテレビ放送]]とアナログBS放送が終了<ref>{{Cite web |url=https://www.nhk.or.jp/pr/marukaji/m-giju312.html |title=アナログテレビ放送の番組終了のお知らせ |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=24 Jul 2011}}</ref>。 * [[2012年]] - 日本で、この日までに[[移動体通信]]([[携帯電話]]等)用[[800MHz帯]]の再編を完了<ref>{{Cite web |url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/keyword/458315.html |title=第522回:周波数再編 とは |access-date=17 Dec 2023 |publisher=[[インプレス|Impress Corporation.]] |work=ケータイWatch |date=5 Jul 2011}}</ref>。 * [[2013年]] - [[サンティアゴ・デ・コンポステーラ列車脱線事故]]: [[スペイン]]で、[[マドリード]]から[[フェロル]]に向かっていた列車が脱線転覆し、79人が死亡<ref>{{Cite web|和書 |date=31 Jul 2013 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2958989 |title=スペイン列車脱線事故、運転士の通話中に発生 |work=[[フランス通信社|AFP]] BB News |accessdate=18 Dec 2023}}</ref>。 * [[2014年]] - [[アルジェリア航空5017便墜落事故]]が発生<ref>{{Cite web |date=24 Jul 2014 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2404I_U4A720C1CC1000/ |title=アルジェリア航空機が墜落 搭乗リストに日本人なし |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=18 Dec 2023}}</ref>。 * [[2020年]] - 体育の日が[[スポーツの日 (日本)|スポーツの日]]に改名し、この年のみこの日に移動する<ref>{{Cite web |url=https://olympics.com/ja/news/2020%E5%B9%B4%E3%81%AF%E4%BD%93%E8%82%B2%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%81%8B-%E3%82%B9%E3%83%9B-%E3%83%84%E3%81%AE%E6%97%A5-%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B-%E6%97%A5%E4%BB%98%E3%81%AF-%E5%A4%89%E6%9B%B4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AF |title=2020年は体育の日が「スポーツの日」に。 日付は?変更の理由は? |accessdate=18 Dec 2023 |publisher=国際オリンピック委員会 |date=3 Sep 2019}}</ref>。 == 誕生日 == {{multiple image | caption1 = 近衛家21代[[近衞家熈]](1667-1736)誕生。 | image1 = Konoe Iehiro.jpg | width1 = 90 | alt1 = 近衞家熈 | caption2 = [[南米]][[独立]]の父、軍人・政治家[[シモン・ボリバル]](1783-1830)誕生。 | image2 = Bolivar Arturo Michelena.jpg | width2 = 90 | alt2 = シモン・ボリバル }} {{multiple image | footer = 作家[[アレクサンドル・デュマ・ペール]](1802-1870)誕生。 | image1 = Dumas by Nadar%2C 1855.jpg | width1 = 90 | alt1 = アレクサンドル・デュマ・ペール | image2 = Alexandre Dumas 13.jpg | width2 = 90 | alt2 = 人物のブイヤベースを作る大デュマ }} {{multiple image | caption1 = 政治家[[後藤新平]](1857-1929)誕生。 | image1 = Shimpei Got%C5%8D.jpg | width1 = 90 | alt1 = 後藤新平 | caption2 = [[法学者]]、[[法政大学]]初代総理[[梅謙次郎]](1860-1910)誕生。 | image2 = Ume Kenjiro.jpg | width2 = 90 | alt2 = 梅謙次郎 }} {{multiple image | footer = [[アール・ヌーヴォー]]のグラフィックデザイナー、[[アルフォンス・ミュシャ]](1860-1939)誕生。左画像は自画像、右画像は『果物』(1897) | image1 = Alfons Mucha Selbstporträt.jpg | width1 = 95 | alt1 = アルフォンス・ミュシャ、自画像 | image2 = Alfons Mucha - Fruit.jpg | width2 = 85 | alt2 = アルフォンス・ミュシャ、果物 }} {{multiple image | footer = 作家[[谷崎潤一郎]](1886-1965)誕生。右画像は[[第一高等学校 (旧制)|一高]]時代の谷崎と[[新渡戸稲造]]。 | image1 = Junichiro Tanizaki 1913.jpg | width1 = 80 | alt1 = 一高時代の谷崎潤一郎と新渡戸稲造 | image2 = Jun%27ichir%C5%8D Tanizaki %26 Inaz%C5%8D Nitobe 1908.jpg | width2 = 100 | alt2 = 谷崎潤一郎 }} * [[1190年]] - [[耶律楚材]]、[[モンゴル帝国]]の重臣(+ [[1244年]]<ref>宋子貞:《中書令耶律公神道碑》,節選自蘇天爵編集的《元文類》卷五七</ref>) * [[1649年]]([[慶安]]2年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[阿部正武]]、[[忍藩]]主(+ [[1704年]]) * [[1667年]]([[寛文]]7年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]])- [[近衛家熙]]、[[江戸時代]]中期の[[公家]](+ [[1736年]]) * [[1759年]] - [[ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世]]、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](+ [[1824年]]) * [[1783年]] - [[シモン・ボリバル]]、政治家(+ [[1830年]]) * [[1802年]] - [[アレクサンドル・デュマ・ペール|アレクサンドル・デュマ]](父)、[[小説家]](+ [[1870年]]) * [[1803年]] - [[アドルフ・アダン]]、[[作曲家]](+ [[1856年]]) * [[1813年]] - [[アドルフ (ルクセンブルク大公)|アドルフ]]、[[ルクセンブルク大公]](+ [[1905年]]) * [[1820年]]([[文政]]3年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[浜口梧陵]]、[[実業家]]、社会事業家(+ [[1885年]]) * [[1856年]] - [[エミール・ピカール]]、[[数学者]](+ [[1941年]]) * [[1857年]]([[安政]]4年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[後藤新平]]、[[政治家]](+ [[1929年]]) * 1857年 - [[ヘンリク・ポントピダン]]、[[小説家]](+ [[1943年]]) * [[1860年]] - [[アルフォンス・ミュシャ]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[1939年]]) * 1860年([[万延]]元年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[梅謙次郎]]、[[法学者]]、[[法政大学]]初代総理(総長)(+ [[1910年]]) * [[1863年]] - [[トミー・マッカーシー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1922年]]) * [[1864年]] - [[フランク・ヴェーデキント]]、[[劇作家]](+ [[1918年]]) * 1864年 - [[ジャック・クレメンツ]]、元プロ野球選手(+ [[1941年]]) * [[1866年]]([[慶応]]2年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[金子直吉]]、実業家(+ [[1944年]]) * [[1869年]]([[明治]]2年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[東儀鉄笛]]、[[雅楽|雅楽家]]、作曲家、[[俳優]](+ [[1925年]]) * [[1873年]] - [[中島久万吉]]、実業家(+ [[1940年]]) * [[1876年]] - [[ジーン・ウェブスター]]、小説家(+ [[1916年]]) * [[1878年]] - [[ロード・ダンセイニ]]、[[作家]](+ [[1957年]]) * [[1880年]] - [[エルネスト・ブロッホ]]、作曲家(+ [[1959年]]) * [[1881年]] - [[大谷米太郎]]、実業家(+ [[1968年]]) * [[1883年]] - [[クラウス・プリングスハイム]]、[[音楽家]](+ [[1972年]]) * [[1884年]] - [[徳川好敏]]、[[軍人]]、[[パイロット (航空)|飛行家]](+ [[1963年]]) * [[1886年]] - [[谷崎潤一郎]]、[[小説家]](+ [[1965年]]) * [[1894年]] - [[マグダ・ユーリン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1990年]]) * [[1895年]] - [[ロバート・グレーヴス]]、[[詩人]]、小説家(+ [[1985年]]) * [[1897年]] - [[アメリア・イアハート]]、航空[[パイロット (航空)|パイロット]](+ [[1937年]]?) * [[1900年]] - [[ゼルダ・セイヤー|ゼルダ・フィッツジェラルド]]、[[作家]](+ [[1948年]]) * [[1901年]] - [[中村草田男]]、[[俳人]](+ [[1983年]]<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)239頁</ref>) * [[1902年]] - [[鏑木政岐]]、[[天文学者]](+ [[1987年]]) * [[1904年]] - [[平塚武二]]、[[児童文学者]](+ [[1971年]]) * [[1909年]] - [[ジョージ・セーリング]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]](+ [[1933年]]) * [[1910年]] - [[阿部九洲男]]、[[俳優]](+ [[1965年]]) * [[1914年]] - [[有村家斉]]、元プロ野球選手(+ [[1997年]]) * [[1915年]] - [[吉田猪佐喜]]、元プロ野球選手(+ [[1982年]]<ref>森岡浩 『プロ野球人名事典2003』 [[日外アソシエーツ]]、2003年、620頁。</ref>) * [[1917年]] - [[磯部俶]]、作曲家、[[指揮者]](+ [[1998年]]) * [[1918年]] - [[ルッジェーロ・リッチ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2012年]]) * [[1919年]] - [[フェルディナント・キュプラー]]、[[自転車競技]]選手(+ [[2016年]]) * [[1921年]] - [[ジュゼッペ・ディ・ステファーノ]]、[[テノール]]歌手(+ [[2008年]]) * [[1922年]] - [[石丸進一]]、プロ野球選手(+ [[1945年]]) * 1922年 - [[藤井道夫]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]]) * [[1923年]] - [[柳家小せん#4代目|柳家小せん(4代目)]]、[[落語家]](+ [[2006年]]) * [[1924年]] - [[大中恩]]、作曲家(+ [[2018年]]) * [[1927年]] - [[アレックス・カッツ]]、画家 * [[1928年]] - [[矢島信男]]、[[特撮監督]](+ [[2019年]]) * [[1929年]] - [[小黒八七郎]]、[[医師]]、内科学者(+ [[1997年]]) * [[1930年]] - [[雨森雅司]]、[[声優]]、[[俳優]](+ [[1984年]]) * 1930年 - [[ジャンニ・クレリッチ]]、テニスジャーナリスト(+ [[2022年]]) * [[1931年]] - [[エルマンノ・オルミ]]、[[映画監督]](+ [[2018年]]) * [[1932年]] - [[長沢工]]、天文学者(+ [[2019年]]) * [[1933年]] - [[白崎泰夫]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]) * [[1936年]] - [[石井一二]]、[[政治家]] * 1936年 - [[マイク・ソロムコ]]、元プロ野球選手 * [[1940年]] - [[一枝修平]]、元プロ野球選手 * [[1942年]] - [[クリス・サランドン]]、俳優 * 1942年 - [[神弘無]]、声優、俳優(+ [[1990年]]) * [[1945年]] - [[高田繁]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]] * 1945年 - [[照屋寛徳]]、政治家、弁護士(+ [[2022年]]) * [[1946年]] - [[河野裕子]]、[[歌人]](+ [[2010年]]) * [[1947年]] - [[木森敏之]]、[[作曲家]](+ [[1988年]]) * 1947年 - [[井上義久]]、政治家 * 1947年 - [[ピーター・ゼルキン]]、[[ピアニスト]](+ [[2020年]]) * [[1948年]] - [[青池保子]]、[[漫画家]] * [[1949年]] - [[吉田誠 (野球)|吉田誠]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[松島英雄]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[ガス・ヴァン・サント]]、[[映画監督]] * [[1954年]] - [[酒井ゆきえ]]、[[タレント]] * [[1955年]] - [[梅津秀行]]、声優 * [[1956年]] - [[松沼雅之]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[島貫省一]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[伊戸のりお]]、作曲家 * 1957年 - [[大原徹也]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[ミック・カーン]]、[[ベーシスト]](+ [[2011年]]) * [[1959年]] - [[原恵一]]、[[アニメーション]]監督 * [[1960年]] - [[鈴木輝一郎]]、小説家 * 1960年 - [[中丸三千繪]]、[[オペラ歌手]] * 1960年 - [[パンツェッタ貴久子]]、[[料理研究家]] * [[1961年]] - [[北爪宏幸]]、[[アニメーター]]、[[漫画家]] * 1961年 - [[今川泰宏]]、[[アニメーション]]監督 * [[1962年]] - [[久保田利伸]]、[[歌手]] * [[1963年]] - [[河合奈保子]]、歌手、[[俳優|女優]] * 1963年 - [[カール・マローン]]、[[バスケットボール]]選手 * [[1964年]] - [[吉本ばなな]]、小説家 * 1964年 - [[バリー・ボンズ]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[オリヴィエ・ピィ]]、[[劇作家]]、[[演出家]]、[[映画監督]]、[[俳優]] * 1965年 - [[ダグ・リーマン]]、映画監督 * 1965年 - [[伊藤ひろみ]]、女優 * [[1966年]] - [[植草克秀]]、歌手、[[俳優]](元[[少年隊]]) * 1966年 - [[マーティン・キーオン]]、[[サッカー選手]] * [[1967年]] - [[福原直英]]、[[アナウンサー]] * [[1968年]] - [[クリスティン・チェノウェス]]、歌手、女優 * 1968年 - [[内藤尚行]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[大村慎次]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[ジェニファー・ロペス]]、歌手、女優 * 1969年 - [[種子 (女優)|種子]]、女優 * [[1970年]] - [[梶山義彦]]、元[[野球選手]] * 1970年 - [[兵動大樹]]、お笑いタレント([[矢野・兵動]]) * [[1971年]] - [[坂本昌行]]、俳優、歌手(元[[V6 (グループ)|V6]]、[[20th Century (グループ)|20th Century]]) * 1971年 - [[中村哲治]]、政治家 * 1971年 - [[ディノ・バッジョ]]、元サッカー選手 * [[1972年]] - [[魁皇博之]]、元大相撲力士、[[年寄]]15代[[浅香山 (相撲)|浅香山]] * 1972年 - [[横尾要]]、[[プロゴルファー]] * [[1973年]] - [[中村紀洋]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[フェリックス・ペルドモ]]、元プロ野球選手 * [[1974年]] - [[You (Janne Da Arc)|you]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1974年 - [[菅野志桜里]]、政治家、弁護士 * 1974年 - [[中村壽博]]、アマチュア野球指導者 * 1974年 - [[三浦淳宏]]、元サッカー選手 * 1974年 - [[岡里明美]]、バスケットボール選手 * [[1975年]] - [[福山正和]]、プロ[[スノーボーダー]]、[[ファッションモデル]] * [[1976年]] - [[小関竜也]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[須藤理彩]]、女優 * 1976年 - [[蔣澎龍]]、卓球選手 * 1976年 - [[Poko]]、漫画家 * [[1977年]] - [[メフディ・マハダヴィキア]]、元サッカー選手、指導者 * [[1978年]] - [[相沢紗世]]、ファッションモデル * [[1979年]] - [[ホセ・バルベルデ]]、プロ野球選手 * 1979年 - [[リーカ・レトネン]]、バレーボール選手 * 1979年 - [[ライアン・スパイアー]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[ローズ・バーン]]、女優 * [[1980年]] - [[森勇介]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[北村宏司]]、[[騎手]] * 1980年 - [[ウィルフレッド・ブンゲイ]]、陸上競技選手 * 1980年 - [[四ツ車大八 (8代)]]、元大相撲力士 * [[1981年]] - [[サマー・グロー]]、女優 * 1981年 - [[佐藤零郎]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://eiga.com/person/317915/ |title=佐藤零郎 |accessdate=18 Dec 2023 |publisher=映画.com}}</ref>、映画監督 * 1981年 - [[野村宏之]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[さがゆりこ]]、タレント、元[[ミス日本]] * 1982年 - [[アンナ・パキン]]、女優 * 1982年 - [[浅倉一男]]、歌手、俳優 * 1982年 - [[デビッド・ペイン]]、陸上競技選手 * [[1983年]] - [[水川あさみ]]、女優 * 1983年 - [[相原勝幸]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[ギルダー・ロドリゲス]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[ダニエレ・デ・ロッシ]]、サッカー選手 * [[1984年]] - [[hiroko]]、ミュージシャン([[mihimaru GT]]) * 1984年 - [[片山千恵子]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * 1984年 - [[ダニエル・ヴェンデ]]、フィギュアスケート選手 * 1984年 - [[末野卓磨]]、俳優 * [[1985年]] - [[金森敬之]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[渡辺知夏子]]、ファッションモデル * 1985年 - [[デニス・レウシン]]、フィギュアスケート選手 * 1985年 - [[坂倉心悟]]、ミュージシャン([[NICO Touches the Walls]]) * 1985年 - [[栗原寿]]、ミュージシャン([[back number]]) * [[1986年]] - [[右代啓祐]]、陸上競技選手 * 1986年 - [[MAIKO (ソロシンガー)|MAIKO]]、ミュージシャン * 1986年 - [[塩澤英真]]、俳優 * 1986年 - [[アンドレイ・ルータイ]]、フィギュアスケート選手 * 1986年 - [[尹錫珉|尹錫ミン]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[スコット・バンスライク]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[村上祐基]]、野球選手 * 1987年 - かみちぃ、お笑いタレント([[ジェラードン]]) * [[1988年]] - [[伊藤翔]]、サッカー選手 * 1988年 - [[ハン・スンヨン]]、[[歌手]]([[KARA]]) * [[1989年]] - [[ハドフォルド・カテリネ]]、フィギュアスケート選手 * 1989年 - [[尾崎裕哉]]、シンガーソングライター * 1989年 - [[大家彩香]]、アナウンサー * 1989年 - 大津広次、お笑いタレント([[きつね (お笑いコンビ)|きつね]]) * [[1990年]] - [[三中元克]]、お笑いタレント * 1990年 - [[加藤瑠美]]、元モデル(元[[9nine]]) * 1990年 - [[沼田圭悟]]、サッカー選手 * 1990年 - [[デイヴィ・チェイス]]、女優 * [[1991年]] - [[佐伯千夏]]、元野球選手 * [[1992年]] - [[榎本葵]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[伊藤昌弘 (声優)|伊藤昌弘]]、声優、歌手 * [[1994年]] - [[中山拓哉]]、バスケットボール選手 * [[1995年]] - [[明生力]]、大相撲力士 * 1995年 - テオくん、[[YouTuber]]、歌手([[スカイピース]]) * 1995年 - [[中村祐紀]]、陸上選手 * [[1996年]] - [[宮本秀明]]、元プロ野球選手 * [[1997年]] - [[エムレ・モル]]、サッカー選手 * [[1998年]] - [[高橋彩華]]、ゴルファー * [[2001年]] - 夏目ハル、VRアイドル([[えのぐ]]) * [[2004年]] - [[ジョンミン (NCT)|ジョンミン]]、歌手([[NCT (音楽グループ)|NCT]]) * 生年不明 - [[稲垣好]]、声優 == 忌日 == {{multiple image | caption1 = 戦国武将[[鍋島直茂]](1538-1618)没。 | image1 = Nabeshima Naoshige by Miura Shisan (Chokokan) (detail).jpg | width1 = 95 | alt1 = 戦国武将鍋島直茂 | caption2 = 作曲家[[ベネデット・マルチェッロ]](1686-1739)没。 | image2 = Benedetto Marcello.png | width2 = 85 | alt2 = 作曲家ベネデット・マルチェッロ }} {{multiple image | footer = アメリカ合衆国第8代大統領[[マーティン・ヴァン・ビューレン]](1782-1862)没 | image1 = Martin Van Buren edit.jpg | width1 = 80 | alt1 = マーティン・ヴァン・ビューレン | image2 = Martin Van Buren Presidential %241 Coin obverse.jpg | width2 = 100 | alt2 = 1$硬貨 }} {{multiple image | footer = 画家[[アルヒープ・クインジ]](1841-1910)没。右画像は『エルブルス山』 | image1 = Vasnetsov Kuindzhi.jpg | width1 = 60 | alt1 = アルヒープ・クインジ | image2 = Archip Iwanowitsch Kuindshi 002.jpg | width2 = 120 | alt2 = エルブルス山 }} {{multiple image | image1 = James Chadwick.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[中性子]]を発見者、物理学者[[ジェームズ・チャドウィック]](1891-1974)没。 | alt1 = ジェームズ・チャドウィック | image2 = Portrait of Fritz Albert Lipmann %281899-1986%29%2C Biochemist %282551001689%29.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[補酵素A]]の発見者、生化学者[[フリッツ・アルベルト・リップマン]](1899-1986)没。 | alt2 = フリッツ・アルベルト・リップマン }} [[Image:Witold Gombrowicz by Bohdan Paczowski - detail.jpg|thumb|100px|作家[[ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ]](1904-1969)没。]] === 人物 === * [[946年]] - [[ムハンマド・ブン・トゥグジュ]]{{sfn|Bacharach|1975|p=609}}、[[イフシード朝]]の創始者(* [[882年]]) * [[1115年]] - [[マティルデ・ディ・カノッサ]]、[[トスカーナの支配者一覧|トスカーナ女伯]](* [[1046年]]頃) * [[1129年]]([[大治 (日本)|大治]]4年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[白河天皇]]、第72代[[天皇]](* [[1053年]]) * [[1568年]] - [[カルロス (アストゥリアス公)|カルロス]](ドン・カルロ)、[[アストゥリアス公]](* [[1545年]]) * [[1589年]]([[天正]]17年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[上井覚兼]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[島津氏]]家臣(* [[1545年]]) * [[1618年]]([[元和 (日本)|元和]]4年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[鍋島直茂]]、[[武将|戦国武将]](* [[1538年]]) * [[1739年]] - [[ベネデット・マルチェッロ]]、[[作曲家]](* [[1686年]]) * [[1748年]]([[延享]]5年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]) - [[牧野忠敬]]、第6代[[越後長岡藩|越後長岡藩主]](* [[1729年]]) * [[1755年]]([[宝暦]]5年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[島津重年]]、第7代[[薩摩藩|薩摩藩主]](* [[1729年]]) * [[1770年]]([[明和]]7年[[閏]][[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[藤堂高悠]]、第8代[[津藩|津藩主]](* [[1751年]]) * [[1826年]]([[文政]]9年[[6月20日 (旧暦)|6月8日]]) - [[阿部正精]]、[[江戸幕府]][[老中]]・第5代[[備後福山藩|備後福山藩主]](* [[1775年]]) * [[1838年]] - [[フレデリック・キュヴィエ]]、[[動物学|動物学者]](* [[1773年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[真田幸貫]]、江戸幕府老中・第8代[[松代藩|松代藩主]](* [[1791年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[喜多村信節]]、[[国学|国学者]](* [[1783年]]) * [[1862年]] - [[マーティン・ヴァン・ビューレン]]<ref>{{Cite web |title=Martin Van Buren {{!}} president of United States |url=https://www.britannica.com/biography/Martin-Van-Buren |access-date=18 Dec 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、第8代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1782年]]) * [[1910年]] - [[アルヒープ・クインジ]]、[[画家]](* [[1842年]]) * [[1924年]] - [[ジェームズ・セス]]、[[哲学|哲学者]](* [[1860年]]) * [[1927年]] - [[芥川龍之介]]、[[小説家]](* [[1892年]]) * [[1932年]] - [[日高壮之丞]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[大将]](* [[1848年]]) * [[1933年]] - [[マックス・フォン・シリングス]]、作曲家、[[指揮者]](* [[1868年]]) * [[1934年]] - [[ハンス・ハーン]]、[[数学者]](* [[1879年]]) * [[1936年]] - [[ゲオルク・ミヒャエリス]]、[[ドイツ国首相]](* [[1857年]]) * [[1952年]] - [[リカルト・ヨハンソン]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1882年]]) * [[1956年]] - [[谷三三五]]、[[陸上競技]]選手(* [[1894年]]) * [[1957年]] - [[サシャ・ギトリ]]、[[劇作家]]、[[映画監督]](* [[1885年]]) * [[1968年]] - [[山口保治]]、作曲家(* [[1901年]]) * [[1969年]] - [[ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ]]、小説家、劇作家(* [[1904年]]) * 1969年 - [[ケン・オバーリン]]、[[プロボクサー]](* [[1910年]]) * [[1971年]] - [[アラン・ロースソーン]]、作曲家(* [[1905年]]) * [[1974年]] - [[ジェームズ・チャドウィック]]、[[物理学者]](* [[1891年]]) * [[1979年]] - [[天津敏]]、[[俳優]](* [[1921年]]) * [[1980年]] - [[ピーター・セラーズ]]、[[コメディアン]]、[[喜劇俳優]](* [[1925年]]) * [[1985年]] - [[たこ八郎]]、[[プロボクサー]]、コメディアン(* [[1940年]]) * [[1986年]] - [[フリッツ・アルベルト・リップマン]]、[[生化学|生化学者]](* [[1899年]]) * 1986年 - [[鶴田義行]]、[[水泳選手]](* [[1903年]]) * [[1989年]] - [[宇多川勝太郎]]、大相撲力士(* [[1939年]]) * [[1991年]] - [[アイザック・バシェヴィス・シンガー]]、小説家(* [[1902年]]) * [[1992年]] - [[アルレッティ]]、女優、[[歌手]](* [[1898年]]) * [[1994年]] - [[橋本宇太郎]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1907年]]) * [[1995年]] - [[ジョージ・ロジャー]]、[[写真家]](* [[1908年]]) * [[1997年]] - [[ソウ・マウン]]、[[ミャンマー]]の指導者(* [[1928年]]) * [[2000年]] - [[オスカー・シュムスキー]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1917年]]) * [[2001年]] - [[円谷浩]]、俳優(* [[1964年]]) * [[2003年]] - [[黒田了一]]、[[大阪府知事一覧|大阪府知事]]、[[法学者]](* [[1911年]]) * 2003年 - [[岩田暁美]]、スポーツ記者(* [[1961年]]) * [[2006年]] - [[ハインリヒ・ホルライザー]]、[[指揮者]](* [[1913年]]) * 2006年 - [[堀井数男]]、元[[プロ野球選手]](* [[1923年]]) * [[2007年]] - [[アルバート・エリス]]、[[臨床心理学|臨床心理学者]](* [[1913年]]) * [[2008年]] - [[ノーマン・デロ=ジョイオ]]、作曲家(* [[1913年]]) * [[2010年]] - [[森毅]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.j-cast.com/2010/07/26071874.html?p=all |title=数学者の森毅さん死去 82歳 |publisher=[[ジェイ・キャスト|J-CAST]]ニュース |date=26 Jul 2010 |accessdate=18 Dec 2023}}</ref>、[[数学者]]、[[エッセイスト]](* [[1928年]]) * [[2015年]] - [[河野一英]]、[[会計士]]、[[大東文化大学]]名誉教授、元[[新日本有限責任監査法人]](当時センチュリー監査法人)会長(* [[1920年]]) * [[2016年]] - [[近藤富枝]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H5O_V20C16A7CZ8000/ |title=近藤富枝さんが死去 作家 |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=25 Jul 2016}}</ref>、[[ノンフィクション作家]](* [[1922年]]) * 2016年 - [[マーニ・ニクソン]]、オペラ歌手(* [[1930年]]) * [[2017年]] - [[犬養道子]]<ref>{{Cite news | title = 難民支援、行動で示す 犬養道子さん死去 | newspaper = [[朝日新聞]] | date = 2018-07-25 | author = | publisher = 朝日新聞社 | page = 朝刊 34 }}</ref>、[[評論家]](* [[1921年]]) * 2017年 - [[山川啓介]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sanspo.com/article/20170727-GLYYOHO6QNLUJNMHT2G2OC33GA/ |title=山川啓介さん死去、永ちゃんショック「盟友が亡くなったんだなあ」 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |date=27 Jul 2017 |accessdate=18 Dec 2023 |website=SANSPO.COM}}</ref>、[[作詞家]](* [[1944年]]) * [[2022年]] - [[デビッド・ワーナー (俳優)|デビッド・ワーナー]]、俳優(* [[1941年]]) * [[2023年]] - [[三浦貴]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202307250000032.html |title=元巨人、西武の三浦貴氏がんのため死去 45歳 引退後は教員免許を取得し母校浦和学院でコーチ |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=25 Jul 2023}}</ref>、元プロ野球選手(* [[1978年]]) === 人物以外(動物など) === * 2023年 - ソラ、[[東山動植物園]]の[[ライオン]](* 2012年) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[大コロンビア]]の革命家、[[シモン・ボリバル]](1783-1830)誕生。右画像は生家 | image1 = Sim%C3%B3n Bol%C3%ADvar 2.jpg | width1 = 70 | alt1 = シモン・ボリバル | image2 = Casa natal del Libertador.JPG | width2 = 110 | alt2 = 生家 }} [[Image:Osaka Tenjinmatsuri Hokonagashi 2005.jpg|thumb|180x180px|[[天神祭]]の宵宮。画像は「鉾流神事」]] * シモン・ボリバル・デー({{ECU}}、{{VEN}}) *: 南米の独立運動を指導した[[シモン・ボリバル]]の誕生日。 * {{仮リンク|パイオニア・デー|en|Pioneer Day}}({{USA}} [[ユタ州]]) *: [[ブリガム・ヤング]]に率いられた最初の[[モルモン開拓者]]が入植した日。州の公定祝日。 *国際[[セルフケア]]デー (International Self-Care Day) *: 国際セルフケア財団が2011年に制定。週7日・1日24時間から。国連の[[国際デー]]には未承認。 *[[卒業アルバム]]の日({{JPN}}) *: 「1年に1度は卒業アルバムを見て懐かしもう」という主旨で「な(7)つ(2)かしい(4)」の語呂合わせによる。卒業アルバムを制作する印刷会社[[ダイコロ]]と[[文化放送]]のラジオ番組『[[卒業アルバムに1人はいそうな人を探すラジオ|秋元真夏 卒業アルバムに1人はいそうな人を探すラジオ サンデー]](現・秋元真夏 卒アルラジオ)』が共同で[[日本記念日協会]]に申請、[[2023年]][[3月5日]]に認定された<ref>{{Cite web |title=7月24日が『卒業アルバムの日』に認定されました |url=https://www.daicolo.co.jp/topics/1507/ |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[ダイコロ|ダイコロ株式会社]] |date=6 Mar 2023}}</ref><ref>{{Cite web |title=『卒アルサンデー』7月24日が「卒業アルバムの日」に認定! |url=https://www.joqr.co.jp/ic/article/83038/ |date=6 Mar 2023 |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[文化放送]]}}</ref>。 *スポーツアロマの日({{JPN}}) *: 特定非営利活動法人日本スポーツアロマトレーナー協会が制定。スポーツアロママッサージを通して、スポーツケアの大切さを普及させるのが目的。日付は、延期になったが2020年7月24日に予定されていた「[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]」閉幕日から<ref>{{Cite book|和書 |editor=加瀬清志 |title=366日記念日事典 下 |publisher=[[創元社]] |year=2020 |page=30 |isbn=978-4422021157}}</ref> *[[セルフメディケーション]]の日({{JPN}}) *: 日本OTC医薬品協会が制定<ref>{{Cite web |url=https://www.jsmi.jp/special/724/index.html |title=7月24日はセルフメディケーションの日 |access-date=18 Dec 2023 |publisher=日本OTC医薬品協会}}</ref>。セルフメディケーションとは、自己判断可能な軽い症状を自らOTC医薬品を使って手当てすることで、その意識と行動を多くの人に促すのが目的。日付は、この取組は1日24時間、1週間では毎日7日間行うことから7月24日に。 * [[劇画]]の日({{JPN}}) *:[[1964年]]のこの日、[[青林堂]]が劇画雑誌『ガロ』を創刊した。[[白土三平]]の『カムイ伝』を始め、[[水木しげる]]、[[つげ義春]]らが登場し、大人向けの劇画ブームの拠点になった。 *河童忌({{JPN}}) *: [[芥川龍之介]]の命日。代表作の『[[河童 (小説)|河童]]』から「河童忌」と呼ばれる。 *清正公御正当大祭({{JPN}}) *:[[加藤清正]]は、永禄5年6月24日(1562年7月25日)、[[愛知県]][[名古屋市]]中村で生まれた。正悦山[[妙行寺 (名古屋市中村区中村町)|妙行寺]]は、清正公の生誕地で、清正公誕生の地碑、加藤肥後候旧里碑、加藤清正公像が立つ。加藤清正の誕生日を新暦に直したこの日、『清正公御正当大祭』が催される。また、毎月24日には清正公例祭が執り行なわれている。 *[[地蔵盆]]({{JPN}}) *: [[お盆|盆]]の期間に近い[[地蔵菩薩]]の[[縁日]]。[[7月24日 (旧暦)|旧暦7月24日]]に実施されていた行事で、現在では新暦に直した[[8月24日]]前後に行われることが多い。 * [[天神祭]]宵宮({{JPN}}) *: [[大阪市]][[大阪天満宮]]の天神祭は、京都の[[祇園祭]]、東京の[[神田祭]]とともに日本三大祭りの一つに数えられる。 期間は6月下旬吉日から7月25日の約1か月間。 [[7月25日]]の本宮の夜の前日である24日は、宵宮祭で、鉾流神事・催太鼓・獅子舞氏地巡行などが催行される。 * [[祇園祭]]山鉾巡行 後祭(あとのまつり)({{JPN}}) *:5〜8階建てのビルの高さほどもある山鉾が通りをゆく巡行で、祇園祭のハイライト。前祭(さきのまつり)は[[7月17日]]に、後祭は24日に行われる。1965年以前と2014年以降、後祭をこの日に行われている。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0724|date=Dec 2023}} === 誕生日(フィクション) === * [[未来世紀]]39年 - [[ドモン・カッシュ]]、アニメ『[[機動武闘伝Gガンダム]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |editor=[[岸川靖]] |date=1994-01-01 |title=機動武闘伝Gガンダム テクニカルマニュアル 奥義大全 |page=14 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム エクストラ}}</ref> * 未来世紀43年 - [[アレンビー・ビアズリー]]、アニメ『機動武闘伝Gガンダム』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |editor=[[岸川靖]](編週) |date=1995-01-01 |title=機動武闘伝Gガンダム テクニカルマニュアルVOL.2 最終奥義テクニカルマニュアル 奥義大全 |page=8 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム エクストラ}}</ref> * 生年不明 - 味吉陽一、漫画・アニメ『[[ミスター味っ子]]』の主人公 * 生年不明 - 鈴木ナナ、漫画・アニメ『[[七人のナナ]]』の主人公 * 生年不明 - 高木藤丸、漫画・ドラマ『[[BLOODY MONDAY]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |author=竜門諒(原案)、恵広史(作画)|date=2007-08-17 |title=BLOODY MONDAY、BLOODY MONDAY(season2-絶望の匣、BLOODY MONDAYラストシーズン)|volume=1巻 |publisher=[[講談社]]|series=週刊少年マガジンコミックス|isbn=978-4063638745}}</ref> * 生年不明 - 有川ひめ、漫画・アニメ『[[ひめゴト]]』の主人公<ref>{{Cite book |和書 |author= 佃煮のりお|authorlink=佃煮のりお |date=2014-04-19 |title = ひめゴト|series=IDコミックス わぁい!コミックス|volume = 2 |page = 137 |publisher = [[一迅社]] |isbn = 978-4758013680 }}</ref> * 生年不明 - 赤座あかり、漫画・アニメ『[[ゆるゆり]]』の主人公<ref>{{Cite book |和書 |date= 2011-11-28|editor=ポストメディア編集部 |title = TVアニメゆるゆり公式ファンブック |page=24|publisher = [[一迅社]] |isbn =978-4758012485}}</ref> * 生年不明 - 旋風こより、漫画・アニメ『[[灼熱の卓球娘]]』の主人公<ref name=":0">{{Twitter status|asano_yagura|1286318723402350593}}</ref> * 生年不明 - 登別綾瀬、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/noboribetsu_ayase |title=北海道 登別綾瀬 |work=温泉むすめ |accessdate=18 Dec 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref> * 生年不明 - 熱海初夏、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/atami_uika |title=静岡 熱海初夏 |work=温泉むすめ |accessdate=18 Dec 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref> * 生年不明 - レオ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/leo.html |title=レオ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=18 Dec 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 北村航、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1550859543046983680}}</ref> * 生年不明 - 二位ユギト、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 上矢あがり、漫画・アニメ『[[灼熱の卓球娘]]』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 柴大寿、漫画・アニメ『[[東京卍リベンジャーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|toman_official|1550858300564000768}}</ref> * 生年不明 - 藤森朝子、漫画・アニメ『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 宮田さやか、漫画・アニメ『[[競女!!!!!!!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|keijo_anime|1418888697932550147}}</ref> * 生年不明 - にじハムくん、漫画・ゲーム・アニメ『[[とっとこハム太郎の登場人物|とっとこハム太郎]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - マハル・セナ・カナカ、漫画・アニメ『[[GIRLSブラボー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 獅示、漫画・アニメ『[[カーニヴァル (漫画)|カーニヴァル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 久世橋朱里、漫画・アニメ『[[きんいろモザイク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author= 原悠衣|authorlink=原悠衣 |date=2013-08-27 |title = きんいろモザイク画集 〜ひみつのきんいろモザイク〜|series=まんがタイムKRコミックス|publisher = [[芳文社]] |isbn = 978-4832243446}}</ref> * 生年不明 - ミレイ・アッシュフォード、アニメ『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|geass_game|1550858280372539392}}</ref> * 生年不明 - 蝶野亜美、アニメ『[[ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|garupan|1683129845457506306}}</ref> * 生年不明 - 新星玲央、アニメ『[[さらざんまい]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.noitamina-shop.com/event/id/781 |title=TVアニメ『さらざんまい』新星玲央バースデーキャンペーン |access-date=18 Dec 2023 |publisher=CABINET INC. |date=10 Jul 2019 |website=ノイタミナショップ}}</ref> * 生年不明 - 香希、ゲーム『[[ラスト・エスコート|ラストエスコート2]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - リッツ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=169&cate=name&cont=Ritz |title=リッツ |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 神峰牡丹、ゲーム・アニメ『[[バトルガール ハイスクール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bgirl_colopl|889317782155780096}}</ref> * 生年不明 - 巴日和、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ensemble-stars.jp/characters/tomoe_hiyori/ |title=巴 日和 |accessdate=18 Dec 2023 |publisher=[[Happy Elements]] |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref> * 生年不明 - 谷崎潤一郎、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BunAl_PR|1683284666781163521}}</ref> * 生年不明 - 大関小結、ゲーム『[[アリス・ギア・アイギス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://colopl.co.jp/alicegearaegis/character/chara12.php |title=大関 小結 |access-date=18 Dec 2023 |publisher=Pyramid,Inc. / [[コロプラ|COLOPL,Inc.]] |work=『アリス・ギア・アイギス』}}</ref> * 生年不明 - 鹿野院平蔵、ゲーム『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Genshin_7|1683326464362524677}}</ref> * 生年不明 - 獅子原馨、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://posweb.jp/pos/character/ichijyoukan/03.html |title=獅子原 馨 |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[曽我部修司|FiFS]] [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |work=『プリンス・オブ・ストライド』}}</ref> * 生年不明 - 鷲見紀世斗、メディアミックス『プリンス・オブ・ストライド』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://posweb.jp/pos/character/ichijyoukan/04.html |title=鷲見 紀世斗 |access-date=18 Dec 2023 |publisher=[[曽我部修司|FiFS]] [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |work=『プリンス・オブ・ストライド』}}</ref> * 生年不明 - [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#天堂真矢|天堂真矢]]、メディアミックス『[[少女☆歌劇 レヴュースタァライト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|starlightrelive|1153681178039222272}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{cite journal | title = The Career of Muḥammad Ibn Ṭughj Al-Ikhshīd, a Tenth-Century Governor of Egypt | first = Jere L. | last = Bacharach | journal = Speculum | volume = 50 | issue = 4 | year = 1975 | page = 609 | jstor = 2855469 | issn = 0038-7134 | ref=harv | doi=10.2307/2855469}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 24|24 July}} {{新暦365日|7|23|7|25|[[6月24日]]|[[8月24日]]|[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]|0724|7|24}} {{1年の月と日}}
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7月25日
7月25日(しちがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から206日目(閏年では207日目)にあたり、年末まであと159日ある。
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{{カレンダー 7月}} '''7月25日'''(しちがつにじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から206日目([[閏年]]では207日目)にあたり、年末まであと159日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = 「大帝」[[コンスタンティヌス1世]]、[[ローマ皇帝]]に即位(306)。右画像は[[聖母子]]に[[コンスタンティノポリス]]を捧げるコンスタンティヌス。[[キリスト教]]を公認したことから[[聖人]]とされている | image1 = Rome-Capitole-StatueConstantin.jpg | width1 = 80 | alt1 = コンスタンティヌス1世 | image2 = Byzantinischer_Mosaizist_um_1000_002.jpg | width2 = 100 | alt2 = アヤソフィアのモザイク }} {{multiple image | footer = [[レコンキスタ]]、[[オーリッケの戦い]](1139)。[[ポルトガル]]が5人の[[モーロ人]]を戦死させる戦勝を収め、ポルトガル国旗(右画像)の5つの盾はこれを象徴するという説もある | image1 = BatalhaOurique.jpg| | width1 = 200 | alt1 = 『オーリッケの奇跡』 | image2 = Flag of Portugal.svg | width2 = 100 | alt2 = ポルトガル国旗 }} {{multiple image | caption1 =フランス王[[アンリ4世 (フランス王)]]、[[カトリック]]に改宗(1593) | image1 = HenriIV.jpg | width1 = 100 | alt1 = アンリ4世 (フランス王) | caption2 = スコットランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]がイングランド王として戴冠(1603)。 | image2 = James_I%2C_VI_by_John_de_Critz%2C_c.1606..png | width2 = 80 | alt2 = ジェームズ1世 (イングランド王) }} [[File:Manifeste de Brunswick caricature 1792.jpg|thumb|[[ブラウンシュヴァイク・マニフェスト]]発される(1792)。画像は同年の風刺画。]] {{multiple image | caption1 = [[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]](1758-1805)、{{仮リンク|サンタ・クルス・デ・テネリフェの戦い|en|Battle of Santa Cruz de Tenerife (1797)}}で右腕を失う(1797)。[[サンタ・クルス・デ・テネリフェ]]では祝祭日となっている | image1 = Sir Horatio Nelson when wounded at Teneriffe.jpg | width1 = 160 | alt1 = サンタ・クルス・デ・テネリフェの戦い | caption2 = [[米英戦争]]、[[ランディーズ・レーンの戦い]](1814)。{{Squote|[[クィーンストン・ハイツの戦い|クィーンストン・ハイツ]]で、ランディーズ・レーンで、/我等が勇敢な父祖は肩を並べ/[[自由]]と家と愛する者達のため/毅然と立ち向かい気高く死んだ――『{{仮リンク|楓の葉よ永遠に|en|The Maple Leaf Forever}}』}} | image2 = Battle_of_Lundys_Lane.jpg | width2 = 180 | alt2 = 行軍図 }} [[Image:Peers_Club_Inside.jpg|thumb|日本の[[公卿]]・[[諸侯]]の身分が廃止され[[華族]]に統一される(1869)。画像は1912年の[[霞会館|華族会館]]]] {{multiple image | footer = [[豊島沖海戦]](1894)。[[日清戦争]]はじまる。左画像は[[小林清親]]画 | image1 = Battle_of_Phungdo.jpg | width1 = 260 | alt1 = 小林清親の浮世絵 | image2 = First_Chinese_Japanese_war_map_of_battles_Ja.png | width2 = 100 | alt2 = 行軍図 }} {{multiple image | footer = [[ルイ・ブレリオ]]、史上初の飛行機による[[ドーバー海峡]]横断に成功(1909) | image1 = Avion_Bleriot_XI_1909.jpg | width1 = 140 | alt1 = ブレリオXI | image2 = BlériotMemorial.JPG | width2 = 100 | alt2 = メモリアル }} {{multiple image | footer = イタリア首相[[ベニート・ムッソリーニ]](左画像)、罷免・逮捕(1943)。[[ピエトロ・バドリオ]](右)が後任となる。 | image1 = Mussolini-ggbain.jpg | width1 = 100 | alt1 = ベニート・ムッソリーニ | image2 = Pietro_Badoglio_1921.jpg | width2 = 100 | alt2 = ピエトロ・バドリオ }} [[Image:Operation_Crossroads_Baker_Edit.jpg|thumb|[[クロスロード作戦]]、アメリカ合衆国による[[ビキニ環礁]]での核実験(1946)]] [[Image:USS_Harry_S._Truman_CVN-75.jpg|thumb|空母[[ハリー・S・トルーマン (空母)|ハリー・S・トルーマン]]就役(1998)]] [[Image:Pratibha_Patil_2.jpg|thumb|100px|[[プラティバ・パティル]](1934-)、インド初の女性大統領に(2007)]] * [[306年]] - [[コンスタンティヌス1世]]が[[ローマ皇帝]]になる{{要出典|date=2021-03}}。 * [[737年]]([[天平]]9年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[多治比縣守]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[668年]]) * [[1139年]] - [[レコンキスタ]]:[[オーリッケの戦い]]{{要出典|date=2021-04}}。 * [[1261年]] - [[ニカイア帝国]]が[[ラテン帝国]]から[[コンスタンティノポリス]]を[[コンスタンティノープルの回復 (1261年)|奪回]]し、[[東ローマ帝国]]が復活。 * [[1457年]] - [[フランス王国|フランス]]王[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]が戴冠。 * [[1593年]] - フランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]が[[プロテスタント]]から[[カトリック教会|カトリック]]に改宗。 * [[1603年]] - [[スコットランド王国|スコットランド]]王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]が[[イングランド王国|イングランド]]王(ジェームス1世)としても戴冠。以降、イングランドとスコットランドは[[1707年]]に合同して[[グレートブリテン王国]]となるまで[[同君連合]]となる。 * [[1788年]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]が[[交響曲第40番 (モーツァルト)|交響曲第40番]]を完成させる。 * [[1792年]] - [[フランス革命戦争]]:[[プロイセン]]の[[カール・ヴィルヘルム・フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク]]が、パリ市民に向けて「[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]その他のフランス王族に危害を加えたら復讐する」との内容の宣言([[ブラウンシュヴァイクの宣言]])を発する。 * [[1797年]] - [[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]が[[カナリア諸島]]の[[サンタ・クルス・デ・テネリフェ]]の攻略でスペインの大砲「エル・ティグレ」の攻撃を受け右腕を失う({{仮リンク|サンタ・クルス・デ・テネリフェの戦い|en|Battle of Santa Cruz de Tenerife (1797)}})。 * [[1814年]] - [[米英戦争]]:[[ランディーズ・レーンの戦い]]。 * 1814年 - [[ジョージ・スチーブンソン]]が[[蒸気機関車]]の試運転に成功。 * [[1819年]] - [[ボヤカの戦い]]:前哨戦バルガス沼の戦い。[[シモン・ボリバル]]の軍勢が[[スペイン軍]]に辛勝。 * [[1850年]] - [[ドイツ=オーストリア電信連合]]が発足する。 * [[1869年]]([[明治]]2年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - 日本で[[版籍奉還]]が行われる。 * 1869年(明治2年6月17日) - 日本の[[公卿]]・[[諸侯]]の[[身分]]が廃止され呼称が[[華族]]に統一される。 * [[1875年]] - [[吉田・エヴァーツ条約]]が締結される。 * [[1883年]] - 前右大臣・[[岩倉具視]]の葬儀を日本初の[[国葬]]として実施。 * [[1894年]] - [[日清戦争]]:[[豊島沖海戦]]。[[朝鮮半島]]の豊島沖で[[日本軍]]と[[清]]軍による海戦が行われる。[[日清戦争]]の始まり。 * [[1908年]] - [[池田菊苗]]が「[[グルタミン酸ナトリウム|グルタミン酸塩]]を主成分とする[[うま味調味料|調味料]]製造法(後の[[味の素]])」の特許を取得<ref>{{Cite journal|和書|author=福江紀彦 |title=「うま味」を解明した池田菊苗 : 理論化学と応用化学を自在に往来 |url=https://doi.org/10.11349/rcmcjs.5.3 |journal=近代日本の創造史 |issn=1882-2134 |publisher=近代日本の創造史懇話会 |year=2008 |volume=5 |pages=3-13 |naid=130000064510 |doi=10.11349/rcmcjs.5.3|accessdate=2020-08-03}}</ref>。 * [[1909年]] - [[ルイ・ブレリオ]]が操縦する[[ブレリオ XI]]が史上初の[[飛行機]]での[[ドーバー海峡]]横断に成功。 * [[1919年]] - [[レフ・カラハン#カラハン宣言|カラハン宣言]]。ソ連の[[レフ・カラハン]]外務人民委員代理が、[[ロシア帝国]]が[[清]]と結んだ[[不平等条約]]の即時・無条件撤廃を表明。 * [[1932年]] - [[ソ連・ポーランド不可侵条約]]が締結。[[満州国協和会]]が発足。 * [[1933年]] - [[山形市]]で[[気温]][[摂氏]]40.8度の最高気温を記録。2007年に更新されるまで長らく日本の最高気温記録となる。 * [[1934年]] - [[オーストリア]]の[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]党員がウィーンの首相[[官邸]]を襲撃し、[[エンゲルベルト・ドルフース]]首相を暗殺。 * [[1936年]] - [[上野動物園クロヒョウ脱走事件]]。 * [[1937年]] - [[廊坊事件]]。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]:[[スイス]]の最高指導者であった[[アンリ・ギザン]]将軍の「リュトリ演説」。スイスの自由と独立を守るための[[武装中立]]を宣言。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦:[[イタリア王国|イタリア王]][[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]が[[ベニート・ムッソリーニ]]首相を罷免・逮捕、[[ピエトロ・バドリオ]]が後任となる。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]:[[保戸島空襲]]が行われる。 * [[1946年]] - [[ビキニ環礁]]で史上5回目の[[核爆発]]。([[クロスロード作戦]]) * [[1955年]] - [[日本住宅公団]]が発足。 * [[1957年]] - 1年前に独立した[[チュニジア王国]]で、王政を廃止して共和国を宣言し[[チュニジア|チュニジア共和国]]となる。 * [[1960年]] - [[障害者の雇用の促進等に関する法律]]施行。 * [[1964年]] - 東京〜新大阪で[[東海道新幹線]]の全線試運転を実施。 * [[1969年]] - [[ベトナム戦争]]:[[リチャード・ニクソン]]米大統領が[[ニクソン・ドクトリン]]を表明する。 * [[1973年]] - ソ連が火星探査機[[マルス計画#マルス5号|マルス5号]]を打ち上げ。 * [[1975年]] - ニューヨーク・[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]でミュージカル『[[コーラスライン]]』が初演。 * [[1978年]] - 世界初の[[人工授精|試験管ベビー]]・[[ルイーズ・ブラウン]]が誕生。 * [[1984年]] - [[サリュート7号]]搭乗中の[[スベトラーナ・サビツカヤ]]が、女性では史上初の[[宇宙遊泳]]を行う。 * [[1985年]] - [[女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約]]、日本国批准。 * [[1992年]] - 第25回[[夏季オリンピック]]、[[バルセロナオリンピック]]が開幕。[[8月9日]]まで。 * [[1995年]] - パリ市内の鉄道[[RER]]で[[武装イスラム集団]](GIA)による爆弾テロ発生。死傷者60人以上。8月17日、8月26日にも発生する([[:en:1995 Paris Metro bombing]])。 * [[1998年]] - [[和歌山毒物カレー事件]]発生。 * 1998年 - [[マイクロソフト]]が「[[Microsoft Windows 98|Windows 98]] 日本語版」を発売。 * [[2000年]] - [[コンコルド墜落事故]]。 * [[2007年]] - 横綱[[朝青龍明徳|朝青龍]]が[[大相撲]]の夏巡業を負傷休場したにもかかわらず期間中に帰国先の[[モンゴル]]で[[サッカー]]をしていたことが報じられる。8月1日に相撲協会から2場所出場停止などの処分を受ける。 * 2007年 - [[プラティバ・パティル]]が[[インド]]大統領に就任。インド初の女性大統領。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} {{multiple image | image1 = Kazimierz_I_Odnowiciel.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[ポーランド]]を再統合した「復古王」[[カジミェシュ1世]](1016-1058)誕生 | image2 = AfonsoI-P.jpg | width2 = 100 | caption2 = 初代ポルトガル王、[[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]](1109-1185) | image3 = Katō Kiyomasa.jpg | width3 = 100 | caption3 = 武将、[[加藤清正]](1562-1611) }} {{multiple image | footer = [[読本]]作者、[[上田秋成]](1734-1809)誕生。右画像は代表作『[[雨月物語]]』 | image1 = Ueda Akinari.jpg | width1 = 70 | alt1 = 上田秋成 | image2 = UgetsuMonogatari_1.jpg | width2 = 160 | alt2 = 『雨月物語』 }} {{multiple image | footer = 画家[[トマス・エイキンズ]](1844-1916)誕生。右画像は『[[グロス・クリニック]]』(1875) | image1 = Eakins selfportrait.jpg | width1 = 120 | alt1 = トマス・エイキンズ6歳 | image2 = The_gross_clinic_thomas_eakins.jpeg | width2 = 110 | alt2 = 『グロス・クリニック』 }} {{multiple image | footer = 「電気駆動の父」、発明家[[フランク・スプレイグ]](1857-1934)。[[交通機関]]の改善により都市面積の拡大を(右画像)、[[エレベーター]]の改善により高密度化を可能にした | image1 = Frank_j._sprague.jpg | width1 = 100 | alt1 = フランク・スプレイグ | image2 =Theatrical_District,_Richmond,_Virginia,_1923.jpg | width2 = 180 | alt2 = リッチモンドの路面電車 }} [[Image:Dinky_Bird_by_Maxfield_Parrish%2C_1904.jpg|thumb|160px|[[イラストレーター]]、[[マックスフィールド・パリッシュ]](1870-1966)誕生。画像は『ディンキー・バード』(1904)]] * [[1016年]] - [[カジミェシュ1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Casimir-I Casimir I duke of Poland] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ポーランド王国|ポーランド公]](+ [[1058年]]) * [[1109年]] - [[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](+ [[1185年]]) * [[1396年]] - [[王禑]]、[[高麗]]王(+ [[1389年]]) * [[1421年]] - [[ヘンリー・パーシー (第3代ノーサンバランド伯)|ヘンリー・パーシー]]、[[ノーサンバランド伯]](+ [[1461年]]) * [[1507年]] - [[チャーマ・ラージャ4世]]、[[マイソール王国]]君主(+[[1576年]]) * [[1547年]]([[天文 (元号)|天文]]16年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - [[芳春院]]、[[前田利家]]の[[正室]](+ [[1617年]]) * [[1560年]]([[永禄]]3年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[片桐貞隆]]、大和[[小泉藩]]初代藩主(+ [[1627年]]) * [[1562年]]([[永禄]]5年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]) - [[加藤清正]]、[[武将]](+ [[1611年]]) * 1562年(永禄5年6月24日) - [[万里小路充房]]、[[公卿]](+ [[1626年]]) * [[1575年]]? - [[クリストフ・シャイナー]]、[[天文学者]](+ [[1650年]]) * [[1589年]]([[天正]]17年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[伊東祐慶]]、日向[[飫肥藩]]第2代藩主(+ [[1636年]]) * [[1653年]] - [[アゴスティーノ・ステッファーニ]]、[[作曲家]](+ [[1728年]]) * [[1734年]]([[享保]]19年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[上田秋成]]、[[戯作|戯作者]](+ [[1809年]]) * [[1747年]] - [[ロジェ・デュコ]]、政治家(+ [[1816年]]) * [[1750年]] - [[ヘンリー・ノックス]]、[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1806年]]) * [[1753年]] - [[サンティアゴ・デ・リニエルス]] - 軍人(+ [[1810年]]) * [[1760年]]([[宝暦]]10年6月13日)- [[醍醐輝久]]、[[公卿]](+ [[1801年]]) * [[1787年]]([[天明]]7年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]) - [[小関三英]]、[[蘭学|蘭学者]](+ [[1839年]]) * [[1797年]] - [[アウグステ・フォン・ヘッセン=カッセル]]、[[イギリス]]の王族(+ [[1889年]]) * [[1806年]] - [[フェルディナント・バイエル]]、作曲家、[[ピアニスト]](+ [[1863年]]) * [[1821年]]([[文政]]4年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]) - [[鍋島直晴]]、肥前[[鹿島藩]]第11代藩主(+ [[1839年]]) * [[1822年]](文政5年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[手塚律蔵]]、外交官(+ [[1878年]]) * [[1829年]](文政12年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[津田真道]]、[[政治家]](+ [[1903年]]) * [[1844年]] - [[トマス・エイキンズ]]、[[画家]](+ [[1916年]]) * [[1847年]] - [[パウル・ランゲルハンス]]、[[医学者]]、[[生物学者]](+ [[1888年]]) * [[1848年]] - [[アーサー・バルフォア]]、政治家、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1930年]]) * [[1849年]] - [[リチャード・ライデッカー]]、自然史学者(+ [[1915年]]) * [[1853年]] - [[デーヴィッド・ベラスコ]]、[[劇作家]]、[[演出家]](+ [[1931年]]) * [[1857年]] - [[フランク・スプレイグ]]、[[発明家]](+ [[1934年]]) * 1857年 - [[ナサニエル・カール・グッドウィン]]、俳優(+ [[1919年]]) * [[1860年]] - [[ルイーゼ・マルガレーテ・フォン・プロイセン]]、イギリスの王族(+ [[1917年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[有松英義]]、官僚(+ [[1927年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[田中義一]]、政治家、第26代[[内閣総理大臣]](+ [[1929年]]) * [[1870年]] - [[マックスフィールド・パリッシュ]]、画家(+ [[1966年]]) * [[1873年]] - [[姉崎正治]]、宗教学者(+ [[1949年]]) * [[1874年]] - [[葛生能世]]、右翼活動家(+ [[1958年]]) * [[1876年]] - [[エリザベート・ド・バヴィエール]]、ベルギー王妃(+ [[1965年]]) * [[1878年]] - [[ウィリアム・C・デミル]]、映画監督(+ [[1955年]]) * [[1883年]] - [[遊佐幸平]]、陸軍軍人(+ [[1966年]]) * 1883年 - [[アルフレード・カゼッラ]]、作曲家(+ [[1947年]]) * [[1884年]] - [[ルドビカ・ヤコブソン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1968年]]) * [[1886年]] - [[リチャード・クドウ]]、[[生物学者]](+ [[1967年]]) * [[1889年]] - [[鈴木敬一 (内務官僚)|鈴木敬一]]、政治家(+ [[1973年]]) * [[1893年]] - [[山本粂吉]]、政治家(+ [[1974年]]) * [[1894年]] - [[太刀ノ海浪右エ門]]、力士(+ [[1964年]]) * 1894年 - [[ガヴリロ・プリンツィプ]]、[[フランツ・フェルディナント大公]]の[[暗殺]]者(+ [[1918年]]) * 1894年 - [[ウォルター・ブレナン]]、[[俳優]](+ [[1974年]]) * [[1898年]] - [[今松治郎]]、政治家(+ [[1967年]]) * [[1896年]] - [[村松久義]]、弁護士(+ [[1972年]]) * 1896年 - [[ジョセフィン・テイ]]、[[推理作家]](+ [[1952年]]) * [[1898年]] - [[白石凡]]、評論家(+ [[1984年]]) * [[1901年]] - [[寺園勝志]]、政治家(+ [[1998年]]) * [[1902年]] - [[エリック・ホッファー]]、哲学者(+ [[1983年]]) * [[1903年]] - [[小磯良平]]、画家(+ [[1988年]]) * 1903年 - [[マイロ・ラウエル]]、軍人(+ [[1977年]]) * [[1904年]] - [[松本かつぢ]]、画家(+ [[1986年]]) * 1904年 - [[トーレ・エドマン]]、スキージャンプ選手(+ [[1995年]]) * [[1905年]] - [[エリアス・カネッティ]]、作家(+ [[1994年]]) * 1905年 - [[野中正造]]、男性世界最高齢(+[[2019年]]) * [[1907年]] - [[菅井一郎]]、俳優(+ [[1973年]]) * [[1909年]] - [[ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ]]、指揮者(+ [[1996年]]) * [[1910年]] - [[金容植]]、元サッカー選手(+ [[1985年]]) * [[1911年]] - [[藤本四八]]、写真家(+ [[2006年]]) * [[1912年]] - [[喜屋武眞榮]]、政治家(+ [[1997年]]) * [[1914年]] - [[石丸藤吉]]、元プロ[[野球選手]](+ [[1991年]]) * [[1915年]] - [[山形勲]]、俳優(+ [[1996年]]) * 1915年 - [[大原亨]]、政治家(+ [[1990年]]) * 1915年 - [[ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア]]、[[アメリカ合衆国海軍]]パイロット(+ [[1944年]]) * 1915年 - [[ホイッパー・ビリー・ワトソン]]、[[プロレスラー]](+ [[1990年]]) * [[1919年]] - [[藤田陽子 (子役)|藤田陽子]]、子役(+ 没年不詳) * [[1920年]] - [[林忠四郎]]、[[宇宙物理学]]者(+ [[2010年]]) * 1920年 - [[窪田啓作]]、フランス文学者(+ [[2011年]]) * 1920年 - [[ロザリンド・フランクリン]]、[[物理化学]]者(+ [[1958年]]) * [[1921年]] - [[山崎喜陽]]、編集者、[[機芸出版社]]代表取締役(+ [[2003年]]) * 1921年 - [[アドルフ・ハーセス]]、トランペット奏者(+ [[2013年]]) * [[1922年]] - [[鍵田忠三郎]]、政治家(+ [[1994年]]) * 1922年 - [[エンリケ・トーレス]]、レスラー(+ [[2007年]]) * [[1924年]] - [[インドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー]]、ネパール皇太子妃(+ [[1951年]]) * 1924年 - [[フランク・チャーチ]]、政治家(+ [[1984年]]) * [[1925年]] - [[今久留主功]]、元プロ野球選手(+ [[2005年]]) * [[1926年]] - [[粟屋敏信]]、政治家(+ [[2016年]]) * 1926年 - [[和泉信一]]、実業家(+ [[2016年]]) * 1926年 - [[高本研一]]、ドイツ文学者(+ [[2010年]]) * 1926年 - [[田村明]]、地域政策プランナー(+ [[2010年]]) * 1926年 - [[ホワイティ・ロックマン]]、元野球選手(+ [[2009年]]) * [[1928年]] - [[水野正夫]]、服飾デザイナー(+ [[2014年]]) * [[1929年]] - [[森井忠良]]、政治家(+ [[2011年]]) * 1929年 - [[高松雄一]]、英文学者(+ [[2017年]]) * [[1930年]] - [[依田実]]、政治家(+ [[2010年]]) * 1930年 - [[吉谷宗夫]]、政治家、[[足利市]]長(+ [[2012年]]) * 1930年 - [[都家歌六]]、[[落語家]]、[[ミュージックソー]]演奏家(+ [[2018年]]) * 1930年 - [[観世元正]]、[[能楽師]](+ [[1990年]]) * 1930年 - [[モーリン・フォレスター]]、[[アルト]][[歌手]](+ [[2010年]]) * [[1931年]] - [[富澤宏哉]]、野球審判員 * [[1932年]] - [[杉本定介]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * [[1933年]] - [[ジョージ・ショー (アメリカンフットボール)|ジョージ・ショー]]、アメリカンフットボール選手(+ [[1998年]]) * [[1934年]] - [[たてかべ和也]]、[[声優]](+ [[2015年]]) * [[1935年]] - [[朝戸鉄也]]、声優(+ [[2018年]]) * [[1936年]] - [[稲川誠]]、元プロ野球選手 * 1936年 - [[グレン・マーカット]]、建築家 * [[1937年]] - [[ポール・コリンズ]]、俳優 * [[1939年]] - [[ナンシー・ルディントン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1940年]] - [[有富慶二]]、実業家、[[ヤマトホールディングス]]元会長 * 1940年 - [[猪俣光世]]、女優 * 1940年 - [[菅原紀元]]、元プロ野球選手 * 1940年 - [[石井龍一]]、植物学者 * 1940年 - [[西牧秀夫]]、アニメーション監督 * [[1941年]] - [[ネイト・サーモンド]]、[[バスケットボール]]選手(+ [[2016年]]) * 1941年 - [[ラウル・ルイス]]、映画監督(+ [[2011年]]) * 1941年 - [[ピーター・サシツキー]]、撮影監督 * [[1943年]] - [[レネ・バリエントス]]、ボクサー * [[1944年]] - [[中村紘子]]、[[ピアニスト]](+ 2016年) * 1944年 - [[バディ・ブラッドフォード]]、元プロ野球選手 * [[1945年]] - [[とみ新蔵]]、[[漫画家]] * 1945年 - [[森田必勝]]、[[右翼]]活動家(+ [[1970年]]) * [[1946年]] - [[御影京子]]、女優 * 1946年 - [[リタ・マーリー]]、ミュージシャン * [[1948年]] - [[ト字たかお]]、俳優 * 1948年 - [[小畑元]]、政治家、元[[大館市]]長 * [[1949年]] - [[中川五郎]]、フォークシンガー * 1949年 - [[小川正持]]、裁判官 * [[1950年]] - [[小野徹]]、政治家 * 1950年 - [[福冨博]]、アニメーション監督 * 1950年 - [[安田均]]、[[小説家]] * 1950年 - [[山田敏彦]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[坂村健]]、[[TRONプロジェクト]]提唱者、[[東京大学]]教授 * 1951年 - [[鈴木葉留彦]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[桑子敏雄]]、哲学者 * 1951年 - [[ヴァーダイン・ホワイト]]、ミュージシャン([[アース・ウインド・アンド・ファイアー]]) * [[1952年]] - [[青山繁晴]]、作家、実務家、[[独立総合研究所]]社長 * 1952年 - [[石田長生]]、ミュージシャン(+ [[2015年]]) * 1952年 - [[エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ]]、建築家 * [[1953年]] - [[鶴崎茂樹]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[リン・フレデリック]]、女優(+ [[1994年]]) * 1954年 - [[ユルゲン・トリッティン]]、政治家 * 1954年 - [[ウォルター・ペイトン]]、アメリカンフットボール選手(+ [[1999年]]) * [[1955年]] - [[西久保愼一]]、実業家、[[スカイマーク]]元社長 * 1955年 - [[西山仁紫]]、[[テレビプロデューサー]] * 1955年 - [[イマン・アブドゥルマジド]]、[[ファッションモデル]] * [[1956年]] - [[岡本広美]]、女優 * 1956年 - [[福崎和広]]、俳優 * [[1957年]] - [[中島克介]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[渡辺尚志]]、歴史学者 * [[1958年]] - [[黒田真二]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]]<ref>{{Cite news2|title=元ヤクルト黒田真二氏、肺がんのため死去 62歳|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|page=1|date=2020-09-16|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202009160000682.html|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2020-10-24}}</ref>) * 1958年 - [[田中智子 (フィギュアスケート選手)|田中智子]]、元フィギュアスケート選手 * [[1959年]] - [[久保雅一]]、プロデューサー、編集者 * 1959年 - [[松谷祐子]]、元歌手、声優 * 1959年 - [[沢幡誠士]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[KONTA]]、俳優、声優、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1961年]] - [[ジャガー横田]]、[[プロレスラー]] * 1961年 - [[片山圭司]]、歌手(元[[BLUEW]]、[[spAed]]) * 1961年 - 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[[ハビアー・バスケス]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[西尾由佳理]]、[[アナウンサー]] * 1977年 - [[鈴木飛雄]]、元俳優 * 1977年 - [[坂東工]]、俳優 * 1977年 - [[イブラヒム・タンコ]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[ケニー・トーマス]]、元バスケットボール選手 * 1977年 - [[カロリナ・アルブケルケ]]、バレーボール選手 * 1977年 - [[ルスラン・ピドホルニー]]、自転車競技選手 * [[1978年]] - [[山崎哲也]]、元サッカー選手 * 1978年 - [[おいでやす小田]]、お笑い芸人 * 1978年 - [[吉野真治]]、アナウンサー * 1978年 - [[百田留衣]]、ミュージシャン * 1978年 - [[久保田和樹]]、プロボクサー * 1978年 - [[今村理恵]]、女優 * 1978年 - [[ジャン・ティエカン]]、総合格闘家 * [[1979年]] - [[市岡寿実]]、陸上競技選手 * 1979年 - [[井上昌己 (競輪選手)|井上昌己]]、競輪選手 * 1979年 - [[大瀧明日香]]、競艇選手 * 1979年 - [[小野澤香理]]、元ハンドボール選手 * 1979年 - [[安部裕之]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[歌川暁文]]、キックボクサー * 1979年 - [[谷口雅人]]、放送作家 * [[1980年]] - [[寺本四郎]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[杉山新]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[津坂早紀]]、女優 * 1980年 - [[ローラ・ハンディー]]、フィギュアスケート選手 * 1980年 - [[サンティアゴ・カシーヤ]]、野球選手 * 1980年 - [[車ドゥリ]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[折戸マリ]]、声優 * [[1981年]] - [[駒野友一]]、サッカー選手 * 1981年 - [[トーマス・ハロン]]、キックボクサー * 1981年 - [[ユホ・ハンニネン]]、ラリードライバー * [[1982年]] - [[新井智]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[清水敬亮]]、アナウンサー * 1982年 - [[ブルート一生]]、元プロレスラー * 1982年 - [[貞方希久子]]、アニメーター、キャラクターデザイナー * 1982年 - [[サレハ・ユーセフ]]、サッカー選手 * [[1983年]] - [[北川智規 (ラグビー選手)|北川智規]]、ラグビー選手 * 1983年 - [[オルガ・ジトワ]]、バレーボール選手 * 1983年 - 芝大輔、お笑い芸人([[モグライダー]]) * [[1984年]] - [[成迫健児]]、陸上選手 * 1984年 - [[保志光信一]]、元大相撲力士 * 1984年 - [[岩下雅大]]、シュートボクサー * 1984年 - [[倉田まりや]]、声優 * 1984年 - [[タイシール・アル=ジャーシム]]、サッカー選手 * [[1985年]] - [[森洋介]]、サッカー選手 * 1985年 - [[吉岡佑]]、俳優 * 1985年 - [[築山可奈]]、タレント * 1985年 - [[アレックス・プレスリー]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[ウーゴ・ロダジェガ]]、サッカー選手 * 1985年 - [[パク・チョルウ]]、バレーボール選手 * 1985年 - [[シャンテル・ヴァンサンテン]]、俳優 * 1985年 - [[ジェームズ・ラファティ]]、俳優 * [[1986年]] - [[木村絵梨]]、サッカー選手 * 1986年 - [[志真健太郎]]、映画監督 * 1986年 - [[渕上彩夏]]、タレント * 1986年 - [[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[alan]]、歌手 * 1987年 - [[風間由次郎]]、俳優 * 1987年 - [[柏木美優]]、声優 * 1987年 - [[沼田久美子]]、タレント * 1987年 - [[フェルナンド・フランシスコ・レゲス]]、サッカー選手 * 1987年 - [[アレックス・ソガード]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[リッキー・スティムボート・ジュニア]]、プロレスラー * [[1988年]] - [[西洋亮]]、俳優 * 1988年 - [[松下唯]]、元タレント(元[[SKE48]]) * 1988年 - [[林佳祐]]、元サッカー選手 * 1988年 - [[藤沢麻弥]]、女優 * 1988年 - [[ヘザー・マークス]]、ファッションモデル * 1988年 - [[ウーゴ・ヴィエイラ]]、サッカー選手 * 1988年 - [[ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール]]、サッカー選手 * 1988年 - [[イヴァン・オブラドヴィッチ]]、サッカー選手 * 1988年 - [[ドリアン・デルヴィト]]、サッカー選手 * 1988年 - [[ジョン・ピアース]]、テニス選手 * 1988年 - [[ホセ・マルティネス (外野手)|ホセ・マルティネス]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[朱大衛]]、元野球選手 * 1988年 - [[ステイシー・ケンプ]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - [[ヨニー・エルナンデス]]、オートバイレーサー * 1988年 - [[渡辺太]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]] * [[1989年]] - [[藤村大介 (野球)|藤村大介]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[中矢力]]、柔道選手 * 1989年 - [[鈴木孝司]]、サッカー選手 * 1989年 - [[斎藤夏美]]、モデル * 1989年 - [[フリエタ・ラスカノ]]、サッカー選手 * [[1990年]] - [[宮田一馬]]、ラグビー選手 * 1990年 - [[いうちりな]]、タレント(元[[つぼみ (ユニット)|つぼみ]]) * 1990年 - [[ロマン・メンデス]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[サイモン・ガブリエル・ダ・シルバ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[カルロス・カルボネロ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ワカソ・ムバラク]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ラウル・ルイディアス]]、サッカー選手 * 1990年 - [[マービン・ソンソナ]]、ボクサー * 1990年 - [[ナセル・ブアニ]]、自転車競技選手 * [[1991年]] - [[伊東昂大]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[長岡望悠]]、バレーボール選手 * 1991年 - [[坂口佳澄]]、モデル * 1991年 - [[本田匠]]、元陸上選手 * [[1992年]] - [[仲俣汐里]]、元アイドル(元[[AKB48]]) * 1992年 - [[植草歩]]、空手選手 * 1992年 - [[大慈弥レイ]]、アナウンサー * 1992年 - [[モハマド・アメル・サイディン]]、サッカー選手 * 1992年 - [[宋容慧]]、棋士 * [[1993年]] - [[ハリウリサ]]、お笑い芸人 * 1993年 - [[酒井ももか]]、AV女優 * 1993年 - [[ズルフィヤ・チンシャンロ]]、重量挙げ選手 * [[1994年]] - [[麻木玲那]]、女優 * 1994年 - [[楠美圭史]]、サッカー選手 * 1994年 - [[高橋慎之介]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[山内彩加]]、アナウンサー * 1994年 - [[矢嶋源]]、元タレント * [[1995年]] - [[笠原拓巳]]、タレント(元[[てれび戦士]]) * [[1996年]] - [[近藤誠也]]、棋士 * 1996年 - [[前島花音]]、ニッポン放送アナウンサー * [[2000年]] - [[プレストン・ベイリー]]、俳優 * 2000年 - [[メイソン・クック]]、俳優 * 2000年 - ジャン・ハオ(章昊)、アイドル([[ZEROBASEONE]]) * [[2001年]] - [[木下元秀]]、プロ野球選手 * 2001年 - [[坂井仁香]]、女優、モデル、アイドル([[超ときめき♡宣伝部|ときめき宣伝部]]) * [[2002年]] - [[道枝駿佑]]、アイドル([[なにわ男子]])<ref>{{Cite web|和書|url=j-island.net|title=道枝駿佑 プロフィール|accessdate=2020年8月9日|publisher=ジャニーズ事務所}}</ref> * [[2003年]] - [[庵原涼香]]、女優 * [[2004年]] - [[笹原尚季]]、俳優 * 2004年 - 小田倉麗奈、アイドル([[櫻坂46]]) * [[2006年]] - [[渡邉このみ]]、女優 * 2006年 - [[平山遊季]]、アイドル([[アンジュルム]]) * 生年不明 - [[阿南まゆき]]、漫画家 * 生年不明 - [[eco*]]、漫画家 * 生年不明 - [[川口宰曜子]]、声優 * 生年不明 - [[三条恵美]]、アナウンサー * 生年不明 - [[鈴木玖]]、漫画家 * 生年不明 - [[高尾まみ]]、女優 * 生年不明 - [[永堀美穂]]、声優 * 生年不明 - [[村竹あおい]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ref.co.jp/baobab/ladies/muratake_a/profile.html|title=村竹あおい|publisher=ぷろだくしょんバオバブ |accessdate=2021-01-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20020606145941/http://www.ref.co.jp/baobab/ladies/muratake_a/profile.html|archivedate=2002年6月6日}}</ref>、声優 == 忌日 == {{multiple image | footer = [[キリスト教]]司祭、[[トマス・ア・ケンピス]](1380-1471)没。著書『[[キリストに倣いて]]』(中央画像; 1418頃)は[[聖書]]の次に多く読まれた本とされる。{{Squote|他の者があなたの望むようにならぬといって怒ってはならない。あなた自身もあなたが望むようにはなれぬのだから。――『キリストに倣いて』}} | image1 = Thomas-von-Kempen.jpg | width1 = 100 | alt1 = トマス・ア・ケンピス | image2 = Thomas_à_Kempis_-_De_Imitatione_Christi.gif | width2 = 140 | alt2 = 『キリストに倣いて』 | image3 = Zwolle_Begraafplaats_Bergklooster_Monument_Thomas_a_Kempis.jpg | width3 = 100 | alt3 = 石碑 }} {{multiple image | footer = 「[[浮世絵]]の祖」、画家[[菱川師宣]](1618-1694)没。左画像は『見返り美人図』、右は[[春画]] | image1 = Beauty_looking_back.jpg | width1 = 80 | alt1 = 『見返り美人図』 | image2 = MORONOBU.JPG | width2 = 140 | alt2 = 春画 }} {{multiple image | image1 = Beaux-Arts de Carcassonne - Portrait d'André Chénier - Suvée - Joconde04400001220.jpg | width1 = 120 | caption1 = 詩人[[アンドレ・シェニエ]](1762-1794)、[[恐怖政治]]終結の3日前に[[ギロチン]]で処刑。{{Squote|[[芸術]]は[[詩|詩行]]しか作らない。[[心]]だけが詩人である。――『エレジー』}} | image2 = Samuel_Taylor_Coleridge.jpg | width2 = 120 | caption2 = 詩人[[サミュエル・テイラー・コールリッジ]](1772-1834)没。{{Squote|[[花]]は愛らしく、[[愛]]は花のよう/[[友情]]は護ってくれる樹木――『若さと老い』}} }} [[Image:Engelbert_Dollfuss.png|thumb|100px|[[オーストリア]]の独裁者[[エンゲルバート・ドルフス]](1892-1934)暗殺]] {{multiple image | image1 = Albert-Mangelsdorff-Schindelbeck.jpg | width1 = 80 | caption1 = [[ジャズ]]トロンボーン奏者、[[アルベルト・マンゲルスドルフ]](1928-2005) | image2 = Johnny_Griffin_1.jpg | width2 = 100 | caption2 = ジャズサックス奏者、[[ジョニー・グリフィン]](1928-2008) }} * [[306年]] - [[コンスタンティウス・クロルス]]、[[西ローマ帝国]]皇帝、[[コンスタンティヌス朝]]の創始者(* [[250年]]) * [[737年]]([[天平]]9年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[多治比縣守]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[668年]]) * [[1409年]] - [[マルティーノ1世 (シチリア王)|マルティーノ1世]]、[[シチリア王国|シチリア王]](* [[1374年]]頃) * [[1471年]] - [[トマス・ア・ケンピス]]、[[キリスト教]][[司祭]]、[[神秘主義|神秘思想家]](* [[1380年]]) * [[1492年]] - [[インノケンティウス8世 (ローマ教皇)|インノケンティウス8世]]、第213代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1432年]]) * [[1510年]]([[永正]]7年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[上杉顕定]]、[[関東管領]](* [[1454年]]) * [[1694年]]([[元禄]]7年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[菱川師宣]]、[[浮世絵|浮世絵師]](* [[1618年]]?) * [[1710年]] - [[ゴットフリート・キルヒ]]、天文学者(* [[1639年]]) * [[1738年]]([[元文]]3年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[瑞春院]]、[[徳川綱吉]]の[[側室]](* [[1658年]]) * [[1780年]]([[安永]]9年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]) - [[松宮観山]]、[[儒学者]](* [[1686年]]) * [[1790年]] - [[ウィリアム・リビングストン]]、[[ニュージャージー州]]知事(* [[1723年]]) * 1790年 - [[ヨハン・ベルンハルト・バゼドウ]]、[[教育者]](* [[1724年]]) * [[1794年]] - [[アンドレ・シェニエ]]、[[詩人]](* [[1762年]]) * [[1826年]] - [[コンドラチイ・ルイレーエフ]]、詩人、[[デカブリストの乱]]参加者(* [[1795年]]) * [[1834年]] - [[サミュエル・テイラー・コールリッジ]]、詩人(* [[1772年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[緒方洪庵]]、[[医師]]、[[蘭学|蘭学者]]、[[適塾]]創設者(* [[1810年]]) * [[1890年]] - [[松平茂昭]]、第17代[[福井藩|福井藩主]](* [[1836年]]) * [[1929年]] - [[牧野省三]]、[[映画監督]](* [[1878年]]) * [[1934年]] - [[フランソワ・コティ]]、[[実業家]](* [[1874年]]) * 1934年 - [[ネストル・マフノ]]、[[アナキズム]]活動家(* [[1888年]]) * 1934年 - [[エンゲルベルト・ドルフース]]、[[オーストリア]]首相(* [[1892年]]) * [[1938年]] - [[フランツ1世 (リヒテンシュタイン公)|フランツ1世]]、[[リヒテンシュタイン|リヒテンシュタイン公]](* [[1853年]]) * [[1944年]] - [[ヤーコプ・フォン・ユクスキュル]]、[[生物学者]](* [[1864年]]) * 1944年 - [[村松幸雄]]、[[プロ野球選手]](* [[1920年]]) * [[1955年]] - [[イルマリ・ハンニカイネン]]、作曲家、ピアニスト(* [[1892年]]) * [[1958年]] - [[ハリー・ワーナー]]、実業家(* [[1881年]]) * [[1965年]] - [[オットー・ディクス]]、[[画家]](* [[1891年]]) * [[1969年]] - [[ダグラス・ムーア]]、[[作曲家]](* [[1893年]]) * [[1974年]] - [[花菱アチャコ]]、[[漫才師]](* [[1897年]]) * [[1976年]] - [[ジョン・クラーク・スレイター]]、[[物理学者]](* [[1900年]]) * [[1977年]] - [[迫水久常]]、[[郵政大臣]](* [[1902年]]) * [[1978年]] - [[古賀政男]]、作曲家(* [[1904年]]) * [[1980年]] - [[ヴラジーミル・ヴィソツキー]]、[[詩人]]、[[俳優]]、[[シンガーソングライター]](* [[1938年]]) * [[1984年]] - [[平田昭彦]]、[[俳優]](* [[1927年]]) * [[1986年]] - [[ヴィンセント・ミネリ]]、映画監督(* [[1903年]]) * 1986年 - [[テッド・ライオンズ]]、元プロ野球選手(* [[1900年]]) * [[1988年]] - [[箱崎晋一朗]]、[[歌手]](* [[1945年]]) * 1988年 - [[ジュディス・バーシ]]、[[子役]](* [[1978年]]) * [[1992年]] - [[クルト・リュートゲン]]、[[児童文学]]作家(* [[1911年]]) * [[1995年]] - [[公文公]]、[[数学]]研究者、[[日本公文教育研究会|公文式]]考案者(* [[1914年]]) * 1995年 - [[オスヴァルド・プグリエーセ]]、[[ピアニスト]](* [[1905年]]) * [[1997年]] - [[ベン・ホーガン]]、[[ゴルフ|プロゴルファー]](* [[1912年]]) * [[2001年]] - [[淺川誠二]]、[[プロボクサー]](* [[1967年]]) * [[2003年]] - [[味村治]]、[[内閣法制局長官]](* [[1924年]]) * 2003年 - [[ジョン・シュレシンジャー]]、映画監督(* [[1926年]]) * 2003年 - [[宮田淳一]]、漫画家(* [[1956年]]) * [[2004年]] - [[下條正巳]]、俳優(* [[1915年]]) * [[2005年]] - [[アルベルト・マンゲルスドルフ]]、[[ジャズ]][[トロンボーン]]奏者(* [[1928年]]) * 2005年 - [[道仏訓]]、元プロ野球選手(* [[1921年]]) * [[2006年]] - [[矢口洪一]]、[[最高裁判所長官]](* [[1920年]]) * 2006年 - [[アルド・ノタリ]]、[[国際野球連盟]]会長。イタリアパルマで没(* [[1932年]]) * [[2008年]] - [[ジョニー・グリフィン]]、ジャズ[[サクソフォーン]]奏者(* [[1928年]]) * 2008年 - [[ランディ・パウシュ]]、[[計算機科学|計算機科学者]]、[[教育者]](* [[1960年]]) * [[2011年]] - [[マイケル・カコヤニス]]、映画監督、映画プロデューサー、脚本家(* [[1922年]])<ref>{{Cite web|和書|title=映画監督のマイケル・カコヤニス氏が死去 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2504R_W1A720C1CC0000/ |website=日本経済新聞 |date=2011-07-26 |access-date=2022-10-22 |language=ja}}</ref> * 2011年 - [[デイヴィッド・グッドマン]]、[[日本文学]]、演劇研究者(* [[1946年]]) * 2011年 - [[森祐喜]]、政治家(* [[1964年]]) * [[2013年]] - [[ウォルター・デ・マリア]]、[[彫刻家]]、[[音楽家]](* [[1935年]])<ref>{{Cite web|和書|title=ウォルター・デ・マリア氏死去 米国の現代美術家 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2801C_Z20C13A7CC0000/ |website=日本経済新聞 |date=2013-07-29 |access-date=2022-10-22 |language=ja}}</ref> * 2013年 - [[瀬戸和則]]、元プロ野球選手(* [[1950年]]) * [[2014年]] - [[カルロ・ベルゴンツィ]]、[[テノール]][[歌手]](* [[1924年]])<ref>{{Cite web|和書|title=【訃報】カルロ・ベルゴンツィ氏(Carlo Bergonzi, 1924年7月13日-2014年7月25日) |url=https://tower.jp/article/feature_item/2014/07/28/1101 |website=TOWER RECORDS ONLINE|access-date=2022-10-22|date=2014年07月28日 }}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.washingtonpost.com/entertainment/music/carlo-bergonzi-celebrated-italian-tenor-and-interpreter-of-verdi-dies-at-90/2014/07/29/e9d8909c-172c-11e4-9e3b-7f2f110c6265_story.html|title=Carlo Bergonzi, celebrated Italian tenor and interpreter of Verdi, dies at 90|first= Emily|last=Langer|date=2014-07-29|accessdate=2022-10-22}}</ref> * [[2016年]] - [[三平晴樹]]、元プロ野球選手(* [[1938年]]) * [[2017年]] - [[木村太郎 (政治家)|木村太郎]]、[[政治家]] (* [[1965年]])<ref>{{Cite web|和書|title=自民・木村太郎衆院議員が死去 |url=https://www.sankei.com/article/20170725-FXUHPZVRZVJZFOBB5ONZAWHY4U/ |website=産経ニュース |date=2017-07-25 |access-date=2022-10-22 |language=ja |publisher=SANKEI DIGITAL}}</ref> * 2020年 - [[ピーター・グリーン (ミュージシャン)|ピーター・グリーン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://rollingstonejapan.com/articles/detail/34301/1/1/1|title=ピーター・グリーンが73歳で死去 初期フリートウッド・マックを牽引したギタリスト|publisher=Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)|date=2020-07-26|accessdate=2020-12-17}}</ref><ref>[https://www.cnn.co.jp/showbiz/35157232.html ピーター・グリーンさん死去、73歳 英バンド「フリートウッド・マック」創設] CNN.co.jp 2020年7月26日</ref>、[[ギタリスト]] (* [[1946年]]) * [[2022年]] - [[島田陽子]]、女優(* [[1953年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Bourguiba_photo_officielle.jpg|thumb|140px|[[チュニジア]]の初代大統領[[ハビーブ・ブルギーバ]]。1957年の共和国宣言と同時に大統領に就任。]] [[Image:Tenjinmatsuri.JPG|thumb|200px|[[天神祭]]の本宮。画像は「どんどこ船」]] {{multiple image | footer = [[イエス・キリスト|キリスト]]の[[使徒|12使徒]]の1人、ゼベダイの子[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]]。右画像は[[レンブラント・ファン・レイン]]画 | image1 = SantiagoMatamoros.jpg | width1 = 120 | alt1 = ヤコブ | image2 = Rembrandt_-_Sankt_Jakobus_der_Ältere.jpg | width2 = 80 | alt2 = レンブラント画 }} * 共和国記念日({{TUN}}) *: [[1957年]]のこの日、チュニジアが共和国宣言をし[[共和国]]になったことを記念。その前年の[[1956年]][[3月20日]]に[[フランス]]から[[チュニジア王国]]として独立している。 * 憲法記念日({{PRI}}) *: [[1952年]]のこの日に{{仮リンク|プエルトリコ憲法|en|Constitution of Puerto Rico}}が発効したことを記念。 *[[粤語]]の日({{PRC}}[[広東省]] ·{{HKG}} · {{MAC}}) * ニコヤ隊によるコスタリカ併合の日({{CRI}}) *[[天神祭]]本宮({{JPN}}[[大阪天満宮]]) * 聖ヤコブの祭日 *: イエスの[[使徒]]の一人[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]]の、[[カトリック教会]]における[[聖名祝日|祝日]]。 * 聖クリストフォロスの祝日 *: キリスト教の聖人[[クリストフォロス]]のカトリック教会における祝日。ただし、現在のカトリック教会の暦からは「史実性に乏しい」として除外されている。 * [[気温#最高気温|最高気温記念日]]({{JPN}}) *: [[1933年]]7月25日に、[[山形県]][[山形市]]で最高気温40.8度を記録したことに由来。長らくこれが日本の最高記温の記録となっていたが、[[2007年]][[8月16日]]に[[埼玉県]][[熊谷市]]と[[岐阜県]][[多治見市]]で40.9度を観測し、74年ぶりに記録が更新された<ref>{{Cite web|和書|url=https://today.smartnews.com/20180725|title=最高気温記念日|publisher=地球くん|date=2018-07-25|accessdate=2020-07-24}}</ref>。 * [[かき氷]]の日({{JPN}}) *: かき氷のかつての名称「夏氷(なつごおり)」から、7月25日の「725」が「ナツゴ」と読めることと、この日が最高気温記念日であることから、かき氷にふさわしいとして日本かき氷協会が制定。 * [[うま味調味料]]の日({{JPN}}) *: 日本うま味調味料協会が制定。[[1908年]]のこの日、化学者の[[池田菊苗]]が「[[グルタミン酸ナトリウム|グルタミン酸塩]]を主成分とせる調味料製造法」の特許を取得した。この特許は翌年鈴木製薬所により「[[味の素]]」として商品化され、うま味調味料のさきがけとなった。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0725|date=2011年6月}} * 1939年 - 瀬戸礼二(田崎)満鉄《あじあ》内にて任務に就く『アジア・エクスプレス』(アニメ『[[ジョーカー・ゲーム]]』) * 1949年(昭和24年)- 太陽クラブの隅田光一と木島良助が[[釈放]]される。(小説『[[白昼の死角]]』第3章) * 2009年 - 海上自衛隊第7潜水隊群(架空の部隊)所属、潜水艦くろしお(艦長、織田志郎三等海佐)が[[クーデター]]を決起(漫画『[[戦海の剣]]』) * 2017年 - 羽田国際空港上空に謎の巨大立方体が現れる。(アニメ『[[正解するカド]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1759年]] - [[アースクェイク (サムライスピリッツ)|アースクェイク]]、ゲーム『[[サムライスピリッツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.snk-corp.co.jp/official/samuraispirits/characters/earthquake.php |title=アースクエイク |access-date=2022-10-14 |publisher=SNK |work=SAMURAI SPIRITS 公式サイト}}</ref> * [[1984年]] - 永井頼人、ゲーム『[[SIREN2]]』に登場するキャラクター * [[1992年]] - 牧瀬紅莉栖、ゲーム・アニメ『[[STEINS;GATE]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|kagakuadv|1419130283257860097}}</ref> * 生年不明 - 波多野憲二、漫画・アニメ『[[モンキーターン (漫画)|モンキーターン]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|title=Monkey Turn#10 (Shonen sunday comics special)|date=2008-05-21|publisher=[[小学館]]|page=74|author=河合克敏|isbn=978-4-09-121315-0}}</ref> * 生年不明 - 猿野天国、漫画・ドラマCD『[[Mr.FULLSWING]]』の主人公 * 生年不明 - 田中、漫画・アニメ『[[田中くんはいつもけだるげ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|tanaka_anime|889738270971641856}}</ref> * 生年不明 - メリオダス、漫画・アニメ『[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]』の主人公<ref>{{Twitter status|7taizai_grandx|1154254952400904194}}</ref> * 生年不明 - ココとナッツ、『[[シナモロール]]』に登場するキャラクター<ref name="cinnamon">{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/character/cinnamon/?relation |title=お友だち ココとナッツ |work=シナモロール |accessdate=2022-10-14 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref> * 生年不明 - ノジコ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Nojiko.html |title=ノジコ |access-date=2022-10-14 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - 千歳ミユキ、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1418950402578526221}}</ref> * 生年不明 - 山田サヤカ、漫画『[[ピューと吹く!ジャガー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ティア・ハリベル、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/03/harribel.html |title=ティア・ハリベル |access-date=2022-10-14 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=BLEACH.com}}</ref> * 生年不明 - 毒島春美、漫画『[[ムヒョとロージーの魔法律相談事務所]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 葉山小太郎、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1418963434092253200}}</ref> * 生年不明 - 加納ありさ、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 月見蓮、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|757228990583144449}}</ref> * 生年不明 - ミツキ、漫画・アニメ『[[BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narutotoboruto|1551342083700826112}}</ref> * 生年不明 - 七宝院風子、漫画『[[天使とアクト!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アサガオ、漫画・アニメ『[[くノ一ツバキの胸の内]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kunoichi-tsubaki.com/character/detail.html#3 |title=アサガオ |publisher=TVアニメ「くノ一ツバキの胸の内」公式サイト |date= |accessdate=2022-10-14}}</ref> * 生年不明 - セリンサ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 緋鉛、漫画『[[ふしぎ遊戯 玄武開伝]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 荒井一市、漫画・アニメ・映画『[[君に届け]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - Aislinn Wishart 、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=Aislinn Wishart(エイスリン ウィッシュアート) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2022-10-14 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref> * 生年不明 - 池田緋菜、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=池田 緋菜(いけだ ひな) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2022-10-14 |publisher=小林立公式サイト |work=咲-Saki-}}</ref> * 生年不明 - 池田菜沙、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=池田 菜沙(いけだ なずな) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2022-10-14 |publisher=小林立公式サイト |work=咲-Saki-}}</ref> * 生年不明 - 池田城菜、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=池田 城菜(いけだ しろな) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2022-10-14 |publisher=小林立公式サイト |work=咲-Saki-}}</ref> * 生年不明 - 神長香子、漫画・アニメ『[[悪魔のリドル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 月城優、漫画・アニメ『[[立花館To Lieあんぐる]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 香川今日子、CDイラスト集『[[全国制服美少女グランプリ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - エレナ・ユーリ・ノーディス、読者参加企画『[[お嬢様特急]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 石月真名、アニメ『[[sola (久弥直樹・七尾奈留)|sola]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 知名もえか、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hai-furi.com/character/06_01/ |title=知名 もえか |access-date=2022-10-14 |publisher=AAS/新海上安全整備局 |work=劇場版ハイスクール・フリート}}</ref> * 生年不明 - チカ、アニメ『[[荒野のコトブキ飛行隊]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kotobuki_PR|1551526635450511360}}</ref> * 生年不明 - 猿橋佑慧、アニメ『[[リーマンズクラブ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://rymansclub.com/character/tomari/ |title=猿橋佑慧(トマリ運輸|Character) |publisher=「リーマンズクラブ」公式サイト |accessdate=2022-10-14}}</ref> * 生年不明 - 土浦梁太郎、ゲーム・漫画・アニメ『[[金色のコルダ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|neo_romance|889500952155136000}}</ref> * 生年不明 - ラフィーナ、ゲーム『[[ぷよぷよフィーバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://puyo.sega.jp/puyopuyo!/producer/003/index.html |title=全22名のキャラクター ラフィーナ |work=『ぷよぷよ!』プロデューサーコラム |accessdate=2022-10-14 |publisher=[[セガ|SEGA]]}}</ref> * 生年不明 - 葉隠康比呂、ゲーム・アニメ『[[ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sp_kiboukoubai|1419130285619286017}}</ref> * 生年不明 - 高森藍子、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20102 |title=高森 藍子(たかもり あいこ) |access-date=2022-10-14 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 結賀駆、ゲーム・アニメ『[[NORN9 ノルン+ノネット]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1406262059 |title=オトメイト「NORN9 ノルン+ノネット」結賀駆バースデー企画! ラバーキーホルダー、ケーキ型タオル&マグカップセットなどオリジナル限定グッズが登場! |access-date=2022-10-14 |publisher=animate Times |date=2014-07-25}}</ref> * 生年不明 - 大貫篤夫、ゲーム『[[CV 〜キャスティングボイス〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/201401/23046929.html |title=『CV ~キャスティングボイス~』新たに6人の声優キャラクターを紹介 |access-date=2022-10-14 |publisher=ファミ通.com |date=2014-01-23}}</ref> * 生年不明 - 珠李(ジュリ)、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=80&cate=name&cont=Juri |title=珠李(ジュリ) |access-date=2022-10-14 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 如月ツバサ、ゲーム・アニメ『[[アイカツスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aikatsu.net/aikatsustars_02/character/index.html |title=如月 ツバサ |work=アニメ『アイカツスターズ!』 |accessdate=2022-10-14 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP/BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]]}}</ref><ref>{{Cite book |和書|author=バンダイナムコピクチャーズ(監修)|authorlink=バンダイナムコピクチャーズ|date=2016-09-14|title=アイカツスターズ! アイドル名かん|page=24~25|publisher= [[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|isbn=978-4097504184}}</ref> * 生年不明 - ラビリスタ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1419115209583513603}}</ref> * 生年不明 - クロウ、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/tsukiwatari/crow/ |title=クロウ |access-date=2023-01-19 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - 森ベロニカ奈緒子、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/veronica|title=森 ベロニカ 奈緒子|キャラクター|publisher=八月のシンデレラナイン公式サイト|accessdate=2023-08-23}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 25|25 July}} {{新暦365日|7|24|7|26|[[6月25日]]|[[8月25日]]|[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]|0725|7|25}} {{1年の月と日}}
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7月26日
7月26日(しちがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から207日目(閏年では208日目)にあたり、年末まであと158日ある。
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7月26日(しちがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から207日目(閏年では208日目)にあたり、年末まであと158日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月26日'''(しちがつにじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から207日目([[閏年]]では208日目)にあたり、年末まであと158日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = 南米諸国の解放者、[[ホセ・デ・サン=マルティン]](左画像)と[[シモン・ボリバル]](右)が会談。中央の画像は[[グアヤキル]]にある2人の記念碑 | image1 = José de San Martín (retrato, c.1828).jpg | width1 = 80 | alt1 = ホセ・デ・サン=マルティン | image2 = Guayaquil_LaRotonda_Bolivar_SanMartin.JPG | width2 = 140 | alt2 = 記念碑 | image3 = Sim%C3%B3n_Bol%C3%ADvar_2.jpg | width3 = 80 | alt3 = シモン・ボリバル }} {{multiple image | footer = 歌劇『[[パルジファル]]』、[[バイロイト祝祭劇場]](右画像)で初演(1882) | image1 = Parsifal.gif | width1 = 80 | alt1 = 初演時の写真 | image2 = Bayreuthfest.jpg | width2 = 160 | alt2 = 1882年当時のバイロイト祝祭劇場 }} {{multiple image | footer = [[エスペラント]]の最初の教本、『[[Unua Libro]]』刊行(1887)。左画像が初版の[[ロシア語]]版、右は翌年刊行の[[英語]]版。 | image1 = Unua_Libro.jpg | width1 = 80 | alt1 = 『Unua Libro』ロシア語版 | image2 = Primera_edici%C3%B3n_de_esperanto.jpg | width2 = 80 | alt2 = 英語版 }} {{multiple image | footer = [[大東亜共栄圏|大東亜新秩序]]を明記した[[基本国策要綱]]が閣議決定(1940)。左画像は1935年のポスター、右は1942年の切手 | image1 = Manchukuo011.jpg | width1 = 100 | alt1 = 満州でのプロパガンダポスター | image2 = DaitouaKyoueiken.JPG | width2 = 100 | alt2 = 大東亜構想の地図入り切手。諸国の位置関係が修正されている }} {{multiple image | footer = (画像左から)[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]、[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]、[[蔣介石]]が[[ポツダム宣言]]を発表(1945)。日本は当初これを黙殺。同日、イギリス[[保守党 (イギリス)|保守党]]が[[1945年イギリス総選挙|総選挙で敗北]]しチャーチルは急遽帰国。 | image1 = Harry-truman.jpg | width1 = 100 | alt1 = トルーマン | image2 = Sir_Winston_S_Churchill.jpg | width2 = 100 | alt2 = チャーチル | image3 = Chiang_Kai-shek(蔣中正).jpg | width3 = 95 | alt3 = [[蔣介石]] }} [[Image:Cia-lobby-seal.jpg|thumb|アメリカ合衆国の[[国家安全保障法]]署名(1947)。[[アメリカ国家安全保障会議|NSC]]・[[アメリカ国防総省|国家軍政省]]・[[中央情報局|CIA]]が設置される。画像は当時のCIAの床のエンブレム]] [[Image:Farouk I, Narriman & Fuad II in Capri.jpg|thumb|upright|エジプト革命、[[ファールーク1世 (エジプト王)|ファールーク1世]](画像右)が廃位され、生後半年の[[フアード2世 (エジプト王)|フアード2世]](中央)が即位(1952)]] {{multiple image | footer = [[エジプト]]の[[ガマール・アブドゥン=ナーセル|ナーセル]]大統領、[[スエズ運河]]の国有化を宣言。右画像は宣言後、[[カイロ]]に戻ったナーセル | image1 = SuezCanal-EO.JPG | width1 = 60 | alt1 = スエズ運河 | image2 = Nasser_cheered_by_supporters_in_1956.jpg | width2 = 140 | alt2 = カイロに帰還し歓迎を受けるナーセル }} [[Image:US_army_in_Skopje_1963.jpg|thumb|[[スコピエ地震]](1963)]] {{multiple image | caption1 = [[シンコム]]2号打ち上げ(1963) | image1 = Syncom 2 side.jpg | width1 = 80 | alt1 = シンコム2号 | caption2 = [[アポロ15号]]発射(1971年) | image2 = Apollo 15 launch.jpg | width2 = 100 | alt2 = アポロ15号 }} {{multiple image | footer = 初期のコンピュータ[[ワーム (コンピュータ)|ワーム]]「[[Morris worm]]」を作成した[[ロバート・T・モリス]]が告発される(1989)。左画像はMorris Worm入りディスク | image1 = Morris_Worm.jpg | width1 = 80 | alt1 = Morris worm入りディスク。ボストンの科学博物館にて展示 | image2 = Robert_Tappan_Morris.jpg | width2 = 100 | alt2 = ロバート・T・モリス }} {{multiple image | footer = [[Bluetooth]]仕様書バージョン1.0発表(1999) | image1 = BluetoothUSB.jpg | width1 = 80 | alt1 = USBドングル | image2 = Bluetooth_headset.jpg | width2 = 80 | alt2 = 携帯電話のヘッドセット }} * [[657年]] - [[スィッフィーンの戦い]]の本格的な衝突が始まる{{要出典|date=2021-03}}。 * [[811年]] - [[ブルガリア・東ローマ戦争]]: [[プリスカの戦い]]([[バルカン山脈|ヴルビツァ峠]]の戦い)。[[第一次ブルガリア帝国]]のハーン・[[クルム (ブルガリア皇帝)|クルム]]が[[東ローマ帝国]]を破る。東ローマ皇帝[[ニケフォロス1世]]は戦死、息子の[[スタウラキオス]]も重傷を負う。 * [[1469年]] - [[薔薇戦争]]: [[エッジコート・ムーアの戦い]]。 * [[1580年]] - [[皆既月食]]中に「土星食」が発生<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202211050000483.html|title=442年ぶり皆既月食中に惑星食、次回は322年後の天体ショー 8日夜、天気よければ各地で|publisher=日刊スポーツ|date=2022-11-05|accessdate=2022-11-08}}</ref>。 * [[1581年]] - [[八十年戦争]]: [[ネーデルラント17州|ネーデルラント]]の北部7州がスペイン王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]の[[オランダの歴史#フェリペ2世の統治権否認決議|統治権を否認]]。 * [[1788年]] - [[ニューヨーク州]]が[[アメリカ合衆国憲法]]に批准し、[[アメリカ合衆国]]11番目の州となる。 * [[1798年]]([[寛政]]10年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[本居宣長]]の『[[古事記伝]]』全44巻が完成。 * [[1822年]] - [[ホセ・デ・サン=マルティン]]と[[シモン・ボリバル]]が[[グアヤキル]]で会談。 ([[:en:Guayaquil conference]]) * [[1847年]] - アメリカ合衆国の解放奴隷によって建設された再移住区・[[リベリア]]が、憲法を制定して独立を宣言。 * [[1863年]] - [[南北戦争]]: [[モーガンの襲撃]]が終了。 * [[1866年]] - [[プロイセン王国]]と[[オーストリア帝国]]が[[ニコルスブルク仮条約]]を締結。 * [[1882年]] - [[リヒャルト・ワーグナー]]の[[楽劇]]『[[パルジファル]]』が[[バイロイト祝祭劇場]]で初演。 * [[1887年]] - [[ルドヴィコ・ザメンホフ]]が作った[[エスペラント]]の最初の学習書[[Unua Libro]]が出版される。 * [[1908年]] - [[アメリカ合衆国司法省]]内に捜査局(BOI、後の[[連邦捜査局|アメリカ連邦捜査局]]〈FBI〉)を設立。 * [[1918年]] - [[下関駅]]構内で[[日本の鉄道事故_(1949年以前)#下関駅構内爆発事故|軍用火薬が爆発]]。27人死亡、106人重軽傷<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asocie.jp/archives/yamaguchi/station/index.html|title=遠き日の大火災 下関駅|work=Map Communications Museum.|accessdate=2020-07-25}}</ref>。 * [[1937年]] - [[広安門事件]]:中国軍と日本軍が衝突。 * [[1940年]] - [[大東亜共栄圏|大東亜新秩序]]、国防国策体制を明記した[[基本国策要綱]]が閣議決定。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[イギリス]]および[[イギリス連邦]]各国が[[日英通商航海条約]]の破棄を通告し、日本の[[資産凍結|資産を凍結]]。同日、アメリカも同国内の日本資産の凍結を行った<ref>在米残留邦人、龍田丸で最後の引き揚げ『朝日新聞』(昭和16年11月30日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p457 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。イギリスと[[中華民国の歴史|中華民国]]の間で不平等条約改正に合意する交換公文が署名される。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦: [[イギリス]]・アメリカ合衆国・[[中華民国]]3国の首脳が[[大日本帝国]]に向けて[[ポツダム宣言]]を発表。 * 1945年 - [[1945年イギリス総選挙|イギリス総選挙]]の開票が行われ、[[ウィンストン・チャーチル]]首相の[[保守党 (イギリス)|保守党]]が[[クレメント・アトリー]]率いる[[労働党 (イギリス)|労働党]]に敗れる。ポツダム会談中のチャーチルは帰国。 * 1945年 - 第二次世界大戦: [[広島市への原子爆弾投下|広島]]・[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]に投下されることになる、[[原子爆弾]]の弾頭を載せた巡洋艦「[[インディアナポリス (重巡洋艦)|インディアナポリス]]」が、[[サイパン]]・テニアンに到着。 * [[1946年]] - [[日本プロ野球]]の[[阪神タイガース|大阪タイガース]]対[[松竹ロビンス|パシフィック]]戦が試合時間55分で最短記録。1-0で大阪タイガーズの勝ち。 * [[1947年]] - [[ハリー・S・トルーマン]]米大統領が[[国家安全保障法]](NSA)に署名し発効。これにより[[アメリカ国家安全保障会議|国家安全保障会議]](NSC)・国家軍政省(後の[[アメリカ国防総省|国防総省]])・[[中央情報局]](CIA)が設置。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: [[老斤里事件]]が起こる。 * [[1951年]] - [[北海道]][[札幌市]]内を走行中の札幌中央バスから出火。火元は車内にあった[[セルロイド|映画フィルム]]。死者12人、重軽傷者32人<ref name="film01">{{Cite web |url=https://gendai.media/articles/-/77306?page=2 |title=32名が犠牲に…バス爆発事故を引き起こしたのは「映画のフィルム」だった |publisher=マネー現代編集部 |date=2020年10月15日 |accessdate=2023-09-24}}</ref>。 * [[1952年]] - [[エジプト革命 (1952年)|エジプト革命]]: [[エジプト]]王[[ファールーク1世 (エジプト王)|ファールーク1世]]が廃位され、ヨーロッパへ亡命。生後半年の[[フアード2世 (エジプト王)|フアード2世]]が即位。 * [[1953年]] - [[キューバ革命]]・[[7月26日運動]]: [[フィデル・カストロ]]率いる小隊が[[モンカダ兵営]]を襲撃、[[キューバ革命]]の端緒となる。 * 1953年 - [[神奈川県]][[早雲山]]で[[地すべり]]が発生。死傷者28人。 * [[1956年]] - [[エジプト]]の[[ガマール・アブドゥン=ナーセル]]大統領が[[スエズ運河]]の国有化を宣言。これにイギリス・フランスが反発し、[[第二次中東戦争]](スエズ動乱)のきっかけとなる。 * [[1958年]] - アメリカで地球観測衛星「[[エクスプローラー4号]]」打ち上げ。 * [[1963年]] - [[スコピエ地震]]。 * 1963年 - 初の[[対地同期軌道]][[通信衛星]]である[[シンコム]]2号打ち上げ。 * 1963年 - [[経済協力開発機構]](OECD)が[[日本]]の加盟を承認。翌年4月28日に正式加盟<ref>{{Cite web|和書|url=https://mikoshistorys.com/july-26-5571.html|title=7月26日 経済協力開発機構へ加盟|work= Mikoshi Storys|date=2013-07-26|accessdate=2020-07-25}}</ref>。 * [[1965年]] - [[モルディブ]]が[[イギリス]]より独立。 * [[1971年]] - アメリカの有人月宇宙船[[アポロ15号]]が打ち上げ<ref>{{Cite web|url=https://www.space.com/17483-apollo-15.html|title=Apollo 15: The Moon Buggy Debuts|work=SPACE.com|author=Elizabeth Howell|date=2018-10-01|accessdate=2020-07-25}}</ref>。 * [[1981年]] - [[福岡市地下鉄空港線]]の[[室見駅]] - [[天神駅]]間が開業。[[福岡市交通局|福岡市地下鉄]]の最初の開業区間。 * [[1989年]] - [[Morris worm]]を作成した[[コーネル大学]]の学生[[ロバート・T・モリス]]が、同ワームを作ったことによるコンピュータ詐欺および不正使用取締法違反で告発される。モリスは後日[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]教授に就任。 * [[1992年]] - [[第16回参議院議員通常選挙]]。 * [[1993年]] - [[アシアナ航空733便墜落事故]]。 * [[1996年]] - [[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]にて[[野村忠宏]]が[[金メダル]]。 * [[1999年]] - [[カシミール紛争]]・[[印パ戦争]]: {{仮リンク|カルギル紛争|en|Kargil War}}が終結。 * 1999年 - [[Bluetooth]]仕様書バージョン1.0発表。 * 1999年 - [[国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律|国会審議活性化法]]が成立<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/vote/145/145-0726-v002.htm|title=国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律案(衆議院提出)|work=参議院|accessdate=2020-07-25}}</ref>。 * [[2005年]] - [[STS-114]]ミッションで[[スペースシャトル]]「[[スペースシャトル・ディスカバリー|ディスカバリー]]」が打ち上げ。[[2003年]]の[[コロンビア号空中分解事故]]以来初のシャトル打ち上げ。 * [[2012年]] - [[2012年ロンドンオリンピック|ロンドンオリンピック]]の[[2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技|男子サッカー]]で、[[U-23サッカー日本代表|日本代表]]が[[U-23サッカースペイン代表|スペイン代表]]を1-0で破る金星を上げる<ref>{{Cite web|和書|date=2012-07-27|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZZO44212240X20C12A7000000/|title=日本、スペイン戦は奇跡でなく「必然の勝利」 |publisher=[[日本経済新聞]]|accessdate=2020-07-25}}</ref>。 * [[2016年]] - [[相模原障害者施設殺傷事件]]が発生。[[知的障害者]][[施設]]に入所していた、知的障害者45名が刃物で襲われ、入所者19名が[[死亡]]、26名が[[負傷]]した<ref>{{Cite web|和書|date=2020-03-16|url=https://www.bbc.com/japanese/51906304|title=相模原施設19人殺害事件、U被告に死刑判決|publisher=BBC NEWS|accessdate=2020-07-25}}</ref>。 * [[2018年]] - [[オウム真理教事件]]に関与した[[日本における死刑囚|死刑囚]]13人のうち、[[7月6日]]に死刑執行された7人に続いて残る6人の[[日本における死刑|死刑]]を執行、一連の事件について死刑確定囚全員の死刑執行が完了<ref>{{Cite web|和書|date=2018-07-26 |url=https://yomiuri.publication.network/amp/ecd8fd6e061cec712ea13bc5165addf1e73373e5d30003bc3ea051aefcecf913 |title=オウム死刑囚6人の刑執行、全13人の執行終了|publisher=[[読売新聞社]]|accessdate=2020-07-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180728035703/https://yomiuri.publication.network/amp/ecd8fd6e061cec712ea13bc5165addf1e73373e5d30003bc3ea051aefcecf913 |archivedate=2018-07-28}}</ref>。 * [[2022年]] - [[秋葉原通り魔事件]]の[[日本における死刑囚|死刑囚]]の[[日本における死刑|死刑]]を執行<ref name="日本経済新聞2022-07-26">{{Cite web|和書|title=秋葉原無差別殺傷、加藤智大死刑囚の死刑執行 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE260YX0W2A720C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2022-07-26 |access-date=2022-07-26 |language=ja}}</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} {{multiple image | footer = 儒学者・書家・文人画家、[[貫名菘翁]](1778-1863)誕生。左画像は『山水図』、右は『山水詩画』(1841) | image1 = Landscape_by_Nukina_Kaioku.jpg | width1 = 100 | alt1 = 山水図 | image2 = Nukina_Suoh_sishogasohfuku.jpg | width2 = 100 | alt2 = 山水詩画双幅 }} {{multiple image | footer = 画家[[ジョージ・カトリン (画家)|ジョージ・カトリン]](1796-1872)誕生。[[インディアン]]の肖像を多く描いた。右画像は『ホワイトクラウド、アイオワ族酋長』 | image1 = GeorgeCatlinByFisk.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジョージ・カトリン | image2 = George_Catlin_001.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『ホワイトクラウド、アイオワ族酋長』 }} {{multiple image | image1 = Marshall.gif | width1 = 100 | caption1 = [[新古典派経済学|新古典派]]の経済学者[[アルフレッド・マーシャル]](1842-1924) | image2 = Ferdinand_Toennies_Bueste_Husum-Ausschnitt.jpg | width2 = 100 | caption2 = 社会学者[[フェルディナント・テンニース]](1855-1936)。 }} [[Image:Hall_Freud_Jung_in_front_of_Clark_1909.jpg|thumb|200px|[[分析心理学]]の創始者、心理学者[[カール・グスタフ・ユング]](1875-1961)誕生。画像の前列左は[[ジークムント・フロイト|フロイト]]、右がユング。]] {{multiple image | footer = | image1 = George_bernard_shaw.jpg | width1 = 80 | caption1 = 劇作家・批評家、[[ジョージ・バーナード・ショー]](1856-1950) | image2 = Kaoru_Osanai.jpg | width2 = 80 | caption2 = 劇作家・批評家、「新劇の父」[[小山内薫]](1881-1928) }} [[Image:Andr%C3%A9_Maurois%2C_by_Philip_Alexius_de_L%C3%A1szl%C3%B3%2C_1934.jpg|thumb|200px|作家[[アンドレ・モーロワ]](1885-1967)]] {{multiple image | footer = | image1 = AndreMaurois.JPG | width1 = 80 | caption1 = 作家[[アンドレ・モーロワ]](1885-1967) | image2 = Aldous_Huxley.JPG | width2 = 80 | caption2 = 作家[[オルダス・ハクスリー]](1894-1963) | image3 = James_Lovelock_in_2005.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[ガイア理論]]の提唱者、作家・科学者[[ジェームズ・ラブロック]](1919-) }} [[Image:Edmund_Phelps_2008-01-23.jpg|thumb|180px|経済学者、[[エドムンド・フェルプス]](1933-)]] {{multiple image | image1 = John Howard boy.jpg | width1 = 80 | caption1 = 第25代[[オーストラリア]]首相、[[ジョン・ハワード]](1939-) | image2 = Thaksin_crop.jpg | width2 = 80 | caption2 = 第23代[[タイ王国]]首相、[[タクシン・チナワット]](1949-) }} [[Image:Jagger_live_Italy_2003.JPG|thumb|180px|ミュージシャン、[[ミック・ジャガー]](1943-)]] * [[1678年]] - [[ヨーゼフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ1世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1711年]]) * [[1778年]]([[安永 (元号)|安永]]7年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[貫名菘翁]]{{要出典|date=2021-04}}、[[儒学者]]、[[書道|書家]]、[[文人画|文人画家]](+ [[1863年]]) * [[1782年]] - [[ジョン・フィールド]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/John-Field-Irish-composer John Field Irish composer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[作曲家]](+ [[1837年]]) * [[1783年]]([[天明]]3年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[松平直寛]]、第8代[[出雲国]][[広瀬藩|広瀬藩主]](+ [[1850年]]) * [[1791年]] - [[フランツ・クサーヴァー・モーツァルト]]、作曲家(+ [[1844年]]) * [[1796年]] - [[ジョージ・カトリン (画家)|ジョージ・カトリン]]、[[画家]](+ [[1872年]]) * [[1802年]] - [[マリアノ・アリスタ]]、[[政治家]]、[[メキシコ大統領]](+ [[1855年]]) * [[1815年]] - [[ロベルト・レーマク]]、[[生理学者]](+ [[1865年]]) * [[1829年]] - [[オーギュスト・ベールナールト]]、[[政治家]](+ [[1912年]]) * [[1842年]] - [[アルフレッド・マーシャル]]、[[経済学者]](+ [[1924年]]) * [[1851年]]([[嘉永]]4年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[土井利与]]、第7代[[下総国]][[古河藩|古河藩主]](+ [[1929年]]) * [[1855年]] - [[フェルディナント・テンニース]]、[[社会学者]](+ [[1936年]]) * [[1856年]] - [[ジョージ・バーナード・ショー]]、[[劇作家]](+ [[1950年]]) * [[1865年]] - [[フィリップ・シャイデマン]]、[[ドイツの首相|ドイツ国首相]]、[[ドイツ社会民主党]][[党首]](+ [[1939年]]) * [[1873年]] - [[野口遵]]、[[実業家]]、[[日窒コンツェルン]]創業者(+ [[1944年]]) * [[1874年]] - [[セルゲイ・クーセヴィツキー]]、[[指揮者]](+ [[1951年]]) * [[1875年]] - [[カール・グスタフ・ユング]]、[[心理学者]](+ [[1961年]]) * [[1876年]] - [[アーネスト・シェリング]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](+ [[1939年]]) * [[1877年]] - [[ジェシー・リバモア]]、[[投機家]](+ [[1940年]]) * [[1879年]] - [[畑俊六]]、[[陸軍軍人]](+ [[1962年]]) * [[1881年]] - [[小山内薫]]、[[劇作家]]、[[演出家]](+ [[1928年]]) * [[1885年]] - [[アンドレ・モーロワ]]、[[小説家]](+ [[1967年]]) * [[1891年]] - [[宇野浩二]]、小説家(+ [[1961年]]) * [[1893年]] - [[ジョージ・グロス]]、画家(+ [[1959年]]) * [[1894年]] - [[オルダス・ハクスリー]]、[[作家]](+ [[1963年]]) * [[1897年]] - [[ポール・ギャリコ]]、小説家(+ [[1976年]]) * [[1902年]] - [[小笠原章二郎]]、[[俳優]](+ [[1974年]]) * [[1907年]] - [[アンドレ・ジェルトレル]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1998年]]) * [[1919年]] - [[ジェームズ・ラブロック]]、[[科学者]]、作家(+ [[2022年]]) * [[1922年]] - [[ジェイソン・ロバーズ]]、俳優(+ [[2000年]]) * 1922年 - [[ブレイク・エドワーズ]]、[[映画監督]](+ [[2010年]]) * [[1923年]] - [[ホイト・ウィルヘルム]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2002年]]) * [[1924年]] - [[伊藤健一 (野球)|伊藤健一]]、元プロ野球選手 * [[1928年]] - [[スタンリー・キューブリック]]、映画監督(+ [[1999年]]) * 1928年 - [[フランチェスコ・コッシガ]]、政治家、元[[イタリアの大統領|イタリア大統領]](+ [[2010年]]) * 1928年 - [[牧野茂 (野球)|牧野茂]]、元プロ野球選手(+ [[1984年]]) * 1928年<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cdjournal.com/i/artist/joseph-jackson---joe-jackson/904197|title=ジョセフ・ジャクソン(ジョー・ジャクソン)|publisher=CDJournal|accessdate=2020-10-30}}</ref> - [[ジョセフ・ジャクソン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[ジャクソン・ファイブ]]の父(+ [[2018年]]<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/sp/articles/ASL6X2VDGL6XUHBI00L.html |title=マイケルさんの父、ジョセフ・ジャクソンさんが死去|newspaper=朝日新聞|date=2018-06-28|accessdate=2020-10-30}}</ref>) * [[1929年]] - [[アレクシス・ワイセンベルク]]、[[ピアニスト]] (+ [[2012年]]) * [[1930年]] - [[グレン・ミケンズ]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]) * [[1931年]] - [[小野喬]]、[[体操選手]] * 1931年 - [[石鉢勝美]]、元プロ野球選手 * [[1933年]] - [[吉田義男]]、元プロ野球選手 * 1933年 - [[エドムンド・フェルプス]]、[[経済学者]] * [[1934年]] - [[森山周一郎]]、[[俳優]](+ [[2021年]]) * 1934年 - [[杉浦正健]]、政治家 * [[1935年]] - [[ルー・ジャクソン]]、プロ野球選手(+ [[1969年]]) * [[1936年]] - [[大川恵子]]、[[俳優|女優]] * [[1937年]] - [[田中喜八郎]]、元プロ野球選手 * [[1938年]] - [[三平晴樹]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]) * [[1939年]] - [[ジョン・ハワード]]、政治家、第25代[[オーストラリア首相]] * 1939年 - [[辺見じゅん]]、[[歌人]]、[[ノンフィクション作家]](+ [[2011年]]) * [[1943年]] - [[ミック・ジャガー]]、ミュージシャン * 1943年 - [[ピーター・ハイアムズ]]、映画監督 * [[1944年]] - [[羽里功]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[ベティ・デイヴィス (歌手)|ベティ・デイヴィス]]、[[歌手]]、[[シンガーソングライター]]、[[モデル (職業)|モデル]](+ [[2022年]]) * [[1945年]] - [[ヘレン・ミレン]]、女優 * [[1947年]] - [[松岡弘]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[尾瀬あきら]]、[[漫画家]] * [[1948年]] - [[藤原栄子]]、漫画家 * [[1949年]] - [[土田早苗]]、女優 * 1949年 - [[ロジャー・テイラー]]、ミュージシャン * 1949年 - [[タクシン・チナワット]]、政治家、元[[タイ首相]] * [[1950年]] - [[梶原しげる]]、[[フリーアナウンサー]]、[[タレント]] * 1950年 - [[鈴木直志]]、[[アナウンサー]] * 1950年 - [[萩原健一]]、俳優(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM3X7FN6M3XUCLV019.html|title=俳優・萩原健一さん死去 「ショーケン」傷だらけの天使|publisher=朝日新聞デジタル|date=2019-03-28|accessdate=2020-11-18}}</ref>) * 1950年 - [[林忠行]]、[[政治学者|国際政治学者]] * 1950年 - [[宮本好宣]]、元プロ野球選手 * 1950年 - [[若林義春]]、政治家 * [[1951年]] - [[奥薗満]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[河原井正雄]]、アマチュア野球指導者 * [[1955年]] - [[デビッド・イシイ]]、[[プロゴルファー]] * 1955年 - [[飛鳥裕子]]、女優(+ [[2011年]]) * [[1956年]] - [[ドロシー・ハミル]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1957年]] - [[ユン・ピョウ]]、アクション俳優 * [[1958年]] - [[牧原俊幸]]、アナウンサー * 1958年 - [[高泉淳子]]、女優、演出家 * 1958年 - [[アンジェラ・ヒューイット]]、ピアニスト * [[1959年]] - [[山沖之彦]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[副島博志]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * 1959年 - [[寺田正美]]、ミュージシャン([[スターダストレビュー]]) * 1959年 - [[ケヴィン・スペイシー]]、俳優 * 1959年 - [[杜けあき]]、女優 * [[1960年]] - [[国沢道雄]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[松居慶子]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]] * 1961年 - [[ゲイリー・シェローン]]、ミュージシャン(元[[エクストリーム (バンド)|エクストリーム]]、[[ヴァン・ヘイレン]]) * [[1962年]] - [[ガリナ・チスチャコワ]]、[[陸上競技]]選手([[走幅跳]]) * [[1963年]] - [[古川慎一]]、元プロ野球選手 * 1963年 - 谷島美砂、ミュージシャン ([[GO-BANG'S]]) * 1963年 - [[柳沢三千代]]、声優 * [[1964年]] - [[サンドラ・ブロック]]、女優 *1964年 - [[橋本浩志]]、声優 * [[1965年]] - [[アンドレア・トファネッリ]]、[[トランペット奏者]] * 1965年 - [[ノッチ (お笑い芸人)|ノッチ]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[デンジャラス (お笑いコンビ)|デンジャラス]]) * 1965年 - [[廣紀江]]、元[[バレーボール選手]] * 1965年 - [[福田淳]]、[[実業家]]、スピーディ社長 * [[1966年]] - [[村上亜希子]]、アナウンサー * [[1967年]] - [[ジェイソン・ステイサム]]、俳優 * [[1968年]] - [[小島奈津子]]、アナウンサー * [[1969年]] - [[守谷香]]、[[歌手]]、女優 * 1969年 - [[アンドレイ・オクンコフ]]、[[数学者]] * 1969年 - [[萩原康]]、元[[野球選手]] * [[1970年]] - [[内田博幸]]、[[騎手]] * 1970年 - [[INO hidefumi]]、[[音楽家]] * 1970年 - [[外山恒一]]、[[政治活動家]]、[[革命家]] * [[1971年]] - [[桜庭一樹]]、[[作家]] * 1971年 - [[平江巌]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[マーク・リチャードソン]]、[[陸上競技選手]] * [[1973年]] - [[くまだまさし]]、お笑い芸人 * 1973年 - [[ケイト・ベッキンセイル]]、俳優 * [[1974年]] - [[奥野誠一郎]]、元サッカー選手 * [[1975年]] - [[ジョー・スミス]]、バスケットボール選手 * 1975年 - [[瀬尾公治]]、漫画家 * 1975年 - [[リズ・トラス]]、政治家 * [[1976年]] - [[三輪敬司]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[中村俊太]]、元俳優 * 1977年 - [[吉田良一郎]]、[[津軽三味線]]奏者([[吉田兄弟]]) * 1977年 - [[タニヤ・シェフチェンコ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1979年]] - [[佐野優子]]、元バレーボール選手 * 1979年 - [[デレク・パラヴィチーニ]]、ピアニスト * [[1980年]] - [[ジェイソン・ボッツ]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[ジャシンダ・アーダーン]]、政治家、第40代[[ニュージーランドの首相|ニュージーランド首相]] * 1980年 - [[合田智子]]、元野球選手 * 1980年 - [[宮澤健太郎]]、元野球選手 * 1980年 - [[升望]]、声優 * [[1981年]] - [[マイコン・ダグラス・シセナンド|マイコン]]、サッカー選手 * [[1982年]] - [[双大竜亮三]]、元大相撲力士 * 1982年 - [[板垣龍佑]]、[[テレビ東京]]アナウンサー * [[1983年]] - [[岩川美花]]、プロボクサー * [[1984年]] - [[丘みどり]]、[[演歌歌手]] * 1984年 - [[ケビン・ジェプセン]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - [[加藤夏希]]、タレント * 1985年 - [[中土居宏宜]]、元[[歌手]](元[[Lead (音楽グループ)|Lead]]) * 1985年 - [[いしかわえみ]]、漫画家 * 1985年 - [[アンドレイ・グリアゼフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1985年 - [[ガエル・クリシー]]、サッカー選手 * [[1986年]] - [[小川麻衣子]]、漫画家 * 1986年 - [[佐藤達也 (野球)|佐藤達也]]、元プロ野球選手 * [[1987年]] - [[荒木貴裕]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[金久保順]]、元サッカー選手 * 1987年 - [[パナギオティス・コネ]]、サッカー選手 * 1987年 - [[フレディ・モンテーロ]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[秋元才加]]、タレント(元[[AKB48]]) * 1988年 - [[近江友里恵]]、元アナウンサー * 1988年 - [[原田百合果]]、[[ファッションモデル]] * 1988年 - [[鄭凱文]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[大竹秀義]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[藤井香愛]]、歌手 * [[1989年]] - [[楊超]]、元フィギュアスケート選手 * [[1990年]] - [[日美野梓]]、女優 * 1990年 - [[杉本夏希]]、女優 * 1990年 - [[木下美咲]]、女優 * 1990年 - [[山田千晴]]、元女優 * 1990年 - [[ウェベルトン・コヘイヤ・ドス・サントス]]、サッカー選手 * 1990年 - [[パヌサンタ・クレンティラン]]、サッカー選手 * 1990年 - [[フィービー・ディ・トマソ]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[吉田知那美]]、[[カーリング]]選手([[ロコ・ソラーレ]]) * 1991年 - [[和井みずき]]、声優 * [[1992年]] - [[原泉 (野球)|原泉]]、元プロ野球選手 * [[1993年]] - [[テイラー・モンセン]]、女優 * 1993年 - [[エリザベス・ギリース]]、女優 * 1993年 - [[片渕茜]]、アナウンサー * 1993年 - トミー、YouTuber([[水溜りボンド]]) * [[1994年]] - [[木内梨生奈]]、タレント * [[1995年]] - [[mekakushe]]、シンガーソングライター * [[1996年]] - [[北川航也]]、サッカー選手 * [[1997年]] - [[森保まどか]]、タレント、元アイドル (元[[HKT48]]) * 1997年 - [[多屋来夢]]、ファッションモデル * [[1998年]] - [[さくらまや]]、演歌歌手 * [[1999年]] - [[遠藤由実]]、女優 * 1999年 - [[山下美月]]、アイドル([[乃木坂46]]) * 1999年 - [[浦野モモ]]、[[日本テレビのアナウンサー一覧|日本テレビアナウンサー]] * [[2000年]] - [[田中あいみ (演歌歌手)|田中あいみ]]、演歌歌手 * [[2002年]] - [[百瀬拓実]]、俳優 * 生年不明 - [[アルコ (漫画家)|アルコ]]、漫画家 * 生年不明 - [[かわはらなつみ]]、漫画家 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Statue of Kobayakawa Takakage.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[小早川隆景]](1533-1597)没 | image2 = Horio_Yoshiharu_tomb.JPG | width2 = 100 | caption2 = [[堀尾吉晴]](1543-1611)没 | image3 = Ikeda_Toshitaka.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[池田利隆]](1584-1616)没 }} {{multiple image | image1 = K%C5%8Dshir%C5%8D_Matsumoto_IV_as_Sakanaya_Gorobee_by_Sharaku.jpg | width1 = 100 | caption1 = 4代目[[松本幸四郎 (4代目)|松本幸四郎]](1737-1802)没。 | image2 = Junnosuke_Yoshiyuki.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作家[[吉行淳之介]](1924-1994)没。 | image3 = Kodaira_Kunihiko.jpg | width3 = 100 | caption3 = 数学者[[小平邦彦]](1915-1997)没。 }} [[Image:Karoline_von_guenderode.jpg|thumb|100px|[[ロマン主義]]詩人、[[カロリーネ・フォン・ギュンダーローデ]](1780-1806)]] {{multiple image | image1 = Young_frege.jpg | width1 = 100 | caption1 = 数学者[[ゴットロープ・フレーゲ]](1848-1925)没 | image2 = Lebesgue_2.jpeg | width2 = 100 | caption2 = 数学者[[アンリ・ルベーグ]](1875-1941)没。 | image3 = Reza Shah Pahlavi Official Portrait - Colorized 2.jpg | width3 = 100 | caption3 = イラン皇帝[[レザー・シャー]](1878-1944)没。 }} {{multiple image | footer = [[アニメーション映画]]の革新者、漫画家・アニメーター、[[ウィンザー・マッケイ]](1871-1934)没。右画像は『恐竜ガーティ』より | image1 = Winsor McCay.jpg | width1 = 60 | alt1 = ウィンザー・マッケイ | image2 = Gertie_on_tour.gif | width2 = 300 | alt2 = 『恐竜ガーティ』 }} {{multiple image | footer = [[アルゼンチン]]のファーストレディ、[[エバ・ペロン]](1919-1952)没。 | image1 = Evita_-_Malla_de_lunares_-Retrato_de_Annemarie_Heinrich_-_-.jpg | width1 = 100 | alt1 = 水着グラビアのエバ | image2 = Evita008-funeral.jpg | width2 = 140 | alt2 = 葬列 | image3 = Eva peron tomb recoleta.jpg | width3 = 80 | alt3 = 墓 }} * [[70年]] - [[垂仁天皇]]、第11代[[天皇]](* [[紀元前69年]]) * [[811年]] - [[ニケフォロス1世]]、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]](* [[760年]]?) * [[1380年]]([[天授 (日本)|天授]]6年/[[康暦]]2年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]) - [[光明天皇]]、[[北朝 (日本)|北朝]]第2代[[天皇]](* [[1322年]]) * [[1471年]] - [[パウルス2世 (ローマ教皇)|パウルス2世]]、第211代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1417年]]) * [[1566年]]([[永禄]]9年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[近衛稙家]]、[[公卿]](* [[1503年]]) * [[1597年]]([[慶長]]2年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[小早川隆景]]、[[武将|戦国武将]](* [[1533年]]) * [[1611年]](慶長16年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[堀尾吉晴]]、[[松江藩|松江藩主]](* [[1544年]]) * [[1616年]]([[元和 (日本)|元和]]2年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[池田利隆]]、[[姫路藩|姫路藩主]](* [[1584年]]) * [[1630年]] - [[カルロ・エマヌエーレ1世]]、[[サヴォイア公]](* [[1562年]]) * [[1735年]]([[享保]]20年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[蜂須賀宗員]]、第6代[[徳島藩|徳島藩主]](* [[1709年]]) * [[1802年]]([[享和]]2年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[松本幸四郎 (4代目)]]、[[歌舞伎|歌舞伎役者]](* [[1737年]]) * [[1806年]] - [[カロリーネ・フォン・ギュンダーローデ]]、[[詩人]](* [[1780年]]) * [[1863年]] - [[サミュエル・ヒューストン]]、[[テキサス共和国]]大統領(* [[1793年]]) * [[1867年]] - [[オソン1世]]、[[ギリシャ王国|ギリシャ王]](* [[1815年]]) * [[1872年]] - [[アレクサンダー・ウィリアムズ・ランドール]]、元[[ウィスコンシン州知事の一覧|ウィスコンシン州知事]]、第25代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1819年]]) * 1872年([[明治]]5年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[山内容堂]]、第15代[[土佐藩|土佐藩主]](* [[1827年]]) * [[1889年]] - [[木村安兵衛]]、[[実業家]]、[[木村屋總本店]]創業者(* [[1817年]]) * [[1915年]] - [[ジェームズ・マレー (辞典編纂者)|ジェームズ・マレー]]、[[言語学者]](* [[1837年]]) * [[1919年]] - [[エドワード・ポインター]]、画家、[[デザイナー]](* [[1836年]]) * [[1925年]] - [[ゴットロープ・フレーゲ]]、[[数学者]]、[[論理学|論理学者]]、[[思想家]](* [[1848年]]) * [[1926年]] - [[ロバート・トッド・リンカーン]]、元[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1843年]]) * 1926年 - [[エラ・アダイェフスカヤ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]]、[[民族音楽学]]研究家(* [[1846年]]) * [[1929年]] - [[山崎直方]]、[[地理学者]](* [[1870年]]) * [[1934年]] - [[ウィンザー・マッケイ]]、[[漫画家]]、[[アニメーター]](* [[1871年]]) * [[1937年]] - [[ゲルダ・タロー]]、[[写真家]](* [[1910年]]) * [[1939年]] - [[ジョエル・E・スピンガーン]]、[[文芸評論家]]、[[教育者]](* [[1875年]]) * [[1941年]] - [[アンリ・ルベーグ]]、数学者(* [[1875年]]) * 1941年 - [[ベンジャミン・ウォーフ]]、[[言語学者]](* [[1897年]]) * [[1944年]] - [[レザー・シャー]]、[[イラン]]・[[パフラヴィー朝]]初代国王(* [[1878年]]) * 1944年 - [[伊藤健太郎 (野球)|伊藤健太郎]]、[[プロ野球選手]](* [[1916年]]) * [[1945年]] - [[戸田廉吉]]、[[野球選手]](* [[1901年]]) * [[1947年]] - [[増田淳]]、[[橋|橋梁]]設計者(* [[1883年]]) * [[1952年]] - [[エバ・ペロン]]、[[アルゼンチン]]の[[ファン・ペロン]][[大統領]]夫人(* [[1919年]]) * [[1969年]] - [[平良辰雄]]、[[群島 (沖縄)|沖縄群島]]知事、[[沖縄社会大衆党]]初代委員長(* [[1892年]]) * [[1971年]] - [[ダイアン・アーバス]]、[[写真家]](* [[1923年]]) * [[1977年]] - [[オスカー・モルゲンシュテルン]]、[[経済学者]](* [[1902年]]) * [[1978年]] - [[メアリー・ブレア]]、[[芸術家]](* [[1911年]]) * [[1986年]] - [[W・アヴェレル・ハリマン]]、元[[ニューヨーク州知事]]、[[外交官]](* [[1891年]]) * [[1992年]] - [[大山康晴]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](* [[1923年]]) * 1992年 - [[メリー・ウェルズ]] ([[:en:Mary Wells|Mary Wells]])、[[歌手]](* [[1943年]]) * [[1993年]] - [[マシュー・リッジウェイ]]、[[アメリカ陸軍]]の将軍、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]第2代総司令官(* [[1895年]]) * [[1994年]] - [[吉行淳之介]]、[[小説家]](* [[1924年]]) * [[1995年]] - [[ジョージ・ロムニー]]、元[[ミシガン州知事]]、実業家(* [[1907年]]) * [[1996年]] - [[伊勢川真澄]]、元プロ野球選手(* [[1921年]]) * [[1997年]] - [[小平邦彦]]、[[数学者]](* [[1915年]]) * [[2000年]] - [[川端民生]]、[[ベーシスト]](* [[1947年]]) * [[2003年]] - [[ハロルド・C・ショーンバーグ]]、[[音楽評論家]](* [[1915年]]) * [[2004年]] - [[山口光秀]]、[[事務次官|大蔵事務次官]]、[[東京証券取引所]]理事長(* [[1927年]]) * 2004年 - [[中島らも]]、[[小説家]](* [[1952年]]) * [[2005年]] - [[岡八朗]]、[[喜劇俳優]](* [[1938年]]) * [[2010年]] - [[bice]]、[[シンガーソングライター]](* [[1972年]]) * [[2011年]] - [[小松左京]]、[[SF作家]](* [[1931年]]) * [[2015年]] - [[竹島紀元]]<ref name="rj1510">『鉄道ジャーナル』2015年10月号 P.170 鉄道ジャーナル社/発行・成美堂出版/発売</ref>、元[[鉄道ジャーナル]]社長(* [[1926年]]) * [[2018年]] - (オウム真理教事件関係者の[[日本における死刑|死刑]]執行) **[[林泰男]](小池泰男)、[[オウム真理教]]元幹部、[[テロリズム|テロリスト]](* [[1957年]]) **[[岡崎一明|岡﨑一明]](宮前一明)、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1960年]]) **[[横山真人]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1963年]]) **[[広瀬健一]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1964年]]) **[[端本悟]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1967年]]) **[[豊田亨]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1968年]]) * [[2020年]] - [[オリヴィア・デ・ハヴィランド]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61933130X20C20A7000000/|title=オリビア・デ・ハビランドさんが死去 女優|publisher=日本経済新聞|date=2020-07-27|accessdate=2020-12-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/53549335|title=女優オリヴィア・デ・ハヴィランドさん104歳で死去 「風と共に去りぬ」のメラニー|publisher=BBCニュース|date=2020-07-27|accessdate=2020-10-29}}</ref>、[[俳優|女優]](* [[1916年]]) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[リベリア]]が独立を宣言(1847)。右画像は初代大統領[[ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ]] | image1 = LocationLiberia.png | width1 = 120 | alt1 = リベリアの位置 | image2 = Joseph_Jenkins_Roberts.jpg | width2 = 80 | alt2 = ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ }} {{multiple image | footer = [[モルディブ]]の独立記念日。右画像は首都[[マレ]] | image1 = LocationMaldives.png | width1 = 100 | alt1 = モルディブの位置 | image2 = Male-total.jpg | width2 = 100 | alt2 = マレ }} {{multiple image | footer = [[フィデル・カストロ]]率いる小隊が[[モンカダ兵営]]を襲撃(1953)、[[キューバ革命]]の端緒となる。左画像は同日逮捕されたカストロ、右は[[7月26日運動]]の記念旗を掲げた歴史博物館 | image1 = Fidel Castro under arrest after the Moncada attack.jpg | width1 = 140 | alt1 = 逮捕されたカストロ | image2 = DirkvdM_26_julio.jpg | width2 = 140 | alt2 = 歴史博物館 }} * 独立記念日({{LBR}}) *: [[1847年]]のこの日、[[アメリカ合衆国]]の解放奴隷によって建国されたリベリアがアメリカから独立した。 * 独立記念日({{MDV}}) *: [[1965年]]のこの日、モルディブがイギリスから独立した。 * [[モンカダ兵営]]襲撃記念日({{CUB}}) *: [[1953年]]7月26日に[[キューバ]]解放運動の端緒として[[フィデル・カストロ|カストロ]]指揮下の学生らがモンカダ兵営を襲撃したことに由来。 * [[幽霊]]の日({{JPN}}) *: [[文政]]8年([[1825年]])7月26日に[[鶴屋南北]]作の『[[東海道四谷怪談]]』が[[江戸]]・[[中村座]]で初演されたことに由来。 * [[ポツダム宣言]]記念日({{JPN}}) *: 1945年7月26日に、日本に降伏を迫る「ポツダム宣言」が発表されたことに由来。当初日本はこれを黙殺したが同年[[8月14日]]に受け入れて終戦した。 * [[エスペラント]](日本における記念日の名称は不明) *: [[1887年]]7月26日に、ポーランドの[[ルドヴィコ・ザメンホフ]]医師が[[エスペラント]]の学習書[[Unua Libro]]を刊行したことに由来。これと関連して、[[コンピュータ・ウイルス]]の『[[:eo:Esperanto_(komputila_viruso)|Esperanto]]』は毎年この日に発病するようにプログラムされている。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0726|date=2011年6月}} * 1947年(昭和22年)- 加代子と歌川多門が[[毒殺]]される。歌川家連続殺人事件の第五、第六の殺人。(小説『[[不連続殺人事件]]』第14章から第15章) * 2004年 - ラビットイマジンが現れ、電王アックスフォームに倒される。(特撮『[[仮面ライダー電王]]』){{要出典|date=2020-07-29}} * 宇宙暦801年 / 新帝国暦3年 - 地球教による銀河帝国皇宮襲撃事件。(小説・アニメ『[[銀河英雄伝説]]』){{要出典|date=2020-07-29}} === 誕生日(フィクション) === {{精度|section=1|date=2020年10月}} * 生年不明 - 秋山奏<!--あきやま そう-->、ゲーム・アニメ『[[失われた未来を求めて]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 榎本香穂<!--えのもと かほ-->、ゲーム『[[your diary]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jp.playstation.com/software/title/uljm06337.html|title=your diary + |work=[[ソニー・インタラクティブエンタテインメント|Sony Interactive Entertainment Inc.]]|accessdate=2020-07-25}}</ref> * 生年不明 - [[To LOVEる -とらぶる-の登場人物#お静|お静]]、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-]]』『To LOVEる -とらぶる- ダークネス』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/to-love-ru/04chara/chara.html|title=To LOVEる -とらぶる- Character|work=[[TBSテレビ|TBS]]|accessdate=2020-07-25}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author1=矢吹健太朗|authorlink1=矢吹健太朗|author2=長谷見沙貴|authorlink2=長谷見沙貴|date=2015-11-04|title =To LOVEる―とらぶる― ダークネス 総選挙BOOK とらぶるくい~んず|page=60|publisher = 集英社 |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4088805764}}</ref> * 生年不明 - 神戸小鳥<!--かんべ ことり-->、ゲーム・アニメ・小説『[[Rewrite (ゲーム)|Rewrite]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 喜多一馬<!--きた いちうま-->、マンガ・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 九尾狐の灰、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 呉雷庵<!--くれ らいあん-->、漫画・アニメ『[[ケンガンアシュラ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 香坂明子<!--こうさか あきこ-->、漫画・アニメ『[[ベイビーステップ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 光主<!--こうず-->エリカ、アニメ『[[熱血最強ゴウザウラー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[進撃の巨人の登場人物#サシャ|サシャ・ブラウス]]、漫画・アニメ『[[進撃の巨人]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shingeki.tv/season1/character/#5|title=キャラクター|TVアニメ「進撃の巨人」|work=[[諫山創]]・[[講談社]]/「進撃の巨人」製作委員会|accessdate=2020-07-25}}</ref> * 生年不明 - ジェム(Mr.5)、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Mr_5.html|title=ジェム(Mr.5)|work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]|accessdate=2020-07-25}}</ref> * 生年不明 - ジョン・フーン(全勲)、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kakuge.com/wiki/pages/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%B3|title=ジョン・フーン|work=格ゲー.com|accessdate=2020-07-25}}</ref> * 生年不明 - [[周防美琴]]<!--すおう みこと-->、漫画・アニメ『[[スクールランブル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=小林尽|authorlink=小林尽|date=2006-03-17|title = School Rumble Treasure File |page = 54 |publisher = [[講談社]]|isbn = 978-4063721379}}</ref> * 生年不明 - ダイアナ・ルミアウラ、ゲーム『[[冬のロンド]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 東横桃子<!--とうよこ ももこ-->、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=小林立|authorlink=小林立|date=2010-01-29|title=咲 Saki ラブじゃん♥ マホちゃんの必殺技完成!(Guide Book)|page=126|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|isbn=978-4757526341}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#七草にちか|七草にちか]]<!--ななくさ- -->、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://shinycolors.idolmaster.jp/idol/shhis/nichika.html|title=七草にちか (ななくさにちか)|website=アイドルマスター シャイニーカラーズ(シャニマス)|バンダイナムコエンターテインメント公式サイト|accessdate=2021-09-23}}</ref> * 生年不明 - 怖浦<!--ふうら-->すず、漫画・アニメ『[[こみっくがーるず]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 藤野、漫画・アニメ『[[あたしンち]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 山田一郎、メディアミックス『[[ヒプノシスマイク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hypnosismic.com/character/ikebukuro/mc_bb/|title=CHARACTER {{!}}山田一郎(CV:木村昴)|website=音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』オフィシャルサイト|accessdate=2020-07-25|publisher=[[キングレコード|King Record Co.]]}}</ref> * 生年不明 - [[おねがいマイメロディの登場キャラクター・人間界の人々#夢野家|夢野奏]]<!--ゆめの かなで-->、マンガ・アニメ『[[おねがいマイメロディ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ルナマリア・ホーク、アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gundam-seed-d.net/01cool/character/index.html|title=CHARACTER ザフト|work=ガンダムSEED DESTINY|accessdate=2020-07-25}}</ref> === 忌日(フィクション) === * 宇宙暦801年 / 新帝国暦3年 - [[ラインハルト・フォン・ローエングラム]]、小説・アニメ『[[銀河英雄伝説]]』の登場人物(* 宇宙暦776年/帝国暦467年 - [[3月14日]]){{要出典|date=2020-07-29}} * 宇宙暦801年 / 新帝国暦3年 - [[パウル・フォン・オーベルシュタイン]]、小説・アニメ『銀河英雄伝説』の登場人物(* 宇宙暦761年/帝国暦452年 - [[5月5日]]){{要出典|date=2020-07-29}} == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 26|26 July}} {{新暦365日|7|25|7|27|[[6月26日]]|[[8月26日]]|[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]|0726|7|26}} {{1年の月と日}}
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7月27日
7月27日(しちがつにじゅうななにち、しちがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から208日目(閏年では209日目)にあたり、年末まであと157日ある。
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7月27日(しちがつにじゅうななにち、しちがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から208日目(閏年では209日目)にあたり、年末まであと157日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月27日'''(しちがつにじゅうななにち、しちがつにじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から208日目([[閏年]]では209日目)にあたり、年末まであと157日ある。 == できごと == [[Image:Bataille_de_Bouvines_gagnee_par_Philippe_Auguste.jpg|thumb|180x180px|[[ブーヴィーヌの戦い]] (1214年)、ヨーロッパでのフランスの優位が確立]] {{multiple image | footer = [[フランシスコ・ザビエル]]、日本に到着 (1549年) | image1 = Franciscus_de_Xabier.jpg | width1 = 60 | alt1 = フランシスコ・ザビエル | image2 = Xavier_f_map_of_voyages_asia.PNG | width2 = 120 | alt2 = ザビエルの旅 }} {{multiple image | footer = 哲学者[[バールーフ・デ・スピノザ]]、ユダヤ人共同体から破門される (1656年) | image1 = Spinoza.jpg | width1 = 80 | alt1 = バールーフ・デ・スピノザ | image2 = Spinoza%27s_ban.gif | width2 = 100 | alt2 = 破門文書 }} {{multiple image | caption1 = [[アメリカ独立戦争]]、[[ウェサン島の海戦 (1778年)|ウェサン島の海戦]] (1778年) | image1 = Bataille_d_Ouessant_1778.jpg | width1 = 90 | alt1 = ウェサン島の海戦 | caption2 = アメリカ合衆国外務省(現[[アメリカ合衆国国務省|国務省]])設置 (1789年) | image2 = State_Department_Building%2C_Washington%2C_D._C.%2C_1865.png | width2 = 90 | alt2 = アメリカ合衆国外務省 }} {{multiple image | footer = [[テルミドールのクーデター]](1794)。[[山岳派]]の[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]らが失脚・刑死、市民革命の終焉 | image1 = 9 Thermidor.jpg | width1 = 110 | alt1 = 国民公会の部隊による襲撃 | image2 = Shot.jpg | width2 = 70 | alt2 = 銃撃されるロベスピエール、必ずしも史実通りではない。 }} [[Image:Eug%C3%A8ne_Delacroix_-_La_libert%C3%A9_guidant_le_peuple.jpg|thumb|180x180px|[[フランス7月革命]]勃発 (1830年)。[[7月王政]]へと至る。画像は[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]画『民衆を導く自由の女神』(1830年)]] [[Image:Atlantic_cable_Map.jpg|thumb|180x180px|[[大西洋横断電信ケーブル]]の敷設作業完了 (1866年)。画像は1858年の同ケーブル]] [[Image:Portrait_of_Dr._Gachet.jpg|thumb|222x222px|[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]、拳銃自殺 (1890年)。29日死亡。画像は同年6月作『[[医師ガシェの肖像]]』]] [[Image:Attlee_with_GeorgeVI_HU_59486.jpg|thumb|240x240px|[[クレメント・アトリー]](左)[[イギリスの首相|英国首相]]就任 (1945年)]] {{multiple image | footer = [[板門店]]で[[朝鮮戦争]]の休戦協定調印 (1953年)、現在の[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]が設定される。 | image1 = DMZ seen from the north, 2005.jpg | width1 = 90 | alt1 = 板門店 | image2 = Korea DMZ.svg | width2 = 90 | alt2 = 軍事境界線 }} [[ファイル:2012 Summer Olympics opening ceremony (11).jpg|thumb|180x180px|[[2012年ロンドンオリンピック|ロンドンオリンピック]]開幕 (2012年)]] * [[1214年]] - [[ブーヴィーヌの戦い]]。フランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]がイングランド王[[ジョン (イングランド王)|ジョン]]を破る。 * [[1549年]]([[天文 (元号)|天文]]18年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[フランシスコ・ザビエル]]の船が鹿児島沖に到達し錨を降ろす。[[8月15日]](旧暦[[7月22日 (旧暦)|7月22日]])に上陸。 * [[1582年]]([[天正]]10年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]]) - [[太閤検地]]: [[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]が近江で初めて[[検地]]を行う。 * [[1656年]] - [[バールーフ・デ・スピノザ]]が破門される。 * [[1778年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ウェサン島の海戦 (1778年)|ウェサン島の海戦]]。 * [[1789年]] - アメリカ合衆国国務省の前身である[[アメリカ合衆国]]外務省が設立される。[[アメリカ合衆国憲法]]下における初の連邦機関。 * [[1794年]]([[フランス革命暦]]II年テルミドール9日) - [[フランス革命]]: [[テルミドールのクーデター]]。 * [[1830年]] - [[フランス7月革命]]勃発。 * [[1846年]](弘化3年6月5日) - 浦賀奉行が通商拒否・退去通告。 * [[1865年]] - [[ウェールズ]]人入植者 ([[:en:Welsh Argentine]]) が[[アルゼンチン]][[チュブ州]]に到着。 * [[1866年]] - [[大西洋横断電信ケーブル]]の敷設作業が完了。 * [[1890年]] - [[オランダ]]の画家・[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]がピストルで自殺を図る。2日後の[[7月29日]]に病院で死亡。 * [[1916年]] - [[香港]]を出港した布哇丸([[はわい丸|ハワイ丸]])に[[神戸]]港から乗船した船客が、[[横浜港]]に入港する際に[[コレラ]]を発症。2日後に死亡したため、同船は長濱検疫所へ回航され乗員・乗客全員が収容(乗員133人、乗客189人等多数収容)された。8月9日の停留解除までの間、患者44人、死者10人を出す<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.forth.go.jp/keneki/yokohama/museum/page2-3-2.html |title=写真に見る長濱検疫所の変遷 |accessdate=26 Sep 2023 |publisher=厚生労働省 横浜検疫所}}</ref>。 * [[1924年]] - [[5月4日]]から行われていた[[1924年パリオリンピック|第8回夏季オリンピックパリ大会]]が閉幕。 * [[1929年]] - [[ジュネーブ条約]]の一つである[[俘虜の待遇に関する条約]]が作成される。 * [[1930年]] - [[第一次国共内戦]]。中国で[[紅軍]]が[[長沙市|長沙]]を占領。湖南省ソビエト政権樹立。 * [[1939年]] - アメリカ合衆国が[[日米通商航海条約]]の破棄を通告。半年後の[[1940年]][[1月26日]]に失効。 * [[1945年]] - [[労働党 (イギリス)|労働党]]党首[[クレメント・アトリー]]が[[イギリスの首相]]に就任。 * [[1949年]] - 世界初のジェット旅客機[[デ・ハビランド DH.106 コメット]]が初飛行。 * [[1950年]] - [[広島県]][[佐伯郡]]にある長島の近くで漁船が操業していたところ、付近に浮遊していた大型磁気機雷が爆発。漁船4隻が大破、2隻が損壊。死者・行方不明者46人<ref name="1950p79">{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=78-98|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1953年]] - [[朝鮮戦争]]: [[板門店]]で[[朝鮮戦争休戦協定|休戦協定]]が調印され、現在の[[軍事境界線 (朝鮮半島)|軍事境界線]]が設定される<ref>{{Cite web |url=https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/486092.html |title=朝鮮戦争休戦70年で北朝鮮の出方は |access-date=26 Sep 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=26 Jul 2023}}</ref>。 * 1953年 - [[東京都|東京]]・[[新橋 (東京都港区)|新橋]]の[[バー (酒場)|バー]]『メッカ』の天井裏からしたたり落ちてきた血がきっかけとなり、証券ブローカーの刺殺体が発見される([[バー・メッカ殺人事件]])。 * [[1955年]] - [[オーストリア]]の[[連合軍軍政期 (オーストリア)|連合国による占領]]が終了し、主権を回復。永世中立宣言はこの年の[[10月26日]]。 * [[1967年]] - [[ストロング小林]]が[[国際プロレス]]で[[デビュー]]。 * [[1970年]] - [[東京都]]が[[光化学スモッグ]]対策暫定実施要綱を制定<ref>{{Cite journal|和書|author=大平俊男, 縣良英|year=1974|title=東京都における光化学スモッグ発生の状況|url=https://doi.org/10.5956/jriet.3.463|journal=環境技術|volume=3|issue=7|pages=463-473|publisher=環境技術学会|doi=10.5956/jriet.3.463|issn=0388-9459|naid=130004173336}}</ref>。 * [[1972年]] - [[F-15 (戦闘機)|F-15戦闘機]](イーグル)が初飛行。 * [[1974年]] - [[ウォーターゲート事件]]: 米[[アメリカ合衆国下院司法委員会|下院司法委員会]]が[[リチャード・ニクソン]]大統領の司法妨害に対する第1の[[弾劾]]を可決。 * [[1976年]] - [[ロッキード事件]]: [[田中角栄]]前首相(当時)が逮捕される<ref>{{Cite web |url=https://bunshun.jp/articles/-/3507 |title=ご存知ですか? 7月27日はロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕された日です |access-date=26 Sep 2023 |publisher=[[文藝春秋]] |website=文春オンライン |date=27 Jul 2017}}</ref>。 * [[1977年]] - [[長野県]][[長野市]]の、茶臼山地すべり跡地を整備して、[[茶臼山自然植物園]]が開園。3年後[[1980年]]の同日、隣接地に茶臼山恐竜公園が開園。 * [[1989年]] - [[大韓航空803便着陸失敗事故]]。[[大韓航空]]機が[[リビア]]・[[トリポリ国際空港]]の手前の住宅地に墜落。乗員乗客199名のうち74名と地元住民6名が死亡。 * [[1990年]] - [[ベラルーシ]]が[[ソビエト連邦]]からの独立を宣言。[[1991年]]に[[国家の承認|承認]]される。 * 1990年 - [[ソビエト連邦]]の[[ミハイル・ゴルバチョフ]][[ソビエト連邦大統領|大統領]]が訪ソ中の[[池田大作]]・[[創価学会]][[名誉会長]]と会談。[[1991年]]春に訪日する意向を表明<ref>[[創価学会]]公式サイト「[http://www.sokanet.jp/sokuseki/koyu/gorbachev.html SOKAnet:ソ連初代大統領 ミハイル・ゴルバチョフ氏]」</ref>。 * [[1992年]] - [[バルセロナオリンピック]]大会の水泳女子200m平泳ぎで中学2年の[[岩崎恭子]]が金メダルを獲得。日本人史上最年少の金メダル<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50232130W9A920C1UP6000/ |title=14歳岩崎恭子、平泳ぎで金 1992年バルセロナ五輪 |date=26 Sep 2019 |accessdate=26 Sep 2023 |publisher=[[日本経済新聞]]}}</ref>。 * [[1994年]] - [[マイクロソフト]]が[[Microsoft Windows NT|Windows NT 3.1]]を発売。 * [[1995年]] - [[九州自動車道]]が全線開通。[[青森インターチェンジ|青森]] - [[鹿児島インターチェンジ|鹿児島]]・[[宮崎インターチェンジ|宮崎]]間が[[高速道路]]によって結ばれる。 * [[1996年]] - [[アトランタオリンピック]]開催中の[[アトランタ]]のオリンピック公園で爆破事件 ([[:en:Centennial Olympic Park bombing]]) が発生し、2名死亡、111名負傷。 * [[2001年]] - [[舞浜リゾートラインディズニーリゾートライン|ディズニーリゾートライン]]が開業。 * [[2002年]] - [[リヴィウ航空ショー墜落事故]]。 * [[2012年]] - [[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]が開幕。[[8月12日]]まで。 * [[2013年]] - [[隅田川花火大会]]が、雷雨の影響で史上初の中止に。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} {{multiple image | footer = 弘法大師、[[空海]](774-835)の誕生日は不明であるが、[[真言宗]]の伝承では[[宝亀]]5年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]](774年7月27日)とされている。右画像は空海筆の『崔子玉座右銘』(部分) | image1 = Kukai2.jpg | width1 = 90 | alt1 = 空海 | image2 = Saishi_gyokuza_yumei.jpg | width2 = 90 | alt2 = 崔子玉座右銘 }} {{multiple image | footer = [[ジャン=ポール・マラー]]を暗殺(右画像)した「暗殺の天使」[[シャルロット・コルデー]](1768-1793)誕生 | image1 = Charlotte_corday.jpg | width1 = 95 | alt1 = シャルロット・コルデー | image2 = Charlotte_Corday.jpg | width2 = 85 | alt2 = ポール・ボードリーによるコルデー }} {{multiple image | image1 = Mauro_Giuliani.jpeg | width1 = 80 | caption1 = ギタリスト・作曲家、[[マウロ・ジュリアーニ]](1781-1828) | alt1 = マウロ・ジュリアーニ | image2 = ADumas_hijo_00.jpg | width2 = 90 | caption2 = 作家[[アレクサンドル・デュマ (フィス)|アレクサンドル・デュマ・フィス]](1824-1895) | alt2 = アレクサンドル・デュマ・フィス }} {{multiple image | image1 = Carducci.jpg | width1 = 90 | caption1 = 詩人[[ジョズエ・カルドゥッチ]](1835-1907) | alt1 = ジョズエ・カルドゥッチ | image2 = Granados.jpg | width2 = 80 | caption2 = 作曲家[[エンリケ・グラナドス]](1867-1916) | alt2 = エンリケ・グラナドス }} {{multiple image | image1 = Ernst_Zermelo.jpeg | width1 = 100 | caption1 = 数学者[[エルンスト・ツェルメロ]](1871-1953)誕生 | alt1 = エルンスト・ツェルメロ | image2 = Ern%C5%91_Dohn%C3%A1nyi.jpg | width2 = 80 | caption2 = 作曲家[[エルンスト・フォン・ドホナーニ]](1877-1960) | alt2 = エルンスト・フォン・ドホナーニ }} {{multiple image | footer = 日本陸軍軍人、[[松井石根]](1878-1948)[[南京大虐殺]]時の[[上海派遣軍]]司令官 | image1 = Iwane_Matsui.jpg | width1 = 70 | alt1 = 松井石根 | image2 = Iwane_Matui_and_Asakanomiya_on_Parade_of_Nanking.jpg | width2 = 110 | alt2 = 南京で閲兵する松井石根 }} {{multiple image | image1 = Hans_Fischer_%28Nobel%29.jpg | width1 = 90 | caption1 = 生化学者[[ハンス・フィッシャー]](1881-1945) | alt1 = ハンス・フィッシャー | image2 = Anton_Dolin.jpg | width2 = 80 | caption2 = [[バレエ]]ダンサー・振付家、[[アントン・ドーリン]](1904-1983) | alt2 = アントン・ドーリン }} {{multiple image | image1 = John_Seigenthaler_Sr._speaking.jpg | width1 = 90 | caption1 = ジャーナリスト、[[ジョン・ローレンス・シーゲンソーラー]](1927-) | alt1 = ジョン・ローレンス・シーゲンソーラー | image2 = Gary_Gygax_Gen_Con_2007.JPG | width2 = 90 | caption2 = 作家・[[テーブルトークRPG|TRPG]]の父[[ゲイリー・ガイギャックス]](1938-2008) | alt2 = ゲイリー・ガイギャックス }} [[Image:Pina_Bausch_cropped.jpg|thumb|202x202px|[[バレエ]]ダンサー・振付家、[[ピナ・バウシュ]](1940-2009)]] * [[774年]]([[宝亀]]5年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[空海]]、[[真言宗]]を開いた[[僧]](+ [[835年]])※ 真言宗の伝承による日付であり、実際の誕生日は不明 * [[1452年]] - [[ルドヴィーコ・スフォルツァ]]<ref>{{Cite web |title=Ludovico Sforza|duke of Milan |url=https://www.britannica.com/biography/Ludovico-Sforza |website=Britannica |access-date=26 Sep 2023}}</ref>、[[ミラノ公国|ミラノ公]](+ [[1508年]]) * [[1716年]] ([[正徳 (日本)|正徳]]6年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[松平定喬]]、第6代[[伊予松山藩|松山藩]]主 (+ [[1763年]]) * [[1733年]] - [[ジェレマイア・ディクソン]]、[[測地学|測地学者]]、[[天文学者]](+ [[1779年]]) * [[1753年]] ([[宝暦]]3年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[加藤泰行]]、第8代[[大洲藩]]主 (+ [[1769年]]) * [[1768年]] - [[シャルロット・コルデー]]、[[ジャン=ポール・マラー]]を[[暗殺]]した人物(+ [[1793年]]) * [[1781年]] - [[マウロ・ジュリアーニ]]、[[作曲家]](+ [[1829年]]) * [[1801年]] - [[ジョージ・ビドル・エアリー]]、天文学者(+ [[1892年]]) * [[1823年]] ([[文政]]6年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[阿部正備]]、第4代[[白河藩]]主 (+ [[1874年]]) * [[1824年]] - [[アレクサンドル・デュマ (フィス)|アレクサンドル・デュマ]](子、小デュマ)、[[劇作家]](+ [[1895年]]) * [[1835年]] - [[ジョズエ・カルドゥッチ]]、[[詩人]](+ [[1907年]]) * [[1848年]] - [[エトヴェシュ・ロラーンド]]、[[物理学者]](+ [[1919年]]) * [[1853年]] - [[ウラジミール・コロレンコ]]、[[小説家]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1921年]]) * [[1867年]] - [[エンリケ・グラナドス]]、作曲家(+ [[1916年]]) * [[1871年]] - [[エルンスト・ツェルメロ]]、[[数学者]]、[[論理学者]](+ [[1953年]]) * [[1877年]] - [[エルンスト・フォン・ドホナーニ]]、作曲家(+ [[1960年]]) * [[1878年]] - [[松井石根]]、[[軍人]](+ [[1948年]]) * [[1880年]] - [[ジョー・ティンカー]]、元プロ野球選手(+ [[1948年]]) * [[1881年]] - [[ハンス・フィッシャー]]、[[化学者]](+ [[1945年]]) * [[1883年]] - [[前田夕暮]]、[[歌人]](+ [[1951年]]) * [[1886年]] - [[エルンスト・マイ]]、[[建築家]]、[[都市計画家]](+ [[1970年]]) * [[1887年]] - [[山本有三]]、小説家(+ [[1974年]]) * [[1897年]] - [[清水多嘉示]]、[[彫刻家]](+ [[1981年]]) * 1897年 - [[ビズ・マッキー]]、元プロ野球選手(+ [[1965年]]) * [[1900年]] - [[チャールズ・ヴィダー]]、[[映画監督]](+ [[1959年]]) * [[1902年]] - [[鷲見三郎]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1984年]]) * [[1903年]] - [[徳山璉]]、バリトン歌手、流行歌手(+ [[1942年]]) * 1903年 - [[小野十三郎]]、詩人(+ [[1996年]]) * [[1904年]] - [[アントン・ドーリン]]、[[バレエダンサー]]、[[振付家]](+ [[1983年]]) * [[1905年]] - [[レオ・ドローチャー]]、元プロ野球選手(+ [[1991年]]) * [[1910年]] - [[ジュリアン・グラック]]、[[作家]](+ [[2007年]]) * [[1912年]] - [[イーゴリ・マルケヴィチ]]、作曲家、[[ピアニスト]]、[[指揮者]](+ 1983年) * [[1915年]] - [[マリオ・デル=モナコ]]、テノール歌手(+ [[1982年]]) * [[1916年]] - [[鶴岡一人]]、元[[プロ野球選手]]、監督(+ [[2000年]]) * [[1917年]] - [[ブールヴィル]]、[[コメディアン]]、[[俳優]]、[[歌手]](+ [[1970年]]) * [[1918年]] - [[山村雄一]]、[[免疫学者]](+ [[1990年]]) * 1918年 - [[レナード・ローズ]]、[[チェリスト]](+ [[1984年]]<ref>{{Cite web |url=https://www.washingtonpost.com/archive/local/1984/11/20/leonard-rose-cellist-master-teacher-of-prominent-musicians-dies-in-ny/ff5cdeee-b759-4e69-babf-8921c4a98d04/ |title=Leonard Rose, Cellist, Master Teacher Of Prominent Musicians, Dies in N.Y. |access-date=26 Sep 2023 |publisher=The Washington Post}}</ref>) * [[1919年]] - [[須賀不二男]]、俳優(+ [[1998年]]) * [[1921年]] - [[古谷法夫]]、元プロ野球選手 * [[1923年]] - [[レイ・ブーン]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]]) * [[1924年]] - [[塩田丸男]]、作家、評論家 * [[1927年]] - [[ジョン・ローレンス・シーゲンソーラー]]、[[ジャーナリスト]](+ [[2014年]]) * [[1929年]] - [[ジャック・ヒギンズ]]、小説家(+ [[2022年]]) * [[1930年]] - [[高島忠夫]]、俳優(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web |title=高島忠夫さん死去 老衰88歳 家族のみで密葬 |date=28 Jun 2019 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201906280000267.html |publisher=[[日刊スポーツ]] |accessdate=26 Sep 2023}}</ref><ref>{{Cite news |title=俳優の高島忠夫さん、老衰で死去 88歳 |newspaper=朝日新聞 |date=2019-06-28 |url=https://www.asahi.com/articles/ASM6X3WJVM6XUTFL008.html?iref=comtop_8_01 |accessdate=26 Sep 2023}}</ref>) * [[1931年]] - [[吉武輝子]]、[[評論家]](+ [[2012年]]) * 1931年 - [[渡辺礼次郎]]、元プロ野球選手 * [[1932年]] - [[ジョージ・リガ]]、[[劇作家]]、[[小説家]](+ [[1987年]]) * [[1935年]] - [[長久保初枝]]、[[スピードスケート]]選手 * [[1938年]] - [[ゲイリー・ガイギャックス]]、作家、[[ゲームデザイナー]](+ [[2008年]]) * [[1939年]] - [[上田重夫]]、元プロ野球選手 * [[1940年]] - [[ピナ・バウシュ]]、[[バレエ]]ダンサー、振付師(+ [[2009年]]) * [[1942年]] - [[デニス・ラルストン]]、[[テニス]]選手(+ [[2020年]]) * [[1943年]] - [[青野聰]]、小説家 * 1943年 - [[野間佐和子]]、[[実業家]](+ [[2011年]]) * [[1945年]] - [[戸田善紀]]、元プロ野球選手 * 1945年 - [[和田徹]]、元プロ野球選手 * 1945年 - [[エドムンド・クラーク]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[2020年]]) * [[1946年]] - [[藤川真弓]]、[[バイオリニスト]] * [[1947年]] - [[三浦和義]]、実業家、[[タレント]]、[[作家]](+ [[2008年]]) * [[1948年]] - [[浅野健一]]、[[ジャーナリスト]] * 1948年 - [[かわぐちかいじ]]、[[漫画家]] * 1948年 - [[ペギー・フレミング]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1948年 - [[ベティ・トーマス]]、映画監督 * [[1949年]] - [[勝野洋]]、俳優 * [[1950年]] - [[有沢賢持]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[迫丸金次郎]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[斉藤和夫]]、[[サッカー選手]]、指導者 * [[1952年]] - [[バンプ・ウィルス]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[梅沢昌代]]、女優 * [[1954年]] - [[渡辺みちお]]、漫画家 * 1954年 - [[田中彰 (1954年生の内野手)|田中彰]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[松浦正]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[業田良家]]、漫画家 * 1958年 - [[クリストファー・ディーン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1960年]] - [[渡嘉敷勝男]]、元[[プロボクサー]]、タレント * 1960年 - [[麻倉未稀]]、歌手 * [[1961年]] - [[矢田万寿男]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[中島輝士]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[寺田恵子]]、歌手 * 1963年 - [[ドニー・イェン|甄子丹]]、俳優、[[監督]]、[[武道家]] * 1963年 - [[安永沙都子]]、[[声優]](+ 1993年) * 1963年 - [[長谷場久美]]、重量挙げ選手 * [[1964年]] - [[植田幸弘]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[ホセ・ルイス・チラベルト]]、元サッカー選手 * [[1966年]] - [[川畑泰博]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[北崎拓]]、漫画家 * [[1967年]] - [[ジュリアナ・ハットフィールド]]、[[シンガーソングライター]] * 1967年 - [[神原孝]]、[[テレビプロデューサー]] * [[1968年]] - [[長崎宏子]]、[[水泳選手]] * 1968年 - [[ジュリアン・マクマホン]]、俳優 * [[1969年]] - [[トリプルH]]、[[プロレスラー]] * 1969年 - [[榊原利彦]]、俳優 * [[1970年]] - [[ニコライ・コスター=ワルドー]]、俳優 * [[1971年]] - [[シェーン・バワーズ]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[沖原佳典]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[シェイク・ムザファ・シュコア]]、宇宙飛行士 * 1972年 - [[小島慶子]]、[[アナウンサー]] * 1972年 - [[清水崇]]、映画監督 * [[1973年]] - [[上妻宏光]]、[[三味線]]演奏者 * [[1973年]] - [[高槻純]]、俳優 * [[1974年]] - [[ブライアン・シコースキー]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[西川かの子]]、タレント * 1974年 - [[平岳大]]、俳優 * [[1975年]] - [[アレックス・ロドリゲス]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[大柴裕介]]、[[ファッションモデル]]、俳優、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1975年 - [[倉義和]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[シェイ・ヒレンブランド]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[稲田千花]]、タレント * 1976年 - [[小山田保裕]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[金城龍彦]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[大久保三代]]、政治家 * 1976年 - [[望月さや]]、タレント * 1976年 - [[尹仁完]]、[[漫画原作者]] * [[1977年]] - [[ジョナサン・リース=マイヤーズ]]、俳優 * 1977年 - 真戸原直人、ミュージシャン([[アンダーグラフ]]) * 1977年 - [[水野愛日]]、声優 * [[1978年]] - [[後藤光尊]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[伊藤宏樹]]、元サッカー選手 * 1978年 - [[那須めぐみ]]、声優 * [[1979年]] - [[シドニー・ゴブ]]、サッカー選手 * [[1980年]] - [[矢佐間恵]]、元[[アナウンサー]] * 1980年 - [[加藤大輔]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[フェリックス・ディアス]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[張建銘]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[坂戸こまつな]]、声優 * [[1981年]] - [[星野真里]]、女優 * [[1982年]] - [[香月良太]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[田村彰啓]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[矢島悠子]]、アナウンサー * [[1983年]] - [[ゴラン・パンデフ]]、サッカー選手 * [[1984年]] - [[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[マックス・シャーザー]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[林克征]]、元アナウンサー * [[1985年]] - [[尾崎裕美]]、女優 * 1985年 - [[木島由利香]]、気象予報士 * 1985年 - [[見学奈緒]]、モデル、タレント、ミュージシャン * 1985年 - [[戸田衛]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[今井隆文]]、俳優 * 1985年 - [[カイル・カード]]、俳優 * [[1987年]] - [[秋元梢]]、[[ファッションモデル]] * 1987年 - [[荒木のぞみ]]、タレント * 1987年 - [[吉木りさ]]、タレント * 1987年 - [[プレストン・ギルメット]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[田中幸夏]]、元野球選手 * 1987年 - [[マレク・ハムシーク]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[ヨアビス・メディーナ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[小野航平]]、プロアイスホッケー選手 * [[1989年]] - [[太田渉子]]、元[[障害者]][[スキー]]選手 * 1989年 - [[辻孟彦]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[伊東亮大]]、元プロ野球選手 * [[1990年]] - [[郭立中]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[熊井幸平]]、俳優 * 1990年 - [[佐藤栞里]]、ファッションモデル * 1990年 - [[永井みさえ]]、[[イラストレーター]] * 1990年 - [[後藤三知]]、サッカー選手 * 1990年 - [[郭立中]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[ダニエル・アキーノ・ピントス]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[剣翔桃太郎]]、大相撲力士 * 1991年 - [[原田美欧]]、ミュージカル俳優、元バレエダンサー * 1991年 - 檜原洋平、お笑いタレント([[ママタルト]]) * 1991年 - [[松井玲奈]]、タレント、歌手、女優(元[[SKE48]]、元[[乃木坂46]]) * 1991年 - [[春場ねぎ]]、漫画家 * [[1992年]] - [[ROLAND (ホスト)|ROLAND]]、ホスト、タレント * 1992年 - Kid'z、ミュージシャン、ドラマー([[MY FIRST STORY]]) * 1992年 - [[大堀結衣]]、アナウンサー * [[1993年]] - [[ジョーダン・スピース]]、[[プロゴルファー]] * [[1994年]] - [[姫野和樹]]、ラグビー選手 * [[1995年]] - [[アダルベルト・モンデシー]]、プロ野球選手 * 1995年 - [[近藤秀一]]、陸上選手 * 1995年 - [[ドリュー・ラスムッセン]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[武田玲奈]]、タレント * 1997年 - [[莉音]]、タレント、モデル、[[グラビアアイドル]] * [[1998年]] - [[渡邉理佐]]、ファッションモデル、元アイドル(元[[櫻坂46]]) * 1998年 - [[當山みれい]]、シンガーソングライター、[[ダンサー]] * [[1999年]] - 西澤瑠莉奈<ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/prof/990000476/ |title=西澤瑠莉奈 |access-date=26 Sep 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]]}}</ref>、アイドル(元[[NMB48]]) * 1999年 - [[本田仁海]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/11/22/kiji/20171122s00001173011000c.html |title=オリ党の人気者 ドラ4本田は「ひとみちゃん」 ちひろとWエースだ |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=22 Nov 2017 |accessdate=26 Sep 2023}}</ref>、プロ野球選手 * [[2004年]] - ヒュニン・バヒエ、アイドル([[Kep1er]]) == 忌日 == [[Image:Rudolf_IV.jpg|thumb|202x202px|オーストリア公[[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]](1339-1365)没]] {{multiple image | footer = 化学者[[ジョン・ドルトン]](1766-1844)。[[原子説]]を唱え発展させた。右画像は『化学哲学の新体系』(1808) | image1 = Dalton_John_desk.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジョン・ドルトン | image2 = A_New_System_of_Chemical_Philosophy_fp.jpg | width2 = 80 | alt2 = 化学哲学の新体系 }} {{multiple image | footer = [[江戸幕府]]第12代将軍、[[徳川家慶]](1793-1853)没 | image1 = Tokugawa_Ieyoshi.JPG | width1 = 100 | alt1 = 徳川家慶 | image2 = TokugawaIeyoshi_grave.JPG | width2 = 80 | alt2 = 墓所 }} {{multiple image | footer = 医学者[[エーミール・テオドール・コッハー]](1841-1917)。[[甲状腺]]などの研究の傍ら、コッヘル[[鉗子]](右画像)を考案 | image1 = Emil_Theodor_Kocher.jpg | width1 = 80 | alt1 = エーミール・テオドール・コッハー | image2 = Kocher's forceps with toothed jaw.jpg | width2 = 100 | alt2 = コッヘル鉗子 }} {{multiple image | image1 = Mikhail_lermontov.jpg | width1 = 90 | caption1 = ロシアの詩人[[ミハイル・レールモントフ]](1814-1841)没 | alt1 = ミハイル・レールモントフ | image2 = Ferruccio_Busoni_01.jpg | width2 = 90 | caption2 = 音楽家[[フェルッチョ・ブゾーニ]](1866-1924) | alt2 = フェルッチョ・ブゾーニ }} {{multiple image | image1 = Gertrude_stein.jpg | width1 = 90 | caption1 = 著作家・詩人、[[ガートルード・スタイン]](1874-1946) | alt1 = ガートルード・スタイン | image2 = Mohammad Reza Pahlavi 2.jpg | width2 = 80 | caption2 = イラン皇帝[[モハンマド・レザー・パフラヴィー]](1919-1980)没 | alt2 = モハンマド・レザー・パフラヴィー }} * [[432年]] - [[カエレスティヌス1世 (ローマ教皇)|カエレスティヌス1世]]、第43代[[教皇|ローマ教皇]] * [[1276年]] - [[ハイメ1世 (アラゴン王)|ハイメ1世]]<ref>{{Cite web |title=James I|king of Aragon |url=https://www.britannica.com/biography/James-I-king-of-Aragon |website=Britannica |access-date=26 Sep 2023}}</ref>、[[アラゴン王国|アラゴン]]王(* [[1208年]]) * [[1365年]] - [[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]、[[オーストリア大公]](* [[1339年]]) * [[1404年]]([[応永]]11年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[少弐貞頼]]、[[豊前国]]の[[守護]] * [[1585年]]([[天正]]13年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[一条兼定]]、[[土佐国]][[国司]](* [[1543年]]) * [[1622年]]([[元和 (日本)|元和]]8年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[里見忠義]]、[[安房勝山藩]]、[[館山藩|館山藩主]](* [[1594年]]) * [[1835年]]([[天保]]6年[[閏]][[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - [[松平斉承]]、第12代[[福井藩|福井藩主]](* [[1811年]]) * [[1841年]] - [[ミハイル・レールモントフ]]、[[詩人]]、[[小説家]](* [[1814年]]) * [[1844年]] - [[ジョン・ドルトン]]、[[化学者]]、[[物理学者]](* [[1766年]]) * [[1853年]]([[嘉永]]6年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[徳川家慶]]、[[江戸幕府]]第12代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1793年]]) * [[1873年]] - [[フョードル・チュッチェフ]]<ref>{{Cite web |title=Fyodor Tyutchev|Russian writer |url=https://www.britannica.com/biography/Fyodor-Tyutchev |access-date=26 Sep 2023 |website=Britannica}}</ref>、詩人、[[外交官]](* [[1803年]]) * [[1883年]] - [[フランツ・ドップラー]]、[[作曲家]](* [[1821年]]) * [[1917年]] - [[エーミール・テオドール・コッハー]]、[[外科学|外科学者]](* [[1841年]]) * [[1924年]] - [[フェルッチョ・ブゾーニ]]、[[ピアニスト]]・作曲家(* [[1866年]]) * [[1928年]] - [[長谷川零余子]]、[[俳人]](* [[1886年]]) * [[1933年]] - [[武藤信義]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[大将]](* [[1868年]]) * [[1946年]] - [[ガートルード・スタイン]]、[[著作家]]、詩人(* [[1874年]]) * [[1948年]] - [[ジョー・ティンカー]]、[[プロ野球選手]](* [[1880年]]) * [[1958年]] - [[クレア・リー・シェンノート]]、[[フライング・タイガース]]の指導者(* [[1893年]]) * [[1960年]] - [[ヴァーシャ・プルジーホダ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1900年]]) * [[1962年]] - [[山本英輔]]、[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍人]](* [[1876年]]) * [[1968年]] - [[大原総一郎]]、[[実業家]](* [[1909年]]) * 1968年 - [[リリアン・ハーヴェイ]]、[[俳優|女優]](* [[1906年]]) * [[1970年]] - [[アントニオ・サラザール]]、[[ポルトガル]]の指導者(* [[1889年]]) * [[1972年]] - [[瀬越憲作]]、[[囲碁]][[棋士 (囲碁)|棋士]](* 1889年) * 1972年 - [[リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー]]、[[政治家]](* [[1894年]]) * [[1974年]] - [[ライトニン・スリム]]、ブルース・シンガー、ギタリスト(* [[1913年]]) * [[1976年]] - [[馬可]]、作曲家(* [[1918年]]) * [[1978年]] - [[石田礼助]]、実業家、第4代[[日本国有鉄道]]総裁(* [[1886年]]) * [[1979年]] - [[高木惣吉]]、海軍[[軍人]](* [[1893年]]) * [[1980年]] - [[モハンマド・レザー・パフラヴィー]]、[[パフラヴィー朝]]第2代[[イラン]][[皇帝]](* [[1919年]]) * [[1981年]] - [[ウィリアム・ワイラー]]、[[映画監督]](* [[1902年]]) * [[1983年]] - [[ジェローム・モロス]]、作曲家(* [[1913年]]) * [[1984年]] - [[ジェームズ・メイソン]]、[[俳優]](* [[1909年]]) * [[1985年]] - [[天知茂]]、俳優(* [[1931年]]) * 1985年 - [[スモーキー・ジョー・ウッド]]、元プロ野球選手(* [[1889年]]) * 1985年 - [[ジョージ・ウール]]、元プロ野球選手(* [[1898年]]) * [[1986年]] - [[木原均]]、[[遺伝学者]](* [[1893年]]) * [[1987年]] - [[前田愛 (文芸評論家)|前田愛]]、[[文芸評論家]](* [[1931年]]) * 1987年 - [[トラビス・ジャクソン]]、元プロ野球選手(* [[1903年]]) * [[1989年]] - [[内村直也]]、[[劇作家]](* 1909年) * [[1991年]] - [[ピエール・ブリュネ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1902年]]) * [[1992年]] - [[石田五郎]]、[[天文学者]](* [[1924年]]) * [[1995年]] - [[リック・フェレル]]、元プロ野球選手(* [[1905年]]) * [[1996年]] - [[若泉敬]]、[[政治学者]](* [[1930年]]) * 1996年 - [[神田武幸]]、[[アニメーション]]監督(* [[1943年]]) * [[2003年]] - [[ボブ・ホープ]]、[[コメディアン]](* [[1903年]]) * [[2007年]] - [[横地由松]]、元プロ野球選手(* 1939年) * [[2008年]] - [[ユーセフ・シャヒーン]]、映画監督(* [[1926年]]) * 2008年 - [[ホルスト・シュタイン]]、[[指揮者]](* [[1928年]]) * 2008年 - [[越智順子]]、[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]・[[ジャズ]]歌手(* [[1965年]]) * [[2010年]] - [[長谷川裕見子]]、女優(* [[1924年]]) * 2010年 - [[山本真純]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]アナウンサー(* [[1976年]]) * 2010年 - [[本田威志]]、元プロ野球選手(* [[1937年]]) * [[2011年]] - [[伊良部秀輝]]、元プロ野球選手(* [[1969年]]) * 2011年 - [[三城晃子]]、[[タレント]](* [[1945年]]) * 2011年 - [[レイ・ハラカミ]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1970年]]) * [[2016年]] - [[エイノユハニ・ラウタヴァーラ]]、作曲家(* [[1928年]]) * [[2017年]] - [[サム・シェパード]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/fd52c63e8cbec0647f426ef55dcb7d514fe808c8 |title=サム・シェパードが死去。ライター、カウボーイ、真の意味での愛国主義者 |publisher=[[Yahoo! JAPAN|Yahoo!]]ニュース |date=1 Aug 2017 |accessdate=26 Sep 2023}}</ref>、俳優、[[劇作家]](* [[1943年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == [[image:Seven_sleepers.jpg|thumb|180x180px|{{仮リンク|7人の眠り男|en|Seven Sleepers}}]] * お寝坊さんの日([[:fi:unikeonpäivä]], [[:en:National Sleepy Head Day]] {{FIN}}) *: 家で一番遅くまで寝ていた人を水に投げ込むなどして起こす日。200年間眠り続けたという[[エフェソス]]の{{仮リンク|7人の眠り男|en|Seven Sleepers}}の伝承に基づく。 * 祖国解放戦争勝利記念日({{PRK}}) *: [[1950年]]のこの日に[[朝鮮戦争]]の停戦が成立。 * ホセ・セルソ・バルボーサ誕生日({{PRI}}) * 政治を考える日({{JPN}}) *:[[1976年]]のこの日、[[ロッキード事件]]で[[田中角栄]]前首相(当時)が逮捕されたことによる。 * [[スイカ]]の日({{JPN}}) *:スイカの縞模様を綱に見立て、27を「つ(2)な(7)」と読む語呂合せから。 * ニキビケアの日({{JPN}}) *:株式会社ディーエイチシーが制定。ニキビケアを見直し、肌トラブルを無くす正しい手入れの方法を啓蒙するのが目的。日付は、「しっかりと(7)ニキビを(2)なくそう(7)」の語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=32|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0727|date=Sep 2023}} === 誕生日(フィクション) === * [[1940年]] - [[バッグス・バニー]]、映画『[[ルーニー・テューンズ]]』のキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.warnerbros.com/news/articles/2020/07/27/happy-80th-birthday-bugs-bunny |title=Happy 80th Birthday Bugs Bunny! |access-date=26 Sep 2023 |publisher=Warner Bros. Entertainment Inc. |date=27 Jul 2020}}</ref> * [[1969年]] - 大山礼児、ゲーム『[[豪血寺一族]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=キャラクター紹介 礼児 大山 |url=https://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_gkt/vc_gkt_06.html |access-date=26 Sep 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『VC 豪血寺一族』}}</ref> * [[1975年]] - 相田聡一、漫画・アニメ『[[バクマン。]]』に登場するキャラクター * [[1990年]] - 福田真太、漫画・アニメ『バクマン。』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=小畑健|authorlink1=小畑健|author2=大場つぐみ|authorlink2=大場つぐみ|date=2010-12-29 |title = バクマン。キャラクターブック キャラマン。 |page =52 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4088748498 }}</ref> * [[2042年]] - 早乙女アルト、アニメ『[[マクロスF]]』の主人公<ref>{{Twitter status|macrossd|1419839961520504834}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |date=2009-01-01|title =マクロスF official fan book|series=Gakken Mook|page=56|publisher=[[学研プラス]]|isbn=978-4056053579}}</ref> * 生年不明 - 湯の川星羅、地域活性化プロジェクト『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/yunokawa_seira |title=北海道 湯の川星羅 |work=『温泉むすめ』 |accessdate=26 Sep 2023|publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref> * 生年不明 - 花菱烈火、漫画・アニメ『[[烈火の炎]]』の主人公<ref>{{Twitter status|anzainobuyuki|1420033029695754258}}</ref> * 生年不明 - 烏座のジャミアン、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=19 |title=鳥座(クロウ)のジャミアン |work=『聖闘士星矢』 |accessdate=26 Sep 2023 |publisher=[[車田正美]] |website=MUSEUN聖闘士博物館}}</ref> * 生年不明 - キキョウ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Kikyo.html |title=キキョウ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=26 Sep 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 徳川カズヤ、漫画『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1154768464831291393}}</ref> * 生年不明 - 幻幽丸、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2005-04-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=85|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088737348}}</ref> * 生年不明 - デモウラ・ゾット、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 男鹿美咲、漫画・アニメ『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 新庄・アレックス・ロドリゲエス・一郎、漫画・アニメ『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 仁礼光、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1419675411961815050}}</ref> * 生年不明 - 更紗、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ミノタウロス、漫画・アニメ『[[魔王城でおやすみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|maoujo_anime|1552096436384198658}}</ref> * 生年不明 - 江藤蘭世、漫画・アニメ『[[ときめきトゥナイト]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 峰龍太郎、漫画・アニメ『[[のだめカンタービレ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|nodame_official|1419936809576919045}}</ref> * 生年不明 - 桃井サチ、漫画・アニメ『[[まりあ†ほりっく]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 伊吹澪、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/ibuki.html |title=伊吹 澪 |accessdate=26 Sep 2023 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』 |publisher=[[衣笠彰梧]]・[[KADOKAWA]]刊/ようこそ実力至上主義の教室へ製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 吉田カツヲ、アニメ『[[秘密結社鷹の爪]]』に登場するキャラクター<ref>{{YouTube|Ig9SR59HTaM|『鷹の爪団の吉田くん 誕生日変更のお知らせ』}}</ref> * 生年不明 - 瀬川彩愛、ドラマCD『[[りりくる]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 足利知恵、ゲーム・アニメ『[[School Days]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#新田美波|新田美波]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20120 |title=新田 美波(にった みなみ) |access-date=26 Sep 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STE』Rアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 望月理也、ゲーム『[[月影の鎖 -錯乱パラノイア-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|getsuei_kanko|758136399363121153}}</ref> * 生年不明 - 宗田里萌、ゲーム『[[レーシング娘。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|rmusume_staff|758132409397194753}}</ref> * 生年不明 - ギルバート、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=49&cate=name&cont=Girbert |title=ギルバート |access-date=26 Sep 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 大垣秋子、ゲーム・漫画・アニメ『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/oogaki-akiko/ |title=広島県 大垣 秋子 |access-date=26 Sep 2023 |publisher=[[MAGES.]] アイドル事変製作委員会 |work=『アイドル事変』}}</ref> * 生年不明 - 山本有三、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bunal_pr|1419673960522948608}}</ref> * 生年不明 - 獅子舞凛火、ゲーム『FATAL TWELVE』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|twilight_cs|1552263079861579782}}</ref> * 生年不明 - レオナ・キングスカラー、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド|ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/leona |title=レオナ・キングスカラー |access-date=26 Sep 2023 |publisher=Disney.Published by Aniplex |work=『TWISTED WONDER LAND』}}</ref> * 生年不明 - 久岐忍、ゲーム『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Genshin_7|1552142987534241792}}</ref> * 生年不明 - クレー、ゲーム『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Genshin_7|1419870160962211842}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[セブンツーセブン]] - [[大阪府]]の[[化粧品]]メーカー。創業者の誕生日が7月27日であることが、社名の由来。 {{Commons&cat|July 27|27 July}} {{新暦365日|7|26|7|28|[[6月27日]]|[[8月27日]]|[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]|0727|7|27}} {{1年の月と日}}
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1744年
1744年(1744 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1744年(1744 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "カレンダー" } ]
1744年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1744}} [[ファイル:1744 map of Asia by Johann Matthias Hase.jpg|サムネイル|[[アウクスブルク]]出身の地理学者{{仮リンク|ヨハン・マティアス・ハーゼ|en|Johann Matthias Hase}}による1744年のアジア地図]] {{year-definition|1744}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛保]]4年、[[延享]]元年2月21日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2404年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]9年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]20年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4077年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]5年 * [[仏滅紀元]] : 2286年 - 2287年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1156年 - 1157年 * [[ユダヤ暦]] : 5504年 - 5505年 * [[ユリウス暦]] : 1743年12月21日 - 1744年12月20日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1744}} == できごと == * [[ファイル:Hall of Diligent Government.jpg|サムネイル|『{{仮リンク|円明園四十景図|en|Forty Scenes of the Yuanmingyuan}}』第2景「勤政親賢」。(1744年)[[清]]の[[乾隆帝]]が、[[円明園]]の実際の風景をもとに描かせた[[連作]]。園内の建築をほぼ網羅しており、造園初期の円明園を知る資料としても貴重<ref name=":1">{{Cite journal|author=張亜平、馬嘉、章俊華|year=2016|title=中国清朝絵画『円明園四十景図』における庭園建築配置からみた庭園空間の特徴|journal=ランドスケープ研究|volume=79|issue=5|page=409-412|language=ja |url=https://doi.org/10.5632/jila.79.409 |CRID=1390001205668942080}}</ref>。]][[ファイル:Legend_of_Vasudhara_(Ashvaghosha_Avadana)_LACMA_M.91.239.jpg|サムネイル|『[[ヴァスダーラー]]所伝』(1744年)[[ネパール]]、[[マッラ朝]]末期。[[ロサンゼルス・カウンティ美術館]]蔵。]][[サウード家]]が[[ムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブ]]を保護([[ワッハーブ派|ワッハーブ運動]]の始まり){{要出典|date=2021-03}}。 * 第一次[[ワッハーブ王国]]成立(-[[1818年]])。 * 清 - [[円明園]]の増築が完了<ref name=":1" />。 * [[ロシア帝国]] - [[サンクトペテルブルク]]で[[帝国磁器工場]]が設立。 * [[グレートブリテン王国|イギリス]] - **世界最古の国際競売会社、[[サザビーズ]]が[[ロンドン]]で創業。 **[[ウィリアム・ホガース]]が『[[当世風結婚]]』を発表する<ref>{{Cite web|url=https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/william-hogarth-marriage-a-la-mode-1-the-marriage-settlement|title=Marriage A-la-Mode|accessdate=2021-02-13|publisher=[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]}}</ref>。 **[[ペンシルベニア植民地|ペンシルべニア植民地]]の[[ランカスター (ペンシルベニア州)|ランカスター]]で、イギリスが[[イロコイ連邦|イロコイ同盟]]がインディアン条約を締結。イギリスは[[オハイオ川]]北岸の[[オハイオ州#地理|オハイオ渓谷地域]]を得た{{Sfn|中村|2010|p=284}}。 {{Seealso|オハイオ州の歴史}} * [[プロイセン王国]] - [[レオンハルト・オイラー]]が論文『極大あるいは極小の性質を備える曲線を発見する方法、あるいは一番広い意味で把握された等周問題の解』<ref group="注釈">“Methodus inveniendi lineas curvas maximi minimive proprietate gaudentes sive solutio problematis isoperimetrici latissimo sensu accepti. “E65</ref>を発表{{Sfn|尾崎|2009|p=67}}。この論文を読んだ[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]]が1755年にオイラーへ書簡を送り、[[変分法]]の確立へとやり取りが続けられることとなる。 *{{仮リンク|クリケット競技規則|en|Laws of Cricket}}が[[ペル・メル (ロンドン)|ペル・メル]]で起草<ref>{{Cite web|url=https://artsandculture.google.com/story/the-laws-of-the-game-of-cricket/RgJC5Ut6BKmvKg|title=The Laws of the Game of Cricket|accessdate=2021-12-12|publisher=[[Google]]|author={{仮リンク|メルボルン・クリケット・クラブ|en|Melbourne Cricket Club}}|language=en}}</ref>。 === 1月-3月 === * [[1月14日]] - 神父ジュゼッペ・ランベルティ殺害を契機に、[[フィリピン]]で{{仮リンク|ダゴホイの反乱|en|Dagohoy rebellion}}が勃発(-[[1829年]])。 * [[2月22日]] - [[トゥーロンの海戦]]。南[[フランス]]・[[トゥーロン]]沖の[[地中海]]上で、[[スペイン帝国]]の護衛艦隊が[[グレートブリテン王国|イギリス]]の[[地中海艦隊 (イギリス)|地中海艦隊]]による襲撃を退ける。 * 2月 - 凄まじい嵐によって{{仮リンク|フランスによる英国侵攻計画 (1744年)|en|Planned French invasion of Britain (1744)|label=フランスによる英国侵攻計画}} が頓挫。 * [[3月1日]]ごろ - 当時、観測史上もっとも明るい彗星であった[[クリンケンベルグ彗星]]が[[近日点]]に達する。 * [[3月15日]] - [[フランス王国|フランス]]がイギリスに宣戦布告。実際には、[[1743年|前年]]の[[デッティンゲンの戦い]]においてすでにフランス・イギリス両国は戦争状態にあった{{Sfn|中村|2010|p=283}}。 * 3月 - [[ジョージ王戦争]]([[オーストリア継承戦争]]の一環)勃発(-[[1748年]])。 === 4月-6月 === * 4月 - イングランドで"''The Female Spectator''" ([[月刊誌]])が{{仮リンク|イライザ・ヘイウッド|en|Eliza Haywood}}によって創刊。史上初の女性による女性向け定期刊行物であった<ref>{{Cite journal|和書|author=玉崎紀子 |title=イライザ・ヘイウッドのヒロインと王政復古劇 |journal=文化科学研究 |issn=0915-6461 |publisher=中京大学先端共同研究機構文化科学研究所 |year=2006 |volume=18 |issue=1 |pages=1-25 |naid=110006607483 |url=http://id.nii.ac.jp/1217/00016501/ |accessdate=2021-08-01}}</ref>。 * [[4月2日]] - [[スコットランド]]、[[エディンバラ]]の{{仮リンク|ジェントルマン・ゴルファーズ・オブ・リース|de|Gentlemen Golfers of Leith}}で、初のゴルフ競技大会のために13カ条の世界最古の[[ゴルフ]]ルールが作成される<ref>Rules of Golf 1744 Scottish Golf History accessed 10 Feb 2017 http://www.scottishgolfhistory.org/origin-of-golf-terms/rules-of-golf/</ref><ref>Instructions, golf club rules and competitions History of Golf accessed 10 Feb 2017 [[History of golf]]</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.arimacc.jp/report/post-5404#:~:text=%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%8C%E6%B0%B4%E4%B8%AD%E3%82%84%E3%81%AC%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%BF,%E3%82%92%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82|title=世界最古と言われる1744年制定のゴルフ規則|有馬カンツリー倶楽部|accessdate=2021-03-05|publisher=[[有馬カンツリー倶楽部]]|date=2018-06-05}}</ref>。 * [[4月20日]] - [[オーストリア継承戦争]] - [[ヴィッラフランカの戦い (1744年)|ヴィッラフランカの戦い]]。[[サルデーニャ王国]]領[[ヴィルフランシュ=シュル=メール|ヴィッラフランカ・マリッティマ]]で、フランス=スペイン連合軍がイギリス軍とサルデーニャ軍を破る。 * [[ファイル:5 копеек 1727 года, Красный монетный двор.jpg|サムネイル|1744年当時流通していた[[1727年]]鋳造の5コペイカ銅貨]][[5月11日]] - {{仮リンク|ロシア帝国財務省|en|Ministry of Finance of the Russian Empire}}が、8月1日までの期限付きで5ペイカ銅貨20枚毎に、それ以降は25枚毎に兌換する布告によって、市場に出回っていた5コペイカ銅貨(20枚で[[ロシア・ルーブル]]と同価値)を減らそうとした。 その後、同年10月1日には33枚毎、[[1746年]]8月28日以降には50枚毎とされた<ref>"Banking in the Russian Empire", by Antoine E. Horn, in A History of Banking in All the Leading Nations (Journal of Commerce and Commercial Bulletin, 1896) pp342-343</ref>。 * [[5月19日]] - [[1744年5月19日の海戦]]。 * [[5月22日]] - [[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]で、[[プロイセン王国|プロイセン]]、[[ヘッセン=カッセル方伯領|ヘッセン=カッセル]]、[[プファルツ選帝侯領|プファルツ選帝侯]]を加えたドイツ諸邦による[[フランクフルト同盟]]が結成される<ref>Martin Philippson, The Age of the European Balance of Power, translated by John Henry Wright (Lea Brothers & Company, 1905) p267</ref>。 * [[5月24日]] - イギリスとフランスが戦闘状態になったというヨーロッパからの報をうけて、[[ルイブール要塞]]に駐留していたフランス軍が、[[ノバスコシア州]]、{{仮リンク|カンソー (ノヴァスコシア州)|en|Canso, Nova Scotia|label=カンソー}}にある{{仮リンク|ウィリアム・オーガスタス要塞|en|Fort William Augustus}} にあるイギリスの入植地を{{仮リンク|カンソー急襲|en|Raid on Canso|label=急襲}}し、これを降伏させる<ref>"Canso, Battle of (1744)", by John D. Hamilton, in Colonial Wars of North America, 1512-1763: An Encyclopedia, ed. by Alan Gallay (Routledge, 2015) p100</ref>。 * 6月13日 - ロシア皇帝[[エリザヴェータ (ロシア皇帝)|エリザヴェータ]]の命によって、[[アレクセイ・ベストゥージェフ=リューミン]]が大宰相(帝国宰相)の地位に就く<ref>John T. Alexander, Catherine the Great: Life and Legend (Oxford University Press, 1989) pp27-28</ref>。 * 6月15日 - イギリス海軍[[代将 (イギリス海軍)|代将]]の[[ジョージ・アンソン (初代アンソン男爵)|ジョージ・アンソン]]が、戦列艦[[センチュリオン (戦列艦・2代)|センチュリオン]]での4年に渡る{{仮リンク|ジョージ・アンソンの世界周航|en|George Anson's voyage around the world|label=世界周航}}を終え、イングランドの[[スピットヘッド]]に到着。アンソンは英雄として迎えられた<ref>"Anson, George", by Joseph A. Devine, Jr., in Historical Dictionary of the British Empire, ed. by James S. Olson and Robert Shadle (Greenwood Publishing Group, 1996) p68</ref>。 * [[ファイル:Grand Duchess Catherine Alexeevna by L.Caravaque (1745, Gatchina museum).jpg|サムネイル|ロシア大公妃[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ・アレクセーエヴナ]]の肖像 [[ルイ・カラヴァク]]筆 1745年]]6月28日 - {{仮リンク|アンハルト=ツェルプスト侯国|en|Principality of Anhalt-Zerbst|label=アンハルト=ツェルプスト侯}}の15歳の娘、ソフィー・アウグスタ・フレデリーケ(後のロシア皇帝[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]])が[[ルーテル派]]から[[ロシア正教会|ロシア正教]]に改宗、名前もエカチェリーナに改める。 === 7月-9月 === * [[8月5日]] - (寛保4年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]) - 日本、[[甲子革令|甲子革令説]]により[[改元]]し、[[延享]]元年<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=見る・読む・調べる 江戸時代年表|date=2007-10-10|year=2007|publisher=[[小学館]]|pages=118-119|author=山本博文|isbn=9784096266069}}</ref>。 * [[8月15日]] - [[第二次シュレージエン戦争]]勃発(-[[1745年]])。 * [[9月13日]] - [[マリア・テレジア]]の夫[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]]が[[神聖ローマ皇帝]]に即位。 * 9月 - 「延享の御造営」。[[出雲大社]]の現在の本殿が完成<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://izumooyashiro.or.jp/daisengu/history|title=遷宮の歴史|accessdate=2021-02-13|publisher=[[出雲大社]]}}</ref>。 === 10月-12月 === * [[10月4日]] - ジブラルタルから帰還する途上にあった戦列艦{{仮リンク|ヴィクトリー (戦列艦・2代)|en|HMS Victory (1737)|label=2代目ヴィクトリー}}が、嵐によって[[イギリス海峡]]で沈没。1100名の水兵と、提督{{仮リンク|ジョン・バルチェン|en|John Belchen}}を含む複数名の海軍士官が犠牲となる<ref>Stewart Gordon, A History of the World in Sixteen Shipwrecks (ForeEdge, University Press of New England, 2015) p.140</ref>、[[イギリス海軍]]にとって未曽有の海難事故となった。難破船はこの事故から264年後の2009年1月に引き揚げられた<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7863840.stm "Legendary British warship 'found'", BBC News, February 1, 2009]</ref>。 * [[10月12日]] - [[二名法]]を発案・体系化した[[カール・フォン・リンネ]]が、水の融点と沸点との間を100分割した[[セルシウス度]]を考案した[[アンデルス・セルシウス]]の後任として、[[スウェーデン王立科学アカデミー]]の総裁に就任<ref>Florence Caddy, ''Through the Fields with Linnaeus: A Chapter in Swedish History'' (Little, Brown, and Company, 1886) p159</ref>。 セルシウスは同年4月に病没していた。 * [[10月19日]] - [[マサチューセッツ湾植民地|マサチューセッツ湾総督]]ウィリアム・シャーリーが、[[ミクマク族]]と{{仮リンク|マリシート族|en|Maliseet}}([[アベナキ族]])に対して宣戦布告を行う<ref>Frederic J. Baumgartner, ''Declaring War in Early Modern Europe'' (Springer, 2011) p149</ref>。 * [[10月25日]] ** [[マサチューセッツ湾植民地]]の植民地議会である{{仮リンク|マサチューセッツ議会|en|General Court of Massachusetts}}が、敵である[[インディアン]]殺害に対して報奨金が支払うことを承認。ミキマク族かマリシート族の頭皮一枚につき100マサチューセッツ・ポンド、これらの部族の女子供の頭皮一枚につき50ポンド支払うことを認可した<ref>Geoffrey Plank, An Unsettled Conquest: The British Campaign Against the Peoples of Acadia (University of Pennsylvania Press, 2018) p110</ref>。 ** [[ファイル:Relacion historica del viage a la America meridional (37679170105).jpg|サムネイル|『南米諸王国紀行』 1748年、[[マドリード]]出版 アントニオ・デ・ウジョーア、ホルヘ・フアン・イ・サンタシリア共著 [[セビリア大学]]附属図書館収蔵]]スペインの探検家、[[アントニオ・デ・ウジョーア]]と{{仮リンク|ホルヘ・フアン・イ・サンタシリア|en|Jorge Juan y Santacilia}}らが探検を終え、[[ペルー]]の港、[[カヤオ]]からスペインに向けて帰国の途に就く<ref>Robert Whitaker, The Mapmaker's Wife: A True Tale Of Love, Murder, And Survival In The Amazon (Basic Books, 2004) p197</ref>。帰国後、2人はこの探検旅行についてまとめ、[[1748年]]に『南米諸王国紀行』として出版した。 * [[11月 (旧暦)]](延享元年) - 『[[御触書集成|御触書寛保集成]]』、完成<ref name=":0" />。将軍[[徳川吉宗]]に提出される。 * 11月1日 - [[第二次シュレージエン戦争]]:元帥[[クルト・クリストフ・フォン・シュヴェリーン]]率いるプロイセン軍が、[[ボヘミア王国]]の首都[[プラハ]]に砲撃を開始。プラハは2週間の抵抗ののち開城した<ref>Peter Demetz, Prague in Black and Gold: Scenes from the Life of a European City (Macmillan, 1998) p243</ref>。 * 12月18日 - オーストリア女大公マリア・テレジアが、ボヘミア王国からユダヤ人住民を退去させることを布告。この布告は、全てのユダヤ人は2週間以内にプラハを退去し、ボヘミア王国全体から1745年には全て追放させるという内容だった<ref>Selma Stern, ''The Court Jew - A Contribution to the History of the Period of Absolutism in Central Europe'' (Read Books, 2011)</ref>。 {{Clear}} == 誕生 == [[ファイル:A S Adams.jpg|サムネイル|アビゲイル・アダムズ]] {{see also|Category:1744年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月10日]] - [[トマス・ミフリン]]、[[ペンシルベニア州知事]](+ [[1800年]]) * [[1月15日]] - [[エベニーザー・ハザード]]、第3代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1817年]]) *[[2月21日]] - [[エイセ・エイシンガ]]、オランダの商人、アマチュア[[天文学者]](+ [[1828年]]) *[[2月23日]] - [[マイアー・アムシェル・ロートシルト]]、[[銀行家]]、ロスチャイルド家の始祖(+ [[1812年]]) * [[6月1日]] - [[クリスティアン・ゴットヒルフ・ザルツマン]]、ドイツの[[牧師]]・[[教育者]](+ [[1811年]]) * [[7月20日]] - [[ジョシュア・クレイトン]]、[[デラウェア植民地|デラウェア]]の[[医師]]・[[政治家]](+ [[1798年]]) * [[8月1日]] - [[ジャン=バティスト・ラマルク]]、[[フランス]]の[[博物学]]者(+ [[1829年]]) * 8月11日 - {{仮リンク|トマス・アントニオ・ゴンザーガ|en|Tomás António Gonzaga|pt|Tomás António Gonzaga}}、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]・{{仮リンク|ブラジル植民地|en|Colonial Brazil}}の詩人(+ [[1810年]]頃) * [[8月25日]] - [[ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー]]、[[哲学者]]・[[文学者]](+ [[1803年]]) * [[11月11日]] - [[アビゲイル・アダムズ]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]]。第2代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョン・アダムズ]]の妻(+ [[1818年]]) {{Clear}} == 死去 == {{see also|Category:1744年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月23日]] - [[ジャンバッティスタ・ヴィーコ]]、[[イタリア]]の[[哲学者]](*[[1668年]]) * [[4月25日]] - [[アンデルス・セルシウス]]、[[スウェーデン]]の[[天文学者]](*[[1701年]])[[ファイル:Alexander Pope.jpg|サムネイル|晩年のアレキサンダー・ポープ 1742年頃]] * [[5月30日]] - [[アレキサンダー・ポープ]]、[[イギリス]]の[[詩人]](*[[1688年]]) * [[10月29日]]([[延享]]元年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]) - [[石田梅岩]]、[[思想家]]・[[倫理学|倫理学者]]、[[石門心学]]の租(* [[1685年]]) * [[10月31日]] - [[レオナルド・レーオ]]、[[ナポリ王国]]の[[作曲家]]、[[ナポリ楽派]](* [[1694年]]) *12月23日 - [[エリザベート・シャルロット・ドルレアン]] - [[ロレーヌ公]][[レオポルト (ロレーヌ公)|レオポルト]](レオポール)の妃 (* [[1676年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注釈"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite web|和書|url=https://www.jsgca.com/05_column/gm2011-03.html|title=ゴルフの歴史とこれからの課題 ゴルフ発祥と発達の歴史|accessdate=2021-03-05|publisher=日本ゴルフコース設計者協会|date=2011-03|author=倉上俊治}} *{{Cite book|和書|title=アメリカ史「読む」年表事典1|date=2010-10-22|year=2010|publisher=原書房|isbn=978-4562046423|author=中村甚五郎|ref={{SfnRef|中村|2010}}}} * {{Cite journal|和書|author=尾崎文秋 |date=2009-01 |title=オイラーの変分法 (1) (数学史の研究) |url=https://hdl.handle.net/2433/140299 |journal=数理解析研究所講究録 |ISSN=1880-2818 |publisher=京都大学数理解析研究所 |volume=1625 |pages=67-77 |hdl=2433/140299 |CRID=1050001202301709440 |ref={{SfnRef|尾崎|2006}}}} == 関連項目 == {{Commonscat|1744}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1744ねん}} [[Category:1744年|*]]
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7月28日
7月28日(しちがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から209日目(閏年では210日目)にあたり、年末まであと156日ある。
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{{カレンダー 7月}} '''7月28日'''(しちがつにじゅうはちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から209日目([[閏年]]では210日目)にあたり、年末まであと156日ある。 == できごと == [[File:Battagliadicascina.jpg|thumb|[[カッシナの戦い]](1364)[[フィレンツェ]]が[[ピサ]]を敗る。|180x180ピクセル]] {{multiple image | footer = 英国王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]、かつての側近[[トマス・クロムウェル]]を処刑、同日5番目の妻[[キャサリン・ハワード]]と結婚(1540) | image1 = Enrique VIII de Inglaterra, por Hans Holbein el Joven.jpg | width1 = 60 | caption1 = [[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]] | image2 = Cromwell,Thomas(1EEssex)01.jpg | width2 = 60 | caption2 = [[トマス・クロムウェル|クロムウェル]] | image3 = HowardCatherine02.jpeg | width3 = 60 | caption3 = [[キャサリン・ハワード|キャサリン]] }} [[Image:Execution_robespierre,_saint_just....jpg|thumb|[[テルミドール9日のクーデター]]によ30日までに104名が処刑される(1794)|180x180ピクセル]] {{multiple image | footer = 1794年に処刑された人物達。 | image1 = Robespierre IMG 2303.jpg | width1 = 60 | alt1 = マクシミリアン・ロベスピエール | caption1 = [[マクシミリアン・ロベスピエール]](1758-1794) | image2 = Couthon1.png | width2 = 60 | alt2 = ジョルジュ・クートン | caption2 = [[ジョルジュ・クートン]](1755-1794) | image3 = Saint_Just.jpg | width3 = 60 | alt3 = ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト | caption3 = [[ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト]](1767-1794) }} {{multiple image | image1 = Chiken_akita_face.jpg | width1 = 90 | alt1 = 地租改正 | caption1 = [[地租改正]](1873)。画像は1879年発行の[[地券]] | image2 = View_of_Ueno-Nakasendo_railway_from_Ueno_station.jpg | width2 = 90 | alt2 = 1885年の上野駅 | caption2 = 日本初の私鉄[[日本鉄道]]開業(1883)。画像は1885年の[[上野駅]] }} {{multiple image | footer = [[第2次世界大戦]]。画像左は米軍[[爆撃機]][[B-17 (航空機)|B-17]]の初飛行(1935)、中央は日本軍が[[仏印進駐|南部仏印への進駐]]を開始(1941)、右は[[青森大空襲]](1945)。 | image1 = Boeing XB-17 (Model 299).jpg | width1 = 60 | alt1 = 爆撃機B-17 | caption1 = | image2 = Japanese_troops_entering_Saigon_in_1941.jpg | width2 = 55 | atl2 = サイゴン入りする日本軍 | image3 = Aomori_after_the_1945_air_raid.jpg | width3 = 65 | alt3 = 青森大空襲 }} {{multiple image | footer = 中国で[[唐山地震]](1976)。死者は25万人以上と推測され、世界史上2番目の規模の震災となった。なお、1位は[[華県地震]]。 | image1 = 1976_Tangshan.png | width1 = 50 | alt1 = 唐山地震 | image2 = Tangshan earthquake.jpg | width2 = 65 | alt2 = 被災地の瓦礫 | image3 = Tangshan_Earthquake_Memorial_III.jpg | width3 = 65 | alt3 = 唐山抗震記念碑 }} [[Image:Olympic Torch Tower of the Los Angeles Coliseum.jpg|thumb|180x180px|[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]開幕(1984)]] {{multiple image | image1 = AkbarHashemiRafsanjani.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[ハーシェミー・ラフサンジャーニー]]、95%の得票率で[[イラン]]大統領に当選(1989) | image2 = FujimoriUSIP.jpg | width2 = 90 | caption2 = 日系人[[アルベルト・フジモリ]]、1990年の誕生日に[[ペルー]]大統領に就任 }} * [[1364年]] - [[カッシナの戦い]]。 * [[1493年]] - [[アルバート通り]]のセントニコラウス教会から火災が発生。モスクワの街全体に広がる大火災になった。 * [[1508年]]([[永正]]5年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - 室町幕府第10代将軍だった足利義尹(後の[[足利義稙|義稙]])が第12代将軍に復帰。 * [[1540年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]のかつての側近[[トマス・クロムウェル]]が処刑される。同日、ヘンリー8世は5番目の妻[[キャサリン・ハワード]]と結婚。 * [[1589年]]([[天正]]17年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[上杉景勝]]の侵攻により[[佐渡国]][[羽茂城]]が落城。[[鎌倉時代]]以来の[[本間氏#佐渡本間氏|佐渡本間氏]]の統治が終わり、上杉領となる。 * [[1794年]]([[フランス革命暦]]II年テルミドール10日) - [[フランス革命]]: 前日の[[テルミドールのクーデター]]で失脚した[[ジャコバン派]]メンバーに死刑判決が下され、同日のうちに[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]ら22人が処刑される。 * [[1809年]] - [[半島戦争]]: {{仮リンク|タラベラの戦い|en|Battle of Talavera}}。 * [[1821年]] - [[ホセ・デ・サン=マルティン]]が[[ペルー]]の[[スペイン]]からの独立を宣言。(ペルーの[[独立記念日]]) * [[1873年]] - 明治政府が[[地租改正|地租改正法と地租改正条例]]を公布。[[年貢]]・[[租|田租]]に代わる地価の3%の[[地租]]を定める。 * [[1877年]] - 英国の冶金技師ウィリアム・ガウランドが、外国人として初めて[[槍ヶ岳]]に登頂。登頂記録を雑誌で紹介する際「Japan alps」という表現を使い、今日の「[[日本アルプス]]」の語源になった。 * [[1883年]] - [[日本鉄道]]・[[上野駅|上野]] - [[熊谷駅|熊谷]](現在の[[東北本線]]・[[高崎線]])が開業。日本初の[[私鉄|私設鉄道]]。 * [[1889年]] - [[熊本市]]の西を震源とする[[熊本地震 (1889年)|熊本地震]]。死者20人。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[オーストリア=ハンガリー帝国]]が[[セルビア]]に宣戦布告。世界の多数の国が参戦する「第一次世界大戦」に発展。 * [[1935年]] - [[B-17 (航空機)|B-17]][[爆撃機]]が初飛行。 * [[1941年]] - [[仏印進駐]]: [[日本]]軍が[[フランス領インドシナ|南部仏印]]への進駐を開始。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ヨシフ・スターリン]]が[[敵前逃亡]]を禁止する[[ソ連国防人民委員令第227号]]を発令。 * 1942年 - [[ゴールデンバット|金鵄(タバコ)]]のバラ売りが始まる。戦時中の混乱にあって、包装用箱が製造できなくなったため<ref>「金鵄」のバラ売り始める(昭和19年7月28日 毎日新聞(東京)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p577 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦: 日本の[[鈴木貫太郎]]首相が、[[ポツダム宣言]]を「黙殺」し戦争を継続することを表明。 * 1945年 - [[1945年エンパイア・ステート・ビルディングB-25爆撃機衝突事故|エンパイアステートビルにB-25爆撃機が激突。乗員3人を含む14人死亡。]] * 1945年 - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[青森大空襲]]。 * 1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: [[大山口列車空襲]]。 * 1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: [[呉軍港空襲]]。24日分と合わせ、燃料不足により停泊していた多くの艦が大破・着底する。 * [[1947年]] - [[滝沢修]]・[[宇野重吉]]らが[[劇団民藝|民衆芸術劇場]](第一次民藝)を結成。 * [[1949年]] - 翌日にかけて[[ヘスター台風]]が[[三重県]]に接近、上陸。集中豪雨により死者・行方不明者45人、全壊家屋55戸、床上浸水1967戸<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=73|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1950年]] - [[報道機関]]で[[レッドパージ]]が始まる。初日だけでも[[朝日新聞]]社72人、[[毎日新聞]]社49人、[[読売新聞]]社34人、[[日本経済新聞]]社10人、[[東京新聞]]社8人、[[日本放送協会]]104人、[[時事通信]]社16人、[[共同通信]]社33人が解雇<ref>「報道界の赤色分子解雇」『日本経済新聞』昭和25年7月29日3面</ref>。 * [[1955年]] - [[三重県]][[津市]]中河原海岸にて、水泳訓練中の[[津市立橋北中学校]]生徒が遭難する水難事故が発生([[橋北中学校水難事件]])。女子生徒36名が死亡。 * [[1965年]] - [[ベトナム戦争]]: 米大統領[[リンドン・ジョンソン]]が、海兵隊のほかに[[アメリカ陸軍|陸軍]]もベトナムに派遣すると発表。 * [[1973年]] - [[スカイラブ計画]]: 有人宇宙船「[[スカイラブ3号]]」打上げ。宇宙ステーション「スカイラブ」に滞在する宇宙飛行士を送る。 * [[1974年]] - [[新潟焼山]]が[[噴火]]。噴石により火口周辺に野営中の[[千葉大学]]の学生3名が死亡した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/77/ |title=新潟焼山噴火(1974年) |publisher=[[Yahoo! JAPAN]]天気・災害 |accessdate=28 Sep 2023}}</ref>。 * 1974年 - [[冨士大石寺顕正会]]が[[明治公園]]で「立正安国野外集会」を行う。3,000人が参加し、創価文化会館([[創価学会]]本部)までデモ行進。 * [[1976年]] - 中国[[河北省]]で[[モーメントマグニチュード|Mw]]7.5-7.8の[[唐山地震]]発生。死者24万名以上、住宅全壊率94%の被害。 * [[1978年]] - 第1回[[講道館杯全日本柔道体重別選手権大会|全日本女子柔道体重別選手権大会]]開催<ref>{{Cite web|和書 |url=http://kodokanjudoinstitute.org/doctrine/chronicle/ |title=年表 1978 昭和53年 7月28日 |accessdate=28 Sep 2023 |publisher=[[講道館|公益財団法人 講道館]]}}</ref>。 * [[1984年]] - [[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|第23回夏季オリンピック・ロサンゼルス大会]]開幕。[[8月12日]]まで。 * [[1989年]] - [[イラン]]の大統領選で[[ハーシェミー・ラフサンジャーニー]]が投票総数の95%を集めて当選。 * [[1990年]] - [[アルベルト・フジモリ]]が[[ペルーの大統領]]に就任。 * [[1992年]] - 5月に亡くなった漫画家・[[長谷川町子]]に[[国民栄誉賞]]を授与。 * [[1993年]] - [[アンドラ]]が[[国際連合]]に加盟<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.unic.or.jp/info/un/un_organization/member_nations/ |title=加盟国一覧 |accessdate=28 Sep 2023 |publisher=[[国際連合]]広報センター}}</ref>。 * [[1996年]] - [[アメリカ合衆国]][[ワシントン州]]で古人類[[ケネウィック人]]の骨を発見。 * [[2000年]] - [[四国縦貫自動車道]]([[徳島市]] - [[大洲市]])が全線開通。 * [[2005年]] - [[IRA暫定派]]が全ての武装活動の停止を宣言。 * [[2008年]] - [[兵庫県]][[神戸市]]の[[都賀川]]が局地的豪雨により水位が急上昇([[都賀川水難事故]])。5人が死亡。 * 2008年 - [[イラク]]の首都[[バグダッド]]中心部で、女性3人による連続[[自爆テロ]]発生。 * [[2010年]] - 前年8月の[[第45回衆議院議員総選挙|総選挙]]による[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]への[[政権交代]]後初めてとなる[[死刑]]の執行。[[東京拘置所]]の2名の[[死刑囚]]に対して執行。[[千葉景子]][[法務大臣]]の署名によるもの。 * [[2010年]] - [[広島小1女児殺害事件]]の差し戻し控訴審判決。[[無期懲役]]とした第一審判決を支持。その後、検察側も被告人側も上告をせず、判決が確定。 * [[2013年]] - [[松井秀喜]]の引退式が、[[ヤンキースタジアム]]の「[[ニューヨーク・ヤンキース|ヤンキース]]VS[[タンパベイ・レイズ|レイズ]]」の試合前に行われた。 * 2013年 - [[平成25年7月28日の島根県と山口県の大雨]]。山口県と島根県の県境で大雨が降り、死者・行方不明者4名を出した。 * [[2019年]] - ヨーロッパ一帯が[[熱波]]に襲われる。[[フランス]]、[[ガール県]]ガラルグルモンテュ(Gallargues-le-Montueux)村で同国史上最高気温となる45.9度を記録。 * [[2020年]] - [[マレーシア]]の政府系ファンド「1MDB」をめぐる巨額の資金流用事件で、[[ナジブ・ラザク|ナジブ]]元首相が、7つの罪について、禁錮12年、罰金2億1千万リンギ(約52億円)の有罪判決を言い渡される。マレーシアの首相経験者が有罪判決を受けるのは初めて<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14566503.html |title=マレーシア元首相に禁錮12年判決 巨額の資金流用事件 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=29 Jul 2020}}</ref>。 * [[2023年]] - [[関西電力]]が、運転開始から48年が経過し、国内で最も古い[[福井県]][[高浜町]]の[[高浜発電所|高浜原発]]1号機を、12年ぶりに再稼働させた<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASR7X7CY5R7XPISC001.html |title=国内最古 高浜原発1号機再稼働 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=29 Jul 2023}}</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|380px]]}} {{multiple image | image1 = Ibn_Arabi.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[イスラーム]]思想家[[イブン・アラビー]](1165-1240)誕生 | alt1 = イブン・アラビー | image2 = Feuerbach_Ludwig.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ]](1804-1872)誕生 | alt2 = ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ }} {{multiple image | footer = 画家[[ユディト・レイステル]](1609-1660)誕生。左画像は自画像(1630)、右は『幸せな夫婦』(1630) | image1 = Self-portrait_by_Judith_Leyster.jpg | width1 = 90 | alt1 = ユディト・レイステル自画像 | image2 = Judith_Leyster_001.jpg | width2 = 90 | alt2 = 幸せな夫婦 }} {{multiple image | image1 = GerardManleyHopkins.jpg | width1 = 90 | caption1 = 詩人[[ジェラード・マンリ・ホプキンス]](1844-1889)誕生 | alt1 = ジェラード・マンリ・ホプキンス | image2 = Cassirer.jpg | width2 = 80 | caption2 = 哲学者[[エルンスト・カッシーラー]](1874-1945)誕生 | alt2 = エルンスト・カッシーラー }} {{multiple image | footer = [[絵本]]作家[[ビアトリクス・ポター]](1866-1943)誕生。右画像は『[[ピーターラビットのおはなし|ピーターラビット]]』(1902) | image1 = Young_Beatrix.jpg | width1 = 80 | alt1 = 15歳のビアトリクス・ポター | image2 = Tale of peter rabbit 12.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『ピーターラビットのおはなし』 }} {{multiple image | footer = 芸術家[[マルセル・デュシャン]](1887-1968)誕生。右画像は[[レディ・メイド]]作品、『泉』(1917)。 | image1 = Marcel Duchamp 01.jpg | width1 = 75 | alt1 = マルセル・デュシャン | image2 = Duchamp_Fountaine.jpg | width2 = 105 | alt2 = 『泉』。サインの入った小便器の写真 }} [[Image:Tetsu_Katayama.jpg|thumb|第46代日本国内閣総理大臣、[[片山哲]](1887-1978)|240x240ピクセル]] [[Image:Karl_Popper.jpg|thumb|[[反証主義]]の哲学者、[[カール・ポパー]](1902-1994)|231x231ピクセル]] {{multiple image | footer = 物理学者[[パーヴェル・チェレンコフ]](1904-1990)。右画像の青い光は[[チェレンコフ放射]] | image1 = Cerenkov.jpg | width1 = 86 | alt1 = パーヴェル・チェレンコフ | image2 = Advanced_Test_Reactor.jpg | width2 = 94 | alt2 = チェレンコフ放射 }} [[Image:Riccardo_Muti.jpg|thumb|指揮者[[リッカルド・ムーティ]](1941-)|279x279ピクセル]] {{multiple image | footer = 構造家・建築家、[[サンティアゴ・カラトラバ]](1951-)。左画像は『ターニング・トルソ』、右は『ミルウォーキー美術館新館』 | image1 = Turning_Torso_3.jpg | width1 = 70 | alt1 = ターニング・トルソ | image2 = Milwaukee-Art-Museum.JPG | width2 = 110 | alt2 = ミルウォーキー美術館新館 }} [[Image:Hugo_Chavez_photo_cut_27-06-2008.jpg|thumb|[[ベネズエラ]]第53代大統領、[[ウゴ・チャベス]](1954-2013)|191x191ピクセル]] * [[1165年]] - [[イブン・アラビー]]、イスラム思想家(+ [[1240年]]<ref>{{cite web |url=http://www.wdl.org/en/item/7437/ |title=The Meccan Revelations. |accessdate=28 Sep 2023 |publisher=Library of Congress}}</ref>) * [[1609年]] - [[ユディト・レイステル]]<ref>{{Cite web |title=Judith Leyster|Dutch painter |url=https://www.britannica.com/biography/Judith-Leyster |access-date=2023-09-28 |publisher=Britannica}}</ref>、[[画家]](+ [[1660年]]) * [[1692年]]([[元禄]]5年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[大久保忠方]]、[[小田原藩|小田原藩主]](+ [[1732年]]) * [[1710年]]([[宝永]]7年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[大久保忠胤]]、[[烏山藩|烏山藩主]](+ [[1779年]]) * [[1728年]]([[享保]]13年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[近衛内前]]、[[公卿]] (+ [[1785年]]) * [[1745年]]([[延享]]2年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]) - [[小笠原長為]]、[[安志藩|安志藩主]](+ [[1782年]]) * [[1751年]] - [[ジョセフ・ハーバーシャム]]、第6代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1815年]]) * [[1757年]]([[宝暦]]7年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[松平定国]]、[[伊予松山藩|松山藩主]](+ [[1804年]]) * [[1804年]] - [[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ]]、[[青年ヘーゲル派]]の[[哲学者]](+ [[1872年]]) * [[1819年]] - [[カルロッタ・グリジ]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[1899年]]) * [[1827年]]([[文政]]10年閏[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]) - [[松平慶倫]]、[[津山藩|津山藩主]](+ [[1871年]]) * [[1836年]]([[天保]]7年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[徳川慶臧]]、[[尾張藩|尾張藩主]](+ [[1849年]]) * [[1844年]] - [[ジェラード・マンリ・ホプキンス]]、[[詩人]]、[[聖職者]](+ [[1889年]]) * [[1848年]]([[嘉永]]元年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[稲葉正善]]、[[館山藩|館山藩主]]・[[子爵]](+ [[1902年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[前田利同]]、[[富山藩|富山藩主]]・[[伯爵]](+ [[1921年]]) * [[1866年]] - [[ビアトリクス・ポター]]、[[作家]](+ [[1943年]]) * [[1867年]] - [[チャールズ・パーライン]]、[[天文学者]](+ [[1951年]]) * [[1874年]] - [[エルンスト・カッシーラー]]、[[哲学者]](+ [[1945年]]) * [[1880年]] - [[大原孫三郎]]、[[実業家]](+ [[1943年]]) * [[1881年]] - [[レオン・スピリアールト]]、画家(+ [[1946年]]) * [[1887年]] - [[片山哲]]、第46代[[内閣総理大臣]](+ [[1978年]]) * 1887年 - [[マルセル・デュシャン]]、[[芸術家]](+ [[1968年]]) * [[1896年]] - [[犬養健]]、[[政治家]](+ [[1960年]]) * [[1897年]] - [[是川銀蔵]]、[[投資家]](+ [[1992年]]) * [[1901年]] - [[伊藤公平]]、[[歌人]]、[[随筆家]]、[[小説家]]、[[作詞家]](+ [[1984年]]) * [[1902年]] - [[カール・ポパー]]、哲学者(+ [[1994年]]) * [[1904年]] - [[蓮田善明]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1945年]]) * 1904年 - [[パーヴェル・チェレンコフ]]、[[物理学者]](+ [[1990年]]) * [[1906年]] - [[木俣修]]、[[歌人]](+ [[1983年]]) * [[1910年]] - [[今日泊亜蘭]]、[[小説家]](+ [[2008年]]) * [[1912年]] - [[早川清]]、実業家・[[早川書房]]創業者(+ [[1993年]]) * [[1915年]] - [[チャールズ・タウンズ]]、物理学者(+ [[2015年]]) * [[1916年]] - [[デイヴィッド・ブラウン (映画プロデューサー)|デイヴィッド・ブラウン]]、[[映画プロデューサー]](+ [[2010年]]) * [[1919年]] - [[長洲一二]]、政治家、[[経済学者]](+ [[1999年]]) * [[1922年]] - [[ジャック・ピカール]]、[[海洋学者]](+ [[2008年]]) * [[1923年]] - [[渡辺美智雄]]、政治家(+ [[1995年]]) * [[1925年]] - [[バルーク・サミュエル・ブランバーグ]]、[[医学者]](+ [[2011年]]) * 1925年 - [[志賀一夫]]、政治家(+ 2015年) * [[1926年]] - [[木庭教]]、[[プロ野球]][[スカウト (勧誘)|スカウト]](+ [[2008年]]) * [[1929年]] - [[ジャクリーン・ケネディ・オナシス]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[1994年]]) * [[1930年]] - [[八浪知行]]、元プロ野球選手(+ [[2017年]]) * [[1933年]] - [[小田晋]]、医学者、[[精神科医]](+ [[2013年]]) * [[1934年]] - [[小山正明]]、元プロ野球選手 * 1934年 - [[ラウ・カーリョン]]、[[映画監督]](+ 2013年) * [[1935年]] - [[富岡多恵子]]、詩人、小説家(+ [[2023年]]) * [[1937年]] - [[伊藤光四郎]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]) * [[1938年]] - [[マッド・アマノ]]、[[グラフィックデザイナー]] * 1938年 - [[小笠原日出男]]、経営者、元[[UFJホールディングス]]社長 * 1938年 - [[アルベルト・フジモリ]]、政治家、第91代[[ペルーの大統領|ペルー大統領]] * 1938年 - [[ルイス・アラゴネス]]、元[[サッカー選手]]、指導者(+ [[2014年]]) * [[1940年]] - [[別部捷夫]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[リッカルド・ムーティ]]、[[指揮者]] * [[1942年]] - [[堤剛]]、[[チェロ]]奏者 * [[1943年]] - [[マイク・ブルームフィールド]]、[[ブルース]]・[[ミュージシャン]](+ [[1981年]]) * 1943年 - [[リチャード・ライト (音楽家)|リチャード・ライト]]、ミュージシャン([[ピンク・フロイド]])(+ [[2008年]]) * 1943年 - [[ビル・ブラッドリー]]、[[バスケットボール選手]]、政治家 * [[1944年]] - [[渡瀬恒彦]]、俳優(+ [[2017年]]) * [[1945年]] - [[セルジオ越後]]、元[[サッカー選手]] * [[1946年]] - [[竹山洋]]、[[脚本家]](+ [[2023年]]) * [[1947年]] - [[原田治明]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[大瀧詠一]]、[[シンガーソングライター]](+ [[2013年]]) * 1948年 - [[阿部幸代]]、政治家 * 1948年 - [[小池光典]]、[[彫刻家]] * 1948年 - [[ジェイ・ハンフリー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1948年 - [[ヘルベルト・ヘンク]]、[[ピアニスト]] * [[1949年]] - [[ヴァイダ・ブルー]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * [[1951年]] - [[サンティアゴ・カラトラバ]]、[[構造家]]、[[建築家]] * 1951年 - [[クリスタルキング|野元英俊]]、[[ベーシスト]](元[[クリスタルキング]]) * [[1952年]] - [[小川精一]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[山本浩二 (バスケットボール)|山本浩二]]、元バスケットボール選手、指導者(+ [[2001年]]) * 1952年 - [[ラーマ10世]]、[[タイ国王]] * [[1953年]] - [[大﨑洋]]、実業家 * 1953年 - [[嘉堂信雄]]、[[騎手]] * [[1954年]] - [[ウゴ・チャベス]]、政治家、[[ベネズエラの大統領|ベネズエラ大統領]](+ 2013年) * 1954年 - [[ゲルト・ファルティングス]]、[[数学者]] * 1954年 - [[小林万里子 (シンガーソングライター)|小林万里子]]、[[シンガーソングライター]] * [[1955年]] - [[永島暎子]]、[[俳優|女優]] * 1955年 - [[福島秀喜]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[ロミー・ケルマー]]、フィギュアスケート選手 * [[1958年]] - [[サエキけんぞう]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1960年]] - [[岩明均]]、[[漫画家]] * 1960年 - [[高橋陽一]]、漫画家 * [[1961年]] - [[ヤニック・ダルマス]]、元[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー * [[1961年]] - [[桂銀淑]](ケイ・ウンスク)、[[歌手]] * [[1962年]] - [[若瀬川剛充]]、元[[大相撲]][[力士]] * [[1963年]] - [[ライオネス飛鳥]]、タレント、元プロレスラー * [[1964年]] - [[真殿光昭]]、[[声優]] * 1964年 - [[西脇辰弥]]、作曲家 * 1964年 - [[阿波野秀幸]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[ロリ・ローリン]]、[[俳優|女優]] * 1964年 - [[ボブ・ミラッキ]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[前田俊郎]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[スガシカオ]]、シンガーソングライター * 1966年 - [[グジェゴシュ・フィリポフスキ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1966年 - [[マリナ・クリモワ]]、フィギュアスケート選手 * [[1967年]] - [[藤生ゆかり]]、シンガーソングライター * 1967年 - [[高田聖子]]、女優 * [[1969年]] - [[マイク・ベルナルド]]、キックボクサー、[[K-1]]選手(+ [[2012年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkansports.com/m/battle/news/p-bt-tp0-20120216-904408_m.html |title=K1ベルナルドさん急死、薬物大量摂取か |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=16 Feb 2012 |accessdate=28 Sep 2023}}</ref>) * 1969年 - [[ブライアン・ジョンストン]]、総合格闘家、プロレスラー * [[1970年]] - [[マイケル・アモット]]、[[ギタリスト]]([[アーチ・エネミー]]) * 1970年 - [[イザベル・ブラスール]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1970年 - [[出羽嵐大輔]]、元大相撲力士(+ [[2010年]]) * [[1971年]] - [[戸本誠]]、素粒子物理学者 * 1971年 - [[アブー・バクル・アル=バグダーディー]]、[[サラフィー・ジハード主義]]組織[[ISIL]]の指導者(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/japanese/50204203 |title=IS指導者がシリアで死亡とトランプ氏 「米軍の強襲で」 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[BBC]] NEWS JAPAN |date=28 Oct 2019}}</ref>) * [[1972年]] - [[エリザベス・バークレー]]、女優 * [[1974年]] - [[知念かおり]]、囲碁棋士 * 1974年 - [[岡本竜汰]]、元俳優 * [[1975年]] - [[畑山隆則]]、元[[プロボクサー]] * 1975年 - [[レオノール・ワトリング]]、女優 * 1975年 - [[小室友里]]、元[[AV女優]]、[[タレント]] * [[1977年]] - [[雅山哲士]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄14代[[二子山 (相撲)|二子山]] * 1977年 - [[エマニュエル・ジノビリ]]、[[バスケットボール選手]] * [[1978年]] - [[徳重聡]]、俳優 * 1978年 - [[森野将彦]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[矢井田瞳]]、シンガーソングライター * [[1979年]] - [[益子梨恵]]、女優 * 1979年 - [[衣川隆夫]]、元野球選手 * 1979年 - [[友成由紀]]、元アナウンサー * 1979年 - [[菅谷豊]]、作曲家 * [[1980年]] - [[根本はるみ]]、元タレント * [[1981年]] - [[ヨアンドリ・ウルヘジェス]]、野球選手 * 1981年 - [[マイケル・キャリック]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[大和田真史]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[福永ちな]]、[[グラビアアイドル]] * 1981年 - [[ヴァンサン・レステンクール]]、フィギュアスケート選手 * [[1982年]] - [[亀井善行]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[町豪将]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[田中彰孝]]、ミュージカル俳優 * 1982年 - [[佐々木義人 (声優)|佐々木義人]]、声優 * [[1983年]] - [[岡本直也 (1983年生の投手)|岡本直也]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[山本歩]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[コディ・ヘイ]]、フィギュアスケート選手 * [[1984年]] - [[アレクサンドル・グラチェフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1984年 - [[北川友紀]]、シンガーソングライター * 1984年 - [[阿南徹]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - [[モニカ・アボット]]、ソフトボール選手 * 1985年 - [[ヘンリー・ソーサ]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[鎌田次郎]]、サッカー選手 * 1985年 - [[優理]]、シンガーソングライター * [[1986年]] - [[神園さやか]]、歌手 * 1986年 - [[ダリン・ラフ]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[ペドロ・ロドリゲス・レデスマ]]、サッカー選手 * 1987年 - [[山下萌梨]]、タレント * 1987年 - [[純恋]]、[[ファッションモデル]](+ [[2009年]]) * [[1988年]] - [[加藤奈月]]、[[競艇]]選手 * 1988年 - [[許斌姝]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1988年 - [[仲村宗悟]]、声優 * [[1989年]] - [[MoeMi]]、声優 * [[1990年]] - [[和田拓也 (サッカー選手)|和田拓也]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ソウルジャ・ボーイ・テレム]]、ラッパー * [[1991年]] - [[逢沢りな]]、女優、タレント * 1991年 - [[池澤あやか]]、タレント * [[1992年]] - [[小松原美里]]、フィギュアスケート選手 * 1992年 - [[アンジェラ・マクスウェル]]、フィギュアスケート選手 * [[1993年]] - [[末吉9太郎]]、アイドル([[CUBERS]]) * 1993年 - [[菅谷哲也]]、俳優、タレント * [[1994年]] - チェ・ヒョジョン 、アイドル([[OH MY GIRL]]) * 1994年 - [[ウォーカー・ビューラー]]、プロ野球選手 * [[1995年]] - [[ポリーナ・シェレペン]]、フィギュアスケート選手 * 1995年 - [[谷まりあ]]、タレント、モデル * [[1996年]] - [[澤田美晴]]、声優 * 1996年 - [[ジェル (すとぷり)|ジェル]]、歌手、YouTuber([[すとぷり]]) * [[1997年]] - [[速水隆成]]、元プロ野球選手 * [[1998年]] - [[サム・サリッジ]]、サッカー選手 * 1998年 - [[中村歩加]]、タレント(元[[NGT48]])、[[YouTuber]] * 1998年 - [[浜本由惟]]、[[卓球選手]]、モデル * 1998年 - [[ネリー・コルダ]]、プロゴルファー * [[1999年]] - [[志田彩良]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tencarat.co.jp/shidasara |title=志田彩良 |publisher=[[テンカラット|TEN CARAT]] |accessdate=28 Sep 2023}}</ref>、モデル、女優 * [[2000年]] - [[エミール・スミス・ロウ]]、サッカー選手 * 2000年 - [[中村敬斗]]、サッカー選手 * [[2001年]] - [[加藤夏歌]]、モデル、YouTuber * [[2002年]] - [[石浜芽衣]]、アイドル([[虹のコンキスタドール]]) * 生年不明 - NOW EMPiRE、アイドル([[EMPiRE]]) * 生年不明 - [[七野うみ]]、声優、ナレーター == 忌日 == {{multiple image | image1 = Cyrano_de_Bergerac.jpg | width1 = 80 | caption1 = 作家[[シラノ・ド・ベルジュラック]](1619-1655) | image2 = Antonio_Vivaldi.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作曲家[[アントニオ・ヴィヴァルディ]](1678-1741) }} {{multiple image | footer = 作曲家「音楽の父」[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]](1685-1750) | image1 = Bach_1750.jpg | width1 = 95 | alt1 = 晩年のヨハン・ゼバスティアン・バッハ | image2 = Grave of Johann Sebastian Bach.jpg | width2 = 85 | alt2 = 墓 }} [[Image:Clemens_Brentano.jpg|thumb|202x202px|詩人[[クレメンス・ブレンターノ]](1778-1842)]] {{multiple image | image1 = Gaikotsu_Miyatake.jpg | width1 = 93 | caption1 = ジャーナリスト[[宮武外骨]](1867-1955) | image2 = Rampo Edogawa 02.jpg | width2 = 87 | caption2 = 作家[[江戸川乱歩]](1894-1965) }} {{multiple image | image1 = Otto Hahn 1970.jpg | width1 = 80 | caption1 = [[オットー・ハーン]](1879-1968) | image2 = Francis_Crick.png | width2 = 100 | caption2 = 生物学者[[フランシス・クリック]](1916-2004) }} === 人物 === * [[450年]] - [[テオドシウス2世]]、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]](* [[401年]]) * [[1540年]] - [[トマス・クロムウェル]]、[[イングランド王国|イングランド]]の政治家(* [[1485年]]) * [[1547年]]([[天文 (元号)|天文]]16年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[千葉利胤]]、[[下総国]]の[[戦国大名]](* [[1515年]]) * [[1628年]]([[寛永]]5年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[大久保忠隣]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[小田原藩|小田原藩主]](* [[1553年]]) * [[1655年]]([[明暦]]元年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[鈴木正三]]<ref>{{Cite web |url=https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4041 |title=働くとは? 鈴木正三の思想「労働即仏道」 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[PHP研究所]] |date=29 May 2019 |website=WEB歴史街道}}</ref>、[[曹洞宗]]の[[僧]]、[[仮名草子]]作家(* [[1579年]]) * 1655年 - [[シラノ・ド・ベルジュラック]]、[[作家]](* [[1619年]]) * [[1741年]] - [[アントニオ・ヴィヴァルディ]]、[[作曲家]](* [[1678年]]) * [[1750年]] - [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]、作曲家(* [[1685年]]) * [[1793年]]([[寛政]]5年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[林子平]]、[[経世論|経世論家]](* [[1738年]]) * [[1794年]] - [[マクシミリアン・ロベスピエール]]、[[フランス革命]]の指導者(* [[1758年]]) * 1794年 - [[ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト]]、フランス革命の指導者(* [[1767年]]) * 1794年 - [[ジョルジュ・クートン]]、フランス革命の指導者(* [[1755年]]) * 1794年 - {{仮リンク|ジャン=バティスト・フルーリオ=レスコー|fr|Jean-Baptiste Fleuriot-Lescot}}、[[パリ]]市長(* [[1761年]]) * [[1808年]] - [[セリム3世]]、[[オスマン帝国]]第28代[[スルタン]](* [[1761年]]) * [[1818年]] - [[ガスパール・モンジュ]]、[[科学者]]、[[工学者]](* [[1746年]]) * [[1835年]] - [[エドワール・モルティエ]]、[[フランス第一帝政]]の[[元帥]]、[[フランスの首相|首相]](* [[1768年]]) * [[1836年]] - [[ネイサン・メイアー・ロスチャイルド]]、銀行家(* [[1777年]]) * [[1842年]] - [[クレメンス・ブレンターノ]]、[[小説家]]、[[詩人]](* [[1778年]]) * [[1844年]] - [[ジョゼフ・ボナパルト]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]]、[[スペイン|スペイン王]](* [[1768年]]) * [[1849年]] - [[カルロ・アルベルト]]、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](* [[1796年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[久世広周]]、江戸幕府老中、[[関宿藩|関宿藩主]](* [[1819年]]) * [[1870年]]([[明治]]3年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[阿部正寧]]、[[備後福山藩|備後福山藩主]](* [[1809年]]) * [[1930年]] - [[アルヴァル・グルストランド]]、[[医学者]](* [[1862年]]) * [[1933年]] - [[西ノ海嘉治郎 (3代)]]、[[大相撲]]第30代[[横綱]](* [[1890年]]) * [[1937年]] - [[後藤正 (野球)|後藤正]]、[[プロ野球選手]](* [[1912年]]) * [[1940年]] - [[大森義太郎]]、[[経済学者]](* [[1898年]]) * [[1955年]] - [[宮武外骨]]、[[ジャーナリスト]](* [[1867年]]) * [[1961年]] - [[大藤信郎]]、[[アニメーション]]作家(* [[1900年]]) * 1961年 - [[外村繁]]、[[小説家]](* [[1902年]]) * [[1962年]] - [[フランツ・コンヴィチュニー]]、[[指揮者]](* [[1901年]]) * [[1963年]] - [[三好栄子]]、[[俳優|女優]](* [[1894年]]) * [[1965年]] - [[江戸川乱歩]]、作家(* [[1894年]]) * [[1968年]] - [[オットー・ハーン]]、[[化学者]](* [[1879年]]) * [[1970年]] - [[冠松次郎]]、[[登山家]](* [[1883年]]) * [[1973年]] - [[山根徳太郎]]、[[考古学者]](* [[1889年]]) * [[1990年]] - [[ジル・エズモンド]]、女優(* [[1908年]]) * [[1999年]] - [[トリグヴェ・ホーヴェルモ]]、[[経済学者]](* [[1911年]]) * [[2001年]] - [[山田風太郎]]、作家(* [[1922年]]) * [[2002年]] - [[アーチャー・マーティン]]、化学者(* [[1910年]]) * [[2003年]] - [[伊藤孝二郎]]、[[黒川村 (新潟県北蒲原郡)|新潟県北蒲原郡黒川村]]村長(* [[1923年]]) * [[2004年]] - [[フランシス・クリック]]、分子生物学者(* [[1916年]]) * [[2007年]] - [[カール・ゴッチ]]、[[プロレスラー]](* [[1924年]]) * 2007年 - [[バオ・ロン]]、[[ベトナム]]皇太子(* [[1936年]]) * [[2009年]] - [[川村カオリ]]、[[歌手]](* [[1971年]]) * [[2011年]] - [[板倉正男]]、元プロ野球選手(* [[1927年]]) * [[2013年]] - [[戸井十月]]、作家・ルポライター(* [[1948年]]) * [[2014年]] - [[ジェームズ・シゲタ]]、歌手、[[俳優]](* [[1933年]]) * [[2015年]] - [[泉政行]]、俳優(* [[1980年]]) * [[2019年]] - [[島香裕]]、[[声優]](* [[1949年]]) * 2019年 - [[ルーク・ファンミル]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201907290000911.html |title=元楽天の長身右腕ファンミル投手が事故死 34歳 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=29 Jul 2019 |accessdate=28 Sep 2023}}</ref>、元プロ野球選手(* [[1984年]]) * [[2021年]] - [[江田五月]]、政治家(* [[1941年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2012年]] - [[バンブービギン]]、[[競走馬]](* [[1986年]]) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[ホセ・デ・サン=マルティン]]、[[ペルー]]の独立を宣言(1821) | image1 = José de San Martín (retrato, c.1828).jpg | width1 = 60 | alt1 = ホセ・デ・サン=マルティン | image2 = La_Independencia_del_Per%C3%BA.jpg | width2 = 120 | alt2 = 独立の宣言 }} {{multiple image | footer = ペルー独立記念日。画像は左が地図、中央が[[インカ]]の都市[[マチュ・ピチュ]]、右が[[ケチュア]]系ペルー人の親子{{audio|United States Navy Band - Marcha Nacional del Perú.ogg|国歌を聴く}} | image1 = Peru (orthographic projection).svg | width1 = 54 | alt1 = ペルーの地図 | image2 = 80 - Machu Picchu - Juin 2009 - edit.jpg | width2 = 54 | alt2 = マチュ・ピチュ | image3 = Quechuawomanandchild.jpg | width3 = 72 | alt3 = ペルー人の親子 }} * [[世界肝炎デー]]({{World}}) *: [[世界保健機関]]が[[2010年]]に制定した[[国際デー]]。[[2004年]]にヨーロッパと中東の患者のグループが[[10月1日]]の「国際C型肝炎啓発デー」として始めたのが始まりで、2007年まで実施された。2008年に世界肝炎アライアンスが[[5月19日]]の「世界肝炎デー」を制定した。 * [[独立記念日]]({{PER}}) *: [[1821年]]のこの日、[[ホセ・デ・サン=マルティン]]がペルーの[[スペイン]]からの独立を宣言した。 * [[オラフ祭]]イブ({{FRO}}) * [[地名]]の日({{JPN}}) *: 日本地名愛好会が[[2008年]]に制定。地名研究家・[[谷川健一]]の誕生日([[1921年]])であり、[[アイヌ語]]地名研究家・[[山田秀三]]の命日([[1992年]])であることから。 * [[菜っ葉]]の日({{JPN}}) *: 七(な)2(ツー)八(は)で「なっぱ」の語呂合せ。 * [[なにわ]]の日({{JPN}}) *: 七(な)二(に)八(は)で「なにわ」(難波・浪速)の語呂合せ。 * シュタゲの日({{JPN}}) *: ゲーム『[[STEINS;GATE]]』で、後述するように劇中の2010年7月28日に起こった出来事をきっかけとして物語が始まることから、同作の開発・販売元の[[MAGES.]]が2023年に制定し、[[日本記念日協会]]より認定を受けた<ref>{{Cite web |title=『シュタインズ・ゲート』7月28日が“シュタゲの日”に。世界線の分岐、物語の始まりとなった“あの日”が日本記念日協会に認定される {{!}} ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com |url=https://www.famitsu.com/news/202307/25310775.html |website=ファミ通.com |date=25 Jul 2023 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage|KADOKAWA Game Linkage Inc.]]}}</ref>。 *火渡り祭({{JPN}}) *: [[京都市]][[左京区]]の[[狸谷山不動院]]で毎年この日に行われる修験道の荒行。本堂での法要後、境内で護摩木が焚かれ、その残り火の上を素足で渡る。山伏たちが残り火の上を渡ったあと参拝者も続き、無病息災を祈願する<ref>{{Cite web |url=https://souda-kyoto.jp/event/detail/hiwatarisai.html |title=火渡り祭 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[JR東海]] |website=そうだ京都、行こう。}}</ref>。 *牛越祭り({{JPN}}) *: [[宮崎県]][[えびの市]]の菅原神社で毎年この日に行われる祭礼。400年以上の歴史を持ち、牛に丸太の上を跳び越えさせ、家畜の無病息災や五穀豊穣を祈念する<ref>{{Cite web |url=https://mainichi.jp/articles/20190729/ddl/k45/040/344000c |title=牛越祭:ジャンプで無病息災を祈願 えびの市・菅原神社/宮崎 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[毎日新聞]] |date=29 Jul 2019}}</ref>。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0728|date=Sep 2023}} * [[2010年]] - [[秋葉原ラジオ会館]]にてドクター中鉢によるタイムマシン発明発表会が開かれる。(ゲーム「[[Steins;Gate]]」<ref>同作chapter1「時間跳躍のパラノイア」</ref>) === 誕生日(フィクション) === * [[1905年]] - [[帝国華撃団#真宮寺さくら|真宮寺さくら]]、ゲーム・アニメ『[[サクラ大戦シリーズ]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|sega_official|890587610912927744}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://sakura-taisen.com/archives/game/psp/chara.html |title=真宮寺さくら |work=『サクラ大戦 1&2』 |accessdate=28 Sep 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]]・RED}}</ref> * [[1970年]] - [[大空翼]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|date=2003-05-20|title = キャプテン翼 3109日全記録|publisher = [[集英社]] |isbn =978-4087827897|page=24}}</ref> * [[1995年]] - 沢渡楓、アニメ『[[たまゆら (アニメ)|たまゆら]]』の主人公<ref>「たまゆら〜もあぐれっしぶ〜」(TV第2期)第4話。</ref> * 2107年 - 近藤彩乃、アニメ『[[蒼穹のファフナー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 桑田登紀、漫画・アニメ『[[SLAM DUNK]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=井上雄彦|authorlink=井上雄彦|date=1995-03-03|title =[[SLAM DUNK]]23巻|publisher = [[集英社]]〈ジャンプ・コミックス〉 |isbn =978-4088718439|page =47}}</ref> * 生年不明 - フラッパー、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/flapper.html |title=フラッパー |work=『ONE PIECE』 |accessdate=28 Sep 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - ハッスル、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Hassuru.html |title=ハッスル |work=『ONE PIECE』 |accessdate=28 Sep 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 城島犬、漫画・アニメ『[[家庭教師ヒットマンREBORN!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|amano_akira_|758395544351805440}}</ref> * 生年不明 - 美咲、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 巻紗織、漫画・アニメ『[[ぬらりひょんの孫]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小南桐絵、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|758316058407211009}}</ref> * 生年不明 - 瀬呂範太(セロファン)、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group01/01-17/ |title=瀬呂範太 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - 宮本静久、漫画・ドラマCD『[[はやて×ブレード]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 畑五助、漫画・アニメ『[[ホイッスル!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 西島茂夫、漫画・アニメ『[[エリアの騎士]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 前園健太、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|758618340721958912}}</ref> * 生年不明 - 宮村虎之介、漫画・アニメ『[[山田くんと7人の魔女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yamajo_anime|625889694501310464}}</ref> * 生年不明 - 清水多香子、漫画・アニメ『[[ちょびっツ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 鬼王山尊、漫画・アニメ『[[ケンガンアシュラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kengankai|1684881396010246145}}</ref> * 生年不明 - 梶井、漫画・アニメ『[[あたしンち]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 城戸悦美、漫画『[[ミルモでポン!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ルーウィン・ランディット、漫画『[[Aventura]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 車井百花、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=車井 百花(くるまい ひゃっか) |work=『咲-Saki-』 |accessdate=28 Sep 2023 |publisher=[[小林立]]}}</ref> * 生年不明 - 天野涼太、漫画『[[なみだうさぎ〜制服の片想い〜]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 観月今日子、漫画・アニメ『[[いなり、こんこん、恋いろは。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 中川、漫画『[[平成生まれ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 佐藤、漫画『平成生まれ』に登場するキャラクター * 生年不明 - 笹島迅子、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://7o3x.com/char/profiles.html#5 |title=笹島迅子 |publisher=[[杉基イクラ]]/[[KADOKAWA]] 7○3×クイズ研究会 |accessdate=28 Sep 2023 |work=『ナナマル サンバツ』}}</ref> * 生年不明 - [[ワルター・フォン・シェーンコップ]]、小説・アニメ『[[銀河英雄伝説]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://gineiden-anime.com/character-fpdf.html |title=登場人物 自由惑星同盟 ワルター・フォン・シェーンコップ |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[田中芳樹]]/銀河英雄伝説 Die Neue These 製作委員会 |work=『銀河英雄伝説』}}</ref> * 生年不明 - クランク ヒューズ、アニメ・ゲーム『[[F-ZERO ファルコン伝説]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - リュウ スザク、アニメ・ゲーム『F-ZERO ファルコン伝説』に登場するキャラクター * 生年不明 - 磯辺典子、アニメ『[[ガールズ&パンツァー|ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|garupan|1684579404519800832}}</ref> * 生年不明 - 天羽奏、アニメ・漫画『[[戦姫絶唱シンフォギア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|symphogear|1552494587729805313}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://symphogear.bushimo.jp/character/kanade-amou |title=天羽 奏 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=Project シンフォギア Project シンフォギアG Project シンフォギアGX Project シンフォギアAXZ Project シンフォギアXV [[ブシロード|bushiroad]] |work=『戦姫絶唱シンフォギアXD Unlimited』}}</ref> * 生年不明 - ヤン・シャオロン、アニメ『[[RWBY 氷雪帝国]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|TeamRWBYProject|1552473917813571584}}</ref> * 生年不明 - ききっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |editor=講談社|editor-link=講談社|date=2010-01-20|title =Tamagotchi iD らくらく育て方ガイド|publisher = [[講談社]] |isbn =978-4063648140|page=40}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author1=ウィズ|authorlink1=ウィズ (玩具)|author2=バンダイ(監修)|authorlink2=バンダイ|date=2011-11-01|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|publisher = [[小学館]] |isbn =978-4097510482|page=25}}</ref> * 生年不明 - 篠塚弥生、ゲーム・アニメ『[[WHITE ALBUM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aquaplus_jp|1552307831772426243}}</ref> * 生年不明 - [[竜宮レナ]]、ゲーム・小説・アニメ『[[ひぐらしのなく頃に]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|higu_anime|1420036252804472834}}</ref> * 生年不明 - タイガ、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=005 |title=タイガ |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[コナミアミューズメント|Konami Amusement]] |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref> * 生年不明 - キャサリン京橋、ゲーム『[[アルカナハート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.examu.co.jp/arcanaheart2/chara_16.html |title=キャサリン京橋 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[エクサム]] |work=『アルカナハート2 : ARCANA HEART 2』}}</ref> * 生年不明 - 壁山塀吾郎、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=28 Sep 2023}}</ref> * 生年不明 - 片桐鏡磨、ゲーム・アニメ『[[ガンスリンガー ストラトス|GUNSLINGER STRATOS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gunsPR|1022776159866642432}}</ref> * 生年不明 - 早乙女陽希、ゲーム『[[バレットガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.d3p.co.jp/bulletgirls/#character_aki |title=早乙女 陽希 |access-date=28 Sep 2023 |work=『バレットガールズ』 |publisher=SHADE Inc. [[ディースリー・パブリッシャー|D3 PUBLISHER]]}}</ref> * 生年不明 - モニカ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1684745492641501184}}</ref> * 生年不明 - 煙緋、ゲーム・アニメ『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Genshin_7|1552504121160335360}}</ref> * 生年不明 - [[五島岬]]、メディアミックス『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|argonavis_info|1552307823953846272}}</ref> * 生年不明 - 濱栗広海、メディアミックス『[[SELECTION PROJECT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_selection|1552549370616197120}}</ref> * 生年不明 - 今田杏珠、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://hachinai.com/character/imada|title=今田 杏珠|キャラクター|publisher=八月のシンデレラナイン公式サイト|accessdate=2023-12-18}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 28|28 July}} {{新暦365日|7|27|7|29|[[6月28日]]|[[8月28日]]|[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]|0728|7|28}} {{1年の月と日}}
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7月29日
7月29日(しちがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から210日目(閏年では211日目)にあたり、年末まであと155日ある。
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{{カレンダー 7月}} '''7月29日'''(しちがつにじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から210日目([[閏年]]では211日目)にあたり、年末まであと155日ある。 == できごと == [[Image:SamuilsDeathBGhistory.jpg|thumb|upright|[[クレイディオン峠の戦い]](1014)。画像下部は[[サムイル (ブルガリア皇帝)|サムイル]]のショック死。]] [[Image:Mary Stuart James Darnley.jpg|thumb|180x180px|スコットランド女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]](右)、[[ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)|ヘンリー・ステュアート]]と結婚(1565)]] {{multiple image | footer = [[エトワール凱旋門]]落成(1836) | image1 = Arc_de_Triomphe.jpg | width1 = 85 | alt1 = エトワール凱旋門 | image2 = Paris-Triumph-Bogenh.jpg | width2 = 95 | alt2 = 夜景 }} {{multiple image | footer = [[日米修好通商条約]]締結(1858) | image1 = JapaneseWhiteHouseReceptionBuchanan1860.jpg | width1 = 85 | alt1 = ホワイトハウスで歓迎を受ける日本の代表団 | image2 = Treaties_of_Amity_and_Commerce_between_Japan_and_Holland_England_France_Russia_and_the_United_States_1858.jpg | width2 = 95 | alt2 = 文書 }} [[Image:16126.d.1(46)-Long live the Great Japanese Empire! Our army's victorious attack on Seonghwan.jpg|thumb|180x180px|日清戦争、[[成歓の戦い]](1894)]] {{multiple image | footer = [[スカウトの最初のキャンプ]]開始(1907) | image1 = BP_and_future_Scouts_at_Brownsea.jpg | width1 = 115 | alt1 = ロバート・ベーデン=パウエルと少年たち | image2 = Scout.stone.750pix.jpg | width2 = 65 | alt2 = 記念碑 }} [[Image:Survivor_of_Tungchow_Mutiny.JPG|thumb|upright|[[通州事件]](1937)。画像は生存者]] {{multiple image | caption1 = [[国際原子力機関]]設立(1957) | image1 = International Atomic Energy Agency Logo.svg | width1 = 100 | alt1 = NASAのロゴ | image2 = Vehicle-Assembly-Building-July-6-2005.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[アメリカ航空宇宙局]](NASA)設立(1958)。画像は[[ケネディ宇宙センター]] | alt2 = ケネディ宇宙センター }} [[Image:USS_Forrestal_explosion_29_July_1967.jpg|thumb|200px|アメリカ合衆国の空母[[フォレスタル (空母)|フォレスタル]]が爆発事故を起こす(1967)]] {{multiple image | footer = 英王太子チャールズ(のちの[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]])と[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]が結婚(1981) | image1 = Charles%2C_Prince_of_Wales.jpg | width1 = 80 | alt1 = チャールズ | image2 = Princess_diana_bristol_1987_01.jpg | width2 = 70 | alt2 = ダイアナ }} * [[645年]]([[大化]]元年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - 日本最初の[[元号]]「大化」が実施される。 * [[838年]]([[承和 (日本)|承和]]5年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - [[伊豆諸島]][[神津島]]の[[天上山 (東京都)|天上山]]が噴火。 * [[1014年]] - [[クレイディオン峠の戦い]]。[[第一次ブルガリア帝国|ブルガリア帝国]]軍が[[東ローマ帝国]]軍に敗れる。ブルガリア皇帝[[サムイル (ブルガリア皇帝)|サムイル]]は逃げ延びるが、[[10月]]に目を潰された大量の捕虜が帰ってきたのを見てショック死する。 * [[1156年]]([[保元]]元年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[保元の乱]]: [[後白河天皇]]方の[[平清盛]]・[[源義朝]]らが、[[崇徳天皇|崇徳上皇]]らの籠る白河御所を夜襲し、上皇方が敗退。 * [[1221年]]([[承久]]3年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - 鎌倉幕府の命により[[仲恭天皇]]が退位させられ、10歳の[[後堀河天皇]]が即位。 * [[1246年]]([[寛元]]4年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[道元]]が越前大仏寺を[[永平寺]]に改称。 * [[1316年]]([[正和]]5年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[北条基時]]の出家に伴い、[[北条高時]]が鎌倉幕府第14代[[執権]]に就任。 * [[1565年]] - [[スコットランド王国|スコットランド]]女王[[メアリー (スコットランド女王)|メアリー]]が2人目の夫[[ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)|ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート]]と結婚。 * [[1836年]] - [[パリ]]の[[エトワール凱旋門]]が落成<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/74389 |title=7月29日 パリのエトワール凱旋門完成(1836年) |work=サイエンス365days |publisher=[[講談社]] |accessdate=14 Jun 2023 |date=29 Jul 2020}}</ref>。 * [[1858年]]([[安政]]5年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[日米修好通商条約]]締結。 * [[1894年]] - [[日清戦争]]: [[成歓の戦い|安城渡の戦い]]。ラッパ手[[木口小平]]が被弾し、死んでも口からラッパを離さなかったとして教科書にも載る。 * [[1899年]] - 第1回ハーグ平和会議が終了し、[[ハーグ陸戦条約]]が締結される。 * [[1900年]] - [[イタリア王国|イタリア国王]][[ウンベルト1世]]が{{仮リンク|ウンベルト1世暗殺事件|it|Regicidio di Umberto I|label=暗殺}}される。 * [[1905年]] - [[桂・タフト協定]]。アメリカは日本の[[大韓帝国]]指導権を承認し、日本はアメリカの植民地・[[フィリピン]]への不干渉を表明。 * [[1907年]] - [[ロバート・ベーデン=パウエル]]卿と20人の少年による[[スカウトの最初のキャンプ]]が開始される<ref>{{Cite web |url=https://canadianstampnews.com/otd-baden-powell-opens-first-scout-camp-1907/ |title=OTD: Baden-Powell opens first Scout camp |work=CANADIAN STAMP NEWS |date=29 Jul 2021 |accessdate=14 Jun 2023}}</ref>。 * [[1921年]] - [[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]が[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス党]]党首に就任。 * [[1937年]] - [[通州事件]]。[[冀東防共自治政府]]保安隊が日本軍部隊・特務機関および居留民を襲撃。 * [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[キスカ島撤退作戦]]。日本軍守備隊5600人が、連合軍に包囲された[[キスカ島]]から撤退し、全員無傷で撤収を完了。 * [[1946年]] - 戦艦長門沈没。 * [[1948年]] - 第14回[[夏季オリンピック]]、[[ロンドンオリンピック (1948年)|ロンドン大会]]開催。日本は招待されず。 * [[1954年]] - [[J・R・R・トールキン]]の代表作『[[指輪物語]]』第一部『[[旅の仲間]]』が[[イギリス]]で出版される<ref>{{Cite web |url=https://variety.com/2017/vintage/features/tolkien-lord-of-the-rings-1202506533/ |title=‘Lord of the Rings’ Spoke to 1960s College Kids — and to United Artists |work=VARIETY |date=28 Jul 2017 |accessdate=14 Jun 2023}}</ref>。 * [[1955年]] - [[7月27日]]から7月29日まで、[[日本共産党第6回全国協議会]]。[[中国共産党]]に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の[[武装闘争]]方針の放棄を決議<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.fujishuppan.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/11/sengonihonkyosanto.pdf |title=戦後日本共産党資料 |publisher=不二出版 |format=[[pdf]] |page=2 |accessdate=14 Jun 2023}}</ref>。 * 1955年 - [[自動車損害賠償保障法]]公布。 * [[1957年]] - [[国際原子力機関]]設立。 * [[1958年]] - [[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]]大統領が国家航空宇宙決議に署名し、[[アメリカ航空宇宙局]] (NASA) が発足。 * [[1959年]] - [[経済企画庁]]が初の「世界経済白書」を発表。 * [[1965年]] - [[少年ライフル魔事件]]が発生。 * 1965年 - [[第2航空群]]([[八戸航空基地]])所属の[[HU-16 (航空機)|UF-2飛行艇]]が消息を絶つ。後日、[[北海道]][[幌泉郡]][[豊似岳]]中腹に墜落している機体を発見。乗員7人死亡<ref>「遭難の自衛隊機発見 北海道・日高の山中で」『日本経済新聞』昭和40年8月2日 15面</ref>。 * [[1967年]] - [[ベトナム戦争]]: [[アメリカ海軍]]・[[航空母艦]]「[[フォレスタル (空母)|フォレスタル]]」が[[北ベトナム]]攻撃中の[[トンキン湾]]上で爆発事故を起こし乗員死者132名、負傷者62名を出す大惨事が発生、艦後部を大破する。 * [[1969年]] - [[エルサルバドル]]軍が[[ホンジュラス]]領内から撤退。[[サッカー戦争]]の停戦が成立。 * [[1978年]] - 両国の花火大会が17年ぶりに復活。[[隅田川花火大会]]と改称。 * [[1979年]] - [[スペイン]]で[[バスク祖国と自由]]による連続爆破事件が発生。[[アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港|バラハス空港]]などが爆破され空港内だけでも死者5人、負傷者113人の犠牲者<ref>スペイン緊張 バスク・ゲリラ爆弾テロ激化 バカンス客を直撃『朝日新聞』1979年(昭和54年)7月31日朝刊 13版 7面</ref>。 * [[1981年]] - イギリス王太子チャールズ(のちの[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]])が[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]と結婚。 * [[1993年]] - [[第40回衆議院議員総選挙|7月19日の総選挙]]の結果を受け8党派の代表が会談し、[[非自民・非共産連立政権]]([[細川内閣]])樹立に合意。 * [[1997年]] - 福島譲二熊本県知事が、[[水俣湾]]の魚貝類について、[[水俣病]]発見から41年ぶりに安全宣言を出す<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1366915 |title=きょうの歴史 7月29日 |publisher=[[福井新聞]] |accessdate=14 Jun 2023 |date=29 Jul 2021}}</ref>。 * 1997年 - [[松山ホステス殺害事件]]の容疑で指名手配され、[[公訴時効]]の20日前であった[[福田和子]]を[[福井市]]で逮捕。 * [[1998年]] - [[西淀川公害訴訟]]の和解が成立。 * [[2001年]] - [[第19回参議院議員通常選挙]]投票日。[[小泉純一郎|小泉]]ブームの影響を受け、[[自由民主党 (日本)|自民党]]だけで改選64議席、与党で78議席の大勝。 * [[2006年]] - [[ワールドアウトゲームズ]]主催の国際会議が[[モントリオール宣言]]を採択。 * [[2007年]] - [[第21回参議院議員通常選挙]]投票日。自民党が改選37議席の大敗、与党の過半数割れにより、[[ねじれ国会]]になる。 * [[2008年]] - [[イチロー]]が日米通算3,000本安打を達成。 * [[2015年]] - [[Microsoft Windows 10]]が提供開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3055956 |title=ウィンドウズ10、無料提供開始 狙いはモノのインターネット? |access-date=14 Jun 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2020年]] - 日本国内での新型コロナウイルスの一日の感染者数が初めて1000人を超える<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62063220Z20C20A7EA2000/ |title=「経済との両立」戦略急務 新規感染1200人超 |access-date=14 Jun 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=30 Jul 2020}}</ref>。 * [[2021年]] - 日本国内での新型コロナウイルスの一日の感染者数が初めて1万人を超える。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} [[Image:DeTocque.jpg|thumb|120px|政治思想家、[[アレクシス・ド・トクヴィル]](1805-1859)誕生]] {{multiple image | footer = 画家[[イヴァン・アイヴァゾフスキー]](1817-1900)誕生。右画像は『第九の波涛』 | image1 = Aivazovsky_portrait_by_Tyranov.jpg | width1 = 70 | alt1 = イヴァン・アイヴァゾフスキー | image2 = Aivazovsky%2C_Ivan_-_The_Ninth_Wave.jpg | width2 = 130 | alt2 = 『第九の波涛』 }} {{multiple image | image1 = Gerhard_Henrik_Armauer_Hansen.jpg | width1 = 80 | caption1 = 医師[[アルマウェル・ハンセン]](1847-1912)誕生。[[らい菌]]([[ハンセン病]])を発見 | image2 = Isidor_Isaac_Rabi.jpg | width2 = 80 | caption2 = 物理学者[[イジドール・イザーク・ラービ]](1898-1988)。[[核磁気共鳴]]を研究 }} {{multiple image | footer = [[イタリア]]の政治家、[[ベニート・ムッソリーニ]](1883-1945)誕生。右画像は生家。 | image1 = Duce Benito Mussolini.jpg | width1 = 100 | alt1 = ベニート・ムッソリーニ | image2 = Predappio house.JPG | width2 = 140 | alt2 = 生家 }} {{multiple image | footer = 政治家、[[重光葵]](1887-1957)。日本政府全権として第二次世界大戦の降伏文書に調印 | image1 = Mamoru_Shigemitsu.jpg | width1 = 100 | alt1 = 重光葵 | image2 = Instrument_of_surrender.jpg | width2 = 100 | alt2 = 降伏文書。上部に重光葵の署名 }} {{multiple image | footer = 第2代[[国際連合事務総長|国連事務総長]]、[[ダグ・ハマーショルド]](1905-1961)誕生。 | image1 = Dag Hammerskjold, Bestanddeelnr 912-9460.jpg | width1 = 100 | alt1 = ダグ・ハマーショルド | image2 = Dag_Hammarskjold_outside_the_UN_building.jpg | width2 = 100 | alt2 = 国連本部前を歩くハマーショルド }} [[Image:Mikis2004.jpg|thumb|upright|作曲家[[ミキス・テオドラキス]](1925-2021)]] [[Image:Bundesarchiv_Bild_183-R0423-0017%2C_Berlin%2CGeneralprobe_Er%C3%B6ffnung_Palast_der_Republik.jpg|thumb|100px|テノール歌手・指揮者[[ペーター・シュライアー]](1935-2019)]] * [[1166年]] - [[アンリ2世 (シャンパーニュ伯)|アンリ2世]]、[[シャンパーニュ伯]](+ [[1197年]]) * [[1580年]] - [[フランチェスコ・モーキ]]、[[彫刻家]](+ [[1654年]]) * [[1605年]] - [[ジーモン・ダッハ]]、[[詩人]](+ [[1659年]]) * [[1655年]]([[明暦]]元年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]) - [[京極高豊]]、第2代[[丸亀藩|丸亀藩主]](+ [[1694年]]) * [[1721年]]([[享保]]6年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[池田仲庸]]、第3代[[鹿奴藩|鹿奴藩主]](+ [[1758年]]) * [[1771年]]([[明和]]8年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[徳川治宝]]、第10代[[紀州藩|紀州藩主]](+ [[1853年]]) * [[1794年]] - [[トマス・コーウィン]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1865年]]) * [[1803年]]([[享和]]3年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]) - [[永井直養]]、第6代[[大和新庄藩|新庄藩主]](+ [[1854年]]) * [[1805年]] - [[アレクシス・ド・トクヴィル]]、[[政治思想家]](+ [[1859年]]) * [[1817年]] - [[イヴァン・アイヴァゾフスキー]]、[[画家]](+ [[1900年]]) * [[1832年]]([[天保]]3年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[松平頼升]]、第6代[[守山藩|守山藩主]](+ [[1872年]]) * [[1841年]] - [[アルマウェル・ハンセン]]、[[医学|医学者]](+ [[1912年]]) * 1841年 - [[アンリ・ファヨール]]、鉱山技師、[[地質学者]](+ [[1925年]]) * 1841年(天保12年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[前田利鬯]]、第14代[[大聖寺藩|大聖寺藩主]](+ [[1920年]]) * [[1843年]] - [[ヨハネス・シュミット]]、[[言語学者]](+ [[1901年]]) * [[1846年]] - [[イザベル・ド・ブラジル]]、[[ブラジル帝国]][[摂政]](+ [[1921年]]) * 1846年 - [[ゾフィー・メンター]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1918年]]) * [[1849年]] - [[マックス・ノルダウ]]、[[小説家]]、[[評論家]]、[[シオニズム]]指導者(+ [[1923年]]) * [[1877年]] - [[河井道]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://keisenjogakuen.jp/ayumi/founder/ |title=創立者 河井 道 |access-date=14 Jun 2023 |publisher=[[恵泉女学園]]}}</ref>、教育者(+[[1953年]]) * [[1883年]] - [[ベニート・ムッソリーニ]]、[[ファシズム]]創始者として知られる[[政治家]](+ [[1945年]]) * [[1887年]] - [[重光葵]]、[[外交官]]、[[政治家]](+ [[1957年]]) * [[1889年]] - [[ウラジミール・ツヴォルキン]]、[[発明家]]、[[技術者]](+ [[1982年]]) * [[1892年]] - [[ウィリアム・パウエル]]、[[俳優]](+ [[1984年]]) * [[1898年]] - [[イジドール・イザーク・ラービ]]、[[物理学者]](+ [[1988年]]) * [[1900年]] - [[エイヴィンド・ユーンソン]]、[[小説家]](+ [[1976年]]) * [[1901年]] - [[谷口豊三郎]]、実業家、元[[東洋紡績]][[社長#会社社長|社長]] (+[[1994年]]) * [[1905年]] - [[クララ・ボウ]]、[[俳優|女優]](+ [[1965年]]) * 1905年 - [[ダグ・ハマーショルド]]、外交官、第2代[[国際連合事務総長|国連事務総長]]。(+ [[1961年]]) * [[1907年]] - [[江田三郎]]、政治家(+ [[1977年]]) * [[1908年]] - [[石破二朗]]、政治家(+ [[1981年]]) * [[1909年]] - [[大原総一郎]]、[[実業家]](+ [[1968年]]) * 1909年 - [[チェスター・ハイムズ]]、[[推理作家]](+ [[1984年]]) * 1909年 - [[中村勘三郎 (17代目)]]、[[歌舞伎役者]](+ [[1988年]]) * [[1910年]] - [[井伊直愛]]、政治家(+ [[1993年]]) * [[1913年]] - [[木村睦男]]、政治家(+ [[2001年]]) * [[1916年]] - [[チャーリー・クリスチャン]]、[[ジャズ]]・[[ギタリスト]](+ [[1942年]]) * [[1918年]] - [[鈴木光枝]]、女優(+ [[2007年]]) * [[1920年]] - [[ヘルベルト・ケーゲル]]、[[指揮者]](+ [[1990年]]) * [[1925年]] - [[ミキス・テオドラキス]]、[[作曲家]]、政治家(+[[2021年]]) * [[1926年]] - [[中村晋也]]、彫刻家 * [[1927年]] - [[ハリー・ムリシュ]]、小説家(+ [[2010年]]) * [[1929年]] - [[アーヴェト・テルテリャーン]]、作曲家(+ [[1994年]]) * 1929年 - [[ジャン・ボードリヤール]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Jean-Baudrillard |title=Jean Baudrillard|French author and philosopher |access-date=14 Jun 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[思想家]](+ [[2007年]]) * [[1935年]] - [[堀伝]]、ヴァイオリニスト * 1935年 - [[ペーター・シュライアー]]、[[テノール]][[歌手]]、指揮者(+ [[2019年]]) * 1935年 - [[牧美也子]]、[[漫画家]] * [[1937年]] - [[橋本龍太郎]]、政治家、第82・83代[[内閣総理大臣]](+ [[2006年]]) * 1937年 - [[ダニエル・マクファデン]]、[[経済学者]] * 1937年 - [[義原武敏]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2010年]]) * [[1938年]] - [[久里千春]]、歌手、女優 * 1938年 - [[ピーター・ジェニングス]]、[[ニュースキャスター]](+ [[2005年]]) * [[1939年]] - [[新山彰忠]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]]) * [[1941年]] - [[デビッド・ワーナー]]、俳優(+ [[2022年]]) * [[1944年]] - [[藤本典征]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[石幡信弘]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[不破万作 (俳優)|不破万作]]、俳優 * 1946年 - [[若井みどり]]、[[漫才師]] * 1946年 - [[ダヴィド・ゲリンガス]]、[[チェリスト]] * 1946年 - [[スティグ・ブロンクビスト]]、ラリードライバー * [[1947年]] - [[せんだみつお]]、[[タレント]] * 1947年 - [[安奈淳]]、女優 * 1947年 - [[西村秀一]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[山際淳司]](犬塚進)、[[作家]](+ [[1995年]]) * 1948年 - [[山田久志]]、元プロ野球選手、監督 * 1948年 - [[陽田浅吉]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[島津佳一]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[園田喜則]]、元プロ野球選手 (+ [[1989年]]) * [[1949年]] - [[マリリン・クエール]]、第44代[[アメリカ合衆国副大統領]][[ダン・クエール]]の妻 * 1949年 - [[ヘンリー・プナ]]、政治家、[[クック諸島]]首相 * 1949年 - [[久保田一]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[大内厚]]、実業家、[[高砂熱学工業]]代表取締役会長・元社長 * [[1950年]] - [[木村進]]、[[お笑い芸人]](+ [[2019年]]) * 1950年 - [[西海和久]]、[[実業家]]、[[ブリヂストン]]代表取締役最高執行責任者 * [[1951年]] - [[上田晃弘]]、政治家 * 1951年 - [[片山善博]]、政治家 * 1951年 - [[ゲーリー・トマソン]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[小枝守]]、高校野球指導者 * [[1952年]] - [[さくまあきら]]、[[ゲームクリエイター]] * [[1953年]] - [[大滝進矢]]、[[声優]] * 1953年 - [[ゲディー・リー]]、[[ミュージシャン]] * [[1954年]] - [[秋吉久美子]]、女優 * 1954年 - [[志位和夫]]、政治家 * [[1955年]] - [[ジャン=ユーグ・アングラード]]、[[映画俳優]] * [[1957年]] - [[岸田文雄]]、政治家、第100・101代内閣総理大臣 * 1957年 - [[ネリー・キム]]、[[体操選手]] * [[1958年]] - [[三屋裕子]]、元[[バレーボール選手]] * [[1959年]] - [[ジョン・サイクス]]、[[ギタリスト]] * [[1960年]] - [[恵那櫻徹]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄16代竹縄 * 1960年 - [[飯泉嘉門]]、政治家、[[徳島県知事一覧|徳島県知事]] * 1960年 - [[前川たけし]]、[[漫画家]] * 1960年 - [[下村健一]]、ジャーナリスト、市民メディアアドバイザー * 1960年 - [[大久保美智男]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[三田篤子]]、元女優 * 1961年 - [[吉川徹 (演出家)|吉川徹]]、演出家(+ [[2015年]]) * [[1962年]] - [[だいもん孝之]]、[[放送作家]] * 1962年 - [[高木美保]]、[[俳優|女優]] * 1962年 - [[小野リサ]]、歌手 * 1962年 - [[秦真司]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[芝正]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[DJ KRUSH]]、DJ、ヒップホップ・ミュージシャン * [[1963年]] - [[神谷まさひろ]]、俳優 * [[1964年]] - [[山口宏 (脚本家)|山口宏]]、[[脚本家]] * [[1965年]] - [[石本龍臣]]、元野球選手、元競輪選手 * 1965年 - [[アンドレア・ゾルジ]]、元バレーボール選手 * 1965年 - [[林部直樹]]、ギタリスト([[米米CLUB]]) * [[1966年]] - [[伊原木隆太]]、実業家、政治家、[[岡山県知事]] * 1966年 - [[サリー・ガネル]]、元陸上競技選手 * [[1967年]] - [[羽田雄一郎]]、政治家(+ [[2020年]]) * 1967年 - [[小野塚晃]]、ジャズピアニスト([[DIMENSION]]) * 1976年 - [[村田隆行]]、[[フュージョン (音楽)|ベーシスト]] * [[1968年]] - [[高山佳奈子]]、刑法学者、京都大学教授 * 1968年 - [[山口幸二]]、元競輪選手 * [[1969年]] - [[井入宏之]]、[[レーシングドライバー]] * [[1970年]] - [[鳥居千穂]]、バレーボール選手 * [[1971年]] - [[吉岡雄二]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[村田渚]]、[[お笑いタレント]](+ [[2006年]]) * 1971年 - [[麦倉洋一]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[ジョニー・ラフィン]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[脇阪寿一]]、レーシングドライバー * 1972年 - [[佐野研二郎]]、グラフィックデザイナー * [[1973年]] - [[門倉健]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[工藤正貴]]、元[[俳優]] * 1973年 - [[啄木鳥しんき]]、[[漫画家]] * [[1974年]] - [[泉健太]]、[[政治家]] * 1974年 - [[新居佳英]]、実業家 * 1974年 - [[坂上香織]]、元女優 * 1974年 - [[石川雅之]]、[[漫画家]] * 1974年 - [[衣川幸夫]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[武雄山喬義]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄14代[[山分]] * 1974年 - [[山本進悟]]、[[SASUKEオールスターズ]] * [[1975年]] - [[秋山成勲]]、[[格闘家]] * 1975年 - [[李昌鎬]]、[[囲碁棋士]] * 1975年 - [[日暮茶坊]]、[[小説家]]、[[シナリオライター]] * 1975年 - [[セス・グライシンガー]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[石田尚巳]]、俳優 * 1976年 - [[大林洋平]]、俳優、声優 * 1976年 - [[朝山東洋]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[加藤謙如]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[日里正義]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[小室宏二]]、[[柔道家]]、[[ブラジリアン柔術]]家 * 1977年 - [[星野智樹]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[石上裕一]]、[[声優]] * 1977年 - [[姫川きらら]]、[[漫画家]] * [[1978年]] - [[梅田陽子]]、アナウンサー * 1978年 - [[田嶌万友香]]、アナウンサー * 1978年 - [[常石梨乃]]、女優 * 1978年 - ちゅうえい、お笑い芸人([[流れ星☆ (お笑いコンビ)|流れ星☆]]) * [[1979年]] - [[吉川元浩 (野球)|吉川元浩]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[梶原和隆]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[セシリア (タレント)|セシリア]]、[[タレント]] * 1980年 - [[フェルナンド・ゴンサレス]]、[[テニス選手]] * 1980年 - [[鳴海崇志]]、声優 *1980年 - [[前田賢一朗]]、声優 * [[1981年]] - [[フェルナンド・アロンソ]]、[[レーシングドライバー]] * 1981年 - [[トロイ・パーキンス]]、サッカー選手 * [[1982年]] - [[KABA_3]] - ミュージシャン([[シュノーケル (バンド)|シュノーケル]]) * 1982年 - [[松家卓弘]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[大廣翔治]]、元プロ野球選手 * [[1983年]] - [[石渡ひろみ]]、女優、タレント * [[1984年]] - [[亜月ちえみ]]、声優 * 1984年 - [[小田柿悠太]]、声優 * 1984年 - [[チャド・ビリングズリー]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[アンナ・ベッソノバ]]、新体操選手 * [[1985年]] - [[上野裕一郎]]、陸上競技選手 * 1985年 - [[隠岐の海歩]]、元大相撲力士、年寄13代君ヶ濱 * 1985年 - [[兵藤慎剛]]、サッカー選手 * 1985年 - [[近藤夏子]]、[[シンガーソングライター]] * 1985年 - [[加藤理恵]]、女優、タレント、スポーツキャスター * 1985年 - [[大谷英子]]、女優 * 1985年 - 近藤裕希、お笑い芸人([[バース (お笑いコンビ)|バース]]) * 1986年 - [[鈴木康太 (俳優)|鈴木康太]]、俳優 * [[1986年]] - [[有坂愛海]]、シンガーソングライター * 1986年 - [[廣瀬花子]]、フリーダイビング選手 * 1986年 - [[チャールズ・カトラー]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[森福允彦]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[日日日]]、[[小説家]] * [[1987年]] - [[藤堂里香]]、競艇選手 * 1987年 - [[中山友貴]]、レーシングドライバー * 1987年 - [[山田悠介 (俳優)|山田悠介]]、俳優 * 1987年 - [[岡田佑里恵]]、タレント、モデル * [[1988年]] - [[渡辺大夢]]、将棋棋士 * 1988年 - tomi 、歌手([[オレスカバンド]]) * [[1989年]] - [[山口嵩之]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[安藤奈保子]]、タレント、歌手 * 1989年 - [[ザック・ペトリック]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[オレグ・シャトフ]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[岩村捺未]]、アイドル、タレント(元[[PASSPO☆]]) * 1991年 - [[小澤陽子]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサー * 1991年 - [[武尊]]、[[K-1]]選手 * 1991年 - [[宮司愛海]]、フジテレビアナウンサー * [[1992年]] - [[岡副麻希]]、[[ニュースキャスター|キャスター]]、タレント、フリーアナウンサー * 1992年 - [[松本ゆん]]、タレント、グラビアアイドル * 1992年 - [[後藤京介]]、サッカー選手 * [[1993年]] - [[増田大輝]]、プロ野球選手 * 1993年 - [[狩野健斗]]、俳優 * 1993年 - [[菅沼千紗]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://seigura.com/directory/40163/ |title=菅沼 千紗 |work=声優グランプリ |publisher=Imagica Infos Co., Ltd. |accessdate=14 Jun 2023}}</ref>、声優 * 1993年 - [[高野水登]]、脚本家 * [[1994年]] - [[北條史也]]、プロ野球選手 * [[1995年]] - [[金澤志奈]]、[[プロゴルファー]] * 1995年 - [[松野未佳]]、女優 * 1995年 - [[中山少年]]、漫画家、お笑いタレント * [[1996年]] - [[藤井皓哉]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[飯山裕太]]、俳優 * [[1997年]] - [[大庭岳輝]]、バスケットボール選手 * 1997年 - [[山下一貴]]、陸上選手 * [[1998年]] - [[根本薫]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[藤本一輝]]、サッカー選手 * 1998年 - [[植竹希望]]、プロゴルファー * 1998年 - 長谷川慎、アーティスト([[THE RAMPAGE from EXILE TRIBE]]) * 1998年 - [[佐藤景瑚]]、アイドル([[JO1]]) * 1998年 - [[村重杏奈]]、タレント(元[[HKT48]]) * [[1999年]] - [[甲地夏波]]、元[[子役]]、[[モデル (職業)|モデル]] * 1999年 - [[荒川ちか]]、女優(元[[乙女新党]]) * 1999年 - [[稲見萌寧]]、プロゴルファー * [[2001年]] - 河口夏音、アイドル([[≠ME]]) * [[2002年]] - [[秋山眞緒]]、アイドル([[つばきファクトリー]]) * 2002年 - [[阿部夢梨]]、アイドル([[SUPER☆GiRLS]]) * [[2004年]] - 大谷悠妃、アイドル([[SKE48]]) * 2004年 - [[須田萌里]]、総合格闘家 * [[2005年]] - 五百城茉央、アイドル([[乃木坂46]]) * [[2006年]] - 早坂美海<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.stardust.co.jp/talent/section3/hayasakamiu/ |title=早坂美海 |access-date=14 Jun 2023 |publisher=[[スターダストプロモーション|STARDUST]]}}</ref>、女優 * [[2009年]] - [[渡邊杏奈]]、女優、モデル、タレント * 生年不明 - [[谷沢直]]、[[漫画家]] * 生年不明 - [[AZUKI七]]、[[キーボディスト]]、[[作詞家]]([[GARNET CROW]]) * 生年不明 - [[石橋英子]]、シンガーソングライター * 生年不明 - [[喜多修平]]、[[歌手]] * 生年不明 - [[上田瞳]]、声優 * 生年不明 - [[織江珠生]]、声優 * 生年不明 - 知里香澄<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.leopardsteel.com/talent/Chiri_Kasumi/ |title=知里 香澄 |access-date=14 Jun 2023 |publisher=株式会社レオパード スティール}}</ref>、声優 == 忌日 == {{multiple image | footer = 共同で[[ローマ皇帝]]に擁立されていた[[マルクス・クロディウス・プピエヌス・マクシムス|プピエヌス]](178?-238)と[[デキムス・カエリウス・カルウィヌス・バルビヌス|バルビヌス]](165?-238)、対立のすえ親衛隊に殺害され[[ティベリス川]]へ投げ込まれる | image1 = Pupienus_Musei_Capitolini_MC477.jpg | width1 = 100 | alt1 = プピエヌス | image2 = Balbinus_Hermitage.jpg | width2 = 100 | alt2 = バルビヌス }} {{multiple image | footer = イギリスの政治家・[[奴隷制廃止運動]]家、[[ウィリアム・ウィルバーフォース]](1759-1833)没。右画像は生家。 | image1 = Wilberforce_john_rising.jpg | width1 = 110 | alt1 = ウィリアム・ウィルバーフォース | image2 = Wilberforce_House_Hull.jpg | width2 = 100 | alt2 = 生家。彫像が立つ }} {{multiple image | footer = 作曲家[[ロベルト・シューマン]](1810-1856)没。右画像は生家。 | image1 = Robert_Schumann.jpg | width1 = 80 | alt1 = ロベルト・シューマン | image2 = Robert_Schumann%27s_Birthplace_in_Zwickau.jpg | width2 = 130 | alt2 = 生家 }} {{multiple image | footer = [[7月27日]]に拳銃自殺を図った[[フィンセント・ファン・ゴッホ]](1853-1890)没。左は自画像(1889)、右は1890年6月の作『[[医師ガシェの肖像]]』。 | image1 = VanGogh-self-portrait-with_bandaged_ear.jpg | width1 = 140 | alt1 = 自画像 | image2 = Portrait_of_Dr._Gachet.jpg | width2 = 140 | alt2 = 『医師ガシェの肖像』 }} [[Image:Umberto_I_di_Savoia.jpg|thumb|180px|イタリア国王[[ウンベルト1世]](1844-1900)暗殺]] {{multiple image | footer = 科学者[[ロナルド・フィッシャー]](1890-1962)。右画像はフィッシャーを記念した[[ケンブリッジ大学]]のステンドグラス。 | image1 = Ronald Fisher 1912 graduation Cambridge.JPG | width1 = 120 | alt1 = ロナルド・フィッシャー | image2 = Fisher-stainedglass-gonville-caius.jpg | width2 = 80 | alt2 = ステンドグラス。ラテン方格になっている }} [[Image:Kästner-Passage.JPG|thumb|100px|作家[[エーリッヒ・ケストナー]](1899-1974)没]] === 人物 === * [[238年]] - [[マルクス・クロディウス・プピエヌス・マクシムス]]、[[ローマ皇帝]](* 178年頃?) * 238年 - [[デキムス・カエリウス・カルウィヌス・バルビヌス]]、ローマ皇帝(* 165年頃?) * [[1095年]] - [[ラースロー1世 (ハンガリー王)|ラースロー1世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]](* [[1040年]]) * [[1099年]] - [[ウルバヌス2世 (ローマ教皇)|ウルバヌス2世]]、第159代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1042年]]) * [[1108年]] - [[フィリップ1世 (フランス王)|フィリップ1世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1052年]]) * [[1230年]]([[寛喜]]2年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[北条時氏]]、[[鎌倉幕府]][[六波羅探題]]北方(* [[1203年]]) * [[1236年]] - [[インゲボルグ (フランス王妃)|インゲボルグ]]、フランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]の妃(* [[1175年]]) * [[1507年]] - [[マルティン・ベハイム]]、[[天文学者]]、[[地理学者]]・[[探検家]](* [[1459年]]) * [[1644年]] - [[ウルバヌス8世 (ローマ教皇)|ウルバヌス8世]]、第235代ローマ教皇(* [[1568年]]) * [[1688年]]([[貞享]]5年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[堀田正英]]、[[江戸幕府]][[若年寄]]、[[北条藩|北条藩主]](* [[1638年]]) * [[1811年]] - [[リチャード・バチェ]]、第2代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1737年]]) * [[1813年]] - [[ジャン=アンドシュ・ジュノー]]、[[ナポレオン戦争]]期の[[フランス]]軍人(* [[1771年]]) * [[1833年]] - [[ウィリアム・ウィルバーフォース]]、[[イギリス]]の[[政治家]]、[[奴隷]]制廃止論者(* [[1759年]]) * [[1844年]] - [[フランツ・クサーヴァー・モーツァルト]]、[[作曲家]](* [[1791年]]) * [[1856年]] - [[ロベルト・シューマン]]、作曲家(* [[1810年]]) * 1856年 - [[カレル・ハヴリーチェク・ボロフスキー]]、作家、政治家(* [[1821年]]) * [[1857年]] - [[ジェームズ・ホルマン]]、[[探検家]](* [[1768年]]) * [[1886年]] - [[丹羽長裕]]、第14代[[二本松藩|二本松藩主]] (* [[1859年]]) * [[1890年]] - [[フィンセント・ファン・ゴッホ]]、[[画家]](* [[1853年]]) * [[1894年]] - [[白神源次郎]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[信号ラッパ|喇叭手]](* [[1868年]]) * 1894年 - [[木口小平]]、日本陸軍の喇叭手(* [[1872年]]) * [[1895年]] - [[ジョゼフ・ドランブール]]、[[言語学|言語学者]](* [[1811年]]) * [[1896年]] - [[ルイス・ベーマー]]{{要出典|date=2021-04}}、[[農学者]](* [[1843年]]) * [[1898年]] - [[ジョン・ニューランズ]]、[[化学者]](* [[1837年]]) * [[1900年]] - [[ウンベルト1世]]、第2代[[イタリア王国|イタリア王]](* [[1844年]]) * 1900年 - [[ヘンリー・スペンサー・アシュビー]]、[[実業家]]、[[書誌学]]者(* [[1834年]]) * [[1906年]] - [[アレクサンドル・ルイジーニ]]、作曲家(* [[1850年]]) * [[1913年]] - [[トビアス・アッセル]]、法律家(* [[1838年]]) * [[1921年]] - [[ヘルマン・バーフィンク]]、[[神学者]]、[[牧師]](* [[1854年]]) * [[1924年]] - [[西村天囚]]、[[ジャーナリスト]](* [[1865年]]) * [[1934年]] - [[久米桂一郎]]、[[画家]](* [[1866年]]) * [[1936年]] - [[佐藤喜久雄]]、[[プロ野球選手]](* [[1917年]]) * [[1938年]] - [[ヤン・ベルジン]]、[[ロシア連邦軍参謀本部情報総局|ソ連軍参謀本部情報総局長]](* [[1889年]]) * [[1944年]] - [[上原敏]]、[[歌手]](* [[1908年]]) * 1944年 - [[林節]]、[[野球選手]](* [[1918年]]) * [[1953年]] - [[リチャード・ピアース]]、[[航空工学|航空工学者]](* [[1877年]]) * [[1956年]] - [[ルートヴィヒ・クラーゲス]]、[[哲学|哲学者]]、[[心理学者]](* [[1872年]]) * 1956年 - [[エドワード・ガントレット]]、[[言語学者]](* [[1868年]]) * [[1962年]] - [[ロナルド・フィッシャー]]、[[遺伝学|遺伝学者]]、[[優生学|優生学者]](* [[1890年]]) * [[1966年]] - [[ジョン・レモン]]、[[論理学|論理学者]](* [[1930年]]) * [[1969年]] - [[村上武次郎]]、[[冶金学|冶金学者]](* [[1882年]]) * [[1970年]] - [[ジョン・バルビローリ]]、[[指揮者]](* [[1899年]]) * [[1973年]] - [[ロジャー・ウィリアムソン]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1948年]]) * 1973年 - [[セシル・グリフィス]]、[[陸上競技選手]](* 1901年) * [[1974年]] - [[神田茂]]、[[天文学者]](* [[1894年]]) * 1974年 - [[エーリッヒ・ケストナー]]、[[作家]](* [[1899年]]) * [[1976年]] - [[ミッキー・コーエン]]、[[ギャング]](* [[1913年]]) * [[1979年]] - [[ヘルベルト・マルクーゼ]]、哲学者(* [[1898年]]) * [[1980年]] - [[木部シゲノ]]、最初期の女性[[パイロット (航空)|飛行家]](* [[1903年]]) * [[1982年]] - [[ウラジミール・ツヴォルキン]]、[[発明家]]、[[技術者]](* [[1889年]]) * [[1983年]] - [[ルイス・ブニュエル]]、[[映画監督]](* [[1900年]]) * 1983年 - [[デヴィッド・ニーヴン]]、[[俳優]](* [[1910年]]) * [[1987年]] - [[小川善治]]、元[[プロ野球選手]](* [[1924年]]) * [[1989年]] - [[辰巳柳太郎]]、俳優(* [[1905年]]) * 1989年 - [[森敦]]、[[小説家]](* [[1912年]]) * [[1990年]] - [[ブルーノ・クライスキー]]、元[[連邦首相 (オーストリア)|オーストリア首相]](* [[1911年]]) * 1990年 - [[天野公義]]、[[政治家]](* [[1921年]]) * 1990年 - [[稲村佐近四郎]]、政治家(* [[1917年]]) * [[1992年]] - [[ゲルハルト・ヘッツェル]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1940年]]) * [[1993年]] - [[アナトリー・ヴェデルニコフ]]、[[ピアニスト]](* [[1920年]]) * [[1994年]] - [[ドロシー・ホジキン]]、[[化学者]](* [[1910年]]) * 1994年 - [[木田三千雄]]、俳優(* [[1912年]]) * [[1998年]] - [[森安敏明]]、元プロ野球選手(* [[1947年]]) * [[2003年]] - [[アハメド・フォディ・サンコー]]、[[シエラレオネ]]の反政府組織指導者(* [[1937年]]) * 2003年 - [[伴勇資]]、元プロ野球選手(* [[1923年]]) * [[2005年]] - [[カールハインツ・ツェラー]]、[[フルート]]奏者(* [[1928年]]) * [[2006年]] - [[長谷川良平]]、元プロ野球選手(* [[1930年]]) * 2006年 - [[網干善教]]、[[考古学者]](* [[1927年]]) * [[2007年]] - [[ミシェル・セロー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-27129820070730 |title=フランス人俳優ミシェル・セロー、79歳で死去 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=30 Jul 2007 |accessdate=14 Jun 2023}}</ref>、俳優(* [[1928年]]) * 2007年 - [[高橋直]]、元[[調教師]](* [[1925年]]) * [[2008年]] - [[メート・パルロフ]]、[[ボクサー (スポーツ)|ボクサー]](* [[1948年]]) * [[2015年]] - [[吉川徹 (演出家)|吉川徹]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1517011.html |title=「シカゴ」演出の吉川徹さん、自分の誕生日に自殺 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=3 Aug 2015 |accessdate=14 Jun 2023}}</ref>、演出家(* [[1961年]]) * [[2016年]] - [[ブラジ・カチュル]]、[[言語学者]](* [[1932年]]) === 人物以外(動物など) === * 2008年 - [[タヤスツヨシ]]、競走馬(* 1992年) == 記念日・年中行事 == [[Image:Faroe stamp 330 olavsoka - horses on parade.jpg|thumb|150px|[[フェロー諸島#文化|フェロー諸島]]の[[オラフ祭]]]] * [[オラフ祭]]({{FRO}}) *: [[オラフ2世 (ノルウェー王)|オラフ2世]]を記念するフェロー諸島最大の祝祭日。国会議事堂前で、首相が指揮を執る市民総出のチェーンダンスなどが行われる。 * 全国[[タイ語]]の日({{THA}}) *: [[タイ王国]]政府が制定している記念日。祝日ではない。 * 国歌の日({{ROU}}) *: 革命歌であったルーマニアの国歌『[[目覚めよ、ルーマニア人!]]』を記念する日。{{audio|Desteapta-te, romane!.ogg|聴く}} * [[世界トラの日]] (世界) * [[アマチュア無線の日]]({{JPN}}) *:[[1952年]]のこの日、[[1941年]][[12月8日]]を以て禁止されていた[[アマチュア無線]]が11年ぶりに解禁され、全国の30人に[[アマチュア局]]の[[予備免許]]が交付されたことを記念し、[[1973年]]に[[日本アマチュア無線連盟]]が制定。アマチュア無線の健全な発達と、知識の普及を目的とする<ref>{{Cite web|和書|url=http://jarlzero.com/region/?memorial_ham=%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E7%84%A1%E7%B7%9A%E3%81%AE%E6%97%A5 |title=アマチュア無線の日(戦後のアマチュア無線再開) |accessdate=14 Jun 2023 |publisher=一般社団法人日本アマチュア無線連盟 信越地方本部}}</ref>。 * バッファローチキンウイングデー({{USA}}) *: [[ニューヨーク州]][[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]の市長が、全米展開する鶏の手羽揚げ店チェーン「バッファロー・チキン・ウイング」によってバッファロー市の名がアメリカ全土に広められたことに敬意を表して制定した記念日。バッファローチキンウイングの祭典として1970年代からカレンダーに記載されている<ref>{{Cite web |url=https://www.brproud.com/savvy-southerner/national-chicken-wing-day-where-to-find-the-best-deals-on-july-29/ |title=National Chicken Wing Day: Where to find the best deals on July 29 |accessdate=14 Jun 2023 |publisher=Nexstar MEDIA GROUP, INC. |date=29 Jul 2020 |website=BRProud.com}}</ref>。 * [[白だし]]の日({{JPN}}) *:1978年に初めて白醤油にだしを加えた調味料「白だし」を製造販売した[[愛知県]][[安城市]]の七福醸造が制定<ref name=anniversary366>{{Cite book |和書|author=加瀬清志|editor=(一社)日本記念日協会|date=2020-07-30|title=366日記念日事典 第4版 下|page=33|publisher=[[創元社]]|isbn=978-4422021157}}</ref>。 *:同社の社名「ひち(7)ふ(2)く(9)」の語呂合せ。 * [[福神漬]]の日({{JPN}}) *:漬け物メーカーの新進が制定。福神漬の名前の由来である七福神から、七(しち)二(ふ)九(く)で「しちふく」の語呂合せと、カレーに添えられている福神漬を食べて夏バテを防いでもらおうとの願いが込められている<ref name=anniversary366/>。 * 永くつながる生前整理の日({{JPN}}) *:愛知県名古屋市に本部を置く一般社団法人生前整理普及協会が制定。幸せなエンディングを迎えるための片づけから始めるあったかい生前整理を広めることが目的。日付は7と29を「永(7)くつ(2)なぐ(9)」と読む語呂合わせと、同協会の設立日が2013年7月29日であることから<ref name=anniversary366/>。 * [[七福神]]の日({{JPN}}) *:[[群馬県]][[前橋市]]に前橋本店、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]に銀座本店を構える株式会社幸煎餅(さいわいせんべい)が制定。せんべい造り100年を超える同社の人気商品「七福神せんべい」「[[七福神あられ]]」「銀座七福神」を多くの人に味わってもらうのが目的。日付は7と29で七福神の「七福(しちふく)」の語呂合わせから<ref name=anniversary366/>。 * 水素医学の日({{JPN}}) *:有限責任中間法人水素研究会が制定。水素研究会設立の日が7月29日。 *:水素の健康医学分野での活用の開発・推進・発展を目的とする。 * 謎肉の日({{JPN}}) *:[[カップヌードル]]を販売している、[[日清食品]]が制定。 *:カップヌードルに入っている[[大豆ミート]]の名称である「謎肉」との語呂合わせから。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0729|date=Jun 2023}} === 誕生日(フィクション) === * [[2004年]] - 島鉄雄、漫画・アニメ『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』の登場人物<ref>{{Cite web|和書|url=https://v-storage.bnarts.jp/sp-site/akira/character/ |title=CHARACTER 鉄雄 |publisher=[[バンダイナムコフィルムワークス]] マッシュルーム/アキラ製作委員会 |accessdate=14 Jun 2023 |work=『AKIRA』4Kリマスター}}</ref> * 生年不明 - ルビー、アニメ『[[ジュエルペット]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jewelpet.jp/character/ |title=キャラクター紹介 ルビー |work=『ジュエルペット』 |accessdate=14 Jun 2023 |publisher=[[サンリオ]]・[[セガトイズ]]/[[テレビ東京]]・ジュエルペット製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 久保嘉晴、漫画・アニメ『[[シュート!]]』に登場するキャラクター・『[[シュート!|シュート! 久保嘉晴の伝説]]』の主人公<ref>{{Twitter status|shoot_anime|1551918551778619392}}</ref> * 生年不明 - カダル、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Kadal.html |title=カダル |access-date=14 Jun 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - J・J・ドルギアス、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1420399920268390402}}</ref> * 生年不明 - 笠松幸男、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1420412594091827200}}</ref> * 生年不明 - 嵐山准、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|758678607266996225}}</ref> * 生年不明 - 浅田、漫画・アニメ『[[あたしンち]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ARIAの登場人物#晃・E・フェラーリ(あきら いー フェラーリ / Akira E. Ferrari)|晃・E・フェラーリ]]、漫画・アニメ・ゲーム『[[ARIA (漫画)|ARIA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=天野こずえ|authorlink=天野こずえ|date=2005-10-29 |title =ARIAオフィシャルナビゲーションガイド |page = 58 |publisher = [[マッグガーデン]] |isbn = 978-4861272127 |series=BLADEコミックス}}</ref> *生年不明 - ビーネンリッター、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009-03-10|title=EREMENTAR GERADアルティメットガイド|series=BLADE COMICS|page=66|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4861276163}}</ref> * 生年不明 - 佐伯沙弥香、漫画・アニメ『[[やがて君になる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=やがて君になる|date=2018-09-27|publisher=KADOKAWA|author=仲谷鳰|authorlink=仲谷鳰|series=電撃コミックスNEXT|isbn=978-4049120479|page=178|volume=6巻}}</ref> * 生年不明 - ユナ、小説・漫画・アニメ『[[ソードアート・オンライン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1659071048 |title=『ソードアート・オンライン(SAO)』正式サービス開始日まであと100日──本日7月29日は、ユナのお誕生日!魅力的な名言3選【注目ワード】 |access-date=14 Jun 2023 |publisher=animateTimes |date=29 Jul 2022}}</ref> * 生年不明 - 桔梗霧、ゲーム『[[Canvas2|Canvas2~茜色のパレット~]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://fandc.co.jp/canvas2/pc/kiri.html |title=Character 桔梗 霧 |access-date=14 Jun 2023 |publisher=FC01/HQ/F&C Co.,Ltd |work=『Canvas2~茜色のパレット~』}}</ref> *生年不明 - 天宮るり、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|1023786677880348672}}</ref> *生年不明 - タイガ(仙石大雅)、ゲーム『[[グリザイアシリーズ|グリザイア・ファントムトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|grisaia_fw|934024136354967552}}</ref> *生年不明 - 鬼塚桐、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/onizuka |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]]|work=『八月のシンデレラナイン』 |title=鬼塚 桐 |accessdate=14 Jun 2023}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#小宮果穂|小宮果穂]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinycolors.idolmaster.jp/idol/unit4/kaho.html |title=小宮果穂 (こみやかほ) |website=『アイドルマスター シャイニーカラーズ』 |accessdate=14 Jun 2023 |publisher=THE IDOLM@STER [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - ガルシア・エミリオ、メディアミックス『[[フットサルボーイズ!!!!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|futsal_boys|1288127069952630784}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 29|29 July}} {{新暦365日|7|28|7|30|[[6月29日]]|[[8月29日]]|[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]|0729|7|29}} {{1年の月と日}}
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1742年
1742年(1742 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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1742年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1742}} [[ファイル:Soldier of 22nd regiment 1742.jpg|サムネイル|[[イギリス陸軍]]{{仮リンク|チェルシャー連隊|en|Cheshire Regiment|label=第22連隊}} 1742年]] {{year-definition|1742}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] **[[寛保]]2年 **[[神武天皇即位紀元|皇紀]]2402年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] **[[清]] : [[乾隆]]7年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] **[[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]18年 **[[檀君紀元|檀紀]]4075年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] **[[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]3年 * [[仏滅紀元]] : 2284年 - 2285年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1154年 - 1155年 * [[ユダヤ暦]] : 5502年 - 5503年 * [[ユリウス暦]] : 1741年12月21日 - 1742年12月20日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1742}} == できごと == *[[スウェーデン]] - [[アンデルス・セルシウス]]が、[[スウェーデン王立科学アカデミー]]に投稿した論文のなかで、実用的[[温度計]]を提唱。これが現在の[[セルシウス度]]の基となった。 * [[グレートブリテン王国]] **[[イングランド]] - [[チャールズ・ジャーヴァス]]による英訳版『[[ドン・キホーテ]]』が、ジャーヴァスの死後3年経ってから出版。出版社のミスで著者名が「Charles Jervas」ではなく「Charles Jarvis」とされたことで『ジャービス版ドン・キホーテ』と呼ばれる。史上最も原文に忠実な英語版として高く評価された。 **[[スコットランド]] - ***[[エディンバラ]]で世界初の[[フィギュアスケートの歴史#ヨーロッパ|スケートクラブ]]、{{仮リンク|エディンバラ・スケーティング・クラブ|en|Edinburgh Skating Club}}が結成。 ***[[コリン・マクローリン]]が『導関数論』("''Treatise on Fluxions''")を出版。 **[[ガーンジー]] - {{仮リンク|ダニエル・ル・ペリー|en|Daniel le Pelley}}が、父である{{仮リンク|ニコラス・ル・ペリー|en|Nicolas Le Pelley}}の跡を継いで{{ill2|サークの領主の一覧|en|List of seigneurs of Sark|label=サーク領主}}となる。 *[[ロシア帝国|ロシア]] - **宮廷で{{仮リンク|ナタリア・ロプーヒナ|en|Natalia Lopukhina|label=ロプーヒナ陰謀事件}}起こる。 **{{要検証|イルクーツクに日本航海学校創立|date=2021年12月}}。 **[[ロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年)|ロシア・スウェーデン戦争]]において、フィンランドを占領。{{仮リンク|フィンランド王国 (1742年)|en|Kingdom of Finland (1742)}}が一時的に成立。 *[[フランス王国|フランス]] - ** [[フランス王国|フランス]]人[[ジョゼフ・フランソワ・デュプレクス|デュプレクス]]、[[ポンディシェリ]][[総督]]となる。 ** [[ファイル:François boucher, diana che esce dal bagno, 1742, 01.jpg|サムネイル|『水浴のディアナ』 フランソワ・ブーシェ画 [[ルーブル美術館]]蔵]][[フランソワ・ブーシェ]]が『[[水浴のディアナ]]』を完成。同年、[[サロン・ド・パリ]]に出品する。 *[[ノルウェー]]の街[[モルデ]]が勅許を得る。 *[[ドイツ]] - **[[アイゼナハ]]に{{仮リンク|アイゼナハ宮殿|de|Eisenacher Stadtschloss}}({{Lang-de-short|Stadtschloss}})が建設。 **[[バヴァリア]]、[[ニュルンベルク]]に[[フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルク]]が開設される。 *[[教皇領]] - [[カトリック教会]]が、儀式を(中国語ではなく)[[ラテン語]]で行うことを中国宣教の規則とすることを決定。 *[[オスマン帝国]] - {{仮リンク|イルミセキザード・メフメト・サイード・パシャ|en|Yirmisekizzade Mehmed Said Pasha}}が、[[パリ]]に[[オスマン帝国]]の大使として赴任<ref>[https://books.google.com/books?id=ZDljPtPJLbkC&pg=PA85 ''East encounters West'' by Fatma Müge Göçek p.85]</ref>。 *[[江戸幕府|日本]] - **[[勧進相撲]]が全面解禁{{要出典|date=2021年12月}}。 **[[市川團十郎 (2代目)|二代目市川海老蔵]]と[[尾上菊五郎 (初代)|初代尾上菊五郎]]が江戸に下り、[[市村座]]に出る。 *[[チベット]] - [[ダライ・ラマ7世]]のもとで『[[チベット大蔵経]]』、新ナルタン版テンギュルが完成{{Sfn|梶山|1984|p=4}}。[[ファイル:Muhlenberg Monument.JPG|サムネイル|ヘンリー・ミューレンバーグの像 {{仮リンク|フィラデルフィア・ルーテル神学校|en|Lutheran Theological Seminary at Philadelphia}}]] *[[北アメリカ]] **[[スペイン帝国|スペイン]]が、[[フロリダ州]]の[[セントオーガスティン]]より南におよそ24キロに位置する{{仮リンク|マタンサス・インレット|en|Matanzas Inlet}}に、{{仮リンク|マタンザス要塞ナショナル・モニュメント|en|Fort Matanzas National Monument|label=マタンザス要塞}}を築く。 **[[ルーテル教会]]の[[牧師]]・[[宣教師]]の{{仮リンク|ヘンリー・ミューレンバーグ|en|Henry Muhlenburg}}が[[ペンシルベニア植民地]]の信徒の求めに従いドイツから渡米、同地に赴く。これにより、彼は[[アメリカ合衆国]]におけるルーテル教会の祖となった。 === 1月-3月 === * [[1月9日]] - [[ロバート・ウォルポール]]が[[オーフォード伯爵]]位を得、[[第一大蔵卿]]と[[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]]を辞す。これによってウォルポールは[[イギリスの首相]]としての任期を終えた<ref name="Cassell's Chronology309">{{cite book|last=Williams|first=Hywel|title=Cassell's Chronology of World History|url=https://archive.org/details/cassellschronolo0000will/page/309|url-access=registration|location=London|publisher=Weidenfeld & Nicolson|year=2005|isbn=0-304-35730-8|page=[https://archive.org/details/cassellschronolo0000will/page/309 309]}}</ref>。辞職は[[1741年イギリス総選挙|前年の総選挙]]によって[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]が絶対的優位を失い、政権不安定になっていたことによるもの。また、5日後に正式に首相職を退いた時点で、ウォルポールの首相在任期間は20年と314日間であった。これは、イギリスの首相の1期としては史上最長、通算在任日数としても未だ記録を破られていない。初代ウィルミントン伯爵[[スペンサー・コンプトン (初代ウィルミントン伯)|スペンサー・コンプトン]]内閣が成立{{要出典|date=2021-03}}。<!-- ウォルポール内閣についての時系列について、翻訳元の段階で不明確なところがありました。おそらくユリウス暦とグレゴリオ暦について混乱? --> *[[1月14日]] - [[エドモンド・ハレー]]死去。これに伴い、[[ジェームズ・ブラッドリー]]が[[王室天文官]]の後任に選ばれる。 *[[ファイル:Kaiser Karl VII. - Peter Jacob Horemans.jpg|サムネイル|神聖ローマ皇帝カール7世 彼は[[1745年]]に病没し、皇帝の位を[[マリア・テレジア]]の夫、[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ・シュテファン]]に明け渡すこととなる。]][[1月24日]] - [[カール7世 (神聖ローマ皇帝)|カール7世]]が神聖ローマ帝国皇帝位を得る。 *[[1月28日]]? - {{仮リンク|庶民院 (グレートブリテン)|en|House of Commons of Great Britain|label=庶民院}}が{{仮リンク|チッペナム (イギリスの議会選挙区)|en|Chippenham (UK Parliament constituency)|label=チッペナム選挙区}}での不正操作疑惑について採決<ref>R. B. Mowat, ''A New History of Great Britain: From the accession of James I to the Congress of Vienna'' (Oxford University Press, 1922) p464</ref>。これはロバート・ウォルポールに対する[[不信任決議]]となり、彼は辞任することになる<ref>{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/6524943.stm|title=A dozen Downing Street departures|access-date=2007-07-14|work=BBC News|date=2007-05-09|archive-url=https://web.archive.org/web/20070823143353/http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/6524943.stm|archive-date=August 23, 2007<!--Added by DASHBot-->}}</ref>。 {{Seealso|ロバート・ウォルポール#退任}} *[[2月12日]] - **[[ジョン・カートレット (第2代グランヴィル伯爵)|第2代グランヴィル伯爵ジョン・カートレット]]が[[北部担当国務大臣]]に就任。以降、彼が[[カートレット内閣]]における指導的立場を担うことになる。 **神聖ローマ皇帝カール7世が、[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]で戴冠式を挙げる。戴冠はカールの弟で[[ケルン大司教]]の[[クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルン|クレメンス・アウグスト]]が行った。 *[[2月15日]] - [[オーストリア継承戦争]]、[[第一次シュレージエン戦争]]:[[ディートリヒ・フォン・アンハルト=デッサウ]]指揮下の[[プロイセン王国|プロイセン]]・[[ザクセン選帝侯領|ザクセン]]・[[フランス王国|フランス]]連合軍が、[[モラヴィア]]のイグラウ(現在の[[イフラヴァ]])を占領。フランスとザクセンはこの時点で、両国のプロイセンに対する義務が履行されたことを宣言し、フランス軍は撤退した<ref>Thomas Carlyle, ''History of Friedrich II of Prussia, called Frederick the Great'', Vol. 15 (1865, reprinted by Charles Scribner's Sons, 1903) p319</ref>{{Sfn|Carlyle|1862b|pp=538–544}}。 *[[2月16日]] - [[スペンサー・コンプトン (初代ウィルミントン伯爵)|初代ウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトン]]がイギリス首相(カートレット内閣)に就任。 *[[2月20日]](寛保2年1月16日) - 大坂で[[市川團十郎 (2代目)|2代目市川海老蔵]]、『[[雷神不動北山櫻]]』の「[[毛抜 (歌舞伎)|毛抜]]」([[歌舞伎]])を初演。旧暦7月まで大入りとなった{{Sfn|山本|2007|p=116}}。 *[[2月22日]] - [[ヘンリー・フィールディング]]がロンドンで、[[ピカレスク小説]]『[[ジョゼフ・アンドリュース]]』を匿名で発表。「初版……(ロンドン市内の)書店に届く<ref>"Appendix E: History of the Publication", by Paul A. Scanlon in ''Joseph Andrews'', by Henry Fielding (Broadview Press, 2001) p504</ref>」 *[[3月15日]] - **[[デンマーク王国|デンマーク]]がフランスとの間に和親条約(Treaty of friendship)を結ぶ。1739年にイギリスと結んだ和親条約が期限切れとなった翌日のことであった<ref>''International Military Alliances, 1648-2008'', ed. by Douglas M. Gibler (Congressional Quarterly Press, 2008) pp. 88, 105.</ref>。 **ヴェランドリエ兄弟が、フランス国王の名において[[サウスダコタ州|サウスダコタ]]の領有を宣言<ref>Doane Robinson, ''History of South Dakota'' (B. F. Bowen & Company, 1904) p53</ref>。 *[[3月29日]] - ポーランド王[[スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ]]が[[リトアニア大公]]として、リトアニアの首都[[ヴィリニュス]]在住のユダヤ人に対し、{{仮リンク|ピリエス通り|en|Pilies Street}}とガルベス通りの両公道以外の市内の居住・転居の自由を認める布告を行う<ref>"The Jewish living space in the Grand Duchy of Lithuania: tendencies and ways of its formation", by Jurgita Šiaučiūnaitė-Verbickienė, in ''Jewish Space in Central and Eastern Europe: Day-to-Day History'' (Cambridge Scholars Publishing, 2009) p24</ref>。 === 4月-6月 === [[ファイル:Messiah-titlepage.jpg|サムネイル|ヘンデルの自筆による『メサイア』のタイトル 1741年]] *[[4月13日]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]、[[オラトリオ]]『[[メサイア (ヘンデル)|メサイア]]』を[[ダブリン]]、[[聖パトリック大聖堂 (ダブリン)|聖パトリック大聖堂]]で初演。 *[[5月5日]](寛保2年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[徳川吉宗]]のもと、[[法典]]『[[公事方御定書]]』の下巻、『御定書百箇条』が成り、『公事方御定書』が一応の完成をみる。これは、司法・警察関連法規・刑法・訴訟法を編纂したもの{{Sfn|山本|2007|p=116}}。その後も改訂が進められ、[[宝暦]]4年([[1754年]])に最終的な形となった<ref name="nagoya">{{Cite web|和書|url=https://www.nul.nagoya-u.ac.jp/event/tenji/2006haru/zuroku_jigoku.pdf|title=名古屋大学附属図書館2006年春季特別展「地獄物語」の世界〜江戸時代の法と刑罰〜図録ガイド|publisher=名古屋大学附属図書館|accessdate=2021-01-07|page=9}}</ref>。 * *[[5月17日]] - オーストリア継承戦争、第一次シュレージエン戦争:[[コトゥジッツの戦い]]。ボヘミアのコトゥジッツで、フリードリヒ大王のプロイセン軍がオーストリア軍を破る。実質的にはこの戦いが大王が軍指揮官として経験した初めての戦いとなった<ref>Dennis E.Showalter『The War of Frederick the Great』 60頁。</ref>。 *[[5月24日]] - オーストリア継承戦争:[[ザハーイの戦い]]。ボヘミア南部の{{仮リンク|ザハーイ|en|Zahájí (České Budějovice District)}}で、フランス軍がオーストリア軍を破る。 *[[ファイル:Prócer Santos Atahualpa 1742.jpg|サムネイル|フアン・サントス・アタワルパの胸像 [[リマ]]]][[5月]] - [[ペルー副王領]]で{{仮リンク|フアン・サントス・アタワルパ|en|Juan Santos Atahualpa}}がアタワルパ2世を名乗り、スペインの支配に対する抵抗を開始。神父ドミンゴ・ガルシアは、この蜂起についての最初の報告書を同年6月2日に上申している<ref>''Colonial Latin America: A Documentary History'', ed. by Kenneth Mills, et al. (Rowman & Littlefield, 2002) p302</ref>{{Sfn|眞鍋|2010|p=86}}。 *[[6月7日]] - [[クリスティアン・ゴルトバハ]]が、[[レオンハルト・オイラー]]との書簡のなかで「[[ゴールドバッハの予想]]」(全ての2よりも大きな偶数は2つの素数の和として表すことができる)について初めて言及する<ref>"Goldbach's Conjectures: A Historical Perspective", by Robert C. Vaughan, in ''Open Problems in Mathematics'', ed. by John Forbes Nash, Jr. and Michael Th. Rassias. Springer, 2016) p479</ref>。 *[[6月11日]] - [[ブレスラウ条約]]。オーストリアがプロイセンに[[シレジア]]を割譲。 *[[6月20日]] - [[イズミル]]が火事で破壊<ref>"Fires, Great", in ''The Insurance Cyclopeadia: Being an Historical Treasury of Events and Circumstances Connected with the Origin and Progress of Insurance'', Cornelius Walford, ed. (C. and E. Layton, 1876) p50</ref>。 === 7月-9月 === *[[7月10日]] - ジェンキンスの耳の戦争:[[ブラッディ・マーシュの戦い]]。[[ジョージア植民地]]で、イギリス軍が{{仮リンク|マヌエル・デ・モンティアノ|en|Manuel de Montiano}}率いるスペイン軍を撃退。 *[[7月14日]] - [[ウィリアム・パルトニー (初代バース伯爵)|ウィリアム・パルトニー]]が初代バース伯爵に叙勲。 *[[8月17日]] - **フランス兵10名を伴った[[フランス領ルイジアナ|フレンチ領ルイジアナ]]の[[チョクトー|チョクトー族]]が{{仮リンク|トンビグビ川|en|Tombigbee river}}を渡り、[[ジョージア植民地]]にある[[チカソー|チカソー族]]の集落を略奪する<ref>Edward J. Cashin, ''Guardians of the Valley: Chickasaws in Colonial South Carolina and Georgia'' (University of South Carolina Press, 2009) p57</ref>。以後3日の間に、チョクトー側は50名、チカソー側は25名の犠牲を出した。この襲撃を許可したフランス領ルイジアナ総督{{仮リンク|1=ジャン=バティスト・ル・モワイヤン・ド・ビエンヴィユ|2=en|3=Jean-Baptiste Le Moyne de Bienville}}は、後日パリに召喚された。 **アイルランドの詩人で作家の[[ジョナサン・スウィフト]]が、「不安定な精神と記憶力」([[痴呆]])とする勧告を裁判所から受ける。スウィフトは3年後の1745年に亡くなるまで、監禁状態での自宅療養を余儀なくされた<ref>"Swift, Jonathan", by Donald C. Mell, in ''Macmillan Dictionary of Irish Literature'', ed. by Robert Hogan (Macmillan, 2016) p652</ref>。 *[[8月19日]] - **[[代将]]{{仮リンク|ウィリアム・マーティン (イギリス海軍)|en|William Martin (Royal Navy officer)|label=ウィリアム・マーティン}}が[[戦列艦]]3隻<!-- 原文:three warships -->、[[フリゲート]]2隻、[[臼砲艦]]4隻を率いてナポリに入港、[[ナポリ王国|ナポリ王]][[カルロス3世 (スペイン王)|カルロ7世]](のちのスペイン王カルロス3世)に、30分以内にスペイン軍の編成からナポリの兵を除くことを迫るメッセージを送る。ドン・カルロスはこの案を受け入れた。これによって、スペインがイタリアを足がかりとするという、イギリスにとっての脅威を打ち消すことになった<ref>I. S. Leadam, ''The Political History of England: The history of England from the accession of Anne to the death of George II, 1702-1760'' (Longmans, Green and Co., 1909) p372</ref>。 **[[ファイル:Mahomet (Voltaire) A43.jpg|サムネイル|『狂信、あるいは預言者マホメットについて』 1743年版]]パリで[[ヴォルテール]]の[[演劇]]『{{仮リンク|狂信、あるいは預言者マホメットについて|en|Mahomet (play)}}』初演。劇場はフランスの貴族で満席となった<ref>S. G. Tallentyre, ''The Life of Voltaire'', Volume 1 (G. P. Putnam's Sons, 1910) p141.</ref>。 *[[8月20日]] - [[ロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年)|ハット党戦争]]:ヘルシングフォシュ(現在の[[ヘルシンキ]])でスウェーデン軍の兵17,000人が[[ロシア帝国]]に投降、これによって戦争が事実上終結<ref>"Russo-Swedish War of 1741–43", in ''Dictionary of Wars'', by George Childs Kohn (Routledge, 2013) p420</ref>。 *[[8月27日]] - 提督[[ジョージ・アンソン (初代アンソン男爵)|ジョージ・アンソン]]の[[センチュリオン (戦列艦・2代)|戦列艦センチュリオン]]が、船内で病気が蔓延しながらも[[テニアン島]](現[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の自治領)にたどり着く。これによって、アンソン一行は世界周航を続行できた<ref>"Anson, George", by Keith A. Parker, in ''Historical Dictionary of the British Empire'', ed. by James S. Olson and Robert Shadle (Greenwood Publishing, 1996) p68</ref>。 *[[8月30日]] - [[ライプツィヒ]]近郊のクラインチョハー村で、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の[[世俗カンタータ]]『[[わしらの新しいご領主に]]』(通称『農民カンタータ』)が初演される。 *8月 - イギリス、[[ハートフォードシャー]]で{{仮リンク|ロイストン洞窟|en|Royston Cave}}が再発見。<!-- 加筆 --> *[[7月 (旧暦)|旧暦7月]]下旬 - 日本、[[信濃国|信濃]]で[[戌の満水]]([[千曲川]]の洪水)。[[松代藩|松代]]・[[上田市|上田]]・[[小諸藩|小諸]]に被害{{Sfn|山本|2007|p=116}}。 *[[旧暦8月]]上旬 - 日本、[[寛保二年江戸洪水]](暴風雨による関東地方大水害)<ref>知野泰明「近世の災害2」/ 北原糸子編著『日本災害史』吉川弘文館 2006年 178ページ</ref>。溺死者3,800人とも{{Sfn|山本|2007|p=116}}。 *{{Seealso|ヴィトゥス・ベーリング#2度目の探検}} *[[9月5日]] - {{仮リンク|大北方探検|en|Great Northern Expedition}}の生存者46人が[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー]]に帰還。[[ベーリング海峡]]で座礁してから10ヶ月後のことであった。彼らは同年8月21日に聖ピョートル号の残骸から新しく船を完成させていた<ref>Edward Heawood, "A History of Geographical Discovery in the Seventeenth and Eighteenth Centuries" (Cambridge University Press, CUP Archive, 1912) p267</ref>。<!-- 帰還の経緯について要検証 --> *[[9月16日]] - ロンドンで{{仮リンク|捨子養育院|en|Foundling Hospital}}が着工<ref>''An Account of the Foundling Hospital in London, for the Maintenance and Education of Exposed and Deserted Young Children'' (Foundling Hospital, 1826) p20</ref><!-- 以下、翻訳段階で加筆 -->。設計は{{仮リンク|セオドア・ジェイコブセン|en|Theodore Jacobsen}}。西棟は[[1745年]]に、東棟は[[1752年]]に完成。 === 10月-12月 === * [[10月5日]] - **{{仮リンク|ペドロ・セブリアン・イ・アウグスティン (第5代フエンクララ伯爵)|en|Pedro Cebrián, 5th Count of Fuenclara|label=第5代フエンクララ伯爵ペドロ・セブリアン・イ・アウグスティン}}が[[ベラクルス]]に到着、[[ヌエバ・エスパーニャ副王の一覧|ヌエバ・エスパーニャ副王]]に就任する<ref>Lorenzo Boturini Benaduci, ''Idea of a New General History of North America: An Account of Colonial Native Mexico'' (University of Oklahoma Press, 2015) p6</ref>。 **[[ペンシルベニア植民地]]総督の[[ジョージ・トマス (初代準男爵)|ジョージ・トマス]]が、[[ランカスター郡 (ペンシルベニア州)|ランカスター郡]]、ならびにブルーマウンテン以西に定住することを禁止<ref>Lois Mulkearn, ed., ''George Mercer Papers: Relating to the Ohio Company of Virginia'' (University of Pittsburgh Press, 1954) p657</ref>。 *[[旧暦9月]] - 幕府が、江戸市中で富士山の[[加持祈祷|加持水]]を薬の代替として病人に服用させることを取り締まる{{Sfn|遠藤|2017|p=203}}。 *[[11月13日]] - {{仮リンク|デンマーク王立科学文学アカデミー|en|Royal Danish Academy of Sciences and Letters}}創立。 *[[11月18日]] - カール・ペーター・ウルリヒ(のちにロシア皇帝[[ピョートル3世 (ロシア皇帝)|ピョートル3世]])が[[正教会|東方正教]]に改宗し、ピョートル・フョードロヴィチを名乗る<ref name="EB1911">{{Cite EB1911|wstitle=Peter III.}}</ref>。 *<!-- 『ペンシルヴァニア・ジャーナル』([[:en:Pennsylvania Journal]])創刊 --> == 誕生 == {{see also|Category:1742年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> *[[3月14日]] - [[アーガー・モハンマド・シャー]]、[[ガージャール朝]]初代[[シャー]](+ [[1797年]]) *[[3月28日]] - [[ヨハン・ダビット・ウィース]]、[[児童文学]]作家(+ [[1818年]]) * [[4月14日]] - [[ピウス7世 (ローマ教皇)|ピウス7世]]、第251代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1823年]]) * [[4月24日]] - [[ロマン・ホフシュテッター]]、[[作曲家]](+ [[1815年]]) *[[5月8日]] - [[ヤン・クシチテル・クルンプホルツ]]、[[作曲家]]・[[ハープ]]奏者(+[[1790年]]) * [[5月23日]]([[寛保]]2年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]) - [[伊達重村]]、第7代[[仙台藩|仙台藩主]](+ [[1796年]]) * [[6月16日]] - [[アーサー・ミドルトン]]、[[アメリカ独立宣言]]署名者(+ [[1787年]]) * [[6月28日]] - [[ウィリアム・フーパー]]、アメリカ独立宣言署名者(+ [[1790年]]) *[[7月14日]] - [[ジェイムズ・ウィルソン (独立宣言署名者)|ジェイムズ・ウィルソン]]、アメリカ独立宣言署名者・[[アメリカ合衆国連邦最高裁判所陪席判事]](+ [[1798年]]) * [[8月7日]] - [[ナサニエル・グリーン (軍人)|ナサニエル・グリーン]]、[[アメリカ独立戦争]]における[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]の少将(+ [[1786年]]) * [[9月14日]] - [[ジェイムズ・ウィルソン (独立宣言署名者)|ジェイムズ・ウィルソン]]、アメリカ独立宣言署名者(+ [[1798年]]) * [[9月19日]] - [[ロシャンブロワーズ・キュキュロン・シカール]]、[[ろう教育|ろう教育者]](+ [[1822年]]) * [[12月8日]] - [[ジャン=マテュー・フィリベール・セリュリエ]]、[[フランス帝国]][[元帥]](+ [[1819年]]) * [[12月9日]] - [[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]]、[[化学者]](+ [[1786年]]) * [[12月16日]] - [[ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル]]、[[プロイセン王国|プロイセン陸軍]]の元帥(+ [[1819年]]) *月日不明 - 飯田義山<ref>{{Cite web|和書|title=飯田義山とは|url=https://kotobank.jp/word/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%BE%A9%E5%B1%B1-1051948|website=コトバンク|accessdate=2021-12-27|language=ja|first=デジタル版|last=日本人名大辞典+Plus}}</ref>、書家・[[スーパーセンテナリアン]](+ [[1859年]]) == 死去 == {{see also|Category:1742年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月25日]] - [[エドモンド・ハレー]]、[[天文学者]]、[[数学者]]、[[物理学者]](* [[1656年]]) *[[7月12日]] - [[エヴァリスト・ダッラーバコ]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](* [[1675年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|25em}} == 参考文献 == * {{Cite book2|language=en|title=History of Friedrich II of Prussia, Called Frederick the Great|first=Thomas|last=Carlyle|author-link=トーマス・カーライル|year=1862b|volume=III|chapter=Book XIII – First Silesian War, Leaving the General European One Ablaze All Round, Gets Ended – May 1741 – July 1742|publisher={{仮リンク|チャップマン・アンド・ホール|en|Chapman & Hall|label=Chapman & Hall}}|location=London|chapter-url=https://books.google.com/books?id=Y-VTAAAAcAAJ&pg=PA399|oclc=1045538020}} * {{Cite journal|和書|author=岩佐愛|date=2010-03-20|title=捨子養育院における芸術と慈善 : ヘンデルの〈メサイア〉慈善演奏会の背景|url=https://hdl.handle.net/11149/876|journal=武蔵大学人文学会雑誌|volume=41|issue=3・4|pages=608-574|naid=120005662247|ref=harv}} * {{Cite journal|和書|author=梶山雄一|authorlink=梶山雄一|year=1984|title=資料紹介(1) : 外国図書 (大型コレクション)について デルゲ版チベット大蔵経|url=https://hdl.handle.net/2433/36923|journal=静脩|volume=20|issue=2|pages=2-4|ref={{SfnRef|梶山|1984}}}} * {{Cite book|和書 |author=遠藤元男|authorlink=遠藤元男 |title=江戸時代年鑑 |publisher=[[雄山閣]] |year=2017 |series=雄山閣アーカイブス 資料篇 |NCID=BB23634815 |ISBN=9784639024828 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028106603-00 |ref={{SfnRef|遠藤|2017}}}} * {{Cite journal|和書|author=眞鍋周三|year=2010|title=18世紀ペルーにおける フアン・サントス・アタワルパの反乱の社会経済的背景|url=https://www.kufs.ac.jp/ielak/pdf/kiyou10_05.pdf |format=PDF|journal=[https://www.kufs.ac.jp/ielak/publications.html 京都ラテンアメリカ研究所「紀要」]|volume=10|pages=85-126|ref={{SfnRef|眞鍋|2010}}}} * {{Cite book|和書|title=見る、読む、調べる 江戸時代年表|publisher=[[小学館]]|date=2007-10-10|editor=山本博文|editor-link=山本博文|isbn=978-4-09-626606-9|ref={{SfnRef|山本|2007}}}} == 関連項目 == {{Commonscat|1742}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1742ねん}} [[Category:1742年|*]]
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7月30日
7月30日(しちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から211日目(閏年では212日目)にあたり、年末まであと154日ある。
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7月30日(しちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から211日目(閏年では212日目)にあたり、年末まであと154日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月30日'''(しちがつさんじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から211日目([[閏年]]では212日目)にあたり、年末まであと154日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[アッバース朝]]の新都[[バグダード]]建設(762)。左画像は[[ミナレット]](10世紀初頭)、右画像は現在のバグダード | image1 = Baghdad_old_Abbasid_Minaret.jpg | width1 = 60 | alt1 = 最古のミナレット | image2 = Baghdad Red zone.jpg | width2 = 120 | alt2 = 現在のバグダード }} {{multiple image | footer = | image1 = Ротари - Портрет архитектора Бартоломео Растрелли.jpg | width1 = 70 | caption1 = [[バルトロメオ・ラストレッリ]] | image2 = Tsarsko%C3%AFe_Selo.png | width2 = 110 | caption2 = [[エカテリーナ宮殿]]。[[バルトロメオ・ラストレッリ]]によって改築される(1756) }} {{multiple image | caption1 =[[マルデン島]]発見(1825) | image1 = NASA-MaldenIsland.jpg | width1 = 90 | alt1 = マルデン島 | caption2 = [[南北戦争]][[クレーターの戦い]](1864) | image2 = Battle_of_the_Crater.png | width2 = 90 | alt2 = クレーターの戦い }} {{multiple image | caption1 = [[ブラック・トム大爆発]](1916) | image1 = Black_Tom_pier.jpg|thumb | width1 = 110 | alt1 = ブラック・トム大爆発 | caption2 = [[日ソ国境紛争]][[張鼓峰事件]](1938) | image2 = Khasan_Memorial.jpg | width2 = 70 | alt2 = 張鼓峰事件 }} {{multiple image | footer = [[日本への原子爆弾投下|原爆輸送]]を終えた米重巡[[インディアナポリス (重巡洋艦)|インディアナポリス]]を[[伊号第五八潜水艦]]が撃沈(1945)。右画像はグアムに運ばれた生存者 | image1 = USS Indianapolis (CA-35) at Pearl Harbor, circa in 1937 (NH 53230).jpg | width1 = 100 | alt1 = インディアナポリス | image2 = USS_Indianapolis-survivors_on_Guam.jpg | width2 = 80 | alt2 = 生存者 }} {{multiple image | footer = 米国で[[メディケア (アメリカ合衆国)|メディケア]]と[[メディケイド]]創設(1965)。左画像は法案に署名する[[リンドン・ジョンソン]]大統領 | image1 = Lyndon_Johnson_signing_Medicare_bill%2C_with_Harry_Truman%2C_30_July%2C_1965.jpg | width1 = 95 | alt1 = 署名するジョンソン大統領 | image2 = Medicare.jpg | width2 = 85 | alt2 = メディケアのカード }} {{multiple image | footer = [[アポロ15号]]で、[[月面車]]が初めて使われる(1971) | image1 = Apollo_15_flag%2C_rover%2C_LM%2C_Irwin.jpg | width1 = 70 | alt1 = 月面に着陸したアポロ15号 | image2 = Apollo15LunarRover.jpg | width2 = 110 | alt2 = 月面車 }} {{multiple image | footer = [[沖縄県]]の自動車が[[730 (交通)|左側通行に復帰]](1978)。画像は1955年と2008年の[[コザ十字路]] | image1 = Koza_Crossroads_in_1950s.JPG | width1 = 100 | alt1 = 1955年頃。右側通行 | image2 = Koza_Crossroads.jpg | width2 = 80 | alt2 = 2008年。左側通行 }} {{multiple image | caption1 =[[フォルクスワーゲン・タイプ1|旧式VW・ビートル]]最後の出荷(2003) | image1 = Volkswagen_Bubbla_sista_bilen.jpg | width1 = 90 | alt1 = 旧式フォルクスワーゲン・ビートル | caption2 = [[カナ空爆 2006|カナ空爆]](2006) | image2 = Qana.jpg | width2 = 90 | alt2 = カナ空爆 }} * [[762年]] - [[アッバース朝]]の新都として[[アッバース朝]]のカリフ[[マンスール]][[バグダード|バグダッド]]の街が建設される。 * [[1419年]] - [[プラハ窓外放出事件#第一次プラハ窓外放出事件|第一次プラハ窓外投擲事件]]。[[フス戦争]]の契機となる。 * [[1570年]]([[元亀]]元年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[姉川の戦い]]。[[織田信長]]・[[徳川家康]]連合軍が[[浅井長政]]・[[朝倉義景]]連合軍を破る。 * [[1609年]] - [[タイコンデロガ]](現在の[[ニューヨーク州]])で[[サミュエル・ド・シャンプラン]]が原住民の[[イロコイ連邦|イロコイ族]]と戦闘。その後のフランスのケベック植民地の基礎を作る<ref>{{Cite web |url=https://exploration.marinersmuseum.org/subject/samuel-de-champlain/defeatofiroquoisbychamplain/ |title=Defeat of Iroquois By Champlain |accessdate=30 Jul 2023 |publisher=The Mariners' Museum & Park}}</ref>。 * [[1629年]] - [[イタリア]]・[[ナポリ]]で[[地震]]。1万人が死亡。 * [[1733年]] - ヘンリー・プライスが[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のマサチューセッツで、[[フリーメイソン]]のグランドロッジを組織した。これは、イングランド、アイルランドに続く世界で3番目に古いものである。 * [[1756年]] - ロシア皇帝[[エリザヴェータ (ロシア皇帝)|エリザヴェータ]]の命により[[バルトロメオ・ラストレッリ]]が建築した現在の[[エカテリーナ宮殿]]が完成。 * [[1811年]] - [[メキシコ独立革命|メキシコ独立運動]]の指導者[[ミゲル・イダルゴ]]がスペインの植民地政府により処刑。 * [[1825年]] - [[ライン諸島]]の[[マルデン島]]が英国海軍軍艦HMS Blondeの指揮官ジョージ・バイロン7世によって発見される。 * [[1837年]]([[天保]]8年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[モリソン号事件]]。日本人漂流民を乗せて浦賀に来航したアメリカの商船「モリソン号」に[[浦賀奉行]]が砲撃。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[クレーターの戦い]]。 * [[1907年]] - [[日露協約#第一次日露協約|第一次日露協約]]調印。 * [[1912年]] - [[明治天皇]]が[[崩御]]し、[[大正天皇]]が[[践祚]]。同日、[[元号]]を[[明治]]から[[大正]]に改元。 * [[1916年]] - 米[[ニュージャージー州]][[ジャージーシティ]]で[[ブラック・トム大爆発]]が起こる。 * [[1930年]] - [[ウルグアイ]]・[[モンテビデオ]]で[[1930 FIFAワールドカップ|第1回サッカー・ワールドカップ]]の決勝が行われ、[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]が優勝。 * [[1932年]] - [[1932年ロサンゼルスオリンピック|第10回夏季オリンピック・ロサンゼルス大会]]開幕。[[8月14日]]まで。 * 1932年 - 世界初の三色式[[テクニカラー]]によるカラー映画で、第1回[[アカデミー短編アニメ賞]]を受賞した、[[ウォルト・ディズニー]]の短編アニメーション『[[花と木]]』が公開。 * [[1933年]] - 日本で最初のグライダー滑空場となる霧ヶ峰グライダー滑空場が開場<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinshu-style.com/suwako-region/city-suwa/nn720/ |title=霧ヶ峰グライダー滑空場 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=プレスマンユニオン |website=信州Style}}</ref>。 * [[1935年]] - [[イギリス]]で、[[ペーパーバック|紙装本]]の[[ペンギン・グループ|ペンギン・ブックス]]シリーズ ([[:en:Penguin Books]]) の刊行開始。世界的なペーパーバックブームのきっかけとなる。 * [[1938年]] - [[日ソ国境紛争]]: [[張鼓峰事件]]が発生。第19師団が独断でソ連軍を攻撃するがソ連軍の反撃を受けて多大の損害を出した。8月11日の停戦協定の調印により事件は落着。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: 日本の[[伊号第五八潜水艦]]が、アメリカの巡洋艦[[インディアナポリス (重巡洋艦)|インディアナポリス]]を撃沈。インディアナポリスは長崎へ投下予定の[[日本への原子爆弾投下#原子爆弾の輸送とインディアナポリス撃沈事件|原爆部品の輸送]]後、単独でレイテ島へ向けて航海中だった。 * [[1953年]] - [[力道山]]が[[日本プロレス]]の設立を発表するセレモニーを開催。 * [[1954年]] - [[エルヴィス・プレスリー]]が初めてプロとして演奏した。 * [[1961年]] - [[東宝]]の怪獣映画『[[モスラ]]』が公開。 * [[1965年]] - アメリカの[[医療保険]]制度[[メディケア (アメリカ合衆国)|メディケア]]と[[メディケイド]]が創設。 * [[1966年]] - [[ウェンブリー・スタジアム (1923)|ウェンブリー・スタジアム]]で、開催国[[サッカーイングランド代表|イングランド]]が[[サッカードイツ代表|ドイツ]]を破り[[1966 FIFAワールドカップ|サッカー・ワールドカップ]]優勝。 * [[1969年]] - [[ベトナム戦争]]: [[リチャード・ニクソン]]米大統領が[[南ベトナム]]を突然訪問し、[[グエン・バン・チュー]]大統領と会談。 * [[1971年]] - [[岩手県]][[雫石町]]上空で[[全日本空輸|全日空]]機と[[自衛隊]]機が空中衝突。162人が死亡。([[全日空機雫石衝突事故]]) * 1971年 - アメリカの有人月宇宙船「[[アポロ15号]]」が月面着陸。初めて[[月面車]]が使われる。 * [[1974年]] - [[ウォーターゲート事件]]: [[リチャード・ニクソン]]米大統領が、[[合衆国最高裁判所|最高裁判所]]で命じられていたホワイトハウスの録音テープを公表。 * [[1975年]] - 全米トラック運転組合元委員長[[ジミー・ホッファ]]が失踪。マフィアに暗殺されたものとみられる。 * [[1976年]] - [[日本共産党]]が[[自由と民主主義の宣言]]を採択。 * [[1978年]] - [[730 (交通)|730]]。[[沖縄県]]で[[自動車]]が右側通行から日本本土と同じ[[左側通行]]に変更。 * [[1980年]] - [[バヌアツ]]が[[イギリス]]・[[フランス]]両国の共同統治より独立。 * [[1982年]] - [[第二次臨時行政調査会]]が[[日本国有鉄道|国鉄]]・[[日本電信電話公社|電電]]・[[日本専売公社|専売]]の[[三公社五現業|三公社]]の分割[[民営化]]などの「増税なき財政再建」を答申<ref>{{Cite web|和書|url=https://media.rakuten-sec.net/articles/-/15431 |title=国鉄、電電公社、専売公社の民営化を政府に答申【1982(昭和57)年7月30日】 |publisher=トウシル [[楽天証券]] |accessdate=30 Jul 2023 |date=30 Jul 2022}}</ref>。 * [[1987年]] - [[赤道ギニア]]で[[テオドロ・オビアン・ンゲマ]]が[[赤道ギニア民主党]]を結成。 * [[1988年]] - [[北陸自動車道]]の[[新潟県]]-[[富山県]]県境区間([[朝日インターチェンジ|朝日IC]] - [[名立谷浜インターチェンジ|名立谷浜IC]])が開通し全線開通。 * [[1990年]] - [[ゼネラルモーターズ]]により最初の[[サターン (自動車)|サターン]]が完成<ref>{{Cite web |url=https://www.motortrend.com/news/this-day-in-history-henry-ford-is-born-saturn-brand-debuts-chrysler-buys-dodge-240193/ |title=This Day in History: Henry Ford is Born, Saturn Brand Debuts, Chrysler Buys Dodge |publisher=MOTOR TREND GROUP, LLC. |date=30 Jul 2012 |accessdate=30 jul 2023 |website=MotorTrend}}</ref>。 * [[1991年]] - [[ルチアーノ・パヴァロッティ]]が[[ロンドン]]の[[ハイド・パーク]]でデビュー30周年を記念し無料のオペラコンサートを開催。10万人を動員した<ref>{{Cite web |url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/july/30/newsid_2491000/2491731.stm |title=1991: Pavarotti sings in the British rain |publisher=[[BBC]] |accessdate=30 Jul 2023 |date=30 Jul 1991}}</ref>。 * [[1992年]] - [[トランス・ワールド航空843便大破事故]]。 * [[1995年]] - [[八王子スーパー強盗殺人事件]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ6Z71WLQ6XUTIL015.html |title=未解決の八王子スーパー射殺事件、警察庁が特別報奨金の期限を延長 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=1 Jul 2022}}</ref>。 * [[1996年]] - 将棋の[[羽生善治]]七冠が[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]で敗れ、七冠独占が167日で途絶える。 * [[1997年]] - [[オーストラリア]]・スレドボで[[地滑り]] ([[:en:1997 Thredbo landslide]]) 発生。18人死亡。 * [[1998年]] - [[小渕内閣|小渕恵三内閣]]発足<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/084.html |title=第84代 小渕恵三 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=内閣官房内閣広報室 |website=首相官邸ホームぺージ}}</ref>。 * [[2002年]] - アメリカで[[上場企業会計改革および投資家保護法]](サーベンス・オクスリー法)が成立。 * [[2003年]] - 最後の[[フォルクスワーゲン・タイプ1|「旧式」フォルクスワーゲン・ビートル]]が[[メキシコ]]で出荷される。生産数2152万9464台は世界記録。 * [[2004年]] - [[参議院議員]]・[[扇千景]]が女性初の[[参議院議長]]に就任。 * 2004年 - [[ベルギー]]の工具メーカーの敷地内で、ガスパイプラインから漏れたガスが爆発。死者16名、重傷約50名、軽傷約70名が発生した<ref>{{Citation|和書|author=加藤勝美,尾和香吏,和田有司 |date=2006 |url=https://doi.org/10.18943/safety.45.2_125 |title=爆発事故ニュースNo.34 |chapter=〈ベルギーのパイプラインで爆発〉|journal=安全工学 |ISSN=0570-4480 |publisher=安全工学会 |volume=45 |issue=2 |page=3(127) |doi=10.18943/safety.45.2_125 |CRID=1390001206244373376 |access-date=2023-10-13}}</ref>。 * [[2006年]] - 42年間続いた[[英国放送協会|BBC]]の音楽番組「[[トップ・オブ・ザ・ポップス]]」が最終回を迎える。 * 2006年 - [[レバノン侵攻 (2006年)|レバノン侵攻]]: [[イスラエル]]によって[[カナ空爆 2006|カナ空爆]]が行われる。 * [[2008年]] - [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]は、無人探査機[[カッシーニ]]での観測の結果、土星の衛星[[タイタン (衛星)|タイタン]]に地球以外で初の液体が存在することが確認されたと発表。 * [[2011年]] - 米[[ワシントン州]][[キトサップ郡]][[ベインブリッジアイランド (ワシントン州)|ベインブリッジアイランド]]において、『[[ベインブリッジ島日系アメリカ人排除記念碑]]』が開場される<ref>{{Cite web |url=https://www.nps.gov/thingstodo/bainbridge-island-japanese-american-exclusion-memorial.htm |title=Bainbridge Island Japanese American Exclusion Memorial |access-date=30 Jul 2023 |publisher=National Park Service U.S. Department of the Interior}}</ref>。 * [[2020年]] - [[郡山飲食店ガス爆発事故]]が発生し、1人死亡、19人負傷<ref>{{Cite web|和書|title=飲食店ガス爆発か、1人死亡 19人けが、改装工事中 福島・郡山 |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14569370.html?iref=ogimage_rek |date=31 Jul 2020 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]]}}</ref>。 * [[2021年]] - [[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]、フェンシング男子エペ団体で日本が優勝。日本フェンシング史上初の金メダルを獲得した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.joc.or.jp/games/olympic/tokyo/news/detail.html?id=13807 |title=フェンシング男子が金メダル エペ団体、日本勢で初 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=公益財団法人日本オリンピック委員会 |date=30 Jul 2021}}</ref>。 == 誕生日 == {{multiple image | footer = [[マニエリスム]]の画家・建築家[[ジョルジョ・ヴァザーリ]](1511-1574)誕生。左側は自画像、右は『ウラヌスの去勢』(1560頃) | image1 = Giorgio_Vasari_Selbstportr%C3%A4t.jpg | width1 = 40 | alt1 = ジョルジョ・ヴァザーリ | image2 = The_Mutiliation_of_Uranus_by_Saturn.jpg | width2 = 140 | alt2 = 『ウラヌスの去勢』 }} {{multiple image | image1 = Emily Brontë cropped.jpg | width1 = 90 | caption1 = 作家[[エミリー・ブロンテ]](1818-1848)誕生 | image2 = Tachihara_Michizo_at_Ginza.jpg | width2 = 90 | caption2 = 詩人、[[立原道造]](1914-1939)誕生 }} [[Image:Veblen3a.jpg|thumb|236x236px|経済学者・社会学者、[[ソースティン・ヴェブレン]](1857-1929)]] {{multiple image | footer = [[フォード・モーター]]創設者、[[ヘンリー・フォード]](1863-1947)誕生。右画像はヘンリーの時代の代表的製品、[[フォード・モデルT|T型フォード]] | image1 = Henry_Ford_1888.jpg | width1 = 70 | alt1 = ヘンリー・フォード | image2 = 1910Ford-T.jpg | width2 = 100 | alt2 = T型フォード }} {{multiple image | footer = 彫刻家[[ヘンリー・ムーア]](1898-1986)誕生。右画像は『横たわる像』(1951) | image1 = Henry_Moore_by_Wolleh-%28detail_1%29.jpg | width1 = 70 | alt1 = ヘンリー・ムーア | image2 = HenryMoore_RecliningFigure_1951.jpg | width2 = 110 | alt2 = 『横たわる像』 }} [[Image:Arnold_Schwarzenegger_2003.jpg|thumb|150x150px|俳優・政治家、[[アーノルド・シュワルツェネッガー]](1947-)]] * [[1511年]] - [[ジョルジョ・ヴァザーリ]]、[[画家]]、[[建築家]](+ [[1574年]]) * [[1698年]]([[元禄]]11年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[立花貞俶]]、第5代[[柳河藩|柳河藩主]](+ [[1744年]]) * [[1737年]]([[元文]]2年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[相良頼央]]、第8代[[人吉藩|人吉藩主]](+ [[1759年]]) * [[1747年]]([[延享]]4年6月23日) - [[松平頼起]]、第7代[[高松藩|高松藩主]](+ [[1792年]]) * [[1786年]] - [[ゲオルク・アンドレアス・ガプラー]]、[[哲学者]](+ [[1853年]]) * [[1797年]]([[寛政]]9年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[堀直央 (村松藩主)|堀直央]]、第9代[[村松藩|村松藩主]](+ [[1861年]]) * [[1818年]] - [[エミリー・ブロンテ]]、[[小説家]](+ [[1848年]]) * [[1828年]]([[文政]]11年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[大浦慶]]、女性貿易商(+ [[1884年]]) * [[1838年]]([[天保]]9年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[村田経芳]]、[[陸軍軍人]]、[[村田銃]]の開発者(+ [[1921年]]) * [[1844年]]([[弘化]]元年[[6月16日]]) - [[林研海]]、医学者(+[[1882年]]) * [[1846年]]([[弘化]]3年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[松平信書]]、第8代[[小島藩|小島藩主]](+ [[1864年]]) * [[1857年]]([[安政]]4年6月10日) - [[牧野貞寧]]、第9代[[笠間藩|笠間藩主]](+ [[1916年]]) * 1857年 - [[ソースティン・ヴェブレン]]、[[社会学者]]、[[経済学者]](+ [[1929年]]) * [[1863年]] - [[ヘンリー・フォード]]、[[フォード・モーター|フォード社]]設立者(+ [[1947年]]) * [[1868年]] - [[アルフレッド・ヴェーバー]]、社会学者、経済学者(+ [[1958年]]) * [[1876年]] - [[中村天風]]、[[ヨーガ]]行者(+ [[1968年]]) * 1876年 - [[三島霜川]]、[[作家]](+ [[1934年]]) * [[1890年]] - [[ケーシー・ステンゲル]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1975年]]) * [[1897年]] - [[中河幹子]]、[[歌人]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1980年]]) * [[1898年]] - [[ヘンリー・ムーア]]、[[彫刻家]](+ [[1986年]]) * [[1899年]] - [[木内信胤]]、[[経済評論家]](+ [[1993年]]) * 1899年 - [[ジェラルド・ムーア]]、[[ピアニスト]](+ [[1987年]]) * [[1913年]] - [[新美南吉]]、[[児童文学]]作家 (+ [[1943年]]) * [[1914年]] - [[加藤省吾]]、作詞家(+[[2000年]]) * 1914年 - [[立原道造]]、[[詩人]](+ [[1939年]]) * 1914年 - [[マイケル・モリス (第3代キラニン男爵)|マイケル・モリス]]、第3代[[キラニン男爵]]、[[国際オリンピック委員会|IOC]]第6代会長(+ [[1999年]]) * [[1920年]] - [[ヴァルター・シュック]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+[[2015年]]) * [[1921年]] - [[塩澤護]]、実業家、第8代[[養命酒製造]]社長(+[[2009年]]) * [[1924年]] - [[田名網英二]]、元プロ野球選手(+ [[1988年]]) * 1924年 - [[石川尚任]]、元プロ野球選手 * [[1928年]] - [[荒井注]]、[[タレント]](元[[ザ・ドリフターズ]])(+ [[2000年]]) * [[1930年]] - [[井上慎一 (野球)|井上慎一]]、元プロ野球選手 * [[1934年]] - [[西村公佑]]、[[競輪選手]] * 1934年 - [[バド・セリグ]]、[[MLBコミッショナー|コミッショナー]] * [[1935年]] - [[市川治彦]]、元プロ野球選手 * 1935年 - [[玉置勝彦]]、ヴィオラ奏者、指揮者(+[[2014年]]) * [[1936年]] - [[バディ・ガイ]]、[[ギタリスト]]、[[歌手]] * [[1937年]] - [[森一夫]]、[[理科教育]]学者、[[教育評論家]] * 1937年 - [[ミヒャエル・フォン・ビール]]、[[作曲家]]、[[チェリスト]]、グラフィックアーティスト * 1938年 - [[千田隼生]]、俳優(+[[2020年]]) * [[1940年]] - [[斎藤晴彦]]、[[俳優]](+ [[2014年]]) * [[1941年]] - [[ポール・アンカ]]、歌手、[[作曲家]] * [[1943年]] - [[清水透 (歴史学者)|清水透]]、歴史学者、[[慶應義塾大学]]名誉教授 * [[1944年]] - [[芝本正]]、俳優、[[演出家]](+ [[2018年]]) * [[1945年]] - [[デイヴィッド・サンボーン]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1946年]] - [[ヤン・ネーデルフェーン・ピーテルス]]、[[社会学者]] * [[1947年]] - [[アーノルド・シュワルツェネッガー]]、俳優、元[[カリフォルニア州]]知事 * 1947年 - [[西岸良平]]、[[漫画家]] * 1947年 - [[外山義明]]、元プロ野球選手(+ [[1991年]]) * 1947年 - [[古賀一成]]、[[衆議院議員]] * 1947年 - [[フランソワーズ・バレ=シヌシ]]、[[ウイルス]]学者 * [[1948年]] - [[ジャン・レノ]]、俳優 * 1948年 - [[山口富夫]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[斎藤芳明]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[甲賀真理子]]、[[ファッションデザイナー]] * [[1950年]] - [[フランク・スタローン]]、俳優、歌手 * [[1953年]] - [[平沢隆好]]、元プロ野球選手 * [[1955年]] - [[澤田純]]、実業家 * 1955年 - [[土屋和之]]、録音技師 * 1955年 - [[小長井義正]]、政治家 * [[1957年]] - [[戸部けいこ]]、漫画家(+ [[2010年]]) * 1957年 - [[堀内賢雄]]、[[声優]] * 1957年 - [[クリント・ハードル]]、元プロ野球選手、監督 * [[1958年]] - [[ケイト・ブッシュ]]、ミュージシャン * 1958年 - [[デイリー・トンプソン]]、陸上選手 * 1958年 - [[日垣隆]]、[[ジャーナリスト]]、[[ノンフィクション]]ライター * 1958年 - [[大八木弘明]]、元陸上選手、[[駒澤大学#陸上競技部|駒澤大学陸上競技部]][[監督]] * [[1960年]] - [[石田登星]]、俳優 * [[1961年]] - [[ローレンス・フィッシュバーン]]、俳優 * [[1962年]] - [[両国梶之助]]、元大相撲[[力士]]、年寄13代[[境川 (相撲)|境川]] * [[1963年]] - [[リサ・クドロー]]、[[俳優|女優]] * 1963年 - [[石井哲也]]、元アナウンサー * [[1964年]] - [[ユルゲン・クリンスマン]]、元[[サッカー選手]]、[[監督]] * [[1966年]] - [[ABEDON]]、ミュージシャン([[UNICORN]]) * [[1966年]] - 阿部耕作、ドラマー(元[[ザ・コレクターズ]]) * 1966年 - [[柴田善臣]]、[[騎手]] * 1966年 - [[野咲たみこ]]、元[[アイドル]] * 1966年 - [[熊澤秀浩]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[服部裕昭]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[清原久美子]]、[[アナウンサー]] * 1968年 - [[ショーン・ムーア]]、ミュージシャン([[マニック・ストリート・プリーチャーズ]]) * 1968年 - [[七月鏡一]]、漫画原作者 * 1968年 - [[馬越嘉彦]]、アニメーター、キャラクターデザイナー * [[1969年]] - [[志村香]]、元[[歌手]]、元[[タレント]] * 1969年 - [[尾藤強]]、高校野球指導者 * 1969年 - [[サイモン・ベイカー]]、俳優 * [[1970年]] - [[氏家恵]]、女優 * 1970年 - [[古今亭今輔 (6代目)]]、[[落語家]] * 1970年 - [[クリストファー・ノーラン]]、[[映画監督]] * [[1971年]] - [[中井伸之]]、元プロ野球選手 * 1971年 - 長谷川雅紀、お笑いタレント([[錦鯉 (お笑いコンビ)|錦鯉]]) * 1971年 - [[宮谷理香]]、ピア二スト * 1971年 - [[福島弘和]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[オーボエ]]奏者 * [[1972年]] - [[ダニエラ・スミス]]、プロボクサー * [[1973年]] - [[渡邉晴智]]、競輪選手 * [[1974年]] - [[坂田精二郎]]、元野球選手 * 1974年 - [[谷村逸郎]]、元野球選手 * 1974年 - [[石田威仁]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[大竹七未]]、元サッカー選手、指導者、[[スポーツ解説者|解説者]] * 1974年 - [[大竹夕魅]]、元サッカー選手 * 1974年 - [[中村公輔]]、ミュージシャン、作曲家、編曲家 * 1974年 - [[ヒラリー・スワンク]]、俳優 * [[1975年]] - [[内水融]]、漫画家 * [[1976年]] - [[市川ヒロシ]]、漫画家 * [[1977年]] - [[永山尚太]]、歌手 * 1977年 - [[ヒライシカズ美]]、女優、[[グラビアアイドル]]、[[ネットアイドル]] * [[1978年]] - [[大佑]]、ミュージシャン([[蜉蝣 (バンド)|蜉蝣]]、[[the studs]])(+ [[2010年]]) * 1978年 - [[板倉香]]、モデル、女優 * 1978年 - [[金谷剛]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[小林千恵]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * [[1980年]] - [[上原彩子 (ピアニスト)|上原彩子]]、[[ピアニスト]] * 1980年 - [[ジャスティン・ローズ]]、[[プロゴルファー]] * [[1982年]] - [[ビクトリア・ボルチコワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1982年 - [[古閑美保]]、プロゴルファー * 1982年 - [[天野千尋]]、映画監督、脚本家 * 1982年 - [[中村詩織]]、食育普及活動家 * [[1983年]] - [[藤本つかさ]]、女優、[[プロレスラー]] * 1983年 - [[深澤季生]]、野球指導者、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[渡辺奈緒子]]、女優 * [[1984年]] - [[木村良平]]、声優 * 1984年 - [[小川美佳]]、ものまねタレント * [[1985年]] - [[片岡信和]]、俳優 * 1985年 - [[森川七月]]、ジャズ歌手 * 1985年 - [[徳満真紀子]]、[[ローカルアイドル]]([[サンフラワー (アイドルグループ)|サンフラワー]]) * 1985年 - [[溝口香奈]]、競輪選手 * 1985年 - [[ルカ・ラノッテ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1986年]] - [[海老原まどか]]、プロボクサー、総合格闘家、ボディビルダー * 1986年 - [[千葉直人]]、元騎手、調教助手 * 1986年 - [[丸木唯]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[高橋友理]]、アナウンサー * 1986年 - [[安藤絵里菜]]、タレント * 1986年 - [[植野堀誠]]、タレント * [[1987年]] - [[大田原隆太]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[SEIKIN]]、YouTuber * 1987年 - [[七沢心]]、声優 * 1987年 - [[矢澤りえか]]、元タレント、元声優 * [[1988年]] - [[山田大樹]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[クリストファー・トレフィル]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - [[メロディー洋子]]、[[ファッションモデル]]、タレント * [[1989年]] - [[アレイシ・エスパルガロ]]、オートバイレーサー * 1989年 - [[ジェシー・ハン]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[磯美沙紀]]、タレント * 1990年 - [[堀畑裕也]]、水泳選手 * 1990年 - [[コリー・エヴァンス]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ブライアン・ウォルターズ]]、ファッションモデル、タレント * [[1991年]] - [[イダ・ボバック]]、[[オリエンテーリング]]選手 * [[1992年]] - [[小島秀仁]]、サッカー選手 * [[1993年]] - [[宮崎美穂]]、タレント(元[[AKB48]]) * 1993年 - [[田中陽子 (サッカー選手)|田中陽子]]、サッカー選手 * 1993年 - [[富樫勇樹]]、バスケットボール選手 * [[1994年]] - [[山田みなみ]]、ファッションモデル * 1994年 - [[井田彩花]]、ダンサー、タレント * 1994年 - [[柿澤貴裕]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[角谷暁子]]、アナウンサー * [[1995年]] - [[高橋紗妃]]、女優 * [[1996年]] - [[小瀧望]]、アイドル([[WEST.]]) * 1996年 - [[白井美沙紀]]、元バレーボール選手 * [[1997年]] - [[金子拓郎]]、サッカー選手 * 1997年 - [[三井理陽]]、俳優 * [[1998年]] - [[高橋良 (バレーボール)|高橋良]]、バレーボール選手 * 1998年 - [[原輝綺]]、サッカー選手 * 1998年 - [[寺島成輝]]、元プロ野球選手 * [[2000年]] - [[水野達稀]]、プロ野球選手 * 2000年 - [[芳賀日陽]]、サッカー選手 * [[2001年]] - [[あかせあかり]]、コスプレイヤー * [[2002年]] - [[川﨑皇輝]]、アイドル([[ジャニーズJr.]]、少年忍者) * [[2003年]] - [[河西結心]]、アイドル([[つばきファクトリー]]) * 2003年 - [[山川拓馬]]、[[陸上競技]]選手 * [[2004年]] - [[市川聡悟]]、サッカー選手 * [[2005年]] - [[寺澤徠稀]]、タレント * 生年不明 - [[香魚子]]、漫画家 * 生年不明 - [[来瀬ナオ]]、漫画家 * 生年不明 - [[櫻林子]]、漫画家(橘水樹&櫻林子) * 生年不明 - [[藤馬かおり]]、漫画家 * 生年不明 - [[夏目イサク]]、漫画家 * 生年不明 - [[Lapis Lazuli (漫画家)|Lapis Lazuli]]、元漫画家 * 生年不明 - [[神谷圭介]]、脚本家([[テニスコート (ユニット)|テニスコート]])、イラストレーター * 生年不明 - [[渡辺優里奈]]、声優 * 生年不明 - [[波野夏花]]、声優 * 生年不明 - [[大野貴史 (声優)|大野貴史]]、声優 {{-}} == 忌日 == {{multiple image | footer = 詩人[[トマス・グレイ]](1716-1771)没。右画像は英国ストーク・ポージュスの墓 | image1 = PortraitThomasGrayByJohnGilesEccart1747to1748.jpg | width1 = 70 | alt1 = トマス・グレイ | image2 = Graygrave.jpg | width2 = 110 | alt2 = ストーク・ポージスの墓 }} {{multiple image | footer = [[メキシコ独立革命|メキシコ独立運動]]初期の指導者、[[ミゲル・イダルゴ]](1753-1811)銃殺 | image1 = Miguel_Hidalgo.jpg | width1 = 95 | alt1 = ミゲル・イダルゴ | image2 = Mural_de_Hidalgo_en_PalGob..jpg | width2 = 85 | alt2 = 銃殺の画 }} {{multiple image | footer = [[ドイツ帝国]]初代首相[[オットー・フォン・ビスマルク]](1815-1898)没 | image1 = Bismarck80Jahre.jpg | width1 = 90 | alt1 = 80歳のビスマルク | image2 = Bismarck_-_Denkmal_Bielefeld.jpg | width2 = 90 | alt2 = 銅像 }} {{multiple image | image1 = Ito_Sachio.jpg | width1 = 60 | caption1 = 歌人・小説家、[[伊藤左千夫]](1864-1913)没 | image2 = Rohan_Koda.jpg | width2 = 60 | caption2 = 作家[[幸田露伴]](1867-1947)没 | image3 = Junichiro Tanizaki 01.jpg | width3 = 60 | caption3 = 作家[[谷崎潤一郎]](1886-1965)没 }} {{multiple image | footer = [[阮朝]](ベトナム)最後の皇帝[[バオ・ダイ]](1913-1997)没。右画像は仏パリ16区[[パッシー墓地]]にある墓 | image1 = %E4%BF%9D%E5%A4%A7%E7%9A%87%E5%B8%9D_%E5%9D%90%E5%83%8F.jpg | width1 = 80 | alt1 = バオ・ダイ | image2 = Mo_cuu_hoang_Bao_Dai.jpg | width2 = 100 | alt2 = パッシー墓地にある墓 }} {{multiple image | caption1 = 映画監督[[イングマール・ベルイマン]](1918-2007)没 | image1 = Ingmar_Bergman_Smultronstallet.jpg | width1 = 90 | alt1 = イングマール・ベルイマン | image2 = Grave_of_Ingmar_Bergman%2C_may_2008.jpg | width2 = 90 | caption2 = スウェーデンフォーレ島の墓 | alt2 = フォーレ島の墓 }} * [[579年]] - [[ベネディクトゥス1世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス1世]]、第62代[[教皇|ローマ教皇]] * [[1062年]]([[康平]]5年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[藤原茂子]]、[[後三条天皇]]の皇太子時代の妃 * [[1569年]]([[永禄]]12年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[黄梅院 (北条氏政正室)|黄梅院]]、[[北条氏政]]の[[正室]](* [[1543年]]) * [[1683年]] - [[マリー・テレーズ・ドートリッシュ]]、[[フランス王国|フランス王]][[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]王妃(* [[1638年]]) * [[1718年]] - [[ウィリアム・ペン]]、[[ペンシルベニア州]]創立者(* [[1644年]]) * [[1771年]] - [[トマス・グレイ]]、[[詩人]](* [[1716年]]) * [[1811年]] - [[ミゲル・イダルゴ]]、[[メキシコ独立革命]]の指導者(* [[1753年]]) * [[1826年]]([[文政]]9年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]) - [[松平乗保]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[岩村藩|岩村藩主]](* [[1748年]]) * [[1833年]]([[天保]]4年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[津軽寧親]]、第9代[[弘前藩|弘前藩主]](* [[1765年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年6月14日) - [[帆足万里]]、[[儒学者]](* [[1778年]]) * [[1885年]] - [[ルイ・ルロワ]]、[[版画家]]、[[批評家]] * [[1898年]] - [[オットー・フォン・ビスマルク]]、[[ドイツ国|ドイツ]]宰相(* [[1815年]]) * 1898年 - [[ジョン・ケアード (哲学者)|ジョン・ケアード]]、[[哲学|哲学者]](* [[1820年]]) * 1898年 - [[江戸家猫八#代外|東京亭猫八]]、[[物真似|物真似師]](* [[1843年]]) * [[1900年]] - [[アルフレート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|アルフレート]]、第3代[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国|ザクセン=コーブルク=ゴータ公]](* [[1844年]]) * [[1912年]] - [[明治天皇]]、第122代[[天皇]](* [[1852年]]) * [[1913年]] - [[伊藤左千夫]]、[[歌人]](* [[1864年]]) * [[1927年]] - [[村井弦斎]]、[[ジャーナリスト]](* [[1864年]]) * [[1930年]] - [[ジョアン・ガンペール]]、[[FCバルセロナ]]の創設者、[[サッカー選手]](* [[1877年]]) * [[1941年]] - [[フーゴ・ベッカー]]、[[チェリスト]](* [[1864年]]) * 1941年 - [[ミッキー・ウェルチ]]、プロ野球選手(* [[1859年]]) * [[1945年]] - [[阿瀬泰次郎]]、[[野球選手]](* 生年不詳) * [[1947年]] - [[幸田露伴]]、[[作家]](* [[1867年]]) * [[1958年]] - [[俵国一]]、[[冶金学|冶金学者]](* [[1872年]]) * [[1965年]] - [[谷崎潤一郎]]、作家 (* [[1886年]]) * [[1967年]] - [[リーガル千太・万吉|リーガル万吉]]、[[漫才|漫才師]](* [[1894年]]) * [[1968年]] - [[ヨン・レイフス]]、[[作曲家]](* [[1899年]]) * [[1970年]] - [[ジョージ・セル]]、[[指揮者]](* [[1897年]]) * [[1975年]] - [[ジェイムズ・ブリッシュ]]、[[SF作家]](* [[1921年]]) * [[1976年]] - [[ルドルフ・カール・ブルトマン]]、[[聖書学|聖書学者]](* [[1884年]]) * 1976年 - [[衣笠十四三]]、[[映画監督]](* [[1900年]]) * [[1978年]] - [[ウンベルト・ノビレ]]、[[探検家]]、[[軍人]](* [[1885年]]) * [[1984年]] - [[今日出海]]、[[小説家]](* [[1903年]]) * [[1996年]] - [[クローデット・コルベール]]、[[俳優|女優]](* [[1903年]]) * 1996年 - [[長谷有洋]]、[[声優]](* [[1965年]]) * [[1997年]] - [[バオ・ダイ]]、[[ベトナム]][[阮朝]]最後の皇帝(* [[1913年]]) * [[1999年]] - [[古田昌幸]]、野球選手(* [[1933年]]) * [[2000年]] - [[寺田瀧雄]]、作曲家(* [[1931年]]) * [[2002年]] - [[岡田正泰]]、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]の私設応援団「ツバメ軍団」団長(* [[1931年]]) * [[2003年]] - [[石本雅男]]、[[法学者]](* [[1902年]]) * 2003年 - [[サム・フィリップス]] ([[:en:Sam Phillips|Sam Phillips]])、[[音楽プロデューサー]](* [[1923年]]) * [[2005年]] - [[初村滝一郎 (1913年生)|初村滝一郎]]、[[政治家]](* [[1913年]]) * 2005年 - [[ジョン・ガラン]]、[[スーダン]]副大統領、[[スーダン人民解放軍]]最高司令官(* [[1945年]]) * [[2006年]] - [[森三平太]]、[[俳優]](* [[1927年]]) * [[2007年]] - [[ミケランジェロ・アントニオーニ]]、[[映画監督]](* [[1912年]]) * 2007年 - [[渡辺護 (音楽学者)|渡辺護]]、[[音楽学者]]、[[クラシック音楽]][[音楽評論家|評論家]](* [[1915年]]) * 2007年 - [[イングマール・ベルイマン]]、映画監督 (* [[1918年]]) * 2007年 - [[小田実]]、作家、[[市民運動|市民運動家]](* [[1932年]]) * [[2009年]] - [[野崎泰一]]、[[プロ野球選手]](* [[1923年]]) * 2009年 - [[露崎元弥]]、[[プロ野球審判員]]、[[プロボクサー]](* [[1928年]]) * [[2013年]] - [[ロバート・ニーリー・ベラー]]、[[社会学者]](* [[1927年]]) * [[2014年]] - [[仲村秀生]]、[[声優]]、[[ナレーター]](* [[1935年]]) * [[2015年]] - [[アリーナ・フルザーノワ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1931年]]) * 2015年 - [[ロディ・パイパー]]、[[プロレスラー]]、俳優(* [[1954年]]) * [[2020年]] - [[李登輝]]、政治家、第4代[[中華民国総統]](*1923年) * 2020年 - [[外山滋比古]]、[[英文学者]](* 1923年) * 2020年 - [[旭堂南陵 (4代目)|四代目旭堂南陵]]<ref>{{Cite web|和書|title=講談師で元参院議員の旭堂南陵さん死去 70歳 NHK朝ドラにも出演|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/07/30/kiji/20200730s00041000295000c.html |website= Sponichi Annex |access-date=30 Jul 2023 |date=30 Jul 2020|publisher=[[スポーツニッポン]]}}</ref>、[[講談師]](* [[1949年]]) *[[2022年]] - [[小林清志]]、声優、俳優、ナレーター(*[[1933年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2019年]] - [[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]、[[競走馬]](* [[2002年]]) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[明治天皇]](左; 1852-1912)没、[[大正天皇]]が[[践祚]]し[[大正]]に改元。中央画像は明治天皇が葬られた[[伏見桃山陵]] | image1 = Black_and_white_photo_of_emperor_Meiji_of_Japan.jpg | width1 = 60 | alt1 = 明治天皇 | image2 = Fushimimomoyama-misasagi.jpg | width2 = 60 | alt2 = 伏見桃山陵 | image3 = Emperor_Taisho_of_Japan.jpg | width3 = 60 | alt3 = 大正4年の即位の礼での大正天皇 }} {{multiple image | footer = [[バヌアツ]]、[[イギリス]]・[[フランス]]の共同統治より独立(1980)。{{audio|United_States_Navy_Band_-_Yumi,_Yumi,_Yumi.ogg|国歌『我等、我等、我等』を聴く}} | image1 = LocationVanuatu.png | width1 = 60 | caption1 = バヌアツの位置 | image2 = Commercial_agriculture%2C_North_Efate.jpg | width2 = 60 | caption2 = バヌアツの農地 | image3 = Wooden_slit_drums_from_Vanuatu%2C_Bernice_P._Bishop_Museum.JPG | width3 = 60 | caption3 = [[スリットドラム]] }} * 黒石ねぷた祭り({{JPN}}) *: 毎年7月30日から8月5日まで、[[青森県]][[黒石市]]で開催されるお祭り。黒石ではかつてねぷたの行事を「七夕祭」と呼んでおり、江戸時代の「山田家記」(天明6年[[1786年]])に「七夕祭り、例年の通り賑々しく」と記載が残っている。黒石には古くから人形ねぷたと扇ねぷたの両方があり、人形ねぷたの作り方に独特なものがみられる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kuroishi.aomori.jp/kankou/spot/matsuri/neputa/ |title=黒石ねぷた祭り |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[黒石市]]}}</ref>。 * [[住吉大社]]「宵宮祭」({{JPN}}) *: 毎年7月30日~8月1日に、[[大阪府]][[大阪市]]の[[住吉大社]]で『住吉祭』が執り行なわれる。[[住吉祭]]は、[[生玉夏祭]]、[[天神祭]]と並ぶ[[大阪三大夏祭り]]の一つで、7月30日は宵宮祭が行われる。 * 明治天皇祭({{JPN}}) *: 明治天皇は[[1912年]](明治45年)[[7月29日]]22時43分に崩御されたが、皇族会議による公式発表では2時間後の7月30日崩御とされた。[[1913年]](大正2年)から[[1926年]](大正15年)までは祭日だった。 * プロレス記念日({{JPN}}) *: [[1953年]]7月30日に[[力道山]]が日本プロレスリング協会を結成したことに由来。 * [[梅干]]の日({{JPN}}) *: [[和歌山県]][[みなべ町]]の東農園が制定。「梅干しを食べると難が去る」と昔から言われてきたことから「なん(7)がさ(3)る(0)」の語呂合せ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202107300000274.html|title=「7・30は梅干しの日」ネット上で話題、トレンド入り 暑さ対策でも注目|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=30 Jul 2021|accessdate=30 Jul 2023}}</ref>。 * [[東北自動車道]]全通記念日({{JPN}}) *: [[1986年]](昭和61年)のこの日、青森県の碇ヶ関IC-十和田湖ICまでが開通し、埼玉県川口市と青森県青森市を結ぶ全長674kmの東北自動車道が全通開通した。東日本の交通を支える日本最長の高速道路である。 * 独立記念日({{VUT}}) *: [[1980年]]のこの日、英仏共同統治領であったニューヘブリデス諸島がバヌアツ共和国として独立した。 * 人身取引反対世界デー({{UN}}) *: 国連が、人身取引は過去のものではないということを喚起するため、2014年に制定<ref>{{Cite web|和書|title=ライダーILO事務局長声明:人身取引は過去のものではない|date=30 Jul 2014|url=http://www.ilo.org/tokyo/about-ilo/director-general/WCMS_250718/lang--ja/index.htm|publisher=国際労働機関|accessdate=30 Jul 2023}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0730|date=Jul 2023}} * 2010年 - 世界中で利用されているネットシステム「OZ」(オズ)が、外部からの侵入により乗っ取られ、世界危機へと発展する。(アニメ映画『[[サマーウォーズ]]』) * 2015年 - 異形の生物「バーテックス」が世界中に出現し、人類の虐殺を開始する<ref>『[[電撃G's magazine]]』2015年9月号、[[アスキー・メディアワークス]]、別冊ノベル『[[乃木若葉は勇者である]]』第1話。</ref>。(小説『[[乃木若葉は勇者である]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1860年]](万延元年) - 相楽左之助、漫画・アニメ『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://rurouni-kenshin.com/character/chara4.html |title=相楽左之助|work=『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』 |publisher=[[和月伸宏]]/[[集英社]]・「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」製作委員会|accessdate=30 Jul 2023}}</ref> * [[1961年]] - イナバコジロー、[[ウルトラマンシリーズ]]『[[ウルトラマンZ]]』の登場人物<ref>{{Twitter status|Televi_Kun|1420939286694678529}}</ref> * [[1977年]] - 野々原姫子、漫画『[[姫ちゃんのリボン]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://konomanga.jp/guide/7396-2 |title=【きょうのマンガ】7月30日は野々原姫子(『姫ちゃんのリボン』より)の誕生日! おすすめするのはもちろん…… |work=このマンガがすごい!WEB |publisher=[[宝島社]] |accessdate=30 Jul 2023}}</ref> * [[1953年]] - 柳岡かずひろ、漫画・アニメ『[[はじめの一歩]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ippo_fs|1553168496405757959}}</ref> * [[1980年]] - [[ネビル・ロングボトム]]、『[[ハリー・ポッターシリーズ]]』に登場する人物<ref>{{Cite web|和書|url=https://warnerbros.co.jp/franchise/wizardingworld/special/characters/neville-longbottom.html |title=ネビル・ロングボトムネビル・ロングボトム |work=[[ワーナー ブラザース ジャパン|Warner Bros. Japan]] |accessdate=30 Jul 2023}}</ref> * [[2076年]] - エッジ・マーベリック、ゲーム『[[スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=61|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - [[春風どれみ]]、『[[おジャ魔女どれみ]]』シリーズの主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20200729dog00m200045000c.html |title=おジャ魔女どれみ:7月30日はどれみちゃんの誕生日 みんなでマジカルステージ! 「#どれみちゃんバースデー」「#魔女見習いをさがして」で祝福 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[MANTANWEB]] |date=29 Jul 2020}}</ref> * 生年不明 - 粕壁 隼、漫画『[[女神のカフェテラス]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://goddess-cafe.com/character/ |title=粕壁 隼 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[瀬尾公治]]・[[講談社]]/「女神のカフェテラス」製作委員会・[[毎日放送|MBS]] |work=『女神のカフェテラス』}}</ref><ref>原作1巻オマケ、キャラクター設定。</ref> * 生年不明 - 星谷光(セーラースターファイター)、漫画・アニメ『[[美少女戦士セーラームーン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sailormoon-official.com/information/180529_q-pot.php |title=Q-pot.×美少女戦士セーラームーン |access-date=30 Jul 2023 |website=美少女戦士セーラームーン 30周年プロジェクト公式サイト}}</ref> * 生年不明 - キラ星シエル、アニメ『[[キラキラ☆プリキュアアラモード]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.co.jp/precure/kirakira/character/cureparfait.html#category |title=キュアパルフェ(キラ星シエル) |accessdate=30 Jul 2023|work=『キラキラ☆プリキュアアラモード』 |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC-A]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 大丸大吉、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1155855621801107461}}</ref> * 生年不明 - 六車拳西、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[僕のヒーローアカデミア#芦戸三奈|芦戸三奈]]、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group01/01-14/ |title=芦戸三奈 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |accessdate=30 Jul 2023 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - 秋月大和、漫画・アニメ『[[涼風 (漫画)|涼風]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|seokouji|626705954092941313}}</ref> * 生年不明 - DJせたハチ、『[[エフエム世田谷]]』のマスコットキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://zeroone01.jp/blog/2016/03/17/djせたハチ〜メモ帳/ |title=DJせたハチ〜メモ帳 |access-date=30 Jul 2023|publisher=マスコット工房 |date=17 Mar 2016}}</ref> * 生年不明 - リシアンサス(キキョウ)、ゲーム・アニメ『[[SHUFFLE!]]』に登場するキャラクター<ref>『[[電撃G's magazine]]』2009年11月号、[[アスキー・メディアワークス]]、74頁。</ref> * 生年不明 - 里中千枝、ゲーム・アニメ『[[ペルソナ4]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|p_kouhou|1553032601849544706}}</ref> * 生年不明 - 橘和翠、ゲーム『[[L@ve once]]』に登場するキャラクター<ref>『[[コンプティーク]]』2011年1月号、[[角川書店]]、280頁。</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#城ヶ崎莉嘉|城ヶ崎莉嘉]]、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://imas-cinderella.com/character/#rika |title=CHARACTER 城ヶ崎莉嘉 |work=『アイドルマスターシンデレラガールズ』 |accessdate=30 Jul 2023 |publisher=[[アニプレックス]] BENI/PROFECT CINDERELLA}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#伊吹翼|伊吹翼]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://millionlive-theaterdays.idolmaster-official.jp/idol/tsubasa/ |title=伊吹 翼 |work=『THE IDOLM@STER MILLION LIVE! THEATER DAYS』 |accessdate=30 Jul 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] THE IDOLM@STER [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - [[プリパラ (アニメ)#SoLaMi♡SMILE(そらみスマイル)|北条そふぃ]]、ゲーム・アニメ『[[プリパラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=柴崎恵美子|date=2017-08-23|title=アイドルタイムプリパラ アイドルずかん|page=10|publisher=[[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|isbn=978-4097504221}}</ref> * 生年不明 - 朝日奈響也、ゲーム『[[夢色キャスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ycast.sega-net.com/cast.html |title=YUMEIRO COMPANY 朝日奈 響也 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]]/夢色カンパニー |website=『夢色キャスト』}}</ref> * 生年不明 - [[ララ (ストリートファイター)|ララ(ララ・マツダ)]]、ゲーム『[[ストリートファイターV]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=キャラ図鑑116:ララ・マツダ |url=https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/130337 |website=シャドルー格闘家研究所 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[カプコン|CAPCOM]]}}</ref> * 生年不明 - エリコ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1685470264916873217}}</ref> * 生年不明 - [[宝鐘マリン]]、[[ホロライブ]]に所属するバーチャルYouTuber<ref>{{Cite web|和書|url=https://hololive.hololivepro.com/talents/houshou-marine/ |title=宝鐘マリン |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[カバー (企業)|COVER Corp.]]}}</ref> * 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#ハロー、ハッピーワールド!|北沢はぐみ]]、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/kitazawa-hagumi/ |title=北沢 はぐみ |publisher=BanG Dream! Project Craft Egg Inc. [[ブシロード|bushiroad]] |accessdate=30 Jul 2023 |work=『BanG Dream! ガールズバンドパーティ! 』}}</ref> * 生年不明 - 水島茉莉花、メディアミックス『[[D4DJ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://d4dj.bushimo.jp/unit/mizushima-marika/ |title=水島茉莉花 |access-date=30 Jul 2023 |publisher=[[ブシロード|bushiroad]] [[DONUTS (企業)|DONUTS Co. Ltd.]] |work=『D4DJ Groovy Mix』}}</ref> === 忌日(フィクション) === * [[1994年]] - 久保嘉晴、映画『[[シュート!#実写映画版|シュート!]]』に登場するキャラクター(* [[1977年]]) → 漫画版では[[1991年]][[8月9日]]に死去。(* [[1974年]]) == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 30|30 July}} {{新暦365日|7|29|7|31|[[6月30日]]|[[8月30日]]|[[7月30日 (旧暦)|7月30日]]|0730|7|30}} {{1年の月と日}}
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7月31日
7月31日(しちがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から212日目(閏年では213日目)にあたり、年末まであと153日ある。7月の最終日である。
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7月31日(しちがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から212日目(閏年では213日目)にあたり、年末まであと153日ある。7月の最終日である。
{{カレンダー 7月}} '''7月31日'''(しちがつさんじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から212日目([[閏年]]では213日目)にあたり、年末まであと153日ある。7月の[[月末|最終日]]である。 == できごと == {{multiple image | footer = [[アウラングゼーブ]](1618-1707)、[[ムガル帝国]]皇帝に即位(1658) | image1 = Aurangazeb.jpg | width1 = 100 | alt1 = アウラングゼーブ | image2 = Darbarscene.jpg | width2 = 140 | alt2 = 王座につくアウラングゼーブ }} [[Image:Congress_of_Breda.jpg|thumb|200px|[[ブレダの和約]]締結(1667)、[[第二次英蘭戦争]]終結]] [[Image:Daniel Defoe by James Charles Armytage (cropped).jpg|thumb|作家[[ダニエル・デフォー]]、[[晒し台]]に上げられる(1703)。{{Squote|[[神]]が[[教会|祈りの家]]を建てるといつも、[[悪魔]]がそこに[[礼拝堂]]を建てる。――『純正なイギリス人』(1701)}}]] [[Image:Conradh_na_Gaeilge_Baile_%C3%81tha_Cliath_2006_Kaihsu_Tai.jpg|thumb|140px|[[ダブリン]]で[[ゲール語連盟]]設立(1893)]] [[Image:Battle_of_Sakhalin.JPG|thumb|1905年[[樺太の戦い (1905年)|樺太の戦い]]、日本が[[樺太]]全島を占領(1905)。画像は24日のもの]] {{multiple image | footer = [[ヴァイマル憲法]]採択(1919)。[[社会権]]保障を考慮する現代的な憲法であった。[[8月11日]]制定、[[8月14日]]公布。 | image1 = Weimar_Constitution.jpg | width1 = 100 | alt1 = 表紙 | image2 = Bundesarchiv_Bild_102-12356,_Potsdam,_Reichsarchiv,_Reichsverfassung.jpg | width2 = 100 | alt2 = フリードリヒ・エーベルトらの署名 }} [[Image:Bundesarchiv_Bild_102-03497A%2C_Berlin%2C_Propaganda_zur_Reichstagswahl.jpg|thumb|[[1932年7月ドイツ国会選挙|ドイツ国会1932年選挙]](1932)、[[国家社会主義ドイツ労働者党]]が第一党となる。画像は当日の投票場]] [[Image:Soyeshima und Baillet-Latour in Berlin 1936.png|thumb|200px|[[1940年東京オリンピック]]の開催が決定]] {{multiple image | footer = [[ヘルマン・ゲーリング]]、[[ラインハルト・ハイドリヒ]]に「[[ユダヤ人問題の最終的解決]]」を委任(1941)。右画像は1945年の[[ミッテルバウ=ドーラ強制収容所]]。{{Squote|私はここにヨーロッパのドイツ勢力圏におけるユダヤ人問題の全体的解決のため、必要なあらゆる組織的・実際的・物質的準備を行うことを、貴官に委任する。}} | image1 = Carta_G%C3%B6ring.JPG | width1 = 100 | alt1 = 委任状 | image2 = Corpses in the courtyard of Nordhausen concentration camp.jpg | width2 = 160 | alt2 = ミッテルバウ=ドーラ強制収容所 }} {{multiple image | footer = 作家・飛行士[[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ]]、偵察飛行中に行方不明となる(1944)。左画像は海中より引き上げられたブレスレット、右は[[タルファヤ]]にあるモニュメント。 {{Squote|[[戦争]]は冒険ではない。[[病気]]だ。チフスのような。――『戦う操縦士』(1942)}} {{Squote|好きな作家のサン=テグジュペリと知っていれば撃たなかったのに――撃墜したとされるドイツの飛行士{{仮リンク|ホルスト・リッパート|fr|Horst Rippert}}}} | image1 = Gourmette_de_Saint_Exupery.jpg | width1 = 140 | alt1 = サン=テグジュペリのブレスレット | image2 = Tarfaya_Saint-Exupery.jpg | width2 = 140 | alt2 = タルファヤにあるモニュメント }} {{multiple image | footer = [[バスク祖国と自由]]設立(1959)。左画像はシンボルマーク、右はETAを支持する壁画 | image1 = Alsasua_09_-_Impunidad_callejera_de_los_asesinos_1.JPG | width1 = 100 | alt1 = ETAのシンボルマーク | image2 = ETA Pasajes 2003 06 28.jpg | width2 = 100 | alt2 = ETAを支持する壁画 }} [[Image:Royal_Navy_Grog_issue.jpg|thumb|140px|[[イギリス海軍]]、1655年から続く[[ラム酒]]の支給を打ち切る(1970)。画像は1942年の支給の様子]] {{multiple image | footer = [[釧路湿原国立公園]]指定(1987) | image1 = Kushirositsugen_Hosooka_Tenboudai01.jpg | width1 = 120 | alt1 = 細岡展望台より釧路湿原 | image2 = Kushiro_river01.jpg | width2 = 120 | alt2 = 釧路川のカヌー下り }} [[Image:George_Bush_and_Mikhail_Gorbachev_sign_the_START_1991.jpg|thumb|240px|[[第一次戦略兵器削減条約]]調印(1991)。画像左が[[ジョージ・H・W・ブッシュ|ブッシュ]]米国大統領、右が[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]ソ連大統領]] {{multiple image | footer = キューバの[[フィデル・カストロ|カストロ議長]](左画像; 1926-)、弟[[ラウル・カストロ|ラウル]]に権力を委譲。なお、退任は2008年2月24日。 | image1 = Cuba.FidelCastro.02.jpg | width1 = 100 | alt1 = フィデル・カストロ | image2 = Ra%C3%BAl_Castro.JPG | width2 = 80 | alt2 = [[ラウル・カストロ]] }} * [[781年]]([[天応 (日本)|天応]]元年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - 奈良時代末期、朝廷編纂の『[[続日本紀]]』に[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]噴火に伴う降灰の記録されており、富士山の最古の噴火記録になっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/236/|title=富士山で最古の噴火記録(天応元年)|work=[[Yahoo! JAPAN]] 天気・災害|accessdate=2020-07-31}}</ref>。 * [[1009年]] - ピエトロ・ボッカペコーラが[[ローマ教皇]][[セルギウス4世 (ローマ教皇)|セルギウス4世]]として即位{{要出典|date=2021-03}}。 * [[1110年]]([[天永]]元年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]])- [[天仁]]から天永に[[改元]]。 * [[1451年]] - 資本家[[ジャック・クール]]が[[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]の命により逮捕される。 * [[1588年]]([[ユリウス暦]][[7月21日]]) - イギリス艦隊とスペイン無敵艦隊の間の[[アルマダの海戦]]が始まる。 * [[1658年]] - [[アウラングゼーブ]]が[[ムガル帝国]]皇帝に即位。 * [[1667年]] - [[ブレダの和約]]により[[英蘭戦争#第二次英蘭戦争|第二次英蘭戦争]]が終結。 * [[1703年]] - [[イギリス]]の作家[[ダニエル・デフォー]]が政治的な扇動を目的としたパンフレットを作成した廉で[[さらし台]]に上げられる。 * [[1888年]] - [[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]が増水。[[藍畑村]]の覚円地先で[[堤防]]が決壊したことを契機に[[一揆]]のような騒動が起きる<ref>「吉野川の改修工事ようやく完工式」『大阪毎日新聞』1926年5月7日四国版(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.513 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1893年]] - [[ダブリン]]で[[ゲール語連盟]]が設立される。 * [[1895年]] - [[バスク民族主義党]]設立。 * [[1905年]] - [[日露戦争]]・[[樺太の戦い (1905年)|樺太の戦い]]: 日本軍が[[樺太]]全島を占領下に置く。 * [[1924年]] - [[羽越本線]]が全通。敦賀 - 青森の[[日本海縦貫線]]が完成。 * [[1932年]] - [[1932年7月ドイツ国会選挙|ドイツ議会の選挙]]が行われ、[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)が230議席を獲得し第一党となる。 * [[1936年]] - [[ベルリン]]で開かれていた[[国際オリンピック委員会|IOC]]総会で[[1940年東京オリンピック|1940年の夏季オリンピック]]の[[東京]]開催が決定([[日中戦争]]の影響で日本は[[1938年]]に開催権を返上)。 * [[1937年]] - [[三井造船]]創業。 * [[1941年]] - [[ホロコースト]]: [[ヘルマン・ゲーリング]]が[[親衛隊|SS]]ナンバー2の[[ラインハルト・ハイドリヒ]]に対し、[[ユダヤ人問題の最終的解決]]の計画を速やかに提出するよう指示。 * [[1944年]] - [[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ]]が[[P-38 (航空機)|F-5B]]偵察機で偵察飛行中に地中海上空で行方不明になる。 * [[1948年]] - [[ニューヨーク]]でアイドルワイルド空港(現[[ジョン・F・ケネディ国際空港]])が[[国際空港]]として開港。 * 1948年 - 日本で、[[国家公務員]]の[[団体交渉権]]・スト権を否認する「[[政令201号]]」公布。 * [[1952年]] - [[昭和天皇|天皇]]・[[香淳皇后|皇后]]が戦後初めて[[明治神宮]]に参拝。 * 1952年 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]がテレビ放送の[[予備免許]]を取得。日本での取得第1号。 * [[1954年]] - 世界第2位の高峰[[K2]]が[[イタリア]]のアルディト・デシオ隊により初登頂。 * [[1959年]] - [[バスク地方]]の分離独立を目指す民族組織[[バスク祖国と自由]] (ETA) が設立。 * [[1964年]] - [[シー・オービット作戦]]: 原子力空母「[[エンタープライズ (CVN-65)|エンタープライズ]]」を旗艦とする[[アメリカ海軍]]第1任務部隊が、原子力艦による初の燃料無補給世界一周航海に出港する。 * [[1965年]] - [[品川駅]]構内で山手線内回り電車がポイントを通過中の回送電車に側面から衝突して大破。15人負傷<ref>「あと一分 あわや三河島惨事 品川駅衝突事故」『日本経済新聞』昭和40年8月1日.15面</ref>。 * [[1969年]] - ローマ教皇[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]が、ローマ教皇としては初めて[[アフリカ]]を訪問<ref>{{Cite web|url=https://time.com/4125962/pope-paul-vi-first-africa-visit/|title=How Pope Francis' Trip Retraces the First Papal Visit to Africa|work=TIME|accessdate=2020-07-31}}</ref>。 * [[1970年]] - [[イギリス海軍]]が兵士への[[ラム酒]]支給を打ち切る。 * 1970年 - [[コロンビア]]南部で[[マグニチュード]]8.0の深発地震([[コロンビア地震]])。 * 1970年 - [[山手線]]に国鉄の通勤電車では初の冷房車を導入。 * [[1971年]] - [[加賀市沖不審船事件]]。 * [[1973年]] - [[バーモント州]]バーリントン発[[ボストン]]行きの[[デルタ航空]]723便[[マクドネル・ダグラス DC-9|DC-9]]型機がボストン・[[ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港|ローガン国際空港]]への着陸に失敗、乗員乗客89名全員が死亡。 ([[:en:Delta Air Lines Flight 723]]) * [[1979年]] - 松下電子工業が[[真空管]]の生産を終了。日本国内での真空管生産がなくなる。 * [[1981年]] - 日本国内各地で[[部分日食]]。 * [[1982年]] - 初代[[日本共産党中央委員会議長|日本共産党議長]]・[[野坂参三]]が議長を退任。 * 1982年 - [[豊橋鉄道]][[豊橋鉄道東田本線|東田本線]]・井原-運動公園前延長開業。 * [[1985年]] - 潜水艇「パイセスII」が[[東シナ海]]の水深344m地点で[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の戦艦「[[大和 (戦艦)|大和]]」を発見。設計者の[[牧野茂 (軍人)|牧野茂]]氏が大和であると確認した。 * [[1986年]] - [[大井競馬場]]が日本の[[公営競技]]場として初の[[ナイター競走]](愛称:トゥインクルレース)を開始。 * [[1987年]] - [[サウジアラビア]]・[[メッカ]]でイラン人巡礼団が反米デモ。警官隊と衝突し、約400人が死亡した<ref>{{Cite web|和書|url=http://various-investigation.blogspot.com/2016/01/1987.html|title=適当な調査|work=「シンプル」テーマ(出典:[[読売新聞]])|date=2016-01-06|accessdate=2020-07-31}}</ref>。 * 1987年 - [[北海道]]の[[釧路湿原]]が28番目の[[国立公園]]([[釧路湿原国立公園]])に指定。 * [[1991年]] - [[ジョージ・H・W・ブッシュ]][[アメリカ合衆国大統領]]と[[ミハイル・ゴルバチョフ]][[ソビエト連邦]]大統領、[[第一次戦略兵器削減条約]](START I)に調印。冷戦の実質的終結。 * 1991年 - [[リトアニア]]・[[ベラルーシ]]国境のメディニンカイ(Medininkai)にて、7人のリトアニア警備員がソ連内務省特殊部隊(OMON)によって殺害される。 * 1991年 - この年の統一地方選挙で[[日本社会党]]が敗北した責任をとり、[[土井たか子]][[日本社会党委員長|委員長]]・[[山口鶴男]]書記長の社会党執行部は退陣。同日、後任の社会党委員長に[[田邊誠]]衆議院議員が就任。 * [[1992年]] - [[ジョージア (国)|ジョージア]]が[[国際連合|国連]]に加盟<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.unic.or.jp/info/un/un_organization/member_nations/|title=加盟国一覧|work=国際連合広報センター|accessdate=2020-07-31}}</ref>。 * 1992年 - [[バンコク]]発[[カトマンズ]]行きの[[タイ国際航空]]311便[[エアバスA310]]型機がカトマンズ近郊の山中に墜落、乗員乗客113名全員が死亡。 ([[:en:Thai Airways International Flight 311]]) * 1992年 - [[南京市|南京]]発[[アモイ]]行きの中国通用航空7522便[[Yak-42 (航空機)|Yak-42]]型機が離陸直後に墜落、乗員乗客126名中106名が死亡<ref>{{Cite web|url=http://hunan.sina.com.cn/news/s/2019-07-30/detail-ihytcerm7431602.shtml|title=历史上的今天:7月31日|work=新浪湖南|accessdate=2020-07-31}}</ref>。 * [[1999年]] - [[ディスカバリー計画]]: [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の月探査機「[[ルナ・プロスペクター]]」が運用終了。最後に探査機を月の南極の[[クレーター]]に衝突させ、氷の蒸発による水蒸気を観測する実験が行われる。 * 1999年 - [[GLAY]]が「[[GLAY EXPO#GLAY EXPO '99 SURVIVAL|MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO’99 SURVIVAL]]」を開催。[[幕張メッセ]]に20万人を動員、国内史上最大、有料ライブの観客動員数としては世界記録。 * [[2006年]] - [[レバノン侵攻 (2006年)|レバノン侵攻]]: [[イスラエル]]が48時間の空爆停止を了承。 * 2006年 - [[キューバ]]の[[フィデル・カストロ]]国家評議会議長が腸からの出血、手術のため権限が一時的に弟の[[ラウル・カストロ|ラウル]]国家評議会第一副議長に委譲される。 * [[2007年]] - [[兵庫県]][[豊岡市]]で野生の[[コウノトリ]]が日本で46年ぶりに巣立ちをする。 * [[2008年]] - [[航空自衛隊]]自衛隊U4多用途支援機機が[[中華人民共和国]][[北京首都国際空港]]へ初着陸。[[日本国政府専用機]]以外で中国国内に着陸は初。 * [[2015年]] - [[マレーシア]]の[[クアラルンプール]]で開催された[[第128次IOC総会]]にて、[[2022年]]の[[冬季オリンピック]]の開催地が中国の[[北京市|北京]]に決定。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} {{multiple image | image1 = Friedrich_W%C3%B6hler_Stich.jpg | width1 = 100 | caption1 = 化学者[[フリードリヒ・ヴェーラー]](1800-1882)誕生。 | image2 = William_S._Clark.jpg | width2 = 90 | caption2 = 教育者[[ウイリアム・S・クラーク]](1826-1886)誕生。 }} {{multiple image | footer = [[民俗学]]者、[[柳田國男]](1875-1962)誕生。右画像は生家 | image1 = Kunio_Yanagita.jpg | width1 = 80 | alt1 = 柳田國男 | image2 = Kunio_yanagita02_1920.jpg | width2 = 140 | alt2 = 生家 }} {{multiple image | footer = 芸術家[[ジャン・デュビュッフェ]](1901-1985)誕生。右画像は[[クレラー・ミュラー美術館]]の彫刻 | image1 = Paolo Monti - Servizio fotografico (Italia, 1960) - BEIC 6341424.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジャン・デュビュッフェ | image2 = Jardin_d%27%C3%A9mail_Dubuffet.jpg | width2 = 100 | alt2 = クレラー・ミュラー美術館 }} {{multiple image | image1 = Portrait of Milton Friedman.jpg | width1 = 100 | caption1 = 経済学者[[ミルトン・フリードマン]](1912-2006)誕生。[[マネタリズム]]を主唱。 | image2 = John_searle2.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[言語哲学]]者[[ジョン・サール]](1932-)誕生。 | image3 = Robert_C._Merton.jpg | width3 = 100 | caption3 = 経済学者[[ロバート・マートン]](1944-) }} {{multiple image | footer = [[児童文学]]作家[[J・K・ローリング]](1965-)誕生。右画像は『[[ハリー・ポッターシリーズ]]』の第1作を書いた[[エディンバラ]]のカフェ | image1 = Jk-rowling-crop.JPG | width1 = 80 | alt1 = J・K・ローリング | image2 = The_elephant_house.jpg | width2 = 140 | alt2 = カフェ『The Elephant House』 }} * [[1777年]] ([[安永 (元号)|安永]]6年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[土井利義]]、第5代[[大野藩]]主 (+ [[1818年]]) * [[1790年]] ([[寛政]]2年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[松浦良]]、第7代[[平戸新田藩]]主 (+ [[1815年]]) * [[1800年]] - [[フリードリヒ・ヴェーラー]]、[[化学者]](+ [[1882年]]) * [[1802年]] - [[イグナシー・ドメイコ]]、[[地質学者]]、[[鉱物学者]](+ [[1889年]]) * [[1810年]] - [[ユリアン・フォンタナ]]、[[法律家]]、[[著述家]]、[[起業家]]、作曲家(+ [[1869年]]) * [[1826年]] - [[ウイリアム・S・クラーク]]、教育者(+ [[1886年]]) * [[1875年]] - [[柳田國男]]、[[民俗学者]](+ [[1962年]]) * [[1886年]] - [[ラリー・ドイル]]、[[プロ野球選手]](+ [[1974年]]) * [[1901年]] - [[ジャン・デュビュッフェ]]、[[画家]](+ [[1985年]]) * [[1912年]] - [[ミルトン・フリードマン]]、[[経済学者]](+ [[2006年]]) * 1912年 - [[ビル・ブラウン (クリケット選手)|ビル・ブラウン]]、元クリケット選手(+ [[2008年]]) * [[1914年]] - [[長岡三重子]]、[[水泳]]選手、[[実業家]]、[[能楽師]](+ [[2021年]]) * [[1917年]] - [[三木睦子]]、[[三木武夫]]元首相夫人(+ [[2012年]]) * [[1921年]] - [[陶隆司]]、[[俳優]](+ [[2010年]]) * 1921年 - [[ピーター・ベネンソン]]、[[アムネスティ・インターナショナル]]創立者(+ [[2005年]]) * 1921年 - [[藤原弘達]]、[[政治学者]]、[[評論家]](+ [[1999年]]) * [[1923年]] - [[鍛冶千鶴子]]、[[評論家]](+ [[2018年]]) * [[1932年]] - [[堂本暁子]]、政治家、ジャーナリスト、第16代・17代[[千葉県知事一覧|千葉県知事]] * 1932年 - [[ジョン・サール]]、[[哲学者]] * [[1934年]] - [[福田昌久]]、プロ野球選手(+ [[1988年]]) * [[1935年]] - [[中原早苗]]、女優(+ [[2012年]]) * [[1941年]] - [[新治伸治]]、プロ野球選手(+ [[2004年]]) * [[1942年]] - [[石立鉄男]]、俳優(+ [[2007年]]) * 1942年 - [[ダニエル・ブーン (歌手)|ダニエル・ブーン]]、[[シンガーソングライター]] * [[1944年]] - [[ロバート・マートン]]、[[経済学者]] * 1944年 - [[中村光良]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[古田忠士]]、プロ野球選手(+ [[2014年]]) * [[1947年]] - [[山崎照朝]]、[[武道|武道家]]、[[空手道|空手家]]、元[[キックボクサー]]、[[格闘技]][[評論家]] * 1947年 - [[和泉雅子]]、[[俳優|女優]] * [[1949年]] - [[坂本あきら (俳優)|坂本あきら]]、俳優 * [[1950年]] - [[中村美律子]]、[[演歌歌手]] * 1950年 - [[長沢ヒロ]]、[[ベーシスト]] * [[1951年]] - [[大竹憲治]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[岡崎友紀]]、女優 * 1953年 - [[小坂恭子]]、シンガーソングライター * 1953年 - [[古谷徹]]<ref name="Profile">{{Cite web|和書|date= |url=http://www.torushome.com/profile.html|title=プロフィール|publisher=Toru's Home |accessdate=2020-11-06}}</ref>、[[声優]] * 1953年 - [[京村英二]]、実業家 * [[1956年]] - [[松原仁]]、政治家、衆議院議員 * [[1957年]] - [[杉村繁]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[木下智裕]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[牧野誠三]]、[[アナウンサー]] * [[1959年]] - [[平田勝男]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[奥田智子]]、[[九州朝日放送]]アナウンサー * [[1961年]] - [[服部真澄]]、[[小説家]] * [[1962年]] - [[ウェズリー・スナイプス]]、俳優 * 1962年 - [[利重剛]]、俳優、[[映画監督]] * 1962年 - [[黛まどか]]、[[俳人]] * 1962年 - [[ケビン・グリーン]]、[[アメリカンフットボール]]選手、指導者(+ [[2020年]]) * [[1964年]] - [[坂井永年]]、[[イラストレーター]] * [[1965年]] - [[飯島多紀哉|飯島健男]]、[[ゲームクリエイター]] * 1965年 - [[J・K・ローリング]]、[[作家]] * [[1966年]] - [[松山吉之]]、元サッカー選手 * 1966年 - [[ケビン・マーティン (カーリング選手)|ケビン・マーティン]]、カーリング選手 * [[1967年]] - [[岩田光央]]、声優 * 1967年 - [[中山秀征]]、[[タレント]] * 1967年 - [[松本光一]]、実業家 * 1967年 - [[本田美奈子.]]、[[歌手]](+ [[2005年]]) * [[1968年]] - [[島田律子]]、タレント、[[エッセイスト]] * [[1969年]] - [[アントニオ・コンテ]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者 * [[1972年]] - [[岡本南]]、歌手 * 1972年 - [[宮田正直]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[大橋利恵]]、歌手 * [[1974年]] - [[土屋征夫]]、サッカー選手 * [[1975年]] - [[ゲーブ・キャプラー]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[富樫直美]]、元プロボクサー * 1975年 - [[吉岡秀樹]]、アナウンサー * [[1976年]] - [[山根巌]]、元サッカー選手 * 1976年 - [[萩村滋則]]、元サッカー選手 * [[1978年]] - [[ジャスティン・ウィルソン]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[2015年]]) * 1978年 - [[ウィル・チャンピオン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[coldplay]]) * [[1979年]] - [[J.J.ファーマニアック]]、プロ野球選手 * 1979年 - [[アンディ・バンヘッケン]]、プロ野球選手 * 1979年 - [[赤松寛子]]、元[[グラビアアイドル]]、元タレント * [[1980年]] - [[愛内里菜]]、歌手 * 1980年 - [[小杉夕子]]、元プロレスラー * 1980年 - [[内藤真人]]、陸上競技選手 * 1980年 - [[ミルズ・ムリアイナ]]、ラグビー選手 * [[1981年]] - [[糸井嘉男]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[アダム・バス]]、プロ野球選手 * 1981年 - [[ブレット・ハーパー]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[中島宏之]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[田中隼磨]]、サッカー選手 * 1982年 - [[小関桃]]、元プロボクサー * 1982年 - [[尾崎里奈]]、[[気象予報士]] * [[1983年]] - [[JP (ものまねタレント)|JP]]、ものまねタレント * 1983年 - [[水島愛]]、元レースクイーン * 1983年 - [[矢口アサミ]]、声優 * [[1984年]] - [[栗原恵]]、元[[バレーボール]]選手 * 1984年 - [[岡村麻純]]、女優 * [[1985年]] - [[ブライミン・キプロプ・キプルト]]、陸上競技選手 * 1985年 - [[張元準]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[合原明子]]、アナウンサー * [[1986年]] - [[興梠慎三]]、サッカー選手 * 1986年 - [[岩井勇気]]、お笑い芸人([[ハライチ]]) * 1986年 - [[ゾルターン・ケレメン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1986年 - [[須田幸太]]、元プロ野球選手 * [[1987年]] - [[高瀬友規奈]]、女優 * [[1988年]] - [[遠藤舞]]、元タレント、元アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]3号) * 1988年 - [[崔暁]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[諏訪部貴大]]、元野球選手 * [[1989年]] - [[ビクトリア・アザレンカ]]、[[テニス]]選手 * 1989年 - [[アリーナ・フョードロワ]]、陸上競技選手 * 1989年 - [[竹井奈美]]、競艇選手 * 1989年 - [[石橋穂乃香]]、女優 * [[1990年]] - [[赤川克紀]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[木本幸広]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[大城友弥]]、歌手 * 1990年 - [[鳥部万里子]]、声優 * 1990年 - [[ディエゴ・ファッブリーニ]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[鉢嶺七奈]]、タレント * [[1992年]] - [[ニコラス・エドワーズ]]、歌手 * 1992年 - [[ホセ・フェルナンデス (右投手)|ホセ・フェルナンデス]]、プロ野球選手(+ [[2016年]]) * [[1994年]] - [[狩野行寿]]、元プロ野球選手 *1994年 - [[真玉橋さや]]、タレント * [[1995年]] - [[関谷真由]]、アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]32号、[[中野風女シスターズ]]/[[風男塾]](柚希関汰名義)) * 1995年 - ミヌ、歌手([[BOYFRIEND_(音楽グループ)|BOYFRIEND]]) * 1995年 - [[八木アリサ]]、ファッションモデル * [[1996年]] - [[林家ぽん平]]、落語家 * [[1997年]] - [[RaMu]]、グラビアアイドル * [[1999年]] - HEECHAN、アイドル、ミュージシャン([[DKB (音楽グループ)|DKB]]) * [[2003年]] - [[松本来夢]]、女優 * 2003年 - 平尾帆夏、アイドル([[日向坂46]]) * [[2008年]] - [[横山歩]]、[[子役]] * 生年不明 - [[川辺俊介]]、声優 * 生年不明 - [[岩元里夏]]、声優 * 生年不明 - 奈日抽ねね、アイドル([[GEMS COMPANY]])、Vtuber == 忌日 == {{multiple image | caption1 = イエズス会[[イグナチオ・デ・ロヨラ]](1491-1556)没。 | image1 = Ignatius_Loyola.jpg | width1 = 100 | alt1 = イグナチオ・デ・ロヨラ | caption2 = [[啓蒙思想]]家[[ドゥニ・ディドロ]](1713-1784)没。 | image2 = Louis-Michel_van_Loo_001.jpg | width2 = 100 | alt2 = ドゥニ・ディドロ }} [[Image:4AgesOfLiszt.jpg|thumb|350px|作曲家[[フランツ・リスト]](1811-1886)没。{{audio|Liszt- au bord d une.ogg|『巡礼の年』より「泉のほとりで」を聴く}}]] {{multiple image | footer = [[ポスト印象派]]の画家、[[エミール・シェフネッケル]](1851-1934)没。左画像は自画像、右は『ノートル=ダム・ド・パリ』(1889) | image1 = Schuffenecker_self_portrait.jpg | width1 = 100 | alt1 = エミール・シェフネッケル | image2 = Claude_Emile_Schuffenecker_Notre_Dame_de_Paris.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『ノートル=ダム・ド・パリ』 }} {{multiple image | caption1 = 第17代アメリカ合衆国大統領[[アンドリュー・ジョンソン]](1808-1875)没。 | image1 = Andrew_Johnson_photo_portrait_head_and_shoulders%2C_c1870-1880-Edit1.jpg | width1 = 100 | alt1 = アンドリュー・ジョンソン | caption2 = [[児童文学]]作家[[ワルデマル・ボンゼルス]](1880-1952)没。 | image2 = Waldemar_Bonsels.jpg | width2 = 90 | alt2 = ワルデマル・ボンゼルス | caption3 = 外交官[[杉原千畝]](1900-1986)没。 | image3 = Sugihara_b.jpg | width3 = 100 | alt3 = 杉原千畝 | caption4 = 第58代横綱[[千代の富士貢]](1955-2016)没。画像は引退後の九重親方時代 | image4 = Kokonoe.jpg | width4 = 100 | alt4 = 千代の富士貢 }} === 人物 === * [[1556年]] - [[イグナチオ・デ・ロヨラ]]、[[イエズス会]]創立者・初代総長(* [[1491年]]) * [[1741年]]([[寛保]]元年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[奈古屋里人]]、[[周防国]][[徳山藩]]士(* [[1671年]]) * [[1784年]] - [[ドゥニ・ディドロ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Denis-Diderot Philip Denis Diderot French philosopher] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[哲学者]]、作家(* [[1713年]]) * [[1813年]](文化10年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - [[蒲生君平]]、[[儒学者]](* [[1768年]]) * [[1875年]] - [[アンドリュー・ジョンソン]]、第17代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1808年]]) * [[1886年]] - [[フランツ・リスト]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](* [[1811年]]) * [[1913年]] - [[ジョン・ミルン]]、鉱山技師、[[地震学者]]、[[人類学者]]、[[考古学者]](* [[1850年]]) * [[1934年]] - [[エミール・シェフネッケル]]、[[画家]](* [[1851年]]) * [[1944年]] - [[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ]]、作家(* [[1900年]]) * [[1952年]] - [[ワルデマル・ボンゼルス]]、[[児童文学作家]](* [[1880年]]) * [[1966年]] - [[バド・パウエル]]、ピアニスト、作曲家(* [[1924年]]) * [[1973年]] - [[東富士欽壹]]、[[大相撲]]第40代[[横綱]](* [[1921年]]) * [[1975年]] - [[加東大介]]、[[俳優]](* [[1911年]]) * [[1983年]] - [[エバ・パブリック]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1927年]]) * [[1986年]] - [[杉原千畝]]、[[外交官]](* [[1900年]]) * [[1988年]] - [[アンドレ・ナヴァラ]]、[[チェリスト]](* [[1911年]]) * 1988年 - [[前野曜子]]、[[歌手]](* [[1948年]]) * [[1993年]] - [[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]、[[ベルギー]]第5代国王(* [[1930年]]) * [[1995年]] - [[山野愛子]]、[[美容家]](* [[1909年]]) * [[1997年]] - [[料治直矢]]、[[ニュースキャスター]](* [[1935年]]) * 1997年 - [[浅野賢澄]]、[[実業家]](* [[1916年]]) * [[1998年]] - [[若林淳至]]、元[[プロ野球選手]](* [[1946年]]) * [[2001年]] - [[ポール・アンダースン]]、[[SF作家]](* [[1926年]]) * [[2004年]] - [[朱里エイコ]]、[[歌手]](* [[1948年]]) * [[2006年]] - [[吉村昭]]、[[小説家]](* [[1927年]]) * 2006年 - [[高橋明 (投手)|高橋明]]、元プロ野球選手(* [[1942年]]) * 2006年 - [[鶴見和子]]、[[社会学者]](* [[1918年]]) * [[2007年]] - [[R・D・ウィングフィールド]]、[[放送作家]](* [[1928年]]) * [[2011年]] - [[中山研一]]、[[刑法学者]](* [[1927年]]) * [[2012年]] - [[三木睦子]]、[[三木武夫]]元首相夫人(* [[1917年]]) * 2012年 - [[ゴア・ヴィダル]]、[[小説家]]、[[劇作家]]、[[評論家]]、[[脚本家]]、[[俳優]]、[[政治活動家]](* [[1925年]]) * [[2013年]] - [[平山亨]]、[[映画監督]]・プロデューサー(* [[1929年]]) * [[2014年]] - [[土建屋よしゆき]]、[[タレント]](* [[1955年]]) * [[2015年]] - [[加藤武]]、[[俳優]]・[[文学座]]代表(* [[1929年]]) * [[2016年]] - [[千代の富士貢]]、大相撲第58代[[横綱]]、年寄13代[[九重 (相撲)|九重]](* [[1955年]]) * [[2018年]] - [[穴吹義雄]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201808040000387.html|title=元南海監督の穴吹義雄さん死去 敗血症 85歳|publisher=日刊スポーツ|date=2018-08-04|accessdate=2020-11-13}}</ref>、元[[プロ野球選手]](* [[1933年]]) * [[2021年]] - [[サトウサンペイ]]<ref name="asahi20210806">{{Cite web|和書| url = https://www.asahi.com/articles/ASP857JNSP85UCLV00N.html | title = 漫画家サトウサンペイさん死去、91歳 「フジ三太郎」 | website = [[朝日新聞デジタル]] | publisher = [[朝日新聞社]] | date = 2021-08-06 | accessdate = 2021-08-06 }}</ref><ref name="kyodo20210806">{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20210806002727/https://nordot.app/796172693006565376 | title = 漫画家サトウサンペイさんが死去 「フジ三太郎」を新聞に連載 | agency = [[共同通信社]] | date = 2021-08-06 | accessdate = 2021-08-06 }}</ref><ref name="sankei20210806">{{Cite web|和書| url = https://www.sankei.com/article/20210806-2RLB5HOQLJM67CU6HD3CG23P7Y/ | title = 漫画家のサトウサンペイさん死去 「フジ三太郎」で世相描く | website = 産経ニュース | publisher = [[産業経済新聞社|産経デジタル]] | date = 2021-08-06 | accessdate = 2021-08-06 }}</ref>、[[漫画家]]、(* [[1929年]]) * [[2022年]] - [[谷村友一]]、元[[プロ野球審判員]](* [[1927年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2020年]] - [[マチカネフクキタル]]、[[競走馬]](* [[1994年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Tugu_Negara.jpg|thumb|[[クアラルンプール]]にある国家記念碑([[:en:Tugu Negara]])]] {{multiple image | image1 = Flag-of-hawaii-flying.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[ハワイ州の旗]](カ・ハエ・ハワイイ) | alt1 = ハワイ州の旗 | image2 = Img20040730_0302_at_neustift.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[パラグライダー]]の日 | alt2 = パラグライダー }} * {{仮リンク|英雄の日 (マレーシア)|en|Hari Pahlawan|label=英雄の日}}({{MYS}}) *: 両大戦および[[マラヤ危機]]での戦死者を称える日。国王と首相が[[クアラルンプール]]の国家記念碑に献花し敬意を表する。 * カ・ハエ・ハワイイ・デイ、ハワイ旗の日({{Flag2|ハワイ州}}) *: [[1990年]]にハワイ州知事が制定。 * [[住吉祭]]、[[住吉大社]]の[[例祭]] ({{JPN}}) * [[パラグライダー]]記念日({{JPN}}) *: [[1988年]]のこの日、北九州市で第1回パラグライダー選手権が開かれた。 * [[蓄音機]]の日({{JPN}}) *: 1877年のこの日、エジソンが蓄音機の特許をとった。 * [[クールジャパン]]の日({{JPN}}) *: NHK BSの番組「クールジャパン」の記念日。2005年の第1回の放送日。 *[[GLAY]]の日 ({{JPN}}) *:1999年7月31日に幕張メッセ特設会場で有料ライブ世界最高動員が[[ギネスブック]]に記録された日を記念してGLAYファン(GLAYER)の間で言われるようになった {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0731|date=2011年6月}} * [[1975年]] - 夜見島小中学校が放火され、全焼する(ゲーム『[[SIREN2]]』) * [[2201年]] - シラヒメ事件。第8番ターミナルコロニー・シラヒメが謎の機動兵器([[ブラックサレナ]])の襲撃によって壊滅(実際は「火星の後継者」による証拠隠滅)。(アニメ映画『[[機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-]]』) * [[宇宙世紀]]0085年 - [[グリプス戦役#30バンチ事件|30バンチ事件]]発生。(アニメ『[[機動戦士Ζガンダム]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1899年]] - [[帝国華撃団|藤枝あやめ]]、ゲーム『[[サクラ大戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aiaxlone|1553640952082100225}}</ref>(+ [[1923年]]) * [[1953年]] - 近衛かおる、アニメ『[[ゲートキーパーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite episode |title=夢へ向かって駆け抜けろ! |series=『ゲートキーパーズ』第5話 6分48秒から生沢ルリ子のセリフ |airdate=2000-05-01}}</ref> * [[1980年]] - [[ハリー・ポッター (架空の人物)|ハリー・ポッター]]、小説・映画[[ハリー・ポッターシリーズ|『ハリー・ポッター』シリーズ]]の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://warnerbros.co.jp/franchise/wizardingworld/special/characters/harry-potter.html |title=ハリー・ポッター |publisher=Warner Bros. Japan LLC |accessdate=2023-01-26 |work=魔法ワールド特集}}</ref> * [[1988年]] - 春夏・ルシエラ、アニメ『[[装神少女まとい]]』に登場するキャラクター<ref>第1話の警察手帳から。</ref> * [[2041年]] - フィル、漫画・アニメ『[[約束のネバーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=白井カイウ|authorlink1=白井カイウ|author2=出水ぽすか|authorlink2=出水ぽすか|year=2020 |title=シークレットバイブル 約束のネバーランド 0 MYSTIC CODE |publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|page=50|isbn=978-4-08-882462-8}}</ref> * 生年不明 - [[宮城リョータ]]、漫画・アニメ『[[SLAM DUNK]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=井上雄彦 |title=[[SLAM DUNK]] |volume=23巻 |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |year=1995 |page=47 |isbn=4-08-871843-7}}</ref> * 生年不明 - グリムジョー・ジャガージャック、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/03/grimmjow.html |title=グリムジョー・ジャガージャック |access-date=2023-01-26 |publisher=[[久保帯人]] / [[集英社]] |work=BLEACH.com}}</ref> * 生年不明 - クロス・マリアン、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=星野桂 |title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃 |publisher=集英社 |series=[[ジャンプ・コミックス]] |year=2008 |page=48 |isbn=978-4-08-874248-9}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=星野桂 |title=D.Gray-man キャラクター ランキングブック キャラグレ! |publisher=集英社 |series=ジャンプ・コミックス |year=2011 |page=144 |isbn=978-4-08-870268-1}}</ref> * 生年不明 - 犬飼暁、漫画・アニメ『[[ReLIFE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://relife-anime.com/character/ |title=CHARACTER 犬飼 暁 |access-date=2023-01-26 |publisher=[[夜宵草]]/comico/リライフ研究所 |work=『ReLIFE』}}</ref> * 生年不明 - 蒲田公英、小説・アニメ『[[俺を好きなのはお前だけかよ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ore.ski/character/tanpopo.html |title=たんぽぽ|蒲田公英 |access-date=2023-01-26 |publisher=[[駱駝 (小説家)|駱駝]]/[[KADOKAWA]]/「俺好き」製作委員 |work=『俺を好きなのはお前だけかよ』}}</ref> * 生年不明 - ケイト、アニメ『[[荒野のコトブキ飛行隊]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kotobuki_pr|1156402680664735745}}</ref> * 生年不明 - 間宮リナ、ゲーム・アニメ・ドラマ『[[ひぐらしのなく頃に]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://07th-expansion.net/hig_gensaku#character |title=キャラクター紹介 間宮リナ |access-date=2023-01-26 |publisher=07th Expansion |work=『ひぐらしのなく頃に』}}</ref> * 生年不明 - 橘ありす、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20104 |title=橘 ありす(たちばな ありす) |access-date=2023-01-26 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 紅林珠璃、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/03/character/07.html |title=紅林珠璃 |publisher=BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO |accessdate=2023-01-26 |work=『アイカツ!』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 31|31 July}} {{新暦365日|7|30|8|1|無し|[[8月31日]]|無し|0731|7|31}} {{1年の月と日}}
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機回し
機回し()とは、機関車を列車編成の先頭部から最後部へ、切り離して転線することにより付け替える(前方から後方へ移動させる)作業のことである。機関車回し()作業とも呼ばれる。 機回し作業が行われる例として、機関車が客車・貨車などを終着駅またはスイッチバック駅まで牽引した後、反対方向に走行させるために機回し作業が必要となる。編成最前部の機関車を切り離し編成最後尾に付け替える。 機回しには機回し線を使用する。蒸気機関車は運転台が一方向にしかないため、転車台を用いて機関車自体の方向を変えることが一般に行われていたが、電気機関車、ディーゼル機関車等では、日本国有鉄道EF55形電機機関車など一部を除いて機関車の両端に運転台を持つため、方向転換の必要がなくなった。また、デルタ線(三角線)でもこれを行うことがある。
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機回しとは、機関車を列車編成の先頭部から最後部へ、切り離して転線することにより付け替える(前方から後方へ移動させる)作業のことである。機関車回し作業とも呼ばれる。
{{出典の明記|date=2019年12月}} [[画像:機回し.gif|right|360px|thumb|緑色の[[機関車]]が黄色の[[客車]]を牽いてきた後、反対方向に出発する。機関車は機回しを行っており、青い線の部分が「[[機回し線]]」と呼ばれる機回し用の[[線路 (鉄道)|線路]]。]] {{読み仮名|'''機回し'''|きまわし}}とは、[[機関車]]を列車編成の先頭部から最後部へ、切り離して転線することにより付け替える(前方から後方へ移動させる)作業のことである。{{読み仮名|'''機関車回し'''|きかんしゃまわし}}作業とも呼ばれる。 ==概要== {{節スタブ}} 機回し作業が行われる例として、機関車が[[客車]]・[[貨車]]などを[[終着駅]]または[[スイッチバック]]駅まで牽引した後、反対方向に走行させるために機回し作業が必要となる。編成最前部の機関車を切り離し編成最後尾に付け替える。 機回しには[[機回し線]]を使用する。[[蒸気機関車]]は[[操縦席|運転台]]が一方向にしかないため、[[転車台]]を用いて機関車自体の方向を変えることが一般に行われていたが、[[電気機関車]]、[[ディーゼル機関車]]等では、[[国鉄EF55形電気機関車|日本国有鉄道EF55形電機機関車]]など一部を除いて機関車の両端に[[操縦席|運転台]]を持つため、方向転換の必要がなくなった。また、[[デルタ線]](三角線)でもこれを行うことがある。 ==関連項目== * [[機回し線]] [[Category:鉄道運転業務|きまわし]] [[Category:蒸気機関車|きまわし]] {{DEFAULTSORT:きまわし}}
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サイリスタ
サイリスタ(英語: Thyristor)とは、電流を制御することができる半導体素子である。シリコン整流子に制御電極を付加したものであるため、SCR(Silicon Controlled Rectifier: シリコン制御整流子)とも呼ばれる。 サイリスタには、ゲート (G) 、カソード (K) 、アノード (A)と呼ばれる3つの電極があり、主にゲート (G) からカソード (K) へと流れるゲート電流を変化させることにより、アノード (A) とカソード (C) 間を流れる電流を制御することができる。 P型半導体をP、N型半導体をNとすると、サイリスタは PNPN の4重構造である。最初のPにアノード、最後のNにカソード、そして中央2つのうち何れかひとつにゲート端子が接続されている。そのうちP型半導体からゲート端子(ゲート電極、制御電極とも)を引き出しているものをPゲート、N型半導体からゲート端子を引き出しているものをNゲートと呼ぶ。NゲートのものはPUT (Programmable Uni junction Transistor) として動作する。原理としては、図のようにPNPトランジスタとNPNトランジスタを組み合わせた複合回路と等価である。 サイリスタは、古典的な機械スイッチと同様にスイッチング機能を有する。機械スイッチのオンを半導体では「導通」と呼び、電流が素子を通って回路に流れている状態のことを指す。また、オフ状態を「非導通」という。非導通から導通へのプロセスは「点弧」もしくは「ターンオン」という。反対に導通から非導通へのプロセスは「消弧」もしくは「ターンオフ」である。そしてこれらを制御する装置は「ゲートドライブ」や「ゲート装置」と呼び、スイッチのつまみにあたるゲート端子がサイリスタの操作を行う。 この特徴を生かし、一度導通状態にしたら、通過電流が0になるまで導通状態を維持することが望ましい用途に使用される。(カメラのフラッシュ制御など)。このような特性のため非常に過電流耐量が大きく通常のヒューズでも素子を保護することができるため電源 - サイリスタ - 負荷の接続で使用する位相制御用としては非常に良い素子である。特に、大電力の制御の場合、電流0のタイミングで OFF になるためサージ防止に優れる。 ただしインバータのように電源に対して2個直列したものを並列にする回路構成では、最悪の場合サイリスタで電源を短絡してしまうことになるため、十分な保護回路を組み合わせることが必要である。 以下、左図を元に説明する。この図ではアノードから順に、接合部に対しJ1、J2、J3と名付けられている。説明でもこの名称を用いることにする。 サイリスタはJ1とJ3がP型半導体からN型半導体に接合され順バイアスとなっているが、J2でN型半導体からP型半導体に接合されている。つまりJ2では逆バイアス状態で、アノードに正電圧を加えるだけではJ1は通過できるものの、J2ではわずかな漏れ電流が流れるだけであり、実用上は電流が停止した状態である。 J3がPN接合であるため、カソードから電圧をかけるとダイオードに逆バイアスをかけるのと同じ状態であり、やはり非導通状態のままである。 ところが、サイリスタに対して順バイアスをかけてからゲートに電流を通過(トリガ)させると、J2からJ3への漏れ電流がゲート電流により加速されてなだれ降伏を起し、アノードとカソード間が導通する。このときのゲート電流はアノード - カソード間よりも小さくてもよい。 ゲート電流の発信には、古くはユニジャンクショントランジスタが多用された。また後述するトライアックではダイアックとペアで使用されることが多い。 サイリスタで一度なだれ降伏を起すと、ゲート電流を切るだけでは降伏は収まらない。ゲート電流を切った後アノードとカソード間の電流を最も簡単に止める方法は、アノードに流れる電流も切ってしまうことであるが、回路を無接点化したい場合、この方法は不適切な場合がある。例外として交流電源の場合、電圧が0になる瞬間があるため自然と消弧する。また交流電源を整流するのであれば、整流器を構成するダイオードの一部または全部をサイリスタに置き換えることで、直流電流をスイッチングすることができる(サイリスタ位相制御)。電源そのものが直流の場合はサイリスタに逆バイアスをかける必要がある。逆阻止3端子サイリスタと逆導通サイリスタは自己消弧能力を持たないため、サイリスタを消弧するための素子が別途必要となる。消弧専用の回路を転流回路と呼び、例えば転流回路の素子をサイリスタとすると、そのサイリスタをオンにして主回路側のサイリスタに逆バイアスをかける。自己消弧能力を持つ場合はゲートドライブでゲート端子に負電圧をかけることで逆バイアスとする。カソードに正電圧をかける点はどちらもおなじである。また自己消弧能力を持つ場合は、ゲートドライブに転流回路を組み込んでいるといえる。 サイリスタは「SCR」とも呼ばれるが、「SCR」はゼネラル・エレクトリック社の登録商標で、「サイリスタ」はRCA社がサイラトロンの動作に似たトランジスタとしてつけた名称である(後に国際電気標準会議により「サイリスタ」に統一される)。また、後述する逆導通サイリスタが流通し始めると、区別のために「逆阻止3端子サイリスタ」とも呼ばれるようになった。サイリスタ単体で逆阻止能力、すなわち逆方向からの電圧に耐える能力を持っているからである。しかし単に「サイリスタ」といえば逆阻止3端子サイリスタを指すことが多い。 後にP型半導体またはN型半導体の組み合わせが4重以上、端子の数も2つ以上のものが発明され、主にスイッチング用途で使用し構造や動作原理が似たものを総じて「サイリスタ」と呼ぶようにもなった。 近年はスイッチング周波数を高く採ることが容易なトランジスタが台頭しているが、サイリスタでもトランジスタに匹敵するスイッチング周波数を持つものや、サイリスタの特長である大電力領域での利用、そして新しい半導体材料やPIN接合で設計できるなど、サイリスタの適用領域、優位性は存在する。 通常はブリッジ状に個別に配線する還流ダイオードとサイリスタをひとつの基板上に組み込んだものである。ゆえに、基本的には逆阻止3端子サイリスタと大差はない。しかし配線が単純化するとともに小型化される特徴がある。 Reverse Conducting Thyristorの頭文字をとってRCTとも呼ぶ。逆向きの電流を流さない一方向性半導体素子の多くにこの配線を採用したものがあり、例えばGTOサイリスタなら逆導通GTOサイリスタと呼ばれる。電気鉄道の電機子チョッパ制御の主力であり、またVVVFインバータ制御の黎明期まで使用された。スイッチング周波数は300Hz程度。 三菱電機が独時に開発した自己消弧素子で、Gate Assisted Turn-off Thyristorの頭文字からGATTとも呼ぶ。一般の高速サイリスタと後述のゲートターンオフサイリスタの中間に位置するものである。 元々は、高周波焼入れ装置や溶解炉用の誘導加熱用高周波電源装置の省エネルギー化を目的として開発された素子である。1982年、帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)が開発を進めていた高周波分巻チョッパ制御(4象限チョッパ)の試作品に、スイッチング素子として試験採用されたが、実際に同制御方式を採用する予定だった営団01系電車が製造段階に入る頃には後述のゲートターンオフサイリスタが主流となりつつあったため、同制御方式はもとより電子部品としても実用化されずに消滅した。 Gate Turn Off thyristorの頭文字からGTOサイリスタ、または単にGTOとも呼ばれる自己消弧素子である。文字通りゲート電極の信号で消弧もできる。ゲート電極に与える信号は負電圧で、正電圧はカソードにかける。スイッチング周波数は450Hz。点弧用ゲートドライブは単純であるが、消弧する際は大きな電流が必要となるため、数段に渡るバイポーラトランジスタを一斉に導通して大きなサージを発生させ昇圧する必要がある。使用に際してはアノードリアクトルとスナバ回路が必須である。 大電力用途として、とくに電気鉄道のVVVFインバータ制御において1990年代後半まで主力であった。また電機子チョッパ制御も末期に東京都交通局や営団などに、また高周波分巻チョッパ制御や初期の静止形インバータ、整流器にも使用された。電圧耐性と出力の高さから、90年代にはひとつのインバータ装置で2両分8個の主電動機を駆動する (1C8M) ことができるようになり、軽量化、大容量化とコスト削減を実現している。これは主役の座を明け渡したIGBTでさえ得ることができない性能である。 また逆導通GTOサイリスタは装置の小型軽量化に適しており、日本国内の路面電車の多くに採用されている。一般的な電車への採用例もあり、JR東日本E127系電車が該当する。 キャリアを引き抜きやすくするためカソード電極の周りをゲート電極で取り囲み、アノード電極は逆阻止3端子サイリスタでは2つ目に接合されていたN型半導体と、それに埋め込まれるように接合され、細かく分割されたP型半導体の両方に接続されている。これを同心円状に多数並列接続し、セラミックなどのケースに封止したものである。 Gate Commutated Turn-off thyristorの頭文字からGCTサイリスタとも呼ばれる。三菱電機が1995年に世界に先駆けて開発したもので、GTOサイリスタのゲートを中心に改良したものである。スナバ回路が不要となって低損失化を実現したほか、インダクタンスの低減によりスイッチング周波数が10倍となった。サイリスタとゲートドライブとのインダクタンスは1/100ほどまで低減されている。またターンオン時の電流上昇率に対する耐量が向上し、アノードリアクトルも不要となる。近年はPIN接合やSiC(Silicon Carbide: 炭化ケイ素)を用い、110kVA級の容量を持つインバータ装置が関西電力と英Cree社の共同開発によって実現されている。逆導通形 (Reverce conducting GCT: RGCT) や電圧形インバータとして逆導電形もラインナップされている。 現在の用途はもっぱら圧延機の駆動用だが、これをさらに改良したIntegrated GCT (IGCT) サイリスタを用いた高速列車が韓国高速鉄道KTXの次世代車両HSR-350xとして試作された。時速352.4km/hを記録したが、素子の破壊を繰り返したためIGBTへの移行を検討している(最終的にIGCTを採用)。 GTOサイリスタではケースから引き出されたゲート電極を介してゲートドライブに接続されていたのに対し、GCTサイリスタは積層構造を基本とし、ゲート電極がリング状の金属板として基盤に積み重ねられている。基盤には数千個にも及ぶサイリスタが同心円状に並列接続されている点と、ゲート電極がカソード電極を囲んでいるのはGTOサイリスタと同じである。上述の韓国高速鉄道が採用したIGCTは集積化ゲート転流型サイリスタ(Integrated GCT)のことで、GCTとそれを駆動するゲートドライブを積み重ねて一体化したものである。 ターンオフはサイリスタに流れてくる電流すべてをゲート回路に向けて流すことで行う。ゲート電極をリング状とすることで点ではなく線で接触するため、半導体の広い範囲に電圧をかけることが可能となり高効率となった。なお、金属板のゲート電極と線状のゲート電極は互いに動くことができるよう弾性材によって押し付けられている。 逆方向阻止電圧耐性を持たないのも特徴で、逆阻止能力を持たせた逆阻止形GCTサイリスタ (SGCT: Symmetrical GCT) もラインナップされている。 光トリガサイリスタ(光サイリスタ: LTT: Light-Triggered Thyristor)は、光信号によって直接点弧させるサイリスタである。 制御回路と電力回路とを完全に絶縁でき、ノイズによる誤動作を少なくすることができるので、高電圧の交流電源回路に用いられる。具体的な適用例として、周波数変換設備 (FC: Frequency Converter) や直流送電設備 (HVDC: High Voltage Direct Current) における交直変換装置、無効電力補償装置 (SVC: Static Var Compensator)、大容量回転機の始動装置 (SS: Static Starter) など比較的高電圧大電流の電力変換があげられる。 静電誘導サイリスタは、高速で大電流を制御可能な半導体素子である。 トリガ電圧が低く、ターンオフが速やかで自己制御型のGTOのようなON-OFF素子で東洋電機によって1988年に発売された。静電誘導素子の一種で高出力、高周波数の電力用半導体素子である。実質的にはp+の電極状のゲート構造を備えたp+nn+ダイオードである。素子の構造はアノード側に付加されたp+層以外は概ね静電誘導トランジスタと同じ。 通常は導通状態でOFFにするためには負の電圧を付加する必要がある。静電誘導サイリスタの導通状態はPINダイオードの挙動に似る。 双方向サイリスタ(そうほうこう さいりすた)は、相補的な2個のサイリスタを逆並列に接続する構成をとることで、双方向に電流を流すことを可能とし、直流だけでなく交流でも使えるようにしたものである。実際の素子は、2個の素子を接続したものではなく図に示すようなモノリシック構造となっている。TRIACとは、Triode AC Switchの略であり、1964年にゼネラル・エレクトリック社で初めて開発された。 ダイアックを点弧素子として交流の双方向スイッチング制御に用いられる。
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さいりすた)は、相補的な2個のサイリスタを逆並列に接続する構成をとることで、双方向に電流を流すことを可能とし、直流だけでなく交流でも使えるようにしたものである。実際の素子は、2個の素子を接続したものではなく図に示すようなモノリシック構造となっている。TRIACとは、Triode AC Switchの略であり、1964年にゼネラル・エレクトリック社で初めて開発された。", "title": "双方向サイリスタ(トライアック:TRIAC)" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ダイアックを点弧素子として交流の双方向スイッチング制御に用いられる。", "title": "双方向サイリスタ(トライアック:TRIAC)" } ]
サイリスタとは、電流を制御することができる半導体素子である。シリコン整流子に制御電極を付加したものであるため、SCRとも呼ばれる。
[[Image:Thyristor circuit symbol.svg|thumb|逆阻止3端子サイリスタの回路記号]] '''サイリスタ'''({{lang-en|Thyristor}})とは、[[電流]]を制御することができる[[半導体素子]]である<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=サイリスタとは |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF-68304 |website=コトバンク |access-date=2022-08-01 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 |last=小項目事典,知恵蔵}}</ref>。シリコン[[整流子]]に制御電極を付加したものである<ref name=":0" />ため、'''SCR'''(Silicon Controlled Rectifier: シリコン制御整流子)とも呼ばれる。 == 構造と動作 == サイリスタには、ゲート (G) 、[[カソード]] (K) 、[[アノード]] (A)と呼ばれる3つの電極があり、主にゲート (G) から[[カソード]] (K) へと流れるゲート[[電流]]を変化させることにより、[[アノード]] (A) とカソード (C) 間を流れる電流を制御することができる。 [[P型半導体]]をP、[[N型半導体]]をNとすると、サイリスタは PNPN の4重構造である。最初のPにアノード、最後のNにカソード、そして中央2つのうち何れかひとつにゲート端子が接続されている。そのうちP型半導体からゲート端子(ゲート電極、制御電極とも)を引き出しているものをPゲート、N型半導体からゲート端子を引き出しているものをNゲートと呼ぶ。Nゲートのものは[[ユニジャンクショントランジスタ|PUT]] (Programmable Uni junction Transistor) として動作する。原理としては、図のようにPNPトランジスタとNPNトランジスタを組み合わせた複合回路と等価である。 [[画像:Thyristor.svg]] サイリスタは、古典的な[[開閉器|機械スイッチ]]と同様にスイッチング機能を有する。機械スイッチのオンを半導体では「導通」と呼び、電流が素子を通って回路に流れている状態のことを指す。また、オフ状態を「非導通」という。非導通から導通へのプロセスは「点弧」もしくは「ターンオン」という。反対に導通から非導通へのプロセスは「消弧」もしくは「ターンオフ」である。そしてこれらを制御する装置は「ゲートドライブ」や「ゲート装置」と呼び、スイッチのつまみにあたるゲート端子がサイリスタの操作を行う。 この特徴を生かし、一度導通状態にしたら、通過電流が0になるまで導通状態を維持することが望ましい用途に使用される。(カメラの[[エレクトロニックフラッシュ|フラッシュ]]制御など)。このような特性のため非常に過電流耐量が大きく通常のヒューズでも素子を保護することができるため電源 - サイリスタ - 負荷の接続で使用する位相制御用としては非常に良い素子である。特に、大電力の制御の場合、電流0のタイミングで OFF になるため[[サージ]]防止に優れる。 ただし[[インバータ]]のように電源に対して2個直列したものを並列にする回路構成では、最悪の場合サイリスタで電源を短絡してしまうことになるため、十分な保護回路を組み合わせることが必要である。 === 点弧 === [[Image:Thyristor_layers.svg|thumb|150px|left|サイリスタの構造]] 以下、左図を元に説明する。この図ではアノードから順に、接合部に対しJ<sub>1</sub>、J<sub>2</sub>、J<sub>3</sub>と名付けられている。説明でもこの名称を用いることにする。 サイリスタはJ<sub>1</sub>とJ<sub>3</sub>がP型半導体からN型半導体に接合され[[ダイオード#順バイアス|順バイアス]]となっているが、J<sub>2</sub>でN型半導体からP型半導体に接合されている。つまりJ<sub>2</sub>では[[ダイオード#逆バイアス|逆バイアス]]状態で、アノードに正電圧を加えるだけではJ<sub>1</sub>は通過できるものの、J<sub>2</sub>ではわずかな漏れ電流が流れるだけであり、実用上は電流が停止した状態である。 J<sub>3</sub>が[[PN接合]]であるため、カソードから電圧をかけると[[ダイオード]]に逆バイアスをかけるのと同じ状態であり、やはり非導通状態のままである。 ところが、サイリスタに対して順バイアスをかけてからゲートに電流を通過(トリガ)させると、J<sub>2</sub>からJ<sub>3</sub>への漏れ電流がゲート電流により加速されて[[なだれ降伏]]を起し、アノードとカソード間が導通する。このときのゲート電流はアノード - カソード間よりも小さくてもよい。 ゲート電流の発信には、古くは[[ユニジャンクショントランジスタ]]が多用された。また後述するトライアックでは[[DIAC|ダイアック]]とペアで使用されることが多い。 === 消弧 === サイリスタで一度なだれ降伏を起すと、ゲート電流を切るだけでは降伏は収まらない。ゲート電流を切った後アノードとカソード間の電流を最も簡単に止める方法は、アノードに流れる電流も切ってしまうことであるが、回路を無接点化したい場合、この方法は不適切な場合がある。例外として[[交流]]電源の場合、電圧が0になる瞬間があるため自然と消弧する<ref name="miyazaki_scr" />。また交流電源を整流するのであれば、[[整流器]]を構成するダイオードの一部または全部をサイリスタに置き換えることで、直流電流をスイッチングすることができる([[サイリスタ位相制御]])。電源そのものが直流の場合はサイリスタに逆バイアスをかける必要がある。逆阻止3端子サイリスタと逆導通サイリスタは[[自己消弧素子|自己消弧]]能力を持たないため、サイリスタを消弧するための素子が別途必要となる。消弧専用の回路を転流回路と呼び<ref name="miyazaki_scr" />、例えば転流回路の素子をサイリスタとすると、そのサイリスタをオンにして主回路側のサイリスタに逆バイアスをかける。自己消弧能力を持つ場合はゲートドライブでゲート端子に負電圧をかけることで逆バイアスとする。カソードに正電圧をかける点はどちらもおなじである。また自己消弧能力を持つ場合は、ゲートドライブに転流回路を組み込んでいるといえる。 == 名称について == サイリスタは「SCR」とも呼ばれるが、「SCR」は[[ゼネラル・エレクトリック]]社の[[登録商標]]で<ref name="freelab_scr">{{Cite web|和書|title=トランジスタはすごい! |url=http://www.freelab.jp/fl_part/p_transistor.html#SCR |accessdate=2010-03-31 |publisher=FreeLab}}</ref>、「サイリスタ」は[[RCA]]社が[[サイラトロン]]の動作に似たトランジスタとしてつけた名称である<ref name="freelab_scr" />(後に[[国際電気標準会議]]により「サイリスタ」に統一される<ref name="freelab_scr" />)。また、後述する逆導通サイリスタが流通し始めると、区別のために「逆阻止3端子サイリスタ」とも呼ばれるようになった。サイリスタ単体で逆阻止能力、すなわち逆方向からの電圧に耐える能力を持っているからである。しかし単に「サイリスタ」といえば逆阻止3端子サイリスタを指すことが多い。 後に[[P型半導体]]または[[N型半導体]]の組み合わせが4重以上、[[端子]]の数も2つ以上のものが発明され、主にスイッチング用途で使用し構造や動作原理が似たものを総じて「サイリスタ」と呼ぶようにもなった<ref>{{Cite web|和書|title=日本財団図書館(電子図書館) 平成15年度 通信講習用 船舶電気装備技術講座(電気機器編、初級) |url=http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00134/contents/0033.htm |accessdate=2009-03-30 |publisher=日本船舶電装協会}}</ref><ref name="miyazaki_scr">{{Cite web|和書|title=「宮崎研究所」の技術講座「電気と電子のお話」4.4.(1) |url=http://www.miyazaki-gijutsu.com/series4/densi0441.html#4.4.(2-A-a) |accessdate=2009-03-19 |publisher=有限会社 宮崎技術研究所 宮崎誠一、宮崎仁}}</ref>。 == トランジスタとの比較 == 近年はスイッチング[[周波数]]を高く採ることが容易な[[トランジスタ]]が台頭しているが、サイリスタでもトランジスタに匹敵するスイッチング周波数を持つものや、サイリスタの特長である[[電力|大電力]]領域での利用、そして新しい[[半導体|半導体材料]]や[[ダイオード#特性による分類|PIN接合]]で設計できるなど、サイリスタの適用領域、優位性は存在する。 == 逆導通サイリスタ == 通常はブリッジ状に個別に配線する[[ダイオード#還流ダイオード|還流ダイオード]]とサイリスタをひとつの[[基板]]上に組み込んだものである<ref>[https://felib.fujielectric.co.jp/docfetch2/CustomContentBrowse.aspx?dataid=68294461&version=0&site=japan&lang=ja 車両用大容量半導体素子](富士時報1983年3月号)。</ref>。ゆえに、基本的には逆阻止3端子サイリスタと大差はない。しかし配線が単純化するとともに小型化される特徴がある。 Reverse Conducting Thyristorの頭文字をとって'''RCT'''とも呼ぶ<ref>{{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.11526/ieejjournal1888.93.121 |title=逆導通サイリスタ |author=八尾勉, 亀井達彌 |year=1973 |journal=電氣學會雜誌 |publisher=電気学会 |volume=93 |issue=2 |pages=121-124 |doi=10.11526/ieejjournal1888.93.121}}</ref>。逆向きの電流を流さない一方向性半導体素子の多くにこの配線を採用したものがあり、例えばGTOサイリスタなら逆導通GTOサイリスタと呼ばれる。電気鉄道の[[電機子チョッパ制御]]の主力であり、また[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]の黎明期まで使用された。スイッチング周波数は300[[ヘルツ (単位)|Hz]]程度。 == ゲート補助ターンオフサイリスタ == {{節スタブ}} [[三菱電機]]が独時に開発した自己消弧素子で、Gate Assisted Turn-off Thyristorの頭文字から'''GATT'''とも呼ぶ<ref name="MITSUBISHI1982-11">三菱電機『三菱電機技報』1982年11月号「半導体素子の省エネルギーへの役割」pp.90 - 91。</ref><ref>{{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.14913/jipe1975.7.22 |title=高周波用GATT (Gate Assisted Turn-Off Thyristor) |author=多田 昭晴, 川上 明 |year=1981 |journal=パワー・エレクトロニクス研究会講演論文集 |publisher=パワーエレクトロニクス学会 |volume=7 |pages=22-24 |doi=10.14913/jipe1975.7.22}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.11526/ieejjournal1888.98.385 |title=第2章 高速スイッチングサイリスタ |author=蒲生浩 |year=1978 |journal=電氣學會雜誌 |publisher=電気学会 |volume=98 |issue=5 |pages=385-389 |doi=10.11526/ieejjournal1888.98.385}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.11526/ieejeiss1972.102.155 |title=Gate Assisted Turn-off Thyristor (GATT)構造によるサイリスタの高周波化について |author=多田昭晴, 中川勉, 上田和男 |year=1982 |journal=電気学会論文誌. C |publisher=電気学会 |volume=102 |issue=7 |pages=155-162 |doi=10.11526/ieejeiss1972.102.155}}</ref>。一般の高速サイリスタと後述のゲートターンオフサイリスタの中間に位置するものである<ref>[https://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1986/08/1986_08_02.pdf パワーデバイスの最近の進歩](日立評論1986年8月号)。</ref>。 元々は、[[高周波焼入れ]]装置や溶解炉用の[[誘導加熱]]用高周波電源装置の[[省エネルギー]]化を目的として開発された素子である<ref name="MITSUBISHI1982-11"/>。[[1982年]]、[[帝都高速度交通営団]](現[[東京地下鉄]])が開発を進めていた[[電機子チョッパ制御#高周波分巻チョッパ制御|高周波分巻チョッパ制御]](4象限チョッパ)の[[プロトタイプ|試作品]]に、スイッチング素子として試験採用されたが<ref name="PICT1999-3">鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1999年3月号特集「電機子チョッパ車の30年」pp.16 - 17。</ref>、実際に同制御方式を採用する予定だった[[営団01系電車]]が製造段階に入る頃には後述のゲートターンオフサイリスタが主流となりつつあったため<ref name="PICT1999-3"/>、同制御方式はもとより電子部品としても実用化されずに消滅した。 == ゲートターンオフサイリスタ == {{See also|ゲートターンオフサイリスタ}} [[Image:GTO.svg|left|thumb|GTOサイリスタの回路記号]] [[Image:GTO_symbol.svg|thumb|もう一つのGTOサイリスタの回路記号。右側が最もポピュラーである]] Gate Turn Off thyristorの頭文字から'''GTOサイリスタ'''、または単に'''GTO'''とも呼ばれる自己消弧素子である。文字通りゲート電極の信号で消弧もできる。ゲート電極に与える信号は負電圧で、正電圧はカソードにかける。スイッチング周波数は450Hz。点弧用ゲートドライブは単純であるが、消弧する際は大きな電流が必要となるため、数段に渡る[[バイポーラトランジスタ]]を一斉に導通して大きなサージを発生させ昇圧する必要がある。使用に際してはアノード[[リアクトル]]と[[スナバ回路]]が必須である。 大電力用途として、とくに電気鉄道のVVVFインバータ制御において[[1990年代]]後半まで主力であった。また電機子チョッパ制御も末期に[[東京都交通局]]や営団などに、また高周波分巻チョッパ制御や初期の[[静止形インバータ]]、[[直流電化#パルス幅変調整流器|整流器]]にも使用された。電圧耐性と出力の高さから、90年代にはひとつのインバータ装置で2両分8個の主電動機を駆動する (1C8M) ことができるようになり、軽量化、大容量化とコスト削減を実現している。これは主役の座を明け渡した[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ|IGBT]]でさえ得ることができない性能である。 また逆導通GTOサイリスタは装置の小型軽量化に適しており、日本国内の[[路面電車]]の多くに採用されている。一般的な[[電車]]への採用例もあり、[[JR東日本E127系電車]]が該当する。 === 構造 === キャリアを引き抜きやすくするためカソード電極の周りをゲート電極で取り囲み、アノード電極は逆阻止3端子サイリスタでは2つ目に接合されていたN型半導体と、それに埋め込まれるように接合され、細かく分割されたP型半導体の両方に接続されている。これを同心円状に多数並列接続し、セラミックなどのケースに封止したものである。 {{-}} == ゲート転流型ターンオフサイリスタ == {{main|集積化ゲート転流型サイリスタ}} [[Image:Igct_circuit_symbol5.svg|thumb|200px|[[IGCT]]サイリスタの回路記号]] Gate Commutated Turn-off thyristorの頭文字から'''GCTサイリスタ'''とも呼ばれる。[[三菱電機]]が[[1995年]]に世界に先駆けて開発したもので<ref>{{Cite web|和書|title=三菱電機技報 2001年6月号 |url=http://www.mitsubishielectric.co.jp/giho/0106/0106112.pdf |date=2001-06 |accessdate=2009-09-07 |publisher=三菱電機}}</ref>、GTOサイリスタのゲートを中心に改良したものである。スナバ回路が不要となって低損失化を実現したほか、[[インダクタンス]]の低減によりスイッチング周波数が10倍となった。サイリスタとゲートドライブとのインダクタンスは1/100ほどまで低減されている。またターンオン時の電流上昇率に対する耐量が向上し、アノードリアクトルも不要となる。近年はPIN接合やSiC(Silicon Carbide: [[炭化ケイ素]])を用い、110[[キロ|k]][[ボルトアンペア|VA]]級の容量を持つ[[インバータ]]装置が[[関西電力]]と英[[:en:Cree Inc,|Cree]]社の共同開発によって実現されている<ref>{{Cite web|和書|title=SiC技術によるインバータで、電力損失を半減 |url=http://ednjapan.rbi-j.com/issue/2006/3/40 |date=2006-03 |accessdate=2009-09-07 |publisher=EDN Japan}}</ref>。逆導通形 (Reverce conducting GCT: RGCT) や電圧形インバータとして逆導電形もラインナップされている。 現在の用途はもっぱら圧延機の駆動用だが、これをさらに改良した[[:en:Integrated gate-commutated thyristor|Integrated GCT]] (IGCT) サイリスタを用いた高速列車が[[韓国高速鉄道]]KTXの次世代車両[[HSR-350x]]として試作された。[[時速]]352.4[[キロメートル毎時|km/h]]を記録したが、素子の破壊を繰り返したためIGBTへの移行を検討している(最終的にIGCTを採用)。 {{clear}} === 構造 === [[ファイル:IGCT_cross_section_DE.svg|thumb|200px|right|[[IGCT]]サイリスタの構造]] GTOサイリスタではケースから引き出されたゲート電極を介してゲートドライブに接続されていたのに対し、GCTサイリスタは積層構造を基本とし、ゲート電極がリング状の金属板として基盤に積み重ねられている。基盤には数千個にも及ぶサイリスタが同心円状に並列接続されている点と、ゲート電極がカソード電極を囲んでいるのはGTOサイリスタと同じである<ref name="asta_gct">{{Cite web|和書|title=ゲート転流型ターンオフサイリスタモジュール|詳細 - j-platpat |url=https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/PU/JP-4077130/08ACEAA1B98F556C3AE4771ED92E129765E24ED01AB7A05EAE089DB830DE6047/15/ja |date=2008-02-08 |accessdate=2022-03-10 |publisher=j-platpat}}</ref>。上述の韓国高速鉄道が採用したIGCTは[[集積化ゲート転流型サイリスタ]](Integrated GCT)のことで、GCTとそれを駆動するゲートドライブを積み重ねて一体化したものである。 ターンオフはサイリスタに流れてくる電流すべてをゲート回路に向けて流すことで行う。ゲート電極をリング状とすることで点ではなく線で接触するため、半導体の広い範囲に電圧をかけることが可能となり高効率となった。なお、金属板のゲート電極と線状のゲート電極は互いに動くことができるよう弾性材によって押し付けられている<ref name="asta_gct" />。 [[逆方向阻止電圧]]耐性を持たないのも特徴で、逆阻止能力を持たせた逆阻止形GCTサイリスタ (SGCT: Symmetrical GCT) もラインナップされている。 {{clear}} == 光トリガサイリスタ(光サイリスタ) == 光トリガサイリスタ(光サイリスタ: LTT: Light-Triggered Thyristor)は、[[光]]信号によって直接点弧させるサイリスタである。 制御回路と[[電力回路]]とを完全に絶縁でき、ノイズによる誤動作を少なくすることができるので、高[[電圧]]の[[交流]][[電源回路]]に用いられる。具体的な適用例として、周波数変換設備 (FC: Frequency Converter) や[[直流送電]]設備 (HVDC: High Voltage Direct Current) における交直変換装置、無効電力補償装置 (SVC: Static Var Compensator)、大容量回転機の始動装置 (SS: Static Starter) など比較的高電圧大電流の電力変換があげられる。 == 静電誘導サイリスタ == {{main|静電誘導サイリスタ}} 静電誘導サイリスタは、高速で大電流を制御可能な半導体素子である。 トリガ電圧が低く、ターンオフが速やかで自己制御型のGTOのようなON-OFF素子で東洋電機によって[[1988年]]に発売された。静電誘導素子の一種で高出力、高周波数の電力用半導体素子である。実質的にはp+の電極状のゲート構造を備えたp+nn+ダイオードである。素子の構造はアノード側に付加されたp+層以外は概ね静電誘導トランジスタと同じ。 通常は導通状態でOFFにするためには負の電圧を付加する必要がある。静電誘導サイリスタの導通状態はPINダイオードの挙動に似る。 == 双方向サイリスタ(トライアック:TRIAC) == [[Image:Trix.svg|thumb|right|トライアック構造]] [[画像:TRIAC.PNG|thumb|left|トライアック記号]] '''双方向サイリスタ'''(そうほうこう さいりすた)は、相補的な2個のサイリスタを逆並列に接続する構成をとることで、双方向に電流を流すことを可能とし、直流だけでなく交流でも使えるようにしたものである。実際の素子は、2個の素子を接続したものではなく図に示すような[[集積回路#モノリシック集積回路|モノリシック構造]]となっている。TRIACとは、[[三極管|Triode]] AC Switchの略であり、[[1964年]]にゼネラル・エレクトリック社で初めて開発された。 ダイアックを点弧素子として交流の双方向[[スイッチング電源|スイッチング制御]]に用いられる。 {{clear}} == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{PDFlink|[http://www.jmf.or.jp/japanese/commendations/energy/pdf/h13/13_01.pdf 〔経済産業大臣賞〕GCTインバータ (MELVEC- 3000C)]}} - 社団法人 日本機械工業連合会 == 関連項目 == * [[ユニジャンクショントランジスタ]] - ゲート信号の発信機として多用されたほか、プログラマブルUJTはサイリスタに似た構造を持つ。 * [[チョッパ制御]] * [[半導体リレー]] * [[フォトカプラ]] {{半導体}} {{Electronic components|state=collapsed}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:さいりすた}} [[Category:半導体素子]] [[Category:サイリスタ|*]] [[Category:トランジスタ]] [[Category:パワーエレクトロニクス]] [[Category:高圧直流送電]]
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ゲートターンオフサイリスタ
ゲートターンオフサイリスタ(gate turn-off thyristor:GTO)は、自己消弧素子の一種で、ゲートに逆方向の電流を流すことにより、ターンオフできる機能をもつサイリスタである。 サイリスタのカソード電極を多数の島に分割し、その周りをゲート電極で囲む構造にすることにより、負のゲート電流を流したときにアノード・カソード間のキャリア電流が引き抜かれやすくなるように改良したものと考えればよい。言い換えれば小電流のサイリスタが多数並列に接続されたものである。 一般のサイリスタを定格の10分の1程度で使用する領域ではGTOサイリスタのようにマイナスゲート信号でターンオフすることが可能である。 誘導電動機を駆動するインバータのスイッチング用素子として1977年に初めて使用され、以後工業分野や電気鉄道などに多用されてきたが、2000年代以降では絶縁ゲートバイポーラトランジスタ(IGBT)にその地位を譲りつつある。理由としては以下が挙げられる。 日本においては最盛期では重電3社はじめ7 - 8社が製造し製品化していたが、現在は全て生産を終了している。
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ゲートターンオフサイリスタは、自己消弧素子の一種で、ゲートに逆方向の電流を流すことにより、ターンオフできる機能をもつサイリスタである。
{{出典の明記|date=2023年9月}} [[ファイル:GTO.png|thumb|right|200px|GTOの回路図記号]] [[Image:GTO_symbol.svg|thumb|もう一つのGTOサイリスタの回路記号。右側が最もポピュラーである]] '''ゲートターンオフサイリスタ'''(gate turn-off thyristor:GTO)は、[[自己消弧素子]]の一種で、ゲートに逆方向の[[電流]]を流すことにより、ターンオフできる機能をもつ[[サイリスタ]]である。 == 構造 == サイリスタの[[カソード]][[電極]]を多数の島に分割し、その周りをゲート電極で囲む構造にすることにより、負のゲート電流を流したときに[[アノード]]・カソード間の[[電荷担体|キャリア]]電流が引き抜かれやすくなるように改良したものと考えればよい。言い換えれば小電流のサイリスタが多数並列に接続されたものである。 一般のサイリスタを定格の10分の1程度で使用する領域ではGTOサイリスタのようにマイナスゲート信号でターンオフすることが可能である。 == 用途と特徴 == [[誘導電動機]]を駆動する[[インバータ]]のスイッチング用素子として[[1977年]]に初めて使用され、以後工業分野や[[電気鉄道]]などに多用されてきたが、[[2000年代]]以降では[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ]](IGBT)にその地位を譲りつつある。理由としては以下が挙げられる。 * ターンオフした際にアノード・カソード間に一時的に発生するスパイク[[電圧]]を緩和するための[[ダイオード]]、[[抵抗器]]、[[コンデンサ]]を利用した付加回路([[スナバ回路]])が不可欠であり、回路が複雑である。 * ターンオフ後に完全にアノード・カソード間の電圧が安定するまでの時間('''テール時間'''と呼ぶ)が[[トランジスタ]]より長いため、スイッチング[[周波数]]を概ね可聴領域(人間の耳で聞こえる領域)より高くできない。このため、例えばこの素子をインバータに利用して誘導電動機の回転数や[[トルク]]を制御する場合、スイッチングにより電動機から発せられる唸り音が大きく感じられることになる。 * ターンオフするためのゲート電流がアノード・カソード間電流の概ね数分の一と大きく(トランジスタでは数十〜数千分の一)、逆電圧を作る大容量の電源回路あるいはコイルによる逆起電力発生回路が必要でトランジスタと同様電流容量に比例してゲート駆動回路が大きくなり、かつゲート電流の全ては熱損失となるため、消費電力や発熱が大きくなる。 日本においては最盛期では重電3社はじめ7 - 8社が製造し製品化していたが、現在は全て生産を終了している。 == 関連項目 == * [[電力用半導体素子]] * [[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ]](IGBT) * [[パワーエレクトロニクス]] {{半導体}} {{Electronics-stub}} {{DEFAULTSORT:けえとたあんおふさいりすた}} [[Category:電子部品]] [[Category:サイリスタ]] [[Category:トランジスタ]] [[Category:半導体素子]]
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絶縁ゲートバイポーラトランジスタ
絶縁ゲートバイポーラトランジスタ(ぜつえんゲートバイポーラトランジスタ、英: insulated-gate bipolar transistor、IGBT)は半導体素子のひとつで、金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ(MOSFET)を主要部に組み込んだバイポーラトランジスタである。電力制御の用途で使用される。 IGBTはサイリスタと同様にP-N-P-Nの4層からなる半導体素子でありながら、サイリスタ動作をさせずにMOSゲートで電流を制御できる素子である。このIGBT動作モードは1968年に山上倖三によって特許公報昭47-21739で最初に提案された。また、1978年にはB.W. Scharf とJ.D. Plummerが4層の横型サイリスタでこのIGBT動作モードを実験的に初めて確認している。この動作モードを持つ最初の縦型素子は1982年にB. J. BaligaがIEDMで論文を発表しており、また、同様な論文が1982年にJ.P. Russel等がIEEE Electron Device Letterに投稿している。このIGBT動作をする素子はInsulated-Gate Rectifier (IGR)、 Insulated-Gate Transistor (IGT)、 Conductivity-Modulated Field-Effect Transistor (COMFET)、やBipolar-mode MOSFETなどと呼ばれた。 J.D. Plummerは1978年に「4層のサイリスタでIGBTモードで動作する素子」を特許出願し、USP No.4199774が1980年に登録され、B1 Re33209が1995年に登録されている。 J.D. Plummerの「4層のサイリスタでIGBTモードで動作する素子」は電流が大きくなるとラッチアップしてサイリスタ動作に移るので、ラッチアップが必然的に起きてしまう問題がある。1982年に発表されたIGRやCOMFETはスイッチングスピードが遅く、寄生のサイリスタがラッチアップしやすい欠点があった。IGBTでラッチアップが起こると電流が一点に集中して素子破壊が起こるので、寄生サイリスタのラッチアップの完全な抑制がIGBTの開発の目標となった。1983年にはBaligaやA.M. Goodman等によって電子線照射によってスイッチングスピードが改善され、また、ラッチアップ耐量向上の努力がなされた。1983年にはGEがサンプル出荷を始めたが、ラッチアップは克服されなかった。GEの素子は大電流密度でサイリスタ動作してしまい、応用は限定され、その動作はJ.D. Plummerの特許の範囲であった。 Hans W. BeckeとCarl F. Wheatleyは1980年に「アノード領域を有するパワーMOSFET (power MOSFET with an anode region)」を米国特許出願している。この特許は「いかなる動作条件でもサイリスタ動作しない (no thyristor action occurs under any device operating conditions)」ことをクレイムしている。これは実質上、素子のすべての動作領域でラッチアップしないことを意味している。 完全なラッチアップの抑制は1984年、中川明夫等がIEDMで論文発表したノンラッチアップIGBTの発明によって初めて実現された。このノンラッチアップIGBTの設計概念は「IGBTの飽和電流をラッチアップする電流値よりも小さく設定する」というもので、1984年に特許出願された。完全にラッチアップしないことを証明するため、1200 V の素子を 600 V のDC電源に直結して負荷なしで 25 μs の期間、素子をオンさせた。600 V の電圧が素子に直接印加され、流れるだけの短絡電流が素子に流れたが、素子は破壊せずに 25 μs 後に電流をオフできた。この素子特性は負荷短絡耐量と呼ばれるものでIGBTで初めて実現された。これによって、Hans W. BeckeとCarl F. Wheatleyによって特許提案された「素子の動作領域全体でラッチアップしないIGBT」が1984年に実現した。ラッチアップが完全に抑制されたノンラッチアップIGBTでは電流密度と電圧の積は 5×10 W/cm に達した。この値はバイポーラトラジスタの理論限界 2×10 W/cm を超えており、ノンラッチアップIGBTは破壊耐量が強く、安全動作領域が広いことが検証された。ノンラッチアップIGBTの実現によってHans W. BeckeとCarl F. Wheatleyの特許がIGBTの概念上の基本特許となり、中川等が発明したノンラッチアップIGBTの設計原理が実際にIGBTを実現する上での基本特許となった。これにより現在のIGBTが誕生した。 電圧制御型のMOS-FET (Metal Oxide Semiconductor - Field Effect Transister) の欠点である高耐圧に伴って高くなるオン抵抗による発熱と、バイポーラトランジスタ (Bipolar Junction Transistor, BJT) の低いスイッチング速度という欠点をそれぞれ補うように、入力段にMOS-FETを、出力段にバイポーラトランジスタを1つの半導体素子上に構成したものである。ゲート・エミッタ間の電圧で駆動され、入力信号によってオン・オフができる自己消弧形であるので、大電力の高速スイッチングが可能な半導体素子である。 通常3相インバータを構成する場合、ゲート信号(トランジスタの場合はベース信号)用の独立した電源が4組必要だが、小容量IGBT/MOS-FETではゲート電流が非常に小さい事からコンデンサに充電した電荷で駆動できる(ブートストラップ回路)。但しコンデンサが不良になるとゲート信号が出力できなくなる欠点があるため、以下に示すIPM駆動の小型インバータで採用されている程度である。 Nチャネル縦型MOS-FETのドレイン側にPコレクタを追加した構造である。Pコレクタからの正孔の注入により、Nベース層の導電率変調が起こり、抵抗が低下する。このため、MOS-FETと比較すると高電圧の用途に適している。その一方で、注入したキャリアの消滅に時間がかかるため、ターンオフ時間が長くなる。 1980年代から製造されているものである。オフ時に空乏層がコレクタ側に接触しているものであり、エピタキシャルウェハーを使用しコレクタ側からキャリアを高濃度注入しライフタイムコントロールを行う設計となっている。 特徴として、次の点が挙げられる。 ウエハーを薄く加工し取り扱う技術の進歩により、1990年代中ごろから製造されているものである。オフ時に空乏層がコレクタ側に接触しないものであり、フローティングゾーン (Floating Zone) ウエハーを使用しコレクタ側のキャリアの注入濃度を下げ輸送効率を上げる設計となっている。 特徴として以下の点が挙げられる。 2000年代より、トレンチゲート構造やコレクタ側にフィールドストップ層を形成した、よりオン電圧が低くスイッチング損失の少ないものも製造されるようになった。 結晶欠陥密度が高いダイシング側面でのキャリア発生を抑えることによって逆耐圧特性をもたせたものである。 双方向スイッチングを構成するときに、逆耐圧をもたせるためのダイオードが不要になる。素子数の低減によりコストダウンと小型化・軽量化が可能となる。また、オン電圧の半減が期待できる。交流-交流の直接変換用素子として開発された。 1990年代になってからは、IGBTを中心に制御信号増幅回路や電流・電圧・温度といった保護回路、還流用ダイオードなどが1つのパッケージに収められたIPM (Intelligent Power Module) と呼ばれる電子部品も登場している。定番の電力制御回路がまとめられたことによる利便性の向上だけでなく、素子間の配線短縮によるインピーダンスの低下を図れるため雑音低減も期待でき、装置の小型化に寄与し信頼性も高まる。従来のモジュール形状のほかDIPやSIPパッケージなど小型の物も登場し洗濯機、冷蔵庫、空調機器のモータ駆動用などの他、小型汎用インバータなどで使われる。制御をインバータ化することで周波数や電圧を問わず共通仕様のモータが使用できるため生産コスト低減に寄与している。
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絶縁ゲートバイポーラトランジスタは半導体素子のひとつで、金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ(MOSFET)を主要部に組み込んだバイポーラトランジスタである。電力制御の用途で使用される。
{{混同|LGBT}} {{出典の明記|date=2010年12月}} {{Infobox electronic component | component = 絶縁ゲートバイポーラトランジスタ | photo = [[ファイル:IGBT_3300V_1200A_Mitsubishi.jpg|225px|]] | photo_caption = {{Val|3300|u=V}} / {{Val|1200|ul=A}} IGBTの部品(三菱電機) }} [[ファイル:IGBT structure chart 3.PNG|thumb|100px|IGBTの回路図記号]] '''絶縁ゲートバイポーラトランジスタ'''(ぜつえんゲートバイポーラトランジスタ、{{Lang-en-short|insulated-gate bipolar transistor}}、'''IGBT''')は[[半導体素子]]のひとつで、金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ([[MOSFET]])を主要部に組み込んだ[[バイポーラトランジスタ]]である。電力制御の用途で使用される。 == 歴史 == IGBTは[[サイリスタ]]と同様にP-N-P-Nの4層からなる半導体素子でありながら、サイリスタ動作をさせずにMOSゲートで電流を制御できる素子である。このIGBT動作モードは1968年に山上倖三によって特許公報昭47-21739で最初に提案された。また、1978年にはB.W. Scharf とJ.D. Plummerが4層の横型サイリスタでこのIGBT動作モードを実験的に初めて確認している<ref>{{Cite conference|year = 1978|title = SESSION XVI FAM 16.6 - A MOS-Controlled Triac Devices|conference = IEEE International Solid-State Circuits Conference|publisher = |first1 = B.W.|last1 = Scharf|first2 = J.D.|last2 = Plummer|doi=10.1109/ISSCC.1978.1155837}}</ref>。この動作モードを持つ最初の縦型素子は1982年にB. J. BaligaがIEDMで論文を発表しており<ref name=":0">{{Cite conference|year = 1982|title = The insulated gate rectifier (IGR): A new power switching device|conference = IEEE International Electron Devices Meeting Abstract 10.6|last1 = Baliga|first1 = B. J.|display-authors=etal|pages = 264-267}}</ref>、また、同様な論文が1982年にJ.P. Russel等がIEEE Electron Device Letterに投稿している<ref name=":1">{{Cite journal|year = 1983|title = The COMFET—A new high conductance MOS-gated device|journal = Electron Device Lett.|volume = 4|last = Russel|first = J.P.|coauthors = et al.|publisher = IEEE|issue = 3|pages = 63–65|doi = 10.1109/EDL.1983.25649}}</ref>。このIGBT動作をする素子はInsulated-Gate Rectifier (IGR)<ref name=":0" />、 Insulated-Gate Transistor (IGT)<ref>B. J. Baliga, "Fast-switching insulated gate transistors", IEEE Electron Device Letters, Vol. EDL-4, pp. 452-454, 1983</ref>、 Conductivity-Modulated Field-Effect Transistor (COMFET)<ref name=":1" />、やBipolar-mode MOSFET<ref name=":2">{{Cite conference|year = 1984|title = Non-latch-up 1200V 75A bipolar-mode MOSFET with large ASO|conference = IEEE International Electron Devices Meeting|publisher = |pages = 860-861|first1 = A.|last1 = Nakagawa|others = Technical Digest}}</ref>などと呼ばれた。 J.D. Plummerは1978年に「4層のサイリスタでIGBTモードで動作する素子」を特許出願し、USP No.4199774が1980年に登録され、B1 Re33209が1995年に登録されている。 J.D. Plummerの「4層のサイリスタでIGBTモードで動作する素子」は電流が大きくなるとラッチアップしてサイリスタ動作に移るので、ラッチアップが必然的に起きてしまう問題がある。1982年に発表されたIGRやCOMFETはスイッチングスピードが遅く、寄生のサイリスタがラッチアップしやすい欠点があった。IGBTでラッチアップが起こると電流が一点に集中して素子破壊が起こるので、寄生サイリスタのラッチアップの完全な抑制がIGBTの開発の目標となった。1983年にはBaligaやA.M. Goodman等によって電子線照射によってスイッチングスピードが改善され<ref>{{Cite journal|year = 1983|title = Fast-switching insulated gate transistors|journal = Electron Device Letters|volume = 4|first = B. J.|last = Baliga|publisher = IEEE|pages = 452-454}}</ref><ref>{{Cite conference|year = 1983|title = Improved COMFETs with fast switching speed and high-current capability|conference = IEEE International Electron Devices Meeting|first1 = A. M.|last1 = Goodman|display-authors=etal|pages = 79–82|others = Technical Digest}}</ref>、また、ラッチアップ耐量向上の努力がなされた。1983年にはGEがサンプル出荷を始めたが、ラッチアップは克服されなかった。GEの素子は大電流密度でサイリスタ動作してしまい、応用は限定され、その動作はJ.D. Plummerの特許の範囲であった。 Hans W. BeckeとCarl F. Wheatleyは1980年に「アノード領域を有するパワーMOSFET (power MOSFET with an anode region)」を米国特許出願している。この特許は「いかなる動作条件でもサイリスタ動作しない (no thyristor action occurs under any device operating conditions)」ことをクレイムしている。これは実質上、素子のすべての動作領域でラッチアップしないことを意味している。 完全なラッチアップの抑制は1984年、[[中川明夫]]等がIEDMで論文発表したノンラッチアップIGBTの発明によって初めて実現された<ref name=":2" />。このノンラッチアップIGBTの設計概念は「IGBTの飽和電流をラッチアップする電流値よりも小さく設定する」というもので、1984年に特許出願された<ref>中川他、特許1778841、特許1804232、A.Nakagawa, H. Ohashi, Y. Yamaguchi, K. Watanabe and T. Thukakoshi, "Conductivity modulated MOSFET" US Patent No.6025622 (Feb.15, 2000), No.5086323 (Feb.4, 1992) andNo.4672407 (Jun.9, 1987)</ref>。完全にラッチアップしないことを証明するため、{{Val|1200|ul=V}} の素子を {{Val|600|u=V}} のDC電源に直結して負荷なしで {{Val|25|ul=us}} の期間、素子をオンさせた。{{Val|600|u=V}} の電圧が素子に直接印加され、流れるだけの短絡電流が素子に流れたが、素子は破壊せずに {{Val|25|u=us}} 後に電流をオフできた。この素子特性は負荷短絡耐量と呼ばれるものでIGBTで初めて実現された<ref>A. Nakagawa et al., "Experimental and numerical study of non-latch-up bipolar-mode MOSFET characteristics", IEEE International Electron Devices Meeting Technical Digest, pp. 150–153, 1985</ref>。これによって、Hans W. BeckeとCarl F. Wheatleyによって特許提案された「素子の動作領域全体でラッチアップしないIGBT」が1984年に実現した。ラッチアップが完全に抑制されたノンラッチアップIGBTでは電流密度と電圧の積は {{Val|5|e=5|ul=W/cm2}} に達した<ref>{{Cite journal|year = 1987|title = Safe operating area for 1200-V non-latch-up bipolar-mode MOSFETs|journal = IEEE Trans. on Electron Devices|volume = 34|pages = 351–355|first = A.|last = Nakagawa}}</ref>。この値はバイポーラトラジスタの理論限界 {{Val|2|e=5|u=W/cm2}} を超えており、ノンラッチアップIGBTは破壊耐量が強く、安全動作領域が広いことが検証された。ノンラッチアップIGBTの実現によってHans W. BeckeとCarl F. Wheatleyの特許がIGBTの概念上の基本特許となり、中川等が発明したノンラッチアップIGBTの設計原理が実際にIGBTを実現する上での基本特許となった。これにより現在のIGBTが誕生した。 == 特徴 == 電圧制御型のMOS-FET (Metal Oxide Semiconductor - Field Effect Transister) の欠点である高耐圧に伴って高くなるオン抵抗による発熱と、バイポーラトランジスタ (Bipolar Junction Transistor, '''BJT''') の低いスイッチング速度という欠点をそれぞれ補うように、入力段にMOS-FETを、出力段にバイポーラトランジスタを1つの半導体素子上に構成したものである。ゲート・エミッタ間の[[電圧]]で駆動され、入力信号によってオン・オフができる[[自己消弧素子|自己消弧]]形であるので、大[[電力]]の高速スイッチングが可能な半導体素子である。 通常3相インバータを構成する場合、ゲート信号(トランジスタの場合はベース信号)用の独立した電源が4組必要だが、小容量IGBT/MOS-FETではゲート電流が非常に小さい事からコンデンサに充電した電荷で駆動できる(ブートストラップ回路)。但しコンデンサが不良になるとゲート信号が出力できなくなる欠点があるため、以下に示すIPM駆動の小型インバータで採用されている程度である。 == 構造 == [[ファイル:IGBT cross section.svg|thumb|200px|プレーナゲート型IGBTの断面構造]] [[ファイル:IGBT structure chart 1.PNG|thumb|200px|'''IGBTの構造模式図'''<br />1.酸化膜 赤い部分がBJTで黄色い部分がMOS-FETをそれぞれ構成している。]] [[ファイル:IGBT structure chart 2.PNG|thumb|140px|'''IGBT等価回路'''<br />1.MOS-FET 2.BJT(寄生サイリスタも描いている)]] Nチャネル縦型MOS-FETのドレイン側にPコレクタを追加した構造である。Pコレクタからの[[正孔]]の注入により、Nベース層の[[導電率]]変調が起こり、抵抗が低下する。このため、MOS-FETと比較すると高電圧の用途に適している。その一方で、注入したキャリアの消滅に時間がかかるため、ターンオフ時間が長くなる。 === パンチスルー (Punch Through) 形 === [[1980年代]]から製造されているものである。オフ時に[[空乏層]]がコレクタ側に接触しているものであり、エピタキシャルウェハーを使用しコレクタ側からキャリアを高濃度注入しライフタイムコントロールを行う設計となっている。 特徴として、次の点が挙げられる。 * エピタキシャルウエハーを使用するためコストが高い。 * ライフタイムコントロールのため、高温でスイッチング損失が増加する。 * 高温でオン[[電圧]]が低下([[電気抵抗]]が低下)し、並列使用時に特定の素子に[[電流]]が集中し破損の原因となることもある。 * 最近では、ウエハー厚を薄くしコレクタ側の注入を抑えることにより、上記の欠点を克服したものが開発されている。 === ノンパンチスルー (Non Punch Through) 形 === ウエハーを薄く加工し取り扱う技術の進歩により、[[1990年代]]中ごろから製造されているものである。オフ時に空乏層がコレクタ側に接触しないものであり、フローティングゾーン (Floating Zone) ウエハーを使用しコレクタ側のキャリアの注入濃度を下げ輸送効率を上げる設計となっている。 特徴として以下の点が挙げられる。 * フローティングゾーンウエハーを使用するためコストが低く、結晶欠陥が少なく信頼性が高い。 * 高温でオン電圧が上昇(電気抵抗が上昇)し、電流分布が均一となり並列使用に有利である。 [[2000年代]]より、トレンチゲート構造やコレクタ側にフィールドストップ層を形成した、よりオン電圧が低くスイッチング損失の少ないものも製造されるようになった。 == 逆阻止絶縁ゲートバイポーラトランジスタ == 結晶欠陥密度が高いダイシング側面でのキャリア発生を抑えることによって逆耐圧特性をもたせたものである。 双方向スイッチングを構成するときに、逆耐圧をもたせるための[[ダイオード]]が不要になる。素子数の低減によりコストダウンと小型化・軽量化が可能となる。また、オン電圧の半減が期待できる。交流-交流の直接変換用素子として開発された。 * メサ型 * 分離阻止型 == 用途 == * 大電力[[インバータ]]の主変換素子 ** [[無停電電源装置]] ** [[溶接]]機(電気式) ** [[交流電動機]]の[[可変電圧可変周波数制御]] ***[[電気車の速度制御|鉄道車両の制御]] *** [[ハイブリッドカー]] * インバータを用いる家電製品 ** [[エア・コンディショナー]] ** [[冷蔵庫]] ** [[洗濯機]] ** [[電子レンジ]] ** [[IH調理器]] ** [[照明]]機器 ** [[パワーコンディショナー]] == IPM == {{See also|インテリジェントパワーモジュール}} 1990年代になってからは、IGBTを中心に制御信号増幅回路や電流・電圧・温度といった保護回路、還流用ダイオードなどが1つのパッケージに収められた'''[[インテリジェントパワーモジュール|IPM]]''' (Intelligent Power Module) と呼ばれる電子部品も登場している。定番の電力制御回路がまとめられたことによる利便性の向上だけでなく、素子間の配線短縮によるインピーダンスの低下を図れるため雑音低減も期待でき、装置の小型化に寄与し信頼性も高まる。従来のモジュール形状のほかDIPやSIPパッケージなど小型の物も登場し洗濯機、冷蔵庫、空調機器のモータ駆動用などの他、小型汎用インバータなどで使われる。制御をインバータ化することで周波数や電圧を問わず共通仕様のモータが使用できるため生産コスト低減に寄与している。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == {{Commonscat|Insulated gate bipolar transistors}} * [[ゲートターンオフサイリスタ]] (Gate Turn Off Thyristor, GTO) * [[サイラトロン]] {{半導体}} {{Electronic components}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せつえんけえとはいほうらとらんしすた}} [[Category:電子部品]] [[Category:トランジスタ]] [[Category:半導体素子]] [[Category:パワーエレクトロニクス]]
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7月19日
7月19日(しちがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から200日目(閏年では201日目)にあたり、年末まであと165日ある。
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7月19日(しちがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から200日目(閏年では201日目)にあたり、年末まであと165日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月19日'''(しちがつじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から200日目([[閏年]]では201日目)にあたり、年末まであと165日ある。 == できごと == [[Image:Halidon_Hill.jpg|thumb|120px|[[第二次スコットランド独立戦争]]、{{仮リンク|ハリドンヒルの戦い|en|Battle of Halidon Hill}}(1333)。イングランドが決定的勝利。画像はモニュメント]] [[Image:MaryRose-conservation1.jpg|thumb|イングランドの軍艦[[メアリー・ローズ]]沈没(1545)。]] [[Image:Model-of-palace-of-heavenly-kingdom.JPG|thumb|南京が陥落し[[太平天国の乱]]終結(1864)。画像は太平天国の天王府のミニチュア]] {{multiple image | footer = [[普仏戦争]]はじまる(1870)。左画像は7月末の布陣、右は8月16日の戦闘 | image1 = FrancoPrussianWarFrontierJuly1870.jpg | width1 = 100 | alt1 = 7月末の布陣 | image2 = Lignedefeu16August.jpg | width2 = 140 | alt2 = 8月16日の戦闘 }} [[Image:Gare de la Bastille 4.jpg|thumb|160px|[[パリ]]初の地下鉄、[[パリメトロ1号線]]開通(1900)。左画像は当時の[[バスティーユ駅]]]] {{multiple image | footer = [[第一次世界大戦]]、{{仮リンク|フロメルの戦い|en|Battle of Fromelles}}はじまる(1916)。オーストラリア兵5,533名が死亡し「濠史最悪の24時間」となった | image1 = Australian_53rd_Bn_Fromelles_19_July_1916.jpg | width1 = 100 | alt1 = 戦闘前のオーストラリア兵。写真の中で生還したのは3名のみであった | image2 = Bundesarchiv_Bild_146-1994-105-20%2C_Frankreich%2C_Frommeles%2C_Unterstand.jpg | width2 = 140 | alt2 = ドイツ軍の掩蔽壕 }} {{multiple image | footer = [[ナチス・ドイツ]]、「[[退廃芸術]]展」を開催(1937)。左画像は展を視察する[[ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]、右は初回に展示された[[フランツ・マルク]]『青い馬の塔』(1913)。 | image1 = Bundesarchiv_Bild_183-H02648%2C_M%C3%BCnchen%2C_Goebbels_im_Haus_der_Deutschen_Kunst.jpg | width1 = 140 | alt1 = 退廃芸術展 | image2 = FranzMarcTurm.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『青い馬の塔』 }} [[Image:Ogikubo_Kaidan.jpg|thumb|荻窪会談。画像左から[[近衛文麿]]、[[松岡洋右]]、[[吉田善吾]]、[[東條英機]]。]] {{multiple image | footer = [[ネパール]]の[[サガルマータ国立公園]]創設(1976)。現在は[[世界自然遺産]]となっている | image1 = Tengboche.JPG | width1 = 140 | alt1 = サガルマータ国立公園 | image2 = Sagarmatha_ck_Oct18_2002.jpg | width2 = 140 | alt2 = エベレスト }} {{multiple image | footer = [[モスクワオリンピック]]開催(1980)。67ヶ国がボイコット(右画像は参加国) | image1 = Bundesarchiv_Bild_183-W0803-0106%2C_Moskau%2C_XXII._Olympiade%2C_Abschlussfeier.jpg | width1 = 100 | alt1 = 開会式、東ドイツ代表 | image2 = 1980 Summer Olympic games countries.png | width2 = 200 | alt2 = 参加国 }} [[Image:Series D 2K Yen Bank of Japan note - front.jpg|thumb|180px|[[二千円紙幣]]発行(2000)]] * [[64年]] - [[ローマ大火]] * [[711年]] - {{仮リンク|グアダレテの戦い|en|Battle of Guadalete}}。[[タリク・イブン・ジヤード]]率いる[[ムスリム]]軍が[[西ゴート王国]]の[[ロデリック (西ゴート王)|ロデリック]]王を破る。 * [[970年]]([[天禄]]元年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[祇園祭]]が初めて官祭として実施。以降毎年行われるようになる。 * [[1333年]] - [[第二次スコットランド独立戦争]]: {{仮リンク|ハリドンヒルの戦い|en|Battle of Halidon Hill}}。 * [[1544年]] - [[イタリア戦争|第4次イタリア戦争]]: {{仮リンク|ブローニュ攻城戦|en|Sieges of Boulogne (1544–1546)}}が始まる。 * [[1545年]] - 前日のソレントの海戦で炎上したイングランドの軍艦「[[メアリー・ローズ]]」が[[プリマス]]沖で沈没。 * [[1553年]] - 即位9日目の[[ジェーン・グレイ]]が逮捕・廃位され、[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]が[[イングランド王国|イングランド]]女王に即位。 * [[1723年]]([[享保]]8年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[足高の制]]制定。 * [[1863年]]([[文久]]3年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[香港]]からアメリカに向けて航海をしていた「バイキング号」(1349トン)が、荒天により[[伊豆諸島]][[御蔵島]]の岩場に引き寄せられて[[座礁]]。乗っていた中国人労働者や乗員ら483人が島民により救助された<ref>107年目のアメリカの良心 救われた難破の483人 カーター米公使「ささやかな恩返し」『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月5日 12版 23面</ref>。 * [[1864年]]([[同治]]3年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[太平天国の乱]]: [[曽国藩]]が天京([[南京]])を占領し、[[天京攻防戦]]が終結。[[太平天国]]が[[清]]に敗れ、14年に及ぶ太平天国の乱が事実上終結。 * [[1870年]] - [[普仏戦争]]勃発。 * [[1879年]] - [[西部開拓時代]]: [[ガンマン]]の[[ドク・ホリデイ]]が初めての殺人を犯す。 * [[1886年]] - 東京 - 大阪の幹線鉄道予定線を[[中山道]]経由から[[東海道]]経由に変更することを公布。 * [[1900年]] - [[パリ]]初の[[メトロ (パリ)|地下鉄]]・[[パリメトロ1号線]]が開通。 * [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]: {{仮リンク|フロメルの戦い|en|Battle of Fromelles}}が始まる。 * [[1917年]] - [[ロシア臨時政府]]が、[[ペトログラード]]で蜂起 ([[:en:July Days]]) を起こした[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]の逮捕を命じる。 * [[1919年]] - [[寛城子事件]]。満洲の寛城子で日中両軍が衝突。日本軍で18人が死亡。 * [[1937年]] - [[ミュンヘン]]でナチス・ドイツの宣伝省の手により[[退廃芸術]]展が開催される。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[スパダ岬沖海戦]]。 * 1940年 - [[荻窪会談]]。[[近衛文麿]]が[[松岡洋右]]・[[東條英機]]・[[吉田善吾]]を荻窪の私邸[[荻外荘公園|荻外荘]]に招き国策を協議。 * [[1946年]] - [[渋谷事件]]。東京都渋谷区で[[渋谷警察署]]・[[暴力団]]の連合隊と在日台湾人が銃撃戦。双方で死傷者43人。 * [[1947年]] - [[ミャンマー|ビルマ]]の独立運動家[[アウン・サン]]と6人の閣僚が政敵[[ウー・ソー]]に暗殺される。 ([[:en:Burmese Martyrs' Day]]) * [[1949年]] - [[今井正]]監督の映画『[[青い山脈 (映画)|青い山脈]]』が封切り。 * [[1952年]] - 第15回[[夏季オリンピック]]、[[ヘルシンキオリンピック|ヘルシンキ大会]]開催。[[8月3日]]まで。 * [[1959年]] - [[ガーナ]]・[[ギニア]]・[[リベリア]]3国の[[首脳会談]]で、アフリカ独立国共同体の構想についての「サンクエリー宣言」を発表。 * [[1960年]] - [[池田勇人]]が第58代[[内閣総理大臣]]に任命され、[[第1次池田内閣|第一次池田勇人内閣]]が発足。[[中山マサ]]が日本初の女性大臣として入閣<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGKDZO57337250T10C13A7KB2000/|title=1960年7月19日 日本初の女性大臣誕生|work=[[日本経済新聞]]|accessdate=2020-07-19}}</ref>。 * [[1964年]] - [[石ノ森章太郎]]の漫画『[[サイボーグ009]]』が[[少年キング|週刊少年キング]]で連載開始。 * [[1968年]] - [[首都高速神奈川1号横羽線]]・[[東神奈川出入口|東神奈川]] - [[浅田出入口|浅田]]が開通。首都高速神奈川線初の開通区間。 * [[1976年]] - [[ネパール]]で、[[エベレスト]]などを含む[[サガルマータ国立公園]]が創設。 * [[1977年]] - [[マサチューセッツ州知事]][[マイケル・デュカキス]]が、1927年8月に処刑された[[サッコ・ヴァンゼッティ事件|ニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティ]]の無罪を宣言。 * [[1979年]] - [[サンディニスタ革命|ニカラグア革命]]: [[ニカラグア]]で独裁政治を行っていた[[アナスタシオ・ソモサ・デバイレ]]ら[[ソモサ]]一族がアメリカに亡命。[[サンディニスタ民族解放戦線]]の民族再建政府が樹立。(ニカラグアの革命記念日) * [[1980年]] - 第22回[[夏季オリンピック]]、[[モスクワオリンピック|モスクワ大会]]開催。日本・アメリカ・中華人民共和国など67か国が不参加。 * [[1985年]] - [[ライオン]]と[[ヒョウ]]の雑種である[[レオポン]]の最後の個体で、[[甲子園阪神パーク]]で飼育されていたジョニーが死亡。 * [[1989年]] - [[ユナイテッド航空232便不時着事故]]。 * [[1992年]] - [[イタリア]]の反[[マフィア]]治安判事[[パオロ・ボルセリーノ]]が、自動車に仕掛けられた爆弾により暗殺。 * 1992年 - [[プロ野球]][[1992年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]第2戦([[千葉マリンスタジアム|千葉マリン]])で、全セの[[古田敦也]]([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]])が球宴史上初の[[サイクルヒット]]を達成<ref>{{Cite web|和書|url=http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190719-14|title=古田敦也がオールスターで史上初のサイクル安打(1992年7月19日)|work=[[週刊ベースボール]]|accessdate=2020-07-19}}</ref>。 * [[1995年]] - [[慰安婦|従軍慰安婦問題]]: [[女性のためのアジア平和国民基金]]発足。<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.awf.or.jp/2/foundation-01.html|title=アジア女性基金の誕生と事業の基本性格|publisher=財団法人女性のためのアジア平和国民基金||accessdate=2020-07-19}}</ref> * [[1996年]] - 第26回[[夏季オリンピック]]、[[アトランタオリンピック|アトランタ大会]]開催。[[8月4日]]まで。 * [[2000年]] - [[二千円紙幣]]発行<ref>{{Cite web|和書|date=2018年7月19日 |url=https://news.infoseek.co.jp/article/toushiru_15195/ |title=二千円札発行、西暦2000年「ミレニアム」記念【2000(平成12)年7月19日】 |publisher=Infoseekニュース |accessdate=2020-07-19}}</ref>。 * [[2002年]] - [[群馬女子高生誘拐殺人事件]]が発生<ref>『[[読売新聞]]』2004年7月24日東京夕刊一面1頁「高1女子を誘拐、殺害 36歳無職男を逮捕 殺人・遺棄容疑/群馬県警」([[読売新聞東京本社]])</ref>。([[7月23日]]に発覚)。 * [[2013年]] - [[地球が微笑んだ日]]。[[土星探査機]][[カッシーニ (探査機)|カッシーニ]]が太陽の[[食 (天文)|食]]に合わせて土星全体と地球を撮影した。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} {{multiple image | footer = [[イエズス会]]宣教師、[[ジュゼッペ・カスティリオーネ]](1688-1766)誕生。宮廷画家「郎世寧」として[[清]]朝に仕える。左画像は『儀礼用甲冑を着けた乾隆帝』、右は[[花鳥画]] | image1 = The_Qianlong_Emperor_in_Ceremonial_Armour_on_Horseback.jpg | width1 = 100 | alt1 = 『儀礼用甲冑を着けた乾隆帝』 | image2 = The Pine, Hawk and Glossy Ganoderma.jpg | width2 = 100 | alt2 = 花鳥画 }} [[Image:Mizuno_Tadakuni.jpg|thumb|140px|江戸幕府の老中、[[水野忠邦]](1794-1851)。[[天保の改革]]を行った]] {{multiple image | footer = 発明家・工業家[[サミュエル・コルト]](1814-1862)。[[リボルバー]]拳銃を普及させた。右画像は{{仮リンク|ウォーカー・コルト|en|Walker Colt}} | image1 = SamuelColt.jpg | width1 = 80 | alt1 = サミュエル・コルト{{仮リンク|コルト・ピーターソン|en|Colt Peterson}} | image2 = Paterson.jpg | width2 = 130 | alt2 = コルト・ピーターソン }} {{multiple image | footer = [[印象派]]の画家、[[エドガー・ドガ]](1834-1917)誕生。左画像は自画像、右は『バレエのレッスン』(1874頃)。 | image1 = Edgar_Degas_self_portrait_1855.jpeg | width1 = 100 | alt1 = 自画像(1854-55頃) | image2 = Degas-_La_classe_de_danse_1874.jpg | width2 = 200 | alt2 = 『バレエのレッスン』(1874頃) }} {{multiple image | footer = 画家、[[エドガー・ドガ]](1834-1917)の作品。左画像は『フェルナンド・サーカスのララ嬢』、右は『「化粧室』(「髪を梳る女性」) | image1 = Edgar_Germain_Hilaire_Degas_044.jpg | width1 = 140 | alt1 = 『フェルナンド・サーカスのララ嬢』(1879) | image2 = Edgar_Germain_Hilaire_Degas_029.jpg | width2 = 200 | alt2 = 『身繕い』(1884-86頃) }} [[Image:Minami Haruo Statue 20051121.jpg|thumb|120px|歌手[[三波春夫]](1923-2001)]] [[File:Sōta_Fujii_(cropped).jpg|thumb|120px|将棋棋士[[藤井聡太]](2002-)]] * [[1603年]]([[慶長]]8年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]) - [[山口弘隆]]、第2代[[牛久藩|牛久藩主]](+ [[1677年]]) * [[1672年]]([[寛文]]12年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[前田利直]]、第3代[[大聖寺藩|大聖寺藩主]](+ [[1711年]]) * [[1688年]] - [[ジュゼッペ・カスティリオーネ]]、[[宣教師]](+ [[1766年]]) * [[1691年]]([[元禄]]2年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]) - [[松平重休]]、第3代[[杵築藩|杵築藩主]](+ [[1715年]]) * [[1698年]] - [[ヨハン・ヤーコプ・ボードマー]]、[[言語学者]](+ [[1783年]]) * [[1767年]] - [[ギデオン・グレンジャー]]、第7代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1822年]]) * [[1794年]]([[寛政]]6年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[水野忠邦]]、[[江戸幕府]]の[[老中]](+ [[1851年]]) * [[1801年]]([[享和]]元年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[松平忠堯]]、初代[[忍藩|忍藩主]](+ [[1864年]]) * [[1814年]] - [[サミュエル・コルト]]、[[コルト・ファイヤーアームズ]]創設者(+ [[1862年]]) * [[1834年]] - [[エドガー・ドガ]]、[[画家]](+ [[1917年]]) * [[1848年]] - [[エドウィン・ダン]]、[[農学者]](+ [[1931年]]) * [[1849年]] - [[イェールハルド・ムンテ]]、[[画家]](+ [[1929年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[水野忠弘]]、第3代[[山形藩|山形藩主]]・[[子爵]](+ [[1905年]]) * [[1859年]] - [[ホレイス・グラント・アンダーウッド]]、[[宣教師]]、[[言語学者]]、教育者(+ [[1916年]]) * [[1863年]] - [[ヘルマン・バール]]、[[小説家]]、[[劇作家]]、[[評論家]](+ [[1934年]]) * [[1868年]] - [[フローレンス・フォスター・ジェンキンス]]、[[歌手]](+ [[1944年]]) * [[1873年]] - [[ハリー・デービス (1873年生の内野手)|ハリー・デービス]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1947年]]) * [[1879年]] - [[山川登美子]]、[[歌人]](+ [[1909年]]) * [[1880年]] - [[熊谷岱蔵]]、[[医学者]](+ [[1962年]]) * [[1885年]] - [[野依秀市]] - [[ジャーナリスト]]、[[政治家]](+ [[1968年]]) * [[1896年]] - [[ボブ・ミューゼル]]、元プロ野球選手(+ [[1977年]]) * 1896年 - [[A・J・クローニン]]、小説家、劇作家(+ [[1981年]]) * [[1897年]] - [[易作霖]]、[[教育者]]、[[言語学者]](+ [[1945年]]) * [[1903年]] - [[荒垣秀雄]]、[[評論家]](+ [[1989年]]) * [[1904年]] - [[荒井源吉]]、[[政治家]]、[[武蔵野市]]初代[[市長]](+ [[1983年]]) * [[1905年]] - [[ルイス・ケントナー]]、[[ピアニスト]](+ [[1987年]]) * [[1911年]] - [[平桝敏男]]、元プロ野球選手(+ [[1971年]]) * [[1916年]] - [[フィル・キャバレッタ]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]]) * 1916年 - [[アリス・ブリッジス]]、[[競泳]]選手(+ [[2011年]]) * [[1918年]] - [[近藤久 (野球)|近藤久]]、元プロ野球選手(+ [[1975年]]) * [[1921年]] - [[保井浩一]]、元プロ野球選手(+ [[2001年]]) * 1921年 - [[古角俊郎]]、高校野球指導者(+ [[2013年]]) * [[1922年]] - [[金山次郎]]、元プロ野球選手(+ [[1984年]]) * [[1923年]] - [[三波春夫]]、[[演歌歌手]](+ [[2001年]]) * [[1931年]] - [[水野晴郎]]、[[映画評論家]](+ [[2008年]]) * [[1932年]] - [[田の中勇]]、声優(+ [[2010年]]) * [[1935年]] - [[児玉泰]]、元プロ野球選手 * [[1936年]] - [[橋本敬包]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]]) * [[1940年]] - [[正仁親王妃華子]]、[[皇族]] * [[1943年]]、[[長沼修]]、[[実業家]] * [[1945年]] - [[菅原やすのり]]、歌手(+ [[2015年]]<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1520066.html 菅原やすのり氏骨髄性白血病で死去 復活公演ならず] 日刊スポーツ 2015年8月8日</ref>) * [[1946年]] - [[島かおり]]、女優 * 1946年 - [[安藤豊 (アナウンサー)|安藤豊]]、元アナウンサー * [[1947年]] - [[天木直人]]、[[作家]]、外交官 * 1947年 - [[宮塚利雄]]、[[山梨学院大学]]教授 * 1947年 - [[ブライアン・メイ]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1947年 - [[安岡力也]]、[[俳優]](+ [[2012年]]) * [[1948年]] - [[数原英一郎]]、実業家 * [[1949年]] - [[ジーン・ロックレア]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[山林明雄]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[古今亭八朝]]、落語家(+ [[2023年]]) * 1951年 - [[鳥居恵子]]、女優 * 1951年 - [[山本秀樹 (投手)|山本秀樹]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[中川昭一]]、政治家(+ [[2009年]]) * 1953年 - [[大迫幸一]]、[[アスレティックトレーナー]] * [[1955年]] - [[黒沢清]]、[[映画監督]] * [[1956年]] - [[東原力哉]]、[[ドラマー]] * 1956年 - [[佐田の海鴻嗣]]、元大相撲力士 * [[1958年]] - [[木村和司]]、元[[プロサッカー選手]]、サッカー指導者 * [[1958年]] - [[趙本山]]、俳優、[[コメディアン]] * [[1960年]] - [[滝沢直己]]、[[ファッションデザイナー]] * [[1961年]] - [[阿部記之]]、アニメーション監督、[[音響監督]] * 1961年 - [[中田秀夫]]、映画監督 * 1961年 - [[ニール・マッケンジー]]、元オートバイレーサー * [[1963年]] - [[マーク・キャリオン]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[近藤真彦]]、歌手、[[レーシングドライバー]] * 1964年 - [[村石雅行]]、ドラマー * 1964年 - [[羽中田昌]]、元[[サッカー選手]]、監督 * [[1965年]] - [[加藤伸一]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[鶴見信彦]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[杉本彩]]、[[タレント]]、女優、歌手 * [[1970年]] - [[石田洋介]]、シンガーソングライター、ボーカリスト、ギタリスト * [[1970年]] - [[宮藤官九郎]]、[[脚本家]]、俳優 * 1970年 - [[小久保知之進]]、元アナウンサー * [[1970年]] - [[古今亭菊生]]、[[落語家]] * [[1971年]] - [[ビタリ・クリチコ]]、[[プロボクサー]] * 1971年 - [[相馬直樹]]、元サッカー選手 * 1971年 - [[高久昌義]]、空手家 * [[1972年]] - [[藤木直人]]、俳優、ミュージシャン * 1972年 - [[大貝恭史]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[高橋優子 (調教師)|高橋優子]]、調教師 * 1973年 - [[林恵子]]、アナウンサー * [[1974年]] - [[菊池麻衣子]]、女優 * 1974年 - [[プレストン・ウィルソン]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[KAMIJO]]、ミュージシャン * 1975年 - [[芦澤孝臣]]、声優 * [[1976年]] - [[マンボウやしろ]]、演出家、脚本家、元[[お笑いタレント]] * [[1977年]] - [[木塚敦志]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[原田篤]]、俳優 * [[1979年]] - [[浅井良]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[小嶺麗奈]]、元女優 * 1980年 - [[松原真琴]]、小説家 * 1980年 - 岩部彰、お笑い芸人([[ミサイルマン (お笑いコンビ)|ミサイルマン]]) * 1980年 - [[高橋敏郎]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[フィル・コーク]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - 菅原卓郎、[[ギタリスト]]([[9mm Parabellum Bullet]]) * [[1984年]] - [[ディアナ・モカヌ]]、競泳選手 * [[1985年]] - [[水田芙美子]]、タレント * 1985年 - [[成嶋早穂]]、アナウンサー * 1985年 - [[ラマーカス・オルドリッジ]]、プロバスケットボール選手 * 1985年 - [[ダリヤ・ピシャルニコワ]]、陸上競技選手 * 1985年 - [[エルネスト・フリエリ]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[エバン・スクリブナー]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[内田仁菜]]、元[[ファッションモデル]] * [[1987年]] - [[炭谷銀仁朗]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[高林祐介]]、陸上競技選手 * 1987年 - [[古賀淳也]]、競泳選手 * [[1988年]] - [[松下一郎]]、元プロ野球選手 * [[1989年]] - [[ミゲル・アンヘル・マルティネス]]、サッカー選手 * 1989年 - [[黒川結衣]]、女優、[[グラビアアイドル]] * 1989年 - [[鉢嶺杏奈]]、女優 * 1989年 - [[熊崎風斗]]、アナウンサー * 1989年 - [[垣岩令佳]]、元バドミントン選手 * [[1990年]] - [[日高亮]]、元プロ野球選手 * 1990年 - 高田志織、アイドル(元[[SKE48]]) * 1990年 - [[ジョナサン・ペティボーン]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[佐伯大地]]、俳優 * 1990年 - [[ステファニア・ベルトン]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[菅聡美]]、ファッションモデル * 1991年 - [[森田直幸]]、元俳優 * 1991年 - [[天野純]]、サッカー選手 * 1992年 - ウンジ、アイドル、ミュージシャン([[Brave Girls]]) * [[1993年]] - [[歳内宏明]]、元プロ野球選手 * 1993年 - [[原樹理]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[小森美果]]、元タレント(元[[AKB48]]) * 1994年 - [[田中正義]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[ソフィヤ・ビリュコワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1995年]] - [[山下七海]]、声優(元[[Wake Up, Girls! (声優ユニット)|Wake Up, Girls!]]) * 1995年 - [[なつぽい]]、プロレスラー * 1995年 - [[奥村奈未]]、元女子プロ野球選手 * [[1996年]] - [[森田遥]]、プロゴルファー * [[1997年]] - [[菊原結里]]、女優(元[[ひめキュンフルーツ缶]]) * [[1998年]] - [[川瀬翔矢]]、陸上選手 * [[2000年]] - [[三田美吹]]、タレント、女優([[CROWN POP]]) * 2000年 - [[天沢璃人]]、アイドル([[ミームトーキョー]]、[[でんぱ組.inc]]) * 2000年 - 金田竜也、ミュージシャン([[KALMA]]) * 2000年 - [[8467]]、モデル、タレント * [[2001年]] - 下口ひなな、アイドル(AKB48) * [[2002年]] - [[藤井聡太]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]] * 2002年 - [[渡辺倫果]]、フィギュアスケート選手 * [[2006年]] - [[入江美沙希]]、ファッションモデル * [[2007年]] - [[加藤憲史郎]]、子役 * 生年不明 - [[風間リチャ.]]、声優 * 生年不明 - [[根本明宏]]、声優 * 生年不明 - [[金子真由美 (声優)|金子真由美]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.imenterprise.jp/profile.php?id=49|title=金子 真由美 - アイムエンタープライズ公式ホームページ Talent Profile|accessdate=2021-01-10}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[藍川珪]]、声優 * 生年不明 - [[西口有香]]、声優 == 忌日 == [[Image:Taira no Munemori Portrait by Fujiwara Tamenobu and Takenobu.png|thumb|140px|[[平家]]の武将、[[平宗盛]](1147-1185)斬首]] {{multiple image | footer = [[メキシコ帝国|メキシコ立憲皇帝]]であった[[アグスティン・デ・イトゥルビデ]](1783-1824)、射殺される。右画像は死亡時に所持していた手稿 | image1 = Iturbide_Emperador_by_Josephus_Arias_Huerta.jpg | width1 = 100 | alt1 = アグスティン・デ・イトゥルビデ | image2 = Manifiesto_al_mundo_de_Agustin_de_Iturbide.jpg | width2 = 100 | alt2 = 射殺時に所持していた手稿。血痕がある }} [[Image:Yamaoka Tesshu Albumen Photo.png|thumb|120px|幕臣、[[山岡鉄舟]](1836-1888)没。]] [[Image:Skull_of_Mkwawa.jpg|thumb|140px|[[ドイツ領東アフリカ|ドイツの東アフリカ進出]]に抵抗した{{仮リンク|ヘヘ人|en|Hehe people|label=ヘヘ族}}指導者[[ムクワワ]](1855-1898)]] [[Image:Heinrich_W%C3%B6lfflin_D%C3%BChrkoop.jpg|thumb|140px|[[美術史]]家[[ハインリヒ・ヴェルフリン]](1864-1945)没。「[[バロック]]」などの美術様式区分を確立]] [[Image:Myanmar-Yangon-Aung_San_Statue.jpg|thumb|120px|ビルマの独立運動家、[[アウン・サン]](1915-1947)暗殺]] {{multiple image | image1 = Yuh_Woon-Hyung.jpg | width1 = 100 | alt1 = 呂運亨 | caption1 = [[呂運亨]](1886-1947)暗殺 | image2 = Syngman_Rhee%2C_1951-May-1.jpg | width2 = 100 | alt2 = 李承晩 | caption2 = [[大韓民国]]初代大統領、[[李承晩]](1875-1965)没 }} [[Image:Zenko_Suzuki%2C6_May_1981.JPG|thumb|110px|第70代日本国内閣総理大臣、[[鈴木善幸]](1911-2004)没]] * [[781年]]([[天応 (日本)|天応]]元年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]])- [[石上宅嗣]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[729年]]) * [[1027年]]([[万寿]]4年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[源俊賢]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[959年]]) * [[1185年]]([[元暦]]2年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[平宗盛]]、[[平氏]]の[[武将]](* [[1147年]]) * 1185年(元暦2年6月21日) - [[平清宗]]、平氏の武将(* [[1170年]]) * [[1275年]]([[建治]]元年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[北条時広]]、[[鎌倉時代]]の武将(* [[1222年]]) * [[1319年]]([[元応]]元年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - [[六条有房]]、鎌倉時代の公卿、[[歌人]](* [[1251年]]) * [[1374年]] - [[ペトラルカ]]、[[詩人]]、[[学者]](* [[1304年]]) * [[1415年]] - [[フィリパ・デ・レンカストレ]]、[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ポルトガル王ジョアン1世]]の妃(* [[1357年]]) * [[1543年]] - [[メアリー・ブーリン]]、[[ヘンリー8世 (イングランド王)|イングランド王ヘンリー8世]]の愛人(* [[1499年]]頃) * [[1614年]]([[慶長]]19年6月13日) - [[秋月種長]]、[[日向国]]の[[戦国大名]]、[[高鍋藩|高鍋藩主]](* [[1567年]]) * [[1683年]]([[天和 (日本)|天和]]3年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[土井利房]]、[[江戸幕府]][[老中]](* [[1631年]]) * [[1702年]] - [[フレデリク4世 (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公)|フレデリク4世]]、[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国|シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公]](* [[1671年]]) * [[1711年]]([[正徳 (日本)|正徳]]元年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[伊達綱宗]]、[[仙台藩|仙台藩主]](* [[1640年]]) * [[1730年]] - [[ジャン=バティスト・ルイエ・ド・ロンドル]]、[[作曲家]](* [[1680年]]) * [[1783年]] - [[ヨハン・ヤーコプ・ボードマー]]、[[言語学者]](* [[1698年]]) * [[1796年]]([[寛政]]18年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[沢田東江]]、[[書道|書家]]、[[儒学者]](* [[1732年]]) * [[1810年]] - [[ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ]]、[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]の妃(* [[1776年]]) * [[1814年]] - [[マシュー・フリンダース]]、[[探検家]](* [[1774年]]) * [[1824年]] - [[アグスティン・デ・イトゥルビデ]]、[[メキシコ独立革命]]の指導者、[[メキシコ帝国|メキシコ皇帝]](* [[1783年]]) * [[1838年]] - [[ピエール・ルイ・デュロン]]、[[化学者]]、[[物理学者]](* [[1785年]]) * [[1843年]] - [[アウグスト・フォン・プロイセン]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]の王族(* [[1779年]]) * [[1861年]] - [[ミケーレ・テノーレ]]、[[植物学者]](* [[1780年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[平岡円四郎]]、[[一橋徳川家]][[家老]](* [[1822年]]) * [[1868年]]([[慶応]]4年[[5月30日 (旧暦)|5月30日]]) - [[沖田総司]]、[[新選組]]一番隊組長(* [[1842年]]頃) * [[1873年]] - [[フェルディナンド・ダヴィッド]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1810年]]) * [[1888年]] - [[山岡鉄舟]]、[[政治家]](* [[1836年]]) * [[1898年]] - [[ムクワワ]]、[[ドイツ領東アフリカ]]ヘヘ族の指導者(* [[1855年]]) * [[1909年]] - [[荒井郁之助]]、日本の[[中央気象台]]長(* [[1836年]]) * [[1916年]] - [[津軽承昭]]、[[弘前藩|弘前藩主]](* [[1840年]]) * [[1935年]] - [[杉山茂丸]]、[[明治]]から[[昭和]]初期の[[フィクサー]](* [[1864年]]) * [[1936年]] - [[志田順]]、[[地球物理学|地球物理学者]](* [[1876年]]) * [[1943年]] - [[ジュゼッペ・テラーニ]]、[[建築家]](* [[1904年]]) * 1943年 - [[エカテリーナ・ブダノワ]]、[[ロシア航空宇宙軍|ソ連空軍]]の[[エース・パイロット]](* [[1916年]]) * [[1944年]] - [[新井茂雄]]、[[競泳]]選手(* 1916年) * [[1945年]] - [[ハインリヒ・ヴェルフリン]]、[[美術史|美術史家]](* [[1864年]]) * [[1947年]] - [[呂運亨]]、[[朝鮮]]の[[朝鮮独立運動|独立運動家]](* [[1886年]]) * 1947年 - [[アウン・サン]]、ミャンマーの独立運動家(* [[1915年]]) * [[1954年]] - [[ジャン・ロジェ=デュカス]]、作曲家(* [[1873年]]) * 1954年 - [[山崎延吉]]、[[農業政策|農政家]](* 1873年) * 1954年 - [[ハンネス・マイヤー]]、建築家(* [[1889年]]) * [[1961年]] - [[ポール・メリル]]、[[天文学者]](* [[1887年]]) * [[1963年]] - [[山之口貘]]、[[詩人]](* [[1903年]]) * [[1965年]] - [[李承晩]]、初代[[大韓民国]][[大統領 (大韓民国)|大統領]](* [[1875年]]) * 1965年 - [[梅崎春生]]、[[小説家]](* [[1915年]]) * [[1968年]] - [[子母沢寛]]、小説家(* [[1892年]]) * [[1972年]] - [[ハインリッヒス・スクーヤ]]、[[藻類学|藻類学者]]、[[植物学者]](* [[1892年]]) * [[1974年]] - [[ステファノ・マガディーノ]]、[[マフィア]]のボス(* [[1891年]]) * [[1976年]] - [[アイヴァン・モリス]]、[[翻訳家]]、文学研究者(* [[1925年]]) * [[1977年]] - [[大木惇夫]]、詩人、[[作詞家]](* [[1895年]]) * [[1980年]] - [[ハンス・モーゲンソウ]]、[[政治学者]](* [[1904年]]) * 1980年 - [[ニハト・エリム]]、[[トルコの首相|トルコ首相]](* [[1912年]]) * [[1981年]] - [[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](* [[1898年]]) * [[1984年]] - [[マルコ・タイチェヴィチ]]、作曲家(* [[1900年]]) * [[1986年]] - 3世[[茂山千作]]、[[狂言|狂言師]](* [[1896年]]) * [[1987年]] - [[文野朋子]]、[[俳優|女優]](* [[1923年]]) * [[1989年]] - [[伊藤真乗]]、[[真如苑]]開祖(* [[1906年]]) * [[1992年]] - [[アレン・ニューウェル]]、[[人工知能|人工知能学者]](* [[1927年]]) * [[1993年]] - [[シモン・ゴールドベルク]]、ヴァイオリニスト(* [[1909年]]) * [[1994年]] - [[ルドルフ・フィルクスニー]]、[[ピアニスト]](* [[1912年]]) * [[1999年]] - [[井狩彌治郎]]、[[実業家]](* [[1905年]]) * [[2003年]] - [[大林芳郎]]、実業家(* [[1918年]]) * [[2004年]] - [[鈴木善幸]]、政治家、第70代[[内閣総理大臣]](* [[1911年]]) * 2004年 - [[栗栖弘臣]]、[[統合幕僚長|統合幕僚会議議長]](* [[1920年]]) * [[2005年]] - [[西尾徳]]、[[声優]](* [[1939年]]) * [[2006年]] - [[ジャック・ウォーデン]]、俳優(* [[1920年]]) * 2006年 - [[田口周]]、元[[プロ野球監督]](* [[1932年]]) * 2006年 - [[ナウム・シュタルクマン]]、ピアニスト(* [[1927年]]) * [[2007年]] - [[河合隼雄]]、[[心理学者]](* [[1928年]]) * [[2009年]] - [[フランク・マコート]]、小説家(* [[1930年]]) * 2009年 - [[ヘンリー・サーティース]]、レーサー(* [[1991年]]) * [[2010年]] - [[佐藤大基]]、[[サッカー選手]](* [[1988年]]) * [[2011年]] - [[原田芳雄]]、俳優、[[歌手]](* [[1940年]]) * [[2014年]] - [[ジェームズ・ガーナー]]、俳優(* [[1928年]]) * 2014年 - [[スカイ・マッコール・バートシアク]]、女優(* [[1992年]]) * [[2018年]] - [[橋本忍]]、[[脚本家]](* [[1918年]]) * 2018年 - [[デニス・テン]]<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33240870Q8A720C1CC1000/|title=フィギュア・テン選手刺殺、容疑の2人拘束 カザフ |publisher=日本経済新聞|date=2018-07-20|accessdate=2020-12-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=フィギュア五輪銅のデニス・テン選手、強盗に襲われ死亡:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASL7M76KCL7MULZU01D.html|website=朝日新聞デジタル(2018年7月19日)|accessdate=2020-11-13|language=ja|publisher=}}</ref>、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1993年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == [[Image:Palestinian March in Nicaragua.jpg|thumb|200px|[[ニカラグア]]の革命記念日を祝う[[パレスチナ系ニカラグア人]]たち]] [[Image:Yoko_Sugi_and_Setsuko_Hara_in_Aoi_Sanmyaku.jpg|thumb|200px|映画『[[青い山脈 (映画)|青い山脈]]』封切り(1949)]] * [[革命記念日]]({{NIC}}) *: [[1979年]]のこの日、[[サンディニスタ民族解放戦線]]が武装蜂起し、独裁政治をしていた[[アナスタシオ・ソモサ・デバイレ|ソモサ]]大統領を亡命に追い込んだ。 * {{仮リンク|殉教者の日 (ミャンマー)|en|Burmese Martyrs' Day|label=殉教者の日}}({{MMR}}) *: [[1947年]]のこの日、ビルマの独立運動家[[アウン・サン]]らが暗殺された。 * [[海の日]]({{JPN}}、[[2004年]]・[[2010年]])※7月の第3月曜日 * [[土用の丑の日]]({{JPN}}、[[2009年]]) * 女性大臣の日({{JPN}}) *: [[1960年]]7月19日に、[[中山マサ]]が[[第1次池田内閣|第一次池田勇人内閣]]の[[厚生大臣]]として入閣し、日本初の女性大臣となったことに由来。 * [[戦後民主主義]]到来の日({{JPN}}) *: [[1949年]]のこの日、日本の新しい[[民主主義]]の到来を謳った青春映画『[[青い山脈 (映画)|青い山脈]]』が封切られた。 * 北壁の日({{JPN}}) *: [[1967年]]のこの日、東京女子医大山岳部の[[今井通子]]と[[若山美子]]の2人が[[マッターホルン]]北壁の登頂に成功した。女性だけのパーティーでの北壁登攀は世界初だった。 * [[サイボーグ009]]の日({{JPN}}) *:[[1964年]]のこの日、[[石ノ森章太郎]]の漫画『サイボーグ009』が[[少年キング|週刊少年キング]]で連載を開始した。「009」が千年に一度揃う2009年に先立ち、株式会社石森プロが2008年に制定した<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=27|isbn=978-4422021157 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= https://animeanime.jp/article/2008/07/18/3412.html |title= 7月19日は「サイボーグ009の日」 石ノ森章太郎展も開催 |publisher=アニメ!アニメ! |date=2008-07-18 |accessdate=2022-07-13}}</ref>。 * やまなし[[モモ|桃]]の日({{JPN}}) *: 山梨県果樹園芸会が制定。「百」を「もも」と読むことから、1年で200日目で、桃の出荷時期に当たるこの日を記念日とした。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0719|date=2011年6月}} * 1947年(昭和22年)- 南雲千草の絞殺体と[[詩人]]内海明の刺殺体が発見される。歌川家連続殺人事件の第三、第四の殺人。(小説『[[不連続殺人事件]]』第11章) * 1988年 - 鰻料理店「鰻浜」で、陽一が3種類の特製鰻丼を出典する。(『[[ミスター味っ子]]』)<ref>アニメ第40話「うな丼勝負! 黄金のうなぎを求めて」</ref> === 誕生日(フィクション) === * 1992年 - 篠原夏希、アニメ映画『[[サマーウォーズ]]』の女性主人公{{要出典|date=2020-07-29}} * 1999年 - 久海菜々美、アニメ『[[Wake Up, Girls!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |editor=メガミマガジン編集部|editor-link=メガミマガジン|date=2014-05-27|title =Wake Up, Girls! ステージの天使 The Illustrations|page=36 |publisher=[[学研プラス]]|isbn=978-4054060227}}</ref> * 2006年 - 椚創多、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://マーベル.com/archives/3756|title=『りゅうおうのおしごと!』登場人物(キャラクター)のまとめ|work=MARVEOL|date=2018-10-01|accessdate=2020-07-11}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=(6)|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=277|date=2017-07-14|isbn=978-4797391893}}</ref> * 生年不明 - プロメテウス、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Prometheus.html|title=プロメテウス|work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]|accessdate=2020-07-19}}</ref> * 生年不明 - マチルダ・マティス(マッチ)、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - タマ、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 野間マチコ、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|work=TVアニメ「ハイスクール・フリート」公式サイト|url=https://www.hai-furi.com/character/03_06/|title=野間マチコ CV:小林ゆう|accessdate=2020-07-19}}</ref> * 生年不明 - 辻堂剛史、アニメ『[[sola (久弥直樹・七尾奈留)|sola]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 木寅ミルヤ、アニメ『[[刀使ノ巫女]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - くろまめっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |editor=講談社|editor-link=講談社|date=2010-01-20|title =Tamagotchi iD らくらく育て方ガイド|publisher = [[講談社]] |isbn =978-4063648140|page=34}}</ref><ref>{{Cite book |和書|date=2011-11-01|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|page=19|publisher=[[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|editors=[[ウィズ (玩具)|ウィズ]](監修)、[[バンダイ]]|isbn=978-4097510482}}</ref> * 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#三浦 あずさ(みうら あずさ)|三浦あずさ]]、ゲーム『[[THE IDOLM@STER]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://millionlive.idolmaster.jp/theaterdays/|title=アイドル紹介(Angel)|publisher=窪岡俊之・[[バンダイナムコゲームス]]|work=THE IDOLM@STER MILLION LIVE!|accessdate=2020-07-19}}</ref> * 生年不明 - 藤宮桃香、漫画・アニメ『[[ケータイ少女]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 朝比奈桃子、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 御子柴琉生、ゲーム『声カレ~放課後キミに会いに行く~』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 新導ミクル、ゲーム・アニメ『[[カードファイト!! ヴァンガード]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 宇津木聡里、ゲーム『[[CUE!]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - ウピールチカ、メディアミックス『[[メルヘン・メドヘン]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 此村朱己、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 風間トオル、漫画・アニメ『[[クレヨンしんちゃん]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 春日部咲、漫画・アニメ『[[げんしけん]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 白星蝶子、漫画・アニメ『[[CRASH! (藤原ゆかの漫画)|CRASH!]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 篠崎サチコ、漫画・アニメ『[[コープスパーティー BloodCovered]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2020-07-29}} * 生年不明 - 遠井成美、漫画・アニメ『[[はるかなレシーブ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.harukana-receive.jp/character/?chr=3|title=CHARACTER 遠井成美 CV:島袋美由利|website=TVアニメ『はるかなレシーブ』公式サイト|work=[[如意自在]]・[[芳文社]]/はるかなレシーブ製作委員会|accessdate=2020-07-19}}</ref> * 生年不明 - ウェルガー、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=28&cate=name&cont=Welger |title=ウェルガー |access-date=2022-07-14 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 19|19 July}} {{新暦365日|7|18|7|20|[[6月19日]]|[[8月19日]]|[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]|0719|7|19}} {{1年の月と日}}
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https://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%8819%E6%97%A5
5,603
8月19日
8月19日(はちがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から231日目(閏年では232日目)にあたり、年末まであと134日ある。 2003年8月19日にイラクの首都バグダッドで22名がいのちを落とした国連事務所爆破事件を機に制定された。世界各地で人道支援活動を続ける人々に捧げられる日であるとともに、職務の最中に亡くなった人々を偲び、また人道支援の精神を全世界をあげて尊ぶ日。
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8月19日(はちがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から231日目(閏年では232日目)にあたり、年末まであと134日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月19日'''(はちがつじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から231日目([[閏年]]では232日目)にあたり、年末まであと134日ある。 == できごと == [[File:Daguerreotype_Daguerre_Atelier_1837.jpg|thumb|世界初の[[写真]]カメラ、[[ダゲレオタイプ]]発表(1839)。画像は1837年撮影]] <!-- [[Image:Weisshorn.jpg|thumb|[[ヴァイスホルン]]初登頂(1861)]] 山のみ(スペースに余裕があれば、1つの記念すべき日として山の画像もあって良いとは思うのですが…なかなか) --> [[File:LZ_127_Graf_Zeppelin_arriving_in_Kasumi-ga-Ura.jpg|thumb|120px|世界一周中の飛行船[[LZ 127 (飛行船)|LZ 127]]、東京へ寄港(1929)]] {{multiple image | footer = [[第二次世界大戦]]、[[ディエップの戦い]](1942)。連合軍がフランスへの奇襲上陸を試みるも完敗 | image1 = Bundesarchiv_Bild_101I-291-1230-13%2C_Dieppe%2C_Landungsversuch%2C_tote_alliierte_Soldaten.jpg | width1 = 140 | alt1 = ドイツ軍の防壁に阻まれ戦死したカナダ兵 | image2 = Dieppe_pebble_beach.jpg | width2 = 140 | alt2 = 放棄された連合軍の車両 }} [[File:Battle_for_paris_FFI1.png|thumb|[[パリの解放]]はじまる(1944)]] [[File:The look of the vanquished Jap was caught as the surrender party walked down the ramp of a plane at Manila. The... - NARA - 513230.tif|thumb|[[日本の降伏]]交渉(1945)。[[アメリカ陸軍航空隊|米]][[ダグラス DC-4|C-54]]機で[[ニコルス飛行場]]に到着した日本国政府全権。]] [[File:Toho_Labor_disputes.JPG|thumb|120px|[[東宝争議]]、排除に米軍の兵器が用いられる(1947)]] {{multiple image | footer = [[アメリカ中央情報局|CIA]]の工作によりイラン首相[[モハンマド・モサッデグ]]辞任([[1953年のイランのクーデター]]) | image1 = 28mordad1332.jpg | width1 = 100 | alt1 = 国会を包囲する兵士 | image2 = TPAjax.jpg | width2 = 100 | alt2 = CIAが雇ったサクラの「民衆」 }} {{multiple image | footer = ソ連の有人宇宙船試験機[[スプートニク5号]](1960)打ち上げ。[[ソ連の宇宙犬|2匹の犬]]などを搭載、無事生還 | image1 = USSR_stamp_1_ruble_Belka-Strelka.PNG | width1 = 140 | alt1 = 記念切手。左に2匹の犬が描かれている | image2 = Strelka_at_essendon.jpg | width2 = 140 | alt2 = この時の宇宙犬「ストレルカ」の剥製 }} [[Image:Picnic_Melocco.JPG|thumb|upright|[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]市民がハンガリー経由で大挙してオーストリアに亡命した[[汎ヨーロッパ・ピクニック]](1989)]] <!-- --> <!-- [[Image:Suisei.gif|thumb|ハレー彗星探査機[[すいせい]]打ち上げ(1985)]] --> * [[紀元前43年]] - オクタウィアヌス(後の初代ローマ皇帝[[アウグストゥス]])がローマに入城。[[元老院 (ローマ)|元老院]]に自らを[[執政官]]に選出するよう強要する。 <!-- 旧暦? そうでなくても特筆性が低いような * [[1747年]] - [[新潟県]][[糸魚川市]]の[[姫川]]が[[集中豪雨]]により氾濫。65軒226人が流失する。 --> * [[745年]]([[天宝 (唐)|天宝]]4載[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[唐]]の楊太真が玄宗皇帝の貴妃([[楊貴妃]])になる。 * [[749年]]([[天平勝宝]]元年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - 皇太子・阿倍内親王が即位し第46代天皇・[[孝謙天皇]]となる。 * [[1227年]]([[嘉禄]]3年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[延暦寺]]の訴えで、[[浄土宗]]などの専修念仏を禁止。 * [[1281年]] ([[弘安]]4年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[元寇]]: 弘安の役における鷹島沖海戦。 [[平戸島]]から[[太宰府]]目指して進軍する元軍と日本軍による海戦。 * [[1284年]]([[弘安]]7年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[北条時宗]]の死去に伴い、長子の[[北条貞時]]が鎌倉幕府第9代執権に就任。 * [[1574年]]([[天正]]2年[[8月3日 (旧暦)|8月3日]]) - [[越前一向一揆]]: [[越前国|越前]]と[[近江国|近江]]の国境、[[木ノ芽峠|木目峠]]を守護していた[[樋口直房]]が一揆勢力と独断で講和し退陣。越前国全域が一揆衆の勢力下になる。<!-- 『織田軍記』巻十四、「越州一向宗一揆蜂起事」より --> * [[1792年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ブルーリックスの戦い]]。 <!-- 旧暦 * [[1807年]] - [[富岡八幡宮]]の祭礼に詰め掛けた人出によって[[永代橋]]が崩落。 --> * [[1839年]] - [[ルイ・マンデ・ダゲール]]が世界初の実用的[[カメラ]]「[[ダゲレオタイプ]]」を[[フランス科学アカデミー]]に報告。<!-- enより。[[ダゲレオタイプ]]には1839年8月11日とあるが…… --> * [[1858年]]([[安政]]5年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[日露修好通商条約]]締結。 * [[1861年]] - [[アルプス山脈]]5番目の高峰[[ヴァイスホルン]]が[[ジョン・ティンダル]]らによって初登頂される。 * [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]: [[第十一次イゾンツォの戦い]]が始まる。 * [[1919年]] - [[アフガニスタン]]が[[イギリス]]から独立。 * [[1929年]] - [[ドイツ]]の飛行船「[[LZ 127 (飛行船)|LZ 127]]」(ツェッペリン伯号)が[[世界一周飛行]]の途中で[[日本]]に到着し、[[霞ヶ浦]]航空隊基地に着陸。 * [[1933年]] - [[第19回全国中等学校優勝野球大会]]の準決勝で[[中京商対明石中延長25回]]の試合。 * [[1934年]] - [[ナチス・ドイツ]]: [[アドルフ・ヒトラー]]を[[ドイツ]]の「[[総統|Führer(指導者)]]」とすることが、国民投票の圧倒的多数(89.93%)で承認される。 * [[1940年]] - [[新協劇団]]・[[新築地劇団]]が大弾圧を受け、団員や後援会関係者が検挙、劇団が解散させられる。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ディエップの戦い]]。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦・[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]]: [[パリの解放]]が始まる。 * [[1945年]] - [[日本の降伏]]: 陸軍[[参謀本部 (日本)|参謀次長]][[河辺虎四郎|河邊虎四郎]]中将ら日本国政府全権が[[木更津駐屯地|木更津飛行場]]より[[伊江島補助飛行場|伊江島]]を経由して[[フィリピン]][[マニラ]]市庁に到着し、連合国軍南西太平洋方面軍総参謀長[[リチャード・サザランド|サザランド]]陸軍中将と降伏交渉を行う(翌日帰国)。 * [[1946年]] - [[全日本産業別労働組合会議]](産別会議)結成。 * [[1948年]] - [[東宝争議#第3次争議勃発|第3次東宝争議]]: [[東宝スタジオ|砧撮影所]]に立てこもる組合員2,500人に対し、[[東京地方裁判所|東京地裁]]が撮影所明渡しの仮処分を執行。米軍の戦車7台・飛行機3機などが投入され、組合員は撤退。 * [[1951年]] - 名古屋市の[[ナゴヤ球場#中日スタヂアム|中日球場]]で、試合中にネット裏から出火し内野スタンドが全焼。死者3人。 * [[1953年]] - アジャックス作戦。[[アメリカ中央情報局|CIA]]の工作によって、[[イラン]]の[[油田]]国有化を主導していた首相[[モハンマド・モサッデグ|モサッデグ]]が辞任、亡命していた[[モハンマド・レザー・パフラヴィー]]が[[シャー]]の座に復帰。 * [[1960年]] - [[冷戦]]・[[U-2撃墜事件]]: アメリカの[[偵察機]][[U-2 (航空機)|U-2]]を操縦していたパイロット[[フランシス・ゲーリー・パワーズ]]が[[ソビエト連邦|ソ連]]に対する[[諜報]]活動の廉により懲役3年、強制労働7年の判決を受ける。 * 1960年 - [[ソビエト連邦|ソ連]]で有人宇宙船試験機[[スプートニク5号]]打ち上げ。[[ソ連の宇宙犬|2匹の犬]]ほか多数の動植物を搭載。 * [[1961年]] - [[北美濃地震]]が発生。 * 1961年 - [[日本放送協会|NHK]]の[[バラエティ番組]]『[[夢であいましょう]]』にて、『[[上を向いて歩こう]]』がテレビ初披露。 * [[1962年]] - [[第44回全国高等学校野球選手権大会]]で[[作新学院高等学校|作新学院]]が優勝し、史上初の春夏連覇を達成。 * [[1963年]] - 日本の映画会社大手5社が[[映画]]のテレビ放映制限を撤廃。 * [[1965年]] - [[佐藤栄作]]が、日本の首相として戦後はじめて[[沖縄県|沖縄]]を訪問。 * [[1969年のテレビ (日本)|1969年]] - [[第51回全国高等学校野球選手権大会決勝|第51回全国高等学校野球選手権大会決勝再試合]]。前日、延長18回で引分けとなり、史上初の決勝戦引分け再試合を実施。 * [[1970年]] - [[全日空アカシア便ハイジャック事件]]。 * [[1972年]] - [[宇宙科学研究所|東大宇宙航空研究所]]が宇宙観測衛星「[[でんぱ]]」を打上げ。 * [[1978年]] - [[イラン]]の[[アーバーダーン]]市内で[[映画館]]が[[放火]]される。観客ら377人が死亡<ref>近代化強行に反発 イラン放火テロの背景『朝日新聞』1978年(昭和53年)8月21日朝刊、13版、7面</ref>。 * [[1980年]] - [[サウジアラビア航空163便火災事故]]。 * 1980年 - [[新宿西口バス放火事件]]。6人が死亡、14人が重軽傷。 * [[1985年]] - [[宇宙科学研究所]]が[[ハレー彗星]]探査機「[[すいせい]]」を打ち上げ。 <!-- * [[1987年]] - [[光GENJI]]が[[シングル]]『[[STAR LIGHT]]』でデビュー。: 1国レベルにとどまる芸能人・グループのデビューはよしておきましょう。売上史上最高記録などなら「できごと」でしょうけれど。 --> * [[1989年]] - [[ハンガリー]]で大量の東ドイツ市民が[[オーストリア]]に越境する[[汎ヨーロッパ・ピクニック]]が起こる。 * [[1991年]] - [[ソビエト連邦の崩壊]]: [[ソ連8月クーデター]]。守旧派が[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]大統領を軟禁し一時政権を掌握するが、[[ボリス・エリツィン]]ロシア大統領の抵抗により失敗。 * [[2002年]] - [[フィジー]]南方沖で[[マグニチュード|M]] 7.7の地震が2回発生。震源の深さは前者が580km、後者は675km。 * [[2003年]] - [[イラク]]の[[国際連合|国連]][[バグダード]]本部で爆破テロが発生。セルジオ・デメロ[[国連事務総長特別代表]]を含む24名が死亡、108名が負傷。 * [[2016年]] - [[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロオリンピック]]: 男子50km[[競歩]]で、[[荒井広宙]]が3位。同種目日本人初のメダル。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> {{multiple image | footer = 初代[[グリニッジ天文台]]長、天文学者[[ジョン・フラムスティード]](1646-1719)誕生。グリニッジ天文台を基点とした『天球図譜』を著し、[[グリニッジ子午線]]の基となった | image1 = John_Flamsteed.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジョン・フラムスティード | image2 = Prime-meridian.jpg | width2 = 100 | alt2 = グリニッジ子午線 }} [[Image:Samuel_Richardson_by_Joseph_Highmore.jpg|thumb|100px|作家[[サミュエル・リチャードソン]](1689-1761)誕生<!--。{{Squote|寛大な赦しほど、寛大でない者を傷付けるものはない。――『クラリッサ』(1747-48)}}-->]] <!-- TODO: 記事本体加筆。記事に「近代小説の父」とありますが少々大袈裟というかイギリスPOVというか --> <!-- [[Image:Madame_Dubarry1.jpg|thumb|100px|[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の公妾、[[デュ・バリー夫人]](1743-1793)]] --> <!-- [[Image:King_Sho_Iku.jpg|thumb|100px|琉球国王、[[尚育王|尚育]](1813-1847)]] --> {{multiple image | footer = 画家[[ギュスターヴ・カイユボット]](1848-1894)誕生。左画像は自画像(1892頃)、右は『パリの雨の日』(1877) | image1 = Caillebotteautoportrait.jpg | width1 = 80 | alt1 = ギュスターヴ・カイユボットの自画像 | image2 = Gustave_Caillebotte_-_Jour_de_pluie_%C3%A0_Paris.jpg | width2 = 200 | alt2 = 『パリの雨の日』 }} {{multiple image | footer = 物理学者、[[長岡半太郎]](1865-1950)誕生。土星型の[[原子模型|原子モデル]]を提唱 | image1 = Hantaro Nagaoka.jpg | width1 = 100 | alt1 = 長岡半太郎 | image2 = Stylised atom with three Bohr model orbits and stylised nucleus.png | width2 = 100 | alt2 = 土星型の原子モデル:原子核の周りを電子が回っている }} <!-- WANTED: 肖像写真。著作権は切れているはず --> <!-- [[Image:Orville_Wright.jpg|thumb|100px|[[飛行機]]を発明した[[ライト兄弟]]の弟、オーヴィル・ライト(1867-1912)]] →記念日 --> <!-- [[Image:George_Enesco.jpg|thumb|100px|作曲家・ヴァイオリニスト、[[ジョルジェ・エネスク]](1881-1955)。{{audio|Enescu - Cantibile and Presto - Tipton.ogg|『フルートとピアノのためのカンタービレとプレスト』を聴く}}]] --> {{multiple image | footer = [[ファッションデザイナー]]、[[ココ・シャネル]](1883-1971)誕生。右画像はシャネル初期の帽子(1912)。{{Squote|[[ファッション]]は[[建築]]です。[[比率]]の問題なのです。}} | image1 = Chanel.JPG | width1 = 100 | alt1 = ココ・シャネル | image2 = Chanel_hat_from_Les_Modes_1912.jpg | width2 = 80 | alt2 = シャネルの帽子。画像の女性はココではない }} {{multiple image | image1 = Quezon.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[フィリピン]]の独立準備政府大統領[[マニュエル・ケソン]](1878-1944) | image2 = | width2 = 100 | caption2 = 第43代アメリカ合衆国大統領、[[ビル・クリントン]](1946-) }} <!-- [[Image:Gene1.jpg|thumb|100px|テレビ・映画プロデューサー、[[ジーン・ロッデンベリー]](1921-1991)。代表作『[[スタートレック]]』シリーズ]] --> <!-- [[Image:Nobel_Prize_2009-Press_Conference_KVA-23.jpg|thumb|100px|物理学者[[ウィラード・ボイル]](1924-)。[[電荷結合素子|CCD]]の発明者の1人]] --> * [[1596年]] - [[エリザベス・ステュアート]]、[[ボヘミア]][[王妃]]、[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]の姉(+ [[1662年]]) * [[1646年]] - [[ジョン・フラムスティード]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/John-Flamsteed John Flamsteed British astronomer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[天文学者]](+ [[1719年]]) * [[1689年]] - [[サミュエル・リチャードソン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Samuel-Richardson Samuel Richardson English novelist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[小説家]](+ [[1761年]]) * [[1743年]] - [[デュ・バリー夫人]]<ref>[https://www.britannica.com/biography//Jeanne-Becu-comtesse-du-Barry Jeanne Bécu, countess du Barry mistress of Louis XV of France] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[フランス国王]]・[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の[[公妾]](+ [[1793年]]) * [[1745年]] - [[ヨハン・ゴットリーブ・ガーン]]、[[化学者]](+ [[1818年]]) * [[1750年]] - [[ヨハン・ゲオルク・アウグスト・ガレッティ]]、[[歴史学者]]、[[地理学者]](+ [[1828年]]) * 1750年 ([[寛延]]3年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]])- [[森俊韶]]、第3代[[三日月藩|三日月藩主]] (+ [[1797年]]) * [[1813年]]([[嘉慶 (清)|嘉慶]]18年7月24日) - [[尚育王|尚育]]、[[琉球国王]](+ [[1847年]]) * [[1830年]] - [[ロータル・マイヤー]]、化学者、[[物理学者]](+ [[1895年]]) * [[1832年]] ([[天保]]3年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]])- [[木下利恭]]、第12代[[足守藩|足守藩主]]・[[子爵]] (+ [[1890年]]) * [[1839年]](天保10年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[久米邦武]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1931年]]) * [[1847年]]([[清]][[道光]]27年7月9日) - [[黄飛鴻]]、[[武術|武術家]]、[[医師]](+ [[1924年]]) * [[1848年]] - [[ギュスターヴ・カイユボット]]、[[画家]](+ [[1894年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - [[矢吹璋雲]]、[[画家]](+ [[1927年]]) * [[1853年]] - [[アレクセイ・ブルシーロフ]]、[[軍人]](+ [[1926年]]) * [[1865年]]([[慶応]]元年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[長岡半太郎]]、[[物理学者]](+ [[1950年]]) * [[1866年]](慶応2年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[中村不折]]、[[書家]](+ [[1943年]]) * [[1871年]] - オービル・ライト、[[ライト兄弟]]の弟(+ [[1948年]]) * [[1872年]] - [[マチルダ・クシェシンスカヤ]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[1971年]]) * [[1878年]] - [[マニュエル・ケソン]]、[[政治家]]、第2代[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]](+ [[1944年]]) * [[1881年]] - [[ジョルジェ・エネスク]]、[[音楽家]](+ [[1955年]]) * [[1883年]] - [[ココ・シャネル]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[1971年]]) * [[1889年]] - [[アーサー・ウェイリー]]、[[東洋学者]](+ [[1966年]]) * [[1893年]] - [[安東聖空]]、[[書家]](+ [[1983年]]) * [[1900年]] - [[高田博厚]]、[[彫刻家]](+ [[1987年]]) * 1900年 - [[ギルバート・ライル]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1976年]]) * [[1901年]] - [[佐藤観次郎]]、[[ジャーナリスト]]、政治家(+ [[1970年]]) * [[1906年]] - [[フィロ・ファーンズワース]]、[[電気工学]]者(+ [[1971年]]) * [[1909年]] - [[イェジ・アンジェイェフスキ]]、[[小説家]](+ [[1983年]]) * [[1914年]] - [[早坂文雄]]、[[作曲家]](+ [[1955年]]) * [[1918年]] - [[沖克己]]、[[プロ野球選手]](+ [[1993年]]) * [[1920年]] - [[ジョージ・パターソン (宣教師)|ジョージ・パターソン]]、[[宣教師]](+ [[2012年]]) * [[1921年]] - [[ジーン・ロッデンベリー]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1991年]]) * [[1922年]] - [[近藤富枝]]、[[ノンフィクション作家]](+ [[2016年]]<ref>{{Cite news|title=近藤富枝さん死去 朝ドラ「本日も晴天なり」モデル|newspaper=朝日新聞|date=2016-7-25|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ7T4172J7TUCVL00C.html|accessdate=202010-27}}</ref>) * [[1924年]] - [[ウィラード・ボイル]]、[[物理学者]](+ [[2011年]]) * [[1925年]] - [[渡辺宙明]]、作曲家、[[編曲家]](+[[2022年]]) * [[1926年]] - [[東千代之介]]、[[俳優]](+ [[2000年]]) * [[1927年]] - [[ボブ・O・エバンズ]]、[[技術者]]、[[工学者]](+ [[2004年]]) * [[1929年]] - [[松下圭一]]、[[政治学者]](+ [[2015年]]) * [[1930年]] - [[椎名素夫]]、政治家(+ [[2007年]]) * [[1931年]] - [[山口昌男]]、[[文化人類学者]](+ [[2013年]]) * [[1934年]] - [[降旗康男]]、[[映画監督]](+ [[2019年]]<ref name="nikkei20190526">{{Cite web|和書| url = https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45291650W9A520C1CZ8000/ | title = 降旗康男さんが死去 映画監督 「鉄道員」「あ・うん」 | publisher = [[日本経済新聞]] | date = 2019-05-26 | accessdate = 2020-11-15 }}</ref>) * 1934年 - [[ゴードン・ベル]]、[[技術者]]、[[工学者]] * [[1935年]] - [[八名信夫]]、俳優、元プロ野球選手 * 1935年 - [[稲垣正夫]]、元プロ野球選手(+ [[2015年]]) * [[1939年]] - [[アラン・ベイカー]]、[[数学者]](+ [[2018年]]) * [[1942年]] - [[松本白鸚 (2代目)]]、[[歌舞伎]]役者 * 1942年 - [[フレッド・トンプソン]]、政治家、俳優(+ [[2015年]]) * [[1944年]] - [[ジル・フォコニエ]]、[[言語学者]]、[[認知科学|認知科学者]] * [[1945年]] - [[イアン・ギラン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ディープ・パープル]]) * 1945年 - [[榛名由梨]]、[[俳優|女優]] * [[1946年]] - [[ビル・クリントン]]、政治家、第42代[[アメリカ合衆国大統領]] * 1946年 - [[ティ・ロン]]、俳優 * [[1948年]] - [[前川清]]、[[歌手]] * 1948年 - [[柴田政人]]、[[騎手]]、[[調教師]] * 1948年 - [[鈴木敏夫]]、[[プロデューサー]] * 1948年 - [[星勝]]、作曲家 * [[1951年]] - [[ジョン・ディーコン]]、ミュージシャン([[クイーン (バンド)|クイーン]]) * [[1952年]] - [[日高晶彦]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[ナンニ・モレッティ]]、[[映画監督]]、俳優 * 1953年 - [[ジョン・ベラミー・フォスター]]、[[社会学者]] * 1953年 - [[青沼邦和]]、政治家、実業家 * [[1954年]] - [[轟二郎]]、俳優、[[タレント]](+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://ameblo.jp/jiro-todoroki/entry-12616014658.html |title= 永遠のチャレンジボーイ |websidate= 2020-08-06 |accessdate= 2021-01-07 }}</ref><ref>{{cite news2 |title=「チャレンジボーイ」轟二郎さん死去 大腸がん |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202008060000674.html |newspaper=nikkansports.com |language=日本語|agency=日刊スポーツ新聞社 |date=2020-08-06|accessdate=2020-11-27}}</ref>) * 1954年 - [[ネッド・ヨスト]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]] * [[1955年]] - [[テリー・ハーパー (野球)|テリー・ハーパー]]、元プロ野球選手 * 1955年 - [[ピーター・ギャラガー]]、俳優 * 1955年 - [[渡邊直人]]、実業家、[[王将フードサービス]]社長 * [[1957年]] - [[チェーザレ・プランデッリ]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * [[1958年]] - [[西本和美]]、元プロ野球選手 * 1958年 - [[ゲイリー・ガイエティ]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[中島かずき]]、[[脚本家]] * 1959年 - [[アンソニー・ガレア]]、医師 * 1959年 - [[大塚淳弘]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[乃南アサ]]、[[小説家]] * [[1961年]] - [[佐藤ゆかり]]、政治家 * 1961年 - [[よしだみほ]]、[[漫画家]] * [[1962年]] - [[風間トオル]]、俳優 * 1962年 - [[宅八郎]]、オタク評論家(+ [[2020年]]) * 1962年 - [[小野和幸]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[ヤガミトール]]、ミュージシャン([[BUCK-TICK]]) * [[1963年]] - [[Monday満ちる]]、ミュージシャン、女優 * 1963年 - [[ジョン・ステイモス]]、俳優 * 1963年 - [[ジョーイ・テンペスト]]、ミュージシャン([[ヨーロッパ (バンド)|ヨーロッパ]]) * [[1964年]] - [[小野打泰子]]、航空自衛官 * [[1965年]] - [[藤枝慎治]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[キーラ・セジウィック]]、女優 * [[1966年]] - [[田坂るり]]、[[アナウンサー]] * [[1967年]] - [[奥寺健]]、アナウンサー * 1967年 - [[前川麻子]]、女優、脚本家、[[演出家]]、小説家 * [[1969年]] - [[立浪和義]]、元プロ野球選手、監督 * 1969年 - [[マシュー・ペリー (俳優)|マシュー・ペリー]]、俳優(+[[2023年]]) * 1969年 - [[タイロン・ウッズ]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[マット・フランコ]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[土井敏之]]、アナウンサー * 1970年 - [[長谷川真弓 (女優)|長谷川真弓]]、女優 * 1970年 - [[日笠雅人]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[森麻季 (歌手)|森麻季]]、[[ソプラノ歌手]] * 1970年 - [[ファット・ジョー]]、[[ラッパー]] * [[1971年]] - [[酒井由紀子]]、[[ピアニスト]] * 1971年 - [[ジョアン・ヴィエイラ・ピント|ジョアン・ピント]]、サッカー選手 * 1971年 - [[メアリー・ジョー・フェルナンデス]]、[[テニス選手]] * [[1972年]] - [[米倉千尋]]、[[歌手]] * 1972年 - [[安西信行]]、漫画家 * 1972年 - [[サミー・チェン]]、歌手、女優 * 1972年 - [[ロベルト・アボンダンシェリ]]、サッカー選手 * 1972年 - [[石神秀幸]]、実業家、ラーメン評論家 * [[1973年]] - [[石井江奈]]、アナウンサー * 1973年 - [[前田つばさ]]、女優 * 1973年 - [[吉村夏枝]]、歌手(元[[Lip's]]) * 1973年 - [[マルコ・マテラッツィ]]、サッカー選手 * [[1974年]] - [[ふかわりょう]]、[[お笑いタレント]] * 1974年 - [[松原良香]]、元サッカー選手、指導者 * 1977年 - [[早川大地]]、ミュージシャン([[Sweet Vacation]]) * 1977年 - [[マット・ホワイト]]、プロ野球選手 * [[1978年]] - [[ロレンソ・パーラ]]、[[プロボクサー]]、[[世界ボクシング協会世界王者一覧#フライ級|WBAフライ級第35代王者]] * 1978年 - [[三木聖美]]、[[バスケットボール]]選手 * 1978年 - [[クリス・カプアーノ]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[鶴岡聡]]、声優 * [[1979年]] - [[小橋賢児]]、元俳優、DJ、実業家 * 1979年 - [[中村渉]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[ニーロ・セヴァネン]]、音楽家 * [[1980年]] - [[ディーン・フジオカ]]、俳優、歌手 * 1980年 - [[高畑百合子]]、アナウンサー * 1980年 - [[飯田宏行]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[荒川愛]]、元[[グラビアアイドル]] * 1980年 - [[KENROKU]]、俳優 * 1980年 - [[青柳勧]]、水球選手 * [[1981年]] - [[ユーデ・ブリトー]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[福沢卓宏]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[エリカ・クリステンセン]]、女優 * 1982年 - [[加賀龍哉]]、元バレーボール選手 * [[1983年]] - [[坂東慧]]、[[ドラマー]]([[T-SQUARE]]) * [[1984年]] - [[浅間敬太]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[アレッサンドロ・マトリ]]、サッカー選手 * 1984年 - [[青木良太 (サッカー選手)|青木良太]]、サッカー選手 * 1985年 - [[寺門亜衣子]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * [[1986年]] - [[木村沙織]]、元[[バレーボール]]選手 * 1986年 - [[瀬長奈津実]]、元レースクイーン * 1986年 - [[ユーリ・ラリオノフ]]、フィギュアスケート選手 * [[1987年]] - [[西原亜希]]、女優 * 1987年 - [[ニコ・ヒュルケンベルグ]]、F1ドライバー * 1987年 - [[広川恵一]]、作曲家 * [[1988年]] - {{仮リンク|ビクトリア・クツゾワ|en|Viktoriya Kutuzova}}、テニス選手 * 1988年 - [[鎌田奈津美]]、タレント * 1988年 - [[ヴェロニカ・ロス]]、作家 * 1988年 - [[山本亮 (ラグビー選手)|山本亮]]、ラグビー選手 * 1988年 - [[熊谷豪士]]、プロアイスホッケー選手 * 1988年 - [[花園直道]]、舞踏家、歌手 * [[1989年]] - [[廣神聖哉]]、元プロ野球選手 * [[1991年]] - [[イバン・フリオ]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[山下峻]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[藤原聡]]、ミュージシャン([[Official髭男dism]]) * 1991年 - [[ラファエレティモシー]]、ラグビー選手 * 1991年 - [[山口浩勢]]、陸上選手 * [[1992年]] - [[清家麻里奈]]、ファッションモデル * 1992年 - [[成瀬功亮]]、元プロ野球選手 * [[1994年]] - [[森雄大]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[坂本工宜]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[魅津希]]、[[総合格闘家]] * 1994年 - シルクロード、[[YouTuber]]([[Fischer's]]) * 1994年 - [[ナフィサトゥ・ティアム]]、陸上競技選手<ref>{{cite web |title=Page 12 Nafissatou Thiam |url=http://www.lbfa.be/web/sites/default/files//fichier/team_map_cei_prague_press_0.pdf |publisher=Ligue Belge Francophone d'Athlétisme |date=15 August 2016|accessdate=2021-09-06}}</ref> * [[1995年]] - [[アレクサンドラ・ステパノワ]]、フィギュアスケート選手 * 1995年 - [[水上颯]]、医師、元クイズプレイヤー * [[1997年]] - [[土屋李央]]、声優 * [[1998年]] - [[安田陸矢]]、声優 * [[1999年]] - [[東條なつ]]、AV女優 * [[2001年]] - 蔀祐佳、アイドル([[リルネード]]) * [[2002年]] - [[菜月ひかる]]、AV女優 * [[2003年]] - [[増田來亜]]、女優、歌手、パフォーマー([[Girls2]]) * [[2006年]] - [[MINAMI (YouTuber)|MINAMI]]、YouTuber * 生年不明 - [[藍川千尋]]、声優 * 生年不明 - [[綾奈ゆにこ]]、脚本家 * 生年不明 - [[CHI-MEY]]、シンガーソングライター、作詞家、作曲家 * 生年不明 - [[シマナガエナ]]、[[バーチャルYouTuber]] == 忌日 == [[Image:Rome_Statue_of_Augustus.jpg|thumb|140px|[[ローマ帝国]]初代皇帝[[アウグストゥス]](BC63-14)没。{{Squote|俺は役を上手く演じたか?そうなら俺の退場に拍手を。――最期の言葉}}]] <!-- Statue-Augustus.jpg --> <!-- BC43のローマ入城も8/19だが画像などはなし --> <!-- [[Image:Wien.Stephansdom61.jpg|thumb|100px|神聖ローマ皇帝[[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|]](1415-1493)]] --> <!-- {{multiple image | footer = 建築家[[アンドレーア・パッラーディオ]](1508-1580)没。右画像は「[[サン・ジョルジョ・マッジョーレ]]聖堂」 | image1 = Palladio.jpg | width1 = 100 | alt1 = アンドレーア・パッラーディオ | image2 = San_giorgio_maggiore.jpg | width2 = 100 | alt2 = サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂正面 <!- Isola_di_s_giorgio_maggiore_pano.jpg 横長すぎるか -> }} --> {{multiple image | footer = 数学者・物理学者・哲学者、[[ブレーズ・パスカル]](1623-1662)没。右画像は[[機械式計算機#パスカルの計算機|パスカルの計算機]]。 {{Squote|人間は葦、自然で最も弱きものに過ぎぬ。ただし考える葦である。――『[[パンセ]]』}} <!-- 無難に有名どころで --> <!-- {{Squote|全てが不確かだというのは確かではない。――『[[パンセ]]』}} --> <!-- {{Squote|[[哲学]]を意に介さないのが、真に哲学するということである。――『[[パンセ]]』}} --> | image1 = Blaise_pascal.jpg | width1 = 100 | alt1 = ブレーズ・パスカル | image2 = Arts_et_Metiers_Pascaline_dsc03869.jpg | width2 = 200 | alt2 = 歯車式計算機 }} <!-- {{multiple image | footer = 建築家[[バルタザール・ノイマン]](1687-1753)没。右画像は[[ヴュルツブルクのレジデンツ]] | image1 = MUC_Ruhmeshalle_37_Balthasar_Neumann.jpg | width1 = 100 | alt1 = バルタザール・ノイマン | image2 = 2004-06-27-Germany-Wuerzburg-Lutz_Marten-Residenz_side_view_1.jpg | width2 = 200 | alt2 = ヴュルツブルクのレジデンツ。世界遺産。 }} --> <!-- {{multiple image | footer = 発明家[[ジェームズ・ワット]](1736-1819)没。[[蒸気機関]]を改良し[[産業革命]]を加速。 {{Squote|私はこの機械のことしか考えられない。――書簡より(1765)}} | image1 = Watt_James_von_Breda.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジェームズ・ワット | image2 = James_Watt%27s_Workshop.jpg | width2 = 200 | alt2 = ワットの工房 }} --> {{multiple image | footer = 最後の[[琉球王国]]国王、[[尚泰王|尚泰]](1843-1901)没 | image1 = King_Sho_Tai.jpg | width1 = 100 | alt1 = 尚泰王 | image2 = Funeral_of_Marquis_Sho_Tai.JPG | width2 = 100 | alt2 = 葬儀 }} <!-- {{multiple image | footer = [[アカデミズム絵画]]の画家[[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]](1825-1905)没。左画像は自画像(1886)、右は『ヴィーナスの誕生』(1879) | image1 = William-Adolphe_Bouguereau_%281825-1905%29_-_Self-Portrait_Presented_To_M._Sage_%281886%29.jpg | width1 = 100 | alt1 = ウィリアム・アドルフ・ブグローの自画像 | image2 = William-Adolphe_Bouguereau_%281825-1905%29_-_The_Birth_of_Venus_%281879%29.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『ヴィーナスの誕生』 }} --> {{multiple image | image1 = Watt_James_von_Breda.jpg | width1 = 80 | caption1 = 発明家[[ジェームズ・ワット]](1736-1819)没。[[蒸気機関]]を改良し[[産業革命]]を加速 <!-- {{Squote|私はこの機械のことしか考えられない。――書簡より(1765)}} --> | image2 = Vilfredo Pareto 1870s2.jpg | width2 = 80 | caption2 = 経済学者[[ヴィルフレド・パレート]](1848-1923)没。[[パレート効率性|パレート最適]]を提唱した[[厚生経済学]]のパイオニア <!-- | image3 = GamovGA_1930.jpg | width3 = 80 | caption3 = [[理論物理学]]者[[ジョージ・ガモフ]](1904-1968)没。[[宇宙背景放射]]の存在を予言 --> | image3 = Pauling.jpg | width3 = 80 | caption3 = [[量子化学]]者・[[生化学]]者、[[ライナス・ポーリング]](1901-1994)。[[化学結合]]の性質を解明。また[[核兵器]]廃絶にも尽力 }} <!-- {{multiple image | footer = [[バレエ・リュス|ロシア・バレエ団]]創設者、[[セルゲイ・ディアギレフ]](1872-1929) | image1 = Sergei_Diaghilev_02.jpg | width1 = 80 | alt1 = セルゲイ・ディアギレフ | image2 = VE_-_S._Michele_-_Tomba_di_Diaghilev_-_17-08-2002_02.JPG | width2 = 140 | alt2 = 墓 }} --> [[Image:Lorca CloseUp.jpg|thumb|100px|詩人[[フェデリコ・ガルシーア・ロルカ]](1898-1936)、[[スペイン内戦]]で銃殺。作品は発禁となった。画像はマドリードのロルカ像。建立はフランコの没後{{Squote|[[スペイン]]の死人は世界中のどこの死人よりも活き活きしている。――『ニューヨークの詩人』}}]] [[Image:Kita_Ikki.jpg|thumb|100px|思想家[[北一輝]](1883-1937)、[[二・二六事件]]の理論的首謀者として処刑]] <!-- 北一輝を外せばレイアウト的にはすっきり収まるのですが…重要な刑死者は外したくなかったので --> <!-- [[Image:Henrywood.gif|thumb|100px|指揮者[[ヘンリー・ウッド]](1869-1944)]] --> <!-- [[Image:Levy_Mwanawasa.jpg|thumb|100px|[[ザンビア共和国]]第3代大統領、[[レヴィー・ムワナワサ]](1948-3008)]] --> === 人物 === * [[14年]] - [[アウグストゥス]]、初代[[ローマ帝国]][[皇帝]](* [[紀元前62年]]) * [[1493年]] - [[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Frederick-III-Holy-Roman-emperor Frederick III Holy Roman emperor] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1415年]]) * [[1545年]]([[天文 (元号)|天文]]14年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[畠山義総]]、[[能登国]]の[[戦国大名]](* [[1491年]]) * [[1580年]] - [[アンドレーア・パッラーディオ]]、[[建築家]](* [[1508年]]) * [[1657年]] - [[フランス・スナイデルス]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Frans-Snyders Frans Snyders Flemish painter] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[画家]](* [[1579年]]) * [[1662年]] - [[ブレーズ・パスカル]]、[[物理学者]]、[[数学者]](* [[1623年]]) * [[1672年]]([[寛文]]12年[[閏]][[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[山岡元隣]]、[[俳人]]、[[仮名草子]]作者(* [[1631年]]) * [[1720年]]([[享保]]5年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[間部詮房]]、[[越後]][[村上藩]]初代藩主、[[側用人]](* [[1666年]]) <!--日寛の忌日8月19日は「旧暦」なので注意!--> * [[1753年]] - [[バルタザール・ノイマン]]、建築家(* [[1687年]]) * 1753年([[宝暦]]3年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[秋月種弘]]、第5代[[高鍋藩|高鍋藩主]](* [[1687年]]) * [[1765年]] - [[アクセル・フレドリク・クローンステッド]]、[[化学者]](* [[1722年]]) * [[1769年]]([[明和]]6年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[永井尚備]]、第2代[[加納藩|加納藩主]](* [[1743年]]) * [[1801年]]([[享和]]元年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[小沢蘆庵]]、[[歌人]](* [[1723年]]) * [[1819年]] - [[ジェームズ・ワット]]、技術者(* [[1736年]]) * [[1822年]]([[文政]]5年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[木下俊懋]]、第11代[[日出藩|日出藩主]](* [[1772年]]) * [[1856年]] - [[シャルル・ジェラール]]、[[化学者]](* [[1816年]]) * [[1862年]]([[文久]]2年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[柳生俊順]]、第12代[[柳生藩|柳生藩主]](* [[1836年]]) * [[1889年]] - [[オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン]]、[[作家]](* [[1838年]]) * [[1900年]] - [[ジャン=バティスト・アッコーライ]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1833年]]) * [[1901年]] - [[尚泰王]]、第19代[[琉球国王]](* [[1843年]]) * [[1905年]] - [[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]]、[[画家]](* [[1825年]]) * [[1914年]] - [[阿部正桓]]、第10代[[備後福山藩|備後福山藩主]](* [[1852年]]) * [[1917年]] - [[菊池大麓]]、[[数学者]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、[[文部大臣]](* [[1855年]]) * [[1923年]] - [[ヴィルフレド・パレート]]、[[経済学者]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1848年]]) * [[1924年]] - [[フェルディナン・シュヴァル]]、理想宮の建設で知られる[[郵便]]配達人(* [[1836年]]) * [[1929年]] - [[セルゲイ・ディアギレフ]]、[[ロシア・バレエ団]]創設者として知られる[[プロデューサー]](* [[1872年]]) * [[1932年]] - [[ルイ・アンクタン]]、画家(* [[1861年]]) * [[1936年]] - [[フェデリコ・ガルシーア・ロルカ]]、[[詩人]]、[[劇作家]](* [[1898年]]) * [[1937年]] - [[北一輝]]、国家主義者(* [[1883年]]) * 1937年 - [[西田税]]、[[思想家]](* [[1901年]]) * 1937年 - [[村中孝次]]、[[陸軍軍人]](* [[1903年]]) * 1937年 - [[磯部浅一]]、陸軍軍人(* [[1905年]]) * [[1939年]] - [[市川松蔦 (2代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1886年]]) * 1939年 - [[久慈次郎]]、[[野球選手]](* [[1898年]]) * [[1944年]] - [[ヘンリー・ウッド]]、[[指揮者]](* [[1869年]]) * 1944年 - [[ギュンター・フォン・クルーゲ]]、[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]][[元帥 (ドイツ)|元帥]](* [[1882年]]) * [[1945年]] - [[オットー・ハイルマン]]、建築家(* [[1886年]]) * [[1947年]] - [[出淵勝次]]、[[外交官]]、[[参議院議員]](* [[1878年]]) * [[1957年]] - [[カール=グスタフ・ロスビー]]、[[気象学者の一覧|気象学者]](* [[1898年]]) * [[1960年]] - [[ルイス・バーンスタイン・ネイミア]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1888年]]) * [[1962年]] - [[真島利行]]、化学者(* [[1874年]]) * [[1967年]] - [[ヒューゴー・ガーンズバック]]、[[小説家]]、[[SF作家]](* [[1884年]]) * 1967年 - [[アイザック・ドイッチャー]]、[[マルクス主義]][[思想家]]、[[ソビエト連邦|ソ連]]研究者(* [[1907年]]) * [[1968年]] - [[ジョージ・ガモフ]]、物理学者(* [[1904年]]) * [[1969年]] - [[ミース・ファン・デル・ローエ]]、建築家(* [[1886年]]) * 1969年 - [[中山義秀]]、[[小説家]](* [[1900年]]) * [[1976年]] - [[梨本伊都子]]、元[[皇族]](* [[1882年]]) * 1976年 - [[冨士月子]]、[[浪花節|浪曲師]](* [[1898年]]) * [[1977年]] - [[グルーチョ・マルクス]]、[[喜劇俳優]]、[[マルクス兄弟]]の三男(* [[1890年]]) * [[1980年]] - [[オットー・フランク]]、[[アンネ・フランク]]の父、[[ホロコースト]]生還者(* [[1889年]]) * [[1988年]] - [[土屋喬雄]]、経済学者(* [[1896年]]) * [[1991年]] - [[飯田信夫]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1903年]]) * [[1992年]] - [[瑳峨三智子]]、女優(* [[1935年]]) * [[1994年]] - [[ライナス・ポーリング]]、化学者(* [[1901年]]) * [[1995年]] - [[ピエール・シェフェール]]、作曲家(* [[1910年]]) * [[1996年]] - [[タチヤーナ・マーヴリナ]]、[[画家]](* [[1900年]]) * [[1999年]] - [[柴田英治]]、[[プロ野球選手]](* [[1930年]]) * [[2000年]] - [[ハリー・オッペンハイマー]]、[[実業家]](* [[1908年]]) * [[2001年]] - [[伊谷純一郎]]、[[人類学|人類学者]](* [[1926年]]) * [[2007年]] - [[南風洋子]]、女優(* [[1930年]]) * [[2008年]] - [[レヴィー・ムワナワサ|レビ・パトリック・ムワナワサ]]、第3代[[ザンビアの大統領|ザンビア大統領]](* [[1948年]]) * [[2009年]] - [[ヴァルター・ヤコビ]]、ロケット科学者(* [[1918年]]) * [[2016年]] - [[オラシオ・サルガン]]、[[タンゴ]][[音楽家]](* [[1916年]]) * [[2018年]] - [[森岡賢一郎]]、[[作曲家]](* [[1934年]]) * [[2019年]] - [[和田一夫]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM8Y4CF7M8YULFA00G.html|title=元「ヤオハン」代表の和田一夫氏死去 アジア欧米に展開:|publisher=朝日新聞デジタル|date=2019-08-29|accessdate=2020-11-11}}</ref>、[[実業家]](* [[1929年]]) * [[2020年]] - [[山崎正和]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62891170R20C20A8AC8000/|title=山崎正和さんが死去 劇作家・評論家、86歳|publisher=日本経済新聞|date=2020-08-21|accessdate=2020-12-16}}</ref><ref>[https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202008/sp/0013622896.shtml 神戸新聞NEXT:山崎正和さん死去 劇作家、評論家]</ref>、劇作家(* [[1934年]]) * [[2021年]] - [[千葉真一]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/125523|title=俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナに感染|publisher=東京新聞 TOKYO Web|date=2021-08-19|accessdate=2021-08-19}}</ref>、俳優(* [[1939年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2002年]] - [[サンデーサイレンス]]、[[競走馬]](* [[1986年]]) * [[2006年]] - [[ラインクラフト]]、競走馬(* [[2002年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[アフガニスタン]]の独立記念日(1919年独立)。{{audio|National_anthem_of_Afghanistan.ogg|国歌『ソルーデ・メッリー』を聴く}} | image1 = LocationAfghanistan.svg | width1 = 140 | caption1 = アフガニスタンの位置 | image2 = Afghan_Schoolchildren_in_Kabul.jpg | width2 = 180 | caption2 = 民族衣装の少年少女 }} * [http://www.unocha.org/japan/whd 世界人道デー] {{multiple image | footer = アメリカ合衆国の{{仮リンク|航空の日 (アメリカ合衆国)|en|National Aviation Day|label=航空の日}} | image1 = Orville_Wright.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[ライト兄弟]]の弟、オーヴィル・ライト(1867-1912) | image2 = First_flight2.jpg | width2 = 180 | caption2 = [[ライトフライヤー号]]の初飛行(1903)。機上にオーヴィル、地上に兄ウィルバー }}<blockquote>2003年8月19日にイラクの首都バグダッドで22名がいのちを落とした国連事務所爆破事件を機に制定された。世界各地で人道支援活動を続ける人々に捧げられる日であるとともに、職務の最中に亡くなった人々を偲び、また人道支援の精神を全世界をあげて尊ぶ日。</blockquote>{{multiple image | footer = [[正教会]]の[[主の顕栄祭]] | image1 = Preobrazhenie.jpg <!--Saint_Catherine's_Transfiguration.jpg--> | width1 = 120 | caption1 = 主の顕栄祭の[[イコン]] | image2 = Fruits_Transfiguration_jp.jpg | width2 = 160 | caption2 = 果物の初物が[[聖別|成聖]]される }} <!-- 国連による国際デーですが、訳語など不明のため暫定的にコメントアウト。「人道の日」?「人道主義の日」?「人道支援の日」? 訳語が判明したら入れてやってください [[Image:UN DF-SD-04-02188.JPEG|thumb|{{仮リンク|カナルホテル爆破事件|en|Canal Hotel bombing}}(2003)]] ←これも訳語不明 * {{仮リンク|世界人道の日|en|World Humanitarian Day}} *: [[2003年]]のこの日、[[イラク]]の国際連合事務所があったカナルホテルが爆破された事件を記念し、全ての[[人道主義]]活動家を顕揚する[[国際デー]]。[[国際連合]]が2007年に制定。<!- [[国際デー]]未掲載、[[en:International observance]]にはあります -> --> * {{仮リンク|独立記念日 (アフガニスタン)|en|Afghan Independence Day|label=独立記念日}}({{AFG}}) *: [[1919年]]のこの日、{{仮リンク|ラワルピンディ条約|en|Treaty of Rawalpindi}}によりアフガニスタンが[[イギリス]]より独立したことを記念する祝日。<!-- 記念していられる政治情勢かは微妙ですが、少なくとも祝日ではあるはず… --> <!-- * アフガン難民の日 *: アフガニスタンから離れた難民のコミュニティでは独立記念日を難民の日として祝い合う。 …という旨のことが[[:en:Afghan Independence Day]]に書いてあるが、"Afghan Refugee Day"で検索してもその記事しか出て来ないのでコメントアウトしておきます。パシュトー語だと違うのかもしれませんが力及ばず。 --> * {{仮リンク|航空の日 (アメリカ合衆国)|en|National Aviation Day|label=航空の日}}({{USA}})<!-- 根拠法:http://www.law.cornell.edu/uscode/36/118.html --><!-- USAの連邦記念日一覧:[[en:United_States_federal_observances]] --> *: [[ライト兄弟]]の弟、オーヴィル・ライトの[[1867年]]の誕生日を記念して[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領が1939年に制定したアメリカ合衆国の記念日。<!-- ライト兄弟の日([[en:Wright Brothers Day]])は別にあるらしい@[[12月17日]] --> * [[俳句]]の日({{JPN}}) *: 8月19日の「819」が「はいく」と読めることから。[[京都教育大学]]教授で[[正岡子規]]研究家の[[坪内稔典]]が提唱。夏休み中の子供達に、俳句に親しんで興味を持ってもらうために、毎年イベントを行っている。 * [[オートバイ|バイク]]の日({{JPN}}) *: 8月19日の「819」が「バイク」と読めることから。[[総務省]]交通安全対策室が[[1989年]]に制定。 * [[主の顕栄祭]]([[ユリウス暦]]を使用する[[正教会]]) <!-- 仏教やイスラム教などの行事が少なくなるのは西暦でやっているための限界か… --> * [[ハイキュー!!]]の日({{JPN}}) *: [[週刊少年ジャンプ]]連載中の[[古舘春一]]の漫画『ハイキュー!!』にちなんだ記念日。「'''8'''(ハ)'''1'''(イ)'''9'''(キュー)」の語呂合わせからきている。2015年秋のアニメ続編放送と劇場版放映記念に『ハイキュー!! セカンドシーズン』製作委員会の名義で、日本記念日協会に申請し、正式に記念日として登録された。 *[[医師]]の日({{PRC}}) {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0819|date=2011年6月}} * [[2005年]] - 2005年[[8月20日]]から見て前日に当たる8月19日に複数人のSF研究会部員がタイムトラベルしてくる。また、[[1906年]]8月19日と[[2030年]][[12月25日]]へのタイムトラベルがそれぞれ1回行われる。(映画『[[サマータイムマシン・ブルース]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1977年]] - [[救急戦隊ゴーゴーファイブ|巽ショウ]](ゴーグリーン)、特撮『[[救急戦隊ゴーゴーファイブ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[海闘士#海将軍|リュムナデスのカーサ]]、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=65 |title=リュムナデスのカーサ |access-date=2022-10-30 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館 |author=[[車田正美]] |work=聖闘士星矢}}</ref> * 生年不明 - ルカ・エスポジト、漫画・アニメ『[[彼方のアストラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://astra-anime.com/character/ |title=CHARACTER ルカ・エスポジト CV|松田利冴 |access-date=2022-10-30 |publisher=[[篠原健太]]/[[集英社]]・彼方のアストラ製作委員会 |work=彼方のアストラ}}</ref> * 生年不明 - 梅宮聖一、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|766543807781359616}}</ref> * 生年不明 - 野田侑也、漫画・アニメ『[[ミラクル☆ガールズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 岡橋初瀬 、漫画・アニメ『[[咲-Saki-|咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=岡橋 初瀬(おかはし はつせ) |work=咲-Saki- |accessdate=2022-10-30 |publisher=小林立公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 高城咲良、漫画『[[出口ゼロ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ソラウ・ヌァザリ・ソフィアリ、小説・アニメ『[[Fate/Zero]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ufotable|766693593893384192}}</ref> * 生年不明 - 島田愛子、アニメ『[[絶対無敵ライジンオー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.eldran.net/raijin-oh/chara/index.html |title=5年3組 地球防衛組 島田 愛子 |access-date=2022-10-30 |publisher=SUNRISE |work=絶対無敵ライジンオー}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#木村夏樹|木村夏樹]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/20050 |title=木村 夏樹(きむら なつき) |access-date=2022-08-17 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 水嶋咲、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40042 |title=水嶋 咲(みずしま さき) |access-date=2022-08-19 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 夏野ゆり、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|766468858756550656}}</ref> * 生年不明 - クラウン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=51&cate=name&cont=Clown |title=クラウン |access-date=2022-10-30 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - ベガ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=141&cate=name&cont=Vega |title=ベガ |access-date=2022-10-30 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - たまき、ゲーム『[[デッド オア アライブ エクストリーム ヴィーナス バケーション|DEAD OR ALIVE Xtreme Venus Vacation]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://doax-venusvacation.jp/info/25012.html |title=たまき専用「ブーケコーデ」登場!「たまき誕生日ガチャ」開催のお知らせ |access-date=2022-10-30 |publisher=コーエーテクモゲームス |work=DEAD OR ALIVE Xtreme Venus Vacation |date=2021-08-19}}</ref> * 生年不明 - 虹色ユリア、特撮『[[魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!]]』の登場人物 * 生年不明 - ルリコ、漫画『[[ボールパークでつかまえて!]]』のヒロイン * 生年不明 - 飾磨司、漫画『きもちわるいから君がすき』に登場するキャラクター<ref>『きもちわるいから君がすき』1巻 [[メロンブックス]] 特典リーフレット</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|August 19|19 August}} {{新暦365日|8|18|8|20|[[7月19日]]|[[9月19日]]|[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]|0819|8|19}} {{1年の月と日}}
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8月18日
8月18日(はちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から230日目(閏年では231日目)にあたり、年末まであと135日ある。
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8月18日(はちがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から230日目(閏年では231日目)にあたり、年末まであと135日ある。
{{カレンダー 8月}} {{JIS2004|説明=[[ハート (シンボル)|ハートマーク]]}} '''8月18日'''(はちがつじゅうはちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から230日目([[閏年]]では231日目)にあたり、年末まであと135日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[アサフ・ホール]]、火星の衛星[[フォボス (衛星)|フォボス]]を発見(1877) | image1 = Professor_Asaph_Hall.jpg | width1 = 80 | alt1 = アサフ・ホール | image2 = Phobos_colour_2008.jpg | width2 = 100 | alt2 = フォボス }} [[Image:Frankfurt_Am_Hauptbahnhof_1903.jpg|thumb|ドイツ最大の鉄道駅、[[フランクフルト中央駅]]開業(1888)。画像は1903年のもの。|180x180ピクセル]] {{multiple image | footer = ドイツ皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]、[[民法典 (ドイツ)|ドイツ民法典]]に署名(1896)。発効は1900年1月1日。日本を含む多くの国の民法に影響 | image1 = Wilhelm_II_of_Germany.jpg | width1 = 90 | alt1 = ヴィルヘルム2世 | image2 = Reichsgesetzblatt 1896 Seite 195.png | width2 = 90 | alt2 = ドイツ民法典。1896年8月18日の日付が見える }} {{multiple image | footer = [[女性参政権]]を認める[[アメリカ合衆国憲法修正第19条]]批准(1920)。右画像は参政権を求める女性のデモ行進(1912年) | image1 = 19th_Amendment_Pg1of1_AC.jpg | width1 = 60 | alt1 = アメリカ合衆国憲法修正第19条の文書 | image2 = Youngest_parader_in_New_York_City_suffragist_parade_LCCN97500068_(cropped).jpg | width2 = 120 | alt2 = 参政権を求める女性たち }} {{multiple image | caption1 = [[ナチス・ドイツ]]の[[国民ラジオ]]1号機、VE301W初公開(1933) | image1 = Volksempfaenger_02_KMJ.jpg | width1 = 90 | alt1 = 国民ラジオ1号機VE301W | image2 = Incorrect_picture_of_Lt_Barrett.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[ポプラ事件]]発生(1976) | alt2 = ポプラ事件 }} * [[110年]](景行天皇40年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[景行天皇]]が[[ヤマトタケル|日本武尊]]に東夷討伐を命じる。 * [[707年]]([[慶雲]]4年[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]) - [[天智天皇]]の第四皇女・阿閇皇女が即位して第43代天皇・[[元明天皇]]となる。 * [[1541年]]([[天文 (元号)|天文]]10年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[肥後国]]に[[ポルトガル人]]が漂着。領主の[[大友義鎮|大友宗麟]]に[[カボチャ]]の種が贈られる<ref>{{Cite web |url=https://christianpress.jp/n200818/ |title=【今日は何の日】1541年8月18日(天文10年7月27日) 日本にカボチャ伝来 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=Christian Press |date=18 Aug 2020}}</ref>。 * [[1587年]] - [[アメリカ大陸]]で最初の[[イングランド人|イングランド系白人]]となる[[ヴァージニア・デア]]が誕生。 * [[1640年]]([[寛永]]17年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - 京・六条柳の[[遊廓|遊郭]]が朱雀野に移転して[[嶋原|嶋原遊郭]]となる。 * [[1806年]] - [[ニュージーランド]][[南島 (ニュージーランド)|南島]]の沖合いで「発見」された無人島が[[オークランド諸島]]と命名。 * [[1858年]]([[安政]]5年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[日蘭修好通商条約]]締結。 * [[1868年]] - {{仮リンク|1868年8月18日の日食|en|Solar eclipse of August 18, 1868}}。[[フランス]]の[[天文学者]][[ピエール・ジャンサン]]が[[太陽光]]の中から[[ヘリウム]]の[[スペクトル線]]を発見。 * [[1877年]] - [[アサフ・ホール]]が[[火星]]の[[衛星]][[フォボス (衛星)|フォボス]]を発見。 * [[1888年]] - [[フランクフルト中央駅]]が開業。 * 1888年 - 福岡の[[三井三池炭鉱|三池炭鉱]]が[[三井財閥]]に払い下げられる。 * [[1896年]] - [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世]]が[[ドイツ民法|ドイツ民法典]]に署名。 * [[1902年]] - [[オーストリア]]のサッカークラブ「[[グラーツァーAK]]」発足<ref>{{Twitter status|grazerak|1560189768746422272}}</ref>。 * [[1913年]] - 宮崎県営鉄道飫肥線飫肥(のちの東飫肥)~油津(のちの元油津)間が開業。(のちのJR[[日南線]]) * [[1915年]] - [[第1回全国中等学校優勝野球大会]](のちの[[全国高等学校野球選手権大会]])が開幕。 * [[1917年]] - ギリシャ[[テッサロニキ]]で{{仮リンク|1917年テッサロニキ大火|en|Great Thessaloniki Fire of 1917}}が発生。 * [[1920年]] - [[アメリカ合衆国憲法修正第19条]]の批准が成立。アメリカで[[女性参政権]]が認められる。 * [[1928年]] - 三井財閥の大番頭・[[中上川彦次郎]]の娘・[[藤原あき|あき]]がテノール歌手・[[藤原義江]]を追って2児を残してミラノへ出発<ref>{{Cite web |url=https://bunshun.jp/articles/-/14781?page=4 |title=医学博士夫人・藤原あきが、夫と子どもを捨ててオペラ歌手と恋の逃避行。その顛末は……? |access-date=4 Nov 2023 |publisher=[[文藝春秋]] |website=文春オンライン |date=24 Oct 2019}}</ref>。「世紀の恋」と話題になる。 * [[1930年]] - [[谷崎潤一郎#女性関係|細君譲渡事件]]。[[谷崎潤一郎]]と妻・千代子が離婚し谷崎の友人・[[佐藤春夫]]が千代子と再婚することを3人連名で発表。 * [[1933年]] - [[ナチス・ドイツ]]主導で開発された[[国民ラジオ]]の一号機VE301Wが初公開。 * [[1935年]] - [[和歌山県]]の[[有田鉄道線]][[田殿口駅]]西方で[[気動車|ガソリンカー]]同士が正面衝突。重軽傷者50余人<ref>有田鉄道でガソリンカーが正面衝突『大阪毎日新聞』昭和10年8月19日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p782 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]・[[パリの解放]]: [[ゼネラル・ストライキ|ゼネスト]]が[[パリ]]の労働者全体に広がる。 * [[1945年]] - 皇帝[[溥儀]]が退位し[[満州国]]が消滅。 * 1945年 - [[第二次世界大戦]]・[[ソ連対日参戦]]: [[占守島の戦い]]。[[占守島]]に[[赤軍]]が侵攻し[[日本軍]]と戦闘。 * 1945年 - [[内務省 (日本)|内務省]]が地方長官に占領軍向けの性的慰安施設の設置を指令。 * [[1963年]] - [[アフリカ系アメリカ人公民権運動|公民権運動]]: [[アフリカ系アメリカ人]]として初めて[[ミシシッピ大学]]に入学した[[ジェームズ・メレディス]]が同校を卒業する。 * [[1968年]] - [[飛騨川バス転落事故]]。[[岐阜県]][[白川町]]で[[集中豪雨]]が起こり、土砂崩れにより観光バス2台が[[飛騨川]]に転落し104人死亡。 * [[1969年]] - [[第51回全国高等学校野球選手権大会決勝]]。0−0の延長18回で引分けとなり、史上初の決勝戦引分け。翌日に再試合を実施。 * [[1971年]] - [[ベトナム戦争]]: [[オーストラリア]]・[[ニュージーランド]]がベトナムからの撤退を宣言<ref>{{Cite web |url=https://nzhistory.govt.nz/deadline-for-nzs-combat-forces-to-be-withdrawn-from-vietnam-announced |title=Deadline for Vietnam pull-out announced 18 August 1971 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=New Zealand Government}}</ref>。 * [[1972年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]の[[ルナ計画]]最後の探査機「ルナ24号」が[[月]]面に着陸。岩石を採取し[[8月22日|22日]]に地球に帰還。 * [[1976年]] - [[ポプラ事件]]。[[板門店]]の[[非武装地帯]]でアメリカ兵に対し[[朝鮮人民軍]]が攻撃し、アメリカ兵2人が死亡。 * [[1977年]] - [[南アフリカ共和国]]の黒人運動家スティーヴ・ビコが政府により拘禁。拷問により同年[[9月12日]]に死亡。 * [[1982年]] - 日本の[[参議院議員通常選挙|参議院選挙]]に[[比例代表制]]導入を柱とした[[公職選挙法]]改正案が可決<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO62701730X10C20A8EAC000/ |title=1982年8月18日 参院選を政党本位に、公職選挙法が改正 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=17 Aug 2020}}</ref>。 * [[1989年]] - [[コロンビア]]で大統領選挙中に[[ルイス・カルロス・ガラン・サルミエント]]候補が暗殺。 * [[1992年]] - アメリカのコンピュータメーカー[[ワング・ラボラトリーズ]]が倒産。 * [[2006年]] - [[名古屋経済大学市邨中学校いじめ自殺事件]]が発生<ref>{{Cite web |title=愛知・高2美少女飛び降り自殺 いじめ調査を拒否した学校の言い分 |url=https://friday.kodansha.co.jp/article/97119 |website=FRIDAYデジタル |date=20 Feb 2020 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=[[講談社]]}}</ref>。 * [[2008年]] - [[パキスタン]]大統領[[パルヴェーズ・ムシャラフ]]が辞任を表明。 * 2008年 - [[大相撲力士大麻問題]]: ロシア人力士[[若ノ鵬寿則]]が[[大麻]]所持で逮捕。その後2名のロシア人力士の大麻所持が発覚。 * [[2010年]] - [[佐柳島沖海保ヘリ墜落事故]]。[[香川県]][[多度津町]][[佐柳島]]沖に、[[第六管区海上保安本部]]所属のヘリコプター「あきづる」が墜落。 * [[2011年]] - [[2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表|サッカー日本女子代表]]([[サッカー日本女子代表|なでしこジャパン]])が団体として初の[[国民栄誉賞]]を受賞。 * [[2016年]] - [[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロオリンピック]]: [[2016年リオデジャネイロオリンピックのバドミントン競技|バドミントン]]女子ダブルスで、[[松友美佐紀]]、[[高橋礼華 (バドミントン選手)|高橋礼華]]ペアが優勝し、同競技日本人初の金メダルを獲得<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3097990 |title=逆転劇を演じた高橋/松友組が金メダル!バドミントンでは日本勢初 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=19 Aug 2016}}</ref>。 * [[2019年]] - 8月上旬に発覚した[[常磐自動車道]]での[[あおり運転]]・殴打事件の犯人が大阪府内で逮捕される<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.asahi.com/articles/ASM8L43D4M8LUJHB00B.html |title=あおり運転で傷害容疑、指名手配の男逮捕 大阪市内で |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=19 Aug 2019 |accessdate=4 Nov 2023}}</ref>。 * 2019年 - [[香港]]で、「逃亡犯条例」改定案をめぐり170万人が参加する大規模デモが行われる<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/japanese/49391518 |title=香港で大規模デモ、衝突なく 主催者発表で170万人が参加 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=[[BBC]] NEWS JAPAN}}</ref>。 * [[2021年]] - [[三菱重工業]]に対し、元徴用工らへの賠償を命じた[[大韓民国|韓国]]大法院(最高裁)の判決をめぐり、韓国水原地裁安養支部が、三菱重工業が韓国企業に対して持つ約8億5千万ウォンの債権の差押えと取立ての命令を出す。元徴用工訴訟で第三者企業への債権の差押えが認められるのは初めて<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASP8L7WZHP8LUHBI02T.html |title=元徴用工訴訟、三菱重工の債権差し押さえ命令 韓国地裁 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=19 Aug 2021}}</ref>。 == 誕生日 == {{multiple image | image1 = Undated portrait painting of Louis Henri de Bourbon, Duke of Bourbon (1692-1740) wearing armour and the sash of the Order of the Holy Spirit by an unknown artist.jpg | width1 = 90 | caption1 = ルイ4世アンリ (コンデ公)(1692-1740)誕生 | alt1 = ルイ4世アンリ (コンデ公) | image2 = Joseph_Willibrod_M%C3%A4hler_001.jpg | width2 = 90 | caption2 = 作曲家[[アントニオ・サリエリ]](1750-1825)誕生 | alt2 = 作曲家アントニオ・サリエリ }} {{multiple image | footer = バレエダンサー・振付家、[[ジュール・ペロー]](1810-1892)誕生。右画像は[[エドガー・ドガ|ドガ]]画『ダンス教室』(1875)、中央の男がペロー | image1 = Jules_Perrot_-circa_1850.JPG | width1 = 80 | alt1 = ジュール・ペロー | image2 = Edgar_Germain_Hilaire_Degas_021.jpg | width2 = 100 | alt2 = ダンス教室 }} {{multiple image | image1 = Sophiebayern_franzjoseph.jpg | width1 = 90 | caption1 = オーストリア皇帝[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]](左; 1830-1916)誕生 | alt1 = オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 | image2 = Ahad_Haam.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[シオニズム]]思想家、[[アハド・ハアム]](1856-1927) | alt2 = アハド・ハアム }} {{multiple image | image1 = Brian_Aldiss_2005.JPG | width1 = 90 | caption1 = [[サイエンス・フィクション|SF]]作家、[[ブライアン・オールディス]](1925-) | alt1 = ブライアン・オールディス | image2 = Roman Polanski at Cannes in 2013 cropped and brightened.jpg | width2 = 90 | caption2 = 映画監督[[ロマン・ポランスキー]](1933-) | alt2 = ロマン・ポランスキー }} * [[1587年]] - [[ヴァージニア・デア]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Virginia-Dare |title=Virginia Dare|English colonist |access-date=4 Nov 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[アメリカ大陸]]で出生した最初の[[イングランド人|イングランド系白人]](+ 不明) * [[1685年]] - [[ブルック・テイラー]]、[[数学者]](+ [[1731年]]) * [[1692年]] - [[ルイ4世アンリ (コンデ公)|ルイ4世アンリ ]]、[[フランス王国|フランス]][[宰相]](+ [[1740年]]) * [[1729年]]([[享保]]14年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[前田重煕]]、[[加賀国]][[加賀藩]]主(+ [[1753年]]) * [[1735年]](享保20年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[板倉勝承]]、[[陸奥国]][[福島藩]]主(+ [[1765年]]) * [[1750年]] - [[アントニオ・サリエリ]]、[[作曲家]](+ [[1825年]]) * [[1774年]] - [[メリウェザー・ルイス]]、[[探検家]](+ [[1809年]]) * [[1785年]] - [[フリードリヒ・ヴィーク]]、[[音楽家]](+ [[1873年]]) * [[1792年]] - 初代[[ラッセル伯爵]][[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)|ジョン・ラッセル]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1878年]]) * [[1810年]] - [[ジュール・ペロー]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付家]](+ [[1892年]]) * [[1816年]]([[文化 (元号)|文化]]13年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[毛利元蕃]]、[[周防国]][[徳山藩]]主(+ [[1884年]]) * [[1819年]] - [[カルロス・マヌエル・デ・セスペデス]]、[[革命家]](+ [[1874年]]) * [[1830年]] - [[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]、[[オーストリア・ハンガリー帝国]]皇帝(+ [[1916年]]) * [[1836年]]([[天保]]7年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[大田原富清]]、[[下野国]][[大田原藩]]主(+ [[1862年]]) * [[1849年]] - [[バンジャマン・ゴダール]]、作曲家(+ [[1895年]]) * [[1856年]] - [[アハド・ハアム]]、[[ヘブライ語]]著述家、[[シオニズム]][[思想家]](+ [[1927年]]) * [[1875年]] - [[プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ]]、[[ネパール王国|ネパール王]](+ [[1911年]]) * [[1876年]] - [[松林桂月]]、[[日本画家]](+ [[1963年]]) * [[1878年]] - [[上杉慎吉]]、[[憲法学者]](+ [[1929年]]) * 1878年 - [[三遊亭圓遊#3代目|三遊亭圓遊(3代目)]]、[[落語家]](+ [[1945年]]) * [[1888年]] - [[佐藤玄々]]、[[彫刻家]](+ 1963年) * [[1889年]] - [[石井光次郎]]、[[政治家]](+ [[1981年]]) * [[1893年]] - [[バーリー・グライムス]]、元プロ野球選手(+ [[1985年]]) * [[1906年]] - [[マルセル・カルネ]]、[[映画監督]](+ [[1996年]]) * [[1908年]] - [[エドガール・フォール]]、政治家、[[随筆家]](+ [[1988年]]) * [[1909年]] - [[成田理助]]、野球評論家(+ [[1988年]]) * [[1911年]] - [[小林行雄]]、[[考古学者]](+ [[1989年]]) * [[1912年]] - [[エルサ・モランテ]]、[[小説家]](+ [[1985年]]) * [[1913年]] - [[太田静子]]、[[作家]]、[[歌人]](+ [[1982年]]) * [[1917年]] - [[キャスパー・ワインバーガー]]、政治家(+ [[2006年]]) * [[1920年]] - [[シェリー・ウィンタース]]、[[俳優|女優]](+ [[2006年]]) * [[1922年]] - [[アラン・ロブ=グリエ]]、[[小説家]]、[[映画監督]](+ [[2008年]]) * [[1923年]] - [[松本和雄]]、元[[プロ野球選手]] * [[1925年]] - [[ブライアン・オールディス]]、[[小説家]](+ [[2017年]]) * [[1926年]] - [[青木龍山]]、[[陶芸家]](+ [[2008年]]) * 1926年 - [[竹内黎一]]、政治家(+ [[2015年]]) * [[1927年]] - [[城山三郎]]、[[小説家]](+ [[2007年]]) * 1927年 - [[ロザリン・カーター]]、[[ジミー・カーター]]の[[アメリカ合衆国のファーストレディ|ファーストレディ]](+ [[2023年]]) * [[1929年]] - [[高秀秀信]]、政治家(+ [[2002年]]) * [[1930年]] - [[國弘正雄]]、政治家、[[文化人類学者]]、[[同時通訳|同時通訳者]](+ [[2014年]]) * [[1932年]] - [[リュック・モンタニエ]]、[[ウイルス学|ウイルス学者]](+ [[2022年]]) * [[1933年]] - [[野田昌宏]]、小説家、[[プロデューサー]](+ [[2008年]]) * 1933年 - [[ジュスト・フォンテーヌ]]、[[サッカー選手]](+ 2023年) * 1933年 - [[ロマン・ポランスキー]]、[[映画監督]] * [[1934年]] - [[牧阿佐美]]、バレエダンサー(+ [[2021年]]) * 1934年 - [[徳田重男]]、[[AV男優]] * 1934年 - [[ロベルト・クレメンテ]]、元プロ野球選手(+ [[1972年]]) * 1934年 - [[レイファー・ジョンソン]]、元[[陸上競技選手]]、[[俳優]](+ [[2020年]]) * [[1935年]] - [[柳澤伯夫]]、政治家 * 1935年 - [[大竹仁]]、元プロ野球選手 * [[1936年]] - [[古賀新一]]、ホラー[[漫画家]](+ [[2018年]]) * 1936年 - [[柳田利夫]]、元プロ野球選手 * 1936年 - [[ロバート・レッドフォード]]、[[俳優]] * 1936年 - [[島田幸雄]]、元プロ野球選手 * [[1937年]] - [[豊山勝男]]、元大相撲力士、年寄14代[[時津風 (相撲)|時津風]] * 1937年 - [[林春生]]、[[作詞家]](+ [[1995年]]) * [[1942年]] - [[長幡忠夫]]、元プロ野球選手 * [[1943年]] - [[ジャンニ・リベラ]]、サッカー選手 * [[1944年]] - [[高橋三郎 (競馬)|高橋三郎]]、元[[騎手]]、[[調教師]] * [[1946年]] - [[池永正明]]、元プロ野球選手(+ [[2022年]]) * 1946年 - [[島本和彦 (バスケットボール)|島本和彦]]、[[バスケットボール]]解説者 * [[1949年]] - [[森安秀光]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](+ [[1993年]]) * 1949年 - [[首藤剛志]]、[[脚本家]](+ [[2010年]]) * [[1950年]] - 小林ユミ、[[歌手]](元[[ゴールデン・ハーフ]]) * 1950年 - [[夏目房之介]]、[[漫画]]批評家 * [[1951年]] - [[柴田恭兵]]、俳優 * 1951年 - [[小俣進]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[岩本えり子]]、[[音楽家]]、作詞家(+ [[2008年]]) * 1952年 - [[パトリック・スウェイジ]]、俳優、[[ダンサー]](+ [[2009年]]) * 1952年 - [[リカルド・ビジャ]]、サッカー選手 * [[1955年]] - [[塩屋浩三]]、[[声優]] * [[1957年]] - [[名取裕子]]、女優 * [[1958年]] - [[四家秀治]]、[[アナウンサー]] * [[1959年]] - [[桃井進]]、元プロ野球選手、審判 * [[1960年]] - [[山本昌代]]、小説家 * 1960年 - [[蜷川有紀]]、女優 * 1960年 - [[松本稔 (野球)|松本稔]]、高校野球指導者 * 1960年 - [[佐々野諸延]]、実業家 * 1960年 - [[青木俊直]]、 漫画家、イラストレーター、キャラクターデザイナー、アニメーター * [[1961年]] - [[ジャック・ハウエル]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[水道橋博士]]、お笑い芸人([[浅草キッド (お笑いコンビ)|浅草キッド]]) * [[1963年]] - [[きいちろ]]、シンガーソングライター * [[1964年]] - [[八巻建弐]]、[[空手道|空手家]] * 1964年 - [[いとうまい子]]、女優 * 1964年 - [[高城剛]]、映像作家 * 1964年 - [[井上日徳]]、ミュージシャン * [[1965年]] - [[青木愛 (政治家)|青木愛]]、[[政治家]] * 1965年 - [[大谷育江]]、声優 * 1965年 - [[吉川晃司]]、[[ミュージシャン]] * 1965年 - [[田村勤]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[清原和博]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[本田明浩]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[小橋正義]]、元[[競輪選手]] * 1967年 - [[平井誠一]]、声優、ナレーター * [[1968年]] - [[ブライアン・ティッシー]]、ミュージシャン * [[1969年]] - [[エドワード・ノートン]]、俳優 * 1969年 - [[クリスチャン・スレーター]]、俳優 * 1969年 - [[芝草宇宙]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[誉田哲也]]、小説家 * 1969年 - [[豊田康雄]]、アナウンサー * [[1970年]] - [[中井祐樹]]、柔術家 * 1970年 - [[山口信二]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[エイフェックス・ツイン]]、アーティスト * 1971年 - [[村山明 (競馬)|村山明]]、[[調教師]]、元[[騎手]] * [[1972年]] - [[立川談奈]]、[[落語家]] * 1972年 - [[KEIKO]]、歌手([[globe]]) * 1972年 - [[中居正広]]、歌手、俳優、タレント(元[[SMAP]]) * [[1973年]] - [[五城楼勝洋]]、元大相撲力士、年寄18代[[濱風|浜風]] * 1973年 - [[光法賢一]]、元大相撲力士(+ [[2021年]]) * 1973年 - [[ハンサム判治]]、歌手([[デブパレード]]) * [[1974年]] - [[平石直之]]、アナウンサー * 1974年 - [[鈴木奈都]]、お笑いタレント * [[1975年]] - [[石田順裕]]、元プロボクシング選手 * [[1976年]] - [[李承燁 (野球)|李承燁]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[宮出隆自]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[村田充]]、俳優 * 1977年 - [[ミズオ・ペック]]、女優 * [[1979年]] - 土谷隼人、お笑い芸人([[ななめ45°]]) * [[1980年]] - [[セルゲイ・ハリトーノフ]]、[[総合格闘家]] * 1980年 - [[エステバン・カンビアッソ]]、サッカー選手 * 1980年 - 高木晋哉、お笑い芸人([[ジョイマン (お笑いコンビ)|ジョイマン]]) * 1980年 - 福井俊太郎、お笑い芸人([[GAG (お笑いトリオ)|GAG]]) * [[1981年]] - [[パット・ミッシュ]]、プロ野球選手 * 1981年 - [[平本一樹]]、[[サッカー選手]] * [[1982年]] - [[金子絵里]]、タレント * 1982年 - [[松尾駿]]、お笑い芸人([[チョコレートプラネット]]) * [[1983年]] - [[都築克幸]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[金田アキ]]、声優 * [[1984年]] - [[長田勝]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[クーニン]]、[[YouTuber]] * [[1985年]] - [[土屋朋弘]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[大倉三佳]]、[[野球選手]] * [[1986年]] - [[指田郁也]]、[[シンガーソングライター]] * 1986年 - [[エバン・ガティス]]、元プロ野球選手 * [[1987年]] - [[デイヴィット・リチャードソン]]、元[[フィギュアスケート]]選手 * 1987年 - [[森廉]]、俳優 * 1987年 - [[高橋亜由美]]、タレント * 1987年 - [[かぎしっぽ#メンバー|れおてぃ]]、お笑いタレント([[かぎしっぽ]]) * 1987年 - [[ジャスティン・ウィルソン (野球)|ジャスティン・ウィルソン]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[大関英里]]、声優 * [[1988年]] - [[青狼武士]]、元大相撲力士 * 1988年 - [[G-DRAGON]]、歌手([[BIGBANG]]) * 1988年 - [[安藤翔]]、元アナウンサー * [[1989年]] - [[佐藤祥万]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[鈴木大地 (野球)|鈴木大地]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[奈津子]]、女優(元[[SDN48]]) * 1989年 - [[大木亜希子]]、女優(元SDN48) * 1989年 - [[馬場美根子]]、ミュージカル俳優 * [[1990年]] - [[有村藍里]]、タレント、グラビアアイドル * 1990年 - [[デスピナ・ソロム]]、シンクロナイズドスイミング選手 * [[1991年]] - [[ブリアナ・ローリンズ]]、陸上競技選手 * [[1992年]] - [[成海璃子]]、女優 * 1992年 - [[吉田有里 (声優)|吉田有里]]、声優 * [[1993年]] - [[藤井流星]]、アイドル、タレント([[WEST.]]) * 1993年 - [[芳川庸]]、元プロ野球選手 * 1993年 - [[チョン・ウンジ]]、歌手、女優 * 1993年 - [[マイア・ミッチェル]]、女優、歌手 * 1993年 - [[原川力]]、サッカー選手 * 1993年 - [[高井舞香]]、声優 * [[1994年]] - [[鈴木誠也]]、プロ野球選手 * [[1995年]] - [[小早川健]]、陸上選手 * 1995年 - [[平野裕志朗]]、プロアイスホッケー選手 * [[1997年]] - [[レナト・サンチェス]]、サッカー選手 * [[1998年]] - [[那須川天心]]、総合格闘家、キックボクサー * 1998年 - [[野々のん]]、女優、タレント、モデル * [[1999年]] - 古澤早希、アイドル(元[[Rev. from DVL]]) * 1999年 - [[中島颯太]]、歌手([[FANTASTICS from EXILE TRIBE]]) * [[2000年]] - [[山口航輝]]、プロ野球選手 * [[2001年]] - [[武藤潤 (俳優)|武藤潤]]、俳優、歌手([[原因は自分にある。]]) * 2001年 - [[ミック・エイベル]]、プロ野球選手 * 生年不詳 - パン・ルナリーフィー、アイドル([[CARRY LOOSE]]) * 生年不詳 - [[辛島純子]]、[[ゲームクリエイター]]([[TЁЯRA]]) * 生年不詳 - [[春日沙生]]<ref>{{Cite web |url=http://yumegoro.sumomo.ne.jp/ |title=profile |access-date=4 Nov 2023 |publisher=春日沙生 |date=3 Jan 2000 |website=ゆめいろごろも}}</ref>、漫画家、[[同人作家]] * 生年不詳 - [[やまざき貴子]]、[[漫画家]] * 生年不詳 - [[石川和之]]、声優 * 生年不詳 - [[遠藤智佳]]<ref>{{Cite web|和書 |title=遠藤 智佳 |url=https://www.aoni.co.jp/search/endo-tomoka.html |accessdate=4 Nov 2023 |publisher=[[青二プロダクション|株式会社青二プロダクション]]}}</ref>、声優 * 生年不詳 - [[清田和彦]]、声優 == 忌日 == === 人物 === {{multiple image | footer = [[モンゴル帝国]]を築いた初代皇帝[[チンギス・カン]](1162?-1227)没。右画像は在世中の遠征と版図の拡大。 | image1 = YuanEmperorAlbumGenghisPortrait.jpg | width1 = 60 | alt1 = チンギス・カン | image2 = Genghis_Khan_empire-en.svg | width2 = 120 | alt2 = 在世中の遠征と版図の拡大 }} {{multiple image | image1 = Theodore_II_Laskaris_miniature.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[ニカイア]]皇帝[[テオドロス2世ラスカリス]](1221-1258)没 | image2 = Wanli.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[明]]の第14代皇帝、[[万暦帝]](1563-1620)没 }} {{multiple image | image1 = King_Sho_Tei.jpg | width1 = 100 | caption1 = 尚貞王、琉球王国第二尚氏王統第11代国王(1646-1709)没 | alt1 = 尚貞王の御後絵 | image2 = Martin_van_Meytens_006.jpg | width2 = 80 | caption2 = 神聖ローマ皇帝[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]](1708-1765)没 | alt2 = 神聖ローマ皇帝フランツ1世 }} {{multiple image | image1 = Pope_Alexander_Vi.jpg | width1 = 90 | caption1 = ローマ教皇[[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]](1431-1503)没 | image2 = Pope_Paul_IV.jpg | width2 = 90 | caption2 = ローマ教皇[[パウルス4世 (ローマ教皇)|パウルス4世]](1476-1559)没 }} {{multiple image | footer = 『[[人間喜劇 (バルザック)|人間喜劇]]』の作者である小説家、[[オノレ・ド・バルザック]](1799-1850)没。右画像はバルザックによる書き込みのある校正刷り。 | image1 = Honoré de Balzac (1842).jpg | width1 = 70 | alt1 = オノレ・ド・バルザック | image2 = Balzac_Beatrix_Proof.jpg | width2 = 110 | alt2 = 書き込みのある校正刷り }} {{multiple image | image1 = Subhas Chandra Bose.jpg | width1 = 85 | caption1 = [[自由インド仮政府]]国家主席[[スバス・チャンドラ・ボース]](1897-1945)、飛行機事故で没 | alt1 = 自由インド仮政府国家主席スバス・チャンドラ・ボース | image2 = 古関裕而.jpg | width2 = 95 | caption2 = 作曲家[[古関裕而]](1909-1989)没。「六甲おろし」「栄冠は君に輝く」などを作曲。 | alt2 = 作曲家古関裕而 }} {{multiple image | image1 = Barranquilla_Parque_Gal%C3%A1n.jpg | width1 = 90 | caption1 = コロンビアの政治家[[ルイス・カルロス・ガラン・サルミエント]](1943-1989)、暗殺。 | alt1 = ルイス・カルロス・ガラン・サルミエント | image2 = Kim_Dae-jung_%28Cropped%29.png | width2 = 90 | caption2 = 大韓民国第15代大統領、[[金大中]](1925-2009)没 | alt2 = 金大中 }} * [[1227年]] - [[チンギス・カン]]<ref>{{Cite web |url=http://kumonoue-lib.jp/index.php/kyono-issatsu/965-8-61 |title=8月18日はチンギス・カンの忌日 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=ゆすはら雲の上の図書館 |date=18 Aug 2021}}</ref>、初代[[モンゴル帝国|モンゴル]][[ハーン]](* [[1162年]]頃) * [[1258年]] - [[テオドロス2世ラスカリス]]、第3代[[ニカイア帝国|ニカイア皇帝]](* [[1221年]]) * [[1315年]]([[正和]]4年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[北条煕時]]、[[鎌倉幕府]]第12代[[執権]](* [[1279年]]) * [[1503年]] - [[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]、第214代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1431年]]) * [[1549年]]([[天文 (日本)|天文]]18年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[大井信為]]、[[武将|戦国武将]](* [[1530年]]) * [[1559年]] - [[パウルス4世 (ローマ教皇)|パウルス4世]]、第223代ローマ教皇(* [[1476年]]) * [[1613年]] - [[ジョヴァンニ・マリア・アルトゥージ]]、[[作曲家]](* [[1540年]]) * [[1620年]]([[万暦]]48年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[万暦帝]]、第14代[[明]][[皇帝]](* [[1563年]]) * [[1642年]] - [[グイド・レーニ]]<ref>{{Cite web |title=Guido Reni|Italian painter |url=https://www.britannica.com/biography/Guido-Reni |access-date=4 Nov 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[画家]](* [[1575年]]) * [[1709年]]([[康熙]]48年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[尚貞王]]、[[琉球国王]](* [[1645年]]) * [[1765年]] - [[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]]、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1708年]]) * [[1823年]]([[文政]]6年7月13日) - [[稲毛屋山]]、[[篆刻|篆刻家]](* [[1755年]]) * [[1829年]](文政12年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]) - [[菅江真澄]]、[[旅行|旅行家]]、[[博物学|博物学者]](* [[1754年]]) * [[1835年]] - [[フリードリヒ・シュトロマイヤー]]、[[化学者]](* [[1776年]]) * [[1850年]] - [[オノレ・ド・バルザック]]、[[小説家]](* [[1799年]]) * [[1870年]] - [[ジョン・ペンドルトン・ケネディ]]、第21代[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1795年]]) * [[1902年]] - [[西村茂樹]]、[[啓蒙]][[思想家]](* [[1828年]]) * [[1907年]] - [[ジョン・カー (物理学者)|ジョン・カー]]<ref>{{Kotobank|ジョン カー}}</ref>、[[物理学者]](* [[1824年]]) * [[1922年]] - [[ウィリアム・ハドソン]]、[[鳥類学|鳥類学者]](* [[1841年]]) * [[1924年]] - 6代目[[三笑亭可楽]]、[[落語家]](* [[1846年]]) * [[1925年]] - [[細井和喜蔵]]、小説家(* [[1897年]]) * [[1939年]] - [[博恭王妃経子]]、[[皇族]](* [[1882年]]) * [[1940年]] - [[ウォルター・クライスラー]]、[[実業家]]、[[クライスラー]]社創設者(* [[1875年]]) * [[1942年]] - [[エルヴィン・シュルホフ]]、作曲家(* [[1894年]]) * [[1944年]] - [[エウゲニウシュ・ホルバチェフスキ]]、[[エース・パイロット]](* [[1917年]]) * [[1945年]] - [[スバス・チャンドラ・ボース]]、[[インド]]独立運動の指導者(* 1897年) * [[1951年]] - [[佐藤義亮]]、[[新潮社]]創業者(* [[1878年]]) * [[1965年]] - [[杉浦非水]]、[[グラフィックデザイナー]](* [[1876年]]) * [[1973年]] - [[益谷秀次]]、第46代[[衆議院議長]](* [[1888年]]) * [[1975年]] - [[中山武]]、[[プロ野球選手]](* [[1916年]]) * [[1976年]] - [[宇田新太郎]]、[[無線工学|無線工学者]](* [[1896年]]) * [[1979年]] - [[鍋山貞親]]、社会運動家(* [[1901年]]) * [[1981年]] - [[ロバート・ラッセル・ベネット]]、作曲家(* [[1894年]]) * [[1983年]] - [[ニコラウス・ペヴズナー]]、[[美術史|美術史家]](* [[1902年]]) * [[1984年]] - [[堀口捨己]]、[[建築家]](* [[1895年]]) * [[1985年]] - [[辻吉之助]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1898年]]) * [[1987年]] - [[深沢七郎]]、小説家(* [[1914年]]) * [[1988年]] - [[おおば比呂司]]、[[漫画家]](* [[1921年]]) * [[1989年]] - [[ルイス・カルロス・ガラン・サルミエント]]、政治家(* [[1943年]]) * 1989年 - [[古関裕而]]、作曲家(* [[1909年]]) * 1989年 - [[イムレ・ネーメト]]、[[ハンマー投]]選手(* [[1917年]]) * [[1990年]] - [[バラス・スキナー]]、[[心理学者]](* [[1904年]]) * [[1992年]] - [[ジョン・スタージェス]]、[[映画監督]](* [[1911年]]) * [[1994年]] - [[リチャード・シング]]、化学者(* [[1914年]]) * [[1997年]] - [[栃赤城雅男]]、元[[大相撲]][[力士]](* [[1954年]]) * [[1999年]] - [[大田政作]]、元[[琉球政府]][[行政主席]](* [[1904年]]) * [[2003年]] - [[穂積由香里]]、[[タレント]]、『[[積木くずし]]』のモデル(* [[1967年]]) * 2003年 - [[三ッ林弥太郎]]、元[[科学技術庁]]長官(* [[1918年]]) * [[2005年]] - [[椿啓介]]、[[菌類学|菌類学者]](* [[1924年]]) * [[2008年]] - [[マニー・ファーバー]]、[[画家]]、[[美術評論家]]、[[映画評論家]](* [[1917年]]) * [[2009年]] - [[金大中]]、政治家、第15代[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]](* [[1925年]]) * 2009年 - [[ヒルデガルト・ベーレンス]]、ソプラノ歌手(* [[1937年]]) * [[2010年]] - [[森澄雄]]、[[俳人]](* 1919年) * [[2011年]] - [[高城淳一]]、俳優(* [[1925年]]) * [[2012年]] - [[スコット・マッケンジー]]、歌手(* 1939年) * [[2015年]] - [[紺野比奈子]]、漫画家(* 生年不明) * [[2017年]] - [[長島忠美]]<ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/article/20170819-XUBLSDMRFRJUBMWGD4FXH5TKOM/ |title=自民・長島忠美衆院議員が死去 旧山古志村の村長 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=19 Aug 2017}}</ref>、政治家、元[[山古志村]]村長(* [[1951年]]) * [[2018年]] - [[コフィー・アナン]]<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/japanese/45243288 |title=コフィ・アナン氏死去、80歳 黒人初の国連事務総長 |access-date=4 Nov 2023 |publisher=[[BBC]] NEWS JAPAN |date=20 Aug 2018}}</ref>、第7代[[国際連合事務総長]](* [[1938年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2021年]] - [[レガシーワールド]]、[[競走馬]](* [[1989年]]) * 2021年 - [[トーシンブリザード]]、競走馬(* [[1998年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[第1回全国中等学校優勝野球大会]]開幕(1915)。画像は第1回大会の始球式。 | image1 = Ceremonial First Pitch 1915.jpg | width1 = 180 | alt1 = 第1回全国中等学校優勝野球大会始球式 }} {{multiple image | align = right | direction = vertical | width = 180 | image1 = Solar eclipse 1868Aug18-Bullock.png | alt1 = 1868年の皆既日食 | image2 = Helium_spectrum.jpg | alt2 = ヘリウムのスペクトル | footer = [[ピエール・ジャンサン]]が{{仮リンク|1868年8月18日の日食|en|Solar eclipse of August 18, 1868}}を観察中に[[ヘリウム]]の[[スペクトル線]](下画像)を発見。 }} * 科学の日({{THA}}) *: 国王[[ラーマ4世]]が1868年のこの日の皆既日食を予見したことを記念する政府制定の記念日。 * [[米]]の日({{JPN}}) *: 「米」の字を分解すると「八十八」になることから。 * [[ビーフン]]の日({{JPN}}) *: ビーフン協会が制定。ビーフンは米を原料とする麺であり、「米」の字を分解すると「八十八」になることから。 *糸ようじの日({{JPN}}) *: 2017年、[[大阪府]][[大阪市]]に本社を置く[[小林製薬|小林製薬株式会社]]が同社の製品「[[糸ようじ]]」が生誕30周年を迎えたことを記念して制定。より多くの人に健康的な口腔環境を維持して欲しいとの願いが込めらえている。日付は8と18で「歯(8)と歯(8)の間に糸(1)」が通っているように見えることから。 *[[高校野球]]記念日({{JPN}}) *: [[1915年]]8月18日に、高校野球の前身である第1回全国中等学校優勝野球大会の開会式が大阪の豊中球場で行われたことに由来。 *太閤祭(例祭)({{JPN}}) *: [[豊臣秀吉]]は、[[慶長]]3年([[1598年]])8月18日(新暦[[9月18日]])、京都の[[伏見城]]において62歳で永眠された。この日、[[大坂城|大阪城]]二の丸南側にある大阪城[[豊國神社 (大阪市)|豊國神社]]では、神社で最も重要な祭事、太閤祭が斎行される<ref>{{Cite web |url=https://www.osaka-hokokujinja.org/festival/ |title=お祭り・祭事歴 8月18日 太閤祭(例祭) |access-date=3 Nov 2023 |publisher=大阪城豊國神社}}</ref>。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0818|date=Nov 2023}} === 誕生日(フィクション) === * [[1967年]] - [[パック (ファミスタ)|パック]]、コンピュータゲーム『[[ファミスタシリーズ]]』に登場するプロ野球選手<ref>『[[ファミスタ64]]』及び同作品ガイドブックでの設定。</ref> * 1988年 - 早乙女ハルナ、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://king-cr.jp/special/negima/character.html# |title=生徒名簿 14.早乙女 ハルナ |access-date=3 Nov 2023 |publisher=[[赤松健]]・[[講談社]]・関東魔法協会 [[キングレコード|King Record.Co.,Ltd.]] |work=『魔法先生ネギま!麻帆良学園中等部2-A』}}</ref> * [[1993年]] - 界塚ユキ、アニメ『[[アルドノア・ゼロ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ALDNOAH.ZERO ARCHIVEZ BOOK1:SETTINGS & DOCUMENTS |date=15 Aug 2014 |publisher=[[アニプレックス]] |page=16}}</ref> * [[2014年]] - [[仙台弁こけし]]、[[仙台弁]]を喋る[[宮城県]]の[[ご当地キャラクター]]<ref>{{Twitter status|jugokeshi|1560035405843824640}}</ref> * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]511年 - グンター、ゲーム『[[スターオーシャン5 -Integrity and Faithlessness-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=86|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - 夢川ゆい、漫画・アニメ『[[アイドルタイムプリパラ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|PrettySeriesPR|1295525823538171905}}</ref> * 生年不明 - [[遊☆戯☆王の登場人物#主要人物|真崎杏子]]、漫画『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋和希|title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書|publisher=集英社|series=Vジャンプブックス|year=2015|page=39|isbn=978-4-08-779722-0}}</ref> * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#龍雅玄士郎|龍雅玄士郎]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=ミウラタダヒロ |authorlink=ミウラタダヒロ |year=2020 |title=ゆらぎ荘の幽奈さん |volume=24巻 |page=166 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - [[史上最強の弟子ケンイチの登場人物#武田一基|武田一基]]、漫画・アニメ『[[史上最強の弟子ケンイチ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=松江名俊 |authorlink=松江名俊 |year=2014 |title=史上最強の弟子ケンイチ 公式ガイドブック 史上最強の秘伝書 |page=90 |publisher=[[小学館]] |series=[[少年サンデーコミックス]] |isbn=978-4-09-125016-2}}</ref> * 生年不明 - 獅子座のイリアス、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|teshi_kuro413|1560099227761614848}}</ref> * 生年不明 - 響逢衣、アニメ『[[ローリング☆ガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>7話より。</ref> * 生年不明 - 元宮祭莉、キャラクターコンテンツ『[[ツキウタ。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://tsukino-pro.com/tsukiuta/character/matsuri |title=08 元宮 祭莉 |access-date=3 Nov 2023 |publisher=[[ムービック]] |work=『ツキウタ。』}}</ref> * 生年不明 - 白鳥つむき、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |date=3 Nov 2023 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=5 May 2022}}</ref> * 生年不明 - コメコメ、アニメ『[[デリシャスパーティ♡プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/delicious-party_precure/character/energy1.php |title=コメコメ |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC-A]]・[[東映アニメーション]] |accessdate=3 Nov 2022 |work=『デリシャスパーティ♡プリキュア』}}</ref> * 生年不明 - 首藤葵、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20085 |title=首藤 葵(しゅとう あおい) |access-date=3 Nov 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#矢吹可奈|矢吹可奈]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30037 |title=矢吹 可奈(やぶき かな) |access-date=3 Nov 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 関大輔、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_matori.html |title=マトリ - 関大輔 |accessdate=3 Nov 2023 |publisher=[[coly]]/SMHP |work=『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』}}</ref> * 生年不明 - ブローニャ・ザイチク、ゲーム・アニメ『[[崩壊3rd]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.houkai3rd.com/valkyries/110726/110764 |title=ブローニャ・ザイチク |access-date=3 Nov 2023 |publisher=miHoYo. |work=『崩壊3rd』}}</ref> * 生年不明 - 倉敷舞子、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/kurashiki |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title=倉敷 舞子 |accessdate=3 Nov 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 18|18 August}} {{新暦365日|8|17|8|19|[[7月18日]]|[[9月18日]]|[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]|0818|8|18}} {{1年の月と日}}
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8月17日
8月17日(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から229日目(閏年では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。
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8月17日(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から229日目(閏年では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月17日'''(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から229日目([[閏年]]では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。 == できごと == {{multiple image | caption1 = [[ロバート・フルトン]]の蒸気船「{{仮リンク|クラーモント号|en|North River Steamboat}}」の初航行成功(1807) | image1 = Clermont (steamboat).JPG | width1 = 100 | alt1 = クラーモント号 | caption2 = [[ダコタ戦争]]はじまる(1862) | image2 = The Siege of New Ulm Minn.jpg | width2 = 80 | alt2 = ダコタ戦争 }} {{multiple image | caption1 =[[第二次世界大戦]]、米軍による[[コマンド作戦]][[マキン奇襲]](1942)。画像は奇襲後ハワイへ帰還した[[ノーチラス (潜水艦)|ノーチラス]] | image1 = Nautilus Makin Raid.jpg | width1 = 90 | alt1 = 潜水艦ノーチラス | caption2 = {{仮リンク|シュヴァインフルト=レーゲンスブルク作戦|en|Schweinfurt%E2%80%93Regensburg mission}}(1943) | image2 = B-17F formation over Schweinfurt, Germany, August 17, 1943.jpg | width2 = 90 | alt2 = シュヴァインフルト=レーゲンスブルク作戦 }} {{multiple image | caption1 =[[インドネシア]]が独立を宣言(1945)。画像は同日掲揚されるインドネシア国旗 | image1 = Indonesian flag raised 17 August 1945.jpg | width1 = 90 | alt1 = インドネシア国旗 | caption2 = 日本初の[[皇族]]首班内閣[[東久邇宮内閣]]成立(1945) | image2 = Prince Naruhiko Higashikuni Cabinet 19450817.jpg | width2 = 90 | alt2 = 東久邇宮内閣 }} {{multiple image | caption1 =東北本線で列車往来妨害事件、[[松川事件]](1949)が発生。 | image1 = Matsukawa Incident.JPG | width1 = 90 | alt1 = 横転した列車 | caption2 = トルコで[[イズミット地震 (1999年)]]、死者17,000人超 | image2 = Izmit eart6.jpg | width2 = 90 | alt2 = イズミット地震 }} * [[798年]]([[延暦]]17年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - [[坂上田村麻呂]]が[[清水寺]]を建立。 * [[967年]]([[康保]]4年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - [[延喜式]]施行。 * [[986年]] - [[トラヤヌスの門の戦い]]。[[東ローマ帝国]]軍が{{仮リンク|トラヤヌスの門|en|Gate of Trajan}}で[[ブルガリア]]軍に敗れる。 * [[1153年]] - 中世フランス・[[ブロワ家]]の貴族[[ギヨーム1世 (ブローニュ伯)|ギヨーム]]がギヨーム1世として{{仮リンク|ブローニュ伯|en|Count of Boulogne}}に就任した。 * [[1183年]]([[治承]]7年/[[寿永]]2年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[後白河天皇|後白河法皇]]が平家追討の院宣を下す。 * [[1654年]]([[承応]]3年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - 明の禅僧・[[隠元隆琦]]が長崎に到着。 * [[1807年]] - ニューヨークとニューヨーク州の州都オールバニーの間で[[ロバート・フルトン]]の[[蒸気船]](外輪船)クラーモント号が試験運行を行う。本格的な蒸気船による初の航行でした<ref>{{Cite web |url=https://gendai.media/articles/-/56587?page=1&imp=0 |title=8月17日 初の本格的蒸気船による試験航海(1807年) |access-date=25 Oct 2023 |publisher=[[講談社]] |work=サイエンス365days |date=17 Aug 2018}}</ref>。 * [[1862年]] - [[インディアン戦争]]: [[ダコタ戦争]]が勃発<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/dakota-uprising-begins-in-minnesota |title=Dakota uprising begins in Minnesota |access-date=25 Oct 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |website=This Day In History |date=August 13, 2020}}</ref>。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: {{仮リンク|ゲインズビルの戦い|en|Battle of Gainesville}}。 * [[1868年]]([[明治]]元年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]) - [[明治政府]]が[[江戸幕府]]の[[昌平坂学問所]]を昌平学校として復興<ref>{{Cite web |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeigakushi1969/1976/8/1976_8_55/_pdf |title=明治初年の出版届 |access-date=25 Oct 2023 |work=英学史研究 第8号}}</ref>。 * [[1883年]] - [[ドミニカ共和国]]の[[国歌]]「[[勇敢なるドミニカ人|Quisqueyanos valientes]]」が初めて公の場で歌われる<ref>{{Cite web |url=https://www.presidencia.gob.do/acerca-de-rd/simbolos-patrios |title=First public performance |access-date=25 Oct 2023 |publisher=Presidency of the Dominican Republic |website=ABOUT RD}}</ref>。 * [[1896年]] - [[カナダ]]・[[クロンダイク (ユーコン準州)|クロンダイク]]で[[金]]脈が発見される。[[クロンダイク・ゴールドラッシュ]]の幕開け。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[シュタルペーネンの戦い]]。 * [[1915年]] - [[レオ・フランク事件]]: 米[[アトランタ]]で少女殺害容疑により服役していた[[ユダヤ系アメリカ人|ユダヤ系]]受刑者を群衆が刑務所より拉致、[[私刑|リンチ]]にかけ殺害<ref>{{Cite web |url=https://guides.loc.gov/chronicling-america-leo-frank |title=Trial and Lynching of Leo Frank: Topics in Chronicling America |access-date=25 Oct 2023 |publisher=Library of Congress}}</ref>。 * 1915年 - 全国高等学校野球選手権大会の前身である第1回全国中等学校優勝野球大会が開幕した。 * [[1937年]] - 陸軍宇治火薬製造所(現:[[京都府]][[宇治市]]の[[宇治駐屯地]])で爆発事故が発生。工場全滅。周辺の民家への被害は全焼も含め856戸。重軽傷22人<ref>宇治火薬製造所爆発、八百戸に被害『京都日出新聞』(昭和12年8月18日夕刊)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p124 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ギルバート・マーシャル諸島の戦い]]: [[マキン奇襲]]。日本が占領する[[ブタリタリ|マキン環礁]]を[[アメリカ海兵隊]]が奇襲。駐屯していた[[海軍陸戦隊|日本海軍陸戦隊]]が壊滅。 * [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍がドイツに対する{{仮リンク|シュヴァインフルト=レーゲンスブルク作戦|en|Schweinfurt–Regensburg mission}}を実施。 * [[1945年]] - [[インドネシア]]が[[オランダ]]からの独立を宣言([[インドネシア独立宣言]])。[[インドネシア独立戦争]]を経て[[1949年]]に独立を達成。 * [[1945年]] - [[鈴木貫太郎]]が[[内閣総理大臣]]を辞任。 * 1945年 - [[ベトナム八月革命]]。[[ベトナム]]全土で武装蜂起開始。 * 1945年 - [[東久邇宮稔彦王]]が第43代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[東久邇宮内閣]]が成立。初の[[皇族]]首班内閣。 * 1945年 - インフレの進行により初めて[[千円紙幣]]を発行<ref>{{Cite web |url=http://kumonoue-lib.jp/index.php/kyono-issatsu/952-8-52 |title=8月17日は千円紙幣が初めて発行された日 |access-date=25 Oct 2023 |publisher=ゆすはら雲の上の図書館 |date=17 Aug 2021}}</ref>。肖像は[[日本武尊]]。 * 1945年 - 改正不換紙幣100円(3次100円)が発行。肖像は[[聖徳太子]]。 * 1945年 - 再改正不換紙幣10円(4次10円)が発行。肖像は[[和気清麻呂]]。 * [[1948年]] - [[プロ野球]]ナイター記念日。横浜ゲーリック球場にて日本初のプロ野球公式戦のナイトゲーム開催が実施された。 * [[1949年]] - [[松川事件]]。[[東北本線]]でレールが外され列車が脱線転覆、乗務員が死亡。 * [[1950年]] - [[303高地の虐殺]]。 * [[1959年]] - [[マイルス・デイヴィス]]のアルバム『[[カインド・オブ・ブルー]]』がリリース。 * [[1960年]] - [[ガボン]]が[[フランス]]から独立。 * [[1962年]] - [[ベルリンの壁]]を越えようとした18歳の[[ペーター・フェヒター]]を東ドイツ側の警備兵が銃殺。 * [[1963年]] - [[那覇市]]泊港から[[久米島]]向け航行していた久米島定期船みどり丸が、[[慶伊瀬島|神山島]]沖合で横波を受け転覆。乗員乗客229人中、112人が死亡。[[沖縄県|沖縄]]で戦後最大の海難事故<ref>{{Cite web |url=https://ryukyushimpo.jp/okinawa-dic/prentry-43047.html |title=みどり丸沈没事件 (みどりまるちんぼつじけん) |access-date=25 Oct 2023 |publisher=[[琉球新報社]]}}</ref>。 * 1963年 - [[藤田航空機八丈富士墜落事故]]。 * [[1969年]] - [[ハリケーン・カミーユ|ハリケーン・カミール]]が[[ミシシッピ州]]に上陸。死者248人。 * [[1970年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]の金星探査機「[[ベネラ7号]]」が打ち上げ。同年[[12月15日]]、史上初めて[[金星]]に着陸。 * [[1971年]] - [[第2次コザ事件]]発生。 * 1974年 - [[第1回全日本中学校陸上競技選手権大会]]。 * [[1982年]] - [[ABBA]]の『The Visitors』が世界初の[[コンパクトディスク|CD]]として製造される。 * [[1988年]] - [[パキスタン]]大統領[[ムハンマド・ジア=ウル=ハク]]らが乗った飛行機が離陸直後に墜落し、大統領を含む37人全員が死亡。 * [[1989年]] - [[韓国]]で列車事故、[[朴正煕]]元大統領の娘[[朴槿恵]]ら避難し、政府関係者36人全員が死亡。 * [[1996年]] - 日本の地球環境観測衛星「[[みどり (人工衛星)|みどり]]」打ち上げ。 * [[1998年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ビル・クリントン]]大統領が[[モニカ・ルインスキー]]との「不適切な肉体関係」を認める。 * [[1999年]] - [[イズミット地震_(1999年)|イズミット地震]]: [[トルコ]]北西部で[[マグニチュード|M]] 7.4の地震。17,000人以上が死亡。 * [[2008年]] - [[2008年北京オリンピックの競泳競技|北京オリンピック]]: [[競泳]]の[[マイケル・フェルプス]]が、オリンピック史上初となる1大会で8つの金メダルを獲得。 * [[2009年]] - [[ロシア]]最大級の[[サヤノシュシェンスカヤダム|サヤノ・シュシェンスカヤ水力発電所]]で事故が発生。送水管の破壊により74名が死亡。 * [[2011年]] - [[天竜川川下り船転覆死亡事故]]: [[静岡県]][[浜松市]][[天竜区]]の[[天竜川]]下りをしていた船が転覆し、5人が死亡<ref>{{Cite web |title=天竜川下りの船転覆、2人死亡3人不明 社長「操船ミス」 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1704P_X10C11A8CC1000/ |date=17 Aug 2016 |access-date=25 Oct 2023 |publisher=[[日本経済新聞]]}}</ref>。 * [[2016年]] - [[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロオリンピック]]: [[2016年リオデジャネイロオリンピックのレスリング競技|レスリング]]女子フリースタイル58kg級で、[[伊調馨]]が優勝。女子個人種目で五輪史上初の4連覇を達成<ref>{{Cite web |url=https://toyokeizai.net/articles/-/132172?display=b |title=レスリング伊調馨が女子史上初の4連覇 |access-date=25 Oct 2023 |publisher=[[東洋経済新報社|東洋経済]]ONLINE |date=18 Aug 2016}}</ref>。 * [[2017年]] - [[2017年バルセロナテロ攻撃事件|バルセロナテロ攻撃事件]]: [[スペイン]][[バルセロナ]]の繁華街で17日、車が群衆に突っ込みテロ事件が発生。13人が死亡、約100人が負傷した<ref>{{Cite web |title=バルセロナで「テロ」 車突入で13人死亡 ISが犯行声明 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3139564 |date=18 Aug 2017 |access-date=25 Oct 2023 |language=ja |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News}}</ref>。 * 2017年 - 山口県岩国市の海上自衛隊岩国航空基地で、訓練をしていた海上自衛隊のヘリコプターが横転する事故が発生<ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/photo/story/news/170817/sty1708170007-n1.html |title=海自ヘリ横転、3人軽傷 訓練中に岩国航空基地で |access-date=25 Oct 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=17 Aug 2017}}</ref>。 * [[2019年]] - [[2019年8月17日カブール爆破テロ事件|カブール爆破テロ事件]]: [[アフガニスタン]]の首都[[カーブル|カブール]]にある結婚式場で自爆テロが発生し、少なくとも63人が死亡した<ref>{{Cite web |title=アフガニスタンの自爆テロで63人死亡、180人余り負傷-結婚式場狙う |url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-08-18/PWF38L6S972801 |date=18 Aug 2019 |access-date=25 Oct 2023 |publisher=[[ブルームバーグ (企業)|Bloomberg]]}}</ref>。 * [[2022年]] - 東京地検特捜部が、[[2020年東京オリンピック|東京五輪]]におけるスポンサー選定などをめぐり、計5100万円の賄賂を受け取ったとして[[東京五輪組織委員会]]の元理事を逮捕した<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASQ8K4K51Q7XUTIL01W.html |title=東京五輪組織委元理事を逮捕 スポンサー選定で収賄の疑い 東京地検 |access-date=25 Oct 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=17 Aug 2022}}</ref>。 == 誕生日 == [[ファイル:Jan III Sobieski 2.PNG|thumb|ポーランド王[[ヤン3世 (ポーランド王)|ヤン3世]](1629-1696)|231x231ピクセル]] [[ファイル:Menelik II.jpg|thumb|ショア王・エチオピア帝国皇帝、[[メネリク2世]](1844-1913)|224x224ピクセル]] [[ファイル:Emperor karl of austria-hungary 1917.png|thumb|オーストリア皇帝[[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]](1887-1922)|255x255ピクセル]] [[ファイル:Marcus Garvey 1924-08-05.jpg|thumb|276x276px|黒人民族主義の指導者、[[マーカス・ガーベイ]](1887-1940)誕生。{{audio|Marcus Garvey, speech, 1921.ogg|世界黒人開発協会アフリカ社会連合の趣旨演説(1924)を聴く}}]] [[File:MarkFelt.jpg|thumb|235x235px|米[[連邦捜査局]]職員、[[マーク・フェルト]](1913-2008)。[[ウォーターゲート事件]]の内部告発者「[[ディープ・スロート (ウォーターゲート事件)|ディープ・スロート]]」]] [[ファイル:Jiang Zemin 2001.jpg|thumb|236x236px|[[中華人民共和国]]第5代国家主席、[[江沢民]]総書記(1926-2022)]] [[File:Robert_De_Niro_KVIFF_portrait.jpg|thumb|260x260px|俳優[[ロバート・デ・ニーロ]](1943-)]] [[ファイル:Larry Ellison on stage.jpg|thumb|180x180px|実業家[[ラリー・エリソン]](1944-)。[[オラクル (企業)|オラクル社]]の共同設立者]] * [[1473年]] - [[リチャード・オブ・シュルーズベリー (ヨーク公)|リチャード・オブ・シュルーズベリー]]、初代[[ヨーク公]](+ [[1483年]]?<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.co.uk/history/historic_figures/princes_in_tower.shtml |title=The Princes in the Tower |access-date=25 Oct 2023 |publisher=[[BBC]] -HISTORY-}}</ref>) * [[1570年]]([[元亀]]元年[[7月16日 (旧暦)|7日16日]]) - [[佐竹義宣 (右京大夫)|佐竹義宣]]、[[武将]]・[[大名]](+ [[1633年]]) * [[1603年]] - [[レンナート・トルステンソン]]、[[軍人]](+ [[1651年]]) * [[1625年]]([[寛永]]2年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]])- [[井伊直澄]]、[[江戸幕府]]の[[大老]]、第3代[[彦根藩]]主(+ [[1676年]]) * [[1629年]] - [[ヤン3世 (ポーランド王)|ヤン3世]]、[[ポーランド王国|ポーランド]]王(+ [[1696年]]) * [[1686年]] - [[ニコラ・ポルポラ]]、[[作曲家]]、[[音楽]]教師(+ [[1768年]]) * [[1753年]] - [[ヨゼフ・ドブロフスキー]]、[[文献学者]]、[[歴史学者]](+ [[1829年]]) * [[1754年]] - [[ルイ=マリ・スタニスラ・フレロン]]、[[政治家]](+ [[1802年]]) * [[1768年]] - [[ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼー]]、軍人(+ [[1800年]]) * [[1786年]] - [[ヴィクトリア・オブ・サクス=コバーグ=ザールフィールド]]、[[イギリス]]女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]の母(+ [[1861年]]) * 1786年 - [[デイヴィッド・クロケット]]、軍人、政治家(+ [[1836年]]) * [[1799年]] - [[ローベルト・フォン・モール]]、[[法学者]](+ [[1875年]]) * [[1803年]]([[享和]]3年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[板倉勝職]]、第6代[[備中松山藩|松山藩主]](+ [[1849年]]) * [[1812年]]([[文化 (元号)|文化]]9年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[松平忠固]]、第6代[[上田藩|上田藩主]](+ [[1859年]]) * [[1828年]]([[文政]]11年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[松平光則]]、第9代[[松本藩|松本藩主]](+ [[1892年]]) * [[1844年]] - [[メネリク2世]]、エチオピア皇帝(+ [[1913年]]) * [[1848年]]([[嘉永]]元年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]) - [[土井利恒]]、第8代[[大野藩|大野藩主]]・[[子爵]](+ [[1893年]]) * [[1874年]] - [[岡田武松]]、[[気象学者]](+ [[1956年]]) * [[1882年]] - [[サミュエル・ゴールドウィン]]、映画プロデューサー(+ [[1974年]]) * [[1884年]] - [[川村吾蔵]]、[[彫刻家]](+ [[1950年]]) * [[1887年]] - [[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]最後の皇帝(+ [[1922年]]) * 1887年 - [[マーカス・ガーベイ]]、黒人民族主義指導者(+ [[1940年]]) * [[1892年]] - [[山口多聞]]、[[海軍軍人]](+ [[1942年]]) * [[1893年]] - [[メイ・ウエスト]]、女優(+ [[1980年]]) * 1893年 - [[ワルター・ノダック]]、[[化学者]](+ [[1960年]]) * [[1896年]] - [[レズリー・グローヴス]]、軍人(+ [[1970年]]) * [[1897年]] - [[川端茅舍]]、[[俳人]](+ [[1941年]]) * [[1901年]] - [[アンリ・トマジ]]、作曲家、[[指揮者]](+ [[1971年]]) * [[1902年]] - [[下村寅太郎]]、[[哲学者]](+ [[1995年]]) * [[1904年]] - [[レオポルト・ノヴァーク]]、音楽学者(+ [[1991年]]) * [[1906年]] - [[マルセロ・カエターノ]]、政治家(+ [[1980年]]) * [[1911年]] - [[ミハイル・ボトヴィニク]]、第7・9・11代[[チェスの世界チャンピオン一覧|チェスの公式世界チャンピオン]](+ [[1995年]]) * 1911年 - [[本田親喜]]、[[プロ野球選手]](+ [[1989年]]) * [[1913年]] - [[マーク・フェルト]]、[[連邦捜査局|FBI]]副長官、[[ウォーターゲート事件]]告発者([[ディープ・スロート (ウォーターゲート事件)|ディープ・スロート]])(+ [[2008年]]) * [[1918年]] - [[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]]、[[落語家]] (+ [[1986年]]<ref>{{Cite web |url=https://kamigatarakugo.jp/directory/ichimon/shofukutei_shokaku6/ |title=故人 笑福亭 松鶴(六代目) |access-date=25 Oct 2023 |publisher=上方落語協会}}</ref>) * [[1920年]] - [[モーリン・オハラ]]、女優(+ [[2015年]]) * [[1926年]] - [[江沢民]]、第3代[[中国共産党]][[中国共産党中央委員会総書記|中央委員会総書記]]、第5代[[中華人民共和国]][[中華人民共和国主席|国家主席]](+ [[2022年]]) * [[1927年]] - [[埴原和郎]]、[[自然人類学|自然人類学者]](+ [[2004年]]) * [[1929年]] - [[フランシス・ゲーリー・パワーズ]]、軍人、パイロット(+ [[1977年]]) * [[1930年]] - [[テッド・ヒューズ]]、[[詩人]](+ [[1998年]]) * 1930年 - [[小里貞利]]、政治家(+ [[2016年]]) * [[1931年]] - [[柳原良平]]、[[イラストレーター]]、アニメーション作家、エッセイスト(+ [[2015年]]) * [[1932年]] - [[V・S・ナイポール]]、[[作家]](+ [[2018年]]) * 1932年 - [[岩井活水]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://npb.jp/bis/players/71373807.html |title=岩井 活水(広島カープ) {{!}} 個人年度別成績 {{!}} NPB.jp |publisher=[[日本野球機構]] |accessdate=25 Oct 2023}}</ref>、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * [[1934年]] - [[石井一]]、政治家(+ [[2022年]]) * [[1935年]] - [[ジミー佐古田]]、[[警察官]] * [[1936年]] - [[アーレンド・レイプハルト]]、[[政治学者]] * 1936年 - [[玉造陽二]]、元プロ野球選手 * [[1937年]] - [[劉炳森]]、[[書家]]、政治家(+ [[2005年]]) * [[1940年]] - [[今沢哲男]]、[[アニメーション監督]] * [[1941年]] - [[イブラヒム・ババンギダ]]、軍人、第8代ナイジェリア大統領 * 1941年 - 青空球児、[[漫才師]]([[青空球児・好児]]) * [[1943年]] - [[ロバート・デ・ニーロ]]、[[俳優]] * 1943年 - [[住友平]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * 1943年 - [[笠谷幸生]]、元[[スキージャンプ]]選手 * [[1944年]] - [[安仁屋宗八]]、元プロ野球選手 * 1944年 - 六代目[[古今亭志ん橋|今亭志ん橋]]、落語家(+ [[2023年]]) * 1944年 - [[弘友和夫]]、政治家 * 1944年 - [[ラリー・エリソン]]、[[実業家]]、[[オラクル (企業)|オラクル]]共同設立者 * 1944年 - [[城野勝博]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[内山田竹志]]、実業家 * 1946年 - [[坂東眞理子]]、元官僚 * [[1947年]] - [[川藤龍之輔]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[ノーム・コールマン]]、政治家 * 1949年 - [[藤口光紀]]、サッカー選手 * [[1950年]] - [[西島三重子]]、[[シンガーソングライター]] * [[1951年]] - [[ベンガル (俳優)|ベンガル]]、俳優 * 1951年 - [[壺井勘也]]、[[彫刻家]] * [[1952年]] - [[ネルソン・ピケ]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー * 1952年 - [[マリオ・タイセン]]、F1チーム代表 * 1952年 - [[ギレルモ・ビラス]]、テニス選手 * 1952年 - [[聶衛平]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]]、[[中国囲棋協会]]副主席、[[中国棋院]]技術顧問 * 1952年 - [[渡辺純志]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[高橋亮子]]、[[漫画家]] * [[1953年]] - [[木村広]]、元プロ野球選手 * 1953年 - [[ヘルタ・ミュラー]]、[[小説家]] * [[1954年]] - [[エリック・ジョンソン]]、ギタリスト * 1954年 - [[本間進]]、俳優 * 1954年 - [[ルイス・マンドーキ]]、[[映画監督]] * [[1955年]] - [[シーザー武志]]、[[キックボクサー]]、俳優 * 1955年 - [[堀江信彦]]、[[編集者]] * 1955年 - [[リチャード・ヒルトン]]、実業家 * [[1956年]] - [[天野清継]]、[[ジャズ]][[ギタリスト]] * [[1957年]] - [[ロビン・カズンズ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1958年]] - [[ベリンダ・カーライル]]、[[歌手]] * 1958年 - [[松本知子]]、[[麻原彰晃]]の妻 * [[1959年]] - [[赤井英和]]、元[[プロボクサー]]、俳優 * 1959年 - [[坂本千夏]]、[[声優]] * 1959年 - [[長保有紀]]、演歌歌手 * [[1960年]] - [[ショーン・ペン]]、俳優、映画監督 * 1960年 - [[川原正敏]]、漫画家 * 1960年 - [[岡本光]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[青柳隆志]]、[[日本文学研究者|国文学者]]、声優 * 1961年 - [[鈴木淳 (1961年生のサッカー選手)|鈴木淳]]、サッカー選手、指導者 * 1961年 - [[カティ・オウティネン]]、女優 * [[1962年]] - [[小野剛 (サッカー指導者)|小野剛]]、サッカー指導者 * 1962年 - [[ガモウひろし]]、漫画家 * 1962年 - [[中根康浩]]、政治家 * 1962年 - [[ギルビー・クラーク]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[ガンズ・アンド・ローゼズ]]) * 1962年 - [[近藤章仁]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[ジョン・グルーデン]]、[[アメリカンフットボール]]指導者 * [[1964年]] - [[神崎将臣]]、漫画家 * 1964年 - [[ジョルジェ・デ・アモリン・カンポス|ジョルジーニョ]]、サッカー選手 * 1964年 - [[槇徳子]]、[[アナウンサー]] * 1964年 - [[マリア・マッキー]]、歌手 * [[1965年]] - [[佐竹雅昭]]、[[空手家]] * 1965年 - [[小林豊 (アナウンサー)|小林豊]]、元アナウンサー * 1965年 - [[藤井麻輝]]、ミュージシャン * [[1966年]] - [[芳野日向子]]、元声優 * 1966年 - [[ロドニー・ミューレン]]、[[スケートボーダー]] * [[1967年]] - [[猪熊しのぶ]]、漫画家 * 1967年 - [[舟山恭史]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[岡村有希子]]、[[歌手]]、タレント * [[1968年]] - [[はたけ]]、ギタリスト([[シャ乱Q]]) * [[1969年]] - [[小飼弾]]、実業家 * 1969年 - [[ディック東郷]]、[[プロレスラー]] * 1969年 - [[ドニー・ウォルバーグ]]、[[ミュージシャン]]、[[俳優]] * 1969年 - [[クリスチャン・レイトナー]]、バスケットボール選手 * [[1970年]] - [[小森創介]]、声優、俳優 * 1970年 - [[ジム・クーリエ]]、テニス選手 * 1970年 - [[柳家我太楼]]、落語家 * [[1971年]] - [[ホルヘ・ポサダ]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[ムッシュ・ピエール]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]] * 1971年 - [[オム・ジョンファ]]、女優、歌手 * 1971年 - [[髙橋誠 (放送作家)|髙橋誠]]、放送作家、実業家、作詞家、作曲家 * [[1972年]] - [[遠藤美佐子]]、女優、タレント * 1972年 - [[岩崎芳美]]、[[競艇選手]] * 1972年 - [[ロベルト・ラミレズ]]、元プロ野球選手 * [[1974年]] - [[華原朋美]]、歌手 * 1974年 - [[大野崇]]、格闘家 * 1974年 - [[ジェフリー・リーファー]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[牧浦充徳]]、[[調教師]] * [[1975年]] - [[ルイジ・マストランジェロ]]、バレーボール選手 * 1975年 - [[輝優優]]、元プロレスラー * 1975年 - 池田57CRAZY、お笑い芸人([[完熟フレッシュ]]) * [[1976年]] - [[マット・アンダーソン]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[平松まゆき]]、歌手 * [[1977年]] - [[ティエリ・アンリ]]、サッカー選手 * 1977年 - [[ウィリアム・ギャラス]]、サッカー選手 * 1977年 - [[ターヤ・トゥルネン]]、歌手 * 1977年 - [[山下美穂子]]、アナウンサー * [[1978年]] - [[メディー・バアラ]]、陸上競技選手 * 1978年 - 和田貴志、お笑い芸人([[鬼ヶ島 (お笑いトリオ)|鬼ヶ島]]) * [[1979年]] - [[ジュリアン・エスキュデ]]、サッカー選手 * 1979年 - [[青木崇]]、声優 * 1979年 - [[生方ななえ]]、ファッションモデル * [[1980年]] - [[レネ・マーリン]]、[[シンガーソングライター]] * 1980年 - [[ヤン・クロムカンプ]]、サッカー選手 * 1980年 - [[ダニエル・ゴンサレス・グイサ|ダニ・グイサ]]、サッカー選手 * 1980年 - [[マヌエレ・ブラージ]]、サッカー選手 * [[1981年]] - [[田中千絵]]、女優 * [[1982年]] - [[松本麻衣子]]、アナウンサー * 1982年 - [[木村裕子]]、タレント * 1982年 - [[山岸穣]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[フィル・ジャギエルカ]]、サッカー選手 * 1982年 - [[白田久子]]、女優 * 1982年 - [[村井麻友美]]、女優 * [[1983年]] - [[ダスティン・ペドロイア]]、プロ野球選手 * [[1984年]] - [[吉野みづほ]]、歌手([[スタイリッシュハート]]) * 1984年 - [[オクサナ・ドムニナ]]、フィギュアスケート選手 * 1984年 - [[シタラマサコ]]、漫画家 * [[1985年]] - [[蒼井優]]、女優、[[ファッションモデル]] * 1985年 - [[新津由衣]]、[[歌手]] * 1985年 - [[加藤純一]]、タレント、YouTuber * [[1986年]] - [[ルディ・ゲイ]]、バスケットボール選手 * 1986年 - [[タイラス・トーマス]]、バスケットボール選手 * 1986年 - [[マルクス・ベリ]]、サッカー選手 * 1986年 - [[田尻浩章]]、声優 * [[1987年]] - [[関谷彩花]]、タレント * 1987年 - [[藤川俊介]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[トーマス・ニール]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[松下建太]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[戸田恵梨香]]、女優 * 1988年 - [[ミッチ・デニング]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[舞川あいく]]、ファッションモデル * [[1989年]] - [[大山真志]]、俳優 * 1989年 - [[詹詠然]]、[[テニス]]選手 * 1989年 - [[大岩一貴]]、サッカー選手 * [[1990年]] - [[笹岡征矢]]、ミュージカル俳優 * 1990年 - [[ホセ・ルイス・ゴメス]]、サッカー選手 * 1990年 - [[レイチェル・ハード=ウッド]]、女優 * [[1991年]] - [[堂林翔太]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[白桃ピーチよぴぴ]]、お笑い芸人 * [[1992年]] - [[長江麻美]]、アナウンサー * 1992年 - [[小野塚愛美]]、元アナウンサー * [[1993年]] - [[サラ・ショーストレム]]、競泳選手 * 1993年 - [[ユ・スンホ]]、俳優、歌手 * 1993年 - [[エデルソン・サンタナ・ジ・モライス]]、サッカー選手 * [[1994年]] - [[畠中祐]]、俳優、声優 * 1994年 - [[谷口夢奈]]、声優 * [[1995年]] - [[長尾寧音]]、モデル、タレント * [[1996年]] - [[伊藤彩沙]]、声優 * 1996年 - [[山本修二 (陸上選手)|山本修二]]、陸上選手 * [[1998年]] - [[山本由伸]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[:en:Lil_Pump|リル・パンプ]]、[[MC (ヒップホップ)|ラッパー]] * [[2001年]] - [[林昀儒]]、卓球選手 * [[2002年]] - [[櫻井音乃]]、グラビアアイドル * [[2003年]] - [[ザ・キッド・ラロイ]]、シンガーソングライター * 生年不詳 - [[あらいしずか]]、[[声優]] * 生年不詳 - [[杉基イクラ]]、[[漫画家]] * 生年不明 - [[三瓶雄樹]]、声優 == 忌日 == {{multiple image | caption1 =平安後期の武将[[源為義]](1096〜1156)刑死。 | image1 = Minamoto no Tameyoshi.jpg | width1 = 90 | alt1 = 白峯神宮所蔵源為義像 | caption2 = 鎌倉末期・南北朝時代の武将[[新田義貞]](1301-1338)戦死。 | image2 = 新田義貞公肖像.jpg | width2 = 90 | alt2 = 藤島神社所蔵新田義貞像 }} {{multiple image | image1 = Friedrich_Zweite_Alt.jpg | width1 = 85 | caption1 = プロイセン王[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]](1712-1786)没。 | alt1 = プロイセン王フリードリヒ2世 | caption2 = 軍人[[ホセ・デ・サン=マルティン]](1778-1850)没。 | image2 = San Martin's Grave.jpg | width2 = 90 | alt2 = ホセ・デ・サン=マルティン }} {{multiple image | image1 = Ole_Bull_playing.jpg | width1 = 85 | caption1 = ヴァイオリニスト・作曲家[[オーレ・ブル]](1810-1880)没。 | alt1 = オーレ・ブル | caption2 = [[メジャーリーグベースボール|MLB]]選手、[[レイ・チャップマン]](1891-1920)事故死。 | image2 = Ray Chapman Baseball.jpg | width2 = 90 | alt2 = レイ・チャップマン }} {{multiple image | footer = 建築家[[ルドルフ・シンドラー]](1887-1953)没。右画像は「ローヴェル・ビーチ・ハウス」(1926) | image1 = RudolfMichaelSchindler.jpg | width1 = 80 | alt1 = ルドルフ・シンドラー | image2 = Lovell_beach_house.jpg | width2 = 100 | alt2 = ローヴェル・ビーチ・ハウス 1926 }} {{multiple image | caption1 = 建築家[[ミース・ファン・デル・ローエ]](1886-1969)没。画像は[[ヒューストン美術館]]キャロライン・ワイス・ロウ棟。 | image1 = Museum of Fine Arts Houston.jpg | width1 = 90 | alt1 = ヒューストン美術館キャロライン・ワイス・ロウ棟 | image2 = Bundesarchiv Bild 146II-849, Rudolf Heß.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]副総統[[ルドルフ・ヘス]](1894-1987)獄中で自殺。 | alt2 = ルドルフ・ヘス }} {{multiple image | image1 = Otto_Stern.jpg | width1 = 90 | caption1 = 物理学者[[オットー・シュテルン]](1888-1969) | image2 = John_Bahcall.jpg | width2 = 90 | caption2 = 宇宙物理学者[[ジョン・バーコール]](1934-2005) }} * [[1156年]]([[保元]]元年[[7月30日 (旧暦)|7月30日]])- [[源為義]]、[[武将]]、[[河内源氏]]棟梁(* [[1096年]]) * [[1196年]]([[建久]]7年[[7月22日 (旧暦)|7月22日]])- [[藤原家房]]、公卿、[[歌人]](* [[1167年]]) * [[1304年]]([[嘉元]]2年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[後深草天皇]]、第89代[[天皇]] (* [[1243年]]) * [[1338年]]([[延元]]3年/[[建武 (日本)|建武]]5年閏[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - [[新田義貞]]、武将、[[御家人]](* [[1301年]]) * [[1614年]]([[慶長]]19年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]])- [[角倉了以]]、[[商人]](* [[1554年]]) * [[1617年]]([[元和 (日本)|元和]]3年7月16日)- [[芳春院]]、[[前田利家]]の[[正室]](* [[1547年]]) * [[1702年]]([[元禄]]15年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]])- [[列堂義仙]]、[[僧]](* [[1635年]]) * [[1711年]]([[正徳 (日本)|正徳]]元年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]])- [[池田綱清]]、第2代[[鳥取藩|鳥取藩主]](* [[1648年]]) * [[1715年]](正徳5年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]])- [[佐竹義格]]、第4代[[久保田藩|久保田藩主]](* [[1695年]]) * [[1785年]] - [[ジョナサン・トランブル (コネチカット植民地総督)|ジョナサン・トランブル]]、[[政治家]](* [[1710年]]) * [[1786年]] - [[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]国王(* [[1712年]]) * [[1831年]]([[天保]]2年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]])- [[牧野忠精]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[越後長岡藩|越後長岡藩主]](* [[1760年]]) * [[1838年]] - [[ロレンツォ・ダ・ポンテ]]、[[イタリア]]の[[詩人]]、[[台本]]作家(* [[1749年]]) * [[1850年]] - [[ホセ・デ・サン=マルティン]]、[[アルゼンチン]]の軍人、政治家(* [[1778年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年7月16日)- [[男谷信友]]、[[剣術|剣客]](* [[1798年]]) * [[1873年]] - [[ウィリアム・メレディス]]、第19代[[アメリカ合衆国財務長官]](* [[1799年]]) * [[1880年]] - [[オーレ・ブル]]、[[ヴァイオリニスト]]・作曲家(* [[1810年]]) * [[1894年]] - [[満宮輝仁親王]]、[[皇族]](* [[1893年]]) * [[1920年]] - [[レイ・チャップマン]]、プロ野球選手(* [[1891年]]) * [[1924年]] - [[パウル・ナトルプ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1854年]]) * 1924年 - [[パベル・ウリゾーン]]、[[数学者]](* [[1898年]]) * [[1939年]] - [[ヴォイチェフ・コルファンティ]]、[[ポーランド]]の[[民族主義]]運動家、政治家(* [[1873年]]) * [[1944年]] - [[アブデュルレシト・イブラヒム]]、[[イスラム教]]の[[ウラマー]]、[[東京ジャーミイ|東京モスク]]初代[[イマーム]](* [[1857年]]) * 1944年 - [[三輪八郎]]、元[[プロ野球選手]](* [[1921年]]) * [[1945年]] - [[島木健作]]、[[作家]](* [[1903年]]) * [[1947年]] - [[エウシェン (ネルケ公)|エウシェン]]、[[スウェーデン]]の王族(* [[1865年]]) * [[1955年]] - [[フェルナン・レジェ]]、[[画家]](* [[1881年]]) * [[1958年]] - [[フローラン・シュミット]]、[[作曲家]](* [[1870年]]) * 1958年 - [[加藤正二 (野球)|加藤正二]]、元プロ野球選手(* [[1914年]]) * [[1964年]] - [[佐田啓二]]、[[俳優]](* [[1926年]]) * [[1965年]] - [[高見順]]、作家(* [[1907年]]) * [[1966年]] - [[国井善弥]]、[[武術 (日本)|武術家]]、[[鹿島神流]]第18代宗家(* [[1894年]]) * [[1967年]] - [[新村出]]、[[言語学者]](* [[1876年]]) * [[1969年]] - [[ミース・ファン・デル・ローエ]]、[[建築家]](* [[1886年]]) * 1969年 - [[オットー・シュテルン]]、[[物理学者]](* [[1888年]]) * [[1971年]] - [[前田山英五郎]]、[[大相撲]]第39代[[横綱]](* [[1914年]]) * [[1973年]] - [[アーサー・W・ラドフォード]]、[[アメリカ海軍]]の[[大将]]、[[アメリカ統合参謀本部議長]](* [[1896年]]) * 1973年 - [[ジャン・バラケ]]、作曲家(* [[1928年]]) * [[1977年]] - [[パーヴェル・セレブリャーコフ]]、[[ピアニスト]](* [[1909年]]) * [[1980年]] - [[五井昌久]]、[[宗教家]](* [[1916年]]) * [[1983年]] - [[アイラ・ガーシュウィン]]、[[作詞家]](* [[1896年]]) * [[1987年]] - [[クラレンス・ブラウン]]、[[映画監督]](* [[1890年]]) * 1987年 - [[ルドルフ・ヘス]]、[[ナチス・ドイツ]]の副総統 (* [[1894年]]) * [[1988年]] - [[ムハンマド・ジア=ウル=ハク]]、[[パキスタンの大統領|パキスタン大統領]](* [[1924年]]) * [[1991年]] - [[田上義也]]、建築家(* [[1899年]]) * [[1997年]] - [[山崎正一]]、[[哲学|哲学者]](* [[1912年]]) * [[1998年]] - [[タデウス・スルシャルスキー]]、[[陸上競技]]選手(* [[1950年]]) * [[2000年]] - [[エーリッヒ・ボルフマイヤー]]、陸上競技選手(* [[1905年]]) * 2000年 - [[フランコ・ドナトーニ]]、作曲家(* [[1927年]]) * 2000年 - [[E・H・エリック]]、タレント(* [[1929年]]) * [[2004年]] - [[徳永善也]]、ミュージシャン(* [[1964年]]) * [[2005年]] - [[平山輝男]]、[[言語学|言語学者]](* [[1909年]]) * 2005年 - [[ジョン・バーコール]]、[[宇宙物理学|宇宙物理学者]](* [[1934年]]) * 2005年 - [[能勢修一]]、物理学者(* [[1951年]]) * [[2007年]] - [[黒田一博]]、元プロ野球選手(* [[1924年]]) * [[2008年]] - 4代目[[喜久亭寿楽]]、[[落語家]](* [[1952年]]) * [[2009年]] - [[デイビー・ウィリアムズ]]、元プロ野球選手(* [[1927年]]) * [[2014年]] - [[木田元]]、[[哲学者]](* [[1928年]]) * [[2015年]] - [[柳原良平]]、[[イラストレーター]]、アニメーション作家、エッセイスト(* [[1931年]]) * [[2016年]] - [[アーサー・ヒラー]]、映画監督(* [[1923年]]) * 2016年 - [[宮本一三]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG21H22_R20C16A8CC1000/ |title=宮本一三氏が死去 元衆院議員 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=21 Aug 2016 |accessdate=25 Oct 2023}}</ref>、元[[衆議院議員]](* [[1931年]]) * 2016年 - [[ジョン・エレンビー]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ29ID1_Z20C16A8000000/ |title=エレンビー氏死去75歳、「ノートパソコンの父」 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=29 Aug 2016 |accessdate=25 Oct 2023}}</ref>、[[実業家]]、[[開発者]](* [[1941年]]) * [[2021年]] - [[笑福亭仁鶴 (3代目)]]、[[落語家]](* [[1937年]]) * 2021年 - [[高橋三千綱]]、[[小説家]](* [[1948年]]) * 2021年 - [[滝良子]]、[[フリーアナウンサー]]、[[ラジオパーソナリティ]](* [[1945年]]) * 2021年 - [[棚田京一]]、実業家(* [[1954年]]) * [[2022年]] - [[清川元夢]]、声優、俳優(* 1935年) * [[2023年]] - [[五彩緋夏]]、美容クリエイター、[[YouTuber]](* [[1999年]]) {{-}} ===人物以外(動物など)=== *[[2022年]] - [[タイキシャトル]]、[[競走馬]] (*1994年) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[インドネシア]]の独立記念日。左画像は初代大統領[[スカルノ]]、右は位置図。{{audio|Indonesiaraya.ogg|国歌『インドネシア・ラヤ』を聴く}} | image1 = Presiden_Sukarno.jpg | width1 = 75 | image2 = Indonesia_%28orthographic_projection%29.svg | width2 = 105 }} {{multiple image | footer = [[ガボン]]の独立記念日(1960年独立)。左画像は国旗、右は位置図。 | image1 = Flag of Gabon.svg | width1 = 75 | image2 = LocationGabon.svg | width2 = 105 }} * [[独立記念日]]({{IDN}}) *: [[1945年]]のこの日、インドネシアの[[スカルノ]]らが[[オランダ]]からの独立を宣言した。オランダとの[[インドネシア独立戦争|独立戦争]]を経て[[1949年]][[12月27日]]にオランダからの独立承認を得た。 * 独立記念日({{GAB}}) *: [[1960年]]のこの日、ガボンが[[フランス]]より独立。 * [[プロ野球ナイター記念日]]({{JPN}}) *: [[1948年]]8月17日の夜に、日本の[[プロ野球]]史上初の夜間試合([[ナイター]])が行われたことに由来。試合は[[読売ジャイアンツ]]対[[中日ドラゴンズ]]で、横浜ゲーリッグ球場([[横浜公園平和野球場]])で行われた。 * [[パイナップル]]の日({{JPN}}) *: 「パ(8)イ(1)ナ(7)ップル」の語呂合せ *[[Dream Zone]] のラジオを楽しむ日({{JPN}}) *: ラジオパーソナリティグループ「Dream Zone」が、ラジオ番組を通して、ラジオに慣れ親しみ、ラジオの良さ、楽しさを改めて実感してもらうことを目的に制定。日付は「懐かしいあの頃の夢をもう一度」をコンセプトに、2019年8月17日にDream Zoneが結成されたことから<ref>{{Cite web |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000092687.html |title=ラジオパーソナリティグループ「Dream Zone」に新メンバー加入 |access-date=25 Oct 2023 |publisher=PR TIMES |date=25 Feb 2022}}</ref>。 * [[皇大神宮 (藤沢市)|皇大神宮]]例大祭([[藤沢市]])({{JPN}}) *: 「烏森神社」の通称で親しまれる皇大神宮の例大祭。「那須与一」「源義経」「浦島太郎」など、歴史や伝承にちなんだ高さ8mの人形山車が参進し、湯華(湯立)神楽が奉納される。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0817|date=Oct 2023}} * 年不明 - エンドレスエイトが始まる。(小説・アニメ『[[涼宮ハルヒの憂鬱]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1998年]] - 九重りん、漫画・アニメ『[[こどものじかん]]』に登場するキャラクター<ref>原作10巻、126頁。</ref> * 生年不明 - [[日向小次郎]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year=2003|title=キャプテン翼 3109日全記録|publisher=集英社|isbn=4-08-782789-5|page=34}}</ref> * 生年不明 - フランチェシカ・ミラ・ローズ、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.j-bleach.com/chara/03/milarose.html |title=フランチェシカ・ミラ・ローズ |access-date=26 Oct 2023 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=『BLEACH』}}</ref> * 生年不明 - 成田一仁、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2013|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-870555-2|quote=|date=|volume=4巻|page=50}}</ref> * 生年不明 - 帝襟アンリ、漫画・アニメ『[[ブルーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BLUELOCK_WM|1427284073832075264}}</ref> * 生年不明 - アーサー・ペンドラゴン、漫画・アニメ『[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://2nd.7-taizai.net/special/keyword.html |title=アーサー・ペンドラゴン |access-date=26 Oct 2023 |publisher=「七つの大罪 戒めの復活」製作委員会・[[毎日放送|MBS]] |website=これだけはおさえておきたいキーワード集 |work=『七つの大罪 戒めの復活』}}</ref> * 生年不明 - 相馬空海、漫画・アニメ『[[しゅごキャラ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tv-tokyo.co.jp/contents/shugo-chara/chara/ |title=キャラクター 相馬空海 |accessdate=26 Oct 2023 |publisher=PEACH-PIT・[[講談社]]/エンブリオ捜索隊・[[テレビ東京]] |work=『しゅごキャラ!』}}</ref> * 生年不明 - 美雲・ギンヌメール、アニメ『[[マクロスΔ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|macrossD|1692010482637701134}}</ref><ref>{{Twitter status|uta_macross|1295012441907060739}}</ref> * 生年不明 - 建部知道、アニメ『[[ALL OUT!!|ALL OUT!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1467910034 |title=TVアニメ『ALL OUT!!』キャラクター&声優紹介第10弾! 2年生・健部知道役を務めるのは高橋渉さん! |access-date=26 Oct 2023 |publisher=animate Times |date=10 Jul 2016}}</ref> * 生年不明 - 桜庭遊乃、ドラマCD・ゲーム『[[りりくる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.particle.jp.net/lilycle_rs/chara.html |title=キャラクター相関図 桜庭遊乃 |accessdate=26 Oct 2023 |publisher=PARTICLE |work=『りりくるRainbow Stage!!!』}}</ref> * 生年不明 - 柊明美、ゲーム『[[Prismaticallization]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.success-corp.co.jp/software/sl/prisma/character.html |title=Characters 柊 明美 |access-date=26 Oct 2023 |publisher=[[サクセス (ゲーム会社)|SUCCESS]] |work=『プリズマティカリゼーション』}}</ref> * 生年不明 - [[ハイエナ (KOF)|ハイエナ]]、ゲーム『[[KOF MAXIMUM IMPACT]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://game.snk-corp.co.jp/official/kof-mi-ra/character/chara_hyena.html |title=ハイエナ |access-date=26 Oct 2023 |publisher=[[SNK (2001年設立の企業)|SNK PLAYMORE]] |work=『KOF MAXIMUM IMPACT REGULATION "A "』}}</ref> * 生年不明 - 飛世巴、ゲーム『[[Memories Off 2nd]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://memoriesoff.jp/historia/titles/2/ |title=Character 飛世巴 |access-date=26 Oct 2023 |publisher= |work=『メモリーズオフ 2nd』}}</ref> * 生年不明 - 鷺ノ宮紗綾、ゲーム・アニメ『[[Canvas2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://fandc.co.jp/canvas2/pc/saya.html |title=Character 鷺宮紗綾 |access-date=26 Oct 2023 |publisher=FC01/HQ/[[F&C|F&C Co.,Ltd]] |work=『Canvas2 ~茜色のパレット~』}}</ref> * 生年不明 - 小早川凛子、ゲーム『[[ラブプラス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.konami.com/games/jp/ja/products/site/newloveplus_plus/character.html |title=登場人物|小早川 凛子 |accessdate=26 Oct 2023 |publisher=[[コナミデジタルエンタテインメント|Konami Digital Entertainment]] |work=『NEWラブプラス+』}}</ref> * 生年不明 - 一ツ橋神奈、ゲーム『[[あまつみそらに!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://clochette-soft.jp/amamiso/character.html#amamiso_chara01 |title=一ツ橋神奈 |access-date=26 Oct 2023 |publisher=[[クロシェット|Clochette]] |work=『あまつみそらに!』}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#関裕美|関裕美]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20094 |title=関 裕美(せき ひろみ) |access-date=26 Oct 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 西島櫂、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20119 |title=西島 櫂(にしじま かい) |access-date=26 Oct 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 安条まい、ゲーム・アニメ『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|765728641300860928}}</ref> * 生年不明 - 李野田真乃、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]] |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/mano.html |title=李野田 真乃 |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=26 Oct 2023}}</ref> * 生年不明 - 佐々木純哉、ゲーム・アニメ『[[ドリフェス!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.dream-fes.com/characters/junya_sasaki.php |title=佐々木 純哉 |access-date=26 Oct 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], DF PROJECT |work=『ドリフェス!R DREAM FESIVAL』}}</ref> === 忌日(フィクション) === * [[宇宙世紀|U.C.]]0087年 - [[機動戦士Ζガンダムの登場人物#ブレックス・フォーラ|ブレックス・フォーラ]]、アニメ『[[機動戦士Ζガンダム]]』に登場するキャラクター(* U.C. 0029年) ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 17|17 August}} {{新暦365日|8|16|8|18|[[7月17日]]|[[9月17日]]|[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]|0817|8|17}} {{1年の月と日}}
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