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7月17日
7月17日(しちがつじゅうななにち、しちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から198日目(閏年では199日目)にあたり、年末まであと167日ある。
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{{カレンダー 7月}} '''7月17日'''(しちがつじゅうななにち、しちがつじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から198日目([[閏年]]では199日目)にあたり、年末まであと167日ある。 == できごと == [[Image:Yongle-Emperor1.jpg|thumb|100px|[[永楽帝]]、[[明]]の皇帝に即位(1402)]] [[Image:Battle_of_Castillon.jpg|thumb|upright|[[百年戦争]]最後の戦い、[[カスティヨンの戦い]](1453)。フランスが勝利。画像、馬上で戦死しているのはイングランド軍の指揮官[[ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯)|ジョン・タルボット]]]] [[Image:Lafayette_fires_on_the_Cordeliers_Club.jpeg|thumb|[[フランス革命]]、[[シャン・ド・マルスの虐殺]](1791)。[[ラファイエット]]による共和派への発砲事件]] {{multiple image | footer = [[スペイン内戦]]勃発(1936)。左画像は共和国軍、右は翌1937年に廃墟となった[[ゲルニカ]] | image1 = | width1 = 140 | alt1 = 共和国軍 | image2 = Bundesarchiv_Bild_183-H25224%2C_Guernica%2C_Ruinen.jpg | width2 = 140 | alt2 = 廃墟と化したゲルニカ }} {{multiple image | footer = [[盧溝橋事件]]による[[国共合作]]を受け[[蔣介石]](左)と[[周恩来]](右)が廬山で会談、抗日決戦で合意(1937) | image1 = Chiang_Kai-shek_Colour.jpg | width1 = 100 | alt1 = 蔣介石 | image2 = Zhou Enlai portrait.jpg | width2 = 100 | alt2 = 周恩来 }} [[Image:Potsdam_conference_1945-8.jpg|thumb|200px|[[ポツダム会談]](1945)。日本の降伏条件などが話し合われた。画像前列左から[[クレメント・アトリー|アトリー]]、[[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]]] [[Image:Numazu_after_July_17_bombing_%28Oct%29.jpg|thumb|[[沼津大空襲]](1945)]] [[Image:Apollo_Soyuz_1975_Issue-10c.jpg|thumb|300px|米ソの宇宙船がドッキングを成功させた[[アポロ・ソユーズテスト計画]](1975)]] [[Image:Hyatt_Regency_collapse_floor_view.PNG|thumb|150px|[[ハイアットリージェンシー歩道橋落下事故]](1981)]] [[Image:B-2_first_flight_071201-F-9999J-034.jpg|thumb|150px|米空軍の[[ステルス性|ステルス]][[戦略爆撃機]]、[[B-2 (航空機)|B-2]]初飛行(1989)]] [[Image:MSA-4A.jpg|thumb|150px|[[メモリースティック]]発表(1997)]] [[Image:ShiretokoFromKunashir.jpg|thumb|[[知床半島]]、[[世界遺産]]に登録(2005)画像は[[国後島]]から望む知床]] [[Image:Acidentetam14.jpg|thumb|[[TAM航空3054便オーバーラン事故]](2007)]] [[ファイル:Keisei Electric Railway Type-AE.jpg|thumb|[[京成成田空港線]]開業(2010)。新型[[スカイライナー]][[京成AE形電車 (2代)|AE形]]]] * [[180年]] - 北アフリカの{{仮リンク|スキッリウム|en|Scillium}}で[[キリスト教]]徒20人が殉教。 * [[587年]]([[用明天皇]]2年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[蘇我馬子]]が[[穴穂部皇子]]を暗殺。 * [[645年]]([[斉明天皇|皇極天皇]]4年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[孝徳天皇]]らが群臣を大槻の樹下に集めて忠誠を誓わせる。(『[[日本書紀]]』による) * [[1054年]] - [[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ローマ王ハインリヒ3世]]の息子[[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ]]がハインリヒ4世として[[ローマ王]]に就任した。 * [[1333年]]([[元弘]]3年/[[正慶]]2年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]) - 配流されていた[[隠岐諸島|隠岐島]]から脱出した[[後醍醐天皇]]が京に到着。 * [[1402年]]([[建文]]4年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[靖難の変]]で勝利した燕王朱棣([[永楽帝]])が[[明]]の皇帝に即位。<!-- en,zhより --> * [[1429年]] - フランス王[[シャルル7世 (フランス王)|シャルル7世]]が[[ランス (マルヌ県)|ランス]]で戴冠。 * [[1453年]] - [[百年戦争]]: [[カスティヨンの戦い]]。フランスが勝利。 * [[1488年]]([[長享]]2年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[加賀一向一揆]]で、[[加賀国]]の[[守護大名|守護]]の[[富樫政親]]が殺害される。 * [[1589年]]([[天正]]17年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]) - [[摺上原の戦い]]が行われる。 * [[1620年]]([[元和 (日本)|元和]]6年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[徳川秀忠]]の五女・[[徳川和子|和子]]が[[後水尾天皇]]の[[女御]]として入内。 * [[1717年]] - [[テムズ川]]でのイギリス国王[[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]の舟遊びで、[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]の『[[水上の音楽]]』が初演。 * [[1791年]] - [[フランス革命]]: [[シャン・ド・マルスの虐殺]]が起こる。 * [[1841年]] - [[イギリス]]で[[風刺漫画]][[雑誌]]『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』が創刊。 * [[1853年]]([[嘉永]]6年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[黒船来航]]:[[マシュー・ペリー|ペリー]]率いるアメリカ艦隊が[[江戸幕府]]からの国書回答猶予要請を受けて[[浦賀]]を出港。 * [[1868年]]([[明治]]元年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]) - [[沼津兵学校]]創立。 * [[1880年]] - [[刑法 (日本)#旧・刑法|旧刑法]]と治罪法([[刑事訴訟法]]の前身)が公布される。なお、施行は1882年1月1日から。 * [[1899年]] - アメリカ[[ウェスタン・エレクトリック]]との合弁で[[日本電気]](NEC)設立。日本初の[[合弁事業]]。 * [[1916年]] - 牧田らく・[[黒田チカ]]の2人が[[東北大学|東北帝国大学]]理科大学を卒業。日本女性初の[[学士]]号を得る。 * [[1917年]] - [[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]]の命で英王室の家名が[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家|サクス=コバーグ=ゴータ]]からウィンザーに改称、[[ウィンザー朝]]が始まる。 * [[1918年]]([[ユリウス暦]][[7月4日]]) - [[ロシア革命]]: [[ロシア]]・[[エカテリンブルク]]の[[イパチェフ館]]に監禁されていた元[[ロシア君主一覧|ロシア皇帝]][[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]とその家族らが[[ボリシェヴィキ]]により銃殺される([[ロマノフ家の処刑]])。 * [[1924年]] - [[日本棋院]]創立<ref>{{Cite web|和書|url=http://archive.nihonkiin.or.jp/history/06.html|title=囲碁の歴史|公益財団法人日本棋院|website=[[日本棋院]]|accessdate=2020-07-11}}</ref>。 * [[1936年]] - [[スペイン内戦]]が勃発。 * [[1937年]] - [[日中戦争]]: 廬山会談。[[中国国民党]]の[[蔣介石]]と[[中国共産党]]の[[周恩来]]が会談し、抗日決戦で合意。 * [[1938年]] - [[ダグラス・コリガン]]が無着陸[[大西洋横断飛行]]に出発。政府の許可を受けずに行った飛行であったが、本人は「方向を間違えただけ(wrong way)」と主張し、"Wrong Way" Corriganとして知られるようになる。 * [[1944年]] - [[ポートシカゴの惨事]](ポートシカゴの海軍兵器庫で発生した壊滅的な爆発事故)が起こる。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ポツダム会談]]。英首相[[ウィンストン・チャーチル]]、米大統領[[ハリー・S・トルーマン]]、ソ連共産党書記長[[ヨシフ・スターリン]]が[[ドイツ]]の[[ポツダム]]で会談し、戦後処理と[[日本]]の降伏条件について話し合う。 * 1945年 - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[沼津大空襲]]。 * [[1948年]] - [[大韓民国憲法]](第一共和国憲法)制定。 * [[1951年]] - [[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]が[[ベルギー国王の一覧|ベルギー国王]]を退位し、長男の[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]が第5代ベルギー国王として即位<ref>{{Cite web|url=https://www.britannica.com/biography/Baudouin-I|title=Baudouin I|work=Encyclopædia Britannica |accessdate=2020-07-17}}</ref>。 * [[1953年]] - [[伊東絹子]]が[[ミス・ユニバース1953]]で3位に入賞。(日本時間18日)[[スリーサイズ]]は欧米美女並みの34-22-36インチ(86-56-92cm)<ref>{{cite news|title=French beauty new Miss Universe|url=https://news.google.com/newspapers?id=O-8gAAAAIBAJ&sjid=xnIFAAAAIBAJ&pg=1881,2853159&dq=&hl=en|accessdate=2020-07-11|newspaper=[[:en:The Day (New London)|The Day]]|date=July 18, 1953|agency=[[Associated Press]]}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=伊東絹子誕生記 ファッション・モデルはどこへ行く!|date=1953-09-06|publisher=毎日新聞社|journal=サンデー毎日|volume=32|issue=41|page=4|id={{全国書誌番号|00009588}}|issn=0039-5234}}</ref>。 * 1953年 - 南紀豪雨: 翌18日にかけて[[紀州大水害]]が発生。死者615人、行方不明者431人。 * [[1955年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[カリフォルニア州]][[アナハイム]]に[[ディズニーランド]]がオープン。 * [[1956年]] - 「もはや戦後ではない」の文言が記された『[[経済白書]]』が発表され、経済面での戦後は終わったと宣言<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/information/db/anotoki/2008_1108.html|title=あのとき!1956年「戦後」を卒業、国連にも加盟|newspaper=[[朝日新聞]]|accessdate=2020-07-11}}</ref>。 * [[1965年]] - [[海上自衛隊]]の[[P-2 (航空機)|P-2]]哨戒機が新型[[照明弾]]の投下試験中に銚子沖で墜落。11人死亡<ref>「自衛隊機が墜落 銚子沖 乗員11人絶望」『日本経済新聞』昭和40年7月17日夕刊 1面</ref>。 * [[1966年]] - 『[[ウルトラマン]]』第1話の放送が[[TBSテレビ|TBS]]系各局で開始。 * [[1968年]] - イラクで[[7月17日革命]]が起きる。 * [[1970年]] - [[家永教科書裁判]]第二次訴訟の第一審で[[東京地方裁判所|東京地裁]]が、[[教科用図書検定|教科書検定]]は[[検閲]]に当たり違憲であるとして、原告全面勝訴の判決を出す。 * [[1971年]] - [[日本野球機構|日本プロ野球]]の[[1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]第1戦([[阪急西宮スタジアム|西宮]])で、全セ先発の[[江夏豊]]([[阪神タイガース|阪神]])が9者連続[[三振|奪三振]]([[江夏のオールスター9連続奪三振]])を達成、最終的に全セは継投による[[ノーヒットノーラン]]も達成した。 * 1971年 - [[今井通子]]が[[グランド・ジョラス]]北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を達成。 * [[1973年]] - [[アフガニスタン]][[国王]][[ザーヒル・シャー]]が病気療養のため[[イタリア]]に滞在中、従兄弟の[[ムハンマド・ダーウード]]元首相がクーデターを起こし、国王を廃位<ref>{{Cite web|url=https://www.britannica.com/biography/Mohammad-Daud-Khan|title=Mohammad Daud Khan|work=Encyclopædia Britannica|accessdate=2020-07-11}}</ref>。ザーヒル・シャーはそのままイタリアに亡命。 * [[1975年]] - [[ひめゆりの塔]]を参拝した[[皇太子]][[明仁|明仁親王]](当時)と[[上皇后美智子|美智子]]皇太子妃(当時)に、[[左翼]]過激派が[[火炎瓶]]を投げる事件発生([[ひめゆりの塔事件]])。 * 1975年 - [[アポロ・ソユーズテスト計画]]: [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[宇宙船]][[アポロ計画|アポロ]]18号と[[ソビエト連邦|ソ連]]の宇宙船[[ソユーズ]]19号が[[地球]]を周回する軌道上でドッキングに成功する。 * [[1976年]] - 第21回[[夏季オリンピック]]、[[1976年モントリオールオリンピック|モントリオールオリンピック]]大会開催。[[8月1日]]まで。 * 1976年 - [[インドネシア]]が[[東ティモール]]を併合。 * [[1977年]] - 人気絶頂中のアイドルグループ[[キャンディーズ]]が[[日比谷野外音楽堂]]でのコンサート中に突然の解散宣言。「普通の女の子に戻りたい」が流行語になる。 * [[1979年]] - [[ニカラグア]]の[[サンディニスタ民族解放戦線]]が武装蜂起。19日に[[アナスタシオ・ソモサ・デバイレ]]大統領が[[フロリダ州|フロリダ]]の別荘に亡命。<!-- enより --> * [[1980年]] - [[鈴木善幸]]が70代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[鈴木善幸内閣]]が成立。 * [[1981年]] - [[ハイアットリージェンシー空中通路落下事故|ハイアットリージェンシー歩道橋落下事故]]。[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ミズーリ州]][[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]のホテルで吊り下げ式の歩道橋が落下。114人が死亡し200人以上が負傷した<ref>{{Cite web|author=Stephanie Buck|url=https://timeline.com/hyatt-regency-skywalk-failure-8240bff34fa6|title=When this hotel skywalk collapsed, it was one of the deadliest structural failures in US history|work=Medium Corporation|date=Aug 1, 2017|accessdate=2020-07-11}}</ref>。 * [[1982年]] - [[郷ひろみ]]が「[[哀愁のカサブランカ]]」をリリース、自分の歌に順位を付けられないとベストテン番組と賞レース出演を辞退する。 * [[1989年]] - [[アメリカ空軍]]の[[ステルス性|ステルス]][[戦略爆撃機]][[B-2 (航空機)|B-2]]が初飛行。 * [[1993年]] - [[信州博覧会]]開幕。会期は[[9月26日]]まで。 * [[1996年]] - [[ポルトガル語諸国共同体]]結成。 * 1996年 - [[トランス・ワールド航空800便墜落事故]]が起こる。 * [[1998年]] - [[パプアニューギニア地震 (1998年)|パプアニューギニア地震]]。 * [[1997年]] - [[ソニー]]が[[メモリースティック]]を発表。 * [[1998年]] - [[国際刑事裁判所]]の設立に関する国際連合全権外交使節会議において[[国際刑事裁判所に関するローマ規程|国際刑事裁判所ローマ規程]]が採択。(国際司法の日) * [[2005年]] - [[北海道]]の[[知床半島]]([[知床 (世界遺産)|知床]])が[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[自然遺産 (世界遺産)|世界遺産]]に登録される。 * [[2007年]] - 日本が[[国際刑事裁判所に関するローマ規程|国際刑事裁判所ローマ規程]]に批准。規定により[[10月1日]]に105カ国目の締約国となる。 * 2007年 - [[TAM航空3054便オーバーラン事故]]が起こる。 * [[2009年]] - [[国道162号]]「阿納尻バイパス」([[福井県]][[小浜市]]阿納尻 - 田烏間)が開通<ref>{{Cite news|url=https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/douken/kaituu/h21-7-17-anojiritagarasu.html|title=一般国道162号 阿納尻~田烏バイパス(平成21年7月17日開通)|work=[[福井県]]|date=2009-07-23|accessdate=2020-07-11}}</ref>。 * [[2010年]] - [[京成電鉄]]、[[京成成田空港線|京成成田空港線(成田スカイアクセス)]]([[印旛日本医大駅]]~[[空港第2ビル駅]]間)が開通、[[スカイライナー]][[京成AE形電車 (2代)|2代目AE形]]、同線経由に変更の上運用開始。 * [[2011年]] - [[2011 FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子ワールドカップドイツ大会]]で、[[サッカー日本女子代表|日本代表(なでしこジャパン)]]が初優勝<ref>{{Cite web|和書|date=2011-07-18|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2813738 |title=なでしこジャパン、米国を破り初優勝 女子サッカーW杯 |work=AFPBB News |publisher=AFP |accessdate=2020-07-11}}</ref>。 * [[2014年]] - [[マレーシア航空17便撃墜事件|マレーシア航空17便]]が墜落する<ref>{{Cite web|和書|date=2014-07-18|url=https://jp.reuters.com/article/idJPL4N0PS4BA20140717 |title=UPDATE 2-マレーシア機がウクライナ東部で撃墜、295人全員死亡=ウクライナ当局者 |publisher=ロイター |accessdate=2020-07-11}}</ref>。 * [[2015年]] - 前年の事故で意識不明に陥っていたレーシングドライバー、[[ジュール・ビアンキ]]が死亡。 * [[2016年]] - 「[[ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-]]」第40回世界遺産委員会で登録が承認される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press12_000003.html|title=「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」のユネスコ世界遺産一覧表への記載決定(第40回ユネスコ世界遺産委員会における審議結果)|publisher=[[外務省]]|date=2016-07-17|accessdate=2020-07-11}}</ref>。 * [[2018年]] - 日本と[[欧州連合]]が[[経済連携協定]]に署名([[日本・EU経済連携協定]])<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33065110X10C18A7MM8000/|title=日欧EPA、19年初め発効へ 首脳が署名 |newspaper=日本経済新聞社|date=2018-07-17|accessdate=2020-07-11}}</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータなので置き換えないでください。--> [[Image:PierreLouisMaupertuis.jpg|thumb|100px|数学者[[ピエール・ルイ・モーペルテュイ]](1698-1759)誕生。[[ラップランド]]の観測隊も指揮した]] {{multiple image | footer = 画家[[ポール・ドラローシュ]](1797-1856)誕生。左画像は自画像、右は[[エコール・デ・ボザール]]の群像画 | image1 = DelarochePortrait.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = Paul_Delaroche_-_H%C3%A9micycle.jpg | width2 = 240 | alt2 = エミシクル }} [[Image:Toku14-2.jpg|thumb|150px|江戸幕府第14代将軍、[[徳川家茂]](1846-1866)]] [[Image:WHU-Zhou.jpg|thumb|150px|ジャーナリスト、[[エドガー・スノー]](左; 1905-1972)誕生。画像中央は[[周恩来]]]] [[Image:Juan_Antonio_Samaranch_DF-ST-01-00128.JPEG.jpg|thumb|150px|[[国際オリンピック委員会]]第7代会長、[[フアン・アントニオ・サマランチ]](1920-2010)]] [[Image:Angela_Merkel_%282008%29_%28cropped%29.jpg|thumb|150px|ドイツ第8代連邦首相[[アンゲラ・メルケル]](1954-)]] [[Image:Daimaou_Kosaka_20190125d.jpg|thumb|150px|お笑い芸人、[[古坂大魔王]](1973-)誕生。[[ペンパイナッポーアッポーペン]]が世界的ヒット]] * [[1698年]] - [[ピエール・ルイ・モーペルテュイ]]、[[数学者]](+ [[1759年]]) * [[1766年]]([[明和]]3年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]) - [[井伊直中]]、[[近江国]][[彦根藩]]主(+ [[1831年]]) * [[1788年]]([[天保]]5年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[牧野以成]]、[[丹後国]][[丹後田辺藩|田辺藩]]主(+ [[1833年]]) * [[1796年]] - [[ジャン=バティスト・カミーユ・コロー]]、[[画家]](+ [[1875年]]) * [[1797年]] - [[ポール・ドラローシュ]]、画家(+ [[1856年]]) * [[1827年]] - [[フレデリック・エイベル]]、[[化学者]](+ [[1902年]]) * [[1834年]]([[天保]]5年6月11日) - [[鍋島直賢]]、[[肥前国]][[鹿島藩]]主(+ [[1859年]]) * [[1846年]]([[弘化]]3年[[5月24日 (旧暦)|閏5月24日]]) - [[徳川家茂]]、[[江戸幕府]]第14代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1866年]]) * [[1871年]] - [[リオネル・ファイニンガー]]、画家(+ [[1956年]]) * [[1888年]] - [[近藤兵太郎]]、[[日本の高校野球|高校野球]]指導者(+ [[1966年]]) * [[1897年]] - [[マックス・クノール]]、[[物理学者]](+ [[1969年]]) * [[1899年]] - [[ジェームズ・キャグニー]]、[[俳優]](+ [[1986年]]) * [[1901年]] - [[ジョージ・フィリップ・ウェルズ]]、[[動物学|動物学者]](+ [[1985年]]) * [[1903年]] - [[水島あやめ]]、[[脚本家]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[1990年]]) * 1903年 - [[江戸英雄]]、[[実業家]]、三井不動産社長(+ [[1997年]]) * 1903年 - [[竹山道雄]]、[[評論家]]、[[ドイツ文学者]](+ [[1984年]]) * [[1905年]] - [[エドガー・スノー]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1972年]]) * [[1910年]] - [[大橋棣]]、[[プロ野球選手]](+ [[2004年]]) * [[1912年]] - [[灰山元治]]、プロ野球選手(+ [[1987年]]) * [[1917年]] - [[ドミトリ・ベリャーエフ]]、[[遺伝学|遺伝学者]](+ [[1985年]]) * 1917年 - [[ルー・ブードロー]]、プロ野球選手(+ [[2001年]]) * [[1918年]] - [[堀田善衛]]、[[小説家]](+ [[1998年]]) * [[1920年]] - [[フアン・アントニオ・サマランチ]]、[[国際オリンピック委員会|IOC]]第7代会長(+ [[2010年]]) * [[1922年]] - [[丹波哲郎]]、俳優(+ [[2006年]]) * [[1926年]] - [[小沢重雄]]、俳優、[[声優]](+ [[2008年]]) * [[1927年]] - [[ジャン・カサドシュ]]、[[ピアニスト]](+ [[1972年]]) * [[1928年]] - [[森浩一]]、[[考古学|考古学者]](+ [[2013年]])   * [[1929年]] - [[工藤栄一]]、[[映画監督]](+ [[2000年]]) * [[1931年]] - [[木下秀雄]]、俳優、声優(+ [[2014年]]) * [[1932年]] - [[青島幸男]]、[[タレント]]、[[政治家]]、[[東京都知事]](+ [[2006年]]) * 1932年 - [[石堂淑朗]]、[[脚本家]]、評論家(+ [[2011年]]) * [[1933年]] - [[淡路恵子]]、[[俳優|女優]](+ [[2014年]]) * [[1934年]] - [[田所善治郎]]、プロ野球選手(+ [[2021年]]) * 1934年 - [[東実]]、元プロ野球選手 * [[1935年]] - [[石井智 (アナウンサー)|石井智]]、[[アナウンサー]](+ [[1995年]]) * 1935年 - [[ドナルド・サザーランド]]、俳優 * 1935年 - [[矢追純一]]、[[ディレクター]]、[[芸能人|テレビタレント]] * [[1940年]] - [[C・W・ニコル]]、[[作家]](+ [[2020年]]<ref name="afan">{{Cite web|和書|url=https://afan.or.jp/news/3416/|title=【訃報】C.W.ニコル死去のお知らせ|publisher=C.W.ニコル・アファンの森財団|date=2020-04-04|accessdate=2020-11-21}}</ref>) * 1940年 - [[植野浩史]]、元プロ野球選手 * 1940年 - [[黒崎武]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[高木守道]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](+ [[2020年]]) * 1941年 - [[三浦布美子]]、女優、[[歌手]]、[[日本舞踊|舞踊家]] * [[1943年]] - [[藤田恒美]]、アナウンサー * 1943年 - [[峰岸徹]]、俳優(+ [[2008年]]) * [[1944年]] - [[カルロス・アウベルト]]、[[サッカー選手]]、指導者(+ [[2016年]]) * [[1945年]] - [[アフリク・シモーネ]]、歌手 * [[1948年]] - [[たかお鷹]]、俳優、声優 * 1948年 - [[篠原孝]]、政治家 * [[1950年]] - [[新井良夫]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[三林京子]]、女優 * [[1952年]] - [[デビッド・ハッセルホフ]]、俳優 * 1952年 - [[ニコレット・ラーソン]]、歌手(+ [[1997年]]) * [[1953年]] - [[鈴木順]]、アナウンサー * 1953年 - [[大野徹也]]、[[オペラ|オペラ歌手]]、[[テノール]] * [[1954年]] - [[アンゲラ・メルケル]]、政治家、[[ドイツの首相|ドイツ首相]] * 1954年 - [[佐々木正洋 (1954年生)|佐々木正洋]]、アナウンサー * [[1956年]] - [[中村秀昭]]、アナウンサー * [[1957年]] - [[大竹しのぶ]]、女優 * 1957年 - [[吉藤徹]]、実業家 * 1957年 - [[中野英明]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[ウォン・カーウァイ]]、映画監督 * [[1959年]] - [[河合じゅんじ]]、漫画家 * 1959年 - [[杉山清貴]]、歌手 * [[1960年]] - [[木原実 (タレント)|木原実]]、[[気象予報士]]、俳優 * 1960年 - [[村岡耕一]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[野中万寿夫]]、ミュージカル俳優 * [[1963年]] - [[マッチ・ニッカネン]]、[[スキージャンプ]]選手 * 1963年 - [[ボビー・シグペン]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[神坂一]]、小説家 * 1964年 - [[長江健次]]、俳優、タレント * [[1967年]] - [[大家敏志]]、政治家 * 1967年 - [[北野誠 (サッカー選手)|北野誠]]、元サッカー選手、指導者 * 1967年 - [[清宮克幸]]、元[[ラグビーユニオン]]選手 * 1967年 - [[大須賀秀徳]]、実業家 * [[1969年]] - [[北村一輝]]、俳優 * [[1970年]] - [[宅間孝行]]、俳優 * [[1971年]] - [[山田喜久夫]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[田中律子]]、タレント * 1971年 - [[アレクサンダー大塚]]、[[プロレスラー]] * [[1972年]] - [[ヤープ・スタム]]、元サッカー選手 * [[1973年]] - [[古坂大魔王]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ノーボトム|NO BOTTOM!]]) * 1973年 - [[岸川雄二]]、元プロ野球選手 * [[1974年]] - [[牧野塁]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[クラウディオ・ロペス]]、元サッカー選手 * [[1975年]] - [[テレンス・タオ]]、[[数学者]] * [[1976年]] - [[トシ]]、お笑い芸人([[タカアンドトシ]]) * [[1978年]] - [[ヒカルド・アローナ]]、[[柔術]]世界王者 * 1978年 - [[ブラント・アスト]]、プロ野球選手 * [[1979年]] - [[奥村武博]]、元プロ野球選手、[[公認会計士]] * [[1980年]] - [[池永大輔]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[井上あさひ]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * 1981年 - 植野行雄、お笑い芸人([[デニス (お笑いコンビ)|デニス]]) * [[1982年]] - [[筑川利希也]]、元[[野球選手]] * [[1983年]] - [[スティーブ・デラバー]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[薛之謙]]、シンガーソングライター * [[1984年]] - [[あさみ]]、元歌手(元[[カントリー娘。]]) * [[1985年]] - [[鈴木葉月]]、[[グラビアアイドル]]、女優 * [[1986年]] - [[柴田講平]]、元プロ野球選手 * 1986年 - MEME、歌手([[ケラケラ]]) * 1986年 - [[KENK1|山口賢貴]]、俳優 * [[1987年]] - [[レオネル・カンポス]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[笹沼明広]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[羽根田卓也]]、[[カヌー]]選手 * 1987年 - [[ヤン・チャロウズ]]、レーシングドライバー * [[1988年]] - [[浅田舞]]、[[モデル (職業)|モデル]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1988年 - [[姫ちゃん]]、お笑い芸人 * 1988年 - [[郭躍]]、[[卓球]]選手 * [[1989年]] - [[山根万理奈]]、シンガーソングライター * 1989年 - [[藤岡貴裕]]、元プロ野球選手 * [[1990年]] - [[中野菜摘]]、元野球選手 * 1990年 - [[山下鈴]]、グラビアアイドル * [[1991年]] - [[中世古麻衣]]、モデル、グラビアアイドル * 1991年 - [[陽川尚将]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[梅本まどか]]、タレント、アイドル(元[[SKE48]]) * 1992年 - [[橋本ちなみ]]、声優 * 1992年 - [[ビリー・ラード]]、女優 * 1993年 - [[片岡周子]]、小説家 * [[1993年]] - [[桜井ひかり]]、女優 * 1993年 - [[大川藍]]、ファッションモデル、タレント、元アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]20号) * 1993年 - [[としみつ]]、[[YouTuber]]([[東海オンエア]]) * 1993年 - [[松田颯水]]、声優 * [[1994年]] - [[バンジャマン・メンディ]]、サッカー選手 * 1994年 - [[ヴィクトル・リンデロフ|ビクトル・リンデロフ]]、サッカー選手 * [[1996年]] - [[泉はる]]、ファッションモデル、タレント * 1996年 - [[北野日奈子]]、女優、ファッションモデル(元[[乃木坂46]]) * 1996年 - ウォヌ、アイドル([[SEVENTEEN (音楽グループ)|SEVENTEEN]]) * [[1997年]] - [[村松珠希]]、野球選手 * [[1998年]] - [[澤田汐音]]、モデル(元[[Le Lien]]) * 1998年 - [[油野純帆]]、アナウンサー * [[1999年]] - [[湯浅京己]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[森重航]] - [[スピードスケート]]選手 * 2000年 - [[冨田菜々風]]、アイドル([[≠ME]]) * [[2001年]] - [[井上玲音]]、アイドル([[Juice=Juice]]、元[[こぶしファクトリー]]) * 2001年 - [[齋藤茉日]]、元ファッションモデル * 2001年 - [[坂口英里]]、野球選手 * [[2002年]] - [[豊田ルナ]]、女優、グラビアアイドル * 2002年 - [[りせり]]、ファッションモデル、タレント * 2002年 - [[ジョーダン・ロウラー]]、プロ野球選手 * [[2005年]] - [[村山千夏 (インフルエンサー)|村山千夏]]、[[インフルエンサー]]、女優 * 生年不明 - [[岩崎愛 (声優)|岩崎愛]]、声優 * 生年不明 - [[植竹香菜]]、声優 == 忌日 == {{multiple image | footer = [[オスマン帝国]]の建築家[[ミマール・スィナン]](1489-1588)没。右画像は{{仮リンク|シェフザード・モスク|en|Şehzade Mosque}}の内部 | image1 = MimarSinan-Detail.jpg | width1 = 100 | alt1 = ミマール・スィナン | image2 = Mimar_Sinan_-_Mosqu%C3%A9e_%C5%9Eehzade_Mehmet%2C_Istanbul_%2802%29.jpg | width2 = 100 | alt2 = シェフザード・モスクの内部 }} {{multiple image | footer = 『[[国富論]]』の著者[[アダム・スミス]](1723-1790)没。 | image1 = AdamSmith.jpg | width1 = 100 | alt1 = アダム・スミス | image2 = Adam Smith Grave.JPG | width2 = 100 | alt2 = 墓 }} {{multiple image | footer = [[ジャン=ポール・マラー]]を暗殺(左画像)した「暗殺の天使」[[シャルロット・コルデー]](1768-1793)死刑。 | image1 = Charlotte_Corday.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジャン=ポール・マラー暗殺 | image2 = Corday-Gillray-color.jpeg | width2 = 140 | alt2 = 裁判風景 }} {{multiple image | footer = 画家[[ジェームズ・マクニール・ホイッスラー]](1834-1903)没。左画像は自画像(1872頃)、右は『白のシンフォニー第1番――白の少女』(1862) | image1 = Whistler_Selbstportr%C3%A4t.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = James_Abbot_McNeill_Whistler_014.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『白のシンフォニー第1番――白の少女』 }} {{multiple image | footer = [[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]](1868-1918)とその家族(左画像)らが銃殺される。右画像は現場に建つ「血の上の教会」 | image1 = | width1 = 160 | alt1 = ニコライ一家 | image2 = ChurchOn_Blood.jpg | width2 = 160 | alt2 = 銃殺現場[[イパチェフ館]]の跡地に建つ教会 }} [[Image:Billie_Holiday_1949_b (cropped).jpg|thumb|120px|[[ジャズ]]シンガー、[[ビリー・ホリデイ]](1915-1959)没。]] [[Image:Ty_Cobb_HOF_plaque.jpg|thumb|120px|[[メジャーリーグベースボール|大リーガー]]、球聖[[タイ・カッブ]](1886-1961)没。]] {{multiple image | footer = 俳優[[市川雷蔵 (8代目)|八代目市川雷蔵]](1931-1969) | image1 = Raiz%C5%8D_Ichikawa_VIII_in_Junan-b%C5%8D_Hangan.jpg | width1 = 100 | alt1 = 『次男坊判官』 | image2 = Yasaka_Shrine_02.jpg | width2 = 100 | alt2 = 八坂神社の灯籠 }} * [[587年]]([[用明天皇]]2年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[穴穂部皇子]]、[[飛鳥時代]]の[[皇族]] * [[924年]] - [[エドワード長兄王]]、[[イングランド王国|イングランド王]](* [[870年代]]) * [[941年]]([[天慶]]4年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[藤原純友]]、[[公家]](* [[893年]]?) * [[1453年]] - [[ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯)|ジョン・タルボット]]、イングランド貴族・軍人(* [[1384年]]/[[1390年]]) * [[1588年]] - [[ミマール・スィナン]]、[[建築家]](* [[1489年]])<ref>{{Cite web|url=https://www.britannica.com/biography/Sinan|title=Sinan|work=Encyclopædia Britannica|accessdate=2020-07-11}}</ref> * [[1762年]] - [[ピョートル3世 (ロシア皇帝)|ピョートル3世]]、[[ロシア帝国|ロシア皇帝]](* [[1728年]]) * [[1766年]] - [[ジュゼッペ・カスティリオーネ]]、[[宣教師]](* [[1688年]]) * [[1790年]] - [[アダム・スミス]]、[[経済学者]](* [[1723年]]) * [[1793年]] - [[シャルロット・コルデー]]、[[ジャン=ポール・マラー]]を[[暗殺]]した人物(* [[1768年]]) * [[1845年]] - 第2代[[グレイ伯爵]][[チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵)|チャールズ・グレイ]]、[[イギリスの首相]](* [[1764年]]) * [[1871年]] - [[カール・タウジヒ]]、[[ピアニスト]](* [[1841年]]) * [[1881年]] - [[ジム・ブリッジャー]]、罠猟師、[[探検家]](* [[1804年]]) * [[1894年]] - [[ヨーゼフ・ヒルトル]]、[[医学|医学者]](* [[1810年]]) * 1894年 - [[シャルル=マリ=ルネ・ルコント・ド・リール]]、[[詩人]](* [[1818年]]) * [[1903年]] - [[ジェームズ・マクニール・ホイッスラー]]、[[画家]](* [[1834年]]) * [[1907年]] - [[エクトール・アンリ・マロ]]、[[小説家]](* [[1830年]]) * [[1912年]] - [[アンリ・ポアンカレ]]、[[数学者]](* [[1854年]]) * [[1918年]] - [[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]、ロシア皇帝(* [[1868年]]) * 1918年 - [[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ・フョードロヴナ]]、ロシア皇帝ニコライ2世の皇后(* [[1872年]]) * 1918年 - [[オリガ・ニコラエヴナ (ニコライ2世皇女)|オリガ・ニコラエヴナ]]、ロシア皇帝ニコライ2世の第一皇女(* [[1895年]]) * 1918年 - [[タチアナ・ニコラエヴナ]]、ロシア皇帝ニコライ2世の第二皇女(* [[1897年]]) * 1918年 - [[マリア・ニコラエヴナ (ニコライ2世皇女)|マリア・ニコラエヴナ]]、ロシア皇帝ニコライ2世の第三皇女(* [[1899年]]) * 1918年 - [[アナスタシア・ニコラエヴナ]]、ロシア皇帝ニコライ2世の第四皇女(* [[1901年]]) * 1918年 - [[アレクセイ・ニコラエヴィチ (ロシア皇太子)|アレクセイ・ニコラエヴィチ]]、ロシア皇帝ニコライ2世の第一皇子、皇太子(* [[1904年]]) * 1918年 - [[アレクセイ・トルップ]]、ニコライ2世一家の[[フットマン]](* [[1856年]]) * 1918年 - [[エフゲニー・ボトキン]]、ニコライ2世一家の[[主治医]](* [[1865年]]) * 1918年 - [[イヴァン・ハリトーノフ]]、ニコライ2世一家の[[コック (家事使用人)|料理人]](* [[1870年]]) * 1918年 - [[アンナ・デミドヴァ]]、アレクサンドラ皇后専属の[[メイド]](* [[1878年]]) * [[1927年]] - [[ルイーゼ・アドルファ・ル・ボー]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](* [[1850年]]) * [[1928年]] - [[ジョヴァンニ・ジョリッティ]]、[[閣僚評議会議長 (イタリア)|イタリア首相]](* [[1842年]]) * [[1935年]] - [[ジョージ・ウィリアム・ラッセル]]、詩人(* [[1867年]]) * 1935年 - [[聶耳]]、[[作曲者|作曲家]](* [[1911年]]) * [[1941年]] - [[二階堂トクヨ]]、[[教育関係人物一覧|教育者]](* [[1880年]]) * [[1942年]] - [[レオニード・セドネフ]]、[[イパチェフ館]]の囚人(* [[1903年]]) * [[1943年]] - [[ヴォルフ・エッテル]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](* [[1921年]]) * [[1944年]] - [[ウィリアム・ジェイムズ・サイディズ]]、数学者(* [[1898年]]) * [[1945年]] - [[エルンスト・ブッシュ (軍人)|エルンスト・ブッシュ]]、[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]]の[[元帥]](* [[1885年]]) * [[1946年]] - [[ドラジャ・ミハイロヴィッチ]]、[[チェトニック]]の指導者(* [[1893年]]) * [[1959年]] - [[ビリー・ホリデイ]]、[[ジャズ]][[歌手]](* [[1915年]]) * [[1961年]] - [[タイ・カッブ]]、元プロ野球選手(* [[1886年]]) * 1961年 - [[エド・ロイルバック]]、元プロ野球選手(* [[1882年]]) * [[1967年]] - [[ジョン・コルトレーン]]、ジャズ[[サクソフォーン|サキソフォン]]奏者(* [[1926年]]) * [[1969年]] - [[市川雷蔵 (8代目)|市川雷蔵]]、映画[[俳優]](* [[1931年]]) * [[1974年]] - [[ディジー・ディーン]]、元プロ野球選手(* [[1910年]]) * [[1975年]] - [[ドナルド・ギリース]]、[[数学者]]、[[計算機科学|計算機科学者]](* [[1928年]]) * [[1977年]] - [[ヴィトルト・マウツジンスキ|マルクジンスキ]]、[[ピアニスト]](* [[1914年]]) * [[1981年]] - [[水原秋桜子]]、[[俳句|俳人]](* [[1892年]]) * [[1987年]] - [[石原裕次郎]]、俳優(* [[1934年]]) * [[1988年]] - [[ブルーザー・ブロディ]]、[[プロレスラー]](* [[1946年]]) * [[1994年]] - [[塩田剛三]]、武道家、[[養神館合気道]]開祖(* [[1915年]]) * 1994年 - [[ジャン・ボロトラ]]、[[テニス]]選手(* [[1898年]]) * [[1995年]] - [[ファン・マヌエル・ファンジオ]]、元[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー (* [[1911年]]) * [[2001年]] - [[キャサリン・グラハム|キャサリン・グレアム]]、[[実業家]](* [[1917年]]) * [[2003年]] - [[ロザリン・テューレック]]、[[ピアニスト]](* [[1914年]]) * [[2004年]] - [[鈴木義司]]、[[漫画家]](* [[1928年]]) * [[2005年]] - [[ジェラルディン・フィッツジェラルド]]、女優(* [[1913年]]) * 2005年 - [[エドワード・ヒース]]、イギリス首相(* [[1916年]]) * [[2006年]] - [[ミッキー・スピレイン]]、[[小説家]](* [[1918年]]) * [[2010年]] - [[石井好子]]、[[シャンソン]][[歌手]]、[[ジャズ]]シンガー、[[随筆家|エッセイスト]](* [[1922年]]) * [[2011年]] - [[森孝慈]]、元[[サッカー選手]]、サッカー監督(* [[1943年]]) * 2011年 - [[沢田泰司|TAIJI]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1966年]]) * [[2012年]] - [[小島秀哉]]、[[俳優]](* [[1934年]]) * [[2014年]] - [[松岡雅俊]]、元プロ野球選手(* [[1932年]]) * [[2015年]] - [[わかやまけん]]、[[著作家|絵本作家]](* [[1930年]]) * 2015年 - [[ジュール・ビアンキ]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://ja.espnf1.com/manor/motorsport/story/204299.html |title=ビアンキが永眠、享年25 |publisher=ESPN F1 |accessdate=2020-11-13}}</ref>、[[F1ドライバーの一覧|F1ドライバー]](* [[1989年]]) * [[2019年]] - [[アンドレア・カミッレーリ]]、[[小説家]]、[[脚本家]]、[[演出家]](* [[1925年]]) * [[2022年]] - [[久保山誠]]、元プロ野球選手(* [[1934年]]) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = 風刺漫画雑誌「[[パンチ (雑誌)|パンチ]]」創刊(1841)。左画像は創刊号表紙、右は1843年に掲載された{{仮リンク|ジョン・リーチ|en|John Leech (caricaturist)}}の[[カートゥーン]]。[[戯画|風刺画]]をカートゥーンと呼んだ最初の例。 | image1 = Punch_volume_1_cover_%281841%29.png | width1 = 100 | alt1 = 創刊号 | image2 = SubstanceandShadow.jpg | width2 = 160 | alt2 = ジョン・リーチのカートゥーン }} * [[海の日]]({{JPN}}、[[2006年]]・[[2017年]]・[[2023年]])※7月の第3月曜日 * [[漫画]]の日 ** [[1841年]]のこの日、イギリスで[[風刺漫画]]週刊誌『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』が発刊されたことを記念。そのほか漫画の日には[[11月3日]](手塚治虫の誕生日を祝して2002年に日本漫画家協会と出版社5社が提唱)とするもの、[[2月9日]](手塚治虫の死没日を記念すべく古書店まんだらけが提唱)とするものがある。 * [[東京]]の日({{JPN}}) ** [[慶応]]4年旧暦[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]([[1868年]][[9月3日]])、明治天皇の詔勅により「[[江戸]]」が「東亰(とうけい)」に改称されたことを記念。 * [[制憲節]]({{KOR}}) ** [[1948年]]7月17日に、[[大韓民国憲法]]が制定されたことに由来。この日に憲法が制定されたのは、朝鮮王朝の建国日が7月17日だったためであると言われている。 * [[祇園祭]] 山鉾巡行({{JPN}} [[京都市]]) ** 1966年から2013年はこの日にまとめて行われていたが、[[2014年]]より、前祭(さきのまつり)をこの日に行っている(後祭(あとのまつり)は[[7月24日]])。 * [[理学療法]]の日({{JPN}}) ** [[1966年]](昭和41年)のこの日に有資格理学療法士110名により[[日本理学療法士協会]]が結成されたことを記念して、同会が制定。[[理学療法]]とは、病気や怪我などによって運動機能が低下した状態の人々に対して、運動機能の維持・改善を目的に運動、温熱、電気、水、光線などの物理的手段を用いて行われる治療のこと<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=26|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * あじさい忌({{JPN}}) ** 俳優・[[石原裕次郎]]の[[1987年]]の忌日。「あじさい忌」の名称は、石原が生前[[アジサイ]]の花が好きだったことにちなむ。 * {{仮リンク|国際司法の日|en|World Day for International Justice}}({{World}}) ** [[1998年]]のこの日、[[国際刑事裁判所]]の設立に関する国際連合全権外交使節会議において[[国際刑事裁判所に関するローマ規程|国際刑事裁判所ローマ規程]]が採択されたことを記念。 * 独立宣言記念日({{SVK}}) ** [[1992年]]のこの日に[[チェコスロバキア]]のスロバキア国民議会(現・[[スロバキア共和国国民議会]])がスロバキア共和国の国家主権宣言を採択したことを記念。 * 国王誕生日({{LSO}}) ** レソト国王[[レツィエ3世]](1997年戴冠)の誕生日。 * [[世界絵文字デー]]({{World}}) ** 絵文字情報ウェブサイト[[Emojipedia]]の管理者が[[2014年]]より独自に提唱したことから定着。[[iOS]]で表示されるカレンダーの絵文字(📅)の日付が7月17日だったため。なお、そもそも7月17日になっていた理由は、[[Apple]]が2002年に[[Macintosh|Mac]]のカレンダーアプリ「[[カレンダー (Apple)|iCal]]」を発表した日だったことからである<ref>{{Cite news|title=「世界絵文字デー」はなぜ7月17日なのか|newspaper=ITmedia NEWS|date=2017-07-18|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1707/18/news128.html|accessdate=2020-07-19}}</ref>。 * セントラル浄水器の日({{JPN}}) ** セントラル浄水器の良さをより多くの人に知ってもらうことを目的に、株式会社アクアス総研が制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aquas5.co.jp/blog/33/002658.php|title=アクアス総研にとって大切な7月!!|website=株式会社アクアス総研|accessdate=2020-07-11}}</ref>。日付は同社の設立日から。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0717|date=2011-06}} *1947年(昭和22年)- [[作家]]望月王仁の刺殺体が発見される。歌川家連続殺人事件の第一の殺人。(小説『[[不連続殺人事件]]』第4章) === 誕生日(フィクション) === * [[1941年]] - [[ニャロメ]]、漫画・アニメ『[[もーれつア太郎]]』に登場するキャラクター<ref>原作漫画のエピソード「ニャロメにも誕生日があった」より。</ref> * [[1969年]] - アイバー、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]]|volume=13巻|date=2007-09-04 |title = DEATH NOTE|series=[[ジャンプコミックス]] |page =26|publisher = [[集英社]] |isbn =978-4088740959}}</ref> * [[1978年]] - 山刀伐尽、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=(3)|date=2016-05-13|author1=白鳥士郎|authorlink1=白鳥士郎|author2=しらび(イラスト)|authorlink2=しらび|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=65|series=GA文庫|isbn=978-4797388176}}</ref> * [[1986年]] - 神永新二、映画『[[シン・ウルトラマン]]』の主人公<ref>{{Twitter status|shin_ultraman|1552126636585144321}}</ref> * 生年不明 - 黒川真魚、漫画・アニメ『[[わかば*ガール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 湯郷美彩、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/yunogoh_misa |title=岡山 湯郷美彩|publisher= ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』|accessdate=2023-01-12}}</ref> * 生年不明 - ハモンド、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Hammond.html |title=ハモンド |work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |accessdate=2020-06-27}}</ref> * 生年不明 - 三船入道、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1283779691304882176}}</ref> * 生年不明 - 不知火ゲンマ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史 |authorlink=岸本斉史 |date=2005-04-04 |title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |page=97 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4088737348}}</ref> * 生年不明 - 有沢竜貴、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=久保帯人 |authorlink=久保帯人 |date=2006-02-03 |title=BLEACH―ブリーチ― OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page=39 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4088740799}}</ref> * 生年不明 - 蛙井、漫画・アニメ『[[武装錬金]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 吉良・ライトニング光彦、漫画『[[賢い犬リリエンタール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 柊姫衣、漫画・アニメ『[[アホガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=ヒロユキ |authorlink=ヒロユキ |date=2015-05-15 |title=アホガール |volume=(6) |page=153 |publisher=[[講談社]] |series=[[講談社コミックス]] |isbn=978-4063953930}}</ref> * 生年不明 - 戸川安里香、漫画『[[ディスコミュニケーション]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 辻谷彰子、漫画・アニメ『[[カードキャプターさくら]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 是永大樹、漫画・ドラマCD・映画『[[ストロボ・エッジ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 水野祐、漫画・アニメ『[[サンリオ男子]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sdan_p_sanrio|1151280370177826816}}</ref> * 生年不明 - 有川譲、ゲーム・アニメ『[[遙かなる時空の中で]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 渋垣茉理、ゲーム・アニメ『[[月は東に日は西に 〜Operation Sanctuary〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://august-soft.com/hani/chara.htm#matsuri |title=渋垣茉理 |access-date=2023-01-12 |publisher=[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]] |work=『月は東に日は西に 〜Operation Sanctuary〜』}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#結城晴|結城晴]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20180 |title=結城 晴(ゆうき はる) |access-date=2023-01-12 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 服部ユウ、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aikatsu_dcd|621881434043580416}}</ref> * 生年不明 - ヤヨイ、ゲーム・アニメ『[[消滅都市]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shoumetsutoshi|1151370948395687936}}</ref> * 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#RAISE A SUILEN|ロック(朝日六花)]]、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/lock/ |title=ロック |access-date=2023-01-12 |publisher=BanG Dream! Project Craft Egg Inc. [[ブシロード|bushiroad]] |work=『BanG Dream! ガールズバンドパーティ』}}</ref> * 生年不明 - 神楽坂宗司、メディアミックス『[[ツキノ芸能プロダクション]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://tsukino-pro.com/talent_artist/talent_artist-cat2/alive-ta/kagurazaka-soushi-ta/ |title=神楽坂宗司 |access-date=2023-01-12 |publisher=TSUKIPRO TSUKIUTA. [[ユニバーサルミュージック|UNIVERSAL MUSIC LLC]] ALTAIR |work=『ツキノ芸能プロダクション』}}</ref> * 生年不明 - [[ラブライブ!スーパースター!!#Liella!(リエラ)|唐可可]]、メディアミックス『[[ラブライブ!スーパースター!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|lovelive_staff|1397470158747316227}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/yuigaoka/member/ |title=メンバー紹介 唐可可(タンクゥクゥ) |accessdate=2023-01-12 |publisher=プロジェクトラブライブ!スーパースター!! |work=「ラブライブ!スーパースター!!」}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 17|17 July}} {{新暦365日|7|16|7|18|[[6月17日]]|[[8月17日]]|[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]|0717|7|17}} {{1年の月と日}}
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7月16日
7月16日(しちがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から197日目(閏年では198日目)にあたり、年末まであと168日ある。
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7月16日(しちがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から197日目(閏年では198日目)にあたり、年末まであと168日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月16日'''(しちがつじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から197日目([[閏年]]では198日目)にあたり、年末まであと168日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[ヒジュラ暦]]元年1月1日(西暦[[622年]])。[[ムハンマド]]らの[[メディナ]]への聖遷([[ヒジュラ]])を元年とする。左画像は聖遷先の[[メディナ]]に建てられた[[カアバ]]の[[モスク]]、右はベルギーにある記念碑。 | image1 = | width1 = 160 | alt1 = カーバのモスク | image2 = | width2 = 100 | alt2 = ベルギーにある記念碑 }} [[Image:Batalla de las Navas de Tolosa, por Francisco van Halen.jpg|thumb|[[レコンキスタ]]の転換点となった[[ナバス・デ・トロサの戦い]](1212)]] [[Image:Battle_of_Stony_Point.jpg|thumb|[[アメリカ独立戦争]]、[[ストーニーポイントの戦い]](1779)]] [[Image:Die Entführung aus dem Serail livret.jpg|thumb|upright|オペラ『[[後宮からの誘拐]]』初演(1782)。画像は台本]] {{multiple image | footer = [[アメリカ合衆国]]の首都、[[ワシントンD.C.]]の設置決定(1790)。左画像は都市計画図、右は現在の市街 | image1 = L%27Enfant_plan.jpg | width1 = 120 | alt1 = 都市計画図 | image2 = WashMonument_WhiteHouse.jpg | width2 = 180 | alt2 = 現在のワシントンD.C. }} [[Image:AhmadShahQajar2.jpg|thumb|100px|[[イラン立憲革命]]で、[[ガージャール朝]]最後のシャー[[アフマド・シャー (ガージャール朝)|アフマド・シャー]]が即位(1909)]] [[Image:19170704 Riot on Nevsky prosp Petrograd.jpg|thumb|[[ロシア革命]]、[[七月蜂起]](1917)。画像は17日の[[ペトログラード]]]] [[Image:Parking_meter-1940.jpg|thumb|100px|[[オクラホマシティ]]に世界初の[[パーキングメーター]]設置(1935)。画像は1940年のもの]] {{multiple image | footer = [[畑俊六]]陸相(左画像)辞職、[[日独伊三国同盟]]締結に抵抗していた[[米内内閣]]は総辞職(1940) | image1 = HataSyunroku.jpg | width1 = 80 | alt1 = 畑俊六 | image2 = Mitsumasa_Yonai_smiling_cropped.jpg | width2 = 100 | alt2 = 米内光政 }} {{multiple image | footer = 世界初の[[原子爆弾]]の実験「[[トリニティ実験]]」(1945)。翌月には[[広島市への原子爆弾投下|広島]]と[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]に投下されることになる | image1 = HD.4G.054 (10540205205).jpg | width1 = 140 | alt1 = 原子爆弾「ガジェット」 | image2 = Trinity_shot_color.jpg | width2 = 100 | alt2 = トリニティ実験の核爆発 }} [[Image:Ritto_interchange_001.jpg|thumb|[[名神高速道路]]開通(1963)画像は[[栗東インターチェンジ]]]] [[Image:Chamonix_-_Mont_Blanc_Tunnel_Entrance.jpg|thumb|イタリアとフランスをつなぐ[[モンブラントンネル]]の開通式(1965)。画像はフランス側の出入口]] {{multiple image | footer = 人類初の有人月宇宙船、[[アポロ11号]]打ち上げ(1969) | image1 = Apollo 11 Saturn V lifting off on July 16, 1969.jpg | width1 = 80 | alt1 = 打ち上げ | image2 = The_Apollo_11_Prime_Crew_-_GPN-2000-001164.jpg | width2 = 100 | alt2 = 乗員 }} {{multiple image | footer = [[イラク]]大統領[[アフマド・ハサン・アル=バクル]](左)辞任、[[サッダーム・フセイン]]が就任(1979) | image1 = Hassan_bakr.gif | width1 = 80 | alt1 = アフマド・ハサン・アル=バクル | image2 = Iraq%2C_Saddam_Hussein_%28222%29.jpg | width2 = 100 | alt2 = サッダーム・フセイン }} [[Image:Impact_site_of_fragment_G.gif|thumb|160px|[[シューメーカー・レヴィ第9彗星]]の破片が木星に衝突(1994)。画像左上に衝突跡が見える]] [[Image:Reconstructed_Pillar_Supported_Structure.jpg|thumb|[[三内丸山遺跡]]の大規模発掘調査で、直径約1mものクリの木柱が発見されたことを[[朝日新聞]]が報道(1994)]] * [[527年]](継体天皇21年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[近江毛野]]が軍を率いて[[新羅]]に攻められた[[任那]]の失地回復に向かう([[磐井の乱]]の始まり){{要出典|date=2021-03}}。 * [[622年]] - [[ヒジュラ暦]]1年1月1日<ref>{{Cite book|和書|author = 渡邊敏夫|authorlink = 渡邊敏夫|title = 暦入門―暦のすべて|edition = 初版|date = 1994-04|publisher = 雄山閣出版|location = 東京都|isbn = 978-4639012191|page=76|ref = harv}}</ref>。この年内に、[[預言者ムハンマド]]はメッカからメディナに移住(ヒジュラ)したため、彼らの太陰暦でこの年の年初にあたるこの日がヒジュラ暦の始まる日になる。 * [[1054年]] - [[東西教会の分裂]]: [[カトリック教会]]の使節としてコンスタンディヌーポリを訪問していた枢機卿フンベルトが、[[正教会]]の[[コンスタンディヌーポリ総主教]][[ミハイル1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|ミハイル1世]]とその同調者に対する[[破門]]状を聖堂の宝座に叩きつける。ミハイル1世もフンベルト一行を破門。([[ミハイル1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)#「東西教会の相互破門」に至る経緯|東西教会の相互破門]]) * [[1212年]] - [[レコンキスタ]]: [[アンダルシア州]]の[[ナバス・デ・トロサ]]で、[[イベリア半島]]の[[カトリック教会|カトリック]]諸国と[[騎士修道会]]の連合軍が[[ムワッヒド朝]]の軍を破る。([[ナバス・デ・トロサの戦い]]) * [[1224年]]([[元仁]]元年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[北条泰時]]が[[鎌倉幕府]]第3代[[執権]]に就任。 * [[1377年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]が戴冠。 * [[1582年]]([[天正]]10年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[清洲会議]]が開かれ、[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]が推す三法師(後の[[織田秀信]])が[[織田信長]]の後継者に決まる<ref>{{Cite web|和書|url=https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4051|title=清洲会議と羽柴秀吉~天下をつかんだ根回し術|work=WEB 歴史街道|publisher=PHP Biz Online 衆知|date=2017-06-26|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[1661年]] - [[スウェーデン国立銀行|ストックホルム銀行]]が、世界初の国家の承認を受けた[[紙幣]]を発行する<ref>{{Cite web|url=https://www.onthisday.com/photos/first-european-banknote|title=1st European Banknote|work=On This Day|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[1683年]]([[康熙]]22年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[澎湖海戦]]が終結。[[清]]が[[鄭成功]]の[[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]を破り、[[台湾]]を版図におさめる。 * [[1779年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ストーニーポイントの戦い]]。 * [[1782年]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]作曲の[[オペラ|歌劇]]『[[後宮からの誘拐]]』が[[ウィーン]]で初演される。 * [[1790年]] - アメリカ合衆国の新しい首都としてコロンビア特別区(現 [[ワシントンD.C.]])を設置する[[首都立地法 (アメリカ合衆国)|首都立地法]]が発効。 * [[1834年]] - [[ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵)|第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム]]がイギリスの27代首相に就任。 * [[1861年]] - [[南北戦争]]: 北軍の35,000名の兵が[[第一次ブルランの戦い]]のためにワシントンを出発。 * [[1885年]] - [[日本鉄道]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] - [[宇都宮駅]](現在の[[東北本線]])が開業。 * [[1894年]] - [[日英通商航海条約]]調印。初めて[[領事裁判権]]が撤廃されるが、[[関税自主権]]は回復されず。 * [[1898年]] - 明治[[民法]]の家族法が制定され、日本の家族制度が[[夫婦別姓]]から夫婦同姓へはじめて移行した * [[1909年]] - [[イラン立憲革命]]: 革命を支持する国民軍が首都[[テヘラン]]を占領、国王[[モハンマド・アリー・シャー]]は[[ロシア]]へ亡命し、[[アフマド・シャー (ガージャール朝)|アフマド・シャー]]が即位。 * [[1917年]]([[ユリウス暦]][[7月3日]]) - [[ロシア革命]]: [[七月蜂起]](七月事件)。ロシア・[[ペトログラード]]で[[ボリシェヴィキ]]が武装デモ。[[7月18日]](ユリウス暦[[7月7日]])に[[ロシア臨時政府]]により鎮圧。 * [[1920年]] - [[阪急神戸本線]]・[[阪急伊丹線]]開業。 * [[1935年]] - [[オクラホマ州]][[オクラホマシティ]]に世界初の[[パーキングメーター]]を設置<ref>{{Cite web|url=https://www.history.com/this-day-in-history/worlds-first-parking-meter-installed|title=1935 July 16 World’s first parking meter installed|publisher=THIS DAY IN HISTORY|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * 1935年 - [[林銑十郎]]陸相と[[永田鉄山]]軍務局長が教育総監・[[真崎甚三郎]]を罷免。 * [[1940年]] - [[大日本帝国陸軍|陸軍]]の画策で[[畑俊六]]陸相が辞職し、後任の陸相を陸軍が推挙しなかったため、[[米内内閣]]が総辞職。 * [[1941年]] - [[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[ジョー・ディマジオ]]選手が、メジャーリーグ記録となる56試合連続安打を達成。 * 1941年 - [[第2次近衛内閣]]が総辞職。 * [[1942年]] - [[ホロコースト]]: [[ナチス・ドイツ]]占領下の[[フランス]]で[[ユダヤ人]]13,000人が一斉に検挙される。([[ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件]]) * [[1945年]] - [[マンハッタン計画]]: [[アメリカ合衆国]]が[[ニューメキシコ州]][[アラモゴード]]において、人類初の[[原子爆弾]]の実験に成功。([[トリニティ実験]]) * [[1948年]] - [[キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件]]。[[ハイジャック]]犯が機長・副機長を射殺した結果ハイジャック機が墜落、25名の死者を出す。 * [[1949年]] - [[フェイ台風]]が翌17日にかけて[[九州]]西側をかすめて北上。集中豪雨により死者29人、行方不明13人。全壊家屋150戸、床上浸水2054戸<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=73|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1950年]] - [[1950 FIFAワールドカップ]]の決勝リーグ第3戦が[[リオデジャネイロ]]の[[マラカナン・スタジアム]]で行なわれ、[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]が[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]に2-1で逆転勝ちを決め2度目の優勝を果たす。([[マラカナンの悲劇]]) * 1951年 - [[J・D・サリンジャー]]作の小説『[[ライ麦畑でつかまえて]]』が発刊<ref>{{Cite web|url=https://www.history.com/this-day-in-history/catcher-in-the-rye-is-published|title=1951 July 16 "Catcher in the Rye" is published|publisher=THIS DAY IN HISTORY|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[1957年]] - [[アメリカ海兵隊]]の[[ジョン・ハーシェル・グレン]]が[[F-8 (戦闘機)|F8U]]クルセイダー戦闘機により初の[[超音速]]によるアメリカ大陸横断を実施。3時間23分で[[ロサンゼルス]]から[[ニューヨーク]]までを飛行。 * [[1963年]] - [[名神高速道路]]の[[栗東インターチェンジ|栗東]] - [[尼崎インターチェンジ|尼崎]]が開通。日本初の都市間高速道路([[高速自動車国道]])。 * [[1965年]] - [[イタリア]]と[[フランス]]を結ぶ[[モンブラントンネル]]の開通式。[[7月19日]]に一般への供用を開始。 * [[1969年]] - 世界初の有人月宇宙船「[[アポロ11号]]」打ち上げ。 *[[1971年]] - 7月16日から18日にかけて、[[兵庫県]][[相生市]]や佐用町周辺で局地的な大雨が降る。相生市では河川の増水により橋が流失。土砂災害も相次ぎ、死者19人、重傷者26人の被害となった([[相生豪雨]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/146/|title=昭和46年相生豪雨(1971年)|work=[[Yahoo! JAPAN]] 天気・災害|accessdate=2020-07-18}}</ref>。 * [[1972年]] - [[大相撲]][[名古屋場所]]で[[高見山大五郎]]が優勝(外国出身力士の幕内初優勝)<ref>{{Cite web|和書|url=https://a-value.co.jp/anniversary/nannohi_0716/|title=今日は何の日-Daily-|work=added+value|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[1978年]] - [[ドイツ|西ドイツ]]の[[ボン]]で第4回[[主要国首脳会議]](ボン・サミット)が開幕、会期は[[7月17日]]まで<ref>{{Cite web|url=http://www.g7.utoronto.ca/summit/1978bonn/delegation.html|title=Bonn Summit Delegations|publisher=munk school|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[1979年]] - [[イラク]]大統領[[アフマド・ハサン・アル=バクル]]が辞任を表明し、政権ナンバー2の[[サッダーム・フセイン]]が大統領に就任。 * [[1981年]] - [[マハティール・ビン・モハマド]]が[[マレーシアの首相]]に就任。以降[[2003年]]まで22年間在任。 * [[1987年]] - 福島県のJR東日本・[[会津鉄道会津線|会津線]]が[[第三セクター鉄道]]・[[会津鉄道]]に転換。 * 1987年 - [[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]麓の[[忍野八海]]にてダイバー2人死亡<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=hCkZ909yNzQ|title=忍野八海潜水事故 1987年7月16日/18日/22日|publisher=[[YouTube]]|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[1988年]] - 宮福鉄道宮福線(現在の[[京都丹後鉄道宮福線]])が開通。 * [[1989年]] - [[国道305号#玉川岩盤崩落事故|越前海岸崩落事故]]。[[福井県]][[丹生郡]][[越前町]]玉川の[[国道305号]]線で岩盤が崩落する事故で15人死亡。 * [[1990年]] - [[バギオ大地震]]。 * [[1993年]] - [[神奈川県]][[横浜市]]に[[超高層ビル]]では当時日本一の高さとなる[[横浜ランドマークタワー]]が開業。 * [[1994年]] - この日から[[7月22日]]までの間、多数の破片に分裂した[[シューメーカー・レヴィ第9彗星]]が相次いで[[木星]]に衝突する。 * 1994年 - 1992年から行われた[[青森県]]運動公園の拡張事業に伴う[[三内丸山遺跡]]の大規模発掘調査で、直径約1mものクリの木柱が発見されたことを[[朝日新聞]]が報道。[[吉野ヶ里遺跡]]を5,000年もさかのぼる[[縄文時代|縄文期]]に巨大な建造物の存在した可能性が指摘され、縄文フィーバーのさきがけになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.isan-no-sekai.jp/report/5778|title=特別史跡 三内丸山遺跡(青森県青森市)|work=NPO法人文化遺産の世界|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[1997年]] - [[臓器の移植に関する法律]]公布。 * 1997年 - [[ダウ平均株価]]が8000ドルの大台に達する<ref>{{Cite web|url=https://money.cnn.com/1997/07/16/markets/dow_milestones/index.htm|title=Dow millennium marks |work=CNN MONEY|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[1999年]] - [[ジョン・F・ケネディ]]の長男[[ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア]]が操縦する小型飛行機がロングアイランド沖で墜落。乗っていた3人全員が死亡。 ([[:en:John F. Kennedy, Jr. plane crash]]) * 1999年 - [[上野駅]]と[[札幌駅]]を結ぶ[[夜行列車|夜行寝台特急]]「[[カシオペア (列車)|カシオペア]]」が運転開始。 * 1999年 - [[排気量]]50cc超の[[トライク]]は[[道路運送車両法]]上では側車付二輪車([[サイドカー]])になり、[[道路交通法]]上では[[普通自動車免許]]で運転できることが明確に規定される。 * [[2004年]] - [[性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律|性同一性障害特例法]]が施行。 * [[2007年]] - 午前10時13分、[[マグニチュード]]6.8で[[震度|最大震度]]6強の[[新潟県中越沖地震]]発生。[[柏崎市]]を中心に被害が発生。死者10人、重軽傷者1700人以上。 * [[2008年]] - [[愛知バスジャック事件]]。[[ジェイアール東海バス|JR東海バス]]の名古屋発東京行きの[[高速バス]]を、[[山口県]]在住の少年が[[バスジャック]]。乗客・乗員は全員無事<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080716-OYT1T00430.htm|title=東名高速で中2少年がバスジャック、乗員乗客にけがなしヨ|publisher=[[読売新聞]]|deadlinkdate=2020-07-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080724031326/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080716-OYT1T00430.htm|archivedate=2008-11-24|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[2020年]] - 将棋の[[藤井聡太]]七段が、ヒューリック杯[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]五番勝負の第4局で[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]棋聖に勝利、シリーズ戦績3勝1敗でタイトル奪取に成功し、最年少17歳11カ月でのタイトル獲得に成功した<ref>{{Cite web|和書|url=https://times.abema.tv/articles/-/8615804|title=藤井聡太七段、最年少タイトル獲得に師匠・杉本昌隆八段「この日が来ることを確信していました」と祝福|work=ABEMA TIMES|date=2020-07-16|accessdate=2020-07-16}}</ref>。 * [[2022年]] - この年の[[2022年世界陸上競技選手権大会|世界陸上]]の[[2022年世界陸上競技選手権大会・男子100m|男子100m]]競技において、[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]が日本人選手として初めて決勝に進出し7位に<ref>{{Cite web|和書|title=サニブラウン、歴史の扉開く 世界100決勝の快挙―世界陸上:時事ドットコム |url=https://web.archive.org/web/20220717020529/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022071700151&g=spo |website=時事ドットコム |access-date=2022-07-17 |language=ja}}</ref>。 == 誕生日 == [[ファイル:寝台特急カシオペア Limited Express Cassiopeia (139443641).jpeg|サムネイル|寝台特急「カシオペア」運転開始(1999)]] {{multiple image | footer = [[ルネサンス]]の画家、[[アンドレア・デル・サルト]](1486-1531)誕生。左画像は自画像、右は『アルピエの聖母』(1517) | image1 = Andredelsartoselfportrait.jpeg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = Andrea_del_Sarto_003.jpg | width2 = 160 | alt2 = 『アルピエの聖母』 }} {{multiple image | footer = [[ロココ]]の画家、[[ジョシュア・レノルズ]](1723-1792)誕生。左画像は自画像(1776)、右は『射手たち』(1769-70) | image1 = Joshua_Reynolds_Self_Portrait.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = Joshua_Reynolds%3B_Colonel_Acland_and_Lord_Sydney%2C_%27The_Archers%27%2C_1769.jpg | width2 = 160 | alt2 = 『射手たち』 }} [[Image:Nlc_amundsen.jpg|thumb|120px|探検家[[ロアール・アムンセン]](1872-1928)誕生。人類初の[[南極点]]到達を達成]] {{multiple image | footer = [[位相差顕微鏡]](右画像)を発明した物理学者、[[フリッツ・ゼルニケ]](1888-1963) | image1 = Zernike.jpg | width1 = 100 | alt1 = フリッツ・ゼルニケ | image2 = Phase_contrast_microscope.jpg | width2 = 100 | alt2 = 位相差顕微鏡 | image3 = Brightfield_phase_contrast_cell_image.jpg | width3 = 200 | alt3 = 明視野(左)と位相差(右) }} [[Image:ShoelessJoeJackson.jpg|thumb|100px|[[メジャーリーグベースボール|大リーガー]]、[[ジョー・ジャクソン (野球)|ジョー・ジャクソン]](1889-1951)]] [[Image:Trygve_Lie.jpg|thumb|100px|初代[[国際連合事務総長]]、[[トリグブ・リー]](1896-1968)]] {{multiple image | footer = 第91代日本国内閣総理大臣、[[福田康夫]](1936-) | image1 = Yasuo_Fukuda_as_a_child.jpg | width1 = 100 | alt1 = 幼少時 | image2 = Yasuo_Fukuda_-_World_Economic_Forum_Annual_Meeting_Davos_2008_cropped.JPG | width2 = 100 | alt2 = 2008年 }} * [[1486年]] - [[アンドレア・デル・サルト]]、[[画家]](+ [[1530年]]) * [[1723年]] - [[ジョシュア・レノルズ]]、画家(+ [[1792年]]) * [[1746年]] - [[ジュゼッペ・ピアッツィ]]、[[天文学者]](+ [[1826年]])<ref>{{Cite web|url=https://www.britannica.com/biography/Giuseppe-Piazzi|title=Giuseppe Piazzi|work=Encyclopædia Britannica |accessdate=2020-07-16}}</ref> * [[1773年]] - [[ヨセフ・ユングマン]]、[[言語学者]]、[[詩人]](+ [[1847年]]) * [[1816年]] - [[アントワーヌ・マルモンテル]]、[[ピアニスト]]、[[教育者]]、[[著述家]](+ [[1898年]]) * [[1827年]]([[文政]]10年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[小栗忠順]]、江戸幕府[[勘定奉行]]、[[万延元年遣米使節|万延元年遣米使節団]]監察(+ [[1868年]]) * 1827年(文政10年6月23日) - [[加納宗七]]、[[紀州藩]]の[[御用商人]](+ [[1887年]]) * [[1858年]] - [[ウジェーヌ・イザイ]]、[[指揮者]]、作曲家、ヴァイオリニスト(+ [[1931年]]) * [[1860年]] - [[オットー・イェスペルセン]]、[[言語学者]](+ [[1943年]]) * [[1863年]] - [[ファニー・ブルームフィールド・ツァイスラー]]、[[ピアニスト]](+ [[1927年]]) * [[1872年]] - [[ロアール・アムンセン]]、探検家(+ [[1928年]]) * [[1883年]] - [[チャールズ・シーラー]]、画家、[[写真家]](+ [[1965年]]) * [[1888年]] - [[ジョー・ジャクソン (野球)|ジョー・ジャクソン]]、元[[野球選手]](+ [[1951年]]) * [[1896年]] - [[トリグブ・リー]]、初代国連事務総長(+ [[1968年]]) * [[1900年]] - [[山田無文]]、[[禅僧]](+ [[1988年]]) * [[1906年]] - [[市丸]]、芸者歌手(+ [[1997年]]) * [[1907年]] - [[バーバラ・スタンウィック]]、[[俳優|女優]](+ [[1990年]]) * [[1911年]] - [[ジンジャー・ロジャース]]、女優(+ [[1995年]]) * [[1919年]] - [[崔圭夏]]、[[政治家]]、第10代[[大統領 (大韓民国)|大韓民国大統領]](+ [[2006年]]) * [[1922年]] - [[朝倉摂]]、舞台美術家、[[画家]](+ [[2014年]]) * [[1925年]] - [[フランク・ジョーブ]]、[[整形外科]]医(+ [[2014年]]) * [[1926年]] - [[アーウィン・ローズ]]、[[生物学者]](+ [[2015年]]) * [[1936年]] - [[福田康夫]]、政治家、第91代[[内閣総理大臣]] * 1936年 - [[木之下晃]]、写真家(+ [[2015年]]) * 1936年 - [[伴野朗]]、[[小説家]](+ [[2004年]]) * [[1937年]] - [[加茂さくら]]、女優 * 1937年 - [[西本道則]]、元[[プロ野球選手]] * [[1939年]] - [[鈴木良三 (サッカー選手)|鈴木良三]]、元[[サッカー選手]] * [[1941年]] - [[村瀬広基]]、元プロ野球選手 * [[1942年]] - [[マーガレット・スミス・コート]]、[[テニス]]選手 * 1942年 - [[磯部琇三]]、[[天文学者]](+ [[2006年]]) * 1942年 - [[浮谷東次郎]]、レーサー(+ [[1965年]]) * 1942年 - [[山口富士雄]]、元プロ野球選手 * [[1943年]] - [[桂文枝 (6代目)|六代桂文枝]]、[[落語家]]、[[タレント]] * 1943年 - [[石川鷹彦]]、[[ギタリスト]]、[[アレンジャー]](元[[六文銭 (音楽ユニット)|六文銭]]) * [[1945年]] - [[林みのる]]、[[実業家]] * [[1946年]] - [[古川登志夫]]<ref name="meikan">{{Cite book|和書|title=声優名鑑|page=610|publisher=[[成美堂出版]]|year=1999|isbn=978-4-415-00878-3}}</ref>、[[声優]] * 1946年 - [[浅野碩也]]、実業家 * [[1948年]] - [[ラーシュ・ラーゲルベック]]、元サッカー選手、[[サッカー]]指導者 * 1948年 - [[ピンカス・ズーカーマン]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1949年]] - [[松本隆]]、[[作詞家]] * [[1950年]] - [[山本道子]]、女優 * [[1951年]] - [[ロン・シェーバー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1952年]] - [[市村則紀]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[スチュワート・コープランド]]、ドラマー([[ポリス (バンド)|ポリス]]) * [[1957年]] - [[篠塚和典]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[安田あきえ]]、声優 * 1957年 - [[高橋伸夫 (経営学者)|高橋伸夫]]、[[経営学者]] * [[1958年]] - [[山本精一]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1959年]] - [[古手川祐子]]、女優 * 1959年 - [[中園ミホ]]、[[脚本家]] * 1960年 - [[CHAKA (歌手)|CHAKA]]、歌手 * [[1961年]] - [[高田博久]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[成田幸洋]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[ウベ・ホーン]]、[[やり投]]選手 * [[1963年]] - [[フィービー・ケイツ]]、女優 * [[1964年]] - [[ミゲル・インドゥライン]]、自転車プロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手 * 1964年 - [[市村浩一郎]]、政治家 * [[1965年]] - [[片桐麻美]]、シンガーソングライター * [[1966年]] - [[玉海力剛]]、元大相撲力士 * 1966年 - [[ブルー・デーモン・ジュニア]]、プロレスラー * 1966年 - [[渡辺玲子]]、ヴァイオリニスト * 1966年 - [[松田和久 (野球)|松田和久]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[ウィル・フェレル]]、[[俳優]]、コメディアン * 1967年 - [[大竹秀之]]、バレーボール選手 * [[1968年]] - [[西村秀嗣]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[バリー・サンダース]]、元[[NFL]]選手 * [[1969年]] - [[戦闘竜]]、[[総合格闘家]]、元[[大相撲]][[力士]] * 1969年 - [[上中吉成]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[柿沼康二]]、[[書家]]、アーティスト * [[1971年]] - [[高橋裕 (アナウンサー)|高橋裕]]、[[山口放送]]アナウンサー * 1971年 - [[エヴェリン・グロスマン]]、フィギュアスケート選手 * [[1972年]] - [[児嶋一哉]]、[[お笑いタレント]]、俳優([[アンジャッシュ]]) * [[1973年]] - [[袴田吉彦]]、俳優 * 1973年 - [[山田賢治]]、アナウンサー * [[1974年]] - [[小米良啓太]]、お笑い芸人 * 1974年 - [[今井圭吾]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[井上貴朗]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[橋本大祐]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[塚本まり子]]、モデル(元[[AKB48]]) * [[1977年]] - [[長谷川昌幸]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[新井峰秀]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[白羽玲子|沢村玲子]]、元女優 * 1978年 - [[ひろせまい]]、女優 * 1978年 - [[平井直人]]、サッカー選手 * [[1979年]] - [[戸田康平]]、[[シンガーソングライター]] * 1979年 - [[中村真衣]]、元水泳選 * 1979年 - [[コタニキンヤ.]]、歌手 * 1979年 - [[カジサックの部屋#チームカジサック|山口トンボ]]、作家、元芸人 * 1979年 - [[町田マリー]]、女優 * [[1980年]] - [[鹿島丈博]]、元体操選手 * [[1981年]] - [[白乃波寿洋]]、元大相撲力士 * 1981年 - [[ユッカ・コスキネン]]、ヘヴィメタル・ミュージシャン * [[1982年]] - [[村田洋子]]、元タレント * [[1983年]] - [[白川峻]]、俳優 * 1983年 - [[藤村享平]]、映画監督 * [[1985年]] - [[尾上寛之]]、俳優 * 1985年 - [[若三藤成豊]]、元大相撲力士 * 1985年 - [[日笠陽子]]、声優 * 1985年 - [[藤東知夏]]、声優 * 1985年 - [[デヤン・ヤコヴィッチ]]、サッカー選手 * [[1986年]] - [[植田健]]、俳優 * 1986年 - [[諸見里しのぶ]]、[[プロゴルファー]] * 1986年 - [[宇野実彩子]]、歌手([[AAA (音楽グループ)|AAA]]) * [[1987年]] - [[Aya (Dream)|Aya]]、元歌手、元ダンサー(元[[Dream (音楽グループ)|Dream]]、元[[E-girls]]) * 1987年 - [[シュウペイ]]、お笑いタレント([[ぺこぱ]]) * 1987年 - [[松田まどか]]、女優 * 1987年 - [[ムサ・デンベレ (ベルギーのサッカー選手)|ムサ・デンベレ]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[佐久間信子]]、元女優、元タレント * 1988年 - [[新川織部]]、元サッカー選手 * 1988年 - [[セルヒオ・ブスケツ・ブルゴス|セルヒオ・ブスケッツ]]、サッカー選手[[Image:Sergio Busquets (Spanien - Nationalmannschaft 20091118).jpg |thumb|120px|2009年 [[サッカースペイン代表|スペイン代表]]での[[セルヒオ・ブスケツ・ブルゴス|ブスケッツ]]]] * [[1989年]] - [[田児賢一]]、バドミントン選手 * 1989年 - [[ガレス・ベイル]]、サッカー選手 * [[1990年]] - [[ダレノガレ明美]]、[[ファッションモデル]]、タレント * 1990年 - [[湯川舞]]、[[グラビアアイドル]] * 1990年 - [[溝江明香]]、[[ビーチバレー]]選手 * 1990年 - [[ヨハン・ザルコ]]、オートバイレーサー * 1990年 - [[車永煥]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ヴィック・バラード]]、アメリカンフットボール選手 * 1990年 - [[ラトカ・バールトヴァー]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[グラント・ホッホスタイン]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[松本翼]]、元俳優 * 1991年 - [[木下稜介]]、プロゴルファー * 1991年 - [[トミー・ジョゼフ]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[アンドロス・タウンゼント]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[ジョアン (タレント)|ジョアン・ヤマザキ]]、タレント * 1992年 - [[山田哲人]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[八木かなえ]]、ウェイトリフティング選手 * 1992年 - [[中尾真亜理]]、[[日本海テレビ]]アナウンサー * 1992年 - [[進藤拓也]]、元プロ野球選手 * [[1993年]] - [[松田利冴]]、声優 * 1993年 - [[宮之原健]]、元プロ野球選手 * [[1994年]] - [[マーク・インデリカート]]、俳優 * 1994年 - [[清水くるみ]]、女優 * 1994年 - [[茜屋日海夏]]<ref name="profile">{{Cite web|和書|date=|url=http://iris.dive2ent.com/profile/member.php?id=1000227|title= 茜屋 日海夏| i☆Ris OFFICIAL WEB SITE|work=|author=|publisher=|accessdate=2020-11-23}}</ref>、声優、歌手 * [[1995年]] - [[田村和希]]、陸上選手 * [[1996年]] - [[藤井夏恋]]、歌手、ダンサー、[[ファッションモデル]]([[Happiness (グループ)|Happiness]]、元[[E-girls]]) * 1996年 - [[渡邉剣]]、俳優 * [[1998年]] - [[松野莉奈]]、アイドル、モデル、女優([[私立恵比寿中学]])(+ [[2017年]]) * 1998年 - [[勝南桜聡太]]、元大相撲力士(史上最弱力士) * 1998年 - [[平田梨奈]]、グラビアアイドル(元AKB48)<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/1000092911/|title=平田梨奈|work=[[ザテレビジョン]] 週刊アベマ|accessdate=2020-07-16}}</ref> * [[1999年]] - [[小野寺晃良]]、俳優 * 1999年 - [[吉越拓矢]]、俳優 * [[2000年]] - [[早川渚紗]]、グラビアアイドル([[Pimm's]]) * [[2003年]] - [[長野凌大]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.stardust.co.jp/talent/section3/naganoryouta/ |title=STARDUST - 制作3部 - 長野凌大のプロフィール|accessdate=2021年1月13日|publisher=|ウェブサイト=スターダスト オフィシャルサイト}}</ref>、俳優、歌手([[原因は自分にある。]]) * 生年不明 - [[石川桃子]]、声優 *生年不明 - [[佐藤奏美]]、声優  * 生年不明 - [[黒猫 (ボーカリスト)|黒猫]]、歌手([[陰陽座]]) * 生年不明 - サアヤイト、アイドル([[WAgg]]) == 忌日 == {{multiple image | footer = 第91代天皇、[[後宇多天皇]](1267-1324)没。 | image1 = Emperor_Go-Uda2.jpg | width1 = 100 | alt1 = 後宇多天皇 | image2 = %E5%BE%8C%E5%AE%87%E5%A4%9A%E5%A4%A9%E7%9A%87%E9%99%B5-01.jpg | width2 = 140 | alt2 = 後宇多天皇陵 }} {{multiple image | footer = ハンガリー王[[カーロイ1世 (ハンガリー王)|カーロイ1世]](1288-1342)没 | image1 = Chronicon_Pictum_I_Karoly_Robert.jpg | width1 = 60 | alt1 = カーロイ1世 | image2 = Budapest_Heroes_square_K%C3%A1roly_Robert.jpg | width2 = 80 | alt2 = 彫像 }} [[Image:Yoshimoto_Nijo.jpg|thumb|140px|公家、[[二条良基]](1320-1388)没。[[連歌]]の大成者]] {{Double image aside|right|Andreas_Gryphius.jpg|100|Hotteterre.jpg|100|[[バロック文学|バロック]]の詩人[[アンドレアス・グリューフィウス]](1616-1664)没。|[[バロック音楽|バロック]]の作曲家・フルート奏者、[[ジャック・オトテール]](1674-1763)。{{audio|Jacques Hotteterre - Suite in D.ogg|ニ長調組曲を聴く}}}} {{multiple image | footer = 作家[[ハインリヒ・ベル]](1917-1985)没。 | image1 = Heinrich_boell.jpg | width1 = 80 | alt1 = 彫像 | image2 = Grab-hboell.jpg | width2 = 80 | alt2 = 墓 }} {{multiple image | footer = [[板垣退助]](1837-1919)没。 | image1 = ITAGAKI Taisuke.jpg | width1 = 100 | alt1 = 板垣退助 | image2 = Distress_of_Itagaki_Taisuke_by_Utagawa_Toyonobu_1882.png | width2 = 200 | alt2 = 暗殺未遂 }} {{multiple image | caption1 = [[免疫系]]研究の先駆者、微生物学者[[イリヤ・メチニコフ]](1845-1916) | image1 = Illya_Mechnikov.JPG | width1 = 100 | alt1 = イリヤ・メチニコフ | caption2 = ドイツの軍人[[アルベルト・ケッセルリンク]](1881-1960) | image2 = Bundesarchiv_Bild_183-R93434%2C_Albert_Kesselring.jpg | width2 = 100 | alt2 = アルベルト・ケッセルリンク }} [[Image:Tony_Tani_and_Ken%27ichi_Enomoto%2C_around_1950.JPG|thumb|upright|[[ヴォードヴィリアン]]、[[トニー谷]](左; 1917-1987)]] {{multiple image | footer = 指揮者[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]](1908-1989) | image1 = Bundesarchiv_Bild_183-S47421%2C_Herbert_von_Karajan.jpg | width1 = 80 | alt1 = 譜面を読むカラヤン | image2 = Bundesarchiv_Bild_183-R92264%2C_Herbert_von_Karajan.jpg | width2 = 140 | alt2 = 指揮するのカラヤン }} {{multiple image | caption1 = 量子電磁気学に大きく寄与した理論物理学者[[ジュリアン・シュウィンガー]](1918-1994) | image1 = Schwinger.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジュリアン・シュウィンガー | caption2 = [[ジョン・F・ケネディ]]の長男、[[ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア]](画像; 1960-1999)と妻[[キャロリン・ベセット=ケネディ]]事故死 | image2 = JFKJr2.jpg | width2 = 100 | alt2 = ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア }} === 人物 === * [[947年]]([[天暦]]元年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]])- [[藤原忠文]]、[[平安時代]]の公卿(* [[873年]]) * [[1216年]] - [[インノケンティウス3世]]、第[[176]]代[[ローマ教皇]](* [[1216年]]) * [[1225年]]([[嘉禄]]元年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[大江広元]]、初代[[鎌倉幕府]][[政所]][[別当]](* [[1148年]]) * [[1312年]]([[正和]]元年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[北条宗宣]]、第11代[[鎌倉幕府]][[執権]](* [[1259年]]) * [[1324年]]([[元亨]]4年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - [[後宇多天皇]]、第91代[[天皇]](* [[1267年]]) * [[1342年]] - [[カーロイ1世 (ハンガリー王)|カーロイ1世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王(* [[1288年]]) * [[1388年]]([[嘉慶 (日本)|嘉慶]]2年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[二条良基]]、[[公卿]]、[[歌人]]、[[菟玖波集]]撰者(* [[1320年]]) * [[1565年]]([[永禄]]8年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[伊達稙宗]]、[[陸奥国]]の[[戦国大名]](* [[1488年]]) * [[1637年]]([[寛永]]14年[[5月24日 (旧暦)|5月24日]]) - [[松浦隆信 (平戸藩主)|松浦隆信]]、第3代[[平戸藩|平戸藩主]](* [[1592年]]) * [[1663年]] - [[ヴィルヘルム6世 (ヘッセン=カッセル方伯)|ヴィルヘルム6世]]、[[ヘッセン=カッセル方伯領|ヘッセン=カッセル方伯]](* [[1629年]]) * [[1664年]] - [[アンドレアス・グリューフィウス]]、[[詩人]]、[[劇作家]](* [[1616年]]) * [[1691年]] - [[フランソワ=ミシェル・ル・テリエ]]、[[フランス王国|フランス]]陸相(* [[1641年]]) * [[1706年]]([[宝永]]3年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[山内豊房]]、第5代[[土佐藩|土佐藩主]](* [[1672年]]) * [[1729年]] - [[ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン]]、[[作曲家]](* [[1683年]]) * [[1732年]] - [[ウッズ・ロジャーズ]]、[[私掠船]]船長・初代[[バハマ総督]](* [[1679年]])<ref>{{Cite web|url=https://www.britannica.com/biography/Woodes-Rogers|title=Woodes Rogers|work=Encyclopædia Britannica |accessdate=2020-07-16}}</ref> * [[1740年]] - [[マリア・アンナ・フォン・プファルツ=ノイブルク|マリア・アンナ]]、[[スペイン]]王[[カルロス2世 (スペイン王)|カルロス2世]]の妃(* [[1667年]]) * [[1763年]] - [[ジャック・オトテール]]、作曲家(* [[1674年]]) * [[1782年]] - [[ルイーゼ・ウルリーケ・フォン・プロイセン|ロヴィーサ・ウルリカ]]、[[スウェーデン]]王[[アドルフ・フレドリク (スウェーデン王)|アドルフ・フレドリク]]の妃(* [[1720年]]) * [[1829年]]([[文政]]12年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[近藤重蔵]]、[[探検家]](* [[1771年]]) * [[1872年]]([[明治]]5年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]) - [[長岡謙吉]]、元[[海援隊]]隊士(* [[1834年]]) * [[1873年]] - [[近衛忠房]]、[[江戸時代]]の公卿(* [[1838年]]) * [[1882年]] - [[メアリー・トッド・リンカーン]]、第16代[[アメリカ合衆国大統領]][[エイブラハム・リンカーン]]の夫人(* [[1818年]]) * [[1893年]] - [[アントニオ・ギスランツォーニ]]、[[オペラ]][[台本]]作家(* [[1824年]]) * [[1916年]] - [[イリヤ・メチニコフ]]、[[微生物]]学者(* [[1845年]])<ref>{{Cite web|url=https://www.britannica.com/biography/Elie-Metchnikoff|title=Élie Metchnikoff|work=Encyclopædia Britannica |accessdate=2020-07-16}}</ref> * [[1917年]] - [[桂文三 (3代目)]]、[[落語家]](* [[1858年]]) * [[1919年]] - [[板垣退助]]、[[土佐藩]]士、政治家、[[自由民権運動]]の指導者<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p04.html|title=板垣退助暗殺未遂事件~「板垣死すとも自由は死せず」~|work=知っていましたか?近代日本のこんな歴史|publisher=国立公文書館 アジア歴史資料センター|accessdate=2020-07-16}}</ref>(* [[1837年]]) * [[1930年]] - [[エクトール・リゴー]]、[[司祭]]、[[書誌]]研究家(* [[1841年]]) * [[1960年]] - [[アルベルト・ケッセルリンク]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[元帥]](* [[1881年]]) * [[1962年]] - [[テオドール・リット]]、[[教育学者]]、[[哲学|哲学者]](* [[1880年]]) * [[1969年]] - [[アンドレ・ルーチス]]、[[プロボクサー]](* [[1900年]]) * 1969年 - [[井植歳男]]、[[実業家]]、[[三洋電機]][[創業者]](* [[1902年]]) * [[1973年]] - [[石井照久]]、[[法学者]](* [[1906年]]) * [[1976年]] - [[山下登]]、元[[プロ野球選手]](* [[1934年]]) * [[1978年]] - [[中島武市]]、[[政治家]]、実業家(* [[1897年]]) * [[1981年]] - [[四家文子]]、[[歌手]](* [[1906年]]) * [[1983年]] - [[セルゲイ・チャリバシビリ]]、[[飛込競技#高飛び込み|高飛び込み]]選手(* [[1962年]]) * [[1985年]] - [[岩切章太郎]]、実業家、[[宮崎交通]]創業者(* [[1893年]]) * 1985年 - [[ハインリヒ・ベル]]、[[小説家]](* [[1917年]]) * [[1987年]] - [[トニー谷]]、[[コメディアン]](* [[1917年]]) * [[1988年]] - [[澤井健一]]、[[武道|武道家]]、[[太気拳]]創始者(* [[1903年]]) * [[1989年]] - [[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]、[[指揮者]](* [[1908年]]) * [[1993年]] - [[小川平二]]、元[[労働大臣]]、[[自治大臣]]、[[文部大臣]](* [[1910年]]) * [[1994年]] - [[ジュリアン・シュウィンガー]]、[[物理学者]](* [[1918年]]) * [[1997年]] - [[近藤正雄]]、プロ野球選手(* [[1922年]]) * [[1998年]] - [[奥田敬和]]、元[[郵政大臣]]、自治大臣、[[運輸大臣]](* [[1927年]]) * [[1999年]] - [[アンドレ・マルティネ]]、[[言語学者]](* [[1908年]]) * 1999年 - [[高柳先男]]、[[政治学者]](* [[1937年]]) * 1999年 - [[ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア]]、[[雑誌]][[編集長]](* [[1960年]]) * 1999年 - [[キャロリン・ベセット=ケネディ]]、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアの夫人(* [[1966年]]) * 1999年 - [[柳原尋美]]、アイドル(* [[1979年]]) * [[2000年]] - [[ウィリアム・フート・ホワイト]]、[[社会学者]](* [[1914年]]) * 2000年 - [[森下重好]]、元プロ野球選手(* [[1920年]]) * [[2001年]] - [[テリー・ゴディ]]、プロレスラー(* [[1961年]]) * [[2002年]] - [[ジョン・コック]]、[[情報工学|情報工学者]](* [[1925年]]) * [[2004年]] - [[平野龍一]]、法学者(* [[1920年]]) * 2004年 - [[中野孝次]]、[[ドイツ文学者]]、[[評論家]](* [[1925年]]) * 2004年 - [[石川真澄]]、[[ジャーナリスト]](* [[1933年]]) * 2004年 - [[天野守信]]、[[合唱指揮者]](* [[1938年]]) * [[2005年]] - [[扇畑忠雄]]、[[歌人]](* [[1911年]]) * 2005年 - [[馬渕健一]]、実業家、[[マブチモーター]]創業者(* [[1922年]]) * 2005年 - [[山田俊雄]]、[[日本語学者|国語学者]](* [[1922年]]) * 2005年 - [[ジョン・オストロム]]、[[古生物学者]](* [[1928年]]) * 2005年 - [[李玖]]、[[李王家]]当主(* [[1931年]]) * [[2006年]] - [[ボブ・オートン]]、プロレスラー(* [[1929年]]) * [[2012年]] - [[ジョン・ロード]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1941年]]) * [[2014年]] - [[ジョニー・ウィンター]]、ミュージシャン(* [[1944年]]) * [[2015年]] - [[アルシデス・ギジャ]]、[[サッカー]]選手(* [[1926年]]) * [[2016年]] - [[ネイト・サーモンド]]、[[バスケットボール]]選手(* [[1941年]]) * 2016年 - [[大場隆広]]<ref>{{Cite news|title=大場隆広さん死去 中日、近鉄、南海でプレー|newspaper=日刊スポーツ|date=2016-7-17|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1680104.html|accessdate=2020-12-1}}</ref>、元プロ野球選手(* [[1948年]]) * [[2017年]] - [[ジョージ・A・ロメロ]]<ref>{{Cite web|和書|author=入倉功一 |date=2017-07-17 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0092985 |title=ゾンビ映画の父ジョージ・A・ロメロ監督が死去 77歳 肺がんのため |publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2020-11-13}}</ref>、映画監督(* [[1940年]]) * [[2020年]] - [[森﨑東]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20200717/15/|title=森崎東監督死去 92歳 : 映画ニュース|publisher=映画.com|date=2020-07-17|accessdate=2020-12-17}}</ref><ref>{{Cite news2|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61630570X10C20A7000000/|title=森崎東さんが死去 映画監督「時代屋の女房」|newspaper=日経電子版|agency=日本経済新聞社|date=2020-07-17|accessdate=2020-11-04}}</ref>、映画監督(* [[1927年]]) * [[2021年]] - [[酒井政利]]<ref>{{Cite web2|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20210719-OYT1T50103/|title=音楽プロデューサー・酒井政利さん死去…アイドル歌謡曲の全盛期リード|newspaper=読売新聞オンライン|agency=読売新聞社|date=2021-07-19|accessdate=2021-07-19}}</ref>、[[音楽プロデューサー]](* [[1935年]]) * [[2022年]] - [[若乃花幹士 (2代)|若乃花幹士]]、大相撲第56代横綱、年寄18代[[間垣]](* [[1953年]]) === 人物以外(動物など) === * 2002年 - [[エルコンドルパサー]]、[[種牡馬]](* [[1995年]]) * 2008年 - [[カッタくん]]、日本初の人工孵化によって誕生した[[モモイロペリカン]](* [[1985年]]) == 記念日・年中行事 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} * [[お盆|盆]]送り火({{JPN}}) *: 盆の最終日。[[7月13日]]に迎えた祖先の霊を送り出す。焚いた送り火の煙に乗って帰るとされている。 * [[国土交通Day]]({{JPN}}、[[2000年]] - ) * [[海の日]]({{JPN}}、[[2007年]]・[[2012年]]・[[2018年]])※7月の第3月曜日 * [[駅弁]]記念日({{JPN}}) *: [[1885年]]のこの日に開業した日本鉄道の[[宇都宮駅]]で、日本初の駅弁が発売されたとされていたことにちなむ。この日とは別に[[4月10日]]が「駅弁の日」になっている。 * [[虹]]の日({{JPN}}) *: デザイナーの山内康弘が、「人と人、人と自然、世代と世代が虹のようにつながる日に」と制定。「なな(7)い(1)ろ(6)」(七色)の語呂合せ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.716nijinohi.com/ |title=「虹の日」公式サイト |accessdate=2021-7-7}}</ref>。 * [[長瀞]]観光の日({{JPN}}) *: 長瀞町の良さを広め、より多くの人に訪れてもらおうと、[[埼玉県]][[秩父郡]][[長瀞町]]の長瀞町観光協会が制定。日付は、「なが(7)と(10)ろ(6)の語呂合わせから<ref name="An716">{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=26|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * [[からし]]の日({{JPN}}) *: 代表的な[[香辛料]]であるからしの認知度を高め、その豊かな活用方法を広めようと、日本からし協同組合が制定。日付は、からし協同組合の前身である全国芥子粉工業協同組合が設立された[[1957年]]7月16日から<ref name="An716"/>。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0716|date=2011年6月}} * 1917年 - 月曜日、スタイルズ・セント・メアリ村の[[公会堂]]で[[バザー]]の余興の演芸会が開かれる。(小説『[[スタイルズ荘の怪事件]]』第2章<ref>第1章で[[アーサー・ヘイスティングズ]][[大尉]]が[[第一次世界大戦]]の負傷で後送されたとあるので1917年のこととなる。</ref>) * 1947年(昭和22年)- 矢代寸兵夫妻が神山東洋夫妻と土居光一とともにN県の歌川多門邸に到着(小説『[[不連続殺人事件]]』第2章) * 1982年(映画では1988年)- AKIRAが覚醒、第三次世界大戦の引き金となる。(漫画・アニメ『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』) * 802701年 - 時間旅行者がエロイとモーロックの世界を目にする。(小説『[[タイム・マシン (小説)|タイム・マシン]]』、『[[タイム・シップ]]』) === 誕生日(フィクション) === * 2283年 - 紅麗美 、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/remi.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:チャイナの麗美|date=20100923090908}}</ref> * 生年不明 - 石戸霞、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=石戸 霞(いわと かすみ) |work=咲-Saki- |accessdate=2020-07-16 |publisher=小林立公式サイト}}</ref> * 生年不明 - エリシュカ、漫画・アニメ『[[カーニヴァル (漫画)|カーニヴァル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 上島ケイ、漫画・アニメ『[[神様はじめました]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 七城那波、小説・アニメ『[[乃木坂春香の秘密]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://d-game.dengeki.com/haruka/psp/chara/index.html |title=七城 那波 |access-date=2022-09-20 |publisher=乃木坂春香の秘密 同人誌はじめました}}</ref> * 生年不明 - 但馬みえ、キャラクターコンテンツ『[[鉄道むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tateishi_aoba|1507855163721232386}}</ref> * 生年不明 - ラーラ・チャイコスカヤ、アニメ『[[TIGER & BUNNY]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tigerandbunny.net/TB2/character/people.php?id=9 |title=ラーラ・チャイコスカヤ |access-date=2022-09-20 |publisher=BNP/T&B2 PARTNERS |work=TIGER & BUNNY2}}</ref> * 生年不明 - 王子真之介 『[[味楽る!ミミカ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 八神玲名、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2022-09-20}}</ref> * 生年不明 - [[セルフィ・ティルミット]]、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVIII]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|finalfantasyjp|1548140364489302016}}</ref> * 生年不明 - 岡崎泰葉、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20036 |title=岡崎 泰葉(おかざき やすは) |access-date=2022-09-20 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 大谷桃子、ゲーム・アニメ『[[フォトカノ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://photokano.jp/subcharacter09.html |title=大谷桃子 |access-date=2022-09-20 |publisher=フォトカノ}}</ref> * 生年不明 - きっつん、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.showbyrock.com/character/LB010.html |title=【ウワサノペタルズ】きっつん |access-date=2022-09-20 |publisher=SHOW BY ROCK!! Official Web Site}}</ref> * 生年不明 - 虹ヶ丘ましろ、アニメ『[[ひろがるスカイ!プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>[https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure/character/chara2.php キュアプリズム/虹ヶ丘ましろ(にじがおか ましろ) | ひろがるスカイ!プリキュア | 東映アニメーション]</ref>。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 16|16 July}} {{新暦365日|7|15|7|17|[[6月16日]]|[[8月16日]]|[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]|0716|7|16}} {{1年の月と日}}
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5,608
7月14日
7月14日(しちがつじゅうよっか、しちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から195日目(閏年では196日目)にあたり、年末まであと170日ある。
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7月14日(しちがつじゅうよっか、しちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から195日目(閏年では196日目)にあたり、年末まであと170日ある。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{カレンダー 7月}} '''7月14日'''(しちがつじゅうよっか、しちがつじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から195日目([[閏年]]では196日目)にあたり、年末まであと170日ある。 == できごと == [[Image:Coronation_of_Louis_VIII_and_Blanche_of_Castile_1223.jpg|thumb|100px|フランス王[[ルイ8世 (フランス王)|ルイ8世]]即位(1223)]] [[ファイル:Prise de la Bastille.jpg|thumb|200px|[[バスティーユ襲撃]](1789)、[[フランス革命]]の勃発。画像は{{仮リンク|ジャン=ピエール・ウエル|fr|Jean-Pierre Houël}}画『バスティーユ襲撃』(1789)]] [[ファイル:Debret - Premiere distribution des decorations de la Legion d'honneur.jpg|thumb|right|[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]による初の[[レジオンドヌール勲章]]授与(1804)。画像は{{仮リンク|ジャン=バティスト・ドブレ|fr|Jean-Baptiste Debret}}画]] {{multiple image | caption1 = [[マシュー・ペリー]]らが[[久里浜]]に上陸(1853) | image1 = Gasshukoku suishi teitoku kōjōgaki (Oral statement by the American Navy admiral).png | width1 = 120 | alt1 = マシュー・ペリー | caption2 = [[マッターホルン]]初登頂(1865)。画像は[[ギュスターヴ・ドレ]]画 | image2 = Matterhorn ascent Dore.jpg | width2 = 90 | alt2 = マッターホルン }} {{multiple image | footer = 火星探査機[[マリナー4号]](1965)、[[火星]]に最接近。右画像は15日にマリナー4号が撮影した火星 | image1 = Mariner_3_and_4.jpg | width1 = 100 | alt1 = マリナー4号 | image2 = Mars_%28Mariner_4%29.jpg | width2 = 100 | alt2 = マリナー4号が撮影した火星 }} {{multiple image | footer = [[386BSD]] 0.1(1992)、[[オープンソース]]でリリース。左画像は386BSD 1.0のインストーラ、右は[[UNIX系|UNIXライクOS]]の系譜図 | image1 = 386BSD_installer_screenshot.png | width1 = 100 | alt1 = 386BSD 1.0インストーラのスクリーンショット | image2 = Unix_history-simple.svg | width2 = 100 | alt2 = UNIXライクOSの系譜図。386BSD 1.0がオープン系の源流となっている }} [[Image:Tokyo_Sky_Tree_under_construction_20100330-1.jpg|thumb|150px|[[東京スカイツリー]]]] * [[756年]]([[至徳 (唐)|至徳]]元載/[[聖武 (安禄山)|聖武]]元年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[安史の乱]]: [[安禄山]]らの蜂起により[[唐]]の皇帝[[玄宗 (唐)|玄宗]]が[[楊貴妃]]を伴って都落ち。 * [[794年]]([[延暦]]13年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[桓武天皇]]の命を受けた[[坂上田村麻呂]]が蝦夷征討に出発。 * [[1242年]]([[仁治]]3年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[北条泰時]]の死去に伴い、孫の[[北条経時]]が[[鎌倉幕府]]第4代[[執権]]に就任。 * [[1223年]] - [[フランス王国|フランス]]国王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]が死去。長男の[[ルイ8世 (フランス王)|ルイ8世]]が国王に即位。 * [[1789年]] - [[フランス革命]]: [[パリ]]の民衆が[[バスティーユ牢獄]]を[[バスティーユ襲撃|襲撃・占領]]、政治犯を解放。[[フランス革命]]の勃発。 * [[1790年]] - フランスで{{仮リンク|連盟祭|fr|fête de la Fédération}}開催。[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]が憲法への忠誠を誓う。現在の建国記念日(パリ祭)はバスティーユ襲撃ではなくこの連盟祭を記念している。 * [[1795年]] - 「[[ラ・マルセイエーズ]]」がフランスの国歌となる。{{audio|La Marseillaise.ogg|聴く}} * [[1804年]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]が、[[オテル・デ・ザンヴァリッド|廃兵院]]にて初の[[レジオンドヌール勲章]]授与を行う。 * [[1843年]]([[天保]]14年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]])- [[新潟市|新潟]]が[[天領]]とされて[[遠国奉行#新潟奉行|新潟奉行]]が設置され、[[川村修就]]が任命される。 * 1853年 - [[ニューヨーク万国博覧会 (1853年)|ニューヨーク万国博覧会]]開幕、会期は翌年の[[11月1日]]まで。 * [[1865年]] - [[マッターホルン]]が[[エドワード・ウィンパー]]らにより初登頂<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.zermatt.ch/jp/zermatt-matterhorn/destination/matterhorn|title=山の王者マッターホルン|website=Zermatt Tourismus|accessdate=2020-08-27}}</ref>。 * [[1867年]] - [[アルフレッド・ノーベル]]が[[ダイナマイト]]を発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/56229|title=7月14日 A・ノーベルがダイナマイトを発明(1867年)|work=ブルーバックス編集部|publisher=[[講談社]]|date=2018-07-14|accessdate=2020-08-27}}</ref>。 * 1867年([[慶応]]3年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[浦上四番崩れ]]。[[長崎奉行]]がキリシタン68人を捕える。 * [[1879年]] (明治12年) - 日本で初めての伝染病予防の法令「海港虎列刺病([[コレラ]]病)伝染予防規則」が公布される。のちの1961年に厚生省と日本検疫衛生協会が7月14日を検疫記念日とする。 * [[1881年]] - [[ビリー・ザ・キッド]]が、友人でもあった[[保安官]][[パット・ギャレット]]により射殺される。 * [[1889年]] - パリで[[第二インターナショナル]]が結成される。 * 1899年 - [[アクレ州]]が[[ボリビア]]からの独立を宣言。アクレ州とボリビアとの紛争は[[ブラジル]]の介入を招き、アクレ州は[[1903年]]にブラジル領となる。 * [[1903年]] - [[広島県]][[仁方町|仁方村]]で[[集中豪雨]]により[[土石流]]が発生、死者22人<ref>「仁方町政の展開」『呉市史 第6巻』pp.1092 昭和63年3月31日 市史編纂委員会</ref>。 * [[1908年]] - 日本で[[桂太郎]]が第13代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第2次桂内閣]]が発足。 * [[1909年]] - [[テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク]]が[[ドイツ国首相|ドイツ帝国宰相]]に就任。 * [[1917年]] - [[ゲオルク・ミヒャエリス]]がドイツ帝国宰相に就任。 * [[1920年]] - [[中華民国]]で北洋軍閥同士の戦争が起こる([[安直戦争]])。 * [[1933年]] - [[強制的同一化]]: [[ドイツ]]で[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]以外の政治政党が禁止される。 * [[1939年]] - [[日比谷公会堂]]、山王台などで反英市民大会が開催される。出席者は3万人を数え、[[駐日英国大使館]]に向けてデモ行進も行われた<ref>市民三万、英国大使館にデモ行進『東京日日新聞』(昭和14年7月15日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p669 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]・[[日本本土空襲]]: [[アメリカ海軍]][[空母]][[艦載機]]による[[北海道空襲]]。 * [[1948年]] - [[イタリア共産党]]書記長[[パルミーロ・トリアッティ]]が狙撃される。 * [[1958年]] - [[7月14日革命]]。[[イラク王国|イラク]]で[[アブド・アル=カリーム・カーシム|アブドゥル・カリム・カースィム]]率いるアラブ民族主義者らによる[[クーデター]]が起き、王政が打倒され、共和国が樹立される。 * [[1958年]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]にて日本初の国産[[テレビアニメ]]である「[[もぐらのアバンチュール]]」が放送される。 * [[1959年]] - [[熊本大学]]が、[[水俣病]]の病因を[[水銀|有機水銀]]にほぼ絞り厚生省へ通達。 * [[1960年]] - [[内閣総理大臣]]の[[岸信介]]が、[[池田勇人]]の[[自由民主党総裁|自民党総裁]]就任祝賀会から出てきたところを暴漢に襲われ重傷を負う<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nippon.com/ja/japan-topics/today0714/|title=今日は何の日:7月14日|work=nippon.com|accessdate=2020-08-27}}</ref>。 * [[1962年]] - [[熊本県]][[球磨村]]の[[球磨川]]で遊覧船が転覆。9人が死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=162 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1964年]] - [[東京都]][[品川区]]勝島で、株式会社宝組の[[ニトロセルロース]]蓄積倉庫から出火。爆発を伴う火災により倉庫の壁が崩れ、下敷きになった消防職員18人、消防団員1人が死亡。負傷158人の惨事が起きる。([[品川勝島倉庫爆発火災]]) * [[1965年]] - アメリカの火星探査機[[マリナー4号]]が[[火星]]に最接近。史上初めて地球以外の惑星表面の撮影に成功。 * [[1967年]] - [[タカラトミー|タカラ(現:タカラトミー)]]が[[着せ替え人形]]「[[リカちゃん]]人形」を発売。 * 1967年 - 「[[世界知的所有権機関]] (WIPO) を設立する条約」が[[ストックホルム]]で調印。 * [[1968年]] - [[プラハの春]]: ワルシャワ会談が行われる。 * [[1969年]] - [[サッカー戦争]]: [[エルサルバドル]]軍が[[ホンジュラス]]に侵攻。 * 1969年 - アメリカ合衆国で500[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]、1,000ドル、5,000ドル、10,000ドル紙幣が流通停止となる<ref>{{Cite web|url=https://www.federalreserve.gov/faqs/currency_12600.htm#:~:text=On%20July%2014%2C%201969%2C%20the%20Federal%20Reserve%20and,printed%20in%201945.%20Last%20Update%3A%20August%2018%2C%202015|title=Which denominations of currency does the Federal Reserve issue?|website=Board of Governors of the Federal Reserve System|accessdate=2020-08-27|language=en}}</ref>。 * [[1971年]] - [[パプアニューギニア]]で[[マグニチュード]](Mw)8.3の地震が発生し2人が死亡。[[7月26日|26日]]にもMw 8.0の大きな余震が発生。 * [[1977年]] - 日本初の[[気象衛星]]「[[ひまわり (気象衛星)|ひまわり(初代)]]」が米[[フロリダ州]]の[[ケネディ宇宙センター]]から打ち上げられる。 * [[1982年]] - [[スタニスラフ・レフチェンコ|レフチェンコ]][[ソ連国家保安委員会|KGB]][[少佐]]が米下院の秘密聴聞会で工作活動を暴露。([[レフチェンコ事件]]) * [[1985年]] - 北海道の国鉄[[興浜南線]]がこの日の営業を最後に廃止。 * [[1989年]] - パリで第15回[[主要国首脳会議]](アルシュ・サミット)が開幕、会期は[[7月16日]]まで。 * [[1992年]] - [[ウィリアム・ジョリッツ]]・[[リン・ジョリッツ]]夫妻が[[UNIXライク]][[オペレーティングシステム|OS]]である[[386BSD]] 0.1をリリース。[[オープンソース]]OSのさきがけとなる。 * [[1998年]] - [[趙治勲]]が[[本因坊]]戦10連覇を達成する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nihonkiin.or.jp/match/honinbo/053.htm|title=第53期 本因坊戦|website=日本棋院|accessdate=2020-08-27}}</ref>。 * [[2005年]] - 第7回[[ワールドゲームズ]]が[[ドイツ]]の[[デュースブルク]]で開幕、会期は[[7月24日]]まで。 * [[2007年]] - [[ロシア]]が[[ヨーロッパ通常戦力条約]]の履行を停止する大統領令に署名したと発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2253560|title=ロシア、欧州通常戦力条約の履行停止|website=AFP BB NEWS|accessdate=2020-08-27|date2007-07-15}}</ref>。 * [[2008年]] - [[東京スカイツリー]]起工式典が行われる。 * [[2015年]] - [[冥王星]]探査機「[[ニュー・ホライズンズ]]」が冥王星に最接近<ref>{{Cite web|和書|date=2015-07-15 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3054512 |title=米探査機、冥王星に最接近 「歓喜の瞬間」 |publisher=AFPBB News |accessdate=2020-08-27}}</ref>。 * [[2016年]] - [[ニース]]で[[2016年ニーストラックテロ事件|トラックテロ事件]]が起きる<ref>{{Cite web|和書|date=2016年7月15日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3094016 |title=仏ニースで歩道にトラック突入、70人超死亡 テロ事案として捜査 |publisher=AFPBB News |accessdate=2020-08-27}}</ref>。 {{-}} == 誕生日 == {{multiple image | footer = [[婦人参政権]]に尽力した政治運動家、[[エメリン・パンクハースト]](1858-1928)誕生 | image1 = Emmeline_Pankhurst2.jpg | width1 = 100 | alt1 = エメリン・パンクハースト | image2 = Emmeline_Pankhurst_adresses_crowd.jpg | width2 = 140 | alt2 = 演説するエメリン・パンクハースト }} {{multiple image | footer = 画家[[グスタフ・クリムト]](1862-1918)誕生。右画像は『接吻』(1908) | image1 = Klimt.jpg | width1 = 100 | alt1 = グスタフ・クリムト | image2 = The Kiss - Gustav Klimt - Google Cultural Institute.jpg | width2 = 100 | alt2 = 接吻1908年製作 }} {{multiple image | footer = 彫刻家[[オシップ・ザッキン]](1890-1967)誕生。左画像は代表作『破壊された都市』(1951–53)、右画像は『オルフェウス』(1956) | image1 = Ossip Zadkine 2007 01.JPG | width1 = 110 | alt1 = 『破壊された都市』 | image2 = Ossip_Zadkine-Grosser_Orpheus.jpg | width2 = 90 | alt2 = 『オルフェウス』 }} {{Double image aside|right|Woody_Guthrie.jpg|100|Ingmar_Bergman_Smultronstallet.jpg|100|フォーク歌手[[ウディ・ガスリー]](1912-1967)|映画監督[[イングマール・ベルイマン]](1918-2007)}} [[Image:Gerald_Ford.jpg|thumb|100px|アメリカ合衆国第38代大統領[[ジェラルド・R・フォード]](1913-2006)]] [[Image:Yoshiro_mori_2.jpg|thumb|100px|第85・86代日本国内閣総理大臣[[森喜朗]](1937-)]] * [[1454年]] - [[アンジェロ・ポリツィアーノ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Poliziano Poliziano Italian poet and humanist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[人文主義者]](+ [[1494年]]) * [[1718年]]([[享保]]3年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[上杉宗房]]、第7代[[米沢藩|米沢藩主]](+ [[1746年]]) * [[1777年]]([[安永]]6年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[田能村竹田]]、[[南画]]家(+ [[1835年]]) * [[1793年]]([[寛政]]5年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[松平信順]]、第4代[[三河吉田藩|吉田藩主]](+ [[1844年]]) * [[1810年]]([[文化 (元号)|文化]]7年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[徳川斉荘]]、[[田安徳川家|田安家]]当主、第12代[[尾張藩|尾張藩主]](+ [[1845年]]) * [[1832年]]([[享保]]3年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[松平忠精]]、第5代[[島原藩|島原藩主]](+ [[1859年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]) - [[伊達宗敦]]、[[仙台藩|仙台藩知事]](+ [[1911年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[酒井忠宝 (庄内藩主)|酒井忠宝]]、第12代[[庄内藩|庄内藩主]](+ [[1921年]]) * [[1858年]] - [[エメリン・パンクハースト]]、[[婦人参政権]]活動家(+ [[1928年]]) * [[1859年]] - [[ヴィリー・ヘス (ヴァイオリニスト)|ヴィリー・ヘス]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1939年]]) * [[1862年]] - [[グスタフ・クリムト]]、[[画家]](+ [[1918年]]) * [[1864年]] - [[エドゥアルト・エンゲルマン]]、[[フィギュアスケート]]選手、[[エンジニア]](+ [[1944年]]) * [[1868年]] - [[ガートルード・ベル]]、[[イギリス]]の女性[[スパイ|情報員]](+ [[1926年]]) * [[1888年]] - [[里見弴]]、[[小説家]](+ [[1983年]]) * [[1890年]] - [[オシップ・ザッキン]]、[[彫刻家]]、[[画家]](+ [[1967年]]) * [[1891年]] - [[ヴェルナー・リットベルガー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1975年]]) * [[1898年]] - [[ハッピー・チャンドラー]]、MLB[[コミッショナー]](+ [[1991年]]) * [[1907年]] - [[アナベラ (俳優)|アナベラ]]、[[俳優|女優]](+ [[1996年]]) * [[1910年]] - [[ウィリアム・ハンナ]]、[[アニメーター]](+ [[2001年]]) * [[1912年]] - [[ウディ・ガスリー]]、[[シンガーソングライター]](+ [[1967年]]) * [[1913年]] - [[ジェラルド・R・フォード]]、[[政治家]]、第38代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[2006年]]) * [[1917年]] - [[田中実 (投手)|田中実]]、元[[プロ野球選手]] * [[1918年]] - [[イングマール・ベルイマン]]、[[映画監督]]、[[脚本家]] (+ [[2007年]]) * 1918年 - [[ジェイ・フォレスター]]、[[計算機科学]]者(+ [[2016年]]) * 1918年 - [[エグモント・ツール・リッペ=ヴァイセンフェルト]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1944年]]) * [[1923年]] - [[福田歓一]]、[[政治学者]] (+ 2007年) * [[1926年]] - [[ウォーリス・ディーステルマイヤー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1999年]]) * 1926年 - [[水木かおる]]、[[作詞家]](+ [[1998年]]) * [[1928年]] - [[渡辺浩二 (実業家)|渡辺浩二]]、[[中央化学]]創業者 (+ [[2009年]]) * [[1931年]] - [[伊上勝]]、脚本家(+ [[1991年]]) * [[1933年]] - [[河西昌枝]]、[[バレーボール]]選手(+ [[2013年]]) * 1933年 - [[梅野泰靖]]、[[俳優]](+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20200902004924/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020090100629&g=soc|title=俳優の梅野泰靖さん死去|publisher=時事ドットコム|date=2020-09-01|accessdate=2020-12-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63304840R00C20A9CC1000/|title=梅野泰靖氏が死去 俳優|publisher=日本経済新聞|date=2020-09-01|accessdate=2020-12-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書| url = https://www.oricon.co.jp/news/2170908/full/ | title = 俳優の梅野泰靖さん死去 87歳 三谷作品『ラヂオの時間』など出演 | website = ORICON NEWS | publisher = [[オリコン]] | date = 2020-09-01 | accessdate = 2020-11-11}}</ref>) * [[1935年]] - [[根岸英一]]、[[化学者]](+ [[2021年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE11EP90R10C21A6000000/|title=根岸英一さん死去 85歳、ノーベル化学賞|publisher=日本経済新聞|date=2021-06-12|accessdate=2021-06-12}}</ref>) * [[1936年]] - [[鵜狩道夫]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]]) * [[1937年]] - [[森喜朗]]、政治家、第85・86代[[内閣総理大臣]] * [[1938年]] - [[ウィリアム・H・T・ブッシュ]]、銀行家、投資家(+ [[2018年]]) * [[1944年]] - [[久米宏]]、[[アナウンサー]]、キャスター * [[1945年]] - [[大澤孝征]]、[[弁護士]] * [[1946年]] - [[藤井健 (歌手)|藤井健]]、[[歌手]] * [[1947年]] - [[ダニー・ウォルトン]]、元プロ野球選手(+ [[2017年]]) * 1947年 - [[島津ゆたか]]、歌手 * 1947年 - [[スティーブ・ストーン (野球)|スティーブ・ストーン]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[早川紀代秀]]、元[[オウム真理教]]幹部 元[[死刑囚]](+ [[2018年]]) * [[1951年]] - [[南部虎弾]]、コメディアン、パフォーマー([[電撃ネットワーク]]) * [[1952年]] - [[水谷豊]]、俳優 * 1952年 - [[松崎泰治]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]) * [[1953年]] - [[岡田克也]]、政治家 * 1953年 - [[ドロテ]]、歌手、[[俳優|女優]]、[[テレビ番組|テレビ]][[司会者]] * 1953年 - [[本田博文]]、政治家 * [[1954年]] - [[あいはら友子]]、女優、株式研究家、画家 * 1954年 - [[旭堂南左衛門]]、[[講談師]] * [[1955年]] - [[扇一平]]、[[アナウンサー]] * [[1957年]] - [[外園正]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[斉藤慶子]]、女優 * [[1962年]] - [[菅原正志]]、[[声優]] * 1962年 - [[原田マハ]]、小説家 * [[1963年]] - [[西川佳明]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[宮澤ミシェル]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者 * 1963年 - [[吉岡幹夫]]、[[国土交通省|国土交通]][[技官]] * [[1964年]] - [[椎名桔平]]、俳優 * 1964年 - [[新谷博]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[松本孝美]]、モデル * [[1966年]] - [[下長智子]]、元[[卓球選手]] * 1966年 - [[タニヤ・ドネリー]]、[[シンガーソングライター]] * 1966年 - [[平石和男]]、[[競艇選手]] * 1966年 - [[藤咲あゆな]]、ジュニアノベル作家、アニメ脚本家 * 1966年 - [[マシュー・フォックス]]、俳優 * 1966年 - [[マット・ヒューム]]、[[総合格闘家]] * [[1967年]] - [[YO-KING]]、ミュージシャン([[真心ブラザーズ]]) * 1967年 - [[清水一哉]]、俳優 * 1967年 - [[ロビン・ベンチュラ]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[渡辺政仁]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[佐藤弘道]]、タレント * 1968年 - [[デリック・メイ (野球)|デリック・メイ]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[小島光顕]]、元サッカー選手、指導者 * [[1969年]] - [[桜庭和志]]、総合格闘家 * 1969年 - [[吉倉拓児]]、[[実業家]] * 1969年 - [[ビリー・ヘリントン]]、モデル、元[[ゲイポルノ男優]](+ 2018年) * [[1970年]] - [[ナタリヤ・ミシュクテノク]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1972年]] - [[鈴木真仁]]、声優 * 1972年 - [[谷口けい]]、[[登山家]](+ [[2015年]]) * [[1973年]] - [[平野耕太]]、[[漫画家]] * [[1974年]] - [[羽生未来]]、女優(+ [[2005年]]) * [[1975年]] - [[ティム・ハドソン]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[塚本洋]]、[[アスレティックトレーナー]] * 1975年 - [[林和人]]、アナウンサー * [[1976年]] - [[福本誠]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[ヴィクトリア (スウェーデン皇太子)|ヴィクトリア]]、[[スウェーデン]]王太子 * [[1978年]] - じろう、お笑いタレント([[シソンヌ (お笑いコンビ)|シソンヌ]]) * [[1979年]] - [[本谷有希子]]、[[演出家]] * 1979年 - [[辻俊哉]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[セルゲイ・イグナシェヴィッチ]]、サッカー選手 * 1979年 - [[ロビン・ゾルコーヴィ]]、フィギュアスケート選手 * [[1980年]] - [[小山良男]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[クサノプチコン]]、[[ブレイクコア]]ミュージシャン * [[1981年]] - [[YOMI]]、[[ミュージシャン]]([[ナイトメア (バンド)|ナイトメア]]) * 1981年 - [[古谷拓哉]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[三好ジェームス]]、元アナウンサー * 1982年 - Mariko、[[チェリスト]]([[Vanilla Mood]]) * 1982年 - [[エンリケ・ゴンザレス]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[吉水快聞]]、[[彫刻家]] * [[1983年]] - [[重原佐千子]]、フリーキャスター、電卓競技大会日本一 * 1983年 - [[アレクサンドル・シュービン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1983年 - [[琴弥山幸基]]、元大相撲力士 * [[1984年]] - [[サミール・ハンダノヴィッチ]]、サッカー選手 * [[1985年]] - [[ハビエル・ドミンゲス]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[高木琢也 (美容師)|高木琢也]]、美容師 * [[1986年]] - [[:en:Dan Smith (singer)|ダン・スミス]]、ミュージシャン([[バスティル]]) * 1986年 - [[熊谷ちか]]、[[グラビアアイドル]] * [[1987年]] - [[山室公志郎]]、元プロ野球選手 * 1987年 - アタック西本、お笑いタレント([[ジェラードン]]) * 1987年 - [[:en:Dan Reynolds (singer)|ダン・レイノルズ]]、ミュージシャン([[イマジン・ドラゴンズ]]) * [[1988年]] - [[ジェームズ・ヴォーン]]、サッカー選手 * 1988年 - [[西田あい]]、歌手 * 1988年 - [[リース・ウィリアムズ]]、サッカー選手 * 1988年 - [[グラシエル・ジーン・タン]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - [[コナー・マクレガー]]、総合格闘家 * [[1989年]] - [[メーガン・オスター]]、フィギュアスケート選手 * 1989年 - [[飛翔富士廣樹]]、元大相撲力士、プロレスラー * [[1990年]] - [[アンドレア・セクリン]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[志方文典]]、元陸上選手 * [[1992年]] - [[ヨナス・ホフマン]]、サッカー選手 * [[1993年]] - [[中川義貴]]、元サッカー選手 * 1993年 - [[山本彩]]、歌手、アイドル(元[[NMB48]]) * 1993年 - 山本陽平、お笑いタレント([[フランスピアノ]]) * [[1994年]] - [[ルーカス・ジオリト]]、プロ野球選手 * [[1995年]] - [[金孝周]]、プロゴルファー * 1995年 - [[林愛夏]]、女優、歌手、アイドル(元[[ベイビーレイズJAPAN]]) * 1995年 - [[宮下かな子]]、元女優 * 1995年 - [[東啓介]]、俳優 * 1995年 - [[セルジュ・ニャブリ]]、サッカー選手 * 1995年 - [[角野隼斗]]、[[ピアニスト]] * [[1997年]] - [[垣田裕暉]]、 サッカー選手 * 1997年 - [[ジェンギズ・ウンデル]]、サッカー選手 * [[1999年]] - [[久保夏葵]]、野球選手 * [[2000年]] - [[阿部詩]]、柔道選手 * [[2000年]] - 小橋川梢、モデル、アイドル([[LINKL PLANET]]) * [[2001年]] - [[久保史緒里]]、アイドル([[乃木坂46]]) * 2002年 - キム・テレ、アイドル([[ZEROBASEONE]]) * [[2003年]] - [[藤本哉汰]]、俳優 * [[2005年]] - [[上坂樹里]]、ファッションモデル * 生年不明 - [[夢眠ねむ]]、実業家、元アイドル(元[[でんぱ組.inc]]) * 生年不明 - [[伊藤ハチ]]<ref>{{Cite web|和書|work=COMITIA|url=https://www.comitia.co.jp/history/111fv.html#2|title=サークルインタビュー FrontView|accessdate=2022-02-25}}</ref>、漫画家、[[同人作家]] == 忌日 == {{Double image aside|right|Sacre_de_Philippe_Auguste.jpg|100|H%C5%8Dj%C5%8D_Yasutoki.jpg|100|フランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]](1165-1223)没|[[鎌倉幕府]]第3代執権、[[北条泰時]](1183-1242)没}} [[ファイル:Madame de Staël.jpg|thumb|upright|100px|批評家・小説家[[アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール|スタール夫人]](1766-1817)没]] {{multiple image | caption1 = [[トランスヴァール共和国]](現[[南アフリカ共和国]])初代大統領[[ポール・クリューガー]](1825-1904) | image1 = Kruger_old_age.jpg | width1 = 100 | alt1 = ポール・クリューガー | caption2 = 化学者[[ウィリアム・パーキン]](1838-1907)。アニリン染料などを発見 | image2 = William_Perkin.jpg | width2 = 100 | alt2 = ウィリアム・パーキン }} {{multiple image | footer = 現代クラシック[[バレエ]]の基礎を築いたダンサー・振付師、[[マリウス・プティパ]](1818-1910)没 | image1 = Marius_Petipa_-1.JPG | width1 = 100 | alt1 = マリウス・プティパ | image2 = Marie Petipa -funeral -1910.JPG | width2 = 160 | alt2 = 葬列 }} {{multiple image | footer = [[アール・ヌーヴォー]]のグラフィックデザイナー、[[アルフォンス・ミュシャ]](1860-1939)没。右画像は装飾パネル『夏』(1896) | image1 = Alfons_Mucha_LOC_3c05828u.jpg | width1 = 100 | alt1 = アルフォンス・ミュシャ | image2 = Alfons_Mucha_-_1896_-_Summer.jpg | width2 = 100 | alt2 = 装飾パネル『夏』 }} {{multiple image | caption1 = イラク王[[ファイサル2世 (イラク王)|ファイサル2世]](1935-1958)、[[7月14日革命]]で射殺 | image1 = Faisal II of Iraq.jpg | width1 = 100 | alt1 = マシュー・ペリー | caption2 = 物理学者[[マーク・オリファント]](1901-2000)没。 | image2 = MarkOliphantPortrait.jpg | width2 = 100 | alt2 = マーク・オリファント }} [[Image:Joaquin_Balaguer_1977.jpg|thumb|100px|[[ドミニカ共和国]]の第39・45・49代大統領、[[ホアキン・バラゲール]](1906-2002)]] * [[664年]] - [[カンタベリーのデウスデディトゥス]]、[[カンタベリー大司教]] * [[809年]]([[大同 (日本)|大同]]4年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]) - [[大伴弟麻呂]]、[[公卿]]、史上初の[[征夷大将軍]](* [[731年]]?) * [[1223年]] - [[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]、[[フランス王国|フランス]]王(* [[1165年]]) * [[1242年]]([[仁治]]3年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[北条泰時]]、第3代[[鎌倉幕府]][[執権]](* [[1183年]]) * [[1353年]]([[正平 (日本)|正平]]8年/[[文和]]2年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[佐々木秀綱]]、[[室町時代]]の[[武将]] * [[1486年]] - [[マーガレット・オブ・デンマーク|マーガレット]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王[[ジェームズ3世 (スコットランド王)|ジェームズ3世]]の妃(* [[1456年]]) * [[1638年]]([[寛永]]15年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[高松宮好仁親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1603年]]) * [[1704年]] - [[ソフィア・アレクセーエヴナ]]、[[モスクワ大公国]][[摂政]](* [[1657年]]) * [[1711年]] - [[ヨハン・ウィレム・フリーゾ (オラニエ公)|ヨハン・ウィレム・フリーゾ]]、[[オランジュ|オラニエ公]](* [[1687年]]) * [[1714年]]([[正徳 (日本)|正徳]]4年6月3日) - [[瑤泉院]]、[[赤穂藩|赤穂藩主]][[浅野長矩]]の[[正室]](* [[1674年]]) * [[1770年]]([[明和]]7年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[京極宮公仁親王]]、江戸時代の皇族(* [[1733年]]) * [[1775年]]([[安永]]4年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[黒田継高]]、第6代[[福岡藩|福岡藩主]](* [[1703年]]) * [[1777年]](安永6年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[加藤美樹]]、[[国学者]]、[[歌人]](* [[1721年]]) * [[1793年]] - [[ジャック・カトリノー]]、[[ヴァンデの反乱]]の指導者(* [[1759年]]) * [[1817年]] - [[スタール夫人]]、[[評論家]](* [[1766年]]) * [[1824年]] - [[カメハメハ2世]]、[[ハワイ王国|ハワイ王]](* [[1797年]]) * [[1827年]] - [[オーギュスタン・ジャン・フレネル]]、[[物理学者]](* [[1788年]]) * [[1879年]] - [[ヨハン・カール・ローゼンクランツ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1805年]]) * [[1881年]] - [[ビリー・ザ・キッド]]、[[西部開拓時代]]の[[ガンマン]]、[[アウトロー]](* [[1859年]]) * [[1904年]] - [[ポール・クリューガー]]、[[トランスヴァール共和国]]大統領(* [[1825年]]) * [[1907年]] - [[ウィリアム・パーキン]]、[[化学者]](* [[1838年]]) * [[1910年]] - [[マリウス・プティパ]]、[[バレエ]][[ダンサー]]、[[振付師]](* [[1818年]]) * [[1927年]] - [[フリッツ・ホフマン]]、[[陸上競技]]選手(* [[1871年]]) * [[1933年]] - [[レーモン・ルーセル]]、[[小説家]]、[[詩人]](* [[1877年]]) * [[1939年]] - [[アルフォンス・ミュシャ]]、[[グラフィックデザイナー]](* [[1860年]]) * [[1950年]] - [[三淵忠彦]]、初代[[最高裁判所長官]](* [[1880年]]) * [[1953年]] - [[リヒャルト・フォン・ミーゼス]]、[[工学|工学者]](* [[1883年]]) * [[1954年]] - [[ハシント・ベナベンテ]]、[[劇作家]](* [[1886年]]) * [[1958年]] - [[吉阪俊蔵]]、[[内務省 (日本)|内務]][[官僚]](* [[1889年]]) * 1958年 - [[ファイサル2世 (イラク王)|ファイサル2世]]、[[イラク王国|イラク王]](* [[1935年]]) * [[1960年]] - [[モーリス・ド・ブロイ]]、[[物理学者]](* [[1875年]]) * [[1963年]] - [[宇井伯寿]]、[[曹洞宗]]の[[僧侶]]、[[仏教学者]](* [[1882年]]) * [[1965年]] - [[アドレー・スティーブンソン]]、[[イリノイ州知事]]、[[アメリカ合衆国国際連合大使]](* [[1900年]]) * [[1969年]] - [[坂本繁二郎]]、[[画家]](* [[1882年]]) * 1969年 - [[富永次郎]]、[[美術評論家]](* [[1909年]]) * [[1972年]] - [[東門明]]、[[野球選手]](* [[1952年]]) * [[1974年]] - [[カール・スパーツ]]、[[アメリカ空軍]][[大将]](* [[1891年]]) * 1974年 - [[琴錦登]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1922年]]) * [[1977年]] - [[松山崇]]、[[美術監督]](* [[1908年]]) * [[1978年]] - [[マリヤ・グリンベルク]]、[[ピアニスト]](* [[1908年]]) * [[1980年]] - [[南洋一郎]]、[[作家]]、[[冒険小説|冒険小説家]](* [[1893年]]) * [[1982年]] - [[ジャッキー・ジェンセン]]、[[プロ野球選手]](* [[1927年]]) * [[1986年]] - [[レイモンド・ローウィ]]、[[インダストリアルデザイナー]](* [[1893年]]) * [[1988年]] - [[末広恭雄]]、[[水産学者]]、[[随筆家]](* [[1904年]]) * [[1990年]] - [[須田剋太]]、画家(* [[1906年]]) * [[1994年]] - [[岡原昌男]]、第8代最高裁判所長官(* [[1909年]]) * 1994年 - [[森部静武]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1906年]]) * [[1996年]] - [[ジェフ・クロスノフ]]、[[レーシングドライバー]](* [[1964年]]) * 1996年 - [[君島一郎 (デザイナー)|君島一郎]]、[[服飾デザイナー]](* [[1929年]]) * [[1998年]] - [[グエン・ゴク・ロアン]]、[[南ベトナム]]警察庁長官(* [[1931年]]) * [[1999年]] - [[山花貞夫]]、第12代[[日本社会党]]委員長(* [[1936年]]) * [[2000年]] - [[マーク・オリファント]]、物理学者(* [[1901年]]) * 2000年 - [[浜田輝男]]、[[実業家]]、北海道国際航空(現・[[AIRDO]])創業者(* [[1941年]]) * [[2001年]] - [[石川利光 (作家)|石川利光]]、[[小説家]](* [[1914年]]) * [[2002年]] - [[ホアキン・バラゲール]]、政治家、[[ドミニカ共和国]]第39・45・49代大統領(* [[1906年]]) * 2002年 - [[三井理峯]]、[[政治運動家]](* [[1911年]]) * [[2005年]] - [[大沢清]]、プロ野球選手(* [[1916年]]) * 2005年 - [[シシリー・ソンダース]]、[[医師]]、作家(* [[1918年]]) * [[2007年]] - [[広沢直樹]]、[[公明党]][[衆議院議員]](* [[1931年]]) * 2007年 - [[谷川明美]]、[[アナウンサー]](* [[1966年]]) * 2007年 - [[遠藤俊介]]、[[写真家]](* [[1977年]]) * [[2008年]] - [[大野晋]]、[[国語学者]]、[[学習院大学]][[名誉教授]](* [[1919年]]) * [[2010年]] - [[水鳥鐵夫]]、[[声優]](* [[1938年]]) * [[2013年]] - [[高橋伸夫 (地理学者)|高橋伸夫]]、[[地理学者]]、[[筑波大学]]名誉教授(* [[1939年]])<ref>{{Cite journal|和書|author=松井圭介|title=高橋伸夫先生を悼む|journal=地理空間|volume=6|issue=2|publisher=地理空間学会|pages=79-82|date=2013-12-20}}</ref> * [[2013年]] - MAKI THE MAGIC、ヒップホップミュージシャン([[キエるマキュウ]])(* [[1967年]]) * [[2014年]] - [[深田祐介]]、[[作家]](* [[1931年]]) * 2014年 - [[古家武夫]]、プロ野球選手(* [[1921年]]) * [[2015年]] - [[堀場雅夫]]、実業家、[[堀場製作所]]創業者(* [[1924年]]) * 2015年 - [[高橋一三]]、プロ野球選手(* [[1946年]]) * 2015年 - [[福田紀一]]、小説家、元[[大阪工業大学]]教授(* [[1930年]]) * [[2016年]] - [[エステルハージ・ペーテル]]、小説家(* [[1950年]]) * [[2018年]] - [[三上真一郎]]<ref name="sanspo_20181116">{{Cite news|title=俳優、三上真一郎氏死去 77歳 「秋日和」「秋刀魚の味」「仁義なき戦い」など|date=2018-11-16|url=https://www.sanspo.com/geino/news/20181116/geo18111618290029-n1.html|newspaper=[[サンケイスポーツ]]|accessdate=2020-11-13}}</ref>、[[俳優]](* [[1940年]]) * 2018年 - [[マサ斎藤]]<ref>{{cite web|url=https://www.wwe.com/article/masa-saito-passes-away|title=Masa Saito passes away|date=2018-07-16||accessdate=2020-12-17|publisher=WWE.com}}</ref><ref>{{Cite news|title=マサ斎藤さんが死去 アントニオ猪木氏と巌流島で死闘|work=東スポWEB|date=2018-7-16|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/1065340/|publisher=東京スポーツ新聞社|accessdate=2020-10-27}}</ref>、[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手、[[プロレスラー]](* [[1942年]]、) == 記念日・年中行事 == * [[国際ノンバイナリーデー]]({{World}}) *: [[ノンバイナリー]](Xジェンダー)の諸問題に関する啓発と組織化を目的とする。[[国際女性デー]]と[[国際男性デー]]の中間に位置する日付であることからこの日に制定。 {{Double image aside|right|14_July_fireworks_in_Paris.jpg|140|Bastille_Day,_14_July_1880_(Monument_to_the_Republic)_2010-03-23_13.jpg|120|[[フランス]]の建国記念日:[[エッフェル塔]]前で打ち上げられる花火|[[1880年]]に行われた初の建国記念日祝典}} {{Double image aside|right|Fete_federation.jpg|120|Champs-Elysees-p1000418-smal.jpg|120|[[1790年]]の{{仮リンク|連盟祭|fr|fête de la Fédération}}|国旗の飾られた[[シャンゼリゼ通り]]}} [[ファイル:GMS Himawari.jpg|thumb|100px|日本の気象衛星[[ひまわり (気象衛星)|ひまわり1号]]打ち上げ(1977)]] * フランス建国記念日・[[パリ祭]]({{FRA}}) *: [[1789年]]7月14日の[[バスティーユ牢獄]]襲撃による[[フランス革命]]勃発の日であるが、公式に建国記念日として祝われるのは翌[[1790年]]同日の{{仮リンク|連盟祭|fr|fête de la Fédération}}である。[[1880年]]から祝日となった<ref>{{Cite web|title= Le 14 juillet|url=http://www.elysee.fr/president/la-presidence/les-symboles-de-la-republique-francaise/le-14-juillet/le-14-juillet.448.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120717041006/http://www.elysee.fr/president/la-presidence/les-symboles-de-la-republique-francaise/le-14-juillet/le-14-juillet.448.html|archivedate=2012-07-17|deadlinkdate=2020-08-27|publisher=フランス大統領官邸|language=フランス語|accessdate =2020-08-27}}</ref>。日本では「パリ祭」として知られる。 * 共和国記念日({{IRQ}}) *: [[1958年]]のこの日、[[7月14日革命]]により王政が打倒され、共和国が樹立されたことを記念。 * [[サン・フェルミン祭]] 最終日({{ESP}}[[ナバラ州]]、[[7月6日|6日]]から) *: 通称:牛追い祭り([[エンシエロ]])の日。 * [[マシュー・ペリー|ペリー]]上陸記念日({{JPN}}) *: [[1853年]]7月14日(旧暦[[嘉永]]6年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]])、4隻の[[黒船]]艦隊で江戸湾の浦賀沖に現れた[[マシュー・ペリー]]提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡したことを記念。([[黒船来航]]) * [[廃藩置県]]の日({{JPN}}) *: [[明治]]4年旧暦[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]])に廃藩置県の詔書が出されたことを記念。 * ひまわりの日({{JPN}}) *: [[1977年]]のこの日、日本初の[[気象衛星]][[ひまわり (気象衛星)|ひまわり]]がアメリカのケネディ宇宙センターから打ち上げられた。1号から5号までは同じモデルであった。(画像参照) * 求人広告の日({{JPN}}) *: [[1872年]]のこの日、『[[東京日日新聞]]』に日本初の求人広告が掲載された。 * [[内視鏡]]の日({{JPN}}) *: 内視鏡医学研究振興財団が[[2006年]]に制定。「な(7)い(1)し(4)」の語呂合せ。 * [[ゼラチン]]の日・[[ゼリー]]の日({{JPN}}) *: 日本ゼラチン・コラーゲンペプチド工業組合が制定。ゼラチンが[[フランス料理]]によく使われることから、フランス革命の日をその記念日とした。また、ゼラチンがゼリーの主材料となることから同じ日を「ゼリーの日」としている。 * しんぶん配達の日({{JPN}}) *:[[2013年]]に日本新聞販売協会が制定<ref>{{Cite web|和書|date=2013-07-14|url=http://www.nippankyo.or.jp/products/topics/2013/07/714-1.html|title=毎年7月14日は『しんぶん配達の日』|publisher=日本新聞販売協会|accessdate=2013-10-28}}</ref>。なお、[[日本新聞協会]]が制定している「新聞配達の日・新聞少年の日」は新聞週間中(10月15日〜10月21日)の日曜日<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pressnet.or.jp/about/shimbun_shukan/gyouji/|title=記念行事|publisher=日本新聞協会|accessdate=2020-08-27}}</ref> であり日付が異なる。 * 月でひろった卵の日({{JPN}}) *:[[山口県]]にある和洋菓子店あさひ製菓(株)が制定。[[1987年]]のこの日に山口銘菓「月でひろった卵」が販売されたことから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=24|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0714|date=2011年8月9日 (火) 09:23 (UTC)}} * 1890年 - 消えた[[臨時列車]]の[[車掌]]ジェームズ・マクファースンからの[[手紙]]を妻が受け取る。(小説『[[消えた臨時列車]]』) * [[2095年]] - 司馬達也が飛行魔法用CADを発明(アニメ『[[魔法科高校の劣等生]]』)<ref>アニメ『魔法科高校の劣等生』第8話</ref> * 2520年 - 紀元前の地層から発掘された「石のような物体」が発する光によって地球上の全人類が消滅(ゲーム『[[レイディアントシルバーガン]]』)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.live-wire.co.jp/radiantsilvergun|title=レイディアントシルバーガン |website=Live Wire公式 |accessdate=2022-11-03}}</ref>。 === 誕生日(フィクション) === * 1899年(推定) - [[竈門炭治郎]]、漫画・アニメ『鬼滅の刃』の主人公<ref>[https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1631259611]</ref><ref>[https://kimetsu-i.com/tanjiro-birthday/]</ref> * 1983年 - 大野加奈子、漫画・アニメ『[[げんしけん]]』に登場するキャラクター * 1984年 - 高山昭栄、漫画・アニメ『[[ホイッスル!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|whistle_24|885801454090338304}}</ref> * 1986年 - [[スポンジ・ボブ (キャラクター)|スポンジ・ボブ(スポンジボブ・スクエアパンツ)]]、アニメ『[[スポンジ・ボブ]]』の主人公<ref>{{Cite web|url=https://www.fox61.com/article/entertainment/happy-birthday-spongebob/520-ba40e819-8321-4746-b48e-ef62cbdbd6b2|title=Happy Birthday Spongebob! | His license read July 14, 1986 on episode back in 2000|website=FOX61|accessdate=2020-08-27|language=en}}</ref> * 1988年 - 葉加瀬聡美、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター * 1992年 - 郡山知姫、ゲーム『[[ときめきメモリアル4]]』に登場するキャラクター * 共和宇宙暦945年 - ダニエル・ジョウナス・マクスウェル・クーア/ダン・マクスウェル、小説『[[スカーレット・ウィザード]]』『[[暁の天使たち]]』『[[クラッシュ・ブレイズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 長谷祐樹、漫画・アニメ『[[一週間フレンズ。]]』の主人公<ref>[https://twitter.com/1weekfriends/status/488525888271564801 公式Twitterのつぶやき:2014年7月14日]</ref> * 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#Poppin'Party|戸山香澄]]、メディアミックスプロジェクト『[[BanG Dream!]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/toyama-kasumi/|title=戸山 香澄 CV:愛美|website=バンドリ! ガールズバンドパーティ! 公式サイト|publisher=ブシロード|accessdate=2020-08-27}}</ref> * 生年不明 - 壱川新、漫画『[[萌えカレ!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - バスティーユ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/bastille.html|title=バスティーユ|work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]|accessdate=2020-08-27}}</ref> * 生年不明 - モルガンズ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Morgans.html|title=モルガンズ|work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]|accessdate=2020-08-27}}</ref> * 生年不明 - 鬼怒田本吉、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://worldtrigger.info/article/border.php|title=ワールドトリガー キャラクター|accessdate=2020-08-27|website=ワールドトリガー.info}}</ref> * 生年不明 - 鱗飛竜、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character.html|title=僕のヒーローアカデミア|publisher=僕のヒーローアカデミア製作委員会|accessdate=2020-08-27}}</ref> * 生年不明 - 安積柚香、漫画『[[学園アリス]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - キンバルト、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009-03-10|title=EREMENTAR GERADアルティメットガイド|series=BLADE COMICS|page=38|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4861276163}}</ref> * 生年不明 - 竹園優、漫画・アニメ『[[三者三葉]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 蟹座のマニゴルド、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - フランス(フランシス・ボヌフォワ)、漫画・アニメ『[[Axis powers ヘタリア|ヘタリア]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 首藤涼、漫画・アニメ『[[悪魔のリドル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ルーエン・フィルニール、ゲーム『[[アトリエシリーズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[どうぶつの森の登場キャラクター一覧|ヒュージ]]、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ちょこ / アクラ・エルヴァス、ゲーム『[[アークザラッド]]』以降の全アークシリーズに登場するキャラクター * 生年不明 - 高岡あさがお、ゲーム『[[FairlyLife]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 薩摩しぶき、ゲーム『RELEASE THE SPYCE secret fragrance』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[デイズシリーズの登場人物#森来実|森来実]]、ゲーム『[[School Days]]』『[[Cross Days]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 鬼型雅美、漫画・アニメ『[[セイレン (アニメ)|セイレン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/seiren/chara/onigata_masami.html|title=CHARACTER 鬼型雅美 CV:田村ゆかり|work=セイレン製作委員会|accessdate=2020-08-27}}</ref> * 生年不明 - 海老名姫菜、小説・アニメ『[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。]]』に登場するキャラクター<ref>[https://twitter.com/anime_oregairu/status/488375899411062784 アニメ公式Twitter:2014年7月14日のつぶやき]</ref> * 生年不明 - ニーナ・メルキオーレ、小説『ロスト・ユニバース』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小僧丸サスケ、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22|url=https://corocoro.jp/special/68074/2/|title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!!|website=コロコロオンライン|publisher=[[小学館]]|page=2|accessdate=2022-05-05}}</ref> * 生年不明 - ヒノト、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=127&cate=name&cont=Hinoto |title=ヒノト |access-date=2022-07-14 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 九条裟羅、ゲーム『原神』に登場するキャラクター === 忌日(フィクション) === * [[1789年]] - [[オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ]]、漫画・アニメ『[[ベルサイユのばら]]』の主人公<ref group="注">[[フランス革命]]における[[バスティーユ襲撃]]で戦死。</ref>(* [[1755年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 14|14 July}} {{新暦365日|7|13|7|15|[[6月14日]]|[[8月14日]]|[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]|0714|7|14}} {{1年の月と日}}
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5,609
8月14日
8月14日(はちがつじゅうよっか、はちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から226日目(閏年では227日目)にあたり、年末まであと139日ある。
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8月14日(はちがつじゅうよっか、はちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から226日目(閏年では227日目)にあたり、年末まであと139日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月14日'''(はちがつじゅうよっか、はちがつじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から226日目([[閏年]]では227日目)にあたり、年末まであと139日ある。 == できごと == [[ファイル:Batalha_de_Aljubarrota_02.jpg|thumb|[[アルジュバロータの戦い]](1385)。[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]のポルトガル王位確立]] <!-- {{multiple image | footer = [[ケルン大聖堂]]完成(1880)。左画像は1856年、工事中のもの | image1 = Rheinpanorama_1856_detail_Dom.jpg | width1 = 100 | alt1 = 1856年の写真 | image2 = Cologne_Cathedral.jpg <!- Hasak_-_Der_Dom_zu_K%C3%B6ln_-_Bild_02_Westseite.jpg 1911年の写真 -> | width2 = 100 | alt2 = 現在のケルン大聖堂 }} 日付要確認:ja,en,deの記事に日付なし。[[en:14 August]]のみにあり。 --> [[ファイル:Editorial cartoon about Jacob Smith's retaliation for Balangiga.PNG|thumb|[[米西戦争]]終結を受け、米軍がフィリピン占領に向かう(1898)。画像は風刺画、「10歳以上は皆殺し」とある]] {{multiple image | footer = [[義和団の乱]]、連合軍が北京に入城(1900) | image1 = Siege_of_Peking%2C_Boxer_Rebellion.jpg | width1 = 160 | alt1 = 北京の城壁を破壊する米軍 | image2 = Foreign_armies_in_Beijing_during_Boxer_Rebellion.jpg | width2 = 160 | alt2 = 紫禁城内の連合軍 }} <!-- [[ファイル:Whitehead_woodcut.jpg|thumb|[[グスターヴ・ホワイトヘッド]]による、動力付き飛行機が初飛行したとされる(1901)]] 確たる証拠はないらしいです --> [[ファイル:Battle_off_Ulsan.jpg|thumb|[[蔚山沖海戦]](1904)]] {{multiple image | footer = [[大西洋憲章]]発表(1941)。{{Squote|全ての人々が、自分達がその下で生きる政府の形態を選ぶ権利を尊重する。――第3項}} | image1 = Prince_of_Wales-5.jpg | width1 = 160 | alt1 = プリンス・オブ・ウェールズ艦上のルーズベルトとチャーチル | image2 = Atlanticcharter2.gif | width2 = 100 | alt2 = チャーチルの草稿 <!-- Atlantic Charter OWI 50.jpg 正式な文書 --> }} * [[686年]](天武天皇15年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[白雉]]以来32年間断絶していた日本の[[元号]]が再開、新元号は[[朱鳥]]と定められる。 * [[1183年]] ([[寿永]]2年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[治承・寿永の乱]]: [[源義仲]]の入京に伴い、[[平宗盛]]率いる[[伊勢平氏|平家]]一族が[[安徳天皇]]を連れて[[三種の神器]]と共に西国落ち。 * [[1204年]]([[元久]]元年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - 伊豆[[修禅寺]]に幽閉されていた鎌倉幕府2代将軍[[源頼家]]が入浴中に謀殺される。 * [[1385年]] - [[アルジュバロータの戦い]]。[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王位を巡ってポルトガル王[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]とカスティーリャ王[[フアン1世 (カスティーリャ王)|フアン1世]]が争いポルトガル側が勝利。 * [[1696年]] - [[ウィリアム王戦争]]: [[ペマキッドの戦い (1696年)|ペマキッドの戦い]]はじまる。 * [[1722年]]([[享保]]7年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[江戸幕府]]が、米の上納を条件に大名の[[参勤交代]]による江戸滞在を半年に短縮する[[上米の制]]を導入。 * [[1842年]] - [[インディアン戦争]]: [[セミノール戦争#第2次セミノール戦争|第二次セミノール戦争]]が終結。 * [[1848年]] - [[アメリカ合衆国]]で[[オレゴン準州]]創設。 * [[1876年]] - 札幌学校([[札幌農学校]]・北大農学部の前身)が開校。 * [[1880年]] - [[ドイツ]]の[[ケルン大聖堂]]が建設開始から600年以上たって完成。 * [[1885年]] - 日本初の[[特許|専売特許]]証交付。 * [[1898年]] - [[米西戦争]]: [[フィリピン]]占領のためアメリカ軍が派遣される。 * [[1900年]] - [[義和団の乱]]: [[日本]]・[[ドイツ]]・[[イギリス]]・[[フランス]]・[[ロシア]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[イタリア]]・[[オーストリア]]の[[八カ国連合軍]]が[[北京市|北京]]に入城。義和団の乱が終結。<!-- [[義和団の乱]]の欄では「1900年6月20日 - 1901年9月7日」となっていますが、「終結」で大丈夫でしょうか? --> * [[1901年]] - [[グスターヴ・ホワイトヘッド]]設計の[[飛行機]]「ナンバー21」が史上初の動力飛行を行った日と主張されている。<!--「無人」とありましたが、無人ではないようです。本当ならライト兄弟より2年早いが、証拠がないのだそうです。--> * [[1904年]] - [[日露戦争]]: [[蔚山沖海戦]] * [[1908年]] - [[イギリス]]・[[:en:Folkestone|フォークストン]]で世界初の[[ミス・コンテスト]]開催。<!-- enより --> * [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]: [[中華民国の歴史|中華民国]]が[[ドイツ帝国]]・[[オーストリア=ハンガリー帝国]]に[[宣戦布告]]。 * [[1918年]] - [[1918年米騒動]]: 騒動の飛び火を防ぐため、[[内務省 (日本)|内務省]]が各新聞社に米騒動の[[記事差止命令|記事の差し止めを命令]]。 * [[1919年]] - [[ドイツ]]で[[ヴァイマル憲法]]が施行される。 * [[1921年]] - [[ボリシェヴィキ]]によりタンヌ・トゥヴァ(後の[[トゥヴァ人民共和国]])が成立。 * [[1932年]] - [[7月30日]]から開催されていた[[1932年ロサンゼルスオリンピック|第10回夏季オリンピック・ロサンゼルス大会]]が閉幕。 * [[1935年]] - [[フランクリン・ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が[[社会保障法#アメリカにおける社会保障法|社会保障法]]([[:en:Social Security Act|Social Security Act]])に署名し、アメリカに[[社会保障|社会保障制度]]を初めて導入する([[:en:Social Security (United States)|Social Security (United States)]])。 * [[1937年]] - 軍法会議で[[二・二六事件]]の背後首謀者として[[北一輝]]らに死刑を宣告。[[8月19日]]に執行。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]][[イギリスの首相|英首相]]と[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が[[大西洋憲章]]を発表。 * 1941年 - [[平沼騏一郎]]国務大臣が国家主義団体[[勤皇まことむすび]]会員に狙撃され重傷。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: 最後の[[御前会議]]で[[ポツダム宣言]]受諾を再確認し、無条件降伏を決定。 * 1945年 - [[第二次世界大戦]]・[[ソ連対日参戦]]: [[葛根廟事件]]。[[満洲国]][[興安総省]]葛根廟で、非武装の日本人避難民約1200人が[[ソビエト連邦|ソ連軍]]戦車部隊の攻撃を受けて多数殺傷<ref> 『殺戮の草原 満州・葛根廟事件の証言』p13 大櫛戊辰 東葛商工新聞社、1976年</ref><ref> 『コルチン平原を血に染めて―少年の目撃した葛根廟事件―』p24 大嶋宏生 全国興安会通信社、2000年8月</ref><ref>『満洲の風』p56 藤原作弥 集英社 1996年7月</ref>。 * 1945年 - [[第二次世界大戦]]・[[日本本土空襲]]: [[大阪大空襲#京橋駅空襲|京橋駅空襲]]。[[大阪市|大阪]]で空襲があり1トン爆弾が国鉄[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]に命中、駅に避難していた200名以上が死亡。 * 1945年 - [[第二次世界大戦]]・日本本土空襲: 深夜から翌日未明にかけて、[[土崎大空襲|秋田]]・[[伊勢崎空襲|伊勢崎]]・[[熊谷空襲|熊谷]]・[[小田原市|小田原]]・[[岩国市|岩国]]・[[光市|光]]で空襲。第二次世界大戦最後の空襲。 * 1945年 - [[第二次世界大戦]]: [[宮城事件]]。深夜から翌日未明にかけて、[[陸軍省]]と[[近衛師団]]の一部将校が近衛師団長を殺害し[[玉音放送]]の録音盤奪取を図るが失敗に終わる。 * 1945年 - [[中ソ友好同盟条約]]が締結される。 * [[1947年]] - [[パキスタン]]が[[イギリス]]から[[インド・パキスタン分離独立|独立]]。 * [[1950年]] - [[文部省]]が、9月から八大都市の小学校で、アメリカからの[[ガリオア資金]]によるパン[[給食]]の完全実施を発表。 * [[1953年]] - [[広島県]][[飯室村]]で[[広島電鉄]]のバスが道路から転落。死者10人、重軽傷者45人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=94|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1959年]] - [[昭和34年台風第7号]]が[[静岡県]]に上陸。各地に大きな被害。 * [[1965年]] - 第一次[[人民革命党事件]]。[[大韓民国|韓国]][[韓国中央情報部|中央情報部]][[金炯旭]]部長が革新系人士・報道関係者・学生など41人を検挙したと発表。 * [[1969年]] - [[北アイルランド問題]]: [[イギリス軍]]が[[北アイルランド]]の宗教紛争に介入([[:en:Operation Banner|Operation Banner]])。 * [[1971年]] - [[バーレーン]]が[[イギリス]]からの独立を発表。 * 1971年 - [[フィリップ・ジンバルドー]]が[[スタンフォード大学]]の模擬監獄で[[スタンフォード監獄実験]]を開始。 * [[1972年]] - [[東ベルリン]]発[[ブルガス]]行きの[[インターフルク]][[Il-62 (航空機)|Il-62]]型機が離陸直後墜落、乗員乗客156名全員が死亡。 * [[1980年]] - [[ポーランド民主化運動]]: [[ポーランド]]・[[グダニスク]]の[[グダニスク造船所|レーニン造船所]]で、[[レフ・ヴァウェンサ]]率いる労働者が[[ストライキ]]に突入。「[[独立自主管理労働組合「連帯」|連帯]]」の設立へ連なる。 * 1980年 - [[富士山大規模落石事故]]: [[富士山 (代表的なトピック)|富士山]][[富士登山#吉田ルート|吉田口]]で落石が発生、12人が死亡。落石は9合目付近で発生し、6合目下まで到達した。 * [[1990年]] - [[リヒテンシュタイン]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[1991年]] - エヌ・ティ・ティ・移動通信企画株式会社(現在の[[NTTドコモ]])が設立。 * [[1994年]] - 14件のテロ事件に関与し国際指名手配されていた[[カルロス (テロリスト)|カルロス]]ことイリイッチ・ラミレス・サンチェスが逮捕。 * [[1999年]] - [[玄倉川水難事故]]。大雨で増水していた[[玄倉川|玄倉ダム]]の放流に中州でキャンプしていた会社員が巻き込まれ、13人死亡。 * [[2000年]] - [[大分一家6人殺傷事件]]。大分県で15歳の少年が隣家を襲撃、3人死亡・3人負傷。 <!-- クルスクの事故は発生日(8/12)で記述済み * 2000年 - 乗組員118人全員が死亡した[[ロシア|ロシア連邦]]における[[原子力潜水艦]]沈没事故が報じられる。--> * [[2001年]] - [[黒磯小2女児誘拐事件]]発生。 * [[2003年]] - [[2003年北アメリカ大停電]]。[[ニューヨーク]]を含む[[北アメリカ]]東北部で大停電。5000万人に影響。 <!-- * [[2004年]] - [[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]にて[[野村忠宏]]と[[谷亮子]]が[[金メダル]]。:日本人の金メダルももう珍しくはないので日付記事に全て載せる必要はないでしょう --> <!-- * 2004年 - 『[[華氏911]]』が日本で劇場公開。--> * [[2005年]] - [[ヘリオス航空522便墜落事故]]。[[ギリシャ]]・[[アテネ]]北部に[[ヘリオス航空]]522便が墜落。121人が死亡。 * [[2006年]] - [[2006年8月14日首都圏停電]]。 <!-- * [[2007年]] - [[バージル・グリフィス]]が[[WikiScanner]]を開発。--> * [[2008年]] - [[2008年北京オリンピックの競泳競技|北京オリンピックの競泳男子200メートル平泳ぎ]]で[[北島康介]]が[[金メダル]]。100メートル平泳ぎと2大会連続2冠。 <!-- * [[2009年]] - 気象庁が東北地方の梅雨明けの発表を断念。梅雨明けがない年は史上初。:[https://weathernews.jp/soramagazine/201507/09/]や[[梅雨#梅雨明けの特定なしの年]]を見ると史上初ではないようです --> * [[2012年]] - [[韓国による天皇謝罪要求|李明博韓国大統領による天皇謝罪要求]]<ref>{{Cite web|和書|date=2012年8月15日 |url=https://japanese.joins.com/article/558/157558.html |title=李大統領、独島上陸に続き天皇に謝罪要求…日本「悪影響、数年続く」 |publisher=中央日報 |accessdate=2019-06-09}}</ref>。 * 2012年 - [[オホーツク海南部深発地震]]。[[マグニチュード#気象庁マグニチュード Mj|Mj]]7.3・[[モーメント・マグニチュード|Mw]]7.7は震源が600kmより深い[[深発地震]]としては大規模なもの。 * [[2016年]] - [[SMAP解散騒動]]: [[ジャニーズ事務所]]が[[SMAP]]の解散を正式に発表<ref>{{Cite web|和書|date=2016-08-14 |url=https://www.sankei.com/article/20160814-JVH52DVLBJLKLCEHDKDJZDSR3E/ |title=【SMAP解散へ】「アイドル高齢化時代」のモデルケースになるか(1/2ページ) |work=産経ニュース |publisher=産業経済新聞社 |accessdate=2018-03-16}}</ref>。 * 2016年 - [[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロオリンピック]]: [[2016年リオデジャネイロオリンピックのテニス競技|テニス]]男子シングルスで、[[錦織圭]]が3位。同種目のメダル獲得は[[1920年アントワープオリンピック|1920年アントワープ大会]]の[[熊谷一弥]]以来96年ぶり<ref>{{Cite web|和書|date=2016-08-15 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDH14HAE_U6A810C1000000/ |title=錦織が「銅」 テニス日本勢96年ぶりメダル |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-03-16}}</ref>。 * [[2018年]] - イタリア・[[ジェノヴァ]]にあった[[モランディ橋]]が崩落<ref>{{Cite web|和書|date=2018年8月17日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3186356 |title=イタリア高架橋崩落 「奇跡」の救出、真下の店舗で生き埋めに…女性が証言 |publisher=AFP |accessdate=2019-06-09}}</ref>。38人が死亡。 * [[2021年]] - ハイチで[[ハイチ地震 (2021年)|M7.2の地震]]が発生する。 == 誕生日 == === 人物 === <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。--> {{multiple image | image1 = Emperor_Hanazono_detail.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[花園天皇]](1297-1348)誕生。{{Squote|空はれて梢色こき月の夜の風におどろく蝉のひと声――『[[風雅和歌集]]』}} | image2 = Friedrich_Wilhelm_I_1713.jpg | width2 = 100 | caption2 = プロイセン王[[フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム1世]](1688-1740)、 | image3 = Jacques-Louis_David_018.jpg | width3 = 100 | caption3 = ローマ教皇[[ピウス7世 (ローマ教皇)|ピウス7世]](1742-1823)誕生。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]と対立 }} [[ファイル:%C3%98rsted.jpg|thumb|100px|物理学者・化学者、[[ハンス・クリスティアン・エルステッド]](1777-1851)]] [[ファイル:Ernest_Thompson_Seton.jpg|thumb|100px|博物学者、[[アーネスト・トンプソン・シートン]](1860-1946)。『[[シートン動物記]]』で知られる]] [[ファイル:John_galsworthy.jpg|thumb|100px|作家[[ジョン・ゴールズワージー]](1867-1933)誕生。{{Squote|夏、夏、夏!草原を渡る音なき足音!――『フォーサイトの小春日和』(1918)}}]] <!-- TODO: 記事本体加筆 --> {{multiple image | image1 = Emperor_Guangxu.JPG | width1 = 100 | caption1 = [[清]]の第11代皇帝、[[光緒帝]](1871-1908) | image2 = | width2 = 100 | caption2 = セルビア王[[アレクサンダル1世 (セルビア王)|アレクサンダル1世]](1876-1903) }} [[ファイル:Richard_R_Ernst.jpg|thumb|100px|化学者[[リヒャルト・R・エルンスト]](1933-2021)。[[核磁気共鳴]]を研究]] * [[1297年]]([[永仁]]5年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[花園天皇]]、第95代[[天皇]](+ [[1348年]]) * [[1633年]]([[寛永]]10年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[溝口重雄]]、第4代[[新発田藩|新発田藩主]](+ [[1708年]]) * [[1675年]]([[延宝]]元年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[松平宗昌]]、第2代[[越前松岡藩|松岡藩主]]、第7代[[福井藩|福井藩主]](+ [[1724年]]) * [[1681年]]([[天和 (日本)|天和]]元年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[浅野吉長]]、第5代[[広島藩|広島藩主]](+ [[1752年]]) * [[1688年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム1世]]、[[プロイセン王]](+ [[1740年]]) * [[1742年]] - [[ピウス7世 (ローマ教皇)|ピウス7世]]、第251代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1823年]]) * [[1777年]] - [[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]、[[物理学者]]、[[化学者]](+ [[1851年]]) * [[1792年]] - [[ジョン・ビグスビー]]、[[医師]]、[[地質学者]](+ [[1881年]]) * [[1822年]] - [[ジェイムズ・ウィリアム・マーシャル (郵政長官)|ジェイムズ・ウィリアム・マーシャル]]、第27代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1910年]]) * [[1840年]] - [[リヒャルト・フォン・クラフト=エビング]]、[[精神医学|精神医学者]](+ [[1902年]]) * [[1842年]] - [[ジャン・ガストン・ダルブー]]、[[数学者]](+ [[1917年]]) * [[1846年]]([[弘化]]3年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[松岡康毅]]、[[政治家]](+ [[1923年]]) * [[1860年]] - [[アーネスト・トンプソン・シートン]]、動物学者(+ [[1946年]]) * [[1867年]] - [[ジョン・ゴールズワージー]]、[[小説家]]、[[劇作家]](+ [[1933年]]) * [[1871年]]([[同治]]10年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[光緒帝]]、[[清]]の第11代[[皇帝]](+ [[1908年]]) * [[1876年]] - [[アレクサンダル1世 (セルビア王)|アレクサンダル1世]]、[[セルビア王国 (近代)|セルビア王]](+ [[1903年]]) * [[1878年]] - [[一戸直蔵]]、[[天文学者]](+ [[1920年]]) * [[1880年]] - [[櫻内幸雄]]、[[政治家]](+ [[1947年]]) * [[1883年]] - [[アーネスト・E・ジャスト]]、[[生物学|生物学者]](+ [[1941年]]) * [[1887年]] - [[荒畑寒村]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E8%8D%92%E7%95%91%E5%AF%92%E6%9D%91-27796|title=荒畑寒村(あらはたかんそん)とは - コトバンク|accessdate=2021-02-17|last=|first=|website=コトバンク|publisher=|language=ja-JP}}</ref>、[[社会主義]]者、[[労働運動]]家、[[作家]]、[[小説家]]、政治家(+ [[1981年]]) * [[1889年]] - [[三富朽葉]]、詩人(+ [[1917年]]) * [[1892年]] - [[カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1988年]]) * [[1910年]] - [[ピエール・シェフェール]]、作曲家(+ [[1995年]]) * 1910年 - [[ウィリー・ロニ|ウィリー・ロニス]]、[[写真家]](+ [[2009年]]) * [[1916年]] - [[藤村富美男]]、[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](+ [[1992年]]) * 1916年 - [[ハインリヒ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1944年]]) * [[1917年]] - [[上田トシコ]]、[[漫画家]](+ [[2008年]]) * [[1920年]] - [[三富恒雄]]、プロ野球選手(+ [[2005年]]) * [[1924年]] - [[ジョルジュ・プレートル]]、[[指揮者]](+ [[2017年]]) * 1924年 - [[スヴェレ・フェーン]]、[[建築家]](+ [[2009年]]) * 1924年 - [[畠山武]]、経営者(+ [[2013年]]) * [[1926年]] - [[ルネ・ゴシニ]]、[[作家]](+ [[1977年]]) * [[1929年]] - [[河瀬断魚]]、[[書家]](+ [[2010年]]) * [[1932年]] - [[亀井俊介]]、[[比較文学|比較文学者]]、[[アメリカ文学|アメリカ文学者]](+ [[2023年]]) * [[1933年]] - [[リヒャルト・R・エルンスト]]、[[化学者]](+ [[2021年]]) * [[1934年]] - [[江國滋]]、[[俳人]]、[[エッセイスト]](+ [[1997年]]) * 1934年 - [[水野正好]]、[[考古学者]](+ [[2015年]]) * [[1936年]] - [[桂歌丸]]、[[落語家]](+ [[2018年]]) * 1936年 - [[ゴーマン美智子]]、[[陸上競技]]選手([[マラソン]])(+ [[2015年]]) * [[1938年]] - [[小倉純二]]、[[日本サッカー協会]]12代会長 * [[1940年]] - [[岡本凱孝]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[デヴィッド・クロスビー]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2023年]]) * 1941年 - [[リン・チェイニー]]、第46代[[アメリカ合衆国副大統領]][[ディック・チェイニー]]の妻 * [[1942年]] - [[久代義明]]、元プロ野球選手 * 1942年 - [[ジャッキー・オリバー]]、[[レーシングドライバー]]、[[フォーミュラ1|F1]]チームオーナー * [[1943年]] - [[高木賢]]、農林官僚 * 1943年 - [[諸山文彦]]、[[バスケットボール選手]]、指導者 * [[1944年]] - [[杉良太郎]]、[[俳優]] * [[1945年]] - [[ヴィム・ヴェンダース]]、[[映画監督]] * 1945年 - [[スティーヴ・マーティン]]、[[コメディアン]]、俳優 * 1945年 - [[矢島純一]]、[[プロボウラー]] * 1945年 - [[平岡一郎]]、プロ野球選手(+ [[1995年]]) * [[1946年]] - [[ラリー・グラハム]]、[[ベーシスト]] * [[1947年]] - [[谷口ジロー]]、[[漫画家]](+ [[2017年]]) * 1947年 - [[片桐竜次]]、俳優 * [[1948年]] - [[ボリス・ペルガメンシコフ]]、[[チェリスト]](+ [[2004年]]) * [[1949年]] - [[ボブ・バックランド]]、[[プロレスラー]] * 1949年 - [[吉田健志]]、[[作曲家]]・[[ベーシスト]]、[[フォークシンガー]] * 1949年 - [[モアテン・オルセン]]、[[サッカー選手]]、指導者 * [[1952年]] - [[塩月勝義]]、プロ野球選手(+ [[2000年]]) * 1952年 - [[倉骨道広]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[ジェームズ・ホーナー]]、[[作曲家]](+ [[2015年]]) * [[1954年]] - [[坂本洋]]、[[音楽プロデューサー]]、[[キーボーディスト]]、作曲家 * 1954年 - [[三田ゆう子]]、[[声優]] * [[1955年]] - [[嗣子鵬慶昌]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[2006年]]) * [[1957年]] - [[地頭方一男]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[湯原信光]]、[[プロゴルファー]] * 1957年 - [[あご勇]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]、俳優 * [[1958年]] - [[阿部祐二]]、リポーター * 1958年 - [[井上純一 (俳優)|井上純一]]、俳優 * [[1959年]] - [[マジック・ジョンソン]]、バスケットボール選手 * [[1960年]] - 工藤浩之、テレビディレクター、演出家 * 1960年 - [[サラ・ブライトマン]]、[[歌手]] * [[1961年]] - [[都並敏史]]、元[[プロサッカー選手]]、指導者 * [[1962年]] - [[中川比佐子]]、[[ファッションモデル]] * [[1963年]] - [[別府修作]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[鷹岬諒]]、漫画家 * [[1965年]] - [[エマニュエル・ベアール]]、[[俳優|女優]] * 1965年 - [[岡田あーみん]]、漫画家 * 1965年 - [[岡村靖幸]]、ミュージシャン * [[1966年]] - [[鈴木保奈美]]、女優 * 1966年 - [[ハリー・ベリー]]、女優 * [[1968年]] - [[天久聖一]]、漫画家、[[アニメーター]] * 1968年 - [[平畠啓史]]、お笑い芸人([[DonDokoDon]]) * 1968年 - [[ダレン・クラーク]]、[[プロゴルファー]] * 1968年 - [[キャサリン・ベル]]、女優 * [[1970年]] - [[馬海泳]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[本田貴子]]、[[声優]] * 1972年 - [[デビッド・ストーン]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]] * 1972年 - [[ヤミレ・アルダマ]]、陸上競技選手 * 1972年 - [[ユ・ジェソク]]、[[コメディアン]] * [[1973年]] - [[小宮山雄飛]]、ミュージシャン([[ホフディラン]]) * 1973年 - [[オーガスティン・オコチャ|ジェイジェイ・オコチャ]]、サッカー選手 * 1973年 - [[ハレド・ボルヘッティ]]、サッカー選手 * 1973年 - [[キーレン・パーキンス]]、[[競泳]]選手 * [[1974年]] - [[ファイヤー原田]]、キックボクサー * 1974年 - [[ハイアン・グレイシー]]、[[柔術家]](+ [[2007年]]) * 1974年 - 鈴木Q太郎、[[お笑い芸人]]([[ハイキングウォーキング]]) * [[1975年]] - [[今村舞]]、ドラマー * 1975年 - [[徳永有美]]、アナウンサー * 1975年 - [[マイク・ブレイベル]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * 1975年 - [[萩原渉]]、アナウンサー * [[1976年]] - [[羽根直樹]]、囲碁棋士 * [[1977年]] - [[スコット・チャイアソン]]、プロ野球選手 * 1977年 - [[石志偉]]、プロ野球選手 * [[1978年]] - [[山本清史]]、[[映画監督]] * 1978年 - [[孫嶺峰]]、野球選手 * [[1979年]] - [[谷ルミコ]]、歌手 * 1979年 - [[森川陽一郎]]、[[映像作家]] * 1979年 - [[岩崎智史]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[理衣]]、ファッションモデル * [[1983年]] - [[町本絵里]]、ファッションモデル、歌手、女優 * 1983年 - [[ミラ・クニス]]、女優 * [[1984年]] - [[石原直樹]]、サッカー選手 * 1984年 - [[ジョルジョ・キエッリーニ]]、サッカー選手 * [[1985年]] - [[アシュリン・ブルック]]、ポルノ女優 * 1985年 - [[シャーロット・ケイト・フォックス]]、女優 * 1985年 - [[エスミル・ロジャース]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[高橋実恵子]]、女優 * 1986年 - [[キャメロン・ジェローム]]、サッカー選手 * 1986年 - 森さん、ミュージシャン([[ケラケラ]]) * 1986年 - [[宮川愛]]、歌手 * 1986年 - [[吉原ナツキ]]、声優 * [[1987年]] - [[浅利陽介]]、俳優 * 1987年 - [[ティム・ティーボウ]]、元プロ野球選手、[[アメリカンフットボール]]選手 * 1987年 - [[デビッド・ペラルタ]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[アレックス・リッディ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[森村昂太]]、サッカー選手 * 1988年 - [[出口和也]]、元陸上選手 * [[1989年]] - [[金田久美子]]、[[プロゴルファー]] * 1989年 - [[奥埜博亮]]、サッカー選手 * 1989年 - [[さわち店長]]、グラビアアイドル、[[料理研究家]] * [[1990年]] - [[松葉貴大]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[今井美亜]]、競艇選手 * 1990年 - [[ナズ・アイデミル]]、バレーボール選手 * [[1991年]] - [[新居里菜]]、女優 * [[1993年]] - [[川島有貴]]、[[IBC岩手放送]]アナウンサー * [[1994年]] - 松本彩、ミュージシャン(元[[SHISHAMO]]) * [[1996年]] - [[上西星来]]、女優、モデル([[東京パフォーマンスドール]]) * [[1998年]] - [[菅野真衣]]、声優 * [[2000年]] - [[森下翔太]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - [[矢久保美緒]]、アイドル([[乃木坂46]]) * 2002年 - [[ヒュニンカイ]]、アイドル([[TOMORROW X TOGETHER|TXT]]) * 生年不明 - [[木村武文]]、声優 * 生年不明 - [[山門久美]]、声優 * 生年不明 - 愛(ラブ)、アイドル([[WAgg]]) * 生年不明 - [[片田一幸]]、実業家 === 人物以外(動物など) === * [[2018年]] - 彩浜、[[ジャイアントパンダ]] == 忌日 == {{multiple image | image1 = Solidus-Tiberius_II-Sear_421x422.jpg | width1 = 100 | caption1 = 東ローマ帝国皇帝、[[ティベリウス2世]](540-582) | image2 = Donnchad_I.jpg | width2 = 80 | caption2 = スコットランド王[[ダンカン1世 (スコットランド王)|ダンカン1世]](1001-1040)、[[マクベス (スコットランド王)|マクベス]]に殺害される | image3 = JoaoI-P.jpg | width3 = 80 | caption3 = ポルトガル王[[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]](1357-1433)没 }} {{multiple image | footer = 鎌倉幕府第2代将軍、[[源頼家]](1182-1204)暗殺。{{Squote|[[修禅寺]]にてまた頼家入道を刺殺してけり。とみに、えとりつめざりければ、頸に緒をつけ、[[精巣|ふぐり]]を取りなどして殺してけりと聞えき。――『愚管抄』}} | image1 = Minamoto_no_Yoriie.jpg | width1 = 100 | alt1 = 源頼家 | image2 = Minamoto_no_Yoriies_grave_2007-02-25.jpg | width2 = 100 | alt2 = 墓 }} [[ファイル:Pintoricchio_012.jpg|thumb|100px|ローマ教皇[[ピウス2世 (ローマ教皇)|ピウス2世]](1405-1464)]] <!-- [[ファイル:Johann_Friedrich_Herbart.jpg|thumb|100px|哲学者・教育学者、[[ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト]](1776-1841)]] --> [[ファイル:Tokugawa_Iesada.jpg|thumb|100px|江戸幕府第13代将軍、[[徳川家定]](1824-1858)没]] <!-- [[ファイル:Alfred_Harmsworth%2C_1st_Viscount_Northcliffe_-_Project_Gutenberg_eText_15305.jpg|thumb|100px|イギリスの新聞王、[[ノースクリフ子爵アルフレッド・ハームズワース]](1865-1922)]] TODO: 記事本体加筆 --> {{multiple image | image1 = Paul Sabatier, chemist (1854–1941).jpg | width1 = 100 | caption1 = 化学者[[ポール・サバティエ]](1854-1941) | image2 = | width2 = 120 | caption2 = 物理学者[[フレデリック・ジョリオ=キュリー]](1900-1958)、 }} {{multiple image | image1 = Bundesarchiv_Bild_183-W0409-300%2C_Bertolt_Brecht.jpg | width1 = 100 | caption1 = 劇作家・詩人、[[ベルトルト・ブレヒト]](1898-1956)没。{{Squote|[[死]]のことを、不適切な生ほどには恐れるな。――『母』(1930)}} | image2 = Elias_Canetti_tomb-stone.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作家[[エリアス・カネッティ]](1905-1994) <!-- TODO:Squote --> }} <!-- [[ファイル:Grab-Brecht-Weigel.JPG|thumb|100px|[[ベルトルト・ブレヒト]](1898-1956)]] 墓 --> <!-- [[ファイル:Goto_Keita.png|thumb|100px|実業家、[[五島慶太]](1882-1959)]] --> <!-- [[ファイル:Clark_Ashton_Smith_1912.jpg|thumb|100px|小説家[[クラーク・アシュトン・スミス]](1893-1961)]] --> <!-- WANTED: カール・ベーム --> <!-- [[ファイル:Ilario_Bandini_ed_Enzo_Ferrari.jpg|thumb|100px|実業家[[エンツォ・フェラーリ]](1898-1988)]] --> <!-- [[ファイル:Celibidache_At_Curtis_Single.jpg|thumb|100px|指揮者・作曲家、[[セルジュ・チェリビダッケ]](1912-1996)]] --> * [[582年]] - [[ティベリウス2世]]、[[東ローマ帝国]]ユスティニアヌス朝第4代皇帝(* [[540年]]) * [[1040年]] - [[ダンカン1世 (スコットランド王)|ダンカン1世]]、[[スコットランド王国|スコットランド王]](* [[1001年]]) * [[1176年]]([[安元]]2年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]]) - [[平滋子]]、[[後白河天皇]]女御、[[高倉天皇]]生母(* [[1142年]]) * [[1204年]]([[元久]]元年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[源頼家]]、[[鎌倉幕府]]第2代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1182年]]) * [[1297年]] - [[フリードリヒ3世 (ニュルンベルク城伯)|フリードリヒ3世]]、[[ニュルンベルク城伯]](* [[1220年]]頃) * [[1362年]]([[貞治]]元年/[[正平 (日本)|正平]]17年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[細川清氏]]、[[室町幕府]]執事 * [[1429年]]([[永享]]元年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[細川持元]]、[[室町時代]]の[[守護大名]](* [[1399年]]) * [[1433年]] - [[ジョアン1世 (ポルトガル王)|ジョアン1世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]][[アヴィシュ王朝]]初代国王(* [[1357年]]) * [[1464年]] - [[ピウス2世 (ローマ教皇)|ピウス2世]]、[[教皇|ローマ教皇]](* [[1405年]]) * [[1494年]]([[明応]]3年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[最上満氏]]、[[出羽国]]の[[戦国大名]](* [[1446年]]?) * [[1640年]]([[寛永]]17年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[松平康重]]、[[騎西藩|騎西藩主]]、[[篠山藩|篠山藩主]]、[[岸和田藩|岸和田藩主]](* [[1568年]]) * [[1641年]](寛永18年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]]) - [[松前公広]]、[[松前藩|松前藩主]](* [[1598年]]) * [[1727年]] - [[ウィリアム・クロフト]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]](* [[1678年]]) * [[1731年]]([[享保]]16年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[堀田正休]]、[[吉井藩|吉井藩主]]、[[近江宮川藩|近江宮川藩主]](* [[1655年]]) * [[1754年]] - [[マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1683-1754)|マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ]]、[[ジョアン5世 (ポルトガル王)|ポルトガル王ジョアン5世]]の妃(* [[1683年]]) * [[1771年]]([[明和]]8年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]]) - [[加藤泰宦]]、第4代[[新谷藩|新谷藩主]](* [[1737年]]) * [[1822年]]([[文政]]5年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[諏訪忠粛]]、第7代[[諏訪藩|高島藩主]](* [[1768年]]) * [[1841年]] - [[ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト]]、[[教育学者]]、[[心理学者]]、[[哲学者]](* [[1776年]])<!-- en,fr,pl:8/11 ja,DE,es,it,ru:8/14 --> * [[1847年]]([[弘化]]4年7月4日)- [[笹川繁蔵]]、[[侠客]](* [[1810年]]) * [[1858年]]([[安政]]5年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[徳川家定]]、[[江戸幕府]]第13代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1824年]]) * [[1860年]]([[万延]]元年6月28日) - [[尾上菊五郎 (4代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1808年]]) * [[1900年]] - [[岩下方平]]、[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](* [[1827年]]) * 1900年 - [[馬建忠]]、[[清]]の[[洋務運動]]推進者(* [[1845年]]) * 1900年 - [[王懿栄]]、[[金石学]]者(* 1845年) * [[1905年]] - [[シメオン・ソロモン]]、画家(* 1840年) * [[1907年]] - [[福羽美静]]、[[国学者]](* [[1831年]]) * [[1910年]] - [[フランク・ポドモア]]、[[著作家]]、[[社会主義]]運動家(* [[1856年]]) * [[1912年]] - [[楫取素彦]]、[[元老院議官]]、貴族院議員、宮中顧問官(* [[1829年]]) * [[1922年]] - [[ノースクリフ子爵アルフレッド・ハームズワース]]、[[実業家]]、新聞発行者(* [[1865年]]) * [[1927年]] - [[レフ・シュテルンベルク]]、民族学者(* [[1861年]]) * [[1934年]] - [[レイモンド・フッド]]、[[建築家]](* [[1881年]]) * [[1938年]] - [[平沼淑郎]]、[[経済学者]](* [[1864年]]) * 1938年 - [[ランドン・ロナルド]]、[[指揮者]](* [[1873年]]) * 1938年 - [[アーブラハム・ツェーヴィ・イーデルゾーン]]、[[音楽学者]](* [[1882年]]) * [[1940年]] - [[張嘯林]]、[[青幇]]の首領(* [[1877年]]) * [[1941年]] - [[マキシミリアノ・コルベ]]、[[キリスト教]]の[[司祭]]、[[聖人]](* [[1894年]]) * 1941年 - [[ポール・サバティエ]]、[[化学者]](* [[1854年]]) * [[1942年]] - [[譚玉齢]]、[[満洲国]][[皇帝]][[愛新覚羅溥儀]]の側室(* [[1920年]]) * [[1943年]] - [[ジョー・ケリー (1871年生の外野手)|ジョー・ケリー]]、プロ野球選手(* [[1871年]]) * [[1947年]] - [[三浦新七]]、経済学者(* [[1877年]]) * [[1950年]] - [[安江仙弘]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[大佐]](* [[1888年]]) * [[1951年]] - [[ウィリアム・ランドルフ・ハースト]]、実業家・新聞発行者(* [[1863年]]) * [[1956年]] - [[コンスタンティン・フォン・ノイラート]]、[[ナチス・ドイツ]]外相、[[ベーメン・メーレン保護領]]総督(* [[1873年]]) * 1956年 - [[ベルトルト・ブレヒト]]、[[劇作家]](* [[1898年]]) * [[1958年]] - [[松岡駒吉]]、第39代[[衆議院議長]](* [[1888年]]) * 1958年 - [[フレデリック・ジョリオ=キュリー]]、[[物理学者]](* [[1900年]]) * [[1959年]] - [[五島慶太]]、[[実業家]]、[[東京急行電鉄]]創業者(* [[1882年]]) * [[1960年]] - [[フレッド・クラーク]]、プロ野球選手(* [[1872年]]) * [[1961年]] - [[クラーク・アシュトン・スミス]]、[[ファンタジー]][[小説家]](* [[1893年]]) * [[1964年]] - [[野島康三]]、[[写真家]](* [[1889年]]) * [[1980年]] - [[ディエゴ・ファッブリ]]、[[作家]]、[[脚本家]](* [[1911年]]) * [[1981年]] - [[カール・ベーム]]、指揮者(* [[1894年]]) * [[1984年]] - [[J・B・プリーストリー]]、[[著作家]]、[[劇作家]]、[[司会者]](* [[1894年]]) * [[1985年]] - [[足立巻一]]、小説家(* [[1913年]]) * [[1986年]] - 2代目[[桐竹勘十郎]]、[[文楽]]の人形方(* [[1920年]]) * [[1987年]] - [[石森延男]]、[[児童文学者]](* [[1897年]]) * 1987年 - [[ヴィンセント・パーシケッティ]]、作曲家(* [[1915年]]) * [[1988年]] - [[エンツォ・フェラーリ]]、[[フェラーリ]]創業者(* [[1898年]]) * 1988年 - [[足立篤郎]]、[[農林水産大臣|農林大臣]]、[[科学技術庁長官]](* [[1910年]]) * [[1989年]] - [[ロバート・バーナード・アンダーソン]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](* 1910年) * [[1994年]] - [[エリアス・カネッティ]]、[[作家]]、[[思想家]](* [[1905年]]) * [[1996年]] - [[セルジュ・チェリビダッケ]]、指揮者(* [[1912年]]) * [[2000年]] - [[鮫島博一]]、[[統合幕僚長|統合幕僚会議議長]](* [[1918年]]) * 2000年 - [[今西正男]]、[[俳優]]、[[声優]](* [[1931年]]) * [[2002年]] - [[上條逸雄]]、[[脚本家]](* 1931年) * [[2004年]] - [[チェスワフ・ミウォシュ]]、[[詩人]](* [[1911年]]) * [[2005年]] - [[金子みつ]]、[[日本社会党]]副委員長(* [[1914年]]) * [[2006年]] - [[青山哲也]]、俳優(* [[1940年]]) * 2006年 - [[ブルーノ・カービー]]、俳優(* [[1949年]]) * [[2007年]] - [[ティホン・フレンニコフ]]、作曲家(* [[1913年]]) * 2007年 - [[ビル・ロマス]]、[[オートバイ]]の[[ロードレース (オートバイ)|ロードレース]]選手(* [[1928年]]) * 2007年 - [[琴櫻傑將]]、[[大相撲]]第53代[[横綱]](* [[1940年]]) * 2007年 - [[山口小夜子]]、[[ファッションモデル]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1954年]]) * [[2008年]] - [[青地清二]]、[[スキージャンプ]]選手(* [[1942年]]) * 2008年 - [[内藤高]]、[[比較文学|比較文学者]](* [[1949年]]) * [[2009年]] - [[川上紀一]]、政治家、[[千葉県知事一覧|千葉県知事]](* [[1919年]]) * 2009年 - [[キマニ・マルゲ]]、[[ギネス世界記録|ギネス・ブック]]で世界最高齢の小学生と認定された人物(* [[1920年]]頃) * 2009年 - [[難波昭二郎]]、元[[プロ野球選手]](* [[1935年]]) * [[2013年]] - [[山口冨士夫]]、ミュージシャン(* [[1949年]]) * [[2016年]] - [[豊田泰光]]、元プロ野球選手(* [[1935年]]) * [[2020年]] - [[宮内淳]]、俳優(* [[1950年]]) * [[2021年]] - [[ジェリー藤尾]]、歌手、俳優(* [[1940年]]) * 2021年 - [[メリー喜多川]]、実業家、芸能プロモーター(* 1927年) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[パキスタン]]の独立記念日(1947年独立)。 <!-- | direction = vertical --> | image1 = Pakistan (orthographic projection).svg | width1 = 140 | caption1 = パキスタンの位置 | image2 = GGJinnah.jpg | width2 = 120 | caption2 = 1947年のこの日、[[パキスタン (ドミニオン)|ドミニオン]]となった <!-- | image3 = Deosai Plateau 2.jpg | width3 = 200 | caption3 = {{仮リンク|デオサイ国立公園|en|Deosai National Park}} --> }} * [[独立記念日]]({{PAK}}) *: [[1947年]]のこの日、パキスタンが[[イギリス]]から独立した。 * [[専売特許の日]]({{JPN}}) *: [[1885年]]8月14日に日本最初の専売特許が交付されたことに由来。特許第1号は[[堀田瑞松]]が出願していた「堀田錆止塗料及其塗法」(錆止め塗料とその塗り方)であった。この他に第7号までが認定される。 * 聖[[マキシミリアノ・コルベ]]神父の[[聖名祝日|祝日]]([[カトリック教会]]) *: 教えが[[ナチス]]の思想と相反したものであるとして[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュビッツ強制収容所]]に送られ、見せしめのために処刑される見ず知らずの他人の身代りとなって、この日に餓死刑で亡くなったマキシミリアノ・コルベを記念する日。 *ハッピーサマーバレンタインデー({{JPN}}) *: 漫画「[[テニスの王子様]]」および「[[新テニスの王子様]]」のキャラクター達が、[[2月14日]]のバレンタインデーのお返しをする日として、作者・[[許斐剛]]氏が制定したもの。2018年8月12日に開かれたイベントにて記念日登録書が授与された。<ref> http://tenipuri.jp/news/news/7005.html </ref> {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0814|date=2011-06}} * [[1921年]] - 末延唯月、藤川紡たちとの[[軽井沢]]旅行のさなか、幼馴染みの一条雪佳と再会。(漫画『[[紡ぐ乙女と大正の月]]』)<ref>{{Cite book|和書|title=紡ぐ乙女と大正の月 2巻|date=2021-08-26|publisher=[[芳文社]]|page=24|author=ちうね|isbn=978-4832273016}}作中の日付は同巻の目次より。</ref> * 1955年(昭和30年)- 朝、由良泰子の死体が発見される。(小説『[[悪魔の手毬唄]]』第2部) * 1959年(昭和34年)- 鳳千代子の一番目の夫で元[[映画俳優]]の笛小路泰久が白樺キャンプに宿泊。(小説『[[仮面舞踏会 (横溝正史)|仮面舞踏会]]』第4章<ref>村上一彦が金田一耕助に語る。</ref>) * 1960年(昭和35年)- 日曜日、[[金田一耕助]]は、[[考古学者]]の的場英明とその弟子の村上一彦に、「鳳千代子の三番目の夫で[[洋画家]]の槇恭吾の死体が発見され、飛鳥忠熙から事件の調査を依頼された」と言う。(小説『仮面舞踏会』第3章) * 1992年 - ゆうれいママ、[[タイムトラベル|タイムスリップ]]先の[[2100年]]からこの日に戻ってくる。(小説『ゆうれいママ2100年のひみつ』)<ref>堀直子(作)・[[ふくやまけいこ]](絵)『ゆうれいママ2100年のひみつ』[[偕成社]]、1992年、139頁。</ref> * [[2100年]] - ゆうれいママ、誤って[[1992年]]からこの日の「ネオ・トーキョー」にタイムスリップする。(小説『ゆうれいママ2100年のひみつ』)<ref>『ゆうれいママ2100年のひみつ』30頁。</ref> === 誕生日(フィクション) === * [[1975年]] - [[板垣学]]、漫画『[[はじめの一歩]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ippo_fs|1426198104986902543}}</ref> * [[1986年]] - 御田万里、ゲーム『[[ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜]]』に登場するヒロインのひとり<ref>{{Cite book|和書|title=ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜 公式ガイドブック 完全版(コナミ完璧攻略シリーズ)|date=2002-02-01|publisher=[[コナミホールディングス|コナミ株式会社]]|isbn=978-4-575-16310-0|page=102|chapter=キャラクター別攻略マニュアル}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=別冊宝島947 我が青春の『ときめきメモリアル』ヒロインズ|date=2004-01-01|publisher=[[宝島社]]|isbn=4-7966-3828-8|page=47|chapter=Character Collection: ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜}}</ref> * [[1989年]] - ジェネシス、アニメ『[[Hi☆sCoool! セハガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shg.sega.jp/chara.html |title=ジェネシス |access-date=2022-08-28 |publisher=セガ★ハードガールズ}}</ref> * [[1994年]] - フェイ・ヴァレンタイン、アニメ『[[カウボーイビバップ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1426378043606507525}}</ref> * [[2018年]] - 上杉・ウエバス・キョーコ、ゲーム『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://t7s.jp/character/chara/14.html |title=上杉・ウエバス・キョーコ |work=Tokyo 7th シスターズ Donuts Co. Ltd. |accessdate=2022-08-28}}</ref><ref group="注">生年は作中の年代設定と年齢(西暦[[2034年]]時点で16歳)から逆算。</ref> * 生年不明 - 鏑木・T・虎徹、漫画・アニメ『[[TIGER&BUNNY]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tigerandbunny.net/TB2/character/people.php?id=0 |title=鏑木・T・虎徹 |access-date=2022-08-28 |publisher=TIGER&BUNNY2}}</ref> * 生年不明 - 城光与志忠、漫画・アニメ『[[ホイッスル!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - エリック大統領、漫画・アニメ『[[BLACK CAT]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 檜佐木修兵、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/02/hisagi.html |title=檜佐木 修平 |access-date=2022-08-28 |publisher=BLEACH.com}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2006|page=181|isbn=4-08-874079-3}}</ref> * 生年不明 - 山伏権太夫、漫画・アニメ『[[アイシールド21]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 橘高早矢、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|W_Trigger_off|1426198131008475140}}</ref> * 生年不明 - ベロニカ・ボロズウィック、漫画・アニメ『[[エルドライブ【ēlDLIVE】]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 黒山墨字、漫画・アニメ『[[アクタージュ act-age]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ワイーヨ、漫画・アニメ『[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1294126623080448000}}</ref> * 生年不明 - 園山ユリエ、漫画『[[DEATHTOPIA]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - フェルサー、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 楽就、漫画・アニメ『[[一騎当千 (漫画)|一騎当千]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/ikki_eb/character/gakushuu/ |title=楽就 |access-date=2022-08-28 |publisher=『一騎当千エクストラバースト』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - エルニィ立花、漫画・アニメ『[[ジンキ-人機-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 平井、漫画・アニメ『[[ミルモでポン!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 加藤ミカ、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 雪村透、漫画・アニメ『[[青春×機関銃]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 黒沼青葉、小説・アニメ『[[デュラララ!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタイン、メディアミックス『[[ストライクウィッチーズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 剣ものべ、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 連坊小路サトミ、アニメ『[[革命機ヴァルヴレイヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.valvrave.com/character/#c10 |title=連坊小路サトミ |work=革命機ヴァルヴレイヴ |accessdate=2022-08-28 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] VVV Committee, [[毎日放送|MBS]]}}</ref> * 生年不明 - 高城千鳥、アニメ・漫画『[[キズナイーバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kiznaiver.jp/character/takashiro.html |title=高城千鳥 CV:寺崎裕香 |work=[[トリガー (アニメ制作会社)|TRIGGER]]・岡田麿里/キズナイーバー製作委員会 |accessdate=2022-08-28}}</ref> * 生年不明 - 板橋渉、ゲーム・アニメ『[[D.C.II ~ダ・カーポII~]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://circus-co.jp/product/dc2ps/character/wataru.html |title=板橋渉 |access-date=2022-08-28 |publisher=D.C.II P.S.~ダ・カーポII~プラスシチュエーション - CIRCUS}}</ref> * 生年不明 - 真壁翼、ゲーム『[[VitaminX]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|vitamin_d3p|1029019926940577792}}</ref> * 生年不明 - 玉泉日和子、ゲーム・アニメ『[[俺たちに翼はない]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 宇喜多秀美、ゲーム・アニメ『[[真剣で私に恋しなさい!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://www.minatosoft.com/majikoi-s/chara-hidemi.html |title=人物紹介 宇喜多 秀美 |access-date=2022-08-28 |publisher=真剣で私に恋しなさい!S}}</ref> * 生年不明 - 皆口英里、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130711_190814/ |title=【ガールフレンド(仮)通信78】ガッツ溢れる闘魂ガール 皆口英里ちゃん(CV:楠田亜衣奈) |access-date=2022-08-28 |publisher=ファミ通App |date=2013-07-11}}</ref> * 生年不明 - 火向井ゆり、ゲーム・アニメ『[[バトルガール ハイスクール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://colopl.co.jp/battlegirl-hs/chara/ |title=キャラクター 高2 火向井ゆり |work=バトルガールハイスクール |accessdate=2022-08-28 |publisher=[[コロプラ|COLOPL]]/Battle Girl HS Project}}</ref> *生年不明 - イオ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1558634539588562944}}</ref> *生年不明 - オルト・シュラウド、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/ortho |title=オルト・シュラウド |access-date=2022-08-28 |publisher=DISNEY TWISTED WONDERLAND}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 14|14 August}} {{新暦365日|8|13|8|15|[[7月14日]]|[[9月14日]]|[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]|0814|8|14}} {{1年の月と日}}
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5,610
9月14日
9月14日(くがつじゅうよっか、くがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から257日目(閏年では258日目)にあたり、年末まであと108日ある。
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9月14日(くがつじゅうよっか、くがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から257日目(閏年では258日目)にあたり、年末まであと108日ある。
{{カレンダー_9月}} '''9月14日'''(くがつじゅうよっか、くがつじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から257日目([[閏年]]では258日目)にあたり、年末まであと108日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[明和事件]], [[孝明天皇]], [[津田梅子]]/[[津田塾大学]], [[第一高等学校 (旧制)]]/[[東京大学]], ([[零式艦上戦闘機]],) [[国際連合本部ビル]], [[朝鮮戦争]]/[[仁川上陸作戦]](15日開始の日付はあるので恐らく大丈夫?), [[鹿苑寺]], [[西ドイツ]]/[[ポーランド]], [[ホンダ・NSX]], [[イチロー]], [[キリバス]]/[[ナウル]]/[[トンガ]], ([[阿智村]],) --> <!-- [[Image:William_Hogarth_028.jpg|thumb|イギリスで[[グレゴリオ暦]]導入(1582)、[[9月2日]]の翌日が9月14日に。画像右下の黒い紙に「我々の11日間を返せ」の文字が見える]] 9/2にも貼ってあるやつです。 --> [[Image:Napoleon_Moscow_Fire.JPG|thumb|200px|[[1812年]]、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]がモスクワに入城。大火が発生]] {{multiple image | footer = [[1822年]]、[[ジャン=フランソワ・シャンポリオン|シャンポリオン]]、[[ロゼッタ・ストーン]]の[[ヒエログリフ]]解読 | image1 = Jean-Francois_Champollion_2.jpg | width1 = 100 | alt1 = シャンポリオン | image2 = Rosetta_Stone.JPG | width2 = 100 | alt2 = ロゼッタ・ストーン }} <!-- [[fr:Jean-François Champollion]]に日付あり。正確には「人名が解読できた日」だとか --> [[Image:Namamugi_incident.jpg|thumb|200px|[[1862年]]、[[生麦事件]]]] [[Image:TR_Inaugurationsketch.jpg|thumb|200px|[[1901年]]、[[マッキンリー大統領暗殺事件|マッキンリー大統領暗殺]]により、[[セオドア・ルーズベルト|T・ルーズベルト]]が大統領昇格]] <!-- [[Image:Italian_troops_at_Isonzo_river.jpg|thumb|[[第一次世界大戦]]、[[第七次イゾンツォの戦い]](1915)]] --> <!-- [[Image:24_Eyes_2.jpg|thumb|映画『[[二十四の瞳 (映画)|]]』封切(1954)]] --> <!-- [[Image:Saint_Elizabeth_Ann_Seton_%281774_-_1821%29.gif|thumb|140px|{{仮リンク|エリザベス・アン・シートン|en|Elizabeth Ann Seton}}、アメリカ人初の[[聖人]]として列聖(1975)]] --> * [[81年]] - 前日の[[ティトゥス]]の死去に伴い弟の[[ドミティアヌス]]が[[ローマ皇帝]]に即位{{要出典|date=2021-03}}。 * [[533年]] - [[ヴァンダル戦争]]: [[アド・デキムムの戦い]]に勝利した[[ベリサリウス]]の[[東ローマ帝国]]軍が[[カルタゴ]]に侵入(10月15日という説もある)。 * [[770年]]([[宝亀]]元年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[道鏡]]が下野国薬師寺別当に配流。 * [[786年]] - [[ハールーン・アッ=ラシード]]が[[アッバース朝]]第5代[[カリフ]]に即位。 * [[919年]] - {{仮リンク|アイランドブリッジの戦い|en|Battle of Islandbridge}}。 * [[1180年]]([[治承]]4年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[石橋山の戦い]]。[[以仁王]]の令旨を奉じて挙兵した[[源頼朝]]が平氏方に敗れ、[[安房国]]に落ち延びる。 * [[1193年]]([[建久]]4年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - 源頼朝が弟・[[源範頼|範頼]]を伊豆・[[修禅寺]]に幽閉。 * [[1219年]] - {{仮リンク|グルノーブル洪水|en|Flood of Grenoble (1219)|fr|Inondation de Grenoble en 1219}}。 * [[1515年]] - [[イタリア戦争]]・[[カンブレー同盟戦争]]: 前日からの{{仮リンク|マリリャーノの戦い|en|Battle of Marignano|it|Battaglia di Marignano|de|Schlacht bei Marignano}}でヴェネツィアが勝利。 * [[1695年]]([[元禄]]8年[[8月7日 (旧暦)|8月7日]]) - [[江戸幕府]]が金銀吹き替え(改鋳)の触書を公布。 * [[1723年]] - {{仮リンク|マノエル砦|en|Fort Manoel}}の建設が開始。名称は礎石を置いた当時の[[聖ヨハネ騎士団|ヨハネ騎士団]]長の名前による。 * [[1741年]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]の[[オラトリオ]]『[[メサイア (ヘンデル)|メサイア]]』の作曲が完了。 * [[1752年]] - [[イギリス]]とその植民地で[[グレゴリオ暦]]を導入。[[9月2日]]の翌日が9月14日となる。 * [[1758年]] - [[フレンチ・インディアン戦争]]: [[デュケーヌ砦の戦い]]でデュケーヌ砦をイギリスが占領。 * [[1763年]] - [[ポンティアック戦争]]: {{仮リンク|デヴィルズホールの戦い|en|Battle of Devil's Hole}} * [[1767年]]([[明和]]4年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[明和事件]]。[[江戸幕府]]によって[[山県大弐]]や[[藤井右門]]らが処刑される。 * [[1782年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ジョージ・ワシントン]]が[[ジャン=バティスト・ド・ロシャンボー]]将軍率いるフランス軍を閲兵。<!-- enによる --> * [[1791年]] - [[教皇庁]]が[[フランス革命]]による[[フランス立憲王国]]により[[アヴィニョン]]を喪失。<!-- enによる --><!--第一共和政は1792年9月から--> * [[1812年]] - [[1812年ロシア戦役]]: [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]軍が[[モスクワ]]に入城。{{仮リンク|モスクワ火災|en|Fire of Moscow (1812)}}が始まる。 * [[1814年]] - [[米英戦争]]の[[ボルティモアの戦い|ボルチモアの戦い]]の最中にフランシス・スコット・キーが翻る[[アメリカ合衆国の国旗|アメリカ国旗]]を見て詩を記し、これが現国歌『[[星条旗 (国歌)|星条旗]]』の歌詞となる。 * [[1822年]] - [[ジャン=フランソワ・シャンポリオン|シャンポリオン]]が[[ロゼッタ・ストーン]]の[[ヒエログリフ]]の解読に成功。<!-- [[en:Lettre à M. Dacier]]に記載あり --> * [[1829年]] - [[オスマン帝国]]が[[露土戦争 (1828年-1829年)|露土戦争]]の講和条約「[[アドリアノープル条約]]」に署名。 * [[1858年]]([[安政]]5年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[孝明天皇]]が[[水戸藩]]に対し[[戊午の密勅]]を下す。 * [[1862年]]([[文久]]2年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[生麦事件]]。 * 1862年 - [[南北戦争]]: [[サウス山の戦い]] * [[1864年]]([[元治]]元年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[下関戦争]]: [[長州藩]]が英米蘭仏4か国連合艦隊と講和。 * [[1867年]] - 『[[資本論]]』の第1巻の初版が刊行される。 * [[1900年]] - [[津田梅子]]が[[東京市]][[麹町]]に女子英学塾([[津田塾大学]]の前身)を創立。 * [[1901年]] - [[9月6日|6日]]に[[マッキンリー大統領暗殺事件|狙撃]]された[[アメリカ合衆国大統領]][[ウィリアム・マッキンリー]]が死去。副大統領[[セオドア・ルーズベルト]]が大統領に就任。 * [[1905年]] - [[奥羽本線]]全通。 * [[1911年]]([[ユリウス暦]][[9月1日]]) - [[ロシア帝国]]首相[[ピョートル・ストルイピン]]が[[キエフ]]で[[アナキズム|アナキスト]]に狙撃される。ストルイピンは[[9月18日]]に死亡。 * [[1914年]] - [[オーストラリア海軍]]初の潜水艦であった[[AE1 (潜水艦)|AE1]]が哨戒のため出航して以来行方不明に。 * [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]: [[第七次イゾンツォの戦い]]。 * [[1917年]] - [[ロシア共和国 (臨時政府)|ロシア共和国]]([[:en:Russian_Republic|Russian Republic]])の建国が宣言される。 * [[1930年]] - [[1930年ドイツ国会選挙|ドイツ国会の選挙]]が行われ[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が第二党に躍進。 * [[1935年]] - 旧制[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]が[[東京大学|東京帝国大学]][[農学部]]と校地を交換する形で[[東京大学駒場地区キャンパス|駒場]]に移転。 * [[1939年]] - [[第二次世界大戦]]: [[オジェウ事件]]。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦: {{仮リンク|ヴィアンノスの虐殺|en|Viannos massacres}}。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦: [[マーストリヒト]]解放。 <!-- 確認できず * [[1938年]] - [[零式艦上戦闘機|ゼロ戦]]試作機が完成。 --> * [[1948年]] - [[ニューヨーク]]の[[国際連合本部ビル]]が着工。 * [[1949年]] - [[小田原一家5人殺害事件]]: [[神奈川県]][[小田原市]]で18歳の少年が[[銭湯]]経営者の一家5人を殺害。死刑確定後に[[恩赦]]で無期懲役に減軽されるが、[[仮釈放|仮出所]]後の1984年に殺人未遂を再犯。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: [[北朝鮮]]軍が[[釜山広域市|釜山]]周辺を残し朝鮮戦争における最南下線に到達。翌日から[[仁川上陸作戦]]で戦線が後退する。 * [[1954年]] - [[木下惠介]]監督の映画『[[二十四の瞳 (映画)|二十四の瞳]]』の封切り。 * 1954年 - [[ソ連]]が{{仮リンク|トコツエ核実験|en|Totskoye nuclear exercise}}を行う。 * [[1955年]] - [[1950年]]に放火で炎上した[[京都市]]の金閣([[鹿苑寺]]舎利殿)の再建。 * [[1959年]] - [[ソビエト連邦]]の宇宙探査機「[[ルナ2号]]」が月面の「晴の海」に衝突し、[[月]]に到着した初の人工物体となる。 * [[1960年]] - [[石油輸出国機構]] (OPEC) が設立される。 * 1960年 - [[コンゴ動乱]]: [[モブツ・セセ・セコ|モブツ]]が政治状況の打破を口実に無血[[クーデター]]を起こして権力を掌握し、初代首相[[パトリス・ルムンバ]]を自宅軟禁下に置き議会と憲法を停止。 * [[1961年]] - [[1961年の西ドイツ空軍F-84機による領空侵犯事件]]がおこる。 * [[1968年]] - [[ソ連の有人月旅行計画]]: ソ連の無人宇宙船「[[ゾンド5号]]」の打ち上げ。史上初めて月を周回して[[9月21日|21日]]に地球に帰還。 * 1968年 - [[プロ野球]]・[[広島東洋カープ]]の[[外木場義郎]]がプロ野球史上10人目の[[完全試合]]を達成。同時に[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]タイ記録の1試合16奪三振を記録。 * [[1972年]] - [[西ドイツ]]と[[ポーランド]]間の[[国交]]が回復する。 <!-- 現地では9月13日 * [[1974年]] - [[日本赤軍]]を名乗る日本人3人が、[[オランダ]]・[[デン・ハーグ|ハーグ]]にある[[フランス]][[大使館]]を占拠([[ハーグ事件]])。 --> * [[1975年]] - [[エリザベス・アン・シートン]]がアメリカ人初の[[聖人]]として[[列聖]]される。 * [[1979年]] - [[ヌール・ムハンマド・タラキー]]と副首相の[[ハフィーズッラー・アミーン]]の警護員間で銃撃戦。 * [[1982年]] - [[ブザンソン国際音楽祭|ブザンソン国際指揮者コンクール]]で、[[松尾葉子]]が女性として史上初めて優勝。 * 1982年 - [[レバノン]]の[[バシール・ジェマイエル]]([[:en:Bachir_Gemayel|Bachir Gemayel]])[[レバノンの大統領|大統領]]が暗殺される。 * [[1984年]] - [[長野県西部地震]]が発生。 * 1984年 - [[9月18日|18日]]にかけて、[[ジョゼフ・キッティンジャー]]が容積3,000 [[立方メートル|m<sup>3</sup>]] の「ロージー・オグラディ・オブ・ザ・バルーン」号で最初の気球による単独[[大西洋横断飛行]]を行う。 * [[1985年]] - [[パラコート連続毒殺事件]]: [[大阪府]][[泉佐野市]]の自販機の取り出し口に置かれていたドリンク剤を男性が持ち帰って飲み、混入していた除草剤[[パラコート]]により14日に死亡。翌日以降も全国各地で類似の事件が発生する。 <!-- 途中区間の開業は基本的にいらない * [[1986年]] - [[都営地下鉄新宿線]]の[[船堀駅|船堀]]~[[篠崎駅|篠崎]]間が開通。 --> * [[1990年]] - [[本田技研工業]]が[[ホンダ・NSX|NSX]]の国内販売を開始。 * [[1991年]] - [[平成3年台風第17号|台風17号]]が[[長崎市]]付近に上陸。日本海沿岸部を縦断し、全国で11人が死亡。 * [[1993年]] - [[ルフトハンザドイツ航空2904便事故]]。 * [[1994年]] - [[プロ野球]]の[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]の[[イチロー]]が192本目の[[安打]]を放ち、年間安打数の日本新記録を樹立。同シーズンでは最終的に210安打を記録。 * 1994年 - [[住友銀行名古屋支店長射殺事件]]。 * 1994年 - [[1994年から1995年のMLBストライキ|メジャーリーグでのストライキ]]を受けて[[1994年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]中止が決定。 * [[1999年]] - [[キリバス]]・[[ナウル]]・[[トンガ]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[2000年]] - [[Microsoft Windows Millennium Edition]]がアメリカで発売、日本は[[9月23日]]。 <!-- * [[2001年]] - [[マイカル]]が[[民事再生法]]の適用を裁判所に申請。同年中に会社更生法の適用に切り換える。 --> * [[2001年]] - [[任天堂]]が[[ニンテンドーゲームキューブ]]を日本で発売。 * [[2007年]] - イギリスの銀行[[ノーザン・ロック]]で[[取り付け騒ぎ]]。 * 2007年 - 月周回衛星[[かぐや]]の打ち上げ成功。 * [[2008年]] - [[2008年コンゴ民主共和国サッカー暴動]]が発生。 * [[2013年]] - [[内之浦宇宙空間観測所]]から[[イプシロンロケット]]の初号機が打ち上げられる<ref>[http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=13791617413065 【茨城新聞】イプシロン打ち上げに歓声 つくばで中継] 茨城新聞 (2013年9月15日) 2020年9月7日閲覧。</ref>。 * [[2015年]] - [[熊谷連続殺人事件]]。 * 2015年 - [[重力波の初検出]]。 * 2015年 - [[カリフォルニア州]]で[[2015年カリフォルニア山火事|山火事]]([[:en:2015_California_wildfires|2015 California wildfires]])が始まる。 * [[2018年]] - [[アメリカ合衆国]][[ノースカロライナ州]]に[[ハリケーン]]、フローレンスが上陸。16人以上が死亡し、数万戸の住宅に被害が出た<ref>{{Cite web|和書|date=2018-09-17 |url= https://jp.reuters.com/article/storm-florence-idJPKCN1LX08A|title=フローレンス、米ノースカロライナなどで洪水被害 死者16人 |publisher=ロイター通信社 |accessdate=2018-09-17}}></ref>。 * [[2019年]] - [[サウジアラビア]]、[[アブカイク]]に位置する同国最大の石油精製施設が[[空襲]]を受ける([[サウジ石油施設攻撃]])。報道を受けて各国の原油市場で原油価格が一時的に高騰<ref>{{Cite web|和書|date=2019-09-16 |url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-09-15/PXWAJ06K50XS01 |title=急伸、ブレントは08年以来の大幅高-サウジ施設に攻撃 |publisher= bloomberg|accessdate=2019-09-17}}</ref>。 * [[2020年]] - [[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選挙]]で第26代[[自由民主党総裁]]に[[内閣官房長官]]の[[菅義偉]]が選出される<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO63794900U0A910C2MM8000/ 自民総裁選、菅氏が圧勝 7割の377票 あす首相指名、早期解散に慎重 麻生財務相・二階幹事長再任へ] 日本経済新聞 朝刊 (2020年9月15日) 2020年10月25日閲覧。</ref>。 * 2020年 - [[アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計]]と[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡]]により[[金星]]の大気内における[[ホスフィン]]の存在が確認される。本来金星はホスフィン生成に足る温度・圧力環境にないため[[地球外生命]]体の存在が示唆されている。 * [[2023年]] - [[阪神タイガース]]が18年ぶりに[[セントラル・リーグ|リーグ]]優勝。 == 誕生日 == === 人物 === [[File:Quevedo (copia de Velázquez).jpg|thumb|120px|[[フランシスコ・デ・ケベード]](1580-1645)]] {{multiple image | footer = 近代[[地理学]]の祖、博物学者・探検家[[アレクサンダー・フォン・フンボルト]](1769-1859)誕生 | image1 = Alexander_von_Humboldt-selfportrait.jpg | width1 = 100 | alt1 = アレクサンダー・フォン・フンボルト | image2 = Woodbridge isothermal chart3.jpg | width2 = 160 | caption2 = フンボルトの仕事に基づく等温線図 }} [[Image:Franz Bopp (2).jpg|thumb|120px|[[フランツ・ボップ]](1791-1867)]] <!-- [[Image:Stanley_Ketchel_American_boxer_loc.jpg|thumb|170px|ボクサー、「ミシガンの暗殺者」[[スタンリー・ケッチェル]](1886-1910)]] --> <!-- {{multiple image | footer = 建築家[[レンゾ・ピアノ]](1937-)誕生 | image1 = Renzo_Piano_cropped.jpg | width1 = 100 | alt1 = レンゾ・ピアノ。上を指差し何かを説明しているところ | image2 = Kansai_International_Airport_Terminal_Interior.jpg | width2 = 180 | caption2 = [[関西国際空港]]ターミナルビル | image2 = CentrePompidou.jpg | width2 = 180 | caption2 = [[ポンピドゥー・センター]] }}--> [[File:Dmitry Medvedev official large photo -5.jpg|thumb|120px|[[ドミートリー・メドヴェージェフ]](1965-)]] * [[208年]] - [[マルクス・オペッリウス・アントニヌス・ディアドゥメニアヌス]](+ [[218年]]) * [[786年]] - [[マアムーン]]、[[アッバース朝]]第7代[[カリフ]](+ [[833年]]) * [[953年]]([[広順]]3年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[柴宗訓]]、[[五代十国時代|五代]][[後周]]の第3代[[皇帝]](+ [[973年]]) * [[1032年]]([[重熙]]元年[[8月7日 (旧暦)|8月7日]]) - [[道宗 (遼)|道宗]]、[[遼]](契丹)の第8代皇帝(+ [[1101年]]) * [[1401年]] - [[マリア・デ・カスティーリャ]]、[[アラゴン王国|アラゴン]]王兼[[ナポリ王国|ナポリ]]王[[アルフォンソ5世 (アラゴン王)|アルフォンソ5世]]の王妃(+ [[1458年]]) * [[1486年]] - [[ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ]]、[[魔術師]]、[[人文主義者]]、[[神学者]]、[[法曹|法律家]]、[[軍人]]、[[医師]](+ [[1535年]]) * [[1495年]] - [[ルートヴィヒ10世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ10世]]、[[バイエルン公]](+ [[1545年]]) * [[1453年]] - [[クラウディオ・アクアヴィヴァ]]([[:en:Claudio_Acquaviva|Claudio Acquaviva]])、第5代[[イエズス会]]総長(+ [[1615年]]) * [[1547年]] - {{仮リンク|ヨハン・ファン・オルデンバルネヴェルト|en|Johan van Oldenbarnevelt}}、政治家(+ [[1619年]]) * [[1580年]] - [[フランシスコ・デ・ケベード]]、[[詩人]](+ [[1645年]]) * [[1618年]] - [[ピーター・レリー]]、[[画家]](+ [[1680年]]) * [[1660年]]([[万治]]3年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[京極高住]]、[[但馬国]][[豊岡藩]]主(+ [[1730年]]) * [[1698年]] - [[シャルル・フランソワ・デュフェイ]]、[[化学者]](+ [[1739年]]) * [[1711年]]([[正徳 (日本)|正徳]]2年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[山内豊常]]、[[土佐国]][[土佐藩]]主(+ [[1725年]]) * [[1713年]] - {{仮リンク|ヨハン・キーズ|en|Johann Kies}}、[[天文学者]](+ [[1781年]]) * [[1721年]] - [[エリファレット・ダイアー]]、法学者、[[政治家]](+ [[1807年]]) * [[1737年]] - [[ミヒャエル・ハイドン]]、[[古典派音楽|古典派]]の[[作曲家]](+ [[1806年]]) * [[1744年]]([[延享]]元年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[立花種周]]、[[筑後国]][[三池藩]]主(+ [[1809年]]) * [[1754年]]([[宝暦]]4年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[細川利庸]]、[[肥後国]][[肥後新田藩]]主(+ [[1805年]]) * [[1755年]] - [[ウィリアム・ブラッドフォード (1755-1795)|ウィリアム・ブラッドフォード]]、第2代[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1795年]]) * [[1757年]] - [[ジャン・ジャック・ルクー]]、[[建築家]](+ [[1826年]]) * [[1760年]] - [[ルイジ・ケルビーニ]]、作曲家(+ [[1842年]]) * [[1769年]] - [[アレクサンダー・フォン・フンボルト]]、自然[[地理学者]](+ [[1859年]]) * [[1774年]] - [[ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (インド総督)|ウィリアム・ヘンリー・キャヴェンディッシュ=ベンティンク]]、初代[[インドの総督|インド総督]](+ [[1839年]]) * [[1783年]] - {{仮リンク|ヘンリー・S・ジョンソン|en|Henry Johnson (Louisiana politician)}}、米上院議員、ルイジアナ州知事(+ [[1864年]]) * [[1791年]] - [[フランツ・ボップ]]、[[言語学|言語学者]](+ [[1867年]]) * [[1804年]] - [[ジョン・グールド]]([[:en:John_Gould|John Gould]])、[[鳥類学者]](+ [[1881年]]) * [[1808年]] - [[ルドルフ・アマンドゥス・フィリッピ]]、[[博物学者]](+ [[1904年]]) * [[1813年]]([[文化 (元号)|文化]]10年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[阿部正瞭]]、[[陸奥国]][[白河藩]]主(+ [[1838年]]) * [[1832年]] - [[ドミトリー・アルセニエフ]]([[:fr:Dmitri_Arseniev|Dmitri Arseniev]])、軍人、作家(+ [[1915年]]) * [[1837年]] - [[ニコライ・ブガエフ]]([[:en:Nikolai_Bugaev|Nikolai Bugaev]])、数学者、哲学者(+ [[1903年]]) * [[1843年]] - [[ローラ・ロドリゲス・デ・ティオ]]([[:en:Lola_Rodríguez_de_Tió|Lola Rodríguez de Tió]])、詩人、奴隷制度廃止論者(+ [[1924年]]) * [[1844年]] - [[アンニーバレ・リッコ]]、[[天文学者]](+ 1919年) * [[1845年]] - {{仮リンク|シャルル・オベルテュール|en|Charles Oberthür|fr|Charles Oberthür}}、昆虫学者(+ [[1924年]]) * [[1847年]] - [[ウィリアム・エドワード・エアトン]]、[[物理学者]](+ [[1908年]]) * 1847年(ユリウス暦[[9月2日]]) - [[パーヴェル・ヤブロチコフ]]、電気技術者(+ [[1894年]]) * [[1849年]] - [[イワン・パブロフ]]、[[生化学者]](+ [[1936年]]) * [[1860年]] - [[ハムリン・ガーランド]]([[:en:Hamlin_Garland|Hamlin Garland]])、小説家(+ [[1940年]]) * [[1862年]] - [[オイゲン・エールリッヒ]]、法学者(+ [[1922年]]) * [[1864年]] - [[ロバート・セシル (初代セシル・オブ・チェルウッド子爵)|初代セシル・オブ・チェルウッド子爵エドガー・アルジャーノン・ロバート・ガスコイン=セシル]]、[[国際連盟]]設立者の一人(+ [[1958年]]) * [[1868年]] - テオドル・ボトレル([[:en:Théodore_Botrel|Théodore Botrel]])、シンガーソングライター(+ [[1925年]]) * [[1869年]] - [[キッド・ニコルズ]]、[[プロ野球選手]](+ [[1953年]]) * [[1875年]] - {{仮リンク|ガランドウ・ディウフ|en|Galandou Diouf}}、政治家(+ [[1941年]]) * [[1879年]] - [[マーガレット・サンガー]]、[[産児制限]](受胎調節)活動家(+ [[1966年]]) * [[1880年]] - [[アーチー・ハーン]]、陸上競技選手(+ [[1955年]]) * [[1883年]] - [[リヒャルト・ゲルストル]]、画家(+ [[1908年]]) * [[1885年]] - [[ヴィットリオ・グイ]]、指揮者(+ [[1975年]]) * 1885年 - [[ルートヴィヒ・ヒルベルザイマー]]、建築家(+ [[1967年]]) * [[1886年]] - [[ヤン・マサリク]]、[[外交官]]、政治家(+ [[1948年]]) * 1886年 - [[スタンリー・ケッチェル]]、[[プロボクサー]](+ [[1910年]]) * 1886年 - [[エーリヒ・ヘプナー]]、軍人(+ [[1944年]]) * [[1887年]] - [[パウル・コハンスキ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]]、[[編曲家]](+ [[1934年]]) * 1887年 - [[カール・コンプトン]]、[[実験物理学]]者(+ [[1954年]]) * [[1891年]] - [[:en:Ivan_Vinogradov|Ivan Matveyevich Vinogradov]]、[[数学者]](+ [[1983年]]) * [[1893年]] - [[土師清二]]、小説家(+ [[1977年]]) * [[1895年]] - [[ユージーン・ダイグノー]]([[:en:Eugène_Daignault|Eugène Daignault]])、[[俳優]](+ [[1960年]]) * [[1898年]] - [[薄田研二]]、俳優(+ [[1972年]]) * 1898年 - [[ハル・B・ウォリス]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1986年]]) * [[1899年]] - [[ヒューゴー・ベニオフ]]、地震学者(+ [[1968年]]) * 1899年 - [[ヨーゼフ・マイジンガー]]、軍人、外交官(+ [[1947年]]) * [[1900年]] - [[安藤楢六]]、実業家、[[小田急電鉄]]社長(+ [[1984年]]) * 1900年 - [[ロバート・フローリー]]、[[映画監督]](+ [[1979年]]) * [[1904年]] - [[橋本國彦]]、[[作曲家]]、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1949年]]) * 1904年 - [[フランク・アミヨ]]([[:en:Frank_Amyot|Frank Amyot]])、[[カヌー]]競技選手(+ [[1962年]]) * [[1906年]] - {{仮リンク|フラヴィオ・コスタ|en|Flávio Costa}}、サッカー選手(+ [[1999年]]) * [[1908年]] - [[原仙作]]、英語教師、英文学者、旺文社編集顧問(+ [[1974年]]) * [[1909年]] - {{仮リンク|ピーター・スコット (鳥類学者)|en|Peter Scott|label=ピーター・スコット}}、鳥類学者、[[世界自然保護基金|WWF]]創設者(+ [[1989年]]) * 1909年 - [[平沢和重]]、[[外交官]]、[[日本放送協会|NHK]]解説委員(+ [[1977年]]) * [[1910年]] - [[ジャック・ホーキンス]]、俳優(+ [[1973年]]) * 1910年 - [[ガストン・ドフェール]]、政治家(+ [[1986年]]) * 1910年 - [[ロルフ・リーバーマン]]、作曲家(+ [[1999年]]) * [[1913年]] - [[小秋元隆輝]]、技術者、[[ニコン]]社長(+ [[2004年]]) * 1913年 - [[ハコボ・アルベンス・グスマン]]、政治家、[[グアテマラの大統領|グアテマラ大統領]](+ [[1971年]]) * 1913年 - [[ルビー・シェア]]、[[核物理学]]者(+ [[2013年]]) * [[1914年]] - [[ロバート・シンクレア・ディーツ|ロバート・ディーツ]]、地球物理学者(+ [[1995年]]) * 1914年 - [[クレイトン・ムーア]]、俳優(+ [[1999年]]) * [[1915年]] - [[ジョン・ロウリー・ドブソン]]、[[アマチュア]][[天文家]](+ [[2014年]]) * [[1917年]] - [[ハインリヒ・エールラー]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+[[1945年]]) * 1917年 - [[ルドルフ・バウムガルトナー]]、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2002年]]) * 1917年 - [[ジャッキー・カルーラ]]、[[プロボクサー]](+ [[1993年]]) * [[1919年]] - [[三木淳]]、[[写真家]](+ [[1992年]]) * 1919年 - [[ケイ・メドフォード]]([[:fr:Kay_Medford|Kay Medford]])、女優(+ [[1980年]]) * 1919年 - [[デリック・クック]]、[[音楽学者]](+ [[1976年]]) * [[1920年]] - [[ローレンス・クライン]]、経済学者(+ [[2013年]]) * 1920年 - [[マリオ・ベネデッティ]]、ジャーナリスト(+ [[2009年]]) * 1920年 - [[アルベルト・カルデロン]]、数学者(+ [[1998年]]) * [[1921年]] - [[ダリオ・ヴィットーリ]]([[:en:Dario_Vittori|Dario Vittori]])、俳優(+ [[2001年]]) * 1921年 - [[ヘルムート・バンツ]]([[:en:Helmut_Bantz|Helmut Bantz]])、[[体操選手]](+ [[2004年]]) * [[1924年]] - [[今西錬太郎]]、元プロ野球選手 * 1924年 - [[パトリシア・バリンガー]]([[:en:Patricia_Barringer)|Patricia Barringer]])、野球選手(+ [[2007年]]) * 1924年 - [[ジェリー・コールマン]]、元プロ野球選手(+ [[2014年]]) * [[1926年]] - [[ミシェル・ビュトール]]、作家(+ [[2016年]]) * 1926年 - [[カルメン・フランコ (初代フランコ女公爵)|カルメン・フランコ]]、初代[[フランコ公爵|フランコ女公爵]](+ [[2017年]]) * [[1927年]] - [[マーティン・ケイディン]]、作家(+ [[1997年]]) * 1927年 - [[ジム・ファニング]]([[:en:Jim_Fanning|Jim Fanning]])、野球選手(+ [[2015年]]) * [[1928年]] - [[ウンベルト・マトゥラーナ]]、[[生物学者]](+ [[2021年]]) * 1928年 - [[アルベルト・コルダ]]、[[写真家]](+ [[2001年]]) * 1928年 - [[アンガス・オギルヴィ]]([[:en:Angus_Ogilvy|Angus Ogilvy]])、実業家(+ [[2004年]]) * [[1929年]] - [[稲葉稔 (政治家)|稲葉稔]]、政治家、元[[滋賀県知事一覧|滋賀県知事]](+ [[2006年]]) * 1929年 - [[フェルディナン・オヨノ]]([[:en:Ferdinand_Oyono|Ferdinand Oyono]])、外交官、政治家(+ [[2010年]]) * 1929年 - [[ラリー・コリンズ]]、[[ジャーナリスト]](+ [[2005年]]) * [[1930年]] - [[ユージン・I・ゴードン]]([[:en:Eugene_I._Gordon|Eugene I. Gordon]])、物理学者(+ [[2014年]]) * [[1931年]] - [[ギルバート・フォード]]([[:en:Gilbert_Ford|Gilbert Ford]])、バスケットボール選手(+ [[2017年]]) * [[1932年]] - [[ハリー・シンデン]]、[[アイスホッケー選手]] * 1932年 - [[ジョン・テンボ]]、政治家(+ [[2023年]]) * 1933年 - [[ゾーイ・コールドウェル]]、女優(+ [[2020年]]) * 1933年 - [[ハーヴ・プレスネル]]([[:en:Harve_Presnell|Harve Presnell]])、俳優(+ [[2009年]]) * [[1934年]] - [[原田正純]]、医学者、[[水俣病]]研究者(+ [[2012年]]) * 1934年 - [[国松彰]]、元プロ野球選手 * 1934年 - [[浦里はる美]]、女優(+ [[2011年]]) * 1934年 - [[ケイト・ミレット]]、フェミニスト作家(+ [[2017年]]) * 1934年 - [[サラ・コフマン]]、[[哲学者]]、[[評論家]](+ [[1994年]]) * 1934年 - [[エディ・クランプ]]([[:en:Eddie_Clamp|Eddie Clamp]])、サッカー選手(+ [[1995年]]) * [[1935年]] - [[赤塚不二夫]]、[[漫画家]](+ [[2008年]]) * [[1936年]] - [[フェリド・ムラド]]、薬理学者(+ [[2023年]]) * 1936年 - [[ウォルター・ケーニッヒ]]、俳優 * 1936年 - [[ニコール・ウィリアムソン]]、俳優(+ [[2011年]]) * 1936年 - [[ルーカス・サマラス]]([[:en:Lucas_Samaras|Lucas Samaras]])、画家 * 1936年 - [[沢田敏子]]、[[声優]]、[[ナレーター]] * [[1937年]] - [[レンゾ・ピアノ]]、[[建築家]] * [[1939年]] - [[重森孝子]]、[[脚本家]] * [[1940年]] - [[ラリー・ブラウン]]、バスケットボールヘッドコーチ * 1940年 - [[:en:Ventseslav_Konstantinov|Ventseslav Konstantinov]]、作家(+ [[2019年]]) * [[1941年]] - [[アルベルト・ナランホ]]([[:en:Alberto_Naranjo|Alberto Naranjo]])、ミュージシャン(+ [[2020年]]) * [[1942年]] - [[茅島成美]]、女優 * 1942年 - [[オリヴァー・レイク]]、ミュージシャン * 1942年 - [[バーナード・マクラバーティ]]([[:en:Bernard_MacLaverty|Bernard MacLaverty]])、作家 * [[1943年]] - [[マルコス・ヴァーリ]]、シンガーソングライター * [[1944年]] - [[ジョーイ・ヘザートン]]([[:en:Joey_Heatherton)|Joey Heatherton]])、女優 * 1944年 - [[ギュンター・ネッツァー]]、サッカー選手 * [[1945年]] - [[ヴォルフガング・セギン]]([[:en:Wolfgang_Seguin|Wolfgang Seguin]])、サッカー選手 * [[1946年]] - [[古川明]]、元プロ野球選手 * [[1947年]] - [[ヴォルフガング・シュヴァルツ]]、[[フィギュアスケート選手]] * 1947年 - [[サム・ニール]]、俳優 * 1947年 - [[朴栄漢]]、作家 * [[1948年]] - [[荒武康博]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[ロバート・テイラー (陸上選手)|ロバート・テイラー]]、陸上競技選手(+ [[2007年]]) * [[1949年]] - [[矢沢永吉]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1949年 - [[安部修仁]]、実業家 * 1949年 - [[トミー・ゼーバッハ]]([[:en:Tommy_Seebach|Tommy Seebach]])、シンガーソングライター(+ [[2003年]]) * 1949年 - [[ミヒャエル・ホイプル]]([[:en:Michael_Häupl|Michael Häupl]])、政治家 * [[1950年]] - [[森山正義]]、元プロ野球選手 * 1950年 - [[桑島正美]]、レーシングドライバー * 1950年 - [[黒河内豊]]、実業家 * 1950年 - [[ハワード・ドゥイッチ]]、映画監督 * 1950年 - [[ユージン・H・トリン]]([[:en:Eugene_H._Trinh|Eugene H. Trinh]])、宇宙飛行士 * [[1951年]] - [[ヴォロディームィル・メルニコフ]]([[:en:Volodymyr_Melnykov|Volodymyr Melnykov]])、詩人 * [[1954年]] - [[あさのあつこ]]、作家 * 1954年 - [[バズ・シュナイダー]]([[:en:Buzz_Schneider|Buzz Schneider]])、アイスホッケー選手 * [[1955年]] - [[澤井幸次]]、[[アニメーション]][[監督]] * 1955年 - ロバート・W・ダドリー([[:en:Bob_Dudley|Bob Dudley]])、実業家 * [[1956年]] - [[レイ・ウィルキンス]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者 * 1956年 - [[レスリー・フィルキンス]]、元プロ野球選手 * 1956年 - [[コスタス・カラマンリス]]、政治家、[[ギリシャの首相|ギリシャ首相]] * 1956年 - [[ナタリー・ルーセル]]([[:en:Nathalie_Roussel|Nathalie Roussel]])、女優 * [[1957年]] - [[ティム・ウォーラック]]、野球選手 * 1957年 - [[スティーヴン・ラッセル]]、犯罪者<!-- 日本語版該当とされているページは「脱獄」のページの脱獄で有名な人物の項 --> * [[1958年]] - [[ロバート・マッコール]]、フィギュアスケート選手(+ [[1991年]]) * [[1959年]] - [[モートン・ハルケット]]、歌手([[a-ha]]) * [[1960年]] - [[きうちかずひろ]]、漫画家、[[映画監督]] * 1960年 - [[パッパラー河合]]、ミュージシャン * 1960年 - [[浜田知明 (野球)|浜田知明]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[ロナルド・レンキーク]]([[:en:Ronald_Lengkeek|Ronald Lengkeek]])、サッカー選手 * 1960年 - [[メリッサ・レオ]]、女優 * 1960年 - [[カラム・キース・レニー]]、俳優 * [[1961年]] - [[大西直宏]]、元[[騎手]] * 1961年 - [[関根浩史]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[駒田徳広]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[福澤朗]]、[[アナウンサー]] * 1963年 - [[福山芳樹]]、[[歌手]] * [[1964年]] - [[金沢信彦]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[トロイ・ニール]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[田口禎則]]、元サッカー選手、サッカー指導者、政治家 * 1965年 - [[ノーカット星]]、元お笑いタレント * 1965年 - [[ドミートリー・メドヴェージェフ]]、政治家 * [[1966年]] - [[手塚仁雄]]、政治家 * [[1967年]] - [[尾﨑正直]]、政治家、[[高知県知事一覧|高知県知事]] * 1967年 - [[本東洋]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[渡辺真起子]]、[[俳優|女優]] * 1968年 - [[吉田修一]]、小説家 * 1968年 - [[ドラジェン・フラスティッチ]]、外交官、大使 * [[1969年]] - [[高山幸代]]、アナウンサー * 1969年 - [[ポン・ジュノ]]、映画監督 * [[1970年]] - [[小栗香織]]、女優 * 1970年 - [[小島聡]]、プロレスラー * 1970年 - [[八島祥司]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[中村獅童 (2代目)]]、[[歌舞伎]]役者、俳優 * 1972年 - [[デビッド・ベル]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[金鍾国 (野球)|金鍾国]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[アンドリュー・リンカーン]]、俳優 * [[1974年]] - [[ヒシャム・エルゲルージ]]、[[陸上選手]] * [[1975年]] - [[むとうありさ]]、歌手 * [[1976年]] - [[ポチョムキン (ラッパー)|ポチョムキン]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]([[餓鬼レンジャー]]) * 1976年 - [[本郷宏樹]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[石井弘寿]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[松来未祐]]、声優(+ [[2015年]]<ref name="ORICON2061682">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2061682/full/ |title=声優の松来未祐さんが死去 38歳 |work=ORICON STYLE |publisher=オリコン |date=2015-11-02 |accessdate=2020-11-04}}</ref>) * [[1978年]] - [[錦織敦史]]、[[原画家]]、[[キャラクターデザイナー]] * 1978年 - [[竹内香苗]]、[[アナウンサー]] * 1978年 - [[金児憲史]]、俳優 * [[1979年]] - [[前田大輔]]、元野球選手 * 1979年 - [[山本隆之 (野球)|山本隆之]]、元野球選手 * 1979年 - [[イヴィツァ・オリッチ]]、元サッカー選手 * [[1980年]] - [[片山享]]、俳優 * [[1981年]] - [[安達祐実]]、女優 * 1981年 - [[ミルノ純]]、声優 * 1981年 - [[雅-miyavi-]]、ミュージシャン * [[1982年]] - [[成宮寛貴]]、元俳優 * 1982年 - [[星河ユカリ]]、[[レースクイーン]] * 1982年 - 増田倫子、タレント(元[[桜 (お笑いコンビ)|桜]]) * 1982年 - [[シン・ドンウク]]、俳優 * [[1983年]] - [[エイミー・ワインハウス]]、歌手 * [[1985年]] - [[上戸彩]]、女優、[[歌手]] * 1985年 - [[デルモン・ヤング]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[渋谷千賀]]、タレント * 1985年 - [[アナ・セシリャ・カントゥ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1986年]] - [[高橋愛]]、歌手(元[[モーニング娘。]]) * [[1987年]] - [[勝田詩織]]、声優 * 1987年 - [[ユリエ・ヤショバ]]、バレーボール選手 * [[1988年]] - [[石上静香]]、声優 * 1988年 - [[小田あさ美]]、[[グラビアアイドル]] * 1988年 - [[中村映里子]]、女優 * 1988年 - [[宮田俊哉]]、俳優、タレント([[Kis-My-Ft2]]) * 1988年 - [[秋沢健太朗]]、俳優 * 1988年 - [[さな (お笑い芸人)|さな]]、タレント * 1988年 - [[秦佐和子]]、声優、元アイドル(元[[SKE48]]) * 1988年 - [[友田彩也香]]、[[AV女優]]、タレント * [[1989年]] - [[吉原正平]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[イ・ジョンソク (1989年生の俳優)|イ・ジョンソク]]、俳優 * 1989年 - [[オイエル・オラサバル]]、サッカー選手 * 1989年 - [[エレオノーラ・アンナ・ジョルジ]]、陸上選手 * [[1990年]] - [[久保田結衣]]、タレント * 1990年 - [[城山さやか]]、グラビアアイドル * 1990年 - [[田嶋和也]]、陸上競技選手 * 1990年 - [[黄順旻]]、サッカー選手 * 1990年 - [[三田啓貴]]、サッカー選手 * 1990年 - [[デビッド・キャンディラス]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[ドウグラス・コスタ・デ・ソウザ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[サンティアゴ・ダミアン・ガルシア]]、サッカー選手 * 1990年 - [[スタニスラフ・サモーヒン]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[撹上宏光]]、元陸上選手 * [[1991年]] - [[藤江莉莎]]、タレント * 1991年 - [[新山らん]]、元グラビアアイドル、元AV女優 * 1991年 - [[芝崎典子]]、声優 * 1991年 - [[ナナ (女優)|ナナ]]、女優、モデル(元[[AFTERSCHOOL (音楽グループ)|AFTERSCHOOL]]) * [[1992年]] - [[奥村夏未]]、女優 *1992年 - ユジン、アイドル、ミュージシャン([[Brave Girls]]) * 1992年 - [[ジコ]]、歌手([[Block B]]) * 1992年 - [[北出卓也]]、ラグビー選手 * 1992年 - [[高木マーガレット]]、アナウンサー、[[ラジオパーソナリティ]] * 1992年 - [[吉田悠希]]、[[フリーアナウンサー]]、タレント * [[1993年]] - [[奥谷楓]]、声優 * 1993年 - [[高田翔]]、俳優(元[[ジャニーズJr.]]) * [[1994年]] - [[中尾輝]]、元プロ野球選手 * 1994年 - 西川美咲、タレント(元[[X21]]) * [[1995年]] - [[田口麗斗]]、プロ野球選手 * 1995年 - [[木村敏靖]]、元プロ野球選手 * 1995年 - [[小泉勇人]]、サッカー選手 * 1995年 - アン・ジヨン、歌手([[Bolbbalgan4|BOL4]]) * [[1996年]] - [[大森元貴]]、バンドマン([[Mrs. GREEN APPLE]]) * 1996年 - [[金子雄]]、俳優 * 1996年 - [[才藤歩夢]]、フェンシング兼近代五種選手 * 1996年 - ジェニー、元アイドル、俳優(元[[DIA (音楽グループ)|DIA]]) * 1996年 - スビン、アイドル([[宇宙少女]]) * [[2000年]] - ハン、アイドル([[Stray Kids]]) * 2000年 - [[松井颯]]、プロ野球選手 * [[2001年]] - [[倉本すみれ]]、AV女優 * [[2005年]] - [[桜木心菜]]、アイドル([[私立恵比寿中学]]) === 人物以外(動物など) === * [[1992年]] - 永明、[[ジャイアントパンダ]] == 忌日 == {{multiple image | image1 = Menologion of Basil 061.jpg | width1 = 100 | caption1 = キリスト教聖職者、[[ヨハネス・クリュソストモス]](344または349-407)没 | image2 = Solidus-Constantine.jpg | width2 = 100 | caption2 = 東ローマ帝国皇帝、[[コンスタンティノス5世]](718-775) | image3 = SantaMariaAnima-TombaAdrianoVI01-SteO153.JPG | width3 = 100 | caption3 = ローマ教皇[[ハドリアヌス6世 (ローマ教皇)|ハドリアヌス6世]](1459-1523)没 }} <!-- [[Image:Hyakuninisshu_026.jpg|thumb|100px|公卿、[[藤原忠平]](880-949)。{{Squote|小倉山峰の紅葉ば心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ――[[小倉百人一首]](画像)}}]] --> <!-- {{multiple image | footer = [[崇徳天皇]](1119-1164)、流刑地の讃岐で没。怨霊伝説となった。 {{Squote|瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ――小倉百人一首}} | image1 = Sotoku_invoking_a_thunder_storm.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[歌川芳艶]]による浮世絵 | image2 = Sutokutenno_Shiraminegoryo_01.JPG | width2 = 180 | caption2 = 崇徳天皇白峰御陵 }} --> [[Image:Yoshitsuya_The_Lightning_Bolt.jpg|thumb|300px|[[崇徳天皇]](1119-1164)、流刑地の讃岐で没。怨霊伝説となった。画像は『[[椿説弓張月]]』の一場面、[[歌川芳艶]]画。{{Squote|瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ――小倉百人一首}}]] {{multiple image | footer = 詩人[[ダンテ・アリギエーリ]](1265-1321)没。{{Squote|太陽と他の星々を動かす[[愛]]。――『[[神曲]]』最終行}} | image1 = Dante.deathmask.jpg | width1 = 100 | alt1 = デスマスク | image2 = Paradiso Canto 31.jpg | width2 = 160 | alt2 = 『[[神曲]]』、至高天に臨むダンテとベアトリーチェ }} {{multiple image | image1 = Giovanni_Cassini.jpg | width1 = 100 | caption1 = 天文学者[[ジョヴァンニ・カッシーニ]](1625-1712)没。[[土星]]の4つの衛星を発見 | image2 = Leclanche.jpg | width2 = 100 | caption2 = 電気技師[[ジョルジュ・ルクランシェ]](1839-1882)没。[[マンガン電池]]の原形、[[ルクランシェ電池]]を発明 | image3 = Pierre_Duhem.jpg | width3 = 100 | caption3 = 物理学者・科学哲学者、[[ピエール・デュエム]](1861-1916) }} <!-- [[Image:John_Dreyer.gif|thumb|100px|天文学者[[ジョン・ドレイヤー]](1852-1926)]] --> <!-- [[Image:James_Fenimore_Cooper_by_Brady.jpg|thumb|100px|作家[[ジェイムズ・フェニモア・クーパー]](1789-1851)]] --> {{multiple image | image1 = EmilySDrummondWellingtonFuneral1852.jpg | width1 = 100 | caption1 = イギリスの軍人、「鉄の公爵」初代[[ウェリントン公爵]][[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|アーサー・ウェルズリー]](1769-1852)没。[[ワーテルローの戦い]]で[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]を破った | image2 = McKinley_passing_Treasury.jpg | width2 = 100 | caption2 = 第25代アメリカ合衆国大統領[[ウィリアム・マッキンリー]](1843-1901)、[[マッキンリー大統領暗殺事件|6日に狙撃]]されこの日に没 | image3 = Masaryk.jpg | width3 = 100 | caption3 = チェコスロバキア初代大統領、[[トマーシュ・マサリク]](1850-1937) }} <!-- [[Image:AX_Isadora_Duncan_Tomb_crop.jpg|thumb|100px|モダンダンスの祖、ダンサー[[イサドラ・ダンカン]](1878-1927)事故死]] --> <!-- Isadora_duncan.jpg --> <!-- [[Image:GraveOfPrincessGraceOfMonaco.jpg|thumb|100px|女優[[グレース・ケリー]](1929-1982)]] --> <!-- WANTED: リチャード・ブローティガン --> * [[407年]] - [[ヨハネス・クリュソストモス]]、[[キリスト教]]聖職者、[[神学者]](* [[347年]]) * [[585年]](敏達天皇14年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[敏達天皇]]、第30代[[天皇]](* [[538年]]?) * [[775年]] - [[コンスタンティノス5世]]、[[東ローマ帝国]][[皇帝]](* [[719年]]) * [[949年]]([[天暦]]3年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[藤原忠平]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[880年]]) * [[1146年]] - [[ザンギー]]、[[セルジューク朝]]傘下の[[モースル]]、[[アレッポ]]の太守(* [[1087年]]) * [[1155年]]([[久寿]]2年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[源義賢]]、平安時代末期の[[武将]] * [[1164年]]([[長寛]]2年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[崇徳天皇]]、第75代天皇(* [[1119年]]) * [[1321年]] - [[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]、詩人(* [[1265年]]) <!--- * [[1385年]]([[元中]]2年/[[至徳 (日本)|至徳]]2年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[宗良親王]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[皇族]](* [[1311年]])--- 忌日は不明(8月とだけ) ---> * [[1523年]] - [[ハドリアヌス6世 (ローマ教皇)|ハドリアヌス6世]]、第218代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1459年]]) * [[1646年]] - 第3代[[エセックス伯]][[ロバート・デヴァルー (第3代エセックス伯)|ロバート・デヴァルー]](* [[1591年]]) * [[1693年]]([[元禄]]6年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[青木重正]]、第3代[[麻田藩|麻田藩主]](* [[1625年]]) * [[1712年]] - [[ジョヴァンニ・カッシーニ]]、[[天文学者]](* [[1625年]]) * [[1713年]]([[正徳 (日本)|正徳]]3年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[大久保忠増]]、[[江戸幕府]]の[[老中]]、[[小田原藩|小田原藩主]](* [[1656年]]) * [[1726年]]([[享保]]11年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[日寛]]、[[日蓮正宗]]の[[僧]](* [[1665年]]) * [[1747年]]([[延享]]4年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[脇坂安興]]、第4代[[龍野藩|龍野藩主]](* [[1717年]]) * [[1767年]]([[明和]]4年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[山県大弐]]、[[儒学者]](* [[1725年]]) * 1767年(明和4年8月22日) - [[藤井直明]]、[[尊王論]][[思想家]](* [[1720年]]) * [[1820年]] - [[フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル]]、[[ナポレオン戦争]]期の[[フランス軍]][[元帥]](* [[1755年]]) * [[1834年]] - [[ジョン・ブリンクリー]]、天文学者(* [[1763年]]) * [[1836年]] - [[アーロン・バー]]、第3代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1756年]]) * 1836年([[天保]]7年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[織田信美]]、初代[[天童藩|天童藩主]](* [[1793年]]) * [[1843年]](天保14年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[片桐貞中]]、第9代[[小泉藩|小泉藩主]](* [[1827年]]) * [[1848年]]([[嘉永]]元年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[板倉勝資]]、第7代[[庭瀬藩|庭瀬藩主]](* [[1789年]]) * [[1851年]] - [[ジェイムズ・フェニモア・クーパー]]、[[小説家]](* [[1789年]]) * [[1852年]] - 初代[[ウェリントン公爵]][[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|アーサー・ウェルズリー]]、[[イギリス]]の軍人・[[イギリスの首相|首相]](* [[1769年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[松平忠堯]]、[[忍藩|忍藩主]](* [[1801年]]) * [[1882年]] - [[ジョルジュ・ルクランシェ]]、[[電池]]技術者(* [[1839年]]) * [[1895年]] - [[チャールズ・バレンタイン・ライリー]]、[[昆虫学者]](* [[1843年]]) * [[1897年]] - [[カール・アブラハム・ピル]]、鉄道技術者(* [[1825年]]) * [[1901年]] - [[ウィリアム・マッキンリー]]、第25代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1843年]]) * [[1905年]] - [[ピエール・ブラザ]]、[[探検家]](* 1852年) * [[1916年]] - [[ピエール・デュエム]]、[[物理学者]]、[[科学哲学|科学哲学者]](* [[1861年]]) * [[1926年]] - [[ジョン・ドレイヤー]]、[[天文学者]](* [[1852年]]) * [[1927年]] - [[イサドラ・ダンカン]]、[[舞踏家]](* [[1878年]]) * [[1935年]] - [[富井政章]]、[[法学者]](* [[1858年]]) * [[1936年]] - [[アーヴィング・タルバーグ]]、[[映画プロデューサー]](* [[1899年]]) * [[1937年]] - [[トマーシュ・マサリク]]、初代[[チェコスロバキアの大統領|チェコスロヴァキア大統領]](* [[1850年]]) * [[1945年]] - [[橋田邦彦]]、元[[文部大臣]](* [[1882年]]) * [[1951年]] - [[フリッツ・ブッシュ]]、[[指揮者]](* [[1890年]]) * [[1957年]] - [[キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー]]、[[藻類学|藻類学者]](* [[1901年]]) * [[1963年]] - [[佐藤玄々]]、[[彫刻家]](* [[1888年]]) * [[1966年]] - [[鳥居維]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](* [[1886年]]) * [[1969年]] - [[田中長茂]]、元[[宮崎県知事一覧|宮崎県知事]](* [[1891年]]) * [[1970年]] - [[ルドルフ・カルナップ]]、[[哲学者]](* [[1891年]]) * [[1981年]] - [[清瀬保二]]、[[作曲家]](* [[1900年]]) * [[1982年]] - 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[[井原高忠]]、[[テレビ]][[ディレクター]](* [[1929年]]) * [[2017年]] - [[グラント・ハート]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1961年]]) * [[2018年]] - [[浜尾朱美]]、[[エッセイスト]]、[[ニュースキャスター]](* [[1961年]]) * [[2019年]] - [[ジーン・バッキー]]<ref>{{Cite news2|title=元阪神エースのバッキー氏死去 日本通算100勝|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|date=2018-09-15|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909150000043.html|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2020-11-26}}</ref>、元プロ野球選手(* [[1937年]]) * [[2020年]] - [[芦名星]]<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2171974/full/ 芦名星さん死去 36歳 所属事務所「死因については現在調査中です」],ORICON NEWS,2020年9月14日</ref>、女優(* [[1983年]]) * [[2021年]] - [[ユーリ・セディフ]]、陸上競技選手(* [[1955年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Folio_193r_-_The_Exaltation_of_the_Cross.jpg|thumb|upright|『[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]』より「十字架称賛」]] *[[十字架]]称賛の日([[カトリック教会]]) *: [[320年]]ごろ、[[ゴルゴダの丘]]でキリストが磔にされた十字架を聖太后エレナが発見した日とされている。聖十字架はペルシア王がエルサレムを占拠した時に奪われたが、後に皇帝ヘラクリウスが奪回し、この時から十字架への崇敬が盛んになった。[[正教会]]と[[東方諸教会]]で[[9月27日]]に行われる[[十字架挙栄祭]]に相当する。 * セプテンバーバレンタイン({{JPN}})<!-- 『366日記念日事典』(創元社)に記載 --> *: 女性から別れ話を切り出してもよいとされる日。[[TBSラジオ]]『[[パック・イン・ミュージック]]』が発祥と言われている。紫色の物を身に付け、白いマニキュアを塗り、緑のインクで書いた別れの手紙を直接手渡すというのがルール。 <!-- 確認できず * [[コスモス]]の日({{JPN}}) *: [[贈り物|プレゼント]]にコスモスを添えて交換し、お互いの[[愛]]を確認しあう日。 --> {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0914|date=2011年7月}} * [[2009年]] - 台風8号が強い勢力を保ったまま北上。その影響で東京湾岸部を中心に巨大な雹が降り、さらに巨大な高潮も押し寄せ多数の死者・行方不明者が出る。(映画『[[252 生存者あり]]』) * 新暦0075年 - 時空管理局ミッドチルダ地上本部襲撃事件が起きる。(アニメ『[[魔法少女リリカルなのはStrikerS]]』) === 誕生日(フィクション) === <!-- * [[1895年]](推定) - [[サザエさんの登場人物#磯野海平|磯野海平]]&[[サザエさんの登場人物#磯野波平|波平]]、漫画・アニメ『[[サザエさん]]』に登場するキャラクター * [[1983年]] - 加賀正午、ゲーム『[[想い出にかわる君 〜Memories Off〜]]』に登場するキャラクター * [[1988年]] - 姫倉寧々、ゲーム『[[Gift 〜ギフト〜#Gift -prism-|Gift -Prism-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 安倍泰明、漫画・アニメ・ゲーム『[[遙かなる時空の中で]]』に登場するキャラクター --> * [[1944年]] - 雉真(大月)るい、[[連続テレビ小説]]『[[カムカムエヴリバディ]]』の2代目ヒロイン * 生年不明 - 井上純、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』・『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=咲 Saki ラブじゃん♥ マホちゃんの必殺技完成!|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2010|page=73|isbn=978-4-7575-2634-1}}</ref><ref>[http://sciasta.com/characters.html 咲-Saki- Characters(小林立公式サイト)]</ref> <!-- * 生年不明 - ヴァルハルト、ゲーム『[[ファイアーエムブレム 覚醒]]』に登場するキャラクター --> * 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#円城寺道流|円城寺道流]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>ゲーム内のプロフィールより。</ref> <!-- * 生年不明 - 片山衿奈、漫画・ライトノベル『[[タウンメモリー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 草薙陣、漫画・アニメ『[[爆走兄弟レッツ&ゴー!!|爆走兄弟レッツ&ゴー!!MAX]]』に登場するキャラクター --> * 生年不明 - 越谷小鞠、漫画・アニメ『[[のんのんびより]]』に登場するキャラクター<ref>[https://twitter.com/nonnontv/status/510812716244545536 公式Twitter:2014年9月14日のつぶやき]</ref> * 生年不明 - ザク・アブミ、漫画『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2002|page=71|isbn=4-08-873288-X}}</ref> * 生年不明 - 野崎夕姫、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/nozaki|publisher=八月のシンデレラナイン公式サイト|title=野崎 夕姫|キャラクター|accessdate=2021-09-14}}</ref> <!-- * 生年不明 - 高見伊知郎、漫画・アニメ『[[アイシールド21]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ニンドリ、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - パルク・スティフェル、ゲーム『[[ユーディーのアトリエ 〜グラムナートの錬金術士〜]]』に登場するキャラクター --> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#姫川友紀|姫川友紀]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">ゲーム内のプロフィールより。</ref> * 生年不明 - 布田裕美音、漫画・アニメ『[[ステラのまほう]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|url=http://magicofstella.com/chara/yumine.html|title=CHARACTER|work=TVアニメ「ステラのまほう」公式サイト|accessdate=2017-10-06}}</ref> <!-- * 生年不明 - メアリー・ホワイト、[[ハローキティ|キティ]]のママ * 生年不明 - 藤原みやび、ゲーム・アニメ『[[アイカツ! (アニメ)|アイカツ!]]』に登場するキャラクター --> * 生年不明 - マイスターっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>[[講談社]](編)『Tamagotchi iD L ぴかぴか育て方ガイド』講談社、2011年、56頁。{{ISBN2|978-4-06-364876-8}}</ref><ref>[[ウィズ (玩具)|ウィズ]]、[[バンダイ]](監修)『テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん』[[小学館]]、2011年、36頁。{{ISBN2|978-4-09-751048-2}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#最上静香|最上静香]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>[https://web.archive.org/web/20130214050032/http://www.bandainamcogames.co.jp/cs/list/idolmaster/million_live/idol/detail.php?name=sizuka アイドルマスター ミリオンライブ! バンダイナムコゲームス公式サイト:765 MILLIONSTARS紹介! - 最上静香]</ref> * 生年不明 - 山ノ井圭輔、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=おおきく振りかぶって 熱闘グラフ-あの夏を焦がした試合&選手 記録集|publisher=[[角川書店]]|year=2010|page=42|isbn=978-4-04-854525-9}}</ref> *生年不明 - 雪風真弥、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)|ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> *生年不明 - ルーク、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=171&cate=name&cont=Luke |title=ルーク |access-date=2022-07-16 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commons&cat|September 15|15 September}} {{新暦365日|9|13|9|15|[[8月14日]]|[[10月14日]]|[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]|0914|9|14}} {{1年の月と日}}
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5,611
9月15日
9月15日(くがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から258日目(閏年では259日目)にあたり、年末まであと107日ある。
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9月15日(くがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から258日目(閏年では259日目)にあたり、年末まであと107日ある。
{{カレンダー_9月}} '''9月15日'''(くがつじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から258日目([[閏年]]では259日目)にあたり、年末まであと107日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[文部省]], [[ブルガリア人民共和国]], [[DVD]], --> [[Image:Opening_Liverpool_and_Manchester_Railway.jpg|thumb|世界初の鉄道、[[リバプール・アンド・マンチェスター鉄道]](1830)開通]] <!-- [[Image:Voyage_of_the_Beagle.jpg|thumb|300px|[[チャールズ・ダーウィン]]、[[ガラパゴス島]]に到着(1835)]] --> <!-- [[Image:Nihonmatsujo_Castle.jpg|thumb|[[戊辰戦争]]、[[二本松の戦い]](1868)。画像は[[二本松城]]]] --> [[Image:Battle_of_Pyongyang_by_Mizuno_To.jpg|thumb|[[日清戦争]]、[[平壌の戦い (日清戦争)|平壌の戦い]](1894)]] {{multiple image | footer = [[伊藤博文]]ら、[[立憲政友会]]結成(1900) | image1 = Rikken_Seiyukai_Headquaters.JPG | width1 = 200 | caption1 = 立憲政友会本部、1930年頃 | image2 = It%C3%B4_Hirobumi.jpg | width2 = 100 | caption2 = 伊藤博文 }} [[Image:La_Jeunesse.jpg|thumb|upright|[[中華民国]]の[[新文化運動]]の中心となる雑誌『[[新青年 (中国)|新青年]]』創刊(1915)。創刊時の名称は『青年雑誌』、画像は改名後のもの]] [[Image:British_Mark_I_male_tank_Somme_25_September_1916.jpg|thumb|[[第一次世界大戦]]・[[ソンムの戦い]]で史上初の[[戦車]]が投入される(1916)]] [[Image:Signature_of_Japan-Manchukuo_Protocol.JPG|thumb|[[日満議定書]]調印(1932)、日本が[[満州国]]を承認。{{Squote|日本国ハ満洲国カ其ノ住民ノ意思ニ基キテ自由ニ成立シ独立ノ一国家ヲ成スニ至リタル事実ヲ確認シタル}}]] [[Image:Nuremberg laws Racial Chart.jpg|thumb|[[ナチス・ドイツ]]、[[ユダヤ人]]を定義し市民権を否定する[[ニュルンベルク法]]を制定(1935)。曽祖父にユダヤ教徒(画像の黒丸)を3人以上持つとユダヤ人とされる]] <!-- TODO: 記事本体加筆 --> [[Image:The Soviet Union 1969 CPA 3769 stamp (Hands holding torch, flags of Bulgaria, USSR, Bulgarian arms).jpg|thumb|upright|[[ブルガリア人民共和国]]成立(1946)。1990年まで存続。画像は社会主義革命25年を記念するソ連の切手]] <!-- [[Image:Sydney_Olympics_Opening_Ceremony.jpg|thumb|[[シドニーオリンピック]]開幕(2000)]] --> [[Image:Lehman_Brothers-NYC-20080915.jpg|thumb|アメリカ合衆国の投資銀行[[リーマン・ブラザーズ]]が倒産、金融危機「[[リーマン・ショック]]」到来(2008)。画像は当日の本社前]] <!-- Lehman_Brothers_Times_Square_by_David_Shankbone.jpg 本社ビル全容 --> * [[668年]] - [[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]][[コンスタンス2世]]が暗殺される。 * [[995年]] - [[アラブ・東ローマ戦争]]: [[オロンテスの戦い]]([[:en:Battle_of_the_Orontes|Battle of the Orontes]]) * [[1440年]] - [[ジル・ド・レ]]が逮捕されナント宗教裁判所へ出頭。 * [[1590年]] - [[ウルバヌス7世 (ローマ教皇)|ウルバヌス7世]]が[[教皇|ローマ教皇]]に選出される(在位13日で死去。在位期間が史上最短の教皇)。 * [[1655年]] - [[ピーチツリー戦争]]([[:en:Peach_Tree_War|Peach Tree War]])。 * [[1762年]] - [[フレンチ・インディアン戦争]]の最後の戦闘となる[[シグナルヒルの戦い]]が行われる。 * [[1776年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[キップス湾の上陸戦]]。 <!-- 旧暦の9月15日(グレゴリオ暦1600年10月21日) *[[1600年]] - [[徳川家康]]率いる東軍と[[石田三成]]率いる西軍が[[岐阜県]]の[[関ヶ原]]にて衝突し,[[天下分け目の合戦]]と呼ばれる[[関ヶ原の戦い]]が起こる(一説によると,石田三成は自分の側室を自分の陣に大量に連れてこさせ、家来らとともに[[乱交パーティー]]を開いたとの供述がある。--> * [[1789年]] - アメリカ合衆国外務省が[[アメリカ合衆国国務省|国務省]]に改称され、内政の任務が割り当てられる。 * [[1794年]] - [[フランス革命戦争]]・[[フランダース作戦]]([[:en:Flanders_campaign|Flanders campaign]]): [[ボクステルの戦い]]([[:en:Battle_of_Boxtel|Battle of Boxtel]])。 * [[1820年]] - [[リスボン]]で立憲革命開始。([[ポルトガルの歴史]]を参照) * [[1821年]] - [[コスタリカ]]、[[グアテマラ]]、[[ホンジュラス]]、[[ニカラグア]]、[[エルサルバドル]]がそれぞれ[[スペイン]]からの独立を宣言。 * [[1830年]] - [[イギリス]]で[[リバプール・アンド・マンチェスター鉄道]]が開通。開通式典で世界初の[[鉄道事故|鉄道死亡事故]]が発生。 * [[1835年]] - [[ビーグル (帆船)|ビーグル号]]による世界探検の途上の[[チャールズ・ダーウィン]]が[[ガラパゴス諸島]]に到達。 * [[1843年]] - [[ギリシャ王国]]で憲法制定を求めるクーデター。<!-- frによる --> * [[1862年]] - [[南北戦争]]: 南軍が[[バージニア州]][[ハーパーズ・フェリー (ウェストバージニア州)|ハーパーズフェリー]](現在の[[ウェストバージニア州]]ハーパーズフェリー)を占領 。 <!-- *[[1867年]] - [[ミラノ]]に[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア]]が完成する。 --> * [[1868年]]([[慶応]]4年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[戊辰戦争]]: [[二本松城]]が落城する。 * [[1873年]] - [[普仏戦争]]における賠償金の支払い完了を受け[[ドイツ|ドイツ軍]]がフランスを去る。<!-- enによる --> * [[1879年]] - [[藤田伝三郎#藤田組贋札事件|藤田組贋札事件]]。大阪の実業家・[[藤田伝三郎]]らが[[偽札|紙幤贋造]]の容疑で逮捕。同年12月に無罪放免となる。 <!-- *[[1888年]] - [[東海道本線]]、[[大府駅]]~[[浜松駅]]間開業。 --> * [[1894年]] - [[日清戦争]]: [[平壌の戦い (日清戦争)|平壌の戦い]]。 * [[1900年]] - [[伊藤博文]]らが[[立憲政友会]]を結成。 * [[1915年]] - [[上海]]で雑誌『[[新青年 (中国)|新青年]]』が創刊される。 * 1915年 - 継続営業されている[[オーストラリア]]最古の映画館である[[ザ・ニュー・エンパイアー・シネマ]]が[[ニューサウスウェールズ州]]にオープン。 * [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]・[[ソンムの戦い]]: イギリス軍が史上初めて[[戦車]]を実戦に投入。 * [[1918年]] - 第一次世界大戦: [[ドブロ・ポールの戦い]]([[:en:Battle_of_Dobro_Pole|Battle of Dobro Pole]])。 * [[1924年]] - [[中華民国]]の[[直隷派]]と[[奉天派]]の間で[[奉直戦争#第二次奉直戦争|第二次奉直戦争]]が勃発。 * [[1929年]] - [[鉄道省]]が[[特別急行列車]]に初めて[[列車愛称]]([[富士 (列車)|富士]]・[[さくら (列車)|櫻]])をつける。 * [[1931年]] - [[イギリス海軍]]大西洋艦隊の水兵が、給与削減に抗議して[[ストライキ]]を起こす。([[インヴァーゴードン反乱]])。 * [[1932年]] - [[日満議定書]]調印。日本国が[[満州国]]を[[国家の承認|承認]]。 * [[1932年]] - [[撫順襲撃事件]]。 * [[1935年]] - [[ナチス・ドイツ]]が、[[ユダヤ人]]の定義を規定しその[[市民権]]を否定する[[ニュルンベルク法]]を制定。 * 1935年 - [[ハーケンクロイツ]]旗が正式に[[ドイツの国旗]]とされる。 * [[1936年]] - [[東武鉄道]][[新栃木駅]]構内で、電車と貨物列車が正面衝突。運転手・乗客など6人が死亡、5人が重傷を負った<ref>「東武電車が新栃木駅構内で正面衝突」『東京朝日新聞』1936年(昭和11年)9月16日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p.505 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1938年]] - [[鉄道省]]の指導により、[[食堂車]]・駅構内食堂を運営していた6社の共同出資による[[日本レストランエンタプライズ|日本食堂株式会社]]が設立。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[バトル・オブ・ブリテン]]が[[イギリス]]の勝利に終わる。 * [[1942年]] - 第二次世界大戦: [[アメリカ海軍]]の[[航空母艦]][[ワスプ (CV-7)]]が[[ガダルカナル島の戦い|ガダルカナル島攻防戦]]において[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[伊号第十九潜水艦|伊19]](潜水艦長[[木梨鷹一]]海軍少佐)の魚雷攻撃を受けて沈没。 * 1942年 - [[青森市]]で[[大火]]。328戸(211棟)が焼失<ref>「青森市で火事、三百二十八戸焼く」『東奥日報』1942年(昭和17年)9月16日(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p.5 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦・[[マリアナ・パラオ諸島の戦い]]: [[ペリリューの戦い]]。 * 1944年 - 第二次世界大戦: [[ナンシー]]解放。 * [[1945年]] - [[文部省]]が戦後教育の基本方針「新日本建設ノ教育方針」を発表。<!-- http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_032.html --> * 1945年 - 『[[日米会話手帳]]』が発刊。年末までの3か月間で360万部を売る大ベストセラーとなる。 * [[1946年]] - [[ブルガリア人民共和国]]が成立する。 * [[1947年]] - [[カスリーン台風]]が[[関東地方]]に襲来。[[利根川]]・[[荒川 (関東)|荒川]]の堤防が決壊して大水害となる。 <!-- このように書いている本が複数あるが、当の主婦連のサイトには10月結成と書かれている。 →*[[1948年]] - [[奥むめお]]らが消費者団体・[[主婦連合会]](主婦連)を結成。 --> * [[1948年]] - [[F-86 (戦闘機)|F-86戦闘機]]が時速1,080キロの速度を記録する。 * [[1949年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]で[[1949年9月15日国鉄ダイヤ改正|ダイヤ改正]]。1943年から運行を中止していた[[特別急行列車|特急列車]]が[[東京駅|東京]] - [[大阪駅|大阪]]の「[[つばめ (列車)#太平洋戦争後の展開|へいわ]]」として運行再開。 * 1949年 - [[コンラート・アデナウアー]]が[[西ドイツ]]首相に就任する。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: [[仁川上陸作戦]]。[[国連軍 (朝鮮半島)|国連軍]]が[[ソウル特別市|ソウル]]を奪還。 * [[1951年]] - [[社会福祉協議会|中央社会福祉協議会]]が初の全国規模の「[[敬老の日|としよりの日]]」を実施。 * [[1952年]] - [[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカ占領下の沖縄]]で[[よかろう亭殺人事件]]発生。 * 1952年 - [[エチオピア・エリトリア連邦]]成立。 * [[1953年]] - [[東京電力]]下船渡発電所のトンネル工事現場で落盤が発生。13人が生き埋めとなり、うち12人が死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=94|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1954年]] - [[中華人民共和国]]で第1回[[全国人民代表大会]]がはじまる。 * [[1958年]] - 朝日麦酒(現在の[[アサヒビール]])が日本初の缶[[ビール]]を発売。 * [[1959年]] - [[ニキータ・フルシチョフ]]が[[ソビエト連邦]]の指導者としてはじめて[[アメリカ合衆国]]を訪問。 * [[1961年]] - [[ハリケーン・カーラ]]が[[テキサス州]]に上陸。死者43名。 * [[1963年]] - [[ベン・ベラ]]が[[アルジェリア]]の初代[[アルジェリアの大統領|大統領]]に就任。 * [[1972年]] - [[スカンジナビア航空130便ハイジャック事件]]([[:en:Scandinavian_Airlines_System_Flight_130|Scandinavian Airlines System Flight 130]]) * [[1973年]] - [[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]]が[[スウェーデン]]王に即位。 * 1973年 - 国鉄が東京の[[中央線快速|中央線快速列車]]に[[優先席|シルバーシート]]を設置。 * [[1974年]] - [[エア・ベトナム706便ハイジャック事件]]。[[ダナン]]発[[ホーチミン市|サイゴン]]行の[[エア・ベトナム]]機が[[ハイジャック]]されるが、着陸中に墜落しハイジャック犯を含めた75人全員死亡。 * [[1978年]] - [[モハメド・アリ]]が[[レオン・スピンクス]]を破りWBA世界ヘビー級王座を奪回(3度目の返り咲き・この後王座返上)。 * [[1981年]] - [[バヌアツ]]が[[国際連盟|国連]]に加盟。 * [[1982年]] - 『[[USAトゥデイ]]』紙が創刊される。 * 1982年 - [[エフエム北海道|エフエム北海道(Air-G)]]開局。 * [[1983年]] - [[イスラエルの首相|イスラエル首相]][[メナヘム・ベギン]]が大統領に辞表を提出し、政界を引退。 * [[1995年]] - [[DVD]]の統一規格が完成。 * 1995年 - [[マレーシア航空2133便着陸失敗事故]] * [[2000年]] - 第27回[[夏季オリンピック]]、[[シドニーオリンピック|シドニー]]大会開催。[[10月1日]]まで。 * [[2001年]] - [[ドイツ]]・[[ラウジッツリンク]]で行われた[[CART]]第16戦にておこった事故により[[アレッサンドロ・ザナルディ]]が両足を膝上で切除。 * [[2003年]] - [[阪神タイガース]]が18年ぶりに[[セントラル・リーグ|リーグ]]優勝。 * [[2005年]] - [[ハイウェイカード]]が販売終了。 * [[2006年]] - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が特別抗告を棄却し、[[麻原彰晃]](松本智津夫)の[[死刑]]が確定。 * [[2008年]] - [[リーマン・ショック]]: [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[投資銀行]]大手、[[リーマン・ブラザーズ]]が[[連邦倒産法第11章]]の適用を申請し[[倒産]]。 * [[2011年]] - [[大韓民国|韓国]]において、最大でほぼ同国全土の約162万世帯に及ぶ大規模な停電が発生<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2827873 残暑厳しい韓国で大規模な停電、162万世帯に影響] AFPBB News (2011年9月16日) 2020年10月13日閲覧。</ref>。 * [[2013年]] - [[東京ヤクルトスワローズ]]の[[ウラディミール・バレンティン]]が日本プロ野球のシーズン新記録となる56[[本塁打]]、アジア新記録となる57本塁打を放つ<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/09/16/kiji/K20130916006625770.html 王さん記録一気に抜いた!バレ56&57号連発アジア新] スポニチ Sponichi Annex 野球 (2013年9月16日) 2020年10月13日閲覧。</ref>。 * [[2014年]] - [[マイクロソフト]]が[[Mojang Studios]]を25億ドルで買収(現地時間)。 * [[2015年]] - [[マルコム・ターンブル]]が[[オーストラリアの首相|オーストラリア第29代首相]]になる。 * [[2017年]] - [[土星]][[宇宙探査機|探査機]][[カッシーニ (探査機)|カッシーニ]]が土星の大気圏に突入<ref>{{Cite web|和書|url=https://saturn.jpl.nasa.gov/mission/grand-finale/cassini-end-of-mission-timeline/ |title=Cassini End of Mission Timeline |publisher=[[NASA]] |accessdate=2020-10-06}}</ref>。 * [[2018年]] - 最後の[[デルタ II|デルタII]]による[[ICESat-2]]の打ち上げが行われ、デルタIIの運用が終了。 * [[2020年]] - [[バーレーン]]と[[イスラエル]]の国交が正常化([[:en:Bahrain–Israel_normalization_agreement|Bahrain–Israel normalization agreement]])。 * 2020年 - [[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]結党。 == 誕生日 == <!-- {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。この日の誕生日画像は掲載ゼロになっています --> <!-- [[Image:Fran%C3%A7ois_de_La_Rochefoucauld.jpg|thumb|100px|[[モラリスト]]、[[ラ・ロシュフコー]](1613-1680)誕生。{{Squote|我々の美徳は、殆どの場合、偽装した悪徳に過ぎない。――『箴言集』}}]] --> <!-- [[Image:William_Howard_Taft_Yale_College_BA_1878.jpg|thumb|100px|アメリカ合衆国第27代大統領、[[ウィリアム・タフト]](1857-1930)]] --> <!-- [[Image:Jeno_Hubay_1897.jpg|thumb|100px|ヴァイオリニスト、[[イェネー・フバイ]](1858-1937)]] --> <!-- [[Image:Bruno_Walter_Wien_1912.jpg|thumb|100px|指揮者・ピアニスト、[[ブルーノ・ワルター]](1876-1962)]] --> <!-- [[Image:Agatha_Christie_plaque_-Torre_Abbey.jpg|thumb|100px|推理作家、[[アガサ・クリスティ]](1890-1976)]] --> <!-- [[Image:RenoirGabrielleJean.jpg|thumb|100px|映画監督[[ジャン・ルノワール]](右; 1894-1979)誕生。画像は父[[ピエール=オーギュスト・ルノワール]]画]] --> <!-- {{multiple image | footer = 芸術家[[ヴァルター・シュピース]](1895-1942)誕生。[[バリ島]]の芸能「[[ケチャ]]」を創出 | image1 = COLLECTIE_TROPENMUSEUM_Portret_van_Walter_Spies_op_Bali_TMnr_60022997.jpg | width1 = 100 | alt1 = ヴァルター・シュピース | image2 = Kecak_in_Pura_Dalem_Ubud_1.jpg | width2 = 200 | alt2 = ケチャ }} --> <!-- [[Image:Umberto_the_Italian_Crown_Prince.jpg|thumb|100px|イタリア王国最後の国王、[[ウンベルト2世]](1904-1983)]] --> * [[767年]]([[神護景雲]]元年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]、[[766年]]説もある) - [[最澄]]、[[仏教]]僧(+ [[822年]]) * [[1254年]] - [[マルコ・ポーロ]]{{要出典|date=2021-04}}、[[冒険家]](+ [[1324年]]) * [[1461年]] - [[ヤコポ・サルヴィアーティ]]([[:en:Jacopo_Salviati|Jacopo Salviati]])、政治家(+ [[1553年]]) * [[1533年]] - [[カタリーナ・フォン・エスターライヒ (1533-1572)|カタリーナ・フォン・エスターライヒ]]、[[神聖ローマ皇帝]][[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント1世]]と皇后[[アンナ・ヤギエロ|アンナ]]の五女(+ [[1572年]]) * [[1592年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・リヌッチーニ]]([[:en:Giovanni_Battista_Rinuccini|Giovanni Battista Rinuccini]])、大司教・法学者(+ [[1653年]]) * [[1603年]]([[慶長]]8年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[徳川頼房]]<ref>{{Citation|和書|editor=勝浦市史編さん委員会|title=勝浦市史 通史編|year=2006|page=406}}</ref>、[[徳川家康]]十一男、[[水戸徳川家]]始祖(+ [[1661年]]) * [[1613年]] - [[フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー]]、[[モラリスト]]文学者(+ [[1680年]]) * 1613年([[慶長]]18年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[有馬康純]]、[[大名]]、日向[[延岡藩]]2代藩主(+ [[1692年]]) * [[1649年]] - [[タイタス・オーツ]]([[:en:Titus_Oates|Titus Oates]])、[[司祭]](+ [[1705年]]) * [[1666年]] - [[ゾフィー・ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク]](+ [[1726年]]) * [[1715年]] - [[ジャン=バティスト・ヴァケット・ド・グリボーバル]]、[[フランス王国]]の[[砲兵]][[士官]](+ [[1789年]]) * [[1718年]] - [[フランソワ=トーマス=マリー・ド・バキュラール・ダルノー]]([[:en:François-Thomas-Marie_de_Baculard_d'Arnaud|François-Thomas-Marie de Baculard d'Arnaud]])、作家(+ 1805年) * [[1736年]] - [[ジャン=シルヴァン・バイイ]]、[[天文学者]](+ [[1789年]]) * [[1739年]] - [[フアン・デ・ヴィジャヌエヴァ]]([[:en:Juan_de_Villanueva|Juan de Villanueva]])、建築家(+ [[1811年]]) * [[1759年]] - [[コルネリオ・サアベドラ|コルネリ]]<nowiki/>[[コルネリオ・サアベドラ|オ・サアベドラ]]、政治家・軍人(+ [[1829年]]) * [[1760年]] - [[ボギスラフ・フリードリヒ・エマニュエル・フォン・タウエンツィエン|ボギスラフ・フリードリヒ・エマニュエル・フォン・]]<nowiki/>[[ボギスラフ・フリードリヒ・エマニュエル・フォン・タウエンツィエン|タウエンツィエン]]([[:en:Bogislav_Friedrich_Emanuel_von_Tauentzien|Bogislav Friedrich Emanuel von]]<nowiki/> [[:en:Bogislav_Friedrich_Emanuel_von_Tauentzien|Tauentzien]])、軍人(+ [[1824年]]) * [[1765年]] - [[マヌエル・マリア・バルボサ・デュ・ボカージュ]]([[:en:Manuel_Maria_Barbosa_du_Bocage|Manuel Maria Barbosa du Bocage]])、詩人(+ [[1805年|180]]<nowiki/>[[1805年|5年]]) * [[1787年]] - [[アンリ・デュフール]]、[[軍人]]、[[政治家]]、[[都市計画家]](+ [[1875年]]) * [[1789年]] - [[ジェイムズ・フェニモア・クーパー]]、作家(<nowiki/>+ [[1851年]]) * [[1796年]] - [[ヘルマン・アーダム・フォン・カンプ]]、[[教育学者]]、<nowiki/>[[作家]]、[[作詞家]](+ [[1867年]]) * [[1803年]] - [[オクタヴィウス・モーガン]](<nowiki/>[[:en:Octavius_Morgan|Octavius Morgan]])、政治家(+ [[1888年]]) * [[1808年]] - [[ジョン・ハットン・バルフォア|ジョン・ハットン・]]<nowiki/>[[ジョン・ハットン・バルフォア|バルフォア]]、[[植物学者]](+ [[1884年]]) * [[1815年]] - [[ハルフダン・シェルルフ]]、作曲家(+ [[1868年]]<nowiki/>) * [[1823年]] - [[イメーヌエル・ラースン]]、画家(+ [[1859年]]) * <nowiki/>[[1830年]] - [[ポルフィリオ・ディアス]]、政治家、[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]](+ [[1915年|19]]<nowiki/>[[1915年|15年]]) * [[1857年]] - [[ウィリアム・タフト]]、第27代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1930年]]) * 1857年 - [[アンナ・ウィンロック]]([[:en:Anna_Winlock|Anna Winlock]])、天文学者(+ [[1904年]]) * [[1858年]] - [[イェネー・フバイ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1937年]]) * 1858年 - [[シャルル・ド・フーコー]]、[[神父]]、[[探検家]]、[[地理学]]者(+ [[1916年]]) * [[1860年]] - [[モークシャグンダム・ヴィシュヴェーシュヴァライヤ]]、[[マイソール藩王国]]の大臣([[ディーワーン]])(+ [[1960年]]) * [[1863年]] - [[ホレイショ・パーカー]]、作曲家(+ [[1919年]]) * [[1864年]] - [[杉山茂丸]]、政治活動家(+ [[1935年]]) * 1864年 - [[ジギスムント・フォン・プロイセン (1864-1866)|ジギスムント・フォン・プロイセン]]、プロイセン王子(+ [[1866年]]) * [[1870年]] - [[ルートヴィヒ・ガストン・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ]](+ [[1942年]]) * [[1876年]] - [[ブルーノ・ワルター]]、[[指揮者]](+ [[1962年]]) * 1876年 - [[ニック・アルトロック]]、プロ野球選手(+ [[1965年]]) * [[1877年]] - [[山崎今朝弥]]、[[弁護士]](+ [[1954年]]) * [[1879年]] - [[ジョセフ・ライオンズ]]([[:en:Joseph_Lyons|Joseph Lyons]])、[[オーストラリア首相]](+ [[1939年]]) * [[1884年]] - [[前田房之助]]、政治家(+ [[1965年]]) * [[1881年]] - [[エットーレ・ブガッティ]]、実業家、技術者、デザイナー(+ [[1947年]]) * [[1883年]] - [[エステバン・テラダス・イ・イリャ]]、数学者(+ [[1950年]]) * [[1886年]] - [[ポール・レヴィ (数学者)|ポール・ピエール・レヴィ]]、数学者(+ [[1971年]]) * [[1888年]] - [[アントニオ・アスカリ]]([[:en:Antonio_Ascari|Antonio Ascari]])、レーサー(+ [[1925年]]) * [[1890年]] - [[アガサ・クリスティ]]、[[推理作家]](+ [[1976年]]) * 1890年 - [[フランク・マルタン]]、[[作曲家]](+ [[1974年]]) * [[1892年]] - [[シン・ピーラシー]]、彫刻家(+ [[1962年]]) * [[1894年]] - [[ジャン・ルノワール]]、[[映画監督]](+ [[1979年]]) * 1894年 - [[オスカル・クライン]]、[[理論物理学者]](+ [[1977年]]) * [[1895年]] - [[ヴァルター・シュピース]]、[[画家]](+ [[1942年]]) * [[1896年]] - [[土光敏夫]]、[[実業家]]、第4代[[経済団体連合会|経団連]]会長(+ [[1988年]]) * 1896年 - [[村山槐多]]、[[洋画家]](+ [[1919年]]) * [[1897年]] - [[クルト・ダリューゲ]]、政治家、[[秩序警察]]長官、ナチス[[親衛隊上級大将]](+ [[1946年]]) * [[1902年]] - [[山本礼三郎]]、[[俳優]](+ [[1964年]]) * [[1903年]] - [[小杉義男]]、俳優(+ [[1968年]]) * 1903年 - [[ロイ・エイカフ]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー歌手]]、[[フィドル|フィドラー]](+ [[1992年]]) * 1903年 - [[イスラエル・クリスタル]]、世界男性最高齢者(+ [[2017年]]) * [[1904年]] - [[ウンベルト2世]]、[[イタリア王国]]最後の国王(+ [[1983年]]) * 1904年 - [[セルゲイ・ユトケーヴィッチ]]、[[映画監督]](+ [[1984年]]) * 1904年 - [[シーラ・グレアム]]、コラムニスト(+ [[1988年]]) * [[1905年]] - [[パトリック・オキャラハン]]、[[ハンマー投]]の選手(+ [[1991年]]) * [[1906年]] - [[ジャック・ベッケル]]、[[映画監督]](+ [[1960年]]) * [[1907年]] - [[フェイ・レイ]]、[[俳優|女優]](+ [[2004年]]) * [[1908年]] - [[ペニー・シングルトン]]([[:en:Penny_Singleton|Penny Singleton]])、女優(+ [[2003年]]) * [[1910年]] - [[ベティ・ニールズ]]、[[看護師]]、作家(+ [[2001年]]) * [[1912年]] - [[成田知巳]]、政治家、[[日本社会党|社会党]]委員長(+ [[1979年]]) * [[1913年]] - [[ジョン・N・ミッチェル]]、第67代[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1988年]]) * 1913年 - [[ヨハネス・シュタインホフ]]、軍人(+ [[1994年]]) * [[1914年]] - [[レオ・ベラネック]]、[[音響学]]研究者 (+ [[2016年]]) * 1914年 - [[アドルフォ・ビオイ=カサーレス]]、[[作家]](+ [[1999年]]) * 1914年 - [[クレイトン・エイブラムス]]、軍人(+ [[1974年]]) * 1914年 - [[オルハン・ケマル]]([[:en:Orhan_Kemal|Orhan Kemal]])、作家(+ [[1970年]]) * 1914年 - [[ロバート・マックロスキー]]、[[絵本作家]](+ [[2003年]]) * [[1915年]] - [[鯨岡兵輔]]、[[政治家]](+ [[2003年]]) * [[1916年]] - [[マーガレット・ロックウッド]]、女優(+ [[1990年]]) * 1916年 - [[フレデリック・ウェイアンド]]、軍人(+ [[2010年]]) * [[1917年]] - [[バディ・ジャネット]]、バスケ選手(+ [[1998年]]) * 1917年 - [[ヒルデ・ギューデン]]、[[ソプラノ]]歌手(+ [[1988年]]) * [[1918年]] - [[アルフレッド・チャンドラー]]、[[経営史]]学者(+ [[2007年]]) * 1918年 - [[マーゴット・ロヨラ]]([[:en:Margot_Loyola|Margot Loyola]])、歌手(+ [[2015年]]) * [[1919年]] - [[ファウスト・コッピ]]、自転車プロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手(+ [[1960年]]) * 1919年 - [[ゲヴォルク・サラジャン]]、作曲家、ピアニスト、音楽教育者(+ [[1986年]]) * 1919年 - [[:en:Heda_Margolius_Kovály|Heda Margolius Kovály]]、作家(+ [[2010年]]) * [[1920年]] - [[田中徳三]]、映画監督(+ [[2007年]]) * 1920年 - [[ノロドム・カントール]]([[:en:Norodom_Kantol|Norodom Kantol]])、[[カンボジアの首相|カンボジア首相]](+ [[1976年]]) * [[1922年]] - [[ジャッキー・クーパー]]、映画監督、俳優(+ [[2011年]]) * 1922年 - [[ボブ・アンダーソン (フェンサー)|ボブ・アンダーソン]]、[[フェンシング|フェンサー]](+ [[2012年]]) * 1922年 - [[メアリー・ソームズ]]([[:en:Mary_Soames|Mary Soames]])、作家(+ [[2014年]]) * [[1923年]] - [[アントン・ハイラー]]([[:en:Anton_Heiller|Anton Heiller]])、[[オルガニスト]](+ [[1979年]]) * [[1924年]] - [[ジェルジ・ラザール]]([[:en:György_Lázár|György Lázár]])、政治家、第50代[[ハンガリーの首相一覧|ハンガリー首相]](+ [[2014年]]) * 1924年 - [[:en:Mordechai_Tzipori|Mordechai Tzipori]]、政治家(+ [[2017年]]) * [[1925年]] - [[阿部保夫]]、[[クラシックギター]]奏者(+ [[1999年]]) * 1925年 - [[エリカ・ケート]]([[:en:Erika_Köth|Erika Köth]])、ソプラノ歌手(+ [[1989年]]) * 1925年 - [[カルロ・ランバルディ]]、視覚効果アーティスト(+ [[2012年]]) * [[1926年]] - [[ジャン=ピエール・セール]]、[[数学者]] * 1926年 - [[今村昌平]]、映画監督、脚本家(+ [[2006年]]) * [[1927年]] - [[小宮山重四郎]]、衆議院議員(+ [[1994年]]) * 1927年 - [[ルドルフ・アンダーソン]]、軍人(+ [[1962年]]) * [[1928年]] - [[キャノンボール・アダレイ]]、[[音楽家]](+ [[1975年]]) * 1928年 - [[ヘンリー・シルヴァ]]、俳優 * [[1929年]] - [[マレー・ゲルマン]]、[[物理学者]](+ [[2019年]]) * 1929年 - [[山本鉱太郎]]、[[作家]] * 1929年 - [[ウイルバー・スナイダー]]、[[プロレスラー]](+ [[1991年]]) * 1929年 - [[ジョン・ジュリアス・ノーウィッチ]]([[:en:John_Julius_Norwich|John Julius Norwich]])、歴史家(+ [[2018年]]) * 1929年 - [[ムムターズ・ソイサル]]([[:en:Mümtaz_Soysal|Mümtaz Soysal]])、政治家、トルコ外務大臣(+ [[2019年]]) * [[1930年]] - [[エンデル・リップマー]]([[:en:Endel_Lippmaa|Endel Lippmaa]])、物理学者(+ [[2015年]]) * [[1932年]] - [[ネイル・バートレット]]([[:en:Neil_Bartlett_(chemist)|Neil Bartlett]])、化学者(+ [[2008年]]) * [[1933年]] - [[ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス]]、[[指揮者]](+ [[2014年]]) * 1933年 - [[大辻秀夫]]、元[[プロ野球選手]] * 1933年 - [[ヘンリー・ダロウ]]([[:en:Henry_Darrow)|Henry Darrow]])、俳優(+ [[2021年]]) * [[1934年]] - [[中沢健次]]、元政治家(+ [[2019年]]) * 1934年 - [[大木護]]、元プロ野球選手 * [[1935年]] - [[丘さとみ]]、女優 * [[1936年]] - [[小田部羊一]]、[[アニメーター]] * 1936年 - [[アシュレー・クーパー]]、[[テニス選手]](+ [[2020年]]) * [[1937年]] - [[ロバート・ルーカス (経済学者)|ロバート・ルーカス]]、[[経済学者]](+ [[2023年]]) * 1937年 - [[フェルナンド・デ・ラ・ルア]]、政治家、[[アルゼンチンの国家元首一覧|アルゼンチン大統領]](+ [[2019年]]) * 1937年 - [[キング・イヤウケア]]、[[プロレスラー]](+ [[2010年]]) * [[1938年]] - [[福島勝]]、[[日本中央競馬会]][[調教師]] * 1938年 - [[ゲイロード・ペリー]]、元プロ野球選手(+ [[2022年]]) * [[1939年]] - [[スブラマニアン・スワミー]]([[:en:Subramanian_Swamy|Subramanian Swamy]])、インド法務大臣 * [[1940年]] - [[ノーマン・スピンラッド]]、[[SF作家]] * 1940年 - [[クリス・メンゲス]]、[[映画監督]] * 1940年 - [[マーリン・オルセン]]、[[アメリカンフットボール]]選手、俳優(+ 2010年) * [[1941年]] - [[ユーリ・ノルシュテイン]]、[[アニメーション]]作家 * 1941年 - [[アルベルト・フローリアーン]]、[[サッカー選手]](+ [[2011年]]) * 1941年 - [[ミロスワフ・ヘルマシェフスキ]]、宇宙飛行士(+ [[2022年]]) * 1941年 - [[ヴィクトル・ズプコフ]]、第8代[[ロシアの首相|ロシア連邦首相]]、ロシア連邦第一副首相 * [[1942年]] - [[温家宝]]、[[政治家]]、[[中華人民共和国]]第6代[[国務院総理]] * 1942年 - [[クセニア・ミリチェビッチ]]([[:en:Ksenia_Milicevic|Ksenia_Milicevic]])、画家 * [[1943年]] - [[池辺晋一郎]]、[[作曲家]] * [[1944年]] - [[境直行]]、元[[騎手]]、元調教師 * [[1945年]] - [[ジェシー・ノーマン]]、[[ソプラノ]][[歌手]](+ [[2019年]]) * 1945年 - [[カルメン・マウラ]]、女優 * 1945年 - [[ロン・シェルトン]]、[[映画監督]]、[[脚本家]] * 1945年 - [[ハンス=ゲルト・ペテリング]]、第27代[[欧州議会議長]] * [[1946年]] - [[トミー・リー・ジョーンズ]]、俳優 * 1946年 - [[オリバー・ストーン]]、映画監督 * 1946年 - [[ハワード・ウォルドロップ]]、SF作家 * [[1947年]] - [[セオドア・ロング]]、プロレス関係者 * [[1948年]] - [[河田潤一]]、[[政治学者]] * 1948年 - [[大信田礼子]]、女優、[[歌手]] * 1948年 - [[片岡護]]、シェフ、レストラン経営者 * [[1949年]] - [[藤野真紀子]]、料理研究家、[[政治家]] * 1949年 - [[ジョー・バートン]]([[:en:Joe_Barton|Joe Barton]])、政治家 * [[1950年]] - [[デーブ・ヒルトン (野球)|デイヴ・ヒルトン]]、元プロ野球選手(+ [[2017年]]) * [[1951年]] - [[大石静]]、脚本家 * 1951年 - [[入江道生]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[ヨハン・ニースケンス]]、[[サッカー選手]] * 1951年 - [[ピート・キャロル]]、[[アメリカンフットボール]]コーチ * 1951年 - [[アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ミハイロフ]]、政治家(+ [[2020年]]) * [[1952年]] - [[中島久之]]、俳優 * [[1953年]] - [[竹下景子]]、女優 * 1953年 - [[アドリアン・アドニス]]、プロレスラー(+ 1988年) * [[1955年]] - [[金光興二]]、元[[野球選手]]、アマチュア野球指導者 * 1955年 - [[徳田敦子]]、[[バドミントン]]選手 * 1955年 - [[ジェリカ・アントゥノヴィッチ]]([[:en:Željka_Antunović|Željka Antunović]])、第9代クロアチア国防大臣 * 1955年 - [[レンツォ・ロッソ]]、[[ファッションブランド]]・[[ディーゼル (ファッションブランド)|ディーゼル]]の創業者 * [[1956年]] - [[ジョン・パセラ]]、元プロ野球選手 * 1956年 - [[マギー・ライリー]]、[[ミュージシャン]] * 1956年 - [[ネッド・ローゼンバーグ]]、ミュージシャン * [[1957年]] - [[パヴェウ・パヴリコフスキ]]、映画監督 * 1957年 - [[猪野薫]]、実業家 * [[1958年]] - [[ウェンディ・ジョー・スパーバー]]、女優(+ [[2005年]]) * [[1959年]] - [[アンドレアス・エシュバッハ]]、SF作家 * [[1960年]] - [[信藤健仁]]、元サッカー選手 * 1960年 - [[エド・ソロモン]]、[[脚本家]]、[[映画監督]]、[[映画プロデューサー|プロデューサー]] * [[1961年]] - [[ダン・マリーノ]]、元[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1962年]] - [[松尾宗仁]]、[[ギタリスト]]([[ZIGGY]]) * 1962年 - [[金井孟]]、実業家 * 1962年 - [[泉田裕彦]]、政治家 * [[1965年]] - [[小宮山悟]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[酒井順子]]、[[随筆家|エッセイスト]] * 1966年 - [[彦摩呂]]、[[タレント]] * 1966年 - [[深沢邦之]]、[[お笑いタレント]]([[Take2]]) * [[1967年]] - [[武田真一]]、元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]]、[[フリーアナウンサー]] * 1967年 - [[橋本志穂]]、[[タレント]]、アナウンサー * 1967年 - [[栄村隆康]]、元[[プロ野球審判員]] * [[1968年]] - [[長尾美幸]]、キャスター * 1968年 - [[鈴木政紀]]、元サッカー選手 * 1968年 - [[水谷雅子]]、モデル、タレント、実業家 * [[1970年]] - [[弓岡真美]]、元タレント(元[[おニャン子クラブ]]) * [[1971年]] - [[ウェイン・フェレイラ]]、プロテニス選手 * 1971年 - [[ジェイソン・ハートキー]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[山下貴光 (競馬)|山下貴光]]、元騎手 * [[1972年]] - [[深作健太]]、映画監督 * 1972年 - [[円城塔]]、小説家 * 1972年 - [[根岸麻衣子]]、元アナウンサー * [[1973年]] - [[藤谷美紀]]、女優 * 1973年 - [[三井浩二]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[江戸清仁]]、俳優 * [[1974年]] - [[井浦新]]、俳優、[[ファッションモデル]] * 1974年 - [[倉野信次]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[ジョナサン・リーベスマン]]、[[映画監督]] * 1976年 - [[佐々木博史]]、作曲家・編曲家 * [[1977年]] - [[チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ]]、[[作家]] * 1977年 - [[玉乃島新]]、元[[大相撲]][[力士]]、18代年寄[[放駒]] * 1977年 - [[ジェイソン・テリー]]、[[バスケットボール]]選手 * 1977年 - [[アンジェラ・アキ]]、[[歌手]] * 1977年 - [[トム・ハーディ]]、俳優 * 1977年 - [[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]、元サッカー選手 * [[1978年]] - [[エイドゥル・グジョンセン]]、サッカー選手 * 1978年 - [[KLUTCH]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]([[ET-KING]]) * 1978年 - [[マルコ・パンテリッチ]]、[[サッカー選手]] * 1978年 - [[山崎ナオコーラ]]、[[小説家]] * [[1979年]] - [[清川あさみ]]、[[アーティスト]] * 1979年 - [[八木沼真由子]]、アイドル * 1979年 - [[Cheri]]、[[シンガーソングライター]] * 1979年 - [[エドナ・キプラガト]]、[[陸上競技]]選手 * 1979年 - [[蓮岳大]]、声優 * [[1980年]] - [[ジョリン・ツァイ]]、歌手 * 1980年 - 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[[渡辺万美]]、グラビアアイドル、タレント * 1989年 - [[野尻智紀]]、レーシングドライバー * 1989年 - [[萩原一樹]]、俳優 * [[1990年]] - [[守谷絢子]]、元[[皇族]] * 1990年 - [[星沢みのり]]、グラビアアイドル * 1990年 - [[マット・シヴリー]]、俳優 * [[1991年]] - [[Kaede (1991年生の歌手)|Kaede]]、アイドル([[Negicco]]) * [[1992年]] - [[小木曽汐莉]]、元アイドル(元[[SKE48]]) * [[1993年]] - [[佐藤和也]]、[[俳優]] * 1993年 - [[アンデルソン・ジョゼ・ロペス・デ・ソウザ|アンデルソン・ロペス]]、サッカー選手 * [[1994年]] - [[福永裕梨]]、アナウンサー * 1994年 - [[徳武竜也]]、元声優 * [[1995年]] - [[與座海人]]、プロ野球選手 * [[1996年]] - [[鍋本帆乃香]]、元[[俳優|女優]]、元タレント * 1996年 - [[古畑奈和]]、アイドル(元SKE48) * 1996年 - [[伊藤楓]]、フリーアナウンサー * [[1997年]] - [[川瀬晃]]、プロ野球選手 * 1997年 - [[山崎香佳]]、アナウンサー * [[1998年]] - [[木原瑠生]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://tdm-artist.com/artist/rui-kihara/|title=木原 瑠生Rui Kihara|publisher=ARTIST TDM Artist|accessdate=2020-11-19}}</ref>、俳優、歌手([[劇団番町ボーイズ☆]]、銀河団 from 劇団番町ボーイズ☆、[[Love Harmony's, Inc.]]) * [[1999年]] - [[大和田南那]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://asiapro.co.jp/profile/nana_owada/|title=大和田 南那|publisher=エイジアプロモーション|accessdate=2021-01-08}}</ref>、グラビアアイドル(元[[AKB48]]) * 1999年 - [[塩出仁美]]、バレーボール選手 * [[2000年]] - フィリックス、アイドル ([[Stray Kids]]) * [[2002年]] - [[葉月結菜]]、タレント、アイドル([[いぎなり東北産]]) == 忌日 == {{multiple image | image1 = Hexagram-Constans_II_and_Constantine_IV-sb0995.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[コンスタンス2世]](左; 630-668)暗殺 | image3 = Gustaf_VI_Adolf_av_Sverige_som_kronprins.jpg | width3 = 100 | caption3 = スウェーデン王[[グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ6世アドルフ]](1882-1973)、 }} <!-- {{multiple image | footer = [[鉄道]]・[[蒸気船]]・[[橋梁]]などに多くの仕事を遺したエンジニア、[[イザムバード・キングダム・ブルネル]]()。画像の | image1 = Isambard_Kingdom_Brunel_-_Bronze_-_Temple_-_London.jpg | width1 = 100 | alt1 = イザムバード・キングダム・ブルネル | image2 = Launch-of-the-SS-GB.jpg | width2 = 180 | caption2 = 当時世界最大の蒸気船{{仮リンク|グレートブリテン|en|SS Great Britain}}(1843) }} --> {{multiple image | image1 = Eucken-im-Alter.png | width1 = 100 | caption1 = 哲学者[[ルドルフ・クリストフ・オイケン]](1846-1926) | image2 = Anton_Webern_in_Stettin%2C_October_1912.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作曲家[[アントン・ヴェーベルン]](1883-1945) }} <!-- [[Image:Bundesarchiv_Bild_146-1969-169-19%2C_Willy_Messerschmitt.jpg|thumb|100px|航空機設計者、[[ウィリー・メッサーシュミット]](1898-1978)]] --> <!-- WANTED: ビル・エヴァンス --> <!-- WANTED: 土門拳 --> <!-- [[Image:Bust_of_Michio_Watanabe_at_Shiobara_Onsen_20090523a.jpg|thumb|100px|政治家、[[渡辺美智雄]](1923-1995)]] --> <!-- [[Image:Rickwright.jpg|thumb|100px|ミュージシャン、[[リチャード・ライト (音楽家)|]](1944-2008)]] --> * [[668年]] - [[コンスタンス2世]]、東ローマ皇帝(* [[630年]]) * [[1584年]]([[天正]]12年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[筒井順慶]]、[[武将]](* [[1549年]]) * [[1604年]]([[慶長]]9年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[村上武吉]]、[[村上水軍]]の当主(* [[1533年]]頃) * [[1713年]]([[正徳 (日本)|正徳]]3年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]) - [[徳川吉通]]、第4代[[尾張藩|尾張藩主]](* [[1689年]]) * [[1738年]]([[元文]]3年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[上島鬼貫]]、[[俳諧|俳諧師]](* [[1661年]]) * [[1830年]] - [[ウィリアム・ハスキソン]]、[[政治家]](* [[1770年]]) * [[1834年]] - [[ウィリアム・クロウフォード (政治家)|ウィリアム・クロウフォード]]、[[アメリカ合衆国陸軍長官|アメリ]][[アメリカ合衆国陸軍長官|カ合衆国陸軍長官]]・[[アメリカ合衆国財務長官|財務長官]](* [[1772年]]) * [[1842年]] - [[ピエール・バイヨ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](* [[1771年]]) * [[1859年]] - [[イザムバード・キングダム・ブルネル]]、[[技術者|エンジニア]](* [[1806年]]) * [[1885年]] - [[ユリウシュ・ザレンプスキ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](* [[1854年]]) * [[1913年]] - [[ヴァーンベーリ・アールミン]]、旅行家、[[東洋学|東洋学者]](* [[1832年]]) * [[1924年]] - [[ヴィルヘルム・ルー]]、[[発生学|発生学者]](* [[1850年]]) * 1924年 - [[フランク・チャンス]]、[[プロ野球選手]](* [[1877年]]) * [[1926年]] - [[ルドルフ・クリストフ・オイケン]]、[[哲学者]](* [[1846年]]) * [[1945年]] - [[アントン・ヴェーベルン]]、作曲家(* [[1883年]]) * [[1953年]] - [[エーリヒ・メンデルゾーン]]、[[建築家]](* [[1887年]]) * [[1960年]] - [[カルロス・パオレーラ]]、[[都市計画家]](* [[1890年]]) * [[1973年]] - [[グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ6世アドルフ]]、[[スウェーデン]][[スウェーデン君主一覧|国王]](* [[1882年]]) * [[1974年]] - [[有島生馬]]、[[画家]](* [[1882年]]) * [[1978年]] - [[ウィリー・メッサーシュミット]]、[[航空機]]技術者(* [[1898年]]) * [[1980年]] - [[ビル・エヴァンス]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]](* [[1929年]]) * [[1987年]] - [[西村英一]]、[[政治家]](* [[1897年]]) * [[1990年]] - [[エドウィン・アラン・ライトナー]]、外交官(* [[1907年]]) * 1990年 - [[土門拳]]、[[写真家]](* [[1909年]]) * [[1995年]] - [[渡辺美智雄]]、政治家(* [[1923年]]) * [[2008年]] - [[リチャード・ライト (音楽家)|リチャード・ライト]]、[[キーボーディスト]]([[ピンク・フロイド]])(* [[1944年]]) * [[2012年]] - [[本間長世]]、政治学者、思想史家(* [[1929年]]) * [[2014年]] - [[ユルク・シュービガー]]、児童文学作家(* [[1936年]]) * [[2016年]] - [[流敏晴]]、プロ野球選手(* [[1948年]]) * [[2017年]] - [[ヴァイオレット・ブラウン]]、長寿世界一(* [[1900年]]) * 2017年 - [[飯田明弘]]、[[調教師]](* [[1946年]]) * [[2018年]] - [[樹木希林]]、[[俳優|女優]](* [[1943年]]) * 2018年 - [[安斎勝洋]]、[[占い師]]([[姓名判断]])、[[風水師]](* [[1945年]]) * [[2019年]] - [[リック・オケイセック]]、[[ミュージシャン]](* [[1944年]]) * [[2020年]] - [[黒田真二]]<ref>{{Cite news2|title=元ヤクルト黒田真二氏、肺がんのため死去 62歳|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|page=1|date=2020-09-16|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202009160000682.html|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2020-10-24}}</ref>、プロ野球選手(* [[1958年]]) * 2020年 - [[川村隆史]]<ref name="nikkan20200916">{{Cite news|date=2020-09-16|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202009160001360.html|title=ソフトバンク川村隆史コーチが死去 クモ膜下出血|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2020-12-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ソフトバンク、川村隆史さん死去は15日と訂正|url=https://www.sanspo.com/article/20200918-6TXS5TFTU5NKBEXXP52BYR4S3I/|website=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2020-09-18|accessdate=2020-10-23|language=ja-JP}}</ref>、[[アスレティックトレーナー]]、[[プロ野球コーチ]](* [[1965年]]) * [[2022年]] - [[三遊亭圓窓|6代目三遊亭圓窓]]、[[落語家]](* [[1940年]]) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = (地図左より)[[グアテマラ]]、[[エルサルバドル]]、[[ホンジュラス]]、[[ニカラグア]]、[[コスタリカ]]の独立記念日(1821年に[[スペイン]]より独立)。 | direction = vertical | image1 = 5_nations_attain_independence_in_1821_from_Spain.png | width1 = 250 | alt1 = 5ヶ国の位置 | image2 = Independence_Day_Guatemala.jpg | width2 = 220 | caption2 = [[グアテマラ]]の独立記念日パレード }} [[Image:YoshiOldwoman.jpg|thumb|upright|[[月岡芳年]]『月百婆』(1886)]] [[Image:Silpa_Bhirasri.jpg|thumb|100px|彫刻家[[シン・ピーラシー]](1892-1962)誕生]] *[[国際民主主義デー]] *{{仮リンク|エンジニアの日|en|Engineer's Day}}({{IND}}) *: インドの工学者[[モークシャグンダム・ヴィシュヴェーシュヴァライヤ]]の誕生日。 *[[独立記念日]]({{CRI}}・{{GTM}}・{{HND}}・{{NIC}}・{{SLV}}) *: [[1821年]]に各国が[[スペイン]]から独立した日。 *プリモルスカ統合記念日({{SVN}}) *: 1920年に[[イタリア]]領([[ヴェネツィア・ジュリア]])となった[[プリモルスカ地方]]が[[ユーゴスラビア]](当時)に再編入された日。 *[[シン・ピーラシー]]の日({{THA}}) *: イタリア出身で後にタイに帰化した彫刻家で、「タイ近代美術の父」と呼ばれるシン・ピーラシーの誕生日。 *[[敬老の日]]({{JPN}}、[[1966年]] - [[2003年]]・[[2008年]]・[[2014年]]・[[2025年]])※2003年から9月第3月曜日 <!-- 旧敬老の日関連 --> *[[敬老の日|老人の日]]({{JPN}}、[[1964年]]、[[1965年]]、[[2003年]] - ) *: 国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促す日。敬老の日が祝日法の改正で9月15日から毎年9月の第3月曜日に変更されたことに伴い、それまでの敬老の日を記念日として残すために制定された(ハッピーマンデーが適用された初年の2003年のように、従前の9月15日が第3月曜日になる場合あり)。なお、敬老の日として国民の祝日となる以前の9月15日は、[[1963年]]までは「としよりの日」、1964年と1965年は「老人の日」という名称の記念日であった。 *[[ひじき]]の日({{JPN}}) *: 日本ひじき協会が制定。昔からひじきを食べると長生きをすると言われていることから、当時「敬老の日」であったこの日を記念日とした。 *[[大阪寿司]]の日({{JPN}}) *: 関西厚焼工業組合が制定。押し寿司などの大阪寿司は生魚を使わないことからお年寄りにも安全・安心であるとして、長らく「敬老の日」であったこの日を記念日とした。 <!-- その他の日本の記念日 --> *[[ボーイスカウト|スカウト]]の日({{JPN}}) *: [[1974年]]に[[5月5日]]を含む日を「スカウト週間」として制定。[[1990年]]に「スカウト奉仕の日」に改称して9月15日に変更し、[[1991年]]に現在の「スカウトの日」に再度改称した。全国のボーイスカウト、[[ガールスカウト]]などが奉仕活動を展開する日。ボーイスカウトではこの日を新しい[[年度]]の始まりの日としている。 *[[日本のニュータウン|ニュータウン]]の日({{JPN}}) *: [[1962年]]のこの日、[[大阪府]]の[[千里丘陵]]に建てられた日本初の大規模ニュータウン「[[千里ニュータウン]]」の入居が始めて行われたとして、一般財団法人千里パブリックデザインが制定。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0915|date=2011年7月}} *[[1962年]] - 六つ子を始めとする松野一家、近所の老人たちと野球をする。(漫画『[[おそ松くん]]』「相手はヨボヨボたるんでいこう」) *[[1966年]] - 初の「敬老の日」、イヤミと[[チビ太]]が老人に扮して六つ子をだます。(漫画『おそ松くん』「わたひゃとひより たいせつにしてちょ」) *[[1990年]] - 柳川とし子[[刀自]]が、誘拐団「虹の童子」に誘拐される。(映画『[[大誘拐 RAINBOW KIDS]]』) *年代不明 - 秋名山で[[藤原拓海]]と高橋涼介がバトルを行う。(漫画『[[頭文字D]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1915年]] - 豪血寺お梅、ゲーム『[[豪血寺一族]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=豪血寺お梅(豪傑寺家第四代現頭首) |url=https://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_gkt/vc_gkt_06.html |access-date=2022-11-10 |publisher=[[任天堂]] |work=『VC 豪血寺一族』}}</ref> * [[1915年]] - 豪血寺お種、ゲーム『豪血寺一族』シリーズに登場するキャラクター<ref> {{Cite web|和書|title=豪血寺 お種 |url=https://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_gkt/vc_gkt_06.html |access-date=2022-11-10 |publisher=[[任天堂]] |work=『VC 豪血寺一族』}}</ref> * [[1956年]] - ビーン、ドラマ・映画・アニメ『[[Mr.ビーン]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0076263 |title=「ミスター・ビーン」エピソードを本人が再現!25周年をバッキンガム宮殿でお祝い |access-date=2022-11-10 |publisher=シネマトゥデイ |date=2015-09-05}}</ref> * [[1970年代|197x年]] - [[神月かりん]]、ゲーム『[[ストリートファイターZERO]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=キャラ図鑑108:神月かりん |url=https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/130260 |website=[[カプコン|CAPCOM]]:シャドルー格闘家研究所 |access-date=2022-11-10}}</ref> * [[1993年]] - 門田ヒロミ、ドラマ・映画『[[仮面ライダーリバイス]]』に登場するキャラクター<ref>第18話「バディの軌跡、炎と氷の奇跡」参照</ref> * [[2077年]] - サラ・ジェランド、ゲーム『[[スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=66|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - 桂木早梅、漫画『[[プロミス・シンデレラ]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=橘オレコ|authorlink=橘オレコ|year=2019|title=プロミス・シンデレラ 第4巻|publisher=小学館|series=裏少年サンデーコミックス|isbn=978-4-09-129213-1|page=121}}</ref><ref>{{Twitter status|pc_tbs2021|1438007161301307394}}</ref> * 生年不明 - [[はたけカカシ]]、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-873288-X|page=95}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2005|page=123|ISBN=4-08-873734-2}}</ref> * 生年不明 - [[鬼滅の刃#伊黒小芭内|伊黒小芭内]]、漫画・アニメ『[[鬼滅の刃]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kimetsu.com/anime/news/?id=55108 |title=2020.09.15 伊黒バースデーイラストを公開! |accessdate=2020年9月15日 |publisher=[[アニプレックス]] |website=劇場版「鬼滅の刃」無限列車編公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 鹿倉胡桃、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=鹿倉 胡桃(かくら くるみ) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2022-09-19 |publisher=小林立公式サイト |work=咲-Saki-}}</ref> * 生年不明 - 小路綾、漫画・アニメ『[[きんいろモザイク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=原悠衣|authorlink=原悠衣|year=2013|title=きんいろモザイク画集 〜ひみつのきんいろモザイク〜|publisher=[[芳文社]]|isbn=978-4-83-224344-6}}</ref> * 生年不明 - ケン・ロビンス、アニメ『[[カレイドスター]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|GONZO30th|1570246028942622722}}</ref> * 生年不明 - 門田京平、ライトノベル、アニメ『[[デュラララ!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|drrr_game|643440058020724736}}</ref> * 生年不明 - ヴァルケンハイン=R=ヘルシング、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/valkenhayn.html |title=ヴァルケンハイン=R=ヘルシング |publisher=ARC SYSTEM WORKS |accessdate=2022-11-10 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref> * 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#秋月涼|秋月涼]]、ゲーム『[[THE IDOLM@STER Dearly Stars]]』・『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40004 |title=秋月 涼(あきづき りょう) |access-date=2022-11-10 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 月宮林檎、ゲーム・アニメ『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|utapri_official|1172012164875350017}}</ref> * 生年不明 - 寅谷立夏、ゲーム『[[STORM LOVER]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|st_louis_high|1040616375902003200}}</ref> * 生年不明 - 九重忍、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130805_203929/ |title=【ガールフレンド(仮)通信85】セクシーハスラー 九重忍ちゃん(CV:桑島法子) |access-date=2022-11-10 |publisher=ファミ通App |date=2013-08-05}}</ref> * 生年不明 - チエル、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1570230948670902275}}</ref> * 生年不明 - ウサギのミカ、メディアミックス『[[おとぎストーリー 天使のしっぽ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.wonderfarm.co.jp/shippo/contents/character/mika.htm |title=ウサギのミカ |access-date=2022-11-10 |publisher=ワンダーファーム/天使のしっぽChu!プロジェクト |work=『天使のしっぽ Chu!』}}</ref> * 生年不明 - 青空颯斗、メディアミックス『[[Starry☆Sky]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|starrysky_hb|908556627443277826}}</ref> * 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#Morfonica|二葉つくし]]、メディアミックスプロジェクト『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/futaba-tsukushi/ |title=二葉つくし |publisher=[[ブシロード]] |accessdate=2022-11-10 |work=「BanG Dream!ガールズバンドパーティ!」}}</ref> <!-- * [[1969年]] - ジャン・ピエール、ゲーム『[[ファイターズヒストリー]]』シリーズに登場するキャラクター * 生年不明 - 東蘭風城郭、漫画『[[Mr.FULLSWING]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 鳳暁生、漫画・アニメ『[[少女革命ウテナ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 谺夕子、漫画『[[SOUL CATCHER(S)]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 桜梅歩&有楽人、アニメ・漫画・ゲーム『[[極上生徒会]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 風間醍醐、ゲーム『[[ジャスティス学園]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 那岐、漫画・ゲーム『[[遙かなる時空の中で4]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 近衛源十郎、ゲーム『[[学☆王 -THE ROYAL SEVEN STARS-]]』に登場するキャラクター --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|September 15|15 September}} {{新暦365日|9|14|9|16|[[8月15日]]|[[10月15日]]|[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]|0915|9|15}} {{1年の月と日}}
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9月16日
9月16日(くがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から259日目(閏年では260日目)にあたり、年末まであと106日ある。
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9月16日(くがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から259日目(閏年では260日目)にあたり、年末まであと106日ある。
{{カレンダー_9月}} '''9月16日'''(くがつじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から259日目([[閏年]]では260日目)にあたり、年末まであと106日ある。 == できごと == [[File:Battle of Harlem Heights Map.JPG|thumb|200px|[[1776年]]、[[ハーレムハイツの戦い]]]] [[File:Wallstreetbmb.jpg|thumb|200px|[[1920年]]、[[ウォール街爆破テロ事件]]]] [[File:Mainichi Newspaper Article on Osugi and Ito's murder (1923).jpg|thumb|200px|[[1923年]]、[[甘粕事件]]]] [[File:Metropolitan Opera 2.jpg|thumb|200px|[[1966年]]、[[メトロポリタン歌劇場]]開場]] * [[1380年]] - [[フランス王]]に[[シャルル6世 (フランス王)|シャルル6世]]が即位。 * [[1400年]] - [[グリンドゥールの反乱]]が始まる。 * [[1573年]]([[天正]]元年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[一乗谷城の戦い]]: [[朝倉義景]]が自決し、[[朝倉氏]]が滅亡。 * [[1620年]]([[ユリウス暦]][[9月6日]]) - [[メイフラワー号]]が[[北アメリカ]]を目指しイギリスの[[プリマス]]を出港。 * [[1658年]] - [[ハーデャチ条約]]([[:en:Treaty_of_Hadiach|Treaty of Hadiach]])。 * [[1701年]] - [[イングランド王]][[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]が死去。[[ジャコバイト]]では[[ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート]]が指導者になる。 * [[1776年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ハーレムハイツの戦い]]。 * [[1779年]] - アメリカ独立戦争: [[サバンナ包囲戦]]。 * [[1810年]] - [[メキシコ独立革命]]: [[ドロレスの叫び]]。[[ミゲル・イダルゴ]]神父による演説の後、農民・原住民らが決起。 * [[1824年]] - [[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]]が[[フランス王]]に即位。 * [[1859年]] - [[デイヴィッド・リヴィングストン]]が[[マラウイ湖]]に到達する。 * [[1863年]] - 国外で初となるアメリカの教育機関である[[ロバート・カレッジ]]([[:en:Robert_College|Robert College]])が[[イスタンブール]]に設立。 * [[1877年]] - [[エドワード・S・モース]]が[[大森貝塚]]の1回目の調査を実施。 * [[1887年]] - [[井上円了]]が哲学館(現在の[[東洋大学]])を開設。 * [[1890年]] - [[エルトゥールル号遭難事件]]発生。[[和歌山県]][[串本町|串本]]沖で[[オスマン帝国]]の軍艦が遭難。 * [[1898年]] - [[関西鉄道]]の新木津駅 - [[木津駅 (京都府)|木津駅]]が開業。現在のJR[[片町線]]が全通。 * [[1908年]] - [[ウィリアム・C・デュラント|W・デュラント]]が[[ゼネラルモーターズ]](GM)を創業。 * [[1910年]] - 奈良軌道(後の[[大阪電気軌道]]、現在の[[近畿日本鉄道]]の前身)設立。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: プシェムィシル包囲戦が始まる。翌年3月まで続き同戦争での最も長く続いた包囲戦。 * [[1920年]] - [[ニューヨーク]]の[[ウォール街]]で[[イタリア]]の[[アナキズム|アナキスト]]によって[[車爆弾|馬車に仕掛けられた爆弾]]が爆発、38名の死者と約400名の負傷者を出し、世界初の車爆弾を用いた[[テロリズム|テロ]]となった。([[:en:Wall Street bombing]]) * [[1923年]] - [[甘粕事件]]: 憲兵大尉[[甘粕正彦]]らが[[アナキズム|アナキスト]]の[[大杉栄]]・[[伊藤野枝]]らを連行し、東京憲兵隊本部で絞殺。 * [[1931年]] - [[オマル・ムフタール]]の処刑、以後[[サヌーシー教団]]による[[リビア]]の[[イタリア領リビア|イタリア植民地]]化に対する武力抵抗の終焉へ。 * [[1936年]] - [[東京地下鉄道]](浅草 - 新橋)と[[東京高速鉄道]](新橋 - 渋谷)が直通運転を開始(現 [[東京メトロ銀座線]])。 * 1936年 - [[ル・プルクワ・パ?四世]]が難破。 * [[1939年]] - 日ソ間で[[ノモンハン事件]]の[[停戦協定]]が締結される。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]・[[北アフリカ戦線]]: [[イタリアのエジプト侵攻]]が終了。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]・[[イラン進駐 (1941年)|イラン進駐]]: [[イラン]]皇帝[[レザー・パフラヴィー]]が、子の[[モハンマド・レザー・パフラヴィー]]に譲位。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[アヴァランチ作戦]]が連合軍の勝利に終わる。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: [[香港]]の日本軍の岡田梅吉[[陸軍少将]]と藤田類太郎[[海軍中将]]が香港総督府でイギリス軍への降伏文書に署名し[[日本占領時期の香港|香港占領]]が終了。 * [[1948年]] - 日本で、配給制だった[[マッチ]]が8年ぶりに自由販売となる。 * 1948年 - [[アイオン台風]]が上陸。[[関東地方]]と[[甲信越地方]]に大きな被害。 * [[1950年]] - 哨戒[[フリゲート]]の[[ロレイン (哨戒フリゲート)|ロレイン]]が第二次世界大戦中の機雷との接触により沈没。 * [[1954年]] - [[国営競馬]]を引き継ぎ、[[日本中央競馬会]]が発足<ref>{{Cite web|和書|url=https://jra.jp/company/about/outline/index.html |title=JRAの概要 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=Japan Racing Association}}</ref>。 * [[1955年]] - [[アルゼンチン]]で反ペロン派による[[クーデター]]が勃発。[[フアン・ペロン]]大統領が失脚。 * [[1961年]] - [[第2室戸台風]](台風18号)が近畿地方に上陸。死者行方不明202人。 * 1961年 - 米国国立のハリケーン研究団体が8本の[[ヨウ化銀]]シリンダーをハリケーン・エスター([[:en:Hurricane_Esther|Hurricane Esther]])に投与したところ風速が10%低下した。 * 1961年 - [[パキスタン]]宇宙高層大気研究委員会が設立。陸軍元帥で大統領の[[アイユーブ・ハーン]]に国立宇宙機関である宇宙高層大気研究委員会(SUPARCO)の設置を進言したことによって宇宙科学を扱う委員会を設立することが決められたことによる。 * [[1963年]] - [[マラヤ連邦]]と[[シンガポール]]・[[サバ州|北ボルネオ]]・[[サラワク州|サラワク]]が統合し、[[マレーシア]]が建国される。 * [[1966年]] - ニューヨークの[[メトロポリタン歌劇場]]が開場。 * [[1971年]] - [[成田空港問題]]:[[成田空港予定地の代執行|第二次代執行]]が始まり [[東峰十字路事件]]が発生する。 * [[1975年]] - [[パプアニューギニア]]が[[オーストラリア]]から独立。 * 1975年 - [[カーボベルデ]]、[[モザンビーク]]、[[サントメ・プリンシペ]]が国連に加盟。 * 1975年 - [[MiG-31 (航空機)|MiG-31]]が初飛行する。 * [[1977年]] - 計量行政審議会が、[[メートル法]]移行により禁止されていた[[尺貫法]]による[[指矩|曲尺]]・[[鯨尺]]の製造販売を許可。 * [[1978年]] - [[イラン]]で[[マグニチュード|M]]7.7の[[タバス地震]]。死者2万5千人。 * 1978年 - [[ムハンマド・ジア=ウル=ハク]]が[[パキスタン]]第6代[[パキスタンの大統領|大統領]]に就任。 * [[1979年]] - [[東ドイツ|東独]]国民8人が自家製の熱気球で[[西ドイツ|西独]]へ亡命([[:en:East_German_balloon_escape|East German balloon escape]])。 * [[1980年]] - [[セントビンセント・グレナディーン]]が国連に加盟。 * <!-- 開幕時の記述だけで十分なのでは? * [[1985年]] - [[3月17日]]から開催されていた[[国際科学技術博覧会]](つくば科学技術博)が閉幕。-->[[1982年]] - [[サブラ・シャティーラの虐殺]]: 9月16日から18日にかけて[[レバノン]]の[[パレスチナ難民]]キャンプで親[[イスラエル]]派民兵が[[難民]]約2000人から3500人を虐殺<ref>{{Cite web |url=https://www.aljazeera.com/news/2022/9/16/sabra-and-shatila-massacre-40-years-on-explainer |title=Sabra and Shatila massacre: What happened in Lebanon in 1982? |access-date=19 Feb 2023 |publisher=ALJAZEERA |date=16 Sep 2022}}</ref>。 * [[1987年]] - [[モントリオール議定書]]が採択される<ref name="Tokyo20220916">{{Cite web|和書|title=きょうは何の日 9月16日 国際オゾン層保護デー |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/202463 |website=[[東京新聞]] TOKYO Web |access-date=19 Feb 2023 |date=2022-09-16}}</ref>。[[オゾン層]]破壊物質を全廃へ。 * [[1990年]] - [[中華人民共和国]]と[[カザフスタン]]間の鉄道が[[ドスティク]]で完成。 * [[1992年]] - [[ポンド危機]](ブラック・ウェンズデー)。[[イギリス]]の通貨[[ポンド (通貨)|ポンド]]の為替レートが急落。 * [[1996年]] - 日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する沖縄県民投票<ref>https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4737</ref> * [[2003年]] - [[名古屋立てこもり放火事件]]が起こる。 * [[2004年]] - [[ハリケーン・アイバン]]が[[アラバマ州]]に上陸。 * [[2005年]] - [[パオロ・ディ・ラウロ]]([[:en:Paolo_Di_Lauro|Paolo Di Lauro]])が[[イタリア]]の[[ナポリ]]で逮捕。 * [[2006年]] - [[中日ドラゴンズ]]の[[山本昌]]が、日本プロ野球史上最年長記録となる41歳1か月(史上73人目)での[[ノーヒットノーラン]]を達成<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/05/28/kiji/20220528s00001173645000c.html |title=山本昌氏 史上最年長でのノーノー達成の舞台裏を語る 最終回前にピッチングコーチと話していたこととは? |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=28 May 2022}}</ref>。 * [[2007年]] - [[プーケット]]で[[ワン・トゥー・ゴー航空269便着陸失敗事故]]が発生。 * 2007年 - [[Folding@Home]]が分散コンピューティング史上初となる1PFLOPSを達成。 * [[2009年]] - [[鳩山由紀夫]]が第93代[[内閣総理大臣]]に選出され、[[鳩山由紀夫内閣|鳩山内閣]]が成立<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/actions/200909/16hossoku.html |title=鳩山内閣の発足 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=内閣官房内閣広報室 |date=16 Sep 2009}}</ref>。[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]・[[国民新党]]3党の連立政権となる。 * [[2011年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[バラク・オバマ|オバマ]]大統領が[[米国の特許制度|特許制度]]関連の改革法案に署名。これにより、同国における特許が「[[先発明主義]]」から、先進国が軒並み採用している「[[先願主義]]」に転換することとなった<ref name="DGXNASGM1700X_X10C11A9NNE000">{{Cite web|和書|title=米改正特許法が成立、先願主義に 大統領が署名 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1700X_X10C11A9NNE000/ |website=[[日本経済新聞]] |date=2011-09-17 |access-date=2023-02-19}}</ref>。 * 2011年 - [[2011年リノ・エアレース墜落事故]]発生。[[リノ・エアレース]]にて[[P-51 (航空機)|P-51]]改造[[エアレース|エアレーサー]]「{{仮リンク|ギャロッピング・ゴースト (航空機)|label=ギャロッピング・ゴースト|en|The Galloping Ghost (aircraft)}}」が観客席に墜落する<ref>{{Cite web|和書|title=米航空ショーで墜落事故、9人死亡 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2828553 |website=AFP BB News |access-date=2023-02-19 |publisher=[[フランス通信社]] |date=18 Sep 2011}}</ref>。 * [[2013年]] - [[平成25年台風第18号]]が上陸、[[京都府]]・[[福井県]]・[[滋賀県]]に[[特別警報]]が初めて発表される<ref>{{Cite web|和書|title=福井・京都・滋賀に初の大雨特別警報 |url=https://news.ntv.co.jp/category/society/236323 |website=[[日テレNEWS]] |access-date=2023-02-19 |date=15 Sep 2013}}</ref>。 * 2013年 - [[ワシントン海軍工廠銃撃事件]]。 * [[2014年]] - [[シリア内戦]]: [[コバニ包囲戦]]が開始。 * [[2015年]] - 9月14日から16日までの3日間に6人が殺害される[[熊谷連続殺人事件]]が発生<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bs-asahi.co.jp/sunday_scoop/interview/84/ |title=熊谷6人殺害「証拠品」返却 今なお訴え続ける理由 |access-date=2 May 2021 |publisher=[[BS朝日]]}}</ref>。 * 2015年 - [[ブルキナファソ]]で[[2015年ブルキナファソクーデター|クーデター]]([[:en:2015_Burkinabé_coup_d'état|2015 Burkinabé coup d'état]])。 * 2015年 - [[チリ]]で[[イヤペル地震]]発生<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cnn.co.jp/world/35070694.html |title=チリ地震で4.5メートルの津波観測、5人死亡 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=CNN.co.up |date=17 Sep 2015}}</ref>。 * [[2018年]] - [[安室奈美恵]]が歌手活動から引退<ref>{{Cite web|和書|title=【安室奈美恵さん引退】「心に寄り添える歌手でいられたなら」安室奈美恵さんがコメント |url=https://www.sankei.com/article/20180917-TKZXWMQYQBIQZMAI7RK7H6QP44/ |date=2018-09-17 |access-date=2023-02-19 |publisher=[[産経新聞]]}}</ref>。 * 2018年 - 第45回[[ベルリンマラソン]]で[[エリウド・キプチョゲ]]が世界初の2時間1分台(2時間1分39秒)に突入<ref>{{Cite web|和書|title=キプチョゲが世界新でベルリン・マラソン優勝、史上初の2時間1分台 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3189828 |website=AFP BB News |access-date=2023-02-19 |publisher=[[フランス通信社]] |date=17 Sep 2018}}</ref>。 * [[2019年]] - アメリカでの貸出金利の上昇を受け[[連邦準備制度]]が[[レポ取引]]を開始。 * [[2020年]] - 第99代[[内閣総理大臣]]に[[菅義偉]]が就任。[[菅義偉内閣|菅新内閣]]が発足<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/actions/202009/16suganaikaku.html |title=令和2年9月16日 菅内閣の発足 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=内閣官房内閣広報室}}</ref>。 == 誕生日 == [[File:Engelbert Kaempfer.jpg|thumb|120px|[[エンゲルベルト・ケンペル]](1651-1716)]] [[File:Wilhelm von Gloeden (c. 1891).jpg|thumb|120px|[[ヴィルヘルム・フォン・グレーデン|グレーデン男爵]](1856-1931)]] [[File:YuanShika Colour.jpg|thumb|120px|[[袁世凱]](1859-1916)]] [[File:Karl Dönitz.jpg|thumb|120px|[[カール・デーニッツ]](1891-1980)]] [[File:Ogata Sadako 1-1.jpg|thumb|120px|[[緒方貞子]](1927-2019)]] [[File:Masami Suda 20071102 Chibi Japan Expo 1.jpg|thumb|120px|[[須田正己]](1943-2021)]] [[File:Higashikokubaru Hideo 1-1.jpg|thumb|120px|[[東国原英夫]](1957-)]] * [[16年]] - [[ユリア・ドルシッラ]]、[[ローマ皇帝]][[カリグラ]]の妹(+ [[38年]]) * [[508年]]([[天監]]7年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[元帝 (南朝梁)|元帝]]、[[梁 (南朝)|南朝梁]]の第4代[[皇帝]](+ [[555年]]) * [[1295年]] - [[エリザベス・デ・クレア]]([[:en:Elizabeth_de_Clare|Elizabeth de Clare]])、貴族(+ [[1360年]]) * [[1387年]] - [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]<ref>{{Cite web |title=Henry V {{!}} Biography, Facts, Wife, & Significance |url=https://www.britannica.com/biography/Henry-V-king-of-England |website=Britannica |access-date=2023-02-19 |language=en}}</ref>、[[イングランド国王]](+ [[1422年]]) * [[1462年]] - [[ピエトロ・ポンポナッツィ]]、[[哲学者]](+ [[1525年]]) * [[1507年]]([[正徳 (明)|正徳]]2年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]])- [[嘉靖帝]]、第12代[[明]][[皇帝]](+ [[1567年]]) * [[1539年]]([[1541年]]か) - 初代[[エセックス伯]][[ウォルター・デヴァルー (初代エセックス伯)|ウォルター・デヴァルー]](+ [[1576年]]) * [[1557年]] - [[ジャック・モーデュイ]]、[[作曲家]](+ [[1627年]]) * [[1615年]] - [[ハインリヒ・バッハ]]、[[作曲家]]・[[オルガニスト]](+ [[1692年]]) * [[1651年]] - [[エンゲルベルト・ケンペル]]、[[医師]]、[[博物学者]](+ [[1716年]]) * [[1666年]] - [[アントワーヌ・パラン]]、[[数学者]](+ [[1716年]]) * [[1678年]] - [[ヘンリー・シンジョン (初代ボリングブルック子爵)|ヘンリー・シンジョン]]、初代[[ボリングブルック子爵]](+ [[1751年]]) * [[1689年]]([[元禄]]2年[[8月3日 (旧暦)|8月3日]]) - [[土方豊義]]、第4代[[菰野藩|菰野藩主]](+ [[1719年]]) * [[1700年]]([[元禄]]13年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[板倉昌信]]、第2代[[庭瀬藩|庭瀬藩主]](+ [[1730年]]) * [[1725年]] - [[ニコラ・デマレ (地質学者)|ニコラ・デマレ]]([[:en:Nicolas Desmarest|Nicolas Desmarest]])、[[地質学者]](+ [[1815年]]) * [[1744年]] - [[ファブリツィオ・ディオニージ・ルッフォ]]([[:en:Fabrizio_Ruffo|Fabrizio Ruffo]])、政治家、枢機卿(+ [[1827年]]) * [[1745年]]([[ユリウス暦]][[9月5日 (旧暦)|9月5日]]) - [[ミハイル・クトゥーゾフ]]、軍人(+ [[1813年]]) * [[1777年]] - [[ネイサン・メイアー・ロスチャイルド]]、ロンドン・[[ロスチャイルド家]]の祖(+ [[1836年]]) * 1777年 - [[オーギュスト・ジャン=ガブリエル・ド・コランクール]]、軍人(+ [[1812年]]) * [[1782年]]([[乾隆]]47年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]])- [[道光帝]]、第8代[[清]]皇帝(+ [[1850年]]) * [[1795年]] - [[サヴェリオ・メルカダンテ]]、作曲家(+ [[1870年]]) * [[1797年]] - [[アントニオ・パニッツィ]]、第6代[[大英博物館]]館長(+ [[1879年]]) * [[1800年]]([[寛政]]12年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[鍋島直堯]]、第9代[[小城藩|小城藩主]](+ [[1873年]]) * [[1823年]] - [[フランシス・パークマン]]([[:en:Francis_Parkman|Francis Parkman]])、歴史家、作家(+ [[1893年]]) * 1823年(ユリウス暦[[9月4日]]) - [[ミハイロ・オブレノヴィッチ3世]]、[[セルビア]]公(+ [[1868年]]) * [[1827年]] - [[アルベール・ゴードリー]]、地質学者(+ [[1908年]]) * [[1830年]] - [[パトリック・フランシス・モラン]]([[:en:Patrick_Francis_Moran)|Patrick Francis Moran]])、枢機卿(+ [[1911年]]) * [[1837年]] - [[ペドロ5世 (ポルトガル王)|ペドロ5世]]、[[ポルトガル王]](+ [[1861年]]) * [[1838年]] - [[ジェームズ・ジェローム・ヒル]]、[[グレート・ノーザン鉄道]]CEO(+ [[1916年]]) * [[1844年]] - [[ポール・タファネル]]、[[フルート]]奏者(+ [[1908年]]) * [[1845年]]([[弘化]]2年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[松平忠愛 (島原藩主)|松平忠愛]]、第7代[[島原藩|島原藩主]](+ [[1862年]]) * [[1846年]] - [[アンナ・キングスフォード]]([[:en:Anna_Kingsford|Anna Kingsford]])、作家(+ [[1888年]]) * [[1853年]] - [[アルブレヒト・コッセル]]、医学者(+ [[1927年]]) * [[1856年]] - [[ヴィルヘルム・フォン・グレーデン]]、[[写真家]](+ [[1931年]]) * [[1858年]] - [[アンドルー・ボナー・ロー]]、[[政治家]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1923年]]) * [[1859年]]([[咸豊]]9年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[袁世凱]]、軍人、初代[[中華民国大総統]](+ [[1916年]]) * [[1870年]] - [[ジョン・ピウス・ボーランド]]、[[テニス選手]](+ [[1958年]]) * [[1876年]] - [[エルズワース・ハンティントン]]、[[地理学者]](+ [[1947年]]) * 1876年 - [[マービン・ハート]]、プロボクサー(+ [[1931年]]) * [[1878年]] - [[カール・アルバイカー]]([[:en:Karl_Albiker|Karl Albiker]])、彫刻家(+ [[1961年]]) * [[1881年]] - [[米窪満亮]]、[[労働運動家]]、政治家、作家(+ [[1951年]]) * 1881年 - [[クライヴ・ベル]]([[:en:Clive_Bell|Clive Bell]])、哲学者(+ [[1964年]]) * 1881年 - [[マッジ・サイアーズ]]、フィギュアスケート選手(+ [[1917年]]) * [[1884年]] - [[竹久夢二]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6346/ |title=竹久夢二|近代日本人の肖像 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=国立国会図書館}}</ref>、[[画家]](+ [[1934年]]) * [[1886年]] - [[ジャン・アルプ]]、[[彫刻家]]、画家、[[詩人]](+ [[1966年]]) * [[1887年]] - [[ナディア・ブーランジェ]]、音楽教師、[[指揮者]](+ [[1979年]]) * [[1888年]] - [[ウォルター・オーウェン・ベントレー]]、[[ベントレー]]の創業者(+ [[1971年]]) * 1888年 - [[フランス・エーミル・シランペー]]、作家(+ [[1964年]]) * [[1891年]] - [[カール・デーニッツ]]、[[軍人]](+ [[1980年]]) * 1891年 - [[シュテファニー・ツー・ホーエンローエ=ヴァルデンブルク=シリングスフュルスト]]、貴族女性、スパイ(+ [[1972年]]) * [[1893年]] - [[セント=ジェルジ・アルベルト]]、[[生化学者]](+ [[1986年]]) * 1893年 - [[アレクサンダー・コルダ]]、[[映画監督]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1956年]]) * [[1895年]] - [[カロル・ラートハウス]]、作曲家(+ [[1954年]]) * [[1898年]] - [[H・A・レイ]]、[[絵本作家]](+ [[1977年]]) * 1898年 - [[河西三省]]、[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]、[[実業家]](+ [[1970年]]) * [[1899年]] - [[ハンス・スワロフスキー]]、[[指揮者]]、音楽教育家(+ [[1975年]]) * [[1901年]] - [[アンドレ・ブリュネ]]、[[フィギュアスケート選手]](+ [[1993年]]) * 1901年 - [[ウーゴ・フリジェリオ]]、競歩選手(+ [[1968年]]) * [[1905年]] - [[ウラジミール・ホラン]]([[:en:Vladimír_Holan|Vladimír Holan]])、詩人(+ [[1980年]]) * [[1906年]] - [[ジャック・チャーチル]]、軍人(+ [[1996年]]) * [[1910年]] - [[エーリヒ・ケンプカ]]、[[アドルフ・ヒトラー]]の[[運転手]](+ [[1975年]]) * 1910年 - [[カール・クリング]]、レーシングドライバー(+ [[2003年]]) * [[1911年]] - [[ウィルフレッド・バーチェット]]、ジャーナリスト(+ [[1983年]]) * [[1913年]] - [[フェリシアン・マルソー]]([[:en:Félicien_Marceau|Félicien Marceau]])、作家(+ [[2012年]]) * [[1916年]] - [[ロバート・ルウェリン・ブラッドショー]]([[:en:Robert_Llewellyn_Bradshaw|Robert Llewellyn Bradshaw]])、初代[[セントクリストファー・ネイビスの首相|セントクリストファー・ネイビス首相]](+ [[1978年]]) * 1916年 - [[重松通雄]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1979年]]) * 1916年 - [[大友一明]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * 1916年 - [[フランク・レスリー・ウォルコット]]([[:en:Frank_Leslie_Walcott|Frank Leslie Walcott]])、[[クリケット選手一覧|クリケッター]](+ [[1999年]]) * [[1919年]] - [[ローレンス・J・ピーター]]([[:en:Laurence_J._Peter|Laurence_J._Peter]])、学者(+ [[1990年]]) * 1919年 - [[アンディ・ラッセル]]([[:en:Andy_Russell_(singer)|Andy Russell]])、歌手(+ [[1992年]]) * [[1920年]] - [[スタリル・C・オースティン]]([[:en:Staryl_C._Austin|Staryl C. Austin]])、空軍[[軍人]](+ [[2015年]]) * [[1921年]] - [[アーシュラ・フランクリン]]、金属学者、物理学者、平和運動家、女性運動家(+ [[2016年]]) * [[1922年]] - [[山本健一 (マツダ)|山本健一]]、技術者、元[[マツダ]]社長(+ [[2017年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20171225-3NFJFC55XFMCDFNCUUBZUVZNB4/ |title=「ロータリーエンジンの父」死去、元マツダ社長の山本健一氏 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=25 Dec 2017}}</ref>) * 1922年 - [[ガイ・ハミルトン]]、映画監督(+ [[2016年]]) * 1922年 - [[ジャニス・ペイジ]]([[:en:Janis_Paige|Janis Paige]])、女優 * 1922年 - [[:fr:Marcel_Mouloudji|Marcel Mouloudji]]、歌手(+ [[1994年]]) * [[1923年]] - [[江見俊太郎]]、[[俳優]](+ [[2003年]]) * 1923年 - [[リー・クアンユー]](李光耀)、政治家、[[シンガポールの首相|シンガポール初代首相]](+ [[2015年]]) * [[1924年]] - [[ローレン・バコール]]、女優(+ [[2014年]]) * 1924年 - [[ラウール・クタール]]、[[撮影監督]]、[[映画監督]](+ [[2016年]]) * [[1925年]] - [[B.B.キング]]、ブルースギタリスト(+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000115659 |title=ブルースの巨匠B.B.キング、死去 |publisher=BARKS |date=2015-05-15 |accessdate=19 Feb 2023}}</ref>) * 1925年 - [[チャールズ・ホーヒー]]、政治家、[[アイルランドの首相|アイルランド首相]](+ [[2006年]]) * [[1926年]] - [[ロジャー・マッキー]]([[:en:Roger_McKee|Roger McKee]])、プロ野球選手(+ [[2014年]]) * 1926年 - [[タカオ・タナベ]]([[:en:Takao_Tanabe|Takao_Tanabe]])、芸術家 * [[1927年]] - [[緒方貞子]]、元[[国際連合|国連]]難民高等弁務官(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51518950Z21C19A0MM0000/ |title=緒方貞子さん死去 元国連難民高等弁務官、92歳 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=29 Oct 2019}}</ref>) * 1927年 - [[坂本義和]]、[[政治学者]](+ [[2014年]]) * 1927年 - [[ピーター・フォーク]]、俳優(+ [[2011年]]) * 1927年 - [[平野謙二]]、元プロ野球選手 * [[1928年]] - [[古橋広之進]]、[[水泳]]選手(+ [[2009年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20090803-526449.html |title=「フジヤマのトビウオ」古橋広之進氏死す |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=3 Aug 2009}}</ref>) * 1928年 - [[パトリシア・ワルド]]([[:en:Patricia_Wald|Patricia Wald]])、裁判官(+ [[2019年]]) * [[1929年]] - [[ジャムシード・ビン・アブドゥッラー]]、[[ザンジバル]]の[[スルタン]] * [[1930年]] - [[アン・フランシス]]、女優(+ [[2011年]]) * 1933年 - [[スティーブ・シャーリー (実業家)|スティーブ・シャーリー]]、実業家 * [[1934年]] - [[ジョージ・チャキリス]]、俳優 * 1934年 - [[エルジン・ベイラー]]、[[バスケットボール選手]](+ [[2021年]]) * 1934年 - [[ロニー・ドリュー]]([[:en:Ronnie_Drew|Ronnie Drew]])、[[シンガーソングライター]](+ [[2008年]]) * [[1935年]] - [[中村和臣]]、元プロ野球選手 * 1935年 - [[南部利昭]]、[[南部家]]当主、[[靖国神社]]宮司(+ [[2009年]]) * 1935年 - [[カール・アンドレ]]、彫刻家、詩人 * 1935年 - [[エスター・ヴィラール]]([[:en:Esther_Vilar|Esther Vilar]])、作家 * [[1937年]] - [[:en:Aleksandr_Medved|Aleksandr Medved]]、レスリング選手 * [[1939年]] - [[ブレイテン・ブレイテンバッハ]]([[:en:Breyten Breytenbach|Breyten Breytenbach]])、画家、反[[アパルトヘイト]]運動家 * 1939年 - [[典厩五郎]]、[[小説家]] * 1939年 - [[ビル・マギー]]([[:en:Bill_McGill|Bill McGill]])、バスケットボール選手(+ [[2014年]]) * [[1940年]] - [[三上真一郎]]、俳優(+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/347036 |title=[訃報]/三上真一郎さん/小津監督映画で活躍 |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[沖縄タイムス]] |date=17 Nov 2018}}</ref>) * 1940年 - [[八木孝]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[渡辺秀武]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]]) * 1941年 - [[リチャード・パール]]、元政治家 * [[1942年]] - [[古川紘一]]、実業家 * 1942年 - [[スーザン・L・グラハム]]([[:en:Susan_L._Graham|Susan L. Graham]])、コンピューター科学者 * [[1943年]] - [[オスカー・ラフォンテーヌ]]、[[ドイツ社会民主党]]党首、[[ザールラント州]]首相 * 1943年 - [[須田正己]]、[[アニメーター]]、[[キャラクターデザイナー]](+ [[2021年]]) * 1943年 - [[野田圭一]]、[[声優]] * [[1944年]] - [[アルト・シェンク]]、元スケート選手 * [[1945年]] - [[江田昌司]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[井上節子]]、元[[バレーボール]]選手 * [[1947年]] - [[アレクサンドル・ルツコイ]]、軍人、政治家、[[ロシア連邦]]副大統領 * [[1948年]] - [[ロン・ブレア]]([[:en:Ron_Blair|Ron Blair]])、ミュージシャン * 1948年 - [[ロージー・カザルス]]、テニス選手 * 1948年 - [[ケニー・ジョーンズ]]、ミュージシャン * 1948年 - [[スーザン・ラッタン]]([[:en:Susan_Ruttan|Susan Ruttan]])、女優 * 1948年 - [[ジュリア・ドナルドソン]]([[:en:Julia_Donaldson|Julia Donaldson]])、作家 * [[1949年]] - [[エド・ベグリー・ジュニア]]、[[俳優]]、[[声優]] * [[1950年]] - [[ザ・ベラミー・ブラザーズ|デイヴィッド・ベラミー]]([[:en:The_Bellamy_Brothers|The Bellamy Brothers]])、シンガーソングライター * 1950年 - [[ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニア]]、歴史家 * [[1952年]] - [[ミッキー・ローク]]、俳優、[[プロボクサー]] * [[1953年]] - [[マヌエル・ペレグリーニ]]、元[[サッカー]]選手、サッカー指導者 * 1953年 - [[志賀俊之]]、実業家、  * [[1954年]] - [[安藤正容]]、[[ギタリスト]]([[T-SQUARE]]) * 1954年 - [[三井雅晴]]、元プロ野球選手 * 1954年 - [[アシュリタ・ファーマン]]、実業家 * [[1954年]] - [[アール・クルー]]、[[音楽家]] * [[1955年]] - [[西村穣]]、政治家 * [[1956年]] - [[ハル薗田]]、[[プロレスラー]]、(+ [[1987年]]) * 1956年 - [[デビッド・カッパーフィールド]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]] * [[1957年]] - [[東国原英夫]]、元政治家、タレント * 1957年 - [[秋月りす]]、[[漫画家]] * [[1958年]] - [[寺島尚正]]、[[アナウンサー]] * 1958年 - [[オーレル・ハーシュハイザー]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[帯ひろ志]]、漫画家(+ [[2014年]]) * 1959年 - [[高橋千鶴子]]、政治家 * 1959年 - [[ティム・レインズ]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[メル・ホール]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[園部啓一]]、声優 * 1960年 - [[ダン・ジェニングス (野球監督)|ダン・ジェニングス]]、元野球選手、監督 * [[1963年]] ‐ [[リチャード・マークス]]、[[シンガーソングライター]] * [[1964年]] - 松井成行、漫才師([[シンデレラエキスプレス]]) * [[1965年]] - [[カール=ハインツ・リードレ]]、元サッカー選手 * [[1966年]] - [[ケビン・ヤング]]、元陸上選手 * [[1967年]] - [[奥浩哉]]、漫画家 * [[1968年]] - [[内野聖陽]]、俳優 * 1968年 - [[マーク・エーカー]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[ラファエル・アルコルタ]]、サッカー選手 * [[1969年]] - [[マーク・アンソニー]]、歌手 * [[1970年]] - [[永山邦夫]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * [[1971年]] - [[大野和哉]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[宮川大輔 (タレント)|宮川大輔]]、お笑い芸人(元[[チュパチャップス]]) * [[1973年]] - [[沢村通]]、元野球選手 * 1973年 - [[アレクサンドル・ヴィノクロフ]]、自転車競技選手 * [[1974年]] - [[吉高寿男]]、脚本家 * [[1975年]] - [[森下純菜]]、アイドル歌手、タレント * [[1976年]] - [[川井貴志]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - 坂東亀寿 (初代)、[[歌舞伎役者]] * [[1979年]] - [[奥村愛]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1979年 - [[坪井慶介]]、プロサッカー選手 * 1979年 - [[中谷雄太]]、[[騎手]] * 1979年 - [[フロー・ライダー]]、ラッパー * 1979年 - [[スエ]]、女優 * [[1980年]] - [[徳井健太]]<ref name="公式">{{Cite web|和書|date= |url=https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=418 |title=平成ノブシコブシ |publisher=吉本興業 |accessdate=2020-10-31}}</ref>、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[平成ノブシコブシ]]) * 1980年 - [[溝呂木賢]]、俳優 * [[1981年]] - [[辻秀輝]]、漫画家 * [[1981年]] - [[アレクシス・ブレデル]]、女優、モデル * [[1982年]] - [[斧口智彦]]、俳優 * 1982年 - [[リーヌス・ゲルデマン]]、自転車競技選手 * 1982年 - [[リディア・マノン]]、フィギュアスケート選手 * 1982年 - [[クリス・カーター (1982年生の外野手)|クリス・カーター]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[秋葉知一]]、野球選手 * [[1983年]] - [[カースティ・コベントリー]]、水泳選手 * 1983年 - 坊、ギタリスト(元[[アンティック-珈琲店-]]) * 1983年 - [[高木啓充]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[中村知子]]、声優 * 1983年 - [[深沢和帆]]、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[ケイティ・メルア]]、シンガーソングライター * 1984年 - [[中野涼子 (アナウンサー)|中野涼子]]、元アナウンサー * [[1985年]] - [[マデリーン・ジーマ]]、女優 * 1985年 - [[ダイアナ湯川]]、ヴァイオリニスト * 1985年 - [[マット・ハリソン]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[らっぷびと]]、ラッパー * 1987年 - [[落合陽一]]、メディアアーティスト * [[1988年]] - [[多岐川華子]]、[[タレント]] * 1988年 - [[キム・ルシーヌ]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - 竹内まなぶ、お笑い芸人([[カミナリ (お笑いコンビ)|カミナリ]]) * 1989年 - [[坂東巳之助 (2代目)]]、[[歌舞伎役者]] * 1989年 - [[ヨアンナ・スレイ]]、フィギュアスケート選手 * 1989年 - [[ロビー・グロスマン]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[青木拓矢]]、サッカー選手 * 1989年 - [[折坂悠太]]、シンガーソングライター * [[1990年]] - [[塚本翔人]]、俳優 * 1990年 - [[館野奈穂]]、元[[グラビアアイドル]] * 1990年 - [[アンドリュー・ウエルタス]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[瀬口かな]]、元アイドル(元[[風男塾]]・瀬斗光黄) * [[1992年]] - [[中村匠吾]]、陸上競技選手 * 1992年 - [[ニック・ジョナス]]、ミュージシャン * [[1993年]] - [[イワン・ブキン]]、フィギュアスケート選手 * 1993年 - [[沢井美空]]、シンガーソングライター * 1993年 ‐ [[黒魔]]、ミュージシャン * [[1996年]] - [[横浜流星]]、俳優 * 1996年 - [[福永裕基]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[堀内汰門]]、元プロ野球選手 * 1996年 - [[日菜々はのん]]、[[AV女優]] * 1996年 - [[田中瞳 (アナウンサー)|田中瞳]]、アナウンサー * [[1998年]] - [[富園力也]]、俳優、声優 * [[1999年]] - [[内田伽羅]]、女優 * [[2002年]] - [[長谷川美月]]、ファッションモデル * [[2004年]] - [[三好佑季]]、女優([[Shibu3 project]]、元[[magical2]]) * [[2005年]] - [[伊東蒼]]、女優 * 生年不明 - [[こーすけ]]、[[ゲーム実況者]] * 生年不明 - [[井上遥乃]]、声優 * 生年不明 - [[かとう有花]]、声優 * 生年不明 - [[藤村ひろ]]、声優 == 忌日 == [[File:Bartolomeo Nazari - Portrait of Farinelli 1734 - Royal College of Music London.jpg |thumb|120px|[[ファリネッリ]](1703-1765)]] [[File:Carlos Gomes (fototipia).jpg|thumb|120px|[[アントーニョ・カルロス・ゴメス]](1836-1896)]] [[File:Ross Ronald 1857-1932.jpg|thumb|120px|[[ロナルド・ロス]](1857-1932)]] [[File:Otto Wels.jpg|thumb|120px|[[オットー・ヴェルス]](1873-1939)]] [[File:McGeorge Bundy.jpg|thumb|120px|[[マクジョージ・バンディ]](1919-1996)]] * [[307年]] - [[フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス]]、ローマ帝国の西の皇帝(* 生年不明) * [[1087年]] - [[ウィクトル3世 (ローマ教皇)|ウィクトル3世]]、第158代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1026年]]) * [[1205年]]([[元久]]2年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]])- [[平賀朝雅]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]] * [[1343年]] - [[フェリペ3世 (ナバラ王)|フェリペ3世]]、[[ナバラ王国|ナバラ王]](* [[1301年]]) * [[1380年]] - [[シャルル5世 (フランス王)|シャルル5世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1338年]]) * [[1394年]] - [[クレメンス7世 (対立教皇)|クレメンス7世]]、[[アヴィニョン]][[対立教皇]](* [[1342年]]) * [[1469年]]([[文明 (日本)|文明]]元年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]])- [[季瓊真蘂]]、[[臨済宗]]の[[僧]](* [[1401年]]) * [[1573年]]([[天正]]元年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[朝倉義景]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の大名(* [[1533年]]) * [[1672年]] - [[アン・ブラッドストリート]]、[[詩人]](* [[1612年]]頃) * [[1681年]] - [[ジャハナラ・ベーガム]] ([[:en:Jahanara Begum Sahib|Jahanara Begum Sahib]])、[[ムガル帝国]]皇女(* [[1614年]]) * [[1701年]] - [[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]、[[イングランド王国|イングランド王]](* [[1633年]]) * [[1736年]] - [[ガブリエル・ファーレンハイト]]、[[物理学者]](* [[1686年]]) * [[1744年]]([[延享]]元年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]])- [[黒田宣政]]、第5代[[福岡藩|福岡藩主]](* [[1685年]]) * [[1753年]] - [[ゲオルグ・ヴェンツェスラウス・フォン・クノーベルスドルフ]] ([[:en:Georg Wenzeslaus von Knobelsdorff|Georg Wenzeslaus von Knobelsdorff]])、建築家(* [[1699年]]) * [[1762年]] - [[フランチェスコ・ジェミニアーニ]]、作曲家(* [[1687年]]) * [[1782年]] - [[ファリネッリ]]、[[ソプラノ]][[カストラート]][[歌手]](* [[1705年]]) * [[1803年]] - [[ニコラ・ボーダン]]、[[探検家]](* [[1754年]]) * [[1824年]] - [[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]]、フランス王(* [[1755年]]) * [[1837年]] - [[フィリッポ・ブオナローティ]]、[[革命家]](* [[1761年]]) * [[1864年]] - [[ジョン・ハニング・スピーク]]、探検家(* [[1827年]]) * [[1869年]] - [[トーマス・グレアム]]、[[化学者]](* [[1805年]]) * [[1896年]] - [[アントーニョ・カルロス・ゴメス]]、[[作曲家]](* [[1836年]]) * [[1909年]] - [[箕作佳吉]]、[[動物学者]](* [[1857年]]) * [[1911年]] - [[菱田春草]]、[[日本画家]](* [[1874年]]) * [[1923年]] - [[大杉栄]]、[[アナキスト]](* [[1885年]]) * 1923年 - [[伊藤野枝]]、婦人解放運動家、[[アナキスト]]、[[作家]]、[[フェミニスト]](* [[1895年]]) * [[1925年]] - [[レオ・ファル]]、作曲家(* [[1873年]]) * 1925年 - [[アレクサンドル・フリードマン]]、物理学者、[[数学者]](* [[1888年]]) * [[1931年]] - [[鳳秀太郎]]、[[電気工学|電気工学者]](* [[1872年]]) * [[1932年]] - [[ロナルド・ロス]]、内科医、医学者(* [[1857年]]) * [[1933年]] - [[ジョージ・ゴア]]、[[プロ野球選手]](* [[1857年]]) * [[1939年]] - [[オットー・ヴェルス]]、政治家、[[ドイツ社会民主党]]党首(* [[1873年]]) * [[1944年]] - [[グスタフ・バウアー]]、[[ドイツ国首相]](* [[1870年]]) * [[1945年]] - [[日恭]]、[[大石寺]]第62世法主(* [[1869年]]) * [[1946年]] - [[ジェームズ・ジーンズ]]、[[物理学者]]、[[天文学者]]、[[数学者]](* [[1877年]]) * [[1957年]] - [[斉白石]]、[[画家]]、[[篆刻|篆刻家]](* [[1864年]]) * [[1965年]] - [[安益泰]]、作曲家(* [[1906年]]) * 1965年 - [[村上一治]]、プロ野球選手(* [[1917年]]) * [[1970年]] - [[笠松実]]、元プロ野球選手(* [[1916年]]) * [[1971年]] - [[三上章]]、[[言語学|言語学者]](* [[1903年]]) * [[1973年]] - [[ビクトル・ハラ]]、[[フォルクローレ]]の[[シンガーソングライター]](* [[1932年]]) * [[1975年]] - [[日比野武]]、元プロ野球選手(* [[1920年]]) * [[1977年]] - [[マリア・カラス]]、ソプラノ歌手(* [[1923年]]) * 1977年 - [[マーク・ボラン]]、ミュージシャン([[T.Rex]][[代表|リーダー]])(* [[1947年]]) * [[1979年]] - [[ジオ・ポンティ]]、[[建築家]](* [[1891年]]) * [[1980年]] - [[ジャン・ピアジェ]]、[[心理学者]](* [[1896年]]) * [[1981年]] - [[岩崎昶]]、[[映画評論家]](* [[1903年]]) * [[1992年]] - [[ラルビ・ベンバレク]]、サッカー選手(* [[1914年]]) * [[1996年]] - [[マクジョージ・バンディ]]、アメリカの[[国家安全保障問題担当大統領補佐官]](* [[1919年]]) * [[1997年]] - [[坪内道典]]、元プロ野球選手(* [[1914年]]) * [[1999年]] - [[市川右太衛門]]、[[俳優]](* [[1907年]]) * 1999年 - [[山本兵吾]]、元プロ野球選手(* [[1938年]]) * [[2000年]] - [[田部輝男]]、元プロ野球選手(* [[1916年]]) * [[2001年]] - [[米森麻美]]、[[アナウンサー]](* [[1967年]]) * [[2006年]] - [[ジュジャ・ケルメツィ]]、[[テニス]]選手(* [[1924年]]) * 2006年 - [[上之郷利昭]]、[[ノンフィクション]][[作家]]、[[評論家]](* [[1936年]]) * [[2007年]] - [[渡辺紘三]]、政治家(* [[1942年]]) * 2007年 - [[ロバート・ジョーダン]]、[[ファンタジー]]作家(* [[1948年]]) * [[2008年]] - [[アンドレイ・ヴォルコンスキー]]、作曲家(* [[1933年]]) * 2008年 - [[北角富士雄]]、元プロ野球選手(* [[1947年]]) * [[2009年]] - [[マリー・トラヴァース]]、フォーク歌手(* [[1937年]]) * [[2010年]] - [[小林桂樹]]、[[俳優]](* [[1923年]]) * [[2012年]] - [[樋口廣太郎]]、[[アサヒビール]]会長(* [[1926年]]) * 2012年 - [[三船正俊]]、元プロ野球選手(* [[1931年]]) * [[2013年]] - [[岩河三郎]]、[[作曲家]](* [[1923年]]) * 2013年 - [[在原兵次]]、元プロ野球選手(* [[1936年]]) * [[2014年]] - [[若秩父高明]]、元[[大相撲力士]]、年寄14代[[常盤山]](* [[1939年]]) * [[2019年]] - [[逆鉾昭廣]]<ref>{{Cite web|和書|title=初金星に禁断の日本人初ガッツポーズ/井筒親方悼む |url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201909170000003.html |access-date=19 Feb 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=17 Sep 2019}}</ref>、元大相撲力士、年寄15代[[井筒 (相撲)|井筒]](* [[1961年]]) * [[2022年]] - [[梶田冬磨]]、俳優(* [[2000年]]) == 記念日・年中行事 == * [[オゾン層保護のための国際デー]] *:1986年にモントリオール議定書が採択されたことにちなみ、1994年の国連総会にて国際デーとして制定された。 * [[独立記念日]]({{MEX}}) *: [[1810年]]のこの日、メキシコ中部・ドロレス教区の[[ミゲル・イダルゴ]]神父が、後に[[ドロレスの叫び]]と呼ばれるメキシコのスペインからの独立を訴える演説を行い、[[メキシコ独立革命]]が始まった。 * 独立記念日({{PNG}}) *: [[1975年]]のこの日、パプアニューギニアが[[オーストラリア]]の[[信託統治]]から独立した。 * [[マレーシア・デイ]]({{MYS}}) *: [[1963年]]のこの日、[[マラヤ連邦]]とイギリス保護国[[北ボルネオ]]・[[サラワク州|イギリス領サラワク]]、[[シンガポール]]が合併してマレーシアが成立した。なお、シンガポールは2年後の1965年にマレーシアから離脱・独立した。 * [[敬老の日]]({{JPN}}、[[2013年]]・[[2019年]]・[[2024年]])※9月第3月曜日 * [[ハイビジョン]]の日({{JPN}}) *: ハイビジョンの画面の縦横比が 9:16 (16:9)であることから[[通商産業省]](現[[経済産業省]])が制定。他に[[郵政省]](現[[総務省]])と[[日本放送協会|NHK]]が、ハイビジョンの走査線数1125本から[[11月25日]]を同名の記念日としている<ref>{{Cite web|和書|title=9月16日 ハイビジョンの日 |url=https://gendai.media/articles/-/87335 |website=ブルーバックス |publisher=[[講談社]] |date=2021-09-16 |access-date=19 Feb 2023 |work=サイエンス365days}}</ref>。 * [[競馬]]の日・[[日本中央競馬会]]発足記念日({{JPN}}) *: [[1954年]]のこの日、日本中央競馬会 (JRA) が[[農林水産省|農林省(現在の農林水産省)]]の監督の下で発足した。 * 牛とろの日({{JPN}}) *: 「牛(9)とろ(16)」の語呂合わせ。[[北海道]][[上川郡 (十勝国)|上川郡]][[清水町 (北海道)|清水町]]の食肉加工・販売会社である十勝スロウフードが、[[日本記念日協会]]に2018年4月申請し認定登録を受けた。十勝地方では同社の「牛とろフレーク」を乗せた[[牛とろ丼]]が知られている。 *アイドルコピーダンスの日({{JPN}}) *:大学対抗女子大生アイドルコピーダンス日本一決定戦「[[UNIDOL]]」の第1回目が2012年9月16日に開催されたことに由来。同大会を主催する「学生団体UNIEVENTS」と「株式会社AmaductioN」が、[[日本記念日協会]]に2022年9月申請し認定登録を受けた。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0916|date=2011年7月}} * 年不明 - 木曜日、翌17日までの間にキングズ・アボット村のフェラーズ夫人が[[睡眠薬]]を過剰摂取し死亡する。(小説『[[アクロイド殺し]]』第1章) * 1944年 - 山田太郎が謎のお化けに遭遇する。(漫画「災いは口のもと…」〈『[[画太郎先生ありがとう いつもおもしろい漫画を描いてくれて…]]』所収〉) === 誕生日(フィクション) === * [[1990年]] - [[東京卍リベンジャーズ#羽宮 一虎|羽宮一虎]]、漫画・アニメ『[[東京卍リベンジャーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=東京卍リベンジャーズ キャラクターブック 天上天下|date=2021年04月16日|publisher=[[講談社]]|page=086|editor=編集:週刊少年マガジン編集部/監修:和久井健|editor-link=和久井健|isbn=978-4-06-522988-0|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000350955}}</ref><ref>{{Twitter status|toman_official|1438155683535343620}}</ref> * 1993年 - 響野里澄、ゲーム『[[ときめきメモリアル4]]』に登場するヒロインのひとり * 2004年 - 伊予島杏、小説・漫画『[[乃木若葉は勇者である]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://yuyuyui.jp/character/character11.html |title=伊予島 杏 |access-date=2023-01-09 |publisher=[[KADOKAWA]]/オルトプラス |work=『結城友奈は勇者である 花結いのきらめき』}}</ref> * 生年不明 - 山田結衣、漫画・アニメ『[[加瀬さんシリーズ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|asagao_anime|1305884124784197642}}</ref> * 生年不明 - 西野つかさ、漫画・アニメ『[[いちご100%]]』に登場するヒロインのひとり * 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#ウルグアイ|火野竜馬]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|date=2003-05-20|title=キャプテン翼 3109日全記録 (愛蔵版コミックス) |publisher =[[集英社]]|isbn=978-4087827897|page=167}}</ref> * 生年不明 - シルバ、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ONE PIECEの登場人物一覧#偉大なる航路(グランドライン)|ラブーン]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Laboon.html |title=ラブーン |work=『ONE PIECE』 |accessdate=2023-01-09 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - リンドウ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Lindo.html |title=リンドウ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=2023-01-09 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 西野掴、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - モア・ヘッセ、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=星野桂 |authorlink=星野桂 |date=2008-06-04 |title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃 (ジャンプコミックス) |page=110 |publisher=[[集英社]]〈[[ジャンプ・コミックス]]〉 |isbn=978-4088742489}}</ref> * 生年不明 - 見吉茜、漫画・アニメ『[[バクマン。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 桜井萌果、漫画・アニメ『[[涼風 (漫画)|涼風]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|seokouji|644142336453115904}}</ref> * 生年不明 - 大林良、漫画・アニメ『[[ベイビーステップ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 茉希尾瀬、漫画・アニメ『[[炎炎ノ消防隊]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|FireForce_PR|1305884076046520321}}</ref> * 生年不明 - 國崎秋彦、漫画『[[國崎出雲の事情]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アルケス、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|teshi_kuro413|1570608479240597506}}</ref> * 生年不明 - マフラーちゃん、漫画・アニメ『[[とっとこハム太郎]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sho.jp/hamutaro/chara/mafurachan |title=マフラーちゃん |access-date=2023-01-09 |publisher=[[河井リツ子]]・[[小学館]] |work=『とっとこハム太郎』}}</ref> * 生年不明 - 塚原要、漫画・アニメ『[[君と僕。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2011-09-17|title=堀田きいち OFFICIAL FANBOOK 君と僕。-AFTER SCHOOL-|page=70|publisher= [[スクウェア・エニックス]]|isbn=978-4757533837}}</ref><ref>{{Cite book |和書|date=2012-10-05|title=アニメ「君と僕。」公式ファンブック|series=主婦と生活生活シリーズ|page=14|publisher= [[主婦と生活社]]|isbn=978-4391633757}}</ref> * 生年不明 - ファイツ、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1438324415037521925}}</ref> * 生年不明 - 胡桃沢梅、漫画・アニメ『[[君に届け]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 片岡優希、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=小林立 |authorlink=小林立 |date=2010-01-29 |title=咲 Saki ラブじゃん♥ マホちゃんの必殺技完成!(Guide Book) |page=42 |publisher=[[スクウェア・エニックス]] |isbn=978-4757526341}}</ref> * 生年不明 - 汐王寺竜胆、漫画・アニメ『[[まりあ†ほりっく]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 熊塚奇凛、漫画・アニメ『[[学園ベビーシッターズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 安條磯子、漫画・アニメ『[[魔法少女サイト]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ロズワール・L・メイザース、小説・アニメ『[[Re:ゼロから始める異世界生活]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|nezumiironyanko|1041263146579636224}}</ref> * 生年不明 - 不破春斗、小説・アニメ『[[妹さえいればいい。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://imotosae.com/character/#/haruto |title=Character 不破春斗 |work=平坂読・[[小学館]]/妹さえいれば委員会 |accessdate=2020-06-12}}</ref> * 生年不明 - 藤沢やよい、アニメ『[[宇宙のステルヴィア]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - タコウィンナーっち、アニメ『[[たまごっち!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アードライ、アニメ『[[革命機ヴァルヴレイヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.valvrave.com/character/#c15 |title=A-DREI アードライ |work=SUNRISE/VVV Committee, MBS |accessdate=2020-05-31}}</ref> * 生年不明 - [[綾崎若菜]]、ゲーム・アニメ『[[センチメンタルグラフティ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1438359488701079555}}</ref> * 生年不明 - ティンティン・バット、ゲーム『[[大合奏バンドブラザーズ|大合奏!バンドブラザーズ]]』シリーズに登場するキャラクター * 生年不明 - 基山タツヤ、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2023-01-09}}</ref> * 生年不明 - 神谷奈緒、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20042 |title=神谷 奈緒(かみや なお) |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate=2023-01-09 |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ツキノ、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|showbyrock|643801721186062336}}</ref> * 生年不明 - ダグラス、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=93&cate=name&cont=Douglas |title=ダグラス |access-date=2023-01-09 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#詩花(しいか)|詩花]]、ゲーム『[[アイドルマスター ステラステージ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://stella-stage.idolmaster.jp/idol/shika.php |title=詩花 CV:高橋李依 |accessdate=2023-01-09 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント]] |work=『アイドルマスター ステラステージ』}}</ref> * 生年不明 - ライーサ・ペットゲン、メディアミックス『[[ストライクウィッチーズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 白雪リン、特撮『[[魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!]]』の登場人物 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{commonscat|16 September}} {{新暦365日|9|15|9|17|[[8月16日]]|[[10月16日]]|[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]|0916|9|16}} {{1年の月と日}}
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9月17日
9月17日(くがつじゅうななにち、くがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から260日目(閏年では261日目)にあたり、年末まであと105日ある。
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9月17日(くがつじゅうななにち、くがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から260日目(閏年では261日目)にあたり、年末まであと105日ある。
{{カレンダー_9月}} '''9月17日'''(くがつじゅうななにち、くがつじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から260日目([[閏年]]では261日目)にあたり、年末まであと105日ある。 == できごと == [[File:1stSettlement Boston RobertSears1850.png|thumb|200px|[[1630年]]、[[ボストン]]建設開始]] [[File:Goettingen Universitaet 1747.jpg|thumb|200px|[[1737年]]、[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]創設]] [[File:Battle of the Yellow Sea by Korechika.jpg|thumb|200px|[[1904年]]、[[黄海海戦 (日清戦争)|黄海海戦]]]] [[File:82nd Grave.jpg|thumb|200px|[[1944年]]、[[マーケット・ガーデン作戦]]]] [[File:The Shuttle Enterprise - GPN-2000-001363.jpg|thumb|200px|[[1976年]]、[[スペースシャトル・エンタープライズ|エンタープライズ]]公開]] [[File:Seoul Olympic torch.jpg|thumb|200px|[[1988年]]、[[ソウルオリンピック|ソウル五輪]]開会式]] * [[1176年]] - [[ミュリオケファロンの戦い]]。[[ルーム・セルジューク朝]]が[[東ローマ帝国]]([[コムネノス王朝]])に勝利。 * [[1567年]]([[永禄]]10年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[織田信長]]が[[斎藤龍興]]の居城だった稲葉山城に移り[[岐阜城]]と改称。 * [[1630年]] - [[ピューリタン]]が[[ボストン]]の街を建設。 * [[1631年]] - [[三十年戦争]]: [[ブライテンフェルトの戦い (1631年)|ブライテンフェルトの戦い]] * [[1737年]] - [[ハノーファー王国|ハノーファー]][[選帝侯]][[ジョージ2世 (イギリス王)|ゲオルク・アウグスト]]が[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン]]を創設。 * [[1787年]] - [[フィラデルフィア憲法制定会議]]が[[アメリカ合衆国憲法]](案)を策定し、散会。 * [[1789年]] - [[ウィリアム・ハーシェル]]が[[土星]]の[[衛星]]「[[ミマス (衛星)|ミマス]]」を発見。 * [[1809年]] - [[ロシア帝国]]と[[スウェーデン|スウェーデン王国]]が[[第二次ロシア・スウェーデン戦争|フィンランド戦争]]の講和条約「[[フレデリクスハムンの和約]]」を結ぶ。 * [[1859年]] - [[ジョシュア・ノートン]]が自らを「[[アメリカ合衆国|合衆国]]皇帝にして[[メキシコ]]の庇護者ノートン1世」と宣言。 * [[1862年]] - [[南北戦争]]:[[アンティータムの戦い]]。 * [[1882年]] - [[1882年の大彗星]]が太陽表面から46万kmのところを通過し、太陽のすぐ脇でも明るく見える[[大彗星]]となった。 * [[1894年]] - [[日清戦争]]:[[黄海海戦 (日清戦争)|黄海海戦]]。 * [[1900年]] - [[米比戦争]]:マビタクの戦い。 * [[1920年]] - [[佐伯矩]]の私立営養研究所を発展させた国立栄養研究所(現[[国立健康・栄養研究所]])が設立。 * [[1928年]] - {{仮リンク|オケチョビー・ハリケーン|en|1928 Okeechobee hurricane}}が[[フロリダ州]]に襲来。死者2500人以上。 * [[1939年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ポーランド侵攻]]: [[ナチス・ドイツ]]のポーランド侵攻に呼応する形でソ連[[赤軍]]が[[ソビエト連邦によるポーランド侵攻|ポーランド東部に侵攻]]。 * 1939年 - 第二次世界大戦: [[イギリス海軍]]の空母[[カレイジャス (空母)|カレイジャス]]が[[ドイツ海軍 (国防軍)|ドイツ軍]]の[[Uボート]]から攻撃され沈没。 * 1939年 - フィンランドの[[:en:Taisto Mäki|Taisto Mäki]]が[[10000メートル競走]]で29分52秒6を記録。人類史上初めて10,000メートルで30分を切る。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦:[[マーケット・ガーデン作戦]]開始。 * [[1945年]] - [[枕崎台風]]が[[鹿児島県]][[枕崎市]]付近に上陸。日本列島を縦断し、死者行方不明者3756人。 * 1945年 - [[瑞穂村開拓団集団自決]]発生。 * [[1950年]] - [[第一次インドシナ戦争]]: [[ホーチミン市|サイゴン]]でアメリカから派遣された[[フランシス・ジェラード・ブリンク|ブリンク]]准将らがインドシナ軍事援助顧問団を結成する。 * [[1952年]] - [[伊豆諸島]]南部の岩礁で噴火が発生。[[9月18日|18日]]、噴火を発見した漁船の名から[[明神礁]]と命名。 * 1952年 - 戦後初の国産航空機である[[R-52]]が初飛行。 * [[1956年]] - [[オーストラリア]]でテレビ放送開始。 * [[1957年]] - [[マレーシア]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[1959年]] - アメリカの高高度[[極超音速]]実験機[[X-15 (航空機)|X-15]]が初の動力飛行に成功。 * [[1961年]] - [[ダグ・ハマーショルド]]国連事務総長が乗った飛行機が墜落。翌日死亡。 * [[1964年]] - [[東京モノレール羽田線|東京モノレール]]が開業。日本初の旅客用[[モノレール]]。 * [[1966年]] - [[平新艇事件]]:北朝鮮漁船が日本への亡命をはかる。 * [[1968年]] - [[江夏豊]]([[阪神タイガース|阪神]])が[[甲子園球場]]での対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で[[王貞治]]から日本記録となる354個目の[[奪三振]]を[[記録]]。10月に世界記録を達成し、このシーズンで401奪三振を記録。 * [[1969年]] - [[徳島県]]知事選挙で[[日本放送協会|NHK]]が初のテレビ[[政見放送]]を実施。 * [[1974年]] - [[バングラデシュ]]、[[グレナダ]]、[[ギニア・ビサウ]]が国連に加盟。 * [[1976年]] - [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]が初の[[スペースシャトル]]「[[スペースシャトル・エンタープライズ|エンタープライズ]]」を公開。 * [[1978年]] - [[エジプト]]大統領[[アンワル・アッ=サーダート]]と[[イスラエル]]首相[[メナヘム・ベギン]]が[[キャンプ・デービッド合意]]に調印。 * [[1980年]] - [[ポーランド]]で[[独立自主管理労働組合「連帯」]]が発足。 * [[1982年]] - [[上海虹橋国際空港]]で、[[日本航空インターナショナル|日本航空]]の[[DC-8|DC-8型機]]が着陸後にオーバーラン。 * 1982年 - [[マーガレット・サッチャー]][[イギリスの首相|英首相]]が訪日。 * [[1983年]] - [[ヴァネッサ・ウィリアムス]]が[[アフリカ系アメリカ人]]初の[[ミス・アメリカ]]に選ばれる。 * [[1988年]] - 第24回[[夏季オリンピック]]、[[ソウルオリンピック]]大会開催。[[10月2日]]まで。 * [[1991年]] - [[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]、[[マーシャル諸島]]、[[ミクロネシア連邦]]が国連に加盟。 * 1991年 - [[Linuxカーネル]]の最初のバージョン(0.01)がインターネット上に公開される。 * [[1993年]] - ロシア軍が[[ポーランド]]から完全撤退。 * [[1996年]] - [[ロサンゼルス・ドジャース]]の[[野茂英雄]]が対ロッキーズ戦で[[ノーヒット・ノーラン]]を達成。 * [[2002年]] - [[日本]]の[[小泉純一郎]][[首相]]が訪朝。[[日朝首脳会談]]が行われ、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[金正日]][[朝鮮労働党中央委員会総書記|総書記]]が[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致]]を公式に認める。 * [[2004年]] - [[プロ野球再編問題 (2004年)|プロ野球再編問題]]での労使交渉が決裂。[[日本プロ野球選手会]]が[[日本プロ野球]]史上初の[[プロ野球ストライキ|ストライキ]]決行を発表。 * [[2006年]] - [[スウェーデン]]議会の総選挙が行われ[[フレドリック・ラインフェルト]]率いる[[穏健党]]を中心とする中道右派連合が勝利。 * [[2016年]] - [[ニューヨーク]]市チェルシー地区で爆弾が爆発<ref>{{Cite web|和書|date=2016年9月19日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3101375 |title=米で爆発や襲撃が連続、テロを視野に捜査 相互関連は不明も不安広がる |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-20}}</ref>。25人以上が負傷。犯人は、[[アフガニスタン]]出身のアメリカ人で、同月中に逮捕された。([[2016年マンハッタン爆発]]) == 誕生日 == [[File:Minamoto no Sanetomo.jpg|thumb|120px|[[源実朝]](1192-1219)]] [[File:Baron von Steuben by Ralph Earl.jpeg|thumb|120px|[[フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン|シュトイベン男爵]](1730-1794)]] * [[1192年]]([[建久]]3年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[源実朝]]、[[鎌倉幕府]]第3代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1219年]]) * [[1505年]] - [[マリア・フォン・エスターライヒ]]、ハンガリー王[[ラヨシュ2世 (ハンガリー王)|ラヨシュ2世]]妃(+ [[1558年]]) * [[1552年]] - [[パウルス5世 (ローマ教皇)|パウルス5世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1621年]]) * [[1630年]] - [[ラヌッチョ2世・ファルネーゼ|ラヌッチョ2世]]、パルマ及びピアチェンツァ公(+ [[1694年]]) * [[1730年]] - [[フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン|フリードリッヒ・W・フォン・シュトイベン]]、[[陸軍軍人]](+ [[1794年]]) * [[1739年]] - [[ジョン・ラトリッジ]]、[[政治家]]、[[判事]](+ [[1800年]]) * [[1764年]] - [[ジョン・グッドリック]]、[[天文学者]](+ [[1786年]]) * [[1801年]] - エドワード・ウィリアム・レイン ([[:en:Edward William Lane|Edward William Lane]])、[[東洋学者]](+ [[1876年]]) * [[1826年]] - [[ベルンハルト・リーマン]]、[[数学者]](+ [[1866年]]) * [[1856年]] - [[平岡凞]]、[[野球選手]]、指導者(+ [[1934年]]) * [[1857年]] - [[コンスタンチン・ツィオルコフスキー]]、[[宇宙工学者]](+ [[1935年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[河本にわ]]、[[長寿]]世界一(+[[1976年]]) * [[1869年]]([[明治]]2年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[江見水蔭]]、[[小説家]](+ [[1934年]]) * 1869年 - [[クリスティアン・ランゲ]]、平和主義者(+ [[1938年]]) * [[1870年]] - [[横田千之助]]、政治家(+ [[1925年]]) * [[1882年]] - [[フランク・シュルト]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1949年]]) * [[1883年]] - [[ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ]] ([[:en:William Carlos Williams|William Carlos Williams]])、[[詩人]](+ [[1963年]]) * [[1884年]] - [[久保より江]]、[[俳人]](+ [[1941年]]) * [[1888年]] - [[辻村みちよ]]、[[農学者]](+ [[1969年]]) * [[1893年]] - [[渡辺宗太郎]]<ref>『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1213頁。</ref>、行政法学者(+ [[1983年]]) * [[1900年]] - [[J・ウィラード・マリオット]]、[[マリオット・インターナショナル]]創業者(+ [[1985年]]) * [[1901年]] - [[堀内寿郎]]、化学者(+ [[1979年]]) * [[1903年]] - [[男女ノ川登三]]、元大相撲力士、第34代[[横綱]](+ [[1971年]]) * [[1904年]] - [[フレデリック・アシュトン]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付師]](+ [[1988年]]) * [[1907年]] - [[東野英治郎]]、[[俳優]](+ [[1994年]]) * [[1913年]] - [[益田兼利]]、陸軍軍人、[[陸上自衛官]](+ [[1973年]]) * [[1914年]] - [[金丸信]]、政治家(+ [[1996年]]) * [[1917年]] - [[尹伊桑]]、作曲家(+ [[1995年]]) * [[1918年]] - [[ハイム・ヘルツォーグ]]、政治家、[[イスラエルの大統領|イスラエル大統領]](+ [[1997年]]) * [[1920年]] - [[塚本幸一]]、[[ワコール]]創業者(+ [[1998年]]) * [[1922年]] - [[アゴスティニョ・ネト]]、詩人、政治家、[[アンゴラの大統領|アンゴラ大統領]](+ [[1979年]]) * [[1923年]] - [[芦部信喜]]、[[憲法学者]](+ [[1999年]]) * [[1924年]] - [[八木進]]、元プロ野球選手(+ 1945年) * [[1925年]] - [[杉下茂]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * [[1929年]] - [[スターリング・モス]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(+ [[2020年]]) * [[1930年]] - [[石川喬司]]、[[作家]]、[[評論家]](+ [[2023年]]) * 1930年 - [[トーマス・スタッフォード]]、[[宇宙飛行士]] * 1930年 - [[野本礼三]]、[[声優]](+ [[2006年]]) * [[1931年]] - [[曾野綾子]]、[[小説家]] * [[1932年]] - [[ロバート・B・パーカー]]、[[小説家]](+ [[2010年]]) * [[1933年]] - [[中川嘉美]]、政治家(+ [[2005年]]) * [[1934年]] - [[ヴァルダ・オズボーン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1935年]] - [[杉浦忠]]、元プロ野球選手、監督(+ [[2001年]]) * [[1937年]] - [[山本八郎]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * 1937年 - [[オーランド・セペダ]]、元プロ野球選手 * [[1940年]] - [[松本俊一 (野球)|松本俊一]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[橋爪功]]、俳優 * [[1943年]] - [[江崎鉄磨]]、政治家 * [[1944年]] - [[ラインホルト・メスナー]]、[[登山家]] * [[1947年]] - [[小坂敏彦]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[ちあきなおみ]]、元[[歌手]] * [[1948年]] - [[ジョン・リッター]]、俳優、声優 (+ [[2003年]]) * 1948年 - [[小宮山洋子]]、政治家、元アナウンサー * [[1949年]] - [[木村俊雄]]、政治家 * [[1950年]] - [[若生正廣]]、高校野球指導者 * 1950年 - [[ナレンドラ・モディ]]、政治家、第18代[[インドの首相|インド首相]] * [[1951年]] - [[山崎海童]]、俳優 * [[1953年]] - [[影山日出夫]]、[[ジャーナリスト]]、NHK解説委員(+ [[2010年]]) * [[1954年]] - [[竹本健治]]、推理小説作家 * [[1955年]] - [[マーシャル・ブラント]]、元野球選手 * 1955年 - [[チャールズ・マーティネー]]、俳優、声優 * [[1956年]] - [[アルマズベク・アタンバエフ]]、政治家、第4代[[キルギス]]大統領 * [[1957年]] - [[デヴィッド・ビントレー]]、バレエダンサー * [[1958年]] - [[マンフレート・ホーネック]]、[[指揮者]] * [[1959年]] - [[大島さと子]]、女優 * [[1960年]] - [[デイモン・ヒル]]、F1レーサー * 1960年 - [[ジョン・フランコ]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[平井伸治]]、政治家、第17・18・19・20代[[鳥取県知事]] * [[1962年]] - [[大倉孝一]]、元野球選手 * 1962年 - [[風雅なおと]]、歌手 * [[1963年]] - [[蝶野正洋]]、[[プロレスラー]] * 1963年 - [[ジェレミー・ノスィーダ]]、[[調教師]] * 1963年 - [[松岡ゆみこ]]、女優、[[タレント]] * [[1965年]] - [[ブライアン・シンガー]]、[[映画監督]] * 1965年 - [[中裕司]]、[[ゲームクリエイター]] * 1965年 - [[三浦将明]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[河村博司]]、ミュージシャン(元[[ソウル・フラワー・ユニオン]]) * 1966年 - [[葺本光秀|フッキー]]、[[ものまね]][[タレント]]([[ノブ&フッキー]]) * [[1967年]] - [[えまおゆう]]、女優 * [[1968年]] - [[フランセスク・ビラノバ|ティト・ビラノバ]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者(+ [[2014年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20140426/185050.html|title=ビラノバの訃報にメッシ「決して忘れない」…ビジャやアグエロらもメッセージ|publisher=サッカーキング|accessdate=2020-11-17}}</ref>) * [[1969年]] - [[ビスマルク・バレット・ファリア]]、元サッカー選手 * 1969年 - [[三瀬真美子]]、[[タレント]]([[シェイプUPガールズ]]) * [[1971年]] - [[田之上慶三郎]]、元プロ野球選手 * 1971年 - 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[[縄田雄哉]]、俳優、[[スーツアクター]] * [[1983年]] - U-YEAH、歌手、ダンサー、振り付け師、イラストレーター([[DA PUMP]]) * 1983年 - [[松崎伸吾]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[仲の国将]]、元大相撲力士 * [[1984年]] - [[金大恩]]、体操競技選手 * 1984年 - [[高橋涼子 (歌手)|高橋涼子]]、歌手 * 1984年 - [[河野玄太]]、ミュージシャン * 1984年 - [[円谷英俊]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[嵐優子]]、タレント * 1984年 - [[庄司こなつ]]、タレント * 1984年 - [[もりちえみ]]、元タレント * 1984年 - 江上敬子、お笑いタレント([[ニッチェ (お笑いコンビ)|ニッチェ]]) * [[1985年]] - [[アレクサンドル・オベチキン]]、[[アイスホッケー選手]] * 1985年 - [[北山宏光]]、アイドル(元[[Kis-My-Ft2]]) * 1985年 - [[トマーシュ・ベルディハ]]、[[テニス選手]] * 1985年 - [[仲林圭]]、プロ雀士 * 1985年 - [[長谷川未来]]、タレント * 1985年 - [[又野千紘]]、アナウンサー * [[1986年]] - [[パオロ・デ・チェリエ]]、サッカー選手 * 1986年 - [[松岡禎丞]]、[[声優]] * [[1987年]] - [[巽悠衣子]]、声優 * 1987年 - [[中村アン]]、モデル・タレント * 1987年 - [[AYAMO]]、ファッションモデル([[AMOYAMO]]) * 1987年 - [[千代桜右京]]、元大相撲力士 * [[1988年]] - [[ステファン・サンデー]]、サッカー選手 * 1988年 - [[フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ]]、サッカー選手 * 1988年 - [[神代ひまり]]、モデル * 1988年 - [[北条佳奈]]、元グラビアアイドル、元女優 * 1988年 - [[関口アナン]]、俳優 * [[1989年]] - [[JUNICHI]]、[[画家]] * 1989年 - [[久宥茜]]、グラビアアイドル、女優 * 1989年 - [[中後悠平]]、元プロ野球選手 * [[1990年]] - [[福山聖二]]、俳優(元[[HotchPotchi]]) * 1990年 - [[池山あゆ美]]、元[[野球選手]] * 1990年 - [[小山留生]]、タレント * 1990年 - [[ケンドラ・モイル]]、[[フィギュアスケート選手]] * 1990年 - [[ダイアン・シュミット]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[マーカス・セミエン]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[三浦彩佳]]、総合格闘家 * [[1991年]] - [[石川遼]]、ゴルファー * 1991年 - [[上原りさ]]、[[タレント]] * 1991年 - [[ささの翔太]]、俳優 * 1991年 - [[寿美菜子]]、声優 * 1991年 - [[大嶺翔太]]、元プロ野球選手 * [[1992年]] - [[神原真理]]、[[ラジオパーソナリティ]] * 1992年 - [[バウルジャン・ムルザバエフ]]、[[競馬]][[騎手]] * 1992年 - [[まいてぃ]]、グラビアアイドル、タレント * [[1993年]] - [[廣瀬聡子]]、元グラビアアイドル、元女優 * 1993年 - [[ジェームス・マーベル]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[北川佳穂]]、バスケットボール選手 * 1994年 - [[阿部桃子 (1994年生)|阿部桃子]]、ファッションモデル、タレント * [[1995年]] - [[東方伸友]]、元プロ野球選手 * 1995年 - [[山口真帆]]、女優、元アイドル(元[[NGT48]]) * 1995年 - ユ・シア (ユア)、 アイドル([[OH MY GIRL]]) * 1995年 - [[パトリック・マホームズ]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * 1995年 - [[竹下和輝]]、陸上選手 * [[1996年]] - [[野中葵]]、ファッションモデル * 1996年 - [[ヨンジェ (GOT7)|ヨンジェ]]、歌手([[GOT7]]) * 1996年 - [[エステバン・オコン]]、F1レーサー * 1996年 - [[詩月まどか]]、AV女優 * [[1997年]] - [[渡辺恵伶奈]]、モデル、女優 * [[1998年]] - [[岡﨑大輔]]、元プロ野球選手 * 1998年 - [[テーブス海]]、バスケットボール選手 * 1998年 - [[中山咲月]]、ファッションモデル、女優 * 1998年 - [[並木月海]]、[[ボクシング]]選手 * 1998年 - [[星岳]]、陸上選手 * [[1999年]] - [[チョン・ジソ]]、女優 * [[2000年]] - [[ベン・ジョイス]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - [[秋広優人]]、プロ野球選手 * 2002年 - [[樺山諒乃介]]、プロサッカー選手 * 2002年 - [[ジェームズ・ウッド (野球)|ジェームズ・ウッド]]、プロ野球選手 * [[2006年]] - [[新井美羽]]、子役 == 忌日 == [[Image:Rudolf von Jhering Büste von Ferdinand Hartzer 1888.jpg|thumb|120px|[[ルドルフ・フォン・イェーリング]](1818-1892)]] [[File:Lechatelier.jpg|thumb|120px|[[アンリ・ルシャトリエ]](1850-1936)]] * [[1575年]] - [[ハインリヒ・ブリンガー]]、神学者(* [[1505年]]) * [[1611年]] - [[バルトロメウス・スプランヘル]]、[[画家]](* [[1546年]]) * [[1621年]] - [[ロベルト・ベラルミーノ]]、カトリック教会[[枢機卿]](* [[1542年]]) * [[1665年]] - [[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Philip-IV-king-of-Spain-and-Portugal Philip IV king of Spain and Portugal] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、スペイン王(* [[1605年]]) * [[1762年]] - [[フランチェスコ・ジェミニアーニ]]<ref>{{Cite EB1911|wstitle=Geminiani, Francesco|volume=11|page=572-573}}</ref>、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1687年]]) * [[1786年]]([[天明]]6年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]])- [[徳川家治]]、[[江戸幕府]]第10代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1737年]]) * [[1836年]] - [[アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー]]、植物学者(* [[1748年]]) * [[1863年]] - [[アルフレッド・ド・ヴィニー]]、作家(* [[1797年]]) * [[1892年]] - [[ルドルフ・フォン・イェーリング]]、法学者(* [[1818年]]) * [[1894年]] - 鄧世昌{{要出典|date=2021-03}}、海軍軍人(* [[1849年]]) * [[1907年]] - [[イグナーツ・ブリュル]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](* [[1846年]]) * [[1924年]] - [[ジョン・マーチン・シェバーリ]]、[[天文学者]](* [[1853年]]) * [[1928年]] - [[若山牧水]]、[[歌人]](* [[1885年]]) * [[1936年]] - [[アンリ・ルシャトリエ]]、[[化学者]](* [[1850年]]) * [[1938年]] - [[ニコライ・コンドラチエフ]]、[[経済学者]](* [[1892年]]) * 1938年 - [[山中貞雄]]、[[映画監督]](* [[1909年]]) * 1938年 - [[村上鬼城]]、[[俳人]](* [[1865年]]) * [[1943年]] - [[永田秀次郎]]、[[官僚]]、[[政治家]]、[[俳句|俳人]]、[[随筆家]](* [[1876年]]) * 1946年 - [[森山汀川]]、[[歌人]](* [[1880年]]) * [[1948年]] - [[フォルケ・ベルナドッテ]]、スウェーデンの王族、外交官(* [[1895年]]) * 1948年 - [[ルース・ベネディクト]]、[[文化人類学]]者(* [[1887年]]) * [[1949年]] - [[岡田資]]、陸軍軍人(* [[1890年]]) * [[1956年]] - [[岩崎輝弥]]、[[実業家]]、[[鉄道ファン]](* [[1887年]]) * [[1963年]] - [[エドゥアルト・シュプランガー]]、[[哲学者]]、[[心理学者]]、[[教育学者]](* [[1882年]]) * [[1965年]] - [[櫻井忠温]]、陸軍軍人、作家(* [[1879年]]) * [[1966年]] - [[フリッツ・ヴンダーリヒ]]、テノール歌手(* [[1930年]]) * [[1979年]] - [[吉田満]]、[[小説家]](* [[1923年]]) * [[1980年]] - [[アナスタシオ・ソモサ・デバイレ]]、軍人、[[ニカラグア]]共和国大統領(* [[1925年]]) * 1980年 - [[内村祐之]]、精神医学者、プロ野球コミッショナー(* [[1897年]]) * [[1985年]] - [[ローラ・アシュレイ]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1925年]]) * [[1991年]] - [[ジノ・フランチェスカッティ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1902年]]) * [[1994年]] - [[中川勝彦]]、[[歌手]]、[[俳優]](* [[1962年]]) * 1994年 - [[カール・ポパー]]、哲学者(* [[1902年]]) * 1994年 - [[ビタス・ゲルレイティス]]、[[テニス]]選手(* [[1954年]]) * [[1996年]] - [[スピロ・アグニュー]]、政治家、[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1918年]]) * [[1997年]] - [[会田雄次]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1916年]]) * [[2005年]] - [[アルフレッド・リード]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1921年]]) * [[2006年]] - [[曽我部和恭]]、[[声優]](* [[1948年]]) * [[2007年]] - [[犬塚稔]]、[[脚本家]]、[[映画監督]](* [[1901年]]) * 2007年 - [[森田光徳]]、[[シャボン玉石けん]]社長(* [[1931年]]) * [[2008年]] - [[渡辺源次郎]]、経済学者(* [[1919年]]) * [[2009年]] - [[ヌルディン・モハンマド・トップ]]、イスラム過激派指導者、[[テロリスト]](* [[1968年]]) * [[2012年]] - [[佐々木敢一]]、歌手(* [[1934年]]) * [[2013年]] - [[豊田英二]]、[[トヨタ自動車]]最高顧問(* [[1913年]]) * [[2015年]] - [[デットマール・クラマー]]、元[[サッカー選手]]、指導者(* [[1925年]]) * [[2016年]] - [[山本一義]]、元プロ野球選手、監督(* [[1938年]]) * [[2017年]] - [[デーブ・ヒルトン (野球)|デイヴ・ヒルトン]]、元プロ野球選手(* [[1950年]]) * [[2019年]] - [[高須基仁]]、出版プロデューサー(* [[1947年]]) * 2019年 - [[山遊亭金太郎|3代目山遊亭金太郎]]<ref>{{Cite news2|title=落語家・山遊亭金太郎さん死去、64歳 白血病で…2月に骨髄移植|newspaper=デイリースポーツ|date=2018-09-18|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2019/09/18/0012711678.shtml|agency=神戸新聞社|accessdate=2020-12-25}}</ref>、落語家(* [[1956年]]) * [[2020年]] - [[テリー・グッドカインド]]、[[ファンタジー]]作家(* [[1949年]]) * [[2021年]] - [[竹下亘]]、政治家(*[[1946年]]) == 記念日・年中行事 == * {{仮リンク|憲法記念日 (アメリカ合衆国)|en|Constitution Day (United States)|label=憲法記念日}}({{USA}}、土曜日の場合は前日、日曜日の場合は翌日) *: [[1787年]]のこの日、[[アメリカ合衆国憲法]]の署名が行われた。 * {{仮リンク|フォン・シュトイベン・デー|en|Von Steuben Day}}({{USA}}) *: [[ジョージ・ワシントン]]に仕え[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]に軍隊の訓練を教えたドイツ出身の軍人[[フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン]]の誕生日。地域によっては19日や24日に祝われる。 * {{仮リンク|英雄の日|en|Heroes' Day|label=国家の英雄の日}}({{AGO}}) *: [[アンゴラ独立戦争]]を指導し、独立後は初代大統領となった[[アゴスティニョ・ネト]]の誕生日。 * [[敬老の日]]({{JPN}}、[[2007年]]・[[2012年]]・[[2018年]])※9月第3月曜日 * [[モノレール]]の日({{JPN}}) *: [[1964年]]のこの日に、東京浜松町 - [[東京国際空港|羽田空港]]間に日本初の旅客用モノレールである[[東京モノレール羽田線]]が開通したことを記念して、これを運営する[[東京モノレール]]株式会社が制定。 * [[イタリア料理]]の日 ({{JPN}}) *: [[日本イタリア料理協会]]が制定。[[イタリア語]]で「[[料理]]」を意味する「クチーナ(CUCINA)」を917と読む語呂合わせから。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0917|date=2011年7月}} *年不明 - 金曜日、ジェイムズ・シェパード[[医師]]は午前にフェラーズ夫人の[[検死]]をし、[[昼食]]後に庭に投げ込まれた[[カボチャ]]が縁で隣家からまつ荘の[[エルキュール・ポアロ]]と知り合う。ロジャー・アクロイドはシェパード医師を[[夕食]]に招き、食後に「フェラーズ夫人から『一年前に夫を[[毒殺]]し、そのことで誰かに恐喝されていた』と告白された」という。(小説『[[アクロイド殺し]]』第1章から第4章<ref group="注">9月17日が金曜日であることは第1章の冒頭にある。</ref>) *1955年(昭和30年)- 宮本音禰が黒川[[弁護士]]より遠縁の玄蔵老人の[[遺産相続]]があると告げられる。(小説『[[三つ首塔]]』第1章) === 誕生日(フィクション) === * 1995年 - 永浦百音、NHK連続テレビ小説『[[おかえりモネ]]』のヒロイン<ref>{{Cite web|和書|title=「おかえりモネ」百音の誕生日判明“台風の特異日”菅波の行動にネット反響「かわいい」「もう好きじゃん」|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/06/17/kiji/20210617s00041000203000c.html|website=[[スポニチアネックス]]|date=2021-06-17|access-date=2022-12-29}}</ref> *1996年 - 南波日々人、漫画・アニメ『[[宇宙兄弟]]』の主人公のひとり<ref>モーニングKC 宇宙兄弟 1巻、[[講談社]]、2頁。</ref> *[[宇宙世紀|U.C.]]0071年 - [[ガンダム・チーム#ルー・ルカ|ルー・ルカ]]、アニメ『[[機動戦士ガンダムΖΖ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gundam.info/news/cafe-food/01_5498.html |title=ガンダムカフェ「9月のBirthdayフォーチュンラテ」公開!シンやミネバなど6人が登場! |access-date=2023-02-09 |publisher=[[創通]]・[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]・[[毎日放送|MBS]]・[[テレビ東京]] |website=GUNDAM.INFO}}</ref> *生年不明 - 菱川六花(キュアダイヤモンド)、アニメ 『[[ドキドキ!プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|staffwhy|424933349807759360}}</ref> * 生年不明 - [[To LOVEる -とらぶる-の登場人物#沢田未央|沢田未央]] 、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-]]』『To LOVEる -とらぶる- ダークネス』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=矢吹健太朗|authorlink1=矢吹健太朗|author2=長谷見沙貴|authorlink2=長谷見沙貴|year=2011|title=To LOVEる -とらぶる-&To LOVEる -とらぶる- ダークネス公式データブック「ぱ〜ふぇくとらぶる! 」|page=32|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-874852-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=矢吹健太朗、長谷見沙貴|year=2014|title=To LOVEる-とらぶる-ダークネス 楽園計画ガイドブック「とらぶまにあ」|page=118|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-880260-2}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=矢吹健太朗、長谷見沙貴|year=2015|title=To LOVEる -とらぶる- ダークネス総選挙BOOK「とらぶるくいーんず」|page=46|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-880576-4}}</ref> * 生年不明 - ヤミ・スケヒロ、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bclover.jp/character/ |title=Character 黒の暴牛 ヤミ・スケヒロ |access-date=2022-12-29 |publisher=[[田畠裕基]]/[[集英社]]・[[テレビ東京]]・ブラッククローバー製作委員会 |work=『ブラッククローバー』}}</ref> * 生年不明 - [[史上最強の弟子ケンイチの登場人物#千秋祐馬|千秋祐馬]]、漫画・アニメ『[[史上最強の弟子ケンイチ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=松江名俊|authorlink=松江名俊|year=2014|title=史上最強の弟子ケンイチ 公式ガイドブック 史上最強の秘伝書|page=108|publisher=[[小学館]]|series=[[少年サンデーコミックス]]|isbn=978-4-09-125016-2}}</ref> * 生年不明 - 天原ふゆき、漫画『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>『ら・ら・ら らき☆すた ファンブック』([[月刊コンプエース]]2007年9月号付録)[[角川書店]]、2007年、8頁。</ref> * 生年不明 - 吉留未春、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』・『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=吉留 未春(よしとめ みはる) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2023-01-26 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref> * 生年不明 - ギルベルト・F・アルトシュタイン、漫画・アニメ『[[血界戦線]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kekkai_pr|1570789736217821184}}</ref> * 生年不明 - ダージリン、アニメ・漫画・ゲーム『[[ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref> {{Cite web|和書|url=https://twitter.com/garupan_app/status/909212144113090561 |title=ダージリン誕生日の記念ポストカードが配布されます! |publisher=『ガールズ&パンツァー 戦車道大作戦!』オフィシャルツイッター |accessdate=2017-09-17}}</ref> * 生年不明 - 和倉七緒、アニメ『[[美男高校地球防衛部HAPPY KISS!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|boueibu|1041462151364268032}}</ref> * 生年不明 - 狸ヶ原ぽん子、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2022-12-29}}</ref> * 生年不明 - ビアンカ、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m09.html |title=住民名簿 9月 ビアンカ |access-date=2022-12-29 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref> * 生年不明 - マックス、ゲーム『[[スカッとゴルフ パンヤ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/014/G001477/20110915080/ |title=「パンヤ」,クー専用の「麻帆良学園中等部制服」などが新登場 |access-date=2022-12-29 |publisher=4Gamer.net |date=2011-09-15}}</ref> * 生年不明 - 小野宮結月、ゲーム・アニメ『[[ましろ色シンフォニー]]』に登場するキャラクター<ref>『[[コンプティーク]]』2011年1月号、[[角川書店]]、44頁。</ref> * 生年不明 - 天都かなた、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|1173612504024408070}}</ref> * 生年不明 - 芭蕉、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/bashou.php |title=芭蕉 |access-date=2022-12-29 |publisher=Marvelous Inc. |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref> * 生年不明 - アーク、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://kings-raid.com/characters/#character-141 |title=アーク|publisher= 『キングスレイド』 |accessdate=2022-12-29|archiveurl= https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=141|archivedate=2022-07-24}}</ref> * 生年不明 - 和泉ユキ、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heaven-burns-red.com/character/31a/izumi-yuki/ |title=和泉ユキ |website=『ヘブンバーンズレッド 』 |publisher=WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=2023-02-09}}</ref> <!--* 1966年 - [[マイケル・マックス]]、ゲーム『[[餓狼伝説]]』に登場するキャラクター * 1979年 - 中富七香、アニメ『[[魔法使いTai!]]』に登場するキャラクター * 2002年 - 沙羅依挫矢、アニメ『ZERO』に登場するキャラクター * 0043年 - ユリウス・レイフィールド、漫画・アニメ『[[RAVE (漫画)|RAVE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[万事屋銀ちゃん|金丸]]、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - サーニン・クレーマー(マイケル・トーマス)、漫画『[[はみだしっ子]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 蜂也(はちや)、漫画『[[BASARA]](バサラ)』に登場するキャラクター * 生年不明 - 岸田美依子、漫画『[[瞳のカトブレパス]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 田沼要、漫画・アニメ『[[夏目友人帳]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 九蓮寺早苗、小説『らぶバト!』に登場するキャラクター * 生年不明 - ローズマリー・キャットニップ、ゲーム『[[ネクストキング 恋の千年王国]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 櫻見枝絵留、ゲーム『[[Princess Brave 雀卓の騎士]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 黒崎夕、ゲーム『[[スクールフェスタ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 天宮小百合、ゲーム『[[ときめきメモリアルONLINE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アルマ・コンラート、ゲーム『[[ヴァニタスの羊]]』に登場するキャラクター--> === 忌日(フィクション) === * 没年不明 - ロジャー・アクロイド、『アクロイド殺し』の登場人物<ref group="注">第5章で[[刺殺]]体で発見される。</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|17 September}} {{新暦365日|9|16|9|18|[[8月17日]]|[[10月17日]]|[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]|0917|9|17}} {{1年の月と日}}
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9月18日
9月18日(くがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から261日目(閏年では262日目)にあたり、年末まであと104日ある。
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{{カレンダー_9月}} '''9月18日'''(くがつじゅうはちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から261日目([[閏年]]では262日目)にあたり、年末まであと104日ある。 == できごと == [[File:Microcosm of London Plate 100 - New Covent Garden Theatre Microcosm edited.jpg|thumb|180x180px|[[1809年]]、二代目[[ロイヤル・オペラ・ハウス]]こけら落とし]] [[File:Chickamauga.jpg|thumb|180x180px|[[1863年]]、[[チカマウガの戦い]]]] [[File:The Second Japnese Diet Hall 1891-1925.jpg|thumb|180x180px|[[1925年]]、焼失前の仮議事堂]] [[File:Mukden 1931 blast spot.JPG|thumb|180x180px|[[1931年]]、[[満洲事変#柳条湖事件|柳条湖事件]]]] * [[14年]] - [[ティベリウス]]が[[ローマ皇帝]]に即位。 * [[96年]] - [[元老院 (ローマ)|元老院]]の指名により[[ネルウァ]]が[[ローマ皇帝]]に即位。 * [[324年]] - {{仮リンク|クリュソポリスの戦い|en|Battle of Chrysopolis}}。[[ローマ帝国]]の西の正帝[[コンスタンティヌス1世]]が東の正帝[[リキニウス]]を破り、帝国全土の単独皇帝となる。 * [[1180年]] - [[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]が[[フランス王国|フランス]]国王に即位。 * [[1636年]] - [[ハーバード大学]]の設置予算を可決した[[マサチューセッツ湾植民地]]大会議が召集。 * [[1809年]] - ロンドンの[[ロイヤル・オペラ・ハウス#2代目の劇場|ロイヤル・オペラ・ハウス]]の再建後初公演。 * [[1810年]] - スペイン王[[ジョゼフ・ボナパルト]](ホセ1世)への忠誠を拒否したスペイン植民地[[チリ]]で、植民地統治を行う政治委員会を設立することを決議。(チリの独立記念日) * [[1828年]]([[文政]]11年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[シーボルト事件]]:[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]が、幕府禁制品の日本地図などを持ち出そうとしたことが、船の座礁により発覚。出国停止、および1年の取調べの後追放処分。 * [[1851年]] - 『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』(現在の『[[ニューヨーク・タイムズ]]』)創刊<ref>{{Cite web |url=https://transit.ne.jp/2023/09/002430.html |title=#今日は何の日? 9月18日はアメリカの日刊新聞「ニューヨーク・タイムズ」が創刊された日です。 |access-date=18 Nov 2023 |publisher=euphoria-factory |website=TRANSIT |date=18 Sep 2023}}</ref>。 * [[1863年]] - [[南北戦争]]:[[チカマウガの戦い]]開始。 * [[1896年]] - 日本で[[松方正義]]が第6代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第2次松方内閣]]が発足。 * [[1898年]] - [[ファショダ事件]]:[[スーダン]]の[[ファショダ]]にて、大陸横断政策をとったフランスに対し、縦断政策をとったイギリスが到達。[[アフリカ]]で初の帝国主義の衝突が起こるも、フランスが譲歩し撤退。 * [[1899年]] - [[朝鮮]]初の[[鉄道]](鷲梁津 - 済物浦間、現 [[京仁線]]の一部)が開通。(韓国の「鉄道の日」) * [[1914年]] - [[イギリス]]で{{仮リンク|アイルランド統治法 (1914年)|en|Government of Ireland Act 1914|label=第3次アイルランド統治法}}成立。戦時期間中は施行は棚上げされる。 * [[1922年]] - [[ハンガリー王国 (1920年-1946年)|ハンガリー]]が[[国際連盟]]に加盟。 * [[1925年]] - 修繕中の[[国会議事堂|帝国議会仮議事堂]]が、作業員の火の不始末による出火により全焼。 * [[1927年]] - "Columbia Phonoglaphic Broadcasting System"(後の[[CBS]])が放送開始。 * [[1928年]] - [[LZ 127 (飛行船)|LZ 127]]が初飛行。 * [[1931年]] - [[満洲事変]]:[[奉天市|奉天]]付近の[[南満洲鉄道]]線路上で爆発事件。([[満洲事変#柳条湖事件|柳条湖事件]]) * [[1934年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]が国際連盟に加盟。 * [[1939年]] - 日本で九・一八停止令(「賃金統制令」・「[[価格等統制令]]」)が公布され、賃金・物価が同日の水準で固定化される。 * [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]: 日本の貨物船[[順陽丸]]が[[インドネシア]]の沖合で[[イギリス海軍]]の潜水艦の雷撃を受け撃沈。5,620人が死亡。 * [[1945年]] - [[朝日新聞]]に対し、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]から2日間の発行停止命令(SCAPIN-34)。 * [[1947年]] - [[アメリカ国防総省]]・[[アメリカ中央情報局|CIA]]発足。[[アメリカ陸軍]]から分離して[[アメリカ空軍]]を設立。 * 1947年 - GHQが[[学校給食]]用に[[脱脂粉乳]]の放出を指令。 * [[1948年]] - [[インドネシア独立戦争]]:[[マディウン事件]]。[[インドネシア共産党|共産党]]影響下の部隊が政府機関を襲撃し、革命政府樹立を宣言。 * 1948年 - [[全日本学生自治会総連合]](全学連)結成。 * [[1954年]] - [[蔵前国技館]]が正式に完成し開館式。 * [[1958年]] - 昭和33年台風第21号が[[伊豆半島]]の南端に上陸。その後、[[房総半島]]を経て太平洋を北上し、[[北海道]][[根室市]]に再上陸した。32都道府県で死者・行方不明者85人。流失家屋143戸、床上浸水1万2271戸、床下浸水3万9766戸<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=130-131|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1961年]] - [[コンゴ民主共和国|コンゴ共和国]](コンゴ・レオポルドヴィル)からの分離独立を宣言した[[カタンガ共和国|カタンガ国]]と[[国際連合コンゴ活動|コンゴ国連軍]]の間の停戦交渉を試みた[[国際連合事務総長|国連事務総長]][[ダグ・ハマーショルド]]が飛行機墜落事故で死亡<ref>{{Cite book|author=Jane Boulden|title=Peace Enforcement: The United Nations Experience in Congo, Somalia, and Bosnia(2001年)|publisher=Praeger Pub|page=36|language=英語|isbn=978-0275969066}}</ref>。 * [[1962年]] - [[ジャマイカ]]、[[トリニダード・トバゴ]]、[[ブルンジ]]、[[ルワンダ]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[1971年]] - [[日清食品]]が世界初の[[カップ麺]]「[[カップヌードル]]」を発売。 * [[1973年]] - [[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]・[[西ドイツ]]・[[バハマ]]が国連に加盟。 * [[1976年]] - [[厚生省]]が[[天然痘]]の[[予防接種]]([[種痘]])を廃止する旨の通達。 * [[1979年]] - [[セントルシア]]が国連に加盟。 * [[1981年]] - [[フランス]]で[[フランスにおける死刑|死刑]]廃止法が可決される。 * [[1984年]] - [[ジョゼフ・キッティンジャー]]が史上初の[[熱気球]]による単独[[大西洋横断飛行]]を達成。 * [[1988年]] - [[8888民主化運動]]: [[ミャンマー]]で[[ソウ・マウン]]国防相がクーデターを起こして全権を掌握し、民主化運動を鎮圧。 * [[1990年]] - [[リヒテンシュタイン]]が国連に加盟。 * [[1996年]] - [[江陵浸透事件]]:[[大韓民国|韓国]]東海岸に座礁した[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の潜水艦が発見される。 * [[1997年]] - [[オスロ]]での政府間会合で[[対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約|対人地雷全面禁止条約]]を採択。 * [[1998年]] - [[ドメイン名]]や[[IPアドレス]]を全世界的に調整・管理する[[ICANN]]が設立。 * [[1999年]] - [[新幹線0系電車]]の[[東海道新幹線]]での運用が終了。 * [[2001年]] - [[アメリカ炭疽菌事件]]: [[炭疽菌]]入りの手紙がニュースメディア事務所や[[民主党 (アメリカ)|民主党]]議員に送られ、5人が死亡。 * [[2003年]] - 気象庁は今年の梅雨明けの時期についての見直しを発表。近畿の梅雨明けは1951年以降、同地方としては最も遅い記録。また、梅雨明けは東北地方は南部、北部とも特定せずとした。東北北部、南部では1998年以来3回目となった。 * [[2004年]] - [[プロ野球再編問題 (2004年)|プロ野球再編問題]]: [[日本プロ野球]]史上初の[[プロ野球ストライキ|ストライキ]]。 * [[2005年]] - [[2005年ドイツ連邦議会選挙|ドイツ連邦議会選挙]]実施。キリスト教民主・社会同盟と[[ドイツ社会民主党]]とが3議席差でいずれも過半数に届かず。 * [[2006年]] - 2006年(平成18)3月31日に「しまくとぅばの日に関する条例」を制定し、9月18日を「しまくとぅばの日」とした<ref>{{Cite web |title=2006年9月18日 「しまくとぅばの日」の始まり – 沖縄県公文書館 |url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4940 |access-date=18 Nov 2023 |publisher=沖縄県公文書館}}</ref>。 * [[2007年]] - [[ミャンマー]]での軍事政権への抗議行動に僧侶たちが加わり、[[2007年ミャンマー反政府デモ|反政府デモ]]へと発展。 * [[2012年]] - [[鹿児島県]]の[[地域政党]]「薩摩志士の会」メンバーら3名などによる[[日本人活動家尖閣諸島上陸事件]]。 * [[2014年]] - [[2014年スコットランド独立住民投票|スコットランド独立住民投票]]で反対票が過半数<ref>{{Cite web|和書 |date=19 Sep 2014 |url=https://jp.reuters.com/article/idJPT9N0RB09220140919 |title=スコットランド住民投票、独立を否決 反対票が50%上回る |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |accessdate=18 Nov 2023}}</ref>。 * [[2016年]] - [[2016年ロシア下院選挙|ロシア下院選挙]]で与党が過半数を獲得する<ref>{{Cite web|和書 |date=19 Sep 2016 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM19H6B_Z10C16A9FF8000/ |title=ロシア下院選、与党が4分の3確保 プーチン氏の基盤強化 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=18 Nov 2023}}</ref>。 * [[2020年]] - 磁気治療器などの預託商法で、全国の高齢者などから約2100億円を集めた「[[ジャパンライフ]]」の元会長ら14人が、詐欺容疑で逮捕される<ref>{{Cite web |url=https://www.tsr-net.co.jp/data/detail/1190161_1527.html |title=ジャパンライフ山口元会長が逮捕、これまでを振り返る |access-date=18 Nov 2023 |publisher=[[東京商工リサーチ]] |date=18 Sep 2020}}</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === [[File:Orazio Gentileschi.jpg|thumb|195x195px|[[フランチェスカ・カッチーニ]](1587-1640?)]] [[File:Marcus sitzend.jpg|thumb|206x206px|[[ジークフリート・マルクス]](1831-1898)]] [[File:Greta Garbo04.jpg|thumb|236x236px|[[グレタ・ガルボ]](1905-1990)]] [[File:WSchaeuble.jpg|thumb|210x210px|[[ヴォルフガング・ショイブレ]](1942-)]] [[File:Doi.jpg|thumb|225x225px|[[土井隆雄]](1954-)]] [[File:Lance Armstrong 2.jpg|thumb|187x187px|[[ランス・アームストロング]](1971-)]] * [[53年]] - [[トラヤヌス]]、[[ローマ皇帝]](+ [[117年]]) * [[1534年]]([[天文 (元号)|天文]]3年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[結城晴朝]]、[[戦国大名]](+ [[1614年]]) * [[1587年]] - [[フランチェスカ・カッチーニ]]、作曲家、演奏家(+ [[1640年]]頃) * [[1684年]] - [[ヨハン・ゴットフリート・ヴァルター]]、作曲家(+ [[1748年]]) * [[1709年]] - [[サミュエル・ジョンソン]]、文学者(+ [[1784年]]) * [[1711年]] - [[イグナーツ・ホルツバウアー]]、作曲家(+ [[1783年]]) * [[1728年]] - リシャール・ミーク、建築家(+ [[1794年]]) * [[1739年]] - ジャン・ジャック・ラグルネ、画家(+ [[1821年]]) * [[1752年]] - アドリアン・ルジャンドル、数学者(+ [[1833年]]) * [[1765年]] - [[グレゴリウス16世 (ローマ教皇)|グレゴリウス16世]]、ローマ教皇(+ [[1846年]]) * [[1778年]] - [[ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵)]]、政治家(+ [[1868年]]) * [[1752年]] - [[アドリアン=マリ・ルジャンドル]]、[[数学者]](+ [[1833年]]) * [[1798年]]([[寛政]]10年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[三宅康和]]、第9代[[田原藩|田原藩主]](+ [[1823年]]) * [[1819年]] - [[レオン・フーコー]]、[[物理学者]](+ [[1868年]]) * [[1831年]] - [[ジークフリート・マルクス]]、発明家、自動車開発の先駆者(+ [[1898年]]) * [[1848年]]([[嘉永]]元年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[阿部正方]]、第9代[[備後福山藩|福山藩主]](+ [[1867年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[相馬誠胤]]、第13代[[相馬中村藩|相馬中村藩主]](+ [[1892年]]) * 1855年([[安政]]2年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[井島茂作]]、[[政治家]](+ [[1925年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[海老名弾正]]、[[思想家]]、[[教育者]](+ [[1937年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - [[伊藤左千夫]]、[[歌人]]、[[作家]](+ [[1913年]]) * [[1872年]]([[明治]]5年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[松尾伝蔵]]、軍人、[[岡田啓介]]首相秘書(+ [[1936年]]) * 1872年 - [[アドルフ・シュマル]]、[[自転車競技]]選手、[[フェンシング]]選手(+ [[1919年]]) * [[1890年]] - [[土屋文明]]、[[歌人]](+ [[1990年]]) * [[1894年]] - [[中村三之丞]]、政治家(+ [[1979年]]) * [[1898年]] - [[ジョージ・ウール]]、[[プロ野球選手]](+ [[1985年]]) * [[1895年]] - [[ジョン・ディーフェンベーカー]]、政治家、第13代[[カナダ首相]](+ [[1979年]]) * [[1905年]] - [[グレタ・ガルボ]]、[[俳優|女優]](+ [[1990年]]) * [[1907年]] - [[エドウィン・マクミラン]]、化学者(+ [[1991年]]) * 1907年 - [[関種子]]、[[ソプラノ歌手]](+ [[1990年]]) * [[1910年]] - [[ヨセフ・タル]]、作曲家(+ [[2008年]]) * [[1912年]] - [[古畑正秋]]、[[天文学者]](+ [[1988年]]) * [[1914年]] - 佐藤信、演出家(+ [[1996年]]) * [[1919年]] - [[浜田寅彦]]、[[俳優]](+ [[2009年]]) * [[1920年]] - [[齋藤裕 (実業家)|齋藤裕]]、実業家、[[新日本製鐵]]社長(+ [[2000年]]) * 1920年 - [[ジャック・ウォーデン]]、俳優(+ [[2006年]]) * [[1930年]] - [[藤重登]]、元プロ野球選手 * [[1932年]] - [[小和田恆]]、[[国際司法裁判所]]判事、元[[国連大使]]、[[外務省|外務]][[事務次官]] * [[1933年]] - [[鈴木弘]]、競泳選手 * 1933年 - [[木下多恵子]]、占い師 * [[1935年]] - [[藤沢昭和]]、実業家、ヨドバシカメラ創業者 * [[1936年]] - [[内藤陳]]、[[コメディアン]]、俳優(+ [[2011年]]) * [[1937年]] - [[木戸美摸]]、元プロ野球選手 * [[1938年]] - [[ビル・ロビンソン]]、[[プロレスラー]](+ [[2014年]]) * [[1939年]] - [[ジョルジェ・サンパイオ]]、政治家、第5代[[ポルトガルの大統領|ポルトガル大統領]](+ [[2021年]]) * 1939年 - [[森本毅郎]]、元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]]、[[ニュースキャスター]] * [[1942年]] - [[ヴォルフガング・ショイブレ]]、政治家、ドイツ内務大臣、財務大臣、元[[ドイツキリスト教民主同盟|CDU]]党首(+ [[2023年]]) * [[1944年]] - [[落合信子]]、[[タレント]] * [[1945年]] - [[三輪悟]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]]) * 1945年 - [[榊親一]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[神谷明]]、[[声優]] * 1946年 - [[藤原満]]、元プロ野球選手 * 1946年 - [[ゲイラード・サーテイン]]、俳優 * [[1948年]] - [[マック赤坂]]、[[実業家]]、政治家 * 1948年 - [[平田米男]]、政治家 * [[1949年]] - [[水森英夫]]、歌手、作曲家 * 1949年 - [[ピーター・シルトン]]、元サッカー選手 * 1949年 - [[藤田宗久]]、俳優 * 1949年 - [[ベス・グラント]]、女優 * 1949年 - [[ビリー・ドラゴ]]、俳優 * [[1950年]] - [[中村卓史]]、[[宇宙物理学|宇宙物理学者]] * 1950年 - [[平山秀幸]]、映画監督 * 1950年 - [[白井滋郎]]、俳優 * [[1951年]] - [[三浦正行]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[マルク・スレール]]、元[[自動車競技|レーシングドライバー]] * [[1953年]] - [[高橋よしひろ]]、[[漫画家]] * [[1954年]] - [[土井隆雄]]、[[宇宙飛行士]] * 1954年 - [[五十嵐めぐみ]]、女優 * 1954年 - [[スティーブン・ピンカー]]、[[心理学者]] * [[1956年]] - [[吉田宏 (政治家)|吉田宏]]、政治家 * 1956年 - [[劉秋農]]、[[野球選手]] * [[1957年]] - [[うじきつよし]]、タレント、俳優 * [[1958年]] - [[木村孝]]、元プロ野球選手 * 1958年 - [[上坂嘉彦]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[及川美喜男]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[森朗]]、気象予報士 * [[1960年]] - [[水野透]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[リットン調査団 (お笑いコンビ)|リットン調査団]]) * [[1961年]] - [[中井貴一]]、俳優 * 1961年 - [[明日香七穂]]、女優 * 1961年 - [[ジェームズ・ガンドルフィーニ]]、俳優(+ [[2013年]]) * [[1962年]] - [[塚瀬進]]、東洋史学者 * 1962年 - [[中本克樹]]、元アナウンサー * [[1964年]] - [[橋本武広]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[原邦彰]]、[[総務省|総務]][[官僚]]、元[[和歌山県]][[副知事 (日本)|副知事]] * [[1965年]] - [[石橋保]]、俳優 * 1965年 - [[高村洋介]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[奥瀬サキ]]、漫画家 * 1966年 - [[赤羽秀之]]、俳優 * [[1967年]] - [[井原正巳]]、元[[サッカー選手]]、監督 * 1967年 - [[相場英雄]]、小説家、経済ジャーナリスト * [[1968年]] - [[黒須隆]]、元野球選手 * [[1969年]] - [[村田勝喜]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[今垣光太郎]]、[[競艇選手]] * 1969年 - [[伊藤舞 (政治家)|伊藤舞]]、政治家 * 1969年 - [[赤羽秀之]]、俳優 * 1969年 - 内藤雄士、プロゴルファー * [[1970年]] - [[オジー・ティモンズ]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[ランス・アームストロング]]、自転車[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手 * 1971年 - [[クリス・ホルト]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[中村一樹]]、[[教育者]] * 1972年 - [[桐畑トール]]、お笑い芸人([[ほたるゲンジ]]) * 1972年 - [[渡辺英次]]、政治家 * 1972年 - [[マイケル・ランデス]]、俳優 * [[1973年]] - [[大貫亜美]]、[[歌手]]([[PUFFY|パフィー]]) * 1973年 - [[マーク・シャトルワース]]、実業家 * 1973年 - [[橘ひかり]]、声優 * 1973年 - ジェームズ・マーズデン、俳優 * [[1974年]] - [[アイパー滝沢]]、[[お笑いタレント]](元[[えんにち]]) * 1974年 - [[イグジビット]]、タレント、俳優 * 1974年 - [[ソル・キャンベル]]、元サッカー選手 * 1974年 - [[セグン・トリオラ]]、[[卓球選手]] * 1974年 - [[濱田万葉]]、女優 * [[1975年]] - [[ランディ・ウィリアムス (野球)|ランディ・ウィリアムス]]、プロ野球選手 * 1975年 - [[遠藤彰弘]]、元サッカー選手 * 1975年 - [[北西純子]]、声優 * 1975年 - [[木村俊一]]、俳優 * [[1976年]] - [[ドミニク・シュワガー]]、[[レーシングドライバー]] * 1976年 - [[きーぽん]]、お笑い芸人 * [[1977年]] - [[mayuko]]、ギタリスト * [[1978年]] - [[森薫]]、漫画家 * 1978年 - [[河野丈洋]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[GOING UNDER GROUND]]) * 1978年 - [[飛天かずひこ]]、元[[プロボクサー]] * 1978年 - [[岩崎う大]]、お笑いタレント([[かもめんたる]]) * [[1979年]] - [[稲本潤一]]、サッカー選手 * 1979年 - [[YUUKI (ファッションモデル)|YUUKI]]、ファッションモデル * [[1980年]] - [[早霧せいな]]、女優 * [[1981年]] - [[北本久仁衛]]、元サッカー選手 * 1981年 - ジェア、アイドル([[Brown Eyed Girls]]) * 1981年 - [[滝井礼乃]]、元アナウンサー * [[1982年]] - [[上良早紀]]、タレント * 1982年 - [[やまもとりえ]]、漫画家、イラストレーター * 1982年 - [[折田みゆき]]、元タレント(元[[MISSION (アイドルグループ)|MISSION]]) * [[1983年]] - [[岡あゆみ]]、女優 * 1983年 - [[岡本将之]]、プロレスラー、元大相撲力士 * 1983年 - [[ライアン・ムーア]]、[[騎手]] * 1983年 - [[ブレント・リリブリッジ]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[栗原勇蔵]]、サッカー選手 * [[1984年]] - [[森田泉美]]、元タレント * 1984年 - [[松下圭太]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[ディジー・ラスカル]]、[[ヒップホップ]][[MC (ヒップホップ)|MC]] * 1984年 - [[菊地ゆうみ]]、声優 * 1984年 - [[中原理菜]]、アナウンサー * [[1985年]] - [[松山竜平]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[安西秀幸]]、元陸上競技選手 * 1985年 - [[中道瞳]]、元バレーボール選手 * 1985年 - [[ニック・プリエーゼ]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[堰八紗也佳]]、アナウンサー * 1985年 - [[ロシアン佐藤]]、大食いタレント、YouTuber * [[1986年]] - [[遠藤りつこ]]、元バレーボール選手 * [[1987年]] - [[大森靖子]]、シンガーソングライター * 1987年 - [[和田麻里江]]、バレーボール選手 * 1987年 - [[好永貴雄]]、元野球選手 * 1987年 - [[森島康仁]]、サッカー選手 * 1987年 - [[三田真央]]、女優 * 1987年 - [[波田野由衣]]、元声優 * 1987年 - [[反橋宗一郎]]、俳優 * [[1988年]] - [[近野成美]]、タレント * 1988年 - [[杉田祐一]]、[[テニス]]選手 * 1988年 - 伊勢久乃、元お笑いタレント(元[[あんいーぶん]]) * 1988年 - [[福田彩乃]]、[[ものまねタレント]] * 1988年 - [[:en:Lukas_Forchhammer|ルーカス・フォルヒハンマー]]、ミュージシャン([[ルーカス・グラハム]]) * 1988年 - [[一戸愛子]]、タレント * [[1989年]] - [[菊池保則]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[田中健二朗]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[はねゆり]]、[[ファッションモデル]]、女優 * 1989年 - [[テイラー・モッター]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[山田裕貴]]、俳優 * 1990年 - [[ケリー・デューガン]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[金田和之]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[ルイス・ホルトビー]]、サッカー選手 * 1990年 - [[フアン・ミナヤ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[東城りお]]、[[グラビアアイドル]]、麻雀士 * 1990年 - [[マルコ・ペレス]]、サッカー選手 * 1990年 - [[菊地賢人]]、陸上選手 * [[1991年]] - [[大島崚]]、声優 * [[1992年]] - [[松岡桂花]]、[[歌手]](元[[HINOIチーム]]) * 1992年 - [[出口亜梨沙]]、グラビアアイドル、女優、タレント、[[リポーター|レポーター]] * [[1993年]] - [[福見真紀]]、タレント、元アイドル(元[[風男塾]]・雪村涼真) * 1993年 - 岸孝良、アイドル * [[1994年]] - [[佐藤勇 (野球)|佐藤勇]]、元[[プロ野球選手]] * 1994年 - [[船戸ゆり絵]]、声優(元[[ピュアリーモンスター]]) * 1994年 - [[小見山直人]]、俳優 * 1994年 - 山田みらの、モデル * [[1995年]] - [[杉野遥亮]]、俳優、モデル * 1995年 - [[マックス・マイヤー]]、サッカー選手 * 1995年 - [[堀米航平]]、ラグビー選手 * [[1996年]] - [[萩原うらら]]、アイドル、女優 * 1996年 - [[池谷実悠]]、アナウンサー * 1996年 - [[小山内鈴奈]]、アナウンサー * 1996年 - [[ウォルシュ・ジュリアン]]、陸上競技選手 * [[1997年]] - 大坂美優、女優 * [[1998年]] - [[鈴木光]]、元クイズプレイヤー * 1998年 - [[藤沢里菜]]、[[囲碁]][[棋士 (囲碁)|棋士]] * 1998年 - [[仲條友彪]]、俳優 * [[1999年]] - [[阿部海大]]、サッカー選手 * 1999年 - [[三浦大輝 (アイスホッケー)|三浦大輝]]、プロアイスホッケー選手 * [[2000年]] - [[藤井直樹]]、アイドル([[ジャニーズJr.]]、[[美 少年]]) * [[2002年]] - [[森愁斗]]、アーティスト、[[TikToker]]、[[YouTuber]]([[BUDDiiS]]) * 2002年 - [[髙田琢登]]、プロ野球選手 * 2002年 - 水愛、アイドル([[ライスボール (アイドル)|ライスボール]]) * [[2002年]] - フープ、アイドル([[BNK48]]) * [[2003年]] - [[柳町夏花]]、女優 * 2003年 - 若柳琴子、女優 * [[2005年]] - [[和泉詩]]、女優 * 2005年 - 近藤駿太、俳優、アーティスト([[EBiDAN]]、Lienel) * [[2006年]] - 冨里奈央、アイドル([[乃木坂46]]) * 生年不明 - [[小幡研二]]、声優 * 生年不明 - [[君嶋哲]]、声優 * 生年不明 - [[榊原優希]]、声優 * 生年不明 - [[JOY (声優)|JOY]]、声優 * 生年不明 - [[對馬芳哲]]、声優 * 生年不明 - [[永田一朗]]、声優 * 生年不明 - [[U-temo]]、漫画家、[[同人作家]] * 生年不明 - [[うさやまみやこ]]、料理研究家 * 生年不明 - キカ・フロント・フロンタール、アイドル(元[[BiS]]) === 人物以外(動物など) === * [[2016年]] - [[結浜]]、[[ジャイアントパンダ]] == 忌日 == [[File:Toyotomi Hideyoshi c1598 Kodai-ji Temple.png|thumb|180x180px|[[豊臣秀吉]](1537-1598)]] [[File:Leonhard Euler 2-2.jpg|thumb|230x230px|[[レオンハルト・オイラー]](1707-1783)]] [[File:Tokutomi Roka.jpg|thumb|238x238px|[[徳冨蘆花]](1868-1927)]] [[File:Cockcroft.jpg|thumb|255x255px|[[ジョン・コッククロフト]](1897-1967)]] * [[96年]] - [[ドミティアヌス]]、第11代[[ローマ皇帝]](* [[51年]]) * [[1180年]] - [[ルイ7世 (フランス王)|ルイ7世]]、[[フランス王国|フランス]][[国王]](* [[1120年]]) * [[1553年]]([[天文 (元号)|天文]]22年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[安東舜季]]、[[武将|戦国武将]](* [[1514年]]) * [[1598年]]([[慶長]]3年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - [[豊臣秀吉]]、戦国武将(* [[1536年]]) * [[1675年]] - [[シャルル4世 (ロレーヌ公)|シャルル4世]]、[[ロレーヌ公]](* [[1604年]]) * [[1783年]] - [[レオンハルト・オイラー]]、[[数学者]](* [[1707年]]) * [[1797年]] - [[ルイ=ラザール・オッシュ]]、[[フランス革命]]期の軍人(* [[1768年]]) * [[1819年]] - [[ジョン・ラングドン (政治家)|ジョン・ラングドン]]、政治家(* [[1741年]]) * [[1859年]]([[安政]]6年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[松平定猷]]、[[桑名藩|桑名藩主]](* [[1834年]]) * [[1872年]] - [[カール15世 (スウェーデン王)|カール15世]]、[[スウェーデン]]・[[ノルウェー]]王(* [[1826年]]) * [[1896年]] - [[アルマン・フィゾー]]、フランス[[物理学者]](* [[1819年]]) * [[1905年]] - [[ジョージ・マクドナルド]]、[[小説家]](* [[1824年]]) * [[1911年]] - [[ピョートル・ストルイピン]]、[[ロシア帝国]]首相(* [[1862年]]) * [[1918年]] - [[アーネスト・ファーラー]]、[[作曲家]](* [[1885年]]) * [[1922年]] - [[知里幸恵]]、[[アイヌ神謡集]]著者(* [[1903年]]) * [[1927年]] - [[徳冨蘆花]]、小説家(* [[1868年]]) * [[1928年]] - [[桂文治 (7代目)]]、[[落語家]](* [[1847年]]) * [[1929年]] - [[ヘルマン・グレーデナー (作曲家)|ヘルマン・グレーデナー]]、作曲家(* [[1844年]]) * [[1931年]] - [[ゲリ・ラウバル]]、[[アドルフ・ヒトラー]]の姪(* [[1908年]]) * [[1932年]] - [[江木翼]]、政治家(* [[1873年]]) * [[1945年]] - [[樫野元作]]、[[野球選手]](* 生年不詳) * [[1951年]] - [[朝永三十郎]]、[[哲学|哲学者]](* [[1871年]]) * [[1961年]] - [[ダグ・ハマーショルド]]、外交官、第2代[[国際連合事務総長|国連事務総長]](* [[1905年]]) * [[1967年]] - [[ジョン・コッククロフト]]、物理学者(* [[1897年]]) * [[1968年]] - [[糸賀一雄]]、[[社会福祉|社会福祉家]](* [[1914年]]) * [[1969年]] - [[ルドルフ・ヴァーグナー=レゲニー]]、作曲家(* [[1903年]]) * [[1970年]] - [[ジミ・ヘンドリックス]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[ギタリスト]](* [[1942年]]) * [[1974年]] - [[齋藤秀雄]]、[[指揮者]]、[[チェリスト]](* [[1902年]]) * [[1977年]] - [[パウル・ベルナイス]]、[[数学者]](* [[1888年]]) * [[1979年]] - [[石田退三]]、[[豊田自動織機製作所]]社長、[[トヨタ自動車工業]]社長(* [[1888年]]) * [[1983年]] - [[荒井源吉]]、政治家、[[武蔵野市]]初代[[市長]](* [[1904年]]) * [[1985年]] - [[千葉泰樹]]、[[映画監督]](* [[1910年]]) * [[1986年]] - [[森薫 (実業家)|森薫]]、[[阪急電鉄|元阪急電鉄社長]](* [[1904年]]) * [[1987年]] - [[アメリコ・トマス]] ([[:en:Américo Thomaz|Américo Thomaz]])、[[ポルトガルの大統領|ポルトガル大統領]](* [[1894年]]) * [[1995年]] - [[田川亮三]]、政治家、[[三重県知事一覧|三重県知事]](* [[1919年]]) * 1995年 - [[宮口二郎]]、[[俳優]](* [[1940年]]) * [[1996年]] - [[アナベラ (俳優)|アナベラ]]、[[俳優|女優]](* [[1907年]]) * [[2002年]] - [[ボブ・ヘイズ]]、[[陸上競技]]、[[アメリカンフットボール]]選手(* [[1942年]]) * [[2004年]] - [[ラス・メイヤー]]、映画監督(* [[1922年]]) * 2004年 - [[藤田喬平]]、ガラス工芸家(* [[1921年]]) * [[2006年]] - [[石田幸四郎]]、政治家、[[総務庁]]長官(* [[1930年]]) * 2006年 - [[浅羽莢子]]、翻訳家(* [[1935年]]) * [[2007年]] - [[長嶋亜希子]]、[[長嶋茂雄]]夫人(* [[1943年]]) * [[2008年]] - [[マウリシオ・カーゲル]]、作曲家(* [[1931年]]) * [[2009年]] - [[横山富雄]]、騎手、調教師(* [[1940年]]) * [[2011年]] - [[クルト・ザンデルリング]]、指揮者(* [[1912年]]) * [[2013年]] - [[マルツェル・ライヒ=ラニツキ]]、[[文芸評論|文芸評論家]](* [[1920年]]) * [[2014年]] - [[宇沢弘文]]、[[経済学者]](* [[1928年]]) * [[2017年]] - [[赤染晶子]]、[[作家]](* [[1974年]])   * [[2018年]] - [[山本徳郁|山本"KID"徳郁]]<ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2119758/full/ |title=格闘家・山本KIDさん死去 41歳 8月にがんを公表 |access-date=18 Nov 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]] |date=18 Nov 2018}}</ref>、[[総合格闘技|総合格闘家]](* [[1977年]]) * [[2020年]] - [[ルース・ベイダー・ギンズバーグ]]<ref>{{Cite web |url=https://jp.reuters.com/article/usa-court-ginsburg-idJPKCN26B03L |title=米最高裁リベラル派ギンズバーグ判事死去、大統領選控え後任が焦点 |access-date=18 Nov 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=20 Sep 2020}}</ref>、[[合衆国最高裁判所|アメリカ合衆国最高裁判所]]判事(* [[1933年]]) * [[2021年]] - [[正司敏江・玲児|正司敏江]]、漫才師(* [[1940年]]) * [[2023年]] - [[又市征治]]、政治家(* [[1944年]]) == 記念日・年中行事 == * [[敬老の日]]({{JPN}}、[[2006年]]・[[2017年]]・[[2023年]]・[[2028年]])※9月第3月曜日 * [[かいわれ大根]]の日({{JPN}}) *:日本かいわれ協会(現・日本スプラウト協会)が[[1986年]]に制定。日付の9月はその会合を開いた月、18日は8の字を横にして、1を立てるとかいわれ大根の姿(竹とんぼ型)になることから<ref>{{Cite book|和書|title=366日記念日辞典 下|date=2020-07-30|publisher=[[創元社]]|page=110|author=加瀬清志|isbn=978-4-422-02115-7}}</ref>。 * [[しまくとぅばの日]]({{JPN}}[[沖縄県]]) *:しまくとぅば(「沖縄の言葉」の意)を記念する日。「く(9)とぅ(十)ば(8)」の語呂合せ。 * アコーディオン Bébé Medusaの日({{JPN}}) *:[[チャラン・ポ・ランタン]]の[[小春]]が、[[2021年]]に自ら立ち上げたアコーディオンブランド「Bébé Medusa」において、1日で[[アコーディオン]]を531台受注をした<ref>{{Cite web |url=https://www.cdjournal.com/main/news/charan-po-rantan/106224 |title=チャラン・ポ・ランタン、申請した9月18日=「アコーディオン Bébé Medusaの日」が認定 |access-date=18 Nov 2023 |publisher=CDJournal |date=19 Sep 2023}}</ref>。 *伊香保まつり({{JPN}}) *:[[群馬県]]の[[伊香保温泉]]で、毎年9月18日から20日にかけて開催されるお祭り。9月18日は、伊香保温泉ゆかりの文豪、[[徳冨蘆花|徳富蘆花]]の命日で、この日は蘆花祭が催され、19日、20日には、[[伊香保神社]]の例大祭が斎行される<ref>{{Cite web |url=https://www.ikaho-kankou.com/calendar/ikaho-matsuri/ |title=伊香保まつり |access-date=18 Nov 2023 |publisher=一般社団法人 渋川伊香保温泉観光協会}}</ref>。 *豊国神社 例祭({{JPN}}) *:[[京都市]][[東山区]]にある[[豊国神社 (京都市)|豊国神社]]で、毎年この日に行われる祭礼。[[豊臣秀吉]]は[[1598年]]9月18日(旧暦:慶長3年[[8月18日]])、[[伏見城]]で亡くならえれた。豊臣秀吉を祀る豊国神社は、大坂の陣ののち徳川幕府によって廃祀されたが、明治元(1868)年、[[明治天皇]]の御沙汰により、方広寺大仏殿跡に再興された。秀吉公の命日にあたるこの日は例祭が、19日には茶道[[藪内流]]による献茶祭が行われる<ref>{{Cite web |url=http://www.kyoto-16sha.jp/toyokunijinja/ |title=豊国神社 |access-date=17 Nov 2023 |publisher=京都十六社会 |website=京都十六社 朱印めぐり}}</ref>。 *ナショナル・チーズバーガー・デイ<ref>{{Cite web |title=NATIONAL CHEESEBURGER DAY - September 18 |url=https://www.nationaldaycalendar.com/national-day/national-cheeseburger-day-september-18 |website=National Day Calendar |access-date=17 Nov 2023 |language=en |publisher=The ARENA Group}}</ref>({{USA}}) * 「九・一八」事変記念日(国恥の日)({{PRC}}) *:1931年9月18日、[[中華民国]]で[[柳条湖事件]]が起き、[[満洲事変]](中国側の呼称は「九一八事変」)へと発展していった。中国では毎年この日は各地でサイレンが流され、戦争犠牲者に向けて黙祷する<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.asahi.com/special/t_right/TKY201209180068.html |title=反日加速、緊迫の9・18 満州事変の発端「国恥」の日 |access-date=17 Nov 2023 |publisher=[[朝日新聞]] |date=18 Sep 2012}}</ref>。 * {{仮リンク|鉄道の日 (大韓民国)|ko|철도의 날|label=鉄道の日}}({{KOR}}) *:[[1899年]]のこの日、[[朝鮮半島]]初の[[鉄道]](現在の[[京仁線]]の一部)が開通した。 * [[独立記念日]]({{CHL}}) *: [[スペイン]]を征服した[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]は兄の[[ジョゼフ・ボナパルト|ジョゼフ]](ホセ1世)をスペイン王に据えたが、南米のスペイン植民地はホセ1世への忠誠を拒否し、[[1810年]]のこの日、チリのサンチアゴに植民地統治を行う政治委員会を設立することを決議した。この自治政府は[[ペルー副王]]アバスカルの派遣した軍により崩壊したが、アルゼンチンに亡命した独立指導者が他の南米諸国の援助で抵抗運動を展開し、[[1817年]]にチリに侵攻した独立派の軍隊がスペイン王党派の軍を撃破、[[1818年]][[2月12日]]に独立宣言を果たした。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0918|date=Nov 2023}} *年不明 - 土曜日、フローラ・アクロイドがジェイムズ・シェパード[[医師]]宅を訪れ、隣家からまつ荘の[[エルキュール・ポアロ]]に事件の調査を依頼したいと言う。調査を快諾したポアロは金魚池で[[指輪]]を見つけ、ハモンド[[弁護士]]からロジャー・アクロイドの[[遺言状]]の内容を聞く。(小説『[[アクロイド殺し]]』第7章から第10章) *年不明 - 火曜日、[[オルリー空港|パリ]]発[[クロイドン空港|クロイドン]]行の[[旅客機]]プロメテウス号の機内で乗客のマダム・ジゼルが死んでいるのを発見される。(小説『[[雲をつかむ死]]』第1章<ref group="注">9月18日火曜日であることは第4章の[[検死審問]]で明らかになる。</ref>) * [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - [[サイド (ガンダムシリーズ)#サイド7(ノア→グリーン・オアシス)|サイド7]]・1バンチにおいて、史上初の[[モビルスーツ]]同士による戦闘が行われる。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』) * 20XX年 - トーマス・ライト、エックスをカプセルに封印する。(ゲーム『[[ロックマンX]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]343年 - セリーヌ・ジュレス、ゲーム『[[スターオーシャン セカンドストーリー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=42|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - [[エレナ (ストリートファイター)|エレナ]]、ゲーム『ストリートファイターシリーズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=キャラ図鑑047:エレナ |url=https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/114498 |website=活動報告書|CAPCOM:シャドルー格闘家研究所 |access-date=17 Nov 2023 |publisher=[[カプコン|CAPCOM]]}}</ref> * 生年不明 - [[ガッシュ・ベルと高嶺清麿#高嶺清麿(たかみね きよまろ)|高嶺清麿]]、漫画・アニメ『[[金色のガッシュ!!]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|title=金色のガッシュ!! まるかじりブック2|publisher=小学館|year=2004|page=196|ISBN=978-4-09-127722-0}}</ref> * 生年不明 - 本間芽衣子、アニメ『[[あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。]]』のメインヒロイン<ref>{{Cite web|和書|url=https://navi.city.chichibu.lg.jp/wp/wp-content/uploads/2018/08/29fcbaaf3ee2ad87678be4656e04305f.pdf |title=人気キャラクター「めんまのお誕生日会」を開催! |publisher=秩父アニメツーリズム実行委員会 |date=2018-09-05 |format=[[PDF]] |accessdate=17 Nov 2023}}</ref><ref>{{Cite book|date=2011年|title=secret base〜君がくれたもの〜初回限定版ブックレット||publisher=[[アニプレックス|株式会社アニプレックス]]}}</ref> * 生年不明 - 伊香保葉凪、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/ikaho_hana |title=群馬 伊香保 葉凪 |access-date=17 Nov 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref> * 生年不明 - 山中そらら、『温泉むすめ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/yamanaka_sorara |title=石川 山中そらら |access-date=17 Nov 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref> * 生年不明 - [[ロビンマスク]]、漫画・アニメ『[[キン肉マン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite news |title=『キン肉マン』最新58巻の特別付録「平成29(肉)年度カレンダー」に秘められた超人たちの細かすぎるネタとは? |work=週プレNEWS |url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2017/03/05/81099/ |date=5 Mar 2017 |accessdate=17 Nov 2023}}</ref><ref group="注">『キン肉マン』第58巻特別付録「平成29(肉)年度キン肉マンカレンダー」の制作に当たって決められた情報であり、同日はロビンマスクの名前の由来であるビル・ロビンソンの誕生日。</ref> * 生年不明 - 天罪星リュカオンのフレギアス、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=81 |title=天罪星(てんざいせい)リュカオンのフレギアス |access-date=17 Nov 2023 |publisher=[[車田正美]] |work=『聖闘士星矢』 |website=MUSEUM聖闘士博物館}}</ref> * 生年不明 - シャーロット・ローズレイ、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/bclover/chara/cat05/ |title=シャーロット・ローズレイ |access-date=17 Nov 2023 |publisher=[[田畠裕基]]/[[集英社]]・[[テレビ東京]]・ブラッククローバー製作委員会 |work=『ブラッククローバー』}}</ref> * 生年不明 - 皆本光一、漫画・アニメ『[[絶対可憐チルドレン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zetchil_kousiki|1571151997285371906}}</ref> * 生年不明 - 藤原理沙、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』3巻 株式会社[[芳文社]].2018年.カバー裏</ref> * 生年不明 - 山田リョウ、漫画、アニメ・舞台『[[ぼっち・ざ・ろっく!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|btr_anime|1571152012892205056}}</ref> * 生年不明 - 大宮楓、漫画『声がだせない少女は『彼女が優しすぎる』と思っている』に登場するキャラクター * 生年不明 - 天空橋翔、漫画『東京エイリアンズ』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ag0naoe|1526538617807867904}}</ref> * 生年不明 - 塚本秀一、小説・アニメ『[[響け! ユーフォニアム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_eupho|1439061620924325891}}</ref> * 生年不明 - 神崎美月、アニメ『[[アイカツ! (アニメ)|アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.aikatsu.net/02/character/12.html |title=神崎 美月 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]] |accessdate=17 Nov 2023 |work=『アイカツ!』}}</ref><ref>[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]](企画・原作)、[[バンダイ]](原案)、サンライズ、バンダイ(監修)『アイカツ! アイドル名鑑』[[小学館]]、2014年、86頁。{{ISBN2|978-4-09-280501-9}}</ref> * 生年不明 - 熊猫カケル、アニメ『[[トミカ絆合体 アースグランナー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|earthgranner|1439016073852948482}}</ref> * 生年不明 - 守沢千秋、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ensemble-stars.jp/characters/morisawa_chiaki/ |title=守沢 千秋 |accessdate=17 Nov 2023 |publisher=[[Happy Elements]] |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref> * 生年不明 - リード、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=164&cate=name&cont=Lied |title=リード |access-date=17 Nov 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 邪星リョウガ、ゲーム・アニメ『[[Shadowverse]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shadowverse_anm|1703423608163557797}}</ref> * 生年不明 - 伊藤左千夫、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BunAl_PR|1306608891376078852}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === <references /> == 関連項目 == {{commonscat|18 September}} {{新暦365日|9|17|9|19|[[8月18日]]|[[10月18日]]|[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]|0918|9|18}} {{1年の月と日}}
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9月19日
9月19日(くがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から262日目(閏年では263日目)にあたり、年末まであと103日ある。
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9月19日(くがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から262日目(閏年では263日目)にあたり、年末まであと103日ある。
{{カレンダー_9月}} '''9月19日'''(くがつじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から262日目([[閏年]]では263日目)にあたり、年末まであと103日ある。 == できごと == [[File:Battle-poitiers(1356).jpg|thumb|180x180px|[[1356年]]、[[ポワティエの戦い]]]] * [[634年]] - [[アラブ・東ローマ戦争]]: {{仮リンク|ダマスクス包囲戦|en|Siege_of_Damascus_(634)}}終了。[[正統カリフ]]率いる[[イスラム帝国]]により[[ダマスカス|ダマスクス]]が陥落。 * [[1356年]] - [[百年戦争]]: [[ポワティエの戦い]]。 * [[1410年]] - [[ポーランド・リトアニア・ドイツ騎士団戦争]]: [[マリーエンブルク包囲戦 (1410年)|マリーエンブルク包囲戦]]が[[ドイツ騎士団]]の勝利に終わる。 * [[1604年]]([[慶長]]9年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - 江戸幕府が[[角倉了以]]ら貿易商人に[[朱印状|渡航朱印状]]を下付。 * [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[サラトガの戦い#フリーマン農場の戦い|第一次サラトガの戦い]]。(フリーマン農場の戦い) * [[1778年]] - [[大陸会議]]で初の[[アメリカ合衆国]]の[[予算]]({{仮リンク|合衆国連邦予算|en|United_States_federal_budget}})が成立。 * [[1793年]] - [[フランス革命]]・[[ヴァンデの反乱|ヴァンデー反乱]]: {{仮リンク|トルフー=ティフォージュの戦い|en|Battle_of_Tiffauges}}。 * [[1796年]] - [[ジョージ・ワシントンの辞任挨拶]]が「アメリカン・デイリー・アドバイー」紙に、「アメリカ合衆国の人民に宛ててジョージ・ワシントンのアメリカ合衆国大統領辞任にあたって挨拶」という題で掲載される。 * [[1799年]] - [[フランス革命戦争]]:{{仮リンク|ベルゲンの戦い|en|Battle_of_Bergen_(1799)}}。 * [[1852年]] - [[小惑星]]の[[マッサリア (小惑星)|マッサリア]]([[小惑星番号]]20)が[[イタリア]]の[[天文学者]][[アンニーバレ・デ・ガスパリス]]により発見される。 * [[1859年]]([[安政]]6年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - イギリスの貿易商[[トーマス・ブレーク・グラバー]]が長崎・大浦にグラバー商会を設立。 * [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[イウカの戦い]]。 * [[1864年]] - 南北戦争: [[オペクォンの戦い|オペクォンの戦い(第三次ウィンチェスターの戦い)]] * [[1868年]] - [[スペイン]]で{{仮リンク|栄光の革命 (ラ・グロリオサ)|en|Glorious_Revolution_(Spain)}}が発生。最終的に[[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]が追放される。 * [[1870年]] - [[普仏戦争]]: {{仮リンク|パリ包囲戦 (1870年)|en|Siege of Paris (1870–1871)|label=パリ包囲戦}}が始まる。 * 1870年 - 太政官布告第608号「平民苗字許可令」により、平民に苗字を公称することが許可される<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.archives.go.jp/naj_news/11/anohi.html |title=9月19日 苗字の日 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[国立国会図書館]] |website=あの日の公文書}}</ref>。 * [[1881年]] - [[ガーフィールド大統領暗殺事件]]:[[7月2日]]に銃撃で重傷を負った[[ジェームズ・ガーフィールド]][[大統領]]が死去、[[副大統領]]の[[チェスター・A・アーサー]]が大統領に昇格。 * [[1888年]] - [[ベルギー]]でヨーロッパ初の[[ミス・コンテスト|美人コンテスト]]が開催<ref>{{Cite web |url=https://www.dailytelegraph.com.au/news/losers-turned-ugly-after-creole-woman-bertha-soucaret-won-first-modern-beauty-pageant/news-story/7f784cfcc78fb38606e93d0aac75d3c4 |title=Losers turned ugly after Creole woman Bertha Soucaret won first modern beauty pageant |accessdate=18 Sep 2023 |website=The Daily Telegraph |date=September 19, 2018}}</ref>。 * [[1893年]] - [[ニュージーランド]]で[[女性参政権]]が認められる。 * 1893年 - 世界初の[[ナンバープレート]]が[[フランス]]で採用される。 * [[1899年]] - [[ドレフュス事件]]: 終身刑で服役中の[[アルフレド・ドレフュス]]が[[エミール・ルーベ]]の[[特赦]]により釈放。 * [[1912年]] - [[中越鉄道]]の島尾~氷見間が延伸開業し、[[氷見駅]]〜[[高岡駅]]〜[[城端駅]]間が全通。 * [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]: {{仮リンク|タボラの戦い|en|Battle_of_Tabora}}が[[ベルギー]]の勝利に終わる。 * [[1921年]] - ドイツ・[[ベルリン]]郊外に[[サーキット]]兼世界初の[[自動車専用道路]]「[[アヴス]]」が完成。 * [[1931年]] - [[満州事変]]: [[張学良]]と対応を協議した[[顧維鈞]]が[[国民政府]]に連絡をとり、国際連盟に本件を提訴するよう依頼すること、および[[関東軍]][[司令官]] [[本庄繁]]と早急に会談することを提言、また[[宋子文]]と日本の駐華公使であった[[重光葵]]が会談し、日中直接交渉方針を確認。 * [[1936年]] - [[漢口邦人巡査射殺事件]]。 * [[1939年]] - [[国家総動員法]]に基づき、[[物価]]・[[家賃]]・[[賃金]]などを1939年9月19日の水準で凍結させる「価格等統制令」「地代家賃統制令」「賃金臨時措置令」「会社職員給与臨時措置令」(9・18ストップ令)を閣議決定。 * [[1940年]] - [[ヴィトルト・ピレツキ]]が志願して[[アウシュヴィッツ強制収容所]]にレジスタンス運動に関する情報を収集するため潜入。 * [[1941年]] - [[情報局|内閣情報局]]の指示により、映画制作会社10社を[[松竹]]・[[東宝]]・[[大映]]の3社に統合。 * [[1942年]] - [[九州電気軌道]]が[[九州鉄道 (2代)|2代目九州鉄道]]、[[西鉄福岡市内線|福博電車]]、[[博多湾鉄道汽船]]、[[筑前参宮鉄道]]の4社を吸収合併。9月22日に[[西日本鉄道]]と改称。 * [[1943年]] - 九州・西日本一帯に集中豪雨(戦時下であり[[台風]]とは報道はされなかった)。死者・行方不明者893人以上、家屋全壊約5000戸などの被害<ref>死者・不明八九三人、家屋全半壊五千戸に(昭和18年9月24日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p225 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]・[[継続戦争]]: [[ソビエト連邦|ソ連]]と[[フィンランド]]が[[モスクワ休戦協定]]に調印し、継続戦争が終結。 * 1944年 - 第二次世界大戦・[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]]: [[ヒュルトゲンの森の戦い]]。 * [[1945年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)が[[プレスコード]]を指令。 * 1945年 - [[イギリス]]で、「ホーホー卿」こと[[ウィリアム・ジョイス]]に[[大逆罪 (イギリス)|大逆罪]]による[[死刑]]判決。 * [[1946年]] - [[ウィンストン・チャーチル]]英首相が[[チューリッヒ大学]]での演説で[[欧州評議会]]の創設を提唱する。 * [[1948年]] - [[ニザーム藩王国]]が[[インド]]政府に強制併合。インド最大にして最後の藩王国の消滅。 * [[1949年]] - [[人事院規則]]14-7([[政治的行為]])を制定し即日施行。一般職の[[国家公務員]]の政治活動を制限。 * [[1950年]] - 北海道[[厚岸郡]]霧多布沖で[[日本水産]]の[[捕鯨船]]が暴風雨に遭い遭難。[[救難信号]]を出した後に転覆した。乗組員21人全員が行方不明<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=78-98|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1952年]] - [[赤狩り]]: アメリカ法務長官が、『[[ライムライト (映画)|ライムライト]]』のプレミアのためにロンドンに向かっていた[[チャールズ・チャップリン]]のアメリカへの再入国を禁止し、事実上の国外追放。 * [[1955年]] - [[アルゼンチン]]で軍部がクーデターを起こし、軍事政権を樹立。[[ファン・ペロン]]大統領は辞任しスペインへ亡命。 * 1955年 - [[原水爆禁止日本協議会]](原水協)結成。 * [[1957年]] - [[プラムボブ作戦]]: [[アメリカ合衆国]]が[[ネバダ核実験場]]で世界初の地下[[核実験]](レイニア実験)を行う<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/nevada-is-site-of-first-ever-underground-nuclear-explosion |title=Nevada is site of first-ever underground nuclear explosion |access-date=18 Sep 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |date=September 17, 2020 |work=This Day In History}}</ref>。 * [[1958年]] - [[アルジェリア戦争]]: [[アルジェリア民族解放戦線]] (FLN) が[[カイロ]]でアルジェリア共和国臨時政府の樹立を宣言。 * [[1961年]] - [[ヒル夫妻誘拐事件]]: アメリカのヒル夫妻が[[未確認飛行物体|UFO]]に誘拐されたと主張。 * [[1970年]] - 第1回[[グラストンベリー・フェスティバル]]開催。 * 1970年 - [[ギリシャ]]で軍事政権への抗議のため{{仮リンク|コスタス・ゲオルガキス|en|Kostas_Georgakis}}が自らを燃やし焼死。 * [[1972年]] - [[阪神甲子園球場|甲子園球場]]での[[阪神タイガース|阪神]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]22回戦でアルプススタンド爆破予告電話があり、20:38から12分間試合が中断。爆弾は発見されず試合再開。 * [[1973年]] - スウェーデン国王[[カール16世グスタフ (スウェーデン王)|カール16世グスタフ]]の戴冠式が行われる。 * [[1974年]] - [[ホンジュラス]]北部に[[ハリケーン]]が接近。[[チョロマ]]では深夜に堤防が決壊して死者4000人以上の被害を出した<ref>ハリケーンで死者四千人 川に続々浮かぶ死体『朝日新聞』昭和49年(1974年)9月21日夕刊、3版、9面</ref>。 * [[1976年]] - [[トルコ航空452便墜落事故]]。 * 1976年 - {{仮リンク|テヘランUFO事件|en|1976_Tehran_UFO_incident}}。 * [[1978年]] - [[ソロモン諸島]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * 1978年 - 埼玉県行田市の[[稲荷山古墳 (行田市)|稲荷山古墳]]で出土した[[稲荷山古墳出土鉄剣|金錯銘鉄剣]]の115文字の[[鉄剣・鉄刀銘文|銘文]]の解読に成功。 * [[1979年]] - {{仮リンク|ヨーロッパの野生生物と自然生息地の保護に関するベルン条約|en|Berne_Convention_on_the_Conservation_of_European_Wildlife_and_Natural_Habitats}}締結。 * [[1980年]] - {{仮リンク|ダマスカスタイタンミサイル爆発事故|en|1980_Damascus_Titan_missile_explosion}} * [[1982年]] - [[スコット・ファールマン]]が[[顔文字]]「:-)」と「:-(」を初めて使用する。 * [[1983年]] - [[セントクリストファー・ネイビス]]が[[イギリス]]から独立。 * [[1984年]] - [[自由民主党本部放火襲撃事件]]: 中核派系テロリストにより、約520平方メートルが焼失、被害額は約10億円。 * [[1985年]] - [[メキシコ地震 (1985年)|メキシコ地震]]発生。[[メキシコシティ]]を中心に1万人以上が死亡。 * 1985年 - [[PMRC]]設立。 * [[1988年]] - [[昭和天皇]]の容態が急変し深夜に大量[[吐血]]。以後、日本各地で「自粛」が相次ぐ。 * 1988年 - 中南米で341名の犠牲者を出した[[ハリケーン・ギルバート]]が消滅。 * [[1989年]] - [[UTA航空772便爆破事件]]: リビアのテロリストにより、乗員乗客170名全員が犠牲に。 * [[1991年]] - [[アルプス山脈]]の[[氷河]]で、約5300年前の男性の[[ミイラ]]「[[アイスマン]]」を発見<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/87402?page=1&imp=0 |title=9月19日 アルプスの氷河からミイラ発見(1991年) |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[講談社]] |website=サイエンス365days |date=19 Sep 2021}}</ref>。 * [[1998年]] - スカイマークエアラインズ(現[[スカイマーク]])が初就航。 * [[2003年]] - [[ハリケーン・イザベル]]が[[ノースカロライナ州]]に上陸。 * [[2005年]] - [[北朝鮮核問題]]: [[六者会合]]において[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]がすべての核兵器の放棄に合意。 * [[2006年]] - [[タイ王国|タイ]]で[[タイ軍事クーデター (2006年)|軍事クーデター]]が発生。国連総会出席のためニューヨークにいた[[タクシン・チナワット|タクシン]]首相はそのまま亡命。 * [[2010年]] - この年の[[4月20日]]に起こった[[2010年メキシコ湾原油流出事故]]の起こった油井が閉鎖<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/news/world-us-canada-10656239 |title=Timeline: BP oil spill |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[BBC]] |date=19 September 2010}}</ref>。 * [[2011年]] - [[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]で[[マリアノ・リベラ]]が602[[セーブ]]目を記録しMLBにおける最多セーブ数記録を更新。 * [[2012年]] - アメリカ株式市場で、[[Apple]]株が1株701.91ドルとなり、[[時価総額]]は歴代最高額である約6580億ドル(約52兆円)を記録。 * [[2015年]] - 参院本会議において[[平和安全法制|安全保障関連法案]](集団的自衛権の限定的な行使容認を含む安全保障関連法案)の採決が行われ、賛成多数により可決成立<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/4659.html |title=安保法成立 自衛隊の活動どう変わる? |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[朝日学生新聞社]] |date=11 Oct 2015}}</ref>。 * 2015年 - [[ラグビーワールドカップ2015|ラグビーワールドカップ2015イングランド大会]]1次リーグB組初戦で、日本代表が過去2回の優勝を誇る強豪・[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]に34-32で逆転勝ち。歴史的勝利を収めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/dm/atcl/feature/15/110200006/030100019/ |title=ラグビー大番狂わせの裏に「世界一のデータ分析」 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[日経BP|Nikkei Business Publications, Inc.]] |date=4 Mar 2016 |website=日経XTECH}}</ref>。 * [[2016年]] - [[2016年マンハッタン爆発]]事件の犯人が逮捕。 * [[2017年]] - [[プエブラ]]で[[メキシコ中部地震]]が発生(現地時間)。 * 2017年 - [[ドミニカ共和国|ドミニカ]]に[[ハリケーン・マリア]]が上陸。 * [[2018年]] - [[東仙台交番襲撃事件]]。 * [[2021年]] - {{仮リンク|ラ・パルマ島噴火 (2021年)|en|2021_La_Palma_eruption}}。[[スペイン]]の火山{{仮リンク|クンブレ・ヴィエハ|en|Cumbre_Vieja}}が[[1971年]]以来となる噴火。 * [[2022年]] - メキシコの[[ミチョアカン州]]付近で{{仮リンク|メキシコ西部地震|en|2022 Western Mexico earthquake}}が発生。 * [[2023年]] - [[アゼルバイジャン]]が紛争地の[[ナゴルノ・カラバフ]]で[[2023年ナゴルノ・カラバフ衝突|軍事作戦]]を開始<ref>{{Cite news|url=https://sp.m.jiji.com/article/show/3050946?free=1 |title=ナゴルノカラバフで27人死亡=アゼルバイジャンが軍事作戦 |newspaper=[[時事通信]] |date=2023-09-20 |accessdate=2023-09-20}}</ref>。{{Main|2023年ナゴルノ・カラバフ衝突}} == 誕生日 == [[File:Henry, Duke of Anjou.jpg|thumb|232x232px|[[アンリ3世 (フランス王)|アンリ3世]](1551-1589)]] [[File:Kossuth Turin 1892 EllingerA.jpg|thumb|216x216px|[[コシュート・ラヨシュ]](1802-1894)]] [[File:Korekiyo Takahashi 2.jpg|thumb|234x234px|[[高橋是清]](1854-1936)]] * [[86年]] - [[アントニヌス・ピウス]]、[[ローマ皇帝]](+ [[161年]]) * [[866年]] - [[レオーン6世]]、[[東ローマ皇帝]](+ [[912年]])※[[9月1日]]とも * [[931年]]([[天顕]]6年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[穆宗 (遼)|穆宗]]、[[遼]]の第4代[[皇帝]](+ [[969年]]) * [[1377年]] - [[アルブレヒト4世 (オーストリア公)|アルブレヒト4世]]、[[オーストリア公]](+ [[1404年]]) * [[1426年]] - [[マリー・ド・クレーヴ (1426-1487)|マリー・ド・クレーヴ]]、[[フランス王国|フランス]]王家傍系の[[オルレアン公]][[シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|シャルル]]の3番目の妻、フランス王[[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]の母(+ [[1487年]]) * [[1477年]] - {{仮リンク|フェランテ・デステ|en|Ferrante_d'Este}}、貴族(+ [[1540年]]) * [[1551年]] - [[アンリ3世 (フランス王)|アンリ3世]]、[[フランス王]](+ [[1589年]]) * [[1721年]] - {{仮リンク|ウィリアム・ロバートソン|en|William_Robertson_(historian)}}、[[歴史家]](+ [[1793年]]) * [[1737年]] - [[チャールズ・キャロル・オヴ・カロルトン]]、[[政治家]](+ [[1832年]]) * [[1749年]] - [[ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブル]]、[[数学者]]、[[天文学者]](+ [[1822年]]) * [[1759年]] - [[ウィリアム・カービー (昆虫学者)|ウィリアム・カービー]]、昆虫学者(+ [[1850年]]) * [[1778年]] - [[ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵)|ヘンリー・ピーター・ブルーム]]、初代[[ブルーム=ヴォークス男爵]](+ [[1868年]]) * [[1796年]] - [[リチャード・ハーラン]]、[[博物学者]]、[[古生物学者]](+ [[1843年]]) * [[1799年]] - [[ルネ・カイエ]]、[[探検家]](+ [[1838年]]) * [[1802年]] - [[コシュート・ラヨシュ]]、政治家、[[革命家]](+ [[1894年]]) * [[1803年]] - [[マリア・アンナ・フォン・ザヴォイエン]]、[[オーストリア皇帝]][[フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)|フェルディナント1世]]の皇后(+ [[1884年]]) * [[1811年]] - {{仮リンク|オアソン・プラット|en|Orson_Pratt}}、数学者(+ 1881年) * [[1813年]] - [[クリスチャン・H・F・ピーターズ]]、天文学者(+ [[1890年]]) * [[1828年]] - {{仮リンク|フリドリン・アンデルヴェルト|en|Fridolin_Anderwert}}、スイス国民議会議長(+ [[1880年]]) * [[1843年]] - [[チャールズ・バレンタイン・ライリー]]、[[昆虫学者]](+ [[1895年]]) * [[1846年]]([[弘化]]3年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[箕作麟祥]]、[[法学者]]、[[啓蒙思想家]](+ [[1897年]]) * [[1853年]] - [[ミゲル2世・デ・ブラガンサ|ミゲル・デ・ブラガンサ(ミゲル2世)]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]][[王位請求者]](+ [[1927年]]) * [[1854年]]([[安政]]元年[[閏]][[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[高橋是清]]、政治家、第20代[[内閣総理大臣]](+ [[1936年]]) * [[1857年]](安政4年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[植木元太郎]]、[[実業家]]、政治家(+ [[1943年]]) * [[1864年]] - [[カール・エーリヒ・コレンス]]、[[植物学者]](+ [[1933年]]) * [[1865年]] - {{仮リンク|フランク・ユージーン|en|Frank_Eugene}}、写真家(+ [[1936年]]) * [[1867年]] - [[セイディー・マクマホン]]、[[プロ野球選手]](+ [[1954年]]) * 1867年 - [[アーサー・ラッカム]]、[[挿絵画家]](+ [[1939年]]) * [[1869年]] - [[ベン・ターピン]]、[[コメディアン]](+ [[1940年]]) * [[1871年]] - {{仮リンク|フレデリック・ループル|en|Frederick_Ruple}}、画家(+ [[1938年]]) * [[1883年]] - [[中澤良夫]]、[[野球選手]](+ [[1966年]]) * 1883年 - {{仮リンク|メーブル・ヴァーノン|en|Mabel_Vernon}}、教育者(+ [[1975年]]) * [[1887年]] - {{仮リンク|リン・オーヴァーマン|en|Lynne_Overman}}、[[俳優]](+ [[1943年]]) * [[1888年]] - {{仮リンク|ジェイムズ・ワデル・アレクサンダー2世|en|James_Waddell_Alexander_II}}、数学者(+ [[1971年]]) * 1888年 - {{仮リンク|ポーター・ホール|en|Porter_Hall}}、俳優(+ [[1953年]]) * [[1889年]] - {{仮リンク|サラ・ルイス・デラニー|en|Sarah_Louise_Delany}}、医師、作家(+ [[1999年]]) * [[1894年]] - {{仮リンク|レイチェル・フィールド|en|Rachel_Field}}、作家(+ [[1942年]]) * [[1898年]] - [[ジュゼッペ・サーラガト]]、政治家、[[イタリア]]第5代[[共和国大統領 (イタリア)|大統領]](+ [[1988年]]) * [[1900年]] - {{仮リンク|リカルド・コルテス|en|Ricardo_Cortez}}、俳優(+ [[1977年]]) * [[1901年]] - [[沢田美喜]]、社会事業家(+ [[1980年]]) * 1901年 - [[ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ]]、[[生物学者]](+ [[1972年]]) * [[1903年]] - {{仮リンク|エミール・ポイルヴェ|en|Émile_Poilvé}}、レスリング選手(+ [[1962年]]) * [[1905年]] - {{仮リンク|ジュディス・アウアー|en|Judith_Auer}}、[[レジスタンス運動|レジスタンス]]運動家(+ [[1944年]]) * [[1908年]] - [[ミカ・ワルタリ]]、[[小説家]](+ [[1979年]]) * 1908年 - {{仮リンク|ポール・ベニシュー|en|Paul_Bénichou}}、歴史家(+ [[2001年]]) * 1908年 - [[島袋龍夫]]、[[空手家]](+ [[1975年]]) * [[1909年]] - [[フェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ]]、[[実業家]]、[[自動車]]技術者、[[インダストリアルデザイナー|デザイナー]](+ [[1998年]]) * [[1910年]] - [[マーガレット・リンゼイ]]、女優(+ [[1981年]]) * 1910年 - {{仮リンク|アルトゥーロ・M・トレンティーノ|en|Arturo_Tolentino}}、外交官(+ [[2004年]]) * [[1911年]] - [[ウィリアム・ゴールディング]]、作家(+ [[1993年]]) * [[1912年]] - [[クルト・ザンデルリング]]、[[指揮者]](+ [[2011年]]) * [[1913年]] - [[フランシス・ファーマー]]、女優(+ [[1970年]]) * 1913年 - [[ヘレン・ウォード]]、歌手(+ [[1998年]]) * [[1915年]] - {{仮リンク|ヘルマン・ヴァルデス|en|Germán_Valdés}}、俳優(+ [[1973年]]) * [[1919年]] - [[田中成豪]]、元プロ野球選手 * 1919年 - [[ロジェ・グルニエ]]、作家(+ [[2017年]]) * 1919年 - [[アメーリア・ヘルナンデス]]、[[バレエ]]・[[コレオグラファー]](+ [[2000年]]) * 1919年 - [[加藤周一]]、[[評論家]]、[[医学博士]](+ [[2008年]]) * [[1920年]] - {{仮リンク|グスタヴォ・リー|en|Gustavo_Leigh}}、軍人(+ [[1999年]]) * [[1921年]] - [[利根山光人]]、[[美術家]]、[[画家]](+ [[1994年]]) * 1921年 - [[パウロ・フレイレ]]、[[教育者]]、[[哲学者]](+ [[1997年]]) * [[1922年]] - [[エミール・ザトペック]]、[[陸上選手]](+ [[2000年]]) * 1922年 - [[デーモン・ナイト]]、[[SF作家]](+ [[2002年]]) * 1922年 - [[ウィリー・ペップ]]、[[プロボクサー]](+ [[2006年]]) * 1922年 - [[ダナ・ザトペコワ]]、[[陸上競技選手|槍投げ選手]](+ [[2020年]]) * [[1924年]] - {{仮リンク|ヴァーン・ベンソン|en|Vern_Benson}}、野球選手(+ [[2014年]]) * 1924年 - {{仮リンク|ドン・ハロン|en|Don_Harron}}、俳優(+ [[2015年]]) * [[1925年]] - [[岡田卓也 (経営者)|岡田卓也]]、実業家、[[イオングループ]]創業者 * 1925年 - [[大城立裕]]、[[小説家]](+ [[2020年]]) * [[1926年]] - [[小柴昌俊]]、[[物理学者]]、[[天文学者]]、東京大学[[特別栄誉教授]]、[[ノーベル物理学賞]]受賞者(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20201113-ZUDIGJQZS5O3XDEMO2ZB2A5HAA/ |title=小柴昌俊氏が死去 ノーベル物理学賞受賞 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=13 Nov 2020}}</ref>) * 1926年 - [[ニニ・ロッソ]]、[[作曲家]]、[[ジャズ]]演奏家(+ [[1994年]]) * 1926年 - [[デューク・スナイダー]]、プロ野球選手(+ [[2011年]]) * 1926年 - [[ジェームズ・リプトン]]、俳優(+ [[2020年]]) * [[1927年]] - [[寿岳潤]]、[[天文学者]](+ [[2011年]]) * 1927年 - [[ウィリアム・ヒッキー]]、俳優(+ [[1997年]]) * 1927年 - [[ローズマリー・ハリス]]、女優 * [[1928年]] - [[小島千加子]]、編集者、文学評論家 * 1928年 - [[アダム・ウェスト]]、俳優(+ [[2017年]]) * [[1929年]] - [[成田豊]]、実業家、[[電通]]グループ会長(+ [[2011年]]) * 1929年 - [[草薙幸二郎]]、俳優(+ [[2007年]]) * [[1930年]] - [[エルンスト=ヴォルフガング・ベッケンフェルデ]]、法学者、[[ドイツ]][[連邦憲法裁判所]]判事(+ [[2019年]]) * 1930年 - [[ムハル・リチャード・エイブラムス]]、作曲家、ジャズ演奏家(+ [[2017年]]) * 1930年 - [[ボブ・ターリー]]、プロ野球選手(+ [[2013年]]) * 1930年 - [[アントニオ・マルゲリーティ]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[プロデューサー]](+ [[2002年]]) * [[1931年]] - [[高橋輝]]、プロ野球選手(+ [[1992年]]) * 1931年 - [[ジャン=クロード・カリエール]]、脚本家、俳優(+ [[2021年]]) * 1931年 - {{仮リンク|ブルック・ベントン|en|Brook_Benton}}、歌手(+ [[1988年]]) * 1931年 - [[デレック・ガードナー]]、自動車技術者(+ [[2011年]]) * [[1932年]] - [[上原康助]]、[[労働運動家]]、政治家、[[国土庁長官]](+ [[2017年]]) * 1932年 - [[シュテファニー・ツヴァイク]]、作家(+ [[2014年]]) * 1932年 - [[安田伸]]、[[サクソフォーン]]奏者、[[コメディアン]](+ [[1996年]]) * [[1933年]] - [[石川克彦]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]]) * 1933年 - [[デヴィッド・マッカラム]]、俳優(+ [[2023年]]) * [[1934年]] - [[山元護久]]、[[放送作家]]、[[児童文学者]](+ [[1978年]]) * 1934年 - [[ブライアン・エプスタイン]]、実業家、[[ビートルズ]]のマネージャー(+ [[1967年]]) * [[1936年]] - [[アル・オーター]]、[[円盤投]]選手(+ [[2007年]]) * [[1937年]] - [[石澤良昭]]、[[歴史家|歴史学者]] * 1937年 - {{仮リンク|ボリス・オニシチェンコ|en|Boris_Onishchenko}}、[[近代五種競技|近代五種]]選手 * [[1938年]] - [[西三雄]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]]) * [[1939年]] - [[新井彰]]、元プロ野球選手 * 1939年 - [[谷田絹子]]、元[[バレーボール]]選手(+ [[2020年]]) * 1939年 - [[モシェ・ワインバーグ]]、[[レスリング]]選手、コーチ(+ 1972年) * [[1940年]] - [[大羽進]]、元プロ野球選手 * 1940年 - [[ビル・メドレー]]、歌手 * 1940年 - {{仮リンク|ザンドラ・ローズ|en|Zandra_Rhodes}}、ファッションデザイナー * 1940年 - [[ポール・ウィリアムズ (シンガーソングライター)|ポール・ウィリアムズ]]、シンガーソングライター * [[1941年]] - [[近藤隆正]]、元プロ野球選手 * 1941年 - [[ウンベルト・ボッシ]]、政治家 * 1941年 - [[キャス・エリオット]]、歌手(+ [[1974年]]) * [[1943年]] - [[小野寺昭]]、俳優 * 1943年 - [[荒木とよひさ]]、[[作詞家]] * 1943年 - [[三宅武治]]、詩人 * 1943年 - [[ジョー・モーガン]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]]) * [[1944年]] - [[杉野昭夫]]、[[アニメーター]] * 1944年 - [[内田勝正]]、俳優 * [[1945年]] - [[デヴィッド・ブロムバーグ]]、シンガーソングライター * [[1946年]] - [[ロン・ロリッチ]]、元プロ野球選手 * 1946年 - [[ジェリー・ブリスコ]]、プロレスラー * 1946年 - [[ブライアン・ヘントン]]、レーシングドライバー * [[1947年]] - [[吉田万三]]、歯科医、政治家、[[足立区]]長 * 1947年 - [[アラン・リピエッツ]]、環境保護活動家、政治家 * 1947年 - [[平松政次]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[ヘンリー・ブロメル]]、作家(+ [[2013年]]) * 1947年 - [[ブライアン・ヒル (バスケットボール)|ブライアン・ヒル]]、バスケットボール選手 * 1947年 - [[タニス・リー]]、[[ファンタジー]]作家(+ 2015年) * 1947年 - [[ロル・クレーム]]、[[ミュージシャン]] * 1947年 - [[トマス・H・クック]]、作家 * [[1948年]] - [[三村敏之]]、元プロ野球選手、監督(+ [[2009年]]) * 1948年 - [[ジェレミー・アイアンズ]]、俳優 * 1948年 - [[ミハイロ・フォメンコ]]、サッカー選手、監督 * 1948年 - {{仮リンク|ミハイ・ティモフティ|en|Mihai_Timofti}}、俳優 * 1948年 - [[ジュリアス・サング]]、陸上競技選手(+ [[2004年]]) * [[1949年]] - [[ツイッギー|ツイッギー・ローソン]]、[[モデル (職業)|モデル]]、歌手 * 1949年 - [[一条ゆかり]]、[[漫画家]] * 1949年 - [[MALTA]]、サックス奏者 * 1949年 - [[山口小夜子]]、ファッションモデル(+ [[2007年]]) * 1949年 - [[リンゴ・メンドーサ]]、プロレスラー * 1949年 - [[サリー・ポッター]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[作曲家]]、[[ダンサー]] * [[1950年]] - [[佐藤龍一郎]]、元プロ野球選手 * 1950年 - {{仮リンク|マイケル・プロクター|en|Michael_Proctor_(academic)}}、物理学者 * [[1951年]] - [[中川泰宏]]、政治家 * 1951年 - [[比屋根吉信]]、高校野球指導者 * 1951年 - [[ダニエル・ラノワ]]、[[音楽家]]、[[音楽プロデューサー]] * [[1952年]] - [[ナイル・ロジャース]]、音楽プロデューサ * 1952年 - [[ヘンリー・カイザー]]、ミュージシャン * [[1956年]] - [[加藤久仁彦]]、[[歌手]]([[狩人]]) * 1956年 - [[リズ・キャロル]]、ミュージシャン * 1956年 - [[千葉裕]]、元俳優、元歌手 * [[1957年]] - [[串田嘉男]]、[[天文家|アマチュア天文家]] * 1957年 - [[井田由美]]、[[アナウンサー]] * [[1958年]] - [[西田昌司]]、政治家 * 1958年 - [[李萬洙]]、元野球選手 * 1958年 - [[アズマー・ネルソン]]、[[プロボクサー]] * 1958年 - [[リタ・フォード]]、ミュージシャン、ソングライター * 1958年 - [[ケヴィン・フックス]]、俳優 * [[1960年]] - [[松野頼久]]、政治家 * 1960年 - [[土橋安騎夫]]、ミュージシャン * 1960年 - [[目黒ひとみ]]、元[[アイドル]]歌手 * 1960年 - [[ロイック・ビゴワ]]、[[フォーミュラ1|F1]]の[[スクーデリア・フェラーリ]]の空力設計主任(チーフエアロダイナミシスト) * 1960年 - [[ジョゼ・カルロス・ネポムセーノ・モーゼル]]、元サッカー選手 * 1960年 - [[マリオ・バターリ]]、[[シェフ|料理人]] * 1960年 - [[瀬上剛]]、[[歯科技工士]] * [[1961年]] - [[克・亜樹]]、[[漫画家]] * 1961年 - [[高橋美紀]]、[[声優]] * [[1962年]] - [[桂歌助]]、落語家 * 1962年 - [[ランディ・マイヤーズ]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[島田歌穂]]、女優 * 1963年 - [[清水義之 (野球)|清水義之]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[デビッド・シーマン]]、元サッカー選手 * 1963年 - [[井上和彦 (ジャーナリスト)|井上和彦]]、ジャーナリスト * [[1964年]] - [[岡本英子]]、政治家 * 1964年 - [[勝井祐二]]、ミュージシャン([[ROVO]]) * [[1965年]] - [[戸塚友行]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[野村謙二郎]]、元プロ野球選手、監督 * 1966年 - [[高山善廣]]、[[プロレスラー]] * [[1967年]] - [[アレクサンドル・カレリン]]、元[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手 * 1967年 - [[細田守]]、[[アニメーション映画|アニメ]][[監督]] * [[1968年]] - [[おさる]]、[[タレント]](元[[アニマル梯団]]) * [[1969年]] - [[キャンディ・ダルファー]]、ミュージシャン * 1969年 - [[織田優成]]、声優 * 1969年 - [[島田一輝]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[西川貴教]]、俳優、歌手([[T.M.Revolution]]) * 1970年 - [[斉藤満喜子]]、元タレント(元[[うしろ髪ひかれ隊]]) * 1970年 - [[今井由香]]、元声優 * [[1971年]] - [[萩原えみこ]]、声優 * 1971年 - [[浅井千華子]]、タレント * 1971年 - [[かずはじめ]]、[[漫画家]] * [[1972年]] - [[弓矢竜太]]、柔道家 * 1972年 - [[関口尚]]、作家 * [[1973年]] - [[クリスチアーノ・ダ・マッタ]]、レーサー * 1973年 - [[福田信一]]、元プロ野球選手 * [[1974年]] - [[三宮恵利子]]、元[[スピードスケート]]選手 * 1974年 - [[ジミー・ファロン]]、コメディアン * [[1975年]] - [[久保ミツロウ]]、漫画家 * 1975年 - [[朝日健太郎]]、[[ビーチバレーボール]]選手、政治家 * [[1976年]] - [[河野かずお]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[埼京パンダース]]) * [[1977年]] - [[村松えり]]、女優 * 1977年 - [[遠藤麗奈]]、アナウンサー * [[1978年]] - [[乃木三太]]、俳優 * 1978年 - [[中村泰広]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[山田秋親]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[ヴァネッサ・グスメロリ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1978年 - [[マリアノ・プエルタ]]、プロ[[テニス選手]] * 1978年 - [[ミシェル・アルヴス]]、ファッションモデル * 1978年 - [[ニック・ジョンソン]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[押切蓮介]]、漫画家 * 1979年 - [[ノエミ・ルノワール]]、ファッションモデル * [[1980年]] - [[夏川純]]、元タレント、元[[グラビアアイドル]] * 1980年 - [[セルゲイ・リジコフ (サッカー選手)|セルゲイ・リジコフ]]、サッカー選手 * 1980年 - [[矢内雄一郎]]、アナウンサー * [[1981年]] - [[ダミアーノ・クネゴ]]、自転車ロードレース選手 * [[1982年]] - [[エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ|エドゥアルド]]、サッカー選手 * 1982年 - [[椎名亜音]]、舞台女優、MC * [[1983年]] - [[林昌範]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[三小田昌充]]、俳優、エンジニア、大工 * 1983年 - [[美優紀]]、ファッションモデル * [[1984年]] - [[服部美貴]]、タレント * 1984年 - [[佐倉紗織]]、歌手([[ave;new]]) * 1984年 - [[吉見一起]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[田中直樹 (野球)|田中直樹]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[ダニー・バレンシア]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[美馬学]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[柴崎淳]]、競輪選手 * 1986年 - [[西村朝香]]、元歌手(元[[ZONE (バンド)|ZONE]]) * 1986年 - [[コンセプシオン・ロドリゲス]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[ゲラルト・シオレック]]、自転車ロードレース選手 * [[1987年]] - [[山本紗也加]]、元女優、元歌手(元[[Dream (音楽グループ)|Dream]]) * [[1988年]] - [[横川寛人]]、映画監督 * [[1989年]] - [[IMALU]]、タレント、ファッションモデル * 1989年 - [[ホベルト・サトシ・ソウザ]]、[[ブラジリアン柔術|柔術家]]、[[総合格闘家]] * [[1990年]] - [[福田沙紀]]、タレント、女優、歌手 * 1990年 - [[飯田大祐]]、元プロ野球選手 * [[1991年]] - [[ヘム・アルヘナル]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[ヘレン・マルーリス]]、レスリング選手 * 1991年 - [[山田修義]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[ディエゴ・レジェス]]、サッカー選手 * [[1993年]] - 池田直人、お笑いタレント([[レインボー (お笑いコンビ)|レインボー]]) * 1993年 - 木田、お笑いタレント([[ガクヅケ]]) * 1993年 - [[渡辺美優紀]]、歌手、元アイドル(元[[NMB48]]) * 1993年 - [[奈良竜樹]]、サッカー選手 * 1993年 - [[渡邉彩香]]、プロゴルファー * 1993年 - [[春野ゆう]]、歌手 * 1993年 - [[菅原祥太]]、元プロ野球選手 * [[1994年]] - [[田村伊知郎]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[藤嵜智貴]]、サッカー選手 * [[1995年]] - [[ダコタ・ローズ]]、モデル、タレント * [[1996年]] - [[兒玉遥]]、女優、アイドル(元[[HKT48]]) * [[1997年]] - [[唐田えりか]]、女優 * 1997年 - [[大串桃香]]、元プロ野球選手 * [[1999年]] - [[梶原昂希]]、プロ野球選手 * 1999年 - [[各務華梨]]、声優 * 1999年 - [[杉原愛子]]、元体操選手 * [[2001年]] - [[倉田乃彩]]、モデル、YouTuber * 2001年 - [[超学生]]、歌い手、ボーカリスト * [[2003年]] - [[八木栞]]、アイドル([[つばきファクトリー]]) * [[2004年]] - [[森下瑠大]]、プロ野球選手 * 生年不明 - [[古川未鈴]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dempagumi.tokyo/profile/furukawa-mirin/ |title=古川未鈴・みりんちゃん |access-date=18 Sep 2023 |publisher=でんぱ組 inc.}}</ref>、アイドル([[でんぱ組.inc]]) * 生年不明 - [[柳田直和]]、[[4コマ漫画|4コマ]]漫画家 * 生年不明 - [[rino]]、歌手([[CooRie]]) == 忌日 == [[File:Emperor Godaigo.jpg|thumb|180x180px|[[後醍醐天皇]](1288-1339)]] [[File:James Abram Garfield, photo portrait seated.jpg|thumb|228x228px|[[ジェームズ・ガーフィールド]](1831-1881)]] * [[690年]] - [[タルソスのテオドルス]]、[[カンタベリー大司教]](* [[602年]]頃) * [[1039年]]([[長暦]]3年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[藤原嫄子]]、[[後朱雀天皇]]の[[中宮]](* [[1016年]]) * [[1133年]]([[長承]]2年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[藤原長実]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[1075年]]) * [[1280年]]([[弘安]]3年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - [[孤雲懐奘]]、[[禅宗]]の[[僧]](* [[1198年]]) * [[1339年]]([[延元]]4年/[[暦応]]2年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[後醍醐天皇]]、第96代[[天皇]](* [[1288年]]) * [[1356年]] - [[ピエール1世 (ブルボン公)|ピエール1世]]、[[ブルボン公]](* [[1311年]]) * [[1546年]]([[天文 (元号)|天文]]15年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]]) - [[相良義滋]]、[[肥後国]]の[[戦国大名]](* [[1491年]]) * [[1579年]]([[天正]]7年[[8月29日]])- [[築山殿]]、[[徳川家康]]の[[正室]](* [[生年不詳]]) * [[1596年]]([[慶長]]元年[[7月27日 (旧暦)|閏7月27日]]) - [[茶屋四郎次郎|茶屋清延]]、[[京都]]の豪商(* [[1545年]]) * [[1610年]] - [[フリードリヒ4世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ4世]]、[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]](* [[1574年]]) * [[1683年]]([[天和 (日本)|天和]]3年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[順性院]]、[[徳川家光]]の[[側室]](* [[1622年]]) * [[1689年]]([[元禄]]2年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[八条宮尚仁親王]]、[[皇族]](* [[1671年]]) * [[1710年]] - [[オーレ・レーマー]]、[[天文学者]](* [[1644年]]) * [[1732年]]([[享保]]17年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[小笠原長重]]、[[江戸幕府]][[老中]](* [[1650年]]) * [[1747年]]([[延享]]4年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[細川宗孝]]、[[熊本藩|熊本藩主]](* [[1716年]]) * [[1761年]] - [[ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク]]<ref>{{Cite web |title=Prof. Dr. A.L.M. et Med. Petrus van Musschenbroek |url=http://www.musschenbroek.nl/petrus.htm |access-date=18 Sep 2023 |publisher=Van Musschenbroek Foundation}}</ref>、科学者(* [[1692年]]) * [[1781年]] - [[トバイアス・フルノー]]、[[イギリス海軍]]の[[軍人]]、[[探検家]](* [[1735年]]) * [[1786年]]([[天明]]6年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]) - [[本多正珍]]、江戸幕府老中(* [[1710年]]) * [[1788年]]([[乾隆]]53年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[尚哲]]、[[琉球王国|琉球王]]の[[皇太子|世子]](* [[1759年]]) * [[1812年]] - [[マイアー・アムシェル・ロートシルト]]、[[実業家]]、[[ロスチャイルド家|ロスチャイルド財閥]]の祖(* [[1744年]]) * [[1813年]] ([[文化 (元号)|文化]]10年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[丹羽長祥]]、第11代[[二本松藩|二本松藩主]] (* [[1780年]]) * [[1843年]] - [[ガスパール=ギュスターヴ・コリオリ]]、[[物理学者]]、[[数学者]]、天文学者(* [[1792年]]) * [[1875年]] - [[新門辰五郎]]、[[町火消]]、[[侠客]](* [[1800年]]?) * [[1881年]] - [[ジェームズ・ガーフィールド]]、第20代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1831年]]) * [[1900年]] - [[臥雲辰致]]、[[発明家]](* [[1842年]]) * [[1902年]] - [[正岡子規]]、[[俳人]](* [[1867年]]) * [[1918年]] - [[呉文聰]]、[[統計学|統計学者]](* [[1851年]]) * [[1923年]] - [[南部甕男]]、[[大審院|大審院長]](* [[1845年]]) * 1923年 - [[快楽亭ブラック (初代)]]、[[落語家]](* [[1858年]]) * [[1928年]] - [[玉椿憲太郎]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1883年]]) * [[1931年]] - [[デイビッド・スター・ジョーダン]]、[[魚類学|魚類学者]]、[[教育者]](* [[1851年]]) * [[1935年]] - [[コンスタンチン・ツィオルコフスキー]]、[[ロケット]][[科学者]](* [[1857年]]) * [[1937年]] - [[中尾長]]、[[プロ野球選手]](* [[1910年]]) * [[1944年]] - [[ガイ・ギブソン]]、[[イギリス空軍]]軍人(* [[1918年]]) * [[1949年]] - [[ニコス・スカルコッタス]]、[[作曲家]](* [[1904年]]) * [[1953年]] - [[パーシヴァル・ワイルド]]、[[作家]]、[[劇作家]](* [[1887年]]) * [[1958年]] - [[ルドルフ・ロッカー]]、作家、[[アナーキズム]]活動家(* [[1873年]]) * [[1963年]] - [[藤井真透]]、道路技術者(* [[1889年]]) * [[1968年]] - [[チェスター・F・カールソン]]、物理学者、発明家 (* [[1904年]]) * [[1970年]] - [[海老原喜之助]]、[[画家]](* [[1904年]]) * [[1971年]] - [[ウィリアム・オルブライト]]、[[言語学者]]、[[考古学者]](* [[1891年]]) * [[1972年]] - [[ロベール・カサドシュ]]、[[ピアニスト]](* [[1899年]]) * [[1973年]] - [[木村庄之助 (24代)]]、大相撲の[[立行司]](* [[1901年]]) * 1973年 - [[グラム・パーソンズ]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[歌手]]、[[ギタリスト]](* [[1946年]]) * [[1976年]] - [[崔庸健]]、軍人、政治家(* [[1900年]]) * [[1977年]] - [[内藤濯]]、[[フランス文学|フランス文学者]]、[[翻訳家]](* [[1883年]]) * 1977年 - [[今東光]]、[[小説家]]、政治家(* [[1898年]]) * [[1978年]] - [[高畑誠一]]、実業家、[[双日|日商]]創業者(* [[1887年]]) * [[1982年]] - [[サミュエル・バーロウ]]、作曲家(* [[1892年]]) * [[1984年]] - [[保富康午]]、[[作詞家]](* [[1930年]]) * [[1985年]] - [[イタロ・カルヴィーノ]]、小説家(* [[1923年]]) * 1985年 - [[井上ひろし]]、歌手(* [[1941年]]) * [[1987年]] - アイナル・ゲルハルドセン ([[:en:Einar Gerhardsen|Einar Gerhardsen]])、政治家、ノルウェー首相(* [[1897年]]) * [[1990年]] - [[ハーミズ・パン]]、[[振付師]](* [[1909年]]) * [[1993年]] - [[潮健児]]、[[俳優]](* [[1925年]]) * 1993年 - [[淀かほる]]、女優(* [[1930年]]) * [[1994年]] - [[木村庄之助 (23代)]]、大相撲の立行司(* [[1897年]]) * 1994年 - [[細野武男]]、[[法学者]](* [[1912年]]) * [[1995年]] - [[ルドルフ・パイエルス]]、物理学者(* [[1907年]]) * 1995年 - [[大西鐡之祐]]、[[ラグビーユニオン]]指導者(* [[1916年]]) * [[2003年]] - [[河原崎長一郎]]、俳優(* [[1939年]]) * 2003年 - [[アルフレート・グリスラフスキ]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](* [[1919年]]) * [[2004年]] - [[アーパッド・ボクシュ]]、[[国際公務員]]、[[世界知的所有権機関]]事務局長(* [[1919年]]) * 2004年 - [[スキータ・デイヴィス]]、歌手(* [[1931年]]) * 2004年 - {{仮リンク|エディー・アダムス|en|Eddie Adams (photographer)|Eddie Adams}}、報道写真家(* [[1933年]]) * [[2005年]] - [[後藤田正晴]]、政治家(* [[1914年]]) * 2005年 - [[中内㓛]]、実業家、[[ダイエー]]創業者(* [[1922年]]) * [[2008年]] - [[市川準]]、[[映画監督]](* [[1948年]]) * [[2009年]] - [[ヴィッリー・ブレインホルスト]]、作家、脚本家(* [[1918年]]) * [[2013年]] - [[山内溥]]、[[任天堂]]相談役(* [[1927年]]) * 2013年 - [[山本草二]]、国際法学者(* [[1928年]]) * [[2015年]] - [[塩川正十郎]]、政治家(* [[1921年]]) * 2015年 - [[ゴーマン美智子]]、[[マラソン]]選手(* [[1935年]]) * 2015年 - [[黒木奈々]]、アナウンサー(* [[1982年]]) * [[2016年]] - [[松木ひろし]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1713013.html |title=「池中玄太80キロ」脚本家の松木ひろしさん死去 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=20 Sep 2016}}</ref>、[[脚本家]](* [[1928年]]) * [[2020年]] - [[守屋浩]]<ref name="sponichi">{{Cite web|和書|title=「僕は泣いちっち」の守屋浩さん 前立腺がんで死去 81歳 引退後は榊原郁恵ら発掘 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/23/kiji/20200923s00041000013000c.html |website=Sponichi Annex |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=23 Sep 2020}}</ref>、歌手(* [[1938年]]) * 2020年 - [[斎藤洋介]]<ref>{{Cite web|和書|title=斎藤洋介さん急逝 体調急変、救急搬送も 所属事務所「急なことで、実感わかない」 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/20/kiji/20200920s00041000129000c.html |website=Sponichi Annex |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2020/09/20/0013712363.shtml |title=斎藤洋介さん死去 亡くなる前日には来年の仕事の話もしていた |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=20 Sep 2020}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20200920-JVDRSGUVI5LHVIXEITJZJOV47Q/ |title=名脇役の斎藤洋介さんが死去 69歳、人知れずがんで闘病 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[産経デジタル|SANKEI DIGITAL INC.]] |date=20 Sep 2020 |website=[[サンケイスポーツ]]}}</ref>、俳優(* [[1951年]]) == 記念日・年中行事 == * 秋の[[社日]]({{JPN}}、このころ)※[[秋分]]に最も近い[[戊]]の日 * [[敬老の日]]({{JPN}}、[[2005年]]、[[2011年]]・[[2016年]]・[[2022年]])※9月第3月曜日 * [[名字|苗字]]の日({{JPN}}) *: 明治3年旧暦[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]([[1870年]][[10月13日]])、新政府が、四民平等の社会を実現するため[[太政官布告]]第608号「平民苗字許可令」により[[平民]]も苗字を名乗ることを許可したことを記念する<ref name=":1" />。 * [[独立記念日]]({{KNA}}) *: [[1983年]]のこの日、セントクリストファー・ネイビスが[[イギリス]]から独立した。 * 九十九島の日({{JPN}}) *:[[1999年]]に[[長崎県]][[佐世保市]]が制定。大小208の島々からなる風光明媚な九十九島の魅力を国内外に向けて発信していくことが目的。日付は9と19で「く(9)じゅうく(19)」と読む語呂合わせから。 * 育休を考える日({{JPN}}) *:積水ハウス株式会社が制定。記念日を通して多くの人に男性の育休について考えるきっかけにしてもらうのが目的。日付は9と19を入れ替えた19と9で「育(19)休(9)」の語呂合わせから。 * クイックルの日({{JPN}}) *:花王株式会社が制定。クイックルを使って、家族みんなで住まいをきれいにしてもらいたいという同社の想いが込められている。日付は「ク(9)イ(1)ックル(9)」と読む語呂合わせから。 * 遺品整理の日({{JPN}}) *:株式会社アヴァックが制定。秋のお彼岸である9月に祖先を供養するとともに、故人の遺品も整理して、新たな一歩を踏み出すきっかけにして欲しいとの願いから。日付は遺品の整理をすぐ(クイック=9.19)にするという意味から。 * 糸瓜忌({{JPN}}) *:[[正岡子規]]の命日。絶筆となった「絲瓜咲て痰のつまりし仏かな」など三句に詠まれた「糸瓜(へちま)」を忌日名とする<ref>{{Kotobank|糸瓜忌}}</ref>。 * 9.19 いけんの日(平和への思いを忘れない日) ({{JPN}}) *:2015年9月19日、参議院本会議で安全保障関連法案が賛成多数で可決。自衛隊の海外での武力行使につながる法案の内容は憲法違反ではないかとの声がある中での採決に「この法律は日本の未来にとって大きな転換点になると思われることから、忘れないように記念日として伝えていけないか」との声を受け、審議を重ねた末に「9.19いけんの日」と選定。「いけんの日」の「いけん」は、法案を「違憲」とする声が多数あること、一人ひとりが自分の「意見」を持つことの大切さ、そして、法案に賛成の人も反対の人も自分の考えとは異なる「異見」を聞くことの意義などを表現している。 *流鏑馬神事({{JPN}}) *:[[神奈川県]]の[[寒川神社]]で、9月20日に齋行される例祭の前日、御本殿西側馬場で流鏑馬神事が斎行される。[[鎌倉時代]]から行われている神事で、天下泰平と五穀豊穣を祈念し、武田流大日本弓馬会によって奉納される<ref>{{Cite web|和書|url=https://samukawajinjya.jp/festival/yabusameshinji.html |title=流鏑馬神事 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=八方除 寒川神社}}</ref>。 * [[陸軍記念日]]({{CHI}}) * [[世界海賊口調日]] *: [[海賊]]口調で喋る日。 *防災の日({{MEX}}) *:1985年のメキシコ地震、2017年の[[メキシコ中部地震]]が共にこの日に起きたため。当日は防災訓練が全国で行われる。2022年には訓練終了直後に3度目の地震(メキシコ西部地震)が発生した。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0919|date=Sep 2023}} * 年不明 - 日曜日、午後にジェイムズ・シェパード[[医師]]がアクロイド家の小間使いアーシュラ・ボーンの前の勤め先、マービイ[[農場]]のフォリオット家を訪れる。(小説『[[アクロイド殺し]]』第11章) * 年不明 - 「[[学園都市 (とある魔術の禁書目録)#行事|大覇星祭]]」開幕日(- [[9月25日|25日]])。(小説・アニメ『[[とある魔術の禁書目録]]』) * 年不明 - 「山ねこ」から「かねた一郎」へ「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。」と書かれた9月19日付の[[はがき]]が届いて物語が始まる。(童話・[[宮沢賢治]]著:『[[どんぐりと山猫]]』) * [[1966年]] - [[スヌーピー]]の犬小屋が全焼し、飾ってあった[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]の絵画が焼失する。(漫画『[[ピーナッツ (漫画)|ピーナッツ]]』) * 2003年 - ユージア大陸極東部の島国・ノースポイントに置かれていたISAF(独立国家連合軍)総司令部を目標として、[[エルジア王国|エルジア共和国]]軍の[[Tu-95 (航空機)|Tu-95]]爆撃機部隊が空爆作戦を開始。しかしISAFによって爆撃機部隊はニューフィールド島上空で全機撃墜される(ゲーム『[[エースコンバット04 シャッタードスカイ]]』) * [[2005年]] - ISAF軍の攻勢によりエルジア共和国首都ファーバンティが陥落。エルジアが降伏勧告を受諾し、[[大陸戦争 (ACE COMBAT) |大陸戦争]]が終結する。(ゲーム『エースコンバット04 シャッタードスカイ』) * [[2009年]] - 渋谷ニュージェネレーションの狂気の第二の事件「[[男性の妊娠|妊娠男]]」と呼ばれる殺人事件が発生。(ゲーム・アニメ『[[CHAOS;HEAD]]』) * [[2010年]] - アナザーオーズ誕生の影響により仮面ライダーオーズの存在と歴史が消滅する。(特撮『[[仮面ライダージオウ]]』) * [[2019年]] - オーシア軍による[[エルジア王国]]首都ファーバンティ攻略作戦が決行される。なお、同時刻にエルジア軍にハッキングされた友軍衛星の破壊作戦も[[衛星攻撃兵器|対衛星ミサイル]]によって実施されたが、同時刻にエルジア軍も同じ対衛星ミサイルを使用したオーシア軍軍事衛星の破壊作戦を実施し、これらによって[[ケスラーシンドローム]]が発生し通信衛星網が崩壊する(ゲーム『[[エースコンバット7 スカイズ・アンノウン]]』) * 新暦0075年 - 「聖王のゆりかご」浮上、各地での激しい戦いの末に「ジェイル・スカリエッティ事件」が終結する。(アニメ『[[魔法少女リリカルなのはStrikerS]]』) === 誕生日(フィクション) === * 1979年 - [[ハーマイオニー・グレンジャー]](Hermione Granger)、小説[[ハリー・ポッターシリーズ|『ハリー・ポッター』シリーズ]]に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://warnerbros.co.jp/franchise/wizardingworld/special/characters/hermione-granger.html |title=ハーマイオニー・グレンジャー |access-date=18 Sep 2023 |publisher=Warner Bros. Japan}}</ref> * 生年不明 - 桜木花織、ゲーム『[[雪割りの花]]』のヒロイン<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sugar-rockets.co.jp/yarudora/yuki/yuki_contents/kaori_1.htm |title=桜木花織 キャラクター設定 |publisher=[[シュガーアンドロケッツ]] |accessdate=18 Sep 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010428141450/http://www.sugar-rockets.co.jp/yarudora/yuki/yuki_contents/kaori_1.htm |archivedate=28 Apr 2001}}</ref> * 生年不明 - アルベルト・ハインリヒ(サイボーグ004)、漫画・アニメ『[[サイボーグ009]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ishimoripro|1439242821643481088}}</ref> * 生年不明 - 乙女座(バルゴ)のシャカ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=34 |title=乙女座(バルゴ)のシャカ |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[車田正美]] |website=MUSEUM 聖闘士博物館 |work=『聖闘士星矢』}}</ref> * 生年不明 - クリーク、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Don_Krieg.html |title=クリーク |work=『ONE PIECE』 |accessdate=18 Sep 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 長門、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|644902577339928576}}</ref> * 生年不明 - 綾瀬川弓親、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|date=2006-02-03|title=BLEACH―ブリーチ― OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|page=117|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088740799}}</ref> * 生年不明 - 屁怒絽、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 新田、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#柳沢芹|柳沢芹]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=第24巻|page=150|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - 加賀美倫、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1306972530364895233}}</ref> * 生年不明 - ハウザー、漫画・アニメ『[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://2nd.7-taizai.net/news/?id=40173 |title=HAPPY BIRTHDAY TO ハウザー!! |accessdate=18 Sep 2023 |publisher=[[鈴木央]]・[[講談社]]「七つの大罪 戒めの復活」製作委員会・[[毎日放送|MBS]] |date=19 Jun 2016}}</ref> * 生年不明 - 真柴迅、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|date=2008-05-01|title=おおきく振りかぶって|page=53|publisher=[[主婦と生活社]]|series=生活シリーズ―PASH!アニメーションファイル|isbn=978-4391626438}}</ref> * 生年不明 - 高橋世田介、漫画・アニメ『[[ブルーピリオド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|blueperiod_pr|1439243061486260225}}</ref> * 生年不明 - 宇治松千夜、漫画・アニメ『[[ご注文はうさぎですか?]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=koi|authorlink=koi|date=2014-05-27|title=「ご注文はうさぎですか?」画集 Cafe du Lapin|page=18|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムKRコミックス]]|isbn=978-4832244481}}</ref> * 生年不明 - 秋野桜(コスモス)、小説・漫画・アニメ『[[俺を好きなのはお前だけかよ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|oresuki_anime|1174611553976324098}}</ref> * 生年不明 - 祖師谷みやま、アニメ『[[アキハバラ電脳組]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - イワン・カレリン、アニメ『[[TIGER & BUNNY]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tigerandbunny.net/TB2/character/people.php?id=6 |title=イワン・カレリン |access-date=18 Sep 2023 |publisher=BNP/T&B2 PARTNERS |work=『TIGER & BUNNY2』}}</ref> * 生年不明 - 村雨紫苑、読者参加企画・アニメ『[[セラフィムコール]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Twitter status|sunriseworld_pr|1439439103104372739}}</ref> * 生年不明 - 村雨桜、読者参加企画・アニメ『セラフィムコール』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 千草初、読者参加企画『[[双恋]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 千草恋、読者参加企画『双恋』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ラブライブ!サンシャイン!!#桜内梨子|桜内梨子]]、メディアミックス『[[ラブライブ!サンシャイン!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/uranohoshi/member.php |title=メンバー紹介 桜内 梨子 |publisher=プロジェクトラブライブ!サンシャイン!! |accessdate=18 Sep 2023 |work=『ラブライブ!サンシャイン!!』}}</ref> * 生年不明 - リコ、漫画・アニメ・ゲーム『[[幻日のヨハネ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://yohane.net/character/#09 |title=幻日のヨハネ:キャラクター一覧の「リコ」の項目 |access-date=18 Sep 2023 |publisher=PROJECT YOHANE |work=『幻日のヨハネ』}}</ref> * 生年不明 - エミリー・オレンジ、メディアミックス『[[神田川JET GIRLS|神田川 JET GIRLS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://kjganime.com/character.html |title=CALIFORNIA COAST エミリー・オレンジ |work=『神田川 JET GIRLS』 |accessdate=18 Sep 2023 |publisher=KJG PARTNERS}}</ref> * 生年不明 - 遠坂圭吾、ゲーム・アニメ『[[高機動幻想ガンパレード・マーチ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - エリナ・デア=フォーゲルヴァイデ、ゲーム・漫画・アニメ『[[ゴッドイーター|GOD EATER]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アナスタシア、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref> {{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/20009?birth_month=&birth_place=&keyword=アナスタシア&order_direction=1&order_type=1 |title=アナスタシア(あなすたしあ) |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate=18 Sep 2023 |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - キャシー・グラハム、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20051 |title=キャシー・グラハム(きゃしーぐらはむ) |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ジェダ・ダイヤモンド、ゲーム・映画『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://t7s.jp/character/chara/25.html |title=ジェダ・ダイヤモンド |access-date=18 Sep 2023 |publisher=[[DONUTS (企業)|DONUTS]] |work=『Tokyo 7th シスターズ』}}</ref> * 生年不明 - ティエラ先生、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/tierra.html |title=ティエラ先生 |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=18 Sep 2023 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]]}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|19 September}} {{新暦365日|9|18|9|20|[[8月19日]]|[[10月19日]]|[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]|0919|9|19}} {{1年の月と日}}
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7月5日
7月5日(しちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から186日目(閏年では187日目)にあたり、年末まであと179日ある。
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7月5日(しちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から186日目(閏年では187日目)にあたり、年末まであと179日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月5日'''(しちがついつか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から186日目([[閏年]]では187日目)にあたり、年末まであと179日ある。 == できごと == [[ファイル:Napoleon_Wagram.jpg|thumb|[[オーストリア戦役 (1809年)|オーストリア戦役]]、[[ヴァグラムの戦い]](1809)]] [[ファイル:Chippewa.jpg|thumb|[[米英戦争]]、[[チッパワの戦い]](1814)]] [[ファイル:National_Labor_Relations_Act2.jpg|thumb|アメリカ合衆国の[[全国労働関係法]]制定(1935)]] [[ファイル:Spam 2.jpg|thumb|[[スパム]]命名(1937)]] [[ファイル:Osan_Bazooka_Team.jpg|thumb|[[朝鮮戦争]]、[[烏山の戦い]](1950)。北朝鮮軍と米軍の最初の本格的戦闘]] {{multiple image | footer = 世界初の[[哺乳類]]の体細胞[[クローン]]、羊の[[ドリー (羊)|ドリー]](1996-2003)「誕生」(ドリーの剥製とドリーのできるまで) | image1 = Dollyscotland_(crop).jpg | width1 = 160 | alt1 = ドリーの剥製 | image2 = Dolly_clone.svg | width2 = 100 | alt2 = ドリーのできるまで }} [[File:July 2009 Ürümqi riots - VOA.ogv|thumb|[[2009年ウイグル騒乱]]。画像は6日の[[VOA]]報道]] * [[1610年]] - {{仮リンク|ジョン・ガイ (商人)|en|John Guy (governor)|label=ジョン・ガイ}}が39人の入植者と共に[[ニューファンドランド島]]へ向けて[[ブリストル]]を出航。 * [[1687年]] - [[アイザック・ニュートン]]の『[[自然哲学の数学的諸原理]]』(プリンキピア)が刊行。 * [[1809年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[ヴァグラムの戦い]] * [[1811年]] - [[ベネズエラ]]が[[スペイン]]からの[[独立]]を宣言。1821年に承認される。 * [[1814年]] - [[米英戦争]]: [[チッパワの戦い]]。 * [[1861年]]([[文久]]元年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]) - [[東禅寺事件#第一次東禅寺事件|第一次東禅寺事件]]。 * [[1863年]](文久3年[[5月20日 (旧暦)|5月20日]]) - [[朔平門外の変]]。[[尊王攘夷]]を唱える[[公家]][[姉小路公知]]が、[[京都御所|禁裏]]朔平門外の[[猿ヶ辻]]で[[暗殺]]される。(猿ヶ辻の変ともいう。) * [[1865年]] - [[ウィリアム・ブース]]がキリスト教伝道会(後の[[救世軍]])を創設<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/salvation-army-founded |title=1865 July 05 Salvation Army founded |publisher=A MAVEN CHANNEL |accessdate=2023-02-12 |language=En}}</ref>。 * [[1884年]] - [[カメルーン]]全土が[[ドイツ帝国|ドイツ]]の勢力下に置かれる<ref>{{Cite web |url=https://www.onthisday.com/date/1884/july |title=What Happened in July 1884(Jul 5 German consul-general Gustav Nachtigal takes possession of Cameroon) |publisher=On This Day.com |accessdate=2023-02-12 |language=En}}</ref>。 * [[1886年]] - [[東京電燈]]会社が開業。 * [[1935年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]で労働者の[[団結権]]・[[団体交渉権]]を保証する「[[全国労働関係法]]」(ワグナー法)が施行<ref>{{Cite web |url=https://www.fdrlibrary.org/wagner-act |title="A Better Relationship Between Management and Labor" |access-date=12 Feb 2023 |publisher=Franklin D. Roosevelt Library & Museum |language=En}}</ref>。 * [[1936年]] - [[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍法会議]]が[[磯部浅一]]ら[[二・二六事件]]の軍関係者17人に[[死刑]]判決。 * [[1937年]] - アメリカのホーメルフーズが[[ランチョンミート]]の缶詰を[[スパム|SPAM]]の名称で販売開始。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[イギリス]]と[[フランス]]の[[ヴィシー政権]]が国交断絶。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[クルスクの戦い]]始まる。[[8月27日]]まで。 * [[1946年]] - [[ルイ・レアール]]が「世界一小さな[[水着]]」[[ビキニ (水着)|ビキニ]]を発表。 * [[1947年]] - [[戦災孤児]]たちの共同生活を描いた[[ラジオドラマ]]『[[鐘の鳴る丘]]』が[[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ]]にて放送開始。[[1950年]][[12月29日]]まで約3年半にわたって放送された。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: [[烏山の戦い]]。 * 1950年 - 萬代屋(現在の[[バンダイ]])設立。 * [[1955年]] - 法制審議会民法部会、選択的[[夫婦別姓]]を認める案を論議。 * [[1958年]] - 世界第11位の高峰[[ガッシャーブルムI峰]]がアメリカのニコラス・クリンチ隊により初登頂。 * [[1960年]] - [[コンゴ民主共和国|コンゴ共和国]](コンゴ・レオポルドヴィル)で兵士による反乱が開始される([[コンゴ動乱]]の勃発)<ref>{{Cite book|author=Didier Gondola|title=The History of Congo|publisher=Greenwood|page=118|language=英語|isbn=978-0313316968}}</ref>。 * [[1962年]] - [[アルジェリア]]が[[フランス]]より独立。 * [[1966年]] - [[インドネシア]]の[[スカルノ]]が終身大統領の称号を剥奪される。[[スハルト]]陸相が大統領代行に指名される<ref>{{Cite web|和書|url=https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14340&query=&class=&d=all&page=431 |title=(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12) |publisher=渋沢社史データベース |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * [[1970年]] - [[エア・カナダ621便墜落事故]]。109人全員死亡。 * [[1972年]] - 荒井由実(後の[[松任谷由実]])がシングル『[[返事はいらない|返事はいらない/空と海の輝きに向けて]]』でデビュー<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/65208 |title=松任谷由実、デビュー記念日の本日7月5日から代表曲ライブ映像22曲をGYAO!で一挙配信 |publisher=billboard JAPAN |date=2018-07-05 |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * 1972年 - [[高知県]][[土佐山田町]][[繁藤駅]]構内を含む一帯で[[地すべり]]性崩壊が発生([[昭和47年7月豪雨]]に含まれる[[繁藤災害]])。救助中に発生した[[二次災害]]による被害も含め、死者60人<ref>{{Cite web|和書|url=https://isabou.net/knowhow/colum-rekishi/colum54.asp |title=歴史的大規模土砂災害地点を歩く コラム54 昭和47年(1972)の高知県繁藤災害 |publisher=土木情報サービス いさぼうネット |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * [[1973年]] - [[ジュベナール・ハビャリマナ]]が[[ルワンダ]]の第3代大統領に就任。 * [[1975年]] - [[カーボベルデ]]が[[ポルトガル]]より独立。 * [[1976年]] - [[ブロッカー軍団IVマシーンブラスター]]放送開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nippon-animation.co.jp/work/1015/ |title=ブロッカー軍団 マシーンブラスター |publisher=NIPPON ANIMATION CO. |accessdate=2023-02-12 |work=『ブロッカー軍団IVマシーンブラスター』}}</ref>。 * [[1977年]] - [[パキスタン]]で[[ムハンマド・ジア=ウル=ハク]]将軍が[[クーデター]]を起こし、[[ズルフィカール・アリー・ブットー]]首相ら閣僚を逮捕。 * [[1978年]] - [[農林省 (日本)|農林省]]を[[農林水産省]]に改称。 * [[1986年]] - [[道路交通法]]改正。[[原動機付自転車]]に[[ヘルメット (オートバイ)|ヘルメット]]着用を義務づけ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202006/0013454308.shtml |title=道交法誕生から60年 車社会化映し混乱やブーム巻き起こす |publisher=[[神戸新聞]] |date=2020-06-25 |accessdate=2023-02-12 |website=神戸新聞NEXT}}</ref>。 * [[1995年]] - [[アルメニア]]でソ連からの独立より4年目で憲法を採択。 * [[1996年]] - [[スコットランド]]で世界初の[[哺乳類]]の[[体細胞]][[クローン]]である[[ヒツジ|羊]]「[[ドリー (羊)|ドリー]]」が生まれる。 * [[1998年]] - 香港・[[啓徳空港]]が閉港。1925年に開港そして運用以来、73年の歴史に幕が閉じられる。 * [[2003年]] - [[世界保健機関|世界保健機関 (WHO)]]が[[重症急性呼吸器症候群|SARS]]の制圧宣言を出す<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/414-sars-intro.html |title=SARS(重症急性呼吸器症候群)とは(IDWR 2005年第6号) |publisher=NIID 国立感染症研究所 |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * 2003年 - [[モスクワ]]郊外の[[コンサート]]会場で[[チェチェン共和国|チェチェン]]独立派[[テロリスト]]による爆破[[テロ]]事件発生。15人が死亡<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-09-05/06_01.html |title=命奪うテロは許されない チェチェン 抑圧と支配の歴史 |publisher=[[しんぶん赤旗]] 日本共産党中央委員会 |date=2004-09-05 |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * [[2005年]] - [[郵政国会]]: [[郵政民営化法|郵政民営化関連法案]]が[[衆議院]]本会議で可決され[[参議院]]へ送られる。51人の[[自由民主党 (日本)|自民党]]議員が造反。 * [[2006年]] - [[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|北朝鮮によるミサイル発射実験]]。[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]から[[日本海]]に向けて[[テポドン2号]]、[[ノドン]]、[[スカッド]]とみられる[[ミサイル]]が午前3時過ぎから午後5時過ぎの間にかけて計7発が発射される。 * [[2008年]] - [[東海北陸自動車道]]全線開通。 * [[2009年]] - [[2009年ウイグル騒乱]]。[[中華人民共和国]][[新疆ウイグル自治区]][[ウルムチ市]]で[[ウイグル人]]住民が[[漢族]]住民・武装警察と衝突。 * [[2011年]] - [[松本龍 (政治家)|松本龍]]が、舌禍騒動の末[[内閣府特命担当大臣(防災担当)|防災]]兼[[復興大臣]]を辞任<ref>{{Cite web|和書|date=2011-07-05 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0500M_V00C11A7000000/ |title=松本復興相、就任9日目で辞任 |publisher=[[日本経済新聞社]] |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * [[2016年]] - 第2回[[世界メディアサミット]]が[[モスクワ]]で開催。 * [[2017年]] - [[平成29年台風第3号|台風3号]]および熱帯低気圧・梅雨前線の影響で、6日にかけて九州北部で記録的な集中豪雨。河川の氾濫などで32人が犠牲となる([[平成29年7月九州北部豪雨]])<ref>{{Cite press release|和書|title=平成29年7月5日から6日に九州北部地方で発生した豪雨の命名について|publisher=[[気象庁]]|date=2017-07-19|url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1707/19a/20170719_gouumeimei.pdf|format=PDF|accessdate=2023-02-12}}</ref>。 == 誕生日 == [[Image:Rhodes.Africa.jpg|thumb|100px|「[[アフリカ]]のナポレオン」、政治家[[セシル・ローズ]](1853-1902)]] [[Image:Zetkin_luxemburg1910.jpg|thumb|100px|「[[女性解放運動]]の母」、政治家[[クララ・ツェトキン]](左; 1857-1933)]] [[Image:Modigliani%2C_Amedeo_%281884-1920%29_-_Ritratto_di_Jean_Cocteau_%281889-1963%29_-_1916.jpg|thumb|upright|詩人・芸術家、[[ジャン・コクトー]](1889-1963)。画像は[[アメデオ・モディリアーニ|モディリアーニ]]画(1916)。{{Squote|詩人は[[未来]]を思い出す。――『知られざる者の日記』(1953)}}]] [[Image:Ernst_Mayr_PLoS.jpg|thumb|100px|進化生物学者[[エルンスト・マイヤー]](1904-2005)]] {{multiple image | footer = [[フランス第五共和政]]第2代大統領、[[ジョルジュ・ポンピドゥ]](1911-1974)誕生。右画像は[[ポンピドゥー・センター]] | image1 = Georges_Pompidou_-_Bundesarchiv_B_145_Bild-F020538-0006.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジョルジュ・ポンピドゥ | image2 = CentrePompidou.jpg | width2 = 140 | alt2 = ポンピドゥー・センター }} [[Image:Gerard_%27t_Hooft.jpg|thumb|100px|[[理論物理学]]者[[ゲラルド・トフーフト]](1946-)。[[電弱相互作用]]の量子構造を解明]] [[Image:Kyushu Shinkansen 800 series Shin-Minamata 20041123.jpg|thumb|upright|インダストリアルデザイナー、[[水戸岡鋭治]](1947-)誕生。画像は九州新幹線800系電車]] [[Image:Shohei_Ohtani_(52251755266)_(cropped).jpg|thumb|221x221px|[[メジャーリーガー]]、[[大谷翔平]](1994-)。二刀流で世界の野球ファンを魅了]] * [[1321年]] - [[ジョーン・オブ・ザ・タワー]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王妃(+ [[1362年]]) * [[1711年]]([[正徳 (日本)|正徳]]元年[[5月20日 (旧暦)|5月20日]]) - [[松平頼恭]]、[[讃岐国]][[高松藩]]5代藩主(+ [[1771年]]) * [[1755年]] - [[サラ・シドンズ]]、[[俳優|女優]](+ [[1831年]]) * [[1782年]]([[寛政]]2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[会沢正志斎]]、[[水戸藩|水戸藩士]]、[[儒学者]]、[[経世論|経世家]](+ [[1863年]]) * [[1790年]]([[寛政]]2年[[5月23日 (旧暦)|5月23日]]) - [[徳大寺実堅]]、[[公卿]](+ [[1858年]]) * [[1793年]] - [[パーヴェル・ペステリ]]、[[デカブリストの乱]]指導者(+ [[1826年]]) * [[1795年]] - [[エルンスト・ハンプ]]、 ドイツの[[薬剤師]]、植物学者 (+ [[1880年]]) * [[1805年]] - [[ロバート・フィッツロイ]]、[[軍人]](+ [[1865年]]) * [[1810年]] - [[P・T・バーナム]]、興行師(+ [[1891年]]) * [[1820年]] - [[ウィリアム・ランキン]]、[[物理学者]]、工学者(+ [[1872年]]) * [[1824年]]([[文政]]7年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[本木昌造]]、[[通詞]]、日本の活版印刷の創始者(+ [[1875年]]) * [[1847年]]([[弘化]]4年[[5月23日 (旧暦)|5月23日]]) - [[戸田忠恕]]、[[下野国]][[宇都宮藩]]8代藩主(+ [[1868年]]) * [[1853年]] - [[セシル・ローズ]]、[[政治家]](+ [[1902年]]) * [[1857年]] - [[クララ・ツェトキン]]、[[フェミニズム]]運動家、政治家(+ [[1933年]]) * [[1879年]] - [[ドワイト・フィリー・デイヴィス]]、第49代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1945年]]) * 1879年 - [[ワンダ・ランドフスカ]]、[[チェンバロ]]奏者、[[ピアニスト]](+ [[1959年]]) * 1879年 - [[フィリップ・ゴーベール]]、[[音楽家]](+ [[1941年]]) * [[1880年]] - [[ヤン・クベリーク]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1940年]]) * [[1884年]] - [[清瀬一郎]]、政治家(+ [[1967年]]) * [[1885年]] - [[アンドレ・ロート]]、[[画家]](+ [[1962年]]) * [[1889年]] - [[ジャン・コクトー]]、作家、[[詩人]](+ [[1963年]]) * [[1891年]] - [[ジョン・ノースロップ]]、[[生化学者]](+ [[1987年]]) * [[1894年]] - [[大屋晋三]]、政治家、[[実業家]](+ [[1980年]]) * [[1899年]] - [[マルセル・アシャール]]、劇作家 (+ [[1974年]]) * [[1900年]] - [[山階芳麿]]、鳥類学者(+ [[1989年]]) * 1900年 - [[小田嶽夫]]、[[小説家]](+ [[1979年]]) * [[1902年]] - [[三品彰英]], [[歴史学者]](+ [[1971年]]) * [[1904年]] - [[エルンスト・マイヤー]]、[[生物学者]](+ [[2005年]]) * [[1907年]] - [[エセル・スミス]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1979年]]) * [[1909年]] - [[ハンス・ヴェーア]]、[[アラブ]][[研究者]](+ [[1981年]]) * [[1910年]] - [[ロバート・キング・マートン]]、[[社会学者]](+ [[2003年]]) * [[1911年]] - [[ジョルジュ・ポンピドゥー]]、[[フランスの大統領|フランス大統領]](+ [[1974年]]) * [[1915年]] - [[島田洋之介]]、[[漫才師]](+ [[1985年]]) * 1915年 - [[ジョン・ウッドラフ]]、陸上競技選手(+ [[2007年]]) * [[1924年]] - [[ヤーノシュ・シュタルケル]]、[[チェリスト]](+ [[2013年]]) * [[1928年]] - [[ウォーレン・オーツ]]、[[俳優]](+ [[1982年]]) * 1928年 - [[ユリス・ハルトマニス]]<ref>{{Cite web |title=Juris Hartmanis - A.M. 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[[ポール・スミス]]、[[ファッションデザイナー]] * 1946年 - [[ゲラルド・トフーフト]]、[[物理学者]] * [[1947年]] - [[水戸岡鋭治]]、[[工業デザイナー]]、[[イラストレーター]] * 1947年 - [[谷口節]]、声優(+ [[2012年]]) * 1947年 - [[ソニー・ラブ=タンシ]]、[[作家]](+ [[1995年]]) * [[1948年]] - [[内藤久]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[本川貢]]、アマチュア野球指導者 * [[1949年]] - [[川藤幸三]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[富田達夫]]、技術者、経営者 * 1949年 - [[長野哲]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[ヒューイ・ルイス]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1951年]] - [[藤圭子]]、[[歌手]](+ [[2013年]]) * 1951年 - [[リッチ・ゴセージ]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[武田信二]]、実業家 * [[1953年]] - [[三ッ林隆志]]、政治家 * [[1956年]] - [[リック・ランセロッティ|リチャード・ランセロッティ]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[ジェームス・ティリス]]、プロボクサー * 1957年 - [[ラファエル・アルトゥニアン]]、[[フィギュアスケート]]コーチ * [[1958年]] - [[松井計]]、[[作家]] * 1958年 - [[寺瀬今日子]]、声優 * [[1959年]] - [[日比野朱里]]、声優 * 1959年 - [[佐々木卓]]、実業家 * [[1960年]] - [[戸城憲夫]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[ミュージシャン]]、[[ベーシスト]](元[[ZIGGY]]) * 1960年 - [[ロバート・ワーゲンホッファー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1999年]]) * 1960年 - [[マイケル・レセッシー]]、[[調教師]]、競走馬生産者、[[馬主]] * [[1961年]] - [[日渡早紀]]、[[漫画家]] * 1961年 - [[増谷康紀]]、声優 * [[1963年]] - [[水野有平]]、[[作曲家]] * 1963年 - [[寺沢功一]]、ミュージシャン * 1963年 - [[原田賢治]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[吉岡知毅]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[皆川亮二]]、漫画家 * [[1965年]] - [[小西貴雄]]、作曲家、編曲家、キーボード奏者 * 1965年 - [[向山牧]]、[[騎手]] * 1965年 - [[山口裕二]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[ジャンフランコ・ゾラ]]、サッカー選手 * 1966年 - [[江本晃一]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[クラウディア・ウェルズ]]、女優 * [[1967年]] - [[八神ひろき]]、漫画家 * 1967年 - [[弓長起浩]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[幹てつや]]、お笑い芸人 * 1967年 - [[ティム・ウォーレル]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[赤松健]]、漫画家 * 1968年 - [[アレックス・ツェーレ]]、自転車プロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手 * 1968年 - [[アンディ先生]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]] * [[1970年]] - [[三浦昇]]、元政治家 * [[1972年]] - [[阿部茂樹]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[ワッキー]]、お笑い芸人([[ペナルティ (お笑いコンビ)|ペナルティ]]) * [[1973年]] - [[市川展丈]]、声優、[[ナレーター]] * 1973年 - [[小杉竜一]]、お笑い芸人([[ブラックマヨネーズ]]) * [[1974年]] - [[藤井来夏]]、[[アーティスティックスイミング]]選手 * [[1975年]] - [[エルナン・クレスポ]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * 1975年 - [[杉山愛]]、元プロ[[テニス]]選手 * 1975年 - [[越直美]]、政治家、元[[滋賀県]][[大津市]]長 * 1975年 - [[立川祐路]]、[[レーシングドライバー]] * [[1976年]] - [[ショーン・ソニア]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[ヌーノ・ゴメス]]、元サッカー選手 * 1976年 - [[谷口直樹]]、[[アナウンサー]] * [[1977年]] - [[須藤公一]]、[[俳優]] * 1977年 - [[細川桃仁]]、女優 * 1977年 - [[ニコラス・キーファー]]、プロテニス選手 * 1977年 - ゆっきー、お笑い芸人([[キャン×キャン]]) * 1977年 - [[佐藤秀|バラモン・シュウ(佐藤秀)]]、プロレスラー * 1977年 - [[佐藤恵 (プロレスラー)|バラモン・ケイ(佐藤恵)]]、プロレスラー * [[1978年]] - [[The石原]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.watanabepro.co.jp/mypage/40000029/ |title=THE石原 |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[ワタナベエンターテインメント]]}}</ref>、お笑い芸人 * 1978年 - [[曽田雄志]]、元サッカー選手 * 1978年 - [[伊藤雅子]]、元お笑い芸人 * [[1979年]] - [[アメリ・モレスモ]]、プロテニス選手 * 1979年 - [[シェーン・フィラン]]、[[シンガーソングライター]] * [[1980年]] - [[後藤隼平]]、漫画家 * [[1981年]] - [[ジェシー・クレイン]]、プロ野球選手 * [[1982年]] - [[一場靖弘]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[アルベルト・ジラルディーノ]]、元サッカー選手 * 1982年 - [[波形純理]]、テニス選手 * [[1983年]] - [[鄭潔]]、テニス選手 * 1983年 - [[小椋久美子]]、元バドミントン選手 * 1983年 - [[吉田桂子]]、女優 * 1983年 - [[マルコ・エストラーダ]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[坪山奏子]]、アナウンサー * [[1984年]] - [[山田優 (モデル)|山田優]]、女優、[[ファッションモデル]]、タレント * [[1985年]] - 大城公人、俳優、ミュージシャン([[HIROZ]]、[[HIROZ SEVEN+]])(+ [[2015年]]) * 1985年 - [[サミュエル・テトロー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1985年 - [[ミーガン・ラピノー]]、サッカー選手 * 1985年 - [[内野謙太]]、俳優 * 1985年 - [[秋元玲奈]]、アナウンサー * 1985年 - [[野田洋次郎]]、ミュージシャン([[RADWIMPS]]) * [[1986年]] - [[アダム・ヤング]]、ミュージシャン([[アウル・シティー]]) * [[1987年]] - [[江村将也]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[長谷川悠]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[植村祐介]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[アンドレ・リエンゾ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[サミル・ウイカニ]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[唐川侑己]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[阿部浩之]]、サッカー選手 * 1989年 - [[佐藤恵 (声優)|佐藤恵]]、声優 * 1989年 - [[LIZA]]、ファッションモデル * 1989年 - [[ショーン・オプリー]]、ファッションモデル * 1989年 - [[チャーリー・オースティン]]、サッカー選手 * [[1990年]] - [[鈴木ふみ奈]]、[[グラビアアイドル]] * 1990年 - [[伊藤庸介]]、俳優 * 1990年 - [[佐藤永志]]、元サッカー選手 * 1990年 - [[アベバ・アレガウィ]]、陸上競技選手 * 1990年 - [[宋丹]]、槍投げ選手 * [[1991年]] - [[栗原幸信]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1992年]] - [[アルベルト・モレノ・ペレス]]、サッカー選手 * 1992年 - [[佐久間大介]]、アイドル([[Snow Man]]) * [[1993年]] - [[ホルヘ・ポランコ]]、プロ野球選手 * 1993年 - [[たかまつなな]]、お笑いタレント * 1993年 - [[仲根紗央莉]]、タレント * 1993年 - [[日比麻音子]]、アナウンサー * [[1994年]] - [[大谷翔平]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[ロビン・ゴセンス]]、サッカー選手 * [[1995年]] - [[ジョバンニ・シメオネ]]、サッカー選手 * 1995年 - [[上田健太]]、陸上選手 * [[1996年]] - [[アイディン・フルスティッチ]]、サッカー選手 * 1996年 - [[石原壮馬]]、元俳優 * 1996年 - [[紡木吏佐]]、声優 * [[1997年]] - 村雲颯香、[[アイドル]](元[[NGT48]]) * 1997年 - [[ACE COLLECTION#メンバー|RIKU]]、ドラマー ([[ACE COLLECTION]]) * 1997年 - [[本田奎]]、[[将棋棋士]] * [[1999年]] - [[カン・ヘウォン]]、アイドル(元[[IZ*ONE]]) * 1999年 - [[ネイサン・テラ]]、サッカー選手 * 1999年 - 深川舞子、アイドル(元[[HKT48]]) * [[2000年]] - [[岩橋さき]]、歌手(元[[chuLa]]) * [[2001年]] - [[水上桂]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - [[レイモンド愛華]]、ファッションモデル * 2002年 - 岩井明愛、プロゴルファー * 2002年 - [[岩井千怜]]、プロゴルファー * [[2003年]] - [[加藤乃愛]]、YouTube * 生年不明 - [[瑠沢るか]]、漫画家 * 生年不明 - [[伊原正明]]、声優 * 生年不明 - [[里見圭一郎]]、元声優 * 生年不明 - [[錦織めぐみ]]、女優、アイドル(元[[Luce Twinkle Wink☆]]) * 生年不明 - [[雪子 (漫画家)|雪子]]、漫画家 === 人物以外(動物など) === * [[1996年]] - [[ドリー (羊)|ドリー]]、[[クローン]]羊(+ [[2003年]]) * [[2003年]] - 風太、[[千葉市動物公園]]の[[レッサーパンダ]] == 忌日 == {{multiple image | footer = [[村上天皇]](926-967)没。右画像は[[村上帝社]]。{{Squote|逢ふことははつかにみえし月影のおぼろけにやはあはれとも思ふ}} | image1 = Emperor_Murakami.jpg | width1 = 80 | alt1 = 村上天皇 | image2 = Kobe-murakamiteisya.JPG | width2 = 140 | alt2 = 村上帝社 }} {{multiple image | footer = 発明家[[ニセフォール・ニエプス]](1765-1833)没。右画像はニエプス撮影による、(現存する)世界最古の[[写真]](1825) | image1 = Joseph_Nic%C3%A9phore_Ni%C3%A9pce.jpg | width1 = 100 | alt1 = ニセフォール・ニエプス | image2 = Nic%C3%A9phore_Ni%C3%A9pce_Oldest_Photograph_1825.jpg | width2 = 140 | alt2 = 世界最古の写真 }} {{Double image aside|right|Kossel%2C_Albrecht_%281853-1927%29.jpg|120|George_de_Hevesy.jpg|120|医学者[[アルブレヒト・コッセル]](1853-1927)。[[細胞生物学]]、特に[[核酸]]を研究|化学者[[ゲオルク・ド・ヘヴェシー]](1885-1966)。放射性トレーサーを研究}} {{multiple image | footer = [[モダニズム]]建築家、[[ヴァルター・グロピウス]](1883-1969)。右画像は{{仮リンク|グロピウス・ハウス|en|Gropius House}}(1938) | image1 = Walter_Gropius_Foto_1920.jpg | width1 = 80 | alt1 = ヴァルター・グロピウス | image2 = Walter_Gropius_photo_Gropius_house_Lincoln_MA.jpg | width2 = 140 | alt2 = グロピウス・ハウス }} [[Image:Takeo_Fukuda_19761224.jpg|thumb|100px|第67代日本国内閣総理大臣、[[福田赳夫]](1905-1995)]] [[Image:Ted_Williams.jpg|thumb|100px|三冠王を2度獲得した[[メジャーリーグベースボール|大リーガー]]、[[テッド・ウィリアムス]](1918-2002)]] * [[967年]]([[康保]]4年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[村上天皇]]、第62代[[天皇]](* [[926年]]) * [[1647年]]([[正保]]4年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[本多政重]]、[[加賀藩]][[家老]](* [[1580年]]) * [[1744年]]([[延享]]元年5月25日) - [[立花貞俶]]、第5代[[柳河藩|柳河藩主]](* [[1698年]]) * [[1795年]]([[寛政]]7年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]) - [[長谷川宣以]]、[[江戸幕府]]の[[火付盗賊改方]](* [[1745年]]) * [[1833年]] - [[ニセフォール・ニエプス]]、[[発明家]](* [[1765年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[5月20日 (旧暦)|5月20日]]) - [[姉小路公知]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](* [[1839年]]) * [[1906年]] - [[クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル]]、ドイツ軍人(* [[1842年]]) * [[1909年]] - [[フランク・セレー]]、[[メジャーリーグ]]監督(* [[1859年]]) * [[1927年]] - [[アルブレヒト・コッセル]]、[[医学者]](* [[1853年]]) * [[1945年]] - [[ジョン・カーティン]]、第14代[[オーストラリアの首相|オーストラリア連邦首相]] (* [[1885年]]) * [[1947年]] - [[丁黙邨]]、[[中華民国]]の工作機関[[ジェスフィールド76号]]の主任、[[政治家]](* [[1903年]]) * [[1956年]] - [[秦豊吉]]、[[実業家]]、[[演出家]](* [[1892年]]) * [[1962年]] - [[ラインホルト・バルヒェット]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1920年]]) * [[1966年]] - [[ゲオルク・ド・ヘヴェシー]]、[[化学者]](* [[1885年]]) * [[1969年]] - [[ヴァルター・グロピウス]]、[[建築家]](* [[1883年]]) * 1969年 - [[ヴィルヘルム・バックハウス]]、[[ピアニスト]](* [[1884年]]) * 1969年 - [[レオ・マッケリー]]、[[映画監督]](* [[1898年]]) * [[1974年]] - [[務台理作]]、[[哲学|哲学者]](* [[1890年]]) * [[1976年]] - [[アンナ・ヒュブラー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1885年]]) * [[1978年]] - [[水原弘]]、[[歌手]](* [[1935年]]) * [[1985年]] - [[黒沼健]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kuronuma_ke.html |title=歴史が眠る多磨霊園 黒沼健 |publisher=[[多磨霊園]] |date= |accessdate=2023-02-12}}</ref>、[[小説家]](* [[1902年]]) * [[1991年]] - [[中村伸郎]]、[[俳優]](* [[1908年]]) * [[1992年]] - [[近江俊郎]]、歌手、作曲家、映画監督(* [[1918年]]) * [[1995年]] - [[福田赳夫]]、政治家、第67代[[内閣総理大臣]](* [[1905年]]) * [[2000年]] - [[たかもちげん]]、[[漫画家]](* [[1949年]]) * [[2001年]] - [[アーニー・ケイドー]]、歌手(* [[1933年]]) * [[2002年]] - [[テッド・ウィリアムス]]、元プロ野球選手(* [[1918年]]) * 2002年 - [[ケティ・フラド]]、女優(* [[1924年]]) * [[2003年]] - [[桜内義雄]]、政治家、第67代[[衆議院議長]](* [[1912年]]) * [[2004年]] - [[鳥井信一郎]]、[[実業家]](* [[1938年]]) * 2004年 - [[大野木浜市]]、元[[野球選手]](* [[1916年]]) * [[2005年]] - [[山崎善平]]、元[[プロ野球選手]](* [[1926年]]) * [[2006年]] - [[松村彦次郎]]、俳優(* [[1927年]]) * 2006年 - [[ドン・ラッシャー]]、[[ジャズ]][[トロンボーン]]奏者(* [[1923年]]) * 2006年 - [[ケネス・レイ]]、[[実業家]](* [[1942年]]) * [[2008年]] - [[工藤幸雄]]、[[詩人]]、[[翻訳家]](* [[1925年]]) * [[2011年]] - [[和田慎二]]、漫画家(* [[1950年]]) * [[2013年]] - [[ジェームズ・マッコーブレー]]、男性長寿世界第2位だった人物(* [[1901年]]) * [[2014年]] - [[原信太郎]]、[[鉄道模型]]収集家(* [[1919年]]) * [[2015年]] - [[百井盛]]、世界最高齢の男性(* [[1903年]]) * 2015年 - [[南部陽一郎]]、[[理論物理学者]](* [[1921年]]) * [[2020年]] - [[石原健太郎]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61251530X00C20A7CZ8000/ |title=石原健太郎氏が死去 元衆院議員、元参院議員 |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=Jul 7 2020}}</ref>、政治家(* [[1937年]]) * [[2022年]] - [[レニー・フォン・ドーレン]]、俳優(* [[1958年]]) ===人物以外(動物など)=== * [[2022年]] - [[オグリワン]]、[[競走馬]](*[[1992年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Indépendance day-Algeria.jpg|thumb|upright|[[アルジェリア]]の独立記念日]] [[Image:Edokiriko.jpg|thumb|[[江戸切子]]の日]] {{multiple image | footer = [[ビキニ (水着)|ビキニ]]スタイルの日。1946年のこの日にルイ・レアールが発表したのが最初とされるが、古くは[[ローマ帝国]]時代からビキニ様の衣服が存在していた(右) | image1 = Girl_with_red_flowered_bikini.jpg | width1 = 80 | alt1 = ビキニ姿の女性 | image2 = Franti%C5%A1ek_Huf.jpg | width2 = 80 | alt2 = ビキニ姿の男性 | image3 = PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg | width3 = 80 | alt3 = 5世紀のビキニのようなもの }} * [[独立記念日|独立調印記念日]]({{VEN}}) *: [[1811年]]のこの日、ベネズエラが[[スペイン]]から独立した。 * 独立記念日({{DZA}}) *: [[1962年]]のこの日、アルジェリアが[[フランス]]から独立した。 * 独立記念日({{CPV}}) *: [[1975年]]のこの日、カーボベルデが[[ポルトガル]]から独立した。 * [[憲法記念日]]({{ARM}}) *: [[1995年]]のこの日、アルメニア憲法が採択された。 * ツィリルとメトジェイの日({{CZE}}) *: [[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|ツィリル]](キュリロス)と[[メトディオス (スラヴの(亜)使徒)|メトジェイ]](メトディオス)の聖名祝日。 * 在外スロバキア人の日({{SVK}}) *: 「聖キュリロスと聖メトディオスの日」に合わせ、国外在住のスロバキア人移民を賛える日。 * [[江戸切子]]の日({{JPN}}) *: 江戸切子工業協同組合が制定。江戸切子を多くの人に知ってもらうのが目的。10種類ある代表的な江戸切子のカットパターンの中に、魚の卵をモチーフにした「魚子(ななこ)」という文様がある。日付は、この「なな(7)こ(5)」の語呂合せから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=12|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * [[穴子]]の日({{JPN}}) *: 穴子のトップシェアを誇る、大阪に本社を置く株式会社[[グリーンフーズ]]が制定。日付は穴子の旬が夏であり、ビタミンAやカルシウムが豊富で夏バテに効果的であることと、7と5で穴子の「なご」の語呂合わせになることから。 * 名護の日({{JPN}}) *: [[沖縄県]][[名護市]]の「名護の日制定推進ネットワーク会議」が2009年に制定。「ナゴ」の語呂合わせ。 * [[ビキニ (水着)|ビキニスタイル]]の日 *: [[1946年]]のこの日、フランスの[[ルイ・レアール]]がビキニスタイルの水着を発表したことを記念。 *[[農林水産省]]発足記念日 *:[[1978年]]のこの日、「[[農林省 (日本)|農林省]]」が「[[農林水産省]]」と改称されたことを記念。なお、現在も同省の名前は農林水産省のままである。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0705|date=2011年8月3日 (水) 12:51 (UTC)}} * 1917年 - 木曜日、[[第一次世界大戦]]で負傷し[[英国]]へ後送された[[アーサー・ヘイスティングズ]][[大尉]]がスタイルズ荘に到着(小説『[[スタイルズ荘の怪事件]]』第1章<ref group="注">第2章の冒頭に到着は7月5日とある。また7月16日は月曜日ともあるので5日は木曜日、第一次世界大戦中では1917年のこととなる。 </ref>) * 2057年 - [[移住]]で無人となった地球は[[天体衝突|巨大隕石(小惑星)の衝突]]により滅亡し、舞い上がった土砂に太陽光を遮断され氷の惑星となった。(漫画『[[彼方のアストラ]]』) * 年不明 - フジ博士がアフリカのギアナ奥地で新種のポケモン・[[ミュウ]]を発見(ゲーム『[[ポケットモンスター 赤・緑|ポケットモンスター]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1913年]] - アイリス(イリス・シャトーブリアン)、ゲーム『[[サクラ大戦シリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakura-taisen.com/archives/game/psp/chara_iris.html |title=アイリス |access-date=2022-09-13 |publisher=SEGA |work=『サクラ大戦1&2』}}</ref> * [[1988年]] - 雪広あやか、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=赤松健|authorlink=赤松健|date=2003-08-12|title=[[魔法先生ネギま!]]|volume=2巻|page=134|publisher= [[講談社]]|isbn=978-4063632767}}</ref> * 生年不明 - 御神苗優、漫画・アニメ『[[スプリガン (漫画)|スプリガン]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/articles/139370/ |title=『スプリガン』御神苗優の誕生日を半田修平がイラストで祝福! |access-date=2022-09-13 |publisher=電撃オンライン |date=2022-07-05}}</ref> * 生年不明 - 矢口八虎、漫画・アニメ『[[ブルーピリオド]]』の主人公<ref>{{Twitter status|blueperiod_pr|1543973154674147328}}</ref> * 生年不明 - クリス(クリソコーラ)、アニメ『[[ジュエルペット]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/characters/jewelpet/ |title=マジカルグリーン クリス |work=『ジュエルペット』|access-date=2022-09-13 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref> * 生年不明 - 加藤正則、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ブローリン、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ヴェルゴ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/vergo.html |title=ヴェルゴ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=2022-09-13 |publisher=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - カッコウ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2005-04-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=27|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088737348}}</ref> * 生年不明 - 北信介、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=稲荷崎高校 北 信介 |url=https://haikyu.jp/chara/inarizaki/1.html |access-date=2023-02-12 |publisher=[[古舘春一]]/[[集英社]]・「ハイキュー!!」製作委員会・[[毎日放送|MBS]] |work=『ハイキュー!!』}}</ref> * 生年不明 - 一条雪丸、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1543974162057740288}}</ref> * 生年不明 - マーシャ・オブライアン、漫画・アニメ『[[ベイビーステップ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 結城飛鳥、漫画・アニメ『[[Dr.リンにきいてみて!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ボッカ=サングリエ、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009-03-10|title=EREMENTAR GERADアルティメットガイド|series=BLADE COMICS|page=40|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4861276163}}</ref> * 生年不明 - 杉本恭己、漫画・アニメ『[[青い花 (漫画)|青い花]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 穴沢虹海、漫画・アニメ『[[魔法少女サイト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|mgsanime|1014778143071064064}}</ref> * 生年不明 - 姫川エレナ、アニメ『[[ファイ・ブレイン 神のパズル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - マルガレタ・オキーフ、アニメ『[[バディ・コンプレックス]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 萌黄、ゲーム『[[ドリームクラブGogo.]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|year=2014|title=ドリームクラブ Gogo. ビジュアルファンブック|page=30|publisher=[[KADOKAWA]]|ISBN=978-4-04-729693-0}}</ref> * 生年不明 - 佐伯鞠香、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130403_148537/ |title=【ガールフレンド(仮)通信10】癒しの天使 佐伯鞠香ちゃん(CV:伊藤かな恵) |access-date=2022-09-13 |publisher=ファミ通App |date=2013-04-03}}</ref> * 生年不明 - 栗本遥、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/haruka.html |title=栗本遥 CV: 村川 梨衣 |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=2022-09-13 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]]}}</ref> * 生年不明 - 相良吉乃、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/sagara |publisher=Akatsuki Inc.|work=『八月のシンデレラナイン』 |title=相良 吉乃 |accessdate=2022-09-13}}</ref> * 生年不明 - アンナ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1544139026210336768}}</ref> == 7月5日を題材にした作品 == * 7月5日(月食)- [[柴草玲]]の楽曲。[[2003年]]のアルバム「うつせみソナタ」所収。2001年7月5日に観測された部分月食を題材としている。 * 7月5日 - [[渋谷すばる]]の楽曲。[[2022年]]の配信限定シングル表題曲。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 5|5 July}} {{新暦365日|7|4|7|6|[[6月5日]]|[[8月5日]]|[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]|0705|7|05}} {{1年の月と日}}
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レディースコミック
レディースコミックとは、日本における漫画のジャンルの一つ。本来的には20代以上の女性を読者対象として想定する漫画ジャンルで女性漫画のことである。現在の俗語表現としては女性を対象として想定する過激な性描写を含む漫画(成人向け扱いの場合もある)を表す。レディースコミックの略称としてレディコミがある。現在では、レディコミといえば本稿で解説の対象としている過激な性描写を含むものを指し、レディースコミックといえば性描写に力点がおかれていない女性漫画(ヤング・レディースを含む)を指すことが多い。 レディースコミックの元祖は1979年創刊の『Be in LOVE』(講談社)であるとされる。 1981年にはFor Lady(小学館)が創刊されるなど、1980年代前半くらいに、少女漫画の読者層よりも上の年齢を対象とする女性漫画が急拡大してジャンルとして定着した。その中で文芸的に評価される作品も生まれる一方、性描写を主眼とする作品が1980年代後半から現れはじめた。 1980年代のレディースコミックの大半は物語の中で性行為自体は行われていても、具体的な描写は伴わずに前後だけを描いてほのめかすだけのものが多かったが、それまで少女漫画を発行したことのない出版社(女性週刊誌や成人漫画を発行していた出版社が多い)も参入し、大手出版社からの雑誌と差別化するため性描写を激化させた。それにより、男性雑誌がレディースコミックを「過激な性描写を含む女性向けの漫画誌がある」と過剰な取り上げ方をした結果、そのようなイメージを排斥するため大手出版社の雑誌は性描写をなるべく行わない方向に舵をきった反面、性描写を売りにしていた雑誌は積極的にポルノとしての面を強調するようになり、それが現在の(過激な性描写を含む女性向け漫画という意味での)レディコミの流れとなった。 上記の過程で内容が二極化した頃には、表紙が写真のものは性的なもの、漫画家のイラストのものはソフトなものという棲み分けも見られた。そうした過渡期を経て、現在では別個のジャンルとして確立している。女性漫画でも性描写自体はそれほど珍しい物ではないが、男女性器の直接描写の有無によって両者は区別される。 本来は少女漫画の読者層より上の世代の為の女性漫画であったものが、性描写の過激さが行き詰まり、このジャンル自体が早々に閉塞してしまったとされる。なお、大人の女性向け漫画である本ジャンルと少女漫画の間を埋める大人の女性向け少女漫画として、1990年代にヤング・レディースというジャンルが生まれている。 レディコミでは作中の女性人物が、強姦されたり緊縛されるなどマゾヒスティックな立場におかれることが多いが、漫画評論家の藤本由香里によれば「女性が自分から異性を求めるのははしたない」という規範が存在するため、男性に強制されるという形で性行為を描く必要があるという。 また、レディコミ専門の編集プロダクションも存在している。 表紙には実写の写真が使われ、イラストが使われるティーンズラブとは対照的である。モデルとして白人の女性が使われることが多く、これは読者が「生々しさ」をあまり感じなくてすむような効果があるのではないかと指摘されることがある。ただし2000年代に創刊された顔ぶれではイラストが表紙をかざっており、全てがそうだと言えるわけではない。 価格は1990年代は300円程度であったが、ゼロ年代には平均600円前後に高騰している。 1990年代後半には、より若い年代の読者を想定したティーンズラブも流行し、恋愛白書パステル(旧名称はLady's comic Hi)(宙出版)やYoung Love Comic aya(旧名称はLady's comic I)(宙出版)などのように当初レディコミとして発刊されていたものが、ティーンズラブと化して誌名・誌面を改めたものもある。
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レディースコミックとは、日本における漫画のジャンルの一つ。本来的には20代以上の女性を読者対象として想定する漫画ジャンルで女性漫画のことである。現在の俗語表現としては女性を対象として想定する過激な性描写を含む漫画(成人向け扱いの場合もある)を表す。レディースコミックの略称としてレディコミがある。現在では、レディコミといえば本稿で解説の対象としている過激な性描写を含むものを指し、レディースコミックといえば性描写に力点がおかれていない女性漫画(ヤング・レディースを含む)を指すことが多い。
'''レディースコミック'''とは、[[日本の漫画|日本における漫画]]のジャンルの一つ。本来的には20代以上の女性を読者対象として想定する漫画ジャンルで[[女性漫画]]のことである。現在の俗語表現としては女性を対象として想定する過激な性描写を含む漫画(成人向け扱いの場合もある)を表す。レディースコミックの略称として'''レディコミ'''がある。現在では、レディコミといえば本稿で解説の対象としている過激な性描写を含むものを指し、レディースコミックといえば性描写に力点がおかれていない女性漫画([[ヤング・レディース]]を含む)を指すことが多い。<ref name="yokubou">『[[欲望のコード マンガにみるセクシュアリティの男女差]]』106頁。</ref> == 概要 == レディースコミックの元祖は1979年創刊の『[[BE・LOVE|Be in LOVE]]』([[講談社]])であるとされる<ref name="yokubou" />。 1981年には[[ビッグコミックフォアレディ|For Lady]]([[小学館]])が創刊されるなど、[[1980年代]]前半くらいに、[[少女漫画]]の読者層よりも上の年齢を対象とする女性漫画が急拡大してジャンルとして定着した<ref group="注釈">『20世紀少女マンガ天国』(エンターブレイン)によれば、1981年創刊の『[[ビッグコミックフォアレディ]]』([[小学館]])によって一気に広がったとしている。</ref>。その中で文芸的に評価される作品も生まれる一方、性描写を主眼とする作品が1980年代後半から現れはじめた。 1980年代のレディースコミックの大半は物語の中で性行為自体は行われていても、具体的な描写は伴わずに前後だけを描いてほのめかすだけのものが多かったが、それまで少女漫画を発行したことのない出版社([[女性週刊誌]]や[[成人漫画]]を発行していた出版社が多い)も参入し、大手出版社からの雑誌と差別化するため性描写を激化させた。それにより、男性雑誌がレディースコミックを「過激な性描写を含む女性向けの漫画誌がある」と過剰な取り上げ方をした結果、そのようなイメージを排斥するため大手出版社の雑誌は性描写をなるべく行わない方向に舵をきった反面、性描写を売りにしていた雑誌は積極的にポルノとしての面を強調するようになり、それが現在の(過激な性描写を含む女性向け漫画という意味での)レディコミの流れとなった。<ref>『[[女はポルノを読む|女はポルノを読む 女性の性欲とフェミニズム]]』79-81頁。</ref> 上記の過程で内容が二極化した頃には、表紙が写真のものは性的なもの、漫画家のイラストのものはソフトなものという棲み分けも見られた。そうした過渡期を経て、現在では別個のジャンルとして確立している。女性漫画でも性描写自体はそれほど珍しい物ではないが、男女性器の直接描写の有無によって両者は区別される。 <!--前述したとおり-->本来は少女漫画の読者層より上の世代の為の女性漫画であったものが、性描写の過激さが行き詰まり、このジャンル自体が早々に閉塞してしまったとされる<ref>『20世紀少女マンガ天国―懐かしの名作から最新ヒットまでこれ一冊で完全網羅!』[[エンターブレイン]]、2001年、ISBN 978-4-7577-0506-7</ref>。なお、大人の女性向け漫画である本ジャンルと少女漫画の間を埋める大人の女性向け少女漫画として、1990年代に[[ヤング・レディース]]というジャンルが生まれている。 レディコミでは作中の女性人物が、強姦されたり緊縛されるなどマゾヒスティックな立場におかれることが多いが、漫画評論家の[[藤本由香里]]によれば「女性が自分から異性を求めるのははしたない」という規範が存在するため、男性に強制されるという形で性行為を描く必要があるという<ref>[[藤本由香里]] 『快楽電流―女の、欲望の、かたち 』 [[河出書房新社]]、1999年、153頁。ISBN 978-4309242132。</ref>。 また、レディコミ専門の編集プロダクションも存在している。 == 主なレディースコミック誌 == ; 現行 * COMIC MIU→恋愛よみきりMAX→[[恋愛LoveMAX]]([[秋田書店]]、1999年-<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000408919-00 Comic miu : 恋愛よみきりmax] [[国立国会図書館]]</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004317896-00 恋愛よみきりmax] [[国立国会図書館]]</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008296570-00 恋愛love max] [[国立国会図書館]]</ref>) ; 休刊・廃刊 * ミステリーLa・Comic→ ラ・コミック ([[笠倉出版社]]、1985年-2003年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000070390-00 ミステリーla・comic] [[国立国会図書館]]</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004017334-00 ラ・コミック] [[国立国会図書館]]</ref>) * Lady's comic Hi→Lady's comic恋愛白書([[宙出版]]、1985年 - 1998年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000042495-00 Lady′s comic hi] [[国立国会図書館]]</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000088279-00 Lady's comic恋愛白書] [[国立国会図書館]]</ref>)※後継誌の「[[恋愛白書パステル]]」(宙出版)はティーンズラブ * Lady's comic I→Lady's comic aya(宙出版、1987年 - 2004年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000051984-00 Lady's comic I] [[国立国会図書館]]</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000082154-00 Aya] [[国立国会図書館]]</ref>)※後継誌の「Young Love Comic aya」(宙出版)<ref>{{Cite news |title=無題ドキュメント|url=http://www.ohzora.co.jp/teiki/18815/b_number/|publisher=宙出版 |accessdate=2020-07-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040609072946/http://www.ohzora.co.jp/teiki/18815/b_number/|archivedate=2004-06-09}}</ref> はティーンズラブ * Labien (笠倉出版社、1987年-2004年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000069733-00 Labien] [[国立国会図書館]]</ref>) * コミックアムール([[サン出版]]、1990年-2017年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000088432-00 コミックアムール = Comic amour] [[国立国会図書館]]</ref>) * イフ→恋愛美人イフ(セブン新社、1991年-2012年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000097324-00 イフ] [[国立国会図書館]]</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008375877-00 恋愛美人if] [[国立国会図書館]]</ref>) * Lady's comicスキャンダルI→恋愛白書スタート!(宙出版、1991年-2003年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000083040-00 Lady's comicスキャンダルI] [[国立国会図書館]]</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000161930-00 恋愛白書スタート!] [[国立国会図書館]]</ref>) * タブー([[三和出版]]、1992年-2009年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026744943-00 Taboo : entertainment for adult lady's = タブー : おとなの貴女へ] [[国立国会図書館]]</ref>) * 愛の体験specialデラックス([[竹書房]]、 1994年-1997年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000093541-00 愛の体験specialデラックス] [[国立国会図書館]]</ref>) * LADY'S COMIC 微熱→微熱 SUPER デラックス(笠倉出版社→セブン新社、1997年-2015年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010748237-00 微熱superデラックス : 大人の女性の愛のコミック誌 : lady's comic] [[笠倉出版社]]</ref>) * Special Aya(宙出版、1999年-2009年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000105083-00 Lady's comic special aya] [[国立国会図書館]]</ref>) * [[恋愛宣言ピンキッシュ]]([[平和出版]]、2001年-2005年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003540044-00 恋愛宣言ピンキッシュ] [[国立国会図書館]]</ref>) * 恋愛・KISS→ラブキス(笠倉出版社、2004年-2011年<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004284864-00 恋愛kiss] [[国立国会図書館]]</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010609474-00 ラブキス = Love kiss] [[国立国会図書館]]</ref>) * [[恋愛楽園ピュア|恋愛楽園PURE]](発行:[[秋水社]]、出版:[[徳間書店]]、2006年-2010年) ※後継誌の「恋愛宣言Pinky」(発行:[[秋水社]]、出版:[[大都社]])はティーンズラブ * 恋愛体験(バナジー出版、2008年 - 2009年) 表紙には実写の写真が使われ、イラストが使われるティーンズラブとは対照的である<ref>『欲望のコード マンガにみるセクシュアリティの男女差』154頁。</ref>。モデルとして白人の女性が使われることが多く、これは読者が「生々しさ」をあまり感じなくてすむような効果があるのではないかと指摘されることがある<ref>『欲望のコード マンガにみるセクシュアリティの男女差』171-172頁。</ref>。ただし2000年代に創刊された顔ぶれではイラストが表紙をかざっており、全てがそうだと言えるわけではない。 価格は[[1990年代]]は300円程度であったが、[[2000年代|ゼロ年代]]には平均600円前後に高騰している<ref>『欲望のコード マンガにみるセクシュアリティの男女差』108頁。</ref>。 1990年代後半には、より若い年代の読者を想定した[[ティーンズラブ]]も流行し、恋愛白書パステル(旧名称はLady's comic Hi)(宙出版)やYoung Love Comic aya(旧名称はLady's comic I)(宙出版)などのように当初レディコミとして発刊されていたものが、ティーンズラブと化して誌名・誌面を改めたものもある。 == 主な漫画家 == * [[井出智香恵]] * [[川崎三枝子]] * [[さかもと未明]] * 汐見朝子 * 葉月つや子 * 星合操 * [[森園みるく]] * もろおか紀美子 * 矢萩貴子 * 渡辺やよい == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === <references /> ==参考文献== *[[堀あきこ]] 『[[欲望のコード マンガにみるセクシュアリティの男女差]]』 [[臨川書店]]、2009年。ISBN 978-4653040187。 *[[守如子]] 『[[女はポルノを読む|女はポルノを読む 女性の性欲とフェミニズム]]』 [[青弓社]]、2010年。ISBN 978-4787233103。 == 関連項目 == *[[衿野未矢]] {{DEFAULTSORT:れていいすこみつく}} [[Category:エロティック漫画|*れていいすこみつく]] [[Category:漫画のジャンル (対象読者別)]] [[Category:女性と漫画]]
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7月6日
7月6日(しちがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から187日目(閏年では188日目)にあたり、年末まであと178日ある。
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7月6日(しちがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から187日目(閏年では188日目)にあたり、年末まであと178日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月6日'''(しちがつむいか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から187日目([[閏年]]では188日目)にあたり、年末まであと178日ある。 == できごと == {{multiple image | caption1 = {{仮リンク|アルヘシラス湾の戦い|fr|Bataille d'Algésiras (1801)}}はじまる(1801) | image1 = The Battle of Algeciras.jpg | width1 = 90 | alt1 = アルヘシラス湾の戦い | caption2 = [[アラブ反乱]]、反乱軍が[[アカバ]]を奪取(1917)。画像は反乱軍 | image2 = 030Arab.jpg | width2 = 90 | alt2 = アラブ反乱 }} {{multiple image | caption1 = [[R33級飛行船|飛行船R34]]、[[飛行船]]による世界初の[[大西洋]]横断飛行達成(1919) | image1 = R34.jpg | width1 = 90 | alt1 = 飛行船 | caption2 = [[東京大学]]の[[安田講堂]]完成(1925)。匿名の寄付者[[安田善次郎]]を記念 | image2 = Yasuda Auditorium.jpg | width2 = 90 | alt2 = 安田講堂 }} {{multiple image | footer = [[アンネ・フランク]]一家、[[迫害]]を逃れ[[アンネ・フランクの家|隠れ家]](左画像)に移り住む(1942)。右画像は隠れ家の入口となっていた本棚 | image1 = AnneFrankHouseAmsterdam.jpg | width1 = 70 | alt1 = 隠れ家のあった建物 | image2 = AnneFrankHouse_Bookcase.jpg | width2 = 110 | alt2 = 隠れ家の入口となっていた本棚 }} {{multiple image | caption1 = [[下山定則]]国鉄総裁(1901-1949)が轢死体で発見される | image1 = Investigation on D51-651.jpg | width1 = 90 | alt1 = 下山事件 | caption2 = [[谷中五重塔放火心中事件]](1957) | image2 = Yanaka_Five-Storied_Pagoda.JPG | width2 = 90 | alt2 = 谷中五重塔放火心中事件 }} {{multiple image | footer = {{仮リンク|ズゴジェレツ条約|en|Treaty of Zgorzelec}}締結(1950)、[[オーデル・ナイセ線]](右画像左端の赤線)が[[ポーランド]]と[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の国境となる | image1 = Bundesarchiv Bild 183-R87570, Görlitzer Abkommen.jpg | width1 = 90 | alt1 = ズゴジェレツ条約締結に向かう両首脳 | image2 = Ac_polandmap.gif | width2 = 90 | alt2 = オーデル・ナイセ線 }} [[Image:The Fabs.JPG|thumb|[[ジョン・レノン]](左上)と[[ポール・マッカートニー]](右上)が出会う(1957)|180x180ピクセル]] {{multiple image | footer = アメリカ合衆国による[[地下核実験]]、[[セダン核実験]](1962)。直径390mのクレーターができた(右画像) | image1 = Storax_Sedan_nuke.jpg | width1 = 90 | alt1 = セダン核実験 | image2 = Sedan_Plowshare_Crater.jpg | width2 = 90 | alt2 = 実験でできたクレーター }} {{multiple image | caption1 = [[ビアフラ戦争]]勃発(1967)。画像は、飢饉の少女 | image1 = Starved girl.jpg | width1 = 90 | alt1 = ビアフラ戦争 | caption2 = [[ヤドランカ・コソル]]、[[クロアチア]]初の女性首相に(2009) | image2 = Jadranka_Kosor_2009_crop.jpg | width2 = 90 | alt2 = ヤドランカ・コソル }} * [[1189年]] - [[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の逝去に伴い、[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]が[[イングランド王国|イングランド]]王に即位<ref>{{Cite web |url=https://www.oxforddnb.com/display/10.1093/ref:odnb/9780198614128.001.0001/odnb-9780198614128-e-98218?backToResults=list%3Dyes%7Cgroup%3Dyes%7Cfeature%3Dyes%7Caor%3D10%7CorderField%3Dalpha |title=Participants in the third crusade |access-date=16 Jul 2023 |publisher=Oxford University Press |website=Oxford Dictionary of National Biography}}</ref>。なお、[[ウェストミンスター寺院]]での戴冠日は同年[[9月3日]]<ref>{{Cite web |url=https://www.oxforddnb.com/display/10.1093/ref:odnb/9780198614128.001.0001/odnb-9780198614128-e-23498 |title=Richard I 【called Richard Coeur de Lion, Richard the Lionheart】 |access-date=16 Jul 2023 |website=Oxford Dictionary of National Biography |publisher=Oxford University Press}}</ref>。 * [[1221年]]([[承久]]3年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[承久の乱]]が終結。北条泰時・時房の鎌倉幕府軍が[[後鳥羽天皇|後鳥羽上皇]]方を破って京都を占領して常駐し、後の[[六波羅探題]]となる。 * [[1253年]] - 初代[[リトアニア大公国|リトアニア]]王[[ミンダウガス]]が戴冠。 * [[1312年]]([[正和]]元年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[北条宗宣]]の出家に伴い、[[北条煕時]]が鎌倉幕府第12代[[執権]]に就任。 * [[1483年]] - イングランド王[[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]が戴冠<ref>{{Cite web |url=https://www.reuters.com/article/us-britain-richard-reign-idUSBRE9130NG20130204 |title=Factbox: Richard III's reign |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[ロイター|Reuterus]] |date=4 Feb 2013}}</ref>。 * [[1535年]] - [[トマス・モア]]が[[大逆罪 (イギリス)|外患罪]]で処刑される。 * [[1758年]] - [[フレンチ・インディアン戦争]]:[[カリヨンの戦い]]がはじまる。 * 1758年 - [[クレメンス13世 (ローマ教皇)|クレメンス13世]]が[[教皇|ローマ教皇]]に即位。 * [[1785年]] - [[アメリカ合衆国ドル|ドル]]を[[アメリカ合衆国]]の[[通貨]]とすることを議会が決定<ref>{{Cite web |url=https://www.abc27.com/digital-originals/july-6-1785-the-value-of-a-decimal-dollar/ |title=July 6, 1785: The value of a (decimal) dollar |access-date=16 Jul 2023 |publisher=Nexstar Media Inc. |date=6 Jul 2023 |website=abc27 News}}</ref>。 * [[1790年]]([[寛政]]2年[[5月24日 (旧暦)|5月24日]])- [[寛政の改革]]:[[寛政異学の禁]]がはじまり[[昌平坂学問所]]で[[朱子学]]以外の学問の教授が禁じられる<ref>{{Cite journal|和書|author=揖斐高 |date=2023 |url=https://doi.org/10.2183/tja.77.3_179 |title=寛政異学の禁と学制改革 |journal=日本學士院紀要 |ISSN=0388-0036 |publisher=日本学士院 |volume=77 |issue=3 |pages=179-219 |doi=10.2183/tja.77.3_179 |CRID=1390296066525918336}}</ref>。 * [[1801年]] - [[ナポレオン戦争]]:{{仮リンク|アルヘシラス湾の戦い|en|Battle of Algeciras Bay}}が始まる。 * [[1854年]] - [[アメリカ合衆国]][[ミシガン州]]・[[ジャクソン (ミシガン州)|ジャクソン]]でおよそ1万人が参加する[[共和党 (アメリカ)|共和党]]大会が開かれ、共和党が正式に結成された<ref>{{Cite web |url=https://constitutioncenter.org/blog/on-this-day-the-republican-party-names-its-first-candidates |title=On this day, the Republican Party names its first candidates |access-date=16 Jul 2023 |publisher=The National Constitution Center |date=6 Jul 2021}}</ref>。 * [[1885年]] - [[ルイ・パスツール]]が、自身が開発した[[狂犬病]][[ワクチン]]を初めて人間に接種し、効果が認められる。 * [[1887年]] - [[ハワイ王国]]国王[[カラカウア]]が、アメリカ系移民の蜂起に押され、アメリカ人の権利を大幅に認めハワイ国民の権利を奪う{{仮リンク|銃剣憲法|en|1887 Constitution of the Kingdom of Hawaii}}に署名<ref>{{Cite web |url=https://education.nationalgeographic.org/resource/bayonet-constitution/ |title=Jul 6, 1887 CE: Bayonet Constitution |access-date=16 Jul 2023 |publisher=National Geographic}}</ref>。 * [[1912年]] - 第5回[[夏季オリンピック]][[ストックホルムオリンピック|ストックホルム大会]]が開幕。日本が選手団4名で参加した初めてのオリンピック<ref>{{Cite web|和書|url=https://smbiz.asahi.com/article/14603971 |title=【7月6日は何の日】110年前、日本が初参加したオリンピックが開幕 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞]] |date=6 Jul 2022 |website=ツギノジダイ}}</ref>。 * [[1912年]] - [[1912年ストックホルムオリンピック|第5回夏季オリンピック・ストックホルム大会]]開会式。日本が選手団4名で初めて参加したオリンピック。 * [[1917年]] - [[アラブ反乱]]:[[ファイサル1世 (イラク王)|ファイサル・イブン・フサイン]]と[[イギリス軍|英軍]]将校[[トーマス・エドワード・ロレンス]]率いる[[オスマン帝国]]への反乱軍が[[アカバ]]を奪取。 * [[1919年]] - イギリスの[[飛行船]][[R33級飛行船|R34]]が、世界初の飛行船による、かつ、東から西方向への[[大西洋横断飛行]]を達成。 * [[1925年]] - [[安田善次郎]]寄付による[[東京大学]][[安田講堂]]が完成。 * [[1933年]] - [[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]で第1回[[MLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]開催。 * [[1935年]] - [[栃木県]]の[[華厳の滝]]で岩盤が落下。[[滝壺]]付近にあった五郎平茶屋を直撃して4人が死亡<ref>華厳の滝の岩盤が落下、四人が圧死『下野新聞』昭和10年7月7日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p505 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1939年]] - [[大日本帝国海軍]]が[[零式艦上戦闘機]](ゼロ戦)の初試験飛行を開始。 * [[1940年]] - [[社会大衆党]]が解党し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1821485 |title=きょうの歴史(7月6日) |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[福井新聞]]}}</ref>、[[大政翼賛会]]に合流。 * [[1942年]] - [[アンネ・フランク]]の一家が[[アンネ・フランクの家|隠れ家]]に移り住む<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.annefrank.org/en/anne-frank/who-was-anne-frank/japanese/ |title=アンネ・フランクはどんな人? |access-date=16 Jul 2023 |publisher=Anne Frank house}}</ref>。 * [[1943年]] - [[創価教育学会]]([[創価学会]]の前身)の創立者である[[牧口常三郎]]と[[戸田城聖]]が[[治安維持法]]違反で逮捕される。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]:[[ノルウェー]]が[[日本]]に[[宣戦布告]]。 * 1945年 - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]:[[千葉空襲]]。 * [[1948年]] - [[公認会計士法]]公布。 * [[1949年]] - [[下山事件]]。前日から行方不明となっていた[[日本国有鉄道|国鉄]]総裁の[[下山定則]]が轢死体で発見される。 * [[1950年]] - [[ポーランド]]と[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]がズゴジェレツ条約を締結。[[オーデル・ナイセ線]]を両国の国境として確認しあうも[[西ドイツ]]は受け入れず。 * 1950年 - 東京証券取引所の修正平均株価(現:[[日経平均株価]])が史上最安値85.25円を記録。 * [[1951年]] - 終戦を知らずにマリアナ諸島[[アナタハン島]]で暮らしていた元日本兵19人と女性1人が帰国([[アナタハンの女王事件]])<ref>『新訂版 昭和・平成史年表』([[平凡社]])</ref> * [[1953年]] - 日比両政府が[[フィリピン]]のモンテンルパ刑務所に収監されていた[[日本人]][[戦争犯罪|戦犯]]106名の減刑・釈放に合意。 * [[1957年]] - [[東京]]・[[天王寺 (台東区)|天王寺]]の[[五重塔]]が放火心中により焼失([[谷中五重塔放火心中事件]])。 * 1957年 - [[ジョン・レノン]]と[[ポール・マッカートニー]]が出会う。 * [[1958年]] - 初の[[本場所#7月場所|大相撲名古屋場所]]開催([[大相撲]]の[[本場所]]が6場所制に)。 * [[1959年]] - 1957年に西ドイツに復帰した[[ザールラント州]]で、使用される通貨が[[フランス・フラン]]から[[ドイツ・マルク]]になる。 * [[1962年]] - アメリカ合衆国が[[セダン核実験]]を実施。 * [[1964年]] - [[マラウイ|マラウイ共和国]]が[[イギリス]]から独立。 * [[1967年]] - 同年[[5月30日]]に[[ビアフラ共和国]]として一方的に[[ナイジェリア]]連邦からの独立を宣言した東部州に、連邦政府軍が進撃。[[ビアフラ戦争]]が勃発<ref>{{Kotobank|ビアフラ戦争}}</ref>。 * [[1972年]] - [[第3次佐藤内閣 (改造)|佐藤栄作内閣]]退陣に伴う新首相指名のため第69回臨時国会が召集され、[[田中角栄]]自民党総裁が首相に指名される<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/special/sengo/visual/page36.html |title=8章 激動の政治、冷戦下の外交 庶民宰相 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞]]デジタル}}</ref>。 * [[1975年]] - [[コモロ|コモロ連合]]が[[フランス]]から独立。 * [[1986年]] - [[衆参同日選挙]]([[第38回衆議院議員総選挙|第38回衆院選]]、[[第14回参議院議員通常選挙|第14回参院選]])。 * [[1988年]] - [[リクルート事件]]:リクルートコスモス(現:[[コスモスイニシア]])の未公開株の譲渡先が[[内閣総理大臣|首相]]の[[竹下登]]ら政府・[[自由民主党 (日本)|自民党]]要人に及んでいたことが判明。 * 1988年 - [[北海油田]]の[[パイパー・アルファ]]で爆発事故。167名の死者を出す惨事となる。 * [[1989年]] - 歌手の[[美空ひばり]]に[[国民栄誉賞]]が贈られる(没後追贈)。 * 1989年 - [[北海道]]の[[クッチャロ湖]]が[[ラムサール条約]]の登録湿地に指定される。 * [[1990年]] - [[神戸高塚高校校門圧死事件]]。 * [[1995年]] - [[東京地方検察庁|東京地検]]が[[東京都]]内の会社元社長を自社株釣上げ目的で虚偽の情報を流した容疑で逮捕。[[証券取引委員会|証取委]]が「風説の流布」容疑を初適用。 * [[1998年]] - [[啓徳空港]]に代わり、新しい[[香港国際空港]]が開港。 * [[2005年]] - [[国際オリンピック委員会|IOC]]総会で、[[2012年]]の[[2012年ロンドンオリンピック|夏季オリンピック]]の開催地が[[ロンドン]]に決定。ロンドンでのオリンピックは[[1908年]]、[[1948年]]に続き3度目<ref>{{Cite web|和書|url= https://archive.jtu.or.jp/officer/shoshin_hyoumei/05-06elite.html |title= JTUエリート強化委員会(所信表明):委員長 山根英紀 |publisher=日本トライアスロン連合 |accessdate=16 Jul 2023 }}</ref>。 * [[2006年]] - [[1962年]]の[[中印国境紛争]]以来閉鎖されていた[[ナトゥ・ラ峠]]が再び通れるようになる<ref>{{Cite web|和書|url=http://japanese.china.org.cn/life/archive/06dsj/txt/2007-01/11/content_7639584.htm |title=中印両国、乃堆拉峠の貿易ルートを再開 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=China Internet Information Center. |date=11 Jan 2007}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://spc.jst.go.jp/cad/literatures/download/11913 |title=国交6 0周年を迎えた中印関係 |access-date=16 Jul 2023 |work=中国研究月報 第64巻第11号 |page=9(49) |format=[[PDF]]}}</ref>。 * [[2009年]] - [[ヤドランカ・コソル]]が[[クロアチア]]初の女性[[クロアチアの首相|首相]]に就任<ref>{{Cite web |url=https://www.abc.net.au/news/2009-07-07/croatian-parliament-approves-first-female-pm/1343966 |title=Croatian parliament approves first female PM |publisher=ABC News |date=6 Jul 2009 |accessdate=16 Jul 2023}}</ref>。 * [[2013年]] - [[アシアナ航空214便着陸失敗事故]]<ref>{{Cite web|和書|date=7 Jul 2013 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0701T_X00C13A7CC1000/ |title=アシアナ機事故、重体・重傷49人 死亡2人は16歳 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=16 Jul 2023}}</ref>。乗員乗客307人のうち3人が死亡<ref>{{Cite web|和書|date=17 Jan 2014 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3006707 |title=アシアナ機事故で消防車にひかれた少女、消防隊員に過失か |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=16 Jul 2023 |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2016年]] - [[Pokémon GO]]が[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]、[[アメリカ合衆国]]で先行サービス開始。 * [[2018年]] - [[オウム真理教事件]]に関与した[[死刑囚]]13人のうち、元教団代表の松本智津夫及び教団幹部ら7名の死刑執行(残りの6名は[[7月26日]]に執行)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32688690W8A700C1MM0000/ |title=オウム真理教・松本智津夫死刑囚ら7人の死刑執行 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=6 Jul 2018}}</ref>。 * 2018年 - アメリカ、中国の知的財産侵害に対する制裁関税を発動。中国も[[報復関税]]を発動<ref>{{Cite web|和書|url=https://r.nikkei.com/article/DGXMZO3268944006072018MM0000/|title=米が対中制裁関税を発動 半導体・ロボなど340億ドル|publisher=[[日本経済新聞]]|date=6 Jul 2018|accessdate=16 Jul 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32704990W8A700C1000000/|title=中国が対米報復関税発動 大豆・自動車など545品目 |newspaper=[[日本経済新聞]]|date=6 Jul 2018|accessdate=16 Jul 2023}}</ref>。 * [[2019年]] - [[百舌鳥・古市古墳群]]がユネスコの[[世界文化遺産]]に登録される<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20190706/k00/00m/040/180000c|title=百舌鳥・古市古墳群を世界遺産登録 ユネスコ 自然遺産含め23件目|accessdate=16 Jul 2023|publisher=[[毎日新聞]]}}</ref>。 * [[2023年]] - 静岡市清水区の国道1号静清バイパス「清水立体工事」で、工事中の橋桁が落下。作業員2人が死亡、6人が重軽傷を負う<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.at-s.com/news/shittoko/1272611.html |title= 「清水立体」の橋桁落下 現場で何が 静岡・国1静清バイパス|date=7 Jul 2023 |accessdate=16 Jul 2023|publisher=[[静岡新聞]]}}</ref>。 {{-}} == 誕生日 == [[Image:Maximiliaan van Oostenrijk.png|thumb|upright|メキシコ皇帝[[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン]](1832-1867)誕生]] [[Image:Block_Kahlo_Rivera_1932.jpg|thumb|画家[[フリーダ・カーロ]](中央; 1907-1954)|180x180ピクセル]] {{multiple image | footer = [[ダライ・ラマ14世]](1935-)誕生 | image1 = Dalai_Lama_boy.jpg | width1 = 90 | alt1 = 少年時代 | image2 = Dalai_Lama_1471_Luca_Galuzzi_2007.jpg | width2 = 90 | alt2 = ダライ・ラマ14世 2007年12月撮影 }} [[Image:Vladimir_Ashkenazy.jpg|thumb|ピアニスト・指揮者、[[ウラディーミル・アシュケナージ]](1937-)|198x198ピクセル]] [[Image:Sylvester_Stallone.jpg|thumb|俳優[[シルヴェスター・スタローン]](1946-)|240x240ピクセル]] {{multiple image | footer = 第43代アメリカ合衆国大統領、[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ]](1946-) | image1 = GeorgeWBush1947.png | width1 = 90 | alt1 = ブッシュ1歳 | image2 = George-W-Bush.jpeg | width2 = 90 | alt2 = 近影 }} * [[1779年]]([[安永 (元号)|安永]]9年[[5月23日 (旧暦)|5月23日]]) - [[三浦毗次]]、[[美作勝山藩|美作勝山藩主]](+ [[1849年]]) * [[1794年]] - [[ヴィルヘルム・ヘンゼル]]、[[画家]](+ [[1861年]]) * [[1796年]] - [[ニコライ1世 (ロシア皇帝)|ニコライ1世]]、[[ロマノフ朝]]第11代[[ロシア皇帝]](+ [[1855年]]) * [[1808年]] - [[ヨハン・グスタフ・ドロイゼン]]、[[歴史家]](+ [[1884年]]) * [[1815年]] - [[ルイ・ピエール・グラチオレ]]、[[解剖学者]]、[[動物学者]](+ [[1865年]]) * [[1832年]] - [[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン]]、[[メキシコ帝国|メキシコ皇帝]](+ [[1867年]]) * [[1838年]]([[天保]]9年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[松平親貴]]、[[杵築藩|杵築藩主]](+ [[1882年]]) * [[1857年]] - [[ジョージ・ダービー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1925年]]) * [[1874年]] - [[佐藤紅緑]]、劇作家、作家、俳人(+[[1949年]]) * [[1876年]] - [[椎尾弁匡]]、[[僧侶]]、[[政治家]]、[[思想家]](+ [[1971年]]) * [[1879年]] - [[アグリッピナ・ワガノワ]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[1951年]]) * [[1880年]] - [[村井多嘉子]]、[[料理研究家]](+ [[1960年]]) * [[1898年]] - [[ハンス・アイスラー]]、[[作曲家]](+ [[1962年]]) * [[1899年]] - [[スザンナ・マシャット・ジョーンズ]]、[[長寿]]世界一だった人物(+ [[2016年]]) * [[1903年]] - [[芳賀檀]]、ドイツ文学者(+[[1991年]]) * [[1907年]] - [[フリーダ・カーロ]]、画家(+ [[1954年]]) * [[1918年]] - [[望月潤一]]、元プロ野球選手(+ [[1993年]]) * 1918年 - [[斎藤末逸]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * 1918年 - [[伴吉夫]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * [[1919年]] - [[エルンスト・ヘフリガー]]、[[テノール#著名なテノール|テノール歌手]](+ [[2007年]]) * [[1920年]] - [[ミヤコ蝶々]]、[[俳優|女優]]、[[漫才師]](+ [[2000年]]) * 1920年 - [[エリース・ボールディング]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[2010年]]) * [[1921年]] - [[ナンシー・レーガン]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[2016年]]) * [[1923年]] - [[キャシー・オドネル]]、女優(+ [[1970年]]) * [[1926年]] - [[秋元秀雄]]、評論家(+ [[2002年]]) * [[1927年]] - [[ジャネット・リー]]、女優(+ [[2004年]]) * 1927年 - [[河合義和]]、憲法学者 * [[1929年]] - [[都筑道夫]]、[[推理作家]](+ [[2003年]]) * [[1930年]] - [[鍛治壮一]]、作家、ジャーナリスト(+[[2022年]]) * [[1931年]] - [[ダニー・ホワイト (歌手)|ダニー・ホワイト]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]歌手(+[[1996年]]) * [[1932年]] - [[遠藤実]]、作曲家(+ [[2008年]]) * [[1933年]] - [[三田敏哉]]、政治家(+[[2023年]]) * 1933年 - [[相川浩]]、[[アナウンサー]](+ [[2003年]]) * [[1934年]] - [[モーリス・アッソン]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1935年]] - [[ダライ・ラマ14世]]、[[チベット]]亡命政府指導者、[[ノーベル平和賞]]受賞者 * [[1936年]] - [[荒川修作]]、[[美術家]](+ [[2010年]]) * [[1937年]] - [[桐島洋子]]、ノンフィクション作家 * 1937年 - [[ウラディーミル・アシュケナージ]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]] * [[1940年]] - [[藤猛]]、[[プロボクサー]] * 1940年 - [[ヌルスルタン・ナザルバエフ]]、政治家、初代[[カザフスタン]]大統領 * [[1942年]] - [[髙橋正征]]、生態学者 * [[1943年]] - [[谷博之]]、政治家 * [[1945年]] - [[長塚京三]]、俳優 * 1945年 - [[徳江尚子]]、ヴァイオリニスト(+[[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50283020X20C19A9BC8000/ |title=バイオリニストの徳江尚子さん死去 小澤征爾から信頼 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=27 Sep 2019}}</ref>) * [[1946年]] - [[シルヴェスター・スタローン]]、[[俳優]]、[[映画監督]]、[[プロデューサー]]、[[脚本家]] * 1946年 - [[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ]]、政治家、第43代[[アメリカ合衆国大統領]] * 1946年 - [[高峰圭二]]、俳優 * [[1947年]] - [[上田次朗]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[鈴木一平 (演出家)|鈴木一平]]、[[演出家]] * [[1948年]] - [[瀬川瑛子]]、[[演歌歌手]] * 1948年 - [[吉岡忍 (作家)|吉岡忍]]、[[ノンフィクション作家]] * 1948年 - [[鈴木英人]]、イラストレーター * [[1949年]] - [[神津信一]]、税理士 * 1949年 - [[諸星大二郎]]、[[漫画家]] * 1949年 - [[崔洋一]]、[[映画監督]](+ [[2022年]]) * [[1950年]] - [[神江里見]]、漫画家(+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1606114.html |title=「弐十手物語」漫画家の神江里見さんが死去 64歳 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=18 Feb 2016}}</ref>) * 1950年 - [[よしかわ進]]、漫画家 * [[1954年]] - [[村橋明郎]]、映画監督、シナリオライター * [[1955年]] - [[長谷川哲夫 (天文学者)|長谷川哲夫]]、[[天文学者]] * [[1959年]] - [[鈴木康友 (野球)|鈴木康友]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[旭富士正也]]、大相撲第63代[[横綱]]、[[年寄]]9代[[伊勢ヶ濱]] * 1960年 - [[ハーマン・リベラ]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[伊藤達也]]、政治家 * [[1962年]] - [[中井哲之]]、高校野球指導者 * [[1963年]] - [[金城信夫]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[頓田国満]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[太田光代]]、[[実業家]]、タレント * [[1965年]] - [[高際みゆき]]、政治家 * 1965年 - [[角野秀行]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[TUBE]]) * [[1966年]] - 渡邊津弓<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=W09-1481 |title=渡邊 津弓 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=株式会社VIPタイムズ社 |website=日本タレント名鑑}}</ref>、女優 * 1966年 - [[露無博文]]、元野球選手 * [[1967年]] - [[とよた真帆]]、女優 * 1967年 - [[原千果子]]、女優、声優 * 1967年 - [[北村俊介]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[大西結花]]、女優 * 1968年 - [[湊富士孝行]]、元大相撲力士、年寄23代[[湊 (相撲)|湊]] * 1968年 - [[祐木毅]]、元バスケットボール選手 * [[1969年]] - [[木村哲也 (政治家)|木村哲也]]、政治家 * [[1970年]] - [[ドン・フジイ]]、[[プロレスラー]] * 1970年 - [[三澤肇]]、ジャーナリスト、元アナウンサー * 1970年 - [[ハーラル・ナエヴダル]]、ミュージシャン * [[1971年]] - [[泉香澄]]、柔道家 * 1971年 - [[三野勝大]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[夏目一人]]、実業家、[[クリエイター]] * 1972年 - [[山田美保]]、元アナウンサー * [[1973年]] - [[小倉隆史]]、元サッカー選手、タレント * [[1974年]] - [[横西奏恵]]、[[競艇選手]] * 1974年 - [[村上義弘 (競輪選手)|村上義弘]]、[[競輪選手]] * 1974年 - [[立川談大]]、[[落語家]](+ [[2010年]]) * 1974年 - [[花輪英司]]、声優 * 1974年 - [[ベンビー]]、タレント、ラジオパーソナリティ * 1974年 - [[シライケイタ]]、俳優、演出家、劇作家 * [[1975年]] - [[宝積有香]]、女優 * 1975年 - [[50セント]]、[[ヒップホップMC]]  * [[1976年]] - [[狩野倫久]]、元[[サッカー]]選手、指導者 * [[1977年]] - [[長谷川真弓 (ファッションデザイナー)|長谷川真弓]]、[[ファッションデザイナー]] * 1977年 - [[丁野奈都子]]、フリーアナウンサー * [[1978年]] - [[三宅愛子]]、元競泳選手、競泳指導者 * 1978年 - [[増野彰]]、元バレーボール選手 * 1978年 - [[塩村文夏]]、政治家、[[エッセイスト]] * 1978年 - [[桂ひろば]]、落語家 * [[1979年]] - [[石谷吾一]]、サッカー選手 * 1979年 - [[井上芳雄]]、[[ミュージカル]]俳優 * 1979年 - [[ニック・セスター]]、シンガーソングライター([[ジェット (オーストラリアのバンド)|ジェット]]) * [[1980年]] - [[パウ・ガソル]]、元バスケットボール選手 * 1980年 - [[村西利恵]]、アナウンサー * [[1981年]] - [[佐藤友香 (競輪選手)|佐藤友香]]、競輪選手 * 1981年 - [[ロマン・シロコフ]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[平川由梨]]、タレント * [[1983年]] - [[高橋さとみ]]、アナウンサー * 1983年 - [[山口真由]]、弁護士 * [[1984年]] - [[今浪隆博]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[岡田幸文]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[張昊]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1984年 - [[五郎丸亮]]、元ラグビー選手 * [[1985年]] - [[高野沙織]]、[[タレント]]、女優 * 1985年 - [[ナオミ・ナリ・ナム]]、フィギュアスケート選手 * 1985年 - [[尾形沙耶香]]、ファッションモデル * [[1986年]] - [[小橋口祐嗣]]、元バレーボール選手 * 1986年 - [[西村理沙]]、女優 * 1986年 - [[野村瑠里]]、グラビアアイドル、タレント * [[1987年]] - [[雨宮敬]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[中橋耕平]]、ミュージカル俳優 * 1987年 - [[金鎮鉉]] 、サッカー選手 * [[1988年]] - 石田たくみ、[[お笑い芸人]]([[カミナリ (お笑いコンビ)|カミナリ]]) * 1988年 - [[イ・ナリ]]、プロゴルファー * 1988年 - [[原奈津子]]、女優、声優 * 1988年 - [[ミハイル・クズネツォフ]]、フィギュアスケート選手 * [[1989年]] - [[橋本大智]]、元バレーボール選手 * 1989年 - [[髙濱卓也]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[李玲 (棒高跳)|李玲]]、陸上競技選手 * 1989年 - [[木村愛里]]、タレント * 1989年 - [[宮本彩希]]、タレント * [[1990年]] - [[松永かなみ]]、タレント * 1990年 - [[ニック・ブッチ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[鄭用雲]]、プロ野球選手 * [[1991年]] - [[豊嶋邑作]]、サッカー選手 * 1991年 - [[相馬卓弥]]、バスケットボール選手 * 1991年 - [[ブライアン・ロドリゲス]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[堀奈津佳]]、プロゴルファー * 1992年 - [[マニー・マチャド]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[コス・ジョルト]]、フィギュアスケート選手 * 1992年 - [[柳田将洋]]、[[バレーボール]]選手 * 1992年 - [[汐谷文康]]、声優 * 1992年 - [[大下佑馬]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[黒羽麻璃央]]、[[俳優]] * 1993年 - [[北川里奈]]、声優 * 1993年 - [[フランク莉奈]]、女優、モデル * 1993年 - [[ペテル・レイトマイェル]]、フィギュアスケート選手 * 1993年 - [[三丸拡]]、サッカー選手 * 1993年 - [[ファイルーズあい]]、声優 * [[1994年]] - [[大黒田裕芽]]、ラグビーユニオン選手 * 1994年 - [[宗接唯人]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[ジョアン・ジョルダン]]、サッカー選手 * 1994年 - [[井手上梓]]、元ファッションモデル * [[1995年]] - [[野口瑠璃子]]、声優 * 1995年 - [[小坂井祐莉絵]]、声優 * 1995年 - [[高井つき奈]]、アイドル(simpatix、元[[ももいろクローバー]]、元[[SKE48]]) * [[1996年]] - [[辻美優]]、ファッションモデル * [[1998年]] - [[小野花梨]]、女優 * 1998年 - [[早川隆久]]、プロ野球選手 * [[1999年]] - 山内祐奈、アイドル([[HKT48]]) * [[2000年]] - [[マイケル・オバフェミ]]、サッカー選手 * 2000年 - NENE、アイドル([[ミームトーキョー]]) * [[2002年]] - [[ほのか有泉]]、女優、モデル * [[2003年]] - [[齊藤なぎさ]]、女優、アイドル(元[[=LOVE]]) * [[2004年]] - [[松尾汐恩]]、プロ野球選手 * 2004年 - [[坂本拓己]]、プロ野球選手 * [[2005年]] - [[舞優]]、女優 * 生年不明 - [[千田ミヤコ]]、声優、舞台女優 * 生年不明 - [[戸塚利絵]]、声優 * 生年不明 - [[伊藤春香]]、声優 * 生年不明 - [[林理幹]]、声優 * 生年不明 - [[齋藤沙弥香]]、アナウンサー == 忌日 == {{multiple image | caption1 = イングランド王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]](1133-1189)没 | image1 = Henry_II_of_England.jpg | width1 = 90 | alt1 = ヘンリー2世 | caption2 = 宗教思想家[[ヤン・フス]](1369-1415)刑死 | image2 = Jan Hus at the Stake.jpg | width2 = 90 | alt2 = ヤン・フス }} {{multiple image | caption1 = 法律家・思想家[[トマス・モア]](1478-1535)、[[国王至上法]]に反対し処刑。 | image1 = Hans_Holbein_d._J._065.jpg | width1 = 90 | alt1 = トマス・モア | caption2 = 戦国大名[[毛利元就]](1497-1571)没 | image2 = Mori Motonari.jpg | width2 = 90 | alt2 = 毛利元就 }} {{multiple image | caption1 = [[グランビル・シャープ]](1753-1813)没 | image1 = Grsharp.jpg | width1 = 90 | alt1 = グランビル・シャープ | caption2 = 物理学者[[ゲオルク・オーム]](1789-1854)没 | image2 = Denkmal_Ohm_TU_M%C3%BCnchen.jpg | width2 = 90 | alt2 = ゲオルク・オーム }} {{multiple image | footer = 画家[[オディロン・ルドン]](1840-1916)没。左画像は自画像(1880)、右は『貝』(1912) | image1 = Odilon_Redon.jpg | width1 = 90 | alt1 = オディロン・ルドン | image2 = Redon.coquille.jpg | width2 = 90 | alt2 = 『貝』 }} {{multiple image | caption1 = 小説家[[ギ・ド・モーパッサン]](1850-1893) | image1 = Guy de Maupassant fotograferad av Félix Nadar 1888.jpg | width1 = 90 | alt1 = ギ・ド・モーパッサン | caption2 = 作家[[ウィリアム・フォークナー]](1897-1962) | image2 = William_Faulkner_01_KMJ.jpg | width2 = 90 | alt2 = ウィリアム・フォークナー }} {{multiple image | caption1 = 指揮者[[オットー・クレンペラー]](1885-1973) | image1 = Otto_Klemperer.jpg | width1 = 70 | alt1 = オットー・クレンペラー | caption2 = 作曲家[[ホアキン・ロドリーゴ]](1901-1999) | image2 = Joaquin_Rodrigo_en_Rosario.JPG | width2 = 70 | alt2 = ホアキン・ロドリーゴ | caption3 = [[ジャズ]]トランペッター、「サッチモ」[[ルイ・アームストロング]](1901-1971)没 | image3 = Louis_Armstrong_restored.jpg | width3 = 70 | alt3 = ルイ・アームストロング }} * [[1017年]]([[寛仁]]元年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[源信 (僧侶)|源信]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tendai.or.jp/daihoue/profile/eshin.html |title=恵心僧都 源信 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=天台宗 祖師先徳鑽仰大法会}}</ref>、[[平安時代]]の[[天台宗]]の僧(* [[942年]]) * [[1189年]] - [[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1133年]]) * [[1415年]] - [[ヤン・フス]]、[[宗教改革]]者(* [[1369年]]) * [[1476年]]([[文明 (日本)|文明]]8年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[日野勝光]]、[[室町時代]]の[[公卿]](* [[1429年]]) * [[1483年]] - [[エドワード5世 (イングランド王)|エドワード5世]]、イングランド王(* [[1470年]]) * [[1535年]] - [[トマス・モア]]、[[思想家]](* [[1478年]]) * [[1553年]] - [[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]、イングランド王(* [[1537年]]) * [[1571年]]([[元亀]]2年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]{{Sfn|時山弥八編|1916|p=75}}) - [[毛利元就]]、[[戦国大名]](* [[1497年]]) * [[1579年]]([[天正]]7年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[竹中重治]]、[[武将|戦国武将]](* [[1544年]]) * [[1582年]](天正10年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[斎藤利三]]、武将(* [[1534年]]) * [[1615年]]([[慶長]]20年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]) - [[古田重然]](織部)、戦国武将、[[茶道|茶人]](* [[1544年]]) * [[1813年]] - [[グランビル・シャープ]]、[[奴隷]]制廃止運動家(* [[1753年]]) * [[1835年]] - [[ジョン・マーシャル (政治家)|ジョン・マーシャル]]、第4代[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1755年]]) * [[1854年]] - [[ゲオルク・オーム]]、[[物理学者]](* [[1789年]]) * [[1868年]]([[明治]]元年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]) - [[原田左之助]]、[[新撰組]]十番隊組長(* [[1840年]]) * [[1893年]] - [[ギ・ド・モーパッサン]]、[[作家]](* [[1850年]]) * [[1901年]] - [[クロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト]]、第3代[[ドイツ国首相]](* [[1819年]]) * [[1915年]] - [[ローレンス・ハーグレイヴ]]、[[発明家]](* [[1850年]]) * [[1916年]] - [[オディロン・ルドン]]、[[画家]](* [[1840年]]) * [[1932年]] - [[ケネス・グレアム]]、[[小説家]](* [[1859年]]) * [[1938年]] - [[御木徳一]]、ひとのみち教団(現・[[PL教団]])開祖(* [[1871年]]) * [[1940年]] - [[アレクサンダー・ゴールデンワイザー]]、[[人類学|人類学者]]、[[社会学者]](* [[1880年]]) * [[1944年]] - [[南雲忠一]]、[[日本]]の[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍人]](* [[1887年]]) * [[1949年]] - [[下山定則]]、[[日本国有鉄道]]総裁(* [[1901年]]) * [[1959年]] - [[ジョージ・グロス]]、[[画家]](* [[1893年]]) * [[1961年]] - [[スコット・ラファロ]]、ベース奏者(* [[1936年]]) * [[1962年]] - [[ウィリアム・フォークナー]]、作家(* [[1897年]]) * [[1971年]] - [[ルイ・アームストロング]]、ジャズミュージシャン(* [[1901年]]) * [[1973年]] - [[オットー・クレンペラー]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](* [[1885年]]) * [[1975年]] - [[オットー・スコルツェニー]]、[[ナチス・ドイツ]][[親衛隊中佐]](* [[1908年]]) * [[1976年]] - [[朱徳]]、[[軍人]]、[[政治家]](* [[1886年]]) * [[1979年]] - [[ヴァン・マッコイ]]、[[音楽プロデューサー]]、作曲家(* [[1940年]]) * [[1986年]] - [[和田浩治]]、[[俳優]](* [[1944年]]) * [[1988年]] - [[東八郎]]、[[コメディアン]](* [[1936年]]) * [[1989年]] - [[カーダール・ヤーノシュ]]、[[ハンガリー]]の指導者(* [[1912年]]) * [[1990年]] - [[竹島将]]、作家(* [[1957年]]) * [[1999年]] - [[ホアキン・ロドリーゴ]]、作曲家(* [[1901年]]) * [[2000年]] - [[ウワディスワフ・シュピルマン]]、[[ピアニスト]]・作曲家(* [[1911年]]) * 2000年 - [[宮沢昭]]、ジャズテナーサキソフォン奏者(* [[1927年]]) * [[2002年]] - [[ジョン・フランケンハイマー]]、[[映画監督]](* [[1930年]]) * [[2004年]] - [[トーマス・クレスティル]]、[[連邦大統領 (オーストリア)|オーストリア大統領]](* [[1932年]]) * 2004年 - [[シリータ・ライト]]、[[ソウルミュージック]][[歌手]](* [[1946年]]) * 2004年 - [[あとり硅子]]、[[漫画家]](* [[1969年]]) * [[2005年]] - [[クロード・シモン]]、小説家(* [[1913年]]) * [[2006年]] - [[ケイシー・ロジャース]]、[[俳優|女優]](* [[1926年]]) * 2007年 - [[蔦行雄]]、元[[プロ野球選手]](* [[1939年]]) * [[2011年]] - [[ヨゼフ・スーク (ヴァイオリニスト)|ヨゼフ・スーク]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1929年]]) * [[2013年]] - [[金子勇 (プログラマー)|金子勇]]、[[Winny]]開発者(* [[1970年]]) * [[2014年]] - [[黒木基康]]、元プロ野球選手(* [[1936年]]) * [[2017年]] - [[安西愛子]]、[[童謡歌手]]、[[声楽家]]、政治家(* [[1917年]]) * [[2018年]] - (オウム真理教事件関係者の[[日本における死刑|死刑]]執行) **[[麻原彰晃]](松本智津夫)、宗教家(オウム真理教[[教祖]]、元代表)、[[テロリズム|テロリスト]](* [[1955年]]) **[[早川紀代秀]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1949年]]) **[[遠藤誠一]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1960年]]) **[[中川智正]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1962年]]) **[[新実智光|新實智光]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1964年]]) **[[土谷正実]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1965年]]) **[[井上嘉浩]]、オウム真理教元幹部、テロリスト(* [[1969年]]) * 2018年 - [[石坂公成]]、[[免疫学者]](* [[1925年]]) * 2018年 - [[中尾翔太]]、ダンサー([[FANTASTICS (グループ)|FANTASTICS]])(* [[1996年]]) * [[2019年]] - [[ジョアン・ジルベルト]]、[[歌手]]、[[ギタリスト]](* [[1931年]]) * 2019年 - [[キャメロン・ボイス]]、俳優(* [[1999年]]) * [[2020年]] - [[エンニオ・モリコーネ]]、作曲家 (* [[1928年]]) * 2020年 - [[安田裕美]]、ギタリスト、[[スタジオ・ミュージシャン]](* [[1948年]]) * 2020年 - [[渡田均]]、元[[プロ野球審判員]](* [[1958年]]) * 2020年 - [[メアリー・ケイ・ルトーノー]]、教師 (* [[1962年]]) * 2020年 - [[望月一]]、元プロ野球選手(* [[1968年]]) * [[2022年]] - [[高橋和希]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20221014-OHT1T51244.html?page=1 |title=「遊戯王」作者・高橋和希さんは少女を助けようとして海にのまれ死亡…7月沖縄でシュノーケリング中に |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[スポーツ報知]] |date=15 Oct 2022}}</ref>、漫画家、イラストレーター(* [[1961年]])※遺体発見日 {{-}} == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Sanfermines Vaquillas Pamplona 05.jpg|thumb|[[スペイン]]の[[サン・フェルミン祭]]。「牛追い祭」としても知られる|240x240ピクセル]] {{multiple image | footer = [[マラウイ]]の独立記念日。右画像はマラウイの伝統楽器を演奏する男性 | image1 = LocationMalawi.svg | width1 = 100 | alt1 = マラウイの位置 | image2 = Malawi_n3.jpg | width2 = 80 | alt2 = 伝統楽器を演奏する男性 }} [[Image:Salad_platter.jpg|thumb|180x180px|[[サラダ]]記念日。[[俵万智]]の同名の歌集に収められた短歌にちなむ。]] * [[独立記念日]]({{MWI}}) *: [[1964年]]のこの日、マラウイがイギリスから独立した。 * [[独立記念日]]({{COM}}) *: [[1975年]]のこの日、[[コモロ|コモロ連合]]が[[フランス]]から独立した。 * [[建国記念日]]({{LTU}}) *: 初代リトアニア王[[ミンダウガス]]が[[1253年]]に戴冠した日。 * [[ヤン・フス]]の日({{CZE}}) *: ヤン・フスの命日。 * [[サン・フェルミン祭]]({{ESP}}[[ナバラ州]]、[[7月14日|14日]]まで) *: 通称 牛追い祭り([[エンシエロ]]) * ワクチンの日({{JPN}}) *: [[1885年]]のこの日、フランスの[[ルイ・パスツール]]が開発した[[狂犬病]][[ワクチン]]が少年に接種されたことにちなみ、日本ベクトン・ディッキンソン株式会社が制定。ワクチンの大切さを知ってもらうことが目的<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=13|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * [[サラダ]]記念日({{JPN}}) *: [[俵万智]]の歌集『[[サラダ記念日]]』([[1987年]])の中に、この日がサラダ記念日という歌があることから。 * [[公認会計士]]の日({{JPN}}) *: [[日本公認会計士協会]]が[[1991年]]に制定。[[1948年]]のこの日に[[公認会計士法]]が制定されたことを記念<ref>{{Cite web|和書|url=https://jicpa.or.jp/cpainfo/introduction/organization/cpasystem/ |title=公認会計士制度 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=日本公認会計士協会}}</ref>。 * [[ピアノ]]の日({{JPN}}) *: [[1823年]]([[文政]]6年)のこの日、[[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]が初めて日本にピアノを持ち込んだ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/114830 |title=きょうは何の日 7月6日 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[東京新聞]] |date=6 Jul 2021}}</ref>。 * [[零式艦上戦闘機|零戦]]の日({{JPN}}) *: [[1939年]]のこの日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始まったことを記念<ref>{{Cite web|和書|url=http://kumonoue-lib.jp/index.php/kyono-issatsu/535-2020-06-22-07-48-04 |title=7月6日は零戦の日 |access-date=16 Jul 2023 |publisher=ゆすはら雲の上の図書館 |date=6 Jul 2020}}</ref>。 * ナンの日({{JPN}}) *: 株式会社ジェーシー・コムサが制定。小麦ご飯のひとつ「ナン」の美味しさをアピールするのが目的。日付は7と6で「ナン」と読む語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=12|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0706|date=Jul 2023}} * [[1974年]] - [[カナダ]]・[[サスカチュワン州]]アサバスカに、BETAを搭乗した着陸ユニットが飛来するも、着陸前に核兵器で殲滅する。(ゲーム『[[マブラヴ オルタネイティヴ]]』) * 14292年 - ガンバスター、地球に帰還。(アニメ『[[トップをねらえ!]]』) *:※第6話で、ガンバスターの操縦席に取り付けられたカレンダーに表記されている。 * 西暦不明 - 超光速ミサイルNo.7、ゴルゴダ星に向けて発射。(テレビ特撮『[[ウルトラマンA]]』) === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - [[海賊 (ONE PIECE)#ラッキー・ルウ|ラッキー・ルウ]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/character/Lucky_Roux/index.html |title=ラッキー・ルウ |access-date=16 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=尾田栄一郎|authorlink=尾田栄一郎 |year = 2012 |title = ONE PIECE BLUE DEEP CHARACTERS WORLD |page = 199 |publisher = [[集英社]] |series = ジャンプ・コミックス |isbn = 978-4-08-870445-6 }}</ref> * 生年不明 - 伴田幹也、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1544336563311706112}}</ref> * 生年不明 - ロッキー・メレディス、漫画・アニメ『テニスの王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1544336809743761409}}</ref> * 生年不明 - キン・ツチ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=[[集英社]]|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-873288-X|page=67}}</ref> * 生年不明 - ワンダーワイス・マルジェラ、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Bleach_BS|1676788056102404096}}</ref> * 生年不明 - 原田右之助、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1412280239506575360}}</ref> * 生年不明 - 五十嵐栗夢、漫画・アニメ『[[ブルーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bluelock_wm|1279792161991438336}}</ref> *生年不明 - 七宮智音、小説・アニメ『[[中二病でも恋がしたい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=中二病でも恋がしたい! 4|url=https://www.worldcat.org/oclc/1030181956|publisher=[[京都アニメーション]]|date=2017.12|isbn=978-4-907064-76-1|oclc=1030181956|others=Torako, [[虎虎]]|year=2017|page=164}}</ref> * 生年不明 - 岡田怜、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』4巻 株式会社[[芳文社]].2018年.カバー裏</ref> * 生年不明 - 新垣葵、漫画『[[ろんぐらいだぁす!|ろんぐらいだぁすとーりーず!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|longriderscomic|1279796566849515520}}</ref> * 生年不明 - シャロン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=76&cate=name&cont=Sharon |title=シャロン |access-date= 16 Jul 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]]|work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - コーエン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=59&cate=name&cont=Cohen |title=コーエン |access-date= 16 Jul 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]]|work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - セリア、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-164 |title=セリア |publisher=Vespa Inc |work=『キングスレイド』 |accessdate=16 Jul 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=164 |archivedate=4 Nov 2021}}</ref> * 生年不明 - エルゼ、ゲーム『キングスレイド』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-165 |title=エルゼ |publisher=Vespa Inc |work=『キングスレイド』 |accessdate=16 Jul 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=165 |archivedate=1 Nov 2021}}</ref> * 生年不明 - 九条柚葉、ゲーム『[[CUE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cue-liber.jp/character-08 |title=九条柚葉 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |accessdate=16 Jul 2023 |work=『CUE!』}}</ref> * 生年不明 - 水浦七瀬、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/miura |title=水浦 七瀬 |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |work=『八月のシンデレラナイン』 |accessdate=16 Jul 2023}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 6|6 July}} {{新暦365日|7|5|7|7|[[6月6日]]|[[8月6日]]|[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]|0706|7|06}} {{1年の月と日}}
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5,620
7月9日
7月9日(しちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から190日目(閏年では191日目)にあたり、年末まであと175日ある。
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7月9日(しちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から190日目(閏年では191日目)にあたり、年末まであと175日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月9日'''(しちがつここのか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から190日目([[閏年]]では191日目)にあたり、年末まであと175日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[加藤忠広]], [[リターン号]], [[キリスト教青年会]]/[[温水プール]], [[杉原千畝]](en OK, checked), [[ヘンリー・キッシンジャー]], [[大井川鐵道]]/[[蒸気機関車]]/[[動態保存]], [[キヤノン]]/[[カメラ]], [[南アフリカ共和国]], [[瀬戸 (列車)]], --> [[Image:14th_Amendment_Pg1of2_AC.jpg|thumb|upright|元[[奴隷]]の権利を確保する[[アメリカ合衆国憲法修正第14条]]批准(1868)。{{Squote|アメリカ合衆国で生まれ、あるいは帰化した者、およびその司法権に属することになった者全ては、アメリカ合衆国の市民であり、その住む州の市民である。<!--如何なる州もアメリカ合衆国の市民の特権あるいは免除権を制限する法を作り、あるいは強制してはならない。また、如何なる州も法の適正手続き無しに個人の生命、自由あるいは財産を奪ってはならない。さらに、その司法権の範囲で個人に対する法の平等保護を否定してはならない。-->――修正第14条第1節}}<!-- [[アメリカ合衆国憲法修正第14条]] 2010年6月6日 (日) 15:53 UTC より -->]] {{multiple image | footer = [[核兵器]]廃絶と科学技術の平和利用を訴えた[[ラッセル=アインシュタイン宣言]](1955)。署名者11人のうち、画像左から[[バートランド・ラッセル]]、[[アルベルト・アインシュタイン]]、[[湯川秀樹]]。{{Squote|我々は[[人類]]として人類に訴え掛ける。[[人間性]]を思い出し、他のことは忘れよう。そうできれば新しい楽園への道が開けるし、さもなくば世界の[[死]]の危険が待ち受ける。}} <!-- {{Squote|未来の世界戦争で核兵器が間違いなく用いられ、そうした兵器が[[人類]]の存続を脅かすという事実に鑑み、我々は世界の諸政府に、自身の目的を世界戦争により推し進めるべきでないことを認識し広め、政府間の全ての係争を解決する平和的手段を見出すよう促す。}} --> | image1 = Russell1907-2.jpg | width1 = 100 | alt1 = バートランド・ラッセル | image2 = Einstein1921_by_F_Schmutzer_2.jpg | width2 = 104 | alt2 = アルベルト・アインシュタイン | image3 = Yukawa.jpg | width3 = 91 | alt3 = 湯川秀樹 }} [[Image:Lituya_Bay_damage_detail.jpg|thumb|[[リツヤ湾]]で観測史上最大となる500mの[[津波]]発生(1958)]] <!-- [[Image:Nihon-Kagaku-Miraikan%2CKoto-ward%2CTokyo%2CJapan.JPG|thumb|[[日本科学未来館]]開館(2001)]] --> * [[208年]]([[建安 (漢)|建安]]13年6月9日癸巳) - [[後漢]]で[[三公]]制が廃止され、[[曹操]]が新設された[[丞相]]に就任。<!-- 後漢書 孝献帝紀 第九「十三年春正月,司徒趙溫免。夏六月,罷三公官,置丞相、御史大夫。癸巳,曹操自為丞相」より --> * [[455年]] - ローマの指揮官[[アウィトゥス]]が[[西ローマ帝国]]皇帝即位を宣言。 <!-- ユリウス暦。グレゴリオ暦では7月13日/* [[869年]]([[貞観 (日本)|貞観]]11年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]) - [[陸奥国]]東方沖を[[震源]]として[[貞観地震]]発生、約1000名の死傷者を出す。--> * [[1540年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]が、同年1月に行われた4番目の妻[[アン・オブ・クレーヴズ]]との結婚の無効([[離婚]])を宣言。 * [[1615年]]([[慶長]]20年[[6月1日 (旧暦)|6月1日]])- 江戸で晩雪 * [[1632年]]([[寛永]]9年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]])- [[熊本藩|熊本藩主]][[加藤忠広]]が[[改易]]。 * [[1673年]]([[延宝]]元年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]])- [[日英関係]]: [[1623年]]以来途絶していた日英間の通商再開を求めてイングランド船「[[リターン号]]」が長崎に来航。 * [[1755年]] - [[フレンチ・インディアン戦争]]: [[エドワード・ブラドック#モノンガヘラの戦い|モノンガヘラの戦い]] * [[1762年]](ユリウス暦[[6月28日]]) - [[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]がロシア皇帝に即位。 * [[1807年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[フランス]]と[[プロイセン王国]]が[[ティルジットの和約]]を締結。 * [[1810年]] - [[フランス帝国]]が[[姉妹共和国|衛星国]]の[[ホラント王国]]を併合。<!-- enより --> * [[1815年]] - [[シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール|タレーラン=ペリゴール]]が[[フランスの首相]]に就任。 * [[1816年]] - [[アルゼンチン]]が[[スペイン]]からの独立を宣言。 * [[1832年]] - コンスタンティノープル条約調印によりギリシャがオスマン帝国より正式に独立する。 * [[1850年]] - 第12代[[アメリカ合衆国大統領]]の[[ザカリー・テイラー]]が在職中に死去。副大統領の[[ミラード・フィルモア]]が第13代大統領に就任。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[ポートハドソンの包囲戦]]が終結。北軍が勝利し、[[ミシシッピ川]]を完全に支配。 * [[1868年]] - 元[[奴隷]]の権利を確保する[[アメリカ合衆国憲法修正第14条]]が批准。<!-- 1866は提案年 --> * [[1872年]] - [[マリア・ルス号事件]]。 * [[1877年]] - テニスの第1回[[ウィンブルドン選手権]]大会開催。 * [[1881年]] - [[福澤諭吉]]門下の[[阿部泰蔵]]らが明治生命保険(現 [[明治安田生命保険]])を設立。 *[[1917年]] - [[東京]][[キリスト教青年会|YMCA]]に日本初の室内[[温水プール]]が開場。 * [[1922年]] - [[ジョニー・ワイズミュラー]]が競泳100メートル[[自由形]]で58秒6を記録。[[競泳100メートル自由形の世界記録の変遷|人類で初めて1分の壁を破る]]。<!-- enより --> * [[1933年]] - [[松山城放火事件]]が起こる。 * [[1940年]] - 在[[リトアニア]][[日本]][[領事]]代理・[[杉原千畝]]が[[ユダヤ]]系難民に日本通過[[査証|ビザ]]を発行。[[9月4日]]までに2千枚以上を発行する。<!-- 『決定版20世紀年表』(小学館)に記載 --> * [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]による[[イタリア]]・[[シチリア島]]への上陸作戦[[ハスキー作戦]]が開始。<!-- 9日から10日にかけての夜に開始 --> * [[1944年]] - 第二次世界大戦・[[太平洋戦争]]: [[サイパンの戦い]]が終結。アメリカ軍が日本軍を潰滅させ[[サイパン島]]を占領。 * 1944年 - 第二次世界大戦・[[継続戦争]]: [[タリ=イハンタラの戦い]]が終結。フィンランドがソ連に勝利。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[和歌山大空襲]]。 <!--* [[1953年]] - [[赤橋利恵陰茎切断事件]]--> * [[1947年]] - [[日本プロ野球|日本のプロ野球]]初の[[野球界の永久欠番#日本プロ野球(NPB)の永久欠番|永久欠番]]に[[読売ジャイアンツ]]の[[黒沢俊夫]]の背番号4と[[沢村栄治]]の背番号14が指定される。 * [[1955年]] - [[バートランド・ラッセル]]が核戦争の危機を訴える「[[ラッセル=アインシュタイン宣言]]」を発表。[[アルベルト・アインシュタイン]]や[[湯川秀樹]]も声明に署名。 * 1955年 - [[東京ドームシティアトラクションズ|後楽園遊園地]]が開園。日本初の本格的な[[ジェットコースター]]を設置。 * [[1958年]] - [[警察庁]]が日本で初めて、全国に殺人・強盗事件21件、計26人を総合特別手配した。 * 1958年 - [[アラスカ州]]の[[リツヤ湾]]で高さ500メートルの観測史上最大の[[津波]]を観測。([[リツヤ湾大津波]])<!-- 現地時間では9日 --> * [[1962年]] - アメリカ合衆国が[[高高度核爆発]]実験「[[ドミニク作戦|スターフィッシュ・プライム]]」を実施。 * [[1971年]] - [[ヘンリー・キッシンジャー|キッシンジャー]][[国家安全保障担当大統領補佐官|アメリカ大統領補佐官]]が極秘裏に訪中し、翌年5月までに[[リチャード・ニクソン|ニクソン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]が訪中することを決定。<!-- 『決定版20世紀年表』(小学館)に記載 --> * [[1975年]] - 日華民間航空協定調印。前年4月から中断していた[[日本]]と[[中華民国]]([[台湾]])の間の空路が再開。 * [[1976年]] - [[大井川鐵道|大井川鉄道]]が、本線上では日本初の[[蒸気機関車]] (SL) の[[動態保存]]運転を開始。 * [[1979年]] - アメリカの無人惑星探査機「[[ボイジャー2号]]」が[[木星]]に最接近。 * [[1980年]] - [[パラオ]]で住民投票により憲法を採択。(パラオの憲法記念日) * [[1982年]] - [[キヤノン]]が世界初の完全自動化[[カメラ]]「スナッピィ50」を発売。 * [[1985年]] - [[徳島ラジオ商殺し事件]]で、日本の刑事事件初の死後[[再審]]により[[徳島地方裁判所|徳島地裁]]が無罪判決。 * [[1989年]] - [[東海旅客鉄道|JR東海]][[東海道本線]][[金山駅 (愛知県)|金山駅]]が開業、[[名古屋鉄道|名鉄]]金山橋駅が移転して、JR・名鉄・[[名古屋市営地下鉄]]を一体化した「金山総合駅」となる。<!-- 説明が長い。そもそも掲載が必要かどうか微妙。 --> <!-- * [[1990年]] - [[先進国首脳会議|ヒューストン・サミット]]開幕。 --> * [[1991年]] - [[国際オリンピック委員会]]が[[南アフリカ共和国]]の[[近代オリンピック|オリンピック大会]]復帰を承認。 <!-- * [[1994年]] - [[パークハイアット東京]]が[[東京都]][[新宿区]][[西新宿]]に開業。<!- 特筆性? --> * [[1998年]] - [[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]「[[サンライズ瀬戸|瀬戸]]」が最後の運行。翌日から[[電車]]による[[寝台特急列車|寝台特急]]「サンライズ瀬戸」に置き換え。 * 1998年 - 平成10年台風1号発生。最も発生の遅い[[台風]]1号。 <!-- 特筆性低い * [[1999年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]でTwo of a Kind([[ふたりはふたご]])が放送終了。 --> * [[2001年]] - [[日本科学未来館]]が開館。 * [[2002年]] - [[アフリカ連合]]が発足。 * [[2006年]] - [[S7航空778便着陸失敗事故]]。 <!-- * [[2006年]] - [[2006 FIFAワールドカップ]]決勝戦が[[ドイツ]] [[ベルリン]]の[[ベルリン・オリンピアシュタディオン|オリンピアシュタディオン]]で行われ、[[サッカーイタリア代表|イタリア]]が[[PK戦]]の末[[サッカーフランス代表|フランス]]を破り24年ぶり4回目の優勝。 --> * [[2011年]] - [[南スーダン共和国]]が[[スーダン共和国]]より独立<ref>{{Cite web|和書|date=2011年7月10日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2811783 |title=南スーダン共和国が独立、新首都で式典 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-30}}</ref>。 * [[2014年]] - [[ベネッセ個人情報流出事件]]の発生が公表された<ref>{{Cite web|和書|date=2014-07-10 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ09H7Z_Z00C14A7EA1000/ |title=「宝の山」顧客情報が標的に ベネッセ情報漏洩 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-03-30}}</ref>。 <!-- 7月8日? * [[2015年]] - [[在日韓国人に対する新しい在留管理制度]]施行後の外国人登録証明書から在留カードや特別永住者証明書への切り替えみなし期間終了。 --> * [[2015年]] - [[中華人民共和国]]政府が人権派弁護士の大量逮捕を開始([[709事件]])。 {{-}} == 誕生日 == <!-- {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --> [[Image:Emperor_Kameyama_statue_cropped.jpg|thumb|100px|[[亀山天皇]](1249-1305)]] [[Image:Emperor_Reigen.jpg|thumb|100px|[[霊元天皇]](1654-1732)]] <!--{{Double image aside|right|Emperor_Kameyama_statue_cropped.jpg|100|Emperor_Reigen.jpg|100|[[亀山天皇]](1249-1305)誕生|[[霊元天皇]](1654-1732)誕生}} (画像ダブり)--> <!-- [[Image:Piron,_Alexis.jpg|thumb|100px|劇作家[[アレクシス・ピロン]](1689-1773)]] --> [[Image:Respighi_1935.jpg|thumb|100px|作曲家[[オットリーノ・レスピーギ]](1879-1936)。代表作に『[[ローマの噴水]]』など]] <!-- 忌日と同じもの --> [[Image:Bundesarchiv_Bild_183-R0430-0305A%2C_Willi_Stoph.jpg|thumb|100px|[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の政治家[[ヴィリー・シュトフ]](1914-1999)誕生]] <!-- [[Image:Rumsfeld1.jpg|thumb|100px|アメリカ合衆国の政治家[[ドナルド・ラムズフェルド]](1932-)]] --> <!-- [[Image:9.13.09OliverSacksByLuigiNovi.jpg|thumb|100px|[[神経学]]者[[オリバー・サックス]](1933-)]] --> * [[1249年]]([[建長]]元年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]) - [[亀山天皇]]、第90代[[天皇]](+ [[1305年]]) * [[1629年]]([[寛永]]6年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]]) - [[戸田茂睡]]、歌学者(+ [[1706年]]) * [[1654年]]([[承応]]3年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[霊元天皇]]、第112代天皇(+ [[1732年]]) * [[1834年]] - [[ヤン・ネルダ]]、[[作家]]、[[詩人]] (+ [[1891年]]) * [[1874年]] - [[島崎赤太郎]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]](+ [[1933年]]) * [[1879年]] - [[オットリーノ・レスピーギ]]、[[作曲家]](+ [[1936年]]) * [[1888年]] - [[川路柳虹]]、[[詩人]]、[[評論家]](+ [[1959年]]) * [[1894年]] - [[アンドレアス・クログ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1964年]]) * [[1907年]] - [[清水幾太郎]]、[[社会学者]](+ [[1988年]]) * [[1908年]] - [[朝比奈隆]]、[[指揮者]](+ [[2001年]]) * [[1911年]] - [[マーヴィン・ピーク]]、[[ファンタジー]][[作家]]、[[画家]]、[[詩人]]、[[イラストレーター]](+ [[1968年]]) * 1911年 - [[ベン・イーストマン]]、[[陸上競技選手一覧|陸上選手]](+ [[2002年]]) * [[1912年]] - [[高野百介]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1945年]]) * [[1914年]] - [[ヴィリー・シュトフ]]、政治家(+ [[1999年]]) * [[1915年]] - [[デイヴィッド・ダイアモンド]]、作曲家(+ [[2005年]]) * [[1918年]] - [[大栗裕]]、作曲家(+ [[1982年]]) * [[1919年]] - [[オリン・エッゲン]]、[[天文学者]](+ [[1998年]]) * [[1921年]] - [[山中貞則]]、政治家(+ [[2004年]]) * [[1922年]] - [[吉江英四郎]]、元プロ野球選手(+ [[1986年]]) * [[1924年]] - [[レナード・ペナリオ]]、[[ピアニスト]](+ [[2008年]]) * [[1925年]] - [[松野宏軌]]、[[映画監督]]、テレビ[[ディレクター]](+ 没年不明) * [[1932年]] - [[ドナルド・ラムズフェルド]]、[[政治家]]、第13代・第21代[[アメリカ合衆国国防長官]](+ [[2021年]]) * [[1933年]] - [[オリバー・サックス]]、[[神経学|神経学者]](+ [[2015年]]) * [[1936年]] - [[笹川ひろし]]、[[アニメーション]]監督、[[漫画家]]、[[作家]] * [[1937年]] - [[デイヴィッド・ホックニー]]、[[画家]] * [[1938年]] - [[斎藤良雄]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[ロバート・フランケル]]、[[調教師]](+ [[2009年]]) * [[1942年]] - [[松山英太郎]]、[[俳優]](+ [[1991年]]) * [[1943年]] - [[マイク・アンドリュース]]、プロ野球選手 * [[1945年]] - [[ディーン・R・クーンツ]]、[[小説家]] * [[1946年]] - [[中島義道]]、哲学者、電気通信大教授 * 1946年 - [[岩崎俊男]]、実業家、キャピタリスト * [[1947年]] - [[中山史郎]]、テレビディレクター、演出家 * 1947年 - [[細野晴臣]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1947年 - [[O・J・シンプソン]]、元[[アメリカンフットボール]]選手、俳優 * [[1948年]] - [[エド山口]]、[[タレント]] * [[1949年]] - [[杉山重雄]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[阪田隆]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[村田辰美]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[稲垣潤一]]、[[歌手]] * 1953年 - [[安田栗之助]]、[[ローカルタレント]] * 1953年 - [[安東由喜雄]]、病態情報解析学教授 * [[1954年]] - [[田代富雄]]、元プロ野球選手 * [[1955年]] - [[石崎岳]]、政治家 * [[1956年]] - [[トム・ハンクス]]、俳優 * 1956年 - [[ガイ・ホフマン]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[ケリー・マクギリス]]、女優 * [[1958年]] - [[鳴海章]]、作家 * 1958年 - [[久本雅美]]、[[お笑いタレント]] * 1958年 - [[南流石]]、[[振付師]] * 1958年 - [[佐久田脩]]、俳優、[[声優]](+ [[2020年]]) * [[1959年]] - [[布施辰徳]]、タレント * 1959年 - [[石川太郎]]、アナウンサー * 1959年 - [[服部浩一]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[ジム・カー]]、歌手 * [[1960年]] - [[浅野ゆう子]]、女優 * [[1961年]] - [[三輝みきこ]]、女優 * [[1962年]] - [[高見知佳]]、タレント(+ [[2022年]]) * 1962年 - [[西川進]]、[[音楽プロデューサー]]、ミュージシャン、[[ギタリスト]] * [[1964年]] - [[ジャンルカ・ヴィアリ]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者 * 1964年 - [[可愛かずみ]]、タレント(+ [[1997年]]) * 1964年 - [[石井浩一]]、ゲームクリエイター * [[1965年]] - [[高河ゆん]]、漫画家 * [[1966年]] - [[加藤成史]]、陸上選手、アナウンサー * 1966年 - [[ポーリン・デービス=トンプソン]]、陸上選手 * [[1967年]] - [[岡本圭治]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[倉田英之]]、[[脚本家]] * 1968年 - [[松下由樹]]、女優 * 1968年 - [[青柳進]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[パオロ・ディ・カーニオ]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * [[1970年]] - [[松山三四六]]、タレント * 1970年 - [[津田雅美]]、漫画家 * 1970年 - [[中原翔子]]、女優 * [[1971年]] - [[マーク・アンドリーセン]]、プログラマー * [[1972年]] - [[有田真平]]、放送作家 * [[1973年]] - [[望月重良]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * [[1974年]] - [[草彅剛]]、歌手、俳優、タレント(元[[SMAP]]) * 1974年 - [[トム・エバンス (野球)|トム・エバンス]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[杉本潔彦]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[ギャリー・ケリー]]、元サッカー選手 * [[1975年]] - [[小川七生]]、歌手 * [[1976年]] - [[金沢浄]]、元サッカー選手 * [[1977年]] - [[堀潤]]、[[アナウンサー]] * [[1978年]] - [[濱中治]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[アレファンドロ・ケサダ]]、プロ野球選手 <!-- 特筆性は? * 1978年 - 岩見亮、テニス選手 --> * [[1979年]] - [[中田浩二 (サッカー選手)|中田浩二]]、元サッカー選手 * [[1980年]] - [[吉野智行]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[吉村崇]]、お笑いタレント([[平成ノブシコブシ]]) * 1980年 - [[李威 (俳優)|李威]]、俳優 * [[1981年]] - [[小泉ニロ]]、歌手 * 1981年 - [[南竜介]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[安藤梢]]、サッカー選手 * 1982年 - [[河野淳吾]]、競輪選手、元サッカー選手 * 1982年 - [[吉田友一]]、俳優 * 1982年 - [[山本左近]]、衆議院議員、元[[フォーミュラ1|F1]][[レーシングドライバー|ドライバー]] * 1982年 - [[皆川真里奈]]、ヴァイオリニスト * [[1983年]] - [[つるうちはな]]、シンガーソングライター * 1983年 - [[吉澤智恵]]、[[バレーボール]]選手 * 1983年 - [[イリーナ・トカチュク]]、フィギュアスケート選手 * 1983年 - [[ミゲル・モンテロ]]、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[滴草由実]]、歌手 * 1984年 - [[高市俊]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[フアン・カルロス・リナレス (1984年生の外野手)|フアン・カルロス・リナレス]]、[[野球選手]] * 1984年 - [[清水依与吏]]、ミュージシャン([[back number]]) * 1984年 - [[國立幸]]、声優 * [[1985年]] - [[アシュリー・ヤング]]、サッカー選手 * 1985年 - [[水橋貴己]]、女優 * 1985年 - [[西山将士]]、柔道家 * 1985年 - [[山田裕司]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[谷哲也]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[コンスタンツェ・パウリヌス]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1985年 - [[チャールズ・カトラー]]、野球選手 * [[1986年]] - [[持月玲依]]、声優 * [[1987年]] - [[美馬アンナ]]、女優、歌手(元[[BON-BON BLANCO]]) * 1987年 - [[川口容資]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[古川雄大]]、俳優 * 1987年 - [[やしろ優]]、お笑いタレント * [[1988年]] - [[鈴木奈々]]、モデル、タレント * 1988年 - [[ラウル・ルセスク]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[安野希世乃]]<ref name="cd_jounal">{{Cite web|和書|url=https://artist.cdjournal.com/a/yasuno-kiyono/909124|title=安野希世乃|work=CDJournal|publisher=音楽出版社|accessdate=2020-11-18}}</ref>、声優、歌手 * 1989年 - [[中島イシレリ]]、ラグビー選手 * [[1990年]] - [[池松壮亮]]、俳優 * 1990年 - [[安藝正俊]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ファビオ・ペレイラ・ダ・シウヴァ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ラファエウ・ペレイラ・ダ・シウヴァ]]、サッカー選手 * 1990年 - 別府ともひこ、お笑いタレント([[エイトブリッジ]]) * [[1991年]] - [[桂依央利]]、元プロ野球選手 * [[1993年]] - [[佐藤真知子]]、アナウンサー * 1993年 - [[野村亮介]]、元プロ野球選手 * [[1995年]] - [[正木郁]]、俳優 * [[1996年]] - [[栗林良吏]]<ref name=”carp20201026”>{{Cite web|和書|title=2020年プロ野球ドラフト会議 交渉権獲得選手情報! |url=https://www.carp.co.jp/news21/2020/n-200.html |website=広島東洋カープ公式サイト |date=2020-10-26 |accessdate=2021-07-11}}</ref>、プロ野球選手 * 1996年 - [[森岡悠]]、女優、歌手(元[[GEM (アイドルグループ)|GEM]]) * 1996年 - [[夏目綾]]、[[グラビアアイドル]] * [[1997年]] - [[佐藤ノア]]、ファッションモデル * 1997年 - [[イバン・ビジャール]]、サッカー選手 * [[1998年]] - [[小柏剛]]、サッカー選手 * [[1999年]] - [[阪口晴南]]、レーシングドライバー * [[2000年]] - [[素根輝]]、[[柔道家]] * 2000年 - [[由薫]]、シンガーソングライター * [[2001年]] - [[平塚翔馬]]、アイドル(ジャニーズJr.、少年忍者) * 2001年 - [[瀧脇笙古]]、アイドル([[=LOVE]]) * [[2002年]] - [[下田翔大]]、俳優 * 2002年 - [[ニコラス (歌手)|ニコラス]]、アイドル([[&TEAM]]) * [[2013年]] - [[田中乃愛]]、[[子役]] * 生年不明 - てるとくん、歌い手([[KnightA-騎士A-]]) == 忌日 == [[Image:Sanj%C5%ABrokkasen-gaku_-_7_-_Kan%C5%8D_Tan%E2%80%99y%C5%AB_-_Ariwara_no_Narihira_Asomi.jpg|thumb|120px|貴族・歌人、[[在原業平]](825-880)没。画像は[[狩野探幽]]画(1648)。{{Squote|名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと――『[[古今和歌集]]』}}]] <!-- {{Squote|狩りくらし[[七夕]]つめに宿からむあまのかはらに我はきにけり――『[[古今和歌集]]』}} --> {{multiple image | footer = [[初期フランドル派]]の画家[[ヤン・ファン・アイク]](1390-1441)没。左画像は自画像ともされる『ターバンの男の肖像』(1433)、右は『アルノルフィーニ夫妻像』(1434) | image1 = Jan_van_Eyck_091.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像とも考えられる『ターバンの男の肖像』 | image2 = Van Eyck - Arnolfini Portrait.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『アルノルフィーニ夫妻像』 }} <!-- TODO: 記事本体加筆 --> <!-- [[Image:Medicigiangastonepixelgiusti.jpg|thumb|100px|[[メディチ家]]最後の[[トスカーナ大公]]、[[ジャン・ガストーネ・デ・メディチ]](1671-1737)没]] --> <!-- [[Image:Braddock%27s_death_at_the_Battle_of_Monongahela_9-July-1755.jpg|thumb|100px|イギリスの将軍[[エドワード・ブラドック]](1695-1755)、モノンガヘラの戦いで戦死]] --> <!-- [[Image:EdmundBurke1771.jpg|thumb|100px|「[[保守主義]]の父」、政治家・著述家[[エドマンド・バーク]](1729-1797)没。{{Squote|[[自由]]と[[正義]]が分離される時は常に、<!-私に言わせれば、->どちらも安泰ではない。――書簡より(1789)}}]] --> <!-- {{multiple image | footer = 第12代アメリカ合衆国大統領[[ザカリー・テイラー]](1784-1850)没 | image1 = Zachary_Taylor_2.jpg | width1 = 100 | alt1 = ザカリー・テイラー | image2 = Zachary_Taylor_Grave.JPG | width2 = 100 | alt2 = 墓 }} --> <!-- [[Image:Avogadro_Amedeo.jpg|thumb|100px|物理学者・化学者、[[アメデオ・アヴォガドロ]](1776-1856)没。[[アボガドロの法則]]、[[アボガドロ定数]]に名が残る]] --> {{multiple image | footer = 作家・軍医、[[森鷗外]](1862-1922)没。<!--{{Squote|僕は生まれながらの傍観者である。子供に交って遊んだ初から大人になって社交上尊卑種々の集会に出て行くようになった後まで、どんなに感興の湧き立った時も、僕はその渦巻に身を投じて、心から楽んだことがない。<!-僕は人生の活劇の舞台にいたことはあっても、役らしい役をしたことがない。高がスタチストなのである。さて舞台に上らない時は、魚が水に住むように、傍観者が傍観者の境に安んじているのだから、僕はその時尤もその所を得ているのである。->――『百物語』(1911)}}--> {{Squote|余ハ[[石見]]人森林太郎トシテ死セント欲ス[[宮内省]][[大日本帝国陸軍|陸軍]]皆縁故アレドモ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス森林太郎トシテ死セントス墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス――遺言}} <!-- {{Squote|余は[[石見]]人森林太郎として死せんと欲す。[[宮内省]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]]、皆縁故あれども、生死別るる瞬間あらゆる外形的取扱いを辞す。森林太郎として死せんとす。墓は「森林太郎墓」の外、一字も彫るべからず。――遺言}} 現代表記とどちらがいいかな? --> | image1 = Ougai_Mori_October_22%2C_1911.jpg | width1 = 160 | alt1 = 森鴎外 | image2 = Mori_Ogai_Tomb.jpg | width2 = 100 | alt2 = 墓 }} <!-- TODO: Squote改善 --> <!-- {{Squote|日の光を藉りて照る大いなる月たらんよりは、自ら光を放つ小き燈火たれ。――『知恵袋』}} --> * [[518年]] - [[アナスタシウス1世]]、[[東ローマ帝国|東ローマ]]皇帝(* [[431年]]) * [[880年]]([[元慶]]4年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]) - [[在原業平]]、[[歌人]](* [[825年]]) * [[1386年]] - [[レオポルト3世 (オーストリア公)|レオポルト3世]]、[[オーストリア君主一覧|オーストリア公]](* [[1351年]]) * [[1441年]] - [[ヤン・ファン・アイク]]、[[画家]](* [[1387年]]) * [[1491年]]([[延徳]]3年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - 彦竜周興、[[禅僧]](* [[1458年]]) * [[1553年]] - [[モーリッツ (ザクセン選帝侯)|モーリッツ]]、[[ザクセン選帝侯]](* [[1521年]]) * [[1602年]]([[慶長]]7年[[5月20日 (旧暦)|5月20日]]) - [[前田玄以]]、[[豊臣政権]][[五奉行]]、[[丹波亀山藩|丹波亀山藩主]](* [[1539年]]) * [[1654年]] - [[フェルディナント4世 (ローマ王)|フェルディナント4世]]、[[ローマ王]](* [[1633年]]) * [[1658年]]([[万治]]元年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[中村勘三郎 (初代)]]、[[歌舞伎|歌舞伎役者]](* [[1598年]]) * [[1737年]] - [[ジャン・ガストーネ・デ・メディチ]]、[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]](* [[1671年]]) * [[1746年]] - [[フェリペ5世 (スペイン王)|フェリペ5世]]、[[スペイン|スペイン王]](* [[1683年]]) * [[1747年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ]]、[[作曲家]](* [[1670年]]) * [[1797年]] - [[エドマンド・バーク]]、[[評論家]](* [[1729年]]) * [[1755年]] - [[エドワード・ブラドック]]、政治家(* [[1695年]]) * [[1850年]] - [[ザカリー・テイラー]]、第12代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1784年]]) * [[1852年]] - [[トマス・マッキーン・トンプソン・マッケナン]]、第2代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1794年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]) - [[村田清風]]、[[長州藩]][[家老]](* [[1783年]]) * [[1856年]] - [[アメデオ・アヴォガドロ]]、[[化学者]](* [[1776年]]) * [[1894年]] - [[一条美賀子]]、[[江戸幕府]]15代[[征夷大将軍|将軍]][[徳川慶喜]]の[[正室]](* [[1835年]]) * [[1916年]] - [[上田敏]]、[[文学者]]、[[評論家]](* [[1874年]]) * [[1922年]] - [[森鷗外]]、[[小説家]](* [[1862年]]) * [[1951年]] - [[ハリー・ハイルマン]]、元[[プロ野球選手]](* [[1894年]]) * [[1955年]] - [[アドルフォ・デ・ラ・ウエルタ]]、政治家、第46代[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]](* [[1881年]]) * [[1959年]] - [[橘外男]]、小説家(* [[1894年]]) * [[1964年]] - [[阿部眞之助]]、第9代[[日本放送協会|NHK]]会長(* [[1884年]]) * [[1974年]] - [[アール・ウォーレン]]、[[カリフォルニア州知事の一覧|カリフォルニア州知事]]、[[合衆国最高裁判所|アメリカ最高裁長官]](* [[1891年]]) * [[1976年]] - [[トム・ヨーキー]]、[[メジャーリーグ]]球団オーナー(* [[1903年]]) * [[1977年]] - [[藤木英雄]]、[[法学者]](* [[1932年]]) * [[1980年]] - [[ヴィニシウス・ヂ・モライス]]、[[作詞家]]・ブラジル[[外交官]](* [[1913年]]) * [[1981年]] - [[春風亭一柳]]、[[落語家]](* [[1935年]]) * [[1985年]] - [[マーガレット・モールズワース]]、[[テニス]]選手(* [[1894年]]) * 1985年 - [[シャルロット (ルクセンブルク大公)|シャルロット]]、[[ルクセンブルク大公]](* [[1896年]]) * [[1996年]] - [[島津忠秀]]、[[水産学|水産学者]]、[[切手]]収集家(* [[1912年]]) * 1996年 - [[大塚久雄]]、[[経済史]][[研究者]](* [[1907年]]) * [[1998年]] - [[幸田宗丸]]、[[俳優]](* [[1920年]]) * [[1999年]] - [[橋爪浩一]]、俳優、[[ファッションモデル]](* [[1972年]]) * [[2000年]] - [[斎藤栄三郎]]、[[政治家]]、[[経済評論家]](* [[1913年]]) * [[2002年]] - [[ロッド・スタイガー]]、俳優(* [[1925年]]) * [[2003年]] - [[谷恒生]]、[[作家]](* [[1945年]]) * [[2004年]] - [[カルロ・ディ・パルマ]]、[[撮影監督]](* [[1925年]]) * [[2005年]] - [[西川清]]、[[実業家]](* [[1938年]]) * [[2006年]] - [[ミラン・ウイリアムズ]]、[[キーボード (楽器)|キーボード]]奏者([[コモドアーズ]])(* [[1948年]]) * [[2007年]] - [[チャールズ・レイン]]、俳優(* [[1905年]]) * [[2008年]] - [[工藤精一郎]]、[[ロシア文学者]](* [[1922年]]) * 2008年 - [[デイヴィッド・オーズベル]]、[[心理学者]](* [[1918年]]) * [[2009年]] - [[平岡正明]]、[[評論家]](* [[1941年]]) * [[2012年]] - [[山田五十鈴]]、女優(* [[1917年]]) * [[2013年]] - [[吉田昌郎]]、福島第一原子力発電所所長(* [[1955年]]) * [[2014年]] - 月宮かれん、アイドル([[スチームガールズ]])(* [[1996年]]) * [[2019年]] - [[ジャニー喜多川]]、[[ジャニーズ事務所]]社長、[[実業家]]、芸能[[興行#事業分類|プロモーター]]、[[音楽プロデューサー]] (* [[1931年]]) * [[2020年]] - [[朴元淳]]<ref>{{cite news|title=ソウル市長 遺体で発見=自殺か|newspaper=聯合ニュース日本語版|date=2020-07-10|url=https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200710000300882|accessdate=2020-11-21}}</ref>、元[[ソウル特別市長]](* [[1956年]]) * [[2023年]] - [[ルイス・スアレス・ミラモンテス]]、元サッカー選手、サッカー指導者(* [[1935年]]) === 人物以外(動物など) === * [[1960年]] - [[タロとジロ|ジロ]]、[[樺太犬]](* [[1955年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[アルゼンチン]]が[[スペイン]]からの独立を宣言(1816)。左画像は独立宣言、右は「[[7月9日大通り]]」 | image1 = Acta_Independencia_argentina_quechua.jpg | width1 = 100 | alt1 = 独立宣言 | image2 = Buenos_Aires-Av._9_de_julio.jpg | width2 = 160 | alt2 = 「7月9日大通り」 }} <!-- [[Image:Houzuki-ichi-at-Sensoji.jpg|thumb|[[浅草寺]]の[[ほおずき]]市・四万六千日]] --> * [[独立記念日|独立宣言の日]]({{ARG}}) *: [[1816年]]のこの日、アルゼンチンがスペインから独立した。後年、ホセ・ルイス・パドゥーラが[[7月9日 (曲)|「7月9日」]]と題するタンゴを作曲している。 * [[ローラーコースター|ジェットコースター]]の日({{JPN}}) *: [[1955年]]のこの日に開園した[[後楽園遊園地]]に日本初の本格的なジェットコースターが設置されたことにちなむ。 * [[憲法記念日]]({{PLW}}) *: [[1980年]]のこの日、アメリカ信託統治下のパラオで住民投票により憲法が採択された。 * ほおずき市({{JPN}} [[浅草寺]]) <!--ほおずき市、四万六千日ともに7/9-10の両日のようなことが[[浅草寺]]に書いてあります --> {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0709|date=2011年6月}} * [[2112年]] - アラスカ特殊放射線研究所にてテロリストによる大規模テロが発生。同時に研究設備の一部が日防軍に奪取される。(ゲーム『[[FRONT MISSION3]]』、『[[FRONT MISSION5 Scars of the War]]』) * アストラギウス暦7213年 - アンティテーツ星にて[[ギルガメス]]・[[バララント]]両国家間での停戦協定が締結し、第三次銀河大戦([[百年戦争 (装甲騎兵ボトムズ)|百年戦争]])終結。(アニメ『[[装甲騎兵ボトムズ]]』) === 誕生日(フィクション) === * 1995年 - 小早川ティナ、アニメ『[[Wake Up, Girls!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|publisher=Wake Up Girls!公式サイト|url=https://wakeupgirls.jp/character16.html|title=Character - 小早川ティナ|accessdate=2014-07-09}}</ref> *生年不明 - 黄金川貫至<!-- こがねがわ かんじ -->、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2015|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-880316-6|quote=|date=|volume=15巻|page=28}}</ref> * 生年不明 - テワク、漫画『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|title=D.Gray-man キャラクター ランキングブック キャラグレ!|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2011|page=87|isbn=978-4-08-870268-1}}</ref> * 生年不明 - ドルドラム、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2019年7月8日 (月) 15:15 (UTC)}} * 生年不明 - 雲雀丘瑠璃<!-- ひばりがおか るり -->、漫画・アニメ『[[あんハピ♪]]』の主人公の一人<ref>{{Cite web|和書|url=http://anne-happy.com/character/2 |title=雲雀丘瑠璃(ひばりがおか るり) |publisher=TVアニメ「あんハピ♪」公式サイト |accessdate=2016-05-01}}</ref> *生年不明 - 四方蓮示<!-- よも れんじ -->、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref name=":02">{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2014|title=東京喰種トーキョーグール|publisher=集英社|location=|isbn=978-4-08-879859-2|date=|volume=12巻|quote=カバー裏}}</ref> *生年不明 - 七瀬陸、ゲーム、アニメ、漫画『アイドリッシュセブン』に登場するキャラクター<ref name="Idolish7">{{Cite web |url= https://idolish7.com/unit/ |title=UNIT |publisher=アイドリッシュセブン(IDOLISH7)公式サイト |date= |accessdate=2022-07-09}}</ref> *生年不明 - 九条天、ゲーム、アニメ、漫画『アイドリッシュセブン』に登場するキャラクター<ref name="Idolish7"/> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 9|9 July}} {{新暦365日|7|8|7|10|[[6月9日]]|[[8月9日]]|[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]|0709|7|09}} {{1年の月と日}}
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7月10日
7月10日(しちがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から191日目(閏年では192日目)にあたり、年末まであと174日ある。
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7月10日(しちがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から191日目(閏年では192日目)にあたり、年末まであと174日ある。
{{カレンダー 7月}} '''7月10日'''(しちがつとおか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から191日目([[閏年]]では192日目)にあたり、年末まであと174日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[アダムズ=オニス条約]], [[フロリダ州]], [[日本体育協会]], [[タクシー]], [[建設省]], [[文化放送]], [[深夜番組]], [[バングラデシュ]], [[出水市]], --> [[ファイル:Irukaansatsuzu.jpg|thumb|[[乙巳の変]] (645)、[[蘇我入鹿]]が暗殺される]] <!-- [[ファイル:Tokyo_Asahi_Shimbun_Company_Building.JPG|thumb|[[東京朝日新聞]]創刊 (1888)。画像は東京朝日新聞社]] 大阪の朝日新聞社に買収されてのスタートなので、これが現在の朝日新聞の原点という訳ではないらしい --> <!-- [[ファイル:Pointingalphabet.jpg|thumb|220px|[[ゾロアスター教]]徒の[[メヘル・バーバー]]、悟りを得る(1925)。以後没すまでの44年間一切発声しなかった。画像は文字盤で意思疎通するメヘル・バーバー]] --> [[ファイル:Jedwabne_Z-pomnik.jpg|thumb|100px|[[ポーランド]]人による[[ユダヤ人]]虐殺、[[イェドヴァブネ事件]] (1941)。画像は記念碑]] {{multiple image | footer = フランスの[[ヴィシー政権]]、[[フィリップ・ペタン]](左画像)を国家主席とすることだけを定めた新憲法を採択。右画像はパリをパレードする[[ナチス・ドイツ]]の車列。{{Squote|国民議会は、ペタン元帥の職権と署名の下、1つまたは複数の法令によってフランス国の新憲法を制定するために、共和国政府に全ての権力を委譲する。この憲法は[[労働、家族、祖国]]を保証するものでなければならない。――[[1940年7月10日の憲法的法律]]}} | image1 = Philippe Pétain (en civil, autour de 1930).jpg | width1 = 100 | alt1 = ペタン元帥 | image2 = Nazi-parading-in-elysian-fields-paris-desert-1940.png | width2 = 160 | alt2 = パリをパレードするナチス }} [[ファイル:British_and_German_aircraft_a_dog_fight.jpg|thumb|[[第二次世界大戦]]、イギリスの制空権を争う[[バトル・オブ・ブリテン]]はじまる (1940)]] [[ファイル:Sendai_after_the_1945_air_raid.JPG|thumb|[[仙台空襲]] (1945)]] [[ファイル:US_and_North_Korean_negotiators_initial_maps_showing_the_north_and_south_boundaries_of_the_demarcation_zone_HD-SN-99-03175.JPEG|thumb|開城で[[朝鮮戦争]]の休戦会談開始 (1951)。画像は10月11日の会談]] <!-- [[ファイル:Telstar.jpg|thumb|upright|アメリカ合衆国の通信衛星、[[テルスター衛星|テルスター1号]]打ち上げ(1962)]] --> [[ファイル:%D0%91%D0%BE%D1%80%D0%B8%D1%81_%D0%9D%D0%B8%D0%BA%D0%BE%D0%BB%D0%B0%D0%B5%D0%B2%D0%B8%D1%87_%D0%95%D0%BB%D1%8C%D1%86%D0%B8%D0%BD.jpg|thumb|100px|[[ボリス・エリツィン]]、[[ロシア]]の初代大統領に就任 (1991)]] <!-- [[ファイル:Ookumadouzou.jpg|thumb|100px|日本初の[[立体商標]]登録(1998)。画像はそのうちの1つ、[[大隈重信]]像]] --> * [[紀元前48年]] - [[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内戦]]: [[デュッラキウムの戦い]] * [[645年]](皇極天皇4年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[乙巳の変]]で[[蘇我入鹿]]が暗殺される。 <!-- 旧暦 * [[1156年]] - [[保元の乱]]: [[白河殿]]夜討。 --> * [[1170年]]([[嘉応]]2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - 奥州の[[藤原秀衡]]が[[鎮守府将軍]]に任命される。 * [[1205年]]([[元久]]2年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[畠山重忠の乱]]: [[北条時政]]が武蔵・二俣川で[[畠山重忠]]一族を討つ。 * [[1460年]] - [[薔薇戦争]]: [[ノーサンプトンの戦い (1460年)|ノーサンプトンの戦い]]。 * [[1553年]] - [[ジョン・ダドリー (初代ノーサンバランド公)|ノーサンバランド公ジョン・ダドリー]]が[[ジェーン・グレイ]]の[[イングランド王国|イングランド]]女王即位を宣言。後に、[[7月19日|19日]]に即位を宣言した[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]により逮捕・処刑される。 * [[1584年]] - [[八十年戦争]]: [[ウィレム1世 (オラニエ公)|ウィレム1世]](沈黙公)がスペイン方のフランス人により暗殺される。 * [[1804年]]([[文化 (元号)|文化]]元年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[象潟地震]]。秋田の[[象潟|象潟湖]]が地震による海底隆起で陸地になる。 * [[1821年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[スペイン]]の間の[[アダムズ=オニス条約]]が発効。アメリカが[[フロリダ州|フロリダ]]を獲得。 * [[1888年]] - 大阪の[[朝日新聞社]]が買収した『[[めさまし新聞]]』が『[[東京朝日新聞]]』(現在の[[朝日新聞東京本社]]発行による[[朝日新聞]])に改題して新創刊。 * [[1890年]] - [[ワイオミング準州]]が州に昇格し、[[アメリカ合衆国]]44番目の州・[[ワイオミング州]]となる。 * [[1908年]] - [[ヘイケ・カメルリング・オネス]]によって初の[[ヘリウム]]の[[液体ヘリウム|液化]]に成功。 * [[1911年]] - 日本体育協会(現・[[日本スポーツ協会]])創立。 * [[1912年]] - [[東京]]・[[有楽町]]にて日本初の[[タクシー]]会社「タクシー自働車株式会社」設立(開業は同年8月)。<!-- [[日本のタクシー]]に記載あり --> * [[1925年]] - [[メヘル・バーバー]]が[[悟り]]を得て、以降[[1969年]]に亡くなるまでの44年間声を発しなくなる。 ([[:en:Silence Day]])<!-- enより --><!-- enでは記念日扱いですね --> * [[1927年]] - [[岩波文庫]]創刊。 * [[1932年]] - [[日本共産党]]が機関紙「[[しんぶん赤旗|赤旗]]」紙上で[[32年テーゼ]]を発表。 * [[1936年]] - [[コム・アカデミー事件]]。左派系の学識者を[[治安維持法]]違反の容疑で一斉検挙<ref>共産党シンパの学者、文化人をいっせい検挙『東京日日新聞』昭和11年7月11日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p196 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1939年]] - [[イェドヴァブネ事件]]。[[ポーランド]]・イェドヴァブネで非ユダヤ系住人が[[ユダヤ人]]を[[ポグロム|虐殺]]。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[フランス]]の[[ヴィシー政権]]が[[フランス第三共和政|第三共和政]][[憲法]]を廃棄し、[[フィリップ・ペタン]]を国家主席とすることだけを定めた新憲法を採択。<!-- 項目によって日付が違う。[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]では7月9日、[[ヴィシー政権]]では7月10日、[[フランス第三共和政]]では7月12日 --> * 1940年 - 第二次世界大戦: [[バトル・オブ・ブリテン]]が始まる。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[ハスキー作戦]]が始まる。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[仙台空襲]]。 * [[1947年]] - 沖縄県[[石垣市]]が市制施行。 * [[1948年]] - 建設院が省に昇格して[[建設省]]が発足。 * [[1951年]] - [[朝鮮戦争]]: [[開城]]で朝鮮戦争の休戦会談を開始。 <!-- 日附まで確認できず。『決定版20世紀年表』(小学館)には「1954年7月」までしか書かれてない。 * [[1954年]] - [[文化放送|日本文化放送]]が初の[[深夜番組|深夜放送]]を開始。 --> * [[1954年]] - 福島県[[内郷市]](現 [[いわき市]])、茨城県水海道市(現 [[常総市]])が市制施行。 * [[1962年]] - 当時世界最大の[[タンカー]]「[[日章丸 (タンカー・3代)|日章丸]]」が[[進水]]。<!-- 『決定版20世紀年表』(小学館)に記載。[[出光興産]]には10月7日「建造」とあるが? --> * 1962年 - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]が世界初の[[通信衛星|能動型通信衛星]][[テルスター衛星|テルスター1号]]を打ち上げ。 * [[1966年]] - [[特撮]]テレビ番組『[[ウルトラマン]]』第1回の放送となる『[[ウルトラマン#関連番組|ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生]]』が放送される。 * [[1969年]] - [[同和対策事業|同和対策事業特別措置法]]公布。 * [[1972年]] - [[ぴあ (雑誌)|月刊『ぴあ』]]創刊。<!-- 特筆性? --> * [[1973年]] - [[バハマ]]が[[イギリス]]より独立。 * 1973年 - [[バングラデシュ]]を[[国家の承認|承認]]する決議が[[パキスタン]]の[[国民議会 (パキスタン)|国民議会]]を通過。<!-- enより --> * 1973年 - 実業家[[ジャン・ポール・ゲティ]]の孫の[[ジョン・ポール・ゲティ3世|ジョン・ポール・ゲティ]]がローマで[[誘拐]]される。 * [[1974年]] - [[沖縄県]]の[[伊江島]]で[[在日米軍]]による[[伊江島事件]]が起こる。 * [[1976年]] - [[イタリア]]の[[セベソ]]にある[[除草剤]]トリクロロフェノール製造工場で爆発事故が発生し住民に[[ダイオキシン]]の被害が多数発生する([[セベソ事故]])。 * [[1978年]] - [[ABCニュース (アメリカ)]]の報道番組のABCイブニング・ニュースが番組名変更、『[[ABCワールド・ニュース|ワールド・ニュース・トゥナイト]]』が放送開始。 * 1978年 - [[モーリタニア]]で無血クーデター。大統領[[モクタル・ウルド・ダッダ]]が失脚。 * [[1985年]] - [[フランス]]の[[核実験]]阻止のために活動していた環境保護団体、[[グリーンピース (NGO)|グリーンピース]]の「[[レインボー・ウォーリア号 (初代)|虹の戦士]]」号が爆破され沈没([[レインボー・ウォーリア号事件]])。フランス情報機関[[フランス対外治安総局|DGSE]]の犯行。 * [[1986年]] - [[集中豪雨]]([[昭和61年7月豪雨]])により、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]で[[がけ崩れ]]が発生し、18人が死亡。 * [[1991年]] - [[ボリス・エリツィン]]が[[ロシア]]の初代大統領に就任。 * [[1995年]] - [[ミャンマー]]の軍事政権が[[1989年]]以来続いていた[[アウンサンスーチー]]の自宅[[軟禁]]を解除。 * [[1997年]] - [[鹿児島県]][[出水市]]境町針原地区で、7日から降り続いた雨により[[出水市針原地区土石流災害|土石流が発生]]。死者21人。 * [[1998年]] - 日本最初の[[立体商標]]が登録される。 * 1998年 - [[寝台特急]]「[[サンライズ出雲]][[サンライズ瀬戸|・瀬戸]]」の運行が始まる。 * [[2003年]] - 香港の高速道路・[[屯門公路]]からバスが転落。死者22人、負傷者20人の大惨事に([[屯門公路2階建てバス転落事故]])。 * 2003年 - [[新潟少女監禁事件]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]判決。懲役11年とした原審を破棄自判し、懲役14年とする。判決は確定。 * [[2004年]] - [[NTTドコモ]]が「[[おサイフケータイ]]」のサービスを開始。<!-- 特筆性? もし世界初/日本初の何かなのならそう説明した方が良いのかも --> * [[2005年]] - [[ルクセンブルク]]で[[欧州憲法]]批准の是非を問う[[国民投票]]が行われ、56.5%の賛成により可決。 * 2005年 - [[宇宙航空研究開発機構]] (JAXA) がX線天文衛星「[[すざく]]」を打上げ。 * [[2007年]] - [[MLBオールスターゲーム]]で、[[イチロー]]([[シアトル・マリナーズ]])がオールスターゲーム史上初の[[本塁打|ランニングホームラン]]。日本人初のMVPに輝く。 *[[2014年]] - [[五所川原エフエム]]開局。 <!-- * [[2008年]] - [[プロ野球]][[東京ヤクルトスワローズ]]の[[マスコット]]「[[つば九郎]]」が、連続出場記録1000試合達成。<!- 特筆性? --> * [[2016年]] - 日本で[[第24回参議院議員通常選挙]]が行われた。 * [[2018年]] - [[タムルアン洞窟の遭難事故]]: 洞窟内に閉じ込められた13人の救出が完了<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3181933|title=タイ洞窟から少年ら全員脱出 遭難から18日、救出劇に幕|newspaper=AFPBB NEWS|date=2018-07-11|accessdate=2018-07-11}}</ref>。 * [[2022年]] - 日本で[[第26回参議院議員通常選挙]]が行われた。 {{-}} == 誕生日 == <!--{{右|[[ファイル:1D line.svg|220px]]}} 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --> <!-- [[ファイル:Emperor_Go-Hanazono.jpg|thumb|80px|第102代天皇、[[後花園天皇]](1419-1471)誕生。{{Squote|思へただ空にひとつの日の本に又たぐひなく生まれ来し身を}}]] --> [[ファイル:John_Calvin.jpg|thumb|140px|[[キリスト教]][[宗教改革]]初期の指導者、[[ジャン・カルヴァン]](1509-1564)誕生。{{Squote|この世界の1枚の葉、1つの色として、人を喜ばせるために作られたのでないものはない。}}]] <!-- {{Squote|いま目にしているようなこれほどまでの分裂と分離の中では、荒波を鎮め平静をもたらすのは容易な業ではない――書簡(1545)}} --> <!-- {{multiple image | footer = [[博物画]]家[[ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ]](1759-1840)誕生。右画像は『スワンプリリー』 | image1 = Portrait_de_Pierre-Joseph_Redout.jpg | width1 = 100 | alt1 = ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ | image2 = Lilium_superbum_%28Lithographie%2C_Pierre-Joseph_Redoute%29.jpg | width2 = 100 | alt2 = スワンプリリー }} --> {{multiple image | footer = [[印象派]]の画家[[カミーユ・ピサロ]](1830-1903)誕生。左画像は自画像(1873)、右は『夜のモンマルトル通り』(1898) | image1 = Camille_Pissarro_040.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = Camille Pissarro 009.jpg | width2 = 160 | alt2 = 『夜のモンマルトル通り』 }} <!-- {{multiple image | footer = 画家[[ジェームズ・マクニール・ホイッスラー]](1834-1903)誕生。左画像は自画像(1872頃)、右は『白のシンフォニー第1番――白の少女』(1862) | image1 = Whistler_Selbstportr%C3%A4t.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = James_Abbot_McNeill_Whistler_014.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『白のシンフォニー第1番――白の少女』 }} <!- 日付が不安 -> --> {{multiple image | footer = 発明家・電気技師、[[ニコラ・テスラ]](1856-1943)。[[テスラコイル]]や[[磁束密度]]の単位[[テスラ (単位)|テスラ]]に名を残す。右画像は実験風景 | image1 = Tesla_young.jpg <!--N.Tesla.JPG--> | width1 = 100 | alt1 = ニコラ・テスラ | image2 = Nikola Tesla, with his equipment Wellcome M0014782.jpg | width2 = 140 | alt2 = 実験風景 }} <!-- [[ファイル:Marcel Proust 1895.jpg|thumb|upright|作家[[マルセル・プルースト]](1871-1922)、]] --> {{multiple image | footer = 作家[[マルセル・プルースト]](1871-1922)誕生。{{Squote|突然、思い出が甦ってきた。この味は、コンブレーで日曜の朝にレオニーおばさんの部屋におはようを言いに行くと、[[紅茶]]か科の花茶に浸してから僕にくれた[[マドレーヌ]]の小さな一切れの味だ。――『[[失われた時を求めて]]』「コンブレー」(1913)}} <!-- {{Squote|美しい女たちは、想像力のない男たちのために残しておいてやろう。――『[[失われた時を求めて]]』「消え去ったアルベルティーヌ」(1925)}} --> | image1 = Marcel Proust 1895.jpg | width1 = 100 | alt1 = マルセル・プルースト | image2 = Derniere_proust.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『失われた時を求めて』手稿 }} {{multiple image | footer = 画家・彫刻家、[[ジョルジョ・デ・キリコ]](1888-1978)誕生。右画像は大阪にある『Ettore e Andoromaca』(1973) | image1 = Giorgio_de_Chirico_%28portrait%29.jpg | width1 = 100 | alt1 = | image2 = | width2 = 100 | alt2 = Ettore e Andoromaca, 1973 }} <!-- [[ファイル:Owen_Chamberlain_ID_badge.png|thumb|100px|物理学者[[オーウェン・チェンバレン]](1920-2006)]] --> <!-- [[ファイル:PrincessHisakoTakamado.jpg|thumb|80px|皇族、[[憲仁親王妃久子]](1953-)]] --> * [[1205年]]([[元久]]2年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[北条政村]]、[[鎌倉幕府]]第7代[[執権]](+ [[1273年]]) * [[1419年]]([[応永]]26年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[後花園天皇]]、第102代[[天皇]](+ [[1470年]]) * [[1509年]] - [[ジャン・カルヴァン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/John-Calvin John Calvin French theologian] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[キリスト教]]指導者(+ [[1564年]]) * [[1632年]]([[寛永]]9年[[5月23日 (旧暦)|5月23日]]) - [[鍋島光茂]]、第3代[[肥前国]][[佐賀藩]]主(+ [[1700年]]) * [[1796年]]([[享保]]7年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[柳沢時睦]]、[[甲斐国]][[甲府新田藩]]主・初代[[越後国]][[三日市藩]]主(+ [[1750年]]) * [[1722年]]([[享保]]7年5月27日) - [[柳沢里旭]]、第3代[[越後国]][[黒川藩]]主(+ [[1736年]]) * [[1753年]]([[宝暦]]3年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[松平親賢]]、第7代[[豊後国]][[杵築藩]]主(+ [[1802年]]) * [[1759年]] - [[ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ]]、[[画家]](+ [[1840年]]) * [[1789年]]([[寛政]]元年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]) - [[梁川星巌]]、[[漢詩人]](+ [[1858年]]) * [[1792年]] - [[ジョージ・ダラス]]、第11代[[アメリカ合衆国副大統領]](+ [[1864年]]) * [[1808年]]([[文化 (元号) |文化]]5年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[松平信賢]]、第8代[[駿河国]][[小島藩]]主(+ [[1873年]]) * [[1809年]] - [[フリードリッヒ・アウグスト・クヴェンシュテット]]、[[地質学者]]、[[古生物学者]](+ [[1889年]]) * [[1830年]] - [[カミーユ・ピサロ]]、画家(+ [[1903年]]) * [[1834年]] - [[ジェームズ・マクニール・ホイッスラー]]、画家(+ 1903年)<!-- ja,de,it,ru:7/10 EN:7/11 es,fr:7/14 --> * [[1835年]] - [[ヘンリク・ヴィエニャフスキ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1880年]]) * [[1847年]]([[弘化]]4年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]) - [[物集高見]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1928年]]) * [[1851年]] - [[フリードリヒ・フォン・ヴィーザー]]、[[経済学者]](+ [[1926年]]) * [[1856年]] - [[ニコラ・テスラ]]、電気技師、発明家(+ [[1943年]]) * [[1869年]] - [[カンドー・カールマーン]]、鉄道技師、発明家(+ [[1931年]]) * [[1871年]] - [[マルセル・プルースト]]、[[作家]](+ [[1922年]]) * [[1883年]] - [[相馬御風]]、[[詩人]]、[[評論家]](+ [[1950年]]) * 1883年 - [[サム・ウッド]]、[[映画監督]](+ [[1949年]]) * [[1886年]] - [[高島象山]]、易者(+ [[1959年]]) * [[1888年]] - [[ジョルジョ・デ・キリコ]]、画家(+ [[1978年]]) * 1888年 - [[今和次郎]]、[[民俗学|民俗学者]](+ [[1973年]]) * 1888年 - [[賀川豊彦]]、[[社会運動家]](+ [[1960年]]) * [[1890年]] - [[川島正次郎]]、[[政治家]](+ [[1970年]]) * [[1894年]] - [[武知勇記]]、政治家(+ [[1963年]]) * [[1895年]] - [[カール・オルフ]]、[[作曲家]](+ [[1982年]]) * [[1896年]] - [[小西得郎]]、[[プロ野球監督]](+ [[1977年]]) * [[1897年]] - [[花菱アチャコ]]、[[漫才師]](+ [[1974年]]) * [[1900年]] - [[金丸重嶺]]、[[写真家]](+ [[1977年]]) * [[1903年]] - [[ジョン・ウィンダム]]、[[SF作家]](+ [[1969年]]) * 1903年 - [[ヴェルナー・ベスト]]、[[ナチス・ドイツ]][[デンマーク]]総督(+ [[1989年]]) * [[1907年]] - [[吉行あぐり]]、美容師(+ [[2015年]]) * [[1917年]] - [[市田夏生]]、元[[プロ野球選手]] * [[1920年]] - [[オーウェン・チェンバレン]]、[[物理学者]](+ [[2006年]]) * 1920年 - [[飯田龍太]]、[[俳人]](+ [[2007年]]) * [[1923年]] - [[飯田善国]]、[[彫刻家]]、[[現代美術家]]、[[詩人]](+ [[2006年]]) * [[1924年]] - [[ボボ・ブラジル]]、[[プロレスラー]](+ [[1998年]]) * [[1925年]] - [[マハティール・ビン・モハマド]]、政治家、[[マレーシア]]第4代・7代[[マレーシアの首相|首相]] * [[1928年]] - [[ベルナール・ビュフェ]]、[[画家]](+ [[1999年]]) * [[1930年]] - [[左右田一平]]、[[俳優]](+ [[2012年]]) * 1930年 - [[和久峻三]]、[[推理作家]]、[[弁護士]](+ [[2018年]]) * 1930年 - [[石黒忠]]、元プロ野球選手 * 1930年 - [[川瀬宏之]]、元プロ野球選手 * [[1931年]] - [[来宮良子]]、[[声優]](+ [[2013年]]) * 1931年 - [[三船正俊]]、元プロ野球選手(+ [[2012年]]) * 1931年 - [[アリス・マンロー]]、[[作家]] * [[1932年]] - [[市田ひろみ]]、服飾[[評論家]]、[[エッセイスト]]、女優(+[[2022年]]) * [[1933年]] - [[山之内秀一郎]]、[[東日本旅客鉄道]]初代副社長(+[[2008年]]) * [[1934年]] - [[米倉斉加年]]、俳優(+ [[2014年]]) * 1934年 - [[君野健一]]、元プロ野球選手 * [[1936年]] - [[平吉毅州]]、作曲家(+ [[1998年]]) * 1936年 - [[西大立目永]]、元[[野球選手]](+ [[2002年]]) * [[1937年]] - [[若生照元]]、元プロ野球選手 * [[1938年]] - [[リー・モーガン]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者(+ [[1972年]]) * [[1939年]] - [[石田博三]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * 1939年 - [[太田枝雄]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[岩尾孝幸]]、元プロ野球選手(+ [[1993年]]) * [[1943年]] - [[アーサー・アッシュ]]、[[テニス]]選手(+ [[1993年]]) * [[1944年]] - [[土屋紘]]、元プロ野球選手 * [[1945年]] - [[松島トモ子]]、女優 * 1945年 - [[森功至]]、声優 * 1945年 - [[バージニア・ウェード]]、テニス選手 * 1945年 - [[ハル・マクレー]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[古関正裕]]、[[著作家]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[ヴィレッジ・シンガーズ]]) * [[1948年]] - [[榎本直樹]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[大杉久美子]]、[[歌手]] * 1951年 - [[天現寺竜]]、俳優 * [[1952年]] - [[一龍斎春水]]、声優、講談師 * 1952年 - [[柴田義之]]、俳優 * [[1953年]] - [[憲仁親王妃久子]]、[[皇族]] * 1953年 - [[神林長平]]、SF作家 * 1953年 - [[伊藤政則]]、音楽評論家 * [[1954年]] - ニール・テナント、ミュージシャン([[ペット・ショップ・ボーイズ]]) * 1954年 - [[吉村よう]]、声優(+ [[1991年]]) * 1954年 - [[平田英之]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]]<ref name="Sponichi20131230">{{Cite news|title=さらば球界の名士…“怪童”尾崎行雄氏 長嶋さんも驚いた剛速球|newspaper=スポニチ Sponichi Annex 野球|date=2013-12-30|author=|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/12/30/kiji/K20131230007293800.html|accessdate=2020-11-21}}</ref>) * 1954年 - [[ジョン・サイズ]]、調教師 * [[1955年]] - [[野崎昌一]]、[[アナウンサー]] * 1955年 - [[矢崎和彦]]、経営者 * [[1956年]] - [[大川浩]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[フィオナ・ショウ]]、女優 * 1958年 - [[布施博]]、俳優 * [[1961年]] - [[鴻野淳基]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[ジャッキー・チュン|ジャッキー・チュン(張学友)]]、歌手、俳優 * 1961年 - [[木村竹志]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[清水美恵]]、歌手 * [[1964年]] - [[高橋雅裕]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[村山由佳]]、小説家 * 1964年 - [[松谷竜二郎]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[アーバン・マイヤー]]、アメリカンフットボールコーチ * [[1965年]] - [[アレック・マパ]]、俳優、コメディアン、作家 * 1965年 - [[黒田茂夫]]、実業家 * 1965年 - [[星野美香]]、卓球選手 * [[1966年]] - [[土平ドンペイ]]、俳優 * [[1967年]] - [[沢村一樹]]、俳優、元ファッションモデル * 1967年 - [[リー・スティーブンス]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[西秋元喜]]、タレント * [[1968年]] - [[チバユウスケ]]、ミュージシャン([[The Birthday]]、元[[THEE MICHELLE GUN ELEPHANT]])(+[[2023年]]) * 1968年 - [[高山トモヒロ]]、漫才師、お笑いタレント * 1968年 - [[木内レイコ]]、声優 * [[1969年]] - [[増本庄一郎]]、俳優 * [[1970年]] - [[角田久美子]]、元アナウンサー * [[1971年]] - [[竹下慎太郎]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[桂林寛]]、[[競艇選手]] * 1971年 - GEN CHAMAC、ミュージシャン([[GELUGUGU]]) * [[1972年]] - [[しんがぎん]]、[[漫画家]](+ [[2002年]]) * 1972年 - [[藤原道山]]、[[尺八]]演奏家、[[作曲家]] * [[1973年]] - [[みずしな孝之]]、漫画家 * [[1974年]] - [[小原舞]]、政治家 * [[1976年]] - [[若の里忍]]、元大相撲力士 * 1976年 - [[リュドヴィク・ジュリ]]、サッカー選手 * [[1977年]] - [[北原奈々子]]、元タレント * 1977年 - [[鳥羽の山喜充]]、元大相撲力士 * [[1978年]] - [[小泉孝太郎]]、俳優 * 1978年 - [[佐藤夕美子]]、女優 * 1978年 - [[柴崎行雄]]、アナウンサー * 1978年 - [[武田勝]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[斎藤義典]]、元野球選手 * 1978年 - TETSUYA、[[ドラマー]](元[[GELUGUGU]]) * 1978年 - [[琴国晃将]]、元大相撲力士 * [[1979年]] - [[韓盛治]]、ミュージカル俳優 * 1979年 - [[コン・ユ]]、俳優 * [[1980年]] - [[志村正彦]]、ミュージシャン([[フジファブリック]])(+ [[2009年]]) * [[1983年]] - [[角田誠]]、サッカー選手 * 1983年 - [[ガブリエル・フェルナンデス・アレナス|ガビ]]、サッカー選手 * 1983年 - [[キム・ヒチョル]]、アイドル([[SUPER JUNIOR]]) * 1983年 - 中西雅哉、ミュージシャン、ドラマー([[THE ORAL CIGARETTES]]) * [[1984年]] - [[田中圭]]、俳優 * 1984年 - [[七條祐樹]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[マルク・ゴンサレス]]、サッカー選手 * 1984年 - [[鎌田麻里名]]、女優 * 1984年 - [[桑原基]]、声優 * [[1985年]] - [[マリオ・ゴメス]]、元サッカー選手 * 1985年 - [[朴主永]]、サッカー選手 * 1985年 - [[中村北斗]]、サッカー選手 * 1985年 - [[松中みなみ]]、タレント * 1985年 - [[渡辺瞳]]、女優 * 1985年 - [[渡部あきのり]]、[[プロボクサー]] * 1985年 - [[大住真梨子]]、元タレント * 1985年 - [[加藤真輝子]]、[[テレビ朝日]]アナウンサー * [[1986年]] - [[石川雄洋]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[山田親太朗]]、元[[ファッションモデル]]、元俳優、元タレント * 1986年 - [[朴炳鎬]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[矢崎広]]、俳優、声優 * 1987年 - [[橘あんり]]、女優、ミュージカル女優 * 1987年 - [[ジョニー・ジアボテラ]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[松井佑介]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[中原恵司]]、実業家、元プロ野球選手 * 1987年 - [[宇津木めぐみ]]、タレント、フットサル選手 * [[1988年]] - [[森島孝浩]]、[[プロレス]]の[[レフェリー (プロレス)|レフェリー]] * 1988年 - [[花形綾沙]]、元俳優 * [[1989年]] - [[山本斉]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[林丹丹]]、元女優 * 1989年 - [[虎南有香]]、タレント、元アイドル(元[[風男塾]]・赤園虎次郎) * [[1990年]] - [[原隆二 (ボクサー)|原隆二]]、プロボクサー * 1990年 - [[千代の国憲輝]]、元大相撲力士、年寄25代佐ノ山 * 1990年 - [[ユーナン・オケイン]]、サッカー選手 * 1990年 - [[姜里湖]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[林曼婷]]、サッカー選手 * 1990年 - [[エレナ・ルンガルディエル]]、スキージャンプ選手 * [[1991年]] - [[前田敦子]]、女優(元[[AKB48]]) * 1991年 - [[市川まさみ]]、元[[AV女優]]、タレント * 1991年 - [[大翔丸翔伍]]、大相撲力士 * 1991年 - [[石川俊輝]]、サッカー選手 * 1991年 - [[チョン・ユミン]]、女優 * 1991年 - [[ニキータ・カツァラポフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1992年]] - [[三宅ひとみ (1992年生)|三宅ひとみ]]、元タレント、元アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]17号) * 1992年 - [[三好晃祐]]、声優 * 1992年 - [[佐藤玲 (女優)|佐藤玲]]、女優 * 1992年 - [[上野耕平]]、[[サクソフォーン]]奏者 * [[1993年]] - [[八木俊彦]]、元俳優 * 1993年 - [[木之前葵]]、騎手 * [[1994年]] - [[岩見雅紀]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[勝田梨乃]]、元アイドル(元[[SUPER☆GiRLS]]) * 1994年 - [[チェ・スビン (1994年生の女優)|チェ・スビン]]、女優 * [[1996年]] - [[ムン・ガヨン]]、女優、モデル * [[1997年]] - [[加藤玲奈 (アイドル)|加藤玲奈]]、アイドル(AKB48) * [[1999年]] - サン、アイドル([[ATEEZ]]) * [[2001年]] - [[森田ひかる]]、アイドル([[櫻坂46]]) * 2001年 - [[伊藤明里]]、サッカー選手 * [[2002年]] - [[池間夏海]]、モデル、女優 * 2002年 - [[川床明日香]]、女優、ファッションモデル * 2002年 - [[大木美里亜]]、ファッションモデル、タレント * [[2003年]] - [[里仲菜月]]、アイドル([[Task have Fun]]) * [[2003年]] - 水上凜巳花、アイドル([[HKT48]]) * [[2004年]] - [[門別啓人]]、プロ野球選手 * 生年不明 - [[坂上晶]]、声優 * 生年不明 - [[原洋史]]、俳優、声優 == 忌日 == [[ファイル:Adriano5.jpg|thumb|100px|[[ローマ皇帝]][[ハドリアヌス]](76-138)没]] <!-- [[ファイル:TangTaizong.jpg|thumb|100px|唐[[太宗 (唐)|]](599-649)、]] --> {{multiple image | footer = [[唐]]の皇帝、[[太宗 (唐)|太宗]](599-649)没。右画像は太宗の書『温泉銘』(部分) | image1 = TangTaizong.jpg | width1 = 100 | alt1 = 太宗 | image2 = Li_Shiming_Fountain_Memory.jpg | width2 = 100 | alt2 = 太宗の書 }} <!-- [[ファイル:Burgos-Estatua_del_Cid.jpg|thumb|upright|[[カスティーリャ王国]]の貴族[[エル・シド]](1045?-1099)没。叙事詩『[[わがシドの歌]]』や[[ピエール・コルネイユ|コルネイユ]]『ル・シッド』などの作品を通じても知られる]] <!- TODO:Squote -> --> <!-- [[ファイル:Aix_-_le_roi_Ren%C3%A9.jpg|thumb|100px|[[ルネ・ダンジュー]](1409-1480)]] --> {{multiple image | footer = [[オランダ]]の事実上の初代君主、オラニエ公「沈黙公」[[ウィレム1世 (オラニエ公)|ウィレム1世]](1533-1584)暗殺 | image1 = WilliamOfOrange1580.jpg | width1 = 100 | alt1 = ウィレム1世 | image2 = | width2 = 100 | alt2 = 暗殺の様子 }} <!-- {{multiple image | footer = 画家[[ジョージ・スタッブス]](1724-1806)。[[馬]]の絵で知られた。右画像は『ホイッスルジャケット』(1762頃) | image1 = George_Stubbs_-_self_portrait.jpg | width1 = 80 | alt1 = 自画像 | image2 = Whistlejacket_by_George_Stubbs.jpg | width2 = 140 | alt2 = 『ホイッスルジャケット』 }} --> <!-- [[ファイル:Fernando_Sor.jpg|thumb|100px|作曲家[[フェルナンド・ソル]](1778-1839)。{{audio|Sor Op 31 No 1 Rec 2.ogg|ギターのための作品31より第1番を聴く}}]] <- audioの品質高し -> --> <!-- [[ファイル:Louis_Daguerre.jpg|thumb|100px|[[ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール]](1787-1851)、]] --> {{multiple image | footer = [[写真]]を発明した画家・化学者、[[ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール]](1787-1851)没。右画像は[[ダゲレオタイプ]]による、人間(左下)の写った史上初の写真(1838もしくは1839) | image1 = Louis_Daguerre.jpg | width1 = 100 | alt1 = ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール | image2 = Boulevard_du_Temple_by_Daguerre.jpg | width2 = 100 | alt2 = 人間の写った史上初の写真 }} <!-- [[ファイル:Masuji_Ibuse.jpg|thumb|100px|作家[[井伏鱒二]](1898-1993)]] --> === 人物 === * [[138年]] - [[ハドリアヌス]]、[[ローマ皇帝]](* [[76年]]) * [[645年]]([[斉明天皇|皇極天皇]]4年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[蘇我入鹿]]、[[蘇我蝦夷]]の子(生年不詳) * [[649年]]([[貞観 (唐)|貞観]]23年[[5月24日 (旧暦)|5月24日]]) - [[太宗 (唐)|太宗]]{{要出典|date=2021-02}}、第2代[[唐]][[皇帝]](* [[599年]]) * [[1099年]] - [[エル・シッド]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]の貴族(* [[1045年]]) * [[1290年]] - [[ラースロー4世 (ハンガリー王)|ラースロー4世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]](* [[1262年]]) * [[1460年]] - [[ハンフリー・スタッフォード (初代バッキンガム公爵)|ハンフリー・スタッフォード]]、[[バッキンガム公]](* [[1402年]]) * [[1480年]] - [[ルネ・ダンジュー]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]](* [[1409年]]) * [[1559年]] - [[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1519年]]) * [[1584年]] - [[ウィレム1世 (オラニエ公)|ウィレム1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/William-I-stadholder-of-United-Provinces-of-The-Netherlands William I stadholder of United Provinces of The Netherlands] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[オラニエ=ナッサウ家|オラニエ公]](* [[1533年]]) * [[1587年]]([[天正]]15年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]) - [[島津家久]]、[[武将|戦国武将]]、[[島津貴久]]の四男(* [[1547年]]) * [[1641年]]([[寛永]]18年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[有馬直純]]、[[延岡藩|延岡藩主]](* [[1586年]]) * [[1698年]]([[元禄]]11年6月3日) - [[佐々宗淳]]、[[彰考館]]総裁、[[佐々木助三郎]]のモデル(* [[1640年]]) * [[1799年]]([[寛政]]11年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[長沢芦雪]]、[[絵師]](* [[1754年]]) * [[1806年]] - [[ジョージ・スタッブス]]、[[画家]](* [[1724年]]) * [[1839年]] - [[フェルナンド・ソル]]、[[作曲家]]、[[ギタリスト]](* [[1778年]]) * [[1851年]] - [[ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール]]、画家、[[発明家]](* [[1787年]])<!-- ja:6/10 en,FR:7/10… jaが間違いか --> * [[1884年]] - [[ポール・モーフィー]]、[[チェス]]選手(* [[1837年]]) * [[1910年]] - [[ヨハン・ゴットフリート・ガレ]]、[[天文学者]](* [[1812年]]) * [[1913年]] - [[有栖川宮威仁親王]]、[[皇族]]、[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍人]](* [[1862年]]) * [[1920年]] - [[ジョン・アーバスノット・フィッシャー]]、[[イギリス海軍]][[提督]](* [[1841年]]) * [[1935年]] - [[ポール・ハインズ]]、プロ野球選手(* [[1855年]]) * [[1940年]] - [[ドナルド・フランシス・トーヴィー]]、[[音楽学者]](* [[1875年]]) * [[1941年]] - [[ジェリー・ロール・モートン]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]]・作曲家(* [[1890年]]) * [[1949年]] - [[尾上菊五郎 (6代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1885年]]) * [[1954年]] - [[カロジェロ・ヴィッツィーニ]]、[[シチリア]][[マフィア]]のボス(* [[1877年]]) * [[1957年]] - [[ショーレム・アッシュ]]、[[小説家]](* [[1880年]]) * 1957年 - [[ウォルター・ヤコブソン]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1882年]]) * [[1965年]] - [[御園生崇男]]、元[[プロ野球選手]](* [[1916年]]) * [[1974年]] - [[田淵寿郎]]、[[土木工学|土木工学者]]、[[都市計画|都市計画家]](* [[1890年]]) * [[1978年]] - [[荒木俊馬]]、[[天文学者]](* [[1897年]]) * [[1979年]] - [[アーサー・フィードラー]]、[[指揮者]](* [[1894年]]) * [[1982年]] - [[太田正孝]]、[[政治家]](* [[1886年]]) * [[1989年]] - [[メル・ブランク]]、[[声優]](* [[1908年]]) * [[1993年]] - [[井伏鱒二]]、[[小説家]](* [[1898年]]) * [[1994年]] - [[永末英一]]、[[民社党]]委員長(* [[1918年]]) * [[2004年]] - [[岩崎純三]]、政治家(* [[1924年]]) * [[2005年]] - [[松平永芳]]、[[靖国神社]]宮司(* [[1915年]]) * [[2006年]] - [[甲斐智枝美]]、歌手、タレント(* [[1963年]]) * 2006年 - [[篠竹幹夫]]、元[[アメリカンフットボール]]選手、[[日本大学フェニックス|日本大学アメリカンフットボール部]]元監督(* [[1932年]]) * [[2008年]] - [[青木廣彰|青木廣彰(ロッキー青木)]]、[[実業家]]、[[冒険者]](* [[1938年]]) * 2008年 - [[戸塚洋二]]、[[物理学者]]、[[東京大学]][[特別栄誉教授]](* [[1942年]]) * [[2009年]] - BT、[[07th Expansion]]のメンバー(生年不詳) * [[2010年]] - [[つかこうへい]]、[[作家]](* [[1948年]]) * [[2015年]] - [[オマル・シャリーフ]]、[[俳優]](* [[1932年]]) * [[2020年]] - [[ミロシュ・ヤケシュ]]<ref>[https://www.e15.cz/domaci/milos-jakes-zemrel-byvalemu-nejmocnejsimu-muzi-ve-state-bylo-97-let-1371443 Miloš Jakeš zemřel, bývalému nejmocnějšímu muži ve státě bylo 97 let] E15 2020年7月14日配信 2020年11月15日閲覧</ref>、政治家(* [[1922年]]) * 2020年 - 鷹野日南<ref>{{Cite news|url= https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/07/13/kiji/20200713s00041000312000c.html |title= アイドル「KissBee」鷹野日南さん急死 20歳 メンバー&スタッフ「現実を受け入れられない」 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2020-07-13 |accessdate= 2020-10-30 }}</ref>、アイドル([[KissBee]])(* [[2000年]]) * [[2022年]] - [[藤井裕久]]<ref>{{Cite web|和書|title=藤井裕久元衆院議員が死去 90歳 財務相や蔵相を歴任、93年に小沢一郎氏らと自民党を離党 - 社会 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/general/news/202207120000295.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-08-01 |language=ja}}</ref>、政治家、元[[大蔵省|大蔵]][[官僚]]、元[[日本の国会議員#参議院議員|参議院議員]]、[[日本の国会議員|衆議院議員]](* [[1932年]]) === 人物以外(動物など) === * [[1999年]] - [[ゴーゴーゼット]]、[[競走馬]](* [[1991年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == <!--※公的機関でもない任意団体(当事者や記念日協会)が決めている記念日の場合、「制定(法律や規則などを定めること)」という語は不適切。使うなら「設定」か「(協会の)認定を受けた」でしょう。--> {{Vertical images list |幅 = 200px |画像1 = LocationBahamas.svg |説明1 = [[バハマ]]の独立記念日 |画像2 = Tecoma_stans,_flowers%2Bpods.jpg |説明2 = 国花、キンレイジュ |画像3 = Prince_George_Wharf_in_Nassau_Harbor.jpg |説明3 = [[ナッソー]]湾のクルーザー }} [[ファイル:Houzuki-ichi-at-Sensoji.jpg|thumb|right|192px|[[浅草寺]]の[[ほおずき]]市・四万六千日]] * [[独立記念日]]({{BHS}}) ** [[1973年]]のこの日、バハマが[[イギリス]]より独立した。 * 四万六千日({{JPN}}) ** [[浅草]]の[[浅草寺]]では、この日に[[参拝|参詣]]すると46000日分の参詣をしたに等しい[[利益]]があるといわれている。<!-- [[浅草寺]]によると「ほおずき市」とセットで9-10日に跨る? --> * ウルトラマンの日({{JPN}}) ** [[1966年]](昭和41年)のこの日、特撮番組『[[ウルトラマン]]』が放送開始されたことを記念し、[[記念日#一般社団法人日本記念日協会|日本記念日協会]]に申請して認定を受けた<ref>{{Cite web|和書|url=https://tower.jp/article/news/2022/06/15/tg010|title=米津玄師、映画『シン・ウルトラマン』主題歌“M八七”を「ウルトラマンの日」7月10日に自身初のアナログ盤リリース決定|website=TOWER RECORDS ONLINE|publisher=タワーレコード株式会社|date=2022-06-15|accessdate=2022-07-07}}</ref>。前番組『[[ウルトラQ]]』の最終話が急遽放送されないことになったため、穴埋めとしてこの前日に行われたウルトラマンの宣伝イベントの模様を「ウルトラマン前夜祭」として放映した。 ** [[2013年]](平成25年)のこの日、『[[ウルトラマン列伝|新ウルトラマン列伝]]』内にて[[円谷プロダクション]]創立50周年記念作品『[[ウルトラマンギンガ]]』の第1話が放送された。 ** [[2021年]](令和3年)のこの日、『[[ウルトラマンティガ]]』25周年に関連する番組として『[[ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA]]』の第1話が放送された。 * 納豆の日({{JPN}}) ** [[1981年]](昭和56年)、[[関西]]での[[納豆]]の消費を拡大させるため、関西納豆工業協同組合が7月10日の[[語呂合わせ]]で「納豆の日」を作った。[[1992年]](平成4年)には、全国納豆工業協同組合連合会が改めて「納豆の日」を設定した。 * [[ブナピー#記念日|ブナピーの日]]({{JPN}}) ** [[ブナピー]]は[[ホクト]]株式会社が[[2002年]](平成14年)に開発した[[ブナシメジ]]の新[[品種]]商品であり、発売された日付けをもって日本記念日協会の認定を受けた。<!--※「納豆の日」は当事者が勝手に決めた記念日。「ブナピーの日」は日本記念日協会に申請して認定されたもの。後者を消すならば、前者はそれ以前の扱いを受けるべきものです(他の記念日も勝手に決められたものなら同様)。また、「宣伝禁止」を理由に後者を消すならば「ウルトラマンの日」や11月11日の「ポッキーの日」など同類は全て等しく消すべきでしょう。--> * STOP!迷惑メールの日({{JPN}}) ** 一般財団法人日本データ通信協会「迷惑メール相談センター」が制定。迷惑メールの被害の予防と、利用者のリテラシー向上、防止技術の普及と促進が目的。日付は同センターが開設された2002年7月10日から<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=18|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * [[指笛]]の日({{JPN}}) ** [[2006年]](平成18年)に[[沖縄県|沖縄]]の指笛愛好家グループ「指笛王国おきなわ」が設定した。 * [[潤滑油]]の日({{JPN}}) ** 全国石油工業協同組合が日本記念日協会に申請して認定された。「710」を逆さにすると「OIL」になることから<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.zensekiko.org/|title=全国石油工業協同組合|publisher=全国石油工業協同組合|accessdate=2021-02-15}}</ref>。 <!-- 以下は変更・廃止 --> * [[植物油]]の日({{JPN}}) ** 日本植物油協会が[[1994年]](平成6年)に設定。「710」を逆さにすると「OIL」になることから。のちに、「テンプラ油」の「テン」から毎月10日の記念日に変更されている。 * 国土建設記念日({{JPN}}、- [[2000年]]) ** [[1948年]](昭和23年)のこの日、建設院が省に昇格して[[建設省]]となったことを記念したもの。[[2001年]](平成13年)の中央省庁再編により、運輸省・国土庁等と合併して国土交通省となったことにより、[[国土交通省設置法]]公布の日([[7月16日]])の[[国土交通Day]]に移行した。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0710|date=2011年6月}} * 1947年 - 朝、歌川一馬からの手紙が矢代寸兵に届く。(小説『[[不連続殺人事件]]』第2章) * 1948年 - 片岡玉子(のび太のママ)の母の[[ダイヤモンド]]が、2人の怪しい男に盗まれる。だがダイヤはガラス玉で、「怪しい男」とはのび太とドラえもんだった。(『[[ドラえもん]]』) * 1991年 - 星ハルカが一週間も行方不明になる。(『[[逆転イッパツマン]]』) * 神世紀298年 - バーテックスとの戦闘で三ノ輪銀が戦死。(『[[鷲尾須美は勇者である]]』) === 誕生日(フィクション) === * 710年前 - [[ねば〜る君]]、[[茨城県]]非公認の[[ゆるキャラ]]<ref>{{Wayback|url=http://nanaichizero.com/character/nebaarukun/|title=プロフィール(オフィス710 - キャラクター )|date=20170903171612}}、永遠に710歳という設定</ref> * 1987年 - はすの上けろっぴ、[[サンリオ]]の『[[けろけろけろっぴ]]』のメインキャラクター<ref>{{Cite book|title=SANRIO MEMORIES|publisher=サンリオ|date=2010-09-15|page=122}}</ref> * 1993年 - 相馬良、特撮『[[仮面ライダードライブ]]』の登場人物<ref>第27話より</ref> * 生年不明 - 穂村千夏、小説・漫画・映画[[〈ハルチカ〉シリーズ|ハルチカシリーズ]]の主人公<ref>{{Cite web|和書|url= http://haruchika-anime.jp/character/ |title=キャラクター 穂村千夏 |website=アニメ『ハルチカ〜ハルタとチカは青春する〜』公式サイト|publisher= |date= |accessdate=2022-07-10}}</ref> * 生年不明 - アプロ、ゲーム『ヴィーナスランブル(ブイラン)』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://venusrumble.jp/|title=ヴィーナスランブル|accessdate=2018-07-07|website=ヴィーナスランブル公式サイト|language=ja}}</ref> * 生年不明 - 一条二郎三郎、漫画『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2019年7月9日 (火) 13:46 (UTC)}} * 生年不明 - [[NARUTO -ナルト-の登場人物#うずまきクシナ|うずまきクシナ]]、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・者の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2008|pae=22|isbn=978-4-08-874247-2}}</ref> * 生年不明 - 炎城烈人、漫画・アニメ『[[ド級編隊エグゼロス]]』の主人公<ref>{{Twitter status2|R_Kitada|1281539880401551360|2020年7月10日7:44|accessdate=2020-07-10}}</ref> * 生年不明 - オレンジペコ、アニメ・漫画・ゲーム『[[ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref> {{Cite web|和書 |url = https://twitter.com/garupan_app/status/884335109272240128 |title = 今日はオレンジペコさんのお誕生日です! |publisher = 『ガールズ&パンツァー 戦車道大作戦!』オフィシャルツイッター |accessdate = 2017-09-24 }}</ref> * 生年不明 - 神崎ひでり、漫画・アニメ『[[ブレンド・S]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=中山幸|authorlink=中山幸|year = 2017 |title = ブレンド・S |volume = 3巻 |page = 9 |publisher = [[芳文社]] |series = [[まんがタイムKRコミックス]] |isbn = 978-4-8322-4798-7 }}</ref> * 生年不明 - 編沢まゆ、漫画・アニメ『[[こみっくがーるず]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - サンゴ、アニメ『[[ジュエルペット]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#東第一中学校(大阪府)|早田誠]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year = 2003|title = キャプテン翼 3109日全記録|publisher = 集英社 |isbn = 4-08-782789-5|page = 50 }}</ref> * 生年不明 - 七星朱里、ゲーム『[[しゅぷれ〜むキャンディ 〜王道には王道たる理由があるんです!〜]]』に登場するキャラクター<ref>『[[DENGEKI HIME]]』2008年10月号、[[アスキー・メディアワークス]]、83頁。</ref> * 生年不明 - 矢口美羽、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>ゲーム内のプロフィールより。</ref> * 生年不明 - カマキリ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/anime/character/characters/Kamakiri|title=カマキリ|work=フジテレビ・東映アニメーション|accessdate=2020-06-01}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 10|10 July}} {{新暦365日|7|9|7|11|[[6月10日]]|[[8月10日]]|[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]|0710|7|10}} {{1年の月と日}}
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7月12日
7月12日(しちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から193日目(閏年では194日目)にあたり、年末まであと172日ある。
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7月12日(しちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から193日目(閏年では194日目)にあたり、年末まであと172日ある。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{カレンダー 7月}} '''7月12日'''(しちがつじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から193日目([[閏年]]では194日目)にあたり、年末まであと172日ある。 == できごと == [[Image:Siege_of_Acre.jpg|thumb|upright|[[第3回十字軍]]、[[アッコン攻城戦]]終結(1191)]] {{multiple image | footer = フランス立憲議会、聖職者民事基本法を制定(1790)。左画像は「私は憲法を全力で支えることを誓う」と書かれた同年の記念絵皿、右は(別の法律で)解放を喜ぶ修道士たちの風刺画 | image1 = Je_jure_de_maintenir_la_constitution.jpg | width1 = 100 | alt1 = 絵皿 | image2 = Constitution_civile_du_clerg%C3%A9_caricature_1790.jpg | width2 = 100 | alt2 = 風刺画 }} [[Image:Rheinbund 1806, political map.png|thumb|upright|[[ドイツ]]の諸侯が[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]を盟主とした[[ライン同盟]]を結成(1806)]] <!-- {{multiple image | footer = [[アメリカ合衆国]]で軍人用の[[勲章]]、[[名誉勲章]](1862)制定。画像は発足当時のもの(左が陸軍、右が海軍) | image1 = US-MOH-1862.png | width1 = 60 | alt1 = 陸軍メダル | image2 = US_Navy_Medal_of_Honor_(1862_original).png | width2 = 60 | alt2 = 海軍メダル }} --> [[Image:USS St. Louis (CL-49) and other ships firing during the Battle of Kolombangara, 13 July 1943 (80-G-342767).jpg|thumb|140px|[[第二次世界大戦]]、[[コロンバンガラ島沖海戦]](1943)]] <!-- 夜戦なので良く見えない… --> <!-- [[Image:Ronald_Reagan_Commissioned.JPG|thumb|空母[[ロナルド・レーガン (空母)|]]就役(2003)]] --> {{multiple image | footer = [[イスラエル]]による[[レバノン侵攻 (2006年)|レバノン侵攻]]はじまる(2006) | image1 = Tyre_air_strike.jpg | width1 = 140 | alt1 = 爆撃されるチレ | image2 = D9N_02.jpg | width2 = 160 | alt2 = ヒズボラの掩蔽壕を破壊するイスラエルの重機 }} * [[645年]](孝徳天皇元年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[斉明天皇|皇極天皇]]の弟・軽皇子が即位して第36代天皇・[[孝徳天皇]]に。[[天智天皇|中大兄皇子]]が皇太子となる。 * [[1191年]] - [[第3回十字軍]]: [[アッコ|アッコン]]が陥落し、2年に及ぶ[[アッコン攻城戦]]が終結。<!-- enより --> * [[1441年]]([[嘉吉]]元年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]) - [[嘉吉の乱]]: 播磨守護・[[赤松満祐]]が室町幕府将軍・[[足利義教]]を自邸に招き謀殺。 * [[1495年]]([[明応]]4年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[宗祇]]の『[[新撰菟玖波集]]』が完成。 * [[1543年]] - [[イングランド王]][[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]が6番目で最後の妻[[キャサリン・パー]]と[[ハンプトン・コート・パレス]]で結婚。 * [[1562年]] - [[ユカタン州|ユカタン]]の[[司教]][[ディエゴ・デ・ランダ]]が[[インディオ]]の異端尋問を行い、多数の[[マヤ文明|マヤ]]の[[コデックス#新大陸のコデックス(絵文書)|絵文書]]の焚書を命じる。<!-- enより --> * [[1635年]]([[寛永]]12年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]])- [[江戸幕府]]が第3次[[鎖国]]令を布告。日本人の海外渡航および海外滞在者の帰国が禁止される。 * [[1690年]](ユリウス暦[[7月1日]]) - [[ウィリアマイト戦争]]: [[ボイン川の戦い]]。 * [[1790年]] - [[フランス革命]]: [[憲法制定国民議会|国民議会]]が[[聖職者民事基本法]]を制定。 * [[1806年]] - [[神聖ローマ帝国]]に属していた[[ドイツ]]の諸侯が帝国を離脱し、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]を盟主とする[[ライン同盟]]を結成する。 * [[1862年]] - [[アメリカ合衆国]]で[[名誉勲章]]が制定される。 <!-- 7月13日に移動 * [[1886年]] - [[日本標準時]]の基準を1887年1月1日から[[東経]]135度の[[子午線]]とする事が[[勅令]]により定められた。--> * [[1868年]]([[明治]]元年[[5月23日 (旧暦)|5月23日]]) - 明治政府が、飛騨国の旧天領を管轄する[[飛騨県]]、[[神戸港|兵庫港]]を管轄する[[兵庫県]]を設置。 * [[1899年]] - [[吉野川 (代表的なトピック)|吉野川]]が増水して各地で[[堤防]]が決壊。[[一条町]]では[[小学校]]や多数の人家が流失。死傷者197人、浸水家屋多数、田畑の収穫皆無<ref>「吉野川の改修工事ようやく完工式」『大阪毎日新聞』1926年5月7日四国版(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.513 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1902年]] - [[アーサー・バルフォア]]が[[イギリスの首相|イギリス首相]]に就任。 * [[1912年]] - 新潟県・長野県を流れる[[姫川]]が氾濫。下流の[[糸魚川市]]では、小学校や国道橋のほか多数の人家が流される被害。<!-- 特筆性? --> * [[1913年]] - [[第二革命]]開始。[[江西省]]で[[李烈鈞]]が[[袁世凱]]政権からの独立を宣言。 * [[1917年]] - [[張勲復辟]]: [[北京政府]]国務総理[[段祺瑞]]率いる討逆軍が[[張勲 (清末民初)|張勲]]軍を破り[[北京]]に入城、[[愛新覚羅溥儀|溥儀]]が退位を宣言。 * [[1918年]] - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[戦艦]]「[[河内 (戦艦)|河内]]」が徳山湾で爆発事故により沈没。 * [[1920年]] - {{仮リンク|ソビエト・リトアニア平和条約|en|Soviet–Lithuanian Peace Treaty}}締結。[[ロシア]]が[[リトアニア]]の独立を[[国家の承認|承認]]。 * [[1925年]] - 社団法人東京放送局(現:[[日本放送協会|NHK]][[NHK放送センター|放送センター]])が[[ラジオ]]本放送を開始。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: 英ソ相互援助協定が締結される。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦・[[太平洋戦争]]: [[コロンバンガラ島沖海戦]]が行われる。 * 1943年 - 第二次世界大戦・[[独ソ戦]]: [[プロホロフカの戦い]]が行われる。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[敦賀空襲|敦賀大空襲]]。日本海側沿岸の都市としては最初の[[空襲]]。 * 1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: [[宇都宮空襲|宇都宮大空襲]]。 * [[1947年]] - パリで[[マーシャル・プラン#CEEC設置|第1回欧州経済復興会議]]開催。欧州経済協力委員会 (CEEC) の設置を決議。 * [[1962年]] - [[ローリング・ストーンズ]]が[[ロンドン]]・マーキークラブで初のライブを行う。 <!-- 特筆性? * [[1963年]] - [[新産業都市]]13か所、[[工業整備特別地域]]6か所を指定。--><!-- 『新訂版 昭和・平成史年表』(平凡社)に記載 --> * [[1967年]] - {{仮リンク|ニューアーク暴動|en|1967 Newark riots}}。米[[ニュージャージー州]][[ニューアーク (ニュージャージー州)|ニューアーク]]で[[白人]]警官による[[黒人]][[タクシー]]運転手への暴行事件をきっかけにした黒人暴動が起こり、23名の死者と1500名以上にのぼる逮捕者を出す。 * 1967年 - [[アンギラ]]がイギリス[[自治領]][[セントクリストファー=ネイビス=アンギラ|セントキッツ・ネイビス・アンギラ]]からの独立を宣言。[[1969年]]に元のイギリス植民地統治下に戻る。 <!-- * [[1972年]] - [[ハイセイコー]]が[[大井競馬場]]でデビュー。<!- 特筆性? 特段の理由がなければ日本の競走馬のデビューまで入れるのはやりすぎのような(芸能人もそうですが) --> * [[1975年]] - [[サントメ・プリンシペ]]が[[ポルトガル]]から独立。 * [[1979年]] - [[キリバス]]が[[イギリス]]から独立。 * 1979年 - [[ディスコ・デモリッション・ナイト]]。[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の[[デトロイト・タイガース|タイガース]]対[[シカゴ・ホワイトソックス|ホワイトソックス]]の試合で行われたイベントで観衆がフィールドに乱入。[[ダブルヘッダー]]の第2試合が[[没収試合]]となる。 * [[1984年]] - 島根県の[[荒神谷遺跡]]で多数の銅剣を発見。 * [[1987年]] - JR北海道・[[幌内線]]がこの日限りで廃止。<!-- 最終運転日で記載。廃止は翌日付 --> * [[1993年]] - [[北海道南西沖地震]]。[[マグニチュード]]7.8、死者202人。 * [[1996年]] - [[堺市学童集団下痢症]]が発生。[[大阪府]][[堺市]]で[[日本の学校給食|学校給食]]を原因とする集団[[食中毒]]により、児童7,892人を含む9,523人が[[腸管出血性大腸菌]]O157に感染。児童3名が死亡<ref name="忘れない日">[https://www.city.sakai.lg.jp/kosodate/kyoiku/gakko/yutakana/anzen/o157/o157wasurenai.html O157 堺市学童集団下痢症を忘れない日|堺市](2019年6月27日)2022年8月3日閲覧。</ref>。 * [[2000年]] - [[そごう]]グループ22社が[[民事再生法]]の適用を申請。多摩そごうが[[特別清算]]開始を申請。 * [[2002年]] - [[使用済自動車の再資源化等に関する法律]]が制定される。 * [[2003年]] - 米原子力空母「[[ロナルド・レーガン (空母)|ロナルド・レーガン]]」が就役。存命中の元米大統領の名が空母に命名されるのは史上初。 * [[2005年]] - [[モナコ]]大公[[アルベール2世 (モナコ大公)|アルベール2世]]の即位式が行なわれる。 * [[2006年]] - [[イスラエル軍]]による[[レバノン侵攻 (2006年)|レバノン侵攻]]が始まる。 * [[2006年]] - [[ポーランド]]の石油資源探索会社が、[[バルト海]]に沈んでいた[[ドイツ海軍]]の[[航空母艦]]「[[グラーフ・ツェッペリン (空母)|グラーフ・ツェッペリン]]」を発見。 * [[2010年]] - [[2010 FIFAワールドカップ|2010年 FIFAワールドカップ]]で[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]が初優勝。 * [[2013年]] - [[東京証券取引所]]との経営統合に伴い、[[大阪証券取引所]]の現物株式の取引が終了。 * [[2014年]] - 米[[アラスカ州]][[ジュノー (アラスカ州)|ジュノー]]において、『[[空席の椅子の記念碑]]』の除幕式が執り行われる<ref name="E5">[http://www.juneau.org/parkrec/museum/exhibits/exhibit5/e50009b.htm John Tanaka and the Empty Chair Panel - The Empty Chair: The Forced Removal and Relocation of Juneau's Japanese, 1941-1951]</ref>。 * 2014年 - [[大井川鐵道]]の[[大井川鐵道大井川本線|大井川本線]]で[[特別急行列車]]の[[きかんしゃトーマス号]]が運行開始。 * [[2016年]] - [[フィリピン]]が「[[中華人民共和国|中国]]の主張は国際法違反」と訴えた仲裁裁判の判決<ref>{{Cite web|和書|date=2016-07-12 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3093723 |title=南シナ海領有権、「中国に歴史的権利なし」 国際仲裁裁判所 写真1枚 国際ニュース |publisher=AFP |accessdate=2016-07-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2016-07-12 |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160712/k10010592651000.html |title=南シナ海で中国主張の管轄権認めず 国際仲裁裁判 |publisher=NHK |accessdate=2016-07-13}}</ref>。([[南シナ海判決]]) {{-}} == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --> {{multiple image | footer = [[室町幕府]]第6代将軍[[足利義教]](1394-1441)誕生。1441年の同日に暗殺([[嘉吉の乱]])<!-- 旧暦だと同日でも何でもないですけれど --> | image1 = Ashikaga_Yoshinori.jpg | width1 = 100 | alt1 = 足利義教 | image2 = Sozenji_%28Higashiyodogawa%2C_Osaka%29_Ashikaga-Yoshinori-kubiduka.jpg | width2 = 100 | alt2 = 首塚とされる塔 }} [[Image:Tsar_Mikhail_I_-cropped.JPG|thumb|100px|[[ロマノフ朝]]創始者、[[モスクワ・ロシア]]の[[ツァーリ]]、[[ミハイル・ロマノフ]](1596-1645)誕生]] {{multiple image | footer = [[ウェッジウッド|ウェッジウッド社]]創業者、[[陶芸]]家[[ジョサイア・ウェッジウッド]](1730-1795)誕生。[[奴隷制度廃止運動|奴隷解放]]論者でもあった(右画像「私は人間、同胞ではないのか?」1787) | image1 = JosiahWedgwood.jpeg | width1 = 100 | alt1 = ジョサイア・ウェッジウッド | image2 = 1780_Wedgewood_dish_%28UBC%29.jpg | width2 = 110 | alt2 = ウェッジウッドの皿 | image3 = BLAKE10.JPG | width3 = 100 | alt3 = 奴隷解放キャンペーンのメダルのためのデザイン <!-- jaの記事は触れてない…要加筆 --> }} {{multiple image | footer = 作家[[ヘンリー・デイヴィッド・ソロー]](1817-1862)。2年間ウォールデン湖畔(右画像)で独居し『[[森の生活]]』(1854)を著した。以下同書より:{{Squote|新しい服が必要となるような仕事<!--enterprises-->には用心しなさい。}}{{Squote|[[哲学]]者にとって全ての[[ニュース]]なるものは[[噂|ゴシップ]]であり、それを書いたり読んだりするのは茶飲みがてらの老婆たちである。}} | image1 = Henry_David_Thoreau.jpg | width1 = 100 | alt1 = ヘンリー・デイヴィッド・ソロー | image2 = WaldenPondSpring.jpg | width2 = 140 | alt2 = ウォールデン湖 }} <!-- {{Squote|人生の最も価値のない部分において疑わしい自由を享受するために、人生の最良の部分を金を稼ぐのに費してしまうという営み――『[[森の生活]]』}} --> <!-- {{Squote|腐った善意ほど酷い悪臭を放つものはない。――『[[森の生活]]』}} --> <!-- {{Squote|粗探しをする人間は[[天国]]にも欠点を見付ける。――『[[森の生活]]』}} --><!-- どこを取っても引用になる本です --> {{multiple image | footer = [[外光派]]の画家、「空の王者」[[ウジェーヌ・ブーダン]](1824-1898)。右画像は『ポントリューの浜辺』(1874) | image1 = Boudin.jpeg | width1 = 100 | alt1 = ウジェーヌ・ブーダン | image2 = Eug%C3%A8ne_Boudin_Cotenord.jpg | width2 = 200 | alt2 = 『ポントリューの浜辺』 }} <!-- [[Image:William_Osler_photograph.jpg|thumb|100px|医学者[[ウイリアム・オスラー]](1849-1919)]] --> <!-- [[Image:Stefan_George_1910_Foto_Jakob_Hilsdorf.jpg|thumb|100px|詩人[[シュテファン・ゲオルゲ]](1868-1933)]] --> {{multiple image | footer = 画家[[アメデオ・モディリアーニ]](1884-1920)誕生。左画像は自画像、右は『赤いショールを纏ったジャンヌ・エビュテルヌ』(1917) | image1 = Modigliani-autoretrato-macusp1.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = Amedeo_Modigliani_-_Jeanne_Hebuterne_in_Red_Shawl.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『赤いショールを纏ったジャンヌ・エビュテルヌ』(1917) }} <!-- [[Image:Drohobycz_bruno_schulz_08_2008.jpg|thumb|100px|作家[[ブルーノ・シュルツ]](1892-1942)]] --> <!-- {{multiple image | footer = 著述家・建築家・発明家、[[バックミンスター・フラー]](1895-1983)誕生。右画像は[[地球]]を[[正二十面体]]へ投影した「[[ダイマクション地図]]」 | image1 = Buckminsterfuller.png | width1 = 80 | alt1 = バックミンスター・フラー | image2 = Dymaxion.jpg | width2 = 160 | alt2 = ダイマクション地図 }} --> [[Image:Pablo_Neruda.jpg|thumb|120px|[[バスク人|バスク系]][[チリ]]人の詩人[[パブロ・ネルーダ]](1904-1973)。{{Squote|[[春]]が[[サクラ|桜]]の木とするようなことをあなたとしたい。――『あなたは日々戯れる』<!--Juegas Todos las Días-->(1924)}}]] <!-- 比喩の達人、だそうです --> <!-- [[Image:Willis_Lamb.jpg|thumb|100px|物理学者[[ウィリス・ラム]](1913-2008)]] --> <!-- [[Image:Andrew_Wyeth.jpg|thumb|100px|画家[[アンドリュー・ワイエス]](1917-2009)]] --> <!-- [[Image:Lionel_Jospin.jpg|thumb|100px|フランスの政治家[[リオネル・ジョスパン]](1937-)]] --> [[Image:Malala Yousafzai par Claude Truong-Ngoc novembre 2013.jpg|thumb|100px|パキスタンの人権運動家[[マララ・ユスフザイ]](1997-)]] * [[1596年]] - [[ミハイル・ロマノフ]]、[[モスクワ大公国|モスクワ大公]]、[[ロマノフ朝]]創始者(+ [[1645年]]) * [[1675年]] - [[エヴァリスト・ダッラーバコ]]、[[作曲家]](+ [[1742年]]) * [[1730年]] - [[ジョサイア・ウェッジウッド]]、[[陶芸家]](+ [[1795年]]) * [[1794年]] - [[クリスティアン・パンダー (動物学者)|クリスティアン・パンダー]]、[[動物学者]](+ [[1865年]]) * [[1817年]] - [[ヘンリー・デイヴィッド・ソロー]]、作家、[[思想家]](+ [[1862年]]) * [[1824年]] - [[ウジェーヌ・ブーダン]]、[[画家]](+ [[1898年]]) * [[1844年]] - [[ジョージ・ゼットレイン]]、元プロ野球選手(+ [[1905年]]) * [[1849年]] - [[ウイリアム・オスラー]]、[[医学者]](+ [[1919年]]) * [[1854年]] - [[ジョージ・イーストマン]]、[[発明家]]、[[コダック]]創業者(+ [[1932年]]) * [[1863年]] - [[パウル・ドルーデ]]、[[物理学者]](+ [[1906年]]) * [[1868年]] - [[シュテファン・ゲオルゲ]]、[[詩人]](+ [[1933年]]) * [[1869年]]([[明治]]2年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[久原房之助]]、[[実業家]]、[[政治家]](+ [[1965年]]) * [[1870年]] - [[ルイ2世 (モナコ大公)|ルイ2世]]、[[モナコ統治者の一覧|モナコ大公]](+ [[1949年]]) * [[1877年]] - [[暁烏敏]]、[[真宗大谷派]]の[[僧侶]](+ [[1954年]]) * [[1879年]] - [[古武弥四郎]]、[[生化学]]者(+ [[1968年]]) * [[1880年]] - [[トッド・ブラウニング]]、[[映画監督]]、[[俳優]](+ [[1962年]]) * [[1884年]] - [[アメデオ・モディリアーニ]]、画家(+ [[1920年]]) * [[1886年]] - [[ラウル・ハウスマン]]、[[画家]]、[[詩人]]、[[写真家]](+ [[1971年]]) * [[1892年]] - [[ブルーノ・シュルツ]]、[[小説家]]・画家(+ [[1942年]]) * [[1895年]] - [[オスカー・ハマースタイン2世]]、[[ミュージカル]]の[[脚本家]]、[[作詞家]](+ [[1960年]]) * [[1895年]] - [[キルステン・フラグスタート]]、[[ソプラノ]][[歌手]](+ [[1962年]]) * [[1895年]] - [[バックミンスター・フラー]]、[[建築家]](+ [[1983年]]) * [[1901年]] - [[川勝傳]]、[[実業家]]、[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]オーナー(+ [[1988年]]) * [[1902年]] - [[西竹一]]、陸軍軍人(+ [[1945年]]) * [[1904年]] - [[パブロ・ネルーダ]]、詩人(+ [[1973年]]) * [[1913年]] - [[ウィリス・ラム]]、物理学者(+ [[2008年]]) * 1913年 - [[奥野誠亮]]、[[内務省 (日本)|内務]][[官僚]]、[[政治家]](+ [[2016年]]) * [[1917年]] - [[アンドリュー・ワイエス]]、画家(+ [[2009年]]) * 1917年 - [[富松信彦]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1983年]]) * [[1922年]] - [[永原慶二]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[2004年]]) * [[1923年]] - [[ジェイムズ・E・ガン (小説家)|ジェイムズ・E・ガン]]、[[小説家]](+ [[2020年]]) * [[1925年]] - [[小野田嘉幹]]、[[映画監督]]、[[脚本家]] * 1925年 - [[芥川也寸志]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](+ [[1989年]]) * [[1927年]] - [[京唄子]]、[[漫才師]](+ [[2017年]]<ref name="daily0407">{{Citenews|title=京唄子さん死去 鳳啓助さんとの夫婦漫才で人気 09年には腰椎骨折も|newspaper=[[デイリースポーツ]]|date=2017-04-07|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2017/04/07/0010074209.shtml}}</ref>) * 1927年 - [[ジェリー伊藤]]、俳優、[[歌手]](+ [[2007年]]) * 1927年 - [[沖実郎]]、元プロ野球選手 * [[1928年]] - [[イライアス・コーリー]]、[[化学者]] * 1928年 - [[稲葉郁三]]、元プロ野球選手 * [[1931年]] - [[木内幸男]]、[[高校野球]]指導者(+ [[2020年]]) * 1931年 - [[築地容子]]、歌手、女優(+ [[2013年]]) * [[1932年]] - [[オーティス・デービス]]、[[陸上競技]]選手 * 1932年 - [[西塚泰美]]、[[医学者]]、[[生化学者]](+ [[2004年]]) * [[1934年]] - [[ヴァン・クライバーン]]、[[ピアニスト]](+ [[2013年]]) * 1934年 - [[川田正子]]、[[童謡歌手]](+ [[2006年]]) * [[1935年]] - [[大村智]]、[[化学者]] * [[1936年]] - [[荘司美代子]]、[[声優]]、女優(+ [[2020年]]<ref>{{Cite news|url=https://www.sanspo.com/article/20200417-Q6JWZEXOCJKRRB5X6S2UIESQYI/|title=舞台俳優、声優の荘司美代子さんが死去 83歳、脳出血のため|newspaper=サンスポ|date=2020-04-17|accessdate=2020-11-17}}</ref>) * [[1938年]] - [[石岡瑛子]]、[[アートディレクター]]、[[デザイナー]](+ [[2012年]]) * 1938年 - [[井上哲夫]]、[[政治家]](+ [[2019年]]) * [[1939年]] - [[中村玉緒]]、女優 * [[1942年]] - [[木原義隆]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[東条文博]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[四谷シモン]]、[[人形]]作家、[[俳優]] * [[1947年]] - [[荒俣宏]]、[[小説家]]、[[翻訳家]] * 1947年 - [[近藤光史]]、[[アナウンサー]] * 1947年 - [[森岡仙太]]、実業家 * [[1948年]] - [[上野千鶴子]]、社会学者 * 1948年 - [[戸谷公次]]、声優(+ [[2006年]]) * 1948年 - [[上田卓三 (野球)|上田卓三]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[小宮和枝]]、声優 * 1952年 - [[山口那津男]]、政治家 * [[1953年]] - [[真弓明信]]、元プロ野球選手、監督 * 1953年 - [[文月今日子]]、漫画家 * [[1954年]] - [[古川享]]、実業家 * 1954年 - [[中村秀利]]、声優(+ [[2014年]]) * 1954年 - [[藤生聖子]]、声優 * [[1955年]] - [[宮澤正]]、声優、俳優 * [[1957年]] - [[北別府学]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * 1957年 - [[森永卓郎]]、[[経済]][[アナリスト]]、UFJ総合研究所研究員 * [[1959年]] - [[片平なぎさ]]、女優 * [[1961年]] - [[糟谷敏秀]]、経済産業官僚 * [[1963年]] - [[藤敏也]]、俳優 * [[1964年]] - [[青野厚司]]、[[アニメーター]] * 1964年 - [[片山明]]、[[プロレスラー]] * [[1965年]] - [[馬野雅行]]、[[毎日放送]]アナウンサー * 1965年 - [[井上淳一]]、脚本家、映画監督 * [[1966年]] - [[アナ・トレント]]、女優 * 1966年 - [[沢田泰司]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[ベーシスト]](+ [[2011年]]) * 1966年 - [[渡辺美里]]、歌手 * 1966年 - [[井上真二]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[江尻篤彦]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * 1967年 - [[西村賢太]]、[[小説家]](+ [[2022年]]) * 1967年 - [[木村真三]]、[[放射線]]衛生学者 * [[1968年]] - [[むぎわらしんたろう]]、漫画家 * 1968年 - [[福田雄一]]、映画監督、脚本家、演出家 * [[1969年]] - [[竹下潤]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[イ・ビョンホン]]、俳優 * 1970年 - [[松丸元気]]、[[リングアナウンサー]]、[[ラジオパーソナリティ]] * [[1971年]] - [[クリスティー・ヤマグチ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1971年 - [[ドミトリー・カザルリガ]]、フィギュアスケート選手 * 1971年 - [[長尾香里]]、[[日本放送協会|NHK]]報道局国際部[[記者]] * 1971年 - [[こうぶんこうぞう]]、[[画家]] * 1971年 - [[村上美香]]、フリーアナウンサー * [[1972年]] - [[江藤直美]]、元バレーボール選手 * 1972年 - [[サンダー・ピチャイ]]、実業家、[[Google]]最高経営責任者 * [[1973年]] - [[五剣山博之]]、元[[大相撲]][[力士]] * 1973年 - [[クリスティアン・ヴィエリ]]、元サッカー選手 * 1973年 - [[エレーナ・レオノワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1973年 - [[國分建臣]]、ミュージシャン、ドラマー * 1973年 - [[一雫ライオン]]、小説家、脚本家 * [[1975年]] - [[白坂勝史]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[羽曾部卓]]、化学者 * [[1976年]] - [[舞田敏彦]]、教育学者 * [[1977年]] - [[大場豊千]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[江連裕子]]、[[フリーアナウンサー]] * 1977年 - アニキ、[[お笑いタレント]]([[ペンギンズ]]) * 1977年 - [[深澤仁博]]、元サッカー選手 * [[1978年]] - [[石井義人]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[山本隆弘]]、元バレーボール選手 * 1978年 - [[ウラジスラフ・ゾフニルスキー]]、フィギュアスケート選手 * [[1979年]] - [[新井場徹]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[小林麻耶]]、タレント、キャスター、元[[アナウンサー]] * [[1980年]] - 亘健太郎、お笑いタレント([[フルーツポンチ (お笑いコンビ)|フルーツポンチ]]) * 1980年 - [[ブラッド・エルドレッド]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[鈴木みらい]]、[[シンガーソングライター]] * [[1982年]] - [[しほり (女優)|しほり]]、モデル、女優 * 1982年 - [[アントニオ・カッサーノ]]、元サッカー選手 * [[1983年]] - [[河村めぐみ]]、[[モデル (職業)|モデル]]、元バレーボール選手 * 1983年 - [[吉田安里]]、モデル、元バレーボール選手 * 1983年 - [[Chiho]]、モデル、タレント * 1983年 - [[ヤレリス・バリオス]]、陸上競技選手 * [[1984年]] - [[高橋裕紀]]、レーサー * 1984年 - [[永岡歩]]、[[中部日本放送|CBC]]アナウンサー * 1984年 - [[南條愛乃]]、声優 * [[1985年]] - [[橋爪ヨウコ]]、[[タレント]]、お笑いタレント * 1985年 - [[伊阪達也]]、俳優 * 1985年 - [[エドガルド・バイエス]]、元プロ野球選手 * [[1986年]] - [[並河一]]、俳優 * 1986年 - [[高崎ひとみ]]、バスケットボール選手 * [[1988年]] - [[種田梨沙]]、声優 * 1988年 - [[山本郁弥]]、サッカー選手 * 1988年 - [[マルコー・マールトン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1988年 - [[ジェレミー・バーフィールド]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[義家ゆりか]]、タレント、[[ファッションモデル|モデル]] * 1989年 - [[中村里砂]]、タレント、ファッションモデル * [[1990年]] - [[伊藤裕人]]、騎手 * 1990年 - [[喜友名諒]]、[[空手家]] * 1990年 - [[チェイスン・シュリーブ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[マシュー・チャドウィック]]、騎手 * 1990年 - [[エフゲン・ホロニウク]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[種田ちえり]]、元[[グラビアアイドル]]、元タレント * 1991年 - [[亀田和毅]]、プロボクサー * 1991年 - [[ハメス・ロドリゲス]]、サッカー選手 * 1991年 - [[ロドリゴ・バタグリア]]、サッカー選手 * 1991年 - [[小野田龍之介]]、俳優 * 1991年 - [[千代嵐慶喜]]、大相撲力士 * [[1992年]] - [[石橋杏奈]]、女優、タレント * 1992年 - [[勧野甲輝]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[シモーネ・ヴェルディ]]、サッカー選手 * 1992年 - [[バルトシュ・ベレシンスキ]]、サッカー選手 * [[1993年]] - [[宮下舞花]]、アイドル、歌手([[放課後プリンセス]]) * [[1994年]] - [[百田夏菜子]]、アイドル、歌手([[ももいろクローバーZ]]) * 1994年 - [[きゅんくん]]、ロボティクス・ファッション・クリエイター、メカ・エンジニア * 1994年 - [[yuuna]]、[[モデル (職業)|モデル]]、元子役 * [[1995年]] - [[平良拳太郎]]、プロ野球選手 * 1995年 - [[ルーク・ショー]]、サッカー選手 * [[1996年]] - [[藤澤達弥]]、アナウンサー * [[1997年]] - [[杏野なつ]]、元タレント(元[[私立恵比寿中学]]) * 1997年 - [[マララ・ユスフザイ]]、人権運動家 * [[2000年]] - [[ヴィニシウス・ジュニオール]]、サッカー選手 * 生年不明 - [[摩天楼由香]]、元声優 * 生年不明 - [[馬場圭介]]、声優 * 生年不明 - [[nonoc]]、歌手 == 忌日 == <!-- [[Image:080330-162412.jpg|thumb|100px|[[東大寺]]を復興した僧、[[重源]](1121-1206)没]] --> [[Image:JeanGerson.jpg|thumb|100px|[[教会大分裂]]を終結させた神学者、[[ジャン・ジェルソン]](1363-1429)没]] {{multiple image | footer = [[人文主義者]]、[[デジデリウス・エラスムス]](1467-1536)没。{{Squote|自分自身を知ることなしに書庫一杯の学術書を持つ罪を犯すなかれ。――書簡より(1497)}} {{Squote|最良の[[知識]]を最初に、遅滞なく手に入れなければならぬ。後で忘れねばならぬようなことを学ぶのは愚の骨頂だ。――書簡より(1497)}} <!-- {{Squote|盲の国では片目明きは王様。――『格言集』(1500)}} --> | image1 = Rotterdam_standbeeld_Erasmus.jpg | width1 = 100 | alt1 = エラスムスの銅像 | image2 = Erasmus-schedel.jpg | width2 = 100 | alt2 = エラスムスのものとされる頭蓋骨 }} <!-- Hans_Holbein_d._J._047.jpg 横顔 --> [[Image:Tokugawa_Yoshimune.jpg|thumb|100px|[[享保の改革]]を行った[[江戸幕府]]第8代将軍、[[徳川吉宗]](1684-1751)没]] <!-- [[Image:Johann_Joachim_Quantz.jpg|thumb|100px|作曲家[[ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ]](1697-1773)没。{{audio|Johann Joachim Quantz - Sonata Concertate in D.ogg|協奏的ソナタニ長調を聴く}}]] --> {{multiple image | footer = [[アメリカ合衆国憲法]]の起草者[[アレクサンダー・ハミルトン]](1754-1804)、[[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]][[アーロン・バー]]との決闘に敗れ没。{{Squote|国の負債は、過度でなければ、我々にとって国の祝福となるであろう。――書簡より(1781)}} | image1 = Alexander_Hamilton_A17950.jpg | width1 = 80 | alt1 = アレクサンダー・ハミルトン | image2 = Hamilton-burr-duel.jpg | width2 = 100 <!-- 7月11日でも使ったので小さく --> | alt2 = 決闘 }} [[Image:Dreyfus-annee-de-sa-mort.jpg|thumb|100px|[[ドレフュス事件]]の被疑者、[[アルフレッド・ドレフュス]](1859-1935)没]] <!-- [[Image:Douglas_Hyde_St_Patrick%27s_Cathedral_Dublin_2006_Kaihsu_Tai.jpg|thumb|100px|[[アイルランド]]初代大統領、[[ダグラス・ハイド]](1860-1949)没]] --> <!-- [[Image:Suzukidaisetsuhaka.jpg|thumb|100px|仏教学者、[[鈴木大拙]](1870-1966)]] --> <!-- [[Image:Kiyoshi_Yamashita_on_Ebisubashi_Bridge.JPG|thumb|100px|放浪の画家、[[山下清]](1922-1971)]] --> * [[1101年]]([[康和]]3年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[寛意]]、[[僧]](* [[1062年]]) * [[1206年]]([[建永]]元年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]) - [[重源]]、僧(* [[1121年]]) * [[1426年]]([[応永]]33年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[千葉満胤]]、[[武将]](* [[1359年]]) * [[1429年]] - [[ジャン・ジェルソン]]、[[神学者]](* [[1363年]]) * [[1441年]]([[嘉吉]]元年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]) - [[足利義教]]、[[室町幕府]]第6代将軍(* [[1394年]]) * [[1536年]] - [[デジデリウス・エラスムス]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Erasmus-Dutch-humanist Erasmus Dutch humanist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、人文主義者(* [[1466年]]) * [[1657年]]([[明暦]]3年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[松永尺五]]、[[儒学者]](* [[1592年]]) * [[1682年]] - [[ジャン・ピカール]]、[[天文学者]](* [[1620年]]) * [[1699年]]([[元禄]]12年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]]) - [[河村瑞賢]]、[[商人]](* [[1617年]]) * [[1702年]](元禄15年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]])- [[南部重信]]、第3代[[盛岡藩|盛岡藩主]](* [[1616年]]) * [[1712年]] - [[リチャード・クロムウェル]]、[[イギリス]]の第2代[[護国卿]](* [[1626年]]) * [[1736年]]([[元文]]元年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[井伊直惟]]、第8代[[彦根藩|彦根藩主]](* [[1700年]]) * [[1742年]] - [[エヴァリスト・ダッラーバコ]]、[[作曲家]](* [[1675年]]) * [[1751年]]([[宝暦]]元年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[徳川吉宗]]、[[江戸幕府]]第8代[[征夷大将軍|将軍]] (* [[1684年]]) * [[1773年]] - [[ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ]]、作曲家、[[フルート]]奏者(* [[1697年]]) * [[1791年]]([[寛政]]3年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[毛利治親]]、第9代[[長州藩|長州藩主]](* [[1754年]]) * [[1804年]] - [[アレクザンダー・ハミルトン]]、[[弁護士]]、[[ジャーナリスト]]、[[政治家]](* [[1755年]]) * [[1814年]] - [[ウィリアム・ハウ]]、[[イギリス軍]]の[[将軍]](* [[1729年]]) * [[1820年]]([[文政]]3年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[南部利敬]]、第10代盛岡藩主(* [[1782年]]) * [[1849年]] - [[ドリー・マディソン]]<ref>{{Cite web|url=http://www.firstladies.org/biographies/firstladies.aspx?biography=4|title=First Lady Biography: Dolley Madison|publisher=National First Ladies' Library|language=英語|accessdate=2021年3月14日}}</ref>、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](* [[1768年]]) * [[1855年]] - [[パーヴェル・ナヒーモフ]]、ロシア海軍の[[提督]](* [[1802年]]) * [[1874年]] - [[伊達慶邦]]、第13代[[仙台藩|仙台藩主]](* [[1825年]]) * [[1892年]] - [[アレクサンダー・カートライト]]、[[野球]]発案者(* [[1820年]]) * [[1905年]] - [[西久保豊一郎]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[少佐]](* [[1870年]]) * [[1908年]] - [[松平定敬]]、[[桑名藩|桑名藩主]]、[[京都所司代]](* [[1847年]]) * [[1910年]] - [[チャールズ・ロールズ]]、[[ロールス・ロイス]]共同創業者(* [[1877年]]) * [[1917年]] - [[ヒューゴ・シンベリ]]、画家(* [[1873年]]) * [[1921年]] - [[ハリー・ホーカー]]、[[パイロット (航空)|飛行家]]、[[ホーカー]]創業者(* [[1889年]]) * [[1922年]] - [[ジョン・モーズビー]]、[[探検家]]、[[イギリス海軍]]の軍人(* [[1830年]]) * [[1926年]] - [[ガートルード・ベル]]、<!--[[イラク]]建国の立役者として有名な-->[[イギリス]]の女性[[スパイ|情報員]]、[[考古学|考古学者]]、[[紀行|紀行作家]]、[[登山家]](* [[1868年]]) * [[1932年]] - [[栃内曽次郎]]、第12・13代[[連合艦隊司令長官]](* [[1866年]]) * [[1935年]] - [[アルフレッド・ドレフュス]]、[[ドレフュス事件]]で知られる軍人(* [[1859年]])<!-- 7月11日より移動--> * [[1936年]] - [[安藤輝三]]、日本陸軍の大尉(* [[1905年]]) * 1936年 - [[中橋基明]]、日本陸軍の[[中尉]](* [[1907年]]) * 1936年 - [[栗原安秀]]、日本陸軍の中尉(* [[1908年]]) * [[1944年]] - [[中河美芳]]、[[プロ野球選手]](* [[1920年]]) * [[1949年]] - [[ダグラス・ハイド]]、[[アイルランドの大統領|アイルランド大統領]]、[[ゲール語連盟]]設立者(* [[1860年]]) * [[1953年]] - [[ジョゼフ・ジョンゲン]]、作曲家(* [[1873年]]) * [[1959年]] - [[中村時蔵 (3代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1895年]]) * [[1966年]] - [[鈴木大拙]]、[[仏教学者]](* [[1870年]]) * [[1968年]] - [[アントニオ・ピエトランジェリ]]、[[映画監督]](* [[1919年]]) * [[1971年]] - [[山下清]]、[[画家]](* [[1922年]]) * [[1973年]] - [[アレクサンドル・モソロフ]]、作曲家(* [[1900年]]) <!-- en,fr:7/11 ja,RU,de:7/12, es:7/22 --> * 1973年 - [[ロン・チェイニー・ジュニア]]、[[俳優]](* [[1906年]]) * [[1979年]] - [[ミニー・リパートン]]、[[ソウルミュージック]][[歌手]](* [[1947年]]) * 1979年 - [[ゲオールギイ・ベリーエフ]]、[[航空機]]設計者(* [[1903年]]) * [[1987年]] - [[臼井吉見]]、[[編集者]]、[[評論家]](* [[1905年]]) * [[1988年]] - [[ジョシュア・ローガン]]、映画監督(* [[1908年]]) * 1988年 - [[中村光夫]]、[[文芸評論家]](* [[1911年]]) * [[1989年]] - [[寺田政明]]、画家(* [[1912年]]) * [[1992年]] - [[アロイス・フレイシュマン]]、作曲家、[[音楽学者]](* [[1910年]]) <!-- en,ru:7/21 ja:7/12 jaはタイプミス?要チェック --> * [[1994年]] - [[ジェームズ・ジョル]]、[[歴史学者]](* [[1918年]]) * [[1996年]] - [[安川加壽子]]、[[ピアニスト]](* [[1922年]]) * [[1999年]] - [[岩橋英遠]]、[[日本画家]](* [[1903年]]) * 1999年 - [[牛島秀彦]]、[[ノンフィクション作家]]、[[評論家]](* [[1935年]]) * [[2001年]] - [[ジェイムズ・バーナード (作曲家)|ジェイムズ・バーナード]]、作曲家(* [[1925年]]) * [[2003年]] - [[芦原義重]]、[[実業家]](* [[1901年]]) * [[2004年]] - [[島原輝夫]]、元プロ野球選手(* [[1927年]]) * [[2005年]] - [[ピエロ・カプッチルリ]]、[[バリトン]]歌手(* [[1929年]]) <!-- en,IT,ca,es,pt:7/11 ja,es,fr,nl,pl,zh:7/12 --> * [[2006年]] - [[ヒューバート・ランポ]]、[[小説家]](* [[1920年]]) * 2006年 - [[薗田憲一]]、[[音楽家|ミュージシャン]](薗田憲一とデキシーキングス)(* [[1929年]]) * [[2007年]] - [[柴田武]]、[[言語学|言語学者]](* [[1918年]]) * 2007年 - [[小木新造]]、歴史学者(* [[1924年]]) * 2007年 - [[黒木靖夫]]、[[インダストリアルデザイナー|工業デザイナー]]、[[ウォークマン]]開発者(* [[1932年]]) * [[2011年]] - [[宮尾すすむ]]、[[タレント]](* [[1934年]]) * [[2013年]] - [[高橋たか子]]、小説家(* [[1932年]]) * [[2016年]] - [[柴田承二]]、薬学者、東京大学名誉教授(* [[1915年]]) * 2016年 - [[大橋巨泉]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1681363.html|title=大橋巨泉さんが死去 12日、急性呼吸不全 82歳|publisher=日刊スポーツ|date=2016-07-20|accessdate=2020-10-24}}</ref>、タレント、司会者(* [[1934年]]) * [[2020年]] - [[ケリー・プレストン]]<ref>{{Cite web|和書|work=ELLE ONLINE|url=https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a33281473/kelly-preston-200713/|title=ジョン・トラボルタの愛妻、女優のケリー・プレストンが乳がんで逝去|accessdate=2020-10-23}}</ref>、[[俳優#性別での分類|女優]](* [[1962年]]) * [[2023年]] - [[ryuchell]]、タレント(* [[1995年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{Double image stack|right|LocationSaoTomeAndPrincipe.png|Crian%C3%A7as_de_S%C3%A3o_Tom%C3%A9_e_Pr%C3%ADncipe.jpg|200|[[サントメ・プリンシペ]]の独立記念日|サントメ・プリンシペの子供たち}} {{Double image stack|right|LocationKiribati.png|Bonriki International Airport welcome.jpg|200|[[キリバス]]の独立記念日|[[ボンリキ国際空港]]の歓迎ダンス}} <!-- 歴史的画像や、祝典の画像などがあればそちらを。小国の建国・独立記念日はまず国の位置を知ってもらうのも大事かなと。 --> <!-- WANTED: 斐川町出土の銅剣の画像があれば --> * 独立記念日({{STP}}) *: [[1975年]]のこの日、サントメ・プリンシペが[[ポルトガル]]より独立。 * 独立記念日({{KIR}}) *: [[1979年]]のこの日、キリバスが[[イギリス]]より独立。 * {{仮リンク|マララ・デー|en|Malala Day}}({{World}}) *: [[マララ・ユスフザイ]]を賛える記念日。マララ・ユスフザイの誕生日([[1997年]]生)。 * [[ローリング・ストーンズ]]記念日 <!-- 不掲載。世界級の名バンドとはいえバンドのデビューを記念日に掲載するのは疑問が残ります --> *: [[1962年]]のこの日、ローリング・ストーンズがロンドン・マーキークラブで初のライブを行ったことを記念。 * ラジオ本放送の日({{JPN}}) *: [[1925年]]のこの日、東京放送局(現在の[[NHK放送センター]])が[[ラジオ]]の本放送を開始したことを記念。仮放送が始まったのはその年の[[3月22日]]で、この日は[[放送記念日]]になっている。 * [[人間ドック]]の日({{JPN}}) *: [[1954年]]のこの日、国立東京第一病院(現在の[[国立国際医療研究センター]]病院)で日本初の人間ドックが行われたことを記念。 * ひかわ銅剣の日({{JPN}}) *: 島根県[[斐川町]](現[[出雲市]])が制定。[[1984年]]のこの日、斐川町の[[荒神谷遺跡|荒神谷]]から弥生時代の銅剣358本が発見された。後に、その全てが[[国宝]]に指定された。 * O157 堺市学童集団下痢症を忘れない日({{JPN}}) *: [[1996年]]に[[腸管出血性大腸菌]](O157)による食中毒に9523人が罹患、児童3名が死亡した[[堺市学童集団下痢症]]を風化させないことを目的として<ref>[http://www.city.sakai.lg.jp/kosodate/kyoiku/gakko/kankyo/anzen/o157/o157wasurenai.html 堺市 web サイト/O157 堺市学童集団下痢症を忘れない日] 2016年 3月 31日閲覧</ref>、2012年に[[堺市]]が制定<ref>[http://www.city.sakai.lg.jp/kosodate/kyoiku/gakko/kankyo/anzen/o157/shudangerihosho.html 堺市 web サイト/学童集団下痢症の補償に関する経過と現状] 2016 年 3 月 31 日閲覧</ref>。<!-- WANTED: 学童集団下痢症の碑「永遠に」の画像があれば --> * [[洋食器]]の日({{JPN}}) *: [[日本金属洋食器工業組合]]が制定。「ナ(7)イ(1)フ(2)」の語呂合せ。 * 宇佐からあげの日(USA☆宇佐からあげ合衆国建国記念日)({{JPN}}) *: 「宇佐からあげ」をさらに広めるために制定。日付は、2012年のこの日、「からあげ石」を建立し、からあげによるまちづくりを進める[[宇佐市]]に「USA☆からあげ合衆国」が建国されたことから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=22|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0712|date=2011年6月}} * [[2005年]] - [[ニューヨーク]]をテロ組織が占拠。(ゲーム『[[ガンブレードNY]]』) * 200X年 - 四・一八事件が終結。(小説『[[葉桜が来た夏]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1955年]] - 夜神総一郎、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=[[大場つぐみ]]、[[小畑健]]|title=DEATH NOTE|volume=13巻|publisher=[[集英社]]|year=2006|page=20|isbn=978-4-08-874095-9}}</ref> * [[1985年]] - 高田清美、漫画『DEATH NOTE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=[[大場つぐみ]]、[[小畑健]]|title=DEATH NOTE|volume=13巻|publisher=[[集英社]]|year=2006|page=19|isbn=978-4-08-874095-9}}</ref> * [[2171年]] - 尾呼散、ゲーム・漫画『[[はーとふる彼氏]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=はーとふる彼氏 公式ファンブック|publisher=[[一迅社]]|date=2012-10-05|isbn=978-4-7580-1280-5}}</ref> * 生年不明 - 叶修悟、漫画『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」|publisher=[[主婦と生活社]]|year=2008|page=52|isbn=978-4-391-62643-8}}</ref> * 生年不明 - 木暮公延、漫画『[[SLAM DUNK]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=井上雄彦|authorlink=井上雄彦|title=[[SLAM DUNK]]|volume=23巻|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=1995|page=47|isbn=4-08-871843-7}}</ref> * 生年不明 - [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#大場なな|大場なな]]、メディアミックス作品『[[少女☆歌劇 レヴュースタァライト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status2|starlightrelive|1149332519055237121|accessdate=2020-04-06}}</ref> * 生年不明 - 速水凛香、漫画・アニメ『[[暗殺教室]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年7月11日 (水) 14:14 (UTC)}} * 生年不明 - 柊杏璃、ゲーム・アニメ『[[はぴねす!]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年7月11日 (水) 14:14 (UTC)}} * 生年不明 - 桃山みらい、ゲーム、アニメ『[[キラッとプリ☆チャン]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年7月11日 (水) 14:14 (UTC)}} * 生年不明 - リヒテンシュタイン、漫画、アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>原作2巻のキャラクター紹介より。</ref> * 生年不明 - 茶斗蘭星大使、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|July 12|12 July}} {{新暦365日|7|11|7|13|[[6月12日]]|[[8月12日]]|[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]|0712|7|12}} {{1年の月と日}}
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8月12日
8月12日(はちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から224日目(閏年では225日目)にあたり、年末まであと141日ある。
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8月12日(はちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から224日目(閏年では225日目)にあたり、年末まであと141日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月12日'''(はちがつじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から224日目([[閏年]]では225日目)にあたり、年末まであと141日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[アスカロンの戦い]](1099)。[[第1回十字軍]]最後の戦いとされる | image1 = Ascalon.jpg | width1 = 80 | alt1 = アスカロンの戦い、13世紀の写本挿絵 | image2 = Battle_of_Ascalon-engraving.jpg | width2 = 100 | alt2 = アスカロンの戦い、19世紀の版画 }} [[Image:Kunersdorff.jpg|thumb|[[七年戦争]]、[[クネルスドルフの戦い]](1759)。プロイセンが壊滅的敗北|180x180ピクセル]] {{multiple image | footer = [[アイザック・メリット・シンガー]](1811-1875)、実用的[[ミシン]]の特許を取得(1851)。 | image1 = Edward Harrison May - Isaac Merrit Singer - Google Art Project.jpg | width1 = 70 | alt1 = アイザック・メリット・シンガー | image2 = Singer_sewing_machine_detail1.jpg | width2 = 110 | alt2 = シンガーのミシン }} {{multiple image | footer = [[アサフ・ホール]](1829-1907)、火星の衛星[[ダイモス (衛星)]]を発見。 | image1 = Professor_Asaph_Hall.jpg | width1 = 80 | alt1 = アサフ・ホール | image2 = Deimos-MRO.jpg | width2 = 100 | alt2 = 火星の衛星ダイモス }} {{multiple image | caption1 = [[クアッガ]]絶滅(1883) | image1 = Quagga_photo.jpg | width1 = 90 | alt1 = クアッガ | caption2 = [[ハワイ王国|共和制ハワイ国]]が米国領ハワイとなる(1898)。画像は下ろされるハワイ王国旗 | image2 = Loweringhawaiian flag.jpg | width2 = 90 | alt2 = ハワイ王国旗 }} {{multiple image | footer = 相沢事件:[[永田鉄山]]少将(左; 1884-1935)、[[相沢三郎]]中佐に斬殺される(1935) | image1 = Tessan_Nagata_2.jpg | width1 = 90 | alt1 = 永田鉄山 | image2 = Saburo_Aizawa.JPG | width2 = 90 | alt2 = 相沢三郎 }} {{multiple image | footer = [[ノルマンディー上陸作戦]]、[[ファレーズ・ポケット]]はじまる(1944) | image1 = American_armoured_forces_race_through_Ballon.jpg | width1 = 90 | alt1 = ノルマンディー上陸作戦、ファレーズに向かう米軍 | image2 = Falaise_grand.jpg | width2 = 90 | alt2 = ノルマンディー上陸作戦の経過図 }} {{multiple image | caption1 = 世界初の[[通信衛星]][[エコー (人工衛星)|エコー1A号]]打ち上げ(1960) | image1 = Echo-1.jpg | width1 = 90 | alt1 = エコー1A号。金属光沢のある球体である | image2 = Space Shuttle Enterprise 747 separation.ogv | caption2 = 実験機[[スペースシャトル・エンタープライズ]]、単独飛行に成功(1977) | width2 = 90 | alt2 = 実験機スペースシャトル・エンタープライズ }} {{multiple image | caption1 = [[PC/AT互換機]]の元祖、[[IBM PC|IBM Personal Computer 5150]]発売(1981) | image1 = Ibm_pc_5150.jpg | width1 = 90 | alt1 = IBM Personal Computer 5150 | caption2 = [[日本航空123便墜落事故]](1985)。画像は事故機JA8119 | image2 = Japan Airlines JA8119.jpg | width2 = 90 | alt2 = 日本航空123便墜落事故、事故機のJA8119。 }} * [[紀元前30年]] - [[古代エジプト]]・[[プトレマイオス朝]]の実質的な最後の[[ファラオ]]・[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]]が自殺<ref>{{Cite web |url=https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/society/a40241782/ijinden-6/ |title=駆け引き上手だった!?女王「クレオパトラ」の貪欲な人生 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=ハースト婦人画報社 |website=COSMOPOLITAN |date=25 Jun 2022}}</ref>。 * [[1099年]] - [[第1回十字軍]]: [[アスカロンの戦い]]。 * [[1202年]]([[建仁]]2年[[7月23日]]) - [[源頼家]]が[[征夷大将軍]]に任ぜられる。 * [[1335年]]([[建武 (日本)|建武]]2年[[7月23日]]) - [[中先代の乱]]: 鎌倉に幽閉中の[[護良親王]]が[[足利直義]]の命により暗殺される。 * [[1590年]]([[天正]]18年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[豊臣秀吉]]の命により[[徳川家康]]が関八州に国替えが発表される<ref>{{Cite web |url=https://president.jp/articles/-/74422?page=3 |title=「家康へのいやがらせ」ではなかった…最新研究でわかった「秀吉が家康を関東に追いやった本当の理由」 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[プレジデント社|PRESIDENT Inc.]] |date=1 Oct 2023}}</ref>。 * [[1676年]] - [[インディアン戦争]]: [[ワンパノアグ|ワンパノアグ族]]の酋長[[メタコメット]]が戦死し、[[フィリップ王戦争]]が白人側の勝利で終結。 * [[1759年]] - [[七年戦争]]: [[クネルスドルフの戦い]]が行なわれる。 * [[1799年]]([[寛政]]11年[[7月12日]]) - 人形浄瑠璃『[[絵本太功記]]』が大坂豊竹座で初演。 * [[1823年]]([[文政]]6年[[7月7日]]) - [[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト]]がオランダ商館の医師として長崎・[[出島]]に着任。 * [[1837年]]([[天保]]8年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[モリソン号事件]]: [[鹿児島湾]]で砲撃を受けたモリソン号が退去<ref>{{Cite web |url=https://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/bunkan/tb-gaku/hyoryu/HYOMIN/hyomin-index.html |title=漂流民上書 海防五策 : 完 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=東京海洋大学図書館}}</ref>。 * [[1851年]] - [[アイザック・メリット・シンガー|アイザック・シンガー]]が[[ミシン]]の特許を取得。 * [[1877年]] - [[アサフ・ホール]]が[[火星]]の衛星[[ダイモス (衛星)|ダイモス]]を発見。 * [[1883年]] - [[アムステルダム]]の動物園で飼育されていた[[クアッガ]]の最後の1頭が死亡し[[絶滅]]。 * [[1893年]] - [[文部省]]が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告。「[[君が代]]」など8曲を祝日・大祭日の唱歌と定める。 * [[1898年]] - [[米西戦争]]: [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[スペイン]]両軍の戦闘が完全に終結。 * 1898年 - [[ハワイ共和国]]が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に吸収合併され、アメリカ領ハワイとなる。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[イギリス]]が[[オーストリア・ハンガリー帝国]]に[[宣戦布告]]。 * [[1918年]] - [[札幌電気軌道]]の東2丁目〜西15丁目が開業。昭和2年に札幌市営化される。 * [[1928年]] - [[5月17日]]から開催されていた[[1928年アムステルダムオリンピック|第9回夏季オリンピック・アムステルダム大会]]が閉幕。 * [[1935年]] - [[相沢事件]]。[[統制派]]の[[陸軍省]]軍務局長[[永田鉄山]][[少将]]が[[皇道派]]の[[相沢三郎]][[中佐]]に斬殺される。 * [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ノルマンディー上陸作戦]]: [[ファレーズ・ポケット]]がはじまる。 * [[1946年]] - [[経済企画庁|経済安定本部]]と[[物価庁]]を設置。 * [[1953年]] - [[ソビエト連邦]]が、"初の[[水素爆弾|水爆]][[核実験|実験]]"([[RDS-6]])を実施。 * [[1957年]] - [[朝日訴訟]]。[[独立行政法人国立病院機構南岡山医療センター|国立岡山療養所]]に入所していた朝日茂が、月600円の[[生活保護]]では[[日本国憲法第25条|憲法第25条]]に規定する「健康で文化的な最低限度の生活」は営めないとして、国を相手どって提訴<ref>{{Cite web |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-21/2017082101_05_1.html |title=主張 朝日訴訟提訴60年 今も生きる「人間裁判」の重み |access-date=13 Oct 2023 |publisher=日本共産党中央委員会 |date=21 Aug 2017 |website=[[しんぶん赤旗]]}}</ref>。 * 1957年 - [[大阪テレビ放送]]が民間放送初の[[全国高等学校野球選手権大会]]テレビ実況放送を開始。<!-- 記事に日付無し --> * [[1958年]] - [[全日空下田沖墜落事故]]。[[全日本空輸|全日空]]の[[東京国際空港|羽田]]発[[名古屋飛行場|名古屋]]行きの[[ダグラス DC-3]]型機が、[[静岡県]]の[[伊豆半島]][[下田市]]沖に墜落、乗員乗客33名全員死亡<ref>{{Cite web |url=https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030436_00000 |title=全日空の旅客機が伊豆下田沖に墜落 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] アーカイブス}}</ref>。 * [[1960年]] - 世界初の[[通信衛星]]「[[エコー (人工衛星)|エコー1A号]]」が打ち上げ。 * [[1962年]] - ソ連で有人宇宙船「[[ボストーク4号]]」打上げ。前日に打上げられた「[[ボストーク3号]]」との[[ランデブー (宇宙開発)|ランデブー]]を試み、数kmの距離まで接近。 * [[1962年]] - [[堀江謙一]]が日本人初の小型ヨットによる単独無寄港[[太平洋]]横断[[航海]]に成功<ref>{{Cite web |url=https://transit.ne.jp/2023/08/002375.html |title=#今日は何の日? 太平洋横断記念日 8月12日 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=euphoria-factory |date=12 Aug 2023 |website=TRANSIT}}</ref>。「[[人魚|マーメイド]]号」(全長5.83m)で[[5月12日]]、[[兵庫県]][[西宮市|西宮]]を出航し、[[サンフランシスコ]]に到着。 * [[1964年]] - [[青函連絡船]]の最後の便として運航された[[八甲田丸]]が就航。現在「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」として青森港に係留展示されている<ref>{{Cite web |url=https://tabi-mag.jp/ao0046/ |title=青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=一般社団法人プレスマンユニオン |website=ニッポン旅マガジン}}</ref>。 * 1964年 - IOCが同国の[[アパルトヘイト|人種隔離政策]]のため[[南アフリカ共和国]]をオリンピックから追放<ref>{{Cite web |url=https://konomanga.jp/guide/8532-2 |title=8月12日はIOCが南アフリカ共和国をオリンピックから追放した日! |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[宝島社]] |date=12 Aug 2014 |website=このまんががすごい!WEB}}</ref>。 * [[1968年]] - 全国初の[[全国独立UHF放送協議会|独立UHF局]]、または民放初のUHF帯の電波を用いたテレビ局としてGBS[[岐阜放送]]テレビが開局。 * [[1970年]] - [[モスクワ]]で[[ソビエト・西ドイツ武力不行使条約]]締結。 * [[1977年]] - 中国共産党第11回全国代表者大会が開幕。[[文化大革命]]の終結宣言と、[[四つの近代化]]の新党規約を発表<ref>{{Cite web |url=http://japanese.beijingreview.com.cn/jd90/2007-08/23/content_351776.htm |title=第11回全国代表大会 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=北京週報}}</ref>。 * 1977年 - アメリカで[[スペースシャトル]]の実験機「[[スペースシャトル・エンタープライズ|エンタープライズ]]」の[[進入・着陸試験|単独飛行]]に成功。 * [[1978年]] - [[日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約|日中平和友好条約]]が締結される。 * [[1980年]] - [[ラテンアメリカ統合連合]] (ALADI) を設置するためのモンテビデオ条約に調印。 * [[1981年]] - [[IBM]]が最初のパーソナルコンピュータ[[IBM PC|IBM Personal Computer 5150]]を発売。現在の[[PC/AT互換機]]の元祖。 * [[1984年]] - [[7月28日]]から開催されていた[[1984年ロサンゼルスオリンピック|第23回夏季オリンピック・ロサンゼルス大会]]が閉幕。 * [[1985年]] - [[グリコ・森永事件]]で犯行グループから「終息宣言」が送付され、以降動きが途絶える。 * 1985年 - [[日本航空123便墜落事故]]。[[日本航空]]の羽田発[[大阪国際空港|伊丹]]行きの[[ボーイング747]]型機が、[[群馬県]]の[[高天原山]]の山腹「[[御巣鷹の尾根]]」に墜落。乗客乗員520名が死亡。4人が生還(発見は翌13日早朝)単独機としては世界最悪の航空事故<ref>{{Cite web |url=https://toyokeizai.net/articles/-/610696 |title=日航機墜落現場を写した私が伝え続けたい記憶 37年前の御巣鷹山を取材したカメラマンの写真 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[東洋経済新報社|東洋経済]] ONLINE |date=11 Aug 2022}}</ref>。 * [[1994年]] - [[メジャーリーグベースボール]]の[[メジャーリーグベースボール選手会|選手会]]が[[サラリーキャップ]]の導入に反発し、以後232日間に及ぶプロスポーツ史上最大の[[ストライキ]]に突入(→[[1994年から1995年のMLBストライキ]])。 * [[1999年]] - [[犯罪捜査のための通信傍受に関する法律|通信傍受法]]が成立。 * [[2005年]] - [[JALウェイズ58便エンジン爆発事故]]。 * [[2011年]] - [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[横浜F・マリノス]]が前年まで同クラブに所属し、同年[[8月4日]]に急逝した[[松田直樹]]が着けていた背番号3番を永久欠番にすると発表<ref>{{Cite web|和書 |date=12 Aug 2011 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKF0268_S1A810C1000000/ |title=松田直樹さんの背番号「3」永久欠番 横浜M、J1で初 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=13 Oct 2023}}</ref>。J1クラブが選手個人の背番号を永久欠番としたのはこれが初。 * [[2013年]] - [[高知県]][[四万十市]]西土佐で、日本国内観測史上最高の41.0度を記録した<ref>{{Cite web|和書 |date=12 Aug 2013 |url=https://jp.wsj.com/articles/SB10001424127887324539604579008302004146692 |title=高知で41度、史上最高=6年ぶり更新、3日連続40度超 |publisher=Dow Jones & Company, Inc. |accessdate=13 Oct 2023 |website=THE WALL STREET JOURNAL}}</ref>。 * [[2015年]] - [[2015年天津浜海新区倉庫爆発事故]]: [[中華人民共和国|中国]]・[[天津市]]海新区の港湾地区の倉庫で、二度に渡り[[危険物]][[倉庫]]が[[爆発]]する事故が発生<ref>{{Cite web|和書 |date=20 Aug 2015 |url=http://j.people.com.cn/n/2015/0820/c94475-8939123.html |title=天津爆発、危険化学物質の種類と量が公表 約40種類・2500トン |work=人民網日本語版 |publisher=人民日報 |accessdate=13 Oct 2023}}</ref>。死者165人、行方不明8人、負傷者798人の被害を出す<ref>{{Cite web |url=https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/101059/111500074/ |title=驚くほど刑罰が軽かった天津爆発事故の一審判決 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[日経ビジネス]] |date=18 Nov 2016}}</ref>。 * [[2017年]] - アメリカ南部[[バージニア州]]シャーロッツビルで、白人至上主義者らによる集会参加者とその反対派が衝突し、白人至上主義者の運転する車が群集に突入して1人が死亡、19人が負傷した<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3139027 |title=米で白人主義者らと反対派が衝突、車突入などで3人死亡 35人負傷 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=13 Aug 2017}}</ref>。 * [[2019年]] - 犯罪容疑者の中国本土への引渡しを可能にする「[[2019年逃亡犯条例改正案|逃亡犯条例]]」改正を巡る[[香港]]の大規模デモで、数千人のデモ隊が[[香港国際空港]]を占拠し、航空便が全便欠航になる<ref>{{Cite web |url=https://www.businessinsider.jp/post-196406 |title=平和的だったデモがなぜ空港占拠にまでなったのか。香港雨傘運動リーダーが語る |access-date=13 Oct 2023 |publisher=Mediagene |date=13 Aug 2019 |website=Business Insider Japan}}</ref>。 * [[2021年]] - 中国[[上海市]]で拘束され、スパイ罪で懲役6年の実刑判決を受けた60代の日本人女性が、刑期満了で出所し、帰国した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA128420S1A810C2000000/ |title=上海でスパイ罪の邦人帰国 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=12 Aug 2021}}</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> {{multiple image | image1 = Christian_III_of_Denmark.jpg | width1 = 90 | caption1 = デンマーク王[[クリスチャン3世 (デンマーク王)|クリスチャン3世]](1503-1559)誕生 | alt1 = デンマーク王クリスチャン3世 | image2 = Iemitu.jpg | width2 = 90 | caption2 = 江戸幕府第3代将軍、[[徳川家光]](1604-1651)誕生 | alt2 = 江戸幕府第3代将軍徳川家光 }} {{multiple image | image3 = GeorgeIV1780.jpg | width3 = 90 | caption3 = 英国王[[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]](1762-1830)誕生 | alt1 = 英国王ジョージ4世 | image2 = Robert_Southey_-_Project_Gutenberg_eText_13619.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[湖水詩人]]・[[桂冠詩人]]、[[ロバート・サウジー]](1774-1843)誕生 | alt2 = 詩人ロバート・サウジー }} {{multiple image | image1 = Hpb.jpg | width1 = 90 | caption1 = 神秘思想家[[ブラヴァツキー夫人]](1831-1891)。「[[神智学]]」を創唱 | alt1 = 神秘思想家ブラヴァツキー夫人 | image2 = Jacinto_Benavente.jpg | width2 = 90 | caption2 = 劇作家[[ハシント・ベナベンテ]](1866-1954) | alt2 = 劇作家ハシント・ベナベンテ }} {{multiple image | footer = 物理学者[[エルヴィン・シュレーディンガー]](1887-1961)。[[波動力学]]を構築。右画像は「[[シュレーディンガーの猫]]」の図説 | image1 = Erwin Schrödinger (1933).jpg | width1 = 70 | alt1 = エルヴィン・シュレーディンガー | image2 = Schrodingers_cat.svg | width2 = 110 | alt2 = シュレーディンガーの猫 }} {{multiple image | image1 = Noriko_Awaya.jpg | width1 = 90 | caption1 = 歌手[[淡谷のり子]](1907-1999) | alt1 = 歌手、淡谷のり子 | image2 = George Soros - Festival Economia 2018 1.jpg | width2 = 90 | caption2 = 投資家[[ジョージ・ソロス]](1930-) | alt2 = 投資家、ジョージ・ソロス }} {{multiple image | footer = 建築家[[ジャン・ヌーヴェル]](1945-)。左画像は「モラのアルトプラージュ」、右は[[電通本社ビル]] | image1 = Expo02_op6987.jpg | width1 = 100 | alt1 = スイス万国博覧会のモノリス | image2 = Dentsu_Head_Office_Day.jpg | width2 = 80 | alt2 = 電通本社ビル }} {{multiple image | image1 = Carlos_Mesa.jpg | width1 = 90 | caption1 = 第78代ボリビア大統領[[カルロス・メサ・ヒスベルト]](1953-) | alt1 = 第78代ボリビア大統領カルロス・メサ・ヒスベルト | image2 = Pete Sampras Champions Shootout 2.jpg | width2 = 90 | caption2 = テニスプレーヤー[[ピート・サンプラス]](1971年-) | alt2 = テニスプレーヤー、ピート・サンプラス }} * [[1503年]] - [[クリスチャン3世 (デンマーク王)|クリスチャン3世]]<ref>{{Cite web |title=Christian III|king of Denmark and Norway |url=https://www.britannica.com/biography/Christian-III |website=Britannica |access-date=13 Oct 2023}}</ref>、[[デンマーク]]・[[ノルウェー]][[国王]](+ [[1559年]]) * [[1604年]]([[慶長]]9年[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]) - [[徳川家光]]、[[江戸幕府]]第3代[[征夷大将軍]](+ [[1651年]]) * [[1712年]]([[正徳 (日本)|正徳]]2年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[建部清庵]]、[[江戸時代]]中期の[[蘭方医]](+ [[1782年]]) * [[1717年]]([[享保]]2年[[7月6日 (旧暦) |7月6日]]) - [[毛利宗広]]、第6代[[長州藩|長州藩主]](+ [[1751年]]) * [[1746年]]([[延享]]3年[[6月26日 (旧暦) |6月26日]]) - [[大久保忠喜]]、第4代[[烏山藩|烏山藩主]](+ [[1812年]]) * [[1762年]] - [[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]]、[[イギリス国王]](+ [[1830年]]) * [[1774年]] - [[ロバート・サウジー]]、[[詩人]](+ [[1843年]]) * [[1793年]]([[寛政]]5年[[7月6日 (旧暦) |7月6日]]) - [[小笠原長貴]]、第7代[[越前勝山藩|越前勝山藩主]](+ [[1840年]]) * [[1805年]] - [[ヨハン・ロードベルトゥス]]、[[経済学者]](+ [[1875年]]) * [[1831年]] - [[ブラヴァツキー夫人]]、[[神秘思想家]](+ [[1891年]]) * [[1850年]]([[嘉永]]3年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - [[山本芳翠]]、[[洋画家]](+ [[1906年]]) * [[1860年]] - [[クララ・ヒトラー]]、[[アドルフ・ヒトラー]]の母親(+ [[1907年]]) * [[1866年]] - [[ハシント・ベナベンテ]]、[[劇作家]](+ [[1954年]]) * [[1880年]] - [[クリスティ・マシューソン]]、[[プロ野球選手]](+ [[1925年]]) * [[1881年]] - [[セシル・B・デミル]]、[[映画監督]](+ [[1959年]]) * [[1887年]] - [[エルヴィン・シュレーディンガー]]、理論[[物理学者]](+ [[1961年]]) * [[1892年]] - [[レイ・シャーク]]、プロ野球選手(+ [[1970年]]) * [[1893年]] - [[一万田尚登]]、[[財政家]](+ [[1984年]]) * [[1897年]] - [[オットー・シュトルーベ]]、[[天文学者]](+ [[1963年]]) * [[1899年]] - [[柴田等]]、農林官僚(+ [[1974年]]) * [[1907年]] - [[淡谷のり子]]、[[歌手]](+ [[1999年]]) * [[1909年]] - [[広瀬秀雄]]、天文学者(+ [[1981年]]) * [[1910年]] - [[ユソフ・ビン・イサーク]]、初代[[シンガポールの大統領|シンガポール大統領]](+ [[1970年]]) * 1910年 - [[ジェーン・ワイアット]]、[[俳優|女優]](+ [[2006年]]) * [[1911年]] - [[サミュエル・フラー]]、映画監督(+ [[1997年]]) * 1911年 - [[カンティンフラス]]、[[俳優]](+ [[1993年]]) * [[1919年]] - [[フレッド・ハッチンソン]]、プロ野球選手(+ [[1964年]]) * [[1920年]] - [[梅田晴夫]]、[[劇作家]]、[[随筆家]](+ [[1980年]]) * [[1920年]] - [[パーシー・メイフィールド]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]シンガー(+ [[1984年]]) * [[1924年]] - [[ムハンマド・ジア=ウル=ハク]]、[[パキスタンの大統領|パキスタン大統領]](+ [[1988年]]) * [[1926年]] - [[岡部三郎]]、農水官僚、政治家 * 1926年 - [[小泉博]]、俳優(+ [[2015年]]) * [[1929年]] - [[湯浅譲二]]、[[作曲家]] * [[1930年]] - [[ジョージ・ソロス]]、[[投資家]] * [[1932年]] - [[シリキット]]、[[タイ王国]]王妃 * [[1935年]] - [[春風亭柳橋 (7代目)]]、[[落語家]](+ [[2004年]]) * 1935年 - [[ジョン・カザール]]、俳優(+ [[1978年]]) * [[1936年]] - [[ハンス・ハーケ]]、[[コンセプチュアル・アート|コンセプチュアル・アーティスト]] * [[1937年]] - [[ジーン・バッキー]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909150000043.html |title=元阪神エースのバッキー氏死去 日本通算100勝 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=15 Sep 2019}}</ref>) * [[1938年]] - [[ジェラール・プーレ]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1938年 - [[石毛鍈子]]、[[政治家]] * 1938年 - [[島田順司]]、俳優 * [[1940年]] - [[伊藤アキラ]]、[[作詞家]](+ [[2021年]]) * [[1942年]] - [[増田昌三]]、政治家 * 1942年 - [[マーティン・セリグマン]]、[[心理学者]] * [[1945年]] - [[ジャン・ヌーヴェル]]、[[建築家]] * [[1946年]] - [[縄田洋海]]、元プロ野球選手 * [[1947年]] - [[鎌野裕]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[桑原正紀]]、歌人 * 1948年 - [[石渡茂]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[中山孝一]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[マーク・ノップラー]]、[[ギタリスト]]、ミュージシャン * 1949年 - [[皆木敏夫]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[姜尚中]]、政治学者 * [[1951年]] - [[松武秀樹]]、[[ミュージシャン]] * 1951年 - [[髙橋雄一 (ジャーナリスト)|髙橋雄一]]、実業家 * 1951年 - [[水谷久和]]、実業家 * [[1952年]] - [[笑福亭仁智]]、落語家 * 1952年 - [[チェン・カイコー]]、[[映画監督]] * [[1953年]] - [[カルロス・メサ・ヒスベルト]]、[[ボリビアの大統領]] * 1953年 - [[山本雅夫]]、プロ野球選手(+ [[2022年]]) * [[1954年]] - [[パット・メセニー]]、ギタリスト * [[1956年]] - [[吉田秋生]]、[[漫画家]] * 1956年 - [[東てる美]]、女優 * 1956年 - [[マリオ・ホーファー]]、[[調教師]]、[[騎手]] * [[1957年]] - [[和田博盛]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[陣内孝則]]、俳優 * 1958年 - [[清元延寿太夫 (7代目)]]、三味線奏者 * 1958年 - [[土井亨]]、政治家 * [[1960年]] - [[角松敏生]]、歌手、[[ギタリスト]]、[[音楽プロデューサー]] * 1960年 - [[ローラン・フィニョン]]、[[自転車競技]]選手 * [[1962年]] - [[デビット・パブラス]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[中嶋聡彦]]、俳優、[[声優]]、[[音響監督]](+ [[2017年]]<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/09/15/kiji/20170915s00041000311000c.html |title=声優、音響監督の中嶋聡彦さんが死去 サクラ大戦シリーズなどで活躍、55歳 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=15 Sep 2017}}</ref>) * 1962年 - [[松永成立]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * [[1963年]] - [[鈴木みそ]]、漫画家 * 1963年 - [[斉藤学]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[北尾光司]]、[[大相撲]]第60代[[横綱]]、元プロレスラー(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201902120000630.html |title=元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=29 Mar 2013}}</ref>) * 1963年 - [[中野テルヲ]]、ミュージシャン * [[1965年]] - [[須藤まゆみ]]、歌手 * 1965年 - [[青嶋達也]]、[[アナウンサー]] * 1965年 - [[バリー・マニュエル]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[デビット伊東]]、タレント、俳優、実業家 * [[1967年]] - [[樫本学ヴ]]、漫画家 * 1967年 - [[嶋方淳子]]、声優 * [[1968年]] - [[網浜直子]]、歌手、女優 * 1968年 - [[武田久美子]]、歌手、女優 * 1968年 - [[遊佐浩二]]、声優 * [[1969年]] - [[東幹久]]、俳優 * 1969年 - [[木原稔]]、政治家 * 1969年 - [[柳瀬興志]]、[[競艇選手]] * [[1970年]] - [[竹若元博]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[バッファロー吾郎]]) * 1970年 - [[J (ミュージシャン)|J]]、[[ベーシスト]]([[LUNA SEA]]) * 1970年 - [[諸星和己]]、歌手 * 1970年 - [[田中久仁彦]]、漫画家、[[イラストレーター]] * 1970年 - [[吉岡秀隆]]、俳優 * 1970年 - [[三浦文丈]]、[[サッカー選手]] * [[1971年]] - [[ピート・サンプラス]]、[[テニス]]選手 * 1971年 - [[古澤琢]]、アナウンサー * 1971年 - [[松岡充]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[SOPHIA (バンド)|SOPHIA]]) * 1971年 - [[西島貴之]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[貴乃花光司]]、大相撲第65代横綱 * 1972年 - [[三遊亭天どん]]、落語家 * 1972年 - [[金森隆浩]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[川俣浩明]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[森岡茂]]、元[[サッカー選手]] * [[1974年]] - [[篠崎隆一]]、[[作詞家]] * 1974年 - [[近野理智男]]、プロ雀士 * [[1975年]] - [[長谷川豊]]、元アナウンサー * 1975年 - [[石川美津穂]]、俳優 * 1975年 - [[守田俊介]]、競艇選手 * 1975年 - [[橋本康子]]、元陸上競技長距離走・マラソン選手 * [[1976年]] - [[加藤陽一]]、[[バレーボール]]選手 * 1976年 - [[ルー・フォード]]、プロ野球選手 * 1976年 - [[井本直樹]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[小石澤浄孝]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[パク・ヨンハ]]、俳優、歌手(+ [[2010年]]) * 1977年 - [[イバ・マヨリ]]、テニス選手 * 1977年 - [[大渕愛子]]、弁護士 * 1977年 - [[早剛史]]、実業家 * [[1978年]] - [[中島志保]]、スノーボーダー * 1978年 - [[垣添徹]]、元大相撲力士 * 1978年 - [[岩橋良昌]]、お笑い芸人([[プラス・マイナス]]) * [[1979年]] - [[SATOち]]、ミュージシャン(元[[MUCC]]) * 1979年 - [[渡部紘士]]、俳優 * 1979年 - [[小野智吉]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[勝見壮史|勝見荘史]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[D.J.ホールトン]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[一ノ瀬文香]]、[[グラビアアイドル]] * 1980年 - [[紺田敏正]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[矢野修平]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[ジブリル・シセ]]、サッカー選手 * 1981年 - [[野沢拓也]]、サッカー選手 * 1981年 - [[中村慶子]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * [[1982年]] - [[松永天馬]]、ミュージシャン([[アーバンギャルド]]) * [[1983年]] - [[神内靖]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[青山浩二]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[阿澄佳奈]]、声優 * 1983年 - [[クラース・ヤン・フンテラール]]、サッカー選手 * [[1984年]] - [[江口亮輔]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - [[杵屋佶久弥]]、三味線奏者 * 1985年 - [[派谷恵美]]、タレント * 1985年 - [[土嶺雄一]]、バスケットボール選手 * 1985年 - [[石川俊介 (野球)|石川俊介]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[ジョナタン・ソラーノ]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[神本千佳]]、元バレーボール選手 * 1987年 - [[藤谷周平]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[ステファン・ウェルチ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[ヤン・マリーネス]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[大田阿斗里]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[トム・クレヴァリー]]、サッカー選手 * 1989年 ‐ [[コレコレ]]、[[YouTuber]] * [[1990年]] - [[桜のどか]]、女優、元アイドル(元[[アリス十番]]) * 1990年 - [[白砂ゆの]]、AV女優 * 1990年 - [[マリオ・バロテッリ]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[小澤廉]]、俳優 * [[1992年]] - [[カーラ・デルヴィーニュ]]、ファッションモデル * 1992年 - [[森咲智美]]、グラビアアイドル * [[1993年]] - [[結子]]、ファッションモデル * 1993年 - [[宮﨑あずさ]]、NHKアナウンサー * [[1994年]] - [[柏幸奈]]、女優、元アイドル(元[[乃木坂46]]) * 1994年 - [[神永圭佑]]、俳優 * 1994年 - [[佐藤拓也 (野球)|佐藤拓也]]、野球選手 * [[1996年]] - [[天羽希純]]、アイドル(元[[READY TO KISS]]) * 1996年 - [[フリオ・ウリアス]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[金子将太]]、元プロ野球選手 * 1996年 - [[ユジン (歌手)|チェ・ユジン]]、アイドル ([[Kep1er]]、[[CLC (音楽グループ)|CLC]]) * [[1997年]] - [[雪虎慶次]]、[[コスプレ|コスプレイヤー]] * 1997年 - [[植木南央]]、アイドル([[HKT48]]) * 1997年 - [[黒瀬健太]]、元プロ野球選手 * [[1999年]] - [[亀田姫月]]、ファッションモデル、タレント * 1999年 - [[柴田凌光]]、ラグビー選手 * [[2000年]] - [[三田萌日香]]、女優、アイドル([[アイオケ]]) * [[2001年]] - [[井上広大]]、プロ野球選手 * [[2004年]] - [[佐藤瑠生亮]]、俳優 * 2004年 - MIIHI、アイドル ([[NiziU]]) * [[2006年]] - 宮下結衣、タレント、女優 * 生年不明 - [[三上骨丸]]、漫画家 == 忌日 == {{multiple image | footer = [[クレオパトラ7世]](BC70または69-BC30)自害。右画像は{{仮リンク|レジナルド・アーサー|en|Reginald Arthur}}画『クレオパトラの死』(1892)、毒蛇に胸を噛ませている。 | image1 = Kleopatra-VII.-Altes-Museum-Berlin1.jpg | width1 = 60 | alt1 = クレオパトラ | image2 = The_Death_of_Cleopatra_arthur.jpg | width2 = 120 | alt2 = クレオパトラの死 }} {{multiple image | image1 = %E8%AD%B7%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%A2%93.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[護良親王]](1308-1335)殺害される。 | alt1 = 護良親王墓 | image2 = SixtusIV.jpg | width2 = 90 | caption2 = ローマ教皇[[シクストゥス4世 (ローマ教皇)|シクストゥス4世]](1414-1484) | alt2 = ローマ教皇シクストゥス4世 }} {{multiple image | caption1 = 画家[[フィリップ・ド・シャンパーニュ]](1602-1674)没。画像は自画像。 | image1 = Philippe_de_Champaigne.jpg | width1 = 90 | alt1 = フィリップ・ド・シャンパーニュ自画像 | image2 = InnocentXI.jpg | width2 = 90 | caption2 = ローマ教皇[[インノケンティウス11世 (ローマ教皇)|インノケンティウス11世]](1611-1689) | alt2 = ローマ教皇インノケンティウス11世 }} {{multiple image | image1 = Ibrahim_Deli.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[オスマン帝国]]第18代皇帝、[[イブラヒム (オスマン帝国)|イブラヒム]](1615-1648) | alt1 = オスマン帝国第18代皇帝イブラヒム | image2 = William_Blake_by_Thomas_Phillips.jpg | width2 = 90 | caption2 = 詩人・画家、[[ウィリアム・ブレイク]](1757-1827)没。画像は『日の老いたる者』(1794) | alt2 = ウィリアム・ブレイク画、日の老いたる者 }} {{multiple image | image1 = George_Stephenson_-_Project_Gutenberg_etext_13103.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[蒸気機関車]]を実用化した技術者[[ジョージ・スチーブンソン]](1781-1848) | alt1 = ジョージ・スチーブンソン | image2 = Shozan_Sakuma.jpg | width2 = 90 | caption2 = 兵学者・思想家、[[佐久間象山]](1811-1864) | alt2 = 佐久間象山 }} {{multiple image | image1 = Leos Janacek relief.jpg | width1 = 90 | caption1 = 作曲家[[レオシュ・ヤナーチェク]](1854-1928) | alt1 = 作曲家レオシュ・ヤナーチェク | image2 = Thomas_Mann_1937.jpg | width2 = 90 | caption2 = 作家[[トーマス・マン]](1875-1955) | alt2 = 作家トーマス・マン }} {{multiple image | image1 = William_Shockley%2C_Stanford_University.jpg | width1 = 90 | caption1 = 「[[トランジスタ]]の父」、物理学者[[ウィリアム・ショックレー]](1910-1989) | alt1 = 物理学者ウィリアム・ショックレー | image2 = Kyu_sakamoto.png | width2 = 90 | caption2 = 歌手[[坂本九]](1941-1985)航空事故死。[[上を向いて歩こう]]などヒット曲を多数 | alt2 = 歌手坂本九 }} * [[紀元前30年]] - [[クレオパトラ7世|クレオパトラ7世フィロパトル]]、[[プトレマイオス朝]]最後の女王 * [[1335年]]([[建武 (日本)|建武]]2年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[護良親王]]、[[後醍醐天皇]]の皇子、[[征夷大将軍]](* [[1308年]]) * [[1484年]] - [[シクストゥス4世 (ローマ教皇)|シクストゥス4世]]、第212代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1414年]]) * [[1588年]] - [[アルフォンソ・フェッラボスコ1世]]、[[作曲家]](* [[1543年]]) * [[1612年]] - [[ジョヴァンニ・ガブリエーリ]]、作曲家(* [[1554年]]?) * [[1633年]] - [[ヤコポ・ペーリ]]、作曲家(* [[1561年]]) * [[1648年]] - [[イブラヒム (オスマン帝国)|イブラヒム]]、第18代[[オスマン帝国]][[スルタン]](* [[1615年]]) * [[1674年]] - [[フィリップ・ド・シャンパーニュ]]<ref>{{Cite web |title=Philippe de Champaigne|Flemish-born painter |url=https://www.britannica.com/biography/Philippe-de-Champaigne |website=Britannica |access-date=13 Oct 2023}}</ref>、[[画家]](* [[1602年]]) * [[1689年]] - [[インノケンティウス11世 (ローマ教皇)|インノケンティウス11世]]、第240代ローマ教皇(* [[1611年]]) * [[1695年]]([[康煕]]34年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[黄宗羲]]、[[儒学者]](* [[1610年]]) * [[1813年]] - [[サミュエル・オズグッド]]、第4代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1748年]]) * [[1827年]] - [[ウィリアム・ブレイク]]、[[版画家]]、[[詩人]](* [[1757年]]) * [[1848年]] - [[ジョージ・スチーブンソン]]、[[蒸気機関車]]の発明者(* [[1781年]]) * [[1849年]] - [[アルバート・ギャラティン]]、[[民族学者]]、[[言語学者]]、[[政治家]](* [[1761年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[佐久間象山]]、[[思想家]](* [[1811年]]) * [[1866年]] ([[慶応]]2年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[丹羽長富]]、第12代[[二本松藩|二本松藩主]] (* [[1803年]]) * [[1900年]] - [[ヴィルヘルム・シュタイニッツ]]、[[チェス]]選手(* [[1836年]]) * 1900年 - [[ジェームズ・エドワード・キーラー]]、[[天文学者]](* [[1857年]]) * [[1901年]] - [[アドルフ・エリク・ノルデンショルド]]、[[探検家]](* [[1832年]]) * [[1904年]] - [[ウィリアム・レンショー]]、[[テニス]]選手(* [[1861年]]) * [[1911年]] - [[ジュール・ブリュネ]]、[[戊辰戦争#箱館戦争|箱館戦争]]に参戦した事で知られる[[フランス]]の[[軍人]](* [[1838年]]) * [[1922年]] - [[アーサー・グリフィス]]、[[アイルランド]]の[[民族主義]]運動家(* [[1871年]]) * [[1928年]] - [[レオシュ・ヤナーチェク]]、[[作曲家]](* [[1854年]]) * [[1934年]] - [[エド・アンドリュース]]、プロ野球選手(* [[1859年]]) * [[1935年]] - [[永田鉄山]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[中将]](* [[1884年]]) * [[1938年]] - [[相賀武夫]]、[[小学館]]・[[集英社]]創業者(* [[1897年]]) * [[1944年]] - [[ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア]]、[[ジョン・F・ケネディ]]の兄、[[アメリカ合衆国海軍|米海軍]]パイロット(* [[1915年]]) * [[1955年]] - [[トーマス・マン]]、[[小説家]](* [[1875年]]) * 1955年 - [[ジェームズ・サムナー]]、[[化学者]](* [[1887年]]) * [[1964年]] - [[イアン・フレミング]]、小説家(* [[1908年]]) * [[1970年]] - [[西條八十]]、詩人(* [[1892年]]) * 1970年 - [[清月輝]]、[[俳優|女優]](* [[1947年]]) * [[1973年]] - [[ウォルター・ルドルフ・ヘス]]、[[生理学|生理学者]](* [[1881年]]) * [[1975年]] - [[ヴェルナー・リットベルガー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1891年]]) * [[1979年]] - [[エルンスト・ボリス・チェーン]]、[[生化学|生化学者]](* [[1906年]]) * [[1980年]] - [[立原正秋]]、小説家(* [[1926年]]) * [[1982年]] - [[ヘンリー・フォンダ]]、[[俳優]](* [[1905年]]) * 1982年 - [[サルバドル・サンチェス]]、[[プロボクサー]](* [[1959年]]) * [[1985年]] - [[津村秀夫]]、[[映画評論家]](* [[1907年]]) * 1985年 - [[中埜肇 (実業家)|中埜肇]]、[[阪神タイガース]]球団社長(* [[1922年]]) * 1985年 - [[石田一雄]]、[[阪神電気鉄道]]常務取締役(* [[1925年]]) * 1985年 - [[塚原仲晃]]、脳神経学者(* [[1933年]]) * 1985年 - [[竹下元章]]、プロ野球選手(* [[1937年]]) * 1985年 - [[浦上郁夫]]、[[ハウス食品]]社長(* [[1937年]]) * 1985年 - [[坂本九]]、[[歌手]](* [[1941年]]) * 1985年 - [[辻昌憲]]、[[自転車競技]]選手(* [[1946年]]) * 1985年 - [[北原遥子]]、[[俳優|女優]]、元[[宝塚歌劇団]](* [[1961年]]) * [[1986年]] - [[岡田京子]]、女優(* [[1958年]]) * [[1987年]] - [[増本量]]、金属[[物理学者]](* [[1895年]]) * [[1988年]] - [[ジャン・ミッシェル・バスキア]]、[[画家]](* [[1960年]]) * [[1989年]] - [[ウィリアム・ショックレー]]、[[物理学者]](* [[1910年]]) * [[1991年]] - [[常見茂]]、プロ野球選手(* [[1922年]]) * [[1992年]] - [[ジョン・ケージ]]、作曲家(* [[1912年]]) * 1992年 - [[中上健次]]、小説家、詩人、[[評論家]](* [[1946年]]) * [[1993年]] - [[板垣武四]]、政治家、第7代[[札幌市]]長(* [[1916年]]) * [[2000年]] - [[ロレッタ・ヤング]]、女優(* [[1913年]]) * 2000年 - [[秋山登]]、元プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2001年]] - [[ピエール・クロソウスキー]]、[[小説家]]、画家、[[思想家]]、[[翻訳者]](* [[1905年]]) * [[2002年]] - [[イーノス・スローター]]、プロ野球選手(* [[1916年]]) * [[2004年]] - [[ゴッドフリー・ハウンズフィールド]]、電子技術者、[[コンピュータ断層撮影]]開発者(* [[1919年]]) * [[2006年]] - [[井上雪彦]]、[[山口放送]][[アナウンサー]](* [[1946年]]) * [[2007年]] - [[ラルフ・アルファー]]、物理学者(* [[1921年]]) * [[2008年]] - [[朝野久美]]、[[2008年北京パラリンピック|北京パラリンピック]][[シッティングバレーボール]][[2008年北京パラリンピックの日本選手団|日本代表]](* [[1987年]]) * [[2009年]] - [[山城新伍]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090814-530795.html |title=山城新伍さん老人ホームで死去 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=14 Aug 2009 |accessdate=13 Oct 2023}}</ref>、俳優、[[司会者]](* [[1938年]]) * [[2010年]] - [[影山日出夫]]、[[日本放送協会|NHK]]解説委員(* [[1953年]]) * [[2014年]] - [[ローレン・バコール]]、[[俳優|女優]](* [[1924年]]) * 2014年 - [[金剛正裕]]、[[大相撲力士]]、年寄10代[[二所ノ関]](* [[1948年]]) * 2014年 - [[双津竜順一]]、大相撲力士、年寄15代[[時津風 (相撲)|時津風]](* [[1950年]]) * [[2016年]] - [[武邦彦]]、元騎手、調教師(* [[1938年]]) * [[2019年]] - [[勝井三雄]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[1931年]]) * 2019年 - [[ホセ・ルイス・ブラウン]]、サッカー選手・指導者、元[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]](* [[1956年]]) * [[2020年]] - [[砂原幸雄]]、[[実業家]]、元[[TBSテレビ|TBS]]社長(* [[1937年]]) * [[2021年]] - [[今村純二]]、実業家、元[[北海道日本ハムファイターズ]]会長、社長(* [[1938年]]) * 2021年 - [[小平裕]]、映画監督(* [[1938年]]) * [[2023年]] - [[松旭斎すみえ]]、[[奇術師]]、元[[日本奇術協会]]会長(* [[1938年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Awa-odori_2008_Tokushima.jpg|thumb|180x180px|[[徳島市]]の[[阿波踊り]]]] [[Image:Queen_Sirikit_NYWTS.jpg|thumb|タイ王妃、[[シリキット]]誕生(1932-)。タイの祝日|245x245ピクセル]] [[Image:Red_Grouse_(May_2008).jpg|thumb|アカライチョウ|180x180ピクセル]] * [[国際青少年デー]]({{World}}) *: [[1999年]]の[[国連総会]]で決定した[[国際デー]]。1999年のこの日に、リスボンで世界青少年担当閣僚会議が閉幕したことを記念。 * [[シリキット]]王妃の誕生日、母の日({{THA}}) *: [[1932年]]同日の[[シリキット]]王妃の誕生を祝う祝日。 * {{仮リンク|グロリアス・トウェルフス|en|glorious twelfth}}({{GBR}}) *: {{仮リンク|アカライチョウ|en|Red Grouse}}の狩猟解禁日。イギリスの狩猟シーズンの幕開け。 * 真ん中っ子の日(Middle Child Day) * [[アルプスの少女ハイジ]]の日({{JPN}}) *: サンクリエートが2010年に制定。「ハ(8)イ(1)ジ(2)」の語呂合わせ。 * ハイチュウの日({{JPN}}) *: ハイチュウの製造元である[[森永製菓|森永製菓株式会社]]が、夏休みなどでの需要期をよりいっそう盛り上げようと2004年に制定。日付は8と12でハイチュウと読む語呂合わせから<ref name="P71">{{Cite book|和書 |editor=加瀬清志 |title=366日記念日事典 下 |publisher=[[創元社]] |year=2020 |page=71 |isbn=978-4422021157}}</ref>。 * 航空安全の日・茜雲忌({{JPN}}) *: [[1985年]]のこの日の、520人の犠牲者を出した[[日本航空123便墜落事故]]にちなむ。遺族らがつくる「8・12連絡会」が編集したメッセージ集のタイトルから「茜雲忌」とも呼ばれる。 * [[太平洋]]横断記念日({{JPN}}) *: [[1962年]]のこの日、[[堀江謙一]]が小型ヨット「マーメイド号」で太平洋単独横断に成功し、サンフランシスコに到着した。 * [[君が代]]記念日({{JPN}}) *: [[1893年]]のこの日、[[文部省]]が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、小学校の[[祝日大祭日]]の唱歌に「君が代」など8曲が定められたことを記念。 * 配布の日({{JPN}}) *: [[ポスティング]]やサンプリング(街頭での広告の配布)を行う企業の団体・有限責任事業組合日本広告配布事業組合(JADA)が制定。配布の役割をアピールし、業界の活性化を図るのが目的。日付は、「は(8)い(1)ふ(2)」の語呂合せから<ref name="P71"/>。 * [[徳島市阿波踊り]]の初日({{JPN}} [[徳島市]]、15日まで) *: 阿波踊りは、三味線や太鼓が奏でるリズムに合わせて、独特の動きで踊る世界屈指の盆踊り大会で、400年の歴史を持つ。起源として、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の末期から阿波を治めた三好一族の興亡記「三好記」に、[[天正]]6年に領主が城下において庶民の風流踊りを見物したという記録が残る<ref>{{Cite web |url=https://discoverjapan-web.com/article/94608 |title=徳島県《阿波おどり》 400年の歴史を持つ世界屈指の盆踊り大会 |改めて知っておきたい日本の祭り |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[ディスカバー・ジャパン|Discover Japan Inc.]] |date=6 Aug 2022}}</ref>。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0812|date=Oct 2023}} * [[1975年]](原作) - 三河屋で[[コカ・コーラ]](アニメではスキットサイダー)が1本しか売れず。(漫画・アニメ『[[ドラえもん]]』「王かんコレクション」) * [[2011年]] - 世界各地の都市が沿岸部より侵攻した宇宙人より攻撃を受ける。([[世界侵略: ロサンゼルス決戦]]) === 誕生日(フィクション) === * [[1906年]] - 蜂須賀初野、漫画『[[紡ぐ乙女と大正の月]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=紡ぐ乙女と大正の月 1|date=2020-06-26|publisher=[[芳文社]]|page=5|isbn=978-4832271999|author=ちうね}}</ref> * [[1965年]] - [[ガイ (ファイナルファイト)|ガイ]]、ゲーム『[[ファイナルファイト]]』シリーズ・『[[ストリートファイター (ゲーム)|ストリートファイター]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=キャラ図鑑039:ガイ |url=https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/112553 |website=シャドルー格闘家研究所 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[カプコン|CAPCOM]]}}</ref> * [[1968年]] - アッシュ・リンクス、漫画・アニメ『[[BANANA FISH]]』の主人公<ref>{{Cite web |url=https://bananafish.tv/special/birthday_ash/ |title=Happy Birthday! ASH LYNX 8.12 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[吉田秋生]]・[[小学館]]/Project BANANA FISH |work=『BANANA FISH』}}</ref> * [[1985年]] - 和谷義高、漫画・アニメ『[[ヒカルの碁]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ヒカルの碁 碁ジャス キャラクターズガイド |date=9 Apr 2002 |publisher=[[集英社]] |page=142 |author=[[ほったゆみ]] |author2=[[小畑健|小畑 健]] |author3=[[梅沢由香里]]([[日本棋院]]) |isbn=4-08-873278-2}}</ref> * 生年不明 - 海崎新太、漫画『[[ReLIFE]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |title=海崎新太 |url=https://relife-anime.com/character/ |accessdate=13 Oct 2023 |publisher=[[アニプレックス]] [[夜宵草]]/[[comico]]/リライフ研究所 |work=『ReLIFE』}}</ref> * 生年不明 - [[電脳少女シロ]]、[[バーチャルYouTuber]]<ref>{{Twitter status|SIROyoutuber|973411635825033216}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://panora.tokyo/panora.tokyo/55979/HPC-index.html |title=バーチャルYouTuber「シロ」、誕生日を6/28から8/12に突然変更 やりおるマンだぁぁぁぁぁぁ!!!! |access-date=13 Oct 2023 |publisher=PANORA |date=13 Mar 2018}}</ref> * 生年不明 - キース・ハワード、漫画『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋和希|title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書|publisher=集英社|series=Vジャンプブックス|year=2015|page=106|isbn=978-4-08-779722-0}}</ref> * 生年不明 - 犬塚ツメ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2005|page=26|isbn=4-08-873734-2}}</ref> * 生年不明 - [[志村新八]]、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=「銀魂」8月12日は新八の誕生日! 新八仕様の眼鏡テディベア&描き下ろしイラストグッズ発売 |url=https://animeanime.jp/article/2020/08/12/55624.html |website=アニメ!アニメ! |accessdate=13 Oct 2023 |date=12 Aug 2020 |publisher=[[イード (企業)|IID, Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 冬木士度、漫画・アニメ『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=冬木土度 |url=https://www.tbs.co.jp/getbackers/old/chara/c_shido.html |accessdate=13 Oct 2023 |publisher=[[青樹佑夜]]・[[綾峰欄人]]・[[講談社]] / チーム奪還屋 [[TBSテレビ|TBS]] ANIMATION. |work=『GetBackers-奪還屋-』}}</ref> * 生年不明 - 御影玲王、漫画・アニメ『[[ブルーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BLUELOCK_WM|1690024828445827072}}</ref> * 生年不明 - 野々原楓、漫画・アニメ『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Cite web|和書 |title=【キャラ誕生日まとめ】8月6~13日生まれのキャラは? 「銀魂」高杉晋助から「BANANA FISH」アッシュ・リンクスまで |url=https://animeanime.jp/article/2021/08/06/63042.html |website=アニメ!アニメ! |accessdate=13 Oct 2023 |date=6 Aug 2021 |publisher=[[イード (企業)|IID, Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 無涯、漫画・アニメ『[[ムシブギョー]]』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 天暴星ベヌウの輝火、漫画『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|teshi_kuro413|1557925097549307904}}</ref> *生年不明 - 直戸圭介、漫画・アニメ『[[魔法少女サイト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|weekly_champion|1028295161992888321}}</ref> * 生年不明 - 日向夏帆、漫画・アニメ『[[ブレンド・S]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=中山幸|authorlink=中山幸|year = 2017 |title = ブレンド・S |volume = 3巻 |page = 7 |publisher = [[芳文社]] |series = [[まんがタイムKRコミックス]] |isbn = 978-4-8322-4798-7 }}</ref> * 生年不明 - 徳川家光、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1293381698965700609}}</ref> * 生年不明 - 明神凛音、ゲーム・アニメ『[[CUE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.cue-liber.jp/character-15 |title=明神 凛音 |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=『CUE!』}}</ref> * 生年不明 - 渋谷いのり、メディアミックス『[[連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://w-witch.jp/luminous/member/?mode=chara-2 |title=渋谷いのり |access-date=13 Oct 2023 |publisher=[[島田フミカネ]]・[[KADOKAWA]]/連盟空軍航空魔法音楽隊 |work=『連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 12|12 August}} {{新暦365日|8|11|8|13|[[7月12日]]|[[9月12日]]|[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]|0812|8|12}} {{1年の月と日}}
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8月3日
8月3日(はちがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から215日目(閏年では216日目)にあたり、年末まであと150日ある。
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{{カレンダー 8月}} '''8月3日'''(はちがつみっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から215日目([[閏年]]では216日目)にあたり、年末まであと150日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[カレー包囲戦 (1346年-1347年)|カレー包囲戦]]終結(1347)。右画像はカレー市民を救ったという6人を題材とした[[オーギュスト・ロダン|ロダン]]作『[[カレーの市民]]』 | image1 = The_French_defeated_before_Calais_by_Edward_III.jpg | width1 = 90 | alt1 = カレー包囲戦 | image2 = Auguste_Rodin-Burghers_of_Calais_London_%28photo%29.jpg | width2 = 90 | alt2 = 『カレーの市民』 }} {{multiple image | footer = [[クリストファー・コロンブス]]、1回目の西方への航海に出発(1492)。右画像の青実線が第1回の航路。 | image1 = Ridolfo Ghirlandaio Columbus.jpg | width1 = 60 | alt1 = クリストファー・コロンブスの肖像画 | image2 = Viajes_de_colon_en.svg | width2 = 120 | alt2 = コロンブスの航路 }} [[Image:Kyosai_Kiyomitsu_001.jpg|thumb|180x180px|[[武家諸法度]]改正、[[参勤交代]]が義務化(1635)]] {{multiple image | footer = [[スカラ座]]の新劇場落成(1778) | image1 = XIX_century_print%2C_Piazza_della_Scala%2C_Milano.jpg | width1 = 90 | alt1 = 19世紀のイラストレーション | image2 = Milano-scalanotte.jpg | width2 = 90 | alt2 = 現代の外観 }} [[Image:Jungfrau03.jpg|thumb|[[ユングフラウ]]初登頂(1811)|180x180ピクセル]] [[Image:Grossglockner Hochalpenstrasse, Margaritzenstausee.jpg|thumb|180x180px|[[アルプス山脈]]を縦断する{{仮リンク|グロースグロックナー・ホッホアルペン街道|en|Grossglockner High Alpine Road}}開通(1935)]] [[Image:Oluja_traktor.jpg|thumb|[[クロアチア紛争]]、[[嵐作戦]]はじまる(1995)。画像は難民|269x269ピクセル]] * [[435年]] - [[エフェソス公会議]]で[[異端]]とされた[[ネストリウス]]に対し、東ローマ皇帝[[テオドシウス2世]]が国外追放を命ずる。ネストリウスは[[エジプト]]へ移る。 * [[672年]]([[弘文天皇]]元年/[[天武天皇]]元年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - [[壬申の乱]]: 美濃に逃れた大海人皇子(後の天武天皇)が大友皇子(弘文天皇)に対し挙兵。 * [[1165年]]([[永万]]元年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]]) - 順仁親王が父の[[二条天皇]]から譲位され、第79代天皇・[[六条天皇]]として即位。 * [[1347年]] - [[百年戦争]]: [[カレー包囲戦 (1346年-1347年)|カレー包囲戦]]が終結。[[カレー (フランス)|カレー]]開城の際、[[カレーの市民|6人の市民代表]]が人質となり他の市民を救う。 * [[1492年]] - [[クリストファー・コロンブス]]がスペインから1回目の西方への航海に出発。 * [[1635年]]([[寛永]]12年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]])- [[江戸幕府]]が[[武家諸法度]]を改正。諸大名の[[参勤交代]]の義務化や[[大船建造の禁]]などの条文が加わる。 * [[1644年]] - [[三十年戦争]]: [[フライブルクの戦い]]はじまる。 * [[1778年]] - [[ミラノ]]・[[スカラ座]]の新劇場が落成する。 * [[1811年]] - [[アルプス山脈]]の[[ユングフラウ]]にメイヤー兄弟が初登頂。 * [[1829年]] - [[ジョアキーノ・ロッシーニ]]作曲の[[オペラ]]『[[ウィリアム・テル (オペラ)|ウィリアム・テル]]』が[[パリ]]で初演される。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ドイツ]]が[[フランス]]に宣戦布告<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/germany-and-france-declare-war-on-each-other |title=Germany and France declare war on each other |work=THIS DAY IN HISTORY |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |date=July 30, 2020}}</ref>。 * [[1916年]] - 第一次世界大戦: [[ロマニの戦い]]が始まる。 * [[1918年]] - [[1918年米騒動]]: [[富山県]][[西水橋町]]で漁師の妻ら約200人が米屋などに押し掛ける。これが新聞で報道され米騒動が全国に飛び火。 * [[1923年]] - 前日の[[ウォレン・ハーディング]][[アメリカ合衆国大統領]]の死去に伴い、副大統領の[[カルビン・クーリッジ]]が第30代米大統領に就任。 * [[1927年]] - [[明治神宮野球場|神宮球場]]で第1回[[都市対抗野球大会]]が開幕。 * [[1935年]] - [[天皇機関説事件]]: 日本政府が[[国体明徴声明]]を出す。 * 1935年 - [[アルプス山脈]]を南北に貫く山岳道路{{仮リンク|グロースグロックナー・ホッホアルペン街道|en|Grossglockner High Alpine Road}}が開通。 * [[1937年]] - [[豊田正子]]が小学生の時に書いた作文をまとめた『[[綴方教室]]』が刊行。ベストセラーとなる。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[イタリア]]が[[イギリス領ソマリランド]]に侵攻。 * 1940年 - [[バルト諸国占領]]: [[ソビエト連邦]]が[[リトアニア]]を併合。 * 1940年 - 岡山県[[玉野市]]が市制施行。 * 1945年 - [[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[病院船]]「[[橘丸 (東海汽船・2代)|橘丸]]」が米軍に[[拿捕]]、同船が国際法に違反する形で兵員・兵器を輸送していたことが発覚し陸軍史上最大の1500の[[捕虜]]を出す。([[橘丸事件]]) * [[1949年]] - アメリカのバスケットボールリーグNational Basketball League (NBL) が、ライバルリーグであるBasketball Association of America (BAA) への吸収合併に合意し、National Basketball Association ([[NBA]]) が発足。 * [[1953年]] - [[衆議院]]本会議において「[[A級戦犯#主権回復後の赦免|戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議]]」が採択される。 * [[1955年]] - [[少女漫画]]雑誌『[[りぼん]]』が創刊。 * [[1957年]] - [[米軍機母子殺傷事件]]。 * [[1958年]] - [[アメリカ海軍]]の[[原子力潜水艦]]「[[ノーチラス (原子力潜水艦)|ノーチラス]]」が世界で初めて潜航状態による[[北極点]]通過を果たす。 * [[1960年]] - [[ニジェール]]が[[フランス]]から独立。 * 1960年 - [[奥羽本線]][[碇ヶ関駅]]付近で退避中の列車が土砂崩れに巻き込まれて脱線転覆。乗員乗客2人が死亡、64人が重軽傷。現場付近は前日から集中豪雨に見舞われていた<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=143|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1962年]] - 日本初の[[テレビ情報誌]]『[[週刊TVガイド]]』が創刊。 * [[1965年]] - [[松代群発地震]]が始まる。 * [[1967年]] - [[公害対策基本法]]が公布。 * 1967年 - [[文化大革命]]: [[日本共産党]]訪中団が[[北京首都国際空港|北京空港]]で[[紅衛兵]]の襲撃を受ける。([[北京空港事件]]) * [[1970年]] - アメリカnbcテレビでnbc nightly newsが放送開始<ref>{{Citation|title=NBC Nightly News [8-3-1970] First broadcast|url=https://www.youtube.com/watch?v=SN_5klxbnbM|language=ja-JP|access-date=2023-11-21}}</ref> * [[1972年]] - [[アメリカ合衆国上院]]が[[弾道弾迎撃ミサイル制限条約]]を批准。 * [[1975年]] - [[パリ]]発イモヴセール行きの[[ロイヤル・ヨルダン航空]]のチャーター便[[ボーイング707]]型機が着陸進入中に[[アガディール]]近郊に墜落、乗員乗客188名全員が死亡。([[:en:1975 Agadir Morocco Air Disaster]]) * [[1976年]] - [[TK-80]]発売。 * [[1977年]] - [[広島市]]で14年ぶりの[[原水爆禁止日本協議会|原水協]]・[[原水爆禁止日本国民会議|原水禁]]合同による原水爆禁止世界大会が開催。海外30カ国14国際組織の代表116人を含む350人が参加<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=26051 |title=ヒロシマの記録1977 8月 |publisher=[[中國新聞]] |accessdate=25 Sep 2023 |date=1 Aug 1977}}</ref>。 * [[1979年]] - [[千葉県]][[君津市]]の[[神野寺 (君津市)|神野寺]]の境内に併設された動物園の2頭の[[トラ]]が逃走、寺から2kmほど離れた住宅街にも姿を現し、飼い犬が襲われる被害が出たが、警察、消防、[[猟友会]]、[[猟犬]]などによる27日間の捜索の末2頭とも射殺される。([[神野寺虎脱走事件]]) * [[1984年]] - 日本の静止[[気象衛星]]「[[ひまわり3号]]」打上げ。 * [[1995年]] - [[クロアチア紛争]]: [[嵐作戦]]が始まる。 * [[2005年]] - [[モーリタニア]]で大統領[[マーウイヤ・ウルド・シディ・アハメド・タヤ]]の不在中に軍部が無血{{仮リンク|2005年モーリタニアクーデター|en|2005 Mauritanian coup d'état|label=クーデター}}。 * [[2009年]] - 日本で初めての[[裁判員制度]]を適用した裁判の初公判が[[東京地方裁判所|東京地裁]]で行われる<ref>{{Cite web|和書 |date=3 Aug 2009 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2627577 |title=裁判員裁判始まる、初公判は東京地裁 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |accessdate=25 Sep 2023}}</ref>。 * [[2019年]] - アメリカ[[テキサス州]]にて[[エルパソ銃乱射事件 (2019年)|エルパソ銃乱射事件]]が発生<ref>{{Cite web |title=米テキサス州エルパソの銃乱射事件 被告、罪状認否で無罪主張 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3249088 |date=11 Oct 2019 |access-date=25 Sep 2023 |language=ja |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News}}</ref>。20人以上が死亡。 * 2019年 - [[愛知県]]内で[[8月1日]]から開催されていた国際芸術祭「[[あいちトリエンナーレ|あいちトリエンナーレ2019]]」は、企画展「表現の不自由展・その後」の中止を決定。慰安婦を表現した少女像などの展示に、抗議の電話が殺到していたことが原因<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14126757.html |title=表現の不自由展、中止 テロ予告・脅迫相次ぐ 津田芸術監督「断腸の思い」 |access-date=25 Sep 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=4 Aug 2019}}</ref>。 * [[2021年]] - [[2020年東京オリンピックのボクシング競技|東京五輪ボクシング女子フェザー級]]で[[入江聖奈]]が金メダルを獲得。日本ボクシング女子史上初および、全種目を通じて[[鳥取県]]出身選手史上初の五輪金メダリストとなった<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASP8346HDP83UTQP006.html |title=ボクシング入江聖奈、日本女子初の金メダル 「夢の中みたい」 |access-date=25 Sep 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=3 Aug 2021}}</ref>。 {{-}} == 誕生日 == [[Image:FWIII.jpg|thumb|226x226px|プロイセン王[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]](1770-1840)誕生]] [[Image:A_portrait_of_Takami_Senseki_by_Watanabe_Kazan.jpg|thumb|357x357px|蘭学者[[鷹見泉石]](1785-1858)誕生]] {{multiple image | footer = 造園家・建築家、[[ジョセフ・パクストン]](1803-1865)誕生。右画像は「[[水晶宮]]」(1851) | image1 = Joseph_Paxton.png | width1 = 60 | alt1 = ジョセフ・パクストン | image2 = Crystal Palace from the northeast from Dickinson's Comprehensive Pictures of the Great Exhibition of 1851. 1854.jpg | width2 = 120 | alt2 = 水晶宮 }} [[Image:King_Sho_Tai.jpg|thumb|228x228px|最後の[[琉球王国]]国王、[[尚泰王|尚泰]](1843-1901)]] [[Image:George_Francis_FitzGerald.jpg|thumb|266x266px|物理学者[[ジョージ・フィッツジェラルド]](1851-1901)]] [[Image:Stanley Baldwin ggbain.32267.jpg|thumb|251x251px|イギリスの政治家[[スタンリー・ボールドウィン]](1867-1947)]] [[Image:Haakon_VII_FSA.jpg|thumb|286x286px|ノルウェー王[[ホーコン7世]](1872-1957)]] {{multiple image | footer = 発明家[[エリシャ・オーチス]](1811-1861)誕生。[[エレベーター]]の落下防止装置(右画像)を発明し実用化 | image1 = Otis.jpg | width1 = 60 | alt1 = エリシャ・オーチス | image2 = ElevatorPatentOtis1861.jpg | width2 = 120 | alt2 = 落下防止装置の特許 }} [[Image:Bourguiba_photo_officielle.jpg|thumb|220x220px|[[チュニジア]]初代大統領、[[ハビーブ・ブルギーバ]](1903-2000)]] === 人物 === * [[317年]]‐[[コンスタンティウス2世]]、[[ローマ皇帝]](+[[361年]]) * [[1430年]]‐[[尋尊]]、[[法相宗]]の[[僧]](+[[1508年]]) * [[1509年]] - [[エティエンヌ・ドレ]]、[[ラテン語]]学者、[[翻訳家]]、出版業者(+ [[1546年]]8月3日) ※[[生没同日]] * [[1770年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]<ref>{{Cite web |title=Frederick William III|king of Prussia |url=https://www.britannica.com/biography/Frederick-William-III |website=Britannica |access-date=25 Sep 2023}}</ref>、[[プロイセン王国|プロイセン]][[王]](+ [[1840年]]) * [[1779年]]‐[[カール・リッター]]、[[地理学者]](+[[1859年]]) * [[1785年]]([[天明]]5年[[6月29日 (旧暦)]]) - [[鷹見泉石]]、[[蘭学者]](+ [[1858年]]) * [[1803年]] - [[ジョセフ・パクストン]]<ref>{{Cite web |title=Sir Joseph Paxton|British architect and botanist |url=https://www.britannica.com/biography/Joseph-Paxton |website=Britannica |date=2023-07-30 |access-date=25 Sep 2023}}</ref>、[[造園家]]、[[建築家]](+ [[1865年]]) * [[1811年]] - [[エリシャ・オーチス]]<ref>{{Cite web |title=Elisha Otis|American inventor |url=https://www.britannica.com/biography/Elisha-Otis |website=Britannica |access-date=25 Sep 2023}}</ref>、[[発明家]]、[[起業家]](+ [[1861年]]) * [[1836年]]([[天保]]7年[[6月21日 (旧暦)]]) - [[磯部百鱗]]、[[画家]](+ [[1906年]]) * [[1841年]](天保12年[[6月16日 (旧暦)]]) - [[藤田伝三郎]]、[[藤田財閥]]創立者(+ [[1912年]]) * [[1843年]]([[道光]]23年[[7月8日 (旧暦)]]) - [[尚泰王|尚泰]]、[[琉球国王]](+ [[1901年]]) * [[1851年]] - [[ジョージ・フィッツジェラルド]]、[[物理学者]](+ [[1901年]]) * [[1860年]] - [[ウィリアム・K・L・ディクソン]]、[[発明家]](+ [[1935年]]) * [[1867年]] - [[スタンリー・ボールドウィン]]、[[イギリス首相]](+ [[1947年]]) * 1867年 - [[岸清一]]、[[弁護士]]、[[貴族院 (日本)]][[議員]]、[[国際オリンピック委員会]]委員、[[博士(法学)]](+ [[1933年]]) * [[1872年]] - [[ホーコン7世]]、[[ノルウェー国王]](+ [[1957年]]) * [[1879年]] - [[岩崎小弥太]]、[[実業家]]、[[三菱財閥]]4代目総帥(+ [[1945年]]) * [[1883年]] - [[ヴィレーム・マテジウス]]、[[言語学者]]、[[文学史]]家(+ 1945年) * [[1884年]] - [[ルイス・グルーエンバーグ]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1964年]]) * [[1894年]] - [[ハリー・ハイルマン]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1951年]]) * [[1899年]] - [[ルイ・シロン]]、[[レーシングドライバー]](+ [[1979年]]) * [[1902年]] - [[閑院純仁]]([[閑院宮春仁王]])、[[旧皇族]](+ [[1988年]]) * 1902年 - [[中村寅太]]、[[政治家]](+ [[1978年]]) * [[1903年]] - [[ハビーブ・ブルギーバ]]、政治家、[[チュニジアの大統領|チュニジア大統領]](+ [[2000年]]) * [[1904年]] - [[クリフォード・D・シマック]]、[[小説家]](+ [[1988年]]) * 1904年 - [[ラウリ・ヴィルタネン]]、[[陸上競技選手一覧|陸上選手]](+ [[1982年]]) * [[1907年]] - [[三鬼陽之助]]、[[経済評論家]](+ [[2002年]]) * 1907年 - [[梅若六郎 (55世)]]、[[能楽師]](+ [[1979年]]) * [[1908年]] - [[三升家小勝 (6代目)]]、[[落語家]](+ [[1971年]]) * [[1912年]] - [[田島直人]]、[[陸上選手]](+ [[1990年]]) * [[1914年]] - [[岡田茂 (三越)|岡田茂]]、[[実業家]](+ [[1995年]]) * 1914年 - [[岩崎寿男]]、実業家(+ [[2005年]]) * [[1919年]] - [[伊藤雄之助]]、[[俳優]](+ [[1980年]]) * [[1920年]] - [[P・D・ジェイムズ]]、[[推理作家]](+ [[2014年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3032931 |title=英推理作家P・D・ジェイムズさん死去、94歳 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=28 Nov 2014 |accessdate=25 Sep 2023}}</ref>) * [[1922年]] - [[仁科栄三]]、元プロ野球選手 * [[1923年]] - [[アン・クライン]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[1974年]]) * [[1924年]] - [[カール・ゴッチ]]、[[プロレスラー]](+ [[2007年]]) * 1924年 - [[レオン・ユリス]]、[[小説家]](+ [[2003年]]) * [[1925年]] - [[広田順]]、元プロ野球選手(+ 2003年) * [[1926年]] - [[トニー・ベネット]]、[[歌手]](+ [[2023年]]) * [[1927年]] - [[観世栄夫]]、能楽師、俳優(+ 2007年) * [[1928年]] - [[川上哲郎]]、[[実業家]] (+ [[2021年]]) * [[1929年]] - [[西山登志雄]]、元[[東武動物公園]]園長(+ [[2006年]]) * 1929年 - [[セシル・オーブリー]]、[[俳優|女優]]、小説家(+ [[2010年]]) * [[1932年]] - [[アルフォンス・デーケン]]、[[哲学者]](+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.asahi.com/articles/ASN966598N96UCLV007.html |title=アルフォンス・デーケンさん死去 日本に死生学を広める |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=6 Sep 2020 |accessdate=25 Sep 2023}}</ref>) * [[1934年]] - [[ヘイスタック・カルホーン]]、プロレスラー(+[[1989年]]) * [[1937年]] - [[三遊亭小圓遊]]、[[落語家]](+[[1980年]]) * [[1939年]] - [[平沼赳夫]]、[[政治家]] * [[1940年]] - [[マーティン・シーン]]、[[映画俳優]] * 1940年 - [[ロジャー・レポーズ]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[マーサ・スチュワート]]、[[実業家]] * [[1942年]] - [[山下八洲夫]]、[[政治家]] * [[1943年]] - [[佐川眞人]]、[[ネオジム磁石]][[発明者]] * 1943年 - [[岩郷泰博]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]) * [[1944年]] - [[竹田恒治]]、[[旧皇族]]、[[実業家]] * [[1944年]] - [[ローラン・ボック]]、プロレスラー * [[1945年]] - [[黒鉄ヒロシ]]、[[漫画家]] * [[1946年]] - [[ジャック・ストロー]]、政治家 * [[1947年]] - [[谷村智啓]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[斎藤一人]]、実業家 * 1948年 - [[ジャン=ピエール・ラファラン]]、政治家 * 1948年 - [[杉原薫]]、[[経済学者]] * [[1949年]] - [[野上俊夫]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[ジョン・ランディス]]、[[映画監督]] * [[1952年]] - [[ボブ・デービッドソン]]、[[審判員 (野球)|審判員]] * 1952年 - [[オズワルド・アルディレス]]、[[サッカー選手]]、監督 * 1952年 - [[マーティン・ロスコー]]、[[ピアニスト]]、音楽教師 * [[1953年]] - [[藤沢哲也]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[伴一彦]]、脚本家 * 1954年 - [[尹炳世]]、外交官、政治家、第37代[[外交通商部]]長官 * 1955年 - [[平野正雄]]、経営コンサルタント、実業家、[[早稲田大学]]商学学術院教授 * 1955年 - 浜舘明、元[[アナウンサー]]、記者 * [[1958年]] - [[ランベール・ウィルソン]]、俳優 * [[1959年]] - [[田中耕一]]、技術者 * [[1960年]] - [[西田真二]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[杉浦宏昭]]、[[調教師]] * 1960年 - [[倉田邦房]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[有本香]]、[[ジャーナリスト]] * 1962年 - [[上田和明]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[小田佳奈子]]、[[作詞家]] * 1962年 - [[古澤融]]、[[声優]] * [[1963年]] - [[石川真]]、俳優 * 1963年 - [[ジェイムズ・ヘットフィールド]]、[[ミュージシャン]]、[[ギタリスト]] * 1963年 - [[本村信吾]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[栗田聡]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[アピシット・ウェーチャチーワ]]、[[タイ王国]]の政治家。元首相 * [[1965年]] - [[白倉伸一郎]]、映画プロデューサー * 1965年 - [[藤田朋子]]、女優 * [[1966年]] - [[石橋文雄]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[マチュー・カソヴィッツ]]、映画監督、俳優 * 1967年 - 宮川孝子、ミュージシャン(元[[PINK SAPPHIRE]]) * [[1968年]] - [[イリーナ・スミルノーワ]]、[[バレーボール選手]] * 1968年 - [[大塚賢一]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[志賀泰伸]]、歌手、俳優 * 1968年 - [[バタービーン]]、[[プロボクサー]] * 1968年 - [[行定勲]]、[[映画監督]] * [[1969年]] - [[三嶋章夫]]、プロデューサー * 1969年 - [[室園丈裕]]、声優 * [[1970年]] - [[岸本健]]、政治家 * 1970年 - [[桜井政博]]、ゲームクリエイター、[[ディレクター]] * 1970年 - [[鈴木純子]]、アナウンサー * 1970年 - [[鈴木正治]]、元[[サッカー選手]] * [[1971年]] - [[赤堀雅秋]]、俳優 * 1971年 - [[安倍吉俊]]、[[イラストレーター]]、[[漫画家]] * 1971年 - [[田坂和昭]]、元サッカー選手 * 1971年 - [[ノルヘ・ベラ]]、元野球選手 * 1971年 - [[古田悟]]、バスケットボール選手 * 1971年 - [[町亞聖]]、[[ニュースキャスター]] * [[1972年]] - [[稲葉篤紀]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[安住紳一郎]]、アナウンサー * 1973年 - [[藤田麻衣子 (女流棋士)|藤田麻衣子]]、[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]] * 1973年 - [[大和良子]]、アナウンサー * [[1974年]] - [[山本幸正]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[伊藤英明]]、[[俳優]] * 1975年 - [[伊福部崇]]、[[放送作家]]、[[脚本家]]、[[ミュージシャン]] * 1975年 - [[なすび (タレント)|なすび]]、タレント、俳優 * 1975年 - [[葉月絵理乃]]、声優 * 1975年 - [[ルーズベルト・ブラウン]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[花岡麻帆]]、[[陸上選手]] * 1976年 - [[早川亜希]]、女優 * 1976年 - [[トロイ・グロース]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[オスカル・ペレイロ]]、[[自転車競技]]選手 * 1977年 - [[トム・ブレイディ]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1978年]] - [[木口美和子]]、[[ファッションモデル]] * 1978年 - [[蔡淳佳]](ジョイ・チュア)、歌手 * 1978年 - 武智、お笑いタレント([[スーパーマラドーナ]]) * [[1979年]] - [[Suara]]、[[歌手]] * [[1980年]] - [[アルバート・クラウス]]、[[キックボクサー]] * [[1981年]] - [[岡本浩二]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[小谷美裕]]、女優 * 1981年 - [[立花麻理]]、アナウンサー * 1981年 - [[濱口善幸]]、占い師 * [[1982年]] - [[安藤希]]、女優 * 1982年 - [[真子秀徳]]、元サッカー選手 * 1982年 - [[岩崎晋也]]、ミュージカル俳優 * [[1983年]] - [[マーク・レイノルズ (野球)|マーク・レイノルズ]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[永夏子]]、女優 * [[1984年]] - [[荒木絵里香]]、[[バレーボール]]選手 *1984年 - [[矢野貴之]]、[[騎手]] * 1984年 - [[ヤス (イラストレーター)|ヤス]]、[[漫画家]]、[[イラストレーター]] * 1984年 - [[セルジオ・エスカローナ]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[マット・ジョイス]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - [[永池南津子]]、女優、ファッションモデル * 1985年 - [[ソニー・ビル・ウィリアムズ]]、ラグビー選手 * 1985年 - [[地主恵亮]] - [[フリーライター]] * [[1986年]] - [[槙口みき]]、声優 * 1986年 - [[ルイ・ド・リュクサンブール (1986-)|ルイ・ド・リュクサンブール]]、[[ルクセンブルク]]大公子 * [[1987年]] - [[吉岡沙知]]、声優 * [[1988年]] - [[唐津海誠二]]、元[[大相撲]][[力士]] * 1988年 - [[マチェイ・チェプルハ]]、フィギュアスケート選手 * [[1989年]] - [[サム・ハッチンソン]]、[[サッカー]]選手 * [[1990年]] - [[白石隼也]]、俳優 * 1990年 - [[白石涼]]、ボイストレーナー * 1990年 - [[藤原史織]]、タレント * 1990年 - [[田知本遥]]、元柔道選手 * 1990年 - [[カーター・キャップス]]、プロ野球選手 * [[1991年]] - 小野かこ・小野あこ、大食い系YouTuber([[はらぺこツインズ]]) * 1991年 - [[永井響]]、俳優 * 1991年 - [[増田有華]]、タレント(元[[AKB48]]) * 1991年 - [[福倉健太郎]]、元プロ野球選手 * [[1992年]] - [[カーリー・クロス]]、ファッションモデル * [[1993年]] - [[熊井友理奈]]、歌手([[Berryz工房]]) * 1993年 - [[吉村真晴]]、卓球選手 * [[1994年]] - [[ク・ヨンフェ]]、アメリカンフットボール選手 * 1994年 - [[月城まゆ]]、タレント(元[[G☆Girls]]) * [[1995年]] - [[牧島輝]]、俳優 * [[1996年]] - [[田嶋大樹]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[諸橋沙夏]]、アイドル([[=LOVE]]) * 1996年 - [[小郷裕哉]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[アヤカ・ウィルソン]]、ファッションモデル * [[1998年]] - [[宮本りお]]、グラビアモデル、タレント * 1998年 - [[小田安珠]]、アナウンサー * [[1999年]] - アイカ・ザ・スパイ、アイドル([[豆柴の大群]]) * 1999年 - [[岩本千波]]、タレント * 2001年 - [[坂詰姫野]]、テニス選手 * [[2003年]] - [[嶋﨑斗亜]]、アイドル([[関西ジャニーズJr.]] 、Lilかんさい)<ref>{{Cite web|和書|url=j-island.net|title=嶋﨑斗亜 プロフィール {{!}} ISLAND TV|accessdate=2020年9月29日|publisher=ジャニーズ事務所}}</ref> * 2003年 - 佐藤美波、アイドル(AKB48) * [[2004年]] - [[木原美悠]]、卓球選手 * [[2007年]] - [[石川花]]、ファッションモデル * 生年不明 - [[蒼樹うめ]]、漫画家、イラストレーター * 生年不明 - 九条武政、ギタリスト([[己龍]]) * 生年不明 - [[小倉直寛]]、声優 * 生年不明 - [[こばたけまさふみ]]、声優 * 生年不明 - [[佐山聖子]]、アニメーション監督 * 生年不明 - [[清水祐太朗]]、声優 * 生年不明 - [[鷹崎和宣]]、声優 * 生年不明 - [[谷口淳志]]、声優 * 生年不明 - [[山口享佑子]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=W11-0594 |title=山口 享佑子 |work=日本タレント名鑑 |publisher=VIPタイムズ社 |accessdate=25 Sep 2023}}</ref>、声優 * 生年不明 - まひとくん。、歌い手([[KnightA-騎士A-]]) === 人物以外(動物など) === * 生年不明 - [[バリィさん]]、[[愛媛県]][[今治市]][[パブリック・リレーションズ|PR]][[マスコット|マスコットキャラクター]]([[ゆるキャラグランプリ]][[2012年]]王者) == 忌日 == {{multiple image | footer = 建築家[[フランチェスコ・ボッロミーニ]](1599-1667)没。右画像は[[サン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ聖堂]] | image1 = Borromini.jpg | width1 = 90 | alt1 = フランチェスコ・ボッロミーニ | image2 = Roman_architecture.jpg | width2 = 90 | alt2 = サン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ聖堂 }} {{multiple image | footer = 建築家[[シャルル・ガルニエ]](1825-1898)没。中央画像は[[ガルニエ宮]]、右は[[モンテカルロ]]の国営カジノ | image1 = Charles_Garnier_architect.jpg | width1 = 50 | alt1 = シャルル・ガルニエ | image2 = Palais_Garnier.jpg | width2 = 85 | alt2 = ガルニエ宮 | image3 = Monte_Carlo_Casino.jpg | width3 = 45 | alt3 = モンテカルロの国営カジノ }} {{multiple image | footer = [[アイルランド]]の独立運動家[[ロジャー・ケースメント]](1864-1916)、絞首刑となる | image1 = Roger_Casement.jpg | width1 = 90 | alt1 = ロジャー・ケースメント | image2 = Roger_Casement-Grave_in_Glasnevin.jpg | width2 = 90 | alt2 = ダブリンにあるグラスネヴィン墓地 }} {{multiple image | image1 = Veblen3a.jpg | width1 = 95 | caption1 = 経済学者・社会学者、[[ソースティン・ヴェブレン]](1857-1929) | image2 = Richard_Willst%C3%A4tter.jpg | width2 = 85 | caption2 = 化学者[[リヒャルト・ヴィルシュテッター]](1872-1942)没 }} {{multiple image | image1 = Bertil_Ohlin.jpg | width1 = 95 | caption1 = 経済学者[[ベルティル・オリーン]](1899-1979)没 | image2 = SidonieGabrielleColette.jpg | width2 = 85 | caption2 = 作家[[シドニー=ガブリエル・コレット]](1873-1954)没 }} [[Image:A_solzhenitsin.JPG|thumb|180x180px|作家[[アレクサンドル・ソルジェニーツィン]](1918-2008)没]] * [[936年]]([[承平 (日本)]]6年[[7月14日 (旧暦)]]) - [[藤原保忠]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[890年]]) * [[1460年]] - [[ジェームズ2世 (スコットランド王)|ジェームズ2世]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/James-II-king-of-Scotland |title=James II|king of Scotland |access-date=25 Sep 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[スコットランド王国|スコットランド王]](* [[1430年]]) * [[1486年]]([[文明 (日本)]]18年[[7月4日 (旧暦)]]) - [[朝倉氏景 (8代当主)]]、[[越前国]]の[[戦国大名]](* [[1449年]]) * [[1546年]] - [[アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネ]]、[[建築家]](* [[1484年]]) * 1546年 - [[エティエンヌ・ドレ]]、[[ラテン語]]学者、[[翻訳家]]、出版業者(* [[1509年]]8月3日) ※[[生没同日]] * [[1578年]]([[天正]]6年[[6月30日 (旧暦)]]) - [[由良成繁]]、[[上野国]]の戦国大名(* [[1506年]]) * [[1603年]]([[慶長]]8年[[6月26日 (旧暦)]]) - [[小山秀綱]]、[[武将|戦国武将]](* [[1529年]]) * [[1667年]] - [[フランチェスコ・ボッロミーニ]]、建築家(* [[1599年]]) * [[1721年]] - [[グリンリング・ギボンズ]]、[[彫刻家]](* [[1648年]]) * [[1757年]] - [[カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)|カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ]]、[[アンスバッハ侯領|ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯]](* [[1712年]]) * [[1784年]] - [[ジョヴァンニ・マルティーニ]]、[[作曲家]](* [[1706年]]) * [[1792年]] - [[リチャード・アークライト]]、[[発明家]](* [[1732年]]) * [[1797年]] - [[ジェフリー・アマースト (初代アマースト男爵)|ジェフリー・アマースト]]、[[イギリス軍]]の[[将軍]]、北アメリカ総督(* [[1717年]]) * [[1802年]] - [[ハインリヒ・フォン・プロイセン (1726-1802)|ハインリヒ]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]の王族(* [[1726年]]) * [[1839年]] - [[ドロテーア・シュレーゲル]]、[[小説家]](* [[1763年]]) * [[1898年]] - [[カール・グスタフ・アドルフ・クニース]]、[[経済学者]](* [[1821年]]) * 1898年 - [[シャルル・ガルニエ]]、建築家(* [[1825年]]) * [[1916年]] - [[ロジャー・ケースメント]]、[[アイルランド]]の[[民族主義]]運動家(* [[1864年]]) * [[1924年]] - [[ジョゼフ・コンラッド]]、小説家(* [[1857年]]) * [[1929年]] - [[ソースティン・ヴェブレン]]、[[社会学者]]、[[経済学者]](* [[1857年]]) * 1929年 - [[エミール・ベルリナー]]、発明家(* [[1851年]]) * [[1942年]] - [[リヒャルト・ヴィルシュテッター]]、[[化学者]](* [[1872年]]) * 1942年 - [[中江丑吉]]、中国研究者(* [[1889年]]) * [[1945年]] - [[近藤鉄己]]、[[野球選手]](* [[1916年]]) * [[1947年]] - [[ビック・ウィリス]]、[[プロ野球選手]](* [[1876年]]) * [[1951年]] - [[竹下しづの女]]、[[俳人]](* [[1887年]]) * [[1954年]] - [[シドニー=ガブリエル・コレット]]、小説家(* [[1873年]]) * [[1958年]] - [[ピーター・コリンズ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(* [[1931年]]) * [[1961年]] - [[ティルディ・ゾルターン]]、[[ハンガリー]]首相・大統領(* [[1889年]]) * [[1964年]] - [[フラナリー・オコナー]]、小説家(* [[1925年]]) * [[1968年]] - [[コンスタンチン・ロコソフスキー]]、[[ソ連邦元帥]](* [[1896年]]) * [[1970年]] - [[ハインツ・ロンドン]]、[[物理学者]](* [[1907年]]) * [[1973年]] - [[時実利彦]]、[[生理学者]](* [[1909年]]) * [[1974年]] - [[ヨアヒム・リッター]]、[[哲学|哲学者]](* [[1903年]]) * [[1977年]] - [[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]、[[文芸評論家]]、[[翻訳家]]、小説家(* [[1912年]]) * 1977年 - [[マカリオス3世]]、[[キプロス]]初代[[キプロスの大統領|大統領]]、キプロス正教会[[大主教]](* [[1913年]]) * 1977年 - [[真船豊]]、[[劇作家]]、小説家(* [[1902年]]) * [[1978年]] - [[羅瑞卿]]、[[中国人民解放軍総参謀部|中国人民解放軍総参謀長]](* [[1906年]]) * [[1979年]] - [[ベルティル・オリーン]]、[[経済学者]](* [[1899年]]) * [[1980年]] - [[ジークフリート・ボリース]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1912年]]) * [[1983年]] - [[鎌倉芳太郎]]、[[染織|染織家]](* [[1898年]]) * 1983年 - [[水島三一郎]]、[[俳優]](* [[1899年]]) * [[1987年]] - [[イヴァーン・ムィコライチューク]]、俳優(* [[1941年]]) * [[1990年]] - [[石野径一郎]]、小説家(* [[1909年]]) * [[1992年]] - [[王洪文]]、[[文化大革命|文革]]期の[[中国共産党]]副主席(* [[1935年]]) * [[1995年]] - [[アイダ・ルピノ]]、女優(* [[1914年]]) * 1995年 - [[三坂耿一郎]]、[[彫刻家]](* [[1908年]]) * [[1998年]] - [[田中和夫 (法学者)|田中和夫]]、[[法学者]](* [[1903年]]) * 1998年 - [[小池禮三]]、[[水泳選手]](* [[1915年]]) * 1998年 - [[アルフレート・シュニトケ]]、作曲家(* [[1934年]]) * [[2000年]] - [[マッスル北村]]、[[ボディービルダー]](* [[1960年]]) * [[2001年]] - [[苅田久徳]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]]、[[プロ野球審判員|審判員]](* [[1910年]]) * [[2004年]] - [[アンリ・カルティエ=ブレッソン]]、[[写真家]](* [[1908年]]) * 2004年 - [[杉山義法]]、[[脚本家]](* [[1932年]]) * [[2006年]] - [[エリーザベト・シュヴァルツコップ]]、[[ソプラノ]][[歌手]](* [[1915年]]) * [[2008年]] - [[アレクサンドル・ソルジェニーツィン]]、小説家(* [[1918年]]) * [[2009年]] - [[大原麗子]]、女優(* [[1946年]]) * [[2012年]] - [[内海倫]]、官僚、防衛事務次官、人事院総裁(* [[1917年]]) * 2012年 - [[上山春平]]、[[哲学者]](* [[1921年]]) * [[2015年]] - [[阿川弘之]]、小説家(* [[1920年]]) * 2015年 - [[山口鶴男]]、[[政治家]](* [[1925年]]) * 2015年 - [[西村貞朗]]、プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2017年]] - [[アンヘル・ニエト]]<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3138081 |title=MotoGPの伝説ニエト氏が死去、一週間前に交通事故 |access-date=25 Sep 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News}}</ref>、[[モーターサイクル]]・[[ロードレース (オートバイ)|ロードレーサー]](* [[1947年]]) * [[2020年]] - [[ジョン・ヒューム]]<ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3297219 |title=北アイルランドの政治家J・ヒューム氏死去、83歳 和平に寄与しノーベル賞 |access-date=25 Sep 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=3 Aug 2020}}</ref>、政治家(* [[1937年]]) * [[2021年]] - [[木下雄介]]、プロ野球選手(* [[1993年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == [[Image:Hiru_kanto_1.jpg|thumb|180x180px|[[秋田市|秋田]]の[[竿燈]](6日まで)]] {{multiple image | footer = [[蜂蜜|ハチミツ]]の日 | image1 = Runny_hunny.jpg | width1 = 70 | alt1 = 蜂蜜 | image2 = European_honey_bee_extracts_nectar.jpg | width2 = 110 | alt2 = セイヨウミツバチ }} *{{仮リンク|独立記念日 (ニジェール)|en|Independence Day (Niger)|label=独立記念日}}({{NER}}) *: [[1960年]]のこの日、ニジェールがフランスから独立した。 *[[ホウ酸]]処理の日({{JPN}}) *: ホウ酸による木材劣化対策を推進する日本ホウ酸処理協会 [[JBTA]]が[[2019年]]に制定。「ほう (8) さん (3)」の語呂合わせ。 *[[司法書士]]の日({{JPN}}) *: [[明治]]5年([[1872年]])のこの日に、太政官無号[[太政官布告・太政官達|達]]「司法職務定制」が布告され、司法書士の前身である代書人の制度が定められたことを記念して、[[日本司法書士会連合会]]が[[2010年]]に制定。 *[[蜂蜜|ハチミツ]]の日({{JPN}}) *: 「はち(8)みつ(3)」の語呂合わせ。全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定。 *[[はさみ|ハサミ]]の日({{JPN}}) *: [[美容家]]の[[山野愛子]]が「は(8)さみ(3)」の語呂合わせで提唱。[[1978年]]から、この日に[[針供養]]に倣った「ハサミ供養」を実施している。 *「共創する未来」の日({{JPN}}) *:株式会社[[東京個別指導学院]]が制定。「未来はやって来るものではく、多様な人々が集い、ともにビジョンを描き、ともに創りだすもの」と意識することで人の生きる未来がより良くなるとの考えから、そのシンボル的な日とするのが目的。日付は未来と成長をあらわす末広がりの「八」と、売り手も買い手も満足した上で社会に貢献できてこそ良い商売「[[近江商人#近江商人の思想・行動哲学|三方良し]]」の「三」を組み合わせて8月3日に。 *ビーチサンダルの日({{JPN}}) *:株式会社TSUKUMOが制定。日本発祥のビーチサンダルをより多くの人に履いてもらい、足元から夏を楽しんでもらうのが目的。日付は、8月の8をビーチのBに、3日をサンダルの3に見立てて<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=45|isbn=978-4422021157}}</ref>。 *[[ハモ|はも]]の日({{JPN}}) *: 徳島県漁業協同組合連合会が制定。徳島の活鱧料理をブランドとして全国にアピールするのが目的。鱧(はも)の関西での呼び方「はみ」から、「は(8)み(3)」の語呂合わせ。 *[[竿燈]]([[秋田県]][[秋田市]] - [[8月6日|6日]]) *[[長岡まつり]]([[新潟県]][[長岡市]] [[8月1日]] - 3日) *湯河原やっさ祭り([[神奈川県]][[足柄下郡]][[湯河原町]] [[8月2日]] - 3日) {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0803|date=Sep 2023}} * 1947年(昭和22年)- 女流[[作家]]宇津木秋子が行方不明になる。(小説『[[不連続殺人事件]]』第18章) * 2005年 - 東京卍會と{{ruby|愛美愛主 |メビウス}}による「[[東京卍リベンジャーズ#8・3抗争|8・3抗争]]」が起きる。(漫画・アニメ『[[東京卍リベンジャーズ]]』<ref>{{Cite book|和書 |author=[[和久井健]] |title=東京卍リベンジャーズ |publisher=[[講談社]] |date=2017-09-15 |isbn=978-4-06-510188-9 |url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000023042 |page= |volume=3 |pages=89~}}</ref>) === 誕生日(フィクション) === * [[1974年]] - 奈南川零司、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]] |date=2006-10-13|title =DEATH NOTE|volume=13巻|page=28|publisher = [[集英社]]|isbn =978-4088740959|series=[[ジャンプコミックス]]}}</ref> * [[1975年]] - [[鬼塚英吉]]、漫画・アニメ・ドラマ『[[湘南純愛組!]]』、『[[GTO (漫画)|GTO]]』の主人公 * [[1976年]] - 喜代田章子、ゲーム『[[SIREN2]]』に登場するキャラクター * [[1986年]] - 獅堂剣/セイザーリオン、[[超星神シリーズ]] 『[[超星神グランセイザー]]』の登場人物 * [[1991年]] - 降旗勝、小説『[[死して咲く花、実のある夢]]』の主人公<ref>{{Cite book |和書 |author=神林長平|authorlink=神林長平|title = 死して咲く花、実のある夢 |publisher = [[早川書房]] |year = 1996 |page = 50 |isbn = 978-4-15-030566-6}}</ref> * [[2002年]] - 道木怜南、テレビドラマ『[[Mother (テレビドラマ)|Mother]]』の登場人物 * 生年不明 - 広野健太(ウイングマン)、漫画・アニメ『[[ウイングマン]]』の主人公<ref>コミックス6巻巻末ポドリムス通信より。</ref> * 生年不明 - 小泉リサ 、漫画・アニメ『[[ラブ★コン]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tbs.co.jp/lovecom/characters.html |title=登場人物 小泉 リサ |access-date=25 Sep 2023 |publisher=[[中原アヤ]]・[[集英社]]/[[東映アニメーション]] [[TBSテレビ|Tokyo Broadcasting System Television, Inc.]] |work=『ラブ★コン』}}</ref> * 生年不明 - 赤坂衛、ゲーム・アニメ『[[ひぐらしのなく頃に 暇潰し編]]』の主人公<ref>{{Twitter status|higu_anime|1422549065863098370}}</ref> * 生年不明 - [[高坂穂乃果]]、メディアミックス『[[ラブライブ!]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/member/member01.html |title=高坂穂乃果 |publisher=プロジェクトラブライブ! |accessdate=25 Sep 2023 |work=『ラブライブ!』}}</ref> * 生年不明 - 枝葉柚希、漫画・アニメ『[[君のいる町]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|anime_kimimachi|1422373968762134532}}</ref> * 生年不明 - [[地場衛]](タキシード仮面)、漫画・アニメ『[[美少女戦士セーラームーン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://sailormoon-official.com/information/0619_q-pot.php |title=Q-pot.×美少女戦士セーラームーン |website=セーラームーン30周年プロジェクト公式サイト |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[武内直子]]・PNP・[[講談社]]・[[東映アニメーション]] [[ネルケプランニング]]・[[ドワンゴ]]/ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」製作委員会・同乃木坂46板}}</ref> * 生年不明 - 赤城ダイスケ、ドラマCD『[[DAISUKE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://nbcuni-music.com/daisuke/contents/hp0003/index00090000.html |title=赤城ダイスケ |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=Geneon Universal Entertainment. |work=『DAISUKE!』}}</ref> * 生年不明 - ペリドット、サンリオ・セガトイズ『[[ジュエルペット]]』に登場するパピヨンのキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.jewelpet.jp/character/ |title=キャラクター紹介 ペリドット |work=『Jewelpet』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[サンリオ]]・[[セガトイズ]]/[[テレビ東京]]・ジュエルペット製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 松江しんじ湖しじみ、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/matsueshinjiko_shijimi |title=松江しんじ湖しじみ |work=『温泉むすめ』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref> * 生年不明 - 井草しいな、『[[鉄道むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tateishi_aoba|1554602948637863936}}</ref> * 生年不明 - [[冥闘士#ニオベ|地暗星ディープのニオベ]]、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=85 |title=キャラクター詳細 地暗星(ちあんせい)ディープのニオベ |work=『聖闘士星矢』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[車田正美]]}}</ref> * 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#ブラジル|ルシアーノ・レオ]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|date=2003-05-20|title=キャプテン翼 3109日全記録 (愛蔵版コミックス) |publisher =[[集英社]]|isbn=978-4087827897|page=176}}</ref> * 生年不明 - [[海賊 (ONE PIECE)#マーシャル・D・ティーチ|マーシャル・D・ティーチ]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Marshall_D_Teech.html |title=マーシャル・D・ティーチ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - [[ONE_PIECEの登場人物一覧#イナズマ|イナズマ]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Inazuma.html |title=イナズマ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 赤澤吉朗、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[テニスの王子様]]|volume=10.5巻|author=許斐剛|authorlink=許斐剛|publisher=[[集英社]]|page=282|year=2001|isbn=4-08-873193-X}}</ref><ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1289940282973106176}}</ref> * 生年不明 - 伊達男児、漫画・アニメ『[[テニスの王子様|新・テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1289941040275873792}}</ref> * 生年不明 - ナーキム・グリンディーナ、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.j-bleach.com/chara/03/nakeem.html |title=ナーキム・グリンディーナ |access-date=25 Sep 2023 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=『BLEACH』}}</ref> * 生年不明 - 朱牡丹録、漫画『[[Mr.FULLSWING]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 関城紗和子、漫画・アニメ『[[ぼくたちは勉強ができない]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=筒井大志|authorlink=筒井大志|date=2020-08-04|title=ぼくたちは勉強ができない|volume=18巻|page=76|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882383-6}}</ref> * 生年不明 - 木根竜太郎、漫画・アニメ『[[H2 (漫画)|H2]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 浅間亮、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=若木民喜|authorlink=若木民喜|editor=キャラメル・ママ |date=2013-09-18 |title = 神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック |page = 160 |publisher = [[小学館]] |series=少年サンデーコミックススペシャル|isbn = 978-4091244512}}</ref> * 生年不明 - 小林大地、漫画・アニメ『[[姫ちゃんのリボン]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小島桐絵、漫画・アニメ『[[GIRLSブラボー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[咲-Saki-の登場人物#亦野誠子|亦野誠子]]、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://sciasta.com/characters.html |title=亦野 誠子(またの せいこ) |work=咲-Saki- |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[小林立]]}}</ref> * 生年不明 - 五河琴里、小説・漫画・アニメ『[[デート・ア・ライブ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|date_a_info|1554663351828901889}}</ref> * 生年不明 - 珠洲城遥、アニメ・漫画・ゲーム『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1422391774627213313}}</ref> * 生年不明 - ハーノイン、アニメ『[[革命機ヴァルヴレイヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.valvrave.com/character/#c16 |title=H-NEUN ハーノイン |work=『革命機ヴァルヴレイヴ』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]]/VVV Committee, [[毎日放送|MBS]]}}</ref> * 生年不明 - ペク・シウ、アニメ『[[イナズマイレブン オリオンの刻印]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=25 Sep 2023}}</ref> * 生年不明 - 葉月クルミ、パチスロ・漫画・アニメ『[[ツインエンジェルシリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twin-angel.com/character/break |title=キャラクター紹介 葉月 クルミ |work=『ツインエンジェル BREAK』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=Sammy}}</ref> * 生年不明 - 久坂俊介、特撮テレビ番組『[[仮面ライダードライブ]]』の登場人物<ref>『仮面ライダードライブ』第7話より。</ref> * 生年不明 - 朝霧麻衣、ゲーム『[[夜明け前より瑠璃色な]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://august-soft.com/yoake/character.htm#MAI |title=朝霧 麻衣 |access-date=25 Sep 2023 |publisher=[[オーガスト (ブランド)|AUGUST]] |work=『夜明け前より瑠璃色な』}}</ref><ref> 『夜明け前より瑠璃色な -Moonlight Cradle-』小冊子「Moonlight Chronicle」[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]]、2009年、20頁。</ref> * 生年不明 - 天女目瑛、ゲーム・アニメ『[[ヨスガノソラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.cuffs-sphere.jp/products/yosuga/character/aki_01.html |title=天女目 瑛 |work=『ヨスガノソラ』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[CUFFS|Sphere]]}}</ref> * 生年不明 - 渚一葉、ゲーム・アニメ『ヨスガノソラ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.cuffs-sphere.jp/products/yosuga/character/kaz_01.html |title=渚 一葉 |work=『ヨスガノソラ』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[CUFFS|Sphere]]}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズ|海老原菜帆]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20028 |title=海老原 菜帆(えびはら なほ) |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|BANDAI NAMCO Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 果音、ゲーム・アニメ『[[フォトカノ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://photokano.jp/subcharacter01.html |title=果音 |work=『フォトカノ』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[エンターブレイン]]}}</ref> * 生年不明 - 水影虎之丞、ゲーム・アニメ『[[ガンスリンガー ストラトス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gunspr|1024572988383997952}}</ref> * 生年不明 - 紫吹蘭、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aikatsu.net/02/character/03.html |title=紫吹 蘭 |work=『アイカツ!』 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]] |accessdate=25 Sep 2023}}</ref><ref>{{Cite book|和書|サンライズ|サンライズ |author1=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] |authorlink1= |author2=バンダイ |authorlink2=バンダイ |date=2014-07-23 |title=アイカツ! アイドル名鑑 |page=22 |publisher=[[小学館]] |isbn=978-4092805019}}</ref> * 生年不明 - 桃世もも、ゲーム『[[グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://grimoire.applibot.co.jp/detail.html?char |title=Character サンフラワー 桃世 もも |work=『グリモアA〜私立グリモワール魔法学園〜』 |accessdate=25 Sep 2023 |publisher=[[アプリボット|Applibot, Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 奥井翼、メディアミックス『[[ツキノ芸能プロダクション]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tsukino-pro.com/talent_artist/talent_artist-cat2/sq-ta/okui-tsubasa-ta/ |title=奥井 翼 |access-date=25 Sep 2023 |publisher=TSUKIPRO TSUKIUTA. [[ユニバーサル ミュージック (日本)|UNIVERSAL MUSIC LLC]] ALTAIR |work=『ツキノ芸能プロダクション』}}</ref> * 生年不明 - 伊吹渚、メディアミックス『[[IDOLY PRIDE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idolypride.jp/character/nagisa-ibuki/ |title=伊吹渚 |access-date=25 Sep 2023 |publisher=Project IDOLY PRIDE |work=『IDOLY PRIDE』}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 3|3 August}} {{新暦365日|8|2|8|4|[[7月3日]]|[[9月3日]]|[[8月3日 (旧暦)|8月3日]]|0803|8|03}} {{1年の月と日}}
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8月4日
8月4日(はちがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から216日目(閏年では217日目)にあたり、年末まであと149日ある。
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{{pp-vandalism|small=yes}} {{カレンダー 8月}} '''8月4日'''(はちがつよっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から216日目([[閏年]]では217日目)にあたり、年末まであと149日ある。 == できごと == [[Image:Montfort_Evesham.jpg|thumb|180x180px|[[イーヴシャムの戦い|イーヴシャムの戦い]](1265)]] {{multiple image | footer = [[北条氏直]](右画像)、[[豊臣秀吉]]に降伏し[[小田原城]]開城。左画像はこの戦で秀吉が築いた[[石垣山一夜城]]から望む小田原 | image1 = OdawaraJo-IchiyaJo.jpg | width1 = 120 | alt1 = 小田原城 | image2 = Houjou_Ujinao2.JPG | width2 = 60 | alt2 = 北条氏直 }} {{multiple image | footer = 英国と蘭国が[[ジブラルタル]]海峡を占領(1704)。左画像は18世紀の海峡図、右は占領300周年の祝祭 | image1 = Bay of Gibraltar 18th century engraving.jpg | width1 = 114 | alt1 = ジブラルタル海峡 | image2 = Gibraltar_Tercentenary_flag_display.jpg | width2 = 66 | alt2 = 300周年 }} {{multiple image | footer = [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|W.A.モーツァルト]]、[[コンスタンツェ・ウェーバー|コンスタンツェ]]と結婚(1782) | image1 = Croce-Mozart-Detail.jpg | width1 = 90 | alt1 = ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト | image2 = Constanze Mozart by Lange 1782.jpg | width2 = 90 | alt2 = コンスタンツェ・ウェーバー }} [[Image:United_States_Coast_Guard_Cutter_Chandeleur.jpg|thumb|180x180px|[[アメリカ沿岸警備隊]]創設(1790)]] {{multiple image | footer = [[リジー・ボーデン]]の父(左画像)と継母(右画像)が殺害される(1892) | image1 = AndrewBorden.jpg | width1 = 90 | alt1 = リジー・ボーデンの父 | image2 = AbbyBorden.jpg | width2 = 90 | alt2 = リジー・ボーデンの継母 }} {{multiple image | footer = [[ドイツ帝国|独帝国]]が[[ベルギー]]に、[[イギリス|英国]]が独帝国に宣戦布告(1918)。左画像はこの時の連合国(緑)と同盟軍(橙)、右は前線に向かう独兵。 | image1 = World_War_I_1914_08_04.png | width1 = 100 | alt1 = 1914年8月4日の両陣営 | image2 = German soldiers in a railroad car on the way to the front during early World War I, taken in 1914. 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JAPAN]] 天気・災害}}</ref>。 * [[1789年]] - [[フランス革命]]: [[憲法制定国民議会|国民議会]]が[[アンシャン・レジーム]]の廃止を採択。 * [[1790年]] - [[アメリカ沿岸警備隊]]が設立される。 * [[1844年]]([[弘化]]元年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]])- [[水野忠邦]]が[[江戸幕府]]の[[老中]]首座に返り咲く。 * [[1892年]] - [[リジー・ボーデン]]の実父と継母が自宅で殺害されているのが発見される。 * [[1899年]] - 明治32年6月勅第319号の施行により、[[清水港]]、[[武豊港]]、[[四日市港]]、[[下関港]]、[[門司港]]、[[博多港]]、[[唐津港]]、[[口之津港|口ノ津港]]、[[三角港]]、[[厳原港]]、佐須奈港、鹿見港、[[那覇港]]、[[浜田港]]、境港、[[宮津港]]、[[敦賀港]]、[[七尾港]](南湾)、[[伏木富山港|伏木港]]、[[小樽港]]、[[釧路港]]、[[室蘭港]]が開港。 * 1899年 - [[日本初]]の[[ビアホール|ビヤホール]]「恵比寿ビール BEER HALL」が東京府京橋区南金六町5番地(現在の[[銀座]]8丁目)に開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://ybt.sapporobeer.jp/contents/history/6/ |title=ヱビス図鑑 Vol.6 ビヤホールの歴史を作った恵比寿ビール |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[サッポロビール|サッポロビール株式会社]]}}</ref>。 * [[1903年]] - [[ピウス10世 (ローマ教皇)|ピウス10世]]が[[ローマ教皇]]に選出される。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ドイツ帝国]]が[[ベルギー]]に[[宣戦布告]]<ref>{{Cite web |url=https://guides.loc.gov/chronicling-america-wwi-declarations |title=World War I Declarations: Topics in Chronicling America |access-date=17 Aug 2023 |publisher=Library of Congress}}</ref>。それに対抗して[[イギリス]]がドイツ帝国に[[イギリスの対独宣戦布告 (1914年)|宣戦布告]]。 * 1914年 - [[金剛型戦艦|金剛型巡洋戦艦]]の2番艦「[[比叡 (戦艦)|比叡]]」が竣工<ref>{{Cite web|和書|url=https://trafficnews.jp/post/83379 |title=発見された戦艦「比叡」の艦歴を振り返る 切手に描かれた御召艦が鉄底海峡に眠るまで |work=[[乗りものニュース]] |date=10 Feb 2019 |accessdate=17 Aug 2023 |publisher=mediavague Co., ltd.}}</ref>。 * [[1917年]] - 第一次世界大戦: [[リベリア]]がドイツ帝国に宣戦布告。 * [[1936年]] - [[ギリシャ王国]]首相[[イオアニス・メタクサス]]が憲法の一時停止を宣言し、メタクサスによる独裁政権[[八月四日体制]]を開始。 * 1936年 - [[1936年ベルリンオリンピック|ベルリンオリンピック]]の[[1936年ベルリンオリンピックのサッカー競技|サッカー競技]]で、初出場の[[サッカー日本代表|日本代表]]が強豪の[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン代表]]に勝利([[ベルリンの奇跡]])。 * [[1944年]] - [[ホロコースト]]: [[アムステルダム]]の隠れ家に潜伏していた[[アンネ・フランク]]ら8名の[[ユダヤ人]]がアムステルダム駐留軍保安警察に逮捕される。 * 1944年 - [[第二次世界大戦]]: [[小磯内閣]]が「国民総武装」を閣議決定。竹槍訓練などがはじまる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.chuo.lg.jp/virtualmuseum/sensokiroku/history/1944_0804_01.html |title=1944年8月4日 国民総武装決定(竹槍訓練など始まる) |accessdate=17 Aug 2023 |publisher=[[中央区 (東京都)]]}}</ref>。 * 1944年 - 第二次世界大戦: 東京から学童集団[[疎開]]の第一陣が出発する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.chuo.lg.jp/virtualmuseum/sensokiroku/history/1944_0804_2.html |title=1944年8月4日 学童集団疎開第一陣出発 |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[中央区 (東京都)]]}}</ref>。 * [[1947年]] - 日本の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が発足。 * [[1954年]] - [[パキスタン]]政府が「[[神聖なる大地に祝福あれ]]」を国歌に制定。 * [[1957年]] - [[北海道]][[三笠市]]の新幌内炭鉱で落盤事故。死者6人、重傷者2人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=123|isbn=9784816922749}}</ref>。 * 1957年 - [[愛知県]][[瀬戸市]]で住宅裏の斜面が崩落。死者・行方不明者22人、重傷者8人、住宅9戸と工場1棟が倒壊。 * [[1958年]] - アメリカのシングルヒットチャート[[Billboard Hot 100]]の発表開始。 * 1958年 - [[桑原武夫]]率いる京都大学山岳会が[[カラコルム山脈]]の[[チョゴリザ]]北東峰に初登頂<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aack.info/ja/archive/chogolisa.html |title=Chogolisa (7,654m)チョゴリザ東北峰 |accessdate=17 Aug 2023 |publisher=[[京都大学]]学士山岳会}}</ref>。 * [[1962年]] - 「[[TVガイド]]」創刊<ref>{{Cite web|和書|url=https://forbesjapan.com/articles/detail/49337 |title=60年間テレビ一筋の情報誌 週刊TVガイド創刊|8月4日 |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[Forbes]] JAPAN |date=4 Aug 2022}}</ref>。創刊号の表紙は[[高橋圭三]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://jaa2100.org/entry/detail/042994.html |title=【1962年】NHK(昭和37年)▷テレビ雑誌「TVガイド」(創刊号)の高橋圭三アナウンサー(創刊 8月4日号) |accessdate=17 Aug 2023 |publisher=Japan Archives Association}}</ref>。 * [[1965年]] - [[クック諸島]]が[[ニュージーランド]]の自治領となる。 * [[1969年]] - [[TBSテレビ|TBS]]系各局で[[時代劇]]『[[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]]』が放送開始。 * [[1975年]] - [[日本赤軍]]が[[マレーシア]]・[[クアラルンプール]]のアメリカ大使館等を占拠。([[クアラルンプール事件]]) * [[1976年]] - [[鬼頭史郎]]京都地裁判事補が[[三木武夫]]首相に、検事総長をかたり[[ロッキード事件]]での[[指揮権]]発動を促す偽電話をかける。([[ニセ電話事件]]) * [[1977年]] - [[アメリカ合衆国エネルギー省]]設立。発足は同年[[10月1日]]。 * [[1978年]] - [[作曲家]]の[[古賀政男]]に[[国民栄誉賞]]が授与される(没後追贈)。 * [[1983年]] - [[イタリア]]で初の[[イタリア社会党|社会党]]首班の[[ベッティーノ・クラクシ]]内閣が成立。 * [[1984年]] - アフリカの[[オートボルタ共和国]]が[[ブルキナファソ]]に改称される。 * [[1993年]] - [[河野洋平]]内閣官房長官が[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]を発表。38年振りの政権交代の5日前。 * [[2001年]] - アメリカの[[ニューオリンズ]]で、ルイ・アームストロング生誕100周年を記念し、空港の名称を「[[ルイ・アームストロング・ニューオーリンズ国際空港]]」に変更した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/66223/1 |title=『8月4日はなんの日?』ルイ・アームストロング、生誕117年 |publisher=Billboard JAPAN |date=4 Aug 2018 |accessdate=17 Aug 2023}}</ref>。 * [[2005年]] - 世界最大のインターネット[[音楽配信]]サービス[[iTunes Music Store]](現・[[iTunes Store]])が日本でサービスを開始。 * [[2007年]] - アメリカの火星探査機「[[フェニックス (探査機)|フェニックス]]」が打ち上げ。 * 2007年 - [[バリー・ボンズ]]が[[ハンク・アーロン]]のメジャー通算本塁打記録の755本に並ぶ<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-27220420070805 |title=MLB=ボンズが通算755号、メジャー記録タイ |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=4 Aug 2007 |accessdate=17 Aug 2023}}</ref>。 * [[2008年]] - [[中日ドラゴンズ]]の[[山本昌]]が42歳11か月の史上最年長で24人目の通算200勝を達成<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20080804-391881.html |title=【中日】山本昌が史上24人目の200勝 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=4 Aug 2020 |accessdate=17 Aug 2023}}</ref>。 * [[2011年]] - [[セシウムさん騒動]]: [[東海テレビ放送|東海テレビ]]が『[[ぴーかんテレビ]]』で岩手米に関する放送事故を起こす<ref>{{Cite web|和書|date=4 Aug 2011 |url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1108/04/news053.html |title=岩手産米プレゼントで「怪しいお米 セシウムさん」 東海テレビ番組中に不謹慎な表示 |publisher=[[ITmedia]] NEWS |accessdate=17 Aug 2023}}</ref>。これに伴い同番組は打ち切られることになった<ref>{{Cite web|和書|date=5 Aug 2011 |url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1108/05/news048.html |title=「セシウムさん」放送の東海テレビ、情報番組を休止して改めて謝罪 「ふざけ心では済まされない」 |publisher=[[ITmedia]] NEWS |accessdate=17 Aug 2023}}</ref>。 * [[2019年]] - アメリカ[[オハイオ州]][[デイトン (オハイオ州)|デイトン]]の繁華街で銃乱射事件が発生。死者9人、負傷者27人。犯人の大学生は現場で射殺された<ref>{{Cite web|和書|date=5 Aug 2019 |url=https://www.cnn.co.jp/usa/35140865.html |title=米オハイオ州でも銃乱射、死者9人 容疑者射殺 |publisher=[[CNN]].co.jp |accessdate=17 Aug 2023}}</ref>。 * [[2020年]] - [[2020年ベイルート爆発]]事故発生<ref>{{Cite web|和書|title=レバノン首都の大爆発、クレーターの深さは43メートルと判明 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3298317 |date=9 Aug 2020 |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BBB News}}</ref>。 == 誕生日 == {{multiple image | footer = [[ロマン主義]]詩人、[[パーシー・ビッシュ・シェリー]](1792-1822)誕生。右画像は{{仮リンク|ジョセフ・セヴァーン|en|Joseph Severn}}による肖像『[[鎖を解かれたプロメテウス]]を書くシェリー』(1845) | image1 = Portrait_of_Percy_Bysshe_Shelley_by_Curran%2C_1819.jpg | width1 = 60 | alt1 = パーシー・ビッシュ・シェリー | image2 = Joseph Severn - Posthumous Portrait of Shelley Writing Prometheus Unbound 1845.jpg | width2 = 120 | alt2 = ジョセフ・セヴァーンによる肖像 }} [[Image:WilliamRowanHamilton.jpeg|thumb|219x219px|数学者[[ウィリアム・ローワン・ハミルトン]](1805-1865)誕生。[[四元数]]を発見]] [[Image:Knut_Hamsun.jpeg|thumb|236x236px|作家[[クヌート・ハムスン]](1859-1952)誕生。]] {{multiple image | image1 = Charles-Louis_Philippe.jpg | width1 = 80 | caption1 = 作家[[シャルル・ルイ・フィリップ]](1874-1909)誕生 | image2 = Witold Gombrowicz by Bohdan Paczowski - detail.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作家[[ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ]](1904-1969)誕生 }} {{multiple image | footer = [[ジャズ]]・トランペッター、[[ルイ・アームストロング]](1901-1971)誕生。画像は上から、演奏するルイ・アームストロング、レコード『{{仮リンク|Muggles|en|Muggles (recording)}}』(1928)、「[[ルイ・アームストロング・ニューオーリンズ国際空港]]」 | align = right | direction = vertical | image1 = Louis_Armstrong_restored.jpg | width1 = 180 | alt1 = ルイ・アームストロング | image2 = VocalionMuggles.jpg | width2 = 180 | alt2 = レコード「Muggles」 | image3 = Louis_Armstrong_International_Airport.jpg | width3 = 180 | alt3 = ルイ・アームストロング・ニューオーリンズ国際空港 }} {{multiple image | image1 = ElizabethBowes-Lyon.jpg | width1 = 90 | footer = 大英帝国の「国母」[[エリザベス・ボーズ=ライアン]](1900-2002)誕生 | image2 = Philip_Alexius_de_Laszlo_-_Duchess_of_York_%28nee_Elizabeth_Bowes-Lyon%2C_later_Queen_Elizabeth_the_Queen_Mother%29%2C_1925.jpg | width2 = 90 | alt1 = エリザベス・ボーズ=ライアン | alt2 = エリザベス・ボーズ=ライアン }} [[Image:Saunders_MacLane.jpg|thumb|254x254px|数学者[[ソーンダース・マックレーン]](1909-2005)。[[圏論]]の創設者の1人]] {{multiple image | align = right | direction = vertical | footer = スウェーデンの外交官[[ラウル・ワレンバーグ]](1912-没年不詳)誕生。[[第二次世界大戦]]下のヨーロッパで10万人ものユダヤ人を救った。画像中央はテルアビブのワレンバーグ通りにある彫像、画像下はブダペストにあるモニュメント | image1 = Raoul_Wallenberg_young.jpg | width1 = 180 | alt1 = ラウル・ワレンバーグ | image2 = Raoul_Wallenberg_Tel_Aviv.jpg | width2 = 180 | alt2 = テルアビブのワレンバーグ通りにある彫像 | image3 = Almog 10 Wallenberg monument.jpg | width3 = 180 | alt3 = ブダペストにあるモニュメント }} [[ファイル:Official portrait of Barack Obama.jpg|サムネイル|245x245px|第44代[[アメリカ大統領|アメリカ合衆国大統領]]、[[バラク・オバマ]](1961-)]] * [[1281年]] - [[カイシャン]]、[[大元ウルス]]の第3代[[皇帝]]([[ハーン|カアン]])(+ [[1311年]]) * [[1290年]] - [[レオポルト1世 (オーストリア公)|レオポルト1世]]、[[ハプスブルク家]]の[[オーストリア公]]および[[シュタイアーマルク公国|シュタイアーマルク公]](+ [[1326年]]) * [[1521年]] - [[ウルバヌス7世 (ローマ教皇)|ウルバヌス7世]]<ref>{{Cite web |title=Urban VII {{!}} pope |url=https://www.britannica.com/biography/Urban-VII |access-date=17 Aug 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1590年]]) * [[1522年]] - [[ウダイ・シング2世]]、[[北インド]]の[[ラージャスターン地方]]、[[メーワール王国]]の君主(+ [[1572年]]) * [[1640年]]([[寛永]]17年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[松平定長]]、第3代[[伊予国]][[伊予松山藩|松山藩]]主(+ [[1674年]]) * [[1703年]] - [[ルイ・ド・ブルボン=オルレアン (オルレアン公)]]、[[ブルボン朝]]の[[フランス王国|フランス]]貴族(+ [[1752年]]) * [[1721年]] - [[グランヴィル・ルーソン=ゴア (初代スタッフォード侯爵)]]、[[政治家]]、[[貴族]](+ [[1803年]]) * [[1766年]]([[明和]]3年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]) - [[島津忠持]]、第9代[[日向国]]'''[[佐土原藩]]'''主(+ [[1831年]]) * [[1770年]] - [[フランソワ・エティエンヌ・ケレルマン]]、[[軍人]](+ [[1835年]]) * [[1789年]]([[寛政]]元年閏[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[黒田長韶]]、第9代[[筑前国]]'''[[秋月藩]]'''主(+ [[1840年]]) * [[1792年]] - [[パーシー・ビッシュ・シェリー]]、[[詩人]](+ [[1822年]]) * [[1798年]](寛政10年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[松平頼恕]]、第9代[[讃岐国]]'''[[高松藩]]'''主(+ [[1842年]]) * [[1805年]] - [[ウィリアム・ローワン・ハミルトン]]、[[数学者]]、[[物理学者]](+ [[1865年]]) * [[1813年]]([[文化 (元号)|文化]]10年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - [[酒井忠義 (小浜藩主)|酒井忠義]]、第12代・14代[[若狭国]]'''[[小浜藩]]'''主(+ [[1873年]]) * [[1817年]] - [[フレデリック・セオドア・フリーリングハイゼン]]、第29代[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1885年]]) * [[1821年]] - [[ルイ・ヴィトン]]、かばん職人(+ [[1892年]]) * [[1823年]] - [[オリヴァー・ハザード・ペリー・スロック・モートン]]、第14代[[インディアナ州知事の一覧|インディアナ州知事]](+ [[1877年]]) * [[1834年]] - [[ジョン・ヴェン]]、数学者(+ [[1923年]]) * [[1840年]]([[天保]]11年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[石井忠亮]]、政府高官(+ [[1901年]]) * [[1841年]] - [[ウィリアム・ハドソン]]、[[作家]]、[[ナチュラリスト]]、[[鳥類学者]](+ [[1922年]]) * [[1853年]] - [[ジョン・ヘンリー・トワックトマン]]、+ [[1902年]]) * [[1859年]] - [[クヌート・ハムスン]]、[[小説家]](+ [[1952年]]) * [[1867年]] - [[ジェイク・ベックリー]]、[[プロ野球選手]] * [[1874年]] - [[シャルル・ルイ・フィリップ]]、小説家(+ [[1909年]]) * [[1878年]] - [[桂春団治 (初代)|初代桂春団治]]、[[落語家]](+ [[1934年]]) * [[1880年]] - [[ヴェルナー・フォン・フリッチュ]]、軍人(+ [[1939年]]) * [[1884年]] - [[浅川伯教]]、[[彫刻家]]、[[陶磁器]]研究家(+ [[1964年]]) * 1884年 - [[バラージュ・ベーラ]]、[[映画理論家]]、[[美学]]者、[[作家]]、[[詩人]](+ [[1949年]]) * 1884年 - [[アンリ・コルネ]]、元[[自転車競技]]選手(+ [[1941年]]) * [[1889年]] - [[新関良三]]、[[ドイツ文学者]](+ [[1979年]]) * [[1890年]] - [[ドルフ・ルケ]]、プロ野球選手(+ [[1957年]]) * [[1891年]] - [[清水良雄]]、[[洋画家]](+ [[1954年]]) * [[1899年]] - [[エズラ・タフト・ベンソン]]、[[政治家]]、宗教的指導者(+ [[1994年]]) * [[1900年]] - [[田島ナビ]]、19世紀生まれ最後の生き残りだった人物(+ [[2018年]]<ref name="death">{{Cite web|和書|date=22 Apr 2018 |url=https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000204346.html |title=国内最高齢者 ご逝去について |publisher=[[厚生労働省]] |accessdate=17 Aug 2023}}</ref>) * 1900年 - [[エリザベス・ボーズ=ライアン]]、イギリス王ジョージ6世妃(+ [[2002年]]) * [[1901年]] - [[ルイ・アームストロング]]、ジャズ歌手(+ [[1971年]]) * [[1904年]] - [[ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ]]、小説家、[[劇作家]](+ [[1969年]]) * 1904年 - [[ヘレン・ケイン]]、歌手、女優(+ [[1966年]]) * [[1907年]] - [[荒川秀俊]]、気象学者(+ [[1984年]]) * [[1908年]] - [[クルト・アイヒホルン]]、[[指揮者]](+ [[1994年]]) * [[1909年]] - [[ソーンダース・マックレーン]]、数学者(+ [[2005年]]) * [[1910年]] - [[アニタ・ペイジ]]、[[俳優|女優]](+ [[2008年]]) * 1910年 - [[ウィリアム・シューマン]]、[[作曲家]](+ [[1992年]]) * [[1911年]] - [[糸園和三郎]]、[[画家]](+ [[2001年]]) * [[1912年]] - [[ラウル・ワレンバーグ]]、外交官(+ [[1947年]]?) * 1912年 - [[デイヴィッド・ラクシン]]、作曲家(+ [[1984年]]) * [[1913年]] - [[ヨハン・ニーマン]]、[[ナチス・ドイツ]]の[[ソビボル強制収容所]]の副所長(+ [[1943年]]) * 1913年 - [[中村登]]、映画監督(+ [[1981年]]) * [[1917年]] - [[多々良純]]、[[俳優]](+ [[2006年]]) * [[1919年]] - [[田島義文]]、俳優(+ [[2009年]]) * [[1920年]] - [[ヘレン・トーマス]]、記者(+ [[2013年]]) * [[1921年]] - [[モーリス・リシャール]]、[[アイスホッケー選手]](+ [[2000年]]) * 1921年 - [[ハーブ・エリス]]、[[ジャズ]]・[[ギタリスト]](+ [[2010年]]) * [[1922年]] - [[石井好子]]、[[シャンソン]][[歌手]]、[[エッセイスト]](+ [[2010年]]) * [[1928年]] - [[ジェラルド・ダミアーノ]]、[[ポルノ映画|ポルノ]][[映画監督]](+ [[2008年]]) * [[1929年]] - [[宮内幸平]]、[[声優]](+ [[1995年]]) * 1929年 - [[キショール・クマール]]、[[映画人]](+ [[1987年]]) * [[1930年]] - [[アリー・スィースターニー]]、[[シーア派]][[12イマーム派]]の高位[[ウラマー]]で[[アーヤトッラー・オズマー|大アーヤトゥッラー]] * [[1931年]] - [[寺田ヒロオ]]、[[漫画家]](+ [[1992年]]) * [[1932年]] - [[澤村田之助 (6代目)]]、[[歌舞伎役者]](+ [[2022年]]) * 1932年 - [[坂東竹三郎 (5代目)]]、歌舞伎役者(+ 2022年) * 1932年 - [[フランシス・E・アレン]]、[[計算機科学]]者(+ [[2020年]]) * [[1933年]] - [[青木はるみ]]、詩人(+ [[2022年]]) * 1933年 - [[シェルドン・アデルソン]]、[[実業家]](+ [[2021年]]) * [[1935年]] - [[キャロル・アーサー]]、[[俳優|女優]](+ [[2020年]]) * [[1937年]] - [[辻三太郎]]、声優 * 1937年 - [[デヴィッド・ベッドフォード]]、作曲家(+ [[2011年]]) * [[1940年]] - [[ラリー・ネクテル]]、ミュージシャン(+ [[2009年]]) * [[1941年]] - [[マーティン・ジャーヴィス]]、俳優、[[声優]] * 1941年 - [[テッド・ストリックランド]]、[[政治家]] * [[1942年]] - [[岩本泰英]]、元プロ野球選手 * 1942年 - [[ドン・S・デイヴィス]]、俳優、[[画家]](+ [[2008年]]) * 1942年 - [[クレオン・ジョーンズ]]、元プロ野球選手 * 1942年 - [[デビッド・ロンギ]]、政治家(+ [[2005年]]) * [[1943年]] - [[小沢直平]]、俳優 * 1943年 - [[鎌田豊]]、元プロ野球選手 * 1943年 - [[ビョルン・ヴィルコラ]]、元[[スキージャンプ]]選手、[[ノルディック複合]]選手、[[サッカー]]選手 * [[1944年]] - [[リチャード・ベルザー]]、[[コメディアン]]、[[俳優]](+ [[2023年]]) * [[1945年]] - [[ポール・マッカーシー (芸術家)|ポール・マッカーシー]]、現代美術家 * 1945年 - [[アラン・ムラーリー]]、[[エンジニア]]、[[実業家]] * [[1947年]] - [[阪上善秀]]、[[政治家]] * 1947年 - [[川口博]]、政治家 * 1947年 - [[クラウス・シュルツェ]]、作曲家 * [[1948年]] - [[柳家さん喬]]、落語家 * 1948年 - [[打海文三]]、小説家(+ [[2007年]]) * [[1949年]] - [[今井雄太郎]]、元プロ野球選手、タレント * 1949年 - [[高岡健二]]、俳優 * 1949年 - [[村上忠則]]、元野球選手 * [[1950年]] - [[イストヴァン・ヨニエル]]、卓球選手 * [[1953年]] - [[梨田昌孝]]、元プロ野球選手、監督 * 1953年 - [[尾西和夫]]、元プロ野球選手 * 1953年 - [[碓井博行]]、元[[サッカー選手]]、サッカー指導者 * [[1954年]] - [[アナトリー・キナフ]]、政治家、元首相 * [[1955年]] - [[ビリー・ボブ・ソーントン]]、俳優、[[映画監督]] * 1955年 - [[岩渕美智子]]、[[政治学者]] * 1955年 - [[アルバート・ゴンザレス]]、政治家 * [[1956年]] - [[阿部渡]]、俳優 * 1956年 - [[土井美加]]、声優 * 1956年 - [[アラン・パッサール]]、[[料理人]] * 1956年 - [[ハリー・B・ハリス・ジュニア]]、軍人 * [[1958年]] - [[江川紹子]]、[[ジャーナリスト]] * 1958年 - [[メアリー・デッカー|メアリー・デッカー・スレイニー]]、陸上競技選手 * [[1959年]] - [[中内正]]、実業家 * [[1960年]] - [[ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ]]、政治家、[[スペインの首相|スペイン首相]] * 1960年 - [[ディーン・マレンコ]]、[[プロレスラー]] * 1960年 - [[美保純]]、女優 * 1960年 - [[川又米利]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[バラク・オバマ]]、政治家、第44代[[アメリカ合衆国大統領]] * 1961年 - [[杉原徹]]、ミュージシャン * [[1962年]] - [[北沢欣浩]]、[[スピードスケート]]選手 * 1962年 - [[ロジャー・クレメンス]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[広瀬裕]]、元俳優、声優 * 1962年 - [[ジョン・ファレル (投手)|ジョン・ファレル]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[本間龍]]、[[ノンフィクション作家]] * [[1963年]] - [[沢田知可子]]、歌手 * 1964年 - [[B.J.サーホフ]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[重由美子]]、[[セーリング]]選手(+ [[2018年]]) * 1965年 - [[葉山宏治]]、作曲家、[[シンガーソングライター]] * 1965年 - [[布川敏和]]、俳優 * 1965年 - [[ドミンゴ・マルティネス]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[フレドリック・ラインフェルト]]、政治家、[[スウェーデンの首相|スウェーデン首相]] * 1965年 - [[デニス・ルヘイン]]、[[作家]] * [[1966年]] - [[佐々木健介]]、プロレスラー * 1966年 - [[吉田友紀]]、俳優 * [[1967年]] - [[吉田ヒロ]]、タレント * 1967年 - [[大森剛]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[マイク・マーシュ]]、[[陸上競技選手]] * [[1968年]] - [[マーカス・シェンケンバーグ]]、モデル * [[1969年]] - [[おおひなたごう]]、[[漫画家]] * [[1970年]] - [[福田記代子]]、[[バレーボール]]選手 * [[1971年]] - [[檀れい]]、女優 * 1971年 - [[大根夕佳]]、歌手 * 1971年 - [[高山健一]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[ジェフ・ゴードン]]、[[NASCAR]]ドライバー * [[1972年]] - [[チューヤン]]、[[グラフィックデザイナー]]、[[ラジオパーソナリティ]] * 1972年 - [[矢嶋良介]]、歌手 * 1972年 - [[橋本広喜]]、元[[騎手]] * 1972年 - [[船津ゆうこ]]、ラジオパーソナリティ * [[1973年]] - [[PERIDOTS]]、[[シンガーソングライター]] * 1973年 - [[鈴木貴征]]、声優 * [[1974年]] - [[オオゼキタク]]、シンガーソングライター * 1974年 - [[八木真澄]]、[[お笑い芸人]]([[サバンナ (お笑いコンビ)|サバンナ]]) * 1974年 - [[水田わさび]]、声優 * 1974年 - [[山本美憂]]、レスリング選手 * 1974年 - [[キリ・ゴンサレス]]、サッカー選手 * [[1975年]] - [[鈴木蘭々]]、歌手、女優 * 1975年 - [[鈴木覚 (実業家)|鈴木覚]]、[[実業家]] * 1975年 - [[ファビアーノ・セザル・ビエガス]]、サッカー選手 * [[1976年]] - [[福盛和男]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[生天目仁美]]、声優 * 1976年 - [[スコット・ラインブリンク]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[こはら裕子]]、漫画家 * 1977年 - [[大和悠河]]、女優 * 1977年 - せんちゃん、お笑い芸人([[クールポコ。]]) * 1977年 - [[ルイス・ボア・モルテ]]、元サッカー選手 * [[1978年]] - [[日野聡]]、声優 * 1978年 - [[ミハイル・スチフーニン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1978年 - [[まつゆう*]]、タレント * [[1979年]] - [[白熊寛嗣]]、声優 * [[1981年]] - [[谷本歩実]]、元[[柔道]]選手 * 1981年 - [[メーガン (サセックス公爵夫人)|メーガン]]、[[ヘンリー (サセックス公)|ヘンリー]]王子妃 * [[1982年]] - [[内川聖一]]、プロ野球選手 * 1982年 - Chakun、ミュージシャン([[Electroboyz]]) * 1982年 - [[ジョシュ・レニキー]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[マリアナ・コズロワ]]、フィギュアスケート選手 * 1983年 - [[寺崎裕香]]、声優 * [[1984年]] - [[上野亮]]、俳優 * 1984年 - [[高野慎平]]、声優 * [[1985年]] - [[榊原諒]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[大久保綾乃]]、元女優 * 1985年 - [[アントニオ・バレンシア]]、サッカー選手 * 1985年 - [[マーク・ミリガン]]、サッカー選手 * [[1986年]] - [[アレックス・カステヤーノス]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[オレグ・イワノフ]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[チャン・グンソク]]、俳優、歌手 * 1987年 - [[デビッド・マルティネス]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[山﨑夕貴]]、[[アナウンサー]] * 1987年 - [[フィリップ・ヤングハズバンド]]、サッカー選手 * 1987年 - [[蕨野友也]]、俳優 * [[1989年]] - [[森田一成]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[河井陽介]]、サッカー選手 * 1989年 - [[大野和成]]、サッカー選手 * 1989年 - [[小野ゆり子]]、女優 * [[1990年]] - [[髙島祥平]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[草野絵美]]、フォトグラファー * 1990年 - [[濱口京子 (バスケットボール)|濱口京子]]、バスケットボール選手 * [[1991年]] - [[鈴木世奈]]、アイスホッケー選手 * [[1992年]] - [[ディラン&コール・スプラウス]]、俳優 * 1992年 - [[ドミンゴ・ヘルマン]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[立原勇武]]、俳優 * 1993年 - [[白濱亜嵐]]、俳優、[[パフォーマー]]([[GENERATIONS from EXILE TRIBE]]) * 1993年 - [[西濵幹紘]]、元プロ野球選手 * [[1994年]] - [[福田麻由子]]、女優 * 1994年 - [[濱田達郎]]、元プロ野球選手 * 1994年 - ンダホ、YouTuber([[Fischer's]]) * [[1995年]] - [[糟谷健二]]、俳優 * [[1996年]] - [[糸原美波]]、女優(元[[劇団4ドル50セント]]) * 1996年 - [[倉田瑠夏]]、タレント、アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]22号) * 1996年 - [[近藤夏子 (アナウンサー)|近藤夏子]] - [[TBSテレビ]]アナウンサー * 1996年 - [[石川みなみ]]、[[日本テレビのアナウンサー一覧|日本テレビアナウンサー]] * [[1997年]] - [[マイク・ソロカ]]、プロ野球選手 * [[1998年]] - [[細川成也]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[大湯都史樹]]、レーシングドライバー * 1998年 - [[河上英里子]]、女優 * [[1999年]] - [[広瀬彩海]]、歌手、女優(元[[こぶしファクトリー]]) * 1999年 - [[茶野篤政]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[西村優菜]]、プロゴルファー * 2000年 - 松尾龍、アイドル([[ジャニーズJr.]]、Jr.SP) * 2000年 - [[杉本愛莉鈴]]、グラビアアイドル * [[2001年]] - [[加藤清史郎]]、俳優 * 2001年 - [[小林里乃]]、女優 * [[2003年]] - [[野原未蘭]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/player/lady/70.html |title=野原未蘭 |publisher=[[日本将棋連盟]] |accessdate=17 Aug 2023 |website=女流棋士データベース}}</ref>、[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]] * [[2006年]] - [[下井谷幸穂]]、歌手([[アンジュルム]]) == 忌日 == {{multiple image | footer = 武将[[源義家]](1039-1106)没。左画像は「後三年合戦絵詞」、右は「八幡太郎義家」 | image1 = 05_0611_UN_03.jpg | width1 = 120 | alt1 = 後三年合戦絵詞 | image2 = Minamotono_yoshiie.png | width2 = 60 | alt2 = 八幡太郎義家 }} {{multiple image | footer = 葡国王[[セバスティアン1世 (ポルトガル王)|セバスティアン1世]](1554-1578)[[アルカセル・キビールの戦い]]で戦死 | image2 = Lagos46_kopie.jpg | width2 = 110 | alt2 = アルカセル・キビールの戦い | image1 = Alonso_S%C3%A1nchez_Coello_009.jpg | width1 = 70 | alt1 = セバスティアン1世 }} {{multiple image | image1 =Wenzel3.jpg | width1 = 84 | caption1 = [[ヴァーツラフ3世 (ボヘミア王)|ヴァーツラフ3世]](1289-1306)暗殺 | alt1 = ヴァーツラフ3世 | image2 = %E5%8C%97%E6%9D%91%E5%AD%A3%E5%90%9F.jpg | width2 = 96 | caption2 = 歌人[[北村季吟]](1625-1705)没 | alt2 = 北村季吟 }} {{multiple image | caption1 = 美術家[[ヴィクトル・ハルトマン]](1834-1873)没 | image1 = Viktor_Gartman.jpg | width1 = 90 | alt1 = ヴィクトル・ハルトマン | caption2 = [[童話]]作家、[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|H.C.アンデルセン]](1805-1875)没 | image2 = Andersen-hc.jpg | width2 = 90 | alt2 = ハンス・クリスチャン・アンデルセン }} {{multiple image | footer = 画家[[イサーク・レヴィタン]](1860-1900)没。左画像は自画像(1880)、右は絶筆『ロシアの湖』(1900) | image1 = Isaac_Levitan_selfportrait1880.jpg | width1 = 60 | alt1 = イサーク・レヴィタン | image2 = Levitan_ozero28.JPG | width2 = 120 | alt2 = 『ロシアの湖』 }} {{multiple image | image1 = Ismail_Enver.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[エンヴェル・パシャ]](1881-1922)戦死 | image2 = Seichō Matsumoto (1955, 46 years old).jpg | width2 = 90 | caption2 = 小説家、[[松本清張]](1909-1992)没 | image3 = Chunichi1967-11-27-1.jpg | width3 = 90 | caption3 = 俳優、[[渥美清]](1928-1996)没 }} * [[1060年]] - [[アンリ1世 (フランス王)|アンリ1世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1008年]]) * [[1106年]]([[嘉承]]元年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]]) - [[源義家]]、[[河内源氏]]の棟梁(* [[1039年]]) * [[1265年]] - [[シモン・ド・モンフォール]]、[[イングランド]]初の[[議会]]を召集した人物(* [[1208年]]) * [[1306年]] - [[ヴァーツラフ3世 (ボヘミア王)|ヴァーツラフ3世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]・[[ボヘミア]]・[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[1289年]]) * [[1378年]] - [[ガレアッツォ2世・ヴィスコンティ]]、[[ミラノ]]の[[僭主]](* [[1321年]]) * [[1525年]] - [[アンドレア・デッラ・ロッビア]]、[[彫刻家]](* [[1435年]]) * [[1526年]] - [[フアン・セバスティアン・エルカーノ]]、[[探検家]](* [[1486年]]) * [[1578年]] - [[セバスティアン1世 (ポルトガル王)|セバスティアン1世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1554年]]) * [[1598年]] - 初代バーリー男爵[[ウィリアム・セシル (初代バーリー男爵)|ウィリアム・セシル]]、イングランドの宰相(* [[1520年]]) * [[1639年]] - [[フアン・ルイス・デ・アラルコン]]、[[劇作家]](* [[1581年]]?) * [[1699年]] - [[マリー・ゾフィー・フォン・デア・プファルツ]]、[[ペドロ2世 (ポルトガル王)|ポルトガル王ペドロ2世]]の妃(* [[1666年]]) * [[1705年]]([[宝永]]2年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[北村季吟]]、[[歌人]]、[[俳人]](* [[1624年]]) * [[1753年]] - [[ゴットフリート・ジルバーマン]]、[[オルガン]]製作者(* [[1683年]]) * [[1793年]]([[寛政]]5年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[高山彦九郎]]、[[江戸時代]]後期の[[尊王論|尊皇思想家]](* [[1747年]]) * [[1821年]] - [[ウィリアム・フロイド]]、[[アメリカ独立宣言]]署名者(* [[1734年]]) * [[1857年]] - [[ジェイムズ・コクラン・ドビン (1世)|ジェイムズ・コクラン・ドビン]]、第22代[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1814年]]) * [[1873年]] - [[ヴィクトル・ハルトマン]]、[[画家]](* [[1834年]]) * [[1874年]] - [[ルートヴィヒ・オットー・ヘッセ]]、[[数学者]](* [[1811年]]) * [[1875年]] - [[ハンス・クリスチャン・アンデルセン]]、[[童話]]作家(* [[1805年]]) * [[1897年]] - [[後藤象二郎]]、[[土佐藩|土佐藩士]]、[[伯爵]](* [[1838年]]) * [[1900年]] - [[ジェイコブ・ドルソン・コックス]]、第10代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1828年]]) * 1900年 - [[イサーク・レヴィタン]]、画家(* [[1860年]]) * [[1905年]] - [[ヴァルター・フレミング]]、[[医学者]](* [[1843年]]) * [[1919年]] - [[フェルディナント・ティエリオ]]、[[作曲家]](* [[1838年]]) * [[1922年]] - [[エンヴェル・パシャ]]、[[青年トルコ人革命]]の指導者(* [[1881年]]) * [[1927年]] - [[ウジェーヌ・アジェ]]、[[写真家]](* [[1857年]]) * [[1928年]] - [[ウィリアム・インブリー]]、[[宣教師]](* [[1845年]]) * [[1930年]] - [[ジークフリート・ヴァーグナー]]、作曲家、[[指揮者]]、[[バイロイト音楽祭]]芸術監督(* [[1869年]]) * [[1941年]] - [[大森安仁子]]、[[芸術家]]、[[フィランソロピー|慈善活動家]]、[[翻訳|翻訳家]](* [[1856年]]) * [[1942年]] - [[アルベルト・フランケッティ]]、作曲家(* [[1860年]]) * [[1965年]] - [[佐々木惣一]]、[[法学者]](* [[1878年]]) * [[1971年]] - [[陸奥明]]、作曲家(* [[1895年]]) * [[1975年]] - [[南里文雄]]、[[トランペット]]奏者(* [[1910年]]) * [[1977年]] - [[エルンスト・ブロッホ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1885年]]) * [[1984年]] - [[中村梅吉]]、[[政治家]]、第57代[[衆議院議長]](* [[1901年]]) * [[1988年]] - 岡隆一、[[建築家]](* [[1902年]]) * [[1988年]] - [[土光敏夫]]、[[エンジニア]]、[[実業家]]、[[日本経済団体連合会|経団連]]会長(* [[1896年]]) * 1988年 - [[木下繁 (彫刻家)|木下繁]]、[[彫刻家]](* [[1908年]]) * [[1991年]] - [[エフゲニー・F・ドラグノフ]]、銃器設計者(* [[1920年]]) * [[1992年]] - [[松本清張]]、[[小説家]](* [[1909年]]) * [[1993年]] - [[ケニー・ドリュー]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]](* [[1928年]]) * [[1995年]] - [[島方金則]]、[[プロ野球選手]](* [[1918年]]) * [[1996年]] - [[渥美清]]、[[俳優]](* [[1928年]]) * [[1997年]] - [[ジャンヌ・カルマン]]、世界最高齢記録をもつ女性(* [[1875年]]) * [[2003年]] - [[フレデリック・チャップマン・ロビンス]]、[[医学者]](* [[1916年]]) * [[2004年]] - [[渡辺文雄 (俳優)|渡辺文雄]]、俳優(* [[1929年]]) * [[2006年]] - [[武内亨]]、俳優(* [[1927年]]) * 2006年 - [[浅野梅若]]、[[三味線]]名人位(* [[1911年]]) * [[2007年]] - [[ラウル・ヒルバーグ]]、[[歴史家]](* [[1926年]]) * [[2008年]] - [[河井英里]]、[[シンガーソングライター]](* [[1965年]]) * [[2010年]] - 小室康彦、[[政治家]]、[[福島県]][[中島村]]第7代村長(* [[1935年]]) * [[2011年]] - [[松田直樹]]、サッカー選手(* [[1977年]]) * [[2015年]] - [[菅原やすのり]]<ref>{{Cite web|和書|title=菅原やすのり氏骨髄性白血病で死去 復活公演ならず - おくやみ |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1520066.html |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=8 Aug 2015}}</ref>、[[歌手]](* [[1945年]]) * [[2018年]] - [[津川雅彦]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/08/08/kiji/20180808s00041000077000c.html |title=津川雅彦さん逝く 妻朝丘雪路さん死去から3カ月余、歯に衣着せぬ発言 実業家の顔も |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex}}</ref>、俳優(* [[1940年]]) == 記念日・年中行事 == {{右|[[Image:1D line.svg|300px]]}} {{multiple image | footer = [[クック諸島]]自治権を獲得する(1965) | image1 = LocationCookIslands.png | width1 = 100 | image2 = Parliament_of_the_Cook_Islands_-_2006.JPG | width2 = 80 }} [[Image:Neerdalen_van_Celedon_over_het_plein_La_Virgen_Blanca.jpg|thumb|120px|{{仮リンク|ブランカ祭|es|Fiestas de La Blanca}}の初日]] * [[革命記念日|人民共和国発足記念日]]({{BFA}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://jbfa.org/jbfa_a/guidance.htm|title=ブルキナファソの概要|work=日本ブルキナファソ友好協会|accessdate=2020-06-27}}</ref>) * テ・マエヴァ・ヌイ({{COK}}) *:1965年8月4日、ニュージーランド領であったクック諸島が、自治権を獲得。これを祝して「Te Maeva Nui(テ・マエヴァ・ヌイ)」祭が、一週間に渡って催される。 * {{仮リンク|ブランカ祭|es|Fiestas de La Blanca}}の初日({{ESP}} [[ビトリア=ガステイス]]、9日まで) *: [[ビトリア=ガステイス]]の守護聖人、聖母ブランカを記念した祝典。 * [[ビアホール|ビヤホール]]の日({{JPN}}) *: [[1899年]]のこの日、東京・[[銀座]]の新橋際に、現存する中では日本で最も古いビアホール「ヱビスビヤホール」が開店した。これを記念して、ヱビスビヤホールの後身である銀座ライオンが制定。 * [[箸]]の日({{JPN}}) *: 「は(8)し(4)」の語呂合せでわりばし組合が[[1975年]]に制定。東京・千代田区の[[日枝神社 (千代田区)|日枝神社]]では箸供養祭が行われる。 * [[橋]]の日({{JPN}}) *: 「は(8)し(4)」の語呂合せで、[[宮崎市]]の湯浅敏彦氏の提唱により生まれた日。郷土のシンボルである河川とそこに架かる橋を通じてふるさとを愛する心と河川の浄化を図るのが目的<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=47|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * [[吊り橋]]の日({{JPN}}) *: [[奈良県]][[十津川村]]には日本屈指の長さを誇る「谷瀬の吊り橋」のほか地域の人しか知らない小さな吊り橋まで約60か所の吊り橋があり、その数は日本一といわれている。毎年この日は谷瀬の吊り橋の上で太鼓を叩く「揺れ太鼓」という「吊り橋まつり」を行い、吊り橋に感謝する日としている。日付は8と4で「橋」と読む語呂合わせから<ref name="Hashi">{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=48|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * ハジ→の日({{JPN}}) *: シンガーソングライター「[[ハジ→]]」の魅力を多くの人に知ってもらおうと、ユニバーサルミュージック合同会社が制定。日付は、8と4で「ハジ」と読む語呂合わせから<ref name="Hashi"/>。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0804|date=Aug 2023}} * 1947年(昭和22年)- 女流[[作家]]宇津木秋子が[[溺死]]体となって発見される。歌川家連続殺人事件の第七の殺人。(小説『[[不連続殺人事件]]』第19章) * 2008年(平成20年)- [[佐賀県]][[鳥栖市]]の鳥栖スタジアムで人気アイドルグループ「アイアンフリル」の日本横断ツアーのライブが行われる。公演中に落雷事故が発生し、メンバーの水野愛が直撃を受け死亡する。(アニメ『[[ゾンビランドサガ]]』第7話「だってセンチメンタルSAGA」) === 誕生日(フィクション) === * [[1994年]] - 沼井和馬、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|title=ハイキュー!! |publisher=[[集英社]]〈ジャンプ・コミックス〉|isbn=978-4088807904|date=2016-10-04|volume=23巻|page=86}}</ref> * [[2070年]] - ケーン・ワカバ、アニメ『[[機甲戦記ドラグナー]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.dragonar.net/character/e01.php |title=ケーン・ワカバ |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[創通]]・[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] |work=『機甲戦記ドラグナー』}}</ref> * 生年不明 - 相田マナ(キュアハート)、アニメ『[[ドキドキ!プリキュア]]』の主人公<ref>{{Twitter status|precure_marv|1687236906633900032}}</ref> * 生年不明 - クーデリア・藍那・バーンスタイン、アニメ『[[機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ]]』のヒロイン * 生年不明 - レベッカ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/rebecca.html |title=レベッカ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=17 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 土番長、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/tsuchi_bancho.html |title=土番長 |work=『ONE PIECE』 |accessdate=17 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - アマゾン、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Amazon.html |title=アマゾン |work=『ONE PIECE』 |accessdate=17 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 右端韋太郎、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1554845808163446784}}</ref> * 生年不明 - マーシーマ、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 山崎弘、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1290306347154644994}}</ref> * 生年不明 - 小野寺、漫画『[[バクマン。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三浦優作、漫画・アニメ『[[ベイビーステップ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 藤原虎呂助、漫画『[[県立伊手高校柔道部物語・いでじゅう!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 薬馬小四郎、漫画『[[いつわりびと◆空◆]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 鳥羽嵐士、漫画『[[天使とアクト!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 獅子座のレグルス、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|teshi_kuro413|1555025793885011968}}</ref> * 生年不明 - 北町進、漫画・アニメ『[[ALL OUT!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1468860114 |title=TVアニメ『ALL OUT!!』キャラクター&声優紹介第20弾! 1年生・北町進 役を務めるのは太田悠介さん! |access-date=17 Aug 2023 |publisher=animate Times |date=20 Jul 2016}}</ref> * 生年不明 - 紫の上、漫画・アニメ『[[BASARA]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 藤原景織子、漫画・アニメ『[[HIGH SCORE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 趙雲子龍、漫画・アニメ『[[一騎当千 (漫画)|一騎当千]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.marv.jp/product/ikki_eb/character/chouun/ |title=趙雲子龍 |work=『一騎当千エキストラバースト』 |accessdate=17 Aug 2023 |publisher=[[塩崎雄二]]・[[少年画報社]]/真・一騎当千パートナーズ [[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 黒瀬桐、漫画・アニメ『[[CRASH! (藤原ゆかの漫画)|CRASH!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|_yuka_f|766628150830780416}}</ref> * 生年不明 - 林和彦、漫画『[[天使のフライパン]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 広木悠、漫画・ドラマCD『[[ボクラノキセキ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 鮫島改、小説・漫画・アニメ『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://posweb.jp/pos/character/ichijyoukan/05.html |title=鮫島改 |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[曽我部修司|FiFS]] [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |work=『プリンス・オブ・ストライド』}}</ref> * 生年不明 - [[新世紀エヴァンゲリオンの登場人物#母親たち|赤木ナオコ]]、アニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - シャルル・ジ・ブリタニア、アニメ『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|geass_game|1554844551046541313}}</ref> * 生年不明 - V.V.、アニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|geass_gr|1554965334322343936}}</ref> * 生年不明 - 足往、ゲーム・アニメ『[[遙かなる時空の中で]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小岩井フローラ、ゲーム・アニメ『[[ななついろ★ドロップス]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 御堂寧々、ゲーム・アニメ『[[桃華月憚]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#日野茜|日野茜]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20133 |title=日野 茜(ひの あかね) |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ヤス、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://showbyrock-anime-s.com/character/9.php |title=ヤス |work=『SHOW BY ROCK!!STARS!!』 |publisher=[[サンリオ|SANRIO CO., LTD.]] SHOWBYROCK!!製作委員会M |accessdate=17 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - シャルロッテ・ヴァイス、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/charlotte.html |title=シャルロッテ・ヴァイス |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=17 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - 吉田松陰、ゲーム・アニメ『[[幕末Rock]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bakumatsu.marv.jp/game/origin/character/shoin.html |title=吉田松蔭 |access-date=17 Aug 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『幕末Rock』}}</ref> * 生年不明 - 篠原遥、ゲーム『[[ダブルキャスト (ゲーム)|ダブルキャスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=ザ・プレイステーション編集部 |author2=アミューズメント書籍編集部 |title=「やるドラ」攻略シリーズ ダブルキャスト 公式ガイド |series=The PlayStation BOOKS |publisher=[[SBクリエイティブ|ソフトバンク 出版事業部]] |language=ja |date=1998-07-15 |page=24 |isbn=4-7973-0678-5}}</ref> * 生年不明 - カトリナ・グリーベル、ゲーム・アニメ『[[ワールドダイスター 夢のステラリウム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|wds_game|1687123565106380800}}</ref> === 忌日(フィクション) === * 2008年 - 水野愛、テレビアニメ『[[ゾンビランドサガ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://zombielandsaga.com/character/4.php |title=水野 愛 |access-date=17 Aug 2023 |publisher=ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会 |work=『ゾンビランドサガ リベンジ』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 4|4 August}} {{新暦365日|8|3|8|5|[[7月4日]]|[[9月4日]]|[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]|0804|8|04}} {{1年の月と日}}
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8月5日
8月5日(はちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から217日目(閏年では218日目)にあたり、年末まであと148日ある。
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8月5日(はちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から217日目(閏年では218日目)にあたり、年末まであと148日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月5日'''(はちがついつか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から217日目([[閏年]]では218日目)にあたり、年末まであと148日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = 北米初のイギリス植民地、[[セントジョンズ (ニューファンドランド・ラブラドール州)|セントジョンズ]]開設(1583)。左画像は記念プレート、右画像は現在のセントジョンズ | image1 = Gilbert_plaque.jpg | width1 = 80 | alt1 = 記念プレート | image2 = StJohns_Newfoundland.jpg | width2 = 100 | alt2 = 現在の市街 }} [[Image:Rzeczpospolita_Rozbiory_1.png|thumb|[[第1次ポーランド分割]](1772)|180x180ピクセル]] {{multiple image | image1 = Battle_Baton_Rouge.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[南北戦争]]、[[バトンルージュの戦い (1862年)|バトンルージュの戦い]](1862) | alt1 = バトンルージュの戦い | image2 = Bataille_de_la_baie_de_Mobile_par_Louis_Prang_%281824-1909%29.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[モービル湾の海戦]](1864) | alt2 = モービル湾の海戦 }} {{multiple image | footer = ニューヨークの[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の建築はじまる(1886) | image1 = StatueofLibertyBlickOst.jpg | width1 = 80 | alt1 = 内部の図解 | image2 = Pedestal for Bartholdi's Statue of Liberty.jpg | width2 = 100 | alt2 = 台座の建設 }} {{multiple image | footer = [[ネルソン・マンデラ]]逮捕される(1962)。[[1990年]]まで獄中で過ごすこととなる。右画像はマンデラの監房 | image1 = Nelson_Mandela-2008_%28edit%29.jpg | width1 = 70 | alt1 = ネルソン・マンデラ | image2 = Nelson_Mandela%27s_prison_cell%2C_Robben_Island%2C_South_Africa.jpg | width2 = 110 | alt2 = マンデラの監房 }} [[Image:PTBT_Participation.svg|thumb|180x180px|米ソ英の3国が[[部分的核実験禁止条約]]に調印(1963)。画像は2008年時点での参加状況(中仏などが調印していない)]] * [[641年]]または[[642年]] - {{仮リンク|マザーフィールドの戦い|en|Battle of Maserfield}} 。[[マーシア]]王[[ペンダ (マーシア王)|ペンダ]]が[[ノーサンブリア]]王オスワルドを破る。 * [[1068年]] - ノルマン人傭兵[[ロベルト・イル・グイスカルド]]が南イタリアの有力都市[[バーリ]]を包囲し[[バーリ包囲戦|攻城戦]]を開始した。( 〜1071年) * [[1100年]] - イングランド王[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]が戴冠。 * [[1583年]] - ハンフリー・ギルバートが、初の北米のイギリス植民地(現在のカナダ・[[ニューファンドランド・ラブラドール州]][[セントジョンズ (ニューファンドランド・ラブラドール州)|セントジョンズ]])を開設。 * [[1716年]] - [[ペーターヴァルダインの戦い]] * [[1735年]] - ゼンガー事件。ニューヨーク植民地総督ウィリアム・コスビーを批判し逮捕されていた新聞出版者[[ジョン・ピーター・ゼンガー]]に無罪判決。 * [[1763年]] - [[ポンティアック戦争]]: [[ポンティアック戦争#ブッシーランおよびデビルズホール|ブッシーランの戦い]] ([[:en:Battle of Bushy Run]]) * [[1772年]] - [[プロイセン王国]]・[[オーストリア帝国]]・[[ロシア帝国]]によって[[第1次ポーランド分割]]が行なわれる。 * [[1783年]]([[天明]]3年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[浅間山]]の[[天明大噴火]]が発生<ref>{{Cite web|和書|title=災害の実相、今に伝え 浅間山 天明の大噴火から240年 19日まで嬬恋で特別展「防災意識につなげたい」 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/195801 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[東京新聞]] |date=Aug 14 2022}}</ref>。 * [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[バトンルージュの戦い (1862年)|バトンルージュの戦い]] * [[1864年]] - 南北戦争: [[モービル湾の海戦]] * [[1868年]]([[明治]]元年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - 明治政府が、[[神奈川奉行所]]・神奈川運上所の支配地域を管轄する[[神奈川府]](同年9月に[[神奈川県]]に改称)を設置。 * [[1874年]] - 日本で『郵便預規則』が公布。世界で4番目に[[郵便貯金]]制度が創設される。 * [[1882年]] - [[太政官布告]]「[[戒厳|戒厳令]]」が公布。 * [[1884年]] - [[ニューヨーク]]で、フランスから送られた[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の建築が始まる。 * [[1888年]] - [[カール・ベンツ]]の妻[[ベルタ・ベンツ]]が、[[マンハイム]]から[[プフォルツハイム]]を経由してマンハイムに戻る世界初の長距離[[自動車]][[ドライブ]]を行う。([[ベルタ・ベンツ・メモリアルルート]]) * [[1912年]] - 東京・[[有楽町]]のタクシー自動車が[[日本のタクシー|日本初のタクシー]]営業を開始。 * [[1913年]] - [[岩波茂雄]]が東京[[神田神保町]]で古書店・[[岩波書店]]を創業。翌年出版社に転向。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ドイツ]]の機雷敷設艦[[ケーニギン・ルイゼ (機雷敷設艦)|ケーニギン・ルイゼ]]が[[テムズ川]]河口に機雷を敷設。翌日、イギリスの偵察巡洋艦[[アンフィオン (偵察巡洋艦)|アンフィオン]]の攻撃を受け自沈。 * 1914年 - [[オハイオ州]][[クリーブランド]]に世界初の電気式[[交通信号機|信号機]]を設置。なお、世界初の信号機は1868年12月、ロンドンに設置されたガス式のもの([[:en:Traffic_light]]) * [[1925年]] - [[プライド・カムリ]](ウェールズ民族党)結成。 * [[1929年]] - [[北海道]][[歌志内市]]の[[住石マテリアルズ|住友坂炭鉱]]でガス爆発事故。70人死亡<ref>遭難七十人の法要、涙の遺族たち『北海タイムス』昭和4年8月13日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p600 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ソビエト連邦]]が[[ラトビア]]を併合。 * [[1942年]] - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[戦艦]]『[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]』が竣工<ref>{{Cite web |url=https://www.shinchosha.co.jp/news/article/2015/ |title=旧日本海軍が建造した最後の戦艦「武蔵」が竣工 (昭和17年8月5日) |access-date=11 Nov 2023 |publisher=[[新潮社]]}}</ref>。 * 1942年 - [[読売新聞|讀賣新聞]]と[[報知新聞]]が合併、『[[讀賣報知]]』に改題される。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦: [[カウラ事件]]。[[オーストラリア]]・[[カウラ]]の捕虜収容所から、史上最多となる545人の日本兵捕虜が脱走。 * 1944年 - 防諜を理由に[[神奈川県]]、[[千葉県]]沿岸の大部分で[[海水浴]]を制限。軍事施設周辺は完全遊泳禁止、施設ない場所も学校などの団体に限るものとされた<ref>東京湾、三浦半島などの海水浴に制限令(昭和19年8月11日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p68 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: 前橋空襲<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.maebashi.gunma.jp/soshiki/shimin/seikatsu/gyomu/5/2/29780.html |title=前橋空襲ー体験者の証言の記録ー |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[前橋市]]|deadlinkdate=2023-11-24}}</ref>。 * 1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: [[湯の花トンネル列車銃撃事件]]。 * [[1960年]] - オートボルタ(現在の[[ブルキナファソ]])がフランスから独立。 * [[1962年]] - [[南アフリカ共和国]]の[[黒人]]解放運動指導者[[ネルソン・マンデラ]]が当局に逮捕。国家反逆罪で終身刑となり、1990年の釈放まで獄中で過ごす。 * 1962年 - [[マリリン・モンロー]]が自宅で死んでいるのが発見される。 * [[1963年]] - [[アメリカ合衆国]]・[[ソビエト連邦]]・[[イギリス]]の3ヵ国が[[モスクワ]]で[[部分的核実験禁止条約]]に調印。 * 1963年 - 広島市で第9回[[原水爆禁止日本協議会#ソ連の核への見解相違による対立から分裂へ|原水爆禁止世界大会]]を開催。社会党・総評系グループが要求する部分的核実験禁止条約の支持に共産党系グループが反発し流会。 * [[1966年]] - [[文化大革命]]: [[人民日報]]に、[[劉少奇]]打倒を示唆する[[毛沢東]]の論文『司令部を砲撃せよ - 私の大字報』が掲載される。 * [[1969年]] - アメリカの火星探査機[[マリナー6号と7号|マリナー7号]]が[[火星]]に最接近。 * [[1975年]] - 前日に発生した[[クアラルンプール事件]]で、日本政府が犯人の要求に応じ、[[超法規的措置]]で服役・拘置中の左翼活動家7人を釈放。 * [[1981年]] - [[男鹿脇本事件]]。 * [[1984年]] - [[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]で、オリンピックで初めての[[マラソン#女子の参加|女子マラソン]]を実施。 * [[1986年]] - [[8.5水害]]: [[宮城県]][[鹿島台町]](現・[[大崎市]])で、[[吉田川 (宮城県)|吉田川]]の氾濫のため約1200世帯が浸水するなど、各地で[[昭和61年台風第10号|台風10号]]およびその台風から変わった[[低気圧]]によって、死者・行方不明者20人、浸水・損壊家屋は100,000棟を超える大きな被害になった<ref>{{Cite web|和書|url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/239/ |title=昭和61年台風10号(1986年) |work=Yahoo! JAPAN 天気・災害 |accessdate=Feb 12 2023 |publisher=[[Yahoo! JAPAN]]}}</ref>。 * [[1993年]] - 阪和銀行副頭取射殺事件。 * 1993年 - アメリカで「[[マジック:ザ・ギャザリング]]」初版発売。世界中を巻き込んだ[[トレーディングカードゲーム]]のブームを巻き起こす。 * [[1994年]] - [[福徳銀行5億円強奪事件]]。 * [[1995年]] - [[ベトナム]]と[[アメリカ合衆国]]が和解し、国交を樹立。 * 1995年 - [[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]: [[嵐作戦]]で、[[クライナ・セルビア人共和国]]の首都[[クニン]]ほか[[ダルマチア]]の内陸地方のほとんどが[[クロアチア]]軍の占領下となる。(クロアチアの勝戦記念日) * [[2002年]] - [[住民基本台帳ネットワーク]]の運用開始。 * 2002年 - [[マブチモーター社長宅殺人放火事件]]。[[マブチモーター]]社長の妻と長女が自宅で絞殺され放火される。 * [[2004年]] - [[広州市|広州]]で[[広州白雲国際空港]]が開港。 * [[2010年]] - [[チリ]]で[[コピアポ鉱山落盤事故]]が発生<ref>{{Cite web|和書|date=Aug 23 2010 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2750098 |title=チリ鉱山落盤事故、「全員無事」と作業員らが手紙 カメラでも確認 |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=Feb 12 2023}}</ref>。 * [[2016年]] - [[リオデジャネイロオリンピック]]が開幕<ref>{{Cite web|和書|date=2016-08-06 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLAS0040002_W6A800C1000000/ |title=南米初のリオ五輪開幕 205カ国・地域参加 |publisher=[[日本経済新聞社]] |accessdate=Feb 12 2023}}</ref>。 * [[2018年]] - [[インドネシア]]、[[ロンボク島]]で[[マグニチュード]]6.9の地震が発生。400人以上が死亡<ref>{{Cite web|和書|date=2018-08-13 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3185924?cx_part=search |title=ロンボク島地震、死者400人超に 経済的被害は380億円 |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=Feb 12 2023 |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2020年]] - [[レバノン]]の首都[[ベイルート]]で[[ベイルート港爆発事故|爆発事故]]が発生。硝酸アンモニウムの管理瑕疵が爆発の原因とみられている。30万人以上が避難し、100人超死亡、4000人超が負傷。 * 2020年 - [[2020年スリランカ議会総選挙|スリランカ議会総選挙]]が行われ、[[スリランカ人民自由同盟]](SLPFA)が145議席を獲得し大勝する<ref>{{Cite web |title=Rajapaksas dominates South with landslide victory in Sri Lankan elections {{!}} Tamil Guardian |url=https://www.tamilguardian.com/content/rajapaksas-dominates-south-landslide-victory-sri-lankan-elections |access-date=Feb 12 2023 |website=www.tamilguardian.com |publisher=TAMIL GUARDIAN |date=6 Aug 2020 |language=En}}</ref>。 * [[2023年]] - 日本政府が推進する洋上風力発電を巡り、[[秋本真利]]衆院議員が[[日本風力開発]]から賄賂を受領したとされる事件で、[[特別捜査部|東京地検特捜部]]が同社と社長宅に家宅捜索に入る<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE050JF0V00C23A8000000/ |title=秋本議員に贈賄疑い、風力発電会社を捜索 特捜部 |access-date=11 Nov 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=5 Aug 2023}}</ref>。秋本議員は、同日付で自民党を離党した。 == 誕生日 == {{multiple image | image1 = Aleksander_Jagiellonczyk.jpg | width1 = 90 | caption1 = ポーランド王[[アレクサンデル (ポーランド王)|アレクサンデル]](1461-1506)誕生 | image2 = Emperor_Go-Momozono.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[後桃園天皇]](1758-1779)誕生 }} {{multiple image | footer = 数学者[[ニールス・アーベル]](1802-1829)誕生。多くの数学用語の他、[[アーベル賞]]にも名を残す。右画像はアーベルのノート | image1 = Niels_Henrik_Abel.jpg | width1 = 70 | alt1 = ニールス・アーベル | image2 = Abel-kladd.jpg | width2 = 110 | alt2 = ノート }} {{multiple image | image1 = Deodoro_da_Fonseca_sak.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[ブラジル]]の初代大統領、[[デオドロ・ダ・フォンセカ]](1827-1892) | image2 = Young Harold Holt.jpg | width2 = 90 | caption2 = オーストラリア第17代首相、[[ハロルド・ホルト]](1908-1967) }} {{multiple image | footer = [[移動派]]の画家、[[イリヤ・レーピン]](1840-1930)誕生。左画像は自画像(1878)、右は『ヴォルガの舟曳き』(1870-73) | image1 = REPIN_portret_REPIN.jpg | width1 = 50 | alt1 = イリヤ・レーピン自画像 | image2 = Ilia_Efimovich_Repin_%281844-1930%29_-_Volga_Boatmen_%281870-1873%29.jpg | width2 = 130 | alt2 = ヴォルガの舟曳き }} {{multiple image | caption1 = [[自然主義]]の[[短篇小説|短篇]]の名手、作家[[ギ・ド・モーパッサン]](1850-1893)誕生。 | image1 = Guy_de_Maupassant_fotograferad_av_F%C3%A9lix_Nadar_1888.jpg | width1 = 90 | alt1 = ギ・ド・モーパッサン | caption2 = 志摩鳥羽藩第8代藩主[[稲垣長敬]](1854-1920)誕生。 | image2 = Inagaki Nagahiro.jpg | width2 = 90 | alt2 = 稲垣長敬 }} {{multiple image | footer = [[ネコ|猫]]の絵で知られる[[イラストレーター]]、[[ルイス・ウェイン]](1860-1939)。 | image1 = Louis_Wain_at_his_drawing_table_1890.png | width1 = 90 | alt1 = 猫を撫でるルイス・ウェイン | image2 = Wain_cat.jpg | width2 = 90 | alt2 = 猫の絵 }} {{multiple image | caption1 = 指揮者[[エーリヒ・クライバー]](1890-1956)誕生。 | image1 = Erich_Kleiber_01.jpg | width1 = 90 | alt1 = エーリヒ・クライバー | caption2 = 作家[[壺井栄]](1899-1967)誕生。 | image2 = Sakae Tsuboi 02.jpg | width2 = 90 | alt2 = 壺井栄 }} {{multiple image | footer = 芸術家[[ナウム・ガボ]](1890-1977)誕生。左画像はロンドンの動く彫刻の噴水、右はロッテルダムの金属彫刻 | image1 = Naum_Gabo_Fountain_02.jpg | width1 = 90 | alt1 = ロンドンの動く彫刻の噴水 | image2 = Gabo_Rotterdam_2.jpg | width2 = 90 | alt2 = ロッテルダムの金属彫刻 }} {{multiple image | caption1 = 司祭・慈善活動家、[[アベ・ピエール]](1912-2007) | image1 = ABBE_PIERRE-1999Without.jpg | width1 = 90 | alt1 = アベ・ピエール | caption2 = 宇宙飛行士[[ニール・アームストロング]](1930-2012)。人類で初めて月面に降り立つ。 | image2 = Neil_Armstrong_pose.jpg | width2 = 90 | alt2 = ニール・アームストロング }} * [[1461年]] - [[アレクサンデル (ポーランド王)|アレクサンデル]]<ref>{{Cite web |title=Alexander {{!}} king of Poland |url=https://www.britannica.com/biography/Alexander-king-of-Poland |access-date=2023-02-12 |language=en |publisher=Britannica}}</ref>、[[ポーランド王国|ポーランド王]](+ [[1506年]]) * [[1623年]] - [[アントニオ・チェスティ]]、[[作曲家]](+ [[1669年]]) * [[1681年]]([[延宝]]9年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[松平近朝]]、第3代[[広瀬藩|広瀬藩主]](+ [[1728年]]) * [[1749年]] - [[トマス・リンチ・ジュニア]]、[[アメリカ独立宣言]]署名者(+ [[1779年]]) * [[1758年]]([[宝暦]]8年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - [[後桃園天皇]]、第118代[[天皇]](+ 1779年) * [[1798年]] - [[ジョン・ロッテスリー]]、[[天文学者]](+ [[1867年]]) * [[1799年]]([[寛政]]11年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]]) - [[久世広運]]、第6代[[関宿藩|関宿藩主]](+ [[1830年]]) * [[1802年]] - [[ニールス・アーベル]]、[[数学者]](+ [[1829年]]) * [[1811年]] - [[アンブロワーズ・トマ]]、作曲家(+ [[1896年]]) * [[1813年]] - [[イーヴァル・オーセン]]、[[言語学者]]、[[文献学者]]、[[詩人]](+ [[1896年]]) * [[1815年]] - [[エドワード・ジョン・エア]]、[[探検家]](+ [[1901年]]) * [[1827年]] - [[デオドロ・ダ・フォンセカ]]、初代[[ブラジル連邦共和国大統領|ブラジル大統領]](+ [[1892年]]) * [[1828年]] - [[ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウ]]、[[カール15世 (スウェーデン王)|スウェーデン王カール15世]]の妃(+ [[1871年]]) * [[1833年]] - [[カロラ・ヴァーサ]]、[[アルベルト (ザクセン王)|ザクセン王アルベルト]]の妃(+ [[1907年]]) * [[1836年]]([[天保]]7年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[加藤弘之]]、[[政治学者]]、教育家(+ [[1916年]]) * [[1844年]] - [[イリヤ・レーピン]]、[[画家]]、[[彫刻家]](+ [[1930年]]) * [[1850年]] - [[ギ・ド・モーパッサン]]、[[作家]](+ [[1893年]]) * [[1854年]]([[嘉永]]7年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[稲垣長敬]]、第8代[[鳥羽藩|鳥羽藩主]](+ [[1920年]]) * [[1860年]] - [[ルイス・ウェイン]]、[[画家]](+ [[1939年]]) * [[1862年]] - [[ジョゼフ・メリック]]、「エレファント・マン」として知られる人物(+ [[1890年]]) * [[1890年]] - [[エーリヒ・クライバー]]、[[指揮者]](+ [[1956年]]) * 1890年 - [[ナウム・ガボ]]、[[美術家]]、彫刻家(+ [[1977年]]) * [[1894年]] - [[桂春団治 (2代目)]]、[[落語家]](+ [[1953年]]) * [[1896年]] - [[大辻司郎]]、[[漫談家]]、[[弁士]](+ [[1952年]]) * [[1898年]] - [[ピエロ・スラッファ]]、[[経済学者]](+ [[1983年]]) * [[1899年]] - [[壺井栄]]、作家(+ [[1967年]]) * [[1901年]] - [[クロード・オータン=ララ]]、[[映画監督]](+ [[2000年]]) * [[1902年]] - [[迫水久常]]、[[政治家]](+ [[1977年]]) * [[1904年]] - [[橋本明治]]、[[日本画家]](+ [[1991年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10370.html |title=橋本明治 |access-date=12 Feb 2023 |publisher=東文研アーカイブデータベース}}</ref>) * [[1905年]] - [[ワシリー・レオンチェフ]]、[[経済学者]](+ [[1999年]]) * [[1906年]] - [[ジョン・ヒューストン]]、映画監督、[[俳優]](+ [[1987年]]) * [[1908年]] - [[ハロルド・ホルト]]、政治家(+ [[1967年]]) * [[1910年]] - [[福永健司]]、政治家(+ [[1988年]]) * [[1911年]] - [[エルヴィン・クラウゼン]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1943年]]) * 1911年 - [[ロバート・テイラー (俳優)|ロバート・テイラー]]、俳優(+ [[1969年]]) * 1911年 - [[田宮虎彦]]、作家(+ [[1988年]]) * [[1912年]] - [[アベ・ピエール]]、[[キリスト教]]の[[司祭]](+ [[2007年]]) * 1919年 - ロザリンド・ヒックス、アガサ・クリスティの娘(+ 2004年) * [[1928年]] - [[佐藤昭子]]、[[田中角栄]]の[[秘書]](+ [[2010年]]) * [[1930年]] - [[ニール・アームストロング]]、[[宇宙飛行士]](+ [[2012年]]) * [[1931年]] - [[木坂順一郎]]、[[政治学者]]、[[歴史家]] * [[1932年]] - [[ウラジミール・フェドセーエフ]]、指揮者 * 1932年 - [[山元勉]]、政治家(+ [[2010年]]) * [[1934年]] - [[古賀正浩]]、政治家(+ [[2002年]]) * 1934年 - [[川崎啓之介]]、元[[プロ野球選手]] * [[1936年]] - [[長光告直]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[ボブ・クラーク]]、[[映画監督]](+ [[2007年]]) * [[1940年]] - [[古賀誠]]、政治家 * 1940年 - [[下田敦子]]、政治家 * [[1941年]] - 王立平([[:zh:王立平]])、[[作曲家]] * [[1946年]] - [[中村順司]]、アマチュア野球指導者 * [[1947年]] - [[熊谷俊範]]、実業家(+ [[2010年]]) * 1947年 - [[宇佐美敏晴]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[高松伸]]、[[建築家]] * 1948年 - [[小形利文]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[片平晋作]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20180123-3MWDJKGV7NNF7KVAC3SBWA4XP4/ |title=片平晋作さん死去 西武連続日本一に貢献、一本足打法で活躍 |access-date=12 Feb 2023 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |date=23 Jan 2018}}</ref>) * 1949年 - [[植村秀明]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[上森合直幸]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[高橋勝成]]、[[プロゴルファー]] * [[1951年]] - [[ハッサン・ソービル]]、国務大臣、大使、高等弁務官 * [[1955年]] - [[西田猛]]、政治家(+ [[2006年]]) * 1955年 - [[若松謙維]]、政治家 * [[1956年]] - [[村松利史]]、[[俳優]] * 1956年 - [[山内孝徳]]、元プロ野球選手 * 1956年 - [[鈴木勝美]]、[[声優]] * [[1958年]] - [[上田勇]]、政治家、元[[衆議院議員]] * [[1959年]] - パット・スメア、[[ギタリスト]](元ジャームス、[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]]、[[フー・ファイターズ]]) * 1959年 - [[リチャード・ダトロー・ジュニア]]、[[調教師]] * [[1960年]] - [[森中慎也]]、元アナウンサー * [[1961年]] - [[藤吉久美子]]、女優 * 1961年 - [[マイケル富岡]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]、俳優 * [[1962年]] - [[どんと]]、ミュージシャン(+ [[2000年]]) * 1962年 - [[パトリック・ユーイング]]、[[バスケットボール選手]] * 1962年 - [[柳原陽一郎]]、ミュージシャン * [[1963年]] - [[後関昌彦]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[鹿野淳]]、[[音楽評論家]] * 1964年 - [[松田洋子]]、[[漫画家]] * [[1965年]] - [[川島恵 (アイドル)|川島恵]]、[[歌手]] * 1965年 - [[大藤直樹]]、俳優 * 1965年 - [[桜庭統]]、作曲家 * 1965年 - [[鈴木信行]]、[[政治運動家]] * [[1966年]] - [[森口瑤子]]、女優 * [[1967年]] - [[柴田くに子]]、歌手 * 1967年 - [[相築彰子]]、女優 * 1967年 - [[山内一典]]、[[ゲームクリエイター]] * 1967年 - [[小林昭則]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[ジョン・オルルド]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[ケンドー・カシン]]、[[プロレスラー]]、[[総合格闘家]] * 1968年 - [[マリーヌ・ル・ペン]]、政治家 * [[1969年]] - [[後藤田正純]]、政治家、[[自由民主党 (日本)|自民党]][[衆議院議員]] * 1969年 - [[若田部健一]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[佐々木健 (声優)|佐々木健]]、声優 * [[1970年]] - [[竹島由美子]]、元[[バレエダンサー]]、[[コスチューム]][[デザイナー]] * [[1971年]] - [[今井裕 (天文学者)|今井裕]]、天文学者 * 1971年 - [[松本大輔]]、政治家 * 1971年 - [[保坂秀樹]]、プロレスラー(+ [[2021年]]) * 1971年 - [[矢樹広弓]]、元プロレスラー * 1971年 - [[カルロス・プリード]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * [[1972年]] - [[ジョン・ワズディン]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[日高郁人]]、プロレスラー * 1972年 - [[本村由紀子]]、[[アナウンサー]] * [[1973年]] - [[川村美香]]、漫画家 * [[1974年]] - [[野々村友紀子]]、[[放送作家]]、元[[お笑いタレント|お笑い芸人]](元[[高僧・野々村]]) * 1974年 - [[安岡優]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ゴスペラーズ]]) * 1974年 - [[大渕幹大]]、元プロバスケットボール選手 * [[1976年]] - [[中野由紀]]、元[[バレーボール]]選手 * 1976年 - [[クォン・サンウ]]、俳優 * [[1977年]] - [[広橋涼]]、声優 * 1977年 - [[深見真]]、作家 * 1977年 - [[山口リエラ]]、元タレント * 1977年 - [[本間忠]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[尾形佳紀]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[デイビット・ヒーリー]]、[[サッカー選手]] * 1979年 - 関太、お笑いタレント([[タイムマシーン3号]]) * 1979年 - [[吉田里深]]、タレント * [[1980年]] - [[根本幸多]]、声優 * 1980年 - [[橋本奈穂子]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * 1980年 - [[日下部智子]]、[[プロゴルファー]] * 1980年 - [[ウェイン・ブリッジ]]、元サッカー選手 * [[1981年]] - [[カール・クロフォード]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[柴咲コウ]]、女優、歌手 * 1981年 - [[赤荻歩]]、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー * 1981年 - [[佐藤かおり]]、[[レースクイーン]]、[[グラビアアイドル]] * 1981年 - [[浜野謙太]]、ミュージシャン、俳優 * 1981年 - 星野譲、ベーシスト([[FUZZY CONTROL|fuzzy control]]) * [[1982年]] - [[ORIE]]、お笑いタレント * 1982年 - [[柳承敏]]、[[卓球選手]] * [[1983年]] - [[木下鈴奈]]、女優、声優 * [[1984年]] - [[池田剛基]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[穴井隆将]]、[[柔道家]] * [[1985年]] - [[サロモン・カルー]]、サッカー選手 * [[1986年]] - [[ポーラ・クリーマー]]、[[プロゴルファー]] * 1986年 - [[米満達弘]]、元[[アマチュアレスリング]]選手、指導者 * [[1987年]] - [[ステファニー (1987年生の歌手)|ステファニー]]、歌手 * 1987年 - [[レクシー・ベル]]、ポルノ女優 * [[1988年]] - [[フェデリカ・ペレグリニ]]、[[水泳選手]] * 1988年 - [[フルール・マクスウェル]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - [[原田真緒]]、グラビアアイドル * 1988年 - [[黒沢翔太]]、元プロ野球選手 * [[1989年]] - [[河村唯]]、タレント、[[アイドル]](元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]12号) * 1989年 - [[松島花]]、[[ファッションモデル]] * 1989年 - [[ライアン・バートランド]]、[[サッカー]]選手 * 1989年 - [[赤﨑夏実]]、[[エレクトーン]]奏者、リポーター * [[1990年]] - [[南結衣]]、タレント、元グラビアアイドル * 1990年 - [[境絵里加]]、ファッションモデル * 1990年 - [[ロレッタ・アムイ]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[ニック・マルティネス]]、プロ野球選手 * [[1991年]] - [[宮川明衣]]、タレント * [[1992年]] - [[陳定]]、陸上競技選手 * 1992年 - [[内山靖崇]]、テニス選手 * [[1993年]] - [[今村彩夏]]、元声優 * 1993年 - [[大後寿々花]]、女優 * 1993年 - たいこー、お笑いタレント([[リンダカラー]]) * 1993年 - 藤田怜、アイドル([[風男塾]]・藤守怜生) * 1993年 - [[米谷真一]]、野球選手 * [[1994年]] - [[佐々木勇気]]、[[将棋棋士]] * [[1995年]] - [[長縄まりあ]]、声優 * 1995年 - [[横田ひかる]]、ファッションモデル * [[1996年]] - [[貴景勝光信]]、[[大相撲]][[力士]] * 1996年 - [[村上茉愛]]、体操選手 * 1996年 - [[鎌田大地]]、サッカー選手 * 1996年 - [[法元明菜]]、声優([[虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会]]) * [[1997年]] - [[オリヴィア・ホルト]]、女優、歌手 * 1997年 - [[中坂勇哉]]、サッカー選手 * [[1998年]] - [[鈴木香音]]、元アイドル(元[[モーニング娘。]]) * 1998年 - [[遠藤日向]]、陸上選手 * [[1999年]] - [[清井咲希]]、アイドル(元[[たこやきレインボー]]) * [[2000年]] - 佐藤海里、アイドル([[NGT48]]) * [[2001年]] - [[横山陸人]]、プロ野球選手 * [[2003年]] - [[飯沼愛]]、女優 * 生年不明 - [[森川久美]]、漫画家 * 生年不明 - [[冬木るりか]]、漫画家 {{-}} == 忌日 == {{multiple image | footer = [[アメリカ独立戦争]]時のイギリス首相、[[ギルフォード伯爵]][[フレデリック・ノース (第2代ギルフォード伯爵)|フレデリック・ノース]](1732-1792)没。右画像は[[ジェームズ・ギルレイ]]の風刺画『国の修繕屋』(1780)、右下がノース | image1 = Frederick North, 2nd Earl of Guilford by Nathaniel Dance, (later Sir Nathaniel Dance-Holland, Bt).jpg | width1 = 90 | alt1 = フレデリック・ノース | image2 = The_state_tinkers.jpg | width2 = 90 | alt2 = 国の修繕屋 }} {{multiple image | caption1 = 革命家[[フリードリヒ・エンゲルス]](1820-1895)没。 | image1 = Friedrich Engels (1891).jpg | width1 = 90 | alt1 = フリードリヒ・エンゲルス | caption2 = 陸軍大将佐久間左馬太(1844-1915)没。 | image2 = Sakuma Samata.jpg | width2 = 90 | alt2 = 佐久間左馬太 }} {{multiple image | footer = 女優[[マリリン・モンロー]](1926-1962)、寝室にて全裸死体で発見。右画像はウェストウッド・メモリアル パーク墓地のモンローの墓。 | image1 = Marilyn_Monroe_in_The_Misfits_trailer_2.jpg | width1 = 90 | alt1 = マリリン・モンロー | image2 = Marylin_Monroe_crypt.jpg | width2 = 90 | alt2 = ウェストウッド・メモリアルパーク墓地のモンローの墓 }} {{multiple image | image1 = 澁澤龍彦の墓.jpg | width1 = 90 | caption1 = 作家・[[仏文学]]者、[[澁澤龍彦]](1928-1987)没。画像は北鎌倉浄智寺の墓 | alt1 = 北鎌倉浄智寺、澁澤龍彦の墓 | image2 = Muldoon_26_June_1969.jpg | width2 = 80 | caption2 = 第31代ニュージーランド首相、[[ロバート・マルドゥーン]](1921-1992) | alt2 = ロバート・マルドゥーン }} {{multiple image | image1 = Todor_%C5%BDivkov_%28fototeca.iiccr.ro%29.jpg | width1 = 90 | caption1 = 冷戦期ブルガリアの政治家[[トドル・ジフコフ]](1911-1998)没 | alt = トドル・ジフコフ | image2 = VietnamkriegPersonen1966.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[ベトナム共和国]]最後の大統領[[ズオン・バン・ミン]](中央; 1916-2001)没 | alt2 = ズオン・バン・ミン }} * [[775年]]([[宝亀]]6年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]])- [[藤原蔵下麻呂]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[734年]]) * [[824年]]([[弘仁]]15年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]])- [[平城天皇]]、第51代[[天皇]](* [[774年]]) * [[882年]] - [[ルイ3世 (西フランク王)|ルイ3世]]、[[西フランク王国|西フランク王]](* [[863年]]) * [[989年]]([[永祚 (日本)|永祚]]元年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]])- [[藤原頼忠]]、[[平安時代]]の公卿(* [[924年]]) * [[1364年]]([[正平 (日本)|正平]]19年/[[貞治]]3年7月7日)- [[光厳天皇]]、[[北朝 (日本)|北朝]]初代天皇(* [[1313年]]) * [[1405年]]([[応永]]12年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]])- [[日野業子]]、[[室町幕府]]第3代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義満]]の[[正室]](* [[1351年]]) * [[1594年]]([[文禄]]3年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]])- [[亘理元宗]]、[[武将|戦国武将]](* [[1530年]]) * [[1703年]]([[元禄]]16年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]])- [[佐竹義処]]、第3代[[久保田藩|久保田藩主]](* [[1637年]]) * [[1719年]]([[享保]]4年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]])- [[伊達綱村]]、第4代[[仙台藩|仙台藩主]](* [[1659年]]) * [[1729年]] - [[トーマス・ニューコメン]]、[[発明家]](* [[1664年]]) * [[1792年]] - 第2代[[ギルフォード伯爵]][[フレデリック・ノース (第2代ギルフォード伯爵)|フレデリック・ノース(ノース卿)]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1732年]]) * [[1839年]]([[天保]]10年6月26日)- [[松平輝承]]、[[江戸幕府]][[奏者番]]、[[高崎藩|高崎藩主]](* [[1817年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年6月20日)- [[大岡忠固]]、江戸幕府[[若年寄]]、普請奉行、[[岩槻藩|岩槻藩主]](* [[1794年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]])- [[大高忠兵衛]]、[[尊皇攘夷]][[志士]](* [[1823年]]) * [[1872年]] - [[シャルル=ユージェヌ・ドロネー]]、[[天文学者]]、[[数学者]](* [[1816年]]) * [[1891年]] - [[アンリ・リトルフ]]、[[ピアニスト]]、作曲家(* [[1818年]]) * [[1895年]] - [[フリードリヒ・エンゲルス]]、[[経済学者]](* [[1820年]]) * [[1897年]] - [[アルベルト・マルト]]、天文学者(* [[1828年]]) * [[1899年]] - [[ウィリアム・K・バートン]]、[[お雇い外国人]]の[[技術者]](* [[1856年]]) * [[1901年]] - [[ヴィクトリア (ドイツ皇后)|ヴィクトリア]]、[[ドイツ帝国|ドイツ皇帝]][[フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)|フリードリヒ3世]]の皇后(* [[1840年]]) * [[1911年]] - [[ボブ・カラザーズ]]、元プロ野球選手(* [[1864年]]) * [[1915年]] - [[佐久間左馬太]]、第5代[[台湾総督府|台湾総督]](* [[1844年]]) * [[1916年]] - [[ジョージ・バターワース]]、[[作曲家]](* [[1885年]]) * [[1922年]] - [[トミー・マッカーシー]]、元プロ野球選手(* [[1863年]]) * [[1925年]] - [[ジョルジュ・パラント]]、[[思想家]]、[[哲学者]](* [[1862年]]) * [[1931年]] - [[蔣渭水]]、社会運動家(* [[1890年]]) * [[1932年]] - [[ジョン・ポール・グード]]、[[地理学者]](* [[1862年]]) * [[1940年]] - [[フレデリック・クック]]、[[探検家]](* [[1865年]]) * [[1946年]] - [[ヴィルヘルム・マルクス]]、第8・10代[[ドイツ国首相]](* [[1863年]]) * [[1957年]] - [[ハインリッヒ・ヴィーラント]]、[[化学者]](* [[1877年]]) * [[1961年]] - [[北昤吉]]、思想家・[[評論家]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[衆議院議員]](* [[1885年]]) * [[1962年]] - [[マリリン・モンロー]]、[[俳優|女優]](* [[1926年]]) * [[1963年]] - [[サルバドール・バカリッセ]]、作曲家(* [[1898年]]) * [[1964年]] - [[アート・ロス]]、[[アイスホッケー]]選手、指導者(* [[1886年]]) * [[1968年]] - [[オスカル・ウプラウス]]、[[サッカー選手]](* [[1898年]]) * [[1969年]] - [[アドルフ・フリードリヒ・ツー・メクレンブルク]]、[[探検家]]、植民地政治家(* [[1873年]]) * [[1973年]] - [[服部逸郎]]、[[作曲家]]、[[歌手]]、[[作詞家]]、元[[アナウンサー]](* [[1907年]]) * [[1975年]] - [[真鍋八千代]]、[[実業家]]、[[弁護士]](* [[1894年]]) * [[1978年]] - [[ジェシー・ヘインズ]]、元プロ野球選手(* [[1893年]]) * [[1981年]] - [[イェジ・ネイマン]]、[[統計学|統計学者]](* [[1894年]]) * 1981年 - [[船山春子]]、[[編集者]]、[[小説家]](* [[1910年]]) * 1981年 - [[船山馨]]、小説家(* [[1914年]]) * [[1983年]] - [[中村草田男]]<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)239頁</ref>、[[俳人]](* [[1901年]]) * 1983年 - [[ジョーン・ロビンソン]]、経済学者(* [[1903年]]) * [[1984年]] - [[リチャード・バートン]]、俳優(* [[1925年]]) * [[1987年]] - [[澁澤龍彦]]、小説家(* [[1928年]]) * [[1991年]] - [[本田宗一郎]]、[[本田技研工業]]設立者(* [[1906年]]) * [[1992年]] - [[ロバート・マルドゥーン]]、第31代[[ニュージーランドの首相|ニュージーランド首相]](* [[1921年]]) * 1992年 - [[ジェフ・ポーカロ]]、[[ドラマー]]、[[スタジオ・ミュージシャン]](* [[1954年]]) * [[1993年]] - [[田坂正明]]、[[プロ野球選手]](* [[1946年]]) * [[1998年]] - [[トドル・ジフコフ]]、[[ブルガリア]]の指導者(* [[1911年]]) * 1998年 - [[オットー・クレッチマー]]、[[ドイツ海軍]]の[[Uボート]]指揮官(* [[1912年]]) * [[1999年]] - [[高沢寅男]]、[[日本社会党]][[衆議院議員]](* [[1926年]]) * [[2000年]] - [[アレック・ギネス]]、俳優(* [[1914年]]) * [[2001年]] - [[ズオン・バン・ミン]]、[[ベトナム共和国|南ベトナム]][[南ベトナムの指導者|大統領]](* [[1916年]]) * [[2002年]] - [[御木本伸介]]、俳優(* [[1931年]]) * 2002年 - [[ダレル・ポーター]]、元プロ野球選手(* [[1952年]]) * [[2005年]] - [[田中正巳]]、[[厚生大臣]](* [[1917年]]) * 2005年 - [[見川鯛山]]、医師、作家(* [[1916年]]) * [[2006年]] - [[ダニエル・シュミット]]、[[映画監督]](* [[1941年]]) * [[2011年]] - [[前田武彦]]、[[タレント]]、[[放送作家]](* [[1929年]]) * [[2012年]] - [[浜田幸一]]、[[政治家]]、[[タレント]](* [[1928年]]) * [[2014年]] - [[マンガ太郎]]、[[漫画家]]、タレント(* [[1942年]]) * 2014年 - [[笹井芳樹]]、[[医学者]](* [[1962年]]) * [[2015年]] - [[花紀京]]、[[コメディアン]](* [[1937年]]) * 2015年 - [[児玉広志]]、競輪選手(* [[1969年]]) * [[2016年]] - [[平田実音]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://m.huffingtonpost.jp/2016/08/31/obituary-mio-hirata_n_11810154.html |title=平田実音さん死去、33歳 元子役・NHK「ひとりでできるもん!」初代舞ちゃん役 |publisher=[[ハフポスト]] |date=2019-09-02 |accessdate=12 Feb 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/09/01/kiji/K20160901013273020.html |title=元子役・平田実音さん死去、33歳「ひとりでできるもん!」初代・舞ちゃん役 |access-date=12 Feb 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=1 Sep 2016 |website=Sponichi Annex}}</ref>、タレント(* [[1983年]]) * [[2022年]] - [[三宅一生]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE00021_Z00C22A8000000/ |title=三宅一生さん死去 84歳、ファッションデザイナー |access-date=12 Feb 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=9 Aug 2022}}</ref>、[[ファッションデザイナー]](* [[1938年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[ブルキナファソ]]の独立記念日。{{audio|Hymne National du Burkina Faso.ogg|国歌『ある一夜』を聴く(インストロメンタル)}} | image1 = Burkina Faso in its region.svg | width1 = 80 | caption1 = ブルキナファソの位置 | image2 = Burkina-faso-dourtenga.jpg | width2 = 100 | caption2 = 伝統的な家屋 }} {{multiple image | footer = [[ボゴタ]]のカーニバルの初日 | image1 = Carbog2006.jpg | width1 = 90 | alt1 = 2006年の様子 | image2 = Carbog2007.jpg | width2 = 90 | alt2 = 2007年の様子 }} * [[独立記念日]]({{BFA}}) *: [[1960年]]のこの日、[[オートボルタ]](現 [[ブルキナファソ]])が[[フランス]]から独立した。 * {{仮リンク|戦勝記念日 (クロアチア)|en|Victory Day (Croatia)|label=戦勝記念日}}({{HRV}}) *: [[1995年]]のこの日、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]の[[嵐作戦]]でクロアチア軍の勝利が決定的となったことを記念した祝日。 * [[ボゴタ]]のカーニバルの初日({{COL}}、7日まで) * {{仮リンク|世界ビールの日|en|International Beer Day}}({{World}} 2011年 2016年 2022年) * [[タクシー]]の日({{JPN}}) *:[[1912年]]のこの日、日本最初のタクシー会社が営業を開始する予定日としたことに由来。実際は、明治天皇崩御やタクシー・メーターの取り付けの遅れにより8月15日に正式営業開始となった。これを記念して、東京乗用旅客自動車協会(東旅協)が[[1984年]]に制定し、翌[[1985年]]から実施。以後、[[全国乗用自動車連合会]](全乗連)が全国キャンペーンを実施中。 * [[箱|ハコ]]の日({{JPN}}) *: 「は(8)こ(5)」(箱)の語呂合せで、東京紙器工業組合が[[1991年]]に制定。 * 裏ゴーヤーの日({{JPN}}) *: 「ゴー(5)ヤー(8)」の語呂合せの逆。ゴーヤーの日([[5月8日]])からこの頃までがゴーヤー(ニガウリ)の旬とされることから<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.itoman.lg.jp/docs/2013080500030/ |title=8月5日は「裏ゴーヤーの日」 |publisher=[[糸満市]] |date=2013-08-05 |accessdate=12 Feb 2023}}</ref>。 * [[ハードコアテクノ]]の日({{JPN}}) *: "8"と"5"を「ハーコー(HARDCOREの英語発音)」と読む語呂合わせから。レコードレーベル運営者のHARDCOREOSAKAが中心となって[[2006年]]に制定。 * [[ハコボーイ!]]の日({{JPN}}) *: ハコの日同様の語呂合わせから。ゲーム開発元の[[ハル研究所]]が申請し、ゲーム発売の2.5周年にあたる[[2017年]]7月15日に同社にて記念日登録証授与式を行った<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kinenbi.gr.jp/mypage/1281 |title=「ハコボーイ!の日」(8月5日)の記念日登録証授与式が、記念日を制定した株式会社ハル研究所の山梨県甲斐市の山梨開発センターで行われました。 |publisher=一般社団法人 日本記念日協会 |date=2017-7-15 |accessdate=12 Feb 2023}}</ref>。 * [[山形花笠まつり]]の初日({{JPN}}) *: [[山形県]][[山形市]]で、毎年8月5日から7日まで3日間開催される夏祭り。山車を先頭に、「ヤッショ、マカショ」の掛け声と花笠太鼓を背に、県の花である「紅花」をあしらった笠を身に着けた1万人を超える踊り手が、花笠音頭にあわせて踊りながら市内の目抜き通りをパレードする<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.yamagata.jp/020026/kensei/shoukai/yamagatamonogatari/matsuri/hanagasa.html |title=花笠まつり |access-date=11 Nov 2023 |publisher=山形県庁 |website=山形ものがたり}}</ref>。 * 山ごはんの日({{JPN}}) *: 日付は"山(8)"と"ごはん(5)"から。[[山と食欲と私]]を出版している[[新潮社]]が申請。同社にて記念日登録証授与式を行った<ref>{{Cite web|和書|title=「山ごはんの日」(8月5日)の記念日登録証授与式が東京・新宿区の株式会社新潮社で行われ、『山と食欲と私』の主人公、自称「単独登山女子」の日々野鮎美さんに登録証が渡されました。 |url=https://www.kinenbi.gr.jp/mypage/1552 |access-date=2023-02-12 |publisher=一般社団法人 日本記念日協会 |date=9 Apr 2018}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0805|date=Nov 2023}} * 1947年(昭和22年)- 巨瀬博士が物的証拠を求めてN県の歌川邸を出発。(小説『[[不連続殺人事件]]』第20章) * 1989年 - 阿久津丈二が1979年への[[タイムトラベル|タイムスリップ]]。1979年からやり直した人生で再度1989年のこの日から1979年にタイムスリップする。(漫画『[[代紋TAKE2]]』) * 2015年 - 泊エイジが[[2035年]]からタイムワープしてこの日に降り立つ。(特撮『[[仮面ライダードライブ]]』) === 誕生日(フィクション) === * 1997年 - 持田雛子 、ゲーム・アニメ『[[Myself ; Yourself]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20081127/mysf.htm |title=イエティ、PS2「Myself; yourself それぞれのfinale」 前作の外伝とエンディング後を描いたスピンオフ作品 |access-date=11 Nov 2023 |publisher=Impress Watch Corporation, an Impress Group company. |website=Game Watch |archive-url=https://web.archive.org/web/20090704103732/https://game.watch.impress.co.jp/docs/20081127/mysf.htm |archive-date=4 Jul 2009}}</ref> * 新西暦1995年 - 宇佐見ヨーコ(イエローバスター)、特撮テレビドラマ『[[特命戦隊ゴーバスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>『特命戦隊ゴーバスターズ超全集』てれびくんデラックス愛蔵版</ref> * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]341年 - ディアス・フラック、ゲーム『[[スターオーシャン セカンドストーリー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=45|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - [[姫川亜弓]] 、漫画・アニメ『[[ガラスの仮面]]』のもうひとりの主人公 * 生年不明 - 姫川亜弓、パロディアニメ『[[ガラスの仮面ですが]]』のもうひとりの主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.excite.co.jp/news/article/Animeanime_13289/ |title=「ガラスの仮面ですが」予告編発表日時を告知 3月17日20時59分30秒 |accessdate=11 Nov 2023 |publisher=[[エキサイト|exciteニュース]] |date=14 Mar 2013 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200726112239/https://www.excite.co.jp/news/article/Animeanime_13289/ |archive-date=26 Jul 2020}}</ref> * 生年不明 - [[金田一少年の事件簿の登場人物#金田一一|金田一一]]、漫画・アニメ・ドラマ『[[金田一少年の事件簿]]』の主人公 * 生年不明 - 立花みかん、漫画・アニメ『[[あたしンち]]』の主人公 * 生年不明 - バスコ・ショット、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Vasco_Shot.html |title=バスコ・ショット |work=『ONE PIECE』 |accessdate=11 Nov 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - ブックマン 、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|date=2008-06-04|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃 |page=38|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-874248-9}}</ref><ref>{{Cite book |和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|date=2011-07-04|title=D.Gray-manキャラクターランキングブック キャラグレ! |page=89|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-870268-1}}</ref> * 生年不明 - 火向洋一、漫画『[[ムヒョとロージーの魔法律相談事務所]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - フエゴレオン・ヴァーミリオン、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://bclover.jp/character/ |title=紅蓮の獅子王 フエゴレオン・ヴァーミリオン |work=『ブラッククローバー』 |accessdate=11 Nov 2023 |publisher=[[田畠裕基]]/[[集英社]]・[[テレビ東京]]・ブラッククローバー製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 神楽木晴、漫画・ドラマ『[[花のち晴れ〜花男 Next Season〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=神尾葉子|authorlink=神尾葉子|title=花のち晴れ〜花男 Next Season〜|volume=1巻|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]+|year=2015|page=94|isbn=978-4-08-880402-6}}</ref> * 生年不明 - ギルバート、漫画・ゲーム・アニメ『[[マジンボーン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|majinbone_anime|496309830055776256}}</ref> * 生年不明 - 春日檜、漫画『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=神のみぞ知るセカイ |date=22 Dec 2010 |publisher=[[小学館]] |page=187 |author=[[若木民喜]] |volume=11 |isbn=978-4-09-159079-4}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=若木民喜|authorlink=若木民喜|editor=キャラメル・ママ |date=2013-09-18 |title = 神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック |page = 90 |publisher = [[小学館]] |series=少年サンデーコミックススペシャル|isbn = 978-4-09-124451-2 }}</ref> * 生年不明 - 李厘、漫画・アニメ『[[最遊記]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ARIAの登場人物#姫屋|ヒメ・M・グランチェスタ]] 、漫画・アニメ『[[ARIA (漫画)|ARIA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=天野こずえ|authorlink=天野こずえ|title=ARIA OFFICIAL NAVIGATION GUIDE|publisher=[[マッグガーデン]]|page=71|isbn=4-86127-212-2}}</ref> * 生年不明 - 染谷ゆかり、漫画・アニメ『[[はやて×ブレード]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 永森和子、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=永森 和子(ながもり かずこ) |work=『咲-Saki-』 |accessdate=11 Nov 2023 |publisher=[[小林立]]}}</ref> * 生年不明 - 常盤真智、漫画・アニメ『[[ハナヤマタ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=浜弓場双|authorlink=浜弓場双|year = 2014 |title = ハナヤマタ |volume = 第5巻 |publisher = [[芳文社]] |isbn = 978-4-8322-4461-0 }}</ref> * 生年不明 - 南翠ユーゴ、漫画・アニメ『[[ベイブレードバースト]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 寺本優佳、漫画・アニメ『[[推しが武道館いってくれたら死ぬ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_oshibudo|1422935359978196992}}</ref> * 生年不明 - 神生アキラ、2.5次元コスプレダンスユニット『私立九瓏ノ主学園アルスマグナ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://ars-magna.jp/chara/ |title=登場人物紹介 アルスマグナ第一期生 神生アキラ |access-date=11 Nov 2023 |publisher=(株)プランチャイム. 九瓏ノ主学園生徒会 |work=『私立九瓏ノ主学園アルスマグナ』}}</ref> * 生年不明 - 立石志摩、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |work=『ハイスクール・フリート』 |url=https://www.hai-furi.com/character/01_03/ |title=立石 志摩 |accessdate=11 Nov 2023 |publisher=AAS/海上安全整備局 AAS/新海上安全整備局}}</ref> * 生年不明 - 桧山水羽、アニメ『[[セイレン (アニメ)|セイレン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tbs.co.jp/anime/seiren/chara/hiyama_miu.html |title=桧山 水羽(ひやま みう) |work=『セイレン』 |accessdate=11 Nov 2023 |publisher=[[高山箕犀]]/セイレン製作委員会 [[TBSテレビ|Tokyo Broadcasting System Television, Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - あやね、ゲーム『[[デッド オア アライブ シリーズ|デッドオアアライブ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://doax-venusvacation.jp/info/30396.html |title=あやね専用「ドルチェコーデ」登場!「あやね誕生日ガチャ」開催のお知らせ |work=『DEAD OR ALIVE XTREME VenusVacation』 |accessdate=11 Nov 2023 |date=5 Aug 2022 |publisher=[[コーエーテクモゲームス]]}}</ref> * 生年不明 - 石原紀美香、ゲーム『[[終ノ空]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アンナ・レムリ、ゲーム『[[マナケミア 〜学園の錬金術士たち〜]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 水島愛梨、ゲーム『[[オルタナティブガールズ|オルタナティブガールズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://lp.alterna.amebagames.com/character/ |title=TEAM02 "IRIS CAT" 水島 愛梨 |work=『オルタナティブガールズ2』 |accessdate=11 Nov 2023 |publisher=[[QualiArts|QualiArts, Inc.]] [[サイバーエージェント|CyberAgent, Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - ピルロップ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-105 |title=ピルロップ |accessdate=11 Nov 2023|website=『キングスレイド』 |publisher=Vespa Inc |archive-url=https://web.archive.org/web/20200617142115/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=105 |archive-date=17 Jun 2020}}</ref> * 生年不明 - ヴィクトル、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yumekuro.com/character/meister/primusclub/victor/ |title=ヴィクトル |access-date=11 Nov 2023 |publisher=[[bilibili]] [[ジークレスト|GCREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - 芽兎めう、メディアミックス『[[ひなビタ♪|ひなビタ♪ 凛として咲く花の如く]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|hinabitter|1025758293698871298}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 5|5 August}} {{新暦365日|8|4|8|6|[[7月5日]]|[[9月5日]]|[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]|0805|8|05}} {{1年の月と日}}
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5,627
8月6日
8月6日(はちがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から218日目(閏年では219日目)にあたり、年末まであと147日ある。
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8月6日(はちがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から218日目(閏年では219日目)にあたり、年末まであと147日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月6日'''(はちがつむいか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から218日目([[閏年]]では219日目)にあたり、年末まであと147日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = ベルリンの[[ブランデンブルク門]]竣工(1791) | image1 = Braniborská brána.jpg | width1 = 90 | alt1 = ブランデンブルク門 | image2 = Berlin Brandenburger Tor BW 3.jpg | width2 = 90 | alt2 = 四頭馬車と女神ヴィクトリア }} {{multiple image | footer = [[フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ2世]](左画像)が「神聖ローマ皇帝」の称号を放棄し[[神聖ローマ帝国]]解体(1806)。右画像は1789年の神聖ローマ帝国。 | image1 = Gros_-_Entrevue_-_1812.jpg | width1 = 95 | alt1 = ナポレオンと会うフランツ | image2 = HRR_1789_EN.png | width2 = 85 | alt2 = 1789年の神聖ローマ帝国 }} {{multiple image | footer = [[東京招魂社]]創建(左画像; 1869)。右は現在の[[靖国神社]] | image1 = Tokyo_Shokonsha.JPG | width1 = 90 | alt1 = 東京招魂社 | image2 = Yasukuni_Jinja.JPG | width2 = 90 | alt2 = 靖国神社 }} {{multiple image | footer = 史上初の[[電気椅子]]による処刑が執行される(1890) | image1 = WmKmlr-execution.gif | width1 = 115 | alt1 = 処刑のスケッチ | image2 = Singchair.jpg | width2 = 65 | alt2 = 電気椅子 }} {{multiple image | footer = {{仮リンク|ガートルード・エダール|en|Gertrude Ederle}}(右画像)が、女性初の[[ドーバー海峡]]横断達成(1926)。左画像はニューヨークでのパレード。 | image1 = Bundesarchiv_Bild_102-10212%2C_Gertrud_Ederle.jpg | width1 = 80 | alt1 = エダール | image2 = Gertrude_Ederle_parade_NYWTS.jpg | width2 = 100 | alt2 = ニューヨークでのパレード }} {{multiple image | footer = [[広島市への原子爆弾投下]](1945) | image1 = Atomic cloud over Hiroshima - NARA 542192 - Edit.jpg | width1 = 70 | alt1 = きのこ雲 | image2 = HiroshimaNakajimaAreaInRuins.jpg | width2 = 100 | alt2 = 爆心地 }} {{multiple image | caption1 = [[広島平和記念都市建設法]](1949) | image1 = Hiroshima_Peace_city_8yen_stamp.jpg | width1 = 90 | alt1 = 広島平和記念都市建設法 | caption2 = [[陸上自衛隊]]、[[90式戦車]]を制式化(1990) | image2 = Japanese_Type_90_Tank_-_1.jpg | width2 = 90 | alt2 = 90式戦車 }} {{multiple image | footer = [[ティム・バーナーズ=リー]]、世界初の[[World Wide Web|ウェブサイト]]を開設(1991)。右画像は世界初のWWWサーバー[[NeXTcube]] | image1 = Tim_Berners-Lee.jpg | width1 = 80 | alt1 = ティム・バーナーズ=リー | image2 = First_Web_Server.jpg | width2 = 100 | alt2 = 世界初のWWWサーバ }} {{multiple image | caption1 = [[土井たか子]](1928-2014)が衆議院議長に就任(1993) | image1 = Takako_Doi_in_Tokyo_congressist_election_2.jpg | width1 = 90 | alt1 = 土井たか子 | caption2 = [[大韓航空801便墜落事故]](1997) | image2 = Korean_Air_Flight_801_wreckage.jpg | width2 = 90 | alt2 = 大韓航空801便墜落事故 }} {{multiple image | footer = [[アメリカ航空宇宙局]]、火星からの隕石「[[アラン・ヒルズ84001]]」に生命活動の痕跡の可能性のある物質が検出されたと発表(1996) | image1 = ALH84001.jpg | width1 = 90 | alt1 = アラン・ヒルズ84001 | image2 = ALH84001_structures.jpg | width2 = 90 | alt2 = 顕微鏡写真 }} * [[1027年]] - [[ノルマンディー公国|ノルマンディー]][[ノルマンディー公|公]][[リシャール3世 (ノルマンディー公)|リシャール3世]]の息子[[ロベール1世 (ノルマンディー公)|ロベール]]がロベール1世としてノルマンディー公に就任した。のちにロベール華麗公と称された。 * [[1439年]]([[永享]]11年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]) - [[二十一代集]]の最後の『[[新続古今和歌集]]』が完成。 *[[1566年]] - オスマン・ハプスブルク戦争: [[スィゲトヴァール包囲戦]]が開始。 * [[1578年]]([[天正]]6年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[上月城の戦い]]: [[尼子勝久]]らが自刃し[[尼子氏]]が滅亡。 * [[1585年]]([[天正]]13年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]])- [[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]が[[近衛前久]]の[[猶子]]として[[関白]]の位に就く。 * [[1623年]] - [[ウルバヌス8世 (ローマ教皇)|ウルバヌス8世]]が[[教皇|ローマ教皇]]に選出される。 * [[1791年]] - [[ベルリン]]の[[ブランデンブルク門]]が竣工。 * [[1806年]] - [[フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ2世]]が「神聖ローマ皇帝」の称号を自ら放棄し、[[神聖ローマ帝国]]が名実ともに解体。 * [[1825年]] - [[ボリビア]]が[[スペイン]]から独立。 * [[1869年]]([[明治]]2年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]])- [[戊辰戦争]]の官軍側戦死者を祀る[[神社]]として[[招魂社|東京招魂社]](現[[靖国神社]])が創建。 * [[1890年]] - [[ニューヨーク州]]のオーバーン刑務所で[[ウィリアム・ケムラー]]に対し史上初の[[電気椅子]]による[[死刑]]が執行される。 * [[1896年]] - [[フランス]]が[[マダガスカル]]の[[植民地]]化を宣言<ref>{{Cite web|和書 |url=https://healthnet.jp/paper/paper-14915/paper-15702/paper-15984/ |title=マダガスカルの地理・歴史 |work=京都府保険医協会 |accessdate=27 Dec 2023}}</ref>。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[オーストリア・ハンガリー帝国]]が[[ロシア帝国]]に[[宣戦布告]]。 * 1914年 - 第一次世界大戦: [[セルビア]]が[[ドイツ帝国]]に宣戦布告。 * 1914年 - 第一次世界大戦: [[モンテネグロ王国]]が[[ドイツ帝国]]に[[宣戦布告]]。 * [[1916年]] - 第一次世界大戦: [[第六次イゾンツォの戦い]]が起こる。 * [[1923年]] - [[徳島県]][[鳴門市]]の[[区内観測所]]で42.5℃を観測<ref>{{Kotobank|日本最高気温}}</ref>。 * [[1926年]] - 東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局を統合して社団法人[[日本放送協会]] (NHK) を設立。 * 1926年 - アメリカの水泳選手・{{仮リンク|ガートルード・エダール|en|Gertrude Ederle}}が、女性で初めて[[ドーバー海峡]]を泳ぎ切る。 * 1926年 - [[関東大震災]]の義援金で設立された[[同潤会]]が、[[東京市]][[本所区|押上本所]]に日本初の公営鉄筋アパート「[[中之郷アパートメント]]」を建設。 * [[1930年]] - [[ニューヨーク州]][[州裁判所 (アメリカ合衆国)|最高裁判所]][[裁判官#州裁判所裁判官|判事]][[ジョセフ・クレーター]]が失踪する未解決事件が発生。 * [[1932年]] - 第1回[[ヴェネツィア国際映画祭]]が開催される。 * [[1940年]] - [[バルト諸国占領]]: [[ソビエト連邦]]が[[エストニア]]を併合<ref>{{Cite web |url=https://www.oxfordreference.com/display/10.1093/oi/authority.20110803095758758 |title=OVERVIEW Estonia |access-date=28 Dec 2023 |publisher=Oxford Reference}}</ref>。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: [[広島市への原子爆弾投下]]。 * 1945年 - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: 都城大空襲。[[都城駅]]が全焼。 * [[1948年]] - [[女子パウロ会]]が日本での活動をはじめる。 * 1948年 - [[1948年ロンドンオリンピックの競泳競技|ロンドンオリンピックの競泳競技]]と同じ日程で開催された競泳日本選手権大会で、[[古橋廣之進]]が1500m自由形で当時の世界記録を上回る18分37秒8を記録。ただし、日本は国際水泳連盟から追放されていたため、世界記録としては非公認<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/09.html |title=古橋廣之進 「古橋を責めないでください」- 時代の不幸を思う |accessdate=28 Dec 2023 |publisher=[[笹川スポーツ財団]] |date=8 May 2019}}</ref>。 * [[1949年]] - [[弘前大教授夫人殺し事件|弘前大学教授夫人殺人事件]]が起こる。 * 1949年 - [[広島平和記念都市建設法]]公布・施行。 * [[1955年]] - 第1回[[原水爆禁止世界大会]]が広島で開催される。 * 1955年 - [[東京大学生産技術研究所]]が[[秋田ロケット実験場]]において[[ペンシルロケット]]の飛翔実験に成功。 * [[1959年]] - [[鹿児島県]][[大隅半島]]に台風第6号が上陸。四国南部、[[紀伊半島]]西部、関東地方を経て[[銚子市]]の沖合に抜けた。[[長崎県]]、[[大分県]]、[[宮崎県]]、鹿児島県を中心に[[土砂災害]]などで死者・行方不明16人を出す被害<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=137|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1961年]]- [[ソビエト連邦|ソ連]]が[[ゲルマン・チトフ]]を乗せた宇宙船[[ボストーク2号]]の打ち上げに成功。 * [[1962年]] - [[ジャマイカ]]が[[イギリス]]から独立。 * [[1966年]] - [[ユニチカ#ニチボー貝塚|ニチボー貝塚女子バレーボール部]]の連勝記録が258でストップ。 * [[1971年]] - [[佐藤栄作|佐藤榮作]]首相が現職首相で初めて広島平和式典に出席<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=26123 |title=ヒロシマの記録1971 8月 |publisher=[[中国新聞|中國新聞]] |accessdate=28 Dec 2023 |date=1 Aug 1971}}</ref>。 * [[1975年]] - [[青森県]]の[[岩木山]]麓で[[土石流]]が発生([[岩木山百沢土石流災害]])。 * [[1981年]] - [[香川県]][[仁尾町]](現・[[三豊市]])の[[電源開発]]・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の[[太陽熱発電]]に成功<ref>{{Cite web|和書 |url=https://smbiz.asahi.com/article/14602932 |title=【8月6日は何の日】41年前、香川県で世界初の本格的な太陽熱発電に成功 |date=6 Aug 2020 |accessdate=28 Dec 2023 |publisher=朝日インタラクティブ株式会社 |website=ツギノジダイ}}</ref>。 * [[1983年]] - 日本の静止[[通信衛星]]「[[さくら2号b]]」が[[N-IIロケット]]4号機で[[種子島宇宙センター]]から打ち上げられる。 * [[1990年]] - [[湾岸戦争]]: [[国際連合安全保障理事会|国連安保理]]が[[イラク]]の[[クウェート]]侵攻への経済制裁として、イラクに対し国連加盟国が全面禁輸を行うという内容の[[国際連合安全保障理事会決議661|決議661号]]を採択。 * 1990年 - [[陸上自衛隊]]が[[90式戦車]]を制式化。 * [[1991年]] - [[ティム・バーナーズ=リー]]が、自身が開発した[[World Wide Web]]に関する情報を[[ネットニュース]]で公開し、世界初のWebサイトを開設。 * [[1993年]] - [[土井たか子]]が[[衆議院議長]]に就任。日本の国会初の女性議長。 * 1993年 - [[特別国会]]にて[[細川護熙]]が[[内閣総理大臣]]に指名される([[細川内閣]])。[[55年体制|1955年体制]]が崩壊し、38年ぶりの非自民党政権が確定。 * 1993年 - [[鹿児島市]]を中心とした地域で集中豪雨の被害([[平成5年8月豪雨]])。 * [[1996年]] - [[アメリカ航空宇宙局]]が[[南極大陸|南極]]で採取された[[火星]]由来の[[隕石]]の破片「[[アラン・ヒルズ84001]]」から微小な生命活動が行われた可能性を示す物質が検出されたと発表。 * [[1997年]] - [[大韓航空801便墜落事故]]。[[ソウル特別市|ソウル]]発[[グアム]]行きの[[大韓航空]]機が[[グアム国際空港]]への着陸進入中に墜落、乗員乗客254名中228名が死亡。 * 1997年 - [[マイクロソフト]]が1億5000万ドル相当の[[Apple|Apple Computer]]株を購入し、両社は業務提携およびライセンス交換に合意する。 * [[2000年]] - [[東京急行電鉄|東急電鉄]]が運転系統を再編。[[東急目蒲線|目蒲線]]を[[東急目黒線|目黒線]]と[[東急多摩川線]]に分離。新玉川線を[[東急田園都市線|田園都市線]]に編入。また、[[二子玉川園]]駅を[[二子玉川]]駅に、[[多摩川園]]駅を[[多摩川]]駅に改称した。 * [[2002年]] - [[AKS素数判定法]]が[[インド工科大学]]の教授と学生3名の連名の論文で発表。 * [[2003年]] - [[上海協力機構]]加盟5か国([[中華人民共和国|中国]]・[[ロシア]]・[[ウズベキスタン]]・[[キルギスタン]]・[[タジキスタン]])が[[テロ]]対策を目的とした合同軍事演習を実施。[[8月12日]]まで。 * [[2008年]] - [[モーリタニア]]で大統領警護隊の[[ムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズ|ウルド・アブドルアジズ]]らが{{仮リンク|2008年モーリタニアクーデター|en|2008 Mauritanian coup d'état|label=クーデター}}を起こし、[[シディ・モハメド・ウルド・シェイク・アブダライ]]大統領を拘束。国営テレビ局やラジオ局、国際空港が封鎖された<ref>{{Cite web|和書 |date=7 Aug 2008 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2426928 |title=モーリタニアでクーデター、軍が大統領を拘束 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |accessdate=28 Dec 2023}}</ref>。 * [[2011年]] - [[イギリス暴動]]: [[8月4日]]に[[ロンドン]]北部で黒人男性が警官に射殺された事件をきっかけに、英国各地の都市で暴動が発生。この日、ロンドン北部のトッテナムで、抗議デモに続いて暴動が発生し、警察車両やバス、店舗が放火され、略奪が行われた<ref>{{Cite web|和書 |date=7 Aug 2011 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2818622 |title=警官による男性射殺、ロンドン北部で暴動に 放火や略奪も |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |accessdate=28 Dec 2023}}</ref>。 * [[2021年]] - [[小田急線刺傷事件]]が発生。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} [[Image:Emperor_Go-Toba.jpg|thumb|183x183px|[[後鳥羽天皇]](1180-1239)誕生。画像は[[水無瀬神宮]]所蔵後鳥羽院像(伝[[藤原信実]]筆)]] [[Image:Nicolas_Malebranche.jpg|thumb|225x225px|哲学者[[ニコラ・ド・マルブランシュ]](1638-1715)]] [[Image:Alfred_Lord_Tennyson_1869.jpg|thumb|293x293px|[[桂冠詩人]]、[[アルフレッド・テニスン]](1809-1892)誕生。]] [[Image:Tsuda_Sen.jpg|thumb|260x260px|農学者・キリスト者、[[津田仙]](1837-1908)]] {{multiple image | footer = 作家・外交官、[[ポール・クローデル]](1868-1955)誕生。右画像は生家。 | image1 = Paul_Claudel_01.jpg | width1 = 100 | alt1 = ポール・クローデル | image2 = 31, Boulevard de Port-Royal (Claudel).JPG | width2 = 80 | alt2 = ポール・クローデルの生家 }} [[Image:Synthetic Production of Penicillin TR1468.jpg|thumb|256x256px|細菌学者[[アレクサンダー・フレミング]](1881-1955)。[[ペニシリン]]を発見]] [[Image:Andy_Warhol_1977.jpg|thumb|275x275px|芸術家[[アンディー・ウォーホル]](1928-1987)]] [[Image:Kojinkaratani.jpg|thumb|180x180px|批評家、[[柄谷行人]](1941-)]] [[Image:Jon_Postel.jpg|thumb|180x180px|計算機科学者、[[ジョン・ポステル]](1943-1998)]] * [[1180年]]([[治承]]4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[後鳥羽天皇]]<ref>{{Kotobank|後鳥羽天皇}}</ref>、第82代[[天皇]](+ [[1239年]]) * [[1504年]] - [[マシュー・パーカー]]、[[カンタベリー大主教]]、[[神学者]](+ [[1575年]]) * [[1638年]] - [[ニコラ・ド・マルブランシュ]]、[[哲学者]](+ [[1715年]]) * [[1644年]] - [[ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール]]、[[フランス王]]・[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の愛妾(+ [[1710年]]) * [[1682年]]([[天和 (日本)|天和]]2年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]]) - [[小笠原忠基]]、[[豊前国]][[小倉藩]]主(+ [[1752年]]) * [[1697年]] - [[カール7世 (神聖ローマ皇帝)|カール7世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1745年]]) * [[1738年]]([[元文]]3年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[林子平]]、[[江戸時代]]の[[経世論|経世家]](+ [[1793年]]) * [[1766年]] - [[ウイリアム・ウォラストン]]、[[化学者]]、[[物理学者]]、[[天文学者]](+ [[1828年]]) * [[1768年]] - [[ジャン=バティスト・ベシェール]]、[[軍人]]、[[フランス]]の[[元帥]](+ [[1813年]]) * [[1798年]]([[寛政]]10年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]) - [[大田原愛清]]、[[下野国]][[大田原藩]]主(+ [[1847年]]) * [[1809年]] - [[アルフレッド・テニスン]]、[[詩人]](+ [[1892年]]) * [[1824年]]([[文政]]4年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[水野忠武]]、[[駿河国]][[沼津藩]]主(+ [[1844年]]) * [[1837年]]([[天保]]8年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[津田仙]]、[[農学者]]、[[キリスト教]]学者(+ [[1908年]]) * [[1846年]]([[弘化]]6年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[本多助成]]、[[信濃国]][[飯山藩]]主(+ [[1868年]]) * [[1850年]]([[嘉永]]3年[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]) - [[田尻稲次郎]]、[[専修大学]]創立者、東京市長(+ [[1923年]]) * [[1851年]]([[嘉永]]4年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[水野忠敬]]、駿河国沼津藩主・[[子爵]](+ [[1907年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年6月24日) - [[石川成之]]、[[伊勢国]][[伊勢亀山藩|亀山藩]]主(+ [[1878年]]) * [[1856年]] - [[アポリナリー・ヴァスネツォフ]]、[[画家]]、[[美術家]](+ [[1933年]]) * [[1859年]] - [[アルフレート・ヘットナー]]、[[地理学者]](+ [[1941年]]) * [[1868年]] - [[ポール・クローデル]]、[[詩人]]、[[劇作家]]、[[外交官]](+ [[1955年]]) * [[1874年]] - [[チャールズ・フォート]]、[[作家]](+ [[1932年]]) * [[1875年]] - [[松田重次郎]]、[[マツダ]]の創業者(+ [[1952年]]) * [[1881年]] - [[アレクサンダー・フレミング]]、細菌学者(+ [[1955年]]) * [[1884年]] - [[シェリー・マギー]]、[[プロ野球選手]](+ [[1929年]]) * [[1888年]] - [[長與善郎]]、[[作家]](+ [[1961年]]) * [[1891年]] - [[レオナード・ホークス]]、[[地質学者]](+ [[1981年]]) * [[1894年]] - [[井上武士]]、[[作曲家]](+ [[1974年]]) * [[1896年]] - [[横田喜三郎]]、[[国際法学者]](+ [[1993年]]) * 1896年 - [[エルネスト・レクオーナ]]、[[音楽家]](+ [[1963年]]) * [[1902年]] - [[ダッチ・シュルツ]]、[[ギャング]](+ [[1935年]]) * 1902年 - [[ソロモン (ピアニスト)|ソロモン]]、[[ピアニスト]](+ [[1988年]]) * [[1904年]] - [[ジュリアーノ・ボンファンテ]]、[[言語学者]](+ [[2005年]]) * [[1909年]] - [[原ひさ子]]、[[俳優|女優]](+ [[2005年]]) * 1909年 - [[石川桂郎]]、[[俳人]]、[[小説家]]、[[随筆家]](+ [[1975年]]) * [[1911年]] - [[ルシル・ボール]]、女優(+ [[1989年]]) * [[1913年]] - [[園井恵子]]、女優(+ [[1945年]]) * [[1914年]] - [[伊原徳栄]]、元プロ野球選手 * [[1915年]] - ハル・松方・ライシャワー、[[エドウィン・O・ライシャワー]]夫人(+ [[1998年]]) * [[1916年]] - [[松尾文人]]、[[俳優]] (没年不明) * 1916年 - [[リチャード・ホフスタッター]]、[[政治史|政治史家]](+ [[1970年]]) * 1916年 - [[ヘルムート・リップフェルト]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1990年]]) * [[1917年]] - [[野口明]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](+ [[1996年]]) * 1917年 - [[ロバート・ミッチャム]]、俳優(+ [[1997年]]) * [[1920年]] - [[古山高麗雄]]、小説家(+ [[2002年]]) * [[1925年]] - [[笑福亭松之助]]、[[落語家]]、俳優(+ [[2019年]]) * [[1926年]] - [[柳家さん助]]、落語家(+ [[2011年]]) * [[1927年]] - [[喜味こいし]]、[[漫才師]](戸籍上は[[11月5日]])(+ [[2011年]]) * [[1928年]] - [[アンディー・ウォーホル]]、画家(+ [[1987年]]) * [[1930年]] - [[荒川博]]、プロ野球選手(+ [[2016年]]) * 1930年 - [[川口芳弘]]、元プロ野球選手 * [[1931年]] - [[山下健]]、プロ野球選手(+ [[2006年]]) * 1931年 - [[奈良不二也]]、プロ野球選手(+ [[1987年]]) * [[1932年]] - [[種田弘]]、プロ野球選手(+ [[2018年]]) * [[1934年]] - [[ピアズ・アンソニイ]]、[[小説家]]、[[SF作家]]、[[ファンタジー]]作家 * [[1935年]] - [[太田武]]、元プロ野球選手 * [[1937年]] - [[バーデン・パウエル]]、[[ギタリスト]]、作曲家(+ [[2000年]]) * 1937年 - [[バーバラ・ウィンザー]]、女優(+ [[2020年]]) * [[1938年]] - [[和田周]]、俳優、声優、[[劇作家]](+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tv-asahi.co.jp/smt/f/geinou_tokuho/hot/?id=hot_20200426_020 |title=【訃報】俳優・和田周さん、コロナ原因で逝く |publisher=[[テレビ朝日]] |date=26 Apr 2020 |accessdate=28 Dec 2023}}</ref>) * [[1939年]] - [[進藤榮一]]、国際[[政治学者]] * [[1940年]] - [[結城貢]]、[[料理研究家]] (+ [[2022年]]) * [[1941年]] - [[柄谷行人]]、[[文芸評論家]]、[[哲学者]] * [[1942年]] - [[山本公士]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * 1942年 - [[串田和美]]、俳優、[[演出家]] * [[1943年]] - [[ジョン・ポステル]]、[[コンピュータ科学]]者(+ [[1998年]]) * [[1944年]] - [[細川清]]、[[裁判官]] (+ [[2012年]]) * [[1945年]] - [[井沢満]]、[[脚本家]] * 1945年 - [[アンディ・メサースミス]]、元プロ野球選手 * 1945年 - [[坂井義則]]、[[陸上競技]]選手、[[フジテレビ]]社員(+ [[2014年]]) * [[1946年]] - [[市川團十郎 (12代目)]]、[[歌舞伎役者]](+ [[2013年]]) * 1946年 - [[原科幸彦]]、[[研究者]] * 1946年 - [[三遊亭好楽]]、落語家 * 1946年 - [[五十嵐武士]]、[[政治学者]](+ [[2013年]]) * 1946年 - [[アラン・ホールズワース]]、ギタリスト(+ [[2017年]]) * [[1947年]] - [[高橋克彦]]、推理作家 * 1947年 - [[山崎洋子]]、小説家 * [[1949年]] - [[マイク・ラインバック]]、プロ野球選手(+ [[1988年]]) * 1949年 - [[斎藤英雄 (野球)|斎藤英雄]]、プロ野球選手 * [[1952年]] - [[ヴィニー・ヴィンセント]]、ギタリスト * [[1954年]] - [[新谷嘉孝]]、元プロ野球選手 * [[1955年]] - [[ロン・デービス]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[ボブ・ホーナー]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[辰巳琢郎]]、俳優 * [[1959年]] - [[米村明]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[森脇浩司]]、元プロ野球選手、監督 * [[1962年]] - [[ミシェル・ヨー]]、女優 * [[1963年]] - [[ケビン・ミトニック]]、[[ハッカー]](+ [[2023年]]) * 1963年 - [[坂田和隆]]、プロ野球選手 * 1963年 - [[檀臣幸]]、声優(+ [[2013年]]) * [[1965年]] - [[梶浦由記]]、[[作曲家]]([[See-Saw]]) * 1965年 - [[古田敦也]]、元プロ野球選手、監督 * 1965年 - [[津野浩]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[野村裕二]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[久島海啓太]]、[[大相撲]][[力士]]、年寄14代[[田子ノ浦 (相撲)|田子ノ浦]](+ [[2012年]]) * 1965年 - [[デビッド・ロビンソン (バスケットボール)|デビッド・ロビンソン]]、[[バスケットボール選手]] * [[1967年]] - [[南部正司]]、元[[バレーボール]]選手、監督 * 1967年 - [[藤咲淳一]]、[[アニメーション]][[監督]] * 1967年 - [[君塚直隆]]、歴史学者 * 1967年 - [[森下恵理]]、[[シンガーソングライター]]、[[タレント]] * 1967年 - [[高木優佳]]、声優 * [[1968年]] - [[山下和輝]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[ダリル・スコット]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[山尾伸一]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[坪井直樹]]、[[アナウンサー]] * 1969年 - [[エリオット・スミス]]、シンガーソングライター(+ [[2003年]]) * 1969年 - [[服部文夫]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[佐々木昌信]]、[[プロ野球審判員]] * [[1970年]] - [[秋田豊]]、元[[サッカー選手]] * 1970年 - [[巌雄謙治]]、元大相撲力士、年寄20代[[山響]] * 1970年 - [[M・ナイト・シャマラン]]、[[映画監督]] * [[1971年]] - [[丸岡いずみ]]、[[ニュースキャスター]]、タレント * 1971年 - [[吉川由里]]、[[スノーボード]]選手 * 1971年 - [[星田英利]]、お笑い芸人 * 1971年 - [[山口祥行]]、俳優 * [[1972年]] - [[新里紹也]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[ジェリ・ハリウェル]]、[[歌手]]([[スパイス・ガールズ]]) * 1972年 - 関根一則、声優 * [[1973年]] - [[スチュアート・オグレディ]]、[[自転車競技]]選手 * 1973年 - [[ヴェラ・ファーミガ]]、女優 * [[1974年]] - [[椎名純平]]、[[シンガーソングライター]] * 1974年 - [[吉兼聡]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ZAZEN BOYS]]) * [[1975年]] - [[さかなクン]]、タレント * 1975年 - [[TaQ]]、作曲家 * 1975年 - [[中尾一貴]]、ミュージシャン、声優、俳優 * [[1977年]] - [[山口弘佑]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[彭政閔]]、元プロ野球選手 * 1978年 - 長谷川忍、お笑い芸人([[シソンヌ (お笑いコンビ)|シソンヌ]]) * [[1979年]] - [[奥菜恵]]、歌手、女優 * [[1980年]] - [[久保康友]]、プロ野球選手 * 1980年 - [[ローマン・ヴァイデンフェラー]]、サッカー選手 * [[1981年]] - [[浦井健治]]、俳優 * 1981年 - [[村西哲幸]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[村田千鶴]]、お笑い芸人 * 1981年 - [[ポート・ディアーナ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1982年]] - [[ケビン・ヴァン・デル・ペレン]]、フィギュアスケート選手 * 1982年 - [[ジャスティン・ジャマーノ]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[ロビン・ファン・ペルシ]]、元サッカー選手 * 1983年 - [[徳瀬川正直]]、元大相撲力士 * [[1984年]] - [[片山文男]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[夏目三久]]、元[[アナウンサー]] * 1984年 - 渚、お笑い芸人([[尼神インター]]) * [[1985年]] - [[バフェティンビ・ゴミス]]、サッカー選手 * [[1986年]] - [[近藤晃央]]、歌手 * 1986年 - [[平塚千瑛]]、グラビアアイドル、モデル * 1986年 - [[藤岡あや]]、ミュージカル俳優 * 1986年 - [[ジェイク・マギー]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[夏月 (タレント)|夏月]]、グラビアアイドル、モデル * 1987年 - [[平慶翔]]、[[政治家]]、元俳優 * [[1988年]] - [[窪田正孝]]、俳優 * [[1990年]] - [[麻生夏子]]、女優 * 1990年 - [[二階堂高嗣]]、アイドル、タレント([[Kis-My-Ft2]]) * 1990年 - [[曹駿]]、プロレスラー * 1990年 - [[柳喬之]]、俳優 * 1990年 - [[エーレ・ハシュタ]]、フィギュアスケート選手 <!-- 特筆性 * 1990年 - [[ゲームセンターCXの登場人物#サポートAD|矢内英明]]、[[ゲームセンターCX]]の13代目AD --> * 1990年 - [[ロレンツァ・アレッサンドリーニ]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[焦劉洋]]、[[競泳]]選手 * 1991年 - [[渡邊ヒロアキ]]、歌手 * [[1992年]] - [[伊藤沙耶]]、[[ファッションモデル]] * 1992年 - [[韓聰]]、フィギュアスケート選手 * 1992年 - [[夏すみれ]]、プロレスラー * 1992年 - [[ジェイミー夏樹]]、タレント、女優 * 1992年 - [[大西沙織]]、[[声優]] * 1992年 - [[前川涼子]]、声優 * [[1993年]] - [[アリグザンドラ・ラウト]]、フィギュアスケート選手 * 1993年 - [[石原夏織]]、声優、歌手([[ゆいかおり]]) * [[1994年]] - [[中田花奈]]、タレント、プロ雀士(元[[乃木坂46]]) * 1994年 - [[大地葉]]、声優 * 1994年 - 仲島辰郎、プロボクサー * [[1995年]] - [[中村瑠璃奈]]、ファッションモデル * [[1996年]] - [[石田佳蓮]]、タレント([[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]28号) * 1996年 - [[黒瀬サラ]]、元[[仮面女子]] * [[1997年]] - [[岩﨑果歩]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー、元タレント * 1997年 - [[堀夏喜]]、ダンサー([[FANTASTICS from EXILE TRIBE]]) * [[1998年]] - [[茉白実歩]]、声優 * [[1999年]] - [[中村里帆]]、ファッションモデル * 1999年 - [[岩野夏帆]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.city.inabe.mie.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/347/4-5.pdf |title=水球 岩野夏帆 |publisher=いなべ市 |work=情報誌Link2019年8月号 |accessdate=28 Dec 2023 |format=[[PDF]]}}</ref>、[[水球]]選手 * 1999年 - 矢野帆夏、アイドル(元[[STU48]]) * [[2001年]] - [[タイ・シンプキンス]]、俳優 * [[2002年]] - [[山本彩加]]、元ファッションモデル、元アイドル(元[[NMB48]]) * 2002年 - [[ティンク・ヘンス]]、プロ野球選手 * [[2004年]] - 石塚瑶季、アイドル([[日向坂46]]) {{-}} == 忌日 == {{multiple image | image1 = PopesixtusII.jpg | width1 = 90 | caption1 = ローマ教皇[[シクストゥス2世 (ローマ教皇)|シクストゥス2世]](?-258)、[[ウァレリアヌス]]の迫害を受け斬首。 | alt1 = ローマ教皇シクストゥス2世 | image2 = SaintDominic.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[ドミニコ会]]創設者、[[ドミニコ]](1170-1221)没。 | alt2 = ドミニコ会創設者、ドミニコ }} {{multiple image | image1 = Nuremberg_chronicles_f_246v_2_%28Calixtus_III%29.jpg | width1 = 90 | caption1 = ローマ教皇[[カリストゥス3世 (ローマ教皇)|カリストゥス3世]](1378-1458) | alt1 = ローマ教皇カリストゥス3世 | image2 = Paulaudenece1977.jpg | width2 = 90 | caption2 = ローマ教皇[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]](1897-1978) | alt2 = ローマ教皇パウロ6世 }} {{multiple image | caption1 = 詩人[[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]](1572-1637)没。 | image1 = Benjamin_Jonson_by_Abraham_van_Blyenberch.jpg | width1 = 90 | alt1 = 詩人ベン・ジョンソン | caption2 = [[ウクライナ・コサック]]の指導者、[[ボフダン・フメリニツキー]](1595-1657)没。 | image2 = BChmielnicki.jpg | width2 = 90 | alt2 = ボフダン・フメリニツキー }} {{multiple image | footer = 画家[[ディエゴ・ベラスケス]](1599-1660)没。左画像は「自画像」、右画像は「卵を揚げる老女」 | image1 = Diegovelazquezselfportrait.jpg | width1 = 75 | alt1 = ディエゴ・ベラスケス自画像 | image2 = Diego Velazquez - An Old Woman Cooking Eggs - Google Art Project.jpg | width2 = 105 | alt2 = 卵を揚げる老女 }} {{multiple image | caption1 = 文人画家[[椿椿山]](1801-1854)没。 | image1 = A self portrait of Tsubaki Chinzan 椿椿山自画像.jpg | width1 = 90 | alt1 = 椿椿山 | caption2 = 幕末の[[老中]][[阿部正弘]](1819-1857)没。 | image2 = Abe Masahiro Portrait.png | width2 = 90 | alt2 = 老中阿部正弘 }} {{multiple image | caption1 = [[エクアドル]]大統領[[ガブリエル・ガルシア・モレノ]](1821-1875)暗殺。 | image1 = Gabriel_Garc%C3%ADa_Moreno.jpg | width1 = 90 | alt1 = エクアドル大統領ガブリエル・ガルシア・モレノ | image2 = Awaya_Senkichi_Hiroshima_mayor.jpg | width2 = 90 | caption2 = 原爆投下時の広島市長[[粟屋仙吉]](1893-1945)没。 | alt2 = 粟屋仙吉 }} {{multiple image | image1 = AdornoHorkheimerHabermasbyJeremyJShapiro2.png | width1 = 90 | caption1 = 哲学者[[テオドール・アドルノ]](右; 1903-1969)没。 | image2 = Feodor Lynen with pipette.jpg | alt1 = 哲学者テオドール・アドルノ | width2 = 90 | caption2 = 生化学者[[フェオドル・リュネン]](1911-1979)没。 | alt2 = 生化学者フェオドル・リュネン }} {{multiple image | image1 = Weil.jpg | width1 = 90 | caption1 = 数学者[[アンドレ・ヴェイユ]](1906-1998)没。 | alt1 = 数学者アンドレ・ヴェイユ | image2 = Edsger_Wybe_Dijkstra.jpg | width2 = 90 | caption2 = 情報工学者[[エドガー・ダイクストラ]](1930-2002)没。 | alt2 = 情報工学者エドガー・ダイクストラ }} * [[258年]] - [[シクストゥス2世 (ローマ教皇)|シクストゥス2世]]、第24代[[教皇|ローマ教皇]] * [[1162年]] - [[ラモン・バランゲー4世]]、[[バルセロナ伯]](* [[1113年]]頃) * [[1195年]] - [[ハインリヒ3世 (ザクセン公)|ハインリヒ3世]]、[[ザクセン公国|ザクセン公]](* [[1129年]]) * [[1221年]] - [[ドミニコ]]、[[ドミニコ会]]創設者、[[カトリック教会]]の[[聖人]](* [[1170年]]) * [[1272年]] - [[イシュトヴァーン5世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン5世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]](* [[1239年]]?) * [[1328年]] - [[ガレアッツォ1世・ヴィスコンティ]]、[[ミラノ]]の僭主(* [[1277年]]) * [[1414年]] - [[ラディズラーオ1世 (ナポリ王)|ラディズラーオ1世]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]](* [[1376年]]) * [[1458年]] - [[カリストゥス3世 (ローマ教皇)|カリストゥス3世]]、第209代ローマ教皇(* [[1378年]]) * [[1520年]] - [[クニグンデ・フォン・エスターライヒ]]、[[バイエルン大公]][[アルブレヒト4世 (バイエルン公)|アルブレヒト4世]]の妃(* [[1465年]]) * [[1637年]] - [[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]、[[詩人]]、[[劇作家]](* [[1572年]]) * [[1657年]] - [[ボフダン・フメリニツキー]]、[[ウクライナ・コサック]]の[[ヘーチマン]](* [[1595年]]) * [[1660年]] - [[ディエゴ・ベラスケス]]<ref>{{Cite web |url=https://www.oxfordreference.com/display/10.1093/acref/9780191782763.001.0001/acref-9780191782763-e-2539 |title=Velázquez (Velasquez), Diego |access-date=28 Dec 2023 |publisher=Oxford Reference}}</ref><ref>「スペイン文化事典」pp122-123 川成洋・坂東省次編 丸善 平成23年1月31日発行</ref>、[[画家]](* [[1599年]]) * [[1688年]] - [[ゲオルク・ザムエル・デルフェル]]、[[天文学者]](* [[1643年]]) * [[1706年]] - [[ジャン=バティスト・デュアメル]]、[[科学アカデミー (フランス)|フランス科学アカデミー]]事務局長(* [[1624年]]) * [[1742年]] - [[ザムゾン・ヴェルトハイマー]]、[[宮廷ユダヤ人]](* [[1658年]]) * [[1746年]] - [[クリスチャン6世 (デンマーク王)|クリスチャン6世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](* [[1699年]]) * [[1761年]]([[宝暦]]11年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[野呂元丈]]、[[蘭学者]](* [[1694年]]) * [[1767年]] - [[ヨハン・クリストフ・フォン・バルテンシュタイン]]、[[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]の官房長(* [[1689年]]) * [[1854年]]([[安政]]元年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[椿椿山]]、[[文人画|文人画家]](* [[1801年]]) * [[1857年]]([[安政]]4年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[阿部正弘]]、[[幕末]]の[[老中]]、[[備後福山藩|福山藩]]主(* [[1819年]]) * [[1875年]] - [[ガブリエル・ガルシア・モレノ]]、政治家、[[エクアドル]]大統領(* [[1821年]]) * [[1879年]] - [[ヨハン・フォン・ラモント]]、天文学者(* [[1805年]]) * [[1890年]] - [[ウィリアム・ケムラー]]、[[電気椅子]]で処刑された最初の人物(* [[1860年]]) * [[1904年]] - [[エドゥアルト・ハンスリック]]、[[クラシック音楽]][[評論家]](* [[1825年]]) * [[1916年]] - [[フランツ・エッケルト]]、[[作曲家]](* [[1852年]]) * [[1923年]] - [[寺尾寿]]、[[天文学者]](* [[1855年]]) * [[1931年]] - [[ビックス・バイダーベック]]、[[ジャズ]][[コルネット]]奏者(* [[1903年]]) * [[1935年]] - 方志敏、革命家(* [[1899年]]) * [[1942年]] - [[アンナ (隔離児)|アンナ]]、5歳まで物置に監禁されていた少女(* [[1932年]]) * [[1945年]] - [[ハイラム・ジョンソン]]、[[カリフォルニア州]]知事(* [[1866年]]) * [[1945年]] - [[粟屋仙吉]]、[[広島市|広島市長]](* [[1893年]]) * [[1945年]] - [[田中勝之助]]、[[日本の国会議員|衆議院議員]] (*1901年) * [[1946年]] - [[トニー・ラゼリ]]、元プロ野球選手(* [[1903年]]) * [[1954年]] - エミリー・ディオンヌ、[[ディオンヌ家の五つ子姉妹]]の1人(* [[1934年]]) * [[1958年]] - [[モーリス・ジェルモー]]、[[テニス]]選手(* [[1882年]]) * [[1959年]] - [[プレストン・スタージェス]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](* [[1898年]]) * [[1960年]] - [[村井多嘉子]]、[[料理研究家]](* [[1880年]]) * [[1964年]] - [[セドリック・ハードウィック]]、[[俳優]](* [[1893年]]) * [[1965年]] - [[岸本水府]]、[[川柳]]作家、[[コピーライター]](* [[1892年]]) * [[1966年]] - [[コードウェイナー・スミス]]、[[小説家]]、[[SF作家]](* [[1913年]]) * [[1969年]] - [[テオドール・アドルノ]]、[[哲学者]]、[[社会学者]](* [[1903年]]) * 1969年 - [[久野久 (火山学者)|久野久]]、[[地球科学者]](* [[1910年]]) * [[1973年]] - [[フルヘンシオ・バティスタ]]、[[政治家]]、[[軍人]](* [[1901年]]) * [[1976年]] - [[グレゴール・ピアティゴルスキー]]、[[チェロ]]奏者(* [[1903年]]) * [[1977年]] - [[アレクサンダー・バスタマンテ]]、[[ジャマイカの首相]](* [[1884年]]) * [[1978年]] - [[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウルス6世]]、第262代ローマ教皇(* [[1897年]]) * [[1979年]] - [[フェオドル・リュネン]]、[[生化学|生化学者]](* [[1911年]]) * [[1980年]] - [[マリノ・マリーニ]]、[[画家]]、[[彫刻家]]、[[版画家]](* [[1901年]]) * [[1983年]] - [[クラウス・ノミ]]、[[歌手]](* [[1944年]]) * [[1990年]] - [[ゴードン・バンシャフト]]、[[建築家]](* [[1909年]]) * [[1991年]] - [[マックス・ロスタル]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1905年]]) * [[1994年]] - [[ドメニコ・モドゥーニョ]]、[[シンガーソングライター]](* [[1928年]]) * [[1998年]] - [[アンドレ・ヴェイユ]]、数学者(* [[1906年]]) * [[2000年]] - [[ジョアン・トリンブル]]、[[作曲家]](* [[1915年]]) * 2000年 - [[谷村昌彦]]、俳優(* [[1927年]]) * [[2002年]] - [[エドガー・ダイクストラ]]、[[構造化プログラミング]]を提唱(* [[1930年]]) * [[2004年]] - [[リック・ジェームス]]、[[ファンク]]ミュージシャン(* [[1948年]]) * [[2005年]] - [[イブライム・フェレール]]、歌手(* [[1927年]]) * 2005年 - [[ロビン・クック]]、[[外務英連邦大臣|イギリス外相]](* [[1946年]]) * [[2006年]] - [[鈴置洋孝]]、[[声優]]、俳優(* [[1950年]]) * [[2007年]] - [[松村禎三]]、[[作曲家]](* [[1929年]]) * 2007年 - [[綾部恒雄]]、[[文化人類学|文化人類学者]](* [[1930年]]) * [[2008年]] - [[水原英子]]、女優(* [[1942年]]) * 2008年 - [[持永哲志]]、[[政治活動家]](* [[1960年]]) * [[2011年]] - [[浅越桂一]]、元[[プロ野球選手]](* [[1936年]]) * [[2015年]] - [[窪川健造]]、映画監督(* [[1930年]]) * [[2017年]] - [[上原康助]]、[[労働運動家]]、政治家、[[国土庁長官]](* [[1932年]]) * 2017年 - [[ベティ・カスバート]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]](* [[1938年]]) * 2017年 - [[デイヴィッド・マスランカ]]、[[作曲家]](* [[1943年]]) * 2017年 - [[ドン・ベイラー]]、プロ野球選手(* [[1949年]]) * [[2018年]] - [[ジョエル・ロブション]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.bbc.com/japanese/45093980 |title=フランス料理のスター、ロブション氏死去 ミシュラン星30以上 |publisher=[[BBC]] NEWS JAPAN |date=7 Aug 2018 |accessdate=28 Dec 2023}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3185125 |title=仏料理界の巨匠、ジョエル・ロブション氏死去 73歳 |access-date=28 Dec 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News |date=7 Aug 2018}}</ref>、[[シェフ]](* [[1945年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = 『広島平和記念日』 <BR>世界平和を祈る日として広島市が制定。左画像は[[原爆ドーム]]、右画像は[[原爆死没者慰霊碑]]。奥に[[平和の灯 (広島市)|平和の灯]]が見える。 | image1 = HiroshimaGembakuDome.jpg | width1 = 102 | image2 = Cenotaph_Hiroshima.jpg | width2 = 78 }} {{multiple image | footer = [[ボリビア]]の独立記念日(1825年独立)<br> 左画像はボリビアの位置図、右画像はウユニ塩湖。<br>{{audio|Himno_Nacional_de_Bolivia_instrumental.ogg|国歌『ボリビア人よ、良き運命を』を聴く}} | image1 = Bolivia in its region.svg | width1 = 100 | image2 =Salar uyuni 200701.jpg | width2 = 80 }} {{multiple image | footer = [[ジャマイカ]]の独立記念日(1962年独立)<BR> 左画像はジャマイカの位置、右画像はジャマイカ出身のレゲエミュージシャン[[ボブ・マーリー]]。 | image1 = LocationJamaica.svg | width1 = 110 | image2 = Bob-Marley-in-Concert Zurich 05-30-80.jpg | width2 = 70 }} [[File:Transfiguration Raphael.jpg|thumb|271x271px|[[ラファエロ・サンティ]]『キリストの変容』]] * [[平和記念日|広島平和記念日]]・[[原爆忌|広島原爆忌]]・原爆死没者慰霊式({{JPN}}) *: [[1945年]]8月6日午前8時15分に、米軍の[[B-29 (航空機)|B-29爆撃機]]「[[エノラ・ゲイ]]」により、[[原子爆弾]]「[[リトルボーイ]]」が広島に投下された([[広島市への原子爆弾投下]])。これにより、一瞬のうちに14万人が死亡し、市街は壊滅した。この歴史的悲劇から目をそむけないために、犠牲者の霊を慰め、世界平和を祈るために、この日に[[広島市]]では原爆慰霊祭が行われる。 * [[雨|雨水]]の日({{JPN}}) *: [[1994年]]のこの日、[[東京都]][[墨田区]]で雨水利用国際会議が開かれたことにちなみ、墨田区が[[1995年]]に制定。 * [[太陽熱発電]]の日({{JPN}}) *: [[1981年]]のこの日、[[香川県]][[仁尾町]](現 [[三豊市]])の[[電源開発]]・仁尾太陽熱試験発電所で世界初の太陽熱発電が行われた。 * [[ハム]]の日({{JPN}}) *: 「ハ(8)ム(6)」の語呂合せ。日本においては小売店・スーパーマーケット等が自主的に特売日とすることがみられる。 * バルーンの日({{JPN}}) *: 8と6で「バ(8)ルー(6)ン」の語呂合わせから。バルーンを使ってメッセージを届け、笑顔あふれる一日にしたいとの願いが込められている。[[岡山県]][[岡山市]]の株式会社アップビートバルーンが制定。 * ヤムヤムズの日({{JPN}}) *: 8と6で「ヤ(8)ム(6)」と読む語呂合わせから。[[1989年]]にアメリカのホールマーク社で生まれたキャラクター「yumyums(ヤムヤムズ)」の魅力を日本でより広く知ってもらうことが目的。ヤムヤムズの誕生25周年を記念して、[[2014年]]に株式会社日本ホールマークが制定<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=52|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 *[[仙台七夕|仙台七夕まつり]]({{JPN}}) *: [[宮城県]][[仙台市]]で行われる七夕まつり。[[神奈川県]][[平塚市]]の「[[湘南ひらつか七夕まつり]]」、[[愛知県]][[安城市]]の「[[安城七夕まつり]]」とともに日本三大七夕まつりに数えられる。仙台藩祖[[伊達政宗]]の時代から続く伝統行事で、旧暦7月7日の行事であったが、 仙台七夕まつりではその季節感に合わせるため、新暦に1ヵ月を足した暦である中暦を用い、8月6日から[[8月8日]]に開催されている。 * ハチロク(#86)の日({{JPN}}) *: [[トヨタ・AE86]]型[[トヨタ・カローラレビン|カローラレビン]]/[[トヨタ・スプリンタートレノ|スプリンタートレノ]]に関するイベントが行われる。(また、2014年現在ではここに[[トヨタ・86]]/[[スバル・BRZ]]が加わった。) *[[独立記念日]]({{BOL}}) *: [[1825年]]のこの日、ボリビアが[[スペイン]]から独立した。 * 独立記念日({{JAM}}) *: [[1962年]]のこの日、ジャマイカが[[イギリス]]から独立した。 *[[主イエスの変容]]の祝日([[カトリック教会]]・[[聖公会]]) {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0806|date=Dec 2023}} * [[1947年]](昭和22年)- 海老塚晃二[[医師]]が諸井琴路[[看護婦]]を[[拷問]]し[[逮捕]]される。(『[[不連続殺人事件]]』第21章) * [[2009年]] - レギオン撲滅の目的で[[アメリカ]]によって[[新宿]]に[[核爆弾]]が投下される。(ゲーム『[[ニーア ゲシュタルト/レプリカント]]』) * [[2015年]] - 仮面ライダーダークドライブが現れる。(特撮『[[劇場版 仮面ライダードライブ サプライズ・フューチャー]]』) * ミートパイ記念日 - ゲーム・アニメ『[[君が望む永遠]]』のイベントシーンより === 誕生日(フィクション) === * 1945年 - [[はだしのゲンの登場人物|中岡友子]]、 原爆漫画・映画・ドラマ作品『[[はだしのゲン]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ハム太郎、漫画・アニメ『[[とっとこハム太郎]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sho.jp/hamutaro/chara/hamutaro |title=ハム太郎 ご紹介なのだ! |access-date=27 Dec 2023 |publisher=[[河井リツ子]]・[[小学館]] |website=小学館キッズ}}</ref> * 生年不明 - 網島ケイタ、特撮テレビドラマ『[[ケータイ捜査官7]]』の主人公 * 生年不明 - 清正奈緒子、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ブレンハイム、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/brenheim.html |title=ブレンハイム |work=『ONE PIECE』 |accessdate=27 Dec 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - ソドム&ゴモラ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Sodomu_Gomora.html |title=ソドム&ゴモラ |access-date=27 Dec 2023 |work=『ONE PIECE』 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - グラディウス、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Gladius.html |title=グラディウス |access-date=27 Dec 2023 |website=『ONE PIECE』 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 大筒木ハゴロモ&ハムラ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 火渡赤馬、漫画・アニメ『[[武装錬金]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 松原松子、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ハム子、漫画・アニメ『銀魂』に登場するキャラクター * 生年不明 - 木村信介、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1291029686638673921}}</ref> * 生年不明 - 東条英虎、漫画・アニメ『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 照橋心美、漫画・アニメ『[[斉木楠雄のΨ難]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/saikikusuo/episodes/ |title=エピソード 第16χ「Ψ愛の妹にΨ高のプレゼントを」 |access-date=27 Dec 2023 |publisher=[[テレビ東京]]/[[BSテレビ東京 |BSテレ東]] |work=『斉木楠雄のΨ難』}}</ref> * 生年不明 - ホーク、漫画・アニメ『[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|7_taizai|1291026178329980928}}</ref> * 生年不明 - [[BASARAの登場人物#しゅり|朱理(しゅり)]]、漫画・アニメ・舞台『[[BASARA]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 浦部蒔奈、漫画・ドラマCD『[[らいか・デイズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三澤夏輝、漫画・アニメ『[[キューティクル探偵因幡]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.cdinaba.com/character/index.html |title=夏輝 |access-date=27 Dec 2023 |publisher=もち / [[スクウェア・エニックス]]・キューティクル探偵因幡製作委員会 |work=『キューティクル探偵因幡』}}</ref> * 生年不明 - 遊佐賢人、小説・アニメ『[[ラブオールプレー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|loveallplay2022|1510542660200587266}}</ref> * 生年不明 - 榊原タツキ、2.5次元音楽ユニット『[[アルスマグナ (音楽ユニット)|アルスマグナ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://oyj.co.jp/talent/06.html |title=PROFILE 榊原タツキ |access-date=27 Dec 2023 |publisher=PLAN CHIME |work=『アルスマグナ』}}</ref> * 生年不明 - 春賀楽翔、多次元アイドルプロジェクト『[[アルスマグナ (音楽ユニット)|アルスマグナ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://uniteup.info/member/gakuto.html |title=春賀楽翔 |access-date=27 Dec 2023 |publisher=[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|Sony Music Entertainment (Japan) Inc.]] Project UniteUp! |work=『UniteUp!』}}</ref> * 生年不明 - 三栖立つばさ、アニメ『[[ガッチャマン クラウズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.ntv.co.jp/GC_insight/character/tsubasa.html |title=三栖立 つばさ |work=ガッチャマンクラウズ |website= |accessdate=27 Dec 2023 |publisher=[[タツノコプロ]]/ガッチャマンクラウズインサイト製作委員会/ガッチャマンクラウズ製作委員会 [[日本テレビ放送網|Nippon Television Network Corporation]]}}</ref> * 生年不明 - 和泉千晶、ゲーム・アニメ『[[WHITE ALBUM2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aquaplus_jp|1555569321547792384}}</ref> * 生年不明 - [[うたの☆プリンスさまっ♪#一ノ瀬トキヤ|一ノ瀬トキヤ]]、ゲーム・アニメ・舞台『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.utapri.com/game/debut/character_tokiya.php |title=一ノ瀬 トキヤ(いちのせ ときや) |accessdate=27 Dec 2023 |publisher=早乙女学園 / Illustration.倉花千夏 |work=『うたの☆プリンスさまっ♪Debut』}}</ref> * 生年不明 - 小泉由佳、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130402_146483/ |title=【ガールフレンド(仮)通信09】派手好きノリノリガール 小泉由佳ちゃん |access-date=27 Dec 2023 |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage|KADOKAWA Game Linkage Inc.]] |date=2 Apr 2013 |website=ファミ通App}}</ref> * 生年不明 - リド、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=170&cate=name&cont=Lid |title=リド |access-date=27 Dec 2023|publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 星菜夏月、メディアミックス『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/hoshina-natsuki/ |title=新潟県 星菜 夏月 |access-date=27 Dec 2023 |publisher=[[MAGES.]] アイドル事変製作委員会 |work=『アイドル事変』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 6|6 August}} {{新暦365日|8|5|8|7|[[7月6日]]|[[9月6日]]|[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]|0806|8|06}} {{1年の月と日}}
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8月7日
8月7日(はちがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から219日目(閏年では220日目)にあたり、年末まであと146日ある。
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{{カレンダー 8月}} '''8月7日'''(はちがつなのか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から219日目([[閏年]]では220日目)にあたり、年末まであと146日ある。 == できごと == [[Image:Battle of Gangut-Bakua.jpg|thumb|[[大北方戦争]]、[[ハンゲの海戦]](1714)]] {{multiple image | footer = [[ボヤカの戦い]](1819)。[[コロンビア]]では祝日「ボヤカ戦勝記念日」となっている | image1 = Battle-of-Boyaca.jpg | width1 = 140 | alt1 = ボヤカの戦い | image2 = Puente_Boyaca_Nov_09_2005.jpg | width2 = 140 | alt2 = 史跡、ボヤカ橋 }} {{multiple image | footer = [[伊能忠敬]]らによる日本地図「[[大日本沿海輿地全図]]」が幕府に献上される(1821) | image1 = Ino_Tadataka_Statue_at_Tomioka_Hachiman-gu_01.jpg | width1 = 80 | alt1 = 伊能忠敬 | image2 = Ino-zu-90-Musashi Shimousa Sagami.jpg | width2 = 140 | alt2 = 『大日本沿海輿地全図』 武蔵・下総・相模 | image3 = Inoh_taizu_01.jpg | width3 = 80 | alt3 = 大日本沿海輿地全図の全体像 }} {{multiple image | direction = vertical | header = [[第二次世界大戦]]のできごと | image1 = Bundesarchiv_Bild_121-0474,_Elsaß_bei_Schlettstadt,_Verkehrsposten.jpg | width1 = 220 | caption1 = ドイツが[[アルザス=ロレーヌ]]を編入(1940)。画像は1940年、ドイツ支配下のアルザス | image2 = U.S. Marines storm ashore on Guadalcanal, 7 August 1942 (80-CF-112-5-3).jpg | width2 = 220 | caption2 = [[ガダルカナルの戦い]]はじまる(1942)。画像は7日、上陸する海兵隊 | image3 = | width3 = 220 | caption3 = [[独ソ戦]]、[[スモレンスクの戦い (1943年)|スモレンスクの戦い]]はじまる(1943) | image4 = Kikka_Orange_Blossom_Kikka-10.jpg | width4 = 220 | caption4 = 日本初の国産ジェット機、[[橘花 (航空機)|橘花]]初飛行(1945) }} {{multiple image | footer = 世界初の汎用計算機とされる「[[Harvard Mark I]]」が[[ハーバード大学]]に納入される(1944) | image1 = Harvard_Mark_I_Computer_-_Left_Segment.jpg | width1 = 120 | alt1 = Harvard Mark I、左側 | image2 = Harvard_Mark_I_Computer_-_Right_Segment.JPG | width2 = 120 | alt2 = Harvard Mark I、右側 }} {{multiple image | footer = [[アメリカ・インディアン]]が[[ポリネシア]]に渡った可能性を検証する筏[[コンティキ号]]、[[ツアモツ諸島]]に到着(1947)。右画像はオスロのコンティキ・ミュージアムで展示されているコンティキ号 | image1 = | width1 = 180 | alt1 = コンティキ号 | image2 = KonTikiInMuseum.jpg | width2 = 140 | alt2 = コンティキ・ミュージアム展示 }} [[File:Apollo 15 descends to splashdown.jpg|thumb|220px|1971年太平洋に着水する[[アポロ15号]]]] {{multiple image | footer = 1998年[[アメリカ大使館爆破事件 (1998年)|アメリカ大使館爆破事件]]。画像は左右ともナイロビのもの | image1 = Kenya_bombing_1.jpg | width1 = 100 | alt1 = 爆破された大使館 | image2 = Kenya bombing 2.jpg | width2 = 160 | alt2 = 現場の破片 }} {{multiple image | footer = [[丹波市]]で[[ティタノサウルス]]のほぼ全身の化石([[丹波竜]])が発見(2006) | image1 = 丹波竜発掘現場・篠山川(丹波市)P1271472.jpg | width1 = 100 | alt1 = 発掘現場 | image2 = 丹波竜化石の一部P1271542.jpg | width2 = 160 | alt2 = 化石の一部 }} {{multiple image | footer = [[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]]勃発(2008) | image1 = Peacekeepers_barracks_Ossetia_2008.jpg | width1 = 140 | alt1 = 破壊されたロシアJPKF基地 | image2 = Burned Georgian T-72 tank in Tskhinvali.jpg | width2 = 140 | alt2 = グルジア軍のT-72戦車の残骸 }} * [[936年]] - [[東フランク王国|東フランク王]][[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]](後の[[神聖ローマ皇帝]])が戴冠式を挙行<ref>{{Cite web|url=https://www.britannica.com/biography/Otto-I|title=Otto I|work=Encyclopædia Britannica |accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * [[1485年]] - [[薔薇戦争]]: [[ブルターニュ]]に逃れていた後の[[ヘンリー7世 (イングランド王)|イングランド王ヘンリー7世]]がミルフォードヘイブンに上陸。同伴していた[[傭兵]]たちからイングランドに[[粟粒熱]]がもたらされる。 * [[1576年]]([[天正]]4年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[第一次木津川口の戦い]] * [[1615年]]([[慶長]]20年[[閏]][[6月13日 (旧暦)|6月13日]])- [[江戸幕府]]が[[一国一城令]]を発令。 * [[1714年]]([[ユリウス暦]][[7月27日]]) - [[大北方戦争]]: [[ハンゲの海戦]] * [[1721年]]([[享保]]6年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - 大坂・竹本座で[[近松門左衛門]]の[[人形浄瑠璃]]『[[女殺油地獄]]』が初演。 * [[1789年]] - [[アメリカ合衆国旧陸軍省|アメリカ合衆国陸軍省]]が創設<ref name=foxnews>{{Cite web|url=https://www.foxnews.com/us/this-day-in-history-aug-7|title=This Day in History: August 7|publisher=FOX NEWS|accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * [[1801年]]([[享和]]元年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - 富山元十郎らが[[千島列島]]の[[ウルップ島]]に「天地長久大日本属島」の標柱を立てる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kaijipr.or.jp/cgi-bin/diary_utf8/diary.cgi?year=2021&month=6&day=28|title=今日はどんな日|publisher=公益財団法人 日本海事広報協会|accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * [[1819年]] - コロンビア独立戦争: [[ボヤカの戦い]] * [[1821年]]([[文政]]4年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]])- [[伊能忠敬]]らによって作られた[[日本地図]]「[[大日本沿海輿地全図]]」が[[江戸幕府]]に献上される。 * [[1830年]] - [[フランス7月革命]]の終結により、[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]がフランス国王に就任し、[[7月王政]]が成立。 * [[1839年]] - [[プルコヴォ天文台]]が設立される。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ドイツ]]が[[フランス]]領の[[アルザス=ロレーヌ]]を編入。 * [[1942年]] - 第二次世界大戦・[[ソロモン諸島の戦い]]: [[フロリダ諸島の戦い]]が終結。 * 1942年 - 第二次世界大戦・[[ソロモン諸島の戦い]]: アメリカ軍が[[ガダルカナル島]]に上陸。[[ガダルカナルの戦い]]が始まる。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦・[[独ソ戦]]: [[スモレンスクの戦い (1943年)|スモレンスクの戦い]]が始まる。 * [[1944年]] - [[IBM]]製作による世界初の大規模自動デジタル[[コンピュータ]][[Harvard Mark I]]が[[ハーバード大学]]に到着。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本本土空襲]]: [[豊川海軍工廠]]が空襲され、女子挺身隊員・国民学校児童ら2477人が死亡。 * 1945年 - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]が開発した日本初の国産ジェット機「[[橘花 (航空機)|橘花]]」が初飛行。 * [[1947年]] - [[コンティキ号]]がペルー - ポリネシア8,300kmの[[筏]]による太平洋漂流実験に成功。 * [[1948年]] - [[本庄事件]]。[[埼玉県]][[本庄町 (埼玉県)|本庄町]](現・[[本庄市]])で、暴力団・警察・町議の癒着を報じた[[朝日新聞]]の記者が暴行を受ける。 * [[1953年]] - [[電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律]](スト規制法)公布・施行。 * [[1955年]] - 東京通信工業(現在の[[ソニー]])が日本初の[[トランジスタラジオ]]TR-55を発売<ref>{{Cite journal|和書 |author=木原信敏 |title=日本初のトランジスタラジオの開発 |url=https://doi.org/10.3169/itej.58.490 |journal=映像情報メディア学会誌 : 映像情報メディア |issn=13426907 |publisher=映像情報メディア学会 |year=2004 |month=apr |volume=58 |issue=4 |pages=490-493 |naid=110006837145 |doi=10.3169/itej.58.490|accessdate=2020-08-12}}</ref>。 * [[1956年]] - [[カリ爆発]]。 * [[1959年]] - アメリカの地球観測衛星[[エクスプローラー6号]]が打ち上げ。 * [[1960年]] - [[コートジボワール]]が[[フランス]]から独立。 * [[1962年]] - [[南武線]][[久地駅]] - [[津田山駅]]間の踏切で電車がトラックと衝突、続いて対向電車と二重衝突する事故が発生。乗客ら3人死亡、154人重軽傷<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=163 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1964年]] - [[ベトナム戦争]]: [[トンキン湾事件]]を受け[[アメリカ合衆国上院|アメリカ上]]・[[アメリカ合衆国下院|下院]]が「{{仮リンク|トンキン湾決議|en|Gulf of Tonkin Resolution}}」を採択し[[リンドン・ジョンソン|ジョンソン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]に戦時大権を付与、本格的な軍事介入が始まる。 * [[1971年]] - [[警視総監公舎爆破未遂事件]]。 * 1971年 - アメリカの有人月宇宙船[[アポロ15号]]が地球に帰還<ref name=foxnews/>。 * [[1974年]] - アメリカ・[[ニューヨーク州]]・[[ニューヨーク市]]・[[マンハッタン]]で[[綱渡り]]の[[大道芸人]][[フィリップ・プティ]]が[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|世界貿易センタービル]]で綱渡りをした<ref>{{Cite web|和書|url=https://cinema.u-cs.jp/film-festival/tiff/28th-tiff/the-walk/|title=映画『ザ・ウォーク』(The Walk)|work=Cinema Art Online|accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * [[1976年]] - アメリカの火星探査機[[バイキング2号]]が[[火星]]の軌道に投入。 * [[1977年]] - [[有珠山]]が32年ぶりに噴火。 * [[1982年]] - 128年間刊行されてきた夕刊紙[[ワシントン・スター]]が廃刊。 * [[1983年]] - [[ヘルシンキ]]で第1回[[1983年世界陸上競技選手権大会|世界陸上競技選手権大会]]が開幕。[[8月14日]]まで。 * 1983年 - [[野中広務#中央政界へ進出|衆議院旧京都2区補欠選挙]]で、後に[[自由民主党 (日本)|自民党]][[総裁]]となる[[谷垣禎一]]が初当選を果たす。 * [[1985年]] - [[毛利衛]]・[[向井千秋|内藤千秋]]・[[土井隆雄]]の3名が日本人初の[[宇宙飛行士]]に選ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/56513|title=8月7日 日本人3名が宇宙飛行士に選ばれる(1985年)|publisher=[[講談社]]|work=ブルーバックス編集部|accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * [[1991年]] - [[新日本プロレス]]の真夏の祭典「[[G1 CLIMAX]]」第一回大会が[[両国国技館]]で開幕。 * [[1993年]] - avex rave '93([[a-nation]]の前身イベント)が[[東京ドーム]]で開催。5万人規模の屋内ディスコイベント。 * [[1995年]] - [[ヨーテボリ]]の[[1995年世界陸上競技選手権大会]]・[[三段跳]]で、[[ジョナサン・エドワーズ (陸上選手)|ジョナサン・エドワーズ]]が史上初めて18mを超える18m29を記録。 * [[1997年]] - [[クイーンズスクエア横浜#横浜ベイホテル東急|パンパシフィックホテル横浜]]が[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]][[みなとみらい]]に開業。 * [[1998年]] - [[ケニア]]の首都[[ナイロビ]]・[[タンザニア]]の首都[[ダルエスサラーム]]でほぼ同時刻に[[アメリカ大使館爆破事件 (1998年)|アメリカ大使館爆破事件]]が起こる。 * [[1999年]] - [[第二次チェチェン紛争]]: [[ロシア連邦]]において、[[チェチェン共和国|チェチェン]]独立派テロリストが停戦協定を破り[[ダゲスタン共和国]]へ侵攻。[[第二次チェチェン紛争]]が勃発<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rhq.gr.jp/hotnews/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD/|title=ロシア連邦チェチェン共和国|work=(公財)アジア福祉教育財団 難民事業本部|accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * [[2002年]] - [[アメリカ独立戦争]]に参戦したフランスの軍人[[ラファイエット]]に対し、アメリカ政府が[[アメリカ名誉市民]]権を授与。 * 2002年 - 東京・神奈川県境の[[多摩川]]で[[アゴヒゲアザラシ]]を発見、多摩川にちなんで「[[タマちゃん]]」と名付けられ、連日ニュースで取上げられ話題となる。 * [[2003年]] - 在[[イラク]]・[[ヨルダン]]大使館で爆弾テロが発生。警察官を含む17名が死亡。 * [[2004年]] - [[北京市|北京]]の[[AFCアジアカップ2004|サッカーアジアカップ]]決勝でアウェーの大ブーイングの中、日本が[[中華人民共和国|中国]]を破り3度目の優勝を果たす<ref>{{Cite web|和書|url=https://soccermagazine.jp/_ct/17360857|title=日本サッカー温故知新◎平成16年「完全敵地で歴史に残るアジア制覇」|publisher=ベースボールマガジン社|work=サッカーマガジンWEB|accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * [[2005年]] - [[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]の[[佐々木主浩]]投手が現役引退を表明。[[8月9日]]に最終登板。 * [[2006年]] - [[兵庫県]][[丹波市]]の篠山層群より、[[白亜紀]]の[[恐竜]]である[[ティタノサウルス]]のほぼ全身の[[化石]]が発見され、後に[[丹波竜]]と命名される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/news/202108060001251.html|title=兵庫県丹波市で大型草食恐竜の化石発見 愛称「丹波竜」/今日は?|publisher=日刊スポーツ|date=2021-08-07|accessdate=2021-08-07}}</ref>。 * [[2008年]] - [[南オセチア紛争 (2008年)|南オセチア紛争]]勃発。 * [[2009年]] - [[平成21年台風第8号]]が[[台湾]]東部の花蓮に上陸。死者・行方不明者758人、14万戸が浸水し、ほぼ一つの村が失われる50年来で最大の豪雨被害となった。 * [[2016年]] - [[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロオリンピック]]: [[2016年リオデジャネイロオリンピックのカヌー競技|カヌー]]男子スラロームC-1で、[[羽根田卓也]]が3位。同競技において日本人初かつ同種目ではアジア人初のメダル獲得。 * 2016年 - [[イチロー]]が[[アジア系民族|アジア人]]初の[[3000本安打クラブ|MLB通算3000本安打]](史上30人目)を達成。 * [[2020年]] - インド南部ケーララ州コジコーデの空港で、乗客乗員191人を乗せたアラブ首長国連邦ドバイ発の[[エア・インディア・エクスプレス1344便着陸失敗事故|エア・インディア・エクスプレス1344便が着陸に失敗]]。18人が死亡し、100人以上が重軽傷を負った。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} {{multiple image | footer = [[吸血鬼]]伝説のモデルとなった貴族、[[バートリ・エルジェーベト]](1560-1614)誕生。右画像のチェイテ城にて[[鉄の処女]]などを用い数々の残虐行為を行ったとされる。 | image1 = Elizabeth_Bathory_Portrait.jpg | width1 = 140 | alt1 = バートリ・エルジェーベト | image2 = Slovakia_Cachtice_hrad_2.JPG | width2 = 180 | alt2 = チェイテ城跡 }} [[ファイル:Carl ritter.jpg|thumb|100px|[[アレクサンダー・フォン・フンボルト|フンボルト]]と並ぶ「近代[[地理学]]の祖」、[[カール・リッター]](1779-1859)誕生]] {{multiple image | footer = ダンサー・高級娼婦・スパイ、[[マタ・ハリ]](1876-1917)誕生 | image1 = Mata_Hari_6.jpg | width1 = 100 | alt1 = 踊るマタ・ハリ | image2 = Mata_Hari_15.jpg | width2 = 160 | alt2 = セミヌードのマタ・ハリ }} {{multiple image | footer = 政治学者・外交官、ラルフ・バンチ(1903-1971)。黒人初のノーベル賞受賞者(平和賞) | image1 = Ralph Bunche - 1963 March on Washington.jpg | width1 = 100 | alt1 =ラルフ・バンチ | image2 = Ralph_J._Bunche_House%2C_Los_Angeles.JPG | width2 = 160 | alt2 = ラルフ・バンチの実家 }} [[Image:Jerry_Pournelle_crop.jpg|thumb|100px|[[サイエンス・フィクション|SF]]作家、[[ジェリー・パーネル]](1933-)]] * [[317年]] - [[コンスタンティウス2世]]、[[ローマ皇帝]](+ [[361年]]) * [[1282年]] - [[エリザベス・オブ・リズラン]]、イングランドの王族(+ [[1316年]]) * [[1513年]]([[永正]]10年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[四辻季遠]]、[[公卿]](+ [[1575年]]) * [[1560年]] - [[バートリ・エルジェーベト|エリザベート・バートリ(バートリ・エルジェーベト)]]、[[ハンガリー王国]]貴族、[[吸血鬼]]伝説のモデル(+ [[1614年]]) * [[1571年]] - [[トマス・ルポ]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオル]]奏者(+ [[1627年]]) * [[1590年]] - [[カール・フォン・エスターライヒ (1590-1624)]]、オーストリア大公家の大公(Erzherzog)、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の末弟(+ [[1624年]]) * [[1613年]] - [[ウィレム・フレデリック (ナッサウ=ディーツ侯)]]、[[フリースラント州]]、[[フローニンゲン州]]、[[ドレンテ州]]の総督(+ [[1664年]]) * [[1619年]] - [[アンナ・カタジナ・コンスタンツィア・ヴァザ]]、プファルツ=ノイブルク公子フィリップ・ヴィルヘルムの最初の妃(+ [[1651年]]) * [[1622年]]([[元和 (日本)|元和]]8年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]])- [[松平頼重]]、[[高松藩|高松藩主]](+ [[1695年]]) * [[1644年]]([[寛永]]21年[[7月5日 (旧暦)|7月5日]])- [[酒井忠義 (出羽国庄内藩主)|酒井忠義]]、[[庄内藩|庄内藩主]](+ [[1681年]]) * [[1649年]] - [[カール・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ (1649-1664)]]、オーストリア大公家の大公(+ [[1664年]]) * [[1665年]]([[寛文]]5年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]])- [[松平直丘]]、[[母里藩|母里藩主]](+ [[1713年]]) * [[1702年]] - [[ムハンマド・シャー (ムガル皇帝)]]、ムガル帝国の君主(+ [[1748年]]) * [[1726年]] - [[ジェイムズ・ボーディン]]、政治家(+ [[1790年]]) * [[1742年]] - [[ナサニエル・グリーン (軍人)|ナサニエル・グリーン]]、軍人(+ [[1786年]]) * [[1751年]] - [[ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン (1751-1820)|ヴィルヘルミーネ]]、[[オラニエ=ナッサウ家|オラニエ公]][[ウィレム5世 (オラニエ公)|ウィレム5世]]の妃(+ [[1820年]]) * [[1779年]] - [[カール・リッター]]、[[地理学者]](+ [[1859年]]) * [[1802年]] - [[ジェルマン・アンリ・ヘス]]、[[化学者]](+ [[1850年]]) * [[1822年]] - [[マリア・カレルギス]]、貴族女性、ピアニスト、芸術の後援者(+ [[1874年]]) * [[1832年]] - [[ユリウス・エプシュタイン]]、[[ピアニスト]](+ [[1926年]]) * [[1841年]] - [[アンドリュー・コンモン]]、[[天文学者]](+ [[1903年]]) * [[1842年]]([[天保]]13年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]])- [[伊藤忠兵衛 (初代)]]、[[実業家]]、[[伊藤忠商事]]・[[丸紅]]創業者(+ [[1903年]]) * [[1846年]] - [[ヘルマン・パウル]]、[[言語学者]]、[[文献学|文献学者]](+ [[1921年]]) * [[1859年]] - [[ヒョードル・シェーフテリ]]、建築家(+ [[1926年]]) * [[1862年]] - [[ヴィクトリア・フォン・バーデン|ヴィクトリア]]、[[スウェーデン|スウェーデン王]][[グスタフ5世 (スウェーデン王)|グスタフ5世]]の妃(+ [[1930年]]) * 1862年 - [[アンリ・ル・シダネル]]、[[画家]](+ [[1939年]]) * [[1867年]] - [[エミール・ノルデ]]、[[画家]](+ [[1956年]]) * [[1868年]] - [[グランヴィル・バントック]]、作曲家、音楽教師(+ [[1946年]]) * [[1870年]] - [[グスタフ・クルップ]]、実業家(+ [[1950年]]) * [[1876年]] - [[マタ・ハリ]]、[[スパイ]](+ [[1917年]]) * 1876年 - [[ジョン・オーガスト・アンダースン]]、天文学者(+ [[1959年]]) * [[1877年]] - [[ウルリッヒ・サルコウ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1949年]]) * [[1878年]] - 2代目[[野村徳七 (二代)|野村徳七]]、実業家(+ [[1945年]]) * [[1879年]] - [[エミール・シャンピオン]]、陸上競技選手(+ [[1920年]]) * [[1881年]] - [[フランソワ・ダルラン]]、海軍軍人、政治家(+ [[1942年]]) * [[1883年]] - [[ヨアヒム・リンゲルナッツ]]、詩人、作家、画家(+ [[1934年]]) * [[1884年]] - [[ビリー・バーク (女優)|ビリー・バーク]]、[[俳優|女優]](+ [[1970年]]) * 1884年 - [[ニコライ・トリイク]]、画家、版画家(+ [[1940年]]) * [[1885年]] - [[豊田貞次郎]]、[[海軍軍人]](+ [[1961年]]) * [[1887年]] - [[ビル・マケシュニー]]、元プロ野球選手(+ [[1965年]]) * [[1889年]] - [[レオン・ブリルアン]]、物理学者(+ [[1969年]]) * [[1890年]] - [[川原田政太郎]]、[[工学者]](+ [[1983年]]) * 1890年 - [[エリザベス・フリン]]、労働運動家、社会運動家、政治家、フェミニスト(+ [[1964年]]) * [[1891年]] - [[鳩彦王妃允子内親王]]、[[皇族]](+ [[1933年]]) * [[1896年]] - [[赤松要]]、[[経済学者]](+ [[1974年]]) * [[1900年]] - [[アラン・ヘルフリッチ]]、陸上競技選手(+ [[1994年]]) * [[1901年]] - [[ユリア・ソーンツェワ]]、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、女優(+ [[1989年]]) * [[1902年]] - [[ダグラス・ロウ]]、元陸上競技選手(+ [[1981年]]) * [[1903年]] - [[ラルフ・バンチ]]、[[政治学者]](+ [[1971年]]) * 1903年 - [[ルイス・リーキー]]、[[古人類学|古人類学者]](+ [[1972年]]) * 1903年 - [[諸井三郎]]、[[作曲家]](+ [[1977年]]) * [[1904年]] - [[武見太郎]]、第11代[[日本医師会]]会長(+ [[1983年]]) * 1904年 - [[澤瀉久敬]]、[[哲学者]](+ [[1995年]]) * 1904年 - [[ラルフ・バンチ]]、政治学者、外交官(+ [[1971年]]) * [[1904年]] - [[ネルソン・グッドマン]]、哲学者(+ [[1998年]]) * [[1911年]] - [[ニコラス・レイ]]、[[映画監督]](+ [[1979年]]) * [[1912年]] - [[北島正元]]、[[歴史学者]](+ [[1983年]]) * [[1913年]] - [[北井正雄]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1937年]]) * [[1917年]] - [[チャールズ・シブリー]]、[[生物学者]](+ [[1998年]]) * 1917年 - [[メルヴィン・エヴァンス]]、政治家、医師(+ [[1984年]]) * [[1919年]] - [[キム・ボルイ]]、バス歌手、作曲家(+ [[2000年]]) * [[1920年]] - [[塚本邦雄]]、[[歌人]](+ [[2005年]]) * 1920年 - [[エドゥアール・クラビニスキ]]、自転車競技(ロードレース)選手(+ [[1997年]]) * [[1921年]] - [[カレル・フサ]]、[[作曲家]](+ [[2016年]]) * 1921年 - [[二瀬山勝語]]、元[[大相撲]][[力士]](+ [[1975年]]) * 1921年 - [[マニタス・デ・プラタ]]、フラメンコ[[ギタリスト]](+ [[2014年]]) * [[1923年]] - [[司馬遼太郎]]、[[小説家]](+ [[1996年]]) * 1923年 - [[池田敏雄]]、[[コンピュータ]][[エンジニア]](+ [[1974年]]) * 1923年 - [[小島勝治]]、元プロ野球選手(+ [[2001年]]) * [[1925年]] - [[フリアン・オルボーン]]、作曲家(+ [[1991年]]) * [[1927年]] - [[杉山光平]]、元プロ野球選手 * [[1928年]] - [[ジェームズ・ランディ]]、[[奇術|奇術師]]、[[疑似科学]]批判者(+ [[2020年]]) * 1928年 - [[スティーヴン・マーロウ]]、小説家(+ [[2008年]]) * [[1929年]] - [[ドン・ラーセン]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]]) * 1929年 - [[ユーリー・チェルニチェンコ]]、作家、小説家、エッセイスト(+ [[2010年]]) * [[1930年]] - [[ヴェリヨ・トルミス]]、作曲家(+ [[2017年]]) * [[1931年]] - [[藤田元司]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](+ [[2006年]]) * [[1931年]] - [[ジャック・グッド (テレビプロデューサー)|ジャック・グッド]]、テレビプロデューサー、音楽家 * [[1932年]] - [[アベベ・ビキラ]]、マラソン選手(+ [[1973年]]) * 1932年 - [[ジャック・ブルーム]]、元プロ野球選手 * 1932年 - [[エドワード・ハードウィック]]、俳優(+ [[2011年]]) * [[1933年]] - [[ジェリー・パーネル]]、[[SF作家]](+ [[2017年]]<ref>{{cite web |url= https://www.nytimes.com/2017/09/15/obituaries/jerry-pournelle-science-fiction-novelist-and-computer-guide-dies-at-84.html |title= Jerry Pournelle, Science Fiction Novelist and Computer Guide, Dies at 84 |author= Neil Genzlinger |work= [[ニューヨーク・タイムズ|New York Times]] |date= September 15, 2017 |accessdate= December 1, 2020}}</ref>) * 1933年 - [[エリノア・オストロム]]、政治学者、経済学者(+ [[2012年]]) * [[1935年]] - [[ローランド・カーク]]、 ジャズ・ミュージシャン(+ [[1977年]]) * [[1936年]] - [[増岡弘]]、[[声優]] (+ [[2020年]]) * 1936年 - [[杉山登志]]、[[CMディレクター]](+ [[1973年]]) * [[1938年]] - [[ジョルジェット・ジウジアーロ]]、工業デザイナー * 1938年 - [[王建煊]]、政治家 * [[1940年]] - [[荘則棟]]、[[卓球]]選手(+ [[2013年]]) * 1940年 - [[ジャン=リュック・デハーネ]]、政治家(+ [[2014年]]) * [[1941年]] - [[フランコ・コロンボ]]、ボディビルダー、俳優(+ [[2019年]]) * [[1942年]] - [[マサ斎藤]]、[[プロレスラー]]、解説者、選手アドバイザー(+ [[2018年]]<ref name="wwe">{{cite web|url=https://www.wwe.com/article/masa-saito-passes-away|title=Masa Saito passes away|date=2018-07-16||accessdate=2020-12-17|publisher=WWE.com}}</ref><ref>{{Cite news|title=マサ斎藤さんが死去 アントニオ猪木氏と巌流島で死闘|work=東スポWEB|date=2018-7-16|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/1065340/|publisher=東京スポーツ新聞社|accessdate=2020-10-27}}</ref>) * 1942年 - [[高池勝彦]]、弁護士 * 1942年 - [[平野眞一]]、[[工学者]] * 1942年 - [[B・J・トーマス]]、[[歌手]](+ [[2021年]]) * 1942年 - [[トビン・ベル]]、[[俳優]] * 1942年 - [[カエターノ・ヴェローゾ]]、[[シンガーソングライター]]、[[ギタリスト]] * 1942年 - [[カルロス・モンソン]]、プロボクサー(+ [[1995年]]) * [[1943年]] - [[ヴァレリー・ニポムニシ]]、元サッカー選手、指導者 * 1943年 - [[山本圭子]]、声優 * 1943年 - [[アラン・コルノー]]、映画監督 * 1943年 - [[ムハンマド・バディーウ]]、学者、政治家 * 1943年 - [[アラン・コルノー]]、映画監督、脚本家(+ [[2010年]]) * [[1944年]] - 菅原孝、[[歌手]]([[ビリーバンバン]]) * 1944年 - [[ジョン・グローヴァー]]、俳優 * 1944年 - [[ロバート・モラー]]、法律家、司法官僚 * [[1945年]] - [[アラン・ペイジ]]、元アメリカンフットボール選手、裁判官 * [[1946年]] - [[ジョン・C・マザー]]、[[天体物理学|天体物理学者]] * [[1947年]] - [[桂南喬]]、[[落語家]] * 1947年 - [[ソフィーヤ・ロタール]]、歌手 * 1947年 - [[伊藤正信]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[ケリー・レイド]]、元プロテニス選手 * 1947年 - [[アマンゲリドゥイ・ムラリエフ]]、政治家 * [[1948年]] - [[アンリ菅野]]、歌手(+ [[2000年]]) * 1948年 - [[ジェームズ・P・アリソン]]、[[免疫学|免疫学者]] * 1948年 - [[フレッド・ブラウン]]、バスケットボール選手 * 1948年 - [[ダン・ハルツ]]、軍人 * [[1949年]] - [[堀田芳信]]、プロ野球選手 * [[1950年]] - [[ロドニー・クロウエル]]、ミュージシャン * 1950年 - [[デーブ・ウォットル]]、陸上競技選手 * 1950年 - [[マーク・アーウィン]]、撮影監督 * 1950年 - [[ケーサイ・ノート]]、政治家、マーシャル諸島共和国第3代大統領 * [[1952年]] - [[キース・キスト]]、サッカー選手、指導者 * [[1953年]] - [[小野次郎 (政治家)|小野次郎]]、[[政治家]] * 1953年 - [[桑名正博]]、歌手(+ [[2012年]]) * 1953年 - [[新保博久]]、ミステリー評論家 * [[1954年]] - [[西銘恒三郎]]、政治家 * 1954年 - [[中井康之]]、元プロ野球選手(+ [[2014年]]) * 1954年 - [[ヴァレリー・ガザエフ]]、サッカー選手、指導者 * 1954年 - [[ジョナサン・ポラード]]、工作員 * 1954年 - [[フランシスコ・グテレス]]、政治家、東ティモール第4代大統領 * [[1955年]] - [[ウラジーミル・ソローキン]]、小説家 * 1955年 - [[ウェイン・ナイト]]、俳優 * 1955年 - [[宮本陽一郎]]、英米文学者、[[筑波大学]][[名誉教授]]、[[放送大学]]教授 * [[1956年]] - [[大谷千正]]、作曲家、音楽学者 * 1956年 - [[ハンス・エノクセン]]、政治家 * [[1957年]] - [[尾花髙夫]]、元プロ野球選手、監督 * 1957年 - [[アレクサンドル・ディチャーチン]]、[[体操]]選手 * [[1958年]] - [[ブルース・ディッキンソン]]、[[ミュージシャン]] * 1958年 - [[池下ユミ]]、元プロレスラー * 1958年 - [[ラッセル・ベイズ]]、騎手 * [[1959年]] - [[内田春菊]]、[[漫画家]]、[[小説家]]、女優 * [[1960年]] - [[デイヴィッド・ドゥカヴニー]]、俳優 * 1960年 - [[スティーヴン・ロークス]]、元自転車競技(ロードレース)選手 * [[1961年]] - [[ウォルター・スウィンバーン]]、騎手(+ [[2016年]]) * 1961年 - [[ゲジーネ・レッチュ]]、政治家 * [[1962年]] - [[小林泰三]]、小説家 * 1962年 - [[アリソン・ブラウン]]、バンジョーおよびギター奏者 * 1962年 - [[マイケル・ヴァイカート]]、ギタリスト * 1962年 - [[ブリュノ・ペルティエ]]、歌手 * 1962年 - [[アラン・ロベール]]、フリークライマー * [[1963年]] - [[平田広明]]、[[声優]] * 1963年 - [[未知やすえ]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]] * 1963年 - [[ハロルド・ペリノー・ジュニア]]、[[俳優]] * [[1964年]] - [[ギュウゾウ]]、タレント([[電撃ネットワーク]]) * [[1965年]] - [[佐藤真一]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[ジョニー・スミス]]、プロレスラー * 1965年 - [[大和武士]]、俳優 * 1965年 - [[エリザベス・マンリー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1965年 - [[秋本理央]]、元タレント * 1965年 - [[ジョスリン・アングロマ]]、元サッカー選手 * [[1966年]] - [[ジミー・ウェールズ]]、[[ウィキペディア]]創始者 * 1966年 - [[クリスティン・ハーシュ]]、[[シンガーソングライター]] * [[1967年]] - [[シャーロット・ルイス]]、女優 * 1967年 - [[エフゲニー・プラトフ]]、フィギュアスケート選手 * 1967年 - [[古賀道人]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[エドアルド・コスタ]]、ファッションモデル、俳優、起業家 * [[1968年]] - [[マルティン・マックス]]、元サッカー選手 * [[1969年]] - [[アレクセイ・スルタノフ]]、[[ピアニスト]](+ [[2005年]]) * 1969年 - [[ポール・ランバート]]、サッカー選手、指導者 * 1969年 - [[ハリド・ブーラミ]]、陸上競技選手 * [[1970年]] - [[グレッグ・パークル]]、プロ野球選手 * 1970年 - [[桜井聖]]、俳優 * [[1971年]] - [[上田燿司]]、声優 * 1971年 - [[グレゴール・フッカ]]、元プロバスケットボール選手 * [[1972年]] - [[千葉美加]]、歌手、俳優 * 1972年 - [[ジェリー・ペニャロサ]]、プロボクサー * 1972年 - [[鳥居塚伸人]]、元プロサッカー選手、指導者 * [[1973年]] - [[ダニー・グレーブス]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[ケヴィン・マスカット]]、元サッカー選手、指導者 * [[1974年]] - [[ビビアーニ大野]]、ファッションモデル * 1974年 - [[マイケル・シャノン]]、俳優 * [[1975年]] - [[シャーリーズ・セロン]]、女優 * 1975年 - [[ハンス・マシソン]]、俳優 * 1975年 - [[エドガー・レンテリア]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[石原英康]]、元[[プロボクサー]] * 1975年 - てつじ、お笑いタレント([[シャンプーハット (お笑いコンビ)|シャンプーハット]]) * 1975年 - [[ジム・ファン・フェッセム]]、元サッカー選手 * [[1976年]] - [[ディミトリス・エレフセロプーロス]]、元サッカー選手、指導者 * 1976年 - [[シェーン・レクラー]]、元アメリカンフットボール選手 * 1976年 - [[アレハンドロ・ベリオ]]、プロボクサー * [[1977年]] - [[サマンサ・ロンソン]]、DJ、シンガーソングライター * 1977年 - [[依田光正]]、元サッカー選手、指導者 * 1977年 - [[ミオドラグ・アンジェルコビッチ]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[アレクサンドラ・クルジャク]]、ソプラノ歌手 * [[1978年]] - [[髙橋信二]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[呉建豪]](ヴァネス・ウー)、歌手([[F4 (ユニット)|F4]]) * 1978年 - [[アレクサンドル・アジャ]]、映画監督、脚本家、映画プロデューサー * 1978年 - [[リンゼイ・ドーン・マッケンジー]]、アダルトモデル、ポルノ女優 * [[1979年]] - [[古賀誠史]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[笹田貴之]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/笹田貴之/|title=笹田貴之(ささだたかゆき)の解説|publisher=goo人名事典|accessdate=2020-12-01}}</ref>、声優 * 1979年 - [[ネナド・ジョルジェビッチ]]、元サッカー選手 * [[1980年]] - [[梶原雄太]]、お笑いタレント([[キングコング (お笑いコンビ)|キングコング]]) * 1980年 - [[巻誠一郎]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[寺内健]]、[[飛込競技|飛込]]選手 * 1980年 - [[シェーン・オリオ]]、サッカー選手 * [[1981年]] - [[朝赤龍太郎]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄8代高砂 * 1981年 - [[アンネリス・バルガス]]、バレーボール選手 * [[1982年]] - ウーイェイよしたか、お笑いタレント([[スマイル (お笑いコンビ)|スマイル]]) * 1982年 - [[アビー・コーニッシュ]]、[[俳優|女優]] * 1982年 - [[フアン・マルティン・エルナンデス]]、元ラグビー選手 * 1982年 - [[ヴァシレイオス・スパヌリス]]、プロ[[バスケットボール]]選手 * 1982年 - [[マルティン・ヴチッチ]]、ポップ歌手 * 1982年 - [[ヤナ・クロチコワ]]、競泳選手 * 1982年 - [[マルコ・メランドリ]]、モーターサイクル・ロードレースライダー * 1982年 - [[ブリット・マーリング]]、脚本家、映画プロデューサー、映画監督、女優 * 1982年 - [[マルティン・ヴチッチ]]、ポップ歌手 * [[1983年]] - [[アンドリー・グリフコ]]、自転車選手 * 1983年 - [[ダニー・アルヴェス]]、元サッカー選手 * 1983年 - [[レアンドロ・ギルヘイロ]]、柔道家 * 1983年 - [[ヤン・ハジェク]]、プロテニス選手 * [[1984年]] - [[井上貴博 (アナウンサー)|井上貴博]]、アナウンサー * 1984年 - [[ユン・ヒョンソク]]、自由主義者、人権活動家(+ [[2003年]]) * 1984年 - [[アンヘル・ラフィタ]]、元サッカー選手 * [[1985年]] - [[カナヘイ]]、[[イラストレーター]] * 1985年 - [[川口隼人]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[川口寛人]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[ロイク・ペラン]]、元サッカー選手 * 1985年 - [[リック・ジェネスト]]、ファッションモデル、俳優(+ [[2018年]]) * [[1986年]] - [[五十嵐隼士]]、元[[俳優]] * 1986年 - [[ジョーダン・ダンクス]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[榎田大樹]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[マルコス・ベキオナチ]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[ヴァルテル・ビルサ]]、サッカー選手 * 1986年 - [[富樫美鈴]]、声優 * 1986年 - [[井上渉]]、元サッカー選手 * 1986年 - [[エフゲニー・グラドビッチ]]、プロボクサー * [[1987年]] - [[シドニー・クロスビー]]、アイスホッケー選手 * 1987年 - [[カーク・ニューエンハイス]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[ライアン・ラバーンウェイ]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[福井諒司]]、元サッカー選手 * 1987年 - [[アーサー・スティーブンソン]]、プロバスケットボール選手 * [[1988年]] - [[カイル・ボタ]]、[[野球選手]] * 1988年 - [[常幸龍貴之]]、元大相撲力士 * 1988年 - [[メロディ・オリヴェリア]]、YouTuber * 1988年 - [[エリック・ピーテルス]]、サッカー選手 * 1988年 - [[デマー・デローザン]]、プロバスケットボール選手 * 1988年 - [[島貫純]]、元プロサッカー選手 * 1988年 - [[アニッカ・オーブレット]]、ポルノ女優 * [[1989年]] - [[絹川愛]]、[[陸上競技選手]] * 1989年 - [[平田璃香子]]、元タレント(元[[SKE48]]) * 1989年 - [[並里成]]、プロバスケットボール選手 * 1989年 - [[ハモン・ロペス・デ・フレイタス|ハモン・ロペス]]、サッカー選手 * 1989年 - [[トミー・ケインリー]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[デマー・デローザン]]、プロバスケットボール選手 * [[1990年]] - [[山口このみ]]、元タレント * 1990年 - [[石岡真衣]]、グラビアアイドル * 1990年 - [[ジェシカ・クルザフスキー]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[ジュリアン・サヴェア]]、ラグビーユニオン選手 * [[1991年]] - [[斉藤みやび]]、元タレント * 1991年 - [[マイク・トラウト]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[阿座上洋平]]、声優 * 1991年 - 谷野愛美、アイドル([[まなみのりさ]]) * 1991年 - [[ルイス・サロム]]、オートバイレーサー * 1991年 - [[アダム・イェーツ]]、自転車競技(ロードレース)選手 * 1991年 - [[サイモン・イェーツ]]、自転車競技選手 * 1991年 - [[カロル・ザレフスキ]]、陸上競技選手 * 1991年 - [[ロビン・フラインス]]、レーシングドライバー * [[1992年]] - [[土屋シオン]]、俳優 * 1992年 - [[チャン・ギヨン]]、ファッションモデル・俳優 * 1992年 - [[斉藤夏海]]、ファッションモデル * 1992年 - [[薮田和樹]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[ボウト・ベグホルスト]]、サッカー選手 * 1992年 - [[宮吉拓実]]、サッカー選手 * 1992年 - [[村上昌謙]]、サッカー選手 * 1992年 - [[夛田凌輔]]、サッカー選手 * 1992年 - [[サイモン・イェーツ]]、自転車競技選手 * 1992年 - [[アダム・イェーツ]]、自転車競技(ロードレース)選手 * 1992年 - [[アレックス・シャルク]]、サッカー選手 * [[1993年]] - [[高畑岬]]、俳優 * 1993年 - [[ふくらP]]、[[YouTuber]]([[QuizKnock]])、クイズプレイヤー * 1993年 - [[アントン・エワルド]]、ポップシンガー、ダンサー、振付師 * [[1994年]] - [[南要輔]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[笠井崇正]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[安在和樹]]、サッカー選手 * 1994年 - [[宮瀬七海]]、[[レースクイーン]] * [[1995年]] - [[安藤笑]]、アイドル([[Ange☆Reve]]) * 1995年 - [[松本麻佑]]、バドミントン選手 * 1995年 - [[齊藤誠人]]、プロ野球選手 * 1995年 - [[金原亭駒介]]、落語家 * 1995年 - [[納谷健]]、舞台俳優 * 1995年 - [[大津耀誠]]、元プロサッカー選手 * 1995年 - [[フロリアン・グリリッチュ]]、プロサッカー選手 * [[1996年]] - [[テッサ・アレン]]、女優 * 1996年 - [[リアム・ジェームズ]]、俳優 * 1996年 - [[藤吉優]]、元プロ野球選手 * 1996年 - [[ロウン]]、歌手、俳優 * 1996年 - [[ダニ・セバージョス]]、サッカー選手 * 1996年 - [[荒木隼人]]、元プロサッカー選手 * 1996年 - [[熊谷駿]]、元サッカー選手 * [[1997年]] - [[カイラー・マレー]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * 1997年 - [[ジュニーニョ・バクーナ]]、サッカー選手 * 1997年 - [[ジョーダン・トルナリガ]]、サッカー選手 * 1997年 - [[茂木慎之介]]、プロアイスホッケー選手 * [[1998年]] - [[古賀優大]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[田口彩夏]]、アナウンサー * 1998年 - [[タビナス・ジェファーソン]]、プロサッカー選手 * 1998年 - [[二葉エマ]]、AV女優 * [[1999年]] - [[シドニー・マクラフリン]]、陸上競技選手 * 1999年 - [[デヤン・ヨヴェリッチ]]、サッカー選手 * 1999年 - [[ブライアン・ムベウモ]]、サッカー選手 * [[2001年]] - [[大西流星]]、アイドル([[なにわ男子]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://j-island.net/artist/person/id/51|title=大西流星 プロフィール {{!}} ISLAND TV|accessdate=2020-08-10|publisher=ジャニーズ事務所|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190327033834/https://j-island.net/artist/person/id/51|archivedate=2019-03-27}}</ref> * 2001年 - [[橋本大輝 (体操選手)|橋本大輝]]、体操選手 * 2001年 - [[平野大和]]、プロ野球選手 * 2001年 - [[春日えな]]、AV女優 * [[2002年]] - [[蒔田彩珠]]、女優 * [[2003年]] - [[梅山恋和]]、タレント、元アイドル(元[[NMB48]]) * [[2004年]] - [[石井蘭]]、アイドル、女優、歌手、パフォーマー([[ME:I]]・元[[Girls2]]) * 生年不明 - [[ごあきうえ]]、[[ファッションデザイナー]] * 生年不明 - [[松岡恵美]]、[[歌手]]、[[モデル (職業)|モデル]] * 生年不明 - [[水野十子]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hakusensha.co.jp/artist/profile.php?artistname=%90%85%96%EC%8F%5C%8Eq&artistname2=%82%DD%82%B8%82%CC%82%C6%82%A8%82%B1&keyword=%82%DD&home=%93%BF%93%87%8C%A7&birthday=8%8C%8E7%93%FA&bloodtype=O%8C%5E&debut=1995%94N%81u%83%8B%83i%83e%83B%83b%83N%81E%83%89%83%89%81v12%81%5E10%8D%86%81wNIGHT+WALK%81x|title=白泉社 作家データベース 水野十子|publisher=白泉社 |accessdate=2021-01-08}}</ref>、[[漫画家]] == 忌日 == {{multiple image | caption1 = 神聖ローマ皇帝[[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]](1050-1106)没。 | image1 = The funeral of the Emperor Henry IV.jpg | width1 = 100 | alt1 = ハインリヒ4世 | caption2 = 武将[[名和長年]](?-1336)戦死 | image2 = Nawa-Nagatoshi.jpg | width2 = 100 | alt2 = 名和長年 }} {{multiple image | footer = [[慶長遣欧使節]]団を率いた[[支倉常長]](1571-1622)没。画像の船は[[サン・ファン・バウティスタ号]] | image1 = HasekuraWithShipDetail.jpg | width1 = 200 | alt1 = 支倉常長とサン・ファン・バウティスタ号 }} {{multiple image | caption1 = 化学者[[イェンス・ベルセリウス]](1779-1848)。[[アルファベット]]を用いた現代的な[[元素記号]]の表記法を考案 | image1 = Jöns Jacob Berzelius from Familj-Journalen1873.png | width1 = 100 | alt1 = イェンス・ベルセリウス | caption2 = [[チェロ]]奏者・作曲家、[[ダーヴィト・ポッパー]](1843-1913)。{{audio|David Popper - Elfentanz (Hans Goldstein, cello).ogg|『エルフの踊り』を聴く}} | image2 = Popper_david_v2.jpg | width2 = 100 | alt2 = 名和長年 | caption3 = 俳優・演出家[[コンスタンチン・スタニスラフスキー]](1863-1938) | image3 = Stanislavski_as_Othello_1896.jpg | width3 = 100 | alt3 = コンスタンチン・スタニスラフスキー }} {{multiple image | footer = [[インド]]の詩人、「詩聖」[[ラビンドラナート・タゴール]](1861-1941)没。右画像は[[ベンガル語]]と英語で書かれた手稿。 | image1 = Rabindranath Tagore in 1909.jpg | width1 = 120 | alt1 = ラビンドラナート・タゴール | image2 = Tagore_handwriting_Bengali.jpg | width2 = 80 | alt2 = 手稿 }} {{multiple image | caption1 = レバノンの政治家[[カミール・シャムーン]](1900-1987) | image1 = Camille_chamoun.jpg | width1 = 100 | alt1 = カミール・シャムーン | caption2 = 第56・57代日本国内閣総理大臣、[[岸信介]](1896-1987) | image2 = Nobusuke_Kishi_Dec_14%2C_1956.jpg | width2 = 100 | alt2 = 岸信介 }} * [[461年]] - [[マヨリアヌス]]、西ローマ帝国の皇帝(* [[420年]]) * [[1028年]] - [[アルフォンソ5世 (レオン王)]]、レオン王(* [[994年]]) * [[1106年]] - [[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]、[[神聖ローマ皇帝]]。(* [[1050年]]) * [[1284年]]([[弘安]]7年[[6月25日 (旧暦)|6月25日]])- [[足利家時]]、[[御家人]](* [[1260年]]) * [[1336年]]([[延元]]元年/[[建武 (日本)|建武]]3年[[6月30日 (旧暦)|6月30日]])- [[名和長年]]、[[武将]] * [[1359年]]([[正平 (日本)|正平]]14年/[[延文]]4年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]])- [[武田信武]]、[[守護大名]](* [[1292年]]) * [[1385年]] - [[ジョーン・オブ・ケント]]、イングランドのエドワード黒太子の妃(* [[1328年]]) * [[1491年]] - [[ジャック・バルビロー]]、[[作曲家]](* [[1455年]]) * [[1560年]] - [[アナスタシア・ロマノヴナ]]、[[モスクワ大公国|モスクワ大公]][[イヴァン4世]](イヴァン雷帝)の妃 * [[1614年]]([[慶長]]19年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]])- [[奥平忠政]]、[[加納藩|加納藩主]](* [[1580年]]) * [[1616年]] - [[ヴィンチェンツォ・スカモッツィ]]、[[建築家]](* [[1548年]]) * [[1622年]]([[元和 (日本)|元和]]8年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]])- [[支倉常長]]、[[仙台藩|仙台藩士]](* [[1571年]]) * [[1636年]]([[寛永]]13年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]])- [[鳥居忠恒]]、[[山形藩|山形藩主]](* [[1604年]]) * [[1643年]] - [[ヘンドリック・ブラウエル]]、[[オランダ東インド会社]][[総督]](* [[1581年]]) * [[1649年]] - [[マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル|マリア・レオポルディーネ]]、神聖ローマ皇帝[[フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント3世]]の妃(* [[1632年]]) * [[1652年]] - [[ジョン・スミス (哲学)|ジョン・スミス]]、[[哲学|哲学者]]、[[神学者]](* [[1616年]]) * [[1661年]] - [[金聖嘆]]、文芸評論家(* [[1610年]]) * [[1690年]]([[元禄]]3年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]])- [[慈山]]、[[僧]](* [[1637年]]) * [[1762年]]([[宝暦]]12年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]])- [[酒井忠与]]、[[小浜藩|小浜藩主]](* [[1721年]]) * [[1785年]] - [[ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ]]、王族(* [[1727年]]) * [[1794年]] - [[エトムント・アンゲラー]]、[[作曲家]](* [[1740年]]) * [[1795年]]([[寛政]]7年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]])- [[黒田斉隆]]、第9代[[福岡藩|福岡藩主]](* [[1777年]]) * [[1805年]]([[文化 (元号)|文化]]2年7月13日)- [[松平康乂]]、第6代[[津山藩|津山藩主]](* [[1786年]]) * [[1809年]] - [[ジョナサン・トランブル (アメリカ合衆国下院議長)|ジョナサン・トランブル]]、政治家(* [[1740年]]) * [[1817年]] - [[ピエール=サミュエル・デュ・ポン・ド・ヌムール]]、ジャーナリスト、重農主義の経済思想家、政治家(* [[1739年]]) * [[1820年]] - [[エリザ・ボナパルト]]、[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]](* [[1777年]]) * [[1821年]] - [[キャロライン・オブ・ブランズウィック|キャロライン]]、[[イギリス|イギリス王]][[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]]の妃(* [[1768年]]) * [[1834年]] - [[ジョゼフ・マリー・ジャカール]]、発明家(* [[1752年]]) * [[1848年]] - [[イェンス・ベルセリウス]]、[[化学者]](* [[1779年]]) * [[1855年]] - [[マリアノ・アリスタ]]、政治家、軍人(* [[1802年]]) * [[1864年]] - [[李秀成]]、太平天国の指導者の一人(* [[1823年]]) * [[1893年]] - [[アルフレード・カタラーニ]]、作曲家(* [[1854年]]) * [[1898年]] - [[ジェームズ・ホール (古生物学者)|ジェームズ・ホール]]、[[地質学者]]、[[古生物学者]](* [[1811年]]) * 1898年 - [[ゲオルク・エーバース]]、エジプト学者、小説家(* [[1837年]]) * [[1899年]] - [[ヤコブ・マリス]]、画家(* [[1837年]]) * [[1900年]] - [[ヴィルヘルム・リープクネヒト]]、政治家(* [[1826年]]) * [[1901年]] - [[オレステ・バラティエリ]]、軍人(* [[1841年]]) * [[1904年]] - [[市川左團次 (初代)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1842年]]) * [[1905年]] - [[アレクサンダー・メルヴィル・ベル]]、演説学者(* [[1819年]]) * [[1912年]] - [[フランソワ=アルフォンス・フォーレル]]、[[科学者]](* [[1841年]]) * [[1913年]] - [[ダーヴィト・ポッパー]]、[[チェロ]]奏者・作曲家(* [[1843年]]) * [[1921年]] - [[アレクサンドル・ブローク]]、詩人(* [[1880年]]) * [[1929年]] - [[ヴィクター・L・バーガー]]、[[アメリカ合衆国下院|アメリカ合衆国下院議員]](* [[1860年]]) * [[1933年]] - [[朴敬元]]、パイロット(* [[1901年]]) * [[1937年]] - [[北井正雄]]、[[プロ野球選手]](* [[1913年]]) * [[1938年]] - [[コンスタンチン・スタニスラフスキー]]、[[俳優]]、[[演出家]](* [[1863年]]) * [[1941年]] - [[ラビンドラナート・タゴール]]、[[詩人]](* [[1861年]]) * [[1944年]] - [[原嘉道]]、[[政治家]](* [[1867年]]) * 1944年 - [[アグスティン・バリオス]]、[[ギタリスト]]、作曲家(* [[1885年]]) * [[1945年]] - [[李グウ]]、王公族 * [[1951年]] - [[二反長音蔵]]、[[日本]]の農民・農業技術者。[[アヘン|阿片]]の材料となる[[ケシ]]の日本国内栽培に尽力(* [[1875年]]) * [[1957年]] - [[オリヴァー・ハーディ]]、俳優、コメディアン、映画監督(* [[1892年]]) * [[1958年]] - [[田中禎之助]]、[[プロボクサー]](* [[1903年]]) * [[1959年]] - [[ハインリヒ・メンデルスゾーン]]、[[実業家]](* [[1881年]]) * [[1963年]] - 大島みち子、書簡集『[[愛と死をみつめて]]』の登場人物(* [[1942年]]) * [[1964年]] - [[島善鄰]]、[[農学者]](* [[1889年]]) * [[1969年]] - [[ジョゼフ・コズマ]]、作曲家(* [[1905年]]) * [[1970年]] - [[内田吐夢]]、[[映画監督]](* [[1898年]]) * 1970年 - [[加賀山之雄]]、第2代[[日本国有鉄道]]総裁(* [[1902年]]) * [[1972年]] - [[アスパシア・マノス]]、[[ギリシャ王国|ギリシャ王]][[アレクサンドロス1世 (ギリシャ王)|アレクサンドロス1世]]の妻(* [[1896年]]) * [[1974年]] - [[野平省三]]、[[騎手]]、[[調教師]](* [[1900年]]) * 1974年 - [[ロサリオ・カステリャノス]]、詩人、女優(* [[1925年]]) * 1974年 - [[ヴァージニア・アプガー]]、小児科医、麻酔科医(* [[1909年]]) * [[1977年]] - [[村山長挙]]、[[朝日新聞社]]社長(* [[1894年]]) * [[1983年]] - [[鈴木安蔵]]、[[法学者]](* [[1904年]]) * [[1985年]] - [[セゲー・ガーボル]]、[[数学者]](* [[1895年]]) * [[1986年]] - [[長谷川四郎 (政治家)|長谷川四郎]]、[[政治家]](* [[1905年]]) * [[1987年]] - [[岸信介]]、政治家、第56・57代[[内閣総理大臣]](* [[1896年]]) * 1987年 - [[カミール・シャムーン]]、政治家、レバノン第9代大統領(* [[1900年]]) * [[1989年]] - [[小嶋源作]]、実業家(* [[1905年]]) * 1989年 - [[伊藤律]]、[[日本共産党]]政治局員(* [[1913年]]) * [[1992年]] - [[金内吉男]]、俳優、[[声優]](* [[1933年]]) * [[1993年]] - [[福田篤泰]]、[[政治家]](* [[1906年]]) * [[1996年]] - [[村上寅次]]、[[教育学者]](* [[1913年]]) * [[1999年]] - [[宮川一夫]]、映画[[カメラマン]](* [[1908年]]) * 1999年 - [[ブライオン・ジェームズ]]、俳優、声優(* [[1945年]]) * 1999年 - [[ジョン・バン・リン]]、テニス選手(* [[1905年]]) * [[2005年]] - [[ピーター・ジェニングス]]、[[ニュースキャスター]](* [[1938年]]) * [[2006年]] - [[国田栄弥]]、俳優(* [[1930年]]) * [[2008年]] - [[アンドレア・ピニンファリーナ]] ([[:en:Andrea Pininfarina|Andrea Pininfarina]])、[[ピニンファリーナ]]社[[最高経営責任者|CEO]](* [[1957年]]) * [[2009年]] - [[田川誠一]]、[[政治家]](* [[1918年]]) * [[2010年]] - [[ブリュノ・クレメール]]、俳優(* [[1929年]]) * [[2011年]] - [[ジョー山中]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/p-et-tp0-20110808-817164_m.html|title=ジョー山中さん肺がん公表1年半で力尽く|publisher=日刊スポーツ|date=2011-08-08|accessdate=2020-11-04}}</ref>、歌手(* [[1946年]]) * 2011年 - [[マーク・ハットフィールド]]、政治家、元アメリカ合衆国上院議員(* [[1922年]]) * 2011年 - [[ナンシー・ウェイク]]、スパイ(* [[1912年]]) * 2011年 - [[ハッリ・ホルケリ]]、政治家(* [[1937年]]) * [[2013年]] - [[アンソニー・ポーソン]]、科学者(* [[1952年]]) * [[2015年]] - [[マヌエル・コントレラス]]、軍人(* [[1929年]]) * 2015年 - [[フランシス・ケルシー]]、薬理学者、医師(* [[1914年]]) * 2015年 - [[ルイーズ・サグス]]、プロゴルファー(* [[1923年]]) * [[2016年]] - [[ブライアン・クロウソン]]、レーシングドライバー(* [[1989年]]) * [[2017年]] - [[中島春雄]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20170810/2/|title=初代ゴジラ・中島春雄さん死去 英米メディアが一斉に報じる|publisher=映画.com|date=2017-08-10|accessdate=2020-10-29}}</ref>、俳優(* [[1929年]]) * 2017年 - [[ドン・ベイラー]]、元プロ野球選手(* [[1949年]]) * 2017年 - [[デイヴィッド・マスランカ]]、作曲家(* [[1943年]]) * [[2018年]] - [[M・カルナーニディ]]、政治家、文学者(* [[1924年]]) * 2018年 - [[スタン・ミキタ]]、プロアイスホッケー選手(* [[1940年]]) * 2018年 - [[ジェラルド・ワインバーグ]]、作家、心理学教師(* [[1933年]]) * [[2019年]] - [[キャリー・マリス]]、生化学者(* [[1944年]]) * [[2020年]] - [[レ・カ・フュー]]、軍人、政治家(* [[1931年]]) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[コートジボワール]]の独立記念日(1960年独立) | image1 = LocationCotedIvoire.svg | width1 = 120 | caption1 = コートジボワールの位置 | image2 = Houphouet-Boigny.jpg | width2 = 90 | caption2 = 初代大統領、[[フェリックス・ウフェ=ボワニ]] | image3 = Maske.JPG | width3 = 80 | caption3 = 仮面 }} [[Image:SendaiTanabata1.jpg|thumb|150px|[[仙台七夕]]]] [[File:線香花火, 2006-08-14.jpg|thumb|150px|おもちゃ花火の日。画像は[[線香花火]]]] *[[立秋]] ({{JPN}})※年により異なり、[[8月8日]]になることもある。 * [[月遅れ]][[七夕]] ({{JPN}}) *: 本来は[[7月7日 (旧暦)|旧暦7月7日]]の行事であるが、[[北日本]]や[[九州]]などでは[[月遅れ]]のこの日に行われる。 * [[独立記念日]]({{CIV}}) *: [[1960年]]のこの日、コートジボワールが[[フランス]]から独立した。 * ボヤカ戦勝記念日({{COL}}) *: [[1819年]]の[[ボヤカの戦い]]での勝利を記念する祝日。この勝利によってコロンビアの独立が決定的となった。 * [[鼻の日]]({{JPN}}) *: 「は(8)な(7)」の語呂合せで[[日本耳鼻咽喉科学会]]が[[1961年]]に制定。 * 機械の日({{JPN}}) *: [[日本機械学会]]が2006年に制定<ref name="機械の日">[https://www.jsme.or.jp/event_project/machine-day/declaration-of-enactment/ 「機械の日・機械週間」制定宣言] 一般社団法人 日本機械学会 (2006年8月7日) 2020年11月15日閲覧。</ref>。“機械”の意義や役割を広く社会と共に考え、人間と機械のふさわしい関係を模索する<ref name="機械の日" />。 * [[バナナ]]の日({{JPN}}) *: 「バ(8)ナナ(7)」の語呂合せで[[日本バナナ輸入組合]]が制定。 * [[東京ばな奈]]の日({{JPN}}) *: 株式会社グレープストーンが制定。同社の代表的なお菓子「東京ばな奈」をお土産として選んでいる人に、日頃の感謝の気持ちを伝えるのが目的。日付は8と7で「バ(8)ナナ(7)」の語呂合わせから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=2074|title=一般社団法人 日本記念日協会 |accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * はなまるうどんの日 ({{JPN}}) *: 2000年に讃岐うどんの本場の[[香川県]][[高松市]]で創業した株式会社はなまるが制定。讃岐うどんやセルフうどんの美味しさ、楽しさなどを広く情報発信するのが目的。日付は8と7で「はなまる」の「は(8)な(7)」と読む語呂合わせから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=1859|title=一般社団法人 日本記念日協会 |accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * おもちゃ花火の日({{JPN}}) *: 公益社団法人日本煙火協会が制定。花火の中でも手軽に楽しめる線香花火やススキ花火、ねずみ花火などの「おもちゃ花火」をもっと多くの人に遊んでもらうとともに、マナーの向上を図るのが目的。日付は8月7日で「ハ(8)ナ(7)ビ(日)」と読む語呂合わせから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=1850|title=一般社団法人 日本記念日協会 |accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * 花文化の日({{JPN}}) *: [[愛知県]][[名古屋市]]のNPO法人花文化を無形文化遺産に推める会が制定。様々な日本の花文化をユネスコの世界無形文化遺産登録を目指してアピールするのが目的。日付は、「は(8)な(7)」の語呂合わせ<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=53|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * 花泡香の日({{JPN}}) *: [[兵庫県]][[西宮市]]に本社を置く酒造メーカーの大関株式会社が制定。日本酒「花泡香」(ハナアワカ)の美味しさをより多くの人に知ってもらうのが目的。日付は8と7で「花泡香」の「ハ(8)ナ(7)」と読む語呂合わせから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=1845|title=一般社団法人 日本記念日協会 |accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * 花火人の日({{JPN}}) *: 一般社団法人日本花火人協会が制定。花火文化の発展と振興、社会教育の推進が目的。日付は8月7日を8(は)、7(な)、日(び)と読む語呂合わせから。同協会では花火に関する知識を身につけた人「花火人(はなびじん)検定」を行う<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=1400|title=一般社団法人 日本記念日協会 |accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * [[花やしき]]の日({{JPN}}) *: 「花やしき」の「は(8)な(7)」の語呂合わせで株式会社花やしきが開園160周年を迎えた[[2013年]]に制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=1082 |title=一般社団法人 日本記念日協会 |accessdate=2020-08-07}}</ref>。 * パートナーの日({{JPN}}) *:[[2009年]]に専任のコンシェルジュ制度など、さまざまな結婚情報サービスを展開する株式会社パートナーエージェントが制定。 *:「パートナー」の存在の大切さをより多くの人に認識してもらうことが目的。 *: 8月7日が「8と7」『パー(8)とナー(7)』と読めることが由来。 * RAINBOW RIBBON DAY({{JPN}}) *:[[大阪府]][[大阪市]]の辻尾ゆみ子氏が制定。RAINBOW RIBBONとは、保護された犬や猫と里親の関係を、虹色のリボンで結びついた希望の架け橋に例えたもので、命の大切さを伝え、里親への譲渡が進むことを願う日。日付は、リボンの形の8と、七色の7を表している<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=54|isbn=978-4422021157}}</ref>。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0807|date=2011年6月}} * [[2015年]] - 仮面ライダードライブとパラドクスロイミュードとの最終決戦。(特撮『[[劇場版 仮面ライダードライブ サプライズ・フューチャー]]』) * [[2025年]] - 最新高層ビル「デルタオセロ」がロサンゼルスに完成。そのオープニングセレモニーの大統領演説中に突如として現れた謎のアンドロイド軍団 "R.O.M" によって、ロサンゼルスを始めとする西海岸は戦場と化す。(ゲーム『[[L.A.マシンガンズ]]』) * 年号不明 - コリコの海岸で『浜辺で、若者ワイワイ』という祭典が開催される。(『[[魔女の宅急便]]』その4)(翌日の[[立秋]]が[[8月8日]]であったため) === 誕生日(フィクション) === * [[1964年]] - [[野比のび太]]、漫画・アニメ『[[ドラえもん]]』の準主人公<ref>てんとう虫コミックス2巻収録「ぼくの生まれた日」</ref> * [[1965年]] - 花輪和彦、漫画・アニメ『[[ちびまる子ちゃん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chibimaru.tv/news/entry/2018/005847.html |title=8/7は花輪クンの誕生日♪花輪クンがフジテレビに遊びに来ます! |access-date=2022-09-20 |publisher=さくらプロダクション / 日本アニメーション |work=ちびまる子ちゃん |date=2018-08-03}}</ref> * [[2000年]] - 月島流星、漫画・アニメ『[[女神のカフェテラス]]』に登場するキャラクター。 * 七耀暦1186年 - [[英雄伝説 軌跡シリーズの登場人物#エステル・ブライト|エステル・ブライト]]、ゲーム『[[英雄伝説VI 空の軌跡]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2012|title=英雄伝説 空の軌跡 the 3rd シナリオブック|page=600|publisher=新紀元社|isbn=4775309722}}</ref> * 生年不明 - 日向咲(キュアブルーム)、アニメ『[[ふたりはプリキュア Splash Star]]』の主人公のひとり<ref>{{Twitter status|precure_marv|1556052498372182016}}</ref> * 生年不明 - 青葉光汰、漫画『[[青葉くんに聞きたいこと]]』の主人公 * 生年不明 - 安曇小太郎、アニメ『[[月がきれい]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/news/104866/ |title=「月がきれい」主人公・安曇小太郎の誕生日にブルーレイマスター版一挙上映イベント開催決定 |work=アニメハック |accessdate=2022-09-20 |date=2017-07-24}}</ref> * 生年不明 - 津村斗貴子、漫画・アニメ『[[武装錬金]]』のヒロイン * 生年不明 - ルターナ、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[ベガルタ仙台]]および[[日本女子サッカーリーグ]]・[[ベガルタ仙台レディース|マイナビベガルタ仙台レディース]]のクラブマスコット<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/club/profile.html |title=クラブプロフィール |accessdate=2022-09-20 |work=ベガルタ仙台オフィシャルサイト}}</ref> * 生年不明 - 南知多まゆの、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/minamichita_mayuno |title=南知多まゆの |access-date=2022-09-20 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=温泉むすめ}}</ref> * 生年不明 - カク、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Kaku.html |title=カク |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-20 |publisher=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 柘植竜二、漫画『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1423661401583804427}}</ref> * 生年不明 - [[To LOVEる -とらぶる-の登場人物#セリーヌ|セリーヌ]]、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-]]』『To LOVEる -とらぶる- ダークネス』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=矢吹健太朗|authorlink1=矢吹健太朗|author2=長谷見沙貴|authorlink2=長谷見沙貴|year=2011|title=To LOVEる -とらぶる-&To LOVEる -とらぶる- ダークネス公式データブック「ぱ〜ふぇくとらぶる! 」|page=82|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-874852-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=矢吹健太朗、長谷見沙貴|year=2014|title=To LOVEる-とらぶる-ダークネス 楽園計画ガイドブック「とらぶまにあ」|page=112|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-880260-2}}</ref> * 生年不明 - 渡我被身子、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|heroaca_oj|1291645258015498242}}</ref> * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#雨野雲雀|雨野雲雀]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=133|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - 釘崎野薔薇、漫画・アニメ『[[呪術廻戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|jujutsu_pr|1555931714379124738}}</ref> * 生年不明 - 黄歩鈴、漫画・アニメ『[[東京ミュウミュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://tokyo-mew-mew.com/chara4.html |title=黄 歩鈴(フォンプリン) |access-date=2022-09-20 |publisher=征海美亜・吉田玲子・[[講談社]] |work=東京ミュウミュウにゅ~}}</ref> * 生年不明 - ココ、漫画・アニメ『[[ぴちぴちピッチ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 針原春江、漫画・アニメ『[[それでも町は廻っている]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三条ゆかり、漫画・アニメ『[[しゅごキャラ!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三上輝、漫画『[[ココにいるよ!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 花野菫、漫画・アニメ『[[ちはやふる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yuyu2000_0908|1291743916845232131}}</ref> * 生年不明 - 大室花子、漫画・アニメ『[[ゆるゆり]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=なもり|authorlink=なもり|title=なもり画集 ゆるなもり|publisher=[[一迅社]]|isbn=978-4758072601|date=2013-08-02|page=8}}</ref> * 生年不明 - 成海唯、漫画・アニメ『[[アオハライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aoha_movie|497237456043786240}}</ref> * 生年不明 - 蒼海凜香、漫画『[[マイぼーる!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 恵飛須沢胡桃、漫画・アニメ『[[がっこうぐらし!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|nk12|1556232382818107394}}</ref> * 生年不明 - 黒柳ルリ子、漫画・アニメ『[[ひなこのーと]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://hinakonote.jp/character.html|title=キャラクター|work=TVアニメ「ひなこのーと」公式サイト|accessdate=2020-08-08}}</ref> * 生年不明 - 川口息吹、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』4巻 株式会社[[芳文社]].2018年.カバー裏</ref> * 生年不明 - 川口芳乃、漫画・アニメ『球詠』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』5巻 株式会社[[芳文社]].2019年.カバー裏</ref> * 生年不明 - マリア・カデンツァヴナ・イヴ、アニメ『[[戦姫絶唱シンフォギア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.symphogear-axz.com/characters/maria.php |title=マリア・カデンツァヴナ・イヴ |access-date=2022-09-20 |publisher=Project シンフォギアAXZ |work=戦姫絶唱シンフォギアAXZ}}</ref> * 生年不明 - [[ラブライブ!スーパースター!!#2期生|鬼塚夏美]]、メディアミックス『[[ラブライブ!スーパースター!!]]』に登場する[[Liella!]]のメンバー<ref>{{Cite web|和書|title=メンバー紹介|鬼塚夏美 |url=https://www.lovelive-anime.jp/yuigaoka/member/ |website=「ラブライブ!スーパースター!!」公式サイト |access-date=2022-09-20}}</ref> * 生年不明 - ティアラ、メディアミックス『[[ラピスリライツ 〜この世界のアイドルは魔法が使える〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lapisrelights.com/character/tiara/ |title=ティアラ(CV:安齋 由香里) |access-date=2022-09-20 |publisher=KLabGames [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |work=Lapis Re:LiGHTs}}</ref> * 生年不明 - フレア・ウル、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 鳳条院聖華、ゲーム・アニメ『[[プリンセスラバー!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#向井拓海|向井拓海]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20164 |title=向井 拓海(むかい たくみ) |access-date=2022-09-20 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 獅子島・L・七尾、ゲーム・漫画・アニメ『[[Z/X]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 不知火五十鈴、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gf_kari_music|761940073440956416}}</ref> * 生年不明 - モア、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://showbyrock-anime.com/character/plasmagica/ |title=プラズマジカ モア CV:佐倉綾音 |publisher=[[サンリオ]] |accessdate=2022-09-20 |work=TVアニメ「SHOW BY ROCK!!」}}</ref> * 生年不明 - ロイエ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=183&cate=name&cont=Roie |title=ロイエ |access-date=2022-09-20 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 青葉つむぎ、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!|あんさんぶるスターズ]]!』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/aoba_tsumugi/ |title=青葉 つむぎ {{!}} CHARACTER {{!}} |accessdate=2022-09-20 |publisher=Happy Elements |work=あんさんぶるスターズ!!}}</ref> * 生年不明 - 竜胆椿、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.i-chu.jp/unit/tenjotenge/tsubaki/ |title=竜胆 椿 |access-date=2022-09-20 |publisher=LIBER |work=アイ★チュウ}}</ref> * 生年不明 - クロエ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1423826246538960901}}</ref> * 生年不明 - 槍水りり、ゲーム『[[アイ・アム・マジカミ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|MGCM_official|1423841843914190852}}</ref> * 生年不明 - 習志野咲、漫画『声がだせない少女は『彼女が優しすぎる』と思っている』に登場するキャラクター * 生年不明 - 紅羽セイラ、特撮『[[ひみつ×戦士 ファントミラージュ!]]』の登場人物 * 生年不明 - 一条蓮、ドラマ『[[リズスタ -Top of Artists!-]]』の登場人物 * 生年不明 - [[ウサハナ]]、[[サンリオ]]のキャラクター * 生年不明 - [[バッドばつ丸|グッドはな丸]] 、[[サンリオ]]のキャラクター * 生年不明 - まるまる([[はなまるおばけ]])、[[サンリオ]]のキャラクター == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 7|7 August}} {{新暦365日|8|6|8|8|[[7月7日]]|[[9月7日]]|[[8月7日 (旧暦)|8月7日]]|0807|8|07}} {{1年の月と日}}
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8月21日
8月21日(はちがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から233日目(閏年では234日目)にあたり、年末まであと132日ある。
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8月21日(はちがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から233日目(閏年では234日目)にあたり、年末まであと132日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月21日'''(はちがつにじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から233日目([[閏年]]では234日目)にあたり、年末まであと132日ある。 == できごと == [[ファイル:Minamoto no Yoritomo.jpg|thumb|upright|[[源頼朝]]、[[征夷大将軍]]に就任 (1192)]] [[Image:Karl XIV Johan, king of Sweden and Norway, painted by Fredric Westin.jpg|thumb|100px|フランスの軍人[[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット]]がスウェーデンの王太子に選出される(1810)。1818年に王となる]] {{multiple image | footer = アメリカ合衆国初代駐日領事、[[タウンゼント・ハリス]]が下田に到着(1856)。右画像は1856年の下田 | image1 = Townsend Harris Portrait by James Bogle 1855.png | width1 = 100 | alt1 = タウンゼント・ハリス | image2 = Shimoda 1856.jpg | width2 = 160 | alt2 = 1856年当時の下田のリトグラフ }} {{multiple image | footer = {{仮リンク|ウィーン市営公園|en|Stadtpark, Vienna}}開園(1862) | image1 = WienflussStadtpark.jpg | width1 = 140 | alt1 = 公園内の川 | image2 = Johann-strauss-stadtpark.jpg | width2 = 100 | alt2 = ヨハン・シュトラウス像 }} [[ファイル:Soviet volunteer.jpg|thumb|240px|[[中ソ不可侵条約]]締結(1937)。画像は中華民国に供与されたソ連製[[I-16 (航空機)|I-16]]]] [[File:Deceased Japanese soldiers after Battle of the Tenaru, Guadalcanal, 1942.jpg|thumb|220px|[[ガダルカナル島の戦い]]、[[イル川渡河戦]](1942)。画像は包囲殲滅された一木支隊]] [[File:Dumbarton_Oaks_-_house_photo_with_snow.jpg|thumb|280px|[[ダンバートン・オークス会議]](1944)。画像は会議のあった建物]] {{multiple image | footer = [[帝銀事件]]の被疑者として画家[[平沢貞通]]が逮捕される(1948)。右画像は当時の手配書、モンタージュ画像は平沢と全く似ていない | image1 = Sadamichi_Hirasawa.jpg | width1 = 100 | alt1 = 平沢貞通 | image2 = Teigin_case.jpg | width2 = 160 | alt2 = 当時の手配書 }} {{multiple image | footer = [[ニオス湖]]で[[湖水爆発]]、近隣住民1800名が窒息死(1986)。右画像は窒息死した牛 | image1 = Tml15-16_Nc.jpg | width1 = 180 | alt1 = 同29日に撮影されたニオス湖 | image2 = Cow_killed_by_Lake_Nyos_gasses.jpg | width2 = 100 | alt2 = 窒息死した牛 }} [[ファイル:Riga barricade 1991.jpg|thumb|220px|[[ラトビア]]がソ連から独立を回復(1991)。画像は国会に張られたバリケード]] * [[1192年]]([[建久]]3年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[源頼朝]]が[[征夷大将軍]]に就任する<ref>{{Cite web|和書|url=https://konomanga.jp/guide/122858-2 |title=8月21日は「源頼朝が征夷大将軍に任じられた日(ユリウス暦8月21日)」 『ジパング 深蒼海流』を読もう! 【きょうのマンガ】 |access-date=2023-02-12 |publisher=[[宝島社]] |website=このマンガがすごい!WEB}}</ref>。 * [[1770年]] - [[ジェームズ・クック]]が[[オーストラリア]]東部に対する[[イギリス]]領有権を正式に主張<ref>{{Cite web |url=https://www.mysticstamp.com/info/this-day-in-history-august-21-1770/ |title=This Day in History… August 21, 1770 |accessdate=2023-02-12 |language=En |publisher=Mystic Stamp Company}}</ref>。[[ニューサウスウェールズ州|ニューサウスウェールズ]]と命名。 * [[1772年]] - クーデターを起こし貴族らから権限を奪還した[[スウェーデン]]王[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世]]が新憲法を制定<ref>{{Cite web |url=https://www.onthisday.com/people/gustav-iii |title=Gustav III |accessdate=2023-02-12 |publisher=On This Day Pte. Ltd. |language=En}}</ref>。スウェーデンを弱体化させた[[自由の時代]]が終結。 * [[1810年]] - スウェーデン議会がフランスの軍人[[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット]]をスウェーデン王太子に選出。 * [[1831年]] - 米[[バージニア州]][[サウサンプトン郡 (バージニア州)|サウサンプトン郡]]で、[[ナット・ターナー]]率いる奴隷の反乱が勃発。50人以上の白人が殺害される({{仮リンク|ナット・ターナーの反乱|en|Nat Turner's slave rebellion}})。 * [[1856年]]([[安政]]3年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[アメリカ合衆国]]初代駐日[[領事]][[タウンゼント・ハリス]]が[[下田港]]に到着。 * [[1862年]] - {{仮リンク|ウィーン市営公園|en|Stadtpark, Vienna}}が開園<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wien.info/ja/sightseeing/green-vienna/parks-gardens-center |title=ウィーンの中心部にある公園&庭園 |work=WienTourismus |accessdate=2023-02-12}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.goodnewsnetwork.org/events060821/ |title=Good News in History, August 21(Vienna's Stadtpark opened its gates as the first public park in Vienna (1862)) |publisher=GNN, LLC |date=Aug 21, 2022 |accessdate=2023-02-12 |website=Good News Network |language=En}}</ref>。 * [[1876年]] - 第2次府県統合。[[山形県]]・[[宮城県]]・[[福島県]]・[[群馬県]]・[[栃木県]]・[[埼玉県]]・[[長野県]]・[[岐阜県]]・[[静岡県]]・[[京都府]]・[[兵庫県]]・[[福岡県]]・[[大分県]]がほぼ現在の形になる。 * [[1877年]] - [[上野恩賜公園|上野公園]]で[[内国勧業博覧会#第一回内国勧業博覧会|第1回内国勧業博覧会]]開催。 * [[1878年]] - [[アメリカ法曹協会]]設立。 * [[1879年]] - [[アイルランド]]・[[クノック]]で[[聖母マリア]]が人々の前に現れる<ref>{{Cite web|和書|url=https://skyticket.jp/guide/306925 |title=マリア様がみてる!?アイルランドの聖なる巡礼地クノックの観光ガイド |work=skyticket |date=2021-12-14 |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * [[1898年]] - [[共和演説事件]]。[[尾崎行雄]][[文部大臣|文相]]が帝国教育会で行なった演説の一節、「日本に[[共和制|共和政治]]があると仮定すれば、おそらく[[三井財閥|三井]]、[[三菱財閥|三菱]]は[[大統領]]候補者となるだろう」が不敬として問題になる。 * [[1904年]] - [[甲武鉄道]](現在のJR[[中央本線]])の[[飯田町駅|飯田町]] - [[中野駅 (東京都)|中野]]で、日本の普通鉄道では初めての[[電車]]運転を開始。 * [[1911年]] - [[警視庁]]に[[特別高等警察|特別高等警察課]](特高)を設置。 * [[1913年]] - [[東北大学|東北帝国大学]]の入学試験合格発表で3名の女性が合格。[[帝国大学]]初の女子学生となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202008/20200805_13021.html |title=「女子大生の日」は8月21日 東北大が16日説を修正 |work=河北新報ONLINE NEWS |publisher=[[河北新報]] |accessdate=2023-02-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200823220052/https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202008/20200805_13021.html |archive-date=Aug 23 2020}}</ref>。 * [[1923年]] - [[石狩沼田幌新事件]](-同月24日):日本史上2番目の[[熊害|熊害事件]] * [[1924年]] - [[國民新聞]]が日本で初めて[[天気図]]を新聞に掲載。 * [[1937年]] - [[中ソ不可侵条約]]締結。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ガダルカナル島の戦い]]: [[イル川渡河戦]](テナルの戦い) * [[1944年]] - [[ダンバートン・オークス会議]]が開幕。米英中ソの代表が[[国際連合憲章|国連憲章]]草案を作成。 * [[1948年]] - [[帝銀事件]]の[[被疑者]]として画家の[[平沢貞通]]が[[警視庁 (旧警察法)|警視庁]]に[[逮捕]]される。 * [[1957年]] - ソ連が世界で初めて[[大陸間弾道ミサイル]](ICBM)[[R-7 (ロケット)|R-7]]の発射実験に成功。 * 1957年 - [[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]の[[金田正一]]が[[中日ドラゴンズ]]戦で[[完全試合]]を達成。 * [[1958年]] - [[小松川事件]]。17日から行方不明になっていた[[東京都立小松川高等学校]]の女子学生の遺体を発見。9月1日に同じ高校の男子生徒を逮捕。 * [[1959年]] - [[ハワイ準州]]([[:en:Territory of Hawaii|Territory of Hawaii]])が州に昇格し、[[アメリカ合衆国]]50番目の州・[[ハワイ州]]となる。 * [[1963年]] - [[アエロフロート機ネヴァ川不時着水事故]]。 * [[1970年]] - 台風10号([[土佐湾台風]])が[[高知県]]に上陸し、大きな被害をもたらす。 * [[1971年]] - [[朝霞自衛官殺害事件]]: [[朝霞駐屯地]]で[[自衛官]]が[[日本の新左翼|新左翼]]によって殺害される。 * [[1976年]] - [[ポプラ事件]]: 国連軍が[[ポプラ事件#ポール・バニアン作戦|ポール・バニアン作戦]]を実施。 * [[1983年]] - [[フィリピン]]の反[[フェルディナンド・マルコス|マルコス]]の指導者[[ベニグノ・アキノ・ジュニア]](ニノイ・アキノ)上院議員が、亡命先のアメリカから帰国した。アキノは[[マニラ空港]]で暗殺される。 * [[1984年]] - [[フィリピン]]・[[マニラ]]で、[[フェルディナンド・マルコス]][[フィリピン大統領|同国大統領]]に対する50万人規模の抗議デモ発生。 * [[1986年]] - [[カメルーン]]の[[ニオス湖]]で[[湖水爆発]]。[[二酸化炭素]]が大量発生し、近隣の住民1800人が窒息死。 * [[1989年]] - [[F8F (航空機)|F8F]]改造の[[エアレース|エアレーサー]]「{{仮リンク|レア・ベア (航空機)|label=レア・ベア|en|Rare Bear}}」が、[[レシプロエンジン|レシプロ]]機の最大速度記録である850.26&nbsp;km/hを記録する。 * [[1991年]] - [[ラトビア]]がソビエト連邦からの独立を回復。 * [[2001年]] - [[ジャスコ]]株式会社が[[イオン (企業)|イオン]]株式会社に社名を変更。 * [[2004年]] - [[山陽電気鉄道本線|山陽電鉄本線]]の[[東二見駅]] - [[播磨町駅]]間に[[西二見駅]]が開業<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jpubb.com/press/74442/ |title=本線 東二見駅~播磨町駅間に新駅「西二見駅」を開業 |work=RedCruise Corporation |date=2004-04-28 |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * 2004年 - [[長渕剛]]が[[桜島]]でオールナイトライブを敢行。([[長渕剛 ALL NIGHT LIVE IN 桜島 04.8.21]])桜島の人口の13倍にあたる7万5千人を動員し、日本の音楽史上に残るライブとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/31229 |title=長渕剛 伝説の富士山オールナイトライブで叫んだ歌と言葉たち 太陽に向かって「みんなを幸せにしてくれぇぇぇ!!!」 |work=Japan billboard |date=2015-08-29 |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * 2004年 - [[チェチェン共和国]]首都[[グロズヌイ]]において、[[チェチェン共和国|チェチェン]]独立派テロリストが同年8月29日実施予定の大統領選挙に反対し、投票所や警察署を襲撃する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokiorisk.co.jp/publication/report/trc-eye/pdf/pdf-trc-eye-160.pdf |title=最近の国際テロ動向と今後の展開~2007年テロ動向分析を基にした今後の国際テロ動向 |format=[[pdf]] |accessdate=2023-02-12 |publisher=東京海上日動リスクコンサルティング(株) |archive-url=https://web.archive.org/web/20210821042455/https://www.tokiorisk.co.jp/publication/report/trc-eye/pdf/pdf-trc-eye-160.pdf |archive-date=AUG 21 2021}}</ref>。治安部隊・武装勢力合わせて60人以上が死亡。 * [[2008年]] - [[2008年北京オリンピックのソフトボール競技|北京オリンピックのソフトボール]]決勝戦で[[ソフトボール女子日本代表|日本代表]]がアメリカ代表を下し[[金メダル]]を獲得<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-33391020080821 |title=ソフトボール日本代表、上野の気迫の連投で米国破り悲願の金 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=2008-08-21 |accessdate=2023-02-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200808220008-spnavi |title=ソフトボール、金メダルが輝く理由 |publisher=[[スポナビライブ|Sports navi]] |date=2008-08-22 |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * [[2010年]] - [[第92回全国高等学校野球選手権大会]]で[[沖縄県]]代表[[興南中学校・高等学校|興南高校]]が初優勝。沖縄県勢初の[[全国高等学校野球選手権大会|夏]]の優勝を飾る。 * [[2013年]] - [[ニューヨーク・ヤンキース|ヤンキース]]の[[イチロー]]が[[トロント・ブルージェイズ|ブルージェイズ]]戦で、史上3人目の通算4000本安打を記録する<ref>{{Cite web|和書|title=イチロー、日米通算4000安打を達成(写真=共同) |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDH22001_S3A820C1000000/ |date=2013-08-22 |access-date=2023-02-12 |publisher=[[日本経済新聞]]}}</ref>。(現地時間) * [[2015年]] - [[タリス銃乱射事件]]<ref>{{Cite web|和書|title=国際高速列車で男が発砲、容疑者取り押さえたのは米軍兵士か |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3058042 |website=AFP BB News |access-date=2023-02-12 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] |date=2015-08-22}}</ref>。 * [[2016年]] - [[2016年リオデジャネイロオリンピックの閉会式|リオデジャネイロオリンピック閉会式]]<ref>{{Cite web|和書|date=2016-8-22 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0085482 |title=安倍首相、マリオ姿でリオ閉会式に!土管から登場 |publisher=[[シネマトゥデイ]] |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 * 2016年 - [[名古屋小6受験殺人事件]]が発生<ref>{{Cite web|和書|title=名古屋教育虐待殺人事件「中学受験で父親が息子を刺すに至るまで」 |url=https://bunshun.jp/articles/-/12934 |website=文春オンライン |access-date=2023-02-12 |date=2019-07-20}}</ref>。 * [[2017年]] - [[2017年8月21日の日食|皆既日食]]がアメリカ合衆国大陸を横断して発生する<ref>{{Cite web|和書|date=2017-08-22 |url=http://www.sankei.com/life/news/170822/lif1708220008-n1.html |title=【動画あり】皆既日食が米全土を横断 99年ぶり、世紀の天体ショーに市民ら熱狂 |work=産経ニュース |publisher=[[産業経済新聞社|産経新聞社]] |accessdate=2023-02-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200729091031/https://www.sankei.com/life/news/170822/lif1708220008-n1.html |archive-date=Jul 29 2020}}</ref>。 * [[2018年]] - ベネズエラの通貨がデノミ実施により、[[ボリバル・フエルテ]]から[[ボリバル・ソベラノ]]に変わった<ref>{{Cite news|和書 |title=ベネズエラ、デノミ実施 通貨10万分の1に切り下げ |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2018-08-20 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34347140Q8A820C1FF8000/ |accessdate=2023-02-12}}</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです。日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させていますので置き換えないでください。 --> {{multiple image | image1 = Philippe_II_denier_Laon_1180_1201.jpg | width1 = 100 | caption1 = フランス王「尊厳王」[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]](1165-1223)誕生。王権を強めフランスをヨーロッパ最大の強国にした | image2 = Afonsoviportugal.jpg | width2 = 100 | caption2 = ポルトガル王[[アフォンソ6世 (ポルトガル王)|アフォンソ6世]](1643-1683) | image3 = William_IV.jpg | width3 = 100 | caption3 = イギリス王[[ウィリアム4世 (イギリス王)|ウィリアム4世]](1765-1837) }} [[Image:Shimadu_Yoshihiro.jpg|thumb|100px|武将、[[島津義弘]](1535-1619)]] {{multiple image | footer = 画家[[ジャン=バティスト・グルーズ]](1725-1805)誕生。右画像は『壊れた瓶』(1771) | image1 = Jean-Baptiste Greuze - Self-Portrait.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジャン=バティスト・グルーズ | image2 = Jean-Baptiste_Greuze_001.jpg | width2 = 160 | alt2 = 『壊れた瓶』 }} [[Image:William_Murdoch_%281754-1839%29.jpg|thumb|100px|発明家[[ウィリアム・マードック]](1754-1839)。[[ガス灯]]を発明]] {{multiple image | image1 = Augustin_Louis_Cauchy.JPG | width1 = 100 | caption1 = 数学者[[オーギュスタン=ルイ・コーシー]](1789-1857)誕生。[[解析学]]に多大な貢献を残した | image2 = Leonid_Hurwicz.jpg | width2 = 100 | caption2 = 経済学者・数学者、[[レオニード・ハーヴィッツ]](1917-2008)。[[メカニズムデザイン]]の理論を確立 }} [[ファイル:Jules Michelet par Thomas Couture.jpg|thumb|100px|歴史家[[ジュール・ミシュレ]](1798-1874)]] [[Image:Hashimoto_Gaho_002.jpg|thumb|100px|日本画家、[[橋本雅邦]](1835-1908)誕生。画像は『白雲紅樹』(1890)]] {{multiple image | footer = [[イラストレーター]]、[[オーブリー・ビアズリー]](1872-1898)。右画像は『[[サロメ (戯曲)|サロメ]]』挿絵(1894) | image1 = AubreyBeardsley-Hollyer1.jpg | width1 = 140 | alt1 = オーブリー・ビアズリー | image2 = Aubrey_Beardsley_-_The_Dancer's_Reward.jpg | width2 = 120 | alt2 = 『サロメ』挿絵 }} [[Image:Lili_Boulanger_1.jpg|thumb|100px|作曲家[[リリ・ブーランジェ]](1893-1918)]] [[ファイル:Count Basie in Rhythm and Blues Revue.jpg|thumb|100px|[[ジャズピアノ]]奏者、[[カウント・ベイシー]](1904-1984)]] [[Image:Queen_Mary_with_Princess_Elizabeth_and_Margaret.jpg|thumb|100px|イギリス王女[[マーガレット (スノードン伯爵夫人)|マーガレット]](中央; 1930-2002)誕生]] [[Image:Festus_Mogae_2005.jpg|thumb|100px|[[ボツワナ|ボツワナ共和国]]第3代大統領、[[フェスタス・モハエ]](1939-)]] * [[1165年]] - [[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]、[[フランス王国|フランス]]王(+ [[1223年]]) * [[1535年]]([[天文 (元号)|天文]]4年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[島津義弘]]、[[戦国大名]](+ [[1619年]]) * [[1567年]] - [[フランシスコ・サレジオ]]、[[カトリック教会]]・[[聖公会]]の[[聖人]](+ [[1622年]]) * [[1643年]] - [[アフォンソ6世 (ポルトガル王)|アフォンソ6世]]、[[ポルトガル王]](+ [[1683年]]) * [[1665年]] - [[ジャコーモ・フィリッポ・マラルディ]]、[[天文学者]](+ [[1729年]]) * [[1670年]] - [[ジェームズ・フィッツジェームズ (初代バーウィック公)|ジェームズ・フィッツジェームズ]]、[[軍人]](+ [[1734年]]) * [[1717年]]([[享保]]2年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[醍醐経胤]]、[[公卿]](+ [[1781年]]) * [[1725年]] - [[ジャン=バティスト・グルーズ]]、[[画家]](+ [[1805年]]) * [[1735年]] - [[トバイアス・フルノー]]、航海者、海軍将校(+ [[1781年]]) * [[1754年]] - [[ウィリアム・マードック]]、[[技術者]]、[[発明家]](+ [[1839年]]) * [[1764年]]([[明和]]元年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[伊東長寛]]、[[備中国]][[岡田藩]]主(+ [[1850年]]) * [[1765年]] - [[ウィリアム4世 (イギリス王)|ウィリアム4世]]、[[イギリス]]王(+ [[1837年]]) * [[1783年]]([[天明]]3年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[丹羽氏昭]]、[[播磨国]][[三草藩]]主(+ [[1827年]]) * [[1789年]] - [[オーギュスタン=ルイ・コーシー]]、[[数学者]](+ [[1857年]]) * [[1798年]] - [[ジュール・ミシュレ]]、[[歴史家]](+ [[1874年]]) * [[1811年]] - [[ジョゼフ・ドランブール]]、[[言語学者]](+ [[1895年]]) * [[1816年]] - [[シャルル・ジェラール]]、[[化学者]](+ [[1856年]]) * [[1823年]] - [[ナサニエル・E・グリーン]]、画家(+ [[1899年]]) * [[1835年]]([[天保]]6年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[橋本雅邦]]、[[日本画家]](+ [[1908年]]) * [[1871年]] - [[レオニド・アンドレーエフ]]、[[小説家]](+ [[1919年]]) * [[1872年]] - [[オーブリー・ビアズリー]]、画家(+ [[1898年]]) * [[1883年]] - [[正宗得三郎]]、画家(+ [[1962年]]) * 1883年 - [[岩村通世]]、[[政治家]](+ [[1965年]]) * [[1891年]] - [[デイビッド・カーティス・スティーブンソン]]、[[クー・クラックス・クラン]]幹部(+ [[1966年]]) * 1891年 - [[エミリアーノ・メルカド・デル・トロ]]、[[長寿]]世界一であった男性(+ [[2007年]]) * [[1893年]] - [[テレサ・ウェルド]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1978年]]) * 1893年 - [[リリ・ブーランジェ]]、[[作曲家]](+ [[1918年]]) * [[1894年]] - [[クリスチャン・シャド]]、[[芸術家]](+ [[1982年]]) * [[1895年]] - [[木村荘八]]、[[洋画家]](+ [[1958年]]) * [[1899年]] - {{仮リンク|方志敏|en|Fang Zhimin}}、革命家(+ [[1935年]]) * [[1904年]] - [[カウント・ベイシー]]、バンドリーダー(+ [[1984年]]) * 1904年 - [[奥野高廣]]、[[歴史学者]](+ [[2000年]]) * [[1909年]] - [[遠山啓]]、[[数学者]]、[[教育者]](+ [[1979年]]) * [[1911年]] - [[小林正 (仏文学者)|小林正]]、[[フランス文学者]](+ [[1975年]]) * 1911年 - [[今村太平]]、[[映画評論家]](+ [[1986年]]) * [[1913年]] - [[コーネリアス・ジョンソン]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1946年]]) * [[1916年]] - [[五島昇]]、[[実業家]](+ [[1989年]]) * 1916年 - [[早川崇]]、政治家(+ [[1982年]]) * 1916年 - [[橋本正吾]]、[[プロ野球選手]] * [[1917年]] - [[レオニード・ハーヴィッツ]]、[[経済学者]](+ [[2008年]]) * [[1920年]] - {{仮リンク|クリストファー・ロビン・ミルン|en|Christopher Robin Milne|Christopher Robin Milne}}、[[A・A・ミルン]]の息子、『[[クマのプーさん]]』の[[クリストファー・ロビン]]のモデル(+ [[1996年]]) * [[1924年]] - [[吾妻ひな子]]、[[漫才師]]、[[漫談家]](+ [[1980年]]) * [[1925年]] - [[篠原一 (政治学者)|篠原一]]、[[政治学者]](+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG04H1K_U5A101C1CC0000/ |title=篠原一氏が死去 東京大名誉教授 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2015-11-04 |accessdate=2023-02-12}}</ref>) * [[1929年]] - [[中西進]]、[[日本文学研究者|国文学者]] * [[1930年]] - [[芦田淳]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASLBQ5J2VLBQUCLV01G.html |title=デザイナーの芦田淳さん死去 皇族の服も手がける |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[朝日新聞]] |date=Oct 22 2018}}</ref>) * 1930年 - [[マーガレット (スノードン伯爵夫人)|マーガレット]]、[[イギリス]]の[[王族]](+ [[2002年]]) * [[1932年]] - [[村上正邦]]、[[政治家]](+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20200910-JOXO4ZPSUVJ6JBQMJM7GHQX3EU/ |title=村上正邦・元自民党参院議員会長が死去 |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=Sep 10 2020}}</ref>) * [[1933年]] - [[越部信義]]、[[作曲家]](+ [[2014年]]) * 1933年 - [[菅原洋一]]、[[歌手]] * [[1934年]] - [[ジョン・ホール (物理学者)|ジョン・ホール]]、[[物理学者]] * [[1936年]] - [[エリック・ハイドシェック]]、[[ピアニスト]] * 1936年 - [[香月弘美]]、[[宝塚歌劇団]][[月組 (宝塚歌劇)|月組]]娘役(+ [[1958年]]) * [[1937年]] - [[山根久幸]] - 俳優 * [[1938年]] - [[ケニー・ロジャース (カントリー歌手)|ケニー・ロジャース]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー]]歌手(+ [[2020年]]) * [[1939年]] - [[ジェームズ・バートン]]、[[ギタリスト]] * 1939年 - [[フェスタス・モハエ]]、[[ボツワナの大統領一覧|ボツワナ大統領]] * [[1940年]] - [[斉藤安弘]]、[[ラジオパーソナリティ]] * [[1942年]] - [[生沢徹]]、[[カーレーサー]] * [[1943年]] - [[フェリックス・ミヤーン]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[ピーター・ウィアー]]、[[映画監督]] * [[1947年]] - [[稲川淳二]]、[[タレント]] * 1947年 - [[盛田嘉哉]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[ルーシャス・シェパード]]、[[作家]](+ [[2014年]]) * [[1951年]] - [[グレン・ヒューズ]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1951年 - [[由良拓也]]、[[レーシングカー]]デザイナー * [[1952年]] - [[ジョー・ストラマー]]、ミュージシャン(+ [[2002年]]) * 1952年 - [[豊田俊郎]]、政治家 * 1952年 - [[滝沢久美子]]、声優(+ [[2022年]]) * [[1953年]] - [[関根勤]]、タレント * 1953年 - [[円広志]]、[[歌手]]、作曲家、タレント * [[1955年]] - [[加門良]]、俳優 * [[1957年]] - [[竹葉山真邦]]、元大相撲力士、年寄22代間垣 * 1957年 - [[光井正和]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[新居昭乃]]、[[シンガーソングライター]] * [[1960年]] - [[池田晶子 (文筆家)|池田晶子]]、[[哲学者]]、文筆家(+ [[2007年]]) * [[1961年]] - [[野村玲子]]、[[ミュージカル]][[俳優|女優]] * 1961年 ‐ 井沢武則、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[宮崎勤]]、シリアルキラー(+ [[2008年]]) * 1962年 - [[加良まゆみ]]、声優 * 1962年 - [[長谷川公彦]]、俳優 * [[1963年]] - [[ムハンマド6世]]、[[モロッコ]]国王 * 1963年 - [[高樹沙耶]]、元女優 * 1963年 - [[眞鍋政義]]、[[バレーボール選手]] * [[1965年]] - [[鈴木祥子]]、シンガーソングライター * [[1966年]] - [[増沢望]]、俳優 * 1966年 - [[西村和彦]]、俳優 * [[1967年]] - [[キャリー=アン・モス]]、俳優 * 1967年 - [[皇名月]]、漫画家 * 1967年 - [[中井亜希]]、[[アナウンサー]] * 1967年 - [[CMJK]]、ミュージシャン(元[[電気グルーヴ]]、[[Cutemen]]) * [[1968年]] - [[タフィ・ローズ]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[岩崎伸一]]、アイスホッケー選手 * [[1969年]] - [[グレン・ボス]]、[[騎手]] * 1969年 - [[村上竜太郎]]、元野球選手 * [[1970年]] - [[スレイド・キャラハン]]、騎手 * 1970年 - [[クレイグ・カウンセル]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[細野豪志]]、政治家 * 1971年 - [[竹内ゆうじ]]、タレント(+ [[2007年]]) * 1971年 - [[中川素州]]、俳優 * 1971年 - [[萩原聖人]]、俳優 * 1971年 - [[平沼孝啓]]、建築家 * 1971年 - [[古田亘]]、写真家 * 1971年 - [[ルー・ポート]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[野口健]]、[[登山家]] * [[1974年]] - [[安達智次郎]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]) * 1974年 - [[粟田麗]]、俳優 * [[1975年]] - [[VERBAL]]、[[MC (ヒップホップ)|ヒップホップMC]] * 1975年 - [[前里史朗]]、[[野球選手]] * [[1976年]] - [[辰巳孝太郎]]、政治家 * [[1977年]] - [[いしわたり淳治]]、[[作詞家]]、[[音楽プロデューサー]](元[[SUPERCAR]]) * 1977年 - [[五十嵐充子]]、[[アイスホッケー選手]] * 1977年 - [[小林聡 (野球)|小林聡]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[田中総司 (野球)|田中総司]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[漆原裕治]]、[[SASUKE]]史上3人目の完全制覇者 * 1978年 - [[ジェイソン・マーキー]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[キンバリー・スチュワート]]、ファッションモデル * 1979年 - [[丸岡正典]]、[[競艇選手]] * [[1980年]] - [[東出輝裕]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[小林正人]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[デヴィン・パトリック]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1980年 - [[柳田さやか]]、フリーアナウンサー * 1980年 - [[工藤和樹]]、元プロ野球審判員 * 1980年 - [[相沢舞]]、声優 * [[1982年]] - [[大前茜]]、元声優 * 1982年 - [[桟原将司]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[山地隆]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[大道健二]]、元大相撲力士 * [[1983年]] - [[夏木彩]]、女優 * 1983年 - [[ブロディ・ジェンナー]]、[[タレント]] * 1983年 - [[ウンベルト・コントレラス]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1983年 - [[ジェシー・チャベス]]、プロ野球選手 * 1983年 - 全珠利、[[韓国放送公社|KBS]]アナウンサー * [[1984年]] - [[内山雄介]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[arie]]、シンガーソングライター、歌手 * 1984年 - [[アリゼ]]、歌手 * 1984年 - [[野中絵美]]、アイスホッケー選手 * 1984年 - [[ダスティン・モルケン]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[石沢綾子]]、アナウンサー * [[1986年]] - [[梶本達哉]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[ウサイン・ボルト]]、元陸上選手 * 1986年 - [[坂本功貴]]、元体操選手 * 1986年 - [[荒鷲毅]]、元大相撲力士 * 1986年 - [[森田京之介]]、元アナウンサー * [[1987年]] - [[鄭汛]]、フィギュアスケート選手 * 1987年 - ロジャー、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[大自然 (お笑いコンビ)|大自然]]) * [[1988年]] - [[絵仁]]、女優、[[ダンサー]]、[[歌手]] * 1988年 - [[イ・ボミ]]、プロゴルファー * 1988年 - [[井上公志]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[ロベルト・レヴァンドフスキ]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[ヘイデン・パネッティーア]]、女優 * 1989年 - [[船越真美子]]、女優 * 1989年 - [[川畑一志]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]アナウンサー * 1989年 - [[エイーレ・アドリアンサ]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[安齊舞]]、元タレント * 1990年 - [[千佐都]]、歌手 * 1990年 - [[星奈津美]]、競泳選手 * 1990年 - [[相川奈都姫]]、声優 * 1990年 - [[東城日沙子]]、声優 * 1990年 - [[室岡里美]]、アナウンサー * [[1991年]] - すがちゃん最高No.1、お笑い芸人([[ぱーてぃーちゃん]]) * 1991年 - [[愛希れいか]]、元宝塚歌劇団月組娘役、女優 * 1991年 - [[メイソン・ウィリアムズ (野球)|メイソン・ウィリアムズ]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[RINA (ドラマー)|RINA]]、ドラマー([[SCANDAL (日本のバンド)|SCANDAL]]) * [[1992年]] - [[吉川大幾]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[獅子内美帆]]、アイスホッケー選手 * 1992年 - [[ブランドン・ドルーリー]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[霧宮てん]]、タレント、コスプレイヤー * [[1993年]] - [[安達直人]]、俳優、声優 * [[1994年]] - [[五木あきら]]、[[コスプレ|コスプレイヤー]] * [[1995年]] - [[高准翼]]、サッカー選手 * [[1997年]] - [[今日和]]、女子相撲選手 * [[1998年]] - [[武田舞彩]]、シンガーソングライター(元[[GEM (アイドルグループ)|GEM]]) * [[1999年]] - [[田辺桃子]]、女優、ファッションモデル * [[2000年]] - [[奥野壮]]、俳優 * [[2001年]] - [[本田真凜]]、フィギュアスケート選手 * [[2003年]] - 市原愛弓、[[アイドル]]([[≒JOY]]、元[[STU48]]) * 2003年 - [[柳川大晟]]、プロ野球選手 * 生年不明 - [[椎名橙]]、漫画家 * 生年不明 - [[水純なな歩]]、声優 * 生年不明 - [[中家志穂]]、声優 * 生年不明 - [[堀総士郎]]、声優 * 生年不明 - [[稲田佳乃香]]、声優 * 生年不明 - [[東龍一]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.artsvision.co.jp/talent/58/|title=東 龍一|publisher=アーツビジョン|accessdate=2023-02-12}}</ref>、声優 == 忌日 == [[ファイル:Bernard of Clairvaux - Gutenburg - 13206.jpg|thumb|100px|キリスト教の神学者、「聖ベルナール」[[クレルヴォーのベルナルドゥス]](1090-1153)没。祝祭日は8月20日]] [[ファイル:Chamisso Adelbert von 1781-1838.png|thumb|100px|詩人・植物学者、[[アーデルベルト・フォン・シャミッソー]](1781-1838)]] {{multiple image | footer = [[禁門の変]]で刑死した志士 | image1 = Kuniomi_Hirano.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[平野国臣]](1828-1864) | image2 = Kodaka6451.jpg | width2 = 70 | caption2 = [[古高俊太郎]](1829-1864) }} {{multiple image | footer = 革命家[[レフ・トロツキー]](1879-1940)暗殺。右画像は現場となった部屋。 {{Squote|[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]は以前しくじった仕事をやっと成功させたわけだ。――最期の言葉}} {{Squote|息をしている限りは希望を持つ。息をしている限りは未来のために闘う――『楽観主義と悲観主義について』(1901)}} {{Squote|手段は目的によってしか正当化されない。しかし目的もまた正当化を必要とする。}} | image1 = Trotsky_Profile.jpg | width1 = 100 | alt1 = レフ・トロツキー | image2 = Trotsky_last_office.jpg | width2 = 160 | alt2 = 暗殺現場 }} {{multiple image | footer = デザイナー・建築家、[[チャールズ・イームズ]](1907-1978)没。 | image1 = Eames_Wood_Chair.jpg | width1 = 100 | caption1 = 「{{仮リンク|イームズ・ラウンジ・チェア・ウッド」|en|Eames Lounge Chair Wood (LCW)}}」(1945) | image2 = Eames.jpg | width2 = 100 | caption2 = 「ハング・イット・オール」(1953) }} [[Image:%E8%97%A4%E5%B1%B1%E4%B8%80%E9%83%8E.jpg|thumb|100px|歌手・声楽家、[[藤山一郎]](1911-1993)]] === 人物 === * [[699年]] - [[弓削皇子]]、[[皇族]] * [[1153年]] - [[クレルヴォーのベルナルドゥス]]、[[神学者]](* [[1090年]]) * [[1157年]] - [[アルフォンソ7世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ7世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](* [[1105年]]) * [[1568年]] - [[ジャン・ド・ヴァレット]]、[[聖ヨハネ騎士団]]総長(* [[1494年]]?) * [[1597年]]([[慶長]]2年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - [[穂井田元清]]、[[武将|戦国武将]](* [[1551年]]) * [[1614年]] - [[バートリ・エルジェーベト]]、[[ハンガリー]]の[[貴族]](* [[1560年]]) * [[1627年]] - [[ジャック・モーデュイ]]、[[作曲家]](* [[1557年]]) * [[1736年]] - [[エマヌエーレ・ダストルガ]]、作曲家(* [[1681年]]) * [[1836年]] - [[アンリ・ナビエ]]、[[物理学者]](* [[1785年]]) * [[1838年]] - [[アーデルベルト・フォン・シャミッソー]]、[[詩人]](* [[1781年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[平野国臣]]、[[尊皇攘夷|尊皇攘夷派]]の[[志士]](* [[1828年]]) * 1864年(元治元年7月20日) - [[古高俊太郎]]、尊皇攘夷派の志士(* [[1829年]]) * [[1878年]] - [[林玄仲]]<ref>磯部郷土史刊行会 編(1963):263ページ</ref>、医師・役人(* [[1795年]]) * [[1891年]] - [[ハリー・ポウレット (第4代クリーヴランド公爵)]](* [[1803年]]) * [[1901年]] - [[アドルフ・オイゲン・フィック]]、[[生理学者]](* [[1829年]]) * [[1917年]] - [[奥田義人]]、第28代[[文部大臣]]、[[司法大臣]]、[[東京市|東京市長]](* [[1860年]]) * [[1919年]] - [[ローレンス・ドハティー]]、[[テニス]]選手(* [[1875年]]) * [[1935年]] - [[ジョン・ハートリー]]、テニス選手(* [[1849年]]) * 1935年 - [[岡村金太郎]]、[[水産学|水産学者]](* [[1867年]]) * [[1937年]] - [[ジョージ・ライト (内野手)|ジョージ・ライト]]、元プロ野球選手(* [[1847年]]) * [[1939年]] - [[久慈次郎]]、野球選手(* [[1898年]]) * [[1940年]] - [[パウル・ユオン]]、作曲家(* [[1872年]]) * 1940年 - [[レフ・トロツキー]]、[[革命家]](* [[1879年]]) * [[1943年]] - [[伏見博英]]、[[伏見宮博恭王]]第四王子、[[伯爵]](* [[1912年]]) * [[1945年]] - [[園井恵子]]、[[俳優|女優]](* [[1913年]]) * [[1947年]] - [[セオドア・ビルボー]]、[[知事|ミシシッピ州知事]](* [[1877年]]) * [[1951年]] - [[コンスタント・ランバート]]、作曲家(* [[1905年]]) * [[1957年]] - [[ハラルド・スヴェルドラップ]]、[[海洋学|海洋学者]](* [[1888年]]) * [[1964年]] - [[パルミーロ・トリアッティ]]、[[イタリア共産党]]の指導者(* [[1893年]]) * [[1965年]] - [[浮谷東次郎]]、レーサー(* [[1942年]]) * [[1966年]] - [[篠崎弘嗣]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1902年]]) * [[1967年]] - [[内藤伸]]、[[彫刻家]](* [[1882年]]) * [[1971年]] - [[松村謙三]]、[[厚生大臣]]、[[農林大臣]]、文部大臣(* [[1883年]]) * 1971年 - [[ジョージ・ジャクソン]]、[[ブラックパンサー党]]の[[積極行動主義|活動家]](* [[1941年]]) * [[1976年]] - [[中山栄一]]、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[衆議院議員]](* [[1895年]]) * [[1978年]] - [[チャールズ・イームズ]]、[[デザイナー]]、[[建築家]](* [[1907年]]) * [[1979年]] - [[ジュゼッペ・メアッツァ]]、[[サッカー選手]](* [[1910年]]) * 1979年 - [[藤林甲]]、[[照明技師]](* [[1908年]]) * [[1980年]] - [[大日方傳]]、[[俳優]](* [[1907年]]) * 1980年 - [[ジェニファー・ニックス]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1932年]]) * [[1982年]] - [[ソブーザ2世]]、[[スワジランド]]国王(* [[1899年]]) * [[1983年]] - [[ベニグノ・アキノ・ジュニア|ベニグノ・アキノ]]、[[フィリピン]]上院議員(* [[1932年]]) * [[1984年]] - [[後藤隆之助]]、政治運動家(* [[1888年]]) * [[1986年]] - [[サド・ジョーンズ]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者(* [[1923年]]) * [[1991年]] - [[ヴォルフガング・ヒルデスハイマー]]、作家(* [[1916年]]) * [[1992年]] - [[ダイ・バーノン]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](* [[1894年]]) * [[1993年]] - [[藤山一郎]]、[[歌手]]、[[声楽家]](* [[1911年]]) * 1993年 - [[タティアナ・トロヤノス]]、[[メゾソプラノ]]歌手(* [[1938年]]) * [[1994年]] - [[アニタ・リザナ]]、テニス選手(* [[1915年]]) * [[1995年]] - [[スブラマニアン・チャンドラセカール]]、[[天体物理学|天体物理学者]](* [[1910年]]) * [[1999年]] - [[寺尾五郎]]、[[歴史学者]]、[[評論家]](* [[1921年]]) * [[2001年]] - [[二階堂副包]]、[[経済学者]](* [[1923年]]) * 2001年 - [[北村治禧]]、[[彫刻家]](* [[1915年]]) * [[2005年]] - [[内海英男]]、[[建設大臣]]、[[国土庁長官]](* [[1922年]]) * 2005年 - [[ロバート・モーグ]]、[[モーグ・シンセサイザー]]生みの親(* [[1934年]]) * 2005年 - [[レフ・ナウモフ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]]、音楽教師(* [[1925年]]) * [[2006年]] - [[菅野壽]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]][[参議院議員]](* [[1923年]]) * [[2010年]] - [[梨元勝]]、[[芸能リポーター]](* [[1944年]]) * [[2011年]] - [[竹脇無我]]、[[俳優]](* [[1944年]]) * [[2012年]] - [[内藤武敏]]、俳優(* [[1926年]]) * [[2016年]] - [[むのたけじ]]、[[ジャーナリスト]](* [[1915年]]) * 2016年 - [[平松守彦]]、政治家、元[[大分県知事一覧|大分県知事]](* [[1924年]]) * 2016年 - [[十勝花子]]、[[俳優|女優]](* [[1946年]]) * 2016年 - [[山本重雄]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG21H25_R20C16A8CZ8000/ |title=山本重雄氏が死去 「世界の山ちゃん」創業者 |access-date=Feb 12 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=Aug 21 2016}}</ref>、[[実業家]]、[[居酒屋]]チェーン「[[エスワイフード|世界の山ちゃん]]」創業者(* [[1957年]]) * [[2017年]] - [[小川是]]<ref>{{Cite web|和書|title=小川是氏が死去 元大蔵次官・横浜銀頭取 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2017-08-25 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLZO20370790V20C17A8CC1000/ |accessdate=2023-02-12}}</ref>、[[横浜銀行]]頭取(* [[1940年]]) * [[2021年]] - [[二瓶正也]]、俳優(* [[1940年]])   === 人物以外(動物など) === * [[1997年]] - [[マルゼンスキー]]、競走馬(* [[1974年]]) == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Blood donation at Fleet Week USA.jpg|thumb|180px|[[献血]]の日]] [[ファイル:Mohammed VI of Morocco.jpg|thumb|140px|モロッコ国王[[ムハンマド6世 (モロッコ王)|ムハンマド6世]]誕生(1963-)]] [[Image:Ueno Park fountain.JPG|thumb|240px|[[上野恩賜公園|上野公園]]の現在の噴水]] * {{仮リンク|ニノイ・アキノの日|en|Ninoy Aquino Day}}({{PHL}}) *: [[1983年]]のこの日、[[ベニグノ・アキノ・ジュニア]](ニノイ・アキノ)がフィリピンに帰国し暗殺されたことを記念する祝日。この暗殺は[[フェルディナンド・マルコス|マルコス]]政権の終焉につながった。 * [[ムハンマド6世 (モロッコ王)|ムハンマド6世]]誕生日({{MAR}}) *: [[1963年]]のこの日の、国王[[ムハンマド6世]]の誕生を祝う祝日。 * [[献血]]の日({{JPN}}) *:[[1964年]]のこの日、それまでの[[売血]]制度を廃止し、全ての[[輸血]]用血液を献血によって確保することが[[閣議 (日本)|閣議]]決定されたことを記念<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jrc.or.jp/donation/blood/news/190820_005830.html |title=8月21日は「献血の日」です |publisher=[[日本赤十字社]] |accessdate=2023-02-12 |date=2019-08-20}}</ref>。 * [[噴水]]の日({{JPN}}) *: [[1877年]]のこの日に開幕した第1回内国勧業博覧会で、会場の[[上野恩賜公園|上野公園]]中央の人工池に日本初の西洋式の噴水が作られ始めたことを記念。完成したのは9月8日<ref>[http://www.nnh.to/08/21.html 今日は何の日]</ref>。 * [[福島県]]民の日({{JPN}} 福島県) *: 1876年のこの日、福島県・[[磐前県]]・[[若松県]]が合併して、福島県がほぼ現在の県域となったことを記念して福島県が[[1997年]]に制定。 * [[静岡県]]民の日({{JPN}} 静岡県) *: [[1876年]]のこの日、[[浜松県]]が[[静岡県]]に編入され、静岡県がほぼ現在の県域となったことを記念して静岡県が制定。 * [[女子大生の日]]({{JPN}}) *:[[1913年]](大正2年)、東北帝國大学(現:[[東北大学]])が女子受験生3人の合格を発表し、日本に初めて女子大生が誕生した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=2447|title=女子大生の日|publisher=一般財団法人日本記念日協会|accessdate=2023-02-12}}</ref>。合格者のひとりである[[黒田チカ]]は、その後日本初の女性理学博士となった。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0821|date=2011年6月}} === 誕生日(フィクション) === * [[1991年]] - 田井中律、漫画・アニメ『[[けいおん!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/k-on/k-on_tv/news/news1706.html |title=田井中律バースデー当日お祝い用グッズ&ケーキが登場! |work=『けいおん!』 |accessdate=2023-02-12 |publisher=[[かきふらい]]・[[芳文社]]/桜高軽音部 TBS |date=Jun 27 2017}}</ref> * [[1995年]] - 銀島結、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=古舘春一 |authorlink=古舘春一 |date=2018-04-04 |title=ハイキュー!! |publisher=集英社 |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4088813783 |volume=31巻 |page=46}}</ref> * [[2009年]] - [[ソードアート・オンラインの登場人物#シノン|シノン(朝田詩乃)]]、小説・アニメ・ゲーム『[[ソードアート・オンライン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kunori|490858843329396736}}</ref><ref>{{Twitter status|animatetimes|1561156269763067904}}</ref> * 生年不明 - 黄前久美子、小説・アニメ『[[響け! ユーフォニアム]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://tv.anime-eupho.com/character/#/kumiko |title=黄前久美子 |publisher=[[京都アニメーション]] [[武田綾乃]]・[[宝島社]]/『響け!』製作委員会 |work=『響け! ユーフォニアム』 |accessdate=2023-01-22}}</ref> * 生年不明 - 沢泉ちゆ(キュアフォンテーヌ)、アニメ『[[ヒーリングっど♥プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/healingood_precure/character/chara2.php |work=『ヒーリングっど♥プリキュア』 |title=キュアフォンテーヌ/沢泉 ちゆ |accessdate=2023-01-22 |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC-A]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - タケ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Take.html |title=タケ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=2023-01-22 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - パウンド、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Pound.html |title=パウンド |work=『ONE PIECE』 |accessdate=2023-01-22 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - カイザ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2002-07-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=58|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088732886}}</ref> * 生年不明 - 茜ヶ久保もも、漫画・アニメ『[[食戟のソーマ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shokugeki_anime|1428960053441224704}}</ref> * 生年不明 - ラクス・ウェルト、漫画・アニメ『[[終わりのセラフ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|owarino_seraph|634390551266127873}}</ref> * 生年不明 - [[GetBackers-奪還屋-の登場人物#筧十兵衛|筧十兵衛]]、漫画・アニメ『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/getbackers/old/chara/c_jubei.html |title=筧 十兵衛 |access-date=2023-01-22 |publisher=[[青樹佑夜]]・[[綾峰欄人]]・[[講談社]] / チーム奪還屋 TBS |work=『GetBackers-奪還屋-』}}</ref> * 生年不明 - ロッド、漫画・アニメ『[[南国少年パプワくん]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 泉そうじろう、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 楠友華、漫画・OVA『[[僕は妹に恋をする]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 王美雨、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/wan.html |title=王 美雨(ワンメイユイ) |accessdate=2023-01-22 |publisher=MF文庫J [[衣笠彰梧]]・[[KADOKAWA]]刊/ようこそ実力至上主義の教室へ製作委員会 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』}}</ref> * 生年不明 - クリュセイス・クロイス、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 陵いのり、ゲーム・アニメ『[[Memories Off 〜それから〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://memoriesoff.jp/psp/sorekara/chara.html |title=陵いのり(CV:小林沙苗) |access-date=2023-01-22 |publisher=5pb. / CYBERFRONT |work=『メモリーズオフ 〜それから〜 PSP版』}}</ref> * 生年不明 - 土門飛鳥、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2023-01-22}}</ref> * 生年不明 - 土岐蓬生、ゲーム『[[金色のコルダ3]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gamecity.ne.jp/corda-octave/characters/index.html |title=CHARACTERS 土岐 蓬生 |accessdate=2023-01-22 |work=『金色のコルダオクターヴ』 |publisher=[[コーエーテクモゲームス]]}}</ref> * 生年不明 - 栗栖ここね、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/03/character/11.html |title=栗栖ここね |access-date=2023-01-22 |publisher=BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO |work=『アイカツ!』}}</ref> * 生年不明 - ネペンテス、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=115&cate=name&cont=Nepenthes |title=ネペンテス |access-date=2023-01-22 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - ケント、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/fatamusica/kent/ |title=ケント |access-date=2023-01-22 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - [[古手梨花]]、メディアミックス『[[ひぐらしのなく頃に]]』に登場するキャラクター<ref group="注">原作では昭和58年時点で小学校6年生であるが、実写映画などでは中学生になっている。</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=07th Expansion全作品設定資料集(2014年、コミックマーケット85で頒布) |url=http://www.07th-expansion.net/myshop.htm |publisher=[[07th Expansion]]}}</ref> * 生年不明 - 磐城もも、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 波羅夷空却、メディアミックス『[[ヒプノシスマイク|ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hypnosismic.com/character/nagoya/evil_monk/ |title=波羅夷 空却 / Evil Monk |accessdate=2023-01-22 |work=『ヒプノシスマイク』 |publisher=[[キングレコード|King Record Co.]]}}</ref> * 生年不明 - 白井日菜子、ゲーム『ブルー リフレクション 幻に舞う少女の剣』に登場するキャラクター == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 21|21 August}} {{新暦365日|8|20|8|22|[[7月21日]]|[[9月21日]]|[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]|0821|8|21}} {{1年の月と日}}
2003-03-29T11:32:05Z
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8月22日
8月22日(はちがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から234日目(閏年では235日目)にあたり、年末まであと131日ある。
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{{カレンダー 8月}} '''8月22日'''(はちがつにじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から234日目([[閏年]]では235日目)にあたり、年末まであと131日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[樺太・千島交換条約]], [[英国放送協会]]/[[テレビ]], [[独ソ戦]]/[[レニングラード包囲戦]], [[ルーマニア]], [[天気予報]], [[愛宕山事件]], [[アリシア・ギブソン]]/[[全米オープン (テニス)]], [[パウロ6世 (ローマ教皇)]], [[東京]]/[[気温]], --> {{multiple image | footer = [[ボズワースの戦い]](1485)。[[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]が戦死し[[薔薇戦争]]が事実上終結 | image1 = Battle_of_Bosworth_by_Philip_James_de_Loutherbourg.jpg | width1 = 200 | alt1 = ボズワースの戦い。19世紀の絵 | image2 = King_Richard_of_England_cropped.jpg | width2 = 100 | alt2 = リチャード3世 }} [[ファイル:Battle for Palm Tree Hill.jpg|thumb|アフリカ系奴隷の反乱、[[ハイチ革命]]はじまる(1791)]] {{multiple image | footer = ワイト島一周ヨットレースで「アメリカ号」(左画像)が優勝(1851)、[[アメリカスカップ]]のはじまり | image1 = The_America_Schooner_Yacht_-_New_York_Yacht_Club.jpg | width1 = 200 | alt1 = アメリカ号 | image2 = The_America%27s_Cup.jpg | width2 = 80 | alt2 = 20世紀初頭の「アメリカスカップ」 }} {{multiple image | footer = 第1回[[ジュネーヴ条約]]締結(1864)、[[赤十字社|国際赤十字]]発足 | image1 = Original_Geneva_Conventions.jpg | width1 = 140 | alt1 = 原本 | image2 = Croixrouge_logos.jpg | width2 = 140 | alt2 = 国際赤十字・赤新月社の旗 }} [[ファイル:General_power_of_attorney_to_Lee_Wan-Yong_signed_and_sealed_by_Sunjong.jpg|thumb|260px|[[日韓併合条約]]締結(1910)。画像は[[純宗 (朝鮮王)|純宗]]の全権委任状。{{Squote|[[大韓帝国|韓国]]皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ[[天皇|日本国皇帝陛下]]ニ譲与ス――第1条}}]] {{multiple image | footer = [[ルーヴル美術館]]から『[[モナ・リザ]]』が盗まれる(1911)。詩人[[ギヨーム・アポリネール|アポリネール]]や画家[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]が疑われ逮捕された | image1 = Mona_Lisa_stolen-1911.jpg | width1 = 160 | alt1 = 盗まれたあとの壁 | image2 = Mona Lisa, by Leonardo da Vinci, from C2RMF retouched.jpg | width2 = 120 | alt2 = モナ・リザ }} <!-- [[ファイル:The_Cenotaph_of_Far_Eastern_Air_Transport_Flight_103_Accident-P1000547.JPG|thumb|220px|[[遠東航空103便墜落事故]](1981)。画像は慰霊碑]] --> {{multiple image | footer = [[エドヴァルド・ムンク|ムンク]]の『[[叫び (エドヴァルド・ムンク)|叫び]]』と『[[マドンナ (エドヴァルド・ムンク)|マドンナ]]』が盗まれる(2004) | image1 = Edvard Munch - The Scream - Google Art Project.jpg | width1 = 120 | alt1 = 『叫び』1910年版 | image2 = Edvard Munch - Madonna (1894-1895).jpg | width2 = 120 | alt2 = 『マドンナ』 }} [[ファイル:Kiyosi_Ito.jpg|thumb|100px|数学者[[伊藤清]](1915-2008)、第1回[[ガウス賞]]受賞(2006)]] * [[1144年]]([[天養]]元年[[7月22日 (旧暦)|7月22日]]) - 藤原通憲が出家して[[信西]]と号す。 * [[1485年]] - [[薔薇戦争]]: [[ボズワースの戦い]]。ヘンリー・テューダーがヨーク家の[[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]を破り、イングランド王[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]として即位。[[プランタジネット朝]]が終わり[[テューダー朝]]が始まる。 * [[1639年]] - [[イギリス東インド会社|東インド会社]]により、[[インド]]に[[チェンナイ|マドラス]](現チェンナイ)が創設される。 * [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[スタテン島の戦い]]行われる。 * [[1791年]] - [[サン=ドマング]]で[[ハイチ革命]]はじまる。 * [[1741年]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]が「[[メサイア (ヘンデル)|メサイア]]」の作曲を開始。24日間で書き上げる。 * [[1795年]] - [[フランス革命]]: [[共和暦3年憲法]]が公布。[[総裁政府]]が成立。 * [[1851年]] - イギリスのワイト島一周[[ヨット]]レースでアメリカの「アメリカ号」が優勝。[[アメリカスカップ]]の始まり。 * [[1853年]]([[嘉永]]6年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - ロシア使節・[[エフィム・プチャーチン|プチャーチン]]極東艦隊司令官が軍艦4隻を率いて長崎に来航。 * [[1864年]] - 傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約([[ジュネーヴ条約]])が調印され、[[赤十字社|国際赤十字]]が発足する。 * [[1875年]] - [[樺太・千島交換条約]]批准。 * [[1902年]] - [[東京都電車|東京電気鉄道]]が[[新橋 (東京都港区)|新橋]] - [[品川 (東京都)|品川]]間で東京初の[[路面電車]]が運行開始。 * [[1904年]] - [[第一次日韓協約]]調印。韓国の財政・外交が日本の監督下に。 * [[1910年]] - [[寺内正毅]][[韓国統監府|統監]]と[[李完用]][[大韓帝国]]首相が[[ソウル特別市|漢城]]で[[日韓併合条約]]に調印。 * [[1911年]] - [[パリ]]の[[ルーヴル美術館]]で展示されていた[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の「[[モナ・リザ]]」が盗難にあう。 * [[1922年]] - [[アイルランド内戦]]: [[アイルランド自由国]]臨時政府首相・国軍司令官の[[マイケル・コリンズ (政治家)|マイケル・コリンズ]]の一行が[[コーク県]]に向かう途上襲撃を受け、コリンズは暗殺される。 * [[1932年]] - [[英国放送協会]] (BBC) が[[テレビ]]放送の実験を開始。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]・[[独ソ戦]]: [[ドイツ]]軍が[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]に到達。[[9月8日]]から[[レニングラード包囲戦|包囲戦]]が始まる。 * [[1942年]] - 第二次世界大戦: [[ブラジル]]がドイツ・[[イタリア]]に[[宣戦布告]]。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦: [[対馬丸#対馬丸事件|対馬丸事件]]。[[疎開#学童疎開|学童疎開]]船「[[対馬丸]]」が[[アメリカ海軍]]の[[潜水艦]]に撃沈され、乗員乗客1418名が死亡。 * 1944年 - 第二次世界大戦: ソ連軍が[[ルーマニア]]を占領。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[ソ連対日参戦]]: [[三船殉難事件]]。[[樺太]]からの引揚船3隻が[[赤軍|ソ連軍]]の潜水艦に攻撃され2隻が沈没、1700名以上死亡。 * 1945年 - [[肥薩線列車退行事故]]、53名が死亡。 * 1945年 - 日本で、戦時中禁止されていた[[天気予報]]のラジオ放送が4年ぶりに復活。翌日には新聞でも復活。 * 1945年 - [[愛宕山事件]]: [[8月15日]]から[[愛宕山 (港区)|愛宕山]]に篭城していた右翼団体・尊攘同志会会員ら12人が手榴弾で自決。<!-- 愛宕山事件『決定版20世紀年表』(小学館)に自決の部分だけは載っている。 --> * [[1946年]] - 京城大学(旧[[京城帝国大学]])が米軍法令102号により閉鎖。 * [[1949年]] - [[カナダ]]・[[クイーン・シャーロット諸島|クイーン・シャーロット島]]で[[マグニチュード|Mw]]8.1の地震発生。 * [[1950年]] - [[アリシア・ギブソン]]が[[アフリカン・アメリカン|アフリカ系アメリカ人]][[テニス]]選手初の[[全米オープン (テニス)|全米選手権(現:全米オープン)]]出場を果たす。 <!-- たしかにこの日なのだが(http://mainichi.jp/select/wadai/newsbox/box/archive/news/2009/08/20090812org00m040018000c.html)、前年3月19日の方が規模が大きかった模様(http://www5b.biglobe.ne.jp/~zensenk/kaiho/93kaiho/senbotsu/ikotsu.html)。 * [[1956年]] - [[ボルネオ島]]などで599柱の[[戦死]]者の[[遺骨]]を収集した[[大成丸]]が、64日ぶりに[[東京]]・[[羽田 (大田区)|羽田]]沖に戻る。 --> * [[1962年]] - フランスの極右地下組織・[[秘密軍事組織]](OAS)が[[シャルル・ド・ゴール]]大統領の[[暗殺]]を決行するが未遂に終わる。(小説『[[ジャッカルの日]]』のモデル) * [[1968年]] - [[ローマ教皇]][[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]が、ローマ教皇では初めて[[ラテンアメリカ]]を訪問。 * [[1970年]] - [[栗原景太郎]]、武田治郎、白瀬京子の3人が乗る小型[[ヨット]]「白鴎」が[[神奈川県]]・[[三崎漁港]]に入港。日本人初の小型ヨット[[世界一周]]を達成。 * [[1978年]] - [[植村直己]]が犬ぞりによる[[グリーンランド]]の単独横断に成功。 * [[1981年]] - [[台湾]]で[[遠東航空103便墜落事故]]。作家の[[向田邦子]]ら110人全員死亡。 * [[1985年]] - [[イギリス]]で[[ブリティッシュ・エアツアーズ28M便火災事故]]。ボーイング737がマンチェスター空港を離陸する際左側のエンジンが爆発、機体が二つに折れて炎上し、54人死亡。 * [[1989年]] - フランスの天文学者が[[海王星の環]]を発見。 * [[1991年]] - [[ソ連8月クーデター]]: [[クリミア半島]]の別荘に軟禁されていた[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]][[ソビエト連邦|ソ連]]大統領が[[モスクワ]]に帰還。[[ボリス・エリツィン|エリツィン]][[ロシア]]大統領がクーデターへの勝利宣言。 * [[1995年]] - [[東京]]で31日間連続の[[気温#気温に関する用語|真夏日]]となり、62年ぶりに連続記録を更新。 * [[1996年]] - [[ビル・クリントン]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が{{仮リンク|個人責任と就労機会調停法|en|Personal Responsibility and Work Opportunity Act}}に署名し、社会福祉改革を断行する。 * [[1997年]] - [[大阪モノレール]]の[[南茨木駅]]~[[門真市駅]]間が開業。この時点では営業キロ世界一のモノレールになる。 * [[1998年]] - [[第80回全国高等学校野球選手権大会]]決勝戦で、[[横浜中学校・高等学校|横浜高校]]の[[松坂大輔]]が決勝戦では史上2人目となる[[ノーヒットノーラン]]を達成。横浜高は史上5校目の春夏連覇。 * [[1999年]] - [[中華航空642便着陸失敗事故]]。[[バンコク]]発[[香港]]行きの[[チャイナエアライン|中華航空]]機が[[香港国際空港]]上空で[[台風]]の突風に遭遇し着陸に失敗、3名が死亡。 * [[2004年]] - [[オスロ]]の[[ムンク美術館]]から[[エドヴァルド・ムンク|ムンク]]の「[[叫び (エドヴァルド・ムンク)|叫び]]」と「[[マドンナ (エドヴァルド・ムンク)|マドンナ]]」が盗まれる。[[2006年]][[8月31日]]にオスロ市内で発見。 * 2004年 - [[第86回全国高等学校野球選手権大会]]において、[[駒澤大学附属苫小牧高等学校|駒澤大学付属苫小牧高校]]が[[北海道]]勢として史上初の高校野球大会優勝。 * 2004年 - [[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]・陸上競技女子マラソンで[[野口みずき]]が金メダルを獲得し、前回の[[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]]の[[高橋尚子]]に続く日本女子選手の2連覇が達成される。 * [[2005年]] - [[パレスチナ問題]]: [[アリエル・シャロン]]の推進する[[ガザ地区等撤退]]において、[[ガザ地区]]からの[[ユダヤ人]]入植者全ての退去が完了。 * [[2006年]] - [[プルコボ航空612便墜落事故]]。 * 2006年 - [[伊藤清]]京都大学名誉教授が第1回[[ガウス賞]]受賞。 * [[2008年]] - [[2008年北京オリンピックの陸上競技|北京オリンピック陸上競技]]男子4×100メートルリレーで日本チーム([[朝原宣治]]、[[末續慎吾]]、[[高平慎士]]、[[塚原直貴]])が男子トラック競技として初(男女通じても[[1928年]][[アムステルダム五輪]]の女子[[800メートル競走|800m]]銀メダルの[[人見絹枝]]以来80年振り)のメダル([[銅メダル]])を獲得。 * [[2012年]] - [[ロシア]]が[[世界貿易機関]](WTO)に加盟<ref>{{Cite web|和書|date=2012-08-23 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2896784?pid=9395379 |title=ロシアが156番目のWTO加盟国に、バヌアツも正式加盟 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] |accessdate=2023-02-11 |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2022年]] - [[第104回全国高等学校野球選手権大会]]で、[[仙台育英学園高等学校|仙台育英]]が東北勢初優勝<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220822/k10013782191000.html |title=夏の甲子園 仙台育英 初優勝 “白河の関越え”に喜びの声 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=2022-08-22|deadlinkdate=2023-12-08}}</ref>。 * 2022年 - [[名古屋高速バス横転炎上事故]]が発生。 == 誕生日 == {{右|[[ファイル:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> {{multiple image | footer = 物理学者・発明家[[ドニ・パパン]](1647-1712)誕生。[[圧力鍋]]などを発明 | image1 = Denis_Papin.jpg | width1 = 100 | alt1 = ドニ・パパン | image2 = Papin_cooking_pot_late_18th_century.jpg | width2 = 100 | alt2 = 圧力鍋 }} <!-- [[ファイル:LeoXIIPapa.jpg|thumb|100px|ローマ教皇[[レオ12世 (ローマ教皇)|]](1760-1829)]] --> {{multiple image | footer = [[印象主義音楽]]の作曲家[[クロード・ドビュッシー]](1862-1918)誕生。{{Squote|印象を集めるのです。急いで書き留めようとしてはなりません。(1906年、書簡より)}} {{audio|Debussy - Syrinx.ogg|『シュリンクス』を聴く}} | image1 = Claude_Debussy_ca_1908%2C_foto_av_F%C3%A9lix_Nadar.jpg | width1 = 100 | alt1 = クロード・ドビュッシー。ナダール撮影 | image2 = Debussy_1893.jpg | width2 = 100 | alt2 = ピアノに向かうドビュッシー }} {{multiple image | image1 = Rohan_Koda.jpg | width1 = 100 | caption1 = 作家[[幸田露伴]](1867-1947) | image2 = Scheler_max.jpg | width2 = 100 | caption2 = 哲学者[[マックス・シェーラー]](1874-1928) | image3 = Ray_Bradbury_%281975%29_-cropped-.jpg | width3 = 100 | caption3 = 作家[[レイ・ブラッドベリ]](1920-2012)。{{Squote|[[本]]は我々がどれほど馬鹿で間抜けか思い出させるためにある。(「[[華氏451度]]」、1953年)}} }} <!-- [[ファイル:Alexander_Bogdanov.jpg|thumb|100px|医師・思想家、[[アレクサンドル・ボグダーノフ]](1873-1928)]] --> <!-- [[ファイル:WP_Leni_Riefenstahl.jpg|thumb|100px|女優・映画監督、[[レニ・リーフェンシュタール]](1902-2003)]] --> [[ファイル:Deng1941.jpg|thumb|120px|中国の政治家、[[鄧小平]](1904-1997)]] [[ファイル:Stockhausen_1994_WDR.jpg|thumb|100px|作曲家[[カールハインツ・シュトックハウゼン]](1928-2007)]] * [[1647年]] - [[ドニ・パパン]]<ref>{{Cite web |title=Denis Papin {{!}} British physicist |url=https://www.britannica.com/biography/Denis-Papin |website=Britannica |access-date=2023-02-11 |language=en}}</ref>、[[物理学者]]、[[発明家]](+ [[1712年]]頃) * [[1760年]] - [[レオ12世 (ローマ教皇)|レオ12世]]、第252代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1829年]]) * [[1771年]] - [[ヘンリー・モーズリー (技術者)|ヘンリー・モーズリー]]、[[技術者]]、[[発明家]](+ [[1831年]]) * [[1778年]] - [[ジェイムズ・ポールディング]]、第11代[[アメリカ合衆国海軍長官]](+ [[1860年]]) * [[1789年]]([[寛政]]元年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]])- [[鷹司政通]]、[[江戸時代]]後期の[[公卿]](+ [[1868年]]) * [[1818年]] - [[ルドルフ・フォン・イェーリング]]、[[法学者]](+ [[1892年]]) * [[1834年]] - [[サミュエル・ラングレー]]、天文学者、発明家、[[航空機]]研究家(+ [[1906年]]) * [[1838年]] - [[ジョゼフ・カラーツ]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]]、[[カリヨン]]奏者 (+ [[1901年]]) * [[1844年]] - [[ジョージ・W・デロング]]、海軍士官、[[探検家]](+ [[1881年]]) * [[1854年]] - [[ミラン1世 (セルビア王)|ミラン1世]]、[[セルビア王国 (近代)|セルビア王]](+ [[1901年]]) * [[1857年]] - [[ネッド・ハンロン]]、元プロ野球選手(+ [[1937年]]) * [[1858年]] - [[コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ (ロシア大公)|コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ]]、ロシアの皇族、[[劇作家]](+ [[1915年]]) * [[1860年]] - [[ポール・ニプコー]]、発明家(+ [[1940年]]) * [[1862年]] - [[クロード・ドビュッシー]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Claude-Debussy |title=Claude Debussy|French composer |access-date=2023-02-11 |publisher=Britannica}}</ref>、作曲家(+ [[1918年]]) * [[1867年]]([[慶応 (元号)|慶応]]3年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[幸田露伴]]、[[作家]](+ [[1947年]]) * [[1873年]] - [[アレクサンドル・ボグダーノフ]]、[[医師]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1928年]]) * [[1874年]] - [[マックス・シェーラー]]、哲学者(+ [[1928年]]) * [[1880年]] - [[ジョージ・ヘリマン]]、[[漫画家]](+ [[1944年]]) * [[1883年]] - [[中島董一郎]]、[[実業家]](+ [[1973年]]) * [[1885年]] - [[出光佐三]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://diamond.jp/articles/-/261516 |title=出光佐三、石油メジャーにケンカを売った男が貫いた「人間尊重」経営(上) |access-date=2023-02-11 |publisher=DIAMOND online |date=2021-02-03}}</ref>、実業家(+ [[1982年]]) * [[1887年]] - [[シュヴェリン伯ルートヴィヒ・フォン・クロージク]]、[[ドイツの首相|ドイツ国首相]](+ [[1977年]]) * [[1889年]] - [[坂田一男]]、[[画家]](+ [[1956年]]) * [[1890年]] - [[アーバン・ショッカー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1928年]]) * [[1894年]] - [[澤田政廣]]、[[彫刻家]](+ [[1988年]]) * [[1896年]] - [[具志堅宗精]]、[[政治家]](+ [[1979年]]) <!-- 特筆性は? * 1896年 - [[茂山千作|茂山千作(3世)]]、[[狂言師]](+ [[1986年]]) --> * [[1901年]] - [[桐原眞二]]、[[野球選手]](+ [[1945年]]) * [[1902年]] - [[レニ・リーフェンシュタール]]、[[俳優|女優]]、[[映画監督]](+ [[2003年]]) * [[1903年]] - [[歌川八重子]]、女優(+ [[1943年]]) * 1903年 - [[安里積千代]]、政治家(+ [[1986年]]) * 1903年 - [[フランシス・バーチ]]、[[地球科学者]](+ [[1992年]]) * [[1904年]] - [[鄧小平]]、政治家(+ [[1997年]]) * [[1907年]] - [[長尾雅人]]、[[仏教学者]]、[[チベット学|チベット学者]](+ [[2005年]]) * [[1908年]] - [[アンリ・カルティエ=ブレッソン]]、写真家(+ [[2004年]]) * [[1917年]] - [[ジョン・リー・フッカー]]、[[ブルース]][[歌手]]、[[ギタリスト]](+ [[2001年]]) * [[1920年]] - [[レイ・ブラッドベリ]]、[[作家]](+ [[2012年]]) * 1920年 - [[福田勇一]]、元プロ野球選手 * [[1921年]] - [[土田晃透]]、実業家(+ [[2008年]]) * [[1922年]] - [[イヴリー・ギトリス]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2020年]]) * [[1923年]] - [[高野よしてる]]、[[漫画家]](+ [[2008年]]) * 1923年 - [[山辺英彦]]、[[数学者]](+ [[1960年]]) * [[1924年]] - [[富樫淳]]、元プロ野球選手(+ [[1986年]]) * 1924年 - [[岩瀬剛]]、元プロ野球選手 * [[1925年]] - [[オナー・ブラックマン]]、女優(+ [[2020年]]) * [[1927年]] - [[稲田祐二]]、[[生化学者]](+ [[2012年]]) * 1927年 - [[井上昭文]]、[[俳優]](+ [[2013年]]<ref>{{Cite web|和書|title=追悼特集 2013年上半期に亡くなられた映画人たち |url=http://www.kinenote.com/main/feature/vol29/detail01.aspx |access-date=2023-02-11 |publisher=[[キネマ旬報社]]}}</ref>) * 1927年 - [[谷村友一]]、元プロ野球審判員(+ [[2022年]]) * [[1928年]] - [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]、作曲家(+ [[2007年]]) * [[1929年]] - [[北原怜子]]、慈善運動家(+ [[1958年]]) * [[1930年]] - [[石田幸四郎]]、政治家(+ [[2006年]]) * 1930年 - [[河野昭修]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]) * 1930年 - [[ジウマール・ドス・サントス・ネヴェス|ジウマール]]、元サッカー選手(+ [[2013年]]) * [[1934年]] - [[天田俊明]]、俳優 * 1934年 - [[ノーマン・シュワルツコフ]]、軍人(+ [[2012年]]) * 1934年 - [[ジョン・チャウニング]]、音響工学者 * [[1935年]] - [[嵐芳三郎 (6代目)]]、[[歌舞伎役者]]、俳優(+ [[1996年]]) * 1935年 - [[E・アニー・プルー]]、[[小説家]] * [[1936年]] - [[川口浩 (俳優)|川口浩]]、俳優、[[探検家]](+ [[1987年]]) * 1936年 - [[若生忠男]]、元プロ野球選手(+ [[1998年]]) * [[1937年]] - [[菅谷政子]]、[[声優]](+ [[2021年]]) * 1937年 - [[パット・ギリック]]、元プロ野球選手 * [[1938年]] - [[与謝野馨]]、政治家(+ [[2017年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20170530-MCJK56HFJVKRTIIAHWLTH54OFM/ |title=与謝野馨氏の死去は21日 自民党役員連絡会で二階俊博幹事長が正式に報告 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[産経新聞]] |date=2017-05-30}}</ref>) * 1938年 - [[藤野義昭]]、[[弁護士]] * [[1939年]] - [[カール・ヤストレムスキー]]、元プロ野球選手 * [[1940年]] - [[土居まさる]]、[[フリーアナウンサー]](+ [[1999年]]) * [[1941年]] - [[今村正博]]、元プロ野球選手 * 1941年 - [[ビル・パーセルズ]]、元[[アメリカンフットボール]]コーチ * [[1942年]] - [[橋田信介]]、[[ジャーナリスト]](+ [[2004年]]) * [[1943年]] - [[嶋正利]]、[[マイクロプロセッサ]][[Intel 4004]]設計開発者 * 1944年 - [[みのもんた]]、[[司会者]] * [[1945年]] - [[タモリ]]、[[タレント]]、司会者 * 1945年 - [[武田博]]、元[[騎手]]、[[調教師]] * [[1946年]] - [[大里洋吉]]、実業家、芸能プロモーター * [[1947年]] - [[杉山知隆]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[寒川賢治]]、[[生化学者]] * [[1949年]] - [[平山みき]]、[[歌手]] * 1949年 - [[勢見月文久]]、[[射撃選手]] * [[1952年]] - [[土屋昌巳]]、ミュージシャン、音楽プロデューサー、ギタリスト * 1952年 - [[浜浦徹]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[ポール・エラリング]]、[[プロレスラー]]、[[マネージャー]] * [[1955年]] - [[平松伸二]]、[[漫画家]] * 1955年 - [[リュー・チャーフィー]]、俳優 * [[1956年]] - [[ポール・モリター]]、元プロ野球選手、監督 * [[1957年]] - [[郷田ほづみ]]、俳優、声優、[[音響監督]] * [[1958年]] - [[林アキラ]]、歌手、[[ミュージカル]]俳優、[[作曲家]] * [[1959年]] - [[何ン田研二]]、ものまねタレント、歌手 * [[1960年]] - [[内場勝則]]、お笑い芸人 * 1960年 - [[円城寺あや]]、女優 * 1960年 - [[スティービー・レイ]]、元プロレスラー * [[1961年]] - [[金田賢一]]、俳優 * 1961年 - [[田中学 (野球)|田中学]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[ローランド・オーザバル]]、ミュージシャン([[ティアーズ・フォー・フィアーズ]]) * [[1962年]] - [[ダリン・ジャクソン]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[トーリ・エイモス]]、シンガーソングライター、ピアニスト * [[1964年]] - [[マッツ・ビランデル]]、元[[テニス]]プレーヤー * 1964年 - [[森雅子]]、政治家、弁護士 * [[1965年]] - [[シナリ・ラトゥ]]、元ラグビー選手 * 1965年 - [[デイヴィッド・ライマー]] * 1965年 - [[パトリシア・ヒー=ブーレ]]、元プロテニス選手 * 1965年 - [[堤辰佳]]、ジャーナリスト、新聞記者 * [[1966年]] - [[石田文樹]]、元プロ野球選手(+ [[2008年]]) * 1966年 - [[ポール・エレング]]、陸上競技選手 * 1966年 - [[中本浩]]、元[[野球選手]] * 1966年 - [[ロブ・ウィツヘ]]、元サッカー選手 * [[1967年]] - [[岡田有希子]]、[[アイドル]](+ [[1986年]]) * 1967年 - [[柳沢栄治]]、声優 * [[1968年]] - [[佐野量子]]、元歌手、元タレント * 1968年 - [[羽野晶紀]]、女優 * 1968年 - [[アレクサンドル・モストヴォイ]]、元サッカー選手 * [[1969年]] - [[松谷賢示]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[水玉れっぷう隊]]) * 1969年 - [[アキ (お笑い芸人)|アキ]]、お笑い芸人(水玉れっぷう隊) * [[1970年]] - [[なべやかん]]、タレント * [[1971年]] - [[アントニオ小猪木]]、お笑い芸人([[西口プロレス]]) * 1971年 - [[五十嵐美紀]]、元[[陸上競技選手]] * 1971年 - [[リチャード・アーミティッジ]]、俳優 * [[1973年]] - [[三浦早苗]]、元タレント、元女優 * 1973年 - [[クリステン・ウィグ]]、女優、コメディアン * [[1974年]] - [[山口香緒里]]、女優 * 1974年 - [[南田裕介]]、ホリプロマネージャー、鉄道タレント * [[1975年]] - [[春日錦孝嘉]]、元大相撲力士(+ [[2020年]]) * 1975年 - [[中村隼人 (野球)|中村隼人]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[古屋博敏]]、テノール歌手 * [[1976年]] - [[安廣一哉]]、格闘家 * [[1977年]] - [[菅野美穂]]、女優 * 1977年 - [[井口佳典]]、[[競艇選手]] * [[1978年]] - [[ジェームズ・コーデン]]、俳優、[[コメディアン]] * 1977年 - [[所英男]]、[[総合格闘家]] * [[1978年]] - [[マーチン・バルガス]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[桂ぽんぽ娘]]、[[落語家]] * [[1980年]] - [[山本聖子]]、[[レスリング]]選手 * [[1981年]] - [[斎藤工]]、[[俳優]] * 1981年 - [[反田孝幸]]、俳優 * 1981年 - [[久保裕丈]]、実業家 * [[1982年]] - [[相澤仁美]]、タレント * 1982年 - [[伊藤秀範]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[新田玄気]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[後藤麻衣 (声優)|後藤麻衣]]、[[声優]] * [[1983年]] - [[大和田美帆]]、女優 * 1983年 - [[テオ・ボス]]、自転車選手 * 1983年 - [[山田航]]、歌人 * 1983年 - [[倉光泰子]]、[[脚本家]] * [[1984年]] - [[森田智己]]、元[[水泳選手]] * 1984年 - [[デビッド・ハフ]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[北川景子]]、女優 * 1986年 - [[德勝龍誠]]、元大相撲力士、年寄21代千田川 * [[1987年]] - [[モハンマド・ムーサビ]]、[[バレーボール]]選手 * 1987年 - [[ミーシャ・ズベレフ]]、テニス選手 * [[1988年]] - [[ミッチェル・ランゲラック]]、[[サッカー選手]] * [[1989年]] - [[ほな・いこか]]、ミュージシャン、女優([[ゲスの極み乙女。]]、マイクロコズム) * 1989年 - [[磯田彩実]]、アナウンサー * 1989年 - [[川上葉月]]、フルート奏者 * [[1990年]] - [[上本崇司]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[今井沙緒里]]、元陸上競技選手 * 1990年 - [[三原拓也]]、モトクロスレーサー * 1990年 - [[ドリュー・ハッチソン]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[アラン・ブセニッツ]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[田口尚平]]、アナウンサー * [[1991年]] - [[フェデリコ・マケダ]]、サッカー選手 * 1991年 - [[メリシアン・ベンゾン]]、フィギュアスケート選手 * [[1992年]] - [[木原龍一]]、フィギュアスケート選手 * [[1994年]] - [[濱正悟]]、俳優 * 1995年 - [[デュア・リパ]]、シンガーソングライター、ファッションモデル * [[1995年]] - [[花岡領太]]、俳優、歌手、タレント (元[[NORD (アイドルグループ)|NORD]]) * 1995年 - [[髙井俊]]、元プロ野球選手 * [[1996年]] - [[坂野真弥]]、元[[子役]] * 1996年 - [[丸山瀬南]]、元子役 * [[1997年]] - [[江原裕理]]、声優 * 1997年 - [[西井万理那]]、アイドル([[METAMUSE]]、[[APOKALIPPPS]]、[[生ハムと焼うどん]]) * [[1998年]] - [[レアンドロ・セデーニョ]]、プロ野球選手 * [[1999年]] - [[三原舞依]]、フィギュアスケート選手 * 1999年 - 平田詩奈、アイドル(元[[SKE48]]) * 1999年 - [[籠谷さくら|こもりやさくら]]、女優、歌手(元[[X21]]) * [[2000年]] - 楠芙杏、元アイドル(元Teamくれれっ娘!) * [[2001年]] - 上島楓、アイドル(元[[HKT48]]) * [[2005年]] - カン・イェソ、アイドル、元子役 ([[Kep1er]]、元[[Busters (音楽グループ)|Busters]]) * 生年不明 - [[安玖深音]]、声優 * 生年不明 - [[せがわまさき]]、漫画家 == 忌日 == === 人物 === {{multiple image <!-- [[ファイル:Stilico_diptych.jpg|thumb|100px|[[西ローマ帝国]]軍人[[スティリコ]](365-408)刑死]] --> | image1 = Gregory_IX_bas-relief_in_the_U.S._House_of_Representatives_chamber.jpg | width1 = 100 | caption1 = ローマ教皇[[グレゴリウス9世 (ローマ教皇)|グレゴリウス9世]](1143-1241) | image2 = Phil6france.jpg | width2 = 100 | caption2 = フランス王[[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]](1293-1350) | image3 = Xianfeng.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[清]]の第9代皇帝、[[咸豊帝]](1831-1861) }} <!-- [[ファイル:Luca_marenzio.jpg|thumb|100px|後期[[ルネサンス]]の作曲家[[ルカ・マレンツィオ]](1553-1599)]] --> {{multiple image | footer = [[ロココ]]期の画家、[[ジャン・オノレ・フラゴナール]](1732-1806)没。画像は『読書する娘』(1770-72頃) | image1 = Jean-Honoré Fragonard - Self-portrait in a Renaissance costume.jpeg | width1 = 100 | alt1 = ジャン・オノレ・フラゴナール | image2 = Fragonard%2C_The_Reader.jpg | width2 = 120 | alt2 = 『読書する娘』 }} <!-- {{multiple image | footer = 画家[[アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン]](1803-1860)没。左画像は自画像(1852)、右は『トルコのパトロール』(1831) | image1 = Alexandre_Gabriel_Decamps_autoportrait.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = La_pattuglia_turca.jpg | width2 = 200 | alt2 = 『トルコのパトロール』 }} --> <!-- {{multiple image | footer = 画家[[アンデシュ・ソーン]](1860-1920)没。左画像は自画像(1896)、右は『夏の遊び』(1886) | image1 = Sj%C3%A4lvportr%C3%A4tt_av_Anders_Zorn_1896.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = Sommarnöje (1886), akvarell av Anders Zorn.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『夏の遊び』<!- スウェーデンで史上最も高く売れた絵だそうです。30億円弱。 -> }} --> <!-- [[ファイル:Oliver_Joseph_Lodge2.jpg|thumb|100px|物理学者[[オリバー・ロッジ]](1851-1940)]] --> {{multiple image | image1 = Shigure_Hasegawa.jpg | width1 = 100 | caption1 = 作家[[長谷川時雨]](1879-1941) | image2 = Shimazaki_Toson2.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作家・詩人、[[島崎藤村]](1872-1943)没。{{Squote|涼しい風だね。――最期の言葉}} <!-- 墓の画像がないのが意外 --> | image3 = Roger_Martin_du_Gard_1937.jpg | width3 = 100 | caption3 = 作家[[ロジェ・マルタン・デュ・ガール]](1881-1958)没。代表作『[[チボー家の人々]]』 }} <!-- {{Squote|まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり――『[[若菜集]]』(1897)「初恋」}} 死没日には若々しすぎるかな --> <!-- {{Squote|寂しい道を歩きつづけて来たものでなければ、どうしてそれほど餓え渇いたように生の歓びを迎えるということがあろう。――『新生』(1919)}} --> {{multiple image | image1 = | width1 = | caption1 = | image2 = Kiichiro_Hiranuma.jpg | width2 = 80 | caption2 = 第35代日本国内閣総理大臣、[[平沼騏一郎]](1867-1952) | image3 = Juscelino.jpg | width3 = 65 | caption3 = 第21代ブラジル大統領[[ジュセリーノ・クビチェック]](1902-1976)、自動車事故死 | image4 = Jomo_Kenyatta.jpg | width4 = 80 | caption4 = ケニアの初代首相・大統領、[[ジョモ・ケニヤッタ]](1893-1978) }} <!-- [[ファイル:Luc_Ferrari2.jpg|thumb|100px|作曲家[[リュク・フェラーリ]](1929-2005)]] --> * [[408年]] - [[スティリコ]]、[[西ローマ帝国]]の軍司令官(* [[365年]]) * [[1155年]]([[久寿]]2年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[近衛天皇]]、第76代[[天皇]](* [[1139年]]) * [[1241年]] - [[グレゴリウス9世 (ローマ教皇)|グレゴリウス9世]]、第178代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1143年]]) * [[1328年]] - [[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]、[[フランス王国|フランス]]王(* [[1293年]]) * [[1485年]] - [[リチャード3世 (イングランド王)|リチャード3世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1452年]]) * [[1563年]]([[永禄]]6年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[毛利隆元]]、戦国武将(* [[1523年]]) * [[1599年]] - [[ルカ・マレンツィオ]]、[[作曲家]](* [[1553年]]) * [[1680年]] - [[ヨハン・ゲオルク2世 (ザクセン選帝侯)|ヨハン・ゲオルク2世]]、[[ザクセン公国|ザクセン]][[選帝侯]](* [[1613年]]) * [[1729年]]([[享保]]14年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[鳥居清信]]、[[浮世絵師]](* [[1664年]]) * [[1749年]]([[寛延]]2年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[島津宗信]]、第6代[[薩摩藩|薩摩藩主]](* [[1728年]]) * [[1795年]]([[寛政]]7年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]]) - [[徳川重好]]、[[御三卿]][[清水徳川家|清水家]]初代当主(* [[1745年]]) * [[1806年]] - [[ジャン・オノレ・フラゴナール]]、[[画家]](* [[1732年]]) * [[1818年]] - [[ウォーレン・ヘースティングズ]]、初代[[インドの総督|ベンガル総督]](* [[1732年]]) * [[1860年]] - [[アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン]]、[[画家]](* [[1803年]]) * [[1861年]]([[咸豊]]11年[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]) - [[咸豊帝]]、第9代[[清]][[皇帝]](* [[1831年]]) * [[1864年]] - [[ジョン・アップルトン (政治家)|ジョン・アップルトン]]、[[政治家]]、[[外交官]](* [[1815年]]) * [[1891年]] - [[ヤン・ネルダ]]、[[ジャーナリスト]]、[[詩人]](* [[1834年]]) * [[1903年]] - [[ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)]]、[[イギリス首相]](* [[1830年]]) * [[1916年]] - [[本告辰二]]、[[大陸浪人]](* [[1892年]]) * [[1920年]] - [[アンデシュ・ソーン]]、[[画家]]、[[版画家]]、[[彫刻家]](* [[1860年]]) * [[1922年]] - [[マイケル・コリンズ (政治家)|マイケル・コリンズ]]、[[民族主義]]運動家(* [[1890年]]) * [[1940年]] - [[オリバー・ロッジ]]、[[物理学者]](* [[1851年]]) * [[1941年]] - [[長谷川時雨]]、[[作家]](* [[1879年]]) * [[1943年]] - [[島崎藤村]]、[[詩人]]、[[作家]](* [[1872年]]) * [[1952年]] - [[平沼騏一郎]]、政治家、第35代[[内閣総理大臣]](* [[1867年]]) * [[1958年]] - [[ロジェ・マルタン・デュ・ガール]]、[[小説家]](* [[1881年]]) * [[1963年]] - [[ウィリアム・モリス (初代ナフィールド子爵)]]、[[実業家]]、[[モーリス (自動車)|モーリス]]創業者(* [[1877年]]) * [[1967年]] - [[和田三造]]、[[洋画家]](* [[1883年]]) * [[1969年]] - [[赤根谷飛雄太郎]]、元[[プロ野球選手]](* [[1916年]]) * [[1975年]] - [[ランスロット・ホグベン]]、[[動物学者]]、[[遺伝学者]](* [[1895年]]) * [[1976年]] - [[ジュセリーノ・クビチェック]]、第24代[[ブラジル連邦共和国大統領]](* [[1902年]]) * 1976年 - [[ジーナ・バッカウアー]]、[[ピアニスト]](* [[1913年]]) * [[1978年]] - [[ジョモ・ケニヤッタ]]、[[政治家]]、[[ケニア]]初代[[首相]]/[[大統領]](* [[1893年]]) * [[1981年]] - [[向田邦子]]、[[小説家]]、[[脚本家]](* [[1929年]]) * 1981年 - [[グラウベル・ローシャ]]、[[映画監督]](* [[1938年]]) * 1981年 - [[田川豊]]、元プロ野球選手(* [[1918年]]) * [[1987年]] - [[杉浦清]]、元プロ野球選手(* [[1914年]]) * [[1989年]] - [[ヒューイ・P・ニュートン]]、[[公民権運動]]指導者(* [[1942年]]) * [[1990年]] - [[金井豊]]、[[陸上競技]]選手(* [[1959年]]) * [[1991年]] - [[コリーン・デューハースト]]、[[俳優]](* [[1926年]]) * [[1993年]] - [[重兼芳子]]、小説家(* [[1927年]]) * [[1996年]] - [[嵐芳三郎 (6代目)]]、[[歌舞伎役者]]、俳優(* [[1935年]]) * [[1998年]] - [[村山実]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](* [[1936年]]) * 1998年 - [[セルジオ・フィオレンティーノ]]、[[ピアニスト]](* [[1927年]]) * [[2004年]] - [[江角英明]]、俳優(* [[1935年]]) * [[2005年]] - [[リュク・フェラーリ]]、作曲家(* [[1929年]]) * 2005年 - [[梶哲也]]、俳優、[[声優]](* [[1926年]]) * [[2007年]] - [[富樫雅彦]]、[[ジャズ]][[ドラマー]](* [[1940年]]) * [[2013年]] - [[藤沢嵐子]]、[[歌手]](* [[1925年]]) * 2013年 - [[藤圭子]]、歌手(* [[1951年]]) * [[2016年]] - [[トゥーツ・シールマンス]]<ref>{{Cite web|和書|title=トゥーツ・シールマンス氏が死去 ベルギーのハーモニカ奏者 |date=2016-08-23 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22HGA_T20C16A8000000/ |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=2023-02-11}}</ref>、[[ジャズ]]・[[ハーモニカ]]奏者(* [[1922年]]) * [[2018年]] - [[堀部隆一]]、俳優、声優(* [[1943年]]) * 2018年 - エド・キング、[[ギタリスト]](元[[レーナード・スキナード]])(* [[1949年]]) * [[2020年]] - [[内海桂子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/51659 |title=内海桂子さん97歳で死去 女性漫才師の第一人者、戦後のお笑い界の礎つくる |accessdate=2023-02-11 |publisher=[[東京新聞]] |date=2020-08-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=内海桂子さん死去97歳 ナイツら若手育成にも尽力 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202008280000101.html |access-date=2023-02-11 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=2020-08-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/08/28/kiji/20200827s00041000558000c.html |title=内海桂子師匠、97歳大往生 夫らに見送られ旅立ち…芸歴81年「桂子・好江」で女流漫才の草分け |accessdate=2023-02-11 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2020-08-28 |website=Sponichi Annex}}</ref>、[[漫才師]]、[[俳優|女優]](* [[1922年]]) * [[2022年]] - [[川添利幸]]、法学者(* [[1925年]]) * 2022年 - [[久野綾希子]]、ミュージカル女優(* [[1950年]]) * [[2023年]] - [[トーマス・コートニー|トム・コートニー]]、陸上競技選手(* [[1933年]]) * 2023年 - [[トト・クトゥーニョ]]、歌手、シンガーソングライター(* [[1943年]]) * 2023年 - [[古沢憲司]]、プロ野球選手(* [[1948年]]) * 2023年 - [[おかゆうた]]、漫才師、お笑いコンビ「おかけんた・ゆうた」のメンバー(* [[1962年]]) * 2023年 - [[アレクサンドラ・ポール]]、フィギュアスケート選手(* [[1991年]]) === 人物以外(動物など) === * 1968年 - [[チャンピイ]]、日本の[[盲導犬]]第一号(* [[1955年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Flag_of_Russia.svg|thumb|[[ロシアの国旗]]]] [[ファイル:Diego Velázquez - Coronation of the Virgin - Prado.jpg|thumb|180px|[[ディエゴ・ベラスケス]]『[[聖母戴冠 (ベラスケス)|聖母戴冠]]』(1645)]] * [[旗の日|国旗の日]]({{RUS}}) *: [[1991年]]のこの日、[[ソ連8月クーデター]]が失敗に終わり、ロシア最高会議ビルに現在のデザインの旗が掲げられたことを記念する祝日。 * [[チンチン電車]]の日({{JPN}}) *: [[1903年]]のこの日、東京電車鉄道の路面電車が営業を開始し、東京で初めて路面電車(チンチン電車)が走ったことを記念。なお、これとは別に[[6月10日]]が「路面電車の日」となっている。 *天の元后聖マリアの記念日([[カトリック教会]]) *:[[天の女王|天の元后]]たる[[聖母マリア]]を[[聖名祝日|記念する日]]。元は聖母マリアの月である5月の末日([[5月31日]])が祝日であったが、[[1954年]]の教皇ピオ12世の回勅により[[聖母の被昇天|聖母マリアの被昇天]]から8日目の8月22日に改められた。 * はいチーズ!の日 *:インターネット写真サービス「[https://8122.jp/ はいチーズ!]」を運営する[https://sencorp.co.jp/ 千株式会社]は「は(8)い(1)チー(2)ズ(2)」の語呂に因んで8月22日を「はいチーズ!の日」と定め、(一社)[[日本記念日協会]]に記念日として登録された。{{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0822|date=2011年6月}} * [[2002年]] - 「ロサンゼルスBB連続殺人事件」の犯人逮捕<ref>{{Cite book|和書|author1=大場つぐみ|authorlink1=大場つぐみ|author2=小畑健|authorlink2=小畑健|title=DEATH NOTE|volume=13巻|publisher=[[集英社]]〈ジャンプ・コミックス〉|year=2006|page=85|isbn=978-4-08-874095-9}}</ref>。(漫画『[[DEATH NOTE]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[2006年]] - 天野陽菜、映画『[[天気の子]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|shinkaimakoto|1164372268773810178}}</ref> * [[2034年]] - エマ、漫画・アニメ『[[約束のネバーランド]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author1=白井カイウ|authorlink1=白井カイウ|author2=出水ぽすか|authorlink2=出水ぽすか|year=2020 |title=シークレットバイブル 約束のネバーランド 0 MYSTIC CODE |publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|page=46頁|isbn=978-4-08-882462-8}}</ref> * 生年不明 - 円堂守、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2023-02-11}}</ref> * 生年不明 - 環いろは、ゲーム・アニメ『[[マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|title=アニプレックス、『マギアレコード』で8月22日の「環いろは」の誕生日を記念して期間限定ショップに「10連ガチャチケット」を追加! {{!}} gamebiz |url=https://gamebiz.jp/news/218422 |access-date=2023-02-11 |publisher=gamebiz【ゲームビズ】 |date=2018-08-22}}</ref> * 生年不明 - [[僕のヒーローアカデミア#飯田天哉|飯田天哉]]、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group01/01-04/ |title=飯田天哉 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア製作委員会』}}</ref> * 生年不明 - 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オスカー、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/gastronomy/oscar/ |title=オスカー |access-date=2023-02-11 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> <!-- * 生年不明 - 伊勢崎恵梨、漫画『[[それでも町は廻っている]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 橘美琴、漫画『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター --> === 忌日(フィクション)=== * 1945年 - 節子、小説・アニメ『[[火垂るの墓]]』の登場人物<ref>{{cite journal|和書|author=徳永淳|title=野坂昭如「火垂るの墓」再評価 ─作品末尾の改変をめぐって──|journal=日本語日本文学|issue=30|year=2020|publisher=創価大学日本語日本文学会|naid=120006876794|page=28}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 22|22 August}} {{新暦365日|8|21|8|23|[[7月22日]]|[[9月22日]]|[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]|0822|8|22}} {{1年の月と日}}
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アダルトゲーム
アダルトゲーム または エロゲ(英: Eroge または Porn game; 和製英語: Adult game)は、ハードコアな性的表現を好まない者や判断能力に劣る子供がプレーするには適さない『性的な表現』が含まれるコンピュータゲームのことである。 東京都青少年の健全な育成に関する条例においては、「電磁的記録媒体に記録されたプログラムを電子計算機等を用いて実行することにより、人に卑わいな行為を擬似的に体験させるもの」 がこれにあたるとされており、他の地方公共団体の「青少年保護育成条例」においても、ほぼ同様の定義がなされている。 特に断り書きがない限り、日本国内での事例について述べる。 コンピュータソフトウェア倫理機構(以下「ソフ倫」と略す場合がある)による公式名称は「R18ゲーム」であるが、俗に「エロゲ(ー)」「18禁ゲーム」と呼ばれる。1980年代の業界黎明期から「美少女ゲーム」という呼び方もある。ただし、特にパソコンゲームにおいて「美少女ゲーム」という表現を用いる場合には、主人公・主要キャラクターとして魅力的な美少女キャラクターが複数登場するが性的描写のシーンがないノンアダルト作品 や性的描写を回避しつつも美少女の育成や恋愛要素が主眼である「ギャルゲー」 をアダルトゲームとは別区分として指すこともあるほか、性的描写を含む「成人向けゲームソフト」についても女性プレイヤー向けに美形男性キャラクターの同性愛を描いた「ボーイズラブゲーム」、女性視点で描かれる「18禁乙女ゲーム」、男性プレイヤー向けに少年愛を描いた「ショタゲー」、男性同性愛者向けにゲイ雑誌に通じる表現技法で同性愛を描いた「ゲイ向けゲーム」なども存在するため、「アダルトゲーム=美少女ゲーム」という構図は成り立たない。 かつてはアダルトゲームのほとんどは、ソフ倫などの審査機構が審査し、x86アーキテクチャ上で稼働するWindowsをプラットフォームとしたパーソナルコンピュータ(以下「PC」もしくは「パソコン」と略す)向けのパソコンゲームとして発売されていたが、2010年代に入り、Androidを搭載したスマートフォンやタブレット端末などの携帯情報端末をプラットフォームとした製品(スマホゲーム)や、ブラウザ上で動作するブラウザゲームや、同人ゲームが増え、審査機構が審査するアダルトゲームのタイトル数や売上の減少が続いていることもあり、2022年現在はそちらの方が主流となっている。 販売に当たっては、メーカー間の自主規制や児童福祉法、風営法、各都道府県および市区町村の青少年保護育成条例や迷惑防止条例により、18歳未満の者や過激な性的表現を望まない者の目に触れることがないよう販売店における陳列の分離や販売時の年齢確認を徹底するよう通達がなされている。また、刑法175条(わいせつ物頒布罪)による規制を受けて、性器描写にはモザイク処理などがかけられる。この刑法175条については、現状にそぐわない不合理な規制であるから廃止すべきとの批判もあり、参議院議員の山田太郎が刑法175条の見直しを提唱している。 ゲームジャンルは、ソフ倫審査のものではアドベンチャーゲームとその亜種であるビジュアルノベルが圧倒的多数を占めるのに対し、現在主流となっているスマホ向けやブラウザゲームや同人ゲームはRPGが中心ではあるものの、シミュレーションゲームやシミュレーションRPGやアクションゲームなどもあり、ジャンルが多岐にわたっている。 ゲーム内のイベント画面やキャラクターの立ち姿のグラフィックについては、日本では漫画・アニメ調の平面的な2Dグラフィックスによる静止画像がそのほとんどを占めており、3Dグラフィックスを用いた作品は存在するが少数派である。海外のアダルトソフトでは一般的なポルノ女優によるヌード実写映像の作品は少ない。 受動的に鑑賞するアダルトビデオやヌード写真とは異なり、初期はキーボードからのコマンド入力、現在では主にマウス操作による登場人物の行動選択という形でのインタラクティヴな体裁を取り、現実の代替物ではなく独立したリアリティであり「萌え」「感動」「ノスタルジー」などとコミになった性的満足として存在している。このことは、日本では特有の発展を遂げた漫画・アニメなどのサブカルチャーと結びつかせる要因となり、また、ゲームソフト卸や一部のゲーム会社により自社の傘下に入ることを条件に制作チーム(ブランド)に開発資金を供給するシステムが広く確立されるとともに、資金や知名度の乏しいクリエイターやその集団が創作を行なう場として定着し、「成人向け作品として必要量の裸と"場面"を出しておけば、後は予算と納期と倫理基準の範囲内でクリエイターに裁量が与えられ、自由に表現を追求し創作意欲を満たせる」という、かつて斜陽の一途を辿る映画業界にあって機会に恵まれない多くの若手映画人が手腕を奮った日活ロマンポルノの成人映画と類似した制作システムの構造を成立させるに至り、日本のおたく文化の一翼を形成した。また人材発掘についても同様で、今日ではゲーム業界のみならずアニメ・漫画・小説などいわゆるメディアミックス関連業界全般への人材・コンテンツの主要な供給源の1つとしても機能しており、これら業界ではアダルトゲームからプロのクリエイターとしてのキャリアをスタートさせた人物や、あるいはクリエイターとして著名になる課程でアダルトゲーム業界に関与した経験を持つ人物はさして珍しいものではなくなっている。 アダルトゲームの場合、「家庭用ゲーム」とも呼ばれる家庭用ゲーム機では発生するハードウェアメーカーへのライセンス権使用料や特定ハードウェア向けの専用ワークステーション・開発キットの導入やリースにかかる高額なコストがなく、遥かに廉価で一般的な仕様のパソコンおよび汎用ソフトウェア開発キット・周辺機器があれば作業の大半が可能であり、プレイヤーの使用しているパソコンと大差がない仕様で開発を行っているメーカーも多い。開発環境へ導入するLANやファイルサーバも比較的小規模なもので必要充分であり、3Dグラフィックスやトゥーンレンダリングを本格導入するものでもなければ高性能なワークステーションを導入する必要もない。これらのことから、コンシューマゲーム機と比較すればアダルトゲームは小資本での制作が可能である。 コンシューマゲーム機と比較した場合にはハードウェアメーカーによる作品内容・シナリオや販売計画への企画・開発段階でのチェックや干渉がなく、販売対象を18歳以上に限定していることから、性的描写以外の部分においても表現の自由度が大きいこともアダルトゲームを特徴付けている重要な要素である。たとえば古典的な恋愛小説・純文学の様式表現を追求したい作品や、同様に若年層には理解し難いラブコメ・懐古趣味・愛憎劇や過激なパロディ要素や社会風刺を内含している作品、一般的なバトルシーンとは違う過激な暴力要素などでは、あえて登場人物の性描写を含めてパソコン向けのアダルトゲームのフォーマットで制作されることが多く、このような方向性を特に重視した作品の中にはヒロインの性的描写のシーンはゲームの本質に影響を及ぼさないサービスシーンという割り切った作りのものも見られる。これについては、 このようなことが要因として挙げられ、いくら資金・人材・技術の面で制作が可能であってもコンシューマ機では現実にはソフトを流通させられず販売不可能な一方で、ハードウェアメーカーによる干渉がなく後述するような制作システムが構築されビジュアルノベルとそのゲームエンジンが普及・発展しているアダルトゲームならば制作・販売が容易でプレイヤーからも受容されやすいことなどが大きな要因になっている。ただし、アダルトゲームであっても、ソフ倫や日本コンテンツ審査センターなどの審査機構が審査するアダルトゲームについては一定の基準での審査が存在し、基準を満たさない作品は発売できない。それに対し、スマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームなどでは審査機構による審査を受ける義務がなく、審査があるとしても販売サイトによる審査のみなので、さらに制作の自由度が高いとされる。 アダルトゲームの、歴史に関する部分を解説する。 最も古い日本製アダルトゲームは、シャープのMZ-80K・MZ-700向けにハドソンが1981年に発売した『野球拳』とされている。登場人物はキャラクターグラフィックで描かれていた。 1981年には、テキストベースのアダルトゲームソフトポルノ・アドベンチャーがシエラエンターテインメントよりリリースされた。1982年には、MystiqueがBeat 'Em & Eat 'Em, カスターズ・リベンジ, Bachelor Partyをリリースした。1983年にはX-Man、Swinging SinglesやStrip Poker: A Sizzling Game of Chanceがリリースされた。 1982年(昭和57年)から1983年にかけて、パソコンショップを経営していた光栄マイコンシステム、九十九電機、PSK、CSKなどがアダルトゲームの制作・販売をしていた(ストロベリーポルノシリーズなど)。エニックスや日本ファルコム など、後にコンシューマーゲームで名をはせるソフトメーカーから、ポニカなど映像・音楽ソフトメーカーもアダルトゲームの制作・販売に参入し、より性的な内容に特化したソフトウェアの開発が進み、1983年には10本以上のアダルトゲームが発売された。チャンピオンソフトから初のアダルトゲーム『アタックひろ子ちゃん』が発売されたのもこの年である。1985年(昭和60年)、現在のアダルトゲームの元祖といわれる『天使たちの午後』(ジャスト)が登場し、アダルトゲームにキャラクター性とストーリー性を盛り込むという形式の原型が生まれた。 同時代にこの他に脱衣麻雀に代表される「コンピューター版野球拳」などのゲームもあり、ゲームの内容とは無関係に性的画像を表示させ、その一点のみをもってアダルトゲームに分類されていた製品もみられる。このジャンルでは1983年(昭和58年)の『ジャンゴウナイト』(日本物産)が、アーケードゲーム初の脱衣麻雀として登場し、「脱衣もの」というジャンルが確立された。 この時代、一般社会においてアダルトゲームは特殊な再生媒体によるポルノ作品として認識され、その存在は「ほぼ無視ないし無名」という状態であった。このため業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在せず、各企業の裁量に任されていた。1986年(昭和61年)に、刑法177条の強姦罪からタイトルを取った『177』(マカダミアソフト)が、草川昭三により国会で取り上げられて 次第にアダルトゲームは問題視され、1988年(昭和63年)の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件や、それに端を発した有害コミック騒動によりポルノ業界へ批判が増した。 1988年から1991年ごろに、PC-98シリーズが日本国内で販売されているPCハードウェアのシェアで圧倒的となり、16ビットパソコンの技術がある種の集大成を迎えた。1986年(昭和61年)発売のPC-9801VM21以降はグラフィック、効果音、記憶媒体の性能がそれ以前に比べ向上したうえ、事実上のOS統一などによる移植性の向上、スキャナ、グラフィックソフトなど製作に関する機器の値下がりなどにより、作り手側にとってゲームが製作しやすい環境となった。デジタル的であった色合いもアニメ的な色合いが出しやすくなった。 そのためか製作本数が以前より増え、多種多様なアダルトゲームが販売されるが、その内の一つを男子中学生が万引きした事件を切っ掛けに1991年に制作企業の社長がわいせつ図画販売目的所持で逮捕される事件(沙織事件)が起き、社会問題化する。こうしたことから、業界による自主規制団体が立ち上げられることとなり、翌1992年にコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。 この中で頭角を現したのがエルフで、1992年12月にリリースされた『同級生』は10万本を越えるベストセラーとなった。この作品は当初シミュレーションゲームの要素を取り入れたナンパゲームとして企画されていたが、各ヒロインに個性を与え、Hシーンに至るまでの恋愛ドラマを盛り込んだ結果、それまでのアダルトゲームのイメージを覆す恋愛ゲームとして評価された。 そして『同級生』のドラマ性を参考にして開発された非アダルトの美少女ゲーム『ときめきメモリアル』(1994年、コナミ)が家庭用ゲーム機市場にて大ヒットしたことにより、コンピュータゲームにおいて美少女ゲームが次第に市場に認知され、その中でアダルトなシーンまで踏み込むものとしてアダルトゲームが知られるようになる。 この時期は、ハードウェア的にはPC-9800シリーズからPC/AT互換機へ、ソフトウェア的にもCUIのDOS系OSからGUIのWindowsへの移行期であった。このころのアダルトゲームは「どうゲームとして面白くするか」が試行錯誤された時期であった。その中で、プレイヤーの選択によって異なる物語と結末が訪れるマルチシナリオ・マルチエンディング形式のゲーム『弟切草』(1992年、チュンソフト)がスーパーファミコンで発売されヒットする。この作品のシステムはアダルトゲームにも大きな影響を及ぼした。アダルトゲームでマルチシナリオを確立させたのは『河原崎家の一族』(1993年、シルキーズ)で、その後『DESIRE 〜背徳の螺旋〜』(1994年、シーズウェア)、『EVE burst error』(1995年、シーズウェア)へと発展してゆく。 1990年代半ばには、エルフとアリスソフトの2社を中心とした開発競争が繰り広げられ、「西のアリスソフト、東のエルフ」 と呼ばれるようになった。この競争の過程で、ファンタジーアドベンチャーとウォーシミュレーションを融合させた『ドラゴンナイト4』(1994年、エルフ)、本格的ダンジョンRPGの『闘神都市II』(1994年、アリスソフト)、迷宮脱出推理アドベンチャーの『遺作』(1995年、エルフ)、マルチシナリオの『夢幻泡影』(1995年、アリスソフト)、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(1996年、エルフ)、地域制圧型シミュレーションの『鬼畜王ランス』(1996年、アリスソフト) など、多様なジャンル・形式のアダルトゲームが登場した。 このように多様化したジャンルの中で発展を遂げていったのは、より恋愛物語色を強めた『同級生』の後継作『同級生2』(1994年)で、以降のアダルトゲームはセックス描写を含む恋愛物語要素やシナリオを重視した、選択肢とイラストが付いた読み物とでも言うようなトレンドに傾いていく。 『SM調教師瞳』(スーパーファミコン向け)や『しあわせうさぎ』(PCエンジン向け)など、家庭用ゲーム機対応の「裏ソフト」と呼ばれる物が発売されたのもこのころである。 技術面では、技術開発や記録媒体の大容量化によってパソコンの画像・音楽表現能力が著しく向上したうえ、1995年のWindows 95シリーズのヒット、パソコンの低価格化によってパソコンユーザーが増加した。一方で1999年に成立した『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』によりアダルト・ポルノ業界に対する規制が強化され、対応が迫られるようになる。 1996年、Leafは『弟切草』を参考にビジュアルノベル第一作 『雫』を制作、続いて同じコンセプトの『痕』を同年発売すると、インターネットが普及していない時代であったがパソコン通信や口コミで評判が広まりヒットし、ストーリー重視の流れがアダルトゲーム業界に定着した。翌1997年に発売された『To Heart』は、日常が舞台の恋愛ゲームとしてアダルトゲームの枠を飛び越え、家庭用ゲーム機への移植・テレビアニメ化・漫画化などのメディアミックスが図られた。プレイヤーの好みのキャラクターを用意するため、幼馴染・活発・無口・外国人などの定型的なキャラクター作りの先駆けでもある。 Leafとは別の方向でストーリー重視を打ち出して成功したのが『ONE 〜輝く季節へ〜』(1998年、Tactics)で、ラブストーリーに感動できる要素と泣ける要素を盛り込み、それを音楽によって高める演出の秀逸さで人気を集めた。この向きは、のちに同作の製作スタッフの一部がビジュアルアーツに移り旗揚げした新ブランドKeyの第1作『Kanon』(1999年)、第二作『AIR』(2000年)が立て続けに大ヒットしたことにより、「泣きゲー」というカテゴリを確立するに至った。 2002年をピークにアダルトゲーム市場は衰退し、その関連のアダルトゲーム雑誌も同じく衰退している。同人イベントコミックマーケットにおいて、2000年冬に登場したオリジナル同人アダルトゲーム『月姫』(TYPE-MOON)が10万本以上の大ヒットとなり、同人原作作品ながらも事実上の商業化とメディアミックス展開を果たし、業界に大きな影響を与えた。 ソフ倫の規制強化を逆手に取るように、義妹・幼馴染・いとこ(主に従兄妹)をメインヒロインに据えた作品で多くの話題作が出た。その中で『みずいろ』(2001年、ねこねこソフト)、『D.C. 〜ダ・カーポ〜』(2002年、CIRCUS)が相次いでヒットした。 一方老舗のメーカーでエルフは鬼畜・凌辱物の『臭作』(1998年)・『鬼作』(2001年)といった純愛以外の作品や、ライトノベル作家あかほりさとる原作で、萌え重視・メディアミックス重視の『らいむいろ戦奇譚 〜明治日本、乙女 防人ス。〜』(2002年)を送り出す。もう一方の雄、アリスソフトはあくまでエロさとゲーム性を重視した作風の『大悪司』(2001年)、『ランスVI-ゼス崩壊-』(2004年)といった作品や、希望小売価格が2800円の『妻みぐい』(2002年)で低価格路線を打ち出して新たな流れに対抗した。また2003年には女性プレーヤーを対象にした『星の王女』(美蕾)が発売された。 高速インターネット回線の普及によりダウンロード販売が急速に拡大し、2004年には2万本であった販売数が翌2005年には17万本と急増した。その一方で、インターネットの大容量化は違法ダウンロードによる被害の拡大や、(2010年代に続く)動画共有サイトやSNSの出現によるコンテンツの多様化をもたらし、アダルトゲーム市場の縮小を招く一因にもなった。 2010年代になるとWindowsPCだけではなくMacやスマートフォンにも対応している課金制18禁ブラウザゲーム や18禁Androidアプリが登場し、それらに対応したゲームプラットフォーム『DMM.R18 オンラインゲーム(現・『FANZA GAMES:オンライゲーム』)』『にじよめ(現・『DLsiteにじGAME』)』『TSUTAYA オンラインゲーム R18』などが次々と開始された。 一方、既存のWindows向けアダルトゲームは、萌えアニメやライトノベルや萌えソーシャルゲームやニコニコ動画やYouTubeに代表される動画共有サイトで流行しているオタク向けコンテンツやダウンロード販売がさらに普及した低価格な同人ゲームなどに押され、秋葉原電気外祭りを開催するなど、振興策をとってはいるものの、依然として衰退傾向が続いている。 若いユーザーは高価格 なアダルトゲームを避けている傾向にあり、また、既存のWindows向けアダルトゲームの中心層が1990年代後半から2000年代前半のアダルトゲームブームのころの人たちで構成されていることもあり、アダルトゲームユーザーの年齢層は他のオタク産業と比較して高くなっていると言われている。そのような状況から、アダルトゲームから脱却し、一般向けへのシフトを模索するメーカーもある。 そのような中、かつてはアダルトゲームのトップブランドであったLeafを有するアクアプラスが2013年10月にユメノソラホールディングス(とらのあな)に買収され、2013年冬を最後にコミックマーケットのジャンルコードから『Leaf & Key』が消滅し、2013年秋を最後にアダルトゲームのイベントであるDreamPartyが開催中止になるなど、市場規模や売上の減少と共に、1990年代後半から2000年代前半にかけてトップレベルであったオタク業界内での影響力も相対的に小さくなりつつある。 2002年度をピークに販売本数やタイトル数の減少が続いている既存のWindows向けアダルトゲームのパッケージは10年以上経っても減少が下げ止まらず、新作タイトル数が減少している。特にフルプライス作品のタイトル数減少が著しく、月平均5〜10タイトル程度しか発売されない事態となっている。2023年8月のフルプライスは『ハーレム×楽園 - Harem × Shangri-La -』1タイトルのみである。それに伴い、エルフやminoriやfengやすたじお緑茶など、大手・中堅の撤退・解散・倒産が相次ぎ、新作が長年に渡って発売されず、公式サイトも長期未更新状態になっている実質休眠状態のブランドも年々増加する結果となっている。それと入れ替わるようにして、FANZA GAMES(旧DMM GAMES.R18)の『千年戦争アイギスR』(2013年)・『神姫PROJECT R』(2016年)・『アイ・アム・マジカミDX』(2019年)のようなブラウザゲームやスマホゲーム、さらには『Teaching Feeling -傷肌少女との生活-』(旧題『奴隷との生活』。2015年、FreakilyCharming)などのヒット作が相次いでいる同人ゲームが大きく台頭しており、スマホ向けポータルサイトやアダルトサイトでの宣伝効果も大きく現在ではアダルトゲームと言えばそちらの方が主流となっている。 GAME 遊び放題 プラス、OOPartsといった買い切りゲームをプレイできるサブスクリプションが登場している。 アダルトゲームに関する日本国内の社会一般における議論や、表現の自主規制について解説する。 アダルトゲームの規制に関する意見の中には、一部に感情論的な側面が含まれ、他方では明確な論拠を持たない、ないし事実に対する意図的な誤認を誘うようにされているものすら見られる。これらには、過去の犯罪行為に対して忌避感を抱く側の拒絶反応または嫌悪感やそれに対する配慮、あるいは制作者の利害関係ないし制作者・愛好者の規制強化に対する危機感、逆に規制推進派が唱える規制強化案では感情的なものの他にも自組織の存在の誇示や発言力強化まで計算に入れたセンセーショナルで声高な主張といったものが、時に密接な関連を及ぼしてくる。 他方では、社会的圧力から販売禁止による損害を恐れるゲーム制作企業が、様々な迂回策や自主規制を行う傾向も見られる。日本における表現の自主規制は学識的・理知的な裏付けがない場合や、団体各々の主観で判断している部分がある。その対象・程度にばらつきも見られ、客観的にどこまでが容認されるのか、どこからが規制されるのかという面で、レーティング設定も業界ごとに規制対象がまちまちであり、規制導入側にしても、その影響を被る側にしても混乱を招いている。この状況を打破する目的も含め、2006年4月経済産業省はコンピュータエンターテインメント協会(以下、「CESA」と略す)、ソフ倫、日本アミューズメントマシン工業協会、映倫管理委員会、日本ビデオ倫理協会と映像コンテンツ倫理連絡会議(仮称)において審査基準・表示の一本化を提言した。 2005年現在において、日本では同年2月には45本発売されるなど(PC Angel2005年5月号による)多数のアダルトゲームが発売されている。『ナイトライフ』(1982年、光栄マイコンシステム)が始祖とされるこれらのゲームには、業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在せず、性的描写は各企業の裁量に任されていた。なお、ナイトライフ自体はどちらかと言うと「夫婦生活をサポートする」ためのユーティリティ的なソフトウェアであり、直接的な性的興奮を目的としたコンピュータゲームではなかった。しかし同作品のヒット以降、着実に性的興奮を目的としたコンピュータゲームが、当時表現力が次第に向上した8ビットパソコン向けに盛んに販売されるようになった。 これら成人指定の性的描写を含むコンピュータゲームの多くは、個人でもソフトウェア開発環境を揃え易いパソコン向けの作品となっており、当初の市場はマニア・おたく向けの微々としたものであった。このため一般からは特殊な再生媒体によるポルノ作品としてのみ扱われ、1980年代末までのこれらゲームに対する一般の販売店での扱いは極めて無頓着なもので、販売店によっては商品であるこれらソフトウェアのパッケージは「店の入り口からでも見えるような位置」に堂々と陳列されていたり中高生ですらこれを購入することになんら制限は見られなかったほどである。社会一般での認知度も「ほぼ無視ないし無名」といった状態であった。 だが、次第にアダルトゲームは問題視されるようになる。1986年には、刑法177条(強姦罪)からタイトルを取った『177』(マカダミアソフト=デービーソフトの一部門)が、草川昭三により国会で取り上げられた。そして1988年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件や、それに端を発した有害コミック騒動によってポルノ業界そのものへの批判が強くなっていく。 1991年に成人向けゲームを万引きした中学生が補導されたことを発端に、成人向けゲームへの非難が高まり、製作会社の社長が京都府警に逮捕される事件が起きた。のちに沙織事件と呼ばれるものである。国会にも取り上げられたこともあり、業界全体に事態を重大に捉える動きが生まれた。翌 1992年には、業界団体の社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)が18禁シールを作成し、希望する企業への販売を開始した。一方、『電脳学園』(1989年、ガイナックス)が宮崎県における青少年の健全な育成に関する条例に基づき有害図書指定される。 沙織事件や宮崎県での有害指定をうけ、自主規制団体の必要性が叫ばれるようになり、1992年10月に自主規制団体のコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。他の分野では1990年にコミックマーケットが幕張メッセを使用できなくなる事件、それに伴いコミックマーケットでの性的表現自主規制が強化される事件が発生し、非実写性表現のあり方を問われた時代でもあった。 1996年には『子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議』がストックホルムで開催された。この会議で日本人によるアジアでの児童買春と、日本国内で大量につくられる児童ポルノに対して非難が起きる。これに対して日本は法整備、取り締まりの強化を表明した。これらでは当時の日本においておたく向けの商業作品群に、いわゆる「アニメ風の女の子(→萌え絵)」を使っての性的興奮を煽ることを目的とした物が多く見られ、市場もそれら作品の傾向に寛容であったことも同規制による議論の対象に挙げられている。特にアダルトゲームは、かなりの比率をこの「アニメ風女の子」を使った作品が占めている。 1999年は超党派の国会議員によって『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律案』が提出され、成立した。法案段階では『児童ポルノ』の範疇に「絵」が含まれていたことから、業界筋やユーザー筋でも大きな論争になった。修正され『絵』は対象外になったが、3年後に見直しを行うことを明記した。 2005年4月には、自由民主党の野田聖子の呼びかけにより、『少女アダルトアニメ及び同シミュレーションゲームの製造・販売に関する勉強会』が行われたが、この勉強会自体は大きな話題になることはなかった。 2006年4月10日に日本テレビはNNN NewsリアルタイムおよびNNNきょうの出来事において、「アニメやインターネットに溢れる性や暴力に関る情報が、子供を標的にした事件に結びついている可能性がある」として警察庁が新たな規制に動き出したことを報道した。 2008年に入り、日本ユニセフ協会を中心にアニメ、漫画、ゲームソフトおよび18歳以上の人物が児童を演じるものを含む児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したものを「準児童ポルノ」として違法化することなどを柱とした「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンが開始された。国会では児童ポルノの規制強化を目的として、性表現色の濃い漫画・アニメ・ゲームといったフィクション作品の単純所持をも規制対象に含める改正案を検討し始めた。 2008年には、「漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像、外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するもの」を「児童ポルノに類する漫画等」とした上で児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進することを附則に盛り込んだ児童ポルノ禁止法改正案が提出されたが、2009年7月21日に衆議院が解散されたため、廃案となった。 2009年に入ると『レイプレイ』(2006年、ILLUSION)が英国国会で取り上げられ、ニューヨーク市議会でボイコット運動が起きた。5月にはアメリカのラディカル・フェミニズム団体の「イクオリティ・ナウ」が抗議活動を始めるなど日本国外でアダルトゲームが問題視された。この動きは日本にも波及し『レイプレイ』の発売元が取り扱いを中止した。公明党が秋葉原での販売形態を視察した ほか当時与党であった自民党が「性暴力ゲームの規制に関する勉強会」 を立ち上げ、罰則規定を含む法体制の整備を提言する など政治の動きが活発になった。 コンピュータソフトウェア倫理機構は、このような状況の下、6月に開催された会合で「レイプなどの性暴力を扱うゲームソフト」の製造・販売を禁止 パッケージに日本国内専売の明記 などの規制の強化を決定した。また、minoriなどいくつかのブランドは公式サイトへの日本国外からの接続を切断した。 2014年には、2008年に提出された児童ポルノ禁止法改正案の附則と同様に、「漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像、外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するもの」を「児童ポルノに類する漫画等」とした上で児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進することを附則に盛り込んだ児童ポルノ禁止法改正案が提出されたが、与野党の合意により成立した改正法からはその部分は削除された。なお、同法により、児童ポルノの「性的好奇心を満たす目的での」単純所持が禁止された。 規制強化を求める側の主張として、これらのゲームが流通することで児童誘拐事件などの凶悪犯罪が発生する可能性があるため、被害防止のために規制するべきという考え方がある。公明党所属の丸谷佳織衆議院議員(当時)は と述べ、「つまり、「絵」に関して、たとえ実在の被害者がいなくても、現状は放置しておくべき状況ではないというお考えですね」との問いには と答えている。その一方で反対派からは、「『ゲームなどメディアが犯罪を誘発する』という説はメディア効果論の一つであり、既に否定されている」との主張もある。 社会風潮の悪化防止のために規制の強化が必要とする意見が述べられることもある。児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の制定にも力を尽くしたNGO・ECPAT/ストップ子ども買春の会の共同代表者は と述べている。 海外では規制されているとして、それらを参考にすべきとの意見もみられる。 また、内容的に犯罪行為(→強姦)を扱うゲームがしばしば発表されている部分にも絡み、これらゲームの消費者の嗜好や、製作側の諸事情で用いられているいわゆる「アニメ風の女の子」の絵(→萌え絵)が、かわいらしさや女子らしさを強調しようとした結果、その映像面で幼児・児童として認識され得る辺りにも関連して、同種作品への拒否感を強め、規制案への支持に及んでいる傾向が見られる。中には、 など、公の場で差別的ともとれる意見が述べられることもあった。 これらの主張の他にも、架空のキャラクターにも人権が存在するため、陵辱されるようなゲームは許されないとする意見もある。元NPO法人カスパル の代表者は朝日新聞が2005年1月10日に行ったインタビューで「絵で描かれていても、少女たちの人権を侵していることには違いありません。」と述べている。 この辺りは、ゲームによって提供される仮想内の出来事ながら、半ば作品提供側の意図したストーリーで犯罪行為を追体験するような物への風当たりが強く、また人間社会では各々の個人が持つ人権が同等の物であるように、ゲーム内に構築された仮想世界では、ユーザーの操作する主人公と、陵辱される側のキャラクターは本質的に同等の「仮想的人権」を有しているであろう...という点も成立する。 憲法21条で保障される所の表現の自由による物や規制の恣意性 から反対することが多い。このほか、強力効果説を否定し暴力的になることはないとする意見のほか、現実の女性に向かう性欲を失わせ、実際の性犯罪が抑制されている可能性があるという指摘もある。 規制に関する歴史にあるように、業界にとって青天の霹靂とでも言うべき事態であった沙織事件などから来る規制強化の流れを受けて、1992年、自主審査機構つまり自主規制の団体としてコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。 最初期に制定された性表現の規制基準については、主に当時のアダルトビデオ業界の最大の自主審査機構・日本ビデオ倫理協会(以下「ビデ倫」と略す)の基準を参考にしていたが、動画の実写作品を管理することを主目的としたビデ倫をモデルにした基準は、ほとんどの作品で静止画のイラストが主体であるアダルトゲームの実態にはそぐわないものであった。 しかし、ソフ倫はアダルトゲーム業界唯一の審査機構であることを背景に、パソコンソフト卸・流通の企業との関係・連携を重視しこれらを取り込むことで、ソフ倫に加盟してその規制・指示に従わなければアダルトゲームをパソコンソフトの商業流通の販路に乗せることが事実上不可能になるという業界の構図を作り出し、設立後数年と経たないうちにアダルトゲーム業界で絶大な権力を持つに至った。 だが、その反面で、ソフ倫はその業務内容については非公開としており、ソフ倫に人員を提供する一部の制作会社に対しては作品の審査が甘いという指摘がなされるなど、透明性が低いと言わざるを得ない組織体質であり、プレイヤーサイドの求めるものとのギャップも大きく、プレイヤーや会員メーカーからの不信感を招いた。その上、組織体質的には極度の事なかれ主義で、1999年施行の児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の影響が波及する事態や沙織事件の再来を恐れ、18歳未満の男女キャラクターの性的描写の禁止や、ゲーム内において使ってはいけない言葉(いわゆる「NGワード」)などといった規制強化ばかりを年々進め続け(例えば「高校生」(ほとんどが18歳未満、ただし合法な18歳もいる)という言葉を「学園生」(年齢不詳)に言い換える、など)、ジュブナイルポルノやアダルトアニメなどと比べても表現の制約と不自由さは増すばかりであった。しかも、ソフ倫はアダルトゲームの審査業務を事実上独占し上述のように卸・流通をも掌握していたことから、事実上、商業流通のアダルトゲーム市場でのメーカーやクリエイターの生殺与奪の権を握っていたと言っても過言では無く、アダルトゲームのメーカーやクリエイターたちはソフ倫加盟か自主審査かは関係なくソフ倫に楯突くような真似はできず、ノベライズであるジュブナイルポルノ作品などの関連商品や雑誌イラスト、ウェブサイトなどにおける表現や言動も含めて、業界で権勢を増すばかりのソフ倫の影響下から逃れることはできなかった。 この状況に小さくとも風穴が開く、すなわちアダルトゲームの審査業務におけるソフ倫の独占が崩れる、その転機となる出来事のきっかけは2001年8月に起きた。『君が望む永遠』(2001年、アージュ)が、画像の修正処理に不手際があるとして"自主回収"となった。発売元のアージュの代表は後年、同作について「自主審査のうえで自主回収だった」としている が、自主回収騒動の後しばらくは主に同作に絡めてアダルトゲーム業界やソフ倫に絡んだ様々な情報や憶測が流れたことも事実である。 いずれにせよ、同作の回収騒ぎが1つの契機となり、アージュの作品を取り扱っていたソフトウェア卸売会社ホビボックスは、アダルトビデオの自主審査機構であったメディア倫理協会(以下「メディ倫」と略す、現・「日本コンテンツ審査センター」)にアダルトゲームの審査を行うように働きかける。そして、2003年2月、アージュの『マブラヴ』がメディ倫審査によるアダルトゲーム第1号として発売された。また、ホビボックスとソフト流通の独占契約を締結していたぱんだはうすなど数ブランドが、アージュとほぼ同時期にメディ倫に移行した。 前作『君が望む永遠』がヒット作になったアージュの新作『マブラヴ』は、諸般の事情で発売予定日の延期を何度も繰り返しながらも大きな注目を集めていた。しかし、メディ倫審査による作品の登場という事態に対して、当初、パソコンソフト流通の企業やこのルートからの仕入れをメインとする小売店の多くは、ソフ倫との関係への配慮からソフ倫審査作品以外は取り扱わない方針を取った。その結果、多くのパソコンソフト販売店で『マブラヴ』について入荷どころか仕入れ元からの情報さえ一切皆無という事態が起き、パソコンソフト販売店の店頭や通販のルートからの購入希望者たちを困惑させる。その一方で、『マブラヴ』の流通と販売の中核を担ったのは、従前からメディ倫審査のアダルトビデオの販売を数多く手掛けていたアダルトビデオ系の流通とこれを取り扱うサブカルチャー系書店であった。パソコンソフト販売店での『マブラヴ』の入手難から、アダルトゲームのプレイヤーたちの間ではインターネット上で同作の販売概況を巡る情報交換が幅広く行われ、やがて実情が明らかになるに連れて、サブカルチャー系書店でのパソコンソフト販売に対する認知がプレイヤーの間で広まることになった。 また、当時のメディ倫はソフ倫と異なり、全ての素材を審査する完全審査体制を取っており、卑猥な用語に対する規制もソフ倫より若干緩いものであった。メディ倫審査を通過した『マブラヴ』の登場によって、当時のソフ倫とメディ倫の規制などへに対する姿勢の相違点は比較され、その中でソフ倫の表現規制や末端の加盟メーカーに対する姿勢のきつさが表面化する格好になった。 その後、2004年初頭に数々のブランドを抱える大手・テックアーツがメディ倫への移行を表明、前後して主に中堅以下の数ブランドがメディ倫へ移行し、その後に設立されたメーカーの中には最初からメディ倫による審査を選択し、ソフ倫には加盟しない所も見られるようになった。これらの結果、パソコンソフト流通に属する流通・小売の各社もメディ倫審査の作品の存在を無視することができなくなり、なし崩し的に取り扱いが開始され、10年以上にわたって続いたソフ倫によるアダルトゲーム審査業務の独占は崩壊することになった。 この一連の流れを受けて、加盟メーカーのメディ倫審査への流出防止、すなわち組織防衛の必要に迫られたソフ倫は様々な対抗策を打ち出して加盟メーカーの引き留めを図ったが、その最大の切り札は、それまで組織内部では口にすることさえ事実上のタブーであった性的描写の部分的規制緩和であり、たとえば一度は厳禁になった近親相姦描写は2004年秋以降の作品から再解禁となった。メディ倫によるアダルトゲーム審査業務は、メディ倫の組織変更に伴い2010年に映像倫理機構(現在は日本コンテンツ審査センター)による審査業務に移行している。 なお、上記に記載されている審査機構による審査を受けて発売するアダルトゲームは年々タイトル数・売上ともに減少を続けており、それに代わって現在主流となっているスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームなどでは審査機構による審査を受ける義務がなく、審査があるとしても販売サイトによる審査のみなので、審査機構の審査を受けているアダルトゲームより制作の自由度は高いとされている。審査機構の審査を受けないスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームが主流となったことで、ソフ倫などの審査機構の影響力は年々小さくなっており、審査本数の減少に伴い、ソフ倫自身も2016年7月にアイドルビデオや着エロビデオの審査を開始している。 アダルトゲームの、技術面に関する部分を解説する。 1980年代までのパソコンの大半は、ソフトウェアの開発環境もトータルにパッケージ化された製品として市場に出ていた。このこともあり、コンシューマ機向けゲームソフトのようなワークステーションなどの専用機器の導入をせずとも製品の開発が可能で、これはアダルトゲームのみに限定されたことではないが、当時のパソコンゲームソフトのほとんどがこれらゲームを動作させる動作環境と同じ機器を利用して開発を行っていた。また、コンシューマ機と異なりソフトの流通をハードメーカーが一括して掌握・管理するシステムは構築されておらず、ほとんどのケースでハードウェアメーカーに対してのライセンスや許諾承認の手間・コストが存在しないか小さかった。 そのため、パソコンゲームを開発・発売するにあたってはコンシューマーゲームよりもハードルが低く、それこそ現在の小規模な同人ゲームと同程度の出資・開発規模でも商業規模の作品の制作が可能であった。あとはメンバーの熱意とセンスと開発に投じることの出来る時間で製品の完成度は左右され、同人での活動を目指すものは同人即売会などを目指し、開発チームが小規模でも商業ブランドとして立ち上げたい者たちは、当時の家電量販店や日本ソフトバンクなどのパソコンソフト卸で商品を流通させていくことを目指すことになった。このため、日本国内においてのアダルトゲームの開発と発展の歴史は、パソコンとパソコンゲームのそれ自体の発展の歴史、パソコンゲームに関する同人イベント、パソコン用ゲームソフト流通の歴史などとも密接に絡み重なり合う部分が存在する。 開発環境は、家庭向けのパーソナルコンピュータの性能が向上していく過程で、それに牽引される形で発達を見せており、この事情はやはり黎明期からあまり変わっていない。しかし共通化されたゲームエンジンの開発と導入などにより、「アダルトゲームを含むコンピュータゲームの開発環境」は総じて向上しており、また商業タイトルでも使用されているゲームエンジンが同人ゲームに導入されることも見られ、これは同人ゲーム開発サークルとの境界の曖昧化を発生させていると見ることも可能である。 この中では、技術力と資金のあるメーカーが独自に新しい映像技術やゲームシステムを開発・導入したりする一方で、おたく文化・インターネットの発達や同人とその関連産業の拡大を背景に数多のクリエイター(原画・シナリオライター)が輩出されている関係で、技術力に劣る中小のメーカーでも描画力に優れ人気のあるクリエイターを確保できれば、あるいは所属者の原画・シナリオの作風が洗練されたものに変化し時流にマッチし人気が沸騰すれば、その可憐な美少女キャラクターを武器に大手・古参メーカーにも十分伍しての販売をし得るわけで、そのような形で住み分けや販売力の強化を行っている様子も見られる。 アダルトゲームでは伝統的に、プログラマーもしくはシナリオライターがディレクターを兼任して企画を立て、作業の進行管理を行うことが多い。また、テキストの良さは物語とキャラクターをより魅力的なものとし、作品自体の評価を高める。これらのことからシナリオライターや企画担当者はスタッフ中でも重要な役職の1つとされる。2000年以降はメーカー、雑誌などで原画家と共にライターも紹介することが多くなった。 シナリオライターの業態は黎明期から現在に至るまで形態に大きな変化がない。大半のアダルトゲームではメインライターは1人である。ただしマルチシナリオ・マルチエンディングのビジュアルノベルの普及や大作化傾向が進んだことで文章量が大幅に増加した現在では、ボリュームのある作品などでは一般的な文庫本を超えるほどの文章量があるものも少なくなく、サブライターとして何人かが協力したり、数人のシナリオライターや企画チームによる全面的にシステマティックな共同作業制を導入しているブランドも見られる。上述の通り企画や進行管理を兼任することが多いポジションであり、多くは開発組織内部の人間が務めることから内製の割合が高く、外部への発注は比較的少ない傾向にあった。しかし2010年代以後、絵重視でシナリオが重視されなくなってきている関係上、シナリオを外注にするブランドが増え、現在では外注が主流となっている。 日本のアダルトゲームの最大の特徴を成しているのがグラフィックである。アダルトゲームが出始めた1980年代の8ビットパソコン時代の末期から16ビットパソコン全盛期では、技術上の制約からプログラマー兼デザイナーの描くドット絵に留まっていた。その流れが大幅に変わったのが、アニメーション制作会社であったガイナックスの参入と『電脳学園』(1989年)『電脳学園2 HIGHWAY BUSTER』(1989年)の登場である。ここで赤井孝美・菊池道隆(麻宮騎亜)・新田真子・明貴美加といったアニメーターとして名を成した人物が参入、これに触発され、各社成人向け漫画家・アニメーターを起用し始めた。その中でエルフがアニメーター竹井正樹を起用した『同級生』(1992年)がヒットし、翌年アニメーター横田守を起用した『河原崎家の一族』もヒット、漫画・アニメーション業界からの技術流入によってグラフィックデザインの向上が図られた。1995年のWindows 95の登場により解像度と発色数が増加、技術進歩により、初め絵で描かれた作品の実写版もいくつか発売された。しかし、現在のアダルトゲームのグラフィックデザインの中核をなしているのは前掲の人物たちの絵を模倣しつつ成長した漫画・イラスト系同人作家による絵である。 これにより、コンピュータゲームでも対戦格闘ゲームやRPGなどの他ジャンルでは、立体感のある3Dグラフィックスを用いたり、人物描写も比較的写実的になるのに対し、アダルトゲームは、現在でも2Dグラフィックスで表現するのが主流となっている。しかし例えば、アリスソフトやソフトウェアぱせりではRPGのダンジョン部分に使用され、エルフのドラゴンナイト4ではユニットを、ニトロプラスのファントム・オブ・インフェルノでは銃を3Dグラフィックスで形成するなど、作品ごとで部分的に使用されることも多く行われ、ILLUSIONやKISSのアダルトゲームは全面的に3Dグラフィックスで描かれている。また、昨今の同人ゲームにおいても3Dグラフィックスを用いたゲームが増えてきている。アダルトゲームの人物の絵やドット絵は瞳が顔の大半を占めるほど大きい反面、鼻や口がしばしば簡略化ないし省略される、一般的にはマンガ絵・アニメ絵と呼ばれる独特なデザインで表現されている。そのデザインはしばしばエロさといった性的興奮より、ユーザー・愛好者以外からは幼い・かわいらしいといったイメージを持たれる物で、それらへの愛らしさは『萌え』という単語で表現され、萌えを喚起する絵ということで『萌え絵』とも呼ばれている。 萌え絵がアダルトゲームにおいて多い実利的な理由としては、第一に静止した立ち絵の構図が同じであるため、リアルな絵や全身図であるとそれが違和感を与えて無機質な印象を与えること(立ち絵を多くすれば解決できるが、管理が難しくユーザーも目が疲れる)があり、ディフォルメを強めることで、擬似的に与える印象を増やしていることが挙げられる。第二に、立ち絵の多くは目と口元を変えることで表情差分を作るが、切り替えを十分に表現するには目にユーザーの焦点が当たる方が都合がよい。塗る時も素早く範囲を指定できる。こうしたシンプルな形を採用し、「表現の多彩さ」と「改変のしやすさ」を兼ねることは、資源に限りがあるメーカー・制作に追われるスタッフにとっては重要なことであり、かつてのカセットテープやフロッピーディスク(FD)など販売用記録媒体の容量の上限やコストが厳しかった時代にはなおさらのことであった。 グラフィックが女優による映像ではなく、絵による画像のアダルトゲームにおいては、キャラクターのセリフに合わせた音声データを出力させることがあり、その音声を担当するのはほとんどが声優である。声優がアダルトゲームに声をあてる場合、声優名を非公表とするか、またはアダルト用の別の芸名を使うことがほとんどである。 アダルトゲームへの音声の本格的な導入は、後述する音楽面と同様にCD-ROM・大容量ハードディスク・PCM・データ圧縮技術などのハードウェア・ソフトウェア両面の技術進歩と普及があって初めて可能になった要素で、時期的にはコンシューマゲーム機における導入とそれほど大差は無く、1990年代前半くらいから徐々に普及し始め、2000年代前半には普遍的なものになった。 コンピュータゲームの音声データ導入は、声優起用と音声収録のシステムとノウハウが確立されるまでの最初の数年間は試行錯誤の連続で、当初は規制基準が媒体によってまちまちであったため媒体ごとに声優を交代させる必要があり、1990年代中期の作品では1キャラあたり4-5人も声優がいるものも存在した。この流れも1999年の法改正(詳細別節)と、家庭用ゲーム機におけるハード間競争でソニーのPlayStation・PlayStation 2が優勢になったことを受け、1キャラクターあたりアダルト表現まで請け負う声優と、非アダルトの関連作品のみを担う声優の2名に大別されるケースが多くなった。 このような流れと平行して、コンピュータゲーム業界全体では「第三次声優ブーム」のあおりを受けて高騰の一途を辿る声優のギャラを巡り、1997年9月からCESAと日本俳優連合(日俳連)の間で交渉の場がもたれていた。だが、日俳連が「ギャラをランク制の設定額よりも高額なものにすること」「ハード間移植の際の音声二次使用料を支払うこと」などを要求したため、交渉は難航。仲裁に日本音声製作者連盟(音声連)が加わり、日俳連がかなり譲歩する形で1999年2月10日に合意、ゲームにもランク制が導入された。ただし、アダルトゲーム制作会社の場合はCESAに加盟していないため、この合意の適用外であり、そのためアダルトゲームへの声あてのギャラは、アニメや一般向けゲームよりもはるかに高額であると言われている。一例をあげるとチュアブルソフトは『スイートロビンガール』の声優一般公募の際、募集要項にヒロイン4名の報酬について500ワードまでについては基本報酬の50,000円以降は10ワード毎に500円を支払うと明記している。 アダルトであること以外の特徴として、アニメ作品の場合は出演者同士の掛け合い、すなわちアフレコで、基本的に自分の出番だけスタジオにいればよいのに対して、ゲームの音声収録は個別にスタジオのブースに入って収録する形式で、スタジオレンタル料との兼ね合いから短期間に集中して収録するため、1日あたりの拘束時間が長いということが挙げられる。特にアダルトゲームはノベル形式のアドベンチャーゲームが主流のため、セリフの量がアニメに比して多く、平均的な商業作品で台本はおよそ電話帳タウンページ2冊前後、メインヒロインではその1.5倍から2倍に達する分量があり(ただし、アニメ用と異なり、ゲームスタッフがプリンターとコピー機を駆使して作った簡易製本であることが多く、単純には比較できない)、ゲームの仕事が入ると他の仕事が入れづらく、スケジュールの都合がつかず出演できないという事情もある。 これらの事情から特定の声優に起用が集中する傾向があり、人気となれば年間に50本以上、中堅でも30本前後の作品で起用される。その結果、アダルトゲームとその関連作品の収録だけで年間スケジュールの大半が埋まってしまう声優も少なくない。 現在のアダルトゲーム業界では数人規模の小さな開発チームが大半を占めていることもあり、音楽面については専門スタッフや音楽制作の機器・設備を組織内に置かないのが一般的で、全面的に外注を利用するスタイルが広く定着している。また、効果音も含めて全面的に外注に委託したり、外部の専門業者から必要に応じて効果音の音声データを購入してくることは、ごく普通に見られる。つまり、関与する企業やプロダクションの規模の違いこそあるものの、現在のサウンド面の制作システムは従来のテレビアニメのそれをおおむね踏襲したものになっている。 アダルトゲーム業界に関わる音楽制作のプロダクションは数多く競合も激しいが、その中でも知名度で頭一つ抜けた存在となっているのは1990年代末期に台頭したI'veで、主題歌の編曲を手がけた『Kanon』(1999年、Key)の大ヒットで注目を集めた。I'veが音楽あるいは主題歌を手がけたアダルトゲームのパッケージには、I'veが音楽を担当したことを表すロゴマークが付けられ、KOTOKOをはじめとする"歌姫"と称される女性ボーカリストの存在を前面に打ち出す形で2000年代前半に全盛期を作り出し、その後にはテレビアニメの劇伴(BGM)や主題歌にも進出している。また2001年にはkeyのサウンドトラックなどを専門に扱うKey Sounds Labelが発足した。他方でも、『吸血殲鬼ヴェドゴニア』(2001年、ニトロプラス)では主題歌のボーカルに紅白歌合戦に出場したこともある小野正利を起用するなど、音楽や主題歌に力を入れる動きが顕著になった。また、インディーズで活動している者を中心に、アダルトゲームの主題歌の歌唱・作詞・作曲を担当する女性歌手・女性シンガーソングライターも少なくない。 また、1990年代の音楽シーンには『メタル氷河期』と呼ばれる、ジャパニーズメタル 音楽の著しい市場低迷が起き、数多くのヘヴィメタル系ミュージシャンが、生活と音楽活動の維持のためにテレビアニメ・テレビゲームなども含む多ジャンルの商業音楽に進出し、若手もメジャーシーンにほとんど登場できなくなった時期があったが、その軽音業界の歴史的な経緯や影響によるものか、1990年代から2000年代にかけてのアダルトゲーム業界のサウンド面を支えた音楽集団や音楽担当スタッフには、メタル音楽の経験者やフォロワーが少なからず見られる。その状況下において、ロックよりもかなりハードなドラムやギター、間奏部のメロディカルなギターソロ、重低音重視のミキシングといったヘヴィメタル的な要素がふんだんに盛り込まれた楽曲が珍しくないことも、アダルトゲームの主題歌・BGMの特徴・様式として挙げられる。その中でも特筆すべきはメーカーであるがニトロプラスで、作品によっては歌詞と曲だけ聞かされてもアダルトゲームの主題歌とは到底信じ難いようなハードなメタルテイストの曲を主題歌や挿入歌に据えた作品が少なからず見られる。他方、アダルトゲームの主題歌であるため、メーカーによってはハードでハイテンポな曲に、本項ではさすがに掲載がはばかられるような性的表現を含んだ歌詞を組み合わせたケースもあり、たとえメタル調のハードな曲であっても歌詞のバラエティという意味では、ラブソングやいわゆる「萌え」に属する歌詞がほとんど見られない本家ジャパメタとは比較にならない幅の広さを持っている。また、先述のニトロプラスのものを例外とすれば、メタルテイストの曲であってもほとんど全ての曲についてボーカル担当が女性であることは大きな特徴で、特に男性ボーカルを起用した主題歌は皆無では無いが珍しい。 I'veが人気を得た2000年ごろ以降は、主題歌CDの初回特典としての添付がこの業界では販売促進策としてごく当たり前の手法となっている。だが、これについては、多くのゲームに存在する初回特典の有無による価格差や、アダルトゲームでは初回限定版の発売後に初回特典を除いた「通常版」が最終的に発売されないケースが珍しくないことなどを鑑みた場合、ゲームと主題歌CDの事実上の抱き合わせ販売の商法であるとして指摘する批判も少なくない。また、このような事情から、1本1万円前後することも多い初回特典付きゲームソフトの購入以外には正規・合法的に入手する方法が事実上無い、ある意味で「入手困難」と言える楽曲を多数持つ歌手もいる。この状況を補うべく、ブランド・メーカーによっては主題歌やイメージソング・サウンドトラック類をまとめて収録したCDを別に制作しファンに向けて販売したり、あるいは主題歌を担当した歌手や音楽制作プロダクションの単位でゲーム主題歌をまとめたコンピレーション・アルバムが制作されることがあるものの、これらは結局のところ自主制作盤の範疇を出ずにコミックマーケットなどのイベントの企業スペースや自社ホームページなどで数量・期間を限定して発売されるものが多く、一度完売したら以降は事実上入手不可能ということもまた多い。 アダルトゲームで使用・作成されたBGMは一般向けゲームソフトのゲームミュージック同様、広く地上波テレビ放送各局でも音楽素材として幅広く使用されているほか、主題歌がカラオケ入りすることも珍しくない。ドワンゴが、2005年7月から放送した着メロ配信サイト「いろメロミックス」のテレビコマーシャルのBGMに、『巫女みこナース』(2003年、PSYCHO)主題歌の『巫女みこナース・愛のテーマ』が採用された。さらに、同曲は2005年12月27日に第一興商の通信カラオケ「cyber DAM」で配信されている。 他方、アダルトゲームを原作としてメディアミックス企画が立てられ、とりわけ性的要素を排除したテレビアニメ作品が制作される場合には、こちらではアニメ音楽を専門範囲とする作曲家が起用されることが多く、同様に主題歌担当の歌手も原作から変更されることが多い。アダルトゲーム作品を担当したスタッフ・外注・歌手がそのまテレビアニメ作品でも続けて劇伴・主題歌を全面的に手掛けたケースは、存在こそするものの少数派である。ただし、上述したI'veは後にテレビアニメの劇伴・主題歌の制作にも進出しており、むしろ現在ではこちらが主業という状況も垣間見られ、アダルトゲームのアニメ化に際して主題歌などで新規にI'veのスタッフ・歌手が起用されるケースが見られている。 このように1990年代末〜2000年代半ばごろにかけて一大ブームを引き起こしたI'veであるが、2000年代後半以後はボーカロイド・東方Project・アイマスなど、動画共有サイトで流行っている音楽ブームに押され、それらのブーム以後にオタクコンテンツに触れたユーザーからの知名度は低い状況となっている。 アダルトゲームの、業界事情に関する部分を解説する。 アダルトゲームの市場規模は、2002年ごろにピークを迎えてからは一貫して衰退を続け、2011年の段階ですでにピーク時の半分以下にまで縮小している。矢野経済研究所の調査によれば、2007年度の市場規模は341億円(前年比−2.8%) であったが、2013年度には188億円(前年比−5.1%) となった。2016年の市場規模は168億円であった。 コンピュータソフトウェア倫理機構の資料によれば2006年9月現在でアニメ系の加盟会社は224社を数え、2005年のアニメ系販売タイトル数は931タイトルであった。2005年のアニメ系の販売本数は4,887.1(単位は千本)であった。2016年度についての同機構の販売実績によれば、タイトル数は755タイトル、販売本数予測は170万3400本(1,703.4千本)となっている。 2003年時点では、家庭用ゲーム機用ゲームソフトは全機種併せて約1100タイトル、パソコン用アダルトゲームは約600タイトル発売されており、発売タイトル数でいえばコンピュータゲームでもそれなりの数量であるが、パッケージ作品で言えば売上数は一般的に1万本売れればヒット、予算や開発チームの規模にもよるが3000本から5000本販売できればペイライン(損益分岐点)に到達という、商業スケールとしては映像DVDなどと同程度のものであった。 ただし、上記はソフ倫審査のアダルトゲームに限定した内容で、ソフ倫の審査を受けないスマホゲーム・ブラウザゲーム・同人ゲームなどは市場規模に含まれない事に注意する必要がある。 上記項目にある通り、Windows向けアダルトゲームは2002年ごろをピークに衰退を続けていて、2010年代に入ったあたりから、スマホゲーム・ブラウザゲーム・同人ゲームが台頭し、現在ではそちらの方が主流となっている。Windows向けアダルトゲームの衰退原因として下記の様なものが挙げられる。 以上のような影響により、卒業するユーザーと比較して新規で入るユーザーが圧倒的に少ない状況となっている。 アダルトゲームの制作・販売を手掛けるメーカー・プロダクションは、2014年4月現在201社がコンピュータソフトウェア倫理機構に正会員として加盟している。また、日本コンテンツ審査センターで審査を受けているメーカーも存在する。スマホゲームやブラウザゲームしかリリースしていない企業や、同人サークルの中には審査機構に加入していないことろもある。ビジュアルアーツやテイジイエル企画のパートナーブランドのようにゲームソフト卸や一部のゲーム会社が自社の傘下に入ることを条件に開発資金を援助するシステムが広く確立されており、新規参入に際しては比較的容易で毎年数十のブランドが新たに登場するが、その一方でそれとほぼ同数のブランドが消滅してゆく。また、実態として解散状態か活動停止状態であるにもかかわらず公式サイトだけが長期間放置されたまま残されているブランドも少なくなく、タイトル数や売上減の影響もあって実質休眠状態のブランド数は年々増加している。 ソフ倫や日本コンテンツ審査センターの審査を受けるアダルトゲームの制作メーカーは規模の大小こそあれ、家庭用ゲームの制作メーカーと比較すればおおむね小規模で、商法上の区分でいえばメジャータイトルを制作するメーカーでも中小企業、大半は従業員10人未満の零細企業で、ごく小規模な有限会社や合同会社もこの業界では珍しくはない。アダルトゲームの制作・販売を主業としている会社を見た場合、社屋を自社所有するものはほんの数社程度であり、マンションやアパートの一室を住居兼仕事場にして、そこが唯一の拠点というケースも多い。労働条件については中小のコンシューマゲーム制作会社同様に、ごく一部の例外を除きほぼ一様に劣悪で、福利厚生面も脆弱であると言われている。反面、スマホゲームやブラウザゲームをリリースする企業はTSUTAYAやDMMなど、大資本であることも少なくない。 開発チーム名や法人名とは異なるブランド名を用意してこちらを前面に出している者も数多く存在し、目に見えて判別できる原画などの一部スタッフ以外の詳細について実質的に非公開になっているタイトルも多い。また、審査機構に非加盟の同人サークルなどの小プロダクションや、アダルトゲームの発売に本来の開発チーム・ブランド名が出ると差し障りが出るため名前を伏せたいと考えるコンシューマ機用ソフトの開発を本業とするチームもあり、そのような者たちが自身のスタッフ・機材でアダルトゲーム本体のデータを制作・完成させ、アダルトゲームブランドを持つ販社が委託を請け負い、倫理機関審査や営業・広告宣伝・製品流通など販売代行を行うことも見られる。さらには、メディアのプレス・マニュアル制作・パッケージングなどゲームデータ以外のほとんどの部分を販社側がトータルに手掛けることもある。このように、アダルトゲームの販売委託ではいわば製造業におけるEMSとOEM供給先に近い役回りを担うだけで済ませるところから、制作スタッフが実際に手掛けるのはゲームのデータ本体だけで、審査からゲームソフトとしてのトータルのパッケージングまで全て販社側で用意・制作するところまで、制作から販売に至る課程はタイトルやブランド毎に様々で、アダルトゲーム側のブランドを見た場合、そのような審査代行・販売代行・プロデュースが実質の本業となっているものもある。 狭隘な市場に小規模多数の制作会社・開発チームが存在するため売り上げ規模も小さく、アダルトゲームだけで経営を維持することは難しく、多くの制作メーカーは資金繰りのため、他にも様々なことを行っている。例えば、自ブランドの製品開発スケジュールの間合いを利用してプログラマーなどが他ブランドの製品開発の一部を請け負うなどの行為は珍しくなく、他にも中小企業向けの業務用アプリケーションやウェブデザイン、携帯電話向けソフトの下請け製作、貸しビル業 など、別のビジネスを行っているメーカーもある。 多くのアダルトゲームメーカーにとって通例として定められた流通会社や銀行からの融資の返済猶予期限は会社の存亡の懸かる日であり、作品の完成度に関係なく返済猶予期限内に新作を発売しないと会社が倒産・消滅する場合が少なくない。そういった事情や、製作途中のトラブルなどが原因で、大手メーカーの非アダルトゲームではおおよそ考えられないような未完成品が発売されることもざらである。 商業のパッケージゲームについては、流通会社が取りまとめ、小売店やネットショップに卸す事になる。ダウンロード販売については、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトで販売する。自主審査機構の項目に記載がある通り、この際、流通会社はソフ倫や日本コンテンツ審査センターなどの審査機構の審査を通していない作品は取り扱わず、ダウンロード販売サイトも同様に商業としては取り扱わないので、審査機構による審査は必須となる。2000年代前半ごろまでは開発環境の項目に記載がある通り、日本ソフトバンクが参入していた関係上、家電量販店にもアダルトゲームが卸されており、家電量販店でもアダルトゲームの販売が行われていた。 同人ゲームのパッケージ販売については、同人イベントやサークル通販(BOOTHなども含む)での販売やとらのあなやメロンブックスなどの同人ショップなどで扱われ、流通的には商業とは全く別ルートとなっている。デジ同人(ダウンロード販売)については、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトで販売する。なお、これらの同人ショップやダウンロード販売サイトは審査機構の審査を通さなくても取り扱いしてもらえるので、審査機構による審査は必須ではない。ただし、同人ショップやダウンロード販売サイトによる独自の審査は存在する場合もある。 年々、ネット・実店舗を問わず商業ゲームを扱う販売店や商業ゲームのイベントが減少を続ける一方、同人イベントを含めた同人の販売チャンネル数は増え続け、流通に関して言えば今は商業よりも同人の方が有利な状況となっている。 スマホゲームについては、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトでの販売・配布が中心で、ブラウザゲームについては、FANZAやDLsiteにじGAMEなどのゲームプラットフォームでのサービスとなっている。これらも同人ゲーム同様、審査機構による審査は必須ではない。 アダルトゲームの販売規模・開発組織はその大半においてコンシューマ機向けのゲームよりも小規模である。だが、その一方でハードウェア技術が発展しカセットテープ・フロッピーディスクからCD-ROM、DVD-ROMと記録メディアの大容量化が進み普及するに連れて、業界の全体の流れとしてデータ量・情報量は増大化傾向の一途を辿っている。攻略対象ヒロインの多数化によるシナリオ分岐・マルチエンディングの普遍化や、ビジュアルノベルの手法の発展によりシナリオのテキスト量でもコンシューマ機の大作ソフトやライトノベルの小規模な連作シリーズ作品などにも遜色ないスケールを持つ作品や、パソコン性能の進展に伴い一般的なものになった3Dグラフィックス・トゥーンレンダリングなどの最新技術を投入した作品も数多く制作されるようになった。しかし、2010年以後、業界の衰退による予算の縮小化でそのようなタイトルは年々減少傾向にあり、現在では攻略キャラが1〜2キャラのロープライス作品が主流である。 また、コンシューマ機向けのゲームソフトと同様に、 などといった要素が一般的になり、これらは複合的に重なってパッケージ規模の増大やトータルコストの上昇を引き起こした。広報宣伝やグッズなどゲーム本体以外の付随的な企画に要するコストや労力もメーカーにとっては無視できない負担増加の要因となっており、特にほとんどのグッズや宣伝用部材の素材制作に必要不可欠の原画担当者にかかる負担は本編の制作以外にも大きなものがある。ただし、これらは販促やグッズ収入の確保や1人のユーザーによる複数本購入などを目的として行われている一面があり、売上確保のために必要な要素であるとされてきた。 また、2000年代に入ってからは、特に動画・音楽・音声・主題歌といった専門的な技術が要求される要素が普遍的なものになり、特に動画は宣伝用やゲーム内のデモムービーとして規模の大小の差こそあれほとんどのタイトルで制作されている。だが、本格的な動画については専門技術を持つスタッフを擁し内製が可能なメーカーは少数派である一方で、業界の界隈では各種素材を利用して動画を制作するプロ・セミプロのプロダクションや個人事業主が多数活動していることから、大半のブランドがこれら外注に依存しており、その上、宣伝用デモムービーが当たり前のものとなるに連れて販売店やプレイヤーからはテレビアニメのオープニングアニメにも近いクオリティのものが要求されるようになった。また、特に発売開始前に配布する宣伝用デモムービーは、たとえ低価格路線のソフトでも広報宣伝に不可欠であるため、安易にはカットできない うえ、その出来不出来は販売店の売場での放映量の多寡や作品自体へのプッシュの強弱にも直結し、売り上げ本数にまで直接の影響を及ぼすことから一定水準のものを制作する必要があり、そうなるとやはり相応の専門の技術・知識を用いた"作品"が求められるため、安易にコストカットの鉈を振るうことができない一面があり、外注費の増加要因の1つとなっている。 これらの要因や後述する工程管理の狂いが重なりトータルで見た製作コストが膨張した結果として採算ラインの上昇を招き、販売本数的に成功と言われるタイトルであっても製作費を最初のアダルトゲームソフト単体では到底回収しきれないものすら散見されるようになり、現在では多くのブランドがコンシューマ機への移植や、ソーシャルゲームへの参戦や、キャラクターグッズ販売といった版権を利用した各種ビジネスを展開し、収益構造の安定化を図っている。だが、それでもトータルでの製作規模・制作費の増大が経理面から経営に重くのしかかり、既存のWindows向けアダルトゲームの売上低迷や企画・開発の難航など様々な組織内外の事情も重なって、ついには新規タイトルの開発を断念・休止したり公式ウェブサイトの更新が途切れてしまい事実上の活動終了となる、そこまではいかなくとも長期間にわたり新作の発表が途絶えてしまうなどといった状況が、一般的な規模のブランドはもとより、業界内で中堅・大手・古参などと見なされているブランドでも時折見られているようになっている。 コンシューマーゲーム業界と比較した場合、アダルトゲーム業界は概して開発チームの規模が小さい。そのため、特定のスタッフの個人レベルの技能に大きな比重が掛かり、これに作品の出来不出来が直接左右されてしまいがちで、往々に原画担当やシナリオライターなどのクリエイター個人の発言力が大きく、進行管理は中々に難しい。このような作品制作の中核を担うクリエイターが当初予定の期間を無視して構想を膨らませ続け、シナリオや画像の追加を延々と繰り返してしまうなど、根本的な部分で作品を制作するための工程管理や制作進行が完全に破綻した結果、発売予定が繰り返し延期され当初発表された期日よりも数カ月単位で発売延期となるケースは珍しいものではなく、最終的に年単位で遅延した末にようやく発売に至った作品も散見される。さらには、製作過程で何らかのトラブルの発生や、資金・決算・絶対納期・販売スケジュールなどといった開発チームや販社の都合が重なった挙句、事実上未完成状態の内容のものが「完成品」と称して販売されてしまった事例も存在する。 インターネットの普及により修正差分の配布が容易になったことや、ビジュアルノベル以外のジャンルも一定数見られた事などもあり、製品品質の維持が疎かになる傾向が見られ、製品出荷段階でのバグの増加も顕著になっていた時期がある。数多くのバグが存在し、パッチが発売後に幾度も配布されてようやく改善に至るなど、品質管理の問題で大きな禍根を残した事例も枚挙に暇がない。また、修正ファイルをインストールしていない状態では、単なるプレイすらできなかったものも散見された。昨今では審査機構が審査するアダルトゲームではビジュアルノベル以外のジャンルはほとんど見られなくなったことや、ゲームエンジンの普及などもあり、そういった事はあまり見られなくなっている。 その他、過去にはインストーラーやアンインストーラーの設定ミスにより、関係のないファイルを消去したり、OSの重要なファイルを消去してパソコンを起動不能にしてしまうという深刻なバグが発生した事例もあった。 昨今では未完成品やバグだけでなく、クラウドファンディング未達成のまま解散・倒産したり、公式通販で前金を取って予約を受け付けたグッズを未発送のまま倒産・解散したりといった事例も見受けられる。 商業流通のアダルトゲームの開発・制作では、企画立ち上げからマスターアップまでの全工程で、低価格路線などの小規模な作品でも数名、大型タイトルとなれば数十名単位で様々な役割のスタッフやクリエイターが関与する。裏を返せば、シナリオ・スクリプト・キャラクター原画・彩色やゲームデザインなどの主要工程を1人のクリエイターが全て手掛ける作品は稀である。その開発組織の中ではプロデューサーや開発チームの代表者を筆頭に、例えれば商業アニメーション作品の制作にも一部通じる分業化がなされており、作品の核ともいえるキャラクター原画やシナリオの担当者も含めて、スタッフは開発チーム所属スタッフとして、あるいはフリーランスや他社による下請けの立場で関与する。 当然ながらゲームソフトはソフトウェアであり、その中核となるゲームエンジンはプログラマーが制作するか、外部の既製品を導入する必要がある。かつてPC-98シリーズ全盛のころは専任または兼任のプログラマーが開発の中心軸に位置してゲームをプログラムとして自前で構築していくスタイルが主流であった。しかしその後、Windowsが主流になって以降のゲームエンジンはプログラミング技術の進展によって高機能化・複雑化の一途を辿った一方で、主流がノベルゲームになった事もあり、シナリオライターやゲームデザイナーがスクリプトを一通り操作できるならばプログラムを一から組み上げるという作業も不要になっており、このことから、現在では外部の既製ゲームエンジンを全面的に導入し、専属のプログラマーは不在というスタイルを取る開発チームは珍しいものではない。ただし、現在主流となっているスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームについては、RPGを除いて既製ゲームエンジンが存在しない事が多く、内製もしくは外注でプログラマーを抱えていることが多い。 背景画については、アニメ背景を主業とする下請けプロダクションがアニメ業界における同業者の乱立などを背景にアダルトゲーム業界にも進出してきていることと、人物を魅力的に描ける原画担当者であっても背景画の技術が伴っていないことが少なくないことや、背景単体でもデータが大容量化し、これに伴う作業量の増加などから、近年では専門業者に委託しての外注が一般的になってきている。また、1990年代後半以降はI'veやfeelに代表されるゲームソフトのBGMを外注として手掛けるプロ・セミプロの音楽制作集団が数多くアダルトゲーム業界に参入してきた一方で、音楽担当スタッフが従業員として在籍してBGMを完全内製しているメーカーは少なくなっており、在籍していても実際には幹部社員やプロデューサーなどとの兼職であることも見られる。効果音についても音楽制作集団への外注や外部の効果音専門業者からの購入、あるいは各種フリー素材の利用といった手段が主流になっている。同様にかつては内部でスタッフを抱える傾向があったシナリオについても、2010年代以降は絵重視でシナリオが重視されなくなってきたこともあり、外注が増えている。 このような要素が積み重なった結果、現在のアダルトゲームの開発で内製率が比較的高いのは企画職やプロデューサー職および彩色くらいになっており、開発チームと一口に言ってもその場でゲームをプログラミングで構築していく制作業というよりも、ゲームデザイン業に特化したいわば企画屋集団としての趣が色濃いスタッフ陣容となっているものも見られている。 このように一部のブランドを例外にすれば外注依存度が高い反面で内製率が低く、零細な組織が多いゆえに開発チームや人材の離合集散が激しいことは、アダルトゲーム業界の一大特徴である。ブランドの発足・改廃・活動休止も活発であり、さらには人間関係のもつれ・給与遅配・報酬未払いなど組織内部の問題が原因となった開発チームの突発的な分裂・独立・解散などの話も枚挙に暇がない。 何らかの理由・目的により開発チームを離脱したクリエイターの中でも、既に人気・知名度を獲得しており、この業界での活動を継続する意志がある者の場合、多くは以下のような選択肢の中から、自らが置かれた状況に応じて進路を選択することとなる。 この業界の人材の流動の活発さを活かして、特にキャラクター原画・シナリオのスタッフについてはフリーランスのクリエイターとして業界を渡り歩く者も多い。その中でも特に人気の高い原画担当者については、その関与がゲームソフトやゲーム関連雑誌、さらにはメディアミックス情報誌、ライトノベル(挿絵を担当)などの売上向上に大きく寄与する。当初は専属スタッフとして人気を得たクリエイターがフリーランスのイラストレーターやシナリオライターとして独立する、あるいは兼業するケースも見られ、後述するようにクリエイターとして一人立ちすると共にライトノベルなど他の業界に活動の軸足を移していく者も少なからず見られる。いずれにしても、人気のクリエイターが専属を離れたり副業を積極的に認めるブランドへの移籍をきっかけにして他分野でも引く手数多という状態になることは多分に見られている。その一方、兼業としてこのような仕事をする専属スタッフがメーカーの経営者や幹部である場合などには、自らの直接の収入ではなくブランドを運営する一助としての一種のサイドビジネスとして行っている場合も見られる。 アダルトゲームは一見すれば集団制作ではあるが、実際には原画やシナリオなど特定のクリエイターの個人的な才能・知名度・人気に依存する割合が大きい業界であり、原画担当などの専属スタッフの人気が沸騰すればブランド自体の販売力の大幅な向上に繋がる一方で、高い人気を得た専属スタッフの独立・他社への移籍などといった個人レベルの動向や、人気凋落やスランプなどの個人の不振が売上低迷に直結しそのままブランド・企業自体の存続にまで悪影響を及ぼすなどの事態も多分に起きてくる。このような個人レベルの"職人芸"によってその大半を支えられる業界体質もまた組織・個人の両面で消長盛衰の激しさを助長する要因になっている。 アダルトゲーム業界のクリエイターについては、後に他の様々な分野でクリエイターとしてシーンに登場するケースが見られる。 原画担当の場合には漫画家やイラストレーター・アニメーターに、シナリオライターの場合はライトノベルやジュブナイルポルノの小説家、雑誌や書籍のライター、あるいはアニメの脚本家などといった文筆業に転業したり、転業を試みた、また完全に転業しなくともこれら分野で仕事をするケースは多々見られる。特に商業出版でもライトノベルやメディアミックス情報誌など青年層以下を対象とした分野の出版物に登場するクリエイターには、現在ではアダルトゲームの業界を僅かにでも経験した人物がさして珍しいものではなくなっている。これらについては、転業先の業種にもよるが、メディアミックス・ライトノベル関係の仕事などを足掛かりにしてノンアダルト作品主体へとクリエイター活動の軸足を移していく者、異業種で改めて下からキャリアを積む者、元々他業界での実績がある人物で実質的にはその業界への復帰である者など様々であり、筆名をアダルトゲームで用いた当初の名義から一変させている人物や他ジャンルであらためて登場して以降は表向きにはアダルトゲーム業界・アダルト関連業界とは全く無縁になる人物も珍しくないが、かなりの割合でいわゆる萌え産業の範疇にその身を置くことになる(一例:アニメーション監督の新海誠。minoriのOP映像を製作していた。)(クリエイターとして転職しつつ萌え産業の範疇から脱出した稀有な例としては、ゲームシナリオライター経験者で最終的に直木賞作家となった山田桜丸(現:桜庭一樹)が存在する)。 その一方、商業ベースでの表現活動について回る様々な制約や規制を嫌った者や、あるいはゲーム産業よりも日程管理・版権管理がより厳しい商業出版やアニメの業界に適応ができなかった者、何らかの事情で商業ベースでの新たなビジネスチャンスに恵まれなかった者、元々から同人の分野で大々的に活動しておりそちらで高い知名度・人気・販売力を持っている者などには、メジャーシーンの商業作品からは一線を画した同人の世界に実質的な職業活動の活路を求めるケースも少なくない。その中にはアダルトゲーム業界で得た知名度も活かして短期間で大手同人サークルとなり、コミックマーケットなどの同人イベントに参加して同人誌・同人ソフトを大々的に販売したり、複数の同人ショップに卸しての委託販売を手掛けている者も見られる。近年では同人ショップの拡大などにより大手同人サークルの作品の販売規模が大規模化し、予算規模や販売量において小規模な商業ブランドに比肩する事実上の商業化を遂げたものも現れており、原画担当などには外注として商業ブランドと同人サークルの作品を両方手掛ける者も多い。 アダルトゲームの分野においては、2000年代半ばごろ〜2010年代初頭ごろにかけて、版権ビジネスとしてメディアミックスが盛んに行われていた時期があり、主として以下のような展開が行われていた。 また、これらに付随してトレーディングカードなどをはじめ各種グッズや企画商品の販売が行われることも多い。 メーカー・ブランドにもよるが、アダルトゲームの業界ではゲームソフト開発資金の調達のために、関連グッズや各種メディアミックス展開についての諸権利を、資金を供給するゲームソフト卸の企業などへ開発の初期段階から譲渡しているものが珍しくない。それゆえ、メディアミックス展開は開発メーカー・ブランド側ではなく、ゲームソフト卸企業と出版社やレコード会社などのメディアミックス関連企業が主導権を握って進められることも多いのが特徴である。 また、アダルトゲーム関連のクリエイターはイラストレーターやライトノベルの挿絵という形で兼業している者も多く、コンシューマーゲーム機にも移植やキャラクターデザインなどの形で関与することから、アダルトゲームについては、メディアミックス企画という形での展開が決定されるまでには、単純にその当該作品にまつわる売上げや期待値のみならず、アニメ・出版・コンシューマーゲームの各業界やそれらの周辺産業の企業やプロダクションが複雑に絡むことになる。 そのような業界の事情から、既に実績を持つ人気原画家が関与したり、クリエイター個人やブランドのネームバリューで大きな期待を集めるなど、ヒット作となることを確実視されている作品などでは、ゲーム発売予定日の数カ月前という段階から、アニメ化を含むメディアミックス企画案が持ち込まれ(メディアミックス業界側から見れば、いち早い段階でその権利を確保しておこうとする)、原作ゲームの発売直後に異なるメディアやコンシューマーゲーム機での展開が次々と発表されるというケースも珍しくない。 現在ではメディアミックスができるようなフルプライス作品が大幅に減ったこと、売上の減少でそのような予算が削減されていったことで、メディアミックス(特にアニメ化)については規模縮小傾向にある。また、現在主流のスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームについてはメディアミックスにはあまり力を入れておらず、メディアミックスが行われているタイトルであってもWindows向けアダルトゲームがさかんにメディアミックスを行っていた2000代半ばごろ〜2010年代初頭ごろと比較すると規模は小規模であることが多い。 現在、コンシューマーゲーム機と呼ばれるような家庭用ゲーム機でも特に日本のそれにおいては、業界草創期からハードウェアメーカーが性描写のあるアダルトゲームの制作を全面的に禁じており、性描写には至らない下着や胸元の露出などといった「お色気」そのものについてすら現在でも厳しい表現規制がつきまとっている。そのため主なメーカーはコンシューマーに移植される場合、パソコン版に比べ過激な性的表現を抑えたり一部もしくは丸ごとシーンを差し替えることで対応している。 上に書かれている方針は1980年代、任天堂が家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータにおいて、当時の同社社長の山内溥率いる同社経営陣の主導によって、ライセンス許諾を取得しないで販売される同社が言うところの「裏ソフト」の撲滅を目的に運用されたサードパーティーに対する管理指針が基盤となっている。 全盛期の任天堂のソフトメーカーに対する管理や締め付けは極めて厳しいもので、パソコンを含む家庭用ゲーム機でアダルトゲームの制作を行っているメーカーの参入や開発を一切認めず、ファミコンソフトに関与するにあたってはアダルト要素を含むゲームの制作をパソコンなどでも行わないことを条件にしていたといわれる。当時コンシューマーゲーム機での一般向けとパソコンでのアダルト作品の両方の販売を行っていたメーカーは少なからず、任天堂の規制・干渉の回避を目的に社内カンパニーの実態でも本体とは別にブランドや販社を立ち上げている。 後継機スーパーファミコンや携帯ゲーム機ゲームボーイシリーズなどではグラフィック表現が向上したことなどからいくつかの移植作も存在するが、任天堂の姿勢に大きな変化は無かった。『ゲーム批評』のような雑誌のインタビューなどからも、山内時代の任天堂経営陣はギャルゲーについて質の低い作品が多く家庭用ゲームソフト全体の質を大きく下げた元凶と見なしていたことが窺われ、実際、任天堂の家庭用ゲーム機向けの移植はあまり行われなかった。社長が岩田聡に交替した後は従来の方針を変えつつあるが、アダルト描写が不可であることは現在まで一貫している。 NEC-HE(1987年(昭和62年)にPCエンジンでコンシューマゲーム業界に後発参入)は、過去の任天堂とはまったく逆のスタンス「ハードウェアが売れるならばソフトの内容は問わない」という姿勢を取っていた。そのため、当初はPCエンジンに倫理規定は設けられていてPlayStationでコンシューマゲーム市場の主導権を握ったSCEも「ソニーチェック」と俗称される表現に対する厳しい独自規制を敷くなど、サードパーティーの管理や表現規制については多かれ少なかれ任天堂に類似した手法と基準を用いていた。 また、「原作のゲームと同一タイトルをつけることを認めない」というルールが制定され、著作権表示に元のブランド表記がない作品が多い。これにより『ONE 〜輝く季節へ〜』が移植されるとき『輝く季節へ』へと改題されている。 しかし性表現の制限は次第に寛容になっており、逆に積極的な利用をする例も見受けられるようになった。携帯ゲーム機であるPSP向けにUMDPGというPSP専用の規格を作っており一部のメーカーがこれに沿ったアダルトゲームを発売している。また、『サービスショットが満載!!悩殺系ゲーム特集』 のようにギャルゲーとアダルトゲームの区別がつけにくいソフトの広告も行うようになっている。 これらの規制によりアダルトゲームのギャルゲー化は作品の販路拡大・メディアミックスの手法として定着していく。だがこれは、単に家庭用ゲーム機に性的表現を盛り込むことをソフトメーカーが放棄したともいえ、年を追う毎にアダルトゲームとギャルゲーとの境界線はあいまいなものになっていった。 各ソフトウェアメーカーの動きとしては、メインストリームがPlayStation 3に移行してPlayStation 2のシェアが大きく衰退していった時期でも、PlayStation 3用ソフトウェアの開発費の恒常的な高コスト体質などの問題からPlayStation 2のプラットフォームで制作・発売されるケースは多かったが、次第にPlayStation PortableやPlayStation 3やPlayStation Vita、マイクロソフトのXbox 360など時代に合ったプラットフォームへ移行していった。 NECアベニューからドラゴンナイトシリーズ(II・III)・ドラゴンナイト&グラフィティやCALシリーズを発売している。 また、次世代機であるPC-FXもアダルトゲームの制作が認められており「18禁X指定」枠で『同級生2』(1996年、NECアベニュー)、『Pia♥キャロットへようこそ!!』(1996年、カクテル・ソフト、PC-FX版は翌年自社発売)などが移植された。 セガサターンでは『アイドル雀士スーチーパイSpecial』(1995年、ジャレコ)が発売されたが、「18歳以上推奨」で乳首の露出のみ不可とされたことにより、脱衣後の人体描写が不自然なものであったため『アイドル雀士スーチーパイRemix』(1995年、ジャレコ)は「18禁X指定」で発売されることとなった。 『野々村病院の人々』(エルフ)が「18禁X指定」枠で移植されている。「18歳以上推奨」では『同級生if』や『下級生』が移植されている。 PlayStationについては上述の「ソニーチェック」によりアダルトゲームの移植自体は少なかった。ただし、原作の性的描写を抑えたりカットされる形、(『アイドル雀士スーチーパイ Limited』『アイドル雀士スーチーパイII Limited』のようにタイトルに「Limited」がつき、脱衣シーンを水着に差し替えている。)いわゆるギャルゲー化することで移植を果たした『同級生2』(1997年、バンプレスト)、『To Heart』(1999年、アクアプラス)のような実例は存在する。 PlayStation 2の時代には、タイトルは過去に他のハードウェアに移植されていないタイトルでもサブタイトルが付いている程度(もともとサブタイトルがあるタイトルでもサブタイトル部分が変更されている)であり、原作者表記についてはブランド名でなく法人名やコンシューマゲーム機向けに用意された別のブランド名が表記されていたケースがあったが全般的なものではなく、PlayStation時代に比べれば緩和されている。中にはパッケージ裏に原作者のロゴが表示されているものも存在するほどである。 だが、過去の規制の名残でPlayStationでもタイトルが完全に変わっている作品があるほか、形式上他機種からの移植といえる状況が発生しなくなった今日ではWindows版と同名で発売されるケースはない。PlayStation 3への移植は、アクアプラスから『WHITE ALBUM 綴られる冬の想い出』、GN Softwareから『涼風のメルト』が発売されている。 ギャルゲー化という手法を確立したことでアダルトゲームのコンシューマゲーム機への移植のハードルが下がると、今度は逆にコンシューマゲーム機で発売されたギャルゲーがWindows版に移植されるようにもなった。その中には単純にWindowsにエミュレートしただけの作品もあるが、中にはギャルゲーに性的描写を追加し、アダルトゲームとして発売した作品も存在する。このようなWindows版移植作品を指して、コンシューマゲーム機からアーケードゲームへの移植と同様に「逆移植」と呼ぶこともある。 最初の事例は『6インチまいだーりん』(1998年、KID)が翌年にあいりゅによってアダルトゲームとしてWindowsに移植されたものと考えられるが、この作品の段階では原作自体の知名度の低さもあって一般化しなかった。その後もいくつかあったが、CEROの15歳以上対象のギャルゲーで発売された『ToHeart2』(2004年、アクアプラス)をアダルトゲーム化したWindows版の『To Heart2 XRATED』(2005年、Leaf)が発売されて以降広まっていく。ただし、このような作品の大半は事実上アダルトゲームメーカーが制作したギャルゲーを移し変えた物やシリーズ全体で見た最初の作品がアダルトゲームであり、Windows版への「逆移植」によるアダルト化移植は時間の問題、あるいはアダルトゲーム化を前提としていたなどの意見もある(Leafはアクアプラス内のブランド名)。 また、コンシューマゲーム機版から移植する際、サーカスの『D.C.II 〜ダ・カーポII〜』のように、既にWindows版を所有している者に対するセールスポイントにするため、コンシューマゲーム機版で新規追加したキャラクターに性的描写を加えるといった作品もある。具体的には、Windows版『D.C.II 〜ダ・カーポII〜』にヒロインを追加して性的描写を削除した内容で、タイトルを『D.C.II P.S.(ダ・カーポII プラスシュチュエーション)』としてPlayStation 2に移植をし、この追加ヒロインにも新規に性的描写を加えて『D.C.II P.C.(ダ・カーポII プラスコミュニケーション)』としてWindowsに移植をしている。このようにゲーム内容の追加および性的描写の削除と追加を繰り返しながら、コンシューマゲーム機とWindowsの両プラットフォーム間を往復する事例も少なくない。 その一方、アリスソフトのようにほとんどの作品で性的な要素がゲーム内の根幹部に関わっており、軽微な改変によるギャルゲー化やコンシューマゲーム機への移植はコンセプト的に不可能という作品を作り続けているメーカーもある。もとより強姦魔が主人公の陵辱系作品や、性行為以外やることの無いいわゆる「抜きゲー」では、非アダルトゲーム化は不可能である。また、成年向けということから、人種・部落差別、麻薬、人身売買などの時事をストーリーに取り入れた作品は少なくないが、これも倫理上問題があるとして不可能とされる。 アダルトゲームのアニメ化自体は1990年代の初頭から細々と行われていたものの、アニメ化作品でヒット作といえるだけのセールスを記録した最初の作品は、原作ゲーム自体もやはり大ヒット作であった『同級生 夏の終わりに』(1994年、ピンクパイナップル)であった。このころは家庭用ゲームへの移植が当初はアダルト色を何とか残しつつ行われたのと同様、R指定(15禁)ないし18禁のアダルトアニメで、レンタルビデオ店向けのアダルトビデオの一種として製作され、後にOVAとして販売されていた。 この流れが変わり始めたのは『エルフ版 下級生 〜あなただけを見つめて...〜』(1997年、ピンクパイナップル)で、性的描写が存在するR指定と、存在しない全年齢版の2種類が製作された。その後アダルトOVAとして製作された『同級生2』(1996年、ピンクパイナップル)が、1998年に性的描写の全カット・話数追加をして再編集の上、初めて地上波でテレビアニメとして放映された。 初めから性的描写を除外した地上波向けアニメとして企画された端緒は、『同級生2』のテレビ放送と同時期にテレビ東京で放映された『Night Walker -真夜中の探偵-』である。その後、1999年に『To Heart』が放映されたが、これは原作をアクアプラス名義とする、すなわちPlayStation移植版のギャルゲー化された作品を直接の原作と位置づけていた。以降は、ギャルゲーとしてコンシューマゲーム機にも移植可能、あるいは移植されたストーリー重視型や、過激なシーンをカットし、シナリオを修正すればギャルゲーとしても成立可能なタイプの作品がテレビアニメ化されている。その多くは、独立局などで放映されるUHFアニメである。 ローカル局以外では全国放送のWOWOWや、TBSのデジタル衛星放送BS-TBSがこの種のアニメの放映に比較的寛容である。例外的に在京キー局で放送された作品としては『Kanon』(2002年、東映アニメーション)がある。 2002年に『Piaキャロットへようこそ!!3』(2001年、F&C)、2005年に『AIR』(2000年、Key) が劇場版アニメとして上映された。ともにアダルトゲームを直接の原作にしながらも性的描写はカットされ、これらもギャルゲーのアニメ化作品とおおむね同様の様式になっている。 2005年1月からボーイズラブ系(女性向け)のアダルトゲームからアニメ化された作品としては最初のものとなる、『好きなものは好きだからしょうがない!!』(2000年、プラチナれーべる)がUHFアニメして放映され、その後も数的には男性向けのアダルトゲームほどではないがメディアミックス展開やアニメ化が行われるようになっている。 このように2000年代に入ってからアダルトゲームを原作としてこれに非アダルト作品へと大幅なアレンジを施してのメディアミックス展開やテレビアニメ化が多数進められるようになった要因としては、「萌え」という要素がサブカルチャーの世界では極端にニッチなものではなくなってきたことに加え、青少年保護関連の法律や条例の整備が進み、法的拘束力のあるゾーニングが実現したことに伴い、アダルト表現を含まない形であれば少年・少女も対象とした商品展開も容易に行えるようになったことや、1999年に『To Heart』でPlayStation版とテレビアニメを連携させるメディアミックス手法が成功したため、これを雛形とすることでその後はアダルト版・コンシューマ機版のファン全般を販売戦略の主ターゲットとして位置づけた企画としてテレビ局にプレゼンを行うことが可能になったことなどが挙げられる。また、従来はサブカルチャーの王道としてテレビアニメの原作の中核を担ってきた週刊連載漫画やライトノベルの人気作品がより大作・長期化の傾向になったことで、これらよりも小規模で手頃なメディアミックス企画を立ち上げるのに好適な素材としてアダルトゲーム原作作品に着目した出版社・アニメ製作会社などのメディアミックス企業と、メディアの大容量化や複数ヒロインによるマルチシナリオ・マルチエンディング、他にも豪華な初回特典などが事実上必須になってトータルのパッケージが肥大化し、開発費・関連経費の増加傾向に歯止めが効かない現状で、経営を安定させるための収益チャンスや作品・ブランドの知名度やネームバリューの向上機会を模索するゲーム制作会社・流通会社と、双方の思惑と利益が一致したというところが大きな要因として存在する。また、上述したとおりメディアミックスには様々な業界が関連するため、メディアミックス企業が複数チャンネル同時展開の中核としてアニメ企画を立ち上げて原作ゲームとの二本柱の体制を構築し、他の各種グッズやコミカライズ展開などの中心軸として活用するパターンも多い。 その一方で、性的描写・性行為を物語上のメインとしているため、家庭用ゲーム機への移植やテレビアニメ化が不可能な(または一般向けのメディアミックスが望めない)「抜きゲー」と呼ばれるジャンルの作品についても、アダルトアニメ化によるOVA展開は続けられており、レンタルビデオ向けなどを中心に一定規模の市場が構築されている。 実写のアダルトビデオ化されたものは、『夜勤病棟』(1999年、ミンク) や『対魔忍アサギ』(2005年、Lilith) などの例があるが、数は少ない。 1990年代以降、多くのアダルトゲーム作品で、これを原作にした小説化作品が刊行されている。 大半はジュブナイルポルノと呼ばれるジャンルに属する官能小説で、多くは新書判で刊行されている。その一方で、一部ではあるが性的要素を排除するなど大幅なアレンジを加えライトノベル化したものも存在し、このような作品は大半がライトノベルのレーベルから刊行されている。ジュブナイルポルノの場合、ゲームのシナリオライターと原画担当者がそのまま本文と挿絵を担当したり、ゲームの画像・素材が挿絵として流用されるケースが多い。対照的にライトノベルの場合、本文ではかなりの割合で、挿絵についてもある程度の割合で、出版社と繋がりのある別の若手・中堅作家が起用される。そのため、ライトノベル化作品では雰囲気が大きく変わることも珍しくない。 なお、過去にはアリスソフトの『DARCROWS』のように、メーカー自身がノベライズ作品を自費出版の形で企画・制作し、自社のファンクラブ会員限定で通信販売したケースもある。 一部作品ではコミカライズが行われることがあるものの、こちらについてはテレビアニメとのタイアップであったり、あるいはテレビアニメ化などの他のメディア展開を見据えたファン層の動向調査を兼ねるなど、大半が何らかの別のメディアミックス企画やその構想に深く関連しており、そのような性格を持つ企画となった場合、ほとんどのケースで性的要素を減らした形で雑誌掲載、単行本化されている。また、原画担当者にはイラストレーターとしての技術を持っていても、漫画作品の制作に必要なコマ割りやネーム作りの技術や、連載で必要な一定期間で所定枚数の原稿を仕上げるノウハウを持ち合わせていない者や、特に人気の人物の場合には原画・イラストの仕事だけでも多忙で漫画制作を行う時間的余裕が確保できない者も珍しくない。このような都合から、出版社側の人脈でコミカライズ担当の漫画家が起用されることが大半で、原作ゲームの原画担当者自身が漫画を作画することは稀である。 なお、ノベライズやコミカライズにあたって出版社側が作家・漫画家を用意する場合、ゲームメーカーの意向として、ノベライズやコミカライズの担当者の個性・才能を期待して裁量を大きく与えたり、ゲーム側を『正伝』、出版作品側を『外伝』などと位置づけて、意図的に雰囲気を変えさせている場合がある。たとえば、『闘神都市』シリーズ(アリスソフト)のノベライズ作品として1999年に出版された『闘神都市 紅の記憶編』(ワニブックス)のように、ゲームソフトからは世界観と基本設定のみが流用され、キャラクターやストーリーは完全に小説オリジナルというものも存在する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アダルトゲーム または エロゲ(英: Eroge または Porn game; 和製英語: Adult game)は、ハードコアな性的表現を好まない者や判断能力に劣る子供がプレーするには適さない『性的な表現』が含まれるコンピュータゲームのことである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "東京都青少年の健全な育成に関する条例においては、「電磁的記録媒体に記録されたプログラムを電子計算機等を用いて実行することにより、人に卑わいな行為を擬似的に体験させるもの」 がこれにあたるとされており、他の地方公共団体の「青少年保護育成条例」においても、ほぼ同様の定義がなされている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "特に断り書きがない限り、日本国内での事例について述べる。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "コンピュータソフトウェア倫理機構(以下「ソフ倫」と略す場合がある)による公式名称は「R18ゲーム」であるが、俗に「エロゲ(ー)」「18禁ゲーム」と呼ばれる。1980年代の業界黎明期から「美少女ゲーム」という呼び方もある。ただし、特にパソコンゲームにおいて「美少女ゲーム」という表現を用いる場合には、主人公・主要キャラクターとして魅力的な美少女キャラクターが複数登場するが性的描写のシーンがないノンアダルト作品 や性的描写を回避しつつも美少女の育成や恋愛要素が主眼である「ギャルゲー」 をアダルトゲームとは別区分として指すこともあるほか、性的描写を含む「成人向けゲームソフト」についても女性プレイヤー向けに美形男性キャラクターの同性愛を描いた「ボーイズラブゲーム」、女性視点で描かれる「18禁乙女ゲーム」、男性プレイヤー向けに少年愛を描いた「ショタゲー」、男性同性愛者向けにゲイ雑誌に通じる表現技法で同性愛を描いた「ゲイ向けゲーム」なども存在するため、「アダルトゲーム=美少女ゲーム」という構図は成り立たない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "かつてはアダルトゲームのほとんどは、ソフ倫などの審査機構が審査し、x86アーキテクチャ上で稼働するWindowsをプラットフォームとしたパーソナルコンピュータ(以下「PC」もしくは「パソコン」と略す)向けのパソコンゲームとして発売されていたが、2010年代に入り、Androidを搭載したスマートフォンやタブレット端末などの携帯情報端末をプラットフォームとした製品(スマホゲーム)や、ブラウザ上で動作するブラウザゲームや、同人ゲームが増え、審査機構が審査するアダルトゲームのタイトル数や売上の減少が続いていることもあり、2022年現在はそちらの方が主流となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "販売に当たっては、メーカー間の自主規制や児童福祉法、風営法、各都道府県および市区町村の青少年保護育成条例や迷惑防止条例により、18歳未満の者や過激な性的表現を望まない者の目に触れることがないよう販売店における陳列の分離や販売時の年齢確認を徹底するよう通達がなされている。また、刑法175条(わいせつ物頒布罪)による規制を受けて、性器描写にはモザイク処理などがかけられる。この刑法175条については、現状にそぐわない不合理な規制であるから廃止すべきとの批判もあり、参議院議員の山田太郎が刑法175条の見直しを提唱している。", "title": "法律上の扱いとライセンス条件" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ゲームジャンルは、ソフ倫審査のものではアドベンチャーゲームとその亜種であるビジュアルノベルが圧倒的多数を占めるのに対し、現在主流となっているスマホ向けやブラウザゲームや同人ゲームはRPGが中心ではあるものの、シミュレーションゲームやシミュレーションRPGやアクションゲームなどもあり、ジャンルが多岐にわたっている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ゲーム内のイベント画面やキャラクターの立ち姿のグラフィックについては、日本では漫画・アニメ調の平面的な2Dグラフィックスによる静止画像がそのほとんどを占めており、3Dグラフィックスを用いた作品は存在するが少数派である。海外のアダルトソフトでは一般的なポルノ女優によるヌード実写映像の作品は少ない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "受動的に鑑賞するアダルトビデオやヌード写真とは異なり、初期はキーボードからのコマンド入力、現在では主にマウス操作による登場人物の行動選択という形でのインタラクティヴな体裁を取り、現実の代替物ではなく独立したリアリティであり「萌え」「感動」「ノスタルジー」などとコミになった性的満足として存在している。このことは、日本では特有の発展を遂げた漫画・アニメなどのサブカルチャーと結びつかせる要因となり、また、ゲームソフト卸や一部のゲーム会社により自社の傘下に入ることを条件に制作チーム(ブランド)に開発資金を供給するシステムが広く確立されるとともに、資金や知名度の乏しいクリエイターやその集団が創作を行なう場として定着し、「成人向け作品として必要量の裸と\"場面\"を出しておけば、後は予算と納期と倫理基準の範囲内でクリエイターに裁量が与えられ、自由に表現を追求し創作意欲を満たせる」という、かつて斜陽の一途を辿る映画業界にあって機会に恵まれない多くの若手映画人が手腕を奮った日活ロマンポルノの成人映画と類似した制作システムの構造を成立させるに至り、日本のおたく文化の一翼を形成した。また人材発掘についても同様で、今日ではゲーム業界のみならずアニメ・漫画・小説などいわゆるメディアミックス関連業界全般への人材・コンテンツの主要な供給源の1つとしても機能しており、これら業界ではアダルトゲームからプロのクリエイターとしてのキャリアをスタートさせた人物や、あるいはクリエイターとして著名になる課程でアダルトゲーム業界に関与した経験を持つ人物はさして珍しいものではなくなっている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの場合、「家庭用ゲーム」とも呼ばれる家庭用ゲーム機では発生するハードウェアメーカーへのライセンス権使用料や特定ハードウェア向けの専用ワークステーション・開発キットの導入やリースにかかる高額なコストがなく、遥かに廉価で一般的な仕様のパソコンおよび汎用ソフトウェア開発キット・周辺機器があれば作業の大半が可能であり、プレイヤーの使用しているパソコンと大差がない仕様で開発を行っているメーカーも多い。開発環境へ導入するLANやファイルサーバも比較的小規模なもので必要充分であり、3Dグラフィックスやトゥーンレンダリングを本格導入するものでもなければ高性能なワークステーションを導入する必要もない。これらのことから、コンシューマゲーム機と比較すればアダルトゲームは小資本での制作が可能である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "コンシューマゲーム機と比較した場合にはハードウェアメーカーによる作品内容・シナリオや販売計画への企画・開発段階でのチェックや干渉がなく、販売対象を18歳以上に限定していることから、性的描写以外の部分においても表現の自由度が大きいこともアダルトゲームを特徴付けている重要な要素である。たとえば古典的な恋愛小説・純文学の様式表現を追求したい作品や、同様に若年層には理解し難いラブコメ・懐古趣味・愛憎劇や過激なパロディ要素や社会風刺を内含している作品、一般的なバトルシーンとは違う過激な暴力要素などでは、あえて登場人物の性描写を含めてパソコン向けのアダルトゲームのフォーマットで制作されることが多く、このような方向性を特に重視した作品の中にはヒロインの性的描写のシーンはゲームの本質に影響を及ぼさないサービスシーンという割り切った作りのものも見られる。これについては、", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "このようなことが要因として挙げられ、いくら資金・人材・技術の面で制作が可能であってもコンシューマ機では現実にはソフトを流通させられず販売不可能な一方で、ハードウェアメーカーによる干渉がなく後述するような制作システムが構築されビジュアルノベルとそのゲームエンジンが普及・発展しているアダルトゲームならば制作・販売が容易でプレイヤーからも受容されやすいことなどが大きな要因になっている。ただし、アダルトゲームであっても、ソフ倫や日本コンテンツ審査センターなどの審査機構が審査するアダルトゲームについては一定の基準での審査が存在し、基準を満たさない作品は発売できない。それに対し、スマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームなどでは審査機構による審査を受ける義務がなく、審査があるとしても販売サイトによる審査のみなので、さらに制作の自由度が高いとされる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの、歴史に関する部分を解説する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "最も古い日本製アダルトゲームは、シャープのMZ-80K・MZ-700向けにハドソンが1981年に発売した『野球拳』とされている。登場人物はキャラクターグラフィックで描かれていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1981年には、テキストベースのアダルトゲームソフトポルノ・アドベンチャーがシエラエンターテインメントよりリリースされた。1982年には、MystiqueがBeat 'Em & Eat 'Em, カスターズ・リベンジ, Bachelor Partyをリリースした。1983年にはX-Man、Swinging SinglesやStrip Poker: A Sizzling Game of Chanceがリリースされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1982年(昭和57年)から1983年にかけて、パソコンショップを経営していた光栄マイコンシステム、九十九電機、PSK、CSKなどがアダルトゲームの制作・販売をしていた(ストロベリーポルノシリーズなど)。エニックスや日本ファルコム など、後にコンシューマーゲームで名をはせるソフトメーカーから、ポニカなど映像・音楽ソフトメーカーもアダルトゲームの制作・販売に参入し、より性的な内容に特化したソフトウェアの開発が進み、1983年には10本以上のアダルトゲームが発売された。チャンピオンソフトから初のアダルトゲーム『アタックひろ子ちゃん』が発売されたのもこの年である。1985年(昭和60年)、現在のアダルトゲームの元祖といわれる『天使たちの午後』(ジャスト)が登場し、アダルトゲームにキャラクター性とストーリー性を盛り込むという形式の原型が生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "同時代にこの他に脱衣麻雀に代表される「コンピューター版野球拳」などのゲームもあり、ゲームの内容とは無関係に性的画像を表示させ、その一点のみをもってアダルトゲームに分類されていた製品もみられる。このジャンルでは1983年(昭和58年)の『ジャンゴウナイト』(日本物産)が、アーケードゲーム初の脱衣麻雀として登場し、「脱衣もの」というジャンルが確立された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "この時代、一般社会においてアダルトゲームは特殊な再生媒体によるポルノ作品として認識され、その存在は「ほぼ無視ないし無名」という状態であった。このため業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在せず、各企業の裁量に任されていた。1986年(昭和61年)に、刑法177条の強姦罪からタイトルを取った『177』(マカダミアソフト)が、草川昭三により国会で取り上げられて 次第にアダルトゲームは問題視され、1988年(昭和63年)の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件や、それに端を発した有害コミック騒動によりポルノ業界へ批判が増した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1988年から1991年ごろに、PC-98シリーズが日本国内で販売されているPCハードウェアのシェアで圧倒的となり、16ビットパソコンの技術がある種の集大成を迎えた。1986年(昭和61年)発売のPC-9801VM21以降はグラフィック、効果音、記憶媒体の性能がそれ以前に比べ向上したうえ、事実上のOS統一などによる移植性の向上、スキャナ、グラフィックソフトなど製作に関する機器の値下がりなどにより、作り手側にとってゲームが製作しやすい環境となった。デジタル的であった色合いもアニメ的な色合いが出しやすくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "そのためか製作本数が以前より増え、多種多様なアダルトゲームが販売されるが、その内の一つを男子中学生が万引きした事件を切っ掛けに1991年に制作企業の社長がわいせつ図画販売目的所持で逮捕される事件(沙織事件)が起き、社会問題化する。こうしたことから、業界による自主規制団体が立ち上げられることとなり、翌1992年にコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "この中で頭角を現したのがエルフで、1992年12月にリリースされた『同級生』は10万本を越えるベストセラーとなった。この作品は当初シミュレーションゲームの要素を取り入れたナンパゲームとして企画されていたが、各ヒロインに個性を与え、Hシーンに至るまでの恋愛ドラマを盛り込んだ結果、それまでのアダルトゲームのイメージを覆す恋愛ゲームとして評価された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "そして『同級生』のドラマ性を参考にして開発された非アダルトの美少女ゲーム『ときめきメモリアル』(1994年、コナミ)が家庭用ゲーム機市場にて大ヒットしたことにより、コンピュータゲームにおいて美少女ゲームが次第に市場に認知され、その中でアダルトなシーンまで踏み込むものとしてアダルトゲームが知られるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "この時期は、ハードウェア的にはPC-9800シリーズからPC/AT互換機へ、ソフトウェア的にもCUIのDOS系OSからGUIのWindowsへの移行期であった。このころのアダルトゲームは「どうゲームとして面白くするか」が試行錯誤された時期であった。その中で、プレイヤーの選択によって異なる物語と結末が訪れるマルチシナリオ・マルチエンディング形式のゲーム『弟切草』(1992年、チュンソフト)がスーパーファミコンで発売されヒットする。この作品のシステムはアダルトゲームにも大きな影響を及ぼした。アダルトゲームでマルチシナリオを確立させたのは『河原崎家の一族』(1993年、シルキーズ)で、その後『DESIRE 〜背徳の螺旋〜』(1994年、シーズウェア)、『EVE burst error』(1995年、シーズウェア)へと発展してゆく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1990年代半ばには、エルフとアリスソフトの2社を中心とした開発競争が繰り広げられ、「西のアリスソフト、東のエルフ」 と呼ばれるようになった。この競争の過程で、ファンタジーアドベンチャーとウォーシミュレーションを融合させた『ドラゴンナイト4』(1994年、エルフ)、本格的ダンジョンRPGの『闘神都市II』(1994年、アリスソフト)、迷宮脱出推理アドベンチャーの『遺作』(1995年、エルフ)、マルチシナリオの『夢幻泡影』(1995年、アリスソフト)、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(1996年、エルフ)、地域制圧型シミュレーションの『鬼畜王ランス』(1996年、アリスソフト) など、多様なジャンル・形式のアダルトゲームが登場した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "このように多様化したジャンルの中で発展を遂げていったのは、より恋愛物語色を強めた『同級生』の後継作『同級生2』(1994年)で、以降のアダルトゲームはセックス描写を含む恋愛物語要素やシナリオを重視した、選択肢とイラストが付いた読み物とでも言うようなトレンドに傾いていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "『SM調教師瞳』(スーパーファミコン向け)や『しあわせうさぎ』(PCエンジン向け)など、家庭用ゲーム機対応の「裏ソフト」と呼ばれる物が発売されたのもこのころである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "技術面では、技術開発や記録媒体の大容量化によってパソコンの画像・音楽表現能力が著しく向上したうえ、1995年のWindows 95シリーズのヒット、パソコンの低価格化によってパソコンユーザーが増加した。一方で1999年に成立した『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』によりアダルト・ポルノ業界に対する規制が強化され、対応が迫られるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1996年、Leafは『弟切草』を参考にビジュアルノベル第一作 『雫』を制作、続いて同じコンセプトの『痕』を同年発売すると、インターネットが普及していない時代であったがパソコン通信や口コミで評判が広まりヒットし、ストーリー重視の流れがアダルトゲーム業界に定着した。翌1997年に発売された『To Heart』は、日常が舞台の恋愛ゲームとしてアダルトゲームの枠を飛び越え、家庭用ゲーム機への移植・テレビアニメ化・漫画化などのメディアミックスが図られた。プレイヤーの好みのキャラクターを用意するため、幼馴染・活発・無口・外国人などの定型的なキャラクター作りの先駆けでもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "Leafとは別の方向でストーリー重視を打ち出して成功したのが『ONE 〜輝く季節へ〜』(1998年、Tactics)で、ラブストーリーに感動できる要素と泣ける要素を盛り込み、それを音楽によって高める演出の秀逸さで人気を集めた。この向きは、のちに同作の製作スタッフの一部がビジュアルアーツに移り旗揚げした新ブランドKeyの第1作『Kanon』(1999年)、第二作『AIR』(2000年)が立て続けに大ヒットしたことにより、「泣きゲー」というカテゴリを確立するに至った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2002年をピークにアダルトゲーム市場は衰退し、その関連のアダルトゲーム雑誌も同じく衰退している。同人イベントコミックマーケットにおいて、2000年冬に登場したオリジナル同人アダルトゲーム『月姫』(TYPE-MOON)が10万本以上の大ヒットとなり、同人原作作品ながらも事実上の商業化とメディアミックス展開を果たし、業界に大きな影響を与えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ソフ倫の規制強化を逆手に取るように、義妹・幼馴染・いとこ(主に従兄妹)をメインヒロインに据えた作品で多くの話題作が出た。その中で『みずいろ』(2001年、ねこねこソフト)、『D.C. 〜ダ・カーポ〜』(2002年、CIRCUS)が相次いでヒットした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "一方老舗のメーカーでエルフは鬼畜・凌辱物の『臭作』(1998年)・『鬼作』(2001年)といった純愛以外の作品や、ライトノベル作家あかほりさとる原作で、萌え重視・メディアミックス重視の『らいむいろ戦奇譚 〜明治日本、乙女 防人ス。〜』(2002年)を送り出す。もう一方の雄、アリスソフトはあくまでエロさとゲーム性を重視した作風の『大悪司』(2001年)、『ランスVI-ゼス崩壊-』(2004年)といった作品や、希望小売価格が2800円の『妻みぐい』(2002年)で低価格路線を打ち出して新たな流れに対抗した。また2003年には女性プレーヤーを対象にした『星の王女』(美蕾)が発売された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "高速インターネット回線の普及によりダウンロード販売が急速に拡大し、2004年には2万本であった販売数が翌2005年には17万本と急増した。その一方で、インターネットの大容量化は違法ダウンロードによる被害の拡大や、(2010年代に続く)動画共有サイトやSNSの出現によるコンテンツの多様化をもたらし、アダルトゲーム市場の縮小を招く一因にもなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2010年代になるとWindowsPCだけではなくMacやスマートフォンにも対応している課金制18禁ブラウザゲーム や18禁Androidアプリが登場し、それらに対応したゲームプラットフォーム『DMM.R18 オンラインゲーム(現・『FANZA GAMES:オンライゲーム』)』『にじよめ(現・『DLsiteにじGAME』)』『TSUTAYA オンラインゲーム R18』などが次々と開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "一方、既存のWindows向けアダルトゲームは、萌えアニメやライトノベルや萌えソーシャルゲームやニコニコ動画やYouTubeに代表される動画共有サイトで流行しているオタク向けコンテンツやダウンロード販売がさらに普及した低価格な同人ゲームなどに押され、秋葉原電気外祭りを開催するなど、振興策をとってはいるものの、依然として衰退傾向が続いている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "若いユーザーは高価格 なアダルトゲームを避けている傾向にあり、また、既存のWindows向けアダルトゲームの中心層が1990年代後半から2000年代前半のアダルトゲームブームのころの人たちで構成されていることもあり、アダルトゲームユーザーの年齢層は他のオタク産業と比較して高くなっていると言われている。そのような状況から、アダルトゲームから脱却し、一般向けへのシフトを模索するメーカーもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "そのような中、かつてはアダルトゲームのトップブランドであったLeafを有するアクアプラスが2013年10月にユメノソラホールディングス(とらのあな)に買収され、2013年冬を最後にコミックマーケットのジャンルコードから『Leaf & Key』が消滅し、2013年秋を最後にアダルトゲームのイベントであるDreamPartyが開催中止になるなど、市場規模や売上の減少と共に、1990年代後半から2000年代前半にかけてトップレベルであったオタク業界内での影響力も相対的に小さくなりつつある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2002年度をピークに販売本数やタイトル数の減少が続いている既存のWindows向けアダルトゲームのパッケージは10年以上経っても減少が下げ止まらず、新作タイトル数が減少している。特にフルプライス作品のタイトル数減少が著しく、月平均5〜10タイトル程度しか発売されない事態となっている。2023年8月のフルプライスは『ハーレム×楽園 - Harem × Shangri-La -』1タイトルのみである。それに伴い、エルフやminoriやfengやすたじお緑茶など、大手・中堅の撤退・解散・倒産が相次ぎ、新作が長年に渡って発売されず、公式サイトも長期未更新状態になっている実質休眠状態のブランドも年々増加する結果となっている。それと入れ替わるようにして、FANZA GAMES(旧DMM GAMES.R18)の『千年戦争アイギスR』(2013年)・『神姫PROJECT R』(2016年)・『アイ・アム・マジカミDX』(2019年)のようなブラウザゲームやスマホゲーム、さらには『Teaching Feeling -傷肌少女との生活-』(旧題『奴隷との生活』。2015年、FreakilyCharming)などのヒット作が相次いでいる同人ゲームが大きく台頭しており、スマホ向けポータルサイトやアダルトサイトでの宣伝効果も大きく現在ではアダルトゲームと言えばそちらの方が主流となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "GAME 遊び放題 プラス、OOPartsといった買い切りゲームをプレイできるサブスクリプションが登場している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "アダルトゲームに関する日本国内の社会一般における議論や、表現の自主規制について解説する。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの規制に関する意見の中には、一部に感情論的な側面が含まれ、他方では明確な論拠を持たない、ないし事実に対する意図的な誤認を誘うようにされているものすら見られる。これらには、過去の犯罪行為に対して忌避感を抱く側の拒絶反応または嫌悪感やそれに対する配慮、あるいは制作者の利害関係ないし制作者・愛好者の規制強化に対する危機感、逆に規制推進派が唱える規制強化案では感情的なものの他にも自組織の存在の誇示や発言力強化まで計算に入れたセンセーショナルで声高な主張といったものが、時に密接な関連を及ぼしてくる。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "他方では、社会的圧力から販売禁止による損害を恐れるゲーム制作企業が、様々な迂回策や自主規制を行う傾向も見られる。日本における表現の自主規制は学識的・理知的な裏付けがない場合や、団体各々の主観で判断している部分がある。その対象・程度にばらつきも見られ、客観的にどこまでが容認されるのか、どこからが規制されるのかという面で、レーティング設定も業界ごとに規制対象がまちまちであり、規制導入側にしても、その影響を被る側にしても混乱を招いている。この状況を打破する目的も含め、2006年4月経済産業省はコンピュータエンターテインメント協会(以下、「CESA」と略す)、ソフ倫、日本アミューズメントマシン工業協会、映倫管理委員会、日本ビデオ倫理協会と映像コンテンツ倫理連絡会議(仮称)において審査基準・表示の一本化を提言した。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2005年現在において、日本では同年2月には45本発売されるなど(PC Angel2005年5月号による)多数のアダルトゲームが発売されている。『ナイトライフ』(1982年、光栄マイコンシステム)が始祖とされるこれらのゲームには、業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在せず、性的描写は各企業の裁量に任されていた。なお、ナイトライフ自体はどちらかと言うと「夫婦生活をサポートする」ためのユーティリティ的なソフトウェアであり、直接的な性的興奮を目的としたコンピュータゲームではなかった。しかし同作品のヒット以降、着実に性的興奮を目的としたコンピュータゲームが、当時表現力が次第に向上した8ビットパソコン向けに盛んに販売されるようになった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "これら成人指定の性的描写を含むコンピュータゲームの多くは、個人でもソフトウェア開発環境を揃え易いパソコン向けの作品となっており、当初の市場はマニア・おたく向けの微々としたものであった。このため一般からは特殊な再生媒体によるポルノ作品としてのみ扱われ、1980年代末までのこれらゲームに対する一般の販売店での扱いは極めて無頓着なもので、販売店によっては商品であるこれらソフトウェアのパッケージは「店の入り口からでも見えるような位置」に堂々と陳列されていたり中高生ですらこれを購入することになんら制限は見られなかったほどである。社会一般での認知度も「ほぼ無視ないし無名」といった状態であった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "だが、次第にアダルトゲームは問題視されるようになる。1986年には、刑法177条(強姦罪)からタイトルを取った『177』(マカダミアソフト=デービーソフトの一部門)が、草川昭三により国会で取り上げられた。そして1988年に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件や、それに端を発した有害コミック騒動によってポルノ業界そのものへの批判が強くなっていく。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1991年に成人向けゲームを万引きした中学生が補導されたことを発端に、成人向けゲームへの非難が高まり、製作会社の社長が京都府警に逮捕される事件が起きた。のちに沙織事件と呼ばれるものである。国会にも取り上げられたこともあり、業界全体に事態を重大に捉える動きが生まれた。翌 1992年には、業界団体の社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)が18禁シールを作成し、希望する企業への販売を開始した。一方、『電脳学園』(1989年、ガイナックス)が宮崎県における青少年の健全な育成に関する条例に基づき有害図書指定される。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "沙織事件や宮崎県での有害指定をうけ、自主規制団体の必要性が叫ばれるようになり、1992年10月に自主規制団体のコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。他の分野では1990年にコミックマーケットが幕張メッセを使用できなくなる事件、それに伴いコミックマーケットでの性的表現自主規制が強化される事件が発生し、非実写性表現のあり方を問われた時代でもあった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1996年には『子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議』がストックホルムで開催された。この会議で日本人によるアジアでの児童買春と、日本国内で大量につくられる児童ポルノに対して非難が起きる。これに対して日本は法整備、取り締まりの強化を表明した。これらでは当時の日本においておたく向けの商業作品群に、いわゆる「アニメ風の女の子(→萌え絵)」を使っての性的興奮を煽ることを目的とした物が多く見られ、市場もそれら作品の傾向に寛容であったことも同規制による議論の対象に挙げられている。特にアダルトゲームは、かなりの比率をこの「アニメ風女の子」を使った作品が占めている。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1999年は超党派の国会議員によって『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律案』が提出され、成立した。法案段階では『児童ポルノ』の範疇に「絵」が含まれていたことから、業界筋やユーザー筋でも大きな論争になった。修正され『絵』は対象外になったが、3年後に見直しを行うことを明記した。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2005年4月には、自由民主党の野田聖子の呼びかけにより、『少女アダルトアニメ及び同シミュレーションゲームの製造・販売に関する勉強会』が行われたが、この勉強会自体は大きな話題になることはなかった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2006年4月10日に日本テレビはNNN NewsリアルタイムおよびNNNきょうの出来事において、「アニメやインターネットに溢れる性や暴力に関る情報が、子供を標的にした事件に結びついている可能性がある」として警察庁が新たな規制に動き出したことを報道した。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2008年に入り、日本ユニセフ協会を中心にアニメ、漫画、ゲームソフトおよび18歳以上の人物が児童を演じるものを含む児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したものを「準児童ポルノ」として違法化することなどを柱とした「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンが開始された。国会では児童ポルノの規制強化を目的として、性表現色の濃い漫画・アニメ・ゲームといったフィクション作品の単純所持をも規制対象に含める改正案を検討し始めた。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2008年には、「漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像、外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するもの」を「児童ポルノに類する漫画等」とした上で児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進することを附則に盛り込んだ児童ポルノ禁止法改正案が提出されたが、2009年7月21日に衆議院が解散されたため、廃案となった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2009年に入ると『レイプレイ』(2006年、ILLUSION)が英国国会で取り上げられ、ニューヨーク市議会でボイコット運動が起きた。5月にはアメリカのラディカル・フェミニズム団体の「イクオリティ・ナウ」が抗議活動を始めるなど日本国外でアダルトゲームが問題視された。この動きは日本にも波及し『レイプレイ』の発売元が取り扱いを中止した。公明党が秋葉原での販売形態を視察した ほか当時与党であった自民党が「性暴力ゲームの規制に関する勉強会」 を立ち上げ、罰則規定を含む法体制の整備を提言する など政治の動きが活発になった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "コンピュータソフトウェア倫理機構は、このような状況の下、6月に開催された会合で「レイプなどの性暴力を扱うゲームソフト」の製造・販売を禁止 パッケージに日本国内専売の明記 などの規制の強化を決定した。また、minoriなどいくつかのブランドは公式サイトへの日本国外からの接続を切断した。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2014年には、2008年に提出された児童ポルノ禁止法改正案の附則と同様に、「漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像、外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するもの」を「児童ポルノに類する漫画等」とした上で児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進することを附則に盛り込んだ児童ポルノ禁止法改正案が提出されたが、与野党の合意により成立した改正法からはその部分は削除された。なお、同法により、児童ポルノの「性的好奇心を満たす目的での」単純所持が禁止された。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "規制強化を求める側の主張として、これらのゲームが流通することで児童誘拐事件などの凶悪犯罪が発生する可能性があるため、被害防止のために規制するべきという考え方がある。公明党所属の丸谷佳織衆議院議員(当時)は", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "と述べ、「つまり、「絵」に関して、たとえ実在の被害者がいなくても、現状は放置しておくべき状況ではないというお考えですね」との問いには", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "と答えている。その一方で反対派からは、「『ゲームなどメディアが犯罪を誘発する』という説はメディア効果論の一つであり、既に否定されている」との主張もある。 社会風潮の悪化防止のために規制の強化が必要とする意見が述べられることもある。児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の制定にも力を尽くしたNGO・ECPAT/ストップ子ども買春の会の共同代表者は", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "と述べている。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "海外では規制されているとして、それらを参考にすべきとの意見もみられる。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "また、内容的に犯罪行為(→強姦)を扱うゲームがしばしば発表されている部分にも絡み、これらゲームの消費者の嗜好や、製作側の諸事情で用いられているいわゆる「アニメ風の女の子」の絵(→萌え絵)が、かわいらしさや女子らしさを強調しようとした結果、その映像面で幼児・児童として認識され得る辺りにも関連して、同種作品への拒否感を強め、規制案への支持に及んでいる傾向が見られる。中には、", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "など、公の場で差別的ともとれる意見が述べられることもあった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "これらの主張の他にも、架空のキャラクターにも人権が存在するため、陵辱されるようなゲームは許されないとする意見もある。元NPO法人カスパル の代表者は朝日新聞が2005年1月10日に行ったインタビューで「絵で描かれていても、少女たちの人権を侵していることには違いありません。」と述べている。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "この辺りは、ゲームによって提供される仮想内の出来事ながら、半ば作品提供側の意図したストーリーで犯罪行為を追体験するような物への風当たりが強く、また人間社会では各々の個人が持つ人権が同等の物であるように、ゲーム内に構築された仮想世界では、ユーザーの操作する主人公と、陵辱される側のキャラクターは本質的に同等の「仮想的人権」を有しているであろう...という点も成立する。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "憲法21条で保障される所の表現の自由による物や規制の恣意性 から反対することが多い。このほか、強力効果説を否定し暴力的になることはないとする意見のほか、現実の女性に向かう性欲を失わせ、実際の性犯罪が抑制されている可能性があるという指摘もある。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "規制に関する歴史にあるように、業界にとって青天の霹靂とでも言うべき事態であった沙織事件などから来る規制強化の流れを受けて、1992年、自主審査機構つまり自主規制の団体としてコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "最初期に制定された性表現の規制基準については、主に当時のアダルトビデオ業界の最大の自主審査機構・日本ビデオ倫理協会(以下「ビデ倫」と略す)の基準を参考にしていたが、動画の実写作品を管理することを主目的としたビデ倫をモデルにした基準は、ほとんどの作品で静止画のイラストが主体であるアダルトゲームの実態にはそぐわないものであった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "しかし、ソフ倫はアダルトゲーム業界唯一の審査機構であることを背景に、パソコンソフト卸・流通の企業との関係・連携を重視しこれらを取り込むことで、ソフ倫に加盟してその規制・指示に従わなければアダルトゲームをパソコンソフトの商業流通の販路に乗せることが事実上不可能になるという業界の構図を作り出し、設立後数年と経たないうちにアダルトゲーム業界で絶大な権力を持つに至った。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "だが、その反面で、ソフ倫はその業務内容については非公開としており、ソフ倫に人員を提供する一部の制作会社に対しては作品の審査が甘いという指摘がなされるなど、透明性が低いと言わざるを得ない組織体質であり、プレイヤーサイドの求めるものとのギャップも大きく、プレイヤーや会員メーカーからの不信感を招いた。その上、組織体質的には極度の事なかれ主義で、1999年施行の児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の影響が波及する事態や沙織事件の再来を恐れ、18歳未満の男女キャラクターの性的描写の禁止や、ゲーム内において使ってはいけない言葉(いわゆる「NGワード」)などといった規制強化ばかりを年々進め続け(例えば「高校生」(ほとんどが18歳未満、ただし合法な18歳もいる)という言葉を「学園生」(年齢不詳)に言い換える、など)、ジュブナイルポルノやアダルトアニメなどと比べても表現の制約と不自由さは増すばかりであった。しかも、ソフ倫はアダルトゲームの審査業務を事実上独占し上述のように卸・流通をも掌握していたことから、事実上、商業流通のアダルトゲーム市場でのメーカーやクリエイターの生殺与奪の権を握っていたと言っても過言では無く、アダルトゲームのメーカーやクリエイターたちはソフ倫加盟か自主審査かは関係なくソフ倫に楯突くような真似はできず、ノベライズであるジュブナイルポルノ作品などの関連商品や雑誌イラスト、ウェブサイトなどにおける表現や言動も含めて、業界で権勢を増すばかりのソフ倫の影響下から逃れることはできなかった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "この状況に小さくとも風穴が開く、すなわちアダルトゲームの審査業務におけるソフ倫の独占が崩れる、その転機となる出来事のきっかけは2001年8月に起きた。『君が望む永遠』(2001年、アージュ)が、画像の修正処理に不手際があるとして\"自主回収\"となった。発売元のアージュの代表は後年、同作について「自主審査のうえで自主回収だった」としている が、自主回収騒動の後しばらくは主に同作に絡めてアダルトゲーム業界やソフ倫に絡んだ様々な情報や憶測が流れたことも事実である。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "いずれにせよ、同作の回収騒ぎが1つの契機となり、アージュの作品を取り扱っていたソフトウェア卸売会社ホビボックスは、アダルトビデオの自主審査機構であったメディア倫理協会(以下「メディ倫」と略す、現・「日本コンテンツ審査センター」)にアダルトゲームの審査を行うように働きかける。そして、2003年2月、アージュの『マブラヴ』がメディ倫審査によるアダルトゲーム第1号として発売された。また、ホビボックスとソフト流通の独占契約を締結していたぱんだはうすなど数ブランドが、アージュとほぼ同時期にメディ倫に移行した。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "前作『君が望む永遠』がヒット作になったアージュの新作『マブラヴ』は、諸般の事情で発売予定日の延期を何度も繰り返しながらも大きな注目を集めていた。しかし、メディ倫審査による作品の登場という事態に対して、当初、パソコンソフト流通の企業やこのルートからの仕入れをメインとする小売店の多くは、ソフ倫との関係への配慮からソフ倫審査作品以外は取り扱わない方針を取った。その結果、多くのパソコンソフト販売店で『マブラヴ』について入荷どころか仕入れ元からの情報さえ一切皆無という事態が起き、パソコンソフト販売店の店頭や通販のルートからの購入希望者たちを困惑させる。その一方で、『マブラヴ』の流通と販売の中核を担ったのは、従前からメディ倫審査のアダルトビデオの販売を数多く手掛けていたアダルトビデオ系の流通とこれを取り扱うサブカルチャー系書店であった。パソコンソフト販売店での『マブラヴ』の入手難から、アダルトゲームのプレイヤーたちの間ではインターネット上で同作の販売概況を巡る情報交換が幅広く行われ、やがて実情が明らかになるに連れて、サブカルチャー系書店でのパソコンソフト販売に対する認知がプレイヤーの間で広まることになった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "また、当時のメディ倫はソフ倫と異なり、全ての素材を審査する完全審査体制を取っており、卑猥な用語に対する規制もソフ倫より若干緩いものであった。メディ倫審査を通過した『マブラヴ』の登場によって、当時のソフ倫とメディ倫の規制などへに対する姿勢の相違点は比較され、その中でソフ倫の表現規制や末端の加盟メーカーに対する姿勢のきつさが表面化する格好になった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "その後、2004年初頭に数々のブランドを抱える大手・テックアーツがメディ倫への移行を表明、前後して主に中堅以下の数ブランドがメディ倫へ移行し、その後に設立されたメーカーの中には最初からメディ倫による審査を選択し、ソフ倫には加盟しない所も見られるようになった。これらの結果、パソコンソフト流通に属する流通・小売の各社もメディ倫審査の作品の存在を無視することができなくなり、なし崩し的に取り扱いが開始され、10年以上にわたって続いたソフ倫によるアダルトゲーム審査業務の独占は崩壊することになった。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "この一連の流れを受けて、加盟メーカーのメディ倫審査への流出防止、すなわち組織防衛の必要に迫られたソフ倫は様々な対抗策を打ち出して加盟メーカーの引き留めを図ったが、その最大の切り札は、それまで組織内部では口にすることさえ事実上のタブーであった性的描写の部分的規制緩和であり、たとえば一度は厳禁になった近親相姦描写は2004年秋以降の作品から再解禁となった。メディ倫によるアダルトゲーム審査業務は、メディ倫の組織変更に伴い2010年に映像倫理機構(現在は日本コンテンツ審査センター)による審査業務に移行している。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "なお、上記に記載されている審査機構による審査を受けて発売するアダルトゲームは年々タイトル数・売上ともに減少を続けており、それに代わって現在主流となっているスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームなどでは審査機構による審査を受ける義務がなく、審査があるとしても販売サイトによる審査のみなので、審査機構の審査を受けているアダルトゲームより制作の自由度は高いとされている。審査機構の審査を受けないスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームが主流となったことで、ソフ倫などの審査機構の影響力は年々小さくなっており、審査本数の減少に伴い、ソフ倫自身も2016年7月にアイドルビデオや着エロビデオの審査を開始している。", "title": "アダルトゲームと規制" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの、技術面に関する部分を解説する。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "1980年代までのパソコンの大半は、ソフトウェアの開発環境もトータルにパッケージ化された製品として市場に出ていた。このこともあり、コンシューマ機向けゲームソフトのようなワークステーションなどの専用機器の導入をせずとも製品の開発が可能で、これはアダルトゲームのみに限定されたことではないが、当時のパソコンゲームソフトのほとんどがこれらゲームを動作させる動作環境と同じ機器を利用して開発を行っていた。また、コンシューマ機と異なりソフトの流通をハードメーカーが一括して掌握・管理するシステムは構築されておらず、ほとんどのケースでハードウェアメーカーに対してのライセンスや許諾承認の手間・コストが存在しないか小さかった。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "そのため、パソコンゲームを開発・発売するにあたってはコンシューマーゲームよりもハードルが低く、それこそ現在の小規模な同人ゲームと同程度の出資・開発規模でも商業規模の作品の制作が可能であった。あとはメンバーの熱意とセンスと開発に投じることの出来る時間で製品の完成度は左右され、同人での活動を目指すものは同人即売会などを目指し、開発チームが小規模でも商業ブランドとして立ち上げたい者たちは、当時の家電量販店や日本ソフトバンクなどのパソコンソフト卸で商品を流通させていくことを目指すことになった。このため、日本国内においてのアダルトゲームの開発と発展の歴史は、パソコンとパソコンゲームのそれ自体の発展の歴史、パソコンゲームに関する同人イベント、パソコン用ゲームソフト流通の歴史などとも密接に絡み重なり合う部分が存在する。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "開発環境は、家庭向けのパーソナルコンピュータの性能が向上していく過程で、それに牽引される形で発達を見せており、この事情はやはり黎明期からあまり変わっていない。しかし共通化されたゲームエンジンの開発と導入などにより、「アダルトゲームを含むコンピュータゲームの開発環境」は総じて向上しており、また商業タイトルでも使用されているゲームエンジンが同人ゲームに導入されることも見られ、これは同人ゲーム開発サークルとの境界の曖昧化を発生させていると見ることも可能である。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "この中では、技術力と資金のあるメーカーが独自に新しい映像技術やゲームシステムを開発・導入したりする一方で、おたく文化・インターネットの発達や同人とその関連産業の拡大を背景に数多のクリエイター(原画・シナリオライター)が輩出されている関係で、技術力に劣る中小のメーカーでも描画力に優れ人気のあるクリエイターを確保できれば、あるいは所属者の原画・シナリオの作風が洗練されたものに変化し時流にマッチし人気が沸騰すれば、その可憐な美少女キャラクターを武器に大手・古参メーカーにも十分伍しての販売をし得るわけで、そのような形で住み分けや販売力の強化を行っている様子も見られる。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "アダルトゲームでは伝統的に、プログラマーもしくはシナリオライターがディレクターを兼任して企画を立て、作業の進行管理を行うことが多い。また、テキストの良さは物語とキャラクターをより魅力的なものとし、作品自体の評価を高める。これらのことからシナリオライターや企画担当者はスタッフ中でも重要な役職の1つとされる。2000年以降はメーカー、雑誌などで原画家と共にライターも紹介することが多くなった。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "シナリオライターの業態は黎明期から現在に至るまで形態に大きな変化がない。大半のアダルトゲームではメインライターは1人である。ただしマルチシナリオ・マルチエンディングのビジュアルノベルの普及や大作化傾向が進んだことで文章量が大幅に増加した現在では、ボリュームのある作品などでは一般的な文庫本を超えるほどの文章量があるものも少なくなく、サブライターとして何人かが協力したり、数人のシナリオライターや企画チームによる全面的にシステマティックな共同作業制を導入しているブランドも見られる。上述の通り企画や進行管理を兼任することが多いポジションであり、多くは開発組織内部の人間が務めることから内製の割合が高く、外部への発注は比較的少ない傾向にあった。しかし2010年代以後、絵重視でシナリオが重視されなくなってきている関係上、シナリオを外注にするブランドが増え、現在では外注が主流となっている。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "日本のアダルトゲームの最大の特徴を成しているのがグラフィックである。アダルトゲームが出始めた1980年代の8ビットパソコン時代の末期から16ビットパソコン全盛期では、技術上の制約からプログラマー兼デザイナーの描くドット絵に留まっていた。その流れが大幅に変わったのが、アニメーション制作会社であったガイナックスの参入と『電脳学園』(1989年)『電脳学園2 HIGHWAY BUSTER』(1989年)の登場である。ここで赤井孝美・菊池道隆(麻宮騎亜)・新田真子・明貴美加といったアニメーターとして名を成した人物が参入、これに触発され、各社成人向け漫画家・アニメーターを起用し始めた。その中でエルフがアニメーター竹井正樹を起用した『同級生』(1992年)がヒットし、翌年アニメーター横田守を起用した『河原崎家の一族』もヒット、漫画・アニメーション業界からの技術流入によってグラフィックデザインの向上が図られた。1995年のWindows 95の登場により解像度と発色数が増加、技術進歩により、初め絵で描かれた作品の実写版もいくつか発売された。しかし、現在のアダルトゲームのグラフィックデザインの中核をなしているのは前掲の人物たちの絵を模倣しつつ成長した漫画・イラスト系同人作家による絵である。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "これにより、コンピュータゲームでも対戦格闘ゲームやRPGなどの他ジャンルでは、立体感のある3Dグラフィックスを用いたり、人物描写も比較的写実的になるのに対し、アダルトゲームは、現在でも2Dグラフィックスで表現するのが主流となっている。しかし例えば、アリスソフトやソフトウェアぱせりではRPGのダンジョン部分に使用され、エルフのドラゴンナイト4ではユニットを、ニトロプラスのファントム・オブ・インフェルノでは銃を3Dグラフィックスで形成するなど、作品ごとで部分的に使用されることも多く行われ、ILLUSIONやKISSのアダルトゲームは全面的に3Dグラフィックスで描かれている。また、昨今の同人ゲームにおいても3Dグラフィックスを用いたゲームが増えてきている。アダルトゲームの人物の絵やドット絵は瞳が顔の大半を占めるほど大きい反面、鼻や口がしばしば簡略化ないし省略される、一般的にはマンガ絵・アニメ絵と呼ばれる独特なデザインで表現されている。そのデザインはしばしばエロさといった性的興奮より、ユーザー・愛好者以外からは幼い・かわいらしいといったイメージを持たれる物で、それらへの愛らしさは『萌え』という単語で表現され、萌えを喚起する絵ということで『萌え絵』とも呼ばれている。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "萌え絵がアダルトゲームにおいて多い実利的な理由としては、第一に静止した立ち絵の構図が同じであるため、リアルな絵や全身図であるとそれが違和感を与えて無機質な印象を与えること(立ち絵を多くすれば解決できるが、管理が難しくユーザーも目が疲れる)があり、ディフォルメを強めることで、擬似的に与える印象を増やしていることが挙げられる。第二に、立ち絵の多くは目と口元を変えることで表情差分を作るが、切り替えを十分に表現するには目にユーザーの焦点が当たる方が都合がよい。塗る時も素早く範囲を指定できる。こうしたシンプルな形を採用し、「表現の多彩さ」と「改変のしやすさ」を兼ねることは、資源に限りがあるメーカー・制作に追われるスタッフにとっては重要なことであり、かつてのカセットテープやフロッピーディスク(FD)など販売用記録媒体の容量の上限やコストが厳しかった時代にはなおさらのことであった。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "グラフィックが女優による映像ではなく、絵による画像のアダルトゲームにおいては、キャラクターのセリフに合わせた音声データを出力させることがあり、その音声を担当するのはほとんどが声優である。声優がアダルトゲームに声をあてる場合、声優名を非公表とするか、またはアダルト用の別の芸名を使うことがほとんどである。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "アダルトゲームへの音声の本格的な導入は、後述する音楽面と同様にCD-ROM・大容量ハードディスク・PCM・データ圧縮技術などのハードウェア・ソフトウェア両面の技術進歩と普及があって初めて可能になった要素で、時期的にはコンシューマゲーム機における導入とそれほど大差は無く、1990年代前半くらいから徐々に普及し始め、2000年代前半には普遍的なものになった。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "コンピュータゲームの音声データ導入は、声優起用と音声収録のシステムとノウハウが確立されるまでの最初の数年間は試行錯誤の連続で、当初は規制基準が媒体によってまちまちであったため媒体ごとに声優を交代させる必要があり、1990年代中期の作品では1キャラあたり4-5人も声優がいるものも存在した。この流れも1999年の法改正(詳細別節)と、家庭用ゲーム機におけるハード間競争でソニーのPlayStation・PlayStation 2が優勢になったことを受け、1キャラクターあたりアダルト表現まで請け負う声優と、非アダルトの関連作品のみを担う声優の2名に大別されるケースが多くなった。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "このような流れと平行して、コンピュータゲーム業界全体では「第三次声優ブーム」のあおりを受けて高騰の一途を辿る声優のギャラを巡り、1997年9月からCESAと日本俳優連合(日俳連)の間で交渉の場がもたれていた。だが、日俳連が「ギャラをランク制の設定額よりも高額なものにすること」「ハード間移植の際の音声二次使用料を支払うこと」などを要求したため、交渉は難航。仲裁に日本音声製作者連盟(音声連)が加わり、日俳連がかなり譲歩する形で1999年2月10日に合意、ゲームにもランク制が導入された。ただし、アダルトゲーム制作会社の場合はCESAに加盟していないため、この合意の適用外であり、そのためアダルトゲームへの声あてのギャラは、アニメや一般向けゲームよりもはるかに高額であると言われている。一例をあげるとチュアブルソフトは『スイートロビンガール』の声優一般公募の際、募集要項にヒロイン4名の報酬について500ワードまでについては基本報酬の50,000円以降は10ワード毎に500円を支払うと明記している。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "アダルトであること以外の特徴として、アニメ作品の場合は出演者同士の掛け合い、すなわちアフレコで、基本的に自分の出番だけスタジオにいればよいのに対して、ゲームの音声収録は個別にスタジオのブースに入って収録する形式で、スタジオレンタル料との兼ね合いから短期間に集中して収録するため、1日あたりの拘束時間が長いということが挙げられる。特にアダルトゲームはノベル形式のアドベンチャーゲームが主流のため、セリフの量がアニメに比して多く、平均的な商業作品で台本はおよそ電話帳タウンページ2冊前後、メインヒロインではその1.5倍から2倍に達する分量があり(ただし、アニメ用と異なり、ゲームスタッフがプリンターとコピー機を駆使して作った簡易製本であることが多く、単純には比較できない)、ゲームの仕事が入ると他の仕事が入れづらく、スケジュールの都合がつかず出演できないという事情もある。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "これらの事情から特定の声優に起用が集中する傾向があり、人気となれば年間に50本以上、中堅でも30本前後の作品で起用される。その結果、アダルトゲームとその関連作品の収録だけで年間スケジュールの大半が埋まってしまう声優も少なくない。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "現在のアダルトゲーム業界では数人規模の小さな開発チームが大半を占めていることもあり、音楽面については専門スタッフや音楽制作の機器・設備を組織内に置かないのが一般的で、全面的に外注を利用するスタイルが広く定着している。また、効果音も含めて全面的に外注に委託したり、外部の専門業者から必要に応じて効果音の音声データを購入してくることは、ごく普通に見られる。つまり、関与する企業やプロダクションの規模の違いこそあるものの、現在のサウンド面の制作システムは従来のテレビアニメのそれをおおむね踏襲したものになっている。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "アダルトゲーム業界に関わる音楽制作のプロダクションは数多く競合も激しいが、その中でも知名度で頭一つ抜けた存在となっているのは1990年代末期に台頭したI'veで、主題歌の編曲を手がけた『Kanon』(1999年、Key)の大ヒットで注目を集めた。I'veが音楽あるいは主題歌を手がけたアダルトゲームのパッケージには、I'veが音楽を担当したことを表すロゴマークが付けられ、KOTOKOをはじめとする\"歌姫\"と称される女性ボーカリストの存在を前面に打ち出す形で2000年代前半に全盛期を作り出し、その後にはテレビアニメの劇伴(BGM)や主題歌にも進出している。また2001年にはkeyのサウンドトラックなどを専門に扱うKey Sounds Labelが発足した。他方でも、『吸血殲鬼ヴェドゴニア』(2001年、ニトロプラス)では主題歌のボーカルに紅白歌合戦に出場したこともある小野正利を起用するなど、音楽や主題歌に力を入れる動きが顕著になった。また、インディーズで活動している者を中心に、アダルトゲームの主題歌の歌唱・作詞・作曲を担当する女性歌手・女性シンガーソングライターも少なくない。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "また、1990年代の音楽シーンには『メタル氷河期』と呼ばれる、ジャパニーズメタル 音楽の著しい市場低迷が起き、数多くのヘヴィメタル系ミュージシャンが、生活と音楽活動の維持のためにテレビアニメ・テレビゲームなども含む多ジャンルの商業音楽に進出し、若手もメジャーシーンにほとんど登場できなくなった時期があったが、その軽音業界の歴史的な経緯や影響によるものか、1990年代から2000年代にかけてのアダルトゲーム業界のサウンド面を支えた音楽集団や音楽担当スタッフには、メタル音楽の経験者やフォロワーが少なからず見られる。その状況下において、ロックよりもかなりハードなドラムやギター、間奏部のメロディカルなギターソロ、重低音重視のミキシングといったヘヴィメタル的な要素がふんだんに盛り込まれた楽曲が珍しくないことも、アダルトゲームの主題歌・BGMの特徴・様式として挙げられる。その中でも特筆すべきはメーカーであるがニトロプラスで、作品によっては歌詞と曲だけ聞かされてもアダルトゲームの主題歌とは到底信じ難いようなハードなメタルテイストの曲を主題歌や挿入歌に据えた作品が少なからず見られる。他方、アダルトゲームの主題歌であるため、メーカーによってはハードでハイテンポな曲に、本項ではさすがに掲載がはばかられるような性的表現を含んだ歌詞を組み合わせたケースもあり、たとえメタル調のハードな曲であっても歌詞のバラエティという意味では、ラブソングやいわゆる「萌え」に属する歌詞がほとんど見られない本家ジャパメタとは比較にならない幅の広さを持っている。また、先述のニトロプラスのものを例外とすれば、メタルテイストの曲であってもほとんど全ての曲についてボーカル担当が女性であることは大きな特徴で、特に男性ボーカルを起用した主題歌は皆無では無いが珍しい。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "I'veが人気を得た2000年ごろ以降は、主題歌CDの初回特典としての添付がこの業界では販売促進策としてごく当たり前の手法となっている。だが、これについては、多くのゲームに存在する初回特典の有無による価格差や、アダルトゲームでは初回限定版の発売後に初回特典を除いた「通常版」が最終的に発売されないケースが珍しくないことなどを鑑みた場合、ゲームと主題歌CDの事実上の抱き合わせ販売の商法であるとして指摘する批判も少なくない。また、このような事情から、1本1万円前後することも多い初回特典付きゲームソフトの購入以外には正規・合法的に入手する方法が事実上無い、ある意味で「入手困難」と言える楽曲を多数持つ歌手もいる。この状況を補うべく、ブランド・メーカーによっては主題歌やイメージソング・サウンドトラック類をまとめて収録したCDを別に制作しファンに向けて販売したり、あるいは主題歌を担当した歌手や音楽制作プロダクションの単位でゲーム主題歌をまとめたコンピレーション・アルバムが制作されることがあるものの、これらは結局のところ自主制作盤の範疇を出ずにコミックマーケットなどのイベントの企業スペースや自社ホームページなどで数量・期間を限定して発売されるものが多く、一度完売したら以降は事実上入手不可能ということもまた多い。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "アダルトゲームで使用・作成されたBGMは一般向けゲームソフトのゲームミュージック同様、広く地上波テレビ放送各局でも音楽素材として幅広く使用されているほか、主題歌がカラオケ入りすることも珍しくない。ドワンゴが、2005年7月から放送した着メロ配信サイト「いろメロミックス」のテレビコマーシャルのBGMに、『巫女みこナース』(2003年、PSYCHO)主題歌の『巫女みこナース・愛のテーマ』が採用された。さらに、同曲は2005年12月27日に第一興商の通信カラオケ「cyber DAM」で配信されている。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "他方、アダルトゲームを原作としてメディアミックス企画が立てられ、とりわけ性的要素を排除したテレビアニメ作品が制作される場合には、こちらではアニメ音楽を専門範囲とする作曲家が起用されることが多く、同様に主題歌担当の歌手も原作から変更されることが多い。アダルトゲーム作品を担当したスタッフ・外注・歌手がそのまテレビアニメ作品でも続けて劇伴・主題歌を全面的に手掛けたケースは、存在こそするものの少数派である。ただし、上述したI'veは後にテレビアニメの劇伴・主題歌の制作にも進出しており、むしろ現在ではこちらが主業という状況も垣間見られ、アダルトゲームのアニメ化に際して主題歌などで新規にI'veのスタッフ・歌手が起用されるケースが見られている。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "このように1990年代末〜2000年代半ばごろにかけて一大ブームを引き起こしたI'veであるが、2000年代後半以後はボーカロイド・東方Project・アイマスなど、動画共有サイトで流行っている音楽ブームに押され、それらのブーム以後にオタクコンテンツに触れたユーザーからの知名度は低い状況となっている。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの、業界事情に関する部分を解説する。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの市場規模は、2002年ごろにピークを迎えてからは一貫して衰退を続け、2011年の段階ですでにピーク時の半分以下にまで縮小している。矢野経済研究所の調査によれば、2007年度の市場規模は341億円(前年比−2.8%) であったが、2013年度には188億円(前年比−5.1%) となった。2016年の市場規模は168億円であった。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "コンピュータソフトウェア倫理機構の資料によれば2006年9月現在でアニメ系の加盟会社は224社を数え、2005年のアニメ系販売タイトル数は931タイトルであった。2005年のアニメ系の販売本数は4,887.1(単位は千本)であった。2016年度についての同機構の販売実績によれば、タイトル数は755タイトル、販売本数予測は170万3400本(1,703.4千本)となっている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "2003年時点では、家庭用ゲーム機用ゲームソフトは全機種併せて約1100タイトル、パソコン用アダルトゲームは約600タイトル発売されており、発売タイトル数でいえばコンピュータゲームでもそれなりの数量であるが、パッケージ作品で言えば売上数は一般的に1万本売れればヒット、予算や開発チームの規模にもよるが3000本から5000本販売できればペイライン(損益分岐点)に到達という、商業スケールとしては映像DVDなどと同程度のものであった。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "ただし、上記はソフ倫審査のアダルトゲームに限定した内容で、ソフ倫の審査を受けないスマホゲーム・ブラウザゲーム・同人ゲームなどは市場規模に含まれない事に注意する必要がある。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "上記項目にある通り、Windows向けアダルトゲームは2002年ごろをピークに衰退を続けていて、2010年代に入ったあたりから、スマホゲーム・ブラウザゲーム・同人ゲームが台頭し、現在ではそちらの方が主流となっている。Windows向けアダルトゲームの衰退原因として下記の様なものが挙げられる。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "以上のような影響により、卒業するユーザーと比較して新規で入るユーザーが圧倒的に少ない状況となっている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの制作・販売を手掛けるメーカー・プロダクションは、2014年4月現在201社がコンピュータソフトウェア倫理機構に正会員として加盟している。また、日本コンテンツ審査センターで審査を受けているメーカーも存在する。スマホゲームやブラウザゲームしかリリースしていない企業や、同人サークルの中には審査機構に加入していないことろもある。ビジュアルアーツやテイジイエル企画のパートナーブランドのようにゲームソフト卸や一部のゲーム会社が自社の傘下に入ることを条件に開発資金を援助するシステムが広く確立されており、新規参入に際しては比較的容易で毎年数十のブランドが新たに登場するが、その一方でそれとほぼ同数のブランドが消滅してゆく。また、実態として解散状態か活動停止状態であるにもかかわらず公式サイトだけが長期間放置されたまま残されているブランドも少なくなく、タイトル数や売上減の影響もあって実質休眠状態のブランド数は年々増加している。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "ソフ倫や日本コンテンツ審査センターの審査を受けるアダルトゲームの制作メーカーは規模の大小こそあれ、家庭用ゲームの制作メーカーと比較すればおおむね小規模で、商法上の区分でいえばメジャータイトルを制作するメーカーでも中小企業、大半は従業員10人未満の零細企業で、ごく小規模な有限会社や合同会社もこの業界では珍しくはない。アダルトゲームの制作・販売を主業としている会社を見た場合、社屋を自社所有するものはほんの数社程度であり、マンションやアパートの一室を住居兼仕事場にして、そこが唯一の拠点というケースも多い。労働条件については中小のコンシューマゲーム制作会社同様に、ごく一部の例外を除きほぼ一様に劣悪で、福利厚生面も脆弱であると言われている。反面、スマホゲームやブラウザゲームをリリースする企業はTSUTAYAやDMMなど、大資本であることも少なくない。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "開発チーム名や法人名とは異なるブランド名を用意してこちらを前面に出している者も数多く存在し、目に見えて判別できる原画などの一部スタッフ以外の詳細について実質的に非公開になっているタイトルも多い。また、審査機構に非加盟の同人サークルなどの小プロダクションや、アダルトゲームの発売に本来の開発チーム・ブランド名が出ると差し障りが出るため名前を伏せたいと考えるコンシューマ機用ソフトの開発を本業とするチームもあり、そのような者たちが自身のスタッフ・機材でアダルトゲーム本体のデータを制作・完成させ、アダルトゲームブランドを持つ販社が委託を請け負い、倫理機関審査や営業・広告宣伝・製品流通など販売代行を行うことも見られる。さらには、メディアのプレス・マニュアル制作・パッケージングなどゲームデータ以外のほとんどの部分を販社側がトータルに手掛けることもある。このように、アダルトゲームの販売委託ではいわば製造業におけるEMSとOEM供給先に近い役回りを担うだけで済ませるところから、制作スタッフが実際に手掛けるのはゲームのデータ本体だけで、審査からゲームソフトとしてのトータルのパッケージングまで全て販社側で用意・制作するところまで、制作から販売に至る課程はタイトルやブランド毎に様々で、アダルトゲーム側のブランドを見た場合、そのような審査代行・販売代行・プロデュースが実質の本業となっているものもある。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "狭隘な市場に小規模多数の制作会社・開発チームが存在するため売り上げ規模も小さく、アダルトゲームだけで経営を維持することは難しく、多くの制作メーカーは資金繰りのため、他にも様々なことを行っている。例えば、自ブランドの製品開発スケジュールの間合いを利用してプログラマーなどが他ブランドの製品開発の一部を請け負うなどの行為は珍しくなく、他にも中小企業向けの業務用アプリケーションやウェブデザイン、携帯電話向けソフトの下請け製作、貸しビル業 など、別のビジネスを行っているメーカーもある。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "多くのアダルトゲームメーカーにとって通例として定められた流通会社や銀行からの融資の返済猶予期限は会社の存亡の懸かる日であり、作品の完成度に関係なく返済猶予期限内に新作を発売しないと会社が倒産・消滅する場合が少なくない。そういった事情や、製作途中のトラブルなどが原因で、大手メーカーの非アダルトゲームではおおよそ考えられないような未完成品が発売されることもざらである。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "商業のパッケージゲームについては、流通会社が取りまとめ、小売店やネットショップに卸す事になる。ダウンロード販売については、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトで販売する。自主審査機構の項目に記載がある通り、この際、流通会社はソフ倫や日本コンテンツ審査センターなどの審査機構の審査を通していない作品は取り扱わず、ダウンロード販売サイトも同様に商業としては取り扱わないので、審査機構による審査は必須となる。2000年代前半ごろまでは開発環境の項目に記載がある通り、日本ソフトバンクが参入していた関係上、家電量販店にもアダルトゲームが卸されており、家電量販店でもアダルトゲームの販売が行われていた。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "同人ゲームのパッケージ販売については、同人イベントやサークル通販(BOOTHなども含む)での販売やとらのあなやメロンブックスなどの同人ショップなどで扱われ、流通的には商業とは全く別ルートとなっている。デジ同人(ダウンロード販売)については、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトで販売する。なお、これらの同人ショップやダウンロード販売サイトは審査機構の審査を通さなくても取り扱いしてもらえるので、審査機構による審査は必須ではない。ただし、同人ショップやダウンロード販売サイトによる独自の審査は存在する場合もある。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "年々、ネット・実店舗を問わず商業ゲームを扱う販売店や商業ゲームのイベントが減少を続ける一方、同人イベントを含めた同人の販売チャンネル数は増え続け、流通に関して言えば今は商業よりも同人の方が有利な状況となっている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "スマホゲームについては、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトでの販売・配布が中心で、ブラウザゲームについては、FANZAやDLsiteにじGAMEなどのゲームプラットフォームでのサービスとなっている。これらも同人ゲーム同様、審査機構による審査は必須ではない。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの販売規模・開発組織はその大半においてコンシューマ機向けのゲームよりも小規模である。だが、その一方でハードウェア技術が発展しカセットテープ・フロッピーディスクからCD-ROM、DVD-ROMと記録メディアの大容量化が進み普及するに連れて、業界の全体の流れとしてデータ量・情報量は増大化傾向の一途を辿っている。攻略対象ヒロインの多数化によるシナリオ分岐・マルチエンディングの普遍化や、ビジュアルノベルの手法の発展によりシナリオのテキスト量でもコンシューマ機の大作ソフトやライトノベルの小規模な連作シリーズ作品などにも遜色ないスケールを持つ作品や、パソコン性能の進展に伴い一般的なものになった3Dグラフィックス・トゥーンレンダリングなどの最新技術を投入した作品も数多く制作されるようになった。しかし、2010年以後、業界の衰退による予算の縮小化でそのようなタイトルは年々減少傾向にあり、現在では攻略キャラが1〜2キャラのロープライス作品が主流である。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "また、コンシューマ機向けのゲームソフトと同様に、", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "などといった要素が一般的になり、これらは複合的に重なってパッケージ規模の増大やトータルコストの上昇を引き起こした。広報宣伝やグッズなどゲーム本体以外の付随的な企画に要するコストや労力もメーカーにとっては無視できない負担増加の要因となっており、特にほとんどのグッズや宣伝用部材の素材制作に必要不可欠の原画担当者にかかる負担は本編の制作以外にも大きなものがある。ただし、これらは販促やグッズ収入の確保や1人のユーザーによる複数本購入などを目的として行われている一面があり、売上確保のために必要な要素であるとされてきた。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "また、2000年代に入ってからは、特に動画・音楽・音声・主題歌といった専門的な技術が要求される要素が普遍的なものになり、特に動画は宣伝用やゲーム内のデモムービーとして規模の大小の差こそあれほとんどのタイトルで制作されている。だが、本格的な動画については専門技術を持つスタッフを擁し内製が可能なメーカーは少数派である一方で、業界の界隈では各種素材を利用して動画を制作するプロ・セミプロのプロダクションや個人事業主が多数活動していることから、大半のブランドがこれら外注に依存しており、その上、宣伝用デモムービーが当たり前のものとなるに連れて販売店やプレイヤーからはテレビアニメのオープニングアニメにも近いクオリティのものが要求されるようになった。また、特に発売開始前に配布する宣伝用デモムービーは、たとえ低価格路線のソフトでも広報宣伝に不可欠であるため、安易にはカットできない うえ、その出来不出来は販売店の売場での放映量の多寡や作品自体へのプッシュの強弱にも直結し、売り上げ本数にまで直接の影響を及ぼすことから一定水準のものを制作する必要があり、そうなるとやはり相応の専門の技術・知識を用いた\"作品\"が求められるため、安易にコストカットの鉈を振るうことができない一面があり、外注費の増加要因の1つとなっている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "これらの要因や後述する工程管理の狂いが重なりトータルで見た製作コストが膨張した結果として採算ラインの上昇を招き、販売本数的に成功と言われるタイトルであっても製作費を最初のアダルトゲームソフト単体では到底回収しきれないものすら散見されるようになり、現在では多くのブランドがコンシューマ機への移植や、ソーシャルゲームへの参戦や、キャラクターグッズ販売といった版権を利用した各種ビジネスを展開し、収益構造の安定化を図っている。だが、それでもトータルでの製作規模・制作費の増大が経理面から経営に重くのしかかり、既存のWindows向けアダルトゲームの売上低迷や企画・開発の難航など様々な組織内外の事情も重なって、ついには新規タイトルの開発を断念・休止したり公式ウェブサイトの更新が途切れてしまい事実上の活動終了となる、そこまではいかなくとも長期間にわたり新作の発表が途絶えてしまうなどといった状況が、一般的な規模のブランドはもとより、業界内で中堅・大手・古参などと見なされているブランドでも時折見られているようになっている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "コンシューマーゲーム業界と比較した場合、アダルトゲーム業界は概して開発チームの規模が小さい。そのため、特定のスタッフの個人レベルの技能に大きな比重が掛かり、これに作品の出来不出来が直接左右されてしまいがちで、往々に原画担当やシナリオライターなどのクリエイター個人の発言力が大きく、進行管理は中々に難しい。このような作品制作の中核を担うクリエイターが当初予定の期間を無視して構想を膨らませ続け、シナリオや画像の追加を延々と繰り返してしまうなど、根本的な部分で作品を制作するための工程管理や制作進行が完全に破綻した結果、発売予定が繰り返し延期され当初発表された期日よりも数カ月単位で発売延期となるケースは珍しいものではなく、最終的に年単位で遅延した末にようやく発売に至った作品も散見される。さらには、製作過程で何らかのトラブルの発生や、資金・決算・絶対納期・販売スケジュールなどといった開発チームや販社の都合が重なった挙句、事実上未完成状態の内容のものが「完成品」と称して販売されてしまった事例も存在する。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "インターネットの普及により修正差分の配布が容易になったことや、ビジュアルノベル以外のジャンルも一定数見られた事などもあり、製品品質の維持が疎かになる傾向が見られ、製品出荷段階でのバグの増加も顕著になっていた時期がある。数多くのバグが存在し、パッチが発売後に幾度も配布されてようやく改善に至るなど、品質管理の問題で大きな禍根を残した事例も枚挙に暇がない。また、修正ファイルをインストールしていない状態では、単なるプレイすらできなかったものも散見された。昨今では審査機構が審査するアダルトゲームではビジュアルノベル以外のジャンルはほとんど見られなくなったことや、ゲームエンジンの普及などもあり、そういった事はあまり見られなくなっている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "その他、過去にはインストーラーやアンインストーラーの設定ミスにより、関係のないファイルを消去したり、OSの重要なファイルを消去してパソコンを起動不能にしてしまうという深刻なバグが発生した事例もあった。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "昨今では未完成品やバグだけでなく、クラウドファンディング未達成のまま解散・倒産したり、公式通販で前金を取って予約を受け付けたグッズを未発送のまま倒産・解散したりといった事例も見受けられる。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "商業流通のアダルトゲームの開発・制作では、企画立ち上げからマスターアップまでの全工程で、低価格路線などの小規模な作品でも数名、大型タイトルとなれば数十名単位で様々な役割のスタッフやクリエイターが関与する。裏を返せば、シナリオ・スクリプト・キャラクター原画・彩色やゲームデザインなどの主要工程を1人のクリエイターが全て手掛ける作品は稀である。その開発組織の中ではプロデューサーや開発チームの代表者を筆頭に、例えれば商業アニメーション作品の制作にも一部通じる分業化がなされており、作品の核ともいえるキャラクター原画やシナリオの担当者も含めて、スタッフは開発チーム所属スタッフとして、あるいはフリーランスや他社による下請けの立場で関与する。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "当然ながらゲームソフトはソフトウェアであり、その中核となるゲームエンジンはプログラマーが制作するか、外部の既製品を導入する必要がある。かつてPC-98シリーズ全盛のころは専任または兼任のプログラマーが開発の中心軸に位置してゲームをプログラムとして自前で構築していくスタイルが主流であった。しかしその後、Windowsが主流になって以降のゲームエンジンはプログラミング技術の進展によって高機能化・複雑化の一途を辿った一方で、主流がノベルゲームになった事もあり、シナリオライターやゲームデザイナーがスクリプトを一通り操作できるならばプログラムを一から組み上げるという作業も不要になっており、このことから、現在では外部の既製ゲームエンジンを全面的に導入し、専属のプログラマーは不在というスタイルを取る開発チームは珍しいものではない。ただし、現在主流となっているスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームについては、RPGを除いて既製ゲームエンジンが存在しない事が多く、内製もしくは外注でプログラマーを抱えていることが多い。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "背景画については、アニメ背景を主業とする下請けプロダクションがアニメ業界における同業者の乱立などを背景にアダルトゲーム業界にも進出してきていることと、人物を魅力的に描ける原画担当者であっても背景画の技術が伴っていないことが少なくないことや、背景単体でもデータが大容量化し、これに伴う作業量の増加などから、近年では専門業者に委託しての外注が一般的になってきている。また、1990年代後半以降はI'veやfeelに代表されるゲームソフトのBGMを外注として手掛けるプロ・セミプロの音楽制作集団が数多くアダルトゲーム業界に参入してきた一方で、音楽担当スタッフが従業員として在籍してBGMを完全内製しているメーカーは少なくなっており、在籍していても実際には幹部社員やプロデューサーなどとの兼職であることも見られる。効果音についても音楽制作集団への外注や外部の効果音専門業者からの購入、あるいは各種フリー素材の利用といった手段が主流になっている。同様にかつては内部でスタッフを抱える傾向があったシナリオについても、2010年代以降は絵重視でシナリオが重視されなくなってきたこともあり、外注が増えている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "このような要素が積み重なった結果、現在のアダルトゲームの開発で内製率が比較的高いのは企画職やプロデューサー職および彩色くらいになっており、開発チームと一口に言ってもその場でゲームをプログラミングで構築していく制作業というよりも、ゲームデザイン業に特化したいわば企画屋集団としての趣が色濃いスタッフ陣容となっているものも見られている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "このように一部のブランドを例外にすれば外注依存度が高い反面で内製率が低く、零細な組織が多いゆえに開発チームや人材の離合集散が激しいことは、アダルトゲーム業界の一大特徴である。ブランドの発足・改廃・活動休止も活発であり、さらには人間関係のもつれ・給与遅配・報酬未払いなど組織内部の問題が原因となった開発チームの突発的な分裂・独立・解散などの話も枚挙に暇がない。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "何らかの理由・目的により開発チームを離脱したクリエイターの中でも、既に人気・知名度を獲得しており、この業界での活動を継続する意志がある者の場合、多くは以下のような選択肢の中から、自らが置かれた状況に応じて進路を選択することとなる。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "この業界の人材の流動の活発さを活かして、特にキャラクター原画・シナリオのスタッフについてはフリーランスのクリエイターとして業界を渡り歩く者も多い。その中でも特に人気の高い原画担当者については、その関与がゲームソフトやゲーム関連雑誌、さらにはメディアミックス情報誌、ライトノベル(挿絵を担当)などの売上向上に大きく寄与する。当初は専属スタッフとして人気を得たクリエイターがフリーランスのイラストレーターやシナリオライターとして独立する、あるいは兼業するケースも見られ、後述するようにクリエイターとして一人立ちすると共にライトノベルなど他の業界に活動の軸足を移していく者も少なからず見られる。いずれにしても、人気のクリエイターが専属を離れたり副業を積極的に認めるブランドへの移籍をきっかけにして他分野でも引く手数多という状態になることは多分に見られている。その一方、兼業としてこのような仕事をする専属スタッフがメーカーの経営者や幹部である場合などには、自らの直接の収入ではなくブランドを運営する一助としての一種のサイドビジネスとして行っている場合も見られる。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "アダルトゲームは一見すれば集団制作ではあるが、実際には原画やシナリオなど特定のクリエイターの個人的な才能・知名度・人気に依存する割合が大きい業界であり、原画担当などの専属スタッフの人気が沸騰すればブランド自体の販売力の大幅な向上に繋がる一方で、高い人気を得た専属スタッフの独立・他社への移籍などといった個人レベルの動向や、人気凋落やスランプなどの個人の不振が売上低迷に直結しそのままブランド・企業自体の存続にまで悪影響を及ぼすなどの事態も多分に起きてくる。このような個人レベルの\"職人芸\"によってその大半を支えられる業界体質もまた組織・個人の両面で消長盛衰の激しさを助長する要因になっている。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "アダルトゲーム業界のクリエイターについては、後に他の様々な分野でクリエイターとしてシーンに登場するケースが見られる。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "原画担当の場合には漫画家やイラストレーター・アニメーターに、シナリオライターの場合はライトノベルやジュブナイルポルノの小説家、雑誌や書籍のライター、あるいはアニメの脚本家などといった文筆業に転業したり、転業を試みた、また完全に転業しなくともこれら分野で仕事をするケースは多々見られる。特に商業出版でもライトノベルやメディアミックス情報誌など青年層以下を対象とした分野の出版物に登場するクリエイターには、現在ではアダルトゲームの業界を僅かにでも経験した人物がさして珍しいものではなくなっている。これらについては、転業先の業種にもよるが、メディアミックス・ライトノベル関係の仕事などを足掛かりにしてノンアダルト作品主体へとクリエイター活動の軸足を移していく者、異業種で改めて下からキャリアを積む者、元々他業界での実績がある人物で実質的にはその業界への復帰である者など様々であり、筆名をアダルトゲームで用いた当初の名義から一変させている人物や他ジャンルであらためて登場して以降は表向きにはアダルトゲーム業界・アダルト関連業界とは全く無縁になる人物も珍しくないが、かなりの割合でいわゆる萌え産業の範疇にその身を置くことになる(一例:アニメーション監督の新海誠。minoriのOP映像を製作していた。)(クリエイターとして転職しつつ萌え産業の範疇から脱出した稀有な例としては、ゲームシナリオライター経験者で最終的に直木賞作家となった山田桜丸(現:桜庭一樹)が存在する)。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "その一方、商業ベースでの表現活動について回る様々な制約や規制を嫌った者や、あるいはゲーム産業よりも日程管理・版権管理がより厳しい商業出版やアニメの業界に適応ができなかった者、何らかの事情で商業ベースでの新たなビジネスチャンスに恵まれなかった者、元々から同人の分野で大々的に活動しておりそちらで高い知名度・人気・販売力を持っている者などには、メジャーシーンの商業作品からは一線を画した同人の世界に実質的な職業活動の活路を求めるケースも少なくない。その中にはアダルトゲーム業界で得た知名度も活かして短期間で大手同人サークルとなり、コミックマーケットなどの同人イベントに参加して同人誌・同人ソフトを大々的に販売したり、複数の同人ショップに卸しての委託販売を手掛けている者も見られる。近年では同人ショップの拡大などにより大手同人サークルの作品の販売規模が大規模化し、予算規模や販売量において小規模な商業ブランドに比肩する事実上の商業化を遂げたものも現れており、原画担当などには外注として商業ブランドと同人サークルの作品を両方手掛ける者も多い。", "title": "業界" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "アダルトゲームの分野においては、2000年代半ばごろ〜2010年代初頭ごろにかけて、版権ビジネスとしてメディアミックスが盛んに行われていた時期があり、主として以下のような展開が行われていた。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "また、これらに付随してトレーディングカードなどをはじめ各種グッズや企画商品の販売が行われることも多い。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "メーカー・ブランドにもよるが、アダルトゲームの業界ではゲームソフト開発資金の調達のために、関連グッズや各種メディアミックス展開についての諸権利を、資金を供給するゲームソフト卸の企業などへ開発の初期段階から譲渡しているものが珍しくない。それゆえ、メディアミックス展開は開発メーカー・ブランド側ではなく、ゲームソフト卸企業と出版社やレコード会社などのメディアミックス関連企業が主導権を握って進められることも多いのが特徴である。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "また、アダルトゲーム関連のクリエイターはイラストレーターやライトノベルの挿絵という形で兼業している者も多く、コンシューマーゲーム機にも移植やキャラクターデザインなどの形で関与することから、アダルトゲームについては、メディアミックス企画という形での展開が決定されるまでには、単純にその当該作品にまつわる売上げや期待値のみならず、アニメ・出版・コンシューマーゲームの各業界やそれらの周辺産業の企業やプロダクションが複雑に絡むことになる。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "そのような業界の事情から、既に実績を持つ人気原画家が関与したり、クリエイター個人やブランドのネームバリューで大きな期待を集めるなど、ヒット作となることを確実視されている作品などでは、ゲーム発売予定日の数カ月前という段階から、アニメ化を含むメディアミックス企画案が持ち込まれ(メディアミックス業界側から見れば、いち早い段階でその権利を確保しておこうとする)、原作ゲームの発売直後に異なるメディアやコンシューマーゲーム機での展開が次々と発表されるというケースも珍しくない。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "現在ではメディアミックスができるようなフルプライス作品が大幅に減ったこと、売上の減少でそのような予算が削減されていったことで、メディアミックス(特にアニメ化)については規模縮小傾向にある。また、現在主流のスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームについてはメディアミックスにはあまり力を入れておらず、メディアミックスが行われているタイトルであってもWindows向けアダルトゲームがさかんにメディアミックスを行っていた2000代半ばごろ〜2010年代初頭ごろと比較すると規模は小規模であることが多い。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "現在、コンシューマーゲーム機と呼ばれるような家庭用ゲーム機でも特に日本のそれにおいては、業界草創期からハードウェアメーカーが性描写のあるアダルトゲームの制作を全面的に禁じており、性描写には至らない下着や胸元の露出などといった「お色気」そのものについてすら現在でも厳しい表現規制がつきまとっている。そのため主なメーカーはコンシューマーに移植される場合、パソコン版に比べ過激な性的表現を抑えたり一部もしくは丸ごとシーンを差し替えることで対応している。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "上に書かれている方針は1980年代、任天堂が家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータにおいて、当時の同社社長の山内溥率いる同社経営陣の主導によって、ライセンス許諾を取得しないで販売される同社が言うところの「裏ソフト」の撲滅を目的に運用されたサードパーティーに対する管理指針が基盤となっている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "全盛期の任天堂のソフトメーカーに対する管理や締め付けは極めて厳しいもので、パソコンを含む家庭用ゲーム機でアダルトゲームの制作を行っているメーカーの参入や開発を一切認めず、ファミコンソフトに関与するにあたってはアダルト要素を含むゲームの制作をパソコンなどでも行わないことを条件にしていたといわれる。当時コンシューマーゲーム機での一般向けとパソコンでのアダルト作品の両方の販売を行っていたメーカーは少なからず、任天堂の規制・干渉の回避を目的に社内カンパニーの実態でも本体とは別にブランドや販社を立ち上げている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "後継機スーパーファミコンや携帯ゲーム機ゲームボーイシリーズなどではグラフィック表現が向上したことなどからいくつかの移植作も存在するが、任天堂の姿勢に大きな変化は無かった。『ゲーム批評』のような雑誌のインタビューなどからも、山内時代の任天堂経営陣はギャルゲーについて質の低い作品が多く家庭用ゲームソフト全体の質を大きく下げた元凶と見なしていたことが窺われ、実際、任天堂の家庭用ゲーム機向けの移植はあまり行われなかった。社長が岩田聡に交替した後は従来の方針を変えつつあるが、アダルト描写が不可であることは現在まで一貫している。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "NEC-HE(1987年(昭和62年)にPCエンジンでコンシューマゲーム業界に後発参入)は、過去の任天堂とはまったく逆のスタンス「ハードウェアが売れるならばソフトの内容は問わない」という姿勢を取っていた。そのため、当初はPCエンジンに倫理規定は設けられていてPlayStationでコンシューマゲーム市場の主導権を握ったSCEも「ソニーチェック」と俗称される表現に対する厳しい独自規制を敷くなど、サードパーティーの管理や表現規制については多かれ少なかれ任天堂に類似した手法と基準を用いていた。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "また、「原作のゲームと同一タイトルをつけることを認めない」というルールが制定され、著作権表示に元のブランド表記がない作品が多い。これにより『ONE 〜輝く季節へ〜』が移植されるとき『輝く季節へ』へと改題されている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "しかし性表現の制限は次第に寛容になっており、逆に積極的な利用をする例も見受けられるようになった。携帯ゲーム機であるPSP向けにUMDPGというPSP専用の規格を作っており一部のメーカーがこれに沿ったアダルトゲームを発売している。また、『サービスショットが満載!!悩殺系ゲーム特集』 のようにギャルゲーとアダルトゲームの区別がつけにくいソフトの広告も行うようになっている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "これらの規制によりアダルトゲームのギャルゲー化は作品の販路拡大・メディアミックスの手法として定着していく。だがこれは、単に家庭用ゲーム機に性的表現を盛り込むことをソフトメーカーが放棄したともいえ、年を追う毎にアダルトゲームとギャルゲーとの境界線はあいまいなものになっていった。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "各ソフトウェアメーカーの動きとしては、メインストリームがPlayStation 3に移行してPlayStation 2のシェアが大きく衰退していった時期でも、PlayStation 3用ソフトウェアの開発費の恒常的な高コスト体質などの問題からPlayStation 2のプラットフォームで制作・発売されるケースは多かったが、次第にPlayStation PortableやPlayStation 3やPlayStation Vita、マイクロソフトのXbox 360など時代に合ったプラットフォームへ移行していった。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "NECアベニューからドラゴンナイトシリーズ(II・III)・ドラゴンナイト&グラフィティやCALシリーズを発売している。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "また、次世代機であるPC-FXもアダルトゲームの制作が認められており「18禁X指定」枠で『同級生2』(1996年、NECアベニュー)、『Pia♥キャロットへようこそ!!』(1996年、カクテル・ソフト、PC-FX版は翌年自社発売)などが移植された。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "セガサターンでは『アイドル雀士スーチーパイSpecial』(1995年、ジャレコ)が発売されたが、「18歳以上推奨」で乳首の露出のみ不可とされたことにより、脱衣後の人体描写が不自然なものであったため『アイドル雀士スーチーパイRemix』(1995年、ジャレコ)は「18禁X指定」で発売されることとなった。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "『野々村病院の人々』(エルフ)が「18禁X指定」枠で移植されている。「18歳以上推奨」では『同級生if』や『下級生』が移植されている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "PlayStationについては上述の「ソニーチェック」によりアダルトゲームの移植自体は少なかった。ただし、原作の性的描写を抑えたりカットされる形、(『アイドル雀士スーチーパイ Limited』『アイドル雀士スーチーパイII Limited』のようにタイトルに「Limited」がつき、脱衣シーンを水着に差し替えている。)いわゆるギャルゲー化することで移植を果たした『同級生2』(1997年、バンプレスト)、『To Heart』(1999年、アクアプラス)のような実例は存在する。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "PlayStation 2の時代には、タイトルは過去に他のハードウェアに移植されていないタイトルでもサブタイトルが付いている程度(もともとサブタイトルがあるタイトルでもサブタイトル部分が変更されている)であり、原作者表記についてはブランド名でなく法人名やコンシューマゲーム機向けに用意された別のブランド名が表記されていたケースがあったが全般的なものではなく、PlayStation時代に比べれば緩和されている。中にはパッケージ裏に原作者のロゴが表示されているものも存在するほどである。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "だが、過去の規制の名残でPlayStationでもタイトルが完全に変わっている作品があるほか、形式上他機種からの移植といえる状況が発生しなくなった今日ではWindows版と同名で発売されるケースはない。PlayStation 3への移植は、アクアプラスから『WHITE ALBUM 綴られる冬の想い出』、GN Softwareから『涼風のメルト』が発売されている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "ギャルゲー化という手法を確立したことでアダルトゲームのコンシューマゲーム機への移植のハードルが下がると、今度は逆にコンシューマゲーム機で発売されたギャルゲーがWindows版に移植されるようにもなった。その中には単純にWindowsにエミュレートしただけの作品もあるが、中にはギャルゲーに性的描写を追加し、アダルトゲームとして発売した作品も存在する。このようなWindows版移植作品を指して、コンシューマゲーム機からアーケードゲームへの移植と同様に「逆移植」と呼ぶこともある。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "最初の事例は『6インチまいだーりん』(1998年、KID)が翌年にあいりゅによってアダルトゲームとしてWindowsに移植されたものと考えられるが、この作品の段階では原作自体の知名度の低さもあって一般化しなかった。その後もいくつかあったが、CEROの15歳以上対象のギャルゲーで発売された『ToHeart2』(2004年、アクアプラス)をアダルトゲーム化したWindows版の『To Heart2 XRATED』(2005年、Leaf)が発売されて以降広まっていく。ただし、このような作品の大半は事実上アダルトゲームメーカーが制作したギャルゲーを移し変えた物やシリーズ全体で見た最初の作品がアダルトゲームであり、Windows版への「逆移植」によるアダルト化移植は時間の問題、あるいはアダルトゲーム化を前提としていたなどの意見もある(Leafはアクアプラス内のブランド名)。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "また、コンシューマゲーム機版から移植する際、サーカスの『D.C.II 〜ダ・カーポII〜』のように、既にWindows版を所有している者に対するセールスポイントにするため、コンシューマゲーム機版で新規追加したキャラクターに性的描写を加えるといった作品もある。具体的には、Windows版『D.C.II 〜ダ・カーポII〜』にヒロインを追加して性的描写を削除した内容で、タイトルを『D.C.II P.S.(ダ・カーポII プラスシュチュエーション)』としてPlayStation 2に移植をし、この追加ヒロインにも新規に性的描写を加えて『D.C.II P.C.(ダ・カーポII プラスコミュニケーション)』としてWindowsに移植をしている。このようにゲーム内容の追加および性的描写の削除と追加を繰り返しながら、コンシューマゲーム機とWindowsの両プラットフォーム間を往復する事例も少なくない。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "その一方、アリスソフトのようにほとんどの作品で性的な要素がゲーム内の根幹部に関わっており、軽微な改変によるギャルゲー化やコンシューマゲーム機への移植はコンセプト的に不可能という作品を作り続けているメーカーもある。もとより強姦魔が主人公の陵辱系作品や、性行為以外やることの無いいわゆる「抜きゲー」では、非アダルトゲーム化は不可能である。また、成年向けということから、人種・部落差別、麻薬、人身売買などの時事をストーリーに取り入れた作品は少なくないが、これも倫理上問題があるとして不可能とされる。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "アダルトゲームのアニメ化自体は1990年代の初頭から細々と行われていたものの、アニメ化作品でヒット作といえるだけのセールスを記録した最初の作品は、原作ゲーム自体もやはり大ヒット作であった『同級生 夏の終わりに』(1994年、ピンクパイナップル)であった。このころは家庭用ゲームへの移植が当初はアダルト色を何とか残しつつ行われたのと同様、R指定(15禁)ないし18禁のアダルトアニメで、レンタルビデオ店向けのアダルトビデオの一種として製作され、後にOVAとして販売されていた。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "この流れが変わり始めたのは『エルフ版 下級生 〜あなただけを見つめて...〜』(1997年、ピンクパイナップル)で、性的描写が存在するR指定と、存在しない全年齢版の2種類が製作された。その後アダルトOVAとして製作された『同級生2』(1996年、ピンクパイナップル)が、1998年に性的描写の全カット・話数追加をして再編集の上、初めて地上波でテレビアニメとして放映された。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "初めから性的描写を除外した地上波向けアニメとして企画された端緒は、『同級生2』のテレビ放送と同時期にテレビ東京で放映された『Night Walker -真夜中の探偵-』である。その後、1999年に『To Heart』が放映されたが、これは原作をアクアプラス名義とする、すなわちPlayStation移植版のギャルゲー化された作品を直接の原作と位置づけていた。以降は、ギャルゲーとしてコンシューマゲーム機にも移植可能、あるいは移植されたストーリー重視型や、過激なシーンをカットし、シナリオを修正すればギャルゲーとしても成立可能なタイプの作品がテレビアニメ化されている。その多くは、独立局などで放映されるUHFアニメである。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "ローカル局以外では全国放送のWOWOWや、TBSのデジタル衛星放送BS-TBSがこの種のアニメの放映に比較的寛容である。例外的に在京キー局で放送された作品としては『Kanon』(2002年、東映アニメーション)がある。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "2002年に『Piaキャロットへようこそ!!3』(2001年、F&C)、2005年に『AIR』(2000年、Key) が劇場版アニメとして上映された。ともにアダルトゲームを直接の原作にしながらも性的描写はカットされ、これらもギャルゲーのアニメ化作品とおおむね同様の様式になっている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "2005年1月からボーイズラブ系(女性向け)のアダルトゲームからアニメ化された作品としては最初のものとなる、『好きなものは好きだからしょうがない!!』(2000年、プラチナれーべる)がUHFアニメして放映され、その後も数的には男性向けのアダルトゲームほどではないがメディアミックス展開やアニメ化が行われるようになっている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "このように2000年代に入ってからアダルトゲームを原作としてこれに非アダルト作品へと大幅なアレンジを施してのメディアミックス展開やテレビアニメ化が多数進められるようになった要因としては、「萌え」という要素がサブカルチャーの世界では極端にニッチなものではなくなってきたことに加え、青少年保護関連の法律や条例の整備が進み、法的拘束力のあるゾーニングが実現したことに伴い、アダルト表現を含まない形であれば少年・少女も対象とした商品展開も容易に行えるようになったことや、1999年に『To Heart』でPlayStation版とテレビアニメを連携させるメディアミックス手法が成功したため、これを雛形とすることでその後はアダルト版・コンシューマ機版のファン全般を販売戦略の主ターゲットとして位置づけた企画としてテレビ局にプレゼンを行うことが可能になったことなどが挙げられる。また、従来はサブカルチャーの王道としてテレビアニメの原作の中核を担ってきた週刊連載漫画やライトノベルの人気作品がより大作・長期化の傾向になったことで、これらよりも小規模で手頃なメディアミックス企画を立ち上げるのに好適な素材としてアダルトゲーム原作作品に着目した出版社・アニメ製作会社などのメディアミックス企業と、メディアの大容量化や複数ヒロインによるマルチシナリオ・マルチエンディング、他にも豪華な初回特典などが事実上必須になってトータルのパッケージが肥大化し、開発費・関連経費の増加傾向に歯止めが効かない現状で、経営を安定させるための収益チャンスや作品・ブランドの知名度やネームバリューの向上機会を模索するゲーム制作会社・流通会社と、双方の思惑と利益が一致したというところが大きな要因として存在する。また、上述したとおりメディアミックスには様々な業界が関連するため、メディアミックス企業が複数チャンネル同時展開の中核としてアニメ企画を立ち上げて原作ゲームとの二本柱の体制を構築し、他の各種グッズやコミカライズ展開などの中心軸として活用するパターンも多い。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "その一方で、性的描写・性行為を物語上のメインとしているため、家庭用ゲーム機への移植やテレビアニメ化が不可能な(または一般向けのメディアミックスが望めない)「抜きゲー」と呼ばれるジャンルの作品についても、アダルトアニメ化によるOVA展開は続けられており、レンタルビデオ向けなどを中心に一定規模の市場が構築されている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "実写のアダルトビデオ化されたものは、『夜勤病棟』(1999年、ミンク) や『対魔忍アサギ』(2005年、Lilith) などの例があるが、数は少ない。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "1990年代以降、多くのアダルトゲーム作品で、これを原作にした小説化作品が刊行されている。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "大半はジュブナイルポルノと呼ばれるジャンルに属する官能小説で、多くは新書判で刊行されている。その一方で、一部ではあるが性的要素を排除するなど大幅なアレンジを加えライトノベル化したものも存在し、このような作品は大半がライトノベルのレーベルから刊行されている。ジュブナイルポルノの場合、ゲームのシナリオライターと原画担当者がそのまま本文と挿絵を担当したり、ゲームの画像・素材が挿絵として流用されるケースが多い。対照的にライトノベルの場合、本文ではかなりの割合で、挿絵についてもある程度の割合で、出版社と繋がりのある別の若手・中堅作家が起用される。そのため、ライトノベル化作品では雰囲気が大きく変わることも珍しくない。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "なお、過去にはアリスソフトの『DARCROWS』のように、メーカー自身がノベライズ作品を自費出版の形で企画・制作し、自社のファンクラブ会員限定で通信販売したケースもある。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "一部作品ではコミカライズが行われることがあるものの、こちらについてはテレビアニメとのタイアップであったり、あるいはテレビアニメ化などの他のメディア展開を見据えたファン層の動向調査を兼ねるなど、大半が何らかの別のメディアミックス企画やその構想に深く関連しており、そのような性格を持つ企画となった場合、ほとんどのケースで性的要素を減らした形で雑誌掲載、単行本化されている。また、原画担当者にはイラストレーターとしての技術を持っていても、漫画作品の制作に必要なコマ割りやネーム作りの技術や、連載で必要な一定期間で所定枚数の原稿を仕上げるノウハウを持ち合わせていない者や、特に人気の人物の場合には原画・イラストの仕事だけでも多忙で漫画制作を行う時間的余裕が確保できない者も珍しくない。このような都合から、出版社側の人脈でコミカライズ担当の漫画家が起用されることが大半で、原作ゲームの原画担当者自身が漫画を作画することは稀である。", "title": "メディアミックス展開" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "なお、ノベライズやコミカライズにあたって出版社側が作家・漫画家を用意する場合、ゲームメーカーの意向として、ノベライズやコミカライズの担当者の個性・才能を期待して裁量を大きく与えたり、ゲーム側を『正伝』、出版作品側を『外伝』などと位置づけて、意図的に雰囲気を変えさせている場合がある。たとえば、『闘神都市』シリーズ(アリスソフト)のノベライズ作品として1999年に出版された『闘神都市 紅の記憶編』(ワニブックス)のように、ゲームソフトからは世界観と基本設定のみが流用され、キャラクターやストーリーは完全に小説オリジナルというものも存在する。", "title": "メディアミックス展開" } ]
アダルトゲーム または エロゲは、ハードコアな性的表現を好まない者や判断能力に劣る子供がプレーするには適さない『性的な表現』が含まれるコンピュータゲームのことである。 東京都青少年の健全な育成に関する条例においては、「電磁的記録媒体に記録されたプログラムを電子計算機等を用いて実行することにより、人に卑わいな行為を擬似的に体験させるもの」 がこれにあたるとされており、他の地方公共団体の「青少年保護育成条例」においても、ほぼ同様の定義がなされている。 特に断り書きがない限り、日本国内での事例について述べる。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruseslist|[[性的]]表現がある[[ゲーム]]|''[[成人向け]]の[[年齢制限]]があるゲーム([[暴力|暴力的]]・[[反社会的]]な表現があるため[[道徳|社会規範性]]を求めるゲーム)''の全般|成人向けゲーム|''過度な暴力表現がある成人向けゲーム''|残酷ゲーム}} {{複数の問題 | 出典の明記 = 2021年2月 | 独自研究 = 2011年10月29日 (土) 00:57 (UTC) }} {{性的}} {{Pathnavbox| * {{Pathnav|コンピュータゲーム|コンピュータゲームのレイティングシステム|成人向けゲーム}} * {{Pathnav|コンピュータゲーム|コンピュータゲームのジャンル|成人向けゲーム}} }} {{特殊文字|説明=「Pia(ハートマーク)キャロットへようこそ!!」の[[ハートマーク]]}} {{ウィキプロジェクトリンク|美少女ゲーム系|[[ファイル:Anime eye.svg|36px]]|break=yes}} '''アダルトゲーム''' または '''エロゲ'''{{Efn2|『エロゲーム』の略}}({{Lang-en-short|'''[[w:Eroge|Eroge]]'''}} または '''[[ポルノグラフィ|Porn]] game'''; [[和製英語]]: ''Adult game'')は、ハードコアな性的表現を好まない者や判断能力に劣る[[子供]]がプレーするには適さない『性的な表現』が含まれる[[コンピュータゲーム]]のことである。 [[東京都青少年の健全な育成に関する条例]]においては、「電磁的記録媒体に記録された[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]を電子計算機等を用いて実行することにより、人に卑わいな行為を擬似的に体験させるもの」<ref>[http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/08_jyourei/08_p2.pdf 東京都青少年の健全な育成に関する条例施行規則]</ref> がこれにあたるとされており、他の[[地方公共団体]]の「[[青少年保護育成条例]]」においても、ほぼ同様の定義がなされている。 特に断り書きがない限り、[[日本]]国内での事例について述べる。 == 概要 == [[コンピュータソフトウェア倫理機構]](以下「ソフ倫」と略す場合がある)による公式名称は「'''R18ゲーム'''」であるが<ref>{{Cite press release |和書 |author=コンピュータソフトウェア倫理機構|authorlink=コンピュータソフトウェア倫理機構|date=2009-09-18|url=http://www.sofurin.org/htm/topics/30.htm|title=【Press Release】公式名称「R18ゲーム」について|work=コンピュータソフトウェア倫理機構オフィシャルウエブサイト|language=[[日本語]]|accessdate=2010-03-10}}</ref>、俗に「'''エロゲ(ー)'''」「'''18禁ゲーム'''」と呼ばれる。[[1980年代]]の業界黎明期から「'''[[美少女ゲーム]]'''」という呼び方もある。ただし、特に[[パソコンゲーム]]において「美少女ゲーム」という表現を用いる場合には、主人公・主要キャラクターとして魅力的な美少女キャラクターが複数登場するが性的描写のシーンがないノンアダルト作品{{Efn2|古くは『[[夢幻戦士ヴァリス]]』([[1986年]]([[昭和]]61年)、[[日本テレネット (ゲーム会社)|日本テレネット]])や『[[第4のユニットシリーズ|第4のユニット]]』([[1987年]](昭和62年)、[[データウエスト]])などに遡ることができる。}} や性的描写を回避しつつも美少女の育成や[[恋愛]]要素が主眼である「[[ギャルゲー]]」{{Efn2|パソコンゲームの例では『[[卒業 〜Graduation〜]]』([[1992年]]、[[ジャパンホームビデオ]])『[[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]]』([[2004年]]、Key)など。}} をアダルトゲームとは別区分として指すこともあるほか、性的描写を含む「成人向けゲームソフト」についても女性プレイヤー向けに美形男性キャラクターの同性愛を描いた「[[ボーイズラブ|ボーイズラブゲーム]]」、女性視点で描かれる「18禁[[乙女ゲーム]]」、男性プレイヤー向けに少年愛を描いた「[[ショタゲー]]」、[[男性]][[同性愛者]]向けに[[ゲイ雑誌]]に通じる表現技法で[[同性愛]]を描いた「[[ゲイ向けゲーム]]」なども存在するため、「アダルトゲーム=美少女ゲーム」という構図は成り立たない。 かつてはアダルトゲームのほとんどは、ソフ倫などの審査機構が審査し、[[x86]]アーキテクチャ上で稼働する[[Windows]]をプラットフォームとした[[パーソナルコンピュータ]](以下「PC」もしくは「パソコン」と略す)向けの[[パソコンゲーム]]として発売されていたが、[[2010年代]]に入り、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]を搭載した[[スマートフォン]]や[[タブレット (コンピュータ)|タブレット端末]]などの[[携帯情報端末]]をプラットフォームとした製品([[スマホゲーム]])や、ブラウザ上で動作する[[ブラウザゲーム]]や、[[同人ゲーム]]が増え、審査機構が審査するアダルトゲームのタイトル数や売上の減少が続いていることもあり、[[2022年]]現在はそちらの方が主流となっている。 == 法律上の扱いとライセンス条件 == {{Law|section=1}} 販売に当たっては、メーカー間の[[表現の自主規制|自主規制]]や[[児童福祉法]]、[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律|風営法]]、各[[都道府県]]および市区町村の青少年保護育成条例や[[迷惑防止条例]]により、18歳未満の者や過激な性的表現を望まない者の目に触れることがないよう販売店における陳列の分離や販売時の年齢確認を徹底するよう通達がなされている。また、[[b:刑法第175条|刑法175条]]([[わいせつ物頒布罪]])による規制を受けて、性器描写には[[モザイク処理]]などがかけられる。この刑法175条については、現状にそぐわない不合理な規制であるから廃止すべきとの批判もあり<ref>{{Cite web|和書|author=小宮自由 |date=2016-05-19 |url=http://agora-web.jp/archives/2019243.html |title=わいせつ物頒布罪は廃止すべきである |publisher=[[アゴラ]] |accessdate=2019-09-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=[[志田陽子]] |date=2020-07-17 |url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/6780da94b0155399c2ffcfb55d66600d25e2ee7b |title=ろくでなし子裁判・最高裁判決は何を裁いたのか ――刑事罰は真に必要なことに絞るべき |publisher=[[Yahoo!ニュース]] |accessdate=2023-03-20}} </ref>、[[参議院議員]]の[[山田太郎 (参議院議員)|山田太郎]]が刑法175条の見直しを提唱している<ref>{{Cite web|和書| url = https://taroyamada.jp/cat-digital/post-2576/| title = 特集「山田太郎の5つのプロジェクト始動」| publisher = 参議院議員 山田太郎 オフィシャル Web サイト| accessdate = 2020-12-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://originalnews.nico/23592/3 |title=「必要な議論を飛ばして表現規制で全ての問題を解決しようとしている」"青少年健全育成基本法"の議論が抱える、そもそもの問題点とは【山田太郎と考える「表現規制問題」第5回】 |website=[[ニコニコニュース]] |publisher=[[ドワンゴ]] |date=2017-06-08 |accessdate=2023-03-20}}</ref>。 == 特徴 == ゲームジャンルは、ソフ倫審査のものでは[[アドベンチャーゲーム]]とその亜種である[[ビジュアルノベル]]が圧倒的多数を占める{{Efn2|2002年(平成14年)度現在でアドベンチャーゲームが約80パーセントを占めている<ref>{{Cite journal|和書|author=大塚雄二|year=2003|month=7|title=国内エロゲー叙事|journal=ゲーム批評|volume=10|issue=7|pages=32-33|publisher=マイクロデザイン|location=東京}}</ref>。}}<ref>{{Cite web|和書|title=Getchu.com:18禁商品 |url=https://www.getchu.com/all/genre.html?pageID=&sub_genre_id=308 |website=www.getchu.com |access-date=2023-08-30}}</ref>のに対し、現在主流となっているスマホ向けやブラウザゲームや同人ゲームは[[ロールプレイングゲーム|RPG]]が中心ではあるものの、[[シミュレーションゲーム]]や[[シミュレーションRPG]]や[[アクションゲーム]]などもあり、ジャンルが多岐にわたっている。 ゲーム内のイベント画面やキャラクターの立ち姿のグラフィックについては、日本では[[漫画]]・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]調の平面的な[[2次元コンピュータグラフィックス|2Dグラフィックス]]による静止画像がそのほとんどを占めており、[[3次元コンピュータグラフィックス|3Dグラフィックス]]を用いた作品<ref>{{Cite web|和書|title=Getchu.com:18禁商品 |url=https://www.getchu.com/php/attestation.html?aurl=http://www.getchu.com/all/genre.html?pageID=&sub_genre_id=320 |website=www.getchu.com |access-date=2023-08-30}}</ref>は存在するが少数派である。海外のアダルトソフトでは一般的な[[ポルノ女優]]による[[ヌード]]実写映像の作品は少ない。 受動的に鑑賞する[[アダルトビデオ]]や[[ヌード写真]]とは異なり、初期はキーボードからのコマンド入力、現在では主に[[マウス (コンピュータ)|マウス]]操作による登場人物の行動選択という形でのインタラクティヴな体裁を取り<ref>{{Cite book|和書|author=柘植光彦|authorlink=柘植光彦|coauthors=長谷川寿一、田崎秀明、萩原弘子、山岸和夫|editor=大庭健、鐘ヶ江晴彦、長谷川真理子、山崎カヲル、山崎勉|title=表現|edition=初版|date=1997-10-14|publisher=専修大学出版局|location=東京|series=シリーズ【性を問う】|language=日本語|isbn=4-88125-094-9|pages=231-235|chapter=メディアと「性」 - 「身体」の消失}}</ref>、現実の代替物ではなく独立したリアリティであり「[[萌え]]」「感動」「[[ノスタルジー]]」などとコミになった性的満足として存在している<ref name="ゲーム批評">{{Cite journal|和書|author=風野春樹|year=2003|month=7|title=エロゲーはどのような影響を人に与えるのか|journal=ゲーム批評|volume=10|issue=7|pages=26-27|publisher=マイクロデザイン|location=東京}}</ref>。このことは、日本では特有の発展を遂げた漫画・アニメなどの[[サブカルチャー]]と結びつかせる要因となり、また、ゲームソフト卸や一部のゲーム会社により自社の傘下に入ることを条件に制作チーム(ブランド)に開発資金を供給するシステムが広く確立されるとともに、資金や知名度の乏しい[[クリエイター]]やその集団が創作を行なう場として定着し、「成人向け作品として必要量の裸と"場面"を出しておけば、後は予算と納期と倫理基準の範囲内でクリエイターに裁量が与えられ、自由に表現を追求し創作意欲を満たせる」という、かつて斜陽の一途を辿る[[映画]]業界にあって機会に恵まれない多くの若手映画人が手腕を奮った[[日活ロマンポルノ]]の[[成人映画]]と類似した制作システムの構造を成立させるに至り、日本の[[オタク文化|おたく文化]]の一翼を形成した。また人材発掘についても同様で、今日ではゲーム業界のみならずアニメ・漫画・[[小説]]などいわゆる[[メディアミックス]]関連業界全般への人材・コンテンツの主要な供給源の1つとしても機能しており、これら業界ではアダルトゲームからプロのクリエイターとしてのキャリアをスタートさせた人物や、あるいはクリエイターとして著名になる課程でアダルトゲーム業界に関与した経験を持つ人物はさして珍しいものではなくなっている。{{Main|#開発スタッフの転業・他ジャンル進出|#メディアミックス展開}} アダルトゲームの場合、「[[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム]]」とも呼ばれる家庭用ゲーム機では発生するハードウェアメーカーへの[[ライセンス]]権使用料や特定ハードウェア向けの専用ワークステーション・開発キットの導入や[[リース]]にかかる高額なコストがなく、遥かに廉価で一般的な仕様のパソコンおよび汎用[[ソフトウェア開発キット]]・周辺機器があれば作業の大半が可能であり、プレイヤーの使用しているパソコンと大差がない仕様で開発を行っているメーカーも多い。開発環境へ導入するLANやファイルサーバも比較的小規模なもので必要充分であり、3Dグラフィックスや[[トゥーンレンダリング]]を本格導入するものでもなければ高性能なワークステーションを導入する必要もない。これらのことから、コンシューマゲーム機と比較すればアダルトゲームは小資本での制作が可能である。{{Main|#開発環境|#制作・販売・組織}} コンシューマゲーム機と比較した場合にはハードウェアメーカーによる作品内容・シナリオや販売計画への企画・開発段階でのチェックや干渉がなく、販売対象を18歳以上に限定していることから、性的描写以外の部分においても[[表現の自由]]度が大きいこともアダルトゲームを特徴付けている重要な要素である。たとえば古典的な[[恋愛小説]]・[[純文学]]の様式表現を追求したい作品や、同様に若年層には理解し難い[[ラブコメ]]・[[懐古趣味]]・愛憎劇や過激な[[パロディ]]要素や[[社会風刺]]を内含している作品、一般的なバトルシーンとは違う過激な暴力要素などでは、あえて登場人物の性描写を含めてパソコン向けのアダルトゲームのフォーマットで制作されることが多く、このような方向性を特に重視した作品の中にはヒロインの性的描写のシーンはゲームの本質に影響を及ぼさないサービスシーンという割り切った作りのものも見られる。これについては、 * 作品の性質上、18歳未満をターゲットに含める必要がない。 * 男と女、若者の人間模様や恋模様を描く作品の場合でも、コンシューマ機では根本的に性行為を想起させる要素は含ませられない{{Efn2|異性間のキス表現や、「登場人物に子供ができる」というストーリー展開や「生まれた子供によって次代に物語が受け継がれていく」という子孫継続などの概念程度までは許容されるが、恋人同士が同衾するといった性行為を"匂わせる"表現や、一定水準を超える同性愛表現などには厳しい規制が入ってしまう。かつての一部ハードウェアでは[[パンチラ]]描写すら一切不可能であった。}}。 * 性的表現以外の面でも、コンシューマゲーム機ではライセンス権やゲームソフト流通を掌握管理するハードウェアメーカーがかつては独自基準、現在でも[[コンピュータエンターテインメントレーティング機構|CERO]]準拠とはいえ独自のチェック項目を数多く設定しており、パロディなどに対してのチェックが非常に厳しく、ハードウェアメーカー側の「要望」という形での内容や表現への干渉・横槍も少なくない。 * 概してコンシューマゲーム機における表現の制限については運用が硬直的で、作品やシナリオの持つ文芸的要素・芸術的要素などを考慮した緩和も基本的にない。 * 18禁ということで、猟奇的、残酷的表現もコンシューマよりも過激な物も描ける。 このようなことが要因として挙げられ、いくら資金・人材・技術の面で制作が可能であってもコンシューマ機では現実にはソフトを流通させられず販売不可能な一方で、ハードウェアメーカーによる干渉がなく後述するような制作システムが構築されビジュアルノベルとその[[ゲームエンジン]]が普及・発展しているアダルトゲームならば制作・販売が容易でプレイヤーからも受容されやすいことなどが大きな要因になっている。ただし、アダルトゲームであっても、ソフ倫や[[日本コンテンツ審査センター]]などの審査機構が審査するアダルトゲームについては一定の基準での審査が存在し、基準を満たさない作品は発売できない。それに対し、スマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームなどでは審査機構による審査を受ける義務がなく、審査があるとしても販売[[ウェブサイト|サイト]]による審査のみなので、さらに制作の自由度が高いとされる。 == 歴史 == アダルトゲームの、歴史に関する部分を解説する。 === 創生期(1980年代) === 最も古い日本製アダルトゲームは、[[シャープ]]の[[MZ-80#MZ-80K|MZ-80K]]・[[MZ-700]]向けに<ref name="chronicle">{{Cite|和書|author=前田尋之|date=2016-08-08|chapter=野球拳|title=ぼくたちの美少女ゲーム クロニクル|publisher=オークス|isbn=978-4-7990-0809-6|edition=第二刷|page=6}}</ref>[[ハドソン]]が[[1981年]]に発売した『[[野球拳 (ハドソンのゲーム)|野球拳]]』とされている{{R|chronicle}}<ref name="gairon">{{Cite|和書|author=宮本直毅|date=2017-05-15|chapter=ハドソンの『野球拳』|title=エロゲー文化研究概論 増補改訂版|publisher=総合科学出版|isbn=978-4-88181-859-6|edition=第1版第1刷|pages=18-19}}</ref>。登場人物は[[キャラクタ (コンピュータ)|キャラクターグラフィック]]で描かれていた{{R|chronicle|gairon}}。 1981年には、テキストベースのアダルトゲーム[[ソフトポルノ・アドベンチャー]]が[[シエラエンターテインメント]]よりリリースされた。[[1982年]]には、[[:en:Mystique (company)|Mystique]]が[[:en:Beat 'Em & Eat 'Em|Beat 'Em & Eat 'Em]], [[カスターズ・リベンジ]], [[:en:Bachelor Party (video game)|Bachelor Party]]をリリースした。[[1983年]]には[[:en:X-Man (video game)|X-Man]]、Swinging SinglesやStrip Poker: A Sizzling Game of Chanceがリリースされた。<!--続いて[[:en:Vixen (video game)|Vixen]] (1986), [[:en:Leisure Suit Larry in the Land of the Lounge Lizards]] (1987), [[:en:Leisure Suit Larry Goes Looking for Love (in Several Wrong Places)]] (1988), [[:en:Leisure Suit Larry III: Passionate Patti in Pursuit of the Pulsating Pectorals]] (1989) など。--> 1982年(昭和57年)から1983年にかけて、パソコンショップを経営していた[[コーエー|光栄マイコンシステム]]、[[九十九電機]]、[[パソコンショップ高知|PSK]]、[[CSK (企業)|CSK]]などがアダルトゲームの制作・販売をしていた([[ストロベリーポルノシリーズ]]など)。[[エニックス]]{{Efn2|主なアダルトゲーム作品に[[ロリータ・シンドローム (ゲーム)|ロリータ・シンドローム]](1983)など。}}や[[日本ファルコム]]{{Efn2|「女子大生プライベート」というパズルゲームをリリースしていた。}} など、後にコンシューマーゲームで名をはせるソフトメーカーから、[[ポニーキャニオン|ポニカ]]など映像・音楽ソフトメーカーもアダルトゲームの制作・販売に参入し、より性的な内容に特化したソフトウェアの開発が進み、1983年には10本以上のアダルトゲームが発売された。[[アリスソフト|チャンピオンソフト]]から初のアダルトゲーム『アタックひろ子ちゃん』が発売されたのもこの年である。[[1985年]](昭和60年)、現在のアダルトゲームの元祖といわれる『[[天使たちの午後]]』([[ジャスト (ブランド)|ジャスト]])が登場し、アダルトゲームにキャラクター性とストーリー性を盛り込むという形式の原型が生まれた<ref>{{Cite book|和書|title=美少女ゲームマニアックス3|edition=初版|date=2002-10-10|publisher=キルタイムコミュニケーション|location=東京|language=日本語|isbn=4-86032-031-X|pages=73|chapter=美少女ゲームの元祖 ジャスト}}</ref>。 同時代にこの他に[[脱衣麻雀]]に代表される「コンピューター版[[野球拳#メディアにおける野球拳|野球拳]]」などのゲームもあり、ゲームの内容とは無関係に性的画像を表示させ、その一点のみをもってアダルトゲームに分類されていた製品もみられる。このジャンルでは1983年(昭和58年)の『ジャンゴウナイト』([[日本物産]])が、[[アーケードゲーム]]初の脱衣麻雀として登場し、「脱衣もの」というジャンルが確立された<ref>さよなら[[ファミ通|ファミコン通信]] ニチブツ社長インタビュー 1992年[[11月6日]]号より、社長の鳥井末治による証言{{要ページ番号|date=2016-05-11}}</ref>。 この時代、一般社会においてアダルトゲームは特殊な再生媒体によるポルノ作品として認識され、その存在は「ほぼ無視ないし無名」という状態であった。このため業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在せず、各企業の裁量に任されていた<ref>{{Cite book|author=高月靖|title=ロリコン 日本の少女嗜好者たちとその世界|edition=初版|date=2009-10-26|publisher=バジリコ|location=東京|language=日本語|isbn=978-4-86238-151-4|pages=169-174|chapter=オタク}}</ref>。[[1986年]](昭和61年)に、[[刑法 (日本)|刑法]]177条の[[強姦罪]]からタイトルを取った『[[177 (ゲーム)|177]]』([[デービーソフト|マカダミアソフト]])が、[[草川昭三]]により[[国会]]で取り上げられて<ref name="kusakawa">{{Cite web|和書|author=衆議院|authorlink衆議院|date=1986-10-21|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=110704103X00119861021|title=第107回国会 決算委員会 第1号|work=衆議院会議録情報|publisher=衆議院|language=日本語|accessdate=2010-03-10|quote=「177」というタイトルのゲーム、ここはもう後で警察庁にお伺いしますが、これは非常に警察庁がばかにされていると思うのです。「刑法177条の強姦罪をもじってつけただけあって、そのものズバリの強姦ゲームだ。家路を急ぐ女性との追いかけっこで始まり、女性の服をすべてはぎとって押し倒せば、次はお待ちかねの、あのシーン。ここで一生懸命、腰を動かして、彼女を」云々、こういうことになるわけですが、そうすると「和姦成立という次第だ。さて、どこまで、男性の欲望を満たしてくれますか?」というようなことを、実は小学校、中学校の生徒が読みながら打ち込むわけですよ。}}</ref> 次第にアダルトゲームは問題視され、[[1988年]](昭和63年)の[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]や、それに端を発した[[有害コミック騒動]]によりポルノ業界へ批判が増した。 === 1990年代前半 === 1988年から[[1991年]]ごろに、[[PC-9800シリーズ|PC-98シリーズ]]が日本国内で販売されているPCハードウェアのシェアで圧倒的となり、16ビットパソコンの技術がある種の集大成を迎えた。1986年(昭和61年)発売のPC-9801VM21以降はグラフィック、効果音、記憶媒体の性能がそれ以前に比べ向上したうえ、事実上のOS統一などによる移植性の向上、スキャナ、グラフィックソフトなど製作に関する機器の値下がりなどにより、作り手側にとってゲームが製作しやすい環境となった。デジタル的であった色合いもアニメ的な色合いが出しやすくなった。 そのためか製作本数が以前より増え<ref>{{Cite web |title=1990年代のPC美少女ゲーム業界と“沙織事件”。成人ゲームと“ソフ倫”の誕生【テレビアニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』連動企画 第2回】 {{!}} ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com |url=https://www.famitsu.com/news/202310/15320304.html |website=ファミ通.com |date=2023-10-15 |access-date=2023-10-16 |language=ja}}</ref>、多種多様なアダルトゲームが販売されるが{{Efn2|中には日本で規制がないことを逆手にとり、当時アメリカ合衆国の成人指定基準であった「X指定」をタイトルにした『[[ドラゴンシティX指定]]』(1991年、[[フェアリーテール (ブランド)|フェアリーテール]])のように「外国では発売が規制されるほどエロいんです」という挑発的な作品も存在していた。}}、その内の一つを男子中学生が万引きした事件を切っ掛けに1991年に制作企業の社長がわいせつ図画販売目的所持で逮捕される事件([[沙織事件]])が起き、社会問題化する。こうしたことから、業界による自主規制団体が立ち上げられることとなり、翌1992年にコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された<ref>{{Cite web|和書|title=ゲーム年表(年別) {{!}} Moepedia(モエペディア・萌えペディア) 美少女ゲームカレンダー |url=https://moepedia.net/timeline/1992/ |website=ゲーム年表(年別) {{!}} Moepedia(モエペディア・萌えペディア) 美少女ゲームカレンダー |access-date=2023-05-05 |language=ja}}</ref>。 この中で頭角を現したのが[[エルフ (ブランド)|エルフ]]で、1992年[[12月]]にリリースされた『[[同級生 (ゲーム)|同級生]]』は10万本を越えるベストセラーとなった<ref>{{Cite web|和書|date=2008-05-22|url=http://www.dmm.co.jp/digital/pcgame/elf/dokyusei_html/=/ch_navi=/|title=同級生オリジナル版|work=DMM.ADLUT|publisher=株式会社デジタルメディアマート|accessdate=2010-03-13|quote=当時、パソコンゲームとしては異例の10万本を越えるメガヒットを記録した}}</ref>。この作品は当初シミュレーションゲームの要素を取り入れたナンパゲームとして企画されていたが、各ヒロインに個性を与え、Hシーンに至るまでの恋愛[[ドラマ]]を盛り込んだ結果、それまでのアダルトゲームのイメージを覆す[[恋愛ゲーム]]として評価された。 そして『同級生』のドラマ性を参考にして開発された非アダルトの美少女ゲーム『[[ときめきメモリアル]]』([[1994年]]、[[コナミ]])が家庭用ゲーム機市場にて大ヒットしたことにより、コンピュータゲームにおいて美少女ゲームが次第に市場に認知され、その中でアダルトなシーンまで踏み込むものとしてアダルトゲームが知られるようになる。 === 1990年代中ごろ === この時期は、ハードウェア的にはPC-9800シリーズから[[PC/AT互換機]]へ、ソフトウェア的にも[[キャラクタユーザインタフェース|CUI]]のDOS系OSから[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]のWindowsへの移行期であった。このころのアダルトゲームは「どうゲームとして面白くするか」が試行錯誤された時期であった。その中で、プレイヤーの選択によって異なる物語と結末が訪れるマルチシナリオ・マルチエンディング形式のゲーム『[[弟切草 (ゲーム)|弟切草]]』(1992年、[[チュンソフト]])が[[スーパーファミコン]]で発売されヒットする。この作品のシステムはアダルトゲームにも大きな影響を及ぼした。アダルトゲームでマルチシナリオを確立させたのは『[[河原崎家の一族]]』([[1993年]]、[[シルキーズ]])で、その後『[[DESIRE (ゲーム)|DESIRE 〜背徳の螺旋〜]]』(1994年、[[シーズウェア]])、『[[EVE burst error]]』([[1995年]]、シーズウェア)へと発展してゆく。 [[1990年代]]半ばには、エルフとアリスソフトの2社を中心とした開発競争が繰り広げられ、「西のアリスソフト、東のエルフ」<ref>{{Cite book|和書|title=美少女ゲームマニアックス3|edition=初版|date=2002-10-10|publisher=キルタイムコミュニケーション|location=東京|language=日本語|isbn=4-86032-031-X|pages=70|chapter=独特のノリは今も変わらず アリスソフト}}</ref> と呼ばれるようになった。この競争の過程で、ファンタジーアドベンチャーとウォーシミュレーションを融合させた『[[ドラゴンナイト4]]』(1994年、エルフ)、本格的ダンジョンRPGの『[[闘神都市]]II』(1994年、アリスソフト)、迷宮脱出推理アドベンチャーの『[[遺作 (ゲーム)|遺作]]』(1995年、エルフ)、マルチシナリオの『[[夢幻泡影]]』(1995年、アリスソフト)、『[[この世の果てで恋を唄う少女YU-NO]]』([[1996年]]、エルフ)、[[地域制圧型シミュレーション]]の『[[鬼畜王ランス]]』(1996年、アリスソフト)<ref name="denfami20190801-1">{{Cite web|和書|title=【ゲームの企画書】エロゲー業界の重鎮アリスソフトのTADA氏が駆け抜けた現場30年。[[平成]]に始まり平成に終わった『Rance』シリーズを完結させた「作り続ける人」が向かう先(1ページ目)|url=https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/190801a|website=電ファミニコゲーマー|date=2019-08-01|accessdate=2019-08-04|author=今俊郎,黛宏和}}</ref> など、多様なジャンル・形式のアダルトゲームが登場した。 このように多様化したジャンルの中で発展を遂げていったのは、より恋愛物語色を強めた『同級生』の後継作『[[同級生2]]』(1994年)で、以降のアダルトゲームはセックス描写を含む恋愛物語要素やシナリオを重視した、選択肢と[[イラスト]]が付いた読み物とでも言うようなトレンドに傾いていく。 『[[SM調教師瞳]]』(スーパーファミコン向け)や『しあわせうさぎ』([[PCエンジン]]向け)など、家庭用ゲーム機対応の「裏ソフト」と呼ばれる物が発売されたのもこのころである。 === 1990年代後半 === 技術面では、技術開発や記録媒体の大容量化によってパソコンの画像・音楽表現能力が著しく向上したうえ、1995年の[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]シリーズのヒット、パソコンの低価格化によってパソコンユーザーが増加した。一方で[[1999年]]に成立した『[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律]]』によりアダルト・ポルノ業界に対する規制が強化され、対応が迫られるようになる。 1996年、[[Leaf]]は『弟切草』を参考にビジュアルノベル第一作 『[[雫 (アダルトゲーム)|雫]]』を制作、続いて同じコンセプトの『[[痕]]』を同年発売すると、[[インターネット]]が普及していない時代であったが[[パソコン通信]]や[[口コミ]]で評判が広まりヒットし、ストーリー重視の流れがアダルトゲーム業界に定着した。翌[[1997年]]に発売された『[[To Heart]]』は、日常が舞台の恋愛ゲームとしてアダルトゲームの枠を飛び越え、家庭用ゲーム機への移植・[[テレビアニメ]]化・漫画化などのメディアミックスが図られた。プレイヤーの好みのキャラクターを用意するため、幼馴染・活発・無口・外国人などの定型的なキャラクター作りの先駆けでもある。 Leafとは別の方向でストーリー重視を打ち出して成功したのが『[[ONE 〜輝く季節へ〜]]』([[1998年]]、[[Tactics (ブランド)|Tactics]])で、ラブストーリーに感動できる要素と泣ける要素を盛り込み、それを音楽によって高める演出の秀逸さで人気を集めた。この向きは、のちに同作の製作スタッフの一部が[[ビジュアルアーツ]]に移り旗揚げした新ブランド[[Key (ゲームブランド)|Key]]の第1作『[[Kanon (ゲーム)|Kanon]]』(1999年)、第二作『[[AIR (ゲーム)|AIR]]』([[2000年]])が立て続けに大ヒットしたことにより、「[[泣きゲー]]」というカテゴリを確立するに至った<ref>{{Cite book|和書|author=本田透|authorlink=本田透|year=2005|title=萌える男|edition=初版|publisher=筑摩書房|series=ちくま新書|pages=91-92|isbn=4-480-06271-8|chapter=萌えの心理的機能}}</ref>。 === 2000年代 === [[2002年]]をピークにアダルトゲーム市場は衰退し、その関連のアダルトゲーム雑誌も同じく衰退している。[[同人誌即売会|同人イベント]][[コミックマーケット]]において、2000年冬に登場したオリジナル同人アダルトゲーム『[[月姫 (ゲーム)|月姫]]』([[TYPE-MOON]])が10万本以上の大ヒットとなり、同人原作作品ながらも事実上の商業化とメディアミックス展開を果たし、業界に大きな影響を与えた。 ソフ倫の規制強化を逆手に取るように、[[義妹]]・[[幼馴染]]・[[いとこ]](主に従兄妹)をメインヒロインに据えた作品で多くの話題作が出た。その中で『[[みずいろ]]』([[2001年]]、[[ねこねこソフト]])、『[[D.C. 〜ダ・カーポ〜]]』(2002年、[[CIRCUS (ブランド)|CIRCUS]])が相次いでヒットした。 一方老舗のメーカーでエルフは鬼畜・凌辱物の『[[臭作]]』(1998年)・『[[鬼作]]』(2001年)といった純愛以外の作品や、[[ライトノベル]]作家[[あかほりさとる]]原作で、萌え重視・メディアミックス重視の『[[らいむいろ戦奇譚 〜明治日本、乙女 防人ス。〜]]』(2002年)を送り出す。もう一方の雄、アリスソフトはあくまでエロさとゲーム性を重視した作風の『[[大悪司]]』(2001年)、『[[Rance#Rance VI -ゼス崩壊-|ランスVI-ゼス崩壊-]]』(2004年)といった作品や、[[希望小売価格]]が2800円の『[[妻みぐい]]』(2002年)で低価格路線を打ち出して新たな流れに対抗した。また[[2003年]]には女性プレーヤーを対象にした『[[星の王女]]』([[美蕾]])が発売された。 高速インターネット回線の普及により[[ダウンロード販売]]が急速に拡大し、2004年には2万本であった販売数が翌[[2005年]]には17万本と急増した<ref name="子どもを守る研究会">{{Cite web|和書|author=コンピュータソフトウェア倫理機構|authorlink=コンピュータソフトウェア倫理機構|date=2006-10|url=https://web.archive.org/web/20190303160030/http://www.npa.go.jp/safetylife/syonen29/6-siryou4.pdf|title=美少女ゲーム(成人向けPCゲームソフト)業界の概要|format=PDF|work=バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会|publisher=警察庁|language=日本語|accessdate=2010-03-13}}</ref>。その一方で、インターネットの大容量化は違法ダウンロードによる被害の拡大や、(2010年代に続く)[[動画共有サイト]]や[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]の出現によるコンテンツの多様化をもたらし、アダルトゲーム市場の縮小を招く一因にもなった。 {{See also|ダウンロードゲーム#アダルトゲームにおける展開}} === 2010年代前半 === 2010年代になるとWindowsPCだけではなく[[Mac (コンピュータ)|Mac]]やスマートフォンにも対応している課金制18禁ブラウザゲーム{{Efn2|例えば『Lord of Walkure 〜X指定〜』。}} や18禁Androidアプリが登場し{{Efn2|例えば『にじぽけ』<ref>[http://www.dmm.co.jp/dc/doujin/guide/nijipoke/ 専用アプリ ダウンロードガイド- DMM同人 - DMM.R18]</ref> など。}}、それらに対応したゲームプラットフォーム『[[DMM.com|DMM]].R18 オンラインゲーム(現・『[[FANZA]] GAMES:オンライゲーム』)』『にじよめ(現・『[[DLsite]]にじGAME』)』『[[TSUTAYA]] オンラインゲーム R18』などが次々と開始された。 一方、既存のWindows向けアダルトゲームは、[[萌えアニメ]]やライトノベルや萌え[[ソーシャルゲーム]]や[[ニコニコ動画]]や[[YouTube]]に代表される動画共有サイトで流行しているオタク向けコンテンツ<ref name="a01" group="注">一昔前ならボーカロイドや東方Projectやアイマス、今なら[[VTuber]]など</ref>やダウンロード販売がさらに普及した低価格な同人ゲームなどに押され、[[秋葉原電気外祭り]]を開催するなど、振興策をとってはいるものの、依然として衰退傾向が続いている<ref>{{Cite web|和書|date=2013-02-24|url=http://biz-journal.jp/2013/02/300.html|title=「タニマチ商法に頼らざるを得ない」――ゲームプロデューサーnbkzが実情を吐露 平均年収は300万円以下?! 衰退化が止まらない美少女ゲーム業界の現状|work=ビジネスジャーナル|accessdate=2013-02-24}}</ref>。 若いユーザーは高価格{{Efn2|価格は特典のために予約すれば8000円台が相場となり、特典については多いソフトでショップごとに違う特典が10種類以上あり、グッズについてもイベント頒布用の数千円程度のグッズや画集に加え1万円強の[[抱き枕]]カバーが多いソフトで全キャラ分ある。昔はグッズの価格は安かったが、キャラがプリントされた[[カーテン]]のような2万円を超えるグッズも発売されており、グッズの価格がゲーム本体の価格を大きく超えるという本末転倒な状況が生まれている。}} なアダルトゲームを避けている傾向にあり、また、既存のWindows向けアダルトゲームの中心層が1990年代後半から[[2000年代]]前半のアダルトゲームブームのころの人たちで構成されていることもあり、アダルトゲームユーザーの年齢層は他のオタク産業と比較して高くなっていると言われている{{要出典|date=2022年8月}}。そのような状況から、アダルトゲームから脱却し、一般向けへのシフトを模索するメーカーもある。<ref>例としてKeyは2010年の『[[クドわふたー]]』を最後に、完全新作アダルトゲームを発売していない。</ref> そのような中、かつてはアダルトゲームのトップブランドであったLeafを有する[[アクアプラス]]が[[2013年]][[10月]]に[[ユメノソラホールディングス]]([[とらのあな]])に買収され、2013年冬を最後にコミックマーケットのジャンルコードから『Leaf & Key』が消滅し、2013年秋を最後にアダルトゲームのイベントである[[DreamParty]]が開催中止になるなど<ref>[http://www.new-akiba.com/news/130673 character1の影響などで「DreamParty東京2014春」が開催中止に]</ref>{{Efn2|開催中止の原因は入場料無料の[[character1]]の開催の影響もある}}、市場規模や売上の減少と共に、1990年代後半から2000年代前半にかけてトップレベルであったオタク業界内での影響力も相対的に小さくなりつつある{{要出典|date=2016年6月}}。 === 2010年代後半〜現在 === <!-- 2002年度をピークに販売本数やタイトル数の減少が続いている既存のWindows向けアダルトゲームは10年以上経っても減少が下げ止まらず、2000年代前半〜半ばころは月平均50〜60タイトルあった新作タイトル数が、2010年代後半には月平均20〜30タイトルまで減少している。 --> 2002年度をピーク<ref>{{Cite web|url=http://www.sofurin.org/htm/about/results.htm|title=審査実績|work=[[コンピュータソフトウェア倫理機構]]|accessdate=2022-08-12}}</ref>に販売本数やタイトル数の減少が続いている既存のWindows向けアダルトゲームのパッケージは10年以上経っても減少が下げ止まらず<ref>{{Cite web|和書|title=---Shareでゲーム等をアップロードした男性を送致(宮城県)---  EOCS/コンピュータソフトウェア倫理機構オフィシャルウェブサイト |url=http://www.sofurin.org/htm/topics/156.htm |website=www.sofurin.org |access-date=2023-08-30}}</ref>、新作タイトル数が減少している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.getchu.com/all/month_title.html?genre=pc_soft&gage=all&year=2000&month=01|title=月別発売タイトル一覧・ゲーム (2000年01月)|work=[[げっちゅ屋]]|accessdate=2022-08-12}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.getchu.com/all/month_title.html?genre=pc_soft&gage=all&year=2000&month=01|title=月別発売タイトル一覧・ゲーム (2003年01月)|work=[[げっちゅ屋]]|accessdate=2022-08-12}}</ref><ref name=":getchu">{{Cite web|和書|url=http://www.getchu.com/all/month_title.html|title=月別発売タイトル一覧・ゲーム|work=[[げっちゅ屋]]|accessdate=2022-08-12}}</ref>。特にフルプライス作品<ref name="a02" group="注">かねがね[[希望小売価格]]が7000円以上のタイトルのこと</ref>のタイトル数減少が著しく、月平均5〜10タイトル程度しか発売されない事態となっている{{R|:getchu}}。2023年8月のフルプライスは『ハーレム×楽園 - Harem × Shangri-La -』1タイトルのみである<ref>{{Cite web|和書|title=【発売予定カレンダー】“夏枯れ”状態の“月末エロゲの日”だが…1週間後には話題沸騰中の3D美少女ゲームがリリース!! 8月の新作発売予定カレンダー最新情報 |url=https://www.bugbug.news/b_game/129387/ |website=www.bugbug.news |access-date=2023-08-30}}</ref>。それに伴い、エルフや[[minori]]や[[feng]]や[[すたじお緑茶]]など、大手・中堅の撤退・解散・倒産が相次ぎ、新作が長年に渡って発売されず、公式サイトも長期未更新状態になっている実質休眠状態のブランドも年々増加する結果となっている。それと入れ替わるようにして、FANZA GAMES(旧DMM GAMES.R18)の『[[千年戦争アイギス|千年戦争アイギスR]]』(2013年)・『[[神姫PROJECT|神姫PROJECT R]]』([[2016年]])・『[[アイ・アム・マジカミ|アイ・アム・マジカミDX]]』([[2019年]])のようなブラウザゲームやスマホゲーム、さらには『[[Teaching Feeling -傷肌少女との生活-]]』(旧題『奴隷との生活』。[[2015年]]、FreakilyCharming)などのヒット作が相次いでいる同人ゲームが大きく台頭しており、スマホ向け[[ポータルサイト]]や[[アダルトサイト]]での宣伝効果も大きく現在ではアダルトゲームと言えばそちらの方が主流となっている。 GAME 遊び放題 プラス<ref>{{Cite web|和書|url=https://dlsoft.dmm.co.jp/subsc/|title=GAME 遊び放題 プラス|work=[[FANZA]]|accessdate=2022-08-12}}</ref>、[[OOParts]]<ref>{{Cite web|url=https://oo.parts/|title=OOParts|work=[[OOParts]]|accessdate=2022-08-12}}</ref>といった買い切りゲームをプレイできる[[サブスクリプション]]が登場している。 == アダルトゲームと規制 == アダルトゲームに関する日本国内の社会一般における議論や、表現の自主規制について解説する。 === 規制の概要 === アダルトゲームの規制に関する意見の中には、一部に感情論的な側面が含まれ、他方では明確な論拠を持たない、ないし事実に対する意図的な誤認を誘うようにされているものすら見られる。これらには、過去の犯罪行為に対して忌避感を抱く側の拒絶反応または嫌悪感やそれに対する配慮、あるいは制作者の利害関係ないし制作者・愛好者の規制強化に対する危機感、逆に規制推進派が唱える規制強化案では感情的なものの他にも自組織の存在の誇示や発言力強化まで計算に入れたセンセーショナルで声高な主張といったものが、時に密接な関連を及ぼしてくる。 他方では、社会的圧力から販売禁止による損害を恐れるゲーム制作企業が、様々な迂回策や自主規制を行う傾向も見られる。日本における表現の自主規制は学識的・理知的な裏付けがない場合や、団体各々の主観で判断している部分がある。その対象・程度にばらつきも見られ、客観的にどこまでが容認されるのか、どこからが規制されるのかという面で、レーティング設定も業界ごとに規制対象がまちまちであり、規制導入側にしても、その影響を被る側にしても混乱を招いている。この状況を打破する目的も含め、[[2006年]][[4月]][[経済産業省]]は[[コンピュータエンターテインメント協会]](以下、「CESA」と略す)、ソフ倫、[[日本アミューズメントマシン工業協会]]、[[映倫管理委員会]]、[[日本ビデオ倫理協会]]と[[映像コンテンツ倫理連絡会議]](仮称)において審査基準・表示の一本化を提言した<ref>{{Cite web|和書|author=青少年の健全な育成のためのコンテンツ流通研究会|date=2006-04-18|url=http://www.meti.go.jp/press/20060418003/houkokusho-set.pdf|title=青少年の健全な育成のためのコンテンツ流通研究会報告書|format=PDF|publisher=経済産業省|accessdate=2010-03-13|quote=事業者の主導により業界横断的な検討を行うことのできる会議「映像コンテンツ倫理連絡会議」(仮称)を設置すべきである}}</ref>。 === 規制に関する歴史 === 2005年現在において、日本では同年2月には45本発売されるなど([[PC Angel neo|PC Angel]]2005年[[5月]]号による)多数のアダルトゲームが発売されている。『[[ナイトライフ]]』(1982年、光栄マイコンシステム)が始祖とされるこれらのゲームには、業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在せず、性的描写は各企業の裁量に任されていた。なお、ナイトライフ自体はどちらかと言うと「夫婦生活をサポートする」ための[[ツールソフトウェア|ユーティリティ]]的なソフトウェアであり、直接的な[[性的興奮]]を目的としたコンピュータゲームではなかった。しかし同作品のヒット以降、着実に性的興奮を目的としたコンピュータゲームが、当時表現力が次第に向上した[[8ビットパソコン]]向けに盛んに販売されるようになった。 これら成人指定の性的描写を含むコンピュータゲームの多くは、個人でもソフトウェア開発環境を揃え易いパソコン向けの作品となっており、当初の市場は[[マニア]]・[[おたく]]向けの微々としたものであった。このため一般からは特殊な再生媒体によるポルノ作品としてのみ扱われ、1980年代末までのこれらゲームに対する一般の販売店での扱いは極めて無頓着なもので、販売店によっては商品であるこれらソフトウェアのパッケージは「店の入り口からでも見えるような位置」に堂々と陳列されていたり中高生ですらこれを購入することになんら制限は見られなかったほどである。社会一般での認知度も「ほぼ無視ないし無名」といった状態であった。 だが、次第にアダルトゲームは問題視されるようになる。1986年には、刑法177条(強姦罪)からタイトルを取った『[[177 (ゲーム)|177]]』(マカダミアソフト=[[デービーソフト]]の一部門)が、[[草川昭三]]により国会で取り上げられた{{R|kusakawa}}。そして1988年に起こった[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]や、それに端を発した[[有害コミック騒動]]によってポルノ業界そのものへの批判が強くなっていく。 1991年に成人向けゲームを万引きした[[中学生]]が[[補導]]されたことを発端に、成人向けゲームへの非難が高まり、製作会社の社長が[[京都府警察|京都府警]]に逮捕される事件が起きた。のちに沙織事件と呼ばれるものである。国会にも取り上げられたこともあり、業界全体に事態を重大に捉える動きが生まれた。翌 1992年には、業界団体の社団法人[[日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会]](JPSA)が18禁シールを作成し、希望する企業への販売を開始した。一方、『[[電脳学園]]』([[1989年]]、[[ガイナックス]])が[[宮崎県]]における[[青少年保護育成条例|青少年の健全な育成に関する条例]]に基づき[[有害図書]]指定される<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.isc.meiji.ac.jp/~sumwel_h/doc/juris/m2dcj-h6-1-24.htm|title=宮崎地裁平成5年(行ウ)第2号行政処分取消請求事件|work=夏井高人研究室|publisher=明治大学|accessdate=2010-03-11}}</ref>。 沙織事件や宮崎県での有害指定をうけ、自主規制団体の必要性が叫ばれるようになり、1992年10月に自主規制団体のコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。他の分野では[[1990年]]にコミックマーケットが[[幕張メッセ]]を使用できなくなる事件、それに伴いコミックマーケットでの性的表現自主規制が強化される事件が発生し、非実写性表現のあり方を問われた時代でもあった。 1996年には『子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議』がストックホルムで開催された。この会議で日本人によるアジアでの[[児童買春]]と、日本国内で大量につくられる[[児童ポルノ]]に対して非難が起きる。これに対して日本は法整備、取り締まりの強化を表明した。これらでは当時の日本においておたく向けの商業作品群に、いわゆる「アニメ風の女の子(→[[萌え絵]])」を使っての性的興奮を煽ることを目的とした物が多く見られ、市場もそれら作品の傾向に寛容であったことも同規制による議論の対象に挙げられている。特にアダルトゲームは、かなりの比率をこの「アニメ風女の子」を使った作品が占めている。 1999年は超党派の国会議員によって『[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律]]案』が提出され、成立した。法案段階では『児童ポルノ』の範疇に「絵」が含まれていたことから<ref>{{Cite web|和書|author=園田寿|authorlink=園田寿|date=1998-05|url=http://sonoda.e-jurist.net/text/childporn.html|title=「虐待防止」を理由にした表現への過剰介入防げ|work=電脳世界の刑法学|accessdate=2010-03-13}}</ref>{{Efn2|「この法律において「児童ポルノ」とは、写真、'''絵'''、ビデオテープその他の物であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。」(2条3項柱書)}}、業界筋やユーザー筋でも大きな論争になった。修正され『絵』は対象外になったが、3年後に見直しを行うことを明記した。 2005年4月には、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の[[野田聖子]]の呼びかけにより、『少女[[アダルトアニメ]]及び同シミュレーションゲームの製造・販売に関する勉強会』が行われたが、この勉強会自体は大きな話題になることはなかった。 2006年[[4月10日]]に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]は[[NNN Newsリアルタイム]]および[[NNNきょうの出来事]]において、「アニメやインターネットに溢れる性や暴力に関る情報が、子供を標的にした事件に結びついている可能性がある」として警察庁が新たな規制に動き出したことを報道した。 [[2008年]]に入り、[[日本ユニセフ協会]]を中心にアニメ、漫画、ゲームソフトおよび18歳以上の人物が児童を演じるものを含む児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写したものを「[[準児童ポルノ]]」として違法化することなどを柱とした「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンが開始された<ref>{{Cite web|和書|date=2008-03-11|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/11/news097.html|title=アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同|work=ITmedia News|publisher=アイティメディア株式会社|accessdate=2010-03-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2008-03-12|url=https://www.j-cast.com/2008/03/12017767.html|title=児童ポルノ規制強化 アニメやゲーム 持ってるだけで大変なことに|work=J-CASTニュース|publisher=株式会社ジェイ・キャスト|accessdate=2010-03-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=日本ユニセフ協会|authorlink=日本ユニセフ協会|url=http://www.unicef.or.jp/special/0705/pdf/kodomo_p_paper.pdf|title= 子どもポルノ※問題に関する緊急要望書|format=PDF|work=「なくそう!子どもポルノ」キャンペーン|publisher=日本ユニセフ協会|accessdate=2010-03-11}}</ref>。国会では[[児童ポルノ]]の規制強化を目的として、性表現色の濃い漫画・アニメ・ゲームといった[[フィクション]]作品の単純所持をも規制対象に含める改正案を検討し始めた。 2008年には、「漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像、外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するもの」を「児童ポルノに類する漫画等」とした上で児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進することを附則に盛り込んだ児童ポルノ禁止法改正案が提出されたが、[[2009年]][[7月21日]]に[[衆議院解散|衆議院が解散]]されたため、廃案となった。 2009年に入ると『[[レイプレイ]]』(2006年、[[ILLUSION (ゲームブランド)|ILLUSION]])が英国国会で取り上げられ<ref>{{Cite web|和書|author=riot_兄|date=2009-02-12|url=http://gs.inside-games.jp/news/179/17924.html|title=イギリスの議員が、アマゾンで売られる日本の18禁ゲーム『レイプレイ』を国会で追及|work=Game*Spark|publisher=株式会社アイ・アール・アイ コマースアンドテクノロジー|language=日本語|accessdate=2010-03-13}}</ref><ref>{{Cite web|author=Gary Fennelly|date=2009-02-12|url=http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/amazon-selling-3d-rape-simulator-game-14183546.html|title=Exclusive: Amazon selling rape simulation game|work=belfasttelegraph|publisher=belfasttelegraph|language=英語|accessdate=2010-03-13}}</ref>、[[ニューヨーク]]市議会でボイコット運動が起きた<ref>{{Cite web|date=2009-02-23|url=http://wcbstv.com/local/video.game.rape.2.941744.html|title=Boycott Of Rape-Themed Video Game Urged In NYC|work=wcbstv.com|publisher=CBS|language=英語|accessdate=2010-03-13}}</ref>。5月にはアメリカの[[ラディカル・フェミニズム]]団体の「[[イクオリティ・ナウ]]」が抗議活動を始めるなど日本国外でアダルトゲームが問題視された<ref>{{Cite web|date=2009-05|url=http://www.equalitynow.org/english/actions/action_3301_en.html|title=Japan: Rape simulator games and the normalization of sexual violence|publisher=equalitynow|language=英語|accessdate=2010-03-13}}</ref>。この動きは日本にも波及し『レイプレイ』の発売元が取り扱いを中止した<ref>{{Cite web|和書|author=イリュージョン|authorlink=ILLUSION (ゲームブランド)|date=2009-05|url=http://www.illusion.jp/ill_info.html|title=ILLUSIONからのお知らせです|language=日本語|accessdate=2010-03-13}}</ref>。公明党が秋葉原での販売形態を視察した<ref>{{Cite web|和書|date=2009-05-16|url=http://www.komei.or.jp/news/2009/0516/14553.html|title=ゲームソフト規制のあり方探る|work=公明新聞|publisher=公明党|language=日本語|accessdate=2010-03-13}}</ref> ほか当時与党であった自民党が「性暴力ゲームの規制に関する勉強会」<ref>{{Cite web|和書|date=2009-05-30|url=https://web.archive.org/web/20090530224346/http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20090530-OYT8T00341.htm|title=性暴力ゲーム、規制強化検討…与党が勉強会|work=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞|accessdate=2010-03-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-05-22|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090522/stt0905221130002-n1.htm|title=日本製「性暴力ゲーム」を批判 自民女性局長「規制を検討」|work=産経ニュース|publisher=マイクロソフト|accessdate=2010-03-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jimin.jp/jimin/wv2000/project/game/index.html|title=性暴力ゲームの規制に関する勉強会|work=自由民主党女性局|publisher=自由民主党|accessdate=2010-03-13}}</ref> を立ち上げ、罰則規定を含む法体制の整備を提言する<ref>{{Cite web|和書|date=2009-07|url=http://www.jimin.jp/jimin/wv2000/project/game/teigen.html|title=性暴力ゲームの規制強化に向けた提言|work=自由民主党女性局|publisher=自由民主党|accessdate=2010-03-13|quote=性暴力ゲームを含む有害ソフトやインターネットによる有害情報、有害サイト、有害メールを規制するために、罰則規定を含む法体系の整備を早急に図る}}</ref> など政治の動きが活発になった。 コンピュータソフトウェア倫理機構は、このような状況の下、[[6月]]に開催された会合で「レイプなどの性暴力を扱うゲームソフト」の製造・販売を禁止<ref>{{Cite web|和書|date=2009-06-05|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2609003?pid=4232513|title=性暴力ゲームの製造・販売禁止、ソフト審査機関が決定|work=AFPBBNews|publisher=AFP通信|language=日本語|accessdate=2010-03-13}}</ref> パッケージに日本国内専売の明記<ref>{{Cite web|和書|date=2009-06-05|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/05/news064.html|title="陵辱系ゲーム"発売禁止 業界団体が自主規制|work=ITmedia News|publisher=アイティメディア株式会社|language=日本語|accessdate=2010-03-13}}</ref> などの規制の強化を決定した。また、minoriなどいくつかのブランドは公式サイトへの日本国外からの接続を切断した<ref>{{Cite web|和書|author=Danny Choo|date=2009-06-24|url=https://archive.dannychoo.com/en/posts/eroge-websites-blocked|title=minori海外アクセスを遮断|work=ダニー・チュージャパンの文化を世界に広めよ|language=日本語|accessdate=2021-02-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=riot_兄|date=2009-07-01|url=http://gs.inside-games.jp/news/193/19336.html|title=「自国のゲームで遊んでください」日本の18禁ゲームメーカーが海外からのアクセスを制限|work=Game*Spark|publisher=株式会社IRIコマース&テクノロジー|language=日本語|accessdate=2010-03-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=恋純ほたる|date=2009-07-03|url=http://blog.livedoor.jp/moonstonestaff/archives/886160.html|title=海外からのアクセスを遮断しました。|work=MOONSTONE STAFFのブログ|publisher=ライブドア|language=日本語|accessdate=2010-03-13}}</ref>。 [[2014年]]には、2008年に提出された児童ポルノ禁止法改正案の附則と同様に、「漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像、外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するもの」を「児童ポルノに類する漫画等」とした上で児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進することを附則に盛り込んだ児童ポルノ禁止法改正案が提出されたが、与野党の合意により成立した改正法からはその部分は削除された。なお、同法により、児童ポルノの「性的好奇心を満たす目的での」単純所持が禁止された。 === 規制強化を求める考え === 規制強化を求める側の主張として、これらのゲームが流通することで児童誘拐事件などの凶悪犯罪が発生する可能性があるため、被害防止のために規制するべきという考え方がある<ref>{{Cite web|和書|year=2008|url=https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/169/yousi/yo1692525.htm|title=美少女アダルトアニメ雑誌及び美少女アダルトアニメシミュレーションゲームの製造・販売を規制する法律の制定に関する請願|publisher=参議院|accessdate=2010-03-13|quote=街中に氾濫(はんらん)している美少女アダルトアニメ雑誌やゲームは、小学生の少女をイメージしているものが多く、このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている。これらにより、幼い少女たちを危険に晒(さら)す社会をつくり出していることは明らかで、表現の自由以前の問題である。}}</ref>。[[公明党]]所属の[[丸谷佳織]]衆議院議員(当時)は{{Quotation|表現の自由は憲法で守られている非常に重要な権利ではあるけれども、児童を対象として商業的な目的で制作された、「みだらな」性的表現に関しては、たとえ「絵」であっても何らかの対処すべき<ref name="p-mate200211">{{Cite journal|和書|author=P-mate編集部|year=2002|month=11|title=P-mateは児童ポルノ法に賛成です。|journal=P-mate|volume=4|issue=17|pages=132-141|publisher=MCプレス|location=東京}}</ref>}}と述べ、「つまり、「絵」に関して、たとえ実在の被害者がいなくても、現状は放置しておくべき状況ではないというお考えですね」との問いには{{Quotation|はい。そう思います。買春や写真の被写体とされるといった性的な虐待を受けている被害者が、「絵」については実在しないとしても、それを見て性的な刺激を受けた人、それが子ども自身の可能性もあるわけですが、そうした人が、その刺激によって性的な犯罪を起こしてしまうというような二次的な被害はないだろうかということにも関心はあります。因果関係は証明しづらいでしょうが、今後調べてみたいと思っていますし、無視はできないと思っています{{R|p-mate200211}}。}}と答えている。その一方で反対派からは、「『ゲームなどメディアが犯罪を誘発する』という説は[[強力効果論|メディア効果論]]の一つであり、既に否定されている」との主張もある。 社会風潮の悪化防止のために規制の強化が必要とする意見が述べられることもある。児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の制定にも力を尽くした[[非政府組織|NGO]]・[[ECPAT/ストップ子ども買春の会]]の共同代表者は{{Quotation|子供を性的虐待の対象として表現した児童ポルノは子供をそういう対象として使用していいんだという意識を一般化したり助長することにもなりますので、そうした表現は実在の子供を対象としたものに限定することなく禁止すべきだと考えています<ref>{{Cite journal|和書|author=P-mate編集部|year=2003|month=1|title=「子どもの権利」を守るため… 〜「エクパット/ストップ子ども買春の会」の活動とビジョン|journal=P-mate|volume=5|issue=1|pages=136-137|publisher=MCプレス|location=東京|accessdate=2010-03-03}}</ref>}}と述べている。 海外では規制されているとして、それらを参考にすべきとの意見もみられる<ref>{{Cite web|和書|author=日本ユニセフ協会|authorlink=日本ユニセフ協会|date=2008-03-28|url=http://www.unicef.or.jp/special/0705/backnum/080328.html|title=「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンこれまでお寄せいただきました代表的なご意見・ご質問について当協会としての見解※・説明|work=「なくそう!子どもポルノ」キャンペーン|publisher=日本ユニセフ協会|accessdate=2010-03-13|quote=写真・動画・マンガ・アニメ・コンピュータゲームを問わず、わが国が法的に禁止すべき子どもポルノの「具体的な基準」は、本問題が国際的な問題であり、性目的で子どもを性的に虐待する内容のマンガ・アニメなどを処罰する国が少なくないことから、これらの国の法規制などを参考に、国際社会におけるわが国の責任ある立場(影響力)なども考慮し、わが国の法制度との整合性を図りながら検討されていくべき}}</ref>。 また、内容的に犯罪行為(→[[強姦]])を扱うゲームがしばしば発表されている部分にも絡み、これらゲームの消費者の嗜好や、製作側の諸事情で用いられているいわゆる「アニメ風の女の子」の絵(→萌え絵)が、かわいらしさや女子らしさを強調しようとした結果、その映像面で幼児・児童として認識され得る辺りにも関連して、同種作品への拒否感を強め、規制案への支持に及んでいる傾向が見られる。中には、{{Quotation|一番強く反対とかメールを送ってきたり、脅迫状とかということをやった人たちは漫画家集団なんです。特に児童ポルノをかいている人たち。この人たちはいわば狂信的なグループではありますよね<ref>{{Cite web|和書|author=東京都青少年問題協議会|authorlink=東京都青少年問題協議会|date=2009-01-30|url=http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/09_singi/28b1giji.pdf|title=第28期東京都青少年問題協議会第1回専門部会|format=PDF|work=東京都青少年・治安対策本部|pages=33|publisher=東京都|accessdate=2010-03-12}}</ref>。}}{{Quotation|児童に対する児童ポルノの愛好者の人たちが児童に悪影響を与えるとか、漫画のひどいものが出ているといったら、その人たちはある障害を持っているんだというような認識を主流化していくことはできないものか(中略)性同一性障害という同じ位置づけで、子どもたちに対する性暴力を好む人たちを逃がしていくとしたら、障害という見方、認知障害を起している人たちという見方を主流化する必要があるのではないか<ref>{{Cite web|和書|author=東京都青少年問題協議会|authorlink=東京都青少年問題協議会|date=2009-07-09|url=http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/09_singi/28b8giji.pdf|title=第28期東京都青少年問題協議会第8回専門部会|format=PDF|work=東京都青少年・治安対策本部|pages=27-29|publisher=東京都|accessdate=2010-03-10}}</ref>}}など、公の場で差別的ともとれる意見が述べられることもあった。 これらの主張の他にも、架空のキャラクターにも[[人権]]が存在するため、[[強姦|陵辱]]されるようなゲームは許されないとする意見もある。元NPO法人[[カスパル]]{{Efn2|2006年春にNPO法人の資格を返上し、[[権利能力なき社団|任意団体]]となっている。}} の代表者は[[朝日新聞]]が2005年[[1月10日]]に行ったインタビューで「絵で描かれていても、少女たちの人権を侵していることには違いありません。」と述べている{{要ページ番号|date=2016-05-11}}。 この辺りは、ゲームによって提供される仮想内の出来事ながら、半ば作品提供側の意図したストーリーで犯罪行為を追体験するような物への風当たりが強く、また人間社会では各々の個人が持つ人権が同等の物であるように、ゲーム内に構築された仮想世界では、ユーザーの操作する主人公と、陵辱される側のキャラクターは本質的に同等の「仮想的人権」を有しているであろう…という点も成立する。 === 規制強化を求める考えに対する反論 === [[日本国憲法第21条|憲法21条]]で保障される所の表現の自由による物や規制の恣意性<ref>{{Cite web|和書|author=宮台真司|authorlink=宮台真司|url=http://www.miyadai.com/texts/014.php|title=児童買春・児童ポルノ禁止法案の改正論議によせて|accessdate=2010-03-13|quote=絵や漫画を規制対象から外してもらった第二の理由は、やはり恣意的運用の可能性。日本の漫画文化の伝統の問題が背後にあります。その伝統では、人妻が描かれるときでさえ、目が大きくて挙動が幼い「子供ふうキャラ」になります。これは子供なのか大人なのか。}}</ref> から反対することが多い。このほか、[[メディア効果論|強力効果説]]を否定し暴力的になることはないとする意見のほか<ref>{{Cite web|和書|author=宮台真司|authorlink=宮台真司|url=http://www.miyadai.com/texts/014.php|title=児童買春・児童ポルノ禁止法案の改正論議によせて|accessdate=2010-03-13|quote=学問の世界では、暴力的メディアが子供を暴力的に育てる、性的メディアが子供を性的に育てるという「強力効果説」は認められていません。認められているのは、短期的な摸倣可能性と、元々暴力的性格の人間に引き金を提供する類の「限定効果説」です。引き金の含意は、ソレが引き金を引かなくても、別のものが引くだろうということです。だから引き金要因に注意を奪われることは、火薬の装填という本質的要因を覆い隠し、責任転嫁することを意味する。}}</ref>、現実の女性に向かう性欲を失わせ{{R|ゲーム批評}}、実際の性犯罪が抑制されている可能性があるという指摘もある<ref>{{Cite web|和書|author=小寺信良|date=2008-03-17|url=https://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0803/17/news010_3.html|title=「児童ポルノ法改正」に潜む危険|work=ITmedia +D Lifestyle|publisher=アイティメディア株式会社|accessdate=2010-03-13|quote=またこれらのコンテンツがあるから、実際の性犯罪が抑止できているという考え方もできる。つまり、そういう萌え絵に反応する人たちは、アニメ絵だから反応するわけで、現実の子供には興味がないものである。逆にアニメ絵を規制してしまったら、現実の子供に走る可能性が出てくる。}}</ref>。 === 自主審査機構 === 規制に関する歴史にあるように、業界にとって青天の霹靂とでも言うべき事態であった沙織事件などから来る規制強化の流れを受けて、1992年、自主審査機構つまり自主規制の団体としてコンピュータソフトウェア倫理機構が設立された。 最初期に制定された性表現の規制基準については、主に当時のアダルトビデオ業界の最大の自主審査機構・[[日本ビデオ倫理協会]](以下「ビデ倫」と略す)の基準を参考にしていたが、[[動画]]の実写作品を管理することを主目的としたビデ倫をモデルにした基準は、ほとんどの作品で静止画のイラストが主体であるアダルトゲームの実態にはそぐわないものであった。 しかし、ソフ倫はアダルトゲーム業界唯一の審査機構であることを背景に、パソコンソフト卸・流通の企業との関係・連携を重視しこれらを取り込むことで、ソフ倫に加盟してその規制・指示に従わなければアダルトゲームをパソコンソフトの商業流通の販路に乗せることが事実上不可能になるという業界の構図を作り出し、設立後数年と経たないうちにアダルトゲーム業界で絶大な権力を持つに至った。 だが、その反面で、ソフ倫はその業務内容については非公開としており、ソフ倫に人員を提供する一部の制作会社に対しては作品の審査が甘いという指摘がなされるなど{{Efn2|一例を挙げれば、[[サイレンス (ゲーム会社)|ソニア]]の『[[VIPER (ゲーム)|VIIPER]]』のとあるシーンが規制された時に、当時協会役員の関連企業であった[[D.O.]]の作品に同様のシーンがあるのに規制されていないと反論し、規制実態を巡る問題が表面化したことがある。}}、透明性が低いと言わざるを得ない組織体質であり、プレイヤーサイドの求めるものとのギャップも大きく、プレイヤーや会員メーカーからの不信感を招いた。その上、組織体質的には極度の事なかれ主義で、1999年施行の[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律]]の影響が波及する事態や沙織事件の再来を恐れ、18歳未満の男女キャラクターの性的描写の禁止や、ゲーム内において使ってはいけない言葉(いわゆる「NGワード」)などといった規制強化ばかりを年々進め続け(例えば「[[高校生]]」(ほとんどが18歳未満、ただし[[合法]]な18歳もいる)という言葉を「学園生」(年齢不詳)に言い換える、など{{Efn2|規制前では、例えば『[[放課後恋愛クラブ]]』では主人公たちは高校生で、さらに後輩の中学生も登場している。逆に規制後の『[[D.C. 〜ダ・カーポ〜]]』では主人公達の年齢は詳らかにされないが、卒業した先輩が同じ制服を着て上の学校に通っており、[[中高一貫校]]の中学生とも解釈できる描写になっている。}})、[[ジュブナイルポルノ]]やアダルトアニメなどと比べても表現の制約と不自由さは増すばかりであった。しかも、ソフ倫はアダルトゲームの審査業務を事実上独占し上述のように卸・流通をも掌握していたことから、事実上、商業流通のアダルトゲーム市場でのメーカーやクリエイターの生殺与奪の権を握っていたと言っても過言では無く、アダルトゲームのメーカーやクリエイターたちはソフ倫加盟か自主審査かは関係なくソフ倫に楯突くような真似はできず、ノベライズであるジュブナイルポルノ作品などの関連商品や雑誌イラスト、ウェブサイトなどにおける表現や言動も含めて、業界で権勢を増すばかりのソフ倫の影響下から逃れることはできなかった。 この状況に小さくとも風穴が開く、すなわちアダルトゲームの審査業務におけるソフ倫の独占が崩れる、その転機となる出来事のきっかけは2001年[[8月]]に起きた。『[[君が望む永遠]]』(2001年、[[アージュ]])が、画像の修正処理に不手際があるとして"自主回収"となった。発売元のアージュの代表は後年、同作について「自主審査のうえで自主回収だった」としている<ref>[https://twitter.com/kycow/status/25813527033810944 『君のぞ』は自主審査のうえで自主回収だったんですよ。その点では当時のソフ倫さんを恨む理由はないです。]</ref> が、自主回収騒動の後しばらくは主に同作に絡めてアダルトゲーム業界やソフ倫に絡んだ様々な情報や憶測が流れたことも事実である。 {{See also|君が望む永遠#初回生産版回収騒動}} いずれにせよ、同作の回収騒ぎが1つの契機となり、アージュの作品を取り扱っていたソフトウェア卸売会社[[ホビボックス]]は、アダルトビデオの自主審査機構であったメディア倫理協会(以下「メディ倫」と略す、現・「日本コンテンツ審査センター」)にアダルトゲームの審査を行うように働きかける。そして、2003年[[2月]]、アージュの『[[マブラヴ]]』がメディ倫審査によるアダルトゲーム第1号として発売された。また、ホビボックスとソフト流通の独占契約を締結していた[[ぱんだはうす]]など数ブランドが、アージュとほぼ同時期にメディ倫に移行した。 前作『君が望む永遠』がヒット作になったアージュの新作『マブラヴ』は、諸般の事情で発売予定日の延期を何度も繰り返しながらも大きな注目を集めていた。しかし、メディ倫審査による作品の登場という事態に対して、当初、パソコンソフト流通の企業やこのルートからの仕入れをメインとする[[小売|小売店]]の多くは、ソフ倫との関係への配慮からソフ倫審査作品以外は取り扱わない方針を取った。その結果、多くのパソコンソフト販売店で『マブラヴ』について入荷どころか仕入れ元からの情報さえ一切皆無という事態が起き、パソコンソフト販売店の店頭や通販のルートからの購入希望者たちを困惑させる。その一方で、『マブラヴ』の流通と販売の中核を担ったのは、従前からメディ倫審査のアダルトビデオの販売を数多く手掛けていたアダルトビデオ系の流通とこれを取り扱うサブカルチャー系書店であった。パソコンソフト販売店での『マブラヴ』の入手難から、アダルトゲームのプレイヤーたちの間ではインターネット上で同作の販売概況を巡る情報交換が幅広く行われ、やがて実情が明らかになるに連れて、サブカルチャー系書店でのパソコンソフト販売に対する認知がプレイヤーの間で広まることになった。 また、当時のメディ倫はソフ倫と異なり、全ての素材を審査する完全審査体制を取っており、卑猥な用語に対する規制もソフ倫より若干緩いものであった。メディ倫審査を通過した『マブラヴ』の登場によって、当時のソフ倫とメディ倫の規制などへに対する姿勢の相違点は比較され、その中でソフ倫の表現規制や末端の加盟メーカーに対する姿勢のきつさが表面化する格好になった。 その後、2004年初頭に数々のブランドを抱える大手・[[テックアーツ]]がメディ倫への移行を表明、前後して主に中堅以下の数ブランドがメディ倫へ移行し、その後に設立されたメーカーの中には最初からメディ倫による審査を選択し、ソフ倫には加盟しない所も見られるようになった。これらの結果、パソコンソフト流通に属する流通・小売の各社もメディ倫審査の作品の存在を無視することができなくなり、なし崩し的に取り扱いが開始され、10年以上にわたって続いたソフ倫によるアダルトゲーム審査業務の独占は崩壊することになった。 この一連の流れを受けて、加盟メーカーのメディ倫審査への流出防止、すなわち組織防衛の必要に迫られたソフ倫は様々な対抗策を打ち出して加盟メーカーの引き留めを図ったが、その最大の切り札は、それまで組織内部では口にすることさえ事実上のタブーであった性的描写の部分的規制緩和であり、たとえば一度は厳禁になった[[近親相姦]]描写は2004年秋以降の作品から再解禁となった。メディ倫によるアダルトゲーム審査業務は、メディ倫の組織変更に伴い[[2010年]]に映像倫理機構(現在は日本コンテンツ審査センター)による審査業務に移行している。 なお、上記に記載されている審査機構による審査を受けて発売するアダルトゲームは年々タイトル数・売上ともに減少を続けており、それに代わって現在主流となっているスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームなどでは審査機構による審査を受ける義務がなく、審査があるとしても販売サイトによる審査のみなので、審査機構の審査を受けているアダルトゲームより制作の自由度は高いとされている。審査機構の審査を受けないスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームが主流となったことで、ソフ倫などの審査機構の影響力は年々小さくなっており、審査本数の減少に伴い、ソフ倫自身も2016年[[7月]]にアイドルビデオや着エロビデオの審査を開始している<ref>{{Cite web|和書|author=コンピュータソフトウェア倫理機構|url=http://www.sofurin.org/htm/about/idol.htm|title=アイドルビデオ等の審査開始について|accessdate=2022-07-01}}</ref>。 == 技術 == アダルトゲームの、技術面に関する部分を解説する。 === 開発環境 === 1980年代までのパソコンの大半は、ソフトウェアの開発環境もトータルにパッケージ化された製品として市場に出ていた。このこともあり、コンシューマ機向けゲームソフトのような[[ワークステーション]]などの専用機器の導入をせずとも製品の開発が可能で、これはアダルトゲームのみに限定されたことではないが、当時のパソコンゲームソフトのほとんどがこれらゲームを動作させる[[プラットフォーム (コンピューティング)|動作環境]]と同じ機器を利用して開発を行っていた。また、コンシューマ機と異なりソフトの流通をハードメーカーが一括して掌握・管理するシステムは構築されておらず、ほとんどのケースでハードウェアメーカーに対してのライセンスや許諾承認の手間・コストが存在しないか小さかった。 そのため、パソコンゲームを開発・発売するにあたってはコンシューマーゲームよりもハードルが低く、それこそ現在の小規模な同人ゲームと同程度の出資・開発規模でも商業規模の作品の制作が可能であった。あとはメンバーの熱意とセンスと開発に投じることの出来る時間で製品の完成度は左右され、同人での活動を目指すものは同人即売会などを目指し、開発チームが小規模でも商業ブランドとして立ち上げたい者たちは、当時の[[家電量販店]]や[[日本ソフトバンク]]などのパソコンソフト卸で商品を流通させていくことを目指すことになった。このため、日本国内においてのアダルトゲームの開発と発展の歴史は、パソコンとパソコンゲームのそれ自体の発展の歴史、パソコンゲームに関する同人イベント、パソコン用ゲームソフト流通の歴史などとも密接に絡み重なり合う部分が存在する。 開発環境は、家庭向けのパーソナルコンピュータの性能が向上していく過程で、それに牽引される形で発達を見せており、この事情はやはり黎明期からあまり変わっていない。しかし共通化されたゲームエンジンの開発と導入などにより、「アダルトゲームを含むコンピュータゲームの開発環境」は総じて向上しており、また商業タイトルでも使用されているゲームエンジンが同人ゲームに導入されることも見られ、これは同人ゲーム開発サークルとの境界の曖昧化を発生させていると見ることも可能である。 この中では、技術力と資金のあるメーカーが独自に新しい映像技術やゲームシステムを開発・導入したりする一方で、おたく文化・インターネットの発達や同人とその関連産業の拡大を背景に数多のクリエイター([[原画]]・[[ゲームシナリオライター|シナリオライター]])が輩出されている関係で、技術力に劣る中小のメーカーでも描画力に優れ人気のあるクリエイターを確保できれば、あるいは所属者の原画・シナリオの作風が洗練されたものに変化し時流にマッチし人気が沸騰すれば、その可憐な美少女キャラクターを武器に大手・古参メーカーにも十分伍しての販売をし得るわけで、そのような形で住み分けや販売力の強化を行っている様子も見られる。 === シナリオ === アダルトゲームでは伝統的に、[[プログラマー]]もしくはシナリオライターがディレクターを兼任して企画を立て、作業の進行管理を行うことが多い。また、テキストの良さは物語とキャラクターをより魅力的なものとし、作品自体の評価を高める。これらのことからシナリオライターや企画担当者はスタッフ中でも重要な役職の1つとされる。2000年以降はメーカー、雑誌などで[[原画家]]と共にライターも紹介することが多くなった。 シナリオライターの業態は黎明期から現在に至るまで形態に大きな変化がない。大半のアダルトゲームではメインライターは1人である。ただしマルチシナリオ・マルチエンディングのビジュアルノベルの普及や大作化傾向が進んだことで文章量が大幅に増加した現在では、ボリュームのある作品などでは一般的な文庫本を超えるほどの文章量があるものも少なくなく、サブライターとして何人かが協力したり、数人のシナリオライターや企画チームによる全面的にシステマティックな共同作業制を導入しているブランドも見られる。上述の通り企画や進行管理を兼任することが多いポジションであり、多くは開発組織内部の人間が務めることから内製の割合が高く、外部への発注は比較的少ない傾向にあった。しかし2010年代以後、絵重視でシナリオが重視されなくなってきている関係上、シナリオを外注にするブランドが増え、現在では外注が主流となっている。 === グラフィック === 日本のアダルトゲームの最大の特徴を成しているのがグラフィックである。アダルトゲームが出始めた1980年代の8ビットパソコン時代の末期から16ビットパソコン全盛期では、技術上の制約からプログラマー兼デザイナーの描くドット絵に留まっていた。その流れが大幅に変わったのが、アニメーション制作会社であった[[ガイナックス]]の参入と『[[電脳学園]]』(1989年)『電脳学園2 HIGHWAY BUSTER』(1989年)の登場である。ここで[[赤井孝美]]・[[麻宮騎亜|菊池道隆(麻宮騎亜)]]・新田真子・[[明貴美加]]といったアニメーターとして名を成した人物が参入、これに触発され、各社成人向け漫画家・アニメーターを起用し始めた。その中でエルフがアニメーター[[竹井正樹]]を起用した『同級生』(1992年)がヒットし、翌年アニメーター[[横田守]]を起用した『[[河原崎家の一族]]』もヒット、漫画・アニメーション業界からの技術流入によってグラフィックデザインの向上が図られた。1995年のWindows 95の登場により解像度と発色数が増加、技術進歩により、初め絵で描かれた作品の実写版もいくつか発売された。しかし、現在のアダルトゲームのグラフィックデザインの中核をなしているのは前掲の人物たちの絵を模倣しつつ成長した漫画・イラスト系同人作家による絵である。 これにより、コンピュータゲームでも[[対戦格闘ゲーム]]やRPGなどの他ジャンルでは、立体感のある3Dグラフィックスを用いたり、人物描写も比較的写実的になるのに対し、アダルトゲームは、現在でも2Dグラフィックスで表現するのが主流となっている。しかし例えば、アリスソフトやソフトウェアぱせりではRPGのダンジョン部分に使用され、エルフのドラゴンナイト4ではユニットを、[[ニトロプラス]]のファントム・オブ・インフェルノでは銃を3Dグラフィックスで形成するなど、作品ごとで部分的に使用されることも多く行われ、ILLUSIONや[[Kiss_(ブランド)|KISS]]のアダルトゲームは全面的に3Dグラフィックスで描かれている。また、昨今の同人ゲームにおいても3Dグラフィックスを用いたゲームが増えてきている。アダルトゲームの人物の絵やドット絵は[[瞳]]が[[顔]]の大半を占めるほど大きい反面、[[鼻]]や[[口]]がしばしば簡略化ないし省略される、一般的にはマンガ絵・[[アニメ絵]]と呼ばれる独特なデザインで表現されている。そのデザインはしばしばエロさといった性的興奮より、ユーザー・愛好者以外からは幼い・かわいらしいといったイメージを持たれる物で、それらへの愛らしさは『萌え』という単語で表現され、萌えを喚起する絵ということで『萌え絵』とも呼ばれている。 萌え絵がアダルトゲームにおいて多い実利的な理由としては、第一に静止した立ち絵の構図が同じであるため、リアルな絵や全身図であるとそれが違和感を与えて無機質な印象を与えること(立ち絵を多くすれば解決できるが、管理が難しくユーザーも目が疲れる)があり、ディフォルメを強めることで、擬似的に与える印象を増やしていることが挙げられる。第二に、立ち絵の多くは目と口元を変えることで表情差分を作るが、切り替えを十分に表現するには目にユーザーの焦点が当たる方が都合がよい。塗る時も素早く範囲を指定できる。こうしたシンプルな形を採用し、「表現の多彩さ」と「改変のしやすさ」を兼ねることは、資源に限りがあるメーカー・制作に追われるスタッフにとっては重要なことであり、かつてのカセットテープや[[フロッピーディスク]](FD)など販売用記録媒体の容量の上限やコストが厳しかった時代にはなおさらのことであった。 === 音声と声優 === グラフィックが女優による映像ではなく、絵による画像のアダルトゲームにおいては、キャラクターのセリフに合わせた音声データを出力させることがあり、その音声を担当するのはほとんどが[[声優]]である。声優がアダルトゲームに声をあてる場合、声優名を非公表とするか、またはアダルト用の別の芸名を使うことがほとんどである{{Efn2|まれに普段使用している声優名のまま、[[クレジットタイトル|クレジット]]されていることもある。}}。 アダルトゲームへの音声の本格的な導入は、後述する音楽面と同様に[[CD-ROM]]・大容量[[ハードディスク]]・[[パルス符号変調|PCM]]・データ圧縮技術などのハードウェア・ソフトウェア両面の技術進歩と普及があって初めて可能になった要素で、時期的にはコンシューマゲーム機における導入とそれほど大差は無く、1990年代前半くらいから徐々に普及し始め、2000年代前半には普遍的なものになった。 コンピュータゲームの音声データ導入は、声優起用と音声収録のシステムとノウハウが確立されるまでの最初の数年間は試行錯誤の連続で、当初は規制基準が媒体によってまちまちであったため媒体ごとに声優を交代させる必要があり、1990年代中期の作品では1キャラあたり4-5人も声優がいるものも存在した。この流れも1999年の法改正(詳細別節)と、家庭用ゲーム機におけるハード間競争でソニーの[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]・[[PlayStation 2]]が優勢になったことを受け、1キャラクターあたりアダルト表現まで請け負う声優と、非アダルトの関連作品のみを担う声優の2名に大別されるケースが多くなった。 このような流れと平行して、コンピュータゲーム業界全体では「第三次声優ブーム」のあおりを受けて高騰の一途を辿る声優の[[ギャランティー|ギャラ]]を巡り、1997年[[9月]]からCESAと[[日本俳優連合]](日俳連)の間で交渉の場がもたれていた。だが、日俳連が「ギャラをランク制の設定額よりも高額なものにすること」「ハード間移植の際の音声二次使用料を支払うこと」などを要求したため、交渉は難航。仲裁に[[日本音声製作者連盟]](音声連)が加わり、日俳連がかなり譲歩する形で1999年[[2月10日]]に合意、ゲームにもランク制が導入された<ref>{{Cite web|和書|author=原毅彦|date=1999-02-10|url=http://gamez.itmedia.co.jp/games/news/9902/10/news01.html|title=ゲームの声優出演料などでCESAと音声連が合意|work=ITmedia Gamez|publisher=アイティメディア株式会社|accessdate=2010-03-11}}</ref>。ただし、アダルトゲーム制作会社の場合はCESAに加盟していないため、この合意の適用外であり、そのためアダルトゲームへの声あてのギャラは、アニメや一般向けゲームよりもはるかに高額であると言われている。一例をあげると[[チュアブルソフト]]は『[[スイートロビンガール]]』の声優一般公募の際、募集要項にヒロイン4名の報酬について500ワードまでについては基本報酬の50,000円以降は10ワード毎に500円を支払うと明記している{{Efn2|ここでいうワードとはゲーム内の1ウィンドウに表示される台詞を指し、最大で60文字である。}}<ref>{{Cite web|和書|author=チュアブルソフト|authorlink=チュアブルソフト|date=2010-07-22|url=http://www.chuable.net/srg/srg_top.html|title=スイートロビンガール|publisher=チュアブルソフト|language=日本語|accessdate=2010-07-28}}</ref>{{Efn2|各ヒロインのワード数は約2500なので、単純に計算すると15万円前後になる。}}。 アダルトであること以外の特徴として、アニメ作品の場合は出演者同士の掛け合い、すなわち[[アフレコ]]で、基本的に自分の出番だけスタジオにいればよいのに対して、ゲームの音声収録は個別にスタジオのブースに入って収録する形式で、スタジオレンタル料との兼ね合いから短期間に集中して収録するため、1日あたりの拘束時間が長いということが挙げられる。特にアダルトゲームはノベル形式のアドベンチャーゲームが主流のため、セリフの量がアニメに比して多く、平均的な商業作品で台本はおよそ電話帳[[タウンページ]]2冊前後、メインヒロインではその1.5倍から2倍に達する分量があり(ただし、アニメ用と異なり、ゲームスタッフがプリンターとコピー機を駆使して作った簡易製本であることが多く、単純には比較できない)、ゲームの仕事が入ると他の仕事が入れづらく、スケジュールの都合がつかず出演できないという事情もある。 これらの事情から特定の声優に起用が集中する傾向があり、人気となれば年間に50本以上、中堅でも30本前後の作品で起用される。その結果、アダルトゲームとその関連作品の収録だけで年間スケジュールの大半が埋まってしまう声優も少なくない。 === 歌と音楽(BGM) === 現在のアダルトゲーム業界では数人規模の小さな開発チームが大半を占めていることもあり、音楽面については専門スタッフや音楽制作の機器・設備を組織内に置かないのが一般的で、全面的に外注を利用するスタイルが広く定着している。また、効果音も含めて全面的に外注に委託したり、外部の専門業者から必要に応じて効果音の音声データを購入してくることは、ごく普通に見られる。つまり、関与する企業やプロダクションの規模の違いこそあるものの、現在のサウンド面の制作システムは従来のテレビアニメのそれをおおむね踏襲したものになっている。 アダルトゲーム業界に関わる音楽制作のプロダクションは数多く競合も激しいが、その中でも知名度で頭一つ抜けた存在となっているのは1990年代末期に台頭した[[I've]]で、[[主題歌]]の編曲を手がけた『Kanon』(1999年、Key)の大ヒットで注目を集めた。I'veが音楽あるいは主題歌を手がけたアダルトゲームのパッケージには、I'veが音楽を担当したことを表すロゴマークが付けられ、[[KOTOKO]]をはじめとする"歌姫"と称される女性ボーカリストの存在を前面に打ち出す形で2000年代前半に全盛期を作り出し、その後にはテレビアニメの[[劇伴]]([[背景音楽|BGM]])や主題歌にも進出している。また2001年にはkeyの[[サウンドトラック]]などを専門に扱う[[Key Sounds Label]]が発足した。他方でも、『[[吸血殲鬼ヴェドゴニア]]』(2001年、ニトロプラス)では主題歌のボーカルに[[第43回NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]に出場したこともある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.onomasatoshi.com/html/profile.html|title=PROFILE|work=小野正利公式サイト|language=日本語|accessdate=2010-03-03}}</ref>[[小野正利]]を起用するなど<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nitroplus.co.jp/pc/lineup/mus_02.html|title=music|work=ニトロプラス公式サイト|pages=「吸血殲鬼ヴェドゴニア」関連音楽商品|publisher=ニトロプラス|language=日本語|accessdate=2010-03-03}}</ref>、音楽や主題歌に力を入れる動きが顕著になった。また、インディーズで活動している者を中心に、アダルトゲームの主題歌の歌唱・作詞・作曲を担当する女性歌手・女性シンガーソングライターも少なくない。 また、1990年代の音楽シーンには『メタル氷河期』と呼ばれる、[[ジャパニーズメタル]]{{Efn2|ジャパメタ・和製ヘヴィメタルなどとも呼ばれる。}} 音楽の著しい市場低迷が起き、数多くのヘヴィメタル系ミュージシャンが、生活と音楽活動の維持のためにテレビアニメ・[[テレビゲーム]]なども含む多ジャンルの商業音楽に進出し、若手もメジャーシーンにほとんど登場できなくなった時期があったが、その軽音業界の歴史的な経緯や影響によるものか、1990年代から2000年代にかけてのアダルトゲーム業界のサウンド面を支えた音楽集団や音楽担当スタッフには、メタル音楽の経験者やフォロワーが少なからず見られる。その状況下において、ロックよりもかなりハードな[[ドラムセット|ドラム]]や[[ギター]]、間奏部のメロディカルなギターソロ、重低音重視の[[ミキシング]]といったヘヴィメタル的な要素がふんだんに盛り込まれた楽曲が珍しくないことも、アダルトゲームの主題歌・BGMの特徴・様式として挙げられる。その中でも特筆すべきはメーカーであるがニトロプラスで、作品によっては歌詞と曲だけ聞かされてもアダルトゲームの主題歌とは到底信じ難いようなハードなメタルテイストの曲を主題歌や挿入歌に据えた作品が少なからず見られる。他方、アダルトゲームの主題歌であるため、メーカーによってはハードでハイテンポな曲に、本項ではさすがに掲載がはばかられるような性的表現を含んだ歌詞を組み合わせたケースもあり、たとえメタル調のハードな曲であっても歌詞のバラエティという意味では、ラブソングやいわゆる「萌え」に属する歌詞がほとんど見られない本家ジャパメタとは比較にならない幅の広さを持っている。また、先述のニトロプラスのものを例外とすれば、メタルテイストの曲であってもほとんど全ての曲についてボーカル担当が女性であることは大きな特徴で、特に男性ボーカルを起用した主題歌は皆無では無いが珍しい{{Efn2|なお、アダルトゲームの楽曲を制作する音楽制作プロダクションには、業務の一環としてボーイズラブゲームの楽曲の制作も請け負うものが少なくないが、ボーイズラブゲームでは主題歌がある場合には男性ボーカルを起用する、あるいはプロダクションにあってアダルトゲームでは主に作曲や演奏を担当している男性メンバー自身がボーカルを担当しているものが一般的である。}}。 I'veが人気を得た2000年ごろ以降は、主題歌CDの初回特典としての添付がこの業界では販売促進策としてごく当たり前の手法となっている。だが、これについては、多くのゲームに存在する初回特典の有無による価格差や、アダルトゲームでは初回限定版の発売後に初回特典を除いた「通常版」が最終的に発売されないケースが珍しくないことなどを鑑みた場合、ゲームと主題歌CDの事実上の抱き合わせ販売の商法であるとして指摘する批判も少なくない。また、このような事情から、1本1万円前後することも多い初回特典付きゲームソフトの購入以外には正規・合法的に入手する方法が事実上無い、ある意味で「入手困難」と言える楽曲を多数持つ歌手もいる。この状況を補うべく、ブランド・メーカーによっては主題歌や[[イメージソング]]・サウンドトラック類をまとめて収録したCDを別に制作しファンに向けて販売したり、あるいは主題歌を担当した歌手や音楽制作プロダクションの単位でゲーム主題歌をまとめた[[コンピレーション・アルバム]]が制作されることがあるものの、これらは結局のところ自主制作盤の範疇を出ずにコミックマーケットなどの[[イベント]]の企業スペースや自社ホームページなどで数量・期間を限定して発売されるものが多く{{Efn2|商業流通のルートに乗るものも一部に存在するが、この場合でも本来の音楽CDの流通ルートに乗ることができるものはレコード会社が関連したメディアミックス企画の構想が絡んでいるものを例外とすれば少なく、大半はパソコンソフトの関連製品として流通し[[ソフマップ]]などのパソコンショップのアニメ・ゲーム関連CDの売場や[[アニメショップ]]での限定的な取り扱いになっている。}}、一度完売したら以降は事実上入手不可能ということもまた多い。 アダルトゲームで使用・作成されたBGMは一般向けゲームソフトの[[ゲームミュージック]]同様、広く地上波テレビ放送各局でも音楽素材として幅広く使用されているほか、主題歌が[[カラオケ]]入りすることも珍しくない。[[ドワンゴ]]が、2005年7月から放送した[[着メロ]]配信サイト「[[いろメロミックス]]」の[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]のBGMに、『[[巫女みこナース]]』(2003年、[[PSYCHO (ブランド)|PSYCHO]])主題歌の『巫女みこナース・愛のテーマ』が採用された。さらに、同曲は2005年[[12月27日]]に[[第一興商]]の[[通信カラオケ]]「[[DAM (カラオケ)|cyber DAM]]」で配信されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.clubdam.com/app/leaf/songKaraokeLeaf.do?contentsId=3769327|title=巫女みこナース・愛のテーマ/ロングバージョン|work=カラオケDAM|publisher=第一興商|accessdate=2010-03-13}}</ref>。 他方、アダルトゲームを原作としてメディアミックス企画が立てられ、とりわけ性的要素を排除したテレビアニメ作品が制作される場合には、こちらではアニメ音楽を専門範囲とする作曲家が起用されることが多く、同様に主題歌担当の歌手も原作から変更されることが多い。アダルトゲーム作品を担当したスタッフ・外注・歌手がそのまテレビアニメ作品でも続けて劇伴・主題歌を全面的に手掛けたケースは、存在こそするものの少数派である。ただし、上述したI'veは後にテレビアニメの劇伴・主題歌の制作にも進出しており、むしろ現在ではこちらが主業という状況も垣間見られ、アダルトゲームの[[アニメ化]]に際して主題歌などで新規にI'veのスタッフ・歌手が起用されるケースが見られている{{Efn2|例としては『[[ななついろ★ドロップス]]』のオープニング主題歌など。}}。 このように1990年代末〜2000年代半ばごろにかけて一大ブームを引き起こしたI'veであるが、2000年代後半以後は[[ボーカロイド]]・[[東方Project]]・[[アイマス]]など、動画共有サイトで流行っている音楽ブームに押され、それらのブーム以後にオタクコンテンツに触れたユーザーからの知名度は低い状況となっている。 == 業界 == アダルトゲームの、業界事情に関する部分を解説する。 === 市場規模 === アダルトゲームの市場規模は、2002年ごろにピークを迎えてからは一貫して衰退を続け、[[2011年]]の段階ですでにピーク時の半分以下にまで縮小している<ref>[http://president.jp/articles/-/10011?page=2 「秋葉原を席巻するオトメたち」前編、プレジデント・オンライン、2013年7月16日]</ref>。矢野経済研究所の調査によれば、[[2007年]]度の市場規模は341億円(前年比−2.8%)<ref>[http://www.yano.co.jp/press/pdf/410.pdf 「オタク市場」に関する調査結果 2008]</ref> であったが、2013年度には188億円(前年比−5.1%)<ref>[http://www.yano.co.jp/press/pdf/1334.pdf 「オタク市場」に関する調査結果 2014]</ref> となった。2016年の市場規模は168億円であった<ref>[https://www.yano.co.jp/press/press.php/001773 「オタク」市場に関する調査を実施([[2017年]])]</ref><ref>[https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1712/05/news089.html 恒例「オタク市場」調査 新スター登場でアイドル市場は拡大]</ref>。 コンピュータソフトウェア倫理機構の資料によれば2006年9月現在でアニメ系の加盟会社は224社を数え、2005年のアニメ系販売タイトル数は931タイトルであった。2005年のアニメ系の販売本数は4,887.1(単位は千本)であった{{R|子どもを守る研究会}}。2016年度についての同機構の販売実績によれば、タイトル数は755タイトル、販売本数予測は170万3400本(1,703.4千本)となっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sofurin.org/kaiin/files/sofurin-news/sofurin_news201703.pdf|title=2017年3月号|accessdate=2018-4-5|publisher=}}</ref><ref>[http://otapol.jp/2014/09/post-1526.html 「廉価版もソーシャルも未来なし…? 売り上げが伸びないエロゲー業界の"これから"」]、[[おたぽる]]、2014年9月3日</ref>。 2003年時点では、家庭用ゲーム機用ゲームソフトは全機種併せて約1100タイトル、パソコン用アダルトゲームは約600タイトル発売されており、発売タイトル数でいえばコンピュータゲームでもそれなりの数量であるが、パッケージ作品で言えば売上数は一般的に1万本売れればヒット<ref>{{Cite web |title=エロゲーの可能性への挑戦/ビジュアルアーツ「Frill」ディレクター丘野塔也氏インタビュー - WEBスナイパー |url=http://sniper.jp/300special_issue/frill.html |website=sniper.jp |access-date=2023-11-14}}</ref>、予算や開発チームの規模にもよるが3000本から5000本販売できればペイライン(損益分岐点)に到達という、商業スケールとしては映像DVDなどと同程度のものであった。 ただし、上記はソフ倫審査のアダルトゲームに限定した内容で、ソフ倫の審査を受けないスマホゲーム・ブラウザゲーム・同人ゲームなどは市場規模に含まれない事に注意する必要がある。 === Windows向けアダルトゲームの衰退 === {{独自研究|section=1|date=2022年8月}} 上記項目にある通り、Windows向けアダルトゲームは2002年ごろをピークに衰退を続けていて、2010年代に入ったあたりから、スマホゲーム・ブラウザゲーム・同人ゲームが台頭し、現在ではそちらの方が主流となっている。Windows向けアダルトゲームの衰退原因として下記の様なものが挙げられる。 * 内的要因 ** 長年に渡りビジュアルノベル形式から脱却できていないこと ** 似たようなゲーム(学園を舞台にした恋愛ゲーム)の乱立 ** 特典商法{{Efn2|初回特典や予約特典や店舗別特典の事。特に店舗別特典はタイトルによっては10種類以上の特典が用意される。}}やグッズ商法{{Efn2|買いきれないほどのグッズを発売すること}}など、多額の金銭を使わせる手法の乱立 <!-- * 上記のような商法の影響により、2010年代以後[[光学ドライブ]]を搭載しないパソコンが年々増加しているにもかかわらず、[[光ディスク]]によるパッケージ販売が中心となっており、同人ゲームと比較してダウンロード販売の普及スピードも遅い事 --> <!--** 旧態依然としたフルプライス作品<ref name="a02" group="注" /> --> <!-- ↑↑2022年時点でダウンロード版の同時発売やDLCカードも増えています。↑フルプライスは数を減らし、ローミドルが増えています。--> ** 発売延期や[[バグ]]や[[未完成作品|未完成品]]の存在 * 外的要因 ** 2000年代後半以後の萌えラノベや萌えアニメの台頭 ** 2010年代以後のスマホゲーム・ブラウザゲーム・同人ゲームや、動画共有サイト内で流行しているオタク向けコンテンツ<ref name="a01" group="注" />の台頭 ** 上記のようなコンテンツは無料もしくは格安で楽しめること ** ネット・実店舗問わず販売店の減少{{Efn2|ただし、販売店の減少は売上減が原因である}} ** 規制(審査機構による自主規制を含む)による影響{{Efn2|審査機構による自主規制も含むので、外的要因であると同時に内的要因でもある}} 以上のような影響により、卒業するユーザーと比較して新規で入るユーザーが圧倒的に少ない状況となっている。{{要出典|date=2022年8月}} === 制作・販売・組織 === アダルトゲームの制作・販売を手掛けるメーカー・プロダクションは、2014年4月現在201社がコンピュータソフトウェア倫理機構に正会員として加盟している。また、日本コンテンツ審査センターで審査を受けているメーカーも存在する。スマホゲームやブラウザゲームしかリリースしていない企業や、[[同人サークル]]の中には審査機構に加入していないことろもある。[[ビジュアルアーツ]]や[[エンターグラム|テイジイエル企画]]の[[パートナーブランド]]のようにゲームソフト卸や一部のゲーム会社が自社の傘下に入ることを条件に開発資金を援助するシステムが広く確立されており、新規参入に際しては比較的容易で毎年数十のブランドが新たに登場するが、その一方でそれとほぼ同数のブランドが消滅してゆく。また、実態として解散状態か活動停止状態であるにもかかわらず公式サイトだけが長期間放置されたまま残されているブランドも少なくなく{{Efn2|最近の例では[[Sirius (ブランド)|シリウス]]など。}}、タイトル数や売上減の影響もあって実質休眠状態のブランド数は年々増加している。 ソフ倫や日本コンテンツ審査センターの審査を受けるアダルトゲームの制作メーカーは規模の大小こそあれ、家庭用ゲームの制作メーカーと比較すればおおむね小規模で、[[商法]]上の区分でいえばメジャータイトルを制作するメーカーでも[[中小企業]]、大半は従業員10人未満の零細企業で、ごく小規模な[[有限会社]]や[[合同会社]]もこの業界では珍しくはない。アダルトゲームの制作・販売を主業としている会社を見た場合、社屋を自社所有するものはほんの数社程度であり、マンションやアパートの一室を住居兼仕事場にして、そこが唯一の拠点というケースも多い{{Efn2|一例を挙げれば、[[はむはむソフト]]の開発室はかつて4畳半1部屋であった<ref>{{Cite web|和書|url=http://hamham.sc/ham2/2nd/A14.htm|title=はむはむ・新・開発室ご案内!|work=未開発のあな|pages=はむ通ONLINE|publisher=はむはむソフト|language=日本語|accessdate=2010-03-03}}</ref>。}}。労働条件については中小のコンシューマゲーム制作会社同様に、ごく一部の例外を除きほぼ一様に劣悪で、福利厚生面も脆弱であると言われている。反面、スマホゲームやブラウザゲームをリリースする企業はTSUTAYAやDMMなど、大資本であることも少なくない。 開発チーム名や法人名とは異なるブランド名を用意してこちらを前面に出している者も数多く存在し、目に見えて判別できる原画などの一部スタッフ以外の詳細について実質的に非公開になっているタイトルも多い。また、審査機構に非加盟の同人サークルなどの小プロダクションや、アダルトゲームの発売に本来の開発チーム・ブランド名が出ると差し障りが出るため名前を伏せたいと考えるコンシューマ機用ソフトの開発を本業とするチームもあり、そのような者たちが自身のスタッフ・機材でアダルトゲーム本体のデータを制作・完成させ、アダルトゲームブランドを持つ販社が委託を請け負い、倫理機関審査や営業・広告宣伝・製品流通など販売代行を行うことも見られる。さらには、メディアのプレス・マニュアル制作・パッケージングなどゲームデータ以外のほとんどの部分を販社側がトータルに手掛けることもある。このように、アダルトゲームの販売委託ではいわば製造業における[[EMS (製造業)|EMS]]と[[OEM]]供給先に近い役回りを担うだけで済ませるところから、制作スタッフが実際に手掛けるのはゲームのデータ本体だけで、審査からゲームソフトとしてのトータルのパッケージングまで全て販社側で用意・制作するところまで、制作から販売に至る課程はタイトルやブランド毎に様々で、アダルトゲーム側のブランドを見た場合、そのような審査代行・販売代行・[[プロデュース]]が実質の本業となっているものもある。 狭隘な市場に小規模多数の制作会社・開発チームが存在するため売り上げ規模も小さく、アダルトゲームだけで経営を維持することは難しく、多くの制作メーカーは資金繰りのため、他にも様々なことを行っている。例えば、自ブランドの製品開発スケジュールの間合いを利用してプログラマーなどが他ブランドの製品開発の一部を請け負うなどの行為は珍しくなく、他にも中小企業向けの業務用アプリケーションやウェブデザイン、携帯電話向けソフトの下請け製作、貸しビル業<ref>{{Cite web|和書|author=サカモトアキラ|date=2009-11-06|url=http://blog.sprite.gr.jp/2009/11/06/id-121.php|title=本社ビル建設中です|work=SPRITE OFFICIAL BLOG|publisher=SPRITE|language=日本語|accessdate=2010-03-10|quote=spriteの会社は小規模ながら貸しビル業もやっているのです}}</ref> など、別のビジネスを行っているメーカーもある。 多くのアダルトゲームメーカーにとって通例として定められた流通会社や[[銀行]]からの融資の返済猶予期限は会社の存亡の懸かる日であり、作品の完成度に関係なく返済猶予期限内に新作を発売しないと会社が倒産・消滅する場合が少なくない。そういった事情や、製作途中のトラブルなどが原因で、大手メーカーの非アダルトゲームではおおよそ考えられないような未完成品が発売されることもざらである。 === 流通 === 商業のパッケージゲームについては、流通会社が取りまとめ、小売店やネットショップに卸す事になる。ダウンロード販売については、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトで販売する。[[アダルトゲーム#自主審査機構|自主審査機構]]の項目に記載がある通り、この際、流通会社はソフ倫や日本コンテンツ審査センターなどの審査機構の審査を通していない作品は取り扱わず、ダウンロード販売サイトも同様に商業としては取り扱わない{{Efn2|同人としての取り扱いは可能}}ので、審査機構による審査は必須となる。2000年代前半ごろまでは[[アダルトゲーム#開発環境|開発環境]]の項目に記載がある通り、日本ソフトバンクが参入していた関係上、家電量販店にもアダルトゲームが卸されており、家電量販店でもアダルトゲームの販売が行われていた。 同人ゲームのパッケージ販売については、同人イベントやサークル通販([[Pixiv#BOOTH|BOOTH]]なども含む)での販売やとらのあなや[[メロンブックス]]などの[[同人ショップ]]などで扱われ、流通的には商業とは全く別ルートとなっている{{Efn2|ただし、商業と同人の両方を扱う販売店は存在する。}}。[[デジ同人]](ダウンロード販売)については、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトで販売する。なお、これらの同人ショップやダウンロード販売サイトは審査機構の審査を通さなくても取り扱いしてもらえるので、審査機構による審査は必須ではない。ただし、同人ショップやダウンロード販売サイトによる独自の審査は存在する場合もある。 年々、ネット・実店舗を問わず商業ゲームを扱う販売店や商業ゲームのイベントが減少{{Efn2|例を挙げると、[[ヨドバシカメラ]]は2019年[[3月]]末を以てネット・実店舗を問わずアダルトゲームの取り扱いを終了した。[[ソフマップ]]も[[2022年]]現在、アダルトゲームの取り扱いがない店舗が半数程度を占め、取り扱いがあったとしても予約販売のみ(予約票しか置いていない)という店舗も数店舗ある。2000年以後、アダルトゲームを主力商品として扱っていた[[ドリスピ (企業)|メディオ!]]も2010年代後半以後、閉店や取り扱い終了が相次ぎ、今では西市店で細々と売られているのみである。大手販売店でもこの状況であり、中小規模の販売店の取り扱い終了は枚挙にいとまがない。イベントについては秋葉原電気外祭りやDreamParty(その後、Character1に移行)の他に、中小規模のイベントや地方イベントやブランド独自イベントが多数あったが、現在ではほとんど行われていない。また、全盛期には新規ブランドでも当選できたコミックマーケットについても、2000年代後半以後、落選するブランドが増えており、現在では大手ブランドでも合同ブースでしか当選しない状況である。}}を続ける一方、同人イベントを含めた同人の販売チャンネル数は増え続け、流通に関して言えば今は商業よりも同人の方が有利な状況となっている。 スマホゲームについては、FANZAやDLsiteなどのダウンロード販売サイトでの販売・配布が中心で、ブラウザゲームについては、FANZAやDLsiteにじGAMEなどのゲームプラットフォームでのサービスとなっている。これらも同人ゲーム同様、審査機構による審査は必須ではない。 === 作品規模の拡大・制作コストの上昇 === アダルトゲームの販売規模・開発組織はその大半においてコンシューマ機向けのゲームよりも小規模である。だが、その一方でハードウェア技術が発展し[[カセットテープ]]・フロッピーディスクからCD-ROM、[[DVD-ROM]]と記録メディアの大容量化が進み普及するに連れて、業界の全体の流れとしてデータ量・情報量は増大化傾向の一途を辿っている<ref>{{Cite web|和書|title=【ネクストン・まついさんの万屋月報】統括プロデューサー“まついさん”氏による連載コラム第3弾!! みんな気になる美少女ゲームの予算についてお答えします【第3回】 |url=https://www.bugbug.news/b_game/123672/ |website=www.bugbug.news |access-date=2023-07-09}}</ref>。攻略対象ヒロインの多数化によるシナリオ分岐・マルチエンディングの普遍化や、ビジュアルノベルの手法の発展によりシナリオのテキスト量でもコンシューマ機の大作ソフトやライトノベルの小規模な連作シリーズ作品などにも遜色ないスケールを持つ作品や、パソコン性能の進展に伴い一般的なものになった3Dグラフィックス・トゥーンレンダリングなどの最新技術を投入した作品も数多く制作されるようになった<ref name="a03" group="注">現在主流となっているスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームについては、ビジュアルノベルのタイトルが少ない上、ゲーム本編のゲーム性を上げる事に力を入れていることもあり、そのような事はほとんど行われていない。</ref>。しかし、2010年以後、業界の衰退による予算の縮小化でそのようなタイトルは年々減少傾向にあり、現在では攻略キャラが1〜2キャラのロープライス作品が主流である。 また、コンシューマ機向けのゲームソフトと同様に、 * 声優によるセリフの[[同期]] * 動画(宣伝用デモムービー、[[オープニングアニメ]]、[[エンディングアニメ]]、作中の動画パートなど) * 主題歌・[[イメージソング]] * [[体験版]]バージョンの制作・配布 * 特典グッズが付属した限定パッケージによる販売促進 * サブカルチャー関係のイベント{{Efn2|代表的なところでは、コミックマーケットや秋葉原電気外祭りやDreamParty(その後Character1に移行)などがある。}} に参加しての広報・宣伝 * イベント限定グッズの会場内販売・[[通信販売]] などといった要素が一般的になり、これらは複合的に重なってパッケージ規模の増大やトータルコストの上昇を引き起こした。広報宣伝やグッズなどゲーム本体以外の付随的な企画に要するコストや労力もメーカーにとっては無視できない負担増加の要因となっており、特にほとんどのグッズや宣伝用部材の素材制作に必要不可欠の原画担当者にかかる負担は本編の制作以外にも大きなものがある。ただし、これらは販促やグッズ収入の確保や1人のユーザーによる複数本購入などを目的として行われている一面があり、売上確保のために必要な要素であるとされてきた<ref name="a03" group="注" />。 また、2000年代に入ってからは、特に動画・音楽・音声・主題歌といった専門的な技術が要求される要素が普遍的なものになり、特に動画は宣伝用やゲーム内のデモムービーとして規模の大小の差こそあれほとんどのタイトルで制作されている。だが、本格的な動画については専門技術を持つスタッフを擁し内製が可能なメーカーは少数派である一方で、業界の界隈では各種素材を利用して動画を制作するプロ・セミプロのプロダクションや[[個人事業主]]が多数活動していることから、大半のブランドがこれら外注に依存しており、その上、宣伝用デモムービーが当たり前のものとなるに連れて販売店やプレイヤーからはテレビアニメのオープニングアニメにも近いクオリティのものが要求されるようになった{{Efn2|大型タイトルの場合には、デモムービーとしてテレビアニメの[[制作プロダクション]]や著名なプロアニメーターが請け負った本格的なアニメーション動画が制作されたり、テレビアニメで活動している人物・グループが手掛けた主題歌も見られる。}}。また、特に発売開始前に配布する宣伝用デモムービーは、たとえ低価格路線のソフトでも広報宣伝に不可欠であるため、安易にはカットできない{{Efn2|ただし、[[ファンディスク]]や低価格路線のタイトルの場合、オープニングアニメやエンディングアニメやボーカル付き主題歌は制作されないことも多い。}} うえ、その出来不出来は販売店の売場での放映量の多寡や作品自体へのプッシュの強弱にも直結し、売り上げ本数にまで直接の影響を及ぼすことから一定水準のものを制作する必要があり、そうなるとやはり相応の専門の技術・知識を用いた"作品"が求められるため、安易にコストカットの鉈を振るうことができない一面があり、外注費の増加要因の1つとなっている。 これらの要因や後述する工程管理の狂いが重なりトータルで見た製作コストが膨張した結果として採算ラインの上昇を招き、販売本数的に成功と言われるタイトルであっても製作費を最初のアダルトゲームソフト単体では到底回収しきれないものすら散見されるようになり、現在では多くのブランドがコンシューマ機への移植や、ソーシャルゲームへの参戦や、キャラクターグッズ販売といった版権を利用した各種ビジネスを展開し、収益構造の安定化を図っている{{Efn2|2000年代まではファンディスクの発売もしばしば見られたが、元のタイトルの売上減少が原因でファンディスク単体で採算があわなくなってきたためか、2010年代以後はあまり見られなくなった。}}。だが、それでもトータルでの製作規模・制作費の増大が経理面から経営に重くのしかかり、既存のWindows向けアダルトゲームの売上低迷や企画・開発の難航など様々な組織内外の事情も重なって、ついには新規タイトルの開発を断念・休止したり公式ウェブサイトの更新が途切れてしまい事実上の活動終了となる、そこまではいかなくとも長期間にわたり新作の発表が途絶えてしまうなどといった状況が、一般的な規模のブランドはもとより、業界内で中堅・大手・古参などと見なされているブランドでも時折見られているようになっている{{Efn2|例えば、業界の古参として知られるアリスソフトですら、2010年上半期には新作情報すら1本も発表できず、新作の発売自体もほぼ1年にわたり途絶えてしまう状況となった。}}。 === 進行管理・品質管理 === コンシューマーゲーム業界と比較した場合、アダルトゲーム業界は概して開発チームの規模が小さい。そのため、特定のスタッフの個人レベルの技能に大きな比重が掛かり、これに作品の出来不出来が直接左右されてしまいがちで、往々に原画担当やシナリオライターなどのクリエイター個人の発言力が大きく、進行管理は中々に難しい。このような作品制作の中核を担うクリエイターが当初予定の期間を無視して構想を膨らませ続け、シナリオや画像の追加を延々と繰り返してしまうなど、根本的な部分で作品を制作するための工程管理や制作進行が完全に破綻した結果、発売予定が繰り返し延期され当初発表された期日よりも数カ月単位で発売延期となるケースは珍しいものではなく、最終的に年単位で遅延した末にようやく発売に至った作品も散見される{{Efn2|例えば『[[SNOW (ゲーム)|SNOW]]』(2003年、[[スタジオメビウス]])や『[[マブラヴ オルタネイティヴ]]』(2006年、アージュ)など。}}。さらには、製作過程で何らかのトラブルの発生や、資金・決算・絶対納期・販売スケジュールなどといった開発チームや販社の都合が重なった挙句、事実上未完成状態の内容のものが「完成品」と称して販売されてしまった事例も存在する{{Efn2|例えば『[[魔法少女アイ参]]』(2008年、[[Colors (企業)|colors]])や『[[Garden (ゲーム)|Garden]]』(2008年、[[CUFFS]])や『銃騎士 Cutie☆Bullet』(2014年、エフォルダムソフト)や『猫撫ディストーション 恋愛事象のデッドエンド』(2015年、[[WHITESOFT]])など。}}。 インターネットの普及により修正差分の配布が容易になったことや、ビジュアルノベル以外のジャンルも一定数見られた事などもあり、製品品質の維持が疎かになる傾向が見られ、製品出荷段階でのバグの増加も顕著になっていた時期がある。数多くのバグが存在し、パッチが発売後に幾度も配布されてようやく改善に至るなど{{Efn2|例えば『[[いただきじゃんがりあん]]』(2000年、[[すたじおみりす]])や『[[Summer Days]]』(2006年、[[オーバーフロー (ブランド)|オーバーフロー]])や『[[おたく☆まっしぐら]]』(2006年、[[銀時計 (ブランド)|銀時計]])など。『おたく☆まっしぐら』はパッチを入れても多くのバグが残っている。}}、品質管理の問題で大きな禍根を残した事例も枚挙に暇がない。また、修正ファイルをインストールしていない状態では、単なるプレイすらできなかったものも散見された{{Efn2|例えば『[[なないろ 恋の天気予報]]』(2002年、FilmSoftware)や『[[タイムリープ (ゲーム)|タイムリープぱらだいす]]』(2007年、[[フロントウイング]])など。前者はインストールできない、インストールできても起動できないといったトラブルが多発し、後者は修正ファイルが無い状態では、表示関係のバグ以外にも、電源が落ちる、ブルースクリーンになるなどハードウェアに悪影響を与えかねない重大なトラブルが発生した。}}。昨今では審査機構が審査するアダルトゲームではビジュアルノベル以外のジャンルはほとんど見られなくなったことや、ゲームエンジンの普及などもあり、そういった事はあまり見られなくなっている。 その他、過去には[[インストーラー]]や[[アンインストーラー]]の設定ミスにより、関係のないファイルを消去したり、OSの重要なファイルを消去してパソコンを起動不能にしてしまうという深刻なバグが発生した事例もあった{{Efn2|例えば『みずいろ』(2001年、ねこねこソフト)や、『Assault Armoroid Angelio 完全版』(2002年、OUTGROW)など。}}。 昨今では未完成品やバグだけでなく、[[クラウドファンディング]]未達成のまま解散・倒産{{Efn2|例えば[[フライングシャイン]]やあっぷりけ(あっぷりけはアペンドディスクのみ未達成)など}}したり、公式通販で前金を取って予約を受け付けたグッズを未発送のまま倒産・解散{{Efn2|例えば[[Galette|GLace/Galette]]や[[Lass]]など}}したりといった事例も見受けられる。 === 開発スタッフ === 商業流通のアダルトゲームの開発・制作では、企画立ち上げからマスターアップまでの全工程で、低価格路線などの小規模な作品でも数名、大型タイトルとなれば数十名単位で様々な役割のスタッフやクリエイターが関与する。裏を返せば、[[シナリオ]]・スクリプト・キャラクター原画・彩色やゲームデザインなどの主要工程を1人のクリエイターが全て手掛ける作品は稀である。その開発組織の中ではプロデューサーや開発チームの代表者を筆頭に、例えれば商業アニメーション作品の制作にも一部通じる分業化がなされており、作品の核ともいえるキャラクター原画やシナリオの担当者も含めて、スタッフは開発チーム所属スタッフとして、あるいはフリーランスや他社による下請けの立場で関与する。 当然ながらゲームソフトはソフトウェアであり、その中核となるゲームエンジンはプログラマーが制作するか、外部の既製品を導入する必要がある。かつてPC-98シリーズ全盛のころは専任または兼任のプログラマーが開発の中心軸に位置してゲームをプログラムとして自前で構築していくスタイルが主流であった。しかしその後、Windowsが主流になって以降のゲームエンジンはプログラミング技術の進展によって高機能化・複雑化の一途を辿った一方で、主流がノベルゲームになった事もあり、シナリオライターやゲームデザイナーが[[スクリプト]]を一通り操作できるならばプログラムを一から組み上げるという作業も不要になっており、このことから、現在では外部の既製ゲームエンジンを全面的に導入し、専属のプログラマーは不在というスタイルを取る開発チームは珍しいものではない。ただし、現在主流となっているスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームについては、RPGを除いて既製ゲームエンジンが存在しない事が多く、内製もしくは外注でプログラマーを抱えていることが多い。 [[背景]]画については、アニメ背景を主業とする下請けプロダクションがアニメ業界における同業者の乱立などを背景にアダルトゲーム業界にも進出してきていることと、人物を魅力的に描ける原画担当者であっても背景画の技術が伴っていないことが少なくないことや、背景単体でもデータが大容量化し、これに伴う作業量の増加などから、近年では専門業者に委託しての外注が一般的になってきている。また、1990年代後半以降はI'veや[[Feel (音楽プロジェクト)|feel]]に代表されるゲームソフトのBGMを外注として手掛けるプロ・セミプロの音楽制作集団が数多くアダルトゲーム業界に参入してきた一方で、音楽担当スタッフが従業員として在籍してBGMを完全内製しているメーカーは少なくなっており、在籍していても実際には幹部社員や[[プロデューサー]]などとの兼職であることも見られる。[[効果音]]についても音楽制作集団への外注や外部の効果音専門業者からの購入、あるいは各種フリー素材の利用といった手段が主流になっている。同様にかつては内部でスタッフを抱える傾向があったシナリオについても、2010年代以降は絵重視でシナリオが重視されなくなってきたこともあり、外注が増えている。 このような要素が積み重なった結果、現在のアダルトゲームの開発で内製率が比較的高いのは企画職やプロデューサー職および彩色くらいになっており、開発チームと一口に言ってもその場でゲームをプログラミングで構築していく制作業というよりも、ゲームデザイン業に特化したいわば企画屋集団としての趣が色濃いスタッフ陣容となっているものも見られている。 このように一部のブランドを例外にすれば外注依存度が高い反面で内製率が低く、零細な組織が多いゆえに開発チームや人材の離合集散が激しいことは、アダルトゲーム業界の一大特徴である。ブランドの発足・改廃・活動休止も活発であり、さらには人間関係のもつれ・給与遅配・報酬未払いなど組織内部の問題が原因となった開発チームの突発的な分裂・独立・解散などの話も枚挙に暇がない。 何らかの理由・目的により開発チームを離脱したクリエイターの中でも、既に人気・知名度を獲得しており、この業界での活動を継続する意志がある者の場合、多くは以下のような選択肢の中から、自らが置かれた状況に応じて進路を選択することとなる。 * [[ヘッドハンティング]]による他社への転籍 * 自主的移籍 * 自身が中心となる新ブランドの設立・盟友である人物が中心となる新ブランドの設立への関与 * [[フリーランス]](外注)のクリエイターへの転身 * [[イラストレーター]]などとの兼業 * 一般向けへの転向 この業界の人材の流動の活発さを活かして、特にキャラクター原画・シナリオのスタッフについてはフリーランスのクリエイターとして業界を渡り歩く者も多い。その中でも特に人気の高い原画担当者については、その関与がゲームソフトやゲーム関連雑誌、さらにはメディアミックス情報誌、ライトノベル(挿絵を担当)などの売上向上に大きく寄与する{{Efn2|[[ライトノベル#挿絵・イラストの重要性]]も参照。}}。当初は専属スタッフとして人気を得たクリエイターがフリーランスのイラストレーターやシナリオライターとして独立する、あるいは兼業するケースも見られ、後述するようにクリエイターとして一人立ちすると共にライトノベルなど他の業界に活動の軸足を移していく者も少なからず見られる。いずれにしても、人気のクリエイターが専属を離れたり副業を積極的に認めるブランドへの移籍をきっかけにして他分野でも引く手数多という状態になることは多分に見られている。その一方、兼業としてこのような仕事をする専属スタッフがメーカーの経営者や幹部である場合などには、自らの直接の収入ではなくブランドを運営する一助としての一種のサイドビジネスとして行っている場合も見られる。 アダルトゲームは一見すれば集団制作ではあるが、実際には原画やシナリオなど特定のクリエイターの個人的な才能・知名度・人気に依存する割合が大きい業界であり、原画担当などの専属スタッフの人気が沸騰すればブランド自体の販売力の大幅な向上に繋がる一方で、高い人気を得た専属スタッフの独立・他社への移籍などといった個人レベルの動向や、人気凋落や[[スランプ]]などの個人の不振が売上低迷に直結しそのままブランド・企業自体の存続にまで悪影響を及ぼすなどの事態も多分に起きてくる。このような個人レベルの"職人芸"によってその大半を支えられる業界体質もまた組織・個人の両面で消長盛衰の激しさを助長する要因になっている。 === 開発スタッフの転業・他ジャンル進出 === アダルトゲーム業界のクリエイターについては、後に他の様々な分野でクリエイターとしてシーンに登場するケースが見られる。 原画担当の場合には[[漫画家]]やイラストレーター・アニメーターに、シナリオライターの場合はライトノベルや[[ジュブナイルポルノ]]の[[小説家]]、雑誌や書籍の[[著作家|ライター]]、あるいはアニメの[[脚本家]]などといった文筆業に転業したり、転業を試みた、また完全に転業しなくともこれら分野で仕事をするケースは多々見られる。特に商業出版でもライトノベルやメディアミックス情報誌など青年層以下を対象とした分野の出版物に登場するクリエイターには、現在ではアダルトゲームの業界を僅かにでも経験した人物がさして珍しいものではなくなっている。これらについては、転業先の業種にもよるが、メディアミックス・ライトノベル関係の仕事などを足掛かりにしてノンアダルト作品主体へとクリエイター活動の軸足を移していく者、異業種で改めて下からキャリアを積む者、元々他業界での実績がある人物で実質的にはその業界への復帰である者など様々であり、[[ペンネーム|筆名]]をアダルトゲームで用いた当初の名義から一変させている人物や他ジャンルであらためて登場して以降は表向きにはアダルトゲーム業界・アダルト関連業界とは全く無縁になる人物も珍しくないが、かなりの割合でいわゆる萌え産業の範疇にその身を置くことになる(一例:アニメーション監督の[[新海誠]]。minoriのOP映像を製作していた。)(クリエイターとして転職しつつ萌え産業の範疇から脱出した稀有な例としては、ゲームシナリオライター経験者で最終的に[[直木三十五賞|直木賞]]作家となった山田桜丸(現:[[桜庭一樹]])が存在する)。 その一方、商業ベースでの表現活動について回る様々な制約や規制を嫌った者や、あるいはゲーム産業よりも日程管理・版権管理がより厳しい商業出版やアニメの業界に適応ができなかった者、何らかの事情で商業ベースでの新たなビジネスチャンスに恵まれなかった者、元々から[[同人]]の分野で大々的に活動しておりそちらで高い知名度・人気・販売力を持っている者などには、メジャーシーンの商業作品からは一線を画した同人の世界に実質的な職業活動の活路を求めるケースも少なくない。その中にはアダルトゲーム業界で得た知名度も活かして短期間で大手同人サークルとなり、コミックマーケットなどの同人イベントに参加して[[同人誌]]・[[同人ソフト]]を大々的に販売したり、複数の[[同人ショップ]]に卸しての[[委託販売]]を手掛けている者も見られる。近年では同人ショップの拡大などにより大手同人サークルの作品の販売規模が大規模化し、予算規模や販売量において小規模な商業ブランドに比肩する事実上の商業化を遂げたものも現れており、原画担当などには外注として商業ブランドと同人サークルの作品を両方手掛ける者も多い。 == メディアミックス展開 == === メディアミックスの概要 === アダルトゲームの分野においては、2000年代半ばごろ〜2010年代初頭ごろにかけて、[[版権]][[ビジネス]]としてメディアミックスが盛んに行われていた時期があり、主として以下のような展開が行われていた。 * コンシューマーゲーム機(家庭用ゲーム機)への移植 * アニメ化(OVA・テレビアニメ) * [[小説化|ノベライズ]] * [[漫画化|コミカライズ]] * [[パチンコ]]、[[パチスロ]]化 また、これらに付随して[[トレーディングカード]]などをはじめ各種グッズや企画商品の販売が行われることも多い。 メーカー・ブランドにもよるが、アダルトゲームの業界ではゲームソフト開発資金の調達のために、関連グッズや各種メディアミックス展開についての諸権利を、資金を供給するゲームソフト卸の企業などへ開発の初期段階から譲渡しているものが珍しくない。それゆえ、メディアミックス展開は開発メーカー・ブランド側ではなく、ゲームソフト卸企業と出版社やレコード会社などのメディアミックス関連企業が主導権を握って進められることも多いのが特徴である。 また、アダルトゲーム関連のクリエイターはイラストレーターやライトノベルの挿絵という形で兼業している者も多く、コンシューマーゲーム機にも移植やキャラクターデザインなどの形で関与することから、アダルトゲームについては、メディアミックス企画という形での展開が決定されるまでには、単純にその当該作品にまつわる売上げや期待値のみならず、アニメ・出版・コンシューマーゲームの各業界やそれらの周辺産業の企業やプロダクションが複雑に絡むことになる。 そのような業界の事情から、既に実績を持つ人気原画家が関与したり、クリエイター個人やブランドのネームバリューで大きな期待を集めるなど、ヒット作となることを確実視されている作品などでは、ゲーム発売予定日の数カ月前という段階から、アニメ化を含むメディアミックス企画案が持ち込まれ(メディアミックス業界側から見れば、いち早い段階でその権利を確保しておこうとする)、原作ゲームの発売直後に異なるメディアやコンシューマーゲーム機での展開が次々と発表されるというケースも珍しくない{{Efn2|このようなソフト開発中の段階でのメディアミックス展開の決定をゲーム制作者側が公表した例としては、『[[君が主で執事が俺で]]』(2007年、[[みなとそふと]])などがある。}}。 現在ではメディアミックスができるようなフルプライス作品<ref name="a02" group="注" />が大幅に減ったこと、売上の減少でそのような予算が削減されていったことで、メディアミックス(特にアニメ化)については規模縮小傾向にある。また、現在主流のスマホゲームやブラウザゲームや同人ゲームについてはメディアミックスにはあまり力を入れておらず、メディアミックスが行われているタイトルであってもWindows向けアダルトゲームがさかんにメディアミックスを行っていた2000代半ばごろ〜2010年代初頭ごろと比較すると規模は小規模であることが多い。 === アダルトゲームと家庭用ゲーム機との関係 === ==== 各メーカーの方針 ==== 現在、コンシューマーゲーム機と呼ばれるような家庭用ゲーム機でも特に日本のそれにおいては、業界草創期からハードウェアメーカーが性描写のあるアダルトゲームの制作を全面的に禁じており、性描写には至らない[[下着]]や胸元の露出などといった「お色気」そのものについてすら現在でも厳しい表現規制がつきまとっている。そのため主なメーカーはコンシューマーに移植される場合、パソコン版に比べ過激な性的表現を抑えたり一部もしくは丸ごとシーンを差し替えることで対応している。 ===== 任天堂 ===== 上に書かれている方針は1980年代、[[任天堂]]が家庭用ゲーム機[[ファミリーコンピュータ]]において、当時の同社社長の[[山内溥]]率いる同社経営陣の主導によって、ライセンス許諾を取得しないで販売される同社が言うところの「裏ソフト」の撲滅を目的に運用された[[サードパーティー]]に対する管理指針が基盤となっている。 全盛期の任天堂のソフトメーカーに対する管理や締め付けは極めて厳しいもので、パソコンを含む家庭用ゲーム機でアダルトゲームの制作を行っているメーカーの参入や開発を一切認めず、[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]ソフトに関与するにあたってはアダルト要素を含むゲームの制作をパソコンなどでも行わないことを条件にしていたといわれる{{Efn2|当時はマイコンと呼ばれていたパソコン用アダルトゲームの制作・販売を行っていた光栄(現 コーエーテクモゲームス)やエニックス(現 スクウェア・エニックス)などがそれを打ち切ったのは、当時の任天堂の方針に合わせたためともされる。}}。当時コンシューマーゲーム機での一般向けとパソコンでのアダルト作品の両方の販売を行っていたメーカーは少なからず、任天堂の規制・干渉の回避を目的に[[社内カンパニー]]の実態でも本体とは別にブランドや販社を立ち上げている{{Efn2|典型的な例としては[[コンパイル (企業)|コンパイル]]ともものきはうす、[[徳間書店インターメディア|TIM]]とテクノポリスソフトの関係などが挙げられる。}}。 後継機スーパーファミコンや携帯ゲーム機[[ゲームボーイ]]シリーズなどではグラフィック表現が向上したことなどからいくつかの移植作も存在するが、任天堂の姿勢に大きな変化は無かった。『[[ゲーム批評]]』のような雑誌のインタビューなどからも、山内時代の任天堂経営陣はギャルゲーについて質の低い作品が多く家庭用ゲームソフト全体の質を大きく下げた元凶と見なしていたことが窺われ、実際、任天堂の家庭用ゲーム機向けの移植はあまり行われなかった。社長が[[岩田聡]]に交替した後は従来の方針を変えつつあるが、アダルト描写が不可であることは現在まで一貫している。 ===== 日本電気ホームエレクトロニクス ===== [[日本電気ホームエレクトロニクス|NEC-HE]](1987年(昭和62年)にPCエンジンでコンシューマゲーム業界に後発参入)は、過去の任天堂とはまったく逆のスタンス「ハードウェアが売れるならばソフトの内容は問わない」という姿勢を取っていた。そのため、当初はPCエンジンに倫理規定は設けられていてPlayStationでコンシューマゲーム市場の主導権を握ったSCEも「[[ソニー・インタラクティブエンタテインメント#日本におけるソフトウェアの流通構造|ソニーチェック]]」と俗称される表現に対する厳しい独自規制を敷くなど、サードパーティーの管理や表現規制については多かれ少なかれ任天堂に類似した手法と基準を用いていた。 また、「原作のゲームと同一タイトルをつけることを認めない」というルールが制定され、著作権表示に元のブランド表記がない作品が多い。これにより『ONE 〜輝く季節へ〜』が移植されるとき『輝く季節へ』へと改題されている。 しかし性表現の制限は次第に寛容になっており、逆に積極的な利用をする例も見受けられるようになった。携帯ゲーム機である[[PlayStation Portable|PSP]]向けに[[プレーヤーズゲーム#DVDPG|UMDPG]]というPSP専用の規格を作っており一部のメーカーがこれに沿ったアダルトゲームを発売している。また、『サービスショットが満載!!悩殺系ゲーム特集』<ref>{{Cite web|和書|author=Sony Computer Entertainment Inc|url=http://www.jp.playstation.com/psn/store/magazine/140320/02/index.html|title=サービスショットが満載!!悩殺系ゲーム特集|work=Sony Computer Entertainment Inc|language=日本語|accessdate=2016-01-10}}、{{Cite web|和書|author=Sony Computer Entertainment Inc|url=http://www.jp.playstation.com/psn/store/magazine/140320/02/index-02.html|title=サービスショットが満載!!悩殺系ゲーム特集(2ページ目)|work=Sony Computer Entertainment Inc|language=日本語|accessdate=2016-01-10}}</ref> のようにギャルゲーとアダルトゲームの区別がつけにくいソフトの広告も行うようになっている。 これらの規制によりアダルトゲームのギャルゲー化は作品の販路拡大・メディアミックスの手法として定着していく。だがこれは、単に家庭用ゲーム機に性的表現を盛り込むことをソフトメーカーが放棄したともいえ、年を追う毎にアダルトゲームとギャルゲーとの境界線はあいまいなものになっていった。 各ソフトウェアメーカーの動きとしては、メインストリームが[[PlayStation 3]]に移行してPlayStation 2のシェアが大きく衰退していった時期でも、PlayStation 3用ソフトウェアの開発費の恒常的な高コスト体質などの問題からPlayStation 2のプラットフォームで制作・発売されるケースは多かったが、次第にPlayStation Portableや[[PlayStation 3]]や[[PlayStation Vita]]、[[マイクロソフト]]の[[Xbox 360]]など時代に合ったプラットフォームへ移行していった。 ==== コンシューマ移植の実例 ==== ===== 日本電気ホームエレクトロニクス(移植の実例) ===== [[NECアベニュー]]から[[ドラゴンナイト]]シリーズ(II・III)・ドラゴンナイト&グラフィティや[[CAL (ゲーム)|CAL]]シリーズを発売している。 また、次世代機である[[PC-FX]]もアダルトゲームの制作が認められており「18禁X指定」枠で『同級生2』(1996年、NECアベニュー)、『[[Piaキャロットへようこそ!!|Pia♥キャロットへようこそ!!]]』(1996年、[[カクテル・ソフト]]、PC-FX版は翌年自社発売)などが移植された。 ===== セガ(移植の実例) ===== セガサターンでは『[[アイドル雀士スーチーパイ]]Special』(1995年、[[ジャレコ]])が発売されたが、「18歳以上推奨」で乳首の露出のみ不可とされたことにより、脱衣後の人体描写が不自然なものであったため『アイドル雀士スーチーパイRemix』(1995年、ジャレコ)は「18禁X指定」で発売されることとなった。 『[[野々村病院の人々]]』(エルフ)が「18禁X指定」枠で移植されている。「18歳以上推奨」では『同級生if』や『[[下級生 (ゲーム)|下級生]]』が移植されている。 ===== ソニー・コンピュータエンタテインメント(移植の実例) ===== PlayStationについては上述の「ソニーチェック」によりアダルトゲームの移植自体は少なかった。ただし、原作の性的描写を抑えたりカットされる形、(『アイドル雀士スーチーパイ Limited』『アイドル雀士スーチーパイII Limited』のようにタイトルに「Limited」がつき、脱衣シーンを水着に差し替えている。)いわゆるギャルゲー化することで移植を果たした『同級生2』(1997年、[[バンプレスト]])、『To Heart』(1999年、アクアプラス)のような実例は存在する。 PlayStation 2の時代には、タイトルは過去に他のハードウェアに移植されていないタイトルでもサブタイトルが付いている程度(もともとサブタイトルがあるタイトルでもサブタイトル部分が変更されている)であり、原作者表記についてはブランド名でなく法人名やコンシューマゲーム機向けに用意された別のブランド名が表記されていたケースがあったが全般的なものではなく、PlayStation時代に比べれば緩和されている。中にはパッケージ裏に原作者のロゴが表示されているものも存在するほどである。 だが、過去の規制の名残でPlayStationでもタイトルが完全に変わっている作品があるほか、形式上他機種からの移植といえる状況が発生しなくなった今日ではWindows版と同名で発売されるケースはない。PlayStation 3への移植は、アクアプラスから『[[WHITE ALBUM|WHITE ALBUM 綴られる冬の想い出]]』、[[GN Software]]から『[[涼風のメルト]]』が発売されている。 ==== 移植と逆移植 ==== ギャルゲー化という手法を確立したことでアダルトゲームのコンシューマゲーム機への移植のハードルが下がると、今度は逆にコンシューマゲーム機で発売されたギャルゲーがWindows版に移植されるようにもなった。その中には単純にWindowsに[[エミュレート]]しただけの作品もあるが、中にはギャルゲーに性的描写を追加し、アダルトゲームとして発売した作品も存在する。このようなWindows版移植作品を指して、コンシューマゲーム機からアーケードゲームへの移植と同様に「逆移植」と呼ぶこともある。 最初の事例は『[[6インチまいだーりん]]』(1998年、[[KID (ゲームブランド)|KID]])が翌年に[[あいりゅ]]によってアダルトゲームとしてWindowsに移植されたものと考えられるが、この作品の段階では原作自体の知名度の低さもあって一般化しなかった。その後もいくつかあったが、CEROの15歳以上対象のギャルゲーで発売された『[[ToHeart2]]』(2004年、アクアプラス)をアダルトゲーム化したWindows版の『To Heart2 XRATED』(2005年、Leaf)が発売されて以降広まっていく。ただし、このような作品の大半は事実上アダルトゲームメーカーが制作したギャルゲーを移し変えた物やシリーズ全体で見た最初の作品がアダルトゲームであり、Windows版への「逆移植」によるアダルト化移植は時間の問題、あるいはアダルトゲーム化を前提としていたなどの意見もある(Leafはアクアプラス内のブランド名)。 また、コンシューマゲーム機版から移植する際、サーカスの『[[D.C.II 〜ダ・カーポII〜]]』のように、既にWindows版を所有している者に対するセールスポイントにするため、コンシューマゲーム機版で新規追加したキャラクターに性的描写を加えるといった作品もある。具体的には、Windows版『D.C.II 〜ダ・カーポII〜』にヒロインを追加して性的描写を削除した内容で、タイトルを『D.C.II P.S.(ダ・カーポII プラスシュチュエーション)』としてPlayStation 2に移植をし、この追加ヒロインにも新規に性的描写を加えて『D.C.II P.C.(ダ・カーポII プラスコミュニケーション)』としてWindowsに移植をしている。このようにゲーム内容の追加および性的描写の削除と追加を繰り返しながら、コンシューマゲーム機とWindowsの両プラットフォーム間を往復する事例も少なくない。 その一方、アリスソフトのようにほとんどの作品で性的な要素がゲーム内の根幹部に関わっており、軽微な改変によるギャルゲー化やコンシューマゲーム機への移植はコンセプト的に不可能という作品を作り続けているメーカーもある。もとより強姦魔が主人公の[[陵辱]]系作品や、性行為以外やることの無いいわゆる「抜きゲー」では、非アダルトゲーム化は不可能である。また、成年向けということから、人種・部落差別<!-- H2O? -->、麻薬<!-- ユメミルクスリ? -->、人身売買<!-- 奴隷市場? --><!-- 作品が具体的に示されていない。 -->などの時事をストーリーに取り入れた作品は少なくないが、これも倫理上問題があるとして不可能とされる。 === OVA・テレビアニメなどの映像作品 === アダルトゲームのアニメ化自体は1990年代の初頭から細々と行われていたものの、アニメ化作品でヒット作といえるだけのセールスを記録した最初の作品は、原作ゲーム自体もやはり大ヒット作であった『同級生 夏の終わりに』(1994年、[[ピンクパイナップル]])であった。このころは家庭用ゲームへの移植が当初はアダルト色を何とか残しつつ行われたのと同様、[[映画のレイティングシステム|R指定]](15禁)ないし18禁のアダルトアニメで、[[レンタルビデオ]]店向けのアダルトビデオの一種として製作され、後に[[OVA]]として販売されていた。 この流れが変わり始めたのは『[[下級生 (ゲーム)|エルフ版 下級生 〜あなただけを見つめて…〜]]』(1997年、ピンクパイナップル)で、性的描写が存在するR指定と、存在しない全年齢版の2種類が製作された。その後アダルトOVAとして製作された『同級生2』(1996年、ピンクパイナップル)が、1998年に性的描写の全カット・話数追加をして再編集の上、初めて[[地上波]]でテレビアニメとして放映された。 初めから性的描写を除外した地上波向けアニメとして企画された端緒は、『同級生2』のテレビ放送と同時期に[[テレビ東京]]で放映された『[[Night Walker -真夜中の探偵-]]』である。その後、1999年に『To Heart』が放映されたが、これは原作をアクアプラス名義とする、すなわちPlayStation移植版のギャルゲー化された作品を直接の原作と位置づけていた{{Efn2|『To Heart』のアニメ作品においては、アクアプラスのアダトゲームブランドであるLeafの名は一貫して出されることはなく、原則としてコンシューマ機版作品およびそれを経由した関連商品にもLeafの名義は用いられない。}}。以降は、ギャルゲーとしてコンシューマゲーム機にも移植可能、あるいは移植されたストーリー重視型や、過激なシーンをカットし、シナリオを修正すればギャルゲーとしても成立可能なタイプの作品がテレビアニメ化されている。その多くは、[[全国独立放送協議会|独立局]]などで放映される[[UHFアニメ]]である。 ローカル局以外では[[全国放送]]の[[WOWOW]]や、[[TBSテレビ|TBS]]のデジタル衛星放送[[BS-TBS]]がこの種のアニメの放映に比較的寛容である。例外的に在京[[キー局]]で放送された作品としては『Kanon』(2002年、[[東映アニメーション]])がある。 2002年に『[[Piaキャロットへようこそ!!3]]』(2001年、[[F&C]])<ref>{{Cite web|和書|url=http://douga.nifty.com/cs/story/title/23740022/1.htm|title=Piaキャロットへようこそ!!劇場版〜さやかの恋物語〜|work=アニメイトTV|publisher=@ニフティ|accessdate=2010-03-11}}</ref>、2005年に『AIR』(2000年、Key)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.air2004.com/|title=劇場版AIR公式サイト|accessdate=2010-03-11}}</ref> が[[アニメーション映画|劇場版アニメ]]として上映された。ともにアダルトゲームを直接の原作にしながらも性的描写はカットされ、これらもギャルゲーのアニメ化作品とおおむね同様の様式になっている。 2005年[[1月]]から[[ボーイズラブ]]系(女性向け)のアダルトゲームからアニメ化された作品としては最初のものとなる、『[[好きなものは好きだからしょうがない!!]]』(2000年、[[ソフパル|プラチナれーべる]])がUHFアニメして放映され、その後も数的には男性向けのアダルトゲームほどではないがメディアミックス展開やアニメ化が行われるようになっている。 このように2000年代に入ってからアダルトゲームを原作としてこれに非アダルト作品へと大幅なアレンジを施してのメディアミックス展開やテレビアニメ化が多数進められるようになった要因としては、「萌え」という要素がサブカルチャーの世界では極端に[[ニッチ市場|ニッチ]]なものではなくなってきたことに加え、青少年保護関連の法律や条例の整備が進み、法的拘束力のあるゾーニングが実現したことに伴い、アダルト表現を含まない形であれば少年・少女も対象とした商品展開も容易に行えるようになったことや、1999年に『To Heart』でPlayStation版とテレビアニメを連携させるメディアミックス手法が成功したため、これを雛形とすることでその後はアダルト版・コンシューマ機版のファン全般を販売戦略の主ターゲットとして位置づけた企画としてテレビ局に[[プレゼンテーション|プレゼン]]を行うことが可能になったことなどが挙げられる。また、従来はサブカルチャーの王道としてテレビアニメの原作の中核を担ってきた週刊連載漫画やライトノベルの人気作品がより大作・長期化の傾向になったことで、これらよりも小規模で手頃なメディアミックス企画を立ち上げるのに好適な素材としてアダルトゲーム原作作品に着目した出版社・アニメ製作会社などのメディアミックス企業と、メディアの大容量化や複数ヒロインによるマルチシナリオ・マルチエンディング、他にも豪華な初回特典などが事実上必須になってトータルのパッケージが肥大化し、開発費・関連経費の増加傾向に歯止めが効かない現状で、経営を安定させるための収益チャンスや作品・ブランドの知名度やネームバリューの向上機会を模索するゲーム制作会社・流通会社と、双方の思惑と利益が一致したというところが大きな要因として存在する。また、上述したとおりメディアミックスには様々な業界が関連するため、メディアミックス企業が複数チャンネル同時展開の中核としてアニメ企画を立ち上げて原作ゲームとの二本柱の体制を構築し、他の各種グッズやコミカライズ展開などの中心軸として活用するパターンも多い。 その一方で、性的描写・性行為を物語上のメインとしているため、家庭用ゲーム機への移植やテレビアニメ化が不可能な(または一般向けのメディアミックスが望めない)「抜きゲー」と呼ばれるジャンルの作品についても、アダルトアニメ化によるOVA展開は続けられており、[[レンタルビデオ]]向けなどを中心に一定規模の市場が構築されている。 [[実写]]のアダルトビデオ化されたものは、『[[夜勤病棟]]』(1999年、[[ミンク (企業)|ミンク]])<ref>{{Cite web|和書|date=2009-04-11|url=http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=1ifdva015/|title=夜勤病棟ヒロインシリーズ総集編 七瀬恋 風間愛 八神優|work=DMM.ADULT|publisher=株式会社デジタルメディアマート|accessdate=2010-03-11|quote=アダルトPCゲーム大手メーカー『ミンク』のビックタイトル、『夜勤病棟ヒロインシリーズ』の実写化}}</ref> や『[[対魔忍アサギ]]』(2005年、[[リリス (ブランド)|Lilith]])<ref>{{Cite web|和書|author=アタッカーズ|authorlink=アタッカーズ|date=2010-03-05|url=http://www.attackers.net/special/asagi/product.htm|title=商品紹介|work=アタッカーズ対魔忍アサギ作品集特設ページ|publisher=アタッカーズ|accessdate=2010-03-11|quote=アダルトゲームで空前の大ヒットを記録した「対魔忍アサギ」初の実写映像化!原作Lilith全面協力!}}</ref> などの例があるが、数は少ない。 === 漫画・小説など書籍 === 1990年代以降、多くのアダルトゲーム作品で、これを原作にした小説化作品が刊行されている。 大半は[[ジュブナイルポルノ]]と呼ばれる[[ジャンル]]に属する[[官能小説]]で、多くは[[新書]]判で刊行されている。その一方で、一部ではあるが性的要素を排除するなど大幅なアレンジを加えライトノベル化したものも存在し、このような作品は大半がライトノベルのレーベルから刊行されている。ジュブナイルポルノの場合、ゲームのシナリオライターと原画担当者がそのまま本文と挿絵を担当したり、ゲームの画像・素材が挿絵として流用されるケースが多い。対照的にライトノベルの場合、本文ではかなりの割合で、挿絵についてもある程度の割合で、出版社と繋がりのある別の若手・中堅作家が起用される。そのため、ライトノベル化作品では雰囲気が大きく変わることも珍しくない。 なお、過去にはアリスソフトの『[[DARCROWS]]』{{Efn2|これは2001年に制作されたもので、ワニブックスが2000年に刊行した真田一成の同名小説作品<ref>[https://www.wani.co.jp/sp/event.php?id=1463 真田一成『DARCROWS』 ワニブックスオフィシャルサイト]</ref> とは別物。}}のように、メーカー自身がノベライズ作品を[[自費出版]]の形で企画・制作し、自社のファンクラブ会員限定で[[通信販売]]したケースもある。 一部作品では[[漫画化|コミカライズ]]が行われることがあるものの、こちらについてはテレビアニメとのタイアップであったり、あるいはテレビアニメ化などの他のメディア展開を見据えたファン層の動向調査を兼ねるなど、大半が何らかの別のメディアミックス企画やその構想に深く関連しており、そのような性格を持つ企画となった場合、ほとんどのケースで性的要素を減らした形で雑誌掲載、単行本化されている。また、原画担当者にはイラストレーターとしての技術を持っていても、漫画作品の制作に必要なコマ割りやネーム作りの技術や、連載で必要な一定期間で所定枚数の原稿を仕上げるノウハウを持ち合わせていない者や、特に人気の人物の場合には原画・イラストの仕事だけでも多忙で漫画制作を行う時間的余裕が確保できない者も珍しくない。このような都合から、出版社側の人脈でコミカライズ担当の漫画家が起用されることが大半で、原作ゲームの原画担当者自身が漫画を作画することは稀である。 なお、ノベライズやコミカライズにあたって出版社側が作家・漫画家を用意する場合、ゲームメーカーの意向として、ノベライズやコミカライズの担当者の個性・才能を期待して裁量を大きく与えたり、ゲーム側を『正伝』、出版作品側を『外伝』などと位置づけて、意図的に雰囲気を変えさせている場合がある。たとえば、『[[闘神都市]]』シリーズ(アリスソフト)のノベライズ作品として1999年に出版された『闘神都市 紅の記憶編』([[ワニブックス]])のように、ゲームソフトからは世界観と基本設定のみが流用され、キャラクターやストーリーは完全に小説オリジナルというものも存在する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * 『東大オタク学講座』 [[講談社]]刊・[[岡田斗司夫]]著、{{ISBN2|4-06-208292-6}} * 『萌え萌えジャパン』 講談社刊・堀田純司著、{{ISBN2|4-06-364635-1}} * 『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』 [[幻冬舎]]刊・森川嘉一郎著、{{ISBN2|4-344-00287-3}} * 『季刊 アニメ批評』 1999年夏号 マイクロデザイン出版局刊 == 関連項目 == * [[ハードコア (ポルノ)]] * [[成人向け漫画]] * [[ジュブナイルポルノ]] * [[アダルトアニメ]] * [[レイティング]] * [[コンピュータソフトウェア倫理機構]] * [[コンテンツ・ソフト協同組合]] * [[日本コンテンツ審査センター]] * [[コンピュータエンターテインメントレーティング機構]] * [[美少女ゲーム]] * [[ギャルゲー]] * [[乙女ゲーム]] * [[ボーイズラブゲーム]] * [[ショタゲー]] == 外部リンク == {{Commonscat|Eroge}} * [http://www.sofurin.org/ コンピュータソフトウェア倫理機構] ** {{Twitter|sofurin_jp|コンピュータソフトウェア倫理機構}} ** [https://moepedia.net/ Moepedia] * [https://web.archive.org/web/20160120085312/http://www.contents-soft.or.jp/ コンテンツ・ソフト協同組合](2016年1月20日時点の[[archive.is|アーカイブ]]) {{性}} {{コンピュータゲームのジャンル}} {{ポルノグラフィ}} {{DEFAULTSORT:あたるとけえむ}} [[Category:アダルトゲーム|*]] [[Category:和製英語]]
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8月23日
8月23日(はちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から235日目(閏年では236日目)にあたり、年末まであと130日ある。
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8月23日(はちがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から235日目(閏年では236日目)にあたり、年末まであと130日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月23日'''(はちがつにじゅうさんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から235日目([[閏年]]では236日目)にあたり、年末まであと130日ある。 == できごと == [[ファイル:Sekumname1525_Chaldiran_battle.jpg|thumb|[[チャルディラーンの戦い]] (1514)。銃火器を用いた[[オスマン帝国]]が[[サファヴィー朝]]ペルシャを破る|238x238ピクセル]] [[ファイル:Destroyer Sakaki.jpg|thumb|180x180px|大日本帝国がドイツ帝国に宣戦布告 (1914)。画像は1917年、英輸送船[[トランシルヴァニア (客船)|トランシルヴァニア]]の救助にあたった駆逐艦「榊」]] [[ファイル:Bandaibashi_mayoko_20041017.jpg|thumb|180x180px|3代目の[[萬代橋]]竣工 (1929)。1948年同日には欄干の落下事故があった]] {{Multiple image | footer = [[独ソ不可侵条約]]締結 (1939)。東欧の分割に関する秘密議定書が存在していた。 | image1 = MolotovRibbentropStalin.jpg | width1 = 85 | alt1 = 署名するモロトフ | image2 = Mucha_8_Wrzesien_1939_Warszawa.jpg | width2 = 95 | alt2 = ポーランドの風刺画 }} * [[1059年]] - {{仮リンク|メルフィ条約|en| Treaty of Melfi}}締結: [[ローマ教皇]][[ニコラウス2世 (ローマ教皇)|ニコラウス2世]]が[[ノルマン人]]傭兵[[ロベルト・イル・グイスカルド]]を{{仮リンク|アプリア・カラブリア伯|en| County of Apulia and Calabria}}並びに{{仮リンク|シチリアの君主一覧|label=シチリア伯|en|List of Sicilian monarchs}}に任命した。 * [[1305年]] - [[イングランド王国|イングランド]]による[[スコットランド王国|スコットランド]]支配に抵抗した[[ウィリアム・ウォレス]]が、ロンドンで処刑される<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/William-Wallace |title=William Wallace|Scottish hero |access-date=15 Apr 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。 * [[1514年]] - [[チャルディラーンの戦い]]。124年間に及ぶ[[オスマン帝国]]と[[サファヴィー朝]]ペルシャの抗争が始まる。 * [[1614年]] - [[フローニンゲン大学]]が創立<ref>{{Cite web |url=https://www.rug.nl/university-museum/history/university-of-groningen/ |title=The History of the University of Groningen |accessdate=15 Apr 2023 |publisher=The University of Groningen}}</ref>。 * [[1623年]]([[元和 (日本)|元和]]9年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]])- [[徳川家光]]の[[将軍宣下]]が行われる。 * [[1793年]] - [[フランス革命]]:[[国民公会]]が[[国民皆兵]]制度を導入。 * [[1856年]] - [[安政八戸沖地震]]発生。 * [[1866年]] - [[普墺戦争]]:[[プラハ条約 (1866年)|プラハ条約]]締結により普墺戦争が終結。 * [[1878年]] - [[竹橋事件]]: 東京・[[竹橋]]で[[近衛兵]]が反乱。 * [[1898年]] - [[日本鉄道]]磐城線・[[田端駅|田端]] - [[岩沼駅|岩沼]]間(現:JR[[常磐線]])が全通。 * [[1913年]] - [[コペンハーゲン]]で[[人魚姫の像]]が初公開。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]:[[日本]]([[大日本帝国]])が[[ドイツ帝国]]に[[宣戦布告]]。 * [[1921年]] - [[イラク王国]]が創設され、[[ファイサル1世 (イラク王)|ファイサル1世]]が初代イラク国王として即位。 * [[1927年]] - [[サッコ・ヴァンゼッティ事件]]:アメリカで、強盗殺人の罪でイタリア移民のニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティの死刑を執行。 * [[1929年]] - [[新潟市]]で[[鉄筋コンクリート]]造の3代目[[萬代橋]]が竣工。 * [[1939年]] - [[第二次世界大戦]]:[[独ソ不可侵条約]]締結。 * [[1942年]] - [[阪神甲子園球場|甲子園球場]]で[[文部省]]主催による全国中等学校野球大会開幕。([[1942年の全国中等学校野球大会]]) * [[1944年]] - 第二次世界大戦:[[ルーマニア革命 (1944年)|ルーマニア革命]]。[[ルーマニア]]王[[ミハイ1世 (ルーマニア王)|ミハイ1世]]が同国の指導者[[イオン・アントネスク]]を解任、ルーマニアが[[枢軸国]]から離脱。 * 1944年 - 第二次世界大戦:日本で、[[学徒勤労動員|学徒勤労令]]・[[女子挺身勤労令]]が公布・施行。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[ソ連対日参戦]]:[[ソビエト連邦]]の指導者[[ヨシフ・スターリン]]が[[日本軍]][[捕虜]]のソ連国内への移送を指令。([[シベリア抑留]]) * 1945年 - [[内務省 (日本)|内務省]]が「進駐軍を迎える国民の心得」を諭告。女性に対し外国軍に隙を見せてはならぬ等の指示。 * [[1946年]] - [[ハワード・ホークス]]監督、[[ハンフリー・ボガート]]主演の映画『[[三つ数えろ|三つ数えろ(原題: The Big Sleep)]]』が公開<ref>{{Twitter status|HumphreyBogart|1297353059278811136}}</ref>。 * [[1948年]] - [[萬代橋#万代橋事件|万代橋事件]]: [[萬代橋]]に花火大会の見物客が殺到し欄干が崩落<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hrr.mlit.go.jp/niikoku/bandaibridge/pdf/shiruhodonaruhodo.pdf |title=萬代橋歴史読本 29.萬代橋から花火が見られないのは? |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[国土交通省]]北陸地方整備局 新潟国道事務所 |format=[[PDF]] |page=18}}</ref>。死者11人。 * [[1949年]] - [[ハーグ円卓会議]](同年11月2日まで) * [[1958年]] - [[中国人民解放軍]]が[[中華民国]]の[[金門島]]に対し砲撃を開始し、[[金門砲戦]]が始まる。 * [[1970年]] - [[札幌市]]の[[市外局番|電話市外局番]]が0122から011へ変更<ref>{{Cite web|和書|url=https://hokkaidofan.com/tel_number/ |title=市外局番は札幌からはじまる「01X」札幌市の市外局番はおもしろい |work=北海道ファンマガジン |date=14 Mar 2008 |accessdate=15 Apr 2023}}</ref>。 * [[1971年]] - [[実尾島事件]]: [[大韓民国|韓国]]が[[実尾島]](シルミド)で訓練を行っていた特殊部隊員が反乱を起こす。 * [[1973年]] - [[リチャード・ニクソン|ニクソン]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]に[[ヘンリー・キッシンジャー]][[国家安全保障問題担当大統領補佐官|大統領補佐官]]を指名したと発表。 * 1973年 - [[ストックホルム]]で銀行立てこもり事件発生、[[犯罪被害者]]が[[犯人]]に過度の同情や共感をよせる現象を意味する[[ストックホルム症候群]]という呼称の由来となる。 * [[1975年]] - [[中央自動車道]][[恵那山トンネル]]を含む[[飯田インターチェンジ|飯田IC]] - [[中津川インターチェンジ|中津川IC]]間が開通。 * [[1976年]] - [[安楽死]]国際会議が東京で開催。翌日、安楽死の権利の保有をうたった「東京宣言」を採択。 * [[1988年]] - アメリカで[[スーパー301条]]などを含む{{仮リンク|包括通商・競争力強化法|en|Omnibus Foreign Trade and Competitiveness Act}}が成立。 * [[1989年]] - [[バルトの道]]: 当時[[ソビエト連邦]]の構成共和国だった[[バルト三国]]で約200万人が参加して3カ国を[[人間の鎖]]で囲む。 * [[1990年]] - [[アルメニア]]がソビエト連邦からの独立を宣言。 * [[1995年]] - [[1995年夏季ユニバーシアード|第18回ユニバーシアード福岡大会]]が162か国・地域の参加で開幕。 * [[2003年]] - [[三重県]][[長島町]](現:[[桑名市]])の[[ナガシマスパーランド]]の[[ジェットコースター]]「スチールドラゴン2000」が脱輪事故を起こし乗客1名が重症<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/d4?p=jca999-jlp01432581&d=d4_topics |title=遊園地での悲劇 写真特集 |accessdate=15 Apr 2023 |publisher=[[時事通信]] |website=JIJI.COM}}</ref>。 * [[2006年]] - [[オーストリア少女監禁事件]]。8年間監禁されていた18歳の少女を保護。犯人は同日自殺。 * [[2007年]] - {{仮リンク|クリス・メッシーナ (オープンソース主唱者)|en|Chris Messina (open source advocate)|label=クリス・メッシーナ}}が[[Twitter]]で「[[番号記号|#]]」を記事のタグ付け記号にすることを提案。[[ハッシュタグ]]の誕生。 * [[2010年]] - タイの[[スワンナプーム国際空港]]と[[バンコク]]を結ぶ鉄道、[[エアポート・レール・リンク]]が開業。 * 2010年 - [[フィリピン]]の[[マニラ]]で[[香港]]からの観光客を乗せた[[バス (交通機関)|バス]]が元警察官の男に[[バスジャック]]され、[[人質]]8人が死亡。犯人も射殺。 * [[2011年]] - 40年以上続いた[[リビア]]の内戦で反体制派が[[ムアンマル・アル=カッザーフィー|カダフィ]]大佐の拠点を攻略し、カダフィ政権が事実上崩壊した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/1790/ |title=リビアに訪れた「アラブの春」。いま、第一歩を踏み出そうとしています。 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=国際連合広報センター |date=2 Sep 2011}}</ref>。 * 2011年 - [[タレント]]の[[島田紳助]]が芸能界引退を発表<ref>{{Cite web|和書|date=23 Aug 2011 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2304K_T20C11A8000000/ |title=島田紳助さん芸能界引退 暴力団と親密な関係 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=15 Apr 2023}}</ref>。 * [[2015年]] - 臨時寝台特急「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」([[上野駅]]-[[札幌駅]])が、この日[[上野駅]]到着をもって運行が終了。これによって、1958年に登場して運転されてきた「[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]」は日本国内から姿を消した<ref>{{Cite web|和書|date=23 Aug 2015 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLAS0040004_T20C15A8000000/ |title=ブルートレインの歴史に終止符 「北斗星」最終列車、上野到着 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=15 Apr 2023}}</ref>。 * [[2018年]] - [[茨城県採石場爆発事故]]発生。 五月女鉱業の採石場で積み込み中の火薬約1tに火が付き、火薬庫と1tトラックが大破。1人が認定死亡し、近隣住宅の窓ガラス等が破損した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20190829-HI4RVFKSPRK5XFB5H66FBJOPUU/ |title=茨城の砕石場爆発事故、委託会社役員ら書類送検へ |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=29 Aug 2019}}</ref>。 * [[2020年]] - アメリカ合衆国ウィスコンシン州で黒人男性が警察官に銃撃される[[ジェイコブ・ブレークへの銃撃事件]]が発生。アメリカのプロスポーツ界で事件に抗議するためのボイコットが相次いだ<ref>{{Cite web|和書|date=27 Aug 2020 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3301282?cx_part=search |title=NBA3試合が延期に、バックスが黒人銃撃に抗議しボイコット |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=15 Apr 2023 |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2023年]] - ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン所有のジェット機がロシアのトヴェリ州に墜落しエフゲニー・プリゴジン含む乗員乗客10人が全員死亡した。 == 誕生日 == === 人物 === [[ファイル:Laperouse_1.jpg|thumb|194x194px|探検家[[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー]](1741-1788)]] {{Multiple image | footer = フランス王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]](1754-1793)誕生。左画像右は子供時代のルイ16世、同左は[[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]] | image1 = François hubert drouais - duque berry conde provença.jpg | width1 = 100 | alt1 = 子供時代のルイ16世 | image2 = Duplessis - Louis XVI of France, oval, Versailles.jpg | width2 = 80 | alt2 = 20歳のルイ16世 }} {{Multiple image | footer = 博物学者[[ジョルジュ・キュヴィエ]](1769-1832)誕生。右画像はインド象とマンモスの顎骨のスケッチ (1799) | image1 = Bolton-cuvier.jpg | width1 = 70 | alt1 = ジョルジュ・キュヴィエ | image2 = Cuvier_elephant_jaw.jpg | width2 = 110 | alt2 = インド象とマンモスの顎骨 }} {{Multiple image | image1 = %CE%95%CE%BB%CE%B5%CF%85%CE%B8%CE%AD%CF%81%CE%B9%CE%BF%CF%82_%CE%92%CE%B5%CE%BD%CE%B9%CE%B6%CE%AD%CE%BB%CE%BF%CF%82.jpg | width1 = 90 | caption1 = ギリシャの政治家[[エレフテリオス・ヴェニゼロス]](1864-1936) | al1t = エレフテリオス・ヴェニゼロス | image2 = Ephraim_Kishon_2001_Dortmund_B.jpg | width2 = 90 | caption2 = イスラエルの作家[[エフライム・キション]](1924-2005) | alt2 = エフライム・キション }} {{Multiple image | image1 = Kenneth_Arrow%2C_Stanford_University.jpg | width1 = 90 | caption1 = 経済学者[[ケネス・アロー]](1921-2017)。[[社会選択理論]]などに貢献 | alt1 = ケネス・アロー | image2 = Solow_natmedal.jpg | width2 = 90 | caption2 = 経済学者[[ロバート・ソロー]](左; 1924-) | alt2 = ロバート・ソロー }} {{Multiple image | footer = グラフィックデザイナー、[[ディック・ブルーナ]](1927-) | image1 = Dick_Bruna.jpg | width1 = 90 | alt1 = ディック・ブルーナ | image2 = Dick-bruna-wall-of-fame.jpg | width2 = 90 | alt2 = 手形とミッフィー }} {{Multiple image | image1 = Hamilton_Smith.jpg | width1 = 110 | caption1 = 微生物学者[[ハミルトン・スミス]](1931-)タイプII[[制限酵素]]を発見 | alt1 = ハミルトン・スミス | image2 = Nobel_Prize_2009-Press_Conference_KVA-10.jpg | width2 = 70 | caption2 = 生化学者[[トマス・A・スタイツ]](1940-) | alt2 = トマス・A・スタイツ }} [[ファイル:Keith_Moon_4_-_The_Who_-_1975.jpg|thumb|90x90px|[[ロック (音楽)|ロック]]ドラマー、[[キース・ムーン]](1946-1978)]] * [[1668年]]([[寛文]]8年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[松平吉透]]、[[松江藩|松江藩主]](+ [[1705年]]) * [[1697年]]([[元禄]]10年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[織田秀行]]、[[柳本藩|柳本藩主]](+ [[1726年]]) * [[1707年]]([[宝永]]4年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]) - [[溝口直治]]、[[新発田藩|新発田藩主]](+ [[1732年]]) * [[1741年]] - [[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー]]、[[探検家]](+ [[1788年]]?) * [[1754年]] - [[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]、[[フランス王国|フランス]]国王(+ [[1793年]]) * [[1769年]] - [[ジョルジュ・キュヴィエ]]、[[博物学者]](+ [[1832年]]) * [[1805年]]([[文化 (元号)|文化]]2年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[池田定保]]、[[鳥取藩#若桜藩|若桜藩]](+ [[1847年]]) * [[1839年]] - [[ジェームズ・ゲイキー]]、[[地質学者]](+ [[1915年]]) * [[1842年]] - [[オズボーン・レイノルズ]]、[[物理学者]](+ [[1912年]]) * [[1847年]]([[弘化]]4年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[森有礼]]、[[政治家]](+ [[1889年]]) * [[1852年]] - [[アーノルド・トインビー]]、[[経済学者]](+ [[1883年]]) * [[1854年]] - [[モーリッツ・モシュコフスキ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1925年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[穂積陳重]]、[[法学者]](+ [[1926年]]) * [[1858年]](安政9年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[一柳頼明]]、[[小松藩|小松藩主]](+ [[1920年]]) * [[1864年]] - [[エレフテリオス・ヴェニゼロス]]、政治家(+ [[1936年]]) * [[1870年]] - [[ジョージ・デイヴィス (内野手)|ジョージ・デイヴィス]]、元プロ野球選手(+ [[1940年]]) * [[1887年]] - [[フリードリッヒ・ザンデル]]、宇宙工学者(+ [[1933年]]) * [[1897年]] - [[河村光陽]]、作曲家(+ [[1946年]]) * [[1899年]] - [[木川田一隆]]、[[実業家]](+ [[1974年]]) * [[1900年]] - [[三好達治]]、[[詩人]](+ [[1964年]]) * 1900年 - [[エルンスト・クルシェネク]]、作曲家(+ [[1991年]]) * [[1904年]] - [[テルマ・ファーネス]]、ファーネス子爵夫人(+ [[1970年]]) * 1904年 - [[ウィリアム・プリムローズ]]、[[ヴィオラ奏者]](+ [[1982年]]) * [[1905年]] - [[コンスタント・ランバート]]、作曲家、[[指揮者]](+ [[1951年]]) * [[1908年]] - [[アルチュール・アダモフ]]、[[劇作家]](+ [[1970年]]) * [[1910年]] - [[ジュゼッペ・メアッツァ]]、[[サッカー選手]](+ [[1979年]]) * [[1911年]] - [[澤柳大五郎]]、[[美術史家]](+ [[1995年]]) * 1911年 - [[ビルゲル・ルート]]、[[スキー]]選手(+ [[1998年]]) * [[1912年]] - [[ジーン・ケリー]]、[[俳優]](+ [[1996年]]) * 1912年 - [[宮柊二]]、[[歌人]](+ [[1986年]]) * [[1915年]] - [[川路龍子]]、[[俳優|女優]](+ [[1996年]]) * [[1917年]] - [[伊藤桂一]]、[[作家]](+ [[2016年]]) * [[1919年]] - [[大野晋]]、[[日本語学者]](+ [[2008年]]) * [[1920年]] - [[別当薫]]、元[[プロ野球選手]]、元プロ野球監督(+ [[1999年]]) * 1920年 - [[鮎川信夫]]<ref>{{Kotobank|鮎川信夫}}</ref>、[[詩人]]、[[文芸評論家]](+ [[1986年]]) * [[1921年]] - [[ケネス・アロー]]、[[経済学者]](+ [[2017年]]) * [[1922年]] - [[高山泰夫]]、元プロ野球選手 * 1922年 - [[ジョージ・ケル]]、元プロ野球選手(+ [[2009年]]) * [[1923年]] - [[エドガー・F・コッド]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[2003年]]) * [[1924年]] - [[香川登志緒]]、[[喜劇]][[作家]](+ [[1994年]]) * 1924年 - [[エフライム・キション]]、作家(+ [[2005年]]) * 1924年 - [[ロバート・ソロー]]、[[経済学者]](+ [[2023年]]) * 1924年 - [[ドクトル・チエコ]]、[[産婦人科医]]、[[性医学]][[評論家]](+ [[2010年]]) * [[1925年]] - [[ロバート・マリガン]]、[[映画監督]]、[[映画プロデューサー]](+ [[2008年]]) * [[1926年]] - [[クリフォード・ギアツ]]、[[文化人類学]]者(+ [[2006年]]) * [[1927年]] - [[アラン・カプロー]]、[[芸術家]](+ [[2006年]]) * 1927年 - [[ディック・ブルーナ]]、[[絵本作家]](+ [[2017年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.dickbruna.jp/news/201702/4661.html |title=訃報 ディック・ブルーナ逝去のお知らせ |access-date=15 Apr 2023 |publisher=株式会社ディック・ブルーナ・ジャパン |date=18 Feb 2017}}</ref>) * [[1928年]] - [[橋本敦]]、政治家(+ [[2021年]]) * [[1929年]] - [[ヴェラ・マイルズ]]、女優 * 1929年 - [[渡辺信義]]、元プロ野球選手(+ [[2006年]]) * 1929年 - [[チボル・ゾルターン]]、[[サッカー選手]](+ [[1997年]]) * [[1930年]] - [[ブーズー・チェイヴィス]]、[[歌手]]、[[アコーディオン]]奏者(+ [[2001年]]) * [[1931年]] - [[ハミルトン・スミス]]、[[生物学者]] * [[1933年]] - [[池田文雄]]、[[プロデューサー]](+ [[2003年]]) * 1933年 - [[三浦方義]]、元プロ野球選手 * 1933年 - [[ロバート・カール]]、[[化学者]](+ [[2022年]]) * [[1936年]] - [[ヘンリー・リー・ルーカス]]、[[シリアルキラー]](+ [[2001年]]) * 1936年 - [[片田謙二]]、元プロ野球選手(+ [[1993年]]) * [[1939年]] - [[桂文生|桂文生(3代目)]]、[[落語家]] * [[1940年]] - [[トマス・A・スタイツ]]、[[分子生物学者]](+ [[2018年]]) * 1940年 - [[広瀬登喜夫]]、元[[オートレース選手]] * [[1941年]] - [[井上ひろし]]、歌手(+ [[1985年]]) * [[1944年]] - [[小林弘]]、元[[プロボクサー]] * [[1945年]] - [[泉沢彰]]、元プロ野球選手(+ [[2017年]]) * 1945年 - [[伊藤一長]]、政治家(+ [[2007年]]) * [[1946年]] - [[キース・ムーン]]、[[ドラマー]]([[ザ・フー]])(+ [[1978年]]) * 1946年 - [[飯野おさみ]]、俳優、歌手 * [[1947年]] - [[テリエ・リピダル]]、ジャズギタリスト * 1947年 - [[一城みゆ希]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20201130231639/https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/一城みゆ希/ |title=一城みゆ希(いちじょうみゆき)の解説 |work=goo人名事典 |accessdate=15 Apr 2023 |publisher=[[NTTレゾナント|NTT Resonant Inc.]]}}</ref>、[[声優]](+ [[2023年]]) * [[1948年]] - [[宇田東植]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[長岡良子]]、[[漫画家]] * 1949年 - [[高樹蓉子]]、女優 * 1949年 - [[リック・スプリングフィールド]]、歌手、俳優 * 1949年 - [[シェリー・ロング]]、女優 * [[1950年]] - [[ローザ・オトゥンバエヴァ]]、政治家、第3代[[キルギス]]大統領 * 1950年 - [[譚詠麟]]、歌手 * [[1952年]] - [[ジェリー・ホワイト]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[ヴィッキー・レアンドロス|ヴィッキー]]、歌手 * [[1956年]] - [[岡江久美子]]、女優(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200423/k10012401871000.html |title=俳優の岡江久美子さんが肺炎で死去 63歳 新型コロナに感染 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=23 Apr 2020 |accessdate=15 Apr 2023}}</ref>) * 1956年 - [[益岡徹]]、[[俳優]] * 1956年 - [[山田隆夫]]、[[落語家]]、[[アーティスト]]、[[声優]]、[[お笑いタレント]]、俳優 * [[1957年]] - [[新倉史祐]]、元[[プロレスラー]] * [[1958年]] - [[大野方栄]]、歌手 * 1958年 - [[佐藤しのぶ (歌手)|佐藤しのぶ]]、[[ソプラノ歌手]](+ [[2019年]]) * 1958年 - [[フリオ・フランコ]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[見沢知廉]]、作家、[[新右翼]]活動家(+ [[2005年]]) * 1959年 - [[ピーター・オペガード]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1959年 - [[谷福美]]、[[プロゴルファー]] * [[1960年]] - [[馬淵澄夫]]、政治家 * [[1961年]] - [[コング桑田]]、俳優、声優、[[タレント]] * 1961年 - [[柴原孝典]]、スタントマン * 1961年 - [[高橋ひとみ]]、女優 * [[1962年]] - [[巻島直樹]]、声優 * 1962年 - [[渡真利克則]]、元プロ野球選手、元審判 * 1962年 - [[林玉緒]]、声優 * [[1963年]] - [[久下香織子]]、アナウンサー * [[1964年]] - [[ジェフ・マント]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[TARU]]、プロレスラー * [[1965年]] - [[ロジャー・エイヴァリー]]、[[脚本家]]、映画監督 * 1965年 - [[徳本恵子]]、アナウンサー * [[1966年]] - [[藤井恵 (料理研究家)|藤井恵]]、[[料理研究家]] * 1966年 - [[高橋和勧]]、俳優、映画監督 * 1966年 - [[アレクサンダー・ケーニッヒ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1967年]] - [[戸高一生]]、作曲家、声優 * 1967年 - [[大藤晋司]]、アナウンサー * [[1968年]] - [[大至伸行]]、元[[大相撲]][[力士]]、歌手 * 1968年 - [[森保一]]、元サッカー選手、サッカー監督 * 1968年 - [[米本千珠]]、声優 * [[1969年]] - [[五十嵐英樹]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[千田輝彦]]、元[[騎手]] * 1969年 - [[小桜セレナ]]、元[[グラビアアイドル]]、元女優、元タレント * 1969年 - [[藤井彩子]]、[[アナウンサー]] * 1969年 - [[林家久蔵]]、落語家 * 1969年 - [[山咲トオル]]、漫画家 * [[1970年]] - [[リヴァー・フェニックス]]、俳優(+ [[1993年]]) * [[1971年]] - [[デメトリオ・アルベルティーニ]]、元サッカー選手 * 1971年 - [[藤井清美]]、脚本家、演出家 * 1971年 - [[坂梨哲士]]、アナウンサー * 1971年、[[柳澤寿男]]、音楽家、指揮者 * [[1972年]] - [[有賀ヒトシ]]、漫画家 * 1972年 - [[吉村靖孝]]、建築家 * 1972年 - [[上岡元]]、アナウンサー * [[1974年]] - [[脇田潤]]、[[ゲームクリエイター]] * 1974年 - [[雷句誠]]、漫画家 * 1974年 - [[酒井はな]]、[[バレリーナ]] * 1974年 - [[レイ・パーク]]、俳優、[[スタントマン]] * [[1975年]] - [[伊達昌司]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[伊藤佳奈恵]]、元陸上選手 * 1975年 - [[夏目義徳]]、漫画家 * [[1976年]] - [[小野仁]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[デンカオセーン・カオウィチット]]、[[プロボクサー]] * 1976年 - [[スコット・カーン]]、俳優 * 1976年 - [[紫城るい]]、女優 * [[1977年]] - [[泉光典]]、俳優 * 1977年 - [[三宅健太]]<ref name="goo">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20210501085010/https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/三宅健太/ |title=三宅健太(みやけけんた)の解説 |accessdate=15 Apr 2023 |publisher=[[NTTレゾナント|NTT Resonant Inc.]] |website=goo人名事典}}</ref>、声優 * 1977年 - [[佐田真由美]]、モデル * 1977年 - [[ニコール・ボベック]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1977年 - [[磯辺絵梨子]]、元バレーボール選手 * [[1978年]] - [[高橋努 (俳優)|高橋努]]、俳優 * 1978年 - [[コービー・ブライアント]]、プロ[[バスケットボール]]選手(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/51275966 |title=元NBAコービー・ブライアントさん墜落死 事故原因の調査進む |access-date=15 Apr 2023 |publisher=BBC NEWS JAPAN |date=28 Jan 2020}}</ref>) * 1978年 - [[ジュリアン・カサブランカス]]、[[ミュージシャン]]([[ザ・ストロークス]]) * [[1979年]] - [[クリス・ロバーソン (野球)|クリス・ロバーソン]]、プロ野球選手 * 1979年 - [[山口智史]]、元ラクビー選手 * 1979年 - [[森かおり]]、元[[バドミントン]]選手 * 1979年 - [[小林拓一郎]]、[[ZIP-FM]]ナビゲーター * 1979年 - [[木の子]]、作詞家 * [[1980年]] - [[NOBE]]、作詞家 * 1980年 - [[栗田雄介]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[EXILE AKIRA]]、ダンサー([[EXILE]]) * 1981年 - [[森田哲矢]]、お笑い芸人([[さらば青春の光 (お笑いコンビ)|さらば青春の光]]) * 1981年 - [[与座重理久]]、俳優 * 1981年 - [[榊英訓]]、俳優、声優 * [[1982年]] - [[ジュニア (ファッションモデル)|ジュニア]]、[[ファッションモデル]] * 1982年 - [[亀井京子]]、アナウンサー * 1982年 - [[ナタリー・コグリン]]、競泳選手 * 1982年 - [[山口剛 (競艇選手)|山口剛]]、[[競艇選手]] * 1982年 - [[池邉啓二]]、元野球選手 * [[1983年]] - [[高口隆行]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[ジェームズ・コリンズ (1983年生のサッカー選手)|ジェームズ・コリンズ]]、元サッカー選手 * 1983年 - [[棚橋麻衣]]、タレント * 1983年 - 富所哲平<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahigunma.com/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E4%BD%8F%E3%81%BF%E3%81%BE%E3%81%99%E8%8A%B8%E4%BA%BA-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3-%E5%AF%8C%E6%89%80-%E5%93%B2%E5%B9%B3%E3%81%95/ |title=群馬住みます芸人 アンカンミンカン 富所 哲平さん |date=14 Feb 2017 |accessdate=15 Apr 2023 |publisher=朝日ぐんま}}</ref>、お笑いタレント([[アンカンミンカン]]) * [[1984年]] - [[グレン・ジョンソン]]、元サッカー選手 * 1984年 - [[木本敬介]]、元サッカー選手 * 1984年 - [[リディア・チェプクルイ]]、陸上競技選手 * 1984年 - [[岡崎大樹]]、俳優 * 1984年 - [[古川小百合]]、タレント、声優 * 1984年 - [[三遊亭ふう丈]]、落語家 * [[1985年]] - [[渡邉沙志]]、作曲家、編曲家、歌手 * 1985年 - [[DJ LOVE]]、ミュージシャン([[SEKAI NO OWARI]]) * 1985年 - [[石川真琴]]、[[グラビアアイドル]] * 1985年 - [[中河内雅貴]]、[[俳優]] * 1985年 - [[小澤真利奈]]、[[俳優#性別での分類|女優]] * [[1986年]] - [[崎本大海]]、俳優 * 1986年 - [[伊藤奈月]]、元バスケットボール選手 * [[1987年]] - [[池田彩 (歌手)|池田彩]]、歌手(元[[C-ZONE]]) * 1987年 - [[川崎希]]、タレント、実業家(元[[AKB48]]) * 1987年 - [[大塚裕土]]、バスケットボール選手 * [[1988年]] - [[マイルズ・マイコラス]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[TeddyLoid]]、音楽プロデューサー、作曲家、リミキサー * [[1990年]] - [[レイモンド・マンコ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[DJ松永]]、DJ([[Creepy Nuts]]) * [[1991年]] - [[川原弘之]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[工藤光輝]]、元サッカー選手 * 1991年 - [[草薙航基]]、お笑い芸人([[宮下草薙]]) * [[1992年]] - [[広瀬玲奈]]、[[アイドル]]、[[タレント]] * 1992年 - [[河野有香]]、元フィギュアスケーター * [[1993年]] - [[五十嵐健人]]、俳優 * 1993年 - [[タイラー・グラスノー]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[中島翔哉]]、サッカー選手 * 1994年 - [[松本菜奈実]]、[[AV女優]]、元グラビアアイドル * [[1996年]] - [[松田昂大]]、元[[子役]] * 1996年 - [[井手口陽介]]、サッカー選手 * [[1997年]] - [[中井りか]]、アイドル([[NGT48]]) * 1997年 - [[北香那]]、女優 * [[1998年]] - [[東村芽依]]、アイドル([[日向坂46]]) * 1998年 - [[長谷川宙輝]]、プロ野球選手 * [[1999年]] - [[向井葉月]]、アイドル([[乃木坂46]]) * [[2000年]] - [[橋村龍ジョセフ]]、サッカー選手 * [[2001年]] - [[稲垣鈴夏]]、元タレント * 2001年 - [[伊地知賢造]]、[[陸上競技]]選手 * 2001年 - [[舟越秀虎]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - [[岩﨑大昇]]、アイドル([[美 少年]]/[[ジャニーズJr.|ジュニア]]) * [[2003年]] - [[田中楓基]]、プロ野球選手 * [[2004年]] - [[藤田大清]]、プロ野球選手 * 生年非公表 - [[宮崎羽衣]]、声優 * 生年不明 - [[小礒岳人]]、声優 === 人物以外(動物など) === * [[2005年]] - 幸浜、[[ジャイアントパンダ]] == 忌日 == [[ファイル:Statue_of_Agricola_at_Bath.jpg|thumb|260x260px|[[帝政ローマ]]の軍人、[[グナエウス・ユリウス・アグリコラ]](40-93)没]] {{Multiple image | image1 = William_Wallace_Statue_%2C_Aberdeen2.jpg | width1 = 90 | caption1 = スコットランドの抵抗運動指導者[[ウィリアム・ウォレス]](1272-1305)刑死 | alt1 = ウィリアム・ウォレス | image2 = OlovSor%C3%B6-2.JPG | width2 = 90 | caption2 = デンマーク王・ノルウェー王[[オーロフ2世 (デンマーク王)|オーロフ2世]](1370-1387)没 | alt2 = オーロフ2世 }} {{Multiple image | image1 = Charles de Coulomb.png | width1 = 80 | caption1 = [[シャルル・ド・クーロン]](1736-1806)没 | alt1 = シャルル・ド・クーロン | image2 = KendrewMyoglobin.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[ジョン・ケンドリュー]](1917-1997)没。[[ヘム]]を含む[[タンパク質]]の構造を解明 | alt2 = ジョン・ケンドリュー }} [[ファイル:Edward_Hicks_-_Peaceable_Kingdom.jpg|thumb|180x180px|[[フォークアート]]の画家[[エドワード・ヒックス]](1780-1849)没。画像は『平和な王国』(1834頃)]] {{Multiple image | footer = [[版画]]家[[フェリシアン・ロップス]](1833-1898)没。右画像は『ポルノクラート』 (1896) | image1 = Félicien Rops.jpg | width1 = 80 | alt1 = フェリシアン・ロップス | image2 = F%C3%A9licien_Rops_001.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『ポルノクラート』 }} {{Multiple image | image1 = Deodoro_da_Fonseca_sak.jpg | width1 = 90 | caption1 = ブラジル初代大統領[[デオドロ・ダ・フォンセカ]](1827-1892) | alt1 = デオドロ・ダ・フォンセカ | image2 = Kiyotaka_Kuroda_formal.jpg | width2 = 90 | caption2 = 第2代大日本帝国内閣総理大臣[[黒田清隆]](1840-1900) | alt2 = 黒田清隆 }} {{Multiple image | image1 = AbdulmecidII.jpg | width1 = 80 | caption1 = 最後の[[カリフ]][[アブデュルメジト2世]](1868-1944)、亡命先のパリで没 | alt1 = アブデュルメジト2世 | image2 = Sacvan.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[サッコ・ヴァンゼッティ事件|サッコとヴァンゼッティ]]の死刑執行 (1927) | alt2 = サッコとヴァンゼッティ }} * [[93年]] - [[グナエウス・ユリウス・アグリコラ]]、[[軍人]](* [[40年]]) * [[634年]] - [[アブー・バクル]]、初代[[正統カリフ]](* [[573年]]) * [[796年]]([[延暦]]15年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[藤原継縄]]、[[公卿]](* [[727年]]) * [[1176年]]([[安元]]2年[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]) - [[六条天皇]]、第79代[[天皇]](* [[1164年]]) * [[1305年]] - [[ウィリアム・ウォレス]]、[[スコットランド]]の軍事指導者(* [[1272年]]頃) * [[1387年]] - [[オーロフ2世 (デンマーク王)|オーロフ2世]]、[[デンマーク]]・[[ノルウェー|ノルウェー王]](* [[1370年]]) * [[1628年]] - [[ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公)|ジョージ・ヴィリアーズ]]、[[バッキンガム公]](* [[1592年]]) * [[1806年]] - [[シャルル・ド・クーロン]]、[[物理学者]](* [[1736年]]) * [[1819年]] - [[オリバー・ハザード・ペリー]]、[[アメリカ海軍]]の軍人(* [[1785年]]) * [[1831年]] - [[アウグスト・フォン・グナイゼナウ]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]陸軍[[元帥]](* [[1760年]]) * [[1849年]] - [[エドワード・ヒックス]]、画家(* [[1780年]]) * [[1878年]] - [[アドルフ・フレドリク・リンドブラード]]、[[作曲家]](* [[1801年]]) * [[1892年]] - [[デオドロ・ダ・フォンセカ]]、初代[[ブラジル連邦共和国大統領|ブラジル大統領]](* [[1827年]]) * [[1898年]] - [[フェリシアン・ロップス]]、[[画家]](* [[1833年]]) * [[1900年]] - [[黒田清隆]]、政治家、第2代[[内閣総理大臣]](* [[1840年]]) * [[1926年]] - [[ルドルフ・バレンチノ]]、[[俳優]](* [[1895年]]) * [[1927年]] - バルトロメオ・ヴァンゼッティ、[[サッコ・ヴァンゼッティ事件]]の容疑者(* [[1888年]]) * 1927年 - ニコラ・サッコ、サッコ・ヴァンゼッティ事件の容疑者(* [[1891年]]) * [[1930年]] - [[志村源太郎]]、[[銀行|銀行家]]・[[官僚]](* [[1867年]]) * [[1933年]] - [[アドルフ・ロース]]、[[建築家]](* [[1870年]]) * [[1934年]] - [[ヴィクトル・カプラン]]、[[カプラン水車]]開発者として知られる[[技術者]](* [[1876年]]) * 1934年 - [[野村芳亭]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[映画プロデューサー]](* [[1880年]]) * [[1937年]] - [[アルベール・ルーセル]]、[[作曲家]](* [[1869年]]) * [[1942年]] - [[竹内栖鳳]]、[[日本画家]](* [[1864年]]) * [[1944年]] - [[アブデュルメジト2世]]、[[オスマン家]]最後の[[カリフ]](* [[1868年]]) * [[1945年]] - [[ステファニー・ド・ベルジック|ステファニー]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア]]皇太子妃(* [[1864年]]) * [[1960年]] - [[オスカー・ハマースタイン2世]]、[[ミュージカル]][[作家]](* [[1895年]]) * [[1962年]] - [[アーヴィング・ファイン]]、作曲家(* [[1914年]]) * [[1967年]] - [[ネイト・カートメル]]、[[陸上競技]]選手(* [[1883年]]) * [[1968年]] - [[木山捷平]]、[[作家]](* [[1904年]]) * [[1975年]] - [[大岡虎雄]]、元[[プロ野球選手]](* [[1912年]]) * [[1977年]] - [[ナウム・ガボ]]、[[美術家]]・彫刻家(* [[1890年]]) * 1977年 - [[新国誠一]]、詩人(* [[1925年]]) * [[1979年]] - [[中井悦雄]]、元プロ野球選手(* [[1943年]]) * [[1980年]] - [[ゲルハルト・ハナッピ]]、[[サッカー]]選手(* [[1929年]]) * 1980年 - [[岩田藤七]]、[[ガラス工芸]]家(* [[1893年]]) * [[1982年]] - [[スタンフォード・ムーア]]、[[生化学|生化学者]](* [[1913年]]) * [[1984年]] - [[チャーリー・ロバートソン]]、元プロ野球選手(* [[1896年]]) * [[1987年]] - [[ディディエ・ピローニ]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1952年]]) * [[1989年]] - [[ロナルド・D・レイン]]、[[精神医学|精神医学者]](* [[1927年]]) * [[1990年]] - [[デヴィッド・ローズ]]、[[イージーリスニング]]のミュージシャン(* [[1910年]]) * [[1995年]] - [[玉屋庄兵衛]](八代目)、[[からくり人形]]師(* [[1950年]]) * [[1997年]] - [[ジョン・ケンドリュー]]、[[化学者]](* [[1917年]]) * [[2001年]] - [[キャスリーン・フリーマン]]、[[俳優|女優]]、[[声優]](* [[1919年]]) * [[2002年]] - [[武上四郎]]、元プロ野球選手、元[[プロ野球監督]](* [[1941年]]) * [[2003年]] - [[ボビー・ボンズ]]、元プロ野球選手(* [[1946年]]) * 2003年 - {{仮リンク|ジョン・ゲーガン|en|John Geoghan}}、元[[カトリック教会|カトリック]][[神父]] * [[2004年]] - [[嵯峨春平]]、実業家(* [[1951年]]) * [[2005年]] - [[ブロック・ピーターズ]]、俳優(* [[1927年]]) * [[2006年]] - [[関敬六]]、[[コメディアン]]、俳優(* [[1928年]]) * 2006年 - [[メイナード・ファーガソン]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者(* [[1928年]]) * [[2007年]] - [[松形祐堯]]、政治家、第10 - 15代[[宮崎県知事一覧|宮崎県知事]](* [[1918年]]) * 2007年 - [[西村寿行]]、[[小説家]](* [[1930年]]) * [[2008年]] - [[トーマス・ハックル・ウェーラー]]、[[ウイルス学|ウイルス学者]](* [[1915年]]) * [[2010年]] - [[川本喜八郎]]、[[アニメーション]]作家、[[人形]]作家(* [[1925年]]) * 2010年 - [[渡辺武 (官僚)|渡辺武]]、[[アジア開発銀行]]初代総裁(* [[1906年]]) * 2010年 - [[佐藤方哉]]、[[心理学者]]、[[慶應義塾大学]]名誉教授(* [[1932年]]) * [[2011年]] - [[三浦隆]]、政治家、元[[衆議院議員]](* [[1930年]]) * [[2013年]] - [[珠めぐみ]]、女優(* [[1950年]]) * [[2014年]] - 堀智範、総本山仁和寺第47世門跡、天野山金剛寺座主 * 2014年 - 松野晴夫<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H06_V20C14A8CC1000/ |title=松野晴夫氏が死去 元アドバンテスト社長 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=25 Aug 2014}}</ref>、実業家、元[[アドバンテスト]]社長(* [[1960年]]) * [[2015年]] - [[森シノ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/08/25/kiji/K20150825010999440.html |title=「世界最高齢女子アナ」死去 森シノさん、111歳で |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=25 Aug 2015}}</ref>、元アナウンサー(* [[1903年]]) * 2015年 - [[保田克己]]、実業家、元[[住友林業]]社長(* [[1913年]]) * 2015年 - [[大谷邦夫]]、元[[德陽シティ銀行]]頭取(* [[1924年]]) * 2015年 - [[北見マキ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2058045/full/ |title=奇術師の北見マキさん死去 マジックで活躍 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]] |date=24 Aug 2015}}</ref>、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](* [[1940年]]) * [[2017年]] - [[長谷部栄一]]、元プロ野球選手、監督(* [[1929年]]) * 2017年 - 村杉弘、[[信州大学]]名誉教授(* [[1927年]]) * [[2018年]] - [[佐々木誠二 (実業家)|佐々木誠二]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20180824-AB6JM5AKWVNNRFCHDEPTPYW2KI/ |title=訃報 テレビ大阪初代社長、佐々木誠二氏 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=24 Aug 2018}}</ref>、元[[日本経済新聞]]記者、[[テレビ大阪]]初代社長(* [[1920年]]) * 2018年 - [[倉持保男]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S13653543.html |title=倉持保男さん死去 「新明解国語辞典」編集 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=28 Aug 2018}}</ref>、[[国語学者]]、 元[[慶應義塾大学]]・[[大正大学]]教授 (* [[1934年]]) * [[2019年]] - 鈴木巌<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14164150.html |title=鈴木巌さん死去 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=4 Sep 2019}}</ref>、[[ギタリスト]]、作曲家(* [[1932年]]) * [[2020年]] - [[渡部恒三]]、政治家(* [[1932年]]) * 2020年 - [[ベニー・チャン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://hkmn.jp/%E3%80%8E%E6%96%B0%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E6%95%85%E4%BA%8B%E3%80%8F%E3%81%AE%E9%99%B3%E6%9C%A8%E5%8B%9D%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%8C%E6%AD%BB%E5%8E%BB/ |title=『新警察故事』の陳木勝監督が死去 |publisher=香港ポスト |date=25 Aug 2020 |accessdate=15 Apr 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.recordchina.co.jp/b830374-s0-c70-d0044.html |title=香港のベニー・チャン監督が58歳で死去、アンディ・ラウやドニー・イェンら衝撃大きく |publisher=[[Record China]] |date=24 Aug 2020 |accessdate=15 Apr 2023}}</ref>、映画監督(* [[1961年]]) * 2020年 - 千原薫<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63304390R00C20A9CZ8000/ |title=千原薫氏が死去 元アサヒ飲料社長 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=1 Sep 2020}}</ref>、実業家、元[[アサヒ飲料]]社長(* [[1934年]]) * 2020年 - 柴田鉄治<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14597522.html |title=柴田鉄治さん死去 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=25 Aug 2020}}</ref>、ジャーナリスト、元[[朝日新聞]][[論説委員]](* [[1935年]]) * [[2021年]] - [[新倉俊一 (アメリカ文学者)|新倉俊一]]、米国詩研究者、[[明治学院大学]]名誉教授(* [[1930年]]) * 2021年 - [[水本完]]<ref>{{Twitter status|zackpromotion|1451103780691345410}}</ref>、実業家、[[ザック・プロモーション]]創業者(* [[1932年]]) * [[2022年]] - [[古谷一行]]、俳優(* [[1944年]]) * 2022年 - [[金子宏]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF01C8J0R00C22A9000000/ |title=金子宏氏が死去 東京大名誉教授 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=1 Sep 2022}}</ref>、法学者、[[東京大学]]名誉教授(* [[1930年]]) * 2022年 - [[小岸昭]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20220831072641/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022083100819 |title=小岸昭氏死去 京都大名誉教授 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=[[時事通信]] |website=JIJI.COM |date=31 Aug 2022}}</ref>、[[ドイツ文学|ドイツ文学者]]、[[京都大学]]名誉教授(* [[1937年]]) * [[2023年]] - [[日比野光鳳]]、書家(* [[1928年]]) * 2023年 - [[佐野ぬい]]、洋画家、元[[女子美術大学]]学長(* [[1932年]]) * 2023年 - [[大島宏彦]]、実業家、[[中日新聞社]]最高顧問(* [[1934年]]) * 2023年 - [[テリー・ファンク]]<ref>{{Cite press release |title= WWE Hall of Famer Terry Funk passes away|publisher=World Wrestling Entertainment, Inc. |date= 2023-08-23|url= https://www.wwe.com/article/wwe-hall-of-famer-terry-funk-passes-away|format= HTML|language= 英語|trans-title= |access-date= 2023-08-24|archive-url= |archive-date= |quote= |ref=}}</ref>、アメリカ合衆国の[[プロレスラー]](* [[1944年]]) * 2023年 - [[エフゲニー・プリゴジン]]<ref>{{Cite web|和書|title=ワグネル代表プリゴジン氏、飛行機墜落で死亡か 搭乗者名簿に名前とロシア当局 |url=https://www.bbc.com/japanese/66601434 |website=BBCニュース |date=2023-08-24 |access-date=2023-08-24 |language=ja}}</ref>、[[ロシア]]の[[民間軍事会社]]「[[ワグネル・グループ]]」創設者(* [[1961年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{Multiple image | footer = [[奴隷貿易とその廃止を記念する国際デー]] | image1 = Slave_ship_diagram.png | width1 = 100 | caption1 = 18世紀の奴隷船 | alt1 = 18世紀の奴隷船 | image2 = Cicatrices_de_flagellation_sur_un_esclave.jpg | width2 = 80 | caption2 = 背中を鞭打たれた19世紀の奴隷 | alt2 = 背中を鞭打たれた19世紀の奴隷 }} {{Multiple image | image1 = Flag_of_Ukraine.svg | width1 = 100 | caption1 = [[ウクライナの国旗]] | alt1 = ウクライナの国旗 | image2 = Ukulele1.png | width2 = 80 | caption2 = [[ハワイ]]の[[ウクレレ]]の日 | alt2 = ウクレレ }} * [[処暑]]({{JPN}}、2010年・2011年・2012年・2013年) *: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が150度の時で、暑さが収まり秋に近づく頃(地方によってはまだ残暑が厳しいこともある) * 一遍忌(遊行忌)({{JPN}}) *: [[時宗]]の開祖[[一遍上人]]が、正応2年([[1289年]])8月23日、摂津国兵庫津([[神戸市]][[兵庫区]])の観音堂(現在の[[真光寺 (神戸市)|真光寺]])で亡くなったことから、忌日法要が行われる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shitennoji.or.jp/%E4%B8%80%E9%81%8D%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E4%BC%9A/ |title=一遍上人忌法要 |access-date=1 Aug 2023 |publisher=和宗総本山 四天王寺}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jishu.or.jp/jishu-shumusho/about-ippen-shonin/ |title=一遍上人のご生涯 |access-date=1 Aug 2023 |publisher=時宗宗務所}}</ref>。なお、時宗の総本山[[清浄光寺|遊行寺]]では、明治時代以降は太陽暦の採用により、9月に開山忌が行われている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jishu.or.jp/yugyouji-an-annual-function/yugyouji-syunkikaisanki-2/ |title=秋季開山忌 |access-date=1 Aug 2023 |publisher=時宗総本山遊行寺}}</ref>。 *[[油]]の日({{JPN}}) *: 油に付いて考えるきっかけの日になることを願い、[[京都府]][[大山崎町]]にある離宮八幡宮とカネダ(株)が共同で制定。日付は[[859年]](貞観元年)のこの日、[[清和天皇]]の勅命により、九州にあった宇佐八幡宮が大山崎に遷宮されたことから<ref name="Anniv">{{Cite book|和書 |editor=加瀬清志 |title=366日記念日事典 下 |publisher=[[創元社]] |year=2020 |page=79 |isbn=978-4422021157}}</ref>。 * [[白虎隊]]の日({{JPN}}) *: [[明治]]元年旧暦[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]([[1868年]])、[[会津藩]]の白虎隊・士中二番隊員20名が[[飯盛山 (福島県)|飯盛山]]で自刃したことにちなむ。 * 湖池屋ポテトチップスの日({{JPN}}) *: [[1962年]]のこの日、「コイケヤポテトチップスのり塩味」を発売した[[湖池屋]]制定<ref name="Anniv" />。 * [[奴隷貿易とその廃止を記念する国際デー]]({{World}}) *: [[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]が制定した[[国際デー]]。[[1791年]]8月22日の夜からこの日にかけて 、フランス植民地の[[サン=ドマング]](現在の[[ハイチ]])で、大西洋奴隷貿易廃止の重要なきっかけとなった[[ハイチ革命]]が始まったことを記念。 * [[旗の日|国旗の日]]({{UKR}}) *: 2004年にウクライナ政府が制定。独立記念日の前日。 * {{仮リンク|ブラックリボンデー|en|Black Ribbon Day}} ({{CAN}}・[[欧州連合]]) *: [[1939年]]の[[独ソ不可侵条約]]によりソビエトとナチスドイツによってポーランドが分割、バルト諸国およびルーマニアの一部が併合された。このことにより基本的人権を迫害された犠牲者を追悼するために、2009年に[[欧州議会]]が{{仮リンク|スターリニズムとナチズムの犠牲者追悼の日|en|European Day of Remembrance for Victims of Stalinism and Nazism}}として制定。カナダでは「ブラックリボンデー」という名称の公式記念日になっている<ref>{{Cite web |title= Statement by the Prime Minister on Black Ribbon Day |url= https://pm.gc.ca/en/news/statements/2022/08/23/statement-prime-minister-black-ribbon-day |publisher= Prime Minister of Canada Justin Trudeau |access-date=15 Apr 2023}}</ref>。 * ウゥルカナリア([[ローマ帝国]]) *: 火の神[[ウゥルカーヌス]]の祭日。作物や穀物が炎上しやすい真夏、たき火に生きた魚や小動物を投げ込み神をなだめた。 * [[ウクレレ]]の日({{USA}} ハワイ) *: ウクレレが19世紀にポルトガル移民が持ち込んだ楽器が原型とされていることから、1879年にポルトガル人がハワイの移民局に移民登録を行った8月23日を記念日とした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.allhawaii.jp/article/4850/ |title=8月23日は「ウクレレの日」! |access-date=15 Apr 2023 |publisher=ハワイ州観光局 |date=11 Aug 2021}}</ref>。 * [[野球]]の日({{KOR}}) *: [[2008年]]のこの日、[[2008年北京オリンピックの野球競技|北京オリンピックの野球競技]]で[[野球大韓民国代表|韓国代表チーム]]が優勝したのを記念し、[[韓国野球委員会]]が制定。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0823|date=Apr 2023}} * [[2013年]] - 同日11時に宇宙戦艦「るくしおん」が進宙。(アニメ『[[トップをねらえ!]]』) * [[2026年]] - アニメ「Mr.ヒビット」が放映開始。(アニメ『[[宇宙兄弟]]』) * 年号不明 - キャプテン・ゴーゴーが、『もしかしたらの箱』とそのカギを遺してコリコ湾で遭難。(『[[魔女の宅急便]]』その5) === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - [[スコール・レオンハート]]、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVIII]]』の主人公<ref>{{Twitter status|finalfantasyjp|1297337763843448832}}</ref> * 生年不明 - 獅子原颯太、漫画・アニメ『[[女子力高めな獅子原くん]]』の主人公<ref>{{Twitter status|Imy_me281|1297188024774586371}}</ref> * 生年不明 - ペル、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Pell.html |title=ペル |work=『ONE PIECE』 |accessdate=15 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 狛村左陣、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=久保帯人 |authorlink=久保帯人 |date=2006-02-03 |title=BLEACH―ブリーチ― OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page=180 |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4088740799}}</ref> * 生年不明 - [[NARUTO -ナルト-の登場人物#テマリ|テマリ]]、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2005-04-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=111|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088737348}}</ref> * 生年不明 - 龍胆嵐丸、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 半井恵仁、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 楠木英太、漫画・アニメ『[[終わりのセラフ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[鬼滅の刃#悲鳴嶼行冥|悲鳴嶼行冥]]、漫画・アニメ『[[鬼滅の刃]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kimetsu.com/anime/news/?id=54906 |title=2020.08.23 悲鳴嶼バースデーイラストを公開! |accessdate=15 Apr 2023 |publisher=[[吾峠呼世晴]]/[[集英社]]・[[アニプレックス]]・[[ufotable]] |work=劇場版『鬼滅の刃』無限列車編}}</ref> * 生年不明 - 水城夏実、漫画・アニメ『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 滝昇、アニメ・小説『[[響け! ユーフォニアム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://tv2nd.anime-eupho.com/sp/character/noboru/ |title=滝 昇 CV:櫻井孝宏 |publisher=[[武田綾乃]]・[[宝島社]]/『響け!』製作委員会 [[京都アニメーション]] |work=『響け!ユーフォニアム』 |accessdate=15 Apr 2023}}</ref> * 生年不明 - 月白琥珀、アニメ『[[色づく世界の明日から]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|iroduku_anime|1164552808823185411}}</ref> * 生年不明 - 魚住朝喜、アニメ『[[スタミュ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hstar-mu.com/2/sp/character/uozumi.html |title=魚住朝喜 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=ひなた凛/スタミュ製作委員会 |work=『スタミュ』(第2期)}}</ref> * 生年不明 - 小鷹咲希、アニメ『[[Extreme Hearts]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://exhearts.com/character/saki.html |title=小鷹咲希 |access-date=15 Apr 2023 |publisher=PROJECT ExH |work=『Extreme Hearts』}}</ref> * 生年不明 - 伊集院レイ、ゲーム『[[ときめきメモリアル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ユーウェイン、ゲーム・アニメ『[[ディバインゲート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|divine_anime|675252440988385280}}</ref> * 生年不明 - 菜森まな、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/mana.html |title=菜森まな |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=1 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - リカルド、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-147 |title=リカルド |publisher=Vespa Inc |accessdate=15 Apr 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=147 |archivedate=2 Nov 2021 |work=『キングスレイド』}}</ref> * 生年不明 - 三好達治、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bunal_pr|1429458407510224898}}</ref> * 生年不明 - 樫良木ルイ、ゲーム・アニメ『[[フットサルボーイズ!!!!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|futsal_boys|1429458343106531334}}</ref> === 忌日(フィクション) === * [[1935年]] - [[戦場のヴァルキュリアシリーズの登場人物#義勇軍第3中隊|イサラ・ギュンター]]、ゲーム・アニメ『[[戦場のヴァルキュリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author =テックジャイアン編集部 |date=2010-01-20 |title =戦場のヴァルキュリア Development Artworks|page =35|publisher = [[エンターブレイン]] |series =TECHGIAN STYLE|isbn =978-4047263017}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 23|23 August}} {{新暦365日|8|22|8|24|[[7月23日]]|[[9月23日]]|[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]|0823|8|23}} {{1年の月と日}}
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8月24日
8月24日(はちがつにじゅうよっか、はちがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から236日目(閏年では237日目)にあたり、年末まであと129日ある。
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{{カレンダー 8月}} '''8月24日'''(はちがつにじゅうよっか、はちがつにじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から236日目([[閏年]]では237日目)にあたり、年末まであと129日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[ヴェスヴィオ]]火山が[[79年のヴェスヴィオ噴火|大噴火]]し[[ポンペイ]]埋没(AD79)。ローマ西部艦隊の司令長官として赴任中の[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス]](23-79)も巻き込まれ没 | image1 = Pompeii_Garden_of_the_Fugitives_02.jpg | width1 = 110 | alt1 = 火山灰の空洞に石膏を流し込んだもの | image2 = Karl Briullov, The Last Day of Pompeii (1827–1833).jpg | width2 = 120 | alt2 = 『ポンペイ最後の日』 | image3 = Plinyelder.jpg | width3 = 90 | alt3 = ガイウス・プリニウス・セクンドゥス }} [[File:Sack_of_Rome_by_the_Visigoths_on_24_August_410_by_JN_Sylvestre_1890.jpg|thumb|120px|[[ローマ略奪 (410年)]]。ローマが800年間で初めて外敵に占領された]] {{multiple image | footer = [[サン・バルテルミの虐殺]](1572)、[[カトリック教会|カトリック]]勢力が[[改革派教会|改革派]]を虐殺 | image1 = Francois_Dubois_001.jpg | width1 = 200 | caption1 = フランソワ・デュボワ(1529-1584)画, ローザンヌ美術館 | image2 = Joseph_Martin_Kronheim_-_Foxe%27s_Book_of_Martyrs_Plate_II_-_Death_of_Admiral_de_Coligny.jpg | width2 = 100 | caption2 = 殺害される貴族[[ガスパール・ド・コリニー]](1519-1572) }} [[File:Burning_of_Washington_1814.jpg|thumb|[[米英戦争]]、[[ブラーデンスバーグの戦い]](1814)。勝利した英軍は大統領府を焼き討ちにする]] [[File:Battle_of_Liaoyang.jpg|thumb|[[日露戦争]]、[[遼陽会戦]]はじまる(1904)]] [[File:IJN_cruiser_Jintsu_damaged_in_1927.jpg|thumb|大日本帝国海軍の艦船が訓練中に多重衝突した[[美保関事件]](1927)]] {{multiple image | footer = [[嘆きの壁事件]]:{{仮リンク|ヘブロン事件|en|1929 Hebron massacre}}。ユダヤ人65人殺害 | image1 = House_destruction%2C_Hebron_1929.jpg | width1 = 140 | alt1 = 破壊された家屋 | image2 = Hebron_1929.jpg | width2 = 100 | alt2 = 嘆くユダヤ人 }} {{multiple image | footer = [[松江騒擾事件]](1945)。(右画像) | image1 = Matsue_riot_incident.jpg | width1 = 180 | alt1 = 焼け落ちた島根県庁 | image2 = Asahi19450926.jpg | width2 = 120 | alt2 = 報道管制のため1ヶ月送れの新聞報道 }} [[File:Tsukuba_Express_2000.jpg|thumb|220px|[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス]]開業(2005)]] [[File:ESO_-_Pluto-Charon_system_%28by%29.jpg|thumb|[[冥王星]]が定義上[[惑星]]ではなくなる(2006)]] * [[紀元前49年]] - [[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内戦]]: [[バグラダス川の戦い]]。{{要出典|date=2021-03}} * [[71年]](景行天皇元年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - 第12代天皇・[[景行天皇]]が即位。 * [[79年]] - イタリアの[[ヴェスヴィオ|ヴェスヴィオ火山]]が[[79年のヴェスヴィオ噴火|大噴火]]し、[[火砕流]]や泥流で[[ポンペイ]]・[[ヘルクラネウム]]が埋没。 * [[410年]] - [[アラリック1世]]率いる[[西ゴート族]]が[[ローマ]]を陥落させ、3日間にわたる略奪を開始。([[ローマ略奪 (410年)]]) * [[661年]]([[斉明天皇]]7年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - 斉明天皇崩御により[[天智天皇|中大兄皇子(天智天皇)]]が天皇を称制。 * [[672年]]([[天武天皇]]元年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[弘文天皇|大友皇子(弘文天皇)]]が自決し、[[壬申の乱]]が終結。 * [[1260年]]([[文応]]元年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[日蓮]]が前執権・[[北条時頼]]に『[[立正安国論]]』を献進。 * [[1572年]] - [[サン・バルテルミの虐殺]]。フランスで、[[カトリック教会|カトリック]]の[[アンリ1世 (ギーズ公)|ギーズ公アンリ]]の兵が[[改革派教会|改革派]]の貴族や市民を大量虐殺。 * [[1662年]] - イングランドで[[クラレンドン法典#統一令(1662年)|統一令]]制定。国内の全ての聖職者と教師に[[聖公会祈祷書]]の承認を義務づける<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.thereformation.info/uniformityact/|title=Uniformity, Act of 19 May 1662(England)統一令 1662年5月19日の法律|work=The Reformation|accessdate=2020-07-14}}</ref>。 * [[1814年]] - [[米英戦争]]: [[ブラーデンスバーグの戦い]]。勝利した英軍は[[ワシントンD.C.]]を占領し大統領府(現[[ホワイトハウス]])を[[ワシントン焼き討ち|焼き討ち]]にする。 * [[1853年]] - アメリカ・[[ニューヨーク州]]のレストランのシェフ・[[ジョージ・クラム (料理人)|ジョージ・クラム]]が[[ポテトチップス]]を発明。 * [[1871年]]([[明治]]4年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - 刑部省・弾正台を廃止し[[司法省 (日本)|司法省]]を設置。 * [[1875年]] - [[マシュー・ウェッブ]]が、記録に残っている中では史上初めて[[ドーバー海峡]]を[[ドーバー海峡#横断泳|泳いで渡る]]。 * [[1884年]] - [[森鷗外]]が[[ドイツ]]留学に出発。 * [[1904年]] - [[日露戦争]]: [[遼陽会戦]]始まる。 * [[1912年]] - [[アラスカ準州]]が成立する。 * [[1927年]] - [[美保関事件]]がおこる。 * 1927年 - 九州西岸に台風が接近。[[有明海]]一帯で[[高潮]]の被害。[[熊本県]]だけでも死者22人、家屋8171棟、水田被害2069町歩の被害<ref>「第5節 社会の動向」『苓北町史』p.887 1984年3月31日</ref>。 * [[1929年]] - [[嘆きの壁事件]]: {{仮リンク|ヘブロン事件|en|1929 Hebron massacre}}。[[ヘブロン]]で[[アラブ人]]が[[ユダヤ人]]を攻撃し、ユダヤ人65人が殺害される。 * [[1931年]] - イギリスで、[[世界恐慌]]対策のための[[ラムゼイ・マクドナルド]]の[[挙国一致内閣]]が成立。 * [[1932年]] - [[アメリア・イアハート]]が女性初の米大陸単独横断無着陸飛行のため東海岸の[[ニュージャージー州]][[ニューアーク (ニュージャージー州)|ニューアーク]]を離陸。19時間後の翌25日、[[ロサンゼルス]]に着陸。 * [[1936年]] - 中国[[四川省]][[成都市|成都]]で日本の民間人4人が暴徒に襲撃され、うち2人が死亡。([[成都事件]]) * [[1938年]] - [[大森民間機空中衝突墜落事故]]。東京・[[大森南]]上空で民間航空機同士が空中衝突し墜落、炎上<ref>「空中接触の二機墜落、燃料タンクが爆発」『東京朝日新聞』1938年(昭和13年)8月25日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p225-226 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。救助に駆け付けた地元住民を含め85人が死亡。 * 1938年 - [[桂林号事件]]。[[大日本帝国海軍|日本海軍]]機が中華民国航空の旅客機「桂林号」を撃墜。乗客12名死傷。 * [[1941年]] - [[アドルフ・ヒトラー]]が障害者の安楽死政策[[T4作戦]]の中止を指令。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[太平洋戦争]]・[[ソロモン諸島の戦い]]: [[第二次ソロモン海戦]]が始まる。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦: [[ルーマニア王国]]が[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に降伏([[ルーマニア革命 (1944年)|ルーマニア革命]])。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦: [[松江騒擾事件]]が発生。日本の降伏に反対し[[島根県庁]]を焼き討ち。報道管制のため報道は1ヶ月遅れた。 * 1945年 - [[浮島丸事件]]。朝鮮半島出身者約4,000人を釜山へ送還中の浮島丸が[[舞鶴港]]で米軍が敷設した水雷により爆沈。 * [[1949年]] - [[北大西洋条約]]が発効し、[[北大西洋条約機構]] (NATO) が発足。 * [[1953年]] - 太東貿易株式会社(現[[タイトー]])設立<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.taito.co.jp/corporate/about/|title=企業情報 タイトー|work=[[タイトー|TAITO]]|accessdate=2020-07-14}}</ref>。 * [[1953年]] - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の国営旅行会社・[[朝鮮国際旅行社]]創立。 * [[1954年]] - [[アメリカ共産党]]を非合法とする{{仮リンク|共産党統制法|en|Communist Control Act of 1954}}が施行。 * [[1955年]] - [[森永ヒ素ミルク中毒事件]]: [[岡山県]]で大量発生していた乳児の[[ヒ素中毒]]の原因が[[森永乳業]]製の[[粉ミルク]]であることがわかり、[[厚生省]]に報告され、事件が表面化する。 * [[1964年]] - [[高島忠夫長男殺害事件]]。 * [[1968年]] - [[南太平洋]]で[[フランス]]が初の[[水素爆弾|水爆]][[核実験|実験]]。 * [[1981年]] - [[ジョン・レノン]]殺害犯[[マーク・チャップマン]]に懲役刑の判決。 * [[1983年]] - [[THE ALFEE]]が[[日本武道館]]で初めてのライブを行う。 * [[1985年]] - [[1985年夏季ユニバーシアード|ユニバーシアード神戸大会]]が106カ国4,400人が参加し開会<ref>{{Cite web|和書|url=https://nadakuminhall.net/blog/%E3%82%80%E3%81%8B%E3%81%9732%E5%B9%B4%E5%89%8D/|title=むかし 32年前の夏|work=文化律灘合同会社|accessdate=2020-07-14}}</ref>。 * [[1989年]] - [[タデウシュ・マゾヴィエツキ]]が[[ポーランドの首相一覧|ポーランドの首相]]に就任。中・東欧初の非共産系の首相。 * 1989年 - [[ピート・ローズ]]が監督在任中の野球賭博の廉で、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]から永久追放される。 * [[1991年]] - [[ソビエト連邦の崩壊]]: [[ミハイル・ゴルバチョフ]]が[[ソビエト連邦共産党]][[ソビエト連邦共産党書記長|書記長]]の辞任と党の解散を宣言。 * 1991年 - [[ウクライナ]]が[[ソビエト連邦]]から独立。 * [[1992年]] - [[中華人民共和国]]と[[大韓民国|韓国]]が[[国交]]を樹立する。 * 1992年 - [[ハリケーン・アンドリュー]]が[[フロリダ州]]に上陸。 * [[1995年]] - [[マイクロソフト]]が[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]英語版をリリース。 * [[2000年]] - フィンランドの科学者 Markku Räsänen が、唯一の[[アルゴン]]化合物・[[アルゴンフッ素水素化物]]の合成法を報告。 * [[2001年]] - [[エア・トランザット236便滑空事故]]。 * 2001年 - [[SMAP]]の[[稲垣吾郎]]が[[東京都]][[渋谷区]]内で、[[道路交通法]]違反、[[公務執行妨害罪]]、[[傷害罪]]で[[現行犯逮捕]]された。 * [[2004年]] - [[2004年ロシア航空機爆破事件]]。[[ロシア]]南部で[[チェチェン共和国|チェチェン]]独立派のテロリストが2機の旅客機を爆破。80人以上が死亡。 * [[2005年]] - [[日本]]で[[首都圏新都市鉄道]][[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]全線開業。 * [[2006年]] - [[プラハ]]での第26回[[国際天文学連合]]総会で、[[冥王星]]を[[惑星]]から除外し、新設の[[準惑星]]に分類することを決定。 * [[2009年]] - [[2009年世界陸上競技選手権大会|第12回世界陸上選手権ベルリン大会]]、男子[[やり投]]で[[村上幸史]]が3位となり、オリンピック・世界選手権の男子やり投種目で日本人選手初のメダリストとなる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2633418|title=村上が男子やり投げで銅 優勝はトルキルドセン、世界陸上ベルリン大会|work=[[フランス通信社|AFP]]|date=2009-08-24|accessdate=2020-07-14}}</ref>。 * [[2016年]] - [[ノルチャ]]を震源地とする[[イタリア中部地震 (2016年8月)|イタリア中部地震]]が発生<ref>{{Cite news|url=http://www.cnn.co.jp/world/35087944.html|title=イタリア中部でM6.2の地震、建物が倒壊|newspaper=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]]|date=2016-8-24}}</ref>。 * [[2021年]] - 東京メトロ南北線の白金高輪駅において、改札から地上出口に上がるエスカレーター付近で22歳の男性会社員が知人の男性に硫酸をかけられ、この男性会社員と後ろにいた女性1人が負傷する事件が発生した(白金高輪硫酸事件){{要出典|date=2022年8月21日 (日) 17:12 (UTC)}}。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|260px]]}} {{multiple image | image1 = Alexander_II_%28Alba%29_i.JPG | width1 = 80 | caption1 = スコットランド王[[アレグザンダー2世 (スコットランド王)|アレグザンダー2世]](1189-1249)誕生 | image2 = Willem_I_in_kroningsmantel.jpg | width2 = 80 | caption2 = 初代オランダ王[[ウィレム1世 (オランダ王)|ウィレム1世]](1772-1843) | image3 = King_Ferdinand_of_Romania.jpg | width3 = 80 | caption3 = ルーマニア王[[フェルディナンド1世 (ルーマニア王)|フェルディナンド1世]](1865-1927) }} {{multiple image | footer = イギリスの政治家・[[奴隷制廃止運動]]家、[[ウィリアム・ウィルバーフォース]](1759-1833)誕生。{{Squote|絶望すまい。これは祝福された大義だ、いずれ成功が我々の努力に報いるであろう。――庶民院での演説(1791)}} | image1 = William_wilberforce.jpg | width1 = 100 | alt1 = ウィリアム・ウィルバーフォース | image2 = Wilberforce_House_Hull.jpg | width2 = 100 | alt2 = 生家。彫像が立つ | image3 = House_of_Commons_Microcosm.jpg | width3 = 100 | alt3 = 庶民院でのウィルバーフォース }} [[Image:Theodore_Dubois.jpg|thumb|110px|作曲家[[テオドール・デュボワ]](1837-1924)誕生。{{audio|Interlude Es Dubois.ogg|『間奏曲』を聴く}}]] {{multiple image | image1 = Taki_Rentaro.jpg | width1 = 100 | caption1 = 作曲家[[瀧廉太郎]](1879-1903) | image2 = Wakayama_Bokusui.jpg | width2 = 100 | caption2 = 歌人[[若山牧水]](1885-1928)誕生。 }} [[Image:Howard_Zinn_at_B-Fest_2009_II.jpg|thumb|100px|歴史家[[ハワード・ジン]](1922-)]] {{multiple image | image1 = | width1 = 110 | caption1 = 作家[[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]](1899-1986)誕生。画像は生誕100年記念硬貨 {{Squote|書くこととは導かれた[[夢]]にすぎない。――『ブロディーの報告書』(1970)}} | image2 = Paulo_Coelho_30102007.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作詞家・小説家、[[パウロ・コエーリョ]](1947-)。{{Squote|川に落ちたから溺れるのではない、沈んだまでいるから溺れるのだ。}} | image3 = Orson_Scott_Card_at_BYU_Symposium_20080216_closeup.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[サイエンス・フィクション|SF]]作家、[[オースン・スコット・カード]](1951-)。{{Squote|まずは素晴らしい物語でなければ、それがどれだけ「重要」かなんて誰が気にする?――『炎上する未来』(1991)}} }} [[Image:Linton_Kwesi_Johnson2.jpg|thumb|100px|[[ダブ・ポエトリー]]の詩人、[[リントン・クウェシ・ジョンソン]](1952-)]] * [[1189年]] - [[アレグザンダー2世 (スコットランド王)|アレグザンダー2世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Alexander-II-king-of-Scotland Alexander II king of Scotland] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[スコットランド王]](+ [[1249年]]) * [[1393年]] - [[アルテュール3世 (ブルターニュ公)|アルテュール・ド・リッシュモン]]、[[ブルターニュ君主一覧|ブルターニュ公]](+ [[1458年]]) * [[1525年]] - [[ラヴィニア・フォンターナ]]、[[画家]](+ [[1614年]]) * [[1669年]] - [[アレッサンドロ・マルチェッロ]]、[[音楽家]]、[[数学者]](+ [[1747年]]) * [[1759年]] - [[ウィリアム・ウィルバーフォース]]、[[政治家]]、奴隷廃止主義者(+ [[1833年]]) * [[1765年]] ([[明和]]2年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]]) - [[牧野宣成]]、第6代[[田辺藩]]主 (+ [[1811年]]) * [[1772年]] - [[ウィレム1世 (オランダ王)|ウィレム1世]]、[[オランダ王]](+ [[1843年]]) * [[1795年]] ([[寛政]]7年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[蜂須賀斉昌]]、第12代[[徳島藩]]主 (+ [[1859年]]) * [[1837年]] - [[テオドール・デュボワ]]、[[作曲家]]、[[音楽理論家]](+ [[1924年]]) * [[1849年]]([[嘉永]]2年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[河野広中]]、[[政治家]](+ [[1923年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[徳川家達]]、徳川家第16代当主、[[貴族院議長 (日本)|貴族院議長]](+ [[1940年]]) * [[1865年]] - [[フェルディナンド1世 (ルーマニア王)|フェルディナンド1世]]、[[ルーマニア国王|ルーマニア王]](+ [[1927年]]) * [[1879年]] - [[瀧廉太郎]]、[[作曲家]](+ [[1903年]]) * [[1882年]] - [[高橋三吉]]、[[海軍軍人]](+ [[1966年]]) * [[1885年]] - [[若山牧水]]、[[歌人]](+ [[1928年]]) * [[1887年]] - [[ハリー・フーパー]]、元プロ野球選手(+ [[1974年]]) * [[1888年]] - [[野口源三郎]]、陸上競技選手、体育学者(+ [[1967年]])<ref>{{cite journal|和書|date=1967-12-20|title=略歴|journal=順天堂大学体育学部紀要|publisher=順天堂大学体育学部紀要編集委員会|issue=10|page=1-2|naid=40001782384}}</ref> * [[1890年]] - [[ジーン・リース]]、[[小説家]](+ [[1979年]]) * 1890年 - [[デューク・カハナモク]]、[[水泳選手]]、[[サーファー]](+ [[1968年]]) * 1890年 - [[河井寛次郎]]、[[陶芸家]]、[[随筆家]](+ [[1966年]]) * [[1899年]] - [[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]]<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/ホルヘ・ルイス+ボルヘス-1632389 |title = 20世紀西洋人名事典の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2021-02-09 }}</ref>、[[作家]](+ [[1986年]]) * 1899年 - [[アルベルト・クラウデ]]、[[生物学者]](+ [[1983年]]) * [[1900年]] - [[ヴァーシャ・プルジーホダ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1960年]]) * [[1902年]] - [[フェルナン・ブローデル]]、[[歴史学者]](+ [[1985年]]) * 1902年 - [[カルロ・ガンビーノ]]、[[マフィア]](+ [[1976年]]) * [[1907年]] - [[広岡知男]]、[[新聞]]人、[[アマチュア野球]]指導者(+ [[2002年]]) * [[1915年]] - [[ジェイムズ・ティプトリー・Jr.]]、[[SF作家]](+ [[1987年]]) * [[1916年]] - [[加藤泰]]、[[映画監督]](+ [[1985年]]) * 1916年 - [[レオ・フェレ]] ([[:en:Léo Ferré|Léo Ferré]])、[[シャンソン]][[歌手]](+ [[1993年]]) * [[1922年]] - [[ハワード・ジン]]、歴史学者(+ [[2010年]]) * [[1927年]] - [[ハリー・マーコウィッツ]]、[[経済学者]](+ [[2023年]]) * [[1928年]] - [[カールハインツ・ツェラー]]、[[フルート奏者]](+ [[2005年]]) * [[1929年]] - [[ヤーセル・アラファート]]、[[パレスチナ解放機構]]議長、[[パレスチナ自治政府]]元首(+ [[2004年]]) * 1929年 - [[赤松良子]]、[[官僚]]、政治家 * [[1935年]] - [[羽田孜]]、政治家、第80代[[内閣総理大臣]](+ [[2017年]]) * [[1937年]] - [[見田宗介]]、[[社会学者]](+ [[2022年]]) * [[1938年]] - [[石黒昇]]、[[アニメーション]][[監督]] (+ [[2012年]]) * [[1945年]] - [[ビンス・マクマホン]]、[[WWE]]会長 * 1945年 - [[ケン・ヘンズレー]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1946年]] - [[矢部祐一]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]) * [[1947年]] - [[パウロ・コエーリョ]]、[[作家]] * 1947年 - [[瀬古由起子]]、政治家 * [[1948年]] - [[山田太郎 (歌手)|山田太郎]]、[[歌手]] * 1948年 - [[ジャン・ミッシェル・ジャール]]、音楽家 * [[1949年]] - [[久野綾希子]]、[[俳優|女優]](+ [[2022年]]) * [[1950年]] - [[根岸吉太郎]]、映画監督 * [[1951年]] - [[オースン・スコット・カード]]、作家 * 1951年 - [[風間宏子]]、[[漫画家]] * 1951年 - [[工藤政志]]、[[プロボクサー]] * [[1952年]] - [[MoJo]]、歌手 * 1952年 - [[リントン・クウェシ・ジョンソン]]、[[詩人]] * [[1953年]] - [[ルイス・サンチェ]]、元プロ野球選手(+ [[2005年]]) * 1953年 - [[藤池昇]]、元プロ野球選手、[[プロゴルファー]](+ [[2017年]]<ref>[http://www.nikkansports.com/m/sports/golf/news/1781637_m.html?mode=all 元大洋 プロ野球からプロゴルフ 藤池昇龍氏が死去] 日刊スポーツ 2017年2月20日</ref>) * [[1955年]] - [[笑福亭鶴志]]、[[落語家]](+ [[2020年]]<ref name="oricon">{{Cite news|title=落語家・笑福亭鶴志さん死去 64歳|url=https://www.oricon.co.jp/news/2161702/full/|newspaper=オリコン ニュース|date=2020-5-8|accessdate=2020-10-31}}</ref>) * 1955年 - [[マイク・ハッカビー]]、政治家、[[聖職者]] * [[1956年]] - [[ディック・リー]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1956年 - [[トニー・バナザード]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[鈴木孝行]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[岩屋毅]]、政治家 * [[1958年]] - [[スティーヴ・グッテンバーグ]]、[[俳優]] * 1958年 - [[小林朋道]]、[[動物行動学|動物行動学者]] * [[1959年]] - [[雨宮慶太]]、映画監督 * [[1960年]] - [[三池崇史]]、映画監督 * 1960年 - [[小林伸二]]、元[[サッカー選手]]、[[監督]] * 1960年 - [[カル・リプケン・ジュニア]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[銚子利夫]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[岡田美里]]、[[タレント]] * [[1962年]] - [[中西寛]]、[[政治学者]] * [[1963年]] - [[小島秀夫 (ゲームデザイナー)|小島秀夫]]、[[ゲームデザイナー]] * [[1964年]] - [[真船一雄]]、[[漫画家]] * 1964年 - [[キップ・グロス]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[サンダ・ドゥブラヴチッチ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1965年]] - [[レジー・ミラー]]、[[バスケットボール]]選手 * 1965年 - [[マーリー・マトリン]]、女優 * 1965年 - [[小美濃武芳]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[中西千枝子]]、元バレーボール選手 * [[1968年]] - [[高嶋ちさ子]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1968年 - [[きただにひろし]]、[[歌手]] * 1968年 - [[船木勝一]]、[[プロレスラー]] * 1968年 - [[ティム・サーモン]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[後藤えり子]]、元AV女優 * [[1969年]] - [[福島聡]]、漫画家 * 1969年 - [[BOOM BOOM SATELLITES#メンバー|川島道行]]、[[ギタリスト]]、歌手([[BOOM BOOM SATELLITES]])(+[[2016年]]) * 1969年 - [[ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ]]、俳優 * [[1970年]] - [[ダン・ヘンダーソン]]、[[総合格闘家]] * 1970年 - [[トゥガイ・ケリモール]]、サッカー選手 * 1970年 - [[酒井ミキオ]]、[[シンガーソングライター]] * 1970年 - [[片桐順一郎]]、俳優 * 1970年 - [[篠田淳]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[カート・ミラー]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[グレイ・デリスル]]、シンガーソングライター、コメディアン、声優 * 1973年 - [[アルキメデス・ポゾ]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[インヘ・デブルーイン]]、水泳選手 * 1973年 - [[スギちゃん]]、お笑い芸人 * [[1974年]] - [[ジェフ・クベンカ]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[山田卓也]]、元サッカー選手 * [[1976年]] - [[宇高伸次]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[ダリオ・バルジュー]]、[[騎手]] * 1976年 - [[アレックス・オロックリン]]、俳優 * [[1977年]] - [[ファブリシオ・ヴェウドゥム]]、[[柔術|柔術家]]、[[総合格闘家]] * 1977年 - [[デニウソン・デ・オリヴェイラ・アラウージョ|デニウソン]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[ロベルト・エンケ]]、元サッカー選手(+ [[2009年]]) * 1977年 - [[舩津真弓]]、アナウンサー * 1977年 - NAOKI、ベーシスト([[10-FEET]]) * 1977年 - [[あきよしふみえ]]、歌手 * [[1978年]] - [[松井光介]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[トート・ゾルターン]]、[[フィギュアスケート選手]] * 1979年 - [[オルランド・エンヘラール]]、サッカー選手 * 1979年 - [[マイケル・レッド]]、[[バスケットボール選手]] * 1979年 - [[蕭亜軒|蕭亞軒]](エルヴァ・シャオ)、歌手 * [[1980年]] - [[濱崎茜]]、女優、歌手 * [[1981年]] - [[トム・ブライス]]、[[野球選手]] * 1981年 - [[チャド・マイケル・マーレイ]]、俳優 * [[1982年]] - [[キタキマユ]]、[[歌手]] * 1982年 - [[佐々木理江]]、政治家、元[[グラビアアイドル]] * 1982年 - [[ルイス・ボロト]]、野球選手 * 1982年 - [[キム・シェルストレーム]]、元サッカー選手 * 1982年 - [[ジョゼ・ボシングワ]]、サッカー選手 * [[1983年]] - [[福元淳史]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[ブレット・ガードナー]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[瀧山久志]]、ミュージカル俳優 * [[1984年]] - [[瀬畑茉有子]]、[[ファッションモデル]] * 1984年 - [[イェソン]]、アイドル([[SUPER JUNIOR]]) * [[1985年]] - [[デスティニー・デイヴィス]]、[[プレイメイト]] * 1985年 - [[大森美知]]、ファッションモデル * 1985年 - [[B.J.ヒューバート]]、野球選手 * [[1986年]] - [[井上裕衣]]、元[[アナウンサー]] * [[1987年]] - [[三浦大知]]、歌手、[[ダンサー]] * 1987年 - [[右手愛美]]、ファッションモデル、[[歌手]] * 1987年 - [[高江洲拓哉]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[ルパート・グリント]]、[[俳優]] * 1988年 - [[DASH・チサコ]]、プロレスラー * 1988年 - [[吉田麻也]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[塚田晃平]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[田中道子]]、ファッションモデル、女優 * [[1990年]] - [[小桃音まい]]、歌手、タレント * 1990年 - [[唐澤大夢]]、サッカー選手 * 1990年 - [[エリザベス・デビッキ]]、女優 * 1990年 - [[ファグネル・ヒベイロ・ダ・コスタ]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[王鎮]]、陸上競技選手<ref>{{cite web|url=https://www.iaaf.org/athletes/pr-of-china/zhen-wang-240586|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160815090324/https://www.iaaf.org/athletes/pr-of-china/zhen-wang-240586|accessdate=2020-07-14|archivedate=2016-08-15|publisher=IAAF|title=Zhen Wang}}</ref> * 1991年 - [[松下美保]]、元グラビアアイドル * [[1992年]] - [[浅香航大]]、俳優 * 1992年 - [[モンブランみき]]、プロボクサー * [[1993年]] - [[古賀葵]]<ref name="81prof">{{Cite web|和書|url=https://www.81produce.co.jp/dcms_plusdb/index.php/item?cell003=か行&cell029=女性&keyword=&cell028=&cell004=&name=古賀%E3%80%80葵&id=199&label=1|title=古賀 葵|publisher=81プロデュース|accessdate=2020-11-7}}</ref>、声優 * [[1994年]] - [[三秋里歩]]、元タレント(元[[吉本坂46]]、元[[NMB48]]、元[[AKB48]]) * 1994年 - [[末澤誠也]]、アイドル([[Aぇ! group]]) * 1994年 - 渚、グラビアアイドル、女優、モデル * [[1995年]] - [[桜井美晴]]、声優 * 1995年 - [[月嶋ルナ]]、元[[子役]] * 1995年 - [[土井杏南]]、陸上競技選手 * 1995年 - [[ウェリントン・ダニエル・ブエノ]]、サッカー選手 * 1995年 - [[ハン・ウェンウェン]]、女優 * [[1996年]] - NENE、アイドル、ミュージシャン([[CHERRSEE]]) * 1996年 - [[白井健三]]、元体操競技選手 * 1996年 - [[西野小春]]、グラビアアイドル * 1996年 - [[蓑島圭悟]]、プロアイスホッケー選手 * [[1997年]] - [[柳美稀]]、ファッションモデル、女優 * [[1999年]] - [[平田樹]]、総合格闘家 * [[2000年]] - [[早川聖来]]、元アイドル(元[[乃木坂46]]) * 2000年 - [[竹内聖賀]]、野球選手 * [[2001年]] - [[白鳥哲汰]]、陸上選手 * 2001年 - [[其原有沙]]、タレント、女優 * [[2003年]] - [[池田陵真]]、プロ野球選手 * [[2004年]] - [[鍛治茉音]]、スノーボード選手 * 生年不明 - [[野村大地]]、声優 * 生年不明 - [[福原かつみ]]、声優 * 生年不明 - [[田中健大]]<ref>{{Cite web|和書|publisher=俳協|url=https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=12186|title=所属俳優|accessdate=2021-01-09}}</ref>、声優 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Empress_Kogyoku-Saimei.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[斉明天皇|皇極天皇]](594-661)没 | image2 = Kato.jpg | width2 = 100 | caption2 = 第21代日本国内閣総理大臣、[[加藤友三郎]](1861-1923) | image3 = Getulio.gif | width3 = 100 | caption3 = [[ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス]](1882-1954) }} {{multiple image | footer = 政治家・詩人・書家、[[蘇軾|蘇軾(蘇東坡)]](1036-1101)。右画像は『[[行書黄州寒食詩巻|黄州寒食詩巻]]』 | image1 = Su shi.jpg | width1 = 100 | alt1 = 蘇軾(蘇東坡) | image2 = Su_shi-calligraphy.jpg | width2 = 80 | alt2 = 『黄州寒食詩巻』 }} {{multiple image | image1 = Chatterton.jpg | width1 = 170 | caption1 = 詩人[[トーマス・チャタートン]](1752-1770)、17歳で自殺。画像は{{仮リンク|ヘンリー・ウォリス|en|Henry Wallis}}画(1856) | image2 = Parmigianino_Selfportrait.jpg | width2 = 120 | caption2 = 画家[[パルミジャニーノ]](1503-1540)没。画像は自画像 }} {{multiple image | image1 = Kenji_Mizoguchi_1.jpg | width1 = 100 | caption1 = 映画監督、[[溝口健二]](1898-1956)没。 | image2 = Laoshe.jpg | width2 = 120 | caption2 = 作家[[老舎]](1899-1966)没。 }} {{multiple image | image1 = Ryutei_Tanehiko.jpg | width1 = 100 | caption1 = 戯作者[[柳亭種彦]](1783-1842)没。代表作『[[偐紫田舎源氏]]』 | image2 = A_portrait_of_Takami_Senseki_by_Watanabe_Kazan.jpg | width2 = 100 | caption2 = 蘭学者[[鷹見泉石]](1785-1858)没 | image3 = Nariakira_Shimazu.png | width3 = 100 | caption3 = 幕末の大名、[[島津斉彬]](1809-1858)急死 }} {{multiple image | image1 = Sadi_Carnot.jpeg | width1 = 110 | caption1 = 軍人・物理学者、[[ニコラ・レオナール・サディ・カルノー]](1796-1832)没。 | image2 = Clausius.jpg | width2 = 100 | caption2 = 物理学者[[ルドルフ・クラウジウス]](1822-1888)没。 | image3 = Bundesarchiv_Bild_183-B02092%2C_Hanna_Reitsch.jpg | width3 = 100 | caption3 = ドイツのパイロット、[[ハンナ・ライチュ]](1912-1979)没。 }} * [[79年]] - [[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス]]、作家、[[博物学|博物学者]](* [[23年]]) * [[661年]](斉明天皇7年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[斉明天皇|皇極天皇(斉明天皇)]]、第35・37代[[天皇]](* [[594年]]) * [[993年]]([[正暦]]4年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[源雅信]]、[[公卿]](* [[920年]]) * [[1042年]] - [[ミカエル5世]]、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]](* [[1015年]]) * [[1101年]]([[建中靖国]]元年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - 春夜で著名な[[蘇軾|蘇軾(蘇東坡)]]<ref>{{Cite web|url=http://www.kangin.or.jp/learning/text/chinese/k_A2_042.html|title=漢詩紹介 春夜|work=公益財団法人 関西吟詩文化協会|accessdate=2020-07-14}}</ref>、[[詩人]]、[[書家]]、[[政治家]](* [[1037年]]) * [[1540年]] - [[パルミジャニーノ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Parmigianino Parmigianino Italian artist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[画家]](* [[1503年]]) * [[1572年]] - [[ガスパール・ド・コリニー]]、[[ユグノー戦争]][[プロテスタント]]派の軍人(* [[1519年]]) * [[1595年]] - [[トーマス・ディッグス]]、[[天文学者]](* [[1546年]]) * [[1662年]]([[寛文]]2年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[井伊直勝]]、[[彦根藩|彦根藩主]]、[[安中藩|安中藩主]](* [[1590年]]) * [[1683年]]([[天和 (日本)|天和]]3年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[松平忠輝]]、[[高田藩|高田藩主]](* [[1592年]]) * [[1685年]]([[貞享]]2年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[ジュゼッペ・キアラ]]、[[イエズス会]][[宣教師]](* [[1602年]]) * [[1695年]]([[元禄]]8年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[円空]]、行脚僧(* [[1632年]]) * [[1770年]] - [[トーマス・チャタートン]]、[[詩人]](* [[1752年]]) * [[1832年]] - [[ニコラ・レオナール・サディ・カルノー]]、[[物理学者]]、[[数学者]](* [[1796年]]) * [[1842年]]([[天保]]13年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]] )- [[柳亭種彦]]、[[戯作|戯作者]](* [[1783年]]) * [[1846年]] - [[アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン]]、[[軍人]]、[[探検家]](* [[1770年]]) * [[1858年]]([[安政]]5年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[鷹見泉石]]、[[蘭学者]](* [[1785年]]) * 1858年(安政5年7月16日) - [[島津斉彬]]、第11代[[薩摩藩|薩摩藩主]](* [[1809年]]) * [[1877年]] - [[小林虎三郎]]、[[越後長岡藩]]大参事(* [[1828年]]) * [[1888年]] - [[ルドルフ・クラウジウス]]、[[物理学者]](* [[1822年]]) * [[1897年]] - [[陸奥宗光]]、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]](* [[1844年]]) * [[1914年]] - [[ヴィルヘルム・レキシス]]、[[統計学|統計学者]]、[[経済学者]](* [[1837年]]) * [[1923年]] - [[加藤友三郎]]、政治家、第21代[[内閣総理大臣]](* [[1861年]]) * [[1940年]] - [[ポール・ニプコー]]、[[発明家]](* [[1860年]]) * [[1943年]] - [[シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)|シモーヌ・ヴェイユ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1909年]]) * [[1945年]] - [[田中静壱]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[大将]](* [[1887年]]) * [[1954年]] - [[ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス]]、ブラジル史上初の民主的選挙によって選出された[[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]](* [[1882年]]) * [[1956年]] - [[肥田春充]]、[[肥田式強健術]]創始者(* [[1883年]]) * 1956年 - [[溝口健二]]、[[映画監督]](* [[1898年]]) * [[1957年]] - [[ロナルド・ノックス]]、[[聖職者]]、[[推理作家]](* [[1888年]]) * 1957年 - [[アルバート・サモンズ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1886年]]) * [[1966年]] - [[老舎]]、[[小説家]]。(* [[1899年]]) * [[1976年]] - [[小野木学]]、[[洋画家]](* [[1924年]]) * [[1979年]] - [[中野重治]]、小説家、[[詩人]](* [[1902年]]) * 1979年 - [[ハンナ・ライチュ]]、[[テストパイロット]](* [[1912年]]) * [[1985年]] - [[ポール・クレストン]]、[[作曲家]](* [[1906年]]) * [[1990年]] - [[セルゲイ・ドヴラートフ]]、小説家(* [[1941年]]) * [[1995年]] - [[アルフレッド・アイゼンスタット]]、[[写真家]](* [[1898年]]) * [[2000年]] - [[アンディ・フグ]]<ref name="鉄人アンディ">[http://www.boutreview.com/report/k1/00/08hug/24kaiken.html 「鉄人アンディ・フグ死去」] バウトレビュー 2000年8月24日</ref>、[[K-1]]選手(* [[1964年]]) * 2000年 - [[タチアナ・リアブーシンスカ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1916年]]または[[1917年]]) * [[2003年]] - ウィルフレッド・セシガー、探検家(* [[1910年]]) * [[2004年]] - [[エリザベス・キューブラー=ロス]]、[[精神医学|精神科医]](* [[1926年]]) * 2004年 - [[山本義司]]、元プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2006年]] - [[ジョン・ワインツワイグ]]、作曲家(* [[1913年]]) * 2006年 - [[ジェームズ・テニー]]、作曲家(* [[1934年]]) * [[2007年]] - [[アーロン・ルッソ]]、[[映画プロデューサー]]、映画監督、[[政治活動家]](* [[1943年]]) * [[2008年]] - [[島村麻里]]、フリーライター(* [[1956年]]) * [[2009年]] - [[トニー・ザイラー]]、元[[スキー]]選手、[[俳優]](* [[1935年]]) * [[2010年]] - [[今敏]]、[[アニメーション]]監督、[[漫画家]](* [[1963年]]) * 2010年 - [[荒川宗一]]、元プロ野球選手(* [[1925年]]) * [[2013年]] - [[土橋正幸]]、元プロ野球選手、監督(* [[1935年]]) * 2013年 - [[内山清]]、元プロ野球選手(* [[1927年]]) * [[2014年]] - [[リチャード・アッテンボロー]]、映画監督、俳優(* [[1923年]]) * [[2016年]] - [[ヴァルター・シェール]]<ref>[http://www.sankei.com/life/news/160825/lif1608250004-n1.html シェール元西ドイツ大統領が死去 97歳 ソ連との「東方外交」促進]、産経ニュース、2016年8月25日 01:16更新。</ref><ref>{{Cite news |title= Walter Scheel, Germany's singing president, is dead|newspaper= Deutsche Welle|date= 2016-8-24|author= ドイチェ・ヴェレ|url= http://www.dw.com/en/walter-scheel-germanys-singing-president-is-dead/a-19500732|accessdate=2020-11-11}}</ref>、政治家、第4代[[連邦大統領 (ドイツ)|西ドイツ大統領]](* [[1919年]]) * [[2021年]] - [[チャーリー・ワッツ]]、[[ドラマー]]([[ローリング・ストーンズ]])(* [[1941年]]) * [[2022年]] - [[稲盛和夫]]、[[実業家]](* [[1932年]]) * [[2023年]] - [[ウィンダム・ロタンダ]]、"ブレイ・ワイアット"名義で活動した[[プロレスラー]](* [[1987年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[ウクライナ]]の独立記念日(1991年独立)。{{audio|Anthem-of-Ukraine_Chorus_Veryovka.ogg|国歌『ウクライナは滅びず』を聴く}} | image1 = Europe-Ukraine (disputed territory).svg | width1 = 100 | caption1 = ウクライナの位置 | image2 = Akt nezalezhnosti.jpg | width2 = 100 | caption2 = {{仮リンク|ウクライナ独立宣言|en|Declaration of Independence of Ukraine}} }} {{multiple image | footer = [[イエス・キリスト|イエス]]の使徒[[バルトロマイ]]。右画像は[[ミケランジェロ・ブオナローティ|ミケランジェロ]]『最後の審判』の一部。 | image1 = Konrad_Witz_001.jpg | width1 = 100 | alt1 = バルトロマイ | image2 = Last_judgement.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『最後の審判』自らの皮を手にしたバルトロマイ }} * {{仮リンク|独立記念日 (ウクライナ)|label=独立記念日|en|Independence Day of Ukraine}}({{UKR}}) *: [[1991年]]のこの日、ウクライナが[[ソビエト連邦]]より独立。 * ポンペイ最後の日 *: [[79年]]8月24日に、イタリアの[[ベスビオス火山]]が大噴火し、ふもとの[[ポンペイ]]市を埋没させたことに由来。これにより火山灰が8メートル積もり、2000人以上が死亡した。歴史小説家[[エドワード・ブルワー=リットン]]は、これを題材に小説『ポンペイ最後の日』を書いた。 * [[バルトロマイ]]の記念日 *: [[使徒|十二使徒]]の1人・聖バルトロマイの[[聖名祝日]]。 * 大噴火の日 *: 西暦[[79年]]のこの日、[[79年のヴェスヴィオ噴火|ヴェスヴィオ火山]]というイタリアの巨大な火山が大噴火を起こし、近くにあった古代ローマ帝国の都市ポンペイが火砕流に飲み込まれて滅亡してしまったという悲劇が由来。 * [[月遅れ]][[地蔵盆]]({{JPN}}) * 愛酒の日({{JPN}}) *: 酒をこよなく愛した歌人・[[若山牧水]]の[[1885年]]の誕生日にちなむ。 * [[ハモニカ横丁]]の日 *: [[武蔵野市]][[吉祥寺]]にある商店街・ハモニカ横丁では活性化のため、8(ハモ)2(ニカ)4(横丁)にかけて、近年、毎年この日前後にイベントが行われる。 * ジャパン[[パラリンピック]]デー({{JPN}}) *: [[2021年]]に行われた[[2020年東京パラリンピック|東京2020パラリンピック]]の[[2020年東京パラリンピックの開会式|開会式]]の日にちなむ。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0824|date=2011-6}} * [[1964年]] - ヴァーチャスミッション開始。(ゲーム『[[メタルギアソリッド3]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1979年]] - 久保田誠人、漫画・アニメ『[[私立荒磯高等学校生徒会執行部]]』、『[[WILD ADAPTER]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=峰倉かずや|authorlink=峰倉かずや|date=2013-04-25|title=新装版[[私立荒磯高等学校生徒会執行部]] 上巻 付録学生証|publisher=[[一迅社]]|series=IDコミックス ZERO-SUMコミックス|isbn=978-4758058124}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://wild-adapter.com/character/ |title=キャラクター|久保田誠人 |accessdate=2022-11-08 |publisher=[[峰倉かずや]]・[[一迅社]]/WILD ADAPTER製作委員会 2013 |work=『WILD ADAPTER』}}</ref> * [[1991年]] - [[DEATH NOTEの登場人物#SPK|ニア]]、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]] |date=2006-10-13|volume=13巻 |title = DEATH NOTE|page =14 |publisher = [[集英社]] |isbn =978-4088740959|series=[[ジャンプコミックス]]}}</ref> * [[2007年]] - 水越澪、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=3|date=2016-05-13|author1=白鳥士郎(著)|authorlink1=白鳥士郎|author2=しらび(イラスト)|authorlink2=しらび|series=GA文庫|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=165|isbn=978-4-797388176}}</ref> * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]343年 - オペラ・ベクトラ、ゲーム『[[スターオーシャン セカンドストーリー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=47|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 昭和109年 - 旋風寺舞人、アニメ『[[勇者特急マイトガイン]]』の主人公<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1430001918970007560}}</ref> * 生年不明 - 一之瀬葉月、漫画・アニメ『[[ろんぐらいだぁす!]]』に登場するキャラクター・外伝小説『ぱぁしゅうたぁず』の主人公 * 生年不明 - 城崎絵美、漫画・アニメ『[[鉄のラインバレル]]』のヒロイン * 生年不明 - 彩京朋美、小説・アニメ『[[れでぃ×ばと!]]』のヒロイン * 生年不明 - いわきあろは、地域活性プロジェクト『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/iwaki_aloha |title=福島 いわき あろは |work=『温泉むすめ』 |accessdate=2022-11-08 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT}}</ref> * 生年不明 - カヤ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Kaya.html |title=カヤ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-11-08 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - ダイギン、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Daigin.html |title=ダイギン |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-11-08 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - トリスタン・バルドー、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1562093561159602177}}</ref> * 生年不明 - 十和田良樹、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|date=2014-08-04|title=ハイキュー!!|publisher=集英社|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088801537|volume=12巻|page=46}}</ref> * 生年不明 - マホジャ、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|date=2008-06-04|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃 |page=109|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088742489}}</ref> * 生年不明 - ウクライナ、漫画・アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=AXIS POWESヘタリア2|date=2008-12-31|publisher=[[幻冬舎]]|page=18|author=日丸屋秀和}}</ref> * 生年不明 - 斎藤優、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - フィアズーフ=エクリロール、漫画『[[EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009-03-10|title=EREMENTAR GERADアルティメットガイド|series=BLADE COMICS|page=54|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4861276163}}</ref> * 生年不明 - 松実宥、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=松実 宥(まつみ ゆう) |work=『咲-Saki-』 |accessdate=2022-11-08 |publisher=小林立公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 柊いのり、漫画・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=美水かがみ|authorlink=美水かがみ|editor=コンプティーク|date=2009-12-26|title=らき☆すた おきらく公式ガイドブック こなたは俺をヨメ!!|publisher=[[角川書店]]|series=角川コミックス|ISBN=978-4048544207}}</ref> * 生年不明 - 溝内大樹、漫画・アニメ『[[堀さんと宮村くん]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 秋葉みらい、キャラクターコンテンツ『[[鉄道むすめ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - スメラギ・李・ノリエガ、アニメ『[[機動戦士ガンダム00]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gundam.info/news/cafe-food/01_5232.html |title=ガンダムカフェにてイザーク・ジュールとスメラギ・李・ノリエガの「Birthdayフォーチュンラテ」8/1より登場! |access-date=2022-11-09 |publisher=[[創通]]・[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]・[[毎日放送|MBS]]・[[テレビ東京]] |date=2021-07-30 |website=GUNDAM.INFO}}</ref> * 生年不明 - エル・スール、アニメ・漫画『[[宇宙をかける少女]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ライエ・アリアーシュ、アニメ『[[ALDNOAH.ZERO]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 石川五恵、アニメ・漫画『[[RELEASE THE SPYCE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|rts_sf|1164915196965482496}}</ref> * 生年不明 - 楪舞々、アニメ『[[ゾンビランドサガ リベンジ|ゾンビランドサガリベンジ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zombielandsaga|1429820727222579207}}</ref> * 生年不明 - 持田亜里沙、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20169 |title=持田 亜里沙(もちだ ありさ) |access-date=2022-11-08 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#華村翔真|華村翔真]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40037 |title=華村 翔真(はなむら しょうま) |access-date=2022-11-08 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - キャピタ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=48&cate=name&cont=Capita |title=キャピタ |access-date=2022-11-08 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 伽藍堂紗羅、ゲーム・アニメ『[[ISLAND (ビジュアルノベル)|ISLAND]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|island_fw|1297881633752670209}}</ref> * 生年不明 - リドル・ローズハート、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/riddle |title=リドル・ローズハート |accessdate=2022-11-08 |publisher=Disney.Published by Aniplex |work=『ディズニー ツイステッドワンダーランド』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 24|24 August}} {{新暦365日|8|23|8|25|[[7月24日]]|[[9月24日]]|[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]|0824|8|24}} {{1年の月と日}}
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8月27日
8月27日(はちがつにじゅうななにち、はちがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から239日目(閏年では240日目)に当り、年末まであと126日ある。
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8月27日(はちがつにじゅうななにち、はちがつにじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から239日目(閏年では240日目)に当り、年末まであと126日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月27日'''(はちがつにじゅうななにち、はちがつにじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から239日目([[閏年]]では240日目)に当り、年末まであと126日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの: [[プラタイアの戦い]], [[北条泰時]]/[[御成敗式目]], [[日本原子力研究所]]/[[臨界]], [[清流復活事業]]/[[玉川上水]], [[欧州共同体]]/[[バルト三国]]/[[エストニア]]/[[ラトビア]]/[[リトアニア]] --> [[Image:BattleofLongisland.jpg|thumb|[[アメリカ独立戦争]]、[[ロングアイランドの戦い]] (1776)]] [[Image:AngloZanzibarWar.jpg|thumb|[[イギリス・ザンジバル戦争]] (1896)。スルターンの宮殿が破壊され(画像)戦争は40分で終結]] [[Image:Romanian troops at Marasesti in 1917.jpg|thumb|[[第一次世界大戦]]、[[ルーマニア王国|ルーマニア]]が[[オーストリア=ハンガリー帝国]]に宣戦布告 (1916)。画像は1917年のルーマニア兵]] [[Image:Kellogg_Briand_Pact_countries.png|thumb|国際紛争の平和的手段による解決を規定した[[不戦条約]] (1928) 締結。画像の濃緑がこの日調印した15ヶ国。[[日本国憲法第9条]]第1項のモデルとなった。{{Squote|締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス――第1条}}]] [[Image:Ohain_USAF_He_178_page61.jpg|thumb|ドイツの航空機[[He 178 (航空機)|He 178]]、世界初のジェット飛行に成功 (1939)]] {{multiple image | footer = アメリカ合衆国の金星探査機、[[マリナー2号]]打ち上げ(1962)。惑星フライバイを実現 | image1 = Mariner_2_launch.jpg | width1 = 80 | alt1 = 打ち上げ | image2 = Mariner 2.jpg | width2 = 140 | alt2 = マリナー2号 }} [[File:Kuruma torajirou.jpg|thumb|120px|映画『[[男はつらいよ]]』シリーズ[[男はつらいよ (映画)|第1作]]公開(画像は[[柴又駅]]前に立つ車寅次郎像)(1969)]] [[Image:Chun_Doo-hwan%2C_1985-Mar-22.jpg|thumb|100px| [[統一主体国民会議]]。[[全斗煥]]、韓国大統領に就任 (1980)]] <!-- [[Image:Betamax_Tape_v2.jpg|thumb|120px|[[ベータマックス]]の生産終了 (2002)]] --> * [[紀元前5世紀|紀元前479年]] - [[ペルシャ戦争]]: [[プラタイアの戦い]]。 * [[1232年]]([[貞永]]元年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[北条泰時]]が[[御成敗式目]]を制定。 * [[1335年]]([[建武 (日本)|建武]]2年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[足利尊氏]]が[[北条時行]]を討つための[[征東将軍]]に任ぜられ、鎌倉へ出発。 * [[1597年]]([[慶長]]2年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]・[[漆川梁海戦]]: 日本水軍が朝鮮水軍を撃滅する。 * [[1758年]]([[宝暦]]8年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[宝暦事件]]。神道学者・[[竹内敬持|竹内式部]]が公家に尊皇思想を教えたために逮捕される。 * [[1776年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ロングアイランドの戦い]]の本格的な戦闘が始まる。 * [[1791年]] - [[神聖ローマ皇帝]][[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]]と[[プロイセン王国|プロイセン王]][[フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム2世]]が[[ピルニッツ宣言]]を発する。 *[[1883年]] - [[オランダ領東インド]](現[[インドネシア]])の[[クラカタウ|クラカタウ島]]が[[1883年のクラカタウの噴火|大噴火]]。島の2/3がこの時に消失したばかりか[[火砕流]]や[[津波]]が周辺海域にまで及び、36,417名の死者を出す。 * [[1889年]] - [[東武鉄道]]初の路線・[[久喜駅|久喜]]-[[北千住駅|北千住]]間開業(現[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]])開業。 * [[1896年]] - [[イギリス・ザンジバル戦争]]。[[イギリス|大英帝国]]が[[ザンジバル・スルタン国]]を破る。40分間で終結した世界最短の戦争。 * [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ルーマニア王国|ルーマニア]]が[[オーストリア=ハンガリー帝国]]に宣戦布告。 * [[1928年]] - [[不戦条約]](ケロッグ・ブリアン協定)が結ばれる。 * [[1939年]] - [[ハインケル]]社(ドイツ)の[[He 178 (航空機)|He178]]が世界初のジェット飛行に成功。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ソ連対日参戦]]: [[敦化事件]]。 * [[1949年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が、[[カール・シャウプ]]を団長とするシャウプ使節団が提出した[[シャウプ勧告]]を発表。 * [[1954年]] - 日本短波放送(ラジオたんぱ、現・[[日経ラジオ社]])が開局。 * [[1955年]] - [[福岡市]][[天神 (福岡市)|天神]]の[[パチンコ]]店が[[放火]]され、関係者4人が死傷。火災は付近の店舗に延焼し68戸が全焼<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=108 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1956年]] - [[長崎県]][[瀬川村 (長崎県)|瀬川村]]で[[竜巻]]が発生。71戸が全壊<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=113 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1957年]] - [[茨城県]][[東海村]]の[[日本原子力研究所|原子力研究所]]で日本初の[[原子炉]]JRR-1が[[臨界状態|臨界]]に達する。 * [[1962年]] - アメリカの[[金星]]探査機[[マリナー2号]]が打ち上げ。 * [[1963年]] - [[エースコック]]が「ワンタンメン」を発売開始。 * [[1969年]] - 映画『[[男はつらいよ]]』シリーズ第1作『[[男はつらいよ (映画)|男はつらいよ]]』([[山田洋次]]監督・[[渥美清]]主演)が公開。 * [[1974年]] - [[宮崎県]][[須木村]]に[[航空自衛隊]]の戦闘機[[F-104 (戦闘機)|F-104]]が墜落。乗員は脱出して住民らにも被害は無かったが、民家3軒が全半焼<ref>民家などへの自衛隊機墜落『朝日新聞』1978年(昭和53年)9月9日朝刊、13版、23面</ref>。 * [[1979年]] - イギリスで[[ルイス・マウントバッテン]]の乗るヨットが[[IRA暫定派]]の仕掛けた爆弾により爆破される。 * [[1980年]] - [[統一主体国民会議]]で[[全斗煥]]が第11代[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]]に就任。 * [[1986年]] - [[梅田事件]]の[[再審]]で[[釧路地方裁判所|釧路地裁]]が無罪判決。 * 1986年 - [[東京都]]の[[清流復活事業]]により[[玉川上水]]に21年ぶりに通水。 * [[1991年]] - [[モルドバ]]が[[ソビエト連邦]]からの[[独立]]を宣言。 * 1991年 - [[欧州共同体]]が[[バルト三国]]([[エストニア]]・[[ラトビア]]・[[リトアニア]])の独立を承認。 * [[1992年]] - [[金丸信]][[自由民主党副総裁]]が[[東京佐川急便]]から5億円を受け取ったとして副総裁職を辞任。 * [[1998年]] - [[平成10年8月末豪雨]]([[北関東]]と[[南東北]]を中心に大きな被害)<ref> {{Cite web|和書|title=前線、台風第4号 平成10年(1998年)8月26日~8月31日 |url=https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/1998/19980826/19980826.html |website=www.data.jma.go.jp |access-date=2023-02-11 |publisher=[[気象庁]]}} </ref><ref> {{Cite web|和書|title=北関東・南東北豪雨(1998年8月27日) |url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/255/ |website= |access-date=2023-02-11 |publisher=Yahoo!天気・災害}}</ref> * [[2002年]] - [[ソニー]]が[[ベータマックス]]の生産終了を発表。 * [[2006年]] - [[コムエアー5191便離陸失敗事故]]。[[ケンタッキー州]]で、レキシントン発アトランタ行き米コムエアー旅客機が離陸に失敗。 * [[2007年]] - [[第1次安倍内閣 (改造)]]が発足。 * [[2017年]] - [[グラスゴー]]で開催された[[2017年世界バドミントン選手権大会]]で、[[奥原希望]]が日本人初の世界選手権女子シングル制覇。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> [[Image:IvanFranko1886.jpg|thumb|100px|詩人[[イヴァン・フランコ]] (1866-1916) 誕生]] [[Image:Theodore_Dreiser.jpg|thumb|100px|作家[[セオドア・ドライサー]] (1871-1945) 誕生]] {{multiple image | footer = [[ドイツ観念論]]の哲学者、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]] (1770-1831) 誕生。右画像は生家。 <!-- {{Squote|精神の力はその表現と等しく、精神の深さは自らを拡げ見失う力と等しい。――『精神現象学』(1807)}} --> <!-- {{Squote|[[ミネルバ|ミネルヴァ]]の梟は黄昏に飛び立つ――『[[法の哲学]]』(1820)}} --> {{Squote|ある物事がどこで始まったかは完璧にどうでもいいことだ。唯一の問いは「それ自身がそれ自身として正しいか?」である。――『歴史哲学講義』(1832)}} | image1 = Hegel_portrait_by_Schlesinger_1831.jpg | width1 = 100 | alt1 = ヘーゲル | image2 = Stuttgart-Hegel-Birthplace-2006-04-09a.jpg | width2 = 140 | alt2 = 生家 }} [[Image:Giuseppe_Peano.jpg|thumb|100px|数学者[[ジュゼッペ・ペアノ]] (1858-1932)]] {{multiple image | image1 = Man_Ray_1934.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[シュルレアリスム]]の写真家・芸術家、[[マン・レイ]] (1890-1976)誕生。 {{Squote|私は描きたくないもの、既に存在しているものの写真を撮る。}} | image2 = Miyazawa_Kenji.jpg | width2 = 120 | caption2 = 詩人・童話作家、[[宮沢賢治]] (1896-1933) 誕生。{{Squote|わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。――『[[春と修羅]]』(1922)}} }} <!-- Kaiho36-20.jpg 水彩画『ケミカル・ガーデン』 --> <!--[[Image:DonaldBradman.jpg|thumb|100px|[[クリケット]]選手、「ザ・ドン」[[ドナルド・ブラッドマン]](1908-2006)]]--> <!--[[Image:Lester_Young_%28Gottlieb_09431%29.jpg|thumb|100px|[[ジャズ]]サックス奏者、[[レスター・ヤング]] (1909-1959)、]] --> * [[1407年]]([[応永]]14年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[足利義量]]、[[室町幕府]]第5代将軍(+ [[1425年]]) * [[1471年]] - [[ゲオルク (ザクセン公)|ゲオルク]]、[[ザクセン公]](+ [[1539年]]) * [[1487年]] - [[アンナ・フォン・ブランデンブルク (1487-1514)|アンナ・フォン・ブランデンブルク]]、[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯家]]の公女(+ [[1514年]]) * [[1512年]] - {{仮リンク|フリードリヒ・スタフィラス|en|Friedrich_Staphylus}}、ドイツの神学者(+ [[1564年]]) * [[1545年]] - [[アレッサンドロ・ファルネーゼ (パルマ公)|アレッサンドロ・ファルネーゼ]]、[[パルマ公]](+ [[1592年]]) * [[1624年]]([[寛永]]元年/大明[[天啓 (明)|天啓]]4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[鄭成功]]、[[明]]の軍人、[[政治家]](+ [[1662年]]) * [[1770年]] - [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]<ref>{{Cite web |title=Georg Wilhelm Friedrich Hegel |url=https://www.britannica.com/biography/Georg-Wilhelm-Friedrich-Hegel |access-date=2023-02-11 |language=en |publisher=Britannica}}</ref>、[[哲学者]](+ [[1831年]]) * [[1856年]] - [[イヴァン・フランコ]]、詩人、作家(+ [[1916年]]) * [[1858年]] - [[ジュゼッペ・ペアノ]]、数学者(+ [[1932年]]) * [[1865年]] - [[チャールズ・ゲーツ・ドーズ]]、政治家、第30代[[アメリカ合衆国副大統領]](+ [[1951年]]) * [[1869年]] - [[カール・ハウスホーファー]]、[[地政学]]者(+ [[1946年]]) * [[1871年]] - [[セオドア・ドライサー]]、小説家(+ [[1945年]]) * [[1874年]] - [[カール・ボッシュ]]、[[化学者]]、[[工学者]](+ [[1940年]]) * [[1877年]] - [[チャールズ・ロールズ]]、[[ロールス・ロイス]]共同創業者(+ [[1910年]]) * [[1883年]] - [[阿部次郎]]、哲学者、小説家(* [[1959年]]) * [[1886年]] - [[レベッカ・クラーク]]、[[ヴィオラ]]奏者(+ [[1979年]]) * [[1890年]] - [[マン・レイ]]、[[画家]]、[[彫刻家]]、[[写真家]](+ [[1976年]]) * [[1896年]] - [[宮沢賢治]]、詩人(+ [[1933年]]) * [[1908年]] - [[リンドン・ジョンソン|リンドン・B・ジョンソン]]、政治家、第36代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1973年]]) * 1908年 - [[ドナルド・ブラッドマン]]、クリケット選手(+ [[2001年]]) * [[1909年]] - [[レスター・ヤング]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン]]奏者(+ [[1959年]]) * [[1915年]] - [[ノーマン・ラムゼー]]、物理学者(+ [[2011年]]) * [[1916年]] - [[マーサ・レイ]]、女優(+ [[1994年]]) * 1916年 - [[ハレット・チャンベル]]、フェンシング選手、[[オリンピック]]([[1936年]][[1936年ベルリンオリンピック|ベルリン大会]])に出場した最初の[[ムスリム]]女性(+ [[2014年]]) * [[1918年]] - {{仮リンク|イェレ・ゼイルストラ|en|Jelle_Zijlstra}}、[[経済学者]]、[[オランダの首相|オランダ首相]](+ [[2001年]]) * [[1921年]] - [[荒木正]]、元[[プロ野球選手]](+ 生死不明) * [[1922年]] - [[宇野宗佑]]、政治家、第75代[[内閣総理大臣]](+ [[1998年]]) * [[1925年]] - [[丸谷才一]]、小説家、[[英文学者]](+ [[2012年]]) * 1925年 - [[河村順子]]、[[童謡]][[歌手]](+ [[2007年]]) * [[1926年]] - [[山岡久乃]]、[[俳優|女優]](+ [[1999年]]) * 1926年 - [[クリステン・ニゴール]]、[[数学者]]、[[政治家]](+ [[2002年]]) * [[1929年]] - [[アイラ・レヴィン]]、[[小説家]](+ [[2007年]]) * [[1931年]] - [[シュリ・チンモイ]]、[[ヨーガ]]指導者、[[アスリート]]、[[スピリチュアリティ|霊性]]の導師([[グル]])(+ [[2007年]]) * 1931年 - {{仮リンク|ジョー・カニンガム(野球選手)|label=ジョー・カニンガム|en|Joe_Cunningham_(baseball)}}、野球選手(+ [[2021年]]) * 1931年 - [[村岡兼造]]、政治家(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|title=村岡兼造氏が死去 元官房長官 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53811570V21C19A2CC1000/ |website=[[日本経済新聞]] |date=2019-12-25 |accessdate=2023-02-11}}</ref>) * [[1933年]] - {{仮リンク|ナンシー・フライデー|en|Nancy_Friday}}、[[作家]](+ [[2017年]] * [[1934年]] - [[大月ウルフ]]、[[俳優]](+ [[2020年]]) * [[1935年]] - {{仮リンク|アーニー・ブログリオ|en|Ernie_Broglio}}、野球選手(+ [[2019年]]) * 1935年 - {{仮リンク|フランク・ヤブランス|en|Frank_Yablans}}、[[脚本家]](+ [[2014年]]) * [[1936年]] - [[連戦]]、[[中国国民党]]主席 * 1936年 - [[広瀬叔功]]、元プロ野球選手、監督 * [[1939年]] - [[鴨田勝雄]]、アマチュア野球指導者(+ [[2002年]]) * [[1941年]] - [[江崎勝久]]、[[実業家]] * 1941年 - [[藤竜也]]、俳優 * [[1942年]] - [[佐藤次高]]、[[歴史学者]](+ [[2011年]]) * [[1943年]] - [[ヴォルフガング・ノルトウイック]]、[[陸上競技]]選手 * [[1944年]] - [[ティム・ボガート]]、[[ベーシスト]]、[[ヴォーカリスト]] (+ [[2021年]]) * [[1945年]] - [[田中達彦]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[柴宜弘]]、[[歴史家]](+ [[2021年]]) * [[1947年]] - [[青木和代]]、女優、声優 * 1947年 - [[田中星児]]、[[歌手]] * [[1950年]] - [[池沢早人師]]、[[漫画家]] * [[1951年]] - [[生田啓一]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[佐野仙好]]、元プロ野球選手 * 1951年 - 富倉安生、[[ベーシスト]](元[[トランザム (バンド)|トランザム]]) * 1951年 - [[螢雪次朗]]、俳優 * 1951年 - [[バディ・ベル]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[マイク・エドワーズ (1952年生の内野手)|マイク・エドワーズ]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[坂本東一]]、元[[騎手]]、調教師 * [[1954年]] - [[早坂直家]]、[[俳優]] * 1954年 - [[デレック・ワーウィック]]、元[[フォーミュラ1|F1]]レーサー * 1954年 - [[石井隆士]]、元[[陸上競技]]選手 * [[1955年]] - [[真渕勝]]、[[政治学者]] * [[1957年]] - [[ベルンハルト・ランガー]]、[[ゴルファー]] * 1957年 - [[長井健司]]、映像ジャーナリスト(+ [[2007年]]) * 1957年 - [[木村理恵]]、女優 * [[1958年]] - [[白石一文]]、作家 * 1958年 - [[白石文郎]]、作家 * [[1959年]] - [[ゲルハルト・ベルガー]]、元F1レーサー * 1959年 - [[渡部絵美]]、元[[フィギュアスケート]]選手、[[タレント]] * 1959年 - [[田中毅彦]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[黒原祐二]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[トム・フォード]]、[[ファッションデザイナー]] * 1962年 - [[西田実仁]]、[[政治家]] * [[1963年]] - [[金村義明]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[伊藤洋介]]、歌手 * [[1964年]] - [[則竹裕之]]、[[ドラマー]] * [[1965年]] - [[津田寛治]]、俳優 * 1965年 - [[鳴海剛]]、俳優 * 1965年 - [[吉松孝博]]、[[アニメーター]]、[[キャラクターデザイナー]] * [[1966年]] - [[内池秀和]]、[[作曲家]] * [[1967年]] - [[イーゴリ・ドブロヴォリスキー]]、元サッカー選手 * [[1968年]] - [[八尋史朗]]、元プロボクサー * [[1969年]] - [[浅田信一]]、[[シンガーソングライター]](元[[SMILE (バンド)|SMILE]]) * 1969年 - [[桂三度]]、お笑いタレント、[[構成作家]] * 1969年 - [[シーザー・ミラン]]、ドッグトレーナー * [[1970年]] - [[ジム・トーミ]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[成田真由美]]、[[パラリンピック]]水泳選手 * 1970年 - [[戸羽隆]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[瀬戸熊直樹]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]] * [[1971年]] - [[元木由記雄]]、元ラグビー選手、指導者 * 1971年 - [[小原義之]]、元[[騎手]] * [[1972年]] - [[渡部高史]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[井上亘]]、元プロレスラー * 1973年 - [[岡山哲也]]、元[[プロサッカー選手]] * [[1974年]] - [[後藤光貴]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[坂本保]]、元野球選手 * [[1975年]] - [[久保利明]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]] * 1975年 - [[高井俊彦]]、[[お笑いタレント]](元[[ランディーズ]]) * 1975年 - [[ビョーン・イエロッテ]]、[[ヘヴィメタル]][[音楽家|ミュージシャン]]([[イン・フレイムス]]) * 1975年 - [[安藤匡史]]、俳優 * [[1976年]] - [[ミラノコレクションA.T.]]、元プロレスラー * 1976年 - [[渡辺俊介]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[マーク・ウェバー]]、レーシングドライバー * 1976年 - [[井場友和]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[田中聡]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[ジャスティン・ミラー (1977年生の投手)|ジャスティン・ミラー]]、プロ野球選手(+ [[2013年]]) * 1977年 - [[アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ|デコ]]、元[[サッカー選手]] * [[1979年]] - [[大塚雄三]]、シンガーソングライター(元[[CHARCOAL FILTER]]) * 1979年 - [[柳沢将之]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[田亮]]、元[[飛込競技]]選手 * [[1980年]] - [[パトリック・ワーティー]]、[[バスケットボール選手]] * [[1981年]] - [[南和彰]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[マクスウェル・シェレル・カベリーノ・アンドラーデ|マクスウェル]]、サッカー選手 * 1981年 - [[ジュリアン (ファッションモデル)|ジュリアン]]、[[ファッションモデル]] * 1981年 - [[松沢蓮]]、俳優 * 1981年 - [[重政豊]]、元お笑いタレント * 1981年 - [[松原秀]]、脚本家、放送作家 * [[1982年]] - [[大柴広己]]、シンガーソングライター * 1982年 - [[山下穂尊]]、ミュージシャン(元[[いきものがかり]]) * 1982年 - [[手島優]]、タレント、元グラビアアイドル * [[1985年]] - [[浅津ゆうこ]]、[[バレーボール選手]] * 1985年 - [[黒宮ニイナ]]、タレント * [[1986年]] - [[金城宰之左]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[白鳥翔]]、プロ雀士 * 1986年 - [[セバスティアン・クルツ]]、政治家、[[連邦首相 (オーストリア)|オーストリア首相]] * [[1987年]] - [[ブレット・ボウチー]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[楠神順平]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[ジョンジョリーナ・アリー]]、歌手 * 1988年 - [[A.J.アクター]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[萱野未久]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[太田あゆみ]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[安村直樹]]、アナウンサー * [[1989年]] - [[SHO (プロレスラー)|SHO]]、プロレスラー * [[1990年]] - [[トリ・ボウイ]]、陸上競技選手(+ [[2023年]]) <ref>{{cite web |url=https://www.iaaf.org/athletes/united-states/tori-bowie-247453 |title=Tori Bowie |publisher=[[IAAF]] |accessdate=2023-02-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160824103420/https://www.iaaf.org/athletes/united-states/tori-bowie-247453 |archivedate=2016-08-24}}</ref> * 1990年 - [[ルーク・デ・ヨング]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ファビオ・ヘンリケ・ペナ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[テイラー・ミッチェル]]、フォークシンガー(+ [[2009年]]) * [[1991年]] - [[大高力也]]、[[俳優]] * [[1992年]] - [[柿田裕太]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[剛力彩芽]]、女優、ファッションモデル、歌手<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sonymusic.co.jp/artist/ayamegoriki/profile/ |title=剛力 彩芽 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|Sony Music Entertainment (Japan) Inc.]]}}</ref> * 1992年 - [[田中貴也]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[どんぐりたけし]]、お笑いタレント * 1992年 - [[松村沙友理]]、タレント(元[[乃木坂46]]) * [[1993年]] - [[ザラ・ヘッケン]]、元フィギュアスケート * 1993年 - [[喜入友浩]]、アナウンサー * 1993年 - [[永田崇人]]、俳優 * [[1995年]] - [[大久保祥太郎]]、俳優 * [[1996年]] - [[せかねこ]]、漫画家 * [[1997年]] - [[川井友香子]]、[[アマチュアレスリング]]選手 * [[1998年]] - [[塚田恵梨花]]、[[女流棋士_(将棋) |女流棋士]] * 1998年 - [[村島未悠]]、グラビアアイドル * [[2000年]] - [[濱田龍臣]]、俳優 * [[2005年]] - [[阿部ここは]]、ファッションモデル == 忌日 == <!-- [[Image:DESPREZ.jpg|thumb|100px|作曲家[[ジョスカン・デ・プレ]](-1521)没。{{audio|Josquin El grillo sung by the dwsChorale.ogg|『こおろぎ』を聴く}}]] --> {{multiple image | footer = 画家[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]](1490頃-1576)没。右画像は『[[ウルビーノのヴィーナス]]』(1538) | image1 = Tizian_090.jpg | width1 = 100 | alt1 = | image2 = Tizian_102.jpg | width2 = 220 | alt2 = 『ウルビーノのヴィーナス』 }} <!-- [[Image:Sixtus5.jpg|thumb|100px|ローマ教皇[[シクストゥス5世 (ローマ教皇)|]](1520-1590)没]] --> <!-- [[Image:LopedeVega.jpg|thumb|100px|劇作家[[ロペ・デ・ベガ]](1562-1635)。2000作前後もの戯曲を書いた。{{Squote|だが人生は短い。生きている間は何もかもが足りず、死んでしまえば何もかもが余計だ。――『ラ・ドロテア』(1632)}}]] --> <!-- {{multiple image | footer = 画家[[フランシスコ・デ・スルバラン]](1598-1664)没。右画像は『瞑想する聖フランシスコ』(1639) | image1 = Zurbaranselfportrait.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像とされる | image2 = Francisco_de_Zurbar%C3%A1n_009.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『瞑想する聖フランシスコ』 }} --> <!-- [[Image:Eug%C3%A8ne_Fromentin_001.jpg|thumb|100px|画家[[ウジェーヌ・フロマンタン]](1820-1876)没。画像は『アラブ人たち』(1871)]] [[Image:Rowland_Hill_photo_cleaned.jpg|thumb|100px|現代的な均一料金の郵便制度の確立者、[[ローランド・ヒル]](1795-1879)没]] [[Image:Uemura_Shoen.jpg|thumb|100px|日本画家、[[上村松園]](1875-1949)]]--> [[Image:Ernest_Orlando_Lawrence.jpg|thumb|100px|物理学者[[アーネスト・ローレンス]](1901-1958)]] {{multiple image | image1 = WEB_DuBois_1918.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[公民権運動]]指導者、[[W・E・B・デュボイス]](1868-1963)没<!--。{{Squote|世の中には1種類の臆病さしかなく、それは知る勇気を持てないという臆病さだ。――『黒人問題の研究』(1898)}}--> | image2 = Selassie_restored.jpg | width2 = 100 | caption2 = エチオピア帝国最後の皇帝、[[ハイレ・セラシエ1世]](1892-1975)、拘禁中に死亡 | image3 = Mountbatten%27s_grave_at_Romsey_Abbey.JPG | width3 = 100 | caption3 = イギリスの伯爵[[ルイス・マウントバッテン]](1900-1979)、[[IRA暫定派]]により爆殺 }} {{multiple image | footer = 建築家[[ル・コルビュジエ]](1887-1965)没。右画像は「{{仮リンク|ル・コルビュジエ・センター|en|Centre Le Corbusier}}」(1963) | image1 = CHF10_8_front.jpg | width1 = 90 | alt1 = 10スイスフラン札に描かれたル・コルビュジエ <!--「[[サヴォア邸]]」(1931) | image2 = VillaSavoye.jpg | width2 = 100 | alt2 = サヴォア邸 --> | image2 = 7293 - Zürich - Le Corbusier - Heidi Weber Museum.JPG | width2 = 160 | alt2 = ル・コルビュジエ・センター }} * [[827年]] - [[エウゲニウス2世 (ローマ教皇)|エウゲニウス2世]]、第99代[[ローマ教皇]](生年不明) * [[1394年]]([[応永]]元年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]])- [[長慶天皇]]、第98代[[天皇]](* [[1343年]]) * [[1521年]] - [[ジョスカン・デ・プレ]]、[[作曲家]](* [[1450年]]頃) * [[1522年]] - [[ジョヴァンニ・アントニオ・アマデーオ]]、[[建築家]]、[[彫刻家]](* [[1447年]]) * [[1572年]] - [[クロード・グディメル]]、作曲家(* [[1510年]]頃) * [[1576年]] - [[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]、[[画家]](* [[1490年]]頃) * [[1590年]] - [[シクストゥス5世 (ローマ教皇)|シクストゥス5世]]、第227代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1520年]]) * [[1635年]] - [[ロペ・デ・ベガ]]、[[劇作家]](* [[1562年]]) * [[1664年]] - [[フランシスコ・デ・スルバラン]]<ref>{{Cite web |title=Francisco de Zurbarán |url=https://www.britannica.com/biography/Francisco-de-Zurbaran |website=Britannica |access-date=2023-02-11 |language=en}}</ref>、画家(* [[1598年]]) * [[1676年]] - [[ジョアン・セレロールス]]、作曲家、[[ベネディクト会]][[修道士]](* [[1618年]]) * [[1727年]] - [[アールト・デ・ヘルデル]]、画家(* [[1645年]]) * [[1851年]] - [[フェルディナント・ゲオルク・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリ]]、ザクセン=コーブルク=ゴータ公子(* [[1785年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[会沢正志斎]]、[[儒学者]](* [[1782年]]) * [[1876年]] - [[ウジェーヌ・フロマンタン]]、[[小説家]]、画家(* [[1820年]]) * [[1879年]] - [[ローランド・ヒル]]、[[イギリス]]の[[郵便]]制度改革者、郵政相(* [[1795年]]) * [[1914年]] - [[オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク]]、[[経済学者]](* [[1851年]]) * [[1931年]] - [[フランク・ハリス]]、[[小説家]](* [[1856年]]) * [[1935年]] - [[フリードリッヒ・オットー・ショット]]、[[化学者]]、[[ショット (ガラス製造業)|ショットAG]]創業者(* [[1856年]]) * [[1937年]] - [[ウォルター・ロスチャイルド (第2代ロスチャイルド男爵)|第2代ロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルド]]、[[動物学|動物学者]](* [[1868年]]) * [[1944年]] - [[マファルダ・ディ・サヴォイア]]、ヘッセン=カッセル方伯フィリップの妻(* [[1902年]]) * [[1949年]] - [[上村松園]]、[[日本画家]](* [[1875年]]) * [[1953年]] - [[ニコライ・ベレゾフスキー]]、[[ヴァイオリニスト]]・作曲家(* [[1900年]]) * [[1958年]] - [[アーネスト・ローレンス]]、[[物理学者]](* [[1901年]]) * [[1963年]] - [[W・E・B・デュボイス]]、[[公民権運動]]指導者(* [[1868年]]) * [[1965年]] - [[ル・コルビュジエ]]、建築家(* [[1887年]]) * [[1967年]] - [[ブライアン・エプスタイン]]、[[ザ・ビートルズ]]の[[マネージャー]](* [[1934年]]) * [[1971年]] - [[マーガレット・バーク=ホワイト]]、[[報道写真|報道写真家]](* [[1904年]]) * [[1975年]] - [[ハイレ・セラシエ1世]]、[[エチオピア]][[皇帝]](* [[1892年]]) * [[1979年]] - [[ルイス・マウントバッテン]]、[[イギリス海軍]][[元帥 (イギリス)|元帥]]、[[インドの総督|インド総督]](* [[1900年]]) * [[1983年]] - [[野津謙]]、[[サッカー選手]]、指導者(* [[1899年]]) * [[1990年]] - [[スティーヴィー・レイ・ヴォーン]]、[[ブルース]][[ギタリスト]]、[[歌手]](* [[1954年]]) * [[1996年]] - [[小林昭二]]、[[俳優]](* [[1930年]]) * [[1999年]] - [[エルデル・カマラ]]、[[カトリック教会]]の[[大司教]](* [[1909年]]) * [[2005年]] - [[楠部大吉郎]]、[[アニメーター]](* [[1934年]]) * 2005年 - [[早川謙之輔]]、[[木工|木工家]](* [[1938年]]) * [[2008年]] - [[永田雅宜]]、[[数学者]](* [[1927年]]) * [[2009年]] - [[セルゲイ・ミハルコフ]]、[[小説家]](* [[1913年]]) * 2009年 - [[ショータ・チョチョシビリ]]、[[柔道家]]、[[格闘家]](* [[1950年]]) * [[2010年]] - [[アントン・ヘーシンク]]、柔道家、[[プロレスラー]](* [[1934年]]) * [[2011年]] - [[タン・ロン]]、[[映画俳優]](* [[1957年]]) * [[2012年]] - [[横森良造]]、アコーディオン奏者(* [[1933年]]) * [[2016年]] - [[松山善三]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](* [[1925年]]) * [[2017年]] - [[荒木恒竹]]、[[アナウンサー]](* [[1960年]]) * [[2020年]] - [[益子修]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/52379 |title=三菱自動車前会長 益子修さん死去 |publisher=[[東京新聞]] |date=2020-08-31 |accessdate=2023-02-11 |website=TOKYO Web}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63240810R30C20A8I00000/ |title=益子修氏死去 三菱自動車前会長、経営立て直し奔走 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2020-08-31 |accessdate=2023-02-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=三菱自動車工業株式会社特別顧問(元取締役会長 代表執行役)益子修 逝去について |url=https://www.mitsubishi-motors.com/jp/newsrelease/2020/detail5462.html |website=MITSUBISHI MOTORS |access-date=2023-02-11 |publisher=[[三菱自動車工業]]}}</ref>、[[三菱自動車]]前代表取締役(* [[1949年]]) == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[モルドバ]]の独立記念日(1991年独立) | image1 = Europe_location_MDA.png | width1 = 140 | caption1 = モルドバの位置 | image2 = Stamp of Moldova md402.jpg | width2 = 180 | caption2 = 独立記念日の記念切手(2001) }} <!-- [[en:Moldovan Declaration of Independence]] --> [[Image:37_Lbj2_3x4.jpg|thumb|100px|第36代アメリカ合衆国大統領、[[リンドン・ジョンソン]](1908-1973)。[[テキサス州]]出身]] * 独立記念日({{MDA}}) *: [[1991年]]のこの日、モルドバが[[ソビエト連邦]]から独立。 * {{仮リンク|リンドン・ベインズ・ジョンソンの日|en|Lyndon Baines Johnson Day}}({{USA}} [[テキサス州]]) *: テキサス州出身の第36代アメリカ合衆国大統領[[リンドン・ジョンソン]]の1908年の誕生日を記念した州の祝日。 * [[男はつらいよ]]の日/寅さんの日({{JPN}}) *: [[1969年]]8月27日に『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開されたことに由来。 * [[ジェラート]]の日({{JPN}}) *: [[1953年]]8月27日に[[ローマの休日]]が[[アメリカ]]で公開されたことにちなんで、[[日本ジェラート協会]]が制定。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0827|date=2011年6月}} * 年不明 - 地方裁判所のカフェテリアで、[[弁護士]]の神乃木荘龍が何者かに毒を盛られ、意識不明となる。(ゲーム『[[逆転裁判|逆転裁判3]]』) === 誕生日(フィクション) === * 1973年 - 宮田一郎、漫画『[[はじめの一歩]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ippo_fs|1322842065487728642}}</ref> * [[23世紀|2210年]] - 相葉祐希、アニメ『[[無限のリヴァイアス]]』に登場するキャラクター * 2280年 - 六本木の舞/徳大寺舞、『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/mai.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:六本木の舞|date=20100923224542}}</ref> * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]509年 - アンヌ・ペトリシアニ、ゲーム『[[スターオーシャン5 -Integrity and Faithlessness-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=80|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - 立神あおい、アニメ『[[キラキラ☆プリキュアアラモード]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.co.jp/precure/kirakira/character/curegelato.html#category |title=キュアジェラート(立神あおい) |work=『キラキラ☆プリキュアアラモード』 |accessdate=2023-02-11 |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC TV]]}}</ref> * 生年不明 - モネ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/monet.html |title=モネ |access-date=2023-02-11 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - ルキ、漫画・アニメ『[[戦勇。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=戦勇キャラの誕生日 |url=https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im2998883 |website=[[ニコニコ静画]] |access-date=2023-02-11 |author=[[春原ロビンソン]]}} </ref> * 生年不明 - アートラヴァン=ルンブーラム、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENAR GERAD -蒼空の戦旗-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ(監修)|authorlink=東まゆみ|title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|year=2009|page=104|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref> * 生年不明 - 牛若雪路、漫画『[[犬神さんと猫山さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=くずしろ|authorlink=くずしろ|title=犬神さんと猫山さん|volume=1巻|publisher=[[一迅社]]|series=[[コミック百合姫#百合姫コミックス|百合姫コミックス]]|year=2013|page=107|isbn=978-4-7580-7224-3}}</ref> * 生年不明 - 板垣辰子、ゲーム『[[真剣で私に恋しなさい!]]』に登場するキャラクター<ref>『[[BugBug]]』2011年4月号、[[サン出版]]、47頁。</ref> * 生年不明 - 井村雪菜、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20022 |title=井村 雪菜(いむら せつな) |access-date=2023-02-11 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 榊原里美、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20072 |title=榊原 里美(さかきばら さとみ) |access-date=2023-02-11 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#森久保乃々|森久保乃々]]、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20172 |title=森久保 乃々(もりくぼ のの) |access-date=2023-02-11 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#篠宮可憐|篠宮可憐]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30011 |title=篠宮 可憐(しのみや かれん) |access-date=2023-02-11 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ドザルタ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=381 |title=ドサルタ |publisher=Vespa Inc |accessdate=2023-02-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210613090143/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=381 |archivedate=May 09 2021 |work=『キングスレイド』}}</ref> * 生年不明 - 新田美奈子、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/nitta |publisher=Akatsuki Inc. |title=新田 美奈子 |accessdate=2023-02-11 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref> * 生年不明 - ラトリア、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=162&cate=name&cont=Lateria |title=ラトリア |access-date=2023-02-11 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - フォイア、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=129&cate=name&cont=Foia |title=フォイア |access-date=2023-02-11 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 宮沢賢治、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bunal_pr|1430907951464828928}}</ref> * 生年不明 - ヒヨリ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1298802489102196736}}</ref> * 生年不明 - 暁山瑞希、ゲーム『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク|プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pj_sekai|1430907897748221962}}</ref> * 生年不明 - シラヌイ、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/tokohana/shiranui/ |title=シラヌイ |access-date=2023-02-11 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - 猫平小夜、メディアミックス『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://idoljihen.jp/character/nekohira-sayo/ |title=岩手県 猫平 小夜 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[MAGES.]] アイドル事変製作委員会 |work=『アイドル事変』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 27|27 August}} {{新暦365日|8|26|8|28|[[7月27日]]|[[9月27日]]|[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]|0827|8|27}} {{1年の月と日}}
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8月30日
8月30日(はちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から242日目(閏年では243日目)にあたり、年末まであと123日ある。
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8月30日(はちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から242日目(閏年では243日目)にあたり、年末まであと123日ある。
{{カレンダー 8月}} '''8月30日'''(はちがつさんじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から242日目([[閏年]]では243日目)にあたり、年末まであと123日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[徳川家康]]、[[江戸城]]に公式に入城(1590) | image1 = Tokugawa Ieyasu2.JPG | width1 = 100 | alt1 = 徳川家康 | image2 = Edo P detail.jpg | width2 = 180 | alt2 = 江戸城 }} <!-- XXX より適切な画像が必要。江戸城は意外にこれといった画像がない… --> [[File:Massacre_at_Fort_Mims.jpg|thumb|[[クリーク戦争]]、[[ミムズ砦虐殺]](1813)]] <!-- Ft. Mims sign.JPG 記念プレート--> {{multiple image | footer = [[チャールズ・ウォルコット]]、[[バージェス頁岩]]の化石を発見(1909) | image1 = Charles_Doolittle_Walcott_(1850-1927),_Sidney_Stevens_Walcott_(1892-1977),_and_Helen_Breese_Walcott_(1894-1965).jpg | width1 = 160 <!-- | caption1 = 1913年頃、現在の{{仮リンク|ウォルコット=ラスト採石場|en|Walcott-Rust quarry}}で調査するウォルコット一家 --> | caption1 = 調査するウォルコット一家、1913年頃 | image2 = ROM-BurgessShale-CompleteAnomalocarisFossil.png | width2 = 160 | caption2 = <!--[[バージェス頁岩]]で発見された-->[[アノマロカリス]]の化石 }} <!-- 詳しい歴史(日付は出ていませんが):[[en:History of the Burgess Shale]] --> [[File:Nobuyuki_Abe_after_selecting_his_cabinet_members.jpg|thumb|[[阿部内閣]]発足(1939-1940)。画像は29日の[[阿部信行]]と閣僚]] <!-- 第2次西園寺内閣の方は画像見当たらず --> [[Image:MacArthur_and_Sutherland.jpg|thumb|[[ダグラス・マッカーサー]](右から2番目)、[[厚木海軍飛行場]]に到着(1945)]] [[Image:YS11_Prop-Jet.JPG|thumb|戦後初の日本国産旅客機、[[YS-11]]初飛行(1962)]] <!-- [[Image:Discovery_Launch.jpg|thumb|200px|[[スペースシャトル]]3機目のオービタ「[[スペースシャトル・ディスカバリー|ディスカバリー]]」初打ち上げ(1984)。画像は1988年のもの]] --> <!-- [[Image:Yohkoh.jpg|thumb|150px|日本の太陽観測衛星「[[ようこう]]」打ち上げ(1991)]] --> {{multiple image | footer = [[NATOによるボスニア・ヘルツェゴビナ空爆 (1995年)]]はじまる | image1 = F-16_deliberate_force.JPG | width1 = 160 | alt1 = 出撃するアメリカ空軍のF-16C | image2 = Bombing_republika_srpska.jpg | width2 = 100 | alt2 = 米軍機が撮影した爆撃目標 }} [[File:Japanese_General_election%2C_2009_ja.svg|thumb|[[第45回衆議院議員総選挙]](2009)、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]が大勝し単独過半数を獲得]] * [[1282年]] - [[ペドロ3世 (アラゴン王)|アラゴン王ペドロ3世]]が[[トラーパニ]]に上陸し[[シチリア晩祷戦争]]に参戦。 * [[1363年]]([[至正]]23年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[鄱陽湖の戦い]]が始まる。 * [[1590年]]([[天正]]18年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[徳川家康]]が[[江戸城]]に公式入城。江戸城が[[徳川氏]]の居城となる。([[八朔]]も参照) * [[1615年]]([[元和 (日本)|元和]]元年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[江戸幕府]]が[[武家諸法度]]を発布。 * [[1721年]] - [[ユリウス暦]]のこの日(グレゴリオ暦においては[[9月10日]])、[[ニスタット条約]]の締結により[[大北方戦争]]が終結。 * [[1727年]] - オラニエ公妃[[アン (オラニエ公妃)|アン]]が王の長女の称号[[プリンセス・ロイヤル]]を授けられる。 * [[1757年]] - [[七年戦争]]: [[グロース=イェーゲルスドルフの戦い]]。 * [[1791年]] - 前日に[[グレートバリアリーフ]]の外礁に座礁した[[パンドラ (帆走フリゲート)|HMSパンドラ]]が朝に沈没。 * [[1799年]] - {{仮リンク|サミュエル・ストーリー|nl|Samuel Story}}少将が指揮するバタヴィア海軍の戦隊がイギリス海軍に降伏する([[:fr:Capitulation_de_Vlieter|Vlieter incident]])。 * [[1813年]] - [[クリーク戦争]]: [[クリーク族]][[インディアン]]の一派「レッド・スティックス」が[[アラバマ州|アラバマ]]・[[モービル (アラバマ州)|モービル]]のミムズ砦を襲撃し住民を虐殺。([[ミムズ砦虐殺]]) * [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[リッチモンドの戦い]]が始まる。 * 1862年 - 南北戦争: [[第二次ブルランの戦い]]が[[アメリカ連合国|南軍]]の勝利で終わる。 * [[1882年]] - [[済物浦条約]]。 * [[1895年]] - [[気象学者]]の[[野中到 (気象学者)|野中到]]が、[[剣ヶ峰 (富士山)|富士山頂]]に私費で[[測候所]]を開設。 * [[1900年]] - [[幸徳秋水]]が、[[自由党 (日本 1890-1898)|自由党]]の後身・[[憲政党]]の[[藩閥]]との妥協を批判する論文「自由党を祭る文」を『[[萬朝報]]』で発表。 * [[1905年]] - [[タイ・カッブ]]が[[メジャーリーグベースボール|MLB]]デビュー。 * [[1909年]] - [[チャールズ・ウォルコット]]が[[バージェス頁岩]]の[[化石]]を発見。<!-- 記事に日付ありませんがhttp://www.burgess-shale.bc.ca/discover-burgess-shale/summary-researchにて確認 --> * [[1911年]] - 日本で[[西園寺公望]]が第14代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第2次西園寺内閣]]が発足。 * [[1939年]] - 日本で陸軍大将[[阿部信行]]が第36代内閣総理大臣に就任し、[[阿部内閣]]が発足。 * [[1940年]] - [[松岡洋右]]外相とアンリ仏大使が[[仏印進駐#北部仏印進駐|北部仏印進駐]]に関する協定(松岡・アンリ協定)を締結。<!-- https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/senzen_04.html --> *1940年 - [[第二次ウィーン裁定]]<small>([[:en:Second_Vienna_Award|英語版]])</small>、ルーマニアはトランシルバニア北部をハンガリーに譲渡。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: 日本で[[金属類回収令]]公布。 * [[1945年]] - 連合国軍最高司令官[[ダグラス・マッカーサー]]元帥が[[厚木飛行場]]に到着。 * 1945年 - 第二次世界大戦・[[ネグロス島#第二次世界大戦|ビサヤ諸島の戦い]]: 日本陸軍[[第102師団 (日本軍)|第102師団]]歩兵第77旅団長河野毅陸軍中将が[[ネグロス島]][[西ネグロス州]]ムルシア町アシエンダ・サンタ・ロサで[[アメリカ陸軍|米]]{{仮リンク|第503歩兵連隊 (アメリカ軍)|label=第503連隊戦闘団|en|503rd Infantry Regiment (United States)}}に降伏する。[https://thedailyguardian.net/option/japanese-surrender-2/ <small>出典</small>] * 1945年 - [[第二次世界大戦]]: [[イギリス海軍|英]]第111.2任務群が[[香港島]]へ到着して[[軽巡洋艦]][[スウィフトシュア (軽巡洋艦)|スウィフトシュア]]から{{仮リンク|セシル・ハーコート|label=ハーコート|en|Cecil Harcourt}}海軍少将が上陸する。 * 1945年 - 第二次世界大戦後のドイツを統治する[[連合国管理理事会]]<small>([[:en:Allied_Control_Council|英語版]])</small>が発足。 * [[1956年]] - [[スターリン批判]]を受け、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]で同国の幹部が最高指導者[[金日成]]の[[個人崇拝]]や工業政策を批判。([[8月宗派事件]]) * [[1962年]] - 戦後初の日本の国産[[旅客機]]である[[YS-11]]が初飛行。 * [[1963年]] - アメリカの[[ホワイトハウス]]とソ連の[[クレムリン]]の間を直接結ぶホットライン([[ホットライン#米ソホットライン|モスクワ=ワシントン・ホットライン]])を開設。 * [[1967年]] - [[アメリカ合衆国上院|米議会上院]]が[[サーグッド・マーシャル]]を([[アフリカ系アメリカ人]]として初めての)[[合衆国最高裁判所|連邦最高裁]]判事とする事に合意する。 <!-- * [[1973年]] - [[江夏豊]]が対中日戦で[[ノーヒットノーラン]]達成。 --> * [[1974年]] - [[三菱重工爆破事件]]。8人死亡、376人負傷。 <!-- * [[1978年]] - [[王貞治]]が800号本塁打達成。 --> * [[1981年]] - イランの首相府で爆弾テロ。[[モハンマド・アリー・ラジャーイー]]大統領・モハンマド・ジャヴァード・バーホナル首相らが死亡。 * [[1983年]] - [[ギオン・ブルーフォード]]が[[アフリカ系アメリカ人]]として初めて宇宙へ飛び立つ([[STS-8]])。 * [[1984年]] - [[スペースシャトル]]「[[スペースシャトル・ディスカバリー|ディスカバリー]]」が初打ち上げ。 * [[1989年]] - [[堀江謙一]]が超小型[[ヨット]]でのアメリカから日本への[[太平洋]]横断に成功。27年前の往路と併せて単独往復を達成。 * [[1991年]] - 文部省[[宇宙科学研究所]] (ISAS) が太陽観測衛星「[[ようこう]]」を打ち上げ。 * [[1995年]] - [[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]: [[NATOによるボスニア・ヘルツェゴビナ空爆 (1995年)|NATOによるボスニア・ヘルツェゴビナ空爆]]開始。 * 1995年 - [[信用組合]]最大手の[[木津信用組合]]と[[第二地方銀行]]最大手の[[兵庫銀行]]が経営破綻、兵庫銀行の破綻は日本の銀行では戦後初となった。 * [[1999年]] - 日本ジャグリング協会 (JJA) 設立。 * [[2006年]] - [[海上自衛隊]]の[[あたご型護衛艦]]の2番艦[[あしがら (護衛艦)|護衛艦あしがら]]が進水。 * [[2007年]] - 日本で[[第65回世界SF大会]]([[ワールドコン]])が開催。アジアで初の開催。 * [[2009年]] - [[第45回衆議院議員総選挙]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が大敗、[[政権交代]]を訴えた[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]が歴史的な圧勝をし、衆議院でも第一党となる。 * [[2014年]] - 国内でのクーデターにより始まった{{仮リンク|2014年レソト政治危機|en|2014_Lesotho_political_crisis}}に際して[[レソト]]首相{{仮リンク|トム・タバネ|en|Tom Thabane}}が南アフリカへ逃亡。 * [[2015年]] - [[梅小路蒸気機関車館]]がこの日限りで閉館<ref>[http://trafficnews.jp/post/38011/ 梅小路蒸気機関車館、8月30日で閉館 SL「頭出し」イベントなど実施]</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[File:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> <!-- 英語版へのリンクのみのスポーツ選手が多すぎるような? --> <!-- [[Image:Shahruch_reconstruction.jpg|thumb|100px|[[ティムール朝]]第3代君主、[[シャー・ルフ]](1377-1447)]] 日付要確認--> {{multiple image | image1 = %E4%BC%8A%E8%97%A4%E4%BB%81%E6%96%8E.jpg | width1 = 100 | caption1 = 儒学者、[[伊藤仁斎]](1627-1705)誕生 | image2 = Daimyo_Hotta_Masayoshi.png | width2 = 100 | caption2 = 幕末の老中[[堀田正睦]](1810-1864)誕生。[[日米修好通商条約]]を締結 <!-- {{Squote|書を読むは砂を流して金を拾うが如くすべし。}} --> }} {{multiple image | footer = [[清]]の政治家、[[林則徐]](1785-1850)誕生。[[アヘン|阿片]]密輸を強硬に取り締まった | image1 = Portrait of Lin Zexu.jpeg | width1 = 100 | alt1 = 林則徐 | image2 = Destruction of opium in 1839.jpg | width2 = 200 | alt2 = 阿片を処分させる林則徐 }} {{multiple image | image1 = Vant_Hoff.jpg | width1 = 100 | caption1 = 化学者[[ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ]](1852-1911)誕生。[[ファントホッフの式]]を発見 | image2 = | width2 = 100 | caption2 = 「[[核物理学]]の父」、物理学者[[アーネスト・ラザフォード]] (1871-1937) }} {{multiple image | footer = [[ラファエル前派]]の画家、[[イーヴリン・ド・モーガン]](1855-1919)誕生。右画像は『嵐の精霊』(1900) | image1 = Evelyndemorgan.jpg | width1 = 80 | alt1 = イーヴリン・ド・モーガン | image2 = The_Storm_Spirits.jpg | width2 = 220 | alt2 = 『嵐の精霊』 }} {{multiple image | footer = 風景画家[[イサーク・レヴィタン]](1860-1900)誕生。左画像は自画像(1880)、右は『ソコルニキの秋の日』(1879) | image1 = Isaac_Levitan_selfportrait1880.jpg | width1 = 80 | alt1 = 自画像 | image2 = Levitan_Sokolniki_Autumn_1879.jpg | width2 = 140 | alt2 = 『ソコルニキの秋の日』 }} {{multiple image | footer = 芸術家[[テオ・ファン・ドースブルフ]](1883-1931)誕生。左画像は自画像(1906)、右は『不調和な反コンポジションXVI』(1925) | image1 = Theo_van_Doesburg_Selfportrait_with_hat.jpg | width1 = 100 | alt1 = 自画像 | image2 = | width2 = 180 | alt2 = 『不調和な反コンポジションXVI』 }} [[File:Ted_Williams_BBall_Digest_May_1949_raw.jpg|thumb|100px|[[メジャーリーグベースボール|大リーグ]]の左翼手、[[テッド・ウィリアムズ]](1918-2002)。三冠王を2度獲得。{{Squote|考えるのがあまり得意じゃないなら、考えすぎるな。}}]] [[File:Fly-Angel.jpg|thumb|240px|彫刻家[[アントニー・ゴームリー]](1950-)誕生。画像は『[[エンジェル・オブ・ザ・ノース]]』(1998)]] [[Image:Alexander_Lukashenko_2007.jpg|thumb|100px|[[ベラルーシ]]初代大統領、[[アレクサンドル・ルカシェンコ]](1954-)]] * [[1334年]] - [[ペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世]]、[[カスティーリャ王国|カスティリャ]]王(+ [[1369年]]) *[[1377年]] - [[シャー・ルフ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Shah-Rokh-Timurid-ruler-of-Iran-and-Turkistan Shāh Rokh Timurid ruler of Iran and Turkistan] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ティムール朝]]第3代君主(+ [[1447年]])<!-- ja,pl,sv:8/30 en,de,es,it,ru:8/20 FA,ar,fr:- nl:7/21 日付要確認 --> * [[1594年]]([[文禄]]3年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[中川久盛]]、[[岡藩]]2代藩主(+ [[1653年]]) * [[1627年]]([[寛永]]4年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[伊藤仁斎]]、儒学者、思想家(+ [[1705年]]) * [[1700年]]([[元禄]]13年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[池田定賢]]、[[若桜藩]]2代藩主(+ [[1736年]]) * [[1706年]]([[宝永]]3年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[木下俊保]]、[[日出藩]]6代藩主(+ [[1738年]]) * [[1745年]]([[延享]]2年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[鍋島治茂]]、[[佐賀藩]]8代藩主(+ [[1805年]]) * [[1748年]] - [[ジャック=ルイ・ダヴィッド]]、画家(+ [[1825年]]) * [[1772年]]([[安永 (元号)|安永]]13年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[木下俊懋]]、日出藩11代藩主(+ [[1822年]]) * [[1773年]] - [[ポラック・ミハーリ]]、建築家(+ [[1855年]]) * [[1785年]]([[乾隆]]50年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]) - [[林則徐]]、[[清]]の[[欽差大臣]](+ [[1850年]]) * [[1797年]] - [[メアリー・シェリー]]、[[小説家]](+ [[1851年]]) * [[1803年]]([[享和]]3年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[松平忠誨]]、[[尼崎藩]]5代藩主(+ [[1829年]]) * [[1810年]]([[文化 (元号)|文化]]7年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[堀田正睦]]、老中(+ [[1864年]]) * [[1814年]] - [[ホーレス・メイナード]]、第31代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1882年]]) * [[1827年]] - [[ギーゼラ・フォン・アルニム]]、[[作家]](+ [[1889年]]) * [[1837年]] - [[エレン・アーサー]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[1880年]]) * [[1844年]] - [[フリードリヒ・ラッツェル]]、[[地理学者]]、[[生物学者]](+ [[1904年]]) * [[1849年]] - [[カル・マクヴィー]]、[[プロ野球選手]](+ [[1926年]]) * [[1852年]] - [[ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ]]、科学者、[[ノーベル化学賞]]受賞者(+ [[1911年]]) * [[1855年]] - [[イーヴリン・ド・モーガン]]、[[画家]](+ [[1919年]]) * [[1860年]] - [[イサーク・レヴィタン]]、画家(+ [[1900年]]) * [[1871年]] - [[アーネスト・ラザフォード]]、[[物理学者]](+ [[1937年]]) * 1871年([[明治]]4年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[国木田独歩]]、小説家、詩人(+ [[1908年]]) * [[1883年]] - [[テオ・ファン・ドースブルフ]]、画家(+ [[1931年]]) * [[1897年]] - [[小口太郎]]、[[歌人]]、[[科学者]](+ [[1924年]]) * [[1898年]] - [[カイカイ・カイラー]]、プロ野球選手(+ [[1950年]]) * [[1902年]] - [[木村武雄]]、[[政治家]](+ [[1983年]]) * [[1907年]] - [[ジョン・モークリー]]、[[ENIAC]]の開発者の1人(+ [[1980年]]) * 1907年 - [[レオノール・フィニ]]、画家(+ [[1996年]]) * [[1909年]] - [[バージニア・リー・バートン]]、[[絵本作家]](+ [[1968年]]) * [[1918年]] - [[テッド・ウィリアムズ]]、プロ野球選手(+ [[2002年]]) * 1918年 - [[ヴィルヘルム・エーム]]、[[軍人]](+ [[2009年]]) * [[1924年]] - [[ケニー・ドーハム]]、[[ジャズ]]トランペッター(+ [[1972年]]) * 1924年 - [[アレクサンドル・ロバノフ]]、[[芸術家]](+ [[2003年]]) * [[1925年]] - [[永山武臣]]、[[実業家]](+ [[2006年]]) * 1925年 - [[金子太郎_(大蔵官僚)|金子太郎]]、[[実業家]]、元[[環境庁]]事務次官(+ [[2020年]]) * 1925年 - [[ジョージ・ウイルソン (野球)|ジョージ・ウイルソン]]、元プロ野球選手(+ [[1974年]]) * [[1926年]] - [[松川博爾]]、プロ野球選手(+ [[2007年]]) * [[1930年]] - [[ウォーレン・バフェット]]、[[投資家]] * [[1931年]] - [[八奈見乗児]]、[[声優]](+ [[2021年]]) * [[1932年]] - [[村木賢吉]]、[[演歌歌手]](+ [[2021年]]) * [[1933年]] - [[河村英文|河村久文]]、プロ野球選手(+ [[2005年]]) * [[1934年]] - [[金子勝彦]]、スポーツアナウンサー(+ [[2023年]]) * [[1935年]] - [[佐々井秀嶺]]、僧侶 * [[1937年]] - [[ブルース・マクラーレン]]、レーシングドライバー・オーナー(+ [[1970年]]) * [[1941年]] - [[木下栄一郎]]、[[経営者]] * [[1943年]] - [[ジャン=クロード・キリー]]、アルペンスキーヤー * 1943年 - [[佐々木宏一郎]]、プロ野球選手(+ [[1989年]]) * [[1944年]] - [[野川由美子]]、[[俳優|女優]] * 1944年 - [[タグ・マグロウ]]、プロ野球選手(+ [[2004年]]) * [[1945年]] - [[佐藤勝彦 (物理学者)|佐藤勝彦]]、[[天体物理学|宇宙物理学者]] * [[1946年]] - [[アンナ=マリア (ギリシャ王妃)|アンナ=マリア]]、ギリシャ王妃 * 1946年 - [[ペギー・リプトン]]、女優(+ [[2019年]]) * 1946年 - [[宮路オサム]]、演歌歌手([[殿さまキングス]]) * [[1947年]] - [[山内昌之]]、歴史学者 * 1947年 - [[三宅成幸]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[井上陽水]]、[[歌手]] * 1948年 - [[フレッド・ハンプトン]]、社会運動家 * 1948年 - [[ルイス・ブラック]]、俳優、脚本家、コメディアン * [[1949年]] - [[クリス・ラッタ]]、声優、俳優(+ [[1994年]]) * [[1950年]] - [[アントニー・ゴームリー]]、[[彫刻家]] * [[1951年]] - [[ティモシー・ボトムズ]]、俳優 * [[1952年]] - [[梶間健一]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[ロバート・パリッシュ]]、バスケットボール選手 * 1953年 - [[島田二郎]]、政治家 * [[1954年]] - [[功刀俊洋]]、[[歴史家]] * 1954年 - [[アレクサンドル・ルカシェンコ]]、政治家、[[ベラルーシの大統領|ベラルーシ大統領]] * 1954年 - [[デヴィッド・ペイマー]]、俳優、声優 * [[1955年]] - [[大野豊 (野球)|大野豊]]、元プロ野球選手 * 1955年 - [[石淵国博]]、元プロ野球選手 * 1955年 - 室山眞弓、漫画家([[室山まゆみ]]) * [[1957年]] - [[長内孝]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[小川淳司]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]] * [[1958年]] - [[西村麻聡]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1958年 - [[于栄光]]、俳優 * [[1959年]] - [[駒崎幸一]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[田辺繁文]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[ハサン・ナスルッラーフ]]、[[ヒズブッラー]]議長<!-- ja,de,fr,pl,pt:- en,es,id,nl,ru:8/31 AR,it:8/30 アルジャジーラのサイト[http://www.aljazeera.com/cgi-bin/review/people_full_story.asp?service_id=6849]に8/31とあったとenに注があるがリンク切れ --> * [[1961年]] - [[所十三]]、[[漫画家]] * [[1962年]] - [[アレクサンドル・リトビネンコ]]、反体制活動家、ライター * [[1963年]] - [[マイケル・チクリス]]、俳優 * 1963年 - [[小山昌男]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[ギャビン・フィッシャー]]、カーレースエンジニア * [[1965年]] - [[神野美伽]]、歌手 * 1965年 - [[塚本やすし]]、画家 * 1965年 - [[木村恵二]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[郭建成]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[羽海野チカ]]、漫画家 * 1966年 - [[オルズベック・ナザロフ]]、[[プロボクサー]] * 1966年 - [[小谷実可子]]、[[アーティスティックスイミング]]選手、スポーツコメンテーター * 1966年 - [[木内孝胤]]、政治家、[[投資家|投資銀行家]] * 1966年 - [[マイケル・ミシェル]]、女優 * 1966年 - [[村口史子]]、プロゴルファー * [[1967年]] - [[フレデリーク・ファン・デル・ワル]] 、[[スーパーモデル]] * 1967年 - [[海老根智仁]]、実業家 * [[1968年]] - [[布川智子]]、タレント、アイドル * [[1969年]] - [[山本美希]]、[[アナウンサー]] * 1969年 - [[ディミトリス・スグロス]]、ピアニスト * [[1970年]] - [[光良]]、歌手 * [[1971年]] - [[ラーズ・フレデリクセン]]、ボーカリスト、ギタリスト(ラーズ・フレデリクセン・アンド・ザ・バスターズ) * 1971年 - [[山田潤]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[服部浩紀]]、元[[サッカー選手]] * 1971年 - [[河下水希]]、漫画家 * 1971年 - [[K・メーガン・マッカーサー]]、宇宙飛行士 * [[1972年]] - [[キャメロン・ディアス]]、女優 * 1972年 - [[西郷泰之]]、[[野球選手]] * 1972年 - [[パベル・ネドベド]]、サッカー選手 * 1972年 - [[ブレット・ドイル]]、騎手 * [[1973年]] - [[尾上紫]]、日本舞踊家、女優 * 1973年 - [[大飛翔誠志]]、元大相撲力士 * 1973年 - [[佐藤アツヒロ]]、俳優(元[[光GENJI]]) * 1973年 - [[高山哲哉]]、アナウンサー * [[1974年]] - [[内藤大助]]、元プロボクサー、[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[フライ級]]チャンピオン * 1974年 - [[ハビエル・オチョア]]、自転車選手 * [[1975年]] - [[前田和之 (野球)|前田和之]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[ラディ・ジャイディ]]、サッカー選手 * 1975年 - [[中山智香子]]、[[バドミントン]]選手 * 1975年 - [[関根明子 (トライアスロン選手)|関根明子]]、元[[トライアスロン]]選手 * 1975年 - [[あんじ]]、ファッションモデル、女優、タレント * 1975年 - [[マリナ・アニシナ]]、フィギュアスケーター * 1975年 - [[吉田充里]]、サックス奏者 * [[1976年]] - [[南野やじ]]、お笑い芸人 * [[1977年]] - [[石塚さより]]、声優 * 1977年 - [[フェリックス・サンチェス]]、ハードル選手 * 1977年 - [[原俊介]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[松本輝]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[エルデン・ヘンソン]]、俳優 * 1977年 - [[ショーン・アレキサンダー]]、アメリカンフットボール選手 * 1977年 - [[マーロン・バード]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[カミル・コソフスキ]]、サッカー選手 * 1977年 - [[ジョージ・コリアス]]、音楽家([[ナイル (バンド)|ナイル]]など) * 1977年 - [[魔神ぐり子]]、漫画家 * [[1978年]] - [[クリフ・リー]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[吉沢悠]]、俳優 * 1978年 - [[川村綾]]、アナウンサー * 1978年 - [[シネイド・ケアー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1979年]] - [[フアン・イグナシオ・チェラ]]、テニス選手 * 1979年 - [[佐伯英恵]]、ファッションモデル * 1979年 - [[スコット・リッチモンド]]、プロ野球選手 * [[1980年]] - [[清水久嗣]]、アナウンサー * 1980年 - [[國元なつき]] 、女優 * [[1981年]] - [[アナイシス・エルナンデス]]、[[柔道家]] * [[1982年]] - [[アンディ・ロディック]]、テニス選手 * 1982年 - [[アリナ・ドゥミトル]]、柔道家 * 1982年 - [[岡村仁美]]、アナウンサー、記者 * 1982年 - [[八代じゅん]]、タレント * 1982年 - [[米澤円]]、声優 * [[1983年]] - [[松本潤]]、俳優、歌手([[嵐 (グループ)|嵐]]) * 1983年 - [[NAOTO (ダンサー)|NAOTO]]、ダンサー([[EXILE]]) * 1983年 - [[レオン・ボイド]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[村山太朗]]、[[プロ野球審判員]] * 1983年 - [[神原大地]]、声優 * 1983年 - [[中谷一馬]]、政治家 * 1983年 - [[桜井ひな]]、タレント * [[1984年]] - [[古賀幸一郎]]、[[バレーボール]]選手 * 1984年 - [[星野涼子]]、タレント * 1984年 - [[山内麻美]]、ファッションモデル * 1984年 - [[山本光将]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[劉艶]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1985年]] - [[浅見真紀]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]] * 1985年 - [[井上ジョー]]、シンガーソングライター * 1985年 - [[歌広場淳]]、ミュージシャン([[ゴールデンボンバー (バンド)|ゴールデンボンバー]]) * 1985年 - [[ティアナ・マディソン]]、走り幅跳び選手 * 1985年 - [[リーゼル・ジョーンズ]]、競泳選手 * [[1986年]] - [[佐藤昭大]]、サッカー選手 * 1986年 - [[丹野研太]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[竹村千里]]、ゴルファー * [[1988年]] - [[JYONGRI]]、歌手 * 1988年 - [[エルネスツ・ガルビス]]、[[テニス]]選手 * 1988年 - [[春川恭亮]]、俳優 * [[1989年]] - [[足立かりん]]、タレント * 1989年 - [[垣内彩未]]、モデル * 1989年 - [[紅蘭]]、[[ダンサー]]、タレント * 1989年 - [[D.J.ジョンソン (野球)|ダニエル・スチュアート・ジョンソン]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[ビリー・バーンズ]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[ビービー・レクサ]]、[[シンガーソングライター]] * [[1990年]] - [[藤村直樹 (俳優)|藤村直樹]]、俳優 * 1990年 - [[谷中麻里衣]]、キャスター、アナウンサー * 1990年 - [[川田翔子]]、政治家 * [[1991年]] - [[鎌田あかね]]、元タレント * 1991年 - [[寺田夏生]]、陸上選手 * [[1993年]] - [[財前光希]]、ファッションモデル * 1993年 - [[鈴木まなか]]、作曲家 * 1993年 - [[廖任磊]]、プロ野球選手 * 1993年 - まひる、お笑い芸人([[ガンバレルーヤ]]) * 1993年 - [[石井利佳]]、タレント、歌手 * 1993年 - [[登坂絵莉]]、元レスリング選手 * 1993年 - [[緒方友莉奈]]、グラビアアイドル * [[1994年]] - [[下村彩里]]、アナウンサー * [[1995年]] - [[岩田絵里奈]]、アナウンサー * 1995年 - [[ショーン・リード=フォーリー]]、プロ野球選手 * [[1996年]] - [[伊藤裕季也]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[松原后]]、サッカー選手 * 1996年 - [[翠富士一成]]、大相撲力士 * 1996年 - 荒川、お笑い芸人([[エルフ (お笑いコンビ)|エルフ]]) * [[1997年]] - [[阿部顕嵐]]、タレント([[7ORDER project]]) * 1997年 - [[眞嶋優]]、女優 * [[2000年]] - [[横川凱]]、プロ野球選手 * [[2001年]] - [[池﨑理人]]、アイドル([[INI]]) * 2004年 - キム・ギュビン、アイドル([[ZEROBASEONE]]) * [[2006年]] - [[北原もも]]、アイドル([[OCHA NORMA]]) * [[2007年]] - [[西矢椛]]、プロ[[スケートボード]]選手<ref>{{Cite web|和書|url=https://2020.yahoo.co.jp/player/sb/detail/nishiya-momiji-0001 |title=選手情報 - 西矢 椛 - 東京オリンピック・パラリンピックガイド |accessdate=2021-07-26}}</ref> * 生年不詳 - [[荻野葉月]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=171|title=荻野葉月 |publisher=81プロデュース |accessdate=2020-12-04}}</ref>、声優 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Theoderich_%28Vischer%29.JPG | width1 = 100 | caption1 = [[東ゴート王国]]創始者、[[テオドリック (東ゴート王)|テオドリック]](454-526)没。「ディートリヒ・フォン・ベルン」として伝説化 | image2 = Louis_XI_of_France.jpg | width2 = 100 | caption2 = フランス王「慎重王」[[ルイ11世 (フランス王)|ルイ11世]](1423-1483) }} [[File:Shimazu Yoshihiro.jpg|thumb|100px|武将[[島津義弘]](1535-1619)没<!--。{{Squote|天地の開けぬ先の我なれば生くるにもなし死するにもなし――辞世の句}}-->]] {{multiple image | footer = 画家[[ジョヴァンニ・ファットーリ]](1825-1908)没。左画像は自画像(1854)、右は『牛車と農夫のいるマレンマでの休息』(1873-75) | image1 = Fattori_ritratto.jpg | width1 = 90 | alt1 = 自画像 | image2 = Giovanni Fattori 051.jpg | width2 = 220 | alt2 = 『牛車と農夫のいるマレンマでの休息』 }} {{multiple image | footer = [[フランツ・フォン・シュトゥック]] (1863-1928)没。左画像は自画像(1905)、右は『罪』(1893) | image1 = Franz_von_Stuck_Selbstbildnis_im_Atelier.jpg | width1 = 140 | alt1 = 自画像 | image2 = Franz_von_Stuck_004.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『罪』 }} {{multiple image | image1 = Wilhelm_Wien_%28Nobel%29.png | width1 = 100 | caption1 = 物理学者[[ヴィルヘルム・ヴィーン]](1864-1928)没。[[黒体放射]]を研究 | image2 = Jj-thomson2.jpg | width2 = 100 | caption2 = 物理学者[[ジョゼフ・ジョン・トムソン]] (1856-1940)没。[[電子]]の存在を示した | image3 = Fred_Whipple_1927.jpg | width3 = 100 | caption3 = 天文学者[[フレッド・ホイップル]](1906-2004)没。[[彗星]]が「汚れた雪玉」であるとした }} [[File:Rjaee.jpg|thumb|100px|イランの大統領[[モハンマド・アリー・ラジャーイー]](1933-1981)と首相{{仮リンク|モハンマド・ジャヴァード・バーホナル|en|Mohammad-Javad Bahonar}}(1933-1981)らが爆殺]] [[Image:Necip_Mahfuz.jpg|thumb|100px|エジプトの作家、[[ナギーブ・マフフーズ]](1911-2006)没。アラブ圏初の[[ノーベル文学賞]]受賞者。]] * [[526年]] - [[テオドリック (東ゴート王)|テオドリック]]、[[東ゴート王国]]の王(* [[454年]]) * [[785年]]([[延暦]]4年[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]) - [[淡海三船]]、[[奈良時代]]の[[文人]](* [[722年]]) * [[826年]]([[天長]]3年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[藤原冬嗣]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[775年]]) * [[1025年]]([[万寿]]2年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[藤原嬉子]]、[[後朱雀天皇]][[内侍司|尚侍]](* [[1007年]]) * [[1181年]] - [[アレクサンデル3世]]、第170代[[ローマ教皇]](* [[1105年]]?) * [[1284年]]([[弘安]]7年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[一条実経]]、鎌倉時代の公卿(* [[1223年]]) * [[1294年]]([[永仁]]2年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[鷹司兼平]]、鎌倉時代の公卿(* [[1228年]]) * [[1329年]] - [[コシラ]]、[[元 (王朝)|元朝]]第9代[[ハーン]](* [[1300年]]) * [[1428年]]([[正長]]元年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[称光天皇]]、第101代[[天皇]](* [[1401年]]{{Sfn|伊藤|2008|p=59}}) * [[1470年]]([[文明 (日本)|文明]]2年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[京極持清]]、[[室町時代]]の[[守護大名]](* [[1407年]]) * [[1483年]] - [[ルイ11世 (フランス王)|ルイ11世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1423年]]) * [[1517年]] - [[コンラッド・スーセンホーファー]]、[[鎧]][[鍛冶]]職人(* [[1450年]]-[[1460年]]頃) * [[1526年]]([[大永]]6年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[冷泉為広]]、室町時代の公卿、[[歌人]](* [[1450年]]) * [[1531年]]([[享禄]]4年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[足利政氏]]、第2代[[古河公方]](* [[1462年]]) * [[1549年]]([[天文 (元号)|天文]]18年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[荒木田守武]]、[[連歌|連歌師]](* [[1473年]]) * [[1557年]]([[弘治 (日本)|弘治]]3年[[8月7日 (旧暦)|8月7日]]) - [[北就勝]]、[[武将|戦国武将]] * [[1557年]](弘治3年8月7日) - [[千葉親胤]]、[[下総国]]の[[戦国大名]](* [[1541年]]) * [[1580年]] - [[エマヌエーレ・フィリベルト (サヴォイア公)|エマヌエーレ・フィリベルト]]、[[サヴォイア公]](* [[1528年]]) * [[1619年]]([[元和 (日本)|元和]]5年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[島津義弘]]、[[薩摩国]]の戦国大名(* [[1535年]]) * [[1773年]] - [[ニコロ・ナッツオーニ]]、[[建築家]](* [[1691年]]) * [[1821年]] - [[ジョン・フランシス・マーサー]]、[[メリーランド州知事の一覧|メリーランド州知事]](* [[1759年]]) * [[1831年]] - [[ルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク]]、[[エルンスト1世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンスト1世]]の妃(* [[1800年]]) * [[1835年]] - [[ウィリアム・テイラー・バリー]]、第10代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1784年]]) * [[1844年]] - [[フランシス・ベイリー]]、[[天文学者]](* [[1774年]]) * [[1849年]]([[天保]]12年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[林述斎]]、[[儒学者]](* [[1768年]]) * [[1856年]] - [[ジョン・ロス (北極探検家)|ジョン・ロス]]、[[探検家]](* [[1777年]]) * [[1879年]] - [[ジョン・ベル・フッド]]、[[アメリカ連合国]]陸軍[[中将]](* [[1831年]]) * [[1880年]] - [[ロバート・マクレランド (内務長官)|ロバート・マクレランド]]、第4代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1807年]]) * [[1885年]] - [[大炊御門家信 (江戸時代の公卿)|大炊御門家信]]、[[江戸時代]]の公卿(* [[1818年]]) * [[1903年]] - [[後藤貞行]]、[[彫刻家]](* [[1850年]]) * [[1908年]] - [[ジョヴァンニ・ファットーリ]]、[[画家]]、[[版画家]](* [[1825年]]) * [[1918年]] - [[ジェイムズ・ドナルド・キャメロン]]、第32代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1833年]]) * 1918年 - [[モイセイ・ウリツキー]]、[[サンクトペテルブルク|ペトログラード]][[チェーカー]]議長(* [[1873年]]) * [[1920年]] - [[ベンジャミン・スミス・ライマン]]、鉱山学者(* [[1835年]]) * [[1928年]] - [[フランツ・フォン・シュトゥック]]、[[画家]]、[[彫刻家]]、[[建築家]](* [[1863年]]) * 1928年 - [[ヴィルヘルム・ヴィーン]]、[[物理学者]](* [[1864年]]) * [[1939年]] - [[ハンス・クント]]、[[ボリビア]]軍の軍事顧問(* [[1869年]]) * [[1940年]] - [[ジョゼフ・ジョン・トムソン]]、物理学者(* [[1856年]]) * [[1942年]] - [[ミゲル・ホワイト]]、[[陸上競技]]選手(* [[1909年]]) * [[1946年]] - [[グリゴリー・セミョーノフ]]、[[白軍]]の指導者(* [[1890年]]) * [[1965年]] - [[宮崎繁三郎]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[中将]](* [[1892年]]) * [[1970年]] - [[エルンスト・ツィナー]]、天文学者(* [[1886年]]) * 1970年 - [[月形龍之介]]、[[俳優]](* [[1902年]]) * 1970年 - [[エイブラハム・ザプルーダー]]、[[ザプルーダー・フィルム]]撮影者(* [[1905年]]) * [[1978年]] - [[トーマス・チャーチ]]、[[造園家]]、[[環境デザイナー]](* [[1902年]]) * [[1981年]] - [[モハンマド・アリー・ラジャーイー]]、[[イランの大統領|イラン大統領]](* [[1933年]]) * [[1983年]] - [[イリナ・ユスポヴァ]]、[[フェリックス・ユスポフ]]の娘(* [[1915年]]) * [[1984年]] - [[有吉佐和子]]、[[小説家]](* [[1931年]]) * [[1985年]] - [[フィリー・ジョー・ジョーンズ]]、[[ジャズ]][[ドラマー]](* [[1923年]]) * [[1987年]] - [[助高屋高助 (5代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1900年]]) * 1987年 - [[兪鎮午]]、小説家、[[法学者]]、韓国[[新民党]]党首(* [[1906年]]) * [[1990年]] - [[内山龍雄]]、物理学者(* [[1916年]]) * [[1991年]] - [[ジャン・ティンゲリー]]、[[現代美術|現代美術家]]、彫刻家、画家(* [[1925年]]) * [[1992年]] - [[伊達正男]]、[[社会人野球]]選手(* [[1911年]]) * 1992年 - [[五社英雄]]、[[映画監督]](* [[1929年]]) * [[1993年]] - [[リチャード・ジョーダン]]、俳優(* [[1938年]]) * [[1994年]] - [[リンゼイ・アンダーソン]]、映画監督(* [[1923年]]) * 1994年 - [[天谷直弘]]、[[資源エネルギー庁]]長官、[[経済産業審議官]](* [[1925年]]) * [[1995年]] - [[山口瞳]]、小説家(* [[1926年]]) * 1995年 - [[フィッシャー・ブラック]]、[[経済学者]](* [[1938年]]) * [[1996年]] - [[大野昭和斎]]、[[工芸|木工芸家]](* [[1912年]]) * 1996年 - [[ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン]]、[[グラフィックデザイナー]]、[[タイポグラファー]](* [[1914年]]) * 1996年 - [[玉上琢弥]]、[[日本文学研究者|国文学者]](* [[1915年]]) * [[1997年]] - [[神田鎮雄]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](* [[1930年]]) * [[2001年]] - [[古波蔵保好]]、[[随筆家]](* [[1910年]]) * [[2003年]] - [[ドナルド・デイヴィッドソン]]、[[哲学|哲学者]](* [[1917年]]) * 2003年 - [[チャールズ・ブロンソン]]、俳優(* [[1921年]]) * [[2004年]] - [[フレッド・ホイップル]]、天文学者(* [[1906年]]) * 2004年 - [[デレク・ジョンソン]]、陸上競技選手(* [[1933年]]) * [[2005年]] - [[ヘンドリック・ヴァン・アンデル・シッパー]]、[[オランダ]]歴代最長寿女性(* [[1890年]]) * [[2006年]] - [[ナギーブ・マフフーズ]]、小説家(* [[1911年]]) * 2006年 - [[グレン・フォード]]、俳優(* [[1916年]]) * 2006年 - [[粟田彰常]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[大尉]](* [[1920年]]) * 2006年 - [[ジョセフ・オツオリ]]、陸上競技選手(* [[1969年]]) * [[2007年]] - [[マイケル・ジャクソン (ライター)|マイケル・ジャクソン]]、[[ビール]]・[[ウイスキー]]評論家(* [[1942年]]) * [[2008年]] - [[トミー・ボルト]]、[[ゴルフ|プロゴルファー]](* [[1918年]]) * 2008年 - [[五十嵐豊一]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](* [[1924年]]) * 2008年 - [[キラー・コワルスキー]]、[[プロレスラー]](* [[1926年]]) * [[2015年]] - [[オリバー・サックス]]、[[神経学|神経学者]](* [[1933年]]) * 2015年 - [[ウェス・クレイヴン]]、映画監督(* [[1939年]]) * [[2016年]] - [[ベラ・チャスラフスカ]]<ref>{{Cite news|title=「五輪の名花」チャスラフスカさん死去 女子体操で金|newspaper=朝日新聞|date=2016年8月31日16時36分|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ8053Y5J80UTQP021.html|accessdate=2020-12-26}}</ref>、[[体操競技|体操]]選手(* [[1942年]]) * [[2019年]] - [[池内紀]]<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASM94736GM94UCVL01X.html|title=ドイツ文学者・池内紀さん死去 エッセーでも人気博す|publisher=朝日新聞|date=2019-09-04|accessdate=2020-11-11}}</ref>、[[ドイツ文学者]]、[[随筆家|エッセイスト]](* [[1940年]]) * [[2022年]] - [[ミハイル・ゴルバチョフ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/world/20220831-OYT1T50110/amp/|title=旧ソ連のゴルバチョフ元大統領が死去、91歳…東西冷戦を終結に導きノーベル平和賞受賞|publisher=読売新聞オンライン|date=2022-08-31|accessdate=2022-08-31}}</ref>、政治家、初代[[ソビエト連邦大統領]](* [[1931年]]) * [[2023年]] - [[ジョン・ムウェテ・ムルアカ]]、タレント、[[電気工学]]研究者、国際政治評論家(* [[1961年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Dumlupinar-memorial-statue.jpg|thumb|upright|{{仮リンク|ドゥムルプナルの戦い|en|Battle of Dumlupınar}}の戦勝記念像]] [[Image:Sta_Rosa_de_Lima_por_Claudio_Coello.jpg|thumb|upright|[[リマのローザ]]。[[アメリカ大陸]]初のカトリックの聖人]] [[Image:Fujiradarstation.jpg|thumb|[[富士山測候所]]。現在は無人施設]] * [[国際行方不明者デー]]({{World}}) *: 失踪しどこかに監禁されている人々の境遇への関心を引くための記念日。[[アムネスティ・インターナショナル]]、[[赤十字国際委員会]]、[[国際連合人権高等弁務官事務所]]などが実施している。 * [[リマのローザ]]の日({{PER}}) *: [[ペルー]]出身で、[[アメリカ大陸]]初のカトリックの聖人となった[[リマのローザ]]を記念するペルーの祝日。 * 戦勝記念日({{TUR}}) *: [[1922年]]、{{仮リンク|ドゥムルプナルの戦い|en|Battle of Dumlupınar}}でトルコが決定的な勝利を収めたことを記念する祝日。 * [[富士山測候所]]記念日({{JPN}}) *: [[1895年]](明治28年)8月30日に大日本気象学会員の[[野中至]]が私財を投じて[[剣ヶ峰 (富士山)|富士山頂]]の測候所の工事の完成を中央気象台に連絡してきたことに由来。これが、現在の[[気象庁]]富士山測候所の前身となった。 * マッカーサー進駐記念日({{JPN}}) *: [[1945年]]のこの日、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]最高司令官・[[ダグラス・マッカーサー]]元帥が厚木飛行場に到着した。 * 冒険家の日({{JPN}}) *: [[1965年]]に[[同志社大学]]南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から130kmを世界で初めてボートで川下りし、[[1989年]]に[[堀江謙一]]が小型ヨットで[[太平洋]]の単独往復を達成した日。 * ハッピーサンシャインデー({{JPN}}) *: 「ハッピー(8)サンシャイン(30)」の語呂合わせ。 * 矢沢の日({{JPN}})<ref>[https://realsound.jp/2019/08/post-406708.html 『Mステ』に矢沢永吉が初出演 King & Prince、Foorin、真心、miwa、ラストアイドルも] リアルサウンド、2019年8月23日</ref> *: 日本のロックシンガー、[[矢沢永吉]]にちなみ、「ヤ(8)ザワ(30)」の語呂合わせ。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0830|date=2011年6月}} * 1964年 - スネークイーター作戦開始。(ゲーム『[[メタルギアソリッド3]]』) * 1974年(昭和49年)- [[七曲署|七曲警察署]]の柴田純[[刑事]]が[[射殺]]される。(『[[太陽にほえろ!]]』第111話「ジーパン・シンコその愛と死」) * 2000年 - ダンとソガを乗せた宇宙船スコーピオン号が第四惑星に到着。(特撮『[[ウルトラセブン]]』) * 2011年 - [[アドルフ・ヒトラー]]、[[1945年]]からこの日にタイムスリップ。(小説『[[帰ってきたヒトラー]]』)<ref>{{cite book|和書|author=ティムール・ヴェルメシュ|others=森内薫(訳)|publisher=[[河出書房新社]]|title=帰ってきたヒトラー(上)|year=2014|pages=24-25|isbn=978-4-309-20640-0}}</ref> * 2015年 - [[エストバキア連邦]]軍が[[エメリア共和国]]への侵攻を開始する。(ゲーム『[[エースコンバット6 解放への戦火|エースコンバット6]]』) * [[2122年]] - [[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]、[[ネズミ]]に耳をかじられる。(漫画・アニメ『[[ドラえもん]]』) * 2552年 - UNSCの重要な植民地リーチがコヴナント軍によって事実上制圧される。(ゲーム『[[HALO (ビデオゲームシリーズ)|ヘイロー]]』) * 2650年 - 異界魔族によって侵食された地球に、現代から馬神弾が未来へ招かれる。(アニメ『[[バトルスピリッツ ブレイヴ]]』) === 誕生日(フィクション) === * 2283年 - 白鳥美紀、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/miki.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:銀幕のミキ}}</ref> * 神世紀286年 - 乃木園子、アニメ『[[結城友奈は勇者である]]』、小説・漫画・アニメ『[[鷲尾須美は勇者である]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://yuyuyui.jp/character/character15.html|title=乃木園子|「結城友奈は勇者である」|work=[[KADOKAWA]] altplus|accessdate=2020-06-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://yuyuyui.jp/character/character8.html|title=乃木園子|「結城友奈は勇者である」-鷲尾須美の章-|work=[[KADOKAWA]] altplus|accessdate=2020-06-21}}</ref> * 生年不明 - 愛染健十、メディアミックス企画『[[B-PROJECT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|url=http://bpro-official.com/artists/thrive/|title=THRIVE|accessdate=2020-06-21|website=B-PROJECT 公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 天宮学美、アニメ・漫画『[[がくえんゆーとぴあ まなびストレート!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 綾小路華恋、漫画・アニメ『[[あかね色に染まる坂]]』に登場するヒロインのひとり * 生年不明 - アンジュ、ゲーム『[[ドリームクラブGogo.]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |year = 2014 |title = ドリームクラブ Gogo. ビジュアルファンブック |page = 94 |publisher = [[KADOKAWA]] |ISBN = 978-4-04-729693-0}}</ref> * 生年不明 - アンドレアス・ベボ、アニメ『[[イナズマイレブン オリオンの刻印]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22|url=https://corocoro.jp/special/68074/2/|title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!!|website=コロコロオンライン|publisher=[[小学館]]|page=2|accessdate=2022-05-05}}</ref> * 生年不明 - 五十嵐忍、漫画・アニメ『[[鉄のラインバレル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 井上、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 祖谷メグリ、メディアミックス『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/iya_meguri|title=祖谷メグリ|温泉娘公式サイト|work=温泉むすめ/Enbound, Inc.|accessdate=2020-06-21}}</ref> * 生年不明 - ウォルフガング・ミッターマイヤー、小説・アニメ『[[銀河英雄伝説]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 黄筆龍、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ウルガー・ツヴァイク、漫画・アニメ『[[彼方のアストラ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 漆原るか、ゲーム・アニメ『[[シュタインズ・ゲート]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - エイト、ゲーム『[[ファイナルファンタジー零式]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - エバーマリー、漫画・アニメ『[[RAVE (漫画)|RAVE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - カーリー・ダダン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Curry_Dadan.html|title=カーリー・ダダン|work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]|accessdate=2020-06-21}}</ref> * 生年不明 - 鍵村葉月、メディアミックス『[[メルヘン・メドヘン]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 夏侯惇元譲、漫画・アニメ『[[一騎当千 (漫画)|一騎当千]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ikkitousen.com/ee/character.html?ch=11|title=夏侯惇元譲|work=[[塩崎雄二]]・[[ワニブックス]]/一騎当千EE パートナーズ|accessdate=2020-06-21}}</ref> * 生年不明 - グラディ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-181|title=キャラクター|accessdate=2020年7月9日|publisher=|website=【公式】キングスレイド|超本格リアルタイム3DバトルRPG}}</ref> * 生年不明 - 向坂椋、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.a3-liber.jp/character/|title=キャラクター|accessdate=2020-06-21|publisher=Liber Entertainment Inc.|website=【公式】A3!(エースリー)}}</ref> * 生年不明 - 作並浩輔、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-870666-5|date=2013-05-02|volume=6巻|page=86}}</ref> * 生年不明 - [[史上最強の弟子ケンイチの登場人物#白浜さおり|白浜さおり]]、漫画・アニメ『[[史上最強の弟子ケンイチ]]』<ref>{{Cite book |和書|author=松江名俊|authorlink=松江名俊|title=史上最強の弟子ケンイチ 公式ガイドブック 史上最強の秘伝書|series=少年サンデーコミックススペシャル|page=30|publisher= [[小学館]]|date=2014-05-16|isbn=978-4-09-125016-2}}</ref> * 生年不明 - 深海奏汰、メディアミックス『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/shinkai_kanata/|title=深海 奏汰|accessdate=2020-06-21|publisher=|website=あんさんぶるスターズ!!}}</ref> * 生年不明 - [[暁のヨナ#ゼノ|ゼノ(黄龍)]]、漫画・アニメ・舞台『[[暁のヨナ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 橘ワタル、漫画・アニメ『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - タルテュバ・リューガ、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|nevermo07886955|1156199606398537728}}</ref> * 生年不明 - 壇悠次郎、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 丹生谷森夏、小説・アニメ『[[中二病でも恋がしたい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.anime-chu-2.com/tv/character/nibutani/|title=丹生谷森夏:CHARACTER|work=[[虎虎]]/[[京都アニメーション]]/中二病でも製作委員会|accessdate=2020-06-21}}</ref> * 生年不明 - 猫田ゆゆか、漫画・アニメ『[[ひるなかの流星]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ノクティス・ルシス・チェラム、ゲーム・アニメ『[[ファイナルファンタジーXV]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 野山あずさ、漫画・アニメ『[[あずきちゃん]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www6.nhk.or.jp/anime/program/detail.html?i=azuki|title=あずきちゃん|work=[[秋元康]]・[[木村千歌]]・[[講談社]]/NHK・NEP|publisher=[[日本放送協会|NHK]]|accessdate=2020-06-21}}</ref> * 生年不明 - 春風千桜、漫画・アニメ『ハヤテのごとく!』に登場するキャラクター * 生年不明 - ぴちぴっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2011-11-01|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|page=38|publisher=[[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|editors=[[ウィズ (玩具)|ウィズ]](監修)、[[バンダイ]]|isbn=978-4-09-751048-2}}</ref><ref>{{Cite book |和書|date=2011-10-05|title=Tamagotchi iD L ぴかぴか育て方ガイド|page=74|editor=講談社|editor-link=講談社|isbn=978-4-06-364876-8}}</ref> * 生年不明 - 船見まり、漫画『[[ゆるゆり]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=なもり|authorlink=なもり|title=なもり画集 ゆるなもり|publisher=[[一迅社]]|isbn=978-4-7580-7260-1|date=2013-08-02|page=8}}</ref> * 生年不明 - フリッツ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=133&cate=name&cont=Frites |title=フリッツ |access-date=2022-07-14 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - ブロッケン・マイヤー、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 御手洗亮太、ゲーム・漫画・アニメ『[[ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 六角清香、アニメ『[[刀使ノ巫女]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 雪染菊理、漫画・アニメ『[[K (アニメ)|K]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ラ・ビ・アン・ローズ、漫画・アニメ『[[Di Gi Charat]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.broccoli.co.jp/dejiko/chara.php|title=キャラクター でじこのへや|work=BROCCOLI|accessdate=2020-06-21}}</ref> * 生年不明 - 若林智香、漫画・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター === 忌日(フィクション) === * 1997年 - 二階堂サキ、テレビアニメ『[[ゾンビランドサガ]]』に登場するキャラクター * 2651年 - 馬神弾、テレビアニメ『[[バトルスピリッツブレイヴ]]』の主人公 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 30|30 August}} {{新暦365日|8|29|8|31|[[7月30日]]|[[9月30日]]|[[8月30日 (旧暦)|8月30日]]|0830|8|30}} {{1年の月と日}}
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8月31日
8月31日(はちがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から243日目(閏年では244日目)にあたり、年末まであと122日ある。8月の最終日である。
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8月31日(はちがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から243日目(閏年では244日目)にあたり、年末まであと122日ある。8月の最終日である。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{JIS2004|説明=[[ハート (シンボル)|ハートマーク]]}} {{カレンダー 8月}} '''8月31日'''(はちがつさんじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から243日目([[閏年]]では244日目)にあたり、年末まであと122日ある。8月の[[月末|最終日]]である。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[アル・カーミル]], [[ニュース]], [[ロバート・ミッチャム]], [[スーパーグッピー]], [[田中角栄]], [[ロッキード L-1011 トライスター]], [[ロッキード事件]], [[上山田線]], [[北アイルランド問題]], [[IRA暫定派]], [[ドイツ民主共和国]], --> {{multiple image | footer = [[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]](1421-1471)、生後9ヶ月でイングランド王に即位 | image1 = Henry_VI_accession.jpg | width1 = 100 | alt1 = 即位 | image2 = HenryVIofEngland.JPG | width2 = 100 | alt2 = 長じたヘンリー }} {{multiple image | footer = [[切り裂きジャック]]最初の犯行(1888)。画像は『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』の風刺画 | image1 = Jack-the-Ripper-The-Nemesis-of-Neglect-Punch-London-Charivari-cartoon-poem-1888-09-29.jpg | width1 = 100 | alt1 = 『パンチ』の風刺画:ジャックを幽霊として描いている | image2 = Ripper_cartoon_punch.png | width2 = 100 | alt2 = 『パンチ』の風刺画:目隠しして手探りする警官。警察の無能を風刺 }} [[Image:Ukiyoe_where_Shigetada_Gunji_was_drawn.jpg|thumb|300px|[[郡司成忠]]ら千島報效義会が[[占守島]]に上陸し、開拓を開始(1893)。画像は[[3月20日]]の出航]] <!-- [[Image:Kinetophonebis1.jpg|thumb|[[トーマス・エジソン|エジソン]]、[[キネトスコープ]]の特許を取得(1891)。画像は1895年のもの]] 5/20に「公開」として掲載済 --> [[Image:3goku_kyosho_%26_3goku_domei.png|thumb|[[英露協商]]が締結され[[三国協商]]成立(1907)]] [[Image:Gliwice Miejsce prowokacji.JPG|thumb|ドイツ工作員がポーランド人によるラジオ局襲撃と見せかけた自作自演の[[グライヴィッツ事件]](1939)。翌日の[[ポーランド侵攻]]の口実とされた]] {{multiple image | footer = [[マラヤ連邦]]独立(1957) | image1 = Federation_of_Malaya.PNG | width1 = 160 | caption1 = マラヤ連邦。[[ボルネオ島]]北部は含まれていない | image2 = Location_Malaysia_ASEAN.svg | width2 = 160 | caption2 = 現在の[[マレーシア]] }} <!-- Sender_gliwice.jpg --> <!-- [[Image:LoadingSuperGuppy.jpg|thumb|貨物機[[スーパーグッピー]]初飛行(1965)]] --> <!-- [[Image:Nara_dreamland_castle.jpg|thumb|[[奈良ドリームランド]]閉園(2006)]] 遊園地の開場閉場はそもそも必要でしょうかね? --> * [[1056年]] - [[テオドラ (東ローマ女帝)|テオドラ]]が病死。[[東ローマ帝国|ビザンツ帝国]]の[[マケドニア朝]]が断絶する。 * [[1217年]] - [[フェルナンド3世 (カスティーリャ王)|フェルナンド3世]]が[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王に即位。 * [[1218年]] - [[アル・カーミル]]が[[アイユーブ朝]]第5代[[スルタン]]に即位。 * [[1314年]] - [[ノルウェー]]王[[ホーコン5世 (ノルウェー王)|ホーコン5世]]が首都を[[ベルゲン]]から[[オスロ]]に移す。 * [[1422年]] - [[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]が生後9か月で[[イングランド王国|イングランド]]王に即位。 * [[1535年]] - [[教皇|ローマ教皇]][[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウルス3世]]が[[テューダー朝]]の[[イングランド]]王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]を[[カトリック教会]]から追放する。 * [[1614年]]([[慶長]]19年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]) - [[徳川家康]]が、[[豊臣秀頼]]が再建した[[方広寺]]の鐘の「国家安康」の文字に言いがかりをつけ落慶法要を延期させる。[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]のきっかけに。 * [[1763年]] - [[ブラジル|ブラジル植民地]]の首都が[[サルヴァドール]]から[[リオデジャネイロ|リオ・デ・ジャネイロ]]に移される。 * [[1776年]] - [[ウィリアム・リビングストン|ウィリアム・リヴィングストン]]が初代[[ニュージャージー州知事]](当時は邦知事といった)に就任する。 * [[1798年]] - フランスの援助を受けた1798年の[[アイルランド反乱]]<small>([[:en:Irish_Rebellion_of_1798|英語版]])</small>軍が[[コナハト共和国]]<small>([[:en:Republic_of_Connacht|英語版]])</small>を建国すると宣言する。 * [[1813年]] - [[半島戦争]]: [[サン・マルシャルの戦い]]<small>([[:en:Battle_of_San_Marcial|英語版]])。</small> * [[1848年]] - [[ヨハン・シュトラウス1世]]の『[[ラデツキー行進曲]]』がウィーンで初演。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[ジョーンズバラの戦い]]が始まる。 * [[1876年]] - [[アブデュルハミト2世]]が[[オスマン帝国の君主|オスマン帝国の皇帝]]に即位。 * [[1888年]] - [[イギリス]]で「[[切り裂きジャック]]」による最初の殺人事件が発生。 * [[1892年]] - 日本で[[伊藤博文]]が第5代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第2次伊藤内閣]]が発足。 * [[1893年]] - [[郡司成忠]]海軍大尉ら千島報效義会が[[占守島]]に上陸し、開拓を開始。 * [[1895年]] - [[フェルディナント・フォン・ツェッペリン]]が飛行船航行の特許を取得。 * [[1896年]] - [[陸羽地震]]、M7.2、死者210人。 * [[1897年]] - [[トーマス・エジソン]]が[[キネトスコープ]]の[[特許]]を取得。 * [[1907年]] - [[英露協商]]締結により[[三国協商]]が成立。 * [[1918年]] - [[第一次世界大戦]]: [[モン・サン・クエンタンの戦い]]<small>([[:en:Battle_of_Mont_Saint-Quentin|英語版]])</small>が始まる。 <!-- * [[1920年]] - [[デトロイト]]のラジオ局8MKが世界初の[[ニュース]]番組を放送。--><!-- enより --><!-- [[en:WWJ (AM)]](8MKはコールサイン)やhttp://www.michiguide.com/dials/rad-v/wwj.html によれば8/20。[[en:August 31]]が誤りである可能性が高そうです --> * [[1923年]] - [[ギリシャ]]の[[ケルキラ島]](コルフ島)を[[イタリア海軍]]が砲撃・占領([[コルフ島事件]])。 * [[1928年]] - [[クルト・ヴァイル]]作曲のオペレッタ『[[三文オペラ]]』がベルリンで初演。 * [[1931年]] - [[青年日本号]]が最終目的地[[ローマ]]に到着。日本初の学生訪欧飛行を完遂。 * [[1931年]] - [[チリ]]で[[艦隊の反乱]]が起こる。 * [[1939年]] - [[ドイツ]]工作員が[[ポーランド]]のラジオ局襲撃を自作自演した[[グライヴィッツ事件]]。 <!-- * [[1948年]] - アメリカの俳優[[ロバート・ミッチャム]]がマリファナ吸飲の容疑で逮捕。2年間収監されるが、後に[[冤罪]]と判明。 --><!-- [[en:August 31]]由来のようですが瑣末でしょう --> * [[1949年]] - [[キティ台風]]が関東地方に上陸。死者135人、行方不明25人。 * 1949年 - [[ギリシャ内戦]]: ギリシャ民主軍がグラモス山で敗北しアルバニアに撤退、以降9月に民主軍の大部分が降伏する。 * [[1957年]] - [[マラヤ連邦]](現在の[[マレーシア]])が[[イギリス]]から独立。 *1959年 - [[ゴ・ディン・ヌー|ゴー・ディン・ヌー]]による[[ノロドム・シハヌーク]]の[[郵便爆弾|小包爆弾]]爆殺未遂事件。 * [[1962年]] - [[トリニダード・トバゴ]]がイギリスから独立。 * [[1965年]] - [[貨物機]][[スーパーグッピー]]が初飛行。 * [[1967年]] - [[駐日アメリカ合衆国大使館]]の敷地内に男が侵入、正面玄関前に止まっていた自動車に[[ガソリン]]がかけられて[[放火]]された<ref>犯人の指紋採取 あばた面の男を追う 米大使館放火『朝日新聞』昭和42年9月1日朝刊、12版、15面</ref>。 * [[1972年]] - 日本の[[田中角栄]]首相と[[リチャード・ニクソン]]米大統領がハワイで会談。ニクソンが[[ロッキード]]社の[[ロッキード L-1011 トライスター|トライスター機]]の日本導入を希望し、これが[[ロッキード事件]]の遠因となる。 * [[1982年]] - [[横浜スタジアム審判集団暴行事件]]発生。 * [[1984年]] - [[沖縄県]]の[[極東放送 (沖縄)|極東放送]]が[[中波放送|AM放送]]を終了、翌日から[[エフエム沖縄]]に改組して[[超短波放送|FM]]放送局に移行。 * [[1986年]] - [[アエロメヒコ航空498便空中衝突事故]]発生。 * 1986年 - 客船[[アドミラル・ナヒーモフ (客船)|アドミラル・ナヒーモフ]]が大型貨物船「ピョートル・ワセフ」(Pyotr Vasev、1万8604トン)と衝突し沈没する。 * [[1987年]] - [[タイ航空365便墜落事故]]。 * [[1988年]] - 福岡県のJR九州・[[上山田線]]がこの日限りで廃止。<!-- 最終運転日記載。廃止は翌日付け --> *1988年 - [[デルタ航空1141便墜落事故]]。 <!-- * [[1987年]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系人気番組「[[夕やけニャンニャン]]」放送終了。 --> * [[1991年]] - [[キルギス]]が[[ソビエト連邦]]からの独立を宣言。 * [[1992年]] - [[パスカル・リスバ]]が[[コンゴ共和国]]大統領に就任。 * [[1993年]] - [[ロシア]]軍が[[リトアニア]]からの撤兵を完了。 * [[1994年]] - [[北アイルランド問題]]: [[IRA暫定派]]が[[停戦]]を発表。 * 1994年 - 49年間旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]に駐留していたロシア(旧ソ連)軍の撤退が完了。 * 1994年 - ロシア軍が[[エストニア]]からの撤兵を完了。 * 1994年 - ディスコ[[ジュリアナ東京]]が閉店。 * [[1996年]] - [[クルド人|クルド]]の[[マスード・バルザニ]]が[[サダム・フセイン]]に対[[クルディスタン愛国同盟]]の援軍を要請、クルド人自治区の首都[[アルビール]]に[[イラク]]軍が押し寄せる。 * [[1997年]] - [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ]]元[[イギリス]]皇太子妃が[[ダイアナ妃の死|交通事故]]で死去。 * [[1998年]] - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]が[[弾道ミサイル]][[テポドン1号]]を発射([[北朝鮮によるミサイル発射実験 (1998年)]])。 * 1998年 - 原宿の[[歩行者天国]]が廃止される。 * [[1999年]] - [[モスクワ]]のショッピングモールで[[ロシア高層アパート連続爆破事件]]の最初の爆弾[[テロリズム|テロ]]が発生。 * 1999年 - [[LAPA 3142便離陸失敗事故]]。 * [[2001年]] - [[びわ湖タワー]]、[[行川アイランド]]がこの日限りで閉園。 * [[2006年]] - [[奈良ドリームランド]]がこの日限りで閉園。 * 2006年 - [[2004年]]8月に盗難にあい行方不明となっていた[[エドヴァルド・ムンク|ムンク]]の「[[叫び (エドヴァルド・ムンク)|叫び]]」と「[[マドンナ (エドヴァルド・ムンク)|マドンナ]]」が[[オスロ]]市内で発見される。 * [[2007年]] - [[キャラクター・ボーカル・シリーズ]]「[[初音ミク]]」が発売される<ref>{{Cite web|和書|date=2007年9月12日 |url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0709/12/news035.html |title=異例の売れ行き「初音ミク」 「ニコ動」で広がる音楽作りのすそ野 - ITmedia NEWS |publisher=アイティメディア |accessdate=2020-08-18}}</ref>。 * <!-- 「8月31日」に特記する事ですか? [[2009年]] - [[そごう心斎橋本店]]閉店。 --> * [[2014年]] - ハリウッドスターら有名人100人以上のプライベート写真が流出するスキャンダル([[2014年iCloudからの著名人プライベート写真大量流出事件]])が発生<ref>{{Cite web|和書|date=2014年9月2日 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140902-1360532.html |title=ケイトヌード流出に「プライバシー侵害」 - ハリウッドニュース : nikkansports.com |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2020-08-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014年9月3日 |url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20140903-a016/ |title=セレブのプライベート写真流出問題、Appleが調査中間報告を公開 |publisher=マイナビ |accessdate=2020-08-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2014年9月3日 |url=https://moviewalker.jp/news/article/50066/ |title=エマ・ワトソン、セレブのヌード写真リークに怒りのツイート! - MOVIE WALKER PRESS |publisher=ムービーウォーカー |accessdate=2020-08-18}}</ref>。 * [[2020年]] - [[としまえん]]がこの日限りで閉園し、94年の歴史に幕を閉じる<ref>[https://sputniknews.jp/20200831/7735434.html 大正から令和まで 遊園地「としまえん」、94年の歴史に幕] Sputnik 日本 (2020年8月31日) 2021年5月23日閲覧。</ref>。 * 2020年 - バンコク伊勢丹がこの日限りで閉店し、28年の歴史に幕を閉じる<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63281410R00C20A9H96A00/ バンコク伊勢丹、28年の歴史に幕] 日本経済新聞 (2020年9月1日) 2021年5月23日閲覧。</ref>。 * [[2022年]] - [[パレットタウン大観覧車]]が最後の営業日を迎える。 * 2022年 - [[日産・マーチ]]の日本国内販売終了。 * 2023年 - [[西武百貨店|西武]][[西武の店舗一覧#池袋本店|池袋本店]]に勤務する正社員らが所属する労働組合が、国内の大手デパートでは61年ぶりとなる[[ストライキ]]を同店で決行。この日の同店は臨時休館となる<ref>[https://mainichi.jp/articles/20230830/k00/00m/020/302000c そごう・西武労組がスト突入] 毎日新聞 (2023年8月31日) 2023年8月31日閲覧。</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> <!-- {{multiple image | footer = 第3代ローマ帝国皇帝、[[カリグラ]](12-41)誕生。「カリグラ」の名は幼少時に履いていた軍用サンダル「{{仮リンク|カリガ|en|caligae}}」に由来 | image1 = Gaius_Caesar_Caligula.jpg | width1 = 100 | alt1 = カリグラ | image2 = Caligae_from_side.jpg | width2 = 100 | alt2 = カリガ:革製のサンダル }} --> {{multiple image | image1 = Gaius_Caesar_Caligula.jpg | width1 = 140 | caption1 = 第3代ローマ帝国皇帝、[[カリグラ]](12-41)誕生 | image2 = Commodus_-_Cologne.jpg | width2 = 100 | caption2 = 第17代ローマ帝国皇帝、[[コンモドゥス]](161-192) }} [[Image:Amilcare_Ponchielli.jpg|thumb|100px|オペラ作曲家、[[アミルカレ・ポンキエッリ]](1834-1886)]] {{multiple image | footer = 第123代天皇、[[大正天皇]]誕生(1879-1926)。誕生時より病弱であった | image1 = Crown_Prince_Yoshihito_1892.jpg | width1 = 120 | alt1 = 13歳 | image2 = Emperor_Taish%C5%8D.jpg | width2 = 100 | alt2 = 長じた大正天皇 }} <!-- WANTED:高橋和巳 --> <!-- [[Image:Flickr_-_Rubenstein_-_Frank_Robinson.jpg|thumb|100px|[[メジャーリーグベースボール|大リーガー]]、[[フランク・ロビンソン]](1935-)誕生。[[アフリカ系アメリカ人]]初のMLB監督となった]] --> <!-- WANTED:青木功 --> <!-- [[Image:Roger_Dean%2C_DragonCon_2008.jpg|thumb|100px|アートデザイナー、[[ロジャー・ディーン]](1944-)]] --> <!-- [[Image:ItzhakPerlmanWhitehouse2.jpg|thumb|100px|ヴァイオリニスト、[[イツァーク・パールマン]](1945-)]] --> <!-- WANTED:大島弓子 --> * [[12年]] - [[カリグラ]]、第3代[[ローマ皇帝]](+ [[41年]]) * [[161年]] - [[コンモドゥス]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Commodus Commodus Roman emperor] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、第17代ローマ皇帝(+ [[192年]]) * [[1018年]] - [[靖宗]]、第10代高麗国王(+ [[1046年]]) * [[1168年]]([[大定 (金)|大定]]8年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[章宗 (金)|章宗]]、第6代[[金]]皇帝(+ [[1208年]]) * [[1542年]] - [[イザベッラ・デ・メディチ]](+ [[1576年]]) * [[1569年]] - [[ジャハーンギール]]、第4代[[ムガル帝国]]皇帝(+ [[1627年]]) * [[1602年]] - [[アマーリエ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルス]]、[[フレデリック・ヘンドリック (オラニエ公)|フレデリック・ヘンドリック]]の妃(+ [[1675年]]) * [[1625年]]([[寛永]]2年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[徳川光友]]、[[尾張藩]]第2代藩主(+ [[1700年]]) * [[1645年]]([[正保]]2年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[池田政言]]、[[鴨方藩]]初代藩主(+ [[1700年]]) * [[1652年]] - [[フェルディナンド・カルロ・ゴンザーガ=ネヴェルス]]、[[ゴンザーガ家]]出身者としては最後の[[マントヴァ公爵]]および[[モンフェッラート公爵]](+ [[1708年]]) * [[1663年]] - [[ギヨーム・アモントン]]、[[温度計]]を制作した[[物理学者]](+ [[1705年]]) * [[1708年]]([[宝永]]5年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[青山忠朝]]、[[篠山藩]]初代藩主(+ [[1760年]]) * [[1717年]]([[享保]]2年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[宗義蕃]]、[[対馬府中藩]]第9代藩主(+ [[1775年]]) * [[1721年]] - 第2代[[ブリストル伯爵]][[ジョージ・ハーヴィー (第2代ブリストル伯爵)|ジョージ・ハーヴィー]]、[[グレートブリテン王国]]の貴族、[[政治家]](+ 1775年) * [[1741年]] - [[ジャン・ポール・マルティーニ]]、[[作曲家]](+ [[1816年]]) * [[1748年]] - [[ジャン・エティエンヌ・デスプレ]]<small>([[:en:Jean-Étienne_Despréaux|英語版]])</small>、[[バレエダンサー]]、[[振付師]](+ [[1820年]]) * [[1760年]] - [[アリスティード・デュプティ=トゥアール]]、[[軍人]]、[[ナイルの海戦]]の英雄(+ [[1798年]]) * [[1767年]] - [[ヘンリー・ジョイ・マクラッケン]]([[ユナイテッド・アイリッシュメン協会]]<small>([[:en:Society_of_United_Irishmen|英語版]])</small>の創設メンバーのひとり(+ [[1798年]]) * [[1769年]] - [[デヴィッド・ホサック]]<small>([[:en:David_Hosack|英語版)]]</small>、[[医師]](+ [[1835年]]) * [[1775年]] - [[アグネス・バルマー]]<small>([[:en:Agnes_Bulmer|英語版]])</small>、[[詩人]](+ [[1836年]]) * [[1786年]] - [[ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール]]、化学者(+ [[1889年]]) * [[1802年]] - [[フセイン・グラダシュチェヴィッチ]]<small>([[:en:Husein_Gradaščević|英語版]])</small>、[[オスマン帝国]]の将軍(+ [[1834年]]) * [[1804年]] - [[ホーレス・ケプロン]]、軍人、政治家(+ [[1885年]]) * [[1807年]] - 初代[[リスガー男爵]][[ジョン・ヤング (リスガー男爵)|ジョン・ヤング]]<small>([[:en:John_Young,_1st_Baron_Lisgar|英語版]])</small>(+ [[1876年]]) * [[1809年]] - [[オズヴァルト・ヘール]]、[[地質学者]]、[[博物学者]](+ [[1883年]]) * [[1820年]]([[文政]]3年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[田村邦行]]、[[一関藩]]第8代藩主(+ [[1857年]]) * [[1821年]] - [[ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ]]、[[生理学者]]、物理学者(+ [[1894年]]) * [[1824年]] - [[ガルーシャ・A・グロー]]<small>([[:en:Galusha_A._Grow|英語版]])</small>、 第28代[[アメリカ合衆国下院]]議長(+ [[1907年]]) * [[1832年]] - [[チャールズ・ワーグマン]]、[[画家]]、[[漫画家]](+ [[1891年]]) * [[1834年]] - [[アミルカレ・ポンキエッリ]]、[[作曲家]](+ [[1886年]]) * [[1842年]] - [[ジョセフィン・サン・ピエール・ラフィン]]<small>([[:en:Josephine_St._Pierre_Ruffin|英語版]])</small>、[[ジャーナリスト]](+ 1924年) * [[1843年]] - [[ゲオルク・フォン・ヘルトリング]]、[[ドイツ帝国]]の第7代帝国宰相(+ [[1919年]]) * [[1853年]] - [[アレクセイ・ブルシーロフ]]、軍人、[[ブルシーロフ攻勢]]の指揮者](+ [[1926年]]) * [[1826年]]([[嘉永]]3年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[土方雄志]]、[[菰野藩]]第13代藩主(+ [[1931年]]) * [[1870年]] - [[マリア・モンテッソーリ]]、[[医学博士]]、[[教育者]](+ [[1952年]]) * [[1874年]] - [[エドワード・ソーンダイク]]、[[心理学者]]、[[教育学者]](+ [[1949年]]) * [[1875年]] - [[エディ・プランク]]、[[プロ野球選手]](+ [[1926年]]) * [[1876年]] - [[ヴァイオレット・ギブソン]]、[[1926年]]に[[ベニート・ムッソリーニ]]の暗殺を試みた[[アイルランド人]]女性(+ [[1956年]]) * [[1878年]] - [[鏑木清方]]、[[日本画家]](+ [[1972年]]) * 1878年 - [[フランク・ジャービス|フランク・ジャーヴィス]]、[[陸上選手]](+ [[1933年]]) * [[1879年]] - [[大正天皇]]、第123代[[天皇]](+ [[1926年]])<!-- 記念日の項への移動が望ましい、[[大正|大正時代]]の[[天長節]]--><!-- 8月31日が天長節だったのは大正2年までだったようですね。さてどう書いたものか… --> * 1879年 - [[アルマ・マーラー|アルマ・マリア・マーラー=ヴェルフェル]]、[[グスタフ・マーラー]]の妻(+ [[1964年]]) * [[1880年]] - [[ウィルヘルミナ (オランダ女王)|ウィルヘルミナ]]、[[オランダ君主一覧|オランダ女王]](+ [[1962年]]) * [[1882年]] - [[ハリー・ポーター]]、陸上競技選手(+ [[1965年]]) * [[1884年]] - [[ジョージ・サートン]]<small>([[:en:George_Sarton|英語版]])</small>、[[科学史家]](+ [[1956年]]) * [[1885年]] - [[ダボース・ヘイワード]]<small>([[:en:DuBose_Heyward|英語版]])</small>、作家(+ [[1940年]]) * [[1893年]] - [[リリー・ラスキーヌ]]、ハープ奏者(+ [[1988年]]) * [[1896年]] - [[ブライアン・エドモンド・ベイカー]]<small>([[:en:Brian_Edmund_Baker|英語版]])</small>、空軍元帥(+ [[1979年]]) * [[1897年]] - [[フレドリック・マーチ]]、[[俳優]](+ [[1975年]]) * [[1901年]] - [[二出川延明]]、元プロ野球選手、[[プロ野球審判員|審判]](+ [[1989年]]) * [[1902年]] - [[ゲーザ・レーヴェース (ハンガリー国防相)|ゲーザ・レーヴェース]]<small>([[:en:Géza_Révész|英語版]])</small>、ハンガリー国防相(+ [[1977年]]) * [[1905年]] - [[ドア・シャリー]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1980年]]) * [[1907年]] - [[ラモン・マグサイサイ]]、政治家、第7代[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]](+ [[1957年]]) * 1907年 - [[アルティエロ・スピネッリ]]、[[共産主義]]者(+ [[1986年]]) * 1907年 - [[レイ・ベレス]]<small>([[:en:Ray_Berres|英語版]])</small>、プロ野球選手(+ [[2007年]]) * [[1908年]] - [[ウィリアム・サローヤン]]、[[小説家]](+ [[1981年]]) * 1908年 - [[森野米三]]、[[物理化学|物理化学者]](+ [[1995年]]) * [[1909年]] - [[神田山陽|2代目神田山陽]]、[[講談師]](+ [[2000年]]) * 1909年 - [[フランソワ・フェイト]]、ジャーナリスト(+ [[2008年]]) * [[1910年]] - [[ラウル・ユバック]]、[[写真家]](+ [[1985年]]) * [[1912年]] - [[手塚勝巳]]、元プロ野球選手、俳優、[[スーツアクター]](+ 没年不詳) * [[1913年]] - [[ヘレン・レヴィット]]、写真家(+ [[2009年]]) * 1913年 - [[アルフレッド・ラヴェル|アルフレッド・チャールズ・バーナード・ラヴェル]]、[[電波天文学|電波天文学者]](+ [[2012年]]) * [[1914年]] - [[平岩外四]]、[[実業家]]、 東京電力会長、第7代[[日本経済団体連合会|経団連]]会長(+ [[2007年]]) * 1914年 - [[リチャード・ベイスハート]]、俳優(+ [[1984年]]) * [[1915年]] - [[菊矢吉男]]、元プロ野球選手(+ [[1990年]]) * 1915年 - [[ピート・ニューウェル]]<small>([[:en:Pete_Newell|英語版]])</small>、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]](+ [[2008年]]) * [[1916年]] - [[ジョン・ウォルド]]、[[地質学者]]、政治家(+ [[2017年]]) * 1916年 - [[ダニー・リトワイラー]]<small>([[:en:Danny_Litwhiler|英語版]])</small>、プロ野球選手(+ [[2011年]]) * [[1918年]] - [[アラン・ジェイ・ラーナー]]、作詞家(+ [[1986年]]) * [[1919年]] - [[アムリタ・プリタム]]<small>([[:en:Amrita_Pritam|英語版]])</small>、詩人(+ [[2005年]]) * [[1921年]] - [[レイモンド・ウィリアムズ]]、作家(+ [[1988年]]) * 1921年 - [[チャブ・フィーニー]]([[:en:Chub_Feeney|英語版]])、[[野球監督]](+ [[1994年]]) * [[1922年]] - [[江橋節郎]]、[[生理学者]](+ [[2006年]]) * [[1924年]] - [[バディ・ハケット]]、俳優(+ [[2003年]]) * 1924年 - [[ハーバート・ワイズ]]<small>([[:en:Herbert_Wise|英語版]])</small>、[[映画監督]](+ [[2015年]]) * [[1925年]] - [[天谷直弘]]、[[官僚]]、[[エコノミスト]](+ [[1994年]]) * 1925年 - [[モーリス・ピアラ]]、映画監督(+ [[2003年]]) * [[1928年]] - [[田村高廣]]、俳優(+ [[2006年]]) * 1928年 - [[ジェームス・コバーン]]、俳優(+ [[2002年]]) * 1928年 - [[ハイメ・シン|ハイ・メシン]]、枢機卿(+ [[2005年]]) * [[1931年]] - [[高橋和巳]]、小説家、[[中国文学者]](+ [[1971年]]) * 1931年 - [[ジャン・ベリヴォー]]、[[アイスホッケー]]選手(+ [[2014年]]<ref name="tsn-Beliveau death">{{cite web|title=Canadiens legend Beliveau passes away at age 83|url=http://www.tsn.ca/canadiens-legend-beliveau-passes-away-at-age-83-1.150356|website=TSN.ca|accessdate=October 31, 2020}}</ref>) * 1931年 - [[ノーブル・ウィリンガム]]、俳優(+ [[2004年]]) * [[1935年]] - [[フランク・ロビンソン]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]) * 1935年 - [[ロゼンダ・モンテロス]]、[[俳優|女優]](+ [[2018年]]) * [[1936年]] - [[イーゴリ・ジューコフ]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]]、[[レコーディング・エンジニア|音響技師]](+ [[2018年]]) * [[1937年]] - [[ウォーレン・バーリンジャー]]<small>([[:en:Warren_Berlinger|英語版]])</small>、俳優(+ [[2020年]]) * [[1938年]] - [[ヴィーラント・クイケン]]、[[ヴィオラ・ダ・ガンバ]]奏者、[[チェリスト]] * 1938年 - [[山本兵吾]]、プロ野球選手(+ [[1999年]]) * 1938年 - [[マーティン・ベル]]<small>([[:en:Martin_Bell|英語版]])</small>、英国[[ユニセフ]]親善大使 * [[1940年]] - [[アラン・カルマ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1940年 - [[ラリー・ハンキン]]<small>([[:en:Larry_Hankin|英語版]])</small>、俳優 * 1940年 - [[ジャック・トンプソン]]、俳優 * 1940年 - [[ウィルトン・フェルダー]]、ジャズサックス奏者(+ [[2015年]]) * [[1941年]] - [[エマヌエル・ヌネス]]、作曲家(+ [[2012年]]) * [[1942年]] - [[青木功]]、[[プロゴルファー]] * [[1943年]] - [[レオニード・アイヴァショフ]]<small>([[:en:Leonid_Ivashov|英語版]])</small>、軍人 * [[1944年]] - [[ロジャー・ディーン]]、画家、アートデザイナー * 1944年 - [[フランス・カステル]]<small>([[:fr:France_Castel|フランス語版]])</small>、[[歌手]] * [[1945年]] - [[ヴァン・モリソン]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1945年 - [[ボブ・ウェルチ (ミュージシャン)|ボブ・ウェルチ]]、ミュージシャン(+ [[2012年]]) * 1945年 - [[レオニード・ポポフ]]、[[宇宙飛行士]] * 1945年 - [[イツァーク・パールマン]]、ヴァイオリニスト * 1945年 - [[川口清史]]、[[経済学者]]、[[学校法人立命館]][[総長]] * 1945年 - [[イツァーク・パールマン]]、[[ヴァイオリニスト]]、指揮者 * [[1946年]] - [[ジェローム・コルシ]]<small>([[:en:Jerome_Corsi|英語版]])</small>、作家 * [[1947年]] - [[ソムチャーイ・ウォンサワット]]、政治家、[[タイの首相|タイ首相]] * 1947年 - [[ルカ・ディ・モンテゼーモロ]]、元[[フェラーリ]]会長 * 1947年 - [[アニマル浜口]]、元[[プロレスラー]] * 1947年 - [[大島弓子]]、漫画家 * [[1948年]] - [[志賀廣太郎]]、俳優(+ [[2020年]]) * 1948年 - [[ハラルド・アートル]]、[[レーシングドライバー|レーサー]](+ [[1982年]]) * 1948年 - [[ホルガー・オジェック]]、[[サッカー]]選手 * 1948年 - [[ルドルフ・シェンカー]]、[[ギタリスト]] * [[1949年]] - [[リチャード・ギア]]、俳優 * 1949年 - [[平田誠一郎]]、政治家 * 1949年 - [[大和田正海]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[H. デビッド・ポリツァー|ヒュー・デビッド・ポリツァー]]、物理学者 * [[1950年]] - [[アン・マクレラン]]<small>([[:en:Anne_McLellan|英語版]])</small>、政治家 * [[1951年]] - [[柳田豊]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[キム・カシュカシャン]]、[[ヴィオラ|ビオラ]]奏者 * [[1953年]] - [[パーヴェル・ヴィノグラードフ (宇宙飛行士)|パーヴェル・ヴィノグラードフ]]、[[宇宙飛行士]] * 1953年 - [[小林よしのり]]、漫画家 * 1953年 - [[ミゲル・アンヘル・ゲーラ]]、レーサー * [[1954年]] - [[キャロライン・コッシー]]、[[モデル (職業)|モデル]] * 1954年 - [[ジュリー・ブラウン]]<small>([[:en:Julie_Brown|英語版]])</small>、女優 * [[1955年]] - [[エドウィン・モーゼス]]、陸上選手 * 1955年 - [[オレク・クルパ]]、俳優 * [[1956年]] - [[斎藤志郎]]、[[声優]] * 1956年 - [[田代まさし]]、元[[タレント]] * 1956年 - [[蔡英文]]、台湾[[中華民国総統|総統]]、政治家 * [[1957年]] - [[藤倉一雅]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[日比野克彦]]、[[イラストレーター]] * 1958年 - [[ジョン・ディーバス]]、元プロ野球選手 * 1958年 - [[景山誠治]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1958年 - [[小金沢昇司]]、[[演歌歌手]] * 1958年 - [[セルジュ・ブランコ]]、[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手 * 1958年 - [[エリック・ゼムール]]、作家 * 1958年 - [[アン・レターノー]]<small>([[:fr:Anne_Létourneau|フランス語版]])</small>、女優 * [[1959年]] - [[木下透]]、プロゴルファー、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[杏里]]、歌手 * 1961年 - [[栗田卓也]]、[[官僚]] * [[1962年]] - [[遠山俊也]]、俳優 * 1962年 - [[遠藤勝代]]、声優 * 1962年 - [[神津はづき]]、女優 * [[1963年]] - [[萩生田光一]]、政治家 * [[1964年]] - [[林紀恵]]、元[[アイドル]]歌手 * [[1965年]] - [[別所哲也]]、俳優 * 1965年 - [[中村芝翫 (8代目)|八代目中村芝翫]]、[[歌舞伎役者]] * [[1966年]] - [[星ようこ]]、俳優 * [[1967年]] - [[平松晶子]]、声優 * [[1968年]] - [[野茂英雄]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[匠ひびき]]、俳優(元[[宝塚歌劇団]]) * 1969年 - [[ネイサン・ミンチー]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[デボラ・ギブソン]]、歌手 * 1970年 - [[山本樹]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[青木宣篤]]、[[オートバイ]]レーサー * 1971年 - [[ヴァディム・レーピン]]、ヴァイオリニスト * [[1973年]] - [[水森かおり]]、演歌歌手 * 1973年 - [[藤井南美]]、[[気象予報士]] * 1973年 - [[松本洋平]]、政治家 * 1973年 - [[立川吉幸]]、落語家 * [[1974年]] - [[久保貴裕]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[SUWA]]、元プロレスラー * 1975年 - [[野田ちゃん]]、お笑いタレント * [[1976年]] - [[伊藤多賀之]]、[[シンガーソングライター]]([[ブリーフ&トランクス]]・[[NapsaQ]]) * 1976年 - 山田スタジアム、お笑い芸人(元[[ストリーク]]) * [[1977年]] - [[ジェフ・ハーディー]]、プロレスラー * 1977年 - [[イアン・ハート (サッカー選手)|イアン・ハート]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[クレイグ・ニコルズ]]、ミュージシャン([[ザ・ヴァインズ]]) * 1977年 - [[Leyona]]、シンガーソングライター * [[1981年]] - [[ラモン・ラミレス (1981年生の投手)|ラモン・ラミーレス]]、プロ野球選手 * 1981年 - [[スタニスラフ・ザハロフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1982年]] - [[森大輔 (野球)|森大輔]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[ホセ・マヌエル・レイナ]]、サッカー選手 * [[1983年]] - [[さくら (タレント)|さくら]]、元タレント * 1983年 - [[甲斐名都]]、シンガーソングライター * 1983年 - [[川口りさ]]、女優 * 1983年 - 鰻和弘、[[お笑いタレント]]([[銀シャリ (お笑いコンビ)|銀シャリ]]) * [[1984年]] - [[石川愛理]]、女優 * 1984年 - [[マイケル・コレノ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1986年]] - [[アリャクサンドル・カザコウ]]、フィギュアスケート選手 * [[1987年]] - [[スティーブ・ジョンソン (野球)|スティーブ・ジョンソン]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[マット・アダムス]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[大貫勇輔]]、ダンサー * 1988年 - [[伊藤弘美]]、[[フリーアナウンサー]] * [[1989年]] - [[桐山照史]]、アイドル、タレント([[WEST.]]) * 1989年 - [[小鳥遊あず]]、タレント * 1989年 - 松本竹馬、お笑いタレント([[そいつどいつ]]) * [[1990年]] - [[舞花]]、シンガーソングライター * 1990年 - [[矢本悠馬]]、俳優 * 1990年 - [[大累進]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[宮城香里]]、女優 * [[1991年]] - [[小寺真理]]、お笑いタレント、女優 * 1991年 - [[ヤクブ・スウォビィク]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[阪口哲也]]、元プロ野球選手 * [[1993年]] - [[今井遥]]、元フィギュアスケート選手 * 1993年 - [[竹内舞]]、アイドル(元[[SKE48]]) * [[1995年]] - [[中村祐太]]、プロ野球選手 * [[1996年]] - [[上茶谷大河]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[髙松望ムセンビ]]、陸上選手 * 1997年 - [[伊藤大海 (野球)|伊藤大海]]、プロ野球選手 * [[1998年]] - [[川本紗矢]]、アイドル(元[[AKB48]]) * 1998年 - [[吉田圭太|𠮷田圭太]]、陸上選手 * [[1999年]] - [[笠菜月]]、女優 * [[2000年]] - [[松岡洸希]]、プロ野球選手 * [[2001年]] - [[森七菜]]、女優 * 2001年 - 白藤環、[[バーチャル・リアリティ|VR]]アイドル([[えのぐ]]) * [[2002年]] - [[崎山蒼志]]、シンガーソングライター * [[2004年]] - [[チャン・ウォニョン|ウォニョン]]、アイドル([[IVE (音楽グループ)|IVE]]、元[[IZ*ONE]]) * 生年不明 - [[カンザキカナリ]] 、声優 * 生年不明 - [[中嶋ゆか]] 、漫画家 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Tetarteron-Theodora-sb1838.jpg | width1 = 100 | caption1 = 東ローマ女帝[[テオドラ (東ローマ女帝)|テオドラ]](995-1056)没。嗣子なく、[[マケドニア王朝 (東ローマ)|マケドニア王朝]]断絶 | image2 = Sancho_Ferda.jpg | width2 = 100 | caption2 = カスティーリャ王[[サンチョ3世 (カスティーリャ王)|サンチョ3世]](1134-1158)没 | image3 = King_Henry_V_from_NPG.jpg | width3 = 100 | caption3 = イングランド王[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]](1387-1422)没。[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の史劇『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』となった }} <!-- [[Image:Grunewald_Isenheim1.jpg|thumb|320px|画家[[マティアス・グリューネヴァルト]](1470頃-1528)没。画像は『{{仮リンク|イーゼンハイム祭壇画|de|Isenheimer Altar}}』]] --> <!-- [[Image:Shoreditch_bunhill_john_bunyan_1.jpg|thumb|100px|[[教役者]][[ジョン・バニヤン]](1628-1688)没。代表作『[[天路歴程]]』]] --> <!-- [[Image:Emperor_Momozono.jpg|thumb|100px|第116代天皇、[[桃園天皇]](1741-1762)]] --> <!-- [[Image:Andr%C3%A9_Philidor.jpg|thumb|100px|作曲家・チェスの名手、[[フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール]](1726-1795)没]] --> <!-- {{multiple image | footer = 航海者[[ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル]](1729-1811)没。右画像はブーガンヴィルが発見した花、[[ブーゲンビリア]] | image1 = Louis_Antoine_de_Bougainville_-_Portrait_par_Jean-Pierre_Franquel.jpg | width1 = 100 | alt1 = ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル | image2 = Bougainvillea_glabra.JPG | width2 = 100 | alt2 = ブーゲンビリア }} --> <!-- [[Image:ArthurPhillipStatueSydney_gobeirne.jpg|thumb|100px|イギリスの総督[[アーサー・フィリップ]](1738-1814)没。[[オーストラリア]]の植民地建設を行った。画像は[[シドニー]]の記念碑]] --> {{multiple image | footer = [[象徴主義]]の詩人、[[シャルル・ボードレール]](1821-1867)没。 {{Squote|どこだっていい!この世界の外でさえあれば!――『[[パリの憂鬱]]』}} | image1 = Baudelaire_crop.jpg | width1 = 120 | alt1 = ボードレール | image2 = Tombe_Baudelaire.jpg | width2 = 120 | alt2 = 墓 }} <!-- TODO: 記事本体加筆 --> <!-- [[Image:Erwin_Baelz.jpg|thumb|100px|医師[[エルヴィン・フォン・ベルツ]](1849-1913)没。[[お雇い外国人]]として日本で17年間[[医学]]を教えた]] --> {{multiple image | image1 = Wilhelm_Wundt_Gravestone.jpg | width1 = 100 | caption1 = 「[[実験心理学]]の父」[[ヴィルヘルム・ヴント]](1832-1920) | image2 = Burnet_in_the_lab.jpg | width2 = 100 | caption2 = ウイルス学者、[[フランク・マクファーレン・バーネット]](1899-1985)没。[[免疫寛容]]を研究し[[臓器移植]]に道を開いた | image3 = Josef_Rotblat_ID_badge.png | width3 = 100 | caption3 = 物理学者・平和活動家、[[ジョセフ・ロートブラット]](1908-2005) }} <!-- [[Image:Georges_Braque_grave.jpg|thumb|100px|画家[[ジョルジュ・ブラック]](1882-1963)没]] --> <!-- {{multiple image | footer = 彫刻家[[ヘンリー・ムーア]](1898-1986)没。右画像は『衣装をまとって横たわる三つに分かれた人体』(1976) | image1 = Henry_Moore_by_Wolleh-%28detail_1%29.jpg | width1 = 100 | alt1 = ヘンリー・ムーア | image2 = Henry_Moore%2C_Three_Piece_Reclining_Figure_Draped_%281976%29%2C_MIT_Campus_-_detail.JPG | width2 = 200 | alt2 = 『衣装をまとって横たわる三つに分かれた人体』 }} --> <!-- [[Image:Kekkonen3.jpg|thumb|100px|フィンランド第8代大統領、[[ウルホ・ケッコネン]](1900-1986)]] --> {{multiple image | footer = イギリスの元王太子妃[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ]](1961-1997)、交通事故死 | image1 = Princess_Diana%2C_Bristol_1987.jpg | width1 = 100 | alt1 = ダイアナ | image2 = | width2 = 180 | alt2 = 国民葬 }} <!-- [[Image:Lionelhampton.jpg|thumb|100px|ジャズ・ヴィブラフォン奏者、[[ライオネル・ハンプトン]](1908-2002)]] --> === 人物 === * [[731年]]([[天平]]3年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[大伴旅人]]、[[公卿]]、[[歌人]](* [[665年]]) * [[1056年]] - [[テオドラ (東ローマ女帝)|テオドラ]]、[[東ローマ帝国|東ローマ女帝]](* [[995年]]) * [[1158年]] - [[サンチョ3世 (カスティーリャ王)|サンチョ3世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](* [[1134年]]) * [[1234年]]([[天福 (日本)|天福]]2年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[後堀河天皇]]、第86代[[天皇]](* [[1212年]]) * [[1422年]] - [[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Henry-V-king-of-England Henry V king of England] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[イングランド王国|イングランド王]](* [[1387年]]) * [[1528年]] - [[マティアス・グリューネヴァルト]]、[[画家]](* [[1470年代]]?) * [[1589年]] - [[ユーリィ・ダルマティン]]、[[聖書]]の[[翻訳家]](* [[1547年]]) * [[1593年]]([[文禄]]2年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[今井宗久]]、[[安土桃山時代]]の[[堺市|堺]][[商人]](* [[1520年]]) * [[1654年]] - [[オーレ・ヴォーム]]、[[医師]]、[[博物学者]](* [[1588年]]) * [[1688年]] - [[ジョン・バニヤン]]、[[キリスト教]][[聖職者]](* [[1628年]]) * [[1724年]] - [[ルイス1世 (スペイン王)|ルイス1世]]、[[スペイン|スペイン王]](* [[1707年]]) * [[1762年]]([[宝暦]]12年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[桃園天皇]]、第116代天皇(* [[1741年]]) * [[1795年]] - [[フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール]]、[[作曲家]](* [[1726年]]) * [[1801年]]([[享和]]元年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[長久保赤水]]、[[地理学]]者、[[漢学者]](* [[1717年]]) * [[1811年]] - [[ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル]]、[[探検家]](* [[1729年]]) * [[1814年]] - [[アーサー・フィリップ]]、[[イギリス海軍]]の[[大将]]、初代[[ニューサウスウェールズ州総督]](* [[1738年]]) * [[1859年]]([[安政]]6年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[九条幸経]]、[[江戸時代]]後期の[[公卿]](* [[1823年]]) * [[1864年]] - [[フェルディナント・ラッサール]]、[[政治学者]]、[[労働運動|労働運動家]](* [[1825年]]) * [[1867年]] - [[シャルル・ボードレール]]、[[詩人]](* [[1821年]]) * [[1879年]] - [[坂本乙女]]、[[坂本龍馬]]の姉(* [[1832年]]) * [[1880年]] - [[白石正一郎]]、[[商人]](* [[1812年]]) * [[1904年]] - [[橘周太]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[中佐]](* [[1865年]]) * [[1911年]] - [[ウィル・ホワイト]]、プロ野球選手(* [[1854年]]) * [[1913年]] - [[エルヴィン・フォン・ベルツ]]、[[医師]](* [[1849年]]) * [[1915年]] - [[グリーン・バーディマン・ブラック]]、[[歯学|歯学者]](* [[1836年]])<!-- ja,de,nl,ro:8/31 EN,pt:- --> * [[1920年]] - [[ヴィルヘルム・ヴント]]、[[心理学者]](* [[1832年]]) * [[1940年]] - [[レイモンド・ドゥーガン]]、[[天文学者]](* [[1878年]]) * [[1941年]] - [[アルフレート・ヘットナー]]、[[地理学者]](* [[1859年]]) * [[1945年]] - [[ステファン・バナフ]]、[[数学者]](* [[1892年]]) * [[1948年]] - [[アンドレイ・ジダーノフ]]、[[政治家]](* [[1896年]]) * [[1956年]] - [[真崎甚三郎]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[大将]](* [[1876年]]) * 1956年 - [[イヴ・ナット]]、[[ピアニスト]](* [[1890年]]) * [[1963年]] - [[ジョルジュ・ブラック]]、画家(* [[1882年]]) * [[1965年]] - [[E・E・スミス]]、[[SF作家]](* [[1890年]]) * [[1967年]] - [[イリヤ・エレンブルク]]、[[小説家]](* [[1891年]]) * [[1969年]] - [[ロッキー・マルシアノ]]、[[プロボクサー]](* [[1923年]]) * [[1973年]] - [[ジョン・フォード]]、[[映画監督]](* [[1894年]]) * [[1985年]] - [[フランク・マクファーレン・バーネット]]、[[ウイルス学|ウイルス学者]](* [[1899年]]) * [[1986年]] - [[ヘンリー・ムーア]]、[[彫刻家]](* [[1898年]]) * 1986年 - [[ウルホ・ケッコネン]]、第8代[[フィンランドの大統領|フィンランド大統領]](* [[1900年]]) * 1986年 - [[ゴッフレード・パリーゼ]]、[[作家]]、[[ジャーナリスト]](* [[1929年]]) * [[1990年]] - [[セルゲイ・ボルコフ (フィギュアスケート選手)|セルゲイ・ボルコフ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1949年]]) * [[1993年]] - [[小川環樹]]、[[中国文学者]](* [[1910年]]) * [[1997年]] - [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]]、[[プリンセス・オブ・ウェールズ|元イギリス皇太子妃]](* [[1961年]]) * [[1998年]] - [[笹岡繁蔵]]、[[声優]](* [[1948年]]) * [[2000年]] - [[ルシール・フレッチャー]]、[[脚本家]]、[[作家]](* [[1912年]]) * [[2002年]] - [[ライオネル・ハンプトン]]、[[ジャズ]][[ヴィブラフォン]]奏者(* [[1908年]]) * 2002年 - [[ジョージ・ポーター]]、[[化学者]](* [[1920年]]) * [[2005年]] - [[ジョセフ・ロートブラット]]、[[物理学者]](* [[1908年]]) * 2005年 - [[マイケル・シェアード]]、[[俳優]](* [[1940年]]) * [[2006年]] - [[東谷夏樹]]、[[プロ野球選手]](* [[1930年]]) * 2006年 - [[新谷琇紀]]、[[彫刻家]](* [[1937年]]) * 2006年 - [[稗田敏男]]、調教師(* [[1918年]]) * [[2016年]] - 伊藤元太、元子役(* [[1998年]]) * [[2020年]] - [[プラナブ・ムカルジー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20200903081311/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020083100880&g=int|title=インドのムカジー前大統領死去 新型コロナに感染|publisher=時事ドットコム|date=2020-08-31|accessdate=2020-12-16}}</ref><ref>[https://www.yomiuri.co.jp/world/20200831-OYT1T50238/ コロナ感染判明のインド・ムカジー前大統領死去] - 読売新聞オンライン 2020年9月1日</ref>、政治家、第13代[[インド]][[インドの大統領|大統領]](* [[1935年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2021年]] - [[ドゥラメンテ]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](* [[2012年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Hari_Kebangsaan.jpg|thumb|[[マレーシア]]の国家記念日(1957年に[[マラヤ連邦]]として独立)。{{audio|Negaraku_instrumental.ogg|国歌『我が国』を聴く}}]] <!-- 地図はできごとの方に --> <!-- History_merdeka.jpg [[トゥンク・アブドゥル・ラーマン]]による独立宣言 --> {{multiple image | footer = [[トリニダード・トバゴ]]の独立記念日(1962年独立) | image1 = LocationTrinidadAndTobago.png | width1 = 160 | caption1 = トリニダード・トバゴの位置 | image2 = TempleHinduinTT.JPG | width2 = 100 | caption2 = [[ヒンドゥー教]]寺院。人口の22%をヒンドゥー教徒が占める }} {{multiple image | footer = [[キルギス]]の独立記念日(1991年独立)。 {{audio|National_Anthem_of_Kyrgyzstan.ogg|国歌を聴く}} | image1 = LocationKyrgyzstan.svg | width1 = 140 | caption1 = キルギスの位置 | image2 = Kyrgyz_Manaschi,_Karakol.jpg | width2 = 120 | caption2 = 伝統的な帽子[[カルパク]]を被った男性 }} [[Image:Podpisanie_Porozumie%C5%84_Sierpniowych_w_Szczecinie.jpg|thumb|{{仮リンク|グダンスク協定|en|Gdańsk Agreement}}締結(1980)。この時のストライキ団体が後の[[独立自主管理労働組合「連帯」]]となる]] <!-- [[Image:Stamp of Moldova 247.gif|thumb|[[モルドバ]]の記念切手。『我らが言語』の歌詞が、作詞者である詩人{{仮リンク|アレクセイ・マチェエヴィチ|en|Alexei Mateevici}}と共に印刷されている]] --> * 国家記念日({{MYS}}) *: [[1957年]]のこの日、[[マレーシア]]の前身である[[マラヤ連邦]]がイギリスから独立を宣言したことに由来。 * 独立記念日({{TTO}}) *: [[1962年]]のこの日、トリニダード・トバゴが[[イギリス]]から独立。 * 独立記念日({{KGZ}}) *: [[1991年]]のこの日、キルギスが[[ソビエト連邦]]からの独立を宣言。 * 連帯と自由の日({{POL}}) *: [[1980年]]のこの日、時の政府と労働者の間で{{仮リンク|グダンスク協定|en|Gdańsk Agreement}}が結ばれたことを記念する、休日とはならない祝日。<!-- ポーランドにはこういう休みにならない祝日の制度があるそうです。「公式の記念日」と訳してもいいのかもしれませんが… cf. [[en:Public holidays in Poland#National holidays]] --> * {{仮リンク|国語の日|en|National Language Day|ro|Limba_noastră_(sărbătoare)}}("Limba Noastră"; {{MDA}}) *: [[1989年]]のこの日、[[モルドバ語]]がモルドバの公用語となったことを記念する祝日。モルドバの国歌の題名も「[[モルドバの国歌|我らが言葉]](Limba Noastră)」で、モルドバ語で同じ表記である。 * [[野菜]]の日/ベジタブルデー({{JPN}}) *: 8月31日の「831」が「やさい」と読めることから。 *: 野菜のよさを見直してもらおうと、[[1983年]]9月に食料品流通改善協会や全国青果物商業協同組合連合会など9団体が制定。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0831|date=2011年6月}} *[[1962年]] - [[ジェームズ・ボンド]]が[[M (架空の人物)|M]]より[[日本]]派遣の特命を受ける。(小説『[[007は二度死ぬ#出版|007は二度死ぬ]]』第3章) <!--第2章に8月最後の日とあり、この日の内に命令される。--> * [[2021年]] - がまがま水族館が閉館する。(アニメ『[[白い砂のアクアトープ]]』) *年不明 - エンドレスエイトが終わる。(小説・アニメ『[[涼宮ハルヒの憂鬱]]』) *年不明 - 浅羽直之、園原中学校のプールで伊里谷加奈と第三種接近遭遇する。(小説・アニメ『[[イリヤの空、UFOの夏]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[2007年]] - [[初音ミク]] 、『[[VOCALOID]]』のキャラクター<ref>{{Twitter status|sega_official|1432357470463094793}}</ref> * 2209年 - ユイリィ・バハナ、アニメ『[[無限のリヴァイアス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1432538640392069123}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sunrise-inc.co.jp/ryvius/character.html |title=CHARACTER ユイリィ・バハ |access-date=2022-08-26 |publisher=無限のリヴァイアス Official Web - 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[[まいまいまいごえん|シンタ]]、[[サンリオ]]のメディアミックス作品「[[まいまいまいごえん]]」のキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=まいまいまいごえん|サンリオ |url=https://www.sanrio.co.jp/characters/maimaimaigoen/ |website=サンリオ |access-date=2023-07-22 |language=ja}}</ref>。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|August 31|31 August}} {{新暦365日|8|30|9|1|[[7月31日]]|無し|無し|0831|8|31}} *[[架空の日付#8月32日|8月32日]] {{1年の月と日}}
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ハーブ
ハーブ(英: herb)とは、明確な定義は存在しないが、一般的には料理の香り付けや保存料、薬、香料、防虫などに利用されたり、香りに鎮静・興奮などの作用がある有用植物で、緑の葉を持つ草、茎のやわらかい植物などを指す。同様の有用植物であっても、種子、実、根、樹皮などは香辛料と呼ばれることが多いが、苔から木本まで、香りや薬効がある有用植物全般をハーブとして扱う場合もある。反面、旺盛な繁殖力を持ち駆除困難な雑草となる種もある。 ハーブは「草」あるいは「野草」、「草木」を意味するラテン語: herba を語源とし、フランス語でherbe(エルブ)、古英語でherbe(アーブ)となり、これが変化して英語のherbとなり、日本に伝わってハーブという言葉が使われるようになった。 一般にハーブという場合、ヨーロッパで伝統的に薬草や料理、香料、保存料として用いられた植物を指す。香りや辛味、苦味などの風味を楽しむために用いられるキッチンハーブを指すことが多い。生または乾燥させたものを、薬味、ハーブティーなどに用いた。近世まで、病気の原因はミアスマ(瘴気、悪い空気)であると考えられていたため、強い香りで病気を防ぐために、匂い袋(サシェ)、匂い玉(ポマンダー)、ハーブ酢、香油、芳香蒸留水、精油なども利用され、ポプリなどの形で香りが楽しまれた。 元来ハーブとは「薬草」を意味する薬理分野における部類の一つであり、食用にすると有毒となるいわゆる有毒植物も「有毒ハーブ」として分類されている。語源からすると、元々木本植物は有用植物ではあってもハーブではなかったと思われるが、現在ではローズマリーやローリエ等、木本植物であっても、一般にハーブとして扱われる物も多い。日本では、言葉の定義でスパイスとの混乱も見られるが、スパイスは料理の風味づけや色づけに使われる香辛料であり、その中にはハーブに分類される植物も見られる。 野菜や穀物、果物などと区別されるが、伝統的な西洋医学の主な治療は食事療法であり、キャベツやタンポポのように、薬用・食用両方に使われたものも少なくなく、明確な区別は難しい。ローズヒップ(バラの果実)の様に、その実や花弁等の有用部分のみを指してハーブと呼ぶものもある。一般的な植物名とは別に、ハーブ等として利用する時に使用される固有の名前を持つものも多い。 また、ネイティヴ・アメリカンが伝統的に治療に使った植物(エキナセアなど)のように、ヨーロッパ以外でハーブ同様に使われた植物で、欧米で利用されるようになったものもハーブと呼ばれており、中国医学や漢方医学で使う生薬でハーブと呼ばれるものもある。 次のように利用できる有用植物がハーブと呼ばれた。 西洋では様々なハーブ、香辛料が料理に利用された。胡椒などの香辛料は、保存料・香り付け・薬として重宝されたが、交易で遠方からもたらされるため高価だった。民衆は、身近で手に入る香りあるハーブ、防腐作用を持つハーブを料理・保存に利用した。 胡椒の代わりに使われたマメグンバイナズナは、イギリスでは「貧者の胡椒」と呼ばれている。フランスのプロヴァンス地方で料理に使われたハーブに想を得た業者により、セイボリー、フェンネル、バジル、タイム、ラヴェンダーなどのハーブをブレンドしたものがエルブ・ド・プロヴァンスの名で販売されている。フランス料理では、パセリ、チャイブ、タラゴン、タイムなどの生のハーブをみじん切りにしたものが多用され、フィーヌゼルブ(フランス語版)と呼ばれる。フランスの煮込み料理の香り付けには、パセリ、タイム、ローリエ、エストラゴンなど数種類のハーブを束ねたブーケガルニが使われる。 ヨーロッパ各地に、ハーブを主な材料とするグリーンソース(英語版)が存在する。イタリアでは、すりつぶしたパセリ、酢、ケッパー、ニンニク、タマネギ、アンチョビ、オリーブオイル、マスタードなどを混ぜて作るソースをサルサヴェルデという。ドイツ・ヘッセン州ではグリューネ・ゾーセ(Grüne Soße または Grüne Sosse)が有名であり、ルリジサ、スイバ、コショウソウ、チャービル、チャイブ、パセリ、およびサラダバーネット(英語版)などの7種類の生のハーブを刻み、サワークリーム・レモン汁を混ぜたソースに、固ゆで卵・じゃがいもなどを添えて食べる。このように、ヨーロッパではハーブは料理によく利用され、相互に影響を受けながらも地域によって特色がある。 ハーブ抽出物の中には、サプリメントとして利用されるものもある。また現在では、植物の香りの薬効が研究されており、ハーブなどを水蒸気蒸留した精油がアロマテラピー(芳香療法)に用いられている。 ハーブには薬効が強く、副作用のあるものや、有毒なものもある。また欧州では伝統生薬の一部が、伝統生薬製剤の欧州指令によって医薬品としても流通している。日本でも2007年の承認申請の簡略化によって、2011年には、足の浮腫に効果のある、赤ブドウ葉乾燥エキス混合物が医薬品として承認された。 日本においてハーブは、医薬品医療機器等法で医薬品に分類されないものは食品に区分されて市販されている。しかし、その中にはセント・ジョーンズ・ワートの様に、国によってうつ病など病気に薬として処方されるハーブもある。ほかにも、ハーブから抽出されたイチョウ葉エキスや、エゾウコギなど、薬物との相互作用に注意を要するものもある。また妊娠中や乳幼児の摂食に対して安全性の確認されていないものも多い。 ヒヨスのように、向精神薬作用のあるものもある。規制を逃れたものが脱法ハーブ、危険ドラッグと呼ばれ、近年使用者の犯罪行為などがあり、問題視されている。また、ハーブという言葉が、大麻を指す隠語として使われることもある。 漢方薬も西洋ハーブも、植物性生薬(薬用植物)を利用している。現地の植物、近い地域の植物だけでなく、交易によって遠方の植物も取り入れられており、西洋ハーブの原産地が必ずしもヨーロッパであるわけではなく、すべての中国医学の植物性生薬が中国原産の植物であるわけではない。生姜(ショウキョウ、ショウガ)など、東洋・西洋でともに用いられたものもある。また、硬水のトルコでは利尿作用や尿結石に有効なハーブが頻用されるなど、気候風土により用いられるハーブは異なる。またローズマリーは中国・インドにも伝来しているが、あまり用いられなかった。現在ハーブには、ヨーロッパで伝統的に使われた植物性生薬だけでなく、ムラサキバレンギクなどアメリカ先住民が用いたものも取り入れられている。また、アメリカニンジンのように、中国医学でもアメリカ原産の植物が利用されている。 日本の漢方医学などの中国医学系伝統医学は、患者の「体質」に着目し、体全体の調子を整える医学であり個人の証に合わせた生薬に注目し処方する。アラビアやヨーロッパで行われた伝統医学であるギリシャ・アラビア医学(ユナニ医学)でも、同様に患者の体質・体液の均衡が重視され四体液説)、ハーブの性質を考慮して処方されたが、現在ユナニ医学はインド亜大陸が中心地であり、西洋ではほとんど行われない。西洋ハーブ薬は症状に対して処方される傾向がある。 現在ハーブと呼ばれる植物には、メソポタミア、エジプトなど古代から薬用に利用されたものもある。古代エジプトではイチジク・ブドウと合せてヤグルマギクやケシの仲間が栽培された薬草園があった。各地のハーブは、ローマ帝国の拡大などで相互に広まった。ローマ時代に遠くブリテン島(イギリス)にまで伝わったハーブは、ローマ帝国崩壊後も一部が根付き、活用された。イギリスの古いハーブ療法の知識は『ボールドの医書』などに見られ、ハーブの薬効を高めるよう働きかける「九つのハーブの呪文」などの異教的な呪文も文献に残されている。 ヨーロッパでの伝統的なハーブの利用法や採取のルールなどには、キリスト教以前の文化・宗教の名残があるともいわれ、ヨーロッパで行われたハーブを使った薬草浴には、ケルトの影響があるという見解もある。 ヨーロッパでは、古代ギリシャのディオスコリデスがまとめた本草書『薬物誌』が1500年以上権威として利用され、教会の薬草園などでハーブが栽培された。『薬物誌』はアラビアに伝わってユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)に影響を与え、その研究成果はヨーロッパの医学に取りいれられた。民間では、各地方に伝わるハーブが治療に利用された。四大元素説から、ハーブは「熱・冷・湿・乾」の4つの性質を持つと考えられ、その性質を考慮して利用された。 フランク王国のカール大帝(742年 - 814年)はハーブを愛好し、「医学の友にして料理人の称賛の的」と喩えたという。 西洋中世に何度も大流行したペスト(黒死病)の際にも、ペスト除けに利用された(ただし、流行を終わらせたりペストを治すほどの効果はなかった)。ハーブやスパイス、果実などの成分を溶かし込んだリキュールは薬として利用され、14世紀イタリアでは、リキュール(リクォーリ)が薬用として輸出された記録が残っており、1346年に始まるヨーロッパでのペスト大流行の際には、貴重な薬品として扱われた。ローズマリーをアルコールと共に蒸留した蒸留酒・ハンガリー水(ローズマリー水)は、最初薬用酒として、のちに香水として利用された。17世紀南フランスのトゥールーズでペストが大流行した際、死亡した人々から盗みを働いた泥棒たちがいたが、彼らは感染しなかった。セージ、タイム、ローズマリー、ラベンダーなどを酢に浸して作った薬を塗って感染を防いだといい、このお酢は「4人の泥棒の酢(英語版)」と呼ばれ利用された。また、錬金術の影響を受けた西洋の伝統医学では、アラビアから伝わった蒸留技術を洗練させ、ハーブなどの植物から精油を抽出し、薬として利用した。ヨーロッパでは病気の原因はミアスマ(瘴気、悪い空気)であると考えられていたため、空気を清めるために病人のいる所や病院で香りの強いハーブが焚かれた。イギリスでは、監獄熱の感染予防に法廷にローズマリーが持ち込まれた。 イギリス人が北アメリカに移住し、ハーブや本草書、医学書を持ち込んだため、イギリスで使われたハーブと利用法が新大陸にも伝わった。
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ハーブとは、明確な定義は存在しないが、一般的には料理の香り付けや保存料、薬、香料、防虫などに利用されたり、香りに鎮静・興奮などの作用がある有用植物で、緑の葉を持つ草、茎のやわらかい植物などを指す。同様の有用植物であっても、種子、実、根、樹皮などは香辛料と呼ばれることが多いが、苔から木本まで、香りや薬効がある有用植物全般をハーブとして扱う場合もある。反面、旺盛な繁殖力を持ち駆除困難な雑草となる種もある。 ハーブは「草」あるいは「野草」、「草木」を意味するラテン語: herba を語源とし、フランス語でherbe(エルブ)、古英語でherbe(アーブ)となり、これが変化して英語のherbとなり、日本に伝わってハーブという言葉が使われるようになった。
{{Otheruses|3=ハーブ (曖昧さ回避)}}{{Redirect|香草|広島県にあった「かぐさ」駅|香草駅}} [[File:K%C3%BCchenkr%C3%A4uter-1.jpg|thumb|240px|right|[[タイム (植物)|タイム]]、[[オレガノ]]、[[ローズマリー]]]] '''ハーブ'''({{Lang-en-short|herb}}<ref group="注釈">[[イギリス英語]]で {{IPA-en|ˈhɜːb}} 「ハーブ」、[[アメリカ英語]]では {{IPA-en|ˈɚːb}} 「アーブ」</ref>)とは、明確な定義は存在しないが、一般的には[[料理]]の香り付けや[[保存料]]、[[薬]]、[[香料]]、防虫などに利用されたり、香りに鎮静・興奮などの作用がある有用植物で<ref name="永岡">永岡治 著 『クレオパトラも愛したハーブの物語 魅惑の香草と人間の5000年』 PHP研究所、1988年</ref>、緑の葉を持つ草、茎のやわらかい植物などを指す<ref name="ハットフィールド">A.W.ハットフィールド 著 『ハーブのたのしみ』 山中雅也・山形悦子 訳、八坂書房、1993年</ref>。同様の有用植物であっても、[[種子]]、[[果実|実]]、[[根]]、[[樹皮]]などは[[香辛料]]と呼ばれることが多いが、[[苔]]から[[木本]]まで、香りや薬効がある有用植物全般をハーブとして扱う場合もある<ref name="ハットフィールド"></ref>。反面、旺盛な繁殖力を持ち駆除困難な[[雑草]]となる種もある。 ハーブは「[[草]]」あるいは「野草」、「草木」を意味する{{Lang-la|herba}} を語源とし、フランス語でherbe(エルブ)、古英語でherbe(アーブ)となり、これが変化して英語のherbとなり<ref name="永岡"></ref>、日本に伝わってハーブという言葉が使われるようになった。 == 概説 == [[File:HerbalPatch_Lippensgoed_Bulskampveld.jpg|thumb|240px|ハーブガーデン、[[ベルギー]]の[[ベールネム]]]] 一般にハーブという場合、[[ヨーロッパ]]で伝統的に[[薬草]]や料理、香料、保存料として用いられた植物を指す。[[香り]]や[[辛味]]、[[苦味]]などの[[風味]]を楽しむために用いられる'''キッチンハーブ'''を指すことが多い。生または乾燥させたものを、[[薬味]]、[[ハーブティー]]などに用いた。近世まで、病気の原因は[[ミアスマ]](瘴気、悪い空気)であると考えられていたため、強い香りで病気を防ぐために、匂い袋(サシェ)、匂い玉(ポマンダー)、ハーブ[[酢]]、香油、[[ハイドロゾル|芳香蒸留水]]、[[精油]]なども利用され、[[ポプリ]]などの形で香りが楽しまれた<ref name="熊井">熊井明子 著 『愛のポプリ』、講談社、1984年</ref>。 元来ハーブとは「薬草」を意味する薬理分野における部類の一つであり、食用にすると有毒となるいわゆる[[有毒植物]]も「有毒ハーブ」{{efn|使用や栽培に許可が必要なものもある。}}として分類されている<ref name="武政1997">{{Cite book|和書|author=武政三男|title=スパイス&ハーブ事典|publisher=[[文園社]]|date=1997-01-10|page=21|ISBN=4-89336-101-5}}</ref>。語源からすると、元々[[木本]]植物は有用植物ではあってもハーブではなかったと思われるが、現在では[[ローズマリー]]や[[ローリエ]]等、木本植物であっても、一般にハーブとして扱われる物も多い。日本では、言葉の定義で[[香辛料|スパイス]]との混乱も見られるが、スパイスは料理の風味づけや色づけに使われる香辛料であり、その中にはハーブに分類される植物も見られる<ref name="武政1997"/>。 [[野菜]]や[[穀物]]、[[果物]]などと区別されるが、伝統的な[[西洋医学]]の主な治療は[[食事療法]]であり<ref>{{Cite web|和書|author=久木田直江|date=2009-02|url=http://www.hss.shizuoka.ac.jp/genngo/eibun/el_gakkai/04/index.html|title=中世ヨーロッパの食養生|accessdate=2014-11-21}}</ref>、[[キャベツ]]や[[タンポポ]]のように、薬用・食用両方に使われたものも少なくなく、明確な区別は難しい。[[ローズヒップ]](バラの果実)の様に、その実や花弁等の有用部分のみを指してハーブと呼ぶものもある。一般的な植物名とは別に、ハーブ等として利用する時に使用される固有の名前を持つものも多い。 また、[[ネイティヴ・アメリカン]]が伝統的に治療に使った植物([[エキナセア]]など<ref>植松黎 著 『自然は緑の薬箱―薬草のある暮らし』、大修館書、2008年</ref>)のように、ヨーロッパ以外でハーブ同様に使われた植物で、欧米で利用されるようになったものもハーブと呼ばれており、[[中国医学]]や[[漢方医学]]で使う[[生薬]]でハーブと呼ばれるものもある。 == ハーブの利用法 == 次のように利用できる有用植物がハーブと呼ばれた<ref name="永岡"></ref>。 * 内服薬・外用薬として利用できるもの。 * 防臭・防腐・防虫などに役立つ植物。 * 芳香があり、その香りに鎮静作用や興奮作用などがあるもの。 西洋では様々なハーブ、香辛料が料理に利用された。胡椒などの香辛料は、保存料・香り付け・薬として重宝されたが、交易で遠方からもたらされるため高価だった。民衆は、身近で手に入る香りあるハーブ、防腐作用を持つハーブを料理・保存に利用した。 胡椒の代わりに使われた[[マメグンバイナズナ]]は、イギリスでは「貧者の胡椒」と呼ばれている<ref name="ベックマン"> ヨハン・ベックマン 著 『西洋事物起源(二)』 特許庁内技術史研究会 訳、岩波書店、1999年</ref>。フランスのプロヴァンス地方で料理に使われたハーブに想を得た業者により、[[セイボリー]]、[[フェンネル]]、[[バジル]]、[[タイム (植物)|タイム]]、[[ラヴェンダー]]などのハーブをブレンドしたものが[[エルブ・ド・プロヴァンス]]の名で販売されている。フランス料理では、[[パセリ]]、[[チャイブ]]、[[タラゴン]]、タイムなどの生のハーブをみじん切りにしたものが多用され、{{仮リンク|フィーヌゼルブ|fr|Fines herbes}}と呼ばれる<ref>[[:en:Julia Child|Julia Child]], ''Mastering the Art of French Cooking'' vol. I p 18.</ref>。フランスの[[煮込み料理]]の香り付けには、パセリ、タイム、[[ローリエ]]、[[エストラゴン]]など数種類のハーブを束ねた[[ブーケガルニ]]が使われる。 ヨーロッパ各地に、ハーブを主な材料とする{{仮リンク|グリーンソース|en|Green sauce}}が存在する。イタリアでは、すりつぶしたパセリ、[[酢]]、[[ケッパー]]、[[ニンニク]]、[[タマネギ]]、[[アンチョビ]]、[[オリーブオイル]]、[[マスタード]]などを混ぜて作るソースを[[サルサ (料理)|サルサ]]ヴェルデという。ドイツ・[[ヘッセン州]]ではグリューネ・ゾーセ(Grüne Soße または Grüne Sosse)が有名であり、[[ルリジサ]]、[[スイバ]]、[[コショウソウ]]、[[チャービル]]、[[チャイブ]]、パセリ、および{{仮リンク|サラダバーネット|en|Sanguisorba minor}}などの7種類の生のハーブを刻み、[[サワークリーム]]・レモン汁を混ぜたソースに、固ゆで卵・[[じゃがいも]]などを添えて食べる。このように、ヨーロッパではハーブは料理によく利用され、相互に影響を受けながらも地域によって特色がある。 <gallery> Lepidium_virginicum_8170.jpg|胡椒の代わりに使われたマメグンバイナズナ Bouquet_garni_p1150476_extracted.jpg|ブーケガルニ Herbesdeprovence.jpg|エルブ・ド・プロヴァンス Italian_salsa_verde.jpg|イタリアのサルサ・ヴェルデ Grie_Soss_3.jpg|ジャガイモを添えたグリー・ゾース([[フランクフルト・アム・マイン]]風グリューネ・ゾーセ) </gallery> ハーブ抽出物の中には、[[サプリメント]]として利用されるものもある。また現在では、植物の香りの薬効が研究されており、ハーブなどを[[水蒸気蒸留]]した[[精油]]が[[アロマテラピー]](芳香療法)に用いられている。 == 薬草 == {{Main|薬草}} {{See also|有毒植物}} ハーブには薬効が強く、[[副作用]]のあるものや、有毒なものもある。また欧州では伝統生薬の一部が、[[伝統生薬製剤の欧州指令]]によって医薬品としても流通している。日本でも2007年の承認申請の簡略化によって、2011年には、足の浮腫に効果のある、赤ブドウ葉乾燥エキス混合物が医薬品として承認された<ref>{{Cite news |author= |title=【厚労省】西洋ハーブ製剤の承認申請‐海外データ活用を容認 |url=http://www.yakuji.co.jp/entry2615.html |date=2007-03-28 |newspaper=薬事日報 |accessdate=2015-10-01}}</ref>。 日本においてハーブは、[[医薬品医療機器等法]]で[[医薬品]]に分類されないものは[[食品]]に区分されて市販されている。しかし、その中には[[セント・ジョーンズ・ワート]]の様に、国によって[[うつ病]]など病気に薬として処方されるハーブもある。ほかにも、ハーブから抽出された[[イチョウ]]葉エキスや、[[エゾウコギ]]など、薬物との相互作用に注意を要するものもある<ref>内田信也、山田静雄「[http://www.jsac.or.jp/bunseki/pdf/bunseki2007/200709kougi.PDF 食品・サプリメントと医薬品の相互作用]」 (PDF) 『ぶんせき』2007年9月、454~460頁</ref>。また妊娠中や乳幼児の摂食に対して安全性の確認されていないものも多い。 [[ヒヨス]]のように、[[向精神薬]]作用のあるものもある。規制を逃れたものが[[脱法ハーブ]]、[[危険ドラッグ]]と呼ばれ、近年使用者の犯罪行為などがあり、問題視されている。また、ハーブという言葉が、[[大麻]]を指す[[隠語]]として使われることもある。 === 漢方薬と西洋ハーブ === 漢方薬も西洋ハーブも、植物性[[生薬]]([[薬用植物]])を利用している。現地の植物、近い地域の植物だけでなく、交易によって遠方の植物も取り入れられており、西洋ハーブの原産地が必ずしもヨーロッパであるわけではなく、すべての中国医学の植物性生薬が中国原産の植物であるわけではない。[[生姜]](ショウキョウ、ショウガ)など、東洋・西洋でともに用いられたものもある。また、[[硬水]]のトルコでは利尿作用や[[尿結石]]に有効なハーブが頻用されるなど、気候風土により用いられるハーブは異なる<ref name=honda>本多義昭 著 日本薬学会 編集 『ハーブ・スパイス・漢方薬―シルクロードくすり往来』 [[丸善]]、2001年</ref>。また[[ローズマリー]]は中国・インドにも伝来しているが、あまり用いられなかった<ref name=honda/>。現在ハーブには、ヨーロッパで伝統的に使われた植物性生薬だけでなく、ムラサキバレンギクなどアメリカ先住民が用いたものも取り入れられている。また、[[アメリカニンジン]]のように、中国医学でもアメリカ原産の植物が利用されている。 日本の[[漢方医学]]などの[[中国医学]]系伝統医学は、患者の「体質」に着目し、体全体の調子を整える医学であり個人の[[証 (東洋医学)|証]]に合わせた生薬に注目し処方する。アラビアやヨーロッパで行われた伝統医学であるギリシャ・アラビア医学([[ユナニ医学]])でも、同様に患者の体質・体液の均衡が重視され[[四体液説]])、ハーブの性質を考慮して処方されたが、現在ユナニ医学はインド亜大陸が中心地であり、西洋ではほとんど行われない。西洋ハーブ薬は症状に対して処方される傾向がある。 == 歴史と文化 == {{Main|薬草#歴史|薬学史|ディオスコリデス}} [[File:Dioscorides_De_Materia_Medica_Byzantium_15th_century.jpg|thumb|『薬物誌』 [[東ローマ帝国]] , 15世紀]] [[File:Tacuin Laitue18.jpg|thumb|中世ヨーロッパで作られたギリシャ・アラビア医学の本『[[健康全書]]』より、「レタス」。現在「野菜」と考えられるものも、性質や薬効が説明されている。]] 現在ハーブと呼ばれる植物には、[[メソポタミア]]、[[エジプト]]など古代から薬用に利用されたものもある。[[古代エジプト]]では[[イチジク]]・[[ブドウ]]と合せて[[ヤグルマギク]]や[[ケシ]]の仲間が栽培された薬草園があった。各地のハーブは、[[ローマ帝国]]の拡大などで相互に広まった。ローマ時代に遠く[[ブリテン島]](イギリス)にまで伝わったハーブは、ローマ帝国崩壊後も一部が根付き、活用された。イギリスの古いハーブ療法の知識は『ボールドの医書』などに見られ、ハーブの薬効を高めるよう働きかける「[[九つの薬草の呪文|九つのハーブの呪文]]」などの異教的な呪文も文献に残されている。 ヨーロッパでの伝統的なハーブの利用法や採取のルールなどには、キリスト教以前の文化・宗教の名残があるともいわれ、ヨーロッパで行われたハーブを使った薬草浴<ref>遠山茂樹, 「[http://id.nii.ac.jp/1355/00000153/ 読書案内 マーガレット・B・フリーマン著 遠山茂樹訳『西洋中世ハーブ事典』八坂書房]」『東北公益文科大学総合研究論集 : forum21』 16号, p.a41-a51, 2009年, {{naid|120005669882}}。</ref><ref group="注釈">入浴はペスト流行の際、水の利用が忌避されるようになり、その影響で行われなくなった。</ref>には、[[ケルト]]の影響があるという見解もある<ref>ヴォルフ=ディーター・シュトルル 『ケルトの植物』 手塚千史 高橋紀子 訳、ヴィーゼ出版</ref>。 ヨーロッパでは、古代ギリシャの[[ディオスコリデス]]がまとめた本草書『薬物誌』が1500年以上権威として利用され、[[教会]]の薬草園などでハーブが栽培された。『薬物誌』は[[アラビア]]に伝わって[[ユナニ医学]](ギリシャ・アラビア医学)に影響を与え、その研究成果はヨーロッパの医学に取りいれられた。民間では、各地方に伝わるハーブが治療に利用された。[[四大元素]]説から、ハーブは「熱・冷・湿・乾」の4つの性質を持つと考えられ、その性質を考慮して利用された。 [[フランク王国]]の[[カール大帝]](742年 - 814年)はハーブを愛好し、「医学の友にして料理人の称賛の的」と喩えたという<ref>マーガレット・B. フリーマン 著 『西洋中世ハーブ事典』 遠山茂樹 訳、八坂書房、2009年 25項</ref>。 西洋中世に何度も大流行した[[ペスト]](黒死病)の際にも、ペスト除けに利用された(ただし、流行を終わらせたりペストを治すほどの効果はなかった)。ハーブやスパイス、果実などの成分を溶かし込んだリキュールは薬として利用され、14世紀イタリアでは、リキュール(リクォーリ)が薬用として輸出された記録が残っており<ref>[https://www.suntory.co.jp/wnb/guide/liqueur/01/02.html リキュール入門 1.リキュールとは 語源]サントリー</ref>、1346年に始まるヨーロッパでの[[ペスト]]大流行の際には、貴重な薬品として扱われた<ref>[https://www.suntory.co.jp/wnb/guide/liqueur/01/03.html リキュール入門 1.リキュールとは 歴史]サントリー</ref>。ローズマリーをアルコールと共に蒸留した蒸留酒・[[ハンガリー水]](ローズマリー水)は、最初薬用酒として、のちに[[香水]]として利用された<ref name="ベックマン"> ヨハン・ベックマン 著 『西洋事物起源(二)』 特許庁内技術史研究会 訳、岩波書店、1999年</ref>。17世紀南フランスの[[トゥールーズ]]でペストが大流行した際、死亡した人々から盗みを働いた泥棒たちがいたが、彼らは感染しなかった。[[セージ]]、[[タイム (植物)|タイム]]、ローズマリー、[[ラベンダー]]などを酢に浸して作った薬を塗って感染を防いだといい、このお酢は「{{仮リンク|4人の泥棒の酢|en|Four Thieves Vinegar}}」と呼ばれ利用された<ref>永岡治 著 『クレオパトラも愛したハーブの物語 魅惑の香草と人間の5000年』 PHP研究所、1988年</ref>。また、[[錬金術]]の影響を受けた西洋の伝統医学では、アラビアから伝わった[[蒸留]]技術を洗練させ、ハーブなどの植物から[[精油]]を抽出し、薬として利用した<ref>[[ヒロ・ヒライ]] 著 『エリクシルから第五精髄、そしてアルカナへ: 蒸留術とルネサンス錬金術』 Kindle、2014年(初出:「アロマトピア 第53号」 2002年)</ref>。ヨーロッパでは病気の原因は[[ミアスマ]](瘴気、悪い空気)であると考えられていたため、空気を清めるために病人のいる所や病院で香りの強いハーブが焚かれた。イギリスでは、監獄熱の感染予防に法廷にローズマリーが持ち込まれた<ref name="ハットフィールド"></ref>。 イギリス人が[[北アメリカ]]に移住し、ハーブや[[本草書]]、[[医学書]]を持ち込んだため、イギリスで使われたハーブと利用法が新大陸にも伝わった<ref>ジョージ・ウルダング 著 『薬学・薬局の社会活動史』、清水藤太郎 訳、南山堂、1973年</ref>。<!-- さらにハーブの歴史は様々な製品の語源からもあらわれる。一例をあげるならばソープ(石鹸)の語源は、ハーブの1種、ソープワート(''Saponaria officinalis'' ナデシコ科)。全草からとれるサポニンを煮出して使用していたことから名づけられた。また、フランス語のサボン(savon)もソープワート(サボン草)からでシャボン玉のシャボンにもつながっている。--> == 分類 == * 木本類 ** 常緑樹 - [[ラベンダー]]、[[ゲッケイジュ]]など ** 落葉樹 - [[バラ]]など * 草本類 ** 1、2年草 - [[キンレンカ|ナスタチューム]]、[[ヒマワリ]]など ** 多年草 - [[ミント]]、[[レモングラス]]など ** 球根類 - [[サフラン]]など == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ハーブの一覧]] / [[ハーブティー]] / [[伝統生薬製剤の欧州指令]] * [[薬草]] / [[生薬]] / [[アダプトゲン]] / [[薬学史]] * [[香辛料]] / [[薬味]] * [[ユナニ医学]](ギリシャ・アラビア医学) - 薬物の知識が[[ペダニウス・ディオスコリデス|ディオスコリデス]]により『薬物誌』としてまとめられ、以後ヨーロッパおよびイスラーム圏の伝統医学で使用された。治療にはハーブも多く使用される。 * [[アーユルヴェーダ]] - インドの伝統医学。アーユルヴェーダ薬物の多くがユナニ医学に取りいれられた。 * [[中国医学]] -中国を起源とする東アジアの医学で、[[生薬]]などを治療に用いる。 * [[植物園]] /[[プラントハンター]] * [[ポタジェ]] - ハーブなどを植えた観賞用兼実用の家庭菜園 == 外部リンク == * [http://www.jsac.or.jp/bunseki/pdf/bunseki2007/200709kougi.PDF 食品・サプリメントと医薬品の相互作用](PDF) (社団法人 日本分析化学会) {{料理}} {{Herbs & spices|state=collapsed}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はあふ}} [[Category:ハーブ|*]] [[Category:イギリスの食文化]] [[Category:植物]] [[Category:香料]] [[Category:精油]]
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東インド会社
東インド会社(ひがしインドがいしゃ、とうインドがいしゃ、-かいしゃ)は、アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社。以下のようなものがある。 なお、イギリスには「東インド会社」を名乗る会社や商店が現在もあるが、これはイギリス政府の許可を得て20世紀以降に新たに設立されたものである。イギリス東インド会社#現在を参照。
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'''東インド会社'''(ひがしインドがいしゃ、とうインドがいしゃ<ref>{{Kotobank|1=東インド会社(とういんどがいしゃ)|2=日本大百科全書(ニッポニカ)|3=}}</ref><ref>[[広辞苑]] 第四版 [[岩波書店]] 1991</ref>、-かいしゃ<ref>[[斎藤茂吉]] 「[https://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/56884_63901.html つゆじも]」</ref>)は、[[アジア]]地域との[[貿易]]独占権を与えられた[[特許会社]]。以下のようなものがある。 なお、イギリスには「東インド会社」を名乗る会社や商店が現在もあるが、これはイギリス政府の許可を得て20世紀以降に新たに設立されたものである。[[イギリス東インド会社#現在]]を参照。 == 一覧 == * [[イギリス東インド会社]]:1600年~1874年 * [[オランダ東インド会社]]:1602年~1800年 * [[デンマーク東インド会社]]:1616年~1650年、1670年~1729年 * {{仮リンク|ジェノヴァ東インド会社|en|Genoese East India Company}}:1664年 * [[フランス東インド会社]]:1664年~1769年 * {{仮リンク|ポルトガル東インド会社|en|Portuguese East India Company}}:1628年~1633年 * [[スウェーデン東インド会社]]:1731年~1813年 * {{仮リンク|オーストリア東インド会社|en|Austrian East India Company}}:1775年~1785年 == 出典 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[勅許会社]] * [[西インド会社]] * [[オランダ海上帝国]] == 外部リンク == * {{Kotobank|東インド会社(ひがしいんどがいしゃ)}} * {{Kotobank}} {{曖昧さ回避}} {{DEFAULTSORT:ひかしいんとかいしや}} [[Category:17世紀のヨーロッパ]] [[Category:18世紀のヨーロッパ]] [[Category:特許交易・植民会社|*ひかしいんと]] [[Category:かつて存在した各国の企業]] [[Category:重商主義]] [[Category:交易の歴史]] [[Category:植民地]] [[Category:植民主義]] [[Category:植民政策]] [[Category:大航海時代]] [[Category:南海貿易]] [[Category:インドの歴史]]
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オランダ東インド会社
オランダ東インド会社(オランダひがしインドがいしゃ、正式には連合東インド会社、オランダ語: Verenigde Oost-Indische Compagnie、略称VOC)は、1602年3月20日にオランダで設立され、世界初の株式会社といわれる。会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられた勅許会社であり、帝国主義の先駆け。アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万ギルダー、重役会は17人会と呼ばれた。これには同国の銀行のホープ商会も参加した。本社はアムステルダムに設置され、支店の位置づけとなるオランダ商館は、ジャワや平戸などに置かれた。18世紀末の1799年12月31日にオランダ政府により解散させられた。 16世紀後半、スペインと対立し、同国と八十年戦争を行っていたオランダは、スペインによる貿易制限、船舶拿捕など、経済的に打撃を受けていた。 当時、東南アジアの香辛料取引で強い勢力を有していたポルトガルが、1580年にスペインに併合されていたことで、ポルトガルのリスボンなどを通じた香辛料入手も困難になっていた。こうした中、オランダは独自でアジア航路を開拓し、スペイン(と併合されていたポルトガル)に対抗する必要があった。 1595年から1597年まで、オランダは航海を通じてジャワ島のバンテンとの往復に成功を収めると、いくつかの会社が東南アジアとの取引を本格化させた。しかし、複数の商社が東南アジア進出を図ったために現地(東南アジア)での香辛料購入価格が高騰した上、本国(オランダ)で商社同士が価格競争を行ったため売却価格は下落する一方であり、諸外国との経済競争を勝ち抜く上で不安が残された。 さらに、1600年にイギリス東インド会社が設立されたことは、この懸念を深めさせた。 こうした中、ホラント州の政治家オルデンバルネフェルトは、諸外国の動きに対抗する為に複数の商社をまとめて連合東インド会社を設立した。 この会社は、6つの支社(カーメル・オランダ語: kamer)から構成されており、それぞれはアムステルダム、ホールン、エンクハイゼン、デルフト、ロッテルダム、ミデルブルフに置かれた。 設立当初は東インド(インドネシア)における香辛料貿易を目的とし、マラッカを拠点とするポルトガルや各地のイスラム諸王国と戦った。 1605年には、スラウェシ島に上陸した。 1606年、職員のウィレム・ヤンスゾーン(英語版)がオーストラリア北部を調査し、交易の可能性を探ったが、撤退している。 1609年、イギリス人のヘンリー・ハドソン船長の乗るハーヴ・ミーン号(英語版)により北アメリカのハドソン湾を調査し、ニューアムステルダム、ニューネーデルラントの植民地経営の足掛かりを作った。また、イギリス人の三浦按針の仲介により、江戸幕府から、プロテスタントが布教を行わないことを条件に肥前の平戸に日本支店、すなわちオランダ平戸商館を開設し、これを通じた国際貿易を幕府から許可され、蘭学が広まる足掛かりを作った。 1619年には、第4代東インド総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーン(在任1619年-23年、再任1627年-29年)がジャワ島西部のジャカルタにバタヴィア要塞を築いてアジアにおける会社の本拠地とした。 1622年にポルトガルのアジア貿易拠点であった明朝マカオを攻撃したが敗退し、代わりに澎湖島を占拠した。しかし明に撤去を求められたため、翌年には台湾本島に安平古堡(英語: Fort Orange)を築城し、8か月間の明軍との衝突ののち1624年に講和して明の許可を得、ここをアジア貿易の拠点とした。 1623年にモルッカ諸島でアンボイナ事件が勃発し、イギリス東インド会社のイギリス商館の職員を殺害した。イギリスは東南アジアから撤退し、インドの植民地経営に専念することになり、ムガル帝国攻略に向かう転換点となった。 1628年から1629年にかけて、ジャワ島でマタラム王国がバンテン王国への進出を目指し、2度に渡ってバタヴィアに侵攻したが撃退した。 1646年に、マタラム王国と平和協定を締結し、ジャワ島でマタラム王国と独占貿易をすることになった。 また日本やタイとの交易も手がけ、中国に拠点をもつことは認められなかったが、当時無主の地であった台湾を占拠し、対中貿易の拠点とした。南アジアでは主としてセイロン島のポルトガル人を追い払い、島を支配した。日本ではカトリックとスペイン・ポルトガルのつながりに警戒感を強めていた江戸幕府に取り入り島原の乱の制圧を支援するなどして、ポルトガルの追い落としに成功、鎖国下の日本で欧州諸国として唯一、長崎出島での交易を認められた。アジアにおけるポルトガル海上帝国はオランダ東インド会社の攻勢によって没落した。 フランスは同盟国のオランダに触発されてフランス東インド会社を設立したが、オランダとの競合を避けインド貿易に専念した。 なお、オランダ東インド会社が日本に進出した時点で、すでにポルトガルが日本との貿易を行っており、オランダ側は貿易品を充分に確保できなかった。結果、オランダは「私掠」としてポルトガル船などを襲う挙に出ていた。だが、東アジアでは私掠の概念は通用せず、江戸幕府からは1621年に海賊行為を禁止する禁令を出されるなど、オランダの貿易独占が成立する以前には海賊として認識される有様であった。 スペイン、ポルトガルでユダヤ人は改宗が強制され、異端審問などでひどい扱いを受けていた。そこから追放されたユダヤ人はアムステルダムなど各地に散在。ユダヤ人は商人などが多いので、東インド会社もユダヤ人が関係している。日本からのポルトガルの排斥はその意味からも非常に重要なポイントである。 1643年、オランダ東インド会社に所属するマルチン・ゲルリッツエン・フリースは、東インド総督の命を受けて日本の東方沖にあるとされた金銀島探検のために結成された第2回太平洋探検隊の司令官として太平洋を北上し、ヨーロッパ人で初めて択捉島と得撫島を発見した。そして、それぞれスターテン・ラント(オランダ国の土地)とコンパニース・ラント(オランダ東インド会社の土地)と命名して領土宣言をした。 1643年、カンボジアに留まっていた会社員たちが惨殺され、会社は短期間の戦争の後、1670年代までにカンボジアの交易地を放棄した(カンボジア・オランダ戦争)。 1648年、八十年戦争が終わり、ネーデルラント連邦共和国がヴェストファーレン条約によりスペインから独立しオランダ黄金時代が築かれると、1652年の英蘭戦争が始まるなか、17世紀の世界最大の営利会社となった。 1660年よりオランダ東インド会社は、スラウェシ島のマカッサル西海岸でゴワ王国(英語版)との戦争に突入し、1669年にコルネリス・スペルマン(英語版)提督が、スルタンのハサヌディン(英語版)に、オランダ東インド会社のスラウェシ島支配に関するボンガヤ条約(英語版)を署名させた。 1665年から1667年にかけての第二次英蘭戦争で、バンダ諸島(東インド諸島モルッカ諸島)にあるラン島(香辛料貿易)とニューアムステルダム(毛皮貿易)の自治権と交換して獲得し、香辛料貿易(ナツメグ、クローブ等)の独占を図った。イギリスは既に種子を持ち出しており、1815年頃からモーリシャスやグレナダなどでプランテーションを開始すると、香辛料はありふれた商品となってバンダ諸島の価値は相対的に下がっていくことになった。 18世紀には3度に渡るジャワ継承戦争(1703年・1719年・1749年)や華僑虐殺事件によって、マタラム王国が四分割され、ジャワ島での支配体制も確固たるものとなった。 オランダ本国は、オランダ東インド会社が17世紀の成功によって黄金時代を迎えていた一方で、衰微の兆しが訪れていた。 17世紀半ばの3次にわたる英蘭戦争や絶対主義フランス王国との戦争で国力を消耗し、1689年にヴィレム3世がイギリス王に迎えられた後は、イギリス東インド会社に植民地帝国の座を譲り渡した。以後イギリスが大英帝国として、海上覇権を確立する事になる。 1795年にはフランス革命軍により本国を占領された。この混乱のなかで1799年12月31日、オランダ東インド会社は解散、海外植民地はフランスと対抗するイギリスに接収された。ナポレオン戦争後、オランダは無事にイギリスから返還された東インドの領域経営(インドネシア)に主として専念することになる。 VOCはしばしば「世界最初の株式会社」と呼ばれる。 中野常男は株式会社を特徴づける指標として、(1)全社員の有限責任制、(2)会社機関の存在、(3)譲渡自由な等額株式制、(4)確定資本金制と永続性(継続性)の4点を挙げ、オランダ東インド会社は「これら四つの指標が示す会社形態上の特質をともかく具備するに至った」ことで株式会社の起源とされた、としている。 設立経緯および正式社名の「連合」の文言通り、VOCは前身となった各貿易組合の後裔である6つの支社/分社である「カーメル」の集合体だった。 これは当時のオランダ、つまりネーデルラント連邦共和国が、『強力な中央政府をもたない連邦国家であったことを反映して「国家内の国家」とでもいうべきその縮図として成立し』ていたと言える。 このため、会計単位も経済活動の主体も各カーメルごとに分離しており、相互の財務的な連携も不十分で、統一的な会計処理は会社の解散までなされなかった。 VOCの経営陣は各カーメル出身の73人の取締役(Bewindhebbers)で発足し、取締役の定員は約款で60人と定められ、自然減を待って補充された。 最高経営機関は構成員の人数から17人会と呼ばれていた。構成する取締役の任命権は各カーメルの活動規模および設立時の出資金の大小によって定められていた。出資金および人数の割り当ては以下のようになっていた。 となっていた。最後の一人はアムステルダムを除いた他カーメルの持ち回りで任命されることになっており、アムステルダムが単独過半数を得ないようになっていた。 17人会の会合は最初は年2回、後には年3回行われるようになった。開催地は8年サイクルで決まっており、6年間アムステルダムで開催されたのち、2年間はミデルブルフ(ゼーラント)で開催された。 毎年、17人会では輸入する商品リストを作成し、経営に関する重要事項、配当や交易船団の規模、アジア向けの商品の量(金と銀を含む)、商品販売のためのオークションの日程と各カーメルごとの出品枠などの決定がなされていた。 17人会はその活動を支援する下部組織を持っていた。このうち、ハーグ市に置かれたハーグ委員会は東インド地域との書類の往来を管理し記録するという重要な役割を担っていた。 VOCの会計は1会社2会計システムで、本国においてはハンザ商人たちが用いていた旧来の簿記を使い、在外商館では複式簿記を採用して年次報告を行った。会社全体を見る簿記は存在せず、決算は10年単位で非公開制だった。VOCはオランダとアジアの2元体制だったため、アジア取引を統括したバタヴィアが実質上の本社的業務を行い、アジア各地の商館は支店にあたり、アムステルダムほか本国の支社はアジアで仕入れた商品を販売した。 複式簿記は、主に仕訳帳と元帳を使い、日々の財務は日記帳に記録した。支店は主力商品である香辛料帳と、現金出納帳で管理した。上級簿記係という担当がおり、簿記係や書記を統括していた。帳簿係は毎年アムステルダムの委員会に集まり、帳簿が精査された。そのため在外商館では正確な記録が求められた。アジアの商館の中では平戸および長崎商館の帳簿が分析されており、仕訳帳が精緻化していたことが確認された。
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{{出典の明記|date=2015年11月12日 (木) 14:05 (UTC)}} {{Infobox Company | name = オランダ東インド会社 | logo = VOC.svg | caption = <!-- ロゴのキャプション --> | image = <!-- 本社などの画像 --> | image_caption = <!-- 上記画像のキャプション --> | trading_name = <!-- 屋号 --> | native_name = <!-- 現地語社名 -->Verenigde Oost-Indische Compagnie | romanized_name = <!-- ラテン文字名 --> | former_name = <!-- 以前の社名 --> | type = <!-- 企業形態。公開会社、非公開会社、子会社など。 -->[[勅許会社]]、[[株式会社]] | traded_as = <!-- ティッカーシンボル。英語版では主要な株価指数の構成銘柄についても記載。 --> | ISIN = <!-- ISINコード --> | industry = <!-- 業種 --> | genre = <!-- 事業分野 -->[[貿易]] | fate = <!-- その後。かつて存在した企業用の項目。事業終了、合併など。 -->解散 | predecessor = <!-- 前身 --> | successor = <!-- 後継 --> | foundation = <!-- 設立年 -->[[1602年]][[3月20日]] | founder = <!-- 創業者 --> | defunct = <!-- 解散 -->[[1799年]][[12月31日]] | location_city = <!-- 本社のある都市 --> | location_country = <!-- 本社のある国 -->{{NLD1581}}<br/>{{BAT1795}}<br/>(現・{{NLD}}) | location = <!-- 本社の所在地 --> | locations = <!-- 拠点数 --> | area_served = <!-- 事業地域 -->{{DEI}}<br/>[[オランダ領セイロン]] | key_people = <!-- 主要人物 --> シビ=ボーヤ・ディパリ | products = <!-- 製品。個別記事のある製品など主要なものを列挙する。 --> | brands = <!-- ブランド --> | production = <!-- 生産出力。例えば、自動車メーカーの場合は年間の生産台数を記載する。 --> | production_year = <!-- 生産出力が何年のデータなのか西暦で記載する。 --> | services = <!-- サービス --> | revenue = <!-- 売上高 --> | revenue_year = <!-- 売上高が何年のデータなのか西暦で記載する。 --> | operating_income = <!-- 営業利益 --> | income_year = <!-- 営業利益が何年のデータなのか西暦で記載する。 --> | net_income = <!-- 純利益 --> | net_income_year = <!-- 純利益が何年のデータなのか西暦で記載する。 --> | aum = <!-- 運用資産 --> | assets = <!-- 資産総額 --> | assets_year = <!-- 資産総額が何年のデータなのか西暦で記載する。 --> | equity = <!-- 純資産額 --> | equity_year = <!-- 純資産額が何年のデータなのか西暦で記載する。 --> | owner = <!-- 所有者 --> | num_employees = <!-- 従業員数 --> | num_employees_year = <!-- 従業員数が何年のデータなのか西暦で記載する。 --> | parent = <!-- 親会社 --> | divisions = <!-- 部門 -->[[17人会]]<br/>[[ハーグ委員会]] | subsid = <!-- 子会社 --> | homepage = <!-- ウェブサイト。会社の公式サイトなどのURL。 --> | footnotes = <!-- 注釈 --> }} [[ファイル:VOC-Amsterdam.svg|thumb|120px|right|VOCアムステルダム本社の[[ロゴタイプ|ロゴ]]]] [[ファイル:Flag of the Dutch East India Company.svg|thumb|220px|right|{{FIAV|historical}}オランダ東インド会社の旗]] '''オランダ東インド会社'''(オランダひがしインドがいしゃ、正式には'''連合東インド会社'''、{{lang-nl|'''Verenigde Oost-Indische Compagnie'''}}、略称'''VOC''')は、[[1602年]][[3月20日]]に[[オランダ]]で設立され、世界初の[[株式会社]]といわれる。会社といっても商業活動のみでなく、[[条約]]の締結権・軍隊の交戦権・[[植民地]]経営権など[[喜望峰]]以東における諸種の特権を与えられた[[勅許会社]]であり、[[帝国主義]]の先駆け。[[アジア]]での交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万[[ギルダー]]、[[重役]]会は[[17人会]]と呼ばれた。{{要出典範囲|これには同国の銀行の[[ホープ商会]]も参加した。本社は[[アムステルダム]]に設置され|date=2021年4月}}、支店の位置づけとなる[[オランダ商館]]は、[[ジャワ島|ジャワ]]や[[平戸市|平戸]]などに置かれた。[[18世紀]]末の[[1799年]][[12月31日]]にオランダ政府により解散させられた。 == 歴史 == {{see also|オランダの宗教改革|八十年戦争|オランダ黄金時代}} ===設立までの背景=== [[16世紀]]後半、[[スペイン]]と対立し、同国と[[八十年戦争]]を行っていたオランダは、スペインによる貿易制限、船舶拿捕など、経済的に打撃を受けていた。 当時、東南アジアの[[香辛料]]取引で強い勢力を有していた[[ポルトガル]]が、[[1580年]]にスペインに併合されていたことで、ポルトガルの[[リスボン]]などを通じた香辛料入手も困難になっていた。こうした中、オランダは独自でアジア航路を開拓し、スペイン(と併合されていたポルトガル)に対抗する必要があった。 1595年から1597年まで、オランダは航海を通じて[[ジャワ島]]の[[バンテン王国|バンテン]]との往復に成功を収めると、いくつかの会社が東南アジアとの取引を本格化させた。しかし、複数の商社が東南アジア進出を図ったために現地(東南アジア)での香辛料購入価格が高騰した上、本国(オランダ)で商社同士が価格競争を行ったため売却価格は下落する一方であり、諸外国との経済競争を勝ち抜く上で不安が残された。 さらに、[[1600年]]に[[イギリス東インド会社]]が設立されたことは、この懸念を深めさせた。 こうした中、[[ホラント州]]の政治家[[ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルト|オルデンバルネフェルト]]は、諸外国の動きに対抗する為に複数の商社をまとめて'''連合東インド会社'''を設立した。 この会社は、6つの支社(カーメル・{{Lang-nl|kamer}})から構成されており、それぞれは[[アムステルダム]]、[[ホールン]]、[[エンクハイゼン]]、[[デルフト]]、[[ロッテルダム]]、[[ミデルブルフ]]に置かれた。 ===設立後=== 設立当初は東インド([[インドネシア]])における[[香辛料貿易]]を目的とし、[[マラッカ]]を拠点とする[[ポルトガル]]や各地の[[イスラム]]諸王国と戦った。 1605年には、[[スラウェシ島]]に上陸した。 1606年、職員の{{仮リンク|ウィレム・ヤンスゾーン (探検家)|en|Willem_Janszoon|label=ウィレム・ヤンスゾーン}}がオーストラリア北部を調査し、交易の可能性を探ったが、撤退している。 [[1609年]]、[[イギリス人]]の[[ヘンリー・ハドソン]]船長の乗る{{仮リンク|ハーヴ・ミーン号|en|Halve_Maen|preserve=1}}により[[北アメリカ]]の[[ハドソン湾]]を調査し、[[ニューアムステルダム]]、[[ニューネーデルラント]]の植民地経営の足掛かりを作った。また、イギリス人の[[三浦按針]]の仲介により、[[江戸幕府]]から、[[プロテスタント]]が布教を行わないことを条件に[[肥前国|肥前]]の[[平戸藩|平戸]]に日本支店、すなわち[[オランダ商館#平戸オランダ商館|オランダ平戸商館]]を開設し、これを通じた[[植民政策学|国際貿易]]を[[江戸幕府|幕府]]から許可され{{efn|1613年には[[イギリス東インド会社]]も平戸に[[イギリス商館]]を設置したが、1623年の[[アンボイナ事件]]をきっかけに平戸から撤退し、1651年には[[英蘭戦争]]が発生した。}}、[[蘭学]]が広まる足掛かりを作った。 1619年には、第4代東インド総督[[ヤン・ピーテルスゾーン・クーン]](在任1619年-23年、再任1627年-29年)が[[ジャワ島]]西部の[[ジャカルタ]]に[[バタヴィア]]要塞を築いてアジアにおける会社の本拠地とした。 1622年に[[エンリケ1世 (ポルトガル王)|ポルトガル]]のアジア貿易拠点であった[[明朝]][[マカオ]]を攻撃したが敗退し、代わりに[[澎湖島]]を占拠した。しかし[[明]]に撤去を求められたため、翌年には[[台湾]]本島に[[安平古堡]]({{lang-*|英語|[[:w:Fort_Zeelandia_(Taiwan)|Fort Orange]]}})を築城し、8か月間の明軍との衝突ののち1624年に講和して明の許可を得、ここをアジア貿易の拠点とした{{efn|1662年には台湾が建国され、[[鄭成功]]に一掃された。}}。 1623年に[[モルッカ諸島]]で[[アンボイナ事件]]が勃発し、[[イギリス東インド会社]]のイギリス商館の職員を殺害した。イギリスは東南アジアから撤退し、インドの植民地経営に専念することになり、[[ムガル帝国]]攻略に向かう転換点となった。 1628年から1629年にかけて、ジャワ島で[[マタラム王国]]がバンテン王国への進出を目指し、2度に渡ってバタヴィアに侵攻したが撃退した。 1646年に、マタラム王国と平和協定を締結し、ジャワ島でマタラム王国と独占貿易をすることになった。 また日本や[[アユタヤ王朝|タイ]]との交易も手がけ、中国に拠点をもつことは認められなかったが、当時[[無主地|無主の地]]であった[[オランダ統治時代の台湾|台湾]]を占拠し、対中貿易の拠点とした。[[南アジア]]では主としてセイロン島のポルトガル人を追い払い、島を支配した。日本では[[カトリック教会|カトリック]]とスペイン・ポルトガルのつながりに警戒感を強めていた[[江戸幕府]]に取り入り[[島原の乱]]の[[日本の死刑|制圧]]を支援するなどして、ポルトガルの追い落としに成功、[[鎖国]]下の日本で欧州諸国として唯一、[[長崎市|長崎]][[出島]]での交易を認められた。アジアにおける[[ポルトガル海上帝国]]はオランダ東インド会社の攻勢によって没落した。 フランスは同盟国のオランダに触発されて[[フランス東インド会社]]を設立したが、オランダとの競合を避けインド貿易に専念した。 なお、オランダ東インド会社が日本に進出した時点で、すでにポルトガルが日本との貿易を行っており、オランダ側は貿易品を充分に確保できなかった。結果、オランダは「[[私掠船|私掠]]」としてポルトガル船などを襲う挙に出ていた<ref>[https://www.orandatowatashi.nl/about/nichiran-kouryuu 日蘭交流の歴史] [[在日オランダ大使館]]、2021年2月21日閲覧。</ref>。だが、東アジアでは私掠の概念は通用せず、[[江戸幕府]]からは[[1621年]]に海賊行為を禁止する禁令を出されるなど、オランダの貿易独占が成立する以前には[[海賊]]として認識される有様であった{{sfn|東洋文庫|2015|pp=18-30}}。 スペイン、ポルトガルでユダヤ人は[[強制改宗|改宗が強制]]され、[[スペイン異端審問|異端審問]]などでひどい扱いを受けていた。そこから追放されたユダヤ人はアムステルダムなど各地に散在。ユダヤ人は商人などが多いので、東インド会社もユダヤ人が関係している。日本からのポルトガルの排斥はその意味からも非常に重要なポイントである。 1643年、オランダ東インド会社に所属する[[マルチン・ゲルリッツエン・フリース]]は、東インド総督の命を受けて日本の東方沖にあるとされた[[金銀島探検]]のために結成された第2回太平洋探検隊の司令官として太平洋を北上し、ヨーロッパ人で初めて[[択捉島]]と[[得撫島]]を発見した。そして、それぞれスターテン・ラント(オランダ国の土地)とコンパニース・ラント(オランダ東インド会社の土地)と命名して領土宣言をした<ref name="名前なし-1">[http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/doc/D2A176198CF3A59C49257108001851D7?OpenDocument 根室市‐学芸員日誌‐「最初の千島探検」]</ref>。 1643年、カンボジアに留まっていた会社員たちが惨殺され、会社は短期間の戦争の後、1670年代までにカンボジアの交易地を放棄した([[カンボジア・オランダ戦争]])。 1648年、[[八十年戦争]]が終わり、[[ネーデルラント連邦共和国]]が[[ヴェストファーレン条約]]によりスペインから独立し[[オランダ黄金時代]]が築かれると、1652年の[[英蘭戦争]]が始まるなか、17世紀の世界最大の営利会社となった{{efn|オランダは主に造船業によって発達し、またイギリスやオランダはアジア貿易の拠点であった[[ゴア]]や[[マカオ]]、[[香港]]や[[バタヴィア]]や[[香料諸島]]においても独占的な支配力を持つに至った<ref>[[#池田, 1964年|池田, 1964年]]。</ref>}}。 1660年よりオランダ東インド会社は、スラウェシ島のマカッサル西海岸で{{仮リンク|ゴワ王国|en|Gowa Regency}}との戦争に突入し、1669年に{{仮リンク|コルネリス・スペルマン|en|Cornelis Speelman}}提督が、スルタンの{{仮リンク|ハサヌディン|en|Hasanuddin of Gowa}}に、オランダ東インド会社のスラウェシ島支配に関する{{仮リンク|ボンガヤ条約|en|Treaty of Bongaja}}を署名させた。 1665年から1667年にかけての[[第二次英蘭戦争]]で、[[バンダ諸島]]([[東インド諸島]][[モルッカ諸島]])にある[[ラン島]]([[香辛料貿易]])と[[マンハッタン島|ニューアムステルダム]]([[毛皮貿易]])の自治権と交換して獲得し、香辛料貿易([[ナツメグ]]、[[クローブ]]等)の独占を図った。イギリスは既に種子を持ち出しており、[[1815年]]頃から[[モーリシャス]]や[[グレナダ]]などでプランテーションを開始すると、香辛料はありふれた商品となってバンダ諸島の価値は相対的に下がっていくことになった。 18世紀には3度に渡る[[ジャワ継承戦争]](1703年・1719年・1749年)や[[華僑虐殺事件 (バタヴィア)|華僑虐殺事件]]によって、マタラム王国が四分割され、ジャワ島での支配体制も確固たるものとなった。 オランダ本国は、オランダ東インド会社が[[17世紀]]の成功によって黄金時代を迎えていた一方で、衰微の兆しが訪れていた。 [[17世紀]]半ばの3次にわたる[[英蘭戦争]]や[[絶対王政|絶対主義]][[フランス王国]]との戦争で[[国力]]を消耗し、1689年に[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ヴィレム3世]]がイギリス王に迎えられた後は、イギリス東インド会社に植民地帝国の座を譲り渡した。以後イギリスが[[大英帝国]]として、海上[[覇権]]を確立する事になる。 1795年にはフランス革命軍により本国を占領された。この混乱のなかで[[1799年]][[12月31日]]、オランダ東インド会社は解散、海外植民地はフランスと対抗するイギリスに接収された。[[ナポレオン戦争]]後、オランダは無事にイギリスから返還された東インドの領域経営(インドネシア)に主として専念することになる。 == 組織構造 == === 最初の株式会社 === VOCはしばしば「世界最初の[[株式会社]]」と呼ばれる。 [[中野常男]]は株式会社を特徴づける指標として、(1)全社員の有限責任制、(2)会社機関の存在、(3)譲渡自由な等額株式制、(4)確定資本金制と永続性(継続性)の4点を挙げ、オランダ東インド会社は「これら四つの指標が示す会社形態上の特質をともかく具備するに至った」ことで株式会社の起源とされた、としている。{{Sfn|中野|2002|pp=4}} === 17人会とカーメル === {{Main|17人会}} 設立経緯および正式社名の「連合」の文言通り、VOCは前身となった各貿易組合の後裔である6つの支社/分社である「カーメル」の集合体だった。 これは当時のオランダ、つまり[[ネーデルラント連邦共和国]]が、『強力な中央政府をもたない連邦国家であったことを反映して「国家内の国家」とでもいうべきその縮図として成立し』ていた{{Sfn|八重森|2017|pp=80}}と言える。 このため、会計単位も経済活動の主体も各カーメルごとに分離しており、相互の財務的な連携も不十分で、統一的な会計処理は会社の解散までなされなかった{{Sfn|八重森|2017|pp=86-87}}。 VOCの経営陣は各カーメル出身の73人の取締役(Bewindhebbers)で発足し、取締役の定員は約款で60人と定められ、自然減を待って補充された{{Sfn|八重森|2017|pp=80}}。 最高経営機関は構成員の人数から[[17人会]]と呼ばれていた。構成する取締役の任命権は各カーメルの活動規模および設立時の出資金の大小によって定められていた。出資金および人数の割り当ては以下のようになっていた。 {| class="wikitable" !カーメル!!出資金 (単位:[[ギルダー]])!!役員数 |- |アムステルダム||3,679,915||8 |- |ゼーラント||1,300,405||4 |- |エンクハイゼン||540,000||1 |- |デルフト||469,400||1 |- |ホールン||266,868||1 |- |ロッテルダム||173,000||1 |- !総計:!!6,424,588!!16 |} となっていた。最後の一人はアムステルダムを除いた他カーメルの持ち回りで任命されることになっており、アムステルダムが単独過半数を得ないようになっていた。 17人会の会合は最初は年2回、後には年3回行われるようになった。開催地は8年サイクルで決まっており、6年間アムステルダムで開催されたのち、2年間はミデルブルフ(ゼーラント)で開催された。 毎年、17人会では輸入する商品リストを作成し、経営に関する重要事項、配当や交易船団の規模、アジア向けの商品の量(金と銀を含む)、商品販売のためのオークションの日程と各カーメルごとの出品枠などの決定がなされていた。 17人会はその活動を支援する下部組織を持っていた。このうち、[[デン・ハーグ|ハーグ市]]に置かれた[[ハーグ委員会]]は東インド地域との書類の往来を管理し記録するという重要な役割を担っていた<ref>Heijer, Henk J. den (2005), p. 84</ref>。 == 会計 == VOCの会計は1会社2会計システムで、本国においては[[ハンザ同盟|ハンザ商人]]たちが用いていた旧来の簿記を使い{{Sfn|八重森|2017|pp=80}}、在外商館では[[複式簿記]]を採用して年次報告を行った。会社全体を見る簿記は存在せず、決算は10年単位で非公開制だった。VOCはオランダとアジアの2元体制だったため、アジア取引を統括したバタヴィアが実質上の本社的業務を行い、アジア各地の商館は支店にあたり、アムステルダムほか本国の支社はアジアで仕入れた商品を販売した{{Sfn|橋本|2019|pp=75-76}}。 複式簿記は、主に仕訳帳と元帳を使い、日々の財務は日記帳に記録した。支店は主力商品である香辛料帳と、現金出納帳で管理した。上級簿記係という担当がおり、簿記係や書記を統括していた。帳簿係は毎年アムステルダムの委員会に集まり、帳簿が精査された。そのため在外商館では正確な記録が求められた。アジアの商館の中では平戸および長崎商館の帳簿が分析されており、仕訳帳が精緻化していたことが確認された{{Sfn|橋本|2019|pp=76-81}}。 == 主要年表 == * 1596年 最初のオランダ船、東インド到着 * 1600年 [[リーフデ号]]日本漂着 * 1602年 オランダ東インド会社設立 * 1603年 ** ジャワ島西部バンテンに商館開設 ** [[パタニ王国]]に商館開設 * 1605年 ポルトガルよりアンボイナ島を奪取 * 1608年 [[アユタヤ]]に商館を建設。アユタヤはオランダ本国に外交使節派遣 * 1609年 ** 平戸オランダ商館開設<ref>{{Cite web|和書|title=オランダ東インド会社からみた近世海域アジアの貿易と日本|url=https://www.nippon.com/ja/features/c00105/|website=nippon.com|date=2013-05-06|accessdate=2020-06-15|language=ja}}</ref> ** 現在の[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク]]を発見し、[[ハドソン川]]流域や[[北西航路]]を探検 * 1614年 現在の[[ニューヨーク]]を占領し、オランダ([[ネーデルラント連邦共和国]])領「[[ニューネーデルラント]]」として領土宣言 * 1619年 イスラムの[[バンテン王国]]の[[ジャカルタ]]を占領し、要塞を築いてアジアにおける本拠地を確立 * 1621年 [[ニューネーデルラント]](現在の[[ニューヨーク]])の所管がオランダ東インド会社から[[オランダ西インド会社]]に移る * 1623年 [[アンボイナ事件]] * 1624年 台湾を占領し、[[ゼーランディア城]]建設 * 1641年 ** オランダ商館[[平戸]]から[[長崎市|長崎]][[出島]]に移転 ** ポルトガル領[[マラッカ]]占領 * 1642年 [[アベル・タスマン]]の[[テラ・アウストラリス]]探検隊を派遣 * 1643年 2月、[[マルチン・ゲルリッツエン・フリース]]が [[択捉島]]と[[得撫島]]に上陸。「コンパニースラント」と命名し、領土宣言<ref name="名前なし-1"/>。8月15日、蝦夷地(現在の[[北海道]])の[[厚岸町|厚岸]]に寄港し、9月2日までの18日間滞在。 * 1648年 [[ヴェストファーレン条約]](スペイン、オランダ独立承認) * 1652年 [[南アフリカ]]のケープ植民地設立 * 1653年 [[ヘンドリック・ハメル]]らが乗船した「スペルウェール」号が、[[朝鮮王朝]]の[[済州島]]に漂着する。 * 1656年 [[ポルトガル領セイロン]]の[[コロンボ]]占領、[[オランダ領セイロン]]成立 * 1661年 [[鄭成功]]、台湾を占領 * 1665年 第二次英蘭戦争(~67年) * 1704年 第一次ジャワ戦争(~08年) * 1719年 第二次ジャワ戦争(~23年) * 1740年 バタヴィアの華人反乱、虐殺 * 1749年 第三次ジャワ戦争(~55年) * 1760年 アユタヤ商館閉鎖 * 1795年 [[フランス革命]]軍がオランダ([[ネーデルラント連邦共和国]])を占領してフランスの衛星国[[バタヴィア共和国]]が建国を宣言すると、オランダ東インド会社の経営も[[バタヴィア共和国]]に移管される * 1797年 オランダ商館がアメリカ船と[[バタヴィア]]にて[[傭船]]契約を結ぶ * 1799年 オランダ東インド会社解散 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ;注釈 {{Notelist|2}} ;脚注 {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Citation| 和書 | author1 = [[橋本武久]] | ref = {{sfnref|橋本|2019}} | chapter = ネーデルラント会計史の現代的意義 | title = 近代会計史入門 (第2版) | series = | publisher = 同文舘出版 | editor1 = [[中野常男]] | editor2 = [[清水泰洋]] | pages = | periodical = | year = 2019 | isbn = }} * {{Citation| 和書 | author1 = 八重森力 | ref = {{sfnref|八重森|2017}} | chapter = オランダ東インド会社の会計処理とその経営 | title = 山梨学院大学現代ビジネス研究 | series = 第10号 | pages = 79-96 | publisher = 山梨学院大学現代ビジネス研究会 | editor1 = | editor2 = | periodical = | year = 2017 | isbn = }} * {{Citation| 和書 | author1 = 中野常男 | ref = {{sfnref|中野|2002}} | chapter = 株式会社と企業統治:その歴史的考察―オランダ・イギリス両東インド会社にみる会社機関の態様と機能― | title = 経営研究 | 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== * [[オランダ領東インド]] * [[オランダ領東インド総督]] * [[オランダの歴史]] - [[オランダ海上帝国]] * [[インドネシアの歴史]] - [[インドネシア独立戦争]] * [[ヘンドリック・ブラウエル]](総督在任:1632年9月27日 - 1636年1月1日) * [[ジョージ・クリフォード3世]] * [[オランダ東インド会社の交易所と居留地の一覧]] * [[イサーク・ティチング]] == 外部リンク == {{Commonscat}} * [http://batavia.ugent.be/ Dutch East India Company] {{en icon}} * [http://nagasakidejima.jp/guide-to-dejima/history-of-dejima 出島の歴史(© 2018 出島 Dejima ~つながる出島~)] * {{Kotobank}} {{オランダ植民地帝国}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おらんたひかしいんとかいしや}} [[Category:オランダ東インド会社|*]] [[Category:日蘭関係]] [[Category:日本・東南アジア関係]] [[Category:大航海時代]] [[Category:帆船時代]] [[Category:1602年設立]] [[Category:1799年廃止]]
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ハーブの一覧
ハーブの一覧(ハーブのいちらん)ではハーブ名を挙げる。別称があれば記事名の後に添え、括弧内に原語表記などを、その後に学名(斜体)を示す。 なお、香辛料#代表的な香辛料も参照のこと。
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'''ハーブの一覧'''(ハーブのいちらん)では[[ハーブ]]名を挙げる。別称があれば記事名の後に添え、括弧内に原語表記などを、その後に[[学名]](斜体)を示す。 なお、[[香辛料#代表的な香辛料]]も参照のこと。 == 食用ハーブ == ===[[アオイ科]]=== *[[ウスベニタチアオイ]]、マーシュマロー  ''Althaea officinalis'' *[[ローゼル]]、ハイビスカス  ''Hibiscus sabdariffa'' ===[[アブラナ科]]=== *[[クレソン]]  ''Nasturtium officinale '' *[[ルッコラ]] ''Eruca vesicaria'' ===[[キク科]]=== *[[アーティチョーク]] (Artichoke、Globe artichoke) ''Cynara scolymus'' *[[キンセンカ]] (金盞花)カレンデュラ、ポットマリーゴールド ''Calendula officinalis'' *[[タラゴン]] (tarragon) ''Artemisia dracunculus'' *[[チコリ]]( chicory) ''Cichorium intybus'' *[[ステビア]] ''Stevia rebaudiana'' *[[セイヨウタンポポ]]、ダンデライオン (西洋たんぽぽ、dandelion) ''Taraxacum officinale'' ===[[シソ科]]=== [[ファイル:Basil leaves on plate.JPG|thumb|[[バジル]]]] *[[エゴマ]] (荏胡麻) ''Perilla frutescens var. frutescens'' *[[オレガノ]] (oregano) ''Origanum vulgare'', ''O. heracleoticum'', 他 *[[シソ]] (しそ、紫蘇) ''Perilla frutescens var. acuta'' *[[セイボリー]]、セイバリー、サボリー (savory) ''Satureja hortensis'', ''S. montana'' *[[セージ]] (sage) ''Salviofficinalis'' *[[タイム (植物)|タイム]] (thyme) ''Thymus vulgaris'' *[[バジル]]({{lang|en|basil}}) ''Ocimum basilicum'' *[[ヒソップ]] (hyssop) ''Hyssopus officinalis'' *[[マジョラム]] (marjoram) ''Origanum majorana'' *[[ミント]] (mint) ''Mentha spp.'' *[[レモンバーム]] (lemon balm) ''Melissa officinalis'' *[[ローズマリー]] (rosemary) ''Rosmarinus officinalis'' ===[[セリ科]]=== [[ファイル:Petersilie Kraus.jpg|thumb|[[パセリ]]]] *[[アニス]] (anise hyssop) ''Agastache foeniculum'' *[[シシウド属|アンゼリカ]] (angelica) ''Angelica officinalis'' *[[イタリアンパセリ]] ''Petroselinum neapolitanum'' *[[イノンド]]、ディル(dill) ''Anethum graveolens'' *[[キャラウェイ]]、ヒメウイキョウ (Caraway; 姫茴香) ''Carum carvi'' *[[クミン]](cumin) ''Cuminum cyminum'' *[[コリアンダー]]、香菜、パクチー、シラントロ、コエンドロ({{lang-en|coriander}}; {{lang-zh|香菜}}({{unicode|xiāngcài}}); {{lang-th|ผักชี}}; {{lang-es|cilantro}}) ''Coriandrum sativum'' *[[セリ]] (せり、芹) ''Oenanthe javanica'' *[[チャービル]] ([[:en:Chervil|chervil]]) ''Anthriscus cerefolium'' *[[パセリ]] (parsley) ''Petroselinum crispum'' *[[フェンネル]]、ウイキョウ (fennel; 茴香) ''Foeniculum vulgare'' *[[ミツバ]] (みつば、三つ葉) ''Cryptotaenia japonica'' *[[ロベッジ]]、ラビジ([[:en:Lovage|lovage]]) ''Levisticum officinale'' ===[[タデ科]]=== *[[ギシギシ]]、セイバ ''Rumex japonicus'' *[[ソレル]]([[:en:Sorrel|sorrel]]) ''Rumex acetosa'' *[[ルバーブ]] ''R.rhabarbarum'' ===[[ネギ科]]=== *[[チャイブ]] (chives) ''Allium schoenoprasum'' *[[ニラ]] (にら、韮) ''Allium tuberosum'' ===[[バラ科]]=== *[[オランダワレモコウ]]、サラダバーネット ''S. minor Scop.'' *[[サンザシ]] (さんざし、山楂子) ''Crataegus'' spp. ===[[フトモモ科]]=== *[[オールスパイス]] (allspice) ''Pimenta dioica'' *[[レモンマートル]] (lemon myrtle) ''Backhousia citriodora'' ===[[ミカン科]]=== *[[オオバゲッキツ]]、カレーリーフ(curry leaf) ''Murraya koenigii'' *[[サンショウ]](山椒) ''Zanthoxylum piperitum '' ===その他=== *[[キンレンカ]]、ナスタチウム (nasturtium) ''Tropaeolum majus'' *[[ゲッケイジュ]]、ベイリーフ、ローレル、ローリエ(月桂樹; {{lang-en|bay leaf}}; {{lang-fr|laurier}}) ''Laurus nobilis'' *[[ケッパー]] (caper) ''Capparis spinosa'' *[[スペインカンゾウ]] 、リコリス(liquorice, licorice) ''Glycyrrhiza glabra L.'' *セイヨウイラクサ、[[ネトル]] *[[ホップ]] ''Humulus lupulus'' *[[ルイボス]] ''Aspalathus linearis'' *[[ルリジサ]]、ボリジ ([[:en:Borage|borage]]) ''Borago officinalis'' — 花と種子には毒性なし *[[レモングラス]] (lemon grass) ''Cymbopogon citratus'', ''C. flexuosus'', 他 *[[レモンバーベナ]] (lemon verbena) ''Lippia citriodora'' == 薬用・香用のハーブ == ===[[キク科]]=== *[[カモミール]]、カミツレ (german chamomile) ''Matricaria recutita'' (''Chamomilla recutita'') *[[カレープラント]] ( curry plant)''Helichrysum italicum'' *[[シロバナムシヨケギク]]、除虫菊、ピレスラム  ''Tanacetum cinerariifolium'' *[[セイヨウノコギリソウ]]、ヤロー (yarrow) ''Achillea millefolium'' *[[セイヨウフキ]]、バターバー (butterbur) ''Petasites hybridus'' *[[タンジー]]、ヨモギギク、エゾヨモギギク (tansy) ''Tanacetum vulgare'' &mdash; 毒性が強い *[[ナツシロギク]]、フィーバーフュー ([[:en:Feverfew|feverfew]]) ''Tanacetum parthenium'' (''Chrysanthemum parthenium'') *[[ニガヨモギ]]、ワームウッド (wormwood) ''Artemisia'' *[[ベニバナ]]、サフラワー  ''Carthamus tinctorius'' *[[ムラサキバレンギク]]、エキナセア、エキナシア (purple coneflower) ''Echinacea purpurea'' ほか同属種 ===[[シソ科]]=== *[[イヌハッカ]]、キャットニップ (catnip) ''Nepeta cataria'' *[[クラリセージ]]、オニサルビア (clary sage) ''Salvia sclarea'' *[[グレコマ]] (Glechoma) *[[タイマツバナ]]、ベルガモット''Monarda didyma'' *[[チクマハッカ]]、キャットミント ''Nepeta mussinii'' *[[パチョリ]](patchouli, patchouly, pachouli) ''Pogostemon cablin'' *ホアハウンド ([[:en:horehound|horehound]]) ''Marrubium vulgare'' *[[ラベンダー]] (lavender) ''Lavandula'' spp. *[[ラムズイヤー]](lamb's-ear) ''Stachys byzantina'' ===[[ムラサキ科]]=== *[[コンフリー]] (Comfrey) ''Symphytum officinale'' *[[ヘリオトロープ]] (Heliotrope) ''H. arborescens'' ===その他=== *[[アシュワガンダ]] ''Withania somnifera'' spp. *[[インドセンダン]]、ニーム ''Azadirachta indica'' *[[ゲットウ]] (月桃) ''Alpinia zerumbet'' *[[セイヨウカノコソウ]] ''Valeriana officinalis'' spp. *[[セイヨウシナノキ]]、リンデンバウム ''Tilia × europaea,( syn. T. × vulgaris = T. cordata × T. platyphyllos'' *[[セイヨウニワトコ]]、エルダー ''Sambucus nigra'' *[[セント・ジョーンズ・ワート]]、セイヨウオトギリソウ (St. John's wort) ''Hypericum perforatum'' *[[ドクダミ]]''Houttuynia cordata'' *[[トケイソウ]]、[[パッションフラワー]] (時計草、passion flower) ''Passiflora'' spp. *[[ハマビシ]] (はまびし、浜菱) ''Tribulus terrestris'' *[[ベチバー]] (Vetiver) ''etiveria zizanioides'' *[[ヘンルーダ]] ({{lang-nl|wijnruit}}) ''Ruta'' spp. *[[マツリカ]](まつりか、茉莉花)、アラビアジャスミン ''Jasminum sambac'' *[[レディスマントル]] セイヨウハゴロモグサ(Lady’s mantle)''Alchemilla xanthochlora'' ほか同属種 == 毒草 == *[[ジギタリス]] ''Digitalis purpurea'' &mdash; *[[ジャーマンダー]] ([[:en:Germander|germander]]) ''Teucrium chamaedrys'' *[[ヒレハリソウ]]、コンフリー (comfrey) ''Symphytum officinale'' *[[フキタンポポ]]、コルツフット ([[:en:Coltsfoot|coltsfoot]]) ''Tussilago farfara'' *[[ヨウシュヤマゴボウ]]、アメリカヤマゴボウ、ポークルート (pokeweed, pokeroot). ''Phytolacca americana'' == 関連項目 == *[[香辛料#代表的な香辛料]] * [[薬草#薬用植物の例]] **[[アダプトゲン#アダプトゲンであるとされるハーブ類]] * [[精油#精油が採れる植物]] <!-- ※↓「ハープ#関連項目」に記載があるし、一覧が掲載されていないのでここでは削除します。 * [[アロマテラピー]] --> [[Category:ハーブ|*はふのいちらん]] [[Category:植物の一覧|はふ]] [[Category:食文化関連の一覧|はふ]]
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天文
天文()
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天文 天に現れる様々な文様やパターン。天(宇宙)や天体に起こるさまざまな現象。⇒ 天文現象 天空に現れるさまざまな現象を見て吉凶を占うことやその技。→天文道、天文博士 日本の元号。→天文 (元号)
{{Wiktionary|天文}} {{読み仮名|'''天文'''|てんもん}} * 天に現れる様々な文様やパターン。天(宇宙)や天体に起こるさまざまな現象。⇒ '''[[天文現象]]''' * 天空に現れるさまざまな現象を見て吉凶を占うことやその技。→[[天文道]]、[[天文博士]] * [[日本]]の[[元号]]。→[[天文 (元号)]] == 関連項目 == * [[天文台]](天の様子を観察するための施設) * [[天文瓊統]] * [[天文方]] * [[天文家]] * [[天文学]]、[[天文学者]] * {{Prefix}} * {{Intitle}} {{曖昧さ回避}} {{デフォルトソート:てんもん}}
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リボ核酸
リボ核酸(RNA: Ribonucleic acid)は、リボースを糖成分とする核酸である。リボヌクレオチドが多数重合したもので、一本鎖をなし、アデニン、グアニン、シトシン、ウラシルの四種の塩基を含む。 一般にDNA(デオキシリボ核酸)を鋳型として合成され、その遺伝情報の伝達やタンパク質の合成を行う。 核酸は1868年(一説によると1869年)にフリードリッヒ・ミーシャーにより発見された。細胞核内から発見されたため、核酸と命名された。その後、核を持たない原核生物からも核酸が発見されたが、名称が変わることはなかった。1939年、Torbjörn Caspersson、Jean Brachet、Jack Schultz らによりRNAがタンパク質合成に関与しているという説が提唱された。その後 Hubert Chantrenne はRNAがリボソームに対してタンパク質情報を伝達するという役割があることを解明した。1964年にはロバート・W・ホリーが出芽酵母の tRNA の配列と構造を解明し、1968年にノーベル生理学賞を受賞した。1976年にはバクテリオファージMS2のレプリカーゼ遺伝子のRNA配列が決定された。 RNAの核酸塩基はアデニン (A)、グアニン (G)、シトシン (C)、ウラシル (U) の4種で構成されている。アデニン、グアニン、シトシンは DNA にも同じ構造が見られるが、DNAにおけるチミン (T) がRNAではウラシルに置き換わっており、相補的な塩基はアデニンとなる。チミンとウラシルは共にピリミジン環を持つ非常に似た塩基である。 シトシンが化学分解されるとウラシルが生成されてしまうため、DNAではウラシルの代わりにチミンが用いられるようになった。これによりシトシンの分解により誤って生成してしまったウラシルを検出し、修復することが可能になるなどの利点が生じた。 主に生化学において、生体高分子の特定の官能基をメチル化やアセチル化などで変化させ、機能を活性や反応性を変化させることを「化学修飾」(あるいは単に「修飾」)という。RNAには修飾がなされた様々な修飾RNAが存在し、それぞれが異なる役割を持つ。シュードウリジン(プソイドウリジン, en:Pseudouridine, Ψ)や2'-O-メチル化修飾は比較的多く見られる修飾である。リボチミジン(T, rT)、シュードウリジン(Ψ)はtRNAのTΨCループによく見られる。アデノシンが脱アミノ化されたイノシン (I) は、RNAエディティングにより生ずるものとtRNAの部位特異的に生ずるものが知られ、グアノシンに似た性質を持つ。他にも約100種の修飾塩基が存在しているが、全容は解明されていない。 RNAは通常一本の鎖状に連なるポリヌクレオチドであり、RNA鎖上に遺伝子コードがあるものをプラス鎖RNA、相補的なRNA鎖にコードが現れるものをマイナス鎖RNAと呼ぶ。 一本鎖のRNAは自由度が高く高次構造を形成する。 RNAの構造的特徴として、DNAには存在しない 2'位のヒドロキシ基が存在するというものがある。 DNAとRNAはともにヌクレオチドの重合体である核酸であるが、両者の生体内の役割は明確に異なっている。DNAは主に核の中で情報の蓄積・保存、RNAはその情報の一時的な処理を担い、DNAと比べて、必要に応じて合成・分解される頻度は顕著である。DNAとRNAの化学構造の違いの意味することの第一は「RNAはDNAに比べて不安定である」。両者の安定の度合いの違いが、DNAは静的でRNAは動的な印象を与える。 DNAとRNAの化学構造の違いの第一は、ヌクレオチド中の糖は、RNAはリボースで、DNAは2'位の水酸基が水素で置換された2'-デオキシリボースである点にある。このため、DNAではリボースがC2'-エンド型構造を取るが、RNAでは2'位のヒドロキシ基の存在により立体障害が生じ、リボースがC3'-エンド型構造を取る。これに伴って、DNAはB型らせん構造を取りやすく、RNAはA型らせん構造を取りやすくなるという違いが生じる。この結果RNAのらせん構造はメジャーグルーブが深く狭くなり、マイナーグルーブが浅く広くなる。らせん構造についての詳細は、記事二重らせんに詳しいものが載っている。 DNAと比較すると、RNAは一般に不安定である。RNAに存在する2'位水酸基の酸素には孤立電子対が2つあるため、例えば、塩基性条件下、隣接したリン酸は水酸基から求核攻撃を受け、ホスホジエステル結合が切れ、主鎖が開裂するなどDNAと比べて不安定である。この特性から、翻訳の役割を終えたmRNAを直ちに分解することが可能になる(バクテリアでは数分、動物細胞でも数時間後には分解される)。安定RNAでは1本鎖に水素結合を形成し、らせん構造となるなど、多様な二次構造、三次構造を取り、安定性を増している。 構成する塩基にも違いがある。RNAを構成する塩基はA、C、G、Uの4種だが、大多数の生物のDNAではUの代わりにTが用いられる。これは配列情報の同一性を保持するためと考えられる。 というのも、塩基Cは脱アミノ化という反応によってUに変化することがある。最初からUだったものとCから変異したUは(1本鎖のRNAであれば)区別不可能で、元の配列が分からなくなってしまう。これに対しDNAで用いられる塩基Tは、分子の構造的にUに自然に変わることは容易には起こらないので、Uを本来含んでいないDNAであればCが脱アミノ化を起こしても容易に認識できる。以上のことから、Uの代わりにTを用いる方が有利なのでDNAではそれが一般的になったと考えられる。 DNAとRNAの物理化学的性質について。DNAとRNAはともに紫外線である波長260nm付近に吸収極大を持ち、230nm付近に吸収極小を持つ。この吸光度はタンパク質の280nmよりもずっと大きいが、これはDNAとRNAがプリンまたはピリミジンを塩基として有するためである。ただし、二重らせんを形成しているDNAの場合、溶液を加熱するとその吸光度は増す(濃色効果)。これは、DNAは規則正しい2重らせん構造を有しているため、全体の吸光度が個々の塩基の吸光度の総和より小さい(淡色効果)が、加熱により2重らせん構造が解け(核酸の変性)、個々の塩基が自由になり、独自に光を吸収するためである。また、DNAとRNAはアルカリ溶液中で挙動が異なる。RNAは弱塩基でも容易に加水分解するが、DNAは安定して存在する。 RNAは転写という作用によって合成される。転写は専らDNAを鋳型として行われ、そこには複数の酵素が関与する。 DNAを基に転写が行われる場合、DNAヘリカーゼという酵素が2本鎖を一時的に1本鎖に分割し、その1本鎖にRNAポリメラーゼという別の酵素が結合することでDNAに相補的なRNAが合成される。 RNAを鋳型とするRNAポリメラーゼも存在する。例えば、ある種のRNAウイルス(ポリオウイルスなど)はこのようなタイプのRNAポリメラーゼを用いて、自らの持つRNAを増幅させる。また多くの生命体では、この種のRNAポリメラーゼがRNA干渉に必要だということが知られている。 鋳型となる塩基配列には、RNAの合成をどこから始めてどこで終えるかの目印が存在する(プロモーター・ターミネーター)。 伝令RNAは、メッセンジャーRNA、mRNAとも呼ばれ、細胞中でタンパク質合成部位であるリボソームにDNAの情報を伝える役割をするRNAである。遺伝情報をもとにタンパク質が合成される場合には、RNAポリメラーゼの働きにより、DNAに対して相補的な配列を持つmRNAが転写され、次にリボソームにより、mRNAの配列に基づいたタンパク質の合成が行われる(翻訳)。このように、DNAがいったんRNAへと転写され、RNAを鋳型としてタンパク質への翻訳が行われるという、一連の遺伝情報の流れをセントラルドグマと呼ぶ。セントラルドグマはタンパク質が遺伝子産物であることを前提としているため、ノンコーディングRNA遺伝子の場合には当てはまらないと解釈されている。一定の時間が経過すると、mRNAはRNA分解酵素の働きによりヌクレオチドへと分解される。多くの場合、mRNAは短命であるが(大腸菌では約5分ともいわれている)、哺乳類の精子中に見られるように、極端に安定なmRNAも知られている。 運搬RNAは、トランスファーRNA、tRNAとも呼ばれ、タンパク質を合成する翻訳の際に、特定のアミノ酸をリボソーム内部へと導入するRNAである。74-93塩基からなる短いRNA鎖である。アミノ酸結合部位と、mRNAのコドンと水素結合を作るためのアンチコドン部位を持つ。非コードRNA(下記参照)の一種である。 リボソームRNA (rRNA) は、細胞内でタンパク質合成を行うリボソームを構成しているRNAである。真核生物のリボソームのrRNAは4本のRNA鎖 (18S, 5.8S, 28S, 5S) から構成されている。このうちの3つは核小体で合成され、残りの1つは他の部位で合成される。rRNAは非常に大量に存在する種のRNAであり、典型的な真核細胞に存在するRNAの少なくとも80%がrRNAとして存在している(tRNA: 10数%、mRNA: 数%)。 ノンコーディングRNA (ncRNA) は、タンパク質に翻訳されないRNAの総称である。最も有名なものとしては、前述の運搬RNAとリボソームRNAが挙げられる。この2つはどちらも翻訳に関連しているが、1990年代後半からは新しいタイプのノンコーディングRNAの発見が相次ぎ、ノンコーディングRNAは以前に考えられていたよりも重要な役割を果たしている可能性があると考えられるようになった。 1990年代後半から2000年代前半にかけて、ヒトをはじめとする高等生物の細胞では複雑な転写が行われている証拠が得られてきた。これは生物学においてRNAがより広い領域で、特に遺伝子発現の調節に用いられているという可能性を指摘するものであった。特にノンコーディングRNAの一種であるマイクロRNA (miRNA) は、線虫からヒトに至るまでの多くの後生動物で見られ、他の遺伝子の制御といった重要な役割を果たしていることが明らかにされた。 2004年にRassoulzadeganのグループは、RNAが生殖細胞系に何らかの影響を及ぼしているという説をNature誌に投稿した。これが実際に確認されれば、従来の遺伝学に大きな影響を与え、DNA-RNAの役割や相互作用に関する多くの謎が解明されると考えられている。2015年、ペンシルバニア大学のTracy L. Baleらは、精子中のマイクロRNAの発現量が子に伝わり、父の獲得形質が子に受け継がれることを明らかにした。彼女らは、オスのマウスに過度なストレスを与えて、そのマウスをメスのマウスと交配させた。生まれたマウスに過度なストレスを与えたところ、ストレスに対する耐性が父のマウスよりも高くなっていた。彼女らは、その原因としてマイクロRNAを挙げた。彼女らは父のマウスの精子中のマイクロRNAの発現量が増加していることを発見し、このマイクロRNAが受精卵内のmRNAを破壊している事実を明らかにした。これらのことは、父が獲得した形質がマイクロRNAを通して子に伝わることを示唆している。 タンパク質によく用いられる20種のアミノ酸と比較すると、RNAは4つの核酸塩基しか持たないにもかかわらず、ある種のRNAは酵素活性を持っており、それらはリボザイム (ribozyme = ribose + enzyme) と呼ばれている。RNA鎖の切断や結合を行うRNA触媒も存在しており、ペプチド鎖の合成を行うリボソーム中でもRNAが触媒活性中心となっている。 二重鎖RNA (dsRNA) は、2本の相補的な配列を持つRNA鎖がDNAに見られるような二重鎖を組んだものである。dsRNAはある種のRNAウイルスの持つ遺伝情報部位やミトコンドリアDNA内のrRNA、tRNAなどに見られる。真核生物ではRNA干渉の引き金となったり、siRNA生成の中間体となっている(siRNAはmiRNAとしばしば混同される。siRNAは二重鎖であるが、miRNAは1本鎖である)。未成熟miRNAなどでは、1本鎖であっても分子内でヘアピン構造を取る部分が存在している。 RNAワールド仮説は、生命が発生した頃にはRNAが遺伝情報の維持(現在のDNAの役割)と、酵素のような生化学的触媒の両方の役割を担っていたとする仮説である。これは無生物的な環境下に於いてRNAがDNAと比較して容易に合成されることなどを根拠としている。 この仮説では生物は遺伝情報(ゲノム)の貯蔵媒体としてRNAを使用し、その後の変異と進化によりDNAとタンパク質が徐々に台頭してきたと考えられている。ただしRNAはDNAと違って相補性が確保されておらず、修飾を受けやすい不安定な分子であり、生物においてゲノムを安定に保持する機能は主にDNAが担っている。一方で、非生物の特性を併せ持つウイルスでは、ゲノムを持つRNAウイルスとしては、プラス鎖のもの(コロナウイルスなど)とマイナス鎖のもの(インフルエンザウイルスなど)の両方が見つかっている。現時点(2006年)では、ゲノムの保持にDNAではなくてRNAを用いているのはウイルスだけであると考えられている(ウイルスにはゲノムの保持媒体にRNAを用いているものとDNAを用いているものの2種類がある)。 機能性の1本鎖RNAは、タンパク質と同じように特別な三次構造を取ることが要求される。三次構造の形成では、水素結合が駆動力となっている。二次構造で表現可能な「部位」として、ヘアピンループやバルジ、インターナルループなどが存在する。RNAの二次構造は水素結合部位やドメインなどの組み合わせを自由エネルギーについて計算し、コンピューターである程度予測することができる。 RNAi(RNA interfernce、RNA干渉)とはsiRNA(small interfering RNA)または二本鎖RNA(double stranded RNA、dsRNA)によって配列特異的に遺伝子の発現が抑制される現象である。 二本鎖RNA(double stranded RNA、dsRNA)はDicerと呼ばれるRNase III酵素によって約21〜25塩基長の短鎖二本鎖RNAに切断される。この短鎖二本鎖RNA断片をsiRNA(small interfering RNA)とよぶ。そのsiRNA二量体はRISC (RNA-induced silencing complex)と呼ばれるArgonaute(Ago)タンパク質を含む複合体に取り込まれる。その後、ターゲットとなるmRNAと塩基対合するsiRNA(ガイド鎖)を残し、その反対鎖であるパッセンジャー鎖はAgoタンパク質によって切断され分解される。残ったガイド鎖の5’末端と3’末端の1塩基はAgoタンパク質のポケット構造にはまり込んで固定される。特に5’末端がアデニンまたはウラシルである場合にはAgoタンパク質と高い親和性固定される。さらに、5’末端から2〜8塩基目の塩基はAgoタンパク質の構造と電荷をうまく利用して表面に載ることができる。この2〜8塩基目の塩基の部分はシード配列と呼ばれ、塩基配列の相補性をもつmRNAを識別し、最初に塩基対合する場所である。その後、siRNAは残りの9〜20塩基目もターゲットとなるmRNAと塩基対合する。塩基対合したmRNAはAgoタンパク質によって切断される。この過程を遺伝子ノックダウンという。 DicerはdsRNAをsiRNAへと、またはpre-miRNAをmiRNAへと切断するRNase III酵素である。 RISC(RNA-induced silencing complex)はショウジョウバエにおいてdsRNAを導入することによって誘導される配列特異的に標的RNAを分解する活性をもった複合体としてHannonらによって提唱された。RISCの中核となるのはArgonaute(Ago)タンパク質である。その他の構成要素としてRNA結合タンパク質、RNAヘリカーゼ、ヌクレアーゼなど様々なタンパク質が同定されている。 短鎖RNAは由来によって名称が異なる。人工的に作られたものやin vivoでdsRNA前駆体から生じたものはsiRNAという。miRNAは遺伝子から作られる前駆体RNAに由来する。この遺伝子が発現する細胞内で特定の遺伝子調節機能を発揮する。miRNAはmiRNA遺伝子から長い一次転写産物であるpri-miRNAとして転写される。pri-miRNAの中には将来miRNAとなる配列が含まれておりその部分はヘアピン状の高次構造をとっている。DroshaというRNase III酵素がヘアピン構造を切断しpre-miRNAにする。核内のpre-miRNAはExportin-5によって細胞質に運ばれ細胞質でDicerによってpre-miRNAは切断されmiRNAとなる。miRNAはRISCを形成し、標的RNAを認識するガイド分子として働く。このようにsiRNAもmiRNAも21塩基前後の長さの機能性ncRNAであり、RISCの中のsiRNAとmiRNAを化学組成や機能で見分けることはできず、あくまで由来で分類する。 ターゲット遺伝子に対する抑制効果に加えてシード領域のみが対合した遺伝子群もオフターゲット効果と呼ばれる機構によって抑制される場合が多い。オフターゲット効果ではmRNAは切断されるのではなく、翻訳が抑制されることによって遺伝子機能が抑制されると考えられている。 哺乳動物細胞に30bp以上の長いdsRNAを導入すると一部の細胞集団を除いてほとんどの細胞で細胞死が起こる。これはインターフェロン応答または抗ウイルス反応とよばれるディフェンス機構と考えられている。 リボヌクレオチドおよびその結合体であるポリヌクレオチド、DNA・RNAなどのリボ核酸は、生物を原料とするほとんどの食品に微量含まれている。重量比では、酵母(Baker's yeast/Saccharomyces cerevisiae)や海苔(Purple laver)などでリボ核酸の検出値が比較的高い。 リボ核酸を摂取すると、体内でいったんヌクレオチドに分解されて、DNA・RNAを合成する材料となる。核酸摂取と核酸合成との関係は未解明な点が多く今後の研究が待たれる。 RNAを多量に含む食品が商業的に生産されている。RNAを効率的に分離するためのRNA源としてビール酵母などの酵母が利用されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "リボ核酸(RNA: Ribonucleic acid)は、リボースを糖成分とする核酸である。リボヌクレオチドが多数重合したもので、一本鎖をなし、アデニン、グアニン、シトシン、ウラシルの四種の塩基を含む。 一般にDNA(デオキシリボ核酸)を鋳型として合成され、その遺伝情報の伝達やタンパク質の合成を行う。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "核酸は1868年(一説によると1869年)にフリードリッヒ・ミーシャーにより発見された。細胞核内から発見されたため、核酸と命名された。その後、核を持たない原核生物からも核酸が発見されたが、名称が変わることはなかった。1939年、Torbjörn Caspersson、Jean Brachet、Jack Schultz らによりRNAがタンパク質合成に関与しているという説が提唱された。その後 Hubert Chantrenne はRNAがリボソームに対してタンパク質情報を伝達するという役割があることを解明した。1964年にはロバート・W・ホリーが出芽酵母の tRNA の配列と構造を解明し、1968年にノーベル生理学賞を受賞した。1976年にはバクテリオファージMS2のレプリカーゼ遺伝子のRNA配列が決定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "RNAの核酸塩基はアデニン (A)、グアニン (G)、シトシン (C)、ウラシル (U) の4種で構成されている。アデニン、グアニン、シトシンは DNA にも同じ構造が見られるが、DNAにおけるチミン (T) がRNAではウラシルに置き換わっており、相補的な塩基はアデニンとなる。チミンとウラシルは共にピリミジン環を持つ非常に似た塩基である。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "シトシンが化学分解されるとウラシルが生成されてしまうため、DNAではウラシルの代わりにチミンが用いられるようになった。これによりシトシンの分解により誤って生成してしまったウラシルを検出し、修復することが可能になるなどの利点が生じた。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "主に生化学において、生体高分子の特定の官能基をメチル化やアセチル化などで変化させ、機能を活性や反応性を変化させることを「化学修飾」(あるいは単に「修飾」)という。RNAには修飾がなされた様々な修飾RNAが存在し、それぞれが異なる役割を持つ。シュードウリジン(プソイドウリジン, en:Pseudouridine, Ψ)や2'-O-メチル化修飾は比較的多く見られる修飾である。リボチミジン(T, rT)、シュードウリジン(Ψ)はtRNAのTΨCループによく見られる。アデノシンが脱アミノ化されたイノシン (I) は、RNAエディティングにより生ずるものとtRNAの部位特異的に生ずるものが知られ、グアノシンに似た性質を持つ。他にも約100種の修飾塩基が存在しているが、全容は解明されていない。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "RNAは通常一本の鎖状に連なるポリヌクレオチドであり、RNA鎖上に遺伝子コードがあるものをプラス鎖RNA、相補的なRNA鎖にコードが現れるものをマイナス鎖RNAと呼ぶ。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "一本鎖のRNAは自由度が高く高次構造を形成する。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "RNAの構造的特徴として、DNAには存在しない 2'位のヒドロキシ基が存在するというものがある。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "DNAとRNAはともにヌクレオチドの重合体である核酸であるが、両者の生体内の役割は明確に異なっている。DNAは主に核の中で情報の蓄積・保存、RNAはその情報の一時的な処理を担い、DNAと比べて、必要に応じて合成・分解される頻度は顕著である。DNAとRNAの化学構造の違いの意味することの第一は「RNAはDNAに比べて不安定である」。両者の安定の度合いの違いが、DNAは静的でRNAは動的な印象を与える。", "title": "DNAとの比較" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "DNAとRNAの化学構造の違いの第一は、ヌクレオチド中の糖は、RNAはリボースで、DNAは2'位の水酸基が水素で置換された2'-デオキシリボースである点にある。このため、DNAではリボースがC2'-エンド型構造を取るが、RNAでは2'位のヒドロキシ基の存在により立体障害が生じ、リボースがC3'-エンド型構造を取る。これに伴って、DNAはB型らせん構造を取りやすく、RNAはA型らせん構造を取りやすくなるという違いが生じる。この結果RNAのらせん構造はメジャーグルーブが深く狭くなり、マイナーグルーブが浅く広くなる。らせん構造についての詳細は、記事二重らせんに詳しいものが載っている。", "title": "DNAとの比較" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "DNAと比較すると、RNAは一般に不安定である。RNAに存在する2'位水酸基の酸素には孤立電子対が2つあるため、例えば、塩基性条件下、隣接したリン酸は水酸基から求核攻撃を受け、ホスホジエステル結合が切れ、主鎖が開裂するなどDNAと比べて不安定である。この特性から、翻訳の役割を終えたmRNAを直ちに分解することが可能になる(バクテリアでは数分、動物細胞でも数時間後には分解される)。安定RNAでは1本鎖に水素結合を形成し、らせん構造となるなど、多様な二次構造、三次構造を取り、安定性を増している。", "title": "DNAとの比較" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "構成する塩基にも違いがある。RNAを構成する塩基はA、C、G、Uの4種だが、大多数の生物のDNAではUの代わりにTが用いられる。これは配列情報の同一性を保持するためと考えられる。", "title": "DNAとの比較" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "というのも、塩基Cは脱アミノ化という反応によってUに変化することがある。最初からUだったものとCから変異したUは(1本鎖のRNAであれば)区別不可能で、元の配列が分からなくなってしまう。これに対しDNAで用いられる塩基Tは、分子の構造的にUに自然に変わることは容易には起こらないので、Uを本来含んでいないDNAであればCが脱アミノ化を起こしても容易に認識できる。以上のことから、Uの代わりにTを用いる方が有利なのでDNAではそれが一般的になったと考えられる。", "title": "DNAとの比較" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "DNAとRNAの物理化学的性質について。DNAとRNAはともに紫外線である波長260nm付近に吸収極大を持ち、230nm付近に吸収極小を持つ。この吸光度はタンパク質の280nmよりもずっと大きいが、これはDNAとRNAがプリンまたはピリミジンを塩基として有するためである。ただし、二重らせんを形成しているDNAの場合、溶液を加熱するとその吸光度は増す(濃色効果)。これは、DNAは規則正しい2重らせん構造を有しているため、全体の吸光度が個々の塩基の吸光度の総和より小さい(淡色効果)が、加熱により2重らせん構造が解け(核酸の変性)、個々の塩基が自由になり、独自に光を吸収するためである。また、DNAとRNAはアルカリ溶液中で挙動が異なる。RNAは弱塩基でも容易に加水分解するが、DNAは安定して存在する。", "title": "DNAとの比較" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "RNAは転写という作用によって合成される。転写は専らDNAを鋳型として行われ、そこには複数の酵素が関与する。", "title": "生合成" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "DNAを基に転写が行われる場合、DNAヘリカーゼという酵素が2本鎖を一時的に1本鎖に分割し、その1本鎖にRNAポリメラーゼという別の酵素が結合することでDNAに相補的なRNAが合成される。", "title": "生合成" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "RNAを鋳型とするRNAポリメラーゼも存在する。例えば、ある種のRNAウイルス(ポリオウイルスなど)はこのようなタイプのRNAポリメラーゼを用いて、自らの持つRNAを増幅させる。また多くの生命体では、この種のRNAポリメラーゼがRNA干渉に必要だということが知られている。", "title": "生合成" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "鋳型となる塩基配列には、RNAの合成をどこから始めてどこで終えるかの目印が存在する(プロモーター・ターミネーター)。", "title": "生合成" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "伝令RNAは、メッセンジャーRNA、mRNAとも呼ばれ、細胞中でタンパク質合成部位であるリボソームにDNAの情報を伝える役割をするRNAである。遺伝情報をもとにタンパク質が合成される場合には、RNAポリメラーゼの働きにより、DNAに対して相補的な配列を持つmRNAが転写され、次にリボソームにより、mRNAの配列に基づいたタンパク質の合成が行われる(翻訳)。このように、DNAがいったんRNAへと転写され、RNAを鋳型としてタンパク質への翻訳が行われるという、一連の遺伝情報の流れをセントラルドグマと呼ぶ。セントラルドグマはタンパク質が遺伝子産物であることを前提としているため、ノンコーディングRNA遺伝子の場合には当てはまらないと解釈されている。一定の時間が経過すると、mRNAはRNA分解酵素の働きによりヌクレオチドへと分解される。多くの場合、mRNAは短命であるが(大腸菌では約5分ともいわれている)、哺乳類の精子中に見られるように、極端に安定なmRNAも知られている。", "title": "生化学的な活性" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "運搬RNAは、トランスファーRNA、tRNAとも呼ばれ、タンパク質を合成する翻訳の際に、特定のアミノ酸をリボソーム内部へと導入するRNAである。74-93塩基からなる短いRNA鎖である。アミノ酸結合部位と、mRNAのコドンと水素結合を作るためのアンチコドン部位を持つ。非コードRNA(下記参照)の一種である。", "title": "生化学的な活性" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "リボソームRNA (rRNA) は、細胞内でタンパク質合成を行うリボソームを構成しているRNAである。真核生物のリボソームのrRNAは4本のRNA鎖 (18S, 5.8S, 28S, 5S) から構成されている。このうちの3つは核小体で合成され、残りの1つは他の部位で合成される。rRNAは非常に大量に存在する種のRNAであり、典型的な真核細胞に存在するRNAの少なくとも80%がrRNAとして存在している(tRNA: 10数%、mRNA: 数%)。", "title": "生化学的な活性" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ノンコーディングRNA (ncRNA) は、タンパク質に翻訳されないRNAの総称である。最も有名なものとしては、前述の運搬RNAとリボソームRNAが挙げられる。この2つはどちらも翻訳に関連しているが、1990年代後半からは新しいタイプのノンコーディングRNAの発見が相次ぎ、ノンコーディングRNAは以前に考えられていたよりも重要な役割を果たしている可能性があると考えられるようになった。", "title": "生化学的な活性" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1990年代後半から2000年代前半にかけて、ヒトをはじめとする高等生物の細胞では複雑な転写が行われている証拠が得られてきた。これは生物学においてRNAがより広い領域で、特に遺伝子発現の調節に用いられているという可能性を指摘するものであった。特にノンコーディングRNAの一種であるマイクロRNA (miRNA) は、線虫からヒトに至るまでの多くの後生動物で見られ、他の遺伝子の制御といった重要な役割を果たしていることが明らかにされた。", "title": "生化学的な活性" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2004年にRassoulzadeganのグループは、RNAが生殖細胞系に何らかの影響を及ぼしているという説をNature誌に投稿した。これが実際に確認されれば、従来の遺伝学に大きな影響を与え、DNA-RNAの役割や相互作用に関する多くの謎が解明されると考えられている。2015年、ペンシルバニア大学のTracy L. Baleらは、精子中のマイクロRNAの発現量が子に伝わり、父の獲得形質が子に受け継がれることを明らかにした。彼女らは、オスのマウスに過度なストレスを与えて、そのマウスをメスのマウスと交配させた。生まれたマウスに過度なストレスを与えたところ、ストレスに対する耐性が父のマウスよりも高くなっていた。彼女らは、その原因としてマイクロRNAを挙げた。彼女らは父のマウスの精子中のマイクロRNAの発現量が増加していることを発見し、このマイクロRNAが受精卵内のmRNAを破壊している事実を明らかにした。これらのことは、父が獲得した形質がマイクロRNAを通して子に伝わることを示唆している。", "title": "生化学的な活性" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "タンパク質によく用いられる20種のアミノ酸と比較すると、RNAは4つの核酸塩基しか持たないにもかかわらず、ある種のRNAは酵素活性を持っており、それらはリボザイム (ribozyme = ribose + enzyme) と呼ばれている。RNA鎖の切断や結合を行うRNA触媒も存在しており、ペプチド鎖の合成を行うリボソーム中でもRNAが触媒活性中心となっている。", "title": "生化学的な活性" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "二重鎖RNA (dsRNA) は、2本の相補的な配列を持つRNA鎖がDNAに見られるような二重鎖を組んだものである。dsRNAはある種のRNAウイルスの持つ遺伝情報部位やミトコンドリアDNA内のrRNA、tRNAなどに見られる。真核生物ではRNA干渉の引き金となったり、siRNA生成の中間体となっている(siRNAはmiRNAとしばしば混同される。siRNAは二重鎖であるが、miRNAは1本鎖である)。未成熟miRNAなどでは、1本鎖であっても分子内でヘアピン構造を取る部分が存在している。", "title": "生化学的な活性" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "RNAワールド仮説は、生命が発生した頃にはRNAが遺伝情報の維持(現在のDNAの役割)と、酵素のような生化学的触媒の両方の役割を担っていたとする仮説である。これは無生物的な環境下に於いてRNAがDNAと比較して容易に合成されることなどを根拠としている。", "title": "RNAワールド仮説" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この仮説では生物は遺伝情報(ゲノム)の貯蔵媒体としてRNAを使用し、その後の変異と進化によりDNAとタンパク質が徐々に台頭してきたと考えられている。ただしRNAはDNAと違って相補性が確保されておらず、修飾を受けやすい不安定な分子であり、生物においてゲノムを安定に保持する機能は主にDNAが担っている。一方で、非生物の特性を併せ持つウイルスでは、ゲノムを持つRNAウイルスとしては、プラス鎖のもの(コロナウイルスなど)とマイナス鎖のもの(インフルエンザウイルスなど)の両方が見つかっている。現時点(2006年)では、ゲノムの保持にDNAではなくてRNAを用いているのはウイルスだけであると考えられている(ウイルスにはゲノムの保持媒体にRNAを用いているものとDNAを用いているものの2種類がある)。", "title": "RNAワールド仮説" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "機能性の1本鎖RNAは、タンパク質と同じように特別な三次構造を取ることが要求される。三次構造の形成では、水素結合が駆動力となっている。二次構造で表現可能な「部位」として、ヘアピンループやバルジ、インターナルループなどが存在する。RNAの二次構造は水素結合部位やドメインなどの組み合わせを自由エネルギーについて計算し、コンピューターである程度予測することができる。", "title": "RNAの高次構造" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "RNAi(RNA interfernce、RNA干渉)とはsiRNA(small interfering RNA)または二本鎖RNA(double stranded RNA、dsRNA)によって配列特異的に遺伝子の発現が抑制される現象である。", "title": "RNA干渉" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "二本鎖RNA(double stranded RNA、dsRNA)はDicerと呼ばれるRNase III酵素によって約21〜25塩基長の短鎖二本鎖RNAに切断される。この短鎖二本鎖RNA断片をsiRNA(small interfering RNA)とよぶ。そのsiRNA二量体はRISC (RNA-induced silencing complex)と呼ばれるArgonaute(Ago)タンパク質を含む複合体に取り込まれる。その後、ターゲットとなるmRNAと塩基対合するsiRNA(ガイド鎖)を残し、その反対鎖であるパッセンジャー鎖はAgoタンパク質によって切断され分解される。残ったガイド鎖の5’末端と3’末端の1塩基はAgoタンパク質のポケット構造にはまり込んで固定される。特に5’末端がアデニンまたはウラシルである場合にはAgoタンパク質と高い親和性固定される。さらに、5’末端から2〜8塩基目の塩基はAgoタンパク質の構造と電荷をうまく利用して表面に載ることができる。この2〜8塩基目の塩基の部分はシード配列と呼ばれ、塩基配列の相補性をもつmRNAを識別し、最初に塩基対合する場所である。その後、siRNAは残りの9〜20塩基目もターゲットとなるmRNAと塩基対合する。塩基対合したmRNAはAgoタンパク質によって切断される。この過程を遺伝子ノックダウンという。", "title": "RNA干渉" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "DicerはdsRNAをsiRNAへと、またはpre-miRNAをmiRNAへと切断するRNase III酵素である。", "title": "RNA干渉" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "RISC(RNA-induced silencing complex)はショウジョウバエにおいてdsRNAを導入することによって誘導される配列特異的に標的RNAを分解する活性をもった複合体としてHannonらによって提唱された。RISCの中核となるのはArgonaute(Ago)タンパク質である。その他の構成要素としてRNA結合タンパク質、RNAヘリカーゼ、ヌクレアーゼなど様々なタンパク質が同定されている。", "title": "RNA干渉" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "短鎖RNAは由来によって名称が異なる。人工的に作られたものやin vivoでdsRNA前駆体から生じたものはsiRNAという。miRNAは遺伝子から作られる前駆体RNAに由来する。この遺伝子が発現する細胞内で特定の遺伝子調節機能を発揮する。miRNAはmiRNA遺伝子から長い一次転写産物であるpri-miRNAとして転写される。pri-miRNAの中には将来miRNAとなる配列が含まれておりその部分はヘアピン状の高次構造をとっている。DroshaというRNase III酵素がヘアピン構造を切断しpre-miRNAにする。核内のpre-miRNAはExportin-5によって細胞質に運ばれ細胞質でDicerによってpre-miRNAは切断されmiRNAとなる。miRNAはRISCを形成し、標的RNAを認識するガイド分子として働く。このようにsiRNAもmiRNAも21塩基前後の長さの機能性ncRNAであり、RISCの中のsiRNAとmiRNAを化学組成や機能で見分けることはできず、あくまで由来で分類する。", "title": "RNA干渉" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ターゲット遺伝子に対する抑制効果に加えてシード領域のみが対合した遺伝子群もオフターゲット効果と呼ばれる機構によって抑制される場合が多い。オフターゲット効果ではmRNAは切断されるのではなく、翻訳が抑制されることによって遺伝子機能が抑制されると考えられている。", "title": "RNA干渉" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "哺乳動物細胞に30bp以上の長いdsRNAを導入すると一部の細胞集団を除いてほとんどの細胞で細胞死が起こる。これはインターフェロン応答または抗ウイルス反応とよばれるディフェンス機構と考えられている。", "title": "RNA干渉" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "リボヌクレオチドおよびその結合体であるポリヌクレオチド、DNA・RNAなどのリボ核酸は、生物を原料とするほとんどの食品に微量含まれている。重量比では、酵母(Baker's yeast/Saccharomyces cerevisiae)や海苔(Purple laver)などでリボ核酸の検出値が比較的高い。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "リボ核酸を摂取すると、体内でいったんヌクレオチドに分解されて、DNA・RNAを合成する材料となる。核酸摂取と核酸合成との関係は未解明な点が多く今後の研究が待たれる。", "title": "経口摂取と産業利用" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "RNAを多量に含む食品が商業的に生産されている。RNAを効率的に分離するためのRNA源としてビール酵母などの酵母が利用されている。", "title": "経口摂取と産業利用" } ]
リボ核酸は、リボースを糖成分とする核酸である。リボヌクレオチドが多数重合したもので、一本鎖をなし、アデニン、グアニン、シトシン、ウラシルの四種の塩基を含む。 一般にDNA(デオキシリボ核酸)を鋳型として合成され、その遺伝情報の伝達やタンパク質の合成を行う。
{{Redirect|RNA}} '''リボ核酸'''('''RNA''': Ribonucleic acid)は、[[リボース]]を糖成分とする'''[[核酸]]'''である。[[リボヌクレオチド|'''リボ'''ヌクレオチド]]が多数重合したもので、一本鎖をなし、[[アデニン]]、[[グアニン]]、[[シトシン]]、[[ウラシル]]の四種の[[塩基]]を含む。 一般に[[デオキシリボ核酸|DNA]](デオキシリボ'''核酸''')を[[鋳型]]として合成され、その遺伝情報の伝達や[[タンパク質]]の合成を行う。 == 歴史 == {{main|遺伝子#歴史}} [[核酸]]は1868年(一説によると1869年)に[[フリードリッヒ・ミーシャー]]により発見された。[[細胞核]]内から発見されたため、核酸と命名された。その後、核を持たない[[原核生物]]からも核酸が発見されたが、名称が変わることはなかった。1939年、Torbjörn Caspersson、Jean Brachet、Jack Schultz らによりRNAがタンパク質合成に関与しているという説が提唱された。その後 Hubert Chantrenne はRNAが[[リボソーム]]に対してタンパク質情報を伝達するという役割があることを解明した。1964年には[[ロバート・W・ホリー]]が[[出芽酵母]]の [[転移RNA|tRNA]] の配列と構造を解明し、1968年に[[ノーベル生理学賞]]を受賞した。1976年には[[バクテリオファージMS2]]のレプリカーゼ遺伝子のRNA配列が決定された<ref>Fiers W et al., Complete nucleotide-sequence of bacteriophage MS2-RNA - primary and secondary structure of replicase gene, ''Nature'', '''1976''', ''260'', 500-507.</ref>。 == 構造 == === 核酸塩基 === [[ファイル:RNA-comparedto-DNA_thymineAndUracilCorrected.png|thumb|290px|核酸の構造と核酸塩基。左:RNA / 右:DNA]] RNAの[[核酸]][[塩基]]は[[アデニン]] (A)、[[グアニン]] (G)、[[シトシン]] (C)、[[ウラシル]] (U) の4種で構成されている。アデニン、グアニン、シトシンは [[デオキシリボ核酸|DNA]] にも同じ構造が見られるが、DNAにおける[[チミン]] (T) がRNAではウラシルに置き換わっており、相補的な塩基はアデニンとなる。チミンとウラシルは共に[[ピリミジン]]環を持つ非常に似た塩基である。 シトシンが化学分解されるとウラシルが生成されてしまうため、DNAではウラシルの代わりにチミンが用いられるようになった。これによりシトシンの分解により誤って生成してしまったウラシルを検出し、修復することが可能になるなどの利点が生じた。 === 修飾RNA === 主に生化学において、生体高分子の特定の[[官能基]]を[[メチル化]]や[[アセチル化]]などで変化させ、機能を活性や反応性を変化させることを「化学修飾」(あるいは単に「修飾」)という<ref>{{Cite Kotobank|word=化学修飾|encyclopedia=化学辞典 第2版|access-date=2020年7月9日}}</ref>。RNAには修飾がなされた様々な修飾RNAが存在し、それぞれが異なる役割を持つ。[[シュードウリジン]](プソイドウリジン, [[:en:Pseudouridine]], Ψ)や2'-''O''-メチル化修飾は比較的多く見られる修飾である。[[リボチミジン]](T, rT)、シュードウリジン(Ψ)は[[tRNA]]のTΨCループによく見られる。アデノシンが脱アミノ化された[[イノシン]] (I) は、[[RNAエディティング]]により生ずるものとtRNAの部位特異的に生ずるものが知られ、[[グアノシン]]に似た性質を持つ。他にも約100種の修飾塩基が存在しているが、全容は解明されていない。 === プラス鎖RNAとマイナス鎖RNA === RNAは通常一本の鎖状に連なる[[ポリヌクレオチド]]であり<ref>{{Cite web|和書| title=RNAの特徴| url=https://ruo.mbl.co.jp/bio/product/epigenetics/article/RNA.html| publisher=[[医学生物学研究所]]| accessdate=2020-03-18}}</ref>、RNA鎖上に遺伝子コードがあるものを'''プラス鎖RNA'''、相補的なRNA鎖にコードが現れるものを'''マイナス鎖RNA'''と呼ぶ。 一本鎖のRNAは自由度が高く高次構造を形成する。 === 官能基 === RNAの構造的特徴として、DNAには存在しない 2'位の[[ヒドロキシ基]]が存在するというものがある。 == DNAとの比較 == [[デオキシリボ核酸|DNA]]と'''RNA'''はともに[[ヌクレオチド]]の重合体である[[核酸]]であるが、両者の生体内の役割は明確に異なっている。DNAは主に核の中で情報の蓄積・保存、RNAはその情報の一時的な処理を担い、DNAと比べて、必要に応じて合成・分解される頻度は顕著である。DNAとRNAの化学構造の違いの意味することの第一は「RNAはDNAに比べて不安定である」。両者の安定の度合いの違いが、DNAは静的でRNAは動的な印象を与える。 === 化学構造の相違 === DNAとRNAの化学構造の違いの第一は、ヌクレオチド中の糖は、RNAは[[リボース]]で、DNAは2'位の[[水酸基]]が水素で置換された2'-[[デオキシリボース]]である点にある。このため、DNAではリボースがC2'-エンド型構造を取るが、RNAでは2'位のヒドロキシ基の存在により立体障害が生じ、リボースがC3'-エンド型構造を取る。これに伴って、DNAはB型らせん構造を取りやすく、RNAは[[A-DNA|A型らせん]]構造を取りやすくなるという違いが生じる。この結果RNAのらせん構造はメジャーグルーブが深く狭くなり、マイナーグルーブが浅く広くなる。らせん構造についての詳細は、記事[[二重らせん]]に詳しいものが載っている。 DNAと比較すると、RNAは一般に不安定である。RNAに存在する2'位水酸基の酸素には[[孤立電子対]]が2つあるため、例えば、塩基性条件下、隣接したリン酸は水酸基から求核攻撃を受け、[[ホスホジエステル結合]]が切れ、主鎖が開裂するなどDNAと比べて不安定である。この特性から、翻訳の役割を終えたmRNAを直ちに分解することが可能になる(バクテリアでは数分、動物細胞でも数時間後には分解される)。安定RNAでは1本鎖に水素結合を形成し、らせん構造となるなど、多様な二次構造、三次構造を取り、安定性を増している。<!--(安定RNAの具体的な構造および安定RNAとmRNA以外のRNAはどうなのか一言お願いします。)--> 構成する塩基にも違いがある。RNAを構成する塩基はA、C、G、Uの4種だが、大多数の生物のDNAではUの代わりにTが用いられる。これは配列情報の同一性を保持するためと考えられる。 というのも、塩基Cは脱アミノ化という反応によってUに変化することがある。最初からUだったものとCから変異したUは(1本鎖のRNAであれば)区別不可能で、元の配列が分からなくなってしまう。これに対しDNAで用いられる塩基Tは、分子の構造的にUに自然に変わることは容易には起こらないので、Uを本来含んでいないDNAであればCが脱アミノ化を起こしても容易に認識できる。以上のことから、Uの代わりにTを用いる方が有利なのでDNAではそれが一般的になったと考えられる。 === 物理化学的性質の相違 === DNAとRNAの物理化学的性質について。DNAとRNAはともに[[紫外線]]である波長260nm付近に吸収極大を持ち、230nm付近に吸収極小を持つ。この吸光度はタンパク質の280nmよりもずっと大きいが、これはDNAとRNAが[[プリン (化学)|プリン]]または[[ピリミジン]]を塩基として有するためである。ただし、二重らせんを形成しているDNAの場合、溶液を加熱するとその吸光度は増す(濃色効果)。これは、DNAは規則正しい2重らせん構造を有しているため、全体の吸光度が個々の塩基の吸光度の総和より小さい(淡色効果)が、加熱により2重らせん構造が解け(核酸の変性)、個々の塩基が自由になり、独自に光を吸収するためである。また、DNAとRNAはアルカリ溶液中で挙動が異なる。RNAは弱塩基でも容易に加水分解するが、DNAは安定して存在する。 == 生合成 == {{main|転写 (生物学)}} RNAは[[転写 (生物学)|転写]]という作用によって合成される。転写は専らDNAを鋳型として行われ、そこには複数の[[酵素]]が関与する。 DNAを基に転写が行われる場合、[[DNAヘリカーゼ]]という酵素が2本鎖を一時的に1本鎖に分割し、その1本鎖に[[RNAポリメラーゼ]]という別の酵素が結合することでDNAに相補的なRNAが合成される。 RNAを鋳型とするRNAポリメラーゼも存在する。例えば、ある種の[[RNAウイルス]]([[ポリオウイルス]]など)はこのようなタイプのRNAポリメラーゼを用いて、自らの持つRNAを増幅させる。また多くの生命体では、この種のRNAポリメラーゼが[[RNA干渉]]に必要だということが知られている。 鋳型となる塩基配列には、RNAの合成をどこから始めてどこで終えるかの目印が存在する([[プロモーター]]・[[ターミネーター (遺伝学)|ターミネーター]])。 == 生化学的な活性 == === 伝令RNA (mRNA) === {{main|mRNA}} [[伝令RNA]]は、'''メッセンジャーRNA'''、'''mRNA'''とも呼ばれ、細胞中でタンパク質合成部位である[[リボソーム]]にDNAの情報を伝える役割をするRNAである。遺伝情報をもとにタンパク質が合成される場合には、RNAポリメラーゼの働きにより、DNAに対して相補的な配列を持つmRNAが転写され、次にリボソームにより、mRNAの配列に基づいたタンパク質の合成が行われる([[翻訳 (生物学)|翻訳]])。このように、DNAがいったんRNAへと転写され、RNAを鋳型としてタンパク質への翻訳が行われるという、一連の遺伝情報の流れを[[セントラルドグマ]]と呼ぶ。[[セントラルドグマ]]はタンパク質が遺伝子産物であることを前提としているため、[[ノンコーディングRNA]]遺伝子の場合には当てはまらないと解釈されている。一定の時間が経過すると、mRNAはRNA分解酵素の働きにより[[ヌクレオチド]]へと分解される。多くの場合、mRNAは短命であるが(大腸菌では約5分ともいわれている)、哺乳類の精子中に見られるように、極端に安定なmRNAも知られている。 === 運搬RNA (tRNA) === {{main|tRNA}} [[運搬RNA]]は、'''トランスファーRNA'''、'''tRNA'''とも呼ばれ、タンパク質を合成する[[翻訳 (生物学)|翻訳]]の際に、特定の[[アミノ酸]]をリボソーム内部へと導入するRNAである。74-93塩基からなる短いRNA鎖である。アミノ酸結合部位と、mRNAのコドンと水素結合を作るための[[アンチコドン]]部位を持つ。非コードRNA(下記参照)の一種である。 === リボソームRNA (rRNA) === {{main|rRNA}} [[リボソームRNA]] (rRNA) は、細胞内でタンパク質合成を行う[[リボソーム]]を構成しているRNAである。[[真核生物]]のリボソームのrRNAは4本のRNA鎖 (18S, [[5.8SリボソームRNA|5.8S]], 28S, [[5SリボソームRNA|5S]]) から構成されている。このうちの3つは[[核小体]]で合成され、残りの1つは他の部位で合成される。rRNAは非常に大量に存在する種のRNAであり、典型的な真核細胞に存在するRNAの少なくとも80%がrRNAとして存在している(tRNA: 10数%、mRNA: 数%)。 === ノンコーディングRNA (ncRNA) === {{main|ノンコーディングRNA}} [[ノンコーディングRNA]] (ncRNA) は、タンパク質に翻訳されないRNAの総称である。最も有名なものとしては、前述の運搬RNAとリボソームRNAが挙げられる。この2つはどちらも翻訳に関連しているが、1990年代後半からは新しいタイプのノンコーディングRNAの発見が相次ぎ、ノンコーディングRNAは以前に考えられていたよりも重要な役割を果たしている可能性があると考えられるようになった。 1990年代後半から2000年代前半にかけて、ヒトをはじめとする高等生物の細胞では複雑な転写が行われている証拠が得られてきた。これは生物学においてRNAがより広い領域で、特に遺伝子発現の調節に用いられているという可能性を指摘するものであった。特にノンコーディングRNAの一種である[[miRNA|マイクロRNA]] (miRNA) は、[[線虫]]からヒトに至るまでの多くの[[後生動物]]で見られ、他の遺伝子の制御といった重要な役割を果たしていることが明らかにされた。 2004年にRassoulzadeganのグループは、RNAが生殖細胞系に何らかの影響を及ぼしているという説を[[ネイチャー|Nature]]誌に投稿した。これが実際に確認されれば、従来の[[遺伝学]]に大きな影響を与え、DNA-RNAの役割や相互作用に関する多くの謎が解明されると考えられている。2015年、ペンシルバニア大学のTracy L. Baleらは、精子中のマイクロRNAの発現量が子に伝わり、父の獲得形質が子に受け継がれることを明らかにした<ref>Ali B. Rodgers, Christopher P. Morgan, N. Adrian Leu, and Tracy L. Bale. Transgenerational epigenetic programming via sperm microRNA recapitulates effects of paternal stress. Proceedings of the National Academy of Sciences 112.44 (2015): 13699-13704.</ref>。彼女らは、オスのマウスに過度なストレスを与えて、そのマウスをメスのマウスと交配させた。生まれたマウスに過度なストレスを与えたところ、ストレスに対する耐性が父のマウスよりも高くなっていた。彼女らは、その原因としてマイクロRNAを挙げた。彼女らは父のマウスの精子中のマイクロRNAの発現量が増加していることを発見し、このマイクロRNAが受精卵内のmRNAを破壊している事実を明らかにした。これらのことは、父が獲得した形質がマイクロRNAを通して子に伝わることを示唆している。 === 触媒作用を持つRNA === {{main|リボザイム}} タンパク質によく用いられる20種のアミノ酸と比較すると、RNAは4つの核酸塩基しか持たないにもかかわらず、ある種のRNAは[[酵素|酵素活性]]を持っており、それらは[[リボザイム]] (ribozyme = ribose + enzyme) と呼ばれている。RNA鎖の切断や結合を行うRNA触媒も存在しており、[[ペプチド]]鎖の合成を行うリボソーム中でもRNAが触媒活性中心となっている。 === 二重鎖RNA (dsRNA) === 二重鎖RNA (dsRNA) は、2本の相補的な配列を持つRNA鎖がDNAに見られるような二重鎖を組んだものである。dsRNAはある種のRNAウイルスの持つ遺伝情報部位やミトコンドリアDNA内のrRNA、tRNAなどに見られる。真核生物では[[RNA干渉]]の引き金となったり、[[siRNA]]生成の中間体となっている(siRNAはmiRNAとしばしば混同される。siRNAは二重鎖であるが、miRNAは1本鎖である)。未成熟miRNAなどでは、1本鎖であっても分子内でヘアピン構造を取る部分が存在している。 == RNAワールド仮説 == {{main|RNAワールド}} [[RNAワールド]]仮説は、生命が発生した頃にはRNAが遺伝情報の維持(現在のDNAの役割)と、酵素のような生化学的触媒の両方の役割を担っていたとする仮説である。これは無生物的な環境下に於いてRNAが[[デオキシリボ核酸|DNA]]と比較して容易に合成されることなどを根拠としている。 この仮説では[[生物]]は遺伝情報(ゲノム)の貯蔵媒体としてRNAを使用し、その後の変異と進化によりDNAとタンパク質が徐々に台頭してきたと考えられている。ただしRNAはDNAと違って相補性が確保されておらず、修飾を受けやすい不安定な分子であり、生物において[[ゲノム]]を安定に保持する機能は主にDNAが担っている。一方で、非生物の特性を併せ持つ[[ウイルス]]では、ゲノムを持つ[[RNAウイルス]]としては、プラス鎖のもの([[コロナウイルス]]など)とマイナス鎖のもの([[インフルエンザウイルス]]など)の両方が見つかっている。現時点(2006年)では、ゲノムの保持にDNAではなくてRNAを用いているのはウイルスだけであると考えられている(ウイルスにはゲノムの保持媒体にRNAを用いているものとDNAを用いているものの2種類がある)。 == RNAの高次構造 == 機能性の1本鎖RNAは、[[蛋白質|タンパク質]]と同じように特別な三次構造を取ることが要求される。三次構造の形成では、[[水素結合]]が駆動力となっている。二次構造で表現可能な「部位」として、[[ヘアピンループ]]やバルジ、インターナルループなどが存在する。RNAの二次構造は水素結合部位やドメインなどの組み合わせを自由エネルギーについて計算し、コンピューターである程度予測することができる。 == RNA干渉 == {{main|RNA干渉}} RNAi(RNA interfernce、RNA干渉)とは[[siRNA]](small interfering RNA)または二本鎖RNA(double stranded RNA、dsRNA)によって配列特異的に[[遺伝子]]の発現が抑制される現象である。 === 哺乳類のRNAiのメカニズム === 二本鎖RNA(double stranded RNA、dsRNA)は[[Dicer]]と呼ばれるRNase III酵素によって約21〜25塩基長の短鎖二本鎖RNAに切断される。この短鎖二本鎖RNA断片をsiRNA(small interfering RNA)とよぶ。そのsiRNA二量体は[[RNA誘導サイレンシング複合体|RISC (RNA-induced silencing complex)]]と呼ばれるArgonaute(Ago)タンパク質を含む複合体に取り込まれる。その後、ターゲットとなるmRNAと塩基対合する[[siRNA]](ガイド鎖)を残し、その反対鎖であるパッセンジャー鎖はAgoタンパク質によって切断され分解される。残ったガイド鎖の5’末端と3’末端の1塩基はAgoタンパク質のポケット構造にはまり込んで固定される。特に5’末端がアデニンまたはウラシルである場合にはAgoタンパク質と高い親和性固定される。さらに、5’末端から2〜8塩基目の塩基はAgoタンパク質の構造と電荷をうまく利用して表面に載ることができる。この2〜8塩基目の塩基の部分はシード配列と呼ばれ、塩基配列の相補性をもつmRNAを識別し、最初に塩基対合する場所である。その後、siRNAは残りの9〜20塩基目もターゲットとなるmRNAと塩基対合する。塩基対合したmRNAはAgoタンパク質によって切断される。この過程を[[遺伝子ノックダウン]]という。 ;Dicer DicerはdsRNAをsiRNAへと、またはpre-miRNAを[[miRNA]]へと切断するRNase III酵素である。 ;RISC RISC(RNA-induced silencing complex)はショウジョウバエにおいてdsRNAを導入することによって誘導される配列特異的に標的RNAを分解する活性をもった複合体としてHannonらによって提唱された。RISCの中核となるのはArgonaute(Ago)タンパク質である。その他の構成要素として[[RNA結合タンパク質]]、RNAヘリカーゼ、ヌクレアーゼなど様々なタンパク質が同定されている。 === siRNAとmiRNA === {{main|siRNA}}{{main|miRNA}} 短鎖RNAは由来によって名称が異なる。人工的に作られたものやin vivoでdsRNA前駆体から生じたものはsiRNAという。miRNAは遺伝子から作られる前駆体RNAに由来する。この遺伝子が発現する細胞内で特定の遺伝子調節機能を発揮する。miRNAはmiRNA遺伝子から長い一次転写産物であるpri-miRNAとして転写される。pri-miRNAの中には将来miRNAとなる配列が含まれておりその部分はヘアピン状の高次構造をとっている。DroshaというRNase III酵素がヘアピン構造を切断しpre-miRNAにする。核内のpre-miRNAはExportin-5によって細胞質に運ばれ細胞質でDicerによってpre-miRNAは切断されmiRNAとなる。miRNAはRISCを形成し、標的RNAを認識するガイド分子として働く。このようにsiRNAもmiRNAも21塩基前後の長さの機能性ncRNAであり、RISCの中のsiRNAとmiRNAを化学組成や機能で見分けることはできず、あくまで由来で分類する。 === RNAiの問題点 === ;オフターゲット効果 ターゲット遺伝子に対する抑制効果に加えてシード領域のみが対合した遺伝子群もオフターゲット効果と呼ばれる機構によって抑制される場合が多い。オフターゲット効果ではmRNAは切断されるのではなく、翻訳が抑制されることによって遺伝子機能が抑制されると考えられている。 ;インターフェロン応答 哺乳動物細胞に30bp以上の長いdsRNAを導入すると一部の細胞集団を除いてほとんどの細胞で細胞死が起こる。これは[[インターフェロン]]応答または抗ウイルス反応とよばれるディフェンス機構と考えられている。 == 存在 == [[リボヌクレオチド]]およびその結合体である[[ポリヌクレオチド]]、DNA・RNAなどのリボ核酸は、生物を原料とするほとんどの食品に微量含まれている。重量比では、酵母(Baker's yeast/Saccharomyces cerevisiae)や海苔(Purple laver)などでリボ核酸の検出値が比較的高い。<ref>{{cite journal |title=Nucleic Acid Contents of Japanese Foods |journal=NIPPON SHOKUHIN KOGYO GAKKAISHI|volume=36|issue=11|year=1989|page=Table 2 |pmid=|doi=10.3136/nskkk1962.36.11_934 }}</ref> == 経口摂取と産業利用 == リボ核酸を摂取すると、体内でいったん[[ヌクレオチド]]に分解されて、DNA・RNAを合成する材料となる。[[核酸]]摂取と核酸合成との関係は未解明な点が多く今後の研究が待たれる。 RNAを多量に含む食品が商業的に生産されている。RNAを効率的に分離するためのRNA源として[[ビール酵母]]などの[[酵母]]が利用されている<ref>[https://www.ls-corporation.co.jp/service/material/rna.php リボ核酸|エル・エスコーポレーション]</ref>。 === 利用例 === ; [[健康食品]] : 健康食品として錠剤や粉末のものが市販されている。 ; [[食品添加物]] : 母乳には[[ウリジル酸]]などの各種[[ヌクレオチド]]とDNA・RNAが含まれ、乳児の[[免疫]]調節や[[記憶]]力の向上に役立っていると考えられており、市販の[[乳児]]用[[粉ミルク]]の多くにヌクレオチドの形で添加されている<ref>{{Cite journal|last=Schaller|first=Joseph P.|last2=Kuchan|first2=Matthew J.|last3=Thomas|first3=Debra L.|last4=Cordle|first4=Christopher T.|last5=Winship|first5=Timothy R.|last6=Buck|first6=Rachael H.|last7=Baggs|first7=Geraldine E.|last8=Wheeler|first8=J. Gary|date=2004-12|title=Effect of Dietary Ribonucleotides on Infant Immune Status. Part 1: Humoral Responses|url=https://www.nature.com/articles/pr2004603|journal=Pediatric Research|volume=56|issue=6|pages=883–890|language=en|doi=10.1203/01.PDR.0000145576.42115.5C|issn=1530-0447}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Buck|first=Rachael H.|last2=Thomas|first2=Debra L.|last3=Winship|first3=Timothy R.|last4=Cordle|first4=Christopher T.|last5=Kuchan|first5=Matthew J.|last6=Baggs|first6=Geraldine E.|last7=Schaller|first7=Joseph P.|last8=Wheeler|first8=J. Gary|date=2004-12|title=Effect of Dietary Ribonucleotides on Infant Immune Status. Part 2: Immune Cell Development|url=https://www.nature.com/articles/pr2004604|journal=Pediatric Research|volume=56|issue=6|pages=891–900|language=en|doi=10.1203/01.PDR.0000145577.03287.FA|issn=1530-0447}}</ref>。最近ではRNAの形で添加する例もあり、総称して[[核酸]]関連物質と表示されている場合がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === <references/> == 関連項目 == * [[デオキシリボ核酸]] (DNA) * [[生命の起源]] * [[スプライシング]] * [[RT-PCR]] * [[相補的DNA]] (cDNA) * [[核内低分子RNA]] (snRNA) * [[核小体低分子RNA]] (snoRNA) * [[ガイドRNA]] (gRNA) == 外部リンク == *{{Hfnet|562|核酸 (DNA, RNA)}} *[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/yajiuma/1514028.html 生命起源の鍵?自己複製できる最小のRNAを早稲田大/東大が発見 (PC Watch, 2023年7月5日) ] {{Genetics}} {{遺伝子発現}} {{核酸}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:りほかくさん}} [[Category:リボ核酸|*]] [[Category:核酸]] [[Category:RNAスプライシング]] [[Category:分子生物学]] [[Category:バイオテクノロジー]]
2003-03-29T12:14:39Z
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普通列車
普通列車(ふつうれっしゃ)は、旅客列車における列車種別の一種である。一般的には運賃のみで乗車可能な各駅に停車する列車を指し、「各駅停車」と案内する事業者もある。 日本国有鉄道(国鉄)・JRの旅客営業規則における用語では、特別急行列車を含む広義の急行列車以外の列車を指し、この場合は快速列車も含まれる概念となる。市販の時刻表では細字で表示されている列車を表す。 本項は特に断りがない限り、日本における普通列車を主題として解説している。 各駅に停車する列車種別には、「普通列車」の他に「各駅停車」の案内がある。一般的にどちらか一方の用語に統一されているが、両方の列車種別を用いている事業者もある。両方が用いられる典型的な例として、複々線区間における急行線・緩行線(あるいは電車線・列車線)双方の、旅客ホームが設置された全駅に停車する列車が挙げられる。中には、西武鉄道のように「普通」から「各駅停車(各停)」に正式列車種別名を変更した例もある。 基本的に各駅へ停車する(もしくは一部の駅を通過する)列車が普通列車と案内される。 運賃・料金面では、旅客営業規則において「急行列車」以外の列車を「普通列車」と定めており、この概念では「乗車券(回数券・定期券を含む)以外に特急料金・急行料金が不要な旅客列車」となる。この場合は快速列車も含む概念であり、フリーきっぷなどで「普通列車(快速含む)」とあるのはこの規則による。JRにおいて快速列車を含む普通列車は普通車の自由席であれば、乗車券または定期券で乗車可能である。全車座席指定列車やホームライナーなど座席指定券・着席整理券(ライナー券)が必要な列車であっても、別途それらに該当する料金券を購入すれば乗車券・定期券と併用することで乗車できる。 基本的に各駅へ停車する(もしくは一部の駅を通過する)列車が普通列車と案内される。事業者によっては国鉄・JRと同様に料金不要の速達列車(快速列車相当)を運行しているが、優等列車として扱うのが一般的である。ただし、料金不要列車も優等列車の範疇に含めるかどうかは事業者によって異なる。ただし、観光列車においては、座席指定券または乗車整理券などの特別料金が必要になり、また普通列車であっても主要駅を除いてノンストップなど、急行列車や特急列車に匹敵するものもある。 複々線区間において、全駅にホームが設置されている緩行線と少数の駅にのみにホームが設置される急行線(快速線)が別々に運行管理される場合、急行線を走る普通列車は緩行線に対しては複数の駅を通過することになる。 複数の路線が同じ線路を共用する区間内において、特定の路線の列車のみ停車し、別の路線の列車はすべて通過する駅がある。ただし路線が異なるため通過駅とはみなされず、その路線の駅としては存在しないものとして扱われる。 普通列車であっても、乗降客の少ない駅を通過する列車がある。理由としては運用上の都合(各駅に停車すれば所要時間がかかりすぎる、単線区間で対向列車との行き違いができない駅において、他駅での行き違いのタイミングを合わせるため通過する)が含まれる場合がある。 上越線ではほくほく線直通の全列車が石打駅・大沢駅・上越国際スキー場前駅を通過するほか、同線の塩沢駅および信越本線の黒井駅も一部通過する。これは短い編成でワンマン運転を行うほくほく線の列車では、JR線内での突発的な需要に応じ切れないことが理由にある。 伯備線の布原駅は芸備線直通の列車のみが停車し、伯備線の列車は運転停車することがあっても客扱いを行わず全列車が通過となる。 東海道本線の瀬田駅は1985年のダイヤ改正まで、草津線から直通する客車普通列車が通過していた。 観光のオフシーズンなど特定期間に著しく利用客が少なくなる駅では、臨時駅でなくとも一部もしくは全部の列車が通過となることがある。 各駅に停車するため、発車標や列車の方向幕などで「普通」と表示していても、放送では「各駅停車」と案内される場合がある。日本の大手私鉄では、京成電鉄、東武鉄道、近畿日本鉄道、京阪電気鉄道、阪急電鉄、阪神電気鉄道が該当する。 種別幕や停車駅案内は各社ごとに統一されているため、直通運転では境界駅で種別変更される。例えば東京メトロ有楽町線・副都心線および、それらと直通運転を行う西武池袋線・東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線では「各停」であるのに対し、東武東上線では「普通」で統一されている。ほかにも停車駅によって2種類の「各停」に区別して運行している例として東急大井町線がある。 JR東日本の中央本線では、立川 - 大月間において中央東線の普通列車と中央線快速電車が運行されているが、下りの快速電車はすべて「各駅停車」と案内されているため、当該区間に限り「普通」と「各駅停車」が混在している。 JR西日本の琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線では、通勤形車両を使用し各駅に停車する列車が「普通」、近郊形車両を使用し通過駅がある列車が「快速」であるが、高槻・京都 - 野洲・米原間と西明石(上り列車のみ。下り列車は明石から) - 加古川・姫路間では快速が各駅に停車するため「普通」と案内している。ただし駅時刻表では途中駅から快速運転をする列車は、快速列車の色であるオレンジ色で表記している。 なお、新快速と学研都市線・JR宝塚線・湖西線の快速は、各駅停車区間でも普通表示には切り替えない。 普通列車・各駅停車を「普通車」と称する会社もある。多くの私鉄ではグリーン車等の特別車両を保有しないことから、この場合は車両としての言葉ではなく、特急列車など優等列車に対しての普通列車という意味合いで慣例的に用いられているとされる。 関西地区では慣例として「普通車」という表現を使用する会社が多くあった。南海電気鉄道(南海電鉄)や山陽電気鉄道(山陽電鉄)では、現在でも案内放送などで用いられている。 南海電鉄においては、難波 - 岸里玉出間の複々線の西側2線を南海本線、東側2線を高野線が使用しているが、途中の今宮戎駅と萩ノ茶屋駅は、南海本線の列車が走る西側2線にホームがない。このため、両駅を通過する南海本線の列車は「普通車」、両駅に停車する高野線の列車は「各駅停車」と使い分けている。1968年(昭和43年)までは、南海本線の列車にも東側2線を走り両駅に停車する「各駅停車」、1970年(昭和45年)までは高野線の列車にも東側2線を走るが両駅を通過する「普通車」があった。 特急や急行とは異なり、基本的に列車愛称はつけられない。 国鉄・JRでは、指定席車や寝台車が連結される列車には1974年(昭和49年)7月以降、指定席発券システムの管理上、指定券・寝台券発券の都合から種別のほかに列車名が付けられた。定期列車で最初にこれに当たったが、「ながさき」・「はやたま」・「山陰」・「からまつ」である。なお、それ以前は指定席車や寝台車連結の普通列車は指定券や寝台券の購入の需要が沿線の地域に限定されていたため、列車愛称はなく、発券は手作業で行っていた。 この例では、2023年(令和5年)現在では「いさぶろう・しんぺい」と「エアポート」が該当する。 なお、北陸新幹線が「長野新幹線」と称された時代に新幹線列車に接続する列車として運行されていた「妙高」には座席指定席が存在したため、列車愛称を持っていた。 一方、全車自由席で列車名がつけられる例としては「むさしの号」・「しもうさ号」・「はこだてライナー」などが挙げられる。また、国鉄時代の最末期に当たる1986年11月1日国鉄ダイヤ改正では当時の旭川鉄道管理局が旭川・北見近郊エリアの普通列車を「マイタウン列車」と称し、運転線区や区間毎に沿線の名所に因んだ愛称を付けたことがあった。「マイタウン列車」の案内呼称は民営化後の1990年代頃まで続いた後、愛称名のない「普通列車」として案内されるようになったが、当時の名残でキハ150形気動車の方向幕の一部に2010年代頃まで「マイタウン列車」の表記が残存したケースがあった。 そのうち特異な存在としては、2018年(平成30年)まで横須賀線・総武快速線の成田空港行き快速列車のみ「エアポート成田」の愛称を名乗っていた例がある。 道路が十分に整備されておらず、鉄道以外の公共交通機関が未発達だったころは鉄道が中・長距離輸送の主力であった。まだ新幹線がなく、単線・非電化の路線がほとんどであった時代は、深夜の時間帯でも一定の旅客需要があったことから、主要幹線では二等車(後に一等車に改称、現在のグリーン車)を連結した夜行普通列車も数多く運転されていた。 また、都市間連絡の利用に対応するために寝台車が連結されていた列車もあり、マルスシステムで寝台券を発券が可能になった1974年(昭和49年)に「ながさき」「はやたま」「山陰」「からまつ」などのように列車愛称が付けられていた列車もあった。 夜行普通列車は全区間通しあるいは一部区間のみで乗車する場合もあったほか、同じ区間を並行する特急・急行・寝台列車などを末端部分で補完するような場合もあった。特に速達列車が停車しない駅に早朝に到着したい場合などに、速達列車からの乗り換えなどにより対応していた。 大部分が国鉄時代に廃止されたが、JR化後も残った列車(JR北海道のミッドナイトなど)もあり、「ムーンライト」などの夜行快速列車などに受け継がれることになる。 1872年(明治5年)の鉄道開業以来、旅客輸送は機関車が牽引する客車列車が担っていた。電車や気動車の実用化後もこの状況は変わらず、電車は大都市近郊区間の運用が主体であり、気動車も連結両数の制約などから長距離運転には使用されず、非電化区間における比較的短距離の列車に使用されるのみであった。 1950年(昭和25年)に80系電車による長距離電車列車の運転開始と1953年(昭和28年の)総括制御運転が可能な液体式気動車キハ45000系の量産開始を契機として、動力分散方式が推進された。その結果、新性能電車や準急形気動車が実用化された昭和30年代以降動力近代化計画が決定され、客車の新製は静粛性が追求される夜行列車用に限られ、普通列車用の車両には電車・気動車が新製されることとなった。非電化区間への気動車列車の投入は非常に好評で、製造両数を上回る投入希望に応えるため客車を改造した気動車(キハ08系気動車)も作られた。 使用車両は鉄道創業期には上等車、中等車の連結もみられたが、その後は現在の普通車に相当する三等車のみで編成される列車が一般的となり、一部の線区や列車でのみ二等車や二三等合造車が連結された。三等級制から二等級制への移行後、昭和30年代後半以降、多くの一等客車が二等車(現・普通車)に格下げされた後は、現在のグリーン車に相当する一等車を連結する普通列車はさらに減少した。国鉄分割民営化後はJR東日本が関東地区でグリーン車の運用線区を拡大している。 寝台車に関しては1985年(昭和60年)3月14日改正まで運用された京都駅と出雲市駅を結ぶ「山陰」を最後にB寝台車連結が廃止された。 普通列車のトイレについては、車両の改造などに費用が掛かるとして高度成長期以降もなお、汚物の自然落下、垂れ流し方式が持続した。1970年代に横須賀・総武快速線向けに量産された国鉄113系電車に初めて、新車段階から循環式トイレが装備されたが、地方では新車や特急・急行用車両が普通列車用として格下げ配備されるまで改善されることはなかった。 国鉄の普通列車に使われる車両(普通車)は座席配置により次のように区分される。 このほか、旧型客車、一部の旧型国電、酷寒地向け車両では、急行形に準じた客室仕切りを備えた客室構造の車両もある。 旧型国電(旧性能電車)には3扉ロングシート車、4扉ロングシート車、3扉セミクロスシート車、2扉クロスシート車があり線区の性格に適した座席配置の車両が使用された。 電車においても、客車と同様、線区によっては二等車・二三等合造車(一等車を経て現在はグリーン車)の連結がおこなわれている。座席は旧型国電では座席間隔の広いボックスシートの場合が多く、新性能電車では形式によってリクライニング機構の有無があるが、すべて回転クロスシートである。 なお、新性能電車の実用化後は一部の例外を除いて基本的に系列・車種ごとに運用されている。 国鉄では普通列車用でも最高速度や車内設備の違いなどから通勤形車両と近郊形車両に用途を二分し、運用も区別していたが、東日本旅客鉄道(JR東日本)ではE231系電車で初めて通勤形と近郊形の形式上の区別を廃止し、一般形電車として形式・区分を統一したが、E231系とE233系には通勤タイプと近郊タイプがあり、運用上の区別もされている。 地方では近郊形が主流であるが、導入する車種は基本的に定められていない傾向があり、後述のとおり特急形が使用される線区もある。過去には急行形が使用された線区もあった。通勤形については国鉄時代は仙石線など一部の線区でしか使用されなかったが、JR発足後は導入する線区が増えている(通勤形車両 (鉄道)#地方都市圏での導入も参照)。JR東日本では107系・701系・E127系といった3ドアロングシート車が導入され、これらはJR東日本の公式ウェブサイト上では通勤形に区分されているが、701系に至っては片道200kmを超える運用に充当されたこともあった。JR北海道では3ドアロングシート車である731系・733系・735系は通勤形に分類されているが、近郊形である721系と基本的に共通運用されており、JR東日本とは異なり、車種を分けているものの通勤形と近郊形の運用上の区別はされていない。 国鉄時代は車両置き換えに際して東京・大阪の大都市圏が優先されたため、地方(特に直流電化線区)では1980年代半ばまでは長らく旧型国電が使用され、それ以後も旧型車の置き換えに際しては大都市圏で使用された経年車両のうち比較的状態がよい車両を地方に転用していた。JR発足後もJR東日本とJR西日本ではこの体制は続けられている。例えばJR西日本では1990年代、山陽地区で運用されていた115系非冷房車の置き換えに、冷房車が比較的多かった103系を転用したことがある。転用された103系は2008年(平成20年)以降、呉線で使用される一部の車両を除き京阪神地区で使用されていた113系に置き換えられたほか、呉線で運用していた車両も2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で227系に置き換えられ、運用を離脱した。JR東日本でも京浜東北線のE233系電車導入で余剰となった209系を房総地区(非電化線区の久留里線を除く)に転用し、113系と211系を置き換え、普通列車用の車種を209系に統一している。 1990年代の一時期、地方線区(特に東北・九州)でもロングシート車(701系、815系など)が導入されたが、後継車両でセミクロスシートに戻された事例もある(E721系、817系など)。 国鉄の気動車は蒸気動車を含めて、液体式気動車が実用化されるまでは、普通列車用であった。 液体式気動車で普通列車用に製造された車両は一般形(キハ10系、キハ20系)、通勤形(キハ35系)、近郊形気動車(キハ45系)があり、これら普通列車用の車両を一括して一般形気動車と呼ぶこともあるが、車種の分類は資料や文献によって相違しており、国鉄時代の普通列車向け気動車は厳密に車種を特定することは困難であり、制式に分類したものではなかった。実際の運用ではこれに加えて準急形、急行形の車両も使用されたため、塗色や形態、扉の位置や数、座席配置が異なる多種多様な形式が混結して使用されることとなり、そのような列車は「百鬼夜行」と形容された。これは国鉄時代の液体式気動車は特急形を除いて互換性が重視され、液体式変速機を持つものであればどの車両でも連結運転が可能な構造となっていたからできた運用である。もっとも、線区によっては、同一系列や同一形式が集中配置され、統一された編成で運用された例も見られた。 JR発足後に増備された車両の中には、電気指令式ブレーキや密着連結器を採用し、電車並みに性能が向上した車両もあるが、これらの車両は国鉄時代の車両とは併結できないため、在来車と運用が区別されている。 鉄道開業時には、廊下のない個室式の客室構造の車両も見られたが、私鉄統合後の大正期からは車端に手動式の開き戸を備えた、客室仕切り(デッキ)があるクロスシート車が三等車の標準となった。20系客車にはじまる固定編成式以前の客車は特急用に専用の車両が製造される事例があったものの、基本的に優等列車と普通列車の二等車、三等車は共通であった。ただし、優等列車はその性質上、常に状態の良い車両を選定して使用していたため、最新形式、更新工事車などが優先的に使用され、普通列車用の車両は後継車に置き換えられた元優等列車用の車両を含め車齢の高い車両で運用されていた。そのため結果的に優等列車用車両と普通列車用車両では座席や台車の形式の違いによる乗り心地等の格差が見られた。 ただし、鋼体化改造車である60系客車の普通車は木造車置き換え用に、最初から地方線区へ投入されている。 これら、標準的な客車とは異なるものとして、通勤形客車がある。客車列車運用線区でも必要になった通勤・通学輸送に対応するため室内をロングシートに改装して、1963年(昭和38年)以降改造された。 このほか、変則的な車両として、格下車や終戦後車両不足に対処するため暫定的に使用された戦災復旧車、70系客車がある。 格下車は旧式化した優等車を三等車(現・普通車)に格下げしたものである。優等車の格下げ自体は車内設備の陳腐化・老朽化に応じて行われていたが、戦時体制強化による優等列車廃止と1960年代に行われた一等車(三等制時代の二等車、並ロ)の格下では多くの車両が格下げされた。後者の事例では、座席は一等車時代そのままであったため、いわゆる乗り得車両となったが、数年で再改造され消滅した。同様な例として特急用三等車(特ハ)の普通列車転用事例でも特急時代の座席がそのまま残されることもあった。 なお、10系以前の客車については「一般形客車」、「在来形客車」、「旧型客車」と呼称されることもあるが、20系客車以降の客車との対比で使われたもので、規程上の正式な呼称ではない。 1970年代半ばごろから長らく使用され老朽化が目立つようになった旧型客車の置き換え用に1977年(昭和52年)から50系客車が製造され、交流電化線区や非電化幹線を中心に使用された。旧型客車はデッキを有する2扉クロスシートで通勤輸送に難があり、また、手動ドアで安全性にも問題があったため、50系はドア幅を拡大の上自動式とした。客室仕切りは設置されたが、座席配置はセミクロスシートを採用しドア付近をロングシートにして混雑時にも対応できるようになっている。 なおドア付近をロングシートとしたセミクロスシートの座席配置は混雑対策として1940年代にマハ29やスハ36で既に採用されたことがあり、1960年代にも60系客車の一部がセミクロスシートに改造されている。 さらに、12系急行客車も座席をセミクロスシートとする「近郊化改造」などの改造を行い普通列車に投入された。 その一方で、客車列車の電車・気動車列車への置き換えも進行し、客車による定期列車は各駅停車では2001年(平成13年)10月の鹿児島本線と筑豊本線を最後に、快速列車では2002年(平成14年)11月の「海峡」を最後に廃止された。 こうして、かつては国鉄線の大部分で運行されていた普通客車列車は、動力分散方式への移行により消滅し、2016年(平成28年)時点での定期列車においては客車の普通列車は設定されていない。 急行形車両は、その祖形である一般的な三等客車(現・普通車)と同様元々普通列車に使用される機会があったが、急行充当車においても間合い運用や一部の区間で普通列車として運行される例も見られた。急行列車の廃止・削減などで減少すると、余剰となった車両を有効活用する観点から格下げの形で地方線区で使われた。最後まで急行形車両が使用されたのは北陸本線であり、2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で413系と編成を組むクハ455形700番台2両を除いて全車運用を離脱した。 特急形車両は1970年代半ばまでは特別な存在であったため、普通列車には原則として使用されなかったが、1970年代半ば以降は急行列車の特急格上げにつれて一部の地域では特急形車両による間合い運用による普通列車や一部の区間で普通列車として運行する列車が設定され、185系や373系のように間合い運用で普通列車にも使用することを想定した車両も導入された。 中には格下げの形で使用された例もある。例として、四国旅客鉄道(JR四国)ではキハ185系の格下げ改造車が使われている。過去には常磐線いわき - 富岡間の一部の普通列車には651系が充当されていたほか、信越本線長野 - 直江津間の普通列車「妙高」は新幹線連絡列車であった性格上、指定席車設定の観点から特急形電車である183・189系が使用されていた。 私鉄では特急や一部の急行といった優等列車とは異なり、基本的そのほかの車両(一般車両)が使用されるが、料金不要の優等列車を運行している私鉄においては入出庫の関係上、優等列車用車両が使われる場合がある。また、優等列車用車両であった車両が優等列車の運用を離脱した場合には格下げの形で普通列車に使用される場合があり、中には通勤形車両に近い形に改造する車両もある。 例外的に専用の車両を使用する例として、阪神電気鉄道では本線においては普通列車に適した性能を有する専用の車両(ジェットカー)が使われる。かつては京阪電気鉄道でも普通列車・区間急行用に適した性能を有する専用の車両である2000系を保有していた。同様の事例として、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)では京王線系統においては各駅停車には長らく緑色に塗装された2010系以前の車両(グリーン車と呼ばれた)が使用されていた。これは急行系列車には状態の良い車両を使用し、各駅停車には後継車両の増備で捻出した車両を充てていたためである。また、その置き換え用である7000系は2001年(平成13年)3月のダイヤ改定で車両の運用方針を変更するまでは各駅停車運用に用いる車両とされていたが、阪神とは違い性能面では6000系などと大差はなかった。東急東横線においても8000系が8090系導入後は長らく各駅停車専用で運用されていたが、2001年(平成13年)3月のダイヤ改正で急行・特急運用が復活しており、2007年(平成19年)の全廃まで種別を制限することなく使用された。2013年(平成25年)3月からは各駅停車が停車する駅のホーム有効長の関係もあり、8両編成の車両に制限されている。 一方で優等列車と普通列車で使用する車種が定められていない私鉄もあり、富山地方鉄道では観光路線であることと優等列車との兼ね合いで2ドア転換クロスシート車や回転クロスシート車が使われているが、特に明確な区分はしていない。ただしロングシート車である17480形は原則として特急運用には充当されない。名古屋鉄道でも1975年(昭和50年)までは着席通勤と優等列車への使用を前提に2ドア転換クロスシート車が導入され、種別ごとに使用系列を限定して運用していたわけではないが、最新の系列のみが特急列車に使用され、後継車両の増備につれて次第に普通列車にも運用されるようになっていたため、「特急用」「一般用」などといった用途分類の概念がなかったが、1975年(昭和50年)に本格的な通勤車両の投入、1984年(昭和59年)に8800系(パノラマDX)等の座席指定特急車両の投入と特急施策の変更により用途が分かれ、現在、座席指定車両を含む編成が普通運用に就いた場合は、座席指定車両は締切扱いとなる。 日本国外の列車に日本の列車種別を一概に当てはめることは難しい。国によっては、速達性や接客設備の差によって列車種別毎に異なる運賃体系をとっており、日本の列車種別に該当しない列車もある。それでも、運賃が格安な種別や、各駅に停車する種別を日本の普通列車と同類の列車として扱う傾向がある。 台湾の台湾鉄路管理局(台鉄)では普快車と区間車・区間快車が普通列車に相当する種別である。普快車と区間車は各駅停車、区間快車は快速に相当する種別である。台鉄は列車種別毎に異なる料金体系を用いているが、普快車は冷房のない鉄道車両(非冷房車)を、区間車は冷房付き車両を使用するため、普快車と区間車・区間快車とで運賃に格差がつけられている。これらの列車は非対号列車と呼ばれており、全席が自由席となっている。なお、区間車・区間快車と同額の運賃を用いる列車に復興号があるが、こちらは対号列車(全席座席指定席の列車)なので優等列車として扱われている。 韓国鉄道公社(KORAIL、旧鉄道庁)の路線のうち、広域電鉄区間では日本の近距離電車に相当する列車として緩行列車を運行しており、4ドアロングシートの通勤形車両が使用される。改札も電鉄とその他の路線(高速路線・一般路線)とで区分されている。 一方、一般路線では2014年(平成26年)5月から極一部の区間を除いて優等列車のみの運行となっている。かつては全国でピドゥルギ号・トンイル号が普通列車に相当する種別として運行されていたが、いずれも2004年(平成16年)3月までに全廃された。その後、地方都市近郊では通勤列車が、それ以外の路線では優等列車であるムグンファ号が実質的に地域輸送を担う状況となっている。だが、通勤列車は需要の減少による運行終了や他の列車種別への置き換え等によって2014年(平成26年)4月末までに複数区間での運行が終了し、2014年(平成26年)5月から2019年(平成31年)3月末までは京元線の末端区間、2020年(令和2年)1月以降は光州広域市内の光州線のみで運行されている。また、ムグンファ号はすべての駅に停車するとは限らず、全列車が通過する事実上の休止駅となった駅も少なくない。 なお、旧鉄道庁・KORAILは列車種別毎に異なる料金体系を設定しているため、ピドゥルギ号・トンイル号・通勤列車からムグンファ号への列車種別変更は事実上の運賃値上げとなっている。 中国鉄路総公司の運営路線では、普快列車(中国語版)と普客列車(中国語版)、および通勤列車が普通列車に相当する。そのうち、普客列車は各駅に停車する。普快列車は長距離列車で寝台車や食堂車も連結される。運賃は座席の硬さによる等級制で、空調の有無により追加料金が徴収される。なお、中国で運行されている快速列車(中国語版)は日本の急行列車、特快列車(中国語版)と直达特快列車は日本の特急列車に相当する優等列車の種別である。 インドネシアのKRLジャボタベックでは、2013年(平成25年)まで冷房装置の有無により運賃に格差をつけていた。だが、すべての列車に冷房が搭載されたことで運賃が統一された。 東南アジア諸国の鉄道は運賃体系が等級制で、下位の等級による列車が普通列車と見なされる。下等列車では、木製の座席で冷房のない車両が使われている。 ヨーロッパ諸国の普通列車は長らく客車が主体で、機関車の付け替えを必要としない運転台付きの客車も見られる。だが、その一方で動力分散方式の列車に移行しつつある国もある。車両も2階建車両が主流で、通勤輸送と近郊輸送を両立させている。
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"運賃・料金面では、旅客営業規則において「急行列車」以外の列車を「普通列車」と定めており、この概念では「乗車券(回数券・定期券を含む)以外に特急料金・急行料金が不要な旅客列車」となる。この場合は快速列車も含む概念であり、フリーきっぷなどで「普通列車(快速含む)」とあるのはこの規則による。JRにおいて快速列車を含む普通列車は普通車の自由席であれば、乗車券または定期券で乗車可能である。全車座席指定列車やホームライナーなど座席指定券・着席整理券(ライナー券)が必要な列車であっても、別途それらに該当する料金券を購入すれば乗車券・定期券と併用することで乗車できる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "基本的に各駅へ停車する(もしくは一部の駅を通過する)列車が普通列車と案内される。事業者によっては国鉄・JRと同様に料金不要の速達列車(快速列車相当)を運行しているが、優等列車として扱うのが一般的である。ただし、料金不要列車も優等列車の範疇に含めるかどうかは事業者によって異なる。ただし、観光列車においては、座席指定券または乗車整理券などの特別料金が必要になり、また普通列車であっても主要駅を除いてノンストップなど、急行列車や特急列車に匹敵するものもある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "複々線区間において、全駅にホームが設置されている緩行線と少数の駅にのみにホームが設置される急行線(快速線)が別々に運行管理される場合、急行線を走る普通列車は緩行線に対しては複数の駅を通過することになる。", "title": "通過駅" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "複数の路線が同じ線路を共用する区間内において、特定の路線の列車のみ停車し、別の路線の列車はすべて通過する駅がある。ただし路線が異なるため通過駅とはみなされず、その路線の駅としては存在しないものとして扱われる。", "title": "通過駅" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "普通列車であっても、乗降客の少ない駅を通過する列車がある。理由としては運用上の都合(各駅に停車すれば所要時間がかかりすぎる、単線区間で対向列車との行き違いができない駅において、他駅での行き違いのタイミングを合わせるため通過する)が含まれる場合がある。", "title": "通過駅" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "上越線ではほくほく線直通の全列車が石打駅・大沢駅・上越国際スキー場前駅を通過するほか、同線の塩沢駅および信越本線の黒井駅も一部通過する。これは短い編成でワンマン運転を行うほくほく線の列車では、JR線内での突発的な需要に応じ切れないことが理由にある。", "title": "通過駅" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "伯備線の布原駅は芸備線直通の列車のみが停車し、伯備線の列車は運転停車することがあっても客扱いを行わず全列車が通過となる。", "title": "通過駅" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "東海道本線の瀬田駅は1985年のダイヤ改正まで、草津線から直通する客車普通列車が通過していた。", "title": "通過駅" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "観光のオフシーズンなど特定期間に著しく利用客が少なくなる駅では、臨時駅でなくとも一部もしくは全部の列車が通過となることがある。", "title": "通過駅" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "各駅に停車するため、発車標や列車の方向幕などで「普通」と表示していても、放送では「各駅停車」と案内される場合がある。日本の大手私鉄では、京成電鉄、東武鉄道、近畿日本鉄道、京阪電気鉄道、阪急電鉄、阪神電気鉄道が該当する。", "title": "案内時の表現" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "種別幕や停車駅案内は各社ごとに統一されているため、直通運転では境界駅で種別変更される。例えば東京メトロ有楽町線・副都心線および、それらと直通運転を行う西武池袋線・東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線では「各停」であるのに対し、東武東上線では「普通」で統一されている。ほかにも停車駅によって2種類の「各停」に区別して運行している例として東急大井町線がある。", "title": "案内時の表現" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "JR東日本の中央本線では、立川 - 大月間において中央東線の普通列車と中央線快速電車が運行されているが、下りの快速電車はすべて「各駅停車」と案内されているため、当該区間に限り「普通」と「各駅停車」が混在している。", "title": "案内時の表現" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "JR西日本の琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線では、通勤形車両を使用し各駅に停車する列車が「普通」、近郊形車両を使用し通過駅がある列車が「快速」であるが、高槻・京都 - 野洲・米原間と西明石(上り列車のみ。下り列車は明石から) - 加古川・姫路間では快速が各駅に停車するため「普通」と案内している。ただし駅時刻表では途中駅から快速運転をする列車は、快速列車の色であるオレンジ色で表記している。", "title": "案内時の表現" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "なお、新快速と学研都市線・JR宝塚線・湖西線の快速は、各駅停車区間でも普通表示には切り替えない。", "title": "案内時の表現" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "普通列車・各駅停車を「普通車」と称する会社もある。多くの私鉄ではグリーン車等の特別車両を保有しないことから、この場合は車両としての言葉ではなく、特急列車など優等列車に対しての普通列車という意味合いで慣例的に用いられているとされる。", "title": "案内時の表現" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "関西地区では慣例として「普通車」という表現を使用する会社が多くあった。南海電気鉄道(南海電鉄)や山陽電気鉄道(山陽電鉄)では、現在でも案内放送などで用いられている。", "title": "案内時の表現" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "南海電鉄においては、難波 - 岸里玉出間の複々線の西側2線を南海本線、東側2線を高野線が使用しているが、途中の今宮戎駅と萩ノ茶屋駅は、南海本線の列車が走る西側2線にホームがない。このため、両駅を通過する南海本線の列車は「普通車」、両駅に停車する高野線の列車は「各駅停車」と使い分けている。1968年(昭和43年)までは、南海本線の列車にも東側2線を走り両駅に停車する「各駅停車」、1970年(昭和45年)までは高野線の列車にも東側2線を走るが両駅を通過する「普通車」があった。", "title": "案内時の表現" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "特急や急行とは異なり、基本的に列車愛称はつけられない。", "title": "普通列車の愛称" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "国鉄・JRでは、指定席車や寝台車が連結される列車には1974年(昭和49年)7月以降、指定席発券システムの管理上、指定券・寝台券発券の都合から種別のほかに列車名が付けられた。定期列車で最初にこれに当たったが、「ながさき」・「はやたま」・「山陰」・「からまつ」である。なお、それ以前は指定席車や寝台車連結の普通列車は指定券や寝台券の購入の需要が沿線の地域に限定されていたため、列車愛称はなく、発券は手作業で行っていた。", "title": "普通列車の愛称" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "この例では、2023年(令和5年)現在では「いさぶろう・しんぺい」と「エアポート」が該当する。", "title": "普通列車の愛称" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "なお、北陸新幹線が「長野新幹線」と称された時代に新幹線列車に接続する列車として運行されていた「妙高」には座席指定席が存在したため、列車愛称を持っていた。", "title": "普通列車の愛称" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "一方、全車自由席で列車名がつけられる例としては「むさしの号」・「しもうさ号」・「はこだてライナー」などが挙げられる。また、国鉄時代の最末期に当たる1986年11月1日国鉄ダイヤ改正では当時の旭川鉄道管理局が旭川・北見近郊エリアの普通列車を「マイタウン列車」と称し、運転線区や区間毎に沿線の名所に因んだ愛称を付けたことがあった。「マイタウン列車」の案内呼称は民営化後の1990年代頃まで続いた後、愛称名のない「普通列車」として案内されるようになったが、当時の名残でキハ150形気動車の方向幕の一部に2010年代頃まで「マイタウン列車」の表記が残存したケースがあった。", "title": "普通列車の愛称" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "そのうち特異な存在としては、2018年(平成30年)まで横須賀線・総武快速線の成田空港行き快速列車のみ「エアポート成田」の愛称を名乗っていた例がある。", "title": "普通列車の愛称" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "道路が十分に整備されておらず、鉄道以外の公共交通機関が未発達だったころは鉄道が中・長距離輸送の主力であった。まだ新幹線がなく、単線・非電化の路線がほとんどであった時代は、深夜の時間帯でも一定の旅客需要があったことから、主要幹線では二等車(後に一等車に改称、現在のグリーン車)を連結した夜行普通列車も数多く運転されていた。", "title": "夜行普通列車" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、都市間連絡の利用に対応するために寝台車が連結されていた列車もあり、マルスシステムで寝台券を発券が可能になった1974年(昭和49年)に「ながさき」「はやたま」「山陰」「からまつ」などのように列車愛称が付けられていた列車もあった。", "title": "夜行普通列車" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "夜行普通列車は全区間通しあるいは一部区間のみで乗車する場合もあったほか、同じ区間を並行する特急・急行・寝台列車などを末端部分で補完するような場合もあった。特に速達列車が停車しない駅に早朝に到着したい場合などに、速達列車からの乗り換えなどにより対応していた。", "title": "夜行普通列車" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "大部分が国鉄時代に廃止されたが、JR化後も残った列車(JR北海道のミッドナイトなど)もあり、「ムーンライト」などの夜行快速列車などに受け継がれることになる。", "title": "夜行普通列車" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1872年(明治5年)の鉄道開業以来、旅客輸送は機関車が牽引する客車列車が担っていた。電車や気動車の実用化後もこの状況は変わらず、電車は大都市近郊区間の運用が主体であり、気動車も連結両数の制約などから長距離運転には使用されず、非電化区間における比較的短距離の列車に使用されるのみであった。 1950年(昭和25年)に80系電車による長距離電車列車の運転開始と1953年(昭和28年の)総括制御運転が可能な液体式気動車キハ45000系の量産開始を契機として、動力分散方式が推進された。その結果、新性能電車や準急形気動車が実用化された昭和30年代以降動力近代化計画が決定され、客車の新製は静粛性が追求される夜行列車用に限られ、普通列車用の車両には電車・気動車が新製されることとなった。非電化区間への気動車列車の投入は非常に好評で、製造両数を上回る投入希望に応えるため客車を改造した気動車(キハ08系気動車)も作られた。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "使用車両は鉄道創業期には上等車、中等車の連結もみられたが、その後は現在の普通車に相当する三等車のみで編成される列車が一般的となり、一部の線区や列車でのみ二等車や二三等合造車が連結された。三等級制から二等級制への移行後、昭和30年代後半以降、多くの一等客車が二等車(現・普通車)に格下げされた後は、現在のグリーン車に相当する一等車を連結する普通列車はさらに減少した。国鉄分割民営化後はJR東日本が関東地区でグリーン車の運用線区を拡大している。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "寝台車に関しては1985年(昭和60年)3月14日改正まで運用された京都駅と出雲市駅を結ぶ「山陰」を最後にB寝台車連結が廃止された。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "普通列車のトイレについては、車両の改造などに費用が掛かるとして高度成長期以降もなお、汚物の自然落下、垂れ流し方式が持続した。1970年代に横須賀・総武快速線向けに量産された国鉄113系電車に初めて、新車段階から循環式トイレが装備されたが、地方では新車や特急・急行用車両が普通列車用として格下げ配備されるまで改善されることはなかった。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "国鉄の普通列車に使われる車両(普通車)は座席配置により次のように区分される。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "このほか、旧型客車、一部の旧型国電、酷寒地向け車両では、急行形に準じた客室仕切りを備えた客室構造の車両もある。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "旧型国電(旧性能電車)には3扉ロングシート車、4扉ロングシート車、3扉セミクロスシート車、2扉クロスシート車があり線区の性格に適した座席配置の車両が使用された。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "電車においても、客車と同様、線区によっては二等車・二三等合造車(一等車を経て現在はグリーン車)の連結がおこなわれている。座席は旧型国電では座席間隔の広いボックスシートの場合が多く、新性能電車では形式によってリクライニング機構の有無があるが、すべて回転クロスシートである。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "なお、新性能電車の実用化後は一部の例外を除いて基本的に系列・車種ごとに運用されている。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "国鉄では普通列車用でも最高速度や車内設備の違いなどから通勤形車両と近郊形車両に用途を二分し、運用も区別していたが、東日本旅客鉄道(JR東日本)ではE231系電車で初めて通勤形と近郊形の形式上の区別を廃止し、一般形電車として形式・区分を統一したが、E231系とE233系には通勤タイプと近郊タイプがあり、運用上の区別もされている。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "地方では近郊形が主流であるが、導入する車種は基本的に定められていない傾向があり、後述のとおり特急形が使用される線区もある。過去には急行形が使用された線区もあった。通勤形については国鉄時代は仙石線など一部の線区でしか使用されなかったが、JR発足後は導入する線区が増えている(通勤形車両 (鉄道)#地方都市圏での導入も参照)。JR東日本では107系・701系・E127系といった3ドアロングシート車が導入され、これらはJR東日本の公式ウェブサイト上では通勤形に区分されているが、701系に至っては片道200kmを超える運用に充当されたこともあった。JR北海道では3ドアロングシート車である731系・733系・735系は通勤形に分類されているが、近郊形である721系と基本的に共通運用されており、JR東日本とは異なり、車種を分けているものの通勤形と近郊形の運用上の区別はされていない。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "国鉄時代は車両置き換えに際して東京・大阪の大都市圏が優先されたため、地方(特に直流電化線区)では1980年代半ばまでは長らく旧型国電が使用され、それ以後も旧型車の置き換えに際しては大都市圏で使用された経年車両のうち比較的状態がよい車両を地方に転用していた。JR発足後もJR東日本とJR西日本ではこの体制は続けられている。例えばJR西日本では1990年代、山陽地区で運用されていた115系非冷房車の置き換えに、冷房車が比較的多かった103系を転用したことがある。転用された103系は2008年(平成20年)以降、呉線で使用される一部の車両を除き京阪神地区で使用されていた113系に置き換えられたほか、呉線で運用していた車両も2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で227系に置き換えられ、運用を離脱した。JR東日本でも京浜東北線のE233系電車導入で余剰となった209系を房総地区(非電化線区の久留里線を除く)に転用し、113系と211系を置き換え、普通列車用の車種を209系に統一している。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1990年代の一時期、地方線区(特に東北・九州)でもロングシート車(701系、815系など)が導入されたが、後継車両でセミクロスシートに戻された事例もある(E721系、817系など)。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "国鉄の気動車は蒸気動車を含めて、液体式気動車が実用化されるまでは、普通列車用であった。 液体式気動車で普通列車用に製造された車両は一般形(キハ10系、キハ20系)、通勤形(キハ35系)、近郊形気動車(キハ45系)があり、これら普通列車用の車両を一括して一般形気動車と呼ぶこともあるが、車種の分類は資料や文献によって相違しており、国鉄時代の普通列車向け気動車は厳密に車種を特定することは困難であり、制式に分類したものではなかった。実際の運用ではこれに加えて準急形、急行形の車両も使用されたため、塗色や形態、扉の位置や数、座席配置が異なる多種多様な形式が混結して使用されることとなり、そのような列車は「百鬼夜行」と形容された。これは国鉄時代の液体式気動車は特急形を除いて互換性が重視され、液体式変速機を持つものであればどの車両でも連結運転が可能な構造となっていたからできた運用である。もっとも、線区によっては、同一系列や同一形式が集中配置され、統一された編成で運用された例も見られた。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "JR発足後に増備された車両の中には、電気指令式ブレーキや密着連結器を採用し、電車並みに性能が向上した車両もあるが、これらの車両は国鉄時代の車両とは併結できないため、在来車と運用が区別されている。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "鉄道開業時には、廊下のない個室式の客室構造の車両も見られたが、私鉄統合後の大正期からは車端に手動式の開き戸を備えた、客室仕切り(デッキ)があるクロスシート車が三等車の標準となった。20系客車にはじまる固定編成式以前の客車は特急用に専用の車両が製造される事例があったものの、基本的に優等列車と普通列車の二等車、三等車は共通であった。ただし、優等列車はその性質上、常に状態の良い車両を選定して使用していたため、最新形式、更新工事車などが優先的に使用され、普通列車用の車両は後継車に置き換えられた元優等列車用の車両を含め車齢の高い車両で運用されていた。そのため結果的に優等列車用車両と普通列車用車両では座席や台車の形式の違いによる乗り心地等の格差が見られた。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ただし、鋼体化改造車である60系客車の普通車は木造車置き換え用に、最初から地方線区へ投入されている。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "これら、標準的な客車とは異なるものとして、通勤形客車がある。客車列車運用線区でも必要になった通勤・通学輸送に対応するため室内をロングシートに改装して、1963年(昭和38年)以降改造された。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "このほか、変則的な車両として、格下車や終戦後車両不足に対処するため暫定的に使用された戦災復旧車、70系客車がある。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "格下車は旧式化した優等車を三等車(現・普通車)に格下げしたものである。優等車の格下げ自体は車内設備の陳腐化・老朽化に応じて行われていたが、戦時体制強化による優等列車廃止と1960年代に行われた一等車(三等制時代の二等車、並ロ)の格下では多くの車両が格下げされた。後者の事例では、座席は一等車時代そのままであったため、いわゆる乗り得車両となったが、数年で再改造され消滅した。同様な例として特急用三等車(特ハ)の普通列車転用事例でも特急時代の座席がそのまま残されることもあった。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "なお、10系以前の客車については「一般形客車」、「在来形客車」、「旧型客車」と呼称されることもあるが、20系客車以降の客車との対比で使われたもので、規程上の正式な呼称ではない。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "1970年代半ばごろから長らく使用され老朽化が目立つようになった旧型客車の置き換え用に1977年(昭和52年)から50系客車が製造され、交流電化線区や非電化幹線を中心に使用された。旧型客車はデッキを有する2扉クロスシートで通勤輸送に難があり、また、手動ドアで安全性にも問題があったため、50系はドア幅を拡大の上自動式とした。客室仕切りは設置されたが、座席配置はセミクロスシートを採用しドア付近をロングシートにして混雑時にも対応できるようになっている。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "なおドア付近をロングシートとしたセミクロスシートの座席配置は混雑対策として1940年代にマハ29やスハ36で既に採用されたことがあり、1960年代にも60系客車の一部がセミクロスシートに改造されている。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "さらに、12系急行客車も座席をセミクロスシートとする「近郊化改造」などの改造を行い普通列車に投入された。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "その一方で、客車列車の電車・気動車列車への置き換えも進行し、客車による定期列車は各駅停車では2001年(平成13年)10月の鹿児島本線と筑豊本線を最後に、快速列車では2002年(平成14年)11月の「海峡」を最後に廃止された。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "こうして、かつては国鉄線の大部分で運行されていた普通客車列車は、動力分散方式への移行により消滅し、2016年(平成28年)時点での定期列車においては客車の普通列車は設定されていない。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "急行形車両は、その祖形である一般的な三等客車(現・普通車)と同様元々普通列車に使用される機会があったが、急行充当車においても間合い運用や一部の区間で普通列車として運行される例も見られた。急行列車の廃止・削減などで減少すると、余剰となった車両を有効活用する観点から格下げの形で地方線区で使われた。最後まで急行形車両が使用されたのは北陸本線であり、2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で413系と編成を組むクハ455形700番台2両を除いて全車運用を離脱した。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "特急形車両は1970年代半ばまでは特別な存在であったため、普通列車には原則として使用されなかったが、1970年代半ば以降は急行列車の特急格上げにつれて一部の地域では特急形車両による間合い運用による普通列車や一部の区間で普通列車として運行する列車が設定され、185系や373系のように間合い運用で普通列車にも使用することを想定した車両も導入された。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "中には格下げの形で使用された例もある。例として、四国旅客鉄道(JR四国)ではキハ185系の格下げ改造車が使われている。過去には常磐線いわき - 富岡間の一部の普通列車には651系が充当されていたほか、信越本線長野 - 直江津間の普通列車「妙高」は新幹線連絡列車であった性格上、指定席車設定の観点から特急形電車である183・189系が使用されていた。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "私鉄では特急や一部の急行といった優等列車とは異なり、基本的そのほかの車両(一般車両)が使用されるが、料金不要の優等列車を運行している私鉄においては入出庫の関係上、優等列車用車両が使われる場合がある。また、優等列車用車両であった車両が優等列車の運用を離脱した場合には格下げの形で普通列車に使用される場合があり、中には通勤形車両に近い形に改造する車両もある。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "例外的に専用の車両を使用する例として、阪神電気鉄道では本線においては普通列車に適した性能を有する専用の車両(ジェットカー)が使われる。かつては京阪電気鉄道でも普通列車・区間急行用に適した性能を有する専用の車両である2000系を保有していた。同様の事例として、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)では京王線系統においては各駅停車には長らく緑色に塗装された2010系以前の車両(グリーン車と呼ばれた)が使用されていた。これは急行系列車には状態の良い車両を使用し、各駅停車には後継車両の増備で捻出した車両を充てていたためである。また、その置き換え用である7000系は2001年(平成13年)3月のダイヤ改定で車両の運用方針を変更するまでは各駅停車運用に用いる車両とされていたが、阪神とは違い性能面では6000系などと大差はなかった。東急東横線においても8000系が8090系導入後は長らく各駅停車専用で運用されていたが、2001年(平成13年)3月のダイヤ改正で急行・特急運用が復活しており、2007年(平成19年)の全廃まで種別を制限することなく使用された。2013年(平成25年)3月からは各駅停車が停車する駅のホーム有効長の関係もあり、8両編成の車両に制限されている。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "一方で優等列車と普通列車で使用する車種が定められていない私鉄もあり、富山地方鉄道では観光路線であることと優等列車との兼ね合いで2ドア転換クロスシート車や回転クロスシート車が使われているが、特に明確な区分はしていない。ただしロングシート車である17480形は原則として特急運用には充当されない。名古屋鉄道でも1975年(昭和50年)までは着席通勤と優等列車への使用を前提に2ドア転換クロスシート車が導入され、種別ごとに使用系列を限定して運用していたわけではないが、最新の系列のみが特急列車に使用され、後継車両の増備につれて次第に普通列車にも運用されるようになっていたため、「特急用」「一般用」などといった用途分類の概念がなかったが、1975年(昭和50年)に本格的な通勤車両の投入、1984年(昭和59年)に8800系(パノラマDX)等の座席指定特急車両の投入と特急施策の変更により用途が分かれ、現在、座席指定車両を含む編成が普通運用に就いた場合は、座席指定車両は締切扱いとなる。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "日本国外の列車に日本の列車種別を一概に当てはめることは難しい。国によっては、速達性や接客設備の差によって列車種別毎に異なる運賃体系をとっており、日本の列車種別に該当しない列車もある。それでも、運賃が格安な種別や、各駅に停車する種別を日本の普通列車と同類の列車として扱う傾向がある。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "台湾の台湾鉄路管理局(台鉄)では普快車と区間車・区間快車が普通列車に相当する種別である。普快車と区間車は各駅停車、区間快車は快速に相当する種別である。台鉄は列車種別毎に異なる料金体系を用いているが、普快車は冷房のない鉄道車両(非冷房車)を、区間車は冷房付き車両を使用するため、普快車と区間車・区間快車とで運賃に格差がつけられている。これらの列車は非対号列車と呼ばれており、全席が自由席となっている。なお、区間車・区間快車と同額の運賃を用いる列車に復興号があるが、こちらは対号列車(全席座席指定席の列車)なので優等列車として扱われている。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "韓国鉄道公社(KORAIL、旧鉄道庁)の路線のうち、広域電鉄区間では日本の近距離電車に相当する列車として緩行列車を運行しており、4ドアロングシートの通勤形車両が使用される。改札も電鉄とその他の路線(高速路線・一般路線)とで区分されている。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "一方、一般路線では2014年(平成26年)5月から極一部の区間を除いて優等列車のみの運行となっている。かつては全国でピドゥルギ号・トンイル号が普通列車に相当する種別として運行されていたが、いずれも2004年(平成16年)3月までに全廃された。その後、地方都市近郊では通勤列車が、それ以外の路線では優等列車であるムグンファ号が実質的に地域輸送を担う状況となっている。だが、通勤列車は需要の減少による運行終了や他の列車種別への置き換え等によって2014年(平成26年)4月末までに複数区間での運行が終了し、2014年(平成26年)5月から2019年(平成31年)3月末までは京元線の末端区間、2020年(令和2年)1月以降は光州広域市内の光州線のみで運行されている。また、ムグンファ号はすべての駅に停車するとは限らず、全列車が通過する事実上の休止駅となった駅も少なくない。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "なお、旧鉄道庁・KORAILは列車種別毎に異なる料金体系を設定しているため、ピドゥルギ号・トンイル号・通勤列車からムグンファ号への列車種別変更は事実上の運賃値上げとなっている。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "中国鉄路総公司の運営路線では、普快列車(中国語版)と普客列車(中国語版)、および通勤列車が普通列車に相当する。そのうち、普客列車は各駅に停車する。普快列車は長距離列車で寝台車や食堂車も連結される。運賃は座席の硬さによる等級制で、空調の有無により追加料金が徴収される。なお、中国で運行されている快速列車(中国語版)は日本の急行列車、特快列車(中国語版)と直达特快列車は日本の特急列車に相当する優等列車の種別である。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "インドネシアのKRLジャボタベックでは、2013年(平成25年)まで冷房装置の有無により運賃に格差をつけていた。だが、すべての列車に冷房が搭載されたことで運賃が統一された。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "東南アジア諸国の鉄道は運賃体系が等級制で、下位の等級による列車が普通列車と見なされる。下等列車では、木製の座席で冷房のない車両が使われている。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ヨーロッパ諸国の普通列車は長らく客車が主体で、機関車の付け替えを必要としない運転台付きの客車も見られる。だが、その一方で動力分散方式の列車に移行しつつある国もある。車両も2階建車両が主流で、通勤輸送と近郊輸送を両立させている。", "title": "日本国外で普通列車に相当する列車種別" } ]
普通列車(ふつうれっしゃ)は、旅客列車における列車種別の一種である。一般的には運賃のみで乗車可能な各駅に停車する列車を指し、「各駅停車」と案内する事業者もある。 日本国有鉄道(国鉄)・JRの旅客営業規則における用語では、特別急行列車を含む広義の急行列車以外の列車を指し、この場合は快速列車も含まれる概念となる。市販の時刻表では細字で表示されている列車を表す。 本項は特に断りがない限り、日本における普通列車を主題として解説している。
{{出典の明記|date=2018年11月}} {{簡易区別|鉄道車両としての「[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]」}} '''普通列車'''(ふつうれっしゃ)は、[[旅客列車]]における[[列車種別]]の一種である。一般的には[[運賃]]のみで乗車可能な各駅に停車する列車を指し、「[[各駅停車]]」と案内する事業者もある。 [[日本国有鉄道]](国鉄)・[[JR]]の旅客営業規則における用語では、[[特別急行列車]]を含む広義の[[急行列車]]以外の列車を指し、この場合は[[快速列車]]も含まれる概念となる。市販の[[時刻表]]では細字{{refnest|group="注"|交通新聞社『JR時刻表』では黒字。}}で表示されている列車を表す<ref name="RP844">電気車研究会『[[鉄道ピクトリアル]]』No.844 p.11</ref>。 本項は特に断りがない限り、日本における普通列車を主題として解説している。 == 概要 == 各駅に停車する列車種別には、「普通列車」の他に「各駅停車」の案内がある。一般的にどちらか一方の用語に統一されているが、両方の列車種別を用いている事業者もある。両方が用いられる典型的な例として、[[複々線]]区間における[[急行線|急行線・緩行線]](あるいは[[電車線・列車線]])双方の、旅客ホームが設置された全駅に停車する列車が挙げられる。中には、[[西武鉄道]]のように「普通」から「各駅停車(各停)」に正式列車種別名を変更した例もある<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20181221-OYT8T50040.html?page_no=3 普通?各停?各社バラバラ、複雑すぎる列車種別] - 読売新聞。2018年12月22日7時発信、2019年1月27日閲覧。</ref>。 {{see also|各駅停車|快速列車}} === 日本の国鉄・JR === 基本的に各駅へ停車する(もしくは一部の駅を通過する)列車が普通列車と案内される。 運賃・料金面では、旅客営業規則において「急行列車」以外の列車を「普通列車」と定めており<ref>例えば、JR東日本旅客営業規則[http://www.jreast.co.jp/ryokaku/01_hen/index.html 旅規第3条(5)]、JR東日本</ref>、この概念では「[[乗車券]]([[回数乗車券|回数券]]・[[定期乗車券|定期券]]を含む)以外に[[特別急行券|特急料金]]・[[急行券|急行料金]]が不要な旅客列車」となる。この場合は快速列車も含む概念であり、フリーきっぷなどで「普通列車(快速含む)」とあるのは{{refnest|group="注"|時刻表のフリーきっぷのページでは普通列車用のフリーきっぷについては案内上、「'''フリーエリア内の快速・普通列車の普通車自由席が乗り降り自由です'''」と案内されている<ref>JTBパブリッシング『JTB時刻表』2013年3月号 pp.1015 - 1033</ref>。}}この規則による<!--<ref>創元社 所澤秀樹『鉄道の基礎知識』pp.96 - 97</ref>-->。JRにおいて快速列車を含む普通列車は[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]の[[自由席]]であれば、[[乗車券]]または定期券で乗車可能である。全車座席指定列車や[[ホームライナー]]など[[座席指定券]]・[[乗車整理券|着席整理券]](ライナー券)が必要な列車であっても、別途それらに該当する料金券を購入すれば乗車券・定期券と併用することで乗車できる<ref group="注">一方、急行列車・特別急行列車乗車時に必要となる急行券・特別急行券は、一般には定期券との併用は認められていないほか、普通列車の座席指定券やホームライナーの着席整理券よりも割高である。</ref>。 === 私鉄 === 基本的に各駅へ停車する(もしくは一部の駅を通過する)列車が普通列車と案内される。事業者によっては国鉄・JRと同様に料金不要の速達列車(快速列車相当)を運行しているが、優等列車として扱うのが一般的である<ref>一例として、[http://www.hokuso-railway.co.jp/data/topics/195/20151022165855.pdf 12月5日(土)北総線ダイヤ改正] - [[北総鉄道]] 2015年10月22日</ref>。ただし、料金不要列車も優等列車の範疇に含めるかどうかは事業者によって異なる{{refnest|group="注"|''詳細は[[優等列車#私鉄]]を参照。''}}。ただし、[[観光列車]]においては、[[座席指定券]]または[[乗車整理券]]などの特別料金が必要になり、また普通列車であっても主要駅を除いてノンストップなど、[[急行列車]]や[[特別急行列車|特急列車]]に匹敵するものもある。 == 通過駅 == {{see also|各駅停車#各駅停車の通過駅|電車線・列車線|中距離電車}} === 複々線区間のホーム不設置 === [[複々線]]区間において、全駅にホームが設置されている[[緩行線]]と少数の駅にのみにホームが設置される[[急行線]](快速線)が別々に運行管理される場合、急行線を走る普通列車は緩行線に対しては複数の駅を通過することになる。 [[File:Railway platform from Keihan Takii Station IMG 0939 20130203.JPG|thumb|300px|外側の緩行線にのみホームが設けられている駅の例。このような形の駅では、内側の急行線を走る普通列車はホームがないためこの駅を通過する。]] * [[東海道本線]]・[[東北本線]]の[[大船駅]] - [[東京駅]] - [[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]間、[[山手線]]の[[品川駅]] - [[田端駅]]間、[[常磐線]]の[[北千住駅]] - [[取手駅]]間についての詳細は、それぞれの路線記事を参照。 ** 東北本線の[[さいたま新都心駅]]では、[[上野駅]]・[[東京駅]]方面([[上野東京ライン]])の普通列車は停車するが、[[湘南新宿ライン]]の普通列車は通過する。これは、湘南新宿ラインの列車が走行する[[東北貨物線]]にはホームが設置されていないためである<ref group="注">時刻表では通過を示す レ で表示されている。</ref>。[[2013年]][[3月15日]]までは[[浦和駅]]も同様の理由で通過したが、こちらは高架化に際してホームが設置された。 * [[京王線]]の[[新宿駅]] - [[笹塚駅]]間では、[[京王新線]]が開業した際に元の京王線にあった[[初台駅]]・[[幡ヶ谷駅]]が廃止されたため、両駅は新線経由の列車のみ停車し、京王線(本線/旧線)経由の普通列車(各駅停車)はこの両駅は通過となる。 * [[東急電鉄]]の[[二子玉川駅]] - [[溝の口駅]]間は[[東急田園都市線|田園都市線]]と[[東急大井町線|大井町線]]が並走しており、途中にある[[二子新地駅]]と[[高津駅 (神奈川県)|高津駅]]は大井町線用のホームがないため、基本的に田園都市線の普通列車(各駅停車)のみが停車する。ただし、大井町線の一部の各駅停車(種別表示が青色の列車)は同区間にて田園都市線の線路を走行し、この両駅にも停車する。 <!--* [[東海旅客鉄道|JR東海]]の[[名古屋駅]] - [[金山駅 (愛知県)|金山駅]]間では東海道本線と中央本線が並走しているが、この間にある[[尾頭橋駅]]には中央本線側にホームが設置されていないため、東海道本線の列車のみ停車する。←金山 - 名古屋は別路線の並行扱いのため厳密には通過ではない。--> * [[西日本旅客鉄道|JR西日本]]では[[福知山線]]([[JR宝塚線]])の普通列車で朝時間帯に[[大阪駅]]を発着し、かつ大阪駅 - [[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]]間で[[電車線・列車線#西日本旅客鉄道|外側線]]を走行する列車は[[塚本駅]]を通過する。尼崎駅にある福知山線との分岐部はかつて外側線とのみ接続していたことから福知山線の列車はすべて大阪 - 尼崎間は外側線を走行していた。そのため全列車が塚本駅を通過していたが、[[JR東西線]]開業に伴う配線改良工事で内側線にも進入できるようになったことから、現在はJR京都線直通列車を中心に塚本駅に停車する列車も存在する。 * [[阪急電鉄]]の[[阪急京都本線|京都本線]] ([[阪急宝塚本線|宝塚本線]]の急行線)では、普通列車も含めて[[中津駅 (阪急)|中津駅]]を通過する。これは[[大阪梅田駅 (阪急)|梅田駅]] - [[十三駅]]間において[[1959年]][[3月]]の3複線化に際して京都本線側にホームを設置するスペースがなかったためである。それ以前は宝塚本線と線路を共用していたが、乗り入れ列車がほぼ特急・急行のみであったため中津駅には停車しなかった(普通列車は早朝・深夜の一部列車を除き<!--複々線当時、梅田駅0時00分発で普通高槻市行が設定されていましたが、これが中津駅に停まっていたかどうかが気になります。分かる方いませんでしょうか-->十三駅または[[天神橋筋六丁目駅|天神橋駅]]折返し)<ref>『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』、1955年春季号、日本交通公社関西支社、pp.48 - 49に掲載された梅田駅・[[大宮駅 (京都府)|京阪神京都駅]]・天神橋駅の各時刻表</ref><ref>東京堂出版 梅原淳『鉄道・車両の謎と不思議』pp.117 - 118</ref><ref group="注">当時は神戸本線・宝塚本線の架線電圧が600Vで、架線電圧1500Vの京都本線の列車を無理に600Vの区間を走行させていたため本来必要な電圧が不足し、中津駅に停車して運転すると加速力や走行速度が神戸本線・宝塚本線の車両より劣るためその調整で通過していた。その名残で京都本線の列車は通過しているという面もある。</ref>。[[2022年]][[4月1日]]現在、京都本線は前述のとおり普通列車も通過するが、宝塚本線は普通列車が停車している。 * [[南海電気鉄道]]の[[難波駅 (南海)|難波駅]] - [[岸里玉出駅]]間は[[南海本線]]と[[南海高野線|高野線]]が併走しており、途中にある[[今宮戎駅]]と[[萩ノ茶屋駅]]は南海本線用のホームがないため高野線の電車のみが停車する。全ての駅に停車する電車であっても停車駅が違うことから南海本線では「普通([[#普通車(列車種別)|普通車]])」<ref group="注">そのため、南海本線全駅の時刻表には、難波駅は天下茶屋方面ゆき、新今宮駅は両方、天下茶屋以南は難波ゆきの、全種別に停車駅の案内がある</ref>、高野線では「各駅停車」と区別されている。ただし両駅とも所属路線は南海本線となっており、かつては両駅に停車する南海本線各駅停車や両駅を通過する高野線普通も運転されていた。 === 2路線以上の共用区間における一方の駅不設置 === 複数の路線が同じ線路を共用する区間内において、特定の路線の列車のみ停車し、別の路線の列車はすべて通過する駅がある。ただし路線が異なるため通過駅とはみなされず、その路線の駅としては存在しないものとして扱われる。 [[File:JR-Shimoji-station-with-Meitetsu-train.jpg|thumb|300px|飯田線下地駅はJRと名鉄の共用区間内にある。ホームはあるが、停車するのはJRの列車だけであり、写真のように名鉄列車は種別に関係なく通過する。]] * [[北総鉄道]]の[[北総鉄道北総線|北総線]]と[[京成電鉄]]の[[京成成田空港線|成田空港線]]が共用している[[京成高砂駅]] - [[印旛日本医大駅]]間の途中駅のうち、[[東松戸駅]]・[[新鎌ヶ谷駅]]・[[千葉ニュータウン中央駅]]を除く各駅は北総鉄道のみの駅となっており、京成電鉄の列車はすべて通過する。 * [[東海旅客鉄道|JR東海]]の[[飯田線]]と[[名古屋鉄道]]の[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]が共用している[[豊橋駅]] - [[平井信号場]]間には[[下地駅]]と[[船町駅]]があるが、両駅はJR東海のみの駅となっており、名古屋鉄道の列車はすべて通過する。なお、飯田線においても日中は[[豊川駅 (愛知県)|豊川駅]]発着の列車のみ停車し、それ以外は普通列車であっても両駅を通過する。 ; 過去の事例 * [[大阪環状線]][[新今宮駅]]は[[1964年]]の開業当初、大阪環状線の電車と[[関西本線]]の列車(気動車)が当駅を経由していたが、大阪環状線の電車のみが停車し関西本線の列車は通過していた。[[1968年]]の複々線化により関西本線用のホームも完成したがこの時点では関西本線の列車の停車は行われず、[[1972年]]になってようやく停車するようになった。また西隣にある[[今宮駅]]は[[1997年]]に大阪環状線のホームが完成するまでは関西本線の単独駅だった。これらの経緯から[[天王寺駅]]と今宮駅の所属路線が関西本線である一方、両駅に挟まれた新今宮駅は大阪環状線の所属となっている。 === 乗降客の少ない駅 === 普通列車であっても、乗降客の少ない駅を通過する列車がある。理由としては[[運用 (鉄道)|運用]]上の都合(各駅に停車すれば所要時間がかかりすぎる、単線区間で対向列車との行き違いができない駅において、他駅での行き違いのタイミングを合わせるため通過する)が含まれる場合がある。 ; 現在の事例 * 北海道の旧[[仮乗降場]]([[室蘭本線]]の[[小幌駅]]、[[石北本線]]の[[愛山駅]]など) * [[千歳線]]の[[サッポロビール庭園駅]]は、普通列車の一部が通過する。 * [[札沼線]]の[[ロイズタウン駅]]では、上下全84本の普通列車のうち上下9本<!---JR北海道ホームページには「75本の列車が停車」と記載のため、引き算で「9本の列車が通過」と記載しました。--->が通過する<ref>{{PDFlink|[https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20211217_KO_kaisei.pdf 2022年3月ダイヤ改正について]}} - JR北海道・2021年12月17日リリース</ref>。 * [[奥羽本線]]の[[津軽湯の沢駅]]では、夕方以降の一部普通列車が通過する<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20171215-1.pdf 2018年3月ダイヤ改正について]}} - JR東日本秋田支社・2017年12月15日リリース</ref>。また[[糠沢駅]]では、日中(8時台後半から14時台前半)の列車と[[秋田駅]]発[[大館駅]]行き[[終電|最終列車]]が通過する。 * [[羽越本線]]の[[秋田駅]] - [[酒田駅]]間の普通列車において[[桂根駅]]・[[折渡駅]]・[[女鹿駅]]を通過する列車がある。 * [[仙山線]]の[[奥新川駅]]と[[面白山高原駅]]では、2023年(令和5年)3月18日ダイヤ改正で、早朝と夜間の一部の列車が通過となる<ref>{{PDFlink|[https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221216_s01.pdf 2023年3月ダイヤ改正について]}} - JR東日本ニュース(東北本部・2022年12月16日リリース)</ref>。 * [[磐越西線]]の[[喜多方駅]] - [[会津若松駅]]間の普通列車は、5往復を除いて途中[[堂島駅]]・[[笈川駅]]・[[姥堂駅]]・[[会津豊川駅]]を通過する。 * [[鳴門線]]では、[[池谷駅]] - [[鳴門駅]]間の途中駅無停車の普通列車が設定されている<ref>{{PDFlink|[http://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/13-12-20/01.htm 平成26年3月ダイヤ改正について]}} - 四国旅客鉄道、2013年12月20日</ref>。 * [[土讃線]]の[[坪尻駅]]と[[新改駅]]では、駅構内配線の関係上、一部普通列車が通過する。 * [[篠栗線]]の[[九郎原駅]]は、普通列車の一部が通過する。 * [[日豊本線]]の[[竜ケ水駅]]は、普通列車の一部が通過する。 * [[青い森鉄道線]]では、[[青森駅]]発[[八戸駅]]行始発列車が、[[西平内駅]]と[[千曳駅]]を通過する<ref>{{PDFlink|[http://aoimorirailway.com/wp/wp-content/uploads/2017/12/df43f3edaa810ba351f481a047e6ffba.pdf 2018年3月ダイヤ改正について]}} - 青い森鉄道・2017年12月15日</ref><ref>{{PDFlink|[http://aoimorirailway.com/wp/wp-content/uploads/2018/02/1d84e53874178eb2f923360165e809c5.pdf 3月17日(土)からの時刻表]}} - 青い森鉄道</ref><ref group="注">[[2016年]][[3月26日]]から2018年[[3月16日]]までは、通過駅はそのままで快速列車として運行されていた。</ref>。 * [[津軽鉄道線]]では一部列車が[[毘沙門駅]]・[[川倉駅]]・[[深郷田駅]]を通過する<ref>[http://tsutetsu.com/jikokuhyou.html 津軽鉄道時刻表] - 津軽鉄道ホームページ</ref>。 * [[弘南鉄道]]の[[弘南鉄道弘南線|弘南線]]では、日中の列車以外は[[田んぼアート駅]]を通過する。 ; 過去の事例 {{雑多な内容の箇条書き|date=2021年6月}} * かつて存在した[[京成本線]][[博物館動物園駅]]・[[名鉄河和線]][[椋岡駅]]・[[神戸電鉄有馬線]][[菊水山駅]]など、一部の普通列車が通過することもあった<ref>東京堂出版 梅原淳『鉄道・車両の謎と不思議』pp.110 - 116</ref>。神戸電鉄有馬線[[新有馬駅]]に至っては無人地帯のまっただ中にあると言ってよく、停車する列車も1日1往復に限られ、その列車ですら事前に下車する旨を乗務員に伝えておかないとまるで路線バスのように通過することもあったという。 * [[東北本線]]では、 ** [[1960年代]]ごろに[[苫米地駅]]において、一部普通列車が通過していた<ref>参考資料:弘済出版社発行1964年3月号大型時刻表の東北本線のページ。</ref>。 ** また、国鉄末期からJR時代には、青森発八戸行き最終列車が、千曳・小川原両駅を通過した<ref>日本交通公社1982年9月号・1986年11月号・1987年12月号の大型時刻表および弘済出版社発行JR時刻表(大型)1991年2月号のそれぞれ東北本線(上り)のページから。</ref><ref group="注">なお、先述のとおり[[2021年]](令和3年)[[3月13日]]から千曳駅では、青森発八戸行き'''始発列車'''が通過する。</ref>。 * [[津軽線]]では、青森発[[蟹田駅|蟹田]]行き下り始発列車が一部の駅を通過していた<ref>日本交通公社1982年9月号・1986年11月号・1987年12月号の大型時刻表および弘済出版社発行JR時刻表(大型)1991年2月号のそれぞれ津軽線のページから。</ref>。 * 奥羽本線において、 ** [[上飯島駅]]では、かつて奥羽本線[[客車]]普通列車<ref group="注">男鹿線直通の客車列車(秋田以北が普通となる[[臨時列車|臨時]][[夜行列車|夜行]][[急行列車]]『おが』を除く)と[[気動車]]普通列車は全列車が停車していた。<!---出典:日本交通公社発行1986年11月号・1987年12月号時刻表の奥羽本線のページ。--></ref>は通過していた。また、[[山形駅|山形]] - [[新庄駅|新庄]]間の一部駅や[[茂吉記念館前駅|北上ノ山駅(現・茂吉記念館前駅)]]でも、通過する普通列車があった。<!---日本交通公社発行の1984年9月号・1986年12月号や1987年11月号大型時刻表の奥羽本線のページから---> ** [[赤岩駅 (福島県)|赤岩駅]]では、[[2012年]](平成24年)度から[[2015年]](平成27年)度の冬期間のみすべての普通列車が通過<ref group="注">2016年(平成28年)3月のダイヤ改正で廃止された[[山田線]][[大志田駅]]・[[浅岸駅]]も同様の理由で冬期間は全列車が通過していた。冬季通過の記述は、出典:交通新聞社発行小型全国時刻表2015年12月号付録1ページから。</ref>し、2016年(平成28年)度冬季以降は通年通過駅<ref>{{PDFLink|[https://jr-sendai.com/upload-images/2016/12/20161216.pdf 2017年3月ダイヤ改正および新駅開業等について]}} - JR東日本仙台支社・2016年12月16日リリース</ref>となったが、2021年(令和3年)3月13日実施のダイヤ改正で廃駅となった<ref>{{PDFlink|[https://www.jreast.co.jp/press/2021/sendai/20210120_s01.pdf 奥羽本線 赤岩駅廃止について]}} - JR東日本ニュース・2021年1月20日リリース</ref>。 * 羽越本線において、 ** [[東酒田駅]]では、[[1990年代]]初めごろに日中の列車が通過していた<ref>『弘済出版社(現・交通新聞社)発行JR時刻表1991年2月号』pp.618 - 621「羽越本線・白新線」のページ。</ref>。 ** [[北余目駅]]では、[[1980年代]]ごろに朝の下り列車の一部と夜の1本および夕方以降の上り列車の一部が通過していた<ref>『日本交通公社(現・JTB)発行1987年12月号時刻表』pp.470 - 476「羽越本線」・「白新線」のページ</ref>。 * [[北上線]]では、 [[2016年]](平成28年)12月1日から、平石駅・矢美津駅の両駅が冬季期間(期間は12月1日から翌年3月31日まで)全列車通過となる<ref>{{Cite press release|和書|date=2016-11-11|url=http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20161111.pdf|format=PDF|title= 北上線「平石駅及び矢美津駅」冬季期間の列車通過について|publisher=東日本旅客鉄道秋田支社|accessdate=2016-11-11}}</ref>が、2022年(令和4年)3月12日ダイヤ改正で廃止された<ref name="jreast20211217">{{Cite press release|和書|url= https://www.jreast.co.jp/press/2021/morioka/20211217_mr01.pdf |format=PDF|language=日本語|title=2022年3月ダイヤ改正|publisher= 東日本旅客鉄道株式会社 盛岡支社|date=2021-12-17|accessdate=2021-12-18}}</ref>。なお、矢美津駅では、平成初期に日中の一部列車が通過していたほか、国鉄末期から先述の冬季通過実施まで、始発列車が一部駅を通過していた<ref>『日本交通公社時刻表』1982年9月号330・331頁、1986年11月号465頁、1987年12月号465頁と『弘済出版社時刻表』1991年2月号604・605頁、2016年3月号659頁の各北上線の項。</ref>。 * [[信越本線]]では、国鉄時代に[[南高田駅]]と[[北新井駅]]の両駅において、一部普通列車が通過していた<ref>『日本交通公社発行1982年9月号時刻表』pp.284 - 286(下り)とpp.287 - 289(上り)の信越本線の項および同公社発行『1986年12月号時刻表』pp.402 - 405(下り)とpp.406 - 409(上り)の信越本線の項から。</ref>。 * 中京圏の[[東海道線 (名古屋地区)|東海道本線]]では、[[2006年]](平成18年)[[10月1日]]のダイヤ改正までは、ごく一部の普通列車が一部の駅を通過していた<ref group="注">事例は[[東海道線 (名古屋地区)#普通]]の節を参照。</ref>。 * [[高山本線]]では、国鉄末期の1982年頃(下り)<ref>『日本交通公社時刻表1982年9月号』239頁の高山本線の項より。これに「下り739D列車が後述の駅のみ停車」と記載あり。</ref>・1984年頃(上り)から2023年(令和5年)3月18日ダイヤ改正までは、[[高山駅]] - [[岐阜駅]]間を運行する始発および最終列車は、高山駅 - [[下呂駅]]間は[[久々野駅]]・[[飛騨小坂駅]]・[[飛騨萩原駅]]のみに停車した。 * [[西日本旅客鉄道福知山支社|JR西日本北近畿地区]]では、2012年(平成24年)[[3月17日]]のダイヤ改正時で、普通列車の一部が通過する設定がされたことがあったが、翌年のダイヤ改正で当該列車は快速列車に変更されている<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/121221_00_fukuchiyama.pdf 平成25年春ダイヤ改正について]}} - 西日本旅客鉄道福知山支社</ref>。 * [[和歌山線]]では、和歌山 - 五条間非電化時代、該当区間において、客車列車では、一部の駅を通過していた<ref>『jtb交通公社の時刻表』(日本交通公社発行)大型時刻表の1982年9月号と1984年9月号のそれぞれ和歌山線のページより。</ref>。 * [[鹿児島本線]][[田原坂駅]]では、2018年(平成30年)3月17日ダイヤ改正まで日中の普通列車の半数が通過していた。 * 青い森鉄道線では、八戸発青森行き始発列車が、一部の無人駅を通過したが、該当列車は、2016年(平成28年)[[3月26日]]ダイヤ改正で、通過駅はそのままで、快速列車に変更された<ref group="注">該当列車は、2018年(平成30年)3月17日ダイヤ改正で、<!---通過駅のない完全なる--->普通列車に変更された。</ref>。さらに、2021年(令和3年)3月12日まで、青森発八戸行き始発列車が[[狩場沢駅]]を通過していた。 * [[東武鉄道]][[東武鬼怒川線|鬼怒川線]]の[[東武ワールドスクウェア駅]]は、開業当時は[[東武ワールドスクウェア]]の開園時間に合わせて営業し、それ以外の時間帯は普通列車であっても全列車通過していた<ref name="tobu20170228">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www.tobu.co.jp/file/pdf/79c334dda9506eee8dc5a17f5b07168c/170228_3.pdf|title=東武鬼怒川線 新駅「東武ワールドスクウェア」の開業日を7月22日(土)に決定しました!|publisher=東武鉄道|date=2017-2-28|accessdate=2017-7-23}}</ref>。[[2020年]](令和2年)[[6月6日]]のダイヤ改正より、営業時間外に運転する列車に関しても停車列車が設定されている<ref name="daiyakaisei20200606">{{Cite press release|和書|url=https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/releases/1748d4629b95c74a8661b243af941bda_200225_3%20.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200606173654/https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/releases/1748d4629b95c74a8661b243af941bda_200225_3%20.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2020年6月6日(土)ダイヤ改正を実施! 東武スカイツリーライン・伊勢崎線・日光線・東武アーバンパークライン【特急列車・THライナー・SL大樹概要が決定】|publisher=東武鉄道|date=2020-02-25|accessdate=2020-06-09|archivedate=2020-06-06}}</ref>。 * [[京成電鉄]][[京成本線|本線]][[博物館動物園駅]]では、[[1981年]](昭和56年)から[[1997年]](平成9年)[[4月1日]]の休止(その後[[2004年]](平成16年)4月1日廃止)まで、駅有効長などの関係で、6両編成の普通列車は通過していた<!---博物館公園駅内部リンクから--->。 * [[東京モノレール羽田空港線]]では、[[1992年]](平成4年)[[6月18日]]まで[[昭和島駅]]を一部の列車<ref group="注">当時は普通列車のみが運転されていた。</ref>が通過していた。 * [[近畿日本鉄道]]時代の[[養老鉄道養老線|養老線]]の[[大外羽駅]]や[[近鉄橿原線]]の[[ファミリー公園前駅]]では、過去に一部時間帯に普通列車が通過していた。 === 他線区からの直通列車 === [[上越線]]では[[北越急行ほくほく線|ほくほく線]]直通の全列車が[[石打駅]]・[[大沢駅 (新潟県)|大沢駅]]・[[上越国際スキー場前駅]]<ref group="注">ただし冬季は一部列車が臨時停車する。</ref>を通過するほか、同線の[[塩沢駅]]および[[信越本線]]の[[黒井駅 (新潟県)|黒井駅]]も一部通過する。これは短い編成でワンマン運転を行うほくほく線の列車では、JR線内での突発的な需要に応じ切れないことが理由にある<ref>鶴通孝「高規格第三セクター鉄道 北越急行ほくほく線の素顔」、『鉄道ジャーナル』第368号、鉄道ジャーナル社、1997年6月、p.53</ref>。 [[伯備線]]の[[布原駅]]は[[芸備線]]直通の列車のみが停車し、伯備線の列車は運転停車することがあっても客扱いを行わず全列車が通過となる。 [[東海道本線]]の[[瀬田駅 (滋賀県)|瀬田駅]]は[[1985年]]のダイヤ改正まで、[[草津線]]から直通する客車普通列車が通過していた。 === 特定の時期に通過となるもの === 観光のオフシーズンなど特定期間に著しく利用客が少なくなる駅では、[[臨時駅]]でなくとも一部もしくは全部の列車が通過となることがある。 * [[奥羽本線]]の[[津軽湯の沢駅]]は、[[2018年]]から冬期間に全列車が通過する<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/akita/press/pdf/20181119.pdf 奥羽本線「津軽湯の沢駅」冬期期間の列車通過について]}} - JR東日本秋田支社・2018年11月22日リリース</ref>。また[[板谷駅]]と[[大沢駅 (山形県)|大沢駅]]は、[[2023年]]から冬期間に全列車が通過する<ref>{{PDFlink|[https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221209_s01.pdf 冬期間における奥羽本線の駅通過について]}} - JR東日本東北本部(2022年12月9日プレスリリース)</ref>。 * [[仙山線]]の[[奥新川駅]]と[[面白山高原駅]]は、2023年から冬期間に一部の列車が通過となる<ref name="令和5年春JR東日本東北地区ダイヤ改正" />。 * [[弘南鉄道]][[弘南鉄道弘南線|弘南線]]の[[田んぼアート駅]]は、開業以来冬期間は全列車が通過する。 === その他の事例 === * [[臨時駅]]および[[休止駅]]は休止期間中に営業しないため、全列車が通過扱いとなる。また、前者の場合は営業期間中であっても利用の少ない時間帯に通過する場合がある。 * JR北海道やJR東海の[[ホームライナー]]には多くの通過駅が存在するが、市販の時刻表においても種別の表記がなく、厳密には普通列車ということになる。 == 普通列車が運行されない区間 == ; JR各線([[新幹線]]を除く) : 以下の路線には、定期普通列車が設定されていない。なお、営業キロの設定されている路線に限る(営業キロの設定されていない[[短絡線]]などは除外する)。 : また、営業キロが設定されていても、定期旅客列車がなく、時刻表に記載されていない路線([[貨物線]]など)は除外する。 * [[石勝線]]:[[新夕張駅|新夕張]] - [[新得駅|新得]]間 :: 該当区間では普通列車を運行しておらず<ref>JTBパブリッシング『JTB時刻表』2013年3月号 p.688</ref>、該当区間では特急・急行列車の自由席に乗車券のみで乗車できる。 * [[本四備讃線]]:[[児島駅|児島]] - [[宇多津駅|宇多津]]・[[坂出駅|坂出]]間 :: かつて普通列車が運行したが、[[2019年]](平成31年)3月16日ダイヤ改正に伴い、本州と四国に直通する列車は快速・特急のみである。 * [[東海道本線]]:[[大垣駅|大垣]] - ([[新垂井駅|新垂井]]) - [[関ケ原駅|関ケ原]]間(下り本線、通称:新垂井線) :: 現在大垣 - 関ケ原間を走る定期普通列車は下り列車であってもすべて垂井駅経由で運転されており、旧新垂井駅経由のルートを通る旅客列車は特急列車に限られている。 * 東海道本線支線:[[大阪駅|大阪]] - [[福島駅 (JR西日本)|福島]]間(通称[[梅田貨物線]]。この区間は旅客会社の営業キロ設定はなく、貨物会社の営業キロのみが設定されている) :: この区間を運行する旅客列車は「[[はるか (列車)|はるか]]」など特急列車のみ(2018年〈平成30年〉3月17日のダイヤ改正で、それまで下り1本深夜・上り1本早朝に運行していた快速列車が廃止された)。 * [[常磐線]]:[[上野駅|上野]] - [[北千住駅|北千住]]間([[常磐快速線|快速]]・特急列車のみの運行。[[2004年]](平成16年)[[10月16日]]の改正で、土浦・水戸方面に向かう「普通」は「快速」に編入された) * [[中央線快速|中央線]]:[[東京駅|東京]] - [[御茶ノ水駅|御茶ノ水]]間(快速・特別快速・特急のみの運行。2020年(令和2年)[[3月14日]]の改正で、それまで運行していた各駅停車〈快速用車両を用いて[[中央・総武緩行線|緩行線]]の線路を経由〉は廃止された) * [[総武本線]]([[横須賀・総武快速線|総武快速線]]):東京 - [[錦糸町駅|錦糸町]]間(快速・特急のみの運行) * [[博多南線]]{{refnest|group="注"|車両基地への回送線を走る列車の地元陳情による旅客列車化のため開業した<ref>『読む・知る・愉しむ 新幹線がわかる事典』日本実業出版社 2005年 p.337</ref>。}}:[[博多駅|博多]] - [[博多南駅|博多南]]間 * [[上越線]]:[[越後湯沢駅|越後湯沢]] - [[ガーラ湯沢駅|ガーラ湯沢]]間{{refnest|group="注"|JR東日本社員の車内プロジェクトによるガーラ湯沢スキー場に向かう路線として開業した<ref>[http://www.toretabi.jp/facilities/vol13/01.html 交通新聞社 知られざる臨時駅]</ref>。}} :: 上記2区間は[[新幹線]]用設備を使用するものの、旅客営業上は在来線となっている<ref group="注">[[全国新幹線鉄道整備法]]の定義から外れるため。</ref>。乗車のためには別途特急料金が必要となる。 * (参考)[[七尾線]]:[[七尾駅|七尾]] - [[和倉温泉駅|和倉温泉]]間 :: [[西日本旅客鉄道|JR西日本]]が第一種鉄道事業、[[のと鉄道]]が第二種鉄道事業を行うため、重複して営業キロが設定されている区間である。この区間ではJR西日本は特急列車のみ、のと鉄道は普通列車のみを運行しているため、JR西日本の普通列車は運行されていない。なお、[[青春18きっぷ]]でのと鉄道の普通列車に乗車することができる。 *(参考)[[JR神戸線]]:[[西明石駅|西明石]] - [[加古川駅|加古川]]・[[姫路駅|姫路]]間および[[琵琶湖線]] :: [[運行系統]]上は一部を除いて新快速・快速のみであるが、区間内の駅では快速を普通と案内している。 * (過去)[[海峡線]]:[[中小国駅|中小国]] - [[木古内駅|木古内]]間 :: かつては[[津軽海峡線]]の一部を構成していた。[[2002年]](平成14年)[[11月30日]]までは快速「[[海峡 (列車)|海峡]]」が運行されていたが、その後同区間では普通列車を運行していない<ref>JTBパブリッシング『JTB時刻表』2013年3月号 p.654</ref>。2016年(平成28年)3月26日の[[北海道新幹線]]開業により、海峡線区間の在来線列車は[[貨物列車]]および[[団体列車]]のみとなっている。 ; 民鉄各線 * [[東武鉄道]][[東武伊勢崎線|伊勢崎線]](東武スカイツリーライン):[[押上駅|押上]] - [[曳舟駅|曳舟]]間 :: 押上駅を介して、[[東京地下鉄]][[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]・[[東急電鉄]][[東急田園都市線|田園都市線]]と直通する列車のみが運行される。当該列車は準急・急行のみであるため、「普通」は設定されていないが、乗車券のみで利用できる<ref group="注">正式には、この区間は[[とうきょうスカイツリー駅|とうきょうスカイツリー]] - 曳舟間の線増という扱いになっており、「普通」が設定されている。</ref>。 * [[京成電鉄]][[京成成田空港線|成田空港線]](成田スカイアクセス):[[京成高砂駅|京成高砂]] - [[成田空港駅|成田空港]]間 :: [[スカイライナー]]とアクセス特急のみの運行であるため、2015年(平成27年)時点で「普通」は設定されていない<ref group="注">ただし、並行する[[北総鉄道]][[北総鉄道北総線|北総線]](京成高砂 - [[印旛日本医大駅|印旛日本医大]]間)および[[京成本線|本線]](空港第2ビル - 成田空港間の一部列車)では、いずれも「普通」が運行されている。</ref>。なお、アクセス特急には[[乗車券]]のみで乗車できる。 * [[京浜急行電鉄]][[京急久里浜線|久里浜線]]:[[京急久里浜駅|京急久里浜]] - [[三崎口駅|三崎口]]間 :: [[1999年]](平成11年)以降「普通」は設定されておらず、快特・特急が各駅に停車して運行されている(いずれも乗車券のみで乗車できる)。 * [[名古屋鉄道]][[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]:[[豊橋駅|豊橋]] - [[伊奈駅|伊奈]]間 :: [[1991年]](平成3年)以降[[名鉄特急|特急・快速特急]]・急行のみの運行であるため、「普通」は設定されていない。なお、特急・快速特急の一般車{{refnest|group="注"|名古屋鉄道では料金不要の自由席車両を「一般車」と呼称している<ref>[http://www.meitetsu.co.jp/faq/kaisoku/ans/1173830_1059.html 特別車、一般車とは何ですか?] - 名古屋鉄道</ref>。}}と急行には乗車券のみで乗車できる。 == 案内時の表現 == 各駅に停車するため、[[発車標]]や列車の[[方向幕]]などで「普通」と表示していても、放送では「各駅停車」と案内される場合がある。日本の[[大手私鉄]]では、[[京成電鉄]]、[[東武鉄道]]、[[近畿日本鉄道]]<ref group="注">近畿日本鉄道で「各駅停車」と呼称するのは大阪輸送統括部管内で、名古屋輸送統括部管内では「普通電車」と呼称している。</ref>、[[京阪電気鉄道]]、[[阪急電鉄]]、[[阪神電気鉄道]]が該当する。 [[方向幕|種別幕]]や停車駅案内は各社ごとに統一されているため、直通運転では境界駅で種別変更される。例えば[[東京メトロ有楽町線]]・[[東京メトロ副都心線|副都心線]]および、それらと[[直通運転]]を行う[[西武池袋線]]・[[東急東横線]]・[[横浜高速鉄道みなとみらい線]]では「各停」である<ref group="注">[[西武鉄道]]が「各停」へと列車種別名を改称したのは[[西武鉄道のダイヤ改正#2008年6月14日|2008年(平成20年)6月14日改正]]以降であり、それ以前は東武と同様「普通」であった。なお、当改正前は東京メトロ有楽町線からの池袋線直通列車は、始発の[[新木場駅]]・[[池袋駅|新線池袋駅]](現・副都心線池袋駅)から池袋線内の種別で案内されていたが、当改正でメトロ有楽町線内準急列車および副都心線内急行・通勤急行列車が設定され、当該列車との区別のため池袋線方面行きであっても小竹向原駅で種別変更を行うようになった。そののち、現在ではメトロ有楽町線内準急列車は廃止されている。</ref>のに対し、[[東武東上本線|東武東上線]]では「普通」で統一されている<ref group="注">東武と[[東京地下鉄|東京メトロ]]の[[境界駅]]である[[和光市駅]]では「普通」「各停」の表示を切り替える。これは同じく東武([[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]・東武スカイツリーライン)と東京メトロ([[東京メトロ日比谷線|日比谷線]])の境界駅[[北千住駅]]でも同様である。</ref>。ほかにも停車駅によって2種類の「各停」に区別して運行している例として[[東急大井町線]]がある。 JR東日本の[[中央本線]]では、[[立川駅|立川]] - [[大月駅|大月]]間において中央東線の普通列車と[[中央線快速|中央線快速電車]]が運行されているが、下りの快速電車はすべて「各駅停車」と案内されているため、当該区間に限り「普通」と「各駅停車」が混在している。 JR西日本の[[琵琶湖線]]・[[JR京都線]]・[[JR神戸線]]では、通勤形車両を使用し各駅に停車する列車が「普通」、近郊形車両を使用し通過駅がある列車が「快速」であるが、[[高槻駅|高槻]]・[[京都駅|京都]] - [[野洲駅|野洲]]・[[米原駅|米原]]間と[[西明石駅|西明石]](上り列車のみ。下り列車は[[明石駅|明石]]から) - [[加古川駅|加古川]]・[[姫路駅|姫路]]間では快速が各駅に停車するため「普通」と案内している。ただし駅時刻表では途中駅から快速運転をする列車は、快速列車の色であるオレンジ色で表記している。 なお、[[新快速]]と[[片町線|学研都市線]]・[[福知山線|JR宝塚線]]・[[湖西線]]<ref group="注">湖西線内でも京都 - 近江舞子間で通過運転を行い「快速」の表示を出すものが1日1往復あり、この列車のみ山科駅から(大阪発は京都まで)新快速となる。</ref>の快速は、各駅停車区間でも普通表示には切り替えない<ref group="注">野洲駅・姫路駅では新快速・普通の相互切り替えを行う列車がある。</ref>。 === 普通車(列車種別) === 普通列車・各駅停車を「'''普通車'''」と称する会社もある。多くの私鉄では[[グリーン車]]等の特別車両を保有しないことから、この場合は車両としての言葉ではなく、特急列車など優等列車に対しての普通列車という意味合いで慣例的に用いられているとされる。 関西地区では慣例として「普通車」という表現を使用する会社が多くあった。[[南海電気鉄道]](南海電鉄)や[[山陽電気鉄道]](山陽電鉄)では、現在でも案内放送などで用いられている<ref>東京堂出版 谷川一巳『普通列車の謎と不思議』pp.10 - 11</ref>。 南海電鉄においては、[[難波駅 (南海)|難波]] - [[岸里玉出駅|岸里玉出]]間の[[複々線]]の西側2線を[[南海本線]]、東側2線を[[南海高野線|高野線]]が使用しているが、途中の[[今宮戎駅]]と[[萩ノ茶屋駅]]は、南海本線の列車が走る西側2線にホームがない。このため、両駅を通過する南海本線の列車は「普通車」、両駅に停車する高野線の列車は「[[各駅停車]]」と使い分けている<ref name="RP844" /><ref>創元社 所澤秀樹『鉄道の基礎知識』pp.104 - 105</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/article/trivia-282/ 鉄道トリビア (282) 南海電鉄で「普通」「各停」両方走っているのはなぜ?] - マイナビニュース</ref>。1968年(昭和43年)までは、南海本線の列車にも東側2線を走り両駅に停車する「各駅停車」、[[1970年]](昭和45年)までは高野線の列車にも東側2線を走るが両駅を通過する「普通車」があった。 == 普通列車の愛称 == [[File:JRK_140DC_Isaburou_Shinpei_inMasakiStation.jpg|thumb|200px|列車愛称を持つ普通列車の例:「いさぶろう・しんぺい」]] [[File:Destination sign of JNR 205-5000 series "Shimousa" (Local Train).jpg|thumb|200px|[[国鉄205系電車|205系電車]]で運転されていた当時の「[[しもうさ号]]」の[[方向幕]](2010年12月)]] [[File:Destination sign of JR Hokkaido 733 series "Hakodate Liner" (Local Train).jpg|thumb|200px|[[JR北海道733系電車|733系電車]]により運行される「普通・[[はこだてライナー]]」の行先表示(2019年4月)]] [[File:Destination sign of JR Hokkaido Kiha 150 series "My-town Train" (Local Train of Furano Line) 2.jpg|thumb|200px|かつて[[北海道旅客鉄道|JR]][[富良野線]]で運用されていた[[JR北海道キハ150形気動車|キハ150形気動車]]の[[方向幕]]。富良野線の普通列車には運行区間により「ラベンダー」「しろがね」の愛称が与えられていた(2019年6月)]] {{see also|列車愛称}} 特急や急行とは異なり、基本的に列車愛称はつけられない。 国鉄・JRでは、指定席車や寝台車が連結される列車には[[1974年]](昭和49年)[[7月]]以降、[[マルス (システム)|指定席発券システム]]の管理上、指定券・寝台券発券の都合から種別のほかに列車名が付けられた。定期列車で最初にこれに当たったが、「[[かもめ (列車)#夜行普通列車「ながさき」|ながさき]]」・「[[紀勢本線#大阪側発着夜行普通列車の年譜|はやたま]]」・「[[だいせん (列車)|山陰]]」・「[[まりも (列車)|からまつ]]」である。なお、それ以前は指定席車や寝台車連結の普通列車は指定券や寝台券の購入の需要が沿線の地域に限定されていたため、列車愛称はなく、発券は手作業で行っていた<ref>[[イカロス出版]]『J-Train』Vol.25 pp.48 - 49</ref>。 この例では、2023年(令和5年)現在では「[[いさぶろう・しんぺい]]」と「[[エアポート (列車)|エアポート]]」が該当する。 なお、[[北陸新幹線]]が「長野新幹線」と称された時代に新幹線列車に接続する列車として運行されていた「[[くびき野 (列車)#妙高|妙高]]」には座席指定席が存在したため、列車愛称を持っていた。 一方、全車自由席で列車名がつけられる例としては「[[むさしの号]]」・「[[しもうさ号]]」・「[[はこだてライナー]]」などが挙げられる。また、国鉄時代の最末期に当たる[[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正]]では当時の[[北海道旅客鉄道旭川支社|旭川鉄道管理局]]が旭川・北見近郊エリアの普通列車を「マイタウン列車」と称し、運転線区や区間毎に沿線の名所に因んだ愛称を付けたことがあった。「マイタウン列車」の案内呼称は民営化後の[[1990年代]]頃まで続いた後、愛称名のない「普通列車」として案内されるようになったが、当時の名残で[[JR北海道キハ150形気動車|キハ150形気動車]]の[[方向幕]]の一部に[[2010年代]]頃まで「マイタウン列車」の表記が残存したケースがあった。 そのうち特異な存在としては、2018年(平成30年)まで[[横須賀線]]・[[総武快速線]]の[[成田空港駅|成田空港]]行き快速列車のみ「[[総武快速線#エアポート成田|エアポート成田]]」の愛称を名乗っていた例がある<ref>「エアポート成田」の車両編成自体は横須賀線・総武快速線の共通運用であったため、一部車両にグリーン車自由席が存在したが、座席指定席はなかった。</ref>。 == 夜行普通列車 == [[道路]]が十分に整備されておらず、[[鉄道]]以外の[[公共交通機関]]が未発達だったころは鉄道が中・長距離輸送の主力であった。まだ新幹線がなく、単線・非電化の路線がほとんどであった時代は、深夜の時間帯でも一定の旅客需要があったことから、主要[[幹線]]では[[二等車]](後に一等車に改称、現在のグリーン車)を連結した[[夜行列車|夜行]]普通列車も数多く運転されていた。 また、都市間連絡<!--や新幹線接続など-->の利用に対応するために[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]が連結されていた列車もあり、[[マルス (システム)|マルスシステム]]で[[寝台券]]を発券が可能になった1974年(昭和49年)に「ながさき」「はやたま」「山陰」「からまつ」などのように[[列車愛称]]が付けられていた列車もあった。 夜行普通列車は全区間通しあるいは一部区間のみで乗車する場合もあったほか、同じ区間を並行する[[特別急行列車|特急]]・[[急行列車|急行]]・[[寝台列車]]などを末端部分で補完するような場合もあった。特に[[優等列車|速達列車]]が停車しない駅に早朝に到着したい場合などに、速達列車からの乗り換えなどにより対応していた。 大部分が[[日本国有鉄道|国鉄]]時代に廃止されたが、[[国鉄分割民営化|JR化]]後も残った列車(JR北海道の[[ミッドナイト (列車)|ミッドナイト]]など)もあり、「[[ムーンライト (列車)|ムーンライト]]」などの夜行快速列車などに受け継がれることになる。 == 使用車両 == === 日本国有鉄道・JR === ==== 概説 ==== [[1872年]](明治5年)の鉄道開業以来、旅客輸送は[[機関車]]が牽引する[[客車]]列車が担っていた。[[電車]]や[[気動車]]の実用化後もこの状況は変わらず、電車は大都市近郊区間の運用が主体であり、気動車も連結両数の制約などから長距離運転には使用されず、非電化区間における比較的短距離の列車に使用されるのみであった。 [[1950年]](昭和25年)に[[国鉄80系電車|80系電車]]による長距離電車列車の運転開始と[[1953年]](昭和28年の)総括制御運転が可能な液体式気動車[[国鉄キハ10系気動車|キハ45000系]]の量産開始を契機として、[[動力分散方式]]が推進された。その結果、[[新性能電車]]や準急形気動車が実用化された昭和30年代以降[[動力近代化計画]]が決定され、客車の新製は静粛性が追求される[[夜行列車]]用に限られ、普通列車用の車両には電車・気動車が新製されることとなった。非電化区間への気動車列車の投入は非常に好評で、製造両数を上回る投入希望に応えるため客車を改造した気動車([[国鉄キハ08系気動車|キハ08系気動車]])も作られた。 使用車両は鉄道創業期には上等車、中等車の連結もみられたが、その後は現在の普通車に相当する三等車{{refnest|group="注"|鉄道創業期の下等車、[[1960年]]([[昭和]]35年)から二等級制実施で二等車、1969年(昭和44年)に等級制廃止で普通車。}}のみで編成される列車が一般的となり、一部の線区や列車でのみ二等車や二三等合造車が連結された。三等級制から二等級制への移行後、昭和30年代後半以降、多くの一等客車が二等車(現・普通車)に格下げされた後は、現在の[[グリーン車]]に相当する一等車を連結する普通列車はさらに減少した。国鉄分割民営化後はJR東日本が関東地区でグリーン車の運用線区を拡大している。 [[寝台車 (鉄道)|寝台車]]に関しては1985年(昭和60年)3月14日改正まで運用された[[京都駅]]と[[出雲市駅]]を結ぶ「山陰」を最後にB寝台車連結が廃止された。 普通列車の[[列車便所|トイレ]]については、車両の改造などに費用が掛かるとして[[高度成長期]]以降もなお、汚物の自然落下、垂れ流し方式が持続した。[[1970年代]]に[[横須賀・総武快速線]]向けに量産された[[国鉄113系電車]]に初めて、新車段階から循環式トイレが装備された<ref>「国鉄黄害、防止に本腰 循環式トイレ まずは東海道線急行など」『朝日新聞』昭和44年(1969年)10月28日朝刊、12版、15面</ref>が、地方では新車や特急・急行用車両が普通列車用として格下げ配備されるまで改善されることはなかった。 ==== 客室構造・座席配置による区分 ==== 国鉄の普通列車に使われる車両(普通車)は座席配置により次のように区分される<ref>[[ネコ・パブリッシング]]『JR全車輌ハンドブック2009』p.15</ref>。 * 通勤形 - 客室に出入口を有し、縦型座席(ロングシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの * 近郊形 - 客室に出入口を有し、横型(ロングシート)および縦型腰掛(クロスシート)を備え、都市近郊の運用に適した性能を有する車両形式のもの * 一般形 - 客室に出入口を有し、横型(ロングシート)および縦型腰掛(クロスシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの{{refnest|group="注"|ただし、キハ10系、20系気動車は出入り口が狭く通勤輸送に適しているとは言い難く、解決策として近郊形気動車が開発された。また、実際には一般形に分類される形式の中には50系客車やキハ48形気動車のように客室仕切りを備える車両もある。}}。 このほか、旧型客車、一部の旧型国電、酷寒地向け車両では、急行形に準じた客室仕切りを備えた客室構造の車両もある。 ==== 電車 ==== 旧型国電(旧性能電車)には3扉ロングシート車、4扉ロングシート車、3扉セミクロスシート車、2扉クロスシート車があり線区の性格に適した座席配置の車両が使用された。 電車においても、客車と同様、線区によっては二等車・二三等合造車(一等車を経て現在はグリーン車)の連結がおこなわれている。座席は旧型国電では座席間隔の広いボックスシートの場合が多く、新性能電車では形式によってリクライニング機構の有無があるが、すべて回転クロスシートである。 なお、[[新性能電車]]の実用化後は一部の例外を除いて基本的に系列・車種ごとに運用されている。 国鉄では普通列車用でも最高速度や車内設備の違いなどから[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形車両]]と[[近郊形車両]]に用途を二分し、運用も区別していたが、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)では[[JR東日本E231系電車|E231系電車]]で初めて通勤形と近郊形の形式上の区別を廃止し<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/development/tech/pdf_8/Tech-no.8-11-17.pdf JR東日本の通勤電車の開発経緯]}} - 東日本旅客鉄道</ref>、[[一般形車両 (鉄道)|一般形電車]]として形式・区分を統一したが<ref>イカロス出版『E231/E233 Hyper Detail』p.108</ref><ref>交友社『鉄道ファン』No.539 p.36</ref><ref>鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』No.403 p.72</ref><ref>鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』No.492 p.33</ref><ref>鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』No.517 p.46</ref><ref>鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』No.547 p.22</ref>、E231系と[[JR東日本E233系電車|E233系]]には通勤タイプと近郊タイプがあり、運用上の区別もされている。 地方では近郊形が主流であるが、導入する車種は基本的に定められていない傾向があり、後述のとおり特急形が使用される線区もある。過去には急行形が使用された線区もあった。通勤形については国鉄時代は[[仙石線]]など一部の線区でしか使用されなかったが、JR発足後は導入する線区が増えている([[通勤形車両 (鉄道)#地方都市圏での導入]]も参照)。JR東日本では[[JR東日本107系電車|107系]]<ref>[http://www.jreast.co.jp/train/local/107.html JR東日本:車両図鑑>在来線 107系]</ref>・[[JR東日本701系電車|701系]]<ref>[http://www.jreast.co.jp/train/local/701.html JR東日本:車両図鑑>在来線 701系]</ref>・[[JR東日本E127系電車|E127系]]といった3ドアロングシート車{{Refnest|group="注"|701系及びE127系の一部にはセミクロスシート車も存在する。}}が導入され、これらはJR東日本の公式ウェブサイト上では通勤形に区分されているが<ref>[http://www.jreast.co.jp/train/local/e127.html JR東日本:車両図鑑>在来線 E127系]</ref>、701系に至っては片道200kmを超える運用に充当されたこともあった<ref>電気車研究会『鉄道ピクトリアル』No.844 p.49</ref>。JR北海道では3ドアロングシート車である731系・733系・735系は通勤形に分類されているが、近郊形である721系と基本的に共通運用されており、JR東日本とは異なり、車種を分けているものの通勤形と近郊形の運用上の区別はされていない<ref>電気車研究会『鉄道ピクトリアル』No.883 p.60</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2014/140514-1.pdf 733系電車の増備と快速エアポートへの投入について ]}} - 北海道旅客鉄道</ref><ref>[http://www.jrhokkaido.co.jp/train/tr020_01.html 快速エアポート(721系・733系)|車両の紹介|JR北海道 列車ガイド] - 北海道旅客鉄道</ref>。 国鉄時代は車両置き換えに際して東京・大阪の大都市圏が優先されたため、地方(特に直流電化線区)では1980年代半ばまでは長らく旧型国電が使用され、それ以後も旧型車の置き換えに際しては大都市圏で使用された経年車両のうち比較的状態がよい車両を地方に転用していた。JR発足後もJR東日本とJR西日本ではこの体制は続けられている。例えばJR西日本では1990年代、山陽地区で運用されていた115系非冷房車の置き換えに、冷房車が比較的多かった103系を転用したことがある。転用された103系は2008年(平成20年)以降、[[呉線]]で使用される一部の車両を除き京阪神地区で使用されていた113系に置き換えられたほか、呉線で運用していた車両も2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で[[JR西日本227系電車|227系]]に置き換えられ、運用を離脱した。JR東日本でも京浜東北線のE233系電車導入で余剰となった209系を房総地区(非電化線区の久留里線を除く)に転用し、113系と211系を置き換え、普通列車用の車種を209系に統一している{{Refnest|group="注"|なお2021年に[[JR東日本E131系電車|E131系]]が導入されたことにより、再び複数形式で運用されるようになった。}}。 1990年代の一時期、地方線区(特に東北・九州)でもロングシート車(701系、[[JR九州815系電車|815系]]など)が導入されたが、後継車両でセミクロスシートに戻された事例もある([[JR東日本E721系電車|E721系]]、[[JR九州817系電車|817系]]など{{refnest|group="注"|ただし817系については、のちにロングシート車も製造されている。}})。 <gallery> Series115 6cars.jpg|近郊形を使用する普通列車 JR West 207 S38 20160806.jpg|通勤形を使用する普通列車 JR721-731TOYOHOROHOROMUI.JPG|近郊形と通勤形が連結して運行される例 </gallery> {{-}} ==== 気動車 ==== [[ファイル:Kururi_line_kiha37_kiha30.JPG|thumb|150px|[[久留里線]]で運用されていたキハ37形とキハ30形]] 国鉄の気動車は蒸気動車を含めて、液体式気動車が実用化されるまでは、普通列車用であった。 液体式[[気動車]]で普通列車用に製造された車両は一般形([[国鉄キハ10系気動車|キハ10系]]、[[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]])、通勤形([[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]<!--[[国鉄キハ38形気動車|キハ38形]]キハ38形は一般型です-->)、近郊形気動車([[国鉄キハ45系気動車|キハ45系]])があり、これら普通列車用の車両を一括して一般形気動車と呼ぶこともあるが<ref>JTBパブリッシング 石井幸孝『キハ47物語』pp.36 - 37</ref>、車種の分類は資料や文献によって相違しており、国鉄時代の普通列車向け気動車は厳密に車種を特定することは困難であり、制式に分類したものではなかった。実際の運用ではこれに加えて準急形、急行形の車両も使用されたため、塗色や形態、扉の位置や数、座席配置が異なる多種多様な形式が混結して使用されることとなり、そのような列車は「百鬼夜行」と形容された。これは国鉄時代の液体式気動車は特急形を除いて互換性が重視され、液体式変速機を持つものであればどの車両でも連結運転が可能な構造となっていたからできた運用である。もっとも、線区によっては、同一系列や同一形式が集中配置され、統一された編成で運用された例も見られた。 JR発足後に増備された車両の中には、電気指令式ブレーキや密着連結器を採用し、電車並みに性能が向上した車両もあるが、これらの車両は国鉄時代の車両とは併結できないため、在来車と運用が区別されている。 {{-}} ==== 客車 ==== [[ファイル:JR hokkaido ED76 522.jpg|thumb|150px|かつては各地で見られた客車による普通列車]] 鉄道開業時には、廊下のない個室式の客室構造の車両も見られたが、私鉄統合後の大正期からは車端に手動式の開き戸を備えた、客室仕切り(デッキ)があるクロスシート車が三等車の標準となった。20系客車にはじまる固定編成式以前の客車は特急用に専用の車両が製造される事例があったものの、基本的に優等列車と普通列車の二等車、三等車は共通であった。ただし、優等列車はその性質上、常に状態の良い車両を選定して使用していたため、最新形式、更新工事車などが優先的に使用され、普通列車用の車両は後継車に置き換えられた元優等列車用の車両を含め車齢の高い車両で運用されていた。そのため結果的に優等列車用車両と普通列車用車両では座席や台車の形式の違いによる乗り心地等の格差が見られた。 ただし、鋼体化改造車である[[国鉄60系客車|60系客車]]の普通車は木造車置き換え用に、最初から地方線区へ投入されている{{refnest|group="注"|例外はオハニ63形(のちのオハニ36形)。}}。 これら、標準的な客車とは異なるものとして、通勤形客車がある。客車列車運用線区でも必要になった通勤・通学輸送に対応するため室内をロングシートに改装して、[[1963年]](昭和38年)以降改造された。 このほか、変則的な車両として、格下車や終戦後車両不足に対処するため暫定的に使用された戦災復旧車、[[国鉄70系客車|70系客車]]{{refnest|group="注"|接客設備の悪さから本来の旅客車の増備や置き換えにつれて早期に荷物車や事業用車などに改造されている。}}がある。 格下車は旧式化した優等車を三等車(現・[[普通車 (鉄道車両)|普通車]])に格下げしたものである。優等車の格下げ自体は車内設備の陳腐化・老朽化に応じて行われていたが、戦時体制強化による優等列車廃止と1960年代に行われた一等車(三等制時代の二等車、並ロ)の格下では多くの車両が格下げされた。後者の事例では、座席は一等車時代そのままであったため、いわゆる乗り得車両となったが、数年で再改造され消滅した。同様な例として特急用三等車(特ハ)の普通列車転用事例でも特急時代の座席がそのまま残されることもあった。 なお、10系以前の客車については「一般形客車」、「在来形客車」、「旧型客車」と呼称されることもあるが、20系客車以降の客車との対比で使われたもので、規程上の正式な呼称ではない{{refnest|group="注"| [[岡田誠一 (鉄道研究家)|岡田誠一]]は(旧型客車が製造された時代の時点では)正式な意味で急行形、一般形などと明確に呼ばれていないことを説明している<ref>交友社『鉄道ファン』No.413 p.50</ref><ref>JTBパブリッシング 岡田誠一『国鉄鋼製客車I』p.239</ref><ref>ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.336 p.9</ref>。}}。 1970年代半ばごろから長らく使用され老朽化が目立つようになった[[旧型客車]]の置き換え用に[[1977年]](昭和52年)から[[国鉄50系客車|50系客車]]が製造され、交流電化線区や非電化幹線を中心に使用された。旧型客車はデッキを有する2扉クロスシートで通勤輸送に難があり、また、手動ドアで安全性にも問題があったため、50系はドア幅を拡大の上自動式とした。客室仕切りは設置されたが、座席配置はセミクロスシートを採用しドア付近をロングシートにして混雑時にも対応できるようになっている。 なおドア付近をロングシートとしたセミクロスシートの座席配置は混雑対策として[[1940年代]]にマハ29やスハ36で既に採用されたことがあり、1960年代にも60系客車の一部がセミクロスシートに改造されている。 さらに、[[国鉄12系客車|12系]]急行客車も座席をセミクロスシートとする「近郊化改造」などの改造を行い普通列車に投入された。 その一方で、客車列車の電車・気動車列車への置き換えも進行し、客車による定期列車は各駅停車では[[2001年]](平成13年)[[10月]]の鹿児島本線と[[筑豊本線]]を最後に、快速列車では2002年(平成14年)[[11月]]の「海峡」を最後に廃止された。 こうして、かつては国鉄線の大部分で運行されていた普通客車列車は、[[動力分散方式]]への移行により消滅し、2016年(平成28年)時点での定期列車においては客車の普通列車は設定されていない。 {{-}} ==== 特急形・急行形車両の使用 ==== {{see also|間合い運用|遜色急行#乗り得列車|格下げ車両}} [[急行形車両]]は、その祖形である一般的な三等客車(現・普通車)と同様元々普通列車に使用される機会があったが、急行充当車においても[[間合い運用]]や一部の区間で普通列車として運行される例も見られた。急行列車の廃止・削減などで減少すると、余剰となった車両を有効活用する観点から[[格下げ車両|格下げ]]の形で地方線区で使われた。最後まで急行形車両が使用されたのは[[北陸本線]]であり、2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で413系と編成を組むクハ455形700番台2両を除いて全車運用を離脱した<ref>[http://railf.jp/news/2015/03/14/181000.html 475系が北陸本線から引退] - railf.jp</ref>。 [[特急形車両]]は1970年代半ばまでは特別な存在であったため、普通列車には原則として使用されなかったが、1970年代半ば以降は急行列車の特急格上げにつれて一部の地域では特急形車両による間合い運用による普通列車や一部の区間で普通列車として運行する列車が設定され、[[国鉄185系電車|185系]]や[[JR東海373系電車|373系]]のように間合い運用で普通列車にも使用することを想定した車両も導入された。 中には格下げの形で使用された例もある。例として、四国旅客鉄道(JR四国)では[[国鉄キハ185系気動車|キハ185系]]の格下げ改造車が使われている。過去には[[常磐線]][[いわき駅|いわき]] - [[富岡駅|富岡]]間の一部の普通列車には[[JR東日本651系電車|651系]]が充当されていたほか、[[信越本線]][[長野駅|長野]] - [[直江津駅|直江津]]間の普通列車「[[くびき野 (列車)#妙高|妙高]]」は新幹線連絡列車であった性格上、[[座席指定席|指定席車]]設定の観点から特急形電車である[[国鉄183系電車|183・189系]]が使用されていた。 <gallery> ファイル:JNR 475 JRWEST-A11.jpg|急行形車両を使用していた北陸本線の普通列車。 ファイル:Series373-F10 Local.jpg|[[373系]]による東海道本線の普通列車。 ファイル:189 N102 Myoko 20081122.jpg|特急形車両を使用していた普通列車「[[妙高]]」。 ファイル:Kiha185-3100.jpg|普通列車用に改造した[[国鉄キハ185系気動車|キハ185系3100番台]]。 </gallery> === 私鉄 === 私鉄では特急や一部の急行といった優等列車とは異なり{{refnest|group="注"|優等列車(特に特急列車)用車両はその性質上、快適性や速達性が重視され、専用の設備・性能を持つ車両が導入される<ref>PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』p.78</ref>。}}、基本的そのほかの車両(一般車両)が使用されるが、料金不要の優等列車を運行している私鉄においては入出庫の関係上、優等列車用車両が使われる場合がある。また、優等列車用車両であった車両が優等列車の運用を離脱した場合には格下げの形で普通列車に使用される場合があり、中には通勤形車両に近い形に改造する車両もある。 例外的に専用の車両を使用する例として、[[阪神電気鉄道]]では本線においては普通列車に適した性能を有する専用の車両([[ジェットカー]])が使われる。かつては[[京阪電気鉄道]]でも普通列車・区間急行用に適した性能を有する専用の車両である[[京阪2000系電車|2000系]]を保有していた。同様の事例として、京王帝都電鉄(現・[[京王電鉄]])では[[京王線]]系統においては各駅停車には長らく緑色に塗装された[[京王2000系電車|2010系]]以前の車両([[グリーン車 (京王)|グリーン車]]と呼ばれた)が使用されていた。これは急行系列車には状態の良い車両を使用し、各駅停車には後継車両の増備で捻出した車両を充てていたためである。また、その置き換え用である[[京王7000系電車|7000系]]は2001年(平成13年)3月のダイヤ改定で車両の運用方針を変更するまでは各駅停車運用に用いる車両とされていたが、阪神とは違い性能面では[[京王6000系電車|6000系]]などと大差はなかった。[[東急東横線]]においても[[東急8000系電車|8000系]]が[[東急8090系電車|8090系]]導入後は長らく各駅停車専用で運用されていたが、2001年(平成13年)3月のダイヤ改正で急行・特急運用が復活しており、[[2007年]](平成19年)の全廃まで種別を制限することなく使用された。2013年(平成25年)3月からは各駅停車が停車する駅のホーム有効長の関係もあり、8両編成の車両に制限されている。 一方で優等列車と普通列車で使用する車種が定められていない私鉄もあり、[[富山地方鉄道]]では観光路線であることと優等列車との兼ね合いで2ドア転換クロスシート車や回転クロスシート車が使われているが、特に明確な区分はしていない。ただしロングシート車である17480形は原則として特急運用には充当されない<ref>[http://response.jp/article/2013/10/18/208779.html 富山地鉄のオールステンレス車、11月3日から運用開始…花電車は運行期間延長] - レスポンス</ref>。[[名古屋鉄道]]でも[[1975年]](昭和50年)までは着席通勤と優等列車への使用を前提に2ドア転換クロスシート車が導入され、種別ごとに使用系列を限定して運用していたわけではないが、最新の系列のみが特急列車に使用され、後継車両の増備につれて次第に普通列車にも運用されるようになっていたため、「特急用」「一般用」などといった用途分類の概念がなかった{{refnest|group="注"|[[1982年]](昭和57年)以降は白帯が入った[[名鉄7000系電車|7000系・7700系]](通称『白帯車』)のみが特急列車に充当されていた。}}が、1975年(昭和50年)に本格的な通勤車両の投入、[[1984年]](昭和59年)に[[名鉄8800系電車|8800系]](パノラマDX)等の座席指定特急車両の投入と特急施策の変更により用途が分かれ、現在、座席指定車両を含む編成が普通運用に就いた場合は、座席指定車両は締切扱いとなる。 <gallery> Hanshin-Series5500-5507F.jpg|阪神の普通列車(5500系) Hankyu-6353F.JPG|阪急嵐山線の普通列車は元特急形車両である6300系を使用する Toyama-chihou-railway_16011_20140913.jpg|普通列車にも使用される富山地方鉄道16010形 </gallery> == 日本国外で普通列車に相当する列車種別 == {{節スタブ}} 日本国外の列車に日本の列車種別を一概に当てはめることは難しい。国によっては、速達性や接客設備の差によって列車種別毎に異なる運賃体系をとっており、日本の列車種別に該当しない列車もある。それでも、運賃が格安な種別や、[[各駅停車|各駅に停車]]する種別を日本の普通列車と同類の列車として扱う傾向がある。 === 台湾 === [[台湾]]の[[台湾鉄路管理局]](台鉄)では[[普快車]]と[[区間車|区間車・区間快車]]が普通列車に相当する種別である。普快車と区間車は各駅停車、区間快車は快速に相当する種別である。台鉄は列車種別毎に異なる料金体系を用いているが、普快車は[[冷房]]のない[[鉄道車両]](非冷房車)を、区間車は冷房付き車両を使用するため、普快車と区間車・区間快車とで運賃に格差がつけられている。これらの列車は非対号列車と呼ばれており、全席が[[自由席]]となっている。なお、区間車・区間快車と同額の運賃を用いる列車に[[復興号]]があるが、こちらは対号列車(全席[[座席指定席]]の列車)なので[[優等列車]]として扱われている。 <gallery> Ordinary-train.jpg|普快車 Emu500-single.jpg|区間車 EMU700 keelung.JPG|区間快車 TRA E417 Fu-Hsing Semi Express Yilan Line Houtong 20160221.JPG|区間車・区間快車と同額運賃の復興号 </gallery> === 韓国 === [[韓国鉄道公社]](KORAIL、旧[[鉄道庁 (韓国)|鉄道庁]])の路線のうち、[[広域電鉄]]区間では日本の近距離電車に相当する列車として緩行列車を運行しており、4ドア[[ロングシート]]の[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形車両]]が使用される。[[改札]]も電鉄とその他の路線([[韓国高速鉄道|高速路線]]・一般路線)とで区分されている。 一方、一般路線では2014年(平成26年)[[5月]]から極一部の区間を除いて[[優等列車]]のみの運行となっている。かつては全国で[[ピドゥルギ号]]・[[トンイル号]]が普通列車に相当する種別として運行されていたが、いずれも[[2004年]](平成16年)3月までに全廃された。その後、地方都市近郊では[[通勤列車 (韓国)|通勤列車]]が、それ以外の路線では優等列車である[[ムグンファ号]]が実質的に地域輸送を担う状況となっている。だが、通勤列車は需要の減少による運行終了や他の列車種別への置き換え等によって2014年(平成26年)[[4月]]末までに複数区間での運行が終了し、2014年(平成26年)5月から2019年(平成31年)3月末までは[[京元線]]の末端区間、2020年(令和2年)[[1月]]以降は[[光州広域市]]内の[[光州線]]のみで運行されている。また、ムグンファ号はすべての駅に停車するとは限らず、全列車が通過する事実上の休止駅となった[[鉄道駅|駅]]も少なくない。 なお、旧鉄道庁・KORAILは列車種別毎に異なる料金体系を設定しているため、ピドゥルギ号・トンイル号・通勤列車からムグンファ号への列車種別変更は事実上の運賃値上げとなっている。 === 中国 === [[中国鉄路総公司]]の運営路線では、{{仮リンク|普通旅客快車|zh|普通旅客快车|label=普快列車}}と{{仮リンク|普通旅客列車|zh|普通旅客列车|label=普客列車}}、および通勤列車が普通列車に相当する。そのうち、普客列車は[[各駅停車|各駅に停車]]する。普快列車は[[長距離列車]]で[[寝台車]]や[[食堂車]]も連結される。運賃は座席の硬さによる等級制で、空調の有無により追加料金が徴収される。なお、中国で運行されている{{仮リンク|快速列車 (中国)|zh|快速列车 (中国)|label=快速列車}}は日本の[[急行列車]]、{{仮リンク|特別快速列車 (中国)|zh|特快列车|label=特快列車}}と[[直达特快列車]]は日本の[[特急列車]]に相当する[[優等列車]]の種別である。 === インドネシア === [[インドネシア]]の[[KRLジャボタベック]]では、2013年(平成25年)まで[[冷房]]装置の有無により運賃に格差をつけていた。だが、すべての列車に冷房が搭載されたことで運賃が統一された。 === その他東南アジア === 東南アジア諸国の鉄道は運賃体系が等級制で、下位の等級による列車が普通列車と見なされる。下等列車では、木製の[[座席]]で冷房のない車両が使われている。 === 欧州 === [[ヨーロッパ]]諸国の普通列車は長らく[[客車]]が主体で、[[機関車]]の付け替えを必要としない運転台付きの客車も見られる。だが、その一方で[[動力分散方式]]の列車に移行しつつある国もある。車両も[[2階建車両]]が主流で、通勤輸送と近郊輸送を両立させている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|2|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2|refs= <ref name="令和5年春JR東日本東北地区ダイヤ改正" >{{PDFlink|[https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221115_s01.pdf 冬期期間における仙山線の一部列車通過について]}} - JR東日本ニュース(東北本部・2022年11月15日リリース)</ref> }} == 参考文献 == * [[東京堂出版]] ** [[梅原淳]]『鉄道・車両の謎と不思議』(2001年){{ISBN2|9784490204445}} ** 広岡友紀『私鉄・車両の謎と不思議』(2010年){{ISBN2|9784490206982}} ** 谷川一巳『普通列車の謎と不思議』(2010年){{ISBN2|9784490207156}} * [[JTBパブリッシング]]『JTB時刻表』各号 * [[交通新聞社]]『JR時刻表』各号 * [[イカロス出版]]『JR普通列車年鑑』 * 創元社 所澤秀樹『鉄道の基礎知識』{{ISBN2|9784422240671}} * [[電気車研究会]]『[[鉄道ピクトリアル]]』No.844 特集:普通列車 == 関連項目 == * [[優等列車]] * [[日本の列車愛称一覧]] * [[青春18きっぷ]] * [[鉄道車両の座席]] * [[シティ電車]] * [[中距離電車]] * [[電車線・列車線]] {{日本における列車種別一覧}} {{デフォルトソート:ふつうれつしや}} [[Category:列車種別]]
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しなの鉄道線
しなの鉄道線(しなのてつどうせん)は、長野県北佐久郡軽井沢町の軽井沢駅から長野県長野市の篠ノ井駅までを結ぶしなの鉄道の鉄道路線である。 元は東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の一部で、1997年(平成9年)10月1日の北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間(金沢延伸前は長野新幹線と通称)開業の際に並行在来線として経営分離された区間である。なお、しなの鉄道は2つ目の路線として2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間延伸開業時に長野駅 - 妙高高原駅間の北しなの線を開業(JRから経営分離)しているが、当路線について名称の変更はなく、案内上も変化はない。 JR時代は信濃追分以東を高崎支社、御代田以西を長野支社が管轄していた。 なお、並行する北陸新幹線とは異なり、SuicaなどのICカード乗車券は利用できないが軽井沢駅、小諸駅、上田駅、屋代駅に限りクレジットカード(タッチ決済も対応)で切符が購入できる 線内の営業列車は普通・快速列車のみとなっている。人件費削減のため、しなの鉄道の115系にワンマン対応の工事を施した上で一部列車ではワンマン運転を行っている。ワンマン運転は、運賃を車内で収受せず(駅で運賃を収受する)、運転士がドアの開閉、自動放送のみを行う都市型を採用している。2004年(平成16年)1月から軽井沢駅 - 小諸駅間で開始されたのを皮切りに順次拡大され、2013年(平成25年)3月16日からは一部列車をのぞいて、JR信越本線長野駅までがワンマン運転区間となっている。 おおむね1時間に1 - 2本程度運行されている。しなの鉄道線全区間を運行する軽井沢駅 - 篠ノ井駅 - 長野駅間の列車のほか、軽井沢駅 - 小諸駅間、軽井沢駅・小諸駅 - 戸倉駅間および小諸駅・上田駅・戸倉駅 - 長野駅間の区間運転列車がある。篠ノ井駅で折り返す列車の設定はなく、戸倉駅以北へ向かう列車はすべて長野駅までそのまま直通し、しなの鉄道の乗務員がJR線内も通しで乗務する。かつては小諸駅 - 長野駅間の一部列車にJR東日本所属の115系電車が使用されたが、この場合もしなの鉄道の乗務員がJR線からしなの鉄道線を通しで乗務していた。 北しなの線との間では、信越本線を経由し長野駅で列車番号を変えて妙高高原駅との間を直通する列車があり、軽井沢駅・小諸駅発がそれぞれ下り1本、上田駅行きが上り1本設定されている。このほか、小諸駅発豊野駅行きの列車が1本設定されている。 2010年(平成22年)8月から沿線自治体などからなる「しなの鉄道活性化協議会」により、沿線自治体や国からの補助金を活用して、軽井沢駅 - 小諸駅間において列車増発(上下計13本、のち14本)の実証運行が開始され、軽井沢駅での長野新幹線との接続改善等が図られた。2011年(平成23年)度末で国からの補助金は終了したものの、当該区間の輸送密度の向上に一定程度効果があったとして、2012年(平成24年)度以降も沿線自治体の補助金で増発の実証運行は継続されている。 無愛称の快速列車は、2021年(令和3年)3月13日改正時点で軽井沢駅発着が下り2本・上り1本、小諸駅行きが上り1本、上田駅発着が1往復(土曜・休日運休)設定され、いずれも長野駅発着で運転されている。停車駅は#駅一覧を参照。快速列車のうち軽井沢駅行きと上田駅行きの上り各1本は、前述の普通列車と同様に北しなの線妙高高原駅から直通運転を行う。2023年3月18日のダイヤ改正で長野駅発上田駅行き快速(土曜・休日運休)を除いて全て各駅停車に変更された。 これとは別に、いわゆる通勤ライナー的性格の列車として小諸駅 - 長野駅間で途中上田駅のみ停車する「しなのサンライズ号」が1本、夕方以降に「しなのサンセット号」が上田駅発長野駅行きで1本、長野駅発上田駅行きで2本(いずれも土曜・休日は運休)運転されている。これはかつて乗車整理券制を採用していたがJR東日本183系・189系での運行終了とともに廃止された。2020年7月のSR1系への置き換え時に座席指定制となった。 2014年(平成26年)7月11日からは土曜・休日を中心に観光列車「ろくもん」が軽井沢駅 - 長野駅間で運転を開始したほか、2020年(令和2年)3月14日から土曜・休日に軽井沢駅 - 妙高高原駅間で「軽井沢リゾート号」が1往復運転されている(同年7月4日より軽井沢駅 - 長野駅間でさらにもう1往復運転されていたが、2023年3月18日のダイヤ改正で運行を終了した)。 坂城駅に隣接する油槽所への貨物列車が、平日に篠ノ井 - 坂城間に3往復(1往復は臨時列車)運行されている。JR貨物は西上田駅まで事業免許を有しているものの、2014年(平成26年)3月改正時点では西上田駅発着の定期貨物列車は設定されていない。 2008年(平成20年)3月までは、塩尻機関区篠ノ井派出の電気機関車EF64形0番台の牽引で運行されていたが、3月改正以降は高崎機関区のEH200形およびEF64形1000番台(同形式については2010年(平成22年)3月改正以降愛知機関区所属)の牽引に変更された。 2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正に伴い、長野駅 - 軽井沢駅間の直通列車が増やされた際にしなの鉄道所属の115系を使用した愛称付きの快速列車「快速軽井沢号」が1往復運行されるようになった。 停車駅は長野駅・川中島駅・篠ノ井駅・屋代駅・戸倉駅・坂城駅・上田駅・大屋駅・田中駅・小諸駅・御代田駅・信濃追分駅・中軽井沢駅・軽井沢駅であった。 しかし、 2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正で上りの1本が小諸駅乗換の普通列車となり、下りの1本も愛称なしの快速列車として運行されるようになったため、「軽井沢号」の愛称は廃止された。 以下に示す車両は全て電車である。特記なき限りしなの鉄道所属。 しなの鉄道線の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 管内鉄軌道事業者輸送実績(国土交通省北陸信越運輸局)と鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋 しなの鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋 篠ノ井駅を経由するすべての列車がJR信越本線長野駅まで乗り入れる。そのため、JR信越本線篠ノ井駅 - 長野駅間も併記している。 しなの鉄道としては自動改札機は未導入だが、乗り入れ先であるJR東日本が篠ノ井駅と長野駅に導入しているため、乗車券は磁気券で発行される。
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しなの鉄道線(しなのてつどうせん)は、長野県北佐久郡軽井沢町の軽井沢駅から長野県長野市の篠ノ井駅までを結ぶしなの鉄道の鉄道路線である。
{{Otheruses|[[しなの鉄道]]が運営する鉄道路線のうち、軽井沢 - 篠ノ井間の路線|長野 - 妙高高原間の路線|しなの鉄道北しなの線}} {{Infobox 鉄道路線 |路線名 = [[File:Shinano Railway Logomark.svg|18px|link=しなの鉄道]] しなの鉄道線 |路線色 = #f0a401 |路線色2 = |ロゴ = |ロゴサイズ = |画像 = Shinano-115 Asama.jpg |画像サイズ = 300px |画像説明 = [[浅間山]]をバックに走行する[[国鉄115系電車|115系]]<br />(2017年11月 [[信濃追分駅]] - [[御代田駅]]間) |通称 = |現況 = |国 = {{JPN}} |所在地 = [[長野県]] |種類 = [[日本の鉄道|普通鉄道]]([[在来線]]・[[第三セクター鉄道]]) |路線網 = |区間 = |起点 = [[軽井沢駅]] |終点 = [[篠ノ井駅]] |駅数 = 19駅 |経由路線 = |輸送実績 = |1日利用者数 = |電報略号 = |路線記号 = |路線番号 = |路線色3 = |開業 = {{Start date|1888|08|15|df=y}} |項目1 = 経営移管 |日付1 = 1997年10月1日 |所有者 = [[鉄道省|鉄道局]]→[[逓信省|鉄道庁→逓信省→鉄道作業局→帝国鉄道庁]]→[[鉄道省|鉄道院→鉄道省]]→<br />[[運輸通信省 (日本)|運輸通信省]]→[[運輸省]]→<br />[[日本国有鉄道]](国鉄)→<br />{{Nowrap|[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)→}}<br />[[しなの鉄道]] |運営者 = しなの鉄道<br />(第1種鉄道事業者)<br />[[日本貨物鉄道]](JR貨物)<br />(第2種鉄道事業者) |車両基地 = |使用車両 = [[#使用車両|使用車両]]を参照 |路線構造 = |路線距離 = 65.1 km |営業キロ = |軌間 = {{RailGauge|1067mm|lk=on}} |線路数 = [[複線]] |複線区間 = |電化区間 = |電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500V [[架空電車線方式]] |車両限界 = |最大勾配 = 25 [[パーミル|‰]] |最小曲線半径 = |高低差 = |閉塞方式 = |保安装置 = |ラック方式 = |最高速度 = {{convert|85|kph|mph|lk=on|abbr=on}}<ref name="terada">寺田裕一『データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング</ref> |駅間平均長 = |諸元備考 = |諸元備考内容 = |路線図 = [[File:Shinano Railway Line linemap.svg|300px]]<br /><small>青線はJR信越本線への直通区間</small> |路線図名 = |路線図表示 = }} {| {{Railway line header}} {{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#f0a401}} {{BS-table}} {{BS3|||htSTRe|||↑[[東日本旅客鉄道|JR東]]:[[北陸新幹線]]|}} {{BS3||exSTR+r|hSTR|||←JR東:[[信越本線]]|}} {{BS3|exKBHFeq|O1=HUBaq|KBHFxa|O2=HUBq|hBHF|O3=HUBeq|0.0|[[軽井沢駅]]||}} {{BS3||STR|hSTR|||←''[[草軽電気鉄道]](新軽井沢駅)''|}} {{BS3||STR|hSTRl|||JR東:北陸新幹線→|}} {{BS|BHF|4.0|[[中軽井沢駅]]||}} {{BS|BHF|7.2|[[信濃追分駅]]||}} {{BS|BHF|13.2|[[御代田駅]]||}} {{BS|SKRZ-Au|||[[上信越自動車道]]|}} {{BS|BHF|18.3|[[平原駅]]||}} {{BS3||STR|STR+l|||JR東:[[小海線]]→|}} {{BS3||STR|HST|||[[乙女駅]]|}} {{BS3||STR|HST|||[[東小諸駅]]|}} {{BS5|||BHF|O3=HUBaq|KBHFe|O4=HUBq|exKBHFa|O5=HUBeq|22.0|[[小諸駅]]||}} {{BS5|||STR||exSTRl|||''[[布引電気鉄道]]''→|}} {{BS|BHF|27.9|[[滋野駅]]||}} 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|doi=10.2208/journalhs1990.13.255}}</ref>|}} {{BS5|tSTR||BHF|||54.9|[[戸倉駅]]||}} {{BS5|tSTR||BHF|||57.1|[[千曲駅]]||}} {{BS5|tSTR|exKBHFa|O2=HUBaq|BHF|O3=HUBeq|||59.9|[[屋代駅]]||}} {{BS5|htSTRe|exKRWg+l|eKRWgr||||||}} {{BS5|hSTRl|xKRZh|KRZh|hSTR+r|||||}} {{BS5|exSTRq|exSTRr|STR|hSTR||||←[[長野電鉄]]:''[[長野電鉄屋代線|屋代線]]''||}} {{BS3||BHF|hSTR|61.8|[[屋代高校前駅]]||}} {{BS3||SKRZ-Au|hSKRZ-A|||[[長野自動車道]]|}} {{BS3||hKRZWae|hKRZW||[[千曲川橋梁 (しなの鉄道線)|千曲川橋梁]]|[[信濃川|千曲川]]|}} {{BS3|hSTR+l|KRZh|hSTRr||↑'''しなの鉄道線'''||}} {{BS3|hLSTR|STR|STR+l|||→JR東:[[篠ノ井線]]|}} {{BS3||BHF+GRZq|O2=HUBaq|BHF|O3=HUBeq|65.1|[[篠ノ井駅]]||}} {{BS3||ABZg+l|STRr||||}} {{BS3|hLSTR|LSTR|O2=POINTERf@gq||||JR東:信越本線|}} {{BS5||hHST|O2=HUBaq|HST+GRZq|O3=HUBq|tKHSTa|O4=HUBeq||74.4||[[長野駅]]|}} {{BS5||hSTR|STR|tSTR2||||長野電鉄:[[長野電鉄長野線|長野線]]|}} {{BS3|hSTR|STR||||↓JR東:北陸新幹線|}} {{BS|STR|||↓[[しなの鉄道北しなの線|北しなの線]]|}} |} |} '''しなの鉄道線'''(しなのてつどうせん)は、[[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]の[[軽井沢駅]]から長野県[[長野市]]の[[篠ノ井駅]]までを結ぶ[[しなの鉄道]]の[[鉄道路線]]である。 == 概要 == 元は[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[信越本線]]の一部で、[[1997年]]([[平成]]9年)[[10月1日]]の[[北陸新幹線]][[高崎駅]] - [[長野駅]]間(金沢延伸前は[[長野新幹線]]と通称)開業の際に[[在来線|並行在来線]]として経営分離された区間である。なお、しなの鉄道は2つ目の路線として[[2015年]](平成27年)[[3月14日]]の北陸新幹線長野駅 - [[金沢駅]]間延伸開業時に長野駅 - [[妙高高原駅]]間の[[しなの鉄道北しなの線|北しなの線]]を開業(JRから経営分離)しているが、当路線について名称の変更はなく、案内上も変化はない。 JR時代は信濃追分以東を[[東日本旅客鉄道高崎支社|高崎支社]]、御代田以西を[[東日本旅客鉄道長野支社|長野支社]]が管轄していた。 なお、並行する北陸新幹線とは異なり、[[Suica]]などの[[乗車カード|ICカード乗車券]]は利用できないが軽井沢駅、小諸駅、上田駅、屋代駅に限り[[クレジットカード]]([[非接触型決済|タッチ決済]]も対応)で切符が購入できる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinanorailway.co.jp/news/VTQ.pdf |title=券売機ご利用に関するお知らせ |access-date=2023-06-08 |publisher=しなの鉄道}}</ref> === 路線データ === * 管轄・路線距離([[営業キロ]]): ** しなの鉄道([[鉄道事業者|第一種鉄道事業者]]): *** 軽井沢 - 篠ノ井間 65.1 [[キロメートル|km]] ***:[[距離標|キロポスト]]はしなの鉄道移管時に[[軽井沢駅|軽井沢]]起点のものに改められた。 ** [[日本貨物鉄道]]([[鉄道事業者|第二種鉄道事業者]]): *** 西上田 - 篠ノ井間 20.7 km * [[軌間]]:1,067 [[ミリメートル|mm]] * 駅数:19駅(起終点駅含む) * [[複線]]区間:全線 * 電化区間:全線電化([[直流電化|直流]] 1,500 [[ボルト (単位)|V]]) * [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式 * 最高速度:85 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada" /> * 保安装置:[[自動列車停止装置#ATS-Ps形(変周地上子組合せパターン型)| ATS-P<small>s</small>]] * 運転指令所:上田指令室([[列車集中制御装置|CTC]]) == 歴史 == === 国鉄・JR時代 === *[[1888年]]([[明治]]21年) **[[8月15日]] - 官設鉄道として上田 - 篠ノ井( - 長野)間が開業。 **[[12月1日]] - 軽井沢 - 上田間が開業。 *[[1896年]](明治29年)[[1月20日]] - 田中 - 上田間に大屋駅開業。 *[[1909年]](明治42年) **[[6月25日]] - 軽井沢 - 御代田間に追分仮乗降場(現在の信濃追分駅)開業。 **[[10月12日]] - 名称制定。高崎 - 新潟間を'''信越線'''とする。 *[[1910年]](明治43年)[[7月15日]] - 軽井沢 - 追分間に沓掛駅(現在の中軽井沢駅)開業。 *[[1912年]](明治45年)[[2月11日]] - 坂城 - 屋代間に戸倉駅開業。 *[[1914年]]([[大正]]3年)[[6月1日]] - '''信越本線'''に改称。 *[[1920年]](大正9年)6月1日 - 上田 - 坂城間に北塩尻駅(現在の西上田駅)開業。 *[[1921年]](大正10年)[[10月10日]] - 御代田 - 小諸間に平原信号所開設。 *[[1923年]](大正12年)[[10月1日]] - 追分仮乗降場を格上げして信濃追分駅開業、小諸 - 田中間に滋野駅開業。 *[[1952年]]([[昭和]]27年)[[1月10日]] - 平原信号場を格上げして平原駅開業。 *[[1956年]](昭和31年)[[4月10日]] - 沓掛駅を中軽井沢駅に、北塩尻駅を西上田駅に改称。 *[[1963年]](昭和38年)[[6月21日]] - 軽井沢 - 篠ノ井( - 長野)間が電化。 *[[1967年]](昭和42年)[[7月18日]] - 軽井沢 - 中軽井沢間が複線化。 *[[1968年]](昭和43年) **[[8月20日]] - 中軽井沢 - 信濃追分間が複線化。 **[[9月6日]] - 御代田 - 平原間が複線化。 **[[9月10日]] - 信濃追分 - 御代田間が複線化。 **[[9月12日]] - 西上田 - 坂城間が複線化。 **[[9月19日]] - 小諸 - 滋野間が複線化。 *[[1969年]](昭和44年)[[9月25日]] - 上田 - 西上田間が複線化。 *[[1970年]](昭和45年) **[[7月24日]] - 田中 - 大屋間が複線化。 **[[9月18日]] - 滋野 - 田中間が複線化。 **[[9月27日]] - 坂城 - 戸倉間が複線化。 *[[1972年]](昭和47年)[[9月30日]] - 大屋 - 上田間が複線化。 *[[1973年]](昭和48年)[[10月25日]] - 平原 - 小諸間が複線化。 *[[1978年]](昭和53年)[[9月26日]] - 屋代 - 篠ノ井間が複線化<ref>{{Cite news |title=「通報」●信越本線屋代・篠ノ井間増設線路の使用開始について(運転局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1978-09-25 |page=2 }}</ref>。 *[[1982年]](昭和57年)[[6月29日]] - 戸倉 - 屋代間が複線化<ref>{{Cite news |title=「通報」●信越本線戸倉・屋代間増設線路の使用開始について(運転局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1982-06-22 |page=6 }}</ref>。軽井沢 - 篠ノ井間の複線化完成。 *[[1987年]](昭和62年) ** [[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]に伴い[[東日本旅客鉄道]]に承継。(安中 - )軽井沢 - 田中間の貨物営業を廃止し、田中 - 篠ノ井間を[[日本貨物鉄道]]が第二種鉄道事業者として承継。 ** [[5月28日]] - [[地すべり]]対策のため小諸 - 滋野間の上り線を新線に切り替え<ref name="RJ251">{{Cite journal|和書 |date = 1987-09 |journal = [[鉄道ジャーナル]] |volume = 21 |issue = 11 |page = 127 |publisher = 鉄道ジャーナル社 }}</ref>。下り線も同年[[7月22日]]に切り替え<ref name="RJ251"/>。 *[[1989年]](昭和64年) - 小諸 - 長野間で平日に「モーニングライナー」が運行開始<ref>『JTB時刻表』1989年3月号、日本交通公社、p.500</ref>。1995年時点では毎日運転となり軽井沢 - 長野間に延長<ref>『JTB時刻表』1995年4月号、日本交通公社、p.566</ref>。 === しなの鉄道移管後 === * [[1997年]]([[平成]]9年)10月1日 - [[長野新幹線]]([[北陸新幹線]]の金沢延伸前の通称)の開業により、[[在来線|並行在来線]]となる軽井沢 - 篠ノ井間が東日本旅客鉄道から移管され、'''しなの鉄道線'''として開業。JR東日本線としては65.6 kmの区間であったが転換時に改キロされ、しなの鉄道線では65.1 kmとなった<ref>{{Cite book | 和書 | title = 停車場変遷大事典 国鉄・JR編1 | publisher = [[JTBパブリッシング|JTB]] | date = 1998-10-01 | pages = 207}}</ref>。 * [[1998年]](平成10年)[[12月8日]] - 初ダイヤ改正。快速「[[しなのサンライズ号・しなのサンセット号|しなのサンライナー]]」運行開始<ref>{{Cite news |和書|title=しなのサンライナー好評!! |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1999-01-08 |page=2 }}</ref>。 * [[1999年]](平成11年)4月1日 - 西上田 - 坂城間にテクノさかき駅開業。 * [[2001年]](平成13年) ** [[2月1日]] - 全線(軽井沢 - 篠ノ井間)でCTC導入。 ** [[3月22日]] - 屋代 - 篠ノ井間に屋代高校前駅開業。 ** [[12月1日]] ダイヤ改正。 * [[2002年]](平成14年) ** [[3月29日]] - 大屋 - 上田間に信濃国分寺駅開業。 ** 4月1日 - 田中 - 西上田間の日本貨物鉄道の第二種鉄道事業廃止。 ** 10月12日 - L特急「あさま」復活運転。長野 - 軽井沢間を14日まで3往復(14日は直江津まで)する。 ** 12月1日 - ダイヤ改正。夕方に快速「[[しなのサンライズ号・しなのサンセット号|しなのサンセット号]]」運行開始。「しなのサンライナー」を「[[しなのサンライズ号・しなのサンセット号|しなのサンライズ号]]」に改称。 * [[2003年]](平成15年) ** 10月1日 - ダイヤ改正。 **12月30日 - 特急「あさま」長野 - 軽井沢間復活運転。午前と午後の2往復。 * [[2004年]](平成16年) ** [[1月5日]] - 軽井沢 - 小諸間の一部列車でワンマン運転開始。 ** [[3月11日]] - 軽井沢 - 小諸間のワンマン運転拡大。 ** 3月13日 - ダイヤ改正。 ** 7月 - 全車に液晶モニターを取り付け(1車両3台)車内広告開始。 ** [[10月16日]] - ダイヤ改正。小諸 - 上田間の一部列車でワンマン運転開始。 ** 10月の毎週土曜日 - 「[[小海線#信州循環列車・ぐるっと信州ときめき号|ぐるっと信州ときめき号]]」を189系で運転。JRと初の共同企画。 * [[2005年]](平成17年)12月10日 - ダイヤ改正。 * [[2007年]](平成19年)[[3月18日]] - ダイヤ改正。上田 - 戸倉間の一部列車でワンマン運転開始。 * [[2008年]](平成20年) ** [[1月21日]] - 「ぐるっと信州ときめき号」を485系彩で運転。 ** [[3月15日]] - ダイヤ改正。最終の時刻を最大で20分ほど繰り上げ。 ** [[9月13日]] - 旧信越本線軽井沢 - 関山間開業120周年記念事業として湘南色の169系電車を軽井沢 - 長野間で運転開始(詳細は「[[しなの鉄道#車両]]」を参照)。 * [[2009年]](平成21年) ** [[3月14日]] - 戸倉 - 屋代間に千曲駅開業。同時にダイヤ改正。 ** [[8月1日]] - 自転車が持ち込める[[サイクルトレイン]]「チャリ電」が軽井沢 - 上田間に2往復初登場。持ち込み料200円。9日まで運転。 ** [[8月10日]]・[[8月12日|12日]] - 軽井沢 - 屋代間に「いろどり軽井沢号」を485系彩で運転。 * [[2010年]](平成22年) ** [[3月13日]] - ダイヤ改正。 ** 8月1日 - ダイヤ改正。軽井沢駅における長野新幹線との接続改善を目指した実証運行として、軽井沢 - 小諸間で列車を増発。 ** [[12月4日]] - ダイヤ改正。 * [[2012年]](平成24年)[[3月17日]] - ダイヤ改正。軽井沢 - 長野間にて「快速軽井沢号」運行開始。 * [[2013年]](平成25年)[[3月16日]] - ダイヤ改正。前日限りで169系電車が定期運用を離脱。戸倉 - 長野間の一部列車でワンマン運転開始。 * [[2014年]](平成26年) ** 3月15日 - ダイヤ改正。「快速軽井沢号」を下りが無愛称の快速に、上りが各駅に停まる普通列車に変更して廃止。 ** [[7月11日]] - 観光列車「[[ろくもん]]」が軽井沢 - 長野間にて運行開始<ref name="rokumon" />。 * [[2019年]]([[令和]]元年) ** 10月12日 - [[令和元年東日本台風]](台風19号)により全線運休<ref name="milt001314113">{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/common/001314113.pdf#page=99 |title=令和元年台風第19号による被害状況等について(第25報)|format=PDF |publisher=国土交通省 |date=2019-10-25 7:30 |accessdate=2019-10-26}}</ref>。 ** 10月14日 - 軽井沢 - 小諸間で運転再開<ref name="milt001314113" />。 ** 10月15日 - 小諸 - 田中間、上田 - 篠ノ井間で運転再開<ref name="milt001314113" />。田中 - 上田間は田中 - 大屋間上空の海野バイパス海野宿橋損傷のため長期運休<ref>[https://www.traicy.com/20191019-nagano 上田電鉄としなの鉄道、不通区間の運転再開には相当な日数 千曲川での台風19号の被害] - TRAICY(トライシー)、2019年10月20日</ref>。 ** 11月15日 - 全線で運転再開<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinmai.co.jp/news/world/article.php?date=20191115&id=2019111501001077 |website=信毎web|accessdate=2019-11-15|title=しなの鉄道が全線再開、長野 台風被害で1カ月ぶり}}</ref>。 * [[2023年]](令和5年) ** [[3月18日]] - ダイヤの全面見直しを実施。運行本数を大幅に減らすほか最高速度を100 kmから85 kmに引き下げ・それに伴い[[線路等級]]も引き下げ。これに伴い上田駅 - 長野駅の日中時間帯に40分間隔の[[パターンダイヤ]]を導入<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinanorailway.co.jp/news/20211126_r.pdf |title=コロナ禍を乗り切る経営改善策の概要 |access-date=2022-07-15 |publisher=しなの鉄道株式会社}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinanorailway.co.jp/news/2023time_pr.pdf |title=2023年3月のダイヤ改正並びに運賃の一部見直しのお知らせ |access-date=2022-12-16 |publisher=しなの鉄道}}</ref>。 ** [[6月12日]] - 上田駅構内の電留線で[[入換 (鉄道)|入換]]作業中の[[しなの鉄道SR1系電車|SR1系]]電車が脱線。回送列車のため乗客はおらず、運転士1名にけがはなかった。この影響で田中 - 戸倉間の上下線が14日まで運休となった<ref>{{Cite web|和書|title=しなの鉄道列車脱線 復旧には時間も 13日も一部区間で運休 {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230612/k10014097321000.html |website=NHKニュース |date=2023-06-12 |access-date=2023-06-12 |last=日本放送協会}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【脱線事故】クレーンでつり上げ復旧作業続く しなの鉄道14日も田中-戸倉駅間は終日運休【長野・上田市】 |url=http://www.tsb.jp/news/nnn/news116jcokygng9boy8ujz.html |website=テレビ信州 |date=2023-06-13 |access-date=2023-06-18 }}</ref>。 == 運行形態 == 線内の営業列車は普通・快速列車のみとなっている。人件費削減のため、しなの鉄道の115系にワンマン対応の工事を施した上で一部列車では[[ワンマン運転]]を行っている。ワンマン運転は、運賃を車内で収受せず(駅で運賃を収受する)、運転士がドアの開閉、自動放送のみを行う都市型を採用している。2004年(平成16年)1月から[[軽井沢駅]] - [[小諸駅]]間で開始されたのを皮切りに順次拡大され、2013年(平成25年)3月16日からは一部列車をのぞいて、JR[[信越本線]][[長野駅]]までがワンマン運転区間となっている。 === 普通列車 === おおむね1時間に1 - 2本程度運行されている。しなの鉄道線全区間を運行する軽井沢駅 - [[篠ノ井駅]] - 長野駅間の列車のほか、軽井沢駅 - 小諸駅間、軽井沢駅・小諸駅 - [[戸倉駅]]間および小諸駅・[[上田駅]]・戸倉駅 - 長野駅間の区間運転列車がある。篠ノ井駅で折り返す列車の設定はなく、戸倉駅以北へ向かう列車はすべて長野駅までそのまま直通し、しなの鉄道の乗務員がJR線内も通しで乗務する。かつては小諸駅 - 長野駅間の一部列車にJR東日本所属の[[国鉄115系電車|115系]]電車が使用されたが、この場合もしなの鉄道の乗務員がJR線からしなの鉄道線を通しで乗務していた。 [[しなの鉄道北しなの線|北しなの線]]との間では、信越本線を経由し長野駅で[[列車番号]]を変えて[[妙高高原駅]]との間を直通する列車があり、軽井沢駅・小諸駅発がそれぞれ下り1本、上田駅行きが上り1本設定されている<ref group="注" name="different">交通新聞社の『JR時刻表』各号では長野駅を境に別列車として案内されている。</ref>。このほか、小諸駅発豊野駅行きの列車が1本設定されている<ref name="dia">{{Cite web|和書|url=https://www.shinanorailway.co.jp/rail-info/time-table/docs/20210313_time_table.pdf|title=しなの鉄道時刻表|accessdate=2021-04-03|year=2021|publisher=しなの鉄道}}</ref>。 2010年(平成22年)8月から沿線自治体などからなる「しなの鉄道活性化協議会」により、沿線自治体や国からの補助金を活用して、軽井沢駅 - 小諸駅間において列車増発(上下計13本、のち14本)の実証運行が開始され、軽井沢駅での長野新幹線との接続改善等が図られた。2011年(平成23年)度末で国からの補助金は終了したものの、当該区間の輸送密度の向上に一定程度効果があったとして、2012年(平成24年)度以降も沿線自治体の補助金で増発の実証運行は継続されている。 === 快速列車 === {{See also|しなのサンライズ号・しなのサンセット号|軽井沢リゾート号|ろくもん}} 無愛称の快速列車は、[[2021年]](令和3年)3月13日改正時点で軽井沢駅発着が下り2本・上り1本、小諸駅行きが上り1本、上田駅発着が1往復(土曜・休日運休)設定され、いずれも長野駅発着で運転されている。停車駅は[[#駅一覧]]を参照。快速列車のうち軽井沢駅行きと上田駅行きの上り各1本は、前述の普通列車と同様に北しなの線妙高高原駅から直通運転を行う<ref name="dia" /><ref group="注" name="different" />。2023年3月18日のダイヤ改正で長野駅発上田駅行き快速(土曜・休日運休)を除いて全て各駅停車に変更された。 これとは別に、いわゆる[[ホームライナー|通勤ライナー]]的性格の列車として小諸駅 - 長野駅間で途中上田駅のみ停車する「[[しなのサンライズ号・しなのサンセット号|しなのサンライズ号]]」が1本、夕方以降に「[[しなのサンライズ号・しなのサンセット号|しなのサンセット号]]」が上田駅発長野駅行きで1本、長野駅発上田駅行きで2本(いずれも土曜・休日は運休)運転されている。これはかつて乗車整理券制を採用していたが[[国鉄183系電車|JR東日本183系・189系]]での運行終了とともに廃止された。2020年7月の[[しなの鉄道SR1系電車|SR1系]]への置き換え時に座席指定制となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinanorailway.co.jp/news/e35b12db12af6665246eaff54d136c3b03e38e5c.pdf|title=しなの鉄道ダイヤ改正のお知らせ|accessdate=2020-3-14|date=2019-12-20|publisher=しなの鉄道}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinanorailway.co.jp/news/d55d7a63dc4838df43297736287edbb355ca1333.pdf|title=新型車両「SR1系」による有料快速列車の運行開始について|accessdate=2020-10-21|date=2020-05-25|publisher=しなの鉄道}}</ref>。 2014年(平成26年)7月11日からは土曜・休日を中心に観光列車「[[ろくもん]]」が軽井沢駅 - 長野駅間で運転を開始したほか<ref name="rokumon">[http://www.shinanorailway.co.jp/rokumon/about/ ろくもんとは] - しなの鉄道、2014年5月5日閲覧</ref>、2020年(令和2年)3月14日から土曜・休日に軽井沢駅 - 妙高高原駅間で「[[軽井沢リゾート号]]」が1往復運転されている(同年7月4日より軽井沢駅 - 長野駅間でさらにもう1往復運転されていたが、2023年3月18日のダイヤ改正で運行を終了した)。 === 貨物列車 === [[坂城駅]]に隣接する油槽所への[[貨物列車]]が、平日に篠ノ井 - 坂城間に3往復(1往復は臨時列車)運行されている。JR貨物は[[西上田駅]]まで事業免許を有しているものの、2014年(平成26年)3月改正時点では西上田駅発着の定期貨物列車は設定されていない<ref name="tt_freight2014">{{Cite_journal|和書|author=|year=2014|title=|journal=貨物時刻表 平成26年3月ダイヤ改正|issue=|pages=116|publisher=鉄道貨物協会}}</ref>。 2008年(平成20年)3月までは、[[塩尻機関区|塩尻機関区篠ノ井派出]]の電気機関車[[国鉄EF64形電気機関車|EF64形0番台]]の牽引で運行されていたが、3月改正以降は[[高崎機関区]]の[[JR貨物EH200形電気機関車|EH200形]]および[[国鉄EF64形電気機関車|EF64形1000番台]](同形式については2010年(平成22年)3月改正以降[[愛知機関区]]所属)の牽引に変更された。 <gallery> ファイル:EH200-10-Shinonoi-Line.jpg|EH200形牽引の貨物列車 ファイル:Shinano-Railway-JRF-EF6454.jpg|EF64形牽引の貨物列車(坂城駅) </gallery> {{-}} === 過去の列車 === ==== 快速軽井沢号 ==== [[2012年]]([[平成]]24年)[[3月17日]]のダイヤ改正<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shinanorailway.co.jp/new/pdf/20120317_time_u.pdf |title=しなの鉄道線時刻表上り |publisher=しなの鉄道 |page=2 |format=PDF |date=2012-02-22 |accessdate=2012-04-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120723111355/http://www.shinanorailway.co.jp/new/pdf/20120317_time_u.pdf |archivedate=2012年7月23日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shinanorailway.co.jp/new/pdf/20120317_time_d.pdf |title=しなの鉄道線時刻表下り |publisher=しなの鉄道 |page=3 |format=PDF |date=2012-02-22 |accessdate=2012-04-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120723121549/http://www.shinanorailway.co.jp/new/pdf/20120317_time_d.pdf |archivedate=2012年7月23日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>に伴い、[[長野駅]] - [[軽井沢駅]]間の直通列車が増やされた際にしなの鉄道所属の115系を使用した愛称付きの快速列車「快速軽井沢号」が1往復運行されるようになった<ref group="注">この際、既存の快速列車ではなく別の[[普通列車]]を転換し、運行を開始した。</ref>。 停車駅は長野駅・[[川中島駅]]・[[篠ノ井駅]]・[[屋代駅]]・[[戸倉駅]]・[[坂城駅]]・[[上田駅]]・[[大屋駅]]・[[田中駅]]・[[小諸駅]]・[[御代田駅]]・[[信濃追分駅]]・[[中軽井沢駅]]・軽井沢駅であった。 しかし、 [[2014年]](平成26年)[[3月15日]]のダイヤ改正で上りの1本が小諸駅乗換の普通列車となり、下りの1本も愛称なしの快速列車として運行されるようになったため、「軽井沢号」の愛称は廃止された。 == 使用車両 == {{See also|しなの鉄道#車両}} 以下に示す車両は全て[[電車]]である。特記なき限りしなの鉄道所属。 === 現在の使用車両 === * [[国鉄115系電車#しなの鉄道|115系]] ** 開業時から全線で運用。普通列車および愛称のない快速列車に使用されている。また、専用編成が臨時快速「ろくもん」で使用されている。 * [[しなの鉄道SR1系電車|SR1系]] ** 2020年から全線で運用。ライナー車両(100番台)が「しなのサンライズ」「しなのサンセット」「軽井沢リゾート」の3列車と[[運用 (鉄道)#間合い運用|間合い]]の普通列車で、一般車両(200・300番台)が普通列車で運用されている。 <gallery> Shinano Railway 115 S2 TOGURA 20210509.jpg|115系(2021年5月 戸倉駅) Shinano Railway 115 rokumon ueda 20150222.jpg|115系「ろくもん」(2015年2月 上田駅) Kumoha-SR111-102 Naka-Karuizawa 20210509.jpg|SR1系100番台(2021年5月 中軽井沢駅) SR1系一般車.jpg|SR1系200番台(2021年3月 上田駅) Series-SR1-300 S303.jpg|SR1系300番台(2022年5月 川中島駅 - 安茂里駅間) </gallery> === 過去の車両 === * [[国鉄165系電車#しなの鉄道|169系]] ** 開業時より運用。当初は快速「しなのサンライズ号」「しなのサンセット号」を中心に使用されていたが、保安装置の問題で2011年から本路線内の普通列車限定運用となっていた。2013年4月29日に運行を終了。坂城駅にてS51編成が[[静態保存]]されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://railf.jp/news/2013/05/26/091200.html|title=坂城駅で169系S51編成静態保存記念イベント|website=鉄道ファン・railf.jp|work=鉄道ニュース|publisher=交友社|date=2013-05-26|accessdate=2021-05-30}}</ref>。 * [[国鉄115系電車|115系]](JR東日本[[長野総合車両センター]]所属) ** 開業時から篠ノ井 - 小諸間で運用されていた。2015年3月13日をもってしなの鉄道線での運行を終了した。 * [[国鉄183系電車|183系・189系]](JR東日本長野総合車両センター所属) ** 169系に代わり、2011年から快速「しなのサンライズ号」「しなのサンセット号」および間合いの普通列車として篠ノ井 - 小諸間で使用されていた。2015年3月13日に運行を終了。 <gallery> ファイル:Shinano railway 169 S51+S52+S53.JPG|169系(2013年4月) ファイル:JNR 169 S51 at Sakaki Station.jpg|坂城駅にて保存されている169系S51編成(2022年5月) ファイル:Japanese-national-railways-115-N10-20110908.jpg|JR東日本115系(2011年9月 上田駅) ファイル:信越本線開通130周年記念号(189系電車).jpg|JR東日本189系(2018年10月 戸倉駅 - 坂城駅間) </gallery> == 利用状況 == === 輸送実績 === しなの鉄道線の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 {| class="wikitable mw-collapsible" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:center;" |- ! colspan="7"|年度別輸送実績 |- ! rowspan="2"|年 度 ! colspan="4"|輸送実績(乗車人員):万人 ! rowspan="2"|輸送密度<br />人/日 ! rowspan="2"|特記事項 |- |通勤定期 |通学定期 |定期外 |合計 |- ! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年) | style="background-color: #ccffcc;"|201.1 | style="background-color: #ccffcc;"|214.0 | style="background-color: #ccffcc;"|232.0 | style="background-color: #ccffcc;"|'''647.1''' | style="background-color: #ffcccc;"|9,494 | style="text-align:left;"|東日本旅客鉄道から移管・開業 |- ! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年) | style="background-color: #ffcccc;"|375.7 |444.2 | style="background-color: #ffcccc;"|415.2 | style="background-color: #ffcccc;"|'''1235.1''' |8,780 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年) |370.8 |443.2 |400.2 |'''1214.2''' |8,522 | style="text-align:left;"|テクノさかき駅開業 |- ! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年) |360.9 |437.4 |387.2 |'''1185.5''' |8,377 | style="text-align:left;"|屋代高校前駅開業 |- ! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年) |348.9 |442.7 |372.1 |'''1163.7''' |8,164 | style="text-align:left;"|信濃国分寺駅開業 |- ! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年) |338.3 | style="background-color: #ffcccc;"|447.9 |366.7 |'''1152.9''' |7,939 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年) |323.4 |430.8 |371.0 |'''1125.2''' |7,767 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年) |315.5 |429.5 |351.3 |'''1096.3''' |7,598 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年) |305.2 |436.2 |344.9 |'''1086.3''' |7,472 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |'''1078.0''' |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |'''1067.2''' |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |'''1044.3''' |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年) |305.6 |409.4 |306.6 |'''1021.6''' |7,002 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2010年(平成22年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |'''997.9''' |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2011年(平成23年) |299.7 |410.1 |294.3 |'''1004.1''' |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2012年(平成24年) |294.8 |417.6 |295.0 |'''1007.4''' |6,766 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2013年(平成25年) |300.0 |438.3 |299.1 |'''1037.4''' |6,939 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2014年(平成26年) |299.4 |408.2 |298.1 |'''1005.7''' | style="background-color: #ccffff;"|6,693 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2015年(平成27年) |290.4 |420.2 |307.5 |'''1018.1''' |6,708 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2016年(平成28年) |284.5 |417.1 |306.8 |'''1008.4''' |6,698 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2017年(平成29年) |303.4 |423.0 |311.1 |'''1037.5''' |6,901 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2018年(平成30年) |302.4 |418.1 |315.7 |'''1036.2''' |6,896 |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2019年(令和元年) |300.9 |397.0 |287.1 |'''985.0''' |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2020年(令和2年) | style="background-color: #ccffff;"|258.9 | style="background-color: #ccffff;"|314.0 | style="background-color: #ccffff;"|151.7 | style="background-color: #ccffff;"|'''724.6''' |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2021年(令和3年) |268.5 |358.1 |175.2 |'''801.8''' |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2022年(令和4年) |269.5 |361.7 |225.7 |'''856.9''' |&nbsp; |&nbsp; |} 管内鉄軌道事業者輸送実績(国土交通省北陸信越運輸局)と鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋 <ref> [https://wwwtb.mlit.go.jp/hokushin/hrt54/railroad/yusoujisseki.html 管内鉄軌道事業者輸送実績] </ref> === 収入実績 === しなの鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 {| class="wikitable mw-collapsible" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:right;" |- ! colspan="9"|年度別収入実績 |- ! rowspan="2"|年度 ! colspan="5"|旅客運賃収入:千円/年度 ! rowspan="2"|鉄道線路<br />使用料収入<br />千円/年度 ! rowspan="2"|運輸雑収<br />千円/年度 ! rowspan="2"|総合計<br />千円/年度 |- | style="text-align: center; font-weight: normal;"|通勤定期 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|通学定期 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|定期外 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|手小荷物 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|合計 |- ! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年) | style="background-color: #ccffcc;"|292,260 | style="background-color: #ccffcc;"|158,208 | style="background-color: #ccffcc;"|744,691 | style="background-color: #ccffcc;"|''0'' | style="background-color: #ccffcc;"|'''1,195,159''' |''21,274'' | style="background-color: #ccffcc;"|165,172 | style="background-color: #ccffcc;"|'''1,381,605''' |- ! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年) |537,566 |326,838 | style="background-color: #ffcccc;"|1,338,529 |''0'' |'''2,202,933''' |''31,291'' |424,765 |'''2,658,989''' |- ! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年) |528,204 |326,086 |1,272,973 |''0'' |'''2,127,263''' |''30,857'' |484,975 |'''2,643,095''' |- ! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年) |518,683 |321,119 |1,257,011 |''0'' |'''2,096,813''' |''30,268'' |413,768 |'''2,540,849''' |- ! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年) |544,057 |354,935 |1,311,893 |''0'' |'''2,210,885''' |''27,867'' |486,243 |'''2,724,995''' |- ! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年) |554,230 |381,918 |1,273,334 |''0'' |'''2,209,482''' |''21,713'' |432,232 |'''2,663,427''' |- ! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年) |609,501 |457,710 |1,286,167 |''0'' | style="background-color: #ffcccc;"|'''2,353,378''' |''21,534'' | style="background-color: #ffcccc;"|486,544 | style="background-color: #ffcccc;"|'''2,861,456''' |- ! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年) |597,980 |458,479 |1,218,126 |''0'' |'''2,274,585''' | style="background-color: #ccffcc;"|''20,876'' | style="background-color: #ccffff;"|422,358 |'''2,717,819''' |- ! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年) |570,027 |465,015 |1,187,073 |''0'' | style="background-color: #ccffff;"|'''2,222,115''' |''31,263'' |428,788 | style="background-color: #ccffff;"|'''2,682,166''' |- ! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年) | style="background-color: #ffcccc;"|656,160 | style="background-color: #ffcccc;"|488,816 | style="background-color: #ccffff;"|1,180,711 |''0'' |'''2,325,687''' | style="background-color: #ffcccc;"|''33,028'' |475,851 |'''2,834,566''' |} 鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋 == 駅一覧 == 篠ノ井駅を経由するすべての列車がJR信越本線長野駅まで乗り入れる。そのため、JR信越本線篠ノ井駅 - 長野駅間も併記している。 * ◆・◇:JR貨物による貨物取扱駅(◇は定期貨物列車の発着なし) * 停車駅 ** 普通…すべての駅に停車 ** 快速、快速「[[ろくもん]]」・「[[軽井沢リゾート号]]」・「[[しなのサンライズ号・しなのサンセット号|しなのサンライズ号]]」・「[[しなのサンライズ号・しなのサンセット号|しなのサンセット号]]」<ref group="注">公式サイトの{{PDFlink|[https://www.shinanorailway.co.jp/rail-info/time-table/docs/20200704_time_table.pdf 時刻表]}}(2020年7月4日現在)では「快速」、車両の表示では「特別快速」。</ref>…●印の駅は全列車停車、▲印の駅は一部列車が停車、|・↓印の駅は全列車通過(↓は矢印の方向のみ運転) * 全駅[[長野県]]内に所在。 * 標高の単位は m(メートル) {|class="wikitable" rules="all" style="vertical-align:middle;" |- !style="width:1em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|{{縦書き|運営会社}} !style="width:1em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|{{縦書き|路線名}} !style="width:7em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|駅名 !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|駅間<br />営業キロ !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|累計<br />営業キロ !style="width:3em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|標高 !style="width:1em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|{{縦書き|快速}} !style="width:1em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|{{縦書き|ろくもん|height=9em}} !style="width:1em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|{{縦書き|軽井沢リゾート号|height=9em}} !style="width:1em; line-height:1em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|{{縦書き|しなのサンライズ号|height=9em}} !style="width:1em; line-height:1em; border-bottom:solid 3px #f0a401;"|{{縦書き|しなのサンセット号|height=9em}} !style="border-bottom:solid 3px #f0a401;"|接続路線 !colspan="3" style="border-bottom:solid 3px #f0a401;"|所在地 |- |rowspan="19" style="text-align:center; width:1em;"|{{縦書き|[[しなの鉄道]]}} |rowspan="19" style="text-align:center; width:1em;"|{{縦書き|'''しなの鉄道線'''}} |[[軽井沢駅]] |style="text-align:center;"|- |style="text-align:right;"|0.0 |style="text-align:right;"|939 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|&nbsp; |style="text-align:center;"|&nbsp; |[[東日本旅客鉄道]]:[[File:Shinkansen jre.svg|15px|■]] [[北陸新幹線]] |rowspan="4" style="text-align:center; width:1em;"|{{縦書き|[[北佐久郡]]}} |rowspan="3" style="white-space:nowrap;"|[[軽井沢町]] |- |[[中軽井沢駅]] |style="text-align:right;"|4.0 |style="text-align:right;"|4.0 |style="text-align:right;"|938 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|▲ |style="text-align:center;"|&nbsp; |style="text-align:center;"|&nbsp; |&nbsp; |- |[[信濃追分駅]] |style="text-align:right;"|3.2 |style="text-align:right;"|7.2 |style="text-align:right;"|956 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|&nbsp; |style="text-align:center;"|&nbsp; |&nbsp; |- |[[御代田駅]] |style="text-align:right;"|6.0 |style="text-align:right;"|13.2 |style="text-align:right;"|819 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|▲ |style="text-align:center;"|&nbsp; |style="text-align:center;"|&nbsp; |&nbsp; |[[御代田町]] |- |[[平原駅]] |style="text-align:right;"|5.1 |style="text-align:right;"|18.3 |style="text-align:right;"|706 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|&nbsp; |style="text-align:center;"|&nbsp; |&nbsp; |colspan="2" rowspan="2"|[[小諸市]] |- |[[小諸駅]] |style="text-align:right;"|3.7 |style="text-align:right;"|22.0 |style="text-align:right;"|663.0 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|▲ |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|&nbsp; |東日本旅客鉄道:{{Color|#41934c|■}}[[小海線]] |- |[[滋野駅]] |style="text-align:right;"|5.9 |style="text-align:right;"|27.9 |style="text-align:right;"|563 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|&nbsp; |&nbsp; |colspan="2" rowspan="2"|[[東御市]] |- |[[田中駅]] |style="text-align:right;"|3.4 |style="text-align:right;"|31.3 |style="text-align:right;"|512 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|▲ |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|&nbsp; |&nbsp; |- |[[大屋駅]] |style="text-align:right;"|3.4 |style="text-align:right;"|34.7 |style="text-align:right;"|482 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|&nbsp; |&nbsp; |colspan="2" rowspan="4"|[[上田市]] |- |[[信濃国分寺駅]] |style="text-align:right;"|2.4 |style="text-align:right;"|37.1 |style="text-align:right;"|467 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|&nbsp; |&nbsp; |- |[[上田駅]] |style="text-align:right;"|2.9 |style="text-align:right;"|40.0 |style="text-align:right;"|446 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |東日本旅客鉄道:[[File:Shinkansen jre.svg|15px|■]] 北陸新幹線<br />[[上田交通|上田電鉄]]:{{Color|navy|■}}[[上田電鉄別所線|別所線]](BE01) |- |[[西上田駅]]◇ |style="text-align:right;"|4.4 |style="text-align:right;"|44.4 |style="text-align:right;"|421 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |- |[[テクノさかき駅]] |style="text-align:right;"|3.5 |style="text-align:right;"|47.9 |style="text-align:right;"|410 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |colspan="2" rowspan="2"|[[埴科郡]]<br />[[坂城町]] |- |[[坂城駅]]◆ |style="text-align:right;"|2.5 |style="text-align:right;"|50.4 |style="text-align:right;"|396 |style="text-align:center;"|▲ |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|▲ |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |- |[[戸倉駅]] |style="text-align:right;"|4.5 |style="text-align:right;"|54.9 |style="text-align:right;"|376 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|▲ |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |colspan="2" rowspan="4"|[[千曲市]] |- |[[千曲駅]] |style="text-align:right;"|2.2 |style="text-align:right;"|57.1 |style="text-align:right;"|369 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |- |[[屋代駅]]◇ |style="text-align:right;"|2.8 |style="text-align:right;"|59.9 |style="text-align:right;"|361 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|▲ |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |- |[[屋代高校前駅]] |style="text-align:right;"|1.9 |style="text-align:right;"|61.8 |style="text-align:right;"|357 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |-style="height:1em;" |rowspan="2"|[[篠ノ井駅]] |rowspan="2" style="text-align:right;"|3.3 |rowspan="2" style="text-align:right;"|65.1 |rowspan="2" style="text-align:right;"|356.2 |rowspan="2" style="text-align:center;"|●<br><ref group="*" name="passage">JR篠ノ井線から直通する一部の列車は通過する(しなの鉄道線の列車は全て停車)。</ref> |rowspan="2" style="text-align:center;"|| |rowspan="2" style="text-align:center;"|| |rowspan="2" style="text-align:center;"|↓ |rowspan="2" style="text-align:center;"|| |rowspan="2"|東日本旅客鉄道:{{Color|#d56a29|■}}[[篠ノ井線]] |colspan="2" rowspan="6"|[[長野市]] |- |rowspan="5" style="text-align:center; width:1em;"|{{縦書き|[[東日本旅客鉄道]]}} |rowspan="5" style="text-align:center; width:1em;"|{{縦書き|[[信越本線]]}} |- |[[今井駅]] |style="text-align:right;"|2.1 |style="text-align:right;"|67.2 |style="text-align:right;"|359.0 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |- |[[川中島駅]]◇ |style="text-align:right;"|2.2 |style="text-align:right;"|69.4 |style="text-align:right;"|362.4 |style="text-align:center;"|●<br><ref group="*" name="passage" /> |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |- |[[安茂里駅]] |style="text-align:right;"|2.1 |style="text-align:right;"|71.5 |style="text-align:right;"|360.3 |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|| |style="text-align:center;"|↓ |style="text-align:center;"|| |&nbsp; |- |[[長野駅]]◇ |style="text-align:right;"|2.9 |style="text-align:right;"|74.4 |style="text-align:right;"|360.5 |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |style="text-align:center;"|● |しなの鉄道:{{Color|#999966|■}}[[しなの鉄道北しなの線|北しなの線]]<br />東日本旅客鉄道:[[File:Shinkansen jre.svg|15px|■]] 北陸新幹線・{{Color|#7BC24B|■}}[[飯山線]]<ref group="*">飯山線の路線の起点は[[豊野駅]]だが、運転系統上は全列車長野駅まで乗り入れる。</ref><br />[[長野電鉄]]:{{Color|#ff0000|■}}[[長野電鉄長野線|長野線]] (N1) |} {{Reflist|group="*"}} * 御代田 - 平原間では途中で[[佐久市]]を通過するが駅は存在しない。 * JR東日本の時には軽井沢 - 篠ノ井間は65.6 kmであったが転換時に改キロされ、しなの鉄道線としては65.1 kmとなった。駅間距離が変わった区間は、中軽井沢 - 信濃追分(3.1 km→3.2 km)、信濃追分 - 御代田(5.9 km→6.0 km)、御代田 - 平原(5.7 km→5.1 km)、田中 - 大屋(3.5 km→3.4 km)、大屋 - 上田(5.2 km→5.3 km)、坂城 - 戸倉(4.6 km→4.5 km)となっている<ref>{{Cite book | 和書 | title = 停車場変遷大事典 国鉄・JR編2 | publisher = [[JTBパブリッシング|JTB]] | date = 1998-10-01 | pages = 575 - 578}}</ref>。 * 無人駅は信濃追分駅、平原駅、滋野駅、信濃国分寺駅、テクノさかき駅、千曲駅で、他は業務委託駅・簡易委託駅・直営駅(社員配置駅)で有人駅になっている。 * 軽井沢駅、小諸駅、上田駅、戸倉駅、屋代駅ではJR東日本と同じ[[発車メロディ]]が流れる(軽井沢駅ではカンノ製、小諸駅・屋代駅・戸倉駅ではGK製、上田駅では東洋メディアリンクス製の発車メロディを使用)。また、屋代高校前駅、坂城駅、西上田駅、大屋駅、田中駅、御代田駅には発車ベルが設置されている。 * 大屋駅、坂城駅、屋代高校前駅は土休日のみ無人駅となる。 === 過去の接続路線 === *軽井沢駅: **碓氷馬車鉄道 - 1893年4月1日廃止。 **[[草軽電気鉄道]](新軽井沢駅) - 1960年4月25日部分廃止。 *小諸駅:[[布引電気鉄道]] - 1934年6月18日休止、1936年10月28日廃止。 *大屋駅:[[上田電鉄|上田丸子電鉄]][[上田丸子電鉄丸子線|丸子線]] - 1969年4月16日廃止。 *上田駅:[[上田電鉄|上田交通]][[上田交通真田傍陽線|真田傍陽線]] - 1972年4月20日廃止。 *上田駅:[[上田電鉄|上田温泉電軌]][[上田温泉電軌青木線|青木線]] - 1938年7月25日廃止。 *屋代駅:[[長野電鉄]][[長野電鉄屋代線|屋代線]] - 2012年4月1日廃止。 == その他 == しなの鉄道としては[[自動改札機]]は未導入だが、乗り入れ先であるJR東日本が篠ノ井駅と長野駅に導入しているため、乗車券は磁気券で発行される。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注"/> === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * [[JTBパブリッシング]]編 [[JTB時刻表]] * {{Cite book | 和書 | author = 日本鉄道旅行地図帳編集部 編;今尾恵介・原武史 監修 | title = 日本鉄道旅行歴史地図帳 : 全線全駅全優等列車 | date = 2010-10-18 |publisher = [[新潮社]] | location = 東京 | series = 新潮「旅」ムック | language = 日本語 | isbn = 978-4107900401 | volume = 6号(北信越) | ref = 今尾ら2010 }} == 関連項目 == * [[日本の鉄道路線一覧]] * [[信越本線]] * [[上信越自動車道]] == 外部リンク == *[https://www.shinanorailway.co.jp/ しなの鉄道株式会社] {{並行在来線}} {{東日本旅客鉄道高崎支社}} {{東日本旅客鉄道長野支社}} {{DEFAULTSORT:しなのてつとうせん}} [[Category:中部地方の鉄道路線]] [[Category:第三セクター路線]] [[Category:しなの鉄道|路]] [[Category:東日本旅客鉄道の廃止路線]] [[Category:長野県の交通]]
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5,648
クローニング
クローニング(英: cloning)は、生物学用語で、クローン(同じ遺伝子型をもつ生物の集団)を作製すること。 生物学用語での、同じ遺伝子型をもつ生物の集団(クローン)を作製することから転じて、分子生物学的文脈においては、ある特定の遺伝子を増やす、つまり遺伝子を単離することを意味する。 転じて一般に複製を作ることにも使われるようになった。例えばコンピュータ関連では、データを複製する「クローニングソフト」と呼ばれるものがある。これは意味としては本来のクローニングに近いが、この領域にはコピーという、より一般的な同様の言葉が存在している。単純なコピー機能では複製できないデータの複製を可能にするソフトウェアであるため、クローンという多少複雑なイメージのある言葉を使用していると思われる。また、コピーという単語を使うと違法性があるようにみえ、それを避けるために使用するという側面もあるようだ。 また、"wiki クローン"などといった用法に見られるように、同様の機能を実現するが、コードの異なるソフトウェアに対してクローンという言葉が使用されることもある。この様な場合、設計思想や仕様書が遺伝情報に相当し、ソフトウェアに対する入力が環境条件、出力が形質といえる。しかし、多くのクローンソフトの場合、同種内別個体程度の類似性に相当し、クローンほどの同一性は見られない。また、表面的な類似性に基づいて、コードを遺伝情報、実現する機能を形質と仮定してしまうと、コードが異なる点でクローンの原義と全く異なる使われ方といえる。このように本来のクローンの正確な理解を阻害しかねない間違ったアナロジーを産むと言えるため、ソフトウェア業界は他の言葉を使用した方がよいという意見もある。 重複コードはコードクローン(英: Cloned Code)とも呼ばれる。
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クローニングは、生物学用語で、クローン(同じ遺伝子型をもつ生物の集団)を作製すること。
{{混同|クローン|x1=生物学の組織}} {{出典の明記|date=2017年6月}} '''クローニング'''({{lang-en-short|cloning}})は、[[生物学]]用語で、[[クローン]](同じ[[遺伝子型]]をもつ生物の集団)を作製すること。 == 概要 == 生物学用語での、同じ遺伝子型をもつ生物の集団(クローン)を作製することから転じて、[[分子生物学]]的文脈においては、ある特定の[[遺伝子]]を増やす、つまり遺伝子を単離することを意味する。 転じて一般に複製を作ることにも使われるようになった。例えば[[コンピュータ]]関連では、[[データ]]を複製する「クローニングソフト」と呼ばれるものがある。これは意味としては本来のクローニングに近いが、この領域には[[コピー]]という、より一般的な同様の言葉が存在している。{{要出典範囲|date=2017年6月|単純なコピー機能では複製できないデータの複製を可能にする[[ソフトウェア]]であるため、クローンという多少複雑なイメージのある言葉を使用していると思われる。また、コピーという単語を使うと違法性があるようにみえ、それを避けるために使用するという側面もあるようだ}}。 == コンピュータ用語として == === 機能が同等のソフトウェアに対して === また、"wiki クローン"などといった用法に見られるように、同様の機能を実現するが、[[ソースコード|コード]]の異なるソフトウェアに対してクローンという言葉が使用されることもある。この様な場合、設計思想や仕様書が[[遺伝情報]]に相当し、ソフトウェアに対する入力が環境条件、出力が[[形質]]といえる。しかし、多くのクローンソフトの場合、同種内別個体程度の類似性に相当し、クローンほどの同一性は見られない。また、表面的な類似性に基づいて、コードを遺伝情報、実現する機能を形質と仮定してしまうと、コードが異なる点でクローンの原義と全く異なる使われ方といえる。{{要出典範囲|date=2017年6月|このように本来のクローンの正確な理解を阻害しかねない間違ったアナロジーを産むと言えるため、ソフトウェア業界は他の言葉を使用した方がよいという意見もある}}。 === 重複コードに対して === {{main|重複コード}} 重複コードはコードクローン(英: ''Cloned Code'')とも呼ばれる。 == 関連項目 == *[[核酸]] **[[DNAクローニング]] *[[細胞]] **[[免疫]] **[[モノクローナル抗体]] *[[個体]] **[[核移植]] **[[受精卵クローン]] **[[体細胞クローン]] **[[生殖医療]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:くろおにんく}} [[category:生物学の研究技術]] [[category:バイオテクノロジー]] [[category:クローニング|*くろにんく]] [[Category:無性生殖]] [[Category:寿命延長]] [[Category:応用遺伝学]] __目次強制__
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5,649
バリ (曖昧さ回避)
バリ、ばり バリーと表記されることが多い。
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バリ、ばり
'''バリ'''、'''ばり''' == Bali == * [[バリ島]] - [[インドネシア]]の島。 * [[バリ州]] - インドネシアの州。バリ島を中心とする。 * [[バリ語]] - バリ島の言語。 * [[マハーバリ|バリ、マハーバリ]] - [[ヒンドゥー教]]([[インド神話]])の[[アスラ]]の王。 * [[バリ (小惑星)]] * [[バリ (カメルーン)]]- カメルーンの都市。 * [[バリ (パーリー県)]] ({{interlang|en|Bali, India}}) - インド[[ラージャスターン州]][[パーリー県]]の都市。<!--同州ドールプル県にBariあり--> * [[八里区]] - [[台湾]][[新北市]]の[[市轄区]] == Bari == * [[バーリ]] - [[イタリア]]南部[[プッリャ州]]の都市。 * [[バーリ県]] - イタリアの県。県都はバーリ。 * [[ASバーリ]] - バーリを本拠地とするサッカークラブ。 * [[バーリ (軽巡洋艦)|軽巡洋艦バーリ]] - [[イタリア海軍]]の[[軽巡洋艦]]。 * [[バリ・サルド]] - イタリア・[[サルディーニャ島]]の都市。 * [[バリ州 (ソマリア)]] - [[ソマリア]]の州。 == Barry == '''[[バリー]]'''と表記されることが多い。{{main|バリー}} == その他 == * [[バリ (バーモント州)]] - [[アメリカ合衆国]]・[[バーモント州]]の都市。 * [[バリ (西ベンガル州)]] ({{interlang|en|Bally, Howrah}}) - [[インド]]・[[西ベンガル州]]の都市。 * [[バリ (加工)]] ({{lang|en|burr}}) - 切断など、工作の際に工作物の縁などにはみ出した部分。とくに切削方向に押し出されたもの。 * [[バリ (単位)]] ({{lang|fr|barye}}) - CGS単位系における圧力の単位。 * [[バリ (北欧神話)]] ({{interlang|en|Barri|{{lang|en|Barri, Barrey}}}}) - [[北欧神話]]に登場する、神[[フレイ]]と巨人女性[[ゲルズ]]が出会う森。 * [[バリケード]]の略語。例:バリ封鎖(バリケード封鎖)など。 * [[アイゴ]]の地域名。 * [[バリ (音)]] - スピーカーから出る音 * 「とても」「非常に」を意味する[[副詞]]。[[博多]]発祥の若者言葉。「ばり硬」など[[ラーメン]]の[[麺]]の固さを表現する場合に[[博多ラーメン|豚骨スープ]]の普及と共に全国的に用いられることが多い<ref>[https://dictionary.goo.ne.jp/jn/251872/meaning/m0u/%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%9F/ ばり‐かた【ばり硬】の意味 Goo辞書]</ref>。 * 名詞や人名の後ろにつけ、それに似せているときに使う語。「○○ばり」<ref>[https://dictionary.goo.ne.jp/jn/180011/meaning/m0u/ ばり【張り】の意味 Goo辞書]</ref>。 ==出典== {{Reflist}} == 関連項目 == * [[バーリ (曖昧さ回避)]] * [[ヴァーリ]] (曖昧さ回避) *[[パリ (曖昧さ回避)]] *{{prefix|バリ}} *{{intitle|バリ}} {{aimai}} {{デフォルトソート:はり}} [[Category:英語の地名]] [[Category:同名の地名]]
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5,650
体細胞
体細胞(、英: somatic cell)とは、多細胞生物を構成する細胞のうち生殖細胞以外の細胞のことを言う。 有性生殖においては次世代へは受け継がれない。ある目的に特化してしまいそれ以外の細胞にならない分化した細胞と、何種類かの異なった機能を持つ細胞に分化する能力を持った細胞がある。後者は幹細胞と呼ばれ、その種類や多能性によって様々なものがある。
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体細胞(たいさいぼう、とは、多細胞生物を構成する細胞のうち生殖細胞以外の細胞のことを言う。 有性生殖においては次世代へは受け継がれない。ある目的に特化してしまいそれ以外の細胞にならない分化した細胞と、何種類かの異なった機能を持つ細胞に分化する能力を持った細胞がある。後者は幹細胞と呼ばれ、その種類や多能性によって様々なものがある。
{{出典の明記|date=2015年5月21日 (木) 11:30 (UTC)}} {{読み仮名|'''体細胞'''|たいさいぼう|{{lang-en-short|somatic cell}}}}とは、[[多細胞生物]]を構成する[[細胞]]のうち[[生殖細胞]]以外の細胞のことを言う<ref>[[八杉龍一]]・[[小関治男]]・[[古谷雅樹]]・[[日高敏隆]]編集『岩波生物学辞典 第4版』[[岩波書店]]、1996年3月21日、844頁、ISBN 4-00-080087-6。</ref>。 [[有性生殖]]においては次世代へは受け継がれない。ある目的に特化してしまいそれ以外の細胞にならない分化した細胞と、何種類かの異なった機能を持つ細胞に分化する能力を持った細胞がある。後者は[[幹細胞]]と呼ばれ、その種類や多能性によって様々なものがある。 == 脚注 == {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Biosci-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たいさいほう}} [[Category:細胞生物学]] [[Category:クローニング]]
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5,651
生殖細胞
生殖細胞(せいしょくさいぼう)とは、生殖において遺伝情報を子孫へ伝える役割をもつ細胞のことである。胚細胞とも呼ばれる。 地球上に生物が誕生したときから、生殖細胞は連綿と受け継がれている。例えば、有性生殖のための配偶子(すなわち卵子・卵細胞・精子のこと)や、無性生殖のための胞子 、またそれらの元となる細胞が生殖細胞である。これらの細胞はまとめて生殖細胞系列(germline)と呼ばれることもある。生殖細胞は胎生期中に細胞分裂を繰り返して、男子では精原細胞に、女子では卵祖細胞になる。 多細胞生物においては、生殖細胞以外は体細胞と呼ばれる。これらの生物において配偶子形成の過程では減数分裂が起きる。真核生物では染色体は母系と父系から1セットずつ受け継がれるため、相同な染色体があわさって二倍体となっている。減数分裂では相同染色体が分離され、一倍体とならない場合、受精の度に染色体数が倍になってしまうことになる。減数分裂はウォルター・S・サットンによってバッタの生殖細胞で確認され、染色体説提唱の裏付けとなった。 体細胞は分裂回数が制限されているのに対し、生殖細胞は無限に分裂することができ、不死の細胞と言える。この不死性にはテロメアの長さの維持が関与している。生殖細胞の維持や配偶子の発生に異常が起こると不妊になる。
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生殖細胞(せいしょくさいぼう)とは、生殖において遺伝情報を子孫へ伝える役割をもつ細胞のことである。胚細胞とも呼ばれる。
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ロボット
ロボット(チェコ語: robot、英: robot)は、現在では次のようにいくつかの意味で用いられている言葉である。 この意味の「ロボット」は、フィクション作品、特にSFではアンドロイドや人造人間として登場し、日本のアニメでは『鉄腕アトム』『鉄人28号』『マジンガーZ』などに登場した。 現実に製作・製造されたロボットとしては、研究用ロボット、広報目的のロボット(テーマパークやパビリオンなどで案内係を務めるロボット)が1970年代から作られ、1999年にはSONYがAIBOを発売し愛玩用のペットロボットという分野が広まりはじめ、2000年にはHONDAが二足歩行ロボットASIMOを発表した。その他、メカ好きの間では関節部にサーボモータを組み込んで、数十センチ程度大きさのロボットを作りコンピュータ制御で動かすということがホビーとして行われるようになった。 なお、人や動物に通常以上の力を発揮させるために、身体の一部を人工物や装置で置き換えたり追加で埋め込んだ状態は「サイボーグ」とされ、ロボットとは区別されている。 こちらのは、自律制御の機械という意味のロボットである。コンピュータ制御で自律的に判断して動く。センサおよびアクチュエータおよびコンピュータとそのソフトウェアで(また機種によってはAIも搭載して)「自律性」を実現している。 無人機「ドローン」を半ば自律化させたものもある。 自動運転車は、かつては「SFの世界」だったが、現在ではすでに「レベル3」のつまり「本物の自動運転車」が登場している。たとえば2021年3月5日にはHonda SENSING Elite(ホンダ センシング エリート)搭載ホンダ・レジェンドとして登場。これは(高速道路で渋滞した時に限りではあるが)レベル3自動運転を実現し、車の周囲を2基の単眼カメラ、5基のミリ波レーダー、5基のLiDAR(ライダー)によって監視しハンドル・アクセル・ブレーキ類を自律的に操作するものである。そして2022年5月にはメルセデス・ベンツから、DRIVE PILOT(ドライブ・パイロット)搭載した「Sクラス」「EQSクラス」が発売された。 この言葉が初めて用いられたのは、1920年にチェコスロバキア(当時)の小説家カレル・チャペックが発表した戯曲『R.U.R.(ロッサム万能ロボット商会)』においてであるが、この作品のロボットは人間とは異なる組成の肉体と人間そっくりの外見を持つものを、化学的合成で原形質を使って製作したものであった。現在のSFで言うバイオノイドである。 チェコ語で強制労働(もともとは古代教会スラブ語での「隷属」の意)を意味するrobota(ロボッタ)と、スロバキア語で労働者を意味するrobotnik(ロボトニーク)から創られた造語である。 着想にはゴーレム伝説が影響していると作者が述べており、また、言葉自体も作ったのは自身ではなく、兄で画家のヨゼフ・チャペックであるとしている。あらすじを兄に話し、どのような名前にしたらよいだろうかと聞いてみたところ、口に絵筆をくわえてもごもごとした口調で「ロボット」はどうだろうかと答えたという。その後、この作品が各国で翻訳・上演されたことで広まり、一般に使用されるようになった。 日本では同作品の翻訳本が1923年に出版された(宇賀伊津緒訳、春秋社)が、翻訳者の宇賀はrobotを「人造人間」と訳し、タイトルも『人造人間』とした。原典のままカタカナ表記した「ロボット」が普及したのは、第二次世界大戦以降であった。 起源とされる上記作品においては「ロボット」は「人の代わりに作業(労働)をさせることを目的に」、「人(の姿と自律行動)を模して」作られたものであるとされ、同作品が広範囲に流布したことにより当初はその意味で使われたが、その後次第に、各分野においてやや違う意味でも使われるようになった。 ヨーロッパでは1930年代中頃から『自動化』という意味で、高度に自動化されていれば人の形をしていないものでもロボットと呼ぶようになった。ドイツのカメラメーカーであるオットー・ベルニングは1934年に発売したモータードライブ内蔵カメラを『ROBOT』と命名した。 工業分野では明確に定義が定められるようにもなった。たとえばJISの「JIS B 0134」(1998年)では「産業用ロボット」の定義を「自動制御によるマニピュレーション機能又は移動機能をもち,各種の作業をプログラムによって実行できる,産業に使用される機械。」とした。さらに「JIS B 0134」では産業用マニピュレーティングロボットに関する用語も定義された。平成18年のロボット政策研究会報告書では「センサ、知能・制御系、駆動系の3つの要素技術を有する、知能化した機械システム」と定義された。 基本的に、ある程度の工程なり手順なりを自動的かつ連続的に行うものであり、単一の動作のみを行う装置(ベルトコンベアー、エスカレーターなど)や、絶えず人間が操作をする必要がある装置(リフト装置やエレベーター)、操縦者が搭乗する必要性があるもの(ブルドーザーやショベルカーなど)はロボットに含めないことが多い。 その一方で、人の形を模した(もしくは類似した)外観である機械装置であれば、まったくの手動操作・操縦であっても、範疇に含む場合があり、パワードスーツなどを含めた「人の形をした乗り物または作業用機械」についても同様に、一般的にはロボットと呼ばれている。 モーター等の動力が内蔵され機械的または電気的に人間の操作を伝達して動作するマニピュレーターも一種と見なされ、ロボットアームとも呼ばれる(医療ロボットのダ・ヴィンチや国際宇宙ステーションのカナダアーム2など)が、これらは厳密な定義による分類ではなく、多分に慣用句的用法である。 人間ではなく生物の動きを模した機械もロボットに含まれる。 物体としては存在しないが、「人の代わりになんらかの作業を、ある程度の工程なり手順なりを自動的かつ連続的に(かつ効率的に)行うもの」という定義から、コンピュータ言語によるプログラムやソフトウェアも範疇に含まれる場合もある。例としてインターネットの情報を自動検索するソフトウエア「検索エンジン」などはロボット検索(命令(検索ワードの入力)するだけで、さまざまな結果・情報の取得まで自動で行なう)と呼ぶ。これらは機械的ロボットとの区別のために短縮形のボット(Bot)と呼ばれる(インターネットボット、ボットネットなど)こともある。 別の用法として、「機械的」という概念を人間にあてはめ、「自分で判断をしない、指示待ち的な人間」や「自分の意志ではなく、他人に操られて動く人間」を、やや侮蔑的に比喩として呼称することもある。英語においても、同様の比喩に用いるが、こちらも先に「オートマトン(オートマタ、機械人形)」が比喩に用いられていた。 以下は現実世界におけるロボットの研究・開発状況について解説する。 ロボットは長い間フィクションの中だけに登場する存在であったが、主に工場などの生産ラインで腕力の必要な作業や、高温など危険な環境下での機械関係の点検・保守作業などで、自律的に人間の代行ができる機械が産業用ロボットと呼ばれ活躍している(自動車組み立てロボットなど)。 すでに一部では、自動的に建物内を巡回・警備するロボットのレンタル事業が開始されており、病院内の物資運搬におけるロボットカートの採用、また自動車の自動運転という意味のロボットカーなど、非人間型ロボットを中心に、移動する自動機械が人間社会の中で実際に活動を始めている。 福島第一原子力発電所事故の発災後に日本製の原発ロボット(調査ロボット)の投入が遅れたことや、その後、投入されたものの目覚しい活躍を示していない現状や、掃除用ロボットなどの分野で日本企業が主役から外れていることなどを背景に、実用性の高いロボットの研究開発の重要性が指摘されている。 用途別と構造別による分類が行える。 1980年代後半以降、ASIMO(本田技研工業)・HRP-2/HRP-3(川田工業・産業技術総合研究所・川崎重工業)・SDR-4X/QRIO(ソニー)・PALRO(富士ソフト)等の二足歩行可能な人型ロボットが開発・発表されており、ROBO-ONEのような企画向けに個人で製作されるものにも高度なものが現れ、オーケストラの指揮したり、TPR(トヨタ)等の実際に楽器演奏ができるものも登場している。 2018年10月11日には、ボストン・ダイナミクス社の最新型アトラスが「パルクール」を軽々とやってのける動作を撮影した新映像が公開された。 いずれもこれら人の形をした(もしくは目指した)ロボット開発は、古くからのSF作品で描かれた「人間社会に溶け込み、人間との共同作業や共に生活するロボット」というイメージに沿ったものでもあり、日本においては『鉄腕アトム』の影響が少なからず二足歩行ロボット開発者の発言に示されている一方、若い世代では一連の巨大ロボットもののアニメーション(→ロボットアニメ)が言及される。たとえば、ASIMOでは前述の『鉄腕アトム』を、HRP-2/HRP-3開発者の一部は『機動警察パトレイバー』の影響を受けていることを公言しており、同シリーズは実動機のデザインをアニメのメカデザインで活躍する出渕裕に依頼したことでも知られる。 古くはリモートコントロールや簡単なマイクロコンピュータで制御された物が、博覧会や展示施設で訪れた者の目を楽しませていたが、近年では家庭で使われるロボットも増えている。 2022年時点で一番普及率が高くなっているのは、掃除用ロボットである。家事の中でも比較的「好きでない」「やりたくない」ものである掃除を自動化できるので購入の動機が強く、普及が進んだ。最初は、単純に壁にぶつかってから方向を変更して動き回る装置だったが、やがて高級機種では上部にカメラを備えて天井の形をから部屋のマッピング(地図作成)を行うものまで登場した。曜日・日時などを設定しておけば、勤務や授業で自宅にいない時に自動的に掃除して充電ステーションに戻るを繰り返す。 ビタクラフトのRFIQ自動調理システムは「世界初の調理ロボット」といわれた。 ソニーのAIBOはエンターテイメントロボットという分野を開拓し、シリーズ化し、大人気となった。さまざまな意味でかなり「生物的」になっているので、人々はロボットとしてというより最初から「ペット」として購入する傾向が強まっている。Youtubeなどでもアメリカ人YoutuberたちがERS-1000をすっかりペットとして扱っている様子が多数投稿されている。 家庭用ロボットは、人間とコミュニケーションを取ったり、自由に動き回って目を和ませたり、更には「ロボットの居る生活」という「近未来的な暮らしをしたい」というニーズに応えている。これらは主に、ペットという性格付けが強いことから、動物型の物が多く市場投入される傾向にある。ただし、感情移入のしやすい動物や人の姿などをしていなくても、ロボットをかわいがる人々はおり、中には掃除用ロボットが「かわいい」「健気」と愛着や感情移入している人々もいる。 介護ロボットの需要も高まっている。「高齢化社会」が進展する日本では、介護者の不足も問題になっており、になっており、ロボットは有力な解決策のひとつになっている。ベッドから抱き上げて車椅子に乗せる作業や、入浴の介護などの重労働に需要がある。また食事の介護をしたり、高齢者に話しかけたり高齢者が話せば反応して会話するコミュニケーション機能も求められている。 2021年には、トヨタから家事を他種類行うロボットが公開された。 富裕層の広い邸宅などでは、人が不在の時に住宅内を巡回し、不審な状況があれば外にいるネット経由で外にいる主人に連絡したり、自動的に警察に通報してくれるロボット、ホームセキュリティロボットの需要も一定程度ある。 軍事活動やそれに付随する危険物処理などでは、人的被害(→戦死)を減らすための導入や、様々な活動の機械化が進められている。米国では偵察や輸送など不意な接触にともない戦闘に巻き込まれやすい分野で、日本では地雷処理など戦後処理の分野での開発が進められている。将来的には高度な人工知能により人間の介在無しに敵味方を識別し攻撃を行う殺人ロボット兵器『自律型致死兵器システム(LAWS)』の登場が予想され、2017年11月から国際連合でLAWSの規制を議論する公式専門家会議が特定通常兵器使用禁止制限条約の枠組みで行われている。 治安活動やそれに付随する危険物処理などでは、人手不足を減らすための導入や、様々な活動の機械化が進められている。中でも交通違反の取り締まり、証拠収集、顔認識による犯罪者の特定、さらに爆弾やテーザー銃などで武装化させて法執行活動に採用する国もあり、2016年に中国では非人型の、2017年にはアラブ首長国連邦のドバイでは人型のロボットの警察への配備が報じられた。 原子力事故 宇宙空間 水中探査 火山探査 盲導犬や軍馬など生物を利用していた分野においては、育成や維持にコストがかかることからロボットで代替する研究が行われている。 危険な場所に、人間に代わって導入するロボットをレスキューロボットという。既述の地雷撤去ロボットや、災害などにおける被災者の救護活動を担うロボットなどがある。 レスキューロボットは地震や噴火・津波などによる被災地に投入して、いち早く被災者を発見・保護することで、救命率の向上と二次災害による被害を防ぐことを目的とする。これらのロボットは、センサーや移動能力を持ち倒壊建物に取り残された被災者の発見に役立てるほか、テムザックの「援竜」のように従来からある建設機械を発展させて二本のアームを備えロボット化し、瓦礫撤去を効率よくこなすことが期待される。 火災の場合では、コンビナート火災など危険すぎて消防隊が突入できない個所にも侵入できる放水銃を備えた無人走行放水車や、危険のともなう火災現場に突入して状況を調べるための偵察ロボット、水中を捜索する水中検索装置・マニピュレーターを備え、要救助者を回収する救出ロボットが、東京消防庁に配備されている。これらはリモートコントロール式の装置であるが、危険個所の消防と被災者の救出に威力を発揮することが期待される。また、2019年には総務省消防庁が市原市消防局に消防ロボットシステム「スクラムフォース」を無償貸与した。 2011年3月11日東北地方太平洋沖地震による東日本大震災や福島第一原発事故後には、ロボットを使った人命救助や、原子力災害ロボットの役割の重要性が改めて認識され、研究開発が行われている、多くの研究者や企業が原発災害用ロボットの開発に力を入れている。 テムザック社の T-52「援竜」のように建設機械を改造したロボットも登場している。 瓦礫の隙間に入り被災者を探索するロボットの開発も行われているが、昆虫サイズの場合はロボットよりも実際の昆虫をサイボーグ化し遠隔制御た方が省エネルギーとされる。 動物の動作を制御する仕組みを理解するにあたって、脳や脊髄の動的な相互作用を記録することは困難なため、神経科学の研究道具として動物の動作を模したロボットを作り、理解に役立てることがある。 迷路探索から格闘まで様々な競技が行われている。黎明期には技術の実証など研究的側面が強く、DARPAグランド・チャレンジのように公的機関が資金を拠出する競技も多かったが、現代では見た目のインパクトを重視した興行型や純粋に成績を競うスポーツ型の競技も行われ、相撲ロボットのようなルールに特化したロボットが多数開発されている。 多くは無人機によるものだが、2017年には有人機同士による格闘がイベントとして行われた。 LAND WALKERは、すり足のため擬似的なものではあるが、人が乗り込んで操縦する二足歩行ロボットである。 前出のASIMOは、宣伝のためにイベント会場にレンタルされている。 2023年には受注生産であるが、継続して販売される製品として全高4mの登場型ロボットの販売が開始された。 通常「ロボット」と呼ばれるものとは異なり、単体での動作はなく、人間が装着することで機能を強化する装置もある。筋力を補う装置は「パワードスーツ」「強化外骨格」などと呼ぶ。カテゴリーとしてはロボットではなく、「人間の身体に装着する装置」である。 医療・福祉関係のほかに、物流関係、工事現場など広く民生用への応用が期待される。軍事用に米軍がマサチューセッツ工科大学と共同で強化外骨格の研究をしているといわれる。 また、人間の力を拡大するのではなく、手術などの微細な作業の際に人間の動きを縮小するマイクロサージャリー用の装置も医療用に開発されている。 「ロボット」といっても自律的に動くのではなく、あくまで人間の動作ひとつひとつに反応して動く動作補助用の装置である。 ギリシア神話には青銅で出来た自動人形『タロース』が登場する。これは自然発生したものではなく、鍛冶の神であるヘーパイストス(あるいはダイダロス)によってクレタ島を警備するために作り出されたとされ、現代の定義では警備ロボットか軍事用ロボットに該当する。 複雑な機械装置が登場すると、工学的に精巧な装置を組み合わせていけば最終的には人間に限りなく近い物ができあがるだろうという予測から、古今東西・様々な架空のロボットが想像され、ロボットアニメや ロボット漫画などジャンルが形成されている。またロボット工学三原則、スーパーロボットやリアルロボットなどの用語も登場している。 当初は機械工学や制御工学など機械系の研究者が多かったが、認知科学などの分野からのアプローチも増えている。
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"tag": "p", "text": "別の用法として、「機械的」という概念を人間にあてはめ、「自分で判断をしない、指示待ち的な人間」や「自分の意志ではなく、他人に操られて動く人間」を、やや侮蔑的に比喩として呼称することもある。英語においても、同様の比喩に用いるが、こちらも先に「オートマトン(オートマタ、機械人形)」が比喩に用いられていた。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "以下は現実世界におけるロボットの研究・開発状況について解説する。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ロボットは長い間フィクションの中だけに登場する存在であったが、主に工場などの生産ラインで腕力の必要な作業や、高温など危険な環境下での機械関係の点検・保守作業などで、自律的に人間の代行ができる機械が産業用ロボットと呼ばれ活躍している(自動車組み立てロボットなど)。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "すでに一部では、自動的に建物内を巡回・警備するロボットのレンタル事業が開始されており、病院内の物資運搬におけるロボットカートの採用、また自動車の自動運転という意味のロボットカーなど、非人間型ロボットを中心に、移動する自動機械が人間社会の中で実際に活動を始めている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "福島第一原子力発電所事故の発災後に日本製の原発ロボット(調査ロボット)の投入が遅れたことや、その後、投入されたものの目覚しい活躍を示していない現状や、掃除用ロボットなどの分野で日本企業が主役から外れていることなどを背景に、実用性の高いロボットの研究開発の重要性が指摘されている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "用途別と構造別による分類が行える。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1980年代後半以降、ASIMO(本田技研工業)・HRP-2/HRP-3(川田工業・産業技術総合研究所・川崎重工業)・SDR-4X/QRIO(ソニー)・PALRO(富士ソフト)等の二足歩行可能な人型ロボットが開発・発表されており、ROBO-ONEのような企画向けに個人で製作されるものにも高度なものが現れ、オーケストラの指揮したり、TPR(トヨタ)等の実際に楽器演奏ができるものも登場している。 2018年10月11日には、ボストン・ダイナミクス社の最新型アトラスが「パルクール」を軽々とやってのける動作を撮影した新映像が公開された。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "いずれもこれら人の形をした(もしくは目指した)ロボット開発は、古くからのSF作品で描かれた「人間社会に溶け込み、人間との共同作業や共に生活するロボット」というイメージに沿ったものでもあり、日本においては『鉄腕アトム』の影響が少なからず二足歩行ロボット開発者の発言に示されている一方、若い世代では一連の巨大ロボットもののアニメーション(→ロボットアニメ)が言及される。たとえば、ASIMOでは前述の『鉄腕アトム』を、HRP-2/HRP-3開発者の一部は『機動警察パトレイバー』の影響を受けていることを公言しており、同シリーズは実動機のデザインをアニメのメカデザインで活躍する出渕裕に依頼したことでも知られる。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "古くはリモートコントロールや簡単なマイクロコンピュータで制御された物が、博覧会や展示施設で訪れた者の目を楽しませていたが、近年では家庭で使われるロボットも増えている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2022年時点で一番普及率が高くなっているのは、掃除用ロボットである。家事の中でも比較的「好きでない」「やりたくない」ものである掃除を自動化できるので購入の動機が強く、普及が進んだ。最初は、単純に壁にぶつかってから方向を変更して動き回る装置だったが、やがて高級機種では上部にカメラを備えて天井の形をから部屋のマッピング(地図作成)を行うものまで登場した。曜日・日時などを設定しておけば、勤務や授業で自宅にいない時に自動的に掃除して充電ステーションに戻るを繰り返す。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ビタクラフトのRFIQ自動調理システムは「世界初の調理ロボット」といわれた。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ソニーのAIBOはエンターテイメントロボットという分野を開拓し、シリーズ化し、大人気となった。さまざまな意味でかなり「生物的」になっているので、人々はロボットとしてというより最初から「ペット」として購入する傾向が強まっている。Youtubeなどでもアメリカ人YoutuberたちがERS-1000をすっかりペットとして扱っている様子が多数投稿されている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "家庭用ロボットは、人間とコミュニケーションを取ったり、自由に動き回って目を和ませたり、更には「ロボットの居る生活」という「近未来的な暮らしをしたい」というニーズに応えている。これらは主に、ペットという性格付けが強いことから、動物型の物が多く市場投入される傾向にある。ただし、感情移入のしやすい動物や人の姿などをしていなくても、ロボットをかわいがる人々はおり、中には掃除用ロボットが「かわいい」「健気」と愛着や感情移入している人々もいる。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "介護ロボットの需要も高まっている。「高齢化社会」が進展する日本では、介護者の不足も問題になっており、になっており、ロボットは有力な解決策のひとつになっている。ベッドから抱き上げて車椅子に乗せる作業や、入浴の介護などの重労働に需要がある。また食事の介護をしたり、高齢者に話しかけたり高齢者が話せば反応して会話するコミュニケーション機能も求められている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2021年には、トヨタから家事を他種類行うロボットが公開された。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "富裕層の広い邸宅などでは、人が不在の時に住宅内を巡回し、不審な状況があれば外にいるネット経由で外にいる主人に連絡したり、自動的に警察に通報してくれるロボット、ホームセキュリティロボットの需要も一定程度ある。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "軍事活動やそれに付随する危険物処理などでは、人的被害(→戦死)を減らすための導入や、様々な活動の機械化が進められている。米国では偵察や輸送など不意な接触にともない戦闘に巻き込まれやすい分野で、日本では地雷処理など戦後処理の分野での開発が進められている。将来的には高度な人工知能により人間の介在無しに敵味方を識別し攻撃を行う殺人ロボット兵器『自律型致死兵器システム(LAWS)』の登場が予想され、2017年11月から国際連合でLAWSの規制を議論する公式専門家会議が特定通常兵器使用禁止制限条約の枠組みで行われている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "治安活動やそれに付随する危険物処理などでは、人手不足を減らすための導入や、様々な活動の機械化が進められている。中でも交通違反の取り締まり、証拠収集、顔認識による犯罪者の特定、さらに爆弾やテーザー銃などで武装化させて法執行活動に採用する国もあり、2016年に中国では非人型の、2017年にはアラブ首長国連邦のドバイでは人型のロボットの警察への配備が報じられた。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "原子力事故", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "宇宙空間", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "水中探査", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "火山探査", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "盲導犬や軍馬など生物を利用していた分野においては、育成や維持にコストがかかることからロボットで代替する研究が行われている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "危険な場所に、人間に代わって導入するロボットをレスキューロボットという。既述の地雷撤去ロボットや、災害などにおける被災者の救護活動を担うロボットなどがある。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "レスキューロボットは地震や噴火・津波などによる被災地に投入して、いち早く被災者を発見・保護することで、救命率の向上と二次災害による被害を防ぐことを目的とする。これらのロボットは、センサーや移動能力を持ち倒壊建物に取り残された被災者の発見に役立てるほか、テムザックの「援竜」のように従来からある建設機械を発展させて二本のアームを備えロボット化し、瓦礫撤去を効率よくこなすことが期待される。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "火災の場合では、コンビナート火災など危険すぎて消防隊が突入できない個所にも侵入できる放水銃を備えた無人走行放水車や、危険のともなう火災現場に突入して状況を調べるための偵察ロボット、水中を捜索する水中検索装置・マニピュレーターを備え、要救助者を回収する救出ロボットが、東京消防庁に配備されている。これらはリモートコントロール式の装置であるが、危険個所の消防と被災者の救出に威力を発揮することが期待される。また、2019年には総務省消防庁が市原市消防局に消防ロボットシステム「スクラムフォース」を無償貸与した。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2011年3月11日東北地方太平洋沖地震による東日本大震災や福島第一原発事故後には、ロボットを使った人命救助や、原子力災害ロボットの役割の重要性が改めて認識され、研究開発が行われている、多くの研究者や企業が原発災害用ロボットの開発に力を入れている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "テムザック社の T-52「援竜」のように建設機械を改造したロボットも登場している。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "瓦礫の隙間に入り被災者を探索するロボットの開発も行われているが、昆虫サイズの場合はロボットよりも実際の昆虫をサイボーグ化し遠隔制御た方が省エネルギーとされる。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "動物の動作を制御する仕組みを理解するにあたって、脳や脊髄の動的な相互作用を記録することは困難なため、神経科学の研究道具として動物の動作を模したロボットを作り、理解に役立てることがある。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "迷路探索から格闘まで様々な競技が行われている。黎明期には技術の実証など研究的側面が強く、DARPAグランド・チャレンジのように公的機関が資金を拠出する競技も多かったが、現代では見た目のインパクトを重視した興行型や純粋に成績を競うスポーツ型の競技も行われ、相撲ロボットのようなルールに特化したロボットが多数開発されている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "多くは無人機によるものだが、2017年には有人機同士による格闘がイベントとして行われた。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "LAND WALKERは、すり足のため擬似的なものではあるが、人が乗り込んで操縦する二足歩行ロボットである。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "前出のASIMOは、宣伝のためにイベント会場にレンタルされている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2023年には受注生産であるが、継続して販売される製品として全高4mの登場型ロボットの販売が開始された。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "通常「ロボット」と呼ばれるものとは異なり、単体での動作はなく、人間が装着することで機能を強化する装置もある。筋力を補う装置は「パワードスーツ」「強化外骨格」などと呼ぶ。カテゴリーとしてはロボットではなく、「人間の身体に装着する装置」である。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "医療・福祉関係のほかに、物流関係、工事現場など広く民生用への応用が期待される。軍事用に米軍がマサチューセッツ工科大学と共同で強化外骨格の研究をしているといわれる。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "また、人間の力を拡大するのではなく、手術などの微細な作業の際に人間の動きを縮小するマイクロサージャリー用の装置も医療用に開発されている。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "「ロボット」といっても自律的に動くのではなく、あくまで人間の動作ひとつひとつに反応して動く動作補助用の装置である。", "title": "実在のロボット概略" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ギリシア神話には青銅で出来た自動人形『タロース』が登場する。これは自然発生したものではなく、鍛冶の神であるヘーパイストス(あるいはダイダロス)によってクレタ島を警備するために作り出されたとされ、現代の定義では警備ロボットか軍事用ロボットに該当する。", "title": "ロボットを題材とした作品" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "複雑な機械装置が登場すると、工学的に精巧な装置を組み合わせていけば最終的には人間に限りなく近い物ができあがるだろうという予測から、古今東西・様々な架空のロボットが想像され、ロボットアニメや ロボット漫画などジャンルが形成されている。またロボット工学三原則、スーパーロボットやリアルロボットなどの用語も登場している。", "title": "ロボットを題材とした作品" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "当初は機械工学や制御工学など機械系の研究者が多かったが、認知科学などの分野からのアプローチも増えている。", "title": "ロボットの研究者" } ]
ロボットは、現在では次のようにいくつかの意味で用いられている言葉である。 機械でありながら生き物に似た外見をしており、それ自体で移動でき(つまり歩行したり、あるいは車輪を用いて移動でき)、複雑な動作(たとえば「物をつかむ」や「物を移動させる」など)をできるもの。 自動的に、複雑な動作、しばしば繰り返しを伴う動作を行うことができる装置(たとえば産業分野の組み立てラインで使われている装置の類)。 自律制御のメカニズム(機構)。 (比喩的用法)まるで自動的に機能しているように見える、あるいは普通の感覚や感情を欠いていることにより、機械に似ている人
{{Otheruses}} {{WikipediaPage||Wikipedia:ボット}} '''ロボット'''({{lang-cs|robot}}、{{Lang-en-short|robot}})は、現在では次のようにいくつかの意味で用いられている言葉である<ref name="Merriam_Webster">[https://www.merriam-webster.com/dictionary/robot Merriam Webster, definition of robot.]</ref>。 *機械でありながら[[生き物]]に似た外見をしており、それ自体で移動でき(つまり[[歩行]]したり、あるいは[[車輪]]を用いて移動でき)、複雑な動作(たとえば「物をつかむ」や「物を移動させる」など)をできるもの<ref name="Merriam_Webster" />。 *自動的に、複雑な動作、しばしば繰り返しを伴う動作を行うことができる装置<ref name="Merriam_Webster" />(たとえば産業分野の組み立てラインで使われている装置の類<ref name="Merriam_Webster" />)。 *<u>自律制御の</u>[[メカニズム]]([[機構]])<ref name="Merriam_Webster" />。 *([[比喩]]的用法)まるで自動的に機能しているように見える、あるいは普通の感覚や感情を欠いていることにより、機械に似ている人<ref name="Merriam_Webster" /> <!--a person who resembles a machine in seeming to function automatically or in lacking normal feelings or emotions--> == 概説 == === 生物に外見や機能が似ている機械 === この意味の「ロボット」は、[[フィクション]]作品、特にSFではアンドロイドや[[人造人間]]として登場し、日本の[[テレビアニメ|アニメ]]では『[[鉄腕アトム]]』『[[鉄人28号]]』『[[マジンガーZ]]』などに登場した。 現実に製作・製造されたロボットとしては、研究用ロボット、[[広報]]目的のロボット(テーマパークやパビリオンなどで案内係を務めるロボット)が1970年代から作られ、1999年には[[SONY]]がAIBOを発売し愛玩用の[[ペットロボット]]という分野が広まりはじめ、2000年には[[HONDA]]が[[二足歩行ロボット]]ASIMOを発表した。その他、メカ好きの間では関節部に[[サーボモータ]]を組み込んで、数十センチ程度大きさのロボットを作りコンピュータ制御で動かすということがホビーとして行われるようになった。 なお、人や動物に通常以上の力を発揮させるために、身体の一部を人工物や装置で置き換えたり追加で埋め込んだ状態は「[[サイボーグ]]」とされ、ロボットとは区別されている。 {{Gallery|width = 200px|title=生物に外見や動作を似せているロボットの例 |File:Pepper - France - Les Quatres Temps - Darty - 2016-11-04.jpg|[[ソフトバンク]]のコミュニケーション・ロボット、[[Pepper (ロボット)|Pepper]] |ファイル:Honda ASIMO (ver. 2011) 2013 Tokyo Motor Show.jpg|[[本田技研工業]]製の人型で二足歩行のロボット、[[ASIMO]] |File:Valkyrie-robot-3.jpg|[[NASA]]のヴァルキリー。 |File:Actroid-DER 01.jpg|日本の[[ココロ (企業)|株式会社ココロ]]が開発した「アクトロイド-DER」 |File:Sony Qrio Robot.jpg|[[ソニー]]のロボット[[QRIO]] |File:Ever-2.jpg |[[韓国生産技術研究所]]が開発した[[人造人間]][[EveR-2]] |File:Humanoider-Roboter-DASA.JPG|[[ドイツ]]、[[ドルトムント]]のヒューマノイドロボット |File:Sophia at the AI for Good Global Summit 2018 (27254369347) (cropped).jpg|ソフィア。[[香港]]系会社ハンソン・ロボティクスによって開発されたロボット |File:Actroid 4.jpg|[[愛・地球博]]で案内ロボットを務める[[アクトロイド]] |File:Nao Robot (Robocup 2016).jpg|ソフトバンクの[[Nao (ロボット)|Nao]] |File:3d-printed-humanoid-robot-manav-mumbai-techfest-2015.jpg|[[インド]]初のヒューマノイドロボット、マナフ |File:ICub - Festival Economia 2018 2.jpg|ICub。[[イタリア工科大学]]のロボット |File:SpotMini, Boston Dynamics, Robot.jpg|犬のように四肢をそなえ、眼(カメラ)もそなえ、あらかじめ教えたルートを辿り周囲を監視する四肢ロボット、[[Spot (四肢ロボット)|Spot]]。オプション部品を追加すると、ドアノブを回して部屋に出入りすることもできる。 }} === 自律制御の機械 === こちらのは、自律制御の機械という意味のロボットである。[[コンピュータ]]制御で自律的に判断して動く。[[センサ]]および[[アクチュエータ]]および[[コンピュータ]]とその[[ソフトウェア]]で(また機種によっては[[人工知能|AI]]も搭載して)「自律性」を実現している。 {{Gallery|width = 250px |File:Factory_Automation_Robotics_Palettizing_Bread.jpg|産業用ロボット。製造ラインで使われるロボットの例。 |ファイル:DeLaval_milking_station.jpg|[[搾乳ロボット]]。 |File:Food delivery bot at Yangfang Shengli Original Restaurant (20200111163318).jpg |[[配膳ロボット]]。レストランで客のテーブルに料理を届けることを行う。日本では[[すかいらーく|ガスト]]などで導入されている。 |File:IRobot-Roomba-Top-view-01.jpg|[[掃除ロボット]]の[[ルンバ]]。 }} 無人機「[[ドローン_(曖昧さ回避)|ドローン]]」を半ば自律化させたものもある<ref>[http://www.meti.go.jp/press/2016/01/20170112003/20170112003.html 世界初・完全自律制御ドローンでの長距離荷物配送に成功しました!~福島浜通りロボット実証区域でドローンの実証にチャレンジ!~(METI/経済産業省)、閲覧2017年12月19日]</ref>。 [[自動運転車]]は、かつては「SFの世界」だったが、現在ではすでに「レベル3」のつまり「本物の自動運転車」が登場している。たとえば2021年3月5日にはHonda SENSING Elite(ホンダ センシング エリート)搭載ホンダ・レジェンドとして登場。これは(高速道路で渋滞した時に限りではあるが)レベル3自動運転を実現し、車の周囲を2基の単眼カメラ、5基のミリ波レーダー、5基のLiDAR(ライダー)によって監視しハンドル・アクセル・ブレーキ類を自律的に操作するものである。そして2022年5月にはメルセデス・ベンツから、DRIVE PILOT(ドライブ・パイロット)搭載した「Sクラス」「EQSクラス」が発売された。 === 語源 === この言葉が初めて用いられたのは、1920年に[[チェコスロバキア]](当時)の[[小説家]][[カレル・チャペック]]が発表した[[戯曲]]『[[R.U.R.]](ロッサム万能ロボット商会)』においてであるが、この作品のロボットは人間とは異なる組成の肉体と人間そっくりの外見を持つものを、化学的合成で[[原形質]]を使って製作したものであった。現在のSFで言うバイオノイドである。 [[チェコ語]]で[[強制労働]](もともとは[[古代教会スラブ語]]での「隷属」の意)を意味する''robota''(ロボッタ)と<ref>カレル・チャペック『ロボット』[[千野栄一]]訳、[[岩波文庫]]、1989年、206頁。</ref>、[[スロバキア語]]で労働者を意味する''robotnik''(ロボトニーク)から創られた造語<ref name=kyukyo>[https://web.archive.org/web/20170805055905/https://www.kyukyo-u.ac.jp/graduate/img/engineering/com_no19.pdf ROBOT]九州共立大学、2007</ref>である。 着想には[[ゴーレム]][[伝説]]が影響していると作者が述べており<ref>井上晴樹『日本ロボット戦争記 : 1939~1945』124頁(NTT出版,2007) ISBN 978-4757160149</ref><ref>Morris, Nicola"The Golem in Jewish American Literature: Risks and Responsibilities in the Fiction of Thane Rosenbaum" p.119</ref>、また、言葉自体も作ったのは自身ではなく、兄で画家の[[ヨゼフ・チャペック]]であるとしている。あらすじを兄に話し、どのような名前にしたらよいだろうかと聞いてみたところ、口に絵筆をくわえてもごもごとした口調で「ロボット」はどうだろうかと答えたという<ref>カレル・チャペック『ロボットという言葉の起源』[[栗栖継]]訳(『現代人の思想22 機械と人間の共生』[[平凡社]]、1968年、収録)</ref>。その後、この作品が各国で翻訳・上演されたことで広まり、一般に使用されるようになった。 日本では同作品の[[翻訳]]本が1923年に出版された([[宇賀伊津緒]]訳、[[春秋社]])が、翻訳者の宇賀は''robot''を「人造人間」と訳し、タイトルも『人造人間』とした。原典のままカタカナ表記した「ロボット」が普及したのは、[[第二次世界大戦]]以降であった。 === 語義の多様化 === 起源とされる上記作品においては「ロボット」は「人の代わりに作業(労働)をさせることを目的に」、「人(の姿と自律行動)を模して」作られたものであるとされ、同作品が広範囲に流布したことにより当初はその意味で使われたが、その後次第に、各分野においてやや違う意味でも使われるようになった。 ヨーロッパでは1930年代中頃から『[[自動化]]』という意味で、高度に自動化されていれば人の形をしていないものでもロボットと呼ぶようになった。ドイツのカメラメーカーである[[オットー・ベルニング]]は1934年に発売した[[モータードライブ (カメラ)|モータードライブ]]内蔵カメラを『ROBOT』と命名した。 工業分野では明確に定義が定められるようにもなった。たとえば[[日本産業規格|JIS]]の「JIS B 0134」(1998年)では<ref>{{Cite jis|B|0134}}</ref>「産業用ロボット」の定義を「自動制御によるマニピュレーション機能又は移動機能をもち,各種の作業を[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]によって実行できる,産業に使用される機械。」とした。さらに「JIS B 0134」では産業用マニピュレーティングロボットに関する用語も定義された。平成18年のロボット政策研究会報告書では「センサ、知能・制御系、駆動系の3つの要素技術を有する、知能化した機械システム」と定義された<ref>https://www.jara.jp/various/report/img/robot-houkokusho-set.pdf</ref>。 === ロボットとロボットでない機械の線引き === 基本的に、ある程度の工程なり手順なりを自動的かつ連続的に行うものであり、単一の動作のみを行う装置([[ベルトコンベアー]]、[[エスカレーター]]など)や、絶えず人間が操作をする必要がある装置([[パワーゲート|リフト装置]]や[[エレベーター]])、操縦者が搭乗する必要性があるもの([[ブルドーザー]]や[[油圧ショベル|ショベルカー]]など)はロボットに含めないことが多い。 その一方で、人の形を模した(もしくは類似した)外観である機械装置であれば、まったくの手動操作・操縦であっても、範疇に含む場合があり、パワードスーツなどを含めた「人の形をした乗り物または作業用機械」についても同様に、一般的にはロボットと呼ばれている。 [[電動機|モーター]]等の動力が内蔵され機械的または電気的に人間の操作を伝達して動作する[[マニピュレーター]]も一種と見なされ、ロボットアームとも呼ばれる(医療ロボットの[[da Vinci (医療ロボット)|ダ・ヴィンチ]]や[[国際宇宙ステーション]]の[[カナダアーム2]]など)が、これらは厳密な定義による分類ではなく、多分に[[慣用句]]的用法である。 人間ではなく生物の動きを模した機械もロボットに含まれる<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=リードで巧みに人間を誘導する盲導ロボット犬 米カリフォルニア大が開発 |url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2110/06/news053.html |website=ITmedia NEWS |accessdate=2022-02-11 |language=ja}}</ref>。 物体としては存在しないが、「人の代わりになんらかの作業を、ある程度の工程なり手順なりを自動的かつ連続的に(かつ効率的に)行うもの」という定義から、[[コンピュータ言語]]によるプログラムや[[ソフトウェア]]も範疇に含まれる場合もある。例として[[インターネット]]の情報を自動検索するソフトウエア「[[検索エンジン]]」などはロボット検索(命令(検索ワードの入力)するだけで、さまざまな結果・情報の取得まで自動で行なう)と呼ぶ。これらは機械的ロボットとの区別のために短縮形の'''[[インターネットボット|ボット]]'''(Bot)と呼ばれる([[インターネットボット]]、[[ボットネット]]など)こともある。 別の用法として、「機械的」という概念を人間にあてはめ、「自分で判断をしない、指示待ち的な人間」や「自分の意志ではなく、他人に操られて動く人間」を、やや侮蔑的に比喩として呼称することもある。英語においても、同様の比喩に用いるが、こちらも先に「オートマトン([[オートマタ]]、機械人形)」が比喩に用いられていた。 == 歴史 == * 古代の神話には、自律的に動く人型の人工物がいくつか登場する([[ゴーレム]]や[[ピグマリオン]]、[[タロース (ギリシア神話)|タロース]]など多数)。 * [[紀元前4世紀]]、[[アルキタス]]は鳩型の空飛ぶ[[機械]]を製作したとも言われている。 * [[紀元前4世紀]]、[[アリストテレス]]はオートマタによって人間の奴隷を廃止できる可能性について議論したとされる。 * [[紀元前4世紀]]、「[[列子]]」に人型の機械人形を作成した人物に関する記述がある。「[[韓非子]]」にも空飛ぶ鳥型の人形の記述がある。 * [[紀元前3世紀]]、[[クテシビオス]]は人形が周りを回る水時計を作製した。また、[[アレクサンドリアのヘロン]]や[[ビザンチウムのフィロン (発明家)|ビザンチウムのフィロン]]は様々な自動機械の仕組みを発明した。 * [[1088年]]、機械学者の[[蘇頌]]は人形が数時間ごとにチャイムを鳴らす大時計を作成した<ref name=suso1>{{cite web |url=http://www.thenagain.info/WebChron/China/SongClock.html |title=Su Song's Clock: 1088 |accessdate=26 August 2007 }}</ref><ref>{{cite web|url=http://physics.nist.gov/GenInt/Time/early.html |title=Earliest Clocks |work=A Walk Through Time |accessdate=11 August 2008 |publisher=NIST Physics Laboratory |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080531063139/http://physics.nist.gov/GenInt/Time/early.html |archivedate=31 May 2008 |df=dmy-all }}</ref>。 * [[12世紀]]、機械工学者の[[ジャザリー]]は飲み物を給仕するものや、楽器を演奏するものを作製した。 * [[12世紀]]、鎌倉時代の仏教説話集『[[撰集抄]]』に人間そっくりの生物的ロボットと言えるものの記述が登場し、これが日本のロボット史の最初とされる<ref name=kyukyo/>が、これは人骨を集めて作った人形に魂を宿す魔術によって蘇るという話でありロボットと言えるのか意見の分かれるところである。 * [[12世紀]]、[[アルベルトゥス・マグヌス]]がアンドロイドを作ったと記録されている。 * [[13世紀]]、[[:en:Robert II, Count of Artois|アルトワ伯ロベール2世]]は数々の人型、動物型の機械人形を作製した。 * [[1495年]]、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]が、現代で言えばヒューマノイドとして捉えられる、詳細な設計図も含んだ一群のスケッチを作成する([[レオナルドのロボット|ダ・ヴィンチのロボット]])。 * [[1533年]]、[[レギオモンタヌス]]は鷲型の空飛ぶ機械を製作した<ref name=BBC>{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/history/historic_figures/arkwright_richard.shtml|title=Sir Richard Arkwright (1732–1792)|accessdate=18 March 2008|publisher=BBC}}</ref>。また、[[ジョン・ディー]]は空飛ぶカブトムシの機械を製作した。 * [[1622年]]、[[竹田近江 (初代)|からくり人形の竹田座]]が大阪に開業([[1768年]]まで)<ref name=kyukyo/>。 * [[1739年]]、[[ジャック・ド・ヴォーカンソン]]がアヒルを模した[[オートマタ|オートマトン]]を開発する。 * [[1770年]]、「[[トルコ人 (人形)|トルコ人]]」と呼ばれたチェスを指すオートマタと詐称した物が作製される。 * [[1773年]]、[[ピエール・ジャケ・ドロー]]による文字を書く人形が作製される。 * [[1796年]]、[[細川半蔵]]が茶運人形などの構造を図解した「[[機巧図彙]]」(からくりずい、きこうずい)を著す。 * [[1886年]]、[[ヴィリエ・ド・リラダン]]が「[[未来のイヴ]]」という小説でアンドロイドという語を初めて使ったとされる。 * [[1921年]]、[[カレル・チャペック]]が「ロボット」の造語を使用し、その概念が広まった。 [[File:Televox and R. J. Wensley 1928.jpg|thumb|right|テレヴォックスとR・J・ウェンズリー(1928年)]] * [[1926年]]、[[ウェスティングハウス・エレクトリック]]のR・J・ウェンズリーが、3つの音程に反応して[[継電器|リレー]]の操作を行い、電話での遠隔操作も可能な装置「[[テレヴォックス]]」(Televox)を開発する。のち、1927年に[[ニューヨーク]]で開催された[[世界博覧会]]に展示された折に、筐体表面に人型に切り抜いたボール紙を貼り付けたことで、これが人型ロボット第一号とみなされることもある<ref>[https://hackaday.com/2019/04/12/televox-the-pasts-robot-of-the-future/ Televox: The Past’s Robot Of The Future | Hackaday]</ref>。 * [[1927年]]、アンドロイドが登場する有名なSF映画『[[メトロポリス (1927年の映画)|メトロポリス]]』が上映される。 * [[1928年]]、世界初のヒューマノイドとされる「[[エリック (ロボット)|エリック]]」が作製される。 * [[1928年]]、日本初のロボット<ref name=kyukyo/>と認識されている「[[學天則]]」を、生物学者の[[西村真琴]]が製作した。その後、翻訳上演された外国演劇にロボットが登場したことをきっかけに関心が高まるも、[[第二次世界大戦]]勃発により日本のロボット開発は中断する<ref name=kyukyo/>。 * [[1947年]][[9月25日]]、[[アメリカ空軍]]の[[ダグラス DC-4|C-54輸送機]]が[[オートパイロット]]で[[大西洋]]を渡り、[[ブライズ・ノートン空軍基地|イングランド]]への着陸に成功する。 * [[1948年]]、[[:en:William Grey Walter|ウィリアム・グレイ・ウォルター]]が、「エルマー&エルジー(Elmer and Elsie)」と呼ばれる初期の自律式ロボットを作成する。 * [[1950年]]、[[SF作家]]の[[アイザック・アシモフ]]が、『われはロボット』作中で[[ロボット工学三原則]]を発表、人間との共存に関する議論の的となる。 * [[1950年]]、[[手塚治虫]]が漫画『[[鉄腕アトム]]』発表<ref name=kyukyo/>。 * [[1961年]]、アメリカ合衆国のジョージ・デボルが、世界初の実用的産業用ロボットである「[[ユニメート]]」を開発・発売した。すぐに[[ゼネラルモーターズ]]の工場に納入され、[[ダイカスト]]作業に投入された<ref name="名前なし-1">「図説 世界史を変えた50の機械」p172 エリック・シャリーン著 柴田譲治訳 原書房 2013年9月30日第1刷</ref>。 * [[1963年]]、日本初の[[テレビアニメ|TVアニメ]]「鉄腕アトム」が人気となり、劇中のロボット「アトム」は、のちの日本でのロボット開発において一つの目標となる。 * [[1969年]]、[[川崎重工]]がユニメートのライセンス生産を開始する<ref name="名前なし-1"/>。 * [[1970年]]、[[日本万国博覧会|大阪万国博覧会]]が開催され、ロボットを中心にしたパビリオン「[[フジパン]]ロボット館」が出展された。 * [[1973年]]、[[早稲田大学]]の[[加藤一郎 (ロボット研究者)|加藤一郎]]研究室が世界初となる独立歩行可能なヒューマノイド型ロボット「WABOT-1」を開発。 * [[1970年代]]末、日本の多くの企業が産業用ロボット市場に進出する。 * [[1980年代]]、自動車などの[[ライン生産方式|生産ライン]]に、[[溶接]]や部品の組み付けなどの作業を行う産業用ロボットが導入され始める。また同時期、[[マイクロコントローラ|マイコン]]制御による自律自走式の[[マイクロマウス]]競技が流行し、様々な企業や個人が、優れた迷路脱出能力をもつものを開発・発表する。さらにアメリカ等の国々で、マイコン制御の家庭用ロボットが複数市販された。これらは[[Read only memory|ROM]]チップに焼き付けたプログラムをStepByStepで実行する関係で扱いが難しく、また高価であることからあまり普及しなかったものの[[消費者]]の関心を集めた。そのブームに乗り、[[パソコン]]や[[ゲーム機]]で制御する(人形やフィギュアとは別の意味の)「ロボット玩具」が普及し、テレビアニメ等で様々な[[ロボットアニメ|ロボット物]]の番組が提供された。 * [[1985年]]、[[筑波研究学園都市]]で[[国際科学技術博覧会]](つくば科学博)が開催され、「[[芙蓉グループ|芙蓉]]ロボットシアター」などで様々な種類が展示された。 * [[1996年]]、単体で完全な[[二足歩行]]を行う人型ロボット「[[ASIMO#開発史|P2]]」を[[本田技研工業]]が発表する。 * [[1999年]]、[[ソニー]]が犬型ロボット「[[AIBO]]」を発売して人気となり、家庭用[[エンターテイメントロボット]]という市場が生まれた。 * [[2000年]]、本田技研工業が[[ASIMO]]を開発。 * [[2002年]][[2月4日]]、[[ロボット競技]][[ROBO-ONE]]第一回大会が[[東京]]で開催。二足歩行ロボット研究が個人レベルにまで浸透する。 * [[2004年]][[3月18日]]、コンピュータ操作の[[自動運転車|無人自動車]]によるレース「[[DARPAグランド・チャレンジ]]」が[[アメリカ国防総省]]によって[[モハベ砂漠]]で開催。参加車両15台中、240kmを完走した車両は出なかったが、翌年10月の第二回大会では参加車両23台のうち5台が212kmを完走した。 * [[2005年]]、[[2005年日本国際博覧会|愛・地球博]]開催。多種多様なロボットが発表され、展示だけでなく会場案内や楽器演奏、ミュージカル出演など活躍。 * [[2008年]]、ロボットスーツ[[HAL (パワードスーツ)|HAL]]製品化。 * [[2017年]]、[[香港]]の{{仮リンク|ハンソン・ロボティクス|en|Hanson Robotics}}の人型ロボット「[[ソフィア (ロボット)|ソフィア]]」がロボットでは世界初の[[市民権]]を[[サウジアラビア]]で取得<ref>{{Cite web|和書|url=https://gigazine.net/news/20171027-citizenship-humanoid-robot/|title=人型ロボットに市民権を与えた最初の国家が登場|accessdate=2018-11-30|publisher=[[GIGAZINE]]}}</ref>、ロボットで史上初めて[[国際連合|国連]]から[[称号]]を与えられる<ref>{{cite web |title=Sophia the Robot takes part in the Fifth OGP Global Summit in Georgia |url=http://www.ge.undp.org/content/georgia/en/home/presscenter/pressreleases/2018/sophia-the-robot-joins-the-fifth-ogp-global-summit-in-georgia.html |website=UNDP Georgia |accessdate=2019-01-14}}</ref>。 * [[2021年]]、[[イーロン・マスク]]が[[Tesla Bot]]を発表。 == 実在のロボット概略 == 以下は現実世界におけるロボットの研究・開発状況について解説する。 ロボットは長い間[[フィクション]]の中だけに登場する存在であったが、主に工場などの生産ラインで腕力の必要な作業や、高温など危険な環境下での機械関係の[[メンテナンス|点検・保守作業]]などで、自律的に人間の代行ができる機械が[[産業用ロボット]]と呼ばれ活躍している(自動車組み立てロボットなど)。 {{See also|産業用ロボット}} すでに一部では、自動的に建物内を巡回・[[警備]]するロボットの[[レンタル]]事業が開始されており、[[病院]]内の物資運搬におけるロボット[[カート]]の採用、また自動車の自動運転という意味の[[ロボットカー]]など、非人間型ロボットを中心に、移動する自動機械が人間社会の中で実際に活動を始めている。 [[福島第一原子力発電所事故]]の発災後に日本製の原発ロボット(調査ロボット)の投入が遅れたことや、その後、投入されたものの目覚しい活躍を示していない現状<ref>[[レスキューロボット#東日本大震災とレスキューロボット|レスキューロボット]]を参照</ref><ref>[http://www.techno-con.co.jp/info/back9_1107a.html 新技術開発センターHP、テクノビジョン ダイジェスト、【連載:世界一の品質を取り戻す36】検証・日本の品質力 原発事故から浮かび上がった 「ロボット大国・日本」の弱点 閲覧2017年3月28日]</ref>や、[[掃除用ロボット]]などの分野で日本企業が主役から外れていることなどを背景に、実用性の高いロボットの研究開発の重要性が指摘されている。 === 分類 === 用途別と構造別による分類が行える<ref name="25_robot.pdf">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20171101042649/https://www.jpo.go.jp/shiryou/pdf/gidou-houkoku/25_robot.pdf |title=平成25年度 特許出願技術動向調査報告書(概要)ロボット |publisher=特許庁 |format=PDF |date=2014-2 |accessdate=2017-1-4}}</ref>。 ;用途別による分類<ref>特許庁の資料をもとに作成</ref><ref name="25_robot.pdf" /> *産業用ロボット分野 **[[産業用ロボット]] ***製造業 ****[[溶接ロボット]]、塗装や組み立て・搬送ロボットなど ***3品産業 ****食品、化粧品、医薬品 に関わるロボット *サービスロボット分野 **[[サービスロボット]] ***[[家庭用ロボット]]、[[医療用ロボット]]、[[介護ロボット]]、[[宅配ロボット]]、[[パワードスーツ]]、[[エンタテインメントロボット]](娯楽・家庭向けと展示用を含む)、[[警備ロボット]]、[[掃除用ロボット]] **特殊環境用ロボット ***[[探査ロボット]]、[[宇宙ロボット]]、[[レスキューロボット]]、[[軍事用ロボット]] ;構造による分類 *[[マスタースレーブ]]型ロボット *[[マニピュレーター]]装置付き小室 *プログラム制御型ロボット ::[[直交ロボット]]、円筒・極座標型、[[垂直多関節ロボット]]、[[水平多関節ロボット]]、[[パラレルリンクロボット]]など *移動型ロボット ::二足歩行ロボット、多脚、車輪、クローラ、飛行など *[[ヒューマノイド]] *人体装着型ロボット(パワードスーツ) *[[マイクロロボット]] === 人型 === [[File:Toyota Robot at Toyota Kaikan.jpg|thumb|right|150px|二足歩行型「トヨタ・パートナーロボット」]] {{Main|二足歩行ロボット}} 1980年代後半以降、[[ASIMO]](本田技研工業)・[[HRP-2]]/[[HRP-3]]([[川田工業]]・[[産業技術総合研究所]]・[[川崎重工業]])・[[SDR-4X]]/[[QRIO]](ソニー)・[[PALRO]]([[富士ソフト]])等の二足歩行可能な人型ロボットが開発・発表されており、ROBO-ONEのような企画向けに個人で製作されるものにも高度なものが現れ、[[オーケストラ]]の[[指揮者|指揮]]したり<ref>[https://mechatro-life.com/0046/8a5b22f0-b646-4fa9-8603-418e415c738e 大阪工業技術専門学校ロボット研究部、指揮者ロボット「フクマス」、メカトロライフ閲覧2017年2月9日]</ref>、[[トヨタ・パートナーロボット|TPR]]([[トヨタ]])等の実際に楽器演奏ができるものも登場している。 2018年10月11日には、[[ボストン・ダイナミクス]]社の最新型[[アトラス (ロボット)|アトラス]]が「[[パルクール]]」を軽々とやってのける動作を撮影した新映像が公開された<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=LikxFZZO2sk Parkour Atlas - YouTube]</ref><ref>[https://www.wired.com/story/watch-boston-dynamics-humanoid-robot-do-parkour/ Watch Boston Dynamics' Humanoid Robot Do Parkour WIRED] wired.com |2018年10月11日閲覧 </ref>。 いずれもこれら人の形をした(もしくは目指した)ロボット開発は、古くからのSF作品で描かれた「[[人間社会]]に溶け込み、人間との共同作業や共に生活するロボット」というイメージに沿ったものでもあり、日本においては『[[鉄腕アトム]]』の影響が少なからず二足歩行ロボット開発者の発言に示されている一方、若い世代では一連の巨大ロボットもののアニメーション(→ロボットアニメ)が言及される。たとえば、ASIMOでは前述の『鉄腕アトム』を、HRP-2/HRP-3開発者の一部は『[[機動警察パトレイバー]]』の影響を受けていることを公言しており、同シリーズは実動機のデザインをアニメのメカデザインで活躍する[[出渕裕]]に依頼<ref group="注釈">出渕はパトレイバーシリーズのメカデザイナーでもあるので、同シリーズは出渕構想の概念に基づくこととなる。</ref>したことでも知られる。 === 家庭用ロボット、個人用ロボット === {{See also|家庭用ロボット|エンターテイメントロボット|サービスロボット|掃除用ロボット}} 古くはリモートコントロールや簡単な[[マイクロコンピュータ]]で制御された物が、博覧会や展示施設で訪れた者の目を楽しませていたが、近年では家庭で使われるロボットも増えている。 2022年時点で一番普及率が高くなっているのは、'''[[掃除用ロボット]]'''である。家事の中でも比較的「好きでない」「やりたくない」ものである掃除を自動化できるので購入の動機が強く、普及が進んだ。最初は、単純に壁にぶつかってから方向を変更して動き回る装置だったが、やがて高級機種では上部にカメラを備えて天井の形をから部屋のマッピング(地図作成)を行うものまで登場した。曜日・日時などを設定しておけば、勤務や授業で自宅にいない時に自動的に掃除して充電ステーションに戻るを繰り返す。 [[ビタクラフト]]のRFIQ自動調理システムは「世界初の調理ロボット」といわれた。 [[File:Aibo ERS-7.PNG|thumb|right|220px|AIBO]] ソニーの[[AIBO]]は[[エンターテイメントロボット]]という分野を開拓し、シリーズ化し、大人気となった。さまざまな意味でかなり「生物的」になっているので、人々はロボットとしてというより最初から「ペット」として購入する傾向が強まっている。Youtubeなどでもアメリカ人YoutuberたちがERS-1000をすっかりペットとして扱っている様子が多数投稿されている。 家庭用ロボットは、人間とコミュニケーションを取ったり、自由に動き回って目を和ませたり、更には「ロボットの居る生活」という「近未来的な暮らしをしたい」というニーズに応えている。これらは主に、[[ペット]]という性格付けが強いことから、動物型の物が多く市場投入される傾向にある。ただし、感情移入のしやすい動物や人の姿などをしていなくても、ロボットをかわいがる人々はおり、中には掃除用ロボットが「かわいい」「健気」と愛着や感情移入している人々もいる<ref>[http://top.tsite.jp/news/technology/i/23069707/ ロボット掃除機“ルンバさん”が愛される理由って? [T-SITE]、閲覧2017年3月28日]</ref>。 '''[[介護ロボット]]'''の需要も高まっている。「高齢化社会」が進展する日本では、介護者の不足も問題になっており、になっており、ロボットは有力な解決策のひとつになっている。ベッドから抱き上げて車椅子に乗せる作業や、入浴の介護などの重労働に需要がある。また食事の介護をしたり、高齢者に話しかけたり高齢者が話せば反応して会話するコミュニケーション機能も求められている。 2021年には、トヨタから家事を他種類行うロボットが公開された<ref>[https://japan.cnet.com/article/35172698/ 「トヨタの最新ロボット、家事をしながら自撮りを披露」]</ref>。 富裕層の広い邸宅などでは、人が不在の時に住宅内を巡回し、不審な状況があれば外にいるネット経由で外にいる主人に連絡したり、自動的に警察に通報してくれるロボット、[[ホームセキュリティ]]ロボットの需要も一定程度ある。 === 兵器 === {{Main|軍事用ロボット}} [[軍事]]活動やそれに付随する危険物処理などでは、人的被害(→[[戦死]])を減らすための導入や、様々な活動の機械化が進められている。米国では[[偵察]]や[[輸送]]など不意な接触にともない[[戦闘]]に巻き込まれやすい分野で、日本では[[地雷]]処理など戦後処理の分野での開発が進められている。将来的には高度な[[人工知能]]により人間の介在無しに敵味方を識別し攻撃を行う殺人ロボット兵器『[[自律型致死兵器システム]](LAWS)』の登場が予想され、2017年11月から[[国際連合]]でLAWSの規制を議論する公式専門家会議が[[特定通常兵器使用禁止制限条約]]の枠組みで行われている<ref>{{cite news|date=2017-11-18|url=https://www.sankei.com/world/news/171118/wor1711180027-n1.html|title=殺人ロボット兵器、規制めぐる議論継続へ 国連、初の専門家会議終了|publisher=[[産経デジタル|産経ニュース]]|accessdate=2019-11-19}}</ref><ref>『「AI兵器」国際ルール合意も法的拘束力なく懸念』NHK2019年8月22日</ref>。 === 警備 === {{Main|警備ロボット}} 治安活動やそれに付随する危険物処理などでは、人手不足を減らすための導入や、様々な活動の機械化が進められている。中でも交通違反の取り締まり、証拠収集、[[顔認識]]による犯罪者の特定<ref>{{Cite web|url=http://j.people.com.cn/n3/2017/0218/c94638-9179755.html|title=警察ロボットが高速鉄道鄭州東駅に登場 中国初|publisher=[[人民網]]|date=2017-02-18|accessdate=2019-01-01}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://j.people.com.cn/n3/2016/0923/c95952-9119163.html|title=中国初の警備ロボット、深圳の空港をパトロール|publisher=[[人民網]]|date=2016-09-23|accessdate=2019-11-17}}</ref>、さらに爆弾<ref>{{Cite web|和書|url=https://wired.jp/2016/07/10/is-it-ok-to-send/|title=ダラス警察の「爆弾ロボット」が銃撃犯を爆殺するまで|date=2016-07-10|accessdate=2019-03-03|publisher=[[WIRED]]}}</ref>や[[テーザー銃]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gizmodo.jp/2016/09/anbot-chinese-robocop.html|title=フシンシャハッケン…中国空港に「ロボコップ」が誕生しました|publisher=[[ギズモード]]|date=2016-09-30|accessdate=2019-01-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20160808163706/https://www.sankeibiz.jp/macro/news/160807/mcb1608070722001-n1.htm|title=中国ロボは縦長の「R2-D2」か? 米国「殺人ロボ」の先行くスグレモノ|accessdate=2019-01-01|publisher=[[フジサンケイ ビジネスアイ]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00503521|title=【電子版】中国・鉄道警察、AI巡視ロボ導入 捕獲網やスタンガン装備|date=2019-01-22|accessdate=2019-03-03|publisher=[[日刊工業新聞]]}}</ref>などで武装化させて法執行活動に採用する国もあり、[[2016年]]に[[中華人民共和国|中国]]では非人型の<ref>{{Cite web|url=https://www.popsci.com/china-debuts-anbot-police-robot|title=China Debuts Anbot, The Police Robot|publisher=Popular Science|language=英語|date=April 27, 2016|accessdate=2019-01-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44434720|title=未来の街はロボットが運営? ドバイや中国では現実に|accessdate=2018-11-30|publisher=[[BBC]]}}</ref>、[[2017年]]には[[アラブ首長国連邦]]の[[ドバイ]]では人型のロボットの[[警察]]への配備が報じられた<ref>{{Cite web|和書|url=https://gigazine.net/news/20170525-dubai-robot-police/|title=ドバイが世界で初めて導入した「ロボコップ」、カンファレンスに初出動|publisher=[[GIGAZINE]]|date=2017-05-25|accessdate=2019-01-01}}</ref>。 === 特殊環境用 === '''原子力事故''' : 日本で2011年に[[福島第一原子力発電所事故]]が発生してからは、原子力事故下の発電所内で作業をしてくれるロボットの必要性が非常に高まっている。 : 過去にも日本国内で原発ロボットの開発や研究が進められていたが、原発事故に対応できるロボットの実用化には至らなかった<ref>[https://www.techno-con.co.jp/info/back9_1107a.html]</ref>。 : アメリカ空軍は開発中だった[[原子力飛行機]]の墜落に備え「[[ビートル (ロボット)|ビートル]]」を試作、原子力飛行機の計画が中止された後は放射性物質を含む瓦礫の除去に用途変更された。 '''宇宙空間''' : 宇宙開発では、周囲の状況をセンサで感じ取り自律的に判断して行動するロボットの重要性は高まっている。たとえば[[火星]]探査では、地球-火星間で通信をしようとしても信号がたった1往復するのにも5分〜20分もかかってしまい<ref>[https://mars.nasa.gov/mars2020/spacecraft/rover/communications/ NASA公式サイト、2020 mission perseverance rover.]</ref>、人間が地球から操縦するラジコン方式ではまともな操縦はできないので、自己判断能力をそなえた[[探査機|無人探査機]]の開発が求められ、無人火星探査車[[マーズ・エクスプロレーション・ローバー]]が開発された。これはあらかじめ装置にどこのエリアを探査すべきなのか命令を与えると、そのエリアへ移動する途中は装置自体が各種センサやカメラを駆使して周囲の状況を理解し、岩や穴などを避け、適切な経路を選ぶ。 : 日本では、自国製[[ロケット]]の運搬能力が(生命維持装置を含めた)人間を軌道上に打ち上げるのが難しいこともあり、[[国際宇宙ステーション]](ISS)への物資輸送においては、自動的に軌道修正などを行えるロボット宇宙船(無人の[[スペースシャトル]])の構想が、国内での宇宙開発における主要方針となっている。他にも国際宇宙ステーションからの緊急脱出機材として一時アメリカで開発が進められていた[[乗員帰還機]](CRV)の[[X-38 (航空機)|X-38]]([[Xプレーン|Xプレーンシリーズ]])は国際宇宙ステーションからパイロット無しで脱出・地球への帰還ができるよう、完全自動化する構想であった。開発中止になったが、一種のロボット宇宙船といえる。 '''水中探査''' {{See also|自律型無人潜水機|遠隔操作無人探査機|レスキューロボット}} : 未踏破領域である[[深海#深海探査|深海探査]]には、多くの国が乗り出している。日本には、最大潜航深度7000メートルで世界一の無人潜水船「[[かいこう7000]]」が開発されている。また、小型で安価な大量のロボット[[潜水艦]]を投入しようという計画もあり、海洋資源開発に期待が持たれている。 : 深海対応型を含め、水中探査ロボットの研究・開発は多くの企業や研究者が取り組んでおり、[[東日本大震災]]時は、東工大などが開発した「Anchor Diver 3」、[[三井造船]]の「RTV」、米Seamor Marine「seamor-ROV」、米SeaBotix「SARbot」などが遺体や瓦礫の捜索、地形の調査などのために使われた。 '''火山探査''' : [[千葉工業大学]],[[東北大学]],[[筑波大学]],[[岡山大学]],[[情報通信研究機構]](NICT),[[産業技術総合研究所]](AIST)が火山探査を目的にクローラ型移動ロボット「[[Kenaf]]」を開発している。 === 動物の代替 === [[盲導犬]]や[[軍馬]]など生物を利用していた分野においては、育成や維持にコストがかかることからロボットで代替する研究が行われている<ref name=":0" />。 === 人命救助 === {{Main|レスキューロボット}} 危険な場所に、人間に代わって導入するロボットをレスキューロボットという。既述の地雷撤去ロボットや、災害などにおける被災者の救護活動を担うロボットなどがある。 レスキューロボットは[[地震]]や[[噴火]]・[[津波]]などによる被災地に投入して、いち早く被災者を発見・保護することで、救命率の向上と[[二次災害]]による被害を防ぐことを目的とする。これらのロボットは、[[センサー]]や移動能力を持ち倒壊建物に取り残された被災者の発見に役立てるほか、テムザックの「援竜」のように従来からある[[建設機械]]を発展させて二本のアームを備えロボット化し、瓦礫撤去を効率よくこなすことが期待される。 [[火災]]の場合では、[[コンビナート]]火災など危険すぎて[[消防]]隊が突入できない個所にも侵入できる放水銃を備えた無人走行放水車や、危険のともなう火災現場に突入して状況を調べるための偵察ロボット、水中を捜索する水中検索装置・マニピュレーターを備え、要救助者を回収する救出ロボットが、[[東京消防庁]]に配備されている<ref>{{Cite web|和書|title=東京消防庁<組織・施設><消防装備><消防ロボット:水中検索装置> |url=https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/ts/soubi/robo/02.htm |website=www.tfd.metro.tokyo.lg.jp |access-date=2022-09-06}}</ref>。これらは[[遠隔操作|リモートコントロール]]式の装置であるが、危険個所の消防と被災者の救出に威力を発揮することが期待される。また、2019年には[[消防庁|総務省消防庁]]が[[市原市消防局]]に消防ロボットシステム「スクラムフォース」を無償貸与した。 2011年3月11日[[東北地方太平洋沖地震]]による東日本大震災や福島第一原発事故後には、ロボットを使った人命救助や、[[レスキューロボット#原子力災害ロボット|原子力災害ロボット]]の役割の重要性が改めて認識され、研究開発が行われている、多くの研究者や企業が原発災害用ロボットの開発に力を入れている。 [[テムザック]]社の T-52「援竜」のように建設機械を改造したロボットも登場している<ref>{{Cite web|和書|title=巨体がうなるぞ、ドアとるぞ。その名は「援竜」 |url=https://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0403/26/news001.html |website=ITmedia NEWS |access-date=2022-09-06 |language=ja}}</ref>。 瓦礫の隙間に入り被災者を探索するロボットの開発も行われているが、[[昆虫]]サイズの場合はロボットよりも実際の昆虫をサイボーグ化し遠隔制御た方が省エネルギーとされる<ref>{{Cite web|和書|title=“サイボーグ昆虫” 理研など開発 昆虫に電子部品付け遠隔操作 {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220905/k10013804421000.html |website=NHKニュース |access-date=2022-09-06 |last=日本放送協会}}</ref>。 === 研究用 === 動物の動作を制御する仕組みを理解するにあたって、脳や脊髄の動的な相互作用を記録することは困難なため、[[神経科学]]の研究道具として動物の動作を模したロボットを作り、理解に役立てることがある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ted.com/talks/auke_ijspeert_a_robot_that_runs_and_swims_like_a_salamander/transcript?language=ja |title=イモリの様に走り、泳ぐことのできるロボット |publisher=[[TED (カンファレンス)|TED]] |date=2016-1 |accessdate=2017-1-10}}</ref>。 === 競技・興行用 === {{Main|ロボット競技}} 迷路探索から格闘まで様々な競技が行われている。黎明期には技術の実証など研究的側面が強く、[[DARPAグランド・チャレンジ]]のように公的機関が資金を拠出する競技も多かったが、現代では見た目のインパクトを重視した興行型や純粋に成績を競うスポーツ型の競技も行われ、[[全日本ロボット相撲大会|相撲ロボット]]のようなルールに特化したロボットが多数開発されている。 多くは無人機によるものだが、2017年には有人機同士による格闘がイベントとして行われた<ref>[http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1710/18/news098.html「ぶん殴って倒して勝った」クラタス “日米巨大ロボ対決”は引き分け] - [[ITmedia]]</ref>。 [[LAND WALKER]]は、すり足のため擬似的なものではあるが、人が乗り込んで操縦する二足歩行ロボットである。 前出のASIMOは、宣伝のためにイベント会場にレンタルされている。 2023年には受注生産であるが、継続して販売される製品として全高4mの登場型ロボットの販売が開始された<ref>{{Cite web|和書|title=人が乗って操作できる4m級ロボット「アーカックス」、ついにお披露目。4億円で国内先行販売 |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1524844.html |website=PC Watch |date=2023-08-21 |access-date=2023-08-21 |language=ja |last=株式会社インプレス}}</ref>。 === 人間の動作の援助装置、自立援助装置 === 通常「ロボット」と呼ばれるものとは異なり、単体での動作はなく、人間が装着することで機能を強化する装置もある。筋力を補う装置は「パワードスーツ」「強化外骨格」などと呼ぶ。カテゴリーとしてはロボットではなく、「人間の身体に装着する装置」である。 医療・福祉関係のほかに、物流関係、工事現場など広く民生用への応用が期待される。軍事用に米軍がマサチューセッツ工科大学と共同で強化外骨格の研究をしているといわれる。 また、人間の力を拡大するのではなく、手術などの微細な作業の際に人間の動きを縮小するマイクロサージャリー用の装置も医療用に開発されている。 「ロボット」といっても自律的に動くのではなく、あくまで人間の動作ひとつひとつに反応して動く動作補助用の装置である。 *サイバーダイン社のHAL - [[筑波大学]]大学院システム情報工学研究科の[[山海嘉之]]教授が中心となりロボットベンチャー[[サイバーダイン]]が設立され、「[[HAL (パワードスーツ)|HAL]]」を製造しているが、これは現在の医療での回復が見込まれない、脊髄損傷により歩行ができない人や、それ以外に病気などで歩行が困難な人を対象に、歩く動作を補助する目的の装置である。イメージとしては小説「[[宇宙の戦士]]」などに登場する架空の兵器であるパワードスーツといったらわかりやすいかもしれない。福島第一原発事故後、「HAL」を原発作業員のために改良したロボットスーツを公開している<ref>2011年11月7日AFP「原発作業にロボットスーツを、サイバーダインが公開」[https://www.afpbb.com/articles/-/2839313?pid=8043705]</ref>。 *[[トヨタ・i-foot|i-foot]](トヨタ)は、[[肢体不自由者#下肢不自由|歩行障害者]]の使用する[[車いす]]の代替をめざし開発された、人の下半身のみを模倣した二足歩行装置(パーソナルモビリティー)であり、[[2005年日本国際博覧会]](愛・地球博)で実際に使われた。高さは2.36mと、[[歩行#静歩行と動歩行|動歩行]]の二足歩行ロボットとしては最大級のサイズを実現し、階段の昇降も可能という。 *[[パナソニック|松下電器産業]]が[[神戸学院大学]]総合リハビリテーション学部の[[中川昭夫]]教授らのチームと共同開発した半身麻痺患者のリハビリテーション用ロボットスーツは、健常な半身の筋肉の動きをセンサーで検知し、麻痺した側に装着した人工筋に伝えることで左右同じ動きを実現するもので、2008年の実用化が計画された。 == ロボットを題材とした作品 == [[ギリシア神話]]には[[青銅]]で出来た[[オートマタ|自動人形]]『[[タロース (ギリシア神話)|タロース]]』が登場する。これは自然発生したものではなく、鍛冶の神である[[ヘーパイストス]](あるいは[[ダイダロス]])によって[[クレタ島]]を警備するために作り出されたとされ、現代の定義では[[警備ロボット]]か[[軍事用ロボット]]に該当する。 複雑な機械装置が登場すると、工学的に精巧な装置を組み合わせていけば最終的には人間に限りなく近い物ができあがるだろうという予測から、古今東西・様々な架空のロボットが想像され、[[ロボットアニメ]]や [[ロボット漫画]]などジャンルが形成されている。また[[ロボット工学三原則]]、[[スーパーロボット]]や[[リアルロボット]]などの用語も登場している。 {{See|Category:ロボットを題材としたフィクション作品}} == ロボットの研究者 == 当初は機械工学や制御工学など機械系の研究者が多かったが、認知科学などの分野からのアプローチも増えている。 * [[浅田稔]]([[大阪大学]]教授) * [[石黒浩]]([[大阪大学]]教授) * [[加藤一郎 (ロボット研究者)|加藤一郎]]([[早稲田大学]]教授) * [[小林宏 (工学博士)|小林宏]]([[東京理科大学]]教授) * [[柴田崇徳]](産業技術総合研究所主任研究員) * [[菅野重樹]]([[早稲田大学]]教授) * [[高西淳夫]]([[早稲田大学]]教授) * [[高橋智隆]] ([[東京大学]]特任准教授) * [[広瀬茂男]]([[東京工業大学]]教授) * [[福田敏男]]([[名古屋大学]]教授) * [[藤江正克]]([[早稲田大学]]教授) * [[三浦宏文]]([[工学院大学]]教授) * [[吉田司雄]]([[工学院大学]]教授) * [[吉川恒夫]]([[立命館大学]]教授) == 実在のロボット == {{Div col}} * [[aibo]] * [[ASIMO]] * [[HRP-2]] * [[HRP-4C]] * [[HRP-5P]] * [[トヨタ・i-foot]] * [[LAND WALKER]] * [[Nao (ロボット)|Nao]] * [[PALRO]] * [[pepper_(ロボット)|pepper]] * [[PLEN]] * [[QRIO]] * [[Romeo (ロボット)|Romeo]] * [[ソフィア (ロボット)|ソフィア]] * [[TERA]] * [[TWENDY-ONE]] * [[wakamaru]] * [[アクトロイド]] * [[イフボット]] * [[石黒浩|ジェミノイド]] * [[トヨタ・パートナーロボット]] * [[CommU]] * [[FEDOR]] * [[LOVOT]] * [[ハローキティロボ]] * [[ハローズーマー]] * [[ビッグドッグ]] * [[メカニマル]] * [[T-HR3]] * [[學天則]] * [[先行者]] * [[アトラス (ロボット)|ATLAS]] * [[ファミリーコンピュータ ロボット]] * [[Ameca]] * [[Tesla Bot]] {{Div col end}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2015年10月21日 (水) 08:41 (UTC)}} * 『ブルックスの知能ロボット論 なぜMITのロボットは前進し続けるのか?』-[[ロドニー・ブルックス]]〈五味隆志訳〉(2006年、オーム社 ISBN 4274500330) * 『アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のステップ』-[[スティーヴ・グランド]]〈高橋則明訳〉(2005年、アスペクト ISBN 4757211015) * 『ロボットのこころ 想像力をもつロボットをめざして』-月本洋(2002年、森北出版 ISBN 4627827814) * 『ロボットフロンティア』(『岩波講座ロボット学 6』)-下山勲ほか(2005年、岩波書店 ISBN 4000112465) * 『ロボットインフォマティクス』(『岩波講座ロボット学 5』)-安西祐一郎ほか(2005年、岩波書店 ISBN 4000112457) * 『ロボットモーション』(『岩波講座ロボット学 2』)-内山勝、中村仁彦(2004年、岩波書店 ISBN 4000112422) * 『ロボット学創成』(『岩波講座ロボット学 1』)-井上博允ほか(2004年、岩波書店 ISBN 4000112414) * 『脳・身体性・ロボット 知能の創発をめざして』(『インテリジェンス・ダイナミクス 1』)-土井利忠、藤田雅博、下村秀樹編(2005年、シュプリンガー・フェアラーク東京 ISBN 4431711597) * 『ロボット21世紀』(『文春新書』)-瀬名秀明(2001年、文藝春秋 ISBN 4166601792) * 『ロボットは人間になれるか』(『PHP新書』)-長田正(2005年、PHP研究所 ISBN 4569641555) * 『コミュニケーションロボット 人と関わるロボットを開発するための技術』(『知の科学』)-石黒浩、神田崇行、宮下敬(2005年、オーム社 ISBN 4274200655) * 『アイロボット、ルンバi3+―高機能でも価格抑える(目利きが斬る)』-(2021年5月20日 日経産業新聞) == 関連項目 == * [[シーケンス制御]] * [[RobotML]] * [[オペレーティングシステム]] * [[Robot as a Service]] == 外部リンク == {{Commons|Category:Robots}} * [https://www.rsj.or.jp/ 日本ロボット学会] * [https://www.ai-gakkai.or.jp/ 人工知能学会] * [https://www.jara.jp/ 社団法人 日本ロボット工業会] * {{Kotobank}} {{ロボティクス}} {{ヒューマノイドロボット}} {{新技術|topics=yes|robotics=yes|manufacture=yes|materials=yes}} {{無人機}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろほつと}} [[Category:ロボット|*]] [[Category:機械安全]] [[Category:カレル・チャペック]]
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相互乗り入れ
相互乗り入れ(そうごのりいれ)
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相互乗り入れ(そうごのりいれ) 鉄道の運行形態。直通運転を参照。 路線バスの運行形態。共同運行を参照。 民放テレビ局の放送対象地域。電波相互乗り入れを参照。
'''相互乗り入れ'''(そうごのりいれ) *鉄道の運行形態。[[直通運転]]を参照。 *路線バスの運行形態。[[共同運行]]を参照。 *民放テレビ局の放送対象地域。[[電波相互乗り入れ]]を参照。 {{Aimai}} {{デフォルトソート:そうこのりいれ}}
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超常現象
超常現象(、英: paranormal phenomena)とは、現在までの自然科学の知見では説明できない現象のことである。 「paranormal (超常)」 という表現は1915年–1920年に作り出されたものであり、 paraはラテン語で「~を超えた」という意味である。 「paranormal」という表現は、アンブレラ・ターム(広い領域をまとめて呼ぶための用語)であり、サイキック現象(霊能力、超能力)、テレパシー、超感覚的知覚、サイコキネシス、幽霊などを指す語である。この世界に存在すると思われるもののオーソドックスな科学では説明不可能なこと。あるいは、オーソドックスな科学が調査対象にしていない現象を指している。 超常現象には特殊な能力を持つとされる人間が関わっているもの(予知、透視、念写など)や、偶然では説明がつきそうにない出来事(心霊写真、妖精、妖怪など)や不思議などが含まれる。 日本では昭和オカルトブーム期に話題となり、空中浮揚ができると称する麻原彰晃らが活動した。 例えばリン・ピクネット著 『超常現象の事典』などでは次のようなものを挙げている。 他には次のようなものが挙げられることもある。 ギャラップ社が2005年に調査したところ、米国人のおよそ4人に3人が(つまりおよそ3/4が)少なくともひとつの超常現象が実際にあると信じている、という結果が得られた 。同社の発表によると、同調査の結果、米国人で1番多く信じられているのはESPであり、41%の人がこれを信じており、2位は家に幽霊がとりつくことがあるということであり、米国人の37%がこれを信じている。3位は「幽霊、あるいは死んだ人の魂が特定の場所に戻ってきたり特定の状況で現れたりすること」で、米国人の32%がこれを信じている。4位はテレパシーで、米国人の31%がこれを信じている。あとは5位 clairvoyance(透視や千里眼)26%、6位 占星術 25%、7位 霊界との通信(霊媒)21%、8位 魔女 21% ....と続いた。 研究家関連項目:超心理学者 懐疑派関連項目:トンデモ本、疑似科学、科学における不正行為、アドホックな仮説、オカルト
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超常現象(ちょうじょうげんしょう、とは、現在までの自然科学の知見では説明できない現象のことである。
[[File:Medium-Eva-Carriere-1912.jpg|thumb|right|160px|[[霊媒師]]の両手から出る[[光]]。頭にあるのは[[物質化現象]]だとされる。([[1912年]])]] [[ファイル:Poltergeist-Therese Selles.jpg|thumb|right|160px|[[ポルターガイスト現象]]]] [[ファイル:Wakan Sansai Zue - Onibi.jpg|thumb|right|160px|[[火の玉]]。絵は[[鬼火]]。他にも[[球電]]も]] [[ファイル:1871UFO.png|thumb|right|160px|[[未確認飛行物体|UFO]]]] [[ファイル:Paranormal Graphic Design David (S) Soriano.jpg|thumb|right|160px|超常現象を描いたコンセプトアート]] [[ファイル:Hieronymus Bosch 013.jpg|thumb|right|120px|[[臨死体験]]]] [[ファイル:Singapourfish.jpg|thumb|right|160px|[[ファフロツキーズ]]]] {{読み仮名|'''超常現象'''|ちょうじょうげんしょう|{{lang-en-short|paranormal phenomena}}<ref group="注">単数形はphenomenon、複数形はphenomena</ref>}}とは、現在までの[[自然科学]]の知見では[[説明]]できない[[現象]]のことである<ref>デジタル大辞泉</ref>。 == 概要 == 「paranormal (超常)」 という表現は[[1915年]]–[[1920年]]に作り出されたものであり<ref name="dictionary.com">{{cite web|url=http://dictionary.reference.com/browse/paranormal|title=Paranormal|work=Dictionary.com|publisher=Ask.com|accessdate=March 31, 2011}}</ref>、 paraは[[ラテン語]]で「~を超えた」という意味である<ref name="mid-atlantic">{{cite web|url=http://www.midatlanticparanormalresearch.com/articles/whatdoesparanormalmean.htm|title=What does 'Paranormal' mean?|last=Orapello|first=Christopher|publisher=Mid-Atlantic Paranormal Research|accessdate=November 23, 2008}}</ref>。 「paranormal」という表現は、[[アンブレラ・ターム]](広い領域をまとめて呼ぶための用語)であり、サイキック現象([[霊能力]]、[[超能力]])、[[テレパシー]]、[[超感覚的知覚]]、[[念力|サイコキネシス]]、[[幽霊]]などを指す語である<ref name="mid-atlantic"/>。この世界に存在すると思われるもののオーソドックスな科学では説明不可能なこと<ref name="mid-atlantic"/>。あるいは、オーソドックスな科学が調査対象にしていない現象を指している<ref name="Lynn_1">{{Cite book|和書 |title = 超常現象の事典 |author = リン・ピクネット |publisher = 青土社 |year = 1994 |pages = pp.1-134(「目次」~「はじめに」~「第一部」) }}</ref>。 超常現象には特殊な能力を持つとされる人間が関わっているもの([[予知]]、[[透視 (超心理学)|透視]]、[[念写]]など)や、[[偶然]]では説明がつきそうにない出来事([[心霊写真]]、[[妖精]]、[[妖怪]]など)や不思議などが含まれる。 == 超常現象に分類されることのある事象 == 例えば[[リン・ピクネット]]著 『超常現象の事典』などでは次のようなものを挙げている。 * [[超能力]]<ref name="Lynn_1"/> ** [[超感覚的知覚]]([[テレパシー]]、[[予知]]、[[透視 (超心理学)|透視]]) ** [[念力]] * [[霊能力]]<ref name="Lynn_1"/> * 霊界通信<ref name="Lynn_1"/>([[霊媒]]、[[交霊会]]) * ホーンティング<ref name="Lynn_1"/>、[[幽霊]]、[[幽霊屋敷]]<ref name="Lynn_1"/> * [[心霊現象]] * [[ポルターガイスト現象]]<ref name="Lynn_1"/> * [[妖精]](フェアリー)<ref name="Lynn_1"/> * 予知夢<ref name="Lynn_1"/> * [[ドッペルゲンガー]]<ref name="Lynn_1"/> * [[憑依]]<ref name="Lynn_1"/> * [[呪い]]<ref name="Lynn_1"/> * {{仮リンク|火星効果|en|Mars effect}}<ref name="Lynn_1"/> * [[火の玉]]<ref name="Lynn_1"/>([[ウィルオウィスプ]]、[[人魂]]、[[鬼火]]、[[狐火]]、[[球電]]) * [[人体自然発火現象]]<ref name="Lynn_1"/> * [[電気人間]]<ref name="Lynn_1"/><ref group="注">「電気人間」とは電気を発する、とされる人間のこと。ちなみに、電気を発生することが確認されている魚類ならば、通常の生物学の範疇でいくつも知られている。(→[[:en:Category:Strongly electric fish]])</ref> * [[未確認飛行物体|UFO]]<ref name="Lynn_1"/> * [[地球外生命]]<ref name="Lynn_1"/> * [[タイム・スリップ]]<ref name="Lynn_1"/> * [[形成的因果作用|形態因果作用]]<ref name="Lynn_1"/> * [[臨死体験]]<ref name="Lynn_1"/> * [[生まれ変わり]](reincarnation、転生)<ref name="Lynn_1"/><ref name="名前なし-1">『学研ミステリー百科4 超常現象の大百科』学研パブリッシング、2014</ref> 他には次のようなものが挙げられることもある。 * ゼノグロッシア、[[真性異言]] * [[ファフロツキーズ]] * [[シンクロニシティ]]<ref name="名前なし-1"/> (精度の高い偶然の一致、暗合、共時性) * [[ハチソン効果]] * [[天使]] * [[妖怪]] * 髪が伸びる人形<ref name="名前なし-1"/>([[お菊人形]]) * [[王家の呪い|ツタンカーメンの呪い]]<ref name="名前なし-1"/> * [[アイスマン#その他|アイスマンの呪い]]<ref name="名前なし-1"/> * [[バクスター効果|植物のテレパシー]]<ref name="名前なし-1"/> * [[空中浮揚]] === 超常現象に対する人々の態度に関する統計調査 === [[ギャラップ (企業)|ギャラップ]]社が2005年に調査したところ、米国人のおよそ4人に3人が(つまりおよそ3/4が)少なくともひとつの超常現象が実際にあると信じている、という結果が得られた <ref name="gallup_survey_2005">[http://www.gallup.com/poll/16915/three-four-americans-believe-paranormal.aspx][https://megalodon.jp/2014-0925-0000-06/www.gallup.com/poll/16915/three-four-americans-believe-paranormal.aspx]</ref>。同社の発表によると、同調査の結果、米国人で1番多く信じられているのは[[超感覚的知覚|ESP]]であり、41%の人がこれを信じており、2位は[[幽霊屋敷|家に幽霊がとりつく]]ことがあるということであり、米国人の37%がこれを信じている<ref name="gallup_survey_2005" />。3位は「[[幽霊]]、あるいは死んだ人の魂が特定の場所に戻ってきたり特定の状況で現れたりすること」で、米国人の32%がこれを信じている<ref name="gallup_survey_2005" />。4位は[[テレパシー]]で、米国人の31%がこれを信じている<ref name="gallup_survey_2005" />。あとは5位 [[:en:Clairvoyance|clairvoyance]]([[透視 (超心理学)|透視]]や[[千里眼]])26%、6位 [[占星術]] 25%、7位 霊界との通信([[霊媒]])21%、8位 [[魔女]] 21% ....と続いた<ref name="gallup_survey_2005" />。 == 人物 == * [[ジョン・ディー]]<ref name="Lynn_1"/> * [[ヴァレンタイン・グレイトレイクス]]([[:en:Valentine Greatrakes|Valentine Greatrakes]])<ref name="Lynn_1"/> * [[エマニュエル・スウェーデンボルグ]] * [[ダニエル・ダングラス・ホーム]]<ref name="Lynn_1"/> * [[エウザピア・パラディーノ]]([[:en:Eusapia Palladino|Eusapia Palladino]])<ref name="Lynn_1"/> * [[アイリーン・ギャレット]]([[:en:Eileen Garrett|Eileen Garrett]])<ref name="Lynn_1"/> * [[ニーナ・クラギナ]]([[:en:Nina Kulagina|Nina Kulagina]])<ref name="Lynn_1"/> * [[ユリ・ゲラー]]<ref name="Lynn_1"/> * [[ドリス・ストークス]]([[:en:Doris Stokes|Doris Stokes]])<ref name="Lynn_1"/> * [[チコ・ザヴィエル]]([[:en:Chico Xavier|Chico Xavier]])<ref name="Lynn_1"/> * [[コーラル・ポルゲ]](Coral Polge)<ref name="Lynn_1"/> * [[ホセ・アリーゴ]]([[:en:Zé Arigó|José Arigo]])<ref name="Lynn_1"/> * [[サティヤ・サイ・ババ]](Sathya Sai Baba)<ref name="Lynn_1"/> * [[マシュー・マニング]]([[:en:Matthew Manning|Matthew Manning]])<ref name="Lynn_1"/> * ミシェル・ゴークラン([[:en:Michel Gauquelin|Michel Gauquelin]]) * [[江原啓之]] == 研究家・団体・学問 == ; 研究家 * [[カール・グスタフ・ユング]]<ref name="Lynn_1"/> * [[チャールズ・フォート]]<ref name="Lynn_1"/> * [[ロバート・ソーレス]]([[:en:Robert Thouless|Robert Thouless]])<ref name="Lynn_1"/> * [[ギュスターヴ・ジュレ]]([[:en:Gustav Geley|Gustave Geley]])<ref name="Lynn_1"/> * [[ケネス・バチェルダー]](Kenneth Batcheldor)<ref name="Lynn_1"/> * [[秋山眞人]] * [[韮澤潤一郎]] * [[田中餌蝋]] '''研究家関連項目''':[[超心理学者]] ; 団体 * [[心霊調査協会]](Society for Psychical Research、[[心霊現象研究協会]]とも)<ref name="Lynn_1"/> * [[心霊科学研究会]] ; 学問 * [[超心理学]]<ref name="Lynn_1"/> * 心霊科学([[霊魂]]が存在しているとする角度から研究する) == 懐疑派 == ; 人物 * [[ハリー・フーディーニ]](1874 - 1926)([[奇術]]師。当時流行していた[[降霊術]]で行われていたインチキを暴いた。) * [[ハリー・プライス]](1881 - 1948)(ゴーストハンター) * [[ジェームズ・ランディ]](1928 - )([[奇術]]師、作家) * [[カール・セーガン]](1934 – 1996)(天文学者、科学啓蒙家) * [[リチャード・ドーキンス]](1941 - ) * [[スーザン・ブラックモア]](1951 - ) * [[大槻義彦]](1936 - ) * [[皆神龍太郎]](1958 - ) ; 団体 * [[サイコップ]](CSICOP) * [[Japan Skeptics]] * [[と学会]] '''懐疑派関連項目''':[[トンデモ本#概要|トンデモ本]]、[[疑似科学]]、[[科学における不正行為]]、[[アドホックな仮説]]、[[オカルト]] == 関連番組 == * NHK BSプレミアム『[[幻解!超常ファイル]]』2013年3月~ * NHKスペシャル「超常現象 科学者たちの挑戦」2014年3月22日放送 [https://megalodon.jp/2014-1216-2304-10/www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0322/] * NHK『[[サイエンスZERO]]』 No.464「「超能力」はあるのか!? 不可思議に挑む科学者たち」2014年5月4日 放送 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注"/> === 出典 === <references/> == 関連文献 == * [[:en:Lynn Picknett|LYNN PICKNETT]], ''THE ENCYCLOPEDIA OF THE PARANORMAL'', 1990 ** (翻訳)リン・ピクネット『超常現象の事典』青土社、1994、ISBN 4791753070 * John & Anne Spence, ''The Encyclopedia of the World's Greatest Unsolved Mysteries'', 1995, ISBN 0747214387 ** (翻訳)ジョン・スペンサー、アン・スペンサー 『世界怪異現象百科』原書房 、1999、ISBN 4562031662 * Brian David Josephson, ''The Paranormal and the Platonic World.'' ** (翻訳) [[ブライアン・ジョセフソン]]『ノーベル賞科学者ブライアン・ジョセフソンの 科学は心霊現象をいかにとらえるか』徳間書店、1997(訳・解説:[[茂木健一郎]]・[[竹内薫]])、ISBN 4198607028 * 宮城音哉『神秘の世界』岩波書店、1961 * J.ミッチェル、R.リカード『怪奇現象博物館―フェノメナ』北宋社、1987 * サイモン・ウェルフェア 、ジョン・フェアリー『[[アーサー・C・クラーク]]のミステリー・ワールド』角川書店、1986、 ISBN 4048410091 * サイモン・ウェルフェア 、ジョン・フェアリー『(アーサー・C・クラーク) 超常現象の謎を解く (上・下)』飯倉書房 (1996 ISBN 484220219X ISBN 4842202203 ** 同名旧版 (ISBN 4898000290 ISBN 4898000304) の改訳新装版 * コリン・ウィルソン『超常現象の謎に挑む』教育社、1992、ISBN 4315512702 * 『超常科学謎学事典』小学館、1992、ISBN 4092073046 * [[と学会]] ([[山本弘 (作家)|山本弘]]、[[志水一夫_(作家)|志水一夫]]、[[皆神龍太郎]]) 『トンデモ超常現象99の真相』洋泉社、1997、 ISBN 4896912519 ISBN 4796618007 * 志水一夫 『トンデモ超常学入門―志水一夫の科学もドキ!』データハウス、1997 ISBN 4887184417 * 菊池聡『超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ』講談社、1998 ISBN 406257229X * [[菊池聡]]『超常現象の心理学―人はなぜオカルトにひかれるのか』平凡社、1999、 ISBN 4582850286 * 皆神龍太郎、志水一夫、[[加門正一]] 『新・トンデモ超常現象56の真相』太田出版、2001、ISBN 4872335988 * [[羽仁礼]] 『超常現象大事典―永久保存版』成甲書房 2001 ISBN 4880861154 * 『全国超常現象家名鑑』 * 梅原勇樹、苅田章『NHKスペシャル超常現象: 科学者たちの挑戦』NHK出版、2014、ISBN 4140816325 == 外部リンク == {{Commonscat|Paranormal}} * [http://www.asios.org/ ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)] * [https://web.archive.org/web/20030210074549/http://www.orange.ne.jp/~kibita/pnp/link.html 不思議リンク集] {{デフォルトソート:ちようしようけんしよう}} [[Category:超常現象|*]]
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環境学
環境学(英語: Environmental Studies)は、自然環境、社会環境、都市環境など、人間の生活を取り巻く環境とその人間、動植物への影響について、物理学、化学、生物学、地球科学、社会科学、人文科学等の基礎科学からのアプローチにより研究を行う学問分野である。歴史はまだ浅いものの、様々な基礎科学分野の研究者により研究が進んでいる。環境問題に対して将来を予測しつつ総合的な対策を提案する学問分野を内包するのも特徴。
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環境学は、自然環境、社会環境、都市環境など、人間の生活を取り巻く環境とその人間、動植物への影響について、物理学、化学、生物学、地球科学、社会科学、人文科学等の基礎科学からのアプローチにより研究を行う学問分野である。歴史はまだ浅いものの、様々な基礎科学分野の研究者により研究が進んでいる。環境問題に対して将来を予測しつつ総合的な対策を提案する学問分野を内包するのも特徴。
{{混同|環境科学}} '''環境学'''([[英語]]: Environmental Studies)は、[[自然環境]]、[[社会環境]]、[[都市環境]]など、[[人間]]の[[生活]]を取り巻く[[環境]]とその人間、[[動植物]]への影響について、[[物理学]]、[[化学]]、[[生物学]]、[[地球科学]]、[[社会科学]]、[[人文科学]]等の[[基礎科学]]からのアプローチにより研究を行う学問分野である。歴史はまだ浅いものの、様々な基礎科学分野の研究者により研究が進んでいる。環境問題に対して将来を予測しつつ総合的な対策を提案する学問分野を内包するのも特徴。 == 分野 == === 地球環境 === * [[環境問題#環境問題の基礎|自然保護]] * [[環境運動|エコロジー運動]] * [[地球科学]] === 社会環境 === * [[公害]] * [[騒音]]問題 * [[廃棄物]] * [[二酸化炭素]]削減 * [[拡大生産者責任]] == 関係する学問 == {{Colbegin}} * [[環境倫理学]] * [[環境法]] * [[国際環境法]] * [[環境経済学]] * [[環境社会学]] * [[環境政策学]] *環境心理学 * [[環境化学]] * [[環境考古学]] * {{仮リンク|環境史|en|Environmental history}} * [[環境工学]] * [[環境デザイン]] * [[地質学]] * [[地理学]] * [[生態学]] * [[生物地球化学]] {{Colend}} <!-- == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} --> == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |author=左巻健男ほか編著|authorlink=左巻健男 |editor = |title = 地球環境の教科書10講 |edition = |year = 2005 |publisher = [[東京書籍]] |series = |isbn = 4-487-80062-5 |pages = }} == 関連項目 == <!-- {{Commonscat|Environmental studies}} --> * [[地球環境問題]] * [[公害]] * [[環境教育]] * [[自然哲学]] * [[日本環境学会]] * [[ヴァーストゥ・シャーストラ]] == 外部リンク == * [http://www.yasuienv.net/EnvSciDefinition.htm 環境学とは何か] * [http://www.yasuienv.net/ 市民のための環境学ガイド] * {{Wayback|url=http://heartland.geocities.jp/ecodata222/ed/edj2-1.html |title=環境学 |date=20100215230126}} {{環境問題|uncollapsed|||}} {{地球科学}} {{authority control}} {{DEFAULTSORT:かんきようかく}} [[Category:環境学|*]] [[Category:自然保護]] [[Category:環境保護運動]]
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先住アメリカ人の一覧
先住アメリカ人の一覧(せんじゅうアメリカじんのいちらん)は、よく知られた先住アメリカ人の一覧である。この項目に掲載される人物にはヨーロッパ白人およびアフリカ黒人との混血者も含まれる。 凡例: 日本語名 (英語名) アメリカ合衆国に属する先住民族の著名人。 (五十音順) カナダ(北アメリカ大陸北部)出身の先住民族の血を引く著名人。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "先住アメリカ人の一覧(せんじゅうアメリカじんのいちらん)は、よく知られた先住アメリカ人の一覧である。この項目に掲載される人物にはヨーロッパ白人およびアフリカ黒人との混血者も含まれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "凡例: 日本語名 (英語名)", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国に属する先住民族の著名人。", "title": "アメリカ合衆国" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "(五十音順)", "title": "アメリカ合衆国" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "カナダ(北アメリカ大陸北部)出身の先住民族の血を引く著名人。", "title": "カナダ" } ]
先住アメリカ人の一覧(せんじゅうアメリカじんのいちらん)は、よく知られた先住アメリカ人の一覧である。この項目に掲載される人物にはヨーロッパ白人およびアフリカ黒人との混血者も含まれる。 凡例: 日本語名 (英語名)
{{Pathnav|出身別の人名記事一覧の一覧|frame=1}} '''先住アメリカ人の一覧'''(せんじゅうアメリカじんのいちらん)は、よく知られた[[アメリカ州の先住民族|先住アメリカ人]]の一覧である。この項目に掲載される人物にはヨーロッパ白人およびアフリカ黒人との[[混血]]者も含まれる。 凡例: 日本語名 (英語名) == アメリカ合衆国 == [[アメリカ合衆国]]に属する先住民族の著名人。 === インディアン === {{記事参照|インディアン}} (五十音順) * [[アリーヤ]] - 歌手 * [[w:Eartha Kitt|アーサ・キット]] - 白人、[[チェロキー族]]、黒人の混血歌手。 * [[w:R. Carlos Nakai|R・カルロス・ナカイ]] - [[ナバホ族]]と[[ユト|ユテ族]]の混血。[[w:Native American flute|インディアンフルート]]奏者 * [[R・J・ハリス]] - [[カイオワ族]]。[[2012年アメリカ合衆国大統領選挙]]の[[リバタリアン党 (アメリカ)|リバタリアン党]]候補者の政治家。 * [[w:Ira Hayes|アイラ・ヘイズ]] - [[ピマ|ピマ族]]。[[第二次世界大戦]]・[[硫黄島の戦い]]の英雄。 * [[アフィー・エリス]] - [[ナバホ族]]。女性弁護士及び共和党候補の政治家。 * [[w:American Horse|アメリカン・ホース]] - 19世紀オグララ・[[スー族]]の戦士。 * [[w:Allan Houser|アラン・ハウザー]] - チリカワ・[[アパッチ族]]。[[ジェロニモ]]の血を引く彫刻家。 * [[アンジェリーナ・ジョリー]] - 女優。 * [[w:Ely S. Parker|イーライ・パーカー]] - 19世紀[[セネカ族]]出身の軍人。 * [[イシ]] - 絶滅した[[ヤヒ族]]最後の一人。「人間」という意味。 * [[オプラ・ウィンフリー]] - 米国のテレビショーの人気司会者。 * [[ヴァネッサ・ハジェンズ]] - 女優。 * [[w:Vine Deloria, Jr.|ヴァイン・デロリアJr]] - ナコタ・[[スー族]]の作家、詩人、歴史家 * [[ヴァル・キルマー]]- 父方の曾祖母がチェロキー、ドイツ、スコットランド、アイルランド、セファルディム、スウェーデン、モンゴル等の混血俳優 * [[w:William Least Heat-Moon|ウイリアム・リースト・ヒート=ムーン]] - [[オーセージ族]]の作家 * [[w:Will Sampson|ウィル・サンプソン]]- 生粋の[[クリーク族|ムスコギー族]]俳優 * [[ウィル・ロジャース]] - [[チェロキー族]]俳優 * [[ウッディ・J・コクラン]] - [[チェロキー族]]。第二次大戦南方部隊の爆撃機パイロット。 * [[w:Eddie Little Sky|エディ・リトル・スカイ]] - オグララ・[[スー族]]の俳優。 * [[エルヴィス・プレスリー]] - [[チェロキー]]、アイルランド、ドイツ、ユダヤなどの混血歌手 * [[w:Winona LaDuke|ウィノナ・ラデューク]] - [[オジブワ族]]の作家、民主党員 * [[w:Wilma Mankiller|ウィルマ・マンキラー]] - [[チェロキー族]]オクラホマ支族の前・女性[[酋長]]。 * [[ウェス・ステュディ]] - [[チェロキー族]]の俳優。 * [[w:Wovoka|ウォヴォカ]] - [[パイユート族]]。[[ネイティブ・アメリカン#ゴースト・ダンス|ゴースト・ダンス教]]の開祖。 * [[w:N. Scott Momaday|N・スコット・ママディ]] - [[カイオワ族]]の作家 * [[w:Osceola|オセオーラ]] - [[セミノール族]]。「セミノール戦争」の英雄。 * [[w:Oren Lyons|オレン・ライオンズ]] - [[イロコイ連邦]]の[[オノンダーガ族]]の酋長。 * [[w:Kateri Tekakwitha|カテリ・テカクィサ]] - [[モホーク族]]。アメリカインディアンで初めて[[カトリック教会]]の「聖女」に加えられた女性。 * [[w:Chief Kamiakin|カミアキン]] - 19世紀[[ヤカマ族]]の酋長 * [[カリーナ・ロンバード]] - 女優 * [[キム・ベイシンガー]] - [[チェロキー族]]、ドイツの混血女優 * [[w:Captain Jack|キャプテン・ジャック]] - [[モードック族]]の酋長。 本名は「[[キエントプース]]」 * [[キャメロン・ディアス]] - 女優。一部チェロキー族の系統。 * [[クアナ・パーカー]] - [[コマンチ族]]と白人の混血。コマンチ最後の酋長。本名は「クアナ(香り高い)」 * [[クエンティン・タランティーノ]] - 俳優・映画監督。 * [[クレイジー・ホース]] - オグララ・[[スー族]]の戦士。本名「タシュンケ・ウィトコ(彼の奇妙な馬)」※酋長ではない * [[w:Gregg Rainwater|グレッグ・レインウォーター]] - [[オセージ族]]、[[チェロキー族]]、アイルランドの混血俳優。 * [[ケビン・ガバー]](kevin gover) - [[ポーニー族]]、[[コマンチ族]]。元[[:w:Bureau of Indian Affairs|BIA(インディアン管理局]])副局長(1997~2001年)、現「[[国立アメリカ・インディアン博物館]]」館長。 * [[ケヴィン・コスナー]] - [[チェロキー族]]、ドイツ、アイルランドの混血俳優 * [[ケビン・ロック]] - [[ラコタ]]・[[スー族]]出身の[[w:Native American flute|インディアンフルート]]奏者 * [[w:Cochise|コチーズ]] 19世紀[[アパッチ族]]の酋長。 * [[w:Cornplanter|コーンプランター]] - [[セネカ族]]の酋長。本名は「カイイエントワ・コーン(コーンを植える人)」 * [[サカガウィア]] * [[w:Salli Richardson|サリ・リチャードソン]]- 黒人、[[チェロキー族]]、アイルランド、イタリアの混血女優 * [[w:Chief Seattle|シアトル酋長]] * [[ジェシ・エド・デイヴィス]] - 父は[[コマンチ族]]、母は[[カイオワ族]]のギタリスト * [[ジェシカ・ビール]] * [[ジェームス・ブラウン]] - [[チェロキー族]]と黒人の混血歌手 * [[シェール]] - 父方アルメニア人、母方混血チェロキー族の歌手、女優 * [[ジミ・ヘンドリックス]] - 黒人とチェロキー族の混血ギタリスト、歌手 * [[ジム・ソープ]] - [[ソーク&フォックス族]]のプロ野球選手。本名「ワサハク(輝ける道)」 * [[:en:Jay Tavare|ジェイ・タバーレ]] - [[ナバホ族]]、白人、ホワイトマウンテン・[[アパッチ族]]の混血俳優。 * [[w:Gerald Vizenor|ジェラルド・ヴィゼナー]] - [[オジブワ族]]の作家、学者 * [[ジェロニモ]] - [[アパッチ族]]のチリカワ族のシャーマン、戦士。本名は「ゴヤスレイ(寝ぼすけ)」 * [[シャーマン・アレクシー]] - [[クーダレン族]]の作家、映画監督 * [[w:Joe De La Cruz|ジョー・デ・ラ・クルーズ]] - [[ワシントン州]][[クイノールト族]]の部族議長、運動家。 * [[:en:Joey Belladonna|ジョーイ・ベラドナ]] - アメリカ・ニューヨークのヘヴィメタル・バンド[[アンスラックス]]のヴォーカリスト * [[w:Chief Joseph|ジョセフ酋長]] - [[ネズ・パース族|ネ・ペルセ族]]の酋長。本名は「ヒンマラー・トーヤラケット(山上を響き渡る雷鳴)」 * [[ジョジョ (歌手)|ジョジョ]] - 歌手。 * [[ジョニー・デップ]] - 白人と[[チェロキー族]]の混血俳優。 * [[w:Stand Watie|スタンド・ワティ]] - 19世紀チェロキー族の政治家 * [[ジョン・ウェスト]] - ヘヴィメタルバンド[[アーテンション]]のヴォーカリスト * [[ジョン・オキセンダイン]] - [[ラムビー族]]。共和党の政治家。 * [[ジョン・エコーホーク]](John E. Echohawk) - [[ポーニー族]]。「インディアン権利基金」事務局長。 * [[シッティング・ブル]] - ハンクパパ・[[スー族]]の呪い師。本名「タタンカ・イヨタケ(座せる雄牛)」 * [[w:Zitkala-Ša|ズィットカラ・サ]] - 19世紀[[スー族]]の女性文化人。「赤い鳥」という意味 * [[w:Squanto|スクワント]] * [[w:Sarah Winnemucca|サラ・ウィネムッカ]] - [[パイユート族]]。[[インディアン]]で初めて英語で本を書いた女性作家 * [[w:Sequoyah|セコイヤ]] - [[チェロキー族]]の英雄。チェロキー文字を発明した * [[ソランジュ|ソランジュ・ノウルズ]] - [[ビヨンセ]]の妹。 * [[w:The Dann Sisters|ダン姉妹]] - [[ショーショーニー族|西ショーショーニー]]族。キャリーとメアリーの運動家姉妹。[[ネイティブ・アメリカン#レッド・パワー以後の抗議運動|西ショーショーニー族による、「地下核実験に対する国連提訴」]]の部族代表。 * [[ダイアナ・ロス]] - 歌手。 * [[ダニー・ロペス]] - ボクサー。[[ユト]]族・メキシコ系・アイルランド系の血を引く * [[チャールズ・カーティス]] - [[ハーバート・フーヴァー|フーヴァー]]大統領の副大統領。[[カンサ族]]。 * [[チャック・ノリス]] * [[チャック・ビリー]] - 歌手([[テスタメント (バンド)|テスタメント]]のボーカル)。ポモ族。 * [[ツー・ムーンズ]] - [[シャイアン族]]の戦士。「[[リトルビッグホーンの戦い]]」に参加した。 * [[ティファニー(歌手)]] * [[ティナ・ターナー]] - チェロキーと黒人の混血歌手 * [[w:Dennis Banks|デニス・バンクス]] - [[オジブワ族|チッペワ族]]。本名は「ナワ・カミック」。「[[w:American Indian Movement|AIM]](アメリカインディアン運動)」創始者の一人。 * [[デガナウィダ]] * [[テカムセ|テクムセ]] - [[ショーニー族]]の酋長、英雄。 * [[デラノ・カミングス]](Delano Cummings) - [[ベトナム戦争]]でムーン・ダッシュ戦士と呼ばれた[[ラムビー|ラムビー族]]の[[アメリカ海兵隊|海兵隊員]] * [[トム・コール]] - [[チカソー族]]の血を引く共和党の政治家。 * [[w:Tony Joe White|トニー・ジョー・ホワイト]] - チェロキーと白人の混血歌手 * [[ヌガマ酋長]] - [[パイユート]]族 * [[バート・レイノルズ]] - チェロキー、アイルランド、イタリアの混血俳優 * [[ハイアワサ]] * [[w:Big Foot|ビッグ・フット]] - ミネコンジュー・[[スー族]]族の酋長のひとり。本名は「シハ・タンカ(膨れた足)」。(→「[[ウンデッド・ニー|ウーンデッド・ニー]]の虐殺」) * [[w:Sonuk Mikko|ビリー・ボウレッグス]] - 19世紀[[セミノール|セミノール族]]の英雄。本名「ソヌク・ミッコ」 * [[ビリー・ミルズ]] - オグララ・[[スー族]]の長距離走者。「[[1964年東京オリンピック]]」金メダリスト * [[ピーター・ジョンズ]] - [[オジブワ|チペワ族]]。インディアン初の[[キリスト教]]宣教師 * [[ピート・ウェンツ]] - [[フォール・アウト・ボーイ]]のベースギタリスト。ドイツ人とインディアンの混血の父とハワイ原住民の母を持つ。 * [[w:Bill Miller (musician)|ビル・ミラー]] - [[モヒカン族]]の[[ミュージシャン]] * [[ビヨンセ]] * [[ファーギー (歌手)|ファーギー]] * [[ブライアン・アキパ]](Bryan Akipa) - [[ダコタ]]・[[スー族]]。インディアンフルート奏者 * [[w:Black Elk|ブラック・エルク]] - [[シャイアン族]]戦士。「[[リトルビッグホーンの戦い]]」の生き証人。 * [[w:Black Hawk (chief)|ブラック・ホーク]] - 19世紀[[ソーク族]]の大酋長。本名「マカタイメシェキアキアク」 * [[フロイド・レッド・クロウ・ウェスターマン]] - ダコタ・[[スー族]]の民族運動家、俳優、声優、音楽家。 * [[w:Tenskwatawa|プロフィット]] - [[ショーニー族]]の英雄。本名「テンスクワタワ」 * [[ブレント・マイケル・ダーヴィッツ]](Brent Michael Davids) - [[モヒカン族|ストックブリッジ・マヒカン族]]。作曲家。 * [[w:Ben Nighthorse Campbell|ベン・ナイトホース・キャンベル]] - [[シャイアン族]]。インディアン初の上院議員。 * [[ヘンリー・ベリー・ローリー]] - [[ラムビー|ラムビー族]]と[[タスカローラ|タスカローラ族]]から「インディアン・[[ロビン・フッド]]」 と呼ばれた英雄 * [[ポカホンタス]] * [[ポンティアック酋長]] * [[マイケル・フォレスト]] - スー族と[[オジブワ族]]の血を引く俳優・声優 * [[w:Michael Franti|マイケル・フランティ]] - 黒人とアイルランド人とドイツ人とインディアンの混血歌手 * [[マイリー・サイラス]] - 一部チェロキー。 * [[マサソイト]] - [[ワンパノアグ|ワンパノアグ族]]の偉大な酋長 * [[マリア・トールチーフ]] - [[オーセージ族]]。バレリーナ。インディアン初の[[プリマドンナ]] * [[マンディ・ムーア]] * [[ミーガン・フォックス]] - インディアンとフランス・アイルランドの混血。アメリカ合衆国の女優、ファッションモデル。 * [[w:Micki Free|ミッキ・フリー]] - [[コマンチ族]]・[[チェロキー族]]ギタリスト、歌手 * [[ミルズ・ブレナン]] (Mills Brennan) - [[ワンパノアグ|マチュピー・ワンパノアグ族]]。インディアンフルート奏者 * [[w:Mary Brave Bird|メアリー・クロウドッグ]] - [[スー族]]とフランス白人の混血作家、活動家。レオナルド・クロウドッグの妻。 * [[メタコメット]]([[w:King Philip|フィリップ王]]) - [[ワンパノアグ|ワンパノアグ族]]の酋長。[[フィリップ王戦争]]の中心人物。 * [[w:Russell Means|ラッセル・ミーンズ]]- オグララ・[[スー族]]。AIM(アメリカインディアン運動)の活動家、俳優。 * [[ラナルド・マクドナルド]]- チヌーク族とスコットランド系の混血。日本初の[[母語話者]]の英語教師。 * [[リー・ブライトマン]](Lee Brightman) - オグララ・[[スー族]]の大学教授。AIM(アメリカインディアン運動)の運動家。 * [[リヴ・タイラー]] - 女優 (一部チェロキー) * [[リタ・クーリッジ]] - チェロキー族の血を引く歌手。姉・姪とともにチェロキー族の伝統を前面に出したユニット「[[:en:Walela|Walela]]」を結成している。 * [[w:Little Turtle|リトル・タートル]] - 18世紀[[マイアミ族]]の酋長 * [[w:Louise Erdrich|ルイーズ・アードリック]] - [[オジブワ族]]の作家 * [[w:Rain in the Face|レイン・イン・ザ・フェイス]] - 19世紀ダコタ・[[スー族]]の戦士。本名「イトナガジュ」 * [[w:Leonard Crow Dog|レオナルド・クロウドッグ]] - 現役のシチャング・[[スー族]]の呪い師 * [[レッド・クラウド]] - オグララ・[[スー族]]の部族員。本名「マアピヤ・ルタ(赤い空)」※酋長ではない * [[w:Red Jacket|レッド・ジャケット]] - 19世紀[[セネカ族]]の酋長。本名「サゴウェワサ」 * [[w:Leonard Peltier|レナード・ペルティエ]] - オグララ・[[スー族]]。AIM(アメリカインディアン運動)メンバー。本名「グワジイーラス」。無実の罪で1975年より終身服役中。 * [[ロビー・ロバートソン]] - [[モホーク族]]と白人の混血ミュージシャン * [[w:Ronnie Spector|ロニー・スペクター]] - 白人、チェロキー族、黒人の混血歌手、ロネッツ * [[ロバート・ラウシェンバーグ]]- ドイツ系とチェロキー族の混血画家。 * [[w:Chief Logan|ローガン酋長]] - [[w:Mingo|ミンゴ族]]の酋長。 * [[ローゼン (アパッチ族)|ローゼン]] - [[ジェロニモ]]と同時代の[[アパッチ族]]女戦士。 * [[ローナ・マクネイル]] - [[ラムビー|ラムビー族]]。「[[ミス・コンテスト|ミス]]・[[ノースカロライナ州]]」 * [[ロスト・バード]] - [[ウンデット・ニー]]の虐殺の生き残りの赤ん坊。ミネコンジュー・[[ラコタ]]族の女性 * ロボ - フォーク歌手。「片思いと僕」(1972)などがヒットした。 * [[w:Taoyateduta|リトル・クロー]] - 19世紀[[ダコタ]]・[[スー族]]の酋長。本名「タオヤテドゥタ」 * [[w:Ward Churchill|ワード・チャーチル]] - ムスコギー族とチェロキー族の血を引く活動家。元コロラド・ボールダー大学教授。 * [[ワン・ブル]](One Bull) - ハンクパパ・[[スー族]]の戦士。「[[リトルビッグホーンの戦い]]」で[[ジョージ・アームストロング・カスター|カスター中佐]]を殺したのではないかと言われている一人 === アメリカ領サモアおよびハワイ諸島 === {{記事参照|アメリカ領サモア}} {{記事参照|ハワイ諸島}} * [[カメハメハ1世]] - [[ハワイ王国]]の初代国王 * [[リリウオカラニ]] - ハワイ王国最後の王 * [[高見山大五郎]] - [[マウイ島]]出身の[[力士]]。出生名「ジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルア」 * [[小錦八十吉 (6代)|小錦八十吉]] - サモア系[[ハワイ先住民]]の力士。出生名「サレバ・ファウリ・アティサノエ」 * [[曙太郎]] - オアフ出身の力士。出生名「チャド・ローウェン・ジョージ・ハヘオ」 * [[武蔵丸光洋]] - 東サモア出身の力士。出生名「フィヤマル・ペニタニ」 * [[エニ・ファレオマバエガ]] - アメリカ領サモア出身の政治家。 * [[w:Togiola Tulafono|トギオラ・タラレレイ・A・トゥラフォノ]] - アメリカ領サモア知事。 * [[トニー・ソレイタ]] - 日本でも活躍したアメリカ領サモア出身の野球選手。 * [[ピーター・メイビア]] - 日本でも活躍したアメリカ領サモア出身のプロレスラー。 * [[デューク・カハナモク]] - オリンピック([[1912年ストックホルムオリンピック|ストックホルム]]・[[1920年アントワープオリンピック|アントワープ]])金メダリスト(競泳)、サーファー * [[イズラエル・カマカヴィヴォオレ]] - 歌手。1995年のアルバム「[[:en:E Ala E|E Ala E]]」に収録されている「Tengoku Kara Kaminari」では、高見山を除く上記の力士の名前が歌詞に織り込まれている。 * [[ダニエル・アカカ]] - 元[[アメリカ合衆国上院|アメリカ上院]]議員(民主党)。父方祖父が中国生まれ(英語版記事より)の4分の3ハワイ先住民。 * [[Bro.TOM]] - 歌手・俳優・タレント。父親が中国人の血も引くハワイ先住民。 === アラスカ === {{記事参照|アラスカ}} * [[w:Irene Bedard|アイリーン・ビダード]] - [[エスキモー]]の女優 * [[w:Elizabeth Peratrovich|エリザベス・ペラトロビッチ]] - [[トリンギット族]]インディアンの運動家 * [[w:Todd Palin|トッド・ペイリン]] - [[ユピク族]]エスキモー。白人政治家の[[サラ・ペイリン]](共和党、元[[アラスカ州知事]])の夫。 * [[ネビロ]] - [[ビーバー (アラスカ州)|ビーバー]]村創設者[[フランク安田]]の妻。[[イヌピアック]]・[[エスキモー]]。 * [[w:Nora Marks Dauenhauer|ノラ・マルクス・ダウエンハウアー]] - [[トリンギット族]]の作家 * [[マリー・スミス・ジョーンズ]] - [[イヤック族]]の[[イヤック語]]の最後の話者。 * [[w:HOWARD ROCK|ハワード・ロック]] - エスキモーの芸術家、活動家 * [[ワシラ酋長]] - [[デナイナ族]]の酋長。 === マリアナ諸島 === {{記事参照|マリアナ諸島}} * [[w:Gadao|ガダオ]] - [[グアム]]の伝説的大酋長 * [[w:Mata'pang|マタ・パン]] - グアムの先住民[[チャモロ人|チャモロ族]]の大酋長 * [[w:Hurao|フラオ]] - チャモロ族の酋長。反スペイン抵抗戦の英雄 == カナダ == [[カナダ]]([[北アメリカ大陸]]北部)出身の先住民族の血を引く著名人。 * [[アダム・ビーチ]] - 俳優 * [[ゲイリー・ファーマー]] ([[w:Gary Farmer|Gary Farmer]]) - [[俳優]]、[[映画監督]] * [[グラハム・グリーン]] ([[w:Graham Greene (actor)|Graham Greene]]) - 俳優 * [[トムソン・ハイウェー]] ([[w:Tomson Highway|Tomson Highway]]) - 劇作家、作家、子役 * [[ルイ・リエル]] - 「[[マニトバ州]]の父」で[[フランス]]人と[[オジブワ]]族などの血を引く[[メティ (カナダ)|メティ]] * [[バフィ・セント=マリー]] ([[w:Buffy Sainte-Marie|Buffy Sainte-Marie]]) - [[フォークシンガー]]、作曲家。[[クリー|クリー族]]の出自で、幼児期よりアメリカで [[ミクマク]] 族の家庭の養子として育つ * [[マシュー・クーン・カム]] ([[w:Matthew Coon Come|Matthew Coon Come]]) - 「ファーストネイション集会 (Assembly of First Nations)」 の議長 * [[w:Stephen Kakfwi|Stephen Kakfwi]] - [[ノースウェスト準州]]首相 * [[ポール・オカリック]] ([[w:Paul Okalik|Paul Okalik]]) - [[ヌナブト準州]]首相 * [[ハロルド・カーディナル]] - [[クリー|クリー族]]。 == カリブ海 == {{記事参照|カリブ海}} *[[アゲイバナ]] - スペイン人を神と思い込んでいた[[タイノ族]]の酋長([[w:Agüeybaná and Agüeybaná II|Agüeybaná and Agüeybaná II]]) * [[w:Adam Sanford|アダム・サンドフォード]] - [[ドミニカ国]]出身の[[カリブ族]]の[[クリケット]]選手。 *[[アトゥエイ]] - [[スペイン]]の[[コンキスタドール]]に対して抵抗運動したタイノ族の酋長([[w:Hatuey|Hatuey]]) *[[w:Arasibo|アラシボー]] - [[プエルトリコ]]のタイノ族の酋長 * [[アナカオーナ]] - 黄金の花と呼ばれた[[ハイチ]]のタイノ族の女酋長([[w:Anacaona|Anacaona]]) * [[エンリキージョ]] - スペイン人に抵抗運動したタイノ族([[w:Enriquillo|Enriquillo]]) * [[ガーネット・ジョセフ]] - 現ドミニカ国のカリブ族酋長 * [[ジェイコブ・フレデリック]] - ドミニカ国のカリブ族出身の芸術家 * [[w:Jumacao|ジュマカオ]] - [[プエルトリコ]]のタイノ族の酋長の1人 * [[w:Hayuya|ハユヤ]] * [[ヒラリー・ベルグレーブ・フレデリック]] - ドミニカ国の女性のカリブ族酋長 == メキシコ == {{記事参照|メキシコ}} * [[モクテスマ2世]] - アステカ9代国王 * [[クィトラワク]] - アステカ10代国王 * [[クアウテモック]] - [[アステカ]]11代国王 * [[マリンチェ]] - [[エルナン・コルテス]]の[[通訳]]・[[参謀]]・[[愛人]] * [[ベニート・フアレス]] - メキシコの大統領。[[サポテカ人]]。 * [[フベンティーノ・ローサス]] - [[ワルツ]]「[[波濤を越えて]]」[[:es:Sobre las olas|Sobre las olas]] の作曲者 オトミ人  * [[フリーダ・カーロ]] - 画家。メスティーソ(父方ユダヤ人、母方インディオ) * [[ラモナ司令官]] ([[:es:Comandante Ramona|Comandante Ramona]]) - [[サパティスタ民族解放軍]]の指導者 * [[アルマンド・マンサネーロ]] - 「[[アドロ (曲)|アドロ]]」作曲で知られる作曲家・歌手。マヤ人の子孫 * [[ルフィーノ・タマヨ]] - 画家・サポテカ人の子孫。 == グアテマラ == {{記事参照|グアテマラ}} *[[ミゲル・アンヘル・アストゥリアス]] - [[ノーベル文学賞]]作家。 *[[リゴベルタ・メンチュウ]] - 市民運動家。[[ノーベル平和賞]]受賞者。 == ホンジュラス == {{記事参照|ホンジュラス}} *[[w:Lempira (Lenca ruler)|レンピーラ]] - 植民地時代の反乱の指導者。現ホンジュラスの通貨の名前の基になっている。 *[[アウレリオ・マルティネス]] -ミュージシャン、政治家。[[ガリフナ]]人。 == ベネズエラ == {{記事参照|ベネズエラ}} *[[グアイカイプーロ]] - [[スペイン]]の征服者に対して抵抗した[[テケス人]]の酋長。 *[[パトリシア・ヴェラスケス]] - モデル・女優。ワユー人。 == ペルー == {{記事参照|ペルー}} *歴代[[サパ・インカ|インカ皇帝]] - [[インカ帝国|タワンティンスーユ]]の指導者。 *[[w:Inca Garcilaso de la Vega|エルナン・インカ・ガルシラソ・デ・ベガ]] - 16~17世紀に活躍した作家。 *[[ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ]] - トゥパク・アマルー2世とも。メスティーソ。インカ皇帝の子孫。植民地時代の反乱の指導者。 *[[w:Antonio Pantojas|アントニオ・パントーハ]] - 音楽家。ケーナ奏者。 *[[アレハンドロ・トレド]] - [[チョロ]]。大統領(2001-2006)。 *[[マリオ・バルガス=リョサ]] - ノーベル文学賞作家。 == ボリビア == {{記事参照|ボリビア}} *[[フリアン・アパサ]] - トゥパク・カタリとも。植民地時代の反乱の指導者。 *[[ワンカール]] - 作家。インディオ中心主義のイデオローグ。 *[[w:Felipe Quispe|フェリペ・キスペ]] - 政治家。インディオ運動家。アイマラ人。 *[[エボ・モラレス]] - ボリビア史上初めてインディオであることをアイデンティティにしながら当選したボリビア大統領。[[アイマラ|アイマラ人]]。 == ブラジル == {{記事参照|ブラジル}} *[[アイルトン・クレナック]] - 市民運動家。シャヴァンテ人 *ムサベリとエランデ兄弟 - ギタリスト。ブラジル北部[[タバハラス族]]の酋長ミタンガの三男と四男で、「[[ロス・インデオス・タバハラス]]([[w:Los Indios Tabajaras|Los Indios Tabajaras]])」の名で活動 == アルゼンチン == {{記事参照|アルゼンチン}} *[[フアン・デ・ディオス・フィリベルト]] - タンゴの作曲家。[[マプチェ族|マプーチェ人]]の子孫。 *[[フアン・ペロン]] - 在位期間第一位のアルゼンチン大統領。家系調査でインディアンの子孫と判明している。 *[[アタウアルパ・ユパンキ]] - [[ケチュア]]系の子孫ということを公言している。アルゼンチンの[[フォルクローレ]]の第一人者。 *[[メルセデス・ソーサ]] - ディアギータ系の子孫、アルゼンチンの[[フォルクローレ]]の著名度が高い女性 *[[ベアトリス・ピチ・マレン]] - 音楽家。マプーチェ人の音楽演奏の第一人者。 == チリ == {{記事参照|チリ}} *[[ラウタロ]] - スペイン人の征服者[[ペドロ・デ・バルディビア]]を処刑し、[[アラウコ戦争]]を戦った[[マプチェ族|マプーチェ人]]の指導者 *[[w:Caupolicán|カウポリカン]] - アラウコ戦争を戦ったマプーチェ人の指導者 *[[エリクラ・チウアイラフ]] - 詩人。マプーチェ人。 == 関連項目 == *[[アメリカ州の先住民族]] *[[:Category:アメリカ合衆国の先住民族]] *[[:Category:アメリカ合衆国の先住民族の人物]] *[[:en:Category:Americans of Native American descent|ネイティブアメリカンの系統の人物リスト]](英語版) *[[:en:List of Native Americans of the United States|ネイティブアメリカンのリスト]](英語版) *[[:en:Category:Americans of Cherokee descent|チェロキー族の系統の人物リスト]](英語版) *[[:en:List of people of African American and Native American admixture|アフリカンアメリカンとネイティブアメリカンの系統の人物リスト]](英語版) *[[酋長]] {{アメリカの題材|人の一覧|の[[出身別の人名記事一覧の一覧|人物一覧]]|出身別の人名一覧|part=2}} {{DEFAULTSORT:せんしゆうあめりかしんのいちらん}} [[Category:アメリカ州の先住民族|*]] [[Category:北アメリカの民族]] [[Category:中央アメリカの民族]] [[Category:南アメリカの民族]] [[Category:出身別の人名一覧]] [[Category:アメリカ合衆国の先住民族|*]]
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9月6日
9月6日(くがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から249日目(閏年では250日目)にあたり、年末まであと116日ある。
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9月6日(くがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から249日目(閏年では250日目)にあたり、年末まであと116日ある。
{{カレンダー 9月}} '''9月6日'''(くがつむいか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から249日目([[閏年]]では250日目)にあたり、年末まであと116日ある。 == できごと == [[file:Siliqua_Eugenius-_trier_RIC_0106d.jpg|180x180px|thumb|[[フリギドゥスの戦い]]、[[テオドシウス1世]]が[[エウゲニウス]](画像; ?-394)を破る]] {{multiple image | footer = [[ビクトリア号]]がスペインに帰還(1522年)、人類初の世界一周達成 | direction = vertical | image1 = Detail_from_a_map_of_Ortelius_-_Magellan%27s_ship_Victoria.png | width1 = 180 | alt1 = [[ビクトリア号]] | image2 = Magellan_Elcano_Circumnavigation-en.svg | width2 = 180 | alt2 = [[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]と[[ビクトリア号]]の航跡 }} {{multiple image | caption1 = [[三十年戦争]]、[[ネルトリンゲンの戦い (1634年)|ネルトリンゲンの戦い]](1634年) | image1 = Battle of Nordlingen in 1634 by Jacques Courtois.jpg | width1 = 90 | alt1 = ネルトリンゲンの戦い | image2 = CEM-44-La-Chine-la-Tartarie-Chinoise-et-le-Thibet-1734-NE-2571.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[ネルチンスク条約]]締結(1689)。画像は1734年頃の中国の地図 | alt2 = ネルチンスク条約締結 }} {{multiple image | caption1 = 『[[仮名手本忠臣蔵]]』初演(1748年)。画像は[[歌川国貞]]画(1850年頃) | image1 = Utagawa_Kunisada-c1850-Horibe_Yahei-Horibe_Yasubei.jpg | width1 = 90 | alt1 = 仮名手本忠臣蔵]初演 | image2 = McKinleyAssassination.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[マッキンリー大統領暗殺事件]](1901年) | alt2 = マッキンリー大統領暗殺事件 }} {{multiple image | footer = ルーマニア王[[カロル2世 (ルーマニア王)|カロル2世]]が退位・亡命、息子の[[ミハイ1世 (ルーマニア王)|ミハイ1世]]が復位(1940年) | image1 = CarolofRomania.jpg | width1 = 85 | caption1 = [[カロル2世 (ルーマニア王)|カロル2世]] | image2 = Mihai.jpg | width2 = 95 | caption2 = [[ミハイ1世 (ルーマニア王)|ミハイ1世]] }} {{multiple image | caption1 = ソ連の戦闘機[[MiG-25]]が箱館に強行着陸(1976年) | image1 = Air-to-air right underside rear view of a Soviet MiG-25 Foxbat aircraft.jpg | width1 = 85 | alt1 = ベレンコ中尉亡命事件 | image2 = MesaVerdeNationalParkCliffPalace.jpg | width2 = 95 | caption2 = [[メサ・ヴェルデ]]が世界遺産に指定(1978年) | alt2 = メサ・ヴェルデ }} [[ファイル:Diana's funeral.jpg|180x180px|thumb|ダイアナの王室国民葬(1997年)]] [[Image:Wheelchair_basketball_at_the_2008_Summer_Paralympics.jpg|thumb|upright|[[2008年北京パラリンピック|北京パラリンピック]]開幕(2008年)]] * [[394年]] - [[フリギドゥスの戦い]]。[[ローマ帝国]]皇帝[[テオドシウス1世]]が対立皇帝[[エウゲニウス]]を破る。 * [[1032年]] - [[ブルグント王国|ブルグント]]王[[ルドルフ3世 (ブルグント王)|ルドルフ3世]]が嗣子なく死去し、コンラート2世が相続によってブルグント王位を継承。以後2年ほど続く{{仮リンク|ブルゴーニュ継承問題|fr|Succession_de_Bourgogne}}の始まり。 * [[1492年]] - [[クリストファー・コロンブス]]が、[[大西洋]]横断前の最後の陸地となる[[カナリア諸島]]・[[ラ・ゴメラ島]]を出港。 * [[1522年]] - [[フェルディナンド・マゼラン]]一行の5隻の船のうち唯一生き残った[[ビクトリア号]]が[[スペイン]]のサンルカール・デ・バラメーダに帰還。人類史上初の[[世界一周]]を達成<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/57156 |title=9月6日 マゼラン隊が初の世界一周を達成(1522年) |publisher=[[講談社]] |date=6 Sep 2018 |accessdate=4 Jul 2023 |work=サイエンス365days}}</ref>。 * [[1634年]] - [[三十年戦争]]:[[ネルトリンゲンの戦い (1634年)|ネルトリンゲンの戦い]]。[[9月7日]]まで。 * [[1689年]]([[康熙]]28年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]、ユリウス暦[[8月27日]])- [[ロシア帝国]]と[[清]]が[[ネルチンスク条約]]に調印。中国初の国境画定条約。 * [[1748年]]([[寛延]]元年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]])- [[文楽|人形浄瑠璃]]『[[仮名手本忠臣蔵]]』が[[大坂]][[竹本座]]で初演。 * [[1781年]] - [[アメリカ独立戦争]]:[[グロトンハイツの戦い]]。 * [[1791年]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]の歌劇『[[皇帝ティートの慈悲]]』が[[プラハ]]で初演。 * [[1813年]] - [[ナポレオン戦争]]:{{仮リンク|デネヴィッツの戦い|en|Battle_of_Dennewitz}} * [[1885年]] - [[東ルメリ自治州]]が[[ブルガリア公国|ブルガリア自治公国]]との{{仮リンク|ブルガリアの統合|en|Bulgarian unification|label=統合}}を宣言。({{仮リンク|統一の日|en|Unification Day (Bulgaria)}}) * [[1901年]] - [[マッキンリー大統領暗殺事件]]。[[ウィリアム・マッキンリー]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が狙撃される。これがもとで[[9月14日]]に死亡。 * [[1916年]] - {{仮リンク|クラレンス・サンダース|en|Clarence Saunders (grocer)}}がテネシー州[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]で、史上初めての[[セルフサービス|セルフ式]]食料雑貨店[[:en:Piggly Wiggly|ピッグリー・ウィッグリー]]をオープン。 * [[1923年]] - [[関東大震災]]:[[香川県]]からの薬の行商団が、[[千葉県]]で地元の[[自警団]]から暴行を受け9名が殺害。([[福田村事件]]) * [[1925年]] - [[グルノーブル]]で{{仮リンク|ペレ塔|fr|Tour Perret (Grenoble)}}がオープン。 * [[1930年]] - [[アルゼンチン]]で[[クーデター]]、第19代[[アルゼンチンの国家元首一覧|アルゼンチン統領]][[イポリト・イリゴージェン]]が退陣を余儀なくされる。 * [[1937年]] - [[岸田國士]]・[[久保田万太郎]]・[[岩田豊雄]]の発起により劇団「[[文学座]]」が創立。 * [[1938年]] - [[富山県]][[氷見市|氷見町]]で大火([[氷見町大火]])。1500戸以上が焼失<ref>火勢猛烈、ついに千五百戸焼ける『大阪毎日新聞』(昭和13年9月7日夕刊)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p72 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1939年]] - [[第二次世界大戦]]:[[南アフリカ連邦]]が英国と連合国側に立って[[ナチス・ドイツ]]に宣戦布告<ref>{{Cite web |url=https://qz.com/africa/2007733/what-role-did-south-africa-play-in-wwii#:~:text=South%20Africa%20officially%20joined%20the,of%20reference%20sources%20on%20it. |title=A new book reveals how Germany ran a sophisticated spy operation in South Africa during World War II |access-date=4 Jul 2023 |publisher=Quartz |date=15 May 2021}}</ref>。 * 1939年 - 第二次世界大戦:{{仮リンク|バーキング・クリークの戦い|en|Battle of Barking Creek}}、この戦争中での英空軍パイロット初の死者が同士討ちにより出る。 * [[1940年]] - 国民の非難の声を受け[[ルーマニア]]王[[カロル2世 (ルーマニア王)|カロル2世]]が退位し再び亡命。息子の[[ミハイ1世 (ルーマニア王)|ミハイ1世]]が復位。[[イオン・アントネスク]]が首相に就任し国民投票の末、国家指導者(Conducător、[[総統]]とも)の地位に就く。 * [[1941年]] - 第二次世界大戦:[[御前会議]]で[[帝国国策遂行要領]]を決定。10月下旬までに米英に対する日本の要求が通らない場合は開戦を決意すると決定。 * [[1943年]] - [[モンテレイ工科大学]]が設立される。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦:[[イーペル]]解放。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[ニューギニアの戦い]]:[[ニューブリテン島]]、[[ニューアイルランド島]]方面の日本軍の[[今村均]]陸軍大将と[[草鹿任一]]海軍中将が{{仮リンク|セントジョージ海峡 (パプア・ニューギニア)|label=セントジョージ海峡|en|St. George's Channel (Papua New Guinea)}}内の[[イギリス海軍|英]][[航空母艦|空母]][[グローリー (空母)|グローリー]]上でオーストラリア軍への降伏文書に署名。 * 1945年 - [[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]米大統領が「降伏後における米国の初期対日方針」を承認し、[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]に指令<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/023shoshi.html |title=連合国最高司令官の権限に関するマッカーサーへの通達 1945年9月6日 |access-date=4 Jul 2023 |publisher=[[国立国会図書館]]}}</ref>。 * [[1946年]] - [[アメリカ合衆国国務長官]][[ジェームズ・F・バーンズ]]が、[[シュトゥットガルト]]で[[共産主義]]勢力への対抗と本格的経済再建への着手などを演説し、[[ドイツ政策の見直し]]を表明。 * [[1952年]] - [[カナダ]]初のテレビ局[[カナダ放送協会|CBFT]]が[[モントリオール]]に開局。 * 1952年 - [[ファーンボロー航空ショー墜落事故]]。 * [[1953年]] - [[フランス]]映画「[[禁じられた遊び]]」([[ルネ・クレマン]]監督)が[[日本]]初公開。 * [[1955年]] - {{仮リンク|イスタンブール・ポグロム|en|Istanbul_pogrom|Istanbul pogrom}}。 * [[1961年]] - [[名古屋テレビ]]設立。 * [[1965年]] - インド軍が国境を越えパキスタンに侵攻し、公式に[[第二次印パ戦争]]が開戦<ref>{{Cite web |url=https://indianexpress.com/article/explained/indian-army-lahore-sector-offensive-1965-war-pakistan-explained-8134710/ |title=Indian Army’s Lahore sector offensive in the 1965 war with Pakistan |date=7 Sep 2022 |accessdate=4 Jul 2023 |publisher=The Indian EXPRESS}}</ref>。 * [[1966年]] - 南アの[[ヘンドリック・フルウールト]][[南アフリカの首相|首相]]が 、[[ケープタウン]]で刺殺 * [[1968年]] - [[スワジランド]]が[[イギリス]][[保護領]]から独立。 * [[1970年]] - [[PFLP旅客機同時ハイジャック事件]]。[[パレスチナ解放人民戦線]](PFLP)が5機の旅客機を同時にハイジャック。 * [[1971年]] - [[パンインターナショナル112便墜落事故]]。 * [[1973年]] - 広島市内で被爆した身元不明の兵士の遺骨が、旧山口陸軍病院跡付近で発見された。これをきっかけに「山口のヒロシマデー」が設けられる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=36429 |title=式典のあゆみ 冊子に 「山口のヒロシマデー」40回 ゆだ苑 被爆者支援の歴史も |publisher=[[中國新聞]] ヒロシマ 平和 メディアセンター |date=23 Sep 2014 |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 * [[1976年]] - [[冷戦]]:[[ベレンコ中尉亡命事件]]。[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[MiG-25 (航空機)|ミグ25]]戦闘機が[[函館空港]]に着陸し、アメリカへの[[亡命]]を求める。 * [[1978年]] - 米[[コロラド州]]の[[メサ・ヴェルデ]]が[[世界遺産]]に指定。 * [[1979年]] - [[阿蘇山]]の[[中岳 (阿蘇山)|中岳]]が噴火。観光客3人が死亡。 * [[1983年]] - [[自衛隊]]が傍受した[[大韓航空機撃墜事件]]の際のソ連軍機の交信記録が[[国際連合安全保障理事会|国連安保理]]で公開。 * [[1984年]] - [[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]][[全斗煥]]が訪日。韓国の国家元首では初の公式来日。 * [[1985年]] - {{仮リンク|ミッドウエストエクスプレス航空105便墜落事故|en|Midwest_Express_Airlines_Flight_105}}。 * [[1989年]] - 日本の静止[[気象衛星]]「[[ひまわり4号]]」打ち上げ。 * [[1991年]] - ソビエト連邦が[[バルト三国]]の独立を承認。 * 1991年 - ソ連第二の都市レニングラードの名称が、1924年以前の名称の[[サンクトペテルブルク]]に戻される<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.rbth.com/arts/2017/08/18/823234 |title=ペテルブルクが再三改名された訳は |publisher=[[ロシア・ビヨンド|RUSSIA BEYOND]] |date=17 Aug 2017 |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 * [[1993年]] - 元[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]]の[[逸見政孝]]が異例の[[癌]]告白会見を行う<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1476933436311/ |title=会見からわずか3ヶ月後の死…逸見政孝さんが送った闘病生活 |publisher=[[エキサイト|Excite.ニュース]] |date=1 Nov 2016 |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 * [[1994年]] - {{仮リンク|オーウェン・アーサー|en|Owen Arthur}}が[[バルバドスの首相]]に就任。 * [[1995年]] - [[ボルチモア・オリオールズ]]の[[カル・リプケン・ジュニア]]が、[[ルー・ゲーリッグ]]の2130試合連続出場記録を塗り替え。 * 1995年 - [[坂本堤弁護士一家殺害事件]]: [[坂本堤]]一家の遺体捜索を開始。同日中に夫妻、10日に長男の遺体を発見<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1995/1995_9.html |title=坂本堤弁護士遺体発見に関する声明 |publisher=[[日本弁護士連合会]] |date=6 Sep 1995 |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 * [[1997年]] - [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ妃]]の[[ダイアナ妃の葬儀|国民葬]]が[[ウェストミンスター寺院]]で行われる。 * [[1998年]] - [[エドワルド・フェネク・アダミ]]が[[マルタの首相]]に就任。 * [[2003年]] - [[マフムード・アッバース]]が初代[[パレスチナの首相|パレスチナ首相]]を辞任、以降[[イスラエル]]は[[パレスチナ自治政府]]との和平交渉路線を再び拒否するように。 * [[2006年]] - [[文仁親王妃紀子|秋篠宮紀子]]が[[悠仁親王]]を出産。[[皇室]]で初の[[皇居]]内産殿・[[宮内庁病院]]以外での出産、皇室史上初の[[帝王切開]]による出産であった。 * [[2008年]] - [[2008年北京パラリンピック|北京パラリンピック]]が開幕。 * [[2009年]] - [[フィリピン]]南部・[[ミンダナオ島]]沖で乗員・乗客968名が乗った大型客船「{{仮リンク|SuperFerry 9|en|SuperFerry 9}}」が沈没<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2638062 |title=900人以上が乗ったフェリーが沈没、5人死亡 フィリピン |access-date=4 Jul 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |date=6 Sep 2009 |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2013年]] - [[田中将大]]が世界新記録となる開幕21連勝を達成<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/08/16/kiji/K20130816006431830.html|title=マー君 神様超え!プロ野球新記録の21連勝、稲尾ら抜く|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=16 Aug 2013|accessdate=4 Jul 2023|website=Sponichi Annex}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130817-1174459.html|title=祝日本新!マー君21連勝 神様をも超えた|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=17 Aug 2013|accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 * [[2017年]] - [[ハリケーン・イルマ]]の被害を受けアメリカ合衆国大統領[[ドナルド・トランプ]]がフロリダ州、アメリカ合衆国領プエルトリコ、アメリカ合衆国領ヴァージン諸島に非常事態を宣言。 * [[2018年]] - 午前3時08分、[[北海道胆振東部地震]]。[[厚真町]]で[[震度7]]を観測、[[北海道]]の全域(離島を除く)で電力の供給が停止した。 * 2018年 - [[インド最高裁判所|インド最高裁]]の判断により同性愛が合法化(詳細は[[:en:Homosexuality_in_India#Legal_status|こちら]]を参照)。 == 誕生日 == === 人物 === {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです。日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させているため置き換えないでください。 --> {{multiple image | footer = [[アメリカ独立戦争]]と[[フランス革命]]双方のキーパーソン、政治家[[ラファイエット]](1757-1834)誕生。右画像は生誕200周年の記念切手 | image1 = Marquis_de_Lafayette_2.jpg | width1 = 100 | alt1 = ラファイエット | image2 = La_Fayette_1957_Issue-3c.jpg | width2 = 80 | alt2 = アメリカ合衆国の記念切手 }}{{multiple image | image1 = Marie-Gabrielle_Capet_-_1783.jpg | width1 = 90 | caption1 = 画家[[マリー=ガブリエル・カペ]](1761-1818)。画像は自画像(1783) | image2 = Fattori_ritratto.jpg | width2 = 90 | caption2 = 画家[[ジョヴァンニ・ファットーリ]](1825-1908)。画像は自画像(1854) }} [[Image:Dalton_John_desk.jpg|thumb|239x239px|化学者[[ジョン・ドルトン]](1766-1844)。[[原子説]]を提唱]] {{multiple image | footer = 建築家[[槇文彦]](1928-)誕生 | image1 = Makuhari-Messe_9_to_11.jpg | width1 = 110 | caption1 = [[幕張メッセ]](1989) | image2 = Yokohama_Island_Tower.jpg | width2 = 70 | caption2 = [[横浜アイランドタワー]](2003) }} {{multiple image | image1 = Iwaki_and_yamamoto.JPG | width1 = 90 | caption1 = 指揮者、[[岩城宏之]](左; 1932-2006) | image2 = Go_Nagai_20080704_Japan_Expo_02.jpg | width2 = 90 | caption2 = 漫画家、[[永井豪]](1945-) }} * [[1475年]] - [[セバスティアーノ・セルリオ]]、[[マニエリスム]]の[[建築家]](+ [[1554年]]?) * [[1610年]] - [[フランチェスコ1世・デステ]]、[[モデナ公]]+ [[1658年]]) * [[1629年]] - [[イサベラ・レオナルダ]]、[[作曲家]](+ [[1704年]]) * [[1644年]] - [[フアン・カバニーリェス]]、[[オルガニスト]]、[[作曲家]](+ [[1712年]]) * [[1651年]]([[慶安]]4年[[7月22日 (旧暦)|7月22日]]) - [[青山忠雄]]、第2代[[浜松藩|浜松藩主]](+ [[1685年]]) * [[1656年]] - [[ギヨーム・デュボワ]]、[[枢機卿]]・[[政治家]](+ [[1723年]]) * [[1666年]] - [[イヴァン5世]]、[[ツァーリ]](+ [[1696年]]) * [[1725年]]([[享保]]10年[[7月30日 (旧暦)|7月30日]]) - [[松平長孝]]、第4代[[津山藩|津山藩主]](+ [[1762年]]) * [[1729年]] - [[モーゼス・メンデルスゾーン]]、[[ユダヤ人]][[哲学者]]・[[啓蒙思想]]家(+ [[1786年]]) * [[1755年]]([[宝暦]]5年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[板倉勝意]]、第5代[[安中藩|安中藩主]](+ [[1805年]]) * [[1757年]] - [[ラファイエット]]、[[アメリカ独立戦争]]に参加した軍人(+ [[1834年]]) * [[1761年]] - [[マリー=ガブリエル・カペ]]、[[画家]](+ [[1818年]]) * [[1766年]] - [[ジョン・ドルトン]]、[[化学者]]、[[物理学者]](+ [[1844年]]) * [[1781年]] - [[アントン・ディアベリ]]、作曲家(+ [[1858年]]) * [[1787年]] - {{仮リンク|サルヴァトーレ・ヴィアーレ|fr|Salvatore Viale}}、詩人(+ [[1861年]]) * [[1795年]] - {{仮リンク|フランシス・ライト|en|Frances Wright}}、作家(+ [[1852年]]) * [[1802年]] - [[アルシド・ドルビニ]]、[[博物学者]](+ [[1857年]]) * [[1815年]] - {{仮リンク|セント・ジョン・リチャードソン・リデル|en|St. John Richardson Liddell}}、軍人(+ [[1870年]]) * [[1825年]] - [[ジョヴァンニ・ファットーリ]]、画家、[[版画家]](+ [[1908年]]) * [[1834年]]([[天保]]5年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[松平頼聰]]、第11代[[高松藩|高松藩主]]、[[伯爵]](+ [[1903年]]) * [[1852年]] - {{仮リンク|スカルク・ウィレム・バーガー|en|Schalk Willem Burger}}、政治家、6代[[南アフリカの大統領|南アフリカ共和国大統領]](+ [[1918年]]) * [[1855年]] - {{仮リンク|フェルディナント・フンメル|en|Ferdinand Hummel}}、ピアニスト、作曲家、指揮者(+ [[1928年]]) * [[1860年]] - [[ジェーン・アダムズ]]、女性活動家(+ [[1935年]]) * [[1863年]] - [[ジェシー・ウィルコックス・スミス]]、[[イラストレーター]](+ [[1935年]]) * [[1869年]] - [[ウォルフォード・デイヴィス]]、作曲家(+ [[1941年]]) * 1869年 - [[フェーリクス・ザルテン]]、作家(+ [[1945年]]) * [[1876年]] - [[ジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウド]]、[[医学者]](+ [[1935年]]) * [[1879年]] - {{仮リンク|マックス・シュレック|en|Max Schreck}}、俳優(+ [[1936年]]) * 1879年 - [[ヨーゼフ・ヴィルト]]、政治家、[[ヴァイマル共和政|ドイツ国]]第5代[[ドイツの首相|首相]](+ [[1956年]]) * [[1884年]] - [[西村伊作]]、教育者(+ [[1963年]]) * [[1885年]] - [[オットー・クルーガー]]、俳優(+ [[1974年]]) * 1885年 - [[ディミトリオス・ロウンドラス]]、[[体操選手]]、[[軍人|海軍軍人]]、史上最年少のオリンピアン(+ [[1970年]]) * [[1888年]] - [[ジョセフ・P・ケネディ]]、[[在イギリスアメリカ合衆国大使]](+ [[1969年]]) * 1888年 - [[レッド・フェイバー]]、プロ野球選手(+ [[1976年]]) * [[1890年]] - [[綾部健太郎]]、政治家、第53代[[衆議院議長]](+ [[1972年]]) * [[1890年]] - {{仮リンク|クララ・キンボール・ヤング|en|Clara Kimball Young}}、女優(+ [[1960年]]) * [[1892年]] - [[エドワード・アップルトン]]、物理学者(+ [[1965年]]) * [[1893年]] - [[クレア・リー・シェンノート]]、[[アメリカ陸軍航空隊]]の将校(+ 1958年) * [[1896年]] - [[マリオ・プラーツ]]、美術史家、文学研究者(+ [[1982年]]) * [[1900年]] - [[ジュリアン・グリーン]]、作家(+ [[1998年]]) * [[1906年]] - [[ルイ・ルロワール]]、[[生化学|生化学者]]、[[医師]](+ [[1987年]]) * [[1908年]] - {{仮リンク|コルチャック・ジオルコウスキー|en|Korczak Ziolkowski}}、[[彫刻家]](+ [[1982年]]) * [[1909年]] - [[マイケル・ゴードン (映画監督)|マイケル・ゴードン]]、[[映画監督]](+ [[1993年]]) * 1909年 - {{仮リンク|マイケル・ガリッツェン|en|Michael Galitzen}}、[[飛込競技]]選手(+ [[1959年]]) * [[1910年]] - [[黒柳朝]]、教育者、[[エッセイスト]](+ [[2006年]]) * [[1911年]] - {{仮リンク|ハリー・ダニング|en|Harry Danning}}、プロ野球選手(+ [[2004年]]) * 1911年 - {{仮リンク|シャルル・ドゥーチェ|en|Charles Deutsch}}、[[SERA-CD]]創設者(+ [[1980年]]) * [[1912年]] - [[ジャック・ファット]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[1954年]]) * 1912年 - [[ウェイン・バーロウ]]、作曲家(+ [[1996年]]) * [[1913年]] - [[石本茂]]、政治家、[[看護師]](+ [[2007年]]) * 1913年 - [[レオニダス・ダ・シルバ]]、[[サッカー選手]](+[[ 2004年]]) * [[1915年]] - [[フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス]]、[[政治家]]、[[キリスト教社会同盟]] (CSU) 党首、[[バイエルン州]]首相(+ 1988年) * [[1917年]] - {{仮リンク|ジョン・ベリー|en|John Berry (film_director)}}、映画監督(+ [[1999年]]) * 1917年 - {{仮リンク|フィリップ・フォン・ベーセラガー|en|Philipp von Boeselager}}、軍人(+ [[2008年]]) * [[1919年]] - [[ウィルソン・グレートバッチ]]、[[発明家]](+ 2011年) * [[1921年]] - {{仮リンク|カルメン・ラフォレ|en|Carmen Laforet}}、作家(+ [[2004年]]) * 1921年 - [[ノーマン・ジョセフ・ウッドランド]]、発明家(+ 2012年) * [[1923年]] - [[大石慎三郎]]、[[日本史]]学者(+ [[2004年]]) * 1923年 - [[ペータル2世 (ユーゴスラビア王)|ペータル2世]](+ [[1970年]]) * [[1924年]] - [[ジョン・メルチャー]]、政治家、[[獣医師]](+ [[2018年]]) * [[1925年]] - [[ジミー・リード]]、[[歌手]](+ [[1976年]]) * 1925年 - [[アンドレア・カミッレーリ]]、作家(+ [[2019年]]) * [[1926年]] - [[星新一]]、[[作家]](+ [[1997年]]) * 1926年 - [[クラウス・フォン・アムスベルク]]、第6代[[オランダ王国|オランダ]][[オランダ君主一覧|国王(女王)]][[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]]の[[王配]](+ [[2002年]]) * 1926年 - {{仮リンク|モーリス・プラザー|en|Maurice Prather}}、写真家(+ [[2001年]]) * [[1928年]] - [[槇文彦]]、[[建築家]] * 1928年 - [[ロバート・M・パーシグ]]、作家、哲学者(+ [[2017年]]) * 1928年 - [[エフゲニー・スヴェトラーノフ]]、[[指揮者]](+ [[2002年]]) * 1928年 - [[シド・ワトキンス]]、F1で活躍した[[脳神経外科学|脳神経外科医]](+ [[2012年]]) * [[1930年]] - [[西村京太郎]]、[[推理作家]](+ [[2022年]]) * 1930年 - [[ダニエーレ・バリオーニ]]、[[テノール]][[歌手]](+ [[2022年]]) * 1930年 - {{仮リンク|チャールズ・フォーリー|en|Charles Foley (inventor)}}、[[ツイスター (ゲーム)|ツイスター]]の開発者の一人(+ [[2013年]]) * [[1931年]] - [[勝井三雄]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[2019年]]) * [[1932年]] - [[岩城宏之]]、[[指揮者]](+ [[2006年]]) * 1932年 - [[小川安三]]、俳優 * 1932年 - [[東海林修]]、作曲家、[[編曲家]](+ [[2018年]]) * 1932年 - [[アルド・ノタリ]]、[[野球選手]](+ [[2006年]]) * [[1937年]] - {{仮リンク|ジョー・アン・ワーリー|en|Jo Anne Worley}}、女優 * [[1938年]] - {{仮リンク|ジョアン・タワー|en|Joan Tower}}、ピアニスト * [[1939年]] - {{仮リンク|デビッド・アラン・コー|en|David Allan Coe}}、シンガーソングライター * [[1940年]] - [[田中俊幸]]、元プロ野球選手(+ [[2008年]]) * 1940年 - [[戸塚宏]]、教育者 * [[1942年]] - [[石山建一]]、元野球選手 * [[1943年]] - [[三遊亭円遊]](5代目)、[[落語家]] * 1943年 - [[ロジャー・ウォーターズ]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ピンク・フロイド]]) * [[1944年]] - [[山田正雄 (野球)|山田正雄]]、元プロ野球選手 * [[1945年]] - [[永井豪]]、[[漫画家]] * 1945年 - [[長谷川法世]]、漫画家 * [[1946年]] - [[大島理森]]、政治家 * [[1947年]] - [[瀧野欣彌]]、元総務事務次官、内閣官房副長官 * [[1948年]] - [[サミュエル・ホイ]]、俳優、歌手 * 1948年 - [[伊東勇]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[柏原寛司]]、[[脚本家]] * 1949年 - [[末木文美士]]、[[仏教学者]] * [[1950年]] - [[市毛良枝]]、[[俳優|女優]] * 1950年 - [[飯田敏光]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[西野義和]]、元[[アナウンサー]] * [[1954年]] - [[カーリー・フィオリーナ]]、[[実業家]] * 1954年 - [[チチ松村]]、ギタリスト([[ゴンチチ]]) * [[1955年]] - [[朝加真由美]]、女優 * [[1957年]] - [[日下秀昭]]、俳優、[[スーツアクター]] * 1957年 - [[加藤知子]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1957年 - [[ジョゼ・ソクラテス]]、政治家、第119代[[ポルトガルの首相|ポルトガル首相]] * [[1958年]] - [[鈴木雅之 (演出家)|鈴木雅之]]、演出家、[[映画監督]] * [[1959年]] - [[吉俣良]]、[[作曲家]]、[[アレンジャー|編曲家]] * [[1960年]] - [[大江千里 (アーティスト)|大江千里]]、[[シンガーソングライター]]、ミュージシャン * [[1961年]] - [[黒岩彰]]、元[[スピードスケート]]選手 * 1961年 - [[永澤俊矢]]、俳優 * 1961年 - [[ポール・ワークター=サヴォイ]]、ミュージシャン([[a-ha]]) * 1961年 - [[竹田団吾]]、[[衣装デザイナー]] * [[1962年]] - [[黒澤浩樹]]、[[空手道|空手家]](+ [[2017年]]) * 1962年 - [[小熊英二]]、社会学者、[[慶應義塾大学]][[助教授]] * 1962年 - [[パンツェッタ・ジローラモ]]、[[タレント]]、エッセイスト * [[1963年]] - [[イワン・ハシェック]]、元[[サッカー]]選手 * 1963年 - [[ROLLY]]、[[歌手]]、[[舞台俳優]] * [[1964年]] - [[ワタナベシンイチ]]、[[アニメ監督]]、演出家 * [[1965年]] - [[高橋紀成]]、[[プロデューサー]] * 1965年 - [[堀池巧]]、元[[サッカー]]選手 * 1965年 - [[クリストファー・ノーラン (作家)|クリストファー・ノーラン]]、[[詩人]]、作家(+ [[2009年]]) * [[1967年]] - [[セルジオ・ファリアス]]、サッカー指導者 * 1967年 - {{仮リンク|メイシー・グレイ|en|Macy Gray}}、歌手 * 1967年 - [[園田康博]]、政治家 * [[1968年]] - [[秋山浩保]]、政治家、千葉県柏市長(第6代) * 1968年 - [[川上量生]]、[[実業家]] * [[1969年]] - [[伊藤理佐]]、[[漫画家]] * 1969年 - [[小村徳男]]、サッカー選手 * 1969年 - [[あいはら雅一]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[メッセンジャー (お笑いコンビ)|メッセンジャー]]) * 1969年 - [[東川公則]]、[[騎手]] * 1969年 - [[稲田容子]]、ライフル射撃選手 * [[1970年]] - [[片岡英彦]]、[[プロデューサー]]、国際[[NGO]][[世界の医療団]]の広報責任者 * 1970年 - [[甲田哲也]]、[[実業家]] * [[1971年]] - [[宮内美澄]]、元[[テニス]]選手 * 1971年 - [[若林志穂]]、元女優 * 1971年 - [[ユーリ・オメルチェンコ]]、[[オリエンテーリング]]選手 * 1971年 - [[ドロレス・オリオーダン]]、シンガーソングライター([[クランベリーズ]])(+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3188739 |title=クランベリーズのボーカル、死因は入浴中の水死 |publisher=[[フランス通信社]] |date=7 Sep 2018 |accessdate=4 Jul 2023 |website=AFP BB News}}</ref>) * [[1972年]] - [[チャイナ・ミエヴィル]]、ファンタジー作家 * [[1973年]] - [[カルロ・クディチーニ]]、元サッカー選手 * [[1974年]] - [[ティム・ヘンマン]]、[[テニス]]選手 * 1974年 - [[寺川能人]]、元サッカー選手 * [[1975年]] - [[谷亮子]]、元[[柔道]]選手 * 1975年 - [[デレク・リー]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[マイケル中村]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[塩屋大輔]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[岡崎和久]]、アナウンサー * [[1977年]] - [[氷川きよし]]、歌手 * [[1977年]] - [[ノヴァーク・カタリン]]、ハンガリー大統領 * 1977年 - [[南辻史人]]、[[俳優]] * 1977年 - [[吉川英梨]]、[[作家]] * [[1978年]] - [[澤穂希]]、元[[サッカー]]選手 * 1978年 - [[宮崎充登]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[まんぼう]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]] * 1978年 - [[山下敬吾]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]] * [[1979年]] - [[原信生]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[片山伸次]]、元大相撲力士 * 1979年 - [[田中充 (外野手)|田中充]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[森さやか]]、アナウンサー * [[1980年]] - [[日向悠二]]、イラストレーター * [[1981年]] - [[阿部勇樹]]、サッカー選手 * 1981年 - [[マーク・ティーエン]]、プロ野球選手 * [[1982年]] - [[YUI (女優)|YUI]]、[[タレント]] * 1982年 - [[赤松真人]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[後藤伸也]]、元プロ野球選手 * [[1983年]] - [[阪本麻美]]、タレント、元[[グラビアアイドル]] * [[1984年]] - [[クリスティアン・ラウフバウアー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1984年 - [[リュック・アバロ]]、ハンドボール選手 * 1984年 - [[浜添伸也]]、声優 * [[1985年]] - [[水野晃樹]]、サッカー選手 * 1985年 - [[坂克彦]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[木下康太郎]]、アナウンサー * 1985年 - [[長濱慎]]、俳優、モデル * 1985年 - [[ケール・オージ]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[ミッチ・モアランド]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[ダニルソン・コルドバ]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[みなかみ菜緒]]、[[声優]] * [[1988年]] - [[藤田玲]]、俳優 * 1988年 - [[アーノルド・レオン]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[塩見貴洋]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[千々木駿介]]、バレーボール選手 * 1989年 - [[夢花らん]]、タレント、元[[宝塚歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]娘役 * [[1990年]] - [[塚本舞 (タレント)|塚本舞]]、タレント、歌手 * 1990年 - [[竹田まい]]、元アイドル(元[[ファンタ☆ピース]]) * 1990年 - [[ジョン・ウォール]]、バスケットボール選手 * 1990年 - [[マクシミリアン・バイスター]]、サッカー選手 * 1990年 - [[李芷菁]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[小関翔太]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[市川知宏]]、俳優 * 1991年 - [[タイラー・オースティン]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[野川拓斗]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[松雪彩花]]、気象キャスター * [[1992年]] - [[宋家豪]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[サビーナ・パキエ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1994年]] - [[井澤美香子]]、声優 * 1994年 - [[福地亜紗美]]、女優 * 1994年 - [[山田詩織]]、元タレント * [[1995年]] - [[藤原薫 (俳優)|藤原薫]]、俳優 * 1995年 - [[吉田綾乃クリスティー]]、アイドル([[乃木坂46]]) * 1995年 - [[オイシン・マーフィー]]、騎手 * 1995年 - [[佐倉みき]]、アイドル([[愛乙女☆DOLL]]) * [[1996年]] - [[本郷理華]]、フィギュアスケート選手 * [[1997年]] - [[つくし (プロレスラー)|つくし]]、プロレスラー * [[1999年]] - [[前田拳太郎]]、俳優 * [[2000年]] - [[新見ななえ]]、元グラビアアイドル * 2000年 - [[三上実穂]]、元プロ野球選手 * [[2001年]] - [[二ノ宮ゆい]]、声優 * 2001年 - [[野島樺乃]]、歌手([[et-アンド-]]、元[[SKE48]]) * [[2006年]] - [[悠仁親王]]、[[皇族]] * 2006年 - [[城桧吏]]、俳優、歌手(元[[STA*M|STA*M]]) * 生年不明 - [[詩月カオリ]]、[[歌手]] * 生年不明 - [[若月さな]]、イラストレーター * 生年不明 - [[右寺修]]、作曲家 * 生年不明 - [[IRUMA RIOKA]]、シンガーソングライター * 生年不明 - [[袴田めら]]、漫画家 * 生年不明 - [[安澤千草]]、女優 * 生年不明 - [[齋藤龍吾]]、声優 * 生年不明 - [[田坂浩樹]]、声優 * 生年不明 - [[三嶋くろね]]、イラストレーター === 人物以外(動物など) === * [[2000年]] - 良浜、[[ジャイアントパンダ]] == 忌日 == {{multiple image | image1 = Tombstone_Jean-Baptiste_Colbert.JPG | caption1 = フランスの財務総監[[ジャン=バティスト・コルベール]](1619-1683)没。 | width1 = 90 | image2 = Sully-Prudhomme.jpg | width2 = 90 | caption2 = 詩人[[シュリ・プリュドム]](1839-1907)没。 }} {{multiple image | image1 = Frederick_Augustus_Abel.jpg | caption1 = 化学者[[フレデリック・エイベル]](1827-1902)没。 | width1 = 90 | image2 = An'yo-in Kamakura Kurosawa Akira's Grave.jpg | width2 = 90 | caption2 = 映画監督[[黒澤明]](1910-1998)没。画像は[[鎌倉市]]の[[安養院 (鎌倉市)|安養院]]の墓。 }} {{multiple image | image1 = Ariwara_no_Yukihira.jpg | caption1 = 三十六歌仙[[在原行平]](818-893)没。 | width1 = 70 | image2 = 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[[ジャン=バティスト・コルベール]]、[[重商主義|重商主義者]]、[[フランス王国|フランス]]財務総監(* [[1619年]]) *[[1685年]]([[貞享]]2年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[青山忠雄]]、[[浜松藩|浜松藩主]](* [[1651年]]) *[[1729年]]([[享保]]14年8月14日) - [[松平基知]]、[[白河藩|白河藩主]](* [[1679年]]) *[[1775年]]([[安永 (元号)|安永]]4年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]) - [[宗義蕃]]、第9代[[対馬府中藩|対馬府中藩主]](* [[1717年]]) * [[1782年]] - [[マーサ・ジェファーソン]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](* [[1748年]]) *[[1831年]] - [[ウィリアム・ジョーンズ (海軍長官)|ウィリアム・ジョーンズ]]、第4代[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1760年]]) *[[1860年]] - [[ゲオルク (メクレンブルク=シュトレーリッツ大公)|ゲオルク]]、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公(* [[1779年]]) *[[1869年]] - [[ジョン・アーロン・ローリンズ]]、第29代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1831年]]) *[[1902年]] - [[フレデリック・エイベル]]、[[化学者]](* [[1827年]]) *[[1907年]] - [[シュリ・プリュドム]]、[[詩人]](* [[1839年]]) *[[1911年]] - [[下瀬雅允]]、[[発明家]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[軍属]](* [[1859年]]) *[[1920年]] - [[嵐璃寛 (5代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1871年]]) *[[1923年]] - [[木下淑夫]]、[[鉄道省|鉄道院]]の[[官僚]](* [[1874年]]) *[[1931年]] - [[橋川正]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1894年]]) *[[1937年]] - [[ヘンリー・ハドリー]]、[[作曲家]](* [[1871年]]) *[[1939年]] - [[オットー・ブレンデル]]、[[天文学者]](* [[1862年]]) *1939年 - [[浜田国松]]、第30代[[衆議院議長]](* [[1868年]]) *[[1940年]] - [[麻生久]]、[[労働運動|労働運動家]]、[[衆議院議員]](* [[1891年]]) *[[1945年]] - [[ジョン・S・マケイン・シニア]]、[[アメリカ海軍]]の[[大将]](* [[1884年]]) *[[1949年]] - [[楊虎城]]、[[中華民国]]の軍人(* [[1893年]]) *[[1950年]] - [[オラフ・ステープルドン]]、[[小説家]]、[[哲学|哲学者]](* [[1886年]]) *[[1957年]] - [[山田わか]]、社会運動家(* [[1879年]]) *[[1962年]] - [[柏尾誠一郎]]、[[テニス]]選手(* [[1892年]]) *1962年 - [[ハンス・アイスラー]]、[[作曲家]] (* [[1898年]]) *[[1963年]] - [[宮島清次郎]]、[[実業家]](* 1879年) *[[1966年]] - [[マーガレット・サンガー]]、[[産児制限]]運動家(* 1879年) *1966年 - [[篠原陸朗]]、政治家(* [[1883年]]) *[[1969年]] - [[アルツール・フリーデンライヒ]]、[[サッカー選手]](* [[1892年]]) *[[1978年]] - [[マックス・デキュジス]]、テニス選手(* [[1882年]]) *[[1983年]] - [[川原田政太郎]]、[[工学者]](* [[1890年]]) *[[1989年]] - [[園田喜則]]、[[プロ野球選手]] (* [[1948年]]) *[[1994年]] - [[ニッキー・ホプキンス]]、[[ミュージシャン]](* [[1944年]]) *[[1998年]] - [[黒澤明]]、[[映画監督]](* [[1910年]]) *[[2005年]] - [[河合斌人]]、実業家(* [[1918年]]) *2005年 - [[宮下信明]]、元プロ野球選手(* [[1924年]]) *[[2007年]] - [[ルチアーノ・パヴァロッティ]]、[[テノール]][[歌手]](* [[1935年]]) *2007年 - [[イ・エジョン]]、[[俳優|女優]](* [[1987年]]) *[[2008年]] - [[アニタ・ペイジ]]、女優(* [[1910年]]) *2008年 - [[寺内大吉]]、[[小説家]]、[[増上寺]]法主(* [[1921年]]) *2011年 - [[真田雅則]]、元[[サッカー選手]]、コーチ(* [[1968年]]) *[[2014年]] - [[山口洋子]]、[[作家]]、[[作詞家]](* [[1937年]]) *[[2015年]] - [[砂田圭佑]]、政治家(* [[1933年]]) *[[2020年]] - [[アルフォンス・デーケン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN966598N96UCLV007.html |title=アルフォンス・デーケンさん死去 日本に死生学を広める |publisher=[[朝日新聞]]デジタル |date=6 Sep 2020 |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>、[[哲学者]](* [[1932年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = {{仮リンク|ブルガリアの統合|en|Bulgarian unification}}(1885) | image1 = Map_of_Bulgaria_and_Eastern_Rumelia_in_1882.jpg | width1 = 100 | caption1 = 統合前の[[東ルメリ自治州]]と[[ブルガリア自治公国]] | image2 = Syedinena_Bylgaria_-_Litografia_na_N.Pavlovich.JPG | width2 = 80 | caption2 = {{仮リンク|ニコライ・パヴロヴィッチ|bg|Николай Павлович}}画『統合されたブルガリア』 }} {{multiple image | footer = [[スワジランド]]の独立記念日(1968年独立) | image1 = LocationSwaziland.svg | width1 = 100 | caption1 = エスワティニの位置 | image2 = Swaziland_-_Traditional_homes.jpg | width2 = 80 | caption2 = 伝統的な家屋 }} * [[独立記念日]]({{SWZ}}) *:[[1968年]]のこの日、[[エスワティニ]]がスワジランド王国として[[イギリス]]から独立した。 * {{仮リンク|統一の日|en|Unification Day (Bulgaria)}}({{BGR}}) *:一旦ブルガリア自治公国と[[東ルメリ自治州]]に分割されたブルガリア公国が[[1885年]]のこの日に{{仮リンク|ブルガリアの統合|en|Bulgarian unification|label=統合}}されたことを記念。 * [[防衛]]の日・[[パキスタン軍#陸軍|パキスタン陸軍]]の日({{PAK}}) *:[[1971年]]の[[第二次印パ戦争]]にちなむ。[[9月7日]]は空軍の日、[[9月8日]]は海軍の日。 * {{仮リンク|死産の子供を忘れない日|en|Stillbirth Remembrance Day}}({{USA}}・{{CAN}}) *[[妹の日]]({{JPN}}) *:「兄弟型姉妹型」研究家で漫画家の[[畑田国男]]が[[1991年]]に制定。毎年「日本妹大賞」が発表・授賞され、これまでに[[有森裕子]]、[[岩崎恭子]]、[[きんさんぎんさん]]の妹である[[きんさんぎんさん#蟹江 ぎん|蟹江ぎん]]などが受賞している。 * [[ホシヅル#関連した記念日|ホシヅルの日]]({{JPN}}) *:[[SF作家]]、[[星新一]]をしのぶ日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hoshishinichi.com/hoshizulu/ |title=ホシヅル |publisher=星新一 The Hoshi Library |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 * [[黒]]の日({{JPN}}) *:「く(9)ろ(6)」の語呂合せ。[[1989年]]に創立40周年を迎えた京都墨染工業協同組合が制定し、翌年から実施。伝統染色の黒染めをPRし、黒紋服や黒留袖の普及を図る日。 *[[クロレラ]]の日({{JPN}}) *:5億4000万年前から地球上にあった植物のクロレラを、多くの人の健康に役立てようと株式会社サン・クロレラとサン・クロレラ販売株式会社が制定。日付は9と6の語呂合せ<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=96|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * 鹿児島[[ウシ|黒牛]]・[[かごしま黒豚|黒豚]]の日({{JPN}}) *:「く(9)ろ(6)」の語呂合せ。鹿児島黒牛黒豚銘柄販売促進協議会が[[1998年]]に制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/200307#:~:text=鹿児島黒豚銘柄販売,黒)と読む語呂合わせから%E3%80%82 |title=きょうは何の日 9月6日 鹿児島黒牛・黒豚の日 |access-date=4 Jul 2023 |publisher=[[東京新聞]] |date=6 Sep 2022}}</ref><ref>{{Cite news |title=3月10日「名古屋コーチンの日」 地鶏で初 |newspaper=[[中日新聞]] |date=2016-09-29 |author= |publisher=中日新聞社 |page=朝刊 33}}</ref>。 *[[カラス]]の日({{JPN}}) *:雑誌『CROW‘S』を発行する「カラス友の会」が制定。カラスも意外と愛らしいと知ってもらい、カラスを愛する人へエールを送るのが目的。日付は9と6で、英語でカラスを意味するクローと読む語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=98|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * [[松崎しげる]]の日({{JPN}}) *:松崎のデビュー45周年を記念して、松崎の日に焼けた黒い肌にちなんで、[[日本記念日協会]]に申請し、2016年に認定される<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/153653 |title=9月6日が「松崎しげるの日」に認定 |access-date=4 Jul 2023 |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナターシャ]] |website=音楽ナタリー |date=12 Jul 2015}}</ref>。 * [[MBSラジオ]]の日({{JPN}}) *:MBSラジオの[[超短波放送|FM]]周波数が90.6MHzであることから、[[日本記念日協会]]に申請し、2016年に認定される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mbs1179.com/906day/ |title=9月6日はMBSラジオの日|MBS1179 FM906 |access-date=4 Jul 2023 |publisher=MBSラジオ}}</ref>。 * [[酢|黒酢]]の日({{JPN}}) *:「く(9)ろ(6)」の語呂合せ。[[ミツカン]]が制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.nissyoku.co.jp/news/nss-9709-0065 |title=ミツカン、9月6日「黒酢の日」制定 「バナナサワードリンク」販促 |publisher=日本食糧新聞 |accessdate=4 Jul 2023 |date=8 Sep 2008}}</ref>。 *[[生クリーム]]の日({{JPN}}) *:「ク(9)リーム(6)」の語呂合せ。中沢フーズが制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.nissyoku.co.jp/today/586548 |title=9月6日。今日は生クリームの日 |publisher=日本食糧新聞 |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 *[[黒豆]]の日({{JPN}}) *:菊池食品工業株式会社が制定。「く(9)ろ(6)まめ」の語呂合せ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kikuchi-shokuhin.co.jp/anniversary/kuromamenohi |title=9月6日は「黒豆の日」 |publisher=菊池食品工業株式会社 |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 * [[クロスワードパズル|クロスワード]]の日({{JPN}}) *:「ク(9)ロ(6)」の語呂合せ。クロスワード作家・滝沢てるおの提案により『月刊クロスワード』などを発行する[[廣済堂出版]]が[[1992年]]に制定。 *[[クレーム]]の日({{JPN}}) *:「ク(9)レー(0)ム(6)」の語呂合せ。株式会社マネージメントサポートが制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ma-support.co.jp/news/20180913/ |title=<イベントレポート>『クレームの日』記念イベント たくさんのご来場をありがとうございました! |publisher=マネジメントサポートグループ |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 *[[キョロちゃん]]の日/森永チョコボールの日({{JPN}}) *:「キョロちゃん」で親しまれている菓子「チョコボール」の発売元である[[森永製菓]]株式会社が制定。発売開始が[[1965年]]の9月であったことと、「キョロちゃん」の語呂合わせから9月6日に定めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.morinaga.co.jp/kyorochan/anniversary/ |title=9月6日はキョロちゃんの日 |publisher=[[森永製菓]] |accessdate=4 Jul 2023}}</ref>。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0906|date=Jul 2023}} * [[2200年]] - [[ヤマト (宇宙戦艦ヤマト)|宇宙戦艦ヤマト]]が[[イスカンダル (宇宙戦艦ヤマト)|イスカンダル]]より地球へ帰還<ref>{{Cite web |url=http://www.bandaivisual.co.jp/yamato/data/history.html |title=大宇宙年表 |accessdate=4 Jul 2023 |publisher=東北新社 |archive-url=https://web.archive.org/web/20170805224651/http://www.bandaivisual.co.jp/yamato/data/history.html |archive-date=5 Aug 2017}}</ref><ref group="注">リメイク作の『[[宇宙戦艦ヤマト2199]]』では[[2199年]][[12月8日]]。</ref>。 === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - 加賀美あつこ(アッコ)、漫画・アニメ『[[ひみつのアッコちゃん]]』の主人公 * 生年不明 - ブラック、漫画・YouTubeチャンネル『[[ブラックチャンネル]]』の主人公 * 生年不明 - 財賀零士、YouTubeチャンネル『円満解決!閻魔ちゃん』の主人公 * 生年不明 - コール、『[[ジュエルペット]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/characters/jewelpet/ |title=マジカルブラック コール |access-date= 4 Jul 2023 |publisher=[[サンリオ]] |work=『ジュエルペット』}}</ref> * 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#ドイツ(西ドイツ)|フランツ・シェスター]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|date=2003-05-20|title=キャプテン翼 3109日全記録 (愛蔵版コミックス) |publisher =[[集英社]]|isbn=978-4087827897|page=177}}</ref> * 生年不明 - 金子正子、漫画・アニメ『[[ヒカルの碁]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ヒカルの碁 碁ジャス キャラクターズガイド |date=4 Apr 2002 |publisher=[[集英社]] |author=[[小畑健]], キャラメルママ, [[ほったゆみ]] |isbn=978-4088732787 |page=114}}</ref> * 生年不明 - ゲッコー・モリア、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Gecko_Moria.html |title=ゲッコー・モリア |work=『ONE PIECE』 |accessdate= 4 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - スクアード、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Squad.html |title=スクアード |work=『ONE PIECE』 |accessdate= 4 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - ビル・ヒューイット、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1169626515904040960}}</ref> * 生年不明 - 黒ツチ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1037355186749157376}}</ref> * 生年不明 - シン、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1434531804292124676}}</ref> * 生年不明 - 茂庭要、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|date=2013-03-04|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088706313|volume=5巻|pages=148}}</ref> * 生年不明 - 黒磐武臣、漫画・アニメ『[[東京喰種]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[りぶねす#甲斐堂花純|甲斐堂花純]]、漫画『[[りぶねす]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=堂本裕貴|authorlink=堂本裕貴|date= 2015-11-17|title = りぶねす |volume =(3)|page = 138 |publisher = [[講談社]] |series = [[講談社コミックス]] |isbn=978-4063955422}}</ref> * 生年不明 - 白河勝之、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|640361059656708097}}</ref> * 生年不明 - ジェリコ、漫画・アニメ『[[七つの大罪]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 春菜ハル、漫画・アニメ『[[らいか・デイズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 宮河ひかげ、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』、漫画・アニメ『[[宮河家の空腹]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 色川美姫、漫画『[[こみっくがーるず]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 天江衣、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=小林立|authorlink=小林立|date=2010-01-29|title=咲 Saki ラブじゃん♥ マホちゃんの必殺技完成!(Guide Book)|page=70|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|isbn=978-4757526341}}</ref> * 生年不明 - 正宗飛鳥、漫画・ドラマ『[[オトメン(乙男)]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 雪名皇、漫画・アニメ『[[世界一初恋]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 上原歩子、漫画・アニメ『[[あいうら]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 狩生玲奈、漫画・アニメ『[[ReLIFE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://relife-anime.com/character/ |title=CHARACTER 狩生 玲奈 |access-date=4 Jul 2023 |publisher=[[アニプレックス]] [[夜宵草]]/comico/リライフ研究所 |work=TVアニメ『ReLIFE』}}</ref> * 生年不明 - プリシラ・ウルサイス、小説・アニメ『[[学戦都市アスタリスク]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アイリス(ベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アイリス)、小説・アニメ『[[この素晴らしい世界に祝福を!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|konosubafd|1302418740940812290}}</ref> * 生年不明 - 羽島千尋、小説・アニメ『[[妹さえいればいい。]]』に登場するキャラクター <ref>{{Twitter status|nojomiy|1566984591810134017}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hobby.dengeki.com/event/445790/ |title=「原作のままで表現できない部分は、より酷い形にしてお届け」メインキャスト陣登壇の『妹さえいればいい。』最速先行上映会レポート |access-date=4 Jul 2023 |publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |website=DENGEKI HOBBY WEB |date=8 Sep 2017}}</ref> * 生年不明 - 桃園桃子(モモチー)、アニメ『[[神魂合体ゴーダンナー!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 坂井和奏、アニメ『[[TARI TARI]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - シア・ドナースターク、ゲーム『[[アトリエシリーズ (ザールブルグ)|マリーのアトリエ 〜ザールブルグの錬金術士〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.finalfantasyxiv.com/lodestone/character/807532/ |title=Schia Donnerstag(シア・ドナースターク) |work=『マリーのアトリエ 〜ザールブルグの錬金術士〜』|publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |accessdate= 4 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - 柚原このみ、ゲーム・アニメ『[[ToHeart2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aquaplus_jp|1302260202167623682}}</ref> * 生年不明 - 御堂香陽、ゲーム・アニメ『[[桃華月憚]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 志賀慎吾、ゲーム・アニメ『[[学園ハンサム]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 羽森つばさ、ゲーム・アニメ『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|773060064810635265}}</ref> * 生年不明 - 久我深琴、ゲーム・アニメ『[[NORN9 ノルン+ノネット]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - クロウ、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://showbyrock-anime.com/character/shingancrimsonz/ |title=シンガンクリムゾンズ クロウ |access-date=4 Jul 2023 |publisher=[[サンリオ|SANRIO CO.,LTD.]] SHOWBYROCK!! 製作委員会# |work=『SHOW BY ROCK!!』}}</ref> * 生年不明 - 金剛寺コハク、ゲーム・アニメ『[[ガイストクラッシャー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|capcom_gcg|508794643685707777}}</ref> * 生年不明 - 各務原あづみ、ゲーム・アニメ『[[Z/X]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zxtcg|1169628720224595968}}</ref> * 生年不明 - タチアナ・アレクサンドロヴナ・クロフスカヤ(ターニャ)、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/tanya.html |title=タチアナ・アレクサンドロヴナ・クロフスカヤ(愛称:ターニャ) CV:雨宮 天 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=4 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - ロウ、ゲーム・アニメ『[[消滅都市]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shoumetsutoshi|773153488054300672}}</ref> * 生年不明 - 真中のん、ゲーム・アニメ『[[プリパラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|idolland_arts|1434660112954703873}}</ref> * 生年不明 - 紫雨(シグレ)、ゲーム・漫画・アニメ・小説『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |title=紫雨(シグレ) |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=74&cate=name&cont=Shigure |accessdate= 4 Jul 2023 |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 蓮巳敬人、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/hasumi_keito/ |title=蓮巳 敬人 |accessdate= 4 Jul 2023 |publisher=[[Happy Elements]] |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref> * 生年不明 - ヤタガラス、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1302441391784509440}}</ref> * 生年不明 - 水瀬すもも、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heaven-burns-red.com/character/31b/minase-sumomo/ |title=水瀬すもも |website=『ヘブンバーンズレッド 』 |publisher=[[WFS (企業)|WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS]] [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=4 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - ロゼッタ、メディアミックス『[[ラピスリライツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lapisrelights.com/news/2452/ |title=本日はロゼッタの誕生日!誕生日限定壁紙&アイコンをプレゼント! |access-date=4 Jul 2023 |publisher=[[KLab|KLabGames]] [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |date=6 Sep 2020 |work=『ラピスライツ』 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221128143311/https://www.lapisrelights.com/news/2452/ |archive-date=28 Nov 2022}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|September 6|6 September}} {{新暦365日|9|5|9|7|[[8月6日]]|[[10月6日]]|[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]|0906|9|06}} {{1年の月と日}}
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9月7日
9月7日(くがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から250日目(閏年では251日目)にあたり、年末まであと115日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "9月7日(くがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から250日目(閏年では251日目)にあたり、年末まであと115日ある。", "title": null } ]
9月7日(くがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から250日目(閏年では251日目)にあたり、年末まであと115日ある。
{{カレンダー 9月}} '''9月7日'''(くがつなのか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から250日目([[閏年]]では251日目)にあたり、年末まであと115日ある。 == できごと == <!-- 記事に日付のないもの:[[日本の降伏]], [[モーリーン・コノリー]]/[[グランドスラム (テニス)]], [[1960年ローマオリンピック]], [[東映]]/[[東急グループ]], [[スモン]], [[デズモンド・ムピロ・ツツ]], [[エーリッヒ・ホーネッカー]], [[新国劇]], [[連邦住宅抵当公庫]], --> [[Image:(Venice) La distruzione del tempio di Gerusalemme -Francesco Hayez - gallerie Accademia Venice.jpg|thumb|[[エルサレム攻囲戦 (70年)|エルサレム攻囲戦]]、[[ローマ帝国]]軍が[[エルサレム]]を完全に制圧(70)。画像は[[フランチェスコ・アイエツ]]画『エルサレム神殿の破壊』(1867)]] [[Image:Gustave_dore_crusades_richard_and_saladin_at_the_battle_of_arsuf.jpg|thumb|upright|[[アルスフの戦い]](1191)、[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]の十字軍が[[サラーフッディーン]]を撃退。画像は[[ギュスターヴ・ドレ]]画(19世紀)]] [[Image:ArrestoBonifac8.jpg|thumb|[[アナーニ事件]](1303)。画像は捕えられる[[ボニファティウス8世 (ローマ教皇)|ボニファティウス8世]]。]] [[Image:TurtleSubmarine.jpg|thumb|100px|[[タートル潜水艇]](画像)による世界初の[[潜水艦]]攻撃(1776)]] [[Image:Battle_of_Borodino.jpg|thumb|[[1812年ロシア戦役]]、[[ボロジノの戦い]]]] [[File:Leonard Cushing Kinetograph 1894.ogv|thumb|[[クインズベリー・ルール]]による初の[[ボクシング]]の試合が行われる(1892)。動画は1894年の試合。[[Help:音声・動画の再生]]]] {{multiple image | footer = [[義和団の乱]]、[[北京議定書]]締結(1901)。[[清]]は5年分の歳入に相当する莫大な賠償金を課せられた | image1 = %E3%80%8A%E8%BE%9B%E4%B8%91%E6%9D%A1%E7%BA%A6%E3%80%8B%E7%AD%BE%E5%AD%97%E6%97%B6%E7%9A%84%E6%83%85%E6%99%AF.jpg | width1 = 220 | alt1 = 署名の光景 | image2 = Chinaboxerprotocolsignature.png | width2 = 100 | alt2 = 議定書 }} {{multiple image | footer = [[第二次世界大戦]]、イギリスへの大規模空襲「[[ザ・ブリッツ]]」開始(1940) | image1 = LondonBombedWWII_full.jpg | width1 = 160 | alt1 = 爆撃を受けたロンドン <!-- | image1 = Coventry_bomb_damage_H5600.jpg | width1 = 160 | alt1 = コヴェントリー、11月16日 --> | image2 = NA-306-NT-3163V.jpg | width2 = 160 | alt2 = 焼け出された子供たち }} <!-- [[Image:Bundesarchiv_Bild_183-B0628-0015-035%2C_Nikita_S._Chruchstschow.jpg|thumb|[[ニキータ・フルシチョフ]]、[[ソビエト連邦共産党書記長|ソ連共産党第一書記]]に就任(1953)]] en:9/14 要チェック --> <!-- [[Image:Football_Hall_of_Fame.JPG|thumb|[[プロフットボール殿堂]]開設(1963)]] --> [[Image:Jimmy_Carter_and_General_Omar_Torrijos_signing_the_Panama_Canal_Treaty.jpg|thumb|[[新パナマ運河条約]]締結(1977)、[[パナマ運河]]が[[パナマ]]に返還される。{{audio|Carter_Panama_Canal_speech.ogg|カーターの演説を聴く}}]] {{multiple image | footer = [[ラリー・ペイジ]](左画像)と[[セルゲイ・ブリン]]、[[Google]]社を設立(1998) | image1 = Larry_Page_in_the_European_Parliament%2C_17.06.2009.jpg | width1 = 80 | alt1 = ラリー・ペイジ | image2 = Sergey_Brin_cropped.jpg | width2 = 80 | alt2 = セルゲイ・ブリン | image3 = | width3 = 160 | alt3 = 本社標識 }} <!-- 1私企業か、人類の歴史を変えたできごとか…? --> * [[70年]] - [[ユダヤ戦争]]・[[エルサレム攻囲戦 (70年)|エルサレム攻囲戦]]: [[ティトゥス]]率いる[[ローマ帝国]]軍が[[エルサレム]]を完全に制圧{{要出典|date=2021-03}}。 * [[729年]]([[天平]]元年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[藤原不比等]]の娘・光明子(後の[[光明皇后]])が[[聖武天皇]]の妃となる{{要出典|date=2021-03}}。初の皇族以外の[[皇后]]。 * [[758年]]([[天平宝字]]2年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - 第47代天皇・[[淳仁天皇]]が即位。 * [[1159年]] - 教皇[[アレクサンデル3世]]が即位。 * [[1191年]] - [[第3回十字軍]]: [[アルスフの戦い]]。[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]の[[十字軍]]が[[サラーフッディーン]]を撃退。 * [[1228年]] - [[第6回十字軍]]: [[ローマ皇帝]][[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]が[[アッコ]]に上陸。 * [[1303年]] - [[アナーニ事件]]。[[フランス王]][[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]がローマ教皇[[ボニファティウス8世 (ローマ教皇)|ボニファティウス8世]]をローマ近郊の[[アナーニ]]に捕囚。 * [[1571年]] - [[リドルフィ陰謀事件]]([[:en:Ridolfi_plot|Ridolfi plot]])で第4代[[ノーフォーク公爵]][[トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)|トマス・ハワード]]が逮捕される。 * [[1620年]] - [[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ]]により[[コッコラ]]が建設される。 * [[1651年]]([[慶安]]4年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[慶安の変]]。兵学者・[[由井正雪]]らの幕府顛覆計画が発覚。 * [[1652年]] - [[郭懷一事件]]が勃発。 * [[1706年]] - [[スペイン継承戦争]]: [[トリノの戦い]]。 * [[1757年]] - [[七年戦争]]: [[モイスの戦い]]。 * [[1764年]] - [[ポーランド・リトアニア共和国]]の最後の[[ポーランド国王|国王]][[スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ]]が即位。 * [[1776年]] - アメリカの[[潜水艇]]「[[タートル潜水艇|タートル]]」がイギリスの戦列艦「[[イーグル (戦列艦・3代)|イーグル]]」を攻撃。世界初の潜水艦攻撃。 * [[1778年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ドミニカ侵攻]]。 * [[1798年]]([[寛政]]10年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[近藤重蔵]]らが[[択捉島]]の最北端に「大日本惠登呂府」の標識を建立。 * [[1812年]] - [[ナポレオン戦争]]・[[1812年ロシア戦役]]: [[ボロジノの戦い]]。 * [[1818年]] - [[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世ヨハン]]がノルウェーの[[ニーダロス大聖堂]]で戴冠([[5月11日]][[ストックホルム大聖堂]]で行ったものに続く2度目の戴冠式)。 * [[1822年]] - [[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ペドロ1世]]が[[ブラジル]]の[[ポルトガル]]からの独立を宣言。 * [[1856年]]([[ユリウス暦]][[8月26日]]) - [[サイマー運河]]が開通。 * [[1857年]] - [[ミードウ山虐殺]]([[:en:Mountain_Meadows_massacre|Mountain Meadows massacre]])。 * [[1860年]] - [[イタリア統一運動|リソルジメント]]: [[ジュゼッペ・ガリバルディ|ガリバルディ]]が[[ナポリ]]入城を果たす。 * [[1882年]] - [[1882年ハイチ地震]]<small>([[:fr:Tremblement_de_terre_de_1882_au_Panama|フランス語版]])。</small> * [[1886年]] - [[明治天皇]]と政府の間で[[機務六条]]が結ばれ、親政権の放棄や立憲君主の受け入れを表明。 * [[1892年]] - 現行の[[ボクシング]]の基礎となる[[クインズベリー・ルール]]を適用した初のボクシング公式試合が開催。 * [[1901年]] - [[義和団の乱]]: 清朝と諸外国との間で最終議定書([[北京議定書]])に調印。 * [[1904年]] - [[ラサ条約]]が[[イギリス]]と[[ガンデンポタン|ガンデンポタン(チベット政府)]]の間で締結される。 * [[1907年]] - 当時最大の[[旅客船]]であった[[ルシタニア (客船)|ルシタニア号]]が就航。 * [[1909年]] - [[ウジェーヌ・ルフェーブル]]が自ら操縦する飛行機の事故で死亡、飛行機の事故で死亡した最初のパイロット。 * [[1921年]] - [[レジオ・マリエ]]が設立される。 * [[1923年]] - [[インターポール]]が設立される。 * [[1927年]] - [[ロチュース号事件]]をめぐる国際裁判で、[[常設国際司法裁判所]]はトルコの違法性を否定する旨の判断を下す。 * 1927年 - [[フィロ・ファーンズワース]]が[[サンフランシスコ]]の研究室のイメージディセクタ(Image Dissector)[[撮像管]]から映像を一本の線として送り出すことに成功し完全電子テレビシステムを確立、1929年までにさらに改良を重ねる。 * [[1932年]] - [[チャコ戦争]]: {{仮リンク|ボケロンの戦い|en|Battle of Boquerón (1932)}}が始まる。([[9月29日]]まで) * [[1936年]] - [[オーストラリア]]・[[タスマニア州]]の動物園で飼育されていた[[フクロオオカミ]]の最後の1頭が死亡し、[[絶滅]]。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ナチス・ドイツ]]が[[イギリス]]への大規模な空襲([[ザ・ブリッツ]])を開始。翌年5月までに約4万人が死亡。 * 1940年 - [[ブルガリア]]・[[ルーマニア]]間で[[クラヨーヴァ条約]]が締結。13日に批准されルーマニアは、1913年の[[第二次バルカン戦争]]で獲得した南ドブロジャをブルガリアに返還することとなった一方、ブルガリアはその対価として、100万[[ルーマニア・レウ|レウ]]を支払った。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[日本の降伏]]: 日本軍[[第28師団 (日本軍)|第28師団]]長[[納見敏郎]]中将と独立混成第64旅団長髙田利貞少将と海軍[[海軍根拠地隊|沖縄方面根拠地隊]]参謀長加藤唯雄少将が[[沖縄県]]中頭郡越來村森根で米[[第10軍 (アメリカ軍)|第10軍]]に降伏調印。(沖縄市民平和の日) * 1945年 - 第二次世界大戦・[[ミンダナオ島の戦い]]: [[第35軍 (日本軍)|第35軍]]参謀長[[友近美晴]]少将と[[第100師団 (日本軍)|第100師団]]参謀大野吉弘中佐が[[ダバオ]]市マリログ地区タムガンで米{{仮リンク|第31歩兵師団 (アメリカ軍)|label=第31歩兵師団|en|31st Infantry Division (United States)}}に対する降伏文書に署名する。 * 1945年 - 第二次世界大戦: [[1945年ベルリン戦勝記念パレード]]。 <!-- 西ドイツ成立は1949年5月23日 * [[1949年]] - [[ドイツ]]西部のアメリカ・イギリス・フランス占領地区にドイツ連邦共和国([[西ドイツ]])が成立。 --> * [[1949年]] - [[東京都]][[中台 (板橋区)|中台]]にあった東京共同火薬庫の第3号庫が爆発。他の火薬庫のほか、半径約1.5km内にあった家屋約1200戸が損壊。負傷者50余人<ref name="saigai02">{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=74|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1951年]] - 長崎県[[大島町 (長崎県)|大島町]]に存在した大島炭鉱第1坑でガス爆発が発生。死者10人、重症者5人<ref name="saigai02"></ref>。 * [[1953年]] - [[ニキータ・フルシチョフ]]が[[ソビエト連邦共産党書記長|ソ連共産党第一書記]]に就任。<!-- enの9月7日とロシア語版のフルシチョフのページでは9/7、[[en:Nikita_Khrushchev]]では9/14、ルーマニア語版のフルシチョフのページでは3/14となっています --> * 1953年 - アメリカのテニス選手[[モーリーン・コノリー]]が[[1953年全米テニス選手権|全米選手権]]で優勝し、史上2度目、女子選手では初の[[グランドスラム (テニス)|年間グランドスラム]]を達成。 * [[1958年]] - [[ロングプリー事件]]。[[入間市]]の米軍ジョンソン基地内を進行していた[[西武池袋線]]の電車に向け、ロングプリー三等兵が発砲。乗客の学生1人が死亡。 * [[1960年]] - [[1960年ローマオリンピック|ローマオリンピック]]男子[[1960年ローマオリンピックの体操競技|体操]]団体総合で、日本が初の金メダルを獲得。以後、[[1976年モントリオールオリンピック|モントリオール大会]]まで5連覇。 * [[1963年]] - アメリカ[[オハイオ州]][[カントン (オハイオ州)|カントン]]に[[プロフットボール殿堂]]が開設。 * [[1964年]] - [[五島昇]][[東京急行電鉄|東急]]社長と[[大川博]][[東映]]社長が共同記者会見、[[9月30日]]をもって東映の[[東急グループ]]からの独立を表明。 * 1965年 - [[ベトナム戦争]]: [[ピラーニャ作戦|ピラニア作戦]]([[:en:Operation_Piranha|Operation Piranha]])開始。 * [[1966年]] - [[明星食品]]が[[インスタントラーメン]]「[[明星食品#チャルメラ|明星チャルメラ]]」発売。 * [[1970年]] - [[厚生省]]が、[[スモン]]病の原因と判明したキノホルムの発売停止を指示。 * [[1973年]] - [[長沼ナイキ事件|長沼ナイキ訴訟]]で、[[札幌地方裁判所|札幌地裁]]が裁判所としては初の[[自衛隊]]違憲判決。 * [[1977年]] - アメリカと[[パナマ]]が、[[1999年]]末に[[パナマ運河]]と[[パナマ運河地帯|運河地帯]]をアメリカからパナマに返還する条約([[新パナマ運河条約]])に調印。 * [[1978年]] - [[ブルガリア]]の作家[[ゲオルギー・マルコフ]]が亡命先の[[ロンドン]]で[[ブルガリア内務省]]のエージェントにより毒入りの弾丸を打ち込まれる。[[9月11日]]に死亡。 * [[1979年]] - [[第1次大平内閣]][[衆議院解散]](増税解散、一般消費税解散)。 * 1979年 - スポーツ専門チャンネル[[ESPN]]が開局。 * [[1986年]] - [[デズモンド・ムピロ・ツツ]]が[[南アフリカ共和国|南アフリカ]][[聖公会]]のケープタウン大主教に就任。南アフリカ聖公会初の黒人大主教。 * [[1987年]] - [[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の[[エーリッヒ・ホーネッカー]]国家評議会議長が分断後初めて[[西ドイツ]]を訪問。 * 1987年 - 劇団[[新国劇]]が解散。 * [[1988年]] - [[オリエント・エクスプレス '88]]が始発駅の[[フランス]]・[[リヨン駅]]を出発。 * 1988年 - [[アフガニスタン]]初の[[宇宙飛行士]][[アブドゥルアフド・ムハンマド]]に[[ソ連邦英雄]]の称号と[[レーニン勲章]]が授与される。 * [[1989年]] - [[ポーランド]]で非共産党系の[[タデウシュ・マゾヴィエツキ]]内閣が成立。[[ポーランド人民共和国]]は消滅し、ポーランド第三共和国が成立(→[[ポーランド民主化運動]])。 * [[1999年]] - [[アテネ地震]]発生。 * [[2001年]] - [[駐日アメリカ合衆国大使館|在日アメリカ大使館]]が「日本国内に滞在する米国人に対してテロ攻撃の可能性がある」として警告<ref>{{Cite web|url=https://abcnews.go.com/International/us-warns-terrorist-attack-japan/story?id=80556|title=U.S. Warns of Possible Terrorist Attack in Japan|accessdate=2018-05-05|last=News|first=A. B. C.|date=2015-11-15|website=ABC News|language=en}}</ref>。4日後の[[9月11日]]に[[アメリカ同時多発テロ事件|アメリカ同時多発テロ]]が発生した。 * [[2004年]] - [[平成16年台風第18号|台風18号]]が[[長崎県]]上陸。[[西日本]]と[[北日本]]で暴風による被害が出る。死者41人。 <!-- iPodは初代([[iPod classic]]、2001年11月17日)だけですかねえ * [[2005年]] - [[アップル インコーポレイテッド|アップルコンピュータ]]から第1世代[[iPod nano]]が発表され、即日販売開始(※日本時間では9月8日)。 --> * [[2008年]] - アメリカ政府が経営危機の[[連邦住宅抵当公庫]](ファニーメイ)と[[連邦住宅金融抵当公庫]](フレディマック)の国有化を発表。 * [[2009年]] - [[サモア独立国|サモア]]で、[[自動車]]の[[対面交通|通行区分]]が右側通行から左側通行に変更<ref>{{Cite web|和書|date=2009年9月8日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2638992 |title=これで車が安くなる?サモアが左側通行へ変更 |work=AFPBB News |publisher=AFP |accessdate=2019-03-17}}</ref>。 <!-- 9月6日? * [[2010年]] - [[モントリオール世界映画祭]]で、[[深津絵里]]が日本人女優としては[[田中裕子]]以来27年振りの最優秀女優賞を受賞する。 --> * [[2010年]] - [[沖縄県]]・[[尖閣諸島]]近くの日本[[領海]]内で、[[中華人民共和国|中国]]漁船が[[海上保安庁]]の[[巡視船]]と接触、[[公務執行妨害]]の疑いで漁船の中国人船長が逮捕される<ref>{{Cite news |和書|title=2010年9月7日 尖閣沖で中国漁船衝突事件 |newspaper=日本経済新聞 朝刊 |date=2015年9月7日 |author= |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO91424350X00C15A9KB3000/ |accessdate=2019-03-17}}</ref>。([[尖閣諸島中国漁船衝突事件]]) * [[2011年]] - [[ヤロスラヴリ旅客機墜落事故]]が発生する<ref>{{Cite web|和書|date=2011年9月8日 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM07067_X00C11A9FF1000/ |title=ロシア西部で旅客機墜落 43人死亡 |publisher=日本経済新聞 |accessdate=2019-03-17}}</ref>。 * [[2013年]] - [[アルゼンチン]]の[[ブエノスアイレス]]で行われた[[第125次IOC総会]]で、[[東京都|東京]]が56年ぶりに[[2020年東京オリンピック|2020年夏季オリンピック]]・[[東京パラリンピック (2020年)|パラリンピック]]の開催地に決定<ref>{{Cite web|和書|date=2013年9月8日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2966620 |title=2020年夏季五輪の開催地に決定!東京の都市概要 |work=AFPBB News |publisher=AFP |accessdate=2019-03-17}}</ref>。 * 2013年 - [[NASA]]が月面気体調査ミッション{{仮リンク|LADEE|en|LADEE}}を始動。 * [[2017年]] - [[メキシコ]]で最大マグニチュード8.2の[[チアパス地震 (2017年)|チアパス地震]]が起こる<ref>{{Cite web|和書|date=2017年9月8日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3142187 |title=メキシコでM8.2の地震、少なくとも15人死亡 「過去100年間で最大の地震」 |work=AFPBB News |publisher=AFP |accessdate=2019-03-17}}</ref>。 * 2017年 - [[中華民国]]([[台湾]])で、[[林全]]が[[行政院]]院会を開き、内閣総辞職<ref>{{Cite web|和書|date=2017-09-07 |url=https://web.archive.org/web/20170909195313/http://japan.cna.com.tw/news/apol/201709070007.aspx |title=内閣総辞職 林全氏、頼清徳次期行政院長にエール/台湾 |publisher=中央社フォーカス台湾 |accessdate=2017-11-18}}</ref>。 == 誕生日 == {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> <!-- だいぶ記念日がはみ出しました…削るなら潜水艦かボクシングかgoogleなのですが… --> {{multiple image | image1 = El_bieta_I_lat_13.jpg | width1 = 100 | caption1 = イングランド女王「処女王」[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]](1533-1603)誕生。生涯結婚せず | image2 = Tokugawa_Ietsuna.jpg | width2 = 100 | caption2 = 江戸幕府第4代将軍、[[徳川家綱]](1641-1680) | image3 = Gusdur.jpg | width3 = 100 | caption3 = インドネシア第4代大統領、[[アブドゥルラフマン・ワヒド]](1940-2009) }} {{multiple image | image1 = | width1 = 140 | caption1 = [[有機化学]]者[[アウグスト・ケクレ]](1829-1896)誕生。[[ベンゼン]]のケクレ構造を発見 | image2 = Kiyosi_Ito.jpg | width2 = 100 | caption2 = 数学者[[伊藤清]](1915-2008)誕生。「[[伊藤の補題]]」で知られる }} <!-- {{multiple image | image1 = Elia_Kazan_NYWTS.jpg | width1 = 100 | caption1 = 映画監督[[エリア・カザン]](1909-2003) | image2 = Sonny_Rollins.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[ハード・バップ]]のジャズサックス奏者、[[ソニー・ロリンズ]](1930-) }} --> <!-- 旧暦* [[786年]] - [[嵯峨天皇]]([[天皇]])--> * [[923年]]([[延長 (元号)|延長]]元年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[朱雀天皇]]、第61代[[天皇]](+ [[956年]]) * [[1291年]]([[正応]]4年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]])- [[洞院公賢]]、[[太政大臣]]・[[有職故実]]学者(+ [[1360年]]) * [[1438年]] - [[ルートヴィヒ2世 (下ヘッセン方伯)|ルートヴィヒ2世]]([[:en:Louis_II,_Landgrave_of_Lower_Hesse|Louis II, Landgrave of Lower Hesse]])、下ヘッセン方伯(+ [[1471年]]) * [[1500年]] - {{仮リンク|セバスチャン・ニューディゲート|en|Sebastian Newdigate}}、殉教者(+ [[1535年]]) * [[1524年]] - [[トマス・エラストス]]、[[神学者]](+ [[1583年]]) * [[1533年]] - [[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Elizabeth-I Elizabeth I queen of England] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[イギリス]]国王(+ [[1603年]]) * [[1641年]]([[寛永]]18年[[8月3日 (旧暦)|8月3日]])- [[徳川家綱]]、[[江戸幕府]]第4代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1680年]]) * 1641年(寛永18年8月3日)- [[榊原政房]]、第2代[[姫路藩|姫路藩主]](+ [[1667年]]) * [[1683年]] - [[マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1683-1754)|マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[ジョアン5世 (ポルトガル王)|ジョアン5世]]の王妃(+ [[1654年]]) * [[1707年]] - [[ビュフォン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Georges-Louis-Leclerc-comte-de-Buffon Georges-Louis Leclerc, count de Buffon French naturalist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[博物学者]]、[[数学者]]、[[植物学者]](+ [[1788年]]) * [[1702年]]([[元禄]]15年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]])- [[毛利元尭]]、第4代[[徳山藩|徳山藩主]](+ [[1721年]]) * [[1713年]]([[正徳 (日本)|正徳]]3年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]])- [[亀井茲満]]、第4代[[津和野藩|津和野藩主]](+ [[1736年]]) * [[1721年]]([[享保]]6年閏[[7月16日 (旧暦)|7月16日]])- [[徳川宗尹]]、[[一橋徳川家]]始祖(+ [[1765年]]) * [[1726年]] - [[フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドール]]、[[作曲家]](+ [[1795年]]) * [[1728年]](享保13年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]])- [[織田秀賢]]、第8代[[柳本藩|柳本藩主]](+ [[1784年]]) * [[1740年]] - {{仮リンク|ヨハン・トビアス・セルゲル|en|Johan Tobias Sergel}}、[[彫刻家]](+ [[1814年]]) * [[1791年]] - {{仮リンク|ジュゼッペ・ジョアチーノ・ベリ|en|Giuseppe Gioachino Belli}}、詩人(+ [[1863年]]) * [[1795年]] - [[ジョン・ポリドリ]]、作家・医師(+ [[1821年]]) * [[1807年]] - {{仮リンク|ヘンリー・シーウェル|en|Henry Sewell}}、政治家、初代[[ニュージーランドの首相|ニュージーランド首相]](+ [[1879年]]) * [[1810年]] - [[ヘルマン・ハインリヒ・ゴッセン]]、[[経済学者]](+ [[1858年]]) * [[1811年]] - [[カール・アントン (ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯)|カール・アントン ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン]](+ [[1885年]]) * [[1815年]] - [[ハウエル・コブ]]、[[アメリカ合衆国財務長官]]、[[アメリカ連合国臨時議会]]議長(+ [[1868年]]) * 1815年 - {{仮リンク|ジョン・マクドゥアル・ステュアート|en|John McDouall Stuart}}、探検家(+ 1866年) * 1815年([[文化 (元号)|文化]]12年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]])- [[入江長八]]、[[工芸|工芸家]](+ [[1889年]]) * [[1819年]] - [[トーマス・A・ヘンドリックス]]、政治家、第21代[[アメリカ合衆国副大統領]](+ [[1885年]]) * [[1829年]] - [[フリードリヒ・ケクレ]]、[[化学者]](+ [[1896年]]) * [[1831年]] - [[アレクサンドル・ファルギエール]]、[[彫刻家]](+ [[1900年]]) * [[1834年]]([[天保]]5年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]])- [[水野忠良]]、第5代[[沼津藩|沼津藩主]](+ [[1858年]]) * [[1836年]] - [[ヘンリー・キャンベル=バナマン]]、政治家、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1908年]]) * [[1836年]] - [[アウグスト・テプラー]]([[:en:August_Toepler|August Toepler]])、[[物理学者]](+ [[1912年]]) * [[1840年]](天保11年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]])- [[津軽承昭]]、第12代[[弘前藩|弘前藩主]]、[[伯爵]](+ [[1916年]]) * [[1842年]] - [[ヨハネス・ツケルトルト]]([[:en:Johannes_Zukertort|Johannes Zukertort]])、チェス選手(+ [[1888年]]) * [[1856年]] - [[デーブ・ファウツ]]、[[プロ野球選手]](+ [[1897年]]) * [[1860年]] - [[グランマ・モーゼス]]、画家(+ [[1961年]]) * [[1866年]] - {{仮リンク|トリスタン・ベルナール|en|Tristan Bernard|fr|Tristan Bernard}}、作家(+ [[1947年]]) * [[1867年]] - [[アルベルト・バッサーマン]]、俳優(+ [[1952年]]) * 1867年 - {{仮リンク|J・P・モーガン・ジュニア|en|J. P. Morgan Jr.}}、銀行家(+ [[1943年]]) * [[1870年]](ユリウス暦[[8月26日]]) - [[アレクサンドル・クプリーン]]、[[作家]]、[[飛行士]]、[[探検家]](+ [[1938年]]) * [[1876年]] - [[フランシスコ・ブアージャール]]、第2代[[マルタの首相|マルタ首相]](+ [[1934年]]) * [[1887年]] - {{仮リンク|イーディス・シットウェル|en|Edith Sitwell}}、詩人(+ [[1964年]]) * [[1890年]] - [[カルロス・パオレーラ]]、[[都市計画家]](+ [[1960年]]) * [[1894年]] - {{仮リンク|ジョージ・ワグナー|en|George Waggner}}、俳優(+ [[1984年]]) * [[1900年]] - [[松沢一鶴]]、[[競泳]]選手(+ [[1965年]]) * 1900年 - {{仮リンク|テイラー・コールドウェル|en|Taylor Caldwell}}、作家(+ [[1985年]]) * [[1904年]] - {{仮リンク|C・B・コルビー|en|C. B. 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David Griggs]])、[[宇宙飛行士]](+ [[1989年]]) * [[1940年]] - [[アブドゥルラフマン・ワヒド]]、政治家、第4代[[インドネシアの大統領一覧|インドネシア大統領]](+ [[2009年]]) * 1940年 - [[神戸文彦]]、[[テレビディレクター]] * 1940年 - [[ダリオ・アルジェント]]、[[映画監督]] * [[1942年]] - [[ジョナサン・H・ターナー]]、経済学者 * [[1944年]] - [[ボラ・ミルティノビッチ]]、サッカー選手 * [[1945年]] - [[伊藤義博]]、[[東北福祉大学]]助教授、アマチュア野球指導者(+ [[2002年]]) * 1945年 - {{仮リンク|ピーター・ストーリー|en|Peter Storey}} * [[1946年]] - [[フランシスコ・バレーラ]]、[[生物学者]]、[[認知科学|認知科学者]](+ [[2001年]]) * [[1947年]] - [[末永正昭]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[藤田紀子]]、[[俳優|女優]]、[[タレント]] * [[1948年]] - [[山本コウタロー]]、歌手(+[[2022年]]) * [[1949年]] - [[玉井信博]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[ジュリー・カブナー]]、女優、[[声優]] * [[1951年]] - [[マーク・アイシャム]]、[[トランペット奏者|トランペッター]]、[[シンセサイザー奏者]] * [[1952年]] - [[上田弘司]]、俳優、[[スーツアクター]]、[[殺陣師]] * 1952年 - [[姿晴香]]、女優 * [[1955年]] - [[ミラ・ファーラン]]、女優(+ [[2021年]]) * [[1956年]] - [[長渕剛]]、歌手 * 1956年 - [[的場文男]]、[[騎手]] * 1956年 - [[鷲谷亘]]、[[プロ野球審判員]] * [[1958年]] - [[黒部幸英]]、[[司会]]、タレント * 1958年 - [[ダニー・チャン]]、歌手(+ [[1993年]]) * [[1959年]] - [[清水由貴子]]、歌手(+ [[2009年]]) * 1959年 - [[苫米地英人]]、[[計算言語学|計算言語学者]]、[[認知心理学|認知心理学者]] * [[1960年]] - [[ウェイド・ロードン]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[スマイリー原島]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ディスクジョッキー|DJ]] * [[1961年]] - [[ふくやまけいこ]]、[[漫画家]] * 1961年 - [[ジャン=イヴ・ティボーデ]]、[[ピアニスト]] * 1961年 - [[佐橋佳幸]]、ギタリスト * [[1962年]] - [[兵藤まこ]]、声優 * 1962年 - [[ヘレン笹野]]、元[[アイドル歌手]]、タレント、女優 * 1962年 - [[森下裕美]]、漫画家 <!-- * [[1964年]] - [[テイ・トウワ]]、ミュージシャン-- 非公開情報? --> * 1964年 - [[アンディ・フグ]]、[[K-1]]選手(+ [[2000年]]<ref name="鉄人アンディ">[http://www.boutreview.com/report/k1/00/08hug/24kaiken.html 「鉄人アンディ・フグ死去」]バウトレビュー 2000年8月24日</ref>) * [[1965年]] - [[駒井千佳子]]、[[レポーター]] * 1965年 - [[村杉蝉之介]]、俳優 * 1965年 - [[近藤芳久]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[五代あつし]]、声優 * [[1966年]] - [[毛利名人]]、[[ファミコン名人]] * [[1967年]] - [[小牧太]]、騎手 * 1967年 - [[塩崎雄二]]、漫画家 * [[1968年]] - [[和泉容]]、ミュージシャン * 1968年 - [[マルセル・デサイー]]、サッカー選手 * [[1969年]] - [[慶元まさ美]]、DJ * 1969年 - [[川上ミネ]]、[[ピアニスト]] * 1969年 - [[ルディ・ガリンド]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1970年]] - [[赤P-MAN]]、[[お笑いタレント]] * [[1971年]] - [[岡崎朋美]]、[[スピードスケート]]選手 * 1971年 - [[冠徹弥]]、歌手 * [[1972年]] - [[林久美子]]、政治家 * 1972年 - [[吉川元浩 (競艇)|吉川元浩]]、[[競艇選手]] * 1972年 - [[ジェイソン・イズリングハウゼン]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[熊澤とおる]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[灰村キヨタカ]]、イラストレーター * [[1974年]] - [[高橋広樹]]、声優 * [[1975年]] - [[阿部典史]]、レーシングライダー(+ [[2007年]]) * 1975年 - [[彩豪一義]]、元[[大相撲]][[力士]] * 1975年 - [[高森健太]]、[[作曲家]] * [[1976年]] - [[篠原貴行]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[大野愛果]]、作曲家 * 1977年 - [[根引謙介]]、元サッカー選手 * [[1978年]] - [[徳永圭一]]、アナウンサー * [[1979年]] - [[石原慶幸]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[吉住梢]]、声優 * 1979年 - [[辻清人]]、政治家 * [[1980年]] - [[朝比奈ゆうや]]、漫画家 * 1980年 - [[エムレ・ベロゾール]]、サッカー選手 * [[1981年]] - [[南かなこ]]、歌手 * [[1982年]] - [[日之内エミ]]、歌手 * 1982年 - [[白石涼子]]<ref name="goo人名事典">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/白石涼子/|title=白石涼子(しらいしりょうこ)の解説|publisher=goo人名事典|accessdate=2020-11-05}}</ref>、声優 * 1982年 - [[伊佐樹里]]、バスケットボール選手 * [[1983年]] - [[アネッテ・ディトルト]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1983年 - [[城ノ龍康允]]、元大相撲力士 * [[1984年]] - [[大久保麻理子]]、女優、元[[グラビアアイドル]] * 1984年 - [[マウロ・ゴメス]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - [[張飛 (ボクサー)|張飛]]、プロボクサー(+ [[2008年]]) * 1985年 - [[ミッチ・ライブリー]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[トッド・グラタン]]、[[野球選手]] * [[1987年]] - [[林啓介]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[安旭]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[加藤雅美]]、歌手、タレント(元[[SDN48]]) * 1987年 - [[金城しおり]]、歌手 * [[1988年]] - [[佐藤大基]]、サッカー選手(+ [[2010年]]) * 1988年 - [[クレイグ・リンドフィールド]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[山下大輝]]、声優 * 1989年 - [[岡島豪郎]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[中根佑二]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[加藤正志]]、元プロ野球選手 * [[1990年]] - [[田中崇博]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[ヒョードル・クリモフ]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[ターニャ・コルベ]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[眞家泉]]、気象キャスター * [[1991年]] - [[しほの涼]]、元女優、元グラビアアイドル * 1991年 - [[キム・アラ]] - 女優 * 1992年 - [[トーベ・アレクサンダーソン]]、[[オリエンテーリング]]選手、[[スキーオリエンテーリング]]選手 * 1992年 - [[福岡堅樹]]、ラグビー選手 * [[1994年]] - [[奈木野美樹]]、元子役 * 1994年 - [[山﨑賢人]]、俳優 * [[1995年]] - [[村上奈津実]]、声優 * [[1996年]] - [[ドノバン・ミッチェル]]、バスケットボール選手 * [[1998年]] - [[種市篤暉]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[鈴木昭汰]]、プロ野球選手 * [[1999年]] - ファン・ドンジュン、元アイドル、歌手、作曲家 (元[[GHOST9]]) * [[2000年]] - [[山田龍聖]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - [[小坂菜緒]]、アイドル([[日向坂46]]) * 生年不明 - [[希山明里]]、女優、声優 * 生年不明 - [[西本淑子]]、[[ラジオパーソナリティ]] == 忌日 == {{multiple image | image1 = SimaYi.jpg | width1 = 80 | caption1 = [[三国時代 (中国)|三国時代]]の武将、「高祖宣帝」[[司馬懿]](179-251)没 | image2 = Fujiwara_no_Umakai.jpg | width2 = 80 | caption2 = 政治家[[藤原宇合]](694-737) | image3 = Ferdinand_II_croat_191701.jpg | width3 = 80 | caption3 = ナポリ王[[フェルディナンド2世 (ナポリ王)|フェルディナンド2世]](1469-1496)没 | image4 = Rama1saphanphut0609.jpg | width4 = 80 | caption4 = [[タイ王国]]、[[チャクリー王朝]]初代国王[[ラーマ1世]](1737-1809)没 }} {{multiple image | image2 = Grobowiec-HeinrichGraetz.jpg | width2 = 100 | caption2 = 歴史家[[ハインリヒ・グレーツ]](1817-1891)没 | image4 = Lucio_Fontana_by_Lothar_Wolleh.jpg | width4 = 100 | caption4 = 美術家[[ルーチョ・フォンタナ]](1899-1968)没 }} {{multiple image | footer = [[ラファエル前派]]の画家、[[ウィリアム・ホルマン・ハント]](1827-1910)没 | image1 = William_Holman_Hunt_-_Selfportrait.jpg | width1 = 100 | caption1 = 自画像(1867) | image2 = William_holman_hunt-the_shadow_of_death.jpg | width2 = 140 | caption2 = 『死の影』(1870) }} <!-- [[Image:Marcel_Grossmann.png|thumb|100px|数学者[[マルセル・グロスマン]](1878-1936)]] --> {{multiple image | image1 = Kanazawa-C-3047.jpg <!-- Izumi_Kyoka.jpg --> | width1 = 100 | caption1 = 作家、[[泉鏡花]](1873-1939) <!-- TODO: Squote --> | image2 = Eiji_Yoshikawa.jpg | width2 = 100 | caption2 = 作家、[[吉川英治]](1892-1962) }} {{multiple image | image1 = Wilhelm_Pieck.png | width1 = 100 | caption1 = [[ドイツ民主共和国]]の初代にして最後の大統領、[[ヴィルヘルム・ピーク]](1876-1960) | image2 = Mobutu.jpg | width2 = 100 | caption2 = ザイールの第2代大統領[[モブツ・セセ・セコ]](1930-1997)、亡命先のモロッコで没 }} * [[251年]]([[嘉平 (魏)|嘉平]]3年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[司馬懿]]、[[魏 (三国)|魏]]の政治家(* [[179年]])<!-- ja:9/5 en,ZH:9/7 jaが誤り? --> * [[737年]]([[天平]]9年8月5日)- [[藤原宇合]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[694年]]) * [[1151年]] - [[ジョフロワ4世]]、メーヌ伯、[[アンジューの領主一覧|アンジュー伯]]、[[ノルマンディー公]](* [[1113年]]) * [[1275年]]([[建治]]元年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]])- [[千葉頼胤]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]](* [[1239年]]) * [[1354年]] - [[アンドレア・ダンドロ]]、[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]の[[ドージェ]](* [[1307年]]) * [[1459年]]([[長禄]]3年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]])- [[堀江利真]]、[[室町時代]]の武将 * [[1496年]] - [[フェルディナンド2世 (ナポリ王)|フェルディナンド2世]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]](* [[1469年]]) * [[1507年]]([[永正]]4年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]])- [[細川澄之]]、[[細川政元]]の養子(* [[1489年]]) * 1507年(永正4年8月1日)- [[香西元長]]、[[武将|戦国武将]] * 1507年(永正4年8月1日)- [[薬師寺長忠]]、[[摂津国]][[守護代]] * [[1522年]]([[大永]]2年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]])- [[畠山尚順]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[守護大名]](* [[1475年]]) * [[1548年]] - [[キャサリン・パー]]、[[イングランド|イングランド王]][[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の妃(* [[1512年]]) * [[1586年]]([[天正]]14年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[誠仁親王]]、[[正親町天皇]]第五皇子(* [[1552年]]) * [[1628年]]([[寛永]]5年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]])- [[井上正就]]、[[江戸幕府]][[老中]](* [[1577年]]) * [[1754年]]([[宝暦]]4年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]])- [[伏見宮貞建親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1701年]]) * [[1806年]]([[文化 (元号)|文化]]3年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]])- [[伴蒿蹊]]、[[歌人]](* [[1733年]]) * [[1809年]] - [[ラーマ1世]]、[[タイ王国|タイ]]国王、[[チャクリー王朝]]創始者(* [[1737年]]) * 1809年 - [[カロリーネ・シェリング]]、[[フリードリヒ・シェリング]]の妻(* [[1763年]]) * [[1877年]] - [[お登勢]]、[[寺田屋]]の[[女将]](* [[1829年]]頃) * [[1891年]] - [[ハインリヒ・グレーツ]]、[[歴史家]](* [[1817年]]) * [[1902年]] - [[フランツ・ヴュルナー]]、[[指揮者]]、[[作曲家]](* [[1832年]]) * [[1910年]] - [[ウィリアム・ホルマン・ハント]]、[[画家]](* [[1827年]]) * [[1933年]] - [[エドワード・グレイ]]、[[外務英連邦大臣|イギリス外相]](* [[1862年]]) * [[1936年]] - [[マルセル・グロスマン]]、[[数学者]](* [[1878年]]) * [[1939年]] - [[泉鏡花]]、[[小説家]](* [[1873年]]) * [[1943年]] - [[上山英一郎]]、[[発明家]]、[[大日本除虫菊]](金鳥)創業者(* [[1862年]]) * [[1945年]] - [[チャールズ・スピアマン]]、[[心理学者]](* [[1863年]]) <!-- ja,fr,it:9/7 EN,ru:9/17 de:9/7or17 要チェック --> * [[1949年]] - [[エルトン・メイヨー]]、[[社会学者]](* [[1880年]]) * [[1953年]] - [[阿部信行]]、政治家、第36代[[内閣総理大臣]](* [[1875年]]) * [[1960年]] - [[ヴィルヘルム・ピーク]]、[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)[[大統領]](* [[1876年]]) * [[1962年]] - [[カレン・ブリクセン]]、小説家(* [[1885年]]) * 1962年 - [[吉川英治]]、小説家(* [[1892年]]) * [[1964年]] - 14代[[千宗室 (14代)|千宗室]]、[[茶道|茶道家]](* [[1893年]]) * [[1968年]] - [[ルーチョ・フォンタナ]]、[[美術家]]、[[画家]]、[[彫刻家]](* [[1899年]]) * [[1969年]] - [[エヴァレット・ダークセン]]、[[アメリカ合衆国上院|アメリカ合衆国上院議員]](* [[1896年]]) * [[1978年]] - [[キース・ムーン]]、ミュージシャン、[[ドラマー]]([[ザ・フー]])(* [[1946年]]) * [[1982年]] - [[ケン・ボイヤー]]、プロ野球選手(* [[1931年]]) * [[1984年]] - [[ジョー・クローニン]]、プロ野球選手、監督(* [[1906年]]) * [[1985年]] - [[ロドニー・ロバート・ポーター]]、[[生化学|生化学者]](* [[1917年]]) * 1985年 - [[鴨居玲]]、[[画家]](* [[1928年]]) * [[1989年]] - [[ミハイル・ゴルトシュタイン]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](* [[1917年]]) * [[1990年]] - [[A・J・P・テイラー]]、歴史家(* [[1906年]]) * [[1991年]] - [[エドウィン・マクミラン]]、[[化学者]](* [[1907年]]) * [[1994年]] - [[テレンス・ヤング]]、[[映画監督]](* [[1915年]]) * [[1997年]] - [[モブツ・セセ・セコ]]、ザイール(現:[[コンゴ民主共和国]])大統領(* [[1930年]]) * [[1999年]] - [[原文兵衛]]、第20代[[参議院議長]](* [[1913年]]) * [[2002年]] - [[エウジェニオ・コセリウ]]、[[言語学|言語学者]](* [[1921年]]) * 2002年 - [[カトリン・カートリッジ]]、[[俳優|女優]](* [[1961年]]) * [[2003年]] - [[ウォーレン・ジヴォン]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[シンガーソングライター]](* [[1947年]]) * [[2004年]] - [[竹内藤男]]、[[茨城県知事一覧|茨城県知事]](* [[1917年]]) * [[2005年]] - [[見沢知廉]]、小説家、[[新右翼]]活動家(* [[1959年]]) * [[2006年]] - [[日向康]]、小説家(* [[1925年]]) * [[2007年]] - [[ジョン・コンプトン]]、[[セントルシア]]首相(* [[1925年]]) * [[2008年]] - [[澄田智]]、第25代[[日本銀行]]総裁(* [[1916年]]) * [[2014年]] - [[山口淑子]]、女優、歌手、政治家(* [[1920年]]) * [[2015年]] - [[備前喜夫]]、元[[プロ野球選手]](* [[1933年]]) * [[2017年]] - [[河合常則]]<ref>{{Cite web|和書|title=訃報 河合常則さん80歳=元自民党参院議員|publisher=毎日新聞|date=2017-9-7|url=https://mainichi.jp/articles/20170908/k00/00m/060/028000c|accessdate=2020-11-26}}</ref>、[[政治家]](* [[1937年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == {{multiple image | footer = [[ブラジル]]の独立記念日(1822年独立)。{{audio|Hino_Nacional_Brasileiro_instrumental.ogg|国歌を聴く}} | direction = vertical | image1 = Brazil_%28orthographic_projection%29.svg | width1 = 160 | caption1 = ブラジルの位置 | image2 = Independência ou Morte (1888).jpg | width2 = 300 | caption2 = [[ペドロ・アメリコ]]画『独立か死か!』(1888) }} {{multiple image | footer = [[フクロオオカミ]]絶滅(1936) | direction = vertical | image1 = %22Benjamin%22.jpg | width1 = 220 | caption1 = 最後の個体「ベンジャミン」 | image2 = Thylacinus_cynocephalus.jpg | width2 = 220 | caption2 = 標本 }} <!-- [[Image:MozamWOI.jpg|thumb|240px|[[モザンビーク独立戦争]]終結(1974)]] 締結7日、終結8日? --> * [[白露]]({{JPN}}{{CHN}}では[[2005年]]・[[2008年]]・[[2009年]])<!-- UTCだと2010年もなのですが -->※日付不定 *: [[二十四節気]]の一つ。 * [[独立記念日]]({{BRA}}) *: [[1822年]]のこの日、ブラジルが[[ポルトガル]]からの独立を宣言した。 * [[防衛]]の日・[[パキスタン空軍]]の日({{PAK}}) *: [[1971年]]の[[第二次印パ戦争]]にちなむ。[[9月6日]]は陸軍の日、[[9月8日]]は海軍の日。 * [[絶滅危惧種]]の日({{AUS}}) *: [[1936年]]のこの日、[[オーストラリア]]・[[タスマニア州]]の動物園で飼育されていた[[フクロオオカミ]]の最後の1頭「ベンジャミン」が死亡し、[[絶滅]]したことに由来。 * 勝利の日({{MOZ}})<!-- 由来不明だが、同国の祝日の一つ。 --><!-- [[en:Victory Day#September 7 in Mozambique]]を参考に書いてみました --> *: [[1974年]]のこの日、[[ポルトガル]]との間に[[モザンビーク独立戦争]]を終結させるルサカ協定が結ばれ独立が確定したことを記念する祝日。<!-- 独立は1975/6/25 --><!-- {{仮リンク|ルサカ協定|en|Lusaka Agreement}} であるべきだが、[[en:Lusaka Protocol]]という全く別の記事へのリダイレクトになっています --> <!-- 由来・制定者・公共性・定着性から見てコメントアウト。(日本のものが実質ゼロに…とはいえ無理して毎日載せようとすれば逆におかしくなりましょう) * クリーナーの日({{JPN}}) *: 「ク(9)リーナ(7)ー」の語呂合せ。メガネクリーナーの製造会社・パールが制定。 --> * [[コマーシャルソング|CMソング]]の日({{JPN}}) *: [[1951年]](昭和26年)のこの日、初めてCMソングを使ったラジオCM(小西六(後の[[コニカ]]、現[[コニカミノルタ]])の「さくらフイルム」のCM)が放送されたことに由来。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0907|date=2011年7月}} * [[2009年]] - 渋谷ニュージェネレーションの狂気の第一の事件「集団ダイブ」と呼ばれる集団飛び降り自殺が発生。(ゲーム・アニメ『[[CHAOS;HEAD]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1903年]] - 桐島カンナ、ゲーム『[[サクラ大戦シリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakura-taisen.com/archives/game/psp/chara_kanna.html |title=桐島カンナ |access-date=2022-12-12 |publisher=SEGA |work=『サクラ大戦1&2』}}</ref> * [[1982年]] - 日高宏武、ゲーム『[[ROBOTICS;NOTES]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |year = 2012 |title = ROBOTICS;NOTES 【ロボティクス・ノーツ】 公式設定資料集:Childhood Dreams |page = 93 |publisher = [[アスキー・メディアワークス]] |isbn = 978-4-04-886756-6 }}</ref> * 生年不明 - アリカ・ユメミヤ、アニメ『[[舞-乙HiME]]』の主人公<ref name="yandere">{{Cite book|和書|title=ヤンデレ大全|publisher=[[インフォレスト]]|year=2007|page=63|isbn=978-4-86190-260-4}}</ref> * 生年不明 - 九頭竜もも子、漫画・アニメ『[[すもももももも 地上最強のヨメ]]』のヒロイン<ref>{{Cite book|和書|title=すもももももも 〜地上最強のヨメ〜 GUIDE BOOK|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2006|page=20|isbn=4-7575-1771-8}}</ref> * 生年不明 - ランディ・プグ、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1567166991642812416}}</ref> * 生年不明 - 油女シビ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2005|page=21|ISBN=4-08-873734-2}}</ref> * 生年不明 - 相卜命、漫画・アニメ『[[斉木楠雄のΨ難]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1435095562597158912}}</ref> * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#神刀朧|神刀朧]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=135|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - 沢田千夏、漫画・アニメ『[[かげきしょうじょ!!|かげきしょうじょ‼︎]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Twitter status|DApanda323|1567495501813272577}}</ref> * 生年不明 - 沢田千秋、漫画・アニメ『かげきしょうじょ‼︎』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 大室櫻子、漫画・アニメ『[[ゆるゆり]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=TVアニメーション ゆるゆり公式ファンブック|publisher=[[一迅社]]|year=2011|page=36|isbn=978-4-7580-1248-5}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=なもり|authorlink=なもり|title=ゆるゆりファンブック|publisher=一迅社|series=[[コミック百合姫#百合姫コミックス|百合姫コミックス]]|year=2013|page=38|isbn=978-4-7580-7258-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=なもり|title=なもり画集 ゆるなもり|publisher=一迅社|year=2013|page=9|isbn=978-4-7580-7260-1}}</ref> * 生年不明 - 月坂紗由、小説・ゲーム・アニメ『[[Re:ステージ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=CHARACTER 月坂 紗由 |url=http://rst-project.com/ |accessdate=2022-12-12 |work=『Re:ステージ!』 |publisher=[[ポニーキャニオン]] hotarubi}}</ref> * 生年不明 - ニナ・ウォン、アニメ『[[舞-乙HiME]]』に登場するキャラクター<ref name="yandere" /> * 生年不明 - マシロ・ブラン・ド・ヴィントブルーム、アニメ『舞-乙HiME』に登場するキャラクター<ref name="yandere" /> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#佐久間まゆ|佐久間まゆ]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20074 |title=佐久間 まゆ(さくま まゆ) |access-date=2023-02-03 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 天満光、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/tenma_mitsuru/ |title=天満 光 |accessdate=2022-12-12 |publisher=Happy Elements |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref> * 生年不明 - 最原終一、ゲーム『[[ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sp_kiboukoubai|1435067799630594049}}</ref> * 生年不明 - ツムギ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1302788762527621121}}</ref> * 生年不明 - 五六八葵、メディアミックス『[[ラクエンロジック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|luck_and_logic|773354827145281536}}</ref> * 生年不明 - [[来栖夏芽]]、[[にじさんじ]]所属の[[バーチャルYouTuber]]<ref>{{Twitter status|nijisanji_app|1432538657022521348}}</ref> <!--* 生年不明 - 豊饒梛、ゲーム『[[ラストブロンクス -東京番外地-]]』に登場するキャラクター--> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|September 7|7 September}} {{新暦365日|9|6|9|8|[[8月7日]]|[[10月7日]]|[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]|0907|9|07}} {{1年の月と日}}
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9月12日
9月12日(くがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から255日目(閏年では256日目)にあたり、年末まであと110日ある。
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9月12日(くがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から255日目(閏年では256日目)にあたり、年末まであと110日ある。
{{カレンダー 9月}} '''9月12日'''(くがつじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から255日目([[閏年]]では256日目)にあたり、年末まであと110日ある。 == できごと == [[File:Phidippides.jpg|thumb|[[マラトンの戦い]](BC490)。画像は{{仮リンク|ピリッピデス|en|Pheidippides}}の絵画。「[[マラソン]]」競技の起源。|180x180px]] {{multiple image | footer = {{仮リンク|ミュレの戦い|fr|Bataille de Muret}}(1213)。[[ペドロ2世 (アラゴン王)|ペドロ2世]]戦死 | image1 = Battle_of_Muret.jpg | width1 = 90 | alt1 = ミュレの戦い | image2 = Peter_II_of_Aragon.jpg | width2 = 90 | alt2 = アラゴン王ペドロ2世 }} {{multiple image | footer = [[第二次ウィーン包囲]](1683)、[[オスマン帝国]]軍大敗 | image1 = Bitwa_pod_Wiedniem_Brandt.jpg | width1 = 180 | alt1 = Józef Brandt『ウィーンの戦い』 }} [[File:Chapultepec.jpg|thumb|[[米墨戦争]]、[[チャプルテペクの戦い]](1847)はじまる|180x180px]] {{multiple image | caption1 = [[グスタフ・マーラー|マーラー]]『[[交響曲第8番 (マーラー)|交響曲第8番]]』初演(1910)。画像はリハーサル。 | image1 = Mahler_8_Rehearsal.png | width1 = 90 | alt1 = 交響曲第8番 (マーラー) | image2 = Hitlermember.png | width2 = 90 | caption2 = [[アドルフ・ヒトラー]]、[[ドイツ労働者党]]の党員となる(1919) | alt2 = ドイツ労働者党 }} {{multiple image | caption1 = [[ラスコー洞窟]]の壁画発見(1940) | alt1 = フランソワ1世 | image1 = Lascaux_painting.jpg | width1 = 90 | caption2 = [[グラン・サッソ襲撃]](1943)、幽閉されていた[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]を[[ナチス・ドイツ]]が救出。 | alt2 = グラン・サッソ襲撃 | image2 = Bundesarchiv_Bild_101I-567-1503A-07,_Gran_Sasso,_Mussolini_mit_deutschen_Fallschirmj%C3%A4gern.jpg | width2 = 90 }} {{multiple image | caption1 = [[キャニオンランズ国立公園]]発足(1964) | image1 = Grand_Viewpoint_Overlook.jpg | width1 = 90 | alt1 = キャニオンランズ国立公園 | image2 = IMG_0683.JPG | width2 = 90 | caption2 = [[香港ディズニーランド]]開園(2005) | alt2 = 香港ディズニーランド }} * [[紀元前490年]] - [[マラトンの戦い]](日付は諸説あり)。[[アテナイ]]・[[プラタイア]]連合軍が[[アケメネス朝]]遠征軍を撃破。[[マラトン]]からアテナイまで走って勝利を伝えた兵士の故事が[[マラソン]]の起源となる。 * [[1629年]]([[寛永]]6年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[紫衣事件]]。江戸幕府が高位・高徳の僧への紫衣の勅許を停止。 * [[1683年]] - [[第二次ウィーン包囲]]。[[オスマン帝国]]軍が大軍をもって[[神聖ローマ皇帝]]の居城[[ウィーン]]を攻撃するが、中央ヨーロッパ諸国連合軍に大敗。 * [[1814年]] - [[米英戦争]]: [[ボルティモアの戦い]]。 * [[1847年]] - [[米墨戦争]]: [[チャプルテペクの戦い]]。 * [[1848年]] - [[スイスの歴史]]: 連邦憲法が公布され、[[スイス|スイス連邦]]が樹立される<ref>{{Cite web |url=https://www.parlament.ch/en/über-das-parlament/Pages/bundesverfassung.aspx |title=FEDERAL CONSTITUTION|HISTORY |access-date=16 Feb 2023 |publisher=The Swiss Parliament |language=En}}</ref>。 * [[1871年]]([[明治]]4年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[兵部省]]海軍部に[[水路部 (日本海軍)|水路局]]を設置。 * [[1880年]] - フランス法の流れを汲む法律家、[[薩埵正邦]]らによって東京法学社が開校。翌年5月に[[東京法学校]]と改称。現在の[[法政大学]]。 * [[1881年]] - [[島根県]]から分離して[[鳥取県]]を再設置。 * [[1903年]] - 大阪市営電気鉄道築港線、花園橋〜築港桟橋間5kmを開業。 * [[1910年]] - [[ミュンヘン]]で[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の『[[交響曲第8番 (マーラー)|第8交響曲]]』が作曲者の指揮のもとで初演<ref>{{Cite web |url=http://nkmr1950.sakura.ne.jp/wp/2018/09/21/qkyo_370/ |title=4.交響曲第8番変ホ長調 |access-date=20 Oct 2023 |publisher=[[中村滋延]] |work=マーラー《交響曲第8番変ホ長調「一千人の交響曲」》}}</ref>。 * [[1913年]] - 『[[都新聞]]』で[[中里介山]]の小説『[[大菩薩峠 (小説)|大菩薩峠]]』が連載開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.hamura.tokyo.jp/0000001546.html |title=羽村市郷土博物館 コーナー4中里介山の世界 |access-date=15 Feb 2023 |publisher=羽村市教育委員会 生涯学習部郷土博物館 |date=1 Mar 2010}}</ref>。以降、掲載紙を変えながら28年間連載され、1941年に未完のまま終了。 * [[1917年]] - 日本の[[大蔵省]]が「金貨幣又ハ金地金輸出取締二関スル件」を公布。金輸出ならびに金鋳潰しが禁止された。 * [[1919年]] - [[アドルフ・ヒトラー]]が[[ドイツ労働者党]](後の[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチス))の集会にはじめて出席する。 * [[1920年]] - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[巡洋戦艦]]「[[榛名 (戦艦)|榛名]]」の1番砲塔内で榴弾破裂事故が発生し、15名の死傷者を出す。 * 1920年 - [[4月20日]]から開催されていた[[1920年アントワープオリンピック|第7回夏季オリンピック・アントワープ大会]]が閉幕。 * [[1929年]] - 武蔵高等工科学校(後の武蔵工業大学、現[[東京都市大学]])が開校<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tcu-jsh.ed.jp/prospectus/history |title=沿革|創立以来、歩んできた取り組みと歴史 |access-date=15 Feb 2023 |publisher=東京都市大学 附属中学校・高等学校}}</ref>。 * [[1933年]] - [[レオ・シラード]]が交差点で信号待ちをしているときに[[中性子]]による[[連鎖反応 (核分裂)|核連鎖反応]]のアイデアを思いつく。 * [[1938年]] - [[ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体#ズデーテン危機|ズデーテン危機]]: ナチス党大会の席上でアドルフ・ヒトラーが[[ズデーテン地方]]のドイツ系住民に[[民族自決]]権を認めるよう要求する。 * [[1940年]] - [[フランス]]の[[ラスコー洞窟]]で[[洞窟壁画]]が発見される。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: イタリア人捕虜を乗せた客船[[ラコニア (客船・2代)|ラコニア]]がドイツの潜水艦[[U-156 (潜水艦)|U-156]]の攻撃により沈没。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[ピエトロ・バドリオ|バドリオ]]政権によって幽閉されていた[[ベニート・ムッソリーニ]]が[[ナチス・ドイツ]]に救出される。([[グラン・サッソ襲撃]]) * [[1945年]] - 第二次世界大戦: 日本軍[[第7方面軍 (日本軍)|第7方面軍]]司令官[[板垣征四郎]]陸軍大将が[[シンガポール]]の現・{{仮リンク|シティホール (シンガポール)|label=シティホール|en|City Hall, Singapore}}でイギリス軍に対する降伏文書に調印。 * [[1952年]] - [[ウェストヴァージニア州]]{{仮リンク|フラットウッズ|en|Flatwoods, West Virginia}}で[[宇宙人]]もしくは[[未確認生物]]の「[[フラットウッズ・モンスター]]」が目撃される。 * [[1958年]] - [[ジャック・キルビー]]が[[集積回路]] (IC) のデモンストレーションを行う。 * [[1959年]] - [[ソビエト連邦]]の無人[[月]]探査機「[[ルナ2号]]」が打ち上げ。14日、史上初めて月の表面に到達。 * 1959年 - [[指揮者]]の[[小澤征爾]]が[[ブザンソン国際音楽祭#ブザンソン国際コンクール|ブザンソン国際指揮者コンクール]]で優勝<ref>{{Cite web|和書|url=https://konomanga.jp/guide/42507-2 |title=9月12日は小澤征爾(指揮者)がブザンソン国際コンクールで優勝した日 『天にひびき』を読もう! 【きょうのマンガ】 |access-date=15 Feb 2023 |publisher=[[宝島社]] |work=このマンガがすごい!WEB}}</ref>。 * [[1962年]] - [[日本原子力研究所]][[原子炉]]「[[JRR-3]]」が初の国産原子炉として[[臨界状態|臨界]]に達する<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/66988 |title=9月12日 国産原子炉が初の臨界(1962年) |access-date=15 Feb 2023 |publisher=[[講談社]] |work=サイエンス365days}}</ref>。 * [[1963年]] - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が[[松川事件]]の検察側による再上告を棄却。被告人全員の[[無罪]]が確定する。 * [[1964年]] - [[キャニオンランズ国立公園]]が発足する。 * 1964年 - 第1回[[リノ・エアレース]]が開幕する。 * [[1966年]] - アメリカの有人宇宙船「[[ジェミニ11号]]」が打ち上げ。 * 1966年 - 食品の[[コールドチェーン]](低温流通)第1号として福島のキュウリが東京の実験店で販売される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokushima-g-k.jp/2015/09/12/9月12日は-食品のコールドチェーンが始まった日/ |title=9月12日は「食品のコールドチェーンが始まった日」 |access-date=15 Feb 2023 |publisher=公益財団法人徳島県学校給食会 |date=11 Sep 2022}}</ref>。 * [[1974年]] - [[エチオピア帝国|エチオピア]]で[[クーデター]](エチオピア革命)。皇帝[[ハイレ・セラシエ1世]]が逮捕・廃位され、臨時軍事行政評議会に権力を移行、社会主義国家となる。 * [[1979年]] - [[岡山県]][[人形峠]]の[[動力炉・核燃料開発事業団]]の[[ウラン濃縮]]パイロットプラント「OP-1A」操業開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/800620_7513125_misc.pdf |title=人形峠周辺の環境放射線等測定報告書 |access-date=16 Feb 2023 |publisher=[[岡山県]] |page=101 |format=PDF}}</ref>。 * [[1980年]] - [[トルコ]]で[[9月12日クーデター]]が起こる。 * [[1982年]] - [[中国共産党]]第12回党大会で[[中国共産党中央委員会総書記|中央委員会総書記]]に[[胡耀邦]]、党軍事委主席に[[鄧小平]]を選出。 * [[1984年]] - [[グリコ・森永事件]]: [[グリコ・森永事件#森永製菓脅迫事件|森永製菓脅迫事件]]。「かい人21面相」がグリコに続いて[[森永製菓]]にも脅迫状を送る。 * [[1987年]] - [[マイケル・ジャクソン]]の初来日公演が[[東京都]][[文京区]]の[[後楽園球場]]からスタート。 * [[1988年]] - [[ハリケーン・ギルバート]]が[[ジャマイカ]]に上陸。その後[[メキシコ]]に再上陸し、あわせて341名の死者を出す。 * [[1990年]] - [[ドイツ再統一]]: 東西[[ドイツ]]と[[第二次世界大戦]]直後のドイツ占領4か国([[フランス]]・[[イギリス]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ソビエト連邦|ソ連]])が[[ドイツ最終規定条約]]に署名。 * [[1992年]] - 50回目の[[スペースシャトル]]ミッションとなる[[STS-47]]で[[スペースシャトル・エンデバー|エンデバー]]が打ち上げ。日本人2人目の宇宙飛行士・[[毛利衛]]と[[アフリカ系アメリカ人]]女性初の宇宙飛行士[[メイ・C・ジェミソン]]が搭乗。 * [[1992年]] - 日本全国の公立学校で、毎月第2土曜日を休業日とする月1回の[[学校週5日制]]が開始。 * [[2005年]] - [[香港ディズニーランド]]開園。 * [[2007年]] - [[スマトラ島沖地震 (2007年)|2007年スマトラ島沖地震]]。 * 2007年 - [[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]が[[国会 (日本)|国会]]での代表質問を前に辞任を表明。 * [[2012年]] - プロ野球[[阪神タイガース]]の[[金本知憲]]が現役引退を発表<ref>{{Cite web|和書|date=2012-09-13 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/13/kiji/K20120913004102790.html |title=金本 涙の引退…阪神社長“引退勧告”に抵抗も最後は決断 |publisher=[[スポーツニッポン]] |accessdate=14 Feb 2023 |website=Sponichi Annex}}</ref>。 * 2012年 - [[橋下徹]][[大阪市長]]を代表、[[松井一郎]][[大阪府知事]]を幹事長とする[[日本維新の会 (2012-2014)|日本維新の会]]が旗揚げ宣言<ref>{{Cite web|和書|date=2012-09-12 |url=https://news.ntv.co.jp/category/politics/213723 |title=「日本維新の会」が結党宣言、候補者公募へ |publisher=[[日テレNEWS24]] |accessdate=14 Feb 2023}}</ref>。 * [[2014年]] - 世界初となる[[人工多能性幹細胞]](iPS細胞)を使った手術が行われる<ref>{{Cite web|和書|date=2014-09-12 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASGG1201H_S4A910C1MM8000/ |title=iPS世界初の移植、目の難病患者に 理研と先端医療財団 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=14 Feb 2023}}</ref>。 * [[2019年]] - [[フランス]]当局から、[[Google]]が同国内の事業活動の一部について報告せず税金を滞納しているとして調査を受けていた件で、Googleが、フランス当局に約10億ユーロ(11億ドル)を支払うことで和解した<ref>{{Cite web |url=https://jp.reuters.com/article/france-google-tax-idJPKCN1VX2ZR |title=グーグルが仏政府との納税巡る争いで和解、10億ユーロ支払いへ |access-date=20 Oct 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=13 Sep 2019}}</ref>。 * [[2020年]] - [[アフガニスタン]]政府と反政府勢力[[ターリバーン|タリバン]]の代表者による和平協議が、[[カタール]]の[[ドーハ]]で始まる。およそ20年にわたって戦闘を続けてきた両者が、公の場で和平協議を行うのは初めて<ref>{{Cite web |url=https://jp.reuters.com/article/afghanistan-taliban-talks-idJPKBN26406L |title=アフガン和平協議、初の開催 即時停戦や女性の保護などが優先課題に |access-date=20 Oct 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=13 Sep 2020}}</ref>。 == 誕生日 == {{multiple image | caption1 = [[フランス王]][[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]](1494-1547)誕生 | alt1 = フランソワ1世 | image1 = Francis1-1.jpg | width1 = 90 | caption2 = [[伊勢国]][[津藩]]第6代[[藩主]][[藤堂高治]](1710-1735)誕生 | alt2 = 藤堂高治 | image2 = Todo Takaharu.jpg | width2 = 90 }} {{multiple image | footer = 画家[[アンゼルム・フォイエルバッハ (画家)|アンゼルム・フォイエルバッハ]](1829-1880)誕生。左画像は自画像(1852)、右画像は『イピゲネイア』(1862)。 | image1 = Anselm_Feuerbach_007.jpg | width1 = 90 | image2 = Feuerbach_Iphigenie1.jpg | width2 = 90 }} [[Image:Fernand_Khnopff_002.jpg|thumb|180x180px|画家[[フェルナン・クノップフ]](1858-1921)誕生。画像は 『スフィンクスの愛撫』(1896)]] {{multiple image | image1 = Onoe-Matsunosuke.jpg | width1 = 85 | caption1 = 目玉の松ちゃん、[[尾上松之助]](1875-1926)誕生 | alt1 = 尾上松之助 | image2 = Joliot-curie.jpg | width2 = 95 | caption2 = [[原子物理学|原子物理学者]][[イレーヌ・ジョリオ=キュリー]](1897-1956)誕生 | alt2 = イレーヌ・ジョリオ=キュリー }} {{multiple image | image1 = Maurice Chevalier 1934.JPG | width1 = 90 | caption1 = 20世紀最大のエンターテイナー、[[モーリス・シュヴァリエ]](1888-1972)誕生 | alt1 = モーリス・シュヴァリエ | caption2 = 戦後の[[日本共産党]]初代書記長[[徳田球一]](1894-1953)誕生 | image2 = Kyuichi_Tokuda_speech_1946.jpg | width2 = 90 | alt2 = 徳田球一 }} {{multiple image | caption1 = [[画家]][[ベン・シャーン]](1898-1969)誕生。画像は「サッコとバンゼッティの受難」 | alt1 = サッコとバンゼッティの受難 | image1 = Sacco&Vanzetti1.jpg | width1 = 90 | caption2 = [[サイエンス・フィクション|SF]]作家[[スタニスワフ・レム]](1921-2006)誕生 | alt2 = スタニスワフ・レム | image2 = Stanislaw_Lem_2.jpg | width2 = 90 }} [[Image:BertieAhernBerlin2007.jpg|thumb|122x122px|アイルランド首相、[[バーティ・アハーン]](1951-)]] * [[1492年]] - [[ロレンツォ2世・デ・メディチ]]、[[フィレンツェ共和国]]の支配者(+ [[1519年]]) * [[1494年]] - [[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]、[[フランス王]](+ [[1547年]]) * [[1710年]]([[宝永]]7年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[藤堂高治]]、[[津藩]]第6代[[藩主]]・[[久居藩]]第4代[[藩主]](+ [[1735年]]) * [[1737年]] - [[リチャード・バチェ]]、第2代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1811年]]) * [[1814年]]([[文化 (元号)|文化]]13年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[松平斉民]]、[[津山藩]]第8代[[藩主]](+ [[1891年]]) * [[1811年]] - [[ジェームズ・ホール (古生物学者)|ジェームズ・ホール]]、[[地質学者]]、[[古生物学者]](+ [[1898年]]) * [[1818年]] - [[リチャード・ジョーダン・ガトリング]]、[[発明家]](+ [[1903年]]) * [[1825年]] - [[カール・ドップラー]]、[[指揮者]]、[[作曲家]]、[[フルート奏者]](+ [[1900年]]) * [[1829年]] - [[アンゼルム・フォイエルバッハ (画家)|アンゼルム・フォイエルバッハ]]、[[画家]](+ [[1880年]]) * [[1830年]]([[文政]]13年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]) - [[米津政明]]、[[長瀞藩]]第4代[[藩主]](+ [[1899年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[8月7日 (旧暦)|8月7日]]) - [[九鬼隆一]]、政治家、旧[[綾部藩|綾部]][[藩士]](+ [[1931年]]) * 1852年 - [[ハーバート・ヘンリー・アスキス]]、[[イギリス首相]](+ [[1928年]]) * [[1858年]] - [[フェルナン・クノップフ]]、画家(+ [[1921年]]) * [[1875年]] - [[尾上松之助]]、[[俳優]](+ [[1926年]]) * [[1876年]] - [[相馬黒光]]、[[随筆家]]、[[実業家]](+ [[1955年]]) * [[1880年]] - [[富崎春昇]]、三味線奏者(+ [[1958年]]) * [[1887年]] - [[銭玄同]]、[[言語]][[文字]]改革家、文字[[中国音韻学|音韻学]]学者(+ [[1939年]]) * 1887年 - [[堅山南風]]、[[日本画家]](+ [[1980年]]) * [[1888年]] - [[モーリス・シュヴァリエ]]、俳優、[[歌手]](+ [[1972年]]) * [[1894年]] - [[徳田球一]]、[[政治家]]、[[日本共産党]]書記長(+ [[1953年]]) * [[1896年]] - [[河野与一]]、[[フランス文学者]]、[[哲学者]](+ [[1984年]]) * [[1897年]] - [[イレーヌ・ジョリオ=キュリー]]、[[原子物理学|原子物理学者]](+ [[1956年]]) * [[1898年]] - [[ベン・シャーン]]、画家(+ [[1969年]]) * [[1900年]] - [[ハスケル・カリー]]、[[数学者]]、[[論理学者]](+ [[1982年]]) * [[1902年]] - [[ジュセリーノ・クビチェック]]、[[ブラジル大統領]](+ [[1976年]]) * [[1903年]] - [[梅根悟]]、[[教育学者]](+ [[1980年]]) * [[1907年]] - [[スパッド・チャンドラー]]、元プロ野球選手(+ [[1990年]]) * [[1913年]] - [[豊田英二]]、[[トヨタ自動車]]第5代社長(+ [[2013年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/l3n0hd0yg-toyota-idJPTYE98G03J20130917 |title=トヨタ自、最高顧問の豊田英二氏が死去 |access-date=14 Feb 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=16 Sep 2013}}</ref>) * 1913年 - [[橋本菊子]]、女優(+[[2004年]]) * 1913年 - [[ジェシー・オーエンス]]、陸上選手(+ [[1980年]]) * [[1914年]] - [[デスモンド・リュウェリン]]、[[俳優]](+ [[1999年]]) * [[1920年]] - [[後藤喜八郎]]、[[武蔵野市]]第2代[[市長]](+ [[2007年]]) * [[1921年]] - [[スタニスワフ・レム]]、[[作家]](+ [[2006年]]) * [[1922年]] - [[内海桂子]]、[[漫才師]]、[[俳優|女優]](+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|title=内海桂子さん死去97歳 ナイツら若手育成にも尽力 - おくやみ : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202008280000101.html |access-date=2023-02-14 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=28 Aug 2020}}</ref>) * [[1923年]] - [[服部力 (野球)|服部力]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2012年]]) * [[1924年]] - [[田邊朋之]]、政治家、医師(+[[2002年]]) * 1924年 - [[アミルカル・カブラル]]、[[革命家]](+ [[1973年]]) * [[1925年]] - [[仁木安]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]) * [[1926年]] - [[西澤潤一]]、[[工学者]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20181027/k00/00e/040/008000c |title=訃報:西澤潤一さん 92歳=光通信や半導体レーザー開発 |publisher=[[毎日新聞]] |date=2018-10-26 |accessdate=14 Feb 2023}}</ref>) * [[1929年]] - [[沓掛哲男]]、[[政治家]] * [[1930年]] - [[鈴木章]]、[[化学者]] * 1930年 - [[カラベリ]]、[[指揮者]](+ [[2019年]]) * [[1931年]] - [[イアン・ホルム]]、俳優(+ [[2020年]]) * [[1932年]] - [[岡田豊]]、元プロ野球選手、元[[プロ野球審判員]] * 1932年 - [[二瓶秀雄]]、[[声優]]、俳優(+ [[2001年]]) * [[1936年]] - [[溝上恵]]、地震学者(+[[2010年]]) * [[1939年]] - [[大石信幸]]、元サッカー選手 * 1939年 - [[大野克夫]]、[[作曲家]] * 1939年 - [[西尾徳]]、声優(+ [[2005年]]) * [[1940年]] - [[ミッキー・ロリッチ]]、元プロ野球選手 * 1940年 - [[大塚祐司]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[千葉国男]]、政治家(+[[2010年]]) * [[1942年]] - [[関根伸夫]]、[[美術家]] * [[1943年]] - [[矢島勝彦]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[バリー・ホワイト]]、[[音楽プロデューサー]]、[[歌手]](+ [[2003年]]) * 1944年 - [[ウラディーミル・スピヴァコフ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]] * [[1945年]] - [[藤田弓子]]、女優 * 1945年 - [[佐々木孝次 (野球)|佐々木孝次]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[大島晃]]、漢文学者、[[上智大学]]名誉教授(+ [[2015年]]) * [[1948年]] - [[あがた森魚]]、[[歌手]] * 1948年 - [[岩崎忠義]]、プロ野球選手 * [[1949年]] - [[イリーナ・ロドニナ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1950年]] - [[中原勇]]、元プロ野球選手 * 1950年 - [[石鍋多加史]]、歌手、俳優 * [[1951年]] - [[猿橋望]]、[[実業家]]、[[NOVA]]創業者 * 1951年 - [[バーティ・アハーン]]、政治家、元[[アイルランドの首相|アイルランド首相]] * [[1952年]] - [[堀之紀]]、声優、俳優 * [[1953年]] - [[紅壱子]]、女優 * [[1954年]] - [[篠塚満由美]]、[[タレント]] * [[1955年]] - [[高橋洋一 (経済学者)|高橋洋一]]、経済学者 * [[1956年]] - [[佐藤善雄]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[音楽プロデューサー]](元[[ラッツ&スター]]) * 1956年 - [[レスリー・チャン]](張國榮)、俳優(+ [[2003年]]) * 1956年 - [[赤木正人]]、情報工学者 * [[1957年]] - [[戸田恵子]]、声優、女優 * 1957年 - [[石川武 (俳優)|石川武]]、俳優 * 1957年 - [[ハンス・ジマー]]、作曲家 * 1957年 - [[マイケル・ヘグストランド|ロード・ウォリアー・ホーク]]、[[プロレスラー]](+ [[2003年]]) * [[1958年]] - [[三遊亭竜楽]]、落語家 * [[1960年]] - [[羽岡邦男]]、心理学者 * 1960年 - [[月亭文都 (7代目)]]、上方噺家 * 1960年 - [[沓掛英二]]、実業家 * [[1962年]] - [[廣岡裕一]]、観光学者 * 1962年 - [[フィリップ・カッサール]]、[[ピアニスト]] * [[1963年]] - [[後藤ユタカ]]、[[漫画家]] * 1963年 - [[ラリサ・セレズネワ]]、フィギュアスケート選手 * [[1964年]] - [[古怒田健志]]、脚本家 * 1964年 - [[沢田ひろふみ]]、漫画家 * 1964年 - [[楠木建]]、経営学者 * [[1965年]] - [[岡本夏生]]、タレント * [[1966年]] - [[ベン・フォールズ]]、[[ピアニスト]] * 1967年 - [[高林孝行]]、元[[野球選手]] * 1967年 - [[田中美奈子]]、タレント、女優 * [[1968年]] - [[武川智美]]、アナウンサー * 1968年 - [[木田優夫]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[丸山茂樹]]、[[プロゴルファー]] * 1969年 - [[三船麻里子]]、フィットネスコーディネーター * 1969年 - [[幸田将和]]、元サッカー選手・指導者 * 1969年 - [[八塩圭子]]、[[フリーアナウンサー]] * [[1970年]] - [[相馬裕子]]、[[シンガーソングライター]] * 1970年 - [[北田晃三]]、[[柔道家]] * [[1971年]] - ゆうぞう、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[インスタントジョンソン]]) * [[1972年]] - [[朝日美穂]]、シンガーソングライター * 1972年 - [[ゆっきー]]、[[ローカルタレント]] * 1972年 - [[山本栄二]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[石川博崇]]、政治家 * 1973年 - [[ポール・ウォーカー]]、俳優(+ [[2013年]]) * 1973年 - [[中条比紗也]]、漫画家(+ [[2023年]]) * [[1974年]] - [[森慎二]]、元プロ野球選手(+ [[2017年]]) * 1974年 - [[鈴村健一]]、声優、ナレーター * 1974年 - [[千田淳一]]、記者、元アナウンサー * [[1975年]] - [[福田聡]]、雀士 * 1975年 - [[田場裕也]]、元ハンドボール選手、指導者 * [[1976年]] - [[浜島直子]]、ファッションモデル * 1976年 - [[光永泰一朗]]、シンガーソングライター * [[1977年]] - [[塚越賢]]、元ラグビー選手 * 1977年 - [[ダビデ・ダロスペダーレ]]、野球選手 * 1977年 - [[水津亜子]]、女優 * [[1978年]] - [[竹尾一真]]、俳優 * 1978年 - [[礒野佑子]]、[[アナウンサー]] * 1978年 - [[重成一人]]、[[競艇選手|ボートレーサー]] * 1978年 - [[豊島幸一]]、サッカー指導者 * 1978年 - [[池承珉]]、プロ野球選手 * [[1979年]] - [[服部整治]]、俳優 * 1979年 - [[竹中里美]]、タレント * 1979年 - [[こてつ|北村智]]、お笑い芸人(こてつ) * 1979年 - 岡安章介、お笑い芸人([[ななめ45°]]) * 1979年 - [[増田裕生]]、声優 * 1979年 - [[川岸強]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[吉浦貴志]]、元野球選手 * 1979年 - [[クリス・ベッグ]]、プロ野球選手 * [[1980年]] - [[マイサー・イズトゥリス]]、プロ野球選手 * 1980年 - [[姚明]]、[[バスケットボール]]選手 * 1980年 - [[白坂聡]]、元[[騎手]]、調教助手 * 1980年 - [[ガス・G]]、[[ギタリスト]] * 1980年 - [[マシュー・サボイ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1980年 - [[澤野弘之]]、作曲家、ピアニスト * [[1981年]] - [[葉山恵里]]、元アイドル、元女優 * 1981年 - [[ジェニファー・ハドソン]]、歌手、女優 * 1981年 - [[Noria]]、歌手、[[作詞家]](元[[BeForU]]) * 1981年 - [[三垣龍次]]、元プロボクサー * 1981年 - [[サビーナ・ヴォイタラ]]、フィギュアスケート選手 * 1981年 - [[ジェレッド・グズマン]]、フィギュアスケート選手 * 1981年 - [[グレッグ・ニクソン]]、陸上競技選手 * [[1982年]] - [[三船美佳]]、女優 * 1982年 - [[尾崎菜々]]、タレント * 1982年 - [[マリア・テレサ・ガウ]]、タレント * 1982年 - [[内野洋平]]、BMX選手 * 1982年 - [[中里篤史]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[小林亮]]、元サッカー選手 * [[1983年]] - [[福田聡志]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[国本和俊]]、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[松本まりか]]、女優 * 1984年 - [[横川雄介]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[ジョン・ヘイマー]]、フィギュアスケート選手 * [[1985年]] - [[水本裕貴]]、[[サッカー選手]] * 1985年 - [[英貴]]、漫画家 * [[1986年]] - [[長友佑都]]、サッカー選手 * 1986年 - [[工藤真由]]、歌手 * 1986年 - [[エミー・ロッサム]]、女優、歌手 * [[1987年]] - [[古賀香澄]]、バレーボール選手 * [[1988年]] - [[宮田聡子]]、ファッションモデル * [[1989年]] - [[三橋亜記]]、フィールドホッケー選手 * 1989年 - [[小手川宏基]]、サッカー選手 * 1989年 - [[アンドリュー・ラック]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1990年]] - [[松谷浩平]]、陸上競技選手 * 1990年 - [[国本雄資]]、レーシングドライバー * 1990年 - ミニョン、アイドル、ミュージシャン([[Brave Girls]]) * [[1991年]] - [[メガテラ・ゼロ]]、歌手([[Mr.FanTastiC]]) * [[1992年]] - [[プリシラ・アラベス]]、フィギュアスケート選手 * 1992年 - [[マット・ウィスラー]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[キーナン・ミドルトン]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[橋渡竜馬]]、俳優 * 1994年 - [[RM (ラッパー)|RM]]、歌手、ラッパー([[BTS (音楽グループ)|BTS]]) * [[1995年]] - [[石原雅子]]、元アイドル([[NMB48]]) * 1995年 - [[中原詩乃]]、ミュージカル俳優 * [[1996年]] - [[中村莟玉]]、歌舞伎役者 * 1996年 - [[植田紗々]]、女優 * [[1997年]] - [[中島由貴 (声優)|中島由貴]]、声優、モデル(元[[アース・スター ドリーム]]) * 1997年 - [[武内駿輔]]、声優 * [[1998年]] - [[羽柴なつみ]]、女優、インフルエンサー * 1998年 - [[込山榛香]]、アイドル ([[AKB48]]) * [[1999年]] - [[山下輝]]、プロ野球選手 * 1999年 - MAYU、歌手([[Little Glee Monster]]) * [[2000年]] - [[石上まひな]]、タレント、女優 * [[2001年]] - [[染野唯月]]、サッカー選手 * 2001年 - [[田中美久]]、アイドル([[HKT48]]) * [[2002年]] - [[柴圭汰]]、サッカー選手 * [[2003年]] - [[四海結稀奈]]、サッカー選手 * 生年不明 - [[岩渕友紀]]、声優 * 生年不明 - [[梅田貴公美]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pro-baobab.jp/ladies/umeda_k/index.html |title=梅田 貴公美 |publisher=[[ぷろだくしょんバオバブ]] |accessdate=14 Feb 2023}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[柴崎哲志]]、声優 * 生年不明 - [[布目貞雄]]、声優 * 生年不明 - [[山田奈都美]]、声優 * 生年不明 - [[ランズベリー・アーサー]]、声優 * 生年非公表 - [[眉村ちあき]]、アイドル、シンガーソングライター == 忌日 == {{multiple image | image1 = ByzantineBillonTrachy.jpg | width1 = 90 | caption1 = 東ローマ帝国皇帝[[アンドロニコス1世コムネノス]](1123-1185)、民衆に虐殺される | alt1 = アンドロニコス1世コムネノス | image2 = Sasaki_D%C5%8Dyo.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[佐々木道誉]](1296-1373)没 | alt2 = 佐々木道誉 }} {{multiple image | image1 = Afonsoviportugal.jpg | width1 = 90 | caption1 = ポルトガル王「勝利王」[[アフォンソ6世 (ポルトガル王)|アフォンソ6世]](1643-1683)没 | alt1 = アフォンソ6世 | caption2 = [[モスクワ・ロシア]]のツァーリ、[[ヴァシーリー4世]](1552-1612)没 | image2 = Basil_IV.jpg | width2 = 90 | alt2 = ヴァシーリー4世 }} {{multiple image | image1 = Cinq_Mars.jpeg | width1 = 90 | caption1 = [[サン=マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ]](1620-1642)刑死 | alt1 = サン=マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ | image2 = Jean-Philippe_Rameau_by_Jean-Jacques_Caffieri_-_20080203-03.jpg | width2 = 90 | caption2 = 作曲家[[ジャン=フィリップ・ラモー]](1683-1764)没 | alt2 = ジャン=フィリップ・ラモー }} {{multiple image | image1 = Franz_Xaver_Richter.jpg | width1 = 90 | caption1 = 作曲家[[フランツ・クサヴァー・リヒター]](1709-1789)没 | alt1 = フランツ・クサヴァー・リヒター | image2 = %E5%8D%81%E8%BF%94%E8%88%8E%E4%B8%80%E4%B9%9D.jpg | width2 = 90 | caption2 = 『[[東海道中膝栗毛]]』の作者、[[十返舎一九]](1765-1831)没 | alt2 = 十返舎一九 }} {{multiple image | image1 = William_Walker_by_Brady.jpg | width1 = 90 | caption1 = ニカラグア大統領[[ウィリアム・ウォーカー]](1824-1860)、[[ホンジュラス]]で刑死 | alt1 = ウィリアム・ウォーカー | image2 = Fran%C3%A7ois_Pierre_Guillaume_Guizot.jpg | width2 = 90 | caption2 = フランス首相・歴史家、[[フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾー]](1787-1874) | alt2 = フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾー }} {{multiple image | image1 = George_Reid_bust.jpg | width1 = 90 | caption1 = オーストラリア第4代首相、[[ジョージ・リード (オーストラリアの政治家)|ジョージ・リード]](1845-1918) | alt1 = ジョージ・リード | image2 = Fustel_de_Coulanges.jpg | width2 = 90 | caption2 = 歴史家[[フュステル・ド・クーランジュ]](1830-1889) | alt2 = フュステル・ド・クーランジュ }} === 人物 === * [[1185年]] - [[アンドロニコス1世コムネノス]]、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]](* [[1123年]]) * [[1213年]] - [[ペドロ2世 (アラゴン王)|ペドロ2世]]、[[アラゴン王国|アラゴン王]](* [[1174年]]) * [[1264年]]([[文永]]元年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[北条長時]]、[[鎌倉幕府]]第6代[[執権]] (* [[1230年]]) * [[1373年]]([[応安]]6年/文中2年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]]) - [[佐々木道誉]]、[[ばさら|婆沙羅大名]]の代表格として知られる[[守護大名]](* [[1519年]]) * [[1582年]]([[天正]]10年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[井伊直虎]]、[[武将|戦国武将]] * [[1612年]] - [[ヴァシーリー4世]]、[[ロシア帝国|ロシア]]の[[ツァーリ]](* [[1552年]]) * [[1642年]] - [[サン=マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ]]、[[ルイ13世 (フランス王)|フランス王ルイ13世]]の廷臣(* [[1620年]]) * [[1676年]]([[延宝]]4年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]) - [[顕子女王]]、[[徳川家綱]]の[[正室]](* [[1640年]]) * [[1683年]] - [[アフォンソ6世 (ポルトガル王)|アフォンソ6世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1643年]]) * [[1739年]] - [[エルンスト・ルートヴィヒ (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|エルンスト・ルートヴィヒ]]、[[ヘッセン=ダルムシュタット方伯領|ヘッセン=ダルムシュタット方伯]](* [[1667年]]) * 1739年 - [[ラインハルト・カイザー]]、作曲家(* [[1674年]]) * [[1764年]] - [[ジャン=フィリップ・ラモー]]、作曲家(* [[1683年]]) * [[1789年]] - [[フランツ・クサヴァー・リヒター]]、作曲家(* [[1709年]]) * [[1794年]]([[寛政]]6年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[松平康哉]]、[[津山藩|津山藩主]](* [[1752年]]) * [[1813年]] - [[エドムンド・ランドルフ]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1753年]]) * [[1814年]]([[文化 (元号)|文化]]11年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) - [[津太夫]]、日本人初の[[世界一周]]達成者 (* [[1744年]]) * [[1819年]] - [[ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル]]、[[プロイセン王国|プロイセン陸軍]]の[[元帥]](* [[1742年]]) * [[1831年]]([[天保]]2年[[8月7日 (旧暦)|8月7日]]) - [[十返舎一九]]、[[浄瑠璃]]、[[滑稽本]]作者(* [[1765年]]) * [[1850年]] - [[プレスリー・オバノン]]、[[第一次バーバリ戦争]]の英雄として知られる[[アメリカ海兵隊]]の[[士官]](* [[1776年]]) * [[1853年]]([[嘉永]]6年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[酒井忠宝 (姫路藩主)|酒井忠宝]]、[[姫路藩|姫路藩主]](* [[1829年]]) * [[1860年]] - [[ウィリアム・ウォーカー]]、[[傭兵]]、[[冒険家]]、[[ニカラグア]]大統領(* [[1824年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]) - [[江村彦之進]]、[[尊王攘夷]][[志士]](* [[1832年]]) * 1864年(元治元年8月12日) - [[兒玉次郎彦]]、尊王攘夷志士(* [[1842年]]) * [[1874年]] - [[フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾー]]、[[歴史家]]、[[フランスの首相|フランス首相]](* [[1787年]]) * [[1876年]] - [[ヘンリー・アレクサンダー・ワイズ]]、[[バージニア州知事]](* [[1806年]]) * [[1877年]] - [[ユリウス・リーツ]]<ref>{{cite journal|title=Dr. Julius Rietz.|journal=Dwight's Journal of Music: A Paper of Art and Literature|pages=113|date=October 27, 1877|volume=37|issue=15|last=Dwight|first=John Sullivan |url=https://books.google.co.jp/books?id=anE_AAAAMAAJ&pg=PA113&dq=%22julius+rietz%22+dwight+john&ei=pk8RR5ySH4P06wLBq-XQBw&redir_esc=y&hl=ja}}(『[[ミュージカル・タイムズ|ロンドン・ミュージカル・タイムズ]]』誌の訃報欄からの抜粋)</ref>、[[指揮者]]、[[チェリスト]]、[[作曲家]](* [[1812年]]) * [[1889年]] - [[フュステル・ド・クーランジュ]]、[[歴史学者]](* [[1830年]]) * [[1907年]] - [[笑福亭福助]]、[[落語家]] * [[1917年]] - [[エレオノーレ・ロイス・ツー・ケストリッツ]]、[[フェルディナント (ブルガリア王)|ブルガリア王フェルディナント]]の妃(* [[1860年]]) * [[1918年]] - [[ジョージ・リード (オーストラリアの政治家)|ジョージ・リード]]、[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](* [[1845年]]) * [[1929年]] - [[ユゼフ・カレンバハ]]、[[文学史|文学史家]](* [[1861年]]) * [[1931年]] - [[堤清六]]、[[実業家]]・日魯漁業([[ニチロ]])創業者(* [[1880年]]) * [[1932年]] - [[吉岡弘毅]]、[[外交官]]、[[キリスト教]][[牧師]](* [[1847年]]) * [[1940年]] - [[中村歌右衛門 (5代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1866年]]) * [[1944年]] - [[梶岡定道]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[中将]](* [[1891年]]) * [[1945年]] - [[杉山元]]、[[陸軍大臣]](* [[1880年]]) * [[1948年]] - [[二村定一]]、[[歌手]](* [[1900年]]) * [[1951年]] - [[草野豹一郎]]、[[法律家]](* [[1886年]]) * [[1953年]] - [[ヒューゴ・シュマイザー]]、[[銃|銃器]][[技術者]](* [[1884年]]) * 1953年 - [[大澤雅休]]、[[書道|書家]](* [[1890年]]) * [[1961年]] - [[麻生豊]]、[[漫画家]](* [[1898年]]) * [[1963年]] - [[モデスト・アルトシュラー]]、作曲家(* [[1873年]]) * [[1970年]] - [[ジェイコブ・ヴァイナー]]、[[経済学者]](* [[1892年]]) * [[1977年]] - [[スティーヴ・ビコ]]、[[アパルトヘイト]]時代の黒人意識運動活動家(* [[1946年]]) * [[1979年]] - [[レス・クラーク]]、[[アニメーター]](* [[1907年]]) * [[1981年]] - [[エウジェーニオ・モンターレ]]、[[詩人]](* [[1896年]]) * [[1982年]] - [[フェデリコ・モレーノ・トローバ]]、作曲家、[[指揮者]](* [[1891年]]) * [[1983年]] - [[仁木多鶴子]]、[[俳優|女優]](* [[1939年]]) * [[1984年]] - [[イボン・ペトラ]]、[[テニス]]選手(* [[1916年]]) * [[1985年]] - [[源氏鶏太]]、[[小説家]](* [[1912年]]) * [[1987年]] - [[ジョーゼフ・ロートン・コリンズ]]、[[アメリカ陸軍]]の参謀総長(* [[1896年]]) * [[1988年]] - [[松原良明]]、元[[プロ野球選手]](* [[1948年]]) * [[1991年]] - [[伊達三郎]]、俳優(* [[1924年]]) * [[1992年]] - [[是川銀蔵]]、[[投資家]]、[[相場師]](* [[1897年]]) * 1992年 - [[アンソニー・パーキンス]]、俳優(* [[1932年]]) * [[1993年]] - [[レイモンド・バー]]、俳優(* [[1917年]]) * 1993年 - [[久喜勲]]、元プロ野球選手(* [[1926年]]) * [[1995年]] - [[ジェレミー・ブレット]]、俳優(* [[1933年]]) * 1995年 - [[永井康友]]、[[オートバイ]]の[[ロードレース (オートバイ)|ロードレース]]選手(* [[1965年]]) * [[1997年]] - [[寺島達夫]]、俳優、元プロ野球選手(* [[1936年]]) * [[1998年]] - [[関根慶子]]、[[日本文学研究者|国文学者]](* [[1909年]]) * [[2001年]] - [[ヴィクター・ウォン]]、俳優(* [[1927年]]) * [[2002年]] - [[奈良林祥]]、[[医学者]](* [[1919年]]) * 2002年 - [[池田三男]]、[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手(* [[1935年]]) * [[2003年]] - [[ジョニー・キャッシュ]]、[[カントリー・ミュージック]]歌手(* [[1932年]]) * [[2004年]] - [[島田修二]]、[[歌人]](* [[1928年]]) * [[2005年]] - [[鈴木久男]]、[[珠算]]史研究家(* [[1924年]]) * [[2008年]] - [[デヴィッド・フォスター・ウォレス]]、小説家(* [[1962年]]) * [[2009年]] - [[ノーマン・ボーローグ]]、[[農学者]](* [[1914年]]) * [[2013年]] - [[レイ・ドルビー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2968028 |title=音響技術のパイオニア、レイ・ドルビー氏が死去 80歳 |access-date=14 Feb 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |date=13 Sep 2013 |website=AFP BB News}}</ref>、音響技術者、[[ドルビーラボラトリーズ]]創立者(* [[1933年]]) * [[2014年]] - [[ジョー・サンプル]]<ref>[https://www.facebook.com/joesampleofficial/posts/10152682607074706 Joe_Sample] </ref>、ジャズ[[ピアノ|ピアニスト]](* [[1939年]]) * [[2015年]] - [[アドリアン・フルティガー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.swissinfo.ch/jpn/書体-ユニバース-の生みの親_欧文書体の巨匠-アドリアン-フルティガー死去/41669934 |title=欧文書体の巨匠、アドリアン・フルティガー死去 |access-date=14 Feb 2023 |publisher=SWI swissinfo.ch |date=18 Sep 2015}}</ref>、[[書体デザイナー]](* [[1928年]]) * [[2021年]] - [[大久保一久]]、フォークシンガー、シンガーソングライター(* [[1950年]]) * [[2022年]] - [[水野龍司]]、俳優、声優(* [[1952年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2019年]] - [[チョウカイキャロル]]、[[競走馬]](* [[1991年]]) * [[2021年]] - [[ウメノファイバー]]、競走馬(* [[1996年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == [[File:STS-47 crew.jpg|thumb|180x180px|[[STS-47]]、[[スペースシャトル・エンデバー|エンデバー]]打ち上げ(1992)。画像一番右に日本人2人目の宇宙飛行士[[毛利衛]]、その左後に[[メイ・C・ジェミソン]]]] {{multiple image | caption1 = 米国メリーランド州にある星形要塞[[フォートマクヘンリー]]。[[ボルティモアの戦い]](1814)が米国歌『[[星条旗 (国歌)|星条旗]]』の由来。 | alt1 = フォートマクヘンリー | image1 = Fort_McHenry2.JPG | width1 = 90 | caption2 = [[聖パトリック大隊]]の処刑(1847) | alt2 = 聖パトリック大隊の処刑 | image2 = Sanpatricioshang.jpg | width2 = 90 }} [[File:Selassie.jpg|thumb|224x224px|[[エチオピア帝国]]の[[ハイレ・セラシエ1世]]廃位(1974)。[[エチオピア]]の革命記念日]] * [[宇宙の日]]({{JPN}}) *:[[1992年]]が国際宇宙年だったことを記念して、科学技術庁や文部省宇宙科学研究所などからなる「日本国際宇宙年協議会」が日本にとってふさわしい宇宙の日を公募し、[[毛利衛]]が[[スペースシャトル]]で宇宙へ飛び立った9月12日が選ばれた。 *[[鳥取|とっとり]][[県民の日]]([[鳥取県]]) *: [[1881年]]のこの日に[[島根県]]から分離して鳥取県が再設置されたことに由来。鳥取県が[[1998年]]に制定。 *秋のメープルもみじの日({{JPN}}) *:広島県広島市の洋菓子製造販売会社サンエールが制定。同社の洋菓子の販促と、広島県がもみじの名所であることを国内外に発信することが目的。日付は、[[1966年]]のこの日、広島県の県の木が「モミジ」に決定したことから。 * クイズの日({{JPN}}) *:日本初のクイズ総合商社である株式会社キュービックが制定。クイズの魅力、面白さ、奥深さをさらに多くの人に知ってもらうのが目的。日付は9と12で「ク(9)イ(1)ズ(2)」と読む語呂合わせから。 * 水路記念日({{JPN}}) *: [[明治]]4年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]](新暦の[[1871年]]9月12日)に[[兵部省]]海軍部[[水路部 (日本海軍)|水路局]]が設置されたことに由来。運輸省水路部(現在の[[海上保安庁]][[海洋情報部]])が[[1947年]]に制定。水路業務について広く理解と協力を求めることが目的。[[1971年]]に新暦に換算された現在の日付に変更された。 * ナショナルデー({{CPV}}) * 革命記念日({{ETH}}) *: 1974年のこの日、[[エチオピア革命]]により帝政が廃され臨時軍事行政評議会に権力が移行したことを記念<ref>{{Cite journal|和書|author=小田英郎 |date=1981-03 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00224504-19810315-0137 |title=エチオピア革命、一九七四年 |journal=法學研究 : 法律・政治・社会 |ISSN=0389-0538 |publisher=慶應義塾大学法学研究会 |volume=54 |issue=3 |page=138 |CRID=1050845763886219264}}</ref>。 * {{仮リンク|防衛者の日|en|Defenders Day}}({{USA}}、[[メリーランド州]]) *: [[1814年]]のこの日にはじまる[[ボルティモアの戦い]]([[米英戦争]])で[[ボルティモア]]を守り通したことを記念する州の祝日<ref>{{Cite web |url=http://www.msa.md.gov/msa/mdmanual/01glance/html/holidayl.html |title=MARYLAND AT A GLANCE HOLIDAYS|September 12 Defenders' Day |access-date=16 Feb 2023 |publisher=Maryland State Archives Maryland Manual On-Line |language=En}}</ref>。 * [[聖パトリック大隊]]の処刑の記念日({{MEX}}) *: [[1847年]]のこの日、アメリカ合衆国から逃れメキシコのために戦った[[聖パトリック大隊]]の30名が絞殺されたとされることにちなむ記念日。 * [[プログラマーの日]]({{RUS}}、[[閏年]]の場合) *: 1年の[[256]]日目の日であることから。(閏年でない場合は[[9月13日]]) {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0912|date=May 2023}} === 誕生日(フィクション) === * [[1857年]](安政4年) - 高荷恵、アニメ・漫画『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://rurouni-kenshin.com/character/chara5.html |title=高荷恵|work=『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』 |publisher=[[和月伸宏]]/[[集英社]]・「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」製作委員会|accessdate=12 Sep 2023}}</ref> * [[2001年]] - [[新世紀エヴァンゲリオンの登場人物#第壱中学校の生徒|相田ケンスケ]]、アニメ・漫画『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |author=特務機関調査プロジェクトチーム |year=1997 |title=新世紀エヴァンゲリオン完全解体全書―新たなる謎と伝説 |page=208 |publisher=[[青春出版社]] |isbn= 978-4-413-03073-1}}</ref> * [[2056年]] - スティーブ・D・ケニー、ゲーム『[[スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=71|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * [[宇宙世紀]]0062年 - [[セイラ・マス]]、アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pachimaga.com/ads/b_calendar/detail.php?day=0912002 |title=セイラ・マス |access-date=6 May 2023 |publisher=パチンコ攻略マガジン・パチスロ攻略マガジン公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 天ノ川きらら、アニメ『[[Go!プリンセスプリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/character/curetwinkle.php |title=キュアトゥインクル 天ノ川きらら |access-date=2022-11-30 |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC]]・[[東映アニメーション]] |work=『Go!プリンセスプリキュア』}}</ref><ref>『プリキュア新聞 2015年春号』,日刊スポーツ新聞社,2015年3月13日発行。</ref> * 生年不明 - 向日岳人、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1701250505073172693}}</ref> * 生年不明 - インカ(ラ)マッ、漫画・アニメ『[[ゴールデンカムイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kamuy_official|1569159314862112770}}</ref> * 生年不明 - アガシャ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|teshi_kuro413|1569158934245564418}}</ref> * 生年不明 - サミュエル=ゴールド=ヒューストン、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|year=2009|page=67頁|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref> * 生年不明 - 岩崎みなみ、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>『ら・ら・ら らき☆すた ファンブック』([[月刊コンプエース]]2007年9月号付録)[[角川書店]]、2007年、9頁。</ref> * 生年不明 - 笹島学人、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://7o3x.com/char/profiles.html#4 |title=笹島学人 |publisher=[[杉基イクラ]]/[[KADOKAWA]] 7○3×クイズ研究会 |accessdate=6 May 2023 |work=アニメ『ナナマル サンバツ』}}</ref> * 生年不明 - 猪瀬舞、漫画・アニメ『[[恋する小惑星]]』に登場するキャラクター<ref name="OfficialChara03">{{Cite web|和書 |url=http://koiastv.com/chara03.html |title=Character 猪瀬舞 |work=『恋する小惑星』 |publisher=星咲高校地学部 |accessdate=20 Oct 2023}}</ref> * 生年不明 - 穂月かえで、漫画・アニメ『[[お兄ちゃんはおしまい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onimai.jp/character/kaede.html |title=穂月かえで |access-date=6 May 2023 |publisher=[[ねことうふ]]・[[一迅社]]/「おにまい」製作委員会 |work=『お兄ちゃんはおしまい!』}}</ref> * 生年不明 - 星宮六喰、小説・アニメ『[[デート・ア・ライブ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|date_a_info|1569158866348146688}}</ref> * 生年不明 - ペパロニ、アニメ・漫画・ゲーム『[[ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|garupan_app|907456556165251072}}</ref> * 生年不明 - 織部凛々子、アニメ『[[サクラクエスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=織部凛々子 |url=http://sakura-quest.com/character/character04.html |access-date=6 May 2023 |publisher=サクラクエスト製作委員会 |work=『サクラクエスト』}}</ref> * 生年不明 - 久我壱星、アニメ『[[TSUKIPRO THE ANIMATION]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://tsukino-pro.com/talent_artist/talent_artist-cat2/sq-ta/kuga-issei-ta/ |title= TALENT 久我壱星 |publisher=TSUINO TALENT PRODUCION |accessdate= 6 May 2023}}</ref> * 生年不明 - 久我壱流、アニメ『TSUKIPRO THE ANIMATION』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://tsukino-pro.com/talent_artist/talent_artist-cat2/sq-ta/kuga-ichiru-ta/ |title= TALENT 久我壱流 |publisher=TSUINO TALENT PRODUCION |accessdate= 6 May 2023}}</ref> * 生年不明 - センリ(豊島千里)、アニメ『[[W'z《ウィズ》]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://wz-anime.net/character/ |title=CHARACTER センリ |access-date=20 Oct 2023 |publisher=[[GoHands]],[[フロンティアワークス|Frontier Works]]/W'z-Project |work=『W'z《ウィズ》』}}</ref> * 生年不明 - 八神純、アニメ『[[リーマンズクラブ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://rymansclub.com/character/unisics/ |title=UNISICS|Character 八神純 |access-date=20 Oct 2023 |publisher=Team RMC/サンライトビバレッジ広報部 |work=『リーマンズクラブ』}}</ref> * 生年不明 - ねるら、アニメ『[[アキバ冥途戦争|アキバ冥土戦争]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://akibamaidwar.com/character/detail/?character=nerula |title=ねるら |accessdate=6 May 2023 |work=『アキバ冥途戦争』 |publisher=「アキバ冥途戦争」製作委員会}}</ref> * 生年不明 - [[にゃんばろう]]、[[大阪市交通局]]および[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)のマスコットキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20200615_nyambarou_o_sagase.php |title=にゃんばろうと一緒に大阪で楽しもう! 謎解きラリー「にゃんばろうを探せ!」を開催します 【中止とさせていただきます】 |publisher=Osaka Metro Co. |accessdate= 6 May 2023}}</ref> * 生年不明 - クロニカ、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=502 |title=クロニカ |access-date=20 Oct 2023 |publisher=[[コナミアミューズメント|Konami Amusement]] |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref> * 生年不明 - ライラ、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=503 |title=ライラ |access-date=20 Oct 2023 |publisher=[[コナミアミューズメント|Konami Amusement]] |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref> * 生年不明 - 式守伊吹、ゲーム・アニメ『[[はぴねす!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://windmill.suki.jp/product/6th/chara2.htm |title=キャラクター紹介 式守伊吹 |access-date=6 May 2023 |publisher=[[ういんどみる]] |work=『はぴねす!』}}</ref> * 生年不明 - 今宮紀子、ゲーム『[[ぶらばん! -The bonds of melody-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=12 Sep 2011 |url=http://yuzu-soft.sblo.jp/article/47882161.html |title=誕生日!: ゆずログ |publisher=yuzu-soft |accessdate= 6 May 2023}}</ref> * 生年不明 - 笛吹遥、ゲーム『[[NOeSIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://noe-sis.jp/character.php |title=CHARACTER 笛吹 遥 |access-date=20 Oct 2023 |publisher=SpiritWorks/SHOCHIKU NAVI |work=『NOeSIS』}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#夢見りあむ|夢見りあむ]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/20182 |title=夢見 りあむ(ゆめみ りあむ) |access-date=6 May 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THEIDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 東野梓、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)|ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130517_163270/ |title=【ガールフレンド(仮)通信39】ピンポン女子高生 東野梓ちゃん |access-date= 6 May 2023 |publisher=ファミ通App |date=17 May 2013}}</ref> * 生年不明 - クリシャ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-169 |title=クリシャ |publisher=Vespa Inc |accessdate= 6 May 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210613090732/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=169 |archivedate=13 Jun 2021 |work=『キングスレイド』}}</ref> * 生年不明 - ボードワン、ゲーム『キングスレイド』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-132 |title=ボードワン |publisher=Vespa Inc |accessdate= 6 May 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210613090140/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=132 |archivedate=2022-06-13 |work=『キングスレイド』}}</ref> * 生年不明 - 北条コスモ、ゲーム・アニメ『[[プリパラ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>「プリパラ&プリティーリズム パーフェクトワールド」36ページより</ref><ref>{{Cite book|和書|author=柴崎恵美子|title=テレビ超ひゃっか プリパラ アイドルずかん|publisher=小学館|year=2016|page=27|isbn=978-4-09-750417-7}}</ref> * 生年不明 - カリン、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1701415330369921123}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://priconne-redive.jp/ele-wp/wp-content/themes/redive/character/58.php |title=カリン |access-date=10 Oct 2023 |publisher=[[Cygames]] |work=『プリンセスコネクト!Re:Dive』}}</ref> * 生年不明 - [[旭那由多]]、ゲーム・アニメ『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|argonavis_info|1568977679092629504}}</ref> * 生年不明 - ジャミル・バイパー、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/jamil |title=ジャミル・バイパー |access-date=20 Oct 2023 |publisher=[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|Disney]] [[Aniplex]] |work=『DISNEY TWISTED-WONDERLAND』}}</ref> * 生年不明 - [[ラブライブ!#南ことり|南ことり]]、メディアミックス『[[ラブライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/member/member03.html |publisher=プロジェクトラブライブ! |work=『ラブライブ!』 |title=南 ことり |accessdate=6 May 2023}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|September 12|12 September}} {{新暦365日|9|11|9|13|[[8月12日]]|[[10月12日]]|[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]|0912|9|12}} {{1年の月と日}}
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9月21日
9月21日(くがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から264日目(閏年では265日目)にあたり、年末まであと101日ある。
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9月21日(くがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から264日目(閏年では265日目)にあたり、年末まであと101日ある。
{{カレンダー_9月}} '''9月21日'''(くがつにじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から264日目([[閏年]]では265日目)にあたり、年末まであと101日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[1898年]]、[[戊戌の政変]]。西太后が光緒帝を幽閉 | image1 = Emperor Guangxu in Ordinary Clothes.jpg | width1 = 100 | alt1 = 光緒帝 | image2 = The Portrait of the Qing Dynasty Cixi Imperial Dowager Empress of China in the 1900s.PNG | width2 = 100 | alt2 = 西太后 }} [[File:Oppau Explosion 1921.JPG|thumb|200px|[[1921年]]、[[オッパウ大爆発]]]] * [[455年]] - この年の[[7月9日]]に[[西ローマ皇帝]]に即位した[[アウィトゥス]]が[[ローマ]]に入る。 * [[1217年]] - [[北方十字軍]]: [[聖マタイの日の戦い]]。 * [[1435年]] - [[アラスの和約 (1435年)|アラスの和約]]: [[フランス王国|フランス]]と[[ブルゴーニュ公国|ブルゴーニュ]]が講和条約を締結<ref>{{Cite web |url=https://www.oxfordreference.com/display/10.1093/oi/authority.20110803095425713;jsessionid=D070EC5E5805DB681B25E859BC9C1A13 |title=Congress of Arras |access-date=19 Mar 2023 |publisher=Oxford Reference}}</ref>。 * [[1457年]] - [[アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク]]の創立文書(Fundationsbrief)が発効。 * [[1551年]] - {{仮リンク|メキシコ王立教皇大学|en|Royal and Pontifical University of Mexico}}創設。 * [[1687年]] - [[ムガル帝国]]遠征軍によりゴルコンダ要塞陥落。[[クトゥーブ・シャーヒー王国]]終焉。 * [[1711年]] - {{仮リンク|レネ・デュゲ・トルアン|en|René Duguay-Trouin}}が[[リオデジャネイロ]]を占領する。 * [[1745年]] - [[1745年ジャコバイト蜂起]]: {{仮リンク|プレストンパンズの戦い|en|Battle of Prestonpans}}。 * [[1792年]] - [[フランス革命]]:[[フランス]]の[[国民公会]]が[[君主制]]廃止・[[共和制]]宣言を議決。[[フランス第一共和政]]が開始。 * [[1793年]] - [[ヴァンデの反乱]]: [[第二次モンテギューの戦い]]。 * [[1846年]] - [[米墨戦争]]:[[モンテレーの戦い]]がはじまる。 * [[1860年]] - [[アロー戦争]]: [[八里橋の戦い]]。 * [[1897年]] - 『[[ザ・サン (1833年創刊)|ニューヨーク・サン]]』に社説「[[サンタクロースっているんでしょうか?]]」が掲載される。 * [[1898年]]([[光緒]]24年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[戊戌の政変]]の終焉: [[西太后]]が[[戊戌の変法]]を推進していた官僚らを粛清。変法を支持していた[[光緒帝]]を幽閉した。 * [[1918年]] - [[1918年米騒動|米騒動]]などにより[[寺内内閣|寺内正毅内閣]]が総辞職。 * [[1920年]] - [[ポール・デシャネル]]が精神状況の悪化の為[[フランスの大統領]]職を辞任。 * [[1921年]] - [[オッパウ大爆発]]: [[ドイツ]]のオッパウで、貯蔵していた4,500トンの[[化学肥料]]が爆発。509名が死亡、行方不明者160名、負傷者1,952名という大惨事となった。 * [[1926年]] - 株式会社岡田屋呉服店(現在の[[イオングループ]])設立。 * [[1927年]] - [[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の[[三越|三越呉服店]]で日本初の[[ファッションショー]]を開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinchosha.co.jp/news/article/2133/ |title=日本橋「三越」が日本初のファッションショーを開催 (昭和2年9月21日) |access-date=19 Mar 2023 |publisher=[[新潮社]]}}</ref>。 * [[1931年]] - [[イギリス]]が[[金本位制]]を放棄。 * 1931年 - [[満州事変]]: [[関東軍]]の要請により朝鮮軍司令官・[[林銑十郎]]が独断で満洲に侵攻。柳条湖事件が国際的な事変に拡大。 * [[1933年]] - [[ライプツィヒ]]の[[ライヒ裁判所]]でこの年の[[2月27日]]に起こった[[ドイツ国会議事堂放火事件]]に関する裁判が始まる。 * [[1934年]] - [[室戸台風]]が上陸。死者2,702人、行方不明者334人、負傷者14,994人を数え、西日本を中心に大きな被害<ref>{{Cite web|和書|url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/134/ |title=室戸台風(1934年) |access-date=19 Mar 2023 |publisher=YAHOO!JAPAN天気・災害}}</ref>。 * [[1937年]] - [[J・R・R・トールキン]]の『[[ホビットの冒険]]』が発刊。 * [[1938年]] - {{仮リンク|ニューイングランド・ハリケーン|en|New England Hurricane of 1938}}がアメリカ東海岸に上陸。 * [[1939年]] - [[ルーマニア]]の[[ルーマニアの首相|第39代首相]]であった[[アルマンド・カリネスク]]が[[ナチス・ドイツ|ナチスドイツ]]の援助を受けた鉄衛団により暗殺される。 * [[1942年]] - [[B-29 (航空機)|B-29]]の試作一号機[[XB-29-BO]]が初飛行。 * 1942年 - [[ウクライナのホロコースト]]: ウクライナの[[ドゥナヴツィ]]で、ナチスが2,588人の[[ユダヤ人]]を殺害。また1,000人以上の{{仮リンク|ピダイツィ|en|Pidhaitsi}}のユダヤ人を[[ベウジェツ強制収容所]]に拉致。 * [[1945年]] - 羽田陸軍航空隊基地(現[[東京国際空港]])拡張のため、周辺住民に48時間以内の立ち退きが通告される。 * [[1952年]] - [[蔵前国技館]]で[[土俵]]の四本柱を廃止、現在のつり屋根と4色の房に。 * [[1953年]] - [[北朝鮮]]のパイロットである[[盧今錫]]中尉がジェット戦闘機で韓国に脱走。後[[アメリカ合衆国]]に[[帰化]]してケネス・H・ロウ(Kenneth H. Rowe)の英語名を名乗る。 * [[1957年]] - {{仮リンク|ハリケーン・キャリー|en|Hurricane Carrie}}により{{仮リンク|パミール (船舶)|en|Pamir (ship)}}が[[アゾレス諸島]]で沈没。 * [[1964年]] - [[マルタ]]が[[イギリス]]から独立。 * 1964年 - [[XB-70 (航空機)|XB-70ヴァルキリー]]が初飛行。 * [[1965年]] - [[ガンビア]]、[[モルジブ]]、[[シンガポール]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[1971年]] - [[バーレーン]]、[[ブータン]]、[[カタール]]が国連に加盟。 * [[1972年]] - フィリピン大統領[[フェルディナンド・マルコス]]がフィリピン全土に[[戒厳|戒厳令]]を布告。 * [[1976年]] - [[セイシェル]]が国連に加盟。 * 1976年 - [[オルランド・レテリエル]]が[[チリ]]の[[秘密警察]]DINAにより暗殺される。 [[File:Earthquake- road crack.jpg|thumb|200px|[[1999年]]、[[921大地震|台湾大地震]]発生]] [[File:Galileo End.jpg|thumb|200px|[[2003年]]、[[ガリレオ (探査機)|ガリレオ]]消滅]] * [[1981年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]議会が[[サンドラ・デイ・オコナー]]の[[合衆国最高裁判所|連邦最高裁判所]][[判事]]指名に合意。初の女性最高裁判事。 * 1981年 - [[イギリス]]最後の植民地である英領ホンジュラス([[ベリーズ]])が独立。 * [[1984年]] - [[ブルネイ]]が国連に加盟。 * 1984年 - [[1984年ニューヨーク私服警官殺害事件]]が発生。 * [[1986年]] - [[ホンダ・レーシング・F1チーム|ホンダ]]が[[フォーミュラ1|F1]]で日本の自動車メーカー史上初のコンストラクターズ・チャンピオンになる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.honda.co.jp/Racing/today/09/21/ |title=9月21日にあった過去の出来事を紹介 |access-date=19 Mar 2023 |publisher=[[本田技研工業|HONDA]]}}</ref>。 * [[1988年]] - [[成田空港問題]]: [[千葉県収用委員会会長襲撃事件]]。[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]が千葉県収用委員会長を襲撃。 * [[1989年]] - {{仮リンク|ハリケーン・ヒューゴ|en|Hurricane Hugo}}が[[サウスカロライナ州]]に上陸。 * [[1991年]] - [[日本電気ホームエレクトロニクス]](NEC-HE)が[[PCエンジンDuo]]を発売。 * 1991年 - [[アルメニア]]が[[ソ連]]より独立。 * [[1992年]] - [[国土庁]]調査で東京圏の[[地価]]が初めて下落。 * [[1993年]] - [[10月政変]]: [[ロシア]]大統領[[ボリス・エリツィン]]が、人民代議員大会及び最高会議解散の大統領令を発布。 * 1993年 - [[日本野球機構]]が[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]]制導入を決定。 * [[1994年]] - [[自衛隊ルワンダ難民救援派遣]]開始。 * [[1996年]] - [[広島タクシー運転手連続殺人事件]](同年4月18日 - 9月14日に[[広島県]]内で発生)の加害者が逃亡先の[[山口県]][[防府市]]内で逮捕される。 * 1996年 - アメリカで[[結婚防衛法]]制定。 * [[1997年]] - [[フィンランド]]の[[テュルヴァー]]にあった{{仮リンク|聖オラフ教会|en|St. Olaf's Church, Tyrvää|St. Olaf's Church}}が強盗により放火され焼失。 * [[1999年]] - 台湾でM7.6の[[921大地震|大地震]]が発生。2400人以上が死亡し、約10万世帯が全半壊した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO35557210Q8A920C1EAC000/ |title=9月21日 台湾中部でM7.6の地震、死者2400人以上 |access-date=19 Mar 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=20 Sep 2018}}</ref>。 * 2001年 - {{仮リンク|ロス・パーカー殺人事件|en|Murder_of_Ross_Parker|Murder of Ross Parker}}:17歳の英国人少年ロス・パーカーが殺害される。 * 2001年 - [[トゥールーズAZF化学工場爆発]]([[:en:Toulouse_chemical_factory_explosion|Toulouse chemical factory explosion]])事故発生。 * [[2003年]] - アメリカの[[木星]]探査機「[[ガリレオ (探査機)|ガリレオ]]」が運用終了となり、木星大気圏に突入して消滅。 * [[2004年]] - 愛媛県[[東温市]]が市制施行。 * 2004年 - [[大牟田4人殺害事件]]: [[福岡県]][[大牟田市]]を流れる[[諏訪川 (九州)|諏訪川]]で15歳の少年の他殺体が発見され<ref>『[[西日本新聞]]』2004年9月22日夕刊一面1頁「大牟田市 川に少年の遺体 遺棄容疑で45歳女逮捕 男、聴取中自殺図る」([[西日本新聞社]])</ref>、後に少年の母親や兄、兄の友人も殺害されていたことが判明する<ref>『西日本新聞』2004年10月8日朝刊第19版一面1頁「大牟田・4人殺害 死体遺棄容疑で県警 K1容疑者も逮捕 4人を殺害と供述」(西日本新聞社)</ref>。犯人である暴力団組長夫婦(少年の母親の知人)と息子2人の計4人はいずれも2011年に[[日本における死刑|死刑]]が[[確定判決|確定]]した<ref>『西日本新聞』2011年10月18日朝刊第19版第一社会面(事件・人・話題)31頁「大牟田4人殺害 父、長男の上告棄却 最高裁 一家全員の死刑確定へ」(西日本新聞社)</ref>。 * [[2005年]] - [[ジェットブルー航空292便緊急着陸事故]]。 * [[2008年]] - [[千葉県]][[東金市]]で[[東金市女児殺害事件]]が発生。 * [[2010年]] - [[大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件]]で、[[最高検察庁|最高検]]は[[大阪地方検察庁|大阪地検]][[特捜部]][[検事]]の[[前田恒彦]]を[[証拠隠滅]]の疑いで逮捕した<ref>{{Cite web|和書|date=21 Sep 2010 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG21051_R20C10A9000000/ |title=大阪地検主任検事を逮捕 証拠隠滅容疑で最高検 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=19 Mar 2023}}</ref>。 * [[2012年]] - {{仮リンク|2012年イスラエル南部越境攻撃|en|September 2012 southern Israel cross-border attack}}が発生、爆発物ベルト、AK-47ライフル、RPGランチャーで武装した3人の[[エジプト]]の過激派がイスラエルとの国境に接近。 * [[2013年]] - [[ケニア]]の[[ナイロビ]]にて[[ケニアショッピングモール襲撃事件|ショッピングモール襲撃事件]]が発生<ref>{{Cite web|和書|date=22 Sep 2013 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKA0001_S3A920C1000000/ |title=ソマリアのイスラム過激派が犯行声明 ケニア襲撃 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=19 Mar 2023}}</ref>。 * [[2018年]] - [[リュウグウ (小惑星)|リュウグウ]]上空の[[はやぶさ2]]が[[探査車|探査ローバー]]・[[ミネルバ (ローバー)#ミネルバII|ミネルバII]]の投下に成功<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/10200_minerva2 |title=MINERVA-II1がとらえたリュウグウの新画像 |access-date=19 Mar 2023 |publisher=AstroArts}}</ref>。 *[[2019年]] - [[アルバニア]]の[[ドゥラス]]で[[マグニチュード]]5.6の地震が発生。首都[[ティラナ]]では49人が負傷<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3245705 |title=アルバニアでM5.6の強い地震、過去20~30年で最大 |access-date=19 Mar 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |website=AFP BB News |date=22 Sep 2019}}</ref>。 {{-}} == 誕生日 == [[File:Girolamo Savonarola by Fra Bartolommeo (1497).jpg|thumb|120px|[[ジロラモ・サヴォナローラ]](1452-1498)]] [[File:H G Wells pre 1922.jpg|thumb|120px|[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H・G・ウェルズ]](1866-1946)]] [[ファイル:Shinzō Abe 20060926.jpg|代替文=|サムネイル|154x154ピクセル|[[安倍晋三]](1954-2022)]] [[File:Suman_Pokhrel_00543.jpg|thumb|120px|[[スマン・ポクレル]] (1967-)]] * [[紀元前30年|B.C.30年]]頃 -生神女マリア([[聖母マリア]])、イエス・キリストの母(没年不詳)※伝承による日付([[生神女誕生祭]]) * [[580年]] - [[ウィタリアヌス (ローマ教皇)|ウィタリアヌス]]、第76代[[ローマ教皇]](+ [[672年]]) * [[953年]] - {{仮リンク|アブ・イスハーク・イブラヒム|en| Abu_Ishaq_Ibrahim_(Buyid)|Abu Ishaq Ibrahim}}、[[ブワイフ朝]]の王子(+ 978年) * [[1051年]] - [[ベルタ・ディ・サヴォイア]]、[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]の最初の[[神聖ローマ帝国の皇后一覧|皇后]](+ [[1087年]]) * [[1371年]] - [[フリードリヒ1世 (ブランデンブルク選帝侯)|フリードリヒ1世・フォン・ブランデンブルク]]、[[ブランデンブルク選帝侯]](+ [[1440年]]) * [[1407年]] - {{仮リンク|レオネルロ・デステ (フェラーラ公爵)|en|Leonello d'Este, Marquis of Ferrara}}(+ 1450年) * [[1411年]] - [[リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)|リチャード・プランタジネット]]、第3代[[ヨーク公]]、軍人(+ [[1460年]]) * [[1415年]] - [[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]<ref>{{Cite web |title=Frederick III {{!}} Holy Roman emperor |url=https://www.britannica.com/biography/Frederick-III-Holy-Roman-emperor |website=Britannica |access-date=19 Mar 2023}}</ref>、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1493年]]) * [[1428年]]([[宣徳]]3年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]) - [[景泰帝]]、[[明]]朝の第7代[[皇帝]](+ [[1457年]]) * [[1433年]] - [[ギヨーム・フィシェ]]、発明家、学者(+ [[1480年]]頃) * [[1452年]] - [[ジロラモ・サヴォナローラ]]、[[ドミニコ会]][[修道士]](+ [[1498年]]) * [[1457年]] - [[ヤドヴィガ・ヤギェロンカ (1457-1502)|ヤドヴィガ・ヤギェロンカ]]、[[バイエルン大公|バイエルン=ランツフート公]][[ゲオルク (バイエルン公)|ゲオルク]]の妃(+ [[1502年]]) * [[1559年]] - [[チーゴリ]]、画家(+ [[1613年]]) * [[1562年]] - [[ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ]]、[[マントヴァ公]](+ [[1612年]]) * [[1622年]]([[元和 (日本)|元和]]8年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[山鹿素行]]、[[儒学者]](+ [[1685年]]) * [[1629年]] - {{仮リンク|フィリップ・ハワード (枢機卿)|en|Philip_Howard_(cardinal)|Philip Howard}}、枢機卿(+ [[1694年]]) * [[1640年]] - [[フィリップ1世 (オルレアン公)|フィリップ1世]]、[[オルレアン公]](+ [[1701年]]) * [[1645年]] - [[ルイ・ジョリエ]]、[[探検家]](+ [[1700年]]) * [[1689年]] - [[ヤン・クレメンス・ブラニツキ]]、[[ポーランド・リトアニア共和国]]の[[マグナート]]、軍司令官([[ヘトマン]])(+ [[1771年]]) * [[1703年]]([[元禄]]16年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[黒田継高]]、[[筑前国]][[福岡藩]]主(+ [[1775年]]) * [[1706年]] - [[ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ]]、サルデーニャ王妃(+ [[1735年]]) * [[1756年]] - {{仮リンク|ジョン・ロードン・マカダム|en|John_Loudon_McAdam|John Loudon McAdam}}、工学者(+ [[1836年]]) * [[1758年]] - [[クリストファー・ゴア]]、第8代[[マサチューセッツ州知事]](+ [[1827年]]) * [[1760年]] - {{仮リンク|イワン・ドミートリエフ|en|Ivan Dmitriev}}、[[ロシア帝国]]法務大臣(+ [[1837年]]) * [[1778年]] - [[カール・ルートヴィヒ・コッホ]]、[[昆虫学者]]、[[クモ学]]者(+ [[1857年]]) * [[1791年]] - [[セーチェーニ・イシュトヴァーン]]、[[ハンガリー王国]]の政治家(+ [[1860年]]) * [[1797年]]([[寛政]]9年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]]) - [[島津忠徹]]、[[日向国]][[佐土原藩]]主(+ [[1839年]]) * [[1806年]]([[文化 (元号) |文化]]3年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[内藤政民]]、[[陸奥国]][[湯長谷藩]]主(+ [[1855年]]) * [[1819年]] - [[ルイーズ・ダルトワ]]、[[カルロ3世 (パルマ公)|パルマ公カルロ3世]]の妃(+ [[1854年]]) * [[1832年]] - [[ルイ・ポール・カイユテ]]、物理学者(+ [[1913年]]) * [[1835年]] - [[カール・エーベルト]]、解剖学者、病理学者(+ [[1926年]]) * [[1840年]] - [[ムラト5世]]、第33代[[オスマン帝国の君主|オスマン帝国スルタン]](+ [[1904年]]) * [[1842年]]([[天保]]13年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[林有造]]、政治家(+ [[1921年]]) * 1842年 - [[アブデュルハミト2世]]、第34代オスマン帝国スルタン(+ [[1918年]]) * [[1845年]] - [[アウグスト・ウィルヘルミ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1908年]]) * [[1849年]] - [[アル・サーク]]、[[野球選手]](+ [[1872年]]) * 1849年 - {{仮リンク|モーリス・バリモア|en|Maurice Barrymore}}、[[俳優]](+ [[1905年]]) * [[1851年]] - {{仮リンク|ファニー・サールズ|en|Fanny Searls}}、[[生物学者]](+ [[1939年]]) * [[1853年]] - [[ヘイケ・カメルリング・オネス]]、物理学者(+ [[1926年]]) * 1853年 - [[エドモンド・レイトン]]、[[画家]](+ [[1922年]]) * [[1863年]] - {{仮リンク|ジョン・バニー|en|John Bunny}}、俳優(+ [[1915年]]) * [[1866年]] - [[ハーバート・ジョージ・ウェルズ]]、[[SF作家]](+ [[1946年]]) * 1866年 - [[シャルル・ジュール・アンリ・ニコル|シャルル・ニコル]]、[[細菌学者]](+ [[1936年]]) * [[1867年]] - [[ヘンリー・スティムソン]]、政治家、[[アメリカ領フィリピンの総督・高等弁務官|フィリピン総督]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1950年]]) * [[1868年]] - [[オリガ・クニッペル]]、[[俳優|女優]](+ [[1959年]]) * [[1872年]] - [[ヘンリー・ティングル・ワイルド]]、[[タイタニック号]]の航海士長(+ [[1912年]]) * [[1873年]] - {{仮リンク|パパ・ジャック・レイン|en|Papa Jack Laine}}、ミュージシャン(+ [[1966年]]) * [[1874年]] - [[グスターヴ・ホルスト]]、[[作曲家]](+ [[1934年]]) * 1874年 - [[菱田春草]]、[[日本画家]](+ [[1911年]]) * [[1879年]] - [[ペーター・マクウィリアム]]、[[サッカー選手]](+ [[1951年]]) * [[1881年]] - {{仮リンク|エミール・ジョルジェ|en|Émile Georget}}、[[自転車競技]]選手(+ [[1960年]]) * [[1882年]] - [[坂東三津五郎 (7代目)]]、歌舞伎役者(+ [[1961年]]) * [[1884年]] - [[有田八郎]]、外交官、政治家、外務大臣(+ [[1965年]]) * 1884年 - [[デネス・ケーニヒ]]、数学者(+ [[1944年]]) * [[1888年]] - {{仮リンク|ルシアン・バルー|en|Lucien Baroux}}、俳優(+ [[1968年]]) * [[1889年]] - [[村松梢風]]、作家(+ [[1961年]]) * [[1890年]] - [[マックス・インメルマン]]、[[ドイツ]]の[[エース・パイロット]]、[[インメルマンターン]]考案者(+ [[1916年]]) * [[1894年]] - {{仮リンク|アントン・ピエヒ|en|Anton Piëch}}、弁護士、実業家(+ [[1952年]]) * [[1895年]] - [[フアン・デ・ラ・シエルバ]]、航空技術者(+ [[1936年]]) * [[1897年]] - [[倉石武四郎]]、中国語学者、中国語教育者、中国文学者(+ [[1975年]]) * [[1902年]] - {{仮リンク|ハウィー・モレンツ|en|Howie Morenz}}、アイスホッケー選手(+ [[1937年]]) * 1902年 - {{仮リンク|ルイス・セルヌーダ|en|Luis Cernuda}}、詩人(+ [[1963年]]) * 1902年 - [[イルマリ・サルミネン]]、陸上競技選手(+ [[1986年]]) * [[1903年]] - [[プレストン・タッカー]]、発明家(+ [[1956年]]) * 1903年 - [[石垣綾子]]<ref>{{Twitter status|nhk_archives|910232079916347392}}</ref>、[[評論家]]、[[社会運動家]](+ [[1996年]]) * [[1904年]] - {{仮リンク|ハンス・アルトゥング|en|Hans Hartung}}、画家(+ [[1989年]]) * [[1906年]] - {{仮リンク|ヘンリー・ビーチェル|en|Henry Beachell}}、生物学者(+ [[2006年]]) * [[1908年]] - [[八島太郎]]、[[画家]]、[[絵本作家]](+ [[1994年]]) * [[1909年]] - [[クワメ・エンクルマ]]、政治家、[[ガーナの大統領|ガーナ初代大統領]](+ [[1972年]]) * [[1910年]] - [[中根之]]、元[[プロ野球選手]](+ 没年不明) * 1910年 - [[マインラート・シュッター]]、[[作曲家]](+ [[2006年]]) * [[1912年]] - [[チャック・ジョーンズ]]、[[アニメーター]](+ [[2002年]]) * 1912年 - [[シャーンドル・ジェルジ]]、[[ピアニスト]](+ [[2005年]]) * [[1914年]] - [[上山善紀]]、[[近畿日本鉄道]]会長、[[大阪近鉄バファローズ]]元オーナー(+ [[2009年]]) * [[1916年]] - [[フランソワーズ・ジルー]]、[[ジャーナリスト]]、映画[[脚本家]]、政治家(+ [[2003年]]) * [[1917年]] - {{仮リンク|フィリス・ニコルソン|en|Phyllis Nicolson}}、数学者(+ [[1968年]]) * [[1918年]] - [[ジョン・ゴフマン]]、[[化学者]]、[[医師]]、[[医学者]](+ [[2007年]]) * 1918年 - {{仮リンク|フアン・ホセ・アレオラ|en|Juan José Arreola}}、作家(+ [[2001年]]) * [[1919年]] - [[伊藤正己]]、[[法学者]]、[[最高裁判所判事]](+ [[2010年]]) * 1919年 - [[マリオ・ブンゲ]]、[[物理学者]]、[[哲学者]](+ [[2020年]]) * 1919年 - {{仮リンク|ファズル・ラフマン・マリク|en|Fazlur Rahman Malik}}、哲学者(+ [[1988年]]) * [[1920年]] - {{仮リンク|ケネス・マカルパイン|en|Kenneth McAlpine}}、レーサー * [[1921年]] - [[王光美]]、政治家、物理学者、[[劉少奇]]夫人(+ [[2006年]]) * 1921年 - {{仮リンク|ジョン・マクヘイル|en|John McHale (baseball)}}、野球選手(+ [[2008年]]) * [[1924年]] - [[綱淵謙錠]]、[[小説家]]、[[随筆家]](+ [[1996年]]) * 1924年 - [[ヘルマン・ブール]]、[[登山家]](+ [[1957年]]) * [[1926年]] - [[ドナルド・グレーザー]]、物理学者(+ [[2013年]]) * 1926年 - [[田中明夫]]、俳優、[[声優]](+ [[2003年]]) * [[1927年]] - [[高橋久子]]、官僚、元最高裁判事(+[[2013年]]) * 1927年 - {{仮リンク|モーリス・レミア|Fr|Maurice Lemire}}、歴史家(+ [[2019年]]) * [[1928年]] - [[エドゥアール・グリッサン]]、作家(+ [[2011年]]) * [[1929年]] - [[シャーンドル・コチシュ]]、サッカー選手(+ [[1979年]]) * 1929年 - [[バーナード・ウィリアムズ (哲学者)|バーナード・ウィリアムズ]]、哲学者(+ [[2003年]]) * 1929年 - {{仮リンク|エドガー・ヴァルテル|en|Edgar Valter}}、グラフィックアーティスト(+ [[2006年]]) * [[1930年]] - [[浅田肇]]、元プロ野球選手 * 1930年 - [[ドーン・アダムズ]]、[[俳優|女優]](+ [[1985年]]) * 1930年 - {{仮リンク|ボブ・ストーキー|en|Bob Stokoe}}、サッカー選手(+ [[2004年]]) * [[1931年]] - [[ラリー・ハグマン]]、俳優(+ [[2012年]]) * [[1932年]] - [[マジョリー・フレッチャー]]、[[王立婦人海軍]]局長(+ [[2008年]]) * 1932年 - {{仮リンク|ドン・プレストン|en|Don Preston}}、キーボード奏者 * [[1933年]] - {{仮リンク|ディック・サイモン|en|Dick Simon}}、レーシングドライバー * [[1934年]] - [[レナード・コーエン]]、シンガーソングライター、詩人(+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/leonard-cohen-dies-idJPKBN13609J |title=レナード・コーエン氏が死去、伝説的歌手で詩人 |access-date=19 Mar 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=10 Nov 2016}}</ref>) * [[1935年]] - {{仮リンク|ジミー・アームフィールド|en|Jimmy Armfield}}、サッカー選手(+ [[2018年]]) * 1935年 - [[ヘンリー・ギブソン]]、俳優(+ [[2009年]]) * [[1936年]] - {{仮リンク|ディッキー・リー|en|Dickey Lee}}、歌手 * 1936年 - [[ユーリ・ルシコフ]]、第2代[[モスクワ]]市長(+ [[2019年]]) * [[1938年]] - [[高橋悠治]]、作曲家、ピアニスト * 1938年 - [[ダグ・モー]]、[[バスケットボール]]選手 * [[1940年]] - [[:en:Jan_Woleński|Jan Woleński]]、哲学者 * [[1941年]] - [[ジャック・ブリスコ]]、[[プロレスラー]](+ [[2010年]]) * [[1942年]] - [[サム・マクダウェル]]、元プロ野球選手 * [[1943年]] - [[海部宣男]]、[[天文学者]](+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM5J5H91M5JULBJ00N.html |title=ブラックホール撮影「ありがとう」 翌日逝った天文学者 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=31 May 2019 |accessdate=19 Mar 2023}}</ref>) * 1943年 - [[石田弘]]、エグゼクティブプロデューサー * 1943年 - {{仮リンク|デヴィッド・フッド|en|David Hood}}、ミュージシャン * 1943年 - [[ジェリー・ブラッカイマー]]、俳優・[[映画プロデューサー]] * [[1944年]] - [[キャレブ・デシャネル]]、映画撮影監督 * 1944年 - {{仮リンク|ファニー・フラッグ|en|Fannie Flagg}}、女優 * 1944年 - {{仮リンク|ハミルトン・ジョーダン|en|Hamilton Jordan}}、第8代[[アメリカ大統領首席補佐官]] * [[1945年]] - {{仮リンク|リチャード・チルドレス|en|Richard Childress}}、レーシングドライバー * 1945年 - {{仮リンク|ビオニ・ツリッグヴァソン|en|Bjarni Tryggvason}}、宇宙飛行士 * [[1946年]] - [[町田義人]]、[[歌手]] * 1946年 - [[モーリッツ・ロイエンベルガー]]、弁護士、政治家、[[連邦大統領 (スイス)|大統領]] * 1946年 - {{仮リンク|マート・シーマン|en|Mart Siimann}}、[[エストニアの首相|エストニア首相]] * [[1947年]] - [[都司嘉宣]]、地震学者 * 1947年 - [[菅原進]]、[[歌手]]([[ビリーバンバン]]) * 1947年 - [[スティーヴン・キング]]、[[ホラー小説]]作家 * 1947年 - [[ルパート・ハイン]]、ミュージシャン(+ [[2020年]]) * 1947年 - [[ドン・フェルダー]]、ミュージシャン * 1947年 - [[桂ざこば (2代目)]]、[[落語家]] * [[1948年]] - [[百田光雄]]、[[プロレスラー]] * [[1949年]] - [[松田優作]]、俳優(+ [[1989年]])(注:戸籍上は[[1950年]]同日生) * 1949年 - [[宮武一貴]]、[[メカニックデザイナー]] * 1949年 - [[ヘンリー・バトラー]]、ピアニスト(+ [[2018年]]) * 1949年 - [[アーティス・ギルモア]]、プロ[[バスケットボール]]選手 * [[1950年]] - [[川島令三]]、[[鉄道]][[評論家|アナリスト]] * 1950年 - [[ビル・マーレイ]]、俳優、コメディアン * 1950年 - {{仮リンク|フィリップ・カウベール|en|Philippe Caubère}}、俳優 * [[1951年]] - [[植田美千代]]、アナウンサー * 1951年 - [[ブルース・アリーナ]]、サッカー監督 * 1951年 - [[アスラン・マスハドフ]]、[[チェチェン・イチケリア共和国]]第3代大統領(+ [[2005年]]) * [[1952年]] - [[アート・ガードナー]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[デイヴ・グレゴリー]]、ミュージシャン * 1952年 - {{仮リンク|アリ・フェルガニ|en|Ali Fergani}}、サッカー選手 * [[1953年]] - [[アリー・ルイエンダイク]]、レーサー * 1953年 - {{仮リンク|ラインハルト・マルクス|en|Reinhard Marx}}、枢機卿 * [[1954年]] - [[安倍晋三]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/meibo/daijin/abe_shinzo.html |title=安倍 晋三 |access-date=19 Mar 2023 |publisher=首相官邸}}</ref>、政治家、第90代・第96代〜98代[[内閣総理大臣]](+ [[2022年]]) * 1954年 - [[待井昇]]、元プロ野球選手 * 1954年 - [[トマス・S・レイ]]、生態学者 * [[1955年]] - [[フランソワ・クリュゼ]]、俳優 * 1955年 - [[アンドレイ・ガヴリーロフ]]、[[ピアニスト]] * 1955年 - {{仮リンク|リチャード・ヒーブ|en|Richard Hieb}}、宇宙飛行士 * 1955年 - {{仮リンク|イスラエル・カッツ|en|Israel Katz}}、政治家 * 1955年 - [[ミカ・カウリスマキ]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[映画プロデューサー]] * [[1956年]] - [[リッキー・モートン]]、プロレスラー * [[1957年]] - [[並樹史朗]]、俳優 * 1957年 - [[ケビン・ラッド]]、政治家、[[オーストラリア労働党]]党首、第26代首相 * 1957年 - [[コーエン兄弟|イーサン・コーエン]]、映画監督 * 1957年 - [[シドニー・モンクリーフ]]、バスケットボール選手 * [[1958年]] - [[有近真澄]]、シンガーソングライター、作詞家 * 1958年 - [[アンドレ・ヘンニッケ]]、俳優 * 1958年 - [[リック・マホーン]]、バスケットボール選手 * [[1959年]] - [[デイブ・クーリエ]]、声優、俳優、コメディアン * 1959年 - [[:en:Corinne_Drewery|コリーン・ドリュリー]]、歌手([[スウィング・アウト・シスター]]) * 1959年 - [[アンジェイ・ブンツォル]]、サッカー選手 * 1959年 - {{仮リンク|クリン・アントネスク|en|Crin Antonescu}}、政治家、[[ルーマニアの大統領|ルーマニア大統領]] * 1959年 - {{仮リンク|ダニー・コックス|en|Danny Cox (baseball)}}、野球選手 * [[1960年]] - {{仮リンク|マアスーメ・エブテカール|en|Masoumeh Ebtekar}}、政治家、[[イラン]]初の女性副大統領 * 1960年 - {{仮リンク|ケリー・エスクリッジ|en|Kelley Eskridge}}、作家 * 1960年 - {{仮リンク|ムサリア・ムダバディ|en|Musalia Mudavadi}}、政治家、ケニア副首相 * 1960年 - {{仮リンク|グラハム・サザン|en|Graham Southern}}、美術商 * 1960年 - [[マウリツィオ・カテラン]]、彫刻家 * 1960年 - {{仮リンク|デヴィッド・ジェームズ・エリオット|en|David James Elliott}}、俳優 * [[1961年]] - [[清川栄治]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[山村達也]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[佐村河内守]]、元作曲家 * 1963年 - [[セシル・フィルダー]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[葛城弘樹]]、野球選手 * [[1964年]] - [[ウラジスラフ・スルコフ]]、政治家、大統領府長官 * 1964年 - [[牧穂エミ]]、[[作詞家]] * [[1965年]] - [[森田幸一]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[デニー友利]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[スマン・ポクレル]]、詩人、劇作家、翻訳者 * 1967年 - [[スージー・デント]]、辞書学者 * 1967年 - [[デヴィッド・グラブス]]、ミュージシャン * [[1968年]] - [[伊藤文乃]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1969年]] - [[高橋盾]]、[[ファッションデザイナー]] * [[1970年]] - [[有村治子]]、政治家 * [[1972年]] - [[リアム・ギャラガー]]、 [[歌手]]([[オアシス (バンド)|オアシス]]) * 1972年 - [[森下仁志]]、元サッカー選手、指導者 * 1972年 - [[シャノン・ウィッテム]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[スコット・スピージオ]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[三崎幸恵]]、アナウンサー * 1973年 - [[船本恵太]]、クレイアニメ監督 * 1973年 - [[オスワルド・サンチェス]]、サッカー選手 * [[1974年]] - [[澤﨑俊和]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[マッキー (お笑い芸人)|マッキー]]、お笑い芸人 * [[1976年]] - [[白石直子]]、アニメプロデューサー、実業家 * 1976年 - [[舞風昌宏]]、元大相撲力士 * 1976年 - ヤマザキタケシ、ミュージシャン([[メレンゲ (バンド)|メレンゲ]]) * 1976年 - [[福田こうへい]]、[[演歌歌手]] * [[1977年]] - [[五十嵐貴章]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[白木裕子 (ディスクジョッキー)|白木裕子]]、ディスクジョッキー、歌手 * 1977年 - [[佐藤和宏]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[ブライアン・タレット]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[小林真樹子]]、[[アナウンサー]] * 1978年 - [[四元奈生美]]、[[卓球]]選手 * 1978年 - [[佐藤まり江]]、[[ニュースキャスター|キャスター]] * 1978年 - [[ギャレット・ルキャッシュ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1978年 - [[ダグ・ハウレット]]、ラグビー選手 * [[1979年]] - [[リチャード・ダン]]、サッカー選手 * 1979年 - [[有坂来瞳]]、[[タレント]]、女優 * 1979年 - [[湯川浩司]]、[[競艇選手]] * 1979年 - [[金田一蓮十郎]]、[[漫画家]] * [[1980年]] - [[矢野謙次]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[田中瑞季]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[ニコール・リッチー]]、女優 * 1981年 - [[堂真理子]]、[[テレビ朝日]]アナウンサー * 1981年 - [[和久田み晴]]<ref>{{Cite book |和書 |editor=塚田博男 |chapter=女性キャストの部 |date=2004-04-10 |title=日本音声製作者名鑑2004 Vol.1 |publisher=[[小学館]] |page=147|isbn=4-09-526301-6}}</ref>、声優 * [[1982年]] - [[安部智凛]]、俳優 * 1982年 - [[ダニー・カス]]、スノーボーダー * 1982年 - [[マラト・イズマイロフ]]、[[サッカー選手]] * [[1983年]] - [[鈴川真一]]、元大相撲力士、プロレスラー * [[1984年]] - [[中郷大樹]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[山下若菜]]、タレント * 1984年 - [[カルロス・ロサ]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[ホアキン・アリアス]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[菅井直樹]]、サッカー選手 * [[1985年]] - [[柴田誠也]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[中村太亮]]、声優 * 1985年 - [[りりあん]]、元[[アイドル]]、元歌手 * [[1986年]] - [[木興拓哉]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[山本和作]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[リンジー・スターリング]]、ヴァイオリニスト * 1986年 - [[ELLY]]、ダンサー([[三代目 J Soul Brothers]]) * 1986年 - [[ザック・フィリップス]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[長嶋はるか]]、声優(+ [[2021年]]) * [[1988年]] - [[石丸奈菜美]]、女優 * 1988年 - [[Aira Mitsuki]]、歌手 * 1988年 - [[竹内美優]]、声優 * 1988年 - [[森谷賢太郎]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[広重美穂]]、女優、モデル * 1989年 - [[ジェイソン・デルーロ]]、シンガーソングライター * 1989年 - [[フォアキン・サンタマリア]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[趣里]]、女優 * 1990年 - [[アル・ファルーク・アミヌ]]、バスケットボール選手 * 1990年 - [[アリソン・スカグリオッティ]]、女優 * [[1991年]] - [[宇内梨沙]]、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー * [[1992年]] - [[池田仁]]、俳優 * 1992年 - [[内田雄馬]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5249 |title=内田雄馬 |publisher=animateTimes |accessdate=19 Mar 2023}}</ref>、声優 * 1992年 - [[有村優樹]]、陸上選手 * [[1993年]] - [[堤裕貴]]、元プロ野球選手 * 1993年 - [[朴城炫]]、プロゴルファー * 1994年 - [[二階堂ふみ]]、女優 * 1994年 - [[石毛秀樹]]、サッカー選手 * 1994年 - [[高橋朋恵]]、競輪選手 * 1994年 - [[川上麻莉亜]]、バスケットボール選手 * 1994年 - [[マエ=ベレニス・メイテ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1996年]] - [[渕上舞 (アイドル)|渕上舞]]、アイドル([[HKT48]]) * 1996年 - [[鹿目凛]]、アイドル([[でんぱ組.inc]]) * [[1998年]] - [[藤平尚真]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[石垣雅海]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[タデイ・ポガチャル]]、[[自転車競技]]選手 * [[1999年]] - [[田浦文丸]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[中倉啓敦]]、陸上選手 * 2000年 - 細井華、アイドル([[アイドルING!!!〜ネクスト育成ング!!!|アイドルING!!!]]) * [[2001年]] - [[髙橋楓翔]]、俳優、タレント * [[2002年]] - 水野愛理、アイドル([[SKE48]]) * 2002年 - [[福富つき]]、アイドル([[Billlie]]) * 2002年 - [[内藤花恋]]、タレント * [[2005年]] - [[山内寧々]]、ファッションモデル * [[2007年]] - [[平澤宏々路]]、子役 * [[2008年]] - 清田美桜<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shochikugeino.co.jp/talents/kiyotamio/ |title=清田 美桜 |access-date=1 Jun 2023 |publisher=[[松竹芸能]]}}</ref>、タレント * 2008年 - 田仲陽成、アイドル(GO!GO!kids) * 生年不明 - 郡司芹香<ref>{{Cite web|和書|url=https://geiei.co.jp/talent/gunjiserika/ |title=郡司 芹香 |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[芸映|芸映プロダクション]]}}</ref>、タレント、アイドル(MY First Bae’s) * 生年不明 - [[松平美波穂]]、声優 * 生年不明 - [[硬梨菜]]、Web小説作家 * 生年不明 - [[理央]]、漫画家 {{-}} == 忌日 == [[File:Carlos I Y V.jpg|thumb|120px|[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]](1500-1558)]] [[File:James Curtis Hepburn.jpg|thumb|120px|[[ジェームス・カーティス・ヘボン|ヘボン]](1815-1911)]] [[File:Fotothek df pk 0000079 084.jpg|thumb|120px|[[オットー・グローテヴォール]](1894-1964)]] * [[紀元前19年]] - [[ウェルギリウス]]、[[ラテン語]][[詩人]](* [[紀元前70年]]) *[[1026年]] - [[オット=ギヨーム (ブルゴーニュ伯)|オット=ギヨーム]]、[[ブルゴーニュ伯]](* [[955年|955]]/[[962年]]) *[[1217年]] - [[レンピトゥ]]、サカラ首長(生年不明) *[[1327年]] - [[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]、[[イングランド王]](* [[1284年]]) * [[1558年]] - [[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]/カルロス1世、[[神聖ローマ皇帝]]、スペイン王(* [[1500年]]) * [[1576年]] - [[ジェロラモ・カルダーノ]]、[[数学者]](* [[1501年]]) * [[1812年]] - [[エマヌエル・シカネーダー]]、俳優、台本作家、劇場支配人(* [[1751年]]) * [[1832年]] - [[ウォルター・スコット]]、[[詩人]]、小説家(* [[1771年]]) * [[1860年]] - [[アルトゥル・ショーペンハウアー]]、[[哲学者]](* [[1788年]]) * [[1874年]] - [[ジャン=バティスト・エリー・ド・ボーモン]]、地質学者(* [[1794年]]) * [[1908年]] - [[アーネスト・フェノロサ]]、哲学者、東洋美術研究家(* [[1853年]]) * [[1911年]] - [[ジェームス・カーティス・ヘボン]]、[[宣教師]]、[[学校法人明治学院|明治学院]]創始者、 [[ローマ字|ヘボン式ローマ字]]の創始者(* [[1815年]]) * [[1927年]] - [[矢吹璋雲]]、[[画家]](* [[1852年]]) * [[1933年]] - [[宮沢賢治]]、[[詩人]]、[[童話]]作家(* [[1896年]]) * [[1936年]] - [[アントワーヌ・メイエ]]、[[言語学者]](* [[1866年]]) * [[1944年]] - [[アルトゥール・フレプス]]、軍人、[[武装親衛隊|ナチス武装親衛隊]]将軍(* [[1881年]]) * [[1954年]] - [[御木本幸吉]]、[[実業家]]、[[ミキモト|御木本真珠店]]創業者(* [[1858年]]) * [[1957年]] - [[ホーコン7世]]、ノルウェー国王(* [[1872年]]) * [[1962年]] - [[マリー・ボナパルト]]、精神分析学者、作家(* [[1882年]]) * [[1964年]] - [[オットー・グローテヴォール]]、政治家、東ドイツ首相(* [[1894年]]) * [[1966年]] - [[ポール・レノー]]、政治家(* [[1878年]]) * [[1968年]] - [[広津和郎]]、小説家、文学評論家(* [[1891年]]) * [[1971年]] - [[バーナード・ウッセイ]]、生理学者(* [[1887年]]) * [[1973年]] - [[古今亭志ん生 (5代目)|古今亭志ん生]](5代目)、[[落語家]](* [[1890年]]) * [[1974年]] - [[山本嘉次郎]]、[[映画監督]](* [[1902年]]) * 1974年 - [[ウォルター・ブレナン]]、[[俳優]](* [[1894年]]) * [[1982年]] - [[中村翫右衛門 (3代目)|中村翫右衛門]](三代目)、俳優、[[前進座]]共同創立者(* [[1901年]]) * 1982年 - [[イワン・バグラミャン]]、陸軍軍人(* [[1897年]]) * [[1985年]] - [[古龍]]、武侠小説家(* [[1936年]]頃) * [[1987年]] - [[ジャコ・パストリアス]]、ミュージシャン(* [[1951年]]) * [[1990年]] - [[初井言榮]]、[[俳優|女優]](* [[1929年]]) * [[1998年]] - [[フローレンス・ジョイナー]]、[[陸上競技]]選手(* [[1959年]]) * [[2002年]] - [[ロバート・L・フォワード]]、物理学者、SF作家(* [[1932年]]) * [[2006年]] - [[ボズ・バレル]]、ミュージシャン(* [[1946年]]) * [[2009年]] - [[三浦謹一郎]]、 [[生命科学者]](* [[1931年]]) * 2009年 - [[庄野潤三]]、作家(* [[1921年]]) * [[2011年]] - [[杉浦直樹]]、俳優(* [[1931年]]) * 2011年 - [[辺見じゅん]]、作家(* [[1939年]]) * [[2013年]] - [[石田太郎]]、俳優、声優(* [[1944年]]) * [[2020年]] - [[マイケル・ロンズデール]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/57153 |title=マイケル・ロンズデールさん死去 フランス出身の俳優 |publisher=[[東京新聞]] TOKYO Web |date=23 Sep 2020 |accessdate=19 Mar 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=俳優マイケル・ロンズデールさん死去 「007」の悪役など |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3305842 |website=AFP BB News |access-date=19 Mar 2023 |language=ja |publisher=[[フランス通信社]]}}</ref>、俳優、[[舞台演出家]](* [[1931年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == * [[国際平和デー]]、世界の停戦と非暴力の日 *: [[コスタリカ]]の発案により[[1981年]]の[[国際連合総会|国連総会]]によって制定。当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日だったが、[[2002年]]からは9月21日に固定された。また、2002年から、この日は「世界の停戦と非暴力の日」として実施され、この日一日は敵対行為を停止するよう全ての国、全ての人々に呼び掛けている。 * 世界[[アルツハイマー]]デー *:[[1994年]]のこの日、国際アルツハイマー病協会(ADI)の国際会議で、アルツハイマーの患者やその家族への支援を進めること等をうたった宣言が採択された。 * [[独立記念日]]({{BLZ}}) *: [[1981年]]のこの日、ベリーズ(旧名・英領ホンジュラス)が[[イギリス]]から独立した。 * [[独立記念日]]({{MLT}}) *: [[1964年]]のこの日、マルタがイギリスから独立した。 * [[独立記念日]]({{ARM}}) *: [[1991年]]のこの日、アルメニアが[[ソビエト連邦]]から独立した。 * 国家防災日({{ROC-TW}}) *: [[1999年]]に発生した[[921大地震]]に由来<ref>{{Cite web|和書|date=2017-09-21 |url=https://web.archive.org/web/20170921111144/http://japan.cna.com.tw/news/apol/201709210005.aspx |title=防災の日 蔡総統、災害に対する備えを呼び掛け/台湾 |publisher=[[中央通訊社]] |accessdate=19 Mar 2023 |work=フォーカス台湾}}</ref>。 * [[敬老の日]]({{JPN}}、[[2009年]]・[[2015年]]・[[2020年]])※9月第3月曜日 * 秋の[[全国交通安全運動]]({{JPN}}、[[9月30日]]まで) * [[ファッションショー]]の日、ファッションショー・メモリアル・デー({{JPN}}) *: [[1927年]](昭和2年)9月21日に、日本で初めてのファッションショーが[[三越日本橋本店|日本橋三越呉服店]]で行われたことに由来。[[水谷八重子 (初代)]]ら3人の女優がモデルとなり、一般から図案を募集した着物で日本舞踊を披露した<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.1242.com/article/104362 |title=知ってる?日本初のファッションショー 【鈴木杏樹のいってらっしゃい】 |access-date=19 Mar 2023 |publisher=[[ニッポン放送]] |date=3 Feb 2021}}</ref>。 * [[生神女誕生祭]]([[正教会]]) * [[アース・ウィンド・アンド・ファイアー]]“September”の日 *:[[アース・ウィンド・アンド・ファイアー]]の結成50周年を記念したものであり、日本記念日協会により2020年9月1日に正式に認定されている。9月21日が記念日となった理由として、“September”の冒頭の一節「Do You Remember, the 21st night of September/Love was changing the minds of pretenders(9月21日の夜の事を覚えてるかい?/愛がうそぶく2人の心を変えていった)」にちなんでいる。 == 9月21日に関連した作品 == * [[アース・ウィンド・アンド・ファイアー]] - 「[[セプテンバー (EW&Fの曲)|September]]」 *: 歌詞の一行目でDo you remember '''the 21st night of september'''?と歌われている。タイトルは「9月」だが、12月に9月のことを回想している曲である<ref>歌詞より(Now December found the love we shared in September)</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0921|date=Jul 2023}} *年不明 - 火曜日、ジェイムズ・シェパード[[医師]]が午前にセシル・アクロイド夫人を[[往診]]する。夜に医師宅で[[麻雀]]が行われ、シェパード医師が[[天和 (麻雀)|天和]]であがる。(小説『[[アクロイド殺し]]』第14章から第16章) *1955年(昭和30年)- 磯川[[警部]]が鬼首村連続殺人事件の補遺を書く。(小説『[[悪魔の手毬唄]]』エピローグ) === 誕生日(フィクション) === * [[1983年]] - [[9番目のムサシ#主要人物|橘慎悟]]、漫画・ドラマCD『[[9番目のムサシ]]』に登場するキャラクター<ref>コミックス第2巻(文庫版第1巻)の「DUTY7:メッセージ(1)(2)」。</ref> * [[1989年]] - 杵田光晴、特撮『[[仮面ライダードライブ]]』に登場するキャラクター<ref>第43話より</ref> * 2131年 - 真壁一騎、アニメ『[[蒼穹のファフナー]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://fafner-beyond.jp/character/ |title=CHARACTER 真壁一樹 |work=『蒼穹のファフナーBEYOND』 |accessdate=1 Jul 2023 |publisher=[[ジーベック (アニメ制作会社)|XEBEC]]・FAFNER BEYOND PROJECT}}</ref> * 星歴34年 - 藍田織音、アニメ『[[AKB0048]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://akb0048.jp/character/ |title=藍田織音 |access-date= 1 Jul 2023 |publisher=[[サテライト (アニメ制作会社)|サテライト]] |work=『AKB0048』}}</ref> * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]522年 - ユーイン・ラクスター、ゲーム『[[スターオーシャン:アナムネシス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=9|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - アルスラーン、小説・アニメ『[[アルスラーン戦記]]』の主人公 * 生年不明 - ハヤテ・インメルマン、アニメ『[[マクロスΔ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|uta_macross|1307696013977681921}}</ref> * 生年不明 - クザン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/kuzan.html |title=クザン |work=『ONE PIECE』 |accessdate= 1 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - ショコラ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Chocolat.html |title=ショコラ |work=『ONE PIECE』 |accessdate= 1 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - パッパグ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Pappug.html |title=パッパグ |work=『ONE PIECE』 |accessdate= 1 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - ガンテンバイン・モスケーダ、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/03/gantenbainne.html |title=ガンテンバイン・モスケーダ |access-date= 1 Jul 2023 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=『BLEACH』}}</ref> * 生年不明 - サモ・ハン・ウォン、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|date=2008-06-04|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃 (ジャンプコミックス)|page=104|publisher=[[集英社]]〈[[ジャンプ・コミックス]]〉|isbn=978-4088742489}}</ref> * 生年不明 - クエッチョン、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ホーン・スクルド、漫画・アニメ『[[終わりのセラフ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|owarino_seraph|645615111890014208}}</ref> * 生年不明 - 出水公平、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1175063325610319874}}</ref> * 生年不明 - 朱美みかん、漫画・アニメ『[[実は私は]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 猪八戒(猪悟能)、漫画・アニメ『[[最遊記]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Twitter status|kaz_minekura|1043105049432313856}}</ref> * 生年不明 - 花喃、漫画・アニメ『[[最遊記]]』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - タイショーくん、漫画・アニメ『[[とっとこハム太郎]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sho.jp/hamutaro/chara/taishokun |title=タイショーくん【ハム太郎の楽しい仲間たち ご紹介】 |work=『とっとこハム太郎』 |accessdate= 1 Jul 2023 |publisher=[[河井リツ子]]・[[小学館]]}}</ref> * 生年不明 - トゥルバルド=カシー=アイル17世、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD -蒼空の戦旗-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009-03-10|title=EREMENTAR GERADアルティメットガイド|series=BLADE COMICS|page=100|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4861276163}}</ref> * 生年不明 - 堤郁依、漫画・ドラマCD『[[悩殺ジャンキー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 島崎慎吾、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2008-05-01|title=おおきく振りかぶって|page=53|publisher=[[主婦と生活社]]|series=生活シリーズ―PASH!アニメーションファイル|isbn=978-4391626438}}</ref> * 生年不明 - クラウディ、漫画・アニメ『[[きらりん☆レボリューション]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 松田旬作、漫画・アニメ『[[それでも町は廻っている]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 国広一、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=小林立|authorlink=小林立|date=2010-01-29|title=咲 Saki ラブじゃん♥ マホちゃんの必殺技完成!(Guide Book)|page=72|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|isbn=978-4757526341}}</ref> * 生年不明 - 山口伊代、漫画・アニメ『[[となりの怪物くん]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 吹雪、読者参加企画『[[Baby Princess]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - もりりっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2011-10-05|title=Tamagotchi iD L ぴかぴか育て方ガイド|page=62|editor=講談社|editor-link=講談社|isbn=978-4063648768}}</ref><ref>{{Cite book |和書|date=2011-11-01|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|page=12|publisher=[[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|editor1-first=|editor1-last=ウィズ|editor1-link=ウィズ (玩具)|editor2-first=|editor2-last=バンダイ|editor2-link=バンダイ|isbn=978-4097510482}}</ref> * 生年不明 - フランシス、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=203 |title=フランシス |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[コナミグループ|KONAMI]] |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref> * 生年不明 - テル、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=103&cate=name&cont=Tell |title=テル |access-date=1 Jul 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - スカーレット、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-171 |title=スカーレット |publisher=Vespa Inc |accessdate=3 Jul 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=171 |archivedate=4 Nov 2021 |work=『キングスレイド』}}</ref> * 生年不明 - 旭、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/tokohana/asahi/ |title=旭 |access-date= 1 Jul 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - 朝日奈昴、メディアミックス『[[BROTHERS CONFLICT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bc-anime.com/contents/hp0005/index00040000.html |title=CHARACTER 九男・昴 |access-date= 1 Jul 2023 |publisher=ウダジョ/エム・ツー/[[アスキー・メディアワークス]]/ブラコン製作委員会 |work=『BROTHERS CONFLICT』}}</ref> * 生年不明 - 星巡(ほしめぐる)、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ラブライブ!サンシャイン!!#黒澤ルビィ|黒澤ルビィ]]、メディアミックス『[[ラブライブ!サンシャイン!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/uranohoshi/member.php |title=メンバー紹介 黒澤 ルビィ |publisher=プロジェクトラブライブ!サンシャイン!! |accessdate= 1 Jul 2023 |work=『ラブライブ! School idol project サンシャイン‼︎』}}</ref> * 生年不明 - ルビィ、漫画・アニメ・ゲーム『[[幻日のヨハネ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://yohane.net/character/#05 |title=幻日のヨハネ:キャラクター一覧の「ルビィ」の項目 |access-date=20 Sep 2023 |publisher=PROJECT YOHANE |work=『幻日のヨハネ』}}</ref> === 忌日(フィクション)=== * 1945年 - 清太、小説・アニメ『[[火垂るの墓]]』の登場人物<ref>{{cite journal|和書|author=徳永淳|title=野坂昭如「火垂るの墓」再評価 ─作品末尾の改変をめぐって──|journal=日本語日本文学|issue=30|year=2020|publisher=創価大学日本語日本文学会|naid=120006876794|page=28}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|21 September}} {{新暦365日|9|20|9|22|[[8月21日]]|[[10月21日]]|[[9月21日 (旧暦)|9月21日]]|0921|9|21}} {{1年の月と日}}
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9月24日
9月24日(くがつにじゅうよっか、くがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から267日目(閏年では268日目)にあたり、年末まであと98日ある。
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{{カレンダー 9月}} '''9月24日'''(くがつにじゅうよっか、くがつにじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から267日目([[閏年]]では268日目)にあたり、年末まであと98日ある。 == できごと == [[File:Masjedolnabi4.JPG|thumb|180px|[[ムハンマド]]が[[メディナ]]に到着(622)。画像はムハンマドが住居とした[[預言者のモスク]]]] [[File:Dojima komeichiba.jpg|thumb|120px|[[堂島米会所]]開設(1780)]] [[File:Deathplace of SAIGO Takamori.JPG|thumb|120px|[[西南戦争]]終結(1877)。[[鹿児島市]][[城山町 (鹿児島市)|城山町]]にある[[南洲翁終焉之地|南洲翁(西郷隆盛)終焉之地]]]] [[File:Myojin-Sho.JPG|thumb|140px|[[明神礁]]の噴火に巻き込まれ、測量船「第五海洋丸」が失踪(1952)]] {{multiple image | image1 = USS Enterprise (CVAN-65), USS Long Beach (CGN-9) and USS Bainbridge (DLGN-25) underway in the Mediterranean Sea during Operation Sea Orbit, in 1964.jpg | width1 = 160 | caption1 = [[エンタープライズ (CVN-65)|エンタープライズ]]進水(1960)。原子力を示す「[[E=mc2]]」の式が作られている | alt1 = エンタープライズ | image2 = Naoko Takahashi Road Gifu03.JPG | width2 = 140 | caption2 = [[シドニーオリンピック]]で[[高橋尚子]]が女子[[マラソン]]初の金メダル(2000)。画像は[[岐阜市]][[長良川公園]]にある「[[高橋尚子ロード]]」の記念碑 | alt2 = 記念碑 }} * [[1338年]]([[延元]]3年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[足利尊氏]]が[[北朝 (日本)|北朝]]から[[征夷大将軍]]に任ぜられる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.library.pref.kagawa.lg.jp/know/local/local_2033-32 |title=1338年(延元 3) ~ (38K) |access-date=12 Mar 2023 |publisher=香川県立図書館}}</ref>。 * [[1572年]] - 「ビルカバンバのインカ帝国」の君主[[トゥパク・アマル (初代)|初代トゥパク・アマル]]が斬首される。 * [[1631年]] - [[バフィン島]]南部に位置する[[イヌイット]]の集落[[キンゲイト]]([[:en:Kinngait|Kinngait]])が発見される。当時はケープ・ドーセットと呼ばれた。 * [[1645年]] - [[イングランド内戦]]: [[ロートン・ヒースの戦い]]([[:en:Battle_of_Rowton_Heath|Battle of Rowton Heath]]) * [[1688年]] - [[大同盟戦争]]: [[フランス]]の[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]が各国に宣戦布告、[[プファルツ略奪 (1688年-1689年)|プファルツ略奪]]を開始する。 * [[1689年]] - [[大トルコ戦争]]: [[ニシュの戦い]]([[:en:Battle_of_Niš_(1689)|Battle of Niš (1689)]]) * [[1730年]]([[享保]]15年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]) - [[大坂]]の[[堂島米会所]]の設置が[[江戸幕府]]より公式に認可される。 * [[1762年]] - [[七年戦争]]: [[マニラの戦い (1762年)|マニラの戦い]]。 * [[1789年]] - [[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]][[ジョージ・ワシントン|ワシントン]]が13人を[[保安官]]に任命、[[連邦保安官]]誕生。 * 1789年 - [[マルティン・ハインリヒ・クラプロート]]が[[閃ウラン鉱|ピッチブレンド]]から精製した酸化[[ウラン]]を、新元素であると[[プロイセン科学アカデミー]]で発表。 * [[1794年]] - [[ヴァンデの反乱]]: [[第二次ムーティエ・レ・モーファイの戦い]]([[:fr:Bataille_de_Moutiers-les-Mauxfaits_(24_septembre_1794)|Bataille de Moutiers-les-Mauxfaits (24 septembre 1794)]])。 * [[1812年]] - [[アルゼンチン独立戦争]]: [[トゥクマンの戦い]]([[:en:Battle_of_Tucumán|Battle of Tucumán]])。 * [[1830年]] - [[ベルギー臨時政府]]([[:en:Provisional_Government_of_Belgium|Provisional Government of Belgium]])成立。 * [[1841年]] - [[サラワク王国]]が建国され建国者の[[ジェームズ・ブルック]] (James Brooke、在位[[1841年]] - [[1868年]])が初代国王に即位。 * [[1846年]] - [[米墨戦争]]: [[モンテレーの戦い]]が終了。メキシコ軍が撤退し休戦交渉が開始する。 * [[1852年]] - [[アンリ・ジファール]]によるの動力付きの乗客輸送飛行船[[ジファール飛行船]]([[:en:Giffard_dirigible|Giffard dirigible]])がパリと[[トラップ (フランス)|トラップ]] (Trappes) の間の27kmを2,500m<sup>3</sup>の大きさの気球に3馬力の蒸気エンジンをつけて飛行に成功、歴史上最初の動力飛行に成功する。 * [[1853年]] - [[オーギュスト・フェブヴリエール・デポワント|デポワント]]([[:en:Auguste_Febvrier_Despointes|August Febvrier Despointes]])提督により[[ニューカレドニア]]がフランス領として支配下に入る。 * [[1869年]] - [[ジェイ・グールド|暗黒の金曜日]]。[[ユリシーズ・グラント|グラント大統領]]が財務省に大量の金を売るように命じたことで金が急落。 * [[1877年]] - [[西南戦争]]: [[城山の戦い]]。[[西郷隆盛]]らが自刃し、西南戦争が終結。 * [[1890年]] - [[1890年マニフェスト]]([[:en:1890_Manifesto|1890 Manifesto]])の発表、[[末日聖徒イエス・キリスト教会]]が[[一夫多妻制]]を公式に放棄。 * [[1906年]] - [[デビルズタワー]]が初の[[アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント]]に指定。 * [[1920年]] - [[東京大学|東京帝国大学]]が女子聴講生の入学を許可。 * [[1929年]] - [[ジミー・ドーリットル]]が[[計器飛行]]実験を行ない、操縦席を目隠しした飛行機で離陸・旋回・着陸に成功。 * [[1932年]] - [[不可触民]]のためのインド州議会議席を確保することを定める[[プーナ協定]]([[:en:Poona_Pact|Poona Pact]])が[[マハトマ・ガンディー|ガンジー]]らにより合意される。 * [[1938年]] - [[ドン・バッジ]]が[[1938年全米テニス選手権|全米テニス選手権]]で優勝。史上初の[[グランドスラム (テニス)|年間グランドスラム]]を達成。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[自由フランス]]の[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]、[[ルネ・カサン]]、[[ルネ・プレヴァン]]らにより[[フランス国民委員会]]([[:en:French_National_Committee|French National Committee]])が発足。 * [[1946年]] - [[香港]]の航空会社である[[キャセイパシフィック航空]]設立。 * [[1948年]] - [[本田技研工業]]設立。 * [[1949年]] - [[インド]]首相の[[ジャワハルラール・ネルー]]から贈られた[[ゾウ]]・インディラが[[恩賜上野動物園|上野動物園]]に到着。 * [[1952年]] - [[第五海洋丸の遭難]]。[[明神礁]]での噴火を観測中の[[海上保安庁]]の測量船が噴火に巻き込まれ、31名全員死亡。 * 1952年 - [[王立海軍]]の潜水艦[[ラ・シビル]]([[:fr:La_Sibylle_(sous-marin)|''La Sibylle'' (sous-marin)]])が行方不明に。のち沈没が判明。 * [[1957年]] - [[公民権運動]]・[[リトルロック高校事件]]: [[リトルロック (アーカンソー州)|リトルロック]]市長ウッドロー・ウィルソン・マンが[[アイゼンハワー]]大統領に軍隊の派遣を要請。了承される。白人により入学を妨害されていた入学予定の9人の黒人学生([[:en:Little_Rock_Nine|Little Rock Nine]]と呼ばれた)は軍の護衛付きで登校。 * [[1959年]] - [[黒いジェット機事件]]。神奈川県[[藤沢市]]の[[藤沢飛行場]]に米軍の[[U-2 (航空機)|U-2型偵察機]]が不時着。 * 1959年 - [[イタリア]]・[[ミラノ]]で第1回[[ゼッキーノ・ドーロ]]が開催。 * 1959年 - [[TAI307便墜落事故]]([[:en:TAI_Flight_307|TAI Flight 307]])。 * [[1960年]] - アメリカが建造した世界初の原子力航空母艦「[[エンタープライズ (CVN-65)|エンタープライズ]]」が進水。 * 1960年 - [[国際開発協会]](IDA、第二[[世界銀行#世界銀行グループ|世界銀行]])設立。 * [[1964年]] - [[よみうりランド]]開園。 * [[1965年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]が、コンピュータによる指定券発売窓口「[[みどりの窓口]]」を開設。 * [[1968年]] - [[スワジランド]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[1970年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]の無人[[月探査機]]「[[ルナ16号]]」のカプセルが[[月]]の土を乗せて地球に帰還。無人機で月の土を回収した最初の例。 * [[1971年]] - [[廃棄物の処理及び清掃に関する法律]]が施行。(清掃の日) * [[1972年]] - [[日本航空ボンベイ空港誤認着陸事故]]。 * [[1973年]] - [[ギニアビサウ]]が[[ポルトガル]]からの独立を宣言。 * 1973年 - [[小澤征爾]]が[[ボストン交響楽団]]の常任[[指揮者]]に就任して初コンサート。 * [[1975年]] - {{仮リンク|イギリスエベレスト南西面遠征隊|en|1975 British Mount Everest Southwest Face expedition}}が[[エベレスト]]登頂。 * [[1989年]] - フランスの高速鉄道[[TGV]]の2番目の営業路線・[[LGV大西洋線]]が開業。世界で初めて300km/h運転を開始。 * [[1991年]] - [[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]、[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]]のセカンド・アルバム『[[ネヴァーマインド]]』がリリース。 * [[1993年]] - [[ノロドム・シハヌーク]]が[[カンボジア]]の国王に再即位。 * [[1996年]] - [[9月10日]]に[[国連総会]]で採択された[[包括的核実験禁止条約]]に日本など71か国が署名。 * [[1998年]] - [[高知県]]で記録的な[[大雨]]([[高知豪雨]])。 * [[1999年]] - [[平成11年台風第18号|台風18号]]が[[熊本県]]に上陸し、[[日本海]]を北上。[[高潮]]被害で死傷者が多数出る。 * 1999年 - [[愛知県]][[豊橋市]]で[[竜巻]]が次々と発生。住宅被害約3000棟、重軽傷者約450人。 * [[2000年]] - [[シドニーオリンピック]]陸上女子マラソンで[[高橋尚子]]が金メダル。女子マラソンでの日本人初の金メダル。 * 2000年 - [[イラク]]の[[サッダーム・フセイン]][[大統領]]が[[石油]]の決済通貨を[[米ドル]]から[[ユーロ]]に変更することを表明。 * 2000年 - [[有楽町]]の[[そごう]]東京店がこの日の営業を最後に閉店となる。 * 2000年 - [[フランス]]で国民投票(référendum)が行われ[[フランスの大統領|大統領]]の任期が5年になる。 * [[2005年]] - [[ハリケーン・リタ]]がテキサス・ルイジアナ州境に上陸。 * [[2007年]] - [[Folding@home]]で[[PlayStation 3|PS3]]が単独で当時の[[スーパーコンピュータ]]と同等の値である1[[ペタ|P]][[FLOPS]]に到達。 * 2007年 - [[2007年ミャンマー反政府デモ]]: [[ヤンゴン]]でのデモ隊が30,000人から100,000人の間まで膨れ上がる。 * [[2008年]] - [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]総裁の[[麻生太郎]]が第92代[[内閣総理大臣]]に選出され、[[麻生内閣]]が発足。 * [[2009年]] - [[第3回20か国・地域首脳会合|第3回G20ピッツバーグサミット]]が開かれる。会期は翌[[9月25日|25日]]まで。 * 2009年 - [[エアライン8911便離陸失敗事故]]([[:en:Airlink_Flight_8911|Airlink Flight 8911]])。 * [[2010年]] - [[尖閣諸島中国漁船衝突事件]]の主犯として逮捕・勾留していた中国人船長を、処分保留のまま釈放。 *[[2012年]] - 23時59分頃、[[京急本線]]の[[追浜駅]]と[[京急田浦駅]]の間の船越第1隧道入口で崩落した土砂と[[京成高砂]]駅発[[三浦海岸]]行き8両編成の下り特急電車が衝突する事故が発生。乗客55名と運転士および車掌が負傷。 * [[2013年]] - 16時29分47秒([[パキスタン標準時]])に[[パキスタン]]の[[バローチスターン州]]で[[パキスタン地震 (2013年)|パキスタン南西部地震]]が発生。 * [[2014年]] - [[インド宇宙研究機関]](ISRO)による[[火星探査]]機「マンガルヤーン」が、アジアの国では初めて[[火星周回軌道]]へ到達<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/india-idJPKCN0HJ0KJ20140924 |title=インド探査機が火星軌道に到達、低予算でアジア初成功 |access-date=12 Mar 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=24 Sep 2014}}</ref>。 * [[2015年]] - [[サウジアラビア]]のメッカで群衆事故([[2015年メナー群衆事故]])。 * [[2017年]] - [[2017年ドイツ連邦議会選挙]]が行われ、全709議席の内、[[アンゲラ・メルケル|メルケル]]首相与党の[[ドイツキリスト教民主同盟|CDU]]/[[キリスト教社会同盟|CSU]]が246議席(前回311議席)を獲得して第1党となり、メルケルは首相4期目の続投が確実となる。 * 2017年 - [[スロベニア]]で鉄道敷設のためのトンネル工事の是非を問う[[2017年スロベニア鉄道国民投票|国民投票]]([[:en:2017_Slovenian_railway_referendum|2017 Slovenian railway referendum]])が行われる。 * [[2018年]] - [[米中貿易戦争]]: アメリカ、中国が第3弾の関税処置を発動<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3190683 |title=米、対中関税第3弾発動 22兆円相当 貿易戦争さらに激化 |access-date=12 Mar 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |date=24 Sep 2018 |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2019年]] - [[ドナルド・トランプとウクライナ論争|ウクライナ疑惑]]: [[ナンシー・ペロシ]]下院議長が民主党の会合後、[[ドナルド・トランプ]]大統領の弾劾調査を開始すると発表。 {{-}} == 誕生日 == {{multiple image | image1 = Jerôme Cardan.jpg | width1 = 102 | caption1 = [[ルネサンス]]期を象徴する万能人の1人、[[ジェロラモ・カルダーノ]](1501-1576)誕生 | alt1 = カルダーノ | image2 = WilliamAdams-woodblack-new.svg | width2 = 100 | caption2 = [[徳川家康]]の側近となった[[イギリス]]出身の航海士、[[ウィリアム・アダムス]](1564-1620)誕生。三浦按針の和名でも知られる | alt2 = アダムス }} [[File:Albrecht von waldstein.jpg|thumb|120px|[[三十年戦争]]で活躍した[[ボヘミア]]の[[傭兵|傭兵隊長]]、[[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]](1583-1634)誕生]] [[File:F Scott Fitzgerald 1921.jpg|thumb|160px|1920年代[[ジャズ・エイジ]]を体現した[[アメリカ]]の[[小説家]]、[[F・スコット・フィッツジェラルド]](1886-1940)誕生{{Squote|いまはない木立、ギャツビーの屋敷に場所を譲った木立が、そのとき、あらゆる人類の夢のうち最後にして最大の夢を歌いさざめいた。――『グレート・ギャツビー』(1925)}}]] [[File:Portrait of Ruhollah Khomeini By Mohammad Sayyad.jpg|thumb|120px|[[イラン革命]]を指揮し、現在もイランの精神的支柱として君臨する[[ルーホッラー・ホメイニー]](1902-1989)誕生]] * [[936年]] - [[アズド・ウッダウラ]]([[:en:'Adud_al-Dawla|'Adud al-Dawla]])、[[ブワイフ朝]]のファールス地方の王(+ [[983年]]) * [[1301年]] - [[ラルフ・ド・スタッフォード]]([[:en:Ralph_Stafford,_1st_Earl_of_Stafford|Ralph Stafford, 1st Earl of Stafford]])、初代[[スタッフォード侯爵|スタッフォード伯爵]](+ [[1372年]]) * [[1418年]] - [[アンヌ・ド・リュジニャン]]、[[キプロス王国]]の王女(+ [[1462年]]) * [[1433年]] - [[マハラオ・シェカ]]([[:en:Shekha_of_Amarsar|Shekha of Amarsar]])、[[ラージプート]](+ [[1488年]]) * [[1473年]] - [[ゲオルク・フォン・フルンツベルク]]、[[軍人]]、[[ランツクネヒト]]([[ドイツ]][[傭兵]]師団)の生みの親(+ [[1528年]]) * [[1501年]] - [[ジェロラモ・カルダーノ]]、[[数学者]](+ [[1576年]]) * [[1534年]] - [[グル・ラーム・ダース]]([[:en:Guru_Ram_Das|Guru Ram Das]])、[[シク教]]第4代[[グル]](+ [[1581年]]) * [[1564年]] - [[ウィリアム・アダムス|三浦按針]]、航海士(+ [[1620年]]) * [[1583年]] - [[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Albrecht-von-Wallenstein Albrecht von Wallenstein Bohemian military commander] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、軍人(+ [[1634年]]) * [[1625年]] - [[ヨハン・デ・ウィット]]、数学者(+ [[1672年]]) * [[1705年]] - [[レオポルト・フォン・ダウン]]、[[オーストリア大公国|オーストリア]]([[ハプスブルク帝国]])の軍人(+ [[1766年]]) * [[1709年]] - [[ジョン・クレランド]]、[[小説家]](+ [[1789年]]) * [[1714年]]([[正徳 (日本)|正徳]]4年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[酒井忠休]]、[[庄内藩|松山藩]]主(+ [[1787年]]) * [[1717年]] - [[ホレス・ウォルポール]]、第4代[[オーフォード伯爵]]、ゴシップ作家、[[政治家]](+ [[1797年]]) * [[1755年]] - [[ジョン・マーシャル (政治家)|ジョン・マーシャル]]、第4代[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1835年]]) * 1755年 - [[ロベール・ルフェーブル]]、画家(+ [[1830年]]) * [[1756年]] - ベニーニュ・ガニュロー、画家(+ [[1795年]]) * [[1761年]] - [[フリーズリク・クンツェン]]([[:en:F.L.Æ._Kunzen|F.L.Æ. Kunzen]])、作曲家(+ [[1817年]]) * [[1780年]]([[安永 (元号)|安永]]9年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[水野勝愛]]、[[結城藩]]主(+ [[1838年]]) * [[1784年]]([[天明]]4年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[板倉勝晙]]、[[備中松山藩]]主(+ [[1804年]]) * [[1796年]] - [[アントワーヌ=ルイ・バリー]]([[:en:Antoine-Louis_Barye|Antoine-Louis Barye]])、彫刻家(+ [[1875年]]) * [[1798年]]([[寛政]]10年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]])- [[高島秋帆]]、砲術家(+ [[1866年]]) * [[1801年]] - [[ミハイル・オストログラツキー]]、[[数学者]]、力学研究者、[[物理学者]](+ [[1862年]]) * [[1802年]] - [[アドルフ・ダルシアク]]、[[地質学者]]、[[古生物学者]](+ [[1868年]]) * [[1812年]] - [[メアリー・アン・ブラウン]]([[:en:Mary_Ann_Browne|Mary Ann Browne]])、詩人(+ [[1845年]]) * [[1827年]]([[文政]]10年[[8月4日 (旧暦)|8月4日]]) - [[松平輝聴]]、[[高崎藩]]主(+ [[1860年]]) * [[1833年]]([[天保]]11年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]]) - [[渡辺章綱]]、伯方藩主、[[子爵]](+ [[1834年]]) * [[1838年]](天保11年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]])- [[近衛忠房]]、[[公卿]](+ [[1873年]]) * [[1840年]](天保11年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]) - [[津軽承叙]]、[[黒石藩]]主、子爵(+ [[1903年]]) * [[1844年]] - [[マックス・ネーター]]([[:en:Max_Noether|Max_Noether]])、数学者(+ [[1921年]]) * [[1858年]]([[安政]]5年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]])- [[櫻井錠二]]、[[化学者]](+ [[1939年]]) * [[1859年]] - [[ユリウス・クレンゲル]]、[[チェリスト]](+ [[1933年]]) * [[1861年]] - [[ビカイジ・カマ]]([[:en:Bhikaiji_Cama|Bhikaiji Cama]])、社会活動家(+ [[1936年]]) * [[1870年]] - [[ジョルジュ・クロード]]、[[発明家]]、[[化学者]](+ [[1960年]]) * [[1871年]] - [[ロッティ・ドッド]]、テニス選手(+ [[1960年]]) * [[1878年]] - [[千葉亀雄]]、[[評論家]]・ジャーナリスト(+ [[1935年]]) * 1878年 - [[シャルル=フェルディナン・ラミュ]]、作家(+ [[1947年]]) * [[1880年]] - [[サラ・ナウス]]、[[スーパーセンテナリアン]](+ [[1999年]]) * [[1882年]] - [[マックス・デキュジス]]、テニス選手(+ [[1978年]]) * [[1883年]] - [[ローソン・ロバートソン]]([[:en:Lawson_Robertson|Lawson Robertson]])、[[陸上競技]](立ち幅跳び)選手(+ [[1951年]]) * [[1884年]] - [[イスメト・イノニュ]]、[[トルコ共和国]]第2代[[トルコの大統領|大統領]](+ [[1973年]]) * 1884年 - [[ジョニー・ハイケンス]]、作曲家(+ [[1945年]]) * 1884年 - [[ギュスタヴ・ガリグー]]、[[自転車競技]]選手(+ [[1963年]]) * 1884年 - [[ヒューゴ・シュマイザー]]、銃技師(+ [[1953年]]) * [[1885年]] - [[嶋田繁太郎]]、軍人(+ [[1976年]]) * 1885年 - [[アルトゥール・レンバ]]、作曲家(+ [[1963年]]) * [[1886年]] - [[エドワード・バッチ]]、[[医師]]、細菌学者、作家(+ [[1936年]]) * [[1890年]] - [[マイク・ゴンサレス]]([[:en:Mike_González_(catcher)|Mike González (catcher)]])、野球選手(+ [[1977年]]) * [[1893年]] - [[池田豊]]、元[[プロ野球]][[審判員 (野球)|審判]](+ [[1952年]]) * 1893年 - [[ブラインド・レモン・ジェファーソン]]、ブルース歌手(+ [[1929年]]) * [[1894年]] - [[ビリー・ブレッチャー]]([[:en:Billy_Bletcher|Billy Bletcher]])、俳優(+ [[1979年]]) * [[1895年]] - [[アンドレ・フレデリック・クルナン]]、[[生理学者]](+ [[1988年]]) * [[1896年]] - [[スコット・フィッツジェラルド]]、小説家(+ [[1940年]]) * 1896年 - [[エルザ・トリオレ]]、作家(+ [[1970年]]) * [[1898年]] - [[ハワード・フローリー]]、病理学者(+ [[1968年]]) * 1898年 - [[新田恭一]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1986年]]) * 1898年 - [[シャーロット・ムーア=シタリー]]、天文学者(+ [[1990年]]) * [[1899年]] - [[ウィリアム・ドベル]]([[:en:William_Dobell|William Dobell]])、画家(+ [[1970年]]) * [[1901年]] - [[服部之総]]、[[歴史学者]](+ [[1956年]]) * [[1902年]] - [[ルーホッラー・ホメイニー]]、[[イラン革命]]指導者(+ [[1989年]]) * [[1903年]] - [[ジョージ・ラフト]]、[[俳優]](+ [[1980年]]) * 1903年 - [[田中於菟弥]]、インド文学者(+ [[1989年]]) * [[1905年]] - [[セベロ・オチョア]]、[[生化学]]者(+ [[1993年]]) * [[1906年]] - [[宇都宮徳馬]]、[[政治家]](+ [[2000年]]) * [[1909年]] - [[ジェラルド・アントニ・シオレク]]([[:en:Gerard_Antoni_Ciołek|Gerard Antoni Ciołek]])、歴史家、建築家(+ [[1966年]]) * [[1910年]] - [[ジャン・セルヴェ]]、俳優(+ [[1976年]]) * [[1911年]] - [[コンスタンティン・チェルネンコ]]、[[ソビエト連邦]]最高会議幹部会議長(+ [[1985年]]) * 1911年 - [[巌金四郎]]、俳優(+ [[1994年]]) * [[1913年]] - [[田辺国男|田邊圀男]]、政治家(+ [[2005年]]) * 1913年 - [[高田誠 (洋画家)|高田誠]]、[[画家]](+ [[1992年]]) * 1913年 - [[ハーブ・ジェフリーズ]]([[:en:Herb_Jeffries|Herb Jeffries]])、歌手(+ [[2014年]]) * [[1914年]] - [[アンジェイ・パヌフニク]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]](+ [[1991年]]) * 1914年 - [[エスター・イング]]([[:en:Esther_Eng|Esther Eng]])、映画監督(+ [[1970年]]) * 1914年 - [[ジョン・ロバート・カー]]、第18代[[オーストラリアの総督|オーストラリア総督]](+ [[1991年]]) * 1914年 - [[アンジェイ・パヌフニク]]、作曲家(+ [[1991年]]) * [[1915年]] - [[アンジェラ・コーリー]]([[:en:Angela_Jurdak_Khoury|Angela Jurdak Khoury]])、外交官(+ [[2011年]]) * 1915年 - {{仮リンク|マド・モーリン|en|Mado Maurin|fr|Mado Maurin}}、女優(+ [[2013年]]) * [[1916年]] - [[ルース・リーチ・アモネット]]、実業家、教育者(+ [[2004年]]) * [[1918年]] - [[マイケル・J・S・デュワー]]([[:en:Michael_J._S._Dewar|Michael J. S. Dewar]])、[[理論化学|理論化学者]](+ [[1997年]]) * 1918年 - [[オードラ・リンドレイ]]([[:en:Audra_Lindley|Audra Lindley]])、女優(+ [[1997年]]) * [[1919年]] - [[ゴードン・カーペンター]]([[:en:Gordon_Carpenter|Gordon Carpenter]])、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]](+ [[1988年]]) * [[1920年]] - [[リチャード・ボング]]、[[アメリカ陸軍航空軍|陸軍航空軍]]軍人(+ [[1945年]]) * [[1921年]] - [[村上弘]]、政治家(+ [[2007年]]) * 1921年 - [[ジム・マッケイ]]([[:en:Jim_McKay|Jim McKay]])、スポーツキャスター(+ [[2008年]]) * [[1922年]] - [[エットーレ・バスティアニーニ]]、[[バリトン]]歌手(+ [[1967年]]) * 1922年 - [[バート・I・ゴードン]]、映画監督(+ [[2023年]]) * 1922年 - [[ジョン・モファット]]([[:en:John_Moffatt_(actor)|John Moffatt (actor)]])、俳優(+ 2012年) * [[1923年]] - [[加藤進 (野球)|加藤進]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * 1923年 - [[ファッツ・ナヴァロ]]([[:en:Fats_Navarro|Fats Navarro]])、[[トランペット]]奏者(+ [[1950年]]) * 1923年 - [[ラウル・ボット]]、[[数学者]](+ [[2005年]]) * [[1924年]] - [[ニーナ・ボシャロワ]]([[:en:Nina_Bocharova|Nina Bocharova]])、体操選手(+ [[2020年]]) * [[1925年]] - [[辻邦生]]、小説家(+ [[1999年]]) * 1925年 - [[フランソワーズ・ベルティン]]([[:en:Françoise_Bertin|Françoise Bertin]])、女優(+ [[2014年]]) * 1925年 - [[エレオノラ・ロッシ=ドラゴ]]、女優(+ [[2007年]]) * [[1927年]] - [[長新太]]、[[絵本作家]](+ [[2005年]]) * 1927年 - [[加山又造]]、画家(+ [[2004年]]) * 1927年 - [[アーサー・マレット]]、俳優、[[舞台俳優]](+ [[2013年]]) * [[1929年]] - [[大平透]]、[[声優]](+ [[2016年]]) * [[1930年]] - [[アンジェロ・マスカット]]([[:en:Angelo_Muscat|Angelo Muscat]])、俳優(+ [[1977年]]) * 1930年 - [[ベンジャミン・ロムアルデス]]([[:en:Benjamin_Romualdez|Benjamin Romualdez]])、政治家(+ [[2012年]]) * 1930年 - [[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ジョン・ヤング]]、[[宇宙飛行士]](+ [[2018年]]) * [[1931年]] - [[マイケル・クレスニック]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]) * 1931年 - [[エリザベス・ブラックアダー]]([[:en:Elizabeth_Blackadder|Elizabeth Blackadder]])、画家(+ [[2021年]]) * 1931年 - [[カーディス・コリンズ]]([[:en:Cardiss_Collins|Cardiss Collins]])、政治家(+ [[2013年]]) * 1931年 - [[アンソニー・ニューリー]]、[[シンガーソングライター]]、俳優(+ [[1999年]]) * 1931年 - [[マイク・パークス]]([[:en:Mike_Parkes|Mike Parkes]])、[[レーシングドライバー]](+ [[1977年]]) * [[1932年]] - [[久保菜穂子]]、[[俳優|女優]] * 1932年 - [[ミゲル・モントゥオーリ]]([[:en:Miguel_Montuori|Miguel Montuori]])、サッカー選手(+ [[1998年]]) * [[1933年]] - [[メル・テイラー]]、[[ドラマー]](+ [[1996年]]) * [[1934年]] - [[筒井康隆]]、小説家 * 1934年 - [[ジョン・ブラナー]]、[[SF作家]](+ [[1995年]]) * 1934年 - [[木村保]]、元プロ野球選手(+ [[2005年]]) * 1934年 - [[マンフレート・ヴェルナー]]、[[北大西洋条約機構]] (NATO) 事務総長、政治家(+ [[1994年]]) * 1934年 - [[チック・ウィリス]]([[:en:Chick_Willis|Chick Willis]])、歌手(+ [[2013年]]) * [[1935年]] - [[藤本譲]]<ref>{{Cite book|和書|author=|title=声優名鑑|publisher=成美堂出版|page=606|isbn=978-4-415-00878-3|date=1999-7}}</ref>、[[声優]](+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://animeanime.jp/article/2019/06/17/46241.html |title=声優・藤本譲さん、心不全のため死去 「ミスター味っ子」味皇役や「犬夜叉」夢心和尚役など |publisher=アニメ!アニメ! |date=17 Jun 2017 |accessdate=12 Mar 2023}}</ref>) * [[1936年]] - [[根来広光]]、元プロ野球選手(+ [[2009年]]) * 1936年 - [[ジム・ヘンソン]]、[[映画監督]]・[[プロデューサー]]、[[傀儡子|人形使い]](+ [[1990年]]) * 1936年 - [[ジョージ・イーストハム]]([[:en:George_Eastham|George Eastham]])、サッカー選手 * [[1938年]] - [[スティーヴ・ダグラス]]([[:en:Steve_Douglas_(musician)|Steve Douglas (musician)]])、サックス奏者(+ [[1993年]]) * [[1939年]] - [[ウェイン・ヘンダーソン]]、[[トロンボーン]]奏者(+ [[2014年]]) * 1939年 - [[ジャック・ヴァレ]]、ベンチャー・キャピタリスト * [[1941年]] - [[リンダ・マッカートニー]]、[[写真家]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[料理研究家]](+ [[1998年]]) * [[1942年]] - [[ジェリー・マースデン]]([[:en:Gerry_Marsden|Gerry Marsden]])、シンガーソングライター(+ [[2021年]]) * 1942年 - [[マイケル・ウォドレー]]([[:en:Michael_Wadleigh|Michael Wadleigh]])、映画プロデューサー * [[1943年]] - [[平井正則]]、[[天文学者]] * [[1944年]] - [[イーヴァン・ボーランド]]([[:en:Eavan_Boland|Eavan Boland]])、詩人(+ [[2020年]]) * [[1945年]] - [[牧野剛]]、河合塾講師、市民運動家(+ [[2016年]]) * 1945年 - [[ジョン・ラター]]、[[作曲家]] * [[1946年]] - [[田淵幸一]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]] * 1946年 - [[時田則雄]]、歌人 * 1946年 - [[ジェリー・ドナヒュー (ギタリスト)|ジェリー・ドナヒュー]]、ギタリスト * 1946年 - [[ミーン・ジョー・グリーン]]、アメフト選手 * 1946年 - [[ラルス・エミール・ヨハンセン]]、政治家、第2代[[グリーンランド]][[グリーンランドの首相|首相]] * 1946年 - [[マリア・テレサ・ルイス]]([[:en:María_Teresa_Ruiz|María Teresa Ruiz]])、天文学者 * [[1947年]] - [[山岸凉子]]、[[漫画家]] * [[1948年]] - [[フィル・ハートマン]]、俳優・コメディアン(+ [[1998年]]) * 1948年 - [[ガース・ポーター]]([[:en:Garth_Porter|Garth Porter]])、ミュージシャン * [[1949年]] - [[ペドロ・アルモドバル]]、[[映画監督]] * 1949年 - [[バレカ・ムベテ]]([[:en:Baleka_Mbete|Baleka Mbete]])、南アフリカ国民議会議長、政治家 * [[1950年]] - [[ジョン・ケッセル]]、[[SF作家]]・[[ファンタジー作家]] * 1950年 - [[ハリエット・ウォルター]]([[:en:Harriet_Walter|Harriet Walter]])、女優 * [[1951年]] - [[神田康秋]]、[[アナウンサー]] * [[1954年]] - [[仲根正広]]、元プロ野球選手(+ 1995年) * 1954年 - [[マルコ・タルデッリ]]、[[サッカー|サッカー選手]] * [[1955年]] - [[のむらしんぼ]]、漫画家 * [[1956年]] - [[剛州]]、俳優、[[お笑いタレント]] * 1956年 - [[ヒュービー・ブルックス]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[河内隆]]、[[自治省|自治]]・[[総務省|総務]]・[[内閣府]][[官僚]] * [[1958年]] - [[奥山治郎]]、実業家 * 1958年 - [[ケヴィン・ソルボ]]、俳優 * [[1959年]] - [[稲葉なおと]]、紀行作家、一級建築士、写真家 * 1959年 - [[スティーヴ・ホイットマイア]]、[[傀儡子|人形使い]] * 1959年 - [[真行寺君枝]]、女優 * [[1960年]] - [[川原泉]]、漫画家 * [[1961年]] - [[ジョン・ローガン]]、[[脚本家]]、[[劇作家]] * 1961年 - [[谷川哲也]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[石巻ゆうすけ]]、元アナウンサー * 1962年 - [[KAN]]、[[シンガーソングライター]](+ [[2023年]]) * [[1963年]] - [[古川利行]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[ラファエル・パルメイロ]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[ジェフ・クロスノフ]]、レーシングドライバー(+ [[1996年]]) * [[1965年]] - [[宮島恵子]]、元バレーボール選手 * 1965年 - [[DALE|デイル]]、[[ラジオパーソナリティ|ラジオDJ]]、ナレーター * 1965年 - [[新保友紀子]]、[[ソプラノ歌手]] * [[1966年]] - [[定詰雅彦]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[麻見順子]]、声優 * 1967年 - [[甲斐谷忍]]、漫画家 * [[1968年]] - [[羽田美智子]]、女優 * 1968年 - [[正岡邦夫]]、俳優 * [[1969年]] - [[田原健一]]、ミュージシャン([[Mr.Children]]) * 1969年 - [[有働克也]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[高岡寿成]]、元マラソン選手 * 1970年 - [[一青妙]]、女優、[[歯科医師]] * 1970年 - [[野村正樹 (建築家)|野村正樹]]、[[建築家]] * [[1971年]] - [[ケビン・ミラー]]、元プロ野球選手 * [[1974年]] - [[大久保伸隆]]、ミュージシャン(元[[Something ELse]]) * [[1975年]] - [[山岡真介]]、[[脚本家]] * [[1976年]] - [[桜塚やっくん]]、お笑いタレント、声優(+ [[2013年]]) * 1976年 - [[ステファニー・マクマホン=レヴェック|ステファニー・マクマホン]]、[[WWE]]副社長 * 1976年 - [[ジョン・マンジェリ]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[モハメド・フセイン・シャリーフ]]、政治家 * 1977年 - 中西茂樹、お笑いタレント([[なすなかにし]]) * [[1978年]] - [[曽山一寿]]、漫画家 * 1978年 - [[張維娜]]、元フィギュアスケート選手 * [[1979年]] - [[高野貴裕]]、元アナウンサー * 1979年 - [[L-VOKAL]]、ミュージシャン * 1979年 - [[細川聖可]]、元声優 * 1979年 - [[ファビオ・アウレリオ・ロドリゲス|ファビオ・アウレリオ]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[ケイシー・ジョンソン]]、[[ソーシャライト]](+ [[2010年]]) * [[1980年]] - [[ブライアン・スタン]]、元総合格闘家 * 1980年 - [[ポール・スロウィンスキー]]、元キックボクサー * [[1981年]] - [[タニザワトモフミ]]、[[シンガーソングライター]] * 1981年 - [[大迫一平]]、俳優 * 1981年 - [[矢野さとる]]、コンテンツエンジニア、[[おーぷん2ちゃんねる]]開設者 * 1981年 - [[大徳絵里]]、アナウンサー * 1981年 - [[松崎悠希]]、俳優 * [[1982年]] - [[モーガン・ハム]]、元体操競技選手 * 1982年 - [[ポール・ハム]]、元体操競技選手 * 1982年 - [[ジェフ・カーステンス]]、元プロ野球選手 * [[1983年]] - [[トラビス・イシカワ]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[野中信吾]]、元プロ野球選手 * 1983年 - 岩崎真奈、タレント * [[1984年]] - [[二宮歩美]]、タレント * 1984年 - [[大西蘭]]、フリーアナウンサー * [[1985年]] - [[城所龍磨]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[梶山陽平]]、元サッカー選手 * 1985年 - [[森下加奈]]、女優 * 1985年 - [[黛英里佳]]、モデル、女優 * 1985年 - [[山口沙紀]]、[[グラビアアイドル]] * [[1986年]] - [[リア・ディゾン]]、グラビアアイドル * [[1987年]] - [[センゾ・メイワ]]、サッカー選手(+ [[2014年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3312102 |title=サッカー南ア代表主将の殺害事件、容疑者5人を逮捕 |access-date=12 Mar 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |website=AFP BB News |date=27 Oct 2020}}</ref>) * [[1988年]] - 江沼郁弥、ミュージシャン([[plenty]]) * 1988年 - [[ビルギット・オイグミール]]、女優、モデル、タレント、歌手 * 1988年 - [[モイゼス・シエラ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[ハンター・ストリックランド]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[日向藍子]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]] * [[1989年]] - [[吉田一将]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[出岡美咲]]、ファッションモデル、歌手 * 1990年 - [[イ・テイル]]、歌手([[Block B]]) * 1990年 - [[緒方亜香里]]、柔道選手 * 1990年 - [[齋藤圭祐]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[申娜姫]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[高橋由真]]、ファッションモデル * [[1991年]] - [[早乙女太一]]、俳優 * 1991年 - [[国吉佑樹]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[田名網駿一]]、[[アナウンサー]] * [[1992年]] - [[岩井拳士朗]]、俳優 * [[1993年]] - [[鈴村あいり]]、[[AV女優]] * 1993年 - [[久保田和真]]、元陸上選手 * [[1997年]] - [[杉山セリナ]]、元タレント、元キャスター * 1997年 - [[瀧野由美子]]、タレント、元アイドル(元[[STU48]]) * [[1999年]] - [[永野芽郁]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.stardust.co.jp/talent/section1/naganomei/ |title=永野芽郁 |access-date=12 Mar 2023 |publisher=[[スターダストプロモーション|STARDUST]]}}</ref>、女優、ファッションモデル * [[2000年]] - [[渡邉陸]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - ガウル、アイドル([[IVE (音楽グループ)|IVE]]) * [[2003年]] - {{仮リンク|ジョー・ロック|en|Joe Locke (actor)}}、俳優 * [[2005年]] - 久留島優果、アイドル(STU48) * 生年不明 - BAN、ミュージシャン([[少女-ロリヰタ-23区]]) * 生年不明 - [[とりのなん子]]、漫画家 * 生年不明 - [[平山笑美]]、声優 * 生年不明 - [[綾音まこ]]、声優 * 生年不明 - [[北原美和]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/2000012201/ |title=北原美和 |access-date=12 Mar 2023 |publisher=WEBザテレビジョン}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[月ノ美兎]]、[[バーチャルYouTuber|バーチャルライバー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.moguravr.com/vtuber-tsukino-mito-9/ |title=月ノ美兎のTwitterが誕生日に一時凍結!?その理由とは |access-date=12 Mar 2023 |publisher=Mogu Live |date=24 Sep 2019}}</ref><ref>{{YouTube|QIdsPo5EapA|月ノ美兎・爆誕スペシャル【ヨーロッパ企画実況・寿命公開・凸待ち】}}</ref> == 忌日 == [[File:Paracelsus 1.jpg|thumb|120px|[[錬金術|錬金術師]]にして[[神秘思想家]]、[[パラケルスス]](1493-1541)没]] {{multiple image | footer = [[西南戦争]]で[[西郷隆盛]]に殉じた者たち | image1 = Shinpachi Murata.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[村田新八]](1836-1877) | alt1 = 村田新八 | image2 = Toshiaki Kirino 2.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[桐野利秋]](1838-1877) | alt2 = 桐野利秋 | image3 = Shinsuke Beppu.jpg | width3 = 90 | caption3 = [[別府晋介]](1847-1877) | alt3 = 別府晋介 }} [[File:Manuel Estrada Cabrera.jpg|thumb|120px|[[グアテマラの大統領|グアテマラ大統領]]、[[マヌエル・ホセ・エストラーダ・カブレーラ]](1857-1923)獄死]] * [[366年]] - [[リベリウス (ローマ教皇)|リベリウス]]、第36代[[教皇|ローマ教皇]] * [[911年]] - [[ルートヴィヒ4世 (東フランク王)|ルートヴィヒ4世]]、[[東フランク王国]]国王(* [[893年]]) * [[1143年]] - [[インノケンティウス2世 (ローマ教皇)|インノケンティウス2世]]、第163代ローマ教皇 * [[1468年]]([[成化]]4年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]])- [[世祖 (朝鮮王)|世祖]]、[[李氏朝鮮|李氏朝鮮王]](* [[1417年]]) * [[1541年]] - [[パラケルスス]]、[[錬金術師]]・医者・自然哲学者(* [[1493年]]/[[1494年]]) * [[1732年]]([[享保]]17年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]])- [[霊元天皇]]、第112代[[天皇]](* [[1654年]]) * [[1834年]] - [[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ペドロ1世]]、初代[[ブラジル帝国|ブラジル]]皇帝(* [[1798年]]) * [[1877年]] - [[西郷隆盛]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://saigou.jp/saigo_life/ |title=西郷さんを知る |access-date=12 Mar 2023 |publisher=西郷南洲顕彰館}}</ref>、[[明治維新]]の元勲(* [[1828年]]) * 1877年 - [[桂久武]]、[[薩摩藩]]家老、政治家(* [[1834年]]) * 1877年 - [[村田新八]]、薩摩藩士、政治家(* [[1836年]]) * 1877年 - [[桐野利秋]]、薩摩藩士、軍人(* [[1838年]]) * 1877年 - [[池上四郎 (薩摩藩士)|池上四郎]]、薩摩藩士、軍人(* [[1842年]]) * 1877年 - [[別府晋介]]、薩摩藩士、軍人(* [[1847年]]) * [[1923年]] - [[マヌエル・ホセ・エストラーダ・カブレーラ]]、[[グアテマラ]]大統領(* [[1857年]]) * [[1951年]] - [[小泉又次郎]]、政治家(* [[1865年]]) * [[1975年]] - [[三隅研次]]、[[映画監督]](* [[1921年]]) * [[1985年]] - [[井口新次郎]]、[[野球選手]](* [[1904年]]) * [[1992年]] - [[寺田ヒロオ]]、漫画家(* [[1931年]]) * [[2000年]] - [[ガブリエル・バンサン]]、[[絵本作家]](* [[1928年]]) * 2000年 - [[バジル・バーンステイン]]、[[社会学者]]、[[言語学者]](* [[1924年]]) * [[2002年]] - [[鮎川哲也]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tsogen.co.jp/wadai/0211_02.html |title=本格一筋六十年 想い出の鮎川哲也 |access-date=12 Mar 2023 |publisher=[[東京創元社]]}}</ref>、[[推理作家]](* [[1919年]]) * [[2003年]] - [[芦原義信]]、[[建築家]](* [[1918年]]) * [[2004年]] - [[フランソワーズ・サガン]]、[[作家]](* [[1935年]]) * [[2006年]] - [[丹波哲郎]]、[[俳優]](* [[1922年]]) * 2006年 - [[吉田玉男 (初代)|初代吉田玉男]]、[[人形浄瑠璃]][[文楽]]人形遣い、[[人間国宝]](* 1919年) * [[2007年]] - [[ヴォルフガング・パノフスキー]]、[[物理学者]](* 1919年) * 2007年 - [[逢坂浩司]]、アニメーター、キャラクターデザイナー(* [[1963年]]) * [[2008年]] - [[ミッキー・バーノン]]、プロ野球選手(* [[1918年]]) * [[2011年]] - [[山内賢]]、俳優(* [[1943年]]) * [[2015年]] - [[福島菊次郎]]、[[写真家]](* [[1921年]]) * 2015年 - [[丸山詠二]]、声優(* [[1930年]]) * 2015年 - [[川島なお美]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/09/24/kiji/K20150924011198640.html |title=川島なお美さん死去 昨年胆管がん手術 54歳若すぎる… |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=24 Sep 2015 |accessdate=12 Mar 2023 |website=SponichiAnnex}}</ref>、女優(* [[1960年]]) * 2015年 - [[samfree]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.inside-games.jp/article/2015/10/01/91731.html |title=作曲家・ボカロPのsamfreeさん死去 ― 31歳の若さ、「ルカルカ」「放課後のプレアデス」OP曲を手掛ける |access-date=12 Mar 2023 |publisher=INSIDE |date=1 Oct 2015}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=人気ボカロPのsamfreeさん、31歳の若さで死去 「ルカルカ★ナイトフィーバー」など殿堂入りは20曲超 |url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1510/01/news112.html |website=ねとらぼ |access-date=12 Mar 2023 |date=1 Oct 2015}}</ref>、[[ソングライター]](* [[1984年]]) * [[2016年]] - [[バックウィート・ザディコ]]<ref>{{Cite web |title=U.S. zydeco music star Stanley 'Buckwheat' Dural dies at 68 |url=https://www.reuters.com/article/us-people-buckwheat-usa-idUSKCN11U0QV |website=[[ロイター|REUTERS]] |access-date=12 Mar 2023 |date=24 Sep 2016 |language=en}}</ref>、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1947年]]) * [[2021年]] - [[さいとう・たかを]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2208578/full/ |title=『ゴルゴ13』さいとう・たかをさん、すい臓がんのため死去 84歳 本人の遺志を継ぎ連載は継続へ |access-date=12 Mar 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]] |date=29 Sep 2021}}</ref>、漫画家(* [[1936年]]) == 記念日・年中行事 == * 秋の[[社日]]({{JPN}}、このころ)※[[秋分]]に最も近い[[戊]]の日 * [[伝統文化継承の日]]({{ZAF}}) * [[独立記念日]]({{GNB}}) *: [[1973年]]のこの日、ギニアビサウが[[ポルトガル]]から独立した。 * [[共和国記念日]]({{TTO}}) *: [[1976年]]のこの日に[[共和制]]に移行したことを記念。 * 清掃の日({{JPN}}) *: [[環境省]](2000年までは[[厚生省]])が実施。[[1971年]]のこの日、[[廃棄物の処理及び清掃に関する法律]]が施行されたことに由来。この日から[[10月1日]]までの1週間が[[環境衛生週間]]となっている。 * みどりの窓口記念日({{JPN}}) *: [[1965年]](昭和40年)のこの日、[[日本国有鉄道]](現在の[[JR]])の全国約150の駅に、コンピュータを使った指定券発売窓口「みどりの窓口」が設置された。 * 畳の日({{JPN}}) *: 全国畳産業振興会が「清掃の日」にちなんで制定。1年に2回あり、もう1回は「みどりの日」であった[[4月29日]]。 * [[歯科技工士]]記念日({{JPN}}) *:[[1955年]]のこの日に[[日本歯科技工士会]]が発足したことにちなみ、 [[2005年]]に同会が制定。 * 海藻サラダの日({{JPN}}) *: 食物繊維が豊富で低カロリーの海藻サラダを多くの人に味わって貰おうとカネリョウ海藻(株)が制定。日付は同社の髙木良一会長の誕生日([[1930年]]9月24日)から<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=117|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0924|date=2011年7月}} * 年不明 - 金曜日、ジェイムズ・シェパード[[医師]]が手記を書き終える。(小説『[[アクロイド殺し]]』最終章) * [[1920年代|192X年]] - 月曜日、ローマ劇場で悪徳[[弁護士]]のモンティ・フィールドが毒殺される。(小説『[[ローマ帽子の謎]]』第1部第1節) * 1999年 - モータースポーツ大会「REAL RACING ROOTS'99」(RRR'99)決勝大会開幕、[[横浜市|横浜]]にて決勝レースが開催される。(ゲーム『[[R4 -RIDGE RACER TYPE 4-]]』)<ref>ゲーム内のレース開始前より</ref> * 年不明 - 浦登玄遙夫人・ダリアの誕生日と没日にちなみ、浦登邸『暗黒館』にて「ダリアの宴」が催され、中也が参加する。また、作中では当日を'''「ダリアの日」'''と呼称している。(小説『[[暗黒館の殺人]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1964年]] - 空豆タロウ、漫画・アニメ『[[Dr.スランプ]]』に登場するキャラクター<ref>『[[Dr.スランプ]]』ジャンプ・コミックス4巻 102ページDr.スランプ ほよよ履歴書「空豆タロウ」より。</ref> * 統一歴1913年 - ターニャ・デグレチャフ、小説・アニメ・漫画『[[幼女戦記]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|title=[[幼女戦記]]|volume=第2巻 Plus Ultra|chapter=1章|isbn=978-4-04-729569-8}}</ref> * 生年不明 - 日奈森亜夢、漫画・アニメ『[[しゅごキャラ!]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ponican.jp/shugo-chara/character/shugo-chara.html |title=日奈森 あむ |access-date=2022-09-11 |publisher=PEACH-PIT・[[講談社]]/エンブリオ捜索隊・[[テレビ東京]]}}</ref> * 生年不明 - 神咲マイ、テレビドラマ『[[アイドル×戦士ミラクルちゅーんず!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=テレビ超ひゃっか アイドル×戦士ミラクルちゅーんず!ヒロインずかん|publisher=[[小学館]]|year=2017|page=8|isbn=978-4-09-750421-4}}</ref> * 生年不明 - 剣城あきら、アニメ『[[キラキラ☆プリキュアアラモード]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.co.jp/precure/kirakira/character/curechocolat.html#category |title=キュアショコラ(剣城あきら) |work=キラキラ☆プリキュアアラモード|朝日放送 |accessdate=2022-09-11}}</ref> * 生年不明 - スー、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Suu.html |title=スー |access-date=2022-09-11 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |website=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - 風間蒼也 、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1176150483146366977}}</ref> * 生年不明 - 鷺ノ宮伊澄、漫画・アニメ『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://hayatenogotoku.com/chara/index.html |title=生徒名簿 白皇学院 鷺ノ宮伊澄 |access-date=2022-12-29 |work=『ハヤテのごとく!』 |publisher=[[畑健二郎]]/[[小学館]]・白皇学院生徒会・[[テレビ東京]]}}</ref> * 生年不明 - 朝倉智景、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』7巻 株式会社[[芳文社]].2020年.カバー裏</ref> * 生年不明 - 福路美穂子、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=咲 Saki ラブじゃん♥ マホちゃんの必殺技完成!|publisher=スクウェア・エニックス|year=2010|page=98|isbn=978-4-7575-2634-1}}</ref> * 生年不明 - 諸葛瑾子喩、漫画・アニメ『[[一騎当千 (漫画)|一騎当千]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ikki_eb|1441054773608861697}}</ref> * 生年不明 - 八木野土香、漫画・アニメ『[[SELECTION PROJECT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/gallery/news/447034/1496069 |title=八木野土香のプロフィール |access-date=2022-09-11 |publisher=コミックナタリー}}</ref> * 生年不明 - 剛陣鉄之助、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2022-09-11}}</ref> * 生年不明 - 山田リョウ、アニメ『[[KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kinpri.com/character/detail.php#ryo |title=山田 リョウ |access-date=2022-09-11 |publisher=KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-}}</ref> * 生年不明 - 秋月ショウ 、アニメ『[[WAVE!!〜サーフィンやっぺ!!〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|wave_pj|1308783183429734400}}</ref> * 生年不明 - 井澤愛、アニメ『[[恋愛フロップス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://loveflops.com/chara/chara008.html |title=井澤 愛 |access-date=2022-12-29 |publisher=LOVE FLOPS PARTNERS |work=『恋愛フロップス』}}</ref> * 生年不明 - フータ、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=住民名簿 9月 フータ |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m09.html |accessdate=2022-09-11 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref> * 生年不明 - アップル、ゲーム『どうぶつの森』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m09.html |title=住民名簿 9月 アップル |access-date=2022-09-11 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref> * 生年不明 - 伊集院惠、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20018 |title=伊集院 惠(いじゅういん めぐみ) |access-date=2022-09-11 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#桜庭薫|桜庭薫]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sidem-gs.idolmaster-official.jp/idol/kaoru/ |title=桜庭 薫 |access-date=2022-09-11 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER SideM GROWING STARS』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|24 September}} {{新暦365日|9|23|9|25|[[8月24日]]|[[10月24日]]|[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]|0924|9|24}} {{1年の月と日}}
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5,673
9月25日
9月25日(くがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から268日目(閏年では269日目)にあたり、年末まであと97日ある。
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9月25日(くがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から268日目(閏年では269日目)にあたり、年末まであと97日ある。
{{カレンダー 9月}} '''9月25日'''(くがつにじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から268日目([[閏年]]では269日目)にあたり、年末まであと97日ある。 == できごと == [[File:1396-Battle of Nicopolis.jpg|thumb|160px|[[ニコポリスの戦い]](1396)。[[フランス王国|フランス]][[騎士]]たちの無謀さを象徴した]] [[File:Fujinoki-kofun Ikaruga Nara Pref04bs3s4500.jpg|thumb|120px|[[藤ノ木古墳]]の[[石室]]、[[石棺]]発掘(1985)。[[穴穂部皇子]]と[[宅部皇子]]が被葬者と推測されている]] * [[275年]] - [[マルクス・クラウディウス・タキトゥス|タキトゥス]]がローマ皇帝に即位。 * [[762年]] - [[アッバース朝]]に対する[[アリッド反乱]]([[:en:Alid_Revolt_(762–63)|Alid revolt of 762–763]])が始まる。 * [[1066年]] - [[スタンフォード・ブリッジの戦い]]。[[イングランド君主一覧|イングランド王]][[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド2世]]が、弟トスティと[[ノルウェー君主一覧|ノルウェー王]][[ハーラル3世 (ノルウェー王)|ハーラル3世]]を破る。 * [[1237年]] - イングランド王[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]とスコットランド王[[アレグザンダー2世 (スコットランド王)|アレクサンダー2世]]により[[ヨーク条約]]([[:en:Treaty_of_York|Treaty of York]])が結ばれる。 * [[1340年]] - [[百年戦争]]: イギリスの[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]と[[フランス君主一覧|フランス]]の[[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]が[[エスプシャンの停戦]]([[:en:Truce_of_Espléchin|Truce of Espléchin]])に合意し停戦。 * [[1347年]] - [[フォワ伯]][[ガストン3世 (フォワ伯)|ガストン3世]]により[[ベルン独立宣言]]([[:fr:Déclaration_d'indépendance_du_Béarn|Déclaration d'indépendance du Béarn]])がなされる。 * [[1352年]]([[観応]]3年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[光厳上皇]]の皇子である[[後光厳天皇|弥仁王]]が、[[継体天皇]]の先例および[[文帝 (漢)|孝文皇帝]]の故実をもとに[[践祚]]([[後光厳天皇]])<ref>[[林屋辰三郎]]『内乱のなかの貴族』1975年、pp.113-114。</ref>。[[治天の君|治天]]は[[西園寺寧子]]。 * [[1396年]] - [[ニコポリスの戦い]]。[[バヤズィト1世]]率いる[[オスマン帝国]]軍がヨーロッパ諸国軍に圧勝。 * [[1513年]] - スペインの探検家[[バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア]]が、ヨーロッパ人で初めて[[太平洋]]に到達。 * [[1555年]] - [[アウクスブルクの和議]]が成立。[[神聖ローマ帝国]]が[[ルター派]]を容認。 * [[1690年]] - [[アメリカ]]で最初に発行された複数ページの[[新聞]]である[[パブリック・オカレンシズ]]が[[ボストン]]で発行される。[[9月29日]]に植民地政府により発行を禁じられる。 * [[1759年]] - [[七年戦争]]: [[ホイエルスヴェルダの戦い]]。 * [[1775年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ロングポイントの戦い]]。 * [[1789年]] - 後の第4代[[アメリカ合衆国大統領]]となった下院議員[[ジェームズ・マディソン]]によって下院に憲法改正([[権利章典 (アメリカ)|権利章典]](改正1~10条)や[[アメリカ合衆国憲法修正第27条]]など)案が提出される。 * [[1795年]] - [[ヴァンデの反乱]]: [[サン=シル=アン=タルモンダイスの戦い]]([[:fr:Bataille_de_Saint-Cyr-en-Talmondais|Bataille de Saint-Cyr-en-Talmondais]]) * [[1809年]] - [[チロルの反乱]]([[:en:Tyrolean_Rebellion|Tyrolean Rebellion]]): [[コル・ド・リューグの戦い]]([[:fr:Bataille_du_col_de_Lueg|Bataille du col de Lueg]]) * [[1868年]] - [[ロシア帝国]]の[[フリゲート]]艦「[[アレクサンドル・ネフスキー (軍艦)|アレクサンドル・ネフスキー]]([[:en:Russian_frigate_Alexander_Nevsky|Russian frigate ''Alexander Nevsky'']])」が[[アレクセイ・アレクサンドロヴィッチ]]([[:en:Grand_Duke_Alexei_Alexandrovich_of_Russia|Grand Duke Alexei Alexandrovich of Russia]])大公を乗せた状態で難破する。 * [[1884年]] - [[仮名垣魯文]]主筆の[[夕刊紙]]『今日新聞』(後の[[都新聞]]、現在の[[東京新聞]])が創刊。 * [[1890年]] - [[ヨセミテ国立公園]]発足。 * [[1903年]] - [[レオナルド・トーレス・ケベード]]が、電磁波の指令を受信して実行するロボットTelekinoを公開。世界初の[[ラジコン|ラジオコントロール]]。 * [[1904年]] - [[クネネの戦い]]([[:en:Battle_of_the_Cunene|Battle of the Cunene]])。[[アンゴラ]]人が植民地を統治するポルトガル軍に大勝する。 * [[1911年]] - [[トゥーロン]]港に停泊中の戦艦[[リベルテ (戦艦)|リベルテ]]の前部の副砲の弾薬庫の一つで爆発が発生。リベルテは破壊され撃沈する。 * [[1912年]] - [[コロンビア大学ジャーナリズム大学院]]設立。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: {{仮リンク|第一次アルベールの戦い|en|Battle of Albert (1914)}}。 * [[1915年]] - [[山極勝三郎]]が[[皮膚がん|皮膚癌]]の人工発生に成功と発表。 * 1915年 - [[第一次世界大戦]]: [[第二次シャンパーニュの戦い]]([[:en:Second_Battle_of_Champagne|Second Battle of Champagne]])が始まる。[[11月6日]]まで。 * 1915年 - 第一次世界大戦: [[ルーの戦い]]([[:en:Battle_of_Loos|Battle of Loos]])が始まる。[[9月28日]]まで。 * [[1921年]] - 台風が[[紀伊半島]]に上陸して[[名古屋市]]で高潮などの被害。全壊家屋5474戸、死者211人、行方不明326人<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p345 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067</ref>。 * [[1926年]] - [[ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング]]が[[カナダ]]第14代[[カナダ首相|首相]]に就任。二期目。 * 1926年 - {{仮リンク|1926年奴隷制条約|en|1926 Slavery Convention}}が署名される。 * [[1936年]] - [[沢村栄治]]が[[日本プロ野球]]初の[[ノーヒットノーラン]]を達成。 * 1936年 - 帝国在郷軍人会令公布。私的機関だった[[在郷軍人会#帝国在郷軍人会|帝国在郷軍人会]]が陸海軍所管の公的機関となる。 * [[1937年]] - [[大牟田爆発赤痢事件]]が発生。 * 1937年 - [[日中戦争]]: [[平型関の戦い]]([[:en:Battle_of_Pingxingguan|Battle of Pingxingguan]])。 * [[1944年]] - [[第二次世界大戦]]: [[マーケット・ガーデン作戦]]が終了。 * [[1945年]] - [[世界労働組合連盟]] (WFTU) が発足。 * [[1949年]] - [[昭和天皇]]の初の著書『相模湾産後鰓類図譜』が[[岩波書店]]から発刊。 * [[1954年]] - [[日本中央競馬会]]が[[中央競馬]]を初開催。 * 1954年 - 青木航空機のビーチクラフト機が乗員・乗客6人を乗せたまま消息を絶つ([[青木航空機墜落事故]])。 * [[1955年]] - [[ヨルダン空軍]]成立。 * [[1956年]] - 最初の海底大西洋横断電話ケーブルシステム{{仮リンク|TAT-1|en|TAT-1}}が発足。 * [[1957年]] - [[リトルロック高校事件]]: リトルロック市長の[[ドワイト・D・アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]への要請で派遣された陸軍第101空挺師団の部隊に守られながら黒人学生が登校。 * [[1959年]] - [[セイロン (ドミニオン)|セイロン]](現[[スリランカ]])首相[[ソロモン・バンダラナイケ]]が仏教僧により{{仮リンク|ソロモン・バンダラナイケ暗殺事件|en|Assassination of S. W. R. D. Bandaranaike|label=銃撃}}される。翌日死亡。 * [[1962年]] - [[アルジェリア]]人民民主共和国が正式に建国宣言され、[[フェラ・アッバース]]([[:en:Ferhat_Abbas|Ferhat Abbas]])が臨時政府大統領に選出される。 * [[1964年]] - [[モザンビーク独立戦争]]が始まる。 * [[1969年]] - 25か国の首脳が参加して[[モロッコ]]の[[ラバト]]で行われた第一回イスラム首脳会議で[[イスラム協力機構]]創立が決議。 <!-- * [[1969年]] - [[藤圭子]]が[[シングル]]『新宿の女』で[[演歌歌手]]デビュー。 --> * [[1970年]] - [[リビア]]と[[ヨルダン]]が国交断絶。<!-- 「なぜ」の記述がほしい --> * [[1972年]] - [[田中角栄]]首相が[[中華人民共和国]]を訪問。[[9月29日]]に[[日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明|日中共同声明]]を発表し、国交樹立。 * 1972年 - [[ノルウェー]]の[[欧州共同体|EC]]加盟が国民投票で否決。 * 1972年 - [[フランス]]の週刊政治ニュース雑誌『[[ル・ポワン]]』の創刊号が刊行される<ref>{{Cite web|title=La presse à la Une|url=http://expositions.bnf.fr/presse/grand/pre_412.htm|website=expositions.bnf.fr|accessdate=2020-06-26|publisher=Bibliothèque nationale de France}}</ref>。 * [[1973年]] - [[1971年]]の放火によって焼失していた[[日比谷公園]]内の[[レストラン]]「[[松本楼]]」が再建される。 * 1973年 - 開業を4日後に控えた[[西武百貨店高槻店]]で[[火災]]、6人死亡。原因は[[警備員]]による[[放火及び失火の罪|放火]]。建物の損壊が激しく、開業は[[1974年]][[11月15日]]に延期。 * [[1974年]] - 初めての[[トミー・ジョン手術]]が行われる。<!-- enより --> * [[1977年]] - 第1回[[シカゴマラソン]]開催。 <!-- * [[1975年]] - [[中島みゆき]]が[[シングル]]『アザミ嬢のララバイ』で[[歌手]]デビュー。 --> * [[1978年]] - [[パシフィック・サウスウエスト航空182便墜落事故]]。 * [[1981年]] - [[ベリーズ]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * 1981年 - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系で、同局の開局([[1959年]][[3月1日]])以来長きにわたり続いたトーク番組『[[スター千一夜]]』が放送終了(放送回数6417回)。 <!-- * [[1983年]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の[[オーディション]][[テレビ番組|番組]]『[[スター誕生!]]』終了、[[毎日放送]]系の[[クイズ番組]]『[[アップダウンクイズ]]』司会の[[小池清]]アナウンサーが降板。 --> * [[1984年]] - 全日本特殊浴場協会連合会が「[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]」の名称自粛を申し合わせ。年末から「[[ソープランド]]」に改称。 * [[1985年]] - [[藤ノ木古墳]]で[[石室]]と家形[[石棺]]が発掘されたと発表。 * [[1992年]] - [[マーズ・オブザーバー]]の一環として[[タイタン (ロケット)|タイタンIII]]が打ち上げられる。 * [[1998年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]でTwo of a Kind([[ふたりはふたご]])が放送開始。 * [[1999年]] - [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]初のリーグ優勝。 * [[2002年]] - [[ロシア]]・[[イルクーツク州]]の上空で天体衝突による爆発が発生。([[2002年シベリアの火球]]) * 2002年 - [[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]『[[水曜どうでしょう]]』レギュラー放送終了。 * [[2005年]] - [[2005年日本国際博覧会]](愛・地球博)が閉幕。 * [[2007年]] - [[第1次安倍内閣 (改造)|安倍改造内閣]]が[[総辞職]]。<!-- 翌日の就任・内閣発足で書く→ 、[[福田康夫]]氏を第91代[[内閣総理大臣]]に指名(正式な就任は翌[[9月26日]]である) --> * [[2008年]] - [[新潟県]][[佐渡市]]で、[[トキ]]10羽を放鳥。全鳥捕獲以来27年ぶりの野生復帰。 * 2008年 - [[タボ・ムベキ]]が第9代[[南アフリカの大統領|南アフリカ大統領]]を辞任。 * 2008年 - 中華人民共和国の3機目の有人宇宙船「[[神舟7号]]」が打ち上げ。 * [[2014年]] - [[武器貿易条約]]の批准国が53か国に達し発効に必要な条件(50か国)を満たす<ref>{{Cite web |date=2014-09-26 |url=http://japanese.cri.cn/881/2014/09/26/181s227096.htm |title=武器貿易条約、12月24日正式発効 |publisher=中国国際放送局 |accessdate=2018-01-30}}</ref>。 * 2014年 - [[ナインティナインのオールナイトニッポン]]([[ニッポン放送]])最終回。1994年4月放送開始から20年半の歴史に幕を下ろした。 * [[2015年]] - 国連総会で『[[持続可能な開発のための2030アジェンダ]]』が採択。 * [[2017年]] - [[小池百合子]]を代表とする[[希望の党 (日本 2017)|希望の党]]が結党<ref>{{Cite web|和書|date=2017-10-23 |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2017/news/20171022-OYT1T50061.html |title=希望・小池氏「自分の言動で不快な思い」と陳謝 |work=読売新聞(YOMIURI ONLINE) |publisher=読売新聞社 |accessdate=2018-01-30}}</ref>。 * 2017年 - [[2017年クルディスタン地域独立住民投票]]が行われる。 * [[2018年]] - 性的暴行で有罪となっていた俳優・[[コメディアン]]の[[ビル・コスビー]]に[[ペンシルベニア州]]刑務所での3年から10年の懲役刑が宣告される。のち[[2021年]][[6月30日]]、ペンシルベニア州最高裁判所は公正な審理が行われなかったとして有罪評決を破棄し釈放を認める。 * [[2019年]] - 訪米中の[[安倍晋三]]首相が[[ドナルド・トランプ]]大統領と日米首脳会談。新たな日米貿易協定の最終合意を確認する文書に署名<ref>{{Cite web|和書|date=2019-09-26 |url=https://www.sankei.com/article/20190926-R64BY72YUJKKJEY5CXO5JNHXYM/ |title=日米貿易協定に署名 首相「ウィンウィンの合意」 |publisher=産経新聞 |accessdate=2019-09-25}}</ref>。 * [[2020年]] - [[マリ軍事クーデター (2020年)|2020年のマリのクーデター]]による移行政府の[[マリの大統領一覧|大統領]]に[[バ・ヌダウ]]が就任。 * [[2021年]] - [[2021年アイルランド議会総選挙]]([[:en:2021_Icelandic_parliamentary_election|2021 Icelandic parliamentary election]])が行われる。 == 誕生日 == {{multiple image | image1 = Yoshimitsu Ashikaga cropped.jpg | width1 = 102 | caption1 = [[室町幕府]]の最盛期を築いた第3代[[征夷大将軍|将軍]]、[[足利義満]](1358-1408)誕生 | alt1 = 足利義満 | image2 = 清 郎世宁绘《清高宗乾隆帝朝服像》.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[清]]朝最盛期を築いた第4代[[皇帝]]、[[乾隆帝]](1711-1799)誕生 | alt2 = 乾隆帝 }} {{multiple image | image1 = Thomas Hunt Morgan.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[遺伝子]]の存在や[[染色体説]]を実証した[[アメリカ]]の[[遺伝学|遺伝学者]]、[[トーマス・ハント・モーガン]](1866-1945)誕生 | alt1 = モーガン | image2 = RudolfOtto.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[ドイツ]]の[[宗教哲学|宗教哲学者]]、[[ルドルフ・オットー]](1869-1937)誕生。著書『聖なるもの』で知られる | alt2 = オットー }} {{multiple image | footer = [[石原式色覚異常検査表]](右)を考案した[[医学|医学者]]、[[石原忍]](1879-1963)誕生 | image1 = Ishihara Shinobu.JPG | width1 = 100 | alt1 = 石原忍 | image2 = Ishihara 1.PNG | width2 = 100 | alt2 = 石原式色覚異常検査表 }} {{multiple image | image1 = LuXun1930.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[魯迅]](1881-1931)誕生 | alt1 = 魯迅 | image2 = Tanzan Ishibashi 2.jpg | width2 = 102 | caption2 = 第55代[[内閣総理大臣]]、[[石橋湛山]](1884-1973)誕生 | alt2 = 石橋湛山 }} {{multiple image | image1 = Carl Van Vechten - William Faulkner.jpg | width1 = 100 | caption1 = 20世紀アメリカ文学の巨匠、[[ウィリアム・フォークナー]](1897-1962)誕生 | alt1 = フォークナー | image2 = Stamps of Latvia, 2013-23.jpg | width2 = 102 | caption2 = アメリカ[[抽象表現主義]]の画家、[[マーク・ロスコ]](1903-1970)誕生 | alt2 = ロスコ }} {{multiple image | image1 = Dmitri Shostakovich credit Deutsche Fotothek adjusted.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[ソビエト連邦]]の[[作曲家]]、[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]](1906-1975)誕生 | alt1 = ショスタコーヴィチ | image2 = Adolfo Suarez 03 cropped.jpg | width2 = 102 | caption2 = 民主化後最初の[[スペインの首相|スペイン首相]]、[[アドルフォ・スアレス]](1932-2014)誕生 | alt2 = スアレス }} {{multiple image | image1 = Michael Douglas Deauville 2013.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[マイケル・ダグラス]](1944-)誕生 | alt1 = ダグラス | image2 = Mark Hamill by Gage Skidmore.jpg | width2 = 102 | caption2 = 『[[スター・ウォーズ]]』で[[ルーク・スカイウォーカー]]を演じた[[マーク・ハミル]](1951-)誕生 | alt2 = ハミル | image3 = C Reeve in Marriage of Figaro Opening night 1985b.jpg | width3 = 102 | caption3 = 『[[スーパーマン (1978年の映画)|スーパーマン]]』で[[スーパーマン (架空の人物)|スーパーマン]]を演じた[[クリストファー・リーヴ]](1952-2004)誕生 | alt3 = リーヴ }} {{multiple image | image1 = Will Smith by Gage Skidmore.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[ウィル・スミス]](1968-)誕生 | alt1 = スミス | image2 = Catherine Zeta-Jones VF 2012 Shankbone 2.jpg | width2 = 102 | caption2 = [[キャサリン・ゼタ=ジョーンズ]](1969-)誕生 | alt2 = ジョーンズ }} [[File:Mao Asada Podium 2014 World Championships.jpg|thumb|120px|[[浅田真央]](1990-)誕生]] * [[1358年]]([[延文]]3年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[足利義満]]、[[室町幕府]]第3代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1408年]]) * [[1403年]] - [[ルイ3世・ダンジュー]]、[[アンジュー]][[アンジューの領主一覧|公]]・''カラブリア公(+'' [[1434年|1434''年'']]'')'' * [[1525年]] - [[スティーヴン・ボロー]]([[:en:Stephen_Borough|Stephen Borough]])、探検家(+ [[1584年]]) * [[1528年]] - [[オットー2世 (ブランズウィック=ハールブルク公爵)|オットー2世]]([[:en:Otto_II,_Duke_of_Brunswick-Harburg|Otto II, Duke of Brunswick-Harburg]])、ブランズウィック=ハールブルク公爵(+ [[1603年]]) * [[1599年]] - [[フランチェスコ・ボッロミーニ]]、[[バロック]]建築家(+ [[1667年]]) * [[1613年]] - [[クロード・ペロー]]、建築家(+ [[1688年]]) * [[1644年]] - [[オーレ・レーマー]]、[[天文学者]](+ [[1710年]]) * [[1663年]] - [[ヨハン・ニコラウス・ハンフ]]([[:en:Johann_Nikolaus_Hanff|Johann Nikolaus Hanff]])、オルガニスト(+ [[1711年]]) * [[1683年]] - [[ジャン=フィリップ・ラモー]]、[[作曲家]]、[[音楽理論家]](+ [[1764年]]) * [[1694年]] - [[ヘンリー・ペラム]]、政治家(+ [[1754年]]) * [[1696年]] - {{仮リンク|マリー・アン・ド・ヴィシー=シャムロン|en|Marie Anne de Vichy-Chamrond, marquise du Deffand|fr|Madame du Deffand}}、芸術支援者 * [[1711年]]([[康熙]]50年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]) - [[乾隆帝]]、[[清]]第6代[[皇帝]](+ [[1799年]]) * [[1734年]] - [[ルイ=ルネ=エドゥアール・ド・ロアン=ゲメネー]]、[[聖職者]]・[[ストラスブール]][[枢機卿]](+ [[1803年]]) * [[1741年]] - [[ヴァーツラフ・ピフル]]、[[古典派音楽]]の[[作曲家]]・楽長(+ [[1805年]]) * [[1744年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム2世]]、[[プロイセン王]](+ [[1797年]]) * [[1758年]] - [[ヨーゼファ・バルバラ・アウエルンハンマー]]、女性[[作曲家]]・[[ピアニスト]](+ [[1820年]]) * [[1755年]]([[宝暦]]5年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[榊原政敦]]、[[越後国]][[高田藩]]主(+ [[1819年]]) * [[1761年]] - [[ウィリアム・マリンズ (第2代ヴェントリー男爵)|ウィリアム・マリンズ]]、第2代ヴェントリー男爵(+ [[1827年]]) * [[1763年]](宝暦13年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - [[秋月種徳]]、[[日向国]][[高鍋藩]]主(+ [[1808年]]) * [[1764年]] - [[フレッチャー・クリスチャン]]、[[バウンティ号の反乱]]者のリーダー(+ [[1793年]]) * [[1766年]] - [[アルマン・エマニュエル・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ]]、第5代[[リシュリュー公|リシュリュー公爵]](+ [[1822年]]) * [[1771年]] - [[ニコライ・ラエフスキー]]([[:en:Nikolay_Raevsky|Nikolay Raevsky]])、軍人(+ [[1829年]]) * [[1773年]] - [[アゴスティーノ・バッシー]]、[[昆虫学者]](+ [[1856年]]) * [[1782年]] - [[チャールズ・ロバート・マチューリン]]、[[牧師]](+ [[1824年]]) * [[1798年]] - [[ジャン=バティスト・エリー・ド・ボーモン]]、[[地質学者]](+ [[1874年]]) * [[1825年]] - [[ヨアヒム・ヒール]]([[:en:Joachim_Heer|Joachim Heer]])、[[連邦大統領 (スイス)|スイス連邦大統領]](+ [[1879年]]) * [[1830年]]([[文政]]13年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[大田原広清]]、[[下野国]][[大田原藩]]主(+ [[1851年]]) * [[1839年]] - [[カール・アルフレート・フォン・ツィッテル]]、[[古生物学者]](+ [[1904年]]) * [[1846年]] - [[アンリ・ドゥッシュ=ド=ラ=ムルト]]、[[実業家]](+ [[1919年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[饗庭篁村]]、[[小説家]]・[[演劇]][[評論家]](+ [[1922年]]) * [[1858年]] - [[アルブレヒト・ペンク]]、[[地理学者]]、[[地質学者]](+ [[1945年]]) * [[1860年]] - [[ジョン・ホープ (初代リンリスゴー侯爵)|ジョン・ホープ]]、初代[[リンリスゴー侯爵]](+ [[1908年]]) * [[1862年]] - [[レオン・ボエルマン]]、[[作曲家]]、オルガニスト(+ [[1897年]]) * 1862年 - [[ビリー・ヒューズ]]、政治家、第7代[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](+ [[1952年]]) * [[1865年]] - [[アンリ・ルバスク]]、画家(+ [[1937年]]) * [[1866年]] - [[トーマス・ハント・モーガン]]、[[生物学者]](+ [[1945年]]) * [[1867年]] - [[エフゲニー・ミレル]]、軍人(+ [[1938年]]) * [[1869年]] - [[ルドルフ・オットー]]、[[思想家]](+ [[1937年]]) * [[1877年]] - [[プルタルコ・エリアス・カリェス]]、政治家、第40代[[メキシコ]][[メキシコの大統領|大統領]](+ [[1945年]]) * [[1879年]] - [[石原忍]]、[[医学者]]、眼科医(+ [[1963年]]) * 1879年 - [[ロペ・サントス]]、フィリピン[[リサール州]]知事(+ [[1963年]]) * [[1881年]] - [[魯迅]]、[[小説家]](+ [[1936年]]) * [[1884年]] - [[石橋湛山]]、政治家、第55代[[内閣総理大臣]]、第2代[[自由民主党総裁]](+ [[1973年]]) * 1884年 - [[アドルフ・ボルム]]([[:en:Adolph_Bolm|Adolph Bolm]])、[[バレエダンサー]](+ [[1951年]]) * [[1886年]] - [[メイ・サットン]]、[[テニス]]選手(+ [[1975年]]) * [[1888年]] - [[ハンナ・ラルフ]]、女優(+ [[1978年]]) * [[1893年]] - [[ハラルド・クラメール]]、数学者(+ [[1985年]]) * [[1896年]] - [[ロベルト・ジェラール]]、[[作曲家]](+ [[1970年]]) * 1896年 - [[アレッサンドロ・ペルティーニ]]、政治家、第7代[[共和国大統領 (イタリア)|イタリア大統領]](+ [[1990年]]) * [[1897年]] - [[ウィリアム・フォークナー]]、[[小説家]](+ [[1962年]]) * [[1898年]] - [[ロバート・ブラックマン]]([[:en:Robert_Brackman|Robert Brackman]])、芸術家(+ [[1980年]]) * [[1900年]] - [[アルトゥル・サーク]]([[:en:Artur_Sirk|Artur Sirk]])、軍人、政治家(+ [[1937年]]) * [[1901年]] - [[ロベール・ブレッソン]]、[[映画監督]](+ [[1999年]]) * 1901年 - [[クラレンス・ハウザー]]、陸上競技選手(+ [[1994年]]) * [[1903年]] - [[マーク・ロスコ]]、[[画家]](+ [[1970年]]) * [[1906年]] - [[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]、作曲家(+ [[1975年]]) * [[1908年]] - [[バッキー・ハリス (捕手)|バッキー・ハリス]]、[[プロ野球選手]](+ [[1978年]]) * 1908年 - [[ジャクリーン・オードリー]]([[:en:Jacqueline_Audry|Jacqueline Audry]])、映画ディレクター(+ [[1977年]]) * 1908年 - [[ロジェ・ボーフラン]]、自転車競技選手(+ [[2007年]]) * [[1910年]] - [[ラルフ・ジョーダン]]([[:en:Ralph_Jordan|Ralph Jordan]])、アメフト選手(+ [[1980年]]) * [[1911年]] - [[エリック・ウィリアムズ]]、政治家、初代[[トリニダード・トバゴの首相|トリニダード・トバゴ首相]](+ [[1981年]]) * 1911年 - [[チャールズ・パリス]]([[:en:Charles_Paris|Charles Paris]])、漫画家(+ [[1994年]]) * [[1914年]] - [[ジョン・ウィスター・シンプソン]]、[[電子工学]]研究者(+ [[2007年]]) * [[1916年]] - [[ジェシカ・アンダーソン]]([[:en:Jessica_Anderson_(writer)|Jessica Anderson (writer)]])、作家(+ [[2010年]]) * [[1917年]] - [[フィル・リズート]]、プロ野球選手(+ [[2007年]]) * [[1920年]] - [[高木彬光]]、[[推理作家]](+ [[1995年]]) * 1920年 - [[セルゲイ・ボンダルチュク]]、[[俳優]]、[[映画監督]](+ [[1994年]]) * 1920年 - [[サティシュ・ダワン]]([[:en:Satish_Dhawan|Satish Dhawan]])、エンジニア(+ [[2002年]]) * [[1921年]] - [[ロバート・マルドゥーン]]、政治家、第31代[[ニュージーランドの首相|ニュージーランド首相]](+ [[1992年]]) * 1921年 - [[ジャック・マルタン (漫画家)|ジャック・マルタン]]([[:en:Jacques_Martin_(comics)|Jacques Martin (comics)]])、漫画家(+ [[2010年]]) * [[1922年]] - [[砂押邦信]]、[[プロ野球監督]](+ [[2010年]]) * 1922年 - [[ハマー・デロバート]]、政治家、初代・第4・6・8・代[[ナウルの大統領|ナウル共和国大統領]](+ [[1992年]]) * [[1923年]] - 生恵幸子、[[漫才師]]([[人生幸朗・生恵幸子]])(+ [[2007年]]) * 1923年 - [[ロバート・ラクサール]]([[:en:Robert_Laxalt|Robert Laxalt]])、作家(+ [[2001年]]) * 1923年 - [[サム・リヴァース|サム・リヴァーズ]]、サックス奏者(+ [[2011年]]) * [[1924年]] - [[ノーマン・エアトン]]([[:en:Norman_Ayrton|Norman Ayrton]])、俳優(+ [[2017年]]) * 1924年 - [[レッド・ウェブ]]([[:en:Red_Webb|Red Webb]])、野球選手(+ [[1996年]]) * [[1925年]] - [[シルヴァーナ・パンパニーニ]]([[:en:Silvana_Pampanini|Silvana Pampanini]])、モデル、[[1946年]]ミスイタリア(+ [[2016年]]) * [[1926年]] - [[アルド・レイ]]、俳優(+ [[1991年]]) * 1926年 - [[セルゲイ・フィラートフ (馬術競技選手)|セルゲイ・フィラートフ]]([[:en:Sergei_Filatov|Sergei Filatov]])、馬術選手(+ [[1997年]]) * [[1927年]] - [[コリン・デイヴィス]]、[[指揮者]](+ [[2013年]]) * 1927年 - [[カール・ブラウン (バスケットボール)|カール・ブラウン]]、バスケットボール選手(+ [[2010年]]) * [[1928年]] - [[渡辺美佐 (芸能事務所社長)|渡辺美佐]]、実業家、[[渡辺プロダクション]]名誉会長 * 1928年 - {{仮リンク|ジャック・シャゾ|en|Jacques Chazot|fr|Jacques Chazot}}、ダンサー(+ [[1993年]]) * [[1929年]] - [[簑原宏]]、プロ野球選手(+ [[1999年]]) * 1929年 - [[ロニー・バーカー]]([[:en:Ronnie_Barker|Ronnie Barker]])、俳優(+ [[2005年]]) * 1929年 - [[デリア・スカラ]]([[:en:Delia_Scala|Delia Scala]])、女優(+ [[2004年]]) * [[1930年]] - [[ニノ・セルッティ]]([[:en:Nino_Cerruti|Nino Cerruti]])、ファッションデザイナー * 1930年 - [[シェル・シルヴァスタイン]]、作家、詩人、画家(+ [[1999年]]) * 1930年 - [[チット・プーミサック]]、文学作家、歴史学者、考古学者(+ [[1966年]]) * [[1931年]] - [[ブライアン・バーチ]]、数学者 * [[1932年]] - [[アドルフォ・スアレス]]、政治家、初代[[スペインの首相|スペイン首相]](+ [[2014年]]) * 1932年 - [[グレン・グールド]]、[[ピアニスト]](+ [[1982年]]) * 1932年 - [[井上佳明]]、プロ野球選手(+ [[1980年]]) * 1932年 - [[テリー・メドウィン]]([[:en:Terry_Medwin|Terry Medwin]])、サッカー選手 * [[1933年]] - [[ヒュービー・ブラウン]]、バスケットボールヘッドコーチ * 1933年 - [[イアン・タイソン]]([[:en:Ian_Tyson|Ian Tyson]])、歌手 * [[1934年]] - [[ジャン・ソレル]]、俳優 * [[1935年]] - [[北村総一朗]]、俳優 * 1935年 - [[ローランド・アレクサンダー]]([[:en:Roland_Alexander|Roland Alexander]])、[[ジャズ]]ミュージシャン(+ [[2006年]]) * 1935年 - エイドリアン・ドゥアディ([[:en:Adrien_Douady|Adrien Douady]])、数学者(+ [[2006年]]) * [[1936年]] - [[難波利三]]、小説家 * 1936年 - [[ムーサ・トラオレ]]、政治家、第2代[[マリの大統領一覧|マリ大統領]](+ [[2020年]]) * 1936年 - [[ケン・フォルセ]]([[:en:Ken_Forsse|Ken Forsse]])、おもちゃ製作者(+ [[2014年]]) * 1936年 - [[ジュリエット・プラウズ]]([[:en:Juliet_Prowse|Juliet Prowse]])、ダンサー、女優(+ [[1996年]]) * [[1937年]] - [[メアリー・アレン・ウィルクス]]([[:en:Mary_Allen_Wilkes|Mary Allen Wilkes]])、コンピューター科学者 * [[1938年]] - [[ロン・ヒル]]([[:en:Ron_Hill|Ron Hill]])、ランナー(+ [[2021年]]) * 1938年 - [[ヨナタン・モッツフェルト]]、政治家、初・3代[[グリーンランドの首相|グリーンランド首相]](+ [[2010年]]) * [[1939年]] - [[レオン・ブリタン]]、[[保守党 (イギリス)|イギリス保守党]]の[[国会議員|庶民院議員]]、[[欧州委員会]]委員(+ [[2015年]]) * [[1940年]] - [[ティム・セヴェリン]]、[[冒険家]]、[[作家]](+ [[2020年 ]]) * [[1941年]] - [[桜井孝雄]]、[[プロボクサー]](+ [[2012年]]) * 1941年 - [[古川タク]]、[[アニメーション]]作家 * 1941年 - [[山下啓介]]、声優 * 1941年 - [[カミーユ・ショキエ]]([[:en:Camille_Choquier|Camille Choquier]])、サッカー選手 * [[1942年]] - [[中山仁]]、俳優(+ [[2019年]]) * 1942年 - [[ジョン・テイラー (ジャズ)|ジョン・テイラー]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]] * 1942年 - [[オスカー・ボナベナ]]、ボクサー(+ [[1976年]]) * 1942年 - [[ロバート・ミアノ]]、俳優 * 1942年 - [[アンリ・ペスカロロ]]、レーシングドライバー * 1942年 - [[ジョン・テイラー (ジャズ)|ジョン・テイラー]]、ピアニスト * 1942年 - [[ディー・ディー・ワーウィック]]([[:en:Dee_Dee_Warwick|Dee Dee Warwick]])、ソウル歌手(+ [[2008年]]) * [[1943年]] - [[ロバート・ゲーツ]]、第22代[[アメリカ合衆国国防長官]] * 1943年 - [[アラム・サロイヤン]]([[:en:Aram_Saroyan|Aram Saroyan]])、作家 * 1943年 - [[リー・アーカー]]([[:en:Lee_Aaker|Lee Aaker]])、俳優 * [[1944年]] - [[マイケル・ダグラス]]、俳優 * 1944年 - [[ドリス・マツイ]]、[[民主党 (アメリカ)|アメリカ民主党]]の政治家 * 1944年 - [[ギルス・ルノー]]([[:en:Gilles_Renaud|Gilles Renaud]])、俳優 * [[1945年]] - [[キャスリーン・ブラウン]]([[:en:Kathleen_Brown|Kathleen Brown]])、第29代リフォルニア州財務長官 * 1945年 - [[ペペ・デ・ルシア]]、[[フラメンコ]]歌手 * [[1946年]] - [[ビシャン・シン・ベディ]]([[:en:Bishan_Singh_Bedi|Bishan Singh Bedi]])、クリケット選手 * 1946年 - [[ブライアン・マクリーン]]([[:en:Bryan_MacLean|Bryan MacLean]])、歌手 * 1946年 - [[ヤヌシュ・マイエル]]([[:en:Janusz_Majer|Janusz Majer]])、登山家 * 1946年 - [[アリ・パーヴィン]]([[:en:Ali_Parvin|Ali Parvin]])、サッカー選手 * [[1947年]] - [[弦哲也]]、[[作曲家]] * 1947年 - [[シェリル・ティーグス]]([[:en:Cheryl_Tiegs|Cheryl_Tiegs]]モ、デル * [[1948年]] - [[辻本章次]]、元プロボクサー(+ [[2023年]]) * 1948年 - [[辰巳平一]]、元アナウンサー * 1948年 - [[ウラジーミル・イェフトゥシェンコフ]]、[[実業家]] * [[1949年]] - [[菊地秀行]]、小説家 * 1949年 - [[ペドロ・アルモドバル]]、映画監督 * 1949年 - [[スティーヴ・マッケイ]]、[[ザ・ストゥージズ]]の[[サックス]]奏者(+ [[2015年]]) * 1949年 - [[アンソン・ウィリアムズ]]([[:en:Anson_Williams|Anson Williams]])、俳優 * [[1950年]] - [[木内みどり]]、[[俳優|女優]] (+ [[2019年]]<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/11/22/kiji/20191121s00041000478000c.html 木内みどりさん急死 滞在先の広島市内で 夫・水野氏「突然で早すぎます」] - Sponichi Annex 2019年11月22日</ref>) * 1950年 - [[どおくまん]]、[[漫画家]] * 1950年 - [[井上幸信]]、元プロ野球選手 * 1950年 - [[ベルナール・ル・コック]]([[:en:Bernard_Le_Coq|Bernard Le Coq]])、俳優 * [[1951年]] - [[マーク・ハミル]]、俳優 * 1951年 - [[ヤルデナ・アラジ]]([[:en:Yardena_Arazi|Yardena Arazi]])、歌手 * 1951年 - [[ボブ・マカドゥー]]、バスケットボール選手 * [[1952年]] - [[クリストファー・リーヴ]]、俳優(+ [[2004年]]) * 1952年 - [[伊藤泰憲]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[ベル・フックス]]、社会活動家 * 1952年 - [[ジム・ガービン]]、[[プロレスラー]] * 1952年 - [[コリン・フリールズ]]、俳優 * 1952年 - [[クリス・ポンド]]([[:en:Chris_Pond|Chris Pond]])、政治家 * [[1953年]] - [[リチャード・デービス (野球)|リチャード・デービス]]、元プロ野球選手 * 1953年 - [[ロン・ラッシュ]]([[:en:Ron_Rash|Ron Rash]])、作家 * [[1954年]] - [[ユップ・ランゲ]]、[[医学]]研究者 * 1954年 - [[ファンデ・ラモス]]、[[サッカー]]指導者 * [[1955年]] - [[カール・ハインツ・ルンメニゲ]]、[[サッカー選手]] * 1955年 - [[奈々瀬ひとみ]]、歌手 * 1955年 - [[ズッケロ]]、歌手 * 1955年 - [[松田美智子 (料理研究家)|松田美智子]]、[[料理研究家]] * 1955年 - [[ルアン・ライス]]([[:en:Luanne_Rice|Luanne Rice]])、作家 * 1955年 - [[スティーヴン・セヴェリン]]([[:en:Steven_Severin|Steven Severin]])、ミュージシャン * [[1956年]] - [[ダニー・ヒリス]]([[:en:Danny_Hillis|Danny Hillis]])、エンジニア * 1956年 - [[ジェミー・ハインマン]]([[:en:Jamie_Hyneman|Jamie Hyneman]])、演出家 * [[1957年]] - [[金子光伸]]、[[子役]](+ [[1997年]]) * 1957年 - [[マイケル・マドセン]]、俳優 * 1957年 - [[ウラジーミル・ポポフキン]]、[[ロシア宇宙軍]]司令官 * [[1958年]] - [[森岡正博]]、[[哲学者]] * [[1960年]] - [[久和ひとみ]]、[[ニュースキャスター]](+ [[2001年]]) * 1960年 - [[多田かおる]]、[[漫画家]](+ [[1999年]]) * 1960年 - [[イーゴリ・ベラノフ]]、サッカー選手 * [[1961年]] - [[清水治美]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[トレイシー・ウィルソン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1961年 - [[中村貴子]]、歌手、ラジオパーソナリティ * 1961年 - [[フランキー・ランドール]]、[[プロボクサー]](+ [[2020年]]) * [[1963年]] - [[森木靖泰]]、アニメ・特撮の[[メカニックデザイナー]] * 1963年 - [[塚田誉]]、アナウンサー * 1963年 - [[仁科幸子]]、女優 * [[1964年]] - [[井上喜久子]]、[[声優]] * 1964年 - [[カルロス・ルイス・サフォン]]、[[小説家]] * 1964年 - [[東出剛]]、[[競輪選手]](+ [[2004年]]) * [[1965年]] - [[スコッティ・ピッペン]]、元[[バスケットボール]]選手 * 1965年 - [[豊原功補]]、俳優 * 1965年 - [[内山正博 (野球)|内山正博]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[長谷川健太]]、元[[サッカー]]選手、監督 * [[1966年]] - [[スタニスラフ・ブーニン]]、[[ピアニスト]] * 1966年 - [[沼田識史]]、[[現代美術]]家 * [[1968年]] - [[ウィル・スミス]]、俳優、[[ラップ|ラップ・ミュージシャン]] * 1968年 - [[レジー・ジェファーソン]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[キャサリン・ゼタ=ジョーンズ]]、女優 * 1969年 - [[村上順子]]、元アナウンサー * 1969年 - [[みやかわ香月]]、声優 * [[1970年]] - [[アジャコング]]、[[プロレスラー]] * 1970年 - [[清水美沙]]、女優 * [[1971年]] - [[佐伯美香]]、[[ビーチバレー]]選手 * 1971年 - [[リサ・ステッグマイヤー]]、[[タレント]] * [[1972年]] - [[酒井宏之]]、ラグビー選手、俳優 * [[1973年]] - [[田中学]]、[[地方競馬]][[騎手]] * 1973年 - [[北川晋]]、元プロ野球選手 * [[1974年]] - [[小口絵理子]]、[[アナウンサー]](+ [[2013年]]) * 1974年 - [[杉本理恵]]、元[[アイドル]]、元[[歌手]]、元女優 * 1974年 - [[堀口文宏]]、[[お笑いタレント]]([[あさりど]]) * [[1975年]] - [[早坂好恵]]、タレント * [[1976年]] - [[白鳥マイカ]]、[[シンガーソングライター]] * 1976年 - [[チャンシー・ビラップス]]、元バスケットボール選手 * [[1977年]] - 伊地知潔、[[ミュージシャン]]([[ASIAN KUNG-FU GENERATION]]) * 1977年 - [[ウィンストン・チョイ]]、[[ピアニスト]] * [[1978年]] - [[前川勝彦]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[ヨレルビス・チャルレス]]、野球選手 * [[1979年]] - [[安永知澄]]、[[漫画家]] * 1979年 - [[ミケーレ・スカルポーニ]]、[[ロードレース (自転車競技)]]選手(+ [[2017年]]<ref>[http://www.cyclowired.jp/news/node/229879 ミケーレ・スカルポーニ事故死 トレーニング中にトラックと正面衝突] - cyclowired 2017/04/22 - 17:38</ref>) * [[1980年]] - [[大櫛エリカ]]、タレント * 1980年 - [[網野友雄]]、元バスケットボール選手 * 1980年 - [[T.I.]]、ラッパー * 1980年 - [[小山修加]]、元バレーボール選手 * [[1981年]] - [[内山信二]]、タレント * 1981年 - [[MEGUMI]]、タレント * 1981年 - [[大和田悠太]]、俳優 * [[1982年]] - [[中野吏深]]、タレント、元レースクイーン * 1982年 - [[エリオ・ロハス]]、[[プロボクサー]] * 1982年 - [[ヒョンビン]]、[[俳優]] * [[1983年]] - [[徳永悠平]]、元[[サッカー選手]] * 1983年 - [[ハンターリア]]、歌手 * [[1984年]] - [[松田園子]]、[[ファッションモデル]] * 1984年 - [[テオドラ・ポシュティッチ]]、フィギュアスケート選手 * 1984年 - KENJI03、ミュージシャン([[BACK-ON]]) * 1984年 - [[氏田朋子]]、アナウンサー * 1984年 - [[マイケル・クロッタ]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[ビクター・ガラテ]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[三村恭代]]、女優 * 1985年 - [[ボー・シュルツ]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[ブラッド・バーゲセン]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[あばれる君]]、[[お笑いタレント]] * 1986年 - [[エリーローズ]]、ファッションモデル * 1986年 - [[蔣文文]]、[[アーティスティックスイミング]]選手 * 1986年 - [[蔣婷婷]]、アーティスティックスイミング選手 * 1986年 - [[リュ・ジュンヨル]]、俳優 * [[1987年]] - [[桜井真紀]]、タレント、元グラビアアイドル * 1987年 - [[時東ぁみ]]、タレント、元グラビアアイドル * 1987年 - [[藤原有沙]]、元バスケットボール選手 * [[1988年]] - [[伊瀬茉莉也]]<ref name="profile">{{Cite web|和書|date=|url=https://profile.ameba.jp/ameba/mariya-i/|title=伊瀬茉莉也のプロフィール|work=|author=|publisher=サイバーエージェント|accessdate=2020-11-04}}</ref>、声優 * 1988年 - [[エカテリーナ・コネワ]]、陸上競技選手 * [[1989年]] - [[オードリー亜谷香]]、ファッションモデル * [[1990年]] - [[浅田真央]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1990年 - [[濵田尚里]]、[[柔道家]] * [[1991年]] - [[中西希 (1991年生のアナウンサー)|中西希]]、[[フリーアナウンサー]] * [[1992年]] - [[キオーナ・マクラフリン]]、元フィギュアスケート選手 * 1992年 - [[玉巻映美]]、アナウンサー * 1992年 - [[小笠原舞子]]、アナウンサー * 1992年 - [[深尾巴恵]]、競艇選手 * 1992年 - [[叶羽時]]、女優 * [[1993年]] - [[高槻かなこ]]、歌手、声優 * 1993年 - [[ヘロニモ・フランスア]]、プロ野球選手 * 1993年 - [[菅野莉央]]、女優 * [[1994年]] - [[ベイカー茉秋]]、柔道家 * 1994年 - [[荒井玲良]]、タレント、アイドル(元[[SUPER☆GiRLS]]) * [[1995年]] - [[張宇]]、バレーボール選手 * 1995年 - [[内山奈月]]、元タレント(元[[AKB48]]) * 1995年 - [[ウーデンジェニファー里沙]]、アナウンサー * [[1997年]] - [[野村彩也子]]、アナウンサー * 1997年 - [[舘山聖奈]]、アナウンサー * [[1998年]] - [[KOTO (アイドル)|KOTO]]、歌手、タレント * 1998年 - [[木村奏絵]]、女優 * 1998年 - [[永澤竜亮]]、サッカー選手 * [[1999年]] - [[橋本瑠果]]、タレント、アイドル(元[[アイドリング!!!]]33号) * [[2000年]] - [[幾田りら]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yoasobi-music.jp/profile/|title=YOASOBI オフィシャルサイト{{!}}PROFILE|accessdate=2021-1-24|publisher=YOASOBI}}</ref>、シンガーソングライター([[YOASOBI]]、元[[ぷらそにか]]) * 2000年 - [[堤雪菜]]、声優(元[[A応P]]) * 2000年 - 花宮ハナ、アイドル([[ARCANA PROJECT]]) * [[2003年]] - [[豊島心桜]]、女優、グラビアアイドル * [[2004年]] - [[小林星蘭]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.theatre.co.jp/talent/134d53c7e8943e8ca1b948f1bcd361e3 |title=小林 星蘭 |publisher=テアトルアカデミー |accessdate=2021-01-10}}</ref>、女優 * 生年不明 - [[窪田亮]]、声優 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Harald III of Norway.jpg | width1 = 102 | caption1 = [[ノルウェー|ノルウェー王]] [[ハーラル3世 (ノルウェー王)|ハーラル3世]](1015-1066)、[[スタンフォード・ブリッジの戦い]]で戦死 | alt1 = ハーラル3世 | image2 = Kinoyama05.JPG | width2 = 100 | caption2 = [[嘉吉の乱]]で6代将軍[[足利義教]]を暗殺した[[赤松満祐]](1301-1333)、討伐され自刃 | alt2 = 赤松満祐 }} {{multiple image | image1 = Juan de Flandes 004.jpg | width1 = 102 | caption1 = [[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]]を僭称した [[フェリペ1世 (カスティーリャ王)|フェリペ1世]](1478-1506)、生水にあたり急死 | alt1 = フェリペ1世 | image2 = Ambrogio-spinola.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[三十年戦争]]で活躍した[[ジェノヴァ]]出身の軍人[[アンブロジオ・スピノラ]](1569-1630)没 | alt2 = スピノラ }} {{multiple image | image1 = Erich Maria Remarque1.jpg | width1 = 102 | caption1 = [[ドイツ]]の[[作家]]、 [[エーリヒ・マリア・レマルク]](1897-1970)没{{Squote|西部戦線異状なし、報告すべき事項なし――『[[西部戦線異状なし]]』(1929)}} | alt1 = レマルク | image2 = Milestone1.jpg | width2 = 100 | caption2 = 映画『[[西部戦線異状なし (1930年の映画)|西部戦線異状なし]]』を監督した[[ルイス・マイルストン]](1895-1980)没 | alt2 = マイルストン }} [[File:John Bonham 1975.jpg|thumb|120px|[[レッド・ツェッペリン]]の[[ドラマー]]、[[ジョン・ボーナム]](1948-1980)急死]] {{multiple image | image1 = Wangari Maathai in Nairobi.jpg | width1 = 102 | caption1 = [[ケニア]]の環境保護活動家、 [[ワンガリ・マータイ]](1940-2011)没。アフリカ初の女性[[ノーベル平和賞]]受賞者 | alt1 = マータイ | image2 = YN3ArnoldPalmer.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[ゴルフ|プロゴルファー]]、[[アーノルド・パーマー]](1929-2016)没 | alt2 = パーマー }} * [[1066年]] - [[ハーラル3世 (ノルウェー王)|ハーラル3世]]、[[ノルウェー|ノルウェー王]](* [[1015年]]) * [[1333年]]([[正慶]]2年/元弘3年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[守邦親王]]、[[鎌倉幕府]]最後の[[征夷大将軍]](* [[1301年]]) * [[1441年]]([[嘉吉]]元年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]) - [[赤松満祐]]、[[室町時代]]の[[守護大名]](* [[1381年]]) * [[1506年]] - [[フェリペ1世 (カスティーリャ王)|フェリペ1世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](* [[1478年]]) * [[1534年]] - [[クレメンス7世 (ローマ教皇)|クレメンス7世]]、第219代[[ローマ教皇]](* [[1479年]]) * [[1591年]] - [[クリスティアン1世 (ザクセン選帝侯)|クリスティアン1世]]、[[ザクセン君主一覧|ザクセン選帝侯]](* [[1560年]]) * [[1617年]]([[元和 (日本)|元和]]3年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[後陽成天皇]]、第107代[[天皇]](* [[1571年]]) * [[1630年]] - [[アンブロジオ・スピノラ]]、[[スペイン]]の軍人、[[傭兵]](* [[1569年]]) * [[1680年]] - [[サミュエル・バトラー (詩人)|サミュエル・バトラー]]、[[詩人]](* [[1612年]]) * [[1705年]]([[宝永]]2年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[徳川光貞]]、第2代[[紀州藩|紀州藩主]]、[[徳川吉宗]]の父(* [[1627年]]) * [[1762年]]([[宝暦]]12年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[山脇東洋]]、[[医学者]](* [[1706年]]) * [[1777年]] - [[ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト]]、[[数学者]]、[[物理学者]]、[[天文学者]](* [[1728年]]) * [[1849年]] - [[ヨハン・シュトラウス1世]]<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/シュトラウス%28父%29-78011 |title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2021-04-25 }}</ref>、[[作曲家]]、[[指揮者]]、ヴァイオリニスト(* [[1804年]]) * [[1885年]] - [[五代友厚]]、[[実業家]](* [[1836年]]) * [[1898年]] - [[テオドール・リヒター]]、[[化学者]](* [[1824年]]) * [[1922年]] - [[東海散士]]、[[作家]]、[[衆議院]]議員(* [[1853年]]) * [[1924年]] - [[國見山悦吉]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1876年]]) * [[1929年]] - [[ミラー・ハギンス]]、プロ野球選手、監督(* [[1878年]]) * [[1947年]] - [[清水澄]]、[[憲法|憲法学者]]、[[法学博士]]、[[枢密院 (日本)|枢密院]]議長(* [[1868年]]) * [[1950年]] - [[ジョージ・キングズリー・ジップ]]、[[言語学者]]、[[哲学者]](* [[1902年]]) * [[1952年]] - [[森安三郎]]、[[外交官]](* [[1880年]]) * [[1958年]] - [[ジョン・ブローダス・ワトソン|ジョン・B・ワトソン]]、[[心理学者]](* [[1878年]]) * [[1960年]] - [[エミリー・ポスト]]、[[小説家]]、[[エッセイスト]](* [[1873年]]) * [[1970年]] - [[エーリヒ・マリア・レマルク]]、小説家(* [[1898年]]) * 1970年 - [[イェフィム・ゴリシェフ]]、[[画家]]、[[作曲家]](* [[1897年]]) * [[1976年]] - [[レッド・フェイバー]]、プロ野球選手(* [[1888年]]) * [[1979年]] - [[タピオ・ラウタヴァーラ]]、[[陸上競技]]選手、[[俳優]]、[[歌手]](* [[1915年]]) * 1979年 - [[周立波]]、[[作家]](* [[1908年]]) * [[1980年]] - [[ルイス・マイルストン]]、[[映画監督]](* [[1895年]]) * 1980年 - [[ジョン・ボーナム]]、[[ドラマー]](* [[1948年]]) * [[1983年]] - [[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]、[[ベルギー|ベルギー王]](* [[1901年]]) * [[1984年]] - [[ウォルター・ピジョン]]、俳優(* [[1897年]]) * [[1986年]] - [[ニコライ・セミョーノフ]]、化学者(* [[1896年]]) * [[1987年]] - [[メアリー・アスター]]、女優(* [[1906年]]) * [[1990年]] - [[奥村土牛]]、[[日本画家]](* [[1889年]]) * 1990年 - [[高橋展子]]、労働[[官僚]](* [[1916年]]) * [[1991年]] - [[クラウス・バルビー]]、[[ナチス・ドイツ]]の[[戦争犯罪|戦争犯罪者]](* [[1913年]]) * 1991年 - [[西川貞一]]、[[ジャーナリスト]]、[[政治家]](* [[1902年]]) * [[1992年]] - [[松尾和子]]、歌手(* [[1935年]]) * [[1995年]] - [[及川ヒロオ]]、[[声優]]、俳優(* [[1935年]]) * 1995年 - [[富山敬]]、声優(* [[1938年]]) * [[1997年]] - [[ジャン・フランセ]]、作曲家(* [[1912年]]) * [[1998年]] - [[世耕政隆]]、[[自治大臣]](* [[1923年]]) * 1998年 - [[山野忠彦]]、樹医(* [[1900年]]) * [[1999年]] - [[マリオン・ジマー・ブラッドリー]]、[[SF作家]](* [[1930年]]) * [[2000年]] - [[浪越徳治郎]]、[[指圧|指圧師]](* [[1905年]]) * [[2001年]] - [[ロバート・フロイド]]、[[計算機科学]]者(* [[1936年]]) * [[2003年]] - [[フランコ・モディリアーニ]]、[[経済学者]](* [[1918年]]) * 2003年 - [[夢路いとし]]、[[漫才師]](* [[1925年]]) * 2003年 - [[エドワード・サイード]]、思想家(* [[1935年]]) * [[2005年]] - [[藤岡宣男]]、[[声楽家]](* [[1964年]]) * [[2007年]] - [[石川忠雄]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1922年]]) * [[2008年]] - [[西郷信綱]]、[[日本文学研究者|国文学者]](* [[1916年]]) * 2008年 - [[冲永荘一]]、[[帝京大学]]創設者(* [[1933年]]) * [[2009年]] - [[土井正三]]、プロ野球選手、監督(* [[1942年]]) * [[2011年]] - [[ワンガリ・マータイ]]、環境保護活動家(* [[1940年]]) * [[2012年]] - [[玉川スミ]]、浪曲師、漫談家(* [[1920年]]) * 2012年 - [[岸田純之助]]、科学ジャーナリスト(* [[1920年]]) * 2012年 - [[アンディ・ウィリアムス]]、[[歌手]](* [[1927年]]) * [[2014年]] - [[TENN]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]([[ET-KING]])(* [[1978年]]) * [[2016年]] - [[アーノルド・パーマー]]、[[プロゴルファー]](* [[1929年]]) * 2016年 - [[ホセ・フェルナンデス (右投手)|ホセ・フェルナンデス]]、プロ野球選手(* [[1992年]]) * [[2017年]] - [[徳川慶朝]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASK9V5KL5K9VUJHB00F.html|title=徳川慶喜のひ孫、写真家の徳川慶朝さん死去 67歳|publisher=朝日新聞デジタル|date=2017-09-26|accessdate=2020-12-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/o/361715/|title=写真家・徳川慶朝さん死去 15代将軍慶喜のひ孫|publisher=西日本新聞ニュース|date=2017-09-27|accessdate=2020-12-15}}</ref>、写真家、[[徳川慶喜]]の曾孫、旧公爵[[徳川慶喜家]]当主(* [[1950年]]) * [[2020年]] - [[S・P・バーラスブラマニアム]]、[[プレイバックシンガー]]<ref>{{Cite news|url=https://www.thehindu.com/news/national/tamil-nadu/paadum-nila-sp-balasubrahmanyam-no-more/article32693844.ece|title=‘Paadum Nila’ S.P. Balasubrahmanyam no more|newspaper=The Hindu|date=2020-09-25|accessdate=2020-11-10|language=英語}}</ref>、[[音楽監督]]、[[俳優]](* [[1946年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2010年]] - [[エレーヌ (競走馬)|エレーヌ]]、[[競走馬]](* [[2007年]]) == 記念日・年中行事 == * 秋の[[社日]]({{JPN}})([[秋分]]に最も近い[[戊]]の日) * [[軍隊記念日]]({{MOZ}}) * スターリングシルバーの日({{JPN}} *: 銀製品専門店株式会社宮本商行が制定。スターリングシルバーとは、92.5%が銀、7.5%が銅などの割り金をした合金。その魅力について、より多くの人に親しんでもらいたいのが目的。日付はスターリングシルバーの純度1000分の925の「925」から<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=117|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * [[藤ノ木古墳]]記念日({{JPN}}) *: [[1985年]]9月25日に、[[奈良県]][[斑鳩町]]の藤ノ木古墳の石室等が発掘されたことに由来<ref>{{Cite web|和書|url=https://tenki.jp/suppl/e_kuraya/2019/09/25/29443.html |title=9月25日は「藤ノ木古墳記念日」。お彼岸の今、太古のご先祖に思いを馳せてみませんか |access-date=2022-07-16 |publisher=tenki.jp |date=2019-09-25}}</ref>。 *[[主婦休みの日]]({{JPN}}) *:主婦がほっと一息ついて自分磨きやリフレッシュするのが目的で、株式会社サンケイリビング新聞社が中心になって制定。日付は年末年始、ゴールデンウィーク、夏休みなどの主婦が忙しい時期のあとの[[1月25日]]、[[5月25日]]、9月25日の年3日を設定した<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=270|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 <!--* 殺人事件被害者を思い起こす日({{USA}}) *:アメリカ連邦議会が2007年に制定。 松本楼1店舗だけの話。なぜか多数の記念日関連本に「10円カレーの日」の名前で載っているが。 * [[チャリティー]]10円[[カレー]]セール({{JPN}}) *: [[1971年]]の放火で全焼した[[日比谷公園]]の[[レストラン]]『松本楼』が1973年のこの日に再建された事を記念した行事、売り上げは[[国際連合児童基金|ユニセフ]]などに寄付される。 --> == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0925|date=2011年7月}} * 1890年 - 午前10時、馬による北アメリカ大陸横断の大レース「[[スティール・ボール・ラン#レースの概要|スティール・ボール・ラン]]」がスタート(漫画『[[スティール・ボール・ラン]]』) * 1947年(昭和22年)- 椿秌子と菊江とお種が[[東劇]]で死んだはずの椿英輔元[[子爵]]の姿を見かける。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第3章<ref group="注">椿美禰子が[[金田一耕助]]に語る。</ref>) * 2023年 - 岩戸鈴芽が宗像草太と出会う。13:20、[[宮崎県]][[日南市]][[油津港]]付近で最大震度6弱の地震が発生する。(映画『[[すずめの戸締まり]]』) === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - アズキ、『[[シナモロール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.puroland.jp/character/ca_azuki/ |title=アズキ |access-date=2023-02-03 |publisher=Sanrio Puroland |work=『シナモロール』}}</ref> * 生年不明 - テラコッタ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/terracotta.html |title=テラコッタ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-09 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 堀尾聡史、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[テニスの王子様]]|volume=10.5巻|author=許斐剛|authorlink=許斐剛|publisher=[[集英社]]|page=264|year=2001|isbn=4-08-873193-X}}</ref><ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1441418663798661122}}</ref> * 生年不明 - 切原赤也、漫画・アニメ『テニスの王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[テニスの王子様]]|volume=10.5巻|author=許斐剛|authorlink=許斐剛|publisher=[[集英社]]|page=289|year=2001|isbn=4-08-873193-X}}</ref> * 生年不明 - 通草野餌人、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1309145580023820289}}</ref> * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#羽良嶋累|羽良嶋累]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=142|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - ノア、漫画・アニメ『[[キューティクル探偵因幡]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cdinaba.com/character/index.html |title=Character ノア |access-date=2023-02-03 |publisher=[[もち (漫画家)|もち]]/[[スクウェア・エニックス]] キューティクル探偵因幡製作委員会 |work=『キューティクル探偵因幡』}}</ref> * 生年不明 - [[暁のヨナ#ユン|ユン]]、漫画・アニメ・舞台『[[暁のヨナ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kusanagimizuho|1442300444420706306}}</ref> * 生年不明 - 吉田論志、漫画・アニメ『[[ALL OUT!!|ALL OUT‼︎]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1479191219 |title=TVアニメ『ALL OUT!!』ラグビー部顧問・吉田諭志先生を演じるのは誰だ!? 声優当てキャンペーンも開催! |access-date=2022-09-09 |publisher=animateTimes |date=2016-11-16}}</ref> * 生年不明 - 柴田美月、小説・アニメ・ゲーム『[[魔法科高校の劣等生]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://cache.sqex-bridge.jp/guest/information/82484 |title=運営からのお知らせ【有償1回限定】柴田美月 誕生日記念ガチャ開催! |access-date=2023-02-03 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『魔法科高校の劣等生 リローデッド・メモリ』}}</ref><ref>{{Twitter status|mahouka_rm|1573794403713359872}}</ref> * 生年不明 - ソラ・スミス、小説・アニメ・ゲーム『[[乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…|乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|hamehura|1441705232224776193}}</ref> * 生年不明 - 高橋イサム、アニメ『[[せいぜいがんばれ!魔法少女くるみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|seizei_kurumi|1441598338785177602}}</ref> * 生年不明 - 寿武希子、アニメ『[[フレームアームズ・ガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|fagirl_official|1044518713330782208}}</ref> * 生年不明 - 奥野細道、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2023-02-03}}</ref> * 生年不明 - 白河ほたる、ゲーム・アニメ『[[Memories Off]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://memoriesoff.jp/historia/titles/2/ |title=Character 白河ほたる |access-date=2022-09-09 |publisher= |work=『メモリーズオフ 2nd』}}</ref> * 生年不明 - 中里亮平、ゲーム・漫画・アニメ『[[ヨスガノソラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cuffs.co.jp/products/yosuga/ |title=キャラクター 中里 亮平 |access-date=2023-02-03 |publisher=Sphere |work=『ヨスガノソラ』}}</ref> * 生年不明 - 若桜郁人、ゲーム『[[ボーイフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|boyfriend_kari|911953376488841216}}</ref> * 生年不明 - デネブ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=102&cate=name&cont=Deneb |title=デネブ |access-date=2023-02-03 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 早乙女あこ、ゲーム・アニメ『[[アイカツスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/aikatsustars_02/character/chara_ako.html |title=早乙女 あこ |access-date=2022-09-09 |publisher=BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO |work=アニメ『アイカツスターズ!』}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=バンダイナムコピクチャーズ(監修)|authorlink=バンダイナムコピクチャーズ|date=2016-09-14|title=アイカツスターズ! アイドル名かん|publisher=[[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|isbn=978-4097504184|pages=16-17}}</ref> <!-- * 生年不明 - 鹿目筒良、漫画・アニメ『[[Mr.FULLSWING]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三条ショウ、小説・アニメ『[[黒魔女さんが通る!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小暮奈緒、漫画・映画『[[ハニー (漫画)|ハニー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - クラブ、漫画『魔法少年なつき×らびっツ』に登場するキャラクター * 生年不明 - 天亞薇、漫画・アニメ『[[恋愛暴君]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 黒騎れい、アニメ『[[ビビッドレッド・オペレーション]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 星野うめ、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター --> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|25 September}} {{新暦365日|9|24|9|26|[[8月25日]]|[[10月25日]]|[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]|0925|9|25}} {{1年の月と日}}
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9月26日
9月26日(くがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から269日目(閏年では270日目)にあたり、年末まであと96日ある。
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9月26日(くがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から269日目(閏年では270日目)にあたり、年末まであと96日ある。
{{カレンダー 9月}} '''9月26日'''(くがつにじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から269日目([[閏年]]では270日目)にあたり、年末まであと96日ある。 == できごと == [[File:Sype - La herdike enterprinse faict par le Signeur Draeck.jpeg|thumb|180px|[[フランシス・ドレーク]]が[[世界一周]]を達成(1580)。収奪した財宝を献上したドレークは[[ナイト]]に叙勲された]] {{multiple image | footer = [[第四艦隊事件]](1935)。[[駆逐艦]] [[初雪 (吹雪型駆逐艦)|初雪]]、[[夕霧 (吹雪型駆逐艦)|夕霧]]が艦体切断の被害を被る | image1 = Hatsuyuki.jpg | width1 = 100 | alt1 = 初雪 | image2 = Yugiri II.jpg | width2 = 100 | alt2 = 夕霧 }} {{multiple image | footer = [[洞爺丸台風]]による[[青函連絡船]]「[[洞爺丸]]」(左)の転覆事故(1954)。転覆し船底を見せる洞爺丸(右) | image1 = Toya Maru.jpg | width1 = 100 | alt1 = 洞爺丸 | image2 = Toya-Maru Disaster.JPG | width2 = 100 | alt2 = 転覆 }} [[File:1959 Typhoon Vera damage at Handa.jpg|thumb|120px|犠牲者約5,000人を出した[[伊勢湾台風]](1959)。記録的な[[高潮]]による被害が大である]] [[File:First 1960 presidential debate.jpg|thumb|140px|[[ジョン・F・ケネディ]](左)と[[リチャード・ニクソン]](右)によるテレビ討論会(1960)]] {{multiple image | image1 = Eco Park Minamata2.JPG | width1 = 130 | caption1 = [[厚生省]]が[[水俣病]]と[[第二水俣病]]を[[公害病]]と認定(1968) | alt1 = 水俣病慰霊碑 | image2 = Original Koror-Babeldaob Bridge collapse.png | width2 = 130 | caption2 = [[パラオ]]、[[日本・パラオ友好の橋|旧KB橋]]崩壊(1996) | alt2 = 旧KB橋 | image3 = OB-Hirotoshi-Kitagawa.jpg | width3 = 110 | caption3 = [[大阪近鉄バファローズ|バファローズ]]・[[北川博敏]]による[[北川博敏#代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打|代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打]](2001) | alt3 = 北川博敏 }} {{multiple image | image1 = Presidential election speech of the Liberal Democratic Party in Nagano.jpg | width1 = 160 | caption1 = [[安倍晋三]](右から四人目)が総裁に返り咲いた[[2012年自由民主党総裁選挙]](2012) | alt1 = 総裁選挙 | image2 = SeibuDome scoreboard 2013 09 26.JPG | width2 = 140 | caption2 = [[東北楽天ゴールデンイーグルス]]初のリーグ優勝(2013) | alt2 = リーグ優勝 }} * [[紀元前46年]] - [[ファルサルスの戦い]]での誓いを果たすため、[[ガイウス・ユリウス・カエサル|ユリウス・カエサル]]が神話上の祖先[[ウェヌス・ゲネトリクス]]に[[ウェヌス・ゲネトリクス神殿]]([[:en:Temple_of_Venus_Genetrix|Temple of Venus Genetrix]])を奉ずる。 * [[715年]] - フランク内戦: [[コンピエーニュの戦い]]。 * [[1087年]] - イングランド王[[ウィリアム2世 (イングランド王)|ウィリアム2世]]が戴冠。 * [[1143年]] - [[ケレスティヌス2世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス2世]]が第165代[[ローマ教皇]]に就任。 * [[1164年]] - [[カラトラバ騎士団|カラトラパ騎士団]]が教皇[[アレクサンデル3世 (ローマ教皇)|アレクサンデル3世]]に認可される。 * [[1212年]] - [[プシェミスル朝]]のボヘミアにおける王位を確認するために、[[シチリア金印勅書]]([[:en:Golden_Bull_of_Sicily|Golden Bull of Sicily]])が発行される。 * [[1337年]]([[建武 (日本)|建武]]4年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[光明天皇]]が[[土御門東洞院殿]]に移居。以後532年間にわたって皇居として使用される。 * [[1345年]] - [[ワルンスの戦い]]([[:en:Battle_of_Warns|Battle of Warns]])、[[エノー伯]][[ギヨーム2世 (エノー伯)|ギヨーム2世]]が[[フリース人]]に敗れ戦死。 * [[1350年]] - フランス王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]が[[ランス大聖堂]]で戴冠。 * [[1371年]] - セルビア・オスマン戦争: [[マリツァの戦い (1371年)|マリツァの戦い]]。 * [[1423年]] - [[百年戦争]]: {{仮リンク|ラ・ブロッシニエールの戦い|en|Battle of La Brossinière|fr|Bataille de la Brossinière}} * [[1580年]] - イギリスの海賊[[フランシス・ドレーク]]が[[世界一周]]を達成。 * [[1597年]]([[慶長]]2年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]: [[明]]・[[朝鮮]]軍が籠城する南原城を日本軍が攻略し、[[南原城の戦い]]が終結。 * [[1629年]] - [[スウェーデン・ポーランド戦争]]の[[休戦協定]]である[[アルトマルク休戦協定]]が締結される。 * [[1687年]] - {{仮リンク|モレアス戦争|en|Morean War}}: [[オスマン帝国]]により火薬庫として使われていた[[パルテノン神殿]]が、[[ヴェネツィア共和国]]軍の砲弾により爆発炎上。 * [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]・[[フィラデルフィア方面作戦]]: [[ウィリアム・ハウ]]がフィラデルフィアを無抵抗で占領する。 * [[1799年]] - [[フランス革命戦争]]: 前日より続く{{仮リンク|第二次チューリッヒの戦い|en|Second Battle of Zurich}}が終結。[[フランス]]が[[第二次対仏大同盟]]軍に勝利。 * [[1815年]] - [[神聖同盟]]が成立。[[ロシア]]皇帝[[アレクサンドル1世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル1世]]の提唱で結成されたロシア、オーストリア、プロイセン間の同盟<ref name="Cath">{{Cite Catholic Encyclopedia|wstitle=Holy Alliance|volume=7|last=Spahn|first=Martin}}</ref>。 * [[1905年]] - [[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]が[[特殊相対性理論]]を発表。 * [[1907年]] - [[ニュージーランド]]と[[ニューファンドランド (ドミニオン)|ニューファンドランド]]が[[イギリス連邦]]内の自治領となり、事実上独立。 * [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ポリゴンウッドの戦い]]([[:en:Battle_of_Polygon_Wood|Battle of Polygon Wood]])。 * [[1918年]] - 第一次世界大戦: [[ムーズ・アルゴンヌ攻勢]]が始まる。 * [[1921年]] - 富山県で台風により漁業従事者約900人が遭難<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p345 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067</ref>。 * [[1923年]] - [[グスタフ・シュトレーゼマン|シュトレーゼマン]]が国会外交委員会において[[ルール占領]]への抵抗運動の終了を宣言。さらに[[フリードリヒ・エーベルト]]大統領が戒厳令を発し、指揮権を国防相に与える。 * [[1933年]] - [[アメリカ合衆国における禁酒法|禁酒法]]時代の[[ギャング]]である[[マシンガン・ケリー]]とその妻キャサリンが逮捕される。ケリーは武器を持たずにFBIらの前に出でて「撃つなGメン!撃つなGメン!("Don't shoot, G-Men! Don't shoot, G-Men!")」と叫んだためそれまで「政府の役人('Government Men')」を指す言葉であった[[Gメン]]はFBI特別捜査官を指す言葉になった。 * [[1934年]] - イギリスの客船[[クイーン・メリー (客船)|クイーン・メリー]]が進水。 * [[1935年]] - [[第四艦隊事件]]。演習中の[[日本海軍]]の艦隊が台風に遭遇し、多数の艦艇が損傷。 * [[1935年]] - [[烏川災害]]。台風により[[利根川]]流域の河川が氾濫。[[群馬県]]だけでも死者218人、行方不明者39人、負傷者190人、家屋全壊467戸などの被害<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ktr.mlit.go.jp/tonesui/tonesui00046.html |title=昭和10年(1935)台風(通称:烏川災害) |publisher=国土交通省利根砂防事務所 |date= |accessdate=2022-12-31}}</ref>。 * [[1942年]] - {{仮リンク|アウグスト・フランクの覚書|en|August Frank memorandum}}が発行される。ユダヤ人を[[ホロコースト]]から「避難させる(be evacuated)」方法についてSSの上級士官が記したもの。 * [[1945年]] - 最初の復員船・[[高砂丸]]が、中部太平洋[[ウォレアイ環礁|メレヨン島]]からの復員兵1,628人を乗せて[[別府港]]に入港。 * 1945年 - アメリカ施政下の沖縄で[[石川市]](現 [[うるま市]]の一部)が市制施行。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: 国連軍が[[ソウル特別市|ソウル]]を北朝鮮軍から奪還。 * 1950年 - [[国際連合安全保障理事会決議86|国際連盟安全保障理事会決議86]]に採択より[[インドネシア]]が国連に加盟。 * [[1953年]] - [[イギリス]]での砂糖の[[配給 (物資)|配給]]が終了([[:en:Rationing_in_the_United_Kingdom|en: Rationing in the United Kingdom]]も参照)。 * [[1954年]] - [[洞爺丸台風]]([[台風]]15号)が北海道に来襲。 * 1954年 - [[洞爺丸事故]]。洞爺丸台風により[[青函連絡船]]「[[洞爺丸]]」が転覆。死者行方不明1,155人。 * 1954年 - [[北海道]][[岩内町]]で洞爺丸台風による強風により[[火災|大火]]。死者33名。 * [[1958年]] - [[狩野川台風]](台風22号)が静岡県[[伊豆半島]]に最接近。[[狩野川]]が氾濫。 * [[1959年]] - [[伊勢湾台風]](台風15号)が[[潮岬]]に[[台風の上陸|上陸]]。東海地方などを襲い、死者・行方不明者5,000人以上という甚大な被害を及ぼす。 * [[1960年]] - [[1960年アメリカ合衆国大統領選挙]]: [[ジョン・F・ケネディ]]と[[リチャード・ニクソン]]の間で[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]]選史上初のテレビ討論が行われる。 * [[1960年]] - [[福岡県]][[糸田町]]の嘉穂炭鉱籾井坑でガス爆発事故が発生。13人が死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=148 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1962年]] - [[イエメン王国]]で[[クーデター]]が発生。イエメン・アラブ共和国([[北イエメン]])が建国を宣言。[[北イエメン内戦]]が開始。 * 1962年 - 全長2,068メートルで当時東洋一の長さの[[若戸大橋]]が開通。 * [[1968年]] - [[厚生省]]が発見から13年目で[[水俣病]]と[[第二水俣病]]を[[公害病]]として認定。 * [[1969年]] - [[ビートルズ]]12作目のオリジナル・アルバム『[[アビイ・ロード]]』がリリース。イアン・マクミランにより[[ロンドン]]・EMIスタジオ前の[[横断歩道]]で撮影された[[ジャケット写真]]が広く知られている。 * [[1978年]] - [[東芝]]が世界初の日本語[[ワードプロセッサ]]「[[JW-10]]」を発表。 * [[1980年]] - [[オクトーバーフェスト爆破テロ]]([[:en:Oktoberfest_bombing|Oktoberfest bombing]])事件 * [[1981年]] - [[ノーラン・ライアン]]が[[ロサンゼルス・ドジャース]]戦で史上最多5度目のノーヒットノーランを達成。 * [[1983年]] - [[アメリカスカップ]]でカップ保持者の「リバティー」が敗れ、アメリカの連覇が132年で途切れる。 * 1983年 - [[スタニスラフ・ペトロフ]]が監視衛星が発したミサイル攻撃警報を[[誤警報]]と断定し[[アメリカ合衆国]]に対する偶発的な報復[[核戦争|核攻撃]]を未然に防ぐことに繋がる。 * [[1984年]] - [[中華人民共和国]]とイギリスが[[1997年]]の[[香港返還]]に合意し仮調印。 * [[1991年]] - 人工[[生態系]]を維持する実験[[バイオスフィア2]]の最初のミッション開始。[[1993年]]の同日に中断。 * [[1991年]] - 海上自衛隊の護衛艦である、[[こんごう型護衛艦]]の1番艦[[こんごう (護衛艦)|こんごう]]が進水。 * [[1996年]] - [[パラオ]]の(旧)[[日本・パラオ友好の橋|KB橋]]が崩落。2人死亡。 * [[1997年]] - [[インドネシア]]・[[スマトラ島]]で[[ガルーダ航空]]機が墜落炎上。234名全員死亡。<!-- {{仮リンク||en|Garuda Indonesia Flight 152}} [[ガルーダ航空]]では[[152便]]でリンクされているが、この項目名は良くない --> * 1997年 - [[イタリア]]で[[ウンブリア・マルケ地震]]([[:en:1997_Umbria_and_Marche_earthquake|1997 Umbria and Marche earthquake]])が起こる。 * [[2000年]] - [[都営地下鉄三田線]]・[[三田駅 (東京都)|三田駅]] - [[白金高輪駅]] - [[目黒駅]]間および[[東京メトロ南北線|営団地下鉄南北線]]・[[溜池山王駅]] - 目黒駅が開業。[[東急目黒線]]との3社[[直通運転|相互乗り入れ]]を開始。 * [[2001年]] - [[大阪近鉄バファローズ]]の[[北川博敏]]が、日本プロ野球史上唯一の[[北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打|代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打]]を打つ。 * [[2002年]] - [[名古屋鉄道踏切衝突脱線事故]]。 * 2002年 - [[ジョラ号]]が[[ガンビア]]沖で沈没。 * [[2003年]] - [[十勝沖地震#2003年|十勝沖地震]]発生。 * 2003年 - [[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]が野党第一党の[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]へ合流。([[民由合併]]) <!-- * 2003年 - [[宝塚ファミリーランド]]跡地に[[宝塚ガーデンフィールズ]]が開園。 --> * [[2006年]] - [[第3次小泉内閣 (改造)|第3次小泉改造内閣]]が[[内閣総辞職|総辞職]]。[[安倍晋三]]が第90代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]が発足。 * [[2007年]] - [[福田康夫]]が第91代内閣総理大臣に就任し、[[福田康夫内閣]]が発足。 * [[2008年]] - 背中に[[ジェットエンジン]]を搭載した[[翼]]をつけて、空を飛んだ最初の人間である[[イブ・ロッシー]]が9分7秒の飛行に成功し、[[フランス]]の[[カレー (フランス)|カレー]]から[[イギリス]]の[[ドーバー (イギリス)|ドーバー]]へと[[ドーバー海峡]]を横断。 * [[2009年]] - [[平成21年台風第16号|台風16号]]が[[フィリピン]]に上陸。[[マニラ首都圏]]を中心に400人以上が死亡。 * [[2012年]] - [[日馬富士公平]]が、第70代[[横綱]]に昇進。 * 2012年 - [[自由民主党総裁]]選挙で[[安倍晋三]]元[[首相]]が、首相・総裁経験者としては史上初の総裁返り咲きを果たす。 * [[2013年]] - [[東北楽天ゴールデンイーグルス]]が球団創設9年目にして初のリーグ優勝を果たす。 * [[2014年]] - [[2014年メキシコ・イグアラ市学生集団失踪事件]]が起こる。 * [[2015年]] - 24年半続いた[[TBSラジオ]]の番組「[[土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界]]」が放送終了。 * [[2017年]] - [[読売ジャイアンツ]]の[[中井大介]]が日本プロ野球史上初の球団通算1万号本塁打を放つ。 * [[2018年]] - [[広島東洋カープ]]が球団創設68年目にして初のリーグ3連覇を果たす<ref name="chugoku-shimbun_20180906">{{Cite news |title= カープ3連覇 V9 マツダ球場初の胴上げ |newspaper= 中国新聞号外 |date= 2018-09-26 |author= 渡辺裕明 |authorlink= |author2= |authorlink2= |author3= |authorlink3= |author4= |authorlink4= |author5= |authorlink5= |author6= |authorlink6= |author7= |authorlink7= |author8= |authorlink8= |author9= |authorlink9= |url= |accessdate= 2020-10-23 |format= |agency= 中国新聞社 |location= [[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]] |publisher= [[中国新聞社]] |isbn= |issn= |oclc= |pmid= |pmd= |bibcode= |doi= |id= |page= 01 |pages= |at= |language= 日本語 |trans-title= |quote= |archiveurl= |archivedate= |ref= |postscript=。}}</ref>。 * [[2019年]] - [[ルーアン工場火災]]([[:en:Lubrizol_factory_fire_in_Rouen|Lubrizol factory fire in Rouen]])が起こる。 * [[2021年]] - 日本のテレビクイズ番組としては最長の46年半続いた[[朝日放送テレビ|朝日放送]]の番組[[パネルクイズ アタック25]]が放送終了。 * 2021年 - [[スイス]]で同性婚を認める国民投票([[:en:2021_Swiss_same-sex_marriage_referendum|2021 Swiss same-sex marriage referendum]])が行われ賛成多数となる。 * 2021年 - [[2021年ドイツ連邦議会選挙]]が行われる。 {{-}} == 誕生日 == [[File:Théodore Géricault - Le Radeau de la Méduse.jpg|thumb|300px|[[19世紀]][[フランス]][[ロマン主義]]の先駆者となった[[テオドール・ジェリコー]](1791-1824)誕生。画像は《[[メデューズ号の筏]]》(1818-19)]] {{multiple image | caption1 = [[越後長岡藩]]大参事、[[小林虎三郎]](1828-1877)誕生。「[[米百俵]]」の逸話で知られる | image1 = Kobayashi Torasaburo BW.jpg | width1 = 100 | alt1 = 小林虎三郎 | caption2 = [[明治維新]]の立役者、[[大久保利通]](1830-1878)誕生 | image2 = Toshimichi Okubo 4.jpg | width2 = 100 | alt2 = 大久保利通 }} [[File:Ivan Pavlov LIFE.jpg|thumb|120px|[[パブロフの犬]]の実験で知られる[[ロシア]]の[[生理学]]者、[[イワン・パブロフ]](1849-1936)誕生]] [[File:T.S. Eliot, 1923.JPG|thumb|120px|[[イギリス]]の[[詩人]]、[[T・S・エリオット]](1888-1965)誕生{{Squote|四月は残酷きわまる月で、<br>死んだ土地からライラックを育て、<br>記憶と欲望をまぜあわせ、<br>鈍重な根を春雨で刺戟する――『荒地』(1922)}}]] [[File:Heidegger 1 (1960).jpg|thumb|120px|[[20世紀]]の思想界に重大な影響を与えた[[ドイツ]]の[[哲学者]]、[[マルティン・ハイデッガー]](1889-1976)誕生{{Squote|現存在([[Dasein]])が存在するかぎりでのみ、存在はある(es gibt)――『存在と時間』(1927)}}]] {{multiple image | caption1 = 第262代[[ローマ教皇]]、[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]](1897-1978)誕生。初めて五大陸を巡った「旅する教皇」 | image1 = | width1 = | alt1 = | caption2 = [[マンモハン・シン]]、元[[インドの歴代首相|インド首相]](1932-) | image2 = Prime Minister Manmohan Singh in WEF ,2009.jpg | width2 = 100 | alt2 = シン }} [[File:Olivia Newton-John 2.jpg|thumb|120px|[[イギリス]]出身の[[歌手]]、[[オリビア・ニュートン=ジョン]](1948-)誕生]] [[File:Governor Kanagawa Yuji Kuroiwa. In the case of an electric bus test ride, I photographed it at Fureiyu.JPG|thumb|120px|[[神奈川県知事一覧|神奈川県知事]]、[[黒岩祐治]](1954-)誕生]] [[File:Serena Williams US Open 2013.jpg|thumb|120px|[[アメリカ合衆国]]の[[テニス]]プレイヤー、[[セリーナ・ウィリアムズ]](1981-)誕生]] * [[932年]] - [[ムイッズ]]、第4代[[ファーティマ朝]][[カリフ]](+ [[975年]]) * [[1329年]] - [[アンナ・フォン・デア・プファルツ]]、[[神聖ローマ皇帝|ローマ皇帝]]兼[[ボヘミア王国|ボヘミア王]][[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]の2度目の后(+ [[1353年]]) * [[1406年]] - [[トーマス・ロス]]([[:en:Thomas_Ros,_8th_Baron_Ros|Thomas Ros, 8th Baron Ros]])、第8代ロス男爵 * [[1526年]] - [[ヴォルフガング (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)|ヴォルフガング]]、[[プファルツ=ツヴァイブリュッケン公]](+ [[1569年]]) * [[1637年]] - [[セバスチャン・ルクレール]]([[:en:Sébastien_Leclerc|Sébastien Leclerc]])、画家(+ [[1714年]]) * [[1641年]] - [[ネヘミア・グルー]]、[[植物]][[解剖学|解剖者]]・[[医者]](+ [[1712年]]) * [[1651年]] - [[フランシス・ダニエル・パストリウス]]([[:en:Francis_Daniel_Pastorius|Francis Daniel Pastorius]])、都市建築家・[[フィラデルフィア]]と[[ジャーマンタウン (メリーランド州)|ジャーマンタウン]]の創設者(+ [[1720年]]) * [[1660年]] - [[イェジ・ヴィルヘルム (レグニツァ公)|イェジ・ヴィルヘルム]]、''[[レグニツァ公国|レグニツァ公]]・[[ブジェク公国|ブジェク公]](+'' [[1675年]]'')'' *[[1698年]] - [[ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第3代デヴォンシャー公爵)|ウィリアム・キャヴェンディッシュ]]、第3代[[デヴォンシャー公爵]](+ [[1755年]]) * [[1711年]] - [[リチャード・グレンヴィル=テンプル (第2代テンプル伯爵)|リチャード・グレンヴィル=テンプル]]、第2代[[テンプル伯爵]](+ [[1779年]]) * [[1714年]]([[正徳 (日本)|正徳]]4年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - [[真田信安]]、第5代[[信濃国]][[松代藩]]主(+ [[1752年]]) * [[1748年]] - [[カスバート・コリングウッド]]、初代コリングウッド男爵(+ [[1810年]]) * [[1759年]] - [[ヴェンツェル・ミュラー]]([[:en:Wenzel_Müller|Wenzel Müller]])、作曲家(+ [[1835年]]) * [[1774年]] - [[ジョニー・アップルシード]]、[[西部開拓時代|西部開拓期]]の伝説的人物(+ [[1845年]]) * [[1776年]]([[安永]]5年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[松平義和]]、第9代[[美濃国]][[高須藩]]主(+ [[1832年]]) * [[1790年]] - [[ナッソー・ウィリアム・シニア]]([[:en:Nassau_William_Senior|Nassau William Senior]])、弁護士(+ [[1864年]]) * [[1791年]] - [[テオドール・ジェリコー]]、[[画家]](+ [[1824年]]) * [[1792年]] - [[ウィリアム・ホブソン]]([[:en:William_Hobson|William Hobson]])、初代[[ニュージーランドの総督|ニュージーランド総督]](+ [[1842年]]) * [[1806年]]([[文化 (元号)|文化]]3年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[青山幸寛]]、第4代[[美濃国]][[郡上藩]]主(+ [[1832年]]) * [[1812年]]([[文化 (元号)|文化]]9年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[松浦曜]]、第11代[[肥前国]][[平戸藩]]主(+ [[1858年]]) * [[1828年]]([[文政]]11年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - [[小林虎三郎]]、[[越後長岡藩]]大参事(+ [[1877年]]) * [[1830年]]([[天保]]元年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[大久保利通]]、[[明治維新]]の[[元勲]](+ [[1878年]]<ref>遠矢浩規『利通暗殺 紀尾井町事件の基礎的研究』(行人社、1986年)</ref>) * [[1836年]]([[天保]]7年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[堀直虎]]、第13代[[信濃国]][[須坂藩]]主(+ [[1868年]]) * [[1843年]] - [[ジョセフ・ファーフィー]]([[:en:Joseph_Furphy|Joseph Furphy]])、作家(+ [[1912年]]) * [[1844年]]([[天保]]15年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[牧野忠訓]]、第12代[[越後国]][[越後長岡藩|長岡藩]]主(+ [[1875年]]) * [[1848年]] - [[ヘンリー・ウォルターズ (アートコレクター)|ヘンリー・ウォルターズ]]([[:en:Henry_Walters|Henry Walters]])、アートコレクター(+ [[1931年]]) * 1848年([[嘉永]]元年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]) - [[酒井忠経]]、第8代[[越前国]][[敦賀藩]]主(+ [[1884年]]) * [[1849年]](ロシア暦1849年9月14日) - [[イワン・パブロフ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Ivan-Pavlov Ivan Pavlov Russian physiologist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[生理学者]](+ [[1936年]]) * [[1859年]] - [[ルイ・マジョレル]]([[:en:Louis_Majorelle|Louis Majorelle]])、家具職人(+ [[1926年]]) * [[1863年]] - [[セルゲイ・オルデンブルク]]、[[東洋学]]者 (+ [[1934年]]) * [[1865年]] - [[メアリー・ラッセル (ベッドフォード公爵夫人)|メアリー・ラッセル]]、飛行家、鳥類学者(+ [[1937年]]) * [[1869年]](ユリウス暦、グレゴリオ暦では[[10月8日]]) - [[コミタス (司祭)|コミタス]]([[:en:Komitas|Komitas]])、司祭(+ [[1935年]]) * [[1870年]] - [[クリスチャン10世 (デンマーク王)|クリスチャン10世]]、[[デンマーク王]](+ [[1947年]]) * [[1873年]] - [[ワクワウ・ベレント]]([[:en:Wacław_Berent|Wacław Berent]])、作家(+ [[1940年]]) * [[1874年]] - [[ルイス・ハイン]]、[[写真家]](+ [[1940年]]) * [[1876年]] - [[エディス・アボット]]([[:en:Edith_Abbott|Edith Abbott]])、経済学者、ソーシャルワーカー(+ [[1957年]]) * [[1877年]] - [[アルフレッド・コルトー]]、[[ピアニスト]](+ [[1962年]]) * 1877年 - [[エドマンド・グウェン]]、[[俳優]](+ [[1959年]]) * 1877年 - [[ウーゴ・チェルレッティ]]、[[神経学者]](+ [[1963年]]) * [[1878年]] - [[ヴァルター・ステインベック]]([[:de:Walter_Steinbeck|Walter Steinbeck]])、俳優(+ [[1942年]]) * [[1884年]] - [[フォレスト・スミスソン]]、陸上競技選手(+ [[1962年]]) * [[1886年]] - [[アーチボルド・ヒル|アーチボルト・ヒル]]、[[生理学者]](+ [[1951年]]) * [[1887年]] - [[エドウィン・ケッペル・ベネット]]([[:en:Edwin_Keppel_Bennett|Edwin Keppel Bennett]])、詩人、作家(+ [[1958年]]) * 1887年 - [[アントニオ・モレノ]]([[:en:Antonio_Moreno|Antonio Moreno]])、俳優(+ [[1967年]]) * 1887年 - [[バーンズ・ウォリス]]、技術者(+ [[1979年]]) * [[1888年]] - [[T・S・エリオット]]、[[詩人]](+ [[1965年]]) * [[1889年]] - [[マルティン・ハイデッガー]]、[[哲学者]](+ [[1976年]]) * 1889年 - [[イワン・モジューヒン]]、俳優(+ [[1939年]]) * [[1891年]] - [[シャルル・ミュンシュ]]、[[指揮者]](+ [[1968年]]) * 1891年 - [[ウィリアム・マッケル]]([[:en:William_McKell|William McKell]])、第12代[[オーストラリアの総督|オーストラリア総督]](+ [[1985年]]) * 1891年 - [[ハンス・ライヘンバッハ]]、[[科学哲学]]者(+ [[1953年]]) * [[1893年]] - [[斎藤佐次郎]]、[[金の星社]]創業(+ [[1983年]]) * [[1894年]] - [[グラディス・ブロックウェル]]、[[俳優|女優]](+ [[1929年]]) * [[1895年]] - [[ユルゲン・シュトロープ]]、[[ナチス・ドイツ]][[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]] (SS) の将軍(+ [[1952年]]) * [[1897年]] - [[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1978年]]) * [[1898年]] - [[ジョージ・ガーシュウィン]]、[[作曲家]](+ [[1937年]]) * 1898年 - [[ジャック・ドリオ]]、[[コラボラシオン]]、[[政治家]](+ [[1945年]]) * [[1901年]] - [[ジョージ・ラフト]]、俳優(+ [[1980年]]) * [[1902年]] - [[アルバート・アナスタシア]]、[[コーサ・ノストラ]]のボス(+ [[1957年]]) * [[1903年]] - [[ウジェーヌ・コルヌ]]([[:fr:Eugène_Cornu|Eugène Cornu]])、造船技師(+ [[1987年]]) * [[1905年]] - [[カール・ラパン]]、[[サッカー選手]](+ [[1996年]]) * [[1907年]] - [[アンソニー・ブラント]]([[:en:Anthony_Blunt|Anthony Blunt]])、美術史家、[[スパイ]](+ [[1983年]]) * 1907年 - [[ベップ・ファン・クラフェレン]]、[[ボクシング]]選手(+ [[1993年]]) * [[1909年]] - [[ビル・フランス・シニア]]([[:en:Bill_France_Sr.|Bill France Sr.]])、レーシングドライバー(+ [[1992年]]) * [[1911年]] - [[尾高尚忠]]、作曲家(+ [[1951年]]) * 1911年 - [[永田亮一]]、政治家(+ [[1997年]]) * [[1912年]] - [[プレストン・クラウド]]、[[古生物学者]]、[[地理学者]](+ [[1991年]]) * [[1914年]] - [[アキレ・コンパニョーニ]]([[:en:Achille_Compagnoni|Achille Compagnoni]])、登山家、スキーヤー(+ [[2009年]]) * 1914年 - [[ジャック・ラレーン]]([[:en:Jack_LaLanne|Jack LaLanne]])、フィットネス専門家(+ [[2011年]]) * [[1917年]] - [[チャン・デュク・サオ]]([[:en:Tran_Duc_Thao|Trần Đức Thảo]])、哲学者(+ [[1993年]]) * [[1919年]] - [[バーバラ・ブリトン]]([[:en:Barbara_Britton|Barbara Britton]])、女優(+ [[1980年]]) * 1919年 - [[マティルデ・カムス]]([[:en:Matilde_Camus|Matilde Camus]])、詩人(+ 2012年) * [[1920年]] - [[梶岡忠義]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2003年]]) * [[1922年]] - [[ニコラス・ロマノヴィッチ・ロマノフ]]([[:en:Nicholas_Romanov,_Prince_of_Russia|Nicholas Romanov, Prince of Russia]])、[[ロマノフ家|ロマノフ家長]](+ [[2014年]]) * [[1923年]] - [[デヴ・アナンド]]([[:en:Dev_Anand|Dev Anand]])、俳優(+ [[2011年]]) * [[1925年]] - [[ボビー・シャンツ]]、元[[プロ野球選手]] * 1925年 - [[マーティ・ロビンス]]([[:en:Marty_Robbins|Marty Robbins]])、シンガーソングライター(+ [[1982年]]) * [[1926年]] - [[ジュリー・ロンドン]]、歌手(+ [[2000年]]) * 1926年 - [[マンフレッド・マイヤーホーファー (言語学者)|マンフレッド・マイヤーホーファー]]、[[言語学者]](+ [[2011年]]) * 1926年 - [[ダニエル・シンガー]]([[:en:Daniel_Singer_(journalist)|Daniel Singer (journalist)]])、ジャーナリスト、歌手(+ [[2000年]]) * [[1927年]] - [[ロマーノ・ムッソリーニ]]、[[ピアニスト]]、[[画家]](+ [[2006年]]) * 1927年 - [[ロバート・ケード]]、医師(+ [[2007年]]) * 1927年 - [[パトリック・オニール]]、俳優(+ [[1994年]]) * 1927年 - [[エンツォ・ベアルツォット]]、サッカー選手(+ [[2010年]]) * [[1928年]] - [[鈴木義司]]、[[漫画家]](+ [[2004年]]) * [[1930年]] - [[フリッツ・ヴンダーリヒ]]、[[テノール]][[歌手]](+ [[1966年]]) * 1930年 - [[横山あきお]]、俳優(+ [[2014年]]) * 1930年 - [[小林昭二]]、俳優(+ [[1996年]]) * 1930年 - [[フィリップ・ボスコ]]、俳優(+ [[2018年]]) * [[1931年]] - [[ケネス・パーネル]]([[:en:Kenneth_Parnell|Kenneth Parnell]])、性犯罪者(+ [[2008年]]) * [[1932年]] - [[マンモハン・シン]]、政治家、[[インドの歴代首相|インド首相]] * 1932年 - [[ドナ・ダグラス]]、俳優(+ [[2005年]]) * 1932年 - [[長浜忠夫]]、[[アニメーション映画|アニメ]][[監督]](+ [[1980年]]) * 1932年 - [[ジョイス・ジェイムソン]]、女優(+ [[1987年]]) * 1932年 - [[クリフトン・ウィリアムズ (宇宙飛行士)|クリフトン・ウィリアムズ]]、宇宙飛行士(+ [[1967年]]) * 1932年 - [[ウラジーミル・ヴォイノヴィッチ]]([[:en:Vladimir_Voinovich|Vladimir Voinovich]])、作家、詩人(+ 2018年) * [[1934年]] - [[牧伸二]]、[[漫談家]](+ [[2013年]]) * 1934年 - [[山本哲也 (野球)|山本哲也]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]) * [[1935年]] - [[佐久間進]]、実業家 * [[1936年]] - [[ウィニー・マンデラ]]、政治家 * 1936年 - [[リロイ・ドラム]]([[:en:Leroy_Drumm|Leroy Drumm]])、軍人、作曲家(+ [[2010年]]) * [[1937年]] - [[ヴァレンチン・パヴロフ]]、ソ連の[[首相]](+ [[2003年]]) * 1937年 - [[ジェリー・ワイントローブ]]、[[映画プロデューサー]](+ [[2015年]]) * [[1938年]] - [[ラウル・コーヴァン]]([[:en:Raoul_Cauvin|Raoul Cauvin]])、漫画家(+ [[2021年]]) * 1938年 - [[ジョナサン・ゴールドスミス]]([[:en:Jonathan_Goldsmith|Jonathan Goldsmith]])、俳優 * [[1939年]] - [[樋口正蔵]]、元プロ野球選手 * 1939年 - [[マリア・ゴマーズ]]([[:en:Mia_Gommers|Maria Gommers]])、陸上競技選手 * [[1940年]] - [[アントン・ウィッキー]]、[[タレント]] * [[1941年]] - [[サルヴァトーレ・アッカルド]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1941年 - [[マルティーヌ・ベズウィック]]、女優、[[ファッションモデル]] * [[1942年]] - [[作間功]]、[[声優]] * 1942年 - [[グロリア・E・アンザルドゥア]]([[:en:Gloria_E._Anzaldúa|Gloria E. Anzaldúa]])、文化学者(+ [[2004年]]) * 1942年 - [[イングリット・ベッカー]]、陸上競技選手 * [[1943年]] - [[ティム・シェンケン]]、レーシングドライバー * [[1944年]] - [[ジャン・ブリュワー]]、第22代[[アリゾナ州知事]] * [[1945年]] - [[ブライアン・フェリー]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1945年 - [[ガル・コスタ]]、歌手(+ [[2022年]]) * [[1946年]] - [[片岡静香]]、女優 * 1946年 - [[アンドレア・ドウォーキン]]、哲学者 * 1946年 - [[小野泰敏]]、元プロ野球選手 * 1946年 - [[ラダ・クリシュナ・マイナリ]]、政治家 * 1946年 - [[ルイーズ・サイモンソン]]([[:en:Louise_Simonson|Louise Simonson]])、漫画家 * 1946年 - [[クローデット・ウェルリー]]([[:en:Claudette_Werleigh|Claudette Werleigh]])、政治家、ハイチ首相 * [[1947年]] - [[ジェイムズ・スウェアリンジェン]]、作曲家 * 1947年 - [[リン・アンダーソン]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー音楽]][[歌手]](+ [[2015年]]) * [[1948年]] - [[オリビア・ニュートン=ジョン]]、[[歌手]](+ [[2022年]]) * 1948年 - [[柳沢きみお]]、漫画家 * 1948年 - [[ウラジミル・レメック]]、宇宙飛行士 * 1948年 - [[スチュアート・トッシュ]]、ドラマー * [[1949年]] - [[ハナ・マシュコヴァー]]、フィギュアスケート選手(+ [[1972年]]) * 1949年 - [[ミネット・ウォルターズ]]、推理作家 * [[1950年]] - [[たちはらるい]]、[[シンガーソングライター]] * 1950年 - [[菊容子]]、女優(+ [[1975年]]) * 1950年 - [[風間深志]]、ライダー、冒険家 * [[1951年]] - [[川本浩次]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[伊藤之雄]]、[[政治学者]]、[[歴史家|歴史学者]] * [[1953年]] - [[ダグラス・A・メルトン]]([[:en:Douglas_A._Melton|Douglas A. Melton]])、生物学者 * 1953年 - [[パトリック・クロン]]([[:en:Patrick_Kron|Patrick Kron]])、エンジニア * [[1954年]] - [[黒岩祐治]]、政治家、神奈川県知事、元[[ニュースキャスター]] * 1954年 - [[工藤重典]]、[[フルート奏者]] * 1954年 - [[ケヴィン・ケネディ]]([[:en:Kevin_Kennedy_(baseball)|Kevin Kennedy (baseball)]])、野球選手 * 1954年 - [[天童よしみ]]、歌手 * [[1955年]] - [[石井昭男]]、元プロ野球選手 * 1955年 - [[佐々木ベジ]]、[[実業家]] * [[1956年]] - [[リンダ・ハミルトン]]、女優 * [[1957年]] - [[木根尚登]]、ミュージシャン、[[小説家]]([[TM NETWORK]]) * 1957年 - [[ハーフナー・ディド|ディド・ハーフナー]]、元サッカー選手 * 1957年 - [[クラウス・アウゲンターラー]]、元サッカー選手 * 1957年 - [[ミシェル・ドウェック]]([[:en:Michael_Dweck|Michael Dweck]])、写真家 * [[1958年]] - [[ルディ・ツェルネ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1958年 - [[ロバート・ケーガン]]、[[新保守主義 (アメリカ)|ネオコン]]の代表的論者 * 1958年 - [[ケニー・サンソム]]、元[[プロサッカー選手|サッカー選手]] * [[1959年]] - [[J・P・リッチアーディ]]、元[[ゼネラルマネージャー]] * 1959年 - [[リッチ・ゲドマン]]、野球選手 * [[1960年]] - [[ウーベ・バイン]]、元サッカー選手 * 1960年 - [[佐藤英道]]、政治家 * [[1961年]] - [[杉作J太郎]]、漫画家、フリーライター * 1961年 - [[光石研]]、俳優 * [[1963年]] - [[あおい洋一郎]]、声優 * 1963年 - [[梶原徹也]]、[[ミュージシャン]] * [[1964年]] - [[関清和]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[柿沼正明]]、政治家 * [[1966年]] - [[村上卓史]]、放送作家 * 1966年 - [[林民夫]]、脚本家 * 1966年 - [[竹地祐治]]、元アナウンサー * 1966年 - [[セルゲイ・シマトコ]]、政治家 * [[1967年]] - [[ブライアン・トラックスラー]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]]) * 1967年 - [[横田睦美]]、元アイドル(元[[おニャン子クラブ]]) * [[1968年]] - [[富川春美]]、元アイドル(元おニャン子クラブ) * 1968年 - [[かせきさいだぁ]]、[[ミュージシャン]] * [[1969年]] - [[小林茂生]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[池谷幸雄]]、元[[体操競技]]選手、タレント * 1970年 - [[長島正興]]、元[[レーシングドライバー]]、[[環境活動家]] * 1970年 - [[ポール・ドレイパー]]、[[ミュージシャン]] * [[1971年]] - [[茂呂田かおる]]、[[声優]] * [[1972年]] - [[西口文也]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[佐野瑞樹 (俳優)|佐野瑞樹]]、[[俳優]] * [[1976年]] - [[ミヒャエル・バラック]]、サッカー選手 * 1976年 - [[永田睦子]]、元バスケットボール選手 * [[1977年]] - [[佐藤藍子]]、女優、タレント * 1977年 - [[稲田奈緒]]、女優 * 1977年 - [[アーロン・マイエット]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[マガリ・サウリ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1978年]] - [[宮下栄治]]、[[声優]] * [[1979年]] - KING、ミュージシャン([[SHAKALABBITS]]) * 1979年 - [[丸藤正道]]、[[プロレスラー]] * 1979年 - [[リカルド・パルマ]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[ユレンデル・デキャスター]]、プロ野球選手 * 1979年 - [[松隈ケンタ]]、音楽家 * [[1980年]] - [[我那覇和樹]]、[[サッカー選手]] * [[1981年]] - [[セリーナ・ウィリアムズ]]、[[テニス]]選手 * 1981年 - [[華名]]、[[プロレスラー]] * 1981年 - [[恒松あゆみ]]、声優 * 1981年 - ひぃ、[[お笑いタレント]]([[ちょーちんあんこー]]、元[[すっとんきょ]]) * [[1982年]] - [[麻生真友子]]、女優、タレント * 1982年 - [[徳田いずみ]]、ファッションモデル * [[1983年]] - [[石井翔子]]、声優 * 1983年 - [[柿本大地]]、プロレスラー * 1983年 - [[リカルド・クアレスマ]]、サッカー選手 * 1983年 - [[ジョアン・モレイラ]]、騎手 * 1983年 - [[植松泰良]]、元野球選手 * 1983年 - [[河合龍一]]、プロアイスホッケー選手 * [[1984年]] - [[門脇聡子]]、元お笑いタレント(元[[ジェシカ (お笑いコンビ)|ジェシカ]]) * 1984年 - [[ウィルフィン・オビスポ]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[秋山莉奈]]、女優、元[[グラビアアイドル]] <!-- 特筆性 * 1985年 - [[ゲームセンターCXの登場人物#サポートAD|江本紘之]]、[[ゲームセンターCX]]の8代目AD --> * 1985年 - [[伴杏里]]、女優 * 1985年 - [[内海亮子]]、元[[バスケットボール選手]] * 1985年 - [[小林悠 (アナウンサー)|小林悠]]、元[[アナウンサー]] * 1985年 - [[おおしたこうた]]、声優 * [[1986年]] - [[小松剛]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[船曳文士]]、[[騎手]] * 1986年 - [[ショーン・ドゥーリトル]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[長崎莉奈]]、女優、元グラビアアイドル * 1987年 - [[ブレイク・シン]]、騎手 * [[1988年]] - たえさん、ミュージシャン([[オレスカバンド]]) * 1988年 - [[黒木マリナ]]、女優 * 1988年 - [[鹿谷弥生]]、歌手、女優 * 1988年 - [[キーラ・コルピ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1988年 - [[リナ・ヨハンソン]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - [[トム・ストイフバーゲン]]、野球選手 * 1988年 - [[大野雄大]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[金与正]]、政治家 * [[1989年]] - お抹茶、お笑いタレント([[トンツカタン]]) * 1989年 - [[鈴木ちなみ]]、ファッションモデル * 1989年 - [[柄本弾]]、[[バレエ]][[ダンス|ダンサー]] * 1989年 - [[真琴]]、プロレスラー * [[1990年]] - 城島ゆかり、アイドル([[JK21#JK21・JK21R|JK21]]) * 1990年 - [[マイケル・マシューズ]]、自転車競技選手 * [[1991年]] - [[吉谷彩子]]、女優 * [[1992年]] - [[谷山莉奈]]、野球選手 * [[1993年]] - [[塚田貴之]]、元プロ野球選手 * 1993年 - [[橋本崚]]、陸上選手 * 1993年 - [[奈良岡にこ]]、女優 * [[1995年]] - [[羽矢有佐]]、グラビアアイドル * 1995年 - [[深川芹亜]]、声優 * 1995年 - [[和田恋]]、プロ野球選手 * [[1996年]] - [[都丸紗也華]]、グラビアアイドル * 1996年 - [[金子大地]]、俳優 * 1996年 - [[東雲うみ]]、グラビアアイドル、コスプレイヤー * [[1997年]] - [[日和ゆず]]、声優、歌手、元アイドル(元[[TEAM SHACHI|チームしゃちほこ]]) * [[1998年]] - [[若田部遥]]、元アイドル(元[[HKT48]]) * [[1999年]] - [[浅見姫香]]、女優 * [[2001年]] - [[長岡秀樹]]、プロ野球選手 * [[2005年]] - [[牧野羽咲]]、子役 * 2005年 - 川中子奈月心、アイドル([[≠ME]]) * 生年不明 - [[こ〜ちゃ]]、[[ゲームクリエイター]] * 生年不明 - [[奥畑幸典]]、声優 * 生年不明 - [[加藤雅美 (声優)|加藤雅美]]、声優 * 生年不明 - [[愛原圭織]]、声優 == 忌日 == [[File:Teika(3).jpg|thumb|120px|[[小倉百人一首]]を編纂した[[藤原定家]](1162-1241)没{{Squote|見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮}}]] {{multiple image | caption1 = 北[[近江国|近江]]の[[戦国大名]]、[[浅井長政]](1545-1573)、義兄[[織田信長]]に攻め滅ぼされ自刃 | image1 = Azai-Nagamasa-cropped.jpg | width1 = 102 | alt1 = 浅井長政 | caption2 = 第15代[[明]][[皇帝]]、[[泰昌帝]](1582-1620)、[[仙丹]]服用による中毒で即位1ヶ月後に崩御 | image2 = 明光宗.jpg | width2 = 102 | alt2 = 泰昌帝 }} [[File:August Macke 004.jpg|thumb|160px|「[[青騎士]]」グループに属した[[ドイツ]]の[[画家]][[アウグスト・マッケ]](1887-1914)、[[第一次世界大戦]]で戦死。画像は《小道の眺め》(1914)]] {{multiple image | image1 = Bessie Smith (1936) by Carl Van Vechten.jpg | width1 = 100 | caption1 = “[[ブルース]]の女帝”[[ベッシー・スミス]](1894-1937)、交通事故死 | alt1 = スミス | image2 = Walter Benjamin vers 1928.jpg | width2 = 102 | caption2 = ドイツの[[文芸評論|文芸批評家]]、[[ヴァルター・ベンヤミン]](1892-1940)、服毒自殺{{Squote|芸術作品が技術的に複製可能な時代に衰退するもの、それは芸術作品のアウラ(Aura)である――『複製技術時代の芸術』(1936)}} | alt2 = ベンヤミン | caption3 = [[哲学者]]、[[三木清]](1897-1945)、獄中死{{Squote|孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである――『人生論ノート』(1947)}} | image3 = Kiyoshi Miki.JPG | width3 = 102 | alt3 = 三木清 }} [[File:홍사익.jpg|thumb|120px|[[朝鮮]]出身の[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[中将]]、[[洪思翊]](右)(1889-1946)、[[戦犯者|戦犯]]として[[フィリピン]]で刑死]] <!--安倍晴明の忌日9月26日は「旧暦」なので注意!--> * [[208年]]([[建安 (漢)|建安]]13年8月29日) - [[孔融]]、政治家、[[詩人]](* [[153年]]) * [[257年]]([[太平 (呉)|太平]]2年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[朱異]]、[[中国]][[三国時代 (中国)|三国時代]]の武将 * [[1241年]]([[仁治]]2年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[藤原定家]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]]、[[歌人]](* [[1162年]]) * [[1290年]] - [[マーガレット (スコットランド女王)|マーガレット]]、[[スコットランド王国|スコットランド女王]](* [[1283年]]) * [[1351年]]([[正平 (日本)|正平]]6年/[[観応]]2年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[常盤井宮恒明親王]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[皇族]](* [[1303年]]) * [[1431年]]([[永享]]3年8月20日)- [[吉山明兆]]、[[画家]]、[[臨済宗]]の[[僧]](* [[1352年]]) * [[1455年]]([[康正]]元年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[千葉胤直]]、[[室町時代]]の[[武将]](* [[1419年]]) * [[1573年]]([[天正]]元年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[浅井長政]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[大名]](* [[1545年]]) * [[1620年]]([[泰昌]]元年9月1日) - [[泰昌帝]]、第15代[[明]][[皇帝]](* [[1582年]]) * [[1626年]]([[寛永]]3年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[脇坂安治]]、[[武将|戦国武将]]、[[大洲藩|大洲藩主]](* [[1554年]]) * [[1746年]]([[延享]]3年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]) - [[上杉宗房]]、[[米沢藩|米沢藩主]](* [[1718年]]) * [[1820年]] - [[ダニエル・ブーン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Daniel-Boone Daniel Boone American frontiersman] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[探検家]](* [[1734年]]) * [[1842年]] - [[リチャード・ウェルズリー (初代ウェルズリー侯爵)|リチャード・ウェルズリー]]、[[外務英連邦大臣|イギリス外相]](* [[1760年]]) * [[1867年]] - [[ジェイムズ・ファーガソン]]、[[天文学者]](* [[1797年]]) * [[1868年]] - [[アウグスト・フェルディナント・メビウス]]、[[数学者]]、天文学者(* [[1790年]]) * [[1877年]] - [[ヘルマン・グラスマン]]、数学者・言語学者(* [[1802年]]) * [[1902年]] - [[リーバイ・ストラウス]]、[[リーバイス]]創設者(* [[1829年]]) * [[1904年]] - [[小泉八雲]](ラフカディオ・ハーン)、[[小説家]](* [[1850年]]) * [[1910年]] - [[トルバルド・ティエレ]]、天文学者・数学者(* [[1838年]]) * [[1914年]] - [[アウグスト・マッケ]]、画家(* [[1887年]]) * [[1917年]] - [[エドワード・マイナー・ギャローデット]]、[[教育者]](* [[1837年]]) <!--- * [[1918年]] - [[ゲオルク・ジンメル]]、[[社会学者]]・[[哲学者]](* [[1858年]])--- 9月28日です ---> * [[1937年]] - [[ベッシー・スミス]]、[[ブルース]][[歌手]](* [[1894年]]) * [[1940年]] - [[ヴァルター・ベンヤミン]]、[[文芸評論家]]、文化史家(* [[1892年]]) * 1940年 - [[ミハイル・コーシュキン]]、[[戦車]]技術者(* [[1898年]]) * [[1943年]] - [[木村栄]]、天文学者(* [[1870年]]) * [[1945年]] - [[松井簡治]]、[[言語学|言語学者]](* [[1863年]]) * 1945年 - [[リヒャルト・ベーア=ホフマン]]、小説家、[[詩人]]、[[劇作家]](* [[1866年]]) * 1945年 - [[バルトーク・ベーラ]]、[[作曲家]](* [[1881年]]) * 1945年 - [[三木清]]、[[思想家]](* [[1897年]]) * [[1946年]] - [[洪思翊]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[中将]](* [[1889年]]) * [[1947年]] - [[ヒュー・ロフティング]]、[[児童文学]][[作家]](* [[1886年]]) * [[1950年]] - [[ピエール・ロワ]]、画家(* [[1880年]]) * [[1952年]] - [[ジョージ・サンタヤーナ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1863年]]) * [[1954年]] - [[エレン・ルーズベルト]]、[[テニス]]選手(* [[1868年]]) * 1954年 - [[冨吉榮二]]、[[日本社会党]][[代議士]]、元[[逓信大臣]](* [[1899年]]) * 1954年 - [[菊川忠雄]]、日本社会党代議士(* [[1901年]]) * 1954年 - [[佐保美代子]]、宝塚歌劇団元所属俳優(* 生年不明) * [[1956年]] - [[リュシアン・フェーヴル]]、[[歴史学者]](* [[1878年]]) * [[1959年]] - [[ソロモン・バンダラナイケ]]、[[スリランカの首相|セイロン首相]](* [[1899年]]) * [[1962年]] - [[小森七郎]]、[[日本放送協会]]会長(* [[1873年]]) * [[1965年]] - [[ジェイムス・フィッツモーリス]]、[[飛行機]][[パイロット (航空)|パイロット]](* [[1898年]]) * [[1970年]] - [[豊道春海]]、[[書道|書家]](* [[1878年]]) * [[1973年]] - [[アンナ・マニャーニ]]、[[俳優|女優]](* [[1908年]]) * [[1975年]] - [[奥村勝蔵]]、[[外交官]](* [[1903年]]) * 1975年 - [[笹村草家人]]、[[彫刻家]](* [[1908年]]) * [[1976年]] - [[レオポルト・ルジチカ]]、[[化学者]](* [[1887年]]) * [[1977年]] - [[アーニー・ロンバルディ]]、プロ野球選手(* [[1908年]]) * [[1978年]] - [[マンネ・シーグバーン]]、[[物理学者]](* [[1886年]]) * [[1979年]] - [[ジョン・クロムウェル (俳優)|ジョン・クロムウェル]]、俳優、[[映画監督]](* [[1887年]]) * [[1980年]] - [[谷口五郎]]、[[野球選手]](* [[1901年]]) * [[1982年]] - [[南沢十七]]、[[推理小説]]、[[SF作家]](* [[1905年]]) * [[1984年]] - [[只野直三郎]]、[[日本人民党]]の[[衆議院|衆議院議員]](* [[1900年]]) * [[1986年]] - [[亀井光]]、政治家、[[福岡県知事一覧|福岡県知事]](* [[1909年]]) * 1986年 - [[寺田登]]、[[競泳]]選手(* [[1917年]]) * [[1987年]] - [[エセル・キャサーウッド]]、[[陸上競技]]選手(* [[1908年]]) * [[1988年]] - [[池田遙邨]]、画家(* [[1895年]]) * [[1990年]] - [[アルベルト・モラヴィア]]、小説家(* [[1907年]]) * [[1991年]] - [[ビリー・ヴォーン]]、[[イージーリスニング]]の[[バンドマスター]](* [[1919年]]) * [[1996年]] - [[パヴェル・スドプラトフ]]、[[ソビエト連邦]]の[[スパイ|諜報員]](* [[1907年]]) * 1996年 - [[ジェフリー・ウィルキンソン]]、化学者(* [[1921年]]) * 1996年 - [[陳毓祥]]、政治運動家(* [[1950年]]) * [[1997年]] - [[萩原寛]]、[[プロ野球選手]](* [[1923年]]) * [[2000年]] - [[バーデン・パウエル]]、[[ブラジル音楽]][[ギタリスト]](* [[1937年]]) * [[2003年]] - [[ロバート・パーマー]]、[[ロック (音楽)|ロック]]・[[ブルー・アイド・ソウル]]歌手(* [[1949年]]) * 2003年 - [[ショーン・レイン]]、ロックギタリスト(* [[1963年]]) * [[2005年]] - [[林厳雄]]、[[物理学者]](* [[1922年]]) * [[2006年]] - [[バイロン・ネルソン]]、[[プロゴルファー]](* [[1912年]]) * 2006年 - [[東京ローズ|アイヴァ・郁子・戸栗・ダキノ]]、[[東京ローズ]]元[[アナウンサー]](* [[1916年]]) * 2006年 - [[市川昭介]]、作曲家(* [[1933年]]) * 2006年 - [[高田真理]]、[[フォークソング|フォーク]]歌手([[青い三角定規]])(* [[1947年]]) * [[2007年]] - [[広瀬伸一]]、アナウンサー(* [[1957年]]) * 2007年 - [[末田健]]、映像[[ディレクター]](* [[1974年]]?) * [[2008年]] - [[岩本義行]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](* [[1912年]]) * [[2010年]] - [[池内淳子]]、女優(* [[1933年]]) * [[2014年]] - [[香川伸行]]<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140927-1373399.html ドカベン香川伸行さん急死 心筋梗塞52歳] 日刊スポーツ 2020年11月28日閲覧</ref>、プロ野球選手(* [[1961年]]) * [[2019年]] - [[ジャック・シラク]]<ref>https://www.rtl.fr/actu/politique/jacques-chirac-est-decede-a-l-age-de-86-ans-7784068773</ref><ref>{{Cite news|url= https://www.afpbb.com/articles/amp/3246537 |title= ジャック・シラク元仏大統領が死去、86歳 |newspaper=フランス通信社|date=2019-9-26|accessdate=2020-11-10}}</ref><ref>{{Cite news|title=シラク元フランス大統領が死去 86歳 親日家|newspaper=産経ニュース|date=2019-09-26|url=https://www.sankei.com/article/20190926-2YT3GUN2VRK73NQ22HMDRY2D4A/|publisher=産業経済新聞社|accessdate=2020-12-15}}</ref>、政治家、第22代フランス大統領(* [[1932年]]) * [[2020年]] - [[ルイズルイス加部]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1948年]]) == 記念日・年中行事 == * 秋の[[社日]]({{JPN}}、このころ)※[[秋分]]に最も近い[[戊]]の日 [[File:Stanislaw Jewgrafowitsch Petrow, Dresden 2013.jpg|thumb|180px|[[ソ連防空軍]]中佐、[[スタニスラフ・ペトロフ]]が監視衛星のミサイル攻撃警報を独断で誤警報と判断(1983)。核報復攻撃を回避した]] * [[ヨーロッパ言語の日]]({{EUR}}) *: [[欧州評議会]]が[[2001年]]12月に制定。 * [[革命記念日|1962年革命記念日]]({{YEM}}) *: [[1962年]]のこの日、 軍事クーデターにより[[イエメン王国]]が崩壊し、イエメン・アラブ共和国が成立した。 *[[核兵器]]の全面的廃絶の国際の日({{World}}) *: [[2013年]]のこの日、 [[国際連合総会|国連総会]]は初となる核軍縮に関するハイレベル会合を開催し、以降2018年までに同会合を招集することを決定した。[[スタニスラフ・ペトロフ]]による核戦争回避事件に由来。 * ワープロ記念日({{JPN}}) *: [[1978年]]のこの日、[[東芝]]が世界初の日本語[[ワードプロセッサ]]「JW-10」を発表したことに由来<ref>[http://allabout.co.jp/gm/gc/296827/2/ 『一太郎』は家庭教師先の子供の名前] 2014年6月23日閲覧。</ref>。 * 台風襲来の日({{JPN}}) *:統計上、日本への台風襲来の回数が多い日<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=9月26日 台風襲来の特異日 <366日への旅 記念日編 今日は何の日>|url=http://hukumusume.com/366/kinenbi/pc/09gatu/9_26.htm|website=hukumusume.com|accessdate=2020-06-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=魔の9月26日|url=https://www.halex.co.jp/blog/jousuke/20140924-4272.html|website=株式会社ハレックス|accessdate=2020-06-01|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【9月26日】今日は「台風襲来の日」!統計上1年間で最も台風上陸が多い日です|url=http://news-act.com/archives/41029440.html|website=NewsACT|accessdate=2020-06-01}}</ref>。1954年(昭和29年)に「[[洞爺丸台風]]」が九州・中国地方に上陸後に北海道に来襲、1958年(昭和33年)に「[[狩野川台風]]」が伊豆半島に接近、1959年(昭和34年)に「[[伊勢湾台風]]」が紀伊半島に上陸したのは全てこの日だった<ref>{{Cite web|和書|title=台風襲来の日(9月26日 記念日) {{!}} 今日は何の日 {{!}} 雑学ネタ帳|url=https://zatsuneta.com/archives/109261.html|website=zatsuneta.com|accessdate=2020-06-01}}</ref>。そのため、「魔の9月26日」や「台風襲来の特異日」などとも呼ばれる<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|title=台風の特異日9月26日に上陸した伊勢湾台風から60年、巨大化する台風に備えて(福和伸夫) - Yahoo!ニュース|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1450f7e9a6a41183e372c5f9fff81972fa8d8770|website=Yahoo!ニュース 個人|accessdate=2020-06-01|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=台風襲来の日 {{!}} 大和総研グループ|url=https://www.dir.co.jp/report/column/20130926_007720.html|website=www.dir.co.jp|accessdate=2020-06-01|language=ja|last=大和総研グループ}}</ref>。また、[[9月17日]]も同様に、台風襲来の回数が多い日である。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0926|date=2011年7月}} === 誕生日(フィクション) === * ポリヘドロン暦 15280年 - ラクス・レストリネ・ハ・キリウス、アニメ『[[輪廻のラグランジェ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=TV ANIMATION 輪廻のラグランジェ オフィシャルガイド|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2012|page=50|isbn=978-4-7575-3646-3}}</ref> * 生年不明 - 土間うまる、漫画・アニメ『[[干物妹!うまるちゃん]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://umaru-ani.me/1st/news/event.html |title=ニュース うまるのバースデーイベント開催決定! |access-date=2022-10-08 |publisher=『干物妹!うまるちゃん』アニメ公式サイト |date=2015-08-31}}</ref> * 生年不明 - 夜嵐イナサ、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://mhaoj2.bn-ent.net/character/yoarashi.php |title=夜嵐イナサ |access-date=2022-10-08 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 [[バンダイナムコエンターテインメント|BANDAI NAMCO Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 緑川リュウジ、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2022-10-08}}</ref> * 生年不明 - 冴島清美、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20071 |title=冴島 清美(さえじま きよみ) |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate=2022-10-08 |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#ジュリア|ジュリア]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/30013 |title=ジュリア |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |accessdate=2022-10-08 |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - レジェ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=182&cate=name&cont=Leger |title=レジェ |access-date=2022-10-08 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 白石沙季、メディアミックス『[[IDOLY PRIDE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idolypride.jp/character/saki-shiraishi/ |title=白石沙希 |access-date=2022-10-08 |publisher=Project IDOLY PRIDE}}</ref> <!-- * 生年不明 - 天王寺渚(ナギ)、漫画『[[Aチャンネル]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年9月26日 (水) 14:15 (UTC)}} 2022年10月、4年以上要出典のためコメントアウト --> === 忌日(フィクション) === * [[1999年]] - [[赤木しげる]]、漫画『[[天 天和通りの快男児]]』『[[アカギ 〜闇に降り立った天才〜|アカギ]]』の登場人物<ref>[http://kinma.takeshobo.co.jp/akagi10/ アカギ墓碑開眼・十周忌法要]</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|26 September}} {{新暦365日|9|25|9|27|[[8月26日]]|[[10月26日]]|[[9月26日 (旧暦)|9月26日]]|0926|9|26}} {{1年の月と日}}
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9月30日
9月30日(くがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から273日目(閏年では274日目)にあたり、年末まであと92日ある。9月の最終日である。
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9月30日(くがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から273日目(閏年では274日目)にあたり、年末まであと92日ある。9月の最終日である。
{{カレンダー 9月}} '''9月30日'''(くがつさんじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から273日目([[閏年]]では274日目)にあたり、年末まであと92日ある。9月の[[月末|最終日]]である。 == できごと == [[File:Enryakuji1.jpg|thumb|upright|[[織田信長]]による[[比叡山焼き討ち (1571年)|比叡山焼き討ち]](1571)]] [[File:Bundesarchiv Bild 183-R15449, Otto von Bismarck.jpg|thumb|120px|[[オットー・フォン・ビスマルク]]の[[鉄血演説]](1862)]] [[File:Seizure of the Zaibatsu families assets.JPG|thumb|120px|[[三菱財閥|三井]]・[[三菱財閥|三菱]]・[[安田財閥|安田]]の3[[財閥]]が解散(1946)]] [[File:SS-571-Nautilus-trials.gif|thumb|160px|[[原子力潜水艦]]「[[ノーチラス (原子力潜水艦)|ノーチラス]]」就役(1954)]] [[File:TMBT Trolley bus.JPG|thumb|160px|[[都営トロリーバス]]廃止(1968)]] [[File:EF63×2+EF62.JPG|thumb|160px|[[信越本線]]横軽区間廃止(1997)]] * [[489年]] - {{仮リンク|ローマ・ゲルマン戦争|en|Germanic_wars|Germanic wars}}: [[ヴェローナの戦い (489年)|ヴェローナの戦い]]。 * [[1399年]] - [[イングランド]]議会が[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]の廃位と[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の王位継承を議決。[[ランカスター朝]]が始まる。 * [[1520年]] - [[スレイマン1世|壮麗王スレイマン1世]]が[[オスマン帝国]]の[[スルターン|スルタン]]に即位。 * [[1551年]]([[天文 (元号)|天文]]20年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[大寧寺の変]]: [[大内義隆]]が家臣の[[陶晴賢|陶隆房(のちの晴賢)]]の[[謀反]]により[[自害]]させられる。 * [[1571年]]([[元亀]]2年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - [[織田信長]]が[[延暦寺]]を[[比叡山焼き討ち (1571年)|焼き討ち]]。 * [[1744年]] - [[オーストリア継承戦争]]: [[マドンナ・デル・オルモの戦い]]。 * [[1791年]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の最後の[[オペラ]]『[[魔笛]]』が初演<ref>{{Kotobank|魔笛}}</ref>。 * 1791年 - [[フランス革命]]: [[憲法制定国民議会]]が廃止され、[[立法議会]]に引き継がれる。 * [[1862年]] - [[プロイセン]]首相[[オットー・フォン・ビスマルク]]が議会で「[[鉄血演説]]」を行う。 * [[1863年]](文久3年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - [[八月十八日の政変]]が起き、 7人の[[公家]]が[[京都]]から追放される。([[七卿落ち]]) * [[1882年]] - [[トーマス・エジソン]]の最初の商用水力発電所{{仮リンク|ヴァルカン・ストリート・プラント|en|Vulcan_Street_Plant|Vulcan Street Plant}}が操業開始。 * [[1888年]] - [[切り裂きジャック]]が第3・第4の殺人。 * [[1895年]] - [[マダガスカル]]が[[フランス]]の保護領になる。 * [[1903年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の富豪ジョージ・モルガンが[[祇園]]の芸妓・[[モルガンお雪|加藤雪]]を身請け。 * [[1909年]] - 客船の[[モーリタニア (客船・初代)|初代モーリタニア]]が進水。 * [[1910年]] - [[韓国併合]]: [[李氏朝鮮]]の[[首都]]であった漢城府が[[京城府]]に改称される。 * [[1917年]] - [[大正6年の高潮災害]]。[[台風]]通過と[[満潮]]の時刻が重なり、[[東京湾]]一帯の住宅街が水没。[[東京府]]の[[溺死]]者500人以上。 * [[1921年]] - [[婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約]]が[[国際連盟]]で採択・署名される。 * [[1938年]] - [[ミュンヘン会談]]の結果、[[イギリス]]・フランスが[[ナチス・ドイツ]]の[[ズデーテン地方]]併合を容認。 * [[1939年]] - [[ヴワディスワフ・シコルスキ]]が[[ポーランド亡命政府]]の初代[[ポーランドの首相一覧|首相]]に就任。 * 1939年 - [[NBC]]が初めてアメフトの試合をテレビ放送する([[:en:First_televised_American_football_game|First televised American football game]])。 * [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[御前会議]]で「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を決定。[[絶対国防圏]]を定める。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦: {{仮リンク|ナイメーヘン突堤の戦い|en|Battle_of_the_Nijmegen_salient}}。 * [[1945年]] - [[大日本産業報国会]]が解散。 * [[1946年]] - [[財閥解体]]: [[三菱財閥|三井]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mitsuipr.com/history/postwar/01/ |title=三井財閥最後の日 |access-date=12 Jun 2023 |publisher=三井広報委員会}}</ref>・[[三菱財閥|三菱]]・[[安田財閥|安田]]の3[[財閥]]が正式解散を決定。 * [[1947年]] - [[8月12日]]の[[国際連合安全保障理事会決議29]]による承認を受けて[[パキスタン]]・[[イエメン]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * 1947年 - [[ワールドシリーズ]]が初めてテレビ中継される([[1947年のワールドシリーズ]])。 * [[1948年]] - [[昭和電工事件]]: [[栗栖赳夫]][[経済財政政策担当大臣|経済安定本部総務長官]]が逮捕。 * [[1949年]] - [[ベルリン封鎖]]に対する[[西ベルリン]]への空輸作戦(ベルリン大空輸)が終了。 * [[1950年]] - [[伊藤律会見報道事件]]: 同年[[9月27日]]に掲載した[[伊藤律]]会見が[[虚偽報道]]であった事を[[朝日新聞]]が認める。 * [[1954年]] - [[アメリカ海軍]]が建造した世界初の[[原子力潜水艦]]「[[ノーチラス (原子力潜水艦)|ノーチラス]]」が就役。 * 1954年 - 埼玉県[[鴻巣市]]が市制施行。 * [[1955年]] - [[新疆ウイグル自治区]]成立。 * [[1960年]] - [[日本プロレス]][[台東リバーサイドスポーツセンター|台東体育館]]大会で[[ジャイアント馬場|馬場正平]]と[[アントニオ猪木|猪木寛至]]が同時デビュー<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/202009300000237.html|title=アントニオ猪木60周年!足跡を振り返る/写真館|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=30 Sep 2020|accessdate=12 Jun 2023}}</ref>。 * [[1961年]] - [[欧州経済協力機構]]が[[経済協力開発機構]] (OECD) に改組。 * 1961年 - [[愛知用水]]が完成。 * [[1962年]] - [[ジェームズ・メレディス]]が[[ミシシッピ大学]]初の黒人学生として入学を果たす。 * [[1964年]] - [[常陸宮正仁親王|義宮正仁親王]]と[[正仁親王妃華子|津軽華子]]の[[結婚の儀]]。同日[[常陸宮|常陸宮家]]が創設される。 * [[1965年]] - [[9月30日事件]]。[[インドネシア]]で軍事クーデター。 * [[1966年]] - [[イギリス]]保護領[[ベチュアナランド]]が[[ボツワナ]]として独立。 * [[1968年]] - [[都営トロリーバス]]がこの日限りで全面廃止される。 * [[1969年]] - [[総武本線]]の無煙化達成。関東地方から[[蒸気機関車]]が消える。 * [[1975年]] - [[昭和天皇]]が史上初めて[[アメリカ合衆国]]を公式訪問。[[10月14日]]まで。 * 1975年 - [[AH-64 アパッチ]]が初飛行。 * [[1978年]] - [[京都市電]]がこの日限りで運転を停止し翌日付けで廃止。 * 1978年 - {{仮リンク|フィンエアー405便ハイジャック事件|en|Finnair_Flight_405}}。 * [[1984年]] - [[オリックス・バファローズ|阪急]]の[[ブーマー・ウェルズ]]が[[日本プロ野球]]における外国人選手初の三冠王になる。 * [[1985年]] - [[埼京線]]が開業、[[川越線]]が[[鉄道の電化|電化]]。両線の直通運転を開始。 * [[1986年]] - [[イスラエル]]の元[[核兵器]]開発技術者で、核兵器開発の実態を内部告発した[[モルデハイ・ヴァヌヌ]]が、ローマで[[イスラエル諜報特務庁]]に拉致される。 * [[1987年]] - [[大乃国康|大乃国]]が第62代[[横綱]]に昇進。 * [[1989年]] - [[西ドイツ]]の[[ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー|ゲンシャー]]外相が[[プラハ]]の西ドイツ大使館前に詰め掛けていた[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]からの出国者を前に受け入れを表明。 * [[1990年]] - [[大韓民国|韓国]]と[[ソビエト連邦|ソ連]]が国交樹立。 * [[1991年]] - [[ハイチ]]でクーデター。[[ジャン=ベルトラン・アリスティド]]大統領が失脚し亡命。 * 1991年 - [[中華人民共和国]]と[[ブルネイ]]が国交樹立。 * 1991年 - 『[[フジ三太郎]]』連載終了。 * [[1992年]] - [[高エネルギー加速器研究機構|高エネルギー物理学研究所]]の[[森田洋平]]が[[日本最初のホームページ]](KEK Information)を公開する。 * [[1993年]] - [[ラトゥール地震]]発生。 * [[1994年]] - {{仮リンク|リヨン大モスク|en|Grande_mosquée_de_Lyon}}が竣工。 * [[1996年]] - [[兵庫県南部地震]]により倒壊する被害を受けた[[阪神高速3号神戸線]]が全面復旧。 * [[1997年]] - 翌日の[[北陸新幹線]](長野行新幹線)開業に伴い、[[信越本線]][[横川駅 (群馬県)|横川駅]] - [[軽井沢駅]]間がこの日限りで運転を停止し翌日付けで廃止。 * [[1999年]] - [[東海村JCO臨界事故]]発生。 * 1999年 - ドイツの作家[[ギュンター・グラス]]がノーベル文学賞を受賞。 * [[2000年]] - [[Au (携帯電話)|au]]がTACS方式[[アナログ]][[携帯電話]]サービスを終了。 * 2000年 - [[第2次インティファーダ]]: 12歳だったムハンマド・アルデュッラーの殺害事件([[:en:Killing_of_Muhammad_al-Durrah|Killing of Muhammad al-Durrah]])が起こる。 * [[2001年]] - [[高橋尚子]]が[[ベルリンマラソン]]で女子選手として初めて2時間20分の壁を破る2時間19分46秒の世界新記録(当時)で優勝。 * [[2005年]] - [[ムハンマド風刺漫画掲載問題]]: デンマークの新聞[[ユランズ・ポステン]]が[[ムハンマド]]の[[風刺漫画]]を掲載。[[イスラム世界]]から非難の声が上がる。 * [[2006年]] - 日本の戦後初の国産旅客機[[YS-11]]が航空会社の定期便における[[さよなら運転|ラストフライト]]を行う。 * 2006年 - [[桃花台新交通桃花台線]]がこの日限りで廃止。[[新交通システム]]路線としては国内初の[[廃線]]。 * [[2007年]] - 日本で衛星アナログ[[ハイビジョン]]テレビの放送が終了。 * [[2009年]] - [[スマトラ島沖地震 (2009年)|スマトラ島沖地震]]が発生。 * [[2010年]] - 日本国内では[[コミュニティFM]]を除いて初めてとなる、[[県域放送局]](厳密に言えば[[広域放送局]])[[愛知国際放送]]が閉局。2014年4月、[[Radio NEO|InterFM NAGOYA]]、同周波数で、別送信場所、別コールサインで新規開局)。 * 2010年 - {{仮リンク|2010年エクアドル危機|en|2010_Ecuador_crisis}}: [[警察官|警官]]の[[給与]]削減に抗議するデモ隊を説得していた[[ラファエル・コレア]]がデモ隊から催涙弾を投げつけられ、搬送された病院も反対派の警官らに囲まれたため、[[エクアドルの軍事|エクアドル軍]]によって救出される。 * [[2014年]] - [[MSN産経ニュース]]サービス終了。 * [[2015年]] - [[シリア内戦]]にロシアが軍事介入([[:en:Russian_military_intervention_in_the_Syrian_civil_war|Russian military intervention in the Syrian civil war]])。 * [[2016年]] - 8時40分([[協定世界時|UTC]])、[[宇宙探査機]]の[[ロゼッタ (探査機)|ロゼッタ]]が彗星の表面へ落下(または衝突)し、これを以って[[欧州宇宙機関|ESA]]による一連の全ミッションを終了。 * [[2018年]] - {{仮リンク|2018年マケドニア国民投票|en|2018_Macedonian_referendum}}が行われ、投票率36%ながら[[欧州連合]]と[[NATO]]への加盟への賛成多数になる。 * [[2021年]] - [[東京都]]などが同年1月8日から続けてきた[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]拡大を踏まえた緊急事態措置等を終了する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1007617/index.html |title=東京都緊急事態措置等に関する情報 |publisher=東京都 |date=2023 |accessdate=2023-09-11}}</ref>。 * [[2022年]] - ロシアの大統領、[[ウラジーミル・プーチン]]によってウクライナの東部および南部4州([[ザポリージャ州]]、[[ドネツク州]]、[[ルハンシク州]]、[[ヘルソン州]])の併合が宣言される。 == 誕生日 == [[File:Geiger,Hans 1928.jpg|thumb|120px|[[放射線]]量測定器([[ガイガー・カウンター]])で知られる[[ドイツ]]の[[物理学者]]、[[ハンス・ガイガー]](1882-1945)誕生]] [[File:Chieko Higashiyama in Tokyo Story (1953).jpg|thumb|120px|[[俳優|女優]]、[[東山千栄子]](1890-1980)誕生。画像は『[[東京物語]]』(1953)]] [[File:TrumanCapote1959.jpg|thumb|120px|[[アメリカ合衆国]]の[[小説家]]、[[トルーマン・カポーティ]](1924-1984)誕生。代表作に『[[ティファニーで朝食を]]』(1958)]] [[File:Shintaro Ishihara 2009828.JPG|thumb|120px|[[石原慎太郎]](1932-2022)誕生]] [[File:Martina Hingis (15307146078).jpg|thumb|120px|[[スイス]]の女子プロ[[テニス]]選手、[[マルチナ・ヒンギス]](1980-)誕生]] * [[1207年]] - [[ジャラール・ウッディーン・ルーミー]]、[[スーフィズム|スーフィー]]、神秘主義詩人(+ [[1273年]]) * [[1227年]] - [[ニコラウス4世 (ローマ教皇)|ニコラウス4世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1292年]]) * [[1550年]] - [[ミヒャエル・メストリン]]、[[天文学者]](+ [[1631年]]) * [[1572年]] - {{仮リンク|ドゥニ・シモン・ド・マルケモン|en|Denis-Simon_de_Marquemont}}、リヨン大司教(+ [[1626年]]) * [[1594年]] - {{仮リンク|マルク・アントワーヌ・ジラール・ド・サン・アマン|en|Antoine_Girard_de_Saint-Amant}}、詩人(+ [[1661年]]) * [[1622年]] - {{仮リンク|ヨハン・セバスティアーニ|en|Johann_Sebastiani}}、作曲家(+ [[1683年]]) * [[1655年]] - [[シャルル3世・ド・ロアン=ゲメネ]]、貴族、延臣(+ [[1727年]]) * [[1672年]] - {{仮リンク|ジャン・ラルクヴェック|en|Jean_L'Archevêque}}、探検家(+ [[1720年]]) * [[1679年]] - {{仮リンク|ジャック・カサール|en|Jacques_Cassard}}、探検家(+ [[1740年]]) * [[1689年]] - [[ジャック・オベール]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1753年]]) * [[1700年]] - {{仮リンク|スタニスワフ・コナルスキ|en|Stanisław_Konarski}}、詩人(+ [[1773年]]) * [[1710年]] - [[ジョン・ラッセル (第4代ベッドフォード公)|ジョン・ラッセル]]、第4代[[ベッドフォード公]](+ [[1771年]]) * [[1714年]] - [[エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック]]、哲学者(+ [[1780年]]) * [[1732年]] - [[ジャック・ネッケル]]、銀行家、[[政治家]]、[[フランス首相]](+ [[1804年]]) * [[1737年]] - {{仮リンク|モルテン・スラーネ・ブリュンニヒ|en|Morten_Thrane_Brünnich}}、動物学者(+ [[1827年]]) * [[1743年]] - {{仮リンク|クリスチャン・エレゴット・ウェインリグ|en|Christian_Ehregott_Weinlig}}、作曲家(+ [[1813年]]) * [[1765年]] - [[ホセ・マリア・モレーロス]]、[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]の[[神父]](+ [[1815年]]) * [[1767年]] - {{仮リンク|メルキオール・ジョイア|en|Melchiorre_Gioia}}、作家、哲学者(+ [[1829年]]) * [[1800年]] - {{仮リンク|デシマス・バートン|en|Decimus_Burton}}、建築家(+ [[1881年]]) * [[1813年]] - [[ジョン・レイ (探検家)|ジョン・レイ]]、探検家(+ [[1893年]]) * [[1827年]] - {{仮リンク|エリス・H・ロバーツ|en|Ellis_H._Roberts}}、第20代[[アメリカ合衆国財務官]](+ [[1918年]]) * [[1832年]] - [[アン・ジャーヴィス]]、[[母の日]]創設者(+ [[1905年]]) * [[1834年]] - [[ルイ・ピエール・ムイヤール]]、[[重航空機]]研究者(+ [[1897年]]) * [[1836年]] - {{仮リンク|レミヒオ・モラレス・ベルムデス|en|Remigio_Morales_Bermúdez}}、第56代[[ペルーの大統領の一覧|ペルー大統領]](+ [[1894年]]) * [[1840年]] - [[ヨハン・スヴェンセン]]、[[作曲家]]、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1911年]]) * [[1851年]] - {{仮リンク|カルロ・アナドーネ|it|Carlo_Anadone}}、画家(+ [[1941年]]) * [[1852年]] - [[チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード]]、[[作曲家]](+ [[1924年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[末松謙澄]]、政治家(+ [[1920年]]) * [[1857年]] - [[ヘルマン・ズーダーマン]]、[[劇作家]](+ [[1928年]]) * [[1861年]] - {{仮リンク|ウィリアム・リグレー・ジュニア|en|William_Wrigley_Jr.}}、[[ウィリアム・リグレー・ジュニア・カンパニー]]設立者(+ [[1932年]]) * [[1863年]] - [[ラインハルト・シェア]]、[[ドイツ帝国]]の[[海軍]][[軍人]](+ [[1928年]]) * [[1870年]] - [[ジャン・ペラン]]、[[物理学者]](+ [[1942年]]) * 1870年 - {{仮リンク|トーマス・W・ラモント|en|Thomas_W._Lamont}}、銀行家(+ [[1948年]]) * [[1879年]] - [[アンリ・カサドシュ]]、[[ヴィオラ]]奏者(+ [[1947年]]) * [[1880年]] - [[森山汀川]]、[[歌人]](+ [[1946年]]) * [[1882年]] - [[ハンス・ガイガー]]、[[物理学者]](+ [[1945年]]) * 1882年 - {{仮リンク|ジョージ・バンクロフト (俳優)|en|George_Bancroft_(actor)|label=ジョージ・バンクロフト}}、[[俳優]](+ [[1956年]]) * [[1883年]] - [[ベルンハルト・ルスト]]、[[ヒトラー内閣]]の科学・教育・文化大臣(+ [[1945年]]) * 1883年 - {{仮リンク|ノラ・スタントン・ブラッチ・バーニー|en|Nora_Stanton_Blatch_Barney}}、[[土木技師]](+ [[1971年]]) * [[1884年]] - [[天野貞祐]]、[[哲学者]](+ [[1980年]]) * [[1886年]] - {{仮リンク|ガストン・ラモン|en|Gaston_Ramon}}、獣医(+ [[1963年]]) * [[1887年]] - [[藤木九三]]、登山家、[[ロック・クライミング・クラブ]]創設者(+[[1970年]]) * 1887年 - [[リル・ダゴファー]]、女優(+ [[1980年]]) * [[1890年]] - [[東山千栄子]]、新劇[[俳優|女優]](+ [[1980年]]) * 1890年 - [[アンドレ・ゴベール]]、[[テニス]]選手(+ [[1951年]]) * [[1891年]] - [[オットー・シュミット]]、科学者、数学者、地質学者 (+ [[1956年]]) * [[1893年]] - {{仮リンク|ランズデール・ギセリン・サッサー|en|Lansdale_Ghiselin_Sasscer}}、政治家(+ [[1964年]]) * [[1895年]] - [[ルイス・マイルストン]]、[[映画監督]](+ [[1980年]]) * [[1897年]] - [[ガスパール・カサド]]、[[チェリスト]](+ [[1966年]]) * 1897年 - {{仮リンク|シャルロット・ヴォルフ|en|Charlotte_Wolff}}、物理学者(+ [[1986年]]) * [[1898年]] - {{仮リンク|ルネ・アドレ|en|Renée_Adorée}}、女優(+ [[1933年]]) * 1898年 - [[シャルロット・ド・モナコ]]、モナコ公[[ルイ2世 (モナコ公)|ルイ2世]]の娘(+ [[1977年]]) * [[1900年]] - {{仮リンク|ジェローム・ベズナール|fr|Jérôme_Besnard_(résistant)}}、司祭、[[レジスタンス運動|レジスタンス]]活動家(+ [[1968年]]) * [[1903年]] - [[中村能三]]、英米文学翻訳家(+[[1981年]]) * [[1905年]] - [[ネヴィル・モット]]、物理学者(+ [[1996年]]) * 1905年 - [[マイケル・パウエル (映画監督)|マイケル・パウエル]]、映画監督(+ [[1990年]]) * 1905年 - {{仮リンク|ボビー・ピアース|en|Bobby_Pearce_(rower)}}、[[ボート競技]]選手(+ [[1976年]]) * [[1906年]] - {{仮リンク|ミレイユ・ハルトゥーシュ|en|Mireille_Hartuch}}、シンガーソングライター(+ [[1996年]]) * [[1908年]] - [[ダヴィッド・オイストラフ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1974年]]) * [[1911年]] - [[グスタフ・ギルバート]]、[[ニュルンベルク裁判]]の心理分析官(+ [[1977年]]) * [[1912年]] - {{仮リンク|ケニー・ベイカー (アメリカの俳優)|en|Kenny Baker (American performer)|label=ケニー・ベイカー}}、歌手、俳優(+ [[1985年]]) * [[1913年]] - [[サミュエル・アイレンベルグ]]、[[数学者]](+ [[1998年]]) * 1913年 - [[ロバート・ニスベット]]、[[社会学者]]、[[歴史家]](+ [[1996年]]) * 1913年 - [[ビル・ウォルシュ (映画プロデューサー)|ビル・ウォルシュ]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1975年]]) * [[1914年]] - [[野上清光]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1991年]]) * [[1915年]] - {{仮リンク|レスター・マドックス|en|Lester Maddox}}、第75代[[ジョージア州知事]](+ [[2003年]]) * 1917年 - [[バディ・リッチ]]、[[ジャズ]]・[[ドラマー]](+ [[1987年]]) * 1917年 - [[岩崎利夫]]、プロ野球選手(+ 没年不詳) * 1917年 - {{仮リンク|ダニエル=イツハク・レヴィー|en|Daniel-Yitzhak Levy}}、[[クネセト]]議員(+ [[1995年]]) * [[1918年]] - {{仮リンク|ルイス・ニクソン三世|en|Lewis_Nixon_III}}、軍人(+ 1995年) * 1918年 - {{仮リンク|ルネ・レモン|en|René_Rémond}}、歴史家(+ [[2007年]]) * [[1919年]] - {{仮リンク|ウィリアム・L・ガイ|en|William_L._Guy}}、第26代[[ノースダコタ州知事]](+ [[2013年]]) * 1919年 - {{仮リンク|パトリシア・ネウェイ|en|Patricia_Neway}}、[[ソプラニスト]](+ [[2012年]]) * [[1921年]] - [[デボラ・カー]]、女優(+ [[2007年]]) * 1921年 - [[並木路子]]、[[歌手]](+ [[2001年]]) * 1921年 - {{仮リンク|アルド・パリソット|en|Aldo_Parisot}}、[[チェリスト]](+ [[2018年]]) * [[1922年]] - [[伊東政吉]]、経済学者(+[[2021年]]) * 1922年 - {{仮リンク|ラモント・ジョンソン|en|Lamont_Johnson}}、俳優(+ [[2010年]]) * [[1923年]] - [[隆慶一郎]]、小説家(+ [[1989年]]) * 1923年 - {{仮リンク|ドナルド・スワン|en|Donald_Swann}}、[[ピアニスト]](+ 1994年) * [[1924年]] - [[広瀬正]]、小説家、SF作家(+[[1972年]]) * 1924年 - [[成瀬昌彦]]、俳優、演出家(+[[1997年]]) * 1924年 - [[トルーマン・カポーティ]]、[[小説家]](+ [[1984年]]) * [[1925年]] - [[道井直次]]、演出家、児童劇作家(+[[2002年]]) * 1925年 - [[星野哲郎]]、[[作詞家]](+ [[2010年]]) * [[1926年]] - [[ロビン・ロバーツ]]、プロ野球選手(+ [[2010年]]) * [[1927年]] - [[石橋エータロー]]、[[ピアニスト]]、[[タレント]](+ [[1994年]]) * 1927年 - {{仮リンク|ウィリアム・スタンリー・マーウィン|en|W._S._Merwin}}、詩人(+ [[2019年]]) * [[1928年]] - [[エリ・ヴィーゼル]]、[[作家]](+ [[2016年]]) * [[1929年]] - {{仮リンク|レティシア・ラモス=シャハニ|en|Leticia_Ramos-Shahani}}、政治家(+ [[2017年]]) * 1929年 - [[ドロテー・ゼレ]]、[[福音主義神学|福音主義神学者]](+ [[2003年]]) * [[1930年]] - [[大山克巳]]、[[俳優]](+ [[2012年]]) * [[1931年]] - [[アンジー・ディキンソン]]、女優 * [[1932年]] - [[石原慎太郎]]、小説家、政治家(+ [[2022年]]) * 1932年 - [[五木寛之]]、小説家 * 1932年 - [[ジョニー・ポドレス]]、元プロ野球選手(+ [[2008年]]) * [[1933年]] - [[小野正一]]、元プロ野球選手(+ [[2003年]]) * 1933年 - [[古田昌幸]]、[[野球選手]](+ [[1999年]]) * 1933年 - {{仮リンク|シシー・ヒューストン|en|Cissy_Houston}}、歌手 * [[1934年]] - [[西本鶏介]]、[[作家]] * 1934年 - [[山本義司]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]]) * 1934年 - [[ウド・ユルゲンス]]、[[ポップ・ミュージック|ポップ]][[歌手]](+ [[2014年]]) * 1934年 - {{仮リンク|アンナ・カシュフィ|en|Anna_Kashfi}}、女優(+ [[2015年]]) * [[1935年]] - [[ジョニー・マティス]]、[[歌手]] * [[1936年]] - {{仮リンク|ジム・サッサー|en|Jim_Sasser}}、第6代在中国アメリカ大使 * [[1937年]] - [[ヴァレンティン・シルヴェストロフ]]、[[作曲家]] * 1937年 - [[ゲイリー・ホッキング]]、[[オートバイ]]レーサー(+ [[1962年]]) * 1937年 - {{仮リンク|ユレック・ベッカー|en|Jurek_Becker}}、作家(+ [[1997年]]) * [[1938年]] - [[依田郁子]]、[[陸上競技選手]](+ [[1983年]]) * [[1939年]] - [[ジャン=マリー・レーン]]、[[化学者]] * 1939年 - [[レン・キャリオー]]、俳優 * 1939年 - {{仮リンク|アンソニー・グリーン|en|Anthony Green (painter)}}、画家(+ [[2023年]]) * 1939年 - {{仮リンク|ミシェル・バロイユ|fr|Michel Barouille}}、歌手 * [[1940年]] - [[ハリー・ジェローム]]、陸上競技選手(+ [[1982年]]) * 1940年 - {{仮リンク|デューイ・マーティン|en|Dewey_Martin_(musician)}}、ドラマー(+ [[2009年]]) * [[1941年]] - [[レイネ・ウィセル]]、元[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(+ [[2022年]]) * 1941年 - [[大井道夫]]、高校野球指導者 * [[1942年]] - [[神保国男]]、元政治家、弁護士 * 1942年 - [[上野俊樹]]、経済学者、[[立命館大学]]名誉教授(+[[1999年]]) * 1942年 - [[ガス・ダッジョン]]、[[音楽プロデューサー]](+ [[2002年]]) * 1942年 - {{仮リンク|フランキー・ライモン|en|Frankie_Lymon}}、[[フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ]]のメンバー(+ [[1968年]]) * [[1943年]] - [[ヨハン・ダイゼンホーファー]]、[[生化学|生化学者]] * 1943年 - [[マリリン・マックー]]、歌手 * 1943年 - [[政山恵一]]、元プロ野球選手 * 1943年 - [[イアン・オギルビー]]、俳優、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]] * [[1944年]] - {{仮リンク|ジミー・ジョンストン|en|Jimmy_Johnstone}}、サッカー選手(+ [[2006年]]) * 1944年 - {{仮リンク|ベルナール・ドブレ|fr|Bernard_Debré}}、政治家(+ [[2020年]]) * 1944年 - [[ジャン・ルイ・ドブレ]]、政治家(+ [[2007年]]) * [[1945年]] - [[三宅義行]]、重量挙げ選手 * 1945年 - [[エフード・オルメルト]]、政治家、元[[イスラエル]]首相 * 1945年 - {{仮リンク|リチャード・エドウィン・ヒルズ|en|Richard_Edwin_Hills}}、[[天文学者]] * [[1946年]] - [[ラエル]](クロード・ヴォリロン)、[[ラエリアン・ムーブメント]]の主宰者 * 1946年 - [[ヨッヘン・マス]]、[[F1ドライバー]] * 1946年 - [[山本和生]]、元プロ野球選手 * 1946年 - [[ロバート・ガスコイン=セシル (第7代ソールズベリー侯爵)|ロバート・ガスコイン=セシル]]、第7代[[ソールズベリー侯爵]] * 1946年 - [[エクトル・ラボー]]、[[サルサ (音楽)|サルサ]]歌手(+ [[1993年]]) * 1946年 - [[ダン・オバノン]]、脚本家(+ [[2009年]]) * [[1947年]] - [[加藤千洋]]、[[ジャーナリスト]] * 1947年 - [[白川和子]]、女優 * 1947年 - [[瀬尾一三]]、[[音楽プロデューサー]] * 1947年 - [[清野智]]、実業家 * 1947年 - [[マーク・ボラン]]、歌手([[T・レックス|T.Rex]])(+ [[1977年]]) * [[1948年]] - [[中村亀鶴 (初代)]]、歌舞伎役者(+ [[1994年]]) * 1948年 - {{仮リンク|クレイグ・キューシック|en|Craig Kusick}}、野球選手(+ [[2006年]]) * [[1949年]] - [[デヴィッド・マギリヴレイ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1949年 - {{仮リンク|ミシェル・トニーニ|fr|Michel_Tognini}}、[[宇宙飛行士]] * [[1950年]] - [[内田樹]]、[[思想|思想家]] * 1950年 - [[小林千枝]]、元女優 * 1950年 - {{仮リンク|ラウラ・エスキヴェル|en|Laura_Esquivel}}、作家 * 1950年 - [[ヴィクトリア・テナント]]、女優 * [[1951年]] - [[竜真知子]]、[[作詞家]] * 1951年 - [[やまだ三平]]、漫画家、イラストレーター * 1951年 - [[バリー・マーシャル]]、[[医師]] * 1951年 - [[八重沢憲一]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[サイモン・ホワイト]]、[[天体物理学]]者 * [[1952年]] - [[ジャック・ワイルド]]、俳優(+ [[2006年]]) * [[1953年]] - [[ダン・ゴンザレス]]、元プロ野球選手 * 1953年 - [[ジェームス・ピータース]]、元プロ野球選手 * 1953年 - {{仮リンク|マット・アブツ|en|Matt_Abts}}、ミュージシャン({{仮リンク|ガヴァメント・ミュール|en|Gov't Mule}}) * 1953年 - {{仮リンク|デボラ・アレン|en|Deborah_Allen}}、シンガーソングライター * [[1954年]] - [[岩谷テンホー]]、[[漫画家]] * 1954年 - [[バーシア]]、歌手 * 1954年 - [[パトリース・ラッシェン]]、歌手 * [[1955年]] - [[アンディ・ベクトルシャイム]]、[[コンピュータ技術者]] * 1955年 - [[杉浦正樹]]、実業家 * [[1956年]] - [[土屋敏男]]、テレビプロデューサー、実業家 * [[1957年]] - [[高口里純]]、漫画家 * 1957年 - [[杉尾秀哉]]、政治家、ジャーナリスト * 1957年 - [[フラン・ドレシャー]]、女優、[[コメディアン]]、[[活動家]] * [[1958年]] - [[次原隆二]]、漫画家 * 1958年 - [[三条まゆみ]]、女優 * 1958年 - {{仮リンク|マーティ・スチュアート|en|Marty_Stuart}}、シンガーソングライター * [[1959年]] - [[菅英三子]]、歌手、声楽家 * 1959年 - [[エットレ・メッシーナ]]、[[バスケットボール]]指導者 * [[1960年]] - [[工藤幹夫]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]) * 1960年 - [[ニコラ・グリフィス]]、作家 * 1960年 - {{仮リンク|ブランチ・リンカーン|en|Blanche_Lincoln}}、政治家 * [[1961年]] - [[エリック・ストルツ]]、俳優 * 1961年 - [[クリスタル・バーナード]]、女優、歌手 * [[1962年]] - [[田中経一]]、演出家、テレビディレクター * 1962年 - [[フランク・ライカールト]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * [[1964年]] - [[モニカ・ベルッチ]]、女優 * 1964年 - [[石井章夫]]、元野球選手 * 1964年 - [[ダグ・ジェニングス]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[小山ちれ]]、元[[卓球]]選手 * [[1965年]] - [[平井史生]]、気象予報士 * [[1966年]] - [[西山優里子]]、漫画家 * 1966年 - [[東山紀之]]、歌手、俳優、芸能プロモーター * [[1967年]] - [[斉藤こず恵]]、女優 * 1967年 - [[ヨーキス・ペレス]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[竹谷とし子]]、[[公認会計士]] * [[1970年]] - [[風間勇刀]]、[[声優]] * 1970年 - [[南克幸]]、元[[バレーボール選手]] * 1970年 - [[森下雅子]]、[[ファッションモデル]] * 1970年 - [[佐野秀光]]、[[実業家]]、[[政治活動家]] * 1970年 - [[天野武文]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[ジェナ・エルフマン]]、女優 * 1971年 - [[前間卓]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[坪井智浩]]、声優 * 1971年 - [[長月みそか]]、漫画家 * [[1972年]] - [[岸由一郎]]、[[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]][[学芸員]](+ [[2008年]]) * 1972年 - [[小島麻由美]]、歌手 * 1972年 - [[長嶋有]]、小説家 * 1972年 - [[佐々木圭一]]、コピーライター * [[1973年]] - [[千紘れいか]]、女優、[[宝塚歌劇団78期生]] * [[1974年]] - [[田崎昌弘]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[丹波幹雄]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[丸山裕樹]]、お笑い芸人([[タリキ]]) * 1974年 - [[呉彦祖|ダニエル・ウー(呉彦祖)]]、[[映画俳優]] * [[1975年]] - [[五十嵐冬樹]]、[[騎手]] * 1975年 - [[濱村進]]、政治家 * 1975年 - [[カルロス・ギーエン]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[マリオン・コティヤール]]、女優 * 1975年 - コヴァンサン、お笑いタレント([[チョップリン]]、[[ザ・プラン9]]) * [[1977年]] - [[北川祐介]]、バレーボール選手 * 1977年 - [[ロイ・キャロル]]、サッカー選手 * 1977年 - [[孫継海]]、サッカー選手 * [[1978年]] - [[小山宙哉]]、漫画家 * 1978年 - [[Gたかし]]、お笑いタレント * 1978年 - [[菅沼久義]]、声優 * [[1979年]] - [[コザック前田]]、ミュージシャン([[ガガガSP]]) * 1979年 - [[アンディ・ファン・デル・メイデ]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[南雄太]]、サッカー選手 * [[1980年]] - [[マルチナ・ヒンギス]]、[[テニス]]選手 * 1980年 - [[シュテファン・リンデマン]]、元[[フィギュアスケート]]選手 * 1980年 - [[小笠原亜里沙]]、声優 * 1980年 - [[ブライアン・バリントン]]、プロ野球選手 * [[1981年]] - [[入江順和]]、元ラグビー選手 * [[1982年]] - [[石原田啓太]]、元サッカー選手、指導者 * 1982年 - [[キーラン・カルキン]]、俳優 * 1982年 - [[ユリア・ゴロヴィナ]]、フィギュアスケート選手 * [[1983年]] - [[潮田玲子]]、元[[バドミントン]]選手 * 1983年 - [[川名真知子]]、声優 * [[1984年]] - [[中谷翼]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[T-ペイン]]、[[MC (ヒップホップ)|ラッパー]] * 1984年 - [[石出奈々子]]、お笑いタレント * [[1985年]] - [[榎並大二郎]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]アナウンサー * 1985年 - [[松田理奈]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1985年 - [[ダニエル・ロバートソン]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[ジェイミー・ロマック]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[片岡健太]]、ミュージシャン([[sumika]]) * 1985年 - [[小手川拓也]]、声優 * [[1986年]] - [[西島隆弘]]、歌手([[AAA (音楽グループ)|AAA]]) * 1986年 - [[岡田めぐみ (女優)|岡田めぐみ]]、元女優 * 1986年 - [[オリヴィエ・ジルー]]、サッカー選手 * 1986年 - [[紺野ぶるま]]、お笑いタレント * 1986年 - [[ジェームズ・ホイト (野球)|ジェームズ・ホイト]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[水瀬千尋]]、雀士 * [[1988年]] - [[シュガー・レイ・マリモン]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[藤井亮太]]、元プロ野球選手 * [[1989年]] - [[鈴木彩香]]、ラグビー選手 * [[1990年]] - [[梶浦愛子]]、グラビアアイドル * 1990年 - [[ドミニク・エガーター]]、レーサー * 1990年 - [[アルシノ・ゴメス・ダ・シウヴァ]]、カヌー競技選手 * [[1991年]] - [[遠藤由華]]、新体操選手 * 1991年 - [[山田絵里奈]]、ファッションモデル、女優 * [[1992年]] - [[安藤美希子]]、[[重量挙げ]]選手 * 1992年 - [[石川慧]]、サッカー選手 * 1992年 - [[西脇彩華]]、アイドル、歌手([[9nine]]) * 1992年 - [[エズラ・ミラー]]、俳優 * [[1995年]] - [[高畑翼]]、俳優 * 1995年 - [[澤口実歩]]、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]アナウンサー * [[1996年]] - [[西森なみ]]、アイドル * 1996年 - [[山田遥楓]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[マックス・フェルスタッペン]]、F1ドライバー * 1997年 - [[呉屋開斗]]、元プロ野球選手 * [[1998年]] - [[今泉佑唯]]、元女優、元ファッションモデル、元アイドル(元[[欅坂46]]) * 1998年 - 安井京香<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=W17-0968 |title=安井 京香 |access-date=14 Jun 2023 |publisher=[[VIPタイムズ社]] |website=日本タレント名鑑}}</ref>、アイドル * [[1999年]] - [[横田紗椰香]]、バレーボール選手 * 1999年 - [[サム・バックマン]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - [[作間龍斗]]、アイドル([[ジャニーズJr.]]、[[HiHi Jets]]) * 2002年 - [[横山賀三]]、俳優 * 2002年 - [[伊達さゆり]]、声優([[Liella!]]) * [[2006年]] - [[鈴木夢]]、[[子役]] * 2006年 - 金星、アイドル([[りんご娘]]・3代目) * 2006年 - [[村上璃杏]]、アイドル([[ME:I]]) * 生年不明 - [[大石育美]]、声優 * 生年不明 - [[橋本昌也]]、声優 * 生年不明 - [[武田羅梨沙多胡]]、声優 * 生年不明 - [[P丸様。]]、[[YouTuber|Youtuber]] * 生年不明 - [[かいりきベア]]、ミュージシャン == 忌日 == [[File:Caravaggio - Saint Jerome Writing, c1606.jpg|thumb|180px|聖書を[[ラテン語]]に訳した[[ヒエロニムス]](347頃-420)没。画像は[[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ|カラヴァッジオ]]による《聖ヒエロニムス》(1606頃)]] {{multiple image | image1 = Nagato Tainei-ji Temple. Grave of Ouchi Yoshitaka and his valet.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[大内氏]]第31代当主、[[大内義隆]](1507-1551)、[[陶晴賢]]の謀反に破れ自刃 | alt1 = 大内義隆の墓 | image2 = Qing-Nurhaci.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[後金]]創始者、[[ヌルハチ]](1559-1626)戦傷死 | alt2 = ヌルハチ | image3 = Boulanger.jpg | width3 = 102 | caption3 = [[ブーランジェ将軍事件]]の主役、[[ジョルジュ・ブーランジェ]](1837-1891) | alt3 = ブーランジェ }} {{multiple image | image1 = Rudolf Diesel2.jpg | width1 = 102 | caption1 = [[ディーゼルエンジン]]を発明した[[ドイツ]]の[[発明家]]、[[ルドルフ・ディーゼル]](1858-1912)、船上で失踪 | alt1 = ディーゼル | image2 = Bundesarchiv Bild 146-2006-0122, Hans-Joachim Marseille.jpg | width2 = 100 | caption2 = 158機を撃墜した“アフリカの星”、[[ハンス・ヨアヒム・マルセイユ]](1919-1942)墜死 | alt2 = マルセイユ }} {{multiple image | image1 = James dean3.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[ジェームズ・ディーン]](1931-1955)交通事故死。画像は事故現場である州道46号線と41号線の分岐点に立てられた看板 | alt1 = ディーン | image2 = Galaxy 195610.jpg | width2 = 100 | caption2 = 米国の[[SF作家]][[アルフレッド・ベスター]](1913-1987)没。画像は代表作『[[虎よ、虎よ!]]』が掲載された『[[ギャラクシー・サイエンス・フィクション|ギャラクシー]]』誌 | alt2 = ベスター }} * [[420年]] - [[ヒエロニムス]]、キリスト教の[[ラテン教父]](* [[347年]]頃) * [[1246年]] - [[ヤロスラフ2世 (ウラジーミル大公)|ヤロスラフ2世]]、[[ウラジーミル・スーズダリ大公国|ウラジーミル大公]](* [[1191年]]) * [[1551年]]([[天文 (元号)|天文]]20年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[大内義隆]]、[[周防国]]の[[戦国大名]](* [[1507年]]) * [[1572年]] - [[フランシスコ・ボルハ]]、[[カトリック教会]]の[[聖人]]、[[イエズス会]]総長(* [[1510年]]) * [[1626年]]([[天啓 (明)|天啓]]6年/[[天命 (後金)|天命]]11年[[8月11日 (旧暦)|8月11日]])- [[ヌルハチ]]、[[後金]]創始者、初代[[清]][[皇帝]](* [[1559年]]) * [[1770年]] - [[ジョージ・ホウィットフィールド]]、[[イングランド国教会]]の[[牧師]](* [[1714年]]) * [[1891年]] - [[ジョルジュ・ブーランジェ]]、[[軍人]]、[[政治家]](* [[1837年]]) * [[1897年]] - [[リジューのテレーズ]]、[[カルメル会]][[修道士|修道女]](* [[1873年]]) * [[1913年]] - [[ルドルフ・ディーゼル]]、[[発明家]](* [[1858年]]) * [[1933年]] - [[沖ツ海福雄]]、[[大相撲]][[力士]]、[[関脇]](* [[1910年]]) * [[1943年]] - [[フランツ・オッペンハイマー]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](* [[1864年]]) * [[1942年]] - [[ハンス・ヨアヒム・マルセイユ]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](* [[1919年]]) * [[1944年]] - [[根津辰治]]、[[野球選手]](* [[1916年]]) * [[1953年]] - [[ルイス・フライ・リチャードソン]]、[[数学者]]、[[気象学者の一覧|気象学者]](* [[1881年]]) * [[1955年]] - [[ジェームズ・ディーン]]、[[俳優]](* [[1931年]]) * [[1969年]] - [[ハンク・トンプソン]]、プロ野球選手(* [[1925年]]) * [[1974年]] - [[宮川哲夫]]、[[作詞家]](* [[1922年]]) * [[1978年]] - [[山岡荘八]]、[[小説家]](* [[1907年]]) * [[1979年]] - [[椎名悦三郎]]、[[政治家]](* [[1898年]]) * 1979年 - [[伊藤一葉]]、[[マジシャン (奇術)|奇術師]](* [[1934年]]) * [[1985年]] - [[ヘルベルト・バイヤー]]、[[グラフィックデザイナー]]、[[写真家]]、[[画家]](* [[1900年]]) * 1985年 - [[チャールズ・リヒター]]、[[地震学|地震学者]](* 1900年) * 1985年 - [[シモーヌ・シニョレ]]、女優(* [[1921年]]) * [[1987年]] - [[アルフレッド・ベスター]]、[[SF作家]](* [[1913年]]) * [[1990年]] - [[パトリック・ホワイト]]、小説家(* [[1912年]]) * [[1994年]] - [[アンドレ・ルヴォフ]]、[[分子生物学|分子生物学者]](* [[1902年]]) * [[1997年]] - [[藤田信雄]]、[[日本海軍]]軍人(* [[1911年]]) * [[1998年]] - [[ブルーノ・ムナーリ]]、[[美術家]](* [[1907年]]) * 1998年 - [[ダン・クイゼンベリー]]、元プロ野球選手(* [[1953年]]) * [[2003年]] - [[ロバート・カーダシアン]]、[[弁護士]](* [[1944年]]) * [[2006年]] - [[多々良純]]、俳優(* [[1917年]]) * [[2008年]] - [[吉田直哉]]、[[テレビディレクター]](* [[1931年]]) * [[2011年]] - [[ラルフ・スタインマン]]、免疫学者(* [[1943年]]) * 2011年 - [[石川央子]]、[[フリーアナウンサー]](* [[1968年]]) * [[2014年]] - [[郷静子]]、[[小説家]](* [[1929年]]) * 2014年 - [[家弓家正]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/10/09/kiji/K20141009009070020.html |title=「ナウシカ」クロトワ役 声優の家弓家正が死去 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=9 Oct 2014 |accessdate=12 Jun 2023 |website=Sponichi Annex}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1410/08/news123.html |title=俳優・声優の家弓家正さんが死去 「ナウシカ」のクロトワや「ドラゴンボールZ」パラガス役など演じる |publisher=[[ITmedia]]|date=8 Oct 2014 |accessdate=12 Jun 2023}}</ref>、[[声優]](* [[1933年]]) * [[2017年]] - [[ウラジーミル・ヴォエヴォドスキー]]<ref>{{Twitter status|SpringerJapan|914312259614240768}}</ref>、[[数学者]](* [[1966年]]) * [[2020年]] - [[金原博]]、政治家(* [[1930年]]) * [[2021年]] - [[すぎやまこういち]]、作曲家、編曲家、指揮者(* 1931年) * [[2022年]] - [[三遊亭円楽 (6代目)]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220930-OYT1T50193/ |title=三遊亭円楽さんが肺がんで死去、72歳…「笑点」で歌丸さんと掛け合い |access-date=12 Jun 2023 |publisher=[[讀賣新聞]]オンライン |date=30 Sep 2022}}</ref>、落語家、俳優(* 1950年) == 記念日・年中行事 == * [[世界翻訳の日]] *: {{仮リンク|国際翻訳家連盟|en|International Federation of Translators}}が制定。キリスト教の聖職者で、聖書をラテン語訳したことで知られる[[ヒエロニムス]]が亡くなった日。 * [[独立記念日]]({{BWA}}) *: [[1966年]]のこの日、ボツワナが[[イギリス]]から独立した。 * 国有化の日({{STP}}) * [[交通事故]]死ゼロを目指す日({{JPN}}) *: 日本政府が「生活安心プロジェクト」の一環として[[2008年]]から実施。1年に3回あり、[[2月20日]]と、春・秋の[[全国交通安全運動]]の期間中の[[4月10日]]・9月30日。 * [[クレーン]]の日({{JPN}}) *: [[日本クレーン協会]]とボイラ・クレーン協会が[[1980年]]に制定。[[1972年]]のこの日、「クレーン等安全規則」が公布されたことを記念。 * [[くるみ]]の日({{JPN}}) *:「く(9)るみ(3)まるい(0)」の語呂合わせ。 * HAPPY FM93の日({{JPN}}) *: AMラジオ放送局[[ニッポン放送]]が[[2015年]]に制定。同年12月7日から開始された[[FM補完中継局|FM補完放送]](呼称:ワイドFM)の同局周波数が93.0MHzになることを記念。 * [[宅配ピザ]]の日({{JPN}}) *: 「[[ドミノ・ピザ]]」を運営するドミノ・ピザ ジャパンが[[2020年]]に制定。[[1985年]]のこの日、東京・恵比寿にドミノ・ピザ1号店がオープンし、日本で初めて宅配ピザのサービスが始まったことを記念。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0930|date=Jun 2023}} * 1659年 - ロビンソン・クルーソー、無人島に漂着。([[ダニエル・デフォー]]『[[ロビンソン・クルーソー]]』) * 1947年(昭和22年)- 午前8時半、[[六本木]]の椿元[[子爵]]邸に到着した[[金田一耕助]]は等々力[[警部]]から玉虫公丸元[[伯爵]]が殺害されたことを告げられる。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第7章) * 1998年 - バイオハザード2,3(ゲーム)ラクーンシティでtウィルスが流出し、ラクーン事件が勃発。その後市全域にミサイル攻撃が行われてラクーンシティは消滅。 * 2003年 - 南空ナオミ、結婚のため[[連邦捜査局|FBI]]を辞職。(漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』<ref>{{Cite book|和書 |author1=大場つぐみ|authorlink1=大場つぐみ|author2=小畑健|authorlink2=小畑健|year = 2002|title = DEATH NOTE|volume = 第13巻 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9 |page = 85}}</ref>) *2045年 - 大空勇仁がリヴァイアサンと自分のデータを削除する完全消滅プログラムを新海ハルの代わりに起動させ、リヴァイアサンと共に消滅する。 (アニメ『[[デジモンユニバース アプリモンスターズ]]』) * 2651年 - 人類と異界魔族との戦争が終結。(アニメ『[[バトルスピリッツ ブレイヴ]]』) *年不明 - 「0930」事件。前方のヴェントが学園都市に侵入、ほとんどの都市機能が停止。猟犬部隊の暗躍により「ヒューズ=カザキリ」が出現。(小説『[[とある魔術の禁書目録]]』 12巻・13巻) === 誕生日(フィクション) === * [[1995年]] - 葵今日子、アニメ『[[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Cyberformula_GP|1443425369722286081}}</ref> * [[2007年]] - [[ソードアート・オンラインの登場人物#アスナ|アスナ(結城明日奈)]]、小説・漫画・アニメ・ゲーム『[[ソードアート・オンライン]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|kunori|383051506938687488}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hobby.dengeki.com/news/268195/ |title=【9月30日はアスナの誕生日!】可愛すぎるフィギュアや関連記事をプレイバック!! |access-date=12 Jun 2023 |publisher=[[KADOKAWA]] |website=電撃ホビーウェブ |date=30 Sep 2016}}</ref> * [[2032年]] - 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赤坂美月{{Efn2|双子の姉の方である。}}、ゲーム『ダブルキャスト』に登場するキャラクター{{Efn2|name="双子"|『オフィシャルガイドブック』で「双子の姉と共に、中学を卒業するまで祖父母のもとに預けられていた」という記述がある<ref>{{Cite book |和書 |author=後藤勝 |title=ダブルキャスト オフィシャルガイドブック |series=ファミ通責任編集 |publisher=[[アスペクト (企業)|アスペクト]] |language=ja |date=1998-07-31 |page=70 |isbn=4-7572-0150-8}}</ref>。}} * 生年不明 - 瀬戸ファーブ、ゲーム・映画『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://t7s.jp/character/chara/16.html |title=瀬戸ファーブ |access-date=12 Jun 2023 |publisher=[[DONUTS (企業)|DONUTS]] |work=『Tokyo 7th シスターズ』}}</ref> * 生年不明 - [[アンジュ・カトリーナ]]、[[ANYCOLOR]]株式会社が運営する『[[にじさんじ]]』に所属する[[バーチャルYouTuber|バーチャルライバー]]<ref>{{Twitter status|Ange_Katrina_|1443513018545885187}}</ref> * 生年不明 - 八重樫剣介、メディアミックス『[[ツキノ芸能プロダクション]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://tsukino-pro.com/talent_artist/talent_artist-cat2/alive-ta/yaegashi-kensuke-ta/ |title=八重樫剣介 |access-date=12 Jun 2023 |publisher=TSUKIPRO TSUKIUTA. [[ユニバーサルミュージック (日本)|UNIVERSAL MUSIC LLC]] ALTAIR |work=『ツキノ芸能プロダクション』}}</ref> * 生年不明 - 黒部加紋、メディアミックス『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://posweb.jp/pos/character/sub/04.html |title=黒部加紋 |access-date=12 Jun 2023 |publisher=[[曽我部修司|FiFS]] [[KADOKAWA]] |work=『プリンス・オブ・ストライド』}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|30 September}} {{新暦365日|9|29|10|1|[[8月30日]]|[[10月30日]]|[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]|0930|9|30}} {{1年の月と日}}
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Small Computer System Interface
Small Computer System Interface(スモールコンピュータシステムインタフェース、小型計算機システムインタフェース)、略してSCSI (スカジー)は、主に周辺機器とコンピュータなどのハードウェア間のデータのやりとりを行うインタフェース規格の一つである。SCSIを使用可能にするインタフェース装置をSCSIインタフェースと呼ぶ。ANSI(米国規格協会)によって規格化されている。 パソコンやワークステーションと周辺機器との接続インタフェースとして、シュガートのSASI (Shugart Associates System Interface) を拡張し、ANSIによって規格化されたバス型のインタフェースである。8ビットまたは16ビットのパラレルインタフェース。Ultra SCSIではシリアル型もある。後述の大型のコネクタ・バス等は近年その役目を終えたが、SCSI規格自体は物理的な仕様のみならずデバイス間の通信プロトコルも規定している。実際に現在普及している高速規格であるATA、SATA、USB、IEEE 1394、ファイバチャネル上ではSCSIコマンドが未だにやり取りされている。 SCSIバスは、周辺機器を接続するインタフェースではあるが、コンピュータと周辺機器という、主従関係ではなく、各機器が対等の動作をすることを基本として設計されている。入出力要求を行なう要求を出す機器(イニシエータ)から実際の動作を受ける機器(ターゲット)に対して指示を行ない、その結果を返す、という形で動作する。 一般には、インタフェース1台に複数のSCSI機器を接続するものであると認識されているが、実際には複数台のパソコンで1台のディスクを共有するなどの構成も可能な仕組みになっている。すなわち、イニシエータは1つのバス上に複数の機器が存在してもよい。しかし、実際には、コンピュータがバス上の唯一のイニシエータで、各周辺機器(ディスクやテープ装置など)はターゲットとしてのみ動くのが普通である。 図中、SCSIバスから各機器のコントローラやホストバスアダプタまでの接続線をスタブと呼称し、規格上は各々の機器につき15cmまでが許容されている。また、SCSIバス上での機器の間隔は25cm以上が推奨されている。 SCSIはバス形式ではあるが、各機器を数珠つなぎで繋いでいくため、ヒナギクの花輪になぞらえ「デイジーチェーン接続」とも言われる。各機器は1つのSCSIバスに接続しなければならない。また、バスの両端には信号の反射を防ぐため、ターミネータを接続しなければならない。なお、ターミネータは、必ずしもバス終端に接続されるわけではなく、ホストバスアダプタやSCSI機器に内蔵される場合もある。 SCSIバスに接続する各機器はSCSIデバイスと呼ばれる。各々0から7(または15)までの番号で区別される。この番号のことをSCSI IDという。通常、SCSI機器は各々、明示的にSCSI IDを設定しなければならないが、SCAMという拡張仕様を用いることで、自動的に設定することも可能である。 SCSI IDは、7→0、15→8の順にバス使用優先権が割り振られるため、コントローラのIDは7に、処理が遅くバスを頻繁に開放する機器(テープドライブやCD-ROM等)に優先順位の高い番号を割り当てる。 また、各々のSCSIデバイスは、さらにユニットを8つまで持つことができる。これをロジカルユニットという。各ロジカルユニットには番号がつけられる。この番号のことをLUN (Logical Unit Number) という。ロジカルユニットは、1つのデバイスで複数の媒体を持つことができる多連装CD-ROM装置や、ディスクアレイ装置、多連装テープ装置などで使われる。 もっとも、一般向けの機器でこれを用いているのはPD、DVD-RAM、多連装CD-ROMドライブ程度であるため通常の使用においてはまず気にする必要は無い。 SCSI装置はいくつかの種類ごとにカテゴリ分けされる。たとえば、ディスク装置、テープ装置などであり、それぞれのカテゴリごとに利用できるコマンド類が定義される。これは、ディスクはランダムアクセスできるが、テープはシーケンシャルアクセスしかできないため、ランダムアクセスのコマンドは定義しようにもできないからである。 並列(パラレル)SCSIでは、8ビット幅 (NARROW) では50芯、16ビット幅 (WIDE) では68芯のケーブルを用い、各機器をバス接続する。バスの両端には終端抵抗(ターミネータ)が必要である。NARROWでは8台、WIDEでは16台のSCSI機器を接続できる。ただしインタフェースボードがIDを一つ消費するので、実際に接続可能な機器はNARROWで7台、WIDEで15台となる。 なお、SCSI-2の16/32ビットWIDEはNARROWにケーブルをもう1本追加するものであったためまったく普及せず、Ultra SCSIで廃止され、新たに16bit WIDEが規定された。 通常、WIDEといえばUltra SCSIの16bit WIDEを指す。 SCSIは何度か規格を更新し、速度の向上や機能の追加が行われている。 SCSI-1や2という規格名より、Narrow SCSI、Fast SCSI、Wide SCSIなどという名称のほうが一般的である。またUltra SCSIの事をSCSI-2の次の規格のためSCSI-3だと良く勘違いされるが、実際にはSCSI-3という規格は存在せずUltra SCSIというのが規格の正式な名称である。 SCSIには、転送速度やバス幅以外にも電圧、伝送方式による違いがあり、現状、SE(シングルエンド)、HVD(ハイボルテージディファレンシャル)、LVD(低電圧差動型:ローボルテージディファレンシャル)の3種類の機器が流通している。SEとLVDに関してはピン互換性があり、また、電気的に相互に接続する事が可能となるよう設計されているが、HVDについては、電気的互換性が考慮されていないため、誤って接続すると機器の故障の原因となるので注意を要する。 また、パラレルSCSIの開発はU640(製品化はU320まで)で終了し、次世代のSCSIはシリアル (Serial Attached SCSI, SAS) で一本化される事になっている。 内部接続コネクタはSCSI-1時代には規格化されており、SCSI-2で追加されたWide規格においては、SCSI-1からの8ビット幅の50ピンケーブル(Aコネクタ)と、オプションの68ピンケーブル(Bコネクタ)を併用する必要があった。 Ultra SCSIにてWideの再定義を行い、68ピンケーブル(Pコネクタ)一本で16bitWideが使用可能になった。32bitWideを使用するときはもう一本68ピンケーブル(Qコネクタ)を併用する必要があったが、1つのバスに多くの機器を(しかもケーブル2本使用してまで)接続する必要も現実問題として無く(32bit規格は理論上32台のデバイスをサポートしている)、転送速度のアドバンテージもLVD化により薄れ、LVD規格では32bit規格はドロップされた。 SCSI外部機器がケーブルの接続に使用するコネクタは、SCSI-2/Ultra SCSIで規格化され、NarrowはD-Sub 50pin ハーフピッチコネクタ、Ultra SCSIの16ビットWideは内部接続と同じ D-Sub 68pin ハーフピッチコネクタに固定用の螺子を追加した物が使用される。ただ、ピン形状やコネクタ形状、螺子穴の位置は規格化されているが、それを覆うコネクタカバー部の厚さと螺子の切り方(インチ螺子なのかJIS螺子なのか)には規定が無く、機器と干渉する場合もある。 また、RAIDカードや複数チャネルを持つコントローラは狭いスロットカバーに複数のWideケーブルを接続出来るようにする為、超高密度68pinコネクタを採用している。 SCSI-1時代には、内部接続コネクタ形状のみ規格化されていたため、一般的にはセントロニクスコネクタと同様なベローズ形状のフルピッチの50ピンコネクタが使用されていたが、AppleのMacintoshやIO-MEGAのZipドライブではRS-232Cと同じD-SUB 25pinが、また、日本電気 (NEC) のPC-9800シリーズでは、ベローズ形状をシュリンクしたSCSI-2のそれと同サイズのコネクタを採用している。NECのEWS4800シリーズはこれに加え、ケーブル側コネクタの外周部に2つの突起があり、機器側のマイクロスイッチでケーブルが接続されているか否かを判断する仕組みが追加されている。このため、一般のSCSI機器にEWS4800用のSCSI機器は接続出来ない(逆は可能)。また、AppleのPowerBook 5300では HDI-30 が採用されていた。 ターミネータ(terminator, 終端抵抗)には外部に接続するもの、SCSI機器内部のコントローラ基板上にあるものの二種類がある。また、動作方式としてパッシブターミネータ(英語版)とアクティブターミネータ(英語版)がある。 パッシブターミネータは単に抵抗をバスラインに接続するだけである。一方アクティブターミネータは、抵抗だけでなく、能動素子(定電圧レギュレータ)を使っている。SCSI-2以降はアクティブターミネータの使用が必須であり、その回路はSCSIの規格書に記載されている。パッシブターミネータの場合、アクティブな信号が多いほどターミネータに流れる電流が多くなり、TERMPWRラインの電圧が下がり動作が不安定になる場合がある。アクティブターミネータの場合は同様の条件であっても抵抗に接続されているのは定電圧レギュレータであるため、SCSIの仕様内であればレギュレータの出力電圧が補正され安定した動作が期待できる。 かつて日本でも各種パソコンやワークステーション(PC-9800シリーズ、FMRシリーズ/FM TOWNS、X68000や、また、日本国内で販売されたMacintosh、サン・マイクロシステムズなど)でハードディスクドライブ (HDD) やイメージスキャナ、CD-ROM、MOなどを接続する高速インタフェースとして使われていた。PC-9800シリーズやMacintoshではSCSIが記憶装置や入出力装置の標準インタフェースとなっており、PC-9800シリーズやMacintoshではSCSI接続したMOディスクからも起動が可能であった。また、MacintoshではSCSI接続したMacintosh本体を外付けハードディスクとして利用する、SCSIターゲットディスクモードと呼ばれる仕様(接続先から起動も可能な仕様になっていた)も用意されていた。FM TOWNSも登場時はSCSIを標準搭載としていた。これらの機種のようにフロッピーディスクドライブとHDDのいずれからもシステムの起動に失敗した場合に、SCSI接続機器から「第三の選択肢」としてシステム起動を試みることができる仕様となっていたものもあり、当時潤沢ではなかったシステム資源を有効活用する面でも重要な選択肢として活躍した。 その一方でPC/AT互換機では、内蔵HDDは歴史的にST-506を始祖とするIDEが主流であり、主に外付けCD-ROMやMO等の接続の為に使用されていただけだった。CD-ROMについてはコスト削減のため、内蔵化され、SoundBlasterのMKEやミツミ、ソニーの独自接続規格を経て1996年頃からはATAPIによる接続が主流となった。また2002年以降は順次シリアル伝送による規格への置換が進んでおり、パーソナルコンピューター向けではシリアルATA、サーバー向けではSerial Attached SCSI (SAS) への置換が進んでいたが、2020年現在では2013年に規格が固まり製品が登場したより高速なNVMeが両者ともに主流となっている。 MOやイメージスキャナなど、外付けの周辺機器についても、2000年頃からUSB 1.1(さらに2002年頃からは、より転送速度が速いUSB 2.0)やIEEE 1394に、その後はUSB 3.0に取って代わられた状況である。 Macintosh(特にiMac以降)でも同様に、HDDやCD-ROMといった内蔵機器はIDE、MOやイメージスキャナなどの外付け機器はUSBやIEEE 1394に、更にUSB 3.0やIEEE1394bを経て、2020年現在ではUSB 3.1 Gen2とThunderbolt 3へ置き換わっている。ターゲットディスクモードも、IEEE 1394やThunderboltでサポートされている。 高速な処理速度が強く求められるサーバ用途では、CPUへの負荷を抑えられることから、現在でもSCSI接続のハードディスクが主に用いられている。この場合、故障に対する耐性を高める目的で、冗長性を持たせるためRAID構成(RAID1、あるいはRAID5)として用いられることが多い。 また一般用途でも、日常的にアクセスする外付けHDDを増設する場合、USBやIEEE1394はバスパワー供給の干渉で論理的に切断される現象がまれに発生するため、これを嫌ってSCSIを採用するユーザも少なからずいる。この場合、現在はSCSI用のHDDが非常に高価なため、ATA、シリアルATAのHDDをSCSIに接続する為の変換基板(ATA-SCSIブリッジ、S・ATA-SCSIブリッジ)が使用されることが多い。 複数のイニシエータを持つことが出来る事から、コンピュータクラスタのストレージ用バスとして使われている。ストレージを共有することで個々のストレージへのアクセスをモニタするオーバーヘッドを削減し、異常事態が生じてフェイルオーバーする時は最終状態が保存されているストレージにアクセスできるため瞬時にクラスタ構成要素を切り離したり代替する事ができた。これはIEEE 1394にも引き継がれている。 一般向けでもSCSIのハードディスクが多用されていた時代には、ドライブユニットはIDEと同じで、制御基板のみ差し替えていた製品が多くを占めていたが、近年のSCSIハードディスクは(SCSI規格そのものによる優位性ではないが)サーバでの使用を前提とした専用設計となり、小口径プラッタ採用によるシーク速度性能の向上や、信頼性確保の為、IDEハードディスクとは文字通り桁違いの平均故障時間を実現している。 近年ではSCSIという規格名称を冠した製品を見かける機会は以前と比べて減少しているが、SCSIのデータ伝送プロトコルを応用した規格として、前述の SAS (Serial Attached SCSI)、UASP (USB Attached SCSI Protocol)の対応製品が、またIPネットワーク技術の進展にともない、SCSI機器をIPネットワーク経由で接続するための iSCSIという規格がIETFにおいて標準化されている。従来のストレージエリアネットワーク (SAN) ではファイバチャネルが使われることが多かったが、コストが高くなりがちである、ファイバチャネルに精通した技術者が少ない、などの問題点があった。これに対し、IPネットワーク機器は広く普及しており、IP ネットワーク技術に関連した技術者も多いことから、iSCSIをベースとしたSANも普及をみせている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Small Computer System Interface(スモールコンピュータシステムインタフェース、小型計算機システムインタフェース)、略してSCSI (スカジー)は、主に周辺機器とコンピュータなどのハードウェア間のデータのやりとりを行うインタフェース規格の一つである。SCSIを使用可能にするインタフェース装置をSCSIインタフェースと呼ぶ。ANSI(米国規格協会)によって規格化されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "パソコンやワークステーションと周辺機器との接続インタフェースとして、シュガートのSASI (Shugart Associates System Interface) を拡張し、ANSIによって規格化されたバス型のインタフェースである。8ビットまたは16ビットのパラレルインタフェース。Ultra SCSIではシリアル型もある。後述の大型のコネクタ・バス等は近年その役目を終えたが、SCSI規格自体は物理的な仕様のみならずデバイス間の通信プロトコルも規定している。実際に現在普及している高速規格であるATA、SATA、USB、IEEE 1394、ファイバチャネル上ではSCSIコマンドが未だにやり取りされている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "SCSIバスは、周辺機器を接続するインタフェースではあるが、コンピュータと周辺機器という、主従関係ではなく、各機器が対等の動作をすることを基本として設計されている。入出力要求を行なう要求を出す機器(イニシエータ)から実際の動作を受ける機器(ターゲット)に対して指示を行ない、その結果を返す、という形で動作する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "一般には、インタフェース1台に複数のSCSI機器を接続するものであると認識されているが、実際には複数台のパソコンで1台のディスクを共有するなどの構成も可能な仕組みになっている。すなわち、イニシエータは1つのバス上に複数の機器が存在してもよい。しかし、実際には、コンピュータがバス上の唯一のイニシエータで、各周辺機器(ディスクやテープ装置など)はターゲットとしてのみ動くのが普通である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "図中、SCSIバスから各機器のコントローラやホストバスアダプタまでの接続線をスタブと呼称し、規格上は各々の機器につき15cmまでが許容されている。また、SCSIバス上での機器の間隔は25cm以上が推奨されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "SCSIはバス形式ではあるが、各機器を数珠つなぎで繋いでいくため、ヒナギクの花輪になぞらえ「デイジーチェーン接続」とも言われる。各機器は1つのSCSIバスに接続しなければならない。また、バスの両端には信号の反射を防ぐため、ターミネータを接続しなければならない。なお、ターミネータは、必ずしもバス終端に接続されるわけではなく、ホストバスアダプタやSCSI機器に内蔵される場合もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "SCSIバスに接続する各機器はSCSIデバイスと呼ばれる。各々0から7(または15)までの番号で区別される。この番号のことをSCSI IDという。通常、SCSI機器は各々、明示的にSCSI IDを設定しなければならないが、SCAMという拡張仕様を用いることで、自動的に設定することも可能である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "SCSI IDは、7→0、15→8の順にバス使用優先権が割り振られるため、コントローラのIDは7に、処理が遅くバスを頻繁に開放する機器(テープドライブやCD-ROM等)に優先順位の高い番号を割り当てる。", "title": 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SCSIにてWideの再定義を行い、68ピンケーブル(Pコネクタ)一本で16bitWideが使用可能になった。32bitWideを使用するときはもう一本68ピンケーブル(Qコネクタ)を併用する必要があったが、1つのバスに多くの機器を(しかもケーブル2本使用してまで)接続する必要も現実問題として無く(32bit規格は理論上32台のデバイスをサポートしている)、転送速度のアドバンテージもLVD化により薄れ、LVD規格では32bit規格はドロップされた。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "SCSI外部機器がケーブルの接続に使用するコネクタは、SCSI-2/Ultra SCSIで規格化され、NarrowはD-Sub 50pin ハーフピッチコネクタ、Ultra SCSIの16ビットWideは内部接続と同じ D-Sub 68pin ハーフピッチコネクタに固定用の螺子を追加した物が使用される。ただ、ピン形状やコネクタ形状、螺子穴の位置は規格化されているが、それを覆うコネクタカバー部の厚さと螺子の切り方(インチ螺子なのかJIS螺子なのか)には規定が無く、機器と干渉する場合もある。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "また、RAIDカードや複数チャネルを持つコントローラは狭いスロットカバーに複数のWideケーブルを接続出来るようにする為、超高密度68pinコネクタを採用している。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "SCSI-1時代には、内部接続コネクタ形状のみ規格化されていたため、一般的にはセントロニクスコネクタと同様なベローズ形状のフルピッチの50ピンコネクタが使用されていたが、AppleのMacintoshやIO-MEGAのZipドライブではRS-232Cと同じD-SUB 25pinが、また、日本電気 (NEC) のPC-9800シリーズでは、ベローズ形状をシュリンクしたSCSI-2のそれと同サイズのコネクタを採用している。NECのEWS4800シリーズはこれに加え、ケーブル側コネクタの外周部に2つの突起があり、機器側のマイクロスイッチでケーブルが接続されているか否かを判断する仕組みが追加されている。このため、一般のSCSI機器にEWS4800用のSCSI機器は接続出来ない(逆は可能)。また、AppleのPowerBook 5300では HDI-30 が採用されていた。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ターミネータ(terminator, 終端抵抗)には外部に接続するもの、SCSI機器内部のコントローラ基板上にあるものの二種類がある。また、動作方式としてパッシブターミネータ(英語版)とアクティブターミネータ(英語版)がある。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "パッシブターミネータは単に抵抗をバスラインに接続するだけである。一方アクティブターミネータは、抵抗だけでなく、能動素子(定電圧レギュレータ)を使っている。SCSI-2以降はアクティブターミネータの使用が必須であり、その回路はSCSIの規格書に記載されている。パッシブターミネータの場合、アクティブな信号が多いほどターミネータに流れる電流が多くなり、TERMPWRラインの電圧が下がり動作が不安定になる場合がある。アクティブターミネータの場合は同様の条件であっても抵抗に接続されているのは定電圧レギュレータであるため、SCSIの仕様内であればレギュレータの出力電圧が補正され安定した動作が期待できる。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "かつて日本でも各種パソコンやワークステーション(PC-9800シリーズ、FMRシリーズ/FM TOWNS、X68000や、また、日本国内で販売されたMacintosh、サン・マイクロシステムズなど)でハードディスクドライブ (HDD) 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Small Computer System Interface(スモールコンピュータシステムインタフェース、小型計算機システムインタフェース)、略してSCSI (スカジー)は、主に周辺機器とコンピュータなどのハードウェア間のデータのやりとりを行うインタフェース規格の一つである。SCSIを使用可能にするインタフェース装置をSCSIインタフェースと呼ぶ。ANSI(米国規格協会)によって規格化されている。
{{出典の明記|date=2018年6月}} '''{{Lang|en|Small Computer System Interface}}'''(スモールコンピュータシステムインタフェース、'''小型計算機システムインタフェース''')、略して'''{{Lang|en|SCSI}}''' (スカジー)は、主に[[周辺機器]]と[[コンピュータ]]などの[[ハードウェア]]間のデータのやりとりを行う[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]規格の一つである。SCSIを使用可能にするインタフェース装置をSCSIインタフェースと呼ぶ。[[ANSI]](米国規格協会)によって規格化されている。 == 歴史 == [[パーソナルコンピュータ|パソコン]]や[[ワークステーション]]と[[周辺機器]]との接続[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]として、[[シュガートアソシエイツ|シュガート]]のSASI (Shugart Associates System Interface) を拡張し、[[米国国家規格協会|ANSI]]によって規格化された[[バス (コンピュータ)|バス]]型のインタフェースである。[[8ビット]]または[[16ビット]]の[[バス (コンピュータ)#パラレルバス|パラレルインタフェース]]。Ultra SCSIでは[[シリアル通信|シリアル]]型もある。後述の大型のコネクタ・バス等は近年その役目を終えたが、SCSI規格自体は物理的な仕様のみならずデバイス間の[[通信プロトコル]]も規定している。実際に現在普及している高速規格である[[Advanced Technology Attachment|ATA]]、[[シリアルATA|SATA]]、[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]]、[[IEEE 1394]]、[[ファイバチャネル]]上では[[SCSIコマンド]]が未だにやり取りされている。 == 概要 == === SCSIバスの基本 === SCSI[[バス (コンピュータ)|バス]]は、周辺機器を接続するインタフェースではあるが、コンピュータと周辺機器という、主従関係ではなく、各機器が対等の動作をすることを基本として設計されている。[[入出力]]要求を行なう要求を出す機器(イニシエータ)から実際の動作を受ける機器(ターゲット)に対して指示を行ない、その結果を返す、という形で動作する。 一般には、インタフェース1台に複数のSCSI機器を接続するものであると認識されているが、実際には複数台のパソコンで1台のディスクを共有するなどの構成も可能な仕組みになっている。すなわち、イニシエータは1つのバス上に複数の機器が存在してもよい。しかし、実際には、コンピュータがバス上の唯一のイニシエータで、各周辺機器(ディスクやテープ装置など)はターゲットとしてのみ動くのが普通である。 [[ファイル:Wikipedia-scsi01.png|thumb|320px|right|SCSIの概要]] 図中、SCSIバスから各機器のコントローラや[[ホストバスアダプタ]]までの接続線をスタブと呼称し、規格上は各々の機器につき15cmまでが許容されている。また、SCSIバス上での機器の間隔は25cm以上が推奨されている。 SCSIはバス形式ではあるが、各機器を数珠つなぎで繋いでいくため、[[ヒナギク]]の花輪になぞらえ「[[デイジーチェーン]]接続」とも言われる。各機器は1つのSCSIバスに接続しなければならない。また、バスの両端には信号の反射を防ぐため、ターミネータを接続しなければならない。なお、[[#ターミネータ|ターミネータ]]は、必ずしもバス終端に接続されるわけではなく、ホストバスアダプタやSCSI機器に内蔵される場合もある。 SCSIバスに接続する各機器はSCSIデバイスと呼ばれる。各々0から7(または15)までの番号で区別される。この番号のことをSCSI IDという。通常、SCSI機器は各々、明示的にSCSI IDを設定しなければならないが、SCAMという拡張仕様を用いることで、自動的に設定することも可能である。 SCSI IDは、7→0、15→8の順にバス使用優先権が割り振られるため、コントローラのIDは7に、処理が遅くバスを頻繁に開放する機器([[テープドライブ]]や[[CD-ROM]]等)に優先順位の高い番号を割り当てる。 また、各々のSCSIデバイスは、さらにユニットを8つまで持つことができる。これをロジカルユニットという。各ロジカルユニットには番号がつけられる。この番号のことをLUN ({{Lang|en|Logical Unit Number}}) という。ロジカルユニットは、1つのデバイスで複数の媒体を持つことができる多連装CD-ROM装置や、ディスクアレイ装置、多連装テープ装置などで使われる。 * 注)ディスクアレイ装置の場合、LUNではなく、[[RAID]]コントローラを介して内部に別のSCSIバスを用意しそこに[[ハードディスクドライブ|HDD]]を接続する実装が殆どである。 もっとも、一般向けの機器でこれを用いているのは[[Phase-change Dual|PD]]、[[DVD-RAM]]、多連装CD-ROMドライブ程度であるため通常の使用においてはまず気にする必要は無い。 === SCSI装置の区分 === SCSI装置はいくつかの種類ごとに[[カテゴリ]]分けされる。たとえば、ディスク装置、テープ装置などであり、それぞれのカテゴリごとに利用できるコマンド類が定義される。これは、ディスクはランダムアクセスできるが、テープは[[シーケンシャルアクセス]]しかできないため、ランダムアクセスのコマンドは定義しようにもできないからである。 === SCSIのバス幅 === 並列(パラレル)SCSIでは、8ビット幅 (NARROW) では50芯、16ビット幅 (WIDE) では68芯のケーブルを用い、各機器をバス接続する。バスの両端には[[終端抵抗]](ターミネータ)が必要である。NARROWでは8台、WIDEでは16台のSCSI機器を接続できる。ただしインタフェースボードがIDを一つ消費するので、実際に接続可能な機器はNARROWで7台、WIDEで15台となる。 なお、SCSI-2の16/[[32ビット]]WIDEはNARROWにケーブルをもう1本追加するものであったためまったく普及せず、Ultra SCSIで廃止され、新たに16bit WIDEが規定された。 通常、WIDEといえばUltra SCSIの16bit WIDEを指す。 == 規格 == === 規格の基本 === [[ファイル:Scsiboard01.jpg|thumb|250px|[[アダプテック]]製SCSI-2インタフェースボード]] [[ファイル:Buffalo IFC-SCD2.jpg|thumb|250px|[[バッファロー (パソコン周辺機器)|バッファロー]]製[[PCカード]]形SCSI-2インタフェース]] SCSIは何度か規格を更新し、速度の向上や機能の追加が行われている。 ; SCSI-1 : [[1986年]]にANSIにて制定された最初の規格。HVD(電圧差動型)もこの時点で制定されている。 ; CCS ({{Lang|en|Common Command Set}}) : SCSI-1制定後、色々と開発されたHDD以外の製品などの制御方式を統一するために業界が制定したコマンドセット。ANSIとは無関係である。 ; SCSI-2 : [[1989年]]にANSIで制定。CCSをベースに、Fast10、16bit/32bit WIDE(要オプションケーブル)、ケーブル、[[#ターミネータ|ターミネータ]]の抵抗値、コネクタ形状、[[パリティビット|パリティ]]の必須化、記憶装置以外の周辺機器([[モデム]]、[[スキャナ]]等)の接続機能等が規格化された。 ; Ultra SCSI : [[1992年]]にANSIで制定。WIDEの再定義、シリアルSCSI、Fast20等、包括的に様々な仕様が定義された。これ以降の機能追加 (Ultra2、U160、U320) はUltra SCSIの改訂と言う形で行われている。 SCSI-1や2という規格名より、Narrow SCSI、Fast SCSI、Wide SCSIなどという名称のほうが一般的である。またUltra SCSIの事をSCSI-2の次の規格のためSCSI-3だと良く勘違いされるが、実際にはSCSI-3という規格は存在せずUltra SCSIというのが規格の正式な名称である。 SCSIには、転送速度やバス幅以外にも電圧、伝送方式による違いがあり、現状、'''SE'''(シングルエンド)、'''HVD'''(ハイボルテージディファレンシャル)、'''LVD'''(低電圧差動型:ローボルテージディファレンシャル)の3種類の機器が流通している。SEとLVDに関してはピン互換性があり、また、電気的に相互に接続する事が可能となるよう設計されているが、HVDについては、電気的互換性が考慮されていないため、誤って接続すると機器の故障の原因となるので注意を要する。 {| class="wikitable" align="center" |+'''規格一覧''' |- !rowspan="2"|規格群 !rowspan="2"|規格 !rowspan="2"|省略形 !rowspan="2"|周波数 !rowspan="2"|速度<br />(MB/s) !rowspan="2"|バス幅 !colspan="3"|最大バス長(m) !rowspan="2"|備考 |- !LVD !SE !HVD |- |SCSI-1||SCSI|| ||5MHz||5|| rowspan="2" |8bit|| ||6|| rowspan="6" |25||一般には単に「SCSI」と言えばこの規格 |- |SCSI-2||Fast10|| || rowspan="3" |10MHz||10|| || rowspan="3" |3||FastSCSI |- |SCSI-2|| || ||20||16bit|| ||FastWideSCSI |- |SCSI-2|| || ||40||32bit|| ||32bit FastWideSCSI |- | rowspan="10" |Ultra SCSI||Ultra/Fast20||U|| rowspan="2" |20MHz||20||8bit|| || rowspan="2" |1.5||UltraSCSI 3台以下の場合SEで3m |- |Ultra Wide||UW|| rowspan="2" |40||16bit|| ||Wide Ultra SCSI |- |Ultra2||U2|| rowspan="2" |40MHz||8bit|| rowspan="5" |12|| || ||1台のみの場合25m 通常はU2Wが使われる |- |Wide Ultra2||U2W||80|| rowspan="4" |16bit|| || || |- |Ultra160||U160||40MHz DDR||160|| || ||Ultra3 SCSI ドメインバリデーションを追加 |- |Ultra320||U320||80MHz DDR||320|| || ||現行規格 |- |Ultra640||U640||160MHz DDR||640|| || ||SE機器の接続は保証されない。廃案 |- |Ultra1280|| ||160MHz PAM-4||1280|| || || || ||実験及び一部仕様の策定 |- |Ultra2560、Ultra5120|| || |||| || || || ||ロードマップのみ存在 |- |Ultra327680|| || |||| || || || ||将来の展望としてここまで考えられていた(半ば冗談とも) |} また、パラレルSCSIの開発はU640(製品化はU320まで)で終了し、次世代のSCSIはシリアル ([[Serial Attached SCSI]], SAS) で一本化される事になっている。 === コネクタ === [[ファイル:SCSI 50pin.jpg|thumb|200px|50pinケーブル]] 内部接続コネクタはSCSI-1時代には規格化されており、SCSI-2で追加されたWide規格においては、SCSI-1からの8ビット幅の50ピンケーブル(Aコネクタ)と、オプションの68ピンケーブル(Bコネクタ)を併用する必要があった。 Ultra SCSIにてWideの再定義を行い、68ピンケーブル(Pコネクタ)一本で16bitWideが使用可能になった。32bitWideを使用するときはもう一本68ピンケーブル(Qコネクタ)を併用する必要があったが、1つのバスに多くの機器を(しかもケーブル2本使用してまで)接続する必要も現実問題として無く(32bit規格は理論上32台のデバイスをサポートしている)、転送速度のアドバンテージもLVD化により薄れ、LVD規格では32bit規格はドロップされた。 SCSI外部機器がケーブルの接続に使用するコネクタは、SCSI-2/Ultra SCSIで規格化され、NarrowはD-Sub 50pin ハーフピッチコネクタ、Ultra SCSIの16ビットWideは内部接続と同じ D-Sub 68pin ハーフピッチコネクタに固定用の螺子を追加した物が使用される。ただ、ピン形状やコネクタ形状、螺子穴の位置は規格化されているが、それを覆うコネクタカバー部の厚さと螺子の切り方(インチ螺子なのかJIS螺子なのか)には規定が無く、機器と干渉する場合もある。 また、RAIDカードや複数チャネルを持つコントローラは狭いスロットカバーに複数のWideケーブルを接続出来るようにする為、超高密度68pinコネクタを採用している。 SCSI-1時代には、内部接続コネクタ形状のみ規格化されていたため、一般的には[[IEEE 1284|セントロニクス]]コネクタと同様なベローズ形状のフルピッチの50ピンコネクタが使用されていたが、[[Apple]]の[[Macintosh]]やIO-MEGAのZipドライブでは[[RS-232|RS-232C]]と同じD-SUB 25pinが、また、[[日本電気]] (NEC) の[[PC-9800シリーズ]]では、ベローズ形状をシュリンクしたSCSI-2のそれと同サイズのコネクタを採用している。NECの[[EWS4800]]シリーズはこれに加え、ケーブル側コネクタの外周部に2つの突起があり、機器側のマイクロスイッチでケーブルが接続されているか否かを判断する仕組みが追加されている。このため、一般のSCSI機器にEWS4800用のSCSI機器は接続出来ない(逆は可能)。また、Appleの[[PowerBook 5300]]では HDI-30<ref>{{Cite web|和書 | url = https://support.apple.com/kb/SP177?viewlocale=ja_JP&locale=ja_JP | title = Macintosh PowerBook 5300/100 - 技術仕様 | accessdate = 2022-10-20 }}</ref><ref>{{cite web | url = http://www.interfacebus.com/Apple_SCSI_HDI-30_PinOut.html | title = HDI-30 SCSI Apple Computer Bus | accessdate = 2022-10-20 }}</ref> が採用されていた。 === ターミネータ === [[ファイル:SCSI Terminator 50pin.jpg|thumb|SCSI ターミネータ]] '''ターミネータ'''({{Lang|en|terminator}}, [[終端抵抗]])には外部に接続するもの、SCSI機器内部のコントローラ基板上にあるものの二種類がある。また、動作方式として{{仮リンク|パッシブターミネータ|en|Electrical termination#Passive}}と{{仮リンク|アクティブターミネータ|en|Electrical termination#Passive}}がある。 パッシブターミネータは単に抵抗をバスラインに接続<ref>具体的には各信号線を220Ωの抵抗でTERMPWRラインに、330Ωの抵抗でGNDに終端するものである</ref>するだけである。一方アクティブターミネータは、抵抗だけでなく、[[能動素子]](定電圧レギュレータ)を使っている。SCSI-2以降はアクティブターミネータの使用が必須であり、その回路はSCSIの規格書に記載されている<ref>各信号線を110Ωの抵抗で2.85Vの定電圧電源に終端するものである</ref>。パッシブターミネータの場合、アクティブな信号が多いほどターミネータに流れる電流が多くなり、TERMPWRラインの電圧が下がり動作が不安定になる場合がある。アクティブターミネータの場合は同様の条件であっても抵抗に接続されているのは定電圧レギュレータであるため、SCSIの仕様内であればレギュレータの出力電圧が補正され安定した動作が期待できる。 == SCSI機器の動向 == かつて日本でも各種パソコンや[[ワークステーション]]([[PC-9800シリーズ]]、[[FMRシリーズ]]/[[FM TOWNS]]、[[X68000]]や、また、日本国内で販売された[[Macintosh]]、[[サン・マイクロシステムズ]]など)で[[ハードディスクドライブ]] (HDD) や[[イメージスキャナ]]、[[CD-ROM]]、[[MO (記憶媒体)|MO]]などを接続する高速インタフェースとして使われていた。PC-9800シリーズやMacintoshではSCSIが記憶装置や入出力装置の標準インタフェースとなっており、PC-9800シリーズやMacintoshではSCSI接続したMOディスクからも起動が可能であった。また、MacintoshではSCSI接続したMacintosh本体を外付けハードディスクとして利用する、SCSI'''ターゲットディスクモード'''と呼ばれる仕様(接続先から起動も可能な仕様になっていた)も用意されていた。FM TOWNSも登場時はSCSIを標準搭載としていた。これらの機種のように[[フロッピーディスクドライブ]]とHDDのいずれからも[[ブート|システムの起動]]に失敗した場合に、SCSI接続機器から「第三の選択肢」としてシステム起動を試みることができる仕様となっていたものもあり、当時潤沢ではなかったシステム資源を有効活用する面でも重要な選択肢として活躍した。 その一方で[[PC/AT互換機]]では、内蔵HDDは歴史的に[[ST-506]]を始祖とする[[Advanced Technology Attachment#IDE|IDE]]が主流であり、主に外付けCD-ROMやMO等の接続の為に使用されていただけだった。CD-ROMについてはコスト削減のため、内蔵化され、[[SoundBlaster]]の[[松下寿電子工業|MKE]]や[[ミツミ電機|ミツミ]]、[[ソニー]]の独自接続規格を経て[[1996年]]頃からは[[Advanced Technology Attachment|ATAPI]]による接続が主流となった。また2002年以降は順次シリアル伝送による規格への置換が進んでおり、パーソナルコンピューター向けでは[[シリアルATA]]、サーバー向けでは[[Serial Attached SCSI]] (SAS) への置換が進んでいたが、2020年現在では2013年に規格が固まり製品が登場したより高速な[[NVM Express|NVMe]]が両者ともに主流となっている。 MOやイメージスキャナなど、外付けの周辺機器についても、[[2000年]]頃から[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]] 1.1(さらに[[2002年]]頃からは、より転送速度が速いUSB 2.0)や[[IEEE 1394]]に、その後はUSB 3.0に取って代わられた状況である。 Macintosh(特に[[iMac]]以降)でも同様に、HDDやCD-ROMといった内蔵機器はIDE、MOやイメージスキャナなどの外付け機器はUSBやIEEE 1394に、更にUSB 3.0やIEEE1394bを経て、2020年現在ではUSB 3.1 Gen2と[[Thunderbolt|Thunderbolt 3]]へ置き換わっている。ターゲットディスクモードも、IEEE 1394やThunderboltでサポートされている。 高速な処理速度が強く求められる[[サーバ]]用途では、[[CPU]]への負荷を抑えられることから、現在でもSCSI接続のハードディスクが主に用いられている。この場合、故障に対する耐性を高める目的で、[[冗長化|冗長性]]を持たせるため[[RAID]]構成(RAID1、あるいはRAID5)として用いられることが多い。 また一般用途でも、日常的にアクセスする外付けHDDを増設する場合、USBやIEEE1394はバスパワー供給の干渉で論理的に切断される現象がまれに発生するため、これを嫌ってSCSIを採用するユーザも少なからずいる。この場合、現在はSCSI用のHDDが非常に高価なため、[[Advanced Technology Attachment|ATA]]、[[シリアルATA]]のHDDをSCSIに接続する為の変換基板('''ATA-SCSIブリッジ'''、'''S・ATA-SCSIブリッジ''')が使用されることが多い。 複数のイニシエータを持つことが出来る事から、コンピュータクラスタのストレージ用バスとして使われている。ストレージを共有することで個々のストレージへのアクセスをモニタするオーバーヘッドを削減し、異常事態が生じて[[フェイルオーバー]]する時は最終状態が保存されているストレージにアクセスできるため瞬時にクラスタ構成要素を切り離したり代替する事ができた。これはIEEE 1394にも引き継がれている。 一般向けでもSCSIのハードディスクが多用されていた時代には<!--一般向け製品・販売がなくなったわけではない-->、ドライブユニットはIDEと同じで、制御基板のみ差し替えていた製品が多くを占めていたが、近年のSCSIハードディスクは(SCSI規格そのものによる優位性ではないが)サーバでの使用を前提とした専用設計となり、小口径プラッタ採用によるシーク速度性能の向上や、信頼性確保の為、IDEハードディスクとは文字通り桁違いの[[Mean Time To Failure|平均故障時間]]を実現している。 近年ではSCSIという規格名称を冠した製品を見かける機会は以前と比べて減少しているが、SCSIのデータ伝送プロトコルを応用した規格として、前述の SAS (Serial Attached SCSI)、UASP ([[USB Attached SCSI|USB Attached SCSI Protocol]])の対応製品が、また[[IPネットワーク]]技術の進展にともない、SCSI機器をIPネットワーク経由で接続するための [[iSCSI]]という規格が[[Internet Engineering Task Force|IETF]]において標準化されている。従来の[[ストレージエリアネットワーク]] (SAN) ではファイバチャネルが使われることが多かったが、コストが高くなりがちである、[[ファイバチャネル]]に精通した技術者が少ない、などの問題点があった。これに対し、IPネットワーク機器は広く普及しており、IP ネットワーク技術に関連した技術者も多いことから、iSCSIをベースとしたSANも普及をみせている。 == 補足 == * 「SCSIインタフェース」というインタフェースが[[RAS症候群|二重になった]]ような言い方をされることがある。これは「SCSIという規格に合致したインタフェース機器」という意味で解釈すれば、必ずしも間違いではないが、混乱を避けるには「SCSIカード」「SCSI端子(ポート)」などと言う。 * SCSIのインタフェースカードは[[ホストバスアダプタ|Host Bus Adapter]] (HBA) と呼ばれる。これはストレージシステムにおいて、ディスク側にもアダプターが実装されることもあり、ホスト (PC) 側のアダプターであることを明示する必要があるからである。 * SCSIは、[[ホットスワップ]](電源投入後の脱着)に対応しておらず、起動後に機器を繋いでも認識されない。認識させる為にはコンピュータの再起動が必要であり、外部周辺機器でホットスワップにも対応している、USBやIEEE 1394に取って代わられたひとつの要因と言える。 * SCSIの規格としては、接続さえしておけばホストアダプタ側の電源投入後も機器側のコネクト/ディスコネクトが可能となっている。ただし[[オペレーティングシステム]] (OS) 又は[[デバイスドライバ|ドライバ]]が対応している必要がある。たとえば[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]以降であればOS起動後にHDDの電源を入れても、デバイスマネージャからデバイスの更新操作を行えば再スキャンが行われ再設定される。 * [[2006年]]現在、日本国内で販売されている一般向けのSCSI機器は、HDDのベアドライブを除けば、IDE→SCSI変換基板を介したものがほとんどである。ある意味、初期の[[ST-506]]+変換基板の時代に回帰したとも言える。 * NECの超並列コンピュータ Cenju の外部SCSIコネクタは一部配線が間違えて接続されているため、最初の機器を接続する場合、専用のケーブルを購入しなければならない。 * PC-9800シリーズの初期の純正SCSIボード (PC-9801-55) において、NEC製以外のHDDを接続すると認識しないという処置がされており、たちの悪いプロテクトであると一般に思われている。しかしこれは、当時SCSIの代替セクタの解釈にゆれがあり、他社製HDDをつなぐとトラブルが起きる可能性があるため、やむなくとられた措置である。とはいえ、このために純正ボードがリファレンスとして機能せず、[[サードパーティー]]のHDDは自社のSCSIボードとのセット販売が主流となり、互換性をめぐる混乱(HDDを他社のボードにつなぎかえるとジオメトリの違いにより[[パーティション]]が認識されない)を引き起こす遠因となったことは否定できない。[[PC-9800シリーズ#55ボード問題|55ボード問題]]を参照。 * PC-9800シリーズにおける純正インタフェースボードが、SASIのものとSCSIのもので別々のコントローラを使用していて非互換であるため、日本においてはSASIとSCSIは別物であると考えられている事が多い(これは、同様にPC-9800シリーズ、FMRシリーズとその上位互換であるFM TOWNSで、当初IDEに専用のI/Oが定義されず、ソフトウェア上はSASIの上位互換として処理する事で導入された経緯もある)。しかし実際には、元々SASIを大幅に拡張した上で規格化したものがSCSIであり、SCSIはSASIの上位互換規格となっている。このため、プロトコルシーケンスを全てソフトウェアで実現する原始的なSASIコントローラの場合、ソフトウェア次第ではSCSIデバイスを接続することも不可能では無い。実際、PC-9800シリーズ用SASIボードにSCSIのHDDを接続するためのドライバソフトは存在する。また、X68000でも、SCSIインタフェース搭載以前の機種で、本来はSASIのインタフェースに対し、SCSIプロトコルをソフトウェア的に実装し、接続を実現したSxSIというドライバが存在する。またSCSI普及初期には、一部サードパーティー製SCSIボードにSASIのHDDが使用可能なものがあったり、SCSI/SASIを切り替えて使えるHDDなども存在した。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[SCSIコマンド]] * [[iSCSI]] * [[Advanced Technology Attachment|ATA]] ** [[Advanced Technology Attachment#IDE|IDE]] ** [[Advanced Technology Attachment#ATAPI|ATAPI]] * [[シリアルATA]] * [[SASI]] * [[ST-506]] * [[Enhanced Small Disk Interface|ESDI]] * [[RAID]] * [[Serial Attached SCSI]] * [[USB Attached SCSI]] * [[ファイバチャネル]] * [[IEEE 1394|FireWire]] * [[転送速度]] == 外部リンク == {{Commons|Category:SCSI}} * [http://www.sanwa.co.jp/product/cable/scsi/index.html 困った時:SCSIケーブル・変換アダプタのいろいろ(写真付)] * [http://www.t10.org/ T10 Technical Committee] * [http://www.scsita.org/ SCSI Trade Association] * [https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/0630/it005.htm 幻となった次世代のパラレルSCSI規格 Ultra640編] {{Computer-stub}} {{コンピュータバス}} {{Normdaten}} [[Category:SCSI|*]] [[Category:インタフェース規格]]
2003-03-29T18:46:17Z
2023-09-30T07:45:06Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Small_Computer_System_Interface
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RS-232
RS-232 (英語: Recommended Standard 232) は、シリアルポートのインタフェース規格である。基本的にはホストコンピュータや端末といった「データ端末装置」と、モデムなどの「データ回線終端装置」を繋ぐものとして設計されたが、パソコン同士の直接接続や、あらゆる周辺機器の接続用に広く使われた。 もともとは、テレタイプ端末とモデムの接続用にCCITT (現: ITU-T) がV.24, V.28勧告としていたものを米国のEIA(The Electronic Industries Alliance : 日本国の電子機械工業会にほぼ相当)により通信用として規格案を作成したもので、テレタイプライタ、パソコンなどのDTE(Data Terminal Equipment : データ端末装置)と、モデムなどのDCE(Data Circuit-Terminating Equipment : データ回線終端装置)とを接続してデータ伝送を行うための電気的・機械的な特性を定義したものであった。 25ピンの端子仕様は、端末側ではなくモデム側のコネクタ仕様として決められている。現在多く利用されている規格外だった9ピンの端子はIBMによって作られ普及している。この端子は普及したため新たにANSI/TIA/EIA-574-90として規格に加えられた。ちなみに、末期のNEC PC-9800シリーズ(PC-9821シリーズ)のシリアルインターフェイスでは、9ピン (EIA-574) と25ピンの端子を一つずつ備えた機種が存在するが、この二つの端子は、外見等の規格が異なるだけでなく、内部的にも(仕様の)異なるチップで制御されている。 現在は、その仕様の古さからレガシーインターフェースに分類され、周辺機器の接続用途にはUSBなどに、通信用途にはイーサネット、無線LANなどにその役割を取って代わられている。しかし、機器の信頼性は非常に高く、外乱ノイズにも強く遠方まで信号が届くため、現在では薄型テレビをパソコン上から制御する用途などに使われている。サーバのデバッグ等のためのコンソール入出力や電子工作の機器などでも使われる。一般的には、-3V以上+3V以下の電圧は極性変換したとみなさない不感動領域が規定されているため、ケーブル長10m程度まではデータの通信は正常にやりとりできる。 クロスケーブル(リバースケーブルともいう)を使用することで、パソコンなど端末機器どうしを直接接続できる。(ストレートケーブル2本で接続する場合であって、DSRとDTR、RTSとCTSとの制御線を接続し制御誤りを防止したときは、ヌルモデムと言う、DCEコネクタが二つあり、クロスケーブルと同様の結線をしたアダプタを使う。また、クロスケーブル自体をヌルモデムケーブルと言う場合もある。) クロスケーブルの配線には何種類かあり、簡素なものでは互いのパソコンのTXDとRXD同士とGND同士の3本の接続で済ませることもあるが、ハードウェアフロー制御のためのRTSとCTS同士の接続の他、接続状況の確認のためにもDTR、DSR、DCD同士も接続してあるのが一般的である。 RS-232においてDサブ9ピンのコネクタ使用は規定外にあり、EIA-574という別の規格に相当する。 EIA/TIA RS 232-D, E, Fとして規格を改定してきた。「RS-232C」という呼称が広く使われているが、その後改訂されてEIA-232-D, E, Fとなった。EIAとUSTSA (United States Telecommunications Suppliers Association) とが1988年に作った新組織電気通信工業会 (TIA: Telecommunications Industry Association) が受け継いで「ANSI/TIA/EIA-232-F-1997」が最終規格となっている。その後EIAは解散し、TIAが引き継いでいる。新しい規格に適合するかまたはこの規格を無視するかの選択で各メーカは対応を見送ったところが多い。この規格に準拠するためには、同期通信機能を備え、また、サブチャンネル機能を備えるなど、コスト上昇に繋がる多くの機能を実装しなければならない。実際には使う場面は少ない。知名度が低く、この規格名をつけた商品はRS-232C準拠と書かれた商品より価格競争力はない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "RS-232 (英語: Recommended Standard 232) は、シリアルポートのインタフェース規格である。基本的にはホストコンピュータや端末といった「データ端末装置」と、モデムなどの「データ回線終端装置」を繋ぐものとして設計されたが、パソコン同士の直接接続や、あらゆる周辺機器の接続用に広く使われた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "もともとは、テレタイプ端末とモデムの接続用にCCITT (現: ITU-T) がV.24, V.28勧告としていたものを米国のEIA(The Electronic Industries Alliance : 日本国の電子機械工業会にほぼ相当)により通信用として規格案を作成したもので、テレタイプライタ、パソコンなどのDTE(Data Terminal Equipment : データ端末装置)と、モデムなどのDCE(Data Circuit-Terminating Equipment : データ回線終端装置)とを接続してデータ伝送を行うための電気的・機械的な特性を定義したものであった。", "title": "成り立ち" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "25ピンの端子仕様は、端末側ではなくモデム側のコネクタ仕様として決められている。現在多く利用されている規格外だった9ピンの端子はIBMによって作られ普及している。この端子は普及したため新たにANSI/TIA/EIA-574-90として規格に加えられた。ちなみに、末期のNEC PC-9800シリーズ(PC-9821シリーズ)のシリアルインターフェイスでは、9ピン (EIA-574) と25ピンの端子を一つずつ備えた機種が存在するが、この二つの端子は、外見等の規格が異なるだけでなく、内部的にも(仕様の)異なるチップで制御されている。", "title": "成り立ち" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "現在は、その仕様の古さからレガシーインターフェースに分類され、周辺機器の接続用途にはUSBなどに、通信用途にはイーサネット、無線LANなどにその役割を取って代わられている。しかし、機器の信頼性は非常に高く、外乱ノイズにも強く遠方まで信号が届くため、現在では薄型テレビをパソコン上から制御する用途などに使われている。サーバのデバッグ等のためのコンソール入出力や電子工作の機器などでも使われる。一般的には、-3V以上+3V以下の電圧は極性変換したとみなさない不感動領域が規定されているため、ケーブル長10m程度まではデータの通信は正常にやりとりできる。", "title": "成り立ち" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "クロスケーブル(リバースケーブルともいう)を使用することで、パソコンなど端末機器どうしを直接接続できる。(ストレートケーブル2本で接続する場合であって、DSRとDTR、RTSとCTSとの制御線を接続し制御誤りを防止したときは、ヌルモデムと言う、DCEコネクタが二つあり、クロスケーブルと同様の結線をしたアダプタを使う。また、クロスケーブル自体をヌルモデムケーブルと言う場合もある。)", "title": "DTE同士の接続" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "クロスケーブルの配線には何種類かあり、簡素なものでは互いのパソコンのTXDとRXD同士とGND同士の3本の接続で済ませることもあるが、ハードウェアフロー制御のためのRTSとCTS同士の接続の他、接続状況の確認のためにもDTR、DSR、DCD同士も接続してあるのが一般的である。", "title": "DTE同士の接続" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "RS-232においてDサブ9ピンのコネクタ使用は規定外にあり、EIA-574という別の規格に相当する。", "title": "端子" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "EIA/TIA RS 232-D, E, Fとして規格を改定してきた。「RS-232C」という呼称が広く使われているが、その後改訂されてEIA-232-D, E, Fとなった。EIAとUSTSA (United States Telecommunications Suppliers Association) とが1988年に作った新組織電気通信工業会 (TIA: Telecommunications Industry Association) が受け継いで「ANSI/TIA/EIA-232-F-1997」が最終規格となっている。その後EIAは解散し、TIAが引き継いでいる。新しい規格に適合するかまたはこの規格を無視するかの選択で各メーカは対応を見送ったところが多い。この規格に準拠するためには、同期通信機能を備え、また、サブチャンネル機能を備えるなど、コスト上昇に繋がる多くの機能を実装しなければならない。実際には使う場面は少ない。知名度が低く、この規格名をつけた商品はRS-232C準拠と書かれた商品より価格競争力はない。", "title": "正式(公的)規格" } ]
RS-232 は、シリアルポートのインタフェース規格である。基本的にはホストコンピュータや端末といった「データ端末装置」と、モデムなどの「データ回線終端装置」を繋ぐものとして設計されたが、パソコン同士の直接接続や、あらゆる周辺機器の接続用に広く使われた。
{{出典の明記|date=2015-03}} [[File:RS-232 Female Connector Dsub 9pin and 25pin.jpg|thumb|250px|DSUB 9ピンポートと25ピンポート メス(jack)]] '''RS-232''' ({{lang-en|Recommended Standard 232}}) は、[[シリアルポート]]の[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]規格である。基本的にはホスト[[コンピュータ]]や[[端末]]といった「データ端末装置」と、[[モデム]]などの「データ回線終端装置」を繋ぐものとして設計されたが、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]同士の直接接続や、あらゆる周辺機器の接続用に広く使われた。 == 成り立ち == もともとは、[[テレタイプ端末]]とモデムの接続用にCCITT (現: [[ITU-T]]) がV.24, V.28勧告としていたものを米国の[[電子工業会|EIA]](The Electronic Industries Alliance : 日本国の[[電子情報技術産業協会|電子機械工業会]]にほぼ相当)により通信用として規格案を作成したもので、テレタイプライタ、パソコンなどのDTE(Data Terminal Equipment : [[データ端末装置]])と、モデムなどのDCE(Data Circuit-Terminating Equipment : [[データ回線終端装置]])とを接続してデータ伝送を行うための電気的・機械的な特性を定義したものであった。 25ピンの端子仕様は、端末側ではなくモデム側のコネクタ仕様として決められている。現在多く利用されている規格外だった9ピンの端子は[[IBM]]によって作られ普及している。この端子は普及したため新たに[[EIA-574|ANSI/TIA/EIA-574-90]]として規格に加えられた。ちなみに、末期のNEC [[PC-9800シリーズ]]([[PC-9821シリーズ]])のシリアルインターフェイスでは、9ピン (EIA-574) と25ピンの端子を一つずつ備えた機種が存在するが、この二つの端子は、外見等の規格が異なるだけでなく、内部的にも(仕様の)異なるチップで制御されている。 現在は、その仕様の古さから[[レガシーデバイス|レガシーインターフェース]]に分類され、周辺機器の接続用途には[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]]などに、通信用途には[[イーサネット]]、[[無線LAN]]などにその役割を取って代わられている。しかし、機器の信頼性は非常に高く、外乱ノイズにも強く遠方まで信号が届くため、現在では[[薄型テレビ]]をパソコン上から制御する用途などに使われている。サーバのデバッグ等のためのコンソール入出力や電子工作の機器などでも使われる。一般的には、-3V以上+3V以下の電圧は極性変換したとみなさない不感動領域が規定されているため、ケーブル長10m程度まではデータの通信は正常にやりとりできる。 == DTE同士の接続 == [[File:Nullmodem cable connection.png|thumb|right|クロスケーブルの接続例]] クロスケーブル(リバースケーブルともいう)を使用することで、パソコンなど端末機器どうしを直接接続できる。(ストレートケーブル2本で接続する場合であって、DSRとDTR、RTSとCTSとの制御線を接続し制御誤りを防止したときは、'''ヌルモデム'''と言う、DCEコネクタが二つあり、クロスケーブルと同様の結線をしたアダプタを使う。また、クロスケーブル自体をヌルモデムケーブルと言う場合もある。) クロスケーブルの配線には何種類かあり、簡素なものでは互いのパソコンのTXDとRXD同士とGND同士の3本の接続で済ませることもあるが、ハードウェアフロー制御のためのRTSとCTS同士の接続の他、接続状況の確認のためにもDTR、DSR、DCD同士も接続してあるのが一般的である。 == 端子 == === Dサブ9ピン === RS-232においてDサブ9ピンのコネクタ使用は規定外にあり、[[EIA-574]]という別の規格に相当する。 {{main|EIA-574}} {| |- style="vertical-align: top;" || [[ファイル:DE-9 Male.svg|thumb|150px|ピンNo.の配列(オス)]] || [[ファイル:RS-232.jpeg|thumb|150px|9ピンシリアルポート(メス)]] |} {| class="wikitable" ! ピンNo. !! 信号名 !! 別名 !! 入出力 !! 内容 |- | 1 ||DCD || CD || rowspan="2" | IN || キャリア検出 |- | 2 ||RxD || RD || 受信データ |- | 3 ||TxD || SD || rowspan="2" | OUT || 送信データ |- | 4 ||DTR || ER || データ端末レディ |- | 5 ||GND || SG || - || グランド |- | 6 ||DSR || DR || IN || データセットレディ |- | 7 ||RTS || RS || OUT || 送信リクエスト |- | 8 ||CTS || CS || rowspan="2" | IN || 送信可 |- | 9 ||RI || CI || 被呼表示 |} === Dサブ25ピン === {| |- style="vertical-align: top;" || [[ファイル:DB-25 male.svg|thumb|left|250px|ピンNo.の配列(オス)]] || [[IMAGE:DSUB25PIN-3.jpg|thumb|left|250px|25ピンシリアルポート(メス)]] |} {| class="wikitable" ! ピンNo. !! 信号名 !! 入出力 !! 内容(本来の規格) |- | 1 ||N.C (FG) || - || 未接続(筐体GND) |- | 2 ||TxD || OUT || 送信データ |- | 3 ||RxD || IN || 受信データ |- | 4 ||RTS || OUT || 送信リクエスト |- | 5 ||CTS || rowspan="2" | IN || 送信可 |- | 6 ||DSR || データセットレディ |- | 7 ||GND || - || グランド |- | 8 ||DCD || IN || キャリア検出 |- | 9~11 ||N.C || - || 未接続 |- | 12 ||N.C (BDC) || rowspan="2" |(IN)||未接続(2次チャンネルキャリア検出) |- | 13 ||N.C (BCS) ||未接続(2次チャンネル送信可) |- | 14 ||N.C (BSD) ||(OUT)||未接続(2次チャンネル送信データ) |- | 15 ||N.C (ST2)|| rowspan="3" |(IN)||未接続(送信エレメント・タイミング) |- | 16 ||N.C (BRD)||未接続(2次チャンネル受信データ) |- | 17 ||N.C (RT) ||未接続(受信エレメント・タイミング) |- | 18 ||N.C || - ||未接続 |- | 19 ||N.C (BRS)||(OUT)||未接続(2次チャンネル送信要求) |- | 20 ||DTR ||OUT ||データレディ |- | 21 ||N.C (SQD)||(IN)||未接続(送信品質検出) |- | 22 ||RI || IN || 被呼表示 |- | 23 ||N.C (SRS) ||(⇔) ||未接続(データ通信速度選択) |- | 24 ||N.C (ST1)||(OUT)||未接続(送信信号エレメント・タイミング) |- | 25 ||N.C || - ||未接続 |} == 正式(公的)規格 == EIA/TIA RS 232-D, E, Fとして規格を改定してきた。「RS-232C」という呼称が広く使われているが、その後改訂されてEIA-232-D, E, Fとなった。EIAとUSTSA (United States Telecommunications Suppliers Association) とが[[1988年]]に作った新組織[[電気通信工業会]] (TIA: Telecommunications Industry Association) <ref>TIA https://standards.tiaonline.org</ref>が受け継いで「ANSI/TIA/EIA-232-F-1997」が最終規格となっている。その後EIAは解散し、TIAが引き継いでいる<ref>232F https://global.ihs.com/doc_detail.cfm?&csf=TIA&item_s_key=00125234&item_key_date=870024&input_doc_number=232&input_doc_title=&org_code=TIA</ref>。新しい規格に適合するかまたはこの規格を無視するかの選択で各メーカは対応を見送ったところが多い。この規格に準拠するためには、同期通信機能を備え、また、サブチャンネル機能を備えるなど、コスト上昇に繋がる多くの機能を実装しなければならない。実際には使う場面は少ない。知名度が低く、この規格名をつけた商品はRS-232C準拠と書かれた商品より価格競争力はない。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[シリアルポート]] * [[UART]] * [[EIA-422]] RS-422 * [[EIA-485]] RS-485 * [[EIA-574]] - PC/AT互換等に用いられるDサブ9ピンのシリアルインターフェイス。 * [[シリアルケーブル]] * [[レガシーデバイス]] == 外部リンク == {{Commons|Category:RS-232}} * [https://www.ecianow.org/ EIA] * [https://www.tiaonline.org/ TIA] {{コンピュータバス}} {{OSI}} [[Category:インタフェース規格]] [[Category:物理層プロトコル]]
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朝鮮料理
朝鮮料理(ちょうせんりょうり、朝鮮語: 조선 료리)または韓国料理(かんこくりょうり、朝鮮語: 한국 요리)は、朝鮮半島に伝わる料理のこと。 韓方や陰陽五行の思想にのっとり、五色(赤・黄・白・緑・黒)、五味(酸・甘・渋・辛・塩)、五法(生・煮る・焼く・蒸す・炒める)をバランスよく献立に取り入れることを良しとする。 一食の構成は韓定食の飯床(パンサン)のルール(「韓定食の献立」で後述)にある程度従って、メインメニュー(多くはスープ類)に御飯(白米、赤米や、その他の穀物を炊き合わせた雑穀米など)と、キムチ、ナムル等のおかず(ミッパンチャン)が数種類。食堂では点心(軽食)とみなす粥や麺類等には小膳が組まれ、キムチなどのミッパンチャンは無料で提供される。 ユーラシア大陸東部全域を見渡すと、南方の稲作文化圏と北方の雑穀畑作・牧畜文化圏の境界線の接点に位置する朝鮮半島は、米食中心と考えられることが多いが、伝統的に稲作が行われていた地域は温暖湿潤気候地域の南西部の一部に限られており、半島の北半分は亜寒帯冬季少雨気候に属するため、食文化的には粟や黍・小麦・蕎麦・高粱といった畑作で得られる穀物を主食素材としてきた地域も多い。 仏教の影響を受けた朝鮮半島一部の人々は寺刹料理・精進料理を食べる。また毎回の食事で多種類のおかずが食卓に並ぶように配慮するのが一般的である。 近隣国の日本料理や中華料理と比べ、白菜・もやし・ワラビ・ゼンマイ・キキョウ(トラジ)といった山菜を使った料理が多い。特に17世紀に日本を経由して18世紀後半の朝鮮王朝時代で一気に普及した中南米原産の唐辛子は、現在の朝鮮料理に彩りと辛みを添える上で欠かせない食材の一つである。 野菜の消費量は世界的に見ても高く、それらを用いたナムルは発酵食品としてテンジャンやコチュジャン、チョングッチャンといった味噌類、キムチ、マダラの内臓を発酵させたチャンジャ等が冬の保存食として各家庭で常備される。その他に魚の干物・チョッカル・シッケ・乾燥させた山菜や海草類も作られている 植物からの香辛料や薬念については、韓国式醤油・胡麻油・ニンニク・ネギ・生姜・唐辛子等が多く、また色んな香辛料により合わせ調味料ヤンニョム、つまり「薬念」を用いる。 朝鮮半島のスープ類、つまり「湯(タン・クㇰ)」は発達していて、野菜や香辛料を大量に取り込むことが最大の特徴である。 肉は牛・鶏・豚、又その内臓も使う。 又、朝鮮半島にはヌロンイという食用犬種が存在し、韓国では犬肉が食べられている。年間100万頭が食べられており中国、ベトナムに次ぐ消費量である。 時代の流れにより犬肉食は少なくなっておりソウル市でポシンタンを出す店は100店以下となっている。 朝鮮半島は海に囲まれた地理のため、海藻類や魚介類の消費量も多く、生の魚介類も食されるようになった。韓国の朝鮮時代では一般家庭では肉よりも魚や野菜を主とした食卓が普通であったが、現代の韓国では逆になる。 朝鮮料理の惣菜は専用名詞の「飯饌(パンチャン)」と呼ぶ。一般的な韓国料理屋の場合、ナムルやキムチなどの一部惣菜を注文とは別に提供する事が多い。その惣菜は食べきれない場合残すことがマナーとされている。一方、多数の店で客の残した惣菜や料理の食べられない部分を盛り直して提供、あるいは他の料理に再利用することがあり、衛生上の問題や客からの苦情が多い。2009年6月の改正食品衛生法で禁止されるものの、依然そのような行為が横行している。 伝統的なご飯膳の組み方を「飯床(パンサン)」という。「床」とは食べ物をのせる膳のことであり、飯床とは朝夕の献立で、主食のご飯と副食で成り立っている(昼食は点心(チョムシム)と呼ばれ、「心に点をつけるように」お粥や麺類で軽く済ませることが多い)。 飯床では、ご飯、スープまたはチゲ、キムチはすべての場合についてくる。その他におかずの数によって、三楪飯床(サンチョプパンサン)、五楪飯床(オーチョプパンサン)、七楪飯床(チㇽチョプパンサン)、九楪飯床(クーチョプパンサン)、十二楪飯床(シビチョプパンサン)とおかずの数が増える(楪(チョプ)とは蓋付きの器の意)。一般家庭では三楪か五楪の膳が組まれ、七楪、九楪となるとかなり豪華な膳である。十二楪はかつての宮廷だけの献立であった。飯床は、日本の本膳の立て方とも共通点が多い。 飯床を基に食堂のメニューとして発達したのが韓定食(ハンジョンシク)であるが、韓定食の名は古い文献には出てこない。各地の両班の御膳が商品化されたという説が有力。 食事には、金属製の箸(チョッカラッ)と匙(スッカラッ)を用いる。 しかし、現在の韓国では白いプラスティック製やステンレス製が一般的である。毒物による暗殺を恐れた王族や両班が、化学変化しやすい黄銅や銀の食器を使用することもあった。匙と箸は、日本と同じく横向きに置いていたが、現在では食卓の右側に縦向きに並べる。匙と箸を併せてスジョ(ko:수저、匙箸)といい、匙と箸を置く日本の箸置きのようなものはスジョパッチム(수저받침)という。箸を器の上に置くのは日本同様マナー違反であるが、食事中、匙を器の中に入れておいたり、器の端にかけておいたりすることもある。 米飯が盛られたステンレス容器を「공깃밥(コンギパッ)」といい大韓民国朴正煕政権下で増え続ける米の消費量に対して米の消費を抑えるために1976年からステンレス製の小盛りの米飯を飲食店に義務付けた名残とされる。正確に直径10.5cm、高さ6cmであったが現在はこの規制は存在しない。 茶碗・平鉢・鍾子・蒸し器・皿などの食器を一切持ち上げないのは原則であり、そもそも金属製の食器がよく使われるので熱が伝わりやすく持ち続けることは困難である。 韓国料理での食器は持ち上げずに置いたまま、ご飯や汁物は匙で、汁のないおかずは箸を使って口に運ぶ。ただし、スンニュン(お焦げに湯を加えてお茶のようにしたもの)を飲む時や、冷麺を食べる時、汁物を食べ終わって最後に飲み干す時などは、器を持ち上げても構わないとする見解もある。ご飯(パプ)を汁物(クㇰ)に浸し、混ぜて食べる(クㇰパプ=クッパ)のはマナー違反ではない。床に座って食事をする場合、片膝立座で座るのが朝鮮の正式座法である。 儒教の影響で、目上の人より先に箸を付けず、目上の人と酒を酌み交わす際には左手をひじや胸に添える。また目上の人の前で飲酒をする場合、目下の者は目上の人から顔を背け、手で口元を隠して飲まなければならない。また女性は、酌をしてはいけない。食事中の喫煙は目上の人の前では許されず、たとえ街角の屋台であっても、年長者に先立って煙を吹かすのは不快感を与える場合があり、言付け程度の許可は必要である。ただし現在は、完食して「ごちそうさまでした」でも問題ない。 太陰暦によって行事を行い、四季毎に家庭で食材を仕込む習慣がある朝鮮半島では、行事に合わせてチョルシク(節食)と呼ばれる特別料理を食べる伝統もまだ生きている。中国や日本の習慣とも関連がある。 韓国には、人は生まれ育った土地のものを食べていれば健康が保てるという意味の「身土不二(シンドブリ)」という言葉が日本から渡り、好まれて使われている。ここでは、朝鮮半島およびその他の朝鮮民族居住地域の地方料理を紹介する。 庶民の生活に定着しているものに屋台がある。屋台にはノジョム(露店)とポジャンマチャ(「布張馬車」=幌馬車)がある。ノジョムはトッポッキ、キムパプ(韓国式海苔巻き)、トースト(ホットサンドのこと)などの軽食や、ホットク、プンオパン(たい焼きに似た「フナ焼き」)などのおやつ類を販売し、立ち食いが主となる。いっぽう、ポジャンマチャは可動式の飲み屋で、椅子を置き、周囲をビニール幕などで覆うことが多い。リヤカーを改造した程度の小規模なものが主流だが、周辺にテーブルセットをいくつか配して大型の店舗形態を成すものもある。厳寒の冬季にはストーブを入れて営業する。メニューは酒の肴となるモツや魚介の炒め物、スンデなどから、スープや麺類まで幅広い。 日本の居酒屋的存在といえるのがHOF(ホープ)である。ぱっと見た限りではバーのような外観のところも多いが、多人数で気軽に飲食できるので若年層に人気がある。学生街や繁華街などに多い店舗形態である。多くのHOFでは客が長居をするほど果物などをサービスで提供する。これはサービス品の単価よりも客回転を下げてでも飲み物(酒類)による利益が高いためである。 その他の庶民料理としてプンシク(粉食)があり、代表としてラミョン(ラーメン)がある。インスタントラーメンを入れる鍋料理「プデチゲ(部隊チゲ)」があるほどポピュラーなラーメンだが、日本のような専門店は一般的ではなく、プンシク店でもインスタントが主流である。このほかマンドゥやキムパブ、トッポッキなどをプンシク店では安価に供する。一方、ラーメンと同様に中国にルーツを持ちつつ、韓国風にアレンジされたチャジャンミョン(炸醤麺)等が中華料理店などの主力メニューになっている。 近年、宮廷料理や家庭料理等を取り入れたコース料理の韓定食が多くの韓国料理店で出されている。クジョルパン(九節板/九折坂)と呼ばれる陰陽五行説に基づいた色とりどりの食材を小麦粉と卵を用いて作られた皮に包んで食べる料理等が有名である。 また、出前文化も発達しており、ピザやフライドチキンなどはもちろんのこと、上記のプンシクやチャジャンミョン、その他さまざまな出前が利用されており、家庭や職場などでも出前を頼むことが可能である。 基本的に具が少なく一人ずつ供されるスープを指すのだが、実際には煮込み料理や鍋料理の様相となるものも多い。スープ(クク)に飯(パプ)を入れて食べるとクッパとなる。 チゲ類の方がスープ類より汁が少なく、具沢山とされるが、区別は曖昧である。チョンゴル(煎骨)は数人で1つの鍋をつつくスタイル。 チムには蒸し物と蒸し煮という意味があり、両者の代表的なものを挙げる。 韓国の伝統菓子を総称して韓菓という。韓国では、甘さ控えめの味付けが好まれる傾向がある。 1945年以前の日本統治時代に移住してきた在日韓国・朝鮮人たちが、故国の料理を家庭で作り、食べていたが、次第に各地で飲食店を開店する者が現れ、客に故国の料理を提供するようになった。そこで提供されてきた料理は、故国の料理のみならず朝鮮料理をベースにしつつ、日本で独自に発展していったものもある。現在も、日本各地に「焼肉」「韓国料理」の名称で営業している飲食店が存在し、韓国式の流れをくむ店舗も少なくはない。韓国のプルコギを日本語では焼肉と呼ぶ。 焼いた肉という意味だ。 「焼肉」とは、韓国プルコギが在日韓国人によって日本語「焼肉」に名前が変わり、日本食文化のジャンルとして日本人の口に定着することになる。 この「焼肉」食文化の創始者が在日韓国・朝鮮人である。また「焼肉」といえば、まず思い浮かぶのが、在日韓国人、新大久保、ホルモン、鶴橋、キムチ、焼酎だ。 在日韓国人は戦後、日本の食文化にある程度の貢献をした。韓国プルコギを「焼肉」という名前で日本の食文化の中に定着させた。 在日韓国・朝鮮人の出身地はさまざまなことから、その料理には彼らの出身地の料理の影響が大きい。たとえば、済州島出身者の韓国料理店では、ほかの地方では見られないスズメダイのフェを提供するところがある。日本で定着しているものの中には、チジミやチョレギ、チャンジャのように、ソウル標準語では使われない料理の名称がある。 現在、韓国料理はすっかり日本国在住者にとって身近なものになっており、たとえばキムチは、今ではコンビニやスーパーでも普通に手に入る食品になっている。1990年代以降には韓国ブームの高まりに伴い各地に韓国料理店が増加した。ビビンバ・チゲなどの料理も一般的なレストラン・居酒屋で提供されるようになっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "朝鮮料理(ちょうせんりょうり、朝鮮語: 조선 료리)または韓国料理(かんこくりょうり、朝鮮語: 한국 요리)は、朝鮮半島に伝わる料理のこと。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "韓方や陰陽五行の思想にのっとり、五色(赤・黄・白・緑・黒)、五味(酸・甘・渋・辛・塩)、五法(生・煮る・焼く・蒸す・炒める)をバランスよく献立に取り入れることを良しとする。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "一食の構成は韓定食の飯床(パンサン)のルール(「韓定食の献立」で後述)にある程度従って、メインメニュー(多くはスープ類)に御飯(白米、赤米や、その他の穀物を炊き合わせた雑穀米など)と、キムチ、ナムル等のおかず(ミッパンチャン)が数種類。食堂では点心(軽食)とみなす粥や麺類等には小膳が組まれ、キムチなどのミッパンチャンは無料で提供される。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ユーラシア大陸東部全域を見渡すと、南方の稲作文化圏と北方の雑穀畑作・牧畜文化圏の境界線の接点に位置する朝鮮半島は、米食中心と考えられることが多いが、伝統的に稲作が行われていた地域は温暖湿潤気候地域の南西部の一部に限られており、半島の北半分は亜寒帯冬季少雨気候に属するため、食文化的には粟や黍・小麦・蕎麦・高粱といった畑作で得られる穀物を主食素材としてきた地域も多い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "仏教の影響を受けた朝鮮半島一部の人々は寺刹料理・精進料理を食べる。また毎回の食事で多種類のおかずが食卓に並ぶように配慮するのが一般的である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "近隣国の日本料理や中華料理と比べ、白菜・もやし・ワラビ・ゼンマイ・キキョウ(トラジ)といった山菜を使った料理が多い。特に17世紀に日本を経由して18世紀後半の朝鮮王朝時代で一気に普及した中南米原産の唐辛子は、現在の朝鮮料理に彩りと辛みを添える上で欠かせない食材の一つである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "野菜の消費量は世界的に見ても高く、それらを用いたナムルは発酵食品としてテンジャンやコチュジャン、チョングッチャンといった味噌類、キムチ、マダラの内臓を発酵させたチャンジャ等が冬の保存食として各家庭で常備される。その他に魚の干物・チョッカル・シッケ・乾燥させた山菜や海草類も作られている", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "植物からの香辛料や薬念については、韓国式醤油・胡麻油・ニンニク・ネギ・生姜・唐辛子等が多く、また色んな香辛料により合わせ調味料ヤンニョム、つまり「薬念」を用いる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "朝鮮半島のスープ類、つまり「湯(タン・クㇰ)」は発達していて、野菜や香辛料を大量に取り込むことが最大の特徴である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "肉は牛・鶏・豚、又その内臓も使う。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "又、朝鮮半島にはヌロンイという食用犬種が存在し、韓国では犬肉が食べられている。年間100万頭が食べられており中国、ベトナムに次ぐ消費量である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "時代の流れにより犬肉食は少なくなっておりソウル市でポシンタンを出す店は100店以下となっている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "朝鮮半島は海に囲まれた地理のため、海藻類や魚介類の消費量も多く、生の魚介類も食されるようになった。韓国の朝鮮時代では一般家庭では肉よりも魚や野菜を主とした食卓が普通であったが、現代の韓国では逆になる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "朝鮮料理の惣菜は専用名詞の「飯饌(パンチャン)」と呼ぶ。一般的な韓国料理屋の場合、ナムルやキムチなどの一部惣菜を注文とは別に提供する事が多い。その惣菜は食べきれない場合残すことがマナーとされている。一方、多数の店で客の残した惣菜や料理の食べられない部分を盛り直して提供、あるいは他の料理に再利用することがあり、衛生上の問題や客からの苦情が多い。2009年6月の改正食品衛生法で禁止されるものの、依然そのような行為が横行している。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "伝統的なご飯膳の組み方を「飯床(パンサン)」という。「床」とは食べ物をのせる膳のことであり、飯床とは朝夕の献立で、主食のご飯と副食で成り立っている(昼食は点心(チョムシム)と呼ばれ、「心に点をつけるように」お粥や麺類で軽く済ませることが多い)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "飯床では、ご飯、スープまたはチゲ、キムチはすべての場合についてくる。その他におかずの数によって、三楪飯床(サンチョプパンサン)、五楪飯床(オーチョプパンサン)、七楪飯床(チㇽチョプパンサン)、九楪飯床(クーチョプパンサン)、十二楪飯床(シビチョプパンサン)とおかずの数が増える(楪(チョプ)とは蓋付きの器の意)。一般家庭では三楪か五楪の膳が組まれ、七楪、九楪となるとかなり豪華な膳である。十二楪はかつての宮廷だけの献立であった。飯床は、日本の本膳の立て方とも共通点が多い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "飯床を基に食堂のメニューとして発達したのが韓定食(ハンジョンシク)であるが、韓定食の名は古い文献には出てこない。各地の両班の御膳が商品化されたという説が有力。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "食事には、金属製の箸(チョッカラッ)と匙(スッカラッ)を用いる。", "title": "様式・マナー" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "しかし、現在の韓国では白いプラスティック製やステンレス製が一般的である。毒物による暗殺を恐れた王族や両班が、化学変化しやすい黄銅や銀の食器を使用することもあった。匙と箸は、日本と同じく横向きに置いていたが、現在では食卓の右側に縦向きに並べる。匙と箸を併せてスジョ(ko:수저、匙箸)といい、匙と箸を置く日本の箸置きのようなものはスジョパッチム(수저받침)という。箸を器の上に置くのは日本同様マナー違反であるが、食事中、匙を器の中に入れておいたり、器の端にかけておいたりすることもある。", "title": "様式・マナー" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "米飯が盛られたステンレス容器を「공깃밥(コンギパッ)」といい大韓民国朴正煕政権下で増え続ける米の消費量に対して米の消費を抑えるために1976年からステンレス製の小盛りの米飯を飲食店に義務付けた名残とされる。正確に直径10.5cm、高さ6cmであったが現在はこの規制は存在しない。", "title": "様式・マナー" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "茶碗・平鉢・鍾子・蒸し器・皿などの食器を一切持ち上げないのは原則であり、そもそも金属製の食器がよく使われるので熱が伝わりやすく持ち続けることは困難である。", "title": "様式・マナー" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "韓国料理での食器は持ち上げずに置いたまま、ご飯や汁物は匙で、汁のないおかずは箸を使って口に運ぶ。ただし、スンニュン(お焦げに湯を加えてお茶のようにしたもの)を飲む時や、冷麺を食べる時、汁物を食べ終わって最後に飲み干す時などは、器を持ち上げても構わないとする見解もある。ご飯(パプ)を汁物(クㇰ)に浸し、混ぜて食べる(クㇰパプ=クッパ)のはマナー違反ではない。床に座って食事をする場合、片膝立座で座るのが朝鮮の正式座法である。", "title": "様式・マナー" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "儒教の影響で、目上の人より先に箸を付けず、目上の人と酒を酌み交わす際には左手をひじや胸に添える。また目上の人の前で飲酒をする場合、目下の者は目上の人から顔を背け、手で口元を隠して飲まなければならない。また女性は、酌をしてはいけない。食事中の喫煙は目上の人の前では許されず、たとえ街角の屋台であっても、年長者に先立って煙を吹かすのは不快感を与える場合があり、言付け程度の許可は必要である。ただし現在は、完食して「ごちそうさまでした」でも問題ない。", "title": "様式・マナー" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "太陰暦によって行事を行い、四季毎に家庭で食材を仕込む習慣がある朝鮮半島では、行事に合わせてチョルシク(節食)と呼ばれる特別料理を食べる伝統もまだ生きている。中国や日本の習慣とも関連がある。", "title": "韓国伝統料理の種類" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "韓国には、人は生まれ育った土地のものを食べていれば健康が保てるという意味の「身土不二(シンドブリ)」という言葉が日本から渡り、好まれて使われている。ここでは、朝鮮半島およびその他の朝鮮民族居住地域の地方料理を紹介する。", "title": "韓国伝統料理の種類" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "庶民の生活に定着しているものに屋台がある。屋台にはノジョム(露店)とポジャンマチャ(「布張馬車」=幌馬車)がある。ノジョムはトッポッキ、キムパプ(韓国式海苔巻き)、トースト(ホットサンドのこと)などの軽食や、ホットク、プンオパン(たい焼きに似た「フナ焼き」)などのおやつ類を販売し、立ち食いが主となる。いっぽう、ポジャンマチャは可動式の飲み屋で、椅子を置き、周囲をビニール幕などで覆うことが多い。リヤカーを改造した程度の小規模なものが主流だが、周辺にテーブルセットをいくつか配して大型の店舗形態を成すものもある。厳寒の冬季にはストーブを入れて営業する。メニューは酒の肴となるモツや魚介の炒め物、スンデなどから、スープや麺類まで幅広い。", "title": "韓国伝統料理の種類" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "日本の居酒屋的存在といえるのがHOF(ホープ)である。ぱっと見た限りではバーのような外観のところも多いが、多人数で気軽に飲食できるので若年層に人気がある。学生街や繁華街などに多い店舗形態である。多くのHOFでは客が長居をするほど果物などをサービスで提供する。これはサービス品の単価よりも客回転を下げてでも飲み物(酒類)による利益が高いためである。", "title": "韓国伝統料理の種類" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "その他の庶民料理としてプンシク(粉食)があり、代表としてラミョン(ラーメン)がある。インスタントラーメンを入れる鍋料理「プデチゲ(部隊チゲ)」があるほどポピュラーなラーメンだが、日本のような専門店は一般的ではなく、プンシク店でもインスタントが主流である。このほかマンドゥやキムパブ、トッポッキなどをプンシク店では安価に供する。一方、ラーメンと同様に中国にルーツを持ちつつ、韓国風にアレンジされたチャジャンミョン(炸醤麺)等が中華料理店などの主力メニューになっている。", "title": "韓国伝統料理の種類" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "近年、宮廷料理や家庭料理等を取り入れたコース料理の韓定食が多くの韓国料理店で出されている。クジョルパン(九節板/九折坂)と呼ばれる陰陽五行説に基づいた色とりどりの食材を小麦粉と卵を用いて作られた皮に包んで食べる料理等が有名である。", "title": "韓国伝統料理の種類" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、出前文化も発達しており、ピザやフライドチキンなどはもちろんのこと、上記のプンシクやチャジャンミョン、その他さまざまな出前が利用されており、家庭や職場などでも出前を頼むことが可能である。", "title": "韓国伝統料理の種類" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "基本的に具が少なく一人ずつ供されるスープを指すのだが、実際には煮込み料理や鍋料理の様相となるものも多い。スープ(クク)に飯(パプ)を入れて食べるとクッパとなる。", "title": "代表的なメニュー" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "チゲ類の方がスープ類より汁が少なく、具沢山とされるが、区別は曖昧である。チョンゴル(煎骨)は数人で1つの鍋をつつくスタイル。", "title": "代表的なメニュー" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "チムには蒸し物と蒸し煮という意味があり、両者の代表的なものを挙げる。", "title": "代表的なメニュー" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "韓国の伝統菓子を総称して韓菓という。韓国では、甘さ控えめの味付けが好まれる傾向がある。", "title": "代表的なメニュー" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1945年以前の日本統治時代に移住してきた在日韓国・朝鮮人たちが、故国の料理を家庭で作り、食べていたが、次第に各地で飲食店を開店する者が現れ、客に故国の料理を提供するようになった。そこで提供されてきた料理は、故国の料理のみならず朝鮮料理をベースにしつつ、日本で独自に発展していったものもある。現在も、日本各地に「焼肉」「韓国料理」の名称で営業している飲食店が存在し、韓国式の流れをくむ店舗も少なくはない。韓国のプルコギを日本語では焼肉と呼ぶ。 焼いた肉という意味だ。 「焼肉」とは、韓国プルコギが在日韓国人によって日本語「焼肉」に名前が変わり、日本食文化のジャンルとして日本人の口に定着することになる。 この「焼肉」食文化の創始者が在日韓国・朝鮮人である。また「焼肉」といえば、まず思い浮かぶのが、在日韓国人、新大久保、ホルモン、鶴橋、キムチ、焼酎だ。 在日韓国人は戦後、日本の食文化にある程度の貢献をした。韓国プルコギを「焼肉」という名前で日本の食文化の中に定着させた。", "title": "日本における韓国料理" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "在日韓国・朝鮮人の出身地はさまざまなことから、その料理には彼らの出身地の料理の影響が大きい。たとえば、済州島出身者の韓国料理店では、ほかの地方では見られないスズメダイのフェを提供するところがある。日本で定着しているものの中には、チジミやチョレギ、チャンジャのように、ソウル標準語では使われない料理の名称がある。", "title": "日本における韓国料理" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "現在、韓国料理はすっかり日本国在住者にとって身近なものになっており、たとえばキムチは、今ではコンビニやスーパーでも普通に手に入る食品になっている。1990年代以降には韓国ブームの高まりに伴い各地に韓国料理店が増加した。ビビンバ・チゲなどの料理も一般的なレストラン・居酒屋で提供されるようになっている。", "title": "日本における韓国料理" } ]
朝鮮料理または韓国料理は、朝鮮半島に伝わる料理のこと。 韓方や陰陽五行の思想にのっとり、五色(赤・黄・白・緑・黒)、五味(酸・甘・渋・辛・塩)、五法(生・煮る・焼く・蒸す・炒める)をバランスよく献立に取り入れることを良しとする。
{{出典の明記|date=2016年8月}} [[ファイル:KOCIS Korean meal table (4553953910).jpg|220px|right|thumb|韓国における宴会料理]] '''朝鮮料理'''(ちょうせんりょうり、{{lang-ko|조선 료리}})または'''韓国料理'''(かんこくりょうり、{{lang-ko|한국 요리}})は、[[朝鮮半島]]に伝わる[[料理]]のこと<ref>{{Cite web|和書|title=韓国料理とは|url=https://kotobank.jp/word/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%96%99%E7%90%86-568760|website=コトバンク|accessdate=2021-12-09|language=ja|first=日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典|last=第2版}}</ref>。 [[韓方]]や[[陰陽五行]]の思想にのっとり、'''五色'''(赤・黄・白・緑・黒)、'''五味'''(酸・甘・渋・辛・塩)、'''五法'''(生・煮る・焼く・蒸す・炒める)をバランスよく献立に取り入れることを良しとする<ref name="ri">{{cite | author=李信徳 | publisher=[[柴田書店]] | title=韓国料理 伝統の味・四季の味 | version= | year=2001 | chapter= | page=171}}</ref>。 == 特徴 == [[ファイル:Korean.food-Andong.Hansik-Heotjesabab.jpg|thumb|220px|虚祭祀飯(ホッチェサパプ。{{lang|ko|헛제삿밥}})の膳]] [[ファイル:Korea-Seoul-Insadong-Sanchon-02.jpg|thumb|220px|ソウルの精進料理店の膳]] [[ファイル:Korean.food-Hanjungsik-01.jpg|thumb|220px|五人分の韓定食]] [[ファイル:Banchans.jpg|thumb|220px|[[パンチャン]](朝鮮料理のおかず)]] === 米と穀物中心の食文化 === 一食の構成は[[韓定食]]の飯床(パンサン)のルール(「韓定食の献立」で後述)にある程度従って、メインメニュー(多くはスープ類)に御飯(白米、[[赤米]]や、その他の穀物を炊き合わせた雑穀米など)と、[[キムチ]]、[[ナムル]]等のおかず(ミッパンチャン)が数種類。食堂では[[点心]](軽食)とみなす[[粥]]や[[麺類]]等には小膳が組まれ、キムチなどのミッパンチャンは無料で提供される。 [[ユーラシア大陸]]東部全域を見渡すと、南方の[[稲作]]文化圏と北方の[[雑穀]]畑作・[[牧畜]]文化圏の境界線の接点に位置する[[朝鮮半島]]は、[[米]]食中心と考えられることが多いが、伝統的に稲作が行われていた地域は[[温暖湿潤気候]]地域の南西部の一部に限られており<ref>[http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/jimusyo/165SEOUL/index.html 自治体国際化フォーラム]リンク切れ</ref>、半島の北半分は[[亜寒帯冬季少雨気候]]に属するため、食文化的には[[アワ|粟]]や[[キビ|黍]]・[[コムギ|小麦]]・[[ソバ|蕎麦]]・[[モロコシ|高粱]]といった[[畑作]]で得られる[[穀物]]を主食素材としてきた地域も多い<ref>李信徳『韓国料理 伝統の味・四季の味』([[柴田書店]]、2001年) 29頁</ref>。 [[仏教]]の影響を受けた朝鮮半島一部の人々は寺刹料理・[[精進料理]]を食べる。また毎回の食事で多種類のおかずが食卓に並ぶように配慮するのが一般的である。 === 山菜の多用 === 近隣国の[[日本料理]]や[[中華料理]]と比べ、[[ハクサイ|白菜]]・[[もやし]]・[[ワラビ]]・[[ゼンマイ]]・[[キキョウ]](トラジ)といった[[山菜]]を使った料理が多い。特に[[17世紀]]に日本を経由して18世紀後半の朝鮮王朝時代で一気に普及した[[中南米]]原産の唐辛子<ref group="注釈">「倭芥子」と呼ばれる唐辛子の流入以前の[[キムチ]]は辛味としては[[山椒]]や[[胡椒]]を用いた。</ref>は、現在の朝鮮料理に彩りと辛みを添える上で欠かせない食材の一つである。 野菜の消費量は世界的に見ても高く、それらを用いた[[ナムル]]は[[発酵食品]]として[[テンジャン]]や[[コチュジャン]]、[[チョングッチャン]]といった[[味噌]]類、[[キムチ]]、[[マダラ]]の内臓を発酵させた[[チャンジャ]]等が冬の保存食として各家庭で常備される。その他に魚の[[干物]]・[[チョッカル]]・[[シッケ (発酵食品)|シッケ]]・乾燥させた山菜や海草類も作られている<ref>[[朝鮮料理#石毛|石毛]]、pp.41-43.</ref><ref>『芝峯類説』、1613年</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.koreaworldtimes.com/topics/news/5103/ |title=韓国料理が辛くなったのは南北分断後?北朝鮮料理との違い その1 |publisher=コリアワールドタイムズ |date=2019-02-05 |accessdate=2020-07-13}}</ref> 植物からの香辛料や薬念については、韓国式[[醤油]]・[[胡麻油]]・[[ニンニク]]・[[ネギ]]・[[ショウガ|生姜]]・[[唐辛子]]等が多く、また色んな香辛料により[[合わせ調味料]][[ヤンニョム]]、つまり「薬念」を用いる。 === スープの文化 === 朝鮮半島の[[スープ]]類、つまり「'''湯'''(タン・クㇰ)」は発達していて、野菜や香辛料を大量に取り込むことが最大の特徴である。 === 焼肉の文化 === 肉は[[牛]]・[[鶏]]・[[豚]]、又その[[もつ|内臓]]も使う。<!--韓国料理の焼肉文化はかなり豊富なので、補足をお願いします。--> 又、朝鮮半島には[[ヌロンイ]]という食用[[イヌ|犬種]]が存在し、韓国では[[犬食文化#南北朝鮮|犬肉]]が食べられている。年間100万頭が食べられており中国、ベトナム<ref>{{Cite web|和書|url=https://s.wowkorea.jp/news/read/318206/ |title=犬肉の最大消費国は中国なのに、なぜ韓国の犬食イメージが強いか=韓国報道 |access-date=2022年9月8日}}</ref>に次ぐ消費量である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3368112 |title=愛犬家の韓国大統領、犬肉食禁止を検討か |access-date=2022年9月8日 |publisher=AFP}}</ref>。 時代の流れにより犬肉食は少なくなっておりソウル市で[[ポシンタン]]を出す店は100店以下となっている<ref>{{Cite web |url=https://www.asiae.co.kr/article/2019071015335582662 |title=[르포]텅텅 빈 보신탕집, 손님 꽉 찬 마라탕집…확 달라진 초복 풍경(종합) |access-date=2022年9月8日}}</ref>。 === 海産物 === 朝鮮半島は海に囲まれた地理のため、[[海藻]]類や魚介類の消費量も多く、生の魚介類も食されるようになった。韓国の朝鮮時代では一般家庭では肉よりも魚や野菜を主とした食卓が普通であったが、現代の韓国では逆になる。 === 飯饌 === 朝鮮料理の惣菜は専用名詞の「'''[[飯饌]]'''(パンチャン)」と呼ぶ。一般的な韓国料理屋の場合、ナムルやキムチなどの一部惣菜を注文とは別に提供する事が多い。その惣菜は食べきれない場合残すことがマナーとされている。一方、多数の店で客の残した惣菜や料理の食べられない部分を盛り直して提供、あるいは他の料理に再利用することがあり、衛生上の問題や客からの苦情が多い。2009年6月の改正食品衛生法で禁止されるものの、依然そのような行為が横行している<ref>[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0630&f=national_0630_140.shtml 韓国カムジャタン専門店、食べ残しの使いまわし10軒中5軒=韓国]</ref>。 === 飯床 === 伝統的なご飯膳の組み方を「'''飯床'''(パンサン)」という。「床」とは食べ物をのせる膳のことであり、飯床とは朝夕の献立で、主食のご飯と副食で成り立っている(昼食は[[点心]](チョムシム)と呼ばれ、「心に点をつけるように」お粥や麺類で軽く済ませることが多い)<ref>李、p. 171-172</ref>。 飯床では、ご飯、スープまたは[[チゲ]]、キムチはすべての場合についてくる。その他におかずの数によって、三楪飯床(サンチョプパンサン)、五楪飯床(オーチョプパンサン)、七楪飯床(チㇽチョプパンサン)、九楪飯床(クーチョプパンサン)、十二楪飯床(シビチョプパンサン)とおかずの数が増える(楪(チョプ)とは蓋付きの器の意)。一般家庭では三楪か五楪の膳が組まれ、七楪、九楪となるとかなり豪華な膳である。十二楪はかつての宮廷だけの献立であった。飯床は、日本の本膳の立て方とも共通点が多い。 飯床を基に食堂のメニューとして発達したのが[[韓定食]](ハンジョンシク)であるが、韓定食の名は古い文献には出てこない。各地の[[両班]]の御膳が商品化されたという説が有力。 *'''三楪飯床''':一汁三菜。ご飯、スープ、[[キムチ]]一品、[[醤]](ジャン)類(調味料)一品、チョリム(煮付け)または[[クイ]](焼き物)一品、[[ナムル]]または生菜(センチェ)一品、常備菜(チャンアチ、[[塩辛]]、[[チャーバン]](干物))一品 *'''五楪飯床''':二汁五菜。ご飯、スープ、チゲとチム(煮物)とジョンゴル(鍋物)との中から一品、キムチ二品、醤類二品、チョリム一品、クイ一品、ナムルまたは生菜(センチェ)一品、[[チヂミ|ジョン]](煎)一品、常備菜(チャンアチ、塩辛、チャーバン)一品 *'''七楪飯床''':二汁七菜。ご飯、スープ、チゲ、チムまたはジョンゴル、キムチ二品、醤類二品(または三品)、ジョン一品、片肉([[ピョニュク]]、茹で肉)または[[フェ]](刺身)一品、チョリム一品、クイ一品、ナムル一品、生菜一品、常備菜(チャンアチ、塩辛、チャーバン)一品 *'''九楪飯床''':二汁九菜。ご飯、スープ、チゲ二品、チム一品、ジョンゴル一品、キムチ三品、醤類三品(または二品)、ジョン一品、片肉またはフェ一品、チョリム一品、クイ一品、ナムル一品、生菜一品、チャンアチ一品、塩辛一品、チャーバン(干物)一品 *'''十二楪飯床''':二汁十二菜。ご飯二品、スープ二品、チゲ二品、チム一品、ジョンゴル一品、キムチ三品、醤類三品、片肉一品、ジョン一品、フェ一品、チョリム一品、クイ二品、ナムル一品、生菜一品、チャンアチ一品、塩辛一品、チャーバン(干物)一品、卵一品 == 様式・マナー == [[ファイル:Korean_Metal_Chopsticks.png|thumb|チョッカラッ]] === 金属製の箸と匙 === 食事には、金属製の[[箸]](チョッカラッ)と[[匙]](スッカラッ)を用いる。 しかし、現在の韓国では白いプラスティック製やステンレス製が一般的である。毒物による暗殺を恐れた王族や両班が、化学変化しやすい[[黄銅]]や[[銀]]の食器を使用することもあった。匙と箸は、日本と同じく横向きに置いていたが、現在では食卓の右側に縦向きに並べる。匙と箸を併せてスジョ({{lang|ko|[[:ko:수저]]}}、匙箸)といい、匙と箸を置く日本の[[箸置き]]のようなものはスジョパッチム({{lang|ko|수저받침}})という。箸を器の上に置くのは日本同様マナー違反であるが、食事中、匙を器の中に入れておいたり、器の端にかけておいたりすることもある。 米飯が盛られたステンレス容器を「공깃밥(コンギパッ)」といい[[大韓民国]][[朴正煕]]政権下で増え続ける米の消費量に対して米の消費を抑えるために[[1976年]]からステンレス製の小盛りの米飯を飲食店に義務付けた名残とされる<ref>{{Cite web |title=공깃밥, 어디서 와서 어디로 가나? |url=http://www.ikpnews.net/news/articleView.html?idxno=41522 |website=한국농정신문 |date=2020-07-26 |access-date=2023-11-17 |language=ko |first=한우준 |last=기자}}</ref><ref>{{Citation|title=전국 모든 식당마다 똑같이 생긴 공깃밥 쓰는 소름돋는 이유ㄷㄷ 공깃밥 안 쓰면 영업정지였다고? / 스브스뉴스|url=https://www.youtube.com/watch?v=Ugwv-ILH6VI|language=ja-JP|access-date=2023-11-17}}</ref>。正確に直径10.5cm、高さ6cmであったが現在はこの規制は存在しない。 === 茶碗・鉢などの食器を持たない === 茶碗・平鉢・鍾子・蒸し器・皿などの食器を一切持ち上げないのは原則であり、そもそも金属製の食器がよく使われるので熱が伝わりやすく持ち続けることは困難である。 韓国料理での食器は持ち上げずに置いたまま、ご飯や汁物は匙で、汁のないおかずは箸を使って口に運ぶ。ただし、[[スンニュン]]([[お焦げ]]に湯を加えてお茶のようにしたもの)を飲む時や、冷麺を食べる時、汁物を食べ終わって最後に飲み干す時などは、器を持ち上げても構わないとする見解もある。ご飯(パ<small>プ</small>)を汁物(クㇰ)に浸し、混ぜて食べる(クㇰパ<small>プ</small>=[[クッパ (料理)|クッパ]])のはマナー違反ではない。床に座って食事をする場合、片膝立座で座るのが朝鮮の正式[[座法]]である。 === 年長者への敬畏 === [[儒教]]の影響で、目上の人より先に箸を付けず、目上の人と酒を酌み交わす際には左手をひじや胸に添える。また目上の人の前で飲酒をする場合、目下の者は目上の人から顔を背け、手で口元を隠して飲まなければならない<ref>[http://www.asahi.com/international/korea/TKY200707230477.html 韓国式焼酎の飲み方] 朝日新聞 コリアうめーや!! 2007年7月24日</ref>。また女性は、酌をしてはいけない。食事中の喫煙は目上の人の前では許されず、たとえ街角の屋台であっても、年長者に先立って煙を吹かすのは不快感を与える場合があり、言付け程度の許可は必要である。ただし現在は、完食して「ごちそうさまでした」でも問題ない。{{要出典|date=2019年1月}} == 韓国伝統料理の種類 == === 節日の料理 === [[ファイル:Koreanthanksgiving-chuseok.jpg|thumb|200px|[[秋夕]]の供え物]] [[太陰暦]]によって行事を行い、[[四季]]毎に家庭で食材を仕込む習慣がある朝鮮半島では、行事に合わせて'''チョルシク'''(節食)と呼ばれる特別料理を食べる伝統もまだ生きている<ref>朝日新聞社『週刊朝日百科 世界の食べ物 朝鮮半島2』(第8巻80号、1983年)pp8-253-256</ref>。中国や日本の習慣とも関連がある。 ; [[ソルラル]] : [[正月]]、旧暦1月1日。[[おせち料理]]に当たるセージョンサン(歳饌床)。トックク([[トック]]の雑煮)、{{仮リンク|油菓|ko|유과}}(ユグァ、[[韓菓]]の一種で、[[揚げ菓子]])、肉類、[[シッケ]]などを用意する。 ; {{仮リンク|テボルム|ko|유과|redirect=1}} : [[小正月]]、旧暦1月14日から15日。ナムルとともに[[五穀|オゴクパプ]](五穀飯)を9回食べる他、[[薬食]](ヤクシク)を食べる。 ; {{仮リンク|サムジンナル|ko|삼짇날}} : [[上巳]]、旧暦3月3日。野に出て遊ぶファジョンノリ(화전놀이)を行う。[[ツツジ]]が咲く地方では、[[チョウセンゴミシ]]と[[蜂蜜]]を入れた汁にゆでたツツジの花を入れたチンダルレファチェ([[ツツジ]]の{{仮リンク|花菜 (韓国料理)|label=花菜|ko|화채}})を飲む。春の花を乗せて焼いた丸いお焼き、ファジョン({{仮リンク|花煎|ko|화전 (음식)}})を食べる。 ; 燈夕(トゥンソク) : 4月8日の[[灌仏会]]。寺に参ったり、[[精進料理]]でもてなす。 ; [[端午]](タノ) : 旧暦5月5日。[[ヨモギ]]や[[チョウセンヤマボクチ]]を練り込んで車輪の型で押したトック(車輪餅 チャリュンビョン)や[[ユスラウメ]]のファチェをいただく。 ; [[秋夕]](チュソク) : 旧暦8月15日の仲秋節。先祖に供えるための供え物を用意する。[[リョクトウ]]などの[[餡]]を詰め、松葉と共に蒸したソンピョン(송편、松편)というトックを食べる。 ; [[冬至]](トンジ) : [[厄払い]]に[[パッチュク]]([[小豆粥]])を食べる。 === 地方料理 === 韓国には、人は生まれ育った土地のものを食べていれば健康が保てるという意味の「[[身土不二]](シンドブリ)」という言葉が日本から渡り、好まれて使われている。ここでは、朝鮮半島およびその他の朝鮮民族居住地域の地方料理を紹介する<ref>鄭銀淑『韓国の美味しい町』(光文社、2006年)</ref>。 ; [[平安道]] : 麺類では、小麦の生産がさかんな南部で[[カルグクス]]が発展したのに対し、ソバやジャガイモの生産がさかんな北部では[[冷麺]]が発展した。ソバの実を使った麺を冷麺といい、ソバの殻を使った麺を'''[[マッククス]]'''という。北部の冷麺にも地方ごとにさまざまな特色があるが、とりわけ有名なものが'''平壌冷麺'''である。この平壌冷麺と'''[[開城]][[クッパ (料理)|湯飯]]'''そして'''[[全州市|全州]][[ビビンバ]]'''の3つが、李氏朝鮮時代の三大料理とされる。冷麺のスープには[[大同江]]の水が使われ、その水のおいしさが冷麺の味の秘訣とされる。冬に食べる冷麺の味が最高とされ、「以冷治冷(イネンチネン)」すなわち冷たさで寒さを治める食べ物とされた。1920年代にはすでに[[平壌直轄市|平壌市]]内に冷麺を売る店があり、麺だけ買って家でスープをかけて食べられることも多かった。韓国には、[[朝鮮戦争]]によって北側から南側に移り住んだ人々が冷麺店を次々に始めたため、急速に広まった。現在でも、韓国の冷麺店では郷土を懐かしむ北部訛りの人々が集まるという。平壌で最も有名な冷麺店は「[[玉流館]]」であり、料理人三百人、一日一万食を売るという大店舗である。[[脱北者]]によると「玉流館」で食事をするのは軍や党の幹部以外の一般庶民にとって容易ではなく、職場で食券の配給を受ける必要があったという。食券のない者は朝から当日券のために並ぶ必要があり、そのためのダフ屋もいた。[[1999年]]、「玉流館」がソウルに支店を出店して話題となったものの現在は閉店している。北朝鮮の味付けは淡白、薄味が好まれるとされ、この平壌冷麺も拍子抜けするほどあっさりしたスープの味が本物に近いという。玉流館で修行経験がある料理人が2000年に脱北し、現在、ソウルで玉流館レシピで作る平壌冷麺の店を経営している<ref>{{Cite news |url=https://www.koreaworldtimes.com/topics/travel/6815/ |title=ソウルで食べる平壌冷麺 玉流館のレシピで作られる絶品冷麺を食べてみた |publisher=コリアワールドタイムズ |date=2020-02-22 |accessdate=2020-06-25}}</ref>。 : そのほか、[[スンデ]]クッパも北朝鮮が本場であり、北からの移住民によって韓国に広まった料理である。また、温飯(オンバン)も平壌で発達したクッパの一種である。 ; [[咸鏡道]] : 咸鏡道で多く取れるジャガイモのでんぷんから作った麺に、辛いコチュジャンだれをからめた'''ビビン冷麺'''(ノンマグクス)は、平壌冷麺と並んでよく知られている。韓国では'''[[咸興市|咸興]]冷麺'''と呼ぶが、これは咸鏡道出身者によって平壌冷麺と差別化のために名づけられた呼称である。平壌冷麺と比べて麺が容易に噛み切れないが、咸鏡道出身者にとっては噛み切ることで冷麺の味が分かるという。 ; [[黄海道]] : 黄海道は穀倉地帯で、北朝鮮のほかの地域に比べて食文化が豊かとされる。北朝鮮で有名な'''[[海州市|海州]]ビビンバ'''は[[ラード|豚の油]]で炒めた飯を使うのが特徴。また生のナムルではなく干したものを使うことも特徴である。また、北朝鮮では淡白な味を好むためか、ビビンバはコチュジャンではなくカンジャン(醤油)で食べるという。 ; [[京畿道]] : 1970年代の[[仁川広域市|仁川]]で、[[冷麺]]工場"クァンシン製麺"で間違って太く作られた冷麺の麺に、甘辛いたれをからめた'''チョル麺'''が生まれた。また仁川の[[中華街]]が発祥といわれる'''[[チャジャンミョン]]'''も有名である。 ; [[忠清道]] : 朝鮮半島の中西部に位置し、米や麦などの穀物類を中心にククス(汁麺)・トック(餅類)などの種類も多い。カルグクスの前身ともいわれる'''ジェムルクッス'''が有名。味付けは比較的薄味で量は大目に供される。 ; [[全羅道]] : [[後百済]]の都があった全羅道は肥沃な平野に属し、穏やかな気候ゆえ古来から農耕文化の中心であった。また海産物や山菜が豊富であったゆえ食文化が発達し、現在味といえば全羅道として韓国人に認識されているほど食文化の本場とされている。それは、グルメ番組で店主が全羅道出身であることが強調されるほどだという。 : 全州文化院のソ・スン院長によれば、全羅道で食文化が発達した背景には、宮廷料理、両班の料理、庶民の料理が分けられていた王朝時代において、食材豊かだった全羅道は他の地域に比べて庶民が両班の料理をまねしやすく、両班の料理が郷土料理として定着したことにあるという。 : ビビンバで最も有名なものが全州ビビンバである。韓国でビビンバといえば、全州式であることが多い。南北東西と中心を表す「青・赤・黄・白・黒」で具がまとめられているのが特徴である。 : また[[益山市]]の北にある黄登面には、日本統治時代が発祥の'''黄登ビビンバ'''がある。 : [[ガンギエイ]]を韓国伝統の手法で発酵させた'''[[ホンオフェ]]'''は、全羅道を代表する料理。 ; [[慶尚道]] : 平壌冷麺や咸興冷麺よりも知名度は低いが、昔から平壌冷麺と並び有名だったものに'''[[晋州市 (慶尚南道)|晋州]]冷麺'''がある。1994年の北朝鮮の文献『朝鮮の民族伝統』でも、この二つを冷麺の一番として紹介している。晋州冷麺の他の冷麺と大きく異なる特徴は、海産物を使った独特のスープである。晋州ではかつて「北の平壌、南の晋州」といわれるほど[[妓生]]文化が発達しており、この料理は料亭で富裕層の朝鮮人や日本人、妓生たちによって食べられていた。また'''晋州ビビンバ'''は、彩の美しさから「花飯(ファパン)」とも呼ばれる。起源には諸説あるが、最もよく言われるのは[[晋州城の戦い]]のとき、軍人たちが簡単に食べられるように作られたとするものである。 : [[釜山広域市|釜山]]の代表的料理は'''ミルミョン'''である。[[釜山鎮区]]伽倻2洞の店から広まったため'''伽倻ミルミョン'''と呼ばれることが多い。「ミル」とは朝鮮語で[[ムギ|麦]]のことであり、その名の通り[[コムギ|小麦]]で作られた黄色い麺の料理である。北部からの移住者が創始者で、米軍が配給した小麦に目を付けて小麦の麺で冷麺を作ったところ、すぐ噛み切れるために気性のせっかちな釜山の人々に好まれたのだという。また、北朝鮮が本場のスンデクッパが釜山に伝わった際、釜山の人々は内臓食を好まず、戦後に比較的入手しやすかった豚肉をのせ、すぐに用意できる'''テジクッパ'''が生まれたといわれる。'''[[東萊]][[チヂミ|パジョン]]'''は、東萊と[[機張郡]]で採れる[[ネギ]]を入れることによって生まれた独特なパジョンである。酢入りの[[コチュジャン]]、チョコチュジャンを付けて食べる。 ; [[江原道 (朝鮮八道)|江原道]] : 江原道の料理は、[[太白山脈]]を擁する山深い地形と不可分の関係にある。[[蕎麦粉]]を溶いて薄く[[クレープ]]のように焼いた、'''メミルジョンピョン(チョントック)'''という料理が知られている。 ; [[済州道]] : 温暖であるが火山島のために肥えた土壌が少なく、また、[[元朝]]が[[済州島]]の住民への嫌がらせのために消化の悪い[[ソバ]]の種を伝えたため、朝鮮で初めてソバの実が伝わったのが済州道である。チョントックとよく似た'''ピントック'''という料理がある。周囲は[[ケンサキイカ]]、[[アマダイ#日本近海産のおもな種類|アカアマダイ]]、[[タチウオ]]などの漁や、[[アワビ]]、[[ウニ]]、[[ワカメ]]などの[[海女 (韓国)|海女]]漁が盛んな海のため、これらを使った料理が多い。刺身と[[キュウリ]]、[[ゴマ]]などの薬味を唐辛子や酢で味を付けた氷入りの汁で食べる'''ムルフェ'''、[[フェ]]、干物の[[焼き魚]]、アワビ粥(チョンボクチュク)、ウニワカメスープ、海産物スープの'''トゥッペギ'''などが有名。また、伝統的には家庭の[[便所|厠]]で飼っていた[[ブタ|黒豚]](フクテジ)を使った'''オギョプサル'''や[[プルコギ]]などの焼き肉料理も有名。味付けは、唐辛子の辛みが少ない。 ; [[朝鮮族]] : [[中華人民共和国|中国]]の[[吉林省]]などの[[中国東北部|東北三省]]に多く居住する朝鮮族の料理は、中華料理の地方料理である[[東北料理]]に影響を与え、近年は中国の各地にも店が増えつつある。また、犬肉文化が盛んである。[[延吉市]]内には多くの犬肉料理店があり、市内を走る海蘭路は「狗肉路」と呼ばれている。<ref>http://www.searchnavi.com/~hp/dog/eiyou.htm</ref> === 外食料理(主に大韓民国) === [[File:Chijimi at Seoul.JPG|thumb|right|[[ソウル特別市|ソウル]]・[[仁寺洞]]の屋台で出された[[チヂミ]]]] [[File:Korean Breakfast.JPG|thumb|right|[[仁川国際空港]]の食堂で出された朝食。定食には大根[[キムチ]]などが決まってついてくる。]] 庶民の生活に定着しているものに[[屋台]]がある。屋台にはノジョム(露店)とポジャンマチャ(「布張馬車」=幌馬車)がある。ノジョムは[[トッポッキ]]、[[キムパプ]](韓国式海苔巻き)、[[トースト]]([[ホットサンド]]のこと)などの軽食や、[[ホットク]]、[[プンオパン]]([[たい焼き]]に似た「フナ焼き」)などのおやつ類を販売し、立ち食いが主となる。いっぽう、ポジャンマチャは可動式の[[飲み屋]]で、椅子を置き、周囲をビニール幕などで覆うことが多い。リヤカーを改造した程度の小規模なものが主流だが、周辺にテーブルセットをいくつか配して大型の店舗形態を成すものもある。厳寒の冬季には[[ストーブ]]を入れて営業する。メニューは酒の[[肴]]となる[[モツ]]や魚介の炒め物、[[スンデ]]などから、スープや麺類まで幅広い。 日本の居酒屋的存在といえるのがHOF(ホープ)である。ぱっと見た限りではバーのような外観のところも多いが、多人数で気軽に飲食できるので若年層に人気がある。学生街や繁華街などに多い店舗形態である。多くのHOFでは客が長居をするほど[[果物]]などをサービスで提供する。これはサービス品の単価よりも客回転を下げてでも飲み物(酒類)による利益が高いためである。 その他の庶民料理としてプンシク(粉食)があり、代表としてラミョン([[ラーメン]])がある。[[インスタントラーメン]]を入れる鍋料理「[[プデチゲ]](部隊チゲ)」があるほどポピュラーなラーメンだが、日本のような専門店は一般的ではなく、プンシク店でもインスタントが主流である。このほか[[マンドゥ]]やキムパブ、トッポッキなどをプンシク店では安価に供する。一方、ラーメンと同様に中国にルーツを持ちつつ、韓国風にアレンジされた[[チャジャンミョン]](炸醤麺)等が中華料理店などの主力メニューになっている。 近年、宮廷料理や家庭料理等を取り入れたコース料理の韓定食が多くの韓国料理店で出されている。[[クジョルパン]](九節板/九折坂)と呼ばれる[[陰陽五行説]]に基づいた色とりどりの食材を小麦粉と卵を用いて作られた皮に包んで食べる料理等が有名である。 また、出前文化も発達しており、[[ピザ]]や[[フライドチキン]]などはもちろんのこと、上記のプンシクやチャジャンミョン、その他さまざまな出前が利用されており、家庭や職場などでも出前を頼むことが可能である。 == 代表的なメニュー == === スープ類(タン/湯、クク)=== [[ファイル:Korean.cuisine-Manduguk-01.jpg|thumb|マンドゥクッ]] [[ファイル:Kkori-gomtang.jpg|thumb|コムタン]] 基本的に具が少なく一人ずつ供される[[スープ]]を指すのだが、実際には[[煮込み料理]]や[[鍋料理]]の様相となるものも多い。スープ(クク)に飯(パプ)を入れて食べるとクッパとなる。 * [[カムジャタン]]:名は「[[ジャガイモ]]汁」<ref group="注釈">「カムジャ」が豚の背骨(の一部)の別名だという人も多いが、証明されなかった。</ref>だが実際は豚の背骨にしゃぶりつく鍋料理。 * [[カルビタン]]:骨付き[[ウシ|牛]]カルビ肉で作るスープ。澄んだものと白濁したものがある。 * [[コムタン (韓国料理)|コムタン]]:ソルロンタンと似た白濁スープ。牛の尾で作るとコリコムタンと呼ばれる。 * [[サムゲタン]](参鶏湯):若鶏にもち米と[[オタネニンジン|高麗人参]]、[[ナツメ]]などを詰めて煮た薬膳料理。 * [[ソルロンタン]]:牛の肉・骨で作る代表的な白濁スープ。食前に各自で味付けする。 * [[タットリタン]]:鶏肉とジャガイモなど野菜を辛味で煮込む家庭料理。 * [[チュオタン]]:[[ドジョウ]]をすり潰して入れるスープ。丸のまま入れるものもある。 * [[トガニタン]]:牛の[[膝蓋骨]]とその付近の肉を煮込んで作るスープ。 * [[ネジャンタン]](内臓湯):[[もつ]]と野菜を煮込んだスープ。 * [[ポシンタン]](補身湯):[[犬食文化|犬肉]]の鍋料理。盛夏などに栄養をつけるとして食べる料理。 * [[メウンタン]]:[[ヒラメ]]のアラなどでダシを取って作る、その名も「辛いスープ」。 * [[テグタン]]:[[マダラ]]の切り身が入った辛味のスープ。 * アルタン:[[たらこ]]を具として辛味に煮込む料理。酔い覚ましに良いと言われる。 * シレギタン:[[ダイコン|大根]]などの青菜を辛く煮た汁物。家庭料理。 * [[ヘジャンクク]]:酔い覚まし用スープの総称。ソンジ(牛の血を固めたもの)を入れたものなどが有名。 * [[ミヨックク]]:[[ワカメ]]スープ。冷たいまま、もしくは凍らせて食べる。 === 鍋類(チゲ、チョンゴル) === [[ファイル:Korean.food-kimchi.jjiggae-01.jpg|thumb|キムチチゲ]] [[チゲ]]類の方がスープ類より汁が少なく、具沢山とされるが、区別は曖昧である。[[チョンゴル]](煎骨)は数人で1つの鍋をつつくスタイル。 *[[キムチチゲ]]:醗酵が進んだ[[ハクサイ|白菜]]キムチと肉・野菜で作る代表的家庭料理。 *[[コプチャンチョンゴル]]:牛の[[小腸]]([[コプチャン]])を使った辛味の[[もつ鍋|ホルモン鍋]]。 *スンドゥブチゲ:[[スンドゥブ]](おぼろ豆腐)を入れた辛いチゲ。 *チャムチチゲ:[[ツナ]]缶を使ったキムチチゲ。 *[[テンジャンチゲ]]:肉・野菜を味噌(テンジャン)味で煮込んだチゲ。 *トゥブチゲ(豆腐チゲ) *トンテチゲ:冷凍[[スケトウダラ]]を使った辛いチゲ。 *[[プデチゲ]](部隊チゲ):[[ハム]]やラーメンを辛いスープで煮込んだチゲ。 *チョングッチャンチゲ(清麹醤チゲ):肉・野菜をチョングッチャンで煮込んだチゲ。 === 肉類 === [[ファイル:Korean.cuisine-Bulgogi-01.jpg|thumb|プルコギ]] [[ファイル:タッカンマリ.JPG|right|thumb|タッカンマリ]] [[ファイル:Korean fried chicken yangnyeom.jpg|サムネイル|ヤンニョムチキン]] *[[カルビ]]:あばら肉。牛カルビはソカルビ。その焼肉がカルビグイ。味付けしないで焼くこともある。 *[[サムギョプサル]]:豚[[三枚肉]]を使う非常にポピュラーな焼肉。コチュジャンなどを付け、サンチュ、[[エゴマ]]の葉などで巻いて食べる。 *[[タッカルビ]]:カルビとあるが実際は鶏肉ぶつ切りを野菜と辛味で炒める鉄板料理。 *[[タッカンマリ]]:文字通り「鶏一羽」を水炊きし食卓で取り分け、好みのタレで食べる。 *[[トッカルビ]]:[[挽肉]]をカルビの形にして焼いた料理。 *[[タッコチ]]:鶏肉の小片とタマネギを串に刺して焼いた料理。 *[[テジコプテギ]]:豚皮を焼いた料理。 *[[サム (料理)|サム]]:葉野菜等で具を包んで食べる料理。 **[[ポッサム (料理)|ポッサム]]:茹でて薄切りにした豚肉のサム。 **ウォルナムサム :ライスペーパーを使用したサム、ウォルナムは南越の事<ref>李信徳『韓国料理 伝統の味・四季の味』([[柴田書店]]、2001年) 257頁</ref>。 *[[ヤンニョムチキン]]:[[ヤンニョム]]を絡めたフライドチキン。 *[[ユッケ]]:生肉を使った肉の刺身。ヤンニョムを絡めた牛肉に卵黄や梨を添えて食べる。 === 海鮮類 === [[ファイル:Mentaiko by Kanko.jpg|thumb|辛子明太子]] [[ファイル:Korean.cuisine-Hoe-02.jpg|thumb|カキやホヤなどのフェ]] [[ファイル:Kejang.JPG|thumb|[[ケジャン]](醤油味)]] [[ファイル:Korean Ganjanggejang.jpg|thumb|韓国のワタリガニ料理'''カンジャンケジャン'''(간장게장/醤油ケジャン/かんじゃんけじゃん/Kangangkejang)]] *[[辛子明太子]]:[[スケトウダラ]]の[[卵巣]](明太子)を塩漬け熟成・塩抜き後に唐辛子・昆布の調味液に漬け込んで発酵させた惣菜。 *[[ケジャン]]:生の[[チュウゴクモクズガニ|ワタリガニ]]のヤンニョム漬け。唐辛子味と醤油味がある。 :[[カンジャンケジャン]] - 醤油の味付け :ヤンニョムケジャン - 唐辛子の味付け *[[サンナクチ]]:生きたテナガダコをぶつ切りにした「踊り食い」。 *[[チョリム]]:[[サバ]]、[[タチウオ]]などと野菜の辛い煮付け。 *[[ナクチボックム]]:ポックムは[[炒める|炒め物]]。タコの辛味炒め。イカで作るとオジンオボックム。 *[[フェ]](鱠):生の魚介の韓国風[[刺身]]、あるいは野菜などとの和えもの。白身魚が主流。貝類、ヤリイカ類、[[ユムシ]]なども用いる。 *[[ヘムルタン]]:魚・貝などヘムル(海のもの)を豪華に入れた海鮮鍋。 *[[ホンオフェ]](洪魚鱠):[[ガンギエイ]]の刺身。珍味として発酵させ、[[アンモニア]]臭があるものが有名。 === 野菜類 === [[ファイル:Korean.food-Namul-02.jpg|thumb|ナムル]] *[[キムチ]]:白菜・大根などの野菜を漬け込んで発酵させた代表的食品。朝鮮半島では毎年秋に越冬用として大量のキムチを漬ける。これを「'''キムジャン'''」といい、2013年[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された。 *[[チャプチェ]](雑菜):[[春雨 (料理)|春雨]]と野菜の炒め物。家庭から宴席までの定番。 *[[ナムル]]:モヤシ等の野菜、ゼンマイなどの山菜を味付けして和えたもの。 === お焼き類(チョン/煎) === *[[チヂミ]]:標準語では「プチムゲ」。 *[[パジョン]]はネギのお焼き。 *[[ジョン (料理)|チョン]]:魚、肉、野菜などに衣をつけて焼いた料理。 *[[チャントッ]] *[[ピンデトッ]]:[[リョクトウ|緑豆]]のチヂミ。 === 蒸し物類(チム) === チムには蒸し物と蒸し煮という意味があり、両者の代表的なものを挙げる。 *[[ケランチム]]:日本で言う[[茶碗蒸]]に似ているが、具材は多様で丼程度の量が多い。 *[[アグチム]]:[[アンコウ]]の蒸し物。大量のモヤシとともに辛めに蒸し煮にする。 === ご飯類(パㇷ゚/飯) === [[ファイル:Korean.food-Bibimbap-02.jpg|thumb|石焼ビビンバ]] *[[キムパプ|キムパ<small>プ</small>]]:韓国版海苔巻き。酢飯ではない。「三角キムパブ」といえば「おにぎり」のこと。 *[[クッパ (料理)|クッパ]](ク<small>ク</small>パ<small>プ</small>) *サムパ<small>プ</small>:ご飯にサムジャンをつけサンチュなどの葉菜で巻いて食べる。 *チュ<small>ク</small>([[粥]]):朝食などのほか、宴席の前菜としても供される。日本の粥と異なり米の粒が残らない程度につぶしてある。 **[[パッチュク]]</small>:[[白玉]]団子の入った[[小豆粥]]。 **チョンボ<small>ク</small>チュ<small>ク</small>:[[アワビ]]と「ケウ」({{lang|ko|게우}})と呼ばれるアワビの内臓などが入ったお粥。 **ホバ<small>ク</small>チュ<small>ク</small>:[[カボチャ]]の入った前菜のお粥。 *[[トルソッパブ]]:米を穀類や豆とトルソッ(石釜)で炊いた釜飯。おかずと供する。 *[[ビビンバ]](ピビ<small>ム</small>バ<small>プ</small>)。石釜のものはトルソッピビンパ<ref>朝倉敏夫『世界の食文化 1 韓国』 (農山漁村文化協会、2005年) 25頁</ref>。 *ポック<small>ム</small>パ<small>プ</small>([[炒飯]]):キムチポックムパブなど。 === 麺類(ミョン、ククス) === [[file:KOCIS_Mul-naengmyeon,_Chilled_Buckwheat_Noodle_Soup_(4594756202).jpg|thumb|right|ムル(スープ)冷麺]] [[ファイル:Bibim-naengmyeon_1.jpg|thumb|right|ピビム(混ぜ)冷麺]] *[[冷麺]](ネンミョン):ムル(スープ)冷麺と、ピビム(混ぜ)冷麺がある。 *[[チャジャンミョン]]:中式(中華風)の国民食。韓国風にアレンジされた[[炸醤麺]]。 *[[チョル麺]]([[:ko:쫄면]]):韓国仁川の代表料理。 *[[麺|ククス]]:小麦粉で作った細い[[うどん]]様の麺。麺類全体をさす言葉でもある。 **[[カルグクス]]:ククスをスープに入れた温麺。 **[[コングクス]]:[[豆乳]]をスープにした冷製の麺料理。夏の風物詩。 **[[ビビンククス]]:ククスを薬念で和えた辛い冷麺。 *[[チャプチェ]]:唐麺(タンミョン)と呼ばれる[[春雨 (食品)|春雨]]を野菜などと炒めた料理。 *[[ちゃんぽん|チャンポン]]:中式。スープに粉唐辛子が入っている。 === 粉食(プンシク)類 === [[ファイル:Korean.cuisine-Sujebi-01.jpg|thumb|スジェビ]] *[[スジェビ]]:韓国風[[すいとん]] *[[トック]]:餅や餅菓子のこと。炒め物や汁物などの料理にも使われる。 *[[トッポッキ]]:うるち米で作った餅を炒めたもの。スナックとして屋台の定番。 *[[マンドゥ (料理)|マンドゥ]](饅頭):韓国風[[餃子]]。スープに入れるとマンドゥクク。[[肉まん]]風のものもある。 *[[ラミョン]]([[ラーメン]]):国民食と言えるが、店でもインスタントが普通。 *[[ティギム]]:衣をつけた揚げ物の総称。[[天ぷら|天婦羅]]に似ている。具材はゲソ、サツマイモ、マンドゥなど。 === 宮廷料理 === [[ファイル:Korea.royal.cuisine-Sinseollo-01.jpg|thumb|シンソルロ]] *クジョルパン([[九節板]]):小さなクレープ様のチヂミで野菜などを巻いて食べる。 *シンソルロ(神仙爐):独特な形状の一人用鍋で供する宮廷鍋料理。 === その他(食材など) === *[[韓国海苔]]:お土産でおなじみ。ごま油と塩で味付けされたものが主流。 *[[スンデ]]:韓国風[[ソーセージ|腸詰]]。豚の血を使うため黒い。そのまま、あるいは調理して食べる。 *[[チョッカル]]:塩辛、[[魚醤]]。[[カタクチイワシ]]の[[ミョルチジョッ]]、小エビのセウジョッなどがある。 *チョッパル:茹でた[[豚足]]。酒肴の定番。「豚を溶かす」と言われるセウジョッ(アミの塩辛)をつけて食べる。 *[[ポンテギ]]:[[カイコ]]の[[さなぎ]]を煮た伝統的な間食。 *[[ミスッカル]]:蒸したり煎ったりした[[穀粉]]を混ぜ合わせたもの。 *[[トトリムク|ムク]]:[[ソバ]]、緑豆、[[ドングリ]]などの粉で作る寄せもの。野菜と和えるか、薬念のタレをつけて食べる。 *[[ユッス]](肉水):肉の茹で汁。[[出汁]]として利用する。 === 菓子類 === [[ファイル:Tteok.jpg|thumb|トック]] 韓国の伝統菓子を総称して[[韓菓]]という。韓国では、甘さ控えめの味付けが好まれる傾向がある。 *[[トック]]:[[餅]]の総称。搗き餅、蒸し餅など種類が豊富。 *[[クルタレ]]:[[蜂蜜]]を細い糸状に伸ばして[[胡桃]]などを包む[[菓子]]。別名ヨンスヨム(竜髭)。 *[[ケランパン]]:[[今川焼き]]に似ているが、中に鶏卵が入っている。 *ヤックァ([[薬菓]]):小麦粉に蜂蜜や胡麻油を練り込んで成形し、揚げた菓子。 *ヤクシク([[薬食]]):蒸した[[もち米]]と小豆、[[クリ|栗]]、[[ナツメ]]、[[キャラメル|カラメル]]、醤油、ごま油、[[シナモン]]、[[松の実]]を混ぜ合わせて蒸した菓子。 *[[パッピンス]]:小豆[[餡]]と果物などをトッピングした[[かき氷]]。 *[[ホットク]]:小麦粉を溶いた生地で[[黒砂糖]]、蜂蜜、[[シナモン]]などを包んで鉄板で焼いた菓子。 *[[プンオパン]]:韓国版[[たい焼き]]。「プンオ」とは[[フナ]]の意。 *ホミルホドゥ(ホドゥグァジャ):ライムギと小麦粉と砂糖を混ぜ合わせた生地のクルミ入り饅頭。「ホミル」とは[[ライムギ]]の意。「ホドゥグァジャ」とは胡桃菓子の意で、胡桃の香ばしいにおいがする。 === 飲み物 === [[ファイル:Korean.tea-Omijacha-02.jpg|thumb|オミジャ(五味子)茶]] *[[シッケ]] : 甘酒の一種。食後のデザート飲料として好まれる。 *[[スジョングァ]](水正果):干し柿から作る冷たい飲み物。これも食後に。 *[[韓国の茶|茶]]:[[茶外茶]]が多い。ホットジュース風の甘いものもある。 === 酒類 === [[ファイル:Makgeolri.jpg|thumb|マッコリ]] {{See also|伝統酒}} *慶州法酒(キョンジュボッジュ) *[[ソジュ|焼酎]](ソジュ) *[[百歳酒]](ペクセジュ) *[[爆弾酒]](ポクタンジュ) *[[マッコリ]] == 日本における韓国料理 == [[1945年]]以前の日本統治時代に移住してきた[[在日韓国・朝鮮人]]たちが、故国の料理を家庭で作り、食べていたが、次第に各地で飲食店を開店する者が現れ、客に故国の料理を提供するようになった。そこで提供されてきた料理は、故国の料理のみならず朝鮮料理をベースにしつつ、日本で独自に発展していったものもある。現在も、日本各地に「[[焼肉]]」「韓国料理」の名称で営業している飲食店が存在し、韓国式の流れをくむ店舗も少なくはない。韓国のプルコギを日本語では焼肉と呼ぶ。 焼いた肉という意味だ。 「焼肉」とは、韓国[[プルコギ]]が在日韓国人によって日本語「焼肉」に名前が変わり、日本食文化のジャンルとして日本人の口に定着することになる。 この「焼肉」食文化の創始者が在日韓国・朝鮮人である。また「焼肉」といえば、まず思い浮かぶのが、在日韓国人、新大久保、ホルモン、鶴橋、キムチ、焼酎だ。 在日韓国人は戦後、日本の食文化にある程度の貢献をした。韓国プルコギを「焼肉」という名前で日本の食文化の中に定着させた<ref>{{Cite web |title=한국 불고기가 일본 인기요리 '야키니쿠' 된 사연 |url=http://www.jejusori.net/news/articleView.html?idxno=100387 |website=제주의소리 |date=2011-06-07 |access-date=2023-11-22 |language=ko}}</ref>。 在日韓国・朝鮮人の出身地はさまざまなことから、その料理には彼らの出身地の料理の影響が大きい。たとえば、済州島出身者の韓国料理店では、ほかの地方では見られない[[スズメダイ]]の[[フェ]]を提供するところがある<ref>{{Cite web|和書|title=荒川ゆうネットアーカイブ > 特集 > 三河島コリアタウン Part1 食文化編 > 焼肉レストラン 曙苑 文 敬淑さん|url=https://www.city.arakawa.tokyo.jp/unet/issue/0602_2/interview.html|website=www.city.arakawa.tokyo.jp|accessdate=2021-05-03}}</ref>。日本で定着しているものの中には、[[チヂミ|チジミ]]や[[コッチョリ|チョレギ]]、[[タラ#人間との関わり|チャンジャ]]のように、ソウル標準語では使われない料理の名称がある。 現在、韓国料理はすっかり日本国在住者にとって身近なものになっており、たとえばキムチは、今ではコンビニやスーパーでも普通に手に入る食品になっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sej.co.jp/products/a/item/103181/ |title=7プレミアム 本場韓国産キムチ |access-date=2022年9月8日 |publisher=セブン-イレブン・ジャパン}}</ref>。[[1990年代]]以降には韓国ブームの高まりに伴い各地に韓国料理店が増加した。[[ビビンバ]]・[[チゲ]]などの料理も一般的なレストラン・居酒屋<ref>{{Cite web|和書|url=https://watami-zawatami.com/menu/food/ |title=フードメニュー |access-date=2022年9月8日}}</ref>で提供されるようになっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gyukaku.ne.jp/menu/menu-menmeshi.php |title=飯・スープ |access-date=2022年9月8日 |publisher=レインズインターナショナル}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *朝倉敏夫『世界の食文化 1 韓国』 (農山漁村文化協会、2005年) ISBN 9784540050091 *[[石毛直道]]『世界の食べもの』(講談社、2018年) ISBN 978-4-06-292171-8{{Anchors|石毛}} *姜仁姫『韓国食生活史――原始から現代まで』([[藤原書店]]、2000年 )ISBN 4894342111 *黄慧性・石毛直道『平凡社ライブラリー 韓国の食(新版)』([[平凡社]]、2005年) ISBN 4582765297 *李信徳『韓国料理 伝統の味・四季の味』([[柴田書店]]、2001年)ISBN 4388058955 == 関連文献 == *{{Cite book|和書|author=周永河|title=食卓の上の韓国史 おいしいメニューでたどる20世紀食文化史|translator=丁田隆|date=2021/12/25|publisher=慶應義塾大学出版会|isbn=978-4-7664-2784-4}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|食|[[画像:2013 09 10 Tomate.jpg|50px|Portal:食]]}} *[[大韓民国における犬肉の消費]] * {{ill2|韓国の宮廷料理|en|Korean royal court cuisine}}(水刺床、スラサン) * {{ill2|バンチャ|en|Bangjja}} - 伝統的に王室で使われた[[青銅器]]について。 == 外部リンク == {{Commonscat|Cuisine of Korea}} *[http://www.kankokufoods.com/ 韓国料理レシピ] *[https://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/FOD/FO_JPN_1_1.jsp 代表的な韓国料理] - 韓国観光公社公式サイト *[https://www.kpedia.jp/p/155-2 韓国料理関連の韓国語単語と日常会話、単語一覧] - 韓国語辞書Kpedia(ケイペディア) {{朝鮮}} {{料理}} {{アジア料理}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ちようせんりようり}} [[Category:地域別の料理]] [[Category:朝鮮の食文化|*]] [[Category:韓国の食文化|*]]
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LISP
LISP(リスプ)は、プログラミング言語である。前置記法などが特徴である。 1958年にはじめて設計されたLISPは、現在広範囲に使用されている高水準プログラミング言語の中でもFORTRANに次いで2番目に古い。ただし、FORTRANと同様に、現在のLISPは初期のものから非常に大きく変化している。 これまでに多数の方言が存在してきたが、今日最も広く知られるLISP方言は、Common LispとSchemeである。 元々、LISPは、アロンゾ・チャーチのラムダ計算表記法に影響を受け、コンピュータプログラムのための実用的かつ数学的な表記法として作られた。そして、すぐに人工知能研究に好まれるプログラミング言語になった。最初期のプログラミング言語として、LISPは計算機科学にて、木構造、ガベージコレクション、動的型付け、条件分岐、高階関数、再帰、セルフホスティング、コンパイラを含む多くのアイディアを切り開いた。 LISPの名前は、「list processor」に由来している。リストはLISPの主要なデータ構造であり、LISPソースコードはそれ自体がリストからできている。その結果、LISPプログラムはソースコードをデータとして操作することができ、プログラマは、マクロ・システムで新しい構文やLISP埋め込みの新しいDSLを作成できる。 コードとデータの互換性は、LISPにそのすぐに認識できる構文を与える。すべてのプログラム・コードはS式または入れ子のリストとして書かれる。関数呼び出しまたは構文は先頭が関数または演算子の名前で、その続きが引数であるリストとして書かれる。具体的には、3つの引数を取る関数fは、(f arg1 arg2 arg3)として呼び出される。 LISPは1958年にジョン・マッカーシーがMITにいた期間に考案された。マッカーシーは1960年にACMの学会誌Communications of the ACMに「Recursive Functions of Symbolic Expressions and Their Computation by Machine, Part I」という題名の論文(「パートII」が発表されることはなかった)を発表した。この論文における重要な点はいくつかあるが、そのひとつは、自分自身を eval できる meta-circular evaluator(en:Meta-circular evaluator)を記述できる、ということを示したことである 。 1955年または1956年からはじまった、IPLは、最初の人工知能言語で、リスト処理や再帰などの多くの概念をすでに含んでいたが、その後すぐにそういった分野ではLISPが使われるようになった。 前述の meta-circular evaluator はLISP自身で実装されているが、ひとたびLISP以外の言語で実装すればそれは実際にLISPを解釈実行できるインタプリタとなる。マッカーシーは自分の論文中にある評価器は単なる理論上の存在で、そのようにしてインタプリタを実装可能であると考えていなかった。しかし、マッカーシーのもとで大学院生であったスティーブ・ラッセルは論文を読んだ後、機械語でそれを実装してみせ、マッカーシーを驚かせた。そうしてLISPインタプリタが生まれた。 meta-circular evaluator は、ある意味で、チューリングマシンにおける万能チューリングマシンに相当する。(当初LISPプログラムの表現法としていた)「M式」を、LISP自身が扱うデータ構造に変換した「S式」は、万能チューリングマシンの入力(テープの初期状態)として与えられるチューリングマシンの記述に相当する。マッカーシーはやはり、LISPプログラムのS式による表現はevalを考えるための論文の中だけのものと考えており、実際のプログラムをS式で書くようになるとは考えていなかった。 LISPは当初IBM 704上で実装されたが、その計算機のレジスタを構成する部分の名前が、対を分解する関数car、cdrの名前の由来となった。爾来、ほとんどのLISPの方言において、carとcdrはそれぞれlistの最初の要素と、最初の要素以外を返す関数の名前となっている。 その発端からLISPは、人工知能研究のコミュニティ、特にPDP-10システムのユーザーには近しい存在であった。PDPの計算機の設計目標の一つにLispの実装があり、PDP-6は当初、1ワード24bitの計算機として設計されていたが、Lisp1.5を移植しやすくするために36bitに変更された。人工知能コミュニティでは、LISPはプログラミング言語の実装用言語としても用いられた。有名なAIシステムSHRDLUの実装言語のMicro Plannerは、MACLISPで実装されている。 また、1970年代には、LISPで実装されたREDUCEや、Macsyma等の数式処理システムの需要が高まるにつれ高速なLISPの処理系の需要も高まり、LISPを高速に処理するいわゆるLISPマシンの動機の一つとなった。LISPマシンは、タグアーキテクチャや、ハードウェアスタック等LISP向けのハードウェア機構により、型のディスパッチや関数呼出し、ガベージコレクションの高速化を実現した。 LISPは実装の容易さゆえに非常に多くの方言を生んだ。マクロを用いれば文法構造それ自体を拡張できるので、ある意味では利用者ごとに方言があるとさえいってよい。1970年代から1980年代にかけては、大きく分けてMACLISP系とInterlisp系の二つの主流が存在し、後のLISP方言に影響を与えている。 1980年代と1990年代には、たくさんのLISP方言を一つの言語に統合しようという努力がなされた。その結果として設計された新しい言語Common Lispは基本的にそれらの方言のスーパーセットであり、それらを置き換えることになった。1994年にANSIはCommon Lispの標準仕様「ANSI X3.226-1994 American National Standard for Programming Language Common LISP」を出版した。しかし、このときまでには、全盛期に比べるとLISPの市場は小さくなっていた。 一方で1970年代中ごろには、LISPベースでプログラミングに必要な言語機能を極限まで抽象化したSchemeが発生し、こちらも現在の主流の一つになっている。 LISPは現在でも広く使われている年代物の言語の一つである。 LISPは「式指向」の言語である。他の多くの言語とは違って、式と文は区別されず、すべてのコードとデータは式として書き下される。式が評価されたとき、それは値(または値のリスト)を生成する。式は他の式に埋め込める。 マッカーシーの1958年の論文では、2つのタイプの表現が導入されている。内部のデータ構造の表現であるS式(記号式、英: symbolic expression、sexp)と、S式を引数に取りS式を返す関数を表す、外部表現であるM式(メタ式、英: meta expression)である。マッカーシーは、S式はプログラムの処理対象のデータの表現に使い、LISPプログラムの表現にはM式を使った。S式によるプログラムの表現は論文の中のみのものと考えていた。しかし、S式で表現されたプログラムを評価するevalが実装され、S式で表現することでプログラムをプログラムで操作できるという利点があり、今日ではほとんどすべてのLISP言語でM式は使用されておらず、プログラムとデータの両方にS式を使用する。 LISPの用いる S式は括弧を大量に使用するため、批判を受けることもある。「LISP は 『lots of irritating superfluous parentheses』(過剰でいらいらさせる大量の括弧)に由来する」というジョークもある。しかし、S式による構文はLISPの能力を生み出してもいる。この構文は極めて正規化されているので、コンピュータによる操作が容易に行える。 式への依存が、LISPに優れた柔軟性を与えている。LISPの関数は、それ自身がリストとして書かれており、データとまったく同様に扱うことができる。LISPのプログラムは他のLISPプログラムを処理するように書くことができる。これは、メタプログラミングと呼ばれる。多くの LISP方言はこの機能をマクロシステムで活用しており、言語自身の機能をほとんど際限なく拡張することを可能にしている。 LISPでのリストは空白と括弧で区切られた要素で記述される。たとえば、 は1, 2, "foo"の値を要素として持つ1つのリストである。これらの値は暗黙の型を持つ。これらは2つの整数と1つの文字列であるが、そのように宣言されている必要はない。空のリスト()はnilとも書ける。 ここでは Lisp の方言の一つである Common Lisp を例に説明する。現実の実装では、上記のリストを直接処理系に入力するとエラーが起きる。 これは、上の(1 2 "foo")は正しい式ではないからである。処理系の中で上のリストを表現したい場合は、クオート「'」を用いて'(1 2 "foo")と書く必要がある。このことを解説するため、ここでLISPでの評価ルールについて述べる。 すべての式は前置記法のリストとして書かれる。リストの最初の要素はフォーム(関数、演算子、マクロ、特殊フォームのいずれか)の名前である。リストの残りは引数である。たとえば、関数listはその引数をリストとして返す。つまり式 は評価されてリスト'(1 2 "foo")を返す。このことを念頭に置いて、もう一度最初に挙げた式を振り返ると、 という仕組みでによりエラーが返されたことがわかるだろう。 もし引数のどれかが式であれば、それを含む式が評価される前にそれが再帰的に評価される。たとえば、 はリスト(1 2 (3 4))に評価される。つまり、3番目の引数はリストであり、リストはネストできるのである。 算術演算も同様に処理される。式 は10に評価される。この式は中置記法では「 1 + 2 + 3 + 4 {\displaystyle 1+2+3+4} 」と等価である。 特殊形式(special form)は制御構造など、引数の位置にあるものを通常のようには評価しないような機能を提供する。たとえば、ifは3つの引数をとり、 第一引数の値が真なら第二引数に、偽なら第三引数に評価される。ここで真とはnil以外、偽とはnilのことである。したがって式 は(3 4 "bar")に評価される。evenpは、その第一引数が偶数であるときにtを、 奇数の時nilを返す関数である。5は奇数なので、第一引数(evenp 5)を評価したifは、その第三引数(list 3 4 "bar")を返す。 関数の定義には、特殊形式lambdaによって のようにして、関数を表現する。この例は、ラムダ計算における (λx y.(x + y))をLISPで表現したものである。 特殊形式defunで関数を定義すると、関数に名前を付けて定義できる。defunの引数は引数のリストと、関数として評価される式である。 1980年代、LISPのサブセットの純粋関数型である純LISPと、その処理系であるLispkit Lispが、関数型プログラミングのテストベッド用に、SECDマシン上で開発された。 その仕様としては、遅延評価を評価戦略に採り、レキシカルスコープを採用している。 以下の5つの関数と特殊形式、他にシンボルのnilとt、などがあれば自分自身を解釈実行できるevalを実装できる。このことはある意味で万能チューリングマシンと同様のことであると言える。 以下にいくつかのLISP (特にCommon Lisp) のコード例を示す。これらは産業界における典型的なコードではないが、コンピュータサイエンスのコースで通常教えられる典型的なLISPコードである。 LISPの構文はそれ自身が再帰的定義に自然に適合している。それゆえ、再帰的に定義された集合を列挙するというような数学の問題をシンプルに表現できる。 以下の関数は引数の階乗に評価される。 下記は別のやり方であり、末尾再帰になっている。 再帰と対照的な概念である反復による計算の例として、Common Lispの代表的な繰り返し構文であるloopマクロを使った例を示す。 loopはマクロであり、これが展開されて最終的にはプリミティブな構文の組み合わせに翻訳される。 以下の関数は引数にリストをとり、そのリストの要素の順番を逆にしたものに評価される(LISPは実際には同じことを行うビルトイン関数を普通持っている)。 以下を含む多種のオブジェクト指向あるいはモジュールがLISPの上に、あるいは併置して、あるいは組み込まれて設置されている。 CLOSは多重継承と多重ディスパッチ(マルチメソッド)の機能を持ち、強力なメソッド結合(method combination)のシステム(FIXME)を持つ。LISPを含めたCommon Lispは、公式に標準化された最初のオブジェクト指向言語である。
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"その発端からLISPは、人工知能研究のコミュニティ、特にPDP-10システムのユーザーには近しい存在であった。PDPの計算機の設計目標の一つにLispの実装があり、PDP-6は当初、1ワード24bitの計算機として設計されていたが、Lisp1.5を移植しやすくするために36bitに変更された。人工知能コミュニティでは、LISPはプログラミング言語の実装用言語としても用いられた。有名なAIシステムSHRDLUの実装言語のMicro Plannerは、MACLISPで実装されている。", "title": "LISPの歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "また、1970年代には、LISPで実装されたREDUCEや、Macsyma等の数式処理システムの需要が高まるにつれ高速なLISPの処理系の需要も高まり、LISPを高速に処理するいわゆるLISPマシンの動機の一つとなった。LISPマシンは、タグアーキテクチャや、ハードウェアスタック等LISP向けのハードウェア機構により、型のディスパッチや関数呼出し、ガベージコレクションの高速化を実現した。", "title": "LISPの歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "LISPは実装の容易さゆえに非常に多くの方言を生んだ。マクロを用いれば文法構造それ自体を拡張できるので、ある意味では利用者ごとに方言があるとさえいってよい。1970年代から1980年代にかけては、大きく分けてMACLISP系とInterlisp系の二つの主流が存在し、後のLISP方言に影響を与えている。", "title": "LISPの歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1980年代と1990年代には、たくさんのLISP方言を一つの言語に統合しようという努力がなされた。その結果として設計された新しい言語Common Lispは基本的にそれらの方言のスーパーセットであり、それらを置き換えることになった。1994年にANSIはCommon Lispの標準仕様「ANSI X3.226-1994 American National Standard for Programming 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『lots of irritating superfluous parentheses』(過剰でいらいらさせる大量の括弧)に由来する」というジョークもある。しかし、S式による構文はLISPの能力を生み出してもいる。この構文は極めて正規化されているので、コンピュータによる操作が容易に行える。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "式への依存が、LISPに優れた柔軟性を与えている。LISPの関数は、それ自身がリストとして書かれており、データとまったく同様に扱うことができる。LISPのプログラムは他のLISPプログラムを処理するように書くことができる。これは、メタプログラミングと呼ばれる。多くの LISP方言はこの機能をマクロシステムで活用しており、言語自身の機能をほとんど際限なく拡張することを可能にしている。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "LISPでのリストは空白と括弧で区切られた要素で記述される。たとえば、", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "は1, 2, \"foo\"の値を要素として持つ1つのリストである。これらの値は暗黙の型を持つ。これらは2つの整数と1つの文字列であるが、そのように宣言されている必要はない。空のリスト()はnilとも書ける。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ここでは Lisp の方言の一つである Common Lisp を例に説明する。現実の実装では、上記のリストを直接処理系に入力するとエラーが起きる。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "これは、上の(1 2 \"foo\")は正しい式ではないからである。処理系の中で上のリストを表現したい場合は、クオート「'」を用いて'(1 2 \"foo\")と書く必要がある。このことを解説するため、ここでLISPでの評価ルールについて述べる。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "すべての式は前置記法のリストとして書かれる。リストの最初の要素はフォーム(関数、演算子、マクロ、特殊フォームのいずれか)の名前である。リストの残りは引数である。たとえば、関数listはその引数をリストとして返す。つまり式", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "は評価されてリスト'(1 2 \"foo\")を返す。このことを念頭に置いて、もう一度最初に挙げた式を振り返ると、", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "という仕組みでによりエラーが返されたことがわかるだろう。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "もし引数のどれかが式であれば、それを含む式が評価される前にそれが再帰的に評価される。たとえば、", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "はリスト(1 2 (3 4))に評価される。つまり、3番目の引数はリストであり、リストはネストできるのである。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "算術演算も同様に処理される。式", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "は10に評価される。この式は中置記法では「 1 + 2 + 3 + 4 {\\displaystyle 1+2+3+4} 」と等価である。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "特殊形式(special form)は制御構造など、引数の位置にあるものを通常のようには評価しないような機能を提供する。たとえば、ifは3つの引数をとり、 第一引数の値が真なら第二引数に、偽なら第三引数に評価される。ここで真とはnil以外、偽とはnilのことである。したがって式", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "は(3 4 \"bar\")に評価される。evenpは、その第一引数が偶数であるときにtを、 奇数の時nilを返す関数である。5は奇数なので、第一引数(evenp 5)を評価したifは、その第三引数(list 3 4 \"bar\")を返す。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "関数の定義には、特殊形式lambdaによって", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "のようにして、関数を表現する。この例は、ラムダ計算における (λx y.(x + y))をLISPで表現したものである。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "特殊形式defunで関数を定義すると、関数に名前を付けて定義できる。defunの引数は引数のリストと、関数として評価される式である。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1980年代、LISPのサブセットの純粋関数型である純LISPと、その処理系であるLispkit Lispが、関数型プログラミングのテストベッド用に、SECDマシン上で開発された。 その仕様としては、遅延評価を評価戦略に採り、レキシカルスコープを採用している。 以下の5つの関数と特殊形式、他にシンボルのnilとt、などがあれば自分自身を解釈実行できるevalを実装できる。このことはある意味で万能チューリングマシンと同様のことであると言える。", "title": "純LISP" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "以下にいくつかのLISP (特にCommon Lisp) のコード例を示す。これらは産業界における典型的なコードではないが、コンピュータサイエンスのコースで通常教えられる典型的なLISPコードである。", "title": "プログラム例" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "LISPの構文はそれ自身が再帰的定義に自然に適合している。それゆえ、再帰的に定義された集合を列挙するというような数学の問題をシンプルに表現できる。", "title": "プログラム例" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "以下の関数は引数の階乗に評価される。", "title": "プログラム例" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "下記は別のやり方であり、末尾再帰になっている。", "title": "プログラム例" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "再帰と対照的な概念である反復による計算の例として、Common Lispの代表的な繰り返し構文であるloopマクロを使った例を示す。", "title": "プログラム例" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "loopはマクロであり、これが展開されて最終的にはプリミティブな構文の組み合わせに翻訳される。", "title": "プログラム例" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "以下の関数は引数にリストをとり、そのリストの要素の順番を逆にしたものに評価される(LISPは実際には同じことを行うビルトイン関数を普通持っている)。", "title": "プログラム例" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "以下を含む多種のオブジェクト指向あるいはモジュールがLISPの上に、あるいは併置して、あるいは組み込まれて設置されている。", "title": "オブジェクト指向システム" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "CLOSは多重継承と多重ディスパッチ(マルチメソッド)の機能を持ち、強力なメソッド結合(method combination)のシステム(FIXME)を持つ。LISPを含めたCommon Lispは、公式に標準化された最初のオブジェクト指向言語である。", "title": "オブジェクト指向システム" } ]
LISP(リスプ)は、プログラミング言語である。前置記法などが特徴である。 1958年にはじめて設計されたLISPは、現在広範囲に使用されている高水準プログラミング言語の中でもFORTRANに次いで2番目に古い。ただし、FORTRANと同様に、現在のLISPは初期のものから非常に大きく変化している。 これまでに多数の方言が存在してきたが、今日最も広く知られるLISP方言は、Common LispとSchemeである。 元々、LISPは、アロンゾ・チャーチのラムダ計算表記法に影響を受け、コンピュータプログラムのための実用的かつ数学的な表記法として作られた。そして、すぐに人工知能研究に好まれるプログラミング言語になった。最初期のプログラミング言語として、LISPは計算機科学にて、木構造、ガベージコレクション、動的型付け、条件分岐、高階関数、再帰、セルフホスティング、コンパイラを含む多くのアイディアを切り開いた。 LISPの名前は、「list processor」に由来している。リストはLISPの主要なデータ構造であり、LISPソースコードはそれ自体がリストからできている。その結果、LISPプログラムはソースコードをデータとして操作することができ、プログラマは、マクロ・システムで新しい構文やLISP埋め込みの新しいDSLを作成できる。 コードとデータの互換性は、LISPにそのすぐに認識できる構文を与える。すべてのプログラム・コードはS式または入れ子のリストとして書かれる。関数呼び出しまたは構文は先頭が関数または演算子の名前で、その続きが引数であるリストとして書かれる。具体的には、3つの引数を取る関数fは、(f arg1 arg2 arg3)として呼び出される。
{{Otheruseslist|プログラミング言語の一種であるLISP|同名の声優ユニット|LISP (声優ユニット)|インターネットのプロトコル|Locator/Identifier Separation Protocol}} {{出典の明記|date=2023年11月}} {{Infobox プログラミング言語 | fetchwikidata = | onlysourced = false | name = LISP | released = {{start date and age|1958}} | designer = [[ジョン・マッカーシー]] | developer = [[スティーブ・ラッセル]]、ティモシー・P・ハート、マイク・レビン | dialects = {{lang|en|[[Arc (プログラミング言語)|Arc]]}}、{{lang|en|[[AutoLISP]]}}、{{lang|en|[[Clojure]]}}、{{lang|en|[[Common Lisp]]}}、{{lang|en|[[Emacs Lisp]]}}、{{lang|en|[[EuLisp]]}}、{{lang|en|[[Franz Lisp]]}}、{{lang|en|[[Hy]]}}、{{lang|en|[[Interlisp]]}}、{{lang|en|[[ISLISP]]}}、{{lang|en|[[Le Lisp]]}}、{{lang|en|[[LFE (プログラミング言語)|LFE]]}}、{{lang|en|[[Maclisp]]}}、{{lang|en|[[MDL (プログラミング言語)|MDL]]}}、{{lang|en|[[newLISP]]}}、{{lang|en|[[NIL (プログラミング言語)|NIL]]}}、{{lang|en|[[PicoLisp]]}}、<br>{{lang|en|[[Portable Standard Lisp]]}}、{{lang|en|[[Racket (プログラミング言語)|Racket]]}}、{{lang|en|[[Scheme]]}}、{{lang|en|[[SKILL (プログラミング言語)|SKILL]]}}、{{lang|en|[[Spice Lisp]]}}、{{lang|en|[[T (プログラミング言語)|T]]}}、{{lang|en|[[XLISP]]}}、{{lang|en|[[Lisp Machine Lisp]]}} | typing = [[型システム#静的な型付けと動的な型付け|強い]][[動的型付け]] | influenced = {{lang|en|[[CLIPS]]}}、{{lang|en|[[CLU]]}}、{{lang|en|[[COWSEL]]}}、{{lang|en|[[Dylan]]}}、{{lang|en|[[Egison]]}}、{{lang|en|[[Falcon (プログラミング言語)|Falcon]]}}、<br/> {{lang|en|[[Forth]]}}、{{lang|en|[[Haskell]]}}、{{lang|en|[[Io (プログラミング言語)|Io]]}}、{{lang|en|[[Ioke (プログラミング言語)|Ioke]]}}、{{lang|en|[[JavaScript]]}}、<br/>{{lang|en|[[Julia (プログラミング言語)|Julia]]}}、{{lang|en|[[LOGO]]}}、{{lang|en|[[Lua]]}}、{{lang|en|[[Mathematica]]}}、{{lang|en|[[MDL (プログラミング言語)|MDL]]}}、<br/>{{lang|en|[[ML (プログラミング言語)|ML]]}}、{{lang|en|[[Nu (プログラミング言語)|Nu]]}}、{{lang|en|[[OPS5]]}}、{{lang|en|[[Perl]]}}、{{lang|en|[[POP-2]]}}、{{lang|en|[[POP-11]]}}、{{lang|en|[[Python]]}}、{{lang|en|[[R言語|R]]}}、{{lang|en|[[Rebol]]}}、{{lang|en|[[RPL (プログラミング言語)|RPL]]}}、{{lang|en|[[Ruby_(代表的なトピック)|Ruby]]}}、{{lang|en|[[Smalltalk]]}}、{{lang|en|[[Tcl]]}} }} '''{{lang|en|LISP}}'''(リスプ)は、[[プログラミング言語]]である。<!--長い歴史を持ち、特徴的で完全に括弧で囲われた[[ポーランド記法]]<ref> {{cite book |title=Milestones in computer science and information technology |author=Edwin D. Reilly |publisher=Greenwood Publishing Group |year=2003 |isbn=978-1-57356-521-9 |pages=156–157 |url=https://books.google.co.jp/books?id=JTYPKxug49IC&pg=PA157&redir_esc=y&hl=ja }}</ref>によって記述される。-->前置記法などが特徴である。 1958年にはじめて[[設計]]された{{lang|en|LISP}}は、現在広範囲に使用されている[[高水準言語|高水準プログラミング言語]]の中でも{{lang|en|[[FORTRAN]]}}に次いで2番目に古い<ref>{{cite web|url=http://sicp.iijlab.net/fulltext/xfore.html|quote=Lispはほぼ四半世紀の間使われた長命者である. 現役のプログラミング言語では{{lang|en|Fortran}}だけが先輩である.|title=SICP: 序文|accessdate=2015-10-20}}</ref>。ただし、{{lang|en|FORTRAN}}と同様に、現在の{{lang|en|LISP}}は初期のものから非常に大きく変化している。 これまでに多数の[[方言 (プログラミング言語)|方言]]が存在してきたが、今日最も広く知られる{{lang|en|LISP}}[[方言 (プログラミング言語)|方言]]は、[[Common Lisp|{{lang|en|Common Lisp}}]]と[[Scheme|{{lang|en|Scheme}}]]である。 元々、{{lang|en|LISP}}は、[[アロンゾ・チャーチ]]の[[ラムダ計算]]表記法に影響を受け、[[プログラム (コンピュータ)|コンピュータプログラム]]のための実用的かつ数学的な表記法として作られた。そして、すぐに[[人工知能]]研究に好まれる[[プログラミング言語]]になった。最初期の[[プログラミング言語]]として、{{lang|en|LISP}}は[[計算機科学]]にて、[[木構造 (データ構造)|木構造]]、[[ガベージコレクション]]、[[動的型付け]]、[[if文|条件分岐]]、[[高階関数]]、[[再帰]]、[[セルフホスティング]]、[[コンパイラ]]を含む多くのアイディアを切り開いた。<ref>{{Cite web|和書|title=技術野郎の復讐|author=Paul Graham|url=http://practical-scheme.net/trans/icad-j.html|accessdate=2015-10-20}}</ref> {{lang|en|LISP}}の名前は、「{{lang|en|list processor}}」に由来している。[[連結リスト|リスト]]は{{lang|en|LISP}}の主要な[[データ構造]]であり、{{lang|en|LISP}}[[ソースコード]]はそれ自体がリストからできている。その結果、LISPプログラムは[[ソースコード]]を[[データ構造|データ]]として操作することができ、[[プログラマ]]は、[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]・システムで新しい構文や{{lang|en|LISP}}埋め込みの新しい[[ドメイン固有言語|DSL]]を作成できる。 コードとデータの互換性は、{{lang|en|LISP}}にそのすぐに認識できる構文を与える。すべてのプログラム・コードは[[S式]]または入れ子のリストとして書かれる。関数呼び出しまたは構文は先頭が関数または演算子の名前で、その続きが引数であるリストとして書かれる。具体的には、3つの引数を取る関数<code>f</code>は、<code>(f arg1 arg2 arg3)</code>として呼び出される。 <!-- LISPは比較的容易に実装できるため、非常に多くの[[方言 (プログラミング言語)|方言]]が存在する。 [[関数型言語]]に分類されるが、ほとんどのLISP方言は、[[変数 (プログラミング)|変数]]への[[名前束縛|束縛]]だけでなく、代入やデータ構造の破壊的操作も可能という、手続き型言語の性格ももっている。 LISPの特徴として以下のようなものがある。 *[[動的型付け|動的な型付け]](値には型情報を持つが変数は型を持たない) *[[前置記法]] *コード自身を[[第一級オブジェクト|第一級(ファーストクラス)オブジェクト]]として扱うことができる LISPは、全ての[[プログラミング言語]]の中でも2番目に古い高級言語であり、現在でも広く使われている。ただし、最古の高級言語[[FORTRAN]]と同様に、言語仕様は初期と比べて大きく変化している。 --> ==LISPの歴史== {{Multiple image|image1=John McCarthy Stanford.jpg|footer=ジョン・マッカーシー(上)、スティーブ・ラッセル(下)|image2=Steve Russell.jpg|direction=vertical}} {{lang|en|LISP}}は1958年に[[ジョン・マッカーシー]]が[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]にいた期間に考案された<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author=ポール・グレアム |authorlink= |coauthors= |translator= |year= |date=2002-09-01 |title=ANSI Common Lisp |publisher=ピアソン・エデュケーション |page=1 |id= |isbn=4-89471-433-7 |quote= }}</ref>。マッカーシーは1960年に[[Association for Computing Machinery|ACM]]の学会誌{{lang|en|Communications of the ACM}}に「{{lang|en|Recursive Functions of Symbolic Expressions and Their Computation by Machine, Part I}}」<ref> {{cite web |title=Recursive Functions of Symbolic Expressions and Their Computation by Machine, Part I |author=John McCarthy |url=http://www-formal.stanford.edu/jmc/recursive.html |accessdate=2021-08-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131006003734/http://www-formal.stanford.edu/jmc/recursive.html |archivedate=2013-09-06}}</ref>という題名の論文(「パートII」が発表されることはなかった)を発表した。この論文における重要な点はいくつかあるが、そのひとつは、自分自身を [[eval]] できる meta-circular evaluator([[:en:Meta-circular evaluator]])を記述できる、ということを示したことである <!--([[純LISP]]の記事も参照のこと)←前掲マッカーシー1960論文には "pure" の表記なし、M-expressionのみ。英語版Lisp記事でも言及なし。ただし1979年マッカーシー著の「History of Lisp」中に "... (Cartwright and McCarthy 1978) show how to represent pure LISP programs ..." の一文は見られる。以上から混同と判断。他のM式云々はそもそも歴史の話題を扱っているので的外れ -->。 1955年または1956年からはじまった、[[Information Processing Language|IPL]]は、最初の人工知能言語で、リスト処理や再帰などの多くの概念をすでに含んでいたが、その後すぐにそういった分野では{{lang|en|LISP}}が使われるようになった。 <!-- [[ジョン・マッカーシー]]によるLISPの着想は1956年夏の「{{lang|en|Dartmouth summer research project on artificial intelligence}}」(人工知能についてのダートマス大学夏季研究プロジェクト)にさかのぼる。H. Gelernter、J. R. Hansen、C. L. Gerberichが[[IBM 704]]上のFORTRANでリスト操作をおこなう[[サブルーチン]]のパッケージとして1958年にFLPL({{lang|en|'''F'''ORTRAN '''l'''ist '''p'''rocessing '''l'''anguage}})を実装した。プログラミング言語としてのLISPは1958年の秋に[[実装]]がはじまった。[[データ構造]]の[[S式]]やその[[関数]]は、実装する[[コンピュータ]]に依存しないよう[[設計]]した。当初のLISPは、[[ソースコード|ソース]]の[[式 (プログラミング)|式]]を、その式の[[値 (情報工学)|値]]を[[計算]]する[[機械語]]の[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]に[[変換]]する、[[コンパイラ]]として実装された。1960年に[[論文]] 「{{lang|en|Recursive functions of symbolic expressions and their computation by machine, Part I}}」(記号表現の再帰的関数とそれらを用いた機械計算、第一部)を[[Association for Computing Machinery|ACM]]の学会誌「{{lang|en|Communications of the ACM}}」(コミュニケーションズ・オブ・ジ・ACM)に発表する。 -->前述の meta-circular evaluator はLISP自身で実装されているが、ひとたび{{lang|en|LISP}}以外の言語で実装すればそれは実際に{{lang|en|LISP}}を解釈実行できる[[インタプリタ]]となる。マッカーシーは自分の論文中にある評価器は単なる理論上の存在で、そのようにしてインタプリタを実装可能であると考えていなかった。しかし、マッカーシーのもとで大学院生であった[[スティーブ・ラッセル]]は論文を読んだ後、機械語でそれを実装してみせ、マッカーシーを驚かせた。そうして{{lang|en|LISP}}インタプリタが生まれた。 meta-circular evaluator は、ある意味で、[[チューリングマシン]]における[[チューリングマシン#万能チューリングマシン|万能チューリングマシン]]に相当する。(当初{{lang|en|LISP}}プログラムの表現法としていた)「M式」を、{{lang|en|LISP}}自身が扱うデータ構造に変換した「[[S式]]」は、万能チューリングマシンの[[入力]](テープの初期状態)として与えられるチューリングマシンの記述に相当する。マッカーシーはやはり、{{lang|en|LISP}}プログラムのS式による表現は<code>eval</code>を考えるための論文の中だけのものと考えており、実際のプログラムをS式で書くようになるとは考えていなかった。 {{lang|en|LISP}}は当初[[IBM 704]]上で実装されたが、その計算機のレジスタを構成する部分の名前が、対を分解する関数<code>car</code><ref group="注釈">{{lang-en-short|<u>c</u>ontent of <u>a</u>ddress part of <u>r</u>egister}}</ref>、<code>cdr</code><ref group="注釈">{{lang-en-short|<u>c</u>ontent of <u>d</u>ecrement part of <u>r</u>egister}}</ref>の名前の由来となった。爾来、ほとんどの{{lang|en|LISP}}の方言において、[[CARとCDR|carとcdr]]はそれぞれlistの最初の要素と、最初の要素以外を返す関数の名前となっている。 その発端から{{lang|en|LISP}}は、[[人工知能]]研究のコミュニティ、特にPDP-10システムのユーザーには近しい存在であった。PDPの計算機の設計目標の一つにLispの実装があり、PDP-6は当初、1ワード24bitの計算機として設計されていたが、Lisp1.5を移植しやすくするために36bitに変更された<ref> {{cite web|url=https://groups.google.com/forum/#!topic/alt.folklore.computers/BuVgLOcz0Ow |title=The History of TOPS or Life in the Fast ACs |author=Peter J Hurley |accessdate=2016-10-06}} </ref>。人工知能コミュニティでは、{{lang|en|LISP}}はプログラミング言語の実装用言語としても用いられた。有名なAIシステム[[SHRDLU|{{lang|en|SHRDLU}}]]の実装言語の{{lang|en|Micro [[Planner]]}}は、[[Maclisp|{{lang|en|MACLISP}}]]で実装されている。 また、1970年代には、{{lang|en|LISP}}で実装された[[REDUCE (数式処理システム)|{{lang|en|REDUCE}}]]や、[[Macsyma|{{lang|en|Macsyma}}]]等の数式処理システムの需要が高まるにつれ高速な{{lang|en|LISP}}の処理系の需要も高まり、{{lang|en|LISP}}を高速に処理するいわゆる[[LISPマシン|{{lang|en|LISP}}マシン]]の動機の一つとなった。{{lang|en|LISP}}マシンは、タグアーキテクチャや、ハードウェアスタック等LISP向けのハードウェア機構により、型のディスパッチや関数呼出し、ガベージコレクションの高速化を実現した。 {{lang|en|LISP}}は実装の容易さゆえに非常に多くの方言を生んだ。[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]を用いれば文法構造それ自体を拡張できるので、ある意味では利用者ごとに方言があるとさえいってよい。1970年代から1980年代にかけては、大きく分けて[[Maclisp|{{lang|en|MACLISP}}]]系と[[Interlisp|{{lang|en|Interlisp}}]]系の二つの主流が存在し、後の{{lang|en|LISP}}方言に影響を与えている。 1980年代と1990年代には、たくさんの{{lang|en|LISP}}方言を一つの言語に統合しようという努力がなされた。その結果として設計された新しい言語[[Common Lisp|{{lang|en|Common Lisp}}]]は基本的にそれらの方言のスーパーセットであり、それらを置き換えることになった。1994年に[[ANSI|{{lang|en|ANSI}}]]は{{lang|en|Common Lisp}}の標準仕様「{{lang|en|ANSI X3.226-1994 American National Standard for Programming Language Common LISP}}」を出版した。しかし、このときまでには、全盛期に比べると{{lang|en|LISP}}の市場は小さくなっていた。 一方で1970年代中ごろには、{{lang|en|LISP}}ベースでプログラミングに必要な言語機能を極限まで抽象化した[[Scheme|{{lang|en|Scheme}}]]が発生し、こちらも現在の主流の一つになっている。 {{lang|en|LISP}}は現在でも広く使われている年代物の言語の一つである。 ==LISP処理系と派生言語のタイムライン== {| style="font-size:90%; text-align:center; border:#666666 solid 1px;" |+ LISP系言語の大まかな流れ ! !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1955 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1960 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1965 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1970 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1975 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1980 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1985 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1990 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 1995 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 2000 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 2005 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 2010 !style="width:5em; background:#ddddff;"| 2015 |- !style="background:#ddddff;"|Lisp 1.5 |colspan="3" style="background:lightgray"|[[Lisp (programming language)|Lisp 1.5]] |colspan="10"| |- !style="background:#ddddff;"|Maclisp |colspan="2"| |colspan="5" style="background:lightgray"|[[Maclisp]] |colspan="6"| |- !style="background:#ddddff;"|Interlisp |colspan="3"| |colspan="5" style="background:lightgray"|[[Interlisp]] |colspan="5"| |- !style="background:#ddddff;"|ZetaLisp |colspan="4"| |colspan="5" style="background:lightgray"|[[Lisp Machine Lisp]] |colspan="4"| |- !style="background:#ddddff;"|Scheme |colspan="4"| |colspan="9" style="background:lightgray"|[[Scheme]] |- !style="background:#ddddff;"|NIL |colspan="4"| |colspan="2" style="background:lightgray"|[[NIL (programming language)|NIL]] |colspan="7"| |- !style="background:#ddddff;"|Common Lisp |colspan="5"| |colspan="8" style="background:lightgray"|[[Common Lisp]] |- !style="background:#ddddff;"|T |colspan="6"| |colspan="3" style="background:lightgray"|[[T (programming language)|T]] |colspan="4"| |- !style="background:#ddddff;"|Emacs Lisp |colspan="6"| |colspan="7" style="background:lightgray"|[[Emacs Lisp]] |- !style="background:#ddddff;"|AutoLISP |colspan="6"| |colspan="7" style="background:lightgray"|[[AutoLISP]] |- !style="background:#ddddff;"|ISLISP |colspan="6"| |colspan="7" style="background:lightgray"|[[ISLISP]] |- !style="background:#ddddff;"|EuLisp |colspan="6"| |colspan="4" style="background:lightgray"|[[EuLisp]] |colspan="3"| |- !style="background:#ddddff;"|PicoLisp |colspan="7"| |colspan="6" style="background:lightgray"|[[PicoLisp]] |- !style="background:#ddddff;"|Racket |colspan="8"| |colspan="5" style="background:lightgray"|[[Racket]] |- !style="background:#ddddff;"|Arc |colspan="9"| |colspan="4" style="background:lightgray"|[[Arc (programming language)|Arc]] |- !style="background:#ddddff;"|Clojure |colspan="10"| |colspan="3" style="background:lightgray"|[[Clojure]] |- !style="background:#ddddff;"|LFE |colspan="10"| |colspan="3" style="background:lightgray"|[[LFE (programming language)|LFE]] |- !style="background:#ddddff;"|Hy |colspan="11"| |colspan="2" style="background:lightgray"|[[Hy]] |- !style="background:#ddddff;"|Egison |colspan="11"| |colspan="2" style="background:lightgray"|[[Egison]] |- |} ==文法== {{lang|en|LISP}}は「式指向」の言語である。他の多くの言語とは違って、[[式 (プログラミング)|式]]と[[文 (プログラミング)|文]]は区別されず、すべてのコードとデータは式として書き下される。式が評価されたとき、それは値(または値のリスト)を生成する。式は他の式に埋め込める。 マッカーシーの1958年の論文では、2つのタイプの表現が導入されている。内部のデータ構造の表現である[[S式]](記号式、{{lang-en-short|symbolic expression}}、{{lang|en|sexp}})と、S式を引数に取りS式を返す関数を表す、外部表現である[[M式]](メタ式、{{lang-en-short|meta expression}})である。マッカーシーは、S式はプログラムの処理対象のデータの表現に使い、{{lang|en|LISP}}プログラムの表現にはM式を使った。S式によるプログラムの表現は論文の中のみのものと考えていた。しかし、S式で表現されたプログラムを評価するevalが実装され、S式で表現することでプログラムをプログラムで操作できるという利点があり、今日ではほとんどすべての{{lang|en|LISP}}言語でM式は使用されておらず、プログラムとデータの両方にS式を使用する。 {{lang|en|LISP}}の用いる S式は括弧を大量に使用するため、批判を受けることもある。「{{lang|en|LISP}} は 『{{lang|en|lots of irritating superfluous parentheses}}』(過剰でいらいらさせる大量の括弧)に由来する」というジョークもある。しかし、S式による構文は{{lang|en|LISP}}の能力を生み出してもいる。この構文は極めて正規化されているので、コンピュータによる操作が容易に行える。 式への依存が、{{lang|en|LISP}}に優れた柔軟性を与えている。{{lang|en|LISP}}の[[関数 (プログラミング)|関数]]は、それ自身がリストとして書かれており、データとまったく同様に扱うことができる。{{lang|en|LISP}}のプログラムは他の{{lang|en|LISP}}プログラムを処理するように書くことができる。これは、[[メタプログラミング]]と呼ばれる。多くの {{lang|en|LISP}}方言はこの機能を[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]システムで活用しており、言語自身の機能をほとんど際限なく拡張することを可能にしている。 {{lang|en|LISP}}でのリストは空白と括弧で区切られた要素で記述される。たとえば、 <syntaxhighlight lang="lisp"> (1 2 "foo") </syntaxhighlight> は<code>1</code>, <code>2</code>, <code>"foo"</code>の値を要素として持つ1つのリストである。これらの値は暗黙の型を持つ。これらは2つの整数と1つの文字列であるが、そのように宣言されている必要はない。空のリスト<code>()</code>は<code>nil</code>とも書ける。 ==評価== ここでは Lisp の方言の一つである [[Common Lisp]] を例に説明する。現実の実装では、上記のリストを直接処理系に入力するとエラーが起きる。 <syntaxhighlight lang="lisp"> CL-USER> (1 2 "foo") ; in: 1 2 ; (1 2 "foo") ; ; caught ERROR: ; illegal function call </syntaxhighlight> これは、上の<code>(1 2 "foo")</code>は正しい式ではないからである。処理系の中で上のリストを表現したい場合は、クオート「'」を用いて<code>'(1 2 "foo")</code>と書く必要がある。このことを解説するため、ここで{{lang|en|LISP}}での評価ルールについて述べる。 すべての式は[[前置記法]]のリストとして書かれる。リストの最初の要素は''フォーム''(関数、演算子、マクロ、特殊フォームのいずれか)の名前である。リストの残りは引数である。たとえば、関数<code>list</code>はその引数をリストとして返す。つまり式 <syntaxhighlight lang="lisp"> (list 1 2 "foo") </syntaxhighlight> は評価されてリスト<code>'(1 2 "foo")</code>を返す。このことを念頭に置いて、もう一度最初に挙げた式を振り返ると、 <syntaxhighlight lang="lisp"> (1 2 "foo") ; 1 という関数名は存在しない </syntaxhighlight> という仕組みでによりエラーが返されたことがわかるだろう。 もし引数のどれかが式であれば、それを含む式が評価される前にそれが再帰的に評価される。たとえば、 <syntaxhighlight lang="lisp"> (list 1 2 (list 3 4)) </syntaxhighlight> はリスト<code>(1 2 (3 4))</code>に評価される。つまり、3番目の引数はリストであり、リストはネストできるのである。 算術演算も同様に処理される。式 <syntaxhighlight lang="lisp"> (+ 1 2 3 4) </syntaxhighlight> は10に評価される。この式は[[中置記法]]では「<math>1+2+3+4</math>」と等価である。 特殊形式({{lang|en|special form}})は制御構造など、引数の位置にあるものを通常のようには評価しないような機能を提供する。たとえば、<code>if</code>は3つの引数をとり、 第一引数の値が真なら第二引数に、偽なら第三引数に評価される。ここで真とは<code>nil</code>以外、偽とは<code>nil</code>のことである。したがって式 <syntaxhighlight lang="lisp"> (if (evenp 5) (list 1 2 "foo") (list 3 4 "bar")) </syntaxhighlight> は<code>(3 4 "bar")</code>に評価される。<code>evenp</code>は、その第一引数が偶数であるときにtを、 奇数の時nilを返す関数である。5は奇数なので、第一引数<code>(evenp 5)</code>を評価した<code>if</code>は、その第三引数<code>(list 3 4 "bar")</code>を返す。 関数の定義には、特殊形式<code>lambda</code>によって <syntaxhighlight lang="lisp"> (lambda (x y) (+ x y)) </syntaxhighlight> のようにして、関数を表現する。この例は、[[ラムダ計算]]における <code>(λx y.(x + y))</code>を{{lang|en|LISP}}で表現したものである。 特殊形式<code>defun</code>で関数を定義すると、関数に名前を付けて定義できる。<code>defun</code>の引数は引数のリストと、関数として評価される式である。 ==純LISP== {{main|純LISP}} 1980年代、LISPのサブセットの純粋関数型である純LISPと、その処理系である[[:en:Lispkit Lisp|Lispkit Lisp]]が、関数型プログラミングのテストベッド用に、[[SECDマシン]]上で開発された。 その仕様としては、[[遅延評価]]を[[評価戦略]]に採り、[[レキシカルスコープ]]を採用している。 以下の5つの関数と特殊形式、他にシンボルの<code>nil</code>と<code>t</code>、などがあれば自分自身を解釈実行できるevalを実装できる。このことはある意味で万能[[チューリングマシン]]と同様のことであると言える。 *関数 **<code>car</code> **<code>cdr</code> **<code>cons</code> **<code>eq</code> **<code>atom</code> *特殊形式 **<code>cond</code> **<code>quote</code> **<code>define</code>(label) ==プログラム例== 以下にいくつかの{{lang|en|LISP}} (特に[[Common Lisp]]) のコード例を示す。これらは産業界における典型的なコードではないが、コンピュータサイエンスのコースで通常教えられる典型的な{{lang|en|LISP}}コードである。 {{lang|en|LISP}}の構文はそれ自身が[[再帰的定義]]に自然に適合している。それゆえ、再帰的に定義された集合を列挙するというような数学の問題をシンプルに表現できる。 以下の関数は引数の[[階乗]]に評価される。 <syntaxhighlight lang="lisp"> (defun factorial (n) (if (<= n 1) 1 (* n (factorial (- n 1))))) </syntaxhighlight> 下記は別のやり方であり、[[末尾再帰]]になっている。 <syntaxhighlight lang="lisp"> (defun factorial (n &optional (acc 1)) (if (<= n 1) acc (factorial (- n 1) (* acc n)))) </syntaxhighlight> 再帰と対照的な概念である反復による計算の例として、{{lang|en|Common Lisp}}の代表的な繰り返し構文である<code>loop</code>マクロを使った例を示す。 <syntaxhighlight lang="lisp"> (defun factorial (n) (loop for i from 1 to n for fac = 1 then (* fac i) finally (return fac))) </syntaxhighlight> <code>loop</code>はマクロであり、これが展開されて最終的にはプリミティブな構文の組み合わせに翻訳される。 以下の関数は引数にリストをとり、そのリストの要素の順番を逆にしたものに評価される({{lang|en|LISP}}は実際には同じことを行うビルトイン関数を普通持っている)。 <syntaxhighlight lang="lisp"> (defun reverse (l &optional acc) (if (atom l) acc (reverse (cdr l) (cons (car l) acc)))) </syntaxhighlight> ==オブジェクト指向システム== 以下を含む多種のオブジェクト指向あるいはモジュールが{{lang|en|LISP}}の上に、あるいは併置して、あるいは組み込まれて設置されている。 *[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]による[[Flavors|{{lang|en|Flavors}}]] *{{lang|en|Flavors}}の子孫である[[CLOS|{{lang|en|CLOS}}]]({{lang|en|The Common Lisp Object System}}) {{lang|en|CLOS}}は[[多重継承]]と[[多重ディスパッチ]](マルチメソッド)の機能を持ち、強力なメソッド結合({{lang|en|method combination}})のシステム({{lang|en|FIXME}})を持つ。{{lang|en|LISP}}を含めた{{lang|en|Common Lisp}}は、公式に標準化された最初の[[オブジェクト指向言語]]である。 {{Main|Common Lisp Object System}} ==系統と変種== *[[AutoLISP|{{lang|en|AutoLISP}}]]/{{lang|en|Visual LISP}} - [[AutoCAD|{{lang|en|AutoCAD}}]]製品のカスタマイズ用の言語。 *{{lang|en|Cambridge LISP}} - 当初、[[IBM]]の[[メインフレーム]]上で実装され、[[メタコムコ]]によって[[Amiga|{{lang|en|Amiga}}]]用として発表された。 *[[Clojure|{{lang|en|Clojure}}]] - マルチスレッドプログラムの開発を容易化する汎用言語。 *[[Common Lisp|{{lang|en|Common Lisp}}]] - 主に{{lang|en|ZetaLISP}}と{{lang|en|Franz Lisp}}の子孫であり、{{lang|en|InterLISP}}の機能も導入された。 *{{lang|en|ELisp}} -古い{{lang|en|LISP}}実装のひとつ。 {{lang|en|Emacs Lisp}}とは別。 *[[Emacs Lisp|{{lang|en|Emacs Lisp}}]] - {{lang|en|[[GNU Emacs]]}}[[テキストエディタ|エディタ]]の拡張言語。 *{{lang|en|Franz LISP}} - 元は[[カリフォルニア大学バークレイ校|バークレイ]]のプロジェクトである。後に{{lang|en|Franz, Inc}}に移行。 *[[InterLisp|{{lang|en|InterLisp}}]] - [[BBNテクノロジーズ|BBN社]]で開発され、初期にはBBN LISPと呼ばれた。後に開発者グループが[[ゼロックス]]の[[パロアルト研究所]]に移動した際にInterLispと改名され、ゼロックスの[[LISPマシン|{{lang|en|LISP}}マシン]]にもInterLisp-Dとして採用された。強力な対話型開発ツールが特徴。より小さいバージョンである「{{lang|en|InterLISP}} 65」は{{lang|en|Atari}}の[[6502]]ベースのコンピュータ用に発表された。 *KLISP - 1967年に[[中西正和]]が[[TOSBAC]]-3400上で開発し、[[日本]]のLISP研究と教育に貢献した。 *{{lang|en|LISP 1}}、{{lang|en|LISP 1.5}} - MITで開発されたマッカーシーのオリジナル版。 *{{lang|en|Lispkit LISP}} - 純粋な関数型言語としての方言であり、[[SECDマシン]]上に実装された。関数型言語のコンセプトの実験用テストベッドとして使用された。 *[[MACLisp|{{lang|en|MACLisp}}]] - MITの[[プロジェクトMAC]]([[Apple]]の{{lang|en|Macintosh}}とは無関係)のために開発されたLISPの直系子孫。 *{{lang|en|MockLisp}} - {{lang|en|Gosling Emacs}} ({{lang|en|Unipress Emacs}}) エディタの拡張言語。リストのない{{lang|en|LISP}}。 *[http://www.bcl.hamilton.ie/~bap/oaklisp/ {{lang|en|Oak LISP}}] - {{lang|en|Scheme}}ベースのオブジェクト指向言語。 *[[RPL (プログラミング言語)|RPL]] - 「Reverse Polish LISP」([[逆ポーランド記法]]式LISP)の名を冠した言語。逆ポーランド記法・スタック指向を採用するなど、[[Forth]]の影響も大きい。[[ヒューレット・パッカード]]社製の[[関数電卓]]に組み込まれることを想定して開発された。 *[[Scheme|{{lang|en|Scheme}}]] - [[動的スコープ|ダイナミックスコープ]]ではなく[[静的スコープ]]にもとづき再設計された{{lang|en|LISP}}。 *[[SKILL (プログラミング言語)|{{lang|en|SKILL}}]] - [[ケイデンス・デザイン・システムズ]]社製の多くのEDA製品で使われる。 *[[ZetaLisp|{{lang|en|ZetaLisp}}]] - [[LISPマシン|{{lang|en|LISP}}マシン]]のために使われた、{{lang|en|MACLISP}}の直系子孫。 *[[純LISP|純{{lang|en|LISP}}]] - 超循環評価機を記述可能な程度で、ごく小さいサブセットに機能を絞った方言。元々は「最初の論文」と呼ばれている論文中で理論的なものとして示されたが、実際に実装可能である。 *[[xyzzy|{{lang|en|xyzzy}}]] - [[Microsoft Windows|{{lang|en|Microsoft Windows}}]]で動くエディタ。マクロ言語として{{lang|en|xyzzy Lisp}}を実装している。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist}} ==関連項目== *[[Macsyma|{{lang|en|Macsyma}}]]、[[Maxima|{{lang|en|Maxima}}]] *[[AutoCAD|{{lang|en|AutoCAD}}]] *[[人工知能]] *[[計算機プログラムの構造と解釈|SICP]] *[[シェーキー]] ==外部リンク== {{Wikibooks}} *[http://www-formal.stanford.edu/jmc/recursive.html {{lang|en|Recursive Functions of Symbolic Expressions and their Computation by Machine (Part I)}}] - マッカーシーによる最初のLISPの論文。 {{LISP系言語}} {{プログラミング言語一覧}} {{Normdaten}} [[Category:LISP|*]] [[Category:プログラミング言語]] [[Category:関数型プログラミング言語]]
2003-03-30T05:38:28Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/LISP
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J・K・ローリング
J・K・ローリング(英: J. K. Rowling)こと、ジョアン・ローリング(英: Joanne Rowling CH, OBE, HonFRSE, FRCPE, FRSL, [ˈroʊlɪŋ] ROH-ling;、1965年7月31日 -)は、イギリスの作家、慈善家、映画プロデューサー、脚本家。 25歳までに小説2作品を書き上げたが全く日の目を見なかった。27歳の頃から生活保護と住宅手当を受け、この間小説のアイデアを書き続けていた。29歳で貧困と心労のため深いうつ病になり、自殺も考えていた。同年、公立学校教員免許状取得のための求職者支援制度を活用し、スコットランド教育産業局から補助金を受け取った。30歳で「ハリー・ポッター」シリーズの原稿を完成させた。このシリーズは世界中で反響を呼び幾多の賞を獲得した他4億部以上出版されている。これは史上最も売れたシリーズ作品であり、また映画化シリーズは世界歴代12位の興行収入をあげた。また、「ハリーポッター」シリーズのスピンオフ映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016年)では脚本家としてデビューし、シリーズの脚本を務めている。また、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)というペンネームで犯罪小説を書いている。 現在のペンネーム「 J・K・ローリング」は、本のターゲットとなる男の子が女性作家の作品だと知りたくないだろうと心配した出版社が、イニシャルを用いるように求めたためにつけられたものである。ローリングはミドルネームを持っていなかったので、祖母のキャスリーン(Kathleen)にちなみ、ペンネームをJ・K・ローリングとした。ハリー・ポッターシリーズが終わっても作家業を続け、作家名も変えないと発言していたが、2013年になり、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)という男性名で探偵小説を出版していたことがわかった。 なお、本人がジョアン(英: Joanne)でなく、その略称であるジョー(英: Jo)と称するのを好むのは、子供の時、ジョアンと呼ばれるのは怒られる時だけだったためで、ペンネームではない。 イギリス南西部ブリストルの北東約15キロ、グロスタシャー州にあるイェイト(英語版)に住むロールスロイスの航空機のエンジニアであるピーター・ジェームズ・ローリングとアン・ローリング夫妻の長女として生まれた。生まれた病院は、隣町のチッピング・ソドベリー(英語版)にある。2年後に妹が生まれ、本人が4歳の時に家族はグロスタシャーのウィンターボーン(英語版)に移り、さらに9歳の時にタッツヒル(英語版)へと引っ越し、「チャーチ・コテージ」と呼ばれる19世紀半ばに建てられたゴシック風の建物で、美しい庭に囲まれて成長した。近くには、自然豊かなディーンの森があった。この様々な民間伝承をもつ神秘的な森は彼女の想像力をかき立てた。 子供時代から物語を書くことが好きで、初めて書いたのは『Rabbit』という名前のウサギの話で、6歳の時である。ワイディーン・コンプリヘンシヴ・スクール(総合制中等学校)時代にはすでに想像力に富んだ作品で国語の教師たちに強い印象を与えていた。サバイバルを主題にしたエッセイ『私の無人島生活(My Desert Island)』はA+をとった。しかしこの頃はガリ勉といじめられたり因縁をつけられ喧嘩をふっかけられたりと不愉快な思いも経験していた。また15歳のころ母アンが多発性硬化症と診断が下される。陽気で活力にあふれた母が徐々に病魔に侵されていくのを見ているのは胸が引き裂かれるほど辛いことだったとローリングは語っている。ローリングは最終学年でヘッドガールに選ばれるなど明るく社交的な人気者になっていた。 本人は文学方面に進みたかったが、両親の希望の母国語(英語)の教員となるためにエクセター大学でフランス語と古典英語(古英語、中英語、初期近代英語)を学んだ。1年間の留学期間が必須科目だったのでパリに留学し、パートタイムで英語講師として英語を教えた。在学中も多くの小説を書いたが完成までは進まず、むしろ読む方に時間を費やし、ジェーン・オースティンなどの作品を読んだ。最終学年を迎えた1987年、自ら志願して年に1回マーティン・ソレルの指導で上演されるフランス語の劇に協力した。フランスの劇作家オバルディアの『農場の宇宙飛行士』という哲学的なファンタジー喜劇で衣装係に任命された。 1987年夏卒業。この頃母アンの病状はかなり悪化しており車いすや歩行器が必要となっていた。卒業後はロンドン南西部のクラパムにあるフラットに引っ越した。ロンドンのアムネスティ・インターナショナルで秘書として働いたが、仕事にはあまり興味を見出せなかった。この時は大人向けの小説を書き始めていた。一度だけ出版社で働いたこともあり、原稿の断り状を送る作業をしていた。この頃、タイプをかなりのスピードで打つことが出来るようになっていた。ローリングは25歳を迎えるまでに2つの小説を書いたが日の目を見なかった。その頃からカフェやバーでメモや短い文書を書きなぐる習慣ができた。 1990年6月、エクセター大学時代の恋人がマンチェスターに移り住んでいたのでそこに一緒に暮らそうと考えていた。週末を使ってマンチェスターでフラット探しをしたが見つからず、延々と続く英国の田園風景を眺めながら4時間かけてロンドンへ戻る列車に座っていた。自分と同じように寂しげな黒と白のフリーシアン種の牛たちをじっと見つめているうちに、突然アイディアが浮かんできた。何がきっかけだったのかはわからないが、目の前に「ハリーや魔法学校のイメージ」がはっきり浮かんできた。この男の子は自分が何者なのか知らず、魔法学校への入学許可証をもらうまで自分が魔法使いだと知らないという設定がパッとひらめいた。一つのアイディアに夢中になったのは初めてだった。 ペンも紙もなかったため、これらを頭の中ですべて思い浮かべていった。主人公のこと、通う学校、そこで出会う人々――。ロンドンに着く頃にはロン・ウィーズリーとハグリットを思いついていた。この段階では名前はついておらず、後から情報を集めて思いついて行った。もっとも時間をかけて考えたのが学校そのものと、その雰囲気だ。場所はスコットランドを舞台に選んだ。ローリングは自分の部屋へ戻ってから、列車で考えていたことを思い出しては、安物の薄っぺらいノートに一心不乱に書き留めていった。これがハリー・ポッターの最初の草案となった。 仕事はマンチェスター商工会議所で派遣秘書の職が見つかり、その年が終わる頃にはロンドンから引っ越してくることができた。ハリーとの出会いは退屈な暮らしに喜ばしい変化が訪れ、ローリングが彼の冒険物語について書いたメモはすぐに靴箱いっぱいになった。この頃から7巻のシリーズにすることを決めていた。 1990年12月30日に母アンが45歳で亡くなる。10年に及ぶ闘病生活だった。その死はローリングの心に深刻な影響をもたらし、執筆中だった本の方向性にも及んだ。打ちひしがれてマンチェスターに戻ってもそこには行き場のない人生が待っているだけであった。しかも恋人との間にも険悪な空気が漂い始め、派手な喧嘩をしたあと、部屋を飛び出して郊外のディズバリーの小さなホテルに1人で泊まった。そこで思いついたのがクィディッチだった。 翌1991年に、ポルトガルの英語教師としての職を得た。日中はコーヒーバーに居座って原稿を書いていた。ポルト在住中5ヶ月目バーで出会った男性と同棲する。その後すぐに妊娠するが流産となる。1992年に27歳で結婚。しかしその前にはすでに二人の関係には亀裂が入っていた。それから数週間後再び妊娠する。妊娠期間中はそれまでになくハリー・ポッター執筆に時間を費やすようになった。 1993年7月、長女ジェシカを出産したが、その4ヶ月後に離婚した。この時父ピーターは再婚していたため、妹のダイが住むエディンバラに娘とともに移り住んだ。ダイはこの時完成していた第3章までの原稿を読み夢中になった。 1993年12月社会保障局で生活保護と住宅手当を申請し、69ポンドの手当を得た。友人に600ポンドの借金もした。幅木のネズミの音に耐えられず新しいアパートを見つけようとしたが住宅手当を理由に次々と断られた。最終的にサウス・ローン・プレイス七番地に引っ越した。この家のキッチンテーブルで『賢者の石』を書き上げることになる。 1994年頃から貧困と心労のため深いうつ病になり、「自殺も考えた」ことがあると英北部エディンバラ大学の学生誌に明かした。この時の経験が、ハリー・ポッターシリーズに登場するディメンターのもととなった。ローリングは義理の弟が買い取ったサウス・ブリッジとロイヤル・マイルの交差点にあるカフェ、ニコルソンズでコーヒーをすすりながら原稿を書き進めていった。 1994年の暮れには秘書の仕事を見つけたが、15ポンド以上収入があると手当から控除されてしまうためそれ以上稼げなかった。この頃スコットランドで教職を得るため、現代語の公立学校教員免許状(PGCE)取得のためのコースを受けた。1995年の夏にはスコットランド教育産業局から補助金を受け取ることができた。 1995年、完成した原稿を著作権エージェンシーに送った。1件目はそっけない断りの手紙とともに送り返されてきた。2件目のクリストファー・リトルが経営するChristopher Little Literary Agencyで契約を結んだ。原稿は12の出版社に提出されたが、あまりに長編で、出版する会社は現れなかった。新人による子供向け書籍の出版に取り組んでいたブルームズベリー出版社(英語版)が出版することとなったのは、受け取った原稿を、編集者が自分で読む前に8歳の子供アリス・ニュートンに手渡して反応を見たからである。1時間後に部屋から出てきたアリスは、「パパ、これは他のどんなものよりもずっと素敵だ」と話した。契約金は1500ポンドだった。 契約後もマリー・ハウスでの厳しい教育実習を続け1996年7月に教職課程を終了した。ローリングはスコットランドのゼネラル・ティーチング・カウンシルに登録した。またハリー・ポッターシリーズ2巻の執筆にも取り掛かっていた。カウンシルの作家のための奨励金制度で8000ポンドを得ることができた。 1997年7月26日、『ハリー・ポッターと賢者の石』がハードカバーとペーパーバックの両方で出版された。ハードカバー版の刷り数は500部だった。1巻が発売されても派手な宣伝を行う予算はなく、米国の出版権に入札できないほどだった。 発売されてから3日後、米国の出版権をめぐるオークションではどんどん値がつり上がっていき10万ドルで落札された。米国版の初刷りは5万部だった。『賢者の石』出版から2週間後、2作目の原稿を出版社に送った。『ハリー・ポッターと秘密の部屋』の出版から6日後、児童書として初となる英国のベストセラーリストの1位を飾った。「ネスレ・スマーティーズ賞(英語版)」を受賞。「ブリティッシュ・ブック・アウォーズ(英語版)」など多くの文学賞を受賞するなど、新人作家としては異例の扱いを受け児童文学として高く評価されるとともに、多数の外国語に訳される世界的ベストセラーとなり、子供のみならず広範な大人の読者をも獲得した。 1999年6月末、ローリングが4度目に受け取った印税は7桁の金額になっていて、ローリングは正真正銘の億万長者になった。プラチナカード会員のクレジットカードを持ち、15%~20%の印税を受け取るようになっていた。 1999年が終わりを迎える頃、デヴィッド・ハイマンとワーナー・ブラザースとの映画化権の契約が完了した。契約金は100万ドルで、ローリングは起こったことに対する発言権を維持し、脚本に意見をいう権利を持ち、特に英国における特定の種類の商品化に対して拒否権を行使できるようにした。代わりにワーナーは世界中で商標としての「ハリー・ポッター」を管理する権利を得た。 第4巻の発売が決まった頃には、既刊の3巻の売上は英国で800万部、米国で2400万部に達した。4巻の英国での初版部数は100万部を越え、英国・カナダ・オーストラリア・米国の4カ国の総初版部数は530万部にのぼった。この時点でローリングの収入は700万ポンドに上ると見込まれた。 35歳になる2週間前、母校のエクセター大学から名誉博士号を授与された。卒業式ではスピーチを披露した。 2001年、オーサー・オブ・ザ・イヤーに加えて、児童文学への貢献を評価され、女王の公式誕生日の叙勲で英国勲功章(OBE)を受章した。「サンデー・タイムズ」の長者番付では所得額は6500万ポンドだった。 2001年には医師のニール・マレーと再婚し、2003年に男の子、2005年には女の子を出産している。 2007年7月21日、シリーズ最終巻となる『ハリー・ポッターと死の秘宝』が発売された。以後も公式サイトや、映画シリーズの製作等で、同シリーズに関わる。 政府の生活保護により離婚後の生活苦をしのいだ経緯から、労働党を支持している。 また紙媒体での本の重要性を説いており、電子書籍による自著の販売に反対していたが、オフィシャルストア「ポッターモア」でのアンケートなどを経て、2012年からハリー・ポッターシリーズ の電子書籍版を販売している。 2012年には、初の大人向け長編小説 『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』(The Casual Vacancy) を発表した。 2016年公開のハリー・ポッターシリーズのスピンオフとなる映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(Fantastic Beasts and Where to Find Them) では、脚本を担当する。ロバート・ガルブレイス名義 2013年、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)という男性のペンネームで『カッコウの呼び声』という探偵小説を出版していたことが、サンデー・タイムズの調査により発覚した。本人は「もう少し長く秘密にしておきたかった」と語った。 ロバート・ガルブレイスは2003年から民間の警備保障会社に勤務している英軍警察の元隊員だと説明していたが、初めて書いたにしては出来が良すぎるのではないかと疑問を抱いたサンデー・タイムズ紙が、正体について調査した。 年収約1億2500万ポンド(日本円で約182億円)は、「歴史上最も多くの報酬を得た作家」とされている (Rags to riches)。 2003年5月、イギリスのお金持ちリストが発表され、ローリングがハリー・ポッターの本、映画、その他関連商品から手にした金額が560億円だったことがわかった。この金額はエリザベス女王よりも多く、イギリス国内では上から122番目の富豪になるという。 2007年1月、経済誌フォーブス誌がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産1210億円で2位にランクインした。 2008年The Sunday Times Rich Listでは資産は5億6000万ポンドで、イギリス人女性の12位にランクインした。 2010年1月、英大衆紙ザ・サンによると、スコットランドに260万ポンド(日本円で約3億7500万円)で5軒目となる新たな豪邸を購入したという。この豪邸は31部屋もある大邸宅であるが、ローリングは2、3部屋を見ただけで購入を即決したという。担当をした不動産屋は「彼女は2、3部屋を見ただけで即決しました。所有者が『2階は見なくてもいいですか?』と聞くまでは2階も特に見ようとはしていなかったです」と明かしている。さらにローリングは2010年のクリスマスは家族とこの家で過ごしたいと熱望し、現在の所有者がクリスマスまでに出ていくのであれば30万ポンド(日本円で約4500万円)を購入金額に上乗せして支払ってもいいと言っているという。総資産が5億6000万ポンド(日本円で約840億円)もあるローリングは今回の豪邸以外にもスコットランドに3軒、ロンドンに1軒の豪邸を所有しているという。 ロンドンに本部を置くシングルペアレント・ファミリーのための全国協会への50万ポンドの寄付をした。2000年9月には同協会の慈善大使を務めることになった。「ザ・サン」へのイギリスの官僚主義的な福祉についての寄稿も行った。 エディンバラの地元ではガン患者とその家族に対してするカウンセリングや支援を行っているマギーズ・センターズに援助した。スコットランド各地で朗読会を開催してグラスゴーとダンディーに新しい支援センターを開設するための資金集めを行った。 母の闘病生活を通じて関わりを持つようになったスコットランド多発性硬化症協会の後援者になった。「スコットランド・オン・サンデー」に特別寄稿をした。これは後に「オブザーバー」でも取り上げられた。 堅いイメージの慈善事業をお祭り感覚で演出しているコミック・リリーフ(Comic Relief)に2冊の本を書き下ろした。いずれも〈ホグワーツ校指定教科書〉でタイトルは『幻の動物とその生息地』と『クィディッチ今昔』。少なくとも一冊に付き2ポンドの印税がコミック・リリーフに寄付された。 女性の権利擁護運動に積極的にかかわってきたことで評価されていたが、男性器のある女性自認者の女性専用スペース使用の合法化、女性自認者のDV被害女性保護施設利用などの「トランスジェンダー改革」へ疑問を表明すると、強い批判を受けるようになった。 2023年2月16日にニューヨークタイムズは「In Defense of J.K. Rowling」を掲載し、ローリングに対する「トランス嫌悪」「トランス差別主義者」だと罵倒、著書の撤去、住所晒し、性暴力や殺害の予告を含んだ脅迫行為をおこなう「過激派」を批判し、ローリングへの支持を表明した。ローリングはDVシェルターや女性刑務所など女性専用スペースを持つ権利、法的性別の決定にセルフIDでは不適切だと言ってるだけであり、性別不合(旧:性同一性障害)の存在へ異議を唱えたり、証拠に基づく医療的な手術(性別適合手術)を受けた者への性別移行の法的容認(手術済トランス女性の法的性別変更)へ反対したことは一度もない。ニューヨークタイムズは、「トランス差別」の本来の定義に沿った発言をしていないローリングに対するアンチキャンペーンは馬鹿げているだけでなく、サルマン・ラシュディへの刺傷事件のように、作家が悪魔化されたときに起こり得る危険性があると報道している。 ローリングは近年トランスジェンダーに対して自身の意見を展開し発言を行っている。2020年6月7日、自身のTwitterで「生理のある人」との見出しの付いた記事を引用し、その表現は身体女性に対し侮辱的だと非難した 。また同日には「もし生物学的性別が本物でなければ同性愛は存在しない。もし生物学的性別が存在しなければ世界中の女性達の生きた存在が消されてしまう。真実を話す事は差別ではない」とし、トランスジェンダリズムの推進する「生物学的性別(sex)より性自認(gender identity)を尊重する」姿勢に対して抗議を示した。 ローリングによれば、かつて自身が性暴力の被害者となった経験から、女性達の安全を保護する為にも生物学的性別での区別が必要だと考えるようになったとしている。 他にも彼女は自身のサイトで多数のトランスジェンダーの活動家から誹謗中傷や殺害予告などの脅迫を受け取っていると訴え、また「女性は衣装ではない。女性は男性の頭の中の考えではない。女性を『生理のある人』や『陰部を持つ人』と呼ぶ言葉は多くの女性を非人間的で卑劣な物に貶めている。」とした。 この一連の発言は主にSNS上で多数の非難を受けている。その中には自著の映画に出演している俳優たちも含まれる。ダニエル・ラドクリフは「トランスジェンダーの女性は女性だ。これに反する発言はすべて、彼らの尊厳を傷付けている」と批判。また『リリーのすべて』でトランスジェンダーを演じたエディ・レッドメインやエマ・ワトソン もこれに続いてローリングを批判した。 2020年9月に出版された「私立探偵コーモラン・ストライク」の新刊「Troubled Blood」では、犯人が女装をトリックとして用い変装して犯行に及んだという描写を取り入れた事がトランスジェンダーに対して差別的だとして非難された。ただしこのキャラクター自体は作中でトランスジェンダーとして描かれている訳ではなく、ミステリー小説において犯人がトリックで異性装を用いたという描写は実際に珍しい物ではない。 2021年11月、Twitterで3人のトランスジェンダー活動家により自宅の住所を写真で晒されたことを明らかにし、家族にも危害を及ぼしかねない悪質な嫌がらせだとして抗議した。また一連の批判と因果関係は不明だが、2022年1月にHBO Maxが制作した特別番組『ハリー・ポッター20周年記念:リターン・トゥ・ホグワーツ』には、映画版の歴代キャストやスタッフが集結したが、原作者であるローリングは出演しなかった。これに関してはネット上でキャンセル・カルチャーだとして番組の制作側に批判の声が集まった。 2022年3月25日、ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンはビデオ会議の中でロシアによるウクライナ侵攻に反発した西側諸国のキャンセル・カルチャーに触れた際、プーチンはローリングのトランスジェンダー発言によるキャンセル・カルチャーの事例を引き合いに出した上で「世界中で何百万部も売り上げた本の作家であるJ.K.ローリングは、いわゆる『ジェンダーの自由』支持者の気に障ったが為にキャンセルされている」と彼女を擁護した 以前からチャリティー団体などを通してウクライナ政府と連携し、自身も100万ユーロをウクライナへ寄付してきたローリングはプーチンの発言に強く抗議し「#IStandWithUkraine」のハッシュタグを添付したツイートをTwitterに投稿してウクライナ支持の意思を表示した。また、2022年4月8日には、ローリングの意向により、ロシア国内で流通しているハリー・ポッターシリーズの電子書籍販売を停止することが同月6日に同国メディアから報じられた。 ※イギリス郊外の町を舞台とした、作者初の大人向け長編小説。原書は2012年9月27日に刊行。独占翻訳権は講談社が取得した。 ※ロバート・ガルブレイス名義での出版。日本では講談社が出版。 ローリングはセント・アンドルーズ大学、エディンバラ大学、エディンバラネーピア大学、エクセター大学、アバディーン大学、ハーバード大学から名誉学位を受けている。ハーバード大では2008年卒業式でスピーチを行った。2009年フランス大統領ニコラ・サルコジからレジオンドヌール勲章を授与された。 その他賞:
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "J・K・ローリング(英: J. K. 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"なお、本人がジョアン(英: Joanne)でなく、その略称であるジョー(英: Jo)と称するのを好むのは、子供の時、ジョアンと呼ばれるのは怒られる時だけだったためで、ペンネームではない。", "title": "ペンネーム" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "イギリス南西部ブリストルの北東約15キロ、グロスタシャー州にあるイェイト(英語版)に住むロールスロイスの航空機のエンジニアであるピーター・ジェームズ・ローリングとアン・ローリング夫妻の長女として生まれた。生まれた病院は、隣町のチッピング・ソドベリー(英語版)にある。2年後に妹が生まれ、本人が4歳の時に家族はグロスタシャーのウィンターボーン(英語版)に移り、さらに9歳の時にタッツヒル(英語版)へと引っ越し、「チャーチ・コテージ」と呼ばれる19世紀半ばに建てられたゴシック風の建物で、美しい庭に囲まれて成長した。近くには、自然豊かなディーンの森があった。この様々な民間伝承をもつ神秘的な森は彼女の想像力をかき立てた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "子供時代から物語を書くことが好きで、初めて書いたのは『Rabbit』という名前のウサギの話で、6歳の時である。ワイディーン・コンプリヘンシヴ・スクール(総合制中等学校)時代にはすでに想像力に富んだ作品で国語の教師たちに強い印象を与えていた。サバイバルを主題にしたエッセイ『私の無人島生活(My Desert Island)』はA+をとった。しかしこの頃はガリ勉といじめられたり因縁をつけられ喧嘩をふっかけられたりと不愉快な思いも経験していた。また15歳のころ母アンが多発性硬化症と診断が下される。陽気で活力にあふれた母が徐々に病魔に侵されていくのを見ているのは胸が引き裂かれるほど辛いことだったとローリングは語っている。ローリングは最終学年でヘッドガールに選ばれるなど明るく社交的な人気者になっていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "本人は文学方面に進みたかったが、両親の希望の母国語(英語)の教員となるためにエクセター大学でフランス語と古典英語(古英語、中英語、初期近代英語)を学んだ。1年間の留学期間が必須科目だったのでパリに留学し、パートタイムで英語講師として英語を教えた。在学中も多くの小説を書いたが完成までは進まず、むしろ読む方に時間を費やし、ジェーン・オースティンなどの作品を読んだ。最終学年を迎えた1987年、自ら志願して年に1回マーティン・ソレルの指導で上演されるフランス語の劇に協力した。フランスの劇作家オバルディアの『農場の宇宙飛行士』という哲学的なファンタジー喜劇で衣装係に任命された。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1987年夏卒業。この頃母アンの病状はかなり悪化しており車いすや歩行器が必要となっていた。卒業後はロンドン南西部のクラパムにあるフラットに引っ越した。ロンドンのアムネスティ・インターナショナルで秘書として働いたが、仕事にはあまり興味を見出せなかった。この時は大人向けの小説を書き始めていた。一度だけ出版社で働いたこともあり、原稿の断り状を送る作業をしていた。この頃、タイプをかなりのスピードで打つことが出来るようになっていた。ローリングは25歳を迎えるまでに2つの小説を書いたが日の目を見なかった。その頃からカフェやバーでメモや短い文書を書きなぐる習慣ができた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1990年6月、エクセター大学時代の恋人がマンチェスターに移り住んでいたのでそこに一緒に暮らそうと考えていた。週末を使ってマンチェスターでフラット探しをしたが見つからず、延々と続く英国の田園風景を眺めながら4時間かけてロンドンへ戻る列車に座っていた。自分と同じように寂しげな黒と白のフリーシアン種の牛たちをじっと見つめているうちに、突然アイディアが浮かんできた。何がきっかけだったのかはわからないが、目の前に「ハリーや魔法学校のイメージ」がはっきり浮かんできた。この男の子は自分が何者なのか知らず、魔法学校への入学許可証をもらうまで自分が魔法使いだと知らないという設定がパッとひらめいた。一つのアイディアに夢中になったのは初めてだった。 ペンも紙もなかったため、これらを頭の中ですべて思い浮かべていった。主人公のこと、通う学校、そこで出会う人々――。ロンドンに着く頃にはロン・ウィーズリーとハグリットを思いついていた。この段階では名前はついておらず、後から情報を集めて思いついて行った。もっとも時間をかけて考えたのが学校そのものと、その雰囲気だ。場所はスコットランドを舞台に選んだ。ローリングは自分の部屋へ戻ってから、列車で考えていたことを思い出しては、安物の薄っぺらいノートに一心不乱に書き留めていった。これがハリー・ポッターの最初の草案となった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "仕事はマンチェスター商工会議所で派遣秘書の職が見つかり、その年が終わる頃にはロンドンから引っ越してくることができた。ハリーとの出会いは退屈な暮らしに喜ばしい変化が訪れ、ローリングが彼の冒険物語について書いたメモはすぐに靴箱いっぱいになった。この頃から7巻のシリーズにすることを決めていた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1990年12月30日に母アンが45歳で亡くなる。10年に及ぶ闘病生活だった。その死はローリングの心に深刻な影響をもたらし、執筆中だった本の方向性にも及んだ。打ちひしがれてマンチェスターに戻ってもそこには行き場のない人生が待っているだけであった。しかも恋人との間にも険悪な空気が漂い始め、派手な喧嘩をしたあと、部屋を飛び出して郊外のディズバリーの小さなホテルに1人で泊まった。そこで思いついたのがクィディッチだった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "翌1991年に、ポルトガルの英語教師としての職を得た。日中はコーヒーバーに居座って原稿を書いていた。ポルト在住中5ヶ月目バーで出会った男性と同棲する。その後すぐに妊娠するが流産となる。1992年に27歳で結婚。しかしその前にはすでに二人の関係には亀裂が入っていた。それから数週間後再び妊娠する。妊娠期間中はそれまでになくハリー・ポッター執筆に時間を費やすようになった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1993年7月、長女ジェシカを出産したが、その4ヶ月後に離婚した。この時父ピーターは再婚していたため、妹のダイが住むエディンバラに娘とともに移り住んだ。ダイはこの時完成していた第3章までの原稿を読み夢中になった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1993年12月社会保障局で生活保護と住宅手当を申請し、69ポンドの手当を得た。友人に600ポンドの借金もした。幅木のネズミの音に耐えられず新しいアパートを見つけようとしたが住宅手当を理由に次々と断られた。最終的にサウス・ローン・プレイス七番地に引っ越した。この家のキッチンテーブルで『賢者の石』を書き上げることになる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1994年頃から貧困と心労のため深いうつ病になり、「自殺も考えた」ことがあると英北部エディンバラ大学の学生誌に明かした。この時の経験が、ハリー・ポッターシリーズに登場するディメンターのもととなった。ローリングは義理の弟が買い取ったサウス・ブリッジとロイヤル・マイルの交差点にあるカフェ、ニコルソンズでコーヒーをすすりながら原稿を書き進めていった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1994年の暮れには秘書の仕事を見つけたが、15ポンド以上収入があると手当から控除されてしまうためそれ以上稼げなかった。この頃スコットランドで教職を得るため、現代語の公立学校教員免許状(PGCE)取得のためのコースを受けた。1995年の夏にはスコットランド教育産業局から補助金を受け取ることができた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1995年、完成した原稿を著作権エージェンシーに送った。1件目はそっけない断りの手紙とともに送り返されてきた。2件目のクリストファー・リトルが経営するChristopher Little Literary Agencyで契約を結んだ。原稿は12の出版社に提出されたが、あまりに長編で、出版する会社は現れなかった。新人による子供向け書籍の出版に取り組んでいたブルームズベリー出版社(英語版)が出版することとなったのは、受け取った原稿を、編集者が自分で読む前に8歳の子供アリス・ニュートンに手渡して反応を見たからである。1時間後に部屋から出てきたアリスは、「パパ、これは他のどんなものよりもずっと素敵だ」と話した。契約金は1500ポンドだった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "契約後もマリー・ハウスでの厳しい教育実習を続け1996年7月に教職課程を終了した。ローリングはスコットランドのゼネラル・ティーチング・カウンシルに登録した。またハリー・ポッターシリーズ2巻の執筆にも取り掛かっていた。カウンシルの作家のための奨励金制度で8000ポンドを得ることができた。", "title": "経歴" }, { 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"第4巻の発売が決まった頃には、既刊の3巻の売上は英国で800万部、米国で2400万部に達した。4巻の英国での初版部数は100万部を越え、英国・カナダ・オーストラリア・米国の4カ国の総初版部数は530万部にのぼった。この時点でローリングの収入は700万ポンドに上ると見込まれた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "35歳になる2週間前、母校のエクセター大学から名誉博士号を授与された。卒業式ではスピーチを披露した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2001年、オーサー・オブ・ザ・イヤーに加えて、児童文学への貢献を評価され、女王の公式誕生日の叙勲で英国勲功章(OBE)を受章した。「サンデー・タイムズ」の長者番付では所得額は6500万ポンドだった。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2001年には医師のニール・マレーと再婚し、2003年に男の子、2005年には女の子を出産している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2007年7月21日、シリーズ最終巻となる『ハリー・ポッターと死の秘宝』が発売された。以後も公式サイトや、映画シリーズの製作等で、同シリーズに関わる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "政府の生活保護により離婚後の生活苦をしのいだ経緯から、労働党を支持している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また紙媒体での本の重要性を説いており、電子書籍による自著の販売に反対していたが、オフィシャルストア「ポッターモア」でのアンケートなどを経て、2012年からハリー・ポッターシリーズ の電子書籍版を販売している。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2012年には、初の大人向け長編小説 『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』(The Casual Vacancy) を発表した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2016年公開のハリー・ポッターシリーズのスピンオフとなる映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(Fantastic Beasts and Where to Find Them) では、脚本を担当する。ロバート・ガルブレイス名義", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2013年、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)という男性のペンネームで『カッコウの呼び声』という探偵小説を出版していたことが、サンデー・タイムズの調査により発覚した。本人は「もう少し長く秘密にしておきたかった」と語った。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ロバート・ガルブレイスは2003年から民間の警備保障会社に勤務している英軍警察の元隊員だと説明していたが、初めて書いたにしては出来が良すぎるのではないかと疑問を抱いたサンデー・タイムズ紙が、正体について調査した。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "年収約1億2500万ポンド(日本円で約182億円)は、「歴史上最も多くの報酬を得た作家」とされている (Rags to riches)。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2003年5月、イギリスのお金持ちリストが発表され、ローリングがハリー・ポッターの本、映画、その他関連商品から手にした金額が560億円だったことがわかった。この金額はエリザベス女王よりも多く、イギリス国内では上から122番目の富豪になるという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2007年1月、経済誌フォーブス誌がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産1210億円で2位にランクインした。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2008年The Sunday Times Rich Listでは資産は5億6000万ポンドで、イギリス人女性の12位にランクインした。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2010年1月、英大衆紙ザ・サンによると、スコットランドに260万ポンド(日本円で約3億7500万円)で5軒目となる新たな豪邸を購入したという。この豪邸は31部屋もある大邸宅であるが、ローリングは2、3部屋を見ただけで購入を即決したという。担当をした不動産屋は「彼女は2、3部屋を見ただけで即決しました。所有者が『2階は見なくてもいいですか?』と聞くまでは2階も特に見ようとはしていなかったです」と明かしている。さらにローリングは2010年のクリスマスは家族とこの家で過ごしたいと熱望し、現在の所有者がクリスマスまでに出ていくのであれば30万ポンド(日本円で約4500万円)を購入金額に上乗せして支払ってもいいと言っているという。総資産が5億6000万ポンド(日本円で約840億円)もあるローリングは今回の豪邸以外にもスコットランドに3軒、ロンドンに1軒の豪邸を所有しているという。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ロンドンに本部を置くシングルペアレント・ファミリーのための全国協会への50万ポンドの寄付をした。2000年9月には同協会の慈善大使を務めることになった。「ザ・サン」へのイギリスの官僚主義的な福祉についての寄稿も行った。", "title": "慈善活動" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "エディンバラの地元ではガン患者とその家族に対してするカウンセリングや支援を行っているマギーズ・センターズに援助した。スコットランド各地で朗読会を開催してグラスゴーとダンディーに新しい支援センターを開設するための資金集めを行った。", "title": "慈善活動" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "母の闘病生活を通じて関わりを持つようになったスコットランド多発性硬化症協会の後援者になった。「スコットランド・オン・サンデー」に特別寄稿をした。これは後に「オブザーバー」でも取り上げられた。", "title": "慈善活動" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "堅いイメージの慈善事業をお祭り感覚で演出しているコミック・リリーフ(Comic Relief)に2冊の本を書き下ろした。いずれも〈ホグワーツ校指定教科書〉でタイトルは『幻の動物とその生息地』と『クィディッチ今昔』。少なくとも一冊に付き2ポンドの印税がコミック・リリーフに寄付された。", "title": "慈善活動" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "女性の権利擁護運動に積極的にかかわってきたことで評価されていたが、男性器のある女性自認者の女性専用スペース使用の合法化、女性自認者のDV被害女性保護施設利用などの「トランスジェンダー改革」へ疑問を表明すると、強い批判を受けるようになった。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2023年2月16日にニューヨークタイムズは「In Defense of J.K. Rowling」を掲載し、ローリングに対する「トランス嫌悪」「トランス差別主義者」だと罵倒、著書の撤去、住所晒し、性暴力や殺害の予告を含んだ脅迫行為をおこなう「過激派」を批判し、ローリングへの支持を表明した。ローリングはDVシェルターや女性刑務所など女性専用スペースを持つ権利、法的性別の決定にセルフIDでは不適切だと言ってるだけであり、性別不合(旧:性同一性障害)の存在へ異議を唱えたり、証拠に基づく医療的な手術(性別適合手術)を受けた者への性別移行の法的容認(手術済トランス女性の法的性別変更)へ反対したことは一度もない。ニューヨークタイムズは、「トランス差別」の本来の定義に沿った発言をしていないローリングに対するアンチキャンペーンは馬鹿げているだけでなく、サルマン・ラシュディへの刺傷事件のように、作家が悪魔化されたときに起こり得る危険性があると報道している。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ローリングは近年トランスジェンダーに対して自身の意見を展開し発言を行っている。2020年6月7日、自身のTwitterで「生理のある人」との見出しの付いた記事を引用し、その表現は身体女性に対し侮辱的だと非難した 。また同日には「もし生物学的性別が本物でなければ同性愛は存在しない。もし生物学的性別が存在しなければ世界中の女性達の生きた存在が消されてしまう。真実を話す事は差別ではない」とし、トランスジェンダリズムの推進する「生物学的性別(sex)より性自認(gender identity)を尊重する」姿勢に対して抗議を示した。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ローリングによれば、かつて自身が性暴力の被害者となった経験から、女性達の安全を保護する為にも生物学的性別での区別が必要だと考えるようになったとしている。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "他にも彼女は自身のサイトで多数のトランスジェンダーの活動家から誹謗中傷や殺害予告などの脅迫を受け取っていると訴え、また「女性は衣装ではない。女性は男性の頭の中の考えではない。女性を『生理のある人』や『陰部を持つ人』と呼ぶ言葉は多くの女性を非人間的で卑劣な物に貶めている。」とした。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "この一連の発言は主にSNS上で多数の非難を受けている。その中には自著の映画に出演している俳優たちも含まれる。ダニエル・ラドクリフは「トランスジェンダーの女性は女性だ。これに反する発言はすべて、彼らの尊厳を傷付けている」と批判。また『リリーのすべて』でトランスジェンダーを演じたエディ・レッドメインやエマ・ワトソン もこれに続いてローリングを批判した。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "2020年9月に出版された「私立探偵コーモラン・ストライク」の新刊「Troubled Blood」では、犯人が女装をトリックとして用い変装して犯行に及んだという描写を取り入れた事がトランスジェンダーに対して差別的だとして非難された。ただしこのキャラクター自体は作中でトランスジェンダーとして描かれている訳ではなく、ミステリー小説において犯人がトリックで異性装を用いたという描写は実際に珍しい物ではない。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2021年11月、Twitterで3人のトランスジェンダー活動家により自宅の住所を写真で晒されたことを明らかにし、家族にも危害を及ぼしかねない悪質な嫌がらせだとして抗議した。また一連の批判と因果関係は不明だが、2022年1月にHBO Maxが制作した特別番組『ハリー・ポッター20周年記念:リターン・トゥ・ホグワーツ』には、映画版の歴代キャストやスタッフが集結したが、原作者であるローリングは出演しなかった。これに関してはネット上でキャンセル・カルチャーだとして番組の制作側に批判の声が集まった。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2022年3月25日、ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンはビデオ会議の中でロシアによるウクライナ侵攻に反発した西側諸国のキャンセル・カルチャーに触れた際、プーチンはローリングのトランスジェンダー発言によるキャンセル・カルチャーの事例を引き合いに出した上で「世界中で何百万部も売り上げた本の作家であるJ.K.ローリングは、いわゆる『ジェンダーの自由』支持者の気に障ったが為にキャンセルされている」と彼女を擁護した", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "以前からチャリティー団体などを通してウクライナ政府と連携し、自身も100万ユーロをウクライナへ寄付してきたローリングはプーチンの発言に強く抗議し「#IStandWithUkraine」のハッシュタグを添付したツイートをTwitterに投稿してウクライナ支持の意思を表示した。また、2022年4月8日には、ローリングの意向により、ロシア国内で流通しているハリー・ポッターシリーズの電子書籍販売を停止することが同月6日に同国メディアから報じられた。", "title": "トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "※イギリス郊外の町を舞台とした、作者初の大人向け長編小説。原書は2012年9月27日に刊行。独占翻訳権は講談社が取得した。", "title": "作品リスト" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "※ロバート・ガルブレイス名義での出版。日本では講談社が出版。", "title": "作品リスト" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "ローリングはセント・アンドルーズ大学、エディンバラ大学、エディンバラネーピア大学、エクセター大学、アバディーン大学、ハーバード大学から名誉学位を受けている。ハーバード大では2008年卒業式でスピーチを行った。2009年フランス大統領ニコラ・サルコジからレジオンドヌール勲章を授与された。", "title": "賞・学位" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "その他賞:", "title": "賞・学位" } ]
J・K・ローリングこと、ジョアン・ローリングは、イギリスの作家、慈善家、映画プロデューサー、脚本家。 25歳までに小説2作品を書き上げたが全く日の目を見なかった。27歳の頃から生活保護と住宅手当を受け、この間小説のアイデアを書き続けていた。29歳で貧困と心労のため深いうつ病になり、自殺も考えていた。同年、公立学校教員免許状取得のための求職者支援制度を活用し、スコットランド教育産業局から補助金を受け取った。30歳で「ハリー・ポッター」シリーズの原稿を完成させた。このシリーズは世界中で反響を呼び幾多の賞を獲得した他4億部以上出版されている。これは史上最も売れたシリーズ作品であり、また映画化シリーズは世界歴代12位の興行収入をあげた。また、「ハリーポッター」シリーズのスピンオフ映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016年)では脚本家としてデビューし、シリーズの脚本を務めている。また、ロバート・ガルブレイスというペンネームで犯罪小説を書いている。
{{ページ番号|date=2018年10月5日 (金) 08:20 (UTC)}} {{Expand English|J. K. Rowling|fa=yes|date=2020年12月}} {{Infobox 作家 | name = J・K・ローリング<br />{{small|J. K. Rowling<br />{{post-nominals|country=GBR|CH|OBE|HonFRSE|FRCPE|FRSL|size=100%}}}} | image = J. K. 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Rowling}})こと、'''ジョアン・ローリング'''({{lang-en-short|Joanne Rowling}} {{Post-nominals|country=GBR|CH|OBE|HonFRSE|FRCPE|FRSL|sep=,|size=85%}}, {{IPAc-en|ˈ|r|əʊ|l|ɪ|ŋ}} {{respell|ROH|ling}};<ref name="bio">Rowling, J.K. (16 February 2007). [http://www.accio-quote.org/articles/1998/autobiography.html "The Not Especially Fascinating Life So Far of J.K. Rowling"] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080430125041/http://www.accio-quote.org/articles/1998/autobiography.html|date=30 April 2008}}. Accio Quote (accio-quote.org). Retrieved 28 April 2008.</ref>、[[1965年]][[7月31日]] -)は、[[イギリス]]の[[作家]]、[[慈善家]]、[[映画プロデューサー]]、[[脚本家]]。 25歳までに小説2作品を書き上げたが全く日の目を見なかった。27歳の頃から生活保護と住宅手当を受け、この間小説のアイデアを書き続けていた。29歳で貧困と心労のため深いうつ病になり、自殺も考えていた。同年、公立学校教員免許状取得のための求職者支援制度を活用し、スコットランド教育産業局から補助金を受け取った<ref name="jkr-a" />。30歳で「[[ハリー・ポッターシリーズ|ハリー・ポッター]]」シリーズの原稿を完成させた。このシリーズは世界中で反響を呼び幾多の賞を獲得した他4億部以上出版されている<ref>{{cite web|url=http://www.thebookseller.com/news/potter-tops-400-million-sales.html|title=Potter tops 400 million sales|accessdate=12 September 2008|author=Flood, Alison|date=17 June 2008|work=The Bookseller}}</ref>。これは[[ベストセラー本の一覧|史上最も売れたシリーズ作品]]であり<ref>{{cite web|url=https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/best-selling-book-series-for-children|title=Record for best-selling book series|accessdate=18 April 2012|publisher=Guinness World Records|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121023212942/http://www.guinnessworldrecords.com/world-records/5000/best-selling-book-series-for-children|archivedate=23 October 2012|deadurl=yes}}</ref>、また[[ハリー・ポッター_(映画シリーズ)|映画化シリーズ]]は[[世界歴代興行収入上位の映画一覧|世界歴代12位の興行収入]]をあげた<ref>{{cite web|url=https://www.boxofficemojo.com/|title=Movie Franchises and Brands Index|accessdate=19 December 2012|publisher=Box Office Mojo}}</ref>。また、「ハリーポッター」シリーズのスピンオフ映画『[[ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅]]』(2016年)では脚本家としてデビューし、シリーズの脚本を務めている。また、'''ロバート・ガルブレイス'''({{lang-en-short|Robert Galbraith}})というペンネームで犯罪小説を書いている。 == ペンネーム == 現在のペンネーム「 J・K・ローリング」は、本のターゲットとなる男の子が女性作家の作品だと知りたくないだろうと心配した出版社が、イニシャルを用いるように求めたためにつけられたものである。ローリングは[[ミドルネーム]]を持っていなかったので、祖母のキャスリーン{{en|(Kathleen)}}にちなみ、ペンネームをJ・K・ローリングとした<ref>[http://www.hpthedailyprophet.com/transcript-oprah-interview Transcript of Oprah Interview"]. hpthedailyprophet.com. 2010. Retrieved 18 November 2010.</ref>。ハリー・ポッターシリーズが終わっても作家業を続け、作家名も変えないと発言していたが、2013年になり、[[#ロバート・ガルブレイス名義|ロバート・ガルブレイス]]({{lang-en-short|Robert Galbraith}})という男性名で探偵小説を出版していたことがわかった。 なお、本人がジョアン({{lang-en-short|Joanne}})でなく、その略称であるジョー({{lang-en-short|Jo}})と称するのを好むのは、子供の時、ジョアンと呼ばれるのは怒られる時だけだったためで<ref>[https://web.archive.org/web/20011027070501/www.angelfire.com/mi3/cookarama/cbcint_1.html CBC Interview #1], 26 October 2000</ref>、ペンネームではない。 == 経歴 == === 作家になるまで === [[ファイル:Church Cottage, Tutshill.jpg|thumb|left|タッツヒルのチャーチ・コテージ。左に見えるのは教会で、さらに左に教会付属の墓地が広がる。]] [[イギリス]]南西部[[ブリストル]]の北東約15キロ、[[グロスタシャー|グロスタシャー州]]にある{{仮リンク|イェイト|en|Yate}}に住む[[ロールス・ロイス|ロールスロイス]]の航空機のエンジニアであるピーター・ジェームズ・ローリングとアン・ローリング夫妻の長女として生まれた<ref name=":0">『J.K.ローリング その魔法と真実』ショーン・スミス著 鈴木彩織訳 2001年</ref>。生まれた病院は、隣町の{{仮リンク|チッピング・ソドベリー|en|Chipping Sodbury}}にある。2年後に妹が生まれ、本人が4歳の時に家族はグロスタシャーの{{仮リンク|ウィンターボーン|en|Winterbourne, Gloucestershire}}に移り、さらに9歳の時に{{仮リンク|タッツヒル|en|Tutshill}}へと引っ越し、「チャーチ・コテージ」と呼ばれる19世紀半ばに建てられたゴシック風の建物で、美しい庭に囲まれて成長した<ref>{{cite news |title=ハリポタ構想の原点はここに?原作者J・K・ローリングが子供時代を過ごした家が売りに出される |author=竹内エミコ |newspaper=シネマトゥデイ |date=2011-07-17 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0033789 |accessdate=2013-07-15}}</ref>。近くには、自然豊かなディーンの森があった{{efn|ディーンの森は、ハリー・ポッターシリーズ7巻前半で、スネイプの守護霊によってハリーがグリフィンドールの剣を見つけ、ロンと再会する場所である。}}。この様々な民間伝承をもつ神秘的な森は彼女の想像力をかき立てた<ref name=":0" />。 子供時代から物語を書くことが好きで、初めて書いたのは『Rabbit』という名前のウサギの話で、6歳の時である<ref name="jkr-a">[http://www.accio-quote.org/articles/2001/1201-bbc-hpandme.htm BBC放送インタビュー]、2001年12月28日</ref>。ワイディーン・コンプリヘンシヴ・スクール(総合制中等学校)時代にはすでに想像力に富んだ作品で国語の教師たちに強い印象を与えていた。サバイバルを主題にしたエッセイ『私の無人島生活{{en|(My Desert Island)}}』はA+をとった。しかしこの頃はガリ勉といじめられたり因縁をつけられ喧嘩をふっかけられたりと不愉快な思いも経験していた。また15歳のころ母アンが[[多発性硬化症]]と診断が下される。陽気で活力にあふれた母が徐々に病魔に侵されていくのを見ているのは胸が引き裂かれるほど辛いことだったとローリングは語っている。ローリングは最終学年でヘッドガールに選ばれるなど明るく社交的な人気者になっていた<ref name=":0" />。 本人は文学方面に進みたかったが、両親の希望の[[母国語]](英語)の[[教員]]となるために[[エクセター大学]]で[[フランス語]]と[[古典英語]]([[古英語]]、[[中英語]]、[[初期近代英語]])を学んだ。1年間の留学期間が必須科目だったので[[パリ]]に留学し、パートタイムで英語講師として英語を教えた。在学中も多くの小説を書いたが完成までは進まず、むしろ読む方に時間を費やし、[[ジェーン・オースティン]]などの作品を読んだ。最終学年を迎えた1987年、自ら志願して年に1回マーティン・ソレルの指導で上演されるフランス語の劇に協力した。フランスの劇作家オバルディアの『農場の宇宙飛行士』という哲学的なファンタジー喜劇で衣装係に任命された。  1987年夏卒業。この頃母アンの病状はかなり悪化しており車いすや歩行器が必要となっていた。卒業後はロンドン南西部のクラパムにあるフラットに引っ越した。[[ロンドン]]の[[アムネスティ・インターナショナル]]で[[秘書]]として働いたが、仕事にはあまり興味を見出せなかった<ref name="jkr-b">[http://www.accio-quote.org/articles/1999/1099-post-weeks.htm ワシントンポスト紙]、1999年10月20日</ref>。この時は大人向けの小説を書き始めていた。一度だけ出版社で働いたこともあり、原稿の断り状を送る作業をしていた。この頃、タイプをかなりのスピードで打つことが出来るようになっていた。ローリングは25歳を迎えるまでに2つの小説を書いたが日の目を見なかった。その頃からカフェやバーでメモや短い文書を書きなぐる習慣ができた<ref name=":0" />。 === ハリー・ポッター着想と困窮 === [[File:The Elephant House.jpg|thumb|280px|ハリー・ポッター第1巻を執筆した、[[エディンバラ]]のカフェ「エレファントハウス」]] [[1990年]]6月、エクセター大学時代の恋人が[[マンチェスター]]に移り住んでいたのでそこに一緒に暮らそうと考えていた。週末を使ってマンチェスターでフラット探しをしたが見つからず、延々と続く英国の田園風景を眺めながら4時間かけてロンドンへ戻る列車に座っていた。自分と同じように寂しげな黒と白の[[ホルスタイン|フリーシアン]]種の牛たちをじっと見つめているうちに、突然アイディアが浮かんできた。何がきっかけだったのかはわからないが、目の前に「ハリーや魔法学校のイメージ」がはっきり浮かんできた。この男の子は自分が何者なのか知らず、魔法学校への入学許可証をもらうまで自分が魔法使いだと知らないという設定がパッとひらめいた。一つのアイディアに夢中になったのは初めてだった<ref>[http://www.accio-quote.org/articles/1999/1099-bostonglobe-loer.html All about Harry Potter]ボストン・グローブ紙、1999年10月18日</ref>。 ペンも紙もなかったため、これらを頭の中ですべて思い浮かべていった。主人公のこと、通う学校、そこで出会う人々――。ロンドンに着く頃には[[ロン・ウィーズリー]]と[[ルビウス・ハグリッド|ハグリット]]を思いついていた。この段階では名前はついておらず、後から情報を集めて思いついて行った。もっとも時間をかけて考えたのが学校そのものと、その雰囲気だ。場所はスコットランドを舞台に選んだ。ローリングは自分の部屋へ戻ってから、列車で考えていたことを思い出しては、安物の薄っぺらいノートに一心不乱に書き留めていった。これがハリー・ポッターの最初の草案となった<ref name=":0" />。 仕事はマンチェスター商工会議所で派遣秘書の職が見つかり、その年が終わる頃にはロンドンから引っ越してくることができた。ハリーとの出会いは退屈な暮らしに喜ばしい変化が訪れ、ローリングが彼の冒険物語について書いたメモはすぐに靴箱いっぱいになった。この頃から7巻のシリーズにすることを決めていた。 1990年12月30日に母アンが45歳で亡くなる。10年に及ぶ闘病生活だった。その死はローリングの心に深刻な影響をもたらし、執筆中だった本の方向性にも及んだ。打ちひしがれてマンチェスターに戻ってもそこには行き場のない人生が待っているだけであった。しかも恋人との間にも険悪な空気が漂い始め、派手な喧嘩をしたあと、部屋を飛び出して郊外のディズバリーの小さなホテルに1人で泊まった。そこで思いついたのが[[クィディッチ]]だった<ref name=":0" />。 翌[[1991年]]に、[[ポルトガル]]の[[英語]]教師としての職を得た。日中はコーヒーバーに居座って原稿を書いていた。[[ポルト]]在住中5ヶ月目バーで出会った男性と同棲する。その後すぐに妊娠するが流産となる。[[1992年]]に27歳で結婚。しかしその前にはすでに二人の関係には亀裂が入っていた。それから数週間後再び妊娠する。妊娠期間中はそれまでになくハリー・ポッター執筆に時間を費やすようになった。 1993年7月、長女ジェシカを出産したが、その4ヶ月後に離婚した。この時父ピーターは再婚していたため、妹のダイが住む[[エディンバラ]]に娘とともに移り住んだ。ダイはこの時完成していた第3章までの原稿を読み夢中になった。 1993年12月社会保障局で生活保護と住宅手当を申請し、69ポンドの手当を得た。友人に600ポンドの借金もした。幅木のネズミの音に耐えられず新しいアパートを見つけようとしたが住宅手当を理由に次々と断られた。最終的にサウス・ローン・プレイス七番地に引っ越した。この家のキッチンテーブルで『賢者の石』を書き上げることになる<ref name=":0" />。 1994年頃から[[貧困]]と心労のため深い[[うつ病]]になり、「自殺も考えた」ことがあると英北部[[エディンバラ大学]]の学生誌に明かした。この時の経験が、ハリー・ポッターシリーズに登場する[[ディメンター]]のもととなった。ローリングは義理の弟が買い取ったサウス・ブリッジとロイヤル・マイルの交差点にあるカフェ、ニコルソンズでコーヒーをすすりながら原稿を書き進めていった。 1994年の暮れには秘書の仕事を見つけたが、15ポンド以上収入があると手当から控除されてしまうためそれ以上稼げなかった。この頃スコットランドで教職を得るため、現代語の公立学校教員免許状(PGCE)取得のためのコースを受けた。1995年の夏にはスコットランド教育産業局から補助金を受け取ることができた<ref name="jkr-a" />。 === ハリー・ポッターの大ヒット === [[1995年]]、完成した原稿を[[著作権エージェント|著作権エージェンシー]]に送った。1件目はそっけない断りの手紙とともに送り返されてきた。2件目のクリストファー・リトルが経営する[[:en:Christopher Little Literary Agency|Christopher Little Literary Agency]]で契約を結んだ。原稿は12の出版社に提出されたが、あまりに長編で、出版する会社は現れなかった。新人による子供向け書籍の出版に取り組んでいた{{仮リンク|ブルームズベリー出版社|en|Bloomsbury Publishing}}が出版することとなったのは、受け取った原稿を、編集者が自分で読む前に8歳の子供アリス・ニュートンに手渡して反応を見たからである。1時間後に部屋から出てきたアリスは、「パパ、これは他のどんなものよりもずっと素敵だ」と話した<ref>{{cite web |url=https://www.nzherald.co.nz/lifestyle/revealed-the-eight-year-old-girl-who-saved-harry-potter/UTQCYL6RAEUSL4V5JH7MMP3WTE/?c_id=6&objectid=10333960|title=The eight-year-old girl who saved Harry Potter|publisher=The New Zealand Herald紙(2005年7月3日)|language=英語 |accessdate=2012年5月19日 }}</ref>。契約金は1500ポンドだった。 契約後もマリー・ハウスでの厳しい教育実習を続け1996年7月に教職課程を終了した。ローリングはスコットランドのゼネラル・ティーチング・カウンシルに登録した。またハリー・ポッターシリーズ2巻の執筆にも取り掛かっていた。カウンシルの作家のための奨励金制度で8000ポンドを得ることができた。 1997年7月26日、『ハリー・ポッターと賢者の石』がハードカバーとペーパーバックの両方で出版された。ハードカバー版の刷り数は500部だった。1巻が発売されても派手な宣伝を行う予算はなく、米国の出版権に入札できないほどだった<ref name=":0" />。 発売されてから3日後、米国の出版権をめぐるオークションではどんどん値がつり上がっていき10万ドルで落札された。米国版の初刷りは5万部だった。『賢者の石』出版から2週間後、2作目の原稿を出版社に送った。『ハリー・ポッターと秘密の部屋』の出版から6日後、児童書として初となる英国のベストセラーリストの1位を飾った。「{{仮リンク|ネスレ・スマーティーズ賞|en|Nestlé Smarties Book Prize}}」を受賞。「{{仮リンク|ブリティッシュ・ブック・アウォーズ|en|British Book Awards}}」など多くの文学賞を受賞するなど、新人作家としては異例の扱いを受け児童文学として高く評価されるとともに、多数の外国語に訳される世界的[[ベストセラー]]となり、子供のみならず広範な大人の読者をも獲得した。 1999年6月末、ローリングが4度目に受け取った印税は7桁の金額になっていて、ローリングは正真正銘の億万長者になった。プラチナカード会員のクレジットカードを持ち、15%~20%の印税を受け取るようになっていた。 1999年が終わりを迎える頃、[[デヴィッド・ハイマン]]と[[ワーナー・ブラザース]]との映画化権の契約が完了した。契約金は100万ドルで、ローリングは起こったことに対する発言権を維持し、脚本に意見をいう権利を持ち、特に英国における特定の種類の商品化に対して拒否権を行使できるようにした。代わりにワーナーは世界中で商標としての「ハリー・ポッター」を管理する権利を得た。 第4巻の発売が決まった頃には、既刊の3巻の売上は英国で800万部、米国で2400万部に達した。4巻の英国での初版部数は100万部を越え、英国・カナダ・オーストラリア・米国の4カ国の総初版部数は530万部にのぼった。この時点でローリングの収入は700万ポンドに上ると見込まれた。 35歳になる2週間前、母校のエクセター大学から名誉博士号を授与された。卒業式ではスピーチを披露した。 2001年、オーサー・オブ・ザ・イヤーに加えて、児童文学への貢献を評価され、女王の公式誕生日の叙勲で英国勲功章(OBE)を受章した。「サンデー・タイムズ」の長者番付では所得額は6500万ポンドだった<ref name=":0" />。 [[2001年]]には医師のニール・マレーと再婚し、[[2003年]]に男の子、[[2005年]]には女の子を出産している。 [[2007年]][[7月21日]]、シリーズ最終巻となる『ハリー・ポッターと死の秘宝』が発売された。以後も公式サイトや、映画シリーズの製作等で、同シリーズに関わる。 政府の生活保護により離婚後の生活苦をしのいだ経緯から、[[労働党 (イギリス)|労働党]]を支持している。 また紙媒体での本の重要性を説いており、[[電子書籍]]による自著の販売に反対していたが、オフィシャルストア「[[ポッターモア]]」でのアンケートなどを経て、[[2012年]]からハリー・ポッターシリーズ の電子書籍版を販売している。 2012年には、初の大人向け長編小説 『[[カジュアル・ベイカンシー 突然の空席]]』{{en|(''The Casual Vacancy'')}} を発表した。 2016年公開のハリー・ポッターシリーズのスピンオフとなる映画『[[ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅]]』{{en|(Fantastic Beasts and Where to Find Them)}} では、脚本を担当する。ロバート・ガルブレイス名義 2013年、ロバート・ガルブレイス({{lang-en-short|Robert Galbraith}})という男性のペンネームで『[[カッコウの呼び声]]』という探偵小説を出版していたことが、[[サンデー・タイムズ]]の調査により発覚した<ref name="sankei20130715">共同「チャイム」『産経新聞』2013年7月15日付け、東京本社発行15版、23面。</ref>。本人は「もう少し長く秘密にしておきたかった」と語った<ref name="sankei20130715" />。 ロバート・ガルブレイスは2003年から民間の警備保障会社に勤務している英軍警察の元隊員だと説明していたが、初めて書いたにしては出来が良すぎるのではないかと疑問を抱いたサンデー・タイムズ紙が、正体について調査した<ref>{{cite news |language = | author =| url =https://www.afpbb.com/articles/-/2955911?pid=11038540| title =「ハリポタ」のローリング氏、新人名義で探偵小説を出していた| publisher =| date= 2013-7-15| accessdate =2013-7-17}}</ref>。 === 資産=== 年収約1億2500万[[スターリング・ポンド|ポンド]](日本円で約182億円)は、「歴史上最も多くの報酬を得た作家」とされている {{en|([[Rags to riches]])}}。 [[2003年]]5月、イギリスのお金持ちリストが発表され、ローリングがハリー・ポッターの本、映画、その他関連商品から手にした金額が560億円だったことがわかった。この金額は[[エリザベス2世|エリザベス女王]]よりも多く、イギリス国内では上から122番目の富豪になるという<ref>{{cite news |title=J・K・ローリング、女王陛下よりお金持ち? |author= |newspaper=シネマトゥデイ |date=2003-05-01 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0003280 |accessdate=2013-07-15}}</ref>。 [[2007年]]1月、経済誌[[フォーブス (雑誌)|フォーブス誌]]がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産1210億円で2位にランクインした。 2008年''The Sunday Times Rich List''では資産は5億6000万ポンドで、イギリス人女性の12位にランクインした<ref name="richlist">{{cite news|date=27 April 2008|newspaper=[[The Sunday Times]]|title=Joanne Rowling|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110612080035/http://business.timesonline.co.uk/tol/business/specials/rich_list/article3761853.ece|url=http://business.timesonline.co.uk/tol/business/specials/rich_list/article3761853.ece|accessdate=6 January 2015|archivedate=12 June 2011|deadurl=yes}}</ref>。 [[2010年]]1月、英大衆紙[[ザ・サン]]によると、[[スコットランド]]に260万ポンド(日本円で約3億7500万円)で5軒目となる新たな豪邸を購入したという。この豪邸は31部屋もある大邸宅であるが、ローリングは2、3部屋を見ただけで購入を即決したという。担当をした不動産屋は「彼女は2、3部屋を見ただけで即決しました。所有者が『2階は見なくてもいいですか?』と聞くまでは2階も特に見ようとはしていなかったです」と明かしている。さらにローリングは2010年のクリスマスは家族とこの家で過ごしたいと熱望し、現在の所有者がクリスマスまでに出ていくのであれば30万ポンド(日本円で約4500万円)を購入金額に上乗せして支払ってもいいと言っているという。総資産が5億6000万ポンド(日本円で約840億円)もあるローリングは今回の豪邸以外にも[[スコットランド]]に3軒、[[ロンドン]]に1軒の豪邸を所有しているという<ref>{{cite news |title=4億円近い家をチラ見でお買い上げ!「ハリポタ」J・K・ローリング5軒目の家 |author= |newspaper=シネマトゥデイ |date=2010-01-18|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0021887 |accessdate=2013-07-15}}</ref>。 == 影響を受けた作品 == * 本にまつわる一番古い記憶は『たのしい川べ』を父親に読んでもらったことである。また、幼い頃は[[リチャード・スカーリー]]の作品に夢中になった。 * 『宝さがしの子供たち』などを書いた[[イーディス・ネズビット]]に大きな影響を受け、他にもスーザン・クーリッジの『すてきなケティ』や[[イーニッド・ブライトン|エニッド・ブライトン]]の作品、[[C・S・ルイス]]の『[[ナルニア国物語]]』シリーズをよく読み、特に[[ジェーン・オースティン]]の『エマ』は20回以上読んだ。また、[[ジェームズ・ボンド]]も好きになった<ref name=":0" />。 * [[ジェシカ・ミットフォード]]([[ミットフォード姉妹]]の五女)の自伝『令嬢ジェシカの反逆」を読んで、ジェシカの勇敢で理想に燃える人物像に憧れを抱いた<ref name=":0" />。 * 中学時代には[[ウィリアム・ゴールディング]]の『[[蝿の王]]』、J・V・マーシャルの『美しき冒険旅行』を読んでいた。 * 学校の行事で『[[リア王]]』を観に行ったことで演劇にも興味をもつようになる。その影響で[[ウィリアム・シェイクスピア]]を好きになり、『[[冬物語 (シェイクスピア)|冬物語]]』に出てくる「ハーマイオニ」という名前を自分の作品の登場人物の名前につけた<ref name=":0" />。 * パリの留学中には、日曜日は一日中部屋に篭って[[チャールズ・ディケンズ]]の『[[二都物語]]』を読んでいた。 * 大学在学中に『[[指輪物語]]』を読み、この壮大な物語の熱烈なファンとなった。全巻で1000ページに及ぶこの本は、長年の間繰り返し読まれたせいですっかりくたびれてしまった。 * ローリングはエリザベス・グージの『まぼろしの白馬』こそ「ハリー・ポッター」に一番の影響を与えた本だと語っている。 * [[クラシック音楽]]もかなり好きで、特に[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の『[[ピアノソナタ第23番 (ベートーヴェン)|熱情ソナタ]]』を好んだ。 * キャラクターの名前は地名辞典や『ブルーワー英語故事成語大辞典』を利用して考えた<ref name=":0" />。 == 慈善活動 == ロンドンに本部を置くシングルペアレント・ファミリーのための全国協会への50万ポンドの寄付をした。2000年9月には同協会の慈善大使を務めることになった。「[[ザ・サン]]」へのイギリスの官僚主義的な福祉についての寄稿も行った<ref name=":0" />。 エディンバラの地元ではガン患者とその家族に対してするカウンセリングや支援を行っているマギーズ・センターズに援助した。スコットランド各地で朗読会を開催して[[グラスゴー]]と[[ダンディー]]に新しい支援センターを開設するための資金集めを行った<ref name=":0" />。 母の闘病生活を通じて関わりを持つようになったスコットランド多発性硬化症協会の後援者になった。「スコットランド・オン・サンデー」に特別寄稿をした。これは後に「[[オブザーバー (イギリスの新聞)|オブザーバー]]」でも取り上げられた<ref name=":0" />。 堅いイメージの慈善事業をお祭り感覚で演出しているコミック・リリーフ{{en|(Comic Relief)}}に2冊の本を書き下ろした。いずれも〈ホグワーツ校指定教科書〉でタイトルは『[[幻の動物とその生息地]]』と『[[クィディッチ今昔]]』。少なくとも一冊に付き2ポンドの印税がコミック・リリーフに寄付された<ref name=":0" />。 == トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり == 女性の権利擁護運動に積極的にかかわってきたことで評価されていたが、男性器のある女性自認者の女性専用スペース使用の合法化、女性自認者のDV被害女性保護施設利用などの「[[トランスジェンダー]]改革」へ疑問を表明すると、強い批判を受けるようになった<ref>{{Cite web|和書|title=「性別変更簡易化」スコットランドで強姦犯が女性に性別変更 (2/2)|url=https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2023/02/post-266_2.php |website=Newsweek日本版 |date=2023-02-09 |access-date=2023-02-26 }}</ref><ref name=":22" />。 2023年2月16日に[[ニューヨークタイムズ]]は「In Defense of J.K. Rowling」という論説(Opinion)の投稿を掲載し、ローリングに対する「トランス嫌悪」「トランス差別主義者」だと罵倒、著書の撤去、住所晒し、性暴力や殺害の予告を含んだ脅迫行為をおこなう「過激派」を批判し、ローリングへの支持を表明した<ref name=":22" />。ローリングは[[DVシェルター]]や女性刑務所など女性専用スペースを持つ権利、法的性別の決定にセルフIDでは不適切だと言ってるだけであり、[[性別不合|性別不合(旧:性同一性障害)]]の存在へ異議を唱えたり、証拠に基づく医療的な手術([[性別適合手術]])を受けた者への性別移行の法的容認(手術済トランス女性の法的性別変更)へ反対したことは一度もない。ニューヨークタイムズは、「トランス差別」の本来の定義に沿った発言をしていないローリングに対するアンチキャンペーンは馬鹿げているだけでなく、[[サルマン・ラシュディ刺傷事件|サルマン・ラシュディへの刺傷事件]]のように、作家が[[悪魔化]]されたときに起こり得る危険性があると報道している<ref name=":22">{{Cite news |title=In Defense of J.K. Rowling |url=https://archive.md/i2zKy |work=The New York Times |date=2023-02-16 |access-date=2023-02-20 |issn=0362-4331 |language=en-US |first=Pamela |last=Paul}}</ref>。 === トランスジェンダーに関する発言 === ローリングは近年[[トランスジェンダー]]に対して自身の意見を展開し発言を行っている。2020年6月7日、自身のTwitterで「生理のある人」との見出しの付いた記事を引用し、その表現は身体女性に対し侮辱的だと非難した <ref name=huff1>{{cite web | title=J.K.Rowling Twitter | url= https://twitter.com/jk_rowling/status/1269382518362509313?s=21&t=LuEAuPedwBSaWdsclhg03Q | accessdate=2020-06-07}}</ref>。また同日には「'''もし生物学的性別が本物でなければ同性愛は存在しない。もし生物学的性別が存在しなければ世界中の女性達の生きた存在が消されてしまう。真実を話す事は差別ではない'''」とし、[[トランスジェンダリズム]]の推進する「生物学的性別(sex)より性自認(gender identity)を尊重する」姿勢に対して抗議を示した<ref name=huff2>{{cite web | title=J.K.Rowling Twitter | url= https://twitter.com/jk_rowling/status/1269389298664701952?s=21&t=LuEAuPedwBSaWdsclhg03Q | accessdate=2020-06-07}}</ref>。 ローリングによれば、かつて自身が性暴力の被害者となった経験から、女性達の安全を保護する為にも生物学的性別での区別が必要だと考えるようになったとしている<ref name=huff3>{{cite web | title=BBC NEWS | url= https://www.bbc.com/japanese/53003426 | accessdate=2020-06-11}}</ref>。 他にも彼女は自身のサイトで多数のトランスジェンダーの活動家から誹謗中傷や殺害予告などの脅迫を受け取っていると訴え、また「'''女性は衣装ではない。女性は男性の頭の中の考えではない。女性を『生理のある人』や『陰部を持つ人』と呼ぶ言葉は多くの女性を非人間的で卑劣な物に貶めている。'''」とした<ref name=huff6>{{cite web | title=J.K.Rowling.com | url= https://www.jkrowling.com/opinions/j-k-rowling-writes-about-her-reasons-for-speaking-out-on-sex-and-gender-issues/ | accessdate=2020-06-10}}</ref>。 この一連の発言は主にSNS上で多数の非難を受けている。その中には自著の映画に出演している俳優たちも含まれる。[[ダニエル・ラドクリフ]]は「トランスジェンダーの女性は女性だ。これに反する発言はすべて、彼らの尊厳を傷付けている」と批判<ref name=huff3>{{cite web | title=BBC NEWS | url= https://www.bbc.com/japanese/53003426 | accessdate=2020-06-11}}</ref>。また『[[リリーのすべて]]』でトランスジェンダーを演じた[[エディ・レッドメイン]]や[[エマ・ワトソン]] もこれに続いてローリングを批判した<ref name=huff3>{{cite web | title=BBC NEWS | url= https://www.bbc.com/japanese/53003426 | accessdate=2020-06-11}}</ref>。 2020年9月に出版された「私立探偵コーモラン・ストライク」の新刊「Troubled Blood」では、犯人が[[異性装|女装]]をトリックとして用い変装して犯行に及んだという描写を取り入れた事がトランスジェンダーに対して差別的だとして非難された<ref>{{cite news | url=https://www.businessinsider.jp/post-220362| title =「#RIPJKRowling」がトレンド入り! 『ハリー・ポッター』作者に非難の声が噴出している理由| publisher = BUSINESS INSIDER| date= 2020-08-18| accessdate =2020-10-06}}</ref><ref>{{cite news | url=https://front-row.jp/_ct/17392577|title=「ハリポタ作者死亡」匂わせるハッシュタグがトレンド入りの理由とは?【#RIPJKRowling】| publisher = FRONTROW| date= 2020-09-15| accessdate =2020-10-06}}</ref>。ただしこのキャラクター自体は作中でトランスジェンダーとして描かれている訳ではなく、ミステリー小説において犯人がトリックで異性装を用いたという描写は実際に珍しい物ではない。 2021年11月、[[Twitter]]で3人のトランスジェンダー活動家により自宅の住所を写真で[[晒し|晒された]]ことを明らかにし、家族にも危害を及ぼしかねない悪質な嫌がらせだとして抗議した<ref name=guardian220117>{{Cite web|url= https://www.theguardian.com/books/2022/jan/17/trans-activists-will-not-be-charged-over-picture-of-jk-rowlings-home |title= Trans activists will not be charged over picture of JK Rowling’s home |accessdate=2022/03/21|publisher= The Guardian |author= |date=2022/01/17 }}</ref>。また一連の批判と因果関係は不明だが、2022年1月に[[HBO Max]]が制作した特別番組『ハリー・ポッター20周年記念:リターン・トゥ・ホグワーツ』には、映画版の歴代キャストやスタッフが集結したが、原作者であるローリングは出演しなかった<ref name=huff10>{{cite web | title=FRONT ROW | url= https://front-row.jp/_ct/17511444 | accessdate=2022-01-17}}</ref>。これに関してはネット上で[[キャンセル・カルチャー]]だとして番組の制作側に批判の声が集まった。 2022年3月25日、[[ロシア連邦大統領]]の[[ウラジーミル・プーチン]]は[[ビデオ会議]]の中で[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアによるウクライナ侵攻]]に反発した[[西側諸国]]の[[キャンセル・カルチャー]]に触れた際、プーチンはローリングのトランスジェンダー発言によるキャンセル・カルチャーの事例を引き合いに出した上で「世界中で何百万部も売り上げた本の作家であるJ.K.ローリングは、いわゆる『ジェンダーの自由』支持者の気に障ったが為にキャンセルされている」と彼女を擁護した<ref name="bbc">{{Cite news|title=ハリポタ作者、プーチン大統領に擁護され反発 「キャンセル・カルチャー」めぐり|url=https://www.bbc.com/japanese/60884335|work=BBCNEWS JAPAN|accessdate=2022-03-28|date=2022-03-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ハリポタ作者のローリング氏、プーチン氏に抗議のツイート キャンセルカルチャー批判で引き合いに出され |url=https://www.cnn.co.jp/showbiz/35185434.html |website=CNN.co.jp |accessdate=2022-03-28 |date=2022-03-26}}</ref> 以前からチャリティー団体などを通して[[ウクライナ]]政府と連携し、自身も100万ユーロ<ref group="注釈">日本円で約1億3500万円。</ref>をウクライナへ寄付してきた<ref>{{cite news | url= https://www.edinburghnews.scotsman.com/news/national/jk-rowling-helps-ukrainian-orphanages-appeal-3599803| title = JK Rowling: Harry Potter author pledges to match funding for emergency Ukrainian orphanages appeal| publisher =Edinburgh News| date= 2022-03-07| accessdate =2022-04-04}}</ref>ローリングはプーチンの発言に強く抗議し「#IStandWithUkraine」の[[ハッシュタグ]]を添付したツイートをTwitterに投稿してウクライナ支持の意思を表示した{{R|"bbc"}}<ref>{{Cite web|和書|title=ハリポタ作者のローリング氏、プーチン氏に抗議のツイート キャンセルカルチャー批判で引き合いに出され |url=https://www.cnn.co.jp/showbiz/35185434.html |website=CNN.co.jp |accessdate=2022-03-28 |date=2022-03-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「ハリポタ」作者をプーチン大統領が擁護→「収監し毒を盛る人間が...」本人はウクライナへ連帯表明 |url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624140c0e4b097d36e44df28 |website=ハフポスト |date=2022-03-28 |accessdate=2022-03-28}}</ref>。また、2022年4月8日には、ローリングの意向により、ロシア国内で流通しているハリー・ポッターシリーズの[[電子書籍]]販売を停止することが同月6日に同国メディアから報じられた<ref>{{Cite web|和書|title=ハリポタもロシア撤退 英作家、プーチン氏に反発 |url=https://web.archive.org/web/20220406154255/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022040700021&g=int |website=時事通信 |accessdate=2022-04-07 |date=2022-04-07}}</ref>。 == 略歴 == * [[1995年]]、[[エディンバラ]]のカフェ The Elephant House で『[[ハリー・ポッターと賢者の石]]』を書き上げた。 * [[1996年]]、同書がブルームスベリー出版社から出版されることが決まる * [[1997年]]、同書がイギリスで発売され、ベストセラーとなる。 * [[1998年]]、『[[ハリー・ポッターと秘密の部屋]]』出版。 * [[1999年]]、『[[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]]』出版。 * [[2000年]]、『[[ハリー・ポッターと炎のゴブレット]]』出版。児童文学への貢献を評価されて英国勲功章 (OBE) を受章。 * [[2003年]]、『[[ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団]]』出版。 * [[2005年]]、『[[ハリー・ポッターと謎のプリンス]]』出版。 * [[2007年]]、『[[ハリー・ポッターと死の秘宝]]』出版。 * [[2012年]]、『[[カジュアル・ベイカンシー 突然の空席]]』出版。 * [[2013年]]、『カッコウの呼び声 私立探偵コーモラン・ストライク』出版。(以下、ロバート・ガルブレイス名義) * [[2014年]]、『カイコの紡ぐ嘘 私立探偵コーモラン・ストライク)』出版。 * [[2015年]]、『Career of Evil(原題)』出版(『コーモラン・ストライク』シリーズ第三作)。 == 作品リスト == {| class="wikitable" |+[[ハリー・ポッターシリーズ]] |- !巻!! タイトル !! 原題 !! 発売日 !日本発売日 |- | 1||[[ハリー・ポッターと賢者の石]]||''Harry Potter and the Philosopher's Stone''||1997.6.26 |1999.12.1 |- | 2||[[ハリー・ポッターと秘密の部屋]]||''Harry Potter and the Chamber of Secrets''||1998.7.2 |2000.9.1 |- | 3||[[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]]||''Harry Potter and the Prisoner of Azkaban''||1999.7.8 |2001.7.18 |- | 4||[[ハリー・ポッターと炎のゴブレット]]||''Harry Potter and the Goblet of Fire''||2000.7.8 |2002.10.23 |- | 5||[[ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団]]||''Harry Potter and the Order of the Phoenix''||2003.6.21 |2004.9.1 |- | 6||[[ハリー・ポッターと謎のプリンス]]||''Harry Potter and the Half-Blood Prince''||2005.7.16 |2006.5.17 |- | 7||[[ハリー・ポッターと死の秘宝]]{{efn|映画版では製作にも携わる}}||''Harry Potter and the Deathly Hallows''||2007.7.21 |2008.7.23 |} === 映像化 === * 『[[ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1]]』''Harry Potter and the Deathly Hallows Part1''(2010年)- 原作・製作 * 『[[ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2]]』''Harry Potter and the Deathly Hallows Part1''(2011年)- 原作・製作 * 『[[ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅]]』''Fantastic Beasts and Where to Find Them''(2016年)- 原作・脚本・製作 * 『[[ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生]]』''Fantastic Beasts The Crimes of Grindelwald''(2018年)- 原作・脚本・製作 * 『[[ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密]]』''Fantastic Beasts The Secrets of Dumbledore''(2022年)- 原作・脚本原案・共同脚本・製作 * 『[[私立探偵ストライク]]』''Strike''(2017年-)- 原作・製作総指揮 === 関連 === * [[幻の動物とその生息地]] ''Fantastic Beasts and Where to Find Them''(2001.3.1) * [[クィディッチ今昔]] ''Quidditch Through the Ages''(2001.3.1) * [[吟遊詩人ビードルの物語]] ''The Tales of Beedle the Bard''(2008.12.4) * [[ハリー・ポッターと呪いの子]] ''Harry Potter and the Cursed Child''(2016.7.31)ストーリーコンセプト(脚本ジャック・ソーン) === 短編 === * ハリー・ポッター前日談''Harry Potter prequel''(2008.7) === 大人向け === * 『[[カジュアル・ベイカンシー 突然の空席]]』{{en|(''The Casual Vacancy'')}}2012.9.27(テレビドラマ化) ※イギリス郊外の町を舞台とした、作者初の大人向け長編小説。原書は2012年9月27日に刊行。独占翻訳権は[[講談社]]が取得した<ref>[https://www.kodansha.co.jp/pdf/pressrelease20120525.pdf 講談社はJ.K.ローリング氏(『ハリー・ポッター』シリーズ著者)の最新作の独占翻訳権を取得しましたのでお知らせいたします。 ]{{リンク切れ|date=2019年8月}}</ref><ref>[https://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/img-524223827.pdf J.K.ローリング最新作、独占翻訳権を講談社が獲得!]</ref>。  ====『私立探偵コーモラン・ストライク』シリーズ==== {{see also|私立探偵コーモラン・ストライク}} * 『[[カッコウの呼び声]] 私立探偵コーモラン・ストライク』(''[[:en:The Cuckoo's Calling|The Cuckoo's Calling]]'')2013.4.18 * 『カイコの紡ぐ嘘 私立探偵コーモラン・ストライク』(''[[:en:The Silkworm]]'')2014.6.19 * 『(邦題未定)』(''[[:en:Career of Evil]]'')2015.10.20(未出版) * 『(邦題未定)』(''[[:en:Lethal White]]'')2018.9.18(未出版) * 『(邦題未定)』(''[[:en:Troubled Blood]]'')2020.9.15(未出版) * 『(邦題未定)』(''[[:en:The Ink Black Heart]]'')2022.8.30(未出版) * 『(邦題未定)』(''[[:en:The Running Grave]]'')2023.9.26(未出版) ※ロバート・ガルブレイス名義での出版。日本では講談社が出版。 === その他 === ==== ノンフィクション ==== * McNeil, Gil and Brown, Sarah, editors (2002). Foreword to the anthology ''Magic''. Bloomsbury. * [[ゴードン・ブラウン|ブラウン、ゴードン]] Brown, Gordon (2006). Introduction to "Ending Child Poverty" in ''Moving Britain Forward. Selected Speeches 1997–2006''. Bloomsbury. * Sussman, Peter Y., editor (2006.7.26). [https://www.telegraph.co.uk/culture/books/3656769/The-first-It-Girl.html "The First It Girl: J. K. Rowling reviews ''Decca: the Letters by Jessica Mitford''"]. ''The Daily Telegraph''. * Anelli, Melissa (2008). Foreword to ''Harry, A History''. Pocket Books. * Rowling, J. K. (2008.6.5). [https://www.harvardmagazine.com/2008/06/the-fringe-benefits-failure-the-importance-imagination "The Fringe Benefits of Failure, and the Importance of Imagination".] ''Harvard Magazine''. ** J. K. Rowling, ''Very Good Lives: The Fringe Benefits of Failure and Importance of Imagination'', illustrated by Joel Holland, Sphere, 14 April 2015, 80 pages (ISBN 978-1-4087-0678-7). * Rowling, J. K. (2009.4.30). [https://time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1894410_1893847_1894201,00.html "Gordon Brown&nbsp;– The 2009 Time 100"]. ''Time'' magazine. * Rowling, J. K. (2010.4.14). [http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/columnists/guest_contributors/article7096786.ece "The Single Mother's Manifesto".] ''The Times''. * Rowling, J. K. (2012.12.30). [https://www.theguardian.com/commentisfree/2012/nov/30/jk-rowling-duped-angry-david-cameron-leveson "I feel duped and angry at David Cameron's reaction to Leveson".] ''The Guardian''. * Rowling, J. K. (2014.23.17). [https://www.theguardian.com/commentisfree/2014/dec/17/jk-rowling-fairytale-orphanage-lumos Isn’t it time we left orphanages to fairytales?] ''The Guardian''. * Rowling, J. K. (guest editor) (2014.4.28). [https://www.bbc.co.uk/programmes/b040yzlm "Woman's Hour Takeover".] ''Woman's Hour'', BBC Radio 4.<ref name="guardian-20140410">{{cite news |url=https://www.theguardian.com/books/2014/apr/10/jk-rowling-guest-editor-womans-hour |title=JK Rowling to become Woman's Hour first guest editor for 60 years |author=Alison Flood |newspaper=The Guardian |date=10 April 2014 |accessdate=7 May 2014}}</ref> == 賞・学位 == ローリングは[[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)|セント・アンドルーズ大学]]'''、'''[[エディンバラ大学]]、エディンバラネーピア大学、[[エクセター大学]]、[[アバディーン大学]]、[[ハーバード大学]]から[[名誉学位]]を受けている。ハーバード大では2008年卒業式でスピーチを行った。2009年フランス大統領[[ニコラ・サルコジ]]から[[レジオンドヌール勲章]]を授与された。 その他賞: * 1997 Nestlé Smarties Book Prize金賞『賢者の石』 * 1998 Nestlé Smarties Book Prize金賞『秘密の部屋』 * 1998 British Children's Book of the Year『賢者の石』 * 1999 Nestlé Smarties Book Prize金賞『アズカバンの囚人』 * 1999 National Book Awards Children's Book of the Year『秘密の部屋』 * 1999 ウィットブレッド賞『アズカバンの囚人』 * 2000 British Book Awards * 2000 [[大英帝国勲章]] * 2000 [[ローカス賞 ファンタジイ長篇部門|ローカス賞]]『アズカバンの囚人』 * 2001 [[ヒューゴー賞 長編小説部門|ヒューゴー賞]]『炎のゴブレット』 * 2003 [[アストゥリアス皇太子賞]] * 2003 [[ブラム・ストーカー賞]]『不死鳥の騎士団』 * 2006 British Book of the Year『謎のプリンス』 * 2007 ブルーピーター・バッジ 金賞 * 2007 [[バーバラ・ウォルターズ]] Most Fascinating Person of the Year * 2008 British Book Awards * 2010 [[アンデルセン文学賞]] * 2011 [[英国アカデミー賞]] * 2012 ロンドン名誉市民 == その他 == * [[2014年スコットランド独立住民投票]]では、スコットランドは、油田とガス田が乏しくなりつつあり独立すれば経済的にダメージを受けるとして独立に反対し独立反対運動に100万ポンド(約1億7300万円)を寄付した。 * [[ラグビーワールドカップ2015日本対南アフリカ]]はラグビー史上、類を見ない番狂わせとして知られるが<ref>{{Cite news|url=https://www.telegraph.co.uk/sport/rugbyunion/8800709/Rugby-World-Cup-2015-greatest-upsets-of-all-time.html |title=Rugby World Cup 2015: greatest upsets of all time |newspaper=The Telegraph |date=2015-09-19}}</ref>、試合後に「こんな話は書けない…」と[[Twitter]]で述べた<ref >{{Cite web2 |url=https://twitter.com/jk_rowling/status/645291107178446848 |title=You couldn't write this... |accessdate=2022-02-28 |author=J.K. Rowling |last= |first= |date=2015-09-20 |website= |publisher=[[Twitter]] |language=en }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASH9N5673H9NUTQP02L.html|title=ハリポタ作者「こんな話書けない」、日本代表に各国称賛|website=朝日新聞デジタル|date=2015-09-20|accessdate=2022-03-12}}</ref>。 * 2016年のイギリスのEU離脱の国民投票では残留を支持した。 * [[ドナルド・トランプ]]を批判している。 * 日本人のファンによる、「ハリー・ポッター」シリーズの主人公から、「ファンタスティック・ビースト」の主人公にバトンタッチしている様子を描いたイラストにTwitterで感謝を示した<ref>{{cite news | url =https://www.huffingtonpost.jp/2016/11/29/jk-rowling_n_13315814.html| title =「本当に感動した」ハリポタ作者が日本のファンが描いたイラストを絶賛| publisher =| date= 2016-11-30| accessdate =2016-12-08}}</ref>。 == 注釈 == {{notelist}} == 出典 == {{Reflist|3}} == 外部リンク == * [https://www.jkrowling.com/ J.K.Rowling Official Site - Harry Potter and more] - 公式サイト(英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・日本語・ポルトガル語) * [https://gbp.shop.pottermore.com/ Pottermore.com] - 電子書籍やオーディオブックを購入できるオフィシャルストア。 * {{Twitter|jk_rowling|J.K. Rowling}} {{ハリー・ポッターシリーズ}} {{100名の最も偉大な英国人}} {{典拠管理}} {{DEFAULTSORT:ろおりんく しよあん}} [[Category:21世紀イングランドの小説家]] [[Category:イングランドの女性児童文学作家]] [[Category:イングランドのファンタジー作家]] [[Category:SFとファンタジーの女性著作家]] [[Category:ヒューゴー賞作家]] [[Category:ローカス賞作家]] [[Category:ネスレ・スマーティーズ賞の受賞者]]<!-- 1997年、1998年、1999年 --> [[Category:ブラム・ストーカー賞の受賞者]]<!-- 2003年 --> [[Category:アストゥリアス皇太子賞受賞者]] [[Category:アンソニー賞の受賞者]]<!-- 2004年 --> [[Category:アンドレ・ノートン賞の受賞者]]<!-- 2007年 --> [[Category:アンデルセン文学賞の受賞者]]<!-- 2010年 --> [[Category:ハリー・ポッターシリーズ]] [[Category:大英帝国勲章受章者]] [[Category:イングランドの慈善家]] [[Category:エディンバラ王立協会フェロー]] [[Category:エクセター大学出身の人物]] [[Category:サウス・グロスタシャー出身の人物]] [[Category:スコットランド系イングランド人]] [[Category:1965年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:コンパニオン・オブ・オナー勲章]]
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ハリー・ポッターシリーズ
『ハリー・ポッター』(英: Harry Potter) は、J・K・ローリングによるイギリスの小説シリーズである。出版はブルームズベリー出版(英語版)。日本語訳は松岡佑子で、出版権は静山社。 1990年代のイギリスを舞台に、魔法使いの少年ハリー・ポッターの学校生活や、ハリーの両親を殺害した張本人でもある強大な闇の魔法使いヴォルデモートとの因縁と戦いを描いた物語。1巻で1年が経過する。 第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』がロンドンのブルームズベリー出版社から1997年に刊行されると、まったく無名の新人による初作であるにもかかわらず、またたく間に世界的ベストセラーになった。子供のみならず多数の大人にも愛読され、児童文学の枠を越えた超人気作品として世界的な社会現象となった。73の言語に翻訳された本シリーズの全世界累計発行部数は2018年12月1日の時点で5億を突破しており、史上もっとも売れたシリーズ作品となっている。 2001年から8本のシリーズで公開された映画(2011年完結)もシリーズ世界歴代3位の興行収入と大きなヒットを記録。当初から全7巻の構想であり、第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』の原書が2007年7月21日に発売された。 2016年に本編の後日談を描いた事実上の第8巻『ハリー・ポッターと呪いの子』が発売された。これは、2016年夏に上演された舞台劇の脚本を書籍化したもので、ローリングはこの作品を『ハリー・ポッター』シリーズの最終巻(または完結巻)としている。 2010年6月には、アメリカ合衆国フロリダのユニバーサル・オーランド・リゾート内にあるアイランズ・オブ・アドベンチャーに、映画版のセットを模したテーマパーク「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」が開園。2014年7月15日にはユニバーサル・スタジオ・ジャパン、2016年4月7日にはユニバーサル・スタジオ・ハリウッドでも開園した。 2017年、大英図書館が企画した展覧会「ハリー・ポッターと魔法の歴史」がロンドンとニューヨークで好評を博し、日本でも2021年より兵庫県立美術館と東京ステーションギャラリーで開催された。 2019年5月、作品世界をさらに掘り下げるシリーズとして「ハリー・ポッター:ア・ジャーニー・スルー」4冊の発売が決定された。 2023年6月16日、としまえん跡地に『ハリー・ポッター』『ファンタスティック・ビースト』映画製作の魔法を体験できる体験型エンターテイメント施設「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 - メイキング・オブ ハリー・ポッター」が開業した。 赤ん坊のころに両親を亡くし、孤独な日々を過ごしてきた少年ハリー・ポッターは、11歳の誕生日に自分が魔法使いであることを知らされる。ホグワーツ魔法魔術学校へ入学し、いままで知らなかった魔法界に触れ、亡き両親の知人をはじめとした多くの人々との出会いを通じて成長する。そして、両親を殺害した闇の魔法使いヴォルデモート卿と自分との不思議な因縁を知り、対決していくこととなる。 各巻の詳細なあらすじは、以下の記事を参照。 作品世界の設定については、以下の記事を参照。 全7巻からなる長編で、各巻の内容は相互に密接に関連している。作者のローリングは、インタビューで、プロットが重要なので力を注ぎ、「第1巻を書き上げる前に、全7巻のプロットができていた」と語っている。 当初は、1997年から毎年1冊の刊行が予定されていたが、最終的には第1 - 第4巻までが毎年、3年おいて、第5 - 第7巻が1年おきの刊行となった。 静山社から江守徹の朗読でオーディオブック化されていて、2003年に「賢者の石」、2004年に「秘密の部屋」のCD版が発売された後、2016年に両作のAudibleでのデータ配信版が発売された。オーディオブックとしての需要が高く、「秘密の部屋」以降の配信も望まれたことから、同年に全巻のオーディオブック化が風間杜夫による新朗読で発売されることが決まり、2019年までに全7作がデータ配信された。 前述の通り、本編終了から19年後を描いた舞台版のシナリオが出版されており、「8番目の物語(=事実上の第8巻)」と銘打たれている。本文はト書きと台詞で構成されており、第1巻 - 第7巻のような小説のスタイルはとられていない。またジョン・ティファニー、ジャック・ソーンとローリングの共著名義である。 以下は電子書籍のみ。著者はJ・K・ローリング。日本語版は2016年9月16日発売。 『ハリー・ポッター』シリーズは、世界各国で刊行されており、2008年時点で67言語に翻訳され、世界合計4億部(うち第1作が1億部)のベストセラーとなっている。珍しいところでは、ラテン語・古代ギリシア語など、日常で使われることのない言語にも訳されている。 なお、著者のローリングは自著の電子書籍化に対して強固に反対しており、『ハリー・ポッター』シリーズの電子書籍版は販売されていなかったが、2012年にはオフィシャルストア「ポッターモア」よりEPUB形式による販売が開始された。作品ごとのシリーズセットがあり、それぞれアメリカ英語版とイギリス英語版が用意されている。日本語の電子書籍も2016年9月より「ポッターモア」やAmazon Kindleなどで取り扱われるようになった。 近年は全巻を合計20冊に分けて発売されていることが多い。 『ハリー・ポッター』シリーズは、ほとんどの固有名詞に意味が込められた命名がなされているが、固有名詞の翻訳状況は、各言語の事情によって異なる。 中国語(とくに繁体字版)では、「天狼星 布萊克(シリウス・ブラック)」や「小仙女 東施(ニンファドーラ・トンクス)」のように人名にも意味を重視した翻訳が成されている。スロベニア語では、固有名詞をスロベニア語に訳した上で、スペルを若干変更している。しかし、映画化にあたりワーナー・ブラザースから、人名を変更しないよう要請が出され、各言語の翻訳者からは映画会社の横暴に不満が噴出したという。 また、第6巻終盤に登場する「R.A.B」のイニシャルも、オランダ語やノルウェー語などでは、人物の名字に意味を重視した訳語をあてていたため「R.A.Z」や「R.A.S」となった。このため、ほかの言語と比較することで、その正体が予測できるということもあった。 松岡および静山社の、翻訳権獲得からミリオンセラーまでのサクセスストーリーは日本国内で大きな注目を集め、また翻訳の評判もよかった。 一方、翻訳家や読者からは第1巻から誤訳・珍訳、文章力の問題点が指摘されており、2001年ごろには児童読者からの誤訳の指摘も松岡のもとに届いていた。以下、おもな問題点を挙げる。 本シリーズは、1990年代のイギリスを舞台にした、(執筆時点から見て)ごく最近の物語である。 原書においては、一部の登場人物に訛りや特徴的な口癖が与えられ、個性を表現しているが、日本語では英語以上に一人称や言葉遣いの表現が多様である(役割語等も参照)。 したがって、1990年代という時代設定から逸脱した一人称・言葉遣いを用いたことによって、原作と日本語版ではまるで印象が違っている登場人物も少なくない。明治大学教授で翻訳家の高山宏は、「魔術という古い世界と現代のティーンエイジャーの世界の交錯がこの作品の醍醐味なのですが、日本語訳では会話文と普通の文章がごっちゃになって読みにくい」と評している。このほか、「手水場」「下手人」「旅籠」など時代がかった言葉が多いことも、「センスが悪い」と批判されている。口語としてあまりに不自然な場合、映画版の吹替え・字幕では修正されている。 また、本文には、特殊フォント・太字・囲み文字・網かけ文字やイラスト風の囲みが多用されているが、いずれも底本のブルームスベリー社版にはない、日本語訳独自の演出である。これは、原作者の意向で本文中に挿絵が使えない制約を回避するため、読者がイメージを膨らませられるようにという松岡の解釈で付与された。 高山宏は、イギリス版の中表紙にあるホグワーツの紋章をカットしたことを批判したうえで「翻訳以前に、物語の持つ世界観を、最低限踏まえた上で紹介するのが訳者の責任だと思う」としている。しかし、紋章の不掲載についてはドイツ語版などでも行われており、日本語版だけの問題ではない。 日本語の語彙が、正しい日本語の意味とは異なる意味で使われている箇所が多々ある。 第2巻『秘密の部屋』の作中において「先天的疾患に対する差別的表現がある」として2000年10月に市民団体「口唇・口蓋裂友の会」が抗議、問題箇所の削除を要求した。静山社は著者とともにこの市民団体と協議し、同年11月「第六十六刷から該当箇所を削除」することを回答。市民団体側は各都道府県教育委員会、全国の図書館や書店に対し配慮を行なうよう、同年12月に要望書を送付した。 上下2冊組となった第4巻以降、返品を不可とする「買い切り制(責任販売制、買取り制ともいう)」となったため、一般の小売りと同等のリスクが発生した。この点については、第1巻・第2巻・第3巻が入手困難となったことから、書店業界側からの要望でもあった。また発行元である静山社自体が小さな出版社であるため、大量発注を受けた結果として大量の返品を抱えた場合のリスクが小さくないという出版社側の事情もある。 2004年9月1日に第5巻『不死鳥の騎士団』は、初版290万セットで発売されたが、2週間以内に売れたのは65%にとどまった。発売後すぐに実売部数は200万部を越えるベストセラーとなったが、発行部数に対して大量の在庫が出たため、書店業界から悲鳴が上がる事態となった。これは、書店からの発注をそのまま受け入れて発行したからで、出版社(静山社)・取次会社(トーハン)・書店の調整不足が指摘されている。 日本書店連合会からも高正味と買い切り制の採用や、静山社が広告を打たないことに対する不満が、複数回表明されている。こうした状況に対し松岡佑子は「クリスマスまでにたくさん売れるように期待しています。新聞広告などで私たちも応援したい」と発言。その結果、12月に作品内容を明かしたキャッチコピーを広告に掲載し物議をかもした。 その後の、第6巻、第7巻では、書店が発注を控えたため、第5巻ほどのトラブルは生じていない。 『ハリー・ポッター』シリーズはワーナー・ブラザースによって映画化された。2001年に映画『ハリー・ポッターと賢者の石』が公開され大反響を呼び、その後も続編が次々と製作され、撮影はリーブスデン・スタジオで行われた。 全作品を通じ、ハリー役はダニエル・ラドクリフ、ロン役はルパート・グリント、ハーマイオニー役はエマ・ワトソン。 2016年には、スピンオフ映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』が公開され、全5部作となることが予定されている。 『ハリー・ポッターと呪いの子(Harry Potter and the Cursed Child)』のタイトルで、2016年夏にウエストエンドのパレス・シアター(英語版)にて上演。J・K・ローリング、ジャック・ソーン、ジョン・ティファニーが手掛ける新たなストーリーとなり、本舞台は全7章の小説の続きとして、『ハリー・ポッターと死の秘宝』の19年後~22年後が描かれ、ハリーとその息子であるアルバスが登場する。 脚本がシリーズ第8巻(最終巻)として2016年7月30日に発売され、日本語版脚本は2016年11月15日に発売。 日本でも、TBS開局70周年を記念して東京・TBS赤坂ACTシアターで2022年夏より上演される。これに先立ちTBS赤坂ACTシアターは、2021年より大規模な改修を開始し、『ハリー・ポッター』専用劇場として生まれ変わる。上演期間は無制限のロングラン形式となる。 『ハリー・ポッター』のゲーム化は、1997年の『賢者の石』の初出版から人気が軌道に乗りはじめた1年後の1998年にアメリカの任天堂のNintendo of Americaが『ハリー・ポッター』に目をつけ、その版権を独占的に獲得するため売り込みを展開し、同社傘下で設立されたばかりのNintendo Software Technology(NST)にゲームのアイデアを出すよう命じた。三人称視点のアドベンチャーゲームとマーベルコミックのアディ・グラノフをキャラクターアーティストとして担当したクィディッチゲームのふたつのピッチに取り組みはじめ、まずNINTENDO64から、ゲームボーイアドバンス、そしてニンテンドーゲームキューブやその先の任天堂のプラットフォームで『ハリー・ポッター』シリーズのゲームを自社で開発・発売することを計画していた。ライセンス契約者である作者のJ・K・ローリングはNSTのプレゼンテーションを見ることに同意したが、どのアートスタイルがこのフランチャイズに最もふさわしいかについてNST内で意見の相違があった。当初『ハリー・ポッター』の表紙カバーを担当していたイラストレーターのトーマス・テイラーのデザインを求める声があり、ローリングがよりイギリス的でありたいと言ったが、NSTの上層部は漫画的な、あるいは日本的なビジュアルスタイルでゲームをデザインするように要求していた。最終的にゲームだけでなくテレビや映画など、より多くの分野での映画化を提供できる大手メディア企業を優先し、ローリングはゲームしか進出できなかった任天堂のこの提案を断ったという。独占権を要求していた任天堂との交渉が決裂したあと、ローリングは最終的にできるだけ多くの人に『ハリー・ポッター』を届けるためにワーナー・ブラザーズに権利を売却した。同社はエレクトロニック・アーツと契約し、イギリス支社のエレクトロニック・アーツUKが『ハリー・ポッター』シリーズの本をもとにした映画のゲーム開発および発売権を得て、2001年に『賢者の石』のゲームを最初に発売した。またエレクトロニック・アーツUKの『ハリー・ポッター』ゲームのメイキングでのインタビューでローリングは『ハリー・ポッター』製品の生産をできるだけイギリスで行うようにしたと述べている。 日本国内にて発売・配信されたもののみ記す。
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Technology(NST)にゲームのアイデアを出すよう命じた。三人称視点のアドベンチャーゲームとマーベルコミックのアディ・グラノフをキャラクターアーティストとして担当したクィディッチゲームのふたつのピッチに取り組みはじめ、まずNINTENDO64から、ゲームボーイアドバンス、そしてニンテンドーゲームキューブやその先の任天堂のプラットフォームで『ハリー・ポッター』シリーズのゲームを自社で開発・発売することを計画していた。ライセンス契約者である作者のJ・K・ローリングはNSTのプレゼンテーションを見ることに同意したが、どのアートスタイルがこのフランチャイズに最もふさわしいかについてNST内で意見の相違があった。当初『ハリー・ポッター』の表紙カバーを担当していたイラストレーターのトーマス・テイラーのデザインを求める声があり、ローリングがよりイギリス的でありたいと言ったが、NSTの上層部は漫画的な、あるいは日本的なビジュアルスタイルでゲームをデザインするように要求していた。最終的にゲームだけでなくテレビや映画など、より多くの分野での映画化を提供できる大手メディア企業を優先し、ローリングはゲームしか進出できなかった任天堂のこの提案を断ったという。独占権を要求していた任天堂との交渉が決裂したあと、ローリングは最終的にできるだけ多くの人に『ハリー・ポッター』を届けるためにワーナー・ブラザーズに権利を売却した。同社はエレクトロニック・アーツと契約し、イギリス支社のエレクトロニック・アーツUKが『ハリー・ポッター』シリーズの本をもとにした映画のゲーム開発および発売権を得て、2001年に『賢者の石』のゲームを最初に発売した。またエレクトロニック・アーツUKの『ハリー・ポッター』ゲームのメイキングでのインタビューでローリングは『ハリー・ポッター』製品の生産をできるだけイギリスで行うようにしたと述べている。", "title": "コンピュータゲーム" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "日本国内にて発売・配信されたもののみ記す。", "title": "コンピュータゲーム" } ]
『ハリー・ポッター』 は、J・K・ローリングによるイギリスの小説シリーズである。出版はブルームズベリー出版。日本語訳は松岡佑子で、出版権は静山社。
{{Otheruseslist|シリーズ小説|シリーズの主人公|ハリー・ポッター (架空の人物)|映画化作品|ハリー・ポッター (映画シリーズ)|フランチャイズ全体|魔法ワールド}} {{Redirect|ハリー・ポッター|同名のラグビー選手|ハリー・ポッター (ラグビー選手)}} {{Expand English|Harry Potter|date=2021年1月}} {{ウィキプロジェクト ハリーポッターシリーズ}} {{Infobox book series|name=ハリー・ポッター |image=[[ファイル: Harry Potter wordmark.svg|250px]] |caption= |title_orig=''Harry Potter'' |books={{Plainlist| *『[[ハリー・ポッターと賢者の石]]』(1997年) * 『[[ハリー・ポッターと秘密の部屋]]』(1998年) * 『[[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]]』(1999年) * 『[[ハリー・ポッターと炎のゴブレット]]』(2000年) * 『[[ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団]]』(2003年) * 『[[ハリー・ポッターと謎のプリンス]]』(2005年) * 『[[ハリー・ポッターと死の秘宝]]』(2007年)}}<!-- 『呪いの子』をこの小説のリストに追加しないでください。それは主に演劇です。 --> |author=[[J・K・ローリング]] |translator=[[松岡佑子]] |country={{UK}} |language=英語 |number_of_books=7巻 |pub_date={{Flag|GBR}}:<br>[[1997年]][[6月26日]] - [[2007年]][[7月21日]]<br />{{Flag|JPN}}:<br>[[1999年]][[12月8日]] - [[2008年]][[7月23日]] |publisher={{Flagicon|GBR}} Bloomsbury Publishing<br />{{Flagicon|JPN}} [[静山社]] |genre=[[幻想文学|ファンタジー]]、[[ドラマ]]、[[ジュブナイル|ヤング・フィクション]]、[[ミステリ]]、[[スリラー]]、[[教養小説]] |website={{URL|https://www.wizardingworld.com/}} |oclc= |infoboxwidth= |editors= |border= |preceded_by= |followed_by= |english_pub_date= |illustrator= }} {{portal 文学}} 『'''ハリー・ポッター'''』({{lang-en-short|''Harry Potter''}}) は、[[J・K・ローリング]]による[[イギリス]]の[[小説]][[シリーズ (作品)|シリーズ]]である。[[出版]]は{{仮リンク|ブルームズベリー出版|en|Bloomsbury Publishing}}。[[日本語訳]]は[[松岡佑子]]で、[[著作権#出版権設定契約(出版権)|出版権]]は[[静山社]]。 == 概要 == [[1990年代]]の[[イギリス]]を舞台に、[[魔法使い]]の少年[[ハリー・ポッター (架空の人物)|ハリー・ポッター]]の[[学校生活]]や、ハリーの両親を殺害した張本人でもある強大な闇の魔法使い[[ヴォルデモート]]との因縁と戦いを描いた物語。1巻で1年が経過する。 第1巻『[[ハリー・ポッターと賢者の石]]』が[[ロンドン]]のブルームズベリー出版社から[[1997年]]に刊行されると、まったく無名の新人による初作であるにもかかわらず、またたく間に世界的[[ベストセラー]]になった。[[子供]]のみならず多数の[[大人]]にも愛読され、児童文学の枠を越えた超人気作品として世界的な社会現象となった。73の言語に翻訳された本シリーズの全世界累計発行部数は2018年12月1日の時点で5億を突破しており、[[ベストセラー本の一覧|史上もっとも売れたシリーズ作品]]となっている。 [[2001年]]から8本のシリーズで公開された映画([[2011年]]完結)も[[世界歴代興行収入上位の映画一覧|シリーズ世界歴代3位の興行収入]]と大きなヒットを記録。当初から全7巻の構想であり、第7巻『[[ハリー・ポッターと死の秘宝]]』の原書が[[2007年]][[7月21日]]に発売された。 [[2016年]]に本編の後日談を描いた事実上の第8巻『[[ハリー・ポッターと呪いの子]]』が発売された。これは、2016年夏に上演された舞台劇の脚本を書籍化したもので、ローリングはこの作品を『ハリー・ポッター』シリーズの最終巻(または完結巻)としている。 [[2010年]][[6月]]には、[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州|フロリダ]]の[[ユニバーサル・オーランド・リゾート]]内にある[[アイランズ・オブ・アドベンチャー]]に、映画版のセットを模したテーマパーク「[[ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター]]」が開園。2014年7月15日には[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]、2016年4月7日には[[ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド]]でも開園した。 [[2017年]]、[[大英図書館]]が企画した展覧会「ハリー・ポッターと魔法の歴史」が[[ロンドン]]と[[ニューヨーク]]で好評を博し、日本でも[[2021年]]より[[兵庫県立美術館]]と[[東京ステーションギャラリー]]で開催された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.museum.or.jp/jyunkai/649 |title=ハリー・ポッターと魔法の歴史 |publisher=インターネットミュージアム |accessdate=2022-11-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202112_harrypotter.html |title=ハリー・ポッターと魔法の歴史 |publisher=東京ステーションギャラリー |accessdate=2022-11-24}}</ref>。 [[2019年]]5月、作品世界をさらに掘り下げるシリーズとして「ハリー・ポッター:ア・ジャーニー・スルー」4冊の発売が決定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://theriver.jp/harry-potter-journey-through/ |title=『ハリー・ポッター』さらに掘り下げる新刊、4冊連続刊行 ─ 第1弾は「闇の魔術に対する防衛術」や「薬草学」など |website=THE RIVER |publisher=riverch |date=2019-05-31 |accessdate=2020-05-09 }}</ref>。 [[2023年]][[6月16日]]、[[としまえん]]跡地に『ハリー・ポッター』『ファンタスティック・ビースト』[[映画製作]]の魔法を体験できる体験型エンターテイメント施設「<!--[[-->ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 - メイキング・オブ ハリー・ポッター<!--]]-->」が開業した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55164780T00C20A2MM0000/ |title=としまえん閉園へ 跡地に「ハリポタ」施設 |website=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |date=2020-02-03 |accessdate=2020-05-09 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://dot.asahi.com/articles/-/119556 |title=としまえんが近く閉園 ハリポタ施設が跡地に(週刊朝日) |website=AERA dot. |publisher=朝日新聞社 |date=2020-02-13 |accessdate=2020-05-09 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/528631 |title=ハリポタ体験型施設がいよいよ開業!グリフィンドールの男子寮など新エリアが解禁 |accessdate=2023-06-16 |date=2023-06-14 |website=映画ナタリー |publisher=ナターシャ}}</ref>。 <!--【ダラム大聖堂】の画像は別項目「ハリー・ポッター (映画シリーズ)」にあります(本項目は「原作小説」が主題)--> == 年譜 == [[File:The Elephant House.jpg|thumb|200px|ローリングが第1巻を執筆した、[[エディンバラ]]([[スコットランド]])のカフェ「[[エレファント・ハウス]]」]] [[File:Harry Potter lines.jpg|thumb|200px|第6巻の発売を待つ行列(アメリカ合衆国・[[デラウェア州]])]] [[File:Potter queue.jpg|thumb|200px|第7巻の発売を待つ行列(アメリカ合衆国・[[カリフォルニア州]])]] * [[1990年]]夏 - ローリングが物語を着想。 * [[1995年]] - 第1作『賢者の石』執筆終了。 * [[1996年]][[8月]] - 英国:ブルームズベリー社からの出版が決定。 * [[1997年]] ** 春 - 米国:スコラスティック社からの出版が決定。 ** [[6月30日|6月26日]] - 第1作『賢者の石』発行。初版500部だったが、ベストセラーになる。{{仮リンク|スマーティーズ賞|en|Nestlé Children's Book Prize}}、英国文学賞児童書ブック・オブ・ザ・イヤーほか、欧米各国の文学賞を多数受賞。 * [[1998年]][[7月2日]] - 第2作『秘密の部屋』発行。 * [[1999年]] ** [[7月8日]] - 第3作『アズカバンの囚人』発行。 ** [[12月8日]] - 第1作『賢者の石』の日本語版が[[静山社]]より発行。以降シリーズの書籍は全て同社による。 * [[2000年]] ** [[7月8日]] - 第4作『炎のゴブレット』発行。 ** [[9月19日]] - 第2作『秘密の部屋』日本語版発行。 * [[2001年]] ** [[7月18日]] - 第3作『アズカバンの囚人』日本語版発行。 ** [[11月16日]] - 映画『賢者の石』公開。以後[[ワーナー・ブラザース]]にてシリーズ化。 * [[2002年]] ** [[11月1日]] - 第4作『炎のゴブレット』日本語版発行。 ** [[11月15日]] - 映画シリーズ第2作『秘密の部屋』公開。 * [[2003年]][[6月21日]] - 第5作『不死鳥の騎士団』発行。 * [[2004年]] ** [[5月31日]] - 映画シリーズ第3作『アズカバンの囚人』公開。 ** [[9月1日]] - 第5作『不死鳥の騎士団』日本語版発行。 * [[2005年]] ** [[7月16日]] - 第6作『謎のプリンス』発行。 ** [[11月18日]] - 映画シリーズ第4作『炎のゴブレット』公開。 * [[2006年]][[5月17日]] - 第6作『謎のプリンス』日本語版発行。 * [[2007年]] ** [[7月13日]] - 映画シリーズ第5作『不死鳥の騎士団』公開。 ** [[7月21日]] - 第7作『死の秘宝』発行。物語は完結。 * [[2008年]] ** [[6月10日]] - 直筆の約800語の短編{{efn|[[不死鳥の騎士団#ジェームズ・ポッター|ジェームズ・ポッター]]と[[不死鳥の騎士団#シリウス・ブラック|シリウス・ブラック]]の逸話で、チャリティ用に書かれたもの。「Whats Your Story Postcard Collection」に収録。落札翌日に写真がオンライン公開されたため、ネット上でも閲覧可。[http://www.pottermania.jp/info/event/log2008/080611Harry_Potter_Prequel_Sold_for_25000_pounds.htm]}}が2万5000ポンドで落札される。 ** [[7月23日]] - 第7作『死の秘宝』日本語版発行。 ** [[12月4日]] - 『吟遊詩人ビードルの物語』発売。 * [[2009年]][[7月15日]] - 映画シリーズ第6作『謎のプリンス』公開。 * [[2010年]] ** [[6月]] - [[ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター]]開園。 ** [[11月19日]] - 映画シリーズ第7作前編『死の秘宝 PART1』公開。 * [[2011年]] ** [[7月15日]] - 映画シリーズ第7作後編『死の秘宝 PART2』公開。映画シリーズ完結。 ** [[ポッターモア]] ({{interlang|en|Pottermore}}) 発表。 * [[2014年]][[7月15日]] - [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]で[[ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター]]開園。 * [[2016年]][[7月30日]] - ロンドンで舞台化作品『[[ハリー・ポッターと呪いの子]]』が初演<ref name="stage">{{Cite web|和書|url=https://movie.te-a.jp/theater_news/2015/06/29_02.php|title=「ハリー・ポッター」がロンドンで舞台化へ|publisher=シアターガイド|date=2015-06-29|accessdate=2015-06-30|deadlinkdate=2023-05-09}}</ref>。ローリングの手による、作品のその後を描いた正統な続編となる<ref name="stage2">{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0079052|title=「ハリー・ポッター」続編舞台のキャスト発表!中年のハーマイオニーはアフリカ系に!|publisher=シネマトゥデイ|date=2015-12-21|accessdate=2015-12-21}}</ref>。翌31日にはリハーサル版の脚本『呪いの子』発売。 == あらすじ == 赤ん坊のころに両親を亡くし、孤独な日々を過ごしてきた少年[[ハリー・ポッター (架空の人物)|ハリー・ポッター]]は、11歳の誕生日に自分が魔法使いであることを知らされる。[[ハリー・ポッターシリーズの地理#ホグワーツ魔法魔術学校|ホグワーツ魔法魔術学校]]へ入学し、いままで知らなかった魔法界に触れ、亡き両親の知人をはじめとした多くの人々との出会いを通じて成長する。そして、両親を殺害した闇の魔法使い[[ヴォルデモート|ヴォルデモート卿]]と自分との不思議な因縁を知り、対決していくこととなる。 各巻の詳細なあらすじは、以下の記事を参照。 * [[ハリー・ポッターと賢者の石#あらすじ|第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』]] * [[ハリー・ポッターと秘密の部屋#あらすじ|第2巻『ハリー・ポッターと秘密の部屋』]] * [[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人#あらすじ|第3巻『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』]] * [[ハリー・ポッターと炎のゴブレット#あらすじ|第4巻『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』]] * [[ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団#あらすじ|第5巻『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』]] * [[ハリー・ポッターと謎のプリンス#あらすじ|第6巻『ハリー・ポッターと謎のプリンス』]] * [[ハリー・ポッターと死の秘宝#あらすじ|第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』]] <!--『呪いの子』(第8巻)については後述--> == 登場人物 == <!--以下に列挙されているのはWikipedia日本語版において独立項目になっている登場人物。詳細な説明はここではなく、リンク先に記述してください。--> * [[ハリー・ポッター (架空の人物)|ハリー・ポッター]] - 主人公。両親を亡くしてから伯母一家で冷遇されて育つが、11歳を迎えてホグワーツの[[ハリー・ポッターシリーズの地理#グリフィンドール|グリフィンドール]]寮に入ることになる。 * [[ロン・ウィーズリー]] - ハリーの同級生でグリフィンドール寮に入り、親友となる人物。[[ハリー・ポッターシリーズの用語一覧#純血|純血]]の[[ハリー・ポッターシリーズの用語一覧#魔法族とマグル|魔法族]]一家の六男。 * [[ハーマイオニー・グレンジャー]] - ハリーの同級生でグリフィンドール寮に入り、親友となる人物。非魔法族([[ハリー・ポッターシリーズの用語一覧#マグル|マグル]])の出身ながら、成績は誰よりも優秀。 * [[アルバス・ダンブルドア]] - ホグワーツの校長。 * [[セブルス・スネイプ]] - ホグワーツの教授。[[ハリー・ポッターシリーズの地理#スリザリン|スリザリン]]の寮監。 * [[ヴォルデモート]]- 魔法界を震撼させた闇の魔法使い。名前を呼ぶことも恐れられ、魔法界では「名前を言ってはいけないあの人」「例のあの人」「闇の帝王」などと呼ばれている。 <!--以上はWikipedia日本語版において独立項目になっている登場人物。詳細な説明はここではなく、リンク先に記述してください。--> {{Main2|上記以外の人物については「'''[[ハリー・ポッターシリーズの登場人物一覧]]'''」以下の項目を}} == 設定 == 作品世界の設定については、以下の記事を参照。 * [[ハリー・ポッターシリーズの用語一覧]] * [[ハリー・ポッターシリーズの地理]] * [[ハリー・ポッターシリーズの魔法一覧]] * [[ハリー・ポッターシリーズの魔法生物一覧]] * [[ハリー・ポッターシリーズの魔法薬一覧]] * [[ハリー・ポッターシリーズの書物一覧]] * [[ハリー・ポッターシリーズの世界における年表]] == 作品リスト == === 『ハリー・ポッター』シリーズ本編・小説 === 全7巻からなる長編で、各巻の内容は相互に密接に関連している。作者のローリングは、インタビューで、[[プロット (物語)|プロット]]が重要なので力を注ぎ、「第1巻を書き上げる前に、全7巻の[[プロット (物語)|プロット]]ができていた」と語っている<ref>[http://www.accio-quote.org/articles/1999/1099-bostonglobe-loer.html All about Harry Potter]『ボストン・グローブ』紙、1999年10月18日。</ref>。 当初は、1997年から毎年1冊の刊行が予定されていたが、最終的には第1 - 第4巻までが毎年、3年おいて、第5 - 第7巻が1年おきの刊行となった。 ; 第1巻『[[ハリー・ポッターと賢者の石]]』 : ''[[:en:Harry Potter and the Philospher's Stone|Harry Potter and the Philosopher's Stone]]''([[1997年]][[6月30日|6月26日]]発売) : 日本語版単行本 ISBN 4-915512-37-1([[1999年]][[12月1日]]発売) : 日本語版携帯版 ISBN 4-915512-49-5([[2003年]]発売) : 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-160-9/ISBN 978-4-86389-161-6([[2012年]][[7月3日]]発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-230-9/ISBN 978-4-86389-231-6([[2014年]][[3月5日]]発売) ; 第2巻『[[ハリー・ポッターと秘密の部屋]]』 : ''[[:en:Harry Potter and the Chamber of Secrets|Harry Potter and the Chamber of Secrets]]''([[1998年]][[7月2日]]発売) : 日本語版単行本 ISBN 4-915512-39-8([[2000年]]発売) : 日本語版携帯版 ISBN 4-915512-54-1([[2004年]]発売) : 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-162-3/ISBN 978-4-86389-163-0(2012年[[9月3日]]発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-232-3/ISBN 978-4-86389-233-0(2014年[[5月8日]]発売) ; 第3巻『[[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]]』 : ''[[:en:Harry Potter and the Prisoner of Azkaban|Harry Potter and the Prisoner of Azkaban]]''(1999年[[7月8日]]発売) : 日本語版単行本 ISBN 4-915512-40-1([[2001年]]発売) : 日本語版携帯版 ISBN 4-915512-55-X(2004年発売) : 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-164-7/ISBN 978-4-86389-165-4(2012年9月3日発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-234-7/ISBN 978-4-86389-235-4(2014年[[6月10日]]発売) ; 第4巻『[[ハリー・ポッターと炎のゴブレット]]』 : ''[[:en:Harry Potter and the Goblet of Fire|Harry Potter and the Goblet of Fire]]''(2000年[[7月8日]]発売) : 日本語版は上下2冊セット。 : 日本語版単行本 ISBN 4-915512-45-2([[2002年]][[10月23日]]発売) : 日本語版携帯版 ISBN 4-915512-60-6([[2006年]][[9月21日]]発売) : 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-166-1/ISBN 978-4-86389-167-8/ISBN 978-4-86389-168-5(2012年[[10月10日]]発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-236-1/ISBN 978-4-86389-237-8/ISBN 978-4-86389-238-5(2014年[[7月15日]]発売) ; 第5巻『[[ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団]]』 : ''[[:en:Harry Potter and the Order of the Phoenix|Harry Potter and the Order of the Phoenix]]''(2003年[[6月21日]]発売) : 日本語版は上下2冊セット。 : 日本語版単行本 ISBN 4-915512-51-7([[2004年]][[9月1日]]発売) : 日本語版携帯版 ISBN 978-4-915512-66-7([[2008年]][[3月17日]]発売) : 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-169-2/ISBN 978-4-86389-170-8/ISBN 978-4-86389-171-5/ISBN 978-4-86389-172-2(2012年[[11月5日]]/[[12月3日]]発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-239-2/ISBN 978-4-86389-240-8/ISBN 978-4-86389-241-5/ISBN 978-4-86389-242-2(2014年[[9月4日]]/[[10月6日]]発売) ; 第6巻『[[ハリー・ポッターと謎のプリンス]]』 : ''[[:en:Harry Potter and the Half-Blood Prince|Harry Potter and the Half-Blood Prince]]''([[2005年]][[7月16日]]発売) : 日本語版は上下2冊セット。 : 日本語版単行本 ISBN 4-915512-57-6(2006年[[5月17日]]発売) : 日本語版携帯版 ISBN 978-4-86389-042-8([[2010年]][[3月11日]]発売) : 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-173-9/ISBN 978-4-86389-174-6/ISBN 978-4-86389-175-3([[2013年]][[1月10日]]発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-243-9/ISBN 978-4-86389-244-6/ISBN 978-4-86389-245-3(2014年[[11月5日]]発売) ; 第7巻『[[ハリー・ポッターと死の秘宝]]』(最終巻) : ''[[:en:Harry Potter and the Deathly Hallows|Harry Potter and the Deathly Hallows]]''([[2007年]][[7月21日]]発売) : 日本語版は上下2冊セット。 : 日本語版単行本 ISBN 978-4-915512-63-6(2008年[[7月23日]]発売) : 日本語版携帯版 ISBN 978-4-86389-088-6([[2010年]][[12月1日]]発売) : 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-176-0/ISBN 978-4-86389-177-7/ISBN 978-4-86389-178-4(2013年[[2月14日]]発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-246-0/ISBN 978-4-86389-247-7/ISBN 978-4-86389-248-4([[2015年]][[1月8日]]発売) {| class="wikitable" style="font-size: small;" |+ 表 !rowspan="2"|巻数 !!rowspan="2"|タイトル !!colspan="2"|単行本 !!colspan="2"|携帯版 !! colspan="2"|文庫本 !!colspan="2"|児童文庫 |- !発売日!!ISBN!!発売日!!ISBN!!発売日!!ISBN!!発売日!!ISBN |- ! rowspan="2"|1 | rowspan="2"|ハリー・ポッターと賢者の石 | rowspan="2"|1999年12月1日 | rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-37-7 | rowspan="2"|2003年10月22日 | rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-49-0 | rowspan="2"|2012年7月3日 | ISBN 978-4-86389-160-9 | rowspan="2"|2014年3月5日 | ISBN 978-4-86389-230-9 |- | ISBN 978-4-86389-161-6 | ISBN 978-4-86389-231-6 |- ! rowspan="2"|2 | rowspan="2"|ハリー・ポッターと秘密の部屋 | rowspan="2"|2000年9月1日 | rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-39-1 | rowspan="2"|2004年10月23日 | rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-54-4 | rowspan="2"|2012年9月3日 | ISBN 978-4-86389-162-3 | rowspan="2"|2014年5月8日 | ISBN 978-4-86389-232-3 |- | ISBN 978-4-86389-163-0 | ISBN 978-4-86389-233-0 |- ! rowspan="2"|3 | rowspan="2"|ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 | rowspan="2"|2001年7月1日 | rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-40-7 | rowspan="2"|2004年11月26日 | rowspan="2"|ISBN 978-4-915512-55-1 | rowspan="2"|2012年9月3日 | ISBN 978-4-86389-164-7 | rowspan="2"|2014年6月10日 | ISBN 978-4-86389-234-7 |- | ISBN 978-4-86389-165-4 | ISBN 978-4-86389-235-4 |- ! rowspan="3"|4 | rowspan="3"|ハリー・ポッターと炎のゴブレット | rowspan="3"|2002年10月1日 | rowspan="3"|ISBN 978-4-915512-45-2 | rowspan="3"|2006年9月21日 | rowspan="3"|ISBN 978-4-915512-60-5 | rowspan="3"|2012年10月10日 | ISBN 978-4-86389-166-1 | rowspan="3"|2014年7月15日 | ISBN 978-4-86389-236-1 |- | ISBN 978-4-86389-167-8 | ISBN 978-4-86389-237-8 |- | ISBN 978-4-86389-168-5 | ISBN 978-4-86389-238-5 |- ! rowspan="4"|5 | rowspan="4"|ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 | rowspan="4"|2004年9月1日 | rowspan="4"|ISBN 978-4-915512-51-3 | rowspan="4"|2008年3月17日 | rowspan="4"|ISBN 978-4-915512-66-7 | rowspan="2"|2012年11月5日 | ISBN 978-4-86389-169-2 | rowspan="2"|2014年9月4日 | ISBN 978-4-86389-239-2 |- | ISBN 978-4-86389-170-8 | ISBN 978-4-86389-240-8 |- | rowspan="2"|2012年12月3日 | ISBN 978-4-86389-171-5 | rowspan="2"|2014年10月6日 | ISBN 978-4-86389-241-5 |- | ISBN 978-4-86389-172-2 | ISBN 978-4-86389-242-2 |- ! rowspan="3"|6 | rowspan="3"|ハリー・ポッターと謎のプリンス | rowspan="3"|2006年5月17日 | rowspan="3"|ISBN 978-4-915512-58-2 | rowspan="3"|2010年3月11日 | rowspan="3"|ISBN 978-4-86389-042-8 | rowspan="3"|2013年1月10日 | ISBN 978-4-86389-173-9 | rowspan="3"|2014年11月5日 | ISBN 978-4-86389-243-9 |- | ISBN 978-4-86389-174-6 | ISBN 978-4-86389-244-6 |- | ISBN 978-4-86389-175-3 | ISBN 978-4-86389-245-3 |- ! rowspan="3"|7 | rowspan="3"|ハリー・ポッターと死の秘宝 | rowspan="3"|2008年7月23日 | rowspan="3"|ISBN 978-4-915512-63-6 | rowspan="3"|2010年12月1日 | rowspan="3"|ISBN 978-4-86389-088-6 | rowspan="3"|2013年2月14日 | ISBN 978-4-86389-176-0 | rowspan="3"|2015年1月8日 | ISBN 978-4-86389-243-9 |- | ISBN 978-4-86389-177-7 | ISBN 978-4-86389-246-0 |- | ISBN 978-4-86389-178-4 | ISBN 978-4-86389-248-4 |} ==== 日本語版オーディオブック ==== 静山社から[[江守徹]]の朗読で[[オーディオブック]]化されていて、2003年に「賢者の石」、2004年に「秘密の部屋」のCD版が発売された後、2016年に両作の[[Audible]]でのデータ配信版が発売された<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000018.000016852.html 【Audible(オーディブル)】名優・江守徹氏朗読による「ハリー・ポッター」シリーズ 第一巻・第二巻が日本初のデジタル・オーディオブックで登場!]</ref>。オーディオブックとしての需要が高く、「秘密の部屋」以降の配信も望まれたことから、同年に全巻のオーディオブック化が[[風間杜夫]]による新朗読で発売されることが決まり<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000026.000016852.html いつでもどこでも」本を「耳で楽しめる」オーディオエンターテインメントサービス「Audible(オーディブル)」より「ハリー・ポッター」が俳優・風間杜夫さんによる新朗読で全シリーズ登場]</ref>、2019年までに全7作がデータ配信された。 === 『ハリー・ポッター』シリーズ本編・脚本 === 前述の通り、本編終了から19年後を描いた舞台版のシナリオが出版されており、「8番目の物語(=事実上の第8巻)」と銘打たれている。本文はト書きと台詞で構成されており、第1巻 - 第7巻のような小説のスタイルはとられていない。またジョン・ティファニー、ジャック・ソーンとローリングの共著名義である。 ; 第8巻(最終巻)『[[ハリー・ポッターと呪いの子]]』 : ''[[:en:Harry Potter and the Cursed Child|Harry Potter and the Cursed Child]]''([[2016年]][[7月31日]]発売) : 日本語版単行本 ISBN 978-4-86389-346-7(2016年[[11月11日]]発売) === J・K・ローリングによる解説書 === ; ホグワーツ校指定教科書1『[[幻の動物とその生息地]]』 : ''[[:en:Fantastic Beasts and Where to Find Them|Fantastic Beasts and Where to Find Them]]'' : 日本語版単行本 ISBN 4-915512-43-6(2001年発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-252-1(2014年5月8日発売) : 日本語新装版(ISBN 978-4863893795)ならびに新装版電子書籍(ISBN 978-1-78110-916-8)(2017年4月13日発売) : [[幻の動物とその生息地#ニュート・スキャマンダー|ニュート・スキャマンダー]](Newt Scamander)著(実際の著者はJ・K・ローリング) ; ホグワーツ校指定教科書2『[[クィディッチ今昔]]』 : ''[[:en:Quidditch Through the Ages|Quidditch Through the Ages]]'' : 日本語版単行本 ISBN 4-915512-44-4(2001年発売) : 日本語児童文庫 ISBN 978-4-86389-251-4(2014年3月5日発売) : 日本語電子書籍版(2016年5月26日発売)ISBN 978-1-78110-718-8 : 日本語新装版 ISBN 978-4863893801(2017年4月13日発売) : [[ハリー・ポッターシリーズの登場人物一覧#ケニルワージー・ウィスプ|ケニルワージー・ウィスプ]](Kennilworthy Whisp)著(実際の著者はJ・K・ローリング) : 原作国イギリスでは出版社売り上げの100%を、日本の出版元である静山社は70%を慈善事業に寄付している。 以下は電子書籍のみ。著者はJ・K・ローリング。日本語版は2016年9月16日発売。 ; 『ホグワーツ不完全&非確実』 : ISBN 978-1-78110-662-4 ; 『エッセイ集ホグワーツ勇気と苦難と危険な道楽』 : ISBN 978-1-78110-661-7 ; 『エッセイ集ホグワーツ権力と政治と悪戯好きのポルターガイスト』 : ISBN 978-1-78110-663-1 === 吟遊詩人ビードルの物語 === ; 『[[吟遊詩人ビードルの物語]]』 : ''[[:en:The Tales of Beedle the Bard|The Tales of Beedle the Bard]]'' : 日本語版単行本 ISBN 978-4-915512-75-9(2008年[[12月4日]]発売) : 日本語版文庫本 ISBN 978-4-86389-221-7(2013年9月3日発売) : 日本語新装版ならびに新装版電子書籍 ISBN 978-4863893818(2017年4月13日発売) : J・K・ローリングが『ハリー・ポッター』シリーズの完成後に執筆した、物語上に存在する童話集。本編第7巻にもその一部が紹介されている。 : もともと、ローリングが七冊手作りし、内輪の知人に贈呈した本である。うち一冊がオークションにかけられ、発売の運びとなった。収益は慈善団体CHLG{{efn|Children's High Level Group チルドレンズ・ハイレベル・グループ:ローリングとエマ・ニコルソン男爵夫人が設立した弱い立場にある子供の生活の向上を目的とする慈善団体。}}に寄付される。 == 各国版の差異 == 『ハリー・ポッター』シリーズは、世界各国で刊行されており、2008年時点で67言語に翻訳され、世界合計4億部(うち第1作が1億部)の[[ベストセラー]]となっている。珍しいところでは、[[ラテン語]]<ref>{{Cite book|title=Harrius Potter et Philosophi Lapis|author=J.K. Rowling||publisher=Bloomsbury Publishing|year=2015|isbn=1408866188}}</ref>・[[古代ギリシア語]]<ref>{{Cite book|title={{lang|el|Ἅρειος Ποτὴρ καὶ ἡ τοῦ φιλοσόφου λίθος}}|author=J.K. Rowling|author2=translated by Andrew Wilson|publisher=Bloomsbury Publishing |year=2004|isbn=0747568979}}</ref>など、日常で使われることのない言語にも訳されている。 なお、著者のローリングは自著の電子書籍化に対して強固に反対しており、『ハリー・ポッター』シリーズの電子書籍版は販売されていなかったが、2012年にはオフィシャルストア「[[ポッターモア]]」より[[EPUB]]形式による販売が開始された。作品ごとのシリーズセットがあり、それぞれアメリカ英語版とイギリス英語版が用意されている<ref>[http://shop.pottermore.com/en_GB/harry-potter-ebooks Pottermore ebook]</ref>。日本語の電子書籍も2016年9月より「ポッターモア」や[[Amazon Kindle]]などで取り扱われるようになった。 === 書籍形態 === ; 英語版 :; イギリス / UK版(原書) :: [[File:Harry Potter wordmark (British).svg|thumb|イギリス版(原書)のロゴ]] :: 作者ローリングの母国イギリスでは、ブルームズベリー社から発売されている。第1 - 第4巻まではペーパーバックが中心だったが、第5巻以降はハードカバーが中心となる。児童向けの、イラストを用いたカラフルな装丁のほか、大人向けに黒地にカラー写真を配したシックなデザイン(アダルト版)も存在。モノクロ写真を用いたよりシンプルなデザインのアダルト版もあったが、第5巻以降は発売されていない。2010年に、新装版が発売され、白地にクレア・メリンスキーによる[[版画]]風のシンプルなイラストが描かれたデザインになっている。 :: 原書であるイギリス版では、[[挿し絵]]はいっさいなく、一般のイタリック以外の変わりフォントは用いられていない。 :; アメリカ / US版 :: [[File:Harry Potter wordmark.svg|thumb|アメリカ版のロゴ]] :: スコラスティック社から発売され、各国版中最大の出版部数を記録している。アメリカ版では一部の単語について[[アメリカ英語]]に修正して出版している<ref>2001年12月29日『[[朝日新聞]]』「社説:違いを認め、人間を信じる 今年を振り返る」</ref>。とくに第1作『賢者の石』アメリカ版は、[[出版社]]の強い要求で"the Sorcerer's Stone"に変更されて出版された。イギリスでは"philosopher"という単語で「魔法使い」([[錬金術]]師)というニュアンスが読者に伝わるのに対して、アメリカでは"philosopher"だと読者は「哲学者」を連想し「魔法使い」につながることがほとんどない、という[[イギリス英語]]と[[アメリカ英語]]の違いが米国側の主張する理由であった。"Sorcerer"という単語は、「魔法使い」を示す単語として以前よりアメリカ国内などですでに広く知られていた単語ではあるが、のちにローリングは当時立場が強ければ改題には反対したと語っている<ref name="darkmark-bbc">[http://www.darkmark.com/c.c?l=interview2&t=J.K.%20Rowling:%20BBC%20Online%20Chat J. K. Rowling: BBC Online Chat] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150923212904/http://www.darkmark.com/c.c?l=interview2&t=J.K.%20Rowling%3A%20BBC%20Online%20Chat |date=2015年9月23日 }}. [[BBC]]. 2001年3月(2006年3月19日閲覧)</ref>。ほかにも、ハリーの親友ロン・ウィーズリーやその兄弟たちはウィーズリー夫人のことをUK版では「M'''u'''m」と呼ぶが、US版では「M'''o'''m」となっている。これに対して作者は「ウィーズリー夫人はMumでありMomというイメージには合わない」と強く主張をしたので現在{{いつから|date= 2020年5月}}では「Mum」に変更されている。 :: アメリカ版はメアリー・グランプレによる挿絵が、各章冒頭に挿入されている。また変わりフォントが、手紙文・新聞記事などを表現するのに用いられている。 :: 中国語版、韓国語版、ポルトガル語版、ノルウェー語版など、アメリカ版の表紙を用いた言語も多い。 :<!--この行は除去しないでください--> ;ドイツ語版 : [[カールセン出版社|カールセン社]]から発売。ハードカバーのみで、挿絵はなく、変わりフォントも用いられていない。 : 作者名は「JOANNE K. ROWLING」表記(ファーストネームを記載)。表紙は7巻ともザビーネ・ウィルハームによる。なお、各章には番号が振られておらず、目次もない。 ; フランス語版 : ガリマール社から発売。ペーパーバック中心。表紙は7巻ともジャン=クロード・ゴッティングによる。 ; スペイン語版 : Emece社から発売。 ; イタリア語版 : French & European Pubnsから発売。 ; 中国語版 : 地域によって別々に翻訳されている。訳者も出版社も異なるので違う訳文であり、使用文字・慣習が異なるため、作中の固有名詞や呪文の訳し方も違う。なお、第1巻は繁体字版の方が3か月先に刊行されたが、その後の巻はほぼ同時期(数日違い)に刊行された。 :; [[繁体字]]版([[台湾]]版) :: 皇冠出版社から発売。 :; [[簡体字]]版([[中華人民共和国]]版) :: [[人民文学出版社]]から発売。底本はアメリカ版で、表紙・挿絵も流用している。原文の強調部分のほか手紙文のフォントも変えてあるが、いずれも一般のフォントで、変わりフォントではない。また、イギリスの文化・地名に関する語について、ページ下部にわずかに脚注がついている。 : <!--この行は除去しないでください--> ; 日本語版 : [[静山社]]から発売。訳者は全巻とも[[松岡佑子]]。ハードカバー版および携帯版(新書サイズのソフトカバー)が発売され、アメリカ版に影響を受け、手紙文・新聞記事のほか、台詞まで変わりフォントが用いられている。第4巻以降は、上・下巻に分冊(ただし別売不可)。表紙および各章冒頭の挿絵は、7巻とも[[ダン・シュレシンジャー]](新装版は[[佐竹美保]])による。 近年{{いつ|date=2020年5月}}は全巻を合計20冊に分けて発売されていることが多い。 === 作中の固有名詞 === 『ハリー・ポッター』シリーズは、ほとんどの固有名詞に意味が込められた命名がなされている<ref>クリストファー・ベルトン『「ハリー・ポッター」が英語で楽しく読める本』コスモピア、2006年、179頁。</ref>が、固有名詞の翻訳状況は、各言語の事情によって異なる。 [[中国語]](とくに[[繁体字]]版)では、「天狼星 布萊克([[不死鳥の騎士団#シリウス・ブラック|シリウス・ブラック]])」や「小仙女 東施([[不死鳥の騎士団#ニンファドーラ・トンクス|ニンファドーラ・トンクス]])」のように人名にも意味を重視した翻訳が成されている{{Efn|中国語版「[[:zh:哈利·波特中文翻譯詞彙對照表|哈利·波特中文翻譯詞彙對照表]]」も参照。}}。[[スロベニア語]]では、固有名詞をスロベニア語に訳した上で、スペルを若干変更している<ref name="ronza0402">『[[論座]]』2004年2月号「『ハリー・ポッター』翻訳事情」[[鳥飼玖美子]]</ref>。しかし、映画化にあたり[[ワーナー・ブラザース]]から、人名を変更しないよう要請が出され、各言語の翻訳者からは映画会社の横暴に不満が噴出したという<ref name="ronza0402"/>。 また、第6巻終盤に登場する「R.A.B」のイニシャルも、[[オランダ語]]や[[ノルウェー語]]などでは、人物の名字に意味を重視した訳語をあてていたため「R.A.Z」や「R.A.S」となった。このため、ほかの言語と比較することで、その正体が予測できるということもあった。 {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |+ 主要言語における訳語比較 ! 日本語 !! 英語 !! ドイツ語 !! フランス語 !! 繁体字 !! 簡体字 |- | [[ハリー・ポッターシリーズの魔法生物一覧#吸魂鬼|吸魂鬼]] || Dementor || Dementoren || Détraqueurs || {{lang|zh|催狂魔}} || {{lang|zh|摄魂怪}} |- | [[ハリー・ポッターシリーズの用語一覧#ホークラックス|分霊箱]] || Horcrux || Horkrux || Horcruxe || {{lang|zh|分靈體}}(分霊体) || {{lang|zh|魂器}} |- | 憂いの篩 || Pensieve || Denkarium || Pensine || {{lang|zh|儲思盆}} || {{lang|zh|冥想盆}} |} == 日本語版における問題点 == === 翻訳に関する問題 === 松岡および静山社の、翻訳権獲得からミリオンセラーまでのサクセスストーリーは日本国内で大きな注目を集め<ref>『[[AERA]]』2002年2月4日号「静山社社長 松岡佑子 解放された姫」</ref>、また翻訳の評判もよかった<ref>2000年02月13日『朝日新聞』「天声人語」</ref><ref name="yu408">『有鄰』408号「『ハリー・ポッター』人気の秘密」</ref><ref>小林矩子『ハリー・ポッターとその時代』[[武蔵野大学]]出版会、2008年。</ref>。 一方、翻訳家や読者からは第1巻から誤訳・珍訳、文章力の問題点が指摘されており<ref name="bun080710">『[[週刊文春]]』2008年7月10日号「最終巻直前SP 『ハリー・ポッター』の翻訳はやっぱりおかしい」</ref>、2001年ごろには児童読者からの誤訳の指摘も松岡のもとに届いていた<ref name="yu408"/>。以下、おもな問題点を挙げる。 ==== 原文の単純な誤訳 ==== ; 第1巻16章 : 原文:slyly the poison trie to hide. You will always find some on nettle wine's left side. : これを「毒入り瓶のある場所は いつもイラクサ酒の左」と訳したため、原書では筋が通っているパズルが日本語版では解きにくくなっている。これを「イラクサ酒の左には いつも毒入り瓶がある」とすることで、部分的な解答を得ることが容易となる。ただし、文章では瓶の大きさを判別できないため、読者が文章のみから完全な解答を導くことはできない<ref>桜花学園大学教授、岩井齊良によるパズルの検証。[https://www.shinko-keirin.co.jp/kosu/mathematics/kirinuki/kirinuki06.html]{{リンク切れ|date=2021年1月}}</ref>{{リンク切れ|date=2021年1月}}。 ; 第5巻25章 : 原文:I'm on probation : ハグリッドの発言を「停職になった」と訳したが、この発言後も学校で働き続けているため、誤訳である<ref name="bun080710"/>。携帯版では「停職候補」に変更されたが、 "probation" は[[執行猶予]]の意味であるため、訂正になっていない。 ; 第6巻20章 : 原文:You are omniscient as ever, Dumbledore. : これは、ヴォルデモートは他意がなさそうな様子で職をもとめにきたが、じつは近くの村の宿屋ホッグズ・ヘッドに手下たちを待機させていたことをダンブルドアに指摘され、居直って返す台詞である。人から怪しい行動を指摘されて返す言葉が「博識ですね」というのはずれている。 omniscient には「博識の」というような意味もあるが、この状況では「お見通しですね」「千里眼ですね」などが正しい<ref name="bun080710"/>。携帯版・文庫版では「相変わらずなんでもご存知ですね、ダンブルドア」に修正されている。 ==== 日本語訳独自の脚色 ==== 本シリーズは、[[1990年代]]のイギリスを舞台にした、(執筆時点から見て)ごく最近の物語である。 原書においては、一部の登場人物に訛り{{efn|[[ハリー・ポッターシリーズの登場人物一覧#ルビウス・ハグリッド|ルビウス・ハグリッド]]のイギリス南西部訛り、[[ハリー・ポッターシリーズの登場人物一覧#スタン・シャンパイク|スタン・シャンパイク]]のロンドン訛り、[[ハリー・ポッターシリーズの登場人物一覧#フラー・デラクール|フラー・デラクール]]のフランス語訛り、[[ハリー・ポッターシリーズの登場人物一覧#ビクトール・クラム|ビクトール・クラム]]のブルガリア語訛りなど。}}や特徴的な口癖{{efn|[[不死鳥の騎士団#アラスター・ムーディ|アラスター・ムーディ]]の "Constant vigilance!" 、[[不死鳥の騎士団#ニンファドーラ・トンクス|ニンファドーラ・トンクス]]の "Wotcher" 、[[ハリー・ポッターシリーズの登場人物一覧#ホラス・スラグホーン|ホラス・スラグホーン]]の "Oho" など。}}が与えられ、個性を表現しているが、日本語では英語以上に[[一人称]]や言葉遣いの表現が多様である([[役割語]]等も参照)。 したがって、1990年代という時代設定から逸脱した一人称・言葉遣いを用いたことによって、原作と日本語版ではまるで印象が違っている登場人物も少なくない。[[明治大学]]教授で翻訳家の[[高山宏]]は、「魔術という古い世界と現代のティーンエイジャーの世界の交錯がこの作品の醍醐味なのですが、日本語訳では会話文と普通の文章がごっちゃになって読みにくい」と評している<ref name="bun080710"/>。このほか、「手水場」「下手人」「旅籠」など時代がかった言葉が多いことも、「センスが悪い」と批判されている<ref name="bun080710"/>。口語としてあまりに不自然な場合、映画版の吹替え・字幕では修正されている。 また、本文には、特殊フォント・太字・囲み文字・網かけ文字やイラスト風の囲みが多用されているが、いずれも底本のブルームスベリー社版にはない、日本語訳独自の演出である。これは、原作者の意向で本文中に挿絵が使えない制約を回避するため、読者がイメージを膨らませられるようにという松岡の解釈で付与された<ref name="yu408"/>。 ==== 設定・世界観の無視 ==== [[高山宏]]は、イギリス版の中表紙にあるホグワーツの紋章をカットしたことを批判したうえで「翻訳以前に、物語の持つ世界観を、最低限踏まえた上で紹介するのが訳者の責任だと思う」としている<ref name="bun080710"/>。しかし、紋章の不掲載についてはドイツ語版などでも行われており、日本語版だけの問題ではない。 ==== 日本語の誤用 ==== 日本語の語彙が、正しい日本語の意味とは異なる意味で使われている箇所が多々ある。 ; 第4巻3章 : 原文:He had said the magic words. : ハリーが伯父に向かって効き目のありそうな脅し文句を言う場面。日本語訳では「殺し文句を言ってやった」としているが、「殺し文句」とは相手をうれしがらせて引きつける言葉のことで、効果的な「脅し文句」のことではないので間違いである<ref name="bun080710"/>。 ; 第5巻4章 : 原文:he said the owls might be intercepted. : 「あの人は、ふくろうが途中で傍受されるかもしれないといってた」と訳されている。"intercept" には途中で捕らえる・(電波を)傍受するという意味があるが、この場合可能なのはふくろうを捕獲して連絡内容を調べることである。そもそも、[[傍受]]は電波に用いる語なので日本語として間違っている<ref name="bun080710"/>。 === その他表現に関する問題 === 第2巻『秘密の部屋』の作中において「先天的疾患に対する差別的表現がある」として2000年10月に市民団体「口唇・口蓋裂友の会」が抗議、問題箇所の削除を要求した。静山社は著者とともにこの市民団体と協議し、同年11月「第六十六刷から該当箇所を削除」することを回答。市民団体側は各都道府県教育委員会、全国の図書館や書店に対し配慮を行なうよう、同年12月に要望書を送付した<ref>堀田貢得『実例・差別表現』大村書店、2003年7月、{{ISBN2|4-7563-3021-5}}、112頁。</ref>。 === 販売形態に関する問題 === 上下2冊組となった第4巻以降、返品を不可とする「買い切り制([[責任販売制]]、買取り制ともいう)」となったため、一般の小売りと同等のリスクが発生した。この点については、第1巻・第2巻・第3巻が入手困難となったことから、書店業界側からの要望でもあった<ref name="wasa041022">『[[週刊朝日]]』2004年10月22日号「『ハリポタ』魔法切れの大失速 初版290万セット、販売の誤算」</ref>。また発行元である静山社自体が小さな出版社であるため、大量発注を受けた結果として大量の返品を抱えた場合のリスクが小さくないという出版社側の事情もある。 2004年9月1日に第5巻『不死鳥の騎士団』は、初版290万セットで発売されたが、2週間以内に売れたのは65%にとどまった<ref>2004年10月1日『読売新聞』「発売1か月、ハリポタ魔法切れ? 在庫消化できず、書店困った…」</ref>。発売後すぐに実売部数は200万部を越えるベストセラーとなったが、発行部数に対して大量の在庫が出たため、書店業界から悲鳴が上がる事態となった<ref name="wasa041022"/>。これは、書店からの発注をそのまま受け入れて発行したからで、出版社(静山社)・取次会社(トーハン)・書店の調整不足が指摘されている<ref name="asa041123">2004年11月23日『朝日新聞』「大誤算ハリポタ第5巻 仕入れすぎで書店が悲鳴」</ref>。 日本書店連合会からも高正味{{efn|正味=版元(出版社)が取次に、取次が書店に本を売るときの掛け率をいう。高正味=この場合、版元側の取り分が多い、の意}}と買い切り制の採用や、静山社が広告を打たないことに対する不満が、複数回表明されている<ref>『全国書店新聞』10月1日号</ref><ref>『全国書店新聞』10月11日号</ref>。こうした状況に対し松岡佑子は「クリスマスまでにたくさん売れるように期待しています。新聞広告などで私たちも応援したい」と発言<ref name="asa041123"/>。その結果、12月に作品内容を明かしたキャッチコピーを広告に掲載し物議をかもした。 その後の、第6巻、第7巻では、書店が発注を控えたため、第5巻ほどのトラブルは生じていない。 == 映画 == {{main|ハリー・ポッター (映画シリーズ)}} 『ハリー・ポッター』シリーズは[[ワーナー・ブラザース]]によって映画化された。2001年に映画『[[ハリー・ポッターと賢者の石 (映画)|ハリー・ポッターと賢者の石]]』が公開され大反響を呼び、その後も続編が次々と製作され、撮影は[[リーブスデン・スタジオ]]で行われた。 全作品を通じ、[[ハリー・ポッター (架空の人物)|ハリー]]役は[[ダニエル・ラドクリフ]]、[[ロン・ウィーズリー|ロン]]役は[[ルパート・グリント]]、[[ハーマイオニー・グレンジャー|ハーマイオニー]]役は[[エマ・ワトソン]]。 # 『[[ハリー・ポッターと賢者の石 (映画)|ハリー・ポッターと賢者の石]]』 # 『[[ハリー・ポッターと秘密の部屋 (映画)|ハリー・ポッターと秘密の部屋]]』 # 『[[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (映画)|ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]]』 # 『[[ハリー・ポッターと炎のゴブレット (映画)|ハリー・ポッターと炎のゴブレット]]』 # 『[[ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 (映画)|ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団]]』 # 『[[ハリー・ポッターと謎のプリンス (映画)|ハリー・ポッターと謎のプリンス]]』 # 『[[ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1]]』 # 『[[ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2]]』 2016年には、スピンオフ映画『[[ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅]]』が公開され<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2061757/full/|title=ハリー・ポッター新シリーズ、邦題決定 『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』|publisher=ORICON STYLE|date=2015-11-04|accessdate=2015-11-04}}</ref>、[[ファンタスティック・ビーストシリーズ|全5部作]]となることが予定されている。 == 舞台 == 『[[ハリー・ポッターと呪いの子]](Harry Potter and the Cursed Child)』のタイトルで、2016年夏に[[ウエスト・エンド (ロンドン)|ウエストエンド]]の{{仮リンク|パレス・シアター|en|Palace Theatre, London}}にて上演。J・K・ローリング、ジャック・ソーン、ジョン・ティファニーが手掛ける新たなストーリーとなり<ref name="stage"/>、本舞台は全7章の小説の続きとして、『[[ハリー・ポッターと死の秘宝]]』の19年後~22年後が描かれ、ハリーとその息子であるアルバスが登場する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0077547|title=「ハリー・ポッター」正統続編!息子の物語が舞台化 副題は「呪われた子供」|publisher=シネマトゥデイ|date=2015-10-26|accessdate=2015-10-26}}</ref><ref name="sponichi160730">{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/07/30/kiji/K20160730013066570.html|title=ハリポタ続編、世界初公演 脚本も出版へ|newspaper=スポニチアネックス|date=2016-07-30|accessdate=2016-08-01}}</ref>。 脚本がシリーズ第8巻(最終巻)として2016年7月30日に発売され、日本語版脚本は2016年11月15日に発売<ref name="sponichi160730"/>。 日本でも、[[TBSテレビ|TBS]]開局70周年を記念して東京・[[TBS赤坂ACTシアター]]で2022年夏より上演される。これに先立ちTBS赤坂ACTシアターは、2021年より大規模な改修を開始し、『ハリー・ポッター』専用劇場として生まれ変わる。上演期間は無制限のロングラン形式となる。 == コンピュータゲーム == {{main|en:Harry Potter video games}} 『ハリー・ポッター』のゲーム化は、1997年の『賢者の石』の初出版から人気が軌道に乗りはじめた1年後の[[1998年]]にアメリカの[[任天堂]]のNintendo of Americaが『ハリー・ポッター』に目をつけ、その版権を独占的に獲得するため売り込みを展開し、同社傘下で設立されたばかりの[[Nintendo Software Technology]](NST)にゲームのアイデアを出すよう命じた。三人称視点のアドベンチャーゲームと[[マーベルコミック]]の[[:en:Adi Granov|アディ・グラノフ]]をキャラクターアーティストとして担当したクィディッチゲームのふたつのピッチに取り組みはじめ、まず[[NINTENDO64]]から、[[ゲームボーイアドバンス]]、そして[[ニンテンドーゲームキューブ]]やその先の任天堂のプラットフォームで『ハリー・ポッター』シリーズのゲームを自社で開発・発売することを計画していた。ライセンス契約者である作者のJ・K・ローリングはNSTのプレゼンテーションを見ることに同意したが、どのアートスタイルがこのフランチャイズに最もふさわしいかについてNST内で意見の相違があった。当初『ハリー・ポッター』の表紙カバーを担当していたイラストレーターの[[:en:Thomas Taylor (artist)|トーマス・テイラー]]のデザインを求める声があり、ローリングがよりイギリス的でありたいと言ったが、NSTの上層部は漫画的な、あるいは日本的なビジュアルスタイルでゲームをデザインするように要求していた。最終的にゲームだけでなくテレビや映画など、より多くの分野での映画化を提供できる大手メディア企業を優先し、ローリングはゲームしか進出できなかった任天堂のこの提案を断ったという<ref>[https://www.unseen64.net/2015/02/09/nintendo-harry-potter-games-pitch/ Nintendo’s Harry Potter [Pitch / Cancelled – N64, GBA, GameCube] - Unseen 64]</ref><ref>[https://www.nintendolife.com/news/2018/11/video_learn_about_nintendos_failed_harry_potter_pitch_for_the_n64 Video: Learn About Nintendo's Failed Harry Potter Pitch For The N64 - Nintendo Life]</ref>。独占権を要求していた任天堂との交渉が決裂したあと、ローリングは最終的にできるだけ多くの人に『ハリー・ポッター』を届けるためにワーナー・ブラザーズに権利を売却した。同社は[[エレクトロニック・アーツ]]と契約し、イギリス支社の[[:en:EA Bright Light|エレクトロニック・アーツUK]]が『ハリー・ポッター』シリーズの本をもとにした映画のゲーム開発および発売権を得て、[[2001年]]に『賢者の石』のゲームを最初に発売した。またエレクトロニック・アーツUKの『ハリー・ポッター』ゲームのメイキングでのインタビューでローリングは『ハリー・ポッター』製品の生産をできるだけイギリスで行うようにしたと述べている。 日本国内にて発売・配信されたもののみ記す。 * [[ハリー・ポッターと賢者の石#ゲーム|ハリー・ポッターと賢者の石]] * ハリー・ポッター クィディッチ・ワールドカップ * [[ハリー・ポッターと秘密の部屋#ゲーム|ハリー・ポッターと秘密の部屋]] * [[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人#ゲーム|ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]] * [[ハリー・ポッターと炎のゴブレット#ゲーム|ハリー・ポッターと炎のゴブレット]] * [[ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団#ゲーム|ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団]] * [[ハリー・ポッターと謎のプリンス#ゲーム|ハリー・ポッターと謎のプリンス]] * [[ファンタスティック・ビーストと魔法使いの事件簿]](iOS / Android、2016年11月17日配信) * ハリー・ポッター:ホグワーツの謎(iOS / Android、2018年4月25日配信) * [[ハリー・ポッター:魔法同盟|ハリー・ポッター:魔法同盟]](iOS / Android、2019年7月2日配信) * [[ホグワーツ・レガシー]](通常版:2023年2月10日(金)発売、デラックス・エディション:2023年2月7日(火)発売)<ref>{{Cite web|和書|title=【ワーナー公式】ニュース|未知の運命、知られざる物語『ホグワーツ・レガシー』、新作ゲーム「ハリー・ポッター:魔法の覚醒」 |url=https://warnerbros.co.jp/c/news/2022/10/3359.html |website=warnerbros.co.jp |access-date=2023-01-06 |language=ja}}</ref> * ハリー・ポッター:魔法の覚醒(iOS/Android、日本リリース2023年6月27日) {{節スタブ}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{reflist|2}} == 関連項目 == {{Commons&cat|||ハリー・ポッター}} * [[魔法ワールド]] - 本シリーズをもとに展開されている作品群。 * [[レロ書店]] - 本シリーズに大きなインスピレーションを与えた[[ポルトガル]]の書店。 == 外部リンク == * [https://www.jkrowling.com/ J.K.ローリング 公式サイト] * [https://harrypotter.bloomsbury.com/uk/ ブルームズベリー社]{{En icon}} * [https://kids.scholastic.com/kids/books/harry-potter/ スコラスティック社]{{En icon}} * [https://www.sayzansha.com/ 静山社] * [https://www.visitbritain.com/jp/ja/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%EF%BD%A5%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%B1%E5%9C%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%AF%E6%9D%91 英国政府観光庁 - ハリー・ポッター映画ロケ地] * [[wikia:ja.harrypotter:Harry Potter Wiki|Harry Potter Wiki]] - ワーナー社認定Wiki * {{CAPlink|node/20488|電子書籍版ハリー・ポッターが販売開始|date=2012年3月28日}} {{ハリー・ポッターシリーズ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はりいほつたあしりいす}} [[Category:ハリー・ポッターシリーズ|*]] [[Category:ファンタジー小説のシリーズ]] [[Category:孤児を主人公とした作品]]
2003-03-30T06:57:22Z
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織田信長
織田 信長(おだ のぶなが)は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。戦国の三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)出身。織田信秀の嫡男。家督争いの混乱を収めた後に、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、勢力を拡大した。足利義昭を奉じて上洛し、後には義昭を追放することで、畿内を中心に独自の中央政権(「織田政権」)を確立して天下人となった戦国時代を代表する英雄である。しかし、天正10年6月2日(1582年6月21日)、家臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。 これまで信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府への流れをつくった画期的なもので、その政治手法も革新的なものであるとみなされてきた。しかし、近年の歴史学界ではその政策の前時代性が指摘されるようになり、しばしば「中世社会の最終段階」とも評され、その革新性を否定する研究が主流となっている。 織田信長は、織田弾正忠家の当主・織田信秀の子に生まれ、尾張(愛知県西部)の一地方領主としてその生涯を歩み始めた。信長は織田弾正忠家の家督を継いだ後、尾張守護代の織田大和守家、織田伊勢守家を滅ぼすとともに、弟の織田信行を排除して、尾張一国の支配を徐々に固めていった。 永禄3年(1560年)、信長は桶狭間の戦いにおいて駿河の戦国大名・今川義元を撃破した。そして、三河の領主・徳川家康(松平元康)と同盟を結ぶ。永禄8年(1565年)、犬山城の織田信清を破ることで尾張の統一を達成した。 一方で、室町幕府の将軍・足利義輝が殺害された(永禄の政変)後に、足利将軍家の足利義昭から室町幕府再興の呼びかけを受けており、信長も永禄9年(1566年)には上洛を図ろうとした。美濃の戦国大名・斉藤氏(一色氏)との対立のためこれは実現しなかったが、永禄10年(1567年)には斎藤氏の駆逐に成功し(稲葉山城の戦い)、尾張・美濃の二カ国を領する戦国大名となった。そして、改めて幕府再興を志す意を込めて、「天下布武」の印を使用した。 翌年10月、足利義昭とともに信長は上洛し、三好三人衆などを撃破して、室町幕府の再興を果たす。信長は、室町幕府との二重政権(連合政権)を築いて、「天下」(五畿内)の静謐を実現することを目指した。しかし、敵対勢力も多く、元亀元年(1570年)6月、越前の朝倉義景・北近江の浅井長政を姉川の戦いで破ることには成功したものの、三好三人衆や比叡山延暦寺、石山本願寺などに追い詰められる。同年末に、信長と義昭は一部の敵対勢力と講和を結び、ようやく窮地を脱した。 元亀2年(1571年)9月、比叡山を焼き討ちする。しかし、その後も苦しい情勢は続き、三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍が武田信玄に敗れた後、元亀4年(1573年)、将軍・足利義昭は信長を見限る。信長は義昭と敵対することとなり、同年中には義昭を京都から追放した(槇島城の戦い)。 将軍不在のまま中央政権を維持しなければならなくなった信長は、天下人への道を進み始める。元亀から天正への改元を実現すると、天正元年(1573年)中には浅井長政・朝倉義景・三好義継を攻め、これらの諸勢力を滅ぼすことに成功した。天正3年(1575年)には、長篠の戦いでの武田氏に対して勝利するとともに、右近衛大将に就任し、室町幕府に代わる新政権の構築に乗り出した。翌年には安土城の築城も開始している。しかし、天正5年(1577年)以降、松永久秀、別所長治、荒木村重らが次々と信長に叛いた。 天正8年(1580年)、長きにわたった石山合戦(大坂本願寺戦争)に決着をつけ、翌年には京都で大規模な馬揃え(京都御馬揃え)を行い、その勢威を誇示している。 天正10年(1582年)、甲州征伐を行い、武田勝頼を自害に追いやって武田氏を滅亡させ、東国の大名の多くを自身に従属させた。同年には信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が持ち上がっている(三職推任)。その後、信長は長宗我部元親討伐のために四国攻めを決定し、三男・信孝に出兵の準備をさせている。そして、信長自身も毛利輝元ら毛利氏討伐のため、中国地方攻略に赴く準備を進めていた。しかし、6月2日、重臣の明智光秀の謀反によって、京の本能寺で自害に追い込まれた(本能寺の変)。 一般に、信長の性格は、極めて残虐で、また、常人とは異なる感性を持ち、家臣に対して酷薄であったと言われている。一方、信長は世間の評判を非常に重視し、家臣たちの意見にも耳を傾けていたという異論も存在する。なお、信長は武芸の鍛錬に励み、趣味として鷹狩り・茶の湯・相撲などを愛好した。南蛮などの異国に興味を持っていたとも言われる。 政策面では、信長は室町幕府将軍から「天下」を委任されるという形で自らの政権を築いた。天皇や朝廷に対しては協調的な姿勢を取っていたという見方が有力となっている。 江戸時代には、新井白石らが信長の残虐性を強く非難したように、信長の評価は低かった。 とはいえ、やがて信長は勤王家として称賛されるようになり、明治時代には神として祀られている。第二次世界大戦後には、信長はその政策の新しさから、革新者として評価されるようになった。しかし、このような革新者としての信長像には疑義が呈されつつあり、近年の歴史学界では信長の評価の見直しが進んでいる。 ※日付は和暦による旧暦。西暦表記の部分はユリウス暦とする。 天文3年(1534年)5月、尾張国の戦国大名・織田信秀と土田御前(土田政久の娘)の間に嫡男として誕生。幼名は吉法師(きっぽうし)。 信長の生まれた「弾正忠家」は、尾張国の下四郡の守護代であった織田大和守家(清洲織田家)の家臣にして分家であり、清洲三奉行という家柄であった。当時、尾張国では、守護である斯波氏の力はすでに衰えており、守護代の織田氏も分裂していたのである。こうした状況下で、信長の父である信秀は、守護代・織田達勝らの支援を得て、今川氏豊から那古野城を奪う。そして、信秀は尾張国内において勢力を急拡大させていた。 なお、信長の生誕地については那古野城・古渡城・勝幡城の3説に分かれる。中でも那古野城説は『国史大辞典』に記されるなど定説となっていたが、山科言継の『言継卿記』の記述などを根拠に、天文3年時点では織田氏がまだ那古野城を奪っていない可能性が高まった(詳細は那古野城#歴史を参照)ことに加え、愛西市所蔵『尾州古城志』などの史料の「勝幡城で生まれた」といった記述をもとに、1992年に発表された論文をきっかけとして近年では勝幡城説が妥当と考えられている。 信長は、早くに信秀から那古野城を譲られ、城主となっている。『信長公記』によれば、信長には奇天烈な行動が多く、周囲から「大うつけ」と呼ばれたという。なお、人質となっていた松平竹千代(後の徳川家康)と幼少期の頃に知り合っていたとも言われるが、可能性としては否定できないものの、そのことを裏付ける史料はない。 天文15年(1546年)、古渡城にて元服し、三郎信長と称する。 天文16年(1547年)、信長は今川方との小競り合いにおいて初陣を果たし、天文18年には尾張国支配の政務にも関わるようになった。 天文17年(1548年)あるいは天文18年(1549年)頃、父・信秀と敵対していた美濃国の戦国大名・斎藤道三との和睦が成立すると、その証として道三の娘・濃姫と信長の間で政略結婚が交わされた。 斎藤道三の娘と結婚したことで、信長は織田弾正忠家の継承者となる可能性が高くなった。そして、おそらく天文21年(1552年)3月に父・信秀が死去したため、家督を継ぐこととなる。信長は、家督継承を機に「上総守信長」を称するようになる(のち「上総介信長」に変更)。 家督継承後の信長は、すぐに困難に直面する。信秀は尾張国内に大きな勢力を有していたが、まだ若い信長にその勢力を維持する力が十分にあるとは言えなかった。そして、弾正忠家の外部には清洲城の尾張守護代・織田大和守家という対立者を抱え、弾正忠家の内部には弟・信勝(信行)などの競争者がいたのである。 一説には信秀の最晩年に行おうとした今川義元との和睦に信長が反対したことなどから信長の後継者としての立場に疑問符が持たれ、信秀も信長と信勝の間で家督の分割する考えに転じたのではないか、という説がある(実際に信秀の死の直後に信長は直ちに和議を破棄している)。ただし、この和平の仲介には信長の舅である斎藤道三を敵視する六角定頼が関与しており、信長の立場からすれば道三に不利となる条件との抱き合わせになる可能性のあるこの和議に賛同できなかったとする見方もある。 天文21年8月、清洲の織田大和守家は、弾正忠家との敵対姿勢を鮮明とした。信長は萱津の戦いで勝利し、これ以後、清洲方との戦いが続くこととなる。 天文22年(1553年)、信長の宿老である平手政秀が自害している。信長は嘆き悲しみ、沢彦を開山として政秀寺を建立し、政秀の霊を弔った。一方、おそらく同年4月に、信長は正徳寺で道三と会見した。その際に道三はうつけ者と呼ばれていた信長の器量を見抜いたとの逸話がある。 天文23年(1554年)、村木城の戦いで今川勢を破った。 この年も、清洲との戦いは、信長に有利に展開していた。同年7月12日、尾張守護の斯波義統が、清洲方の武将・坂井大膳らに殺害される事件が起きる。これは、斯波義統が信長方についたと思われたためであり、義統の息子の斯波義銀は信長を頼りに落ち延びた。 こうして、信長は、清洲の守護代家を謀反人として糾弾する大義名分を手に入れた。そして、数日後には、安食の戦いで長槍を用いる信長方の軍勢が清洲方に圧勝した。 天文23年、衰弱した清洲の守護代家は、信長とその叔父・織田信光の策略によって清洲城を奪われ、守護代・織田彦五郎も自害を余儀なくされた。ここに尾張守護代織田大和家は滅亡することとなる。 他方、守護代家打倒に力を貸した信長の叔父・信光も11月26日に死亡している。この死は暗殺によるものであったと考えられる。そして、信長が信光暗殺に関与していたという説もあるという。 弘治2年(1556年)4月、義父・斎藤道三が子の斎藤義龍との戦いで敗死(長良川の戦い)。信長は救援のため、木曽川を越えて美濃の大浦まで出陣したものの、勢いに乗った義龍軍に苦戦し、道三敗死の知らせにより信長自らが殿をしつつ退却した。 最も有力な味方である道三を失った信長に対し、林秀貞(通勝)・林通具・柴田勝家らは弟・信勝を擁立すべく挙兵する。信勝は、父・信秀から末盛城や柴田勝家ら有力家臣を与えられるとともに、愛知郡内に一定の支配権を有するなど、弾正忠家において以前から強い力を有していた。弘治元年には「弾正忠」を名乗るようにもなっており、弾正忠家の継承者候補として信長と争う立場にあった。 同年8月に両者は稲生で激突するが、結果は信長の勝利に終わった(稲生の戦い)。信長は、末盛城などに籠もった信勝派を包囲したが、生母・土田御前の仲介により、信勝・勝家らを赦免した。 永禄元年(1558年)、信勝が再び謀反を企てる。この時、信勝を見限った柴田勝家からの密告があり、事態を悟った信長は病と称して信勝を清洲城に誘い出し殺害した。 同年7月、信長は、同族の犬山城主・織田信清と協力し、尾張上四郡(丹羽郡・葉栗郡・中島郡・春日井郡)の守護代・織田伊勢守家(岩倉織田家)の当主・織田信賢を浮野の戦いにおいて撃破した。そして、翌年には、信賢の本拠地・岩倉城を陥落させた。 永禄2年(1559年)2月2日、信長は約500名の軍勢を引き連れて上洛し、室町幕府13代将軍・足利義輝に謁見した。村岡幹生によれば、この上洛の目的は、新たな尾張の統治者として幕府に認めてもらうことにあったという。しかし、この目的は達成されなかったと考えられる。 一方、天野忠幸によれば、この上洛は尾張の問題だけによるものではなく、前年に足利義輝が正親町天皇を擁した三好長慶に対して不利な形で和睦をせざるを得なかったことによって諸大名が拠って立つ足利将軍家を頂点に立つ武家秩序が崩壊する危機感が高まり、その状況を信長自らが確認する意図もあったとされる。 永禄3年(1560年)5月、今川義元が尾張国へ侵攻した。駿河・遠江に加えて三河国をも支配する今川氏の軍勢は、1万人とも4万5千人とも号する大軍であった。織田軍はこれに対して防戦したがその兵力は数千人程度であった。今川軍は、松平元康(後の徳川家康)が指揮を執る三河勢を先鋒として、織田軍の城砦に対する攻撃を行った。 信長は静寂を保っていたが、永禄3年(1560年)5月19日午後一時、幸若舞『敦盛』を舞った後、出陣した。攻撃を仕掛けてくるなど全く予想しておらず、油断しきっていた今川軍の陣中に信長は強襲をかけ、義元を討ち取った(桶狭間の戦い)。 桶狭間の戦いの後、今川氏は三河国の松平氏の離反等により、その勢力を急激に衰退させる。これを機に信長は今川氏の支配から独立した徳川家康(この頃、松平元康より改名)と手を結ぶことになる。両者は同盟を結んで互いに背後を固めた(いわゆる清洲同盟)。 永禄6年(1563年)、美濃攻略のため本拠を小牧山城に移す 永禄8年(1565年)、信長は犬山城の織田信清を下し、ついに尾張統一を達成した。さらに、甲斐国の戦国大名・武田信玄と領国の境界を接することになったため、同盟を結ぶこととし、同年11月に信玄の四男・勝頼に対して信長の養女(龍勝寺殿)を娶らせた。 斎藤道三亡き後、信長と斎藤氏(一色氏)との関係は険悪なものとなっていた。桶狭間の戦いと前後して両者の攻防は一進一退の様相を呈していた。しかし、永禄4年(1561年)に斎藤義龍が急死し、嫡男・斎藤龍興が後を継ぐと、信長は美濃国に出兵し勝利する(森部の戦い)。同じ頃には北近江の浅井長政と同盟を結び、斎藤氏への牽制を強化している。その際、信長は妹・お市を輿入れさせた。 一方、中央では、永禄8年(1565年)5月、かねて京を中心に畿内で権勢を誇っていた三好氏の三好義継・三好三人衆・松永久通らが、対立を深めていた将軍・足利義輝を殺害した(永禄の変)。義輝の弟の足利義昭(一乗院覚慶、足利義秋)は、松永久秀の保護を得ており、殺害を免れた。義昭は大和国(現在の奈良県)から脱出し、近江国の和田、後に同国の矢島を拠点として諸大名に上洛への協力を求めた。 これを受けて、信長も同年12月には細川藤孝に書状を送り、義昭の上洛に協力する旨を約束した。同じ年には、至治の世に現れる霊獣「麒麟」を意味する「麟」字型の花押を使い始めている。また、義昭は上洛の障害を排除するため、信長と美濃斎藤氏との停戦を実現させた。こうして、信長が義昭の供奉として上洛する作戦が永禄9年8月には実行される予定であった。 ところが、永禄9年(1566年)8月、信長は領国秩序の維持を優先して、美濃斎藤氏との戦闘を再開する。結果、義昭は矢島から若狭国まで撤退を余儀なくされ、信長もまた、閏8月に河野島の戦いで大敗を喫してしまう。「天下之嘲弄」を受ける屈辱を味わった信長は、名誉回復のため、美濃斎藤氏の脅威を排除し、義昭の上洛を実現させることを目指さなければならなくなる。 そして、永禄9年(1566年)、信長は美濃国有力国人衆である佐藤忠能と加治田衆を味方にして中濃の諸城を手に入れ(堂洞合戦、関・加治田合戦、中濃攻略戦)、義弟・斎藤利治を佐藤忠能の養子として加治田城主とする。さらに西美濃三人衆(稲葉良通・氏家直元・安藤守就)などを味方につけた信長は、ついに永禄10年(1567年)、斎藤龍興を伊勢国長島に敗走させ、美濃国平定を進めた(稲葉山城の戦い)。このとき、井ノ口を岐阜と改称した(『信長公記』) 同年11月、印文「天下布武」の朱印を信長は使用しはじめている。この印判の「天下」の意味は、日本全国を指すものではなく、五畿内を意味すると考えられており、室町幕府再興の意志を込めたものであった(→#信長の政権構想)。11月9日には、正親町天皇が信長を「古今無双の名将」と褒めつつ、御料所の回復・誠仁親王の元服費用の拠出を求めたが、信長は丁重に「まずもって心得存じ候(考えておきます)」と返答したのみだった。 一方、すでに述べたとおり、三好氏による襲撃の危険が生じたことから、義昭は近江国を脱出して、越前国の朝倉義景のもとに身を寄せていた。しかし、本願寺との敵対という状況下では義景は上洛できず、永禄11年(1568年)7月には信長は義昭を上洛させるために、和田惟政に村井貞勝や不破光治・島田秀満らを付けて越前国に派遣している。義昭は同月13日に一乗谷を出て美濃国に向かい、25日に岐阜城下の立政寺にて信長と会見した。 永禄11年(1568年)9月7日、信長は足利義昭を奉戴し、上洛を開始した。すでに三好義継や松永久秀らは義昭の上洛に協力し、反義昭勢力の牽制に動いていた。一方、義昭・信長に対して抵抗した南近江の六角義賢・義治父子は織田軍の攻撃を受け、12日に本拠地の観音寺城を放棄せざるを得なくなった(観音寺城の戦い)。六角父子は甲賀郡に後退、以降はゲリラ戦を展開した。 更に9月25日に大津まで信長が進軍すると、大和国に遠征していた三好三人衆の軍も崩壊する。29日に山城勝龍寺城に退却した岩成友通が降伏し、30日に摂津芥川山城に退却した細川昭元・三好長逸が城を放棄、10月2日には篠原長房も摂津越水城を放棄し、阿波国へ落ち延びた。唯一抵抗していた池田勝正も信長に降伏した。 もっとも、京都やその周辺の人々はようやく尾張・美濃を平定したばかりの信長を実力者とは見ておらず、最初のうちは義昭が自派の諸将を率いて上洛したもので、信長はその供奉の将という認識であったという。 足利義昭を第15代将軍に擁立した信長は、義昭から管領・斯波家の家督継承もしくは管領代・副将軍の地位などを勧められたが、足利家の桐紋と斯波家並の礼遇だけを賜り、遠慮したとされる。また、草津と大津、堺の土地を貰った。 永禄12年(1569年)1月5日、信長率いる織田軍主力が美濃国に帰還した隙を突いて、三好三人衆と斎藤龍興ら浪人衆が共謀し、足利義昭の仮御所である六条本圀寺を攻撃した(本圀寺の変)。しかし、信長は豪雪の中をわずか2日で援軍に駆けつけるという機動力を見せた。もっとも、細川藤賢や明智光秀らの奮戦により、三好・斎藤軍は信長の到着を待たず敗退していた。これを機に信長は義昭の為に二条に大規模な御所・二条御所を築いた。 同年2月、堺が信長の使者である佐久間信盛らの要求を受ける形で矢銭に支払いに応じると、信長は以前より堺を構成する堺北荘・堺南荘にあった幕府御料所の代官を務めてきた堺の商人・今井宗久の代官職を安堵して自らの傘下に取り込むことで堺の支配を開始、翌元亀元年(1570年)4月頃には松井友閑を堺政所として派遣し、松井友閑ー今井宗久(後に津田宗及・千利休が加わる)を軸として堺の直轄地化を進めた。また、(現存する文書では)同年1月以降に南近江に対して出される信長発給文書の書式が尾張・美濃と同一のものが採用され、同地域が織田領国に編入されたことが明確となった。 一方、1月14日、信長は足利義昭の将軍としての権力を制限するため、『殿中御掟』9ヶ条の掟書、のちには追加7ヶ条を発令し、これを義昭に認めさせた。だが、これによって義昭と信長の対立が決定的なものになったわけではなく、この時点ではまだ両者はお互いを利用し合う関係にあった。また、『殿中御掟』及び追加の条文は室町幕府の規範や先例に出典があり、「幕府再興」「天下静謐」を掲げる信長が幕府法や先例を吟味した上で制定したもので、これまでの室町将軍のあり方から外れるものではなかったとする研究もある。 同年3月、正親町天皇から「信長を副将軍に任命したい」という意向が伝えられたが、信長は何の返答もせず、事実上無視した。 永禄13年(元亀元年・1570年)1月23日、信長は義昭に対して更に5ヶ条の条書を発令して、これも義昭に認めさせた。この条書についてもかつては将軍権力を制約をより強化するものとするのが通説であったが、これと前後して信長の書札礼が関東管領(上杉謙信)と同じ様式に引き上げられていることから、義昭の上洛以来一貫して幕府における役職就任を拒んできた信長が管領に准じる身分(「准官領」)を得て正式に幕府高官の一員として義昭を補佐することに同意してそれに伴う信長側の要望を述べたものに過ぎない(元々、信長が幕府役職に就いてより積極的に「天下静謐」に参画するように求めたのは義昭の方である)と言う、通説とは全く異なる評価も出されている。 信長自身の当初の考えでは、幕府再興の実現後も幕府に対する軍事的な奉仕を続けるものの、京都の政務は幕府が行うべきで、自身は領国である美濃に留まって必要があれば京都にいる自己の奉行人を介して関与する方針を取ろうとしたと考えられている。山科言継が直接岐阜城を訪れて訴訟の裁許を求めた際には信長からは勅命以外の訴訟は美濃では扱わないことを言明しているが(『言継卿記』永禄12年11月12日条)、その後も同様の申入れが相次いで重ねて美濃では公事訴訟は受け付けず、陣中からの注進以外の話は聞かない旨を制札を立てたという(同元亀2年12月16日条)。 しかし、幕府による訴訟の遅延の問題(後述)や軍事的な強制力を持つ織田家の力を借りて訴訟を解決したいと言う考えも強かった。このため、信長が上京するたびに多くの訴訟が持ち込まれる事態となった。また、村井貞勝や明院良政を始めとする京都にいた信長の奉行人に同様の裁許を求める者もあった。 ところが、信長が政務の担い手として期待していた幕臣たちが公家領や寺社領の押領の当事者になることがあり、中には幕府自らが没収して幕臣に所領として与える場合もあった。加えて、室町幕府では足利義輝が永禄5年(1562年)に代々政所執事を務めてきた伊勢貞孝を討って側近の摂津晴門を後任として以降、将軍と側近による御前沙汰を強化して将軍の権限を強めていく幕政改革を行い、義昭もこの方針を継承していたが、結果的には政所の弱体化によって大量の事案に対応しきれなくなって訴訟の遅延を招くことになった。 そして、何よりも義昭自身が恣意的な裁許を行ったことによって問題を深刻化させる事態も発生していた。信長による『殿中御掟』の制定も幕府における訴訟の円滑化と義昭や側近による恣意的な裁許を止めて公正な訴訟が行われることで幕府の安定化を意図したものと考えられている。ただし、幕府再興のために将軍や幕臣の態度に対しても積極的に意見していく信長の姿勢は、義昭や側近の幕臣たちからは義輝時代の三好長慶の再来として警戒の対象になった可能性も指摘されている。 一方、稲葉山城攻略と同じ頃の永禄10年(1567年)、信長は北伊勢に攻め寄せ、滝川一益をその地に配した。さらに。その翌年の永禄11年のより本格的な侵攻により、北伊勢の神戸氏に三男の織田信孝を、長野氏に弟の織田信良(信包)を養子とさせ、北伊勢八郡の支配を固めた。 南伊勢五郡は国司である北畠氏が勢力を誇っていたが、永禄12年(1569年)8月に信長は岐阜を出陣して南伊勢に進攻し、北畠家の大河内城を大軍を率いて包囲した(大河内城の戦い)。信長は強硬策を用いて大河内城の攻撃を図るも失敗し、戦いは長期化した。攻城戦の末、10月に信長は北畠家方と和睦し、次男・織田信雄を養嗣子として送り込んだ。天正4年(1576年)になると、信長は北畠具教ら北畠家の一族を虐殺させている(三瀬の変)。 なお、近年の研究において、大河内城の戦いは信長側の包囲にもかかわらず北畠側の抵抗によって城を落としきれず、信長が足利義昭を動かして和平に持ち込んだものの、その和平の条件について信長と義昭の意見に齟齬がみられ、これが両者の対立の発端であったとする説も出されている。 元亀元年(1570年)4月、信長は自身に従わない朝倉義景を討伐するため、越前国へ進軍する。織田軍は朝倉氏の諸城を次々と攻略していくが、突如として浅井氏離反の報告を受ける。挟撃される危機に陥った織田軍はただちに撤退を開始し、殿を務めた明智光秀・木下秀吉らの働きもあり、京に逃れた(金ヶ崎の戦い)。 6月、信長は浅井氏を討つべく、近江国姉川河原で徳川軍とともに浅井・朝倉連合軍と対峙。並行して浅井方の横山城を陥落させつつ、織田・徳川連合軍は勝利した(姉川の戦い)。 8月、信長は摂津国で挙兵した三好三人衆を討つべく出陣するが、近隣での信長の軍事動員に脅威を感じた石山本願寺が信長に対して挙兵した(野田城・福島城の戦い)。さらに、浅井・朝倉連合軍3万が近江国坂本に侵攻する。 しかし、9月になると、信長は本隊を率いて摂津国から近江国へと帰還する。慌てた朝倉軍は比叡山に立て籠もって抵抗した。信長はこれを受け、近江宇佐山城において浅井・朝倉連合軍と対峙する(志賀の陣)。しかし、その間に伊勢国の門徒が一揆を起こし(長島一向一揆)、信長の実弟・織田信興を自害に追い込んだ。 11月21日、信長は六角義賢・義治父子と和睦し、ついで阿波から来た篠原長房と講和した。そして正親町天皇の勅命を仰ぎ、12月13日、浅井氏・朝倉氏との和睦に成功し、窮地を脱した。 元亀2年(1571年)2月、信長は浅井長政の配下の磯野員昌を味方に引き入れ、佐和山城を得た。 5月、5万の兵を率いた信長は伊勢長島に向け出陣するも、攻めあぐねて兵を退いた。しかし撤退中に一揆勢に襲撃され、柴田勝家が負傷し、氏家直元が討死した。同月、三好義継・松永久秀が大和や河内の支配を巡って筒井順慶や畠山昭高と対立し、足利義昭が筒井・畠山を支援したことから三好三人衆と結んで義昭から離反して、信長とも対立関係となる。 同年9月、敵対する比叡山延暦寺を焼き討ちにした(比叡山焼き討ち)。 一方、甲斐国の武田信玄は駿河国を併合すると、三河国の家康や相模国の後北条氏、越後国の上杉氏と敵対していたが、元亀2年(1571年)末に後北条氏との甲相同盟を回復させると徳川領への侵攻を開始する。この頃、信長は足利義昭の命で武田・上杉間の調停を行っており、信長と武田の関係は良好であったが、信長の同盟相手である徳川領への侵攻は事前通告なしで行われた。なお、近年では元亀2年の信玄による三河侵攻は根拠となる文書群の年代比定の誤りが指摘され、これは勝頼期の天正3年の出来事であった可能性も考えられている。 元亀3年(1572年)3月、三好義継・松永久秀らが共謀して信長に敵対した。同月、足利義昭が信長に京都における邸宅造営を勧め、義昭は徳大寺公維に替地を与える条件で上京武者小路の屋敷地を信長に譲って貰い、信長はその地に村井貞勝と嶋田秀満に屋敷の造営を命じる。これは単なる義昭の信長へのご機嫌取りではなく、三好・松永軍の北上を警戒して信長を京都に引き留めたいとする意図があったとも考えられる。 7月、信長は嫡男・奇妙丸(後の織田信忠)を初陣させた。この頃、織田軍は浅井・朝倉連合軍と小競り合いを繰り返していた。以後の戦況は織田軍有利に展開した。 10月3日、信玄は甲府を出陣、信長はそれを知らず5日付けで信玄に対して武田上杉間での和睦の仲介に骨を折ったとの書状を送った。 11月14日、織田方であった岩村城が開城し、武田方に占拠された(岩村城の戦い)。病死した岩村城主・遠山景任の後家・おつやの方(信長の叔母)は、秋山虎繁(信友)と婚姻し、武田方に転じた。また、徳川領においては徳川軍が一言坂の戦いで武田軍に敗退し、さらに遠江国の二俣城が開城・降伏により不利な戦況となる(二俣城の戦い)。これに対して信長は、家康に佐久間信盛・平手汎秀ら3,000人の援軍を送ったが、12月の三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍は武田軍に敗退し、汎秀は討死した。 信長は11月20日付けで上杉謙信に「信玄の所行、まことに前代未聞の無道といえり、侍の義理を知らず、ただ今は都鄙を顧みざるの私大、是非なき題目にて候」「永き儀絶(義絶)たるべき事もちろんに候」「未来永劫を経候といえども、再びあい通じまじく候」と書状を送っている。。 この恨みが忘れられなかったのか長篠後に藤孝に「信玄入道表裏を構え、旧恩を忘れ、恣の働き候いける」と申し送っている。 同年の12月から翌年正月のあいだのいずれかの時点で、信長は足利義昭に対して17条からなる異見書を送ったと考えられ、詰問文により信長と義昭の関係は悪化している。この異見書は、従来、『永禄以来年代記』の元亀三年九月条の記述から、元亀3年9月に発給されたものだと考えられてきた。しかし、柴裕之によれば、他の複数の史料の記載や前後の事情から、異見書が元亀3年9月に発給されたとは考え難い。柴は、同年12月の三方ヶ原の戦いの敗戦によって、義昭が従来の信長との協調路線に不安を覚えはじめたと述べる。そして、そのことに対する牽制として、この異見書が出されたものであるとする。 元亀4年(1573年)に入ると、武田軍は遠江国から三河国に侵攻し、2月には野田城を攻略する(野田城の戦い)。 こうした武田方の進軍を見て、足利義昭が同月に信長との決別を選び、信長と敵対した。 信長は岐阜から京都に向かって進軍し、上京を焼き討ちちしつつ、義昭との和睦を図った。義昭は初めこれを拒否していたが、正親町天皇からの勅命が出され、4月5日に義昭と信長はこれを受け入れて和睦した。なお、久野雅司は御供衆で武田信玄との外交を担当していた上野秀政を信玄の上洛や信長の排除を画策して義昭に挙兵を勧めた人物と推測し、信長の上洛も秀政とその同調者の処分を目的としていたが、義昭が和睦に応じて秀政も信長に謝罪をしたことで一応の目的を果たしたとしている。一方、武田軍は信玄の病状悪化により撤退を開始し、4月12日には信玄は病死する。 4月末に義昭と信長家臣との間で起請文が交わされた。義昭が宛てた家臣の内訳は佐久間信盛・滝川一益・塙直政で、信長側の発給者は林秀貞・佐久間信盛・柴田勝家・稲葉一鉄・安藤守就・氏家卜全・滝川一益である。 なお、元亀年間に行われた武田氏の遠江・三河への侵攻や信長との対立は「西上作戦」と通称され、信玄は上洛を目指していたとされてきたが、近年ではその実態や意図に疑問が呈されている。 しかし、その後も義昭は信長に対して抵抗し、元亀4年7月には再び挙兵して、槇島城に立て籠もったが、信長は義昭を破り追放した。 通説では、この時点をもって室町幕府が滅亡したとされる。このことにより、室町将軍は天皇王権を擁し京都を中心とする周辺領域を支配し地方の諸大名を従属下におき紛争などを調停する「天下」主催者たる地位を喪失するが、信長は「天下」主催者としての地位を継承し、以降は諸大名を従属・統制下におく立場であったことが指摘されている。一方、義昭はその後も将軍の地位に留まったまま、各地を経て、備後国鞆へ移り、毛利輝元の庇護を受ける。そして、信長打倒と京都復帰のため指令文書を各勢力に出しており、義昭が名実ともに将軍の地位を明け渡したのは信長没後のことでもある。 このことから、歴史学者の藤田達生は、依然として義昭の勢力は幕府としての実態を備えており(鞆幕府論)、義昭の「公儀」信長の「公儀」が並立する状態にあったと論じている。この「鞆幕府」という名称が適切かはともかく、藤田の議論の観点は妥当なものであると評価されている。この視点に立てば、これ以後の信長の戦争は、天下統一戦争というよりも、足利氏とそれを支持する他の戦国大名に対する戦いであると考えられる。 幕府の直臣は、奉行衆、奉公衆などの100名以上が義昭の鞆下向に同行している。その一方で、細川藤孝ら多くの幕臣が京都に残り信長側に転じた。これらの旧幕臣は、明智光秀の与力となり、室町幕府の組織を引き継ぐ形で京都支配に携わることとなった。 義昭の追放後、元号を元亀から天正へと改めることを朝廷に奏上し、7月28日にはこれを実現させた。 天正元年(1573年)8月8日、浅井家の武将・阿閉貞征が内応したので、急遽、信長は3万人の軍勢を率いて北近江へ出兵。山本山・月ガ瀬・焼尾の砦を降して、小谷城の包囲の環を縮めた。10日に越前から朝倉軍が救援に出陣してきたが、風雨で油断しているところを13日夜に信長自身が奇襲して撃破した。大将に先を越されたと焦った諸将は陳謝して敗走する朝倉軍を追撃し、敦賀を経由して越前国に侵攻した。諸城を捨てて一乗谷に逃げ込んだ朝倉軍は刀根坂の戦いでも敗れ、一乗谷城をも捨てて六坊に逃げたが、平泉寺の僧兵と一族の朝倉景鏡に裏切られ、朝倉義景は自刃した。景鏡は義景の首級を持って降参した。信長は丹羽長秀に命じて朝倉家の世子・愛王丸を探して殺害させ、義景の首は長谷川宗仁に命じて京で獄門(梟首)とされた。信長は26日に虎御前山に凱旋した。 翌8月27日に羽柴秀吉の攻撃によって小谷城の京極丸が陥落し、翌日に浅井久政が自刃した。28日から9月1日の間に本丸も陥落して、浅井長政も自害した。信長は久政・長政親子の首も京で獄門とし、長政の10歳の嫡男・万福丸を捜し出させ、関ヶ原で磔とした。なお、長政に嫁いでいた妹・お市とその子は藤掛永勝によって落城前に脱出しており、信長は妹の生還を喜んで、後に弟・織田信包に引き取らせた(当初は叔父の織田信次が預かったという)。 9月24日、信長は尾張・美濃・伊勢の軍勢を中心とした3万人の軍勢を率いて、伊勢長島に行軍した。織田軍は滝川一益らの活躍で半月ほどの間に長島周辺の敵城を次々と落としたが、長島攻略のため、大湊に桑名への出船を命じたが従わず、10月25日に矢田城に滝川一益を入れて撤退する。しかし2年前と同様に撤退途中に一揆軍による奇襲を受け、激しい白兵戦で殿隊の林通政の討死の犠牲を出して大垣城へ戻る。 11月に、足利義昭は、三好義継の居城・若江城を離れ、紀伊国へと退去した。同月、佐久間信盛ら信長方の軍勢が、三好義継への攻撃を開始した。義継の家老・若江三人衆らによる裏切りで義継は11月16日に自害する。12月26日、大和国の松永久秀も多聞山城を明け渡し、信長に降伏した。 天正2年(1574年)の正月、朝倉氏を攻略して織田領となっていた越前国で、地侍や本願寺門徒による反乱(越前一向一揆)が起こり、朝倉氏旧臣で信長によって守護代に任命されていた桂田長俊が一乗谷で殺された。 さらに、同月中には、甲斐国の武田勝頼が東美濃に侵攻してくる。信長はこれを迎撃しようと3万の兵で出陣したが、信長の援軍が到着する前に東美濃の明知城が落城し、信長は武田軍との衝突を避けて岐阜に撤退した。明知年譜によると、山縣昌景の別動隊6000人の追撃を受け、信長の周囲を固めた16騎のうち9騎が打ち取られ、7騎が逃げ出すなど、信長が瀬戸際まで追い詰められる場面もあったという。 また、信長は正親町天皇に対して「蘭奢待の切り取り」を奏請し、天皇はこれを勅命をもって了承した。 7月、信長・信忠は、織田信雄・滝川一益・九鬼嘉隆の伊勢・志摩水軍を含む大軍を率い、伊勢長島の一向一揆を水陸から完全に包囲した。抵抗は激しかったが、8月に兵糧不足に陥り、大鳥居城から逃げ出した一揆勢1,000人余が討ち取られるなど、一揆方は劣勢となる。 9月29日、長島城の門徒は降伏し、船で大坂方面に退去しようとしたが、信長は鉄砲の一斉射撃を浴びせ掛けた。これは、信長の「不意討ち」と表現される事があるが、これは一向宗側が先に騙し討ちを行った事への報復であるという説がある。一方、この時の一揆側の反撃で、信長の庶兄・織田信広ら織田方の有力武将が討ち取られた。 これを受けて信長は中江城、屋長島城に立て籠もった長島門徒2万人に対して、城の周囲から柵で包囲し、焼き討ちで全滅させた。この戦によって長島を占領した。 天正2年から天正3年にかけて、武田方は織田・徳川領への再侵攻を繰り返していた。天正3年(1575年)4月、勝頼は武田氏より離反し徳川氏の家臣となった奥平貞昌を討つため、貞昌の居城・長篠城に攻め寄せた。しかし奥平勢の善戦により武田軍は長篠城攻略に手間取る。 その間の5月12日に信長は岐阜から出陣し、途中で徳川軍と合流し、5月18日に三河国の設楽原に陣を布いた。一方、勝頼も寒狭川を渡り、織田徳川連合軍に備えて布陣した。織田徳川連合軍の兵力は3万人程度であり、対する武田方の兵力は1万5千人程度であったという。 そして5月21日、織田・徳川連合軍と武田軍の戦いが始まる(長篠の戦い)。信長は設楽原決戦においては佐々成政ら5人の武将に多くの火縄銃を用いた射撃を行わせた。この戦いで織田軍は武田軍に圧勝した。武田方は有力武将の多くを失う。信長は細川藤孝に宛てた書状のなかで、「天下安全」の実現のために倒すべき敵は、本願寺のみとなったと述べている。 6月27日、相国寺に上洛した信長は、常陸国の国人である江戸氏が、本来天台宗の僧侶にしか認められていない絹衣の着用を自己が信奉する真言宗の僧侶にも認めたことで天台宗と真言宗の僧侶の間で相論が続いていることを知り、公家の中から三条西実枝・勧修寺晴右・甘露寺経元・庭田重保・中山孝親の5人を奉行に任命して問題の解決に当たらせた(絹衣相論を参照)。なお、老齢である三条西は11月ごろに奉行を辞退し、残りの4名は「四人衆」と呼ばれて本件を含めた朝廷内の訴訟に関する合議を行うようになった。 7月3日、正親町天皇は信長に官位を与えようとしたが、信長はこれを受けず、家臣たちに官位や姓を与えてくれるよう申し出た。天皇はこれを認め、信長の申し出通りに、松井友閑に宮内卿法印、武井夕庵に二位法印、明智光秀に惟任日向守、簗田広正に別喜右近、丹羽長秀に惟住といったように彼らに官位や姓を与えた。 一方、前の年に一向一揆支配下となった越前国に対し、8月に信長は行軍して平定し、一揆勢を多数殺害したことを書状に記している。信長は、越前八郡を柴田勝家に任せるとともに、府中三人衆(前田利家・佐々成政・不破光治)ら複数の家臣を越前国に配し、分割統治を行わせた。また、信長は越前国掟九ヵ条を出して、越前の諸将にその遵守を求めた。 この越前一向一揆の殲滅と、これに先立つ長島一向一揆の殲滅は大坂本願寺に対する圧力となり、信長が本願寺を赦免する方針をとったため、10月には信長と本願寺との和議が成立した。これにより、信長は一時的に天下静謐を達成することとなった。 天正3年(1575年)11月4日、信長は権大納言に任じられる。さらに11月7日には右近衛大将を兼任する。この権大納言・右大将就任は、源頼朝が同じ役職に任じられた先例にならったものであるとも考えられるという。官位就任とともに、信長は公家や寺社に対する知行地の宛行を行い、天皇や朝廷の権威を利用しつつ、その存立基盤を維持することに努めた。以後、信長はしばしば「上様」と称されるようになる。 これで朝廷より「天下人」であることを、事実上公認されたものとされる。また、この任官によって、信長は足利義昭の追放後もその子・義尋を擁する形で室町幕府体制(=公武統一政権)を維持しようとした政治路線を放棄して、この体制を否定する方向(=「倒幕」)へと転換したとする見方もある。また、義昭の実父である足利義晴が息子の義輝に将軍職を譲った際に権大納言と右近衛大将を兼ねて「大御所」として後見した(現任の将軍であった義輝には実権はなかった)先例があり、信長が「大御所」義晴の先例に倣おうとしたとする解釈もある。ただし、伝統的な室町将軍の呼称であった「室町殿」「公方様」「御所様」「武家」を信長に対して用いた例は無く、朝廷では信長を従来の足利将軍とは別個の権力とみなしていた。 同日、嫡子の信忠が秋田城介に任官している。 そして、11月28日、信長は嫡男・信忠に、一大名家としての織田家の家督ならびに岐阜城を中心とした美濃・尾張などの織田家の領国を譲り、斎藤利治・河尻秀隆・林秀貞等を信忠付きの譜代家臣団とした。 天正4年(1576年)1月、交通の要地である近江国安土に安土城を築城することについて、丹羽長秀に奉行を担当させ、同年4月から実際に築城を開始した。安土城が出来るまでは、譜代家老の佐久間信盛の城(屋敷)を在所とした。 天正4年(1576年)1月、信長に誼を通じていた丹波国の波多野秀治が叛旗を翻した。さらに石山本願寺も再挙兵するなど、再び反信長の動きが強まり始める。 4月、信長は塙直政・荒木村重・明智光秀・細川藤孝を指揮官とする軍勢を大坂に派遣し、本願寺を攻撃させた。しかし、紀州雑賀衆が本願寺勢方に味方しており、5月3日に塙が本願寺勢の反撃に遭って、塙を含む多数の兵が戦死した。織田軍は窮して天王寺砦に立て籠もるが、勢いに乗る本願寺勢は織田軍を包囲した。5月5日、救援要請を受けた信長は動員令を出し、若江城に入ったが、急な事であったため集まったのは3,000人ほどであった。やむなく5月7日早朝には、その軍勢を率いて信長自ら先頭に立ち、天王寺砦を包囲する本願寺勢に攻め入り、信長自身も銃撃され負傷する激戦となった。織田軍は、光秀率いる天王寺砦の軍勢との連携・合流に成功し、本願寺勢を撃破し、これを追撃。2,700人余りを討ち取った(天王寺砦の戦い)。 信長は6月6日に一旦京都に戻るが、折しも興福寺において次の別当を巡って尋円と兼深の間で相論が発生して、双方とも朝廷に訴え出ていた。信長の元にも双方から訴えがあったため、信長は前述の四人衆と相談の上で個人名を上げるのを避けたものの藤氏長者である二条晴良が興福寺の伝統に基づいて任命にすべきと晴良に伝え、これを尋円の任命と受け取った晴良はその手続を取った。しかし、兼深は信長の意見は自分を任じる意向なのに晴良がそれを曲げていると主張し、信長の意見が抽象的でその意味を解しかねていた正親町天皇や四人衆はそれを受け入れてしまった。しかし、安土城に帰ってから報告に訪れた四人衆からそれを聞いた信長は自分の意見が否定されたと激怒して、堀秀政らを興福寺に派遣して事実関係を再確認した上で、滝川一益と丹羽長秀を上洛させて改めて朝廷に尋円の任命を奏上して、四人衆をしばらくの間逼塞処分とした(天正4年興福寺別当相論)。 この頃、従来は信長と協力関係にあった関東管領の上杉謙信との関係が悪化する。謙信は天正4年4月から石山本願寺との和睦交渉を開始し、5月に講和を成立させ、信長との対立を明らかにした。謙信や石山本願寺のみならず、毛利輝元・波多野秀治・雑賀衆などが反信長に同調し、結託した。 天王寺砦の戦いののち、佐久間信盛ら織田軍は石山本願寺を水陸から包囲し、物資を入れぬよう経済的に封鎖した。ところが、7月13日、毛利輝元が石山本願寺の要請を受けて派遣した毛利水軍など700 - 800隻程度が、本願寺の援軍として大阪湾木津川河口に現れた。この戦いで織田水軍は敗れ、毛利軍により石山本願寺に兵糧・弾薬が運び込まれた(第一次木津川口の戦い)。 このような事情の中、11月21日に信長は正三位・内大臣に昇進している。この年の冬には、天皇の安土行幸が計画されており、それはその翌年の天正5年に実行されるはずだった。これに先立って、正親町天皇が誠仁親王に譲位し、親王が新たな天皇として行幸する予定だったという。しかし、このときは譲位も安土行幸も実現しなかった。 天正5年(1577年)2月、信長は、雑賀衆を討伐するために大軍を率いて出陣(紀州攻め)し、3月に入ると雑賀衆の頭領・鈴木孫一らを降伏させ、紀伊国から撤兵した。 天正5年(1577年)8月、松永久秀が信長に謀反を起こし、その本拠地の信貴山城に籠城した。天正五年十月十一日付の下間頼廉の書状の内容から、この久秀の造反は、足利義昭・本願寺といった反信長勢力の動きに呼応したものだと考えられるという。しかし、織田信忠率いる織田軍に攻撃され、10月に信貴山城は陥落し、久秀は自害に追い込まれた。 11月20日、正親町天皇は信長を従二位・右大臣に昇進させた。天正6年(1578年)1月にはさらに正二位に昇叙されている。 尾張の兵を弓衆・鉄砲衆・馬廻衆・小姓衆・小身衆など機動性を持った直属の軍団に編成し、天正4年(1576年)にはこれらを安土に結集させた。 天正6年(1578年)3月、播磨国の別所長治の謀反(三木合戦)が起こる。 4月、突如として信長は右大臣・右近衛大将を辞した。このとき、信長は信忠に官職を譲ることを希望したものの、これは実現しなかった。 7月、毛利軍が上月城を攻略し、信長の命により見捨てられた山中幸盛ら尼子氏再興軍は処刑された(上月城の戦い)。10月には突如として摂津国の荒木村重が信長から離反し、足利義昭・毛利氏・本願寺と手を結んで信長に抵抗する一方、同じく東摂津に所領を持つ中川清秀・高山右近は村重に一時的に同調したものの、まもなく信長に帰順した。 11月6日、九鬼嘉隆率いる織田水軍が、毛利水軍に勝利し、本願寺への兵糧補給の阻止に成功した(第二次木津川口の戦い)。12月には、織田軍が、荒木村重の籠もる有岡城を包囲し、兵糧攻めを開始した(有岡城の戦い)。 天正7年(1579年)5月には、安土城の天守が地上六階・地下一階の建物として完成を見て、信長はここに移り住んだ。これは、坂本城などの先行する天守よりも豪華かつ大規模なものだった。信長は、天守に狩野永徳の手による仏教・儒教・道教の絵画を設け、天守のそばに清涼殿に類似する建物をも造っている。これは天皇権威の克服や東アジア諸国への進出を意図したものだとも評価されるが、柴裕之は、伝統的な社会権威を尊重する信長の姿勢を示したものだとする。 同年6月、明智光秀による八上城包囲の結果、ついに波多野秀治が捕らえられ、処刑される。光秀は同年中に丹波・丹後の平定を達成した。 一方、援軍が得られる見込みが薄くなり、追い詰められた荒木村重は、同年9月、有岡城を出て包囲網を突破し、戦略上の要地である尼崎城に入った。しかし、宇喜多直家の織田方への帰参により毛利氏からの援軍は得られなくなり、有岡城の一部城兵も離反し、有岡城はついに落城した。そして、信長は、荒木氏の妻子や家臣数百人を虐殺した。 翌年の天正8年(1580年)1月、別所長治が切腹し、三木城が開城。数カ月後には、播磨国一円を信長方は攻略した。 11月、信長は織田家の京屋敷を二条新御所として、皇太子である誠仁親王に進上した。 この年、信長は徳川家康の嫡男・松平信康に対し切腹を命じたとされる。これは信康の乱行、信康生母・築山殿の武田氏への内通などを理由としたものであったといわれ、家康は信長の意向に従い、築山殿を殺害し、信康を切腹させたという。しかし、この通説には疑問点も多く、近年では家康・信康父子の対立が原因で、信長は娘婿信康の処断について家康から了承を求められただけだとも考えられている(松平信康#信康自刃事件についての項を参照)。 九州の大友義統の昇進を朝廷に推挙し従五位下左兵衛督に就任させた。また、大友氏と盟約を結び毛利領となっていた周防・長門への侵攻および領有を認めた。 天正8年(1580年)3月10日、関東の北条氏政から従属の申し入れがあり、北条氏を織田政権の支配下に置いた。これにより信長の版図は東国にまで拡大した。 閏3月7日、正親町天皇の勅命のもと、本願寺もついに抵抗を断念し、織田家と和睦した(いわゆる勅命講和)。ただし、本願寺側では教如が大坂に踏みとどまり戦闘を継続しようとしている。門徒間での和睦への抵抗感が大きかったためだが、やがて教如も籠城継続を諦めざるを得なくなり、8月に大坂を退去している。「天下のため」を標榜して信長が遂行した大坂本願寺戦争は、10年の歳月をかけてようやく決着がついた。 この本願寺打倒の成功は、織田政権の一つの画期とされる。なおも各地の一向一揆の抗戦は続くとは言え、大坂本願寺の敗退により、組織的抵抗は下火となっていく。この頃から、「天下」の意味が単なる畿内を超えて日本全土を指すようになり、信長が「天下一統」を目指すようになったという説もある。 その一方で、同年8月、大坂本願寺戦争の司令官だった老臣の佐久間信盛とその嫡男・佐久間信栄に対して、信長は折檻状を送り付けた。そして、本願寺との戦に係る不手際などを理由に、高野山への追放を命じている。さらに、重臣の林秀貞をはじめ、安藤守就とその子・定治、丹羽氏勝らも追放の憂き目にあった。 天正9年(1581年)1月23日、信長は明智光秀に京都で馬揃えを行なうための準備の命令を出した。この馬揃えは近衛前久ら公家衆、畿内をはじめとする織田分国の諸大名、国人を総動員して織田軍の実力を正親町天皇以下の朝廷から洛中洛外の民衆、さらには他国の武将にも誇示する一大軍事パレードであった。ただ、馬揃えの開催を求めたのは信長ではなく朝廷であったとされる。信長は天正9年の初めに安土で爆竹の祭りである左義長を挙行しており、それを見た朝廷側が京都御所の近くで再現してほしいと求めた事による。ただ、左義長を馬揃えに変えたのは信長自身であった。 2月28日、京都の内裏東の馬場にて大々的な馬揃えを行った(京都御馬揃え)。これには信長はじめ織田一門のほか、丹羽長秀ら織田軍団の武威を示すものであった。『信長公記』では「貴賎群衆の輩 かかるめでたき御代に生まれ合わせ...(中略)...あり難き次第にて上古末代の見物なり」とある。 3月5日には再度、名馬500余騎をもって信長は馬揃えを挙行した。このため、この京都御馬揃えは信長が正親町天皇に皇太子・誠仁親王への譲位を迫る軍事圧力だったとする見解もあり、洛中洛外を問わず、近隣からその評判を聞いた人々で京都は大混乱になったという。 3月7日、天皇は信長を左大臣に推任。3月9日にこの意向が信長に伝えられ、信長は「正親町天皇が譲位し、誠仁親王が即位した際にお受けしたい」と返答した。朝廷はこの件について話し合い、信長に朝廷の何らかの意向が伝えられた。3月24日、信長からの返事が届き、朝廷はこれに満足している。だが4月1日、信長は突然「今年は金神の年なので譲位には不都合」と言い出した。譲位と信長の左大臣就任は延期されることになった。ただし、この時に出された陰陽寮(土御門久脩・賀茂在昌)の3月21日付の勘文を正親町天皇が書写したものが東山御文庫に現存しており、その写しには金神のことが記されているため、少なくても21日の段階で朝廷側は金神の年の問題を知っており、譲位と左大臣就任の延期も朝廷側の申入で3月24日の信長の返事は延期の了承であるとする見解もある。 8月1日の八朔の祭りの際、信長は安土城下で馬揃えを挙行するが、これには近衛前久ら公家衆も参加する行列であり、安土が武家政権の中心である事を天下に公言するイベントとなった。 天正9年(1581年)、高野山が荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど信長と敵対する動きを見せる。『信長公記』によれば、信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害した(高野山側は、足軽達は捜索ではなく乱暴狼藉を働いたため討った、としている)。一方、『高野春秋』では前年8月に高野山宗徒と荒木村重の残党との関係の有無を問いかける書状を松井友閑を通じて送り付け、続いて9月21日に一揆に加わった高野聖らを捕縛し入牢あるいは殺害した。このため天正9年(1581年)1月、根来寺と協力して高野聖が高野大衆一揆を結成し、信長に反抗した。 信長は一族の和泉岸和田城主・織田信張を総大将に任命して高野山攻めを発令。1月30日には高野聖1,383名を逮捕し、伊勢や京都七条河原で処刑した。10月2日、信長は堀秀政の軍勢を援軍として派遣した上で根来寺を攻めさせ、350名を捕虜とした。10月5日には高野山七口から筒井順慶の軍も加勢として派遣し総攻撃を加えたが、高野山側も果敢に応戦して戦闘は長期化し、討死も多数に上った。 天正10年(1582年)に入ると信長は甲州征伐に主力を向ける事になったため、高野山の戦闘はひとまず回避される。武田家滅亡後の4月、信長は信張に変えて信孝を総大将として任命した。信孝は高野山に攻撃を加えて131名の高僧と多数の宗徒を殺害した。しかし決着はつかないまま本能寺の変が起こり、織田軍の高野山包囲は終了し、比叡山延暦寺と同様の焼き討ちにあう危機を免れた。 天正9年(1581年)5月に越中国を守っていた上杉氏の武将・河田長親が急死した隙を突いて織田軍は越中に侵攻し、同国の過半を支配下に置いた。7月には越中木舟城主の石黒成綱を丹羽長秀に命じて近江で誅殺し、越中願海寺城主・寺崎盛永へも切腹を命じた。3月23日には高天神城を奪回し、武田勝頼を追い詰めた。紀州では雑賀党が内部分裂し、信長支持派の鈴木孫一が反信長派の土橋平次らと争うなどして勢力を減退させた。 武田勝頼は長篠合戦の敗退後、越後上杉家との甲越同盟の締結や新府城築城などで領国再建を図る一方、人質であった織田信房(勝長)を返還することで、佐竹義重を通じて信長との和睦(甲江和与)を模索したが進まずにいた。 天正10年(1582年)2月1日、武田信玄の娘婿であった木曾義昌が信長に寝返る。2月3日に信長は武田領国への本格的侵攻を行うための大動員令を信忠に発令。駿河国から徳川家康、相模国から北条氏直、飛騨国から金森長近、木曽から織田信忠が、それぞれ武田領攻略を開始した。信忠軍は軍監・滝川一益と信忠の譜代衆となる河尻秀隆・森長可・毛利長秀等で構成され、この連合軍の兵数は10万人余に上った。木曽軍の先導で織田軍は2月2日に1万5,000人が諏訪上の原に進出する。 武田軍では、伊那城の城兵が城将・下条信氏を追い出して織田軍に降伏。さらに南信濃の松尾城主・小笠原信嶺が2月14日に織田軍に投降する。さらに織田長益、織田信次、稲葉貞通ら織田軍が深志城の馬場昌房軍と戦い、これを開城させる。駿河江尻城主・穴山信君も徳川家康に投降して徳川軍を先導しながら駿河国から富士川を遡って甲斐国に入国する。このように武田軍は先を争うように連合軍に降伏し、組織的な抵抗が出来ず済し崩し的に敗北する。唯一、武田軍が果敢に抵抗したのは仁科盛信が籠もった信濃高遠城だけであるが、3月2日に信忠率いる織田軍の攻撃を受けて落城し、400余の首級が信長の許に送られた。 この間、勝頼は諏訪に在陣していたが、連合軍の勢いの前に諏訪を引き払って甲斐国新府に戻る。しかし穴山らの裏切り、信濃諸城の落城という形勢を受けて新府城を放棄し、城に火を放って勝沼城に入った。織田信忠軍は猛烈な勢いで武田領に侵攻し武田側の城を次々に占領していき、信長が甲州征伐に出陣した3月8日に信忠は武田領国の本拠である甲府を占領し、3月11日には甲斐国都留郡の田野において滝川一益が武田勝頼・信勝父子を自刃させ、ここに武田氏は滅亡した。勝頼・信勝父子の首級は信忠を通じて信長の許に送られた。 信長は3月13日、岩村城から弥羽根に進み、3月14日に勝頼らの首級を実検する。3月19日、高遠から諏訪の法華寺に入り、3月20日に木曽義昌と会見して信濃2郡を、穴山信君にも会見して甲斐国と駿河国の旧領を安堵した。3月23日、滝川一益に今回の戦功として旧武田領の上野国と信濃2郡を与え、関東管領に任命して厩橋城に駐留させた。3月29日、穴山領を除く甲斐国を河尻秀隆に与え、駿河国は徳川家康に、北信濃4郡は森長可に与えた。南信濃は毛利秀頼に与えられた。この時、信長は旧武田領に国掟を発し、関所の撤廃や奉公、所領の境目に関する事を定めている。 4月10日、信長は富士山見物に出かけ、家康の手厚い接待を受けた。4月12日、駿河興国寺城に入城し、北条氏政による接待を受ける。さらに江尻城、4月14日に田中城に入城し、4月16日に浜松城に入城した。浜松からは船で吉田城に至り、4月19日に清洲城に入城。4月21日に安土城へ帰城した。 信長による武田氏討伐は、奥羽の大名たちに大きな影響を与えた。蘆名氏は5月に信長の許へ使者を派遣し「無二の忠誠」を誓った。また、伊達輝宗の側近・遠藤基信が6月1日付けで佐竹義重に書状を遣わし、信長の「天下一統」のために奔走することを呼びかけるなど、信長への恭順の姿勢を明らかにしている。 天正10年(1582年)1月6日、信長は出仕してきた者たちに安土城の「御幸の間」を見せたという記載が『信長公記』にはある。そして、正月7日、勧修寺晴豊は、行幸のための鞍が完成したのでそれを正親町天皇に見せている(『晴豊公記』)。このため、天正10年かそれ以降に、正親町天皇が安土に行幸する「安土行幸」が予定されていたと考えられる。 4月、信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が、村井貞勝と武家伝奏・勧修寺晴豊とのあいだで話し合われた(三職推任問題)。このことは、晴豊が『天正十年夏記』に記載しているが、その中の「御すいにん候て然るべく候よし申され候」の文意が明確ではない。そうした事情から、この推任が朝廷側の提案によるものなのか、あるいは村井貞勝の申し入れによるものなのか、研究者のあいだで解釈に争いがある。いずれにせよ、5月になると朝廷は、信長の居城・安土城に推任のための勅使を差し向けた。信長は正親町天皇と誠仁親王に対して返答したが、返答の内容は不明である。 堀新は、勅使に同行した勧修寺晴豊の日記『天正十年夏記』(晴豊記の断簡)で信長の官職のことを触れていないこと、信長上京の時に朝廷に徐目をめぐる動きがないことをもって就任を断ったのであると断定している。 こうしたなか、信長は四国の長宗我部元親攻略を決定し、三男の信孝、重臣の丹羽長秀・蜂屋頼隆・津田信澄の軍団を派遣する準備を進めた。この際、信孝は名目上、阿波に勢力を有する三好康長の養子となる予定だったという。 そして、長宗我部元親討伐後に讃岐国を信孝に、阿波国を三好康長に与えることを計画していた。また、伊予国・土佐国に関しては、信長が淡路に赴いた際、その仕置を決める予定であった。そして、その四国侵攻開始は、6月2日に信孝が淡路に渡海する形で予定されていた。 しかし、従来、長宗我部元親との取次役は明智光秀が担当してきたため、この四国政策の変更は光秀の立場を危うくするものであった。 5月15日、徳川家康が駿河国加増の礼のため、安土城を訪れた。そこで、信長は明智光秀に接待役を命じる。光秀は15日から17日にわたって、家康を手厚くもてなした(安土饗応)。信長の光秀に対する信頼は深かった。一方で、この接待の際、事実かどうか定かではないものの、『フロイス日本史』は、信長が光秀に不満を持ち、彼を足蹴にしたと伝えている。 5月17日、家康接待が続く中、信長は備中高松城の包囲(備中高松城の戦い)を行っている羽柴秀吉の使者より、毛利輝元が自ら出陣し、吉川元春や小早川隆景など毛利氏の軍勢が接近してきたことが報告され、それに対する援軍の依頼を受けた。報告を受け、信長は自ら出陣して、輝元ら毛利氏を討ち、九州までも平定するという意向を秀吉に伝えた。 信長は自身の出陣に先んじて、光秀を家康の接待役から解き、秀吉への援軍に向かうよう命じた。また、信長は光秀のみならず、細川忠興や池田恒興、高山右近、中川清秀らも中国地方に派遣することにした。 従来、信長は中国地方に直接遠征すると考えられてきたが、実際は淡路に渡海して四国を平定したのち、秀吉や光秀らと合流して中国攻めに参加しようと計画していたとされる。他方、信長は四国攻めを担当する信孝の閲兵をするために淡路に渡海し、6月4日に渡海したのちは、早くとも5日以降には中国地方に向かう計画であったとする見方もある。いずれにせよ、信長は四国を平定し、毛利輝元を滅ぼせば、大友義鎮といった九州の諸大名も服属すると考えており、この西国出陣が信長の全国統一に向けた最後の出陣となる可能性があった。 5月29日、信長は西国への出陣のため、安土城留守衆を定めて、小姓衆20、30人のみを率いて安土城から上洛し、本能寺に逗留した。嫡子の信忠も信長の出馬を聞き、堺から上洛した。 6月1日、信長は本能寺において、太政大臣・近衛前久、前関白・九条兼孝、関白左大臣・一条内基、右大臣・二条昭実、内大臣・近衛信基、勅使の甘露寺経元、勧修寺晴豊ら公家衆の訪問を受けた。信長は上機嫌で公家衆を歓待し、甲州攻めが思いのほかうまく進んだことを語り、6月4日に自身が西国に出陣することを公表した。他方、信長は前久に糾明を命じていた暦の問題を蒸し返したが、公家衆は応じなかった。 公家衆が退出したのち、側近衆だけが残り、信長は信忠と久しぶりに親しく雑談した。これが信長父子にとって最後の会話となった。 やがて、夜になって散会し、信長は眠りについた。ところが、秀吉への援軍を命じていたはずの光秀が京都に突如進軍し、6月2日未明に本能寺を襲撃した(本能寺の変)。その際、光秀が進軍にあたっては標的が信長であることを伏せていたことが、『本城惣右衛門覚書』からわかる。 わずかな手勢しか率いていなかった信長であったが、初めは自ら弓や槍を手に奮闘した。しかし、圧倒的多数の明智軍には敵わず、信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で自害して果てた。享年49。 信長の嫡男・信忠は本能寺への襲撃を知ると、宿泊していた妙覚寺から信長のもとに駆け付けようとしたが、途中の路地で出会った村井貞勝らに止められ、 二条御新造に移った。だが、信長を自害させた明智軍がここにも押し寄せ、信忠は抗戦するも衆寡敵せず、信長の後を追う形で自害した。 戦いが終わると、光秀は信長の遺体を探したが、その遺体は発見されなかった。これは焼死体が多すぎて、どれが信長の遺体か把握できなかったためと考えられる。 6月13日、秀吉は信長の三男・信孝を総大将として光秀に挑み、山崎の戦いで明智軍に勝利した。光秀は敗走中に命を落とした。本能寺の変から4か月後、10月15日に秀吉の手により、大徳寺において信長の葬儀が盛大に行われた。 歴史学者の池上裕子は、同時代人による信長についての「もっとも的確でまとまった人物評」は、宣教師ルイス・フロイスのものであると述べている。信長について「きわめて稀に見る優秀な人物であり、非凡の著名なカピタン(司令官)として、大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない 」とも述べたフロイスによれば、信長は次のような人物であった。 フロイスの描くこのような「絶対君主」的な信長像は、信長の実際の言動と矛盾しない適切な描写であると池上裕子は言う。他方、歴史学者の神田千里によれば、こうした信長の人物像は日本の史料で確認できない部分も多く、以下で述べるとおり、このフロイスによる信長の評価を鵜呑みにすることは問題も多いとしている。 池上裕子によれば、信長は自身に敵対する者を数多く殺害し、必要以上の残虐行為を行った。そうすることで信長は「鬱憤を散じ」たのだと、自ら書状に記している。そうした事例の一つが、長島一向一揆殲滅における男女2万人の焼殺であり、信長はこの行為によって気を晴らしたのである。また、岩村城への対応などに見られるように、信長は、しばしば降伏を条件として敵方の城内の者の助命を約束しているものの、降伏後にはその約束を反故にして虐殺を実行している。 もっとも、敵対勢力に対する虐殺行為は、当時の戦国大名の間で広く行われていたもので、信長だけが行ったわけではない。また、信長の一向一揆殲滅については、江戸時代初期の島原の乱における大虐殺との類似性が指摘されている。横田冬彦によれば、このような殺戮行為は近世成立期固有の事象であって、信長の残虐性という「専制者の個性」によって生じたと考えるのは妥当ではない。 信長の残虐性を示す逸話としてしばしば触れられるのが、天正2年(1574年)正月の酒宴である。『信長公記』によれば浅井久政・長政父子と朝倉義景の3人の首を薄濃()にしたものを「他国衆退出の已後、御馬廻ばかり」の酒宴の肴として披露した。信長は非常に上機嫌であったという(『信長公記』巻七)。桑田忠親はこれを「信長がいかに冷酷残忍な人物であったかがわかる」と評している。この桑田の見解に対して、宮本義己は敵将への敬意の念があったことを表したもので、改年にあたり今生と後生を合わせた清めの場で三将の菩提を弔い新たな出発を期したものであり、桑田説は首化粧の風習の見落としによる偏った評価と分析している。 『信長公記』に記されているように、少年時代の信長は奇行で知られ、「大うつけ」と呼ばれた。異様な見た目の服装で街を歩き、栗や柿、瓜を食べながら歩いたという。さらに父の葬儀の際には、位牌に向かって抹香を投げるという暴挙に出ている。このような奇行はしばしば信長の天才性の象徴とされてきた。 しかし、神田千里は、成人した信長については、このような奇行を行う人物ではなかったと述べる。足利義昭に対する十七か条の異見書や佐久間信盛に対する折檻状などに見られるように、信長自身の残した文書からは、信長が世間の評判を非常に重視していたことがうかがえる。そして、信長はその時代の常識に則った行動を取り、人々からの支持を得ようと努めていたという。 明智光秀や細川藤孝のようなごく一部の例外を除けば、信長は尾張出身の譜代ばかりを重要な地位に登用した。 これら譜代の人々で信長を裏切った者はいない一方で、松永久秀・荒木村重・明智光秀といった「外様」に当たる人々はやがて信長に反逆している。池上裕子は、久秀や光秀らの造反の要因の一つとして、信長の譜代重用に対する反発を挙げている。 また、松永久秀、別所長治、荒木村重らの反乱は、信長の苛烈ともされる性格に起因しているという説もある。己を恃むところが多く、実に気まぐれであり性格は猜疑心が強く執念深く、それが多くの謀反につながったと指摘する研究者もいる。前述のフロイスの人物評に見られるように、家臣たちは信長への絶対服従を求められ、異議を唱えることも許されなかったともされる。 他方で、こうした見方には異論も存在する。神田千里によれば、信長は家臣の意見をある程度までは重んじ、また家臣の取扱いにも慎重だった。前者について神田はいくつかの例を挙げているが、例えば、中国攻略における羽柴秀吉の独断での決定を信長は追認しているし、また、佐久間信盛の異議に従って武将の三ヶ頼連を赦免している。従来は家臣に絶対服従を求めたものだと理解されていた「越前国掟」という文書も、信長の意見が間違っていれば、憚ることなく指摘すべきだという文言がある。そして、家臣の意が妥当なものなら、信長はそれを採用することを約束している。当時の戦国大名は家臣たちの合議を重んじていたが、信長も例外ではなく、家中の合議を必要なものだと考えていたという。 信長の家臣との関係については、しばしば譜代の重臣の佐久間信盛が追放されたことが注目される。この追放は、一般的には、信長は能力の足りない家臣を容赦なく追い出した事件だと評価されている。例えば、池上裕子は「譜代・重臣であっても(中略)切り捨てる非情さ」の現れだと表現している。しかし、神田によれば、追放前に信盛には名誉回復の機会が与えられていることや、信盛が高野山で平穏に余生を送ったと考えられることなどからすると、信長の対応は冷酷とまでは言えないという。そして、信長が家臣の扱いに気を配ったことは、信長が信盛追放の理由の一つとして信盛家中に対する過大な負担を挙げていることからも裏付けられるという。 元々重臣を軽んじてはいなかったが、重臣を各地の前線や領国に配置したこともあり、安土城を築城してからは年始挨拶に集合する正月儀礼を2回しか行わなかった。さらに、重臣との合議機関もなかったため、信長の近侍衆を通じて以外では、意思疎通がしにくかった。また家臣が裏切るという恐れを考えず、起請文を取り交わさず、妻子を人質に取ることもしていなかったため、家臣団への安定策は不十分だった。これが重臣の裏切りや政権破綻の原因になったと指摘されている。 前述した『フロイス日本史』の記述(→#人物評)から、信長は無神論者であり、神仏を否定していたと一般には考えられている。しかし、実際には、寺社にたびたび戦勝祈願を行っていたことが多数の一次史料から分かり、このフロイスの記述は信憑性が乏しいことが指摘されている。 熱田神宮のいわゆる「信長塀」は、信長が桶狭間の戦いの戦勝の礼として奉納したという伝承がある。この熱田神宮や、津島神社、織田剣神社といった織田氏と縁の深い神社に対しては、信長は熱心に支援を行っている。 また、信長は、「南無妙法蓮華経」と書かれた軍旗を用い、京都では法華宗寺院を宿所に選ぶ(本能寺も法華宗の寺院である)など、一定の範囲で法華宗も信仰していた形跡がうかがえるという。 更に信長は、家臣であった平手政秀の死を嘆き、菩提を弔うために政秀寺を建立している。 このように、信長はごく普通に神仏に対して信仰心を持っていたものの、迷信による弊害を嫌った。このことを示すのが、無辺という旅僧にまつわる天正8年の出来事である(『信長公記』巻十三)。無辺は石馬寺の栄螺坊の宿坊に住み着き、不思議な力を持つと人々の間で評判となった。信長は無辺を引見し、出身地などをいくつか質問するが、無辺はわざと不思議な答えをした。信長が「どこの生まれでもない者ということは妖怪かもしれぬ。火であぶってみよう、火を用意せよ」と脅すと、無辺はやむを得ず今度は事実を正直に答えた。無辺は不思議な霊験も示すことはできなかったので、信長は無辺の髪の毛をまばらにそぎ落とし、裸にして縄で縛って町中に放り出し追放した。さらに、無辺が迷信を利用して女性に淫らな行いをしていたことが判明したため、信長は無辺を処刑させたという。 前述のフロイスの人物評でも言及されているように、信長は武芸の鍛錬に熱心であった。若き日の信長は、馬術の訓練を欠かさず、冬以外の季節は水泳に励んでいたという。さらに、平田三位などの専門家を師として、兵法や弓術、砲術といった事柄を修めた。 信長の趣味として、後述する茶の湯、相撲とともに鷹狩が知られる。『信長公記』首巻にはすでに鷹狩の記述がみられ、青年期からの趣味であったことがわかる。 天下の政治を任されるようになってからも三河や、摂津での陣中、京都の東山などで鷹狩を行った。天正7年(1579年)の2 - 3月には太田牛一が『信長公記』に「毎日のように」と記すほど頻繁に行い、翌天正8年(1580年)の春にもやはり「毎日」鷹狩りを行った。 前述したとおり、信長は馬術の鍛錬にも励んでいたようで、天正9年(1581年)には安土、岐阜の各城下に馬場を設けている。 足利義昭を京都から追放し、自ら天下の政治を取り仕切るようになった天正年間になると、全国の大名・領主から信長のもとに馬や鷹が献上されるようになった。 このように天正年間には、多くの大名、領主から信長の許へ鷹や馬が献上された。信長はこれらの献上の対価として分国を安堵した。またこうした献上行為は信長の政策が全国の大名・領主に受け入れられた結果でもあった。 信長は茶の湯に大きな関心を示した。信長がいつ茶の湯を嗜むようになったかは定かではないものの、上洛後の永禄12年(1569年)以降、名物茶道具を収集する「名物狩り」を行うようになった。この名物狩りは、「東山御物」のような足利将軍家由縁のものを集めることで、自身の権威付けを目的としたものであったという。 そして、こうして手に入れた茶道具は、家臣に恩賞として与えられ、政治的な目的でも利用された(いわゆる「御茶湯御政道」)。甲斐攻略で戦功を上げた滝川一益が信長に対し、珠光小茄子という茶器を恩賞として希望したが、与えられたのは関東管領の称号と上野一国の加増でがっかりしたという逸話もある。『信長公記』『太閤記』『四度宗論記』『安土問答正伝記』等によれば、天正7年(1579年)5月27日には、安土宗論で勝利した浄土宗高僧の貞安に、後醍醐天皇御製の薄茶器「金輪寺」(きんりんじ/こんりんじ)の本歌(原品)を与えたという。 ただし、信長は単に茶の湯を政治的に利用したわけではなく、純粋に茶の湯を楽しんでいた面もあるようである。 また、相撲見物も好んだ。当時、相撲の風習があったのは西国のみであり、信長も尾張時代には相撲に関心はなかったと考えられる。しかし、上洛以後は、相撲見物が大の好物となり、安土城などで大規模な相撲大会をたびたび開催していたことが『信長公記』に散見する。 相撲大会では、成績の優秀な者は褒美を与えられ、また青地与右衛門などのように織田家の家来として採用されることもあったという。具体的な例として、天正6年(1578年)8月に行われた相撲大会においては、信長は優秀な成績を収めた者14名をそれぞれ100石で召し抱え、彼らには家まで与えたという。 幸若舞や小歌を愛好したことも知られる一方で、舞と比べると、能楽にはあまり興味を持たなかった。その他、天正3年(1575年)3月に京都相国寺で今川氏真と会見し、氏真に蹴鞠を所望し、披露してもらったというエピソードがあり、また同年7月の誠仁親王主催の蹴鞠の会も見学するなど、蹴鞠にも関心を持っていた可能性がある。 信長は新しいものに好奇心をもち、各種の行事の際には風変わりな趣向を凝らした。脇田修はこれを信長の「風流の精神」であると位置付けている。 例えば、正月に「左義長」として安土の町で爆竹を鳴らしながら大量の馬を走らせたり、お盆に安土城に明かりを灯して楽しむといったことをしている。後者については『フロイス日本史』と『信長公記』の双方に記録があり、城下町には明かりをつけることを禁じる一方で、安土城の天守のみを提灯でライトアップし、さらに琵琶湖にも多くの船に松明を載せて輝かせ、とても鮮やかな様子だったという。 信長はこの安土城を他人に見せることを非常に好み、他大名の使者など多くの人に黄金を蔵した安土城を見学させた。特に、 天正10年(1582年)の正月には、安土城の内部に大勢の人々を招き入れて存分に楽しませた後、信長自らの手で客1人につき100文ずつ礼銭を取り立てたという。 山室恭子の「中世の中に生まれた近世」で山室は信長発給文書は判物から印判状へと変化するが、1567-1575への併用期を経て1576年以後はほぼ完全に印判状だけをもちいるようになる(永禄十年は天下布武への決意を固めた時、天正四年は安土城を築いた時である)とし、信長を他の戦国大名と比較した結果「ある時期に画然とためらうことなく」薄礼化が実施されていると結論付けている。 イエズス会の献上した地球儀・時計など、西洋の科学技術に関心を持った。フロイスから目覚まし時計を献上された際は、興味を持ったものの、扱いや修理が難しかろうという理由で返したという。信長が西洋科学に関心を持っていたことは信長自身の書状からもわかり、病気の松井友閑の治療のためにイエズス会の医師を派遣させている。 信長は宣教師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノに安土城を描いた屏風絵(狩野永徳作「安土城図」)を贈っており、この屏風絵は、信長死後の1585年(天正13年)にローマ教皇グレゴリウス13世に献上されている。ただし、この屏風贈呈は、信長の個性に起因するものというより、中国の皇帝に対して行われていたような異国への屏風絵贈呈の伝統に基づくものであると考えられる。また、ヴァリニャーノの使用人であったアフリカ(現・モザンビーク)出身の黒人に興味を示して譲り受け、「弥助」と名付けて側近にしたことも知られる。 南蛮とは別に、中国に対する強い憧れを有していたという説もある。宮上茂隆は、安土城建築のあり方から信長の中国趣味がうかがえると主張しているという。信長の中国への強い関心のため、安土城天守閣の多くの部分では唐様建築が採用されたといい、また、信長の建てた摠見寺は中国の山水画の画題・瀟湘八景のうち「遠時晩鐘」を現したものであるともいう。ただし、谷口克広は、信長が中国への憧れを持っていたという説は根拠不十分であると述べている。 信長がその妻や側室たちとどのような関係にあったかを具体的に伝える史料は乏しい。近年では、歴史学者の勝俣鎮夫が、明智光秀の妹が信長の側室であり、信長の「意思決定になんらかの影響を与える存在」であったのではないかという説を立てている。 なお、羽柴秀吉が子に恵まれない正室・ねねに対して辛く当たっていることを知ると、ねねに対して励ましの手紙を送っていることが知られる。 信長が男色を嗜んだかどうかについては、直接的証拠は無い。『利家夜話』には、若き日の前田利家が信長と同衾していたという男色を示唆する逸話がある。 しかし、谷口克広は、この逸話を指摘しつつも、信長と利家・森蘭丸ら近習たちとのあいだに肉体関係があったことは、確実だとは言えないと述べる。とはいえ、谷口によれば、当時の風習などを考えても、信長たちがいわゆる男色関係にあった可能性は非常に高い。 平野明夫は、徳川家康宛の信長書状は元亀四年四月六日までは書止文言は恐々謹言で宛名の脇付も進覧ないし進覧之候とあるが、天正五年一月二十二日付以後の書止は謹言になり、脇付は無くなっている。これを等輩に対する書札礼から下様への書札礼に変化していると分析している。 また、家康から信長への書状は天正二年九月十三日付けの書止文言は恐々謹言だが、天正二年閏十一月九日付以降は最高位の恐惶謹言が用いられていてしかも脇付は最高の敬意を示す「人々御中」が用いられている。 これをもって、平野は家康は一門に準ずる織田政権下の一大名であったと締め括っている。 谷口克広も武田家滅亡の際に駿河が信長から家康に宛行いを受けたと書いてあるのは信長公記だけでなく当代記にも「駿河国家康下さる」とあるうえ、三河物語でさえも、「駿河をは家康へ遣わされて」という表現を用いているとし家忠日記でもこの頃の信長を「上様」と呼んでおり、家康の家臣でさえ、縦の関係が生じていることを認めざるをえなかったとしている。 信長の肖像は、現在肖像画23点、肖像彫刻5点が確認されている。 代表的な作品として、狩野永徳の弟・宗秀が信長一周忌に描いたとされる、愛知県豊田市の長興寺所蔵のもの(重要文化財)、同じく一周忌に描かれた古渓宗陳讃をもつ衣冠束帯姿の神戸市立博物館本(重要文化財)、狩野永徳筆の可能性が濃厚で信長三回忌に描かれた大徳寺の肖像、近衛前久が信長七回忌に描かせ、追善のため六字名号を書き出しの一字に加えた和歌の賛がある京都市上京区報恩寺所蔵のもの、および兵庫県氷上町が所蔵する坐像(「#第一次信長包囲網」参照)などが、信長の肖像画として伝えられている。 このうち、信長の肖像画としてもっとも有名な長興寺所蔵の肖像画は、太平洋戦争中の1944年から1945年に大阪市立美術館で修復が行われた後、2016年から2019年にかけても文化庁主導の下で再び修復作業が行われた。そして修復を担当した文化庁の調査の結果、この肖像画は中国伝来の竹の紙に描かれていることが判明した。水墨画によく使われる竹の紙を彩色画に使った意図はわかっていない。 また大徳寺所蔵の肖像画は、完成当初の絵から描き直されていたことが2011年に判明した。2008年9月から2009年10月にかけて行われた修復作業に伴う京都国立博物館の調査で、絵の裏側から「裏彩色(うらざいしき)」が見つかった。表面の色に深みを出すための技法で、表面と同系統の色で彩色するのが一般的だが、この肖像画では表面と裏面では色使いが違っていた。表の肖像は、小袖が薄藍色、肩衣とはかまは薄茶色という地味な色合いで、刀は脇差しのみという落ち着いた装いなのに対し、裏彩色は、小袖の左右で色が異なる「片身替わり」と呼ばれる当時流行のデザインで、右腕はもえぎ色、左腕は薄茶色と派手な色使い、そして刀も大刀と短刀の2本差しだった。また小袖の桐紋も裏面の方がより大きく描かれ、右手に持つ扇子も長く幅が広かった。さらに顔の部分の透過赤外線撮影により、裏面は口ひげの両端がはね上がった雄々しい顔つきに描かれていた跡も確認された。当初は裏彩色に近い肖像が表にも描かれていたのが、元の絵に新たに彩色し、上書きしたと見られる。派手好みの信長らしい肖像画が地味に描き直されたのは、豊臣秀吉の横やりだったのではとの見方もある。同博物館は信長没後、法要を実質的に取り仕切るなど、当時権力を掌握しつつあった豊臣秀吉が描き直しを命じた可能性があると見ている。同博物館の山本英男美術室長は、秀吉が「(1)若武者のような派手な服は法要にふさわしくないと考えた」「(2)信長が自分より目立つのは面白くないと思った」など、描き直しを命じた理由は様々に想像できると話している。山本室長は、「一周忌や七回忌の法要は豊臣秀吉が施主を務めたが、三回忌の頃は合戦中(小牧・長久手の戦い)だったため、信長の側室「お鍋の方」が施主だった可能性が高く、絵は彼女と永徳の協議でいったん完成したものの、実質的な施主である秀吉が法要前に初めて最初の絵を見てクレームをつけ、描き直させたのではないか」と推測している。 このほか、信長の次男信雄の直系の藩である天童藩の織田家の菩提寺であった三宝寺仰徳殿には、16世紀末頃に来日した宣教師が西洋の技法で描いたという写実的な肖像画を撮影したとされる写真が残されている。太く力強い眉毛、大きく鋭い眼、鼻筋の通った高い鼻、引き締まった口、面長で鋭い輪郭、たくわえられた髭(ひげ)などが特徴である。平成4年(1992年)に作家の遠藤周作が『対論 たかが信長 されど信長』という対論集で紹介したことをきっかけに色々な刊行物の表紙やグラビアに採用されたり、テレビ番組などで取り上げられたりするようになって世間に知られるようになった。同書では、信長の死後、宣教師によって描かれた細密な絵を明治時代になってから複写し、宮内庁、織田宗家とともに分け持ったという話や、織田家ではこの絵が信長にもっとも似ていると語り伝えられている話を紹介している。三宝寺に現存するものは「大武写真館」の印が押されていることから写真師・大武丈夫によって明治中期に撮影されたものとみられている。ただし、写真のみで原画は現存しておらず、その写真も三宝寺にしか残されていない。また、原画は木炭で描いたデッサンともいわれ、陰影法で描かれており、当時の描法の吟味など美術史的解明が待たれるとされている。 信長は、尾張の一部を支配する領主権力として出発しており、東国の他の戦国大名と似たような方法で統治を行っていた。しかし、永禄11年9月に上洛し、足利義昭を推戴したことで、信長は室町幕府の権力機構と並立する形で、その権限を強化していくこととなる。そして、最終的には室町幕府とは異なる独自の中央政権を築くこととなる。 上洛以前、信長は美濃攻略後に井ノ口を岐阜と改名した頃から「天下布武」という印章を用いている。訓読で「天下に武を布(し)く」であることから、「武力を以て天下を取る」「武家の政権を以て天下を支配する」という意味に理解されることが多いが、その真意は、軍事力ではなく、中国の史書からの引用で「七徳の武」という為政者の徳を説く内容の「武」であったと解釈されている。 従来、「天下布武」とは天下統一、全国制覇と同意であると解釈され、信長は「天下布武」達成のために領土拡張戦争を行ったとされてきた。しかし、近年の歴史学では、戦国時代の「天下」とは、室町幕府の将軍および幕府政治のことを指し、地域を意味する場合は、京都を中心とした五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津の5ヵ国。現在の京都府南部、奈良県、大阪府、兵庫県南東部)のことを指すと考えられている。そして、「天下布武」とは五畿内に足利将軍家の統治を確立させることであり、それは足利義昭を擁して上洛後、畿内を平定し、義昭が将軍に就任した永禄11年9月から10月の段階で達成された事、とされている。 そして、信長がその支配を正当化する論理として用いたのも、「天下」の語である。信長は、室町将軍から「天下」を委任されたという立場を標榜した。歴史学者の神田千里は、このことから、信長は戦国期幕府将軍の権限を継承したと論じている。神田によれば、比叡山の焼き討ちは室町幕府第6代将軍・足利義教も行ったもので、寺社本所領に対する将軍権力の介入と位置づけられる。また、諸大名に対する和睦命令や京都支配も従来将軍によって行われていたもので、信長は「天下」を委任されることで、これらの行為を行う権限を手にしたのである。 幕府において、信長は朱印状を発給して政策を実行したが、この朱印状は、信長以前の戦国期室町幕府の守護遵行状・副状にあたるものであり、特殊な機能を持つものではないと考えられている。信長はあくまで室町幕府の存在を前提とした権力を築いており、当初の織田政権は幕府との「連合政権(二重政権)」であったと言える。 しかし、元亀4年(1573年)2月に足利義昭が信長を裏切ったため、やむを得ず、将軍不在のまま、信長は中央政権を維持しなければならなくなる。とはいえ、義昭追放後も、義昭が放棄した「天下」を信長が代わって取り仕切るというスタンスをとり、「天下」を委任されたという信長の立場は変わらなかった。そして、信長は、将軍に代わって「天下」を差配する「天下人」となった。金子拓によれば、信長は、「天下」の平和と秩序が保たれた状態(「天下静謐」)を維持することを目標としていた。この天下静謐の維持の障害となる敵対勢力の排除の結果として、信長は勢力を拡大したが、あくまで目的は天下静謐の維持であって、日本全国の征服といった構想はなかったという。そして、信長は「天下」の下に各地の戦国大名や国衆の自治を認めつつ、彼らを織田政権に従属させることで日本国内の平和の実現を進めていった。 それに対して、義昭追放後に信長が右大将に任官し、織田政権成立と天下人に公認され、天下人意識の形成と上様への尊称変更とともに、天下の概念が拡大・変容し、「自身と天下の一体化」を主張し、やがて神田千里の畿内布武の天下規定を地理的に超えて「列島日本」の意味となったという説もある。このことにより、各地の国人領主にも「天下一統」へ信長に従うように柴田勝家などの方面軍司令官が要求しており、全国にわたる緩やかな大名統合を目指して統一戦争へと突き進んだとする。後の豊臣政権の前段となる統一政権の原型となる政権構想を打ち出したとの説がある。 織田政権による領域支配においては信長が上級支配権を保持し、領国各地に配置された家臣は代官として一国・郡単位で守護権の系譜を引く地域支配権を与えられたとする一職支配論がある。 この点に関連して、天正3年9月の越前国掟が重要な史料として存在する。この越前国掟は、信長から越前支配を任された柴田勝家に宛てられたものである。 九ヶ条のこの国掟の内容は、次のようなものであった。まず、前半では、領知や課役の差配の一部に信長が関与するなどの原則が定められ、後半では勝家らがその任務を疎かにすべきではないと説かれている。そして、最後に信長への絶対服従を求め、越前国はあくまで信長から勝家らに預けられたものに過ぎないということが強調されている。 このような越前国掟の記述から、信長こそが領域支配の全権力を掌握しており、勝家は一職支配権を握りつつも越前の代官的存在にとどまるとするのが、これまでの通説であった。しかし、この点に関しては近年の研究者間では論争があり、平井上総は次のように整理している。 通説に対し、歴史学者の丸島和洋は、信長および勝家双方の発給文書群の考察から、国掟が置かれて以降、勝家が越前支配のほぼ全権を得ていたと論じた。このような勝家による支配は、他の戦国大名の重臣(地域支配の全権を委ねられたいわゆる「支城領主」)による支配と、ほとんど変わるところがないという。そして、明智光秀領や羽柴秀吉領を分析した別の研究者も同様の結論を得ている。 こうした見解を批判する立場から、藤田達生は、より広い範囲の事項を検討することで、地域支配の最終決定権を信長が持っていることなどを指摘した。そして、信長の権力は、従来の戦国大名権力とは異質なものであり、江戸幕府へとつながる革新的なものであったと改めて主張している。この議論について、丸島和洋は、信長の革新性を所与のものとして構築されたものであると批判し、藤田の指摘は他の戦国大名にも当てはまるものであると論じる。 天正年間の信長は、他の戦国大名とは異なり、それらの上位権力の立場にあった。例えば、信長は天正7年に島津氏・大友氏に停戦を命じており、島津氏は信長を「上様」であるとする返書を出している。 しかし、これは明確な主従関係に裏打ちされたものではなく、あくまでも緩やかな連合関係にあるという程度であった。ただし、以下で述べるよう徳川家康は信長に臣従していたと考えられる。 通説的には、織田信長と徳川家康は、桶狭間の戦いから2年弱が過ぎた永禄5年正月、清須において会見を行ったとされる。ここに、いわゆる「清洲同盟」を結び、両者は、二十年にわたり強固な盟友関係にあったという。しかし、これは、江戸時代成立の比較的新しい史書に基づいた見方であるが、同時代史料に拠る限り、必ずしもこの見解は妥当なものとは言えない。 実際には、信長と家康は桶狭間の戦いの直後には同盟関係を築いた可能性が高く、清須において両者が会見したという逸話も江戸時代の創作であると考えられる。両者は、当初は将軍足利義昭のもと、対等な関係にあった。しかし、義昭追放後になると、信長に命じられる形で家康は軍勢を動員し、また、書札礼でも信長が家康に優越する立場となっている。そして、駿河国も知行として信長から家康に与えられている。こうしたことから、家康は信長の同盟者としての立場を失い、信長の臣下となっていたと考えられるという。 なお、『フロイス日本史』によれば、信長は日本を統一した後、対外出兵を行う構想があり、「日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成して明(中国)を武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考え」を持っていたという(『フロイス日本史』第55章)。また堀杏庵の『朝鮮征伐記』では、豊臣秀吉が信長に明・朝鮮方面への出兵を述べたと記されている。しかし後者は俗説であり、信長の対外政策については、従来より根拠に乏しく(フロイスの)他に裏付けがないことが指摘される。中村栄孝は、信長が海外貿易を考えていて秀吉の唐入り(文禄・慶長の役)は亡き主君の遺志を継いだものという説は、『朝鮮通交大紀』の誤読による人物取り違えであって信長に具体的な海外貿易・対外遠征の計画はなかったとしている。ただし、堀新のように、織田政権の動向や後の豊臣政権による三国国割計画の存在といったことから、信長が大陸遠征構想を持っていたことはある程度まで事実だったのではないかと述べる論者もいる。本郷和人は、外交をし、交易を盛んにすることは、まさに信長の望みであり、「日本を統一した暁に、信長が海外に派兵した可能性は大いにある」「物流や交易を重視する信長ならば、おそらくは海外に進出しただろう」として、信長であれば、秀吉のように領土の獲得に固執するのではなく、ポルトガルのゴア、スペインのマニラのように「点」の獲得を目指し、しかるべき都市を入手してそこを城塞化し、貿易拠点を築くようなことをしたのではないかと指摘している。結果、信長がもう少し生きていれば、日本にとって良い結果を生むか、悪い方に転ぶかは分からないが、日本はもっと早く国際化したのではないだろうか、と指摘している。 上洛を果たした後、信長は、御料所の回復をはじめとする朝廷の財政再建を実行し、その存立基盤の維持に務めた。とはいえ、信長が皇室を尊崇していたための行動というわけではなく、天皇の権威を利用しようとしたものだと考えられている。なお、天正3年の権大納言・右近衛大将任官以後、信長は公家に対して一斉に所領を宛行っており、それ以後、信長は公家から参礼を受ける立場となった。 信長と朝廷との関係の実態については、対立関係にあったとする説(対立・克服説)と融和的・協調的な関係にあったとする説(融和・協調説)がある。両者の関係については、織田政権の性格づけに関わる大きな問題であり、1970年代より活発な論争が行われてきた。1990年代に今谷明が正親町天皇を信長への最大の対抗者として位置づけた『信長と天皇 中世的な権威に挑む覇王』を上梓し、多大な影響を与えたが、その後の実証的な研究により、この今谷の主張はほぼ否定された。2017年現在は、信長は天皇や朝廷と協力的な関係にあったとする見方が有力となっている。 平井上総および谷口克広の分類によれば、それぞれの説に立つ論者は以下のとおりである。 信長が天皇を超越しようとしたかどうかについては、宣教師に対する信長の発言がしばしば注目される。ルイス・フロイスの書簡によれば、宣教師が天皇への謁見を求めた際、信長は「汝等は他人の寵を得る必要がない。何故なら予が国王であり、内裏である」と発言したとされる。松田毅一が翻訳した『日本巡察記』(ヴァリニャーノ著)では、「予が国王であり...」となっているが、松本和也はこれは誤訳であると指摘している。なぜなら原文の当該部分には、ポルトガル語で国王を意味する「rei」ではなく、宣教師たちが天皇の意味で用いていた「Vo(オー)」が使われているからである。ちなみに原文は「elle era o mesmo Vo & Dairi」であり、直訳すると「彼が正にオーでありダイリなのだ」となる。 この発言は天正9年京都馬揃えの直前になされた。このように、信長が自身を天皇・内裏であると述べたことについて、信長が天皇を超越しようとした証拠であるとして重視する者もいる。しかし、この説について平井上総は疑義を呈しており、堀新も信長の皇位簒奪の意図を示すものではなく、融和説(「公武結合王権論」)の立場から、正親町天皇と信長の一体化を意味した発言だと述べる。 信長と朝廷の関係を考える際の具体的な手がかりとしては、いわゆる三職推任問題をはじめ、正親町天皇の譲位問題、蘭奢待の切り取り、京都馬揃え、勅命講和など多様な論点があり、研究者間で解釈が別れている。以下、代表的なものに絞って時系列順で見ていく。 足利義昭追放後の天正元年(1573年)12月、信長は正親町天皇に譲位の申し入れを行い、天皇もこれを了承した。が、年が押し迫っていたため譲位は行われず、結局信長の死まで譲位は行われなかった。これについて、対立説の解釈では、信長は自身の言いなりとなる誠仁親王を即位させようとし、この動きに正親町天皇が抵抗したことで譲位が遅延したと考える。一方、融和説では、天皇が譲位を望みながら、信長の意向により実現しなかったとみている。 信長は天正2年(1574年)3月に奈良を訪問し、同月28日に東大寺の寺宝である名香・蘭奢待を多聞山城に運び込ませ、東大寺の僧侶立ち会いの下でこれを切取らせている。その直前に出されたと見られている東山御文庫所蔵の「蘭奢待香開封内奏状案」(勅封三十五函乙-11-15)が保管されている。この文書の内容が蘭奢待切取に対する不満を吐露したものであったことから、古くから「信長ノ不法ヲ難詰セラル」(『大日本史料』天正2年3月28日条)と解釈され、長年"正親町天皇が信長による蘭奢待切取の奏請に対する不満を吐露した書状"として理解されてきた。しかし、内奏状は本来天皇に充てて出される文書であるのに天皇の心境が述べられている矛盾が指摘され、金子拓を切取の手続に関与した三条西実枝から正親町天皇に充てられた書状と再解釈した。つまり、この文書の筆者が正親町天皇では無く三条西実枝である以上、不満を吐露したのも正親町天皇ではないことになる。そして、不満の対象も書状の宛先である正親町天皇その人と考えるしか無く、少なくても"正親町天皇が信長の奏請に対する不満を吐露した書状"ではないと結論づけている。 信長が天正9年(1581年)に行った京都御馬揃えについて、対立説では、朝廷への軍事的圧力・示威行動であったと見る。これを批判する立場から、融和説では、朝廷側の希望によって行われたものだと解釈する。2017年現在では、朝廷に対する圧力というより、一種の娯楽行事であったとする見解が有力となっている。 天正10年(1582年)4月25日、武家伝奏・勧修寺晴豊と京都所司代・村井貞勝の間で信長の任官について話し合いが持たれた。この際、信長が征夷大将軍・太政大臣・関白のうちどれかに任官することがどちらからか申し出された。任官を申し出たのが朝廷か信長側かをめぐって論争がある(三職推任問題)。信長側からの正式な反応が行われる前に本能寺の変が起こったため、信長がどのような構想を持っていたか、正確なところは不明である。 本能寺の変後、吉田兼見などの公家は、信長の死について日記に冷淡にしか書き残していない。そして、かえって即座に光秀の意を汲んだ行動をとろうともしており、信長の死を悲しんだ様子はほとんどないという。 織田政権は一向一揆と激しく争い、また、比叡山を焼き討ちした。こうした背景のため、一般には、信長は仏教勢力と激しく対立してその殲滅を図り、逆にキリスト教を庇護しようとしたと思われてきた。例えば、仏教史研究者の末木文美士は、その著書『日本仏教史』において、信長が「暴力的手段に訴えて一気に仏教勢力の壊滅を図った」と表現している。 しかし、実際には、信長はすべての仏教勢力と敵対関係にあったわけではなく、自らと敵対しない宗派についてはその保護を図っていた。また、キリスト教を特別に厚遇したわけでもない。自身に従う宗派には存続を認めつつ、宗教権力に対する世俗権力の優位を実現するという方針が、織田政権の宗教政策の基調にあったと考えられる。 信長の宗教政策上、天正7年の「安土宗論」が注目されてきた。この安土宗論は、信長の関与のもと、浄土宗と日蓮宗のあいだで宗論が行われたというものである。日蓮宗は宗論において敗北を認めさせられ、今後、他の宗派に論争を仕掛けないことを強いられた。一般的には、安土宗論は信長による日蓮宗に対する弾圧だと捉えられてきた。例えば、三鬼清一郎は、日蓮宗が「宗論の敗訴という形で、宗旨そのものに致命的打撃を与えることによって屈服させられた」と表現し、天文法華の乱のような都市民と日蓮宗の連携の危険を排除したと述べている。しかし、安土宗論の実際の目的は、日蓮宗弾圧というよりも、宗論を抑制することで宗教的秩序の維持を企図する点にあったと考えられるという議論もある。 天台宗と真言宗の僧侶あいだで絹衣の着用の是非が争われた絹衣相論では、信長の関与のもと、天台宗のみに絹衣着用を認める綸旨が出されている。そして、この綸旨に反して絹衣を着用した真言宗の僧侶は処刑された。一向一揆や比叡山に対する措置と同様に、信長は自身の意向に反する宗教者には厳しい対応をとったのである。 神社との関係では、石清水八幡宮の社殿の修造を実行するとともに、伊勢神宮の式年遷宮の復興を計画した。特に後者の計画は、伊勢信仰を自身の権威付けに利用しようとしたものだと考えられ、豊臣政権に引き継がれている。 なお、同時代の宣教師ルイス・フロイスは、信長が自らを神格化しようとしたと述べている。しかし、この自己神格化について、日本側の史料で記述したものは、まったく存在しない。そのため、フロイスの記述を信用するかどうかについては研究者間で争いがある。肯定する論者には、例えば、朝尾直弘や今谷明などがいる。朝尾は、一向一揆との対決という背景のもと、後の幕藩制国家につながる「将軍権力」の創出過程の一環として、信長の自己神格化を位置づける。一方、神格化を否定する立場は、フロイスの記述はあくまでキリスト教側からの偏った観点によるものであり、信ずるに足るものではないとする脇田修や三鬼清一郎らの見解がある。 いわゆる「楽市・楽座令」は、信長が最初に行った施策と言われることが多いが、現在確認されている限りでは、近江南部の戦国大名であった六角氏が最初に行った施策である。この「楽市・楽座令」については評価が分かれている。かつて豊田武は、特権的な商工業者の団体である座を解体し、流通を促進する革新的政策であると位置づけた。一方で、信長は実際には多くの座の特権を保障しており、脇田修らは信長が座の否定を意図していなかったと論じている。 また、不必要な関所を撤廃して流通を活性化させ、都市の振興と経済の発展を図った。これについては他の戦国大名の行ったことのない革新的な政策であると考えられる。 関所撤廃とあわせて、天正2年(1574年)末から、信長は坂井利貞ら4人の奉行に道路整備を命じている。この工事は翌年にも続き、織田家の領国中に広く実施された。この道路整備によって、人々や牛馬の通行が容易となった。 当時全国でばらばらであった枡の統一規格として、織田領国では京枡を統一採用したともされる。この枡は豊臣政権 - 徳川幕府にまで受け継がれた。この事により、年貢や物流の管理が正確に、かつし易くなった そして、質の悪い貨幣と良い貨幣の価値比率を定めた撰銭令を発令した。他大名や室町幕府の出した撰銭令と比べ、信長の撰銭令の特徴は「全ての銭に価値比率を定めている」点である。また、金銀の貨幣価値を定める規定は革新的なものであり、江戸時代の三貨制度に続くものであると高く評価されている。ただし、この 撰銭令は、かえって貨幣取引を減少させ、米を用いた取引を増加させるという結果をもたらし、期待した効果を発揮できなかったと考えられている。 さらに信長は石山本願寺と和睦したのち、大坂の地に城を築かせた。本能寺の変の時点では「千貫矢倉」が津田信澄に預けられていたという(『細川忠興軍功記』)。これは『フロイス日本史』の「本能寺の変の折、津田信澄は大坂城の塔(torre)を見張っていた」という記述と符合する。『信長公記』によると立地を高く評価しており、跡地にさらに大きな城を築く予定であったという。 信長は、柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀などの有力部将に地域ごとに軍団を率いさせるとともに、自身の直属部隊として馬廻などを組織していた。この馬廻は稲生、桶狭間、田部山で活躍している。信長軍は機動力に優れており、本圀寺の変では、本来なら3日はかかる距離を2日で(しかも豪雪の中を)踏破し、摂津国に対陣している間に浅井・朝倉連合軍が京都に近づいた際にも、急いで帰還して京都を守り抜いている。部下の秀吉も、いわゆる「中国大返し」や賤ヶ岳の戦いなどで高い機動力を見せており、特に中国大返しは信長の戦術の一面を超えたと言う指摘もある。 また、信長は火器を重視した。長篠の戦いにおける三段撃ちは架空のものであるとする見解が有力となっているとはいえ、信長が多数の鉄砲を運用していたことは確かである。特に、諸武将から鉄砲を徴発することで直属の旗本衆の鉄砲部隊を強化しており、1か所の戦場に集中して鉄砲を運用することを可能にした点は信長の鉄砲運用の特徴である。 大砲もすでに元亀年間から使用していた形跡があり、第二次木津川口の戦いなどで船に搭載した他、神吉城攻め以降は攻城戦においても本格的に運用していた。いわゆる鉄甲船を作ったとも言われるが、根拠となる史料が『多聞院日記』天正六年七月八日条のみなので、その実在性については賛否両論がある。 なお、織田家では、明文化された軍役規定は、明智光秀の家中軍法以外に見つかっていない。これを「これ以外には存在しなかった」とみるか、「他にもこれと同じようなものが存在していた」とみるかは、研究者の間でも見解の分かれるところである(そもそも、明智光秀の家中軍法を後世の創作とする研究者もいる)。前者の見解に立つ場合、このことは、後北条氏などと比べて、織田政権の統治方法が後進的であったことの証左の一つであるとされる。ただし、これは本能寺の変時点での話で、信長にはゆくゆくは検地した石高に基づいて軍役を課そうという構想があった。 江戸時代にあっては、江戸幕府の創始者として「神君」扱いされた徳川家康や『絵本太功記』等で庶民に親しまれた豊臣秀吉らとは異なり、一般的に信長の評価は低かった。儒学者の小瀬甫庵、新井白石、 太田錦城らは、いずれも信長の残虐性を強調し、極めて低く評価した。 例えば、新井白石の信長評は、親族を道具のように扱い、主君である足利義昭を裏切り、大功のあった老臣・佐久間信盛らを追放し、言いがかりをつけて他の大名を滅ぼした「凶逆の人」であるというものであった。そして、白石は「すべて此人(信長)天性残忍にして詐力を以て志を得られき。されば、其終を善せられざりしこと、みづから取れる所なり。不幸にあらず」と述べ、信長の死を、残虐性ゆえの自業自得だと位置付けた。 ただし、江戸幕府の立場から見た場合、信長は徳川家康の同盟者であり、なおかつ徳川信康を自害に追い込んだ人物である以上、幕府としては信長が「神君」家康さえも従わせる絶対的権力者であったことも示す必要性があり、江戸幕府の正史である『徳川実紀』(「東照宮御実紀」巻2)では家康と共に天下統一を目指す存在としての評価もなされた。民衆のあいだでも信長は不人気であり、歌舞伎や浄瑠璃などにおいても、信長は悪役・引き立て役に留まっている。 このように信長に対する酷評が広まった状況にあって、信長を再評価したのが、頼山陽である。江戸時代後期の尊王運動に多大な影響力を有したことで知られる頼山陽の『日本外史』は、信長を「超世の才」として高く評価した。『日本外史』は、信長の勤王家としての面を強調する。そして、中国後周の名君・世宗の偉業が趙匡胤の北宋樹立に続いたのと同じように、信長の覇業こそが、豊臣・徳川の平和に続く道を作ったのだと述べる また国学者からも、日本の統一者として、後醍醐天皇と対立した足利氏への否定的見解と相まって高く評価された。例えば、本居宣長は『玉鉾百首』の中で「しづはたを織田のみことはみかどべをはらひしづめていそしき大臣」という歌を詠み、「此大臣(=織田信長)、正親町天皇の御代永禄のころ、尾張国より出給ひて、京中の騒乱をしづめ、畿内近国を討したがへ、復平の基を開き、内裏を修理し奉りなど、勲功おおひなること、世の人よくしれる事なり」と高く評価した。 幕末の志士たちも、御料所回復等を行っていたことなどを評価して、信長を勤王家として尊敬した。明治2年(1869年)になると、明治政府が織田信長を祀る神社の建立を指示した。明治3年(1870年)、信長の次男・信雄の末裔である天童藩(現在の山形県天童市)知事の織田信敏が、東京の自邸内と藩内にある舞鶴山に信長を祀る社を建立した。信長には明治天皇から建勲の神号が、社には神祇官から建織田社、後には建勳社の社号が下賜された。その後、明治年間には東京の建勲神社は、京都船岡山の山頂に移っている。大正6年(1917年)には正一位を追贈された。 こうした傾向は歴史学の分野でも同様であり、当時は信長の勤王的側面を重視する研究が行われた。 第二次世界大戦の後になると、信長の政治面での事蹟が評価され、改革者としてのイメージが強まった。歴史小説においては、すでに戦中の1944年に坂口安吾が短編小説「鉄砲」を発表し、近代的な合理主義者としての信長像を明確に打ち出した。合理主義者としての信長のイメージは、高度成長期に発表された司馬遼太郎『国盗り物語』、バブル期の津本陽『下天は夢か』といったベストセラー小説を通して広く浸透することとなった。 学術的には、1963年刊行の『岩波講座日本歴史』において、今井林太郎が信長を次のように評価している。信長は、中世の複雑な土地所有構造を清算し「純粋封建制確立への途を切り開いた」人物である。そして今井は、「信長の前には中世以来の宗教的な権威はまったく通用しなかった」と述べ、信長の本質を中世的権威の否定にあると規定した。この頃には信長が天皇制を打倒しようとしていたという安良城盛昭の説も現れ、革新者としての信長像が定着することとなる。信長は、その「革新的」な諸政策から、日本史上、極めて重要な人物であり、「不世出の英雄の一人」と評価されてきた。 新しい時代への道を切り拓いた人物としての信長像は広く受け入れられた一方で、信長の時代はいまだ中世的要素が強く、豊臣秀吉の行った太閤検地こそが近世への転換点だという学説も有力であった。朝尾直弘と脇田修は、それぞれ20世紀後半の代表的な中近世移行期研究者であるが、両者の信長に対する歴史的評価は正反対である。朝尾が信長を近世の創始者であると理解したのに対し、脇田は信長を中世最後の覇者であると捉えていた。 その後、21世紀の歴史学界では、より実態に即した信長の研究が進み、その評価の見直しが行われている。例えば、室町幕府と織田政権の連続性が強調され、信長は天皇とも協調関係にあったと考えられるようになった。「楽市・楽座令」を信長独自の革新的政策とする見方にも否定的な研究が多くなった。また、信長の宗教観も他の戦国大名と比較して特異なものとは言えないという指摘もある。この他、様々な面から特別な存在としての信長像に疑義が呈され、信長に画期性を認めることに慎重な意見の研究者が多くなってきている。 織田氏の発祥の地は越前国織田荘であり、その荘官の立場にあったという。織田氏と思われる人物の史料上の初見は、劔神社に残された明徳4年(1393年)六月十七日付藤原信昌・兵庫助将広置文であるとされる。応永8年(1401年)には、織田名字を使用する「織田与三」なる人物が初めて現れ、彼は管領斯波氏の家臣として重要な役割を果たしていた。その翌年には織田常松が尾張守護代に任じられている。 尾張に勢力を移した織田家では、岩倉を本拠とする伊勢守家と清洲を本拠とする大和守家に分裂し、各々が守護代として尾張半国を治めた。そして、後者の大和守家の分家で、清洲三奉行家の一つである弾正忠家こそが、信長の家系である。 信長の子孫としては、信忠の子である三法師(織田秀信)が、形式上、織田家の家督を継いだ。秀信は豊臣政権下で岐阜で13万石程度の領地を持ったが、関ヶ原合戦の結果、所領を没収されてしまう。秀信は数年後に病を得て世を去り、ここに嫡流は絶えることとなる。 一方、次男の織田信雄は豊臣政権下で所領を失ったものの、大坂の陣後、大和宇陀郡などに五万石を与えられた。信雄の子孫が、柏原藩、高畠藩、天童藩といった小規模な藩の藩主となり、江戸時代を通じて大名として続いている。 兄弟のうち、秀俊(信時)および秀孝の出生順については議論がある。江戸時代の諸系図類では秀俊は、信秀の六男となっており、信長の弟とされる。しかし、谷口克広によれば、『信長公記』の記述に基づく限り、秀俊は信秀の次男、すなわち信長の兄である。同様に諸系図類では秀孝を信包の弟であるとするが、秀孝は信包の兄であるとも考えられる。 信長の娘については、事跡の詳細が不明な者がほとんどである。その上、『寛永諸家系図伝』では娘が6人となっているのに対して、より後年の『寛政重修諸家譜』では12人となっていたりと、系図によって娘の人数も一定しない。渡辺江美子によれば、『寛永諸家系図伝』はおおよそ正しく長幼の順に娘を挙げているものの、法華寺本・坪内本の『織田系図』にある通り、長女は松平信康室ではなく蒲生氏郷室を長女とするのが正しいと推定される。また、『寛永諸家系図伝』に載らない娘について、水野忠胤室は夫の不祥事のために意図的に省かれたと思われ、万里小路充房室・徳大寺実久室の2人は、公家と婚姻したためか織田信孝扶養であったためかのいずれかの理由で見落とされたと考えられる。 信長の遺体は発見されなかったが、以下の21箇所に衣冠墓・供養塔が作られている。 織豊期の史料は相対的に豊富とは言えず、また、代表的な史料すら、それぞれの信頼性がどの程度かという評価も固まっているとは言えない。 一般に、信長研究において最も重要な基本史料とされるのは、奥野高廣が集成した信長発給文書(『織田信長文書の研究』)および、同じく奥野高廣ら校注の角川文庫版『信長公記』である。 ただし、堀新によれば、後者の『信長公記』については、角川文庫版が自筆本の翻刻ではなく、また、『信長公記』の写本間の異同・系統研究もいまだ十分ではないという課題があるという。文書についても、信長発給文書だけでなく、家臣団発給文書の収集・分析が必要であるという課題を指摘している。 1963年から2009年までのNHK大河ドラマ48作中、信長の登場作品は18作に及ぶが、この数字は徳川家康に次いで豊臣秀吉と並び、他の歴史上の人物よりも遥かに多い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "織田 信長(おだ のぶなが)は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。戦国の三英傑の一人。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "尾張国(現在の愛知県)出身。織田信秀の嫡男。家督争いの混乱を収めた後に、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、勢力を拡大した。足利義昭を奉じて上洛し、後には義昭を追放することで、畿内を中心に独自の中央政権(「織田政権」)を確立して天下人となった戦国時代を代表する英雄である。しかし、天正10年6月2日(1582年6月21日)、家臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "これまで信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府への流れをつくった画期的なもので、その政治手法も革新的なものであるとみなされてきた。しかし、近年の歴史学界ではその政策の前時代性が指摘されるようになり、しばしば「中世社会の最終段階」とも評され、その革新性を否定する研究が主流となっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "織田信長は、織田弾正忠家の当主・織田信秀の子に生まれ、尾張(愛知県西部)の一地方領主としてその生涯を歩み始めた。信長は織田弾正忠家の家督を継いだ後、尾張守護代の織田大和守家、織田伊勢守家を滅ぼすとともに、弟の織田信行を排除して、尾張一国の支配を徐々に固めていった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "永禄3年(1560年)、信長は桶狭間の戦いにおいて駿河の戦国大名・今川義元を撃破した。そして、三河の領主・徳川家康(松平元康)と同盟を結ぶ。永禄8年(1565年)、犬山城の織田信清を破ることで尾張の統一を達成した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "一方で、室町幕府の将軍・足利義輝が殺害された(永禄の政変)後に、足利将軍家の足利義昭から室町幕府再興の呼びかけを受けており、信長も永禄9年(1566年)には上洛を図ろうとした。美濃の戦国大名・斉藤氏(一色氏)との対立のためこれは実現しなかったが、永禄10年(1567年)には斎藤氏の駆逐に成功し(稲葉山城の戦い)、尾張・美濃の二カ国を領する戦国大名となった。そして、改めて幕府再興を志す意を込めて、「天下布武」の印を使用した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "翌年10月、足利義昭とともに信長は上洛し、三好三人衆などを撃破して、室町幕府の再興を果たす。信長は、室町幕府との二重政権(連合政権)を築いて、「天下」(五畿内)の静謐を実現することを目指した。しかし、敵対勢力も多く、元亀元年(1570年)6月、越前の朝倉義景・北近江の浅井長政を姉川の戦いで破ることには成功したものの、三好三人衆や比叡山延暦寺、石山本願寺などに追い詰められる。同年末に、信長と義昭は一部の敵対勢力と講和を結び、ようやく窮地を脱した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "元亀2年(1571年)9月、比叡山を焼き討ちする。しかし、その後も苦しい情勢は続き、三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍が武田信玄に敗れた後、元亀4年(1573年)、将軍・足利義昭は信長を見限る。信長は義昭と敵対することとなり、同年中には義昭を京都から追放した(槇島城の戦い)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "将軍不在のまま中央政権を維持しなければならなくなった信長は、天下人への道を進み始める。元亀から天正への改元を実現すると、天正元年(1573年)中には浅井長政・朝倉義景・三好義継を攻め、これらの諸勢力を滅ぼすことに成功した。天正3年(1575年)には、長篠の戦いでの武田氏に対して勝利するとともに、右近衛大将に就任し、室町幕府に代わる新政権の構築に乗り出した。翌年には安土城の築城も開始している。しかし、天正5年(1577年)以降、松永久秀、別所長治、荒木村重らが次々と信長に叛いた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "天正8年(1580年)、長きにわたった石山合戦(大坂本願寺戦争)に決着をつけ、翌年には京都で大規模な馬揃え(京都御馬揃え)を行い、その勢威を誇示している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "天正10年(1582年)、甲州征伐を行い、武田勝頼を自害に追いやって武田氏を滅亡させ、東国の大名の多くを自身に従属させた。同年には信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が持ち上がっている(三職推任)。その後、信長は長宗我部元親討伐のために四国攻めを決定し、三男・信孝に出兵の準備をさせている。そして、信長自身も毛利輝元ら毛利氏討伐のため、中国地方攻略に赴く準備を進めていた。しかし、6月2日、重臣の明智光秀の謀反によって、京の本能寺で自害に追い込まれた(本能寺の変)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "一般に、信長の性格は、極めて残虐で、また、常人とは異なる感性を持ち、家臣に対して酷薄であったと言われている。一方、信長は世間の評判を非常に重視し、家臣たちの意見にも耳を傾けていたという異論も存在する。なお、信長は武芸の鍛錬に励み、趣味として鷹狩り・茶の湯・相撲などを愛好した。南蛮などの異国に興味を持っていたとも言われる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "政策面では、信長は室町幕府将軍から「天下」を委任されるという形で自らの政権を築いた。天皇や朝廷に対しては協調的な姿勢を取っていたという見方が有力となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "江戸時代には、新井白石らが信長の残虐性を強く非難したように、信長の評価は低かった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "とはいえ、やがて信長は勤王家として称賛されるようになり、明治時代には神として祀られている。第二次世界大戦後には、信長はその政策の新しさから、革新者として評価されるようになった。しかし、このような革新者としての信長像には疑義が呈されつつあり、近年の歴史学界では信長の評価の見直しが進んでいる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "※日付は和暦による旧暦。西暦表記の部分はユリウス暦とする。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "天文3年(1534年)5月、尾張国の戦国大名・織田信秀と土田御前(土田政久の娘)の間に嫡男として誕生。幼名は吉法師(きっぽうし)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "信長の生まれた「弾正忠家」は、尾張国の下四郡の守護代であった織田大和守家(清洲織田家)の家臣にして分家であり、清洲三奉行という家柄であった。当時、尾張国では、守護である斯波氏の力はすでに衰えており、守護代の織田氏も分裂していたのである。こうした状況下で、信長の父である信秀は、守護代・織田達勝らの支援を得て、今川氏豊から那古野城を奪う。そして、信秀は尾張国内において勢力を急拡大させていた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "なお、信長の生誕地については那古野城・古渡城・勝幡城の3説に分かれる。中でも那古野城説は『国史大辞典』に記されるなど定説となっていたが、山科言継の『言継卿記』の記述などを根拠に、天文3年時点では織田氏がまだ那古野城を奪っていない可能性が高まった(詳細は那古野城#歴史を参照)ことに加え、愛西市所蔵『尾州古城志』などの史料の「勝幡城で生まれた」といった記述をもとに、1992年に発表された論文をきっかけとして近年では勝幡城説が妥当と考えられている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "信長は、早くに信秀から那古野城を譲られ、城主となっている。『信長公記』によれば、信長には奇天烈な行動が多く、周囲から「大うつけ」と呼ばれたという。なお、人質となっていた松平竹千代(後の徳川家康)と幼少期の頃に知り合っていたとも言われるが、可能性としては否定できないものの、そのことを裏付ける史料はない。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "天文15年(1546年)、古渡城にて元服し、三郎信長と称する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "天文16年(1547年)、信長は今川方との小競り合いにおいて初陣を果たし、天文18年には尾張国支配の政務にも関わるようになった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "天文17年(1548年)あるいは天文18年(1549年)頃、父・信秀と敵対していた美濃国の戦国大名・斎藤道三との和睦が成立すると、その証として道三の娘・濃姫と信長の間で政略結婚が交わされた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "斎藤道三の娘と結婚したことで、信長は織田弾正忠家の継承者となる可能性が高くなった。そして、おそらく天文21年(1552年)3月に父・信秀が死去したため、家督を継ぐこととなる。信長は、家督継承を機に「上総守信長」を称するようになる(のち「上総介信長」に変更)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "家督継承後の信長は、すぐに困難に直面する。信秀は尾張国内に大きな勢力を有していたが、まだ若い信長にその勢力を維持する力が十分にあるとは言えなかった。そして、弾正忠家の外部には清洲城の尾張守護代・織田大和守家という対立者を抱え、弾正忠家の内部には弟・信勝(信行)などの競争者がいたのである。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "一説には信秀の最晩年に行おうとした今川義元との和睦に信長が反対したことなどから信長の後継者としての立場に疑問符が持たれ、信秀も信長と信勝の間で家督の分割する考えに転じたのではないか、という説がある(実際に信秀の死の直後に信長は直ちに和議を破棄している)。ただし、この和平の仲介には信長の舅である斎藤道三を敵視する六角定頼が関与しており、信長の立場からすれば道三に不利となる条件との抱き合わせになる可能性のあるこの和議に賛同できなかったとする見方もある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "天文21年8月、清洲の織田大和守家は、弾正忠家との敵対姿勢を鮮明とした。信長は萱津の戦いで勝利し、これ以後、清洲方との戦いが続くこととなる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "天文22年(1553年)、信長の宿老である平手政秀が自害している。信長は嘆き悲しみ、沢彦を開山として政秀寺を建立し、政秀の霊を弔った。一方、おそらく同年4月に、信長は正徳寺で道三と会見した。その際に道三はうつけ者と呼ばれていた信長の器量を見抜いたとの逸話がある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "天文23年(1554年)、村木城の戦いで今川勢を破った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "この年も、清洲との戦いは、信長に有利に展開していた。同年7月12日、尾張守護の斯波義統が、清洲方の武将・坂井大膳らに殺害される事件が起きる。これは、斯波義統が信長方についたと思われたためであり、義統の息子の斯波義銀は信長を頼りに落ち延びた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "こうして、信長は、清洲の守護代家を謀反人として糾弾する大義名分を手に入れた。そして、数日後には、安食の戦いで長槍を用いる信長方の軍勢が清洲方に圧勝した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "天文23年、衰弱した清洲の守護代家は、信長とその叔父・織田信光の策略によって清洲城を奪われ、守護代・織田彦五郎も自害を余儀なくされた。ここに尾張守護代織田大和家は滅亡することとなる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "他方、守護代家打倒に力を貸した信長の叔父・信光も11月26日に死亡している。この死は暗殺によるものであったと考えられる。そして、信長が信光暗殺に関与していたという説もあるという。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "弘治2年(1556年)4月、義父・斎藤道三が子の斎藤義龍との戦いで敗死(長良川の戦い)。信長は救援のため、木曽川を越えて美濃の大浦まで出陣したものの、勢いに乗った義龍軍に苦戦し、道三敗死の知らせにより信長自らが殿をしつつ退却した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "最も有力な味方である道三を失った信長に対し、林秀貞(通勝)・林通具・柴田勝家らは弟・信勝を擁立すべく挙兵する。信勝は、父・信秀から末盛城や柴田勝家ら有力家臣を与えられるとともに、愛知郡内に一定の支配権を有するなど、弾正忠家において以前から強い力を有していた。弘治元年には「弾正忠」を名乗るようにもなっており、弾正忠家の継承者候補として信長と争う立場にあった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "同年8月に両者は稲生で激突するが、結果は信長の勝利に終わった(稲生の戦い)。信長は、末盛城などに籠もった信勝派を包囲したが、生母・土田御前の仲介により、信勝・勝家らを赦免した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "永禄元年(1558年)、信勝が再び謀反を企てる。この時、信勝を見限った柴田勝家からの密告があり、事態を悟った信長は病と称して信勝を清洲城に誘い出し殺害した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "同年7月、信長は、同族の犬山城主・織田信清と協力し、尾張上四郡(丹羽郡・葉栗郡・中島郡・春日井郡)の守護代・織田伊勢守家(岩倉織田家)の当主・織田信賢を浮野の戦いにおいて撃破した。そして、翌年には、信賢の本拠地・岩倉城を陥落させた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "永禄2年(1559年)2月2日、信長は約500名の軍勢を引き連れて上洛し、室町幕府13代将軍・足利義輝に謁見した。村岡幹生によれば、この上洛の目的は、新たな尾張の統治者として幕府に認めてもらうことにあったという。しかし、この目的は達成されなかったと考えられる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "一方、天野忠幸によれば、この上洛は尾張の問題だけによるものではなく、前年に足利義輝が正親町天皇を擁した三好長慶に対して不利な形で和睦をせざるを得なかったことによって諸大名が拠って立つ足利将軍家を頂点に立つ武家秩序が崩壊する危機感が高まり、その状況を信長自らが確認する意図もあったとされる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "永禄3年(1560年)5月、今川義元が尾張国へ侵攻した。駿河・遠江に加えて三河国をも支配する今川氏の軍勢は、1万人とも4万5千人とも号する大軍であった。織田軍はこれに対して防戦したがその兵力は数千人程度であった。今川軍は、松平元康(後の徳川家康)が指揮を執る三河勢を先鋒として、織田軍の城砦に対する攻撃を行った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "信長は静寂を保っていたが、永禄3年(1560年)5月19日午後一時、幸若舞『敦盛』を舞った後、出陣した。攻撃を仕掛けてくるなど全く予想しておらず、油断しきっていた今川軍の陣中に信長は強襲をかけ、義元を討ち取った(桶狭間の戦い)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "桶狭間の戦いの後、今川氏は三河国の松平氏の離反等により、その勢力を急激に衰退させる。これを機に信長は今川氏の支配から独立した徳川家康(この頃、松平元康より改名)と手を結ぶことになる。両者は同盟を結んで互いに背後を固めた(いわゆる清洲同盟)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "永禄6年(1563年)、美濃攻略のため本拠を小牧山城に移す", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "永禄8年(1565年)、信長は犬山城の織田信清を下し、ついに尾張統一を達成した。さらに、甲斐国の戦国大名・武田信玄と領国の境界を接することになったため、同盟を結ぶこととし、同年11月に信玄の四男・勝頼に対して信長の養女(龍勝寺殿)を娶らせた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "斎藤道三亡き後、信長と斎藤氏(一色氏)との関係は険悪なものとなっていた。桶狭間の戦いと前後して両者の攻防は一進一退の様相を呈していた。しかし、永禄4年(1561年)に斎藤義龍が急死し、嫡男・斎藤龍興が後を継ぐと、信長は美濃国に出兵し勝利する(森部の戦い)。同じ頃には北近江の浅井長政と同盟を結び、斎藤氏への牽制を強化している。その際、信長は妹・お市を輿入れさせた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "一方、中央では、永禄8年(1565年)5月、かねて京を中心に畿内で権勢を誇っていた三好氏の三好義継・三好三人衆・松永久通らが、対立を深めていた将軍・足利義輝を殺害した(永禄の変)。義輝の弟の足利義昭(一乗院覚慶、足利義秋)は、松永久秀の保護を得ており、殺害を免れた。義昭は大和国(現在の奈良県)から脱出し、近江国の和田、後に同国の矢島を拠点として諸大名に上洛への協力を求めた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "これを受けて、信長も同年12月には細川藤孝に書状を送り、義昭の上洛に協力する旨を約束した。同じ年には、至治の世に現れる霊獣「麒麟」を意味する「麟」字型の花押を使い始めている。また、義昭は上洛の障害を排除するため、信長と美濃斎藤氏との停戦を実現させた。こうして、信長が義昭の供奉として上洛する作戦が永禄9年8月には実行される予定であった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ところが、永禄9年(1566年)8月、信長は領国秩序の維持を優先して、美濃斎藤氏との戦闘を再開する。結果、義昭は矢島から若狭国まで撤退を余儀なくされ、信長もまた、閏8月に河野島の戦いで大敗を喫してしまう。「天下之嘲弄」を受ける屈辱を味わった信長は、名誉回復のため、美濃斎藤氏の脅威を排除し、義昭の上洛を実現させることを目指さなければならなくなる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "そして、永禄9年(1566年)、信長は美濃国有力国人衆である佐藤忠能と加治田衆を味方にして中濃の諸城を手に入れ(堂洞合戦、関・加治田合戦、中濃攻略戦)、義弟・斎藤利治を佐藤忠能の養子として加治田城主とする。さらに西美濃三人衆(稲葉良通・氏家直元・安藤守就)などを味方につけた信長は、ついに永禄10年(1567年)、斎藤龍興を伊勢国長島に敗走させ、美濃国平定を進めた(稲葉山城の戦い)。このとき、井ノ口を岐阜と改称した(『信長公記』)", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "同年11月、印文「天下布武」の朱印を信長は使用しはじめている。この印判の「天下」の意味は、日本全国を指すものではなく、五畿内を意味すると考えられており、室町幕府再興の意志を込めたものであった(→#信長の政権構想)。11月9日には、正親町天皇が信長を「古今無双の名将」と褒めつつ、御料所の回復・誠仁親王の元服費用の拠出を求めたが、信長は丁重に「まずもって心得存じ候(考えておきます)」と返答したのみだった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "一方、すでに述べたとおり、三好氏による襲撃の危険が生じたことから、義昭は近江国を脱出して、越前国の朝倉義景のもとに身を寄せていた。しかし、本願寺との敵対という状況下では義景は上洛できず、永禄11年(1568年)7月には信長は義昭を上洛させるために、和田惟政に村井貞勝や不破光治・島田秀満らを付けて越前国に派遣している。義昭は同月13日に一乗谷を出て美濃国に向かい、25日に岐阜城下の立政寺にて信長と会見した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "永禄11年(1568年)9月7日、信長は足利義昭を奉戴し、上洛を開始した。すでに三好義継や松永久秀らは義昭の上洛に協力し、反義昭勢力の牽制に動いていた。一方、義昭・信長に対して抵抗した南近江の六角義賢・義治父子は織田軍の攻撃を受け、12日に本拠地の観音寺城を放棄せざるを得なくなった(観音寺城の戦い)。六角父子は甲賀郡に後退、以降はゲリラ戦を展開した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "更に9月25日に大津まで信長が進軍すると、大和国に遠征していた三好三人衆の軍も崩壊する。29日に山城勝龍寺城に退却した岩成友通が降伏し、30日に摂津芥川山城に退却した細川昭元・三好長逸が城を放棄、10月2日には篠原長房も摂津越水城を放棄し、阿波国へ落ち延びた。唯一抵抗していた池田勝正も信長に降伏した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "もっとも、京都やその周辺の人々はようやく尾張・美濃を平定したばかりの信長を実力者とは見ておらず、最初のうちは義昭が自派の諸将を率いて上洛したもので、信長はその供奉の将という認識であったという。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "足利義昭を第15代将軍に擁立した信長は、義昭から管領・斯波家の家督継承もしくは管領代・副将軍の地位などを勧められたが、足利家の桐紋と斯波家並の礼遇だけを賜り、遠慮したとされる。また、草津と大津、堺の土地を貰った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "永禄12年(1569年)1月5日、信長率いる織田軍主力が美濃国に帰還した隙を突いて、三好三人衆と斎藤龍興ら浪人衆が共謀し、足利義昭の仮御所である六条本圀寺を攻撃した(本圀寺の変)。しかし、信長は豪雪の中をわずか2日で援軍に駆けつけるという機動力を見せた。もっとも、細川藤賢や明智光秀らの奮戦により、三好・斎藤軍は信長の到着を待たず敗退していた。これを機に信長は義昭の為に二条に大規模な御所・二条御所を築いた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "同年2月、堺が信長の使者である佐久間信盛らの要求を受ける形で矢銭に支払いに応じると、信長は以前より堺を構成する堺北荘・堺南荘にあった幕府御料所の代官を務めてきた堺の商人・今井宗久の代官職を安堵して自らの傘下に取り込むことで堺の支配を開始、翌元亀元年(1570年)4月頃には松井友閑を堺政所として派遣し、松井友閑ー今井宗久(後に津田宗及・千利休が加わる)を軸として堺の直轄地化を進めた。また、(現存する文書では)同年1月以降に南近江に対して出される信長発給文書の書式が尾張・美濃と同一のものが採用され、同地域が織田領国に編入されたことが明確となった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "一方、1月14日、信長は足利義昭の将軍としての権力を制限するため、『殿中御掟』9ヶ条の掟書、のちには追加7ヶ条を発令し、これを義昭に認めさせた。だが、これによって義昭と信長の対立が決定的なものになったわけではなく、この時点ではまだ両者はお互いを利用し合う関係にあった。また、『殿中御掟』及び追加の条文は室町幕府の規範や先例に出典があり、「幕府再興」「天下静謐」を掲げる信長が幕府法や先例を吟味した上で制定したもので、これまでの室町将軍のあり方から外れるものではなかったとする研究もある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "同年3月、正親町天皇から「信長を副将軍に任命したい」という意向が伝えられたが、信長は何の返答もせず、事実上無視した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "永禄13年(元亀元年・1570年)1月23日、信長は義昭に対して更に5ヶ条の条書を発令して、これも義昭に認めさせた。この条書についてもかつては将軍権力を制約をより強化するものとするのが通説であったが、これと前後して信長の書札礼が関東管領(上杉謙信)と同じ様式に引き上げられていることから、義昭の上洛以来一貫して幕府における役職就任を拒んできた信長が管領に准じる身分(「准官領」)を得て正式に幕府高官の一員として義昭を補佐することに同意してそれに伴う信長側の要望を述べたものに過ぎない(元々、信長が幕府役職に就いてより積極的に「天下静謐」に参画するように求めたのは義昭の方である)と言う、通説とは全く異なる評価も出されている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "信長自身の当初の考えでは、幕府再興の実現後も幕府に対する軍事的な奉仕を続けるものの、京都の政務は幕府が行うべきで、自身は領国である美濃に留まって必要があれば京都にいる自己の奉行人を介して関与する方針を取ろうとしたと考えられている。山科言継が直接岐阜城を訪れて訴訟の裁許を求めた際には信長からは勅命以外の訴訟は美濃では扱わないことを言明しているが(『言継卿記』永禄12年11月12日条)、その後も同様の申入れが相次いで重ねて美濃では公事訴訟は受け付けず、陣中からの注進以外の話は聞かない旨を制札を立てたという(同元亀2年12月16日条)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "しかし、幕府による訴訟の遅延の問題(後述)や軍事的な強制力を持つ織田家の力を借りて訴訟を解決したいと言う考えも強かった。このため、信長が上京するたびに多くの訴訟が持ち込まれる事態となった。また、村井貞勝や明院良政を始めとする京都にいた信長の奉行人に同様の裁許を求める者もあった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ところが、信長が政務の担い手として期待していた幕臣たちが公家領や寺社領の押領の当事者になることがあり、中には幕府自らが没収して幕臣に所領として与える場合もあった。加えて、室町幕府では足利義輝が永禄5年(1562年)に代々政所執事を務めてきた伊勢貞孝を討って側近の摂津晴門を後任として以降、将軍と側近による御前沙汰を強化して将軍の権限を強めていく幕政改革を行い、義昭もこの方針を継承していたが、結果的には政所の弱体化によって大量の事案に対応しきれなくなって訴訟の遅延を招くことになった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "そして、何よりも義昭自身が恣意的な裁許を行ったことによって問題を深刻化させる事態も発生していた。信長による『殿中御掟』の制定も幕府における訴訟の円滑化と義昭や側近による恣意的な裁許を止めて公正な訴訟が行われることで幕府の安定化を意図したものと考えられている。ただし、幕府再興のために将軍や幕臣の態度に対しても積極的に意見していく信長の姿勢は、義昭や側近の幕臣たちからは義輝時代の三好長慶の再来として警戒の対象になった可能性も指摘されている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "一方、稲葉山城攻略と同じ頃の永禄10年(1567年)、信長は北伊勢に攻め寄せ、滝川一益をその地に配した。さらに。その翌年の永禄11年のより本格的な侵攻により、北伊勢の神戸氏に三男の織田信孝を、長野氏に弟の織田信良(信包)を養子とさせ、北伊勢八郡の支配を固めた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "南伊勢五郡は国司である北畠氏が勢力を誇っていたが、永禄12年(1569年)8月に信長は岐阜を出陣して南伊勢に進攻し、北畠家の大河内城を大軍を率いて包囲した(大河内城の戦い)。信長は強硬策を用いて大河内城の攻撃を図るも失敗し、戦いは長期化した。攻城戦の末、10月に信長は北畠家方と和睦し、次男・織田信雄を養嗣子として送り込んだ。天正4年(1576年)になると、信長は北畠具教ら北畠家の一族を虐殺させている(三瀬の変)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "なお、近年の研究において、大河内城の戦いは信長側の包囲にもかかわらず北畠側の抵抗によって城を落としきれず、信長が足利義昭を動かして和平に持ち込んだものの、その和平の条件について信長と義昭の意見に齟齬がみられ、これが両者の対立の発端であったとする説も出されている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "元亀元年(1570年)4月、信長は自身に従わない朝倉義景を討伐するため、越前国へ進軍する。織田軍は朝倉氏の諸城を次々と攻略していくが、突如として浅井氏離反の報告を受ける。挟撃される危機に陥った織田軍はただちに撤退を開始し、殿を務めた明智光秀・木下秀吉らの働きもあり、京に逃れた(金ヶ崎の戦い)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "6月、信長は浅井氏を討つべく、近江国姉川河原で徳川軍とともに浅井・朝倉連合軍と対峙。並行して浅井方の横山城を陥落させつつ、織田・徳川連合軍は勝利した(姉川の戦い)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "8月、信長は摂津国で挙兵した三好三人衆を討つべく出陣するが、近隣での信長の軍事動員に脅威を感じた石山本願寺が信長に対して挙兵した(野田城・福島城の戦い)。さらに、浅井・朝倉連合軍3万が近江国坂本に侵攻する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "しかし、9月になると、信長は本隊を率いて摂津国から近江国へと帰還する。慌てた朝倉軍は比叡山に立て籠もって抵抗した。信長はこれを受け、近江宇佐山城において浅井・朝倉連合軍と対峙する(志賀の陣)。しかし、その間に伊勢国の門徒が一揆を起こし(長島一向一揆)、信長の実弟・織田信興を自害に追い込んだ。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "11月21日、信長は六角義賢・義治父子と和睦し、ついで阿波から来た篠原長房と講和した。そして正親町天皇の勅命を仰ぎ、12月13日、浅井氏・朝倉氏との和睦に成功し、窮地を脱した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "元亀2年(1571年)2月、信長は浅井長政の配下の磯野員昌を味方に引き入れ、佐和山城を得た。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "5月、5万の兵を率いた信長は伊勢長島に向け出陣するも、攻めあぐねて兵を退いた。しかし撤退中に一揆勢に襲撃され、柴田勝家が負傷し、氏家直元が討死した。同月、三好義継・松永久秀が大和や河内の支配を巡って筒井順慶や畠山昭高と対立し、足利義昭が筒井・畠山を支援したことから三好三人衆と結んで義昭から離反して、信長とも対立関係となる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "同年9月、敵対する比叡山延暦寺を焼き討ちにした(比叡山焼き討ち)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "一方、甲斐国の武田信玄は駿河国を併合すると、三河国の家康や相模国の後北条氏、越後国の上杉氏と敵対していたが、元亀2年(1571年)末に後北条氏との甲相同盟を回復させると徳川領への侵攻を開始する。この頃、信長は足利義昭の命で武田・上杉間の調停を行っており、信長と武田の関係は良好であったが、信長の同盟相手である徳川領への侵攻は事前通告なしで行われた。なお、近年では元亀2年の信玄による三河侵攻は根拠となる文書群の年代比定の誤りが指摘され、これは勝頼期の天正3年の出来事であった可能性も考えられている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "元亀3年(1572年)3月、三好義継・松永久秀らが共謀して信長に敵対した。同月、足利義昭が信長に京都における邸宅造営を勧め、義昭は徳大寺公維に替地を与える条件で上京武者小路の屋敷地を信長に譲って貰い、信長はその地に村井貞勝と嶋田秀満に屋敷の造営を命じる。これは単なる義昭の信長へのご機嫌取りではなく、三好・松永軍の北上を警戒して信長を京都に引き留めたいとする意図があったとも考えられる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "7月、信長は嫡男・奇妙丸(後の織田信忠)を初陣させた。この頃、織田軍は浅井・朝倉連合軍と小競り合いを繰り返していた。以後の戦況は織田軍有利に展開した。 10月3日、信玄は甲府を出陣、信長はそれを知らず5日付けで信玄に対して武田上杉間での和睦の仲介に骨を折ったとの書状を送った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "11月14日、織田方であった岩村城が開城し、武田方に占拠された(岩村城の戦い)。病死した岩村城主・遠山景任の後家・おつやの方(信長の叔母)は、秋山虎繁(信友)と婚姻し、武田方に転じた。また、徳川領においては徳川軍が一言坂の戦いで武田軍に敗退し、さらに遠江国の二俣城が開城・降伏により不利な戦況となる(二俣城の戦い)。これに対して信長は、家康に佐久間信盛・平手汎秀ら3,000人の援軍を送ったが、12月の三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍は武田軍に敗退し、汎秀は討死した。 信長は11月20日付けで上杉謙信に「信玄の所行、まことに前代未聞の無道といえり、侍の義理を知らず、ただ今は都鄙を顧みざるの私大、是非なき題目にて候」「永き儀絶(義絶)たるべき事もちろんに候」「未来永劫を経候といえども、再びあい通じまじく候」と書状を送っている。。 この恨みが忘れられなかったのか長篠後に藤孝に「信玄入道表裏を構え、旧恩を忘れ、恣の働き候いける」と申し送っている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "同年の12月から翌年正月のあいだのいずれかの時点で、信長は足利義昭に対して17条からなる異見書を送ったと考えられ、詰問文により信長と義昭の関係は悪化している。この異見書は、従来、『永禄以来年代記』の元亀三年九月条の記述から、元亀3年9月に発給されたものだと考えられてきた。しかし、柴裕之によれば、他の複数の史料の記載や前後の事情から、異見書が元亀3年9月に発給されたとは考え難い。柴は、同年12月の三方ヶ原の戦いの敗戦によって、義昭が従来の信長との協調路線に不安を覚えはじめたと述べる。そして、そのことに対する牽制として、この異見書が出されたものであるとする。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "元亀4年(1573年)に入ると、武田軍は遠江国から三河国に侵攻し、2月には野田城を攻略する(野田城の戦い)。 こうした武田方の進軍を見て、足利義昭が同月に信長との決別を選び、信長と敵対した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "信長は岐阜から京都に向かって進軍し、上京を焼き討ちちしつつ、義昭との和睦を図った。義昭は初めこれを拒否していたが、正親町天皇からの勅命が出され、4月5日に義昭と信長はこれを受け入れて和睦した。なお、久野雅司は御供衆で武田信玄との外交を担当していた上野秀政を信玄の上洛や信長の排除を画策して義昭に挙兵を勧めた人物と推測し、信長の上洛も秀政とその同調者の処分を目的としていたが、義昭が和睦に応じて秀政も信長に謝罪をしたことで一応の目的を果たしたとしている。一方、武田軍は信玄の病状悪化により撤退を開始し、4月12日には信玄は病死する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "4月末に義昭と信長家臣との間で起請文が交わされた。義昭が宛てた家臣の内訳は佐久間信盛・滝川一益・塙直政で、信長側の発給者は林秀貞・佐久間信盛・柴田勝家・稲葉一鉄・安藤守就・氏家卜全・滝川一益である。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "なお、元亀年間に行われた武田氏の遠江・三河への侵攻や信長との対立は「西上作戦」と通称され、信玄は上洛を目指していたとされてきたが、近年ではその実態や意図に疑問が呈されている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "しかし、その後も義昭は信長に対して抵抗し、元亀4年7月には再び挙兵して、槇島城に立て籠もったが、信長は義昭を破り追放した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "通説では、この時点をもって室町幕府が滅亡したとされる。このことにより、室町将軍は天皇王権を擁し京都を中心とする周辺領域を支配し地方の諸大名を従属下におき紛争などを調停する「天下」主催者たる地位を喪失するが、信長は「天下」主催者としての地位を継承し、以降は諸大名を従属・統制下におく立場であったことが指摘されている。一方、義昭はその後も将軍の地位に留まったまま、各地を経て、備後国鞆へ移り、毛利輝元の庇護を受ける。そして、信長打倒と京都復帰のため指令文書を各勢力に出しており、義昭が名実ともに将軍の地位を明け渡したのは信長没後のことでもある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "このことから、歴史学者の藤田達生は、依然として義昭の勢力は幕府としての実態を備えており(鞆幕府論)、義昭の「公儀」信長の「公儀」が並立する状態にあったと論じている。この「鞆幕府」という名称が適切かはともかく、藤田の議論の観点は妥当なものであると評価されている。この視点に立てば、これ以後の信長の戦争は、天下統一戦争というよりも、足利氏とそれを支持する他の戦国大名に対する戦いであると考えられる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "幕府の直臣は、奉行衆、奉公衆などの100名以上が義昭の鞆下向に同行している。その一方で、細川藤孝ら多くの幕臣が京都に残り信長側に転じた。これらの旧幕臣は、明智光秀の与力となり、室町幕府の組織を引き継ぐ形で京都支配に携わることとなった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "義昭の追放後、元号を元亀から天正へと改めることを朝廷に奏上し、7月28日にはこれを実現させた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "天正元年(1573年)8月8日、浅井家の武将・阿閉貞征が内応したので、急遽、信長は3万人の軍勢を率いて北近江へ出兵。山本山・月ガ瀬・焼尾の砦を降して、小谷城の包囲の環を縮めた。10日に越前から朝倉軍が救援に出陣してきたが、風雨で油断しているところを13日夜に信長自身が奇襲して撃破した。大将に先を越されたと焦った諸将は陳謝して敗走する朝倉軍を追撃し、敦賀を経由して越前国に侵攻した。諸城を捨てて一乗谷に逃げ込んだ朝倉軍は刀根坂の戦いでも敗れ、一乗谷城をも捨てて六坊に逃げたが、平泉寺の僧兵と一族の朝倉景鏡に裏切られ、朝倉義景は自刃した。景鏡は義景の首級を持って降参した。信長は丹羽長秀に命じて朝倉家の世子・愛王丸を探して殺害させ、義景の首は長谷川宗仁に命じて京で獄門(梟首)とされた。信長は26日に虎御前山に凱旋した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "翌8月27日に羽柴秀吉の攻撃によって小谷城の京極丸が陥落し、翌日に浅井久政が自刃した。28日から9月1日の間に本丸も陥落して、浅井長政も自害した。信長は久政・長政親子の首も京で獄門とし、長政の10歳の嫡男・万福丸を捜し出させ、関ヶ原で磔とした。なお、長政に嫁いでいた妹・お市とその子は藤掛永勝によって落城前に脱出しており、信長は妹の生還を喜んで、後に弟・織田信包に引き取らせた(当初は叔父の織田信次が預かったという)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "9月24日、信長は尾張・美濃・伊勢の軍勢を中心とした3万人の軍勢を率いて、伊勢長島に行軍した。織田軍は滝川一益らの活躍で半月ほどの間に長島周辺の敵城を次々と落としたが、長島攻略のため、大湊に桑名への出船を命じたが従わず、10月25日に矢田城に滝川一益を入れて撤退する。しかし2年前と同様に撤退途中に一揆軍による奇襲を受け、激しい白兵戦で殿隊の林通政の討死の犠牲を出して大垣城へ戻る。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "11月に、足利義昭は、三好義継の居城・若江城を離れ、紀伊国へと退去した。同月、佐久間信盛ら信長方の軍勢が、三好義継への攻撃を開始した。義継の家老・若江三人衆らによる裏切りで義継は11月16日に自害する。12月26日、大和国の松永久秀も多聞山城を明け渡し、信長に降伏した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "天正2年(1574年)の正月、朝倉氏を攻略して織田領となっていた越前国で、地侍や本願寺門徒による反乱(越前一向一揆)が起こり、朝倉氏旧臣で信長によって守護代に任命されていた桂田長俊が一乗谷で殺された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "さらに、同月中には、甲斐国の武田勝頼が東美濃に侵攻してくる。信長はこれを迎撃しようと3万の兵で出陣したが、信長の援軍が到着する前に東美濃の明知城が落城し、信長は武田軍との衝突を避けて岐阜に撤退した。明知年譜によると、山縣昌景の別動隊6000人の追撃を受け、信長の周囲を固めた16騎のうち9騎が打ち取られ、7騎が逃げ出すなど、信長が瀬戸際まで追い詰められる場面もあったという。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "また、信長は正親町天皇に対して「蘭奢待の切り取り」を奏請し、天皇はこれを勅命をもって了承した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "7月、信長・信忠は、織田信雄・滝川一益・九鬼嘉隆の伊勢・志摩水軍を含む大軍を率い、伊勢長島の一向一揆を水陸から完全に包囲した。抵抗は激しかったが、8月に兵糧不足に陥り、大鳥居城から逃げ出した一揆勢1,000人余が討ち取られるなど、一揆方は劣勢となる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "9月29日、長島城の門徒は降伏し、船で大坂方面に退去しようとしたが、信長は鉄砲の一斉射撃を浴びせ掛けた。これは、信長の「不意討ち」と表現される事があるが、これは一向宗側が先に騙し討ちを行った事への報復であるという説がある。一方、この時の一揆側の反撃で、信長の庶兄・織田信広ら織田方の有力武将が討ち取られた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "これを受けて信長は中江城、屋長島城に立て籠もった長島門徒2万人に対して、城の周囲から柵で包囲し、焼き討ちで全滅させた。この戦によって長島を占領した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "天正2年から天正3年にかけて、武田方は織田・徳川領への再侵攻を繰り返していた。天正3年(1575年)4月、勝頼は武田氏より離反し徳川氏の家臣となった奥平貞昌を討つため、貞昌の居城・長篠城に攻め寄せた。しかし奥平勢の善戦により武田軍は長篠城攻略に手間取る。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "その間の5月12日に信長は岐阜から出陣し、途中で徳川軍と合流し、5月18日に三河国の設楽原に陣を布いた。一方、勝頼も寒狭川を渡り、織田徳川連合軍に備えて布陣した。織田徳川連合軍の兵力は3万人程度であり、対する武田方の兵力は1万5千人程度であったという。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "そして5月21日、織田・徳川連合軍と武田軍の戦いが始まる(長篠の戦い)。信長は設楽原決戦においては佐々成政ら5人の武将に多くの火縄銃を用いた射撃を行わせた。この戦いで織田軍は武田軍に圧勝した。武田方は有力武将の多くを失う。信長は細川藤孝に宛てた書状のなかで、「天下安全」の実現のために倒すべき敵は、本願寺のみとなったと述べている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "6月27日、相国寺に上洛した信長は、常陸国の国人である江戸氏が、本来天台宗の僧侶にしか認められていない絹衣の着用を自己が信奉する真言宗の僧侶にも認めたことで天台宗と真言宗の僧侶の間で相論が続いていることを知り、公家の中から三条西実枝・勧修寺晴右・甘露寺経元・庭田重保・中山孝親の5人を奉行に任命して問題の解決に当たらせた(絹衣相論を参照)。なお、老齢である三条西は11月ごろに奉行を辞退し、残りの4名は「四人衆」と呼ばれて本件を含めた朝廷内の訴訟に関する合議を行うようになった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "7月3日、正親町天皇は信長に官位を与えようとしたが、信長はこれを受けず、家臣たちに官位や姓を与えてくれるよう申し出た。天皇はこれを認め、信長の申し出通りに、松井友閑に宮内卿法印、武井夕庵に二位法印、明智光秀に惟任日向守、簗田広正に別喜右近、丹羽長秀に惟住といったように彼らに官位や姓を与えた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "一方、前の年に一向一揆支配下となった越前国に対し、8月に信長は行軍して平定し、一揆勢を多数殺害したことを書状に記している。信長は、越前八郡を柴田勝家に任せるとともに、府中三人衆(前田利家・佐々成政・不破光治)ら複数の家臣を越前国に配し、分割統治を行わせた。また、信長は越前国掟九ヵ条を出して、越前の諸将にその遵守を求めた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "この越前一向一揆の殲滅と、これに先立つ長島一向一揆の殲滅は大坂本願寺に対する圧力となり、信長が本願寺を赦免する方針をとったため、10月には信長と本願寺との和議が成立した。これにより、信長は一時的に天下静謐を達成することとなった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "天正3年(1575年)11月4日、信長は権大納言に任じられる。さらに11月7日には右近衛大将を兼任する。この権大納言・右大将就任は、源頼朝が同じ役職に任じられた先例にならったものであるとも考えられるという。官位就任とともに、信長は公家や寺社に対する知行地の宛行を行い、天皇や朝廷の権威を利用しつつ、その存立基盤を維持することに努めた。以後、信長はしばしば「上様」と称されるようになる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "これで朝廷より「天下人」であることを、事実上公認されたものとされる。また、この任官によって、信長は足利義昭の追放後もその子・義尋を擁する形で室町幕府体制(=公武統一政権)を維持しようとした政治路線を放棄して、この体制を否定する方向(=「倒幕」)へと転換したとする見方もある。また、義昭の実父である足利義晴が息子の義輝に将軍職を譲った際に権大納言と右近衛大将を兼ねて「大御所」として後見した(現任の将軍であった義輝には実権はなかった)先例があり、信長が「大御所」義晴の先例に倣おうとしたとする解釈もある。ただし、伝統的な室町将軍の呼称であった「室町殿」「公方様」「御所様」「武家」を信長に対して用いた例は無く、朝廷では信長を従来の足利将軍とは別個の権力とみなしていた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "同日、嫡子の信忠が秋田城介に任官している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "そして、11月28日、信長は嫡男・信忠に、一大名家としての織田家の家督ならびに岐阜城を中心とした美濃・尾張などの織田家の領国を譲り、斎藤利治・河尻秀隆・林秀貞等を信忠付きの譜代家臣団とした。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "天正4年(1576年)1月、交通の要地である近江国安土に安土城を築城することについて、丹羽長秀に奉行を担当させ、同年4月から実際に築城を開始した。安土城が出来るまでは、譜代家老の佐久間信盛の城(屋敷)を在所とした。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "天正4年(1576年)1月、信長に誼を通じていた丹波国の波多野秀治が叛旗を翻した。さらに石山本願寺も再挙兵するなど、再び反信長の動きが強まり始める。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "4月、信長は塙直政・荒木村重・明智光秀・細川藤孝を指揮官とする軍勢を大坂に派遣し、本願寺を攻撃させた。しかし、紀州雑賀衆が本願寺勢方に味方しており、5月3日に塙が本願寺勢の反撃に遭って、塙を含む多数の兵が戦死した。織田軍は窮して天王寺砦に立て籠もるが、勢いに乗る本願寺勢は織田軍を包囲した。5月5日、救援要請を受けた信長は動員令を出し、若江城に入ったが、急な事であったため集まったのは3,000人ほどであった。やむなく5月7日早朝には、その軍勢を率いて信長自ら先頭に立ち、天王寺砦を包囲する本願寺勢に攻め入り、信長自身も銃撃され負傷する激戦となった。織田軍は、光秀率いる天王寺砦の軍勢との連携・合流に成功し、本願寺勢を撃破し、これを追撃。2,700人余りを討ち取った(天王寺砦の戦い)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "信長は6月6日に一旦京都に戻るが、折しも興福寺において次の別当を巡って尋円と兼深の間で相論が発生して、双方とも朝廷に訴え出ていた。信長の元にも双方から訴えがあったため、信長は前述の四人衆と相談の上で個人名を上げるのを避けたものの藤氏長者である二条晴良が興福寺の伝統に基づいて任命にすべきと晴良に伝え、これを尋円の任命と受け取った晴良はその手続を取った。しかし、兼深は信長の意見は自分を任じる意向なのに晴良がそれを曲げていると主張し、信長の意見が抽象的でその意味を解しかねていた正親町天皇や四人衆はそれを受け入れてしまった。しかし、安土城に帰ってから報告に訪れた四人衆からそれを聞いた信長は自分の意見が否定されたと激怒して、堀秀政らを興福寺に派遣して事実関係を再確認した上で、滝川一益と丹羽長秀を上洛させて改めて朝廷に尋円の任命を奏上して、四人衆をしばらくの間逼塞処分とした(天正4年興福寺別当相論)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "この頃、従来は信長と協力関係にあった関東管領の上杉謙信との関係が悪化する。謙信は天正4年4月から石山本願寺との和睦交渉を開始し、5月に講和を成立させ、信長との対立を明らかにした。謙信や石山本願寺のみならず、毛利輝元・波多野秀治・雑賀衆などが反信長に同調し、結託した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "天王寺砦の戦いののち、佐久間信盛ら織田軍は石山本願寺を水陸から包囲し、物資を入れぬよう経済的に封鎖した。ところが、7月13日、毛利輝元が石山本願寺の要請を受けて派遣した毛利水軍など700 - 800隻程度が、本願寺の援軍として大阪湾木津川河口に現れた。この戦いで織田水軍は敗れ、毛利軍により石山本願寺に兵糧・弾薬が運び込まれた(第一次木津川口の戦い)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "このような事情の中、11月21日に信長は正三位・内大臣に昇進している。この年の冬には、天皇の安土行幸が計画されており、それはその翌年の天正5年に実行されるはずだった。これに先立って、正親町天皇が誠仁親王に譲位し、親王が新たな天皇として行幸する予定だったという。しかし、このときは譲位も安土行幸も実現しなかった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "天正5年(1577年)2月、信長は、雑賀衆を討伐するために大軍を率いて出陣(紀州攻め)し、3月に入ると雑賀衆の頭領・鈴木孫一らを降伏させ、紀伊国から撤兵した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "天正5年(1577年)8月、松永久秀が信長に謀反を起こし、その本拠地の信貴山城に籠城した。天正五年十月十一日付の下間頼廉の書状の内容から、この久秀の造反は、足利義昭・本願寺といった反信長勢力の動きに呼応したものだと考えられるという。しかし、織田信忠率いる織田軍に攻撃され、10月に信貴山城は陥落し、久秀は自害に追い込まれた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "11月20日、正親町天皇は信長を従二位・右大臣に昇進させた。天正6年(1578年)1月にはさらに正二位に昇叙されている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "尾張の兵を弓衆・鉄砲衆・馬廻衆・小姓衆・小身衆など機動性を持った直属の軍団に編成し、天正4年(1576年)にはこれらを安土に結集させた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "天正6年(1578年)3月、播磨国の別所長治の謀反(三木合戦)が起こる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "4月、突如として信長は右大臣・右近衛大将を辞した。このとき、信長は信忠に官職を譲ることを希望したものの、これは実現しなかった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "7月、毛利軍が上月城を攻略し、信長の命により見捨てられた山中幸盛ら尼子氏再興軍は処刑された(上月城の戦い)。10月には突如として摂津国の荒木村重が信長から離反し、足利義昭・毛利氏・本願寺と手を結んで信長に抵抗する一方、同じく東摂津に所領を持つ中川清秀・高山右近は村重に一時的に同調したものの、まもなく信長に帰順した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "11月6日、九鬼嘉隆率いる織田水軍が、毛利水軍に勝利し、本願寺への兵糧補給の阻止に成功した(第二次木津川口の戦い)。12月には、織田軍が、荒木村重の籠もる有岡城を包囲し、兵糧攻めを開始した(有岡城の戦い)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "天正7年(1579年)5月には、安土城の天守が地上六階・地下一階の建物として完成を見て、信長はここに移り住んだ。これは、坂本城などの先行する天守よりも豪華かつ大規模なものだった。信長は、天守に狩野永徳の手による仏教・儒教・道教の絵画を設け、天守のそばに清涼殿に類似する建物をも造っている。これは天皇権威の克服や東アジア諸国への進出を意図したものだとも評価されるが、柴裕之は、伝統的な社会権威を尊重する信長の姿勢を示したものだとする。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "同年6月、明智光秀による八上城包囲の結果、ついに波多野秀治が捕らえられ、処刑される。光秀は同年中に丹波・丹後の平定を達成した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "一方、援軍が得られる見込みが薄くなり、追い詰められた荒木村重は、同年9月、有岡城を出て包囲網を突破し、戦略上の要地である尼崎城に入った。しかし、宇喜多直家の織田方への帰参により毛利氏からの援軍は得られなくなり、有岡城の一部城兵も離反し、有岡城はついに落城した。そして、信長は、荒木氏の妻子や家臣数百人を虐殺した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "翌年の天正8年(1580年)1月、別所長治が切腹し、三木城が開城。数カ月後には、播磨国一円を信長方は攻略した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "11月、信長は織田家の京屋敷を二条新御所として、皇太子である誠仁親王に進上した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "この年、信長は徳川家康の嫡男・松平信康に対し切腹を命じたとされる。これは信康の乱行、信康生母・築山殿の武田氏への内通などを理由としたものであったといわれ、家康は信長の意向に従い、築山殿を殺害し、信康を切腹させたという。しかし、この通説には疑問点も多く、近年では家康・信康父子の対立が原因で、信長は娘婿信康の処断について家康から了承を求められただけだとも考えられている(松平信康#信康自刃事件についての項を参照)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "九州の大友義統の昇進を朝廷に推挙し従五位下左兵衛督に就任させた。また、大友氏と盟約を結び毛利領となっていた周防・長門への侵攻および領有を認めた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "天正8年(1580年)3月10日、関東の北条氏政から従属の申し入れがあり、北条氏を織田政権の支配下に置いた。これにより信長の版図は東国にまで拡大した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "閏3月7日、正親町天皇の勅命のもと、本願寺もついに抵抗を断念し、織田家と和睦した(いわゆる勅命講和)。ただし、本願寺側では教如が大坂に踏みとどまり戦闘を継続しようとしている。門徒間での和睦への抵抗感が大きかったためだが、やがて教如も籠城継続を諦めざるを得なくなり、8月に大坂を退去している。「天下のため」を標榜して信長が遂行した大坂本願寺戦争は、10年の歳月をかけてようやく決着がついた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "この本願寺打倒の成功は、織田政権の一つの画期とされる。なおも各地の一向一揆の抗戦は続くとは言え、大坂本願寺の敗退により、組織的抵抗は下火となっていく。この頃から、「天下」の意味が単なる畿内を超えて日本全土を指すようになり、信長が「天下一統」を目指すようになったという説もある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "その一方で、同年8月、大坂本願寺戦争の司令官だった老臣の佐久間信盛とその嫡男・佐久間信栄に対して、信長は折檻状を送り付けた。そして、本願寺との戦に係る不手際などを理由に、高野山への追放を命じている。さらに、重臣の林秀貞をはじめ、安藤守就とその子・定治、丹羽氏勝らも追放の憂き目にあった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "天正9年(1581年)1月23日、信長は明智光秀に京都で馬揃えを行なうための準備の命令を出した。この馬揃えは近衛前久ら公家衆、畿内をはじめとする織田分国の諸大名、国人を総動員して織田軍の実力を正親町天皇以下の朝廷から洛中洛外の民衆、さらには他国の武将にも誇示する一大軍事パレードであった。ただ、馬揃えの開催を求めたのは信長ではなく朝廷であったとされる。信長は天正9年の初めに安土で爆竹の祭りである左義長を挙行しており、それを見た朝廷側が京都御所の近くで再現してほしいと求めた事による。ただ、左義長を馬揃えに変えたのは信長自身であった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "2月28日、京都の内裏東の馬場にて大々的な馬揃えを行った(京都御馬揃え)。これには信長はじめ織田一門のほか、丹羽長秀ら織田軍団の武威を示すものであった。『信長公記』では「貴賎群衆の輩 かかるめでたき御代に生まれ合わせ...(中略)...あり難き次第にて上古末代の見物なり」とある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "3月5日には再度、名馬500余騎をもって信長は馬揃えを挙行した。このため、この京都御馬揃えは信長が正親町天皇に皇太子・誠仁親王への譲位を迫る軍事圧力だったとする見解もあり、洛中洛外を問わず、近隣からその評判を聞いた人々で京都は大混乱になったという。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "3月7日、天皇は信長を左大臣に推任。3月9日にこの意向が信長に伝えられ、信長は「正親町天皇が譲位し、誠仁親王が即位した際にお受けしたい」と返答した。朝廷はこの件について話し合い、信長に朝廷の何らかの意向が伝えられた。3月24日、信長からの返事が届き、朝廷はこれに満足している。だが4月1日、信長は突然「今年は金神の年なので譲位には不都合」と言い出した。譲位と信長の左大臣就任は延期されることになった。ただし、この時に出された陰陽寮(土御門久脩・賀茂在昌)の3月21日付の勘文を正親町天皇が書写したものが東山御文庫に現存しており、その写しには金神のことが記されているため、少なくても21日の段階で朝廷側は金神の年の問題を知っており、譲位と左大臣就任の延期も朝廷側の申入で3月24日の信長の返事は延期の了承であるとする見解もある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "8月1日の八朔の祭りの際、信長は安土城下で馬揃えを挙行するが、これには近衛前久ら公家衆も参加する行列であり、安土が武家政権の中心である事を天下に公言するイベントとなった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "天正9年(1581年)、高野山が荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど信長と敵対する動きを見せる。『信長公記』によれば、信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害した(高野山側は、足軽達は捜索ではなく乱暴狼藉を働いたため討った、としている)。一方、『高野春秋』では前年8月に高野山宗徒と荒木村重の残党との関係の有無を問いかける書状を松井友閑を通じて送り付け、続いて9月21日に一揆に加わった高野聖らを捕縛し入牢あるいは殺害した。このため天正9年(1581年)1月、根来寺と協力して高野聖が高野大衆一揆を結成し、信長に反抗した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "信長は一族の和泉岸和田城主・織田信張を総大将に任命して高野山攻めを発令。1月30日には高野聖1,383名を逮捕し、伊勢や京都七条河原で処刑した。10月2日、信長は堀秀政の軍勢を援軍として派遣した上で根来寺を攻めさせ、350名を捕虜とした。10月5日には高野山七口から筒井順慶の軍も加勢として派遣し総攻撃を加えたが、高野山側も果敢に応戦して戦闘は長期化し、討死も多数に上った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "天正10年(1582年)に入ると信長は甲州征伐に主力を向ける事になったため、高野山の戦闘はひとまず回避される。武田家滅亡後の4月、信長は信張に変えて信孝を総大将として任命した。信孝は高野山に攻撃を加えて131名の高僧と多数の宗徒を殺害した。しかし決着はつかないまま本能寺の変が起こり、織田軍の高野山包囲は終了し、比叡山延暦寺と同様の焼き討ちにあう危機を免れた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "天正9年(1581年)5月に越中国を守っていた上杉氏の武将・河田長親が急死した隙を突いて織田軍は越中に侵攻し、同国の過半を支配下に置いた。7月には越中木舟城主の石黒成綱を丹羽長秀に命じて近江で誅殺し、越中願海寺城主・寺崎盛永へも切腹を命じた。3月23日には高天神城を奪回し、武田勝頼を追い詰めた。紀州では雑賀党が内部分裂し、信長支持派の鈴木孫一が反信長派の土橋平次らと争うなどして勢力を減退させた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "武田勝頼は長篠合戦の敗退後、越後上杉家との甲越同盟の締結や新府城築城などで領国再建を図る一方、人質であった織田信房(勝長)を返還することで、佐竹義重を通じて信長との和睦(甲江和与)を模索したが進まずにいた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "天正10年(1582年)2月1日、武田信玄の娘婿であった木曾義昌が信長に寝返る。2月3日に信長は武田領国への本格的侵攻を行うための大動員令を信忠に発令。駿河国から徳川家康、相模国から北条氏直、飛騨国から金森長近、木曽から織田信忠が、それぞれ武田領攻略を開始した。信忠軍は軍監・滝川一益と信忠の譜代衆となる河尻秀隆・森長可・毛利長秀等で構成され、この連合軍の兵数は10万人余に上った。木曽軍の先導で織田軍は2月2日に1万5,000人が諏訪上の原に進出する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "武田軍では、伊那城の城兵が城将・下条信氏を追い出して織田軍に降伏。さらに南信濃の松尾城主・小笠原信嶺が2月14日に織田軍に投降する。さらに織田長益、織田信次、稲葉貞通ら織田軍が深志城の馬場昌房軍と戦い、これを開城させる。駿河江尻城主・穴山信君も徳川家康に投降して徳川軍を先導しながら駿河国から富士川を遡って甲斐国に入国する。このように武田軍は先を争うように連合軍に降伏し、組織的な抵抗が出来ず済し崩し的に敗北する。唯一、武田軍が果敢に抵抗したのは仁科盛信が籠もった信濃高遠城だけであるが、3月2日に信忠率いる織田軍の攻撃を受けて落城し、400余の首級が信長の許に送られた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "この間、勝頼は諏訪に在陣していたが、連合軍の勢いの前に諏訪を引き払って甲斐国新府に戻る。しかし穴山らの裏切り、信濃諸城の落城という形勢を受けて新府城を放棄し、城に火を放って勝沼城に入った。織田信忠軍は猛烈な勢いで武田領に侵攻し武田側の城を次々に占領していき、信長が甲州征伐に出陣した3月8日に信忠は武田領国の本拠である甲府を占領し、3月11日には甲斐国都留郡の田野において滝川一益が武田勝頼・信勝父子を自刃させ、ここに武田氏は滅亡した。勝頼・信勝父子の首級は信忠を通じて信長の許に送られた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "信長は3月13日、岩村城から弥羽根に進み、3月14日に勝頼らの首級を実検する。3月19日、高遠から諏訪の法華寺に入り、3月20日に木曽義昌と会見して信濃2郡を、穴山信君にも会見して甲斐国と駿河国の旧領を安堵した。3月23日、滝川一益に今回の戦功として旧武田領の上野国と信濃2郡を与え、関東管領に任命して厩橋城に駐留させた。3月29日、穴山領を除く甲斐国を河尻秀隆に与え、駿河国は徳川家康に、北信濃4郡は森長可に与えた。南信濃は毛利秀頼に与えられた。この時、信長は旧武田領に国掟を発し、関所の撤廃や奉公、所領の境目に関する事を定めている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "4月10日、信長は富士山見物に出かけ、家康の手厚い接待を受けた。4月12日、駿河興国寺城に入城し、北条氏政による接待を受ける。さらに江尻城、4月14日に田中城に入城し、4月16日に浜松城に入城した。浜松からは船で吉田城に至り、4月19日に清洲城に入城。4月21日に安土城へ帰城した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "信長による武田氏討伐は、奥羽の大名たちに大きな影響を与えた。蘆名氏は5月に信長の許へ使者を派遣し「無二の忠誠」を誓った。また、伊達輝宗の側近・遠藤基信が6月1日付けで佐竹義重に書状を遣わし、信長の「天下一統」のために奔走することを呼びかけるなど、信長への恭順の姿勢を明らかにしている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "天正10年(1582年)1月6日、信長は出仕してきた者たちに安土城の「御幸の間」を見せたという記載が『信長公記』にはある。そして、正月7日、勧修寺晴豊は、行幸のための鞍が完成したのでそれを正親町天皇に見せている(『晴豊公記』)。このため、天正10年かそれ以降に、正親町天皇が安土に行幸する「安土行幸」が予定されていたと考えられる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "4月、信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が、村井貞勝と武家伝奏・勧修寺晴豊とのあいだで話し合われた(三職推任問題)。このことは、晴豊が『天正十年夏記』に記載しているが、その中の「御すいにん候て然るべく候よし申され候」の文意が明確ではない。そうした事情から、この推任が朝廷側の提案によるものなのか、あるいは村井貞勝の申し入れによるものなのか、研究者のあいだで解釈に争いがある。いずれにせよ、5月になると朝廷は、信長の居城・安土城に推任のための勅使を差し向けた。信長は正親町天皇と誠仁親王に対して返答したが、返答の内容は不明である。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "堀新は、勅使に同行した勧修寺晴豊の日記『天正十年夏記』(晴豊記の断簡)で信長の官職のことを触れていないこと、信長上京の時に朝廷に徐目をめぐる動きがないことをもって就任を断ったのであると断定している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "こうしたなか、信長は四国の長宗我部元親攻略を決定し、三男の信孝、重臣の丹羽長秀・蜂屋頼隆・津田信澄の軍団を派遣する準備を進めた。この際、信孝は名目上、阿波に勢力を有する三好康長の養子となる予定だったという。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "そして、長宗我部元親討伐後に讃岐国を信孝に、阿波国を三好康長に与えることを計画していた。また、伊予国・土佐国に関しては、信長が淡路に赴いた際、その仕置を決める予定であった。そして、その四国侵攻開始は、6月2日に信孝が淡路に渡海する形で予定されていた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "しかし、従来、長宗我部元親との取次役は明智光秀が担当してきたため、この四国政策の変更は光秀の立場を危うくするものであった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "5月15日、徳川家康が駿河国加増の礼のため、安土城を訪れた。そこで、信長は明智光秀に接待役を命じる。光秀は15日から17日にわたって、家康を手厚くもてなした(安土饗応)。信長の光秀に対する信頼は深かった。一方で、この接待の際、事実かどうか定かではないものの、『フロイス日本史』は、信長が光秀に不満を持ち、彼を足蹴にしたと伝えている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "5月17日、家康接待が続く中、信長は備中高松城の包囲(備中高松城の戦い)を行っている羽柴秀吉の使者より、毛利輝元が自ら出陣し、吉川元春や小早川隆景など毛利氏の軍勢が接近してきたことが報告され、それに対する援軍の依頼を受けた。報告を受け、信長は自ら出陣して、輝元ら毛利氏を討ち、九州までも平定するという意向を秀吉に伝えた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "信長は自身の出陣に先んじて、光秀を家康の接待役から解き、秀吉への援軍に向かうよう命じた。また、信長は光秀のみならず、細川忠興や池田恒興、高山右近、中川清秀らも中国地方に派遣することにした。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "従来、信長は中国地方に直接遠征すると考えられてきたが、実際は淡路に渡海して四国を平定したのち、秀吉や光秀らと合流して中国攻めに参加しようと計画していたとされる。他方、信長は四国攻めを担当する信孝の閲兵をするために淡路に渡海し、6月4日に渡海したのちは、早くとも5日以降には中国地方に向かう計画であったとする見方もある。いずれにせよ、信長は四国を平定し、毛利輝元を滅ぼせば、大友義鎮といった九州の諸大名も服属すると考えており、この西国出陣が信長の全国統一に向けた最後の出陣となる可能性があった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "5月29日、信長は西国への出陣のため、安土城留守衆を定めて、小姓衆20、30人のみを率いて安土城から上洛し、本能寺に逗留した。嫡子の信忠も信長の出馬を聞き、堺から上洛した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "6月1日、信長は本能寺において、太政大臣・近衛前久、前関白・九条兼孝、関白左大臣・一条内基、右大臣・二条昭実、内大臣・近衛信基、勅使の甘露寺経元、勧修寺晴豊ら公家衆の訪問を受けた。信長は上機嫌で公家衆を歓待し、甲州攻めが思いのほかうまく進んだことを語り、6月4日に自身が西国に出陣することを公表した。他方、信長は前久に糾明を命じていた暦の問題を蒸し返したが、公家衆は応じなかった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "公家衆が退出したのち、側近衆だけが残り、信長は信忠と久しぶりに親しく雑談した。これが信長父子にとって最後の会話となった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "やがて、夜になって散会し、信長は眠りについた。ところが、秀吉への援軍を命じていたはずの光秀が京都に突如進軍し、6月2日未明に本能寺を襲撃した(本能寺の変)。その際、光秀が進軍にあたっては標的が信長であることを伏せていたことが、『本城惣右衛門覚書』からわかる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "わずかな手勢しか率いていなかった信長であったが、初めは自ら弓や槍を手に奮闘した。しかし、圧倒的多数の明智軍には敵わず、信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で自害して果てた。享年49。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "信長の嫡男・信忠は本能寺への襲撃を知ると、宿泊していた妙覚寺から信長のもとに駆け付けようとしたが、途中の路地で出会った村井貞勝らに止められ、 二条御新造に移った。だが、信長を自害させた明智軍がここにも押し寄せ、信忠は抗戦するも衆寡敵せず、信長の後を追う形で自害した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "戦いが終わると、光秀は信長の遺体を探したが、その遺体は発見されなかった。これは焼死体が多すぎて、どれが信長の遺体か把握できなかったためと考えられる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "6月13日、秀吉は信長の三男・信孝を総大将として光秀に挑み、山崎の戦いで明智軍に勝利した。光秀は敗走中に命を落とした。本能寺の変から4か月後、10月15日に秀吉の手により、大徳寺において信長の葬儀が盛大に行われた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "歴史学者の池上裕子は、同時代人による信長についての「もっとも的確でまとまった人物評」は、宣教師ルイス・フロイスのものであると述べている。信長について「きわめて稀に見る優秀な人物であり、非凡の著名なカピタン(司令官)として、大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない 」とも述べたフロイスによれば、信長は次のような人物であった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "フロイスの描くこのような「絶対君主」的な信長像は、信長の実際の言動と矛盾しない適切な描写であると池上裕子は言う。他方、歴史学者の神田千里によれば、こうした信長の人物像は日本の史料で確認できない部分も多く、以下で述べるとおり、このフロイスによる信長の評価を鵜呑みにすることは問題も多いとしている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "池上裕子によれば、信長は自身に敵対する者を数多く殺害し、必要以上の残虐行為を行った。そうすることで信長は「鬱憤を散じ」たのだと、自ら書状に記している。そうした事例の一つが、長島一向一揆殲滅における男女2万人の焼殺であり、信長はこの行為によって気を晴らしたのである。また、岩村城への対応などに見られるように、信長は、しばしば降伏を条件として敵方の城内の者の助命を約束しているものの、降伏後にはその約束を反故にして虐殺を実行している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "もっとも、敵対勢力に対する虐殺行為は、当時の戦国大名の間で広く行われていたもので、信長だけが行ったわけではない。また、信長の一向一揆殲滅については、江戸時代初期の島原の乱における大虐殺との類似性が指摘されている。横田冬彦によれば、このような殺戮行為は近世成立期固有の事象であって、信長の残虐性という「専制者の個性」によって生じたと考えるのは妥当ではない。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "信長の残虐性を示す逸話としてしばしば触れられるのが、天正2年(1574年)正月の酒宴である。『信長公記』によれば浅井久政・長政父子と朝倉義景の3人の首を薄濃()にしたものを「他国衆退出の已後、御馬廻ばかり」の酒宴の肴として披露した。信長は非常に上機嫌であったという(『信長公記』巻七)。桑田忠親はこれを「信長がいかに冷酷残忍な人物であったかがわかる」と評している。この桑田の見解に対して、宮本義己は敵将への敬意の念があったことを表したもので、改年にあたり今生と後生を合わせた清めの場で三将の菩提を弔い新たな出発を期したものであり、桑田説は首化粧の風習の見落としによる偏った評価と分析している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "『信長公記』に記されているように、少年時代の信長は奇行で知られ、「大うつけ」と呼ばれた。異様な見た目の服装で街を歩き、栗や柿、瓜を食べながら歩いたという。さらに父の葬儀の際には、位牌に向かって抹香を投げるという暴挙に出ている。このような奇行はしばしば信長の天才性の象徴とされてきた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "しかし、神田千里は、成人した信長については、このような奇行を行う人物ではなかったと述べる。足利義昭に対する十七か条の異見書や佐久間信盛に対する折檻状などに見られるように、信長自身の残した文書からは、信長が世間の評判を非常に重視していたことがうかがえる。そして、信長はその時代の常識に則った行動を取り、人々からの支持を得ようと努めていたという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "明智光秀や細川藤孝のようなごく一部の例外を除けば、信長は尾張出身の譜代ばかりを重要な地位に登用した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 179, "tag": "p", "text": "これら譜代の人々で信長を裏切った者はいない一方で、松永久秀・荒木村重・明智光秀といった「外様」に当たる人々はやがて信長に反逆している。池上裕子は、久秀や光秀らの造反の要因の一つとして、信長の譜代重用に対する反発を挙げている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 180, "tag": "p", "text": "また、松永久秀、別所長治、荒木村重らの反乱は、信長の苛烈ともされる性格に起因しているという説もある。己を恃むところが多く、実に気まぐれであり性格は猜疑心が強く執念深く、それが多くの謀反につながったと指摘する研究者もいる。前述のフロイスの人物評に見られるように、家臣たちは信長への絶対服従を求められ、異議を唱えることも許されなかったともされる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 181, "tag": "p", "text": "他方で、こうした見方には異論も存在する。神田千里によれば、信長は家臣の意見をある程度までは重んじ、また家臣の取扱いにも慎重だった。前者について神田はいくつかの例を挙げているが、例えば、中国攻略における羽柴秀吉の独断での決定を信長は追認しているし、また、佐久間信盛の異議に従って武将の三ヶ頼連を赦免している。従来は家臣に絶対服従を求めたものだと理解されていた「越前国掟」という文書も、信長の意見が間違っていれば、憚ることなく指摘すべきだという文言がある。そして、家臣の意が妥当なものなら、信長はそれを採用することを約束している。当時の戦国大名は家臣たちの合議を重んじていたが、信長も例外ではなく、家中の合議を必要なものだと考えていたという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 182, "tag": "p", "text": "信長の家臣との関係については、しばしば譜代の重臣の佐久間信盛が追放されたことが注目される。この追放は、一般的には、信長は能力の足りない家臣を容赦なく追い出した事件だと評価されている。例えば、池上裕子は「譜代・重臣であっても(中略)切り捨てる非情さ」の現れだと表現している。しかし、神田によれば、追放前に信盛には名誉回復の機会が与えられていることや、信盛が高野山で平穏に余生を送ったと考えられることなどからすると、信長の対応は冷酷とまでは言えないという。そして、信長が家臣の扱いに気を配ったことは、信長が信盛追放の理由の一つとして信盛家中に対する過大な負担を挙げていることからも裏付けられるという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 183, "tag": "p", "text": "元々重臣を軽んじてはいなかったが、重臣を各地の前線や領国に配置したこともあり、安土城を築城してからは年始挨拶に集合する正月儀礼を2回しか行わなかった。さらに、重臣との合議機関もなかったため、信長の近侍衆を通じて以外では、意思疎通がしにくかった。また家臣が裏切るという恐れを考えず、起請文を取り交わさず、妻子を人質に取ることもしていなかったため、家臣団への安定策は不十分だった。これが重臣の裏切りや政権破綻の原因になったと指摘されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 184, "tag": "p", "text": "前述した『フロイス日本史』の記述(→#人物評)から、信長は無神論者であり、神仏を否定していたと一般には考えられている。しかし、実際には、寺社にたびたび戦勝祈願を行っていたことが多数の一次史料から分かり、このフロイスの記述は信憑性が乏しいことが指摘されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 185, "tag": "p", "text": "熱田神宮のいわゆる「信長塀」は、信長が桶狭間の戦いの戦勝の礼として奉納したという伝承がある。この熱田神宮や、津島神社、織田剣神社といった織田氏と縁の深い神社に対しては、信長は熱心に支援を行っている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 186, "tag": "p", "text": "また、信長は、「南無妙法蓮華経」と書かれた軍旗を用い、京都では法華宗寺院を宿所に選ぶ(本能寺も法華宗の寺院である)など、一定の範囲で法華宗も信仰していた形跡がうかがえるという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 187, "tag": "p", "text": "更に信長は、家臣であった平手政秀の死を嘆き、菩提を弔うために政秀寺を建立している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 188, "tag": "p", "text": "このように、信長はごく普通に神仏に対して信仰心を持っていたものの、迷信による弊害を嫌った。このことを示すのが、無辺という旅僧にまつわる天正8年の出来事である(『信長公記』巻十三)。無辺は石馬寺の栄螺坊の宿坊に住み着き、不思議な力を持つと人々の間で評判となった。信長は無辺を引見し、出身地などをいくつか質問するが、無辺はわざと不思議な答えをした。信長が「どこの生まれでもない者ということは妖怪かもしれぬ。火であぶってみよう、火を用意せよ」と脅すと、無辺はやむを得ず今度は事実を正直に答えた。無辺は不思議な霊験も示すことはできなかったので、信長は無辺の髪の毛をまばらにそぎ落とし、裸にして縄で縛って町中に放り出し追放した。さらに、無辺が迷信を利用して女性に淫らな行いをしていたことが判明したため、信長は無辺を処刑させたという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 189, "tag": "p", "text": "前述のフロイスの人物評でも言及されているように、信長は武芸の鍛錬に熱心であった。若き日の信長は、馬術の訓練を欠かさず、冬以外の季節は水泳に励んでいたという。さらに、平田三位などの専門家を師として、兵法や弓術、砲術といった事柄を修めた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 190, "tag": "p", "text": "信長の趣味として、後述する茶の湯、相撲とともに鷹狩が知られる。『信長公記』首巻にはすでに鷹狩の記述がみられ、青年期からの趣味であったことがわかる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 191, "tag": "p", "text": "天下の政治を任されるようになってからも三河や、摂津での陣中、京都の東山などで鷹狩を行った。天正7年(1579年)の2 - 3月には太田牛一が『信長公記』に「毎日のように」と記すほど頻繁に行い、翌天正8年(1580年)の春にもやはり「毎日」鷹狩りを行った。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 192, "tag": "p", "text": "前述したとおり、信長は馬術の鍛錬にも励んでいたようで、天正9年(1581年)には安土、岐阜の各城下に馬場を設けている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 193, "tag": "p", "text": "足利義昭を京都から追放し、自ら天下の政治を取り仕切るようになった天正年間になると、全国の大名・領主から信長のもとに馬や鷹が献上されるようになった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 194, "tag": "p", "text": "このように天正年間には、多くの大名、領主から信長の許へ鷹や馬が献上された。信長はこれらの献上の対価として分国を安堵した。またこうした献上行為は信長の政策が全国の大名・領主に受け入れられた結果でもあった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 195, "tag": "p", "text": "信長は茶の湯に大きな関心を示した。信長がいつ茶の湯を嗜むようになったかは定かではないものの、上洛後の永禄12年(1569年)以降、名物茶道具を収集する「名物狩り」を行うようになった。この名物狩りは、「東山御物」のような足利将軍家由縁のものを集めることで、自身の権威付けを目的としたものであったという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 196, "tag": "p", "text": "そして、こうして手に入れた茶道具は、家臣に恩賞として与えられ、政治的な目的でも利用された(いわゆる「御茶湯御政道」)。甲斐攻略で戦功を上げた滝川一益が信長に対し、珠光小茄子という茶器を恩賞として希望したが、与えられたのは関東管領の称号と上野一国の加増でがっかりしたという逸話もある。『信長公記』『太閤記』『四度宗論記』『安土問答正伝記』等によれば、天正7年(1579年)5月27日には、安土宗論で勝利した浄土宗高僧の貞安に、後醍醐天皇御製の薄茶器「金輪寺」(きんりんじ/こんりんじ)の本歌(原品)を与えたという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 197, "tag": "p", "text": "ただし、信長は単に茶の湯を政治的に利用したわけではなく、純粋に茶の湯を楽しんでいた面もあるようである。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 198, "tag": "p", "text": "また、相撲見物も好んだ。当時、相撲の風習があったのは西国のみであり、信長も尾張時代には相撲に関心はなかったと考えられる。しかし、上洛以後は、相撲見物が大の好物となり、安土城などで大規模な相撲大会をたびたび開催していたことが『信長公記』に散見する。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 199, "tag": "p", "text": "相撲大会では、成績の優秀な者は褒美を与えられ、また青地与右衛門などのように織田家の家来として採用されることもあったという。具体的な例として、天正6年(1578年)8月に行われた相撲大会においては、信長は優秀な成績を収めた者14名をそれぞれ100石で召し抱え、彼らには家まで与えたという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 200, "tag": "p", "text": "幸若舞や小歌を愛好したことも知られる一方で、舞と比べると、能楽にはあまり興味を持たなかった。その他、天正3年(1575年)3月に京都相国寺で今川氏真と会見し、氏真に蹴鞠を所望し、披露してもらったというエピソードがあり、また同年7月の誠仁親王主催の蹴鞠の会も見学するなど、蹴鞠にも関心を持っていた可能性がある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 201, "tag": "p", "text": "信長は新しいものに好奇心をもち、各種の行事の際には風変わりな趣向を凝らした。脇田修はこれを信長の「風流の精神」であると位置付けている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 202, "tag": "p", "text": "例えば、正月に「左義長」として安土の町で爆竹を鳴らしながら大量の馬を走らせたり、お盆に安土城に明かりを灯して楽しむといったことをしている。後者については『フロイス日本史』と『信長公記』の双方に記録があり、城下町には明かりをつけることを禁じる一方で、安土城の天守のみを提灯でライトアップし、さらに琵琶湖にも多くの船に松明を載せて輝かせ、とても鮮やかな様子だったという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 203, "tag": "p", "text": "信長はこの安土城を他人に見せることを非常に好み、他大名の使者など多くの人に黄金を蔵した安土城を見学させた。特に、 天正10年(1582年)の正月には、安土城の内部に大勢の人々を招き入れて存分に楽しませた後、信長自らの手で客1人につき100文ずつ礼銭を取り立てたという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 204, "tag": "p", "text": "山室恭子の「中世の中に生まれた近世」で山室は信長発給文書は判物から印判状へと変化するが、1567-1575への併用期を経て1576年以後はほぼ完全に印判状だけをもちいるようになる(永禄十年は天下布武への決意を固めた時、天正四年は安土城を築いた時である)とし、信長を他の戦国大名と比較した結果「ある時期に画然とためらうことなく」薄礼化が実施されていると結論付けている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 205, "tag": "p", "text": "イエズス会の献上した地球儀・時計など、西洋の科学技術に関心を持った。フロイスから目覚まし時計を献上された際は、興味を持ったものの、扱いや修理が難しかろうという理由で返したという。信長が西洋科学に関心を持っていたことは信長自身の書状からもわかり、病気の松井友閑の治療のためにイエズス会の医師を派遣させている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 206, "tag": "p", "text": "信長は宣教師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノに安土城を描いた屏風絵(狩野永徳作「安土城図」)を贈っており、この屏風絵は、信長死後の1585年(天正13年)にローマ教皇グレゴリウス13世に献上されている。ただし、この屏風贈呈は、信長の個性に起因するものというより、中国の皇帝に対して行われていたような異国への屏風絵贈呈の伝統に基づくものであると考えられる。また、ヴァリニャーノの使用人であったアフリカ(現・モザンビーク)出身の黒人に興味を示して譲り受け、「弥助」と名付けて側近にしたことも知られる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 207, "tag": "p", "text": "南蛮とは別に、中国に対する強い憧れを有していたという説もある。宮上茂隆は、安土城建築のあり方から信長の中国趣味がうかがえると主張しているという。信長の中国への強い関心のため、安土城天守閣の多くの部分では唐様建築が採用されたといい、また、信長の建てた摠見寺は中国の山水画の画題・瀟湘八景のうち「遠時晩鐘」を現したものであるともいう。ただし、谷口克広は、信長が中国への憧れを持っていたという説は根拠不十分であると述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 208, "tag": "p", "text": "信長がその妻や側室たちとどのような関係にあったかを具体的に伝える史料は乏しい。近年では、歴史学者の勝俣鎮夫が、明智光秀の妹が信長の側室であり、信長の「意思決定になんらかの影響を与える存在」であったのではないかという説を立てている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 209, "tag": "p", "text": "なお、羽柴秀吉が子に恵まれない正室・ねねに対して辛く当たっていることを知ると、ねねに対して励ましの手紙を送っていることが知られる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 210, "tag": "p", "text": "信長が男色を嗜んだかどうかについては、直接的証拠は無い。『利家夜話』には、若き日の前田利家が信長と同衾していたという男色を示唆する逸話がある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 211, "tag": "p", "text": "しかし、谷口克広は、この逸話を指摘しつつも、信長と利家・森蘭丸ら近習たちとのあいだに肉体関係があったことは、確実だとは言えないと述べる。とはいえ、谷口によれば、当時の風習などを考えても、信長たちがいわゆる男色関係にあった可能性は非常に高い。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 212, "tag": "p", "text": "平野明夫は、徳川家康宛の信長書状は元亀四年四月六日までは書止文言は恐々謹言で宛名の脇付も進覧ないし進覧之候とあるが、天正五年一月二十二日付以後の書止は謹言になり、脇付は無くなっている。これを等輩に対する書札礼から下様への書札礼に変化していると分析している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 213, "tag": "p", "text": "また、家康から信長への書状は天正二年九月十三日付けの書止文言は恐々謹言だが、天正二年閏十一月九日付以降は最高位の恐惶謹言が用いられていてしかも脇付は最高の敬意を示す「人々御中」が用いられている。 これをもって、平野は家康は一門に準ずる織田政権下の一大名であったと締め括っている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 214, "tag": "p", "text": "谷口克広も武田家滅亡の際に駿河が信長から家康に宛行いを受けたと書いてあるのは信長公記だけでなく当代記にも「駿河国家康下さる」とあるうえ、三河物語でさえも、「駿河をは家康へ遣わされて」という表現を用いているとし家忠日記でもこの頃の信長を「上様」と呼んでおり、家康の家臣でさえ、縦の関係が生じていることを認めざるをえなかったとしている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 215, "tag": "p", "text": "信長の肖像は、現在肖像画23点、肖像彫刻5点が確認されている。", "title": "肖像" }, { "paragraph_id": 216, "tag": "p", "text": "代表的な作品として、狩野永徳の弟・宗秀が信長一周忌に描いたとされる、愛知県豊田市の長興寺所蔵のもの(重要文化財)、同じく一周忌に描かれた古渓宗陳讃をもつ衣冠束帯姿の神戸市立博物館本(重要文化財)、狩野永徳筆の可能性が濃厚で信長三回忌に描かれた大徳寺の肖像、近衛前久が信長七回忌に描かせ、追善のため六字名号を書き出しの一字に加えた和歌の賛がある京都市上京区報恩寺所蔵のもの、および兵庫県氷上町が所蔵する坐像(「#第一次信長包囲網」参照)などが、信長の肖像画として伝えられている。", "title": "肖像" }, { "paragraph_id": 217, "tag": "p", "text": "このうち、信長の肖像画としてもっとも有名な長興寺所蔵の肖像画は、太平洋戦争中の1944年から1945年に大阪市立美術館で修復が行われた後、2016年から2019年にかけても文化庁主導の下で再び修復作業が行われた。そして修復を担当した文化庁の調査の結果、この肖像画は中国伝来の竹の紙に描かれていることが判明した。水墨画によく使われる竹の紙を彩色画に使った意図はわかっていない。", "title": "肖像" }, { "paragraph_id": 218, "tag": "p", "text": "また大徳寺所蔵の肖像画は、完成当初の絵から描き直されていたことが2011年に判明した。2008年9月から2009年10月にかけて行われた修復作業に伴う京都国立博物館の調査で、絵の裏側から「裏彩色(うらざいしき)」が見つかった。表面の色に深みを出すための技法で、表面と同系統の色で彩色するのが一般的だが、この肖像画では表面と裏面では色使いが違っていた。表の肖像は、小袖が薄藍色、肩衣とはかまは薄茶色という地味な色合いで、刀は脇差しのみという落ち着いた装いなのに対し、裏彩色は、小袖の左右で色が異なる「片身替わり」と呼ばれる当時流行のデザインで、右腕はもえぎ色、左腕は薄茶色と派手な色使い、そして刀も大刀と短刀の2本差しだった。また小袖の桐紋も裏面の方がより大きく描かれ、右手に持つ扇子も長く幅が広かった。さらに顔の部分の透過赤外線撮影により、裏面は口ひげの両端がはね上がった雄々しい顔つきに描かれていた跡も確認された。当初は裏彩色に近い肖像が表にも描かれていたのが、元の絵に新たに彩色し、上書きしたと見られる。派手好みの信長らしい肖像画が地味に描き直されたのは、豊臣秀吉の横やりだったのではとの見方もある。同博物館は信長没後、法要を実質的に取り仕切るなど、当時権力を掌握しつつあった豊臣秀吉が描き直しを命じた可能性があると見ている。同博物館の山本英男美術室長は、秀吉が「(1)若武者のような派手な服は法要にふさわしくないと考えた」「(2)信長が自分より目立つのは面白くないと思った」など、描き直しを命じた理由は様々に想像できると話している。山本室長は、「一周忌や七回忌の法要は豊臣秀吉が施主を務めたが、三回忌の頃は合戦中(小牧・長久手の戦い)だったため、信長の側室「お鍋の方」が施主だった可能性が高く、絵は彼女と永徳の協議でいったん完成したものの、実質的な施主である秀吉が法要前に初めて最初の絵を見てクレームをつけ、描き直させたのではないか」と推測している。", "title": "肖像" }, { "paragraph_id": 219, "tag": "p", "text": "このほか、信長の次男信雄の直系の藩である天童藩の織田家の菩提寺であった三宝寺仰徳殿には、16世紀末頃に来日した宣教師が西洋の技法で描いたという写実的な肖像画を撮影したとされる写真が残されている。太く力強い眉毛、大きく鋭い眼、鼻筋の通った高い鼻、引き締まった口、面長で鋭い輪郭、たくわえられた髭(ひげ)などが特徴である。平成4年(1992年)に作家の遠藤周作が『対論 たかが信長 されど信長』という対論集で紹介したことをきっかけに色々な刊行物の表紙やグラビアに採用されたり、テレビ番組などで取り上げられたりするようになって世間に知られるようになった。同書では、信長の死後、宣教師によって描かれた細密な絵を明治時代になってから複写し、宮内庁、織田宗家とともに分け持ったという話や、織田家ではこの絵が信長にもっとも似ていると語り伝えられている話を紹介している。三宝寺に現存するものは「大武写真館」の印が押されていることから写真師・大武丈夫によって明治中期に撮影されたものとみられている。ただし、写真のみで原画は現存しておらず、その写真も三宝寺にしか残されていない。また、原画は木炭で描いたデッサンともいわれ、陰影法で描かれており、当時の描法の吟味など美術史的解明が待たれるとされている。", "title": "肖像" }, { "paragraph_id": 220, "tag": "p", "text": "信長は、尾張の一部を支配する領主権力として出発しており、東国の他の戦国大名と似たような方法で統治を行っていた。しかし、永禄11年9月に上洛し、足利義昭を推戴したことで、信長は室町幕府の権力機構と並立する形で、その権限を強化していくこととなる。そして、最終的には室町幕府とは異なる独自の中央政権を築くこととなる。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 221, "tag": "p", "text": "上洛以前、信長は美濃攻略後に井ノ口を岐阜と改名した頃から「天下布武」という印章を用いている。訓読で「天下に武を布(し)く」であることから、「武力を以て天下を取る」「武家の政権を以て天下を支配する」という意味に理解されることが多いが、その真意は、軍事力ではなく、中国の史書からの引用で「七徳の武」という為政者の徳を説く内容の「武」であったと解釈されている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 222, "tag": "p", "text": "従来、「天下布武」とは天下統一、全国制覇と同意であると解釈され、信長は「天下布武」達成のために領土拡張戦争を行ったとされてきた。しかし、近年の歴史学では、戦国時代の「天下」とは、室町幕府の将軍および幕府政治のことを指し、地域を意味する場合は、京都を中心とした五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津の5ヵ国。現在の京都府南部、奈良県、大阪府、兵庫県南東部)のことを指すと考えられている。そして、「天下布武」とは五畿内に足利将軍家の統治を確立させることであり、それは足利義昭を擁して上洛後、畿内を平定し、義昭が将軍に就任した永禄11年9月から10月の段階で達成された事、とされている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 223, "tag": "p", "text": "そして、信長がその支配を正当化する論理として用いたのも、「天下」の語である。信長は、室町将軍から「天下」を委任されたという立場を標榜した。歴史学者の神田千里は、このことから、信長は戦国期幕府将軍の権限を継承したと論じている。神田によれば、比叡山の焼き討ちは室町幕府第6代将軍・足利義教も行ったもので、寺社本所領に対する将軍権力の介入と位置づけられる。また、諸大名に対する和睦命令や京都支配も従来将軍によって行われていたもので、信長は「天下」を委任されることで、これらの行為を行う権限を手にしたのである。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 224, "tag": "p", "text": "幕府において、信長は朱印状を発給して政策を実行したが、この朱印状は、信長以前の戦国期室町幕府の守護遵行状・副状にあたるものであり、特殊な機能を持つものではないと考えられている。信長はあくまで室町幕府の存在を前提とした権力を築いており、当初の織田政権は幕府との「連合政権(二重政権)」であったと言える。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 225, "tag": "p", "text": "しかし、元亀4年(1573年)2月に足利義昭が信長を裏切ったため、やむを得ず、将軍不在のまま、信長は中央政権を維持しなければならなくなる。とはいえ、義昭追放後も、義昭が放棄した「天下」を信長が代わって取り仕切るというスタンスをとり、「天下」を委任されたという信長の立場は変わらなかった。そして、信長は、将軍に代わって「天下」を差配する「天下人」となった。金子拓によれば、信長は、「天下」の平和と秩序が保たれた状態(「天下静謐」)を維持することを目標としていた。この天下静謐の維持の障害となる敵対勢力の排除の結果として、信長は勢力を拡大したが、あくまで目的は天下静謐の維持であって、日本全国の征服といった構想はなかったという。そして、信長は「天下」の下に各地の戦国大名や国衆の自治を認めつつ、彼らを織田政権に従属させることで日本国内の平和の実現を進めていった。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 226, "tag": "p", "text": "それに対して、義昭追放後に信長が右大将に任官し、織田政権成立と天下人に公認され、天下人意識の形成と上様への尊称変更とともに、天下の概念が拡大・変容し、「自身と天下の一体化」を主張し、やがて神田千里の畿内布武の天下規定を地理的に超えて「列島日本」の意味となったという説もある。このことにより、各地の国人領主にも「天下一統」へ信長に従うように柴田勝家などの方面軍司令官が要求しており、全国にわたる緩やかな大名統合を目指して統一戦争へと突き進んだとする。後の豊臣政権の前段となる統一政権の原型となる政権構想を打ち出したとの説がある。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 227, "tag": "p", "text": "織田政権による領域支配においては信長が上級支配権を保持し、領国各地に配置された家臣は代官として一国・郡単位で守護権の系譜を引く地域支配権を与えられたとする一職支配論がある。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 228, "tag": "p", "text": "この点に関連して、天正3年9月の越前国掟が重要な史料として存在する。この越前国掟は、信長から越前支配を任された柴田勝家に宛てられたものである。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 229, "tag": "p", "text": "九ヶ条のこの国掟の内容は、次のようなものであった。まず、前半では、領知や課役の差配の一部に信長が関与するなどの原則が定められ、後半では勝家らがその任務を疎かにすべきではないと説かれている。そして、最後に信長への絶対服従を求め、越前国はあくまで信長から勝家らに預けられたものに過ぎないということが強調されている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 230, "tag": "p", "text": "このような越前国掟の記述から、信長こそが領域支配の全権力を掌握しており、勝家は一職支配権を握りつつも越前の代官的存在にとどまるとするのが、これまでの通説であった。しかし、この点に関しては近年の研究者間では論争があり、平井上総は次のように整理している。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 231, "tag": "p", "text": "通説に対し、歴史学者の丸島和洋は、信長および勝家双方の発給文書群の考察から、国掟が置かれて以降、勝家が越前支配のほぼ全権を得ていたと論じた。このような勝家による支配は、他の戦国大名の重臣(地域支配の全権を委ねられたいわゆる「支城領主」)による支配と、ほとんど変わるところがないという。そして、明智光秀領や羽柴秀吉領を分析した別の研究者も同様の結論を得ている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 232, "tag": "p", "text": "こうした見解を批判する立場から、藤田達生は、より広い範囲の事項を検討することで、地域支配の最終決定権を信長が持っていることなどを指摘した。そして、信長の権力は、従来の戦国大名権力とは異質なものであり、江戸幕府へとつながる革新的なものであったと改めて主張している。この議論について、丸島和洋は、信長の革新性を所与のものとして構築されたものであると批判し、藤田の指摘は他の戦国大名にも当てはまるものであると論じる。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 233, "tag": "p", "text": "天正年間の信長は、他の戦国大名とは異なり、それらの上位権力の立場にあった。例えば、信長は天正7年に島津氏・大友氏に停戦を命じており、島津氏は信長を「上様」であるとする返書を出している。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 234, "tag": "p", "text": "しかし、これは明確な主従関係に裏打ちされたものではなく、あくまでも緩やかな連合関係にあるという程度であった。ただし、以下で述べるよう徳川家康は信長に臣従していたと考えられる。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 235, "tag": "p", "text": "通説的には、織田信長と徳川家康は、桶狭間の戦いから2年弱が過ぎた永禄5年正月、清須において会見を行ったとされる。ここに、いわゆる「清洲同盟」を結び、両者は、二十年にわたり強固な盟友関係にあったという。しかし、これは、江戸時代成立の比較的新しい史書に基づいた見方であるが、同時代史料に拠る限り、必ずしもこの見解は妥当なものとは言えない。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 236, "tag": "p", "text": "実際には、信長と家康は桶狭間の戦いの直後には同盟関係を築いた可能性が高く、清須において両者が会見したという逸話も江戸時代の創作であると考えられる。両者は、当初は将軍足利義昭のもと、対等な関係にあった。しかし、義昭追放後になると、信長に命じられる形で家康は軍勢を動員し、また、書札礼でも信長が家康に優越する立場となっている。そして、駿河国も知行として信長から家康に与えられている。こうしたことから、家康は信長の同盟者としての立場を失い、信長の臣下となっていたと考えられるという。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 237, "tag": "p", "text": "なお、『フロイス日本史』によれば、信長は日本を統一した後、対外出兵を行う構想があり、「日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成して明(中国)を武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考え」を持っていたという(『フロイス日本史』第55章)。また堀杏庵の『朝鮮征伐記』では、豊臣秀吉が信長に明・朝鮮方面への出兵を述べたと記されている。しかし後者は俗説であり、信長の対外政策については、従来より根拠に乏しく(フロイスの)他に裏付けがないことが指摘される。中村栄孝は、信長が海外貿易を考えていて秀吉の唐入り(文禄・慶長の役)は亡き主君の遺志を継いだものという説は、『朝鮮通交大紀』の誤読による人物取り違えであって信長に具体的な海外貿易・対外遠征の計画はなかったとしている。ただし、堀新のように、織田政権の動向や後の豊臣政権による三国国割計画の存在といったことから、信長が大陸遠征構想を持っていたことはある程度まで事実だったのではないかと述べる論者もいる。本郷和人は、外交をし、交易を盛んにすることは、まさに信長の望みであり、「日本を統一した暁に、信長が海外に派兵した可能性は大いにある」「物流や交易を重視する信長ならば、おそらくは海外に進出しただろう」として、信長であれば、秀吉のように領土の獲得に固執するのではなく、ポルトガルのゴア、スペインのマニラのように「点」の獲得を目指し、しかるべき都市を入手してそこを城塞化し、貿易拠点を築くようなことをしたのではないかと指摘している。結果、信長がもう少し生きていれば、日本にとって良い結果を生むか、悪い方に転ぶかは分からないが、日本はもっと早く国際化したのではないだろうか、と指摘している。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 238, "tag": "p", "text": "上洛を果たした後、信長は、御料所の回復をはじめとする朝廷の財政再建を実行し、その存立基盤の維持に務めた。とはいえ、信長が皇室を尊崇していたための行動というわけではなく、天皇の権威を利用しようとしたものだと考えられている。なお、天正3年の権大納言・右近衛大将任官以後、信長は公家に対して一斉に所領を宛行っており、それ以後、信長は公家から参礼を受ける立場となった。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 239, "tag": "p", "text": "信長と朝廷との関係の実態については、対立関係にあったとする説(対立・克服説)と融和的・協調的な関係にあったとする説(融和・協調説)がある。両者の関係については、織田政権の性格づけに関わる大きな問題であり、1970年代より活発な論争が行われてきた。1990年代に今谷明が正親町天皇を信長への最大の対抗者として位置づけた『信長と天皇 中世的な権威に挑む覇王』を上梓し、多大な影響を与えたが、その後の実証的な研究により、この今谷の主張はほぼ否定された。2017年現在は、信長は天皇や朝廷と協力的な関係にあったとする見方が有力となっている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 240, "tag": "p", "text": "平井上総および谷口克広の分類によれば、それぞれの説に立つ論者は以下のとおりである。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 241, "tag": "p", "text": "信長が天皇を超越しようとしたかどうかについては、宣教師に対する信長の発言がしばしば注目される。ルイス・フロイスの書簡によれば、宣教師が天皇への謁見を求めた際、信長は「汝等は他人の寵を得る必要がない。何故なら予が国王であり、内裏である」と発言したとされる。松田毅一が翻訳した『日本巡察記』(ヴァリニャーノ著)では、「予が国王であり...」となっているが、松本和也はこれは誤訳であると指摘している。なぜなら原文の当該部分には、ポルトガル語で国王を意味する「rei」ではなく、宣教師たちが天皇の意味で用いていた「Vo(オー)」が使われているからである。ちなみに原文は「elle era o mesmo Vo & Dairi」であり、直訳すると「彼が正にオーでありダイリなのだ」となる。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 242, "tag": "p", "text": "この発言は天正9年京都馬揃えの直前になされた。このように、信長が自身を天皇・内裏であると述べたことについて、信長が天皇を超越しようとした証拠であるとして重視する者もいる。しかし、この説について平井上総は疑義を呈しており、堀新も信長の皇位簒奪の意図を示すものではなく、融和説(「公武結合王権論」)の立場から、正親町天皇と信長の一体化を意味した発言だと述べる。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 243, "tag": "p", "text": "信長と朝廷の関係を考える際の具体的な手がかりとしては、いわゆる三職推任問題をはじめ、正親町天皇の譲位問題、蘭奢待の切り取り、京都馬揃え、勅命講和など多様な論点があり、研究者間で解釈が別れている。以下、代表的なものに絞って時系列順で見ていく。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 244, "tag": "p", "text": "足利義昭追放後の天正元年(1573年)12月、信長は正親町天皇に譲位の申し入れを行い、天皇もこれを了承した。が、年が押し迫っていたため譲位は行われず、結局信長の死まで譲位は行われなかった。これについて、対立説の解釈では、信長は自身の言いなりとなる誠仁親王を即位させようとし、この動きに正親町天皇が抵抗したことで譲位が遅延したと考える。一方、融和説では、天皇が譲位を望みながら、信長の意向により実現しなかったとみている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 245, "tag": "p", "text": "信長は天正2年(1574年)3月に奈良を訪問し、同月28日に東大寺の寺宝である名香・蘭奢待を多聞山城に運び込ませ、東大寺の僧侶立ち会いの下でこれを切取らせている。その直前に出されたと見られている東山御文庫所蔵の「蘭奢待香開封内奏状案」(勅封三十五函乙-11-15)が保管されている。この文書の内容が蘭奢待切取に対する不満を吐露したものであったことから、古くから「信長ノ不法ヲ難詰セラル」(『大日本史料』天正2年3月28日条)と解釈され、長年\"正親町天皇が信長による蘭奢待切取の奏請に対する不満を吐露した書状\"として理解されてきた。しかし、内奏状は本来天皇に充てて出される文書であるのに天皇の心境が述べられている矛盾が指摘され、金子拓を切取の手続に関与した三条西実枝から正親町天皇に充てられた書状と再解釈した。つまり、この文書の筆者が正親町天皇では無く三条西実枝である以上、不満を吐露したのも正親町天皇ではないことになる。そして、不満の対象も書状の宛先である正親町天皇その人と考えるしか無く、少なくても\"正親町天皇が信長の奏請に対する不満を吐露した書状\"ではないと結論づけている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 246, "tag": "p", "text": "信長が天正9年(1581年)に行った京都御馬揃えについて、対立説では、朝廷への軍事的圧力・示威行動であったと見る。これを批判する立場から、融和説では、朝廷側の希望によって行われたものだと解釈する。2017年現在では、朝廷に対する圧力というより、一種の娯楽行事であったとする見解が有力となっている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 247, "tag": "p", "text": "天正10年(1582年)4月25日、武家伝奏・勧修寺晴豊と京都所司代・村井貞勝の間で信長の任官について話し合いが持たれた。この際、信長が征夷大将軍・太政大臣・関白のうちどれかに任官することがどちらからか申し出された。任官を申し出たのが朝廷か信長側かをめぐって論争がある(三職推任問題)。信長側からの正式な反応が行われる前に本能寺の変が起こったため、信長がどのような構想を持っていたか、正確なところは不明である。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 248, "tag": "p", "text": "本能寺の変後、吉田兼見などの公家は、信長の死について日記に冷淡にしか書き残していない。そして、かえって即座に光秀の意を汲んだ行動をとろうともしており、信長の死を悲しんだ様子はほとんどないという。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 249, "tag": "p", "text": "織田政権は一向一揆と激しく争い、また、比叡山を焼き討ちした。こうした背景のため、一般には、信長は仏教勢力と激しく対立してその殲滅を図り、逆にキリスト教を庇護しようとしたと思われてきた。例えば、仏教史研究者の末木文美士は、その著書『日本仏教史』において、信長が「暴力的手段に訴えて一気に仏教勢力の壊滅を図った」と表現している。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 250, "tag": "p", "text": "しかし、実際には、信長はすべての仏教勢力と敵対関係にあったわけではなく、自らと敵対しない宗派についてはその保護を図っていた。また、キリスト教を特別に厚遇したわけでもない。自身に従う宗派には存続を認めつつ、宗教権力に対する世俗権力の優位を実現するという方針が、織田政権の宗教政策の基調にあったと考えられる。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 251, "tag": "p", "text": "信長の宗教政策上、天正7年の「安土宗論」が注目されてきた。この安土宗論は、信長の関与のもと、浄土宗と日蓮宗のあいだで宗論が行われたというものである。日蓮宗は宗論において敗北を認めさせられ、今後、他の宗派に論争を仕掛けないことを強いられた。一般的には、安土宗論は信長による日蓮宗に対する弾圧だと捉えられてきた。例えば、三鬼清一郎は、日蓮宗が「宗論の敗訴という形で、宗旨そのものに致命的打撃を与えることによって屈服させられた」と表現し、天文法華の乱のような都市民と日蓮宗の連携の危険を排除したと述べている。しかし、安土宗論の実際の目的は、日蓮宗弾圧というよりも、宗論を抑制することで宗教的秩序の維持を企図する点にあったと考えられるという議論もある。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 252, "tag": "p", "text": "天台宗と真言宗の僧侶あいだで絹衣の着用の是非が争われた絹衣相論では、信長の関与のもと、天台宗のみに絹衣着用を認める綸旨が出されている。そして、この綸旨に反して絹衣を着用した真言宗の僧侶は処刑された。一向一揆や比叡山に対する措置と同様に、信長は自身の意向に反する宗教者には厳しい対応をとったのである。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 253, "tag": "p", "text": "神社との関係では、石清水八幡宮の社殿の修造を実行するとともに、伊勢神宮の式年遷宮の復興を計画した。特に後者の計画は、伊勢信仰を自身の権威付けに利用しようとしたものだと考えられ、豊臣政権に引き継がれている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 254, "tag": "p", "text": "なお、同時代の宣教師ルイス・フロイスは、信長が自らを神格化しようとしたと述べている。しかし、この自己神格化について、日本側の史料で記述したものは、まったく存在しない。そのため、フロイスの記述を信用するかどうかについては研究者間で争いがある。肯定する論者には、例えば、朝尾直弘や今谷明などがいる。朝尾は、一向一揆との対決という背景のもと、後の幕藩制国家につながる「将軍権力」の創出過程の一環として、信長の自己神格化を位置づける。一方、神格化を否定する立場は、フロイスの記述はあくまでキリスト教側からの偏った観点によるものであり、信ずるに足るものではないとする脇田修や三鬼清一郎らの見解がある。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 255, "tag": "p", "text": "いわゆる「楽市・楽座令」は、信長が最初に行った施策と言われることが多いが、現在確認されている限りでは、近江南部の戦国大名であった六角氏が最初に行った施策である。この「楽市・楽座令」については評価が分かれている。かつて豊田武は、特権的な商工業者の団体である座を解体し、流通を促進する革新的政策であると位置づけた。一方で、信長は実際には多くの座の特権を保障しており、脇田修らは信長が座の否定を意図していなかったと論じている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 256, "tag": "p", "text": "また、不必要な関所を撤廃して流通を活性化させ、都市の振興と経済の発展を図った。これについては他の戦国大名の行ったことのない革新的な政策であると考えられる。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 257, "tag": "p", "text": "関所撤廃とあわせて、天正2年(1574年)末から、信長は坂井利貞ら4人の奉行に道路整備を命じている。この工事は翌年にも続き、織田家の領国中に広く実施された。この道路整備によって、人々や牛馬の通行が容易となった。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 258, "tag": "p", "text": "当時全国でばらばらであった枡の統一規格として、織田領国では京枡を統一採用したともされる。この枡は豊臣政権 - 徳川幕府にまで受け継がれた。この事により、年貢や物流の管理が正確に、かつし易くなった", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 259, "tag": "p", "text": "そして、質の悪い貨幣と良い貨幣の価値比率を定めた撰銭令を発令した。他大名や室町幕府の出した撰銭令と比べ、信長の撰銭令の特徴は「全ての銭に価値比率を定めている」点である。また、金銀の貨幣価値を定める規定は革新的なものであり、江戸時代の三貨制度に続くものであると高く評価されている。ただし、この 撰銭令は、かえって貨幣取引を減少させ、米を用いた取引を増加させるという結果をもたらし、期待した効果を発揮できなかったと考えられている。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 260, "tag": "p", "text": "さらに信長は石山本願寺と和睦したのち、大坂の地に城を築かせた。本能寺の変の時点では「千貫矢倉」が津田信澄に預けられていたという(『細川忠興軍功記』)。これは『フロイス日本史』の「本能寺の変の折、津田信澄は大坂城の塔(torre)を見張っていた」という記述と符合する。『信長公記』によると立地を高く評価しており、跡地にさらに大きな城を築く予定であったという。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 261, "tag": "p", "text": "信長は、柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀などの有力部将に地域ごとに軍団を率いさせるとともに、自身の直属部隊として馬廻などを組織していた。この馬廻は稲生、桶狭間、田部山で活躍している。信長軍は機動力に優れており、本圀寺の変では、本来なら3日はかかる距離を2日で(しかも豪雪の中を)踏破し、摂津国に対陣している間に浅井・朝倉連合軍が京都に近づいた際にも、急いで帰還して京都を守り抜いている。部下の秀吉も、いわゆる「中国大返し」や賤ヶ岳の戦いなどで高い機動力を見せており、特に中国大返しは信長の戦術の一面を超えたと言う指摘もある。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 262, "tag": "p", "text": "また、信長は火器を重視した。長篠の戦いにおける三段撃ちは架空のものであるとする見解が有力となっているとはいえ、信長が多数の鉄砲を運用していたことは確かである。特に、諸武将から鉄砲を徴発することで直属の旗本衆の鉄砲部隊を強化しており、1か所の戦場に集中して鉄砲を運用することを可能にした点は信長の鉄砲運用の特徴である。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 263, "tag": "p", "text": "大砲もすでに元亀年間から使用していた形跡があり、第二次木津川口の戦いなどで船に搭載した他、神吉城攻め以降は攻城戦においても本格的に運用していた。いわゆる鉄甲船を作ったとも言われるが、根拠となる史料が『多聞院日記』天正六年七月八日条のみなので、その実在性については賛否両論がある。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 264, "tag": "p", "text": "なお、織田家では、明文化された軍役規定は、明智光秀の家中軍法以外に見つかっていない。これを「これ以外には存在しなかった」とみるか、「他にもこれと同じようなものが存在していた」とみるかは、研究者の間でも見解の分かれるところである(そもそも、明智光秀の家中軍法を後世の創作とする研究者もいる)。前者の見解に立つ場合、このことは、後北条氏などと比べて、織田政権の統治方法が後進的であったことの証左の一つであるとされる。ただし、これは本能寺の変時点での話で、信長にはゆくゆくは検地した石高に基づいて軍役を課そうという構想があった。", "title": "政策" }, { "paragraph_id": 265, "tag": "p", "text": "江戸時代にあっては、江戸幕府の創始者として「神君」扱いされた徳川家康や『絵本太功記』等で庶民に親しまれた豊臣秀吉らとは異なり、一般的に信長の評価は低かった。儒学者の小瀬甫庵、新井白石、 太田錦城らは、いずれも信長の残虐性を強調し、極めて低く評価した。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 266, "tag": "p", "text": "例えば、新井白石の信長評は、親族を道具のように扱い、主君である足利義昭を裏切り、大功のあった老臣・佐久間信盛らを追放し、言いがかりをつけて他の大名を滅ぼした「凶逆の人」であるというものであった。そして、白石は「すべて此人(信長)天性残忍にして詐力を以て志を得られき。されば、其終を善せられざりしこと、みづから取れる所なり。不幸にあらず」と述べ、信長の死を、残虐性ゆえの自業自得だと位置付けた。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 267, "tag": "p", "text": "ただし、江戸幕府の立場から見た場合、信長は徳川家康の同盟者であり、なおかつ徳川信康を自害に追い込んだ人物である以上、幕府としては信長が「神君」家康さえも従わせる絶対的権力者であったことも示す必要性があり、江戸幕府の正史である『徳川実紀』(「東照宮御実紀」巻2)では家康と共に天下統一を目指す存在としての評価もなされた。民衆のあいだでも信長は不人気であり、歌舞伎や浄瑠璃などにおいても、信長は悪役・引き立て役に留まっている。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 268, "tag": "p", "text": "このように信長に対する酷評が広まった状況にあって、信長を再評価したのが、頼山陽である。江戸時代後期の尊王運動に多大な影響力を有したことで知られる頼山陽の『日本外史』は、信長を「超世の才」として高く評価した。『日本外史』は、信長の勤王家としての面を強調する。そして、中国後周の名君・世宗の偉業が趙匡胤の北宋樹立に続いたのと同じように、信長の覇業こそが、豊臣・徳川の平和に続く道を作ったのだと述べる", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 269, "tag": "p", "text": "また国学者からも、日本の統一者として、後醍醐天皇と対立した足利氏への否定的見解と相まって高く評価された。例えば、本居宣長は『玉鉾百首』の中で「しづはたを織田のみことはみかどべをはらひしづめていそしき大臣」という歌を詠み、「此大臣(=織田信長)、正親町天皇の御代永禄のころ、尾張国より出給ひて、京中の騒乱をしづめ、畿内近国を討したがへ、復平の基を開き、内裏を修理し奉りなど、勲功おおひなること、世の人よくしれる事なり」と高く評価した。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 270, "tag": "p", "text": "幕末の志士たちも、御料所回復等を行っていたことなどを評価して、信長を勤王家として尊敬した。明治2年(1869年)になると、明治政府が織田信長を祀る神社の建立を指示した。明治3年(1870年)、信長の次男・信雄の末裔である天童藩(現在の山形県天童市)知事の織田信敏が、東京の自邸内と藩内にある舞鶴山に信長を祀る社を建立した。信長には明治天皇から建勲の神号が、社には神祇官から建織田社、後には建勳社の社号が下賜された。その後、明治年間には東京の建勲神社は、京都船岡山の山頂に移っている。大正6年(1917年)には正一位を追贈された。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 271, "tag": "p", "text": "こうした傾向は歴史学の分野でも同様であり、当時は信長の勤王的側面を重視する研究が行われた。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 272, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦の後になると、信長の政治面での事蹟が評価され、改革者としてのイメージが強まった。歴史小説においては、すでに戦中の1944年に坂口安吾が短編小説「鉄砲」を発表し、近代的な合理主義者としての信長像を明確に打ち出した。合理主義者としての信長のイメージは、高度成長期に発表された司馬遼太郎『国盗り物語』、バブル期の津本陽『下天は夢か』といったベストセラー小説を通して広く浸透することとなった。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 273, "tag": "p", "text": "学術的には、1963年刊行の『岩波講座日本歴史』において、今井林太郎が信長を次のように評価している。信長は、中世の複雑な土地所有構造を清算し「純粋封建制確立への途を切り開いた」人物である。そして今井は、「信長の前には中世以来の宗教的な権威はまったく通用しなかった」と述べ、信長の本質を中世的権威の否定にあると規定した。この頃には信長が天皇制を打倒しようとしていたという安良城盛昭の説も現れ、革新者としての信長像が定着することとなる。信長は、その「革新的」な諸政策から、日本史上、極めて重要な人物であり、「不世出の英雄の一人」と評価されてきた。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 274, "tag": "p", "text": "新しい時代への道を切り拓いた人物としての信長像は広く受け入れられた一方で、信長の時代はいまだ中世的要素が強く、豊臣秀吉の行った太閤検地こそが近世への転換点だという学説も有力であった。朝尾直弘と脇田修は、それぞれ20世紀後半の代表的な中近世移行期研究者であるが、両者の信長に対する歴史的評価は正反対である。朝尾が信長を近世の創始者であると理解したのに対し、脇田は信長を中世最後の覇者であると捉えていた。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 275, "tag": "p", "text": "その後、21世紀の歴史学界では、より実態に即した信長の研究が進み、その評価の見直しが行われている。例えば、室町幕府と織田政権の連続性が強調され、信長は天皇とも協調関係にあったと考えられるようになった。「楽市・楽座令」を信長独自の革新的政策とする見方にも否定的な研究が多くなった。また、信長の宗教観も他の戦国大名と比較して特異なものとは言えないという指摘もある。この他、様々な面から特別な存在としての信長像に疑義が呈され、信長に画期性を認めることに慎重な意見の研究者が多くなってきている。", "title": "後世の評価" }, { "paragraph_id": 276, "tag": "p", "text": "織田氏の発祥の地は越前国織田荘であり、その荘官の立場にあったという。織田氏と思われる人物の史料上の初見は、劔神社に残された明徳4年(1393年)六月十七日付藤原信昌・兵庫助将広置文であるとされる。応永8年(1401年)には、織田名字を使用する「織田与三」なる人物が初めて現れ、彼は管領斯波氏の家臣として重要な役割を果たしていた。その翌年には織田常松が尾張守護代に任じられている。", "title": "系譜" }, { "paragraph_id": 277, "tag": "p", "text": "尾張に勢力を移した織田家では、岩倉を本拠とする伊勢守家と清洲を本拠とする大和守家に分裂し、各々が守護代として尾張半国を治めた。そして、後者の大和守家の分家で、清洲三奉行家の一つである弾正忠家こそが、信長の家系である。", "title": "系譜" }, { "paragraph_id": 278, "tag": "p", "text": "信長の子孫としては、信忠の子である三法師(織田秀信)が、形式上、織田家の家督を継いだ。秀信は豊臣政権下で岐阜で13万石程度の領地を持ったが、関ヶ原合戦の結果、所領を没収されてしまう。秀信は数年後に病を得て世を去り、ここに嫡流は絶えることとなる。", "title": "系譜" }, { "paragraph_id": 279, "tag": "p", "text": "一方、次男の織田信雄は豊臣政権下で所領を失ったものの、大坂の陣後、大和宇陀郡などに五万石を与えられた。信雄の子孫が、柏原藩、高畠藩、天童藩といった小規模な藩の藩主となり、江戸時代を通じて大名として続いている。", "title": "系譜" }, { "paragraph_id": 280, "tag": "p", "text": "兄弟のうち、秀俊(信時)および秀孝の出生順については議論がある。江戸時代の諸系図類では秀俊は、信秀の六男となっており、信長の弟とされる。しかし、谷口克広によれば、『信長公記』の記述に基づく限り、秀俊は信秀の次男、すなわち信長の兄である。同様に諸系図類では秀孝を信包の弟であるとするが、秀孝は信包の兄であるとも考えられる。", "title": "系譜" }, { "paragraph_id": 281, "tag": "p", "text": "信長の娘については、事跡の詳細が不明な者がほとんどである。その上、『寛永諸家系図伝』では娘が6人となっているのに対して、より後年の『寛政重修諸家譜』では12人となっていたりと、系図によって娘の人数も一定しない。渡辺江美子によれば、『寛永諸家系図伝』はおおよそ正しく長幼の順に娘を挙げているものの、法華寺本・坪内本の『織田系図』にある通り、長女は松平信康室ではなく蒲生氏郷室を長女とするのが正しいと推定される。また、『寛永諸家系図伝』に載らない娘について、水野忠胤室は夫の不祥事のために意図的に省かれたと思われ、万里小路充房室・徳大寺実久室の2人は、公家と婚姻したためか織田信孝扶養であったためかのいずれかの理由で見落とされたと考えられる。", "title": "系譜" }, { "paragraph_id": 282, "tag": "p", "text": "信長の遺体は発見されなかったが、以下の21箇所に衣冠墓・供養塔が作られている。", "title": "墓所・霊廟・寺社" }, { "paragraph_id": 283, "tag": "p", "text": "織豊期の史料は相対的に豊富とは言えず、また、代表的な史料すら、それぞれの信頼性がどの程度かという評価も固まっているとは言えない。", "title": "関連事項" }, { "paragraph_id": 284, "tag": "p", "text": "一般に、信長研究において最も重要な基本史料とされるのは、奥野高廣が集成した信長発給文書(『織田信長文書の研究』)および、同じく奥野高廣ら校注の角川文庫版『信長公記』である。", "title": "関連事項" }, { "paragraph_id": 285, "tag": "p", "text": "ただし、堀新によれば、後者の『信長公記』については、角川文庫版が自筆本の翻刻ではなく、また、『信長公記』の写本間の異同・系統研究もいまだ十分ではないという課題があるという。文書についても、信長発給文書だけでなく、家臣団発給文書の収集・分析が必要であるという課題を指摘している。", "title": "関連事項" }, { "paragraph_id": 286, "tag": "p", "text": "1963年から2009年までのNHK大河ドラマ48作中、信長の登場作品は18作に及ぶが、この数字は徳川家康に次いで豊臣秀吉と並び、他の歴史上の人物よりも遥かに多い。", "title": "関連事項" } ]
織田 信長は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。戦国の三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)出身。織田信秀の嫡男。家督争いの混乱を収めた後に、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、勢力を拡大した。足利義昭を奉じて上洛し、後には義昭を追放することで、畿内を中心に独自の中央政権(「織田政権」)を確立して天下人となった戦国時代を代表する英雄である。しかし、天正10年6月2日(1582年6月21日)、家臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。 これまで信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府への流れをつくった画期的なもので、その政治手法も革新的なものであるとみなされてきた。しかし、近年の歴史学界ではその政策の前時代性が指摘されるようになり、しばしば「中世社会の最終段階」とも評され、その革新性を否定する研究が主流となっている。
{{otheruses}} <!-- 記事に加筆する際は「[[Wikipedia:信頼できる情報源#歴史]]」を満たす情報源を本文中の脚注で明記ください([[WP:INCITE]])。 --> {{基礎情報 武士 | 氏名 = 織田 信長 | 画像 = Oda-Nobunaga.jpg | 画像サイズ = 250px | 画像説明 = 紙本著色織田信長像<br/>([[狩野元秀]]画、[[長興寺 (豊田市)|長興寺]]蔵、[[重要文化財]]){{Efn|name="Chokouji"|余語正勝が[[天正]]11年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1583年]][[7月20日]])に寄進したもので、戒名は通常「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」であるが、これには総見院以前のものと思われる「天徳院殿一品前右相府泰岩浄安大禅定門」と書かれている。余語正勝については不明だが、兄弟の余語勝久(勝直)が信長に仕えていたことから、正勝も信長の家臣だったと考えられる。}} | 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]([[室町時代]]後期) - [[安土桃山時代]] | 生誕 = [[天文 (元号)|天文]]3年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]([[ユリウス暦]][[1534年]][[6月23日]]、[[先発グレゴリオ暦]]1534年[[7月3日]])<br/>あるいは[[天文 (元号)|天文]]3年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]([[ユリウス暦]][[1534年]][[7月9日]]、[[先発グレゴリオ暦]]1534年[[7月19日]]){{Efn|name="birthday"}} | 死没 = [[天正]]10年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]](ユリウス暦[[1582年]][[6月21日]]、先発グレゴリオ暦1582年[[7月1日]]) | 改名 = 吉法師([[幼名]])→信長 | 別名 = [[仮名 (通称)|通称]]:三郎、上総守、上総介、右大将、右府 | 神号 = 建勲 | 戒名 = 総見院殿贈大相国一品泰巌大居士<br />天徳院殿龍厳雲公大居士{{Efn|天正10年9月11日[[柴田勝家]]、[[お市の方|市]]夫妻が[[妙心寺]]で百ケ日法要を挙行したときの戒名。[[阿弥陀寺 (京都市上京区)|阿弥陀寺]][[清玉]]上人命名の流れをくむもの。}}<br />天徳院殿一品前右相府泰岩浄安大禅定門{{Efn|name="Chokouji"}} | 墓所 = [[本能寺]]([[京都市]][[中京区]])<br />[[総見院 (京都市)|大徳寺総見院]](京都市[[北区 (京都市)|北区]])<br />[[妙心寺#山内塔頭|妙心寺玉鳳院]](京都市[[右京区]])<br>[[阿弥陀寺 (京都市上京区)|阿弥陀寺]](京都市[[上京区]]) [[#墓所・霊廟・寺社|他]] | 官位 = [[従三位]]・[[大納言|権大納言]]、[[近衛府|右近衛大将]]<br>[[正三位]]、[[内大臣]]、[[従二位]]、[[右大臣]]、[[正二位]]<br>贈[[従一位]]・[[太政大臣]]、贈[[正一位]] | 主君 = [[斯波義銀]]→[[足利義昭]] | 氏族 = [[織田氏|織田弾正忠家(勝幡織田氏)]] | 父母 = 父:[[織田信秀]]、母:[[土田御前]] | 兄弟 = [[織田信広|信広]]、'''信長'''、[[織田信行|信勝]]、[[織田信包|信包]]、[[織田信治|信治]]、[[織田信時|信時]]、[[織田信興|信興]]、[[織田秀孝|秀孝]]、[[織田秀成|秀成]]、[[織田信照|信照]]、[[織田長益|長益]]、[[織田長利|長利]]、[[お犬の方]]、[[お市の方]] | 妻 = '''[[濃姫|鷺山殿(濃姫)]]'''([[斎藤道三]]の娘)<br/>[[生駒吉乃|生駒氏]]{{sfn|岡田正人|1999|p=162}}([[生駒家宗]]の娘)<br/>[[坂氏 (織田信長側室)|坂氏]]の女<br/>[[興雲院|於鍋の方]](高畑源十郎の娘)<br/>[[養観院]](不明)<br/>他の側室は[[#妻|下記]]を参照。 | 子 = '''[[織田信忠|信忠]]'''、[[織田信雄|信雄]]、[[織田信孝|信孝]]、[[徳姫|五徳]]、[[相応院 (蒲生氏郷正室)|相応院]]、[[織田勝長|勝長]]、[[織田秀子|秀子]]、[[羽柴秀勝]]、[[織田信秀 (侍従)|信秀]]、[[織田信吉|信吉]]、[[織田信貞 (左京亮)|信貞]]、[[永姫]]、[[報恩院 (人物)|報恩院]]、[[織田信高|信高]]、[[織田信好|信好]]、[[織田長次 (長兵衛尉)|長次]]、[[於振]]、[[源光院 (人物)|源光院]]、[[三の丸殿]]、[[月明院]]、[[織田信正|信正]]<br>養女等に関しては[[織田信長#養女|下記]]を参照。 | 特記事項 = | 花押 =Oda Nobunaga Kaou 3.jpg |幕府=室町幕府}} '''織田 信長'''(おだ のぶなが)は、[[日本]]の[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[武将]]・[[戦国大名|大名]]。戦国の[[三英傑]]の一人。 [[尾張国]](現在の[[愛知県]])出身。[[織田信秀]]の[[嫡男]]。[[家督]]争いの混乱を収めた後に、[[桶狭間の戦い]]で[[今川義元]]を討ち取り、勢力を拡大した。[[足利義昭]]を奉じて上洛し、後には義昭を追放することで、[[畿内]]を中心に独自の中央政権(「[[織田政権]]」{{Efn|name="政権の名前"}})を確立して[[天下人]]となった戦国時代を代表する英雄である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20220602-3TN4JFCH2RI7DCU3DXJNQ22TLM/|title=信長の生涯を記録した男の執念 本能寺の変440年|publisher=産経新聞|date=2022-06-02|accessdate=2022-09-13}}</ref>。しかし、[[天正]]10年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1582年]][[6月21日]])、家臣・[[明智光秀]]に[[謀反]]を起こされ、[[本能寺]]で[[自殺|自害]]した。 これまで信長の政権は、[[豊臣秀吉]]による[[豊臣政権]]、[[徳川家康]]が開いた[[江戸幕府]]への流れをつくった画期的なもので、その政治手法も革新的なものであるとみなされてきた{{Sfn|堀新|2014|p=27}}。しかし、近年の歴史学界ではその政策の前時代性が指摘されるようになり、しばしば「中世社会の最終段階」とも評され{{Sfn|堀新|2014|p=27}}、その革新性を否定する研究が主流となっている{{Sfn|平井上総|2017|p=24}}{{Sfn|立石了|2018|p=110}}。 == 概要 == 織田信長は、[[清洲三奉行#弾正忠家|織田弾正忠家]]の当主・[[織田信秀]]の子に生まれ、[[尾張国|尾張]]([[愛知県]]西部)の一地方領主としてその生涯を歩み始めた{{Efn|name="生涯"|詳細は[[#生涯]]を参照。}}。信長は織田弾正忠家の家督を継いだ後、尾張[[守護代]]の織田大和守家、織田伊勢守家を滅ぼすとともに、弟の[[織田信行]]を排除して、尾張一国の支配を徐々に固めていった{{Efn|name="生涯"}}。 [[永禄]]3年(1560年)、信長は[[桶狭間の戦い]]において[[駿河国|駿河]]の戦国大名・[[今川義元]]を撃破した{{Efn|name="生涯"}}。そして、[[三河国|三河]]の領主・[[徳川家康]](松平元康)と同盟を結ぶ{{Efn|name="生涯"}}。永禄8年(1565年)、[[犬山城]]の[[織田信清 (戦国武将)|織田信清]]を破ることで尾張の統一を達成した{{Efn|name="生涯"}}。 一方で、[[室町幕府]]の将軍・[[足利義輝]]が殺害された([[永禄の政変]])後に、[[足利将軍家]]の[[足利義昭]]から室町幕府再興の呼びかけを受けており、信長も永禄9年(1566年)には上洛を図ろうとした{{Efn|name="生涯"}}。[[美濃国|美濃]]の戦国大名・[[斉藤氏#美濃斎藤氏|斉藤氏]]([[一色氏#美濃一色氏|一色氏]])との対立のためこれは実現しなかったが、永禄10年(1567年)には斎藤氏の駆逐に成功し([[稲葉山城の戦い]])、尾張・美濃の二カ国を領する戦国大名となった{{Efn|name="生涯"}}。そして、改めて幕府再興を志す意を込めて、「天下布武」の印を使用した{{Efn|name="生涯"}}。 翌年10月、足利義昭とともに信長は上洛し、[[三好三人衆]]などを撃破して、[[室町幕府]]の再興を果たす{{Efn|name="生涯"}}。信長は、室町幕府との二重政権(連合政権)を築いて、「天下」(五畿内)の静謐を実現することを目指した{{Efn|詳細は[[#信長の政権構想]]を参照。}}。しかし、敵対勢力も多く、[[元亀]]元年(1570年)6月、[[越前国|越前]]の[[朝倉義景]]・北[[近江国|近江]]の[[浅井長政]]を[[姉川の戦い]]で破ることには成功したものの、[[三好三人衆]]や[[比叡山延暦寺]]、[[石山本願寺]]などに追い詰められる{{Efn|name="生涯"}}。同年末に、信長と義昭は一部の敵対勢力と講和を結び、ようやく窮地を脱した{{Efn|name="生涯"}}。 元亀2年(1571年)9月、[[比叡山焼き討ち (1571年)|比叡山を焼き討ち]]する{{Efn|name="生涯"}}。しかし、その後も苦しい情勢は続き、[[三方ヶ原の戦い]]で織田・徳川連合軍が[[武田信玄]]に敗れた後、元亀4年(1573年)、将軍・足利義昭は信長を見限る{{Efn|name="生涯"}}。信長は義昭と敵対することとなり、同年中には義昭を京都から追放した([[槇島城の戦い]]){{Efn|name="生涯"}}。 将軍不在のまま中央政権を維持しなければならなくなった信長は、天下人への道を進み始める{{Efn|name="生涯"}}。元亀から[[天正]]への[[改元]]を実現すると、天正元年(1573年)中には浅井長政・朝倉義景・[[三好義継]]を攻め、これらの諸勢力を滅ぼすことに成功した{{Efn|name="生涯"}}。天正3年(1575年)には、[[長篠の戦い]]での武田氏に対して勝利するとともに、[[右近衛大将]]に就任し、[[室町幕府]]に代わる新政権の構築に乗り出した{{Efn|name="生涯"}}。翌年には[[安土城]]の築城も開始している{{Efn|name="生涯"}}。しかし、天正5年(1577年)以降、[[松永久秀]]、[[別所長治]]、[[荒木村重]]らが次々と信長に叛いた{{Efn|name="生涯"}}。 天正8年(1580年)、長きにわたった[[石山合戦]](大坂本願寺戦争)に決着をつけ、翌年には[[京都]]で大規模な馬揃え([[京都御馬揃え]])を行い、その勢威を誇示している{{Efn|name="生涯"}}。 天正10年(1582年)、[[甲州征伐]]を行い、[[武田勝頼]]を自害に追いやって[[武田氏]]を滅亡させ、東国の大名の多くを自身に従属させた{{Efn|name="生涯"}}。同年には信長を[[太政大臣]]・[[関白]]・[[征夷大将軍]]のいずれかに任ずるという構想が持ち上がっている([[三職推任]]){{Efn|name="生涯"}}。その後、信長は[[長宗我部元親]]討伐のために[[四国攻め]]を決定し、[[三男]]・[[織田信孝|信孝]]に出兵の準備をさせている{{Efn|name="生涯"}}。そして、信長自身も[[毛利輝元]]ら[[毛利氏]]討伐のため、[[中国攻め|中国地方攻略]]に赴く準備を進めていた{{Efn|name="生涯"}}。しかし、6月2日、重臣の[[明智光秀]]の謀反によって、京の[[本能寺]]で自害に追い込まれた([[本能寺の変]]){{Efn|name="生涯"}}。 一般に、信長の性格は、極めて[[残虐]]で、また、常人とは異なる感性を持ち、家臣に対して酷薄であったと言われている{{Efn|name="人物"|詳細は[[#人物]]を参照。}}。一方、信長は世間の評判を非常に重視し、家臣たちの意見にも耳を傾けていたという異論も存在する{{Efn|name="人物"}}。なお、信長は武芸の鍛錬に励み、趣味として[[鷹狩り]]・[[茶の湯]]・[[相撲]]などを愛好した{{Efn|name="人物"}}。[[南蛮]]などの異国に興味を持っていたとも言われる{{Efn|name="人物"}}。 政策面では、信長は室町幕府将軍から「天下」を委任されるという形で自らの政権を築いた{{Efn|詳細は[[#信長の政権構想]]を参照。}}。[[天皇]]や[[朝廷 (日本)|朝廷]]に対しては協調的な姿勢を取っていたという見方が有力となっている{{Efn|詳細は[[#朝廷政策]]を参照。}}。 江戸時代には、[[新井白石]]らが信長の残虐性を強く非難したように、信長の評価は低かった{{Efn|name=凶逆|詳細は[[#「凶逆の人」から勤王家へ]]を参照。}}。 とはいえ、やがて信長は[[勤王|勤王家]]として称賛されるようになり、[[建勲神社|明治時代には神として祀られている]]{{Efn|name=凶逆}}。[[第二次世界大戦]]後には、信長はその政策の新しさから、革新者として評価されるようになった{{Efn|name=革新}}。しかし、このような革新者としての信長像には疑義が呈されつつあり、近年の歴史学界では信長の評価の見直しが進んでいる{{Efn|name=革新|詳細は[[#革新者か否か]]を参照。}}。 == 生涯 == <small>※日付は[[和暦]]による[[旧暦]]。[[西暦]]表記の部分は[[ユリウス暦]]とする。</small> === 尾張・美濃の平定 === ==== 少年期 ==== {{multiple image | header = 生誕の地とされる[[勝幡城]] | total_width = 400 | image1 = Shobata Castle 01.jpg | caption1 = 推定復元模型(愛知県[[愛西市]]) | image2 = Shobata Castle Site.jpg | caption2 = 城跡(愛知県[[稲沢市]]) }} [[天文 (元号)|天文]]3年([[1534年]])5月{{Efn|name="birthday"|信長の誕生日は、ルイス・フロイスの言に基づき5月11日ないし12日であるとする説と、[[天野信景]]『塩尻』等に準拠して5月28日であるとする二つの説がある{{Sfn|下村信博|2011b|p=241}}。}}、[[尾張国]]の戦国大名・[[織田信秀]]と[[土田御前]]([[土田政久]]の娘)の間に嫡男{{Efn|異母兄として[[織田信広]]がおり{{Sfn|池上裕子|2012|p=2}}、信広の同母弟・秀俊は系図上は信長より後に生まれたこととなっているものの、信長より先に生まれた可能性も否定しがたい{{Sfn|池上裕子|2012|p=2}}。これらは庶流の扱いとなる。{{see also|#兄弟}}}}として誕生。幼名は'''吉法師'''(きっぽうし){{Sfn|池上裕子|2012|p=2}}{{Sfn|下村信博|2011b|pp=241-242}}。 信長の生まれた「弾正忠家」は、尾張国の下四郡の[[守護代]]であった織田大和守家(清洲織田家)の家臣にして分家であり、[[清洲三奉行]]という家柄であった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=6-9}}。当時、尾張国では、[[守護]]である[[斯波氏]]の力はすでに衰えており、守護代の織田氏も分裂していたのである{{Sfn|池上裕子|2012|pp=6-9}}。こうした状況下で、信長の父である信秀は、守護代・[[織田達勝]]らの支援を得て、[[今川氏豊]]から[[那古野城]]を奪う{{Sfn|下村信博|2011a|pp=209-239}}。そして、信秀は尾張国内において勢力を急拡大させていた{{Sfn|下村信博|2011a|pp=209-239}}。 なお、信長の生誕地については[[那古野城]]・[[古渡城]]・[[勝幡城]]の3説に分かれる{{Sfn|下村信博|2011b|pp=241-242}}。中でも那古野城説は『[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]]』に記されるなど定説となっていたが、[[山科言継]]の『[[言継卿記]]』の記述などを根拠に、[[天文 (元号)|天文]]3年時点では織田氏がまだ那古野城を奪っていない可能性が高まった(詳細は[[那古野城#歴史]]を参照)ことに加え、[[愛西市]]所蔵『尾州古城志』などの史料の「[[勝幡城]]で生まれた」といった記述をもとに、1992年に発表された論文をきっかけとして近年では勝幡城説が妥当と考えられている{{Sfn|下村信博|2011b|pp=241-242}}<ref>{{Cite web|和書|author=[[小林宏行]]|date=2014-09-22|url=https://style.nikkei.com/article/DGXLASFD0400H_S4A910C1000000/|title=信長生誕地は名古屋近郊「勝幡城」 有力説に地元わく|website=大ナゴヤを行く|accessdate=2022-06-29}}</ref><ref>{{Cite news|title=信長生誕地「勝幡城説」。播磨中京大教授が愛西で講座|newspaper=中日新聞|date=2014-07-04|author=|url=http://edu.chunichi.co.jp/?action_kanren_detail=true&action=education&no=4757|accessdate=2015-05-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150508182752/http://edu.chunichi.co.jp/?action_kanren_detail=true&action=education&no=4757|archivedate=2015年5月8日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=[[小和田哲男]]|date=2018-08-16|url=https://shirobito.jp/article/435|title=戦国武将と城<織田信長と城>第1回 信長生誕地は那古野城か勝幡城か|work=城びと|publisher=公益財団法人[[日本城郭検定協会]]|accessdate=2018-09-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180902114248/https://shirobito.jp/article/435 |archivedate=2018-09-02}}</ref>。{{-}} ==== 尾張の大うつけ ==== [[File:Site of Nagoya Castle.jpg|thumb|200px|最初に城主となった那古野城跡([[名古屋城]]二之丸)]] 信長は、早くに信秀から那古野城を譲られ、城主となっている{{Efn|name="那古野城主"|那古野城譲渡の時期は、通説では天文4年とされているものの、実際にはかなり遅く、天文13年頃の可能性もある{{Sfn|下村信博|2011b|p=242}}。}}。『[[信長公記]]』によれば、信長には奇天烈な行動が多く、周囲から「大うつけ」と呼ばれたという{{Sfn|池上裕子|2012|p=4}}。なお、人質となっていた松平竹千代(後の[[徳川家康]])と幼少期の頃に知り合っていたとも言われるが、可能性としては否定できないものの、そのことを裏付ける史料はない{{Sfn|谷口克広|2017|pp=126-127}}。 天文15年([[1546年]])、[[古渡城]]にて[[元服]]し、三郎信長と称する{{Sfn|池上裕子|2012|p=3}}{{Sfn|下村信博|2011b|pp=241-242}}。 天文16年([[1547年]])、信長は今川方との小競り合いにおいて[[初陣]]を果たし、天文18年には尾張国支配の政務にも関わるようになった{{Sfn|下村信博|2011b|pp=242-243}}。 ==== 濃姫との結婚 ==== 天文17年([[1548年]])あるいは天文18年([[1549年]])頃、父・信秀と敵対していた[[美濃国]]の[[戦国大名]]・[[斎藤道三]]との和睦が成立すると、その証として道三の娘・[[濃姫]]と信長の間で政略結婚が交わされた{{refnest|group="注釈"|[[井原今朝男]]の説によれば、道三が名跡を継承した美濃斎藤氏は室町時代の公家である[[甘露寺親長]]の妻(南向)を出し、その孫にあたる娘が斎藤氏の[[口入]](仲介)で尾張の織田兵庫頭の室になったことで、甘露寺家を介して両家が縁戚になったことが確認され(『[[親長卿記]]』文明15年9月17日条・明応4年4月16日条・21日条)、斎藤氏と織田氏の婚姻には伝統的背景があると解される{{Sfn|井原今朝男|2014|p=203}}。}}。 斎藤道三の娘と結婚したことで、信長は織田弾正忠家の継承者となる可能性が高くなった{{Sfn|下村信博|2011b|pp=242-243}}。そして、おそらく天文21年([[1552年]]){{Efn|この信秀の死没については、その時期にいくつかの説があったものの、2011年現在は天文21年とするのが定説となっている{{Sfn|柴裕之|2011|p=30}}{{Sfn|村岡幹生|2011|p=22}}。}}3月に父・信秀が死去したため、家督を継ぐこととなる{{Sfn|池上裕子|2012|p=3}}{{Sfn|下村信博|2011b|pp=242-243}}{{Efn|織田信秀の発給文書の終見は天正19年(1550年)11月朔日付の祖父江金法師(津島郷士)宛の跡職安堵状で、12月になると代わって信長が安堵状を出すようになるため(同年12月23日付笠寺如法院座主宛別当職安堵状)、天文19年末の段階で信秀が病床にあって信長への事実上の代替わりが行われていたとみられる{{Sfn|柴辻俊六|2016|p=117}}。}}{{Efn|『信長公記』には、信秀の葬儀において祭壇に[[抹香]]を投げつけたという逸話が記録されている{{Sfn|池上裕子|2012|pp=3-4}}。}}。信長は、家督継承を機に「上総守信長」を称するようになる(のち「上総介信長」に変更){{Sfn|柴裕之|2011|p=32}}{{Efn|信長が上総介を名乗った理由は、今川氏の代々の当主が上総介を称したことを意識したとも考えられる{{Sfn|木下聡|2011|pp=339-340}}。信長が上総守を称したのはごく短期間であるものの{{Sfn|木下聡|2011|pp=355}}、これについても今川氏の称する上総介よりも「上総守」が上位であると信長が考えたのではないかと推測する説もある{{Sfn|木下聡|2011|pp=355}}}}。{{-}} ==== 家督継承から尾張統一 ==== [[ファイル:Kiyosujo2.JPG|thumb|[[清洲城]](愛知県[[清須市]])]] 家督継承後の信長は、すぐに困難に直面する。信秀は尾張国内に大きな勢力を有していたが、まだ若い信長にその勢力を維持する力が十分にあるとは言えなかった{{Sfn|下村信博|2011b|pp=243-245}}。そして、弾正忠家の外部には清洲城の尾張守護代・織田大和守家という対立者を抱え、弾正忠家の内部には弟・[[織田信行|信勝]](信行){{Efn|一般に「信行」として知られているが、同時代史料で確認できる名前は、「信勝」あるいは「達成」・「信成」である{{Sfn|下村信博|2011b|pp=243-245}}。以降、本文では「信勝」で統一。}}などの競争者がいたのである{{Sfn|下村信博|2011b|pp=243-245}}。 一説には信秀の最晩年に行おうとした今川義元との和睦に信長が反対したことなどから信長の後継者としての立場に疑問符が持たれ、信秀も信長と信勝の間で家督の分割する考えに転じたのではないか、という説がある(実際に信秀の死の直後に信長は直ちに和議を破棄している)<ref>村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝」(初出:『愛知県史研究』15号(2011年)/『シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻 今川義元』(戎光祥出版、2019年6月) ISBN 978-4-86403-325-1) 2019年、P314-324.</ref>。ただし、この和平の仲介には信長の[[舅]]である斎藤道三を敵視する六角定頼が関与しており、信長の立場からすれば道三に不利となる条件との抱き合わせになる可能性のあるこの和議に賛同できなかったとする見方もある<ref>小川雄「一五五〇年代の東美濃・奥三河情勢-武田氏・今川氏・織田氏・斎藤氏の関係を中心として」(初出:『武田氏研究』47号(2013年)/『シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻 今川義元』(戎光祥出版、2019年6月) ISBN 978-4-86403-325-1) 2019年、P285-286.</ref>。 天文21年8月、清洲の織田大和守家は、弾正忠家との敵対姿勢を鮮明とした{{Sfn|下村信博|2011b|pp=243-245}}。信長は[[萱津の戦い]]で勝利し、これ以後、清洲方との戦いが続くこととなる{{Sfn|下村信博|2011b|pp=243-245}}。 ==== 正徳寺の会見 ==== 天文22年([[1553年]])、信長の宿老である[[平手政秀]]が自害している{{Sfn|池上裕子|2012|p=6}}{{Sfn|下村信博|2011b|pp=245-246}}。信長は嘆き悲しみ、[[沢彦]]を開山として[[政秀寺]]を建立し、政秀の霊を弔った{{Sfn|池上裕子|2012|p=6}}。一方、おそらく同年4月に、信長は[[聖徳寺 (名古屋市)|正徳寺]]で道三と会見した{{Sfn|下村信博|2011b|pp=245-247}}。その際に道三はうつけ者と呼ばれていた信長の器量を見抜いたとの逸話がある{{Sfn|池上裕子|2012|pp=5-6}}。 天文23年([[1554年]])、[[村木砦の戦い|村木城の戦い]]で今川勢を破った{{Sfn|池上裕子|2012|p=13}}。 この年も、清洲との戦いは、信長に有利に展開していた{{Sfn|下村信博|2011b|pp=247-249}}。同年7月12日{{Efn|通説では天文23年7月12日に斯波義統殺害が行われたとされてきたが、『定光寺年代記』の記述によれば、天文22年の7月12日が正しいと考えられるという{{Sfn|下村信博|2011b|pp=247-249}}。}}、尾張守護の[[斯波義統]]が、清洲方の武将・[[坂井大膳]]らに殺害される事件が起きる{{Sfn|下村信博|2011b|pp=247-249}}。これは、斯波義統が信長方についたと思われたためであり、義統の息子の[[斯波義銀]]は信長を頼りに落ち延びた{{Sfn|下村信博|2011b|pp=247-249}}。 こうして、信長は、清洲の守護代家を謀反人として糾弾する大義名分を手に入れた{{Sfn|下村信博|2011b|pp=247-249}}。そして、数日後には、[[安食の戦い]]で長槍を用いる信長方の軍勢が清洲方に圧勝した{{Sfn|下村信博|2011b|pp=247-249}}。 天文23年{{Efn|かつての通説では弘治元年の出来事とされてきたが、天文23年が正しいと考えられる{{Sfn|下村信博|2011b|pp=250-251}}。}}、衰弱した清洲の守護代家は、信長とその叔父・[[織田信光]]の策略によって清洲城を奪われ、守護代・[[織田信友|織田彦五郎]]{{Efn|このとき自害した守護代・織田彦五郎については史料から実名を確定できない{{Sfn|柴裕之|2011|pp=27-28}}。下村信博は、この守護代について単に「織田彦五郎」、あるいは「織田彦五郎信友」と記載している{{Sfn|下村信博|2011b|pp=250-251}}。一方、柴裕之は、彦五郎について、文書に残る「大和守勝秀」と同一人物だと比定している{{Sfn|柴裕之|2011|pp=27-28}}。}}も自害を余儀なくされた{{Sfn|下村信博|2011b|pp=250-251}}。ここに尾張守護代織田大和家は滅亡することとなる{{Sfn|下村信博|2011b|pp=250-251}}。 他方、守護代家打倒に力を貸した信長の叔父・信光も11月26日に死亡している{{Sfn|下村信博|2011b|pp=250-251}}。この死は暗殺によるものであったと考えられる{{Sfn|下村信博|2011b|pp=250-251}}。そして、信長が信光暗殺に関与していたという説もあるという{{Sfn|下村信博|2011b|pp=250-251}}{{Efn|なお、信光と確執のあった林秀貞が信光暗殺に関与していたという説もある<ref>村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝」(初出:『愛知県史研究』15号(2011年)/『シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻 今川義元』(戎光祥出版、2019年6月) ISBN 978-4-86403-325-1) 2019年、P331-332.</ref>。}}。 ==== 義父・斎藤道三の死 ==== 弘治2年(1556年)4月、義父・斎藤道三が子の[[斎藤義龍]]との戦いで敗死([[長良川の戦い]]){{Sfn|下村信博|2011b|pp=254-255}}。信長は救援のため、木曽川を越えて美濃の大浦まで出陣したものの、勢いに乗った義龍軍に苦戦し、道三敗死の知らせにより信長自らが[[殿 (軍事用語)|殿]]をしつつ退却した{{Efn|道三残存軍が織田軍へ合流し、[[美濃国譲り状]]を末子である[[斎藤利治]]により信長へ直接渡したとされる。}}。{{-}} ==== 弟との戦い ==== [[File:Inōgahara_Battlefield.jpg|thumb|200px|稲生原古戦場跡([[名古屋市]][[西区 (名古屋市)|西区]])]] {{main|織田信行}} 最も有力な味方である道三を失った信長に対し、[[林秀貞]](通勝)・[[林通具]]・[[柴田勝家]]らは弟・信勝を擁立すべく挙兵する{{Sfn|下村信博|2011b|pp=254-256}}。信勝は、父・信秀から末盛城や柴田勝家ら有力家臣を与えられるとともに、愛知郡内に一定の支配権を有するなど、弾正忠家において以前から強い力を有していた{{Sfn|下村信博|2011b|pp=244-245}}。弘治元年には「弾正忠」を名乗るようにもなっており、弾正忠家の継承者候補として信長と争う立場にあった{{Sfn|下村信博|2011b|pp=253-254}}。 同年8月に両者は稲生で激突するが、結果は信長の勝利に終わった([[稲生の戦い]]){{Sfn|池上裕子|2012|p=14}}。信長は、[[末盛城]]などに籠もった信勝派を包囲したが、生母・土田御前の仲介により、信勝・勝家らを赦免した{{Sfn|下村信博|2011b|pp=254-256}}。 永禄元年([[1558年]])、信勝が再び謀反を企てる{{Sfn|下村信博|2011b|pp=254-256}}。この時、信勝を見限った柴田勝家からの密告があり、事態を悟った信長は病と称して信勝を清洲城に誘い出し殺害した{{Sfn|下村信博|2011b|pp=254-256}}。 同年7月、信長は、同族の[[犬山城]]主・[[織田信清 (戦国武将)|織田信清]]と協力し、尾張上四郡(丹羽郡・葉栗郡・中島郡・春日井郡)の守護代・織田伊勢守家(岩倉織田家)の当主・[[織田信賢]]を[[浮野の戦い]]において撃破した{{Sfn|下村信博|2011b|pp=254-256}}。そして、翌年には、信賢の本拠地・[[岩倉城 (尾張国)|岩倉城]]を陥落させた{{Sfn|下村信博|2011b|pp=254-256}}。 永禄2年([[1559年]])2月2日、信長は約500名の軍勢を引き連れて[[上洛]]し、[[室町幕府]]13代[[征夷大将軍|将軍]]・[[足利義輝]]に謁見した{{Sfn|村岡幹生|2011|pp=20}}{{Efn|『信長公記』によれば斎藤義龍がこの時、信長を謀殺せんと京へ刺客を放つも、織田方の丹羽兵蔵がこれを看破したという事件があったという。}}。村岡幹生によれば、この上洛の目的は、新たな尾張の統治者として幕府に認めてもらうことにあったという{{Sfn|村岡幹生|2011|pp=20}}。しかし、この目的は達成されなかったと考えられる{{Sfn|村岡幹生|2011|pp=20}}。 一方、天野忠幸によれば、この上洛は尾張の問題だけによるものではなく、前年に足利義輝が正親町天皇を擁した三好長慶に対して不利な形で和睦をせざるを得なかったことによって諸大名が拠って立つ足利将軍家を頂点に立つ武家秩序が崩壊する危機感が高まり、その状況を信長自らが確認する意図もあったとされる{{Sfn|天野忠幸|2016a|pp=29-33}}{{Efn|天野は同年に斎藤義龍と長尾景虎(後の上杉謙信)が上洛しているのも同様の趣旨とみている{{Sfn|天野忠幸|2016a|pp=29-33}}。}}。 ==== 桶狭間の戦い ==== {{Main|桶狭間の戦い|清洲同盟}} 永禄3年([[1560年]])5月、[[今川義元]]が尾張国へ侵攻した{{Sfn|池上裕子|2012|p=15}}。[[駿河国|駿河]]・[[遠江国|遠江]]に加えて[[三河国]]をも支配する今川氏の軍勢は、1万人とも4万5千人とも号する大軍であった{{Sfn|池上裕子|2012|p=15}}{{Efn|池上裕子は、このときに今川氏が3万人以上の軍勢を動員できたとは考え難く、多く見積もっても2万5千人程度しか動員していないであろうと述べる{{Sfn|池上裕子|2012|p=15}}。}}。織田軍はこれに対して防戦したがその兵力は数千人程度であった{{Sfn|池上裕子|2012|p=16}}。今川軍は、松平元康(後の徳川家康)が指揮を執る三河勢を先鋒として、織田軍の城砦に対する攻撃を行った{{Sfn|池上裕子|2012|p=16}}。 信長は静寂を保っていたが、永禄3年([[1560年]])5月19日午後一時、[[幸若舞]]『[[敦盛 (幸若舞)|敦盛]]』を舞った後、出陣した{{Sfn|平野明夫|2016|pp=11-12}}。攻撃を仕掛けてくるなど全く予想しておらず、油断しきっていた今川軍の陣中に信長は強襲をかけ、義元を討ち取った{{Sfn|池上裕子|2012|pp=16-19}}{{Efn|この戦いにおける信長の勝因は、1980年頃までは奇襲作戦の成功にあるとされていた{{Sfn|平野明夫|2016|pp=3-5}}。その後、『信長公記』の記述をもとに、信長は奇襲ではなく、正面攻撃を行ったとする藤本正行の説が広く知られるようになった{{Sfn|平野明夫|2016|pp=3-5}}{{Sfn|藤本正行|2003|pp=73-111}}。しかし、2006年には『甲陽軍鑑』の記述をもとに[[黒田日出男]]が奇襲説を再評価し、藤本正行とのあいだで論争が行われている{{Sfn|平野明夫|2016|pp=3-5}}。}}('''[[桶狭間の戦い]]''')。 桶狭間の戦いの後、今川氏は三河国の松平氏の離反等により、その勢力を急激に衰退させる{{Efn|松平氏の離反の時期については、桶狭間の戦いからしばらくは松平氏と信長の戦いが継続していたとするのが通説であった{{Sfn|平野明夫|2014|pp=69-72}}。しかし、研究の進展によって、桶狭間の戦い直後に松平氏は今川氏を裏切ったとする見解も有力となっている{{Sfn|平野明夫|2014|pp=69-72}}。その一方で、松平元康(徳川家康)の岡崎城帰還は信長による三河侵攻を警戒する今川氏真の方針に沿うものであったが、[[小田原城の戦い (1560年)|長尾景虎(上杉謙信)の北条領侵攻]]をきっかけに氏真の方針が対織田戦から対上杉戦(北条氏救援)に変化したことが松平氏離反のきっかけとなったとする説もある<ref>丸島和洋「松平元康の岡崎城帰還」『戦国史研究』76号、2016年。</ref>。}}。これを機に信長は今川氏の支配から独立した徳川家康(この頃、松平元康より改名)と手を結ぶことになる{{Sfn|池上裕子|2012|p=20}}。両者は同盟を結んで互いに背後を固めた(いわゆる[[清洲同盟]]){{Sfn|池上裕子|2012|p=20}}{{Efn|近年、従来の清州同盟の成立とした出来事は織田・松平間の停戦・和睦協定の域を出ず、後世知られる「清州同盟」の成立は信長の娘・五徳と家康の嫡男・信康の婚姻関係が結ばれた永禄10年まで下るとする新説も出されている<ref>柴裕之「室町幕府・織田政権との政治関係」黒田基樹 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P225-226・231-233.</ref>。}}。 永禄6年([[1563年]])、美濃攻略のため本拠を[[小牧山城]]に移す{{Sfn|池上裕子|2012|p=24}} 永禄8年([[1565年]]){{Efn|犬山落城の時期は永禄7年とするのが通説であったが、横山住英が新出史料をもとに永禄8年のことであると論じており{{Sfn|横山住雄|2011}}、柴裕之もこれを支持している{{Sfn|柴裕之|2011|p=34}}。}}、信長は犬山城の[[織田信清 (戦国武将)|織田信清]]を下し、ついに尾張統一を達成した{{Sfn|柴裕之|2011|p=34}}。さらに、[[甲斐国]]の戦国大名・武田信玄と領国の境界を接することになったため、同盟を結ぶこととし、同年11月に信玄の四男・[[武田勝頼|勝頼]]に対して信長の養女([[龍勝院|龍勝寺殿]])を娶らせた{{Sfn|柴裕之|2017a|p=75}}。 <gallery widths="240px"> File:Oda Nobunaga statue in Kiyosu park.jpg|織田信長 銅像<br />(愛知県[[清須市]]、清洲公園) File:Zenshouji1.JPG|善照寺砦跡<br />(名古屋市[[緑区 (名古屋市)|緑区]]) File:Okehazama Old Battlefield, Sakae-cho Toyoake 2012.JPG|[[桶狭間#桶狭間古戦場伝説地|桶狭間古戦場伝説地]]<br>(愛知県[[豊明市]]) File:Komakiyama castle1.jpg|[[小牧山城]]と[[小牧市|小牧]]の[[城下町]]<br>(愛知県[[小牧市]]) </gallery> ==== 美濃斎藤氏と足利義昭 ==== 斎藤道三亡き後、信長と斎藤氏(一色氏)との関係は険悪なものとなっていた{{Efn|なお、信長は、道三の近親の[[斎藤利治]]を取り立て、[[佐藤忠能]]の養子として[[加治田城]]主に命じ、領地と家臣団([[加治田衆]])を与え、道三亡き後の斎藤家跡取りとしたとの考察がある{{Sfn|富加町史編集委員会|1980|p=227}}。この人物は、正式な美濃斎藤家として織田家内でも親族として重きをなす。正室の姉である[[濃姫]]が[[養母]]となり二代目後継者[[織田信忠]]付き[[側近]](重臣)ともなっている{{Sfn|富加町史編集委員会|1980|p=229}}。}}。桶狭間の戦いと前後して両者の攻防は一進一退の様相を呈していた。しかし、永禄4年([[1561年]])に斎藤義龍が急死し、嫡男・[[斎藤龍興]]が後を継ぐと、信長は美濃国に出兵し勝利する([[森部の戦い]])。同じ頃{{Efn|name="婚儀"|浅井長政とお市の婚儀がいつ行われたかは正確には不明であり決定し難いが、2017年時点では永禄4年前後であるとする見解が有力である{{Sfn|金子拓|2017a|pp=20-23}}。}}には北[[近江国|近江]]の[[浅井長政]]と同盟を結び、斎藤氏への牽制を強化している{{Sfn|金子拓|2017a|pp=20-23}}。その際{{Efn|name="婚儀"}}、信長は妹・[[お市の方|お市]]を輿入れさせた{{Sfn|金子拓|2017a|pp=20-23}}。 一方、中央では、永禄8年([[1565年]])5月、かねて[[京都|京]]を中心に[[畿内]]で権勢を誇っていた[[三好氏]]の[[三好義継]]・[[三好三人衆]]・[[松永久通]]らが、対立を深めていた将軍・足利義輝を殺害した([[永禄の変]]){{Sfn|天野忠幸|2016a|pp=54-60}}{{Efn|この際、義継らは[[足利義栄]]の擁立を図ったとも言われるが、実際には、義継らにその意図はなかったと考えられる{{Sfn|天野忠幸|2016a|pp=54-60}}。義栄擁立を計画したのは、阿波三好家の[[篠原長房]]らであった{{Sfn|天野忠幸|2016a|pp=70-72}}。}}。義輝の弟の[[足利義昭]](一乗院覚慶、足利義秋)は、[[松永久秀]]の保護を得ており、殺害を免れた{{Sfn|天野忠幸|2016a|pp=60-61}}。義昭は[[大和国]](現在の奈良県)から脱出し、近江国の和田、後に同国の矢島を拠点として諸大名に上洛への協力を求めた{{Sfn|天野忠幸|2016a|pp=66-67}}。 これを受けて、信長も同年12月には細川藤孝に書状を送り、義昭の上洛に協力する旨を約束した{{Sfn|柴裕之|2017b|pp=254-258}}{{Efn|浅井長政とお市の婚姻も六角氏や幕臣の[[和田惟政]]らによる構想とする説もある{{Sfn|久保尚文|2015|p=87}}。}}。同じ年には、至治の世に現れる霊獣「[[麒麟]]」を意味する[[麟 (織田信長の花押)|「麟」字型の花押]]を使い始めている{{Sfn|池上裕子|2012|p=33}}。また、義昭は上洛の障害を排除するため、信長と美濃斎藤氏との停戦を実現させた{{Sfn|柴裕之|2017b|pp=254-258}}。こうして、信長が義昭の供奉として上洛する作戦が永禄9年8月には実行される予定であった{{Sfn|柴裕之|2017b|pp=254-258}}。 ところが、永禄9年(1566年)8月、信長は領国秩序の維持を優先して、美濃斎藤氏との戦闘を再開する{{Sfn|柴裕之|2017b|pp=258-264}}。結果、義昭は矢島から若狭国まで撤退を余儀なくされ、信長もまた、閏8月に[[河野島の戦い]]で大敗を喫してしまう{{Sfn|柴裕之|2017b|pp=258-264}}{{Efn|信長が上洛の兵を起こしたところ、斎藤龍興が離反して道を塞いだために上洛を断念して撤退したという内容の文書が、室町幕府の幕臣であった[[米田求政]]の子孫の家から発見されている(村井祐樹「幻の信長上洛作戦」『古文書研究』第78号、2014年)。これを受けて、信長は足利義栄側に離反した美濃斎藤氏と近江六角氏との対立が避けられなくなり、また大和方面からの迂回も視野に入れて三好三人衆と対立する松永久秀や[[柳生宗厳]]などの大和の勢力とも関係を持つようになった{{Sfn|久野雅司|2019b|pp=201}}{{Sfn|久野雅司|2019c|pp=224-225}}。ただし、同時に信長が事前に龍興に約束した軍勢通過のための人質の話が纏まらなかったのが衝突の原因とする指摘もある{{Sfn|久野雅司|2019c|pp=291-292}}。}}。「天下之嘲弄」を受ける屈辱を味わった信長は、名誉回復のため、美濃斎藤氏の脅威を排除し、義昭の上洛を実現させることを目指さなければならなくなる{{Sfn|柴裕之|2017b|pp=258-264}}。 そして、永禄9年([[1566年]])、信長は美濃国有力[[国人衆]]である[[佐藤忠能]]と[[加治田衆]]を味方にして[[中濃]]の諸城を手に入れ([[堂洞合戦]]、[[関・加治田合戦]]、[[中濃攻略戦]])<ref>{{Cite book |和書|last= |first= |author= 富加町史編集委員会|authorlink= |coauthors= |year= 1980|title= 富加町史|volume = 下巻 通史編||publisher= 富加町|location= |pages= 198-199|chapter = 堂洞合戦 関・加治田合戦、関 落城|id= |isbn= }}</ref>、義弟・[[斎藤利治]]を佐藤忠能の養子として[[加治田城]]主とする{{Efn|新知扶助分 百貫文(関市市平賀)弐捨五貫文(富加町川小牧)四捨八貫文(富加町大山)百四捨参貫文(関市肥田瀬)百貫文(富加町夕田)弐捨貫文(美濃加茂市加茂野町鷹之巣)弐百弐捨貫文(富加町加治田・絹丸)四百七捨貫文(関市吉田)五百弐捨捨貫文(武儀郡上之保村、武儀町)七捨貫文(益田郡金山町)六捨八貫文(加茂郡白川町坂之東)百五捨貫文(関市上下迫間)・[[梅村良澤]]二扶助都合弐千百八捨四貫文}}{{Efn|信長の命により佐藤忠能の養子とし[[八重緑]]亡き次女・[[正室院]]を正室とし、二代目加治田城主として[[親衛隊]]の[[加治田衆]]家臣団を率いる美濃斎藤家跡取りとした。}}。さらに[[西美濃三人衆]]([[稲葉良通]]・[[氏家直元]]・安藤守就)などを味方につけた信長は、ついに永禄10年([[1567年]]){{Efn|稲葉山城陥落は永禄10年のことであるとする説が有力だが、永禄7年のことであるとする見解もあり、研究者のあいだで議論となっているという{{Sfn|池上裕子|2012|pp=20-25}}。}}、斎藤龍興を伊勢国[[長島町 (三重県)|長島]]に敗走させ、美濃国平定を進めた([[稲葉山城の戦い]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=25-26}}。このとき、井ノ口を[[岐阜市|岐阜]]と改称した(『[[信長公記]]』){{Efn|全くの新地名の考案ではなく、木曾川の北(陽)にあることからの美称として岐陽などと並んで以前から一部の学僧・禅僧の間では使われていた。それを信長が一般化させたものである{{Sfn|服部英雄|2000|p=226}}。}} 同年11月、印文「[[天下布武]]」の朱印を信長は使用しはじめている{{sfn|林屋辰三郎|2005|p=105}}{{Sfn|池上裕子|2012|pp=56-60}}。この印判の「天下」の意味は、日本全国を指すものではなく、[[五畿内]]を意味すると考えられており{{Sfn|池上裕子|2012|pp=26-27}}{{Sfn|柴裕之|2017b|pp=263-264}}、室町幕府再興の意志を込めたものであった{{Sfn|柴裕之|2017b|pp=263-264}}(→''[[#信長の政権構想]]'')。11月9日には、[[正親町天皇]]が信長を「古今無双の名将」と褒めつつ、[[御料所]]の回復・[[誠仁親王]]の元服費用の拠出を求めたが{{Efn|これらは[[綸旨]]、[[女房奉書]]およびその添状である万里小路惟任によって伝えられた{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=19-24}}。}}、信長は丁重に「まずもって心得存じ候(考えておきます)」と返答したのみだった{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=19-24}}。{{-}} === 二重政権 === [[ファイル:Nobunaga_flag.png|thumb|200px|織田信長軍 [[永楽通宝|永楽銭(永楽通宝)]]の[[馬印|旗印]]]] ==== 織田信長の上洛戦 ==== 一方、すでに述べたとおり、三好氏による襲撃の危険が生じたことから、義昭は近江国を脱出して、[[越前国]]の[[朝倉義景]]のもとに身を寄せていた{{Sfn|久野雅司|2015a|p=17}}。しかし、本願寺との敵対という状況下では義景は上洛できず、永禄11年([[1568年]])7月には信長は義昭を上洛させるために、[[和田惟政]]に[[村井貞勝]]や[[不破光治]]・[[島田秀満]]らを付けて越前国に派遣している{{Sfn|久野雅司|2015a|p=18}}。義昭は同月13日に[[一乗谷]]を出て美濃国に向かい、25日に岐阜城下の[[立政寺]]にて信長と会見した{{Sfn|久野雅司|2015a|p=18}}。 永禄11年(1568年)9月7日、信長は足利義昭を奉戴し、[[上洛]]を開始した{{Sfn|池上裕子|2012|p=35}}。すでに三好義継や松永久秀らは義昭の上洛に協力し、反義昭勢力の牽制に動いていた{{Sfn|天野忠幸|2016a|pp=86-89}}。一方、義昭・信長に対して抵抗した南近江の六角義賢・[[六角義治|義治]]父子は織田軍の攻撃を受け、12日に本拠地の[[観音寺城]]を放棄せざるを得なくなった{{Sfn|池上裕子|2012|p=35}}([[観音寺城の戦い]])。六角父子は[[甲賀郡]]に後退、以降はゲリラ戦を展開した{{Efn|六角氏は過去2度にわたる室町幕府による[[六角征伐]]の時も観音寺城を放棄して甲賀郡に後退して、幕府軍の撤退後に観音寺城を取り返しているため、この時も同じ戦略を取ったと言える<ref>村井祐樹 『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』 ミネルヴァ書房、2019年 ISBN 978-4-623-08639-9 P284-285.</ref>。だが、京都へ撤退した幕府軍と異なり、京都への通路を必要とした信長は南近江を織田領国に編入・統治を開始した<ref>水野嶺「織田信長禁制にみる〈幕府勢力圏〉」『戦国末期の足利将軍権力』吉川弘文館、2020年 ISBN 978-4-642-02962-9 P21-28.(初出:『織豊期研究』一八、2016年)</ref>。}}。 更に9月25日に大津まで信長が進軍すると、[[大和国]]に遠征していた三好三人衆の軍も崩壊する。29日に山城[[勝龍寺城]]に退却した[[岩成友通]]が降伏し{{Sfn|池上裕子|2012|p=36}}、30日に摂津[[芥川山城]]に退却した[[細川昭元]]・[[三好長逸]]が城を放棄、10月2日には[[篠原長房]]も摂津[[越水城]]を放棄し、[[阿波国]]へ落ち延びた。唯一抵抗していた[[池田勝正]]も信長に降伏した。 もっとも、京都やその周辺の人々はようやく尾張・美濃を平定したばかりの信長を実力者とは見ておらず、最初のうちは義昭が自派の諸将を率いて上洛したもので、信長はその供奉の将という認識であったという{{Sfn|久野雅司|2015a|pp=20-21}}{{Sfn|久野雅司|2015b|p=251-252}}。 足利義昭を第15代将軍に擁立した信長は、義昭から管領・斯波家の家督継承もしくは管領代・[[副将軍]]の地位などを勧められたが、足利家の桐紋と斯波家並の礼遇だけを賜り、遠慮したとされる{{Efn|のちに、義昭は[[毛利輝元]]にも足利家の桐紋を与えている{{Sfn|村川浩平|2000|p=50}}。}}。また、[[草津市|草津]]と[[大津]]、[[堺]]の土地を貰った。 ==== 幕府再興 ==== {{Wikisource|殿中御掟}} 永禄12年([[1569年]])1月5日、信長率いる織田軍主力が美濃国に帰還した隙を突いて、三好三人衆と斎藤龍興ら浪人衆が共謀し、足利義昭の仮[[御所]]である[[六条通|六条]][[本圀寺]]を攻撃した{{Sfn|池上裕子|2012|p=38}}([[本圀寺の変]])。しかし、信長は豪雪の中をわずか2日で援軍に駆けつけるという機動力を見せた{{Sfn|池上裕子|2012|p=38}}。もっとも、[[細川藤賢]]や[[明智光秀]]らの奮戦により、三好・斎藤軍は信長の到着を待たず敗退していた{{Sfn|池上裕子|2012|p=38}}。これを機に信長は義昭の為に二条に大規模な御所・[[二条御所]]を築いた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=39-40}}。 同年2月、堺が信長の使者である[[佐久間信盛]]らの要求を受ける形で矢銭に支払いに応じると、信長は以前より堺を構成する堺北荘・堺南荘にあった幕府御料所の代官を務めてきた堺の商人・[[今井宗久]]の代官職を安堵して自らの傘下に取り込むことで堺の支配を開始、翌元亀元年(1570年)4月頃には[[松井友閑]]を堺政所として派遣し、松井友閑ー今井宗久(後に津田宗及・千利休が加わる)を軸として堺の直轄地化を進めた<ref>柴辻俊六「織田政権下の堺と今井宗久」『信濃』65巻8号(2013年)/所収:柴辻『織田政権の形成と地域支配』(戎光祥出版、2016年) ISBN 978-4-86403-206-3</ref>。また、(現存する文書では)同年1月以降に南近江に対して出される信長発給文書の書式が尾張・美濃と同一のものが採用され、同地域が織田領国に編入されたことが明確となった{{Efn|これに対して、山城・摂津・大和・河内などに対して出された信長発給文書は将軍である義昭の意を奉じたことを意味する「仍執達如件」の文言が含まれており、織田領国と幕府支配圏は明確に区分されていた。なお、この区分が無くなるのは、信長と義昭の決別が明確になった元亀4年3月以降のことになる<ref name="水野嶺" />。}}<ref name="水野嶺">水野嶺「織田信長禁制にみる〈幕府勢力圏〉」『戦国末期の足利将軍権力』吉川弘文館、2020年 ISBN 978-4-642-02962-9 P21-32.(初出:『織豊期研究』一八、2016年)</ref>。 一方、1月14日、信長は足利義昭の将軍としての権力を制限するため、『[[殿中御掟]]』9ヶ条の掟書、のちには追加7ヶ条を発令し、これを義昭に認めさせた。だが、これによって義昭と信長の対立が決定的なものになったわけではなく、この時点ではまだ両者はお互いを利用し合う関係にあった。また、『殿中御掟』及び追加の条文は室町幕府の規範や先例に出典があり、「幕府再興」「天下静謐」を掲げる信長が幕府法や先例を吟味した上で制定したもので、これまでの室町将軍のあり方から外れるものではなかったとする研究もある{{Sfn|臼井進|2015|pp=206-211}}。 同年3月、正親町天皇から「信長を副将軍に任命したい」という意向が伝えられたが、信長は何の返答もせず、事実上無視した{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=36-37}}。 永禄13年(元亀元年・1570年)1月23日、信長は義昭に対して更に5ヶ条の条書を発令して、これも義昭に認めさせた。この条書についてもかつては将軍権力を制約をより強化するものとするのが通説であったが、これと前後して信長の書札礼が[[関東管領]](上杉謙信)と同じ様式に引き上げられていることから、義昭の上洛以来一貫して幕府における役職就任を拒んできた信長が管領に准じる身分(「准官領<!--「官」の字はこのままで-->」)を得て正式に幕府高官の一員として義昭を補佐することに同意してそれに伴う信長側の要望を述べたものに過ぎない(元々、信長が幕府役職に就いてより積極的に「天下静謐」に参画するように求めたのは義昭の方である)と言う、通説とは全く異なる評価も出されている<ref>水野嶺「幕府儀礼にみる織田信長」(初出:『日本史研究』676号(2018年)/所収:水野嶺『戦国末期の足利将軍権力』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-02962-9)2020年、P51-68.</ref><ref>水野嶺「義昭期幕府における織田信長」『戦国末期の足利将軍権力』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-02962-9(新稿)P82-85.</ref>。 信長自身の当初の考えでは、幕府再興の実現後も幕府に対する軍事的な奉仕を続けるものの、京都の政務は幕府が行うべきで、自身は領国である美濃に留まって必要があれば京都にいる自己の奉行人を介して関与する方針を取ろうとしたと考えられている{{Sfn|久野雅司|2019c|pp=299-300}}{{Sfn|久野雅司|2019g|pp=368}}。山科言継が直接岐阜城を訪れて訴訟の裁許を求めた際には信長からは勅命以外の訴訟は美濃では扱わないことを言明しているが(『言継卿記』永禄12年11月12日条)、その後も同様の申入れが相次いで重ねて美濃では公事訴訟は受け付けず、陣中からの注進以外の話は聞かない旨を制札を立てたという(同元亀2年12月16日条){{Sfn|久野雅司|2019e|pp=79}}{{Sfn|久野雅司|2019g|pp=356-357}}。 しかし、幕府による訴訟の遅延の問題(後述)や軍事的な強制力を持つ織田家の力を借りて訴訟を解決したいと言う考えも強かった{{Efn|中には幕府の裁許を得ながら、その内容を承認する朱印状を信長に求める者もいた。久野雅司はその背景として[[明応の政変]]以降、京都では度重なる政変や将軍の追放が行われた結果、今後も同様の事態――義昭と信長の決裂によって信長が義昭に追討されたり反対に義昭が信長に追放されたりして排除された側の裁許が無効になる可能性――を予測して両方から裁許を得たいと考える者がいたと指摘する{{Sfn|久野雅司|2019e|pp=78}}{{Sfn|久野雅司|2019c|pp=261}}。}}{{Sfn|久野雅司|2019e|pp=80}}。このため、信長が上京するたびに多くの訴訟が持ち込まれる事態となった。また、村井貞勝や[[明院良政]]を始めとする京都にいた信長の奉行人{{Efn|当初は村井・明院の他に木下秀吉や丹羽長秀、佐久間信盛が京都の奉行を務め、後に[[中川重政]]も加わる。永禄年間には秀吉と長秀の発給文書が多いが、戦線の拡大と共に秀吉が近江に派遣されるなどの異動が相次ぎ、元亀年間には村井貞勝・嶋田秀順・原田直政が京都の奉行を務める{{Sfn|久野雅司|2019g|pp=354-359}}。}}に同様の裁許を求める者もあった{{Sfn|久野雅司|2019e|pp=79-80}}{{Sfn|久野雅司|2019g|pp=352-359}}。 ところが、信長が政務の担い手として期待していた幕臣たちが公家領や寺社領の押領の当事者になることがあり、中には幕府自らが没収して幕臣に所領として与える場合もあった{{Sfn|久野雅司|2019f|pp=104-105}}{{Sfn|久野雅司|2019a|pp=183}}。加えて、室町幕府では足利義輝が永禄5年(1562年)に代々政所執事を務めてきた[[伊勢貞孝]]を討って側近の[[摂津晴門]]を後任として以降、将軍と側近による[[御前沙汰]]を強化して将軍の権限を強めていく幕政改革を行い、義昭もこの方針を継承していたが、結果的には政所の弱体化によって大量の事案に対応しきれなくなって訴訟の遅延を招くことになった{{Sfn|久野雅司|2015b|pp=265-266}}{{Sfn|久野雅司|2019a|pp=184}}。 そして、何よりも義昭自身が恣意的な裁許{{Efn|関白・二条晴良が勧修寺晴右の所領・加賀国[[井家荘]]を押領した際には、非は明らかに晴良にあるために正親町天皇からも押領を止めるように[[女房奉書]]が出されていたにも関わらず、義昭は「晴良が越前に下ってまで自分を支持してのに対して、晴右は足利義栄に協力的であった」として晴右の訴えを退けた(『言継卿記』元亀元年3月20日条){{Sfn|久野雅司|2019e|pp=76}}。また、元亀元年から始まった[[伊勢神宮禰宜職相論]](三の禰宜であった松木房彦死去を受けてその後任として、神宮伝奏の[[柳原資定]]が渡会貞幸を、祭主の[[藤波康忠]]が松木堯彦を推挙して争った件)においても、朝廷から調停を依頼された義昭が度々意見を変えて議論を長引かせた上、藤波康忠から抗議を受けると一旦出した裁決を取り消して評定を行った政所執事の摂津晴門を処分している{{Sfn|久野雅司|2019f|pp=88-97}}(これは将軍は奉行の評定による裁決には従うこととした『殿中御掟』にも違反している{{Sfn|久野雅司|2019f|pp=98-100}})。}}を行ったことによって問題を深刻化させる事態も発生していた{{Efn|信長は幕府の訴訟の遅滞や義昭による恣意的な裁許に不満を漏らしていたという(『尋憲記』元亀4年2月29日条){{Sfn|久野雅司|2015b|pp=272}}。}}。信長による『殿中御掟』の制定も幕府における訴訟の円滑化と義昭や側近による恣意的な裁許を止めて公正な訴訟が行われることで幕府の安定化を意図したものと考えられている{{Sfn|久野雅司|2019f|pp=98-100}}。ただし、幕府再興のために将軍や幕臣の態度に対しても積極的に意見していく信長の姿勢は、義昭や側近の幕臣たちからは義輝時代の三好長慶の再来として警戒の対象になった可能性も指摘されている{{Sfn|久野雅司|2019a|pp=184}}。 ==== 伊勢侵攻 ==== 一方、稲葉山城攻略と同じ頃の永禄10年([[1567年]])、信長は北伊勢に攻め寄せ、滝川一益をその地に配した{{Sfn|谷口克広|2002|pp=68-70}}。さらに。その翌年の永禄11年のより本格的な侵攻により、北伊勢の[[神戸氏]]に三男の[[織田信孝]]を、[[長野工藤氏|長野氏]]に弟の[[織田信包|織田信良]](信包)を養子とさせ、北伊勢八郡の支配を固めた{{Sfn|谷口克広|2002|pp=70-72}}。 南伊勢五郡は[[国司]]である[[北畠氏]]が勢力を誇っていたが{{Sfn|谷口克広|2002|pp=72-75}}、永禄12年([[1569年]])8月に信長は岐阜を出陣して南伊勢に進攻し、北畠家の[[大河内城]]を大軍を率いて包囲した([[大河内城の戦い]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=40-41}}。信長は強硬策を用いて大河内城の攻撃を図るも失敗し、戦いは長期化した{{Sfn|谷口克広|2002|pp=72-75}}。攻城戦の末、10月に信長は北畠家方と和睦し、次男・[[織田信雄]]を養嗣子として送り込んだ{{Sfn|池上裕子|2012|pp=40-41}}。[[天正]]4年([[1576年]])になると、信長は[[北畠具教]]ら北畠家の一族を虐殺させている{{Sfn|谷口克広|2002|pp=72-75}}([[三瀬の変]])。 なお、近年の研究において、大河内城の戦いは信長側の包囲にもかかわらず北畠側の抵抗によって城を落としきれず、信長が足利義昭を動かして和平に持ち込んだものの、その和平の条件について信長と義昭の意見に齟齬がみられ、これが両者の対立の発端であったとする説も出されている{{Sfn|久野雅司|2015a|p=30}}。{{-}} ==== 第一次信長包囲網 ==== {{Main|信長包囲網#第一次包囲網}} [[ファイル:Map Japan Genki1.png|thumb|320px|1570年(元亀元年)の戦国大名勢力図]] [[元亀]]元年([[1570年]])4月、信長は自身に従わない朝倉義景を討伐するため、越前国へ進軍する{{Sfn|池上裕子|2012|pp=67-69}}{{Efn|なお、この出兵について若狭国の武藤友益の討伐を口実としていたが、久野雅司は武藤が若狭武田家中でも反義昭の立場を取っていたために、義昭の命令によって武藤討伐軍を起こされ、信長もその命に従って軍を動員したとする{{Sfn|久野雅司|2019d|p=137-140}}。ただし、若狭は当時は朝倉義景の制圧下にあり、武藤友益も義昭による武田家再興に反対する親朝倉派であったことから、結果的に朝倉勢力と衝突することになったとしている{{Sfn|久野雅司|2019d|p=137-140}}。}}。織田軍は[[朝倉氏]]の諸城を次々と攻略していくが、突如として浅井氏離反の報告を受ける{{Sfn|池上裕子|2012|pp=67-69}}。挟撃される危機に陥った織田軍はただちに撤退を開始し、[[殿 (軍事用語)|殿]]を務めた明智光秀・木下秀吉らの働きもあり、京に逃れた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=67-69}}([[金ヶ崎の戦い]])。 6月、信長は浅井氏を討つべく、近江国[[姉川]]河原で徳川軍とともに浅井・朝倉連合軍と対峙{{Sfn|池上裕子|2012|pp=70-72}}。並行して浅井方の横山城を陥落させつつ、織田・徳川連合軍は勝利した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=70-72}}('''[[姉川の戦い]]''')。 8月、信長は摂津国で挙兵した三好三人衆を討つべく出陣するが、近隣での信長の軍事動員に脅威を感じた石山本願寺が信長に対して挙兵した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=72-74}}([[野田城・福島城の戦い]])。さらに、浅井・朝倉連合軍3万が近江国[[坂本 (大津市)|坂本]]に侵攻する{{Sfn|池上裕子|2012|pp=72-74}}。 しかし、9月になると、信長は本隊を率いて摂津国から近江国へと帰還する{{Sfn|池上裕子|2012|pp=74-75}}。慌てた朝倉軍は比叡山に立て籠もって抵抗した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=74-75}}。信長はこれを受け、近江[[宇佐山城]]において浅井・朝倉連合軍と対峙する([[志賀の陣]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=74-75}}。しかし、その間に伊勢国の門徒が一揆を起こし([[長島一向一揆]])、信長の実弟・[[織田信興]]を自害に追い込んだ{{Sfn|池上裕子|2012|pp=74-75}}。 11月21日、信長は六角義賢・義治父子と和睦し、ついで阿波から来た篠原長房と講和した{{sfn|林屋辰三郎|2005|p=143}}。そして正親町天皇の[[勅命]]を仰ぎ、12月13日、浅井氏・朝倉氏との和睦に成功し、窮地を脱した{{Efn|ただし、堀新は実際に講和を申し出たのは朝倉側であるとし<ref>堀新「織田信長と勅命講和」(歴史学研究会 編『シリーズ歴史学の現在7 戦争と平和の中近世史』青木書店、2001年</ref>、片山正彦は信長が有利な状況で義景との和睦の合意が成立しかけていたが、延暦寺が和睦に反対し続けたために勅命が必要になったとする<ref>片山正彦「「江濃越一和」と関白二条晴良」(初出:戦国史研究会 編『戦国史研究』53号(2007年)/所収:片山『豊臣政権の東国政策と徳川氏』(思文閣出版・佛教大学研究叢書、2017年)</ref>。}}。{{-}} ==== 第二次信長包囲網 ==== {{Main|信長包囲網#第二次包囲網}} [[ファイル:織田信長.jpg|thumb|170px|『織田信長 図像』(兵庫県[[氷上町]] 所蔵)]] 元亀2年([[1571年]])2月、信長は浅井長政の配下の[[磯野員昌]]を味方に引き入れ、[[佐和山城]]を得た{{Sfn|池上裕子|2012|pp=78-79}}。 5月、5万の兵を率いた信長は伊勢長島に向け出陣するも、攻めあぐねて兵を退いた。しかし撤退中に一揆勢に襲撃され、柴田勝家が負傷し、[[氏家直元]]が討死した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=74-75}}。同月、三好義継・松永久秀が大和や河内の支配を巡って筒井順慶や畠山昭高と対立し、足利義昭が筒井・畠山を支援したことから三好三人衆と結んで義昭から離反して、信長とも対立関係となる{{Sfn|久野雅司|2019a|pp=185-190}}。 同年9月、敵対する比叡山延暦寺を焼き討ちにした([[比叡山焼き討ち (1571年)|比叡山焼き討ち]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=78-79}}。 一方、甲斐国の武田信玄は駿河国を併合すると、三河国の家康や[[相模国]]の[[後北条氏]]、[[越後国]]の[[上杉氏]]と敵対していたが、元亀2年(1571年)末に後北条氏との[[甲相同盟]]を回復させると徳川領への侵攻を開始する。この頃、信長は足利義昭の命で武田・上杉間の調停を行っており、信長と武田の関係は良好であったが、信長の同盟相手である徳川領への侵攻は事前通告なしで行われた。なお、近年では元亀2年の信玄による三河侵攻は根拠となる文書群の年代比定の誤りが指摘され、これは勝頼期の天正3年の出来事であった可能性も考えられている{{Sfn|鴨川達夫|2007|pp=174-177}}<ref>柴裕之「戦国大名武田氏の遠江・三河侵攻再考」『武田氏研究』第37号、2007</ref>。 元亀3年([[1572年]])3月、三好義継・松永久秀らが共謀して信長に敵対した{{Sfn|池上裕子|2012|p=83}}。同月、足利義昭が信長に京都における邸宅造営を勧め、義昭は徳大寺公維に替地を与える条件で上京武者小路の屋敷地を信長に譲って貰い、信長はその地に村井貞勝と嶋田秀満に屋敷の造営を命じる。これは単なる義昭の信長へのご機嫌取りではなく、三好・松永軍の北上を警戒して信長を京都に引き留めたいとする意図があったとも考えられる{{Sfn|久野雅司|2019c|pp=285-286・313-314}}。 7月、信長は嫡男・奇妙丸(後の[[織田信忠]])を[[初陣]]させた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=84-85}}。この頃、織田軍は浅井・朝倉連合軍と小競り合いを繰り返していた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=84-85}}。以後の戦況は織田軍有利に展開した。 10月3日、信玄は甲府を出陣、信長はそれを知らず5日付けで信玄に対して武田上杉間での和睦の仲介に骨を折ったとの書状を送った<ref>谷口克弘著、信長と将軍義昭p116</ref>。 11月14日、織田方であった[[岩村城]]が開城し、武田方に占拠された([[岩村城の戦い]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=86-87}}。病死した岩村城主・[[遠山景任]]の後家・[[おつやの方]](信長の叔母)は、[[秋山虎繁]](信友)と婚姻し、武田方に転じた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=86-87}}。また、徳川領においては徳川軍が[[一言坂の戦い]]で武田軍に敗退し、さらに遠江国の[[二俣城]]が開城・降伏により不利な戦況となる([[二俣城の戦い]])。これに対して信長は、家康に佐久間信盛・[[平手汎秀]]ら3,000人の援軍を送ったが、12月の'''[[三方ヶ原の戦い]]'''で織田・徳川連合軍は武田軍に敗退し、汎秀は討死した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=86-87}}。 信長は11月20日付けで上杉謙信に「信玄の所行、まことに前代未聞の無道といえり、侍の義理を知らず、ただ今は都鄙を顧みざるの私大、是非なき題目にて候」「永き儀絶(義絶)たるべき事もちろんに候」「未来永劫を経候といえども、再びあい通じまじく候」と書状を送っている。<ref name="名前なし-20230316131953">谷口克広著、信長と将軍義昭p117</ref>。 この恨みが忘れられなかったのか長篠後に藤孝に「信玄入道表裏を構え、旧恩を忘れ、恣の働き候いける」と申し送っている<ref name="名前なし-20230316131953"/>。 同年の12月から翌年正月のあいだのいずれかの時点で、信長は足利義昭に対して17条からなる異見書を送ったと考えられ、詰問文により信長と義昭の関係は悪化している{{Sfn|柴裕之|2016|pp=10-11}}。この異見書は、従来、『[[永禄以来年代記]]』の元亀三年九月条の記述から、元亀3年9月に発給されたものだと考えられてきた{{Sfn|柴裕之|2016|pp=10-11}}。しかし、[[柴裕之]]によれば、他の複数の史料の記載や前後の事情から、異見書が元亀3年9月に発給されたとは考え難い{{Sfn|柴裕之|2016|pp=10-11}}{{Efn|久野雅司もこの柴の説を支持しており、さらに具体的に元亀3年12月に異見書が発給されたと推定している{{Sfn|久野雅司|2017|pp=150-152}}。平井上総も柴の説を肯定的に取り上げている{{Sfn|平井上総|2017|p=20}}。}}。柴は、同年12月の三方ヶ原の戦いの敗戦によって、義昭が従来の信長との協調路線に不安を覚えはじめたと述べる{{Sfn|柴裕之|2016|pp=10-11}}。そして、そのことに対する牽制として、この異見書が出されたものであるとする{{Sfn|柴裕之|2016|pp=10-11}}。 元亀4年([[1573年]])に入ると、武田軍は遠江国から三河国に侵攻し、2月には[[野田城 (三河国)|野田城]]を攻略する([[野田城の戦い]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=89-90d}}。 こうした武田方の進軍を見て、足利義昭が同月に信長との決別を選び、信長と敵対した{{Sfn|柴裕之|2016|pp=2-4}}。 信長は岐阜から京都に向かって進軍し、上京を焼き討ちちしつつ、義昭との和睦を図った{{Sfn|久野雅司|2015a|pp=36-37}}。義昭は初めこれを拒否していたが、正親町天皇からの勅命が出され、4月5日に義昭と信長はこれを受け入れて和睦した{{Sfn|久野雅司|2015a|pp=36-37}}。なお、久野雅司は御供衆で武田信玄との外交を担当していた[[上野秀政]]{{Efn|『細川家記』によれば、上野秀政は義昭の「[[出頭人|出頭]]第一」の「寵臣」と評価され、比叡山焼き討ちの際にも義昭に信長の排除を進言して、信長を擁護した細川藤孝と義昭の御前において論争をしたとされる。また、先代の[[上野信孝]]も足利義輝の側近として三好長慶の排除を計画した人物として知られており、久野は義昭への幕府権力の一本化と幕臣と信長の間で起きていた所領安堵など統治方針を巡る対立の解消を目的として信長の排除を画策したと考えている{{Sfn|久野雅司|2019a|pp=182-183}}。}}を信玄の上洛や信長の排除を画策して義昭に挙兵を勧めた人物と推測し、信長の上洛も秀政とその同調者の処分を目的としていたが、義昭が和睦に応じて秀政も信長に謝罪をしたことで一応の目的を果たしたとしている{{Sfn|久野雅司|2019a|pp=180-184}}{{Sfn|久野雅司|2019b|pp=209-211}}。一方、武田軍は信玄の病状悪化により撤退を開始し、4月12日には信玄は病死する{{Sfn|池上裕子|2012|pp=89-90}}。 4月末に義昭と信長家臣との間で起請文が交わされた。義昭が宛てた家臣の内訳は佐久間信盛・滝川一益・塙直政で、信長側の発給者は林秀貞・佐久間信盛・柴田勝家・稲葉一鉄・安藤守就・氏家卜全・滝川一益である<ref>谷口克広著、信長と将軍義昭p152</ref>。 なお、元亀年間に行われた武田氏の遠江・三河への侵攻や信長との対立は「[[西上作戦]]」と通称され、信玄は上洛を目指していたとされてきたが、近年ではその実態や意図に疑問が呈されている{{Efn|例えば、鴨川達夫『武田信玄と勝頼』{{Sfn|鴨川達夫|2007|pp=178-180}}、柴裕之「戦国大名武田氏の遠江・三河侵攻再考」『武田氏研究』第37号、2007、柴辻俊六「武田信玄の上洛戦略と織田信長」『武田氏研究』第40号、2009 など。}}。 === 室町幕府の「滅亡」 === ==== 足利義昭の没落 ==== しかし、その後も義昭は信長に対して抵抗し、元亀4年7月には再び挙兵して、[[槇島城]]に立て籠もったが、信長は義昭を破り追放した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=92-94}}。 通説では、この時点をもって室町幕府が滅亡したとされる。このことにより、[[室町将軍]]は天皇王権を擁し京都を中心とする周辺領域を支配し地方の諸大名を従属下におき紛争などを調停する「[[天下]]」主催者たる地位を喪失するが、信長は「天下」主催者としての地位を継承し、以降は諸大名を従属・統制下におく立場であったことが指摘されている{{Sfn|神田千里|2013a}}{{Sfn|神田千里|2002}}。一方、義昭はその後も将軍の地位に留まったまま、各地を経て、[[備後国]][[鞆町|鞆]]へ移り、[[毛利輝元]]の庇護を受ける。そして、信長打倒と京都復帰のため指令文書を各勢力に出しており、義昭が名実ともに将軍の地位を明け渡したのは信長没後のことでもある{{Sfn|鈴木眞哉|藤本正行|2006|pp=125-126}}。 このことから、歴史学者の[[藤田達生]]は、依然として義昭の勢力は幕府としての実態を備えており([[鞆幕府]]論)、義昭の「公儀」信長の「公儀」が並立する状態にあったと論じている{{Sfn|藤田達生|2010|pp=48-73}}{{Sfn|木下昌規|2014b|pp=26-28}}。この「鞆幕府」という名称が適切かはともかく、藤田の議論の観点は妥当なものであると評価されている{{Sfn|平井上総|2017|pp=23}}。この視点に立てば、これ以後の信長の戦争は、天下統一戦争というよりも、足利氏とそれを支持する他の戦国大名に対する戦いであると考えられる{{Sfn|平井上総|2017|pp=23}}。 幕府の直臣は、奉行衆、奉公衆などの100名以上が義昭の鞆下向に同行している{{Sfn|久野雅司|2015a|pp=37-42}}。その一方で、細川藤孝ら多くの幕臣が京都に残り信長側に転じた{{Sfn|久野雅司|2015a|pp=37-42}}。これらの旧幕臣は、明智光秀の与力となり、室町幕府の組織を引き継ぐ形で京都支配に携わることとなった{{Sfn|久野雅司|2015a|pp=37-42}}。 義昭の追放後、[[元号]]を元亀から[[天正]]へと改めることを[[朝廷 (日本)|朝廷]]に奏上し、7月28日にはこれを実現させた{{Sfn|池上裕子|2012|p=94}}{{Efn|ただし、朝廷では既に元亀3年の段階で改元を決定しており、同年3月29日には信長と義昭の下に使者を送っている<ref>『御湯殿上日記』</ref>。だが、義昭は改元に消極的であり、信長の17か条の詰問状でも批判の1つに挙げられている。信長は改元を支持することで、消極的な態度を見せる義昭排除の正当性を得るとともに、朝廷の望む改元を実現させることによって自己を室町幕府に代わる武家政権のトップとして朝廷に認めさせたとする評価がある<ref>[[神田裕理]]「織豊期の改元」『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』校倉書房、2011年。</ref>。}}。 ==== 朝倉・浅井氏の滅亡 ==== {{See|一乗谷城の戦い|小谷城の戦い}} 天正元年(1573年)8月8日、浅井家の武将・[[阿閉貞征]]が内応したので、急遽、信長は3万人の軍勢を率いて北近江へ出兵。山本山・月ガ瀬・焼尾の砦を降して、[[小谷城]]の包囲の環を縮めた。10日に越前から朝倉軍が救援に出陣してきたが、風雨で油断しているところを13日夜に信長自身が奇襲して撃破した。大将に先を越されたと焦った諸将は陳謝して敗走する朝倉軍を追撃し、敦賀を経由して越前国に侵攻した。諸城を捨てて一乗谷に逃げ込んだ朝倉軍は[[一乗谷城の戦い#刀根坂の戦い|刀根坂の戦い]]でも敗れ、一乗谷城をも捨てて六坊に逃げたが、[[平泉寺白山神社|平泉寺]]の僧兵と一族の[[朝倉景鏡]]に裏切られ、朝倉義景は自刃した。景鏡は義景の首級を持って降参した。信長は丹羽長秀に命じて朝倉家の世子・[[朝倉愛王丸|愛王丸]]を探して殺害させ、義景の首は[[長谷川宗仁]]に命じて京で[[獄門]](梟首)とされた。信長は26日に虎御前山に凱旋した。 翌8月27日に羽柴秀吉の攻撃によって小谷城の京極丸が陥落し、翌日に[[浅井久政]]が自刃した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=96-97}}。28日から9月1日の間に本丸も陥落して、浅井長政も自害した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=96-97}}。信長は久政・長政親子の首も京で獄門とし、長政の10歳の嫡男・[[浅井万福丸|万福丸]]を捜し出させ、関ヶ原で[[磔]]とした。なお、長政に嫁いでいた妹・お市とその子は[[藤掛永勝]]によって落城前に脱出しており、信長は妹の生還を喜んで、後に弟・[[織田信包]]に引き取らせた(当初は叔父の[[織田信次]]が預かったという)。 9月24日、信長は尾張・美濃・伊勢の軍勢を中心とした3万人の軍勢を率いて、伊勢長島に行軍した。織田軍は滝川一益らの活躍で半月ほどの間に長島周辺の敵城を次々と落としたが、長島攻略のため、[[大湊 (伊勢市)|大湊]]に[[桑名市|桑名]]への出船を命じたが従わず、10月25日に矢田城に滝川一益を入れて撤退する。しかし2年前と同様に撤退途中に一揆軍による奇襲を受け、激しい白兵戦で殿隊の[[林通政]]の討死の犠牲を出して大垣城へ戻る{{Sfn|谷口克広|2002|pp=129-131}}。 11月に、足利義昭は、三好義継の居城・[[若江城]]を離れ、紀伊国へと退去した{{Sfn|池上裕子|2012|p=98}}。同月、佐久間信盛ら信長方の軍勢が、三好義継への攻撃を開始した{{Sfn|池上裕子|2012|p=98}}。義継の家老・[[若江三人衆]]らによる裏切りで義継は11月16日に自害する{{Sfn|池上裕子|2012|p=98}}。12月26日、[[大和国]]の松永久秀も[[多聞山城]]を明け渡し、信長に降伏した{{Sfn|池上裕子|2012|p=98}}。 天正2年(1574年)の正月、朝倉氏を攻略して織田領となっていた越前国で、[[地侍]]や本願寺[[門徒]]による反乱([[越前一向一揆]])が起こり、朝倉氏旧臣で信長によって守護代に任命されていた[[前波吉継|桂田長俊]]が一乗谷で殺された{{Sfn|池上裕子|2012|p=103}}。 さらに、同月中には、甲斐国の武田勝頼が東美濃に侵攻してくる{{Sfn|池上裕子|2012|p=103}}。信長はこれを迎撃しようと3万の兵で出陣したが、信長の援軍が到着する前に東美濃の[[明知城]]が落城し、信長は武田軍との衝突を避けて岐阜に撤退した{{Sfn|池上裕子|2012|p=103}}。[[明知年譜]]によると、[[山県昌景|山縣昌景]]の別動隊6000人の追撃を受け、信長の周囲を固めた16騎のうち9騎が打ち取られ、7騎が逃げ出すなど、信長が瀬戸際まで追い詰められる場面もあったという。 また、信長は正親町天皇に対して「[[蘭奢待]]の切り取り」を奏請し、天皇はこれを[[勅命]]をもって了承した{{Sfn|池上裕子|2012|p=103}}。 ==== 長島一向一揆の制圧 ==== {{Main|長島一向一揆}} 7月、信長・信忠は、織田信雄・滝川一益・[[九鬼嘉隆]]の伊勢・[[志摩国|志摩]]水軍を含む大軍を率い、伊勢長島の一向一揆を水陸から完全に包囲した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=105-108}}。抵抗は激しかったが、8月に兵糧不足に陥り、[[大鳥居城]]から逃げ出した一揆勢1,000人余が討ち取られるなど、一揆方は劣勢となる{{Sfn|池上裕子|2012|pp=105-108}}。 9月29日、[[長島城]]の門徒は降伏し、船で[[大阪|大坂]]方面に退去しようとしたが、信長は鉄砲の一斉射撃を浴びせ掛けた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=105-108}}。これは、信長の「不意討ち」{{Sfn|金子拓|2017a|p=87}}と表現される事があるが、これは一向宗側が先に騙し討ちを行った事への報復であるという説がある<ref>[[播磨良紀]]「織田信長の長島一向一揆攻めと「根切」」、[[新行紀一]]編『戦国期の真宗と一向一揆』吉川弘文館、2010年所収。</ref>。一方、この時の一揆側の反撃で、信長の庶兄・[[織田信広]]ら織田方の有力武将が討ち取られた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=105-108}}。 これを受けて信長は[[中江城]]、[[屋長島城]]に立て籠もった長島門徒2万人に対して、城の周囲から柵で包囲し、焼き討ちで全滅させた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=105-108}}。この戦によって長島を占領した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=105-108}}。{{-}} ==== 長篠の戦い ==== [[File:Battle-of-Nagashino-Map-Folding-Screen-1575.png|thumb|right|200px|『長篠合戦図屏風』]] {{Main|長篠の戦い}} 天正2年から天正3年にかけて、武田方は織田・徳川領への再侵攻を繰り返していた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=108-109}}。天正3年([[1575年]])4月、勝頼は武田氏より離反し[[徳川氏]]の家臣となった[[奥平信昌|奥平貞昌]]を討つため、貞昌の居城・[[長篠城]]に攻め寄せた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=108-109}}。しかし奥平勢の善戦により武田軍は長篠城攻略に手間取る。 その間の5月12日に信長は岐阜から出陣し、途中で徳川軍と合流し、5月18日に三河国の設楽原に陣を布いた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=109-112}}。一方、勝頼も寒狭川を渡り、織田徳川連合軍に備えて布陣した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=109-112}}。織田徳川連合軍の兵力は3万人程度であり、対する武田方の兵力は1万5千人程度であったという{{Sfn|池上裕子|2012|pp=109-112}}。 そして5月21日、織田・徳川連合軍と武田軍の戦いが始まる([[長篠の戦い]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=109-112}}。信長は設楽原決戦においては[[佐々成政]]ら5人の武将に多くの[[火縄銃]]を用いた射撃を行わせた{{Sfn|長屋隆幸|2016|pp=93-94}}{{Efn|この際の火縄銃の数については従来、3,000挺であるとされてきたが、[[藤本正行]]が『信長公記』の自筆本の検討をもとに、1,000挺程度が正しいとする説を提唱したことにより、通説には疑問が持たれるようになった{{Sfn|長屋隆幸|2016|pp=94-96}}。しかし、[[平山優]]が『信長公記』の系統研究を通してやはり3,000挺が正しいと主張しており、論争となっている{{Sfn|長屋隆幸|2016|pp=94-96}}。この鉄砲部隊がいわゆる「三段撃ち」(部隊を3隊に分け、輪番で射撃させることで、火縄銃を連射可能とする手法)についても、実在を否定する見解が有力であったが、この点についても連続射撃を行う試みはあったとする説が提唱され、論争となっている{{Sfn|長屋隆幸|2016|pp=94-96}}。長屋隆幸によれば、こうした論争の原因は、信頼できる一次史料が不足していることにあり、長篠の戦いの明確な実態は把握し難い{{Sfn|長屋隆幸|2016|pp=106-107}}。}}。この戦いで織田軍は武田軍に圧勝した{{Sfn|池上裕子|2012|p=112}}。武田方は有力武将の多くを失う{{Sfn|池上裕子|2012|p=112}}。信長は細川藤孝に宛てた書状のなかで、「天下安全」の実現のために倒すべき敵は、本願寺のみとなったと述べている{{Sfn|池上裕子|2012|p=112}}。 6月27日、[[相国寺]]に上洛した信長は、[[常陸国]]の国人である[[江戸氏]]が、本来[[天台宗]]の僧侶にしか認められていない絹衣の着用を自己が信奉する[[真言宗]]の僧侶にも認めたことで天台宗と真言宗の僧侶の間で相論が続いていることを知り、公家の中から[[三条西実枝]]・[[勧修寺晴右]]・[[甘露寺経元]]・[[庭田重保]]・[[中山孝親]]の5人を奉行に任命して問題の解決に当たらせた([[絹衣相論]]を参照){{Sfn|金子拓|2015|p=269-271}}。なお、老齢である三条西は11月ごろに奉行を辞退し、残りの4名は「四人衆」と呼ばれて本件を含めた朝廷内の訴訟に関する合議を行うようになった{{Sfn|金子拓|2015|p=318-320}}。 7月3日、正親町天皇は信長に官位を与えようとしたが、信長はこれを受けず、家臣たちに官位や姓を与えてくれるよう申し出た{{Sfn|池上裕子|2012|p=113}}。天皇はこれを認め、信長の申し出通りに、松井友閑に宮内卿法印、[[武井夕庵]]に二位法印、明智光秀に惟任日向守、[[簗田広正]]に別喜右近、[[丹羽長秀]]に惟住といったように彼らに官位や姓を与えた{{Sfn|池上裕子|2012|p=113}}。 一方、前の年に一向一揆支配下となった越前国に対し、8月に信長は行軍して平定し、一揆勢を多数殺害したことを書状に記している{{Sfn|池上裕子|2012|pp=114-117}}。信長は、越前八郡を柴田勝家に任せるとともに、府中三人衆([[前田利家]]・佐々成政・不破光治)ら複数の家臣を越前国に配し、分割統治を行わせた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=117-118}}。また、信長は越前[[国掟]]九ヵ条を出して、越前の諸将にその遵守を求めた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=117-118}}。 この越前一向一揆の殲滅と、これに先立つ長島一向一揆の殲滅は大坂本願寺に対する圧力となり、信長が本願寺を赦免する方針をとったため、10月には信長と本願寺との和議が成立した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=119-120}}。これにより、信長は一時的に天下静謐を達成することとなった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=119-120}}。{{-}} ==== 右近衛大将就任 ==== [[ファイル:Nobunaganoyakata.jpg|thumb|250px|[[安土城天主信長の館]](安土城復元天主) 滋賀県[[近江八幡市]][[安土町地域自治区|安土町]]]] 天正3年(1575年)11月4日、信長は[[大納言|権大納言]]に任じられる{{Sfn|池上裕子|2012|pp=120-122}}。さらに11月7日には[[近衛大将|右近衛大将]]を兼任する{{Sfn|池上裕子|2012|pp=120-122}}。この権大納言・右大将就任は、源頼朝が同じ役職に任じられた先例にならったものであるとも考えられるという{{Sfn|池上裕子|2012|pp=120-122}}。官位就任とともに、信長は公家や寺社に対する知行地の宛行を行い、天皇や朝廷の権威を利用しつつ、その存立基盤を維持することに努めた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=120-122}}。以後、信長はしばしば「上様」と称されるようになる{{Sfn|池上裕子|2012|pp=120-122}}。 これで朝廷より「天下人」であることを、事実上公認されたものとされる{{Sfn|谷口克広|2012|pp=201-202}}。また、この任官によって、信長は足利義昭の追放後もその子・[[足利義尋|義尋]]を擁する形で室町幕府体制(=公武統一政権)を維持しようとした政治路線を放棄して、この体制を否定する方向(=「[[倒幕]]」)へと転換したとする見方もある{{Sfn|藤田達生|2001|pp=68-72}}。また、義昭の実父である[[足利義晴]]が息子の義輝に将軍職を譲った際に権大納言と右近衛大将を兼ねて「[[大御所]]」として後見した(現任の将軍であった義輝には実権はなかった)先例があり、信長が「大御所」義晴の先例に倣おうとしたとする解釈もある{{refnest|group="注釈"|歴代の足利将軍は在任中に権大納言と右大将を兼ねて内大臣に進む慣例があったが、足利義晴(当時、権大納言のみ)は将軍職を義輝に譲って引退しようとしたため、[[後奈良天皇]]や[[近衛稙家]](義晴の義兄)の説得で右大将に任官した上で引き続き後見として幕政に関与した<ref>木下昌規「戦国期足利将軍家の任官と天皇―足利義晴の譲位と右大将任官を中心に―」(『シリーズ・室町幕府の研究 第三巻 足利義晴』戒光祥出版、2017年、P.287-292・294-296)</ref>。}}<ref>木下昌規「戦国期足利将軍家の任官と天皇―足利義晴の譲位と右大将任官を中心に―」(初出:『日本歴史』793号、2014年)/所収:木下昌規 編著『シリーズ・室町幕府の研究 第三巻 足利義晴』(戒光祥出版、2017年)ISBN 978-4-86403-253-7)</ref>。ただし、伝統的な室町将軍の呼称であった「室町殿」「公方様」「御所様」「武家」を信長に対して用いた例は無く、朝廷では信長を従来の足利将軍とは別個の権力とみなしていた{{Sfn|木下昌規|2014a|pp=357-358}}。 ==== 信長後継者任命 ==== 同日、嫡子の信忠が[[秋田城介]]に任官している{{Sfn|池上裕子|2012|pp=120-122}}。 そして、11月28日、信長は嫡男・信忠に、一大名家としての織田家の家督ならびに[[岐阜城]]を中心とした[[美濃国|美濃]]・[[尾張]]などの織田家の領国を譲り、[[斎藤利治]]・[[河尻秀隆]]・[[林秀貞]]等を信忠付きの譜代家臣団とした{{Sfn|池上裕子|2012|pp=120-122}}。 天正4年([[1576年]])1月、交通の要地である近江国安土に[[安土城]]を築城することについて、丹羽長秀に奉行を担当させ、同年4月から実際に築城を開始した{{Sfn|柴裕之|2020|pp=152-156}}。安土城が出来るまでは、譜代家老の[[佐久間信盛]]の城(屋敷)を在所とした。 === 天下人として === ==== 第三次信長包囲網 ==== {{Main|信長包囲網#第三次包囲網}} 天正4年(1576年)1月、信長に誼を通じていた[[丹波国]]の[[波多野秀治]]が叛旗を翻した。さらに石山本願寺も再挙兵するなど、再び反信長の動きが強まり始める。 4月、信長は[[塙直政]]・荒木村重・明智光秀・細川藤孝を指揮官とする軍勢を大坂に派遣し、本願寺を攻撃させた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=124-125}}。しかし、[[紀伊国|紀州]][[雑賀衆]]が本願寺勢方に味方しており、5月3日に塙が本願寺勢の反撃に遭って、塙を含む多数の兵が戦死した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=124-125}}。織田軍は窮して[[天王寺]]砦に立て籠もるが、勢いに乗る本願寺勢は織田軍を包囲した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=124-125}}。5月5日、救援要請を受けた信長は動員令を出し、若江城に入ったが、急な事であったため集まったのは3,000人ほどであった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=124-125}}。やむなく5月7日早朝には、その軍勢を率いて信長自ら先頭に立ち、天王寺砦を包囲する本願寺勢に攻め入り、信長自身も銃撃され負傷する激戦となった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=124-125}}。織田軍は、光秀率いる天王寺砦の軍勢との連携・合流に成功し、本願寺勢を撃破し、これを追撃{{Sfn|池上裕子|2012|pp=124-125}}。2,700人余りを討ち取った{{Sfn|池上裕子|2012|pp=124-125}}([[天王寺の戦い (1576年)|天王寺砦の戦い]])。 信長は6月6日に一旦京都に戻るが、折しも興福寺において次の別当を巡って[[尋円]]と[[兼深]]の間で相論が発生して、双方とも朝廷に訴え出ていた。信長の元にも双方から訴えがあったため、信長は前述の四人衆と相談の上で個人名を上げるのを避けたものの藤氏長者である二条晴良が興福寺の伝統に基づいて任命にすべきと晴良に伝え、これを尋円の任命と受け取った晴良はその手続を取った{{Sfn|金子拓|2015|pp=313-315}}。しかし、兼深は信長の意見は自分を任じる意向なのに晴良がそれを曲げていると主張し、信長の意見が抽象的でその意味を解しかねていた正親町天皇や四人衆はそれを受け入れてしまった{{Sfn|金子拓|2015|pp=349-351}}。しかし、安土城に帰ってから報告に訪れた四人衆からそれを聞いた信長は自分の意見が否定されたと激怒して、堀秀政らを興福寺に派遣して事実関係を再確認した上で、滝川一益と丹羽長秀を上洛させて改めて朝廷に尋円の任命を奏上して、四人衆をしばらくの間逼塞処分とした{{Sfn|金子拓|2015|pp=315-317}}{{Efn|興福寺の別当は家柄と経歴を満たした者の中から藤氏長者が選定し、天皇がそれに従って任命する手続であったが、今回の相論は最初に立候補した兼深の経歴が資格を満たしていないと反発した学侶たちが元別当の尋円を擁立したものであった{{Sfn|金子拓|2015|pp=312-313}}。信長が晴良に充てた書状では「近代の寺法」に従って任命し、「叡慮を掠め取る」ことの無いように述べて、暗に正親町天皇が資格を満たしていない兼深を任命することを回避することを求めたものであった{{Sfn|金子拓|2015|pp=306・314}}。しかし、南北朝時代末期の永徳年間(1380年代)に資格を満たさずに任命された先例を見出して朝廷に報告していた{{Sfn|金子拓|2015|pp=335-336・342-343}}兼深は「近代の寺法」に永徳の先例は含まれると解釈していた{{Sfn|金子拓|2015|pp=350-351}}。更に兼深の姉である[[広橋国子]]は後奈良天皇の寵愛を受けて正親町天皇の異母妹である[[聖秀女王]]を生んでおり、相論以前より正親町天皇が晴良の相談せずに兼深を将来興福寺の別当にすることを約束していた形跡がある{{Sfn|金子拓|2015|pp=347-348}}。信長は正親町天皇が藤氏長者に諮ることなく興福寺別当に関する叡慮を示している事態は想定していなかったと思われる。}}([[天正4年興福寺別当相論]])。 この頃、従来は信長と協力関係にあった[[関東管領]]の[[上杉謙信]]との関係が悪化する{{Sfn|池上裕子|2012|pp=127-128}}{{Efn|信長は武田信玄の要請で武田と上杉謙信との和睦を仲介していたが(甲越和与)、[[元亀]]3年([[1572年]])10月に信玄は信長への事前通告なしに織田・徳川氏領へ侵攻し、信長と武田氏は手切となり、上杉氏に共闘をもちかけている。謙信はこれに応じているが積極的に連携することはなく、武田氏で勝頼への当主交代が起こると和睦をもちかけている。}}。謙信は天正4年4月から石山本願寺との和睦交渉を開始し、5月に講和を成立させ、信長との対立を明らかにした{{Sfn|矢田俊文|2005|p=153}}。謙信や石山本願寺のみならず、毛利輝元・波多野秀治・雑賀衆などが反信長に同調し、結託した。 天王寺砦の戦いののち、佐久間信盛ら織田軍は石山本願寺を水陸から包囲し{{Sfn|池上裕子|2012|pp=125-126}}、物資を入れぬよう経済的に封鎖した。ところが、7月13日、毛利輝元が石山本願寺の要請を受けて派遣した[[毛利水軍]]など700 - 800隻程度が、本願寺の援軍として[[大阪湾]][[木津川 (大阪府)|木津川]]河口に現れた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=125-126}}。この戦いで織田水軍は敗れ、毛利軍により石山本願寺に[[兵糧]]・[[弾薬]]が運び込まれた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=125-126}}([[第一次木津川口の戦い]])。 このような事情の中、11月21日に信長は正三位・内大臣に昇進している。この年の冬には、天皇の安土行幸が計画されており、それはその翌年の天正5年に実行されるはずだった{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=114-116}}。これに先立って、正親町天皇が誠仁親王に譲位し、親王が新たな天皇として行幸する予定だったという{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=114-116}}。しかし、このときは譲位も安土行幸も実現しなかった{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=114-116}}。 ==== 織田右府 ==== 天正5年([[1577年]])2月、信長は、雑賀衆を討伐するために大軍を率いて出陣([[紀州征伐#信長の紀州攻め|紀州攻め]])し、3月に入ると雑賀衆の頭領・[[鈴木孫一]]らを降伏させ、紀伊国から撤兵した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=155-156}}。 [[天正]]5年([[1577年]])8月、松永久秀が信長に謀反を起こし、その本拠地の信貴山城に籠城した{{Sfn|中川貴皓|2017|pp=178-180}}。天正五年十月十一日付の[[下間頼廉]]の書状の内容から、この久秀の造反は、足利義昭・本願寺といった反信長勢力の動きに呼応したものだと考えられるという{{Sfn|中川貴皓|2017|pp=178-180}}。しかし、織田信忠率いる織田軍に攻撃され、10月に信貴山城は陥落し、久秀は自害に追い込まれた{{Sfn|中川貴皓|2017|pp=178-180}}。 11月20日、正親町天皇は信長を従二位・右大臣に昇進させた。天正6年([[1578年]])1月にはさらに正二位に昇叙されている。 尾張の兵を弓衆・鉄砲衆・馬廻衆・小姓衆・小身衆など機動性を持った直属の軍団に編成し、天正4年(1576年)にはこれらを安土に結集させた{{Sfn|藤木久志|2005|p=40}}。 ==== 中国侵攻 ==== 天正6年(1578年)3月、[[播磨国]]の[[別所長治]]の謀反([[三木合戦]])が起こる{{Sfn|池上裕子|2012|p=161}}。 4月、突如として信長は右大臣・右近衛大将を辞した{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=134-136}}。このとき、信長は信忠に官職を譲ることを希望したものの、これは実現しなかった{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=134-136}}。 7月、毛利軍が[[上月城]]を攻略し、信長の命により見捨てられた[[山中幸盛]]ら[[尼子氏]]再興軍は処刑された([[上月城の戦い]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=164-165}}。10月には突如として摂津国の荒木村重が信長から離反し、足利義昭・毛利氏・本願寺と手を結んで信長に抵抗する{{Sfn|池上裕子|2012|pp=167-168}}一方、同じく東摂津に所領を持つ[[中川清秀]]・[[高山右近]]は村重に一時的に同調したものの{{Sfn|池上裕子|2012|pp=167-168}}、まもなく信長に帰順した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=169-170}}{{Efn|この間に天正6年[[1578年]]10月、[[月岡野の戦い]]が勝利となり、信長は全国大名へ文を送り、京でも大々的に宣伝し、織田家の強さを知らしめた。}}{{Efn|飛騨[[国司]]となった[[姉小路頼綱]]は父・[[姉小路良頼]]より家督を継ぎ、1570年の[[上洛]]時より信長と[[客将]]・親族、[[上杉謙信]]没後の1578年頃より[[濃姫]]の姉妹([[姉小路頼綱正室]])関係の親族・[[同盟]]を結んでいる。}}。 11月6日、九鬼嘉隆率いる織田水軍が、毛利水軍に勝利し、本願寺への兵糧補給の阻止に成功した{{Sfn|池上裕子|2012|p=169}}([[第二次木津川口の戦い]])。12月には、織田軍が、荒木村重の籠もる有岡城を包囲し、兵糧攻めを開始した([[有岡城の戦い]]){{Sfn|天野忠幸|2016b|pp=114-115}}。 天正7年([[1579年]])5月には、安土城の天守が地上六階・地下一階の建物として完成を見て、信長はここに移り住んだ{{Sfn|柴裕之|2020|pp=152-156}}。これは、[[坂本城]]などの先行する天守よりも豪華かつ大規模なものだった{{Sfn|柴裕之|2020|pp=152-156}}。信長は、天守に狩野永徳の手による仏教・儒教・道教の絵画を設け、天守のそばに清涼殿に類似する建物をも造っている{{Sfn|柴裕之|2020|pp=152-156}}。これは天皇権威の克服や東アジア諸国への進出を意図したものだとも評価されるが、柴裕之は、伝統的な社会権威を尊重する信長の姿勢を示したものだとする{{Sfn|柴裕之|2020|pp=152-156}}。 同年6月、明智光秀による[[八上城]]包囲の結果、ついに波多野秀治が捕らえられ、処刑される{{Sfn|池上裕子|2012|p=171}}。光秀は同年中に丹波・丹後の平定を達成した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=172-173}}。 一方、援軍が得られる見込みが薄くなり、追い詰められた荒木村重は、同年9月、有岡城を出て包囲網を突破し、戦略上の要地である尼崎城に入った{{Sfn|天野忠幸|2016b|pp=117-119}}{{Efn|従来は、『信長公記』の記述を根拠に、村重が妻子を見捨ててひそかに有岡城から逃げ出したものだと考えられてきた{{Sfn|天野忠幸|2016b|pp=117-119}}。しかし、天野忠幸によれば、乃美宗勝宛の村重の書状から、村重の尼崎城移動には馬廻を伴っており、反撃を期したものであったと考えられるという{{Sfn|天野忠幸|2016b|pp=117-119}}。}}。しかし、宇喜多直家の織田方への帰参により毛利氏からの援軍は得られなくなり、有岡城の一部城兵も離反し、有岡城はついに落城した{{Sfn|天野忠幸|2016b|pp=118-121}}。そして、信長は、荒木氏の妻子や家臣数百人を虐殺した{{Sfn|天野忠幸|2016b|pp=117-119}}。 翌年の天正8年([[1580年]])1月、別所長治が切腹し、[[三木城]]が開城{{Sfn|池上裕子|2012|p=178}}。数カ月後には、播磨国一円を信長方は攻略した{{Sfn|池上裕子|2012|p=178}}。 ==== 天正7年の政治状況 ==== 11月、信長は織田家の京屋敷を[[二条新御所]]として、[[皇太子]]である誠仁親王に進上した{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=136-138}}{{Efn|なお、[[多聞院日記]]によると、信長が御所を進上した当初の相手は誠仁親王ではなく、信長の猶子の邦慶親王の方だったようである{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=136-138}}。}}。 この年、信長は徳川家康の嫡男・[[松平信康]]に対し切腹を命じたとされる{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=203-205}}。これは信康の乱行、信康生母・[[築山殿]]の武田氏への内通などを理由としたものであったといわれ、家康は信長の意向に従い、築山殿を殺害し、信康を切腹させたという{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=203-205}}。しかし、この通説には疑問点も多く、近年では家康・信康父子の対立が原因で、信長は娘婿信康の処断について家康から了承を求められただけだとも考えられている{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=205-211}}([[松平信康#信康自刃事件について]]の項を参照)。 九州の[[大友義統]]の昇進を朝廷に推挙し[[従五位下]][[左兵衛督]]に就任させた。また、大友氏と盟約を結び毛利領となっていた周防・長門への侵攻および領有を認めた。 ==== 大坂本願寺との講和 ==== 天正8年([[1580年]])3月10日、関東の[[北条氏政]]から従属の申し入れがあり、北条氏を織田政権の支配下に置いた。これにより信長の版図は東国にまで拡大した{{Sfn|丸島和洋|2013|p=243}}。 閏3月7日、正親町天皇の勅命のもと、本願寺もついに抵抗を断念し、織田家と和睦した(いわゆる[[勅命講和]]){{Sfn|堀新|2014|pp=36-40}}。ただし、本願寺側では[[教如]]が大坂に踏みとどまり戦闘を継続しようとしている{{Sfn|堀新|2014|pp=36-40}}{{Sfn|池上裕子|2012|pp=183-184}}。門徒間での和睦への抵抗感が大きかったためだが、やがて教如も籠城継続を諦めざるを得なくなり、8月に大坂を退去している{{Sfn|池上裕子|2012|pp=183-184}}。「天下のため」を標榜して信長が遂行した[[石山合戦|大坂本願寺戦争]]は、10年の歳月をかけてようやく決着がついた{{Sfn|堀新|2014|pp=36-40}}。 この本願寺打倒の成功は、織田政権の一つの画期とされる{{Sfn|三鬼清一郎|1985|pp=74-75}}{{Sfn|池上裕子|2012|pp=182-183}}。なおも各地の一向一揆の抗戦は続くとは言え、大坂本願寺の敗退により、組織的抵抗は下火となっていく{{Sfn|三鬼清一郎|1985|pp=99-100}}。この頃から、「天下」の意味が単なる畿内を超えて日本全土を指すようになり、信長が「天下一統」を目指すようになったという説もある{{Sfn|池上裕子|2012|pp=182-183}}。 その一方で、同年8月、大坂本願寺戦争の司令官だった老臣の佐久間信盛とその嫡男・[[佐久間信栄]]に対して、信長は折檻状を送り付けた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=184-186}}。そして、本願寺との戦に係る不手際などを理由に、高野山への追放を命じている{{Sfn|池上裕子|2012|pp=184-186}}。さらに、重臣の林秀貞をはじめ、[[安藤守就]]とその子・[[安藤定治|定治]]、[[丹羽氏勝]]らも追放の憂き目にあった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=184-186}}{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=124-128}}。 === 天下静謐 === ==== 京都御馬揃え・左大臣推任 ==== 天正9年([[1581年]])1月23日、信長は明智光秀に京都で馬揃えを行なうための準備の命令を出した<ref name="Nishigaya205">{{Harvnb|西ヶ谷恭弘|2000|p=205}}</ref>。この馬揃えは[[近衛前久]]ら公家衆、畿内をはじめとする織田分国の諸大名、国人を総動員して織田軍の実力を正親町天皇以下の[[朝廷 (日本)|朝廷]]から洛中洛外の民衆、さらには他国の武将にも誇示する一大軍事パレードであった<ref name="Nishigaya206">{{Harvnb|西ヶ谷恭弘|2000|p=206}}</ref>。ただ、馬揃えの開催を求めたのは信長ではなく朝廷であったとされる{{r|Nishigaya206}}。信長は天正9年の初めに安土で爆竹の祭りである左義長を挙行しており、それを見た朝廷側が京都御所の近くで再現してほしいと求めた事による{{r|Nishigaya206}}。ただ、左義長を馬揃えに変えたのは信長自身であった{{r|Nishigaya206}}。 2月28日、京都の[[内裏]]東の馬場にて大々的な馬揃えを行った([[京都御馬揃え]]){{r|Nishigaya206}}。これには信長はじめ織田一門のほか、丹羽長秀ら織田軍団の武威を示すものであった。『信長公記』では「貴賎群衆の輩 かかるめでたき御代に生まれ合わせ…(中略)…あり難き次第にて上古末代の見物なり」とある。 3月5日には再度、名馬500余騎をもって信長は馬揃えを挙行した<ref name="Nishigaya207">{{Harvnb|西ヶ谷恭弘|2000|p=207}}</ref>。このため、この京都御馬揃えは信長が正親町天皇に皇太子・誠仁親王への譲位を迫る軍事圧力だったとする見解もあり{{r|Nishigaya206}}、洛中洛外を問わず、近隣からその評判を聞いた人々で京都は大混乱になったという{{r|Nishigaya207}}。 3月7日、天皇は信長を左大臣に推任{{Sfn|藤井譲治|pp=140-141}}。3月9日にこの意向が信長に伝えられ、信長は「正親町天皇が譲位し、誠仁親王が即位した際にお受けしたい」と返答した{{Sfn|藤井譲治|pp=140-141}}。朝廷はこの件について話し合い、信長に朝廷の何らかの意向が伝えられた{{Sfn|藤井譲治|pp=140-141}}。3月24日、信長からの返事が届き、朝廷はこれに満足している{{Sfn|藤井譲治|pp=140-141}}。だが4月1日、信長は突然「今年は[[金神]]の年なので譲位には不都合」と言い出した。譲位と信長の左大臣就任は延期されることになった{{Sfn|藤井譲治|pp=140-141}}。ただし、この時に出された[[陰陽寮]]([[土御門久脩]]・[[賀茂在昌]])の3月21日付の[[勘文]]を正親町天皇が書写したものが[[東山御文庫]]に現存しており、その写しには金神のことが記されているため、少なくても21日の段階で朝廷側は金神の年の問題を知っており、譲位と左大臣就任の延期も朝廷側の申入で3月24日の信長の返事は延期の了承であるとする見解もある{{Sfn|金子拓2015|pp=370-373}}。 8月1日の八朔の祭りの際、信長は安土城下で馬揃えを挙行するが、これには近衛前久ら公家衆も参加する行列であり、安土が武家政権の中心である事を天下に公言するイベントとなった{{r|Nishigaya207}}。 ==== 高野山包囲 ==== 天正9年(1581年)、[[高野山]]が荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど信長と敵対する動きを見せる{{r|Nishigaya207}}。『信長公記』によれば、信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害した(高野山側は、足軽達は捜索ではなく乱暴狼藉を働いたため討った、としている)。一方、『[[高野春秋]]』では前年8月に高野山宗徒と荒木村重の残党との関係の有無を問いかける書状を松井友閑を通じて送り付け、続いて9月21日に一揆に加わった[[高野聖]]らを捕縛し入牢あるいは殺害した{{r|Nishigaya207}}。このため天正9年(1581年)1月、[[根来寺]]と協力して高野聖が高野大衆一揆を結成し、信長に反抗した{{r|Nishigaya207}}。 信長は一族の[[和泉国|和泉]][[岸和田城]]主・[[織田信張]]を総大将に任命して高野山攻めを発令{{r|Nishigaya207}}。1月30日には高野聖1,383名を逮捕し、伊勢や京都[[七条河原]]で処刑した{{r|Nishigaya207}}。10月2日、信長は[[堀秀政]]の軍勢を援軍として派遣した上で根来寺を攻めさせ、350名を捕虜とした{{r|Nishigaya207}}。10月5日には高野山七口から[[筒井順慶]]の軍も加勢として派遣し総攻撃を加えたが、高野山側も果敢に応戦して戦闘は長期化し、討死も多数に上った{{r|Nishigaya207}}。 天正10年([[1582年]])に入ると信長は甲州征伐に主力を向ける事になったため、高野山の戦闘はひとまず回避される。武田家滅亡後の4月、信長は信張に変えて信孝を総大将として任命した{{r|Nishigaya207}}。信孝は高野山に攻撃を加えて131名の高僧と多数の宗徒を殺害した{{r|Nishigaya207}}。しかし決着はつかないまま本能寺の変が起こり、織田軍の高野山包囲は終了し、比叡山延暦寺と同様の焼き討ちにあう危機を免れた<ref name="Nishigaya208">{{Harvnb|西ヶ谷恭弘|2000|p=208}}</ref>。 ==== 甲州征伐 ==== {{Main|甲州征伐}} 天正9年(1581年)5月に[[越中国]]を守っていた上杉氏の武将・[[河田長親]]が急死した隙を突いて織田軍は越中に侵攻し、同国の過半を支配下に置いた。7月には越中[[木舟城]]主の[[石黒成綱]]を丹羽長秀に命じて近江で誅殺し、越中[[願海寺城]]主・[[寺崎盛永]]へも切腹を命じた。3月23日には[[高天神城]]を奪回し、武田勝頼を追い詰めた。紀州では雑賀党が内部分裂し、信長支持派の鈴木孫一が反信長派の[[土橋守重|土橋平次]]らと争うなどして勢力を減退させた。 武田勝頼は長篠合戦の敗退後、越後上杉家との[[甲越同盟]]の締結や[[新府城]]築城などで領国再建を図る一方、人質であった織田信房(勝長)を返還することで、佐竹義重を通じて信長との和睦(甲江和与)を模索したが進まずにいた。 天正10年(1582年)2月1日、武田信玄の娘婿であった[[木曾義昌]]が信長に寝返る<ref name="Nishigaya210">{{Harvnb|西ヶ谷恭弘|2000|p=210}}</ref>。2月3日に信長は武田領国への本格的侵攻を行うための大動員令を信忠に発令。駿河国から徳川家康、相模国から[[北条氏直]]、飛騨国から[[金森長近]]、[[木曽地域|木曽]]から織田信忠が、それぞれ武田領攻略を開始した{{r|Nishigaya210}}。信忠軍は軍監・滝川一益と信忠の譜代衆となる河尻秀隆・[[森長可]]・[[毛利秀頼|毛利長秀]]等で構成され、この連合軍の兵数は10万人余に上った。木曽軍の先導で織田軍は2月2日に1万5,000人が諏訪上の原に進出する{{r|Nishigaya210}}。 武田軍では、[[伊那城]]の城兵が城将・[[下条信氏]]を追い出して織田軍に降伏。さらに南信濃の[[松尾城 (信濃国伊那郡)|松尾城]]主・[[小笠原信嶺]]が2月14日に織田軍に投降する{{r|Nishigaya210}}。さらに織田長益、[[織田信次]]、[[稲葉貞通]]ら織田軍が[[松本城|深志城]]の[[馬場昌房]]軍と戦い、これを開城させる{{r|Nishigaya210}}。駿河[[江尻城]]主・[[穴山信君]]も徳川家康に投降して徳川軍を先導しながら駿河国から富士川を遡って甲斐国に入国する{{r|Nishigaya210}}。このように武田軍は先を争うように連合軍に降伏し、組織的な抵抗が出来ず済し崩し的に敗北する。唯一、武田軍が果敢に抵抗したのは[[仁科盛信]]が籠もった信濃[[高遠城]]だけであるが、3月2日に信忠率いる織田軍の攻撃を受けて落城し、400余の首級が信長の許に送られた{{r|Nishigaya210}}。 この間、勝頼は諏訪に在陣していたが、連合軍の勢いの前に諏訪を引き払って甲斐国新府に戻る{{r|Nishigaya210}}。しかし穴山らの裏切り、信濃諸城の落城という形勢を受けて新府城を放棄し、城に火を放って[[勝沼氏館|勝沼城]]に入った{{r|Nishigaya210}}。織田信忠軍は猛烈な勢いで武田領に侵攻し武田側の城を次々に占領していき、信長が甲州征伐に出陣した3月8日に信忠は武田領国の本拠である[[甲府]]を占領し、3月11日には甲斐国都留郡の田野において滝川一益が武田勝頼・信勝父子を自刃させ、ここに武田氏は滅亡した{{r|Nishigaya210}}。勝頼・信勝父子の首級は信忠を通じて信長の許に送られた{{Sfn|西ヶ谷恭弘|2000|pp=210-211}}。 信長は3月13日、岩村城から弥羽根に進み、3月14日に勝頼らの首級を実検する<ref name="Nishigaya211">{{Harvnb|西ヶ谷恭弘|2000|p=211}}</ref>。3月19日、高遠から諏訪の法華寺に入り、3月20日に木曽義昌と会見して信濃2郡を、穴山信君にも会見して甲斐国と駿河国の旧領を安堵した{{r|Nishigaya211}}。3月23日、滝川一益に今回の戦功として旧武田領の[[上野国]]と信濃2郡を与え、[[関東管領]]{{Efn|name="taki"|滝川一益の任を“関東管領”とするのは『甫庵太閤記』『[[武家事紀]]』による。『信長公記』では「関八州の御警固」「東国の儀御取次」、『伊達治家記録』では「東国奉行」と呼んでいる{{Sfn|谷口克広|1995|p=235}}。}}に任命して[[厩橋城]]に駐留させた{{r|Nishigaya211}}。3月29日、穴山領を除く甲斐国を河尻秀隆に与え、駿河国は徳川家康に、北信濃4郡は森長可に与えた{{r|Nishigaya211}}。南信濃は毛利秀頼に与えられた。この時、信長は旧武田領に国掟を発し、関所の撤廃や奉公、所領の境目に関する事を定めている{{r|Nishigaya211}}。 4月10日、信長は富士山見物に出かけ、家康の手厚い接待を受けた{{r|Nishigaya211}}。4月12日、駿河興国寺城に入城し、北条氏政による接待を受ける{{r|Nishigaya211}}。さらに江尻城、4月14日に[[田中城]]に入城し、4月16日に[[浜松城]]に入城した{{r|Nishigaya211}}。浜松からは船で[[吉田城]]に至り、4月19日に清洲城に入城{{r|Nishigaya211}}。4月21日に安土城へ帰城した{{r|Nishigaya211}}。 信長による武田氏討伐は、奥羽の大名たちに大きな影響を与えた。[[蘆名氏]]は5月に信長の許へ使者を派遣し「無二の忠誠」を誓った{{Sfn|遠藤ゆり子編|2015|p=88}}。また、[[伊達輝宗]]の側近・[[遠藤基信]]が6月1日付けで[[佐竹義重 (十八代当主)|佐竹義重]]に書状を遣わし、信長の「天下一統」のために奔走することを呼びかけるなど{{Sfn|遠藤ゆり子編|2015|p=260}}、信長への恭順の姿勢を明らかにしている。 ==== 安土行幸計画・三職推任問題 ==== 天正10年(1582年)1月6日、信長は出仕してきた者たちに安土城の「御幸の間」を見せたという記載が『信長公記』にはある{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=141-144}}{{Sfn|福島克彦|2020|p=171}}。そして、正月7日、[[勧修寺晴豊]]は、行幸のための鞍が完成したのでそれを[[正親町天皇]]に見せている(『晴豊公記』){{Sfn|藤井譲治|2011|pp=141-144}}。このため、天正10年かそれ以降に、正親町天皇が安土に行幸する「安土行幸」が予定されていたと考えられる{{Sfn|藤井譲治|2011|pp=141-144}}。 4月、信長を[[太政大臣]]・[[関白]]・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が、村井貞勝と[[武家伝奏]]・[[勧修寺晴豊]]とのあいだで話し合われた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=208-211}}([[三職推任問題]])。このことは、晴豊が『[[天正十年夏記]]』に記載しているが、その中の「御すいにん候て然るべく候よし申され候」の文意が明確ではない{{Sfn|池上裕子|2012|pp=208-211}}。そうした事情から、この推任が朝廷側の提案によるものなのか、あるいは村井貞勝の申し入れによるものなのか、研究者のあいだで解釈に争いがある{{Sfn|池上裕子|2012|pp=208-211}}。いずれにせよ、5月になると朝廷は、信長の居城・安土城に推任のための勅使を差し向けた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=208-211}}。信長は正親町天皇と誠仁親王に対して返答したが{{Efn|「いかやうにも、御けさんあるへく候由申候へハ、かさねて又御両御所へ御返事被出候」(『天正十年夏記』5月4日条、立花京子『信長権力と朝廷』掲載)}}、返答の内容は不明である。{{-}} 堀新は、勅使に同行した勧修寺晴豊の日記『天正十年夏記』(晴豊記の断簡)で信長の官職のことを触れていないこと、信長上京の時に朝廷に徐目をめぐる動きがないことをもって就任を断ったのであると断定している<ref>谷口克広 『信長と家康の軍事同盟-利害と戦略の二十一年』吉川弘文館、2019年11月 186頁</ref>。 ====四国征伐の決定・安土饗応==== こうしたなか、信長は[[四国]]の[[長宗我部元親]]攻略を決定し、三男の信孝、重臣の丹羽長秀・[[蜂屋頼隆]]・[[津田信澄]]の軍団を派遣する準備を進めた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=211-213}}。この際、信孝は名目上、阿波に勢力を有する三好康長の養子となる予定だったという{{Sfn|池上裕子|2012|pp=211-213}}。 そして、長宗我部元親討伐後に[[讃岐国]]を信孝に、[[阿波国]]を三好康長に与えることを計画していた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=211-213}}。また、[[伊予国]]・[[土佐国]]に関しては、信長が淡路に赴いた際、その仕置を決める予定であった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=211-213}}{{Sfn|天野忠幸|2016a|p=169}}。そして、その四国侵攻開始は、6月2日に信孝が淡路に渡海する形で予定されていた{{Sfn|木下昌規|2016|pp=193-194}}<ref>{{Harvnb|桐野|2014|p=9}}</ref>。 しかし、従来、長宗我部元親との取次役は明智光秀が担当してきたため、この四国政策の変更は光秀の立場を危うくするものであった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=211-213}}{{Sfn|木下昌規|2016|pp=193-194}}。 5月15日、徳川家康が駿河国加増の礼のため、安土城を訪れた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=213-214}}。そこで、信長は明智光秀に接待役を命じる{{Sfn|池上裕子|2012|pp=213-214}}。光秀は15日から17日にわたって、家康を手厚くもてなした(安土饗応){{Sfn|金子拓|2017a|pp=156-158}}。信長の光秀に対する信頼は深かった{{Sfn|金子拓|2017a|pp=176-177}}。一方で、この接待の際、事実かどうか定かではないものの、『[[フロイス日本史]]』は、信長が光秀に不満を持ち、彼を足蹴にしたと伝えている{{Sfn|金子拓|2017a|pp=177-179}}{{Efn|この時の[[本膳料理]]の[[献立]]は「天正十年安土御献立」『[[続群書類従]]』に記録されているが、この時の献立は前年の家康接待(饗応役は不明)の際の献立(「御献立集」)のと比べて遜色の無い点が指摘される{{Sfn|江後迪子|2007|pp=24-37}}。}}。 ==== 本能寺の変と最期 ==== [[ファイル:Honnoj.jpg|thumb|280px|『本能寺焼討之図』([[楊斎延一]]画、[[明治]]時代、[[名古屋市]]所蔵)]] 5月17日、家康接待が続く中、信長は[[高松城 (備中国)|備中高松城]]の包囲([[備中高松城の戦い]])を行っている羽柴秀吉の使者より、毛利輝元が自ら出陣し、[[吉川元春]]や[[小早川隆景]]など毛利氏の軍勢が接近してきたことが報告され、それに対する援軍の依頼を受けた{{Sfn|金子拓|2017a|pp=156-158}}{{Sfn|福島克彦|2020|p=180}}。報告を受け、信長は自ら出陣して、輝元ら毛利氏を討ち、九州までも平定するという意向を秀吉に伝えた{{Sfn|天野忠幸|2016a|p=170}}。 信長は自身の出陣に先んじて、光秀を家康の接待役から解き、秀吉への援軍に向かうよう命じた{{Sfn|金子拓|2017a|pp=156-158}}{{Sfn|福島克彦|2020|p=181}}{{Efn|一般に信長は光秀の接待役の任を解いたと言われる{{Sfn|金子拓|2017a|p=177}}。しかし、金子拓によれば史料の誤読によるもので、実際には当初の予定通り、光秀は家康の接待を続けていたと考えられる{{Sfn|金子拓|2017a|p=177}}。}}。また、信長は光秀のみならず、[[細川忠興]]や[[池田恒興]]、高山右近、中川清秀らも中国地方に派遣することにした{{Sfn|天野忠幸|2016a|p=170}}。 従来、信長は中国地方に直接遠征すると考えられてきたが、実際は淡路に渡海して四国を平定したのち、秀吉や光秀らと合流して[[中国攻め]]に参加しようと計画していたとされる{{Sfn|天野忠幸|2016a|p=170}}。他方、信長は四国攻めを担当する信孝の閲兵をするために淡路に渡海し<ref>{{Harvnb|桐野|2014|p=9}}</ref>、6月4日に渡海したのちは、早くとも5日以降には中国地方に向かう計画であったとする見方もある<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=133|ref=owada}}</ref>。いずれにせよ、信長は四国を平定し、毛利輝元を滅ぼせば、[[大友義鎮]]といった九州の諸大名も服属すると考えており、この[[西国]]出陣が信長の全国統一に向けた最後の出陣となる可能性があった{{Sfn|天野忠幸|2016a|p=171}}。 5月29日、信長は西国への出陣のため、安土城留守衆を定めて、[[小姓]]衆20、30人のみを率いて安土城から上洛し、[[本能寺]]に逗留した{{Sfn|池上裕子|2012|pp=213-214}}<ref name="ncP313">{{Harvnb|太田|中川|2013|loc=p.313}}</ref>{{Efn|この少人数での行動は、配下の武将らに出陣を命じていたからであり、信長は完全に油断していたと考えられる{{Sfn|池上裕子|2012|p=214}}。だが、信長が少人数で移動することは珍しくなく、決して油断はしていなかったとする見方もある{{Sfn|和田裕弘|2016|p=193}}。}}。嫡子の信忠も信長の出馬を聞き、堺から上洛した{{Sfn|和田裕弘|2016|p=191}}。 6月1日、信長は本能寺において、太政大臣・近衛前久、前関白・[[九条兼孝]]、関白左大臣・[[一条内基]]、右大臣・[[二条昭実]]、内大臣・[[近衛信基]]、勅使の甘露寺経元、勧修寺晴豊ら公家衆の訪問を受けた{{Sfn|福島克彦|2020|p=182}}。信長は上機嫌で公家衆を歓待し、甲州攻めが思いのほかうまく進んだことを語り、6月4日に自身が西国に出陣することを公表した{{Sfn|福島克彦|2020|p=182}}。他方、信長は前久に糾明を命じていた[[改暦#天正10年の例|暦の問題]]を蒸し返したが、公家衆は応じなかった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=214-215}}。 公家衆が退出したのち、側近衆だけが残り、信長は信忠と久しぶりに親しく雑談した{{Sfn|和田裕弘|2016|p=192}}。これが信長父子にとって最後の会話となった{{Sfn|和田裕弘|2016|p=193}}。 やがて、夜になって散会し、信長は眠りについた{{Sfn|池上裕子|2012|p=215}}。ところが、秀吉への援軍を命じていたはずの光秀が京都に突如進軍し、6月2日未明に本能寺を襲撃した([[本能寺の変]]){{Sfn|池上裕子|2012|pp=214-217}}。その際、光秀が進軍にあたっては標的が信長であることを伏せていたことが、『[[本城惣右衛門覚書]]』からわかる{{Sfn|池上裕子|2012|p=216}}。 わずかな手勢しか率いていなかった信長であったが、初めは自ら弓や[[槍]]を手に奮闘した。しかし、圧倒的多数の明智軍には敵わず、信長は自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で[[自害]]して果てた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=214-217}}。享年49{{Sfn|池上裕子|2012|pp=214-217}}。 信長の嫡男・信忠は本能寺への襲撃を知ると、宿泊していた[[妙覚寺 (京都市)|妙覚寺]]から信長のもとに駆け付けようとしたが、途中の路地で出会った村井貞勝らに止められ、 [[二条新御所|二条御新造]]に移った{{Sfn|和田裕弘|2016|p=193}}{{Sfn|福島克彦|2020|p=188}}。だが、信長を自害させた明智軍がここにも押し寄せ、信忠は抗戦するも衆寡敵せず、信長の後を追う形で自害した{{Sfn|福島克彦|2020|p=188}}。 戦いが終わると、光秀は信長の遺体を探したが、その遺体は発見されなかった{{Sfn|加藤理文|2014|pp=44}}。これは焼死体が多すぎて、どれが信長の遺体か把握できなかったためと考えられる{{Sfn|呉座勇一|2018|pp=203-204}}{{Efn|[[平成]]19年([[2007年]])に行われた本能寺跡の発掘調査では、本能寺の変と同時期にあったとされる堀跡や大量の焼け瓦が発見された<ref>{{Cite web|和書|author=[[山本雅和]] |date=2008-04 |url=https://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/231.pdf|format=pdf |title=「本能寺の変」を調査する |work=リーフレット京都 No.231 |publisher=[[京都市埋蔵文化財研究所]]・[[京都市考古資料館]] |accessdate=2018-09-22 |archiveurl= |archivedate= }}</ref>。}}。 6月13日、秀吉は信長の三男・信孝を総大将として光秀に挑み、[[山崎の戦い]]で明智軍に勝利した{{Sfn|和田裕弘|2016|p=222}}。光秀は敗走中に命を落とした{{Sfn|和田裕弘|2016|p=222}}。本能寺の変から4か月後、10月15日に秀吉の手により、[[大徳寺]]において信長の葬儀が盛大に行われた{{Sfn|加藤理文|2014|pp=30-34}}。 == 人物 == [[ファイル:Oda nobunaga (Kobe City Museum).jpg|thumb|right|200px|織田信長像 ([[神戸市立博物館]]蔵、重要文化財)]] === 人物評 === 歴史学者の[[池上裕子]]は、同時代人による信長についての「もっとも的確でまとまった人物評」は、宣教師[[ルイス・フロイス]]のものであると述べている{{Sfn|池上裕子|2012|pp=28-30}}。信長について「きわめて稀に見る優秀な人物であり、非凡の著名なカピタン(司令官)として、大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない 」<ref>完訳フロイス日本史3 58章(本来の第2部43章)</ref>とも述べたフロイスによれば、信長は次のような人物であった。 {{Quotation|彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、ヒゲは少なく、はなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。いくつかの事では人情味と慈愛を示した。彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。貪欲でなく、はなはだ決断を秘め、戦術に極めて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。彼はわずかしか、またはほとんど全く家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。そして人々は彼に[[絶対君主]]に対するように服従した。彼は戦運が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、並びにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。形だけは当初[[法華宗]]に属しているような態度を示したが、顕位に就いて後は尊大に全ての偶像を見下げ、若干の点、[[禅宗]]の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。彼は自邸においてきわめて清潔であり、自己のあらゆることをすこぶる丹念に仕上げ、対談の際、遷延することや、だらだらした前置きを嫌い、ごく卑賎の家来とも親しく話をした。彼が格別愛好したのは著名な茶の湯の器、良馬、刀剣、[[鷹狩り]]であり、目前で身分の高い者も低い者も裸体でルタール([[相撲]])をとらせることをはなはだ好んだ。なんぴとも武器を携えて彼の前に罷り出ることを許さなかった。彼は少しく憂鬱な面影を有し、困難な企てに着手するに当たっては甚だ大胆不敵で、万事において人々は彼の言葉に服従した。|『フロイス日本史』より<ref>完訳フロイス日本史2 32章(本来の第1部83章)</ref>}} フロイスの描くこのような「絶対君主」的な信長像は、信長の実際の言動と矛盾しない適切な描写であると池上裕子は言う{{Sfn|池上裕子|2012|pp=28-30}}。他方、歴史学者の[[神田千里]]によれば、こうした信長の人物像は日本の史料で確認できない部分も多く、以下で述べるとおり、このフロイスによる信長の評価を鵜呑みにすることは問題も多い{{Sfn|神田千里|2015|pp=49-50}}としている。{{see also|#信仰}} === 残虐性 === 池上裕子によれば、信長は自身に敵対する者を数多く殺害し、必要以上の残虐行為を行った{{Sfn|池上裕子|2012|pp=29-30}}。そうすることで信長は「鬱憤を散じ」たのだと、自ら書状に記している{{Sfn|池上裕子|2012|pp=29-30}}。そうした事例の一つが、長島一向一揆殲滅における男女2万人の焼殺であり、信長はこの行為によって気を晴らしたのである{{Sfn|池上裕子|2012|pp=106-108}}。また、岩村城への対応などに見られるように、信長は、しばしば降伏を条件として敵方の城内の者の助命を約束しているものの、降伏後にはその約束を反故にして虐殺を実行している{{Sfn|天野忠幸|2016b|pp=120-121}}。 もっとも、敵対勢力に対する虐殺行為は、当時の戦国大名の間で広く行われていたもので、信長だけが行ったわけではない{{Sfn|神田千里|2014|pp=163-164}}{{Efn|例えば、[[北条早雲]]は、敵対する[[関戸吉信]]方を女性・子供も含めて虐殺した{{Sfn|神田千里|2014|pp=163-164}}。伊達政宗も同様の行為をしている{{Sfn|神田千里|2014|pp=163-164}}。}}。また、信長の一向一揆殲滅については、江戸時代初期の[[島原の乱]]における大虐殺との類似性が指摘されている{{Sfn|横田冬彦|2009|pp=375-377}}。[[横田冬彦]]によれば、このような殺戮行為は近世成立期固有の事象であって、信長の残虐性という「専制者の個性」によって生じたと考えるのは妥当ではない{{Sfn|横田冬彦|2009|pp=375-377}}。 信長の残虐性を示す逸話としてしばしば触れられるのが、天正2年(1574年)正月の酒宴である{{Efn|なお、信長の残虐性については次の逸話も著名である。天正9年([[1581年]])4月10日、信長は[[琵琶湖]]の[[竹生島]]参詣のために[[安土城]]を発った。信長は翌日まで帰って来ないと思い込んだ侍女たちは、[[桑実寺]]に参詣に行くなどと勝手に城を空けた。ところが、信長は当日のうちに帰還。侍女たちの無断外出を知った信長は激怒し、侍女たちを縛り上げた上で、すべて成敗した。また侍女たちに対する慈悲を願った桑実寺の長老も、やはり成敗されたという(『信長公記』巻十四{{Sfn|太田牛一|奥野高廣|岩沢愿彦|1969|pp=351-352}})。フロイス日本史には年代不明ながらこれと良く似た事件が書かれており、こちらは「彼女たちを厳罰に処した後、そのうちひとりかふたりは寺に逃げ込んだので、彼女らを受け入れた寺の僧侶らは殺された」とある<ref>『完訳フロイス日本史2 信長とフロイス』第32章</ref>。}}。『[[信長公記]]』によれば[[浅井久政]]・[[浅井長政|長政]]父子と[[朝倉義景]]の3人の首{{Efn|『信長公記』では単に「首」とあるだけで頭蓋骨であったとは書かれていない。尾ひれがついて[[髑髏杯|髑髏を杯にして]]家臣に飲ませたという話もあるが、俗書にしか伝わらない。}}を{{読み仮名|薄濃|はくだみ}}{{Efn|[[漆]]でかためて[[金泥・銀泥|金泥]]などを塗ったもの。}}にしたものを「他国衆退出の已後、御馬廻ばかり」の酒宴の[[肴]]として披露した。信長は非常に上機嫌であったという(『[[信長公記]]』巻七{{Sfn|太田牛一|奥野高廣|岩沢愿彦|1969|pp=165}})。[[桑田忠親]]はこれを「信長がいかに冷酷残忍な人物であったかがわかる」と評している{{Sfn|桑田忠親|1958|p=25}}。この桑田の見解に対して、[[宮本義己]]は敵将への敬意の念があったことを表したもので、改年にあたり今生と後生を合わせた清めの場で三将の菩提を弔い新たな出発を期したものであり、桑田説は首化粧の風習の見落としによる偏った評価と分析している{{Sfn|宮本義己|2010|pp=61-62}}。 === 奇行 === 『信長公記』に記されているように、少年時代の信長は奇行で知られ、「大うつけ」と呼ばれた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=3-4}}。異様な見た目の服装で街を歩き、栗や柿、瓜を食べながら歩いたという{{Sfn|池上裕子|2012|pp=3-4}}。さらに父の葬儀の際には、位牌に向かって抹香を投げるという暴挙に出ている{{Sfn|池上裕子|2012|pp=3-4}}。このような奇行はしばしば信長の天才性の象徴とされてきた{{Sfn|神田千里|2014|pp=217-219}}。 しかし、神田千里は、成人した信長については、このような奇行を行う人物ではなかったと述べる{{Sfn|神田千里|2014|pp=217-219}}。足利義昭に対する十七か条の異見書や佐久間信盛に対する折檻状などに見られるように、信長自身の残した文書からは、信長が世間の評判を非常に重視していたことがうかがえる{{Sfn|神田千里|2014|pp=208-212}}。そして、信長はその時代の常識に則った行動を取り、人々からの支持を得ようと努めていたという{{Sfn|神田千里|2014|pp=217-219}}。 === 家臣の扱い === 明智光秀や細川藤孝のようなごく一部の例外を除けば、信長は尾張出身の譜代ばかりを重要な地位に登用した{{Efn|滝川一益は近江出身とはいえ、天文年間という早い時期から信長に従っているため譜代と同一視できる{{Sfn|池上裕子|2012|pp=265-268}}。}}{{Sfn|池上裕子|2012|pp=265-268}}。 これら譜代の人々で信長を裏切った者はいない一方で、松永久秀・荒木村重・明智光秀といった「外様」に当たる人々はやがて信長に反逆している{{Sfn|池上裕子|2012|pp=265-268}}。池上裕子は、久秀や光秀らの造反の要因の一つとして、信長の譜代重用に対する反発を挙げている{{Sfn|池上裕子|2012|pp=265-268}}{{Efn|その一例として、荒木村重は、毛利攻めの司令官の地位を羽柴秀吉に奪われたことに強い不満を持ち、そのため、信長との敵対に踏み切ることとなった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=265-268}}{{Sfn|天野忠幸|2016b|pp=110-112}}。}}。 また、松永久秀、[[別所長治]]、[[荒木村重]]らの反乱は、信長の苛烈ともされる性格に起因しているという説もある。己を恃むところが多く、実に気まぐれであり性格は猜疑心が強く執念深く、それが多くの謀反につながったと指摘する研究者もいる{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=256-259}}{{Sfn|池上裕子|2012|p=276}}。前述のフロイスの人物評に見られるように、家臣たちは信長への絶対服従を求められ、異議を唱えることも許されなかったともされる{{Sfn|池上裕子|2012|pp=28-30}}。 他方で、こうした見方には異論も存在する。神田千里によれば、信長は家臣の意見をある程度までは重んじ{{Sfn|神田千里|2014|pp=203-207}}、また家臣の取扱いにも慎重だった{{Sfn|神田千里|2014|pp=215-216}}。前者について神田はいくつかの例を挙げているが、例えば、中国攻略における羽柴秀吉の独断での決定を信長は追認しているし、また、佐久間信盛の異議に従って武将の三ヶ頼連を赦免している{{Sfn|神田千里|2014|pp=203-207}}。従来は家臣に絶対服従を求めたものだと理解されていた「[[越前国掟]]」という文書も、信長の意見が間違っていれば、憚ることなく指摘すべきだという文言がある{{Sfn|神田千里|2014|pp=203-207}}。そして、家臣の意が妥当なものなら、信長はそれを採用することを約束している{{Sfn|神田千里|2014|pp=203-207}}。当時の戦国大名は家臣たちの合議を重んじていたが、信長も例外ではなく、家中の合議を必要なものだと考えていたという{{Sfn|神田千里|2014|pp=207-208}}。 信長の家臣との関係については、しばしば譜代の重臣の佐久間信盛が追放されたことが注目される。この追放は、一般的には、信長は能力の足りない家臣を容赦なく追い出した事件だと評価されている{{Sfn|神田千里|2014|pp=211-212}}。例えば、池上裕子は「譜代・重臣であっても(中略)切り捨てる非情さ」の現れだと表現している{{Sfn|池上裕子|2012|pp=184-186}}。しかし、神田によれば、追放前に信盛には名誉回復の機会が与えられていることや、信盛が高野山で平穏に余生を送ったと考えられることなどからすると、信長の対応は冷酷とまでは言えないという{{Sfn|神田千里|2014|pp=215-216}}。そして、信長が家臣の扱いに気を配ったことは、信長が信盛追放の理由の一つとして信盛家中に対する過大な負担を挙げていることからも裏付けられるという{{Sfn|神田千里|2014|pp=215-216}}。 元々重臣を軽んじてはいなかったが、重臣を各地の前線や領国に配置したこともあり、安土城を築城してからは年始挨拶に集合する正月儀礼を2回しか行わなかった。さらに、重臣との合議機関もなかったため、信長の近侍衆を通じて以外では、意思疎通がしにくかった。また家臣が裏切るという恐れを考えず、起請文を取り交わさず、妻子を人質に取ることもしていなかったため、家臣団への安定策は不十分だった。これが重臣の裏切りや政権破綻の原因になったと指摘されている{{Sfn|平井上総|2020|pp=174-179}}。 === 信仰 === [[ファイル:Nobunagabei wall.jpg|200px|thumb|熱田神宮の信長塀(名古屋市[[熱田区]])]] {{See also|#宗教政策}} 前述した『フロイス日本史』の記述(→''[[#人物評]]'')から、信長は無神論者であり、神仏を否定していたと一般には考えられている{{Sfn|神田千里|2015|pp=50-54}}。しかし、実際には、寺社にたびたび戦勝祈願を行っていたことが多数の一次史料から分かり、このフロイスの記述は信憑性が乏しいことが指摘されている{{Sfn|神田千里|2015|pp=50-54}}。 熱田神宮のいわゆる「[[信長塀]]」は、信長が桶狭間の戦いの戦勝の礼として奉納したという伝承がある{{Sfn|谷口克広|2013|pp=124-125}}。この熱田神宮や、[[津島神社]]、[[織田剣神社]]といった織田氏と縁の深い神社に対しては、信長は熱心に支援を行っている{{Sfn|谷口克広|2013|pp=124-125}}。 また、信長は、「[[南無妙法蓮華経]]」と書かれた軍旗を用い、京都では法華宗寺院を宿所に選ぶ(本能寺も法華宗の寺院である)など、一定の範囲で法華宗も信仰していた形跡がうかがえるという{{Sfn|神田千里|2015|pp=54-57}}。 更に信長は、家臣であった[[平手政秀]]の死を嘆き、菩提を弔うために[[政秀寺]]を建立している。 このように、信長はごく普通に神仏に対して信仰心を持っていたものの{{Sfn|脇田修|1987|pp=135-136}}、迷信による弊害を嫌った{{Sfn|脇田修|1987|pp=136-137}}。このことを示すのが、無辺という旅僧にまつわる天正8年の出来事である{{Sfn|脇田修|1987|pp=136-137}}(『信長公記』巻十三)。無辺は[[石馬寺]]の栄螺坊の宿坊に住み着き、不思議な力を持つと人々の間で評判となった{{Sfn|脇田修|1987|pp=136-137}}。信長は無辺を引見し、出身地などをいくつか質問するが、無辺はわざと不思議な答えをした{{Sfn|脇田修|1987|pp=136-137}}。信長が「どこの生まれでもない者ということは妖怪かもしれぬ。火であぶってみよう、火を用意せよ」と脅すと、無辺はやむを得ず今度は事実を正直に答えた{{Sfn|脇田修|1987|pp=136-137}}。無辺は不思議な霊験も示すことはできなかったので、信長は無辺の髪の毛をまばらにそぎ落とし、裸にして縄で縛って町中に放り出し追放した{{Sfn|脇田修|1987|pp=136-137}}。さらに、無辺が迷信を利用して女性に淫らな行いをしていたことが判明したため、信長は無辺を処刑させたという{{Sfn|脇田修|1987|pp=136-137}}。 === 武芸 === [[画像:Domaru at Takeisao jinja 2.jpg|thumb|紺糸威胴丸]] 前述のフロイスの人物評でも言及されているように、信長は武芸の鍛錬に熱心であった。若き日の信長は、[[馬術]]の訓練を欠かさず、冬以外の季節は[[水泳]]に励んでいたという{{Sfn|池上裕子|2012|pp=4-5}}。さらに、[[平田三位]]などの専門家を師として、[[兵法]]や[[弓術]]、[[砲術]]といった事柄を修めた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=4-5}}。 信長の趣味として、後述する茶の湯、相撲とともに[[鷹狩]]が知られる。『信長公記』首巻にはすでに鷹狩の記述がみられ、青年期からの趣味であったことがわかる{{Sfn|脇田修|1987|p=129}}。 天下の政治を任されるようになってからも三河や、摂津での陣中、京都の東山などで鷹狩を行った{{Sfn|谷口克広|2009|p=214}}。天正7年(1579年)の2 - 3月には[[太田牛一]]が『信長公記』に「毎日のように」と記すほど頻繁に行い、翌天正8年(1580年)の春にもやはり「毎日」鷹狩りを行った。 前述したとおり、信長は馬術の鍛錬にも励んでいたようで、天正9年(1581年)には安土、岐阜の各城下に馬場を設けている<ref>太田牛一『信長公記』、巻14。</ref>。 足利義昭を京都から追放し、自ら天下の政治を取り仕切るようになった天正年間になると、全国の大名・領主から信長のもとに馬や鷹が献上されるようになった{{Efn|中世における馬、鷹の献上行為には政治的な意味合いが込められていた。室町期の馬、鷹の献上行為は武家領主が足利将軍から守護、探題職など支配権を公認された際の答礼として慣例化していた。戦国期には上級領主権力と結びつき、領国支配の公認を得るための狙いを持った、極めて政治的色彩を帯びた行為であった{{Sfn|高橋博|1992|p=25}}。特に鷹は英雄、武威、権力の表徴と認識されていた{{Sfn|四宮美帆子|2013|p=177}}。}}。 * 天正元年(1572年)冬、陸奥の[[伊達輝宗]]から鷹が献上され、信長は伊達氏の分国を「直風」にした{{Sfn|原田正記|1991|pp=46-47}}。他の奥羽の領主たちも鷹や馬を献上した{{Sfn|遠藤ゆり子編|2015|p=256}}。 * 天正4年(1576年)4月、[[毛利輝元]]の叔父・[[小早川隆景]]が信長に太刀、馬、銀子1,000枚を献上し、信長は羽柴秀吉を介して謝意を伝えた{{Sfn|本多博之|2015|p=69}}。 * 天正8年(1580年)3月9日、[[北条氏政]]は使者を上洛させ、信長に鷹13羽、馬5頭を献上し、北条分国を信長に進上した{{Sfn|原田正記|1991|p=47}}。 * 天正8年(1580年)6月26日、[[長宗我部元親]]が鷹16羽を信長に献上した<ref>『信長公記』、巻13。</ref>。 このように天正年間には、多くの大名、領主から信長の許へ鷹や馬が献上された。信長はこれらの献上の対価として分国を安堵した。またこうした献上行為は信長の政策が全国の大名・領主に受け入れられた結果でもあった{{Sfn|原田正記|1991|pp=47-48}}。 === 趣味 === [[ファイル:Oda_Nobunaga_sumo.jpg|thumb|織田信長公相撲観覧之図(両国国技館展示)]] 信長は[[茶の湯]]に大きな関心を示した。信長がいつ茶の湯を嗜むようになったかは定かではないものの、上洛後の永禄12年(1569年)以降、名物茶道具を収集する「名物狩り」を行うようになった{{Sfn|八尾嘉男|2017|pp=283-286}}。この名物狩りは、「[[東山御物]]」のような足利将軍家由縁のものを集めることで、自身の権威付けを目的としたものであったという{{Sfn|八尾嘉男|2017|pp=287-288}}。 そして、こうして手に入れた茶道具は、家臣に恩賞として与えられ、政治的な目的でも利用された(いわゆる「[[御茶湯御政道]]」){{Sfn|八尾嘉男|2017|pp=292-295}}。甲斐攻略で戦功を上げた滝川一益が信長に対し、[[珠光小茄子]]という茶器を恩賞として希望したが、与えられたのは[[関東管領]]の称号{{Efn|name="taki"}}と上野一国の加増でがっかりしたという逸話もある{{Sfn|八尾嘉男|2017|pp=295-296}}。『[[信長公記]]』『[[太閤記]]』『四度宗論記』『安土問答正伝記』等によれば、[[天正]]7年([[1579年]])5月27日には、[[安土宗論]]で勝利した[[浄土宗]]高僧の[[貞安]]に、[[後醍醐天皇]]御製の[[薄茶器]]「[[金輪寺 (茶器)|金輪寺]]」(きんりんじ/こんりんじ)の本歌(原品)を与えたという<ref>{{ Citation | 和書 | last=松浦 | first=静山 | author-link=松浦静山 | editor-last=中村 | editor-first=幸彦 | editor-link=中村幸彦 | editor2-last=中野 | editor2-first=三敏 | editor2=中野三敏 | title=甲子夜話三篇 2 | publisher=[[平凡社]] | series=[[東洋文庫]] 415 | year=1982 | isbn= 978-4582804157 | page=234 }}</ref>{{信頼性要検証|date=2019年11月5日 (火) 13:30 (UTC)}}。 ただし、信長は単に茶の湯を政治的に利用したわけではなく、純粋に茶の湯を楽しんでいた面もあるようである{{Sfn|八尾嘉男|2017|pp=292-295}}。 また、相撲見物も好んだ。当時、相撲の風習があったのは西国のみであり、信長も尾張時代には相撲に関心はなかったと考えられる{{Sfn|谷口克広|1998|pp=60-67}}。しかし、上洛以後は、[[相撲]]見物が大の好物となり、安土城などで大規模な相撲大会をたびたび開催していたことが『信長公記』に散見する{{Sfn|池上裕子|2012|p=30}}{{Sfn|谷口克広|1998|pp=60-67}}。 相撲大会では、成績の優秀な者は褒美を与えられ{{Sfn|池上裕子|2012|p=30}}、また[[青地与右衛門]]などのように織田家の家来として採用されることもあったという{{Sfn|下谷内勝利|2011|pp=392-393}}。具体的な例として、天正6年([[1578年]])8月に行われた相撲大会においては、信長は優秀な成績を収めた者14名をそれぞれ100石で召し抱え、彼らには家まで与えたという{{Sfn|下谷内勝利|2011|pp=392-393}}。 [[幸若舞]]や[[小歌]]を愛好したことも知られる一方で、舞と比べると、能楽にはあまり興味を持たなかった{{Sfn|脇田修|1987|pp=134-135}}。その他、天正3年([[1575年]])3月に京都[[相国寺]]で[[今川氏真]]と会見し、氏真に[[蹴鞠]]を所望し、披露してもらったというエピソードがあり、また同年7月の誠仁親王主催の蹴鞠の会も見学するなど、蹴鞠にも関心を持っていた可能性がある{{Sfn|脇田修|1987|p=130}}。 === 風流の精神 === 信長は新しいものに好奇心をもち、各種の行事の際には風変わりな趣向を凝らした{{Sfn|脇田修|1987|pp=126-129}}。脇田修はこれを信長の「風流の精神」であると位置付けている{{Sfn|脇田修|1987|pp=126-129}}。 例えば、正月に「[[左義長]]」として安土の町で爆竹を鳴らしながら大量の馬を走らせたり、お盆に安土城に明かりを灯して楽しむといったことをしている{{Sfn|脇田修|1987|pp=126-129}}。後者については『フロイス日本史』と『信長公記』の双方に記録があり、城下町には明かりをつけることを禁じる一方で、安土城の天守のみを提灯でライトアップし、さらに琵琶湖にも多くの船に松明を載せて輝かせ、とても鮮やかな様子だったという{{Sfn|金子拓|2017b|pp=112-113}}。 信長はこの安土城を他人に見せることを非常に好み、他大名の使者など多くの人に黄金を蔵した安土城を見学させた{{Sfn|金子拓|2017b|pp=106-111}}。特に、 天正10年(1582年)の正月には、安土城の内部に大勢の人々を招き入れて存分に楽しませた後、信長自らの手で客1人につき100文ずつ礼銭を取り立てたという{{Sfn|金子拓|2017b|pp=106-111}}。 === 判物から印判状への変化 === 山室恭子の「中世の中に生まれた近世」で山室は信長発給文書は判物から印判状へと変化するが、1567-1575への併用期を経て1576年以後はほぼ完全に印判状だけをもちいるようになる(永禄十年は天下布武への決意を固めた時、天正四年は安土城を築いた時である)とし、信長を他の戦国大名と比較した結果「ある時期に画然とためらうことなく」薄礼化が実施されていると結論付けている{{Sfn|谷口克広|2019|p=172}}。 === 異国への関心 === [[イエズス会]]の献上した[[地球儀]]・[[時計]]など、西洋の科学技術に関心を持った{{Sfn|谷口克広|2013|pp=127-128}}。フロイスから目覚まし時計を献上された際は、興味を持ったものの、扱いや修理が難しかろうという理由で返したという{{Sfn|高木洋|2011|p=38-40}}。信長が西洋科学に関心を持っていたことは信長自身の書状からもわかり、病気の[[松井友閑]]の治療のためにイエズス会の医師を派遣させている{{Sfn|谷口克広|2013|pp=127-128}}。 信長は宣教師の[[アレッサンドロ・ヴァリニャーノ]]に安土城を描いた[[屏風絵]]([[狩野永徳]]作「[[安土城図]]」)を贈っており、この屏風絵は、信長死後の[[1585年]](天正13年)に[[ローマ教皇]][[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]に献上されている{{Sfn|榊原悟|2010|pp=44-45}}。ただし、この屏風贈呈は、信長の個性に起因するものというより、中国の皇帝に対して行われていたような異国への屏風絵贈呈の伝統に基づくものであると考えられる{{Sfn|榊原悟|2010|pp=44-45}}。また、ヴァリニャーノの使用人であったアフリカ(現・[[モザンビーク]])出身の[[黒人]]に興味を示して譲り受け、「[[弥助]]」と名付けて側近にしたことも知られる。 南蛮とは別に、中国に対する強い憧れを有していたという説もある{{Sfn|谷口克広|2013|pp=132-133}}。[[宮上茂隆]]は、安土城建築のあり方から信長の中国趣味がうかがえると主張しているという{{Sfn|谷口克広|2013|pp=132-133}}。信長の中国への強い関心のため、安土城天守閣の多くの部分では[[唐様]]建築が採用されたといい{{Sfn|岡垣頼和・浅川滋男|2010|p=42}}、また、信長の建てた[[摠見寺]]は中国の山水画の画題・[[瀟湘八景]]のうち「遠時晩鐘」を現したものであるともいう{{Sfn|岡垣頼和・浅川滋男|2010|pp=34-35}}。ただし、谷口克広は、信長が中国への憧れを持っていたという説は根拠不十分であると述べている{{Sfn|谷口克広|2013|pp=132-133}}。 === 女性観・男色 === 信長がその妻や側室たちとどのような関係にあったかを具体的に伝える史料は乏しい{{Sfn|勝俣鎮夫|2003|pp=1-3}}。近年では、歴史学者の[[勝俣鎮夫]]が、明智光秀の妹が信長の側室であり、信長の「意思決定になんらかの影響を与える存在」であったのではないかという説を立てている{{Sfn|勝俣鎮夫|2003|pp=3-4}}。 なお、羽柴秀吉が子に恵まれない正室・[[高台院|ねね]]に対して辛く当たっていることを知ると、ねねに対して励ましの手紙を送っていることが知られる<ref>宮本義己「北政所の基礎知識」(『歴史研究』456号、1999年)</ref><ref>宮本義己「戦国時代の夫婦とは」(『歴史研究』488号、2002年)</ref>{{Efn|なお、この古文書は昭和初期までは信長の直筆と思われてきたが、右筆の[[楠木正虎|楠長諳]]の筆によるものである<ref>桑田忠親「豊臣秀吉の右筆と公文書に関する諸問題」(『史学雑誌』52巻3・4号、1941年)</ref>}}。 信長が男色を嗜んだかどうかについては、直接的証拠は無い。『利家夜話』には、若き日の前田利家が信長と同衾していたという男色を示唆する逸話がある<ref>[{{NDLDC|953320}} 近代デジタルライブラリー「利家夜話三巻」pp.7]</ref>{{Sfn|谷口克広|1998|pp=49-50}}{{Efn|なお、後の史料である[[加賀藩]]編纂『亜相公御夜話』<!---利家夜話の別書名--->には、[[前田利家]]との関係が「鶴の汁の話(信長が若い頃は利家と愛人関係であったことを武功の宴会で披露し、利家が同僚達に羨ましがられたという逸話)」として残されている}}。 しかし、谷口克広は、この逸話を指摘しつつも、信長と利家・[[森成利|森蘭丸]]ら近習たちとのあいだに肉体関係があったことは、確実だとは言えないと述べる{{Sfn|谷口克広|1998|pp=49-50}}。とはいえ、谷口によれば、当時の風習などを考えても、信長たちがいわゆる[[男色]]関係にあった可能性は非常に高い{{Sfn|谷口克広|1998|pp=49-50}}。 === 徳川家康との関係 === 平野明夫は、徳川家康宛の信長書状は元亀四年四月六日までは書止文言は恐々謹言で宛名の脇付も進覧ないし進覧之候とあるが、天正五年一月二十二日付以後の書止は謹言になり、脇付は無くなっている。これを等輩に対する書札礼から下様への書札礼に変化していると分析している{{Sfn|谷口克広|2019|p=173}}。 また、家康から信長への書状は天正二年九月十三日付けの書止文言は恐々謹言だが、天正二年閏十一月九日付以降は最高位の恐惶謹言が用いられていてしかも脇付は最高の敬意を示す「人々御中」が用いられている。 これをもって、平野は家康は一門に準ずる織田政権下の一大名であったと締め括っている{{Sfn|谷口克広|2019|p=174}}。 [[谷口克広]]も武田家滅亡の際に駿河が信長から家康に宛行いを受けたと書いてあるのは信長公記だけでなく当代記にも「駿河国家康下さる」とあるうえ、三河物語でさえも、「駿河をは家康へ遣わされて」という表現を用いているとし家忠日記でもこの頃の信長を「上様」と呼んでおり、家康の家臣でさえ、縦の関係が生じていることを認めざるをえなかったとしている{{Sfn|谷口克広|2019|p=185}}。 == 肖像 == [[ファイル:Oda Nobunaga by Kano Eitoku (Daitokuji).jpg|thumb|right|160px|織田信長像(狩野永徳筆)]] 信長の[[肖像]]は、現在肖像画23点、肖像彫刻5点が確認されている<ref>田村英恵 「織田信長像をめぐる儀礼」[[黒田日出男]]編『肖像画を読む』 角川書店、1998年、176頁。ISBN 978-4-04-821057-7。ただし、その内訳や所蔵先などの記載はない。</ref>。 代表的な作品として、[[狩野永徳]]の弟・[[狩野宗秀|宗秀]]が信長一周忌に描いたとされる、愛知県[[豊田市]]の[[長興寺 (豊田市)|長興寺]]所蔵のもの([[重要文化財]])<ref>{{cite news |url= https://www.nikkei.com/article/DGXKZO54936780Y0A120C2BC8000/ |author=綺陽装束研究所主宰 八條忠基|title=装いがまとう意(8) 狩野元秀「織田信長像」(部分)|date= 2020-01-29 |accessdate= 2023-07-03 |newspaper =[[日経新聞]]}}</ref>、同じく一周忌に描かれた[[蒲庵古渓|古渓宗陳]]讃をもつ[[衣冠束帯]]姿の[[神戸市立博物館]]本(重要文化財)<ref>文化庁オンラインに画像と解説あり[https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/440256]</ref><ref>https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/440256</ref>、狩野永徳筆の可能性が濃厚で信長三回忌に描かれた[[大徳寺]]の肖像<ref name="nikkei20110611">{{cite news |url= https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1102B_R10C11A6CR8000/ |author= |title=目立たれては困る 信長の肖像画、秀吉が改変か|date= 2011-06-11 |accessdate= 2023-07-03 |newspaper =[[日経新聞]]}}</ref>{{refnest|山本英男 「大徳寺所蔵の狩野永徳筆織田信長像について ―修理で得られた知見を中心に―」、『[[京都国立博物館]]學叢』所収、2011年<ref group="注釈">なお、大徳寺とその塔頭総見院には、共に束帯姿の信長像がある。</ref>。}}、[[近衛前久]]が信長七回忌に描かせ、追善のため[[六字名号]]を書き出しの一字に加えた和歌の賛がある京都市[[上京区]]報恩寺所蔵のもの<ref>[[藤本正行]] 『本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意』(洋泉社、2010年)口絵参照、ISBN 978-4-86248-638-7。また、これに忠実な模本が[[東京国立博物館]]に所蔵されている([http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0073506 画像])。</ref>、および兵庫県[[氷上町]]が所蔵する坐像(「[[#第一次信長包囲網]]」参照)などが、信長の肖像画として伝えられている。 このうち、信長の肖像画としてもっとも有名な長興寺所蔵の肖像画は、[[太平洋戦争]]中の1944年から1945年に[[大阪市立美術館]]で修復が行われた後、[[2016年]]から[[2019年]]にかけても[[文化庁]]主導の下で再び修復作業が行われた<ref name="mainichi20190524">{{cite news |url = https://mainichi.jp/articles/20190524/k00/00m/040/206000c |author=|title =信長の肖像画、竹の紙に描かれていた 文化庁調査で判明 6月に豊田で特別公開|date = 2011-06-07|accessdate= 2023-03-31|newspaper = [[毎日新聞]]}}</ref>。そして修復を担当した文化庁の調査の結果、この肖像画は中国伝来の竹の紙に描かれていることが判明した<ref name="mainichi190524"/>。水墨画によく使われる竹の紙を彩色画に使った意図はわかっていない<ref name="mainichi190524"/><ref group="注釈">竹の紙を彩色画に使った例としては、他に高野山持明院蔵「紙本著色浅井長政像」(重要文化財)がある。</ref>。 また大徳寺所蔵の肖像画は、完成当初の絵から描き直されていたことが2011年に判明した<!--{{R|"sankei110607"}}-->。2008年9月から2009年10月にかけて行われた修復作業に伴う京都国立博物館の調査で、絵の裏側から「裏彩色(うらざいしき)」が見つかった<ref name="nikkei20110611"/><!--{{R|"mainichi20110607"}}-->。表面の色に深みを出すための技法で、表面と同系統の色で彩色するのが一般的だが、この肖像画では表面と裏面では色使いが違っていた<!--{{R|"sankei110607"|"mainichi20110607"}}-->。表の肖像は、小袖が薄藍色、肩衣とはかまは薄茶色という地味な色合いで、刀は脇差しのみという落ち着いた装いなのに対し、裏彩色は、小袖の左右で色が異なる「片身替わり」と呼ばれる当時流行のデザインで、右腕は[[萌黄|もえぎ色]]、左腕は薄茶色と派手な色使い、そして刀も大刀と短刀の2本差しだった<!--{{R|"sankei110607"|"mainichi20110607"}}-->。また小袖の桐紋も裏面の方がより大きく描かれ、右手に持つ扇子も長く幅が広かった<!--{{R|"sankei110607"|yomiuri20110606"}}-->。さらに顔の部分の透過赤外線撮影により、裏面は口ひげの両端がはね上がった雄々しい顔つきに描かれていた跡も確認された<ref name="nikkei20110611"/><!--{{R|"mainichi20110607"}}--><ref group="注釈">同じ永徳筆の束帯姿の肖像の方に近かった。</ref>。当初は裏彩色に近い肖像が表にも描かれていたのが、元の絵に新たに彩色し、上書きしたと見られる<ref name="nikkei20110611"/><!--{{R|"mainichi20110607"}}-->。派手好みの信長らしい肖像画が地味に描き直されたのは、豊臣秀吉の横やりだったのではとの見方もある<!--{{R|"mainichi20110607"|"yomiuri20110606"}}-->。同博物館は信長没後、法要を実質的に取り仕切るなど、当時権力を掌握しつつあった豊臣秀吉が描き直しを命じた可能性があると見ている<ref name="nikkei20110611"/><!--{{R|"sankei110607"}}-->。同博物館の山本英男美術室長は、秀吉が「(1)若武者のような派手な服は法要にふさわしくないと考えた」「(2)信長が自分より目立つのは面白くないと思った」など、描き直しを命じた理由は様々に想像できると話している<ref name="nikkei20110611"/><!--{{R|"mainichi20110607"}}-->。山本室長は、「一周忌や七回忌の法要は豊臣秀吉が施主を務めたが、三回忌の頃は合戦中([[小牧・長久手の戦い]])だったため、信長の側室「お鍋の方」が施主だった可能性が高く、絵は彼女と永徳の協議でいったん完成したものの、実質的な施主である秀吉が法要前に初めて最初の絵を見てクレームをつけ、描き直させたのではないか」と推測している<!--{{R|"sankei110607"|"mainichi20110607"}}-->。 {| class="wikitable" style="font-size:small" !style="width:4em;"|技法 !style="width:6em;"|作品名 !形状・員数 !style="width:8em;"|作者 !style="width:8em;"|所有者 !style="width:6em;"|年代 !落款・印章 !style="width:2em;"|衣裳 !備考 |- |紙本著色 |織田信長像 |1幅<br>70.0×31.2cm |[[狩野元秀|狩野元秀(宗秀)]]筆 |愛知県・[[長興寺 (豊田市)|長興寺]] |天正11年(1583年)6月 | |[[裃]] |[[重要文化財]]。寄進銘に「信長一周忌の天正11年(1583年)6月2日に、信長家臣与語久三郎正勝が報恩のために狩野元秀に肖像画を描かせて、兵火で焼けたのち再建に手を貸した長興寺に寄進した」とある。 |- |絹本着色 |織田信長像 |1幅<br>73.3×36.8cm | |兵庫県・神戸市立博物館 |天正11年(1583年) |なし |[[束帯]] |重要文化財。信長が安土城内に建てた摠見寺の伝来品。大徳寺総見院初代住持・[[古渓宗陳]]の[[画賛|賛]]から、信長の一周忌法要のために制作されたことが判明している。 |- |絹本着色 |織田信長像 |1幅<br>70.0×31.2cm |[[狩野永徳]]筆 |京都市・大徳寺本坊 |天正12年(1584年)5月 | |裃 |[[月代]]は剃られていない。墨書の日付から、信長の三回忌法要に合わせて制作されたと推測される。元々は同じ永徳筆による束帯姿の信長像とともに大徳寺総見院に伝来したもの。 |- |絹本着色 |織田信長像 | |狩野永徳筆 |京都市・大徳寺総見院 | | |束帯 |上部に余白があるが賛は書かれていない。 |- | |織田信長像 |1幅 | |京都市・報恩寺 |天正16年(1588年) | |裃 |信長の七回忌の際に公家の[[近衛前久]]が寄進。 |- | |織田信長像 | |伝織田信雄筆 |愛知県名古屋市・総見寺所蔵 | | |束帯 | |- | |織田信長像 | | |京都市・大徳寺本坊 | | |束帯 | |- | |織田信長像 | |伝[[長谷川等伯]]筆 |京都市・大徳寺龍源院 | | |束帯 | |- | |織田信長像 | | |兵庫県・丹波市柏原町歴史民俗資料館 | | |束帯 |髭なし。もとは柏原藩織田家に伝来。 |- | |織田信長像 | | |滋賀県近江八幡市(旧安土)・総見寺 | | |[[甲冑]] |[[柴田勝家]]による賛あり。 |- | |織田信長像 | | |京都市・本能寺 | | |[[直衣]] |髭なし。 |- | |織田信長像模本 | | |京都大雲院 |江戸時代前期(17世紀) | |束帯 |永徳筆画を模作。 |- | |織田信長像模本 | |[[蜷川式胤|蜷川式胤(親胤)]]模 |東京国立博物館 |慶応2年(1866年) | |束帯 |永徳筆画を模作。 |- | |織田信長像模本 | | |兵庫県立博物館 | | |束帯 |永徳筆画を模作。 |- | |織田信長像模本 | |[[狩野常信]]模 |愛知県名古屋市・総見寺 |元禄7年(1694年) | |裃 |永徳筆画を模作。織田信長の孫・[[織田貞置|貞置]]が、狩野永徳のひ孫・常信に発注したものといわれる。 |- | |平信長公像 | |狩野晴川・晴雪模 |東京大学史料編纂所 |文政13年(1830年) | |裃 |前年の[[文政の大火]]で焼失した狩野永徳筆画を模写により復元した。 |- | |平信長公之影 | | |国友助太夫家資料 | | |裃 | |- | |織田信長像 | | |早稲田大学図書館 |江戸時代後期 | |裃 |1800年代の『芸海余波』に収録。 |- | |織田信長像 | | |早稲田大学図書館 |江戸時代後期 | |裃 |享和3年(1803年)発行の『桂林漫録』に収録。 |- | |織田信長像 | |[[小田切春江]]筆 |愛知県清州市・大徳寺総見院 |江戸時代(19世紀) | |束帯 | |- | |織田信長像 | | |滋賀県近江八幡市(旧安土)・総見寺 | | |束帯 | |- | |織田信長像 | | |愛知県清須市・総見院 | | |束帯 | |- | |織田信長像 | | |石川県・菅原神社 | | |束帯 |もとは玉泉寺に伝来。 |- | |織田信長像 | | |滋賀県近江八幡市(旧安土)・浄厳院 | | |束帯 | |- | |織田信長像 | | |滋賀県近江八幡市(旧安土)・西光寺 | | |束帯 |京都国立博物館へ委託。 |- | |織田信長像模本 | |[[織田杏斎]]模 |岐阜県・崇福寺 |明治10年(1877年) | |束帯 |「失われた某所総見寺所蔵の元画を複写」とある。 |- | |織田信長像 | | |愛知県・寂光院 | | |束帯 |犬山市文化資料館へ委託。 |- | |織田信長像 | | |愛知県・甚目寺光明院 | | |束帯 | |- | |織田信長初陣図 | | |個人 | | |甲冑 |林羅山による賛あり。 |- |肖像彫刻 |織田信長木像 | |宮内卿法印康清 |京都市・大徳寺総見院 |天正11年(1583年)5月 | |束帯 |信長の菩提を弔い、その位牌所として大徳寺山内に建立された総見院の本堂に安置される。 |- |肖像彫刻 |織田信長木像 | | |京都市・[[阿弥陀寺 (京都市上京区)|阿弥陀寺]] | | |束帯 | |} [[ファイル: Oda Nobunaga Portrait Sanpoji Temple c1582-1586.jpg|thumb|200px|信長死後に宣教師によって描かれたとされる肖像画を写真撮影したもの。三宝寺所蔵。]] このほか、信長の次男信雄の直系の藩である[[天童藩]]の織田家の菩提寺であった[[三宝寺 (天童市)|三宝寺]]仰徳殿には、16世紀末頃に来日した宣教師が西洋の技法で描いたという写実的な肖像画を撮影したとされる写真が残されている。太く力強い眉毛、大きく鋭い眼、鼻筋の通った高い鼻、引き締まった口、面長で鋭い輪郭、たくわえられた[[髭]](ひげ)などが特徴である。平成4年(1992年)に作家の[[遠藤周作]]が『対論 たかが信長 されど信長』という対論集で紹介したことをきっかけに色々な刊行物の表紙やグラビアに採用されたり、テレビ番組などで取り上げられたりするようになって世間に知られるようになった<ref name="yumura">湯村章男[https://web.archive.org/web/20130310164901/http://www.teikokushoin.co.jp/journals/bookmarker/pdf/200601h/bookmarker2006.01-12-13.pdf 「織田家の菩提寺に残る信長の肖像画について」] - 『中学校 歴史のしおり』2006年1月号([[帝国書院]])</ref>。同書では、信長の死後、宣教師によって描かれた細密な絵を明治時代になってから複写し、[[宮内庁]]、[[織田信恒|織田宗家]]とともに分け持ったという話や、織田家ではこの絵が信長にもっとも似ていると語り伝えられている話を紹介している{{r|yumura}}。三宝寺に現存するものは「大武写真館」の印が押されていることから写真師・[[大武丈夫]]によって明治中期に撮影されたものとみられている{{r|yumura}}。ただし、写真のみで原画は現存しておらず、その写真も三宝寺にしか残されていない。また、原画は[[木炭]]で描いたデッサンともいわれ、[[陰影法]]で描かれており、当時の描法の吟味など美術史的解明が待たれるとされている{{r|yumura}}。 == 政策 == {{Rellink|「[[織田政権]]」{{Efn|name="政権の名前"|信長がその生涯をかけて築いた政治権力は、研究上、一般に「織田政権」という用語で表される{{Sfn|平井上総|2017|pp=18-19}}。この「政権」という用語が使われる背景には、信長の権力が従来の戦国大名権力とは異質な面をもち、近世の統一権力の先駆けとなったという考え方がある{{Sfn|平井上総|2017|pp=18-19}}。歴史学者の[[朝尾直弘]]は戦国大名権力との相違点を強調して「信長政権」という用語を使用しており、脇田修も一定の限界を指摘しつつも統一政権の先駆けとなった面を評価して「織田政権」という用語を使用している{{Sfn|平井上総|2017|pp=18-19}}。他方で、2000年には[[立花京子]]が、信長の個性を重視するとともに、勝者の立場を前提とする「統一政権」という言葉を避けるべきという観点から、「織田政権」ではなく「信長権力」と表現している{{Sfn|平井上総|2017|pp=18-19}}。2010年の[[戦国史研究会]]開催のシンポジウムでは、「織田権力」という呼称が使われたが、これは信長の権力と従来の戦国大名権力との共通点を強調するという意味で用いられている{{Sfn|平井上総|2017|pp=18-19}}。そのほか、藤田達生は、信長の権力の在り方について、信長の実質的な将軍就任があったと見て、「安土幕府」と位置づけている{{Sfn|平井上総|2017|pp=18-19}}。このように、信長の権力の捉え方の多様化にともない、様々な呼称が使用されている{{Sfn|平井上総|2017|pp=18-19}}。[[平井上総]]によれば、これらは観点の違いによるものであり、いずれかの呼称が適切だというものではない{{Sfn|平井上総|2017|pp=18-19}}。以降、便宜上、「織田政権」という呼称を使用することとする。}}も参照}} === 信長の政権構想 === [[ファイル:Tenkahubu.svg|150px|thumb|印]] 信長は、尾張の一部を支配する領主権力として出発しており、東国の他の戦国大名と似たような方法で統治を行っていた{{Sfn|三鬼清一郎|1985|pp=74-75}}。しかし、永禄11年9月に上洛し、足利義昭を推戴したことで、信長は室町幕府の権力機構と並立する形で、その権限を強化していくこととなる{{Sfn|三鬼清一郎|1985|pp=74-75}}。そして、最終的には室町幕府とは異なる独自の中央政権を築くこととなる{{Sfn|三鬼清一郎|1985|pp=74-75}}。 上洛以前、信長は美濃攻略後に井ノ口を岐阜と改名した頃から「天下布武」という[[印章]]を用いている。訓読で「天下に武を布(し)く」であることから、「武力を以て天下を取る」「武家の政権を以て天下を支配する」という意味に理解されることが多いが、その真意は、軍事力ではなく、中国の史書からの引用で「七徳の武」{{efn|武を用いて、暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊にする、の七つの徳を実現するもの。}}という為政者の[[徳]]を説く内容の「武」であったと解釈されている{{Sfn|矢部健太郎編|2016|p=74}}。 従来、「天下布武」とは天下統一、全国制覇と同意であると解釈され{{Sfn|谷口克広|2002|p=58}}、信長は「天下布武」達成のために領土拡張戦争を行ったとされてきた。しかし、近年の<!--- 脇田修や朝尾直弘の頃から言われていたことで、それを神田千里が改めて強調したという流れだそうで「2010年代の歴史学」と言えるかは微妙なようです(金子拓 2014による)。--->歴史学では、戦国時代の「天下」とは、室町幕府の将軍および幕府政治のことを指し、地域を意味する場合は、京都を中心とした[[畿内|五畿内]]([[山城国|山城]]、[[大和国|大和]]、[[河内国|河内]]、[[和泉国|和泉]]、[[摂津国|摂津]]の5ヵ国。現在の京都府南部、奈良県、大阪府、兵庫県南東部)のことを指すと考えられている{{Sfn|神田千里|2013b}}{{Sfn|神田千里|2014|p=103-111}}。そして、「天下布武」とは五畿内に足利将軍家の統治を確立させることであり{{Sfn|金子拓|2014|p=110}}、それは足利義昭を擁して上洛後、畿内を平定し、義昭が将軍に就任した永禄11年9月から10月の段階で達成された事、とされている。 そして、信長がその支配を正当化する論理として用いたのも、「天下」の語である{{Sfn|神田千里|2013a|}}{{Sfn|堀新|2014|pp=29-31}}。信長は、室町将軍から「天下」を委任されたという立場を標榜した{{Sfn|神田千里|2013a}}。歴史学者の神田千里は、このことから、信長は戦国期幕府将軍の権限を継承したと論じている{{Sfn|神田千里|2013a}}。神田によれば、比叡山の焼き討ちは室町幕府第6代将軍・[[足利義教]]も行ったもので、寺社本所領に対する将軍権力の介入と位置づけられる{{Sfn|神田千里|2013a}}。また、諸大名に対する和睦命令や京都支配も従来将軍によって行われていたもので、信長は「天下」を委任されることで、これらの行為を行う権限を手にしたのである{{Sfn|神田千里|2013a}}。 幕府において、信長は朱印状を発給して政策を実行したが、この朱印状は、信長以前の戦国期室町幕府の[[守護]][[遵行状]]・[[副状]]にあたるものであり、特殊な機能を持つものではないと考えられている{{Sfn|堀新|2014|pp=28-31}}{{Sfn|平井上総|2017|pp=19-20}}。信長はあくまで室町幕府の存在を前提とした権力を築いており、当初の織田政権は幕府との「連合政権(二重政権)」であったと言える{{Sfn|堀新|2014|pp=28-31}}{{Sfn|平井上総|2017|pp=19-20}}。 しかし、元亀4年(1573年)2月に足利義昭が信長を裏切ったため、やむを得ず、将軍不在のまま、信長は中央政権を維持しなければならなくなる{{Sfn|柴裕之|2016|pp=13-14}}{{Efn|従来、元亀年間の信長と反信長勢力の争い(いわゆる[[元亀争乱]])においては、将軍足利義昭こそが反信長勢力の盟主だと考えられてきた{{Sfn|柴裕之|2016|pp=13-14}}。しかし、実際には三方ヶ原の戦いまでは、義昭は信長を支持していたということを柴裕之が明らかにしている{{Sfn|柴裕之|2016|pp=13-14}}。そのため、信長が「天下人」となったのは、当初からの信長の政権構想によるものではなく、元亀争乱の結果による成り行きであったと考えられる{{Sfn|柴裕之|2016|pp=13-14}}。}}。とはいえ、義昭追放後も、義昭が放棄した「天下」を信長が代わって取り仕切るというスタンスをとり、「天下」を委任されたという信長の立場は変わらなかった{{Sfn|堀新|2014|pp=29-31}}。そして、信長は、将軍に代わって「天下」を差配する「天下人」となった{{Sfn|金子拓|2014|pp=14-29}}。金子拓によれば、信長は、「天下」の平和と秩序が保たれた状態(「天下静謐」)を維持することを目標としていた{{Sfn|金子拓|2014|pp=14-29}}。この天下静謐の維持の障害となる敵対勢力の排除の結果として、信長は勢力を拡大したが、あくまで目的は天下静謐の維持であって、日本全国の征服といった構想はなかったという{{Sfn|金子拓|2014|pp=14-29}}。そして、信長は「天下」の下に各地の戦国大名や国衆の自治を認めつつ、彼らを織田政権に従属させることで日本国内の平和の実現を進めていった{{Sfn|柴裕之|2017a|pp=105-107}}。 それに対して、義昭追放後に信長が右大将に任官し、[[織田政権]]成立と[[天下人]]に公認され、天下人意識の形成と上様への尊称変更とともに<ref>[[谷口克広]]『信長天下布武への道』<戦争の日本史13>吉川弘文館、2006年、pp.174-176</ref>、天下の概念が拡大・変容し、「自身と天下の一体化」を主張し、やがて神田千里の畿内布武の天下規定を地理的に超えて「列島日本」の意味となったという説もある{{Sfn|朝尾直弘|2014|pp=143、153|ps= 天下の「畿内」、「自己一体化」、「全国(沖縄・北海道を除く)」の3変容説を提起}}<ref>[[桐野作人]]『明智光秀と斎藤利三』<宝島新書>、2020年 p.78-81、右大将任官での天下「自己一体化」、「列島日本」変容説</ref>。このことにより、各地の[[国衆|国人領主]]にも「天下一統」へ信長に従うように[[柴田勝家]]などの方面軍司令官が要求しており、全国にわたる緩やかな大名統合を目指して統一戦争へと突き進んだとする<ref>[[桐野作人]]『明智光秀と斎藤利三』<宝島新書>、2020年 p.80-81</ref>。後の[[豊臣政権]]の前段となる統一政権の原型となる政権構想を打ち出したとの説がある{{Sfn|堀新|2014|pp=25-54}}。 === 領域支配 === 織田政権による領域支配においては信長が上級支配権を保持し、領国各地に配置された家臣は代官として一国・郡単位で守護権の系譜を引く地域支配権を与えられたとする[[一職支配]]論がある。 この点に関連して、天正3年9月の越前[[国掟]]が重要な史料として存在する{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。この越前国掟は、信長から越前支配を任された柴田勝家に宛てられたものである{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。 九ヶ条のこの国掟の内容は、次のようなものであった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=117-118}}。まず、前半では、領知や課役の差配の一部に信長が関与するなどの原則が定められ、後半では勝家らがその任務を疎かにすべきではないと説かれている{{Sfn|池上裕子|2012|pp=117-118}}。そして、最後に信長への絶対服従を求め、越前国はあくまで信長から勝家らに預けられたものに過ぎないということが強調されている{{Sfn|池上裕子|2012|pp=117-118}}。 このような越前国掟の記述から、信長こそが領域支配の全権力を掌握しており、勝家は一職支配権を握りつつも越前の代官的存在にとどまるとするのが、これまでの通説であった{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。しかし、この点に関しては近年の研究者間では論争があり、平井上総は次のように整理している。 通説に対し、歴史学者の[[丸島和洋]]は、信長および勝家双方の発給文書群の考察から、国掟が置かれて以降、勝家が越前支配のほぼ全権を得ていたと論じた{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。このような勝家による支配は、他の戦国大名の重臣(地域支配の全権を委ねられたいわゆる「支城領主」)による支配と、ほとんど変わるところがないという{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。そして、明智光秀領や羽柴秀吉領を分析した別の研究者も同様の結論を得ている{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。 こうした見解を批判する立場から、藤田達生は、より広い範囲の事項を検討することで、地域支配の最終決定権を信長が持っていることなどを指摘した{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。そして、信長の権力は、従来の戦国大名権力とは異質なものであり、江戸幕府へとつながる革新的なものであったと改めて主張している{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。この議論について、丸島和洋は、信長の革新性を所与のものとして構築されたものであると批判し、藤田の指摘は他の戦国大名にも当てはまるものであると論じる{{Sfn|平井上総|2017|pp=22-23}}。 === 外交 === 天正年間の信長は、他の戦国大名とは異なり、それらの上位権力の立場にあった{{Sfn|平井上総|2017|pp=23-24}}。例えば、信長は天正7年に[[島津氏]]・[[大友氏]]に停戦を命じており、島津氏は信長を「上様」であるとする返書を出している{{Sfn|平井上総|2017|pp=23-24}}。 しかし、これは明確な主従関係に裏打ちされたものではなく、あくまでも緩やかな連合関係にあるという程度であった{{Sfn|平井上総|2017|pp=23-24}}。ただし、以下で述べるよう徳川家康は信長に臣従していたと考えられる{{Sfn|平井上総|2017|pp=23-24}}。 通説的には、織田信長と徳川家康は、桶狭間の戦いから2年弱が過ぎた永禄5年正月、清須において会見を行ったとされる{{Sfn|平野明夫|2014|pp=67-69}}。ここに、いわゆる「[[清洲同盟]]」を結び、両者は、二十年にわたり強固な盟友関係にあったという{{Sfn|平野明夫|2014|pp=67-69}}。しかし、これは、江戸時代成立の比較的新しい史書に基づいた見方であるが、同時代史料に拠る限り、必ずしもこの見解は妥当なものとは言えない{{Sfn|平野明夫|2014|pp=67-69}}。 実際には、信長と家康は桶狭間の戦いの直後には同盟関係を築いた可能性が高く、清須において両者が会見したという逸話も江戸時代の創作であると考えられる{{Sfn|平野明夫|2014|pp=67-69}}。両者は、当初は将軍足利義昭のもと、対等な関係にあった{{Sfn|平野明夫|2014|pp=75-82}}。しかし、義昭追放後になると、信長に命じられる形で家康は軍勢を動員し、また、[[書札礼]]でも信長が家康に優越する立場となっている{{Sfn|平野明夫|2014|pp=75-82}}。そして、駿河国も知行として信長から家康に与えられている{{Sfn|平野明夫|2014|pp=75-82}}{{Sfn|平井上総|2017|pp=23-24}}。こうしたことから、家康は信長の同盟者としての立場を失い、信長の臣下となっていたと考えられるという{{Sfn|平野明夫|2014|pp=75-82}}{{Sfn|平井上総|2017|pp=23-24}}{{Sfn|柴裕之|2017a|pp=107-108}}。 なお、『フロイス日本史』によれば、信長は日本を統一した後、対外出兵を行う構想があり、「日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成して[[明]](中国)を武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考え」を持っていたという(『フロイス日本史』第55章)。また[[堀杏庵]]の『朝鮮征伐記』では、[[豊臣秀吉]]が信長に明・朝鮮方面への出兵を述べたと記されている。しかし後者は俗説であり、信長の対外政策については、従来より根拠に乏しく(フロイスの)他に裏付けがないことが指摘される。[[中村栄孝]]は、信長が海外貿易を考えていて秀吉の唐入り([[文禄・慶長の役]])は亡き主君の遺志を継いだものという説は、『朝鮮通交大紀』の誤読による人物取り違えであって信長に具体的な海外貿易・対外遠征の計画はなかったとしている{{Sfn|中村栄孝|1935|pp=16-17}}。ただし、[[堀新 (歴史学者)|堀新]]のように、織田政権の動向や後の豊臣政権による三国国割計画の存在といったことから、信長が大陸遠征構想を持っていたことはある程度まで事実だったのではないかと述べる論者もいる{{Sfn|堀新|2014|pp=55-57}}。[[本郷和人]]は、[[外交]]をし、[[交易]]を盛んにすることは、まさに信長の望みであり、「日本を統一した暁に、信長が海外に派兵した可能性は大いにある」「[[物流]]や交易を重視する信長ならば、おそらくは海外に進出しただろう」として、信長であれば、秀吉のように領土の獲得に固執するのではなく、[[ポルトガル海上帝国|ポルトガル]]の[[ゴア州|ゴア]]、[[スペイン帝国|スペイン]]の[[マニラ]]のように「点」の獲得を目指し、しかるべき[[都市]]を入手してそこを[[城塞|城塞化]]し、貿易拠点を築くようなことをしたのではないかと指摘している<ref name="本郷和人"/>。結果、信長がもう少し生きていれば、日本にとって良い結果を生むか、悪い方に転ぶかは分からないが、日本はもっと早く[[国際化社会|国際化]]したのではないだろうか、と指摘している<ref name="本郷和人">{{Cite book|和書|author=本郷和人|authorlink=本郷和人|date=2016|title=信長とキリスト教|series=文藝春秋special 10(1)|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=|page=165}}</ref>。 === 朝廷政策 === 上洛を果たした後、信長は、[[御料所]]の回復をはじめとする朝廷の財政再建を実行し、その存立基盤の維持に務めた{{Sfn|谷口克広|2013|pp=102-103}}。とはいえ、信長が皇室を尊崇していたための行動というわけではなく、天皇の権威を利用しようとしたものだと考えられている{{Sfn|谷口克広|2013|pp=102-103}}。なお、天正3年の権大納言・右近衛大将任官以後、信長は公家に対して一斉に所領を宛行っており、それ以後、信長は公家から参礼を受ける立場となった{{Sfn|谷口克広|2013|pp=114-116}}。 信長と朝廷との関係の実態については、対立関係にあったとする説(対立・克服説)と融和的・協調的な関係にあったとする説(融和・協調説)がある{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}。両者の関係については、織田政権の性格づけに関わる大きな問題であり、[[1970年代]]より活発な論争が行われてきた{{Sfn|谷口克広|2013|pp=96-99}}。[[1990年代]]に[[今谷明]]が正親町天皇を信長への最大の対抗者として位置づけた『信長と天皇 中世的な権威に挑む覇王』{{Efn|{{Cite book|和書|author=今谷明|year=1992|title=信長と天皇―中世的権威に挑む覇王|publisher=講談社|series=講談社現代新書|isbn=978-4061490963}}のち[[講談社学術文庫]]に再録、2002年 ISBN 978-4061595613。}}を上梓し、多大な影響を与えたが、その後の実証的な研究により、この今谷の主張はほぼ否定された{{Sfn|谷口克広|2013|pp=96-99}}。2017年現在は、信長は天皇や朝廷と協力的な関係にあったとする見方が有力となっている{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}。 [[平井上総]]および谷口克広の分類によれば、それぞれの説に立つ論者は以下のとおりである{{Sfn|谷口克広|2007b|pp=138-139}}{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}。 {| class="wikitable" style="width:40%;" |+ 信長と天皇・朝廷の関係 ! 対立・克服説 !! 融和・協調説 |- |[[奥野高廣]]||[[脇田修]] |- | [[朝尾直弘]]||[[橋本政宣]] |- | [[藤木久志]]||[[三鬼清一郎]] |- |[[秋田裕毅]]||[[池享]]{{Efn|平井上総は協調説に、谷口克広は対立説に分類している。}} |- | [[今谷明]]||[[堀新 (歴史学者)|堀新]] |- |[[立花京子]]||[[谷口克広]] |- |[[藤井譲治]]{{Efn|厳密には、朝廷側は信長との協調を図ったが、信長が朝廷との協調を否定したという説として、藤井の説は分類されている{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}。}}||[[池上裕子]] |- |[[藤田達生]]||[[神田千里]] |- | ||[[桐野作人]] |- | ||[[山本博文]] |- | ||[[金子拓]] |- |} 信長が天皇を超越しようとしたかどうかについては、宣教師に対する信長の発言がしばしば注目される{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}。ルイス・フロイスの書簡によれば、宣教師が天皇への謁見を求めた際、信長は「汝等は他人の寵を得る必要がない。何故なら予が国王であり、内裏である」と発言したとされる{{Sfn|藤井譲治|2011|p=153}}。松田毅一が翻訳した『日本巡察記』(ヴァリニャーノ著)では、「予が国王であり…」となっているが、[[松本和也 (歴史学者)|松本和也]]はこれは誤訳であると指摘している。なぜなら原文の当該部分には、ポルトガル語で国王を意味する「rei」ではなく、宣教師たちが天皇の意味で用いていた「Vo(オー)」が使われているからである。ちなみに原文は「elle era o mesmo Vo & Dairi」であり、直訳すると「彼が正にオーでありダイリなのだ」となる<ref>『歴史評論』680号所収、松本和也「宣教師史料から見た日本王権論」</ref>。 この発言は天正9年京都馬揃えの直前になされた{{Sfn|堀新|2014|pp=61-62}}。このように、信長が自身を天皇・内裏であると述べたことについて、信長が天皇を超越しようとした証拠であるとして重視する者もいる{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}。しかし、この説について平井上総は疑義を呈しており{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}、堀新も信長の皇位簒奪の意図を示すものではなく、融和説(「公武結合王権論」)の立場から、正親町天皇と信長の一体化を意味した発言だと述べる{{Sfn|堀新|2014|pp=61-62}}。 信長と朝廷の関係を考える際の具体的な手がかりとしては、いわゆる[[三職推任]]問題をはじめ、正親町天皇の譲位問題、[[蘭奢待]]の切り取り、[[京都馬揃え]]、勅命講和など多様な論点があり、研究者間で解釈が別れている{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}{{Sfn|谷口克広|2007b|pp=103-141}}{{Sfn|谷口克広|2013|pp=96-116}}。以下、代表的なものに絞って時系列順で見ていく。 足利義昭追放後の天正元年([[1573年]])12月、信長は正親町天皇に譲位の申し入れを行い、天皇もこれを了承した{{Sfn|谷口克広|2013|pp=107-110}}。が、年が押し迫っていたため譲位は行われず、結局信長の死まで譲位は行われなかった{{Sfn|谷口克広|2013|pp=107-110}}。これについて、対立説の解釈では、信長は自身の言いなりとなる誠仁親王を即位させようとし、この動きに正親町天皇が抵抗したことで譲位が遅延したと考える{{Sfn|谷口克広|2013|pp=107-110}}。一方、融和説では、天皇が譲位を望みながら、信長の意向により実現しなかったとみている{{Sfn|谷口克広|2013|pp=107-110}}{{Efn|後土御門天皇以降、正親町天皇まで朝廷は財政難により、天皇の譲位が行われてこなかった。[[後花園天皇]]までの中世の歴代天皇は譲位して[[太上天皇|上皇]]ないしは[[法皇]]となり、[[治天の君]]として[[院政]]を敷くのが基本であった。しかし天皇の譲位には、新帝践祚までの諸儀式、退位後の仙洞御所の造営、そのための移転費用など莫大な経費を必要としていた。つまり、当時の譲位は天皇の個人的な意思だけでは実現せず、莫大な経費を負担できる権力者が必要であった(羽柴秀吉は仙洞御所造営の功労を表向きの理由として[[関白]]に昇っている)。このため戦国時代になると朝廷も室町幕府も財政難に陥ったために譲位に必要な費用を工面できなかったため、たまたま後土御門天皇以降の天皇は三代続けて天皇在位のまま崩御したのであって、譲位はむしろ旧来の朝廷の慣行に復すると考えられていた。}}。 信長は天正2年(1574年)3月に奈良を訪問し、同月28日に東大寺の寺宝である名香・蘭奢待を[[多聞山城]]に運び込ませ、東大寺の僧侶立ち会いの下でこれを切取らせている。その直前に出されたと見られている[[東山御文庫]]所蔵の「蘭奢待香開封内奏状案」(勅封三十五函乙-11-15)が保管されている。この文書の内容が蘭奢待切取に対する不満を吐露したものであったことから、古くから「信長ノ不法ヲ難詰セラル」(『[[大日本史料]]』天正2年3月28日条)と解釈され、長年"正親町天皇が信長による蘭奢待切取の奏請に対する不満を吐露した書状"として理解されてきた。しかし、内奏状は本来天皇に充てて出される文書であるのに天皇の心境が述べられている矛盾が指摘され、金子拓を切取の手続に関与した三条西実枝から正親町天皇に充てられた書状と再解釈した。つまり、この文書の筆者が正親町天皇では無く三条西実枝である以上、不満を吐露したのも正親町天皇ではないことになる。そして、不満の対象も書状の宛先である正親町天皇その人と考えるしか無く、少なくても"正親町天皇が信長の奏請に対する不満を吐露した書状"ではないと結論づけている{{Sfn|金子拓|2015|pp=224-228}}。 信長が天正9年([[1581年]])に行った[[京都御馬揃え]]について、対立説では、朝廷への軍事的圧力・示威行動であったと見る{{Sfn|神田裕理|2017|pp=174-175}}。これを批判する立場から、融和説では、朝廷側の希望によって行われたものだと解釈する{{Sfn|神田裕理|2017|pp=174-175}}。2017年現在では、朝廷に対する圧力というより、一種の娯楽行事であったとする見解が有力となっている{{Sfn|神田裕理|2017|pp=186-189}}。 天正10年([[1582年]])4月25日、[[武家伝奏]]・[[勧修寺晴豊]]と京都所司代・[[村井貞勝]]の間で信長の任官について話し合いが持たれた{{Sfn|谷口克広|2013|pp=104-107}}。この際、信長が[[征夷大将軍]]・[[太政大臣]]・[[関白]]のうちどれかに任官することがどちらからか申し出された{{Sfn|谷口克広|2013|pp=104-107}}。任官を申し出たのが朝廷か信長側かをめぐって論争がある([[三職推任問題]]){{Sfn|谷口克広|2013|pp=104-107}}。信長側からの正式な反応が行われる前に本能寺の変が起こったため、信長がどのような構想を持っていたか、正確なところは不明である。 本能寺の変後、[[吉田兼見]]などの公家は、信長の死について日記に冷淡にしか書き残していない{{Sfn|池上裕子|2012|p=219}}。そして、かえって即座に光秀の意を汲んだ行動をとろうともしており、信長の死を悲しんだ様子はほとんどないという{{Sfn|池上裕子|2012|p=219}}。 === 宗教政策 === {{See also|#信仰}} 織田政権は一向一揆と激しく争い{{Sfn|堀新|2014|pp=36}}{{Efn|研究上、かつては一向一揆との対決こそが近世統一権力を生み出した原動力であるとする説が有力であったが、現在では一向一揆との対立にそれほどの重要性はないとする見解が主流となっている{{Sfn|堀新|2014|pp=36}}。}}、また、比叡山を焼き討ちした{{Sfn|堀新|2014|pp=40-41}}。こうした背景のため、一般には、信長は仏教勢力と激しく対立してその殲滅を図り、逆に[[キリスト教]]を庇護しようとしたと思われてきた{{Sfn|松本和也|2017|pp=192-208}}。例えば、仏教史研究者の[[末木文美士]]は、その著書『日本仏教史』において、信長が「暴力的手段に訴えて一気に仏教勢力の壊滅を図った」と表現している{{Sfn|末木文美士|1996|pp=236-237}}。 しかし、実際には、信長はすべての仏教勢力と敵対関係にあったわけではなく、自らと敵対しない宗派についてはその保護を図っていた{{Sfn|松本和也|2017|pp=192-208}}。また、キリスト教を特別に厚遇したわけでもない{{Sfn|松本和也|2017|pp=192-208}}。自身に従う宗派には存続を認めつつ、宗教権力に対する世俗権力の優位を実現するという方針が、織田政権の宗教政策の基調にあったと考えられる{{Sfn|堀新|2014|pp=40-41}}。 信長の宗教政策上、天正7年の「[[安土宗論]]」が注目されてきた{{Sfn|堀新|2014|pp=40-41}}{{Sfn|神田千里|2015|p=57}}。この安土宗論は、信長の関与のもと、浄土宗と日蓮宗のあいだで宗論が行われたというものである{{Sfn|堀新|2014|pp=40-41}}。日蓮宗は宗論において敗北を認めさせられ、今後、他の宗派に論争を仕掛けないことを強いられた{{Sfn|堀新|2014|pp=40-41}}。一般的には、安土宗論は信長による日蓮宗に対する弾圧だと捉えられてきた。例えば、三鬼清一郎は、日蓮宗が「宗論の敗訴という形で、宗旨そのものに致命的打撃を与えることによって屈服させられた」と表現し、[[天文法華の乱]]のような都市民と日蓮宗の連携の危険を排除したと述べている{{Sfn|三鬼清一郎|1985|pp=96-97}}。しかし、安土宗論の実際の目的は、日蓮宗弾圧というよりも、宗論を抑制することで宗教的秩序の維持を企図する点にあったと考えられるという議論もある{{Sfn|堀新|2014|pp=40-41}}{{Sfn|神田千里|2015|p=57}}。 天台宗と真言宗の僧侶あいだで絹衣の着用の是非が争われた[[絹衣相論]]では、信長の関与のもと、天台宗のみに絹衣着用を認める綸旨が出されている{{Sfn|堀新|2014|pp=41-43}}。そして、この綸旨に反して絹衣を着用した真言宗の僧侶は処刑された{{Sfn|堀新|2014|pp=41-43}}。一向一揆や比叡山に対する措置と同様に、信長は自身の意向に反する宗教者には厳しい対応をとったのである{{Sfn|堀新|2014|pp=41-43}}。 神社との関係では、石清水八幡宮の社殿の修造を実行するとともに、伊勢神宮の式年遷宮の復興を計画した{{Sfn|三鬼清一郎|1985|pp=100-102}}。特に後者の計画は、伊勢信仰を自身の権威付けに利用しようとしたものだと考えられ、豊臣政権に引き継がれている{{Sfn|三鬼清一郎|1985|pp=100-102}}。 なお、同時代の宣教師[[ルイス・フロイス]]は、信長が自らを神格化しようとしたと述べている{{Sfn|松下浩|2017|pp=209-212}}。しかし、この自己神格化について、日本側の史料で記述したものは、まったく存在しない{{Sfn|松下浩|2017|pp=209-212}}。そのため、フロイスの記述を信用するかどうかについては研究者間で争いがある{{Sfn|松下浩|2017|pp=209-212}}。肯定する論者には、例えば、朝尾直弘や今谷明などがいる{{Sfn|松下浩|2017|pp=212-221}}。朝尾は、一向一揆との対決という背景のもと、後の幕藩制国家につながる「将軍権力」の創出過程の一環として、信長の自己神格化を位置づける{{Sfn|松下浩|2017|pp=212-213}}。一方、神格化を否定する立場は、フロイスの記述はあくまでキリスト教側からの偏った観点によるものであり、信ずるに足るものではないとする脇田修や三鬼清一郎らの見解がある{{Sfn|松下浩|2017|pp=221-222}}。 === 経済・都市政策 === いわゆる「[[楽市・楽座]]令」は、信長が最初に行った施策と言われることが多いが、現在確認されている限りでは、[[近江国|近江]]南部の[[戦国大名]]であった[[六角氏]]が最初に行った施策である{{Sfn|長澤伸樹|2017|pp=30-31}}。この「楽市・楽座令」については評価が分かれている{{Sfn|谷口克広|2013|pp=232-235}}。かつて[[豊田武]]は、特権的な商工業者の団体である[[座]]を解体し、流通を促進する革新的政策であると位置づけた{{Sfn|谷口克広|2013|pp=232-235}}。一方で、信長は実際には多くの座の特権を保障しており、[[脇田修]]らは信長が座の否定を意図していなかったと論じている{{Sfn|谷口克広|2013|pp=232-235}}。 また、不必要な[[関所]]を撤廃して流通を活性化させ、都市の振興と経済の発展を図った{{Sfn|池上裕子|2012|pp=223-224}}。これについては他の戦国大名の行ったことのない革新的な政策であると考えられる{{Sfn|池上裕子|2012|pp=223-224}}。 関所撤廃とあわせて、天正2年(1574年)末から、信長は[[坂井利貞]]ら4人の奉行に道路整備を命じている{{Sfn|池上裕子|2012|pp=224-225}}。この工事は翌年にも続き、織田家の領国中に広く実施された{{Sfn|池上裕子|2012|pp=224-225}}{{Efn|1575年5月4日付けのフロイスの未刊書簡には、これらの道普請が尾張・美濃・近江・山城・摂津・河内・三河・遠江の8ヵ国で行われたことが書かれている(『完訳フロイス日本史 織田信長篇I 第34章』)。このような道路は、征服された諸国に、都合がつくかぎり建設された。(『完訳フロイス日本史 織田信長篇II』第55章}}。この道路整備によって、人々や牛馬の通行が容易となった{{Sfn|池上裕子|2012|pp=224-225}}。 当時全国でばらばらであった[[枡]]の統一規格として、織田領国では[[京枡]]を統一採用したともされる。この枡は豊臣政権 - 徳川幕府にまで受け継がれた。この事により、年貢や物流の管理が正確に、かつし易くなった そして、質の悪い貨幣と良い貨幣の価値比率を定めた[[撰銭令]]を発令した。他大名や室町幕府の出した撰銭令と比べ、信長の撰銭令の特徴は「全ての銭に価値比率を定めている」点である{{Sfn|鈴木公雄|2002|p=136}}。また、金銀の貨幣価値を定める規定{{Efn|「永禄十二年付上京宛て精銭追加条々」『増訂 織田信長文書の研究』所収。}}は革新的なものであり、江戸時代の三貨制度に続くものであると高く評価されている{{Sfn|高木久史|2005|pp=24-25}}。ただし、この 撰銭令は、かえって貨幣取引を減少させ、米を用いた取引を増加させるという結果をもたらし、期待した効果を発揮できなかったと考えられている{{Sfn|谷口克広|2013|pp=250-252}}。 <!----([[瀬田の唐橋]])。---> さらに信長は石山本願寺と和睦したのち、[[大阪|大坂]]の地に城を築かせた。本能寺の変の時点では「千貫矢倉」が津田信澄に預けられていたという(『細川忠興軍功記』)。これは『フロイス日本史』の「本能寺の変の折、津田信澄は大坂城の塔(torre)を見張っていた」という記述と符合する。『信長公記』によると立地を高く評価しており、跡地にさらに大きな城を築く予定であったという{{Sfn|渡辺武ほか編|1983|p=113}}。 === 軍事 === 信長は、[[柴田勝家]]、[[滝川一益]]、[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]、[[明智光秀]]などの有力部将に地域ごとに軍団を率いさせるとともに、自身の直属部隊として馬廻などを組織していた{{r|日本大百科全書}}。この馬廻は稲生、桶狭間、田部山で活躍している{{Sfn|谷口克広|2002|pp=18-19}}。信長軍は機動力に優れており、[[本圀寺の変]]では、本来なら3日はかかる距離を2日で(しかも豪雪の中を)踏破し{{Sfn|谷口克広|2002|p=276}}、摂津国に対陣している間に浅井・朝倉連合軍が京都に近づいた際にも、急いで帰還して京都を守り抜いている。部下の秀吉も、いわゆる「中国大返し」や[[賤ヶ岳の戦い]]などで高い機動力を見せており、特に中国大返しは信長の戦術の一面を超えたと言う指摘もある{{Sfn|谷口克広|2002|p=281}}。 また、信長は火器を重視した{{Sfn|桐野作人|2009|p=86}}。[[長篠の戦い]]における三段撃ちは架空のものであるとする見解が有力となっているとはいえ、信長が多数の鉄砲を運用していたことは確かである{{Sfn|桐野作人|2009|pp=101-104}}。特に、諸武将から鉄砲を徴発することで直属の旗本衆の鉄砲部隊を強化しており、1か所の戦場に集中して鉄砲を運用することを可能にした点は信長の鉄砲運用の特徴である{{Sfn|桐野作人|2009|pp=101-104}}。 [[大砲]]もすでに[[元亀]]年間から使用していた形跡があり、[[第二次木津川口の戦い]]などで船に搭載した他、[[神吉城]]攻め以降は攻城戦においても本格的に運用していた{{Sfn|桐野作人|2009|pp=104-106}}。いわゆる[[鉄甲船]]を作ったとも言われるが、根拠となる史料が『[[多聞院日記]]』天正六年七月八日条のみなので、その実在性については賛否両論がある{{Sfn|谷口克広|2013|pp=215-216}}。 なお、織田家では、明文化された[[軍役]]規定は、明智光秀の家中軍法以外に見つかっていない。これを「これ以外には存在しなかった」{{Efn|池上裕子{{Sfn|池上裕子|2012|pp=264-265}}など。}}とみるか、「他にもこれと同じようなものが存在していた」<ref name="Kirino">桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』{{要ページ番号|date=2018年9月}}</ref>とみるかは、研究者の間でも見解の分かれるところである(そもそも、明智光秀の家中軍法を後世の創作とする研究者もいる<ref>山本博文『続日曜日の歴史学』(東京堂出版、2013年)</ref><ref>堀新「明智光秀〈家中軍法〉をめぐって」(初出:山本博文 編『法令・人事から見た近世政策決定システムの研究』(2015年)/柴裕之 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第八巻 明智光秀』(戒光祥出版、2019年)ISBN 978-4-86403-321-3) 2019年、P300-319.</ref>)。前者の見解に立つ場合、このことは、後北条氏などと比べて、織田政権の統治方法が後進的であったことの証左の一つであるとされる{{Sfn|池上裕子|2012|pp=264-265}}。ただし、これは本能寺の変時点での話で、信長にはゆくゆくは検地した石高に基づいて軍役を課そうという構想があった<ref>1985年「織田政権の研究」所収、『天正八年の大和指出と一国破城について』松尾良隆</ref>。 == 後世の評価 == === 「凶逆の人」から勤王家へ === [[File:Oda-Nobunaga-by-Utagawa-Kuniyoshi.png|thumb|織田信長の浮世絵、[[歌川国芳]]]] 江戸時代にあっては、江戸幕府の創始者として「神君」扱いされた徳川家康や『[[絵本太功記]]』等で庶民に親しまれた豊臣秀吉らとは異なり、一般的に信長の評価は低かった{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=251-254}}。儒学者の[[小瀬甫庵]]、[[新井白石]]、 [[太田錦城]]らは、いずれも信長の残虐性を強調し、極めて低く評価した{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=251-254}}。 例えば、新井白石の信長評は、親族を道具のように扱い、主君である足利義昭を裏切り、大功のあった老臣・佐久間信盛らを追放し、言いがかりをつけて他の大名を滅ぼした「凶逆の人」であるというものであった{{Sfn|新井白石|1936|pp=294-295}}。そして、白石は「すべて此人(信長)天性残忍にして詐力を以て志を得られき。されば、其終を善せられざりしこと、みづから取れる所なり。不幸にあらず」と述べ、信長の死を、残虐性ゆえの自業自得だと位置付けた{{Sfn|新井白石|1936|pp=294-295}}。 ただし、[[江戸幕府]]の立場から見た場合、信長は徳川家康の同盟者であり、なおかつ徳川信康を自害に追い込んだ人物である以上、幕府としては信長が「神君」家康さえも従わせる絶対的権力者であったことも示す必要性があり、江戸幕府の正史である『[[徳川実紀]]』(「東照宮御実紀」巻2)では家康と共に天下統一を目指す存在としての評価もなされた<ref>久野雅司「〈天下人〉織田信長と〈天下静謐〉」『織田信長政権の権力構造』戒光祥出版〈戎光祥研究叢書16〉、2019年 ISBN 978-4-86403-326-8。P549-550.</ref>。民衆のあいだでも信長は不人気であり、[[歌舞伎]]や[[浄瑠璃]]などにおいても、信長は悪役・引き立て役に留まっている{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=251-254}}。 このように信長に対する酷評が広まった状況にあって、信長を再評価したのが、[[頼山陽]]である{{Sfn|谷口克広|2007a|pp=251-254}}。江戸時代後期の[[尊王攘夷|尊王運動]]に多大な影響力を有したことで知られる<ref>{{Cite web|和書|author=[[石毛忠]] |date= |url=https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%96%E5%8F%B2-110097 |title= 日本外史 |work= [[日本大百科全書]]|publisher=小学館・コトバンク |accessdate=2018-10-13 |archiveurl= |archivedate= }}</ref>[[頼山陽]]の『[[日本外史]]』は、信長を「超世の才」として高く評価した{{Sfn|頼山陽|1938|pp=697-699}}。『日本外史』は、信長の[[勤王|勤王家]]としての面を強調する{{Sfn|頼山陽|1938|pp=697-699}}。そして、中国[[後周]]の名君・[[柴栄|世宗]]の偉業が[[趙匡胤]]の[[北宋]]樹立に続いたのと同じように、信長の覇業こそが、豊臣・徳川の平和に続く道を作ったのだと述べる{{Sfn|頼山陽|1938|pp=697-699}} {{Quotation|夫れ[[応仁の乱|応仁]]以還、海内分裂し、輦轂の下、つねに兵馬馳逐の場となる。右府{{Efn|信長のこと。}}に非ずして誰か能く草莱を闢除し、以て王室を再造せんや。|頼山陽『日本外史』{{Sfn|頼山陽|1938|pp=697-699}}}} また国学者からも、日本の統一者として、後醍醐天皇と対立した足利氏への否定的見解と相まって高く評価された。例えば、[[本居宣長]]は『玉鉾百首』の中で「しづはたを織田のみことはみかどべをはらひしづめていそしき大臣」という歌を詠み、「此大臣(=織田信長)、正親町天皇の御代永禄のころ、尾張国より出給ひて、京中の騒乱をしづめ、畿内近国を討したがへ、復平の基を開き、内裏を修理し奉りなど、勲功おおひなること、世の人よくしれる事なり」と高く評価した<ref name="村岡典嗣『直毘霊・玉鉾百首』岩波文庫,1936">村岡典嗣『直毘霊・玉鉾百首』岩波文庫,1936</ref>。 幕末の志士たちも、御料所回復等を行っていたことなどを評価して、信長を勤王家として尊敬した{{Sfn|谷口克広|2013|pp=96-97}}。明治2年([[1869年]])になると、[[明治政府]]が織田信長を祀る神社の建立を指示した{{Sfn|白井英二編|1979|p=211}}。明治3年([[1870年]])、信長の次男・信雄の末裔である[[天童藩]](現在の[[山形県]][[天童市]])知事の[[織田信敏]]が、東京の自邸内と藩内にある[[舞鶴山]]に信長を祀る社を建立した{{Sfn|白井英二編|1979|p=211}}。信長には[[明治天皇]]から'''建勲'''の[[神号]]が、社には[[神祇官]]から建織田社、後には建勳社の社号が下賜された{{Sfn|白井英二編|1979|p=211}}。その後、明治年間<!--- 白井英二編1979によれば、山頂に移ったのは明治43年、13年時点では船岡山だが山頂ではない --->には東京の[[建勲神社]]は、京都[[船岡山]]の山頂に移っている{{Sfn|白井英二編|1979|p=211}}。[[大正]]6年([[1917年]])には正一位を追贈された{{Efn|正一位に叙された者は贈位も含めて現時点で信長が最後であり、以降は叙位の例がない。}}。<!--- 関連文献:藤井貞文「明治維新と織田信長」『国学院雑誌』四九ー一一(四三) ---> こうした傾向は歴史学の分野でも同様であり、当時は信長の勤王的側面を重視する研究が行われた{{Sfn|平井上総|2017|p=20}}。 === 革新者か否か === [[ファイル:Golden Nobunaga statue Gifu Sttn.jpg|thumb|right|200px|[[岐阜駅]]北口の黄金の織田信長像。[[2000年]]に[[朝日新聞社]]が実施した識者5人([[荒俣宏]]、[[岸田秀]]、[[ドナルド・キーン]]、[[堺屋太一]]、[[杉本苑子]])が選んだ西暦1000年から1999年までの「日本の顔10人」において、信長は得票数で徳川家康に次いで2位を獲得した<ref>[https://web.archive.org/web/20001017120937/http://www.asahi.com/y2000/kao.html 識者5人が選んだ日本の顔10人家康・信長に支持]、[[朝日新聞|asahi.com]]([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。]] [[第二次世界大戦]]の後になると、信長の政治面での事蹟が評価され、改革者としてのイメージが強まった。歴史小説においては、すでに戦中の1944年に[[坂口安吾]]が短編小説「鉄砲」を発表し、近代的な合理主義者としての信長像を明確に打ち出した<ref name="末國善己">{{Cite web|和書|author=[[末國善己]] |date=2015-7-22 |url=https://books.bunshun.jp/articles/-/2946 |title=「冷酷」で「能力主義」な信長はいかにして生まれたのか? |work=文藝春秋books |publisher=[[文藝春秋]] |page=1 |accessdate=2018-09-23 |archiveurl= |archivedate= }}</ref>。合理主義者としての信長のイメージは、高度成長期に発表された[[司馬遼太郎]]『[[国盗り物語]]』、バブル期の[[津本陽]]『[[下天は夢か]]』といったベストセラー小説を通して広く浸透することとなった{{r|末國善己}}。 学術的には、1963年刊行の『[[岩波講座日本歴史]]』において、[[今井林太郎]]が信長を次のように評価している。信長は、中世の複雑な土地所有構造を清算し「純粋封建制確立への途を切り開いた」{{Sfn|今井林太郎|1985|pp=12-13}}人物である。そして今井は、「信長の前には中世以来の宗教的な権威はまったく通用しなかった」{{Sfn|今井林太郎|1985|pp=49-50}}と述べ、信長の本質を中世的権威の否定にあると規定した。この頃には信長が[[天皇制]]を打倒しようとしていたという[[安良城盛昭]]の説も現れ、革新者としての信長像が定着することとなる{{Sfn|谷口克広|2013|p=97}}。信長は、その「革新的」な諸政策から、日本史上、極めて重要な人物であり、「不世出の英雄の一人」{{Sfn|奥野高廣|岩沢愿彦|1969|p=476}}と評価されてきた。 新しい時代への道を切り拓いた人物としての信長像は広く受け入れられた一方で、信長の時代はいまだ中世的要素が強く、豊臣秀吉の行った[[太閤検地]]こそが近世への転換点だという学説も有力であった{{Sfn|堀新|2014|p=27}}。[[朝尾直弘]]と[[脇田修]]は、それぞれ20世紀後半の代表的な中近世移行期研究者であるが、両者の信長に対する歴史的評価は正反対である{{Sfn|金子拓|2014|p=23}}。朝尾が信長を近世の創始者であると理解したのに対し、脇田は信長を中世最後の覇者{{Efn|{{Cite book ja-jp |author=[[脇田修]]|year=1987|title=織田信長 中世最後の覇者|series=中公新書|publisher=中央公論社 |isbn=9784121008435}}。}}であると捉えていた{{Sfn|金子拓|2014|p=23}}。 その後、21世紀の歴史学界では、より実態に即した信長の研究が進み、その評価の見直しが行われている{{Sfn|立石了|2018|p=110}}{{Sfn|平井上総|2017|p-=18-25}}。例えば、室町幕府と織田政権の連続性が強調され{{Sfn|平井上総|2017|pp=19-20}}、信長は天皇とも協調関係にあったと考えられるようになった{{Sfn|平井上総|2017|pp=20-22}}。「楽市・楽座令」を信長独自の革新的政策とする見方にも否定的な研究が多くなった{{Sfn|長澤伸樹|2017|pp=11-13}}。また、信長の宗教観も他の戦国大名と比較して特異なものとは言えないという指摘もある{{Sfn|神田千里|2015|pp=50-54}}。この他、様々な面から特別な存在としての信長像に疑義が呈され、信長に画期性を認めることに慎重な意見の研究者が多くなってきている{{Sfn|平井上総|2017|p-=18-25}}{{Sfn|立石了|2018|p=110}}。 == 系譜 == {{main|織田氏}} 織田氏の発祥の地は[[越前国]][[織田荘]]であり、その荘官の立場にあったという{{Sfn|山崎布美|2016|pp=36-38}}。織田氏と思われる人物の史料上の初見は、[[劔神社]]に残された明徳4年(1393年)六月十七日付[[藤原信昌]]・[[藤原将広|兵庫助将広]]置文であるとされる{{Sfn|山崎布美|2016|pp=36-38}}。応永8年(1401年)には、織田名字を使用する「[[織田浄祐|織田与三]]」なる人物が初めて現れ、彼は管領[[斯波氏]]の家臣として重要な役割を果たしていた{{Sfn|山崎布美|2016|pp=38-39}}。その翌年には[[織田常松]]が尾張守護代に任じられている{{Sfn|山崎布美|2016|pp=38-39}}。 尾張に勢力を移した織田家では、岩倉を本拠とする伊勢守家と清洲を本拠とする大和守家に分裂し、各々が守護代として尾張半国を治めた{{Sfn|池上裕子|2012|pp=6-9}}。そして、後者の大和守家の分家で、[[清洲三奉行]]家の一つである弾正忠家こそが、信長の家系である{{Sfn|池上裕子|2012|pp=6-9}}。 信長の子孫としては、信忠の子である三法師([[織田秀信]])が、形式上、織田家の家督を継いだ{{Sfn|池上裕子|2012|p=282}}。秀信は豊臣政権下で岐阜で13万石程度の領地を持ったが、関ヶ原合戦の結果、所領を没収されてしまう{{Sfn|池上裕子|2012|p=282}}。秀信は数年後に病を得て世を去り、ここに嫡流は絶えることとなる{{Sfn|池上裕子|2012|p=282}}。 一方、次男の織田信雄は豊臣政権下で所領を失ったものの、[[大坂の陣]]後、大和宇陀郡などに五万石を与えられた{{Sfn|池上裕子|2012|p=282}}。信雄の子孫が、柏原藩、高畠藩、天童藩といった小規模な藩の藩主となり、江戸時代を通じて大名として続いている{{Sfn|池上裕子|2012|p=282}}。 === 先祖 === * [[織田良信]](または[[織田敏定]]) - [[織田信定]] - [[織田信秀]] - '''織田信長''' === 兄弟 === 兄弟のうち、秀俊(信時)および秀孝の出生順については議論がある。江戸時代の諸系図類では秀俊は、信秀の六男となっており、信長の弟とされる{{Sfn|谷口克広|2003|p=5}}。しかし、谷口克広によれば、『信長公記』の記述に基づく限り、秀俊は信秀の次男、すなわち信長の兄である{{Sfn|谷口克広|2003|p=5}}。同様に諸系図類では秀孝を信包の弟であるとするが、秀孝は信包の兄であるとも考えられる{{Sfn|谷口克広|2003|p=6}}。 {{col-begin}} {{col-3}} * [[織田信広]](庶長兄) * [[織田信行|織田信勝]](信行) * [[織田信包]] * [[織田信治]] {{col-3}} * [[織田信時|織田秀俊]](信時) * [[織田信興]] * [[織田秀孝]] * [[織田秀成]] {{col-break}} * [[織田信照]] * [[織田長益]](有楽斎) * [[織田長利]] {{col-end}} === 姉妹 === {{col-begin}} {{col-2}} * [[くらの方]]([[大橋重長]]室) * [[犬山殿]]([[織田信清 (戦国武将)|織田信清]]室) * [[神保・稲葉夫人]]([[神保氏張]]室のち[[稲葉貞通]]継室) * [[斎藤秀龍側室]]([[斎藤道三]]室) * [[苗木勘太郎室]]([[遠山直廉]]室) * [[お犬の方]]([[佐治信方]]室→[[細川昭元]]室) * [[お市の方]]([[浅井長政]]継室→[[柴田勝家]]室)([[浅井三姉妹]]の母) * [[小幡殿]]([[織田信成 (戦国武将)|織田信成]]室) {{col-2}} * [[栄輪院]]([[織田信直]]室) * [[津田出雲守室]] * [[飯尾尚清]]室 * [[乃夫殿]]([[津田元秀]]室) * [[信徳院]]([[牧長清]]室) * [[丹羽氏勝継室]] :<small>生年不詳が多く、姉妹の順序は不明。</small> {{col-end}} === 妻 === * 正室:[[濃姫|鷺山殿(別称:於濃の方、濃姫、帰蝶)]]([[斎藤道三]]の娘) * 側室 {{col-begin}} {{col-2}} :* [[生駒吉乃|生駒氏]]{{sfn|岡田正人|1999|p=162}}([[生駒家宗]]の娘、織田信忠・信雄・徳姫の生母) :* [[坂氏 (織田信長側室)|坂氏]](織田信孝の生母) :* [[興雲院|於鍋の方]](高畑源十郎の娘、織田信吉・信高・於振の生母) :* [[養観院]](不明、相応院・羽柴秀勝・信秀の生母) :* 春誉妙澄大姉(不明、永姫の生母) {{col-2}} * 某氏(不明/[[稲葉氏]]親族?、織田三吉郎信秀の生母) * [[慈徳院 (織田信長側室)|慈徳院]]([[滝川一益]]親族、織田信忠の乳母、三の丸殿の生母) * [[土方氏 (織田信長側室)|土方氏]]([[土方雄久]]/青山某の娘、織田信貞の生母) * [[あここの方]]([[三条西実枝]]の娘) * 明鏡院([[塙直政]]の妹、織田信正の生母) * [[御ツマキ|御ツマキ殿]](明智光秀の妹){{Sfn|勝俣鎮夫|2003|pp=3-4}} {{col-end}} === 息子 === {{col-begin}} {{col-2}} * [[織田信忠]](長男・嫡男) * [[織田信雄|北畠信雄]](二男、[[北畠具房]]養子) * [[織田信孝|神戸信孝]](三男、[[神戸具盛 (7代目当主)|神戸具盛]]養子) * [[羽柴秀勝]](四男、[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]養子) * [[織田勝長|津田信房]](五男、[[遠山景任]]・[[武田信玄]]養子、のち離縁) * [[織田信秀 (侍従)|織田信秀]](六男、祖父と同名) {{col-2}} * [[織田信高]](七男) * [[織田信吉]](八男) * [[織田信貞 (左京亮)|織田信貞]](九男) * [[織田信好]](十男) * [[織田長次 (長兵衛尉)|織田長次]](十一男) * [[織田信正]](庶長子{{Efn|庶長子とされる信正は存在を疑問視されることも多い。}}) {{col-end}} === 娘 === 信長の娘については、事跡の詳細が不明な者がほとんどである{{Sfn|渡辺江美子|2016|p=309}}。その上、『[[寛永諸家系図伝]]』では娘が6人となっているのに対して、より後年の『[[寛政重修諸家譜]]』では12人となっていたりと、系図によって娘の人数も一定しない{{Sfn|渡辺江美子|2016|p=314}}。渡辺江美子によれば、『寛永諸家系図伝』はおおよそ正しく長幼の順に娘を挙げているものの、法華寺本・坪内本の『織田系図』にある通り、長女は松平信康室ではなく蒲生氏郷室を長女とするのが正しいと推定される{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=316-317}}{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=328-329}}。また、『寛永諸家系図伝』に載らない娘について、水野忠胤室は夫の不祥事のために意図的に省かれたと思われ、万里小路充房室・徳大寺実久室の2人は、公家と婚姻したためか織田信孝扶養であったためかのいずれかの理由で見落とされたと考えられる{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=328-329}}。 {{columns-list|1| * [[相応院 (蒲生氏郷正室)|相応院]] - 長女(一般的に二女として伝わる){{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=316-317}}{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=328-329}}、[[蒲生氏郷]]室{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=316-317}}。 * [[徳姫|徳姫(五徳)]](見星院) - 二女(一般的に長女として伝わる){{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=328-329}}、[[松平信康]]室){{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=317-318}}。 * [[織田秀子|秀子]]、または藤、のちに上野御方(日栄) - [[筒井定次]]室{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=317-319}}。[[鶴姫 (中川秀政正室)|鶴姫(鷺の方)]]([[中川秀政]]室)と同一人物であるとも考えられる{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=317-319}}{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=326-327}}。 * [[永姫|玉泉院]] – [[前田利長]]室{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=319-320}}。名前や母は明らかでない{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=319-320}}。 * [[報恩院 (人物)|報恩院]] - [[丹羽長重]]室 {{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=320-322}}。 * [[於振|振]] - [[水野忠胤]]正室、[[佐治一成]]継室{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=324-325}}。母は[[興雲院|小倉鍋]] {{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=324-325}}。 * [[源光院 (人物)|源光院]] – [[万里小路充房]]室{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=324-325}}。 * [[三の丸殿]] - [[豊臣秀吉]]側室{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=320-322}}。信忠生母を母とすると言われるが、もとは赤松氏の娘である信長養女の[[二条昭実]]室と法名が一致しており、詳細は不明な点が多い{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=320-322}}。 * [[月明院]] - [[徳大寺実久]]室{{Sfn|渡辺江美子|2016|p=327}}。信長の末娘であると考えられる{{Sfn|渡辺江美子|2016|p=327}}。 }} === 養女 === {{columns-list|1| * [[赤松氏]]の娘 – 足利義昭の女房衆「[[さこの方|御さごの局]]」の侍女(『大外記中原師廉記』)。[[二条昭実]]側室で、妙心寺に韶陽院を開く{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=322-323}}。信長は始め[[烏丸光宣]]に嫁がせようとしたが、烏丸が断り二条昭実室となる{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=322-323}}。法名を同じくする信長の実の娘、[[三の丸殿]]との関係は不詳である{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=320-322}}。 * [[足利夫人 (織田信長の娘)|足利夫人]] - 虎福娘、天正19年4月26日信長養女として足利義昭側室になる(『多聞院日記』天正19年5月11日条){{Sfn|歴史読本|2012|pp=215-216|loc=[[和田裕弘]]「信長の「幻」の子供たち」}}。 * [[桂峯院]] – [[織田信広]]の娘で、信長の養女になったともされる{{Sfn|渡辺江美子|2016|p=320}}。[[丹羽長秀]]室{{Sfn|渡辺江美子|2016|p=320}}。 * [[斎藤夫人 (畠山昭高正室)|某]] - [[斎藤道三]]の娘、[[畠山昭高]]正室。 * [[龍勝院|龍勝寺殿]] – [[遠山直廉]]の娘で、信長の姪{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=327-328}}。[[武田勝頼]]室{{Sfn|渡辺江美子|2016|pp=327-328}}。 }} === 猶子 === * [[邦慶親王|五宮邦慶親王]]([[誠仁親王]]の第5皇子) === 一門衆 === {{col-begin}} {{col-4}} ;織田信定系 *[[織田信正 (掃部頭)|織田信正]] *[[織田信実]](叔父) *[[織田信次]](叔父) ;織田信康系 *[[織田信康]](叔父) **[[織田信清 (戦国武将)|織田信清]](犬山殿の夫) ***[[津田信益]] *[[織田広良]] ;織田信光系 *[[織田信光]] **[[織田信成 (戦国武将)|織田信成]] **[[織田信昌 (戦国武将)|織田信昌]] {{col-4}} ;織田信勝系 *[[津田信澄]] *[[織田信兼]] ;織田信張系 * [[織田信張]] ** [[織田信直]] *** [[織田信氏]] ***[[織田忠辰]] ;織田教広系 *[[織田教広]] *[[織田忠寛]] ; 他系 *[[織田信弌]] {{col-end}} == 墓所・霊廟・寺社 == <gallery widths="240px"> ファイル:OdaNobunaga mausoleum.jpg|本能寺 信長公廟 ファイル:Oda_nobunaga_honbyo.jpg|安土城址 織田信長公本廟 ファイル:Nishiyama honmonji Nobunaga kubizuka.JPG|静岡県富士宮市の西山本門寺の信長公首塚(写真左側) </gallery> 信長の遺体は発見されなかったが、以下の21箇所に衣冠墓・供養塔が作られている{{Sfn|加藤理文|2014|pp=34-44}}。 {{Col| * [[阿弥陀寺 (京都市上京区)|阿弥陀寺]] * [[今宮神社 (京都市)|今宮神社]] * [[総見院 (京都市)|総見院]] * [[大雲院 (京都市)|大雲院]] * [[本能寺]] * [[妙心寺#山内塔頭|妙心寺玉鳳院]] * [[建仁寺]] * [[聖隣寺]] * [[西光寺]] * [[摠見寺]] | * [[南宗寺]] * [[金剛峯寺]] * [[瑞龍寺]] * [[西山本門寺]] * [[長興寺]] * [[總見寺]] * [[總見院]] * [[泰巌寺]] * [[三宝寺]] * [[建勲神社]] }} == 関連事項 == === 史料 === {{Wikisource|信長公記|信長公記(我自刊我書)}} {{Wikisource|利家夜話}} {{Wikisource|カテゴリ:甲陽軍鑑|甲陽軍鑑}} {{Wikisource|佐久間軍記}} 織豊期の史料は相対的に豊富とは言えず、また、代表的な史料すら、それぞれの信頼性がどの程度かという評価も固まっているとは言えない{{Sfn|堀新|2014|pp=27-28}}。 一般に、信長研究において最も重要な基本史料とされるのは、[[奥野高廣]]が集成した信長発給文書(『[[織田信長文書の研究]]』)および、同じく奥野高廣ら校注の角川文庫版『信長公記』である{{Sfn|堀新|2014|pp=27-28}}{{Sfn|池上裕子|2012|p=はしがき8}}。 ただし、堀新によれば、後者の『信長公記』については、角川文庫版が自筆本の翻刻ではなく、また、『信長公記』の写本間の異同・系統研究もいまだ十分ではないという課題があるという{{Sfn|堀新|2014|pp=27-28}}。文書についても、信長発給文書だけでなく、家臣団発給文書の収集・分析が必要であるという課題を指摘している{{Sfn|堀新|2014|pp=27-28}}。 {{columns-list|3| * [[信長公記]]([[太田牛一]]) * [[フロイス日本史|日本史]]([[ルイス・フロイス]]) ** [{{NDLDC|1109335/124}} 信長とフロイス]<br/>([[耶蘇会士日本通信]]) * [[兼見卿記]]([[吉田兼見]]) * [[言経卿記]]([[山科言経]]) * [[晴豊公記]]([[勧修寺晴豊]]) * [[三河物語]]([[大久保忠教]]) * [[亜相公御夜話]]([[前田利家]]の言録) * [[明良洪範]]([[真田増誉]]) * [[天王寺屋会記]]([[津田宗及]]ら) * [[立入左京亮入道隆佐記]]<br/>([[立入宗継]]記) * [[本願寺文書]] * [[御湯殿上日記]] * [[浅井三代記]] * [[政秀寺古記]] * [[信長記]]・[[太閤記]]([[小瀬甫庵]]) * [[川角太閤記]] * [[明智軍記]] ** [[細川家記]] * [[細川両家記]] * [[甲陽軍鑑]] * [[勢州軍記]] * [[佐久間軍記]] * [[堂洞軍記]] * [[南北山城軍記]] * [[永禄美濃軍記]] * [[国友鉄砲記]] }} === 行事、祭礼 === [[ファイル:時代祭「織田公上洛列」立入宗継.jpg|代替文=時代祭「織田公上洛列」立入宗継|サムネイル|京都・[[時代祭#.E7.B9.94.E7.94.B0.E5.85.AC.E4.B8.8A.E6.B4.9B.E5.88.97|時代祭「織田公上洛列」]][[立入宗継]]・[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]・[[丹羽長秀]]・'''織田信長'''・[[滝川一益]]・[[柴田勝家]]]] * [[ぎふ信長まつり]]([[岐阜県]][[岐阜市]]) * [[織田信長サミット]](織田信長との関係が深い日本の市町および関係市町村の集まりにより開催される) === 織田信長を主題とした作品 === <!--信長を主題とするものに限られる、[[Wikipedia:関連作品]]--> ==== 小説 ==== * 『織田信長〈全六巻〉』[[鷲尾雨工]]、春秋社松柏館、1941年。浪速書房、1965年。のち富士見書房〈時代小説文庫〉、1991年 ほか。 * 『信長』[[坂口安吾]]、筑摩書房、1953年。宝島社〈宝島社文庫〉、2008年。 * 「桶狭間」(『異域の人』収録)[[井上靖]]、講談社、1954年。 * 『織田信長』[[山岡荘八]]、講談社〈山岡荘八歴史文庫〉、1961年。 * 『炎の柱 織田信長〈上・下〉』[[大仏次郎]]、徳間書店〈徳間文庫〉、1962年。学陽書房、2006年。 * 『[[国盗り物語]]』[[司馬遼太郎]]、1967年。 * 『寸法武者 八切意外史5』[[八切止夫]]、講談社、1967年。作品社、2002年。 * 『[[安土往還記]]』[[辻邦生]]、筑摩書房 1968年。新潮社〈新潮文庫〉、2005年。 * 『天目山の雲』井上靖、角川書店〈角川文庫〉1975年。 * 『[[下天は夢か]]』[[津本陽]]、1989年。 * 『決戦の時』[[遠藤周作]]、講談社、〈講談社文庫〉、1991年。 * 『鬼と人と〈上・下〉』[[堺屋太一]]、PHP研究所〈PHP文庫〉、1993年。 * 『炎の人 信長〈1 - 6〉』[[桑原譲太郎]]、徳間書店、1995年、1996年。電子書籍館 桑原譲太郎の世界、2009年。 * 『天魔信長』[[高橋直樹 (作家)|高橋直樹]]、講談社、1997年。 * 「峻烈」(『忠直卿御座船』収録)[[安部龍太郎]]、講談社〈講談社文庫〉、2001年。 * 『[[信長燃ゆ]]〈上・下〉』[[安部龍太郎]]、新潮社〈新潮文庫〉、2004年。 * 『[[信長の棺]]』[[加藤廣]]、2005年。 * 『蒼き信長』[[安部龍太郎]]、[[新潮社]]〈新潮文庫〉、2012年。 * 『信長暁の魔王』[[天野純希]]、[[集英社]]〈集英社文庫〉、2013年。 * 『うつけ世に立つ 岐阜信長譜』[[早見俊]]、[[徳間書店]]、2016年。 * 『信長の原理』[[垣根涼介]]、[[角川書店]]、2018年。 * 『信長の血涙』[[杉山大二郎]]、[[幻冬舎]]〈時代小説文庫〉、2021年。 ==== 映画 ==== * 『[[織田信長 (映画)|織田信長]]』(1940年、[[日活]] 監督:[[マキノ正博]] 演:[[片岡千恵蔵]]) * 『[[紅顔の若武者 織田信長]]』(1955年、[[東映]] 監督:[[河野寿一]] 演:[[萬屋錦之介|中村錦之助]]) * 『[[風雲児 織田信長]]』(1959年、東映 監督:河野寿一 同演) * 『[[若き日の信長]]』(1959年、[[大映]] 監督:[[森一生]] 演:[[市川雷蔵 (8代目)|市川雷蔵]]) * 『[[3人の信長]]』(2019年、[[HIGH BROW CINEMA]] 監督:[[渡辺啓]] 演:[[TAKAHIRO (歌手)|TAKAHIRO]]、[[市原隼人]]、[[岡田義徳]]) * 『[[レジェンド&バタフライ]]』(2023年、[[東映]] 監督:[[大友啓史]] 演:[[木村拓哉]]) * 『[[首 (北野武)#映画|首]]』(2023年、[[角川映画|KADOKAWA]]、監督:[[北野武]]、演:[[加瀬亮]]) ==== テレビドラマ ==== <!--信長を主題とするものに限られる、[[Wikipedia:関連作品]]--> 1963年から2009年までのNHK[[大河ドラマ]]48作中、信長の登場作品は18作<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010715 番組エピソード 大河ドラマの“信長”-NHKアーカイブス]</ref>に及ぶが、この数字は徳川家康に次いで豊臣秀吉と並び、他の歴史上の人物よりも遥かに多い{{Sfn|朴順愛|2010|pp=74-76}}。 *『[[若き日の信長#テレビドラマ|若き日の信長]]』(1961年、[[テレビ朝日|NET]] 演:[[市川團十郎 (11代目)|九代目 市川海老蔵]]) *『[[織田信長 (1962年のテレビドラマ)|織田信長]]』(1962年、[[朝日放送テレビ|朝日放送]] 演:[[林真一郎]]) *『若き日の信長』(1964年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]] 演:[[市川猿翁 (2代目)|市川猿之助]]) *『[[国盗り物語]]』 **[[国盗り物語 (NHK大河ドラマ)|NHK大河ドラマ]](1973年、演:[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]) **[[国盗り物語#新春ワイド時代劇版|新春ワイド時代劇版]](2005年、[[テレビ東京]] 演:[[伊藤英明]]) *『[[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]』(1989年、[[TBSテレビ|TBS]] 演:[[渡辺謙]]) *『[[信長 KING OF ZIPANGU]]』(1992年、NHK 演:[[緒形直人]]) *『[[織田信長 (1994年のテレビドラマ)|織田信長]]』(1994年、テレビ東京新春ワイド時代劇 演:高橋英樹) *『[[織田信長 天下を取ったバカ]]』(1998年、TBS 演:[[木村拓哉]]) *『[[女信長]]』(2013年、フジテレビ 演:[[天海祐希]]) *『[[信長のシェフ#テレビドラマ|信長のシェフ]]』(2013年、テレビ朝日 演:[[及川光博]](少年期:[[中内天摩]])) *『[[信長協奏曲]]』(2014年、フジテレビ 演:[[小栗旬]]) *『[[信長燃ゆ]]』(2016年、テレビ東京 演:[[東山紀之]]) *『[[小河ドラマ 織田信長]]』(2017年、[[時代劇専門チャンネル]] 演:[[三宅弘城]]、[[秋山竜次]]<ref group="注釈">秋山は劇中劇「連続時代劇 織田信長」の信長を演じる本人役としての出演だが、クレジットではあくまで「織田信長役」となっている。</ref>) *『[[桶狭間 OKEHAZAMA〜織田信長〜|桶狭間 OKEHAZAMA〜織田信長 覇王の誕生〜]]』(2021年、フジテレビ 演:[[市川團十郎 (13代目)|十一代目 市川海老蔵]]) *『[[新・信長公記〜クラスメイトは戦国武将〜]]』(2022年、日本テレビ 演:[[永瀬廉]]) ==== 漫画 ==== * [[鈴木光明]]『織田信長』(1955年、[[秋田書店]])<ref>{{Cite web|和書|title=まんだらけ通信販売 |url=https://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1042556423 |website=order.mandarake.co.jp |access-date=2023-08-07}}</ref> * [[佐々木慶子|佐々木けいこ]]『信長君』シリーズ(『田楽狭間の信長くん』、『信長君日記』、『信長君繁盛記』、『信長君風雲記』)(1977年 - 1982年、[[白泉社]]) * [[中島利行]]『織田信長―乱世の戦い』 (学研まんが人物日本史 7)(1979年、[[学研ホールディングス|学研]])<ref>{{Cite book|和書 |title=織田信長―乱世の戦い |url=https://www.amazon.co.jp/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7%E2%80%95%E4%B9%B1%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84-%E5%AD%A6%E7%A0%94%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%8C%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2-%E5%AE%89%E5%9C%9F%E6%99%82%E4%BB%A3-%E4%B8%AD%E5%B3%B6-%E5%88%A9%E8%A1%8C/dp/4050036169 |publisher=学研プラス |date=1979-10-01 |isbn=978-4-05-003616-5 |others= |author=中島利行}}</ref> * [[横山光輝]]『[[織田信長 (山岡荘八・横山光輝の漫画)|織田信長]]』(1985年、[[講談社]]、原作 山岡荘八) * [[池上遼一]]『[[信長 (漫画)|信長]]』(1986年 - 1990年、[[小学館]]、原作 [[工藤かずや]]) * [[木村茂光]]『織田信長 戦乱の世の風雲児』(学習漫画 日本の伝記 2)(1988年、[[集英社]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://item.rakuten.co.jp/dorama/n05108529/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868&icm_acid=255-776-8501&icm_cid=18637993114&gclid=Cj0KCQjwtamlBhD3ARIsAARoaEyOQ2kQL3YN3OfNekEylMPnL0zLSN18docvZBUuzuXBsM-lgYd5ktEaAtTNEALw_wcB&icm_agid=&iasid=wem_icbs_ |title=学習漫画 日本の伝記 集英社版 〔2〕 織田信長 戦乱の世の風雲児 |access-date=2023年7月9日}}</ref> * [[本宮ひろ志]]『[[夢幻の如く]]』(1991年 - 1995年、集英社) * [[志野靖史]]『[[内閣総理大臣 織田信長]]』(1994年 - 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|title=コミックゼノン創刊号、御パンツ付録でかぶいて候 |newspaper=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2010-10-25 |accessdate=2022-09-24}}</ref> - 2022年<ref>{{cite news |url=https://natalie.mu/comic/news/494977 |title=北原星望×原哲夫「いくさの子」が12年の連載に幕、完結記念のインタビューも |newspaper=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2022-09-24 |accessdate=2022-09-24}}</ref>、[[徳間書店]]、原作:[[堀江信彦|北原星望]]) * [[梶川卓郎]]『[[信長のシェフ]]』(2011年 - 、[[芳文社]]、原作 [[西村ミツル]]) * [[トミイ大塚]]『織田信長 : 「天下布武」へ-戦国乱世をかけぬけた男』(小学館版学習まんが人物館)(2012年、小学館)<ref>{{Cite book |title=織田信長 : 「天下布武」へ-戦国乱世をかけぬけた男 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023772749-00 |publisher=小学館 |date=2012 |location=東京 |first=小和田 |last=哲男, 1944- |last2=トミイ大塚 |first3=黒沢 |last3=哲哉, 1957-}}</ref> * [[そにしけんじ]]『[[ねこねこ日本史]]』(2014年 - 、[[実業之日本社]]) * [[小坂まりこ]]『[[戦国ダンス STEP ON THE WARRIOR]]』(2014年 ‐ 、ぼくらのヤングジャンプ) * [[山田圭子 (漫画家)|山田圭子]]『織田信長:天下統一をめざした武将』(学研まんがNEW日本の伝記)(2014年、学研) * [[すずき孔]]『マンガで読む 新研究 織田信長』(2018年、戎光祥出版、監修 柴裕之) * [[大和田秀樹]]『ノブナガ先生』(2018年 - 2020年、[[日本文芸社]]) * [[甲斐谷忍]]『[[新・信長公記〜ノブナガくんと私〜]]』(2019年 - 2021年、[[週刊ヤングマガジン]]、[[コミックDAYS]]) * [[藤本ケンシ]]『[[何度、時をくりかえしても本能寺が燃えるんじゃが!?]]』(2020年 ‐ 、[[週刊ヤングマガジン]]、原作:[[井出圭亮]]) ==== ゲーム ==== <!--信長を主題とするものに限られる、[[Wikipedia:関連作品]]--> * 『[[信長の野望シリーズ|信長の野望]]』シリーズ (1980年 - 、[[コーエー]]) ==== 楽曲 ==== * [[三波春夫]]「<!--セリフ入り歌謡曲-->織田信長」(1970年、作詞:[[北村精児]]、作曲:[[春川一夫]]。後に[[市川由紀乃]]がカバー) * 三波春夫「長編歌謡浪曲『信長』」(作詞・作曲:三波春夫) * [[三浦洸一]]「奇襲〜織田信長」(1973年、作詞:[[佐伯孝夫]]、作曲:[[渡辺岳夫]]。コンピレーション・アルバム『戦国の武将』(規格品番:SJX-155)収録) * [[聖飢魔II]]「[[ファラオのように#収録曲|織田信長]]」(1990年、作詞:[[デーモン閣下|デーモン小暮]]、作曲:[[石川俊介|ゼノン石川]]) * [[さくらゆき]]「夢幻の調べ」(2014年、作詞:[[小栗さくら]]、作曲:[[真鍋貴之]]) * [[レキシ]] feat. にゃん北朝時代([[カネコアヤノ]])「[[レキシチ|マイ草履]]」(2022年、作詞・作曲:池田貴史)<ref>[https://www.jvcmusic.co.jp/-/News/A024737/68.html カネコアヤノ参加の新曲「マイ草履 feat. にゃん北朝時代」配信スタート!安達祐実出演のMVも公開!]、ビクターエンタテインメント、2022年3月2日。</ref> ==== 舞台 ==== * [[TEAM NACS]] ニッポン公演「[[WARRIOR〜唄い続ける侍ロマン]]」([[2012年]]、演:[[戸次重幸]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|25em|refs= <ref name="日本大百科全書">{{Cite web|和書|author=[[脇田修]] |date= |url=https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=31 |title=織田信長 |work=[[日本大百科全書]] |publisher=小学館・ジャパンナレッジ |accessdate=2018-10-04 |archiveurl= |archivedate= }}</ref> <ref name="mainichi190524">[https://mainichi.jp/articles/20190524/k00/00m/040/206000c 信長の肖像画、竹の紙に描かれていた 文化庁調査で判明 6月に豊田で特別公開] - [[毎日新聞]]2019年5月24日</ref> }} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=朝尾直弘|authorlink=朝尾直弘|series=大系 日本の歴史 8|title=天下一統|publisher=小学館|year=1993|ISBN=978-4096220085|ref = {{SfnRef|朝尾直弘|2014}}}} * [[朝倉治彦]] [[三浦一郎]] 『世界人物逸話大事典』 [[角川書店]] 1996年2月 ISBN 978-4-040-31900-1。 * {{Cite book ja-jp|author=[[天野忠幸]]|year=2014|title = 三好長慶 諸人之を仰ぐこと北斗泰山|publisher = [[ミネルヴァ書房]]|series = ミネルヴァ日本評伝選|isbn = 978-4-623-07072-5|ref = {{SfnRef|天野忠幸|2014}}}}。 * {{Cite book ja-jp|author=[[天野忠幸]]|year=2016a|title = 三好一族と織田信長|publisher = [[戒光祥出版]]|series = 中世武士選書|isbn = 978-4-86403-185-1|ref = {{SfnRef|天野忠幸|2016a}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[天野忠幸]]|year=2016b|chapter=有岡城の戦い|editor2=[[渡辺大門]]|others2=[[日本史史料研究会]](監修)|title=信長軍の合戦史|publisher=[[吉川弘文館]] |isbn=9784642082976|ref={{SfnRef|天野忠幸|2016b}}}}。 * {{Cite book ja-jp|author=[[新井白石]]|others=村岡典嗣(校訂)||year=1936|title = 読史余論|publisher = [[岩波書店]]|series = 岩波文庫|isbn = 9784003021224|ref = {{SfnRef|新井白石|1936}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[池上裕子]]|year=2012|title=織田信長|series=[[人物叢書]]|publisher=吉川弘文館 |isbn=9784642052658 |ref={{SfnRef|池上裕子|2012}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[井原今朝男]]|year=2014|title=室町期廷臣社会論|publisher=塙書房 |isbn=9784827312669|ref={{SfnRef|井原今朝男|2014}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[今井林太郎]]|year=1985|chapter=信長の出現と中世的権威の否定|editor2=[[藤木久志]]|title=織田政権の研究|series=戦国大名論集17 |publisher=[[吉川弘文館]] |isbn=4642025979|ref={{SfnRef|今井林太郎|1985}}}}。初出:『[[岩波講座日本歴史]]』9近世1、1963年。 * {{Cite book ja-jp |author=[[臼井進]]|year=2015|chapter=室町幕府と織田政権との関係について -足利義昭宛の条書を素材として-|editor2=[[久野雅司]]|title=足利義昭|series=シリーズ・室町幕府の研究 第二巻|publisher=[[戒光祥出版]] 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[[鳥取環境大学]]紀要|issue=8|publisher=|url=https://www.kankyo-u.ac.jp/f/introduction/publication/bulletin/8/1089.pdf|format=pdf|ref={{SfnRef|岡垣頼和・浅川滋男|2010}}}}。 * {{Cite book ja-jp|author=[[奥野高廣]]・[[岩沢愿彦]]|chapter=解説|year=1969|title =信長公記|publisher=[[角川書店]]|series=角川文庫2541|isbn = 9784044037017|ref = {{SfnRef|奥野高廣|岩沢愿彦|1969}}}}。 * {{Cite book ja-jp|author=[[奥野高廣]]|year=1988a|title =増訂 織田信長文書の研究 上|publisher = [[吉川弘文館]]|isbn=9784642025768|ref={{SfnRef|奥野高廣|1988a}}}}。 ** {{Cite book ja-jp|author=[[奥野高廣]]|year=1988b|title =増訂 織田信長文書の研究 下|publisher = [[吉川弘文館]]|isbn=9784642025775|ref={{SfnRef|奥野高廣|1988b}}}}。 ** {{Cite book ja-jp|author=[[奥野高廣]]|year=1988c|title =増訂 織田信長文書の研究 補遺索引|publisher = [[吉川弘文館]]|isbn=9784642025782|ref={{SfnRef|奥野高廣|1988c}}}}。 * {{Citation |和書|last =小和田|first=哲男|author-link=小和田哲男|year=2014|series=PHP文庫|publisher=PHP研究所|edition=Kindle|title =明智光秀と本能寺の変|ref=owada}}{{ASIN|B00XKZGIHQ}}(文庫版{{ISBN2|978-4569762715}}) * 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[[河出書房新社]] |isbn = 9784473042026 |ref = {{SfnRef|金子拓|2017a}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author = [[金子拓]] |year = 2017 |title = 戦国おもてなし時代 信長・秀吉の接待術 |publisher = [[淡交社]] |isbn = 9784473042026 |ref = {{SfnRef|金子拓|2017b}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author = [[神田千里]] |year = 2002|title = 戦国乱世を生きる力|publisher = [[中央公論社]] |series = 日本の中世11|isbn = 9784124902204 |ref = {{SfnRef|神田千里|2002}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author = [[神田千里]] |year = 2013a |chapter = 織田政権の支配の論理 |title = 戦国時代の自力と秩序 |publisher = [[吉川弘文館]] |isbn = 9784642029148 |ref={{SfnRef|神田千里|2013a}}}}。初出:「織田政権の支配の論理に関する一考察」『東洋大学文学部紀要』史学科篇27号、2002年。 * {{Cite book ja-jp |author=[[神田千里]]|year=2013b|chapter=中世末の「天下」について|title=戦国時代の自力と秩序|publisher=[[吉川弘文館]] |isbn=9784642029148|ref={{SfnRef|神田千里|2013b}}}}。初出:「中世末の『天下』について-戦国末期の政治秩序を考える-」『武田氏研究』42号、2010年を改稿。 * {{Cite book ja-jp |author = [[神田千里]] |year = 2014|title = 織田信長|publisher = [[筑摩書房]] |series = ちくま新書1093 |isbn =9784480067890 |ref = {{SfnRef|神田千里|2014}}}}。 * {{Cite journal ja-jp|author=[[神田千里]]|year=2015|title=ルイス・フロイスの描く織田信長像について|journal=東洋大学文学部紀要. 史学科篇|issue=41|publisher=東洋大学|url=http://id.nii.ac.jp/1060/00007921/|ref={{SfnRef|神田千里|2015}}}}。 * 神田裕理「織豊期の改元」『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』校倉書房、2011年。 * {{Cite book ja-jp |author = [[神田裕理]] |year = 2017 |chapter=「信長の馬揃え」は、朝廷への軍事圧力だったのか|editor2=[[渡辺大門]]|others2=[[日本史史料研究会]](監修)|title=信長研究の最前線2|publisher=洋泉社 |isbn=9784800313065|ref={{SfnRef|神田裕理|2017}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author = [[木下聡]] |year = 2011 |chapter = 織豊期の武家官位 |title = 中世武家官位の研究 |publisher = [[吉川弘文館]] |isbn = 9784642029049 |ref={{SfnRef|木下聡|2011}}}}。 * {{Cite book ja-jp|author=[[木下昌規]]|year=2014a|title = 戦国期足利将軍家の権力構造|publisher = [[岩田書院]]|isbn = |ref = {{SfnRef|木下昌規|2014a}}}}。木下昌規 2014a。 * {{Cite book ja-jp |author=[[木下昌規]]|year=2014b|chapter=信長は将軍足利義昭を操っていたのか|editor2=[[日本史史料研究会]]|title=信長研究の最前線|publisher=洋泉社 |isbn=9784800305084|ref={{SfnRef|木下昌規|2014b}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[木下昌規]]|year=2016|chapter=本能寺の変|editor2=[[渡辺大門]]|others2=[[日本史史料研究会]](監修)|title=信長軍の合戦史|publisher=吉川弘文館 |isbn=9784642082976|ref={{SfnRef|木下昌規|2016}}}}。 * 木下昌規「戦国期足利将軍家の任官と天皇―足利義晴の譲位と右大将任官を中心に―」木下昌規編著『シリーズ・室町幕府の研究 第三巻 足利義晴』[[戒光祥出版]]、2017年。ISBN 9784864032537。初出:『日本歴史』793号、2014年。 * {{Cite book ja-jp |author=[[桐野作人]]|year=2009|chapter=信長と合戦|editor2=[[堀新 (歴史学者)|堀新]]|title=信長公記を読む|publisher=吉川弘文館 |isbn=9784642071581|ref={{SfnRef|桐野作人|2009}}}}。 * [[桐野作人]]『火縄銃・大筒・騎馬・鉄甲船の威力 戦国最強の兵器図鑑』新人物往来社,2010年。 * 桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』 新人物文庫、KADOKAWA/中経出版、2014年。 * {{Citation |和書|last =桐野|first=作人|author-link=桐野作人|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<明智光秀と本能寺の変>|publisher=学研|edition=Kindle|title =謀叛の成功から孤立へ}}{{ASIN|B00NWBFHEI}} * {{Cite book ja-jp |author=[[久野雅司]]|year=2015a|chapter=足利義昭政権の研究|editor2=[[久野雅司]]|title=足利義昭|series=シリーズ・室町幕府の研究 第二巻|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-162-2|ref={{SfnRef|久野雅司|2015a}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=久野雅司|year=2015b|chapter=足利義昭政権論|editor2=[[久野雅司]]|title=足利義昭|series=シリーズ・室町幕府の研究 第二巻|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-162-2|ref={{SfnRef|久野雅司|2015b}}}}。初出:『栃木史学』第23号、2009年。 * {{Cite book ja-jp |author= 久野雅司|year=2017|title=足利義昭と織田信長|publisher=[[戎光祥出版]]|series=[[中世武士選書]]40|isbn=978-4864032599|ref={{SfnRef|久野雅司|2017}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=久野雅司|year=2019a|chapter=足利義昭政権滅亡の政治的背景|title=織田信長政権の権力構造|series=戎光祥研究叢書16|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-326-8|ref={{SfnRef|久野雅司|2019a}}}}。初出:『戦国史研究』第74号、2017年。 * {{Cite book ja-jp |author=久野雅司|year=2019b|chapter=足利義昭政の蜂起と〈天下静謐〉をめぐる抗争|title=織田信長政権の権力構造|series=戎光祥研究叢書16|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-326-8|ref={{SfnRef|久野雅司|2019b}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=久野雅司|year=2019c|chapter=織田信長発給文書と織田政権|title=織田信長政権の権力構造|series=戎光祥研究叢書16|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-326-8|ref={{SfnRef|久野雅司|2019c}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=久野雅司|year=2019d|chapter=織田信長と足利義昭の軍事的関係について|title=織田信長政権の権力構造|series=戎光祥研究叢書16|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-326-8|ref={{SfnRef|久野雅司|2019d}}}}。初出:『白山史学』第53号、2017年。 * {{Cite book ja-jp |author=久野雅司|year=2019e|chapter=京都支配における足利義昭政権と織田信長政権|title=織田信長政権の権力構造|series=戎光祥研究叢書16|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-326-8|ref={{SfnRef|久野雅司|2019e}}}}。原題:「足利義昭政権と織田信長政権」『歴史評論』640号、2003年。 * {{Cite book ja-jp |author=久野雅司|year=2019f|chapter=足利義昭政権における相論裁許と義昭の〈失政〉|title=織田信長政権の権力構造|series=戎光祥研究叢書16|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-326-8|ref={{SfnRef|久野雅司|2019f}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=久野雅司|year=2019g|chapter=京都支配における織田家奉行人の基礎的考察|title=織田信長政権の権力構造|series=戎光祥研究叢書16|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-326-8|ref={{SfnRef|久野雅司|2019g}}}}。原題:「織田政権の京都支配における奉行人についての基礎的考察」『いわき明星大学人文学部研究紀要』第28号、2015年。 * {{Cite book ja-jp |author=[[久保尚文]]|year=2015|chapter=和田惟政関係文書について|editor2=[[久野雅司]]|title=足利義昭|series=シリーズ・室町幕府の研究 第二巻|publisher=[[戒光祥出版]] |isbn=978-4-86403-162-2|ref={{SfnRef|久保尚文|2015}}}}。初出:『京都市歴史資料館紀要』創刊号、1984年。 * {{Cite book ja-jp |author= [[桑田忠親]]|year=1958|title=淀君|publisher=[[吉川弘文館]]|series=[[人物叢書]]|isbn=|ref={{SfnRef|桑田忠親|1958}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author = [[呉座勇一]] |year = 2018|chapter=本能寺の変に黒幕はいたか |title = 陰謀の日本中世史 |publisher = [[KADOKAWA]]|series=角川新書K-196 |isbn = 9784040821221 |ref = {{SfnRef|呉座勇一|2018}}}}。 * {{Cite journal ja-jp|author=[[榊原悟]] |year=2010 |title=海を渡った屏風たち |journal=家具道具室内史 |volume=|issue=2|publisher=家具道具室内史学会|url=https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10481179_po_ART0009701117.pdf?contentNo=1&alternativeNo=|formatpdf|ref={{SfnRef|榊原悟|2010}}}} * {{Cite journal ja-jp|author=[[四宮美帆子]]|year=2013|title=豊臣政権下の鷹図|journal=早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第3分冊, 日本語日本文学 演劇映像学 美術史学 表象・メディア論 現代文芸|volume=58|publisher=早稲田大学大学院文学研究科|ref={{SfnRef|四宮美帆子|2013}}}}。 * 柴裕之「戦国大名武田氏の遠江・三河侵攻再考」『武田氏研究』第37号、2007年。 * {{Cite book ja-jp |author=[[柴裕之]]|year=2011|chapter=戦国期尾張織田氏の動向|editor2=[[柴裕之]]|title=尾張織田氏|series=論集 戦国大名と国衆6 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ja-jp|author=[[鈴木公雄]]|year =2002|title =銭の考古学|publisher =[[吉川弘文館]]|series=歴史文化ライブラリー|isbn=9784642055406|ref = {{SfnRef|鈴木公雄|2002}}}}。 * {{Cite book ja-jp|author=[[鈴木眞哉]]|author2=[[藤本正行]]|year =2006|title =信長は謀略で殺されたのか 本能寺の変謀略説を嗤う|publisher =[[洋泉社]]|series=洋泉社新書y|isbn=9784896919950|ref = {{SfnRef|鈴木眞哉|藤本正行 |2006}}}}。 * {{Cite journal ja-jp|author=[[高木久史]]|year=2005|title=信長期の金銀使用について|journal=[[福井県文書館]]研究紀要|volume=||issue=2 |publisher=[[福井県文書館]]|ref={{SfnRef|高木久史|2005}}}}。 * {{Cite book ja-jp|others=[[高木洋]](編著)|year =2011|title =宣教師が見た信長の戦国|publisher =[[風媒社]]||isbn=9784833105491|ref = {{SfnRef|高木洋|2011}}}}。 * {{Cite journal ja-jp|author=高橋博|year=1992|title=天正十年代の東国情勢をめぐる一考察:下野皆川氏を中心に|journal=[[弘前大学國史研究]]|issue=93 |publisher=[[弘前大学國史研究会]]|ref={{SfnRef|高橋博|1992}}}}。 * {{Cite journal ja-jp|author=[[立石了]]|year=2018|title=回顧と展望 織豊期|journal=[[史学雑誌]]|volume=127||issue=6 |publisher=[[史学会]]|ref={{SfnRef|立石了|2018}}}}。 * {{ Cite book ja-jp |author=[[谷口克広]] |others=[[高木昭作]](監修) 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谷口克広|year = 2007b|title = 検証 本能寺の変|publisher = [[吉川弘文館]]|series = 歴史文化ライブラリー232|isbn = 978-4642056328|ref = {{SfnRef|谷口克広|2007b}} }} * {{Cite book ja-jp|author = 谷口克広|year = 2009|title =信長の天下所司代 筆頭吏僚村井貞勝|publisher = 中央公論新社|series=中公新書|isbn = 9784121020284|ref = {{SfnRef|谷口克広|2009}} }} * {{Cite book ja-jp|author = 谷口克広|year = 2012|title =信長と家康―清須同盟の実体|publisher =[[学研出版]]|series=学研新書|isbn =9784054052130 |ref = {{SfnRef|谷口克広|2012}} }} * {{Cite book ja-jp|author = 谷口克広|year = 2013|title =信長の政略 信長は中世をどこまで破壊したか|publisher =[[学研パブリッシング]]|isbn =9784054057104 |ref = {{SfnRef|谷口克広|2013}} }} * {{Cite book ja-jp|author = 谷口克広|year = 2017|title =天下人の父親・織田信秀 信長は何を学び、受け継いだのか|publisher =[[祥伝社]]|series=祥伝社新書|isbn =9784396115012 |ref = {{SfnRef|谷口克広|2017}} }} * {{Cite book|和書|url=|title=信長と家康の軍事同盟-利害と戦略の二十一年|series=|author=谷口克広|publisher=[[吉川弘文館]]|year=2019|month=11|isbn=978-4642071116|ref=harv}} *{{Cite book ja-jp|author= 富加町史編集委員会|authorlink= |coauthors= |year= 1980|title= 富加町史|volume = 下巻 通史編||publisher= 富加町|location= |chapter = 第二代加治田城主斎藤新五|id= |isbn=|ref={{SfnRef|富加町史編集委員会|1980}}}}。 * 田村英恵 「織田信長像をめぐる儀礼」黒田日出男(編)『肖像画を読む』 角川書店、1998年。 * {{Cite book ja-jp |author=[[中川貴皓]]|chapter=松永久秀と信貴山城|year=2017|editor2=[[天野忠幸]]|title=松永久秀 歪められた戦国の"梟雄"の実像|publisher=[[宮帯出版社]]|isbn=978-4801600577|ref={{SfnRef|中川貴皓|2017}}}}。 * {{Cite book ja-jp| author=[[中村栄孝]]|editor2=国史研究会 |year=1935|volume=第6|chapter=文禄・慶長の役|title =岩波講座日本歴史|publisher =岩波書店|url={{NDLDC|1920813/77}} |ref={{SfnRef|中村栄孝|1935}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[長澤伸樹]]|year=2017|chapter=楽市楽座令研究の軌跡と課題|title=楽市楽座令の研究|publisher=[[思文閣出版]] |isbn=9784784219087|ref={{SfnRef|長澤伸樹|2017}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[長屋隆幸]]|year=2016|chapter=長篠の戦い|editor2=[[渡辺大門]]|others2=[[日本史史料研究会]](監修)|title=信長軍の合戦史|publisher=吉川弘文館 |isbn=9784642082976|ref={{SfnRef|長屋隆幸|2016}}}}。 * {{Cite book ja-jp|author = 西ヶ谷恭弘|authorlink = 西ヶ谷恭弘|year = 2000|title = 考証 織田信長事典|publisher = 東京堂出版|isbn = 978-4490105506|ref = {{SfnRef|西ヶ谷恭弘|2000}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[朴順愛]]|year=2010|chapter=日本における大衆文化のグローバル化と変容 NHK大河ドラマ分析を通じて|editor2=[[谷川建司]]・[[王向華]]・[[呉咏梅]]|title=サブカルで読むナショナリズム 可視化されるアイデンティティ|publisher=[[青弓社]] |isbn=978-4-7872-3322-6 |ref={{SfnRef|朴順愛|2010}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[服部英雄]]|year=2000|title=地名の歴史学|publisher=角川書店 |isbn=|ref={{SfnRef|服部英雄|2000}}}}。 * {{Cite book ja-jp|author = 林屋辰三郎|authorlink = 林屋辰三郎|year = 2005|title = 天下一統|publisher = [[中央公論社]]|series = 中公文庫・日本の歴史12|isbn = 978-4122045224|ref = {{SfnRef|林屋辰三郎|2005}} }}改版。 * {{Cite journal ja-jp|author = [[原田正記]] |title = 織田権力の到達 : 天正十年“上様御礼之儀”をめぐって |year = 1991 |publisher = |journal = 史苑 |volume = 51 |issue = |naid = |ref = {{SfnRef|原田正記|1991}}}}。 * 播磨良紀「織田信長の長島一向一揆攻めと「根切」」、新行紀一編『戦国期の真宗と一向一揆』吉川弘文館、2010年。 * {{Cite journal ja-jp|author=[[平井上総]]|year=2017|title=織田信長研究の現在|journal=[[歴史学研究会|歴史学研究]]|issue=955 |editor2=[[歴史学研究会]]|publisher=青木書店|ref={{SfnRef|平井上総|2017|}}}}。 * {{Cite book |和書|author=平井上総|authorlink=平井上総|year=2020|title=織田政権の登場と戦国社会|series =列島の戦国史 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山本英男 「大徳寺所蔵の狩野永徳筆織田信長像について ―修理で得られた知見を中心に―」、『京都国立博物館學叢』所収、2011年。 * {{Cite book ja-jp |author=[[横田冬彦]]|year=2009|chapter=学術文庫版あとがき|title=天下泰平|series=日本の歴史16|publisher=[[講談社]] |isbn=9784062919166|ref={{SfnRef|横田冬彦|2009}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[横山住雄]]|year=2011|chapter=犬山落城・永禄八年説|editor2=[[柴裕之]]|title=尾張織田氏|series=論集 戦国大名と国衆6 |publisher=[[岩田書院]] |isbn=9784872947151|ref={{SfnRef|横山住雄|2011}}}}。初出:『郷土文化』40巻1号、1985年。 * {{Cite book ja-jp| author =[[頼山陽]]|editor2=[[池辺義象]]| year =1938|title =邦文日本外史 中巻|publisher =大洋社出版部|url={{NDLDC|1031314/2}}|ref={{SfnRef|頼山陽|1938}}}}。初出:[[1827年]]。 * [[ルイス・フロイス]]著/[[松田毅一]]・[[川崎桃太]]訳『完訳フロイス日本史』全12巻、[[中公文庫]]、2000年。 * {{Cite book|和書|editors=歴史読本編集部|title=信長の子|date=2012-09|publisher=[[新人物往来社]]|isbn=978-4-404-04244-6|ref={{SfnRef|歴史読本|2012}}}} * {{Cite book ja-jp |author=[[脇田修]]|year=1987|title=織田信長 中世最後の覇者|series=中公新書|publisher=中央公論社 |isbn=9784121008435|ref={{SfnRef|脇田修|1987}}}}。 * {{Cite book ja-jp |author=[[和田裕弘]]|year=2019|title=織田信忠―天下人の嫡男 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信長研究所] * {{Kotobank}} {{織田政権}} {{織田弾正忠家}} {{Normdaten}} {{Good article}} {{デフォルトソート:おた のふなか}} [[Category:織田信長|*]] [[Category:戦国大名]] [[Category:三英傑]] [[Category:織豊政権の大名|*]] [[Category:織田信秀の子女|のふなか]] [[Category:正一位受位者]] [[Category:日本の神 (人物神 戦国大名)]] [[Category:中部地方の歴史]] [[Category:都市の建設者]] [[Category:16世紀日本の政治家]] [[Category:16世紀アジアの統治者]] [[Category:安土桃山時代に戦死した人物]] [[Category:尾張国の人物]] [[Category:1534年生]] [[Category:1582年没]]
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中国語
中国語(ちゅうごくご、中: 中文、汉语/漢語、华语/華語 、ピンイン: Zhōngwén, Hànyǔ, Huáyǔ、英: Chinese)は、シナ・チベット語族に属する言語。中華人民共和国・中華民国(台湾)・シンガポール共和国の公用語であるほか、世界各国に住む華僑・華人の間でも使用されている。 各方言を含む中国語を母語とする人は約13億9000万人、第二言語としても約2億人が使用しているといわれており、世界最大の母語話者人口を有する。また、国際連合における公用語の一つでもある。 中華人民共和国では、中文 (Zhongwen) と呼ぶ。中国は多民族国家かつ多言語国家であり、少数民族の言語も「中国の言語」と言えなくもないことから、それらと区別するために漢語(漢族の言語)(Hanyu) と呼ぶことが多く、学術的な用語としてもよく使われる。他に現地では中国語 (Zhongguoyu) などとも言う呼び方もある。 中国語の内、標準語である標準中国語には中国の普通話、台湾の国語と台湾国語、シンガポールやマレーシアなどの華語がある(詳細は#歴史および各項目を参照)。 日本語でただ「中国語」と言った場合、普通話を指すことが多い。また、普通話を俗に「北京語」と呼ぶことがあるが、日本の標準語と東京方言の関係と同様に、普通話と北京官話は必ずしも同一のものではない。 なお、一般的に、中国語では、文字のある言語を文といい(例:ドイツ語→德文)、明確に定めた文字のない言語、方言あるいは口語・会話のことを指すときには話という(例:上海話)。語は前述の両方に使われる(例:德語(ドイツ語)、閩南語)。 中国語の特徴といえば「漢文からの簡潔さ」ということである。 簡潔さの例として、まず中国語では時制が省略される。ゆえに現在か未来か過去かは読者の判断にゆだねられる。また句と句、語と語の間の関係が、条件と結果であるとき、順接であるとき、逆接であるとき、いずれも概ね語順によってのみ示され、これも読者の判断にまかされる。ゆえに中国語の文法は簡単であるが、常識によって理解されるという特徴がある。さらに助字(而・之・於・者・焉の類)も省略される。中国語には助字を添加してもしなくても文章が成立するという性質がある。よってこれを日本語に訓読する場合は、「てにをは」を添加する必要がある。 一方、中国語はリズムに敏感な詩のような性質を常に保持し、そのリズムの基礎は四字句が中心になっていることが多い。こうしたリズムの組成のために助字がしばしば作用する。助字は、あってもなくてもよい語であるという性質を利用して、簡潔とは逆行するが、助字を添加することによってリズムを完成させ、文章を完成させる。よってこのようなリズムの充足のために添えられた助字は、はっきりした意味を追求しにくいことがよくある。またこの四字句などは、しばしば対句的な修辞となる。つまり同じ文法的条件の語を同じ場所におく、繰り返しのリズムである。この対句は中国語の性質から成立しやすいものであり、その萌芽が『老子』をはじめとする古代の文章にしばしば見える。これがやがて律詩を生み、唐から宋までの中世の美文・四六駢儷文を生んだ。 上古中国語(紀元前15世紀頃 - 3世紀頃) 中古中国語(4世紀頃 - 宋代) 古官話(元代、明代、清代) 1895年の日清戦争後に、西欧の事物・概念を表す語を中心に和製漢語の中国語への流入がはじまり、1898年に梁啓超が横浜市で『清議報』を発刊したことによってそれが本格化した。1905年の中国同盟会結成頃から、優秀な学生が日本の早稲田大学などへ留学し、既に日本語化され定着した「和製漢語」などの西洋概念に触れ、日本の国語の影響を強く受けた。この新漢語の大量流入は1919年ごろまでに最盛期を迎え、その後も第二次世界大戦終了までは徐々に数量を減じながらも継続していた。 一方、清朝末期になると中国でも標準語制定の動きが高まり、1904年には初等・中等教育において官話学習が義務化された。このころまでは「官話」という言葉は将来制定されるべき「標準語」との意味も含んでいたが、1910年には標準語という意味で「國語」という呼称が用いられるようになり、以後官話は北京を中心とした方言を、國語は標準語を指すようになった。台湾ではその名が今でも受け継がれている。1911年には清国政府によって標準語としての國語統一を目指す法案が決定された。 同年起こった辛亥革命によってこの動きは一時中断したものの、新たに成立した中華民国政府は中国語の統一を重視し、國語統一の動きは引き続き進められた。中華民国における「國語」制定においてはまず発音の統一が重視されたが、この発音については北京方言を用いるか、各地の方言を折衷した新しい発音を用いるかの論争が起こり、最終的に1924年に北京方言を主に用いることと定められた。 1917年には、陳独秀の発行する雑誌『新青年』誌上において、胡適を中心として書き言葉を「文語体」(文言文) から「口語体」へ変えようとする動き(白話運動)が広がり、文学革命が起こった。魯迅の『阿Q正伝』などがこの運動の中で生み出された。1919年(民国8年)、北京大学教授の銭玄同は、雑誌に寄稿して文字改革を訴えて漢字の廃止を主張し、新文化運動の中心人物となった。 第二次世界大戦後、1949年に中国大陸に成立した中国共産党による中華人民共和国においても、標準語の制定と言語統一は引き続き追求された。ただし発音的には「國語」がすでに確立され、中華民国統治期にすでに全国に普及していたため、基本的にこれを踏襲する姿勢を取った。ただし「國語」は日本語からの借用語であったため、「普通話」と名を改めることとした。これに対し、台湾へと逃れた中華民国政府は引き続き「國語」という用語を使用し続けた。 清朝末期から中華民国期にかけて、語法面で英語の影響を受けて出現した新たな中国語の言い回しも数多くあり、これは「欧化語法現象」と呼ばれている。 中華人民共和国政府は発音の面では中華民国政府の政策を踏襲したが、文字の面では大規模な改革に踏み切り、正書法として従来の漢字を簡略化した簡体字が1956年に採用された。また、言語の統制機関として1954年に中国文字改革委員会が設置され、1985年には国家語言文字工作委員会と改称された。 中国では文章語は古代より統一されていたが、口語は各地方ごとに異なり、同じく漢字の発音も各方言ごとに異なっていた。この状況の解消を目指し、20世紀初頭から中盤にかけて北方語の発音・語彙と近代口語小説の文法を基に「普通話」(pǔtōnghuà)が作られた。日本では「標準語」に当てはまる。人民の意思疎通を容易にするため、中国では中央政府の標準語政策により積極的に普通話の使用が推進され、教育や放送で取り入れられ、標準語・共通語とされている。一般的に、全人口の8割程度が普通話を理解するといわれ、方言話者の若い世代は普通話とのバイリンガルとなっていることが多い。2017年には、中国国民のおよそ80%が普通話を使用することができ、2000年の53%から大幅に増加したことが報じられた。 台湾においても、日本の敗戦後に施政権を握った中華民国政府が「国語」(guóyǔ)(「普通話」とほぼ同一で相互理解は可能だが音声と語彙に差異がある)による義務教育を行っている。 シンガポールやマレーシアなどの東南アジアの地域では、普通話や中華民国国語に似ている標準中国語が一般的に「華語」(huáyǔ)と呼ぶ。 2012年における中国で話される言語別の人口割合(下位にさらに細かい方言がある) 中国には多くの方言がある。例えば、北京語(北方語の一つ)と広州語(広東語・粤語の一つ)と上海語(東部に分布する呉語の一つ)では発音、語彙ともに大きく異なるだけでなく、文法にも違いがあり、普通話しか話せない者は、広東語などの方言を聞いてもほとんど理解できないため、別の言語とする見方もある。しかし、文章語は共通しており書かれた文の読解は容易であるため、中国ではテレビで放送されるドラマや映画、アニメなどに字幕を付けることが多い。また各地方語はあくまでも中国語群には属していて対応関係が明確であるため、普通話を標準語として上位に置き、各地方語は方言と呼ばれることが一般的である。 方言区分は議論のあるところであり、いくつに分けるか学者によって異なっている。2分類では、湖南省以東では長江が南北の等語線とほぼ等しく(南通、鎮江などは例外)、これより北と西の内陸部が「北方語」(および晋語)、これより南が南方諸方言地域に分類することができる (Encyclopædia Britannica, Inc., 2004)。 諸方言は中国祖語をもとに、タイ諸語などの南方諸語やモンゴル語、満洲語など北のアルタイ諸語の発音、語彙、文法など特徴を取り込みながら分化したと考えられている。特徴として、声調を持ち、孤立語で、単音節言語であることが挙げられる (Columbia University Press, 2004) が、現代北方語(普通話を含む)は元代以降、かなりの程度アルタイ化したため必ずしも孤立語的、単音節的ではない。 以下の方言は独立した大方言区とすべきとの議論がある。オーストラリア人文アカデミーと中国社会科学院がまとめた 『中国言語アトラス (The Language Atlas of China)』 はこの立場で編纂されている。 Ethnologue は、漢語を14に分類している (SIL International, 2004)。キルギスのドンガン語は、キリル文字を用いて表記し、ロシア語やキルギス語などからの借用語が多く、使用国も異なるため、独立言語とし、平話を除いた九方言にドンガン語を加えたものである。この場合、閩語は閩北語・閩東語・閩南語・閩中語・莆仙語の五つの言語に分けられる。 その他、分類が定まっていない小方言群がある。 中国語は声調言語である。音節の音の高低の違いが子音や母音と同じように意味を区別している。これを声調(トーン、tone)という。例えば、「普通話」には {ma} という形態素は軽声も含めて19個もある(松岡、2001)。しかし陰平声、陽平声、上声、去声の四つの声調 と軽声があるので、実際には5種の異なる形態素に分けられる。 中国語の共通文字体系である漢字の歴史は古い。漢字は中国独自の文字で、ラテン文字などのアルファベットと異なり、音節文字であり表意文字である。漢字は大量かつ複雑な容姿をした部品を用い、かつ不規則な読み方をし、異体字や類義の字も多いため、習得に長期間を要し、経済的にも効率が悪いといった趣旨の否定的な評価から、文字の簡略化やラテン文字への移行を求める動きが民国期以降盛んとなり、簡体字や拼音表記の開発へとつながっていった。実際に朝鮮民主主義人民共和国やベトナムでは漢字を廃止した。 上記の動きに伴い、中国大陸の中華人民共和国では1956年に、字画が少なく読みや構成にも統一性を高めた簡体字が正式採用された。簡体字は、中国全土で使用されることが中央政府によって義務化され、シンガポールも中国語(華語)の表記に採用した。これに対して、中華民国(台湾)、香港、マカオでは、基本的に簡体字以前の字体を維持した繁体字(正体字)が使われている。 中国語には簡体字と繁体字があり、これら2つは同じ漢字でも表記が異なる。繁体字・簡体字は、それぞれの文化圏での政治的・技術史的な経緯から、コンピュータ処理においては全く互換性のない別の文字コード・文字セット体系(簡体字圏=GB 2312、繁体字圏=Big5)が使用されてきた。簡体字には複数の繁体字を1字にまとめて整理した形をとったものがある(多対一)ことから、逆に簡体字から繁体字に変換する場合(一対多の使い分けが必要)、「头发(頭髪)」を「頭發」、「干杯(乾杯)」を「幹杯」とする類の誤変換が中国大陸のウェブサイトの繁体字版ページなどによく見られる。 中国語のローマ字表記には19世紀以来Wade-Giles方式が伝統的に使われてきて、今でも台湾の道路標識、英字新聞に出る個人名称などに使われている。次いで中華民国期の1913年には注音符号と呼ばれる発音記号が開発され、広く普及した。中華民国政府が統治する台湾では、今でも注音符号を用いて漢字の読みを示すのが一般的である。中華人民共和国は1956年に漢語拼音方案という新しいローマ字表記法を制定した。この拼音は、1977年に国連の第3回地名標準化会議で中国の地名のローマ字表記法として、1982年にはISOで中国語のローマ字表記法として採用された。また、拼音は、外国人(特に欧米人)による中国語学習や小学生の漢字学習の助けにもなっている。2009年には台湾でも漢語拼音も採用している。 語形変化(活用)が生じず、語順が意味を解釈する際の重要な決め手となる孤立語である。孤立的な特徴をもつ言語としては他にベトナム語などがある。基本語順はSVO型である。しかし、現代北方語や文語では「把」や「將」、「以」による目的格表示などがあり、SOV型の文を作ることができ、かつ膠着語に近づいている。 例 現代語では、日本語のように動詞の前後や文末に助詞・助動詞が来る。例えば了は動詞につくとアスペクト(完了)を表し、文末につくとモダリティを表す。 中国語には時制を表す文法カテゴリーが存在しない。一方でアスペクトは存在し、動詞に「了」(完了)「过/過」(経験)「着/著」(進行)をつけることによって表される。 また、 格による語形変化がないのが孤立語の特徴である。したがって、中国語でも名詞や形容詞に格の変化は生じない。格は語順によって示される。 例 1人称単数の人称代名詞「我」 (wŏ) 中国語は基本的に単音節言語であるが、現代語は複音節の語彙が増えている。中国語の表記に使う漢字は一音節に一文字が用いられる。 例 例外的に借用語など、単音節では意味を持たない語がある。 例 本来の中国語の語は単音節であるため、たとえ声調で区別をしても、必然的に全く同音の多義語や同音異義語が多くなる。このため、特に北方語において、「目」→「眼睛」、「耳」→「耳朵」、「鼻」→「鼻子」などのように複音節化して意味を明確にしている(橋本、1981)。 また、同じような意味の単音節の形態素を並べて、2音節の単語(日本語で言う熟語)を形成することがある。例えば、動詞「学/學」(学ぶ)は拼音で (xué) と表記されるが、この同音異義語は5通り(学、穴、噱、踅、泶)以上あり、「学ぶ」という意味をはっきりさせるために2音節の語にして「学习/學習」 (xuéxí) とすることもできる。
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"tag": "p", "text": "Ethnologue は、漢語を14に分類している (SIL International, 2004)。キルギスのドンガン語は、キリル文字を用いて表記し、ロシア語やキルギス語などからの借用語が多く、使用国も異なるため、独立言語とし、平話を除いた九方言にドンガン語を加えたものである。この場合、閩語は閩北語・閩東語・閩南語・閩中語・莆仙語の五つの言語に分けられる。", "title": "方言" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "その他、分類が定まっていない小方言群がある。", "title": "方言" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "中国語は声調言語である。音節の音の高低の違いが子音や母音と同じように意味を区別している。これを声調(トーン、tone)という。例えば、「普通話」には {ma} という形態素は軽声も含めて19個もある(松岡、2001)。しかし陰平声、陽平声、上声、去声の四つの声調 と軽声があるので、実際には5種の異なる形態素に分けられる。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "中国語の共通文字体系である漢字の歴史は古い。漢字は中国独自の文字で、ラテン文字などのアルファベットと異なり、音節文字であり表意文字である。漢字は大量かつ複雑な容姿をした部品を用い、かつ不規則な読み方をし、異体字や類義の字も多いため、習得に長期間を要し、経済的にも効率が悪いといった趣旨の否定的な評価から、文字の簡略化やラテン文字への移行を求める動きが民国期以降盛んとなり、簡体字や拼音表記の開発へとつながっていった。実際に朝鮮民主主義人民共和国やベトナムでは漢字を廃止した。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": 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"語形変化(活用)が生じず、語順が意味を解釈する際の重要な決め手となる孤立語である。孤立的な特徴をもつ言語としては他にベトナム語などがある。基本語順はSVO型である。しかし、現代北方語や文語では「把」や「將」、「以」による目的格表示などがあり、SOV型の文を作ることができ、かつ膠着語に近づいている。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "例", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "現代語では、日本語のように動詞の前後や文末に助詞・助動詞が来る。例えば了は動詞につくとアスペクト(完了)を表し、文末につくとモダリティを表す。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "中国語には時制を表す文法カテゴリーが存在しない。一方でアスペクトは存在し、動詞に「了」(完了)「过/過」(経験)「着/著」(進行)をつけることによって表される。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "また、 格による語形変化がないのが孤立語の特徴である。したがって、中国語でも名詞や形容詞に格の変化は生じない。格は語順によって示される。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "例 1人称単数の人称代名詞「我」 (wŏ)", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "中国語は基本的に単音節言語であるが、現代語は複音節の語彙が増えている。中国語の表記に使う漢字は一音節に一文字が用いられる。", "title": "語彙" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "例", "title": "語彙" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "例外的に借用語など、単音節では意味を持たない語がある。", "title": "語彙" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "例", "title": "語彙" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "本来の中国語の語は単音節であるため、たとえ声調で区別をしても、必然的に全く同音の多義語や同音異義語が多くなる。このため、特に北方語において、「目」→「眼睛」、「耳」→「耳朵」、「鼻」→「鼻子」などのように複音節化して意味を明確にしている(橋本、1981)。", "title": "語彙" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、同じような意味の単音節の形態素を並べて、2音節の単語(日本語で言う熟語)を形成することがある。例えば、動詞「学/學」(学ぶ)は拼音で (xué) と表記されるが、この同音異義語は5通り(学、穴、噱、踅、泶)以上あり、「学ぶ」という意味をはっきりさせるために2音節の語にして「学习/學習」 (xuéxí) とすることもできる。", "title": "語彙" } ]
中国語は、シナ・チベット語族に属する言語。中華人民共和国・中華民国(台湾)・シンガポール共和国の公用語であるほか、世界各国に住む華僑・華人の間でも使用されている。 各方言を含む中国語を母語とする人は約13億9000万人、第二言語としても約2億人が使用しているといわれており、世界最大の母語話者人口を有する。また、国際連合における公用語の一つでもある。
{{Pathnav|シナ・チベット語族|シナ語派|frame=1}} {{複数の問題 | 出典の明記 = 2020年12月 | 更新 = 2020年12月 }} {{Infobox Language |name=中国語 |nativename={{lang|zh|中文、汉语/漢語、华语/華語}}</span><br />{{Unicode|Zhōngwén, Hànyǔ, Huáyǔ}}<br />{{IPA|ʈ͡ʂʊŋ˥ wən˨˥], [xän˥˩ ɥy˨˩˦], [xu̯ä˨˥ ɥy˨˩˦}} | image=Chineselanguage.svg |states=[[中華人民共和国]]、[[中華民国]]、[[シンガポール]]、[[マレーシア]]、[[インドネシア]]、[[タイ王国]]など<br /> および世界の[[華僑]]居住区 |region=[[東アジア]]・[[東南アジア]] |speakers=13億以上([[中華人民共和国]]・[[台湾]]のみならず、[[シンガポール|シンガポール共和国]]でも使われる) |familycolor=シナ・チベット語族 |fam2=[[シナ語派]] |script=[[漢字]]([[簡体字]]、[[繁体字]])、[[注音符号]]、[[拼音]]、[[中国語の点字]]、[[小児経]] |nation={{PRC}}<br /> *{{HKG}} *{{MAC}} {{ROC}}<br />{{SIN}}<br />{{UN}} |agency={{flagicon|PRC}} [http://www.moe.gov.cn/jyb_sy/China_Language/ 国家語言文字工作委員会]<br />{{flagicon|HKG}} [https://scolarhk.edb.hkedcity.net/tc/ 語文教育及研究常務委員会]<br>{{flagicon|MAC}} 教育曁青年局語言推広中心<br>{{flagicon|ROC}} [http://depart.moe.edu.tw/ED2400/ 教育部終身教育司]<br />{{flagicon|MAS}} 華語規範理事会<br />{{flagicon|SIN}} [http://www.mandarin.org.sg/ 推広華語理事会] |iso1=zh |iso2b=chi |iso2t=zho |iso3=zho |lc1=cdo|ld1=閩東語 |lc2=cjy|ld2=晋語 |lc3=cmn|ld3=官話 |lc4=cpx|ld4=莆仙語 |lc5=czh|ld5=徽語 |lc6=czo|ld6=閩中語 |lc8=gan|ld8=贛語 |lc9=hak|ld9=客家語 |lc10=hsn|ld10=湘語 |lc11=lzh|ld11=漢文 |lc13=mnp|ld12=閩北語 |lc13=nan|ld13=閩南語 |lc14=wuu|ld14=呉語 |lc15=yue|ld15=粤語 |lc16=cnp|ld16=桂北平話 |lc17=csp|ld17=桂南平話 | map = [[画像:New-Map-Sinophone World.PNG|thumb|250px|中国語の使用状況 {{legend|#0E0069|中国語を母語・公用語とする地域}} {{legend|#7FABAB|中国語話者が500万人を超える国家}} {{legend|#9fceff|中国語話者が100万人を超える国家}} {{legend|#D5E8FF|中国語話者が50万人を超える国家}} {{legend|#F7D5FF|中国語話者が10万人を超える国家}} {{legend|#0080ff|主な中国語話者の集住地}}]]<br />[[File:漢字文化圈/汉字文化圈 · 한자 문화권 · Vòng văn hóa chữ Hán · 漢字文化圏.svg|thumb|center|[[漢字文化圏]]における各言語の読み書きの違い]] | mapcaption = }} {{Wikibooks|中国語|中国語}} {{Wiktionary|Category:中国語|中国語}} '''中国語'''(ちゅうごくご、{{lang-zh-short|中文、汉语/漢語、华语/華語}} 、[[ピンイン]]: Zhōngwén, Hànyǔ, Huáyǔ、{{Lang-en-short|Chinese}})は、[[シナ・チベット語族]]に属する[[言語]]。[[中華人民共和国]]・[[中華民国]]([[台湾]])・[[シンガポール|シンガポール共和国]]の[[公用語]]であるほか、[[世界]]各国に住む[[華僑]]・[[華人]]の間でも使用されている。 各方言を含む'''中国語'''を[[母語]]とする人は約13億9000万人<ref>[https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2015/04/23/the-worlds-languages-in-7-maps-and-charts/?arc404=true 「The world’s languages, in 7 maps and charts」][[ワシントン・ポスト]] 2015年4月23日 2020年6月28日閲覧</ref>、[[第二言語]]としても約2億人が使用しているといわれており、世界最大の[[母語話者の数が多い言語の一覧|母語話者人口]]を有する。また、[[国際連合]]における公用語の一つでもある<ref>[https://www.unic.or.jp/info/un/charter/membership_language/ 「加盟国と公用語」国際連合広報センター] 2020年6月28日閲覧</ref>。 == 言語名 == [[中華人民共和国]]では、主に'''中文'''と呼ぶ。 中国は多民族国家かつ多言語国家であり、少数民族の言語も「中国の言語」と言えなくもないことから、それらと区別するために'''漢語'''([[漢族]]の言語)と呼ぶことがあり、学術的な用語としてもよく使われる。他に現地では'''華語'''、'''中国話'''などとも言う呼び方もある。 中国語の内、[[標準語]]である[[標準中国語]]には[[中華人民共和国|中国]]の'''[[普通話]]'''、[[中華民国|台湾]]の'''[[国語 (中国語)|国語]]'''と'''[[台湾国語]]'''、[[シンガポール]]や[[マレーシア]]などの'''[[シンガポール華語|華語]]'''がある(詳細は[[#歴史]]および各項目を参照)。 日本語でただ「中国語」と言った場合、普通話を指すことが多い<ref>{{Cite web|title=東外大言語モジュール|中国語|url=http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/zh/|website=www.coelang.tufs.ac.jp|accessdate=2020-09-07}}</ref>。また、普通話を俗に「北京語」と呼ぶことがあるが、日本の標準語と東京方言の関係と同様に、普通話と[[北京官話]]は必ずしも同一のものではない<ref>{{Cite web|和書|title=北京語は標準語ではありません|中国留学ゼミナール 大学選びの秘訣|url=https://liuxue998.com/61222%20erabi-222%20.html|website=liuxue998.com|accessdate=2020-09-07}}</ref>。 なお、一般的に、中国語では、文字のある言語を'''文'''といい(例:[[ドイツ語]]→{{zh|德文}})、明確に定めた文字のない言語、方言あるいは口語・会話のことを指すときには'''話'''という(例:[[上海語|上海話]])。'''語'''は前述の両方に使われる(例:德語(ドイツ語)、[[閩南語]])。 == 特徴 == 中国語の特徴といえば「漢文からの簡潔さ」ということである。 簡潔さの例として、まず中国語では[[時制]]が省略される。ゆえに[[現在]]か[[未来]]か[[過去]]かは読者の判断にゆだねられる。また[[句]]と句、[[語]]と語の間の関係が、[[条件]]と[[結果]]であるとき、[[接続詞#日本語の接続詞|順接]]であるとき、[[接続詞#日本語の接続詞|逆接]]であるとき、いずれも概ね[[語順]]によってのみ示され、これも読者の判断にまかされる。ゆえに中国語の[[文法]]は簡単であるが、常識によって理解されるという特徴がある。さらに助字(而・之・於・者・焉の類)も省略される。中国語には助字を添加してもしなくても文章が成立するという性質がある。よってこれを日本語に[[訓読]]する場合は、[[助詞|「てにをは」]]を添加する必要がある。 一方、中国語はリズムに敏感な[[詩]]のような性質を常に保持し、そのリズムの基礎は四字句が中心になっていることが多い。こうしたリズムの組成のために助字がしばしば作用する。助字は、あってもなくてもよい語であるという性質を利用して、簡潔とは逆行するが、助字を添加することによってリズムを完成させ、文章を完成させる。よってこのようなリズムの充足のために添えられた助字は、はっきりした意味を追求しにくいことがよくある。またこの四字句などは、しばしば[[修辞技法#対句|対句]]的な[[修辞技法|修辞]]となる。つまり同じ文法的条件の語を同じ場所におく、繰り返しのリズムである。この対句は中国語の性質から成立しやすいものであり、その萌芽が『[[老子道徳経|老子]]』をはじめとする古代の文章にしばしば見える。これがやがて[[律詩]]を生み、唐から宋までの[[中世]]の美文・[[駢文|四六駢儷文]]を生んだ<ref>吉川幸次郎『漢文の話』(筑摩書房、新版1971年(初版1962年))pp. 32–74, 177</ref>。 == 歴史 == === 古代漢語 === [[上古中国語]]([[紀元前15世紀]]頃 - [[3世紀]]頃)<ref>「中国語学概論 改訂版」p13-14 王占華・一木達彦・苞山武義編著 駿河台出版社 2004年4月10日初版発行</ref> * [[漢字]]の原形とされる[[甲骨文字]]([[1899年]]に発見)が使われており、簡単な文章が記録されている。 * [[声母]](頭子音)に複子音 sl-, pl-, kl-(例: 「監」*klam) などが存在した。 * [[韻母]]の尾子音は豊富だった(例:「二」 *gnis)。 * 語順は[[タイ語]]的な[[SVO型]]だった。(例: {{zh|吳 敗 越 於夫椒}} 「呉は夫椒で越を破った。」 S-V-O-Adv ⇔ 現代語: {{zh|吳軍 在夫椒 把越軍 打敗了。 Or 吳軍 在夫椒 打敗了 越軍}} S-Adv-O-V)<ref>(橋本、1978)</ref> ** この頃の文献としては、[[諸子百家]]にまつわる書が残っている。 * 文法的に重要な役割を果たしていた[[接辞]]や[[不変化詞]]による[[修飾語]]の形成があったが、後期になると衰え始めた。 * [[代名詞]]に[[格]]があった。今でも一部が[[客家語]]や[[湘語]]に残っている。 * [[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の[[楚]]や[[秦]]の言語は[[楚文字]]と呼ばれる[[字体]]の漢字で[[竹簡]]などに記録され、[[包山楚簡]]、[[里耶秦簡]]などが発見されている。 * [[秦]]の全国統一で言語が各地に伝播した。 === 中期漢語 === [[中古中国語]]([[4世紀]]頃 - [[宋 (王朝)|宋]]代)<ref name="ReferenceA">「中国語学概論 改訂版」p14 王占華・一木達彦・苞山武義編著 駿河台出版社 2004年4月10日初版発行</ref> * 2音節の熟語が発達した<ref name="ReferenceA"/>。 * [[動詞]]の[[活用]]が消滅し始め、[[孤立語]]的な特徴を帯びるようになる。 * 漢字の[[字体]]が統一され、規範的な字書が作られた<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探求の歩み」(あじあブックス)p31-34 大島正二 大修館書店 2011年7月20日</ref>。また、[[科挙]]試験によって、発音、字体、文法など、規範的な言語の使用が促進された。 * [[李白]]・[[杜甫]]・[[韓愈]]などの[[詩人]]・[[文人]]を輩出した。(→[[唐詩]]を参照) === 近代漢語 === [[古官話]]([[元 (王朝)|元]]代、[[明]]代、[[清]]代)<ref name="ReferenceA"/> *元代には唐宋以来の漢音を使っていたと考えられている<ref>CaoGuangshun.and Dandan Chen. 2009. Yuan baihua teshu yuyan xianxiang zai yanjiu [Reexamination of the special features in Yuan baihua]. Lishi Yuyanxue Yanjiu[Historical Linguistics Study] 2:108-123. Beijing: The Commercial Press</ref><ref>Ota, Tatsuo (太田辰夫).中国語史通考 白帝社, 1988</ref>。 * 語彙面、文法面で、文語と口語の差が広がった。[[明]]代から[[清]]代には、口語による[[白話小説]]が広く書かれるようになった。 * 元代と清代には[[北方語]]を中心に、[[アルタイ諸語]]から幾つか語彙を吸収したことがあった。ちなみに[[介詞]]"把"は[[唐]]代に既にあった。例:[[白居易]]の『戯醉客』には「莫把杭州刺史欺」。 * 元代口語では[[文末助詞]]の「有」が多用された。 * 都のあった北京の言葉を中心にした言語が全国に広まり始めた。この言語は「正音」と呼ばれていたが、官吏が主に使用したことから明代以降「[[官話]]」の呼び名が定着するようになった<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p21 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。 * 多くの[[北方方言]]で[[入声]]が消滅する<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p133 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。 * 明代、北方方言を中心に「[[児化]]音」が現れた。これはアルタイ諸語からの影響でなく、北方方言自らの音韻変化である。 * [[軟口蓋音]]の[[口蓋化]]が進行する。([[清]]代[[乾隆]]期)<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p122-123 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref> === 現代漢語 === [[1895年]]の[[日清戦争]]後に、西欧の事物・概念を表す語を中心に[[和製漢語]]の中国語への流入がはじまり、[[1898年]]に[[梁啓超]]が[[横浜市]]で『清議報』を発刊したことによってそれが本格化した<ref>「近代日中語彙交流史 新漢語の生成と受容 改訂新版」p77 沈国威 笠間書院 2008年8月20日</ref>。[[1905年]]の[[中国同盟会]]結成頃から、優秀な学生が日本の[[早稲田大学]]などへ[[留学]]し、既に日本語化され定着した「[[和製漢語]]」などの西洋概念に触れ、日本の[[国語]]の影響を強く受けた。この新漢語の大量流入は[[1919年]]ごろまでに最盛期を迎え、その後も[[第二次世界大戦]]終了までは徐々に数量を減じながらも継続していた<ref>「近代日中語彙交流史 新漢語の生成と受容 改訂新版」p4 沈国威 笠間書院 2008年8月20日</ref>。 一方、清朝末期になると中国でも標準語制定の動きが高まり、[[1904年]]には初等・中等教育において官話学習が義務化された<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p41 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。このころまでは「官話」という言葉は将来制定されるべき「標準語」との意味も含んでいたが、[[1910年]]には標準語という意味で「[[国語 (中国語)|國語]]」という呼称が用いられるようになり<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p22 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>、以後官話は北京を中心とした方言を、國語は標準語を指すようになった。[[台湾]]ではその名が今でも受け継がれている。[[1911年]]には清国政府によって標準語としての國語統一を目指す法案が決定された<ref>「中国の地域社会と標準語 南中国を中心に」p22 陳於華 三元社 2005年2月23日初版第1刷</ref>。 同年起こった[[辛亥革命]]によってこの動きは一時中断したものの、新たに成立した中華民国政府は中国語の統一を重視し、國語統一の動きは引き続き進められた<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p42 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。中華民国における「國語」制定においてはまず発音の統一が重視されたが、この発音については北京方言を用いるか、各地の方言を折衷した新しい発音を用いるかの論争が起こり、最終的に[[1924年]]に北京方言を主に用いることと定められた<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p120 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。 [[1917年]]には、[[陳独秀]]の発行する雑誌『[[新青年 (中国)|新青年]]』誌上において、[[胡適]]を中心として書き言葉を「文語体」(文言文) から「口語体」へ変えようとする動き([[白話運動]])が広がり、[[文学革命]]が起こった<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p45 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。[[魯迅]]の『[[阿Q正伝]]』などがこの運動の中で生み出された。[[1919年]](民国8年)、[[北京大学]]教授の[[銭玄同]]は、雑誌に寄稿して文字改革を訴えて漢字の廃止を主張し、新文化運動の中心人物となった。 [[第二次世界大戦]]後、[[1949年]]に[[中国大陸]]に成立した[[中国共産党]]による[[中華人民共和国]]においても、標準語の制定と言語統一は引き続き追求された。ただし発音的には「國語」がすでに確立され、中華民国統治期にすでに全国に普及していたため、基本的にこれを踏襲する姿勢を取った。ただし「國語」は日本語からの借用語であったため、「[[普通話]]」と名を改めることとした<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p123 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。これに対し、台湾へと逃れた中華民国政府は引き続き「國語」という用語を使用し続けた<ref>「近くて遠い中国語」p58-60 阿辻哲次 中央公論新社 2007年1月25日発行</ref>。 清朝末期から中華民国期にかけて、語法面で英語の影響を受けて出現した新たな中国語の言い回しも数多くあり、これは「欧化語法現象」と呼ばれている。 中華人民共和国政府は発音の面では中華民国政府の政策を踏襲したが、文字の面では大規模な改革に踏み切り、正書法として従来の漢字を簡略化した[[簡体字]]が[[1956年]]に採用された。また、言語の統制機関として[[1954年]]に中国文字改革委員会が設置され、[[1985年]]には国家語言文字工作委員会と改称された<ref>「近現代中国における言語政策 文字改革を中心に」p127 藤井(宮西)久美子 三元社 2003年2月28日初版第1刷発行</ref>。 == 標準語 == {{main|標準中国語}} 中国では文章語は古代より統一されていたが、口語は各地方ごとに異なり、同じく漢字の発音も各方言ごとに異なっていた。この状況の解消を目指し、20世紀初頭から中盤にかけて[[北方語]]の発音・語彙と近代口語小説の[[文法]]を基に「'''[[普通話]]'''」({{Unicode|pǔtōnghuà}})が作られた。日本では「標準語」に当てはまる。人民の意思疎通を容易にするため、[[中華人民共和国|中国]]では中央政府の[[言語政策|標準語政策]]により積極的に普通話の使用が推進され、[[教育]]や[[放送]]で取り入れられ、[[標準語]]・[[共通語]]とされている。一般的に、全人口の8割程度が普通話を理解するといわれ、方言話者の若い世代は普通話との[[二言語話者|バイリンガル]]となっていることが多い。2017年には、中国国民のおよそ80%が普通話を使用することができ<ref>{{Cite web|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3304762|title=標準中国語、普及率約8割に 極度貧困地域では約6割|accessdate=2021年5月10日|publisher=AFP}}</ref>、[[2000年]]の53%から大幅に増加したことが報じられた<ref>[http://j.people.com.cn/n3/2017/0915/c206603-9269302.html 「中国、29種類の文字 普通話の普及率が73%に」] 2017年09月15日 人民網日本語版 2018年7月17日閲覧</ref>。 [[台湾]]においても、日本の敗戦後に施政権を握った[[中華民国]]政府が「'''[[国語 (中国語)|国語]]'''」({{Unicode|guóyǔ}})(「普通話」とほぼ同一で相互理解は可能だが音声と語彙に差異がある)による[[義務教育]]を行っている<ref>「近くて遠い中国語」p60 阿辻哲次 中央公論新社 2007年1月25日発行</ref>。 [[シンガポール]]や[[マレーシア]]などの[[東南アジア]]の地域では、普通話や中華民国国語に似ている標準中国語が一般的に「'''華語'''」({{Unicode|huáyǔ}})と呼ぶ。 == 方言 == [[ファイル:Map of sinitic languages-ja.svg|right|thumb|300px|中国語方言の分布]] {{pie chart | caption = 2012年における中国で話される言語別の人口割合{{sfnp|Chinese Academy of Social Sciences|2012|p=3}}(下位にさらに細かい方言がある) | label1 = [[官話]]([[北京官話]]、[[東北官話]]、[[冀魯官話]]、[[膠遼官話]]、[[中原官話]]、[[蘭銀官話]]、[[西南官話]]、[[江淮官話]]) | value1 = 66.2 | color1 = #ac8761 | label2 = [[閩語]] | value2 = 6.2 | color2 = #b1bab6 | label3 = [[呉語]] | value3 = 6.1 | color3 = #c8c8a8 | label4 = [[晋語]] | value4 = 5.2 | color4 = #96642c | label5 = [[粤語]] | value5 = 4.9 | color5 = #bf6e7b | label6 = [[贛語]] | value6 = 4.0 | color6 = #fbd98d | label7 = [[客家語]] | value7 = 3.5 | color7 = #eeb36a | label8 = [[湘語]] | value8 = 3.0 | color8 = #a5ae87 | label9 = [[徽語]] | value9 = 0.3 | color9 = #9b987f | label10 = [[広西平話]], その他 | value10 = 0.6 | color10 = #946565 | others = yes }} 中国には多くの[[方言]]がある。例えば、[[北京語]]([[北方語]]の一つ)と広州語([[広東語]]・粤語の一つ)と[[上海語]](東部に分布する[[呉語]]の一つ)では発音、語彙ともに大きく異なるだけでなく、文法にも違いがあり、[[普通話]]しか話せない者は、広東語などの方言を聞いてもほとんど理解できないため、別の[[言語]]とする見方もある。しかし、文章語は共通しており書かれた文の読解は容易であるため、中国ではテレビで放送されるドラマや映画、アニメなどに字幕を付けることが多い<ref>{{Cite web|title=中国の字幕事情 {{!}} 中国語初心者のための中国留学ガイド|url=https://chinaryugaku.com/中国の字幕事情/|website=chinaryugaku.com|date=2020-07-11|accessdate=2020-09-07|language=ja}}</ref>。また各地方語はあくまでも中国語群には属していて対応関係が明確であるため、普通話を標準語として上位に置き、各地方語は方言と呼ばれることが一般的である<ref>「中国の地域社会と標準語 南中国を中心に」p19 陳於華 三元社 2005年2月23日初版第1刷</ref><ref group="注釈">[[日本語]]における[[本土方言]](内地語)と、[[琉球方言]]([[琉球語]])の関係に似ている。</ref>。 方言区分は議論のあるところであり、いくつに分けるか学者によって異なっている。2分類では、湖南省以東では[[長江]]が南北の[[等語線]]とほぼ等しく([[南通市|南通]]、[[鎮江市|鎮江]]などは例外)、これより北と西の内陸部が「[[北方語]]」(および[[晋語]])、これより南が南方諸方言地域に分類することができる ({{Unicode|Encyclopædia Britannica, Inc., 2004}})。 諸方言は中国祖語をもとに、[[タイ語|タイ諸語]]などの南方諸語や[[モンゴル語]]、[[満州語|満洲語]]など北の[[アルタイ諸語]]の発音、語彙、文法など特徴を取り込みながら分化したと考えられている。特徴として、[[声調]]を持ち、[[孤立語]]で、単[[音節]]言語であることが挙げられる (Columbia University Press, 2004) が、現代[[北方語]]([[普通話]]を含む)は[[元 (王朝)|元]]代以降、かなりの程度アルタイ化したため必ずしも孤立語的、単音節的ではない。 === 七大方言 === # [[北方語]]([[官話]]方言) ##華北東北方言([[北京語|北京官話]] 、[[東北官話]]、[[冀魯官話]]、[[膠遼官話]])- [[北京市|北京]]・[[天津市|天津]]・[[黒竜江省]]・[[吉林省]]・[[遼寧省]]・[[河北省]]・[[河南省]]・[[山東省]]と[[内蒙古]]の一部。 ##西北方言([[中原官話]]、[[蘭銀官話]]) - [[陝西省]]・[[甘粛省]]・[[山西省]]の全域と[[青海省]]・[[寧夏]]・[[内蒙古]]の一部、及び中央アジアの[[ドンガン人]]居住区。 ##西南方言([[西南官話]]) - [[四川省]]・[[雲南省]]・[[貴州省]]、[[湖北省]]の大部分、広西省西北部、湖南省西北部。 ##江淮方言([[江淮官話]]、[[南京官話]]) - [[安徽省]]・[[江蘇省]]の[[長江]]以北の地域(ただし、[[徐州市|徐州]]・[[蚌埠]]は除く)、[[江蘇省]]の[[鎮江]]以西から[[江西省]][[九江]]以東にいたるまでの長江南岸地域。 # [[呉語]]([[上海語]]、[[蘇州語]]など。) #[[粤語]]([[広東語]]) # [[贛語]]([[南昌語]]など。客家語と近い。) # [[湘語]]([[長沙語]]など) # [[閩語]] ## [[閩北語]] ## [[閩東語]] ## [[閩南語]]([[台湾語]]) ## [[閩中語]] ## [[莆仙語]] # [[客家語]] === 十大方言 === 以下の方言は独立した大方言区とすべきとの議論がある。オーストラリア人文アカデミーと中国社会科学院がまとめた [http://www.rcl.cityu.edu.hk/atlas/ 『中国言語アトラス (The Language Atlas of China)』] はこの立場で編纂されている。 # [[晋語]] - 七大方言では北方語に属する。 # [[徽語]] - 七大方言では呉語に属する。 # [[広西平話|平話]](広西平話) - 七大方言では粤語に属する。 [http://www.ethnologue.com/show_family.asp?subid=90151 Ethnologue] は、漢語を14に分類している (SIL International, 2004)。[[キルギス]]の[[ドンガン語]]は、[[キリル文字]]を用いて表記し、[[ロシア語]]や[[キルギス語]]などからの借用語が多く、使用国も異なるため、独立言語とし、平話を除いた九方言にドンガン語を加えたものである。この場合、[[閩語]]は[[閩北語]]・[[閩東語]]・[[閩南語]]・[[閩中語]]・[[莆仙語]]の五つの言語に分けられる。 その他、分類が定まっていない小方言群がある。 == 音韻 == 中国語は[[声調言語]]である。[[音節]]の音の高低の違いが[[子音]]や[[母音]]と同じように意味を区別している。これを[[声調]](トーン、tone)という<ref name="ReferenceB">「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p8 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。例えば、「[[普通話]]」には {ma} という形態素は[[軽声]]も含めて19個もある(松岡、2001)。しかし[[平声|陰平声]]、[[平声|陽平声]]、[[上声]]、[[去声]]の四つの声調<ref name="ReferenceB"/> と[[軽声]]があるので、実際には5種の異なる形態素に分けられる。 ; 例 * 陰平声(第一声) - {{lang|zh|媽}}({{Unicode|mā}}; お母さん)- 高く平ら。 * 陽平声(第二声) - {{lang|zh|麻}}({{Unicode|má}}; 麻)- 上がり調子。 * 上声(第三声) - {{lang|zh|馬}}({{Unicode|mǎ}}; 馬)- 低く抑える。 * 去声(第四声) - {{lang|zh|罵}}({{Unicode|mà}}; 罵る)- 急激に下がる。 * 軽声 - {{lang|zh|嗎}}(ma; 疑問の語気助詞)- 抑揚はなく、高さは前の声調により変わる。 == 表記 == 中国語の共通文字体系である[[漢字]]の歴史は古い。漢字は[[中国]]独自の[[文字]]で、[[ラテン文字]]などの[[アルファベット]]と異なり、[[音節文字]]であり[[表意文字]]である。漢字は大量かつ複雑な容姿をした部品を用い、かつ不規則な読み方をし、[[異体字]]や類義の字も多いため、習得に長期間を要し、経済的にも効率が悪いといった趣旨の否定的な評価から、文字の簡略化や[[ラテン文字]]への移行を求める動きが民国期以降盛んとなり、簡体字や拼音表記の開発へとつながっていった<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p15-18 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。実際に[[朝鮮民主主義人民共和国]]や[[ベトナム]]では漢字を廃止した<ref>「近くて遠い中国語」p127 阿辻哲次 中央公論新社 2007年1月25日発行</ref>。 上記の動きに伴い、[[中国大陸]]の[[中華人民共和国]]では[[1956年]]に、字画が少なく読みや構成にも統一性を高めた[[簡体字]]が正式採用された<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p17 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。簡体字は、中国全土で使用されることが中央政府によって義務化され、[[シンガポール]]も中国語(華語)の表記に採用した。これに対して、中華民国([[台湾]])、[[香港]]、[[マカオ]]では、基本的に簡体字以前の字体を維持した[[繁体字]](正体字)が使われている<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p36 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。 中国語には簡体字と繁体字があり、これら2つは同じ漢字でも表記が異なる。繁体字・簡体字は、それぞれの文化圏での政治的・技術史的な経緯から、[[コンピュータ]]処理においては全く互換性のない別の[[文字コード]]・[[文字セット]]体系(簡体字圏=[[GB 2312]]、繁体字圏=[[Big5]])が使用されてきた。簡体字には複数の繁体字を1字にまとめて整理した形をとったものがある(多対一)ことから、逆に簡体字から繁体字に変換する場合(一対多の使い分けが必要)、「{{lang|zh|头发}}(頭髪)」を「頭發」、「{{lang|zh|干杯}}(乾杯)」を「幹杯」とする類の誤変換が中国大陸のウェブサイトの繁体字版ページなどによく見られる。 中国語の[[ローマ字]]表記には[[19世紀]]以来[[ウェード式|Wade-Giles方式]]が伝統的に使われてきて、今でも[[台湾]]の道路標識、英字新聞に出る個人名称などに使われている<ref>「近くて遠い中国語」p166-168 阿辻哲次 中央公論新社 2007年1月25日発行</ref>。次いで中華民国期の1913年には[[注音符号]]と呼ばれる発音記号が開発され、広く普及した。中華民国政府が統治する台湾では、今でも注音符号を用いて漢字の読みを示すのが一般的である<ref>「近くて遠い中国語」p168-170 阿辻哲次 中央公論新社 2007年1月25日発行</ref>。中華人民共和国は[[1956年]]に[[漢語拼音]]方案という新しいローマ字表記法を制定した<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p9 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。この拼音は、[[1977年]]に[[国際連合|国連]]の第3回[[国際連合地名標準化会議|地名標準化会議]]で中国の地名のローマ字表記法として、[[1982年]]には[[国際標準化機構|ISO]]で中国語のローマ字表記法として採用された。また、拼音は、外国人(特に欧米人)による中国語学習や小学生の漢字学習の助けにもなっている。[[2009年]]には台湾でも漢語拼音も採用している。 == 文法 == [[語形変化]]([[活用]])が生じず、[[語順]]が意味を解釈する際の重要な決め手となる[[孤立語]]である<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p7-8 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。孤立的な特徴をもつ言語としては他に[[ベトナム語]]などがある。基本語順は[[SVO型]]である<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p6 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。しかし、現代北方語や文語では「{{lang|zh|把}}」や「{{lang|zh|將}}」、「{{lang|zh|以}}」による[[目的格]]表示などがあり、[[SOV型]]の文を作ることができ、かつ[[膠着語]]に近づいている。 '''例''' * 標準語の文法:{{lang|zh|我去图书馆看书。/ 我去圖書館看書。}}{{Unicode|Wǒ qù túshūguǎn kàn shū.}} (図書館へ行って本を読む。) <!--** [[上海語]]の文法:{{lang|zh|我到图书馆看书去。/ 我到圖書館看書去。ngu to dousucuoe choe su chi.}}(図書館に本を読みに行く。)←意味がやや異なる--> 現代語では、日本語のように動詞の前後や文末に助詞・助動詞が来る。例えば'''了'''は動詞につくと[[相 (言語学)|アスペクト]](完了)を表し、文末につくと[[モダリティ]]を表す。 <!--[[動詞]]「{{lang|zh|去}}」(qù; 行く) * {{lang|zh|昨天我'''去'''电影院了。}}(昨日、映画館へ行った。) * {{lang|zh|今天我'''去'''电影院了。}}(今日、映画館へ行った。) * {{lang|zh|今天我要'''去'''电影院。}}(今日、映画館へ行く。) * {{lang|zh|明天我要'''去'''电影院。}}(明日、映画館へ行く。)--> 中国語には[[時制]]を表す[[文法カテゴリー]]が存在しない。一方で[[相 (言語学)|アスペクト]]は存在し、動詞に「{{lang|zh|了}}」(完了)「{{lang|zh|过/過}}」(経験)「{{lang|zh|着/著}}」(進行)をつけることによって表される。 * {{lang|zh|昨天我'''去'''了电影院。/ 昨天我'''去'''了電影院。}}(昨日、映画館へ行った。) また、 ''' [[格]]'''による語形変化がないのが孤立語の特徴である。したがって、中国語でも[[名詞]]や[[形容詞]]に格の変化は生じない。格は語順によって示される。 '''例''' 1人称単数の[[人称代名詞]]「{{lang|zh|我}}」 (wŏ) * {{lang|zh|'''我'''去过中国。/ '''我'''去過中國。}}([[主格]];私は中国に行ったことがある。) ** 上海語:{{lang|zh|'''我'''到中国去过个。/ '''我'''到中國去過個。}}{{Unicode|'''''ngo''' to Tsoncué chicoughé.''}} * {{lang|zh|我妈妈让'''我'''学习。/ 我媽媽讓'''我'''學習。}}([[目的格]];母は私に勉強させる。) ** 上海語:{{lang|zh|我个妈妈让'''我'''学习。/ 我個媽媽讓'''我'''學習。}}{{Unicode|''ngoghé mama gnian '''ngo''' ghózí.''}} ** 英語が同じ語順: My mom made '''me''' study. == 語彙 == 中国語は基本的に単音節言語であるが、現代語は複音節の語彙が増えている<ref>「中国語の歴史 ことばの変遷・探究の歩み」(あじあブックス) p10-11 大島正二 大修館書店 2011年7月20日初版第1刷</ref>。中国語の表記に使う漢字は一音節に一文字が用いられる。 '''例''' * {{lang|zh|家}}({{Unicode|jiā}}; 家) * {{lang|zh|走}}({{Unicode|zǒu}}; 歩く) * {{lang|zh|大}}({{Unicode|dà}}; 大きい) 例外的に[[借用語]]など、単音節では意味を持たない語がある。 '''例''' * {{lang|zh|玻璃}}({{Unicode|bōli}}; [[ガラス]]) 本来の中国語の[[単語|語]]は単音節であるため、たとえ[[声調]]で区別をしても、必然的に全く同音の[[多義語]]や[[同音異義語]]が多くなる。このため、特に北方語において、「目」→「{{lang|zh|眼睛}}」、「耳」→「{{lang|zh|耳朵}}」、「鼻」→「{{lang|zh|鼻子}}」などのように複音節化して意味を明確にしている(橋本、1981)。 また、同じような意味の単音節の[[形態素]]を並べて、2音節の単語(日本語で言う熟語)を形成することがある。例えば、[[動詞]]「{{lang|zh|学/學}}」(学ぶ)は[[拼音]]で (xué) と表記されるが、この同音異義語は5通り({{lang|zh|学、穴、噱、踅、泶}})以上あり、「学ぶ」という意味をはっきりさせるために2音節の語にして「{{lang|zh|学习/學習}}」 ({{Unicode|xuéxí}}) とすることもできる。 <!--曖昧な表現について、特定の年代と地域及び関連した人物を示すなど、経緯を含めて詳細な記述をお願いします。また、時代によって各言語から影響を受けた内容も掲載してください。== 中国語(古典語、諸方言を含む)の影響を強く受けた言語 == * [[日本語]] * [[朝鮮語]] * [[ベトナム語]] * [[チワン語]] * [[ペー語]] * [[オンベ語]](ベエ語)--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[コロンビア大学出版会|Columbia University Press]] (2004) , "[http://www.bartleby.com/65/ch/Chinese.html Chinese]" in ''The Columbia Encyclopedia'' (2001) , 6th ed., Columbia University Press. * [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica, Inc.]] (2004) , "[http://concise.britannica.com/ebc/article?tocId=9360616 Chinese languages]" in ''Britannica Concise Encyclopedia'' (2004) , Encyclopædia Britannica. * {{Cite web |author=Microsoft Corporation. |year=2004 |url=http://encarta.msn.com/encyclopedia_761565543/Chinese_Language.html |title=Chinese Language in ''Microsoft Encarta Online Encyclopedia'' |publisher=[[マイクロソフト|Microsoft Corporation]] |accessdate=2016-10-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091028051659/http://encarta.msn.com/encyclopedia_761565543/Chinese_Language.html |archivedate=2009-10-28 |deadlinkdate=2016年10月 }} * [[国際SIL|SIL International]] (2005) , "[http://www.ethnologue.com/show_family.asp?subid=90151 Ethnologue report for Chinese]" in ''Ethnologue'' (15th ed.) . * [[松岡榮志]] [''et al''] (2001)『クラウン中日辞典』、三省堂。(ISBN 4-385-12175-3) * [[高見澤孟]] [''et al''] (1996)『はじめての日本語教育』、1巻、アスク、pp.&nbsp;159 - 160。 (ISBN 4-87217-066-0) * The New Encyclopaedia Britannica (1997) , 15th ed., 32 vols., Encyclopaedia Britannica. (set ISBN 0-85229-633-9) * [[橋本萬太郎]] (1981)『現代博言学』, 大修館書店. (ISBN 4-469-21086-2) * 橋本萬太郎 (1978) , 『言語類型地理論』, 弘文堂. * 中川仁(監修・解説)賈恬立・馬嵐・龐淼・土屋真一・吉田雅子(解説)(2020)「戦後初期日本における中国語研究基礎資料」 近現代資料刊行会 == 関連項目 == {| style="float:right; clear:right; background-color:transparent" |{{wikipedia|zh}} {{wikipedia|zh-classical|漢文}} {{wikipedia|zh-yue|広東語}} {{wikipedia|zh-min-nan|閩南語}} {{wikipedia|wuu|呉語}} {{wikipedia|cdo|閩東語}} {{wikipedia|hak|客家語}} {{wikipedia|gan|贛語}} |} * [[通用拼音]] * [[ウェード式]] * [[中国語における外国固有名詞の表記]] * [[上古音]] - [[中古音]] - [[近古音]] * [[漢文]] * [[漢語水平考試|HSK({{lang|zh|汉语水平考试}})]] * [[複文 (中国語)]] * [[華語文能力測験]] * [[パルラディ (カファロフ)]] * [http://incubator.wikimedia.org/wiki/Wp/dng ドンガン語テスト版ウィキペディア] * [http://incubator.wikimedia.org/wiki/Wp/nan 潮州語テスト版ウィキペディア] * [http://incubator.wikimedia.org/wiki/Wp/hsn 湘語テスト版ウィキペディア] * [http://incubator.wikimedia.org/wiki/Wp/mnp 閩北語テスト版ウィキペディア] == 外部リンク == * [http://gattin.world.coocan.jp/fangyin.htm 中国語方言字音データベース] * [http://www.rcl.cityu.edu.hk/atlas/ The Language Atlas of China (『中国言語アトラス』)] * [[王育徳]]:[http://pektiong.org/wp/wp-content/uploads/2008/01/ong.pdf 中国五大方言の分裂年代の言語年代学的試探]{{リンク切れ|date=2020年10月}} * {{Kotobank}} {{中国語}} {{国際連合公用語}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちゆうこくこ}} [[Category:中国語|*]] [[Category:中国の言語]] [[Category:アジアの言語]] [[Category:シンガポールの言語]] [[Category:インドネシアの言語]] [[Category:マレーシアの言語]] [[Category:声調言語]]
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塩基配列
生物学における塩基配列()とは、DNA、RNAなどの核酸において、それを構成しているヌクレオチドの結合順を、ヌクレオチドの一部をなす有機塩基類の種類に注目して記述する方法、あるいは記述したもののこと。 核酸の塩基配列のことを、単にシークエンスと呼ぶことも多い。ある核酸の塩基配列を調べて明らかにする操作・作業のことを、塩基配列決定、あるいはシークエンシングと呼ぶ。 DNAが保持する遺伝情報は直接的には塩基配列の形で保持されている。DNAの遺伝子情報記述領域(コーディング領域)では、その遺伝子に対応する蛋白質のアミノ酸配列を表現する(後述)。これとは別に、ある種の制御タンパク質の結合部位として働き遺伝子発現を制御する役割を担う部位もある。核酸の塩基配列を調べることは、遺伝情報の解析の上で非常に基本的な作業である。ゲノムプロジェクトはある生物のゲノムの全塩基配列の読み取りを目標としている。 核酸は、モノマーであるヌクレオチドが、直鎖状に多数接続してできたポリマーである。ヌクレオチドには、通称"塩基"と呼ばれる有機塩基(プリン塩基またはピリミジン塩基)が結合している。塩基は、DNAではアデニン (A) 、グアニン (G) 、チミン (T) 、シトシン (C) の4種類があり、RNAでは、チミンのかわりにウラシル (U) になる(括弧内は、各塩基の一文字略称である)。ヌクレオチドがポリマーを作るときには方向性があり、ヌクレオチドを構成するリボースの5員環の炭素の位置で、5'炭素と3'炭素がリン酸基を介してエステル結合し伸張するので、塩基配列を記述するときもそれに合わせ、核酸の5'側端から3'側端の方向に記述する。DNA の場合、一文字略称で表すと、例えば"GAATTC"のように端から順に塩基を記述できる。 二重らせん(螺旋)構造の対になるのはA-T(あるいはA-U、2本の水素結合)とG-C(3本の水素結合)の結合のみである。一方、同じ螺旋上ではA,T,G,Cの各塩基が様々な順列で配列している。この各塩基の順列がさまざまな性質をもたらすと考えられるが、短い塩基配列を見る限りでは塩基の出現法則は必ずしも明確ではない。一方、領域によって塩基の出現頻度に偏りが見られることもある。 遺伝子のコード領域においては、塩基配列は遺伝子産物としてのタンパク質の一次構造を記述する。塩基3個の順列は64種(4の3乗)あり得るが、これらはコドンと呼ばれ、それぞれが一種のアミノ酸に対応する。また、合成の開始コドンとしてAUGなど、終結コドンと呼ばれるUAAなども知られている。ただし、タンパク質の産生には複雑な機構が介在しており、塩基配列として読み取れる情報がそのまま最終的なタンパク質のアミノ酸配列に単純に対応しているわけではない。詳細は転写 (生物学)・翻訳 (生物学)等の項目を参照されたい。
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生物学における塩基配列とは、DNA、RNAなどの核酸において、それを構成しているヌクレオチドの結合順を、ヌクレオチドの一部をなす有機塩基類の種類に注目して記述する方法、あるいは記述したもののこと。 核酸の塩基配列のことを、単にシークエンスと呼ぶことも多い。ある核酸の塩基配列を調べて明らかにする操作・作業のことを、塩基配列決定、あるいはシークエンシングと呼ぶ。
{{出典の明記|date=2022年1月}} [[生物学]]における{{読み仮名|'''塩基配列'''|えんきはいれつ}}とは、[[デオキシリボ核酸|DNA]]、[[リボ核酸|RNA]]などの[[核酸]]において、それを構成している[[ヌクレオチド]]の結合順を、ヌクレオチドの一部をなす有機塩基類の種類に注目して記述する方法、あるいは記述したもののこと。 核酸の塩基配列のことを、単に'''[[シークエンス]]'''と呼ぶことも多い。ある核酸の塩基配列を調べて明らかにする操作・作業のことを、'''塩基配列決定'''、あるいは'''[[DNAシークエンシング|シークエンシング]]'''と呼ぶ。 ==生物学的な意味== DNAが保持する[[遺伝情報]]は直接的には塩基配列の形で保持されている。DNAの遺伝子情報記述領域(コーディング領域)では、その遺伝子に対応する[[蛋白質]]のアミノ酸配列を表現する(後述)。これとは別に、ある種の制御タンパク質の結合部位として働き[[遺伝子]]発現を制御する役割を担う部位もある。核酸の塩基配列を調べることは、遺伝情報の解析の上で非常に基本的な作業である。[[ゲノムプロジェクト]]はある[[生物]]の[[ゲノム]]の全塩基配列の読み取りを目標としている。 ==核酸の化学構造と塩基配列== 核酸は、モノマーであるヌクレオチドが、直鎖状に多数接続してできた[[重合体|ポリマー]]である。ヌクレオチドには、通称"塩基"と呼ばれる有機塩基([[プリン塩基]]または[[ピリミジン塩基]])が結合している。塩基は、DNAでは[[アデニン]] (A) 、[[グアニン]] (G) 、[[チミン]] (T) 、[[シトシン]] (C) の4種類があり、RNAでは、チミンのかわりに[[ウラシル]] (U) になる(括弧内は、各塩基の一文字略称である)。ヌクレオチドがポリマーを作るときには方向性があり、ヌクレオチドを構成するリボースの5員環の炭素の位置で、5'炭素と3'炭素がリン酸基を介して[[エステル|エステル結合]]し伸張するので、塩基配列を記述するときもそれに合わせ、核酸の5'側端から3'側端の方向に記述する。[[デオキシリボ核酸|DNA]] の場合、一文字略称で表すと、例えば"GAATTC"のように端から順に塩基を記述できる。 [[二重らせん]](螺旋)構造の対になるのはA-T(あるいはA-U、2本の水素結合)とG-C(3本の水素結合)の結合のみである。一方、同じ螺旋上ではA,T,G,Cの各塩基が様々な順列で配列している。この各塩基の順列がさまざまな性質をもたらすと考えられるが、短い塩基配列を見る限りでは塩基の出現法則は必ずしも明確ではない<!-- アトランダムとは言い切りすぎだろう-->。一方、領域によって塩基の出現頻度に偏りが見られることもある。 ==アミノ酸配列と塩基配列== 遺伝子のコード領域においては、塩基配列は遺伝子産物としての[[タンパク質]]の[[一次構造]]を記述する。塩基3個の順列は64種(4の3乗)あり得るが、これらは[[コドン]]と呼ばれ、それぞれが一種の[[アミノ酸]]に対応する。また、合成の[[開始コドン]]としてAUGなど、[[終結コドン]]と呼ばれるUAAなども知られている。ただし、タンパク質の産生には複雑な機構が介在しており、塩基配列として読み取れる情報がそのまま最終的なタンパク質のアミノ酸配列に単純に対応しているわけではない。詳細は[[転写 (生物学)]]・[[翻訳 (生物学)]]等の項目を参照されたい。 == DNAの塩基配列決定(シークエンシング)法 == {{See|DNAシークエンシング}} {{生体分子構造}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:えんきはいれつ}} [[Category:分子生物学]] [[Category:核酸]] [[Category:遺伝学]] {{sci-stub}}
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礼拝
礼拝(れいはい、らいはい、英語: Worship、アラビア語: عبادة、ヒンディー語: उपासना)は、宗教において神や仏などを拝むこと。仏教においてのみ「らいはい」、それ以外は「れいはい」と読む。 キリスト教における礼拝とは、神に対する奉仕行為、および儀礼一般のような間接的行為を指す。狭義には教会における儀礼一般を指す。教派によって若干の語義の差がある。 日本ではキリスト教の公祈祷(礼拝)全般を「ミサ」と呼ぶ事例が散見されるが、「ミサ」とはカトリック教会の典礼儀式を指す語彙であり、キリスト教の礼拝一般をまとめて「ミサ」と呼ぶのは誤りである。 上の表における用語は教派ごとに大小の概念の違いを含んでおり、対応する語句同士が一対一対応して一致しているわけではない。 神のみに認められる最高の礼拝行為を英語またはラテン語でlatriaと言う。latriaはギリシャ語の"λατρεία"(ラトリア)に由来し、「雇われた労働者の状態」や「奉仕」を語源とする。かつて、尊敬を意味するギリシャ語"προσκύνησις"(プロスキニシス)との区別は明確ではなかったが、第2ニカイア公会議以降は"λατρεία"(ラトリア)を唯一の神性に対する崇拝(礼拝)、"προσκύνησις"(プロスキニシス)を聖人や聖像などの聖なる被造物に対する崇敬(すうけい)、として区別するようになった。 キリスト教はユダヤ教とは明らかに異なった礼拝観を持っていた。イエスは旧約的な神殿礼拝を拒否してはおらず、祝日には自ら神殿に赴いたが、一方でより内面を重視した新しい礼拝観を示した。 使徒時代のキリスト教徒であるステファノの次の言動には、このイエスの内面的な礼拝観がよく表れている。 彼はエルサレムの神殿に直結したユダヤ教祭祀を否定し、イエスの述べた新しい礼拝を強く主張したために、殉教した。 初期のキリスト教会が外形的な表現を重視しなかったわけではない。集会堂としての教会は典礼の中心となったし、洗礼はキリスト教共同体としての「教会」への加入を視覚的に表現した。しかし2世紀後半から3世紀にかけてのキリスト教著述家ミヌキウス・フェリクスは「私たちには、神殿も祭壇もない」ということを異教徒に対して誇った。教会は集会する場所であり、祭儀は建物としての教会堂に帰するのではなく、信徒共同体としての教会それ自体に帰するのである。初期キリスト教ではイエスこそが「祭司」であり「大祭司」で、そのキリストに繋がれているという意味で、教会が「祭司」なのであった。 このような内面性の強いキリスト教の性格はローマ帝国で行われたいわゆる「皇帝礼拝」と相容れざるもので、帝国は公共祭祀である「皇帝礼拝」を受け入れないキリスト教徒を、公共の宗教からの逸脱者、国家離反者として迫害したという説が歴史学者の間で長く論じられてきた。とくに自らを「主にして神」と称したドミティアヌスがこのような皇帝礼拝の要求者とされ、彼の治下に激しいユダヤ教徒やキリスト教徒の迫害が起こったと考えられた。しかし、この迫害の史料は2世紀以降の伝承に基づくもので、迫害は無かったとする見方もある。 迫害と皇帝礼拝は因果づけて考えられ、間接的には古代教会が日曜日を「主の日」として制定したことも、皇帝礼拝に対抗するキリスト教徒の信仰告白であったという見方もある。また「ヨハネの黙示録」の「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。」という記述もある。しかし、保坂高殿によれば「皇帝礼拝」という名での祭儀は多様であり、内容においては極めて政治的な意味を持つものから宗教性の高いものまで、範囲においても都市国家規模から属州単位のもの、担い手も一様でなく、それらを統一的に「皇帝礼拝」という一語で把握することには飛躍が伴うことが示されている。黙示録の記述についても正確な史実を反映したものではなく、ドミティアヌス統治期に皇帝礼拝拒否が法廷での処刑につながったという見方は困難とする。 礼拝(サラーもしくはサラート)とは、カアバの方角へ向かってお祈りすることで、イスラム教の五行のひとつである。 礼拝の方法には一定の決まりがある。普段は家庭などで個人で行ってもいいが、イスラムの祝日である金曜日には、5回のうち、1回のお昼の礼拝は、モスクに集まってみんなで行うことが奨励される。 イスラム教では1日5回の礼拝を行う。各礼拝の大体の時間帯は、1回目は夜明け、2回目は夜明け以降、3回目は影が自分の身長と同じになるまで(お昼)、4回目は日没から日がなくなるまで、最後は夜となっている。礼拝が始まる時間はムアッジンと呼ばれる人によって告げられるが、これをアザーンという。昔はモスクの尖塔(ミナレット)に上りその上からアザーンが行われたが、現在はスピーカーが取り付けられている。
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礼拝は、宗教において神や仏などを拝むこと。仏教においてのみ「らいはい」、それ以外は「れいはい」と読む。
'''礼拝'''(れいはい、らいはい、{{Lang-en|Worship}}、{{Lang-ar|عبادة}}、{{Lang-hi|उपासना}})は、[[宗教]]において[[神]]や[[仏]]などを拝むこと。[[仏教]]においてのみ「らいはい」、それ以外は「れいはい」と読む。 ==キリスト教の礼拝== === 概要・対照表 === [[キリスト教]]における礼拝とは、神に対する奉仕行為、および儀礼一般のような間接的行為を指す。狭義には教会における儀礼一般を指す。[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]によって若干の語義の差がある。 日本ではキリスト教の[[公祈祷]](礼拝)全般を「[[ミサ]]」と呼ぶ事例が散見されるが、「ミサ」とはカトリック教会の典礼儀式を指す語彙であり、キリスト教の礼拝一般をまとめて「ミサ」と呼ぶのは誤りである。 {| class="wikitable" style="width:90%" |- | colspan="5" style="text-align:center; background-color:#cfc"|祈祷・儀礼用語の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]別対応表 |- | style="width:20%; text-align:center" | 教派 | style="width:20%; text-align:center; background-color:#ddf" | '''[[プロテスタント]]''' | style="width:20%; text-align:center; background-color:#ddf" | '''[[聖公会]]''' | style="width:20%; text-align:center; background-color:#ddf" | '''[[カトリック教会]]''' | style="width:20%; text-align:center; background-color:#ddf" | '''[[正教会]]''' |- | style="text-align:center" | 祈祷・儀礼の総称 | style="text-align:center" | '''礼拝''' | style="text-align:center" | '''礼拝''' | style="text-align:center" | '''[[典礼]]''' | style="text-align:center" | '''[[奉神礼]]''' |- | style="text-align:center" | 羅: '''[[サクラメント]]'''<br />希: '''ミスティリオン''' | style="text-align:center" | '''[[礼典]]''' | style="text-align:center" | '''[[聖奠]]''' | style="text-align:center" | '''[[秘蹟]]''' | style="text-align:center" | '''[[機密 (正教会)|機密]]''' |- | style="text-align:center" | [[最後の晩餐|主の晩餐]]に由来する祈祷・儀礼 | style="text-align:center" | '''[[聖餐式]]'''<br />'''主の晩餐''' | style="text-align:center" | '''[[聖餐式]]''' | style="text-align:center" | '''[[ミサ]]''' | style="text-align:center" | '''[[聖体礼儀]]''' |} 上の表における用語は教派ごとに大小の概念の違いを含んでおり、対応する語句同士が一対一対応して一致しているわけではない。 * [[正教会]]においては[[奉神礼]]のことを指すが、カトリック教会と異なり[[公祈祷]]のみならず個人的な祈祷([[私祈祷]])も正教会の奉神礼には含まれる。 * [[カトリック教会]]においては普通、[[典礼]]のことを指すが、個人的な祈祷・行為を指す場合は典礼と区別される。 * [[プロテスタント]]教会では、[[公同礼拝]]、[[家庭礼拝]]、個人礼拝([[ディヴォーション (キリスト教)|ディヴォーション]])が礼拝と呼ばれるが、多くは[[主日]]の公同礼拝 を指して言われる。 === 原語の語義 === 神のみに認められる最高の礼拝行為を英語またはラテン語でlatriaと言う。latriaはギリシャ語の"{{Lang|el|λατρεία}}"(ラトリア)<ref>現代の[[ギリシャ正教会]]でも使われる言葉であるため、読みの片仮名転写は現代ギリシャ語に準拠。古典ギリシャ語では「ラトレイア」。</ref>に由来し、「雇われた労働者の状態」や「奉仕」を語源とする。かつて、尊敬を意味するギリシャ語"{{Lang|el|προσκύνησις}}"(プロスキニシス)<ref>現代ギリシャ語からの転写。古典ギリシャ語では「プロスキュネーシス」。</ref>との区別は明確ではなかったが、[[第2ニカイア公会議]]以降は"{{Lang|el|λατρεία}}"(ラトリア)を唯一の神性に対する'''崇拝'''('''礼拝''')、"{{Lang|el|προσκύνησις}}"(プロスキニシス)を[[聖人]]や[[イコン|聖像]]などの聖なる[[被造物]]に対する'''崇敬'''(すうけい)、として区別するようになった<ref>上智大学中世思想研究所、“中世思想原典集成3 後期ギリシャ教父・ビザンティン思想”、平凡社、1994年。</ref>。 ====初期キリスト教の典礼と皇帝礼拝==== [[File:StStephen GiacomoCavedone.jpg|thumb|150px|初代教会において[[ヘレニスト]]の代表であった[[ステファノ]]。彼は[[ファリサイ派]]によって[[石打ち]]の刑にされるが、[[ジャン・ダニエルー]]はこの殉教の裏側にキリスト教内部のヘレニストと[[ヘブライスト]]の立場の違いを見ている{{Sfn|ジャン・ダニエルー|1996|pp=34-35}}。図は[[イタリア]][[バロック美術|バロック]]の[[ボローニャ派]][[ジャコモ・カヴェドーネ]] (Giacomo Cavedone) の作品]] [[キリスト教]]は[[ユダヤ教]]とは明らかに異なった'''礼拝'''観を持っていた。[[史的イエス|イエス]]は[[旧約聖書|旧約]]的な[[神殿]]礼拝を拒否してはおらず、祝日には自ら神殿に赴いたが、一方でより内面を重視した新しい礼拝観を示した。 {{Quote|あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。|イエス|新共同訳、「ヨハネによる福音書」4.21-24。}} [[使徒]]時代のキリスト教徒である[[ステファノ]]の次の言動には、このイエスの内面的な礼拝観がよく表れている。{{Quote|神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。主は言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。」|新共同訳、「使徒行伝」7.47-50。}} 彼は[[エルサレム]]の神殿に直結したユダヤ教祭祀を否定し、イエスの述べた新しい礼拝を強く主張したために、[[殉教]]した{{Sfn|J・A・ユングマン|1997|pp=20-22}}。 初期のキリスト教会が外形的な表現を重視しなかったわけではない。集会堂としての[[教会]]は[[典礼]]の中心となったし、[[洗礼]]はキリスト教共同体としての「教会」への加入を視覚的に表現した。しかし[[2世紀]]後半から[[3世紀]]にかけてのキリスト教著述家[[ミヌキウス・フェリクス]]は「私たちには、神殿も祭壇もない」ということを異教徒に対して誇った。教会は集会する場所であり、祭儀は建物としての教会堂に帰するのではなく、信徒共同体としての教会それ自体に帰するのである。初期キリスト教ではイエスこそが「祭司」であり「大祭司」で、そのキリストに繋がれているという意味で、教会が「祭司」なのであった{{Sfn|J・A・ユングマン|1997|pp=23-30}}。 このような内面性の強いキリスト教の性格は[[ローマ帝国]]で行われたいわゆる「[[皇帝礼拝]]」と相容れざるもので、帝国は公共祭祀である「皇帝礼拝」を受け入れないキリスト教徒を、公共の宗教からの逸脱者、国家離反者として迫害したという説が歴史学者の間で長く論じられてきた。とくに自らを「主にして神」と称した[[ドミティアヌス]]がこのような皇帝礼拝の要求者とされ、彼の治下に激しいユダヤ教徒やキリスト教徒の迫害が起こったと考えられた。しかし、この迫害の史料は[[2世紀]]以降の伝承に基づくもので、迫害は無かったとする見方もある{{Sfn|保坂高殿|2003|p=285}}。 迫害と皇帝礼拝は因果づけて考えられ、間接的には古代教会が[[日曜日]]を「主の日」として制定したことも、皇帝礼拝に対抗するキリスト教徒の信仰告白であったという見方もある{{Sfn|J・A・ユングマン|1997|pp=33-34}}。また「[[ヨハネの黙示録]]」の「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。」<ref>新共同訳、「ヨハネの黙示録」13.15。</ref>という記述もある。しかし、保坂高殿によれば「皇帝礼拝」という名での祭儀は多様であり、内容においては極めて政治的な意味を持つものから宗教性の高いものまで、範囲においても都市国家規模から属州単位のもの、担い手も一様でなく、それらを統一的に「皇帝礼拝」という一語で把握することには飛躍が伴うことが示されている。黙示録の記述についても正確な史実を反映したものではなく、ドミティアヌス統治期に皇帝礼拝拒否が法廷での処刑につながったという見方は困難とする{{Sfn|保坂高殿|2003|pp=309-336}}。 == イスラム教の礼拝 == {{Main|サラート}} '''礼拝'''(サラーもしくはサラート)とは、[[カアバ]]の方角へ向かってお祈りすることで、[[イスラム教]]の[[五行 (イスラム教)|五行]]のひとつである。 礼拝の方法には一定の決まりがある。普段は家庭などで個人で行ってもいいが、イスラムの[[祝日]]である[[金曜日]]には、5回のうち、1回のお昼の礼拝は、[[モスク]]に集まってみんなで行うことが奨励される。 イスラム教では1日5回の礼拝を行う。各礼拝の大体の時間帯は、1回目は夜明け、2回目は夜明け以降、3回目は影が自分の身長と同じになるまで(お昼)、4回目は日没から日がなくなるまで、最後は夜となっている。礼拝が始まる時間は[[ムアッジン]]と呼ばれる人によって告げられるが、これを[[アザーン]]という。昔はモスクの尖塔(ミナレット)に上りその上からアザーンが行われたが、現在はスピーカーが取り付けられている。 == 脚注 == {{Reflist}} ==参考文献== *ジャン・ダニエルー 『初代教会』1、上智大学中世思想研究所訳、平凡社〈平凡社ライブラリー, 163 . キリスト教史〉、1996年。 *J・A・ユングマン 『古代キリスト教典礼史』 石井祥裕訳、平凡社、1997年。ISBN 978-4766413977。 *保坂高殿 『ローマ帝政初期のユダヤ・キリスト教迫害』 教文館、2003年。ISBN 978-4764272255。 == 関連項目 == * [[教派別のキリスト教用語一覧]] * [[祈り]] == 外部リンク == * [http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/katachi01.html かたち-イコン:日本正教会] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:れいはい}} [[Category:宗教行為]] [[Category:キリスト教の礼拝・典礼・奉神礼|*れ]] [[zh-min-nan:Lé-pài]]
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5,704
シークエンス
シークエンス(sequence)、シークエンシング(sequencing)は、一般には「連続」「順序」という意味を持つ。シークェンス、シーケンスとも。 生物学におけるシークエンスとは、核酸、蛋白質、糖鎖などの高分子化合物(ポリマー)において、それを構成するモノマーのつながっている順番(配列)のこと。これらの高分子化合物を構成するモノマーには、それぞれ多種類が存在し、生体内では、それがつながりあう順番を認識し区別する仕組みが存在する。これが、生体内で用いられている情報の本体であると考えられているため、それらの高分子化合物を研究対象とする場合、そのシークエンスを調べることは、最も基本的な作業のうちのひとつである。目的の分子のモノマーのシークエンスを実験により調べて決定する作業のことを、シークエンシングと呼ぶ。 ボードゲームのシークエンスのボードには、11を除いたトランプの絵柄が敷き詰められており、プレイヤー(2〜6人)はそれぞれ手札からカードを出して、盤上のトランプを自分の所有にし、チップを置く。そのチップが、5枚連続で置かれると、チームの得点になり、それを規定個作ると勝利する。11には、相手のチップをとりのぞいたり、自分のチップを好きなところに置ける、などの特典がある。 Jax, Ltd., Inc.が販売しており。日本でもビバリーがライセンスを受け販売していた。 映画における、またはそこから派生したシークエンスとは、物語上の繋がりがある一連の断片のこと。日本においてはシーンと言われることが多いが、シーンとはシークエンスよりもさらに小さな場面のことを指すため、シークエンスという呼び名が正しい。 通常はカットやショットという最小単位を元にして、そのカットの集合がシーンを構成し、さらにはそのシーンの集合がシークエンスとなり、シークエンスが繋がりを持った束となって一つの映画が構成される。ただし、中にはテオ・アンゲロプロスのように、一つのシークエンスをカット割りすることなく一つの連続したカットで撮り上げる作家や作品もある。 制御工学におけるシークエンスとは、シーケンス制御のことであり、「あらかじめ定められた順序または手続きに従って制御の各段階を逐次進めていく制御」と日本工業規格(JIS)に定義されている。 コンピュータネットワークにおいて、パケットに分割して情報を送信する際、パケットのシーケンス(順序)が決まる必要がある。通信プロトコルのヘッダに「シーケンス番号」などとして定義されていることが多い。 数学一般の用語としては、列を意味する。特に数列、文字列、順列、点列という分類がされる。 応用数学では、特に以下のような意味合いがある。 建築におけるシーケンスはシークエンスデザインとも呼ばれる。「移動することで変化する景色」、「徐々に変わっていくデザイン」のこと。空間(線、面)や光など、様々な場面で用いられる。例: 音楽でのシークェンスには2つの意味がある。 古典的な楽典では、反復進行を意味する。ドイツ語で「ゼクヴェンツ」ともいう。 自動演奏(DTM、打ち込みなど)の分野は、制御工学でのシークェンスに由来する、自動楽器(ミュージックシーケンサー)の制御(または制御データ)という意味で使う。
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シークエンス(sequence)、シークエンシング(sequencing)は、一般には「連続」「順序」という意味を持つ。シークェンス、シーケンスとも。
<!-- otherusesは使用せずに[[#その他の用法]]を用いてください。ノート参照。 --> '''シークエンス'''(sequence)、シークエンシング(sequencing)は、一般には「[[連続]]」「[[順序]]」という意味を持つ。'''シークェンス'''、'''シーケンス'''とも。 ==生物学== [[生物学]]におけるシークエンスとは、[[核酸]]、[[蛋白質]]、[[糖鎖]]などの[[高分子化合物]]([[ポリマー]])において、それを構成するモノマーのつながっている順番(配列)のこと。これらの高分子化合物を構成するモノマーには、それぞれ多種類が存在し、生体内では、それがつながりあう順番を認識し区別する仕組みが存在する。これが、生体内で用いられている情報の本体であると考えられているため、それらの高分子化合物を研究対象とする場合、そのシークエンスを調べることは、最も基本的な作業のうちのひとつである。目的の分子のモノマーのシークエンスを実験により調べて決定する作業のことを、'''シークエンシング'''と呼ぶ。 *[[核酸]](DNA、RNA)のシークエンスとは、[[塩基配列]]を指す。'''[[DNAシークエンシング]]'''も参照。 *[[蛋白質]](ペプチド)のシークエンスとは、[[アミノ酸]]配列を指す。 *[[糖鎖]]のシークエンスとは、[[単糖]]などの配列を指す。 ==ボードゲーム== [[ボードゲーム]]のシークエンスのボードには、11を除いた[[トランプ]]の絵柄が敷き詰められており、プレイヤー(2〜6人)はそれぞれ手札からカードを出して、盤上のトランプを自分の所有にし、チップを置く。そのチップが、5枚連続で置かれると、チームの得点になり、それを規定個作ると勝利する。11には、相手のチップをとりのぞいたり、自分のチップを好きなところに置ける、などの特典がある。 Jax, Ltd., Inc.が販売しており。日本でもビバリーがライセンスを受け販売していた。 ==映画== 映画における、またはそこから派生したシークエンスとは、物語上の繋がりがある一連の断片のこと。日本においては[[シーン]]と言われることが多いが、シーンとはシークエンスよりもさらに小さな場面のことを指すため、シークエンスという呼び名が正しい。 通常は[[カット#映像作品における「カット」|カット]]や[[ショット (映像)|ショット]]という最小単位を元にして、そのカットの集合がシーンを構成し、さらにはそのシーンの集合がシークエンスとなり、シークエンスが繋がりを持った束となって一つの映画が構成される。ただし、中には[[テオ・アンゲロプロス]]のように、一つのシークエンスをカット割りすることなく一つの連続したカットで撮り上げる作家や作品もある。 ==制御工学== 制御工学におけるシークエンスとは、[[シーケンス制御]]のことであり、「あらかじめ定められた順序または手続きに従って制御の各段階を逐次進めていく制御」と[[日本工業規格]](JIS)に定義されている。 ==ネットワーク工学== [[コンピュータネットワーク]]において、[[パケット]]に分割して情報を送信する際、パケットのシーケンス(順序)が決まる必要がある。[[通信プロトコル]]のヘッダに「シーケンス番号」などとして定義されていることが多い。 ==数学== 数学一般の用語としては、[[列 (数学)|列]]を意味する。特に[[数列]]、[[文字列]]、[[順列]]、点列という分類がされる。 応用数学では、特に以下のような意味合いがある。 * [[情報工学]]においては、[[抽象データ型]]としての[[リスト (抽象データ型)|リスト]]を意味することがある。 * [[周波数解析]]では、[[時間]]、[[空間]]、[[周波数]]などの特定の次元によって並べられた[[数列]]を意味する。系列とも言う。 ==建築== 建築におけるシーケンスは[[シークエンスデザイン]]とも呼ばれる。「移動することで変化する景色」、「徐々に変わっていくデザイン」のこと。空間(線、面)や光など、様々な場面で用いられる。例:[http://www.studio-han-design.com/j/project/11_nichiendou.html] ==音楽== 音楽でのシークェンスには2つの意味がある。 古典的な[[楽典]]では、[[反復進行]]を意味する。[[ドイツ語]]で「'''ゼクヴェンツ'''」ともいう。 [[自動演奏]]([[デスクトップミュージック|DTM]]、[[打ち込み]]など)の分野は、制御工学でのシークェンスに由来する、自動楽器([[ミュージックシーケンサー]])の制御(または制御データ)という意味で使う。 == その他の用法 == * [[セクエンツィア]]({{lang-en|Sequence}}、{{lang-la|Sequentia}})- キリスト教聖歌の曲種の一つ。 * [[シーケンス図]] - [[統一モデリング言語|UML]]における、処理の時系列をオブジェクトごとに表した図。 * [[シークエンス (アニメ)]] ==関連項目== * [[シーケンサー]] * [[DNAシーケンサー]] * [[DNAシークエンシング]] * [[:en:Sequence_(game) |Sequence (game)]] [[Category:生物学|しいくえんす]] [[Category:ボードゲーム|しいくえんす]] [[Category:映画|しいくえんす]]
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5,705
五行 (イスラム教)
五行(ごぎょう、アラビア語: أركان الإسلام)とは、ムスリム(イスラム教徒)に義務として課せられた5つの行為であり、六信とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。 具体的には次の5つを指す。 5つともクルアーン中で度々取り上げられているが、5つを一箇所でまとめて述べている章句は無い。ハディースでは「真正集」などで述べられている。 なおシーア派では十行(1礼拝、2喜捨、3断食、4巡礼、5五分の一税、6ジハード、7善行、8悪行の阻止、9預言者とその家族への愛、10預言者とその家族の敵との絶縁)となる(太字の箇所は上記の五行と共通)。
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五行とは、ムスリム(イスラム教徒)に義務として課せられた5つの行為であり、六信とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。
{{Islam}} '''五行'''(ごぎょう、{{lang-ar|أركان الإسلام}})とは、[[ムスリム]]([[イスラム教|イスラム教徒]])に義務として課せられた5つの行為であり、[[六信]]とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。 == 一覧 == 具体的には次の5つを指す。 ;[[シャハーダ|信仰告白(シャハーダ)]]:「[[アッラーフ|アッラー]]の他に神は無い。[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]は神の[[使徒]]である。」と証言すること。 ;[[サラート|礼拝(サラート)]]:一日五回、[[キブラ]]に向かって神に祈ること。 ;[[ザカート|喜捨(ザカート)]]:収入の一部を困窮者に施すこと。 ;[[断食|断食(サウム)]]:[[ラマダーン]]月の日中、飲食や性行為を慎むこと。 ;[[ハッジ|巡礼(ハッジ)]]:経済的・肉体的に可能であれば、ヒジュラ暦第十二月である[[ズー・ル=ヒッジャ]](巡礼月)の8日から10日の時期を中心に、[[マッカ|メッカ]]の[[カアバ]]神殿に巡礼すること。 5つとも[[クルアーン]]中で度々取り上げられているが、5つを一箇所でまとめて述べている章句は無い。[[ハディース]]では「[[サヒーフ・アル=ブハーリー|真正集]]」などで述べられている。 なお[[シーア派]]では十行(①'''礼拝'''、②'''喜捨'''、③'''断食'''、④'''巡礼'''、⑤[[フムス (イスラーム)|五分の一税]]、⑥[[ジハード]]、⑦善行、⑧悪行の阻止、⑨預言者とその家族への愛、⑩預言者とその家族の敵との絶縁)となる('''太字'''の箇所は上記の五行と共通)。 ==関連項目== *[[六信]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こきよう}} [[Category:イスラム教]] [[Category:名数5|きよう]] {{islam-stub}}
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啓典
啓典()は、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。クルアーン以外の書物は、旧約聖書や新約聖書を内包される。 また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、教典にし、これに従うことをもいう。これは六信のひとつ。 ただし上記の4つの啓典は、クルアーンと同等というわけではない。キリスト教徒による改竄や悪意のない誤写、善意の辻褄合わせ等によって、本来のものとは文面の食い違っているところがあるとされ、その点は憶測や詮索あるいは研究の対象として認められる。そういう意味では、絶対不可侵のクルアーンよりは一段も二段も下に置かれるものである。
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啓典は、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。クルアーン以外の書物は、旧約聖書や新約聖書を内包される。 ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』) ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』) イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』) ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』) また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、教典にし、これに従うことをもいう。これは六信のひとつ。 ただし上記の4つの啓典は、クルアーンと同等というわけではない。キリスト教徒による改竄や悪意のない誤写、善意の辻褄合わせ等によって、本来のものとは文面の食い違っているところがあるとされ、その点は憶測や詮索あるいは研究の対象として認められる。そういう意味では、絶対不可侵のクルアーンよりは一段も二段も下に置かれるものである。
{{読み仮名|'''啓典'''|けいてん}}は、[[イスラム教]]において[[唯一神]]([[アッラーフ]])から諸[[預言者]]に下された四つの[[啓示]]の[[書物]]のこと。クルアーン以外の書物は、[[旧約聖書]]や[[新約聖書]]を内包される。 # ムーサー([[モーセ]])に下された『[[タウラート]]』(『[[モーセ五書]]』) # ダーウード([[ダビデ]])に下された『ザブール』(『[[詩篇]]』) # イーサー([[イエス・キリスト|イエス]])に下された『[[インジール]]』(『[[福音書]]』) # [[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]に下された『[[クルアーン]]』(『コーラン』) また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、[[教典]]にし、これに従うことをもいう。これは[[六信]]のひとつ。 ただし上記の4つの啓典は、クルアーンと同等というわけではない。[[クリスチャン|キリスト教徒]]による改竄や悪意のない誤写、善意の辻褄合わせ等によって、本来のものとは文面の食い違っているところがあるとされ、その点は憶測や詮索あるいは研究の対象として認められる。そういう意味では、絶対不可侵のクルアーンよりは一段も二段も下に置かれるものである。 == 関連項目 == * [[啓典の民]] {{islam-stub}} {{DEFAULTSORT:けいてん}} [[category:イスラーム用語]] [[Category:イスラーム神学]]
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10月3日
10月3日(じゅうがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から276日目(閏年では277日目)にあたり、年末まであと89日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "10月3日(じゅうがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から276日目(閏年では277日目)にあたり、年末まであと89日ある。", "title": null } ]
10月3日(じゅうがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から276日目(閏年では277日目)にあたり、年末まであと89日ある。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{カレンダー_10月}} '''10月3日'''(じゅうがつみっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から276日目([[閏年]]では277日目)にあたり、年末まであと89日ある。 == できごと == [[File:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|thumb|upright|[[アレシアの戦い]]終結(紀元前52年)]] {{multiple image | image1 = 14-7-1914, revue militaire à Longchamp, défilé de canons accrochés à des véhicules militaires.jpg | width1 = 130 | caption1 = 第1回[[凱旋門賞]]開催(1920)。画像は1914年の[[パリロンシャン競馬場|ロンシャン競馬場]] | alt1 = ロンシャン競馬場 | image2 = Bundesarchiv Bild 141-1875A, Peenemünde, V2 auf Abschussbahn.jpg | width2 = 120 | caption2 = [[V2ロケット]]打ち上げ成功(1942) | alt2 = V2ロケット }} [[File:Eruption of Miyakejima 19831003 02.webm|thumb|150px|[[三宅島]]噴火(1983)]] [[File:UTafel Deutschland geteilt.jpg|thumb|150px|[[ドイツ再統一|東西ドイツ再統一]](1990)]] [[File:S64-Crew.gif|thumb|150px|熾烈な市街戦と戦死体への惨たらしい扱いで知られた[[モガディシュの戦闘]](1993)。映画『[[ブラックホーク・ダウン]]』の題材となった]] [[ファイル:Series103_LA4.jpg|thumb|150px|[[大阪環状線]]の[[国鉄103系電車|103系]](2017年10月3日に営業運転終了)]] * [[紀元前52年]] - [[アレシアの戦い]]が終結。[[ガリア戦争]]が実質的に終結し、[[ガリア]]が[[ローマ帝国]]の版図に組み込まれる。 * [[紀元前42年]] - [[フィリッピの戦い]]第1戦。 * [[1392年]] - [[グラナダ王国]][[ナスル朝]]の王に[[ムハンマド7世 (ナスル朝)|ムハンマド7世]]が即位。 * [[1569年]] - [[ユグノー戦争]]: [[モンコントゥールの戦い]]([[:fr:Bataille_de_Moncontour|Bataille de Moncontour]])。 * [[1574年]] - [[八十年戦争]]: [[ライデン包囲戦]]([[:en:Siege_of_Leiden|Siege of Leiden]])が終了。 * [[1739年]] - [[オーストリア・ロシア・トルコ戦争 (1735年-1739年)|露土戦争]]の[[講和条約]]である[[ニシュ条約 (1739年)|1739年ニシュ条約]]が締結される。 * [[1789年]] - アメリカ大統領[[ジョージ・ワシントン]]が同年[[11月26日]]を[[感謝祭]]として祝うことを提唱。 * [[1793年]] - [[フランス革命戦争]]: [[ベルクツァバンの戦い]]([[:fr:Bataille_de_Bergzabern|Bataille de Bergzabern]])。 * [[1795年]] - フランス革命戦争: [[モルターニュの戦い (1795年)|モルターニュの戦い]]([[:fr:Bataille_de_Mortagne_(1795)|Bataille de Mortagne (1795)]])。 * [[1863年]] - アメリカ大統領[[エイブラハム・リンカーン]]が11月の最終木曜日を感謝祭として国民の祝日に制定。 * [[1866年]] - [[ウィーン条約 (1866年)|ウィーン条約]]が[[イタリア王国|イタリア]]と[[オーストリア帝国|オーストリア]]の間で締結され[[第三次イタリア独立戦争]]が終結し、北イタリアにおけるオーストリア帝国の支配権が喪失。 * [[1893年]] - [[フランス]]・[[タイ王国|シャム]]間で条約締結。シャムがフランスに[[メコン川]]東岸を割譲。 <!-- 確認できず * [[1904年]] - [[フランス・スペイン協定]]締結、これによって両国の[[モロッコ]]における権益が画定される。 --> * [[1908年]] - [[ウィーン]]に亡命中の[[レフ・トロツキー]]らにより新聞『[[プラウダ]]』が創刊される。<!-- [[en:Pravda]]の"The Vienna Pravda"のこと。jaには"The Saint Petersburg Pravda"以降の歴史だけが書かれている。 --> * [[1918年]] - [[ボリス3世 (ブルガリア王)|ボリス3世]]が[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア]]国王に即位。 * [[1919年]] - この年の[[1919年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]の第3試合が行われ、8回から[[シンシナティ・レッズ]]の[[ドルフ・ルケ]]がリリーフ登板。[[ラテンアメリカ]]出身選手として初のワールドシリーズ出場者となる。 * [[1920年]] - フランスで第1回[[凱旋門賞]]開催。 * [[1929年]] - 「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」が国号を[[ユーゴスラビア王国]]に改称。 * [[1932年]] - [[イラク]]が[[イギリス]]の[[国際連盟]][[委任統治]]から独立。 * 1932年 - [[満蒙開拓移民|満州開拓武装移民団]]第一陣416人が日本を出発。 * [[1935年]] - [[第二次エチオピア戦争]]: [[イタリア]]が[[エチオピア]]に侵攻。第二次エチオピア戦争が始まる。 * [[1936年]] - [[北海道]]で暴風雨。[[渡島半島]]では死者17人以上、家屋の流失・破損、港湾施設の大破、漁船の流失など被害甚大<ref>渡島半島の被害甚大『北海タイムス』昭和11年10月5日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p683 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1940年]] - [[ヴィシー政権|フランスのヴィシー政権]]が[[ヴィシー政権によるユダヤ人並びに外来者に対する法|ユダヤ人並びに外来者に対する法]]を可決。 * [[1942年]] - [[ナチス・ドイツ]]が開発していた[[V2ロケット]]が、3度目の挑戦で初の打ち上げ成功。[[宇宙空間]]に到達した初めての人工物体となる。 * [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]: [[リンギアデス大虐殺]]([[:en:Lingiades_massacre|Lingiades massacre]])。 * [[1946年]] - [[在日本朝鮮人連盟]]から分離して在日本朝鮮居留民団(現 [[在日本大韓民国民団]])結成。 * [[1949年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]が[[中華人民共和国]]を[[国家の承認|承認]]。 * [[1951年]] - [[朝鮮戦争]]: {{仮リンク|第1次馬良山の戦い|en|First Battle of Maryang San}}が始まる。 * [[1952年]] - イギリスが初の[[原子爆弾|原爆]][[核実験|実験]]を実施し、アメリカ・ソ連に続く第3の核保有国となる。([[ハリケーン作戦]])。 * [[1955年]] - [[CBS]]で『{{仮リンク|キャプテン・カンガルー|en|Captain Kangaroo}}』、[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]で『[[:en:The Mickey Mouse Club|ミッキーマウス・クラブ]]』が放映開始。 * [[1962年]] - [[マーキュリー計画]]: アメリカの有人宇宙船[[マーキュリー・アトラス8号]](シグマ7)が打ち上げ。 * [[1963年]] - [[ホンジュラスクーデター (1963年)|ホンジュラスクーデター]]([[:en:1963_Honduran_coup_d'état|1963 Honduran coup d'état]])が発生し、以後20年の軍事政権に繋がる。 * [[1964年]] - [[日本武道館]]が開館。 * 1964年 - [[シー・オービット作戦]]: 原子力空母「[[エンタープライズ (CVN-65)|エンタープライズ]]」を旗艦とする[[アメリカ海軍]]第1任務部隊が、[[原子力船|原子力艦]]による初の燃料無補給世界一周航海に成功。 * [[1966年]] - [[朝霞浄水場]]通水。 * [[1967年]] - アメリカの極超音速実験機[[X-15 (航空機)|X-15A-2]]が、有人航空機の最大速度記録であるマッハ6.7を記録。 * [[1971年]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の[[オーディション]][[テレビ番組|番組]]『[[スター誕生!]]』が放送開始。 * 1971年 - [[東京都]][[八王子市]]で日本初の[[ノーカーデー]]が実施される。 * [[1978年]] - [[フィンランド空軍機墜落事故]]([[:en:1978_Finnish_Air_Force_DC-3_crash|1978 Finnish Air Force DC-3 crash]]) * [[1980年]] - [[神戸・元町電話局電子交換器停止事件]]が発生。 * [[1981年]] - [[アイルランド共和軍|IRA]]が10名の餓死者を出した[[ベルファスト]]の刑務所における[[ハンガー・ストライキ]]の終結宣言([[:en:1981 Irish hunger strike]])。 * [[1983年]] - [[三宅島]]が21年ぶりに噴火。溶岩流によって約400棟の住宅が埋没・焼失。 * [[1985年]] - [[スペースシャトル]]「[[スペースシャトル・アトランティス|アトランティス]]」が初飛行。 * [[1986年]] - ソ連の[[原子力潜水艦]][[K-219 (原子力潜水艦)|K-219]]が[[バミューダ諸島|バミューダ]]沖で火災。[[10月9日|9日]]、核ミサイルを搭載したまま沈没。 * 1986年 - [[カナダ]]の[[チョーク・リバー研究所|チョークリバー研究所]]に超電導[[サイクロトロン]]であるTASCC([[:en:TASCC|en: TASCC]])が設置。 * [[1988年]] - 日本テレビ系の[[テレビアニメ|アニメ]]番組『[[それいけ!アンパンマン]]』が放送開始。 * [[1989年]] - 日本テレビ系の[[バラエティ番組]]『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]]』が放送開始。 * [[1990年]] - [[ドイツ再統一|東西ドイツ再統一]]。 * 1990年 - 中華人民共和国と[[シンガポール]]が国交樹立。 * 1990年 - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系で22年間続いた[[音楽番組]]『[[夜のヒットスタジオ]]』が終了(1968年11月4日 - 、放送回数1133回)。 *[[1991年]] - [[ノーベル文学賞]]を[[ナディン・ゴーディマー]]が[[アフリカ]]人女性として初の受賞。 * [[1993年]] - [[ソマリア内戦]]: [[モガディシュの戦闘]]が始まる。( - [[10月4日]]) * 1993年 - [[10月政変]]: [[ルスラン・ハズブラートフ|ハズブラートフ]]最高会議議長ら反[[ボリス・エリツィン|エリツィン]]大統領派が[[ベールイ・ドーム|ロシア最高会議ビル]]に立て籠もり抵抗。 * [[1994年]] - [[TBSホールディングス|東京放送 (TBS)]] が新社屋・[[TBS放送センター]](ビッグハット)に移転。 * [[1995年]] - [[O・J・シンプソン事件]]の刑事訴訟で[[陪審員]]の全員一致で[[無罪]]評決。 * [[2004年]] - [[ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]が[[オーストリア・ハンガリー帝国]]最後の皇帝[[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]]ならびに[[アンネ・カテリーネ・エメリッヒ]]を[[列福]]。 * [[2008年]] - [[アメリカ合衆国]]で[[緊急経済安定化法]]が制定される。 * [[2009年]] - [[アゼルバイジャン]]、[[カザフスタン]]、[[キルギスタン]]、[[トルコ]]が[[テュルク評議会]]に参加。 * [[2010年]] - [[ドイツ]]が[[第一次世界大戦]]の賠償金の支払いを完了。 * [[2013年]] - [[リトアニア]]で[[ヴィーダス・ゲドヴィラス]]が[[セイマス]](国会)議長を辞任し、後任に[[ロレタ・グラウジニエネ]]が就任。 * 2013年 - [[2013年ランペドゥーザ島難民船沈没事故]]が発生。 * [[2015年]] - [[クンドゥーズの戦い (2015年)|クンドゥーズの戦い]]の最中、戦地となっている同市で[[クンドゥーズ病院爆撃事件]]が起こる。 * [[2016年]] - [[オートファジー]]の研究により、[[日本]]の[[大隅良典]]に[[ノーベル医学賞]]が授与される。 * [[2017年]] - [[枝野幸男]]らが[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]を結党<ref>{{Cite web|和書 |date=2017-10-03 |url=https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2017/news1/20171003-OYT1T50083.html |title=立憲民主が結党届…希望1次公認、約190人に |publisher=読売新聞 |accessdate=2017-11-13}}</ref>。 * 2017年 - [[スペイン]]の[[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ6世]]が、1日に行われた[[2017年カタルーニャ独立住民投票|カタルーニャ独立住民投票]]についてテレビで特別演説を行う。<!-- en「October 3」による --> * [[2018年]] - [[はやぶさ2]]が10時57分 ([[日本標準時|JST]]) 頃、[[ランダー]]の[[MASCOT (ランダー)|MASCOT]]を投下し、約6分後に[[リュウグウ (小惑星)|リュウグウ]]に接触<ref>{{Cite web|和書|title=はやぶさ2:マスコット17時間超活動し目的の観測を完了|url=https://mainichi.jp/articles/20181005/k00/00e/040/226000c|website=毎日新聞|accessdate=2021-12-01|language=ja}}</ref>、バウンドを経てさらに約11分後に着地も成功。 * [[2019年]] - {{仮リンク|パリ警察本部襲撃事件|en|Paris police headquarters stabbing}}。 * [[2021年]] - [[2021年ミラノ飛行機墜落事故]]([[:en:2021_Milan_airplane_crash|2021 Milan airplane crash]])。 * 2021年 - 国家元首や歌手、スポーツ選手のタックスヘイブンについて記した[[パンドラ文書]]が公表される<ref>{{Cite news|title=「パンドラ文書」はどういうものか 大量リークが示すもの|url=https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58812552|work=BBCニュース|accessdate=2021-12-01|language=ja}}</ref>。 * 2021年 - [[カーブル|カブール]]で{{仮リンク|イド・ガ・モスク襲撃事件|fr|Attentat de la mosquée Id Gah de Kaboul}}発生。 * [[2022年の日本|2022年]] - [[東京ヤクルトスワローズ]]の[[村上宗隆]]が[[日本野球機構|NPB]]の日本人選手では史上最多となるシーズン56本塁打を記録<ref name="sponichi202210032056">{{Cite web|和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/10/03/kiji/20221003s00001173593000c.html |title=ヤクルト村上、今季最終打席で王超え56号&令和初3冠王のダブル偉業 打点はバースに並んだ |access-date=2023-06-15 |date=2022-10-03 |website=[[スポニチ]] Sponichi Annex 野球 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230615100754/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/10/03/kiji/20221003s00001173593000c.html |archive-date=2023-06-15}}</ref>。また、この試合では史上最年少<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221003/k10013846671000.html |title=【詳しく】村上宗隆 史上最年少で三冠王 56号HR 王貞治さん上回る |access-date=2023-06-15 |publisher=NHK |date=2022-10-04 |website=NHK NEWS WEB |archive-url=https://web.archive.org/web/20230615111225/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221003/k10013846671000.html |archive-date=2023-06-15}}</ref>かつ元号が[[令和]]になってからは初めてとなる[[三冠 (野球)|三冠王]]も確定させた<ref name="sponichi202210032056" />。 == 誕生日 == {{multiple image | footer = [[三筆]]の1人、[[嵯峨天皇]](786-842)誕生。右は[[最澄]]の死を悼む[[宸翰]]『哭澄上人詩』部分 | image1 = Emperor Saga large.jpg | width1 = 100 | alt1 = 嵯峨天皇 | image2 = Koku Saitcho shounin.jpg | width2 = 95 | alt2 = 哭澄上人詩 }} [[File:Townsend Harris.jpg|thumb|120px|初代駐日米国総[[領事]]、[[タウンゼント・ハリス]](1804-1878)誕生]] {{multiple image | image1 = Sōkichi Tsuda.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[歴史学者]]、[[津田左右吉]](1873-1961)誕生。記紀神話の批判的学説で罰せられた | alt1 = 津田左右吉 | image2 = Kojin Shimomura mid-age.jpg | width2 = 100 | caption2 = 『[[次郎物語]]』の著者、[[下村湖人]](1884-1955)誕生 | alt2 = 下村湖人 }} [[File:Portrait Aragon.jpg|thumb|120px|[[シュルレアリスム]]の先導者から[[共産主義]]に傾倒した[[フランス]]の[[詩人]]、[[ルイ・アラゴン]](1897-1982)誕生{{Squote|教えるとは 希望を語ること<br>学ぶとは 誠実を身につけること――『フランスの起床ラッパ』(1945)より「ストラスブール大学の歌」}}]] [[File:Yoneyama Masao.JPG|thumb|120px|[[作曲家]]、[[米山正夫]](1912-1985)誕生。[[美空ひばり]]の楽曲や、[[ヤン坊マー坊天気予報]]のテーマ曲などを手掛けた]] {{multiple image | image1 = 20130406 Alexander Ramon Ramirez, outfielder of the of the Yokohama DeNA BayStars,at Meiji Jingu Stadium.JPG | width1 = 130 | caption1 = 第30代[[横浜DeNAベイスターズ]]監督、[[アレックス・ラミレス]](1974-)誕生 | alt1 = ラミレス | image2 = Manchester United v Zorya Luhansk, September 2016 (08) - Zlatan Ibrahimović (edited).jpg | width2 = 100 | caption2 = [[スウェーデン]]の[[サッカー選手]]、[[ズラタン・イブラヒモビッチ]](1981-)誕生 | alt2 = イブラヒモビッチ }} * [[786年]]([[延暦]]5年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]])- [[嵯峨天皇]]、第52代[[天皇]](+ [[842年]]) * [[1292年]] - [[エレノア・ド・クレア]]([[:en:Eleanor_de_Clare|Eleanor de Clare]])、貴族(+ [[1337年]]) * [[1390年]] - [[ハンフリー・オブ・ランカスター]]、[[イングランド王国|イングランド]]・[[ランカスター朝]]の王族(+ [[1447年]]) * [[1458年]] - [[カジミェシュ (聖人)|カジミェシュ・ヤギェロンチク]]、[[ヤギェウォ朝|ヤギェヴォ家]]の人物、キリスト教の[[聖人]](+ [[1484年]]) * [[1554年]] - [[フルク・グレヴィル (初代ブルック男爵)|フルク・グレヴィル]]([[:en:Fulke_Greville,_1st_Baron_Brooke|Fulke Greville, 1st Baron Brooke]])、初代ブルック男爵(+ [[1628年]]) * [[1610年]] - [[ガブリエル・ラレマン]]、[[宣教師]]、聖人(+ [[1649年]]) * [[1613年]] - [[マリオン・デローム]]([[:fr:Marion_Delorme|Marion_Delorme]])、[[クルチザンヌ]](+ [[1650年]]) * [[1631年]] - [[セバスチャン・アントン・シェラー]]、作曲家(+ [[1712年]]) * [[1637年]] - [[ジョージ・ゴードン (初代アバディーン伯爵)|ジョージ・ゴードン]]、[[アバディーン=テメイア侯爵|アバディーン伯爵]](+ [[1720年]]) * 1637年 - [[シャルル・デミア]]([[:fr:Charles_Démia|Charles Démia]])、教会論者(+ [[1689年]]) * [[1641年]]([[寛永]]18年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]])- [[山内豊昌]]、第4代[[土佐藩|土佐藩主]](+ [[1700年]]) * [[1655年]]([[明暦]]8年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]])- [[佐竹義長]]、初代[[岩崎藩|岩崎藩主]](+ [[1741年]]) * [[1711年]]([[正徳 (日本)|正徳]]元年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]])- [[小笠原長邕]]、第5代[[中津藩|中津藩主]](+ [[1716年]]) * [[1713年]] - [[アントワーヌ・ドーヴェルニュ]]([[:fr:Antoine_Dauvergne|Antoine Dauvergne]])、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1797年]]) * [[1716年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ベッカリーア]]、[[物理学者]](+ [[1781年]]) * [[1720年]] - [[ヨハン・ペーター・ウッツ]]、[[詩人]]、[[裁判官]](+ [[1796年]]) * [[1755年]] - {{仮リンク|クロード・フランソワ・デュプレ|fr|Claude François Duprès}}、[[軍人]](+ [[1808年]]) * [[1758年]] - [[ルイス・オーギュスト・ブラン]]([[:fr:Louis-Auguste_Brun|Louis-Auguste Brun]])、画家(+ [[1815年]]) * [[1784年]] - [[ヨハン・カール・エーレンフリート・ケーゲル]]、農学者、[[カムチャツカ半島]][[探検家]](+ [[1863年]]) * [[1788年]]([[天明]]8年9月4日)- [[上杉斉定]]、第11代[[米沢藩|米沢藩主]](+ [[1839年]]) * [[1790年]] - [[ジョン・ロス (チェロキー)|ジョン・ロス]]、[[チェロキー]]族[[インディアン]]・ネーションの首長(+ [[1866年]]) * [[1791年]]([[寛政]]3年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]])- [[松平斉恒]]、第8代[[松江藩|松江藩主]](+ [[1822年]]) * [[1797年]] - [[レオポルド2世 (トスカーナ大公)|レオポルト2世]]、[[トスカーナ大公]](+ [[1870年]]) * [[1800年]] - [[ジョージ・バンクロフト (歴史家)|ジョージ・バンクロフト]]、歴史家、第17代[[アメリカ合衆国海軍長官]](+ [[1891年]]) * [[1802年]] - [[ジョン・ゴリー]]、[[医者]]、[[科学者]]、[[発明家]](+ [[1855年]]) * [[1804年]] - [[タウンゼント・ハリス]]、[[外交官]](+ [[1878年]]) * 1804年 - [[アラン・カルデック]]、[[教育学]]者、[[哲学]]者、[[スピリティズム]]の創始者(+ [[1869年]]) * [[1815年]] - {{仮リンク|ピエール・アントワーヌ・ドブロワ|fr|Pierre Antoine Deblois}}、[[実業家]](+ [[1898年]]) * [[1828年]] - [[ヴォルデマール・バルギール]]、作曲家(+ [[1897年]]) * [[1830年]] - [[アルベルト・ギュンター]]、[[動物学者]](+ [[1914年]]) * [[1837年]] - [[ニコラス・アベジャネーダ]]、[[政治家]]、第8代[[アルゼンチン]][[アルゼンチンの国家元首一覧|大統領]](+ [[1885年]]) * [[1846年]] - {{仮リンク|ジェームズ・ジャクソン・パトナム|en|James Jackson Putnam}}、[[医師]](+ [[1918年]]) * [[1848年]] - {{仮リンク|アンリ・ルロル|en|Henry Lerolle|fr|Henry Lerolle}}、画家(+ [[1929年]]) * [[1858年]] - [[エレオノーラ・ドゥーゼ]]、[[俳優|女優]](+ [[1924年]]) * [[1862年]] - {{仮リンク|ジョニー・ブリッグス (クリケット選手)|en|Johnny Briggs (cricketer)|label=ジョニー・ブリッグス}}、[[クリケット]]選手(+ [[1902年]]) * [[1865年]] - [[ギュスターヴ・ロワゾー]]、[[画家]](+ [[1935年]]) * [[1867年]] - [[ピエール・ボナール]]、画家(+ [[1947年]]) * [[1869年]] - [[アルフレート・フラトー]]、[[体操選手]](+ [[1942年]]) * 1869年 - [[ロバート・W・ポール]]、[[電気工事士|電気技師]](+ [[1943年]]) * [[1870年]] - {{仮リンク|アレクサンドル・ヴァレンヌ|fr|Alexandre Varenne}}、政治家(+ [[1947年]]) * [[1872年]] - [[フレッド・クラーク]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1960年]]) * [[1873年]] - [[津田左右吉]]、[[歴史学者]](+ [[1961年]]) * [[1875年]] - [[ドクター・アトル]]、[[画家]]、[[作家]](+ [[1964年]]) * [[1879年]] - [[ワーナー・オーランド]]([[:en:Warner_Oland|Warner Oland]])、[[俳優]](+ [[1938年]]) * [[1882年]] - {{仮リンク|アレクサンダー・ヤング・ジャクソン|en|A. Y. Jackson}}、画家(+ [[1974年]]) * [[1884年]] - [[下村湖人]]、[[小説家]](+ [[1955年]]) * [[1885年]] - {{仮リンク|ソフィー・トレッドウェル|en|Sophie Treadwell}}、劇作家(+ [[1970年]]) * [[1886年]] - [[アラン=フルニエ]]、小説家(+ [[1914年]]) * [[1888年]] - [[ウェイド・ボトラー]]、俳優(+ [[1943年]]) * 1888年 - {{仮リンク|エイリ・ラボンヌ|fr|Eirik Labonne}}、外交官(+ [[1971年]]) * [[1889年]] - [[カール・フォン・オシエツキー]]、[[ジャーナリスト]]、[[平和運動家]](+ [[1938年]]) * [[1890年]] - {{仮リンク|エミリオ・ポルテス・ギル|en|Emilio Portes Gil}}、政治家、[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]](+ [[1978年]]) * [[1892年]] - [[モーリス・マレシャル]]、[[チェリスト]](+ [[1964年]]) * [[1893年]] - [[花柳壽輔 (2世)]]、[[日本舞踊家]]、俳優(+ [[1970年]]) * [[1894年]] - [[エルマー・ロビンソン]]([[:en:Elmer_Robinson|Elmer Robinson]])、[[サンフランシスコ市長]](+ [[1982年]]) * 1894年 - [[ヴァルター・ヴァルリモント]]、[[ドイツ国防軍]][[砲兵]][[大将]](+ [[1976年]]) * [[1895年]] - [[セルゲイ・エセーニン]]、詩人(+ [[1925年]]) * 1895年 - {{仮リンク|ジョヴァンニ・コミッソ|en|Giovanni Comisso|it|Giovanni Comisso}}、作家、詩人(+ [[1969年]]) * [[1896年]] - [[ジュリアン・デュヴィヴィエ]]、[[映画監督]](+ [[1967年]]) * 1896年 - {{仮リンク|ヘラルド・ディエゴ|en|Gerardo Diego|es|Gerardo Diego}}、詩人(+ [[1987年]]) * [[1897年]] - [[ルイ・アラゴン]]、小説家、[[詩人]]、[[評論家]](+ [[1982年]]) * [[1898年]] - [[レオ・マッケリー]]、映画監督(+ [[1969年]]) * 1898年 - [[アドルフ・ライヒヴァイン]]、経済学者(+ [[1944年]]) * 1898年 - {{仮リンク|ディエゴ・ブロッセ|fr|Diego Brosset}}、軍人(+ 1944年) * [[1899年]] - [[山口華楊]]、[[日本画家]](+ [[1984年]]) * 1899年 - [[ルイス・イェルムスレウ]]、[[言語学者]](+ [[1965年]]) * 1899年 - {{仮リンク|ガートルード・バーグ|en|Gertrude Berg}}、女優(+ [[1966年]]) * [[1900年]] - [[トーマス・ウルフ]]、作家(+ [[1938年]]) * [[1901年]] - [[ジャン・グレミヨン]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[作曲家]](+ [[1959年]]) * 1901年 - {{仮リンク|フランソワ・ル・リオンナイ|fr|François Le Lionnais}}、科学者(+ [[1984年]]) * [[1904年]] - [[エルンスト=ギュンター・シェンク]]、[[軍医]](+ [[1998年]]) * [[1905年]] - [[テキン・アルブルン]]、[[トルコの大統領|トルコ大統領]]代理(+ [[1993年]]) * [[1906年]] - [[ナタリー・サヴェージ・カールソン]]、作家(+ [[1997年]]) * [[1908年]] - {{仮リンク|ジョニー・バーク (作詞家)|en|Johnny Burke (lyricist)|label=ジョニー・バーク}}、作詞家(+ [[1964年]]) * [[1909年]] - {{仮リンク|ジャン・ソヴァージュ|fr|Jean Sauvage}}、政治家(+ [[2005年]]) * [[1910年]] - [[小川環樹]]、[[中国文学者]](+ [[1993年]]) * 1910年 - {{仮リンク|アンドレ・ボルドー=ル・ペック|fr|Andrée Bordeaux-Le Pecq}}、[[芸術家]](+ [[1973年]]) * [[1911年]] - [[マイケル・ホーダーン]]、俳優(+ [[1995年]]) * [[1912年]] - [[米山正夫]]、[[作曲家]]、[[作詞家]](+ [[1985年]]) * 1912年 - [[チャールズ・ウッド (第2代ハリファックス伯爵)|チャールズ・イングラム・コートネイ・ウッド]]([[:en:Charles Wood, 2nd Earl of Halifax|Charles Wood, 2nd Earl of Halifax]])、第2代[[ハリファックス伯爵]](+ [[1980年]]) * [[1913年]] - {{仮リンク|アナスタシオ・バレストレロ|en|Anastasio Ballestrero}}、枢機卿(+ [[1998年]]) * [[1914年]] - {{仮リンク|ピエール・ボッケル|fr|Pierre Bockel}}、[[作家]]、[[レジスタンス運動|レジスタンス]]活動家(+ [[1995年]]) * [[1915年]] - [[レイ・スターク]]、[[映画プロデューサー]](+ [[2004年]]) * [[1916年]] - [[ジェイムズ・ヘリオット]]、[[作家]]、[[獣医師|獣医]](+ [[1995年]]) * [[1919年]] - [[ジェームズ・M・ブキャナン]]、[[経済学者]](+ [[2013年]]) * 1919年 - {{仮リンク|ジャン・ルフェーヴル|en|Jean Lefebvre}}、[[映画俳優]](+ [[2004年]]) * [[1920年]] - [[長倉三郎]]、[[化学者]](+ [[2020年]]) * [[1921年]] - [[仲住芳雄]]、[[競馬]][[騎手]]、[[調教師]](+ [[2004年]]) * [[1922年]] - [[大島渡]]、元プロ野球選手 * [[1923年]] - [[スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ]]、[[指揮者]](+ [[2017年]]) * 1923年 - {{仮リンク|エドワード・オリヴァー・ルブラン|en|Edward Oliver LeBlanc}}、初代ドミニカ国首相(+ [[2004年]]) * [[1924年]] - [[ハーヴェイ・カーツマン]]、[[漫画家]](+ [[1993年]]) * 1924年 - {{仮リンク|アルカディ・ヴォロビョフ|en|Arkady Vorobyov}}、[[重量挙げ]]選手(+ [[2012年]]) * 1924年 - [[フランコ・クリスタルディ]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1992年]]) * [[1925年]] - [[ゴア・ヴィダル]]、作家(+ [[2012年]]) * 1925年 - [[シモーネ・セグアン]]([[:en:Simone Segouin]])、レジスタンス活動家 * 1925年 - [[ジョージ・ウェイン]]、[[ジャズ]][[興行#事業分類|プロモーター]]・[[プロデューサー]](+ [[2021年]]) * [[1928年]] - [[牟田悌三]]、俳優(+ [[2009年]]) * [[1929年]] - [[栗木孝幸]]、プロ野球選手(+ [[1998年]]) * [[1933年]] - [[河合保彦]]、プロ野球選手(+ [[1984年]]) * [[1936年]] - [[スティーヴ・ライヒ]]、[[作曲家]] * [[1938年]] - [[エディ・コクラン]]、[[ロカビリー]]歌手(+ [[1960年]]) * 1938年 - [[浜村美智子]]、[[歌手]] * [[1940年]] - [[小寺弘之]]、政治家(+ [[2010年]]) * 1940年 - [[ウォルター・アルバレス]]、[[地質学者]] * [[1941年]] - [[野田毅]]、政治家 * 1941年 - [[アンドレア・デ・アダミッチ]]、元レーシングドライバー * [[1942年]] - [[千田稔 (歴史地理学者)|千田稔]]、[[歴史学者]] * [[1943年]] - [[山本耀司]]、[[ファッションデザイナー]] * 1943年 - [[長勢甚遠]]、政治家 * 1943年 - [[与田順欣]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[末広真季子]]、[[タレント]]、元[[参議院議員]] * [[1945年]] - [[ジャン=ジャック・カントロフ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]] * [[1947年]] - [[笹みどり]]、[[演歌歌手]] * [[1949年]] - [[三浦美幸]]、[[空手道|空手家]] * 1949年 - [[武田広]]、[[ナレーター]] * [[1950年]] - [[宮川大助]]、[[漫才師]] * 1950年 - [[小林国男]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[デーブ・ウィンフィールド]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[白竜 (俳優)|白竜]]、[[俳優]] * 1952年 - [[ブルース・エリアンス]]、[[アメリカンフットボール]]コーチ * [[1953年]] - [[スティーブ・フォックス (日本のミュージシャン)|スティーブ・フォックス]]、ベーシスト、[[牧師]]([[ゴダイゴ]]) * 1953年 - [[平良りん子]]、[[沖縄音楽]]歌手 * [[1954年]] - [[デニス・エカーズリー]]、元プロ野球選手 * 1954年 - [[山口いづみ (女優)|山口いづみ]]、女優 * [[1954年]] - [[スティーヴィー・レイ・ヴォーン]]、ギタリスト (+ [[1990年]]) * [[1955年]] - [[ジム・ジョイス]]、メジャーリーグ審判員 * [[1956年]] - [[平野俊貴]]、[[アニメーション]][[監督]] * [[1957年]] - [[大沢誉志幸]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1957年 - [[星野知子]]、女優 * 1957年 - [[矢野健太郎 (漫画家)|矢野健太郎]]、[[漫画家]] * [[1958年]] - [[石川優子]]、[[シンガーソングライター]] * 1958年 - [[山田勉 (外野手)|山田勉]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[田口ランディ]]、小説家 * 1959年 - [[塩見啓一]]、[[アナウンサー]] * 1959年 - [[中島はるみ (女優)|中島はるみ]]、女優、モデル * [[1961年]] - [[藤田浩雅]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[川嶋真]]、財務官僚 * [[1964年]] - [[クライヴ・オーウェン]]、俳優 * 1964年 - [[中島奏]]、俳優 * 1964年 - [[牧野美千子]]、女優 * 1964年 - [[角野然生]]、官僚 * [[1965年]] - [[佐々木誠 (野球)|佐々木誠]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[ヤン=オベ・ワルドナー]]、卓球選手 * [[1967年]] - [[片平哲也]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[渡邊大門]]、[[歴史学者]] * [[1968年]] - [[木山裕策]]、歌手 * [[1969年]] - [[石田ゆり子]]、女優 * 1969年 - [[tetsuya]]、ベーシスト([[L'Arc〜en〜Ciel]]) * 1969年 - [[グウェン・ステファニー]]、ボーカリスト([[ノー・ダウト]]) * 1969年 - [[藤島誠剛]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[濱涯泰司]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[:en:Kevin_Richardson_(musician)|ケヴィン]]、ミュージシャン([[バックストリート・ボーイズ]]) * [[1972年]] - [[真木蔵人]]、俳優 * 1972年 - [[ケンタロウ]]、[[料理研究家]]、[[イラストレーター]] * [[1973年]] - [[ネーヴ・キャンベル]]、女優 * 1973年 - [[青木和義]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[千原淳弘]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[品田操士]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[レナ・ヘディ]]、女優 * [[1974年]] - [[日本橋ヨヲコ]]、漫画家 * 1974年 - [[アレックス・ラミレス]]、元プロ野球選手、監督 * 1974年 - [[和田正一郎]]、[[調教師]] * [[1975年]] - [[石嶺聡子]]、シンガーソングライター * [[1975年]] - [[斉田季実治]]、[[気象予報士]] * 1975年 - [[剣太郎セガール]]、俳優 * 1975年 - [[マイク・ジョンソン (1975年生の投手)|マイク・ジョンソン]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[森重卓]]、ベーシスト * 1976年 - [[森山栄治]]、俳優 * [[1977年]] - [[白井一行]]、[[プロ野球審判員]] * [[1978年]] - [[阿智太郎]]、小説家 * 1978年 - [[安美錦竜児]]、元[[大相撲]]力士、年寄8代[[安治川 (相撲)|安治川]] * 1978年 - [[クラウディオ・ピサーロ]]、[[サッカー選手]] * 1978年 - [[ゲーラルド・アサモア]]、サッカー選手 * 1978年 - [[山森大輔 (ミュージシャン)|山森大輔]]、ボーカル([[ROCK'A'TRENCH]]) * 1978年 - [[ロシオ・サーラス]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1979年]] - [[蛯原友里]]、タレント、女優、モデル * [[1980年]] - [[八反安未果]]、歌手 * 1980年 - [[三浦瑠麗]]、[[国際政治学者]] * 1980年 - [[MEG (歌手・ファッションデザイナー)|MEG]]、歌手、[[ファッションモデル]]、ファッションデザイナー * 1980年 - [[瓜田華菜子]]、ローカルタレント、フリーアナウンサー * [[1981年]] - [[廣瀬智美]]、[[アナウンサー]] * 1981年 - [[アンドレーアス・イサクソン]]、サッカー選手 * 1981年 - [[ズラタン・イブラヒモビッチ|ズラタン・イブラヒモヴィッチ]]、サッカー選手 * 1981年 - [[マット・マートン]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[元康 (モデル)|元康]]、ファッションモデル * [[1982年]] - [[春日潤也]]、ファッションモデル * [[1983年]] - [[海江田純子]]、タレント * 1983年 - [[近藤直也]]、サッカー選手 * 1983年 - [[杉山真也]]、アナウンサー * 1983年 - [[鈴木裕樹]]、俳優([[D-BOYS]]) * 1983年 - [[フレデリコ・シャヴェス・ゲデス|フレッジ]]、サッカー選手 * 1983年 - [[本田朋広]]、[[麻雀#プロ雀士|プロ雀士]] * 1983年 - [[宮下真依]]、[[グラビアアイドル]] * [[1984年]] - [[小宮山尊信]]、元サッカー選手 * 1984年 - [[谷澤達也]]、サッカー選手 * 1984年 - [[あさの☆ひかり]]、漫画家、元グラビアアイドル * 1984年 - [[アシュリー・シンプソン]]、シンガーソングライター * [[1985年]] - [[Agatha]]、ファッションモデル * 1985年 - [[大山未希]]、元バレーボール選手 * 1985年 - [[SHOKICHI]]、ミュージシャン([[EXILE]]) * 1985年 - [[高本めぐみ]]、 [[声優]] * [[1986年]] - [[北村友一]]、[[騎手]] * 1986年 - [[本多真梨子]]、声優 * 1986年 - [[グウェンドリン・ディディエ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1986年 - [[杉尾拓郎]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[小野裕幸]]、元陸上選手 * [[1987年]] - [[坪木菜果]]、タレント * 1987年 - [[セルゲイ・ボロノフ]]、フィギュアスケート選手 * [[1988年]] - [[鷲谷修也]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[石原卓]]、元サッカー選手 * 1988年 - [[アリシア・ヴィキャンデル]]、女優 * 1988年 - [[小西美希]]、ファッションモデル、女優 * 1988年 - [[中村宝子]]、[[陸上競技]]選手 * 1988年 - [[ニャロメロン]]、漫画家 * 1988年 - [[グレゴリー・メリマン]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - [[フィル・ゴセリン]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[斉藤里奈]]、タレント * 1990年 - [[大須賀咲香]]、バレーボール選手 * 1990年 - [[丸山元気]]、騎手 * 1990年 - [[笠原江梨香]]、テコンドー選手 * 1990年 - [[龍清泉]]、重量挙げ選手 * 1990年 - [[ハンナ・ハツコ]]、陸上競技選手 * [[1991年]] - [[高城亜樹]]、タレント(元[[AKB48]]、元[[フレンチ・キス (アイドルユニット)|フレンチ・キス]]) * 1991年 - [[センラ]]、[[歌い手]]([[浦島坂田船]]) * [[1992年]] - [[花柳芳次郎 (6代目)]]、[[日本舞踊]]家、俳優 * 1992年 - [[橋本愛奈]]、歌手、タレント(元[[チャオ ベッラ チンクエッティ]]) * 1992年 - [[西村信章]]、俳優 * 1992年 - [[ゆきりぬ]]、[[YouTuber]] * [[1993年]] - [[大澤勇斗]]、プロアイスホッケー選手 * [[1994年]] - [[遠藤新菜]]、ファッションモデル、女優 * [[1995年]] - [[山崎大輝]]、俳優 * 1995年 - [[加藤里保菜]]、タレント、女優 * [[1996年]] - [[馬渡隼暉]]、サッカー選手 * [[1997年]] - [[高橋朱里]]、アイドル(元AKB48、[[Rocket Punch]]) * 1997年 - 湯本亜美、アイドル(AKB48) * 1997年 - [[網谷圭将]]、元プロ野球選手 * [[1998年]] - [[鈴木昂秀]]、ダンサー、俳優([[THE RAMPAGE from EXILE TRIBE]]) * [[1999年]] - 長野雅、アイドル (元[[HKT48]]) * [[2001年]] - [[遠藤さくら]]、アイドル([[乃木坂46]]) * 2001年 - [[山之内すず]]、モデル、女優 * [[2004年]] - 小西夏菜実、アイドル([[日向坂46]]) * [[2006年]] - 高岡ミロ、俳優(元[[MAGiC BOYZ]]) * 生年不明 - [[小西紀行]]、漫画家 * 生年不明 - [[道井悠]]、声優 * 生年不明 - [[綾瀬有]]、声優 * 生年不明 - [[飯野ユウ]]、元声優 * 生年不明 - [[大竹みゆ]]、声優 * 生年不明 - [[香山いちご]]、声優 * 生年不明(昭和69年(自称)) - 奏音69、[[ボカロP]] == 忌日 == [[File:San Francesco.jpg|thumb|120px|[[アッシジのフランチェスコ]](1181-1226)没]] {{multiple image | image1 = Wmmorris3248.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[アーツ・アンド・クラフツ運動]]を展開した[[イギリス]]の[[工芸家]]、[[ウィリアム・モリス]](1834-1896)没 | alt1 = モリス | image2 = Carl Nielsen.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[デンマーク]]の国民的[[作曲家]]、[[カール・ニールセン]](1865-1931)没 | alt2 = ニールセン | image3 = Sojinkan Sugimura.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[東京朝日新聞]]記者、[[杉村楚人冠]](1872-1945)没。調査部、審査部の設置、縮小版の作成など現代新聞事業を展開 | alt3 = 杉村楚人冠 }} {{multiple image | image1 = Iida Dakotsu.JPG | width1 = 100 | caption1 = [[俳人]]、[[飯田蛇笏]](1885-1962)没{{Squote|誰彼もあらず一天自尊の秋――『椿花集』(1966)より}} | alt1 = 飯田蛇笏 | image2 = SOGO Shinji.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[新幹線]]事業を指揮した[[日本国有鉄道|国鉄]]総裁、[[十河信二]](1884-1981)没 | alt2 = 十河信二 | image3 = NISHIO Suehiro.jpg | width3 = 100 | caption3 = 初代[[民社党]]委員長、[[西尾末広]](1891-1981)没 | alt3 = 西尾末広 }} [[File:Shoichi Nakagawa.jpg|thumb|120px|元[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]、[[中川昭一]](1953-2009)急死]] * [[1226年]] - [[アッシジのフランチェスコ]]、[[宗教家]]、[[修道会]][[フランシスコ会]]創始者(* [[1181年]]) * [[1568年]] - [[エリザベート・ド・ヴァロワ|エリザベート]]、[[スペイン]]王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]の妃(* [[1545年]]) <!-- 11月3日に移動* [[1643年]] - [[パウル・ギュルダン]]、[[数学者]](* [[1577年]])--> * [[1684年]] - [[フアン・カレーニョ・デ・ミランダ]]、[[画家]](* [[1614年]]) * [[1895年]] - [[ハリー・ライト]]、元プロ野球選手(* [[1835年]]) * [[1896年]] - [[ウィリアム・モリス]]、[[詩人]]、[[デザイナー]]、[[工芸家]](* [[1834年]]) * [[1911年]] - [[鳩山和夫]]、第6代[[衆議院議長]](* [[1856年]]) * [[1927年]] - [[飯村丈三郎]]、[[実業家]](* [[1853年]]) * [[1929年]] - [[グスタフ・シュトレーゼマン]]、[[ドイツの首相|ドイツ首相]]、外相(* [[1878年]]) * [[1931年]] - [[カール・ニールセン]]、[[作曲家]](* [[1865年]]) * [[1932年]] - [[マックス・ヴォルフ]]、[[天文学者]](* [[1863年]]) * [[1945年]] - [[杉村楚人冠]]、[[ジャーナリスト]]、[[随筆家]](* [[1872年]]) * 1945年 - [[吉江一行]]、[[野球選手]](* 生年不詳) * [[1951年]] - [[島津源蔵 (2代目)]]、[[発明家]]、[[島津製作所]]社長(* [[1869年]]) * [[1953年]] - [[アーノルド・バックス]]、作曲家(* [[1883年]]) * [[1959年]] - [[栃木山守也]]、[[大相撲]]第27代[[横綱]](* [[1892年]]) * [[1962年]] - [[飯田蛇笏]]、[[俳人]](* [[1885年]]) * [[1967年]] - [[マルコム・サージェント]]、[[指揮者]](* [[1895年]]) * 1967年 - [[ウディ・ガスリー]]、[[フォークソング]][[歌手]](* [[1912年]]) * [[1969年]] - [[市川左團次 (3代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1898年]]) * [[1976年]] - [[エミール・バンヴェニスト]]、[[言語学者]](* [[1902年]]) * [[1981年]] - [[十河信二]]、第4代[[日本国有鉄道]]総裁(* [[1884年]]) * 1981年 - [[西尾末広]]、[[政治家]]、初代[[民社党]]委員長(* [[1891年]]) * [[1983年]] - [[花登筺]]、[[小説家]]、[[脚本家]](* [[1928年]]) * [[1988年]] - [[フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス]]、[[バイエルン州]]首相、[[キリスト教社会同盟]]党首(* [[1915年]]) * [[1998年]] - [[ロディ・マクドウォール]]、[[俳優]](* [[1928年]]) * [[1999年]] - [[盛田昭夫]]、[[ソニー]]設立者(* [[1921年]]) * 1999年 - [[佐賀ノ海輝一]]、元[[プロ野球選手]](* [[1945年]]) * [[2003年]] - [[ウィリアム・スタイグ]]、[[漫画家]]、[[児童文学作家]](* [[1907年]]) * [[2004年]] - [[ジャネット・リー]]、[[俳優|女優]](* [[1927年]]) * [[2006年]] - [[三浦小平二]]、[[陶芸家]](* [[1933年]]) * 2006年 - [[ピーター・ノーマン]]、[[陸上競技]]選手(* [[1942年]]) * [[2007年]] - [[若桑みどり]]、[[美術史|美術史学者]](* [[1935年]]) * [[2009年]] - [[アレクサンドル・バシライア]]、作曲家、作詞家(* [[1942年]]) * 2009年 - [[中川昭一]]、政治家(* [[1953年]]) * [[2010年]] - [[榊莫山]]、[[書道家]](* [[1926年]]) * [[2011年]] - [[西園寺昭夫]]、元プロ野球選手(* [[1937年]]) * [[2012年]] - [[馬渕晴子]]、[[俳優|女優]](* [[1936年]]) * [[2013年]] - [[河西昌枝]]、元[[バレーボール]]選手(* [[1933年]]) * [[2017年]] - [[佐伯敏子 (反核運動家)|佐伯敏子]]<ref name="宮崎">{{Cite news|和書|language=ja|author=宮崎園子|url=http://www.asahi.com/articles/ASKB40FKDKB3PITB01Z.html?iref=comtop_8_07 |title=佐伯敏子さん死去 97歳 被爆者の魂、守り続けて 原爆供養塔「守り人」40年|accessdate=2020-11-6|newspaper=[[朝日新聞]]|edition=東京夕刊|publisher=[[朝日新聞社]]|date=2017-10-4|page=7 <!-- |archiveurl=https://archive.is/9py2D |archivedate=2017-10-4 --> |ref={{SfnRef|宮崎|2017}}}}</ref>、[[反核運動|反核運動家]]、[[関西学院大学]]名誉教授(* [[1919年]]) * 2017年 - [[ジャラル・タラバニ]]<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20171004-PPHPFXA57VKMNMES777JE2TMHM/|title=イラク・タラバニ前大統領死去 クルド民族自決に尽力|work=産経ニュース|newspaper=[[産経新聞]]|date=2017-10-04|accessdate=2020-10-27}}</ref>、[[イラク]]第四共和政初代[[イラクの大統領|大統領]](* [[1933年]]) == 記念日・年中行事 == * [[ドイツ統一の日]]({{DEU}}) *:[[1990年]]のこの日、10月3日に東西ドイツが45年ぶりに[[ドイツ再統一|統一]]されたことを記念。 * [[開天節]]({{KOR}}) *:韓国の4つの国慶日の一つで、韓国の建国記念日。紀元前2333年のこの日、[[檀君|檀君王倹]]が平壌城に都を定め、[[檀君朝鮮|古朝鮮王国]]を建国したとする伝承に由来。 *登山の日・山の日({{JPN}}) *:「10(と)3(ざん)」の語呂合わせ。日本アルパイン・ガイド協会が[[1992年]]に制定。 *土佐の日({{JPN}}) *:「10(と)3(さ)」の語呂合わせ。 *東御の日({{JPN}}[[長野県]][[東御市]]) *:「10(とう)3(み)」の語呂合わせ。[[長野県]][[東御市]]が市民憲章と市の花・市の木・市の蝶を告示した日であり、言葉の響きもよく市民に広く親しめることから制定。 *KOBE観光の日({{JPN}}[[兵庫県]][[神戸市]]) *:[[1979年]]のこの日、[[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[風見鶏 (テレビドラマ)|風見鶏]]』の放送が開始。神戸観光のブームの礎となった本作品を記念し、2004年に制定。 *アンパンマンの日({{JPN}}) *:[[1988年]]のこの日、[[テレビアニメ|アニメ]]『[[それいけ!アンパンマン]]』の放送が開始されたのを記念し、[[フレーベル館]]、[[トムス・エンタテインメント]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が2016年に制定。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1003|date=2011年7月}} * 1911年 - エルリック兄弟が「覚悟を決めるため」として自宅を焼き払い、兄・[[エドワード・エルリック|エドワード]]の失った手足と弟・[[アルフォンス・エルリック|アルフォンス]]の身体を取り戻す方法(賢者の石)を探すため、旅に出る。(漫画・アニメ『[[鋼の錬金術師]]』) * 1947年(昭和22年)- [[キャバレー (接待飲食店)|キャバレー]]「花」で[[画家]]の蜂屋小市が[[狙撃]]される。(小説『[[夜歩く]]』第1章) * 1947年(昭和22年)- [[金田一耕助]]と出川[[刑事]]が[[須磨寺]]近くの[[旅館]]「三春園」に投宿。[[女中]]のおすみとともに玉虫[[伯爵]]の[[別荘]]跡に赴いた金田一耕助は、[[石燈籠]]に書かれた「悪魔ここに誕生す」の文字を見つける。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第16章) * 1955年(昭和30年)- 上杉誠也の[[還暦]]祝いのパーティーが[[日比谷]]の国際ホテルで開かれるが、ホテル内で高頭俊作、[[アクロバット]][[ダンサー]]の笠原操、[[私立探偵]]の岩下三五郎が殺される。(小説『[[三つ首塔]]』第1章) * 1996年 - コズミックカルチャークラブの第1期生が火星に到着(アニメ『[[蒼き流星SPTレイズナー]]』) * [[コズミック・イラ|C.E.]]73年 - [[コズミック・イラの勢力#ザフト脱走兵|ザフト軍脱走兵]]([[テロリズム|テロリスト]])によって[[コズミック・イラ#ブレイク・ザ・ワールド(ユニウスセブン落下テロ事件)|ブレイク・ザ・ワールド]]が引き起こされる。(アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]]』・『[[機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1898年]] - さくら友蔵、漫画・アニメ『[[ちびまる子ちゃん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tweet_maruko|1312195937901527040}}</ref> * [[1973年]] - 梅沢正彦、漫画・アニメ『[[はじめの一歩]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ippo_fs|1323565585674858496}}</ref> * 生年不明 - 瀬戸一貴、漫画『[[I"s]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|title=I“s 3巻 第25話 勝負の月|date=1997年12月29日|publisher=[[集英社]]|page=174|author=桂 正和|isbn=4-08-872506-9}}</ref> * 生年不明 - [[鹿目まどか]]、アニメ『[[魔法少女まどか☆マギカ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|Butch_Gen|253300831032582144}}</ref><ref>{{Twitter status|umeaoki|1444799859882561540}}</ref> * 生年不明 - オパール、『[[ジュエルペット]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sanrio.co.jp/characters/jewelpet/ |title=マジカルブルー オパール |access-date=2022-09-07 |publisher=[[サンリオ]] |work=JEWELPET ジュエルペット}}</ref> * 生年不明 - ヤマ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Yama.html |title=ヤマ |access-date=2022-09-07 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - 秋庭紅葉、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1444317513756598276}}</ref> * 生年不明 - 宇井郡、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|title=東京喰種トーキョーグール:re|volume=4巻|publisher=集英社|year=2015|ISBN=978-4-08-890254-8}}</ref> * 生年不明 - 藍沢みんと、漫画・アニメ『[[東京ミュウミュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tokyo-mew-mew.com/chara2.html |title=藍沢みんと |access-date=2022-09-07 |publisher=征海美亜・吉田玲子・[[講談社]]/「東京ミュウミュウにゅ~」製作委員会}}</ref> * 生年不明 - ウェイバー・ベルベット(ロード・エルメロイII世)、小説『[[Fate/Zero]]』並びに『[[ロード・エルメロイII世の事件簿]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ufotable|1312288299050962944}}</ref> * 生年不明 - 伊地崎麗奈、キャラクターCD・アニメ『[[ツキウタ。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tsukino-pro.com/tsukiuta/character/reina |title=伊地崎 麗奈 |access-date=2022-09-07 |publisher=TSUKIUTA}}</ref> * 生年不明 - 天海蘭太郎、ゲーム『[[ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sp_kiboukoubai|1444489883402178564}}</ref> * 生年不明 - 兵藤レナ、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20135 |title=兵藤 レナ(ひょうどう れな) |access-date=2022-09-07 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> <!-- * [[未来世紀|F.C.]]39年 - [[レイン・ミカムラ]]、アニメ『[[機動武闘伝Gガンダム]]』のメインヒロイン * 生年不明 - 忌野雷蔵、ゲーム『[[ジャスティス学園]]』に登場するキャラクター --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|3 October}} {{新暦365日|10|2|10|4|[[9月3日]]|[[11月3日]]|[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]|1003|10|03}} {{1年の月と日}}
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国際連合事務総長
国際連合事務総長(こくさいれんごうじむそうちょう、英語: Secretary-General of the United Nations、UNSGと略称される、フランス語: Secrétaire général des Nations unies)は、国際連合の6つの主要機関のうちの一つである国際連合事務局の代表である。事務局及び事務総長の役割は国際連合憲章第15章(第97条から第101条まで)に規定されている。ただし事務総長の能力・選考方法・在職期間には解釈の余地があり、慣習的に定められている。 事務総長の任務は国際連合内部の組織運営をめぐるものと加盟国における紛争などに際しての調停や国際連合が扱う諸問題についての発言などの両方が含まれる。位の位置付けとしては最も立場が高いとされ、国際連合の最高職に位置する。 その多忙さから世界で最も困難な仕事と形容される。初代事務総長のトリグブ・リーは、1953年4月9日に次期事務総長となるダグ・ハマーショルドをアイドルワイルド空港(現・ジョン・F・ケネディ国際空港)で迎えた際に、ハマーショルドに事務総長の職を「世界で最も困難な仕事」と紹介している。 事務総長は国際連合憲章の規定するところにより、安全保障理事会の推薦(勧告)を受けて総会によって任命される。勧告は安全保障理事会からのものでなければならないため、常任理事国は指名に対して拒否権を行使することができる。 事務総長になれる者の資格について国際連合憲章に規定は無いが、それまでの選考の前例に基づいた非公式な選考資格が設定されている。それによれば、事務総長の候補者は常任理事国の国民であってはならない。1997年の総会決議51/241では事務総長の「最良の候補者」の選考において、選考される者の出身地域(大陸)と性別の平等に考慮すべきであるとしているが、これまでに女性が事務総長になったことは無い。出身地域については前任の事務総長と同じ出身地域から選出された例は、第2代のダグ・ハマーショルドと第7代のコフィー・アナンのみである。これまでに任命された者は全てキャリア外交官だった。 安全保障理事会における次期事務総長の選考プロセスは不透明で、しばしばローマ教皇のコンクラーベと比較される。1981年以降安全保障理事会では次期事務総長を選定するための非公式な調査や投票を行ってきた。安全保障理事会は最終候補者の選定後、総会に勧告して承認を求める。これまでに総会で否認された候補者は1度もいない。安保理で異議が出たにもかかわらず総会の投票にかけられたのは、1950年の一度だけである。 第8代の潘基文までは安全保障理事会の非公開会合のみで候補者が推挙されてきた経緯があり、批判も少なからずあった。この為2016年末で任期満了となって退任する潘の後継を決定するに当たっては、安全保障理事会が最終候補者を推挙する事そのものは変わらないものの、国際連合発足以来初めて事前に立候補者を公募し、2016年4月に候補者全員が出席して行われる公聴会を開催して手続きの透明性を高めた。この手続きで選ばれた最初の人物が、第9代で現任のアントニオ・グテーレスである。ただし安全保障理事会での最終的な候補者の決定は非公開で行われ、これまでの選出と同じプロセスを踏襲したため、総会議長は「加盟国の期待に応えておらず、開放性と透明性という新たな基準にも対応していない」と苦言を呈した。 事務総長の任期の規定も国際連合憲章には無いが、1971年以降の全ての事務総長は5年の任期で任命されている。1961年以降の全ての事務総長が2期目の選考を受けており、1996年の選考でアメリカに拒否権を行使されたブトロス・ブトロス=ガーリ以外は2期目の再選を受けている。2期までという任期制限が非公式に設けられているが、これは1981年の選出で中国がクルト・ヴァルトハイムの3期目の選出に過去最多の16回の拒否権を投じたことを受けて制定されたものである。1981年以降3期目の就任を目指そうとした事務総長はいない。なお、第3代のウ・タントの在任期間(事務総長代理の期間を含む)は歴代事務総長の中で唯一10年を超えているが、これは2期目の途中で任期を暦年に合わせて1月1日から12月31日までとすることになったためである。 事務総長の役割は提唱者・外交官・公務員・最高経営責任者(CEO)のそれぞれの機能と責任を組み合わせたものと説明されている。国際連合憲章では事務総長を国際連合の「最高行政責任者」(chief administrative officer)に指定し、事務総長に他の国際連合機関から委託された機能を実行することを認めている。国際連合憲章は事務総長に対し、国際平和と安全の維持を脅かす可能性があるとの見解を示すあらゆる事項を安全保障理事会に報告する権限を与えている。これらの規定は事務総長が自らの選択・技能・状況に応じて様々な役割を果たすことができるよう、事務総長に対して幅広い自由度を与えていると解釈されている。 事務総長の日常的な職務には以下のものなどがある。 また、事務総長は国際連合の活動に関する年次報告書を発行する。年次報告書には国際連合の活動の評価と今後の優先事項の概要が含まれている。事務総長は国際連合システム事務局長調整委員会(CEB)の議長を務める。これは全ての国際連合基金・プログラム・専門機関の代表で構成される年2回の会合で、国際連合機関が直面している実質的・管理的な問題について議論する。 事務総長の権限の多くは、国際連合憲章などの成文法に無い非公式のものであり、事務総長個人の解釈に委ねられている。歴代の事務総長の中には活動的な役割を選択した者もいれば、技術的・管理的な役割を選択した者もいる。事務総長はしばしば、加盟国間の紛争や問題の調停(good office)を行う。事務総長が行う調停は「国際紛争の発生・エスカレート・拡大を防ぐために独立性・公平性・誠実性を活かして、公私に渡って行われる措置」である。その結果として事務総長は「世界で最も目に見えるすばらしい講壇(英語版)」や「世界の司会者」などと表現されてきた。例としては、中東戦争の休戦を推進したダグ・ハマーショルド、イラン・イラク戦争の停戦交渉を行ったハビエル・ペレス=デ=クエヤル、キューバ危機の緩和におけるウ・タントの役割などが挙げられる。 事務総長の公邸はニューヨークのマンハッタン区サットンプレイス3番地にあるタウンハウスである。この建物は1921年に慈善家のアン・モーガン(英語版)のために建てられ、1972年に国際連合に寄贈された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "国際連合事務総長(こくさいれんごうじむそうちょう、英語: Secretary-General of the United Nations、UNSGと略称される、フランス語: Secrétaire général des Nations unies)は、国際連合の6つの主要機関のうちの一つである国際連合事務局の代表である。事務局及び事務総長の役割は国際連合憲章第15章(第97条から第101条まで)に規定されている。ただし事務総長の能力・選考方法・在職期間には解釈の余地があり、慣習的に定められている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "事務総長の任務は国際連合内部の組織運営をめぐるものと加盟国における紛争などに際しての調停や国際連合が扱う諸問題についての発言などの両方が含まれる。位の位置付けとしては最も立場が高いとされ、国際連合の最高職に位置する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "その多忙さから世界で最も困難な仕事と形容される。初代事務総長のトリグブ・リーは、1953年4月9日に次期事務総長となるダグ・ハマーショルドをアイドルワイルド空港(現・ジョン・F・ケネディ国際空港)で迎えた際に、ハマーショルドに事務総長の職を「世界で最も困難な仕事」と紹介している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "事務総長は国際連合憲章の規定するところにより、安全保障理事会の推薦(勧告)を受けて総会によって任命される。勧告は安全保障理事会からのものでなければならないため、常任理事国は指名に対して拒否権を行使することができる。", "title": "選出と任命" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "事務総長になれる者の資格について国際連合憲章に規定は無いが、それまでの選考の前例に基づいた非公式な選考資格が設定されている。それによれば、事務総長の候補者は常任理事国の国民であってはならない。1997年の総会決議51/241では事務総長の「最良の候補者」の選考において、選考される者の出身地域(大陸)と性別の平等に考慮すべきであるとしているが、これまでに女性が事務総長になったことは無い。出身地域については前任の事務総長と同じ出身地域から選出された例は、第2代のダグ・ハマーショルドと第7代のコフィー・アナンのみである。これまでに任命された者は全てキャリア外交官だった。", "title": "選出と任命" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "安全保障理事会における次期事務総長の選考プロセスは不透明で、しばしばローマ教皇のコンクラーベと比較される。1981年以降安全保障理事会では次期事務総長を選定するための非公式な調査や投票を行ってきた。安全保障理事会は最終候補者の選定後、総会に勧告して承認を求める。これまでに総会で否認された候補者は1度もいない。安保理で異議が出たにもかかわらず総会の投票にかけられたのは、1950年の一度だけである。", "title": "選出と任命" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "第8代の潘基文までは安全保障理事会の非公開会合のみで候補者が推挙されてきた経緯があり、批判も少なからずあった。この為2016年末で任期満了となって退任する潘の後継を決定するに当たっては、安全保障理事会が最終候補者を推挙する事そのものは変わらないものの、国際連合発足以来初めて事前に立候補者を公募し、2016年4月に候補者全員が出席して行われる公聴会を開催して手続きの透明性を高めた。この手続きで選ばれた最初の人物が、第9代で現任のアントニオ・グテーレスである。ただし安全保障理事会での最終的な候補者の決定は非公開で行われ、これまでの選出と同じプロセスを踏襲したため、総会議長は「加盟国の期待に応えておらず、開放性と透明性という新たな基準にも対応していない」と苦言を呈した。", "title": "選出と任命" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "事務総長の任期の規定も国際連合憲章には無いが、1971年以降の全ての事務総長は5年の任期で任命されている。1961年以降の全ての事務総長が2期目の選考を受けており、1996年の選考でアメリカに拒否権を行使されたブトロス・ブトロス=ガーリ以外は2期目の再選を受けている。2期までという任期制限が非公式に設けられているが、これは1981年の選出で中国がクルト・ヴァルトハイムの3期目の選出に過去最多の16回の拒否権を投じたことを受けて制定されたものである。1981年以降3期目の就任を目指そうとした事務総長はいない。なお、第3代のウ・タントの在任期間(事務総長代理の期間を含む)は歴代事務総長の中で唯一10年を超えているが、これは2期目の途中で任期を暦年に合わせて1月1日から12月31日までとすることになったためである。", "title": "任期" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "事務総長の役割は提唱者・外交官・公務員・最高経営責任者(CEO)のそれぞれの機能と責任を組み合わせたものと説明されている。国際連合憲章では事務総長を国際連合の「最高行政責任者」(chief administrative officer)に指定し、事務総長に他の国際連合機関から委託された機能を実行することを認めている。国際連合憲章は事務総長に対し、国際平和と安全の維持を脅かす可能性があるとの見解を示すあらゆる事項を安全保障理事会に報告する権限を与えている。これらの規定は事務総長が自らの選択・技能・状況に応じて様々な役割を果たすことができるよう、事務総長に対して幅広い自由度を与えていると解釈されている。", "title": "権限と義務" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "事務総長の日常的な職務には以下のものなどがある。", "title": "権限と義務" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "また、事務総長は国際連合の活動に関する年次報告書を発行する。年次報告書には国際連合の活動の評価と今後の優先事項の概要が含まれている。事務総長は国際連合システム事務局長調整委員会(CEB)の議長を務める。これは全ての国際連合基金・プログラム・専門機関の代表で構成される年2回の会合で、国際連合機関が直面している実質的・管理的な問題について議論する。", "title": "権限と義務" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "事務総長の権限の多くは、国際連合憲章などの成文法に無い非公式のものであり、事務総長個人の解釈に委ねられている。歴代の事務総長の中には活動的な役割を選択した者もいれば、技術的・管理的な役割を選択した者もいる。事務総長はしばしば、加盟国間の紛争や問題の調停(good office)を行う。事務総長が行う調停は「国際紛争の発生・エスカレート・拡大を防ぐために独立性・公平性・誠実性を活かして、公私に渡って行われる措置」である。その結果として事務総長は「世界で最も目に見えるすばらしい講壇(英語版)」や「世界の司会者」などと表現されてきた。例としては、中東戦争の休戦を推進したダグ・ハマーショルド、イラン・イラク戦争の停戦交渉を行ったハビエル・ペレス=デ=クエヤル、キューバ危機の緩和におけるウ・タントの役割などが挙げられる。", "title": "権限と義務" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "事務総長の公邸はニューヨークのマンハッタン区サットンプレイス3番地にあるタウンハウスである。この建物は1921年に慈善家のアン・モーガン(英語版)のために建てられ、1972年に国際連合に寄贈された。", "title": "公邸" } ]
国際連合事務総長は、国際連合の6つの主要機関のうちの一つである国際連合事務局の代表である。事務局及び事務総長の役割は国際連合憲章第15章(第97条から第101条まで)に規定されている。ただし事務総長の能力・選考方法・在職期間には解釈の余地があり、慣習的に定められている。
{{Infobox Political post |post = 事務総長 |body = {{UN}} |native_name = {{en|Secretary-General of the United Nations}}<br/>{{fr|Secrétaire général des Nations unies}} |insignia = Emblem of the United Nations.svg |insigniasize = 90px |insigniacaption = 国際連合紋章 |flag = Flag of the United Nations.svg |flagsize = 150px |flagcaption = [[国際連合の旗|国際連合旗]] |image = António Guterres - 2019 (48132270313) (cropped).jpg |imagesize = 190px |incumbent = [[アントニオ・グテーレス]](第9代)<br/>{{lang|pt|António Guterres}} |incumbentsince = [[2017年]][[1月1日]] |nominator = [[国際連合安全保障理事会]] |appointer = [[国際連合総会]] |termlength = 5年(非公式の任期) |formation = {{start date and years ago|df=yes|1945}} |inaugural = [[トリグブ・リー]]<br />([[ヒューバート・マイルズ・グラッドウィン・ジェブ (初代グラッドウィン男爵)|グラッドウィン・ジェブ]](代理)) |deputy = [[国際連合副事務総長]] |style = {{en|His/Her Excellency(閣下)}} |website = [https://www.un.org/sg/en Secretary-General] }} '''国際連合事務総長'''(こくさいれんごうじむそうちょう、{{lang-en|'''Secretary-General of the United Nations'''}}、{{en|'''UNSG'''}}と略称される、{{lang-fr|'''Secrétaire général des Nations unies'''}})は、[[国際連合]]の6つの主要機関のうちの一つである[[国際連合事務局]]の代表である。事務局及び事務総長の役割は[[国際連合憲章]]第15章(第97条から第101条まで)に規定されている。ただし事務総長の能力・選考方法・在職期間には解釈の余地があり、慣習的に定められている<ref>{{cite news |last=Urquhart |first=Brian |date=2009-01-28 |title=The Next Secretary-General: How to Fill a Job With No Description |journal=Foreign Affairs: America and the World |language=en-US |url=https://www.foreignaffairs.com/articles/2006-09-01/next-secretary-general-how-fill-job-no-description |accessdate=2020-09-03 |issn=0015-7120}}</ref>。 == 概要 == 事務総長の任務は[[国際連合]]内部の組織運営をめぐるものと[[国際連合加盟国|加盟国]]における紛争などに際しての調停や国際連合が扱う諸問題についての発言などの両方が含まれる。位の位置付けとしては最も立場が高いとされ、[[国際連合]]の最高職に位置する。 その多忙さから'''世界で最も困難な仕事'''と形容される<ref>{{Cite news|url=https://japan-indepth.jp/?p=29186|title=次期国連事務総長選始まる その4 次期事務総長に望ましい資質|date=2016-07-24|accessdate=2018-03-27}}</ref>。初代事務総長の[[トリグブ・リー]]は、1953年4月9日に次期事務総長となる[[ダグ・ハマーショルド]]をアイドルワイルド空港(現・[[ジョン・F・ケネディ国際空港]])で迎えた際に、ハマーショルドに事務総長の職を「世界で最も困難な仕事」と紹介している<ref>{{en icon}}{{Cite web|title=Character Sketches Trygve Lie by Brian Urquhart|url=http://www.un.org/apps/news/infocus/trygvie-lie.asp#.WsOJt3tuJdg|date=|accessdate=2018-04-03|publisher=国連ニュースセンター}}</ref>。 == 選出と任命 == {{See also|国際連合事務総長の選出}} 事務総長は国際連合憲章の規定するところにより、[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の推薦(勧告)を受けて[[国際連合総会|総会]]によって任命される。勧告は安全保障理事会からのものでなければならないため、[[国際連合安全保障理事会常任理事国|常任理事国]]は指名に対して[[国際連合安全保障理事会における拒否権|拒否権]]を行使することができる。 事務総長になれる者の資格について国際連合憲章に規定は無いが、それまでの選考の前例に基づいた非公式な選考資格が設定されている。それによれば、事務総長の候補者は常任理事国の国民であってはならない<ref>{{cite web |url=https://www.thirteen.org/wnet/un/life/job.html |title=Kofi Annan: Job at a Glance |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |publisher=KOFI ANNAN Online|accessdate=2021-02-26}}</ref>。1997年の総会決議51/241では事務総長の「最良の候補者」の選考において、選考される者の出身地域(大陸)と性別の平等に考慮すべきであるとしている<ref name=SRR2015>{{cite book |title=Appointing the UN Secretary-General |url=http://www.securitycouncilreport.org/special-research-report/appointing-the-un-secretary-general.php |series=Research Report |volume=2015 |date=16 October 2015 |issue=2 |location=New York |publisher=Security Council Report, Inc. |pages=4–5 |format=PDF}}</ref>{{rp|5}}が、これまでに女性が事務総長になったことは無い。出身地域については前任の事務総長と同じ出身地域から選出された例は、第2代の[[ダグ・ハマーショルド]]と第7代の[[コフィー・アナン]]のみである。これまでに任命された者は全てキャリア外交官だった<ref name=":1"/>。 安全保障理事会における次期事務総長の選考プロセスは不透明で、しばしば[[ローマ教皇]]の[[コンクラーベ]]と比較される<ref name="nytimes20160722">{{cite news |last1=Sengupta |first1=Somini |title=Secrecy Reigns as U.N. Seeks a New Secretary General |url=https://www.nytimes.com/2016/07/22/world/americas/united-nations-secretary-general.html |work=[[The New York Times]] |date=21 July 2016}}</ref><ref>{{cite news |title=A Well-Read Secretary General |url=https://www.nytimes.com/1981/12/13/opinion/a-well-read-secretary-general.html |work=The New York Times |date=13 December 1981 |quote=With a figurative puff of white smoke, the United Nations Security Council finally selected a new Secretary-General – a seasoned and soft-spoken diplomat from Peru, Javier Perez de Cuellar.}}</ref>。1981年以降安全保障理事会では次期事務総長を選定するための非公式な調査や投票を行ってきた。安全保障理事会は最終候補者の選定後、総会に勧告して承認を求める。これまでに総会で否認された候補者は1度もいない。安保理で異議が出たにもかかわらず総会の投票にかけられたのは、1950年の一度だけである{{efn|[[トリグブ・リー]]の2期目の任期に対して[[ソビエト連邦]]が異議を申し立てたが、総会で強行採決されて賛成46反対5で承認された。}}<ref>Barrett, George (13 October 1950). "Position of U.N. Chief Aide is Thrust Into Uncertainty". ''The New York Times''. p. 1.</ref>。 第8代の[[潘基文]]までは安全保障理事会の非公開会合のみで候補者が推挙されてきた経緯があり、批判も少なからずあった<ref name="unic_20160413">{{Cite press release|和書|title=史上初、次期国連事務総長候補9名との公開面談、 4月12日〜14日のプログラム決定 【情報をアップデートしました】|url=http://www.unic.or.jp/news_press/info/18566/|publisher=国際連合広報センター|lang=日本語|date=2016-4-13|accessdate=2017-2-26}}</ref>。この為2016年末で任期満了となって退任する潘の後継を決定するに当たっては、安全保障理事会が最終候補者を推挙する事そのものは変わらないものの、国際連合発足以来初めて事前に立候補者を公募し、2016年4月に候補者全員が出席して行われる公聴会を開催して手続きの透明性を高めた<ref name="unic_20160413" />。この手続きで選ばれた最初の人物が、第9代で現任の[[アントニオ・グテーレス]]である。ただし安全保障理事会での最終的な候補者の決定は非公開で行われ、これまでの選出と同じプロセスを踏襲したため、[[国際連合総会議長|総会議長]]は「加盟国の期待に応えておらず、開放性と透明性という新たな基準にも対応していない」と苦言を呈した<ref>{{cite web |title=Letter from Mogens Lykketoft to All Permanent Representatives and Permanent Observers to the United Nations, 21 July 2016 |url=https://www.un.org/pga/70/wp-content/uploads/sites/10/2015/08/20-July_Security-Council-Straw-Polls-on-SG-candidates.pdf |date=21 July 2016|accessdate=2021-02-26}}</ref>。 == 任期 == 事務総長の任期の規定も国際連合憲章には無いが、1971年以降の全ての事務総長は5年の任期で任命されている。1961年以降の全ての事務総長が2期目の選考を受けており、1996年の選考でアメリカに拒否権を行使された[[ブトロス・ブトロス=ガーリ]]以外は2期目の再選を受けている。2期までという任期制限が非公式に設けられているが、これは1981年の選出で中国が[[クルト・ヴァルトハイム]]の3期目の選出に過去最多の16回の拒否権を投じたことを受けて制定されたものである。1981年以降3期目の就任を目指そうとした事務総長はいない。なお、第3代の[[ウ・タント]]の在任期間(事務総長代理の期間を含む)は歴代事務総長の中で唯一10年を超えているが、これは2期目の途中で任期を暦年に合わせて1月1日から12月31日までとすることになったためである。 ==権限と義務== 事務総長の役割は提唱者・外交官・公務員・最高経営責任者(CEO)のそれぞれの機能と責任を組み合わせたものと説明されている<ref name=":0">{{cite web |date=2015-04-22 |title=The role of the Secretary-General |url=https://www.un.org/sg/en/content/role-secretary-general |access-date=2020-09-02 |website=United Nations Secretary-General}}</ref>。国際連合憲章では事務総長を国際連合の「最高行政責任者」({{en|chief administrative officer}})に指定し、事務総長に他の国際連合機関から委託された機能を実行することを認めている。国際連合憲章は事務総長に対し、国際平和と安全の維持を脅かす可能性があるとの見解を示すあらゆる事項を安全保障理事会に報告する権限を与えている。これらの規定は事務総長が自らの選択・技能・状況に応じて様々な役割を果たすことができるよう、事務総長に対して幅広い自由度を与えていると解釈されている<ref name=":1">{{cite web |title=The Role of the UN Secretary-General |url=https://www.cfr.org/backgrounder/role-un-secretary-general |access-date=2020-09-03 |website=Council on Foreign Relations}}</ref>。 事務総長の日常的な職務には以下のものなどがある。 *事務局の活動と職務を監督すること *国際連合機関の会合に出席すること *世界の指導者・政府高官・その他の利害関係者と協議すること *世界各地を飛び回って世界の有権者と関わり、特定の[[国際問題]]に注意を喚起すること<ref name=":0"/>。 また、事務総長は国際連合の活動に関する年次報告書を発行する。年次報告書には国際連合の活動の評価と今後の優先事項の概要が含まれている。事務総長は国際連合システム事務局長調整委員会(CEB)の議長を務める。これは全ての国際連合基金・プログラム・専門機関の代表で構成される年2回の会合で、[[国際連合機関]]が直面している実質的・管理的な問題について議論する<ref name=":0"/>。 事務総長の権限の多くは、国際連合憲章などの成文法に無い非公式のものであり、事務総長個人の解釈に委ねられている。歴代の事務総長の中には活動的な役割を選択した者もいれば、技術的・管理的な役割を選択した者もいる<ref name=":1"/>。事務総長はしばしば、加盟国間の紛争や問題の調停({{en|good office}})を行う。事務総長が行う調停は「国際紛争の発生・エスカレート・拡大を防ぐために独立性・公平性・誠実性を活かして、公私に渡って行われる措置」である<ref name=":0"/>。その結果として事務総長は「世界で最も目に見える{{仮リンク|ブーリー・パルピット|en|bully pulpit|label=すばらしい講壇}}」や「世界の司会者」などと表現されてきた<ref>{{cite web |date=2016-10-10 |title=The Secretary-General Is Dead; Long Live the Secretary-General |url=https://observer.com/2016/10/the-secretary-general-is-dead-long-live-the-secretary-general/ |access-date=2020-09-02 |website=Observer |language=en-US}}</ref><ref name=":1"/>。例としては、[[中東戦争]]の休戦を推進した[[ダグ・ハマーショルド]]、[[イラン・イラク戦争]]の停戦交渉を行った[[ハビエル・ペレス=デ=クエヤル]]、[[キューバ危機]]の緩和における[[ウ・タント]]の役割などが挙げられる<ref name=":1"/>。 ==公邸== 事務総長の公邸は[[ニューヨーク]]の[[マンハッタン区]][[ヨーク・アベニュー / サットン・プレイス|サットンプレイス]]3番地にある[[タウンハウス]]である。この建物は1921年に慈善家の{{仮リンク|アン・モーガン|en|Anne Morgan (philanthropist)}}のために建てられ、1972年に国際連合に寄贈された<ref>Teltsch, Kathleen. [https://www.nytimes.com/1972/07/15/archives/town-house-offered-to-u-n.html "Town House Offered to UN"], ''The New York Times'', 15 July 1972. Retrieved 27 December 2007.</ref>。 {{Clear}} == 事務総長の一覧 == {| class="sortable wikitable" |- ! 代 ! colspan="2" | 事務総長 ! 出身国<hr />[[地域グループ (国際連合)|地域グループ]] ! colspan="2" | 在任期間 ! 備考 |- ! {{00}}- | [[ヒューバート・マイルズ・グラッドウィン・ジェブ (初代グラッドウィン男爵)|グラッドウィン・ジェブ]]<br />{{en|Hubert Miles Gladwyn Jebb}}<ref>{{en icon}} {{cite news |last=Stout |first=David |title=Lord Gladwyn Is Dead at 96; Briton Helped Found the UN |publisher=New York Times |date=1996年10月26日 |url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9403E2D61E30F935A15753C1A960958260 |accessdate=2018年3月28日}}</ref> | [[ファイル:Sr. Gladwyn Jebb.jpg|100px]] | {{Display none|01欧州/}}{{GBR}}<hr />[[西ヨーロッパ・その他グループ]] | 1945年10月24日<br />- 1946年2月1日 | {{age in years and days|1945|10|24|1946|2|1}} | '''事務総長代行'''<br />(設立委員会事務局長) |- ! {{00}}1 | '''[[トリグブ・リー]]'''<br />Trygve Halvdan Lie<ref>{{en icon}} The United Nations: [https://www.un.org/Overview/SG/sg1bio.html ''Trygve Haldvan Lie (Norway)'']. 2018年3月28日回覧</ref> | [[ファイル:Trygve Lie 1-1.jpg|100px]] | {{Display none|01欧州/}}{{NOR}}<hr />西ヨーロッパ・その他グループ | 1946年2月1日<br />- 1952年11月10日 | {{age in years and days|1946|2|1|1952|11|10}} | |- ! {{00}}2 | '''[[ダグ・ハマーショルド]]'''<br/>{{lang|sw|Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjöld}}<ref>{{en icon}} Linnér, S. (2007). ''[http://www.dhf.uu.se/pdffiler/Dh_lecture_2007.pdf Dag Hammarskjöld and the Congo crisis, 1960–61] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120405034628/http://www.dhf.uu.se/pdffiler/Dh_lecture_2007.pdf |date=2012年4月5日}}''. Page 28. Uppsala University. 2018年3月28日回覧。</ref> | [[ファイル:Dag Hammerskjold, Bestanddeelnr 912-9460.jpg|100px]] | {{Display none|01欧州/}}{{SWE}}<hr />西ヨーロッパ・その他グループ | 1953年4月10日<br />- 1961年9月18日 | {{age in years and days|1953|4|10|1961|9|18}} | |- ! {{00}}- | rowspan="2" | '''[[ウ・タント]]'''<br />U Thant<br/>သန့်<ref>{{en icon}} United Nations: [https://www.un.org/Overview/SG/sg3bio.html ''U Thant (Myanmar)'']. 2018年3月28日回覧。</ref> | rowspan="2" | [[ファイル:U-Thant 2.jpg|100px]] | rowspan="2" | {{Display none|02アジア/}}{{BIR1948}}<hr />[[アジア太平洋グループ]] | 1961年11月30日<br />- 1962年1月1日 | {{age in years and days|1961|11|30|1962|1|1}} | '''事務総長代行''' |- ! {{00}}3 | 1962年1月1日<br />- 1971年12月31日 | {{age in years and days|1962|1|1|1971|12|31}} | |- ! {{00}}4 | '''[[クルト・ヴァルトハイム]]'''<br/>{{de|Kurt Josef Waldheim}}<ref>{{en icon}} The United Nations: [https://www.un.org/Overview/SG/sg4bio.html ''Kurt Waldheim (Austria)'']. 2018年3月28日回覧。</ref> | [[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-M0921-014, Beglaubigungsschreiben DDR-Vertreter in UNO new.png|100px]] | {{Display none|01欧州/}}{{AUT}}<hr />西ヨーロッパ・その他グループ | 1972年1月1日<br />- 1981年12月31日 | {{age in years and days|1972|1|1|1981|12|31}} | |- ! {{00}}5 | '''[[ハビエル・ペレス・デ・クエヤル|ハビエル・ペレス=デ=クエヤル]]'''<br/>{{es|Javier Pérez de Cuéllar y de la Guerra}}<ref>{{en icon}} The United Nations: [https://www.un.org/Overview/SG/sg5bio.html ''Javier Pérez de Cuéllar (Peru)'']. 2018年3月28日回覧。</ref> | [[ファイル:Javier Pérez de Cuéllar.JPG|100px]] | {{Display none|04南米/}}{{PER}}<hr />[[ラテンアメリカ・カリブ海グループ]] | 1982年1月1日<br />- 1991年12月31日 | {{age in years and days|1982|1|1|1991|12|31}} | |- ! {{00}}6 | '''[[ブトロス・ブトロス=ガーリ]]'''<br />Boutros Boutros-Ghali<br />بطرس بطرس غالي<ref>{{en icon}} The United Nations: [https://www.un.org/Overview/SG/sg6bio.html ''Boutros Boutros-Ghali (Egypt)'']. 2018年3月28日回覧。</ref> | [[ファイル:Boutros Boutros-Ghali in Davos.JPG|100px]] | {{Display none|03アフリカ/}}{{EGY}}<hr />[[アフリカグループ]] | 1992年1月1日<br />- 1996年12月31日 | {{age in years and days|1992|1|1|1996|12|31}} | |- ! {{00}}7 | '''[[コフィー・アナン]]'''<br />Kofi Atta Annan<ref>{{en icon}} The United Nations: [https://www.un.org/News/ossg/sg/pages/sg_biography.html ''The Biography of Kofi A. Annan'']. 2018年3月28日回覧。</ref> | [[ファイル:Kofi Annan.jpg|100px]] | {{Display none|03アフリカ/}}{{GHA}}<hr />アフリカグループ | 1997年1月1日<br />- 2006年12月31日 | {{age in years and days|1997|1|1|2006|12|31}} | |- ! {{00}}8 | '''[[潘基文|潘基文(パン・ギムン)]]'''<br />Ban Ki-moon<br/>반기문<ref>{{en icon}} {{cite web |url=https://www.un.org/apps/news/infocusRel.asp?infocusID=122&Body=Ban+Ki-moon |title=Ban Ki-moon is sworn in as next Secretary-General of the United Nations |publisher=United Nations |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100216223306/https://www.un.org/apps/news/infocusRel.asp?infocusID=122&Body=Ban+Ki-moon|archivedate=2010年2月16日|accessdate=2018年3月28日}}</ref> | [[ファイル:Ban Ki-Moon Davos 2011 Cropped.jpg|100px]] | {{Display none|02アジア/}}{{KOR}}<hr/>アジア太平洋グループ | 2007年1月1日<br />- 2016年12月31日 | {{age in years and days|2007|1|1|2016|12|31}} | |- ! {{00}}9 | '''[[アントニオ・グテーレス]]'''<br/>{{lang|pt|António Guterres}}<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20170102/k00/00m/030/035000c|newspaper=毎日新聞デジタル|date=2017-1-1|title=国連事務総長 ポルトガル元首相のグテレス氏、声明を発表|agency=毎日新聞社|accessdate=2017-1-2}}</ref> | [[ファイル:António Guterres - 2019 (48132270313) (cropped).jpg |100px]] | {{Display none|01欧州/}}{{POR}}<hr />[[西ヨーロッパ・その他グループ]] | 2017年1月1日<br />- (現職) | {{age in years and days|2017|1|1}} | |- |} * 第2代のハマーショルドは在任中に[[ダグ・ハマーショルド#死去|事故死]]した。次のウ・タントは事務総長代理を務め、1962年1月1日から正式に事務総長になった。 * 第4代のヴァルトハイムは3期目を目指していたが、中国の拒否権発動により2期で退任。 * 第6代のブトロス・ガーリは2期目を目指していたが、アメリカの拒否権発動により1期で退任。 == 記録 == *最年長就任記録:69歳1か月 - [[ブトロス・ブトロス=ガーリ]] *最年少就任記録:47歳8か月 - [[ダグ・ハマーショルド]]{{efn|事務総長代理を含めると、[[ヒューバート・マイルズ・グラッドウィン・ジェブ (初代グラッドウィン男爵)|グラッドウィン・ジェブ]]の45歳5か月が最年少となる。}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=田仁揆|title=国連事務総長-世界で最も不可能な仕事|publisher=中央公論新社|year=2019|isbn=9784120052255|ref=harv}} == 関連項目 == * [[国際連合事務局]] * [[国際連合副事務総長]] * [[国際連合事務次長]] * [[世界政府]] == 外部リンク == {{Commons|Category:United Nations Secretary-General}} * [https://www.unic.or.jp/info/un/un_organization/secretariat/secretary-general/ 国際連合広報センター|事務総長] * [https://www.un.org/sg/en UN Secretary-General webpage] {{en icon}} * [https://www.un.org/sg/en/appointment.shtml How is the Secretary-General appointed?] {{en icon}} * [https://www.globalpolicy.org/component/content/article/150/32757.html Global Policy Forum – UN Secretary-General] {{en icon}} * {{Kotobank|国連事務総長}} {{国際連合}} {{国際連合事務総長}} {{authority control}} {{デフォルトソート:こくさいれんこうしむそうちよう}} [[Category:国際連合事務総長|*]] [[Category:国際連合|しむそうちよう]] [[Category:国際連合事務局|しむそうちよう]]
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10月5日
10月5日(じゅうがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から278日目(閏年では279日目)にあたり、年末まであと87日ある。
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10月5日(じゅうがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から278日目(閏年では279日目)にあたり、年末まであと87日ある。
{{カレンダー 10月}} '''10月5日'''(じゅうがついつか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から278日目([[閏年]]では279日目)にあたり、年末まであと87日ある。 == できごと == [[File:13Vendemiaire.jpg|thumb|upright|[[ヴァンデミエールの反乱]]鎮圧(1795)。失職していた[[ナポレオン・ボナパルト]]が復帰する舞台となった]] [[ファイル:151101 Misawa Aviation & Science Museum, Aomori Japan35s.jpg|thumb|140px|[[ミス・ビードル号]]が太平洋無着陸横断飛行に成功(1931)]] {{multiple image | image1 =Logo dr no us.svg | width1 = 130 | caption1 = [[ジェームズ・ボンド|007シリーズ]]第1作『[[007は殺しの番号]]』封切り(1962) | alt1 = ドクター・ノオ | image2 = Beatles logo.png | width2 = 130 | caption2 = [[ビートルズ]]のファースト・シングル『[[ラヴ・ミー・ドゥ]]/[[P.S.アイ・ラヴ・ユー]]』リリース(1962) | alt2 = ビートルズ }} * [[610年]] - [[ヘラクレイオス]]が[[東ローマ皇帝]]に即位。 * [[869年]] - [[第4コンスタンティノポリス公会議]]が開会。 <!-- 5日だけでなく14日まで存在しない。4日と15日で書いているので、これはいらないかと。 * [[1582年]] - [[グレゴリオ暦]]への移行のため、[[イタリア]]、[[ポーランド]]、[[ポルトガル]]、[[スペイン]]で10月5日が存在しなかった。 --> * [[1665年]] - [[クリスティアン・アルブレヒト大学キール|キール大学]]創立。 * [[1710年]] - [[ポートロワイヤルの戦い (1710年)|ポートロワイヤルの戦い]]はじまる。 * [[1789年]] - [[フランス革命]]: [[ヴェルサイユ行進]]。パリの主婦らが[[ヴェルサイユ宮殿]]まで行進し、国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]をパリに連行。 * [[1793年]] - フランス革命: [[キリスト教]]が[[フランス]]の国教としての地位を失う。 * [[1795年]]([[フランス革命暦]]4年ヴァンデミエール13日) - [[フランス革命]]: [[ヴァンデミエールの反乱]]。 * [[1813年]] - [[米英戦争]]: [[テムズの戦い]]で米軍勝利。 * [[1864年]] - [[インド]]の[[コルカタ]]が[[サイクロン]]で破壊される。死者6万人。 <!-- 結成は11/1。結成のための会合が始まったのは9/28。この日は結成のための委員会の初会合の日 * 1864年 - [[第一インターナショナル]]結成。 --> * [[1894年]] - 庚寅新誌社が日本初の月刊[[時刻表]]『汽車汽船旅行案内』を出版。 * [[1895年]] - [[ロンドン]]の北で最初の個人タイムトライアル[[ロードレース (自転車競技)|自転車レース]](50マイル)が開催。 <!-- 併合宣言が10/6。* [[1908年]] - [[オーストリア=ハンガリー帝国]]が[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]を併合。--> * [[1910年]] - [[1910年10月5日革命]]。[[ポルトガル]]で王制を廃止し[[共和制]]に移行。 * [[1915年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ブルガリア]]が[[中央同盟国]]側として参戦。 * [[1921年]] - [[国際ペンクラブ]]発足。 * 1921年 - 米[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の[[ワールドシリーズ]]が初めて[[ラジオ]]中継される。 * [[1926年]] - 新交響楽団([[NHK交響楽団]]の前身)が結成される。 * [[1930年]] - [[イギリス]]の[[飛行船]][[R101 (飛行船)|R101]]が[[インド]]に向けて飛行中[[パリ]]近郊で山腹に衝突。 * [[1931年]] - [[アメリカ合衆国]]の長距離機[[ミス・ビードル号]]が初の太平洋無着陸横断飛行に成功。 * [[1937年]] - [[第二次世界大戦]]: [[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・ルーズヴェルト]]米大統領が「日独伊3国は『隔離』されなければならない」と演説([[隔離演説]])。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[関釜連絡船]]・[[崑崙丸]]が米艦の雷撃を受けて沈没。衆議院議員2人を含む544人が死亡。 * [[1945年]] - [[東久邇宮内閣]]が、前日のGHQによる「民権自由に関する指令」を受け入れられないとして[[内閣総辞職|総辞職]]。 * [[1947年]] - [[ハリー・S・トルーマン]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が初の[[ホワイトハウス]]からの[[テレビ]]演説。 * 1947年 - [[コミンフォルム]]結成。 * [[1948年]] - [[トルクメニスタン]]で[[マグニチュード]]7.4の大地震。2万人が死亡(11万人との説もある)。 * [[1953年]] - [[アール・ウォーレン]]が第14代[[アメリカ合衆国最高裁判所長官]]に指名される。 * [[1959年]] - 幼児向け教育番組『[[おかあさんといっしょ]]』の放送が[[NHK総合テレビジョン]]にてスタート。 <!-- 10月4日 * [[1958年]] - [[フランス第五共和政]]成立。 --> * [[1962年]] - 映画[[ジェームズ・ボンド|007シリーズ]]第1作『[[007は殺しの番号|007/ドクター・ノオ]]』がイギリスで公開。 * 1962年 - [[ビートルズ]]のファースト・シングル『[[ラヴ・ミー・ドゥ]]/[[P.S.アイ・ラヴ・ユー]]』がイギリスでリリース。 * [[1964年]] - [[国鉄バス|国鉄]]と[[名古屋観光日急|日本急行バス]]により[[名神ハイウェイバス]]が開業。日本初の[[高速バス]]。 * [[1965年]] - [[釧路市]]の新富士海岸で、炊事遠足(遠足と調理実習を兼ねた学校行事)で同海岸に来ていた釧路市立共栄小学校の6年生が[[不発弾]]の爆発に巻き込まれ、4名が死亡、31名が重軽傷を負った<ref>[https://touch55.hatenablog.com/entry/2019/06/09/162206 【釧路市】共栄小学校炊事遠足事故慰霊碑] 2019年6月9日閲覧</ref>。 * [[1966年]] - 米[[デトロイト]]郊外の[[エンリコ・フェルミ炉]]で史上初の[[炉心溶融]]事故がおこる。 * [[1969年]] - [[イギリス]]・[[英国放送協会|BBC]]のコメディ番組『[[空飛ぶモンティ・パイソン]]』が放送開始。 * 1969年 - [[テレビアニメ]]『[[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)放送開始。 * [[1970年]] - [[公共放送サービス]]開局。 * 1970年 - [[東海大学]]湘南キャンパスに学生らに乗っ取られたマイクロバスが侵入。守衛所が[[火炎瓶]]で[[放火]]されるなどして14人が負傷<ref>明治学院大の寮を捜索『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月11日夕刊 3版 11面</ref>。 * [[1973年]] - [[ミュンヘン]]で[[欧州特許条約|欧州特許付与に関する条約]]が締結。 * [[1980年]] - [[山口百恵]]の引退コンサートが[[日本武道館]]で行なわれる。 * [[1981年]] - [[ラウル・ワレンバーグ]]に[[アメリカ名誉市民]]の称号が贈られる。 * [[1983年]] - [[レフ・ヴァウェンサ]]の[[ノーベル平和賞]]受賞が決定。 * [[1983年]] - 敗戦後アメリカ軍に接収されたままだった赤坂の[[山王ホテル]]が所有者に返還。 * [[1988年]] - [[チリ]]の[[アウグスト・ピノチェト]]大統領が国民信任投票で敗北。15年間の軍事独裁が終焉。 * [[1989年]] - [[ダライ・ラマ14世]]のノーベル平和賞受賞が決定。 * 1989年 - [[京阪鴨東線]]([[三条駅 (京都府)|三条]] - [[出町柳駅|出町柳]]間2.3km)が開業。 * [[1991年]] - [[TBSテレビ|TBS]]系の期首期末特番『[[オールスター感謝祭]]』が放送開始。 * [[1993年]] - [[大阪市交通局]][[南港ポートタウン線]](ニュートラム)の[[住之江公園駅]]構内で車両暴走事故。乗客215人が負傷。 * [[1998年]] - NHKのアニメ番組『[[おじゃる丸]]』が放送開始。 * [[1999年]] - [[小渕内閣 (第2次改造)|小渕再改造内閣]]が発足。 * [[2000年]] - [[ロト6]]第1回抽選。 * [[2003年]] - [[アフマド・カディロフ]]が[[チェチェン共和国]]の大統領に選ばれる。 * [[2010年]] - [[阪神タイガース]]の[[マット・マートン]]が[[イチロー]]の持つ日本プロ野球シーズン最多安打記録(210本)を更新<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.ntv.co.jp/category/sports/168086|title=阪神・マートン選手、211安打の日本記録|publisher=日テレNEWS24|date=2010-10-05|accessdate=2020-10-16}}</ref>。 * [[2017年]] - [[カズオ・イシグロ]]に[[ノーベル文学賞]]受賞が決定<ref>{{Cite web|和書 |date=2017-10-05 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21959160V01C17A0MM8000/ |title=ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏 「日の名残り」 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-02-24}}</ref>。 == 誕生日 == {{multiple image | image1 = Mitsukuri Genpo.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[蘭学者]]、[[箕作阮甫]](1799-1863)誕生。[[蕃書調所]]の首席教授として、数多くの訳述書を記した | alt1 = 箕作阮甫 | image2 = Takeaki Enomoto.gif | width2 = 110 | caption2 = [[幕臣]]から明治政府の大臣を歴任した[[榎本武揚]](1836-1908)誕生 | alt2 = 榎本武揚 }} {{multiple image | image1 = Tokugawa Yoshichika 01.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[尾張徳川家]]第19代当主、[[徳川義親]](1886-1976)誕生。[[徳川黎明会]]を設立し、[[徳川美術館]]を開いた | alt1 = 徳川義親 | image2 = Nakayama Gishu.JPG | width2 = 100 | caption2 = 歴史、時代[[小説家]]、[[中山義秀]](1900-1969)誕生。『厚物咲』で[[芥川賞]]受賞 | alt2 = 中山義秀 }} [[ファイル:Singing Lovebirds 2.jpg|thumb|140px|[[歌手]]にして[[俳優]]、[[ディック・ミネ]](1908-1991)誕生(左)。代表曲は『[[夜霧のブルース (ディック・ミネの曲)|夜霧のブルース]]』など]] {{multiple image | image1 = Tabuse yuuta 20150104.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[バスケットボール]]選手、[[田臥勇太]](1980-)誕生 | alt1 = 田臥勇太 | image2 = Saori Yoshida (cropped).jpg | width2 = 120 | caption2 = 女子[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手、[[吉田沙保里]](1982-)誕生 | alt2 = 吉田沙保里 }} * [[1713年]] - [[ドニ・ディドロ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Denis-Diderot Philip Denis Diderot French philosopher] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[哲学者]](+ [[1784年]]) * [[1725年]]([[享保]]10年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]) - [[松平輝高]]、[[上野国]][[高崎藩]]の第4代藩主(+ [[1781年]]) * [[1751年]]([[寛延]]4年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]) - [[徳川治保]]<ref>{{Kotobank|徳川治保}}</ref>、[[常陸国]][[水戸藩]]の第6代藩主(+ [[1805年]]) * [[1754年]]([[宝暦]]4年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[池田定得]]、[[因幡国]][[鳥取藩#若桜藩|若桜藩]]の第4代藩主(+ [[1773年]]) * [[1799年]]([[寛政]]11年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]) - [[箕作阮甫]]、[[蘭学者]](+ [[1863年]]) * [[1813年]] - [[エルンスト・ハーベルビアー]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1869年]]) * [[1829年]] - [[チェスター・A・アーサー]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Chester-A-Arthur Chester A. Arthur president of United States] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、第20代・21代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1886年]]) * [[1836年]]([[天保]]7年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]]) - [[榎本武揚]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Enomoto-Takeaki Enomoto Takeaki Japanese naval officer and statesman] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[政治家]](+ [[1908年]]) * [[1840年]] - [[ヨーハン2世 (リヒテンシュタイン公)|ヨーハン2世]]、[[リヒテンシュタイン|リヒテンシュタイン公]](+ [[1929年]]) * [[1842年]](天保13年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[細川行真]]、[[肥後国]][[宇土藩]]の第11代藩主、[[子爵]](+ [[1902年]]) * [[1856年]] - [[ユーリ・ショカルスキー]]、[[地理学者]]、[[海洋学者]](+ [[1940年]]) * [[1882年]] - [[ロバート・ゴダード]]、[[ロケット]][[工学者]](+ [[1945年]]) * [[1886年]] - [[徳川義親]]、[[尾張徳川家]]第19代当主(+ [[1976年]]) * [[1891年]] - [[大濱信泉]]、[[法学者]]、[[教育者]](+ [[1976年]]) * [[1892年]] - [[渋沢秀雄]]、[[実業家]]、[[随筆家]](+ [[1984年]]) * [[1895年]] - [[スベア・ノーレン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1985年]]) * [[1898年]] - [[政岡憲三]]、[[アニメーション監督]](+ [[1988年]]) * [[1900年]] - [[平澤興]]、[[医学者]]、[[京都大学]]第16代総長(+ [[1989年]]) * 1900年 - [[中山義秀]]、[[小説家]](+ [[1969年]]) * [[1902年]] - [[浦辺粂子]]、[[俳優|女優]](+ [[1989年]]) * [[1903年]] - [[藤井松太郎]]、第7代[[日本国有鉄道]]総裁(+ [[1988年]]) * 1903年 - [[北畠八穂]]、[[詩人]]、[[児童文学作家]](+ [[1982年]]) * [[1908年]] - [[ディック・ミネ]]、[[歌手]](+ [[1991年]]) * [[1909年]] - [[増本勇]]、元[[調教師]](+ [[1986年]]) * [[1915年]] - [[南美江]]、女優(+ [[2010年]]) * [[1918年]] - [[竹山逸郎]]、歌手(+ [[1984年]]) * [[1919年]] - [[ドナルド・プレザンス]]、[[俳優]](+ [[1995年]]) * [[1920年]] - [[藤村隆男]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1993年]]) * [[1923年]] - [[矢野徹]]、[[作家]]、[[翻訳家]](+ [[2004年]]) * [[1924年]] - [[ホセ・ドノソ]]、作家、ジャーナリスト(+ [[1996年]]) * [[1927年]] - [[舛田利雄]]、[[映画監督]] * [[1928年]] - [[アルベルト・スギ]]、[[画家]](+ [[2012年]]) * [[1930年]] - [[豊島久真男]]、[[医学者]](+ [[2022年]]) * 1930年 - [[ジューン・アルメイダ]]、[[ウイルス学|ウイルス学者]] (+ [[2007年]]) * [[1935年]] - [[堀内庄]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]]) * 1935年 - [[柿本実]]、元プロ野球選手 * 1935年 - [[江角英明]]、俳優(+ [[2004年]]) * [[1936年]] - [[八田正]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]]) * 1936年 - [[アンネローゼ・シュミット]]、[[ピアニスト]](+ [[2022年]]) * 1936年 - [[ヴァーツラフ・ハヴェル]]、[[劇作家]]、政治家(+ [[2011年]]) * 1938年 - [[遠藤武彦]]、政治家(+ [[2019年]]<ref>{{Cite news| url = https://www.yamagata-np.jp/news/201912/28/kj_2019122800503.php| title = 遠藤武彦氏が死去 元衆院議員、81歳 | newspaper = 山形新聞 | publisher = 山形新聞| date = 2019-12-28 | accessdate = 2020-10-27}}</ref>) * [[1941年]] - [[桂春蝶 (2代目)]]、[[落語家]](+ [[1993年]]) * [[1943年]] - [[今野雄二]]、映画・音楽[[評論家]]、翻訳家(+ [[2010年]]) * [[1946年]] - [[西岡徳馬]]、俳優 * [[1947年]] - [[米田建三]]、政治家 * 1947年 - [[ブライアン・ジョンソン]]、歌手([[AC/DC]]) * [[1949年]] - [[やしきたかじん]]、歌手、[[タレント]](+ [[2014年]]<ref name="nikkansports201401071240967">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140107-1240967.html|title=やしきたかじん死去 再復帰かなわず|publisher=日刊スポーツ新聞社|date=2014-01-07|accessdate=2020-10-31}}</ref>) * 1949年 - [[後藤謙次]]、[[ニュースキャスター|キャスター]] * 1949年 - [[照屋林賢]]、[[音楽家]] * [[1950年]] - [[辺見マリ]]、歌手 * [[1951年]] - [[ボブ・ゲルドフ]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ブームタウン・ラッツ]])、政治活動家 * [[1952年]] - [[エモマリ・ラフモン]]、政治家、[[タジキスタン]]大統領 * [[1953年]] - [[コジロー]]、[[漫画家]] * [[1954年]] - [[原大輔]]、[[歌手]] * 1954年 - [[李博士]]、[[ポンチャック]]歌手 * [[1955年]] - [[立野政治]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[郭源治]]、元プロ野球選手 * 1956年 - [[山口祐一郎]]、[[ミュージカル]][[俳優]] * [[1958年]] - [[豊川誕]]、歌手 * [[1959年]] - [[渡邉美樹]]、実業家、[[ワタミ]][[代表取締役]][[社長]] * 1959年 - [[ロデリック・アレン]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[アントニオ・デ・オリベイラ・フィーリョ|カレカ]]、[[サッカー選手]] * 1960年 - [[黒木瞳]]、女優 * [[1961年]] - [[内田利雄]]、[[騎手]] * 1961年 - [[森本栄浩]]、[[毎日放送]]アナウンサー * 1961年 - [[クラウディア・クリストフィクス=ビンダー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1961年 - [[阿久根謙司]]、元[[野球選手]]、アマチュア野球指導者 * [[1962年]] - [[マイケル・アンドレッティ]]、レーシングドライバー * [[1963年]] - [[琴ヶ梅剛史]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄13代[[大鳴戸]] * 1963年 - [[ローラ・デービース]]、[[プロゴルファー]] * [[1964年]] - [[太田あき]]、タレント * 1964年 - [[菅剛史]]、[[プロデューサー]]、[[ガスコイン・カンパニー]]社長 * 1964年 - [[橋本聖子]]、[[スピードスケート]]選手、政治家 * 1964年 - [[藤原啓治]]、[[声優]] (+ [[2020年]]<ref name="sponichi20200416">[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/04/16/kiji/20200416s00041000267000c.html 声優・藤原啓治さんが死去 55歳 「クレヨンしんちゃん」野原ひろし役など],スポーツニッポン,2020年4月16日</ref>) * 1964年 - [[横田めぐみ]]、[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による日本人拉致]]の被害者 * 1965年 - [[マリオ・ルミュー]]、元[[アイスホッケー]]選手 * 1965年 - [[パトリック・ロワ]]、元アイスホッケー選手 * [[1966年]] - [[イネッサ・クラベッツ]]、[[陸上競技]]選手 * [[1967年]] - [[ガイ・ピアース]]、俳優 * 1967年 - [[遠藤由美子]]、元歌手(元[[ソフトクリーム (音楽グループ)|ソフトクリーム]]) * [[1969年]] - [[黒木永子]]、元グラビアアイドル * 1970年 - [[宮崎吐夢]]、俳優 * [[1971年]] - [[北岡龍貴]]、俳優、スーツアクター * [[1972年]] - [[酒井雄二]]、ミュージシャン([[ゴスペラーズ]]) * 1972年 - [[高橋コウタ]]、作曲家 * 1972年 - [[グラント・ヒル]]、元バスケットボール選手 * 1972年 - [[アーロン・ガイエル]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[永池恭男]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[ルイス・ロペス (1973年生の内野手)|ルイス・ロペス]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[陳文賓]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[森住惣一郎]]、ゲームクリエイター * [[1974年]] - [[西島大介]]、漫画家、イラストレーター * 1974年 - [[リッチ・フランクリン]]、[[総合格闘家]] * [[1975年]] - [[中田彩]]、タレント、歯科医 * 1975年 - [[ケイト・ウィンスレット]]、女優 * 1975年 - Megumi、歌手([[Paix2|Paix<sup>2</sup>]]) * [[1976年]] - [[刃田綴色]]、ドラマー * 1976年 - [[ソン・スンホン]]、俳優 * [[1977年]] - [[木村一喜]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[コンスタンティン・ジリャノフ]]、元サッカー選手 * [[1978年]] - [[山木陽介]]、元[[記者]] * [[1979年]] - [[石毛慎也]]、[[キックボクサー]] * 1979年 - [[高圓圓]]、女優 * 1979年 - [[米津龍一]]、[[気象予報士]] * [[1980年]] - [[田臥勇太]]、[[バスケットボール]]選手 * 1980年 - [[ジョン・スオミ]]、プロ野球選手 * [[1981年]] - [[筒井和也]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[中東直己]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[ユリア・ラウトワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1982年]] - [[張怡寧]]、[[卓球]]選手 * 1982年 - [[米花剛史]]、ダンサー(元[[ジャニーズJr.]]、元[[Musical Academy]]) * 1982年 - [[吉田沙保里]]、元レスリング選手 * 1982年 - [[ナタリー・ウランディス]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1983年]] - [[ニッキー・ヒルトン]]、[[ファッションモデル]] * 1983年 - [[福徳秀介]]、[[お笑いタレント]]([[ジャルジャル]]) * 1983年 - [[川島慶三]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[ジェシー・アイゼンバーグ]]、俳優 * 1983年 - [[アレクシー・オガンド]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[フェリペ・ポーリーノ]]、元プロ野球選手 * 1983年 - 岡崎英美、ミュージシャン([[サカナクション]]) * 1983年 - [[フアン・マヌエル・バルガス]]、元サッカー選手 * 1983年 - [[林祐征]]、元サッカー選手 * [[1984年]] - [[魚住優]]、元アナウンサー * [[1985年]] - [[三島輝史]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[エドワード・バルデス]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[ニコラ・ロバーツ]]、ミュージシャン([[ガールズ・アラウド]]) * 1985年 - [[藤村えみり]]、タレント * [[1986年]] - [[ジェフ・ビアンチ]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[越岡裕貴]]、アイドル([[ふぉ〜ゆ〜]]) * [[1987年]] - [[浜中文一]]、俳優(元[[ジャニーズJr.|関西ジャニーズJr]]) * 1987年 - かほり、歌手([[294 (グループ)|294]]) * 1987年 - [[ケイシー・ヘザー]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[フォルケ・アキンラデウォ]]、[[バレーボール]]選手 * 1987年 - [[鶫真衣]]、歌手 * 1987年 - [[山本紗衣]]、ミュージカル俳優 * [[1988年]] - [[糸谷哲郎]]、[[将棋棋士]] * 1988年 - [[齋藤博樹]]、元騎手 * 1988年 - [[一ノ瀬優希]]、プロゴルファー * [[1989年]] - [[梅井大輝]]、サッカー選手 * 1989年 - [[小野賢章]]<ref name="animoproduce">{{Cite web|和書|url=https://animoproduce.co.jp/artists/onokensho/|title=小野 賢章 - 株式会社アニモプロデュース|accessdate=2020-11-03}}</ref>、俳優、声優 * 1989年 - [[希美まゆ]]、AV女優 * [[1990年]] - [[橘美緒]]、ファッションモデル * 1990年 - [[西川早弓]]、元サッカー選手 * [[1991年]] - [[扇原貴宏]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[朝香りほ]]、ファッションモデル * 1992年 - [[ケビン・マグヌッセン]]、レーシングドライバー * [[1993年]] ‐ [[井口理]]、ミュージシャン([[King Gnu]]) * 1993年 - [[チャナティップ・ソングラシン]]、サッカー選手 * 1993年 - [[加藤寿一 (バスケットボール)|加藤寿一]]、バスケットボール選手 * 1993年 - [[若元春港]]、大相撲力士 * [[1994年]] - 村田大樹、お笑いタレント([[赤もみじ]]) * 1994年 - [[渕上沙紀]]、アナウンサー * [[1995年]] - [[芳田司]]、[[柔道家]] * [[1996年]] - [[重本ことり]]、元タレント、元歌手(元[[Dream5]]) * [[1997年]] - [[南ななこ]]、タレント、元アイドル(元[[GEM (アイドルグループ)|GEM]]) * [[1999年]] - [[冨田せな]]、[[スノーボード|スノーボーダー]] * [[2001年]] - [[山﨑すがら]]、タレント、シンガーソングライター、俳優、映像作家 * [[2003年]] - [[藤原大祐]]、俳優 * 生年不明 - [[一ノ瀬雅彦]]、声優 * 生年不明 - [[大海将一郎]]、声優、俳優 * 生年不明 - [[田中貴子 (声優)|田中貴子]]<ref>{{Cite web|和書|url =https://mausu.net/talent/tanaka-takako.html|title=田中貴子 公式プロフィール|accessdate=2021-01-11}}</ref>、声優 * 生年不明 - ペリ・ウブ、歌手、元アイドル(元[[BiS]]) * 生年不明 - [[手塚ヒロミチ]]、声優 == 忌日 == [[ファイル:Phocas cons.jpg|thumb|120px|反乱で[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]]を僭称した[[フォカス]](547?-610)。自らも反乱に遭い誅殺]] [[ファイル:Sanjūrokkasen-gaku - 5 - Kanō Tan’yū - Chūnagon Yakamochi.jpg|thumb|100px|[[奈良時代]]の[[歌人]]、[[大伴家持]](718?-785)没]] {{multiple image | image1 = Genchuji Tottori03n4200.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[鍵屋の辻の決闘]]で知られる[[剣術|剣客]]、[[荒木又右衛門]](1599-1638)没 | alt1 = 荒木又右衛門 | image2 = Tecumseh02.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[ショーニー族]]の戦士、[[テカムセ]](1768?-1813)。[[テムズの戦い]]で戦死 | alt2 = テカムセ | image3 = Jacques Offenbach 01.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[オペレッタ]]の創始者、[[ジャック・オッフェンバック]](1819-1880)没 | alt3 = オッフェンバック }} {{multiple image | image1 = Suematsu Kencho.jpg | width1 = 100 | caption1 = 『[[防長回天史]]』を編纂した[[ジャーナリスト]]、[[末松謙澄]](1855-1920)没 | alt1 = 末松謙澄 | image2 = Jean Vigo.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[フランス]]前衛映画の先駆けとなった[[映画監督]]、[[ジャン・ヴィゴ]](1905-1934)29歳で夭折 | alt2 = ジャン・ヴィゴ | image3 = Chieko Takamura.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[高村光太郎]]の妻、[[高村智恵子]](1886-1938)没 | alt3 = 高村智恵子 }} {{multiple image | image1 = Toyama Mitsuru.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[アジア主義|大アジア主義]]を提唱した[[玄洋社]]総帥、[[頭山満]](1854-1944)没 | alt1 = 頭山満 | image2 = Kozui Otani 01.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[中央アジア]]を探検した[[浄土真宗本願寺派]]第22世[[法主]]、[[大谷光瑞]](1876-1948)没 | alt2 = 大谷光瑞 | image3 = Odaira Namihei.JPG | width3 = 100 | caption3 = [[日立製作所]]創業者、[[小平浪平]](1874-1951)没 | alt3 = 小平浪平 }} [[ファイル:Takeda Taijun.jpg|thumb|120px|[[小説家]]、[[武田泰淳]](1912-1976)没{{Squote|泣くがいい。笑うがいい。神ははたして、ムシ集団のすすり泣き、号泣、ムシ族の哄笑とクスクス笑いをも、真の泣き声、笑い声として聞きとって下さるであろうか――『富士』}}]] * [[578年]] - [[ユスティヌス2世]]、[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]](* [[520年]]) * [[610年]] - [[フォカス]]、東ローマ皇帝(* [[547年]]?) * [[785年]]([[延暦]]4年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[大伴家持]]、[[奈良時代]]の廷臣、[[歌人]](* [[718年]]頃) * [[877年]] - [[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世]](禿頭王)、[[西フランク王国|西フランク王]](* [[823年]]) * [[1056年]] - [[ハインリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ3世]]、ローマ王、[[神聖ローマ皇帝|皇帝]](* [[1017年]]) * [[1111年]] - [[ロベール2世 (フランドル伯)|ロベール2世]]、[[フランドル伯]](* [[1065年]]頃) * [[1237年]]([[嘉禎]]3年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[正親町三条公氏]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]](* [[1182年]]) * [[1285年]] - [[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1245年]]) * [[1524年]] - [[ヨアヒム・パティニール]]、[[画家]](* [[1480年]]頃) * [[1565年]] - [[ルドヴィコ・フェラーリ]]、[[数学者]](* [[1522年]]) * [[1638年]]([[寛永]]15年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[荒木又右衛門]]、[[剣術|剣客]](* [[1599年]]) * [[1650年]]([[慶安]]3年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]) - [[松平忠直]]、第2代[[越前藩|越前藩主]](* [[1597年]]) * [[1714年]]([[正徳 (日本)|正徳]]4年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]) - [[貝原益軒]]、[[儒学者]](* [[1630年]]) * [[1763年]] - [[アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト3世]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[1696年]]) * [[1805年]] - [[チャールズ・コーンウォリス]]、[[イギリス軍]]の将軍、[[インドの総督|インド総督]](* [[1738年]]) * [[1813年]] - [[テカムセ]]、[[アメリカ州の先住民族|アメリカ先住民]][[ショーニー族]]の[[首長]](* [[1768年]]?) * [[1816年]]([[文化 (元号)|文化]]13年[[8月14日 (旧暦)|閏8月14日]]) - [[塩原太助]]、[[江戸時代]]の豪商(* [[1743年]]) * [[1837年]] - [[オルタンス・ド・ボアルネ]]、[[ホラント王国|ホラント王]][[ルイ・ボナパルト]]の妃(* [[1783年]]) * [[1853年]] - [[マーロン・ディカーソン (ニュージャージー州の政治家)|マーロン・ディカーソン]]、[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1770年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]])- [[清岡道之助]]、[[尊王攘夷]]の活動家(* [[1833年]]) * [[1866年]] - [[レオポルト・フォン・ヘニング]]、[[哲学|哲学者]](* [[1791年]]) * [[1871年]]([[明治]]4年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[九条尚忠]]、江戸時代の公卿(* [[1798年]]) * [[1880年]] - [[ウィリアム・ラッセル (天文学者)|ウィリアム・ラッセル]]、[[天文学者]](* [[1799年]]) * 1880年 - [[ジャック・オッフェンバック]]、[[作曲家]](* [[1819年]]) * [[1899年]] - [[ジェイムズ・ハーラン (内務長官)|ジェイムズ・ハーラン]]、第8代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1820年]]) * [[1912年]] - [[ルイス・ボス]]、天文学者(* [[1846年]]) * 1912年 - [[穂積八束]]、[[法学者]](* [[1860年]]) * [[1918年]] - [[ローラン・ギャロス]]、[[フランス軍]]の[[エース・パイロット]](* [[1888年]]) * [[1920年]] - [[末松謙澄]]、[[ジャーナリスト]]、[[政治家]](* [[1855年]]) * [[1934年]] - [[ジャン・ヴィゴ]]、[[映画監督]](* [[1905年]]) * [[1938年]] - [[高村智恵子]]、[[洋画家]](* [[1886年]]) * [[1940年]] - [[シルベストレ・レブエルタス]]、[[作曲家]]、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1899年]]) * [[1944年]] - [[頭山満]]、[[国家主義]]運動家(* [[1855年]]) * [[1948年]] - [[ゲオルク・クーレンカンプ]]、ヴァイオリニスト(* [[1898年]]) * 1948年 - [[大谷光瑞]]、宗教家・冒険家、[[浄土真宗本願寺派]]第22世[[法主]](* [[1876年]]) * [[1951年]] - [[小平浪平]]、[[実業家]]、[[日立製作所]]創業者(* [[1874年]]) * [[1955年]] - [[河合小市]]、実業家、[[河合楽器製作所|河合楽器]]創業者(* [[1886年]]) * [[1960年]] - [[アルフレッド・L・クローバー]]、[[文化人類学者]](* [[1876年]]) * [[1972年]] - [[ソロモン・レフシェッツ]]、[[数学者]](* [[1884年]]) * [[1974年]] - [[ザルマン・シャザール]]、作家、[[イスラエルの大統領|イスラエル大統領]](* [[1889年]]) * [[1976年]] - [[ラルス・オンサーガー]]、[[物理学者]](* [[1903年]]) * 1976年 - [[武田泰淳]]、[[小説家]](* [[1912年]]) * [[1977年]] - [[和田芳恵]]、小説家(* [[1906年]]) * [[1980年]] - [[三遊亭小圓遊#4代目|四代目三遊亭小圓遊]]、[[落語家]](* [[1937年]]) * [[1981年]] - [[グロリア・グレアム]]、[[俳優|女優]](* [[1923年]]) * [[1982年]] - [[小畑勇二郎]]、[[秋田県知事一覧|秋田県知事]](* [[1906年]]) * [[1985年]] - [[カール・メンガー (数学者)|カール・メンガー]]、数学者(* [[1902年]]) * [[1986年]] - [[ジェームズ・H・ウィルキンソン]]、数学者(* [[1919年]]) * [[1989年]] - [[佐伯勇]]、[[実業家]](* [[1903年]]) * [[1990年]] - [[岡義武]]、[[政治学者]](* 1902年) * [[1994年]] - [[中条静夫]]、俳優(* [[1926年]]) * 1994年 - [[ニニ・ロッソ]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者(* [[1927年]]) * [[1995年]] - [[アレック・ダグラス=ヒューム]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1903年]]) * 1995年 - [[島田一男 (社会心理学者)|島田一男]]、[[社会心理学者]]、[[評論家]](* [[1923年]]) * [[1996年]] - [[シーモア・クレイ]]、[[スーパーコンピュータ]]設計者(* [[1925年]]) * 1996年 - [[野口明]]、元[[プロ野球選手]](* [[1917年]]) * [[2000年]] - [[永倉万治]]、作家(* [[1948年]]) * [[2001年]] - [[マイケル・マンスフィールド]]、[[駐日アメリカ合衆国大使]](* [[1903年]]) * 2001年 - [[瀬長亀次郎]]、[[沖縄人民党]]書記長、[[那覇市|那覇市長]]、[[日本共産党]]副委員長(* [[1907年]]) * 2001年 - [[セーケイ・ゾルターン]]、[[ヴァイオリニスト]]、作曲家(* [[1903年]]) * [[2002年]] - [[三鬼陽之助]]、[[経済評論家]](* [[1907年]]) * [[2003年]] - [[ティモシー・トレッドウェル]]、[[グリズリー]][[研究家]](* [[1957年]]) * [[2004年]] - [[モーリス・ウィルキンス]]、[[生物物理学|生物物理学者]](* [[1916年]]) * [[2007年]] - [[村松定孝]]、[[日本文学研究者|国文学者]](* [[1918年]]) * 2007年 - [[星川薫]]、元[[調教師]](* [[1930年]]) * [[2008年]] - [[土屋義彦]]、[[政治家]]、元[[埼玉県知事一覧|埼玉県知事]](* [[1926年]]) * 2008年 - [[緒形拳]]、俳優(* [[1937年]]) * 2008年 - [[福田和禾子]]、[[作曲家]](* [[1941年]]) * 2011年 - [[スティーブ・ジョブズ]]、実業家、技術者、作家、教育者(* [[1955年]]) * [[2013年]] - [[桜塚やっくん]]、[[お笑いタレント]]、[[声優]]、[[俳優]](* [[1976年]]) * [[2014年]] - [[大山勝美]]、[[演出家]](* [[1932年]]) * 2014年 - [[アンドレア・デ・チェザリス]]、[[レーシングドライバー]](* [[1959年]]) * [[2015年]] - [[ヘニング・マンケル]]、[[推理作家]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](* [[1948年]]) * [[2016年]] - [[井上竜夫]]、コメディアン(* [[1941年]]) * [[2022年]] - [[近石真介]]、声優(* [[1931年]]) * 2022年 - [[草田草太]]、イラストレーター(* 1993年) == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Classroom at a seconday school in Pendembu Sierra Leone.jpg|thumb|200px|[[世界教師デー]]]] * [[世界教師デー]]({{UN}}) *: [[国際連合教育科学文化機関]](ユネスコ)が制定した[[国際デー]]。[[1966年]]のこの日、「教師の地位向上に関する勧告」が調印されたことにちなむ([[教師の日]])。 * 共和制樹立記念日({{PRT}}) *: [[1910年10月5日革命]]により国王[[マヌエル2世 (ポルトガル王)|マヌエル2世]]が退位し、王政から共和制へ移行したことを記念。 * [[憲法記念日]]({{VUT}}) * [[レジ袋]]ゼロデー({{JPN}}) *: [[日本チェーンストア協会]]が2002年に、ゴミ減量のために買物袋([[マイバッグ運動|マイバッグ]])の持参を呼びかけるために制定。 * [[時刻表]]記念日({{JPN}}) *:[[1894年]]10月5日に、日本で初めての本格的な時刻表『汽車汽船旅行案内』が庚寅新誌社から出版されたことに由来。これは[[福澤諭吉|福沢諭吉]]の勧めにより手塚猛昌が発行したもので、列車の発車時刻や運賃のほか、沿線の案内や紀行文なども掲載されていた。 * [[レモン]]の日({{JPN}}) *:[[1938年]]のこの日に[[詩人]]の[[高村光太郎]]の妻・[[高村智恵子|智恵子]]が亡くなり、亡くなる数時間前にレモンをかじる姿をうたった、「そんなにもあなたはレモンを待っていた・・・私の手からとつた一つのレモンをあなたのきれいな歯ががりりと噛んだ」という「[[智恵子抄]]」の「レモン哀歌」にちなんでいる。 * The most populous birthday of the year statistically in U.S.({{USA}})<!-- 記念日? --> *:アメリカで、1年でもっとも多くの人が誕生日を迎える日。統計によれば毎年平均12,576人の人がこの日に生まれる。そして、毎年およそ968,000人のアメリカ人が誕生日を迎えるという。 *: == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1005|date=2011年7月}} *1946年(昭和21年)- 鬼頭千万太の本葬が行われた夜、千光寺の[[梅]]の[[木]]に逆吊りされた花子の死体が発見される。(小説『[[獄門島]]』第1章から第2章) *1947年(昭和22年)- [[淡路島]]から[[旅館]]三春園に戻った[[金田一耕助]]は新宮利彦元[[子爵]]殺害を知らされる。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第20章) *1962年(昭和37年)- 仁木順平が[[民法]]第30条により[[失踪宣告]]される。(小説『[[砂の女]]』結末) *2014年 - 泊進ノ介が仮面ライダードライブに初めて変身する。(『[[仮面ライダードライブ]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1963年]] - 星川学、特撮アニメドラマ『[[地球戦隊ファイブマン]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[海賊 (ONE PIECE)#マルコ|マルコ]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=尾田栄一郎|authorlink=尾田栄一郎|year=2012|title=ONE PIECE BLUE DEEP CHARACTERS WORLD|page=175|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-870445-6|date=}}</ref> * 生年不明 - モンキー・D・ドラゴン、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Monkey_D_Dragon.html |title=モンキー・D・ドラゴン |access-date=2023-01-30 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - 宮侑、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2017|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-881286-1|quote=|date=|volume=29巻|pages=46,128}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://haikyu.jp/chara/inarizaki/7.html |title=稲荷崎高校 宮 侑 |access-date=2022-10-13 |publisher=[[古舘春一]]/[[集英社]]・「ハイキュー!!」製作委員会・MBS}}</ref> * 生年不明 - 宮治、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書 |url=https://haikyu.jp/chara/inarizaki/11.html |title=稲荷崎高校 宮 治 |access-date=2022-10-13 |publisher=[[古舘春一]]/[[集英社]]・「ハイキュー!!」製作委員会・MBS}}</ref> * 生年不明 - ベストジーニスト、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group05/05-07/ |title=ベストジーニスト |access-date=2022-10-13 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - [[ホワイト (ポケットモンスターSPECIAL)|ホワイト]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1445209403066503168}}</ref> * 生年不明 - アラハル=ヴァペル=ビジ9世、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD -蒼空の戦旗-]]』に登場するキャラクター<ref>[[東まゆみ]]監修 『エレメンタルジェレイド アルティメットガイド』 [[マッグガーデン]]〈ブレイドコミックス〉、2009年、102頁、{{ISBN2|978-4-86127-616-3}}。</ref> * 生年不明 - 須藤健、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/sudou.html |title=須藤 健 |accessdate=2022-10-13 |publisher=衣笠彰梧・KADOKAWA刊 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 高嶺愛花、ゲーム『[[ラブプラス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.konami.com/games/jp/ja/products/site/newloveplus_plus/character.html |title=高嶺 愛花 |accessdate=2022-10-13 |publisher=KONAMI |work=NEW ラブプラス+}}</ref> * 生年不明 - 柊るな、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|783497728110108672}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#田中琴葉|田中琴葉]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場 するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30017 |title=田中 琴葉(たなか ことは) |access-date=2022-10-13 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 椎名ニキ、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ensemble-stars.jp/characters/shiina_niki/ |title=椎名 ニキ |accessdate=2022-10-13 |publisher=Happy Elements |website=あんさんぶるスターズ!!}}</ref> * 生年不明 - 枢都夏蓮、ゲーム・アニメ『[[ISLAND (ビジュアルノベル)|ISLAND]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|island_fw|1047984717197430784}}</ref> * 生年不明 - ミリアンヌ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-174 |title=ミリアンヌ |publisher=『キングスレイド』 |accessdate=2023-01-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190418004945/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=174 |archivedate=2019-04-18}}</ref> * 生年不明 - 三船栞子、ゲーム『[[ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル ALL STARS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://lovelive-as.bushimo.jp/member/shioriko/ |title=三船 栞子 |access-date=2022-10-13 |work=ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会}}</ref> * 生年不明 - 桐谷遥、ゲーム『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://pjsekai.sega.jp/character/unite02/haruka/index.html |title=桐谷 遥 |access-date=2022-10-13 |publisher=セガ×Craft Egg/Colorful Palette |work=プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク}}</ref> * 生年不明 - エスト、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yumekuro.com/character/meister/magiaseminar/est/ |title=エスト |access-date=2023-01-30 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - [[白上フブキ]]、[[ホロライブ]]所属のバーチャルYouTuber<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hololive.hololivepro.com/talents/shirakami-fubuki/ |title=白上フブキ |accessdate=2022-10-13 |website=hololive.tv |publisher=[[カバー (企業)|カバー株式会社]]}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|5 October}} {{新暦365日|10|4|10|6|[[9月5日]]|[[11月5日]]|[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]|1005|10|05}} {{1年の月と日}}
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10月6日
10月6日(じゅうがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から279日目(閏年では280日目)にあたり、年末まであと86日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月6日'''(じゅうがつむいか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から279日目([[閏年]]では280日目)にあたり、年末まであと86日ある。 == できごと == [[File:Eurydice opera.jpg|thumb|286x286px|現存する世界最古の[[オペラ]]作品、『[[エウリディーチェ]]』初演(1600)]] {{multiple image | footer = [[ノーベル化学賞]]を受賞(2010) | image1 = Nobel Prize 2010-Press Conference KVA-DSC 7370.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[鈴木章]] | alt1 = 鈴木章 | image2 = Nobel Prize 2010-Press Conference KVA-DSC 7397.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[根岸英一]] | alt2 = 根岸英一 }} * [[891年]] - [[フォルモスス (ローマ教皇)|フォルモスス]]が[[ローマ教皇]]に[[即位]]。 * [[1342年]]([[康永]]元年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[土岐頼遠]]が[[光厳上皇]]に狼藉行為をする。 * [[1600年]] - 現存する世界最古の[[オペラ]]である[[ヤコポ・ペーリ]]の『[[エウリディーチェ]]』が、[[フィレンツェ]]の[[ピッティ宮殿]]での[[マリー・ド・メディシス|マリア・デ・メディチ]]とフランスの[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の結婚式で初演される<ref>{{Cite web |url=https://www.oxfordmusiconline.com/page/1811 |title=Opera Timeline |access-date=29 Jul 2023 |publisher=Oxford Music Online}}</ref>。 * [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[クリントン砦とモントゴメリー砦の戦い]]で英軍勝利。 * [[1868年]]([[慶応]]4年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[会津戦争]]: [[母成峠の戦い]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4229 |title=母成峠の戦い~新政府軍、会津へ怒涛の進撃 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[PHP研究所]] |website=WEB歴史街道 |date=17 Apr 2023}}</ref>。 * [[1876年]] - 米国[[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]で[[アメリカ図書館協会]]が創設される<ref>{{Cite web |url=https://americanlibrariesmagazine.org/2016/01/29/present-at-creation-ala-history/ |title=Present at the Creation The first “congress of librarians” and the beginning of the American Library Association |access-date=29 Jul 2023 |publisher=american.libraries |date=January 29 2016 |language=En}}</ref>。 * [[1889年]] - [[トーマス・エジソン]]が初の[[映画]]の実験を行う。 * [[1906年]] - [[イラン立憲革命]]: [[イランの議会|イスラーム諮問評議会]](イラン国会)が成立。 * [[1908年]] - [[ボスニア・ヘルツェゴビナ併合]]。[[オーストリア・ハンガリー帝国]]が[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]併合を宣言。 * [[1913年]] - [[日本]]・イギリス・ロシア・ドイツ・フランスなど13か国が[[中華民国]]政府を[[国家の承認|承認]]。 * [[1927年]] - 世界初の[[トーキー]]映画『[[ジャズ・シンガー]]』が初公開される。 * [[1928年]] - [[蔣介石]]が中国[[国民政府]]([[蔣介石政権]])主席に就任。 * [[1932年]] - [[赤色ギャング事件]]。日本初の[[銀行強盗]]事件。 * [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ソロモン諸島の戦い]]: [[第二次ベララベラ海戦]]。 * [[1946年]] - [[京郷新聞]]創刊。 * [[1948年]] - [[昭和電工事件]]: [[西尾末広]]前副総理を逮捕。 * [[1954年]] - 日本、[[コロンボ・プラン]]に参加。アジア諸国への経済支援を開始<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jica.go.jp/aboutoda/basic/01.html |title=1.国際協力の目的について |access-date=29 Jul 2023 |publisher=独立行政法人 国際協力機構}}</ref>。 * [[1955年]] - [[ユナイテッド航空409便墜落事故]]。[[ユナイテッド航空]]機が[[ロッキー山脈]]に激突し墜落、乗員乗客66名全員が死亡。 * [[1965年]] - [[ブルーボーイ事件]]。東京地検が[[性別適合手術|性転換手術]]をした医師を取り調べ。 * [[1968年]] - [[スワジランド王国]]国旗が制定。 * 1969年 - 千葉県[[松戸市]]役所が、市民の苦情にすぐ対応する「[[松本清#すぐやる課|すぐやる課]]」を設置<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sankei.com/article/20191019-RAO6UEWSFJP5DOPRIY3A725WNI/ |title=全国初の千葉・松戸市「すぐやる課」誕生から50年 SOS15万7千件に応える |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=19 Oct 2019}}</ref>。 * [[1969年]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[NTV紅白歌のベストテン]]』放送開始。のちに『[[ザ・トップテン]]』『[[歌のトップテン]]』へと継承される。 * [[1973年]] - [[第四次中東戦争]]勃発。[[オイルショック|第一オイルショック]]を引き起こす。 * [[1976年]] - [[中華人民共和国]]で[[江青]]ら[[四人組 (中国史)|四人組]]が逮捕され、[[文化大革命]]が終了。 * 1976年 - [[クバーナ航空455便爆破事件]]。 * [[1977年]] - [[ソビエト連邦]]の[[MiG-29 (航空機)|MiG-29]][[戦闘機]]が初飛行。 * [[1981年]] - [[エジプト]]の[[アンワル・アッ=サーダート]]大統領が{{仮リンク|アンワル・アッ=サーダート暗殺事件|label=暗殺|en|Assassination of Anwar Sadat}}される。 * [[1985年]] - [[樽見鉄道]]開業。大垣〜神海間は国鉄、神海〜樽見間は日本鉄道建設公団の建設した線から転換。 * [[1985年]] - [[TBSテレビ|TBS]]『[[アッコにおまかせ!]]』が放送開始。 * [[1986年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]の[[ヤンキー型原子力潜水艦]]「[[K-219 (原子力潜水艦)|K-219]]」が[[バミューダ諸島]]沖の[[大西洋]]で[[核ミサイル]]の燃料爆発で沈没、乗組員4人が死亡。 * 1986年 - [[福岡県]][[田川郡]][[大任町]]の崎野正規町長が銃撃され死亡。 * [[1987年]] - [[フィジー]]が共和制に移行。 * [[1995年]] - [[ペガスス座51番星]]に初の[[太陽系外惑星]]が発見される<ref>{{Cite web|和書 |url=https://gendai.media/articles/-/57776?page=1&imp=0 |title=10月 6日 太陽系外に初めて惑星が発見される(1995年) |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[講談社]] |work=サイエンス365days |date=6 Oct 2018}}</ref>。 * [[1999年]] - [[女子差別撤廃条約]]の選択議定書が採択される。 * [[2000年]] - [[スロボダン・ミロシェヴィッチ]]が[[ユーゴスラビア]]大統領を辞任。 * 2000年 - [[鳥取県西部地震]]。 * [[2001年]] - [[九州旅客鉄道|JR九州]] [[福北ゆたか線]]の運行開始。 * [[2004年]] - [[名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線]](あおなみ線)[[名古屋駅]] - [[金城ふ頭駅]]間が開業。 * 2004年 - [[名古屋市営地下鉄4号線]]の[[名古屋大学駅]] - [[新瑞橋駅]]間が開業。[[名古屋市営地下鉄名城線|名城線]]として、日本の地下鉄では初の環状運転を開始<ref>{{Cite web|和書 |url=https://response.jp/article/2014/10/21/235537.html |title=名古屋市交通局、環状10周年の記念イベント…11月16日 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[Response.]] |date=21 OCt 2014}}</ref>。 * 2004年 - {{仮リンク|イラク調査団|en|Iraq Survey Group}}の、「[[イラク戦争]]開戦時、[[イラク]]に[[大量破壊兵器]]は存在しなかった」とする報告書([[:en:Charles A. Duelfer|デュエルファー]]・リポート)が米議会に提出される。 * [[2006年]] - [[2006年10月の低気圧|低気圧]]による暴風で、[[鹿島港]]外にて貨物船(ジャイアントステップ号)が走錨、船体切断し死者・行方不明者10名。[[宮城県]]沖でも漁船(第七千代丸)が座礁し、乗組員16人全員が死亡・行方不明。 * [[2009年]] - [[ルワンダ虐殺]]に関与した[[イデルフォンス・ニゼイマナ]]が[[国際刑事警察機構]]に拘束。 * [[2010年]] - [[ノーベル化学賞]]を[[北海道大学]]名誉教授[[鈴木章]]と[[パデュー大学]]教授[[根岸英一]]が同時受賞<ref>{{Cite web|和書 |date=6 Oct 2010 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0601U_W0A001C1MM8000/ |title=ノーベル化学賞に根岸・鈴木氏 有機合成で革新手法 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=29 Jul 2023}}</ref>。 * [[2017年]] - [[日立妻子6人殺害事件]]が発生<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.asahi.com/articles/ASKB62D0TKB6UJHB001.html |title=アパート火災、母子6人死亡 父親を殺人容疑で逮捕 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20201112033805/https://www.asahi.com/articles/ASKB62D0TKB6UJHB001.html |archive-date=12 Nov 2020 |date=6 Oct 2017}}</ref>。 * [[2018年]] - [[築地市場]]が閉場<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36220030W8A001C1MM0000/ |title=築地市場、最後のセリも威勢よく 83年の歴史に幕 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=6 Oct 2018}}</ref>。同年[[10月11日]]、卸売市場は[[豊洲]]に移転した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://toyokeizai.net/articles/-/309903 |title=豊洲移転から1年「飲食店」から見る築地との差 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[東洋経済新報社]] |date=31 Oct 2019 |website=東洋経済ONLINE}}</ref>。 == 誕生日 == {{multiple image | footer = [[地理学者]][[マルティン・ベハイム]](1459-1507)誕生。現存最古の地球儀を制作した | image1 = Martin Behaim Winsor.jpg | width1 = 90 | alt1 = マルティン・ベハイム | image2 = Behaims Erdapfel.jpg | width2 = 90 | alt2 = ベハイムの地球儀 }} {{multiple image | caption1 =[[明]]で活躍した[[イエズス会]]の[[宣教師]][[マテオ・リッチ]](1552-1610)誕生 | image1 = Ricciportrait.jpg | width1 = 90 | alt1 = マテオ・リッチ | caption2 =[[復古神道]]を大成した[[国学者]][[平田篤胤]](1776-1843)誕生 | image2 = Portrait of Atsutane Hirata.jpg | width2 = 90 | alt2 = 平田篤胤 }} {{multiple image | footer = [[ノルウェー]]の[[人類学者]]にして[[探検家]]、[[トール・ヘイエルダール]](1914-2002)誕生。右は[[太平洋]]を横断した[[コンティキ号]] | image1 = ThorHeyerdahl.jpg | width1 = 80 | alt1 = ヘイエルダール | image2 = KonTikiInMuseum.jpg | width2 = 100 | alt2 = コンティキ号 }} * [[1459年]] - [[マルティン・ベハイム]]、[[天文学者]]、[[地理学者]]、[[探検家]](+ [[1507年]]) * [[1552年]] - [[マテオ・リッチ]]、[[司祭]](+ [[1610年]]) * [[1573年]] - [[ヘンリー・リズリー (第3代サウサンプトン伯)]]、イングランドの貴族 (+ [[1624年]]) * [[1715年]]([[正徳 (日本)|正徳]]5年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[遠山友将]]、[[苗木藩]]6代藩主(+ [[1732年]]) * [[1727年]]([[享保]]12年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[小笠原忠総]]、[[小倉藩]]4代藩主(+ [[1790年]]) * [[1769年]] - [[アイザック・ブロック]]、[[軍人]](+ [[1812年]]) * [[1773年]] - [[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ=フィリップ]]、[[フランス王国|フランス]]国王(+ [[1850年]]) * [[1776年]]([[安永]]5年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - [[平田篤胤]]、[[国学者]]、[[神道家]](+ [[1843年]]) * [[1785年]]([[天明]]5年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]) - [[安藤信義]]、[[磐城平藩]]3代藩主(+ [[1844年]]) * [[1821年]]([[文政]]4年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[池田政和 (生坂藩主)|池田政和]]、[[生坂藩]]7代藩主(+ [[1858年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[吉川経健]]、[[岩国藩]]2代藩主(+ [[1909年]]) * [[1863年]] - [[穂積歌子]]、歌人(+[[1932年]]) * [[1867年]]([[慶応]]3年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[平山信]]、天文学者(+ [[1945年]]) * [[1882年]] - [[カロル・シマノフスキ]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](+ [[1937年]]) * [[1886年]] - [[エドヴィン・フィッシャー]]、ピアニスト(+ [[1960年]]) * [[1887年]] - [[ル・コルビュジエ]]、[[建築家]](+ [[1965年]]) * [[1901年]] - [[安西浩]]、[[実業家]](+ [[1990年]]) * 1901年 - [[エベリーン・ド・ボリス=レイモンド・マルコス]]、[[生物学者]](+ [[1990年]]) * [[1902年]] - [[上林暁]]、[[小説家]](+ [[1980年]]) * [[1906年]] - [[ジャネット・ゲイナー]]、[[俳優|女優]](+ [[1984年]]) * 1906年 - [[伊藤郷平]]、[[地理学者]](+ [[1984年]]) * [[1908年]] - [[キャロル・ロンバード]]、女優(+ [[1942年]]) * [[1909年]] - [[荘司雅子]]、教育学者、[[広島大学]]名誉教授(+[[1998年]]) * [[1910年]] - [[牧野直隆]]、第4代[[日本高等学校野球連盟]]会長(+ [[2006年]]) * [[1914年]] - [[トール・ヘイエルダール]]、[[人類学者]]、[[探検家]](+ [[2002年]]) * [[1923年]] - [[土屋亨]]、元[[プロ野球選手]](+ 2002年) * [[1924年]] - [[石橋政嗣]]、[[政治家]](+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/27489.html |title=「非武装中立論」石橋政嗣 旧社会党委員長が死去 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=13 Dec 2019}}</ref>) * 1924年 - [[久保田真苗]]、政治家(+ [[2008年]]) * [[1926年]] - [[桂小金治]]、[[落語家]]、司会者(+ [[2014年]]) * [[1927年]] - [[藤島桓夫]]、[[歌手]](+ [[1994年]]) * 1927年 - [[張榮發]]、実業家、[[長栄海運]]創業者(+ [[2016年]]<ref name="cna">{{Cite web|和書 |title=東日本大震災時に10億円寄付 エバーグリーン・グループ総裁が死去/台湾 |url=https://japan.focustaiwan.tw/society/201601200006 |website=フォーカス台湾 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[中央通訊社]] |date=20 Jan 2016}}</ref>) * [[1930年]] - [[ハーフィズ・アル=アサド]]、政治家、[[シリアの大統領|シリア大統領]](+ [[2000年]]) * [[1932年]] - [[松岡雅俊]]、元プロ野球選手(+ [[2014年]]) * [[1933年]] - [[海老名香葉子]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.oricon.co.jp/prof/197827/ |title=海老名香葉子 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]] |date=26 Nov 2014}}</ref>、エッセイスト * [[1935年]] - [[土屋正孝]]、元プロ野球選手 * 1935年 - [[芦川いづみ]]、女優 * 1935年 - [[岩見隆夫]]、[[ジャーナリスト]]、[[政治評論家]]、[[毎日新聞]]特別顧問(+ [[2014年]]) * [[1937年]] - [[江藤愼一|江藤慎一]]、元プロ野球選手(+ [[2008年]]) * [[1938年]] - [[辰市祐英]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[雁屋哲]]、[[漫画原作者]] * 1941年 - [[野口元三]]、元プロ野球選手 * 1942年 - [[大橋英五]]、会計学者 * [[1943年]] - [[大石弥太郎]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[榊裕之]]、工学者、[[東京大学]]名誉教授 * [[1945年]] - [[太田昭宏]]、政治家 * [[1946年]] - [[西川ヘレン]]、[[タレント]] * 1946年 - [[東順治]]、政治家 ](+ [[2023年]]) * [[1947年]] - [[釘宮磐]]、政治家 * [[1948年]] - [[横山たかし]]、[[漫才師]](+ [[2019年]]) * 1948年 - [[望月充]]、元プロ野球選手(+ [[2015年]]) * [[1949年]] - [[三好俊行]]、[[アナウンサー]] * [[1950年]] - [[三井誠 (ミュージシャン)|三井誠]]、作曲家、編曲家、ギター奏者 * 1950年 - [[アテフ・ハリム]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1950年 - [[伊藤多喜雄]]、[[民謡]]歌手、作曲家 * [[1951年]] - [[だるま二郎]]、元俳優 * 1951年 - [[島村雄二]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[埜本修]]、[[実業家]] * 1952年 - [[國分文也]]、実業家 * [[1953年]] - [[清水勉]]、弁護士 * 1953年 - [[菅野由弘]]、作曲家 * [[1957年]] - [[鈴木聡 (英文学者)|鈴木聡]]、英文学者、[[東京外国語大学]]名誉教授 * 1957年 - [[アルフレド・グリフィン]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[中沢けい]]、小説家 * [[1960年]] - [[岡真理]]、京都大学教授 * 1960年 - [[広瀬さとし]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[44MAGNUM]]) * 1960年 - [[セルゲイ・ポノマレンコ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1960年 - [[高橋徹 (レーサー)|高橋徹]]、レーシングドライバー(+[[1983年]]) * [[1961年]] - [[松田美由紀]]、女優 * 1961年 - [[中居謹蔵]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[寺崎貴司]]、アナウンサー * [[1963年]] - [[エリザベス・シュー]]、女優 * [[1965年]] - [[神谷誠]]、特撮監督、映画監督 * [[1966年]] - [[二宮正己]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[アーキー・シアンフロッコ]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[関根毅]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[オザワ部長]]、[[吹奏楽]]作家 * [[1970年]] - [[GAKU-MC]]、ミュージシャン * 1970年 - [[広川ひかる]]、[[タレント]] * 1970年 - [[鳥巣朱美]]、空手家、元プロレスラー * 1970年 - [[ダレン・オリバー]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[東谷義和]]、元実業家、元政治家 * 1971年 - [[姫乃樹リカ]]、歌手、タレント * 1971年 - [[都啓一]]、ミュージシャン([[SOPHIA (バンド)|SOPHIA]]) * [[1972年]] - [[リュ・シウォン]]、[[俳優]] * 1972年 - [[川畑勇一]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[真田圭一]]、[[将棋]][[棋士 (将棋)|棋士]] * 1972年 - [[マーク・シュワルツァー]]、サッカー選手 * [[1973年]] - [[遠野舞子]]、女優、タレント * [[1974年]] - [[神鳥裕之]]、ラグビー指導者、元ラグビー選手 * 1974年 - [[川嶋勝重]]、元[[プロボクサー]] * 1974年 - [[上路雪江]]、フリーアナウンサー * [[1975年]] - [[林原由佳]]、政治家、弁護士、薬剤師 * 1975年 - [[小島大作]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[嘉㔟敏弘]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[フレディ・ガルシア]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[ジャック・サントラ]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[徐熙媛]]、女優 * [[1977年]] - [[福島善成]]、お笑いタレント([[ガリットチュウ]]) * [[1978年]] - [[デニス・ペチュホフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1978年 - [[高国慶]]、野球選手 * [[1979年]] - [[内藤恵美]]、ソフトボール選手 * [[1981年]] - [[伊調千春]]、元レスリング選手 * 1981年 - [[野田恭平]]、元[[サッカー選手]] * 1981年 - [[早川えみ]]、[[歌手]] * 1981年 - [[茂原岳人]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[ジョエル・ハンラハン]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[美月優]]、[[演歌歌手]] * 1982年 - [[加藤暁彦]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[武藤英紀]]、レーシングドライバー * 1982年 - [[上杉美浩]]、女優、モデル * [[1983年]] - [[ラダメス・リズ]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[SUGI]]、プロレスラー * [[1984年]] - [[ジェニファー・ドン]]、フィギュアスケート選手 * 1984年 - [[アレクサンダー・ガージ]]、元フィギュアスケート選手 * [[1985年]] - [[アンドリュー・アルバース]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[東ブクロ]]、お笑い芸人([[さらば青春の光 (お笑いコンビ)|さらば青春の光]]) * 1985年 - [[森野美咲]]、女優 * [[1986年]] - [[ユ・アイン]]、俳優 * [[1987年]] - [[菅野結以]]、[[ファッションモデル]] * 1987年 - [[吉見衣世]]、[[グラビアアイドル]] * 1987年 - [[楠本千奈]]、起業家、女優、元新体操選手 * 1987年 - [[白井英介]]、実業家 * 1987年 - [[今成亮太]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[安田圭佑]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[堀北真希]]、元女優 * 1988年 - [[大山暁史]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[下平匠]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[久代萌美]]、アナウンサー * [[1990年]] - [[江國冴香]]、ミュージカル俳優 * 1990年 - [[ハン・ソナ]]、歌手 * 1990年 - [[山口螢]]、[[サッカー選手]] * 1990年 - [[丸山亜季 (バレーボール)|丸山亜季]]、バレーボール選手 * [[1991年]] - [[中村裕香里]]、女優 * 1991年 - [[廣瀬大貴|廣瀨大貴]]、陸上選手 * [[1992年]] - [[棚橋宗一郎]]、ラグビー選手 * [[1993年]] - [[伊藤沙恵]]、将棋棋士 * 1993年 - [[朝比奈彩]]、[[モデル (職業)|モデル]]、タレント * 1993年 - [[西山恵子 (モデル)|西山恵子]]、モデル * 1993年 - [[元木聖也]]、俳優 * [[1994年]] - [[渡辺和史]]、将棋棋士 * 1994年 - [[水野菜穂]]、バスケットボール選手 * 1994年 - 増井みお、[[アイドル]](元[[PASSPO☆]]) * [[1995年]] - [[山本彰吾]]、[[ダンサー]]([[THE RAMPAGE from EXILE TRIBE]]) * 1995年 - 神崎祐奈、元アイドル([[Chu☆Oh!Dolly]]) * 1995年 - [[跡美しゅり]]、アイドル、元[[AV女優]] * [[1996年]] - [[高橋一輝]]、サッカー選手 * 1996年 - 永田薫、アイドル([[MAG!C☆PRINCE]]) * [[1997年]] - [[渚ののか]]、グラビアアイドル * 1997年 - [[村林一輝]]、プロ野球選手 * 1997年 - [[よみぃ]]、[[YouTuber]]、作曲家、ピアニスト * [[1999年]] - [[トレバー・ローレンス]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * 1999年 - [[阿部なつき]]、モデル * [[2001年]] - [[本田仁美]]、アイドル([[AKB48]]、元[[IZ*ONE]]) * 2001年 - [[安齋陽菜]]、ファッションモデル * [[2003年]] - [[片岡凜]]、女優 * 2004年 - ハニ、歌手([[NewJeans]]) * [[2005年]] - [[橋迫鈴]]、アイドル([[アンジュルム]]) * 生年不明 - [[下田岺易]]、[[声優]] * 生年不明 - [[矢野亜沙美]]、声優 * 生年不明 - [[田中ちえ美]]、声優 * 生年不明 - キャン・GP・マイカ、アイドル([[GANG PARADE]]) * 生年不明 - [[菊池ゆう]]、モデル、レースクィーン * 生年不明 - [[黒沢咲]]、プロ雀士 == 忌日 == {{multiple image | footer = [[イギリス]][[ヴィクトリア朝]]時代の[[画家]][[フォード・マドックス・ブラウン]](1821-1893)没。右は『労働』(1852-1865) | image1 = Ford Madox Brown.jpg | width1 = 70 | alt1 = ブラウン | image2 = Ford Madox Brown - Work.jpg | width2 = 110 | alt2 = 『労働』(1852-1865) }} [[File:Ferdinand von Richthofen.jpg|thumb|256x256px|[[ドイツ]]の[[地理学|地理学者]]にして[[探検家]]、[[フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン]](1833-1905)没]] {{multiple image | footer = [[建築家]][[河合浩蔵]](1856-1934)没。右は造幣局火力発電所(1911。現:[[造幣博物館]]) | image1 = 河合浩蔵.jpg | width1 = 70 | alt1 = 河合浩蔵 | image2 = Zohei-Hakubutsukan-20050415.jpg | width2 = 110 | alt2 = 造幣博物館 }} {{multiple image | image1 = Harudanji Katsura I Scan10004.JPG | width1 = 90 | caption1 = [[上方落語]]の鬼才、[[桂春団治 (初代)|初代桂春団治]](1878-1934)没 | alt1 = 桂春団治 | image2 = Hisao juran photo.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[小説家]][[久生十蘭]](1902-1957)没 | alt2 = 久生十蘭 }} [[File:Keiko Yoshie 550308 Scan10003.JPG|thumb|180x180px|[[漫才師]][[内海好江]](左)(1936-1997)没。師匠の[[内海桂子]](右)とのコンビで人気を博した]] * [[691年]](持統5年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[川島皇子]]、[[天智天皇]]の第二皇子(* [[657年]]) * [[877年]] - [[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世]]、[[西フランク王国|西フランク王]](* [[823年]]) * [[997年]]([[長徳]]3年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]) - [[源満仲]]、[[平安時代]]の[[武将]](* [[912年]]?) * [[1014年]] - [[サムイル (ブルガリア皇帝)|サムイル]]、[[ブルガリア帝国|ブルガリア]]の[[ツァーリ]](* [[958年]]) * [[1106年]] - [[ケルンのブルーノ]]、[[カトリック教会|カトリック]]聖職者・[[カルトジオ会]]創設者(* [[1030年]]頃) * [[1495年]]([[明応]]4年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[大内政弘]]、[[守護大名]](* [[1446年]]) * [[1610年]]([[慶長]]15年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[細川幽斎]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kumamoto.tabimook.com/greate/detail/7 |title=シリーズ 熊本偉人伝 Vol.7(旅ムック73号掲載)細川幽斎 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=エース出版株式会社 |website=旅ムック.com 熊本}}</ref>、[[武将|戦国武将]]、[[歌人]]、[[茶道|茶人]](* [[1534年]]) * [[1644年]] - [[イサベル・デ・ボルボン|イサベル]]、[[スペイン|スペイン王]][[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]の妃(* [[1602年]]) * [[1762年]] - [[フランチェスコ・マンフレディーニ]]、[[作曲家]](* [[1684年]]) * [[1799年]] - [[ウィリアム・ウィザリング]]、[[科学者]](* [[1741年]]) * [[1819年]] - [[カルロ・エマヌエーレ4世]]、第4代[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](* [[1751年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[葛山武八郎]]、[[新選組]]伍長 * [[1873年]] - [[フリードリヒ・ヴィーク]]、[[ピアノ]]教育者(* [[1785年]]) * [[1891年]] - [[カール1世 (ヴュルテンベルク王)|カール1世]]、[[ヴュルテンベルク王国]]第3代国王(* [[1823年]]) * 1891年 - [[チャールズ・スチュワート・パーネル]]、[[アイルランド]]の政治指導者(* [[1846年]]) * [[1892年]] - [[アルフレッド・テニスン]]、[[詩人]](* [[1809年]]) * [[1893年]] - [[フォード・マドックス・ブラウン]]、[[画家]](* [[1821年]]) * [[1905年]] - [[フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン]]、[[地理学|地理学者]]、[[探検家]](* [[1833年]]) * [[1912年]] - [[オーギュスト・ベールナールト]]、[[ベルギーの首相|ベルギー首相]](* [[1829年]]) * [[1920年]] - [[黒岩涙香]]、[[ジャーナリスト]]、[[推理作家]](* [[1862年]]) * [[1928年]] - [[渡辺政之輔]]、[[労働運動家]]、[[政治活動家]](* [[1899年]]) * [[1932年]] - [[渋沢篤二]]、[[実業家]](* [[1872年]]) * [[1933年]] - [[ザカリア・パリアシュヴィリ]]、作曲家(* [[1871年]]) * [[1934年]] - [[河合浩蔵]]、[[建築家]](* [[1856年]]) * 1934年 - [[桂春団治 (初代)|初代桂春団治]]、[[落語家]](* [[1878年]]) * [[1947年]] - [[レーヴィ・マデトヤ]]、作曲家(* [[1887年]]) * [[1951年]] - [[オットー・マイヤーホフ]]、[[生化学|生化学者]](* [[1884年]]) * [[1954年]] - [[尾崎行雄]]、[[政治家]](* [[1858年]]) * [[1957年]] - [[久生十蘭]]、[[小説家]](* [[1902年]]) * [[1959年]] - [[バーナード・ベレンソン]]、[[美術史|美術史家]](* [[1865年]]) * [[1962年]] - [[トッド・ブラウニング]]、[[映画監督]](* [[1880年]]) * [[1965年]] - [[室井豊]]、[[プロ野球選手]](* [[1915年]]) * [[1973年]] - [[フランソワ・セベール]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1944年]]) * [[1974年]] - [[ヘルムート・コイニク]]、F1ドライバー(* [[1948年]]) * [[1976年]] - [[ギルバート・ライル]]、[[哲学|哲学者]](* [[1900年]]) * [[1980年]] - [[北原文枝]]、[[声優]]、[[俳優|女優]](* [[1920年]]) * 1980年 - [[竹腰重丸]]、[[サッカー選手]]・指導者(* [[1906年]]) * [[1981年]] - [[アンワル・アッ=サーダート]]、[[近代エジプトの国家元首の一覧|エジプト大統領]](* [[1918年]]) * [[1984年]] - [[古川啓三]]、プロ野球選手(* [[1934年]]) * 1984年 - [[晝間弘]]、[[彫刻家]](* [[1916年]]) * [[1985年]] - [[濱田観]]、[[画家]](* [[1898年]]) * [[1987年]] - [[馬場伸也]]、[[国際政治学|国際政治学者]](* [[1937年]]) * [[1989年]] - [[ベティ・デイヴィス]]、女優(* [[1908年]]) * [[1992年]] - [[デンホルム・エリオット]]、俳優(* [[1922年]]) * [[1997年]] - [[ジョニー・ヴァンダー・ミーア]]、プロ野球選手(* [[1914年]]) * 1997年 - [[牛山純一]]、[[ドキュメンタリー]]映像作家(* [[1930年]]) * 1997年 - [[内海好江]]、[[漫才師]](* [[1936年]]) * [[1999年]] - [[アマリア・ロドリゲス]]、[[ファド]][[歌手]]、女優(* [[1920年]]) * 1999年 - [[ゴリラ・モンスーン]]、[[プロレスラー]](* [[1937年]]) * [[2001年]] - [[ミゲール・デルトロ]]、プロ野球選手(* [[1972年]]) * [[2002年]] - [[クラウス・フォン・アムスベルク]]、[[オランダ|オランダ女王]][[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]]の[[王配]](* [[1926年]]) * 2002年 - [[ベン・イーストマン]]、[[陸上競技]]選手(* [[1911年]]) * [[2006年]] - [[ウィルスン・タッカー]]、[[SF作家]]、推理作家(* [[1914年]]) * 2006年 - [[ハインツ・ジールマン]]、[[写真家]]、[[動物学者]](* [[1917年]]) * [[2007年]] - グエン・ベト、[[ベトちゃんドクちゃん]]の兄(* [[1981年]]) * [[2008年]] - [[山下肇]]、[[ドイツ文学者]](* [[1920年]]) * [[2010年]] - [[愚乱・浪花]]、プロレスラー(* [[1977年]]) * [[2011年]] - [[青山景]]、[[漫画家]](* [[1979年]]) * [[2018年]] - [[モンセラート・カバリェ]]、ソプラノ歌手(* [[1933年]]) * [[2019年]] - [[金田正一]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.asahi.com/articles/ASMB66VLQMB6UTQP02V.html |title=金田正一さん死去 プロ野球元投手、通算400勝 |access-date=29 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=6 Oct 2019}}</ref>、プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](* [[1933年]]) * [[2020年]] - [[エドワード・ヴァン・ヘイレン]]、[[ギタリスト]]、[[作曲家]]、[[編曲家]](* [[1955年]]) * 2020年 - [[まつもと泉]]、[[漫画家]](* [[1958年]])<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.comic-on.co.jp/hidiary/hidiary.cgi |title=『WAVE STUDIOより皆さまからいただいた弔慰への御礼』 |work=サイキンのまつもと |accessdate=29 Jul 2023 |publisher=IZUMI MATSUMOTO Home Page |date=7 Apr 2021}}</ref> == 記念日・年中行事 == * 六渡寺の獅子舞({{JPN}}) *: [[富山県]][[射水市]]にある日枝神社の秋祭りで「六渡寺獅子舞」が奉納される。安政3年([[1856年]])3月に[[加賀藩]]主[[前田斉泰]]が、中納言昇進のお祝いに赤飯・昆布・スルメを六渡寺住民に配布したお礼として獅子舞が舞われたとの記録が残る。夜祭では、天狗が松明を持って獅子の相手をする夜叟振舞が舞われる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.imizucci.jp/historia8.pdf |title=新湊 伝統文化獅子舞さんぽ |access-date=29 Jul 2023 |publisher=射水商工会議所 |date=31 Mar 2023}}</ref>。 * 国際協力の日({{JPN}}) *: [[1954年]]のこの日に、日本が初の援助国としての国際協力として、途上国への技術協力のための国際組織「[[コロンボプラン]]」に加盟したことにちなみ、[[外務省]]と[[国際協力事業団]] (JICA) が[[1987年]]に制定。 * 役所改革の日({{JPN}}) *: [[1969年]]のこの日、[[千葉県]][[松戸市]]役所が、[[松本清]]市長(当時)の発案による、従来の縦割り行政では対応できないような仕事にすぐに対応する「すぐやる課」を設置した。 * [[陸軍記念日]]({{EGY}}) *: [[1973年]]のこの日、エジプト陸軍が、[[イスラエル]]の防衛線[[バーレブ・ライン]]に設定された[[スエズ運河]]を渡り[[イスラエル国防軍]]に対して奇襲攻撃を行い、[[第四次中東戦争]]が始まったことを記念。 * {{仮リンク|ドイツ系アメリカ人の日|en|German-American Day}}({{USA}}) *: [[1683年]]のこの日、初の[[ドイツ人]]移民となる[[クレーフェルト]]出身の13家族が[[フィラデルフィア]]に上陸した。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1006|date=Feb 2023}} * 1946年(昭和21年)- [[金田一耕助]]は清水[[巡査]]に不審者と間違われて[[留置場]]に翌朝まで閉じ込められる。(小説『[[獄門島]]』第3章) * 1947年(昭和22年)- 新宮利彦元[[子爵]]殺害の報を受けた金田一耕助が[[六本木]]の椿元[[子爵]]邸を訪れる。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第21章) * 2013年 - 葛葉絋汰が仮面ライダー鎧武に初めて変身し、ビャッコインベスを撃退した。(特撮ドラマ『[[仮面ライダー鎧武]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - [[サイド (ガンダムシリーズ)#サイド3(ムンゾ)|サイド3]]の[[首都]]ズム・シティにて[[ザビ家#ガルマ・ザビ|ガルマ・ザビ]]の[[国葬]]開催。[[ザビ家#ギレン・ザビ|ギレン・ザビ]]が、大演説を地球圏全域に放送する。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1990年]] - ゲームギア、漫画・アニメ『[[Hi☆sCoool! セハガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://shg.sega.jp/chara.html |title=キャラクター ゲームギア |access-date=2022-09-18 |publisher=SEGA |work=セガ★ハードガールズ}}</ref> * [[1999年]] - 星川リリィ、テレビアニメ『[[ゾンビランドサガ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://zombielandsaga.com/character/7.php |title=星川リリィ |work=TVアニメ「ゾンビランドサガ リベンジ」公式サイト |accessdate=2022-09-18}}</ref> *[[2002年]] - 熱田充瑠、特撮ドラマ『[[魔進戦隊キラメイジャー]]』の登場人物<ref>{{Twitter status|Televi_Kun|1577765572506316800}}</ref> *生年不明 - 新見遙佳、ゲーム・アニメ『[[フォトカノ]]』のメインヒロイン<ref>{{Cite web|和書 |url=http://photokano.jp/maincharacter01.html |title=新見遥佳 |access-date=2022-09-18 |work=フォトカノ}}</ref> * 生年不明 - [[立花兄弟|立花政夫]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref name="Captain Tsubasa">{{Cite book|和書 |author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year = 2003|title = キャプテン翼 3109日全記録|publisher = 集英社 |isbn = 4-08-782789-5|page = 48 }}</ref> * 生年不明 - [[立花兄弟|立花和夫]]、漫画・アニメ『キャプテン翼』に登場するキャラクター<ref name="Captain Tsubasa" /> * 生年不明 - たしぎ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/character/tashigi/index.html |title=たしぎ |access-date=2023-08-13 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - トラファルガー・ロー、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/law.html |title=トラファルガー・ロー |access-date=2022-09-18 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - バルトロメオ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/bartolomeo.html |title=バルトロメオ |access-date=2023-08-13 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - 波動ねじれ、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group03/03-05/ |title=波動ねじれ |access-date=2022-09-18 |publisher=堀越耕平/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 森合愛美、漫画・アニメ『[[咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://sciasta.com/characters.html |title=森合 愛美(もりあい まなみ) |accessdate=2022-09-18 |publisher=小林立公式サイト |work=咲-Saki-}}</ref> * 生年不明 - 乾和臣、漫画・アニメ・映画『[[思い、思われ、ふり、ふられ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sakisaka10|916266793894764546}}</ref> * 生年不明 - 虹龍ドラム、漫画・アニメ『[[ベイブレードバースト]]』に登場するキャラクター<ref>『ベイブレードバースト 15』小学館〈コロコロコミックス〉、2020年7月1日、50頁。</ref> * 生年不明 - 丸石燈花、アニメ『[[セイレン (アニメ)|セイレン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tbs.co.jp/anime/seiren/chara/maruishi_toka.html |title=丸石燈花 |access-date=2022-09-18 |publisher=高山箕犀/セイレン製作委員会 TBS}}</ref> * 生年不明 - 乙倉悠貴、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20039 |title=乙倉 悠貴(おとくら ゆうき) |access-date=2022-09-18 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ハク、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=119&cate=name&cont=Haku |title=ハク |access-date=2022-09-18 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - マッドハッター、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=148&cate=name&cont=Madhatter |title=マッドハッター |access-date=2022-09-18 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - アナスタシア・パルマ、ゲーム・アニメ『[[新サクラ大戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sakura_taisen|1313284337211600897}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|6 October}} {{新暦365日|10|5|10|7|[[9月6日]]|[[11月6日]]|[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]|1006|10|06}} * [[10月6日市]] - エジプト・[[ギーザ県]]にある都市。先述のエジプト軍記念日を祝して[[1979年]]に発足した市で、2008年には新規設置された[[10月6日県]]の県庁所在地とされていたが、[[2011年]]のエジプト革命後は再びギーザ県に編入された。 {{1年の月と日}}
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10月7日
10月7日(じゅうがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から280日目(閏年では281日目)にあたり、年末まであと85日ある。
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10月7日(じゅうがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から280日目(閏年では281日目)にあたり、年末まであと85日ある。
{{カレンダー 10月}} '''10月7日'''(じゅうがつなのか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から280日目([[閏年]]では281日目)にあたり、年末まであと85日ある。 == できごと == [[ファイル:Battle of Lepanto 1571.jpg|thumb|upright|[[レパントの海戦]](1571)。[[スペイン]]などの[[カソリック]]連合国艦隊が[[オスマン帝国]]艦隊に勝利する]] [[ファイル:Flag of East Germany.svg|thumb|120px|[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)発足(1949)。画像の国旗は[[1959年]]から最後の年([[1990年]])まで使用したもの]] [[ファイル:US Marines in Operation Enduring Freedom.jpg|thumb|120px|[[不朽の自由作戦]]開始(2001)。[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アフガニスタン紛争]]の始まり]] * [[紀元前29世紀|紀元前2807年]] - [[日食]]。[[アフリカ]][[大陸]]と[[南極]]大陸との間にて[[隕石]]が落下。 * [[1571年]] - [[レパントの海戦]]が行われる。 * [[1579年]]([[天正]]6年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]])- [[織田信雄]]が[[伊賀国]]に侵攻するも、伊賀[[国人]]衆に敗退。([[天正伊賀の乱#第一次天正伊賀の乱|第一次天正伊賀の乱]])<!-- 『信長公記』巻十二、「北畠中将殿御折檻状之事」より --> * [[1757年]]([[宝暦]]7年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]])- [[柄井川柳]]が「川柳評万句合」を初めて開催。[[川柳]]の発祥の日。 * [[1763年]] - [[イギリス]]王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]が[[1763年宣言]]を発する。 * [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[サラトガの戦い#ベミス高地の戦い|第二次サラトガの戦い(ベミス高地の戦い)]]が行われる。 * [[1780年]] - アメリカ独立戦争: [[キングスマウンテンの戦い]]が行われる。 * [[1840年]] - [[ウィレム1世 (オランダ王)|ウィレム1世]]の譲位に伴い[[ウィレム2世 (オランダ王)|ウィレム2世]]が[[オランダ]]王に即位。 * [[1879年]] - [[ドイツ帝国]]と[[オーストリア=ハンガリー帝国]]が[[独墺同盟]]を締結。 * 1879年 - [[文部省]]内に音楽教育を担当する音楽取調掛(後の東京音楽学校、現 [[東京芸術大学]])設立。 * [[1888年]] - 宮城([[皇居]])の[[明治宮殿]]が落成。 * [[1899年]] - [[箒川鉄橋列車転落事故]]起こる。 * [[1919年]] - [[KLMオランダ航空]]創設。 * [[1920年]] - [[ポーランド]]と[[リトアニア]]のあいだで「第3次休戦ライン」を定めたスヴァウキ合意が結ばれる。 * [[1933年]] - [[エールフランス航空]]創設。 * [[1935年]] - [[第二次エチオピア戦争]]: [[国際連盟]]総会が、[[エチオピア]]に侵入した[[イタリア]]に対する[[経済制裁]]を決議。 * [[1939年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]][[石巻線]]の[[石巻駅|石巻]] - [[女川駅|女川]]間が開通し、全線開通。 * [[1946年]] - [[衆議院]]で「[[大日本帝国憲法]]改正案」の貴族院回付案が可決され、憲法改正手続が完了。[[日本国憲法]]が成立。 * [[1948年]] - [[昭和電工事件]]の道義的責任をとって[[芦田内閣|芦田均内閣]]が総辞職。 * [[1949年]] - ドイツ人民評議会で[[ドイツ民主共和国憲法]]草案を可決。[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)が発足。 * [[1950年]] - [[中国人民解放軍]]が[[中華人民共和国によるチベット併合|チベットに侵攻]]([[チャムドの戦い]])。 * 1950年 - [[マザー・テレサ]]が[[神の愛の宣教者会]]を設立。 * [[1952年]] - [[バーコード]]が初めて特許登録される。 * [[1954年]] - [[佐賀県]][[嬉野市|嬉野町]]の県道で[[国鉄バス]]が路外に逸脱。通勤客や学生13人死亡、23人重軽傷<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=102 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1959年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]の[[宇宙探査機|月探査機]]「[[ルナ3号]]」が世界で初めて[[月の裏|月の裏側]]の撮影に成功。 * [[1960年]] - [[ナイジェリア]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * 1960年 - [[ヒマラヤ山脈]]のディオ・ティバが日本女子登山隊により初登頂。 * [[1962年]] - [[NHK杯テレビ囲碁トーナメント]]が放送開始。 * [[1965年]] - [[マリアナ海域漁船集団遭難事件]](マリアナ海難)発生。[[マリアナ諸島|マリアナ近海]]で日本のかつお・まぐろ漁船が[[昭和40年台風第29号|台風29号]]の暴風に巻き込まれ大破。死者・行方不明者209人の大惨事となる。 * [[1969年]] - [[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]投手の[[永易将之]]の[[八百長]]行為が発覚し、チームが解雇を決定、[[黒い霧事件 (日本プロ野球)|黒い霧事件]]に発展する。 * [[1971年]] - [[オマーン]]が国連に加盟。 * [[1976年]] - [[華国鋒]]が第2代[[中国共産党中央委員会主席]]に就任。 * [[1977年]] - [[ソビエト連邦]]で[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1936年)|スターリン憲法]]を41年ぶりに改正した[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1977年)|新憲法]]を採択。 * [[1979年]] - [[第35回衆議院議員総選挙]]。[[自由民主党 (日本)|自民党]]が過半数を割り、[[大平正芳]]総裁の責任問題をめぐって[[四十日抗争]]と呼ばれる派閥抗争が起こる。 * [[1979年]] - 元[[大韓民国中央情報部|韓国中央情報部]](KCIA)部長の[[金炯旭]]、フランス・パリで失踪。 * [[1982年]] - [[中華人民共和国]]が初めて[[潜水艦]]からの[[ミサイル]]発射実験に成功。 * [[1984年]] - [[グリコ・森永事件]]: 近畿地方で青酸カリ入りの森永製品発見。([[グリコ・森永事件#二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件|二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件]]) * [[1985年]] - [[アキレ・ラウロ号事件]]。イタリアの旅客船アキレ・ラウロ号が[[パレスチナ解放戦線]]メンバーにより[[シージャック|乗っ取り]]。 * [[1985年]] - [[テレビ朝日]]系『[[ニュースステーション]]』放送開始。 * [[1987年]] - [[フィジー]]でクーデターにより立憲君主国から共和国に移行。 * [[1988年]] - [[リトアニア]]の首都[[ヴィリニュス]]で、[[ゲディミナス城]]の塔の上で[[1940年]]以降掲げられていなかった[[リトアニアの国旗|黄・緑・赤の3色旗]]が掲揚される。 * [[1991年]] - [[リトアニア]]が[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]に加盟。 * [[1994年]] - [[アンドリュー・ワイルズ]]が[[フェルマーの最終定理]]の証明を発表。 * [[2001年]] - [[アメリカ軍]]による[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アフガニスタン侵攻]]開始。([[不朽の自由作戦]]) * [[2004年]] - [[カンボジア]]国王[[ノロドム・シハヌーク]]が退位を表明。 * [[2008年]] - [[福岡ソフトバンクホークス]]監督の[[王貞治]]が退任<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.softbank.jp/corp/news/sbnews/sbnow/2008/20081007_01/|title=福岡ソフトバンクホークス王監督が退任|publisher=ソフトバンクNOWニュース|date=2008-10-07|accessdate=2020-10-15}}</ref>。 * 2008年 - 約20時間前に発見された[[小惑星]]{{mpl|2008 TC|3}}が[[スーダン]]に落下。隕石が落下前に観測された初の事例。 * [[2011年]] - [[日本のプロ野球|プロ野球]]のオーナー会議にて、翌年度からの[[野球日本代表|日本代表]]の常設が合意。 * [[2014年]] - [[発光ダイオード#青色発光ダイオード|青色発光ダイオード(LED)]]に関する研究により、[[赤﨑勇]]、[[天野浩]]、[[中村修二]]のノーベル物理学賞の同時受賞が決定。 * [[2016年]] - [[コロンビア]]の[[フアン・マヌエル・サントス]]大統領が[[ノーベル平和賞]]を受賞。 * [[2018年]] - [[サザビーズ]]に出品された[[覆面作家|覆面]]画家[[バンクシー]]の絵画、「赤い風船に手を伸ばす少女」が約1億5千万円で落札された直後、本人が額縁に仕込んだシュレッダーによってその場で裁断された。 * [[2021年]] - [[テスラ (会社)|テスラ]]が[[カリフォルニア州]][[パロアルト (カリフォルニア州)|パロアルト]]から[[テキサス州]][[オースティン (テキサス州)|オースティン]]へ本社移転を発表。 * 2021年 - 千葉北西部の深さ75kmを震源とする[[マグニチュード|M]]5.9の[[地震]]が発生し、[[埼玉県]]や[[東京都]][[足立区]]で[[震度]]5強を記録する([[千葉県北西部地震 (2021年)]])。 * 2023年 - [[ガザ地区|パレスチナ自治区ガザ地区]]を実効支配する[[ハマース]]が[[イスラエル]]南部にロケット弾を用いた大規模攻撃を行い、複数の部隊がイスラエルに侵攻。ここ50年で最大規模の被害となった<ref>{{Cite news|url=https://jp.reuters.com/world/mideast/NK7PL64AYNMGJDZRSWWK5F53DA-2023-10-08/ |title=ハマスとイスラエルの大規模衝突続く、死者500人超 レバノンから砲撃も |newspaper=[[ロイター]] |date=2023-10-08 |accessdate=2023-10-08}}</ref>。{{Main|2023年パレスチナ・イスラエル戦争}} == 誕生日 == [[ファイル:Vladimir Putin at the World Economic Forum Annual Meeting 2009 002.jpg|thumb|120px|[[ウラジーミル・プーチン]](1952-)誕生]] [[ファイル:Yo-Yo Ma 2013.jpg|thumb|120px|[[チェリスト]]、[[ヨーヨー・マ]](1955-)誕生]] * [[1687年]]([[貞享]]4年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[五島盛佳]]、第6代[[肥前国]][[五島藩]]主(+ [[1734年]]) * [[1697年]] - [[カナレット]]、[[画家]]、[[版画家]](+ [[1768年]]) * [[1716年]]([[享保]]元年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]) - [[松平光雄]]、第2代[[信濃国]][[松本藩]]主(+ [[1756年]]) * [[1879年]] - [[ヘルマン・ノール]]、[[哲学者]]、[[教育学者]](+ [[1960年]]) * [[1885年]] - [[ニールス・ボーア]]、[[物理学者]](+ [[1962年]]) * [[1886年]] - [[カール・フォン・ピュックラー=ブルクハウス]]、ナチス・ドイツ[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]将軍(+ [[1945年]]) * [[1888年]] - [[島田善介]]、[[野球選手]](+ [[1955年]]) * [[1900年]] - [[ハインリヒ・ヒムラー]]、ナチス親衛隊の指導者(+ [[1945年]]) * [[1901年]] - [[村野四郎]]、[[詩人]](+ [[1975年]]) * 1901年 - [[坂本太郎 (歴史学者)|坂本太郎]]、[[歴史学者]](+ [[1987年]]) * [[1902年]] - [[宮地政司]]、[[天文学者]](+ [[1986年]]) * [[1909年]] - [[シューラ・チェルカスキー]]、[[ピアニスト]](+ [[1995年]]) * [[1914年]] - [[今井功 (物理学者)|今井功]]、[[物理学者]](+ [[2004年]]) * [[1917年]] - [[ジューン・アリソン]]、[[俳優|女優]](+ [[2006年]]) * [[1922年]] - [[山本義正]]、[[著述家]](+ [[2014年]]) * 1922年 - [[ワグナー・ナンドール]]、[[彫刻家]](+ [[1997年]]) * [[1923年]] - [[イルマ・グレーゼ]]、[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ]]および[[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]]の看守(+ [[1945年]]) * 1923年 - [[増田敏]]、[[プロ野球選手]](+ 没年不詳) * [[1924年]] - [[河文雄]]、元プロ野球選手(+ [[1991年]]) * 1924年 - [[藤原鉄之助]]、元プロ野球選手(+ [[2002年]]) * [[1929年]] - [[ロバート・ウェストール]]、[[児童文学作家]](+ [[1993年]]) * [[1931年]] - [[デズモンド・ムピロ・ツツ]]、[[ケープタウン]][[大主教]]、[[人権]]活動家(+ [[2021年]]) * 1931年 - [[平木隆三]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者(+ [[2009年]]) * [[1933年]] - [[羽佐間道夫]]、[[俳優]]、[[声優]] * [[1936年]] - [[シャルル・デュトワ]]、[[指揮者]] * [[1937年]] - [[室田日出男]]、俳優(+ [[2002年]]) * [[1938年]] - [[アン・ヘイドン=ジョーンズ]]、テニス選手 * [[1939年]] - [[ジョン・ホップクロフト]]、[[計算機科学|計算機科学者]] * [[1941年]] - [[坂田利夫]]、[[コメディアン]](+ [[2023年]]) * [[1946年]] - [[荻島眞一]]、俳優(+ [[2004年]]) * 1946年 - [[諸星裕]]、[[桜美林大学]]副学長、[[ミネソタ州]]立大学特別功労教授 * [[1947年]] - [[久田恵]]、[[作家]] * 1947年 - [[安田富男]]、[[騎手]] * [[1948年]] - [[安倍理津子]]、歌手 * [[1951年]] - [[川端義明]]、[[アナウンサー]] * 1951年 - [[桐野夏生]]、[[小説家]] * [[1952年]] - [[ウラジーミル・プーチン]]、[[政治家]]、[[ロシア連邦大統領|ロシア大統領]] * 1952年 - [[三原順]]、[[漫画家]](+ [[1995年]]) * [[1953年]] - [[ティコ・トーレス]]、[[ドラマー]]([[ボン・ジョヴィ]]) * [[1955年]] - [[金井たつお]]、漫画家 * 1955年 - [[ヨーヨー・マ]]、[[チェリスト]] * 1955年 - [[茂木敏充]]、政治家 * [[1957年]] - [[ジェーン・トービル]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1957年 - [[ワサン・シティケート]]、[[芸術家]] * [[1957年]] - [[サブリナ・シズエ・マッケンナ]]、[[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]]最高裁判所判事、元[[水着キャンペーンガール]] * [[1958年]] - [[金指誠]]、元アナウンサー * [[1959年]] - [[ブラソ・デ・オロ]]、プロレスラー * 1959年 - [[清家政和]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[サイモン・コーウェル]]、[[音楽プロデューサー]] * [[1960年]] - [[氷室京介]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[BOØWY]]) * [[1961年]] - [[佐々木倫子]]、漫画家 * 1961年 - [[鹿島忠]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[日高逸子]]、[[競艇選手]] * [[1962年]] - [[我孫子武丸]]、[[推理作家]] * 1962年 - [[叶恭子]]、[[タレント]] * 1962年 - [[タイ・バンバークレオ]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[石井宏 (野球)|石井宏]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[藤本茂喜]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[長友仍世]]、[[シンガーソングライター]]([[infix]]) * 1965年 - [[渡辺久美子]]、声優 * [[1966年]] - [[神山一義]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[階猛]]、政治家、弁護士 * 1966年 - [[環望]]、[[漫画家]] * 1966年 - [[タナカカツキ]]、漫画家 * [[1967年]] - [[愛河里花子]]、声優 * 1967年 - [[青田典子]]、タレント(元[[C.C.ガールズ]]) * 1967年 - [[阿部渉]]、アナウンサー * 1967年 - [[トニー・ブラクストン]]、歌手 * [[1968年]] - [[トム・ヨーク]]、ミュージシャン([[レディオヘッド]]) * 1968年 - [[石井麗子]]、声優 * [[1969年]] - [[井上信治]]、政治家、[[衆議院議員]] * 1969年 - [[名塚善寛]]、元サッカー選手、指導者 * 1969年 - [[加藤望]]、元サッカー選手、指導者 * 1969年 - [[山内美加]]、元[[バレーボール]]選手 * [[1970年]] - [[和田孝志]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[ティム・アンロー]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[ニール・ハルステッド]]、ミュージシャン * [[1971年]] - [[とよ田みのる]]、漫画家 * [[1972年]] - [[戸塚貴久子]]、[[フリーアナウンサー]] * 1972年 - [[古今亭菊之丞]]、[[落語家]] * [[1973年]] - [[石田燿子]]、歌手 * 1973年 - [[大島花子]]、歌手 * 1973年 - [[サミ・ヒーピア]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * 1973年 - [[ネウソン・デ・ジェズス・シウヴァ|ジーダ]]、元サッカー選手 * [[1974年]] - [[鈴木秀人]]、元サッカー選手 * 1974年 - [[郷野聡寛]]、総合格闘家 * 1974年 - [[雪舟えま]]、歌人 * [[1975年]] - [[立川隆史]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[森岡隆三]]、元サッカー選手 * 1975年 - [[青木誠 (声優)|青木誠]]、声優 * 1975年 - [[岩渕聡]]、テニス選手 * [[1976年]] - [[遊澤亮]]、[[卓球選手]] * 1976年 - [[ジウベルト・シウバ]]、サッカー選手 * [[1977年]] - [[若林史江]]、タレント * 1977年 - [[坪井康晴]]、[[競艇選手]] * [[1978年]] - [[木元邦之]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[三東洋]]、元プロ野球選手 * 1978年 - 森慎太郎、お笑い芸人([[どぶろっく]]) * 1978年 - [[渡邉拓馬]]、元[[バスケットボール]]選手 * 1978年 - [[長岡亮介 (ギタリスト)|長岡亮介]]、ミュージシャン([[東京事変]]) * [[1979年]] - [[椎名令恵]]、女優 * 1979年 - [[湯唯]]、女優 * [[1980年]] - [[塩谷朋之]]、ミュージシャン([[12012]]) * 1980年 - [[植大輔]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[陳冠希]]、俳優 * 1980年 - [[坂本充]]、元[[野球選手]] * [[1982年]] - [[ユンディ・リ]]、[[ピアニスト]] * 1982年 - [[ジャーメイン・デフォー]]、サッカー選手 * [[1983年]] - [[マキシム・トランコフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1983年 - [[フライング・ロータス]]、DJ * [[1984年]] - [[生田斗真]]、俳優、タレント * 1984年 - [[加藤和樹]]、俳優、[[歌手]] * 1984年 - [[夏目みな美]]、アナウンサー * [[1985年]] - [[小嶋達也]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[大城祐二]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[レツ (漫画家)|レツ]]、漫画家 * 1985年 - [[エバン・ロンゴリア]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[ヤナ・ホフロワ]]、フィギュアスケート選手 * [[1986年]] - [[桐生順平]]、[[競艇選手]] * 1986年 - [[チェレステ・ボニン]]、プロレスラー * 1986年 - [[MAKO]]、歌手、声優 * 1986年 - [[谷地克文]]、声優 * 1986年 - ふるっぺ、ミュージシャン([[ケラケラ]]) * 1986年 - [[上川一哉]]、[[ミュージカル]]俳優 * [[1988年]] - [[上北健]]、[[シンガーソングライター]] * 1988年 - [[澤田亜紀]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - [[ジエゴ・ダ・シウヴァ・コスタ|ジエゴ・コスタ]]、サッカー選手 * 1988年 - [[村田和哉 (サッカー選手)|村田和哉]]、サッカー選手 * 1988年 - [[リーチマイケル]]、ラグビー選手 * [[1989年]] - [[横野純貴]]、サッカー選手 * 1989年 - [[佐々木憂流迦]]、総合格闘家 * [[1991年]] - [[レイ (歌手)|レイ]]、俳優、アイドル([[EXO]]) * [[1992年]] - [[カール・トリアナ]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[池尻愛吏]]、グラビアアイドル * [[1993年]] - [[福地勇人]]、空手家 * [[1994年]] - [[緒方咲]]、[[グラビアアイドル]] * 1994年 - あんり、お笑い芸人([[ぼる塾]]) * [[1995年]] - [[瀬戸利樹]]、俳優 * 1995年 - [[力真樹]]、元大相撲力士 * [[1996年]] - [[黒田真友香]]、ファッションモデル * [[1997年]] - [[尾関梨香]]、元アイドル(元[[櫻坂46]]) * [[1998年]] - [[トレント・アレクサンダー=アーノルド]]、サッカー選手 * 1998年 - [[楠みゆう]]、アイドル、タレント(元[[DollyKiss]]) * [[1999年]] - [[野中美希]]、歌手([[モーニング娘。]]) * 1999年 - [[山﨑紗彩]]、ファッションモデル、女優(元[[X21]]) * 1999年 - 山田野絵、アイドル(元[[NGT48]]) * 1999年 - [[谷崎早耶]]、アイドル([[≠ME]]) * 1999年 - [[亜咲花]]<ref>{{Cite web |title=Profile |url=http://asaka1007.jp/profile/ |website=亜咲花 Official Website |access-date=2022-12-12 |language=ja}}</ref>、歌手 * 1999年 - [[森千晴]]、フリーアナウンサー * [[2000年]] - [[中野恵那]]、ファッションモデル、タレント * 2000年 - [[薮下楓]]、元アイドル(元[[STU48]]) * 2000年 - [[岸本大紀]]、陸上選手 * [[2006年]] - 坂川陽香、アイドル([[AKB48]]) == 忌日 == === 人物 === [[ファイル:Sancho II de Castilla (Ayuntamiento de León).jpg|thumb|100px|[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王、[[サンチョ2世 (カスティーリャ王)|サンチョ2世]](1040-1072)暗殺。分割されたカスティーリャ=レオン王国を巡って一族で争った]] [[ファイル:Emperor Juntoku large.jpg|thumb|120px|[[順徳天皇]](1197-1242)、[[承久の乱]]により[[佐渡島|佐渡]]に[[配流]]され、同地で崩御{{Squote|ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり}}]] [[ファイル:Hanawa Hokiichi (Iwaki).jpg|thumb|120px|[[国学|国学者]]、[[塙保己一]](1746-1821)没。盲目の身ながら[[叢書]]『[[群書類従]]』を編纂した]] [[ファイル:Mgr Petitjean first Vicar Apostolic of Japan.jpg|thumb|100px|[[カソリック]][[宣教師]]、[[ベルナール・プティジャン]](1829-1889)没。幕末の[[長崎市|長崎]]で[[隠れキリシタン]]を見出した]] [[ファイル:Toriro Miki 540614 Scan10005.JPG|thumb|100px|[[作詞家]]、[[三木鶏郎]](1914-1994)没(右)。“くしゃみ三回、ルル三錠”など数多くのCMソングを手掛けた]] [[ファイル:Keiji Osawa 1956 Scan10001.JPG|thumb|100px|「親分」[[大沢啓二]](1932-2010)没]] * [[336年]] - [[マルクス (ローマ教皇)|マルクス]]、第34代[[教皇|ローマ教皇]] * [[929年]] - [[シャルル3世 (西フランク王)|シャルル3世]]、[[西フランク王国|西フランク]]王(* [[879年]]) * [[1072年]] - [[サンチョ2世 (カスティーリャ王)|サンチョ2世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王(* [[1040年]]) * [[1242年]]([[仁治]]3年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - [[順徳天皇]]、第84代[[天皇]](* [[1197年]]) * [[1331年]]([[元弘]]元年/[[元徳]]3年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]) - [[足利貞氏]]、[[鎌倉幕府]][[御家人]](* [[1273年]]) * [[1405年]]([[応永]]12年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[伊達政宗 (大膳大夫)]]、[[室町時代]]の[[武将]](* [[1353年]]) * [[1553年]] - [[クリストバル・デ・モラーレス]]、[[作曲家]](* [[1500年]]) * [[1612年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニ]]、[[詩人]]、[[劇作家]]、[[外交官]](* [[1538年]]) * [[1631年]]([[寛永]]8年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - [[加藤嘉明]]、[[武将|戦国武将]]、[[会津藩|会津藩主]](* [[1563年]]) * [[1637年]] - [[ヴィットーリオ・アメデーオ1世]]、[[サヴォイア公]](* [[1587年]]) * [[1684年]]([[貞享]]元年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[堀田正俊]]、[[江戸幕府]][[大老]]、[[安中藩|安中藩主]]、[[古河藩|古河藩主]](* [[1634年]]) * 1684年(貞享元年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[稲葉正休]]、[[青野藩|青野藩主]](* [[1640年]]) * [[1697年]]([[元禄]]10年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[水野勝種]]、[[備後福山藩|福山藩主]](* [[1661年]]) * [[1725年]]([[享保]]10年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[山内豊常]]、第7代[[土佐藩|土佐藩主]](* [[1711年]]) * [[1790年]]([[寛政]]2年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]) - [[柄井川柳]]、[[川柳]]の祖として知られる[[前句付]]の点者(* [[1718年]]) * [[1792年]] - [[ジョージ・メイソン (4世)|ジョージ・メイソン]]、[[政治家]](* [[1725年]]) * [[1794年]](寛政6年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[伊達村候]]、第5代[[宇和島藩|宇和島藩主]](* [[1725年]]) * [[1796年]] - [[トマス・リード]]、[[哲学|哲学者]](* [[1710年]]) * [[1806年]]([[文化 (元号)|文化]]3年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[藤堂高嶷]]、第9代[[津藩|津藩主]](* [[1746年]]) * [[1821年]]([[文政]]4年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - [[塙保己一]]、[[国学|国学者]](* [[1746年]]) * [[1848年]]([[嘉永]]元年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[八重崎検校]]、[[三味線]]、[[箏曲]]演奏家、作曲家(* [[1776年]]頃) * [[1849年]] - [[エドガー・アラン・ポー]]、[[作家]](* [[1809年]]) * [[1857年]] - [[ルイス・マクレーン]]、第10代[[アメリカ合衆国財務長官]]、第12代[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1786年]]) * [[1859年]]([[安政]]6年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]])- [[島津斉興]]、第10代[[薩摩藩|薩摩藩主]](* [[1791年]]) * [[1884年]] - [[ベルナール・プティジャン]]、[[カトリック教会]]の[[司祭]](* [[1829年]]) * [[1886年]] - [[ウィリアム・バーンズ (言語学者)|ウィリアム・バーンズ]]、[[言語学者]](* [[1811年]]) * [[1901年]] - [[中上川彦次郎]]、[[実業家]](* [[1854年]]) * [[1904年]] - [[イザベラ・バード]]、旅行家(* [[1831年]]) * [[1915年]] - [[フリードリヒ・ハーゼノール]]、[[物理学者]](* [[1874年]]) * [[1918年]] - [[チャールズ・ヒューバート・パリー]]、作曲家(* [[1848年]]) * [[1919年]] - [[アルフレッド・ディーキン]]、第2代[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](* [[1856年]]) * [[1925年]] - [[クリスティ・マシューソン]]、元[[プロ野球選手]](* [[1880年]]) * [[1926年]] - [[エミール・クレペリン]]、[[精神医学|精神医学者]](* [[1856年]]) * [[1927年]] - [[ポール・セリュジエ]]{{要出典|date=2021-03}}、[[画家]](* [[1864年]]) * [[1939年]] - [[ハーヴェイ・ウィリアムス・クッシング]]、[[脳神経外科学|脳神経外科医]](* [[1869年]]) * [[1943年]] - [[イグネイシャス・ティモシー・トレビッチ・リンカーン]]、[[冒険家]](* [[1879年]]) * [[1944年]] - [[中川小十郎]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、[[立命館大学]]創立者(* [[1866年]]) * [[1949年]] - [[斎藤隆夫]]、[[衆議院議員]](* [[1870年]]) * [[1953年]] - [[エミール・フィラ]]、画家、[[彫刻家]](* [[1882年]]) * [[1954年]] - [[ジョーゼフ・オパトシュ]]、[[小説家]](* [[1886年]]) * [[1955年]] - [[ルドルフ・ジルドライヤー]]、第4代[[国際サッカー連盟]]会長(* [[1876年]]) * [[1957年]] - [[柳原極堂]]、[[俳人]](* [[1867年]]) * [[1959年]] - [[マリオ・ランツァ]]、[[俳優]]、[[テノール]][[歌手]](* [[1921年]]) * [[1969年]] - [[陳寅恪]]、[[歴史学者]](* [[1890年]]) * 1969年 - [[ボリス・ド・シュレゼール]]、[[音楽学者]](* [[1881年]]) * [[1973年]] - [[森雅之 (俳優)|森雅之]]、俳優(* [[1911年]]) * [[1975年]] - [[小山富士夫]]、[[陶磁器]]研究家(* [[1900年]]) * [[1976年]] - [[ニコライ・ロパトニコフ]]、作曲家(* [[1903年]]) * [[1978年]] - [[伊奈信男]]、[[写真評論家]](* [[1898年]]) * [[1983年]] - [[古池信三]]、元[[郵政大臣]]、[[国際電信電話|KDD]]会長(* [[1903年]]) * [[1985年]] - [[ジェマル・レシット・レイ]]、作曲家(* [[1904年]]) * [[1986年]] - [[石坂洋次郎]]、作家(* [[1900年]]) * 1986年 - [[劉伯承]]、[[中華人民共和国元帥]](* [[1892年]]) * [[1991年]] - [[レオ・ドローチャー]]、元プロ野球選手、監督(* [[1905年]]) * [[1994年]] - [[ニールス・イェルネ]]、[[医学者]](* [[1911年]]) * 1994年 - [[三木鶏郎]]、[[作詞家]](* [[1914年]]) * [[1995年]] - [[平泉洸]]、[[歴史学者]](* [[1924年]]) * [[1999年]] - [[板東里視]]、元プロ野球選手(* [[1942年]]) * [[2001年]] - [[うらべ・すう]]、[[漫画家]](* [[1965年]]) * [[2004年]] - [[園田高弘]]、[[ピアニスト]](* [[1928年]]) * 2004年 - [[松原みき]]、歌手(* [[1959年]]) * [[2005年]] - [[原笙子]]、[[雅楽|舞楽家]](* [[1933年]]) * [[2006年]] - [[アンナ・ポリトコフスカヤ]]、[[ジャーナリスト]](* [[1958年]]) * 2006年 - [[嗣子鵬慶昌]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1955年]]) * [[2007年]] - [[阿部典史]]、[[オートバイ]][[ロードレース (オートバイ)|ロードレース]]レーサー(* [[1975年]]) * [[2010年]] - [[大沢啓二]]、元[[プロ野球選手]]、監督(* [[1932年]]) * [[2012年]] - [[谷間夢路]]、[[漫画家]](* [[1943年]]) * 2012年 - [[加藤一夫 (経済学者)|加藤一夫]]、[[経済学者]](* [[1925年]]) * [[2015年]] - [[橘家圓蔵 (8代目)]]、落語家(* [[1934年]]) * [[2019年]] - [[和田誠]]、[[イラストレーター]](* [[1936年]]) * [[2020年]] - [[筒美京平]]<ref>{{Cite news|date=2020-10-12|url=https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/202010120000329_m.html?mode=all|title=筒美京平さん死去「スニーカーぶる~す」など作曲|newspaper=日刊スポーツ|accessdate=2020-10-23}}</ref>、作曲家(* [[1940年]]) * 2021年 - [[柳家小三治]](10代目)、落語家(* [[1939年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2008年]] - [[コジーン]]、[[競走馬]]、[[種牡馬]](* [[1980年]]) == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Nagasaki Kunchi Ja-odori of Kagomachi.JPG|thumb|200px|[[長崎くんち]]名物の龍踊り]] * [[長崎くんち]]({{JPN}})( - [[10月9日]]) *: [[長崎市]]の[[鎮西大社諏訪神社]]の[[例祭]]。 * [[盗難]]防止の日({{JPN}}) *: 「とう(10)なん(7)」の語呂合せ。[[日本損害保険協会]]が[[2003年]]に制定。 * [[推理小説|ミステリー]]記念日({{JPN}}) *:[[1849年]]10月7日に[[推理小説]]の先駆者といわれる[[エドガー・アラン・ポー]]が亡くなったことに由来。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1007|date=2011年7月}} * 1946年(昭和21年)- 朝、[[釣鐘]]の中に押し込まれた鬼頭雪枝の死体が発見される。昼に[[金田一耕助]]は磯川[[警部]]と再会する。夜に山狩りが行われ、擂鉢山に追い詰められた[[海賊]]の男が転落死する。同じ頃、祈祷所で[[手拭]]で[[絞殺]]された鬼頭月代の死体が発見される。(小説『[[獄門島]]』第4章から第5章) * 1947年(昭和22年)- 金田一耕助のもとに出川[[刑事]]の報告書が[[警視庁 (内務省)|警視庁]]から廻されてくる。午後には等々力警部から電話がある。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第24章<ref group="注">この翌日に金田一耕助が椿美禰子を訪れたが、第25章で「一昨日、美禰子を訪れた」、「今日はもう10月10日」とあることから</ref>) * 2012年 - ハチベエ、[[日本の地方議会議員|市会議員]]に当選。モーちゃんも祝福。また、ハカセと陽子の間に長男・翼誕生。(小説『[[ズッコケ中年三人組]]』p.47』) * 2025年 − 『[[逆転裁判4]]』4話探偵パート1日目。『[[王泥喜法介]]』は裁判員制度シミュレーション委員会委員長である『[[成歩堂龍一]]』から先日発生した殺人事件の担当弁護士に任命された。事件関係者から一切話を聞けない圧倒的に不利な条件の中、王泥喜はアシスタントの成歩堂みぬきと共に事件解決を試みる。 === 誕生日(フィクション) === * [[1966年]] - 山口智子、漫画・アニメ『[[はじめの一歩]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ippo_fs|1325015138601107456}}</ref> * [[2007年]] - 雛鶴あい、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=1|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=59|isbn=978-4-7973-8484-0}}</ref> * [[2008年]] - [[ソードアート・オンラインの登場人物#キリト|キリト(桐ヶ谷和人)]]、小説・アニメ・ゲーム『[[ソードアート・オンライン]]』の主人公<ref>[https://twitter.com/kunori/status/385422053823623168 kunoriのツイート (385422053823623168)]</ref><ref>{{Twitter status|kunori|1181202653662961669}}</ref> * 生年不明 - 神原秋人、小説・アニメ『[[境界の彼方]]』の主人公<ref>『劇場版境界の彼方 I'LL BE HERE パンフレット』、2015年、6頁。</ref> * 生年不明 - [[手塚国光]]、漫画・アニメ・ゲーム『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[テニスの王子様]]|volume=10.5巻|author=[[許斐剛]]|publisher=[[集英社]]|page=38|year=2001|isbn=4-08-873193-X}}</ref><ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1180861530478452737}}</ref> * 生年不明 - 成実ゆい、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>『ら・ら・ら らき☆すた ファンブック』([[月刊コンプエース]]2007年9月号付録)[[角川書店]]、2007年、10頁。</ref> * 生年不明 - 月野コン太、漫画・アニメ『[[爆球Hit! クラッシュビーダマン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=倉谷友也|title=爆球Hit! クラッシュビーダマン|volume=1巻|publisher=[[小学館]]|series=[[てんとう虫コミックス]]|year=2006|page=82|ISBN=978-4-09-140175-5}}</ref> * 生年不明 - 岩清水ユキナ、小説『[[GENEZ]]』に登場するキャラクター<ref>『[[GENEZ|GENEZ-5]]』([[ドラゴンマガジン (富士見書房)|ドラゴンマガジン]]2010年7月号掲載)[[富士見書房]]、2010年。</ref> * 生年不明 - ゼロ、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kof_allstar|1180860262116556800}}</ref> * 生年不明 - [[北斗丸]]、ゲーム『[[餓狼 MARK OF THE WOLVES]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.garou15th.com/character/hokutomaru.php |title=北斗丸 |accessdate=2022-10-05 |website=餓狼伝説総合公式サイト |publisher=SNK PLAYMORE}}</ref> * 生年不明 - 依媛奈緒、ゲーム・アニメ『[[ヨスガノソラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=依媛 奈緒 |url=http://www.cuffs.co.jp/products/yosuga/character/nao_01.html |access-date=2022-10-05 |publisher=CUFFS |work=ヨスガノソラ}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#砂塚あきら|砂塚あきら]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20093 |title=砂塚 あきら(すなづか あきら) |access-date=2022-10-05 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> *生年不明 - 都築誠、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_tsuduki.html |title=都築兄弟 - 都築 誠 |accessdate=2022-10-05 |publisher=coly/SMHP |website=TVアニメ『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 宇喜多茜、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/ukita |publisher=Akatsuki Inc. |title=宇喜多 茜 |accessdate=2022-10-05 |website=八月のシンデレラナイン公式サイト}}</ref> * 生年不明 - アメリア、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー|クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=206 |title=アメリア |access-date=2022-10-05 |publisher=KONAMI |work=クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界}}</ref> * 生年不明 - 門永千晶、メディアミックス『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/kadonaga-chiaki/ |title=鳥取県 門永 千晶 |access-date=2022-10-05 |publisher=MAGES |work=アイドル時変}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|7 October}} {{新暦365日|10|6|10|8|[[9月7日]]|[[11月7日]]|[[10月7日 (旧暦)|10月7日]]|1007|10|07}} {{1年の月と日}}
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10月8日
10月8日(じゅうがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から281日目(閏年では282日目)にあたり、年末まであと84日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月8日'''(じゅうがつようか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から281日目([[閏年]]では282日目)にあたり、年末まであと84日ある。 == できごと == [[ファイル:Fourth ecumenical council of chalcedon - 1876.jpg|thumb|upright|[[カルケドン公会議]](451)。[[アレクサンドリア教会]]、[[アンティオキア教会]]、[[アルメニア使徒教会]]等が支持した[[合性論]]が退けられ、[[両性説]]が正統とされる]] [[File:Myōhon-ji.jpg|thumb|120px|[[源頼家]]の外戚、[[比企能員]]一族粛清(1203)。画像は遺児・[[比企能本|能本]]が屋敷跡に建立した[[妙本寺]]]] [[ファイル:Chinese officers tear down the British flag on the arrow.JPG|thumb|120px|[[アロー戦争]]の引き金となったアロー号拿捕事件(1856)]] [[ファイル:Byakko-tai shrine at Iimori-yama 3.JPG|thumb|120px|[[白虎隊]]士自刃(1868)画像は[[飯盛山 (福島県)|飯盛山]]にある隊士の墓]] <!-- 掲載するかどうかの基準は日本人? キリがないし日本人だけに限る根拠が不明 {{multiple image | footer = 10月8日に発表されたノーベル賞受賞者 | image1 = Eisaku Sato 1960.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[佐藤栄作]](1967)[[ノーベル平和賞|平和賞]] | alt1 = 佐藤栄作 | image2 = Masatoshi Koshiba 2002.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[小柴昌俊]](2002)[[ノーベル物理学賞|物理学賞]] | alt2 = 小柴昌俊 | image3 = Shimomura Osamu 1-2.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[下村脩]](2008)[[ノーベル物理学賞|物理学賞]] | alt3 = 下村脩 | image4 = Shinya yamanaka10.jpg | width4 = 100 | caption4 = [[山中伸弥]](2012)[[ノーベル生理学・医学賞|生理医学賞]] | alt4 = 山中伸弥 }} --> * [[451年]] - [[カルケドン公会議]]が始まる。 * [[1203年]]([[建仁]]3年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[源頼家]]の[[外戚]]として権力を誇った[[比企能員]]が滅ぼされる。([[比企能員の変]]) * [[1455年]]([[康正]]元年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]) - [[日野富子]]が[[足利義政]]の[[正室]]になる。 * [[1716年]]([[享保]]元年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[江戸幕府]]の役職として[[御庭番]]が新設。 * [[1813年]]([[嘉慶 (清)|嘉慶]]18年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[林清]]率いる[[天理教 (中国)|天理教徒]]が[[北京]]の[[紫禁城]]を攻撃。 * [[1856年]]([[咸豊]]6年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]) - [[アロー戦争]]のきっかけとなる「アロー号事件」が起きる。 * [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[ペリービルの戦い]]が行われる。 * 1862年 - [[オットー・フォン・ビスマルク]]が[[プロイセン王国]]首相となる。 * [[1866年]]([[慶応]]2年[[8月30日 (旧暦)|8月30日]]) - [[廷臣二十二卿列参事件]]が起こる。 * [[1868年]](慶応4年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[会津戦争]]: [[母成峠の戦い]]に勝利した官軍が[[若松城]]下に到達。[[白虎隊]]二番士中隊員20人が飯盛山で自刃。 * [[1871年]] - [[シカゴ大火]]。シカゴ中心部を焼失し、死者250人を出す惨事となる。 * [[1879年]] - [[太平洋戦争 (1879年-1884年)]]: [[アンガモスの海戦]]が行われる。 * [[1895年]] - [[乙未事変]]により[[閔妃]]が暗殺される。 * [[1912年]] - [[第一次バルカン戦争]]が勃発。 * [[1923年]] - [[ベルリン・テンペルホーフ国際空港]]が開港。 * [[1931年]] - [[満州事変]]: [[関東軍]]が[[錦州市|錦州]]を爆撃。 * [[1932年]] - [[インド空軍]]が発足。 * [[1937年]] - 寿屋([[サントリー]])が「サントリーウイスキー12年」([[サントリー角瓶]])を発売。 * [[1945年]] - [[インドネシア共和国国軍|インドネシア人民治安軍]]結成。 * 1945年 - [[大分県]]で暴風雨。33人が死亡、68人が負傷。流失家屋110戸、全壊家屋2368戸などの被害<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=65 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1946年]] - 文部省が[[教育勅語]]の奉読廃止を通告。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: [[国連軍 (朝鮮半島)|国連軍]]が[[38度線]]を突破。 * [[1954年]] - [[内郷丸遭難事件]]。[[相模湖]]で定員の4倍以上の客を乗せた遊覧船・内郷丸が沈没。22人死亡。 * [[1956年]] - [[ニューヨーク・ヤンキース]]の投手[[ドン・ラーセン]]が[[ワールドシリーズ]]初の[[完全試合]]を達成。 * [[1958年]] - 日本政府が、警察官の権限を大幅に強化する[[警察官職務執行法]]改正案を国会に提出。 * [[1959年]] - [[1959年イギリス総選挙]]の投票が行われる。 * [[1962年]] - [[アルジェリア]]が[[国際連合]]に加盟。 * [[1967年]] - [[佐藤栄作]]首相の東南アジア歴訪に反対する[[日本の新左翼|新左翼各派]]が[[東京国際空港|羽田空港]]で[[機動隊]]と衝突、1名の死者を出す。([[羽田事件#第一次羽田事件|第一次羽田事件]]) * 1967年 - [[チェ・ゲバラ]]が[[ボリビア]]で政府軍に捕まる。翌日処刑。 * [[1970年]] - [[アレクサンドル・ソルジェニーツィン]]の[[ノーベル文学賞]]受賞が発表される。 * [[1974年]] - 佐藤栄作元首相に[[ノーベル平和賞]]が贈られることが決定する。 * [[1982年]] - [[ポーランド]]の[[ポーランド共和国下院|国会]]が労働組合法を改正。[[独立自主管理労働組合「連帯」|連帯]]が非合法組織とされる。 * [[1985年]] - ワイドショー『[[アフタヌーンショー]]』で放送された暴行事件に関わったとして逮捕された少年3人が、[[やらせ]]であったことを告白。([[アフタヌーンショー#やらせリンチ事件|やらせリンチ事件]]) * [[1986年]] - [[大相撲]][[横綱]]・[[千代の富士貢|千代の富士]]が渡仏、[[フランス]]・[[パリ]]の[[ヴェルサイユ宮殿]]にて当時の同国首脳陣に四股を披露。 * [[1989年]] - 北の[[真砂岳 (立山連峰)|真砂岳]]で8人が凍死する[[立山中高年大量遭難事故|遭難事故]]が発生した<ref>{{Cite book|和書|title=改訂版 富山県の山|publisher=山と渓谷社|year=2010|ISBN=978-4-635-02367-2|pages=16-19}}</ref>。 * [[1990年]] - [[国勢調査員殺害事件]]が発覚。 * [[1994年]] - [[10.8決戦]]: [[日本野球機構|日本プロ野球]] (NPB) 史上初の最終戦同率首位優勝決定戦[[中日ドラゴンズ|中日]]対[[読売ジャイアンツ|巨人]]([[セントラル・リーグ]])が[[ナゴヤ球場]]で行われる。 * 1994年 - [[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]]: [[長良川]]右岸[[河川敷]]([[岐阜県]][[安八郡]][[輪之内町]])にて集団暴行を受けて死亡した男性2人が遺体で発見される。後に[[愛知県]]出身の当時19歳少年(2011年に死刑確定)をはじめとする[[不良行為少年|不良少年]]グループによる[[シリアルキラー|連続殺人]]事件と判明。 * [[1995年]] - [[オウム真理教]]教団幹部の[[上祐史浩]]が逮捕される。 * [[1997年]] - [[金正日]]が[[朝鮮労働党]][[総書記]]に就任。 * [[1998年]] - アメリカ議会で[[デジタルミレニアム著作権法]]が成立。 * 1998年 - [[オスロ空港]]が開港。 * 1998年 - プロ野球・[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]が[[1960年の大洋ホエールズ|1960年(前身の大洋ホエールズ時代)]]以来、38年ぶりとなる[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝を達成。 * [[1999年]] - 検察が[[甲山事件]]の第二次上訴を断念。事件発生から25年目で無罪が確定。 * [[2000年]] - [[リトアニア]]で[[2000年リトアニア議会選挙|議会選挙]]が実施。社会民主連立政党が勝利をおさめる。 * [[2001年]] - [[リナーテ空港事故]]が起こる。 * [[2002年]] - [[東京大学]][[名誉教授]]の[[小柴昌俊]]に[[ノーベル物理学賞]]が贈られることが決定する。 * [[2005年]] - [[パキスタン地震 (2005年)|パキスタン地震]]。パキスタン北部を中心に[[マグニチュード|M]]7.6。 * [[2008年]] - [[下村脩]]が[[ノーベル化学賞]]を受賞<ref>{{Cite web|和書 |date=2008年10月8日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2526371 |title=ノーベル化学賞、下村脩氏ら日米3人に |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-20}}</ref>。 * [[2009年]] - 「[[Winny]]」開発者[[金子勇 (プログラマー)|金子勇]]に対する著作権侵害行為への幇助に関しての裁判で、[[大阪高等裁判所]]が逆転無罪判決を下す<ref>{{Cite web|和書 |date=2009年10月9日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2651010 |title=「ウィニー」開発者に逆転無罪、一審を破棄 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-20}}</ref>。 * [[2010年]] - [[中国]]の民主活動家[[劉暁波]]が[[ノーベル平和賞]]を受賞<ref>{{Cite web|和書 |date=2010年10月8日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2764416 |title=中国の反体制作家、劉暁波氏にノーベル平和賞 |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-20}}</ref>。 * [[2012年]] - [[山中伸弥]]の[[ノーベル生理学・医学賞]]受賞決定<ref>{{Cite web|和書 |date=2012-10-08 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0301P_Y2A001C1000000/ |title=山中・京大教授にノーベル賞 iPS細胞の作製 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-03-20}}</ref>。 * [[2016年]] - 旧[[アルバニア]][[王室]]の[[レカ・ゾグ (1982-)|レカ]][[王太子]]と女優のエリア・ザハリアの[[結婚式]]が首都[[ティラナ]]で行われた<ref>{{Cite web|和書 |date=2016年10月9日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3103759 |title=旧アルバニア王室のレカ王太子が結婚、お相手は人気女優 |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-20}}</ref>。 * [[2018年]] - [[名古屋ボストン美術館]]が閉館<ref>{{Cite news|url=https://hicbc.com/news/detail.asp?id=00048398|title=名古屋ボストン美術館で閉館式 名古屋市は新事業者を年内にも決めたい‥|newspaper=CBCニュース|date=2018-10-08|accessdate=2018-10-08}}</ref>。 * [[2021年]] - [[レバノン]]で大規模発電所の燃料不足による稼働停止のため[[停電]]が発生。 * [[2022年]] - [[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ウクライナ侵攻]]: [[クリミア大橋爆発]]<ref>{{Cite news |url=https://www.bbc.com/news/world-europe-63183404 |title=Crimean bridge fire: Blaze erupts on only bridge linking peninsula to Russia |newspaper=BBC News |access-date=2022-10-08 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221008070144/https://www.bbc.com/news/world-europe-63183404 |archive-date=2022-10-08}}</ref>。 == 誕生日 == [[ファイル:Kikunae Ikeda.jpg|thumb|100px|[[化学者]][[池田菊苗]](1864-1936)誕生。[[グルタミン酸ナトリウム]]を発見した]] [[File:Kiichi.jpg|thumb|100px|第78代[[内閣総理大臣]][[宮澤喜一]](1919-2007)誕生]] [[ファイル:Toru Takemitsu Shinchosha 1961-7.jpg|thumb|100px|[[作曲家]][[武満徹]](1930-1996)誕生]] {{multiple image | image1 = Hiroki Kokubo on November 21, 2015.jpg | width1 = 100 | caption1 =[[小久保裕紀]](1971-)誕生 | alt1 = 小久保裕紀 | image2 = Koji Murofushi Daegu 2011.jpg | width2 = 140 | caption2 = [[室伏広治]](1974-)誕生 | alt2 = 室伏広治 }} * [[1687年]]([[貞享]]4年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[柳沢吉里]]、初代[[郡山藩|郡山藩主]](+ [[1745年]]) * [[1728年]]([[享保]]13年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[土岐定経]]、第3代[[沼田藩|沼田藩主]](+ [[1782年]]) * [[1826年]]([[文政]]9年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]) - [[松平慶憲]]、第9代[[明石藩|明石藩主]](+ [[1897年]]) * [[1837年]]([[天保]]8年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[有馬道純]]、第8代[[丸岡藩|丸岡藩主]](+ [[1903年]]) * [[1850年]] - [[アンリ・ルシャトリエ]]、[[化学者]](+ [[1936年]]) * [[1853年]]([[嘉永]]6年9月6日) - [[間部詮道]]、第9代[[鯖江藩|鯖江藩主]](+ [[1892年]]) * [[1862年]] - [[エミール・フォン・ザウアー]]、[[音楽家]](+ [[1942年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[池田菊苗]]、[[化学者]](+ [[1936年]]) * [[1886年]] - [[吉井勇]]、[[歌人]](+ [[1960年]]) * [[1890年]] - [[カール・ハラー]]、[[政治家]](+ [[1926年]]) * 1890年 - [[ハインリヒ・フォッケ]]、航空エンジニア(+ [[1979年]]) * [[1910年]] - [[森昌也]]、政治家(+ [[2013年]]) * [[1914年]] - [[岩崎勝太郎]]、[[実業家]](+ [[1991年]]) * [[1915年]] - [[ルナ・レオポルド]]、[[地形学|地形学者]]、[[水文学|水文学者]](+ [[2006年]]) * [[1918年]] - [[クルト・レーデル]]、[[指揮者]]、[[フルート奏者]](+ [[2013年]]) * 1918年 - [[高杉早苗]]、[[俳優|女優]](+ [[1995年]]) * [[1919年]] - [[宮澤喜一]]、政治家、第78代[[内閣総理大臣]](+ [[2007年]]) * [[1920年]] - [[マキシ・ヘルバー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[2006年]]) * [[1924年]] - [[土屋雅敬]]、元[[プロ野球選手]] * [[1930年]] - [[岡崎令治]]、[[分子生物学|分子生物学者]](+ [[1975年]]) * 1930年 - [[武満徹]]、[[作曲家]](+ [[1996年]]) * 1930年 - [[坂本休]]、政治家、元[[大分県]][[日田郡]][[中津江村]]長 * [[1931年]] - [[浜崎勝]]、元プロ野球選手 * [[1934年]] - [[藤尾茂]]、元プロ野球選手(+ 2022年) * 1934年 - [[伊川義則]]、元プロ野球選手 * [[1936年]] - [[土居甫]]、振付師(+ [[2007年]]) * 1936年 - [[中馬弘毅]]、政治家、衆議院議員 * 1936年 - バーバラ・ローズマリー・グラント、[[生物学者]]([[グラント夫妻]]) * [[1937年]] - [[安藤正敏]]、元騎手、元調教師 * [[1939年]] - [[北原謙二]]、[[歌手]](+ [[2005年]]) * 1939年 - [[アラダー・ペゲ]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2006年]]) * 1939年 - [[長南恒夫]]、元プロ野球選手(+ [[1996年]]) * [[1940年]] - [[峰国安]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[三田佳子]]、女優 * [[1944年]] - [[佐藤友美]]、女優 * [[1945年]] - [[玉村豊男]]、[[エッセイスト]]、[[画家]] * [[1946年]] - [[アレクサンドル・ゴルシコフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1947年]] - [[寺泉憲]]、[[俳優]] * 1947年 - [[龍反町]]、元[[プロボクサー]] * [[1948年]] - [[クロード・ジャド]]、女優(+ [[2006年]]) * 1948年 - [[ジョニー・ラモーン]]、[[ギタリスト]]([[ラモーンズ]])(+ [[2004年]]) * 1948年 - [[バーニー・ウイリアムス (1948年生の外野手)|バーニー・ウイリアムス]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[ゴットフリート・ヘルンヴァイン]]、[[芸術家]] * [[1949年]] - [[シガニー・ウィーバー]]、女優 * [[1950年]] - [[宮本隆治]]、[[日本のアナウンサー|アナウンサー]] * 1950年 - [[谷山高明]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[宮澤隆]]、アナウンサー * [[1955年]] - [[黒坂幸夫]]、元プロ野球選手 * 1955年 - [[大竹伸朗]]、[[現代美術家]] * 1955年 - [[大橋康延]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[宮下あきら]]、[[漫画家]] * [[1959年]] - [[二村忠美]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[安藤一夫]]、俳優 * [[1960年]] - [[アンドレア・アナスタージ]]、[[バレーボール選手]] * [[1961年]] - [[岩切英司]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[軽部真一]]、アナウンサー * [[1963年]] - [[光宗信吉]]、作曲家 * [[1964年]] - [[辻本茂雄]]、お笑いタレント * 1964年 - [[臼井雅基]]、アナウンサー * [[1965年]] - [[デニス・アーウィン]]、サッカー選手 * [[1966年]] - [[升田尚宏]]、元アナウンサー(+ [[2022年]]) * 1966年 - [[湯舟敏郎]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[吉井和哉]]、ミュージシャン([[THE YELLOW MONKEY]]) * [[1967年]] - [[安東弘樹]]、アナウンサー * 1967年 - [[田口浩正]]、俳優 * [[1968年]] - [[ズボニミール・ボバン]]、元[[サッカー選手]] * 1968年 - [[鈴木一真]]、俳優 * [[1970年]] - [[野村哲也]]、[[イラストレーター]]、[[ゲームクリエイター]] * 1970年 - [[浜本沙良]]、元歌手 * 1970年 - [[マット・デイモン]]、[[映画俳優]] * 1970年 - [[デーブ・ドスター]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[オルメド・サインズ]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[小久保裕紀]]、元プロ野球選手、監督 * [[1972年]] - [[上原潤之助]]、三味線演奏家、音楽プロデューサー * 1972年 - [[中ノ瀬幸泰]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[田波涼子]]、[[ファッションモデル]] * [[1974年]] - [[室伏広治]]、[[ハンマー投]]選手 * [[1975年]] - [[山本麻祐子]]、元アナウンサー * [[1976年]] - [[鮎川陽子]]、ファッションモデル、[[デザイナー]] * 1976年 - [[toi8]]、[[漫画家]]、[[イラストレーター]]、[[アニメーター]] * [[1977年]] - [[はっとりみつる]]、[[漫画家]] * 1977年 - [[高木美果]]、ミュージカル俳優 * [[1978年]] - [[中山エミリ]]、女優、タレント * 1978年 - [[境貴雄]]、[[クリエイティブ・ディレクター]]、[[現代美術家]]、[[写真家]] * 1978年 - [[村西辰彦]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[小日向しえ]]、女優 * 1979年 - [[森谷昭仁]]、元プロ野球選手 * 1979年 - 山田将司、ミュージシャン([[THE BACK HORN]]) * 1979年 - [[八幡えつこ]]、元タレント * 1979年 - [[クリスタナ・ローケン]]、モデル、女優 * [[1980年]] - [[新妻聖子]]、ミュージカル女優 * 1980年 - [[安原政俊]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[川添將大]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[マイク・ミザニン]]、プロレスラー * [[1981年]] - 久保孝真、お笑いタレント([[三拍子 (お笑いコンビ)|三拍子]]) * 1981年 - [[矢作美樹]]、女優 * 1981年 - [[さいねい龍二]]、俳優 * 1981年 - [[趙蕊蕊]]、バレーボール選手 * 1981年 - [[フアン・カルロス・インファンテ]]、プロ野球選手 * [[1982年]] - [[児玉新]]、元サッカー選手 * 1982年 - KBD a.k.a.古武道、ラッパー * [[1983年]] - [[アントアン・リチャードソン]]、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[カワミツサヤカ]]、[[シンガーソングライター]] * 1984年 - [[春日萌花]]、プロレスラー * [[1985年]] - [[ウエンツ瑛士]]、俳優、タレント、ミュージシャン * 1985年 - [[ブルーノ・マーズ]]、歌手 * [[1986年]] - [[猪塚健太]]、俳優 * 1986年 - [[徐健焜]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1986年 - [[小室敬幸]]、音楽家 * [[1987年]] - [[平野綾]]、[[声優]]、女優、歌手 * 1987年 - [[中村優一]]、俳優 * 1987年 - [[ちゃんMari|ちゃんMARI]]、キーボーディスト([[ゲスの極み乙女。]]、Crimson、[[ichikoro]]) * [[1988年]] - [[玉置慎也]]、サッカー選手 * 1988年 - [[ヘフェール・パティーノ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[多嶋朝飛]]、バスケットボール選手 * [[1989年]] - [[テイラー・フェザーストン]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[アルマン・トラオレ]]、サッカー選手 * 1989年 - [[繭 (グラビアアイドル)|繭]]、[[グラビアアイドル]]、女優、タレント * 1989年 - [[アルバート・スアレス]]、プロ野球選手 * 1989年 - 愛華、シンガーソングライター * [[1990年]] - [[中田ちさと]]、タレント、アイドル(元[[AKB48]]) * 1990年 - Baram、アイドル、ミュージシャン([[BIGSTAR]]) * 1990年 - [[春菜めぐみ]]、グラビアアイドル、元レースクイーン * 1990年 - [[エセキエル・ムニョス]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ロビー・アーリン]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[ブライアン・リンセン]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[長江翔太]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[鈴木亜由子]] 、陸上、長距離 * [[1992年]] - [[松嶋こよみ]]、[[総合格闘家]] * 1992年 - [[高岸宏行]]、お笑いタレント、プロ野球選手([[ティモンディ]]) * [[1993年]] - [[上原真央]]、グラビアアイドル(元[[choice?]]) * 1993年 - [[モリー・C・クイン]]、声優、女優 * 1993年 - [[バルバラ・パルヴィン]]、ファッションモデル * 1993年 - [[澤上竜二]]、サッカー選手 * 1993年 - [[山本恵里伽]]、アナウンサー * 1993年 - [[小池瑠香]]、元グラビアアイドル * [[1994年]] - [[加藤豪将]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[坪井俊輔]]、実業家 * [[1996年]] - [[高梨沙羅]]、[[スキージャンプ]]選手 * 1996年 - [[カノックスター]] - [[YouTuber]] * 1996年 - 若井滉斗、[[ギタリスト]]([[Mrs. GREEN APPLE]]) * [[1997年]] - [[ベラ・ソーン]]、女優、歌手、ダンサー * 1997年 - [[小笠原慎之介]]、プロ野球選手 * 1997年 - [[玉城ティナ]]、女優 * 1997年 - [[北脇太基]]、アナウンサー * [[1998年]] - [[臼澤みさき]]、歌手 * 1998年 - あんりゴン、YouTuber * [[1999年]] - [[工藤美桜]]、タレント、ファッションモデル * 1999年 - [[大原優乃]]、グラビアアイドル、モデル、タレント、ダンサー(元[[Dream5]]) * 1999年 - [[ロサリオ惠奈]]、グラビアモデル * [[2000年]] - 小池真理、サッカー選手 * [[2001年]] - [[西郷真央]]、プロゴルファー * 2001年 - 髙橋美紀、サッカー選手 * [[2002年]] - [[伊藤理々杏]]、アイドル([[乃木坂46]]) * 2002年 - [[大橋あかり]]、モデル * 2002年 - [[百濃実結香]]、サッカー選手 * 2002年 - 岩崎心南、サッカー選手 * [[2003年]] - 高瀬穂乃歌、女優 * [[2004年]] - 松崎未夢、女優 * [[2011年]] - [[早坂ひらら]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.theatre.co.jp/talent/ee7a27584a4a8e7a435f61f8ac176fb5 |title=早坂 ひらら-タレント紹介|テアトルアカデミーオフィシャルサイト|publisher=[[テアトルアカデミー]]|accessdate=2021-01-11}}</ref>、子役 * 生年不詳 - [[ろびこ]]、漫画家 * 生年不明 - [[藤巻大悟]]、声優 == 忌日 == === 人物 === [[ファイル:Excecution of Goemon Ishikawa.jpg|thumb|100px|[[安土桃山時代]]の[[盗賊]]、[[石川五右衛門]](生年不詳-1594)処刑]] [[ファイル:Emperor Yongzheng.PNG|thumb|100px|[[清]]第5代[[皇帝]]、[[雍正帝]]こと愛新覚羅胤禛(アイシンギョロ・インジェン)(1678-1735)没]] {{multiple image | footer = [[フランス]][[ロマン主義|ロマン派]]の[[画家]][[テオドール・シャセリオー]](1819-1856)没。右は『エステルの化粧』(1841) | image1 = Chasseriau-Redingote.jpg | width1 = 100 | alt1 = テオドール・シャセリオー | image2 = Théodore Chassériau - The Toilet of Esther - WGA4802.jpg | width2 = 100 | alt2 = 『エステルの化粧』(1841) }} {{multiple image | image1 = Franklin Pierce.jpg | width1 = 100 | caption1 = 第14代[[アメリカ合衆国大統領]][[フランクリン・ピアース]](1804-1869)没。[[カンザス・ネブラスカ法]]によって米国南北間に決定的な亀裂を呼んだ | alt1 = ピアース | image2 = Clement Attlee.PNG | width2 = 100 | caption2 = [[労働党 (イギリス)|労働党]]出身の[[イギリスの首相|イギリス首相]][[クレメント・アトリー]](1883-1967)没。[[国民保健サービス]](NHS)など福祉国家事業を推進した | alt2 = アトリー }} * [[1203年]]([[建仁]]3年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[比企能員]]、[[鎌倉幕府]]の[[御家人]] * 1203年(建仁3年9月2日) - [[一幡]]、鎌倉幕府第2代[[征夷大将軍]][[源頼家]]の嫡男(* [[1198年]]) * [[1317年]]([[文保]]元年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[伏見天皇]]、第92代[[天皇]](* [[1265年]]) * [[1469年]] - [[フィリッポ・リッピ]]、[[画家]](* [[1406年]]) * [[1594年]]([[文禄]]3年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - [[石川五右衛門]]、[[盗賊]](* [[1558年]]) * [[1647年]] - [[ロンゴモンタヌス]]、[[天文学者]](* [[1562年]]) * [[1656年]] - [[ヨハン・ゲオルク1世 (ザクセン選帝侯)|ヨハン・ゲオルク1世]]、[[ザクセン選帝侯]](* [[1585年]]) * [[1735年]]([[雍正]]13年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[雍正帝]]、[[清]]第5代[[皇帝]](* [[1678年]]) * [[1754年]] - [[ヘンリー・フィールディング]]、[[小説家]](* [[1707年]]) * [[1772年]] - [[ジャン=ジョゼフ・ド・モンドンヴィル]]、[[作曲家]](* [[1711年]]) * [[1782年]]([[天明]]2年9月2日) - [[牧庵鞭牛]]、[[僧]]、宮古街道開削者(* [[1710年]]) * [[1793年]] - [[ジョン・ハンコック]]、[[大陸会議]]議長(* [[1737年]]) * [[1803年]] - [[ヴィットーリオ・アルフィエーリ]]、[[劇作家]](* [[1749年]]) * [[1834年]] - [[フランソワ=アドリアン・ボイエルデュー]]、作曲家(* [[1775年]]) * [[1856年]] - [[テオドール・シャセリオー]]、[[画家]](* [[1819年]]) * [[1858年]]([[安政]]5年9月2日) - [[梁川星巌]]、[[漢詩|漢詩人]](* [[1789年]]) * [[1865年]] - [[ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](* [[1814年]]) * [[1869年]] - [[フランクリン・ピアース]]、第14代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1804年]]) * [[1895年]] - [[閔妃]]、李氏朝鮮第26代王・高宗の妃(* [[1851年]]) * [[1904年]] - [[クレメンス・ヴィンクラー]]、[[化学者]](* [[1838年]]) * [[1917年]] - [[セルヒー・ヴァシリキウシキー]]、画家(* [[1854年]]) * [[1929年]] - [[ヤチェク・マルチェフスキ]]、画家(* [[1854年]]) * [[1936年]] - [[下田歌子]]、女子教育家(* [[1854年]]) * [[1944年]] - [[ウェンデル・L・ウィルキー]]、政治家、アメリカ合衆国大統領候補者(* [[1891年]]) * [[1945年]] - [[フェーリクス・ザルテン]]、小説家(* [[1869年]]) * [[1948年]] - [[アル・オース]]、元プロ野球選手(* [[1872年]]) * [[1953年]] - [[キャスリーン・フェリア]]、[[アルト|コントラルト]][[歌手]](* [[1912年]]) * [[1954年]] - [[松本烝治]]、[[法学者]]、[[商工省|商工大臣]](* [[1877年]]) * [[1958年]] - [[由谷義治]]、[[政治家]](* [[1888年]]) * [[1959年]] - [[春風亭柳枝 (8代目)]]、[[落語家]](* [[1905年]]) * [[1963年]] - [[レメディオス・バロ]]、[[画家]](* [[1908年]]) * [[1966年]] - [[セレスティン・フレネ]]、[[教育者]](* [[1896年]]) * [[1967年]] - [[クレメント・アトリー]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1883年]]) * [[1967年]] - [[山崎博昭]]、[[新左翼]]活動家(* [[1948年]]) * [[1973年]] - [[ガブリエル・マルセル]]、[[劇作家]]、[[哲学者]](* [[1889年]]) * [[1978年]] - [[シェルイ・ティボール]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[ヴィオリスト]](* [[1901年]]) * [[1982年]] - [[フィリップ・ノエル=ベーカー]]、[[貴族院 (イギリス)|イギリス貴族院議員]]、[[陸上競技]]選手(* [[1889年]]) * [[1992年]] - [[ヴィリー・ブラント]]、[[ドイツの首相|ドイツ首相]](* [[1913年]]) * [[1995年]] - [[小川健太郎]]、[[プロ野球選手]](* [[1934年]]) * 1995年 - [[畑中時雄]]、プロ野球選手(* [[1926年]]) * [[1998年]] - [[小野寺公二]]、[[小説家]](* [[1920年]]) * [[2003年]] - [[田代照勝]]、プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2004年]] - [[ジャック・デリダ]]、[[思想家]](* [[1930年]]) * 2004年 - [[イリナ・デミック]]、[[俳優|女優]](* [[1936年]]) * [[2007年]] - [[旭五郎]]、[[東京ボーイズ]]リーダー(* [[1944年]]) * [[2010年]] - [[池部良]]、[[俳優]]、[[随筆家]](* [[1918年]]) * [[2011年]] - [[アル・デービス]]、[[アメリカンフットボール]]の元オーナー(* [[1929年]]) * [[2018年]] - [[輪島大士]]、[[大相撲]][[力士]]、第54代[[横綱]](* [[1948年]]) * [[2022年]] - [[松原千明]]、[[俳優|女優]](* [[1958年]]) * [[2023年]] - [[谷村新司]]、[[シンガーソングライター]](* [[1948年]]) === 人物以外(動物など) === * 2007年 - [[ジョンヘンリー]]、[[競走馬]](* [[1975年]]) * [[2014年]] - [[シガー (競走馬)|シガー]]、競走馬(* [[1990年]]) == 記念日・年中行事 == * [[体育の日]]({{JPN}}、[[2001年]]・[[2007年]]・[[2012年]]・[[2018年]])※10月第2月曜日 * [[鳥羽]]の日({{JPN}}) *: 10(と)8(ば)の語呂合わせにちなみ、[[2013年]]に[[鳥羽市]]が制定。当日には毎年様々なイベントが開催されている。 * [[寒露]]({{JPN}}・{{CHN}}・{{KOR}}など、2009年・2010年・2012年・2020年) *: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が195度の時で、霜が冷気によって凍りそうになるころ。 * [[コロンブス・デー]]({{USA}})※10月第2月曜日 * [[独立記念日]]({{HRV}}) *: [[1991年]]のこの日にクロアチアが[[ユーゴスラビア]]から正式に分離独立したことを記念。 * [[海軍記念日]]({{PER}}) *: [[1821年]]に[[ペルー海軍]]が創設され、[[1879年]]に[[アンガモスの海戦]]があった日。 * [[入れ歯]]デー/入れ歯感謝デー・[[歯科技工士|歯科技工]]の日({{JPN}}) *:「い(1)れ(0)ば(8)」の語呂合わせ。全国保険団体連合会が[[1992年]]に入れ歯デーを、それとは別に[[日本歯科技工士会]]が[[2005年]]に入れ歯感謝デー・歯科技工の日を制定した。 * [[骨]]と[[関節]]の日({{JPN}}) *:「ホネ」の「ホ」を漢数字の「十」と「八」に分解したもの。[[1999年]]に[[日本整形外科学会]]が制定<ref>[http://www.jcoa.gr.jp/bjdecade/boneandjoint.html "骨と関節の日"]、日本臨床整形外科学会公式サイト(2009年9月1日閲覧)。</ref>。 * [[足袋]]の日({{JPN}}) *: 日本足袋工業懇談会が[[1988年]]に制定。10月は[[七五三]]・[[正月]]・[[成人式]]と、これから着物を着る機会が多くなるシーズンであり、その中で末広がりで縁起の良い10月8日を記念日とした。 * [[木]]の日({{JPN}}) *: 日本木材青壮年団体連合会が[[1977年]]に提唱。「十」と「八」を組み合わせると「木」の字になることから。 * [[コンビニATM]]の日({{JPN}}) *: [[1999年]]10月8日、[[イーネット]]が全国で初めての共同[[コンビニATM]]を設置した。これを記念し、コンビニATMのさらなる発展を目指し、[[2006年]]に株式会社イーネットが制定。 * [[外国為替証拠金取引|FX]]の日({{JPN}}) *: [[2008年]]に[[ひまわり証券]]が制定。1998年のこの日、同社が国内で初めて個人投資家向けにFXの提供を開始したことにちなむ。 * [[地熱発電]]の日({{JPN}}) *: [[2016年]]に[[石油天然ガス・金属鉱物資源機構]]、日本地熱協会、[[電気事業連合会]]により制定される<ref>{{Cite web|和書 |date=2016-09-02 |url=https://web.archive.org/web/20180320170653/http://www.sankeibiz.jp/business/news/160902/bsd1609021801013-n1.htm |title=JOGMECなど3団体が10月8日を「地熱発電の日」に制定 |work=SankeiBiz |publisher=産業経済新聞社 |accessdate=2018-03-20}}</ref>。[[1966年]]のこの日、日本初の商業ベースの[[地熱発電所]]である[[松川地熱発電所]]が運転を開始。日本の地熱発電所操業50周年を記念して制定された。 * [[愛]]を囁く日({{USA}}) *: ELO (Eternal Love Organization) により制定。この日、カリフォルニア州に住むウィット夫妻が108日間に及ぶ喧嘩の末愛を囁くことの大切さを知り、世界へ広めようと設けた記念日。 * はらこめしの日({{JPN}})<ref>{{Cite web|和書 |date=2018年8月30日 |url=https://www.town.watari.miyagi.jp/index.cfm/8,37318,225,415,html |title=10月8日は「はらこめしの日」 - わたりちょう |publisher=宮城県亘理郡亘理町 |accessdate=2019-10-08}}</ref> * 木材利用促進の日({{JPN}}) *: 脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律第九条にて定められている<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.rinya.maff.go.jp/j/riyou/koukyou/ |title=公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律(改正後:脱炭素社会の実現に資する等のための建築物等における木材の利用の促進に関する法律):林野庁 |publisher=林野庁|accessdate=2021-07-05}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1008|date=2011年7月}} * 1947年(昭和22年)- [[金田一耕助]]が椿美禰子に会いに[[六本木]]の椿元[[子爵]]邸を訪れる。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第24章<ref>第25章で「一昨日、美禰子を訪れた」、「今日はもう10月10日」とあることから</ref>) === 誕生日(フィクション) === * [[1963年]] - 紅音也、ドラマ『[[仮面ライダーキバ]]』過去編の主人公 * [[1968年]] - [[錦山彰]]、ゲーム『[[龍が如く]] 』の登場人物<ref>{{Cite web|和書 |url=http://ryu-ga-gotoku.com/one/cast.html |title=主要登場人物紹介 錦山 彰 |work=龍が如く |accessdate=2022-09-08 |publisher=SEGA}}</ref> * 生年不明 - 剣桃太郎(桃)、漫画・アニメ『[[魁!!男塾]]』の主人公 * 生年不明 - [[ブラック (ポケットモンスターSPECIAL)|ブラック]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』の主人公のひとり * 生年不明 - 絢辻詞、ゲーム・漫画・アニメ『[[アマガミ]]』のメインヒロイン<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.amagami.info/chara.html |title=絢辻詞 (CV:名塚佳織) |work=アマガミ Official Website |accessdate=2022-09-08}}</ref> * 生年不明 - 鳴神源五郎、漫画『[[密・リターンズ!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ペガサス・J・クロフォード]]、漫画・アニメ『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋和希|authorlink=高橋和希|date=2015-07-17|title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書|page=112|publisher=[[集英社]]|isbn=978-4-08-779722-0|series=[[Vジャンプブックス]]}}</ref> * 生年不明 - ドーベルマン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Doberman.html |title=ドーベルマン |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-08 |publisher=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - ピエール、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Pierre.html |title=ピエール |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-08 |publisher=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 吉田光徳(ノリック)、漫画・アニメ『[[ホイッスル!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - GOEMON、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1314103255916515330}}</ref> * 生年不明 - 洞爺湖仙人、漫画・アニメ『銀魂』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1314088155155439616}}</ref> * 生年不明 - オオノキ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|784409390614978560}}</ref> * 生年不明 - 天王寺獅童、漫画・アニメ『[[火ノ丸相撲]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hinomaru-zumou.com/character/天王寺獅童 |title=天王寺獅童 |access-date=2022-09-08 |publisher=川田/[[集英社]]・「火ノ丸相撲」製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 峰田実、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group01/01-07/ |title=峰田実 |publisher=堀越耕平/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |accessdate=2022-09-08}}</ref> * 生年不明 - 神代利世、漫画・アニメ『[[東京喰種]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 森山敦司、漫画・アニメ『[[DEAR BOYS]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 大前隆広、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|784659315332304896}}</ref> * 生年不明 - 結城哲也、漫画・アニメ『ダイヤのA』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|784660371860631552}}</ref> * 生年不明 - 神田美幸、漫画・アニメ『[[CODE:BREAKER]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 風羽りんな、漫画・アニメ『[[マンガ家さんとアシスタントさんと]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 河野燕、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.hai-furi.com/character/06_06/ |title=河野 燕 CV 天野聡美 |work=ハイスクール・フリート劇場版 公式サイト |accessdate=2022-09-08}}</ref> * 生年不明 - 犬飼真琴、ゲーム・アニメ『[[桃華月憚]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 海部敦子、ゲーム・アニメ『桃華月憚』に登場するキャラクター * 生年不明 - 叢、ゲーム・アニメ『[[閃乱カグラ -少女達の真影-|閃乱カグラ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://senrankagura.marv.jp/shinovishoujyo/chara/?murakumo&mode=1 |title=叢 死塾月閃女学館三年 |access-date=2022-09-08 |publisher=閃乱カグラ シノビ少女図鑑}}</ref> * 生年不明 - ルグランジェ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=172&cate=name&cont=Legrange |title=ルグランジェ |access-date=2022-09-08 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 稲増秋臣、ゲーム・アニメ『[[ドリフェス!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|dfes_official|1049143168833413120}}</ref> * 生年不明 - 近衛めぶき、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アーサー・ペンドラゴン、メディアミックス『[[メルヘン・メドヘン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://maerchen-anime.com/chara/arthur.html |title=アーサー・ペンドラゴン |access-date=2022-09-08 |publisher=アニメ『メルヘン・メドヘン』公式サイト}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|8 October}} {{新暦365日|10|7|10|9|[[9月8日]]|[[11月8日]]|[[10月8日 (旧暦)|10月8日]]|1008|10|08}} {{1年の月と日}}
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10月11日
10月11日(じゅうがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から284日目(閏年では285日目)にあたり、年末まであと81日ある。
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10月11日(じゅうがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から284日目(閏年では285日目)にあたり、年末まであと81日ある。
{{カレンダー 10月}} '''10月11日'''(じゅうがつじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から284日目([[閏年]]では285日目)にあたり、年末まであと81日ある。 == できごと == [[File:1904 worlds fair boer war program.jpg|thumb|120px|[[ボーア戦争#第二次ボーア戦争|第二次ボーア戦争]]勃発(1899)。以後3年間の戦争となる]] [[File:Soyokaze 3.gif|thumb|120px|映画『[[そよかぜ (映画)|そよかぜ]]』封切り(1945年)。主演の[[並木路子]](画像)が唄う「[[リンゴの唄]]」は戦後の代表曲となる]] {{multiple image | footer = [[パイオニア1号]](1958)、[[アポロ7号]](1968)、打ち上げ | image1 = Pioneer I on the Launch Pad - GPN-2002-000204.jpg | width1 = 100 | alt1 = パイオニア1号 | image2 = Apollo 7 Launch - GPN-2000-001171.jpg | width2 = 100 | alt2 = アポロ7号 }} * [[1727年]] - [[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]が[[イギリス]]国王に即位。 * [[1776年]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[バルカー島の戦い]]。 * [[1787年]] - (天明7年9月1日) - [[井伊直幸]]が[[大老]]を辞任。 * [[1852年]] - [[オーストラリア]]最古の大学である[[シドニー大学]]が開学。<!-- 設立は1850年10月1日 --> * [[1865年]] - [[ジャマイカ事件]]。ジャマイカで[[ポール・ボーグル]]と黒人200人以上が暴動。 * [[1871年]] - [[ハインリヒ・シュリーマン]]が古代都市[[イリオス|トロイア]]の発掘に着手。 * [[1874年]] - [[新橋駅]]近くで[[桜木町駅|横浜]]発の列車が脱線。日本初の[[日本の鉄道事故 (1949年以前)#新橋駅構内列車脱線事故|鉄道事故]]。 * [[1881年]] - [[御前会議]]で立憲政体方針・[[北海道開拓使|開拓使]]官有物払い下げ中止・[[大隈重信]]らの[[参議]]罷免が決定([[明治十四年の政変]])。 * [[1899年]] - [[ボーア戦争#第二次ボーア戦争|第二次ボーア戦争]]が始まる。 * [[1900年]] - 後に[[イギリス|英国]][[内閣総理大臣|首相]]となる[[ウィンストン・チャーチル]]が[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員に初当選。 * [[1909年]] - [[三井合名会社]]設立。 * [[1931年]] - [[ドイツ]]で[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]・[[国家人民党]]・[[鉄兜団]]など右翼保守勢力が「[[ハルツブルク戦線]]」を結成。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ソロモン諸島の戦い]]: [[サボ島沖海戦]]。 * 1942年 - [[日本国有鉄道|国鉄]]の列車などの時刻の呼び方が24時間制に。 * [[1945年]] - [[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー司令官]]が[[幣原喜重郎]]首相に「[[日本の戦後改革|五大改革]]」(秘密警察の廃止・労働組合の結成奨励・婦人の解放・教育の自由化・経済の民主化)を指令。 * 1945年 - [[太平洋戦争]][[連合国軍占領下の日本|終結後の日本]]で初めて企画・公開された映画『[[そよかぜ (映画)|そよかぜ]]』封切り。挿入歌の「[[リンゴの唄]]」が大ヒット。<!-- その前に1作公開されているが、戦中に企画されたもの --> * [[1946年]] - [[上野駅]]前で[[引揚者]]らが店舗を開設。[[アメヤ横丁|上野アメ横]]の起こり。 * [[1947年]] - ヤミ米を拒否し配給食糧による生活を守った東京地裁の[[山口良忠]]判事が栄養失調で死亡。 * [[1956年]] - [[延暦寺|比叡山延暦寺]]に[[賽銭]]泥棒が放火。大講堂・本尊の大日如来像などが焼失。 * [[1958年]] - [[パイオニア計画]]: アメリカが月探査機「[[パイオニア1号]]」を打ち上げ。 * [[1966年]] - [[黒い霧事件 (政界)|黒い霧事件]]: [[荒舩清十郎]][[運輸大臣]]が、選挙区内の[[深谷駅]]を急行停車駅にした責任を問われて辞任。 * [[1968年]] - [[永山則夫]]が[[東京プリンスホテル]]で警備員を射殺。その後[[11月5日]]までに京都・函館・名古屋で警備員・タクシー運転手を次々と射殺。([[永山則夫連続射殺事件]]) * 1968年 - アメリカの有人宇宙船「[[アポロ7号]]」が打ち上げ。 * [[1972年]] - [[ベトナム戦争]]: ベトナムへ航行中のアメリカ海軍の空母「[[キティホーク (空母)|キティホーク]]」で人種問題により水兵が暴動。([[:en:USS Kitty Hawk riot]]) * 1972年 - [[中華人民共和国]]・[[西ドイツ]]両国が国交樹立。 * 1972年 - [[本田技研工業]]が低公害エンジン[[CVCC]]を発表。 * [[1985年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]の[[国鉄分割民営化|分割・民営化]]を定めた「国鉄改革のための基本方針」を閣議決定。 * [[1994年]] - [[成田空港問題円卓会議]]で、国と反対派が学識経験者による調停案を受入れ。計12回の円卓会議が終了。([[成田空港問題]]) * [[2001年]] - アメリカのインスタントカメラメーカー[[ポラロイド]]が1度目の経営破綻。 * [[2008年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]が[[北朝鮮]]に対する[[テロ支援国家]]指定を解除<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/20/dnk_1012.html 米国による北朝鮮のテロ支援国家指定解除について 中曽根外務大臣談話,日本外務省,平成20年10月12日]</ref>。 * 2008年 - [[ロス疑惑]]で審理中の[[三浦和義]]が[[ロサンゼルス]]への身柄移送当日に[[自殺]]。 * [[2011年]] - [[大津市中2いじめ自殺事件]]: [[滋賀県]][[大津市]]で、[[大津市立皇子山中学校|市立皇子山中学校]]2年生の男子生徒(当時14歳)が同級生からの[[いじめ]]を苦に自宅マンションから[[飛び降り]]自殺<ref>『[[中日新聞]]』2012年7月12日朝刊一面1頁「中2自殺で学校捜索 大津市教委も 「いじめ」暴行容疑 滋賀県警」([[中日新聞社]])</ref>。 * [[2014年]] - [[任天堂]]の携帯型ゲーム機、[[Newニンテンドー3DS]]と[[Newニンテンドー3DS LL]]が日本国内で発売<ref>{{Cite web|和書 |date=2014年10月13日 |url=http://dengekionline.com/elem/000/000/941/941863/ |title=電撃 - 【New3DS注目記事まとめ】名作選やきせかえプレート全レビュー、本体データ引っ越し方法など |publisher=KADOKAWA |accessdate=2019-03-17}}</ref>。 * [[2023年]] - 将棋の[[藤井聡太]]が史上初の八冠達成<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD062RB0W3A001C2000000/ |title=藤井聡太八冠が誕生、史上初の独占 将棋王座戦を制す |website=日本経済新聞 |date=2023-10-11 |accessdate=2023-10-11}}</ref>。 === 日本の自治体改編 === * [[1955年]] - 大阪府[[枚岡市]](現 [[東大阪市]]の一部)が市制施行。 * [[2005年]] - 茨城県[[鉾田市]]、静岡県[[牧之原市]]、長崎県[[雲仙市]]が市制施行。[[鹿児島県]]の[[串木野市]]と[[日置郡]][[市来町]]が合併し、[[いちき串木野市]]が発足。 * [[2011年]] - [[埼玉県]][[鳩ヶ谷市]]が[[川口市]]に編入合併。 == 誕生日 == [[File:François Mauriac 1952.jpg|thumb|120px|[[フランス]]の[[小説家]][[フランソワ・モーリヤック]](1885-1970)誕生]] [[File:Kenichi Enomoto.jpg|thumb|120px|「日本の喜劇王」、エノケンこと[[榎本健一]](1904-1970)誕生]] * [[1723年]]([[享保]]8年[[9月13日 (旧暦)|9月13日]]) - [[細川興文]]、[[宇土藩|宇土藩主]](+ [[1785年]]) * [[1728年]](享保13年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[加藤泰衑]]、[[大洲藩|大洲藩主]](+ [[1784年]]) * [[1824年]]([[文政]]7年閏[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[相良長福]]、[[人吉藩|人吉藩主]](+ [[1855年]]) * [[1827年]](文政10年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[立花鑑備]]、[[柳河藩|柳河藩主]](+ [[1846年]]) * [[1835年]] - [[セオドア・トマス]]、指揮者(+ [[1905年]]) * [[1854年]] - [[ウィル・ホワイト]]、[[プロ野球選手]](+ [[1911年]]) * [[1858年]] - [[ニルス・キュレーゲル]]、[[画家]](+ [[1930年]]) * [[1881年]] - [[ルイス・フライ・リチャードソン]]、[[数学者]]、[[気象学者]](+ [[1953年]]) * 1881年 - [[ハンス・ケルゼン]]、[[法学者]](+ [[1973年]]) * [[1883年]] - [[エドゥアール・シャットン]]、[[動物学者]]、[[海洋生物学|海洋生物学者]](+ [[1947年]]) * [[1884年]] - [[エレノア・ルーズベルト]]、米大統領[[フランクリン・ルーズベルト|F・ルーズベルト]]の妻、人権活動家(+ [[1962年]]) * [[1885年]] - [[フランソワ・モーリヤック]]、[[小説家]](+ [[1970年]]) * [[1888年]] - [[エミール・ボーンケ]]、[[ヴィオリスト]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](+ [[1928年]]) * [[1894年]] - [[由比忠之進]]、[[弁理士]]、エスペランティスト(+ [[1967年]]) * [[1896年]] - [[ロマーン・ヤーコブソン]]、[[言語学者]](+ [[1982年]]) * [[1902年]] - [[辻政信]]、[[陸軍]]軍人、[[政治家]](+ [[1968年]]?) * [[1904年]] - [[榎本健一]]、[[喜劇]][[俳優]]、[[歌手]]、[[コメディアン]](+ [[1970年]]) * [[1908年]] - [[カルトーラ]]、歌手(+ [[1980年]]) * [[1909年]] - [[ピエール・ジョルジュ]]、[[地理学者]](+ [[2006年]]) * [[1910年]] - [[伊達里子]]、女優(+ [[1972年]]) * [[1916年]] - [[トルステン・ヘーゲルストランド]]、地理学者(+ [[2004年]]) * [[1918年]] - [[飯島滋弥]]、元プロ野球選手(+ [[1970年]]) * [[1919年]] - [[アート・ブレイキー]]、[[ジャズ]][[ドラマー]](+ [[1990年]]) * [[1925年]] - [[岡本愛彦]]、[[映画監督]]、[[ジャーナリスト]](+ [[2004年]]) * [[1927年]] - [[アーチン・パンジャパン]]、小説家 * [[1931年]] - [[新居一仁]]、元プロ野球選手 * [[1935年]] - [[西村一孔]]<ref>{{Cite news |title=猛虎人国記 (44) 〜山梨県〜 桜のように咲き、散った剛腕 |newspaper=スポーツニッポン |date=2012-03-27 |author=内田雅也 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/mouko/kiji/K20120327002920180.html |accessdate=2021-02-16}}</ref>、元プロ野球選手(+ [[1999年]]) * [[1936年]] - [[ビリー・ヒギンス]]、ジャズドラマー(+ [[2001年]]) * [[1937年]] - [[ボビー・チャールトン]]、元[[サッカー選手]](+ [[2023年]]) * [[1941年]] - [[砂川しげひさ]]、[[漫画家]]、[[エッセイスト]](+ [[2019年]]) * [[1942年]] - [[川久保玲]]、[[ファッションデザイナー]] * 1942年 - [[アミターブ・バッチャン]]、俳優 * [[1943年]] - [[マイケル・ストーンブレーカー]]、[[計算機科学]]研究者 * [[1944年]] - [[畑田国男]]、漫画家、[[著述家]](+ [[1996年]]) * [[1946年]] - [[加藤沢男]]、[[体操選手]] * 1946年 - [[富田勝]]、元プロ野球選手、[[野球評論家]](+ [[2015年]]) * [[1946年]] - [[ダリル・ホール]]、ミュージシャン([[ダリル・ホール&ジョン・オーツ]]) * [[1947年]] - [[糸数慶子]]、政治家 * [[1948年]] - [[西本明和]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[羽柴誠三秀吉]]、実業家(+ [[2015年]]) * 1949年 - [[ボビー・ジョーンズ (外野手)|ボビー・ジョーンズ]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[清水健太郎]]、歌手、俳優 * [[1954年]] - [[高畑淳子]]、女優 * [[1955年]] - [[麻丘めぐみ]]、歌手、女優 * [[1956年]] - 橋本章司、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[HOUND DOG]]) * 1956年 - [[渡辺長助]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]) * [[1959年]] - [[赤石路代]]、[[漫画家]] * 1959年 - [[ワイン・ガードナー]]、オートバイレーサー * 1959年 - [[掛川裕彦]]、声優 * [[1960年]] - [[福田健次]]、政治家、[[ローカルタレント]]、俳優 * 1960年 - [[宮本真司 (厚生労働官僚)|宮本真司]]、官僚 * [[1961年]] - [[スティーブ・ヤング]]、元[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1962年]] - [[アンディ・マッコイ]]、ミュージシャン * 1962年 - [[江頭美智留]]、[[脚本家]] * [[1963年]] - [[上野洋子]]、ミュージシャン * [[1965年]] - [[山下徳人]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[オーランド・ヘルナンデス]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[笘篠賢治]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[ルーク・ペリー]]、俳優 * 1966年 - [[角田満]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[セルゲイ・スロヴィキン]]、軍人 * [[1967年]] - [[秋川雅史]]、[[テノール]]歌手 * 1967年 - [[佐久間浩一]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[ギラッド・コーヘン]]、外交官 * 1969年 - [[福田佳弘]]、俳優 <!--* [[1970年]] - 佐々木{{ルビ|拓大|たくお}}、[[札幌スーパーギャグメッセンジャーズ]]団長--> * [[1970年]] - [[南渕一輝]]、元俳優、元歌手 * [[1972年]] - [[伊奈恭子]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1972年 - [[クレーベル・エドゥアルド・アラード]]、元[[サッカー]]選手(+ [[2021年]]) * [[1973年]] - [[ドロンズ石本]]、お笑いタレント、俳優(元[[ドロンズ]]) * 1973年 - [[金城武]]、俳優 * 1973年 - [[阪口大助]]、[[声優]] * 1973年 - [[野間口徹]]、俳優 * 1973年 - [[マッシモ・ドナーティ]]、サッカー選手 * [[1974年]] - [[今城和久]]、[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]] * 1974年 - [[ケイン・コスギ]]、俳優 * 1974年 - [[鈴木史華]]、元タレント * 1974年 - [[孫國強]]、野球選手 * [[1975年]] - [[太田真一 (競輪選手)|太田真一]]、[[競輪]]選手 * [[1976年]] - [[山崎隆広]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[和泉宗兵]]、俳優 * 1977年 - [[エレーナ・ベレズナヤ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1978年]] - [[日下部基栄]]、元[[柔道]]選手 * 1978年 - [[ドグマ風見]]、ネットタレント * [[1979年]] - [[高垣麗子]]、ファッションモデル * [[1980年]] - [[光原逸裕]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[梵英心]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[脇知弘]]、タレント * 1980年 - [[杉田智和]]<ref name="アニメイトタイムズ">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=545|title=杉田智和のアニメキャラ・最新情報まとめ|publisher=アニメイトタイムズ|accessdate=2020-11-06}}</ref>、声優 * 1980年 - [[秦基博]]、[[シンガーソングライター]] * [[1981年]] - [[羽田裕美]]、ピアニスト * 1981年 - [[かとうれい子]]、歌手 * [[1982年]] - [[山中慎介]]、元プロボクサー * [[1984年]] - [[アレクサンドル・スミルノフ]]、フィギュアスケート選手 * 1984年 - [[マックス・ラミレス]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[ミシェル・トラクテンバーグ]]、女優 * 1985年 - [[木口亜矢]]、タレント * 1985年 - [[倉沢桃子]]、女優、歌手 * 1985年 - [[奥村翔]]、声優 * [[1986年]] - [[竹澤健介]]、陸上競技選手 * 1986年 - [[勢翔太]]、元大相撲力士、年寄24代[[春日山 (相撲)|春日山]] * [[1988年]] - [[加藤迪]]、ミュージカル俳優 * [[1988年]] - [[益田圭太]]、俳優 * 1988年 - [[愛実]]、タレント、アイドル([[いもうと (アイドルグループ)|いもうと]]) * 1988年 - [[泉里香]]、女優 * 1988年 - [[エディソン・バリオス]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[ミシェル・ウィー]]、[[ゴルファー]] * 1989年 - [[シャフィク・ベセギエ]]、フィギュアスケート選手 * 1989年 - [[菅野智之]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[菅生翔平]]、アナウンサー * [[1990年]] - [[初音 (歌手)|初音]]、シンガーソングライター * 1990年 - [[寺本翔悟]]、俳優 * 1990年 - [[安谷屋なぎさ]]、元タレント * 1990年 - [[高瀬愛実]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ベフゾド・アブドゥライモフ]]、ピアニスト * [[1991年]] - [[春奈るな]]、歌手 * 1991年 - [[西山宏太朗]]、声優 * 1991年 - [[ジオバニー・ウルシェラ]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[中島唯 (声優)|中島唯]]、声優 * 1991年 - [[韋永麗]]、陸上競技選手<ref>{{cite web|url=https://www.iaaf.org/athletes/pr-of-china/yongli-wei-262863|title=Yongli Wei|publisher=IAAF|accessdate=2016-08-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160815163119/https://www.iaaf.org/athletes/pr-of-china/yongli-wei-262863|archivedate=2016年08月15日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref> * [[1992年]] - [[千代鳳祐樹]]、元大相撲力士、年寄13代[[大山_(相撲)|大山]] * 1992年 - [[カーディ・B]]、[[MC (ヒップホップ)|ラッパー]] * [[1993年]] - [[比嘉真美子]]、[[ゴルファー]] * 1993年 - [[美華]]、[[二胡]]奏者、元アイドル(元[[ファンタ☆ピース]]) * [[1994年]] - [[T・J・ワット]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1995年]] - [[沖田彩華]]、[[グラビアアイドル]]、元アイドル(元[[NMB48]]) * [[1996年]] - [[飯塚悟史]]、元プロ野球選手 * 1996年 - [[ライデル・マルティネス]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[後生川凜]]、[[熊本放送|熊本放送(RKK)]]アナウンサー * [[1997年]] - [[厚木那奈美]]<ref name="mynavi">{{Cite web|和書 |date=2018-02-27 |url=https://news.mynavi.jp/article/20180227-rungirlsrun/ |title=声優ユニット、Run Girls, Run!が1stシングル「スライドライド」を語る |website=マイナビニュース |accessdate=2020-11-11}}</ref>、声優 * [[1998年]] - 石田みなみ、アイドル([[STU48]]) * [[1999年]] - [[星希成奏]]、声優、元アイドル(元[[A応P]]) * [[2003年]] - [[星月梨杏]]、タレント * 生年不明 - [[北原愛子]]、元歌手 * 生年不明 - [[桐丘さな]]、漫画家 * 生年不明 - [[YOFFY]]、ミュージシャン([[サイキックラバー]]) * 生年不明 - [[西脇ゆぅり]]、イラストレーター * 生年不明 - [[小南泰葉]]、シンガーソングライター == 忌日 == [[File:Jean Ziska 10.png|thumb|120px|[[フス戦争]]の英雄[[ヤン・ジシュカ]](1370頃-1424)。ペストにより陣没]] {{multiple image | footer = [[陽明学|陽明学者]][[中江藤樹]](1608-1648)没{{Squote|それ学問は心の汚れを清め、身の行ひを良くするを以て本実とす。――『翁問答』}} | image1 = Nakae Toju portrait.jpg | width1 = 100 | alt1 = 中江藤樹 | image2 = Grave of Toju Nakae.jpg | width2 = 100 | alt2 = 玉林寺の墓所 }} {{multiple image | footer = [[物理学者]][[ジェームズ・プレスコット・ジュール]](1818-1889)没。単位[[ジュール]]にその名を遺す | image1 = Joule James sitting.jpg | width1 = 100 | alt1 = ジュール | image2 = James Prescott Joule gravestone.JPG | width2 = 100 | alt2 = ジュールの墓碑 }} {{multiple image | image1 = Hofu Santoka's statue.jpg | width1 = 130 | caption1 = [[自由律俳句]]の[[俳人]]、[[種田山頭火]](1882-1940)没{{Squote|分け入つても分け入つても青い山}} | alt1 = 山頭火 | image2 = Yamagichi Yoshitada.JPG | width2 = 100 | caption2 = [[東京地方裁判所|東京地裁]][[判事]]、[[山口良忠]](1913-1947)闇米を拒み[[食糧管理法]]を遵守して餓死 | alt2 = 山口良忠 }} {{multiple image | image1 = Édith Piaf 914-6440.jpg | width1 = 100 | caption1 = フランスの国民的[[シャンソン]]歌手[[エディット・ピアフ]](1915-1963)没 | alt1 = ピアフ | image2 = Jean Cocteau b Meurisse 1923.jpg | width2 = 100 | caption2 = 芸術家[[ジャン・コクトー]](1889-1963)親友ピアフの訃報に斃れる | alt2 = コクトー }} * [[1347年]] - [[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1282年]]) * [[1424年]] - [[ヤン・ジシュカ]]、[[フス戦争]]の指導者(* [[1370年]]頃) * [[1427年]]([[応永]]34年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]])- [[赤松義則]]、[[守護大名]](* [[1358年]]) * [[1531年]] - [[フルドリッヒ・ツヴィングリ]]、[[スイス]]における[[宗教改革]]の指導者(* [[1484年]]) * [[1648年]]([[慶安]]元年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]])- [[中江藤樹]]、[[陽明学|陽明学者]](* [[1608年]]) * [[1705年]] - [[ギヨーム・アモントン]]、[[物理学者]]、[[技術者]](* [[1663年]]) * [[1708年]] - [[エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウス]]、[[数学者]]、[[物理学者]]、[[哲学|哲学者]](* [[1651年]]) * [[1721年]] - [[エドワード・コルストン]]、貿易商人、政治家(* [[1636年]]) * 1721年 - [[アントン・フローリアン]]、[[リヒテンシュタイン公国|リヒテンシュタイン公]](* [[1656年]]) * [[1779年]] - [[カジミエシュ・プワスキ]]、[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]の[[騎兵]]指揮官(* [[1746年]]) * [[1809年]] - [[メリウェザー・ルイス]]、[[探検家]](* [[1774年]]) * [[1846年]]([[弘化]]3年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]])- [[榊原政養]]、[[高田藩|高田藩主]](* [[1798年]]) * [[1850年]] - [[ルイーズ=マリー・ドルレアン]]、[[ベルギー|ベルギー王]][[レオポルド1世 (ベルギー王)|レオポルド1世]]の妃(* [[1812年]]) * [[1852年]] - [[フェルディナント・ゴットホルト・マックス・アイゼンシュタイン]]、[[数学者]](* [[1823年]]) * [[1889年]] - [[ジェームズ・プレスコット・ジュール]]、[[物理学者]](* [[1818年]]) * [[1895年]] - [[小中村清矩]]、[[国学|国学者]]、[[歴史家]](* [[1822年]]) * [[1896年]] - [[アントン・ブルックナー]]、[[作曲家]](* [[1824年]]) * [[1897年]] - [[レオン・ボエルマン]]、作曲家(* [[1862年]]) * [[1912年]] - [[池田成章]]、[[実業家]](* [[1840年]]) * [[1915年]] - [[ジャン・アンリ・ファーブル]]、[[生物学者]](* [[1823年]]) * [[1916年]] - [[オットー1世 (バイエルン王)|オットー1世]]、[[バイエルン王国|バイエルン王]](* [[1848年]]) * [[1937年]] - [[オグデン・ミルズ]]、元[[アメリカ合衆国財務長官]](* [[1884年]]) * [[1940年]] - [[ヴィット・ヴォルテラ]]、数学者、物理学者(* [[1860年]]) * 1940年 - [[種田山頭火]] 、[[俳人]](* [[1882年]]) * [[1942年]] - [[レオニード・ニコラーエフ]]、[[ピアニスト]]、作曲家(* [[1878年]]) * [[1945年]] - [[亀尾英四郎]]、ドイツ文学者、元[[東京高等学校_(旧制)|東京高等学校]]教授(* [[1895年]]) * [[1947年]] - [[山口良忠]]、[[東京地方裁判所|東京地裁]][[判事]](* [[1913年]]) * [[1948年]] - [[岡本一平]]、[[漫画家]](* [[1886年]]) * [[1950年]] - [[三浦謹之助]]、[[医学者]](* [[1864年]]) * [[1956年]] - [[北島多一]]、第2代[[日本医師会]]会長(* [[1870年]]) * [[1958年]] - [[モーリス・ド・ヴラマンク]]、[[画家]](* [[1876年]]) * [[1959年]] - [[小田島樹人]]、作曲家(* [[1885年]]) * 1959年 - バート・ベル、[[アメリカンフットボール]]コーチ(* [[1895年]]) * [[1961年]] - [[チコ・マルクス]]、[[コメディアン]]([[マルクス兄弟]])(* [[1887年]]) * [[1963年]] - [[エディット・ピアフ]]、[[歌手]](* [[1915年]]) * 1963年 - [[ジャン・コクトー]]、[[作家]]、[[詩人]]、劇作家(* [[1889年]]) * 1963年 - [[武知勇記]]、[[政治家]](* [[1894年]]) * [[1964年]] - [[杉山元治郎]]、政治家、農民運動指導者(* [[1885年]]) * [[1968年]] - [[ヘルマン・アルバレス・ベイグベデル]]、作曲家(* [[1882年]]) * 1968年 - [[村上昭夫]]、[[詩人]](* [[1927年]]) * [[1969年]] - [[呉晗]]、歴史家、[[北京市]]副市長(* [[1909年]]) * [[1971年]] - [[玉の海正洋]]、大相撲第51代[[横綱]](* [[1944年]]) * [[1976年]] - [[ヴェルナー・ハース]]、[[ピアニスト]](* [[1931年]]) * [[1977年]] - [[マッキンレー・カンター]]、[[小説家]]、映画原作者(* [[1904年]]) * [[1986年]] - [[宮地政司]]、[[天文学者]](* [[1902年]]) * 1986年 - [[ジョルジュ・デュメジル]]、比較[[神話学]]者、[[言語学|言語学者]](* [[1898年]]) * 1986年 - [[武田隆夫]]、[[経済学者]](* [[1916年]]) * [[1989年]] - [[郷司浩平]]、[[実業家]](* [[1900年]]) * [[1990年]] - [[飛鳥田一雄]]、[[日本社会党]]委員長、[[横浜市|横浜市長]](* [[1915年]]) * 1990年 - [[河原崎國太郎 (5代目)]]、[[俳優]](* [[1909年]]) * [[1991年]] - [[雷門助六#8代目|雷門助六 (8代目)]]、[[落語家]](* [[1907年]]) * 1991年 - [[鈴木美嶺]]、[[野球選手]]、アマチュア野球審判、アマチュア野球公式記録員(* [[1921年]]) * [[1994年]] - [[鈴木永二]]、[[経営者]]、第6代[[日本経済団体連合会|日経連]]会長(* [[1913年]]) * [[1996年]] - [[ウィリアム・ヴィックリー]]、経済学者(* [[1914年]]) * [[1999年]] - [[レオ・レオニ]]、[[イラストレーター]]、[[絵本]]作家(* [[1910年]]) * [[2006年]] - [[コリー・ライドル]]、[[プロ野球選手]](* [[1972年]]) * [[2007年]] - [[シュリ・チンモイ]]、[[ヨーガ]][[指導者]]、[[哲学|哲学者]](* [[1931年]]) * [[2008年]] - [[中村獅童 (初代)|中村獅童(初代)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1930年]]) * 2008年 - [[峰岸徹]]、俳優(* [[1943年]]) * 2008年 - [[三浦和義]]、[[実業家]]、[[タレント]]、[[作家]](* [[1947年]]) * 2008年 - [[イェルク・ハイダー]]、政治家(* [[1950年]]) * [[2014年]] - [[飯塚将光]]、[[オートレース選手]](* 1950年) * [[2015年]] - [[ディーン・チャンス]]、プロ野球選手(* [[1941年]]) * [[2018年]] - [[仙谷由人]]、政治家(* [[1946年]]) * 2018年 - [[グレッグ・スタフォード]]、[[ゲームデザイナー]](* [[1948年]]) * [[2023年]] - ルドルフ・アイズレー<ref>{{Cite web |title=歌手のルドルフ・アイズレー氏死去、84歳 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2023101300770&g=int |website=時事ドットコム |access-date=2023-10-18 |language=ja}}</ref>、アーティスト([[アイズレー・ブラザーズ]])(* [[1939年]]) == 記念日・年中行事 == * 体育の日({{JPN}}、[[2004年]]・[[2010年]])※10月の第2月曜日 ※2020年に「[[スポーツの日 (日本)|スポーツの日]]」に改称した。2021年の10月11日は第2月曜日だが、東京オリンピック開催のためこの年のみ7月23日に移動した。 * パルチザンの日([[革命記念日]])({{MKD}}) *: [[1941年]]のこの日、[[枢軸国]]側の[[ブルガリア]]に併合された[[マケドニア共和国|マケドニア]]で、[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]率いる[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]が抵抗運動を開始した。 * 南アフリカの政治犯との連帯の日 *: [[南アフリカ]]の[[アパルトヘイト]]に反対して捕えられた[[政治犯]]を支援するために国連が制定した[[国際デー]]であったが、[[1994年]]にアパルトヘイトが完全撤廃されたことから、現在は実施されていない。 * [[国際ガールズ・デー]] *: 2011年12月19日に国際連合総会で採択された[[少女|女子児童]]に対する差別と暴力の撤廃を呼びかける[[国際デー]]。 * [[カミングアウトデー]]([[LGBTコミュニティ]]) * 安全・安心なまちづくりの日({{JPN}}) *: [[2005年]]12月に閣議決定し、[[2006年]]から実施。「全国地域安全運動」の1日目。 * [[:en:Wink|ウインク]]の日({{JPN}}) *: 目の愛護デー([[10月10日]])が見開いた目に見えるなら、こちらは「10 11」が片目をつぶったウインクに見えることに由来。 == フィクションのできごと == * [[1921年]] - 一条雪佳、末延唯月へ仲直りの条件として、藤川紡を自分の[[エス (文化)|エス]]とする事を提示する。(漫画『[[紡ぐ乙女と大正の月]]』)<ref>{{Cite book|和書|title=紡ぐ乙女と大正の月 2巻|date=2021-08-26|publisher=[[芳文社]]|page=76|author=ちうね|isbn=978-4832273016}}作中の日付は同巻の目次より。</ref> * 1947年(昭和22年)- 朝、[[金田一耕助]]は[[横須賀線]]で[[鎌倉]]から[[東京]]に戻る。午後7時に椿家の人々が秌子夫人の遺体と共に鎌倉から[[六本木]]の椿邸に戻る。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第26章) * 1960年(昭和35年)- [[1960年の日本シリーズ|プロ野球日本シリーズ]]の第一日、11時半に[[詩人]]のS・Y先生は[[蜃気楼]](実は完成したばかりの日の出[[団地]])を見る。12時45分に金田一耕助が日の出団地を訪れる。(小説『[[白と黒 (横溝正史)|白と黒]]』プロローグ) === 誕生日(フィクション) === * 1999年 - アオベエミ、[[ウルトラマンシリーズ]]『[[ウルトラマンブレーザー]]』の登場人物<ref>オープニング映像、及び第2話の地球防衛隊勤務記録書類より</ref> * 生年設定なし - 原島ろぢゃミ、『[[ロヂャース (小売店)|ロヂャース]]』の企業キャラクター * 生年不明 - 蔵王巴、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/zao_tomoe |title=山形 蔵王巴 |access-date=2022-12-04 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=「温泉むすめ」}}</ref> * 生年不明 - ユニ(キュアコスモ)、アニメ『[[スター☆トゥインクルプリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=キュアコスモ マオ/ブルーキャット/ユニ |url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/startwinkle_precure/character/chara8.php |access-date=2022-12-04 |publisher=ABC-A・[[東映アニメーション]] |work=『スター☆トゥインクルプリキュア』}}</ref> * 生年不明 - 堤大地、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1447216614408171521}}</ref> * 生年不明 - 神木出雲、漫画・アニメ『[[青の祓魔師]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aoex_official|1447215565538430980}}</ref> * 生年不明 - 万丈数壱、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=石田スイ|authorlink=石田スイ|year=2013|title=東京喰種トーキョーグール|publisher=集英社|location=|isbn=978-4-08-879498-3|date=|volume=6巻|quote=カバー裏}}</ref> * 生年不明 - 雷市陣吾、漫画・アニメ『[[ブルーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bluelock_pr|1579713412610695168}}</ref> * 生年不明 - フランケンゾンビ、漫画・アニメ『[[魔王城でおやすみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|maoujo_anime|1447366340197584901}}</ref> * 生年不明 - 金髪、アニメ『[[戦翼のシグルドリーヴァ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sigururi.com/chara/other/#chara_15 |title=金髪 |access-date=2022-08-11 |publisher=TVアニメ『戦翼のシグルドリーヴァ』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 服部瞳子、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20124 |title=服部 瞳子(はっとり とうこ) |access-date=2022-12-04 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 李春燕、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)|ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130423_155367/ |title=【ガールフレンド(仮)通信24】肉まん大好きカンフー少女 李春燕ちゃん(CV:阿部玲子) |access-date=2022-12-04 |publisher=ファミ通App}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#古論クリス|古論クリス]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40024 |title=古論 クリス(ころん くりす) |access-date=2022-12-04 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ハナレ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=121&cate=name&cont=Hanare |title=ハナレ |access-date=2022-12-04 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - ニーナ・アレクサンドロヴナ、ゲーム・アニメ『[[ラクエンロジック|ひなろじ〜from Luck & Logic〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= http://luck-and-logic.com/characters/logicalist/ニーナ/ |title= ニーナ・アレクサンドロヴナ|work= 「ラクエンロジック Luck & Logic」|publisher= [[ブシロード]] |accessdate=2022-12-04|archiveurl= https://web.archive.org/web/20170620212716/http://luck-and-logic.com/characters/logicalist/ニーナ/ |archivedate=2017-05-27}}</ref> * 生年不明 - ラウディア、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://kings-raid.com/characters/#character-167 |title=ラウディア|publisher= 【公式】キングスレイド|超本格リアルタイム3DバトルRPG |accessdate=2022-12-04|archiveurl= https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=167|archivedate=2022-07-24}}</ref> * 生年不明 - 七尾太一、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=〔秋組〕七尾 太一 |accessdate=2022-12-04 |publisher=LIBER |work=「A3!(エースリー)」}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == {{commonscat|11 October}} {{新暦365日|10|10|10|12|[[9月11日]]|[[11月11日]]|[[10月11日 (旧暦)|10月11日]]|1011|10|11}} {{1年の月と日}}
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10月14日
10月14日(じゅうがつじゅうよっか、じゅうがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から287日目(閏年では288日目)にあたり、年末まであと78日ある。
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{{カレンダー_10月}} '''10月14日'''(じゅうがつじゅうよっか、じゅうがつじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から287日目([[閏年]]では288日目)にあたり、年末まであと78日ある。 == できごと == <!--源頼朝10月宣旨は「旧暦の」10月14日です。この項目にはグレゴリオ暦の日付で記入願います。--> <!--水戸光圀隠居は「旧暦の」10月14日です。この項目にはグレゴリオ暦の日付で記入願います。--> <!--心中天網島は「旧暦の」10月14日です。この項目にはグレゴリオ暦の日付で記入願います。--> <!--井土ヶ谷事件は「旧暦の」10月14日です。この項目にはグレゴリオ暦の日付で記入願います。--> <!--大政奉還は「旧暦の」10月14日です。この項目にはグレゴリオ暦の日付で記入願います。--> [[File:Iena.jpg|thumb|180px|[[1806年]]、[[イエナ・アウエルシュタットの戦い]]]] [[File:First_steam_train_leaving_Yokohama.jpg|thumb|180px|[[日本の鉄道開業]](1872)]] [[File:Adventures of sherlock holmes.jpg|thumb|140px|『[[シャーロック・ホームズの冒険]]』刊行(1892)]] [[File:Chuck Yeager.jpg|thumb|180px|[[1947年]]、人類初の超音速飛行を行った[[チャック・イェーガー|イェーガー]]大尉と[[X-1 (航空機)|X-1]]]] [[ファイル:Qibya2.jpg|thumb|180px|キビヤ村での虐殺事件の直後、避難先から戻るアラブ系住民]] * [[1066年]] - [[ノルマン・コンクエスト]]: [[ヘイスティングズの戦い]]<ref>[https://www.pahoo.org/culture/numbers/year/j1066-we.shtm 西暦1066年 - ノルマン・コンクエスト]</ref>。 * [[1758年]] - [[七年戦争]]: [[ホッホキルヒの戦い]]。 * [[1806年]] - [[ナポレオン戦争]]、[[イエナ・アウエルシュタットの戦い]]。 * [[1854年]]([[嘉永]]7年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[日英和親条約]]が締結される。 * [[1872年]]([[明治]]5年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - [[日本の鉄道開業]](新橋(後の[[汐留駅 (国鉄)|汐留]]) - 横浜(現[[桜木町駅|桜木町]])間)。 * [[1873年]] - [[祝祭日]]を定める[[太政官布告]]「年中祭日祝日ノ休暇日」を発布。 * [[1892年]] - [[アーサー・コナン・ドイル]]の[[シャーロック・ホームズシリーズ]]の最初の短編集『[[シャーロック・ホームズの冒険]]』が刊行。 * [[1896年]] - 陸軍中将[[乃木希典]]が[[台湾総督]]に就任。 * [[1900年]] - [[ジークムント・フロイト|フロイト]]の『[[夢判断]]』が出版される。 * [[1905年]] - 登山家・[[小島烏水]]らが日本初の山岳会を結成。現在の[[日本山岳会]]。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[日本海軍]]がドイツ領[[南洋諸島]]の占領を完了。 * [[1921年]] - 鉄道開業50年を記念して[[東京駅]]北口に鉄道博物館が開館。 * [[1922年]] - [[監獄]]を「[[刑務所]]」に改称。 <!-- 前日 * [[1923年]] - [[トルコ革命]]で首都をアンカラに移すことが決定。 --> * [[1926年]] - [[A・A・ミルン]]作の[[童話]]『[[クマのプーさん]]』が発売。 * [[1933年]] - [[ドイツ]]が[[ジュネーブ軍縮会議]]<!-- [[ジュネーブ海軍軍縮会議]]のことか? -->から脱退し、[[国際連盟]]からの脱退を表明。<!-- 国際連盟脱退は10月19日 --> * [[1938年]] - [[第1次近衛内閣|近衛文麿内閣]]が[[国際連盟]]との協力関係終了を[[閣議 (日本)|閣議]]決定。 * 1938年 - [[肝属地方風水害]]。 * [[1943年]] - [[日本占領時期のフィリピン|日本占領下のフィリピン]]で[[フィリピン第二共和国|第二共和国]]が成立。 * 1943年 - [[ナチス・ドイツ]]の[[ソビボル強制収容所]]で大脱走事件発生。 * 1943年 - [[ウクライナ蜂起軍]]が結成される。 * [[1945年]] - [[平壌直轄市|平壌]]でソ連解放軍歓迎平壌市民大会が開かれ、[[金日成]]が初の公開演説。 * [[1947年]] - [[チャック・イェーガー]]が操縦する実験機[[X-1 (航空機)|X-1]]が水平飛行で[[音速]]を突破しマッハ1.06を記録。人類史上初の有人[[超音速]]飛行。 <!-- 前日 * 1947年 - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の「皇族の財産上における特権の剥奪」指令により11宮家51名が[[皇籍離脱|皇籍を離脱]]する。 --> * [[1950年]] - [[ハリー・S・トルーマン|トルーマン]]・アメリカ大統領が[[ウェーク島]]で[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]元帥と会談。 * [[1951年]] - [[ルース台風]]が[[鹿児島県]]に上陸。本州各地に大被害。死者行方不明943人。 * [[1952年]] - 日本父母と先生全国協議会(現在の[[日本PTA全国協議会]])が結成大会。 * [[1953年]] - 日本共産党書記長・[[徳田球一]]が北京で客死。2年後に公表。 * 1953年 - [[アリエル・シャロン]]率いる[[イスラエル国防軍]]が[[ヨルダン川西岸]]のキビヤ村を襲撃。アラブ系住民67名が犠牲。 * [[1958年]] - [[東京タワー]]が竣工。 <!-- * [[1963年]] - 元[[首相]]の[[吉田茂]]が政界引退を表明。 --> * [[1964年]] - [[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|マーティン・ルーサー・キング]]の[[ノーベル平和賞]]受賞が決定。 * 1964年 - [[ニキータ・フルシチョフ]]失脚。 * [[1966年]] - [[黒い霧事件 (政界)|黒い霧事件]]に対し、社会・民社・公明・共産4党の院内共闘が成立する。 * [[1968年]] - [[メキシコオリンピック]]の陸上男子100m決勝で[[ジム・ハインズ]]が9.9秒を記録。人類で初めて[[10秒の壁]]を破る。 * [[1969年]] - [[西武秩父線]]([[吾野駅]] - [[西武秩父駅]])が開業。池袋からの特急「[[ちちぶ (列車)|ちちぶ]]」が運転開始。 * [[1973年]] - [[タイ王国|タイ]]で[[クーデター]]が発生。([[血の日曜日事件 (1973年)|血の日曜日事件]]) * [[1973年]] - [[蔵前国技館]]での世界最強タッグ戦60分3本勝負で[[アントニオ猪木]]&[[坂口征二]]組が[[ルー・テーズ]]&[[カール・ゴッチ]]組を2対1で破る。 * [[1974年]] - 巨人軍[[長嶋茂雄]]の引退試合。 * [[1977年]] - 奈良筆が[[伝統工芸品]]に指定される。 * [[1982年]] - 大阪にコンサート専用の[[ザ・シンフォニーホール]]が開館。 * [[1983年]] - [[東北大学]]附属病院で日本初の体外受精児([[試験管ベビー]])が誕生。 * [[1987年]] - 鳥取県のJR西日本若桜線([[郡家駅]] - [[若桜駅]]19.2km)が第三セクター・[[若桜鉄道]]に転換。 <!-- 「10月」までしか確認できず。 * [[1989年]] - 病気療養中の[[田中角栄|田中角榮]]元首相が次期衆議院選に出馬しないことを発表、政界を引退。 --> * [[1991年]] - [[橋本龍太郎]]蔵相が証券・金融不祥事と富士銀行不正融資事件への元秘書の関与等で辞任。 * [[1992年]] - [[金丸信]]衆議院議員が東京佐川急便からの5億円違法献金疑惑で議員を辞職、政界を引退。 * [[1994年]] - [[札幌市営地下鉄東豊線]][[豊水すすきの駅]] - [[福住駅]]間が開業し全通。 * [[1998年]] - 「[[国民の祝日に関する法律|祝日法]]」改正法案([[ハッピーマンデー制度|ハッピーマンデー]]法案)が参議院で可決・成立。[[成人の日]]・[[体育の日]]が1月・10月の第2月曜日に移動。 * 1998年 - 改正[[議院証言法]]が参議院で可決・成立する(証人喚問の写真撮影やテレビ中継を条件付きで解禁)。 [[File:The Railway Museum Park Zone 20071014 (1).jpg|thumb|180px|[[2007年]]、開館当日の[[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]]]] <!-- * [[1999年]] - [[住友銀行]]と[[さくら銀行]]が全面提携 --> * [[2000年]] - 首都圏共通[[ストアードフェアシステム]]・[[パスネット]]運用開始。 * [[2005年]] - [[郵政民営化|郵政民営化法案]]が参議院にて可決し、法案が成立する。 * [[2007年]] - 東京神田の[[交通博物館]]が、大宮に移転。[[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]]がオープン。 * <!-- 「10月14日」に特記すべき情報ですか? * 2008年 - [[札幌銀行]]と[[北洋銀行]]が合併。旧札幌銀行の支店名等は全て北洋銀行となった。 --> * [[2008年]] - [[日経平均株価]]の[[終値]]が前週末に比べて1171円14銭高となり、終値ベースでの上昇率が過去最大の+14.15%となる<ref>{{Cite web|和書 |date=2008年10月14日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2528514 |title=日経平均終値、14.15%高の9447円 過去最高の上昇率 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-04-05}}</ref>。 * [[2012年]] - [[ジェンティルドンナ]]が[[秋華賞]]を勝ち、<!-- [[アパパネ]]以来2年ぶり、 -->日本競馬史上4頭目の[[中央競馬クラシック三冠|牝馬三冠]]を達成<ref>{{Cite web|和書 |date=2012年10月15日 |url=https://web.archive.org/web/20121016235354/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20121015-1032714.html |title=ジェンティル7センチ差で3冠/秋華賞 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2018-04-05}}</ref>。 * 2012年 - [[フェリックス・バウムガルトナー]]が{{仮リンク|レッドブル・ストラトス|en|Red Bull Stratos}}によって有人気球による最高高度到達記録、[[スカイダイビング]]の最高高度記録、自由落下による最大落下速度記録(マッハ1.24)を記録する<ref>{{Cite web|和書 |date=2012年10月15日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2907516 |title=上空3.9万メートルからのダイビングに成功、音速超える |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-04-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |date=2012年10月15日 |url=https://jp.reuters.com/article/tk0528843-usa-space-skydive-success-idJPTYE89D01220121014 |title=「超音速」ダイビングに成功、史上最高の高度3万8000mから |publisher=ロイター |accessdate=2018-04-05}}</ref>。 * [[2014年]] - [[UEFA EURO 2016予選 セルビア対アルバニア]]の試合で乱闘が発生。背景にはセルビア人とアルバニア人の民族的・政治的対立があった。 * [[2017年]] - [[ソマリア]]の首都[[モガディシュ]]のホテルの前で爆発物を積んだトラックが爆発<ref>{{Cite web|和書 |date=2017-10-16 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22284120V11C17A0FF8000/ |title=ソマリア首都で爆弾テロ、231人死亡 「過去最悪」 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-04-05}}</ref>。多くの市民らが倒壊した建物の下敷きになり、512人が死亡。({{仮リンク|2017年10月14日モガディシュ爆発事件|en|14 October 2017 Mogadishu bombings}}) * [[2018年]] - [[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]と[[オスカル・ロメロ]]が列聖<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3193232|title=バチカンで列聖式、パウロ6世と中米で暗殺された大司教が聖人に|newspaper=AFPBB NEWS|date=2018-10-14|accessdate=2018-10-15}}</ref>。 [[File:Almond Eye Syukasyo 2018(IMG2).jpg|thumb|第23回[[秋華賞]]優勝馬<br>[[アーモンドアイ]]]] * 2018年 - [[アーモンドアイ]]が秋華賞を制し、2012年のジェンティルドンナ以来6年ぶり5頭目となる牝馬三冠を達成。 * [[2021年]] - [[衆議院]]が解散([[未来選択解散]])。 * 2021年 - [[高雄ビル火災]]。 * [[2022年]] - [[アマスラ炭鉱爆発事故]]。 == 誕生日 == [[File:King James II from NPG.jpg|thumb|120px|[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]](1633-1701)]] [[File:Masaoka Shiki.jpg|thumb|120px|[[正岡子規]](1867-1902)]] [[File:Mansfield1.jpg|thumb|120px|[[キャサリン・マンスフィールド]](1888-1923)]] [[File:Eisenhower official.jpg|thumb|120px|[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー大統領]](1890-1969)]] [[File:Sir Roger Moore Allan Warren.jpg|thumb|120px|[[ロジャー・ムーア]](1927-2017)]] * [[1257年]] - [[プシェミスウ2世 (ポーランド王)|プシェミスウ2世]]{{要出典|date=2021-02}}、ポーランド王(+ [[1296年]]) * [[1404年]] - [[マリー・ダンジュー]]{{要出典|date=2021-04}}、フランス王妃(+ [[1463年]]) * [[1493年]]([[明応]]元年[[9月23日]]) - [[島津忠良]]、[[戦国大名]](+ [[1568年]]) * [[1499年]] - [[クロード・ド・フランス]]、フランス王妃(+ [[1524年]]) * [[1630年]] - [[ゾフィー・フォン・デア・プファルツ]]、[[ハノーファー選帝侯]]妃(+ [[1714年]]) * [[1633年]] - [[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]、イングランド王(+ [[1701年]]) * [[1643年]] - [[バハードゥル・シャー1世]]、[[ムガル帝国]]第7代皇帝(+ [[1712年]]) * [[1690年]]([[元禄]]3年[[9月13日 (旧暦)|9月13日]]) - [[佐竹義峯]]、[[久保田藩|久保田藩主]](+ [[1758年]]) * [[1701年]](元禄14年9月13日) - [[松平忠愛 (上田藩主)|松平忠愛]]、[[上田藩|上田藩主]](+ [[1758年]]) * [[1712年]] - [[ジョージ・グレンヴィル]]、第8代英国首相(+ [[1770年]]) * [[1784年]] - [[フェルナンド7世 (スペイン王)|フェルナンド7世]]、[[スペイン|スペイン王]](+ [[1833年]]) * [[1801年]] - [[ジョゼフ・プラトー]]、[[物理学者]](+ [[1983年]]) * [[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]8年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]) - [[大関増儀]]、[[黒羽藩|黒羽藩主]](+ [[1866年]]) * [[1821年]]([[文政]]4年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[蜂須賀斉裕]]、[[徳島藩|徳島藩主]](+ [[1868年]]) * [[1826年]] - [[ジョルジュ・マティアス]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1910年]]) * [[1829年]] - [[アーギュスト・マルムストレム]]、[[画家]](+ [[1901年]]) * [[1830年]](文政13年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[内田正徳]]、[[小見川藩|小見川藩主]](+ [[1863年]]) * [[1840年]] - [[フリードリッヒ・コールラウシュ]]、[[物理学者]](+ [[1910年]]) * 1840年 - [[ドミートリイ・ピーサレフ]] ([[:en:Dimitri Pisarev]])、文藝評論家(+ [[1868年]]) * [[1853年]] - {{仮リンク|チプリアン・ポルムベスク|en|Ciprian Porumbescu}}、[[作曲家]](+ [[1883年]]) * [[1854年]]([[嘉永]]7年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[牧野弼成]]、[[田辺|田辺藩主]]、[[子爵]](+ [[1924年]]) * [[1859年]] - {{仮リンク|ラバショル|en|Ravachol|fr|Ravachol}}、[[アナーキスト]](+ [[1892年]]) <!-- 特筆性は? * [[1864年]] - [[大林芳五郎]]、[[実業家]](+ [[1916年]]) --> * 1864年 - [[ステファン・ジェロムスキ]]、[[小説家]](+ [[1925年]]) * [[1867年]] - [[正岡子規]]、[[俳人]](+ [[1902年]]) * [[1871年]] - [[アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー]]、[[作曲家]](+ [[1942年]]) * 1871年 - [[本山白雲]]、[[彫刻家]](+ [[1952年]]) * [[1872年]] - [[レジナルド・ドハティー]]、[[テニス]]選手(+ [[1910年]]) * [[1873年]] - [[レイ・ユーリー]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1937年]]) * 1873年 - [[ジュール・リメ]]、[[国際サッカー連盟|FIFA]]第3代会長(+ [[1956年]]) * [[1882年]] - [[エイモン・デ・ヴァレラ]]、[[政治家]]、初代[[アイルランドの首相|アイルランド首相]]、第3代[[アイルランドの大統領|大統領]](+ [[1975年]]) * [[1888年]] - [[キャサリン・マンスフィールド]]、[[小説家]](+ [[1923年]]) * [[1890年]] - [[ドワイト・D・アイゼンハワー]]、陸軍軍人、政治家、第34代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1969年]]) * 1890年 - [[ルイ・デリュック]]、映画監督(+ [[1924年]]) * [[1893年]] - [[リリアン・ギッシュ]]、女優(+ [[1993年]]) * 1893年 - [[葉問]]、武闘家(+ [[1972年]]) * [[1894年]] - [[E・E・カミングス]]、詩人(+ [[1972年]]) * [[1900年]] - [[W・エドワーズ・デミング]]、[[統計学者]]、[[著述家]](+ [[1993年]]) * [[1902年]] - [[レアルコ・グエッラ]]、自転車競技選手(+ [[1963年]]) * [[1906年]] - [[高石勝男]]、競泳選手、元日本水泳連盟会長(+ [[1966年]]) * 1906年 - [[ハンナ・アーレント]]、哲学者(+ [[1975年]]) * [[1907年]] - [[イグナス・ゲルブ]]、[[歴史学者]](+ [[1985年]]) * [[1909年]] - [[ベルント・ローゼマイヤー]]、レーシングドライバー(+ [[1938年]]) * [[1910年]] - [[ジョン・ウッデン]]、バスケットボールコーチ(+ [[2010年]]) * 1910年 - [[倉信雄]]、[[プロ野球選手]](+ [[1945年]]) * [[1911年]] - [[レ・ドゥク・ト]]、政治家(+ [[1990年]]) * [[1917年]] - [[トニー谷]]、[[コメディアン]](+ [[1987年]]) * [[1918年]] - [[塚本博睦]]、元プロ野球選手(+ [[2009年]]) * [[1922年]] - [[月丘夢路]]、女優(+ [[2017年]]) * 1922年 - [[衛藤大輔]]、元プロ野球選手 * 1922年 - [[緒方敏也]]、[[声優]] * [[1923年]] - [[茂山千之丞]]、[[狂言師]](+ [[2010年]]) * [[1926年]] - [[田丸仁]]、[[野球選手]]、[[プロ野球監督]](+ [[1993年]]) * [[1927年]] - [[ロジャー・ムーア]]、[[俳優]](+ [[2017年]]<ref>{{cite news|url=http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-40018422|title=Sir Roger Moore, James Bond actor, dies aged 89|publisher=[[BBC]]|Mail Online|date=2017-5-23|accessdate=2020-11-15|language=英語}}</ref>) * 1927年 - [[トーマス・ルックマン]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[2016年]]) * [[1928年]] - [[ゲイリー・グラフマン]]、[[ピアニスト]] * [[1930年]] - [[モブツ・セセ・セコ]]、[[ザイール]]2代[[コンゴ民主共和国の元首の一覧|大統領]](+ [[1997年]]) * [[1932年]] - {{仮リンク|ヴォルフ・フォステル|en|Wolf Vostell|de|Wolf Vostell}}、現代芸術家(+ [[1998年]]) * [[1933年]] - [[稲嶺惠一]]、実業家、元政治家、元[[沖縄県知事一覧|沖縄県知事]] <!-- 出典が不明 * 1933年 - [[棟方巴里爾]]、[[俳優]]、[[棟方志功]]の子(+ [[1998年]]) --> * [[1934年]] - [[志太勤]]、実業家 * [[1935年]] - [[ラ・モンテ・ヤング]]、現代音楽作曲家 * [[1936年]] - [[白石冬美]]、声優(+ [[2019年]]) * [[1937年]] - [[松岡英孝]]、高校野球指導者 * [[1938年]] - [[柿原彬人]]、実業家(+ [[2006年]]) * 1938年 - {{仮リンク|ファラ・パフラヴィー|en|Farah Pahlavi}}、[[イラン]]王妃 * [[1939年]] - [[奥田務]]、実業家 * 1939年 - [[ラルフ・ローレン]]、[[ファッションデザイナー]] * [[1940年]] - [[クリフ・リチャード]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1942年]] - [[ナーダシュ・ペーテル]]、[[小説家]] * [[1943年]] - [[実川幸夫]]、政治家 * 1943年 - [[ダイアン・ソーン]]、女優(+ [[2020年]]) * [[1944年]] - [[峰崎直樹]]、政治家 * 1944年 - [[ウド・キア]]、[[俳優]] * [[1945年]] - [[桑原豊]]、政治家 * [[1946年]] - [[松浪健四郎]]、元政治家 * 1946年 - [[クレイグ・ヴェンター]]、[[分子生物学者]]、[[実業家]] * [[1947年]] - [[松田哲夫]]、編集者 * 1947年 - [[ニコライ・ボルコフ]]、プロレスラー * [[1948年]] - [[服部まゆみ]]、[[作家]]、銅版画家(+ [[2007年]]) * [[1949年]] - [[佐藤陽子 (ヴァイオリニスト)|佐藤陽子]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2022年]]) * [[1950年]] - [[中村歌六 (5代目)|中村歌六]](五代目)、歌舞伎役者 * 1950年 - [[チャーリー・コーセイ]]、歌手 * 1950年 - [[藤目功治]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[ニコライ・アンドリアノフ]]、[[体操選手]](+ [[2011年]]) * 1952年 - [[カイヤ・サーリアホ]]、現代音楽作曲家(+ [[2023年]]) * [[1953年]] - [[渡辺香津美]]、[[ジャズ]][[ギタリスト]] * 1953年 - [[黄川田徹]]、政治家 * 1953年 - [[永田恭介]]、[[科学者]]、[[筑波大学]]学長(第9代) * [[1954年]] - [[ウィリー・エイキンズ]]、元プロ野球選手 * [[1955年]] - [[奥慶一]]、[[作曲家]] * [[1956年]] - [[アレック・ジョン・サッチ]]、[[ミュージシャン]]([[ボン・ジョヴィ|Bon Jovi]]) * 1956年 - [[クリス・バングル]]、自動車デザイナー * 1956年 - [[森山隆男]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[中谷元]]、[[政治家]] * 1957年 - [[高原郁夫]]、サッカー選手 * 1957年 - {{仮リンク|キャサリン・ジョンソン (劇作家)|en|Catherine Johnson (playwright)|label=キャサリン・ジョンソン}}、劇作家 * [[1958年]] - [[トーマス・ドルビー]]、音楽プロデューサー * [[1959年]] - [[柴田よしき]]、作家 * [[1960年]] - [[石原隆]]、[[テレビプロデューサー]] * 1960年 - [[ビル・ベイス]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[スティーブ・クラム]]、陸上選手 * [[1961年]] - [[熊谷真菜]]、作家、フードマーケティングデザイナー * [[1962年]] - [[柿辰丸]]、[[俳優]] * [[1963年]] - {{仮リンク|アレッサンドロ・サフィナ|en|Alessandro Safina}}、[[オペラ歌手]] * 1963年 - [[ロリ・ペティ]]、女優 * [[1964年]] - [[旭道山和泰]]、タレント、実業家、元大相撲力士、元[[衆議院議員]] * 1964年 - [[有賀啓雄]]、[[作曲家]](+ [[2023年]]) * 1964年 - [[クリス・トーマス・キング]]、ミュージシャン、俳優 * 1964年 - [[ジョー・ジラルディ]]、元プロ野球選手、監督 * [[1965年]] - [[鈴木重子]]、歌手 * 1965年 - [[小林良平]]、元俳優 * 1965年 - [[畠山智行]]、俳優 * 1965年 - [[スティーヴ・クーガン]]、俳優 * 1965年 - [[会田誠]]、[[現代美術家]] * 1965年 - [[山中律俊]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[サヴァンナ・サムソン]]、ポルノ女優 * [[1967年]] - [[マイコーりょう]]、[[タレント]] * [[1968年]] - [[吉村祥子]]、元[[レスリング]]選手 * 1968年 - [[マット・ル・ティシエ]]、元サッカー選手 * [[1969年]] - [[ヴィクトル・オノプコ]]、元サッカー選手 * 1969年 - [[岡野浩介]]、声優 * [[1970年]] - [[永作博美]]、女優 * 1970年 - [[加藤貴子 (女優)|加藤貴子]]、女優 * 1970年 - 芳賀絵己子、女優(元[[ポピンズ (アイドルグループ)|ポピンズ]]) * 1970年 - [[トニー・ミッチェル]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[パル・ゼッターベリ]]、サッカー選手 * 1970年 - {{仮リンク|ダニエラ・ペストヴァ|en|Daniela Peštová}}、ファッションモデル * [[1971年]] - [[杉浦未幸]]、[[タレント]](元[[おニャン子クラブ]]) * 1971年 - [[知野公昭]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[ジョルジュ・コスタ]]、サッカー選手 * [[1972年]] - [[高木浩之]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[堺雅人]]、俳優 * 1973年 - [[スティーブン・ブラッドバリー]]、[[ショートトラックスピードスケート]]選手 * 1973年 - [[中井一輝]]、漫画家 * 1973年 - [[ファビアン・オニール]]、サッカー選手(+ [[2022年]]) * [[1974年]] - [[ジェシカ・ドレイク]]、ポルノ女優 * 1974年 - [[ビクトル・ロスリン]]、マラソン選手 * 1974年 - [[伊藤計劃]]、SF作家(+ [[2009年]]) * [[1975年]] - [[フロイド・ランディス]]、自転車レーサー * 1975年 - [[石川多映子]]、元[[ソフトボール]]選手 * 1975年 - [[海原やすよ]]、[[漫才師]] * 1975年 - [[里中茶美]]、歌手 * [[1976年]] - [[岩沢厚治]]、ミュージシャン([[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]) * 1976年 - [[不動裕理]]、[[ゴルファー]] * 1976年 - [[剱持たまき]]、女優 * 1976年 - [[アンドレアス・ビドヘルツル]]、[[スキージャンプ]]選手 * [[1977年]] - [[内田潤]]、元[[サッカー選手]] * 1977年 - [[海本幸治郎]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[ヨエイ・ディドゥリツァ]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[ビアンカ・ボーシャン]]、フェティッシュモデル * 1977年 - [[吉川華生]]、声優 * 1977年 - [[U-zhaan]]、[[タブラ]]奏者 * [[1978年]] - [[しまおまほ]]、[[漫画家]]、[[イラストレーター]] * 1978年 - [[アッシャー (歌手)|アッシャー]]、歌手 * 1978年 - [[木下理樹]]、ミュージシャン([[ART-SCHOOL]]) * 1978年 - [[武田久]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[江口真紀]]、バスケットボール選手 * 1978年 - [[ポール・ハンター]]、[[スヌーカー]]選手(+ [[2006年]]) * [[1979年]] - [[岡峰光舟]]、ミュージシャン([[THE BACK HORN]]) * 1979年 - [[兵庫ケンイチ]]、歌手 * 1979年 - [[水木ゆうな]]、女優 * 1979年 - [[牧野ステテコ]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]] * 1979年 - [[新井秀和]]、[[アナウンサー]] * 1979年 - [[デュアネル・サンチェス]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[ロドリゴ・テージョ]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[ステイシー・キーブラー]]、プロレスラー * [[1980年]] - [[林丈統]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[石井あみ]]、タレント * 1980年 - [[ベン・ウィショー]]、俳優 <!-- 特筆性は? * 1980年 - 坂口真弓、お笑い芸人([[少年少女 (お笑いコンビ)|少年少女]]) --> * [[1981年]] - [[ブーフ・ボンサー]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[東加奈子]]、[[ファッションモデル]] * 1982年 - [[ASOBU]]、ファッションモデル * 1982年 - [[ベン・ザイトリン]]、映画監督 * 1982年 - [[カルロス・マーモル]]、元プロ野球選手 * [[1983年]] - [[千昇秀貴]]、元大相撲力士 * 1983年 - [[新田千尋]]、[[舞台]]女優 * 1983年 - [[林丹]]、[[バドミントン]]選手 * 1983年 - [[木山光]]、[[作曲家]] * 1983年 - [[ベティ・ハイドラー]]、[[ハンマー投]]選手 * [[1984年]] - [[クラウディア・ラウシェンバッハ]]、フィギュアスケート選手 * 1984年 - [[天鎧鵬貴由輝]]、元大相撲力士 * 1984年 - Nob、ミュージシャン([[MY FIRST STORY]]) * 1984年 - [[クリス・ジョンソン (投手)|クリス・ジョンソン]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - [[前田美順]]、[[バドミントン]]選手 * 1985年 - [[ロドリゴ・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ|ジゴン]]、サッカー選手 * 1985年 - [[廣瀬友祐]]、俳優 * [[1986年]] - [[岩清水梓]]、サッカー選手 * 1986年 - [[福愛美]]、タレント * 1986年 - [[岡田光]]、俳優、ファッションモデル * 1986年 - [[キャメロン・ジェローム]]、サッカー選手 * 1986年 - [[エンリケ・アドリアーノ・ブス]]、サッカー選手 * 1986年 - [[ジョエル・キムワキ]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[荒川雄太]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[滝裕可里]]、タレント * 1987年 - [[可愛きょうこ]]、女優 * 1987年 - [[コール・カルフーン]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[ジャレッド・エラリオ]]、野球選手 * 1988年 - [[七戸龍]]、[[柔道家]] * 1988年 - [[青山愛 (アナウンサー)|青山愛]]、元アナウンサー * [[1989年]] - [[ランディ・コンスエグラ]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[川又堅碁]]、サッカー選手 * 1989年 - [[ミア・ワシコウスカ]]、女優 * [[1990年]] - [[アンドレイ・レンドラ]]、元サッカー選手 * 1990年 - [[Ray (歌手)|Ray]]、 元歌手 * [[1992年]] - [[アーメド・ムサ]]、サッカー選手 * 1992年 - [[鈴木伸之]]、俳優([[劇団EXILE]]) * 1992年 - [[川上なな実]]、タレント、元[[AV女優]] * 1992年 - [[イリー・プロハースカ]]、総合格闘家 * [[1993年]] - [[永瀬貴規]]、柔道家 * 1993年 - [[伴美幸]]、ファッションモデル、女優 * 1993年 - [[松田和]]、俳優、タレント * 1993年 - [[森下来奈]]、声優 * 1993年 - [[渡辺勝 (野球)|渡辺勝]]、元プロ野球選手 * [[1994年]] - [[清野菜名]]、女優、ファッションモデル * 1994年 - [[藤井萩花]]、元ダンサー、元ファッションモデル、元女優(元[[Flower (グループ)|Flower]]、元[[E-girls]]、元[[ShuuKaRen]]) * 1994年 - [[高柳知葉]]、声優 * 1994年 - [[桧垣果穂]]、アイドル([[Luce Twinkle Wink☆]]) * 1994年 - [[ジャレッド・ゴフ]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1996年]] - [[田中美麗]]、女優、ファッションモデル(元[[SUPER☆GiRLS]]) * 1996年 - [[森みはる]]、アイドル(元[[26時のマスカレイド]]) * 1996年 - [[野村飛鳥]]、元タレント * 1996年 - [[野村純花]]、元タレント * 1996年 - [[太田光 (野球)|太田光]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[白間美瑠]]、歌手、元アイドル(元[[NMB48]]、元[[AKB48]]兼任) * 1997年 - [[山木梨沙]]、元歌手、元アイドル(元[[カントリー・ガールズ]]) * [[1999年]] - [[足立佳奈]]、シンガーソングライター、タレント * [[2000年]] - [[宍戸里帆]]、AV女優 * 2000年 - [[平井菜生]]、野球選手 * 2000年 - [[ムン・ジンヒョク]]、プロアイスホッケー選手 * [[2001年]] - [[松永あかね]]、声優 * 2001年 - [[ローワン・ブランチャード]]、女優 * [[2004年]] - 木村日音、アイドル([[fishbowl]]) * 生年不詳 - [[宮崎ゆい]]、漫画家 * 生年不明 - [[合田慎二郎]]、声優 * 生年不明 - [[江原詩織]]、声優 * 生年不明 - [[柊唯也]]、声優 * 生年不明 - [[渕崎けけろ]]、声優 == 忌日 == {{multiple image | footer = [[イングランド王国|イングランド王]][[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド2世]](1022-1066)。[[ヘイスティングズの戦い]]で戦死 | image1 = Bayeux Tapestry scene57 Harold death.jpg | width1 = 100 | alt1 = ハロルド2世 | image2 = Tombe d'Harold II.jpg | width2 = 100 | alt2 = ハロルド2世の墓所 }} [[File:King Sho Nei.jpg|thumb|120px|[[琉球王国|琉球王]][[尚寧王|尚寧]](1564-1620)没]] [[File:Falk, Benjamin J. (1853-1925) - Eugen Sandow (1867-1925).jpg|thumb|120px|[[ボディビル]]の先駆者[[ユージン・サンドウ]](1867-1925)没]] {{multiple image | footer = [[エルヴィン・ロンメル]](1891-1944)、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の命により自決 | image1 = Bundesarchiv Bild 146-1973-012-43, Erwin Rommel.jpg | width1 = 100 | alt1 = エルヴィン・ロンメル | image2 = Erwin rommel death.jpg | width2 = 100 | alt2 = ロンメル最後の地に立つ記念碑 }} [[File:Leonard Bernstein Allan Warren.jpg|thumb|120px|[[指揮者]][[レナード・バーンスタイン]](1918-1990)没]] * [[764年]]([[天平宝字]]8年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[藤原訓儒麻呂]]、[[奈良時代]]の廷臣 * [[1066年]] - [[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド2世]]、[[イングランド王国|イングランド王]](* [[1022年]]) * [[1092年]] - [[ニザームルムルク]]、[[セルジューク朝]]の[[アタベク]]・宰相(* [[1017年]]) * [[1189年]]([[文治]]5年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[藤原泰衡]]、[[奥州藤原氏]]第4代当主(* [[1155年]]) * [[1256年]]([[康元]]元年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[藤原頼嗣]]、[[鎌倉幕府]]第5代[[征夷大将軍|将軍]]、最後の[[摂家将軍]](* [[1239年]]) * [[1318年]] - [[エドワード・ブルース]]、[[アイルランド王国|アイルランド王]](* [[1275年]]頃) * [[1441年]]([[嘉吉]]元年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - [[赤松教康]]、[[室町時代]]の[[武将]](* [[1423年]]) * [[1568年]] - [[ジャック・アルカデルト]]、[[作曲家]](* [[1504年]]?) * [[1592年]]([[文禄]]元年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[豊臣秀勝]]、[[安土桃山時代]]の武将(* [[1579年]]) * [[1602年]]([[慶長]]7年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]]) - [[松浦久信 (平戸藩主)|松浦久信]]、[[平戸藩|平戸藩主]](* [[1571年]]) * [[1610年]](慶長15年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[尼子義久]]、[[出雲国]]の[[戦国大名]](* [[1540年]]) * [[1620年]]([[泰昌]]元年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[尚寧王]]、[[琉球王国|琉球王]](* [[1564年]]) * [[1637年]] - [[ガブリエッロ・キアブレーラ]]、[[詩人]](* [[1552年]]) * [[1639年]]([[寛永]]16年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[松花堂昭乗]]、[[僧|僧侶]](* [[1582年]]) * [[1669年]] - [[アントニオ・チェスティ]]、作曲家(* [[1623年]]) * [[1704年]]([[宝永]]元年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[島津綱貴]]、[[島津氏]]第20代当主、[[薩摩藩]]の第3代[[藩主]](* [[1650年]]) * [[1706年]](宝永3年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[酒井忠囿]]、[[小浜藩|小浜藩主]](* [[1671年]]) * [[1771年]] - [[フランティシェク・クサヴェル・ブリクシ]]、作曲家(* [[1732年]]) * [[1803年]] - [[エルコレ3世・デステ]]、[[フェラーラとモデナの君主一覧|モデナ・レッジョ公]](* [[1727年]]) * [[1831年]] - [[ジャン=ルイ・ポン]]、[[天文学者の一覧|天文学者]](* [[1761年]]) * [[1836年]]([[天保]]7年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]) - [[最上徳内]]、[[江戸時代]]中後期の[[探検家]](* [[1754年]]) * [[1848年]]([[嘉永]]元年9月18日) - [[山内豊惇]]、第14代[[土佐藩|土佐藩主]](* [[1824年]]) * [[1872年]] - [[アルブレヒト・フォン・プロイセン (1809-1872)|アルブレヒト]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]の王族、[[上級大将]](* [[1809年]]) * [[1886年]] - [[本因坊秀甫]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1838年]]) * [[1891年]] - [[ラリー・コーコラン]]、プロ野球選手(* [[1859年]]) * [[1910年]] - [[ジョルジュ・マティアス]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](* [[1826年]]) * [[1925年]] - [[ユージン・サンドウ]]、[[ボディビル]]の先駆者(* [[1867年]]) * [[1934年]] - [[ミハイル・マチューシン]]、[[美術家]]、[[作曲家]](* [[1861年]]) * [[1944年]] - [[エルヴィン・ロンメル]]、[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]]の[[元帥 (ドイツ)|元帥]](* [[1891年]]) * [[1945年]] - [[本居長世]]、[[童謡]]作曲家(* [[1885年]]) * [[1946年]] - [[ミスワカナ・玉松一郎|ミスワカナ]]、[[漫才|漫才師]](* [[1910年]]) * [[1953年]] - [[徳田球一]]、[[政治家]]、[[日本共産党]]書記長(* [[1894年]]) * [[1955年]] - [[安藤正純]]、政治家、[[文部科学大臣|文部大臣]](* [[1876年]]) * [[1957年]] - 水谷[[日昇]]、僧侶(* [[1879年]]) * [[1958年]] - [[安藤広太郎]]、[[農学|農学者]](* [[1871年]]) * 1958年 - [[ダグラス・モーソン]]、[[南極]]探検家(* [[1882年]]) * [[1959年]] - [[エロール・フリン]]、[[俳優]](* [[1909年]]) * [[1961年]] - [[ポール・ラマディエ]]、[[フランスの首相|フランス首相]](* [[1888年]]) * [[1967年]] - [[今松治郎]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:4/98/view/16405|title=データベース『えひめの記憶』|publisher=生涯学習情報提供システム|accessdate=2020-12-09}}</ref>、[[総理府]]総務長官(* [[1898年]]) * 1967年 - [[マルセル・エイメ]]、[[小説家]]、[[劇作家]](* [[1902年]]) * [[1969年]] - [[羽黒山政司]]、[[大相撲]]第36代[[横綱]](* [[1914年]]) * 1969年 - [[増岡登作]]、[[実業家]]、[[増岡組]]の創業者(* [[1891年]]) * [[1977年]] - [[ビング・クロスビー]]、[[歌手]]、俳優(* [[1903年]]) * [[1983年]] - [[依田郁子]]、[[陸上競技]]選手(* [[1938年]]) * [[1984年]] - [[マーティン・ライル]]、天文学者(* [[1918年]]) * [[1985年]] - [[エミール・ギレリス]]、[[ピアニスト]](* [[1916年]]) * [[1986年]] - [[荻須高徳]]、[[画家]](* [[1901年]]) * [[1990年]] - [[レナード・バーンスタイン]]、作曲家、[[指揮者]](* [[1918年]]) * [[1992年]] - [[玉川良一]]、俳優、[[コメディアン]](* [[1924年]]) * [[1993年]] - [[石田博英]]、政治家、[[内閣官房長官]]、[[労働大臣]]、[[運輸大臣]](* [[1914年]]) * [[1994年]] - [[ジョコンダ・デ・ヴィート]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1907年]]) * [[1995年]] - [[イーディス・パージター]]、[[作家]](* [[1913年]]) * [[1999年]] - [[ジュリウス・ニエレレ]]、[[タンザニアの大統領一覧|タンザニア大統領]](* [[1922年]]) * [[2001年]] - [[張学良]]、[[奉天派|奉天軍閥]]の指導者(* [[1901年]]) * [[2002年]] - [[日野啓三]]、作家(* [[1929年]]) * [[2003年]] - [[モクタル・ウルド・ダッダ]]、[[モーリタニアの大統領一覧|モーリタニア大統領]](* [[1924年]]) * 2003年 - [[横山まさみち]]、[[漫画家]](* [[1930年]]) * [[2006年]] - [[小倉みね子]]、女優(* [[1914年]]) * 2006年 - [[弓削達]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1924年]]) * [[2008年]] - [[バリントン・J・ベイリー]]、[[SF作家]](* [[1937年]]) * [[2013年]] - [[飯島耕一]]、[[詩人]](* [[1930年]]) * [[2014年]] - [[エリザベス・ペーニャ]]、女優(* [[1959年]]) * [[2015年]] - [[古田武彦]]、[[思想史]]学者、古代史研究家(* [[1926年]]) * 2015年 - [[マチュー・ケレク]]、[[ベナン]][[ベナンの大統領|大統領]](* [[1933年]]) * [[2019年]] - [[ソルリ]]<ref>{{cite news|url=http://www.koreaherald.com/view.php?ud=20191014000871|title=Singer and actor Sulli found dead|date=October 14, 2019|work=Korea Herald}}</ref>、女優、歌手(元[[f(x)]])(* [[1994年]]) * [[2023年]] - [[財津一郎]]、俳優、コメディアン、歌手(* [[1934年]]) == 記念日・年中行事 == * [[世界標準の日]] *: [[国際標準化機構]] (ISO) と[[国際電気標準会議]] (IEC) が制定。世界標準を策定した人たちに感謝し、労をねぎらう日。 * [[生神女庇護祭]]([[正教会]]) * [[ニエレレ]]の日({{TZA}}) *: タンザニアの初代大統領[[ジュリウス・ニエレレ]]が1999年に亡くなった日。 * [[体育の日]]({{JPN}}、[[2002年]]・[[2013年]]・[[2019年]])※10月の第2月曜日、2020年以降はスポーツの日。 * [[スポーツの日 (日本)|スポーツの日]]({{JPN}}、[[2024年]])※10月の第2月曜日 * [[鉄道の日]]({{JPN}}) *: [[明治]]5年[[9月12日 (旧暦)]]([[1872年]])に、[[汐留駅 (国鉄)|新橋駅]](後の汐留貨物駅・現在廃止) - [[桜木町駅|横浜駅]](現在の根岸線桜木町駅)間に日本で初めての[[鉄道]]が正式開業したことに由来。[[1922年]]に当時の[[鉄道省]]が「鉄道記念日」として制定。[[1994年]]に運輸省(現在の[[国土交通省]])の提案により「鉄道の日」と改称し、[[JR]]以外の民間鉄道も含めての記念日となった。 <!-- *[[クマのプーさん]]原作デビューの日 *: 世界中で愛されている「[[クマのプーさん]]」の原作が発売された日(1926年10月14日)を記念日として制定したのは「[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]][[株式会社]]」。プーさんとゆかいな仲間達が楽しく暮らす100エーカーの森にちなみ、環境・森林保護を考える日としている。 * [[プラレール]]の日({{JPN}}) *: [[1997年]]に制定され、[[トミー]](現[[タカラトミー]])より「特別限定復刻版ちんちんでんしゃ」が発売された。毎年10月14日にはこれを記念して限定復刻版が発売される。 * [[PTA]]結成の日({{JPN}}) *: [[1952年]]、PTAの全国組織、日本父母と先生全国協議会(現在の[[日本PTA全国協議会]])が結成されたことに由来する。PTAは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で生まれた組織で、教師と両親が協力して子どもたちの健全な育成を図ることを目的としている。 --> == フィクションのできごと == === 誕生日(フィクション) === * [[2006年]] - [[すーぱーそに子]]、ゲーム『[[ソニコミ]]』に登場するキャラクター<ref name="supersonico">{{Cite web|和書 |url=http://supersonico.jp/profile/ |title=Biography すーぱーそに子 Super Sonico |work=すーぱーそに子 Official Website |publisher=[[ニトロプラス]] |accessdate=2022-10-12}}</ref> * 生年不明 - ハレダス、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Haredasu.html |title=ハレダス |access-date=2022-08-11 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - 新戸緋沙子、漫画・アニメ『[[食戟のソーマ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author = 原作:[[附田祐斗]]、作画:[[佐伯俊 (漫画家)|佐伯俊]] |year = 2017 |title = 食戟のソーマ 第23巻「荒野を拓く者」 |page = 193 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-881020-1 }}</ref><ref>{{Twitter status|shokugeki_anime|1448529004974297088}}</ref> * 生年不明 - 増子透、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|786730487704199168}}</ref> * 生年不明 - [[進撃の巨人の登場人物#エルヴィン|エルヴィン・スミス]]、漫画・アニメ『[[進撃の巨人]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.shingeki-sp.net/shindb/index/c_a_022 |title=進撃データベース|publisher=進撃の巨人for auスマートパス|accessdate=2020-07-16}}{{リンク切れ|date=2022年10月}}</ref> * 生年不明 - 戸塚光太郎、漫画・アニメ『[[ナナマル サンバツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://7o3x.com/char/profiles.html#24 |title=戸塚光太郎 |publisher=杉基イクラ/KADOKAWA ©7○3×クイズ研究会 |accessdate=2022-10-12 |work=アニメ『ナナマル サンバツ』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 三上季吉、漫画・アニメ『[[ALL OUT!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1469026032 |title=TVアニメ『ALL OUT!!』キャラクター&声優紹介第21弾! 1年生・三上季吉役を務めるのは橋本祐樹さん! |access-date=2022-08-11 |publisher=AnimateTimes |date=2016-07-21}}</ref> * 生年不明 - グラサン、アニメ『[[戦翼のシグルドリーヴァ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sigururi.com/chara/other/#chara_15 |title=グラサン |access-date=2022-08-11 |publisher=TVアニメ『戦翼のシグルドリーヴァ』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 坂上智代、ゲーム『[[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]]』に登場するキャラクター<ref>『CLANNAD FULL VOICE』ユーザーズマニュアル[[Key (ゲームブランド)|Key]]、2008年、12頁。</ref> * 生年不明 - 美苺(めいめい)、ゲーム・アニメ『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/meimei.php |title=美苺(めいめい) |access-date=2022-08-11 |publisher=Marvelous |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#並木芽衣子|並木芽衣子]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/20114 |title=並木 芽衣子 |access-date=2022-08-11 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#藤本里奈|藤本里奈]]、ゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/20138 |title=藤本 里奈 |access-date=2022-08-11 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 虎牙ミント、ゲーム『[[8 beat Story♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|8beatstory|1051125411579539456}}</ref> * 生年不明 - 有原ゆい、ゲーム『シンデレラナイン』『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/y_arihara |publisher=Akatsuki Inc. |title=有原 ゆい |accessdate=2022-10-12 |work=八月のシンデレラナイン公式サイト}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|14 October}} {{新暦365日|10|13|10|15|[[9月14日]]|[[11月14日]]|[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]|1014|10|14}} {{1年の月と日}}
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10月15日
10月15日(じゅうがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から288日目(閏年では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。
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10月15日(じゅうがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から288日目(閏年では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。
{{カレンダー 10月}} '''10月15日'''(じゅうがつじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から288日目([[閏年]]では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。 == できごと == [[File:Degradation alfred dreyfus.jpg|thumb|180px|[[ドレフュス事件]](1894)]] [[File:Dictator charlie5.jpg|thumb|180px|映画『[[独裁者 (映画)|独裁者]]』初公開(1940)]] [[File:Rokken accident.jpg|thumb|180px|[[六軒駅 (三重県)|六軒駅]]構内の衝突事故(1956)。42名が死亡]] {{multiple image | footer = 1963年大韓民国大統領選挙。共和党の朴正熙が勝利。 | caption1 = 朴正煕 | image1 = Park Chung-hee.jpg | width1 = 95 | alt1 = 朴正煕 | caption2 = 尹潽善 | image2 = Yun Bo-seon 1960.jpg | width2 = 85 | alt2 = 尹潽善 }} [[File:Cassini Saturn Orbit Insertion.jpg|thumb|180px|土星探査機「[[カッシーニ]]」打ち上げ(1997)]] * [[1582年]] - [[イタリア]]・[[ポーランド]]・[[ポルトガル]]・[[スペイン]]で[[グレゴリオ暦]]を導入。[[ユリウス暦]]の[[10月4日]](木曜日)の翌日が[[グレゴリオ暦]]の10月15日(金曜日)となった<ref>{{Cite web|和書 |url=https://astro-dic.jp/gregorian-calendar/ |title=グレゴリオ暦 |access-date=3 Aug 2023 |publisher=[[日本天文学会]] |website=天文学辞典}}</ref>。 * [[1815年]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]が[[セントヘレナ]]に流刑になる。 * [[1894年]] - [[ドレフュス事件]]: [[アルフレド・ドレフュス]]がドイツのスパイ容疑で逮捕。 * [[1900年]] - [[ボストン]]の[[シンフォニーホール]]が竣工。 * [[1904年]] - [[フリードリヒ・アウグスト3世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト3世]]が[[ザクセン王国|ザクセン王]]に即位。 * 1904年 - [[日露戦争]]: [[日本海海戦#バルチック艦隊の出航|バルチック艦隊]]がアジアへ向けて[[リエパーヤ|リバウ]]軍港を出港。 * [[1905年]] - ニューヨーク・ヘラルド紙で[[ウィンザー・マッケイ]]の漫画『[[リトル・ニモ]]』の連載開始。 * [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]: オランダ人ダンサーの[[マタ・ハリ]]がドイツのスパイ容疑でフランス当局により銃殺。 * [[1925年]] - [[京城府|京城]]で[[朝鮮神宮]]が創建される。 * [[1932年]] - タタ航空([[エア・インディア]])が創業。 * [[1934年]] - [[国民政府]]軍に敗れた[[中国共産党]]が、華南の根拠地を放棄し西方への[[長征]]を開始。 * [[1938年]] - 台風接近により[[鹿児島県]][[肝属郡]]などで大水害。死者・行方不明者約400人<ref>死者・行方不明者約400人に『大阪毎日新聞』(昭和13年10月17日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p217 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 * [[1939年]] - ニューヨーク市立空港([[ラガーディア空港]])が開港。 * [[1940年]] - [[チャールズ・チャップリン]]監督・主演の映画『[[独裁者 (映画)|独裁者]]』が初公開。 * [[1944年]] - [[パンツァーファウスト作戦]]。[[ハンガリー王国|ハンガリー]]で[[ナチス・ドイツ]]と[[矢十字党]]による[[クーデター]]が起こる。 * [[1945年]] - 日本で[[治安維持法]]廃止。 * 1945年 - [[スマラン事件]]。[[ジャワ島]][[スマラン]]で[[日本軍]]とインドネシア独立派が武器の引き渡しをめぐり衝突。 * 1945年 - [[在日本朝鮮人連盟]]結成。 * [[1948年]] - 日本で[[第2次吉田内閣|第2次吉田茂内閣]]が成立。 * [[1951年]] - [[シチュエーション・コメディ|シットコム]]の『[[アイ・ラブ・ルーシー]]』が[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[CBS]]テレビで放映開始。 * [[1952年]] - 日本の[[警察予備隊]]が[[保安隊]]に改編される。 * [[1953年]] - YBC[[山形放送]]がラジオ山形として開局。 * [[1956年]] - [[六軒事故]]。[[参宮線]][[六軒駅 (三重県)|六軒駅]]で[[列車衝突事故]]が起き42名が死亡。 * [[1958年]] - [[守礼門]]の復元落成式<ref>{{Cite web|和書 |title=1958年10月15日 守礼門の復元落成式 – 沖縄県公文書館 |url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/10599 |access-date=3 Aug 2023 |publisher=沖縄県公文書館}}</ref>。 * [[1961年]] - 『[[上を向いて歩こう]]』のシングル盤がリリース。発売から3ヵ月で30万枚を売り上げる。また、[[1963年]][[6月15日]]にはアメリカの音楽誌『[[ビルボード|Billboard]]』のチャートでアジア圏の歌手で初めてシングル週間1位を記録した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.universal-music.co.jp/sakamoto-kyu/news/2023-03-17/ |title=「上を向いて歩こう」ビルボード1位の快挙から60年の時を経てシングル・レコード復刻!アメリカ盤は初国内リリース! |access-date=3 Aug 2023 |publisher=Universal Music Group N.V. |date=17 Mar 2023}}</ref>。 * [[1962年]] - [[アメリカ]]が[[キューバ]]を海上封鎖し、核ミサイル配備のためのソ連船の入港を阻止。[[キューバ危機]]の始まり。 * [[1963年]] - [[1963年大韓民国大統領選挙]]で[[朴正煕]]が当選。 * [[1964年]] - [[1964年イギリス総選挙]]。[[労働党 (イギリス)|労働党]]が13年ぶりに政権獲得。 * [[1969年]] - [[悪徳の栄え事件]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]][[大法廷]]判決。被告人等の有罪が確定。 * [[1975年]] - [[広島東洋カープ]]が球団創設から25年目でのリーグ初優勝。 * [[1977年]] - [[長崎バスジャック事件]]が発生。 * [[1987年]] - [[ブルキナファソ]]でクーデター、[[トマ・サンカラ]]が殺害され[[ブレーズ・コンパオレ]]が大統領に就任。 * [[1988年]] - [[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]が[[大阪スタヂアム|大阪球場]]で、最後の公式戦を行う。 * [[1992年]] - [[メディアワークス]](現:[[KADOKAWA]] [[アスキー・メディアワークス]]ブランド)設立。 * 1992年 - セガが北米で[[メガドライブ|GENESIS]](北米版メガドライブ)の[[CD-ROM]]ドライブ[[SEGA CD]](北米版メガCD)を発売。 * [[1997年]] - アメリカの土星探査機「[[カッシーニ (探査機)|カッシーニ]]」が打ち上げ。 * 1997年 - イギリスのジェットエンジン搭載車[[スラストSSC]]が[[自動車の速度記録|自動車の最大速度記録]]であるマッハ1.016を記録。 * [[2000年]] - [[長野県]]知事選挙で、新人の[[田中康夫]]が前副知事・池田典隆を大差で破り初当選。 * [[2002年]] - [[北朝鮮による日本人拉致問題]]: [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に拉致された日本人5人が帰国。 * [[2003年]] - [[中華人民共和国]]初の有人宇宙船「[[神舟5号]]」を打ち上げ。 * [[2008年]] - [[厚生労働省]]が、[[中国]]から輸入された冷凍[[インゲン]]から、[[食品衛生法]]の[[残留農薬]]基準の3万4500倍に当たる農薬[[ジクロルボス]]が検出されたと発表<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/10/h1015-1.html |title=中国産冷凍いんげんからの農薬の検出について |access-date=3 Aug 2023 |publisher=[[厚生労働省]] |date=15 Oct 2008}}</ref>。 * [[2013年]] - [[九州旅客鉄道]]の豪華寝台列車「[[ななつ星 in 九州]]」が運行開始<ref>{{Cite web|和書 |date=17 Oct 2013 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNZO61174370W3A011C1LC0000/ |title=豪華列車「日本海側通り瀬戸内へ」 JR西社長 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=3 Aug 2023}}</ref>。 * [[2015年]] - [[ブルガリア難民射殺事件]]<ref>{{Cite web|和書 |date=16 Oct 2015 |url=https://jp.reuters.com/article/europe-migrants-bulgaria-idJPL3N12G2D620151016 |title=アフガン難民男性、ブルガリア国境警察の威嚇射撃に当たり死亡 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |accessdate=3 Aug 2023}}</ref>。 * [[2019年]] - [[フォートナイト (ゲーム)|フォートナイト]]チャプター2開始。 * [[2021年]] - [[アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)|アフガニスタン紛争]]: カンダハルの金曜礼拝中のモスクで自爆テロが発生して41人以上が死亡。 * 2021年 - [[エセックス|エセックス州]]の教会で有権者と懇談の場を通例として設けていた、同地よりの現役[[庶民院 (イギリス)|イギリス下院]]議員[[デイビッド・エイメス]]が暗殺される。 <!-- === 日本の自治体改編 === * [[1935年]] - 山口県[[徳山市]](現 [[周南市]]の一部)が市制施行。 * [[1936年]] - 大阪府[[豊中市]]が市制施行。 * [[1950年]] - 岐阜県[[関市]]が市制施行。 * [[1954年]] - 滋賀県[[草津市]]が市制施行。 * [[1957年]] - 奈良県[[五條市]]が市制施行。--> == 誕生日 == [[Image:Isabella Bird.jpg|thumb|239x239px|日本、朝鮮を旅した紀行作家、[[イザベラ・バード]](1831-1904)誕生]] {{multiple image | caption1 = 日本最初期の写真家[[上野彦馬]](1838-1904)誕生 | image1 = Ueno Hikoma.jpg | width1 = 90 | alt1 = 上野彦馬 | caption2 = 小説家、音楽評論家[[野村胡堂]](1882-1963)誕生 | image2 = Kodo Nomura 01.jpg | width2 = 90 | alt2 = 野村胡堂 }} {{multiple image | footer = 洋画家、[[藤島武二]](1867-1943)誕生。右画像は『蝶』 | image1 = Fujishima Takeji.jpg | width1 = 80 | alt1 = 藤島武二 | image2 = Butterflies by Fujishima Takeji.jpg | width2 = 100 | alt2 = 蝶 }} * [[紀元前70年]] - [[ウェルギリウス]]<ref>{{Cite web |title=Virgil {{!}} Biography, Aeneid, & Facts |url=https://www.britannica.com/biography/Virgil |access-date=3 Aug 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、叙事詩人(+ [[紀元前19年]]) * [[912年]](延喜12年[[9月3日]]) - [[良源]](元三大師・慈恵大師)<ref>{{Kotobank|良源}}</ref>、僧侶、日本[[天台宗]]第18代座主(+[[985年]]) * [[1608年]] - [[エヴァンジェリスタ・トリチェリ]]<ref>{{Cite web |title=Evangelista Torricelli {{!}} Barometer inventor, Scientist, Mathematician |url=https://www.britannica.com/biography/Evangelista-Torricelli |access-date=3 Aug 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[物理学者]](+ [[1647年]]) * [[1616年]]([[元和 (日本)|元和]]2年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]])- [[保科正景]]、第2代[[飯野藩|飯野藩主]](+ [[1700年]]) * [[1681年]]([[延宝]]9年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]])- [[本多正矩]]、第3代[[沼田藩|沼田藩主]]・初代[[田中藩|田中藩主]](+ [[1735年]]) * [[1716年]]([[享保]]元年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]])- [[松平浅五郎]]、第2代[[津山藩|津山藩主]](+ [[1726年]]) * [[1725年]](享保10年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]])- [[毛利重就]]、第7代[[長州藩|長州藩主]](+ [[1789年]]) * [[1763年]]([[宝暦]]13年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]])- [[谷文晁]]、[[画家]](+ [[1841年]]) * [[1768年]] - [[ジェームズ・ホルマン]]、[[探検家]](+ [[1857年]]) * [[1784年]] - [[トマ・ロベール・ブジョー]]、軍人、[[アルジェリア]]総督(+ [[1849年]]) * [[1795年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム4世]]、[[プロイセン王国|プロイセン王]](+ [[1861年]]) * [[1796年]]([[寛政]]8年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]])- [[伊達斉宗]]、第10代[[仙台藩|仙台藩主]](+ [[1819年]]) * [[1814年]] - [[ミハイル・レールモントフ]]、[[詩人]]、[[小説家]](+ [[1841年]]) * [[1831年]] - [[イザベラ・バード]]、旅行家、紀行作家(+ [[1904年]]) * [[1838年]]([[天保]]9年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]])- [[上野彦馬]]、[[写真家]](+ [[1904年]]) * [[1843年]]([[天保]]14年[[9月22日 (旧暦)|9月22日]])- [[松平頼英]]、第10代[[西条藩|西条藩主]]・[[子爵]](+ [[1905年]]) * [[1844年]] - [[フリードリヒ・ニーチェ]]、[[哲学者]](+ [[1900年]]) * [[1867年]]([[慶応]]3年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]])- [[藤島武二]]、[[画家]](+ [[1943年]]) * [[1871年]]([[明治]]4年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]])- [[高野岩三郎]]、[[社会統計学]]者、[[社会運動家]](+ [[1949年]]) * [[1881年]] - [[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]、[[実業家]]、[[東京地下鉄道]]創業者(+ [[1942年]]) * [[1882年]] - [[野村胡堂]]、[[小説家]]、[[作家]]、[[音楽評論家]](+ [[1963年]]) * [[1885年]] - [[柳原白蓮]]、[[歌人]](+ [[1967年]]) * [[1888年]] - [[S・S・ヴァン=ダイン]]、作家、美術評論家(+ [[1939年]]) * [[1893年]] - [[山口蓬春]]、[[日本画家]](+ [[1971年]]) * [[1899年]] - [[春風亭柳橋 (6代目)]]、落語家(+[[1979年]]) * [[1900年]] - [[マーヴィン・ルロイ]]、[[映画監督]](+ [[1987年]]) * 1900年 - [[池谷信三郎]]、[[小説家]]、[[劇作家]](+ [[1933年]]) * [[1903年]] - [[水上達三]]、[[実業家]](+ [[1989年]]) * [[1905年]] - [[アンジェロ・スキアビオ]]、[[サッカー選手]](+ [[1990年]]) * [[1907年]] - [[石本統吉]]、映画監督、映画プロデューサー、実業家(+[[1977年]]) * [[1908年]] - [[ジョン・ケネス・ガルブレイス]]、[[経済学者]](+ [[2006年]]) * [[1909年]] - [[メル・ハーダー]]、[[プロ野球選手]](+ [[2002年]]) * [[1910年]] - [[エドウィン・O・ライシャワー]]、[[歴史家]]、[[外交官]](+ [[1990年]]) * [[1912年]] - [[野田良之]]、[[法学者]](+ [[1985年]]) * [[1914年]] - [[ザーヒル・シャー]]、[[アフガニスタン]]国王(+ [[2007年]]) * [[1915年]] - [[イツハク・シャミル]]、第7代[[イスラエルの首相|イスラエル首相]](+ [[2012年]]) * [[1916年]] - [[宮崎康二]]、水泳選手(+[[1989年]]) * [[1918年]] - [[稗田敏男]]、調教師(+ [[2006年]]) * [[1924年]] - [[玉川良一]]、[[俳優]]、[[コメディアン]](+ [[1992年]]) * 1924年 - [[リー・アイアコッカ]]、実業家(+ [[2019年]]) * [[1925年]] - [[中村隆英]]、経済学者、[[東京大学]]名誉教授(+[[2013年]]) * [[1926年]] - [[ミシェル・フーコー]]、哲学者(+ [[1984年]]) * 1926年 - [[カール・リヒター]]、[[指揮者]](+ [[1981年]]) * 1926年 - [[エド・マクベイン]]、[[作家]](+ [[2005年]]) * [[1927年]] - [[依田英助]]、[[声優]] (+ [[2019年]]) * [[1928年]] - [[ドナルド・ギリース]]、[[数学者]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[1975年]]) * 1928年 - [[入谷正典]]、元プロ野球選手 * [[1929年]] - [[鈴木実 (投手)|鈴木実]]、元プロ野球選手 * [[1930年]] - [[中谷一郎]]、俳優(+ [[2004年]]) * 1930年 - [[渡部昇一]]、英語学者(+ [[2017年]]) * [[1931年]] - [[長谷部稔]]、元プロ野球選手 * 1931年 - [[鈴木正和 (詩人)|鈴木正和]]、詩人(+[[1997年]]) * [[1932年]] - [[小池聰行]]、実業家、オリジナルコンフィデンス(現[[オリコン・エンタテインメント]])創業者(+ [[2001年]]) * 1932年 - [[堀威夫]]、実業家、[[ホリプロ]]創業者 * [[1933年]] - [[飯尾為男]]、元プロ野球選手 * 1933年 - [[小沢重光]]、元プロ野球選手 * [[1934年]] - [[王蒙 (小説家)|王蒙]]、[[作家]] * 1934年 - [[大脇雅子]]、政治家 * [[1935年]] - [[蜷川幸雄]]、[[演出家]](+ [[2016年]]) * [[1938年]] - [[石井幹子]]、照明デザイナー * [[1942年]] - [[江波杏子]]、女優(+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書 |title=女優の江波杏子さんが肺気腫のため死去 76歳 |publisher=[[スポーツ報知]] |date=2 Nov 2018 |url=https://hochi.news/articles/20181102-OHT1T50118.html |accessdate=3 Aug 2023}}</ref>) * 1942年 - [[ペニー・マーシャル]]、[[映画監督]]、女優(+ [[2018年]]) * 1942年 - [[近藤重雄]]、元プロ野球選手 * [[1943年]] - [[豊沢有兄]]、政治家(+[[2018年]]) * [[1944年]] - [[デヴィッド・トリンブル]]、政治家(+ [[2022年]]) * [[1945年]] - [[村上輝康]]、エコノミスト * 1945年 - [[鶴澤清治]]、三味線奏者 * 1945年 - [[高井諭]]、元プロ野球選手 * 1945年 - [[ジム・パーマー]]、元プロ野球選手 * 1945年 - [[ジョン・マレル]]、[[劇作家]](+ [[2019年]]) * [[1946年]] - [[澤井誠介]]、銀行家 * 1946年 - [[三井恒]]、元俳優 * 1946年 - [[リチャード・カーペンター]]、作曲家、編曲家、音楽製作家 * [[1947年]] - [[池上昌弘]]、騎手、調教師 * [[1949年]] - [[桐谷広人]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]、[[投資家]] * [[1950年]] - [[清水国明]]、[[タレント]] * [[1951年]] - [[高橋和夫 (国際政治学者)|高橋和夫]]、国際政治学者 * 1951年 - [[どろんぱ]]、[[漫画家]] * [[1952年]] - [[湯山邦彦]]、[[アニメーション]]監督 * 1952年 - [[笠井亮]]、政治家 * [[1953年]] - [[鳴海風]]、小説家 * 1953年 - [[ティト・ジャクソン]]、[[歌手]] * [[1954年]] - [[ブランコ・シカティック]]、[[キックボクサー]] * [[1955年]] - [[タニア・ロバーツ]]、女優(+ [[2021年]]) * [[1956年]] - [[保坂和志]]、[[小説家]] * 1956年 - [[川田孝好]]、[[調教師]] * 1956年 - [[吉本博]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[有賀佳弘]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[ミーラー・ナーイル]]、映画監督 * [[1958年]] - [[大澤真幸]]、[[社会学者]] * 1958年 - [[山川豊]]、[[演歌歌手]] * 1958年 - [[勝生真沙子]]、声優 * [[1959年]] - [[トッド・ソロンズ]]、映画監督 * [[1961年]] - [[キムラ緑子]]、女優 * 1961年 - [[柴矢裕美]]、歌手、ボイストレーナー * [[1962年]] - [[西村康稔]]、政治家 * 1962年 - [[山口遊子]]、モデル、実業家 * [[1963年]] - [[大海吾郎]]、ナレーター * [[1964年]] - [[法月綸太郎]]、[[推理作家]]、[[評論家]] * 1964年 - [[西田三十五]]、政治家 * 1964年 - [[熊本マリ]]、[[ピアニスト]] * 1964年 - [[おおたわ史絵]]、[[精神科医]] * [[1965年]] - [[藤森涼子]]、[[気象予報士]] * 1965年 - [[前田珠子]]、[[小説家]] * 1965年 - [[長利礼治]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[笑福亭銀瓶]]、[[落語家]] * 1967年 - [[緒方豊和]]、ミュージシャン、作曲家、編曲家 * [[1968年]] - [[藤井聡]]、土木工学者、社会工学者、評論家 * 1968年 - [[河野聡]]、映画プロデューサー、アニメプロデューサー、実業家 * 1968年 - [[清水ひろたか]]、ミュージシャン * 1968年 - [[野中政宏]]、声優 * 1968年 - [[足利豊]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[ディディエ・デシャン]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * [[1969年]] - [[神戸勝彦]]、料理人(+[[2019年]]) * 1969年 - [[ビトール・バイーア]]、元サッカー選手 * [[1970年]] - [[大西亜里]]、[[シンガーソングライター]] * 1971年 - [[NATCHIN]]、ミュージシャン ([[SIAM SHADE]]) * [[1971年]] - [[栗田直紀]]、[[射撃選手]] * 1971年 - [[松本紀保]]、女優 * 1971年 - [[アンディ・コール]]、元サッカー選手 * 1971年 - [[ニコ・コヴァチ]]、元サッカー選手 * [[1972年]] - [[山本雅子]]、女優、声優 * 1972年 - [[柳本啓成]]、元サッカー選手 * [[1974年]] - [[岡野昭仁]]、ミュージシャン ([[ポルノグラフィティ]]) * 1974年 - [[ジャッキーちゃん]]、ものまね芸人 * 1974年 - [[大曲輝斎]]、ボクサー * [[1975年]] - [[石山愛子]]、[[フリーアナウンサー]] * 1975年 - [[追崎史敏]]、[[アニメーション映画|アニメ]][[監督]] * 1975年 - [[東村アキコ]]、漫画家 * [[1976年]] - [[西谷誠]]、[[騎手]] * 1976年 - [[白井英治]]、[[競艇選手]] * [[1977年]] - [[小飯塚貴世江]]、女優、声優 * 1977年 - [[菊池一仁]]、作曲家、音楽プロデューサー、ギター奏者 * 1977年 - [[ダヴィド・トレゼゲ]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[ミッチ・ジョーンズ]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[清水あすか]]、女優 * 1978年 - [[南波一海]]、音楽評論家、ミュージシャン * 1978年 - [[吉野和剛]]、パフォーマー(+[[2017年]]) * [[1979年]] - [[むらかみひとみ]]、[[絵本作家]] * 1979年 - [[ポール・ロビンソン (1979年生のサッカー選手)|ポール・ロビンソン]]、元サッカー選手 * [[1980年]] - [[渡辺直人]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[川村亜紀]]、タレント * 1980年 - [[木谷寿巳]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[トム・ボーネン]]、元自転車プロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手 * [[1981年]] - [[エレーナ・デメンチェワ]]、[[テニス]]選手 * 1981年 - [[中庭健介]]、元フィギュアスケート選手 * 1981年 - [[郭晶晶]]、[[飛込競技]]選手 * 1981年 - [[せんだるか]]、タレント * [[1982年]] - [[真木よう子]]、女優 * 1982年 - [[小澤綾子]]、歌手 * 1982年 - ツネ、お笑い芸人([[2700 (お笑いコンビ)|2700]]) * 1982年 - [[タマ・トンガ]]、[[プロレスラー]] * [[1983年]] - [[藤井重隆]]、スポーツジャーナリスト * 1983年 - [[ブルーノ・セナ]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー * 1983年 - [[ステフィー・タン|ステフィー・タン(鄧麗欣)]]、[[歌手]] * [[1984年]] - [[花井美理]]、[[グラビアアイドル]] * 1984年 - [[太田彩乃]]、タレント、[[お笑い芸人]] * 1984年 - [[中村優 (レースクイーン)|中村優]]、レースクイーン * 1984年 - [[西尾佳]]、元[[アナウンサー]] * 1984年 - [[ボークコリン雷神]]、ラグビーユニオン選手 * 1984年 - [[耿伯軒]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[村上 (お笑い芸人)|村上]]、お笑い芸人 ([[マヂカルラブリー]]) * [[1985年]] - [[川田将雅]]、騎手 * [[1986年]] - [[東出有貴]]、俳優、ミュージシャン([[HIROZ]]、[[HIROZ SEVEN+]]) * 1986年 - [[鈴木成美]]、競艇選手 * 1986年 - [[藤井大輔 (サッカー選手)|藤井大輔]]、元サッカー選手 * [[1987年]] - [[阪口夢穂]]、サッカー選手 * 1987年 - [[古橋岳也]]、プロボクサー * 1987年 - ウニョン、アイドル、ミュージシャン([[Brave Girls]]) * [[1988年]] - [[亀澤恭平]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[メスト・エジル]]、サッカー選手 * 1988年 - [[益荒海幸太]]、元大相撲力士 * 1988年 - 高橋沙織、お笑い芸人([[アルミカン]]) * [[1989年]] - [[ジアニソン・ボックハウト]]、野球選手 * 1989年 - [[ヒコロヒー]]、お笑いタレント * [[1990年]] - [[水原希子]]、モデル、女優 * 1990年 - [[杉原由規奈]]、女優 * 1990年 - [[中井貴裕]]、柔道選手 * 1990年 - [[高木海帆]]、柔道選手 * 1990年 - [[フェデリコ・デルボニス]]、テニス選手 * 1990年 - [[柴田理美]]、アナウンサー * [[1991年]] - [[仲谷明香]]、声優(元[[AKB48]]) * 1991年 - [[上矢えり奈]]、タレント、元グラビアアイドル(元[[仮面女子]]、元[[アリス十番]]) * [[1992年]] - [[牧原大成]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[財木琢磨]]、俳優 * 1992年 - [[テオスカー・ヘルナンデス]]、プロ野球選手 * 1992年 - 雫、歌手、ギター奏者([[ポルカドットスティングレイ]]) * 1992年 - [[柳田衣里佳]]、モデル、女優 * 1992年 - [[馬場雄基]]、[[政治家]] * [[1994年]] - [[大原海輝]]、俳優、モデル * 1994年 - [[大森日雅]]、声優 * [[1995年]] - [[橘柊生]]、俳優、ミュージシャン([[DISH//]]) * 1995年 - [[観世智顕]]、声優 * 1995年 - [[ヤコブ・ポエートル]]、バスケットボール選手 * [[1996年]] - [[堀未央奈]]、タレント、アイドル(元[[乃木坂46]]) * 1996年 - [[丹羽仁希]]、ファッションモデル * 1996年 - [[清水昇 (野球)|清水昇]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[清水爽香]]、女優 * [[1999年]] - [[夢原まひろ]]、タレント * 1999年 - [[竹内夢]]、タレント、女優 * [[2000年]] - [[吉岡竜輝]]、俳優 * [[2001年]] - [[海音]]、モデル * 2001年 - [[ENHYPEN|ヒスン]]、アイドル([[ENHYPEN]]) * [[2007年]] - [[高村佳偉人]]、子役 * 生年不明 - [[唯月一]]、漫画家、イラストレーター * 生年不明 - [[十河圭祐]]、声優 * 生年不明 - [[吉竹範子]]、声優 * 生年不明 - [[八巻アンナ]]<ref>{{Cite web|和書 |title=八巻 アンナ |url=https://remax-web.jp/talent/yamaki-a/ |access-date=3 Aug 2023 |publisher=REMAX Inc.}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[前田このみ (声優)|前田このみ]]、声優 * 生年不明 - [[立石めぐみ]]、声優 * 生年不明 - [[永井ちひろ (声優)|永井ちひろ]]、声優 * 生年不明 - [[手塚りょうこ]]、声優 * 生年不明 - [[舞原ゆめ]]、声優 * 生年不明 - [[小椋恵子]]、ナレーター == 忌日 == [[Image:Tadeusz Kościuszko.PNG|thumb|240x240px|[[ポーランド・リトアニア共和国]]の将軍[[タデウシュ・コシチュシュコ]](1746-1817)、スイスで客死]] [[Image:Mata Hari 13.jpg|thumb|246x246px|女スパイ、[[マタ・ハリ]]ことマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ(1876-1917)、銃殺刑]] [[Image:Norodom Sihanouk (1983).jpg|thumb|240x240px|カンボジア国王、[[ノロドム・シハヌーク]](1922-2012)]] * [[961年]] - [[アブド・アッラフマーン3世]]、[[後ウマイヤ朝]]初代[[カリフ]](* [[889年]]) * [[1389年]] - [[ウルバヌス6世 (ローマ教皇)|ウルバヌス6世]]、第202代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1318年]]) * [[1564年]] - [[アンドレアス・ヴェサリウス]]、[[解剖学|解剖学者]]、[[医師]](* [[1514年]]) * [[1603年]]([[慶長]]8年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]])- [[武田信吉]]、[[水戸藩|水戸藩主]](* [[1583年]]) * [[1704年]]([[宝永]]元年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]])- [[阿部正武]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[忍藩|忍藩主]](* [[1649年]]) * [[1754年]]([[宝暦]]4年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]])- [[井伊直禔]]、第11代[[彦根藩|彦根藩主]](* [[1727年]]) * [[1817年]] - [[タデウシュ・コシチュシュコ]]、[[ポーランド]]・[[リトアニア]]の国民的英雄(* [[1746年]]) * [[1891年]] - [[トーマス・ブラキストン]]、[[軍人]]、貿易商、[[探検家]]、[[博物学者]](* [[1832年]]) * [[1896年]] - [[千葉さな子]]、[[剣術|剣術家]](* [[1838年]]) * [[1900年]] - [[ズデニェク・フィビフ]]、[[作曲家]](* [[1850年]]) * [[1904年]] - [[ゲオルク (ザクセン王)|ゲオルク]]、第6代[[ザクセン王国|ザクセン王]](* [[1838年]]) * [[1910年]] - [[スタンリー・ケッチェル]]、[[プロボクサー]](* [[1886年]]) * [[1915年]] - [[パウル・シェーアバルト]]、[[小説家]]、[[詩人]]、[[画家]](* [[1863年]]) * [[1917年]] - [[マタ・ハリ]]、[[舞踏家]]、[[スパイ]](* [[1876年]]) * [[1922年]] - [[大井憲太郎]]、[[自由民権運動|自由民権運動家]]、[[衆議院]]議員(* [[1843年]]) * [[1929年]] - [[レオン・ドラクロワ]]、[[ベルギーの首相|ベルギー首相]](* [[1867年]]) * [[1933年]] - [[新渡戸稲造]]、教育者・思想家(* [[1862年]]) * [[1934年]] - [[レイモン・ポアンカレ]]、[[政治家]]、フランス大統領(* [[1860年]]) * [[1945年]] - [[ピエール・ラヴァル]]、[[ヴィシー政権]]首相(* [[1883年]]) * 1945年 - [[木下杢太郎]]、[[医学者]]、[[詩人]]、[[劇作家]](* [[1885年]]) * [[1946年]] - [[ヘルマン・ゲーリング]]、政治家、軍人(* [[1893年]]) * [[1955年]] - [[早坂文雄]]、作曲家(* [[1914年]]) * [[1957年]] - [[アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ]]、[[建築家]](* [[1863年]]) * 1957年 - [[ニール・ボール]]、プロ野球選手(* [[1881年]]) * [[1963年]] - [[ホートン・スミス]]、[[プロゴルファー]](* [[1908年]]) * [[1964年]] - [[コール・ポーター]]、作曲家、[[作詞家]](* [[1891年]]) * [[1967年]] - [[マルセル・エイメ]]、小説家、[[劇作家]](* [[1902年]]) * [[1968年]] - [[バージニア・リー・バートン]]、[[絵本作家]](* [[1909年]]) * [[1976年]] - [[カルロ・ガンビーノ]]、マフィア(* [[1902年]]) * [[1978年]] - [[ユージン・スミス]]、[[写真家]](* [[1918年]]) * [[1980年]] - [[大塚敬節]]、[[医師]](* [[1900年]]) * [[1983年]] - [[パット・オブライエン]]、[[俳優]](* [[1899年]]) * [[1986年]] - [[安田武]]、[[思想家]](* [[1922年]]) * [[1988年]] - [[カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ]]、作曲家、[[ピアニスト]](* [[1892年]]) * [[2000年]] - [[コンラート・ブロッホ]]、[[生化学|生化学者]](* [[1912年]]) * 2000年 - [[稲垣人司]]、高校野球指導者(* [[1932年]]) * [[2001年]] - [[日詰昭一郎]]、ミュージシャン(* [[1957年]]) * [[2006年]] - [[檜垣徳太郎]]、政治家(* [[1916年]]) * 2006年 - [[松澤宥]]、[[コンセプチュアル・アート|コンセプチュアル・アーティスト]](* [[1922年]]) * [[2007年]] - [[田島節夫]]、[[哲学|哲学者]](* [[1925年]]) * 2007年 - [[山田真二]]、俳優、[[歌手]](* [[1937年]]) * [[2012年]] - [[ノロドム・シハヌーク]]、[[カンボジア]][[国王]](* [[1922年]]) * [[2014年]] - [[小沢潔]]、政治家(* [[1927年]]) * [[2015年]] - [[舟崎克彦]]、[[作家]]、詩人(* [[1945年]]) * [[2017年]] - [[加藤唯史]]<ref name="nihonbungeisha">{{Cite web|和書 |url=https://www.nihonbungeisha.co.jp/news/n29973.html |title=訃報 加藤唯史先生、逝去のおしらせ |publisher=[[日本文芸社]] |date=24 May 2019 |access-date=3 Aug 2023}}</ref>、[[漫画家]](* [[1949年]]) * [[2018年]] - [[ポール・アレン]]<ref name="afpbb20181016">{{Cite web|和書 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3193388?act=all |title=ポール・アレン氏が死去 米マイクロソフト創業者、65歳 |accessdate=3 Aug 2023 |date=16 Oct 2018 |publisher=[[フランス通信社]] |website=AFP BB News}}</ref>、[[マイクロソフト]]社の共同創業者(* [[1953年]]) == 記念日・年中行事 == * [[世界手洗いの日]] *: [[国際連合児童基金|UNICEF]]・[[世界銀行]]などからなる「せっけんを使った手洗いのための官民パートナーシップ」が[[2008年]]から実施。感染症の予防のため、[[石鹸]]を使った正しい[[手洗い]]の方法を広めるための活動が世界各地で行われる。 * [[農山漁村女性のための国際デー]] (International Day of Rural Women) *: [[国際デー]]の一つ。 * {{仮リンク|白杖の日|en|White Cane Safety Day}} *: 視覚障害者の日<ref>{{Cite web|和書 |date=15 Oct 2018 |url=https://sputniknews.jp/20181015/5458237.html |title=白杖の日 視覚障害者は日本とロシアで十分な生活を送れるか? |publisher=Sputnik 日本 |accessdate=3 Aug 2023}}</ref>。 * [[教師の日]]({{BRA}}) * 下元({{CHN}}) *: [[三元]]は、中国の道教の行事である「上元」「中元」「下元」の総称。旧暦10月15日は下元にあたる。なお、三元は、1年を三等分するのではなく、2:1:1(6ヶ月・3ヶ月・3ヶ月)に分け、旧暦1月15日を上元、7月15日の中元、10月15日を下元とする。古代中国においては先祖の霊を祀る行事だったが、後に物忌みを行い経典を読み、災厄を逃れるよう祈る日となった。 * たすけあいの日({{JPN}}) *: [[社会福祉協議会|全国社会福祉協議会]]が[[1965年]]に制定。 * [[キノコ|きのこ]]の日({{JPN}}) *: 日本特用林産振興会が[[1995年]]に制定。10月はきのこ類の需要が高まる月で、その月の真ん中の15日を記念日とした。 * [[草履|ぞうり]]の日({{JPN}}) *: 草履興業組合が制定。[[七五三]]・正月など、草履を履く行事の多い時期が近いことから。 * [[人形]]の日({{JPN}}) *: 日本人形協会と日本玩具及び人形連盟が1965(昭和40)年に制定したが、1972(昭和47)年に「抜本的な検討を加える必要がある」として、積極的な活動を休止した。しかし、一般には普及し、この日にちなんで全国各地で人形供養や人形感謝祭等が開催される。 * [[化石]]の日({{JPN}}) *: [[日本古生物学会]]が[[2018年]]に制定。同学会のシンボルマークである[[ニッポニテス|ニッポニテス・ミラビリス]]が[[矢部長克]]によって新種記載された日にちなむ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.palaeo-soc-japan.jp/fossilday/|title=化石の日|publisher=[[日本古生物学会]]|accessdate=2021-10-15}}</ref>。 * [[新聞週間]]({{JPN}}、[[10月21日]]まで) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1015|date=Aug 2032}} * [[2004年]] - 宇宙より赤い発光体が飛来し、自衛隊員・真木舜一二等空尉の乗るF15Jイーグルと衝突。(映画『[[ULTRAMAN (映画)|ULTRAMAN]]』) * [[2006年]] - クラストイマジンが現れる。電王ロッドフォームに倒される。(特撮『[[仮面ライダー電王]]』) * [[2019年]] - 伊吹藍と志摩一未が、自称久住をドーナツEP製造の罪で逮捕(ドラマ[[MIU404]]) === 誕生日(フィクション) === * [[1899年]] - ジャン=ポール・ガゼー、ゲーム『[[シーマン]]』の作中においてシーマンの発見者とされているキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ジャン=ポール・ガゼー|others=[[神崎京介]](訳)、[[斎藤由多加]](監修)|title=ジャン=ポール・ガゼーの日記 失われた24日間|publisher=[[幻冬舎]]|year=1999|page=11|ISBN=4-87728-314-5}}</ref> * 生年不明 - 時縞ハルト、漫画・アニメ『[[革命機ヴァルヴレイヴ]]』に登場する主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.valvrave.com/character/#c1 |title=時縞 ハルト |work=『革命機ヴァルヴレイヴ』 |accessdate=3 Aug 2023 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作会社)|SUNRISE]]/VVV Committee, [[毎日放送|MBS]]}}</ref> * 生年不明 - 滝沢あすか、アニメ『[[トロピカル〜ジュ!プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/tropical-rouge_precure/character/chara4.php |title=キュアフラミンゴ/滝沢あすか |work=『トロピカル〜ジュ!プリキュア』 |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC-A]]・[[東映アニメーション]] |accessdate=3 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - [[地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物#童守小学校 5年3組|白戸秀一]]、漫画・アニメ『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=週刊少年ジャンプ特別|editor-link=週刊少年ジャンプ|year=1997|title=地獄先生ぬ〜べ〜大百科|page=42|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス デラックス]]|isbn=4-08-858883-5}}</ref> * 生年不明 - シャーロット・コンポート、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Charlotte_Compote.html |title=シャーロット・コンポート |access-date=3 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - シャーロット・ユーエン、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Charlotte_Coen.html |title=シャーロット・ユーエン |access-date=3 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - モーニン、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/mornin.html |title=モーニン |access-date=3 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - 忍足侑士、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1448666172078002180}}</ref> * 生年不明 - チヨバア、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|654310940490485760}}</ref> * 生年不明 - 志波岩鷲、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2006|page=106|ISBN=4-08-874079-3}}</ref> * 生年不明 - 桜城光、漫画・アニメ『[[ヲタクに恋は難しい]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.noitamina-shop.com/event/id/680 |title=「ヲタクに恋は難しい」桜城光 バースデーキャンペーン |access-date=3 Aug 2023 |publisher=CABINET INC. |website=ノイタミナショップ |date=1 Oct 2018}}</ref> * 生年不明 - 佐倉愛里、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/sakura.html |title=佐倉 愛里 |accessdate=3 Aug 2023 |publisher=[[衣笠彰梧]]・[[KADOKAWA]]刊/ようこそ実力至上主義の教室へ製作委員会 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』}}</ref> * 生年不明 - Es、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/es.html |title=Es エス |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS]] |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』 |accessdate=3 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - 牛丸、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/ushimaru.php |title=牛丸 |access-date=3 Aug 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref> * 生年不明 - 吉永和花那、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)|ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|1316393323515404289}}</ref> * 生年不明 - カーセル、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://kings-raid.com/characters/#character-100 |title=カーセル |publisher= Vespa Inc.|work=『キングスレイド』 |accessdate=3 Aug 2023|archiveurl= https://web.archive.org/web/20190418004848/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=100 |archivedate=2019-04-18}}</ref> * 生年不明 - 魔王カーセル、ゲーム『キングスレイド』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-3100 |title=魔王 カーセル |publisher= Vespa Inc.|work=『キングスレイド』 |accessdate=3 Aug 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200710170544/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=3100 |archivedate=10 Jul 2020}}</ref> * 生年不明 - セレナ・カデンツァヴナ・イヴ、ゲーム『[[戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED|戦姫絶唱シンフォギアXD Unlimited]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://symphogear.bushimo.jp/special/【誕生日】10月15日-セレナ・カデンツァヴナ・イヴ |title=特別回9:【誕生日】10月15日 セレナ・カデンツァヴナ・イヴさん |access-date=3 Aug 2023 |publisher=Project シンフォギア [[ブシロード|bushiroad]] KINGPAWN, Inc. |work=『戦姫絶唱シンフォギアXD Unlimited』}}</ref> * 生年不明 - イツキ、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yumekuro.com/character/meister/tsukiwatari/itsuki/ |title=イツキ |access-date=3 Aug 2023 |publisher=[[bilibili]] [[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{新暦365日|10|14|10|16|[[9月15日]]|[[11月15日]]|[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]|1015|10|15}} {{1年の月と日}}
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10月16日
10月16日(じゅうがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から289日目(閏年では290日目)にあたり、年末まであと76日ある。
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10月16日(じゅうがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から289日目(閏年では290日目)にあたり、年末まであと76日ある。
{{カレンダー 10月}} '''10月16日'''(じゅうがつじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から289日目([[閏年]]では290日目)にあたり、年末まであと76日ある。 == できごと == [[File:Marie Antoinette Execution1.jpg|thumb|upright|[[マリー・アントワネット]]処刑(1793)]] [[File:Napoleon i Poniatowski Lipsk.jpg|thumb|140px|[[ライプツィヒの戦い]](1813)フランス軍が敗北し、フランスのドイツ支配が終わる]] [[File:Tanaka iron works, Kamaishi mine 07.jpg|thumb|140px|[[釜石鉱山田中製鉄所]]設立(1886)]] [[File:John Paul II Medal of Freedom 2004.jpg|thumb|140px|カロル・ウォイティワ枢機卿、[[ローマ教皇]]に選出(1978)[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]となる]] [[File:Hokutan yūbarishinkō03.JPG|thumb|140px|[[北炭夕張新炭鉱ガス突出事故]](1981)[[夕張市]]清水沢清陵町の慰霊碑]] [[File:Curse of the Colonel DSCN7774 20090921.JPG|thumb|140px|[[阪神タイガース]]優勝(1985)[[2009年]]に引き揚げられた[[カーネル・サンダース]]像]] * [[1384年]] - [[ヤドヴィガ (ポーランド女王)|ヤドヴィガ]]が[[ポーランド王国|ポーランド]]王<!-- 女王の誤記ではない -->に即位。 * [[1590年]] - [[イタリア]]の貴族・作曲家の[[カルロ・ジェズアルド]]が、妻とその愛人ファブリツィオ・カラーファの密会の現場をおさえ、2人を惨殺。 * [[1793年]] - [[フランス革命]]: [[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]妃[[マリー・アントワネット]]が[[断頭台]]で処刑される。 * [[1813年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[ライプツィヒの戦い]]が始まる。 * [[1843年]] - [[ウィリアム・ローワン・ハミルトン]]が[[四元数]]の概念を発見する。 * [[1846年]] - [[ウィリアム・T・G・モートン]]が[[マサチューセッツ総合病院]]で歴史的なエーテル麻酔を使用した手術を行う。 * [[1859年]] - {{仮リンク|ジョン・ブラウンのハーパーズ・フェリー襲撃|en|John Brown's raid on Harpers Ferry}}。暴力的[[奴隷制度廃止運動]]家の[[ジョン・ブラウン (奴隷制度廃止運動家)|ジョン・ブラウン]]が[[ハーパーズ・フェリー (ウェストバージニア州)|ハーパーズ・フェリー]]の[[アメリカ合衆国連邦政府|連邦政府]]武器庫を襲撃して、奴隷反乱を企てる。 * [[1886年]] - 49回目の挑戦の末、岩手県釜石にて洋式高炉での出銑に成功。[[釜石鉱山田中製鉄所]]が設立され、日本の近代製鉄が始まる。 <!-- 前日 * [[1904年]] - [[日露戦争]]で、[[ロシア帝国|ロシア]]の[[バルチック艦隊]]がリバウ軍港を出港する。 --> * [[1905年]] - [[クロード・ドビュッシー]]の交響詩『[[海 (ドビュッシー)|海]]』が初演。 * [[1906年]] - ケペニックの大尉事件([[ヴィルヘルム・フォークト]]) * [[1916年]] - [[マーガレット・サンガー]]が[[ニューヨーク州]][[:en:Brownsville, Brooklyn|ブラウンズヴィル]]において、[[産児制限]]を指導する診療所を開業。 * [[1923年]] - [[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]創立。 * [[1941年]] - 外交交渉継続の是非をめぐる[[近衛文麿]]首相と[[東条英機]]陸相の対立により、[[第3次近衛内閣]]が総辞職。 * [[1943年]] - [[戸塚球場]]で[[学徒出陣壮行早慶戦]]が行なわれる。 * [[1945年]] - [[国際連合食糧農業機関]](FAO)が設立される。 * 1945年 - [[李承晩]]がアメリカから帰国し、[[連合軍軍政期 (朝鮮史)#38度線以南(南朝鮮)|南朝鮮]]の独立建国運動の指導者となる。 * 1945年 - ソ連が[[連合軍軍政期 (朝鮮史)#38度線以北(北朝鮮)|北朝鮮]]の行政権を北朝鮮指導者に移管。 * [[1946年]] - [[ニュルンベルク裁判]]で[[死刑]]判決を受けた[[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ|リッベントロップ]]元外相ら10名の被告への刑が執行される。 * [[1951年]] - [[パキスタン]]首相[[リヤーカト・アリー・ハーン]]が暗殺される。 * [[1952年]] - [[昭和天皇]]・[[香淳皇后|皇后]]が戦後初めて[[靖国神社]]に参拝。 * [[1956年]] - [[パンアメリカン航空006便不時着水事故]]。 * [[1964年]] - [[中華人民共和国]]が[[タクラマカン砂漠]]で初の[[核実験|原爆実験]]に成功し、世界5番目の核保有国となる。([[596 (核実験)]]) * [[1973年]] - [[パリ協定 (ベトナム和平)|ベトナム和平]]への功績が認められ、[[ヘンリー・キッシンジャー]]と[[レ・ドゥク・ト]]の[[ノーベル平和賞]]受賞が決定。(トは辞退する) * [[1978年]] - ポーランド人のカロル・ウォイティワ枢機卿が[[ローマ教皇]]に選出される。([[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]として、[[10月22日]]に就任) * [[1981年]] - [[北炭夕張新炭鉱ガス突出事故]]。[[北海道炭礦汽船|北炭]][[北炭夕張炭鉱|夕張新炭鉱]]でガス突出・坑内火災事故。死者93人。 * [[1985年]] - [[阪神タイガース]]が21年ぶりに[[セントラル・リーグ|リーグ]]優勝。狂喜したファンらが[[カーネル・サンダース]]像を[[カーネル・サンダースの呪い|道頓堀川に投げ込む]]。 * [[1986年]] - [[ラインホルト・メスナー]]が、史上初の[[8000メートル峰]]全14座完全登頂を達成。 * [[1991年]] - [[アメリカ合衆国]][[テキサス州]][[キリーン (テキサス州)|キリーン]]のレストラン・ルビーズで銃乱射事件が発生。([[ルビーズ銃乱射事件]]) * [[1998年]] - [[スペイン]]の要請により元チリ大統領[[アウグスト・ピノチェト]]がイギリスで逮捕される。 * 1998年 - [[埼玉医科大学]]が[[性同一性障害]]の女性患者(性自認は男性)に対する[[性別適合手術]]を実施。 * [[2004年]] - [[名鉄空港線]]の[[常滑駅]] - [[中部国際空港駅]]間が空港関係者限定で開業。 * 2004年 - 茨城県[[常陸大宮市]]が市制施行。 * [[2013年]] - [[平成25年台風第26号]]により、[[伊豆大島]]で大規模な土砂災害が発生<ref>{{Cite web|和書 |date=2013年10月17日 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNZO61188280X11C13A0CC1000/ |title=台風直撃、山崩れ集落のむ 伊豆大島の住民「一瞬の出来事」 |publisher=日本経済新聞 |accessdate=2018-09-30}}</ref>。 * [[2017年]] - [[マラウィの戦い]]: フィリピン政府、[[ISIL]]系過激派組織「[[アブ・サヤフ]]」指導者の[[イスニロン・ハピロン]]と、同じく「[[マウテ]]」指導者[[オマル・マウテとアブドゥラ・マウテ|マウテ兄弟]]の兄オマルを殺害したと発表<ref>{{Cite web|和書 |date=2017年10月16日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3146883 |title=比ミンダナオの過激派指導者が死亡、国防相 数日内に戦闘終結宣言も |work=AFPBB News |publisher=AFP |accessdate=2018-09-30}}</ref>。 * 2017年 - [[マルタ]]で[[ジョゼフ・ムスカット|ムスカット]]同国[[マルタの首相|首相]]の妻や閣僚の不正を追及していたジャーナリスト、[[ダフネ・カルーアナ・ガリジア]]が車に仕込まれた爆弾により殺害される<ref>{{Cite web|和書 |date=2017年10月17日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3146972 |title=マルタの著名ジャーナリスト爆殺 首相周辺の汚職疑惑を追及 |work=AFPBB News |publisher=AFP |accessdate=2018-09-30}}</ref>。 * [[2020年]] - [[コンフラン=サントノリーヌのテロ事件]]。 * 2020年 - アニメ映画『[[劇場版「鬼滅の刃」無限列車編]]』が公開され、興行収入が日本国内で初めて400億円を超え、歴代1位となる大ヒット作に<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65143170X11C20A0X11000/ 新型コロナ:劇場版「鬼滅の刃」、ヒットの陰にソニーのアニメ戦略] 日本経済新聞 (2020年10月18日) 2020年11月7日閲覧。</ref>。 {{-}} == 誕生日 == {{multiple image | footer = [[発明家]][[田中久重]](1799-1881)誕生。右は[[万年自鳴鐘]] | image1 = TanakaHisashige.jpg | width1 = 100 | alt1 = 田中久重 | image2 = Myriad-Year Clock, made by Hisashige Tanaka, 1851, with western and Japanese dials, weekly, monthly, and zodiac setting, plus sun and moon - National Museum of Nature and Science, Tokyo - DSC07407.JPG | width2 = 100 | alt2 = 万年自鳴鐘 }} [[File:Itō Hirobumi.jpg|thumb|120px|[[伊藤博文]](1841-1909)誕生]] [[File:A Wilde time 3.jpg|thumb|140px|[[19世紀]]末[[耽美主義]]を象徴した[[オスカー・ワイルド]](1854-1900)誕生]] [[File:Aikitsu Tanakadate.jpg|thumb|120px|[[地球物理学|地球物理学者]]、[[田中舘愛橘]](1856-1952)誕生。[[メートル法]]や[[日本式ローマ字]]の普及に努めた]] [[File:Portrait of Eugene O'Neill.png|thumb|120px|[[アメリカ合衆国|アメリカ]]近代演劇を築いた[[劇作家]]、[[ユージン・オニール]](1888-1953)誕生]] [[ファイル:Naomi Osaka (33948760861) (cropped) 3.jpg|代替文=|サムネイル|192x192ピクセル|プロ[[テニス選手一覧|テニスプレイヤー]]、[[大坂なおみ]](1997-)誕生。]] * [[1351年]] - [[ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ]]、[[ミラノ公国|ミラノ公]](+ [[1402年]]) * [[1430年]] - [[ジェームズ2世 (スコットランド王)|ジェームズ2世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(+ [[1460年]]<ref>森、p. 201</ref>) * [[1535年]]([[天文 (元号)|天文]]4年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[丹羽長秀]]、[[武将]]、[[織田氏]]の家臣(+ [[1585年]]) * [[1630年]]([[寛永]]7年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[松平頼雄 (宍戸藩主)|松平頼雄]]、初代[[常陸宍戸藩|宍戸藩]]主(+ [[1697年]]) * [[1663年]] - [[プリンツ・オイゲン]]、[[オーストリア]]の[[軍人]]、[[貴族]](+ [[1736年]]) * [[1755年]]([[宝暦]]5年9月11日]) - [[本多忠奝]]、第4代[[神戸藩]]主(+ [[1803年]]) * [[1758年]] - [[ノア・ウェブスター]]、[[辞書]]編纂者(+ [[1843年]]) * [[1797年]] - [[ジェイムズ・ブルーデネル (第7代カーディガン伯爵)]]、軍人、政治家、貴族(+ [[1868年]]) * [[1799年]]([[寛政]]11年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[田中久重]]、[[発明家]]、田中製作所(現・[[東芝]])創業者(+ [[1881年]]) * [[1801年]]([[享和]]元年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[徳川斉順]]、第11代[[紀州藩]]主(+ [[1846年]]) * [[1806年]] - [[ウィリアム・フェッセンデン]]、[[政治家]](+ [[1869年]]) * [[1814年]] - [[ハンス・ブルノ・ガイニッツ]]、[[地質学者]]、[[古生物学者]](+ [[1900年]]) * [[1821年]] - [[フランツ・ドップラー]]、[[作曲家]](+ [[1883年]]) * [[1827年]] - [[アルノルト・ベックリン]]、[[画家]](+ [[1901年]]) * [[1829年]]([[文政]]12年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[小出英教]]、第9代[[園部藩]]主(+ [[1855年]]) * [[1838年]]([[天保]]9年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[長与専斎]]、[[医学者]]、[[官僚]](+ [[1902年]]) * [[1841年]](天保12年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[伊藤博文]]、政治家、初代・5・7・10代[[内閣総理大臣]] (+ [[1909年]]) * [[1854年]] - [[オスカー・ワイルド]]、[[詩人]]、[[作家]]、[[劇作家]](+ [[1900年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[田中舘愛橘]]、[[地球物理学|地球物理学者]](+ [[1952年]]) * [[1867年]] - [[アンリ・ドルレアン (1867-1901)|アンリ・ドルレアン]]、[[探検家]](+ [[1901年]]) * [[1871年]] - [[アドルフ・ビアラン]]、[[チェリスト]]、作曲家(+ [[1916年]]) * [[1885年]] - [[ドランド・ピエトリ]]、陸上競技選手(+ [[1942年]]) * [[1886年]] - [[ボリス・エイヘンバウム]]、[[文芸学]]者(+ [[1959年]]) * [[1888年]] - [[ユージン・オニール]]、劇作家(+ [[1953年]]) * [[1889年]] - [[斎藤素巌]]、[[彫刻家]](+ [[1974年]]) * [[1890年]] - [[ポール・ストランド]]、[[写真家]](+ [[1976年]]) * [[1900年]] - [[グース・ゴスリン]]、[[プロ野球選手]](+ [[1971年]]) * [[1906年]] - [[ディーノ・ブッツァーティ]]、[[小説家]](+ [[1972年]]) * [[1908年]] - [[エンヴェル・ホッジャ]]、[[アルバニア]]の元[[首相]](+ [[1985年]]) * [[1909年]] - [[二階堂進]]、政治家(+ [[2000年]]) * [[1914年]] - [[ザーヒル・シャー]]、元[[アフガニスタン]][[アフガニスタンの国家元首の一覧|国王]](+ [[2007年]]) * 1914年 - [[森谷良平]]、元プロ野球選手(+ [[1992年]]) * [[1918年]] - [[ルイ・アルチュセール]]、哲学者、マルクス哲学の[[構造主義]]的研究家 (+ [[1990年]]) * [[1923年]] - [[早川幸男]]、[[宇宙物理学|宇宙物理学者]](+ [[1992年]]) * 1923年 - [[リンダ・ダーネル]]、[[俳優|女優]](+ [[1965年]]) * [[1925年]] - [[アンジェラ・ランズベリー]]、女優 (+ [[2022年]]) * [[1927年]] - [[ギュンター・グラス]]、[[作家]](+ [[2015年]]) * [[1929年]] - [[フェルナンダ・モンテネグロ]]、女優 * 1929年 - [[アンジェイ・ムンク]]、映画監督(+ [[1961年]]) * [[1930年]] - [[小松定男]]、政治家(+ [[2004年]]) * [[1931年]] - [[ヴァレリー・クリモフ]]、ヴァイオリニスト * 1931年 - [[チャールズ・コルソン]]、キリスト教右派指導者(+ [[2012年]]) * [[1932年]] - [[伊藤隆 (歴史学者)|伊藤隆]]、[[歴史学者]] * 1932年 - [[田宮榮一]]、元[[警視庁]][[捜査一課]]長、テレビ解説者(+ [[2018年]]) * 1932年 - [[グドベルグー・ベルグッソン]]、作家(+ [[2023年]]) * [[1933年]] - [[大山のぶ代]]、[[声優]]、女優 * [[1935年]] - [[西五十六]]、元プロ野球選手 (+ [[2023年]]) * [[1936年]] - [[アンドレイ・チカチーロ]]、[[シリアルキラー]](+ [[1995年]]) * [[1940年]] - [[デイブ・ディバッシャー]]、バスケットボール選手(+ [[2003年]]) * [[1941年]] - [[ティム・マッカーバー]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * 1941年 - [[県真澄]]、元プロ野球選手 * [[1943年]] - [[広野功]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[エリザベス・ロフタス]]、認知[[心理学者]] * 1944年 - [[金城真吉]]、[[アマチュアボクシング]]指導者(+ [[2017年]]) * [[1945年]] - [[相馬宏男]]、[[アナウンサー]] * [[1946年]] - [[馬飼野俊一]]、[[作曲家]]、[[編曲家]] * [[1947年]] - [[宮迫千鶴]]、[[画家]]、[[エッセイスト]](+ [[2008年]]) * [[1948年]] - [[レオ・マゾーニー]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[池尻勉]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[松田一輝 (漫画家)|松田一輝]]、[[漫画家]] * [[1950年]] - [[大島康徳]]、元プロ野球選手、監督(+ [[2021年]]) * 1950年 - [[若一光司]]、[[作家]]、画家、[[コメンテーター]] * [[1951年]] - [[阿川泰子]]、[[ジャズ]][[歌手|シンガー]]、元[[俳優|女優]] * [[1952年]] - [[金城基泰]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[成毛厚子]]、漫画家 * [[1953年]] - [[パウロ・ロベルト・ファルカン]]、元[[サッカー選手]]、元日本代表監督 * [[1954年]] - [[コリンナ・ハルフォーフ]]、女優 * [[1956年]] - [[マリン・オールソップ]]、指揮者 * [[1957年]] - [[永山勝]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[ティム・ロビンス]]、俳優、[[映画監督]] * 1958年 - [[大岡玲]]、作家 * 1958年 - [[津末英明]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[林寛子 (タレント)|林寛子]]、[[タレント]] * 1959年 - [[エリッキ=スヴェン・トゥール]]、作曲家 * 1959年 - [[ケビン・マクレイノルズ]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[ブライアン・ハーパー]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[ボブ・モールド]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1961年]] - [[風間八宏]]、サッカー指導者、元[[プロサッカー選手]] * 1961年 - [[マルク・レヴィ]]、小説家 * [[1962年]] - [[フリー (ミュージシャン)|フリー]]、ミュージシャン([[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]]) * 1962年 - [[ディミトリー・ホロストフスキー]]、バリトン歌手 * 1962年 - [[マヌート・ボル]]、バスケットボール選手(+ [[2010年]]) * [[1963年]] - [[瀬戸つよし|瀬藤正則]]、[[歌手]] * 1963年 - [[仁比聡平]]、弁護士 * 1963年 - [[伊藤さやか]]、タレント * 1963年 - [[佐藤文男 (1963年生の投手)|佐藤文男]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[鎧塚俊彦]]、パティシエ、実業家 * [[1966年]] - [[ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ|アマラオ]]、元サッカー選手 * 1966年 - [[シュテファン・ロイター]]、サッカー選手 * [[1967年]] - [[松野太紀]]<ref name="goo">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/松野太紀/|title=松野太紀(まつのたいき)の解説 - goo人名事典|accessdate=2020-11-15}}</ref>、声優 * [[1968年]] - [[藤井将雄]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]]) * [[1969年]] - [[大田垣晴子]]、[[イラストレーター]]、[[エッセイスト]] * 1969年 - [[土屋久美子]]、女優 * 1969年 - [[大森隆男]]、[[プロレスラー]] * 1969年 - [[エイダン・オブライエン]]、[[調教師]] * [[1970年]] - [[藤田和之]]、プロレスラー、[[総合格闘家]] * 1970年 - [[メーメット・ショル]]、元サッカー選手 * [[1971年]] - [[岡田祥嗣]]、[[騎手]] * [[1972年]] - [[後藤麻衣 (女優)|後藤麻衣]]、女優 * 1972年 - [[トーマス・リンドバーグ]]、[[ヘヴィメタル]]ミュージシャン、[[ボーカリスト]]([[アット・ザ・ゲイツ]]等) * [[1973年]] - [[奥村幸司]]、元[[野球選手]] * [[1973年]] - [[八戸優]]、[[声優]] * 1973年 - [[トーマス・ミューレ]]、元サッカー選手 * [[1974年]] - [[中野栄一]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[ポール・カリヤ]]、アイスホッケー選手 * [[1975年]] - [[青木慶則]]、ミュージシャン * 1975年 - [[中山光久]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[Yammy]]、歌手 * 1976年 - [[末吉里花]]、[[フリーアナウンサー]] * [[1977年]] - [[石川亜沙美]]、女優、[[ファッションモデル]] * 1977年 - [[ジョン・メイヤー]]、歌手 * 1977年 - [[西尾健治]]、ミュージカル俳優 * [[1978年]] - [[渡邉卓哉]]、元[[アナウンサー]] * [[1979年]] - [[義山望]]、アナウンサー * 1979年 - [[カルロス・ムニョス]]、元プロ野球選手 * 1979年 - 菅波栄純、ミュージシャン([[THE BACK HORN]]) * [[1980年]] - [[中山恵]]、元女優、元ファッションモデル * 1980年 - [[スー・バード]]、バスケットボール選手 * [[1981年]] - [[真中潤]]、元歌手 * [[1982年]] - [[松谷秀幸]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[パトリシア・ホール]]、陸上競技選手 * 1982年 - [[クリスティアン・リベーロス]]、サッカー選手 * [[1983年]] - 山本太作、ミュージシャン([[AJISAI]]) * 1983年 - [[奈月はな]]、[[グラビアアイドル]] * 1983年 - [[フィリップ・コールシュライバー]]、テニス選手 * 1983年 - [[ケニー・オメガ]]、プロレスラー * [[1984年]] - [[徳澤直子]]、ファッションモデル * 1984年 - [[優木紗和]]、元タレント * 1984年 - [[メリッサ・ローレン]]、[[ポルノ女優]] * 1984年 - [[小林未沙]]、声優、ナレーター * [[1985年]] - [[沼田由花]]、タレント * 1985年 - [[ケーシー・ストーナー]]、オートバイレーサー * 1985年 - [[佐々木悟]]、元陸上選手 * 1985年 - [[国井美佐]]、アナウンサー * [[1986年]] - [[岩永徹也]]、薬剤師、ファッションモデル、タレント、俳優 * 1986年 - [[インナ]]、歌手 * 1986年 - [[ジョーダン・ラーソン]]、[[バレーボール]]選手 * [[1987年]] ー [[飯冨孔明]]、[[能楽師]] * 1987年 - [[川端慎吾]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[クレベル・コイケ]]、[[総合格闘家]]、[[柔術家]] * 1989年 - [[根本宗子]]、[[劇作家]]、[[演出家]]、[[脚本家]]、女優 * [[1990年]] - [[荒賀龍太郎]]、[[空手家]] * 1990年 - [[桑野晃輔]]、俳優、声優 * 1990年 - [[高畠華澄]]、女優 * 1990年 - [[佐藤亜美菜]]、声優(元[[AKB48]]) * 1990年 - [[清水博正]]、演歌歌手 * 1990年 - [[守屋宏紀]]、テニス選手 * 1990年 - [[ヨハンナ・グズルン・ヨンスドッティル]]、歌手 * [[1991年]] - [[瀧本美織]]、タレント * 1991年 - [[小川大貴]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[足立梨花]]、女優、タレント * 1992年 - [[ブライス・ハーパー]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[キャロリン・ガルシア]]、テニス選手 * [[1994年]] - [[鬼頭明里]]、声優 * 1994年 - [[益田アンナ]]、ファッションモデル、グラビアアイドル * [[1995年]] - [[後藤郁]]、タレント(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]25号) * 1995年 - [[天木じゅん]]、グラビアアイドル * [[1996年]] - [[田村響華]]、声優 * 1996年 - [[船迫大雅]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[大坂なおみ]]、テニス選手 * 1997年 - [[中川可菜]]、女優、モデル * 1997年 - [[シャルル・ルクレール (レーシングドライバー)|シャルル・ルクレール]]、レーシングドライバー * [[1997年]] - [[毎熊晟矢]]、サッカー選手 * [[1998年]] - [[涼本あきほ]]、声優 * [[1999年]] - [[増本尚]]、俳優 * 1999年 - [[福本大晴]] 、アイドル、タレント([[ジャニーズJr.]]、[[Aぇ! group]]) * 1999年 - [[Kirari]]、モデル、女優 * [[2000年]] - [[八木優希]]、女優 * [[2001年]] - [[ノエルビ・マルテ]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - [[来田涼斗]]、プロ野球選手 * 生年不明 - [[べっかんこう]]、[[ゲームクリエイター]]、[[イラストレーター]] * 生年不明 - [[小森まなみ]]、ラジオパーソナリティ、声優、歌手、エッセイスト * 生年不明 - [[白服]]、アイドル、俳優 == 忌日 == === 人物 === [[File:Sue Harukata's grave.JPG|thumb|120px|[[厳島の戦い]]に敗れた[[陶晴賢]](1521-1555)自刃]] [[File:Sweelink Kupferstich.JPG|thumb|120px|[[オランダ]]の[[作曲家]][[ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク]](1582-1621)没。{{audio|Est-ce Mars Sweelinck.ogg|歌謡変奏曲“それはマルスの神(Liedvariationen Est-ce Mars)”を聴く}}]] [[File:Yamazaki Ansai.jpg|thumb|120px|[[儒学者]][[山崎闇斎]](1619-1682)没{{Squote|不幸にして若し此の厄に逢はば、則ち吾が党、身に堅を被り、手に鋭を執り、之と一戦して孔孟を擒にし、以て国恩に報ぜん。此れ即ち孔孟の道なり――『先哲叢談』(1816)}}]] [[File:Princepotemkin.jpg|thumb|120px|[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]の寵臣[[グリゴリー・ポチョムキン]](1739-1791)没]] [[File:Portrait of Rai Sanyo.jpg|thumb|120px|[[儒学者]][[頼山陽]](1780-1832)没{{Squote|汝、草木と同じく朽ちんと欲するか}}]] [[File:Moshe Dayan.jpg|thumb|120px|[[イスラエル]]の隻眼の英雄[[モーシェ・ダヤン]](1915-1981)没]] * [[1027年]]([[万寿]]4年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[藤原妍子]]、[[三条天皇]]の[[中宮]](* [[994年]]) * [[1355年]] - [[ルドヴィーコ (シチリア王)|ルドヴィーコ]]、[[シチリア王国|シチリア王]](* [[1337年]]) * [[1504年]]([[永正]]元年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[最上義淳]]、[[出羽国]]の[[戦国大名]] * [[1537年]] - [[フランソワーズ・ド・フォワ]]、[[フランス王国|フランス王]][[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]の愛妾(* [[1495年]]) * [[1553年]] - [[ルーカス・クラナッハ]]、[[画家]](* [[1472年]]) * [[1555年]]([[弘治 (日本)|弘治]]元年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[陶晴賢]]、[[武将|戦国武将]](* [[1521年]]) * [[1591年]] - [[グレゴリウス14世 (ローマ教皇)|グレゴリウス14世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Gregory-XIV Gregory XIV pope] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、第229代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1535年]]) * [[1615年]]([[元和 (日本)|元和]]元年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - [[島井宗室]]、[[商人]](* [[1539年]]) * [[1621年]] - [[ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク]]、[[作曲家]](* [[1562年]]) * [[1632年]]([[寛永]]9年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]])- [[浅野長晟]]、初代[[広島藩|広島藩主]](* [[1586年]]) * [[1680年]] - [[ライモンド・モンテクッコリ]]、[[ハプスブルク君主国|オーストリア軍]]司令官(* [[1609年]]) * [[1682年]]([[天和 (日本)|天和]]2年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[山崎闇斎]]、[[儒者]]、神道家(* [[1619年]]) * [[1750年]] - [[シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス]]、作曲家(* [[1687年]]) * [[1791年]] - [[グリゴリー・ポチョムキン]]、[[ロシア帝国]]陸軍首席大将、[[クリミア]]総督(* [[1739年]]) * [[1793年]] - [[マリー・アントワネット]]、フランス国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]王妃(* [[1755年]]) * [[1796年]] - [[ヴィットーリオ・アメデーオ3世]]、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](* [[1726年]]) * [[1810年]] - [[ナフマン・ブラツラフ]]、[[ユダヤ教]]ブレスラフ派開祖(* [[1772年]]) * [[1832年]]([[天保]]3年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]) - [[頼山陽]]、[[儒学者]]、[[文人]](* [[1780年]]) * [[1874年]] - [[ツヴィ・カリシャー]]、[[タルムード]]学者、[[シオニズム]]運動家(* [[1795年]]) * [[1893年]] - [[パトリス・ド・マクマオン]]、[[フランス第三共和政]]第2代[[フランス大統領の一覧|大統領]](* [[1808年]]) * [[1898年]] - [[ジュール=ウジェーヌ・ルヌヴー]]、[[画家]](* [[1819年]]) * [[1908年]] - [[高島嘉右衛門]]、[[実業家]]、易断家(* [[1832年]]) * [[1914年]] - [[矢頭良一]]、[[発明家]](* [[1878年]]) * [[1925年]] - [[クリスチャン・クローグ]]、画家(* [[1852年]]) * [[1930年]] - [[岩崎俊弥]]、[[旭硝子]]創業者(* [[1881年]]) * [[1938年]] - [[野間清治]]、[[講談社]]創業者(* [[1878年]]) * [[1943年]] - [[柳原愛子]]、[[大正天皇]]生母(* [[1859年]]) * [[1944年]] - [[小金井良精]]、[[人類学|人類学者]]、[[解剖学|解剖学者]](* [[1859年]]) * [[1946年]] - [[ヴィルヘルム・フリック]]、[[ナチス・ドイツ]]内相、[[ベーメン・メーレン保護領]]総督(* [[1877年]]) * 1946年 - [[ヴィルヘルム・カイテル]]、ナチス・ドイツ[[国防軍最高司令部 (ドイツ)|国防軍最高司令部]]総長(* [[1882年]]) * 1946年 - [[ユリウス・シュトライヒャー]]、[[シュテュルマー]]紙の編集者(* [[1885年]]) * 1946年 - [[アルフレート・ヨードル]]、ナチス・ドイツ国防軍最高司令部作戦部長(* [[1890年]]) * 1946年 - [[アルトゥル・ザイス=インクヴァルト]]、オーストリア・ナチスの指導者(* [[1892年]]) * 1946年 - [[アルフレート・ローゼンベルク]]、ナチス・ドイツの人種理論家、東部占領地域相(* [[1893年]]) * 1946年 - [[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ]]、ナチス・ドイツ外相(* 1893年) * 1946年 - [[フリッツ・ザウケル]]、ナチス・ドイツ労働相(* [[1894年]]) * 1946年 - [[ハンス・フランク]]、ナチス・ドイツ[[ポーランド総督府|ポーランド総督]](* [[1900年]]) * 1946年 - [[エルンスト・カルテンブルンナー]]、ナチス・ドイツ[[国家保安本部]]長官(* [[1903年]]) * [[1954年]] - [[ラルフ・ベナツキー]]、作曲家(* [[1884年]]) * [[1956年]] - [[ジュール・リメ]]、[[国際サッカー連盟]]会長(* [[1873年]]) * [[1959年]] - [[ジョージ・C・マーシャル]]、政治家、軍人(* [[1880年]]) * [[1962年]] - [[ガストン・バシュラール]]、[[哲学|哲学者]](* [[1884年]]) * [[1963年]] - [[宮原清]]、[[実業家]]、[[日本社会人野球協会]]初代会長(* [[1882年]]) * [[1967年]] - [[富田常雄]]、[[小説家]](* [[1904年]]) * [[1970年]] - [[坂田昌一]]、[[物理学者]](* [[1911年]]) * [[1980年]] - [[山本麟一]]、[[俳優]](* [[1927年]]) * [[1981年]] - [[モーシェ・ダヤン]]、軍人、国防相、外相(* [[1915年]]) * [[1982年]] - [[ヤコヴ・ゴトヴァツ]]、作曲家(* [[1895年]]) * 1982年 - [[マリオ・デル=モナコ]]、[[テノール]][[歌手]](* [[1915年]]) * [[1983年]] - [[河野謙三]]、第11・12代[[参議院議長]](* [[1901年]]) * [[1986年]] - [[アルテュール・グリュミオー]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1921年]]) * [[1989年]] - [[コーネル・ワイルド]]、[[俳優]](* [[1915年]]) * 1989年 - [[二出川延明]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球審判員|審判]](* [[1901年]]) * 1989年 - [[相良守峯]]、[[ドイツ文学者]](* [[1895年]]) * [[1990年]] - [[ホルヘ・ボレット]]、[[ピアニスト]](* [[1914年]]) * 1990年 - [[アート・ブレイキー]]、[[ジャズ]][[ドラマー]](* [[1919年]]) * [[1992年]] - [[福沢一郎]]、[[洋画家]](* [[1898年]]) * [[1994年]] - [[井上孝雄]]、俳優(* [[1935年]]) * [[1997年]] - [[ジェームズ・ミッチェナー]]、[[小説家]](* [[1907年]]) * [[1998年]] - [[ジョン・ポステル]]、[[コンピュータ]]科学者(* [[1943年]]) * [[2003年]] - [[スチュ・ハート]]、[[プロレスラー]](* [[1915年]]) * [[2004年]] - [[川又一英]]、小説家・美術研究家(* [[1944年]]) * [[2005年]] - [[バリントン・ムーア]]、[[社会学者]](* [[1913年]]) * [[2006年]] - [[バレンティン・パニアグア]]、[[ペルーの大統領|ペルー元大統領]](* [[1936年]]) * [[2007年]] - [[デボラ・カー]]、女優(* [[1921年]]) * 2007年 - [[トシェ・プロエスキ]]、[[歌手]](* [[1981年]]) * [[2011年]] - [[有川博]]<ref>{{Cite news |title=有川博さん死去 時代劇の悪役 洋画の声優として活躍 |newspaper=[[スポニチ Sponichi Annex]] |date=2011-10-17 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/10/17/kiji/K20111017001839070.html |accessdate=2020-11-25}}</ref>、[[俳優]]、[[声優]](* [[1940年]]) * 2011年 - [[ダン・ウェルドン]]、レーシングドライバー(* [[1978年]]) * [[2014年]] - ティム・ハウザー、歌手([[マンハッタン・トランスファー]])(* [[1941年]]) * 2014年 - 惣司ろう、[[漫画家]] * [[2016年]] - [[たかしまあきひこ]]<ref>{{Cite web|和書 |url=http://maestro.art.coocan.jp/RIP/RIPindex.htm |title=お知らせ |publisher=たかしまあきひこ公式サイト |accessdate=2021-05-04}}</ref>、作曲家(* [[1943年]]) * [[2017年]] - [[ダフネ・カルーアナ・ガリジア]]<ref name=afp20171017>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3146972?cx_position=16|title=マルタの著名ジャーナリスト爆殺 首相周辺の汚職疑惑を追及|publisher=[[フランス通信社|AFP]]|date=2017-10-17|accessdate=2020-11-08}}</ref>、ジャーナリスト(* [[1964年]]) *[[2023年]] - [[浅井昭衛]]、[[宗教家]](* [[1931年]]) === 人物以外(動物など) === * 1983年 - [[ケルソ]]、[[競走馬]](* [[1957年]]) == 記念日・年中行事 == * [[ボスの日]] *: [[1958年]]に、アメリカのパトリシア・ベイ・ハロスキ(Patricia Bays Haroski)が、会社を経営していた父のために、経営者と部下の関係を円滑にする日として提唱し、アメリカ商業会議所に登録されたことが始まり。 *: アメリカではこの日に、ボスを昼食に招待したりプレゼントを贈ったりして日頃の労をねぎらう。 *: 日本でも[[1988年]]からデパート業界が実施している。 * リゼクリニックの日({{JPN}}) *: 医療法人社団風林会が制定。医療脱毛とエステ脱毛の違いを理解し自分に合った脱毛方法を見つけてもらうことが目的。日付は1の形を体毛に見立て、それが全部無くなることを0として10月、医療の語感が16に似ていることからこの日にした<ref name=oct16>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|pages=160-161|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * [[世界食料デー]](World Food Day、国際デーの一つ) *: [[1945年]]10月16日に[[国際連合食糧農業機関]] (FAO) が設立されたことを記念して、[[1981年]]に制定。世界中の人々が食糧不足で苦しまないためにはどうすれば良いかを考える日<ref name=oct16>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|pages=160-161|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * 人と色の日({{JPN}}) *: 髪や目、肌の色などのパーソナルカラーの効果的な活用法を提案する日本パーソナルカラリスト協会が制定。日付は10と16で「ヒトイロ=人色」と読む語呂合わせから<ref name=oct16/>。 * 世界脊椎デー(World Spine Day) *:[[国際連合]]と[[WHO]]の呼びかけで開始された運動器の10年 (Bone and Joint Decade) により10月16日に制定。 *: 世界脊椎デーは、世界中で運動器障害(筋骨格系疾患)をはじめとした[[脊椎]]疾患への理解と予防を呼びかける日。 *: 運動器の10年の世界活動週間として10月12日から20日まで、10月12日の世界関節炎デー (World Arthritis Day)、10月16日の[[世界脊椎デー]] (World Spine Day)、10月17日の世界外傷デー (World Trauma Day)、10月19日の世界小児運動器デー (World Pediatric Bone and Joint Day)、10月20日の[[世界骨粗鬆症デー]] (World Osteoporosis Day) が制定。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1016|date=2011年7月}} * 1950年(昭和25年)- 金曜日<ref group="注">10月18日に篠崎慎吾が「二日前の金曜日」と[[金田一耕助]]に語るが、昭和25年10月16日は月曜日</ref>、真野信也と名乗る左腕のない男が名琅荘を訪れる。(小説『[[迷路荘の惨劇]]』第1章第2節) * 2005年、16時31分 - オペレーション・ロメオを成功させたロメオ隊が[[UH-1 (航空機)|UH-1J]]で[[1549年]]より帰還。(映画『[[戦国自衛隊1549]]』) * 年不明 - [[四角錐]]を擬人化した人間(四角すいさん)が「べねせ湯」という銭湯へ行く。(進研ゼミ小学講座の6年生向け教材内の「立体図形」をテーマにしたビデオ) * 年不明 - 大宮忍がイギリスにホームステイ、アリス・カータレットと出会う。(漫画『[[きんいろモザイク]]』) === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - [[デイズシリーズの登場人物#主要人物|伊藤誠]]、漫画・アニメ『[[デイズシリーズ]]』の主人公<ref>『School Days ビジュアル・ガイドブック』、[[ジャイブ]]、2005年、36頁、{{ISBN2|978-4-86176-222-2}}。</ref> * 生年不明 - [[To LOVEる -とらぶる-の登場人物#結城梨斗|結城リト]]、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-]]』『To LOVEる -とらぶる- ダークネス』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author1=矢吹健太朗|authorlink1=矢吹健太朗|author2=長谷見沙貴|authorlink2=長谷見沙貴|year=2011|title=To LOVEる -とらぶる-&To LOVEる -とらぶる- ダークネス公式データブック「ぱ〜ふぇくとらぶる! 」|page=20|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-874852-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=矢吹健太朗、長谷見沙貴|year=2014|title=To LOVEる-とらぶる-ダークネス 楽園計画ガイドブック「とらぶまにあ」|page=13|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-880260-2}}</ref> * 生年不明 - 百夜優一郎、漫画・アニメ『[[終わりのセラフ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|owarino_seraph|784771588684189696}}</ref> * 生年不明 - [[ロバート・E・O・スピードワゴン]]、漫画・アニメ『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - タロイモ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Taroimo.html |title=タロイモ |access-date=2022-08-23 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - モトイ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1184121771236028416}}</ref> * 生年不明 - 端本ちなみ、漫画・アニメ『[[いちご100%]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 納豆小僧 、漫画・小説・アニメ『[[ぬらりひょんの孫]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 孤爪研磨(こづめけんま)、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://haikyu.jp/chara/nekoma/5.html |title=音駒高校 孤爪 研磨 |publisher=[[集英社]]・『[[ハイキュー!!]]』製作委員会 |accessdate=2022-10-18 |work=アニメ『ハイキュー!!』 公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 切島鋭児郎、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://mhaoj2.bn-ent.net/character/eijiro.php |title=切島鋭児郎 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]] [[バンダイナムコエンターテインメント|BANDAI NAMCO Entertainment Inc.]] |accessdate=2022-08-23 |work=僕のヒーローアカデミア}}</ref> * 生年不明 - 鉄哲徹鐵、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group02/02-02/ |title=鉄哲徹鐵 |access-date=2022-08-23 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]] |work=僕のヒーローアカデミア}}</ref> * 生年不明 - 小田ニコルソン武蔵、漫画・アニメ『[[風夏]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[おおきく振りかぶっての登場人物#野球部員|田島悠一郎]]、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>『PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」』、[[主婦と生活社]]、2008年、10頁、{{ISBN2|978-4-391-62643-8}}。</ref> * 生年不明 - 宿木明、漫画・アニメ『[[絶対可憐チルドレン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zetchil_kousiki|1316758293893660672}}</ref> * 生年不明 - 田所迅、漫画・アニメ『[[弱虫ペダル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yowapeda_anime|919585520967081991}}</ref> * 生年不明 - 沢渡美奈、漫画・アニメ『[[ガラスの仮面]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 佐々原宗平、漫画・アニメ『[[となりの怪物くん]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 松本香子、漫画・アニメ『[[私に天使が舞い降りた!|私に天使が舞い降りた!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=松本香子 |url=http://watatentv.com/chara07.html |website=TVアニメ「私に天使が舞い降りた!」公式サイト |accessdate=2022-10-18 |publisher=椋木ななつ・[[一迅社]]/わたてん製作委員会}}</ref> * 生年不明 - トモカ・ラナ・ジュード、漫画・アニメ『[[GIRLSブラボー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 春日望、漫画・アニメ『[[屍姫]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - キース=フェルゲン、漫画・アニメ『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENRAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>[[東まゆみ]]監修 『エレメンタルジェレイド アルティメットガイド』 [[マッグガーデン]]〈ブレイドコミックス〉、2009年、67頁、{{ISBN2|978-4-86127-616-3}}。</ref> * 生年不明 - ラッセ・アイオン、アニメ『[[機動戦士ガンダム00]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 美里良夜、アニメ『[[バクテン!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.noitamina-shop.com/event/id/984 |title=TVアニメ『バクテン!!』美里良夜 バースデーキャンペーン |access-date=2022-08-23 |publisher=noitamina shop}}</ref> * 生年不明 - 桜都愛花、小説・アニメ『[[黒魔女さんが通る!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 大山リュウタロウ、ゲーム・漫画・アニメ『[[カードファイト!! ヴァンガード]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|vanguard_zero_|1449027286427074562}}</ref> * 生年不明 - モニカ・キキィ、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ミカエラ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=151&cate=name&cont=Micaela |title=ミカエラ |access-date=2022-08-23 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - ルシアン、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=173&cate=name&cont=Lucien |title=ルシアン |access-date=2022-08-23 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 日下部虎彦、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ichu_official|1184302945757626368}}</ref> * 生年不明 - 竹富亜矢、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/taketomi |publisher=八月のシンデレラナイン公式サイト |title=竹富 亜矢|キャラクター |accessdate=2022-08-23}}</ref> * 生年不明 - 世良里津花、『[[ツキノ芸能プロダクション#SQ(スケア)シリーズ|ツキノ芸能プロダクション SQ(スケア)シリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tsukino-pro.com/talent_artist/talent_artist-cat2/sq-ta/sera-rikka-ta/ |title=世良里津花 |access-date=2022-08-23 |publisher=ツキノ芸能プロダクション -ツキノプロ-}}</ref> * 生年不明 - 宗像詩帆、メディアミックス『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sunrise-inc.co.jp/my-hime/web/character/chara/shiho.html |title=宗像 詩帆 |access-date=2022-10-18 |publisher=SUNRISE |work=[舞-HiME] 風華学園オフィシャルWeb}}</ref><ref>『ヤンデレ大全』、[[インフォレスト]]、2007年、62頁、{{ISBN2|978-4-86190-260-4}}。</ref> * 生年不明 - 成海聖奈、メディアミックス『[[告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://honeyworks.jp/special/#character |title=きゃらくたー 成海 聖奈 |publisher=[[HoneyWorks]]・告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜 |accessdate=2022-08-23}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|16 October}} {{新暦365日|10|15|10|17|[[9月16日]]|[[11月16日]]|[[10月16日 (旧暦)|10月16日]]|1016|10|16}} {{1年の月と日}}
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10月17日
10月17日(じゅうがつじゅうななにち、じゅうがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から290日目(閏年では291日目)にあたり、年末まであと75日ある。
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10月17日(じゅうがつじゅうななにち、じゅうがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から290日目(閏年では291日目)にあたり、年末まであと75日ある。
{{カレンダー 10月}} '''10月17日'''(じゅうがつじゅうななにち、じゅうがつじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から290日目([[閏年]]では291日目)にあたり、年末まであと75日ある。 == できごと == [[File:Gakushuin 1877.jpg|thumb|upright|[[学習院]]創立(1877)]] {{multiple image | footer = [[十月事件]](1931)。[[三月事件]]に続く軍事[[クーデター]]未遂。画像は首謀者の[[橋本欣五郎]](左)と[[長勇]](右) | image1 = Hashimoto Kingoro.jpg | width1 = 100 | alt1 = 橋本欣五郎 | image2 = Cho Isamu.jpg | width2 = 100 | alt2 = 長勇 }} [[File:10월 유신 3년 기념식.jpg|thumb|upright|[[十月維新]](1972)。]] [[File:Oil Prices Since 1861.svg|thumb|upright|[[オイルショック|第1次オイルショック]](1973)。[[高度経済成長]]終焉の引き金となる]] * [[1346年]] - [[ネヴィルズ・クロスの戦い]]。第二次スコットランド独立戦争および[[百年戦争]]の一端で、[[スコットランド王国|スコットランド]]国王[[デイヴィッド2世 (スコットランド王)|デイヴィッド2世]]が{{仮リンク|ラルフ・ネヴィル (バロン男爵2世)|en|Ralph_Neville,_2nd_Baron_Neville}}指揮するイギリス軍に敗れ、捕えられる。 * [[1597年]]([[慶長]]2年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]])- [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]・[[稷山の戦い]]:[[黒田長政]]が[[明]]軍を撃退する。 * [[1610年]] - [[フランス王国|フランス]]王[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]の戴冠式が[[ノートルダム大聖堂 (ランス)|ランス大聖堂]]で行われる。 * [[1695年]]([[元禄]]8年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]])- [[元禄小判]]の流通はじまる。 * [[1771年]] - 15歳の[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]が作曲した歌劇『{{仮リンク|アルバのアスカーニョ|en|Ascanio in Alba}}』が初演。 * [[1777年]] - [[アメリカ独立戦争]]・[[サラトガの戦い]]で英軍の[[ジョン・バーゴイン]]将軍が[[ホレイショ・ゲイツ]]将軍に降伏。 * [[1797年]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]と[[オーストリア]]代表が[[フランス革命戦争]]の講和条約の1つ[[カンポ・フォルミオ条約]]に調印。 * [[1806年]] - [[ハイチ]]の独立運動指導者[[ジャン=ジャック・デサリーヌ]](ハイチ皇帝ジャック1世)が暗殺される。 * [[1814年]] - [[ロンドンビール洪水]]。ロンドンのビール醸造所でビールの入った大樽が爆発。溢れたビールが連鎖的に別の大樽を次々と破壊し、ビールが洪水の様に流出。8人が死亡した<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/news/london-beer-flood |title=The London Beer Flood |access-date=23 Feb 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |date=9 Oct 2019}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.smithsonianmag.com/smart-news/1814-beer-flood-killed-eight-people-180964256/ |title=This 1814 Beer Flood Killed Eight People |access-date=23 Feb 2023 |publisher=Smithsonian Magazine |date=4 Aug 2017 |language=En}}</ref>。 * [[1859年]] - [[ジェームス・カーティス・ヘボン]]が横浜到着。日本の教育に大きな足跡を残す。 * [[1860年]] - 第1回[[全英オープン (ゴルフ)|全英オープンゴルフ]]がスコットランドのプレストウィックゴルフクラブで開催。8人のプロが参加し、12ホールのコースを1日で3ラウンドプレーした<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/sports/British-Open |title=British Open|golf |access-date=22 Feb 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。 * [[1877年]] - 東京・神田に華族の教育機関・華族学校が開校。明治天皇により[[学習院]]と名付けられる。 * [[1887年]] - [[フランス]]がアンナン・トンキン保護国、コーチシナ植民地、カンボジア保護国を統括するインドシナ総督を設置、[[フランス領インドシナ|インドシナ連邦]]が成立。 * [[1887年]] - 英国人技師[[ヘンリー・S・パーマー|ヘンリー・スペンサー・パーマー]]の指導のもと日本初の近代上水道を整備した[[横浜市]]が給水を開始<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/sumai-kurashi/suido-gesui/suido/torikumi/PR/sousetsukinennbi.html |title=近代水道創設記念日について |access-date=23 Feb 2023 |publisher=[[横浜市]] |date=6 Oct 2022}}</ref>。 * [[1905年]] - [[津田梅子]]らが[[日本基督教女子青年会]] (YWCA) を創立。 * [[1907年]] - [[グリエルモ・マルコーニ]]が[[カナダ]][[ノバスコシア州|ノバ・スコシア州]]グレスベイと[[アイルランド]]クリフデン間を結ぶ世界初の商用[[無線通信]]サービスを開始。 * [[1912年]] - [[第一次バルカン戦争]]: 8日の[[モンテネグロ王国|モンテネグロ]]に続き[[バルカン同盟]]の[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア]]・[[ギリシャ王国|ギリシャ]]・[[セルビア王国 (近代)|セルビア]]が[[オスマン帝国]]に宣戦布告。 * [[1919年]] - [[マドリード地下鉄]]がCuatro Caminos駅とSol駅間をつなぐ8駅、総延長4kmで開業<ref>{{Cite web |url=https://www.metromadrid.es/en/who-we-are/we-are-centenary |title=Who We are |access-date=22 Feb 2023 |publisher=METRO |language=En}}</ref>。 * [[1931年]] - [[十月事件]]。 [[橋本欣五郎]]中佐を中心にした[[桜会]]による軍事クーデター計画が未然に発覚し、関係者が一斉に逮捕される<ref>{{Cite web|和書 |url=https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220726/se1/00m/020/007000c |title=小説 高橋是清 第198話 10月事件=板谷敏彦 |access-date=23 Feb 2023 |publisher=[[毎日新聞出版]] |website=週刊エコノミスト Online |date=17 jul 2022}}</ref>。 * [[1933年]] - [[アルベルト・アインシュタイン]]が[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]から逃れるためアメリカ合衆国へ移住<ref>{{Cite web |url=https://apnews.com/article/today-in-history-new-york-united-states-0fb8b33533645ed39bb9d66e18dc3c1b |title=Today in History: October 17, Einstein arrives in the U.S. |access-date=23 Feb 2023 |publisher=AP NEWS |date=16 Oct 2022}}</ref>。 * [[1943年]] - [[タイ王国|タイ]]と[[ミャンマー|ビルマ]]を結ぶ[[泰緬鉄道]]が完成。 * [[1945年]] - アルゼンチンでエドゥアルド・アバロス将軍による軍事クーデターにより[[フアン・ペロン]]副大統領が一時拘束される。多数のペロン支持者が{{仮リンク|プラサ・デ・マヨ|en|Plaza de Mayo}}に集結してペロンの釈放を求め、クーデター失敗。 * [[1950年]] - [[早稲田大学事件]]。 [[レッドパージ|レッド・パージ]]反対運動をする学生に対し、大学が警官の出動を要請。学生と警官が衝突し多数の負傷者・検挙者を出す。 * [[1956年]] - イギリスで西側における初の商用[[原子力発電所]][[コールダーホール原子力発電所]]が運転開始。2003年3月に運転を終了し、2007年9月29日に冷却塔が爆破解体された<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.jaif.or.jp/news_db/data/2007/1004-3-2.html |title=英コールダーホール炉 歴史に幕 冷却塔を爆破解体 |access-date=25 Feb 2023 |publisher=[[日本原子力産業協会]] |work=[原子力産業新聞] 2007年10月4日 第2398号 <3面>}}</ref>。 * [[1962年]] - [[北海道]][[乙部町]]で[[函館バス]]が土砂崩れに巻き込まれて海へ転落([[豊浜山津波]])。死者・行方不明者14名、重軽傷14名<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.hakodateshinbun.co.jp/topics/topic_2012_10_17.html |title=◎山津波事故きょうで半世紀、犠牲者を慰霊 |access-date=23 Feb 2023 |publisher=函館新聞デジタル |date=17 Oct 2012}}</ref><ref>これまでの主な落石事故『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月10日朝刊、13版、23面</ref>。 * [[1966年]] - [[ボツワナ]]と[[レソト]]が[[国際連合]]に加盟<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.unic.or.jp/info/un/un_organization/member_nations/ |title=加盟国一覧 |access-date=25 Feb 2023 |publisher=国際連合広報センター}}</ref>。 * [[1968年]] - [[川端康成]]に日本人初の[[ノーベル文学賞]]が贈られることが決定する<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51024700W9A011C1EAC000/ |title=10月17日 日本初のノーベル文学賞 川端康成が受賞決定 |access-date=25 Feb 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=16 Oct 2019}}</ref>。 * [[1972年]] - [[韓国]]の[[朴正煕]]大統領が、非常戒厳と共に国会を解散し、政治活動を禁じる非常措置を宣言する。9日後の10月26日に「[[十月維新|10月維新]]」と名付けられる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.donga.com/jp/article/all/20021014/271007/1 |title=[オピニオン]10月維新の30周年 |access-date=25 Feb 2023 |publisher=[[東亜日報]] |date=14 Oct 2002}}</ref>。 * [[1988年]] - [[オリエント・エクスプレス '88]]: [[オリエント急行]]が広島駅から日本での営業運行を開始。その後北海道から九州、四国まで日本各地を走行し、同年[[12月25日]]の東京・上野駅到着をもって営業運行を終了<ref>{{Cite web|和書 |url=https://trafficnews.jp/post/44414 |title=【今日は何の日?】「オリエント急行」日本で運行開始 |access-date=25 Feb 2023 |publisher=乗り物ニュース |date=17 Oct 2020}}</ref>。 * [[1989年]] - アメリカ・[[カリフォルニア州|カルフォルニア州]]でM7.1規模の[[ロマ・プリータ地震]]が発生。震源から100kmほど離れた[[サンフランシスコ]]市内でも、橋が崩落するなど甚大な被害が発生<ref>{{Cite web|和書 |url=https://gendai.media/articles/-/76147 |title=10月17日 アメリカでロマ・プリータ地震が発生(1989年) |access-date=25 Feb 2023 |publisher=[[講談社]] |work=サイエンス365days |date=17 Oct 2020}}</ref>。 * [[1990年]] - 世界最大規模の映画情報サイト[[IMDb|The Internet Movie Database (IMDb)]]が開設される。 * [[1992年]] - アメリカ・ルイジアナ州で[[日本人留学生射殺事件]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jiji.com/jc/v2?id=sufferings_17 |title=日本人留学生射殺事件 |access-date=25 Feb 2023 |publisher=[[時事通信]] |website=JIJI.COM}}</ref>。 * [[1994年]] - 日本で規制によって各銀行で横並びだった[[普通預金]]など流動性預金の[[利子|金利]]が自由化される<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO36529560W8A011C1EAC000/ |title=10月17日 普通預金など金利自由化、脱「護送船団方式」へ |access-date=25 Feb 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=16 Oct 2018}}</ref>。 * [[2004年]] - 栃木県の物流会社に5人組の強盗が押し入り、現金約5億4250万円が強奪される。([[栃木5億円強奪事件]]) * [[2005年]] - [[千葉ロッテマリーンズ]]が[[プレーオフ制度 (日本プロ野球)|プレーオフ]]で[[福岡ソフトバンクホークス]]に勝利し、31年ぶりのリーグ優勝を果たす<ref>{{Cite web|和書 |url=https://full-count.jp/2016/09/05/post44822/ |title=サブローが泣いた日 思いがけない涙と忘れられない助っ人の言葉 |access-date=22 Feb 2023 |publisher=Full-Count |date=5 Sep 2016}}</ref>。 * [[2007年]] - [[ダライ・ラマ14世]]に[[議会名誉黄金勲章]]が授与される<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2299545 |title=ブッシュ米大統領、ダライ・ラマ14世と初めて公の場に |access-date=22 Feb 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2010年]] - [[アパパネ]]が第15回[[秋華賞]]を勝ち、[[スティルインラブ]]以来7年ぶり、日本競馬史上3頭目の[[中央競馬クラシック三冠|牝馬三冠]]を達成<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/10/17/kiji/K20101017Z00000560.html |title=【秋華賞】歴史刻んだアパパネ!史上3頭目牝馬3冠達成 |access-date=22 Feb 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=17 Oct 2023}}</ref>。 == 誕生日 == [[File:Henri de Saint-simon portrait.jpg|thumb|130px|[[フランス]]の[[社会主義]][[思想家]]、[[アンリ・ド・サン=シモン]](1760-1825)誕生{{Squote|大多数の願望を満足させるただ一つの手段は、最も重要な産業者たちに公共財産の指揮をゆだねることです。なぜなら、最も重要な産業者たちは平安の維持に最も関心を抱いているからです。――『産業者の教理問答』(1823-24)}}]] {{multiple image | image1 = Robert Lansing.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[石井・ランシング協定]]で知られる[[アメリカ合衆国国務長官]]、[[ロバート・ランシング]](1864-1928)誕生 | alt1 = ランシング | image2 = Houphouet-Boigny.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[コートジボワール]]初代大統領、[[フェリックス・ウフェ=ボワニ]](1905-1993)誕生。[[カカオ]]産業推進で繁栄したが、後に失速した | alt2 = ボワニ }} [[File:Kenji Miyamoto.jpg|thumb|120px|[[日本共産党中央委員会幹部会委員長|日本共産党委員長]]、[[宮本顕治]](1908-2007)誕生。書記長時代から24年間代表を務めた]] {{multiple image | image1 = Eminem at DJ hero party with d12.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[ヒップホップ]]ミュージシャン、[[EMINEM]](1972-)誕生 | alt1 = エニネム | image2 = Kimi Raikkonen 2016 Malaysia.jpg | width2 = 120 | caption2 = [[フィンランド]]の[[フォーミュラ1|F1]]レーサー、[[キミ・ライコネン]](1979-)誕生 | alt2 = ライコネン }} * [[1760年]] - [[アンリ・ド・サン=シモン]]、[[社会主義]][[思想家]](+ [[1825年]]) * [[1813年]] - [[ゲオルク・ビューヒナー]]、[[革命家]]、[[作家]]、[[科学者]](+ [[1837年]]) * [[1820年]] - [[エドゥアール・ロシュ]]、[[天文学者]](+ [[1883年]]) * [[1854年]] - [[カール・カウツキー]]、[[マルクス主義者]](+ [[1938年]]) * [[1859年]] - [[バック・ユーイング]]、[[プロ野球選手]](+ [[1906年]]) * [[1864年]] - [[ロバート・ランシング]]、[[政治家]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1928年]]) * [[1877年]] - [[福井直秋]]、[[作曲家]]、[[作詞家]](+ [[1963年]]) * [[1880年]] - [[ゼエヴ・ジャボチンスキー]]、[[シオニスト]](+ [[1940年]]) * [[1882年]] - [[ルシアン・プティブルトン]]、自転車選手(+ [[1917年]]) * [[1883年]] - [[A・S・ニイル]]、教育家(+ [[1973年]]) * [[1888年]] - [[沢田廉三]]、[[外交官]](+ [[1970年]]) * [[1892年]] - [[ハーバート・ハウエルズ]]、[[作曲家]](+ [[1983年]]) * [[1898年]] - [[ロッテ・レーニャ]]、歌手、[[俳優|女優]](+ [[1981年]]) * [[1900年]] - [[ジーン・アーサー]]、[[俳優|女優]](+ [[1991年]]) * [[1904年]] - [[長谷健]]、[[小説家]](+ [[1957年]]) * [[1905年]] - [[フェリックス・ウフェ=ボワニ]]、政治家、[[コートジボワール]]初代大統領(+ [[1993年]]) * [[1908年]] - [[宮本顕治]]、[[日本共産党委員長]](+ [[2007年]]) * [[1909年]] - [[川島武宜]]、[[法学者]](+ [[1992年]]) * [[1909年]] - [[ノルベルト・ボッビオ]]、哲学者(+ [[2004年]]) * [[1912年]] - [[ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ1世]]、第262代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1978年]]) * 1912年 - [[フィリベール・ツィラナナ]]、政治家、[[マダガスカル]]初代大統領(+ [[1978年]]) * [[1915年]] - [[アーサー・ミラー]]、[[劇作家]](+ [[2005年]]) * 1915年 - [[殿山泰司]]、[[俳優]]、[[エッセイスト]](+ [[1989年]]) * [[1918年]] - [[リタ・ヘイワース]]、女優(+ [[1987年]]) * 1918年 - [[コンスタンディノス・ミツォタキス]]、政治家、[[ギリシャ]]首相(+ [[2011年]]) * [[1919年]] - [[趙紫陽]]、元[[中国共産党]]総書記、[[中華人民共和国の首相|国務院総理]](+ 2005年) * [[1920年]] - [[モンゴメリー・クリフト]]、[[俳優]](+ [[1966年]]) * 1920年 - [[メリナ・メルクーリ]]、女優(+ [[1994年]]) * [[1925年]] - [[ラミズ・アリア]]、政治家、[[アルバニア]]初代大統領(+ [[2011年]]) * [[1926年]] - [[クラウス・キンスキー]]、俳優(+ [[1991年]]) * [[1932年]] - [[小浜元孝]]、元[[バスケットボール]]選手、バスケットボール指導者(+ [[2017年]]) * 1932年 - [[ヴィータウタス・ランズベルギス]]、政治家、[[リトアニア]]最高会議議長 * [[1934年]] - [[アラン・ガーナー]]、[[作家]] * [[1935年]] - [[ピーター・ボイル]]、俳優(+ [[2006年]]) * [[1936年]] - [[金森博雄]]、[[地震学|地震学者]] * 1936年 - [[柳川福三]]、プロ野球選手(+ [[1994年]]) * [[1939年]] - [[岸田森]]、俳優(+ [[1982年]]) * 1939年 - [[ビッグ錠]]、[[漫画家]] * [[1943年]] - [[野間脩平]]、[[アナウンサー]] * [[1944年]] - [[町村信孝]]、元[[衆議院議長]]、元[[内閣官房長官]](+ [[2015年]]) * 1944年 - [[日下正勝]]、元プロ野球選手 * [[1945年]] - [[林一夫]]、[[声優]] * 1945年 - [[大岩賞介]]、[[放送作家]] * [[1946年]] - [[ヴィクトル・トレチャコフ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]] * 1946年 - [[ハワード・ショア]]、[[映画音楽]]作曲家 * 1946年 - [[串田アキラ]]、[[アニメソング|アニソン]][[歌手]] * [[1947年]] - [[田島良保]]、[[騎手]]、[[調教師]] * [[1948年]] - [[生田敬太郎]]、[[シンガーソングライター]] * [[1949年]] - [[梅津和時]]、[[サクソフォーン|サックス]]奏者、ミュージシャン * [[1950年]] - [[オム・プリ]]、俳優(+ [[2017年]]) * [[1952年]] - [[もたいまさこ]]、女優 * [[1954年]] - [[ブラック・キャット (プロレスラー)|ブラック・キャット]]、[[プロレスラー]](+ [[2006年]]) * 1954年 - [[益一哉]]、学者、[[東京工業大学]]学長 * [[1955年]] - [[門あさ美]]、シンガーソングライター * 1955年 - [[赤松一朗]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[前泊哲明]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[喜国雅彦]]、[[漫画家]] * 1958年 - [[秋ひとみ]]、元[[アイドル]]歌手 * 1958年 - [[山口忠良]]、元プロ野球選手 * 1958年 - [[安田尚弘]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[神代知衣]]、声優 * 1960年 - [[ロブ・マーシャル]]、[[映画監督]] * 1960年 - [[クレイグ・メロー]]、生化学者 * [[1961年]] - [[賀来千香子]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.oricon.co.jp/prof/197652/ |title=賀来千香子 |access-date=22 Feb 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]]}}</ref>、女優 * 1961年 - [[吉田淳]]、俳優 * 1961年 - [[植田尚樹]]、ギタリスト、作曲家 * 1961年 - [[ウィントン・マルサリス]]、ジャズトランペッター * [[1962年]] - [[グレン・ブラッグス]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[ミスターちん]]、[[お笑いタレント]]([[B21スペシャル]]) * 1963年 - [[石井宏 (野球)|石井宏]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[小林慎二]]、元サッカー選手、指導者 * [[1964年]] - [[チャールズ・ストロス]]、SF作家 * [[1965年]] - [[松田辰也]]、声優 * 1965年 - [[板取政明]]、声優 * [[1966年]] - [[並木敏成]]、バスプロ * 1966年 - [[山本進 (政治家)|山本進]]、政治家、[[東神楽町]]長 * [[1967年]] - [[青山義典]]、俳優 * 1967年 - [[谷村有美]]、[[シンガーソングライター]] * 1967年 - [[マーク・ジョンソン (内野手)|マーク・ジョンソン]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[小幡洋子]]、元[[歌手]] * 1968年 - ワタナベイビー、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ホフディラン]]) * 1968年 - [[グラエム・ル・ソー]]、サッカー選手 * 1968年 - [[ミヒャエル・シュティヒ]]、テニス選手 * [[1969年]] - [[アーニー・エルス]]、[[ゴルファー]] * 1969年 - [[岸利至]]、ミュージシャン * 1969年 - [[渋井哲也]]、[[ジャーナリスト]] * [[1970年]] - [[三原ミツカズ]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://booklive.jp/focus/author/a_id/142 |title=三原ミツカズ |access-date=22 Feb 2023 |publisher=[[ブックライブ|BookLive]]}}</ref>、漫画家 * [[1971年]] - [[小久保智]]、調教師 * [[1972年]] - [[エミネム]]、[[ヒップホップ]]ミュージシャン * 1972年 - [[JIRO]]、ミュージシャン([[GLAY]]) * 1972年 - [[武蔵 (格闘家)|武蔵]]、[[格闘家]] * 1972年 - [[猫背椿]]、女優 * 1972年 - [[藤田宗一 (投手)|藤田宗一]]、元プロ野球選手 * [[1974年]] - [[ロビー・サヴェージ]]、サッカー選手 * 1974年 - [[マシュー・マクファディン]]、俳優 * 1974年 - [[宮内亜弥子]]、[[フリーアナウンサー]] * [[1975年]] - [[上田万由子]]、[[アナウンサー]] * 1975年 - [[ヘクター・アルモンテ]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[井上怜奈]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1977年]] - [[安藤幸代]]、アナウンサー * 1977年 - [[桜井映里]]、女優 * 1977年 - [[平山広行]]、俳優 * 1977年 - [[アンドレ・ビラス・ボアス|アンドレ・ヴィラス・ボアス]]、[[サッカー]]指導者 * 1977年 - [[ライアン・ネルセン]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[ポール・スタルテリ]]、元サッカー選手 * [[1978年]] - [[黒沢かずこ]]、お笑いタレント([[森三中]]) * 1978年 - [[福良徹]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[キミ・ライコネン]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー * 1979年 - [[西興一朗]]、俳優 * 1979年 - [[七生奈央]]、[[グラビアアイドル]] * [[1980年]] - [[児玉美保]]、アナウンサー * 1980年 - [[エカテリーナ・ガモワ]]、[[バレーボール]]選手 * [[1981年]] - [[今井翼]]、俳優、[[タレント]](元[[タッキー&翼]]) * 1981年 - [[廣瀬俊朗]]、元[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手 * [[1983年]] - [[橋本絵莉子]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000209523 |title=橋本絵莉子、チャットモンチー完結後のソロ初作品完成「やっぱりバンドは、音楽は、いいなと思いました」 |access-date=23 Feb 2023 |publisher=BARKS |date=17 Oct 2021}}</ref>、ミュージシャン(元[[チャットモンチー]]) * 1983年 - [[イヴァン・サエンコ]]、元サッカー選手 * 1983年 - [[宮下純一]]、元[[水泳選手]]、タレント * 1983年 - [[ミリツァ・ブロゾヴィチ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1983年 - [[松下年宏]]、元サッカー選手 * 1983年 - [[ミッチ・タルボット]]、プロ野球選手 * [[1984年]] - 石井輝明、お笑いタレント([[コマンダンテ (お笑いコンビ)|コマンダンテ]]) * 1984年 - [[臼田あさ美]]、タレント * [[1985年]] - [[柳楽智和]]、元サッカー選手 * 1985年 - [[ロナルド・ラミレス]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[カルロス・ゴンザレス (野球)|カルロス・ゴンザレス]]、元プロ野球選手 * [[1986年]] - [[定岡卓摩]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[吉岡興志]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[ヤニック・ポンセロ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1987年]] - [[高橋秀人]]、サッカー選手 * 1987年 - [[フレジャ・ベハ]]、ファッションモデル * 1987年 - [[小金翔]]、総合格闘家 * [[1988年]] - [[大島優子]]、女優、元アイドル(元[[AKB48]]) * 1988年 - [[松坂桃李]]、[[モデル (職業)|モデル]]、俳優 * 1988年 - [[ステフェン・ロメロ]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[相羽あいな]]、声優 * 1988年 - [[稲橋良太]]、元ラグビー選手 * [[1989年]] - [[柄本時生]]、俳優 * 1989年 - [[八木勇樹]]、元陸上選手 * [[1990年]] - [[熊谷紗希]]、サッカー選手 * 1990年 - [[村田愛里咲]]、元[[フリースタイルスキー]]選手 * 1990年 - [[岡山外潤]]、タレント、歌手([[Fis block]]) * 1990年 - [[田村侑久]]、タレント、アイドル([[BOYS AND MEN]]) * 1990年 - [[稲葉光]]、タレント、俳優(元[[MADE (アイドルグループ)|MADE]]、元[[ジャニーズJr.]]) * 1990年 - [[須貝茉彩]]、フリーアナウンサー、リポーター * 1990年 - [[パトリック・ランビー]]、元ラグビー選手 * [[1991年]] - [[スタニスラフ・コバリョフ]]、フィギュアスケート選手 * 1991年 - 新山士彦、お笑いタレント([[さや香]]) * 1991年 - [[畑下由佳]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]アナウンサー * 1991年 - [[岡田久美子]]、[[競歩]]選手 * 1991年 - [[有岡蔵人]]、俳優 * [[1992年]] - [[桜庭ななみ]]、女優、歌手(元[[bump.y]]) * 1992年 - [[ハンサー・アルベルト]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[戸根千明]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[小森未彩]]、声優、女優、歌手、タレント、実業家、デザイナー * 1993年 - [[松本直樹]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - 山口夕輝、元アイドル(元[[NMB48]]) * 1993年 - [[塩顕治]]、俳優 * [[1994年]] - [[金澤美穂]]、女優 * 1994年 - [[土性沙羅]]、元レスリング選手 * [[1996年]] - [[小山寛大]]、プロレスラー * [[1996年]] - [[幕内里奈]]、グラビアアイドル * 1996年 - [[基俊介]]、俳優、歌手(元[[IMPACTors]]) * [[1997年]] - [[飯沼ひかる]]、女優 * 1997年 - [[久保明日香]]、アナウンサー * 1997年 - [[太田智樹]]、陸上選手 * 1997年 - [[高橋悠介]]、テニス選手 * 1997年 - [[森友莉世]]、声優 * [[1999年]] - [[冴木柚葉]]、女優、モデル * [[2000年]] - [[宮島めい]]、AV女優 * [[2001年]] - [[秋元晏斗玲]]、俳優 * 2001年 - [[トミー・ドイル]]、サッカー選手 * [[2003年]] - [[鈴木るりか]]、小説家 * 2003年 - [[チャーリー・パティーノ]]、サッカー選手 * 生年不明 - [[宮坂香帆]]、漫画家 * 生年不明 - [[中川譲]]、[[情報学|情報学者]] * 生年不明 - [[インザーギ (ミュージシャン)|INZ]]、歌手(元[[メガマソ]]、FUZ) * 生年不明 - [[幸地真作]]、声優 * 生年不明 - [[大村歌奈]]、声優 * 生年不明 - [[小倉結衣]]、声優 == 忌日 == [[File:Kodai-in Nene enlarged.jpg|thumb|140px|[[豊臣秀吉]]の[[正室]]、ねねこと[[高台院]](1542-1624)没]] [[File:Bellotto Miodowa Street in Warsaw 01.jpg|thumb|upright|[[ワルシャワ]]の風景を多く描いた[[イタリア]]の風景[[画家]]、[[ベルナルド・ベッロット]](1720-1780)没。[[第二次世界大戦]]で破壊されたワルシャワ復興に生かされた]] [[File:Jean Jacques Dessalines.jpg|thumb|120px|[[ハイチ]]皇帝を名乗った独立運動家、[[ジャン=ジャック・デサリーヌ]](1542-1624)暗殺]] * [[532年]] - [[ボニファティウス2世 (ローマ教皇)|ボニファティウス2世]]、[[教皇|ローマ教皇]] * [[1456年]] - [[ニコラ・グルノン]]、[[作曲家]](* [[1375年]]頃) * [[1624年]]([[寛永]]元年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[高台院]](ねね)、[[豊臣秀吉]]の[[正室]](* [[1542年]]?) * [[1757年]] - [[ルネ・レオミュール]]、科学者(* [[1683年]]) * [[1780年]] - [[ベルナルド・ベッロット]]、[[画家]](* [[1720年]]) * [[1806年]] - [[ジャン=ジャック・デサリーヌ]]、[[ハイチ]]皇帝(* [[1758年]]) * [[1837年]] - [[ヨハン・ネポムク・フンメル]]、作曲家(* [[1778年]]) * [[1849年]] - [[フレデリック・ショパン]]、作曲家(* [[1810年]]) * [[1868年]] - [[ローラ・セコール]]、[[カナダ]]の王党派活動家(* [[1775年]]) * [[1887年]] - [[グスタフ・キルヒホフ]]、[[物理学者]](* [[1824年]]) * [[1907年]] - [[グスタフ・ツォイナー]]、物理学者、[[工学者]](* [[1828年]]) * [[1937年]] - [[ジョセフ・ブルース・イズメイ]]、実業家(* [[1862年]]) * [[1938年]] - [[カール・カウツキー]]、[[マルクス主義]]理論家、[[政治家]](* [[1854年]]) * 1938年 - [[辰野保]]、[[陸上競技]]選手、[[弁護士]]、[[政治家]](* [[1891年]]) * [[1943年]] - [[黒島伝治]]、[[小説家]](* [[1898年]]) * [[1944年]] - [[ハンス・クラーサ]]、作曲家(* [[1899年]]) * [[1947年]] - [[アーサー・マスティック・ハイド]]、[[ミズーリ州知事]]、[[アメリカ合衆国農務長官]](* [[1877年]]) * [[1947年]] - [[エルズワース・ハンティントン]]、[[地理学者]]、[[経済学者]](* [[1876年]]) * [[1952年]] - [[岡田啓介]]、政治家、第31代[[内閣総理大臣]](* [[1868年]]) * [[1960年]] - [[中村富十郎 (4代目)|中村富十郎]]、[[歌舞伎役者]](* [[1908年]]) * [[1962年]] - [[ナタリア・ゴンチャロワ (画家)|ナタリア・ゴンチャロワ]]、[[美術家]](* [[1881年]]) * 1962年 - [[オラフ・ヘンリクセン]]、[[プロ野球選手]](* [[1888年]]) * [[1966年]] - [[ヴィーラント・ワーグナー]]、[[演出家]](* [[1917年]]) * 1966年 - [[クレオ・ド・メロード]]、[[バレリーナ]](* [[1875年]]) * [[1967年]] - [[愛新覚羅溥儀]]、[[清朝]]最後の[[皇帝]]、[[満州国]]皇帝(* [[1906年]]) * [[1940年]] - [[ジョージ・デイヴィス (内野手)|ジョージ・デイヴィス]]、プロ野球選手(* [[1870年]]) * [[1973年]] - [[インゲボルク・バッハマン]]、[[小説家]]、[[詩人]](* [[1926年]]) * [[1974年]] - [[黒尾重明]]、元プロ野球選手(* [[1926年]]) * [[1977年]] - [[中山健男]]、[[憲法学者]](* [[1910年]]) * 1977年 - [[カル・ハバード]]、[[NFL]]選手、[[メジャーリーグ]]審判(* [[1900年]]) * [[1983年]] - [[レイモン・アロン]]、[[社会学者]](* [[1905年]]) * [[1985年]] - [[ヨーゼフ・ローゼンシュトック]]、[[指揮者]](* [[1895年]]) * [[1989年]] - [[成田友三郎]]、プロ野球選手(* [[1917年]]) * [[1991年]] - [[清岡純子]]、[[写真家]](* [[1921年]]) * [[1996年]] - [[ベルトルト・ゴルトシュミット]]、作曲家(* [[1903年]]) * [[1997年]] - [[ラリー・ジェニングス]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](* [[1933年]]) * [[2001年]] - [[ジェイ・リビングストン]]、作曲家(* [[1915年]]) * [[2004年]] - [[レイ・ブーン]]、プロ野球選手(* [[1923年]]) * [[2005年]] - [[巴金]]、[[小説家]]、[[翻訳家]](* [[1904年]]) * [[2006年]] - [[木村尚三郎]]、[[歴史学者]](* [[1930年]]) * 2006年 - [[ダニエル・エミルフォーク]]、[[俳優]](* [[1924年]]) * [[2009年]] - [[加藤和彦]]、[[音楽プロデューサー]](* [[1947年]]) * [[2012年]] - [[若松孝二]]、[[映画監督]](* [[1936年]]) * 2012年 - [[シルビア・クリステル]]、[[俳優|女優]]、モデル(* [[1952年]]) * [[2014年]] - [[奥大介]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/10/18/kiji/K20141018009121110.html |title=元日本代表・奥大介さん 新生活の地・宮古島で激突死 38歳 |access-date=23 Feb 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=18 Oct 2014 |website=Sponichi Annex}}</ref>、元[[サッカー選手]](* [[1976年]]) * [[2017年]] - [[ダニエル・ダリュー]]、女優(* [[1917年]]) * [[2018年]] - [[古川清蔵]]、元プロ野球選手(* [[1922年]]) * 2018年 - [[田中信夫]]、[[声優]](* [[1935年]]) * 2018年 - [[辻谷耕史]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201810230000775.html |title=ガンダム主演の辻谷耕史さんが脳梗塞で17日に急死 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=23 Oct 2018 |accessdate=23 Feb 2023}}</ref>、声優(* [[1962年]]) * [[2019年]] - [[アリシア・アロンソ]]<ref>{{Cite web|和書 |title=アリシア・アロンソさんが死去 キューバのバレリーナ |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51141760Y9A011C1CN8000/ |accessdate=23 Feb 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=18 Oct 2019}}</ref>、[[バレエダンサー]](* [[1920年]]) * [[2020年]] - [[近藤等則]]、ジャストランペット奏者(* [[1949年]]) * 2020年 - [[七瀬雪乃]]、アイドル歌手([[てぃんく♪]]メンバー)(* [[2002年]]) * [[2021年]] - [[前田五郎]]<ref>{{Cite web|和書 |title=前田五郎さん急死、79歳 坂田利夫と「コメディNo・1」で漫才界けん引 最近までトークライブ |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/11/05/kiji/20211105s00041000145000c.html |website=Shonichi Annex |date=5 Nov 2021 |accessdate=23 Feb 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]]}}</ref>、お笑い芸人([[コメディNo.1]])(* [[1942年]]) * [[2022年]] - [[柴英三郎]]、脚本家(* [[1927年]]) * [[2023年]] - [[水城夢子]]、女優、アイドル(元[[妄想キャリブレーション]]、元[[BYOB (アイドルグループ)|BYOB]])(* [[1996年]]) == 記念日・年中行事 == * [[貧困撲滅のための国際デー]] *: [[1992年]]12月の国連総会で制定された[[国際デー]]。フランスを拠点とする[[非政府組織|NGO]]「国際運動ATD第4世界」の発案により、多くの国でこの日が「極貧に打ち克つための世界デー」となっていることから、国連総会で「貧困撲滅のための国際デー」とすることが宣言された。 * デサリーヌの日({{HTI}}) *: ハイチの独立運動指導者[[ジャン=ジャック・デサリーヌ]]が[[1806年]]に暗殺された日。 * 台湾文化の日({{TWN}}) *: [[1921年]]に[[蔣渭水]]らによって[[台湾文化協会]]が創設されたのを記念<ref>{{Cite web|和書 |date=17 Oct 2017 |url=https://web.archive.org/web/20210801141042/http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201710170004.aspx |title=きょうは「台湾文化の日」 故宮など147施設が入館無料に |publisher=中央通訊社 |accessdate=23 Feb 2023 |website=中央社フォーカス台湾}}</ref>。 * [[神嘗祭]]({{JPN}}) *: [[天皇]]が、その年の新穀を[[天照大神]]に奉納する[[宮中祭祀|祭]]。[[1947年]]までは[[祝祭日|大祭日]]であった。 * [[貯蓄の日]]({{JPN}}) *: [[日本銀行]]貯蓄増強中央委員会(現在の金融広報中央委員会)が[[1952年]]の同委員会発足の際に制定し、翌年から実施。神嘗祭に由来する。 * [[カラオケ]]文化の日({{JPN}}) *: [[全国カラオケ事業者協会]]が、同協会の設立記念日である10月17日を記念日として制定。 *: ちなみに[[1月19日]]が[[日本放送協会|NHK]]の制定した「カラオケの日」に、毎年9月の第2土曜日が[[文部省]]が提唱した「ファミリーカラオケの日」になっている。 * [[沖縄そば]]の日({{JPN}}) *: [[1978年]]のこの日、公正取引協議会により「沖縄そば」の名称の表示が特殊名称として登録許可された<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/848131 |title=豚のあばら肉がつんと盛り付け 定番そばの考案者、92歳現役 きょう沖縄そばの日 |access-date=23 Feb 2023 |publisher=[[沖縄タイムス]] |date=17 Oct 2021}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1017|date=2023年2月}} === 誕生日(フィクション) === * [[2007年]] - 速杉ハヤト、アニメ『[[新幹線変形ロボ シンカリオン]]』の主人公<ref>第13・41話での描写から。</ref> * 生年不明 - イレイナ、ライトノベル・アニメ『[[魔女の旅々]]』の主人公<ref>{{Twitter status|majotabi_pr|1317299483751772160}}</ref> * 生年不明 - 春野もえ(もえちゃん)、人形玩具『[[リカちゃん]]』のキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=超ひみつゲット!(35) リカちゃんコレクション|publisher=[[ポプラ社]]|year=2002|page=4|ISBN=4-591-07332-7}}</ref> * 生年不明 - [[キャプテン翼の登場人物#タイ|シンプラサート・ブンナーク]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year=2003|title=キャプテン翼 3109日全記録|publisher=集英社|isbn=4-08-782789-5|page=174}}</ref> * 生年不明 - ニルゲ・パルドゥック、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.j-bleach.com/chara/03/nirgge.html |title=ニルゲ・パルドゥック |access-date=2022-10-15 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=BLEACH.com}}</ref> * 生年不明 - 藤田菫、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』2巻 株式会社[[芳文社]].2017年.カバー裏</ref>  * 生年不明 - 星乃円、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2022-10-15}}</ref> * 生年不明 - [[ときめきメモリアルの登場人物#朝日奈夕子|朝日奈夕子]]、ゲーム『[[ときめきメモリアル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ときめきメモリアルオフィシャルイラスト集|page=65|publisher=[[徳間書店インターメディア]]|date=1996年4月|ISBN=978-4-19-825112-3}}</ref> * 生年不明 - 鳴海調、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|1052213038215045120}}</ref> * 生年不明 - アレサンドラ・スース、ゲーム『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|t7s_staff|1317293296167759872}}</ref> * 生年不明 - ザント、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=68&cate=name&cont=Zant |title=ザント |access-date=23 Feb 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 華園しゅうか、ゲーム・アニメ『[[アイドルランドプリパラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|idolland_arts|1449518015712694274}}</ref> * 生年不明 - [[Roselia|白金燐子]]、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/shirokane-rinko/ |title=白金 燐子 |website=BanG Dream! ガールズバンドパーティ! 公式サイト |publisher=[[ブシロード]] |accessdate=2022-10-15}}</ref> <!-- * 生年不明 - 湯神裕二、漫画『[[湯神くんには友達がいない]]』の主人公 * 生年不明 - 椎名望、漫画『[[SAMURAI DEEPER KYO]]』に登場するキャラクター --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|17 October}} {{新暦365日|10|16|10|18|[[9月17日]]|[[11月17日]]|[[10月17日 (旧暦)|10月17日]]|1017|10|17}} {{1年の月と日}}
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10月19日
10月19日(じゅうがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から292日目(閏年では293日目)にあたり、年末まであと73日ある。
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10月19日(じゅうがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から292日目(閏年では293日目)にあたり、年末まであと73日ある。
{{カレンダー 10月}} '''10月19日'''(じゅうがつじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から292日目([[閏年]]では293日目)にあたり、年末まであと73日ある。 == できごと == [[File:Slaget ved Zama - Cornelis Cort, 1567.jpg|thumb|[[ザマの戦い]](紀元前202)。戦いに敗れた[[カルタゴ]]は全ての海外植民地および制海権を喪失する|180x180ピクセル]] [[File:IsabellaofCastile05.jpg|thumb|304x304px|[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド]]と[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル]]の結婚(1459)2人は[[フアン1世 (カスティーリャ王)|フアン1世]]を曽祖父とする又従姉弟である]] [[File:Surrender of Lord Cornwallis.jpg|thumb|180x180px|[[ヨークタウンの戦い]]でのイギリス軍降伏([[コーンウォリス卿の降伏]])(1781)]] [[File:Napoleons retreat from moscow.jpg|thumb|180x180px| [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]、[[モスクワ]]から退却(1812)。同年[[12月14日]]までに出役時60万だった大陸軍は5千にまで減ることになる]] * [[紀元前202年]] - [[ザマの戦い]]で、[[大スキピオ]]率いるローマ軍が、[[ハンニバル]]率いるカルタゴ軍を破り、[[第二次ポエニ戦争]]が終結する。 * [[1216年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[ジョン (イングランド王)|ジョン]]が死去し、9歳の[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]が即位。 * [[1453年]] - [[フランス王国|フランス]]王[[シャルル7世]]が[[ボルドー]]入城。これを以てイングランドとの[[百年戦争]]が終結。 * [[1466年]] - [[第二次トルンの和約]]により[[プロイセン同盟]]と[[ドイツ騎士団]]国との間の[[十三年戦争]]が終結。 * [[1469年]] - [[アラゴン連合王国|アラゴン]]王太子[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド]](後のアラゴン王フェルナンド2世)と[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]が結婚。1479年のフェルナンドの王位継承により、両国は統合して[[スペイン]]王国となる。 * [[1598年]]([[慶長]]3年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]・[[順天城の戦い]]が始まる。 * [[1781年]] - [[ヨークタウンの戦い]]でイギリス軍が降伏し、[[アメリカ独立戦争]]が終結。 * [[1789年]] - [[ジョン・ジェイ]]が初代[[合衆国最高裁判所|アメリカ合衆国最高裁判所]]長官に就任。 * [[1812年]] - [[1812年ロシア戦役]]: [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]のフランス軍が[[モスクワ]]からの撤退を開始。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[シーダークリークの戦い]]。 * [[1873年]] - [[東京府]]に近代日本最初の5つの[[公園]]が誕生。浅草公園([[浅草寺]])、上野公園([[寛永寺]])、芝公園([[増上寺]])、深川公園([[富岡八幡宮]])、飛鳥山公園([[王子神社 (東京都北区)|王子権現]])と、寺の境内地を公園にした<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tabi-mag.jp/tokyo-firs5parks/ |title=日本最初の都市公園 東京五公園とは!? |access-date=21 Jul 2023 |publisher=一般社団法人プレスマンユニオン |work=ニッポン旅マガジン}}</ref>。 * [[1878年]] - ドイツで[[社会主義者鎮圧法]]制定。 * [[1900年]] - 日本で[[伊藤博文]]が第10代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第4次伊藤内閣]]が発足。 * [[1902年]] - 9月に東京専門学校から改称した[[早稲田大学]]で、「大学」としての開校式が行われる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nhk.or.jp/archives/jidai/special/today/1019/ |title=10月19日 早稲田大学が開校式を行った日 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |website=きょうの蔵出しNHK}}</ref>。 * [[1907年]] - [[箕面有馬電気軌道]]([[阪急電鉄]]・[[阪急阪神ホールディングス]]の前身)設立。 * [[1921年]] - [[ポルトガル第一共和政|ポルトガル]]の[[リスボン]]でクーデター。首相{{仮リンク|アントニオ・グランジョ|en|António Granjo}}らが死亡。 * [[1929年]] - [[安田善次郎]]の多額の寄付により、[[日比谷公園]]に[[日比谷公会堂]]が竣工<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.timr.or.jp/about/timrHistory.html |title=1929年 市政会館・日比谷公会堂の竣工 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所 |work=写真で振り返る本財団の歴史}}</ref>。 * [[1925年]] - [[中華民国の歴史|中華民国]]([[北京政府]])駐[[第一共和国 (オーストリア)|墺]]公使{{仮リンク|黄栄良|zh|黄荣良}}が[[ウィーン]]で[[第一共和国 (オーストリア)|オーストリア]]外相{{仮リンク|ハインリヒ・マタヤ|label=マタヤ|de|Heinrich Mataja}}と新しく平等な条約である中墺通商条約を締結する。 * [[1933年]] - [[ドイツ国|ドイツ]]が[[国際連盟]]から脱退。 * [[1935年]] - [[第二次エチオピア戦争]]: 国際連盟で[[イタリア王国|イタリア]]を侵略者とする採択を可決し、イタリアに対する[[経済制裁]]を開始。 * [[1948年]] - [[第2次吉田茂内閣]]が成立する。 * [[1949年]] - [[朝鮮学校閉鎖令]]。 * [[1954年]] - 世界第6位の高峰[[チョ・オユー]]が初登頂。 * [[1956年]] - [[モスクワ]]で、日本の[[鳩山一郎]]首相と[[ソビエト連邦]]の[[ニコライ・ブルガーニン|ブルガーニン]]首相が「日ソ国交回復の共同宣言([[日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言|日ソ共同宣言]])」に調印し、日本とソ連の国交が回復した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s31_1956_03.html |title=昭和31年(1956)10月 日ソ共同宣言が調印され、国交が正常化する 簿冊番号:御37156 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[国立公文書館]] |work=公文書に見る日本のあゆみ}}</ref>。 * [[1959年]] - ドイツ・[[アーヘン]]に世界初の[[ディスコ]]・{{仮リンク|スコッチクラブ|de|Scotch-Club}}が開店。 * [[1962年]] - [[青梅鉄道公園]]が開園。 * 1962年 - [[新日本婦人の会]]結成。 * 1962年 - [[アニメーション]]制作会社[[タツノコプロ]]設立。 * [[1972年]] - [[フィリピン]]・[[ルバング島]]で地元警察が元日本兵2人を発見し銃撃戦に。小塚金七元上等兵が死亡、[[小野田寛郎]]元少尉は逃走。 * [[1974年]] - [[ニュージーランド]]の属領[[ニウエ]]が内政自治権を獲得し、ニュージーランドとの[[自由連合 (国家間関係)|自由連合国]]となる。 * [[1979年]] - [[昭和54年台風第20号|台風20号]]が[[和歌山県]]白浜町付近に上陸し、本州・北海道を縦断。全国で死者行方不明者115名。 * [[1981年]] - [[福井謙一]]に[[ノーベル化学賞]]が贈られることが決定する<ref>{{Cite web|和書 |url=https://spc.jst.go.jp/hottopics/1908/r1908_baba.html |title=青天の霹靂だった福井謙一のノーベル化学賞の受賞 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=国立研究開発法人 科学技術振興機構 |date=23 Jul 2019}}</ref>。 * [[1982年]] - [[デロリアン]]・モーター・カンパニー(DMC)が倒産。 * [[1983年]] - [[グレナダ]]首相[[モーリス・ビショップ]]と閣僚・支持者が、バーナード・コード率いるクーデター軍により処刑。 * [[1984年]] - [[カトリック教会]]の[[司祭]]、[[イエジ・ポピエウシュコ]]が[[ポーランド]]公安部によって暗殺。 * [[1986年]] - [[モザンビーク]]大統領[[サモラ・マシェル]]と大臣、政府職員が乗った飛行機が{{仮リンク|レボンボ山脈|en|Lebombo Mountains}}に墜落。マシェル大統領らが死亡。{{see|{{仮リンク|1986年モザンビークTu-134墜落事故|en|1986 Mozambican Tupolev Tu-134 crash}}}} * [[1987年]] - [[ブラックマンデー]]: ニューヨーク株式市場が大暴落し、株式暴落が世界中に広がる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://indexes.nikkei.co.jp/atoz/2016/06/1980s.html |title=1980年代:ブラックマンデーからバブルへ |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[日本経済新聞社|Nikkei Inc.]]}}</ref>。 * [[1988年]] - [[日本プロ野球|プロ野球]][[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]、[[川崎球場]]で[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]の[[ダブルヘッダー]]が行われ、第2試合で引き分けたため近鉄は[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝を逸し、既に全日程を終了していた[[埼玉西武ライオンズ|西武]]の優勝が決定。(「[[10.19]]」) * 1988年 - プロ野球パ・リーグ球団[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]をオリエント・リース(現[[オリックス (企業)|オリックス]])が買収することが発表された。 * [[1991年]] - [[しながわ水族館]]が開館。 * [[2003年]] - [[スティルインラブ]]が[[秋華賞]]を勝ち、[[メジロラモーヌ]]以来17年ぶり、日本競馬史上2頭目の[[中央競馬クラシック三冠|牝馬三冠]]を達成<ref>{{Cite web|和書 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=24944 |title=今でも君を愛してる(スティルインラブ) |access-date=21 Jul 2023 |publisher=Net Dreamers Co., Ltd. |website=netkeiba.com |date=25 Nov 2013}}</ref>。 * 2003年 - [[マザー・テレサ]]が[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]により[[列福]]される。 * [[2004年]] - [[ミャンマーの首相|ミャンマー連邦首相]][[キン・ニュン]]が[[国家平和発展評議会]]により解任され、自宅軟禁下に置かれる。 * [[2005年]] - [[バグダード]]の高等法廷で[[サッダーム・フセイン]]の初公判。 * 2005年 - [[ハリケーン・ウィルマ]]により、[[ハリケーン]]での観測史上最低[[気圧]]882[[ヘクトパスカル|hPa]]を観測。 * [[2008年]] - [[京阪中之島線]]([[天満橋駅]] - [[中之島駅]]間)が開業。 * [[2014年]] - [[サイディング・スプリング彗星 (C/2013 A1)|サイディング・スプリング彗星]]が[[火星]]に極めて接近する<ref>{{Cite web|和書 |date=20 Oct 2014 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3029340 |title=サイディング・スプリング彗星、火星近傍を通過 ESAが確認 |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=21 Jul 2023}}</ref>。 * [[2017年]] - [[本田技研工業]]が、[[ホンダ・カブ|スーパーカブ]]の世界累計生産台数が[[オートバイ]]としては世界初の1億台に達したことを発表<ref>{{Cite web|和書 |date=19 Oct 2017 |url=https://www.honda.co.jp/supercub-anniv/story/cub_special.html |title=人々の日常に密着したスーパーカブ。驚くべき大記録は、たった今も更新中だ。 |publisher=[[本田技研工業|Honda Motor Co., Ltd.]] |accessdate=21 Jul 2023}}</ref>。 * 2017年 - [[パンスターズ]]が[[オウムアムア (恒星間天体)|オウムアムア]](1I/2017 U1)を観測<ref>{{Cite web|和書 |url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/041400235/ |title=謎の天体オウムアムア、起源は破壊された星の破片か、研究 |access-date=21 Jul 2023 |website=National Geographic |date=18 Apr 2020}}</ref>。天体観測史上初となる太陽系外からの飛来物と目されている<ref>{{Cite web|和書 |date=21 Nov 2017 |url=https://www.cnn.co.jp/fringe/35110751.html |title=太陽系外からの使者「オウムアムア」、初の恒星間小惑星と確認 - (1/2) |publisher=[[CNN]].co.jp |accessdate=21 Jul 2023}}</ref>。 == 誕生日 == [[File:Portrait of Marsilio Ficino at the Duomo Firence 2.jpg|thumb|228x228px|[[イタリア]]・[[ルネサンス]]期の[[哲学|哲学者]][[マルシリオ・フィチーノ]](1433-1499)誕生。[[プラトン]]の著作を[[ラテン語]]に訳した]] [[File:MiguelAngelAsturias.JPG|thumb|222x222px|[[グアテマラ]]の[[小説家]][[ミゲル・アンヘル・アストゥリアス]](1899-1974)誕生]] [[File:Vinicius.jpg|thumb|180x180px|[[ブラジル]]の[[作詞家]][[ヴィニシウス・ヂ・モライス]](1913-1980)誕生。『[[イパネマの娘]]』など、[[ボサノヴァ]]の詩的な歌詞を生み出した]] [[File:John le Carre.jpg|thumb|269x269px|[[イギリス]]の[[小説家]][[ジョン・ル・カレ]](1931-)誕生。[[イギリス情報局秘密情報部|情報局秘密情報部(MI6)]]からスパイ小説家に]] [[File:Wu Tianming01.jpg|thumb|264x264px|[[中華人民共和国]]の[[映画監督]][[呉天明]](1939-2014)誕生。『古井戸』(1987)は第2回[[東京国際映画祭]]グランプリ作品]] * [[1276年]]([[建治]]2年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[久明親王]]、[[鎌倉幕府]]第8代[[征夷大将軍]](+ [[1328年]]) * [[1433年]] - [[マルシリオ・フィチーノ]]、[[哲学者]](+ [[1499年]]) * [[1627年]]([[寛永]]4年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[分部嘉治]]、第2代[[大溝藩|大溝藩主]](+ [[1658年]]) * [[1688年]] - [[ウィリアム・チェゼルデン]]、[[外科医]]、[[解剖学者]](+ [[1752年]]) * [[1791年]]([[寛政]]3年[[9月22日 (旧暦)|9月22日]]) - [[松平定芝]]、第8代[[今治藩|今治藩主]](+ [[1837年]]) * [[1804年]]([[文化 (元号)|文化]]元年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[細川斉護]]、第10代[[熊本藩|熊本藩主]](+ [[1860年]]) * [[1815年]]([[文化 (元号)|文化]]12年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[松平忠国 (武蔵国忍藩主) |松平忠国]]、第3代[[忍藩|忍藩主]](+ [[1868年]]) * [[1837年]]([[天保]]8年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[藤堂高潔]]、第12代[[津藩|津藩主]](+ [[1889年]]) * [[1851年]] - [[閔妃]]、[[李氏朝鮮|朝鮮国王]][[高宗 (朝鮮王)|高宗]]の妃(+ [[1895年]]) * [[1862年]] - オーギュスト・リュミエール、[[リュミエール兄弟]]の兄(+ [[1954年]]) * [[1854年]] - [[セルヒー・ヴァシリキウシキー]]、画家(+ [[1917年]]) * [[1869年]](明治2年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[勝田主計]]、[[大蔵省|大蔵]][[官僚]]、[[政治家]](+ [[1948年]]) * [[1871年]] - [[ウォルター・B・キャノン]]、[[生理学者]](+ [[1945年]]) * [[1876年]] - [[モーデカイ・ブラウン]]、[[プロ野球選手]](+ [[1948年]]) * [[1882年]] - [[ウンベルト・ボッチョーニ]]、[[画家]]、[[彫刻家]](+ [[1916年]]) * [[1892年]] - [[イルマリ・ハンニカイネン]]、作曲家、ピアニスト(+ [[1955年]]) * [[1896年]] - [[ボブ・オファレル]]、プロ野球選手(+ [[1988年]]) * [[1899年]] - [[ミゲル・アンヘル・アストゥリアス]]、[[小説家]](+ [[1974年]]) * 1899年 - [[山本豊市]]、彫刻家(+ [[1987年]]) * 1899年 - [[仁田勇]]、物理化学者(+ [[1984年]]) * [[1901年]] - [[アーレイ・バーク]]、軍人(+ [[1996年]]) * [[1908年]] - [[ゲイル・トヴェイト]]、[[作曲家]](+ [[1981年]]) * [[1909年]] - [[尾茂田叶]]、元プロ野球選手(+ [[1997年]]) * 1909年 - [[マルグリット・ペレー]]、[[物理学者]](+ [[1975年]]) * [[1910年]] - [[スブラマニアン・チャンドラセカール]]、[[天体物理学|天体物理学者]](+ [[1995年]]) * 1910年 - [[浜田駿吉]]、[[ホッケー]]選手、[[実業家]](+ [[2009年]]) * [[1912年]] - [[山田一雄]]、[[指揮者]](+ [[1991年]]) * [[1913年]] - [[ヴィニシウス・ヂ・モライス]]、[[作詞家]]、[[外交官]](+ [[1980年]]) * [[1916年]] - [[エミール・ギレリス]]、[[ピアニスト]](+ [[1985年]]) * [[1917年]] - [[佐藤喜久雄]]、プロ野球選手(+ [[1936年]]) * [[1921年]] - [[神風正一]]、元[[大相撲]]力士、相撲解説者(+ [[1990年]]) * [[1922年]] - [[ジャック・アンダーソン]]、[[コラムニスト]](+ [[2005年]]) * [[1924年]] - [[東恵美子]]、[[俳優|女優]](+ [[2010年]]) * [[1927年]] - [[童門冬二]]、[[歴史小説]]作家 * [[1930年]] - [[杉山邦博]]、[[アナウンサー]] * [[1931年]] - [[ジョン・ル・カレ]]、小説家(+ [[2020年]]) * [[1932年]] - [[田淵義久]]、実業家、[[野村證券]]第7代代表取締役社長(+ [[2023年]]) * [[1933年]] - [[大原博志]]、元プロ野球選手 * [[1937年]] - [[林家木久扇]]、落語家 * [[1938年]] - [[阿奈井文彦]]、小説家(+ [[2015年]]) * 1938年 - [[米沢富美子]]、[[理論物理学者]](+ [[2019年]]) * 1938年 - [["スカーフェイス"・ジョン・ウィリアムズ]]、R&Bシンガー(+ [[1972年]]) * [[1939年]] - [[呉天明]]、[[映画監督]]、[[映画プロデューサー]](+ [[2014年]]) * [[1940年]] - [[マイケル・ガンボン]]、[[俳優]](+ [[2023年]]) * 1940年 - [[伊藤竜彦]]、元プロ野球選手 * [[1942年]] - [[メッジェシ・ペーテル]]、政治家、[[ハンガリーの首相一覧|ハンガリー首相]] * [[1943年]] - [[サンディー・アロマー・シニア]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[ピーター・トッシュ]]、[[レゲエ]][[歌手]]、[[ギタリスト]]、[[ラスタファリ運動]]家(+ [[1987年]]) * [[1947年]] - [[藤田平]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]] * [[1948年]] - [[岡田可愛]]、女優 * 1948年 - [[能見俊賢]]、[[作家]](+ [[2006年]]) * 1948年 - [[パトリック・シモンズ]]、ロック・ミュージシャン([[ドゥービー・ブラザーズ]]) * [[1949年]] - [[NOBODY (ロックバンド)|相沢行夫]]、ミュージシャン、ギタリスト * [[1950年]] - [[益川満育]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[高山厳]]、歌手 * 1951年 - [[中原丈雄]]、俳優 * [[1952年]] - [[鳥嶋和彦]]、[[漫画編集者]] * [[1953年]] - [[今村泰典]]、[[リュート]]奏者、[[テオルボ]]奏者 * [[1954年]] - [[野沢秀行]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[サザンオールスターズ]]) * 1954年 - [[サム・アラダイス]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * [[1955年]] - [[ラサール石井]]、[[タレント]]、俳優、[[声優]]([[コント赤信号]]) * [[1956年]] - [[カルロ・ウルバニ]]、[[医師]](+ [[2003年]]) * [[1957年]] - [[香坂英典]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[加倉一馬]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[原博実]]、元サッカー監督 * [[1960年]] - [[日高政光]]、[[アニメーション]][[演出家]](+ [[2022年]]) * 1960年 - [[堀江淳]]、[[シンガーソングライター]] * [[1962年]] - [[イベンダー・ホリフィールド]]、[[プロボクサー]] * [[1964年]] - [[野村真美]]、女優 * 1964年 - [[マニュエル・ルグリ]]、[[バレエ]]ダンサー * [[1966年]] - [[上田浩恵]]、歌手 * 1966年 - [[神田知子]]、[[ボディビルダー]] * 1966年 - [[ジョン・ファヴロー]]、俳優、[[映画監督]]、[[映画プロデューサー]] * [[1967年]] - [[下村陽子]]、[[作曲家]] * 1967年 - [[山口淳]]、作曲家 * 1967年 - [[猫部ねこ]]、[[漫画家]] * 1967年 - [[松田洋治]]、俳優 * [[1968年]] - [[名幸一明]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[佐藤友昭]]、高校野球指導者 * [[1969年]] - [[佐々木明子]]、アナウンサー * 1969年 - [[青羽剛]]、俳優、声優 * 1969年 - [[佐藤恒治 (実業家)|佐藤恒治]]、エンジニア、実業家、[[トヨタ自動車]]社長 * [[1971年]] - [[奥井亜紀]]、ミュージシャン * [[1972年]] - [[實好礼忠]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * 1972年 - プラーズ、[[MC_(ヒップホップ)|ラッパー]]([[フージーズ]]) * 1972年 - [[安田康彦]]、元[[騎手]] * [[1974年]] - [[善し]]、[[お笑いタレント]]([[COWCOW]]) * [[1975年]] - 石橋尊久、お笑いタレント([[イシバシハザマ]]) * [[1975年]] - [[畑健二郎]]、漫画家 * [[1976年]] - [[金子賢]]、俳優 * 1976年 - [[マイケル・ヤング (内野手)|マイケル・ヤング]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[須賀貴匡]]、俳優 * 1977年 - [[ランディ・ルイーズ]]、プロ野球選手 * [[1977年]] - [[増本藍]]、ミュージカル俳優 * [[1978年]] - [[瀬川亮]]、俳優 * 1978年 - [[中島卓偉]]、歌手 * 1978年 - [[今村康成]]、元[[騎手]] * 1978年 - [[韓陽]]、[[卓球]]選手 * [[1979年]] - [[杉山祥子]]、元[[バレーボール]]選手 * [[1980年]] - [[ホセ・バティスタ (外野手)|ホセ・バティスタ]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[瀬戸弘司]]、俳優 * [[1981年]] - [[ヘイキ・コバライネン]]、[[レーシングドライバー]] * 1981年 - [[セバスチャン・ボウチャー]]、野球選手 * [[1982年]] - [[ヴァディム・アコルジン]]、[[フィギュアスケート選手]] * 1982年 - [[星ハム子]]、プロレスラー * 1982年 - [[J.A.ハップ]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[ギリアン・ジェイコブス]]、女優 * [[1983年]] - [[吉川秀樹]]、アナウンサー * 1983年 - [[ウラジミール・ガブロフ]]、元[[サッカー選手]] * [[1984年]] - [[栂野雅史]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[井坂亮平]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[藤田咲]]、 声優 * 1984年 - [[ジェームズ・マクドナルド (野球)|ジェームズ・マクドナルド]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[ジョシュ・トムリン]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[山口絵里奈 (1985年生)|山口絵里奈]]、[[グラビアアイドル]] * 1985年 - [[羽田圭介]]、小説家 * [[1986年]] - [[ダニエル・デスカルソ]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[青木玄徳]]、俳優 * 1987年 - [[木村文乃]]、女優 * 1987年 - [[高橋明日香]]、女優、声優、モデル * [[1988年]] - [[星野雄大]]、元プロ野球選手 * 1988年 - [[金沢亮]]、元サッカー選手 * 1988年 - [[西山慶樹]]、バレーボール選手 * 1988年 - [[日笠麗奈]]、ファッションモデル * 1988年 - [[榎木淳弥]]、声優 * [[1989年]] - [[ミロスラフ・ストッフ]]、サッカー選手 * 1989年 - [[栩原楽人]]、元俳優 * 1989年 - 中本進也、タレント(元[[ジャニーズJr.]]) * [[1990年]] - [[遠藤聖大]]、大相撲力士 * 1990年 - [[宮川将]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[原田舞美]]、女優 * 1990年 - [[申成鉉]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[タイラー・マツェック]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[ジョーダン・ライルズ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[エリック・サーデ]]、俳優 * 1990年 - [[カレン・オイ]]、フィギュアスケート選手 * [[1991年]] - [[ケビン・アルベス]]、フィギュアスケート選手 * [[1992年]] - [[志保]]、女優 * 1992年 - [[秋山ゆりか]]、元歌手(元[[チャオ ベッラ チンクエッティ]]) * 1992年 - [[大塚剛央]]、声優 * 1992年 - [[塩谷千晶]]、元[[野球選手]] * 1992年 - [[リル・ダーク]]、[[MC (ヒップホップ)|ヒップホップMC]] * 1992年 - [[永井里菜]]、さいたま市議会議員、元グラビアアイドル * [[1993年]] - [[安倍エレナ]]、ファッションモデル * 1993年 - [[熊原健人]]、元プロ野球選手 * [[1994年]] - [[須賀健太]]、俳優 * 1994年 - [[古原雅純]]、[[シンガーソングライター]] * 1994年 - [[青山美郷]]、女優 * [[1995年]] - [[村山栞妃]]、女優 * [[1998年]] - [[綾部守人]]、元子役 * [[2001年]] - 達家真姫宝、アイドル(夜宙☆ShiNew’、元[[煌めき☆アンフォレント]]、元[[AKB48]]) * 2001年 - 新間いずみ、アイドル([[fishbowl]]) * [[2002年]] - [[村星りじゅ]]、アイドル([[ukka]]) * 2002年 - [[大熊杏優]]、グラビアアイドル * [[2004年]] - [[菊地姫奈]]、グラビアアイドル、女優 * [[2005年]] - [[稲葉通陽]]、アイドル(ジャニーズJr.、少年忍者) * 2005年 - [[田辺まり]]、子役 * 生年不明 - [[真田ぽーりん]]、漫画家 * 生年不明 - [[菅愛理]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://thetv.jp/person/2000061565/ |title=菅愛理 |accessdate=21 Jul 2023 |publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |website=WEB[[ザテレビジョン]]}}</ref>、声優 == 忌日 == {{multiple image | image1 = John of England (John Lackland).jpg | width1 = 90 | caption1 = 英国王[[ジョン (イングランド王)|ジョン]](1166-1216)没 | alt1 = 英国王ジョン | image2 = Prince Joseph Poniatowski by Józef Grassi.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の元で[[ポーランド]]軍を率いた[[ユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ]](1763-1813)溺死 | alt2 = ポニャトフスキ }} {{multiple image | image1 = Mori yoshinari battle usayama.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[森長可]]、[[森成利|森蘭丸]]の父、[[森可成]](1523-1570)[[宇佐山城#宇佐山城の戦い|宇佐山城の戦い]]で戦死 | alt1 = 森可成 | image2 = A portrait of Satoh Issai by Watanabe Kazan.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[岩村藩]]出身の[[儒学]]者、[[佐藤一斎]](1772-1859)没 | alt2 = 佐藤一斎 }} {{multiple image | image1 = Ernest Rutherford LOC.jpg | width1 = 90 | caption1 =“原子物理学の父”[[アーネスト・ラザフォード]](1871-1937)没 | alt1 = ラザフォード | image2 = Maurice Bishop 1982-06-11.jpg | width2 = 90 | caption2 =[[グレナダ]]で革命政権を興した[[モーリス・ビショップ]](1944-1983)クーデターにより処刑 | alt2 = モーリス・ビショップ }} * [[1216年]] - [[ジョン (イングランド王)|ジョン]]、[[イングランド王国|イングランド王]](* [[1166年]]) * [[1570年]]([[元亀]]元年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[森可成]]、[[武将|戦国武将]](* [[1523年]]) * [[1587年]] - [[フランチェスコ1世・デ・メディチ]]、[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]](* [[1541年]]) * [[1600年]]([[慶長]]5年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[吉弘統幸]]、戦国武将(* [[1564年]]) * [[1609年]] - [[ヤーコブス・アルミニウス]]、[[神学者]](* [[1560年]]) * [[1745年]] - [[ジョナサン・スウィフト]]、[[小説家]](* [[1667年]]) * [[1790年]] - [[ライマン・ホール]]、[[アメリカ独立宣言]]署名者(* [[1724年]]) * [[1810年]] - [[ジャン=ジョルジュ・ノヴェール]]、[[舞踏家]](* [[1727年]]) * [[1813年]] - [[ユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ]]、フランス軍[[元帥]](* [[1763年]]) * [[1851年]] - [[マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス|マリー・テレーズ]]、[[フランス王国|フランス]]国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]の王女(* [[1778年]]) * [[1859年]]([[安政]]6年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]) - [[佐藤一斎]]、[[儒学者]](* [[1772年]]) * [[1875年]] - [[チャールズ・ホイートストン]]、[[物理学者]](* [[1802年]]) * [[1889年]] - [[ルイス1世 (ポルトガル王)|ルイス1世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1838年]]) * [[1896年]] - [[ヨセフ・ピシュナ]]、[[ピアニスト]]、音楽[[教育者]](* [[1826年]]) * [[1909年]] - [[チェーザレ・ロンブローゾ]]、精神科医、犯罪人類学の創始者(* [[1836年]]) * [[1911年]] - [[ユージン・バートン・イーリー]]、[[飛行機]][[パイロット (航空)|パイロット]](* [[1886年]]) * [[1920年]] - [[ジョン・リード]]、[[ジャーナリスト]](* [[1887年]]) * [[1932年]] - [[アルトゥール・フリードハイム]]、[[音楽家]](* [[1859年]]) * [[1936年]] - [[魯迅]]、[[小説家]]、翻訳家、思想家(* [[1881年]]) * [[1937年]] - [[アーネスト・ラザフォード]]、物理学者(* [[1871年]]) * [[1943年]] - [[カミーユ・クローデル]]、[[彫刻家]](* [[1864年]]) * 1943年 - [[犬童球渓]]、[[作詞家]](* [[1879年]]) * [[1950年]] - [[エドナ・ミレイ]]、[[詩人]](* [[1892年]]) * [[1952年]] - [[土井晩翠]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ndl.go.jp/portrait/datas/6063/ |title=土井晩翠 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[国立国会図書館]] |work=近代日本人の肖像}}</ref>、詩人(* [[1871年]]) * [[1954年]] - [[ヒュー・ダフィー]]、プロ野球選手(* [[1866年]]) * [[1961年]] - [[セルヒオ・オスメニャ]]、政治家、第4代[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]](* [[1878年]]) * [[1970年]] - [[ラサロ・カルデナス]]、政治家、[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]](* [[1895年]]) * [[1977年]] - [[伊丹安広]]、[[野球選手]](* [[1904年]]) * [[1983年]] - [[モーリス・ビショップ]]、政治家、[[グレナダ]]首相(* [[1944年]]) * [[1984年]] - [[アンリ・ミショー]]、詩人、[[画家]](* [[1899年]]) * [[1986年]] - [[オルドリッチ・リプスキー]]、[[映画監督]](* [[1924年]]) * [[1987年]] - [[ジャクリーヌ・デュ・プレ]]、[[チェロ|チェリスト]](* [[1945年]]) * [[1992年]] - [[アーサー・ウィント]]、[[陸上競技]]選手(* [[1920年]]) * [[1995年]] - [[丸木位里]]、[[日本画家]](* [[1901年]]) * 1995年 - [[ドン・チェリー]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者(* [[1936年]]) * [[1999年]] - [[ナタリー・サロート]]、[[小説家]]、[[劇作家]](* [[1900年]]) * [[2002年]] - [[原正市]]、篤農家(* [[1917年]]) * [[2003年]] - [[ネッロ・パガーニ]]、[[ロードレース (オートバイ)|オートバイロードレース]]・[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(* [[1911年]]) * 2003年 - [[アリヤ・イゼトベゴヴィッチ]]、政治家、[[ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領評議会|ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領]](* [[1925年]]) * 2003年 - [[マイケル・ヘグストランド]]、[[プロレスラー]](* [[1957年]]) * [[2004年]] - [[ケネス・アイバーソン]]、[[情報工学|情報工学者]](* [[1920年]]) * 2004年 - [[金森茂一郎]]、実業家(* [[1922年]]) * [[2005年]] - [[宮城けんじ]]、[[漫才師]]([[Wけんじ]])(* [[1924年]]) * 2005年 - 三代山田常山<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nihonkogeikai.or.jp/works/485/ |title=山田 常山 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[日本工芸会]]}}</ref>、[[陶芸家]]、[[人間国宝]](* 1924年) * [[2008年]] - [[リチャード・ブラックウェル]]、[[ファッション]][[評論家]](* [[1922年]]) * 2008年 - [[ジャンニ・ライモンディ]]、[[テノール]][[歌手]](* [[1923年]]) * [[2013年]] - [[連城三紀彦]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/obituaries/2013/10/23/0006440987.shtml |title=直木賞作家・連城三紀彦さん死去 |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=23 Oct 2013 |accessdate=21 Jul 2023}}</ref>、小説家(* [[1948年]]) * [[2018年]] - [[下村脩]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.asahi.com/articles/ASLBP5QKDLBPULBJ005.html |title=下村脩さん死去 2008年にノーベル化学賞 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=21 Oct 2018 |accessdate=21 Jul 2023}}</ref>、[[生物学者]](* [[1928年]]) * 2018年 - [[穂積隆信]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.asahi.com/articles/ASLBN2WF2LBNUCVL001.html |title=俳優の穂積隆信さん死去 娘との実話「積木くずし」著者 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=20 Oct 2018 |accessdate=21 Jul 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://hochi.news/articles/20181020-OHT1T50079.html?page=1 |title=「積木くずし」穂積隆信さん、死去 胆のうがん87歳 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[スポーツ報知]] |date=20 Oct 2018}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2018/10/20/0011747682.shtml |title=穂積隆信さん死去 実娘35歳で急死「積木-書かなければ…」と後悔の涙 |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=20 Oct 2018 |accessdate=21 Jul 2023}}</ref>、[[俳優]]、[[声優]](* [[1931年]]) * [[2022年]] - [[仲本工事]]、[[コメディアン]]([[ザ・ドリフターズ]])(* [[1941年]]) * [[2023年]] - [[櫻井敦司]]、歌手([[BUCK-TICK]])(* [[1966年]]) == 記念日・年中行事 == * 隠岐武良祭風流(おきむらまつりふうりゅう)({{JPN}}) *: [[島根県]][[隠岐の島町]]で、西暦奇数年に行なわれる神事。隠岐の島町の元屋(がんや)、中村、西村、湊の各地区が参加して行われる大祭で、元屋の八王子神社に安置されている日神(日天:にってん)と、中村の一之森神社の月神(月天:がってん)の出会い神事を中心とする。日天月天の出会いから日月祭とも呼ばれている<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.kankou-shimane.com/destination/20681 |title=隠岐武良祭風流 日天と月天の出会う祭り |access-date=21 Jul 2023 |publisher=公益社団法人 島根県観光連盟 |website=しまね観光ナビ}}</ref>。 * [[バーゲンセール|バーゲン]]の日({{JPN}}) *: [[1895年]]([[明治]]28年)、東京駅上の[[大丸|大丸呉服店]]が冬物の大売出しを開催し、日本初のバーゲンを行ったことに由来。 * [[海外旅行]]の日({{JPN}}) *: 「遠 (10) くへ行く (19)」の語呂合せ。海外旅行の楽しみ方等について考える日。 * トイレクイックルの日({{JPN}}) *: [[花王|花王株式会社]]が制定。トイレクイックルを使って清潔で快適なトイレにしてもらいたいという思いから。日付は、「トイ(101)レク(09)」イックル」と読む語呂合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=162|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * [[イカの塩辛]]の日({{JPN}}) *: [[宮城県]][[気仙沼市]]の株式会社小野万が制定。日付は、秋が「[[イカ]]の旬であり、イカの足の数が10本であることから10月、熟成された味から19日とした<ref name=Oct10>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=163|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * [[イクメン]]の日({{JPN}}) *: 「[[お父さん|父さん]](10) 」「[[育児]] (19)」から。[[2011年]]から毎年この日に[[イクメン オブ ザ イヤー]]の表彰が行われる。(イクメン オブ ザ イヤー 実行委員会が日本記念日協会に申請、登録) * 相続税を考える日({{JPN}}) *: 2015年1月からの税制改正により[[相続税]]が増額されたことを受けて、すばる会計事務所が制定。相続税について事前に知識を深め、専門家に相談するきっかけにしてもらうことが目的。日付は10(ソ)と19(ゾク)で「相続」と読む語呂合わせから<ref name=Oct10/>。 * 医療用ウィッグの日({{JPN}}) *: [[大阪府]][[大阪市]]の株式会社グローウィングが制定。抗がん剤治療による脱毛および脱毛症に悩む人に、治療中も髪のおしゃれを楽しめる安全安心な医療用ウィッグを普及させることが目的。日付は病院のマークが漢字の十に似ていることから数字に置き換えて10月、ウィッグの語呂合わせで19日とした<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=164|isbn=978-4422021157}}</ref>。 * [[マザー・テレサ]]の日({{ALB}}) *: [[2003年]]のこの日、[[アルバニア人]]の[[マザー・テレサ]]が[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]により[[列福]]されたことにちなむ。 * [[憲法記念日]]({{NIU}}) *: [[1974年]]のこの日、[[ニュージーランド]]の属領[[ニウエ]]が内政自治権を獲得し、ニュージーランドとの[[自由連合 (国家間関係)|自由連合国]]となったことにちなむ。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1019|date=Jul 2023}} * 1937年(昭和12年)- [[東京]]公演を終えた「原さくら歌劇団」が[[夜行列車]]で[[大阪]]に向かう。(小説『[[蝶々殺人事件]]』第1章) * 1943年([[艦隊シリーズの用語集#名称・通称|照和]]18年)- アメリカ西海岸[[ワシントンD.C.]]、[[ニューヨーク]]、[[フィラデルフィア]]、[[ボストン]]に日本海軍水上機が来襲、新聞記者が降下し原子爆弾開発中止を呼びかけるが大統領府はこれに回答せず。([[架空戦記]]『[[紺碧の艦隊]]』) * 1999年 - [[渋谷]]に巨大隕石が落下、周辺地域が壊滅した。後にこの隕石が「渋谷隕石」と呼ばれるようになる。(特撮『[[仮面ライダーカブト]]』) * 2007年 - [[ジョージ・W・ブッシュ]][[アメリカ合衆国]][[大統領]]が[[シカゴ]]で暗殺され、憲法規定により[[ディック・チェイニー]][[副大統領]]が大統領に昇格する。(映画『[[大統領暗殺]]』) * 2009年 - 高校生・金沢伸明の元に王様メールが届く。(小説『[[王様ゲーム (小説)|王様ゲーム]]』) * 2009年 - 太陽のスーパーフレアが地球を直撃し、地球上の全人類は滅亡する。(映画『[[ノウイング]]』) * [[2032年]] - ISA(国際宇宙機関)の有人[[火星探査機|火星探査船]]アレース4号の司令船が、[[火星周回軌道]]上に現れた電磁空間に飲み込まれ消息を絶つ。(テレビドラマ『[[スタートレック:ヴォイジャー]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1992年]] - 岳羽ゆかり、ゲーム・アニメ『[[ペルソナ3]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|p_kouhou|1450114446395805697}}</ref> * 生年不明 - 大子紅葉、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/daigo_kureha |title=茨城 大子紅葉 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref> * 生年不明 - スズメ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1450114477630758917}}</ref> * 生年不明 - うちはシスイ、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2002|page=67|ISBN=4-08-873288-X}}</ref> * 生年不明 - 柳生比呂士、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1317844149874413568}}</ref> * 生年不明 - 桐山大地、漫画・アニメ『テニスの王子様』に登場するキャラクター * 生年不明 - 唐松源三郎、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 千鹿谷栄吉、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2016|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-880821-5|quote=|date=|volume=24巻|page=166}}</ref> * 生年不明 - 来栖妃呂、漫画・アニメ『[[この音とまれ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|konooto_anime|1185480775308722177}}</ref> * 生年不明 - 海老名菜々、漫画・アニメ『[[干物妹!うまるちゃん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|umaru_anime|655880985947475972}}</ref> * 生年不明 - トランボ、漫画・アニメ『[[エルドライブ【elDLIVE】|エルドライブ【ēlDLIVE】]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - フニシア・ラファエリ、漫画・アニメ『[[彼方のアストラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://astra-anime.com/character/ |title=CHARACTER フニシア・ラファエリ |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[篠原健太]]/[[集英社]]・彼方のアストラ製作委員会 |work=『彼方のアストラ』}}</ref> * 生年不明 - 楊舜臣、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|655946167021207552}}</ref> * 生年不明 - ハル、漫画・アニメ『[[BEASTARS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bst_anime|1185390381090754560}}</ref> * 生年不明 - 氷室瞑子、漫画・ドラマCD『[[はやて×ブレード]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 烏丸さくら、漫画・アニメ『[[きんいろモザイク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=原悠衣|authorlink=原悠衣|title=きんいろモザイク画集 〜ひみつのきんいろモザイク〜|publisher=[[芳文社]]|date=2013-08-27|ISBN=978-4-8322-4344-6}}</ref> * 生年不明 - 小早川稔、漫画・アニメ『[[はじめてのギャル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://hajimete-no-gal.jp/character/ |title=CHARACTER 小早川稔 |work=『はじめてのギャル』 |accessdate=21 Jul 2023 |publisher=植野メグル・[[KADOKAWA]]・「はじギャル」製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 成田譲、小説・漫画・アニメ『[[炎の蜃気楼]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 天聖院麗華、小説・ドラマCD『らぶバト!』に登場するキャラクター * 生年不明 - ショーグン・ミフネ、アニメ『[[勇者特急マイトガイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1450295644124422149}}</ref> * 生年不明 - [[スタン・マーシュ]]、アニメ『[[サウスパーク]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ギルバート・G・P・ギルフォード、アニメ『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|geass_gr|1450114450833301504}}</ref> * 生年不明 - イグニス、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kof_allstar|1317842881592184837}}</ref> * 生年不明 - ジュン・サンダース、ゲーム・アニメ『[[ゲートキーパーズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - カリガネ、ゲーム・アニメ『[[遙かなる時空の中で]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 森崎七央、ゲーム・アニメ『[[Soul Link]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 祇条深月、ゲーム・漫画・アニメ『[[キミキス pure rouge]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.kimikiss-pure-rouge.jp/chara_mitsuki.html |title=祇条深月 |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[エンターブレイン|ENTERBRAIN, INC.]] |work=『キミキス pure rouge』}}</ref> * 生年不明 - 藤代嘆、ゲーム・漫画『[[はーとふる彼氏]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=はーとふる彼氏 公式ファンブック|publisher=[[一迅社]]|date=2012年10月5日|ISBN=978-4-7580-1280-5}}</ref> * 生年不明 - 上柚木さくら、ゲーム・漫画・アニメ『[[Z/X]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zxtcg|1318107281150521344}}</ref> * 生年不明 - 上柚木八千代、ゲーム・漫画・アニメ『Z/X』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zxtcg|1318107385802629120}}</ref> * 生年不明 - 山添うき、ゲーム・アニメ『[[CHAOS;CHILD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kagakuadv|1318024070189830145}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#杜野凛世|杜野凛世]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://shinycolors.idolmaster.jp/idol/hokagoclimaxgirls/rinze.html |title=杜野 凛世(もりの りんぜ) |work=『アイドルマスター シャイニーカラーズ』 |accessdate=21 Jul 2023 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 百波瀬ここあ、ゲーム『[[アイ・アム・マジカミ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.magicami.net/character/4/ |title=百波瀬 ここあ |access-date=21 Jul 2023 |publisher=Studio MGCM |work=『アイ・アム・マジカミ』}}</ref> * 生年不明 - ダステ、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yumekuro.com/character/meister/houndsweeper/daste/ |title=ダステ |access-date=21 Jul 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|19 October}} {{新暦365日|10|18|10|20|[[9月19日]]|[[11月19日]]|[[10月19日 (旧暦)|10月19日]]|1019|10|19}} {{1年の月と日}}
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10月21日
10月21日(じゅうがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から294日目(閏年では295日目)にあたり、年末まであと71日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月21日'''(じゅうがつにじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から294日目([[閏年]]では295日目)にあたり、年末まであと71日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[フェルディナンド・マゼラン]]、[[マゼラン海峡]]に到達(1520) | image1 = Ferdinand Magellan.jpg | width1 = 80 | alt1 = マゼラン | image2 = Strait of Magellan.jpeg | width2 = 100 | alt2 = マゼラン海峡 }} [[File:Sekigaharascreen.jpg|thumb|[[関ヶ原の戦い]](1600)|180x180ピクセル]] {{multiple image | caption1 = ナポレオン戦争最大の海戦[[トラファルガーの海戦]](1805) | image1 = Turner, The Battle of Trafalgar (1806).jpg | width1 = 80 | alt1 = トラファルガーの海戦 | caption2 = [[明治神宮外苑競技場]]での第1回[[学徒出陣]]壮行会(1943) | image2 = Gakuto shutsujin.jpg | width2 = 100 | alt2 = 第1回学徒出陣壮行会 }} {{multiple image | caption1 = [[朝永振一郎]][[ノーベル物理学賞]]受賞(1965) | image1 = Tomonaga.jpg | width1 = 90 | alt1 = 朝永振一郎 | caption2 =[[佐藤栄作]]首相が日本の首相として初めて国連総会で演説(1970) | image2 = Eisaku Sato 19641109.jpg | width2 = 90 | alt2 = 佐藤栄作 }} {{multiple image | footer = [[ミャンマーの国旗]]が変更(2010)。左は旧国旗 | image1 = Flag of Myanmar (1974-2010).svg | width1 = 90 | alt1 = 旧国旗 | image2 = Flag of Myanmar.svg | width2 = 90 | alt2 = 現国旗 }} * [[1520年]] - [[フェルディナンド・マゼラン]]が[[マゼラン海峡]]を発見。 * [[1591年]]([[天正]]19年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]) - [[九戸政実]]らが[[豊臣政権]]軍に降伏<ref>{{Twitter status|JPNatArchives|1169173338368946176}}</ref>。[[奥州仕置]]の完了。([[九戸政実の乱]]) * [[1600年]]([[慶長]]5年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[関ヶ原の戦い]]。[[徳川家康]]率いる東軍が勝利。 * [[1805年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[トラファルガーの海戦]]。[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]のフランス軍が、[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]提督のイギリス軍に敗れる。 * [[1831年]] - フランス・[[リヨン]]にて修道士ルイ・ケルブが[[聖ヴィアトール修道会]]を創設。 * [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[ボールズブラフの戦い]]。 * [[1879年]] - [[トーマス・エジソン]]が日本産の[[竹]]の繊維を使った[[フィラメント]]を用いた[[白熱電球]]を完成させ、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ニュージャージー州]]で初めて一般に公開する。 * [[1882年]] - 東京専門学校(現在の[[早稲田大学]])が設立される。 * [[1889年]] - [[ヨハン・シュトラウス2世]]の『[[皇帝円舞曲]]』がベルリンで初演。 * [[1895年]] - 日本軍が[[台南]]に入城。[[台湾民主国]]が崩壊。 * [[1904年]] - [[日露戦争]]: [[ドッガーバンク事件]]。日本に向けて[[北海]]を航行中だった[[ロシア]]・[[バルチック艦隊]]が、[[イギリス]]の[[トロール船]]を日本の[[魚雷艇]]と誤認し砲撃を加える。 * [[1907年]] - [[ウズベキスタン]]東部で[[マグニチュード]]7.1の大地震、約14000人が死亡。 * [[1932年]] - 国際連盟総会へ派遣する全権 [[松岡洋右]]に対する[[訓令]]が閣議決定された日。 * [[1943年]] - [[太平洋戦争]]: [[明治神宮外苑競技場]]にて第1回[[学徒出陣]]壮行会。 * 1943年 - [[スバス・チャンドラ・ボース]]を指導者として[[自由インド仮政府]]が発足。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦: [[神風特別攻撃隊]]が初出撃。 * [[1945年]] - フランスで初めて[[婦人参政権]]が承認される。 * [[1947年]] - [[国家公務員法]]公布。 * [[1965年]] - [[朝永振一郎]]に[[ノーベル物理学賞]]が贈られることが決定する。 * [[1966年]] - [[日本労働組合総評議会]]などが[[ベトナム戦争|ベトナム反戦]]統一[[ストライキ|スト]]を決行し、[[国際反戦デー]]に指定する。 * [[1967年]] - [[ペンタゴン大行進]]。 * [[1968年]] - [[新宿騒乱]]。学生らが[[日本国有鉄道|国鉄]][[新宿駅]]を占拠。機動隊と衝突し、[[騒乱罪]]で734人が検挙される。 * [[1969年]] - [[ソマリア]]で[[クーデター]]が起き[[モハメド・シアド・バーレ]]少将が実権を掌握。 * [[1970年]] - [[佐藤栄作]]首相が日本の首相としては初めて[[国際連合総会|国連総会]]で演説。 * 1970年 - 女性解放準備会などが日本初の[[ウーマン・リブ]]のデモ。 * [[1983年]] - [[国際度量衡総会]]で、[[メートル]]の定義を現行の[[光速]]を基準にした定義に変更。 * [[1986年]] - [[マーシャル諸島共和国]]が[[アメリカ合衆国]]との自由連合に移行(独立)。アメリカ合衆国との[[自由連合盟約]]が発効し、防衛・軍事を除く内政・外交権を得たため。 * 1986年 - [[アフリカ統一機構]](現アフリカ連合)による[[人及び人民の権利に関するアフリカ憲章]]が発効する。 * [[1994年]] - [[北朝鮮核問題]]: [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に[[軽水炉]]を提供する事などを条件として、同国が核開発を放棄する事に合意。([[米朝枠組み合意]]) * 1994年 - 韓国・[[ソウル特別市|ソウル]]の[[聖水大橋]]が手抜き工事により崩壊し漢江に落下。32人死亡、17人が重軽傷を負う<ref>{{Cite web|和書 |url=https://s.japanese.joins.com/JArticle/191697?sectcode=400&servcode=400 |title=韓国、聖水大橋事故から20年過ぎたが… |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[中央日報]] |date=22 Oct 2014}}</ref>。 * 1998年 - [[任天堂]]がカラー液晶の[[携帯型ゲーム|携帯型ゲーム機]]・[[ゲームボーイカラー]]を発売。 * [[2001年]] - [[長崎オランダ村]]が閉園。 * [[2010年]] - [[ミャンマーの国旗]]が変更される<ref>{{Cite web|和書 |date=22 Oct 2010 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2768184 |title=ミャンマー軍政、国旗を変更 |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=18 Jul 2023 |website=AFP BB News}}</ref>。 * [[2018年]] - [[福原愛]]が自身のブログで現役引退を表明<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/sports/news/201810210000915.html|title=福原愛、3歳から握ったラケットを置く決意 引退|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=21 Oct 2018|accessdate=18 Jul 2023}}</ref>。 * 2018年 - [[台湾]][[宜蘭線]][[新馬駅]] - [[蘇澳新駅]]間で列車脱線事故<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20181021211725/http://japan.cna.com.tw/news/atra/201810210006.aspx |title=プユマ号脱線、死傷者166人 宜蘭県「夜を徹し救助を」/台湾 |date=21 Oct 2018 |accessdate=18 Jul 2023 |publisher=[[フォーカス台湾]]}}</ref>。18人が死亡、215名が負傷。 * [[2021年]] - [[ワルシャワ]]で開かれた第18回[[ショパン国際ピアノコンクール]]で、[[反田恭平]]が2位に、[[小林愛実]]が4位に入賞した。ショパンコンクールで日本人の優勝はなく、反田は70年に2位に入賞した[[内田光子]]以来、51年ぶりに2位入賞を果たした<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211021-OYT1T50147/ |title=内田光子さん以来の日本人最高位、反田恭平さん2位入賞…ショパン国際ピアノ・コンクール |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[讀賣新聞]]オンライン |date=21 Oct 2021}}</ref>。 {{-}} == 誕生日 == [[Image:Emperor Higashiyama.jpg|thumb|180px|第113代[[東山天皇]](1675-1710)誕生(在位:1687-1709)]] {{multiple image | caption1 = [[詩人]]、[[政治家]]、[[アルフォンス・ド・ラマルティーヌ]](1790-1869)誕生 | image1 = Alphonse-Marie-Louis de Prat de Lamartine.jpg | width1 = 90 | alt1 = アルフォンス・ド・ラマルティーヌ | caption2 = 発明家[[アルフレッド・ノーベル]](1833-1896)誕生。[[ノーベル賞]]創設者 | image2 = AlfredNobel2.jpg | width2 = 90 | alt2 = アルフレッド・ノーベル }} {{multiple image | image1 = Nobuteru mori.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[森コンツェルン]]創始者、[[森矗昶]](1884-1941)誕生 | alt1 = 森矗昶 | image2 = Rampo Edogawa 02.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[推理作家]][[江戸川乱歩]](1894-1965)誕生 | alt2 = 江戸川乱歩 }} {{multiple image | image1 = UrsulaLeGuin.01.jpg | width1 = 75 | caption1 = 『[[ゲド戦記]]』の作者[[アーシュラ・K・ル=グウィン]](1929-2018)誕生 | alt1 = ル=グウィン | image2 = Ken Watanabe 01.jpg | width2 = 105 | caption2 = [[俳優]][[渡辺謙]](1959-)誕生 | alt2 = 渡辺謙 }} * [[1328年]]([[天暦]]元年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[朱元璋|朱元璋(洪武帝)]]、[[明]]の太祖(+ [[1398年]]) * [[1449年]] - [[ジョージ・プランタジネット (クラレンス公)|ジョージ・プランタジネット]]、[[クラレンス公]]、[[ウォリック伯]]、[[ソールズベリー伯]](+ [[1478年]]) * [[1581年]] - [[ドメニキーノ]]、画家(+ [[1641年]]) * [[1651年]] - [[ジャン・バール]]、軍人(+ [[1702年]]) * [[1652年]]([[承応]]元年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]])- [[稲葉知通]]、第6代[[臼杵藩|臼杵藩主]](+ [[1706年]]) * [[1660年]] - [[ゲオルク・シュタール]]、科学者、医師(+ [[1734年]]) * [[1675年]]([[延宝]]3年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[東山天皇]]、第113代[[天皇]](+ [[1710年]]) * [[1712年]] - {{仮リンク|ジェームズ・デンハム=スチュアート|en|James Denham-Steuart}}、経済学者(+ [[1780年]]) * [[1777年]]([[寛延]]3年[[9月22日 (旧暦)|9月22日]])- [[細川利致]]、第5代[[肥後新田藩|肥後新田藩主]](+ [[1781年]]) * [[1752年]]([[宝暦]]2年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[亀田鵬斎]]、[[書家]]、[[儒学者]](+ [[1826年]]) * [[1757年]] - [[ピエール・オージュロー]]、軍人(+ [[1816年]]) * [[1762年]] - {{仮リンク|ヘルマン・ウィレム・デーンデルス|en|Herman Willem Daendels}}、政治家(+ [[1818年]]) * [[1772年]] - [[サミュエル・テイラー・コールリッジ]]、[[詩人]](+ [[1834年]]) * [[1777年]]([[安永]]6年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]])- [[黒田斉隆]]、第9代[[福岡藩|福岡藩主]](+ [[1795年]]) * [[1783年]]([[天明]]3年[[9月26日 (旧暦)|9月26日]])- [[松平斉厚]]、第3代[[館林藩|館林藩主]]・初代[[浜田藩|浜田藩主]](+ [[1839年]]) * [[1790年]] - [[アルフォンス・ド・ラマルティーヌ]]、詩人、[[政治家]](+ [[1869年]]) * [[1795年]]([[寛政]]7年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]])- [[土屋寛直]]、第8代[[土浦藩|土浦藩主]](+ [[1810年]]) * [[1809年]]([[文化 (元号)|文化]]7年[[9月13日 (旧暦)|9月13日]])- [[松平宗秀]]、第6代[[宮津藩|宮津藩主]](+ [[1873年]]) * [[1833年]] - [[アルフレッド・ノーベル]]、[[化学者]](+ [[1896年]]) * [[1847年]] - [[ジュゼッペ・ジャコーザ]]、詩人、劇作家(+ [[1906年]]) * [[1877年]] - [[オズワルド・アベリー]]、[[医師]](+ [[1955年]]) * [[1884年]] - [[森矗昶]]、[[実業家]]、[[昭和電工]]創業者、[[衆議院]]議員(+ [[1941年]]) * [[1886年]] - [[ユージン・バートン・イーリー]]、パイロット(+ [[1911年]]) * [[1892年]] - [[リディア・ロポコワ]]、[[バレエ]]ダンサー(+ [[1981年]]) * [[1893年]] - [[木原均]]、遺伝学者(+ [[1986年]]) * [[1894年]] - [[江戸川乱歩]]、[[推理作家]](+ [[1965年]]) * [[1895年]] - [[エドナ・パーヴァイアンス]]、女優(+ [[1958年]]) * 1895年 - [[箕作秋吉]]、[[作曲家]]、[[化学者]](+ [[1971年]]) * [[1902年]] - [[岡義武]]、[[政治学者]](+ [[1990年]]) * [[1904年]] - {{仮リンク|パトリック・カヴァナー|en|Patrick Kavanagh}}、詩人(+ [[1967年]]) * [[1908年]] - [[アレクサンダー・シュナイダー]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[指揮者]](+ [[1993年]]) * [[1911年]] - [[メアリー・ブレア]]、[[芸術家]](+ [[1978年]]) * [[1912年]] - [[ゲオルク・ショルティ]]、[[指揮者]]、ピアニスト(+ [[1997年]]) * 1912年 - [[道上伯]]、[[柔道家]] (+ [[2002年]]) * 1912年 - [[ヤコフ・フリエール]]、ピアニスト、音楽教師(+ [[1977年]]) * [[1914年]] - [[マーティン・ガードナー]]、[[数学者]]、アマチュア[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](+ [[2010年]]) * [[1916年]] - [[佐藤武夫 (野球)|佐藤武夫]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1962年]]) * [[1917年]] - [[ディジー・ガレスピー]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者(+ [[1993年]]) * [[1919年]] - [[新村源雄]]、政治家(+ [[1995年]]) * [[1921年]] - [[マルコム・アーノルド]]、作曲家(+ [[2006年]]) * [[1922年]] - [[リリアン・ベッテンコート]]、実業家(+ [[2017年]]<ref>{{Cite web |title=Billionaire L'Oreal heiress Bettencourt dies aged 94 |publisher=[[ロイター|Reuters]] |date=21 Sep 2017 |url=https://www.reuters.com/article/us-l-oreal-management/billionaire-loreal-heiress-bettencourt-dies-aged-94-idUSKCN1BW2CP |accessdate=18 Jul 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3143826 |title=世界一の女性富豪、L・ベタンクールさん死去 94歳 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |website=AFP BB News |date=22 Sep 2017}}</ref>) * [[1925年]] - [[セリア・クルース]]([[:en:Celia Cruz|Celia Cruz]])、歌手(+ [[2003年]]) * [[1928年]] - [[ホワイティー・フォード|ホワイティ・フォード]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]]) * [[1929年]] - [[アーシュラ・K・ル=グィン]]、[[ファンタジー]]・[[SF作家]](+ [[2018年]]) * [[1930年]] - [[イワン・シラーエフ]]、政治家(+ [[2023年]]) * 1930年 - [[黒沢良]]、声優、ナレーター、歌手(+ [[2011年]]) * 1930年 - [[国田栄弥]]、[[俳優]](+ [[2006年]]) * [[1933年]] - 春日三球、[[漫才師]]([[春日三球・照代]](+ [[2023年]])  * [[1936年]] - [[白川由美]]、女優(+ [[2016年]]) * [[1937年]] - [[五島道信]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[五月みどり]]、[[歌手]] * 1939年 - [[岸上大作]]、 [[歌人]](+ [[1960年]]) * [[1940年]] - [[笹森清]]、[[労働運動家]]、第4代[[日本労働組合総連合会|連合]]会長(+ [[2011年]]) * [[1941年]] - [[スティーヴ・クロッパー]]、ギタリスト * [[1942年]] - [[エルヴィン・ビショップ]]、ミュージシャン * [[1943年]] - [[藤岡信勝]]、[[教育学者]] * [[1946年]] - 白石治和<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kyonan.mcscloud.jp/faq.asp?faqno=C0000523&sugtype=0&logid=860069173&did0=75&dname0=町について&did1=75,79&dname1=町長 |title=FAQ 詳細 町長のことが知りたい。 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[鋸南町]]}}</ref>、政治家 * [[1947年]] - [[蛭子能収]]、[[漫画家]] * [[1948年]] - [[橋爪大三郎]]、[[社会学者]] * 1948年 - [[ベンヤミン・ネタニヤフ]]、政治家、イスラエル9代首相 * 1948年 - [[長島吉邦]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[スキップ・ジェームス]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[大場政夫]]、[[プロボクサー]](+ [[1973年]]) * 1949年 - [[有田哲三]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[ベンヤミン・ネタニヤフ]]、軍人、政治家 * [[1950年]] - [[古川益三]]、漫画家、実業家、[[まんだらけ]]代表 * 1950年 - [[ロナルド・マクネイア]]、宇宙飛行士(+ [[1986年]]) * [[1953年]] - [[ホアン・アイケルバーガー]]、元プロ野球選手 * 1953年 - [[ペーター・マンデルソン]]、政治家 * [[1954年]] - [[角替和枝]]、[[俳優|女優]](+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201810270000680.html |title=角替和枝さん死去、がんで闘病…夫柄本明ら見守られ |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=28 Oct 2018}}</ref>) * [[1955年]] - [[浜田靖一]]、政治家、[[衆議院議員]] * [[1956年]] - [[キャリー・フィッシャー]]、女優(+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://jp.reuters.com/article/princess-leia-dies-idJPKBN14G1UQ |title=レイア姫役の米女優キャリー・フィッシャーさんが死去 |date=27 Dec 2016 |accessdate=18 Jul 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]]}}</ref>) * 1956年 - [[永島敏行]]、俳優 * 1956年 - [[スティーヴ・ルカサー]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1957年]] - [[ヴォルフガング・ケターレ]]、物理学者、[[ノーベル物理学賞]]受賞者 * [[1958年]] - [[岡田京子]]、女優(+ [[1986年]]) * 1958年 - [[村上幸子]]、[[演歌歌手]](+ [[1990年]]) * [[1959年]] - [[渡辺謙]]、俳優 * 1959年 - [[大西克昌]]、[[射撃選手]] * 1959年 - [[ジョージ・ベル]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[千住明]]、作曲家 * 1960年 - [[久保恭久]]、元[[野球選手]] * [[1961年]] - [[唐沢なをき]]、[[漫画家]] * [[1962年]] - [[伊藤美紀 (声優)|伊藤美紀]]、[[声優]] * 1962年 - [[デイヴィッド・キャンピージ]]、ラグビー選手 * 1962年 - [[リチャード・ウィッグス]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[伊藤隆偉]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[今井寿]]、ミュージシャン([[BUCK-TICK]]) * 1965年 - [[さかもと未明]]、漫画家、作家 * 1965年 - [[米長晴信]]、政治家 * 1965年 - [[ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア]]、[[サッカー選手]] * 1965年 - [[厚谷司]]、政治家 * [[1966年]] - [[高野秀行 (ノンフィクション作家)|高野秀行]]、[[ノンフィクション作家]]、翻訳家 * 1966年 - [[原朋直]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者 * 1966年 - [[平野裕加里]]、[[フリーアナウンサー]]、[[ローカルタレント]] * [[1967年]] - [[河本育之]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[アルシンド・サルトーリ|アルシンド]]、元サッカー選手 * 1967年 - [[ポール・インス]]、元サッカー選手 * [[1968年]] - [[メローラ・ウォルターズ]]、女優 * [[1969年]] - [[辻本弘樹]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[龍炎狼牙]]、漫画家 * [[1970年]] - [[ルイス・クー]]、俳優 * [[1971年]] - [[西島千博]]、[[バレエ]]ダンサー、俳優 * 1971年 - [[遠藤憲昭]]、アパレルブランドプロデューサー * 1971年 - [[ポール・テルファー]]、サッカー選手 * 1972年 - [[奥江晴紀]]、書道家 * 1972年 - [[米倉利紀]]、ミュージシャン * [[1972年]] - [[森田成一]]、声優 * 1972年 - [[山﨑健]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[サフロン・バロウズ]]、女優 * [[1973年]] - [[ブライアン・コーリー]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[レーラ・アウエルバッハ]]、作曲家 * [[1974年]] - [[岡本真也]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[田中敏昭]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[夜麻みゆき]]、漫画家 * 1974年 - [[石川昭人]]、放送作家 * [[1975年]] - [[トビー・ホール]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[エンリケ・イラーリオ]]、サッカー選手 * [[1976年]] - [[髙山樹里]]、[[ソフトボール]]選手 * 1976年 - 松田洋昌、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[ハイキングウォーキング]]) * [[1977年]] - [[TSURU]]、ミュージシャン([[STANCE PUNKS]]) * 1977年 - [[福田健二]]、元サッカー選手 * [[1978年]] - [[乙一]]、[[小説家]] * 1978年 - [[大江麻理子]]、キャスター、元[[アナウンサー]] * [[1979年]] - [[カリル・グリーン]]、プロ野球選手 * 1979年 - [[高野志穂]]、[[俳優|女優]] * [[1980年]] - [[稲嶺誉]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[六車勇輝]]、元[[俳優]] * 1980年 - [[キム・カーダシアン]]、女優 * 1980年 - [[光川愛]]、ミュージカル俳優 * [[1981年]] - [[ネマニャ・ヴィディッチ]]、元サッカー選手 * [[1982年]] - [[リー・チョンウェイ]]、元バドミントン選手 * 1982年 - [[マット・ダラス]]、俳優 * 1982年 - [[井上香織]]、元バレーボール選手 * 1982年 - [[根市寛貴]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[ジム・ヘンダーソン (野球)|ジム・ヘンダーソン]]、元プロ野球選手 * [[1983年]] - [[ザック・グレインキー]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[アンディ・マルテ]]、プロ野球選手(+ [[2017年]]) * 1983年 - [[ケイシー・フィーン]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[フランシスコ・カラバイヨ]]、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[道端ジェシカ]]、[[ファッションモデル]] * 1984年 - [[キーラン・リチャードソン]]、サッカー選手 * 1984年 - [[ケニー・クーパー]]、元サッカー選手 * [[1985年]] - [[小口幸太]]、元[[ゲイビデオ男優]]、元[[プロボクサー]] * 1985年 - [[サヘル・ローズ]]、[[タレント]]、[[モデル (職業)|モデル]] * 1985年 - [[新垣勇人]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[荻野貴司]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - アキノ、歌手([[The Do-Nuts]]) * 1986年 - [[夏陽りんこ]]、声優 * 1986年 - [[瀬川隼郎]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[C.C.リー|李振昌]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[中間淳太]]、アイドル、タレント([[WEST.]]) * 1987年 - [[ショーン・オチンコ]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[ジャスティン・デフレイタス]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[高橋由真 (1988年生)|高橋由真]]、ファッションモデル * [[1989年]] - [[岩嵜翔]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[May'n]]、歌手 * 1989年 - [[ダニー・バーンズ (野球)|ダニー・バーンズ]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[瀧内公美]]、女優 * [[1990年]] - [[手塚裕紀]]、モデル * 1990年 - [[リッキー・ルビオ]]、バスケットボール選手 * [[1991年]] - [[藤本泉 (タレント)|藤本泉]]、女優 * 1991年 - [[竹内彩華]]、フリーアナウンサー * [[1992年]] - [[岩本輝]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[バーナード・トミック]]、プロテニス選手 * [[1993年]] - [[桜井俊貴]]、元プロ野球選手 *[[1995年]] - LENA、アイドル、ミュージシャン([[CHERRSEE]]) * 1995年 - [[アントワネット・ギディア]]、競泳選手 * 1995年 - [[ドージャ・キャット]]、歌手 * 1995年 - [[黒木ほの香]]、声優 * [[1997年]] - [[石田桃香]]、元女優 * 1997年 - [[マイキ]]、[[作詞家]]、作曲家、[[編曲家]]、[[ドラマー]]、[[ボカロP]]、[[YouTuber]] * 1997年 - [[武隈光希]]、アナウンサー * [[1998年]] - [[大島涼花]]、女優、元アイドル(元[[AKB48]]) * 1998年 - [[田村保乃]]、アイドル([[櫻坂46]]) * [[2000年]] - [[伊藤美誠]]、卓球選手 * 2000年 - ソン・ジュンヒョン、アイドル ([[GHOST9]]) * [[2001年]] - [[チャ・ジュンファン]]、フィギュアスケート選手 * [[2002年]] - [[北園丈琉]]、[[体操競技]]選手 * 生年非公表 - [[わたなべヨシコ]]、[[ラジオパーソナリティ]]、イベントMC * 生年不詳 - 幸樹、ミュージシャン([[ダウト (バンド)|ダウト]]) * 生年不明 - [[佐藤広太]]、声優 * 生年不明 - [[伊達忠智]]、声優 * 生年不明 - [[梶田夕貴]]、声優 * 生年不明 - [[櫻井浩美]]、声優 * 生年不明 - [[寒川ほのか]]、声優 * 生年不明 - ユイ・ガ・ドクソン、アイドル([[GANG PARADE]]) * 生年不明 - [[小鳩ミク]]、歌手、ギタリスト([[BAND-MAID]]) * 生年不明 - パン野実々美、歌手 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Fukakusa Kita Misasagi.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[後土御門天皇]](1442-1500)崩御 | alt1 = ホレーショ・ネルソン | image2 = Ujiyasu Hojo.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[後北条氏]]3代当主[[北条氏康]](1515-1571)没 | alt2 = 北条氏康 }} {{multiple image | footer = [[関ヶ原の戦い]]で戦死した西軍武将 | image1 = Ōtani Yoshitsugu Grave.jpg | width1 = 60 | caption1 = [[大谷吉継]](1559?-1600) | alt1 = 大谷吉継墓 | image2 = 島津豊久の墓.jpg | width2 = 70 | caption2 = [[島津豊久]](1570-1600) | alt2 = 島津豊久の墓 | image3 = Monument of Hiratsuka Tamehiro.jpg | width3 = 50 | caption3 = [[平塚為広]](生年不詳-1600) | alt3 = 平塚為広の碑 }} {{multiple image | image1 = The Death of Nelson - detail.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[イギリス海軍|英海軍]]提督、[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]](1758-1805)戦死 | alt1 = ホレーショ・ネルソン | image2 = Jinmaku kyugoro.jpg | width2 = 90 | caption2 = 江戸時代最後の[[横綱]][[陣幕久五郎]](1829-1903)没 | alt2 = 陣幕久五郎 }} {{multiple image | image1 = Анастас Иванович Микоян.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[アナスタス・ミコヤン]](1895-1978)没 | alt1 = ミコヤン | image2 = François truffaut.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[映画監督]][[フランソワ・トリュフォー]](1932-1984)没 | alt2 = トリュフォー }} {{multiple image | image1 = Shiga Naoya 1938.jpg | width1 = 90 | caption1 = 小説家[[志賀直哉]](1883-1971)没 | alt1 = 志賀直哉 | image2 = Bobby Charlton.jpg | width2 = 90 | caption2 = 左足の「キャノンシュート」、英国サッカー選手[[ボビー・チャールトン]](1937-2023)没 | alt2 = トリュフォー }} * [[707年]]([[慶雲]]4年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]]) - [[書根麻呂]]、[[衛士府|左衛士府督]] * [[762年]]([[天平宝字]]6年[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]) - [[石川年足]]、[[公卿]]、[[歌人]](* [[688年]]) * [[1422年]] - [[シャルル6世 (フランス王)|シャルル6世]]、[[フランス王]](* [[1368年]]) * [[1500年]]([[明応]]9年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]) - [[後土御門天皇]]、第103代[[天皇]] (* [[1442年]]) * [[1558年]] - [[ジュール・セザール・スカリジェ]]、[[文法学者]]、[[哲学者]]、[[医師]](* [[1484年]]) * [[1571年]]([[元亀]]2年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]) - [[北条氏康]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[大名]](* [[1515年]]) * [[1579年]]([[天正]]7年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[種子島時尭]]、[[武将|戦国武将]](* [[1528年]]) * [[1586年]]([[天正]]14年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]) - [[滝川一益]]、戦国武将(* [[1525年]]) * [[1600年]]([[慶長]]5年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[大谷吉継]]、戦国時代の大名(* [[1559年]]?) * 1600年(慶長5年9月15日) - [[島津豊久]]、戦国武将(* [[1570年]]) * 1600年(慶長5年9月15日) - [[肝付兼護]]、戦国武将(* [[1561年]]) * 1600年(慶長5年9月15日) - [[戸田勝成]]、戦国武将(* [[1557年]]) * 1600年(慶長5年9月15日) - [[平塚為広]]、戦国武将(* 生年不詳) * [[1662年]] - [[ヘンリー・ローズ]]、[[作曲家]](* [[1595年]]) * [[1765年]] - [[ジョバンニ・パオロ・パンニーニ]]、[[画家]]、[[建築家]](* [[1691年]]) * [[1775年]] - [[ペイトン・ランドルフ]]、[[大陸会議]]議長(* [[1721年]]) * [[1805年]] - [[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]、[[イギリス海軍|英海軍]]提督(* [[1758年]]) * [[1872年]] - [[ジャック・バビネ]]、[[物理学者]](* [[1794年]]) * [[1881年]] - [[エドゥアルト・ハイネ]]、[[数学者]](* [[1821年]]) * [[1886年]] - [[ホセ・エルナンデス]]、[[詩人]](* [[1834年]]) * [[1903年]] - [[陣幕久五郎]]、[[大相撲]]第12代[[横綱]](* [[1829年]]) * [[1916年]] - [[ラファエル・コラン]]、[[画家]](* [[1850年]]) * [[1931年]] - [[アルトゥル・シュニッツラー]]、[[小説家]](* [[1862年]]) * [[1945年]] - [[深井英五]]、[[銀行家]]、[[経済学者]](* [[1871年]]) * [[1952年]] - [[池田豊]]、元[[プロ野球審判員]](* [[1893年]]) * [[1961年]] - [[カール・コルシュ]]、[[マルクス主義]]理論家(* [[1886年]]) * [[1967年]] - [[アイナー・ヘルツシュプルング]]、[[天文学者]](* [[1873年]]) * [[1969年]] - [[ヴァツワフ・シェルピニスキ]]、数学者(* [[1882年]]) * 1969年 - [[ジャック・ケルアック]]、小説家、詩人(* [[1922年]]) * [[1971年]] - [[志賀直哉]]、小説家(* [[1883年]]) * 1971年 - [[砂川捨丸・中村春代|砂川捨丸]]、[[漫才師]](* [[1890年]]) * [[1973年]] - [[我妻栄]]、[[法学者]](* [[1897年]]) * 1973年 - [[小田基義]]、[[映画監督]](* [[1909年]]) * [[1974年]] - [[丸山薫]]、小説家(* [[1894年]]) * 1974年 - [[レンジェル・メニヘールト]]、[[劇作家]]、[[脚本家]](* [[1880年]]) * [[1975年]] - [[チャールズ・レイドパス]]、[[陸上競技]]選手(* [[1889年]]) * [[1976年]] - [[山口益]]、[[仏教学者]]、[[大谷大学]]学長(* [[1895年]]) * [[1978年]] - [[アナスタス・ミコヤン]]、[[ソビエト連邦]]の[[ソビエト連邦最高会議幹部会議長|最高会議幹部会議長]](* [[1895年]]) * [[1980年]] - [[嵐寛寿郎]]、[[映画俳優]](* [[1903年]]) * 1980年 - [[ハンス・アスペルガー]]、[[医学者]](* [[1906年]]) * [[1984年]] - [[フランソワ・トリュフォー]]、映画監督(* [[1932年]]) * [[1985年]] - [[増位山大志郎]]、大相撲[[力士]](* [[1919年]]) * [[1990年]] - [[P.R.サーカー]]、[[スピリチュアル]][[思想家]](* [[1921年]]) * [[1991年]] - [[田上穣治]]、法学者(* [[1907年]]) * [[1998年]] - [[宮脇檀]]、[[建築家]]、[[エッセイスト]](* [[1936年]]) * [[1999年]] - [[ジョン・ブロムウィッチ]]、[[テニス]]選手(* [[1918年]]) * [[2002年]] - [[ジェシー・グリーンスタイン]]、天文学者(* [[1909年]]) * 2002年 - [[矢数道明]]、[[医師]]、[[医史学|医史学者]](* [[1905年]]) * 2002年 - [[笹沢左保]]、小説家(* [[1930年]]) * [[2003年]] - [[エリオット・スミス]]、[[シンガーソングライター]](* [[1969年]]) * [[2004年]] - [[川崎洋]]、詩人(* [[1930年]]) * [[2006年]] - [[パウル・ビーヘル]]、[[児童文学作家]](* [[1925年]]) * [[2009年]] - [[南田洋子]]、[[俳優|女優]]、[[タレント]](* [[1933年]]) * [[2010年]] - [[逸見晴恵]]、[[随筆家]](* [[1949年]]) * [[2012年]] - [[ジミー・ツトム・ミリキタニ]]<ref>{{Cite web |date=2 Nov 2012 |url=https://rafu.com/2012/11/cats-of-mirikitani-star-dies-at-92/ |title=‘Cats of Mirikitani’ Star Dies at 92 |publisher=RAFU SHIMPO |accessdate=18 Jul 2023}}</ref>、[[画家]](* [[1920年]]) * [[2016年]] - [[小坂憲次]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sankei.com/article/20161021-PZBMTVQ56VORXDLHVAZ2RCM2YQ/ |title=小坂憲次元文科相が死去 |publisher=[[産経新聞]] |date=21 Oct 2016 |accessdate=18 Jul 2023}}</ref>、政治家(* [[1946年]]) * [[2018年]] - [[西澤潤一]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://mainichi.jp/articles/20181027/k00/00e/040/008000c |title=訃報:西澤潤一さん 92歳=光通信や半導体レーザー開発 |publisher=[[毎日新聞]] |date=26 Oct 2018 |accessdate=18 Jul 2023}}</ref>、[[工学者]](* [[1926年]]) * [[2020年]] - [[黛執]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65332910S0A021C2CN8000/ |title=黛執氏が死去 俳人 |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=22 Oct 2022}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S14668276.html |title=黛執さん死去 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=23 Oct 2020 |accessdate=18 Jul 2023}}</ref>、[[俳人]](* [[1930年]]) * [[2021年]] - [[杉本沙織]]、[[声優]](* [[1964年]]) * 2021年 - [[鹿野道彦]]<ref>{{Cite web|和書 |title=鹿野道彦・元農水相死去 新幹線・政治改革・震災…ぶれず奔 |url=https://www.asahi.com/articles/ASPBQ76Z8PBQUZHB00C.html |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=23 Oct 2021}}</ref>、政治家、元衆議院議員(* [[1942年]]) * [[2022年]] - [[工藤壮人]]<ref>{{Cite web|和書 |title=元日本代表FW工藤壮人が逝去、J3宮崎が発表 |url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?370869-370869-fl |website=[[ゲキサカ]] |date=21 Oct 2022 |access-date= 18 Jul 2023}}</ref>、サッカー選手(* [[1990年]]) * [[2023年]] - [[ボビー・チャールトン]]、サッカー選手(* [[1937年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == * 魚吹八幡神社『ちょうちん祭り』({{JPN}}) *:毎年10月21日から22日にかけて、[[兵庫県]][[姫路市]]の[[魚吹八幡神社]]で「ちょうちん祭り」と呼ばる秋の例祭が行われる。[[播磨国|播州]]最大級の氏子数を誇るお祭りで神輿3基の渡御・還御、金幣、屋台18台、檀尻4台の練り出し、獅子檀尻1台の獅子舞披露、門前でのちょうちん練り等が行われる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://usukihachiman.or.jp/cyochin_matsuri/ |title=ちょうちん祭り |access-date=18 Jul 2023 |publisher=魚吹八幡神社}}</ref>。 *あかりの日({{JPN}}) *:1879年10月21日に[[トーマス・エジソン]]が[[京都府|京都]]産の竹の繊維を炭化させたフィラメントを用いて[[白熱電球]]を完成させたことにちなんで、[[日本電気協会]]・日本電球工業会など4団体が[[1981年]]に制定。あかりのありがたみを認識する日。 *早稲田大学創立記念日({{JPN}}) *:1882年10月21日に大隈重信が早稲田大学の前身である東京専門学校を創立。 *センチュリー21の日 *:全世界に展開する不動産流通の大手。1021(セン21)から同日を制定。 *[[国際反戦デー]] *:1966年のこの日、[[日本労働組合総評議会]](総評)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する。偶然だが最初の[[学徒出陣]]壮行会が1943年に開催された日でもある。 *バック・トゥ・ザ・リサイクルの日 *:日本環境設計株式会社が制定。映画[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]で、ごみを燃料にした自動車型タイムマシーン[[デロリアン]]が到着する未来が、2015年10月21日であることから、「ごみがごみでなくエネルギーに変わる日」として記念日にした<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=165|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1021|date=Jul 2023}} *1937年(昭和12年)- 三津木俊助と由利先生が[[東京駅]]夜10時8分発の[[夜行列車]]で[[大阪]]に向かう。(小説『[[蝶々殺人事件]]』第5章) *2015年 - エメット・ブラウン博士、マーティ・マクフライ、ジェニファー・パーカーが、[[デロリアン (タイムマシン)|デロリアン]]で1985年からタイムトラベルしてくる(日本時間では[[10月22日]])。(映画『[[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1901年]] - 藤枝かえで、ゲーム『[[サクラ大戦シリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sakura-taisen.com/archives/game/ds/chara_kaede.html |title=藤枝かえで |access-date= 18 Jul 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]]|work=『サクラ大戦』}}</ref> * [[1988年]] - 村上夏美、漫画・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://king-cr.jp/special/negima/28.html |title=28.村上 夏美 |access-date=18 Jul 2023 |work=『魔法先生ネギま!麻帆良学園中等部2-A』 |publisher=[[赤松健]]・[[講談社]]・関東魔法協会 [[キングレコード|King Record.Co.,Ltd.]]}}</ref> *[[1993年]] - ナグラテルアキ、[[ウルトラマンシリーズ]]『[[ウルトラマンブレーザー]]』の登場人物<ref>オープニング映像、及び第2話の地球防衛隊勤務記録書類より</ref> * [[2030年]] - はぐたん(はぐみ)、アニメ『[[HUGっと!プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|pps_as|1052038837252153344}}</ref> * 2283年 - お茶の佳華/茶恵原佳華、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/yoshika.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:お茶の佳華|date=20100923091913}}</ref> *2283年 - ハイスピード・セリカ/挙母瀬里加、ゲーム『銀河お嬢様伝説ユナ』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/serika.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:ハイスピード・セリカ|date=20100923091713}}</ref> * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]344年 - チサト・マディソン、ゲーム『[[スターオーシャン セカンドストーリー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=48|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * グルグル暦1298年 - [[ニケ (曖昧さ回避)|ニケ]]、漫画・アニメ『[[魔法陣グルグル]]』の主人公のひとり<ref>{{Cite book|和書|title=魔法陣グルグルランド2|publisher=[[エニックス]]|year=1995|page=28|isbn=978-4-87025-834-1}}</ref> * 生年不明 - アンリ・ノーベル3世、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1318568926238814215}}</ref> * 生年不明 - ミズキ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=[[集英社]]|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-873288-X|page=121}}</ref> * 生年不明 - 寺田京、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=若木民喜|authorlink=若木民喜|year=2013|title=神のみぞ知るセカイ 神ヒロイン完全攻略ブック|page=160|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-124451-2}}</ref> * 生年不明 - 梶秋彦、漫画・アニメ『[[ギヴン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url= https://www.noitamina-shop.com/event/id/932 |title= 『映画 ギヴン』梶秋彦 バースデーキャンペーン |website=ノイタミナショップ|publisher=CABINET INC. |accessdate=18 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - 大沼秋一郎、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=大沼 秋一郎(おおぬま しゅういちろう) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=18 Jul 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref> * 生年不明 - [[チャン・コーハン]]、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kof_allstar|1053662121781813248}}</ref> * 生年不明 - 小林唯月、ゲーム『[[Like Life]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.hook-net.jp/likelife/chara04.htm |title=小林 唯月 |access-date=18 Jul 2023 |work=『LIKE LIFE』 |publisher=[[HOOKSOFT|HOOK]]}}</ref> * 生年不明 - 足利はねる、ゲーム『[[Sugar+Spice!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=Sugar+Spice! ビジュアル・ガイドブック|publisher=[[ジャイブ]]|year=2007|page=46|isbn=978-4-86176-480-6}}</ref> * 生年不明 - ステッチ、ゲーム『[[PrismRhythm -プリズムリズム-|Prism Rhythm]]』、『[[ダイヤミック・デイズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.lumpofsugar.co.jp/product/prismrhythm/character/index.html |title=Character ステッチ |access-date= 18 Jul 2023 |publisher=[[Lump of Sugar]] |work=『PrismRhythm -プリズムリズム-』}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#二階堂千鶴|二階堂千鶴]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30025 |title=二階堂 千鶴(にかいどう ちづる) |access-date= 18 Jul 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - グレアム、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=53&cate=name&cont=Graham |title=グレアム |access-date= 18 Jul 2023 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 神無月郁、ゲーム・アニメ・映画『[[ツキウタ。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://tsukino-pro.com/tsukiuta/character/iku |title=神無月 郁 |work=『ツキウタ。』 |publisher=[[ムービック|movic]]/TSUKIUTA |accessdate=18 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - 伊達朱里、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url= https://heaven-burns-red.com/character/31d/date-akari/ |title=伊達朱里|work=『ヘブンバーンズレッド』 |publisher=[[WFS (企業)|WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS]] [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=18 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - [[ラブライブ!#絢瀬絵里|絢瀬絵里]]、メディアミックス『[[ラブライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=絢瀬絵里 |url=https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/member/member02.html |access-date=18 Jul 2023 |publisher=プロジェクトラブライブ! |work=『ラブライブ!』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{新暦365日|10|20|10|22|[[9月21日]]|[[11月21日]]|[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]|1021|10|21}} {{1年の月と日}}
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10月22日
10月22日(じゅうがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から295日目(閏年では296日目)にあたり、年末まであと70日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月22日'''(じゅうがつにじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から295日目([[閏年]]では296日目)にあたり、年末まであと70日ある。 == できごと == [[ファイル:Train wreck at Montparnasse 1895.jpg|216x216px|thumb|モンパルナス駅での列車脱線事故(1895)]] * [[1633年]] - {{仮リンク|料羅湾海戦|en|Battle of Liaoluo Bay}}が終結。[[明]]が[[オランダ東インド会社]]を破る。 * [[1797年]] - [[パリ]]で[[アンドレ=ジャック・ガルヌラン]]が世界初の[[パラシュート]]降下を行う。 * [[1836年]] - [[サミュエル・ヒューストン]]が[[テキサス共和国]]初代大統領に選出される。 * [[1867年]] - [[ナルシス・ムントリオル]]が[[バルセロナ]]港の海中で、潜水艇[[イクティネオII]]に搭載された世界初の[[非大気依存推進]]機関の試運転を行う。 * [[1873年]] - [[ドイツ帝国|ドイツ]]・[[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア]]・[[ロシア帝国|ロシア]]が[[三帝同盟]]を結成。 * [[1894年]] - [[庄内地震]]が発生。死者700名以上。 * [[1895年]] - パリ・[[モンパルナス駅]]で列車がブレーキ故障のため減速しないまま駅に進入し、[[車止め]]を乗り越えて駅舎を突き破る([[モンパルナス駅脱線事故]])。 * [[1897年]] - 海軍軍医学校が開校。 * [[1926年]] - [[明治神宮外苑]]が完成。 * [[1933年]] - [[リンゴ事件]]: [[東京六大学野球連盟|六大学野球]]、[[早慶戦]]での判定をめぐり、[[慶應義塾大学|慶應]]の[[水原茂]]に向けて[[早稲田大学|早稲田]]側の応援席からリンゴの芯が投げられた。その芯を水原選手がスタンドに投げ返したことをきっかけに両軍がエキサイト。慶應の逆転勝利が決まったと同時に早大応援団が慶大応援席になだれ込んで大乱闘になり、警察が出動するまでの事態に発展した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://christianpress.jp/n201022/ |title=【今日は何の日】1933年10月22日 リンゴ事件 |access-date=11 Jun 2023 |publisher=CHRISTIAN PRESS |date=22 Oct 2020}}</ref>。 * [[1936年]] - [[中国共産党]]による[[長征]]が終了。 * [[1938年]] - [[チェスター・F・カールソン]]が[[複写機|コピー機]]などの原理である[[ゼログラフィ]](電子複写方式)を発明。 * [[1945年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が[[軍国主義]]的・[[超国家主義]]的教育の禁止を指令。 * [[1953年]] - [[ラオス]]が[[フランス]]からの完全独立を達成。 * [[1957年]] - [[郵政省]]がテレビ放送局43局に[[予備免許]]を交付。 * [[1958年]] - 日本初の長編カラー[[アニメーション映画]]『[[白蛇伝 (1958年の映画)|白蛇伝]]』が公開。 * [[1962年]] - [[キューバ危機]]:[[ジョン・F・ケネディ]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が[[キューバ]]海上封鎖を表明。 * [[1966年]] - ソ連が月探査機「[[ルナ12号]]」を打ち上げ。 * [[1972年]] - [[全日本プロレス]]旗揚げ。 * [[1973年]] - [[V9 (読売ジャイアンツ)|V9]]:[[読売ジャイアンツ]]が[[阪神甲子園球場]]の最終戦で[[阪神タイガース]]を破り、[[セントラル・リーグ]]9連覇を達成。 * [[1978年]] - 10月16日にローマ教皇に選出された[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]が教皇に就任。 * 1978年 - [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]が[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]で[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]を破り球団創設以来初の日本一に。 * [[1981年]] - [[メキシコ]]・[[カンクン]]で初の「協力と開発に関する国際会議」(南北サミット)開催。 * [[1983年]] - 北海道の国鉄[[白糠線]]がこの日限りで廃止。[[特定地方交通線]]の廃止第1号。 * [[1987年]] - [[広島東洋カープ]]の[[衣笠祥雄]]がこの日のシーズン最終戦をもって引退。当時の世界記録であったプロ野球連続試合出場記録は2,215でストップした。 * [[1990年]] - [[オウム真理教国土利用計画法違反事件]]で熊本県警が[[オウム真理教]]の教団施設を強制捜査。 * [[1998年]] - [[日本国有鉄道清算事業団|国鉄清算事業団]]が解散。 * [[2008年]] - [[インド]]の月探査機「[[チャンドラヤーン1号]]」が打ち上げ。 * [[2009年]] - [[マイクロソフト]]の[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]向け[[オペレーティングシステム|OS]]「[[Microsoft Windows 7|Windows 7]](個人向け)」が日本にて発売開始。 * [[2010年]] - [[ソニー]]、[[コンパクトカセット|カセットテープ]]式の[[携帯音楽プレーヤー]]「[[ウォークマン]]」の日本国内での販売を終了。 * [[2017年]] - [[第48回衆議院議員総選挙]]投開票。[[選挙権]]年齢が18歳以上となってからの初の[[衆議院議員総選挙]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/140151|title=高校生、1票の重み実感 投票所で有権者を取材 {{=}}2017衆院選さが 18歳選挙権・はじめの1票{{=}}|publisher=[[佐賀新聞]]|date=23 Oct 2017|accessdate=8 Jun 2023}}</ref>。 * 2017年 - WBA世界ミドル級王者決定戦で、[[2012年ロンドンオリンピック|2012年ロンドン五輪]]同級金メダリストの[[村田諒太]]が、フランスの[[ハッサン・ヌダム・ヌジカム|アッサン・エンダム]]を7回TKOで破り、日本人ボクサーとして22年ぶり2人目のミドル級王座を奪取した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3147643 |title=村田がWBAミドル級王座獲得、因縁対決でエンダムにTKO勝利 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News}}</ref>。 * [[2019年]] - 第126代天皇[[徳仁]]の[[即位礼正殿の儀]]が行われ、天皇が即位を宣言する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXKZO51277120T21C19A0EA2000/|title=国事行為とは 内閣の助言と承認に基づき天皇が行う|publisher=[[日本経済新聞]]|date=23 Oct 2019|accessdate=8 Jun 2023}}</ref>。 * [[2022年]] - [[イタリアの同胞]]のメローニ党首が、首相に就任。イタリア初の女性首相<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221022/k10013867071000.html |title=イタリア 右派政党メローニ党首が初の女性首相として就任へ |access-date=28 Sep 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=22 Oct 2022}}</ref>。 == 誕生日 == [[ファイル:Liszt (Lehmann portrait).jpg|thumb|237x237px|[[ハンガリー王国]]出身の[[ピアニスト]]、[[フランツ・リスト]](1811-1886)誕生]] [[ファイル:Sarah Bernhardt, par Nadar, 1864.jpg|thumb|238x238px|[[ベル・エポック]]の象徴たる女優、[[サラ・ベルナール]](1844-1923)誕生]] [[ファイル:Hasegawa Kanajo.JPG|thumb|294x294px|[[高浜虚子]]門下の[[俳人]][[長谷川かな女]](1887-1969)誕生]] [[ファイル:Meilanfang banshenxiang.JPG|thumb|238x238px|『覇王別姫』など近代[[京劇]]を打ち出した[[梅蘭芳]](1894-1961)誕生]] [[ファイル:Catherine deneuve2.jpg|thumb|246x246px|女優、[[カトリーヌ・ドヌーヴ]](1943-)誕生]] [[ファイル:MG 8109 Ichiro Suzuki.jpg|thumb|291x291px|[[イチロー]](1973-)誕生]] * [[1659年]] - [[ゲオルク・シュタール]]、化学者、医師 (+ [[1734年]]) * [[1689年]] - [[ジョアン5世 (ポルトガル王)|ジョアン5世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(+ [[1750年]]) * [[1724年]]([[享保]]9年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[岩城隆恭]]、第6代[[亀田藩|亀田藩主]](+ [[1782年]]) * [[1790年]]([[寛政]]2年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[松平信行]]、第7代[[上山藩|上山藩主]](+ [[1873年]]) * [[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[奥平昌暢]]、第6代[[伊勢崎藩|伊勢崎藩主]](+ [[1834年]]) * [[1811年]] - [[フランツ・リスト]]、[[ピアニスト]](+ [[1886年]]) * [[1844年]] - [[サラ・ベルナール]]、[[俳優|女優]](+ [[1923年]]) * [[1850年]] - [[三浦徹 (牧師)|三浦徹]]、牧師(+[[1925年]]) * [[1870年]] - [[イヴァン・ブーニン]]、作家 (+ [[1953年]]) * [[1871年]] - [[三谷一二]]、[[政治家]]、銀行員、実業家(+[[1965年]]) * [[1872年]] - [[宮崎三之助]]、裁判官、弁護士、政治家(+[[1941年]]) * [[1873年]] - [[グスターフ・ラムステッド]]、[[言語学者]](+ [[1950年]]) * [[1882年]] - [[エドマンド・デュラック]]、[[イラストレーター]](+ [[1953年]]) * [[1887年]] - [[ジョン・リード]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1920年]]) * 1887年 - [[長谷川かな女]]、[[俳人]](+ [[1969年]]) * [[1894年]] - [[梅蘭芳]]、[[京劇]]俳優(+ [[1961年]]) * [[1906年]] - [[ヴァランティーヌ・リニー]]、[[スーパーセンテナリアン]](+ [[2022年]]) * [[1907年]] - [[ジミー・フォックス]]、[[プロ野球選手]](+ [[1967年]]) * [[1908年]] - [[ジャコモ・マンズー]]、[[彫刻家]](+ [[1991年]]) * [[1911年]] - [[佐々木洋興]]、[[有機化学]]者(+ [[2008年]]) * [[1913年]] - [[バオ・ダイ]]、[[ベトナム]][[阮朝]]最後の皇帝(+ [[1997年]]) * [[1917年]] - [[ジョーン・フォンテイン]]、女優(+ [[2013年]]) * 1917年 - [[丸尾千年次]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]]) * [[1921年]] - [[三好俊夫]]、実業家(+[[2000年]]) * [[1922年]] - [[島野功緒]]、[[放送|放送評論家]](+ [[2014年]]) * [[1924年]] - [[小田滋]]、[[法学者]] * [[1925年]] - [[ロバート・ラウシェンバーグ]]、[[美術家]](+ [[2008年]]) * [[1929年]] - [[レフ・ヤシン]]、元[[サッカー選手]](+ [[1990年]]) * [[1931年]] - [[千田謙蔵]]、政治家 * 1931年 - [[林光]]、[[作曲家]](+ [[2012年]]) * [[1933年]] - [[草笛光子]]、女優 * [[1935年]] - [[九條今日子]]、女優(+[[2014年]]) * [[1936年]] - [[弓恵子]]、女優 * [[1937年]] - [[鈴木耕一]]、[[撮影技師]] * [[1938年]] - [[クリストファー・ロイド]]、俳優 * [[1939年]] - [[黒部進]]、俳優 * [[1943年]] - [[カトリーヌ・ドヌーヴ]]、女優 * 1943年 - [[ボビー・ミッチェル (1943年生の外野手)|ボビー・ミッチェル]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]) * 1943年 - [[ヤン・デ・ボン]]、映画監督 * [[1945年]] - [[成田賢]]、歌手(+ [[2018年]]) * 1945年 - [[レスリー・ウェスト]]、[[ギタリスト]]、[[歌手]](+ [[2020年]]) * [[1946年]] - [[鈴木俊光]]、元アナウンサー * 1946年 - [[丸山裕子]]、[[声優]] * [[1947年]] - [[豊山広光]]、元力士(+[[2020年]]) * [[1948年]] - [[大東和美]]、元ラグビー選手、ラグビー指導者 * 1948年 - [[細谷保雄]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[伊藤正徳 (競馬)|伊藤正徳]]、元騎手、[[調教師]] * 1948年 - [[菅野哲雄]]、政治家 * 1948年 - [[美樹克彦]]、[[シンガーソングライター]]、[[音楽プロデューサー]] * 1948年 - [[ホーカン・アウストボ]]、[[ピアニスト]] * [[1949年]] - [[アーセン・ベンゲル]]、元サッカー選手、[[サッカー]]指導者 * 1949年 - [[松金よね子]]、女優、声優 * [[1950年]] - [[山木康世]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ふきのとう (フォークグループ)|ふきのとう]]) * 1950年 - [[米田幸正]]、実業家 * [[1952年]] - [[田中芳樹]]、[[作家]] * 1952年 - [[タケカワユキヒデ]]、[[音楽家]]([[ゴダイゴ]]) * 1952年 - [[ジェフ・ゴールドブラム]]、俳優 * [[1953年]] - [[三田村邦彦]]、俳優 * 1953年 - [[伊藤薫 (作曲家)|伊藤薫]]、[[作詞家]]、[[作曲家]]、[[歌手]] * 1953年 - [[竹内広明]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[おぼたけし]]、歌手 * [[1956年]] - [[小林文彦]]、俳優 * 1956年 - [[スティーブン・ラム]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[かがみあきら]]、[[漫画家]](+ [[1984年]]) * 1957年 - [[クリス・ペプラー]]、[[タレント]] * [[1958年]] - [[高木豊]]、元プロ野球選手 * 1958年 - [[室井滋]]、女優 * 1958年 - [[オスカー・シュミット]]、元バスケットボール選手 * [[1959年]] - [[新井克太郎]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[内山千早]]、タレント、ラジオパーソナリティ * 1960年 - [[ハリ・トイヴォネン]]、[[ラリー]]・[[レーシングドライバー]] * [[1961年]] - [[石橋貴明]]、タレント([[とんねるず]]) * 1961年 - [[土佐尚子]]、美術家 * 1961年 - [[高橋東悟]]、作曲家(+[[2012年]]) * [[1963年]] - [[大井久士]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[ブライアン・ボイタノ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1964年]] - [[岡野暁]]、アナウンサー * 1964年 - [[中村ひとみ]]、女優 * 1964年 - [[ズラブ・ノガイデリ]]、政治家、元[[グルジア]][[首相]] * 1964年 - [[ドラジェン・ペトロヴィッチ]]、バスケットボール選手(+ [[1993年]]) * 1964年 - [[伊原和人]]、[[厚生労働省|厚生労働]][[官僚]] * [[1965年]] - [[堀井巌]]、政治家 * 1965年 - [[山田勝己]]、[[SASUKEオールスターズ]]、鉄工所社長 * [[1966年]] - [[勇利アルバチャコフ]]、元[[ボクシング]]選手 * [[1967年]] - [[山口豊]]、[[テレビ朝日]]アナウンサー * [[1969年]] - [[キューティー鈴木]]、元[[プロレスラー]] * 1969年 - [[ヘクター・カラスコ]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[アリエル・プリエト]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - 木曽さんちゅう、[[お笑いタレント|お笑い芸人]](元[[Wコロン]]) * 1970年 - [[中村佳央]]、[[柔道]]家 * [[1972年]] - [[古澤健]]、映画監督、脚本家 * [[1973年]] - [[イチロー]]<ref>{{Cite web |url=http://m.mlb.com/player/400085/ichiro-suzuki#sectionType=career |title=Ichiro Suzuki #51 |website=MLB.com |publisher=MLB Advanced Media, LP |accessdate=8 Jun 2023}}</ref>、元プロ野球選手 * 1973年 - [[間瀬秀一]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * 1973年 - [[佐藤愛子 (タレント)|佐藤愛子]]、元[[アイドル]](元[[ribbon (アイドルグループ)|ribbon]]) * 1973年 - [[加藤忍]]、女優 * 1973年 - [[カルメン・イジョゴ]]、女優 * [[1974年]] - [[多田昌弘]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[唐橋ユミ]]、フリーアナウンサー * [[1975年]] - [[外山惠理]]、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー * 1975年 - [[ミチェル・サルガド]]、元サッカー選手 * 1975年 - [[水瀬いつる]]、漫画家<ref>{{Cite web|和書|url= https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/水瀬いつる/ |title= 水瀬いつる |work=goo人名事典|publisher= [[NTTレゾナント|NTT Resonant Inc.]] |accessdate=8 Jun 2023}}</ref> * 1975年 - [[荒川祥範]]、プロ[[スノーボーダー]] * [[1976年]] - [[アレクサンドル・アブト]]、フィギュアスケート選手 * [[1977年]] - [[松尾敏伸]]、俳優 * 1977年 - [[信國輝彦]]、俳優 * [[1978年]] - [[高杉瑞穂]]、俳優 * [[1979年]] - [[穂苅寿彦]]、元[[騎手]] * 1979年 - [[イヴ・シャロム]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1980年]] - [[前田亜紀 (歌手)|前田亜紀]]、元歌手(元[[MAX (音楽グループ)|MAX]]) * 1980年 - [[ソニア・スイ]]、モデル、女優 * [[1981年]] - [[友香]]、歌手 * 1981年 - [[酒井大祐]]、元バレーボール選手、指導者 * [[1982年]] - [[すほうれいこ]]、元タレント * 1982年 - [[原田琢磨]]、俳優 * 1982年 - [[松本莉緒]]、女優 * 1982年 - [[松尾英里子]]、アナウンサー * 1982年 - [[ロビンソン・カノ]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[ヒース・ミラー (アメリカンフットボール)|ヒース・ミラー]]、アメリカンフットボール選手 * 1982年 - [[カルロス・トーレス]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[杉澤友香]]、[[ファッションモデル]]、元[[レースクイーン]] * [[1984年]] - [[関根麻里]]、タレント * 1984年 - [[堀田奈津水]]、タレント、元気象キャスター * 1984年 - [[佐藤俊作]]、俳優 * 1984年 - [[浅尾拓也]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[竹中美穂]]、元体操選手 * [[1985年]] - [[高木万平]]、元俳優 * 1985年 - [[高木心平]]、元俳優 * 1985年 - [[Nakajin]]、ミュージシャン([[SEKAI NO OWARI]]) * 1985年 - [[ハディセ]]、シンガーソングライター * 1985年 - [[デビッド・コップ]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[妙義龍泰成]]、大相撲力士 * 1986年 - [[池田夢見]]、歌手 * 1986年 - [[海老澤健次]]、俳優 * 1986年 - [[クリス・ルーシン]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[佐久間結衣]]、漫画家 * [[1987年]] - [[小林ユリ]]、[[グラビアアイドル]] * 1987年 - [[ミケル・ハンセン]]、ハンドボール選手 * 1987年 - [[パク・ハソン|朴河宣]]、女優 * [[1988年]] - [[遠藤恭葉]]、タレント、モデル * 1988年 - [[本川翔太]]、俳優 * [[1989年]] - [[ケイティ・テイラー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1989年 - [[山口真理恵]]、元ラグビー選手 * 1989年 - [[新崎慎弥]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[佐藤千尋]]、元野球選手 * [[1990年]] - [[池田光咲]]、[[ファッションモデル]]、女優 * 1990年 - [[矢野祥]]、ピアニスト * 1990年 - [[笹山純平]]、俳優 * 1990年 - [[笹山哲平]]、俳優 * 1990年 - [[斎藤千晃]]、女優 * 1990年 - [[ドリュー・バーヘイゲン]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[中村洋平]]、ラグビー選手 * [[1992年]] - [[石山蓮華]]、タレント、女優 * 1992年 - [[谷口智紀]]、サッカー選手 * 1992年 - [[アレン・ハンソン]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[豊田幸樹]]、俳優 * 1993年 - [[高橋敏也 (ラグビー選手)|高橋敏也]]、ラグビー選手 * [[1995年]] - [[セイディー・ヤンコ]]、サッカー選手 * 1995年 - [[山本唯太]]、アーティスト、タレント * [[1996年]] - [[小林廉]]、俳優 * 1996年 - [[熊澤歩哉]]、声優、俳優、歌手 * 1996年 - [[西村拓真]]、サッカー選手 * [[1997年]] - TEO、アイドル、ミュージシャン([[DKB (音楽グループ)|DKB]]) * [[1998年]] - [[下村実生]]、元アイドル(元[[フェアリーズ]]) * 1998年 - ぎし、[[YouTuber]] ([[ばんばんざい]]) * 1998年 - [[鷲尾千尋]]、[[朝日放送テレビ]]アナウンサー * [[1999年]] - [[アルベール・サンビ・ロコンガ]]、サッカー選手 * [[2001年]] - [[チョ・ユリ]]、アイドル(元[[IZ*ONE]]) * [[2002年]] - [[仲三河優太]]、プロ野球選手 * [[2003年]] - [[笠原桃奈]]、アイドル([[ME:I]]・元[[アンジュルム]]) * [[2004年]] - [[佐久間彩加]]、歌手 * 2004年 - [[町田恵里那]]、ファッションモデル * [[2013年]] - [[増田梨沙]]、子役 * 生年不明 - [[あさみほとり]]、声優 * 生年不明 - [[富澤雄基]]、声優 * 生年不明 - [[和優希]]、声優 * 生年不明 - [[佐藤未奈子]]、声優 == 忌日 == * [[1764年]] - [[ジャン=マリー・ルクレール]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1697年]]) * [[1796年]]([[寛政]]8年[[9月22日 (旧暦)|9月22日]]) - [[田沼意明]]、初代[[陸奥下村藩|陸奥下村藩主]](* [[1773年]]) * [[1859年]] - [[ルイ・シュポーア]]、作曲家、[[指揮者]]、ヴァイオリニスト(* [[1784年]]) * [[1871年]] - [[ロデリック・マーチソン]]、[[地質学者]](* [[1792年]]) * [[1906年]] - [[ポール・セザンヌ]]、[[画家]](* [[1839年]]) * [[1914年]] - [[小錦八十吉 (初代)]]、[[大相撲]]第17代[[横綱]](* [[1866年]]) * [[1915年]] - [[ヴィルヘルム・ヴィンデルバント]]、[[哲学者]](* [[1848年]]) * [[1927年]] - [[ロス・ヤングス]]、[[プロ野球選手]](* [[1897年]]) * [[1937年]] - [[中原中也]]、[[詩人]](* [[1907年]]) * 1937年 - [[フランク・ダムロッシュ]]、指揮者(* [[1859年]]) * [[1962年]] - [[サムイル・フェインベルク]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](* [[1890年]]) * [[1972年]] - 初代[[柳家金語楼]]、[[落語家]](* [[1901年]]) * [[1973年]] - [[パブロ・カザルス]]、[[チェロ]]奏者(* [[1876年]]) * [[1975年]] - [[アーノルド・J・トインビー]]、[[歴史学者]](* [[1889年]]) * [[1979年]] - [[ナディア・ブーランジェ]]、音楽教師、指揮者(* [[1887年]]) * [[1986年]] - [[葉剣英]]、政治家(* [[1897年]]) * [[1989年]] - [[清宮四郎]]、[[法学者]](* [[1898年]]) * [[1990年]] - [[ルイ・アルチュセール]]、[[マルクス主義]][[哲学者]](* [[1918年]]) * [[1991年]] - [[春日八郎]]、[[歌手]](* [[1924年]]) * [[1993年]] - [[小森邦夫]]、[[彫刻家]](* [[1917年]]) * [[1997年]] - [[柚木進]]、元[[プロ野球選手]](* [[1920年]]) * 1997年 - [[ドルフ・カミリ]]、元プロ野球選手(* [[1907年]]) * [[2000年]] - [[新山彰忠]]、元プロ野球選手(* [[1939年]]) * [[2002年]] - [[戦術君]]、[[ベガルタ仙台]]の[[サポーター (サッカー)|サポーター]](* [[1968年]]) * [[2005年]] - [[アルマン (美術家)|アルマン]]、[[彫刻家]]、[[画家]]、[[現代美術|現代美術家]](* [[1928年]]) * [[2006年]] - [[藤尾正行]]、衆議院議員(* [[1917年]]) * 2006年 - [[崔圭夏]]、政治家、第10代[[大統領 (大韓民国)|大韓民国大統領]](* [[1919年]]) * 2006年 - [[ばってん荒川]]、[[ローカルタレント]]、[[演歌歌手]]、[[舞台]][[役者]](* [[1937年]]) * [[2010年]] - [[坂田栄男]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1920年]]) * [[2011年]] - [[大熊伸行]]、元プロ野球選手(* [[1942年]]) * [[2016年]] - [[平幹二朗]]<ref>{{Cite web|和書|title=平幹二朗さん命日は22日に、通夜にファン向けの献花台も設置へ|publisher=[[サンケイスポーツ]]|date=27 Oct 2016|url=https://www.sanspo.com/article/20161027-SCHWG465OVNDZJVPTCY44EBNJA/|accessdate=8 Jun 2023}}</ref>、[[俳優]](* [[1933年]]) * [[2017年]] - [[亀渕友香]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/10/25/kiji/20171024s00041000388000c.html |title=ゴスペル先駆者 亀渕友香さん死去…和田アキ子「本当にびっくり」 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=25 Oct 2017 |accessdate=8 Jun 2023 |website=Sponichi Annex}}</ref>、歌手、声楽研究家(* [[1944年]]) * [[2019年]] - [[緒方貞子]]<ref>{{Cite web|和書|title=訃報 弊機構緒方貞子元理事長逝去のお知らせ|url=https://www.jica.go.jp/information/info/2019/20191029_10.html|work=独立行政法人 国際協力機構|date=29 Oct 2019|accessdate=8 Jun 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51518950Z21C19A0MM0000/|title=緒方貞子さん死去 元国連難民高等弁務官、92歳|publisher=[[日本経済新聞]]|date=29 Oct 2019|accessdate=8 Jun 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |title=緒方貞子さん死去 元国連難民高等弁務官、92歳 |url=https://www.asahi.com/articles/ASMBY3FK8MBYUTIL00L.html |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=8 Jun 2023 |date=29 Oct 2019}}</ref>、政治学者、[[国際協力機構]]理事長(* [[1927年]]) == 記念日・年中行事 == * [[国際吃音啓発の日]] *: 国際吃音者連盟・国際流暢性学会などが[[1998年]]に制定。 * 平安遷都の日/[[時代祭]]({{JPN}}) *: [[延暦]]13年[[10月22日 (旧暦)|10月22日]](ユリウス暦[[794年]][[11月18日]])、[[桓武天皇]]が[[長岡京]]から山背国葛城郡宇太村の新京(同年11月8日に[[平安京]]と命名)に移ったことに由来。これを記念して、[[京都市]]では毎年10月22日に[[時代祭]]が行われる。 * 絹婚記念日({{JPN}}) *: 日本ネクタイ組合連合会と日本スカーフ協会が、ネクタイやスカーフ等の絹製品のPRのために制定。結婚12年目の「絹婚式」の夫婦に絹製品のプレゼントをと呼びかけている。 * キャットリボン(猫のピンクリボン)の日({{JPN}}) *: 一般社団法人日本獣医がん臨床研究グループ(JVCOG)が制定。[[乳がん]]の早期発見、早期治療によって、乳がんで苦しむ猫をゼロにすることが目的。[[10月]]が人間の乳がん啓発月間(ピンクリボン月間)であることと「ニャンニャン」の語呂合わせから10月22日になった<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=165 |isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * アニメの日({{JPN}}) *: [[日本動画協会]]が推進する「[[アニメネクスト100|アニメNEXT_100]]」プロジェクトが、日本でアニメが初めて制作されたとされる[[1917年]]から100年目にあたる[[2017年]]に制定<ref>{{Cite web|和書 |date=21 Oct 2017 |url=http://animationbusiness.info/archives/4142 |title=10月22日を「アニメの日」に制定 日本初のカラー長編公開日に由来- アニメーションビジネス・ジャーナル |accessdate=8 Jun 2023 |publisher=アニメーションビジネス・ジャーナル}}</ref>。日本のアニメ初上映は1917年になるが、複数の作品が上映されており、どの日が最初なのかは明らかになっていなかった。そこで、1958年に戦後初のフルカラー長編アニメ映画『白蛇伝』が公開された日であるこの日が「アニメの日」に選ばれた。 *[[鞍馬の火祭]]({{JPN}}) *: [[京都市]][[左京区]]の[[由岐神社]]の例祭。天慶3年([[940年]])、[[朱雀天皇]]の勅命で祭神を[[京都御所]]から鞍馬の里に迎えた時の様子を現在に伝えるもので、京都三大奇祭のひとつに数えられる。神事触れの合図で篝火が焚かれ、青年たちが燃えさかる大松明を担いで鞍馬寺山門前へ神輿を迎えに集まり、神輿が石段を勇壮に下っていく<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyobunka.or.jp/library/events/142.php |title=鞍馬の火祭 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=公益財団法人 京都市文化観光資源保護財団 |website=京都の歴史と文化 映像ライブラリー}}</ref>。 *[[時代祭]]({{JPN}}) *: [[京都市]][[左京区]]の平安神宮の大祭で、[[京都三大祭り]]の一つ。平安神宮は[[桓武天皇]]を祭神とし、平安遷都1100年に当たる[[1895年]](明治28年)に創建され、これを祝う行事として第一回時代祭が挙行された。平安時代から明治維新まで、各時代を象徴する風俗行列が、[[京都御所]]から平安神宮まで行進する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.heianjingu.or.jp/festival/jidaisai.html |title=京都三大祭 時代祭について |access-date=28 Sep 2023 |publisher=平安神宮}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.heianjingu.or.jp/festival/parade.html |title=時代祭行列の構成と行列の概要 |access-date=28 Sep 2023 |publisher=平安神宮}}</ref>。 * [[パラシュート]]の日 *: [[1797年]]10月22日に[[フランス]]の[[アンドレ=ジャック・ガルヌラン]]が、パラシュートでの降下に成功したことを記念し、日本落下傘スポーツ連盟が制定<ref>{{Cite web|和書|title=週刊記念日〜この日何の日〜 10月22日「パラシュートの日」 |url= https://archives.bs-asahi.co.jp/kinenbi/prg_158.html |publisher=[[BS朝日]]|accessdate=8 Jun 2023}}</ref>。 * [[エジプト]]の[[アブ・シンベル神殿]]の奥に陽が届く日<ref>{{Cite web|和書 |title=その日、太陽が神を照らす “光の奇跡”が本当に奇跡である理由 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/special/new-middle-east/abu-simbel-temple/ |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=8 Jun 2023 |date=27 Feb 2019}}</ref>。(年2回。もう1日は[[2月22日]]) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1022|date=Jun 2023}} * 1937年(昭和12年)- 三津木俊助と由利先生が8時7分[[大阪駅]]に到着。(小説『[[蝶々殺人事件]]』第5章) * 1988年 - 武装頭脳軍ボルト幹部ドクターアシュラ、同軍首領・大教授ビアスのタイムマシンを持ち出して未来武器の強奪を計画するも、未完成であるために2003年までしか行けず、アシュラは同年の少女ミクを拉致して帰還。これに怒ったビアスは頭脳獣ガルヅノーを作成し、ミクの抹殺を計画。(特撮『[[超獣戦隊ライブマン]]』第34話「未来と今を駆ける恋!!」) * 1999年 - ニューヨークにて「REAL RACING ROOTS'99」(RRR'99)の決勝第2レースが開催される。(ゲーム『[[R4 -RIDGE RACER TYPE 4-]]』<ref>ゲーム内のレース開始前より</ref>) === 誕生日(フィクション) === * 2014年 - ムギナミ、アニメ『[[輪廻のラグランジェ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=TV ANIMATION 輪廻のラグランジェ オフィシャルガイド|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2012|pages=40-42|isbn=978-4-7575-3646-3}}</ref> * 生年不明 - [[愛野美奈子]]、漫画・アニメ『[[美少女戦士セーラームーン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sailormoon-official.com/world/venus.php |title=愛野美奈子 セーラーヴィーナス |access-date=8 Jun 2023 |work=『美少女戦士セーラームーン』 |publisher=[[武内直子]]・PNP・[[講談社]]・[[東映アニメーション]]・[[ネルケプランニング]]・[[ドワンゴ]]・ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」製作委員会・同乃木坂46版}}</ref> * 生年不明 - シュガー、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/sugar.html |title=シュガー |access-date=8 Jun 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - アウグストゥス・キーラ・クローバー13世、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|setta_kobayasi|1319281312138604545}}</ref> * 生年不明 - 浜野さんご、漫画『[[あさりちゃん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sho.jp/asari/character/mama |title=浜野さんご(ママ) |access-date=8 Jun 2023 |publisher=[[小学館]]キッズ |month=10 Jul 2019 |work=『あさりちゃん』}}</ref> * 生年不明 - 百瀬柚、漫画『[[東京★イノセント]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=鳴見なる|authorlink=鳴見なる|title=東京★イノセント|volume=4巻|publisher=スクウェア・エニックス|series=[[ガンガンウイングコミックス]]|year=2008|page=102|isbn=978-4-7575-2286-2}}</ref> * 生年不明 - 平門、漫画・アニメ『[[カーニヴァル (漫画)|カーニヴァル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|karneval_tv|524576328901607424}}</ref> * 生年不明 - 早田唯、漫画『[[ニチアサ以外はやってます!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ニチアサ以外はやってます! |year=2022 |publisher=[[芳文社]] |page=4 |volume=1 |author=猫にゃん |isbn=978-4832273573}}</ref> * 生年不明 - 渡辺仁、小説・漫画・ゲーム『家政婦さんっ!』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kaseifusan_app|392599000035389440}}</ref> * 生年不明 - 真野美紀、アニメ『[[絶対無敵ライジンオー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.eldran.net/raijin-oh/chara/index.html |title=5年3組地球防衛組 真野美紀 |access-date=8 Jun 2023 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] |work=『絶対無敵ライジンオー』}}</ref> * 生年不明 - ルーシー・モーンスタン、アニメ『[[歌舞伎町シャーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://pipecat-kabukicho.jp/chara06.html |title=ルーシー・モーンスタン |access-date=8 Jun 2023 |publisher=歌舞伎町シャーロック製作委員会 |work=『歌舞伎町シャーロック』}}</ref> * 生年不明 - ロビン・ラフィット、アニメ『[[ヴィジュアルプリズン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://visualprison.com/character/detail/?id=4 |title=ロビン・ラフィット |access-date=8 Jun 2023 |publisher= Noriyasu Agematsu,Afredes/Project VP |work=『ヴィジュアルプリズン』}}</ref> * 生年不明 - ジャック・ムートン、アニメ『ヴィジュアルプリズン』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://visualprison.com/character/detail/?id=8 |title=ジャック・ムートン |access-date=8 Jun 2023 |publisher= Noriyasu Agematsu,Afredes/Project VP |work=『ヴィジュアルプリズン』}}</ref> * 生年不明 - 猿子基史、ゲーム・アニメ『[[ニル・アドミラリの天秤 帝都幻惑綺譚|ニル・アドミラリの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://nilad-anime.com/character/ |title=CHARACTER 猿子基史 |access-date=8 Jun 2023 |publisher=IF/Nil Admirari PROJECT |work=『ニル・アドミラリの天秤』}}</ref> * 生年不明 - 社霞、ゲーム『[[マブラヴ]]』『[[マブラヴ オルタネイティヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=マブラヴ オルタネイティヴ メモリアルアートブック|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|page=16|isbn=978-4-04-891212-9}}</ref> * 生年不明 - 羽根崎美緒、ゲーム『[[ToHeart2|ToHeart2 DX PLUS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aquaplus_jp|1318930045671362560}}</ref> * 生年不明 - 小鈴、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave|閃乱カグラNew Wave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/kosuzu.php |title=小鈴 |access-date=8 Jun 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]]|work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref> * 生年不明 - 宗方厚、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.i-chu.jp/unit/mg9/atsushi/ |title=宗方 厚 |access-date=8 Jun 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=『アイ チュウ』}}</ref> * 生年不明 - クラウス、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= https://kings-raid.com/characters/#character-118 |title=クラウス|publisher=Vespa Inc.|work=『キングスレイド』|accessdate=8 Jun 2023|archiveurl= https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=118|archivedate=4 Nov 2021}}</ref> * 生年不明 - 牧島シャイ、アイドルユニット『[[MARGINAL#4|MARGINAL#4]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://marginal4.net/artist/shy-makishima/ |title=牧島シャイ |access-date=8 Jun 2023 |publisher=Rejet / IDEA FACTORY |work=『MARGINAL#4』}}</ref> * 生年不明 - 雁淵孝美、メディアミックス『[[ストライクウィッチーズ|ワールドウィッチーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_witch_anime|789618154431320064}}</ref> * 生年不明 - [[里塚賢汰]]、メディアミックス『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://argo-bdp.com/gyroaxia/ |title=GYROAXIA 里塚 賢汰 |access-date=8 Jun 2023 |publisher=ARGONAVIS project. [[ブシロード|bushiroad]] Ambition |work=『From ARGONAVIS』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|22 October}} {{新暦365日|10|21|10|23|[[9月22日]]|[[11月22日]]|[[10月22日 (旧暦)|10月22日]]|1022|10|22}} {{1年の月と日}}
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10月23日
10月23日(じゅうがつにじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から296日目(閏年では297日目)にあたり、年末まであと69日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月23日'''(じゅうがつにじゅうさんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から296日目([[閏年]]では297日目)にあたり、年末まであと69日ある。 == できごと == [[ファイル:IPod 1G.jpg|thumb|120px|[[iPod]]発表(2001)。]] [[ファイル:200 K25 Toki 325 derailed 20041106.JPG|thumb|新潟県中越地震(2004)。上越新幹線が脱線。]] [[ファイル:Deep Impact(horse) 20051023 3.jpg|thumb|[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]、菊花賞を制し無敗で三冠達成(2005)。]] * [[紀元前42年]] - [[内乱の一世紀|ローマ内戦]]: [[フィリッピの戦い]]。 * [[424年]] - [[ウァレンティニアヌス3世]]が[[西ローマ帝国]]の副帝(カエサル)になる。 * [[425年]] - ウァレンティニアヌス3世が西ローマ帝国の正帝(アウグストゥス)になる。 * [[1086年]] - [[レコンキスタ]]: [[サグラハスの戦い]]。 * [[1157年]] - [[グラーテ・ヘーゼの戦い]]。 * [[1614年]] - [[大坂の陣|大坂冬の陣]]に向かうため、[[江戸幕府]][[征夷大将軍|将軍]][[徳川秀忠]]([[徳川家康]]の嫡男)が[[江戸城]]を出発した。 * [[1642年]] - [[イングランド内戦]]: [[エッジヒルの戦い]]。 * [[1688年]]([[貞享]]5年/[[元禄]]元年[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]) - [[東山天皇]]の代始のため、[[元号]]が[[貞享]]から[[元禄]]に改元。 * [[1739年]] - [[ジェンキンスの耳の戦争]]が始まる。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[ウェストポートの戦い]]。 * [[1868年]]([[慶応]]4年/[[明治元年]][[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[明治天皇]]の代始のため、元号が[[慶応]]から[[明治]]に改元。 * 1868年(慶応4年/明治元年9月8日) - [[一世一元の詔]]。 * [[1870年]] - [[普仏戦争]]: [[メス攻囲戦]]が終結。 * [[1873年]] - [[明治六年政変]]。朝鮮使節派遣の中止が決定し、[[征韓論]]派が敗れる。[[西郷隆盛]]が当日、[[板垣退助]]らが翌日に参議の辞表を提出。 * [[1923年]] - ブレーマー航空機製造(現在の[[フォッケウルフ]])が設立。 * [[1926年]] - ソ連共産党中央委員会が[[レフ・トロツキー|トロツキー]]を[[ソ連共産党政治局|政治局]]から追放。[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]が主導権を握る。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ナチス・ドイツ]][[総統]][[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]と[[スペイン]]総統[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]が西仏国境アンダイで会談。ヒトラーはスペインに[[枢軸国]]側での参戦を要求するがフランコは拒否。 * [[1942年]] - 第二次世界大戦・[[北アフリカ戦線]]: [[エル・アラメインの戦い#第二次エル・アラメイン会戦|第二次エル・アラメイン会戦]]が始まる。 * [[1943年]] - [[ポンティアナック事件]]が始まる。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦・[[フィリピンの戦い (1944-1945年)|フィリピンの戦い]]: [[レイテ沖海戦]]が始まる。 * [[1945年]] - 初の[[国際連合総会]]が[[ニューヨーク]]の劇場で開催。 * 1945年 - [[読売新聞#歴史|第一次読売争議]]が始まる。 * [[1954年]] - [[パリ協定 (1954年)|パリ協定]]調印。[[西ドイツ]]の主権回復、NATOへの加盟、再軍備などを承認。 * [[1956年]] - [[ハンガリー動乱]]: [[ハンガリー]]の首都[[ブダペスト]]で[[ソ連軍]]の撤退などを求める20万人のデモ隊が治安警察と衝突。 * 1956年 - [[ザール (フランス保護領)|フランス保護領ザール]]で[[住民投票]]が行われ、[[西ドイツ]]復帰支持が多数を占める。 * [[1961年]] - [[北海道]][[森町 (北海道)|森町]]で大火。町内中心部の407戸が全焼、住民80人が負傷した<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=156 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1964年]] - [[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]女子[[1964年東京オリンピックのバレーボール競技|バレーボール]]で[[日本]]が[[ソビエト連邦|ソ連]]を下し金メダルを獲得。 * [[1972年]] - [[ベトナム戦争]]: [[ラインバッカー作戦]]が終結。 * [[1973年]] - [[第一次オイルショック]]: [[エクソン]]と[[ロイヤル・ダッチ・シェル|シェル]]が原油価格の30%引き上げを通告。 * 1973年 - [[江崎玲於奈]]に[[ノーベル物理学賞]]が贈られることが決定する。 * [[1980年]] - ソ連の[[アレクセイ・コスイギン]]{{仮リンク|ソビエト連邦閣僚会議議長|en|Chairman of the Council of Ministers of the Soviet Union|preserve=1}}が病気のため辞任。後任に[[ニコライ・チーホノフ]]が就任。 * [[1981年]] - [[北炭夕張新炭鉱ガス突出事故]]で、59名の安否不明者を取り残したまま坑内への注水作業を開始する。 * 1981年 - [[写真週刊誌]]『[[FOCUS|フォーカス]]』が創刊される。<!-- 10月30日号 --> * [[1983年]] - [[レバノン内戦]]: [[ベイルート]]で駐留米海兵隊司令部と仏軍本部が爆破され、309人が死亡([[ベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件]])。 <!-- 最終運転日の22日で記述 * [[1983年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]][[白糠線]](白糠-北進 33.1km)廃止。国鉄改革に伴う[[特定地方交通線]]転換の第1号。 --> * [[1988年]] - [[スーパーマリオブラザーズ3]]発売。 * [[1989年]] - [[ハンガリー]]暫定大統領{{仮リンク|スーレシュ・マーチャーシュ|en|Mátyás Szűrös}}が、国号を[[ハンガリー人民共和国]]からハンガリー共和国に変更することを宣言。 * [[1991年]] - [[秋篠宮文仁親王]]の第一女子の[[眞子内親王]]が誕生、[[上皇明仁]]の初孫となる。 * [[1992年]] - [[上皇明仁]](当時の今上天皇)が[[中華人民共和国]]を訪問。史上初めて天皇が中国の地を踏む。 * [[1996年]] - ローマ教皇[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]が「ダーウィンの[[進化論]]は[[カトリック教会|カトリック]]の教えと矛盾しない」と表明。 * [[2001年]] - [[Apple]]が、携帯音楽プレーヤー・[[iPod]]を発表。 * [[2002年]] - [[モスクワ劇場占拠事件]]: [[ロシア連邦]]の首都[[モスクワ]]で、[[チェチェン共和国|チェチェン]]独立派のテロリストが劇場を占拠。 * [[2004年]] - [[新潟県中越地震]]発生。 * [[2005年]] - [[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]が[[菊花賞]]で勝利し、[[ナリタブライアン]]以来11年ぶり、日本競馬史上6頭目の[[三冠 (競馬)|三冠馬]]となる。また、無敗で[[中央競馬クラシック三冠]]を制したのは[[シンボリルドルフ]]以来21年ぶり史上2頭目。 * [[2011年]] - [[オルフェーヴル]]が菊花賞で勝利し、ディープインパクト以来6年ぶり、日本競馬史上7頭目の三冠馬となる。 * 2011年 - [[トルコ東部地震 (2011年10月)|トルコ東部地震]]: [[トルコ]]東部で、[[マグニチュード|M]]7.2の地震が発生<ref>{{Cite web|和書 |date=2011年10月24日 |url=https://jp.reuters.com/article/idJPnTK802653920111023 |title=トルコ南東部でM7.2の地震、1000人死亡との情報も |publisher=ロイター |accessdate=2018-03-21}}</ref>。 * 2011年 - [[リビア]]で[[リビア国民評議会|国民評議会]]が全土解放を宣言<ref>{{Cite web|和書 |date=2011-10-24 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM23040_T21C11A0000000/ |title=リビア国民評議会が「全土解放」を宣言 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-03-21}}</ref>。42年に及んだ[[ムアンマル・アル=カッザーフィー|カダフィ]]独裁政権が事実上の崩壊。 * [[2013年]] - [[OS X Mavericks]]が配信開始される。 * [[2015年]] - [[2015年ピュイスガン交通事故|ピュイスガン交通事故]]: [[フランス]]・[[ボルドー]]北東部の[[ピュイスガン]]にて発生したバスと大型トラックの衝突事故<ref>{{Cite web|和書 |date=2015年10月24日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3064037 |title=バスと大型トラックが正面衝突、43人死亡 仏南西部 |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-21}}</ref>。 * [[2015年]] - [[ルーマニア]] [[ブカレスト]]の[[ナイトクラブ]]でロックコンサート中に火災が発生。45人が死亡。この火災をきっかけに大規模なデモが発生、翌週に[[ヴィクトル・ポンタ]]首相が辞任する契機となった<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.huffingtonpost.jp/2015/11/08/romania-nightclub_n_8507520.html |title=ルーマニアのナイトクラブ火災で45人死亡 反政府デモ「腐敗が殺した」 |publisher=huffingtonpost |date=2015-11-09 |accessdate=2022-11-22}}</ref>。 * [[2016年]] - [[宇都宮市連続爆発事件]]: [[栃木県]][[宇都宮市]]の[[宇都宮城址公園]]で2度爆発が発生<ref>{{Cite web|和書 |date=2016-10-23 |url=http://www.sankei.com/affairs/news/161023/afr1610230014-n1.html |title=【宇都宮公園爆発】焼死体は72歳の元自衛官 靴下に遺書挟む 「命を絶って償います」 目撃者は「テロかと思った…」(1/2ページ) |work=産経ニュース |publisher=産業経済新聞社 |accessdate=2018-03-21}}</ref>。死者1名、負傷者3名。 * [[2017年]] - [[平成29年台風第21号|台風第21号]]が静岡県御前崎市に上陸。 * 2017年 - [[マラウィの戦い]]: フィリピン政府が戦闘終結宣言<ref>{{Cite web|和書 |date=2017年10月30日 |url=https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/200-5.php |title=マラウィ戦闘終結も戒厳令継続 イスラム過激派残党200人が国内潜伏か |publisher=ニューズウィーク日本版 |accessdate=2018-03-21}}</ref>。 * [[2022年]] - 大韓航空631便が[[セブ空港]]で[[大韓航空の航空事故およびインシデント#大韓航空631便着陸失敗事故|オーバーラン事故]]。 == 誕生日 == * [[1507年]]([[永正]]4年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[曲直瀬道三|曲直瀬正盛(道三)]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[医師]](+ [[1594年]]) * [[1766年]] - [[エマニュエル・ド・グルーシー]]、[[フランス]]の[[軍人]]、[[元帥]](+ [[1847年]]) * [[1801年]] - [[アルベルト・ロルツィング]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Albert-Lortzing Albert Lortzing German composer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[作曲家]](+ [[1851年]]) * [[1805年]] - [[アーダルベルト・シュティフター]]、[[画家]]、[[小説家]](+ [[1868年]]) * [[1817年]] - [[ピエール・ラルース]]、教育者、百科事典執筆、編集者 (+ [[1875年]]) * [[1822年]] - [[グスタフ・シュペーラー]]、天文学者 (+ [[1895年]]) * [[1832年]] - [[ウィリアム・ハルバート]]、[[ナショナルリーグ]]会長(+ [[1882年]]) * [[1835年]] - [[アドレー・E・スティーブンソン]]、[[政治家]]、第23代[[アメリカ合衆国副大統領]](+ [[1914年]]) * [[1848年]]([[嘉永]]元年[[9月27日 (旧暦)|9月27日]]) - [[外山正一]]、教育家、[[文学者]](+ [[1900年]]) * [[1857年]] - [[フアン・ルナ]]、画家、政治活動家 (+ [[1899年]]) * [[1861年]] - [[ジェイムズ・ガスコイン=セシル (第4代ソールズベリー侯爵)]]、政治家、貴族(+ [[1947年]]) * [[1893年]] - [[ガンモ・マルクス]]、[[喜劇俳優]]、[[マルクス兄弟]]の四男(+ [[1977年]]) * [[1894年]] - [[福原麟太郎]]、[[イギリス文学者|英文学者]]、[[随筆家]](+ [[1981年]]) * [[1909年]] - [[ゼリグ・ハリス]]、[[言語学者]](+ [[1992年]]) * [[1915年]] - [[ヴィク・バッキンガム]]、[[サッカー選手]]、監督 (+ [[1995年]]) * [[1920年]] - [[ジャンニ・ロダーリ]]、[[児童文学作家]](+ [[1980年]]) * [[1927年]] - [[鈴木瑞穂]]、[[俳優]]、[[声優]](+ [[2023年]]) * [[1928年]] - [[三佳令二]]、[[作詞家]](+ [[2009年]]) * [[1930年]] - [[丸山詠二]]、声優(+ [[2015年]]) * [[1931年]] - [[ウィリアム・パトリック・クラーク]]、第44代[[アメリカ合衆国内務長官]](+ [[2013年]]) * 1931年 - [[ジャニー喜多川]]、[[実業家]]、芸能プロモーター、[[ジャニーズ事務所]][[社長]](+ [[2019年]]) * 1931年 - [[ジム・バニング]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2017年]]) * [[1932年]] - [[森田実]]、政治[[評論家]](+ [[2023年]]) * 1932年 - [[渡辺美佐子]]、[[俳優|女優]] * [[1935年]] - チチ・ロドリゲス ([[:en:Chi-Chi Rodríguez|Chi-Chi Rodríguez]])、[[ゴルファー]] * [[1936年]] - [[芹沢博文]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](+ [[1987年]]) * [[1940年]] - [[ペレ]]、元[[サッカー選手]](+ [[2022年]]) * 1940年 - [[ベイビー・ジェーン・ホルツァー]]、[[モデル (職業)|モデル]]、[[アンディ・ウォーホル]]の初代アイドル * [[1941年]] - [[浦上靖夫]]、[[音響監督]](+ [[2014年]]) * [[1942年]] - [[酒井あきよし]]、[[脚本家]] * 1942年 - [[マイケル・クライトン]]、[[小説家]]、[[SF作家]](+ [[2008年]]) * 1942年 - [[尾藤公]]、高校野球指導者(+ [[2011年]]) * [[1944年]] - [[七三太朗]]、[[漫画原作者]] * 1944年 - [[五十嵐忠行]]、[[官僚]] * [[1945年]] - [[直嶋正行]]、政治家 * [[1946年]] - [[岸ユキ]]、女優、タレント * [[1949年]] - [[大野真澄]]、歌手(元[[ガロ (フォークグループ)|ガロ]]) * [[1951年]] - [[竹中昭]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[ますむらひろし]]、[[漫画家]] * [[1954年]] - [[栗木京子]]、[[歌人]] * 1954年 - [[アン・リー]]、[[映画監督]] * [[1955年]] - [[坂口良子]]、女優(+ [[2013年]]) * 1955年 - [[篠田節子]]、小説家 * [[1956年]] - [[渡辺真知子]]、[[歌手]] * 1956年 - [[浅香あき恵]]、お笑いタレント * 1956年 - [[ダイアン・リーヴス]]、ジャズシンガー * [[1957年]] - [[島田洋一]]、政治学者 * [[1958年]] - [[おおつぼマキ]]、漫画家 * 1958年 - [[神津カンナ]]、[[随筆家]] * [[1959年]] - [[ジョージ・ヒンショー]]、元プロ野球選手 * 1959年 - [[アル・ヤンコビック]]、歌手 * [[1960年]] - [[ウェイン・レイニー]]、モーターサイクル・レーサー * 1960年 - [[三沢またろう]]、[[パーカッショニスト]] * 1960年 - [[ランディ・パウシュ]]、[[計算機科学]]者 * [[1961年]] - 粂井高雄、[[発明家]] * 1961年 - [[小柳昌法]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[LINDBERG]]) * 1961年 - [[アンドニ・スビサレッタ|アンドニ・スビサレータ]]、元サッカー選手 * [[1963年]] - [[射手園眞一]]、元[[野球選手]] * [[1964年]] - [[下村努]]、コンピュータセキュリティ専門家 * [[1965年]] - [[アル・ライター]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[河合薫]]、[[気象予報士]] * 1965年 - [[ブライアン・ロウサム]]、元バスケットボール選手、指導者 * 1965年 - [[マイケル・オブライエン]]、元競泳選手 * [[1966年]] - [[アレッサンドロ・ザナルディ]]、レーシングドライバー * 1966年 - [[石橋守]]、元[[騎手]]、調教師 * [[1967年]] - [[オマール・リナレス]]、元野球選手 * 1967年 - [[片岡とも]]、[[ゲームシナリオライター]] * 1967年 - [[安食雄二]]、パティシエ、サーファー * [[1968年]] - [[佐々木重樹]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[楠瀬志保]]、元[[スピードスケート]]選手 * [[1971年]] - [[矢部浩之]]、お笑い芸人([[ナインティナイン]]) * 1971年 - [[柳澤鉉]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[伊東敏恵]]、元[[アナウンサー]] * 1972年 - [[エドゥアルド・パレ]]、元野球選手 * [[1973年]] - [[清水隆行]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[志村貴子]]、[[漫画家]] * 1973年 - [[はしのえみ]]、[[タレント]] * 1973年 - [[上村洋行]]、元[[騎手]]、調教師 * [[1974年]] - [[サンデル・ヴェステルフェルト]]、元サッカー選手 * [[1975年]] - [[松井稼頭央]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[小原正子]]、お笑い芸人([[クワバタオハラ]]) * 1975年 - [[小林タカ鹿]]、俳優 * 1975年 - [[椎名軽穂]]、[[漫画家]] * [[1977年]] - [[斉藤まりあ]]、元アナウンサー * 1977年 - 長嶋トモヒコ、お笑い芸人([[ダーリンハニー]]) * 1977年 - [[ハビエル・カステリャーノ]]、騎手 * [[1978年]] - [[佐竹健太]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[ジョン・ラッキー]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[王楠]]、元[[卓球]]選手 * 1980年 - [[仲村綾乃]]、女優 * [[1980年]] - [[今井茂雄]]、俳優、[[演出家]]、[[脚本家]]、[[構成作家]] * 1980年 - 房野史典、[[お笑いタレント]]([[ブロードキャスト!!]]) * 1980年 - [[希良梨]]、女優 * [[1981年]] - [[なかむら摂]]、お笑い芸人 * 1981年 - [[ベン・フランシスコ]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[田中彰 (1982年生の内野手)|田中彰]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[守屋周]]、[[東北放送|tbc]]アナウンサー * 1982年 - [[ビアンカ・バイ]]、女優 * 1982年 - [[内匠靖明]]、俳優、声優 * [[1983年]] - [[磯山さやか]]、タレント、[[グラビアアイドル]] * [[1984年]] - [[渡辺淳之介]]、株式会社[[WACK]]代表取締役、音楽プロデューサー * 1984年 - [[イ・ヨンア]]、女優 * [[1985年]] - [[宇佐美なな]]、歌手(元[[MUH〜]]) * 1985年 - [[浦野一美]]、タレント(元[[AKB48]]、元[[SDN48]]) * 1985年 - [[大塚奈央子]]、アナウンサー * 1985年 - [[桑水流裕策]]、元[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手 * [[1986年]] - [[エミリア・クラーク]]、女優 * 1986年 - [[佐藤美耶]]、元バレーボール選手 * [[1987年]] - [[沢井美優]]、女優、元グラビアアイドル * 1987年 - [[渡辺直美]]、お笑いタレント * 1987年 - [[ソ・イングク]]、俳優、歌手 * 1987年 - [[ロルフ・ピルヴ]]、ヘヴィメタル・ミュージシャン * 1987年 - [[カイル・ギブソン (野球)|カイル・ギブソン]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[北村明子]]、元[[フィギュアスケート]]選手 * 1988年 - [[ニア・アリ]]、陸上競技選手 * [[1989年]] - [[松岡里枝]]、モデル * 1989年 - [[アニシャ・キルディアプキナ]]、陸上競技選手 * 1989年 - ほしのディスコ、お笑い芸人([[パーパー]]) * 1989年 - 中谷祐太、お笑い芸人([[マユリカ]]) * [[1990年]] - [[chay]]、シンガーソングライター * 1990年 - [[彩月貴央]]、タレント、女優 * [[1991年]] - [[小室眞子]]、元[[皇族]] * 1991年 - [[藤原亜紀乃]]、タレント * [[1992年]] - [[安達大]]、俳優、タレント * 1992年 - [[南貴樹]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[アルバロ・モラタ]]、サッカー選手 * 1992年 - こやまたくや、ミュージシャン([[ヤバイTシャツ屋さん]]) * [[1993年]] - [[小林愛香]]、歌手、声優 * 1993年 - [[上村祐翔]]、声優 * 1993年 - [[馬場翔大]]、陸上選手 * [[1994年]] - [[紺野栞]]、グラビアアイドル * 1994年 - [[村松智子]]、サッカー選手 * 1994年 - [[船津稜雅]]、ダンサー([[超特急 (音楽グループ)|超特急]]) * 1996年 - 林優、youtuber * [[1996年]] - [[小野郁]]、プロ野球選手 * 1996年 - 鵜野みずき、アイドル([[NMB48]]) * 1996年 - [[木村有希 (モデル)|ゆきぽよ]]、モデル、タレント * [[1997年]] - [[北村海斗]]、モデル * 1997年 - ミンニ、アイドル、女優([[(G)I-DLE]]) * [[1999年]] - [[小林由依 (アイドル)|小林由依]]、アイドル([[櫻坂46]]) * [[2001年]] - [[高田彪我]]、歌手、俳優 * [[2002年]] - [[簡秀吉]]、俳優 * 2002年 - ニンニン、アイドル([[aespa]]) * 2002年 - シン・ウンス、女優 * [[2003年]] - [[井本彩花]]、女優、モデル * 2003年 - [[中井卓大]]、サッカー選手 * 非公開 - マオ、ミュージシャン([[シド (バンド)|シド]]) * 生年不明 - [[陣谷遥]]、声優 * 生年不明 - [[八須賀孝蔵]]、声優 * 生年不明 - [[平良亜弓]]、元声優 * 生年不明 - マリン・バ、アイドル(元[[WAgg]]) * 生年不明 - [[野切耀子]]<ref>{{Cite web|和書|publisher=講談社コミックプラス|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000050080|title=オセロ|accessdate=2021-01-10}}</ref>、漫画家 == 忌日 == * [[紀元前42年]] - [[マルクス・ユニウス・ブルートゥス|ブルータス]]、古代ローマの[[政治家]](* [[紀元前85年]]) * [[930年]]([[延長 (元号)|延長]]8年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - [[醍醐天皇]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Daigo Daigo emperor of Japan] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、第60代[[天皇]](* [[885年]]) * [[949年]]([[天暦]]3年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - [[陽成天皇]]、第57代天皇(* [[869年]]) * [[1652年]]([[承応]]元年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]]) - [[別木庄左衛門]]、[[浪人|牢人]] * [[1685年]]([[貞享]]2年[[9月26日 (旧暦)|9月26日]]) - [[山鹿素行]]、[[兵学|兵学者]]、[[儒学|儒学者]](* [[1622年]]) * [[1705年]]([[宝永]]2年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[松平吉透]]、第4代[[松江藩|松江藩主]](* [[1668年]]) * [[1711年]]([[正徳 (日本)|正徳]]元年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - [[松平昌親|松平吉品]]、第3・5代[[福井藩|福井藩主]](* [[1640年]]) * [[1833年]]([[天保]]4年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[本居大平]]、[[国学|国学者]](* [[1756年]]) * [[1834年]] - [[ファトフ・アリー・シャー]]、[[ガージャール朝]]の[[シャー]](* [[1772年]]) * [[1848年]]([[弘化]]5年[[9月27日 (旧暦)|9月27日]]) - [[中川五郎治]]、日本における[[種痘]]の祖(* [[1768年]]) * [[1869年]] - [[ダービー伯爵]][[エドワード・スミス=スタンリー (第14代ダービー伯爵)|エドワード・スミス=スタンリー]]、[[イギリスの首相]](* [[1799年]]) * [[1872年]] - [[テオフィル・ゴーティエ]]、[[詩人]]、[[小説家]](* [[1811年]]) * [[1874年]] - [[アーブラハム・ガイガー]]、[[ラビ]]、[[改革派 (ユダヤ教)|ユダヤ教改革派]]の指導者(* [[1810年]]) * [[1876年]] - [[細川韶邦]]、第11代[[熊本藩|熊本藩主]](* [[1835年]]) * [[1884年]] - [[佐竹義堯]]、第12代[[久保田藩|久保田藩主]](* [[1825年]]) * [[1888年]] - [[三島通庸]]、[[警視総監]]、[[内務省 (日本)|内務]][[官僚]](* [[1835年]]) * [[1896年]] - [[コロンバス・デラノ]]、第11代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1809年]]) * [[1910年]] - [[ラーマ5世]]、[[タイ王国|シャム]]・[[チャクリー王朝]]第5代国王(* [[1853年]]) * [[1917年]] - [[ウジェーヌ・グラッセ]]、装飾芸術家(* [[1845年]]) * [[1921年]] - [[ジョン・ボイド・ダンロップ]]、[[発明家]]、[[ダンロップ]]創業者(* [[1840年]]) * [[1935年]] - [[チャールズ・デムス]]、画家(* [[1883年]]) * [[1943年]] - [[若嶌權四郎]]、[[大相撲]]第21代[[横綱]](* [[1876年]]) * [[1944年]] - [[チャールズ・バークラ]]、[[物理学者]](* [[1877年]]) * 1944年 - [[山本英雄]]、[[野球選手]](* [[1921年]]) * [[1946年]] - [[アーネスト・トンプソン・シートン]]、[[博物学|博物学者]](* [[1860年]]) * [[1950年]] - [[アル・ジョルソン]]、[[俳優]](* [[1886年]]) * [[1951年]] - [[桂米團治 (4代目)]]、[[落語家]](* [[1896年]]) * [[1970年]] - [[華頂博信]]、[[皇族]]、[[華族]]、[[大日本帝国海軍|海軍]][[中佐]](* [[1905年]]) * [[1978年]] - [[千島喜久男]]、[[生物学|生物学者]](* [[1899年]]) * [[1984年]] - [[オスカー・ウェルナー]]、俳優(* [[1922年]]) * [[1985年]] - [[ジョー・バナシャク]]、レコード・レーベル経営者(* [[1923年]]) * [[1986年]] - [[エドワード・アダルバート・ドイジー]]、[[生化学|生化学者]](* [[1893年]]) * 1986年 - [[吉村仁 (官僚)|吉村仁]]、[[厚生省]][[事務次官]](* [[1930年]]) * [[1987年]] - [[高木恭造]]、[[津軽弁]]詩人(* [[1903年]]) * [[1988年]] - [[朝潮太郎 (3代)]]、大相撲第46代横綱(* [[1929年]]) * 1988年 - [[玉ノ海梅吉]]、元大相撲[[力士]](* [[1912年]]) * [[1994年]] - [[ピグモン勝田]]、お笑いタレント(* [[1965年]]) * [[1998年]] - [[中田勇次郎]]、[[漢文学|漢文学者]](* [[1905年]]) * 1998年 - [[久保喬]]、[[児童文学作家]](* [[1906年]]) * [[2001年]] - [[ジョシュ・カービィ]]、[[イラストレーター]](* [[1928年]]) * [[2002年]] - [[山本夏彦]]、[[随筆家]](* [[1915年]]) * [[2003年]] - [[宋美齢]]、[[中華民国総統]][[蔣介石]]の妻(* [[1897年]]) * [[2005年]] - [[劉進慶]]、[[経済学者]](* [[1931年]]) * 2005年 - [[水野知昭]]、[[神話|比較神話学者]](* [[1949年]]) * [[2007年]] - [[林梧桐]]、[[実業家]](* [[1918年]]) * 2007年 - [[晴乃ピーチク・パーチク|晴乃ピーチク]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20071024-273941.html|title=晴乃ピーチク氏が死去|publisher=nikkansports.com|date=2007-10-24|accessdate=2020-11-27}}</ref>、[[漫才師]](* [[1925年]]) * [[2011年]] - [[マルコ・シモンチェリ]]<ref>{{Cite web|和書|author=|date=2011-10-23|url=http://www.motogp.com/ja/news/2011/Race+Direction+press+conference+Simoncelli+Sepang|title=レースディレクション、シモンセリに関するプレスカンファレンス|publisher=Dorna Sports S.L.|language=|accessdate=2020-11-26}}</ref>、[[オートバイ]]レーサー(* [[1987年]]) * [[2016年]] - [[日比英一]]<ref name="asahi">[http://www.asahi.com/articles/ASJBS4HSWJBSOIPE00H.html 元中部日本放送常務・日比英一さん死去] 朝日新聞デジタル 2016年10月24日付</ref>、アナウンサー(* [[1934年]]) * 2016年 - [[羽黒岩智一]]<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1728713.html 元小結羽黒岩さん死去 大相撲中継は欠かさず観戦] 日刊スポーツ 2016年10月24日14時40分</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1728694.html 元小結羽黒岩さん死去 「世紀の大誤審」で有名に] 日刊スポーツ 2016年10月24日11時57分</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/smp/life/news/161024/lif1610240028-s1.html|title=【大相撲】元小結羽黒岩が死去 大鵬の連勝を45で止める|publisher=産経ニュース|date=2016-10-24|accessdate=2020-12-24}}</ref>、元大相撲力士(* [[1946年]]) == 記念日・年中行事 == * [[霜降]]({{JPN}}、2009年・2010年・2012年・2020年) *:[[二十四節気]]の1つ。太陽の[[黄経]]が210度の時で、[[露]]が冷気によって[[霜]]となって降り始めるころ。 * 1956年革命、および共和国宣言の記念日([[ナショナルデー]])({{HUN}}) *: [[1956年]]のこの日に始まった[[ハンガリー動乱]](1956年革命)、および、1989年のこの日の社会主義の人民共和国から共和国への体制変革を記念。 * チュラーロンコーン大王記念日({{THA}}) *: タイ国王[[ラーマ5世]](チュラーロンコーン)が1910年に亡くなった日。 * [[電信電話記念日]]({{JPN}}) *:明治2年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]([[1869年]]10月23日)に東京 - 横浜間で日本最初の公衆電信線の架線工事が始まったことに由来。[[電気通信省]](後の[[日本電信電話公社]]、現[[NTTグループ|NTT]])が[[1950年]]に制定。 * [[津軽弁の日]]({{JPN}}) *: [[津軽弁]]による方言詩を確立した詩人・[[高木恭造]]の1987年の命日。「津軽弁の日やるべし会」が[[1988年]]に制定。 * [[モルの日]]、化学の日 *: 1[[モル]]は{{val|6.02e23|end=...}}個([[アボガドロ定数]])の粒子からなる物質の[[物質量]]と定義されていることから、この数字を6:02 10/23に当てはめ、主として北米の[[化学者]]たちが「モル」を記念する日(午前6時2分から午後6時2分まで)として祝っている。同じ理由により、[[日本化学会]]、[[化学工学会]]、新化学技術推進協会、[[日本化学工業協会]]の4団体はこの日を「化学の日」、10月23日を含む月曜から日曜までの一週間を「化学週間」と制定した<ref>{{Cite press release |和書 |title=「化学の日」制定について|publisher=日本化学会|date=2013-12-11|url=http://www.chemistry.or.jp/kagakunohi/2013/12/post.html|accessdate= 2015-10-23}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1023|date=2011年8月1日 (月) 06:28 (UTC)}} * [[2009年]] - 渋谷ニュージェネレーションの狂気の第五の事件「ノータリン」と呼ばれる殺人事件が発生。(ゲーム・アニメ『[[CHAOS;HEAD]]』) * [[2012年]] - “スーパーマン”[[スーパーマン (架空の人物)|クラーク・ケント]]、デイリープラネットを退社しフリージャーナリストになる。(『[[スーパーマン]]』、2012年10月24日号の回) * [[2024年]] - フルダイブ[[バーチャルリアリティ|VR]][[MMORPG]]「ソードアート・オンライン」内にて主人公キリト(桐ヶ谷和人)とアスナ(結城明日奈)が婚約を行う(小説・アニメ『[[ソードアート・オンライン]]』)<ref>{{Twitter status2|kunori|1187027396559429638|2019年10月24日午前0時22分|accessdate=2020-05-28}}</ref><ref>[[川原礫]]著, [[劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-]] 来場者プレゼント [[ソードアート・オンライン#短編小説|短編小説『「ソードアート・オンライン ホープフル・チャント」』]] 2017年, 99頁.</ref> * [[2077年]] - 「グレート・ウォー」と呼ばれる全面核戦争が勃発し、世界が破滅する。(ゲーム[[Fallout シリーズ|『フォールアウト』シリーズ]]) === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - 西住みほ、アニメ『[[ガールズ&パンツァー]]』の主人公<ref>{{Twitter status|garupan|1186661619335454721}}</ref><ref>{{Cite book|和書|year=2013|title=ガルパン・アルティメット・ガイド〜ガールズ&パンツァーを100倍楽しむ本〜|page=52|publisher=[[廣済堂出版]]|isbn=978-4-331-25286-4}}</ref> * 生年不明 - 神無月葵、パチスロ・アニメ・漫画『[[快盗天使ツインエンジェルシリーズ]]』の主人公のひとり<ref>{{Cite web|和書|url= http://twin-angel.com/chara.html |title=メインキャラ 神無月葵 |work=快盗天使ツインエンジェル 公式サイト|publisher=[[サミー|Sammy]] |accessdate=2022-10-19|archiveurl= https://web.archive.org/web/20150523101523/http://twin-angel.com/chara.html |archivedate=2015-05-23}}</ref> * 生年不明 - 千手柱間、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1319292443909517316}}</ref> * 生年不明 - アニタ、漫画『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=星野桂|authorlink=星野桂|year = 2008 |title = D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃 |page = 108 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874248-9 }}</ref> * 生年不明 - 古橋文乃、漫画・アニメ『[[ぼくたちは勉強ができない]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shiraharu48|1319480780158947328}}</ref> * 生年不明 - 立売健吾、児童文学シリーズ『[[若おかみは小学生!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=若おかみは小学生!|volume=PART10|author=令丈ヒロ子|authorlink=令丈ヒロ子|publisher=[[講談社]]|series=[[青い鳥文庫]]|year=2007|quote=付録|isbn=978-4-06-148773-4}}</ref> * 生年不明 - 双葉理央、小説・アニメ『[[青春ブタ野郎シリーズ|青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aobuta_anime|1054613552336527360}}</ref> * 生年不明 - 等松美海、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |work=劇場版「ハイスクール・フリート」公式サイト |url=https://www.hai-furi.com/character/05_01/ |title=等松 美海 |accessdate=2022-10-19 |publisher=AAS/新海上安全整備局}}</ref> * 生年不明 - バナン、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVI]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイナルファンタジーVI ザ・コンプリート|publisher=[[NTT出版]]|year=1994|page=180|ISBN=4-87188-303-5}}</ref> * 生年不明 - [[クリザリッド]]、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kof_allstar|1186658470507868160}}</ref> * 生年不明 - 西川保奈美、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20118 |title=西川 保奈美(にしかわ ほなみ) |access-date=2022-10-19 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 早見英子 、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)|ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130607_172936/ |title=【ガールフレンド(仮)通信54】元気ハツラツゥ!未来のなでしこJAPAN 早見英子ちゃん |access-date=2022-10-19 |publisher=ファミ通App |date=2013-06-07}}</ref> * 生年不明 - カノト、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=41&cate=name&cont=Kanoto |title=カノト |access-date=2022-10-19 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - [[BanG Dream!の登場人物#Afterglow|上原ひまり]]、[[メディアミックス]]企画『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/uehara-himari/ |title=上原 ひまり |website=BanG Dream! ガールズバンドパーティ! 公式サイト |publisher=ブシロード |accessdate=2022-10-19}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|23 October}} {{新暦365日|10|22|10|24|[[9月23日]]|[[11月23日]]|[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]|1023|10|23}} {{1年の月と日}}
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10月24日
10月24日(じゅうがつにじゅうよっか、じゅうがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から297日目(閏年では298日目)にあたり、年末まであと68日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月24日'''(じゅうがつにじゅうよっか、じゅうがつにじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から297日目([[閏年]]では298日目)にあたり、年末まであと68日ある。 == できごと == [[ファイル:Westfaelischer Friede in Muenster (Gerard Terborch 1648).jpg|thumb|upright|[[ヴェストファーレン条約]]調印(1648)。欧州において近代国家が確立され、[[国際法]]が芽生える]] [[ファイル:Normanton Incident(1886).jpg|thumb|140px|[[ノルマントン号事件|ノルマントン号]]座礁沈没(1886)。[[領事裁判権]]への国民的反発を招いた(ただしこの風刺画は[[メンザレ号遭難事件]]について描かれたものだとされる)]] {{multiple image | footer = [[レイテ沖海戦]](1944)。空母[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]](左)と戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]](右)が撃沈 | image1 = Japanese.aircraft.carrier.zuikaku.jpg | width1 = 120 | alt1 = 瑞鶴 | image2 = Musashi battleship in 1942.jpg | width2 = 120 | alt2 = 武蔵 }} [[File:UnitedNationsconference.jpg|thumb|140px|[[国際連合]]発足(1945)]] [[ファイル:Hibari Misora 1.jpg|thumb|140px|『[[悲しき口笛]]』が封切り(1949)。12歳の[[美空ひばり]]最初のヒット作]] [[ファイル:Митинг 24 октября, город Байконур.jpg|thumb|140px|[[バイコヌール宇宙基地]]での[[大陸間弾道ミサイル]]爆発事故(1960)。[[ソビエト連邦|ソ連]]政府が正式に認めたのは1989年]] [[ファイル:Honda RA272 twinringmotegi.jpg|thumb|140px|[[ホンダF1]]が初勝利(1965)。画像は[[ホンダ・RA272]]]] * [[69年]] - [[ローマ内戦 (68年-70年)|ローマ内戦]]: [[ベドリアクムの戦い|第2次ベドリアクムの戦い]]。 * [[1648年]] - [[三十年戦争]]の講和条約・[[ヴェストファーレン条約]]調印。 * [[1790年]] - [[三色旗]]がフランス海軍旗として制定。後に[[フランスの国旗|国旗]]となる。 * [[1795年]] - [[第三次ポーランド分割|3度目のポーランド分割]]により、[[ポーランド・リトアニア共和国]]が完全に領土を失う。 * [[1812年]] - ロシア戦役: {{仮リンク|マロヤロスラベツの戦い|en|Battle of Maloyaroslavets}}。 * [[1813年]] - [[ロシア帝国]]と[[ガージャール朝]]が[[ゴレスターン条約]]を締結。 * [[1844年]] - フランス・清国間で黄埔条約締結。 * [[1857年]] - 現存する中では世界最古のサッカークラブ・[[シェフィールドFC]]が設立。 * [[1876年]] - [[神風連の乱]]。 * [[1886年]] - [[ノルマントン号事件]]。 * [[1890年]] - [[伊藤博文]]が初代[[貴族院議長 (日本)|貴族院議長]]に就任。 * [[1894年]] - [[日清戦争]]: [[山縣有朋]]率いる[[第1軍 (日本軍)|第1軍]]が[[鴨緑江作戦]]を開始。 * [[1901年]] - [[アニー・エドソン・テイラー]]が史上初めて[[ナイアガラ滝]]を樽に入って下り、無事生還。 * [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]: [[カポレットの戦い]]が始まる。 * [[1929年]] - [[ウォール街大暴落 (1929年)|暗黒の木曜日]]。ニューヨーク株式市場が大暴落し、[[世界恐慌]]が始まる。 * [[1931年]] - [[アル・カポネ]]がクック郡刑務所に入所。 * 1931年 - [[ジョージ・ワシントン・ブリッジ]]が開通。 * [[1936年]] - [[柳宗悦]]が[[日本民藝館]]を創設。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ガダルカナル島の戦い]]で[[第2師団 (日本軍)|第二師団]]が[[ガダルカナル島の戦い#第二次総攻撃|総攻撃]]を開始。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦・[[レイテ沖海戦]]: [[日本海軍]]の空母[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]と戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]が撃沈される。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦・レイテ沖海戦: [[レイテ沖海戦#10月24日|シブヤン海海戦]]。 * [[1945年]] - ソ連の[[批准]]により[[国際連合憲章]]が発効し、[[国際連合]]が発足。 * [[1949年]] - [[映画]]『[[悲しき口笛]]』が封切り。[[美空ひばり]]が映画初出演。 * [[1951年]] - [[日本社会党]]第8回臨時大会で[[サンフランシスコ講和条約]]に対する態度をめぐって左右両派に分裂。 * [[1953年]] - [[保全経済会事件]]。匿名組合保全経済会が一方的に休業を宣言して出資金の支払いを停止。 * [[1954年]] - 三重県[[二見町 (三重県)|二見町]]小松池ノ浦で[[三重交通]]の[[観光バス]]が入り江に転落。13人が死亡、50人が重軽傷<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=97-98|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1955年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]、旅客整理係学生班([[押し屋]])を導入。 * [[1960年]] - [[ニェジェーリンの大惨事]]。ソ連の[[バイコヌール宇宙基地]]で発射台上の[[大陸間弾道ミサイル]][[R-16 (ミサイル)|R-16]]が爆発。約120人が死亡。 * [[1964年]] - [[10月10日]]から[[東京都|東京]]で行われていた第18回[[夏季オリンピック]]が[[1964年東京オリンピックの閉会式|閉幕]]。 * 1964年 - [[イギリス]]領[[北ローデシア]]が[[ザンビア|ザンビア共和国]]として独立。 * [[1965年]] - [[フォーミュラ1|F1]][[メキシコグランプリ|メキシコGP]]決勝が行われ、[[ホンダ・レーシング・F1チーム|ホンダ]]が初優勝。 * [[1975年]] - ジョン・デロリアンが[[デロリアン・モーター・カンパニー]](DMC)を創業。 * [[1976年]] - [[富士スピードウェイ]]にて日本で初めての[[フォーミュラ1|F1]][[日本グランプリ (4輪)|日本GP]]が開催される。 * [[1982年]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系の『[[笑っていいとも!増刊号]]』の放送がスタート。司会者は[[タモリ]]。 * [[1986年]] - [[テレビ朝日]]系の[[音楽番組]]『[[ミュージックステーション]]』放送開始。初代司会者は[[関口宏]]。 * 1997年 - ドイツとフランスを結ぶ[[ザールバーン]]が開業。 * [[1998年]] - アメリカの宇宙探査機「[[ディープ・スペース1号]]」が打ち上げ。 * [[2003年]] - [[ブリティッシュ・エアウェイズ]]が[[コンコルド]]による営業飛行を終了し、コンコルドが全機引退。 * 2003年 - [[日本テレビ視聴率買収事件|日本テレビプロデューサーによる視聴率操作]]が発覚。 * 2003年 - [[Mac OS X v10.3|Mac OS X v10.3 Panther]]が発売。 * [[2005年]] - 大西洋北部で史上最低気圧を記録した[[ハリケーン]]「[[ハリケーン・ウィルマ|ウィルマ]]」が米国[[フロリダ半島]]に上陸。 * [[2006年]] - [[高等学校必履修科目未履修問題]]が初めて発覚。 * 2006年 - [[日本]]で[[携帯電話]]の[[番号ポータビリティ|ナンバーポータビリティ]]制度が開始。 * [[2018年]] - 2015年から[[シリア]]で拘束されていた[[安田純平]]が[[トルコ]]で解放<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3194576|title=日本政府、シリアで拘束されていた安田さんの解放を確認|newspaper=AFP BB NEWS|date=24 Oct 2018|accessdate=23 Apr 2023}}</ref>。 * 2018年 - [[港珠澳大橋]]が開通<ref>{{Cite web|和書 |date=24 Oct 2018 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3194556 |title=香港・珠海・マカオ間を結ぶ港珠澳大橋が開通 |work=AFP BB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=23 Apr 2023}}</ref>。 * 2018年 - Tリーグが開幕。 == 誕生日 == [[ファイル:Jan Verkolje - Antonie van Leeuwenhoek.jpg|thumb|120px|[[オランダ]]の[[博物学者]]、[[アントニ・ファン・レーウェンフック]](1632-1723)誕生。「[[微生物学]]の父」と称せられる]] [[ファイル:Wilhelm Eduard Weber Litho.jpg|thumb|120px|[[ドイツ]]の[[物理学者]]、[[ヴィルヘルム・ヴェーバー]](1804-1891)誕生。[[磁束]]の単位「[[ウェーバ]]に名を残す]] [[ファイル:Oku Mumeo.jpg|thumb|120px|[[主婦連合会]]会長、[[奥むめお]](1895-1997)誕生。[[割烹着]]と[[しゃもじ]]を旗印に消費者、婦人運動に務めた]] [[ファイル:Matsumae Shigeyoshi.JPG|thumb|120px|[[逓信省]][[技官]]から戦後議員となった[[松前重義]](1901-1991)誕生]] [[ファイル:Martin Campbell.jpg|thumb|120px|[[ニュージーランド]]出身の[[映画監督]]、[[マーティン・キャンベル]](1943-)誕生]] [[ファイル:Roman Abramovich 2.jpg|thumb|120px|[[チェルシーFC]][[オーナー]]にして、[[ロシア]]の石油王、[[ロマン・アブラモヴィッチ]](1966-)誕生]] [[ファイル:Wayne Rooney.jpg|thumb|120px|[[サッカーイングランド代表]][[フォワード (サッカー)|フォワード]]、[[ウェイン・ルーニー]](1985-)誕生]] * [[51年]] - [[ドミティアヌス]]、[[ローマ皇帝]](+ [[96年]]) * [[1435年]] - [[アンドレア・デッラ・ロッビア]]、[[彫刻家]](+ [[1525年]]) * [[1632年]] - [[アントニ・ファン・レーウェンフック]]、[[博物学者]](+ [[1723年]]) * [[1701年]] - [[ロバート・スペンサー (第4代サンダーランド伯)]]、[[グレートブリテン王国|イギリス]]の[[貴族]](+ [[1729年]]) * [[1726年]]([[享保]]11年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - [[松前資広]]、[[蝦夷地]][[松前藩]]主(+ [[1765年]]) * [[1763年]]([[宝暦]]13年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[土方雄貞]]、[[伊勢国]][[菰野藩]]主(+ [[1782年]]) * [[1770年]] - [[カルロ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ]]、[[貴族]](+ [[1800年]]) * [[1804年]] - [[ヴィルヘルム・ヴェーバー]]、[[物理学者]](+ [[1891年]]) * [[1817年]] - {{仮リンク|イポリット・メージュ=ムーリエ|fr|Hippolyte Mège-Mouriès|en|Hippolyte Mège-Mouriès}}、[[化学者]]、[[マーガリン]]発明者(+ [[1880年]]) * [[1820年]] - [[ウジェーヌ・フロマンタン]]、[[小説家]]、[[画家]](+ [[1876年]]) * [[1829年]]([[文政]]12年[[9月27日 (旧暦)|9月27日]]) - [[武市瑞山]]、[[幕末]]の[[志士]](+ [[1865年]]) * [[1846年]]([[弘化]]3年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]) - [[雨宮敬次郎]]、[[実業家]](+ [[1911年]]) * [[1855年]] - [[ジェームズ・S・シャーマン]]、第27代[[アメリカ合衆国副大統領]](+ [[1912年]]) * [[1862年]] - [[ダニエル・スワロフスキー]]、[[ガラス]]製造業者、[[スワロフスキー]]創業者(+ [[1914年]]) * [[1863年]] - [[アルノルト・ロゼ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1946年]]) * [[1869年]] - [[矢橋賢吉]]、建築家(+ [[1927年]]) * [[1875年]] - [[コンスタンチン・ユオン]]、[[画家]]、舞台[[デザイナー]](+ [[1958年]]) * [[1877年]] - [[河井彌八]]、政治家(+ [[1960年]]) * [[1878年]] - [[田村鎮]]、[[大日本帝国陸軍]]の[[文官]]、[[建築家]](+ [[1942年]]) * [[1891年]] - [[ラファエル・トルヒーヨ]]、[[政治家]]、[[軍人]](+ [[1961年]]) * [[1892年]] - [[マリウス・カサドシュ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1981年]]) * [[1895年]] - [[奥むめお]]、婦人運動家、政治家(+ [[1997年]]) * [[1901年]] - [[松前重義]]、[[東海大学]]創設者(+ [[1991年]]) * [[1902年]] - [[木村四郎七]]、[[外交官]](* [[1996年]]) * [[1907年]] - [[ブルーノ・ムナーリ]]、[[美術家]](+ [[1998年]]) * [[1908年]] - [[ツゾー・ウィルソン]]、[[地球物理学者]]、[[地質学者]](+ [[1993年]]) * [[1909年]] - [[ビル・カー]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1966年]]) * [[1912年]] - [[ヘルマン・グラーフ]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+[[1988年]]) * [[1916年]] - [[瀬川伸]]、[[歌手]](+ [[2004年]]) * 1916年 - [[ピエール・サンカン]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](+ [[2008年]]) * 1916年 - [[大塚正士]]、[[実業家]](+ [[2000年]]) * [[1918年]] - [[正力亨]]、[[実業家]]、[[読売ジャイアンツ]]初代オーナー(+ [[2011年]]) * [[1922年]] - [[毛岸英]]、[[毛沢東]]の長男(+ [[1950年]]) * [[1925年]] - [[エドウィン・マクレラン]]、[[日本文学]]研究者(+ [[2009年]]) * [[1927年]] - [[ジルベール・ベコー]]、歌手、作曲家、ピアニスト、俳優(+ [[2001年]]) * [[1929年]] - [[高松英郎]]、[[俳優]](+ [[2007年]]) * [[1930年]] - [[ヨハン・ガルトゥング]]、社会学者、数学者、[[平和学]]者 * [[1931年]] - [[宇津井健]]、俳優(+ [[2014年]]) * [[1932年]] - [[大溪洗耳]]、書道家(+ [[2003年]]) * 1932年 - [[佐藤道夫]]、政治家(+ [[2009年]]) * 1932年 - [[三島淑臣]]、[[法哲学者]](+ [[2015年]] ) * [[1933年]] - [[上田五千石]]、俳人(+[[1997年]]) * 1933年 - [[渡辺淳一]]、[[作家]](+ [[2014年]]) * [[1934年]] - [[川本徳三]]、元[[プロ野球選手]] * [[1936年]] - [[仲木隆司]]、声優 * 1936年 - [[ビル・ワイマン]]、[[音楽家|ミュージシャン]](元[[ローリング・ストーンズ]]) * [[1937年]] - [[小林カツ代]]、[[料理研究家]](+ [[2014年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140129-1250273.html|title=「きょうの料理」小林カツ代さん死去|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=29 Jan 2014|accessdate=23 Apr 2023}}</ref>) * 1937年 - [[千藤幸蔵]]、三味線奏者、作曲家 * [[1939年]] - [[浅井敬壹]]、[[合唱指揮者]] * [[1941年]] - [[茅野智行]]、元プロ野球選手 * 1941年 - [[岡田武夫 (司教)|岡田武夫]]、[[聖職者]] (+ [[2020年]]<ref>{{Cite news|url=https://www.christiantoday.co.jp/articles/28884/20201219/takeo-okada-former-archbishop-of-tokyo-dies-79.htm|title=岡田武夫・前東京大司教死去、79歳 司教協議会会長など歴任|newspaper=クリスチャントゥデイ|date=19 Dec 2020|accessdate=23 Apr 2023}}</ref>) * [[1943年]] - [[マーティン・キャンベル]]、[[映画監督]] * [[1946年]] - [[ジョン・ベティス]]、作詞家 * [[1947年]] - [[小野寺重之]]、元[[野球選手]] * 1947年 - [[島英二]]、ギタリスト * 1947年 - [[紫野京子]]、詩人 * 1947年 - [[喜多條忠]]、[[作詞家]](+[[2021年]]) * 1947年 - [[ケヴィン・クライン]]、俳優 * [[1948年]] - [[中井和夫]]、[[歴史家]] * 1948年 - [[近藤誠]]、[[医師]](+[[2022年]]) * 1948年 - [[高田恭子]]、歌手 <!-- 特筆性は? * [[1949年]] - [[ゆーとぴあ|ホープ]]、[[コント]]コンビ・元[[ゆーとぴあ]]のメンバー --> * [[1949年]] - [[横山晴久]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[仲恭司]]、俳優 * [[1950年]] - [[メイ・パン]]、[[ジョン・レノン]]と[[オノ・ヨーコ]]の元秘書 * 1950年 - [[荒井公三]]、元サッカー選手 * [[1952年]] - [[夏樹陽子]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/夏樹陽子/ |title=夏樹陽子 |access-date=23 Apr 2023 |publisher=[[NTTレゾナント|NTT Resonant Inc.]] |website=Goo人名事典}}</ref>、女優 * 1952年 - [[坂口哲夫]]、声優 * [[1953年]] - [[中山恵美子]]、歌手 * 1953年 - [[竹村拓]]、声優 * [[1955年]] - [[岡崎乾二郎]]、[[批評家]]、[[美術家|造形作家]] * 1955年 - [[遊川和彦]]、[[脚本家]] * 1955年 - [[山口裕子 (デザイナー)|山口裕子]]、[[ハローキティ]]のデザイナー(3代目) * [[1956年]] - [[ときたひろこ]]、[[アニメーション]][[監督]] * 1956年 - [[猿橋重利]]、元騎手 * [[1957年]] - [[ロン・ガーデンハイアー]]、元プロ野球選手、監督 * [[1958年]] - [[辻発彦]]、元プロ野球選手、監督 * [[1959年]] - [[田村藤夫]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[有薗芳記]]、俳優 * 1960年 - [[B・D・ウォン]]、俳優 * 1960年 - [[ヨアヒム・ヴィンケルホック]]、レーシングドライバー * 1960年 - [[星野敦]]、彫刻家、芸術家 * [[1961年]] - [[髙橋誠 (KDDI)|髙橋誠]]、実業家 * 1961年 - [[井倉光一]]、歌手、タレント * 1961年 - [[三遊亭好太郎]]、落語家 * [[1962年]] - [[アベル・アントン]]、元マラソン選手 * 1962年 - [[山崎進哉]]、俳優 * 1962年 - [[ジョヴァンニ・ソッリマ]]、作曲家、チェリスト * [[1963年]] - [[中川明仁]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[片岡飛鳥]]、[[テレビプロデューサー]] * 1964年 - [[内藤善弘]]、[[作家]] * [[1965年]] - [[五十嵐和也]]、元サッカー選手、サッカー指導者 * 1965年 - [[松野泰己]]、[[ゲームクリエイター]] * [[1966年]] - [[ロマン・アブラモヴィッチ]]、実業家、[[チェルシーFC]][[オーナー]] * 1966年 - [[山川美由紀]]、[[競艇選手]] * [[1968年]] - [[黒柳陽子]]、キャラクターデザイナー、ゲームクリエイター * [[1969年]] - [[及川光博]]、[[歌手]]、俳優 * 1969年 - [[菊田真紀子]]、政治家 * 1969年 - [[吉田直]]、[[小説家]](+ [[2004年]]) * 1969年 - [[アーサー・ローズ]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[木村公宣]]、元[[アルペンスキー]]選手、指導者 * 1970年 - [[ホセ・ルイス・カルデロン]]、元サッカー選手 * [[1971年]] - [[エズ・チェスターズ]]、ミュージシャン * [[1972年]] - [[ヴァン・ダークホーム]]、ゲイポルノ俳優 * 1972年 - [[ルクサンドラ・ドラゴミル]]、テニス選手 * [[1973年]] - [[AKINO (プロレスラー)|AKINO]]、[[プロレスラー]] * 1973年 - [[ゴリけん]]、[[お笑いタレント]] * [[1974年]] - [[延友陽子]]、[[アナウンサー]] * [[1975年]] - [[魁道康弘]]、元[[大相撲]][[力士]] * 1975年 - [[原田幸哉]]、[[競艇選手|ボートレーサー]] * 1975年 - [[千葉公平]]、お笑い芸人 * [[1976年]] - [[三輪記子]]、[[弁護士]] * [[1977年]] - [[松井友香]]、元女優、元タレント * 1977年 - [[飯田利信]]、声優 * [[1978年]] - [[斉藤美絵子]]、ミュージカル俳優、バレエダンサー * 1978年 - [[クリス・ブーチェック]]、プロ野球選手 * [[1979年]] - [[和泉由希子]]、[[麻雀#雀士|プロ雀士]]、タレント * [[1980年]] - [[いとうあいこ]]、元女優、元タレント * 1980年 - [[小島めぐみ]]、声優 * 1980年 - [[モニカ (歌手)|モニカ]]、歌手 * 1980年 - [[マシュー・アモア]]、元サッカー選手 * [[1981年]] - [[清原紘]]、[[漫画家]]、[[イラストレーター]] * 1981年 - [[キンタロー。]]、お笑いタレント、[[ものまねタレント]] * 1981年 - [[マリカ・シェラワット]]、女優、モデル * [[1982年]] - [[伊原凛]]、元タレント * 1982年 - [[ドリュー・トゥサント]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[高木修二 (競輪選手)|高木修二]]、[[競輪選手]]、元野球選手 * [[1983年]] - [[クリス・コラベロ]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[渡辺舞 (アナウンサー)|渡辺舞]]、アナウンサー * [[1984年]] - [[木村カエラ]]、[[ファッションモデル]]、歌手 * 1984年 - [[泉正義]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - [[ウェイン・ルーニー]]、元サッカー選手、指導者 * 1985年 - [[三谷将太]]、競輪選手 * [[1986年]] - [[岡本信彦]]<ref name="oricon">{{Cite web|和書 |url=https://www.oricon.co.jp/prof/420899/ |title=岡本 信彦(出典:VIPタイムズ社) |publisher=[[ORICON NEWS]] |accessdate=23 Apr 2023}}</ref>、声優 * 1986年 - [[いとうりな]]、レースクイーン * 1986年 - [[田中えみ]]、女優、タレント * 1986年 - [[ドレイク (ラッパー)|ドレイク]]、[[ラッパー]] * [[1987年]] - [[広瀬麻知子]]、元アナウンサー * 1987年 - [[永田しおり]]、ハンドボール選手 * 1987年 - [[チャーリー・ホワイト]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1988年]] - [[櫻川めぐ]]、声優 * 1988年 - [[鄧卓翔]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[エリック・ホスマー]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[シェネイ・グライムス]]、女優 * 1989年 - [[カイル・ロツカー]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[アブナー・アブレイユ]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[あい (女子総合格闘家)|あい]]、元レスリング選手、総合格闘家 * 1989年 - [[ピューディパイ]]、[[YouTuber]] * [[1990年]] - [[沢田優蘭]]、陸上競技選手 * 1990年 - [[曽田麻衣子]]、タレント * 1990年 - よしこ、お笑いタレント([[ガンバレルーヤ]]) * 1990年 - [[イルカイ・ギュンドアン]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ダニロ・ペトルッチ]]、[[オートバイ]]レーサー * [[1991年]] - [[六角彩子]]、野球選手 * 1991年 - [[トルステン・アンデルセン・オース]]、サッカー選手 * 1991年 - [[窪真理]]、女優、タレント * [[1992年]] - [[島袋洋奨]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[アレクサンダー・ショルツ]]、サッカー選手 * [[1993年]] - [[ワタリ119]]、お笑い芸人(元[[キラキラ関係]]) * [[1994年]] - [[宇佐美塁大]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[植田直通]]、サッカー選手 * 1994年 - [[クリスタル (韓国の歌手)|クリスタル]]、歌手、ファッションモデル * 1994年 - [[タチヤナ・ノヴィク]]、フィギュアスケート選手 * 1994年 - [[ジャレン・ラムジー]]、アメリカンフットボール選手 * [[1995年]] - RYOTA.、ミュージシャン([[Qyoto]]) * 1995年 - [[田村心]]、俳優 * [[1996年]] - [[門脇佳奈子]]、元タレント(元[[NMB48]]) * 1996年 - [[梅津晃大]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[曽田陵介]]、俳優 * [[1997年]] - [[ベン・ガンター]]、ラグビーユニオン選手 * [[1998年]] - [[デイヤ]]、歌手 * [[1999年]] - [[上國料萌衣]]、アイドル([[アンジュルム]]) * [[2000年]] - [[高須瑠香]]、女優 * 2000年 - 秋吉優花、アイドル([[HKT48]]) * 2000年 - [[葛西潤]]、[[陸上競技]]選手 * [[2001年]] - [[YUUGA]]、アイドル(元[[中野風女シスターズ]]/[[風男塾]](偉舞喜雅名義)) * [[2002年]] - [[Ado (歌手)|Ado]]、歌手 * [[2003年]] - 伊藤優絵瑠、アイドル(HKT48) * 2003年 - [[中井卓大]]、サッカー選手 * [[2004年]] - [[前川莉珠]]、グラビアアイドル、女優 * 生年不明 - [[堀澤麻衣子]]、歌手 * 生年不明 - KO-01、ミュージシャン([[GLORY HILL]]) * 生年不明 - [[原一博]]、作曲家 * 生年不明 - [[Mitha]]、イラストレーター * 生年不明 - [[佐藤みゆ希]]、声優 * 生年不明 - [[沼裕華]]、声優 * 生年不明 - [[いずみ綾]]、声優 * 生年不明 - [[日暮哲也]]、声優 * 生年不明 - [[葵ひびき]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://across-ent.com/talent/women/hibiki_aoi.html |title=葵ひびき |accessdate=23 Apr 2023 |publisher=[[アクロスエンタテインメント|ACROSS ENTERTAINMENT]]}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[芽衣]]、声優 ; 人物以外(動物など) * 2019年 ‐ [[もちまる]]、猫(YouTuber「もちまる日記」) == 忌日 == [[ファイル:Coronation of Hugues Capet 2.jpg|thumb|120px|[[カペー朝]]初代[[フランス王国|フランス]]王、[[ユーグ・カペー]](938頃-996)没]] [[ファイル:Tycho Brahe.JPG|thumb|120px|[[デンマーク]]の[[天文学者]]、[[ティコ・ブラーエ]](1546-1601)没]] {{multiple image | footer = 多くの近代[[壁画]]を手掛けた[[ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ]](1824-1898)没。右は[[パンテオン (パリ)|パンテオン]]にある『パリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ』(1874-1879) | image1 = Pierre-Cécile Puvis de Chavannes BNF Gallica.jpg | width1 = 100 | alt1 = シャヴァンヌ | image2 = Geneviève veillant sur Paris.jpg | width2 = 100 | alt2 = 聖ジュヌヴィエーヴ }} {{multiple image | image1 = Louis Renault, Washington, 1940.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[ルノー]]創業者、[[ルイ・ルノー (実業家)|ルイ・ルノー]](1877-1944)、[[ナチス・ドイツ]]協力者([[コラボラシオン]])として投獄され、獄中死 | alt1 = ルノー | image2 = Portrett av Vidkun Quisling i uniform..jpg | width2 = 100 | caption2 = ナチス・ドイツの[[ノルウェー]]占領を手引した[[ヴィドクン・クヴィスリング]](1887-1945)銃殺刑 | alt2 = クヴィスリング }} {{multiple image | image1 = Tsuneo Horiguchi.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[昭和]]初期に活躍した[[プロボクサー]]、[[ピストン堀口]](1914-1950)[[轢死]] | alt1 = 堀口 | image2 = Jackie Robinson, Brooklyn Dodgers, 1954.jpg | width2 = 100 | caption2 = 近代MLB初のアフリカ系アメリカ人メジャーリーガー、[[ジャッキー・ロビンソン]](1919-1972)没 | alt2 = ロビンソン }} * [[996年]] - [[ユーグ・カペー]]、[[カペー朝]]初代[[フランス王国|フランス]]王(* [[938年]]頃) * [[1375年]] - [[ヴァルデマー4世 (デンマーク王)|ヴァルデマー4世]]、[[デンマーク]]王(* [[1320年]]) * [[1537年]] - [[ジェーン・シーモア]]、[[ヘンリー8世 (イングランド王)|イングランド王ヘンリー8世]]の王妃(* [[1509年]]) *[[1600年]]([[慶長]]5年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[石田正継]]、[[武将|戦国武将]] * [[1601年]] - [[ティコ・ブラーエ]]、[[天文学者]](* [[1546年]]) * [[1655年]] - [[ピエール・ガッサンディ]]、[[哲学|哲学者]]・[[数学者]]、[[物理学者]](* [[1592年]]) * [[1725年]] - [[アレッサンドロ・スカルラッティ]]、[[作曲家]](* [[1660年]]) * [[1733年]] - [[ヘンリエッタ・チャーチル (第2代マールバラ公)|ヘンリエッタ・チャーチル]]、[[マールバラ公]](* [[1681年]]) * [[1799年]] - [[カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ]]、作曲家(* [[1739年]]) * [[1852年]] - [[ダニエル・ウェブスター]]<ref>{{Cite web |title=Daniel Webster {{!}} American politician |url=https://www.britannica.com/biography/Daniel-Webster |website=Britannica |access-date=23 Apr 2023}}</ref>、[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1782年]]) * [[1892年]] - [[ローベルト・フランツ]]、[[作曲家]](* [[1815年]]) * [[1898年]] - [[ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ]]、[[画家]](* [[1824年]]) * [[1910年]] - [[山田美妙]]、[[小説家]]、[[詩人]](* [[1868年]]) * [[1917年]] - [[片山東熊]]、[[建築家]](* [[1854年]]) * [[1918年]] - [[アレクサンドル・シャルル・ルコック]]、[[作曲家]](* [[1832年]]) * [[1935年]] - [[ダッチ・シュルツ]]、[[ギャング]](* [[1902年]]) * [[1938年]] - [[エルンスト・バルラハ]]、[[彫刻家]]、画家、[[劇作家]](* [[1870年]]) * [[1944年]] - [[ルイ・ルノー (実業家)|ルイ・ルノー]]、[[実業家]]、[[ルノー]]創業者(* [[1877年]]) * [[1945年]] - [[ヴィドクン・クヴィスリング]]、[[ナチス・ドイツ]]占領下[[ノルウェー]]の指導者(* [[1887年]]) * [[1946年]] - [[クルト・ダリューゲ]]、政治家、[[秩序警察]]長官、ナチス[[親衛隊上級大将]](* [[1897年]]) * [[1948年]] - [[フランツ・レハール]]、作曲家(* [[1870年]]) * [[1950年]] - [[ピストン堀口]]、[[プロボクサー]](* [[1914年]]) * [[1957年]] - [[クリスチャン・ディオール]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1905年]]) * [[1959年]] - [[ボリス・エイヘンバウム]]、[[文芸学]]者(* [[1886年]]) * [[1971年]] - [[カール・ラッグルズ]]、作曲家(* [[1876年]]) * [[1972年]] - [[ジャッキー・ロビンソン]]、[[プロ野球選手]](* [[1919年]]) * [[1974年]] - [[ダヴィッド・オイストラフ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1908年]]) * [[1975年]] - [[清水比庵]]、[[歌人]]、[[書家]](* [[1883年]]) * [[1984年]] - [[近江正俊]]、[[アナウンサー]](* [[1925年]]) * [[1985年]] - [[永田雅一]]、[[映画]]製作者、[[千葉ロッテマリーンズ|大毎オリオンズ]]オーナー(* [[1906年]]) * [[1989年]] - [[サヒブ・シハブ]]、[[ジャズ]]・[[サクソフォーン]]奏者、[[フルート奏者]](* [[1925年]]) * [[1991年]] - [[ジーン・ロッデンベリー]]、[[映画プロデューサー]](* [[1921年]]) * [[1992年]] - [[高田誠 (洋画家)|高田誠]]、画家(* [[1913年]]) * [[1994年]] - [[ラウル・ジュリア]]、[[俳優]](* [[1940年]]) * [[1995年]] - [[森野米三]]、[[物理化学|物理化学者]](* [[1908年]]) * [[2001年]] - [[スティーヴン・ワーム]]、[[言語学者]](* [[1922年]]) * 2001年 - [[菅原加織]]、俳優(* [[1970年]]) * [[2003年]] - [[星玲子]]、[[俳優|女優]](* [[1915年]]) * 2003年 - [[井上吉夫]]、[[政治家]](* [[1923年]]) * [[2004年]] - [[今井功 (物理学者)|今井功]]、 [[物理学者]](* [[1914年]]) * [[2005年]] - [[根上淳]]、[[俳優]](* [[1923年]]) * 2005年 - [[岩崎寿男]]、[[実業家]]、元[[三菱自動車工業]]常務(* [[1914年]]) * 2005年 - [[ローザ・パークス]]、[[アメリカ合衆国|米国]][[公民権運動]]活動家(* [[1913年]]) * [[2007年]] - [[内藤ルネ]]、[[イラストレーター]](* [[1932年]]) * [[2008年]] - [[脇本平也]]、[[宗教学者]]、[[東京大学]][[名誉教授]](* [[1921年]]) * [[2009年]] - [[春山希義]]、[[小説家]](* [[1933年]]) * 2009年 - [[岩田安生]]、[[声優]](* [[1942年]]) * 2009年 - [[鈴木貞敏]]、政治家(* [[1925年]]) * [[2011年]] - [[北杜夫]]、小説家(* [[1927年]]) * 2011年 - [[山口健]]、声優(* [[1956年]]) * 2011年 - [[ジョン・マッカーシー]]、[[人工知能]]研究者(* [[1927年]]) * [[2013年]] - [[アントニア・バード]]、[[映画監督]](* [[1959年]]) * [[2014年]] - [[ムブイレニ・ムラウジ]]、陸上競技選手(* [[1980年]]) * [[2015年]] - [[モーリン・オハラ]]、女優(* [[1920年]]) * [[2016年]] - [[ホルヘ・バジェ・イバニェス]]、第38代[[ウルグアイの大統領|ウルグアイ大統領]](* [[1927年]]) * 2016年 - [[中山俊丈]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](* [[1935年]]) * [[2017年]] - [[ファッツ・ドミノ]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1928年]]) * [[2018年]] - [[三笑亭笑三]]<ref>{{Cite web|和書|title=三笑亭笑三さんが死去 93歳、肺炎で…学徒動員として出兵、復員後に落語家|date=11 Dec 2018|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/12/11/kiji/20181211s00041000226000c.html|website=Sponichi ANNEX|publisher=[[スポーツニッポン]]|accessdate=23 Apr 2023}}</ref>、[[落語家]](* [[1925年]]) * [[2019年]] - [[八千草薫]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201910280000709.html|title=八千草薫さん死去、がんと闘いながら撮影に極秘参加|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=28 Oct 2019|accessdate=23 Apr 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20191028-OHT1T50159.html|title=八千草薫さん死去 88歳、すい臓がん 日本を代表する名女優「岸辺のアルバム」「やすらぎの郷」|pubulisher=[[スポーツ報知]]|date=28 Oct 2019|accessdate=23 Apr 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/10/28/kiji/20191028s00041000247000c.html|title=八千草薫さん死去 88歳 膵臓がんで…映画「宮本武蔵」ドラマ「岸辺のアルバム」 |publisher=[[スポーツニッポン]]|website=Sponichi Annex|date=28 Oct 2019 |accessdate= 23 Apr 2023 }}</ref>、女優 (* [[1931年]]) * [[2023年]] - [[一城みゆ希]]、声優(* [[1947年]]) {{-}} == 記念日・年中行事 == * [[霜降]]({{JPN}}) *: [[二十四節気]]の1つ。太陽の[[黄経]]が210度の時で、[[露]]が冷気によって[[霜]]となって降り始めるころ。 * [[国連の日]] *: [[1945年]]10月24日、[[ソビエト連邦|ソ連]]が[[国際連合憲章]]を批准し、発効に必要な20国の批准が得られたため国連憲章が発効し、[[国際連合]]が発足したことに由来。[[国際デー]]の一つ。 * [[世界開発情報の日]] ** [[1972年]]の国連総会で制定された[[国際デー]]。[[1970年]]のこの日、「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」が採択されたことを記念。 * [[建国記念日|独立記念日]]({{ZMB}}) *:[[1964年]]のこの日、にアフリカの[[イギリス]]領[[北ローデシア]]がザンビア共和国として独立した。 * [[ツーバイフォー]]住宅の日({{JPN}}) *: 日本ツーバイフォー建築協会が制定。10月が住宅月間(現在は住生活月間)であり、当面のツーバイフォー住宅の年間建設戸数を10万戸とする目標を設定、24日はツーバイフォー(2×4)に掛けたもの。 * [[文鳥]]の日({{JPN}}) *: 10月が手乗り文鳥の雛が出廻る時期であることと、「て(10)に(2)し(4)あわせ」(手に幸せ)の語呂合わせから<ref>{{Cite web|和書 |url=https://karuchibe.jp/read/7029/ |title=10月24日は文鳥の日 |access-date=23 Apr 2023 |publisher=農耕と園藝 |date=24 Oct 2019}}</ref>。 * [[マーガリン]]の日 *: マーガリンの発明者イポリット・メージュ=ムーリエの誕生日であることから。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1024|date=2023年4月}} * [[2006年]] - [[テロリズム|テロ]]グループ・ローズダストによる[[お台場]]崩壊テロが発生。(小説『[[Op.ローズダスト]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[2000年]] - タバサディーン、サンリオのキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sanrio.co.jp/character/tabithadean/ |title=タバサディーン プロフィール |accessdate=23 Apr 2023 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref> * [[2034年]] - 国枝詩穂、ゲーム『[[バトルガールハイスクール]]』に登場するキャラクター<ref>電撃オンライン編集部『バトルガール ハイスクール 公式ビジュアルファンブック』KADOKAWA/アスキー・メディアワークス、2016年4月27日。</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://colopl.co.jp/battlegirl-hs/chara/ |title=高2 国枝 詩穂 |access-date=23 Apr 2023 |publisher=[[コロプラ|COLOPL, Inc.]] |work=『バトルガールハイスクール』}}</ref> *生年不明 - 瀬名愛理、ゲーム・アニメ『[[ましろ色シンフォニー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|info_palette|1716651511718232239}}</ref> * 生年不明 - 油女トルネ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|922477886640132104}}</ref> * 生年不明 - みたらしアンコ、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2002|page=123|isbn=4-08-873288-X}}</ref> * 生年不明 - 花田煌、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=花田煌(はなだ きらめ) |url=http://sciasta.com/characters.html |website=咲-Saki- Characters 小林立公式サイト |access-date=2023-06-08}}</ref> * 生年不明 - 天内叶歌、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2017|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-881213-7|quote=|date=|volume=28巻|page=86}}</ref> *生年不明 - 藤丸のの、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1451927655171989510}}</ref> * 生年不明 - ローヴァ、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|year=2009|page=63|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref> * 生年不明 - 内田輝、小説・アニメ『[[ラブオールプレー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://love-all-play.com/character/ |title=CHARACTER 横浜湊高校 内田 輝 |access-date= 23 Apr 2023 |publisher=小瀬木麻美・[[ポプラ社]] / 横浜湊高校バドミントン部}}</ref> * 生年不明 - 島田愛里寿、アニメ・ゲーム『[[ガールズ&パンツァー|ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|garupan_app|1054971028177371136}}</ref> * 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#桜井夢子|桜井夢子]]、ゲーム『[[THE IDOLM@STER Dearly Stars]]』に登場するキャラクター<ref>『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』の『Dearly Stars』コラボレーションイベントに登場した際に公表されたプロフィールより。『Dearly Stars』本編ではプロフィールの設定なし。</ref> * 生年不明 - 高橋麻耶、ゲーム・アニメ『[[アマガミ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://amagami.info/sub_chara02.html |title=高橋 麻耶 |access-date=23 Apr 2023 |work=『アマガミ』 |publisher=[[角川ゲームス]] [[エンターブレイン]]}}</ref> * 生年不明 - 鈴凛(りんりん)、ゲーム『[[ドリームクラブGogo.]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|year=2014|title=ドリームクラブ Gogo. ビジュアルファンブック|page=86|publisher=[[KADOKAWA]]|ISBN=978-4-04-729693-0}}</ref> * 生年不明 - 白銀桜士郎、ゲーム・アニメ『[[Starry☆Sky]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.honeybee-cd.com/p-fan-winter/chara/chara05.html |title=白銀 桜士郎 |access-date= 23 Apr 2023 |publisher=[[honeybee]] |work=『Starry Sky~After Winter~Portable』}}</ref> * 生年不明 - ロキ・レーヴァテイン、ゲーム・アニメ『[[神々の悪戯]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kamiaso_anime|525485288932376576}}</ref> * 生年不明 - アルセーヌ・ルパン、ゲーム・アニメ『[[Code:Realize 〜創世の姫君〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://coderealize-anime.com/character/ |title=Character ルパン |access-date=23 Apr 2023 |publisher=[[アイディアファクトリー|IDEA FACTORY]]/DESIGN FACTORY・Code:Realize PROJECT |work=『コードリアライズ』}}</ref> * 生年不明 - 仙波綾子、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/senba |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title=仙波 綾子 |accessdate= 23 Apr 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref> * 生年不明 - シズル、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1452092508914151433}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|24 October}} {{新暦365日|10|23|10|25|[[9月24日]]|[[11月24日]]|[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]|1024|10|24}} {{1年の月と日}}
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10月25日
10月25日(じゅうがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から298日目(閏年では299日目)にあたり、年末まであと67日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月25日'''(じゅうがつにじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から298日目([[閏年]]では299日目)にあたり、年末まであと67日ある。 == できごと == [[ファイル:Battle of Agincourt, St. Alban's Chronicle by Thomas Walsingham.jpg|thumb|upright|[[アジャンクールの戦い]](1415)。[[ロングボウ|長弓]]隊を駆使した[[イギリス]]が圧勝した]] [[ファイル:Voting res 2758.png|thumb|upright|[[アルバニア決議]](1971)。賛成76(緑)、反対35(赤)、棄権15(青)]] [[ファイル:US Army Rangers parachute into Grenada during Operation Urgent Fury.jpg|thumb|160px|[[グレナダ侵攻]](1983)]] * [[286年]] - [[クリスピヌスとクリスピニアヌス]]が殉教([[サンクリスピンデー]]の起源)。 * [[473年]] - [[レオ1世 (東ローマ皇帝)|レオ1世]]が孫の[[レオ2世 (東ローマ皇帝)|レオ2世]]を[[東ローマ帝国]]の[[カエサル (称号)|カエサル]]とする。 * [[1147年]] - [[レコンキスタ]]: [[リスボン攻防戦]]が終結。[[ポルトガル王国]]が、[[ムーア人]]の勢力下から[[リスボン]]を奪回。 * [[1415年]] - [[百年戦争]]: [[アジャンクールの戦い]]。 * [[1747年]](ユリウス暦[[10月14日]]) - [[オーストリア継承戦争]]: [[第二次フィニステレ岬の海戦]] * [[1760年]] - [[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]がグレートブリテン王に即位。 * [[1854年]] - [[クリミア戦争]]: [[バラクラヴァの戦い]]。 * [[1880年]] - 「[[君が代]]」の[[フランツ・エッケルト]]による編曲が完成し、試演が行われる。 * [[1885年]] - [[ブラームス]]の[[交響曲第4番 (ブラームス)|交響曲第4番]]が初演される。 * [[1907年]] - 第1回[[日展|文部省美術展覧会]](文展)が東京都美術館で開催。 * [[1917年]] - [[レニングラード]]で[[十月革命]]が発生。 * [[1924年]] - [[明治神宮外苑競技場]]が竣工。 * [[1934年]] - [[高山本線]]が全通。 * [[1936年]] - [[ベルリン]]のラジオ局で世界初の[[リクエスト番組]]が始まる。 * [[1944年]] - [[ナチス]]の[[親衛隊全国指導者]][[ハインリヒ・ヒムラー]]が[[エーデルヴァイス海賊団]]取締りのための「青少年の徒党撲滅」命令を発令。 * 1944年 - 21日より出撃した[[日本軍]]の[[神風特別攻撃隊]]による特攻作戦が本格化。 * [[1945年]] - [[台湾光復]]。[[中華民国]]が[[日本統治時代の台湾|日本統治下]]にあった[[台湾]]を編入。 * 1945年 - 日本政府が[[日本国憲法|憲法]]問題調査委員会を設置。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]に[[中国人民志願軍|中国人民義勇軍]]が参戦。 * [[1951年]] - [[1951年イギリス総選挙]]。[[ウィンストン・チャーチル]]率いる[[保守党 (イギリス)|保守党]]が6年ぶりに勝利。 * 1951年 - [[日本航空]]の一番機「もく星号」([[マーチン2-0-2]])が、[[ノースウエスト航空|ノースウェスト航空]]の[[航空機リース|ウェットリース]]により、東京 - 大阪 - 福岡で運航<ref>{{Cite web|和書|title=JAL’s History {{!}} 会社案内・企業理念|url=http://www.jal.com/ja/outline/history/|website=JAL企業サイト|accessdate=2019-02-21|language=ja}}</ref>。 * [[1958年]] - [[信越放送]]テレビジョン放送開始。 * [[1962年]] - [[ウガンダ]]が[[国際連合]]に加盟。 * 1962年 - [[1962年バレーボール世界選手権|バレーボール世界選手権]]で[[バレーボール日本女子代表|全日本女子チーム]]が全勝で初優勝。[[東洋の魔女]]と呼ばれる。<!-- jaでは10/26となっているが、enでは10/25 --> * [[1964年]] - [[池田勇人]][[内閣総理大臣|首相]]が病気療養のため辞意を表明。 * [[1968年]] - [[八海事件]]の第三次控訴審で4人の被告全員に無罪判決。事件から17年9か月後。 * [[1971年]] - [[アルバニア決議]]により[[中華人民共和国]]([[中国大陸]])が[[国際連合]]に加盟して[[常任理事国]]となる。[[中華民国]](台湾)は国連を脱退。 * 1971年 - [[近鉄大阪線列車衝突事故]]が発生。 * [[1973年]] - [[第一次オイルショック]]: [[国際石油資本|石油メジャー]]5社が原油の10%供給削減を通告。 * [[1980年]] - [[デン・ハーグ|ハーグ]]で[[国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約]]に署名。 * [[1983年]] - [[グレナダ侵攻]]。[[クーデター]]が発生した[[グレナダ]]に[[アメリカ軍]]とカリブ海諸国軍が侵攻。 * [[1985年]] - [[むつ市5億円強奪事件]]。 * [[1991年]] - [[資源の有効な利用の促進に関する法律|再生資源の利用の促進に関する法律]](リサイクル法)施行。 * [[1992年]] - リトアニア共和国憲法が[[国民投票]]で承認される。 * [[1994年]] - [[品川医師射殺事件]]。 * [[1997年]] - [[コンゴ共和国]]で、[[ドニ・サスヌゲソ]]が[[パスカル・リスバ]]大統領を追放し、自ら大統領に就任。 * [[2001年]] - [[Windows XP]]がリリース([[OEM]])。 * [[2002年]] - [[石井紘基刺殺事件]]。 * [[2007年]] - [[東京駅]]に商業施設「[[グランスタ]]」がオープン。 * 2007年 - [[エアバスA380]]が[[シンガポール航空]]により初めて商業飛行を開始。 * [[2009年]] - [[イラク]]法務省庁舎、[[バグダード]]州庁舎が自爆攻撃<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2656329 イラク法務省とバグダッド州庁舎に自爆攻撃、死者99人] AFPBB News(2009年10月26日) 2014年6月24日閲覧。</ref>され155人が死亡。([[:en:25 October 2009 Baghdad bombings]]) * [[2010年]] - [[スマトラ島沖地震 (2010年10月)|スマトラ島沖地震]]、[[マグニチュード]]7.8。 * [[2012年]] - [[石原慎太郎]]が国政復帰・新党結成のため、[[東京都知事]]を辞任<ref>{{Cite web|和書 |date=2012-10-26 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD2500Z_V21C12A0CN8000/ |title=石原新党、中部も鳴動 大村知事「有力な総理候補」 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-03-21}}</ref>。 * [[2016年]] - [[九州旅客鉄道]](JR九州)が[[東京証券取引所]]に上場<ref>{{Cite web|和書 |date=2016-10-26 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJC26H2H_W6A021C1LX0000/ |title=JR九州、福証に上場 地元貢献アピール、売買活性化に期待 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-03-21}}</ref>。 * [[2019年]] - [[令和元年10月25日の大雨]]。[[千葉県]]で11人、[[福島県]]で2人が死亡した。 * [[2020年]] - [[コントレイル (競走馬)|コントレイル]]が[[菊花賞]]に勝利し、史上8頭目の[[三冠 (競馬)|三冠馬]]となる。また、無敗で[[中央競馬クラシック三冠]]を制したのは2005年の父[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]以来史上3頭目。 * [[2021年]] - [[2021年10月スーダンクーデター]]が発生。 * [[2023年]] - [[アメリカ合衆国]][[メイン州]][[ルイストン (メイン州)|ルイストン]]で[[銃]]乱射事件が発生([[ルイストン銃乱射事件 (2023年)]])。18人が死亡<ref>{{Cite web |url=https://www.cnn.co.jp/usa/35210804.html |title=米メーン州銃乱射、死者は18人 容疑者関係の住宅前に捜査員集結 |publisher=CNN |date=2023-10-27 |accessdate=2023-10-27}}</ref>。 == 誕生日 == {{multiple image | image1 = Thomas Babington Macaulay, 1st Baron Macaulay - Project Gutenberg eText 13103.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[イギリス]]の[[歴史家]]、[[トーマス・マコーリー]](1800-1859)誕生。進歩主義的な[[ホイッグ史観]]の象徴 | alt1 = マコーリー | image2 = Max stirner.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[利己主義|エゴイズム]]を唱えた[[ドイツ]]の[[哲学者]]、[[マックス・シュティルナー]](1806-1856)誕生{{Squote|自分が、自分自身にとっての全てであり、自分がすることは、全て自分のためなのである――『唯一者とその所有』(1844)}} | alt2 = シュティルナー }} [[ファイル:Johann Strauss II 1890.jpg|thumb|120px|[[作曲家]][[ヨハン・シュトラウス2世]](1825-1899)誕生。{{audio|Strauss, An der schönen blauen Donau.ogg|ワルツ『美しく青きドナウ』を聴く}}]] {{multiple image | image1 = Krapina - Dragutin Gorjanovic Kramberger.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[クロアチア]]の[[古生物学|古生物学者]]、[[ドラグティン・ゴルヤノヴィッチ=クランベルガー]](1856-1936)誕生。[[クラピナ]]の[[ネアンデルタール人]]遺蹟を発見した | alt1 = ゴルヤノヴィッチ=クランベルガー | image2 = Kiichiro Hiranuma.jpg | width2 = 100 | caption2 = 第35代[[内閣総理大臣]]、[[平沼騏一郎]](1867-1952)誕生 | alt2 = 平沼騏一郎 }} {{multiple image | footer = [[パブロ・ピカソ]](1881-1973)誕生。右は『[[ゲルニカ (絵画)|ゲルニカ]]』(1937)のタペストリー | image1 = Pablo picasso 1.jpg | width1 = 100 | alt1 = ピカソ | image2 = Mural del Gernika.jpg | width2 = 130 | alt2 = ゲルニカ }} {{multiple image | image1 = Domon Ken.JPG | width1 = 120 | caption1 = [[写真家]]、[[土門拳]](1909-1990)誕生 | alt1 = 土門拳 | image2 = Kurashi-no-techo-number1-1948.jpg | width2 = 100 | caption2 = 『[[暮しの手帖]]』を創刊した[[編集者]]、[[花森安治]](1911-1978)誕生。画像は第1号 | alt2 = 暮しの手帖 }} [[ファイル:Beate Sirota Gordon.jpg|thumb|120px|[[日本国憲法]]制定に携わった[[ベアテ・シロタ・ゴードン]](1923-2012)誕生]] {{multiple image | image1 = Koji Yamamoto on March 8, 2013.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[山本浩二]](1946-)誕生 | alt1 = 山本浩二 | image2 = Atsushi Onita.JPG | width2 = 100 | caption2 = [[大仁田厚]](1957-)誕生 | alt2 = 大仁田厚 }} {{multiple image | image1 = Peter-Aerts.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[オランダ]]の[[キックボクサー]]、[[ピーター・アーツ]](1970-)誕生 | alt1 = アーツ | image2 = 2015D36.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[小笠原道大]](1973-)誕生 | alt2 = 小笠原道大 }} * [[1510年]]([[ユリウス暦]]) - [[ルネ・ド・フランス]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Renee-of-France Renée of France French duchess] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[フェラーラ公]][[エルコレ2世・デステ]]の妃(+ [[1574年]]) * [[1682年]]([[康煕]]21年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[蔡温]]、[[政治家]](+ [[1762年]]) * [[1725年]]([[享保]]10年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[木下俊能]]、[[日出藩|日出藩主]](+ [[1748年]]) * [[1755年]] - [[フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル]]、[[フランス軍]][[元帥]](+ [[1820年]]) * [[1759年]] - [[マリア・フョードロヴナ (パーヴェル1世皇后)|マリア・フョードロヴナ]]、ロシア皇帝[[パーヴェル1世 (ロシア皇帝)|パーヴェル1世]]の皇后(+ [[1828年]]) * 1759年 - [[ウィリアム・グレンヴィル (初代グレンヴィル男爵)|ウィリアム・グレンヴィル]]、貴族、政治家、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1834年]]) * [[1767年]] - [[バンジャマン・コンスタン]]、小説家、思想家、政治家(+ [[1830年]]) * [[1779年]]([[安永]]8年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[市河米庵]]、[[書家]]、[[漢詩人]](+ [[1858年]]) * [[1782年]] - [[リーヴァイ・リンカーン・ジュニア]]、[[マサチューセッツ州知事]]、[[アメリカ合衆国下院]]議員(+ [[1868年]]) * [[1800年]] - [[トーマス・マコーリー]]、歴史家、詩人、政治家(+ [[1859年]]) * [[1806年]] - [[マックス・シュティルナー]]、哲学者(+ [[1856年]]) * [[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[青山幸礼]]、[[郡上藩|郡上藩主]](+ [[1838年]]) * [[1811年]] - [[エヴァリスト・ガロア]]、[[数学者]](+ [[1832年]]) * [[1825年]] - [[ヨハン・シュトラウス2世]]、[[作曲家]](+ [[1899年]]) <!--* 1825年 - [[竹崎順子]]、教育家(+ [[1905年]])  1825年12月4日(文政8年10月25日)生まれ--> * [[1828年]]([[文政]]11年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[京極朗徹]]、[[丸亀藩|丸亀藩主]](+ [[1882年]]) * [[1838年]] - [[ジョルジュ・ビゼー]]、作曲家(+ [[1875年]]) * [[1839年]]([[天保]]10年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[大関増徳]]、[[黒羽藩|黒羽藩主]](+ [[1915年]]) * [[1843年]] - [[グレープ・ウスペンスキー]]、[[小説家]](+ [[1902年]]) * [[1856年]] - [[ドラグティン・ゴルヤノヴィッチ=クランベルガー]]、地質学者、古生物学者、考古学者(+ [[1936年]]) * [[1864年]] - [[アレクサンドル・グレチャニノフ]]、作曲家(+ [[1956年]]) * [[1867年]]([[慶応]]3年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]) - [[平沼騏一郎]]、政治家、第35代[[内閣総理大臣]](+ [[1952年]]) * 1867年 - [[ユゼフ・ドヴブル=ムシニツキ]]、軍人(+ [[1937年]]) * [[1871年]] - [[マーティ・バーゲン]]、[[プロ野球選手]](+ [[1900年]]) * [[1873年]] - [[高見山酉之助]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[1924年]]) * [[1881年]] - [[パブロ・ピカソ]]、[[画家]](+ [[1973年]]) * [[1888年]] - [[リチャード・バード]]、探検家(+ [[1957年]]) * [[1889年]] - [[アベル・ガンス]]、[[映画監督]](+ [[1981年]]) * 1889年 - [[スモーキー・ジョー・ウッド]]、野球選手(+ [[1985年]]) * [[1890年]] - [[田中耕太郎]]、[[法学者]]、第2代[[最高裁判所長官]](+ [[1974年]]) * [[1891年]] - [[チャールズ・カフリン]]、カトリック神父(+ [[1979年]]) * [[1893年]] - [[レオニード・コハンスキ]]、[[ピアニスト]](+ [[1980年]]) * [[1894年]] - [[三遊亭金馬 (3代目)]]、[[落語家]](+ [[1964年]]) * [[1895年]] - [[レヴィ・エシュコル]]、[[イスラエルの首相]](+ [[1969年]]) * [[1905年]] - [[稲川東一郎]]、高校野球指導者(+ [[1967年]]) * [[1909年]] - [[土門拳]]、[[写真家]](+ [[1990年]]) <!-- 特筆性は? * [[1910年]] - 上島忠雄、[[UCC上島珈琲]]創業者・初代社長(+ [[1993年]]) --> * [[1910年]] - [[ウィリアム・ヒギンボーサム]]、物理学者(+ [[1994年]]) * 1910年 - [[矢倉玉男]]、[[騎手]]、[[調教師]] * [[1911年]] - [[花森安治]]、[[編集者]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1978年]]) * 1911年 - [[香月泰男]]、画家(+ 1974年) * [[1912年]] - [[ミニー・パール]]、カントリーコメディエンヌ(+ [[1996年]]) * [[1913年]] - [[クラウス・バルビー]]、ドイツの親衛隊員(+ [[1991年]]) * [[1914年]] - [[上田正]]、元プロ野球選手(+ [[1944年]]) * [[1915年]] - [[石田光彦]]、元プロ野球選手(+ [[1980年]]) * 1915年 - [[イヴァン・ニーベン]]、数学者(+ [[1999年]]) * [[1917年]] - [[リー・マクフェイル]]、アメリカンリーグ第5代会長(+ [[2012年]]) * [[1918年]] - [[デイヴィッド・オーズベル]]、[[心理学者]](+ [[2008年]]) * [[1921年]] - [[ミハイ1世 (ルーマニア王)|ミハイ1世]]、元[[ルーマニア王国]]国王(+ [[2017年]]) * [[1922年]] - [[近藤正雄]]、プロ野球選手(+ [[1997年]]) * [[1923年]] - [[ベアテ・シロタ・ゴードン]]、舞台芸術監督、[[フェミニスト]]、[[日本国憲法]]を起草したメンバー(+ [[2012年]]) * 1923年 - [[ボビー・トムソン]]、プロ野球選手(+ [[2010年]]) * [[1924年]] - [[ビリー・バーティ]]、映画俳優(+ [[2000年]]) * 1924年 - [[町田博子]]、[[俳優|女優]](+ [[2010年]]) * [[1926年]] - [[ガリーナ・ヴィシネフスカヤ]]、ソプラノ歌手(+ [[2012年]]) * [[1927年]] - [[ホルヘ・バジェ・イバニェス]]、政治家、第38代[[ウルグアイの大統領|ウルグアイ大統領]](+ [[2016年]]) * 1927年 - [[ローレンス・コールバーグ]]、心理学者(+ [[1987年]]) * [[1928年]] - [[ピーター・ナウア]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[2016年]]) * 1928年 - [[アンソニー・フランシオサ]]、俳優(+ [[2006年]]) * [[1929年]] - [[野呂田芳成]]、政治家(+ [[2019年]]) * [[1931年]] - [[富島健夫]]、小説家(+ [[1998年]]) * 1931年 - [[岡村喬生]]、[[オペラ]][[歌手]]、俳優(+ [[2021年]]) * 1931年 - [[アニー・ジラルド]]、女優(+ [[2011年]]) * [[1932年]] - [[岩崎加根子]]、女優 * [[1935年]] - [[ラッセル・シュウェイカート]]、[[アポロ9号]]の飛行士 * 1935年 - [[井上忠行]]、元プロ野球選手、プロ野球審判員(+ [[2007年]]) * [[1936年]] - [[野沢雅子]]、[[声優]] * [[1937年]] - [[立木義浩]]、[[写真家]] * [[1939年]] - [[ゼルモ・ビーティ]]、元バスケットボール選手(+ [[2013年]]) * [[1941年]] - [[アン・タイラー]]、小説家 * [[1942年]] - [[日野皓正]]、[[トランペット奏者|トランペッター]] * [[1944年]] - [[ジョン・アンダーソン (音楽家)|ジョン・アンダーソン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[イエス (バンド)|イエス]]) * [[1945年]] - [[キートン山田]]、元声優 * 1945年 - [[宮崎学]]、[[作家]](+ [[2022年]]) * [[1946年]] - [[山本浩二]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]] * [[1947年]] - [[大和田伸也]]、俳優、声優、ナレーター * 1947年 - [[グレン・ティプトン]]、ミュージシャン * [[1948年]] - [[ダン・イッセル]]、元バスケットボール選手 * 1948年 - [[デイブ・コーウェンス]]、元バスケットボール選手 * 1948年 - [[:en:Dan Gable]]、レスリング選手 * [[1953年]] - [[池毅]]、[[作曲家]] * 1953年 - [[新田たつお]]、[[漫画家]] * [[1954年]] - [[金沢明子]]、[[民謡]][[歌手]] * 1954年 - [[マイク・エルジオーニ]]、アイスホッケー選手 * [[1955年]] - [[土建屋よしゆき]]、[[タレント]](+ [[2014年]]) * [[1957年]] - [[宇都宮隆]]、ミュージシャン([[TM NETWORK]]) * 1957年 - [[大仁田厚]]、政治家、[[プロレスラー]]、[[タレント]] * 1957年 - [[千里馬啓徳]]、元[[プロボクサー]] * 1957年 - [[ナンシー・カートライト]]、女優 * 1957年 - [[:en:Bernard Hogan-Howe]]、[[ロンドン警視庁]]警視総監 * [[1958年]] - [[グレグ・ペイジ]]、プロボクサー * 1958年 - [[コルネリア・エンダー]]、競泳選手 * [[1959年]] - [[菅沼孝三]]、[[ミュージシャン]]、[[ドラマー]](+ [[2021年]]) * 1959年 - [[ラッキィ池田]]、[[振付師]] * [[1960年]] - [[吉田博之]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[チャド・スミス]]、ミュージシャン([[RED HOT CHILI PEPPERS]]) * 1961年 - [[志田ただし]]、[[アニメーター]] * 1961年 - [[チモ・バヨ]]、ミュージシャン、ディスコ[[ディスクジョッキー|DJ]] * 1961年 - [[石住昭彦]]、[[舞台俳優]]、[[声優]] * [[1962年]] - [[伊藤史隆]]、アナウンサー * 1962年 - [[中川智正]]、元[[オウム真理教]]幹部、元[[日本における死刑囚|死刑囚]](+ [[2018年]]) * [[1963年]] - [[メリンダ・マックグロウ]]、女優 * 1963年 - [[トレイシー・ネルソン (女優)|トレイシー・ネルソン]]、女優 * [[1964年]] - [[恩田陸]]、[[作家]] * 1964年 - [[石井丈裕]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[ケビン・マイケル・リチャードソン]]、俳優 * 1964年 - [[マイケル・ボートマン]]、俳優 * 1964年 - ニコル([[:en:Nicole (German singer)]])、歌手 * [[1965年]] - [[チャールズ・スキャッグス]]、プロレスラー * 1965年 - [[マチュー・アマルリック]]、俳優、映画監督 * [[1966年]] - [[ペリー・サターン]]、プロレスラー * [[1967年]] - [[﨑山龍男]]、[[ミュージシャン]]([[スピッツ (バンド)|スピッツ]]) * 1967年 - [[松本大洋]]、漫画家 * [[1969年]] - [[立洸熊五郎]]、元大相撲力士 * 1969年 - [[飯島順子]]、女優 * 1969年 - [[シモーネ・コッホ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1969年 - [[オレグ・サレンコ]]、サッカー選手 * [[1970年]] - [[ピーター・アーツ]]、[[キックボクサー]] * 1970年 - [[関口英司]]、声優 * 1970年 - [[アダム・ゴールドバーグ]]、俳優 * 1970年 - [[松本和弘]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[五嶋みどり]]、[[ヴァイオリニスト]] * 1971年 - [[ペドロ・マルティネス]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[ロージー・レデット]]、[[アコーディオン]]奏者、歌手 * 1971年 - [[アテナ・チュー]]、女優 * 1971年 - [[敷田直人]]、プロ野球審判員 * [[1972年]] - [[内田さゆり]]、元女優 * 1972年 - [[葉君璋]]、元野球選手 * 1972年 - [[北村裕子]]、歌手 * [[1973年]] - [[小笠原道大]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[高根澤力]]、元野球選手 * [[1974年]] - [[北野正人]]、ミュージシャン([[day after tomorrow]]) * 1974年 - [[李炳圭]]、元プロ野球選手 <!-- 特筆性は? * 1975年 - N∀OKI、ミュージシャン([[ロットングラフティー]]) --> * [[1976年]] - [[上田たかゆき]]、[[アナウンサー]] * 1976年 - [[紗池晃久]]、漫画家 * 1976年 - [[アントン・シハルリドゼ]]、フィギュアスケート選手 * [[1977年]] - [[花田真人]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[ビルギット・プリンツ]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[アルケミスト (音楽プロデューサー)|アルケミスト]]、音楽プロデューサー * [[1978年]] - [[ヨスバニ・ペラサ]]、野球選手 * 1978年 - [[安英学]]、元[[サッカー選手]] * 1978年 - [[吉見宏明]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[片山智彦]]、アナウンサー * 1979年 - [[喜田剛]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[サラ・トンプソン]]、女優 * 1979年 - [[ミレーナ・ルッカ]]、モデル * 1979年 - [[バット・フォー・ラッシーズ]]、シンガーソングライター * [[1980年]] - [[富樫和大]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[佐藤二朗 (野球)|佐藤二朗]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - 山内総一郎、ミュージシャン([[フジファブリック]]) * 1981年 - [[青山博一]]、オートバイレーサー * 1981年 - [[武田直人]]、声優 * 1981年 - [[ショーン・ライト=フィリップス]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[鈴木伸太朗]]、元野球選手 * 1981年 - [[ホラニ龍コリニアシ]]、元ラグビー選手 * [[1983年]] - [[秋元優里]]、元アナウンサー * 1983年 - [[梅田浩]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[JUN (ファッションモデル)|JUN]]、ファッションモデル * 1983年 - [[千葉英貴]]、元プロ野球選手 * 1983年 - 安田邦祐、お笑いタレント([[コマンダンテ (お笑いコンビ)|コマンダンテ]]) * 1983年 - [[瑶子女王]]、[[皇族]]、[[寬仁親王]]家の次女 * [[1984年]] - [[深町亮介]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[ケイティ・ペリー]]、シンガーソングライター * 1984年 - {{仮リンク|Sara Lumholdt|en|Sara Lumholdt}}、ミュージシャン([[A*Teens]]) * [[1985年]] - [[YVE]]、[[歌手]] * 1985年 - [[シアラ]]、歌手、モデル、ダンサー * 1985年 - [[高垣彩陽]]、声優 * [[1986年]] - [[エリザベータ (お笑い芸人)|エリザベータ]]、お笑いタレント * 1986年 - 河野良祐、お笑いタレント([[令和喜多みな実]]) * 1986年 - [[地村俊也]]、[[カメラマン]] * [[1987年]] - [[大西正樹]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[渡辺志穂]]、タレント(元[[AKB48]]) * 1987年 - [[村中恭兵]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[ファビアン・ハンビューヘン]]、体操選手 * 1987年 - [[ダロン・ギブソン]]、サッカー選手 * 1987年 - [[桜葉星菜。]]、クリエイター * [[1988年]] - [[安孫子充裕]]、陸上競技選手 * 1988年 - [[髙野麻美]]、声優 * 1988年 - [[チャンドラー・パーソンズ]]、バスケットボール選手 * 1988年 - [[前田綾香]]、声優 * [[1989年]] - [[高田将司]]、タレント * 1989年 - [[レジェンヌ・マレ]]、フィギュアスケート選手 * 1989年 - [[DJみそしるとMCごはん]]、ミュージシャン * 1989年 - [[益田直也]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[薬丸翔]]、俳優 * 1990年 - [[笠川永太]]、元サッカー選手 * [[1991年]] - [[金井史更]]、俳優 * 1991年 - [[愛川こずえ]]、[[ネットアイドル]]([[でんぱ組.inc]]、元[[DANCEROID]]) * 1991年 - [[ヒロド歩美]]、アナウンサー * 1991年 - [[三木亮]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[黒木千晶]]、アナウンサー * [[1994年]] - [[西本りみ]]、声優 * 1994年 - [[太田将熙]]、俳優 * [[1995年]] - [[タナベエミ]]、歌手(元[[中野風女シスターズ]]/[[風男塾]](草歌部宙名義)、[[少年秘密倶楽部]](YAMI名義)) * 1995年 - [[與那城奨]]、アイドル([[JO1]]) * [[1996年]] - [[朝日梨帆]]、元タレント * 1996年 - [[岩﨑名美]]、女優、ファッションモデル、タレント * 1996年 - [[古川琴音]]、女優 * [[1997年]] - [[フェデリコ・キエーザ]]、サッカー選手 * [[1998年]] ‐ [[るぅと]]、作詞家、作曲家([[すとぷり]]) * [[1999年]] - [[吉川日菜子]]、女優、タレント * 1999年 - [[蟹沢萌子]]、アイドル([[≠ME]]) * [[2000年]] - [[板垣瑞生]]、俳優 * [[2001年]] - [[エリザベート・ド・ベルジック]]、ベルギー王女 * 2001年 - [[下江梨菜]]、タレント * 2001年 - [[川瀬あやめ]]、アイドル([[ukka]]) * [[2003年]] - 西川怜、アイドル(元AKB48) * [[2006年]] - [[松下舞琳]]、女流棋士 * 生年不詳 - [[伊月ゆい]]、声優 * 生年不詳 - [[安澄純]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://profile.ameba.jp/ameba/awtmgjtm/ |title=安澄純のプロフィール |accessdate=2021-01-13}}</ref>、声優、俳優、[[ナレーター]]、[[ディスクジョッキー|DJ]] * 生年不詳 - [[月山可也]]、漫画家 * 生年不明 - [[金子誠 (声優)|金子誠]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=12715|title=金子 誠 - 俳協|accessdate=2021-01-11}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[佐々木亜紀 (声優)|佐々木亜紀]]、声優 == 忌日 == [[ファイル:Otsumiko haka.jpg|thumb|120px|[[天武天皇]]の皇子、[[大津皇子]](663-686)謀反の嫌疑をかけられ自害]] {{multiple image | image1 = King Stephen from NPG.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[イングランド王国|イングランド王]][[スティーブン (イングランド王)|スティーブン]](1098-1154)没。従妹[[マティルダ (神聖ローマ皇后)|モード]]との王位継承争いで[[無政府時代 (イングランド)|無政府時代]]を招いた | alt1 = スティーブン | image2 = Geoffrey Chaucer (17th century).jpg | width2 = 100 | caption2 = 『[[カンタベリー物語]]』の著者、[[ジェフリー・チョーサー]](1343?-1400)没 | alt2 = チョーサー }} {{multiple image | image1 = Charles M. Russell.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[アメリカ合衆国]]の[[画家]]、[[チャールズ・マリオン・ラッセル]](1864-1926)没。[[西部開拓時代]]を題材とした絵画を数多く描いた | alt1 = ラッセル | image2 = Haraguchi tozo.png | width2 = 100 | caption2 = [[原口統三]](1927-1946)入水自殺{{Squote|僕は最後まで芸術家である。いっさいの芸術を捨てた後に、僕に残された仕事は、人生そのものを芸術とすること、だった。――『二十歳のエチュード』}} | alt2 = 原口統三 }} {{multiple image | image1 = 2ndEarlOfLytton.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[リットン調査団]]団長、[[ヴィクター・ブルワー=リットン]](1876-1947)没 | alt1 = リットン | image2 = Risto Ryti.png | width2 = 100 | caption2 = 第5代[[フィンランドの大統領|フィンランド大統領]]、[[リスト・リュティ]](1889-1956)没。[[継続戦争]]を経て単独講和と存続を勝ち得る | alt2 = リュティ }} [[ファイル:Richard Harris 1985.jpg|thumb|120px|初代[[アルバス・ダンブルドア|ダンブルドア校長]]役、[[リチャード・ハリス]](1930-2002)没]] * 286年 - [[クリスピヌスとクリスピニアヌス]] * [[686年]]([[朱鳥]]元年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]) - [[大津皇子]]、[[天武天皇]]の皇子(* [[663年]]) * 686年(朱鳥元年10月3日) - [[山辺皇女]]、大津皇子の妃(* 663年?) * [[1074年]]([[承保]]元年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]) - [[藤原彰子]]、[[一条天皇]]の皇后(* [[988年]]) * [[1154年]] - [[スティーブン (イングランド王)|スティーブン]]、[[イングランド王国|イングランド王]](* [[1096年]]頃) * [[1400年]] - [[ジェフリー・チョーサー]]、[[詩人]](* [[1343年]]頃) * [[1495年]] - [[ジョアン2世 (ポルトガル王)|ジョアン2世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1455年]]) * [[1497年]]([[明応]]6年[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]) - [[足利成氏]]、[[室町幕府]]最後の[[鎌倉公方]]、初代[[古河公方]](* [[1438年]]?) * [[1647年]] - [[エヴァンジェリスタ・トリチェリ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Evangelista-Torricelli Evangelista Torricelli Italian physicist and mathematician] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[物理学者]](* [[1608年]]) * [[1676年]] - [[ユーストゥス・ゲオルク・ショッテル]]、[[言語学|言語学者]](* [[1612年]]) * [[1705年]]([[宝永]]2年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[徳川頼職]]、第4代[[紀州藩|和歌山藩主]]、[[徳川吉宗]]の兄(* [[1680年]]) * [[1712年]]([[正徳 (日本)|正徳]]2年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[大久保忠朝]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[小田原藩|小田原藩主]](* [[1632年]]) * [[1733年]] - [[ジョヴァンニ・ジェローラモ・サッケーリ]]、[[数学者]](* [[1667年]]) * [[1752年]]([[宝暦]]2年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[月光院]]、[[徳川家宣]]の[[側室]](* [[1685年]]) * [[1758年]](宝暦8年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]) - [[市川團十郎 (2代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1688年]]) * [[1760年]] - [[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]、[[イギリス]]・[[ハノーヴァー朝]]第2代国王(* [[1683年]]) * [[1795年]] - [[フランチェスコ・アントニオ・ウッティーニ]]、[[作曲家]](* [[1723年]]) * [[1822年]]([[文政]]5年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[上杉治広]]、第10代[[米沢藩|米沢藩主]](* [[1764年]]) * [[1826年]] - [[フィリップ・ピネル]]、[[精神医学|精神医学者]](* [[1745年]]) * [[1847年]]([[道光]]27年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[尚育王|尚育]]、[[琉球王国|琉球国王]](* [[1813年]]) * [[1861年]] - [[フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー]]、[[法学者]](* [[1779年]]) * [[1891年]] - [[久邇宮朝彦親王]]、[[皇族]](* [[1824年]]) * [[1895年]] - [[チャールズ・ハレ]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]](* [[1819年]]) * [[1920年]] - [[アレクサンドロス1世 (ギリシャ王)|アレクサンドロス1世]]、[[ギリシャ王国|ギリシャ王]](* [[1893年]]) * [[1921年]] - [[バット・マスターソン]]、[[ガンマン]]、[[保安官]](* [[1856年]]) <!-- 特筆性は? * [[1925年]] - [[真下飛泉]]、[[作詞家]](* [[1878年]]) --> * [[1926年]] - [[チャールズ・マリオン・ラッセル]]、[[画家]](* [[1864年]]) * [[1941年]] - [[ロベール・ドローネー]]、画家(* [[1885年]]) * [[1944年]] - [[関行男]]、戦闘機パイロット(* [[1921年]]) * [[1945年]] - [[ロベルト・ライ]]、ドイツ労働戦線指導者(* [[1890年]]) * [[1946年]] - [[原口統三]]、詩人(* [[1927年]]) * [[1947年]] - [[ヴィクター・ブルワー=リットン]]、[[インドの総督|インド総督]]、[[リットン調査団]]団長(* [[1876年]]) * [[1951年]] - [[アメリー・ドルレアン]]、[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル王]][[カルロス1世 (ポルトガル王)|カルロス1世]]の妃(* [[1865年]]) * [[1952年]] - [[セルゲイ・ボルトキエヴィチ]]、作曲家(* [[1877年]]) * [[1955年]] - [[佐々木禎子]]、[[被爆者]](* [[1943年]]) * [[1956年]] - [[リスト・リュティ]]、[[フィンランドの大統領|フィンランド大統領]](* [[1889年]]) * [[1957年]] - [[アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ]]、[[建築家]](* [[1863年]]) * 1957年 - [[ロード・ダンセイニ]]、[[作家]](* [[1878年]]) * 1957年 - [[アルバート・アナスタシア]]、[[ギャングスタ]](* [[1902年]]) * [[1963年]] - [[渋沢敬三]]、第16代[[日本銀行]]総裁、[[実業家]]、[[民俗学者]](* [[1896年]]) * 1963年 - [[ロジェ・デゾルミエール]]、[[指揮者]](* [[1898年]]) * [[1965年]] - [[ハンス・クナッパーツブッシュ]]、指揮者(* [[1888年]]) * [[1968年]] - [[村岡花子]]、[[翻訳家]]、[[児童文学者]](* [[1893年]]) * [[1971年]] - [[立野信之]]、[[小説家]](* [[1903年]]) * [[1973年]] - [[アベベ・ビキラ]]、[[マラソン]]選手(* [[1932年]]) * [[1976年]] - [[アントニン・レーモンド]]、建築家(* [[1888年]]) * 1976年 - [[レーモン・クノー]]、詩人、[[小説家]](* [[1903年]]) * 1976年 - [[小林千代子]]、歌手(* [[1910年]]) * [[1977年]] - [[稲垣足穂]]、小説家、詩人(* [[1900年]]) * [[1980年]] - [[ヴァージル・フォックス]]、[[オルガニスト]](* [[1912年]]) * [[1983年]] - [[加藤大岳]]、易占研究者(* [[1907年]]) * [[1985年]] - [[物集高量]]、[[日本文学研究者|国文学者]](* [[1879年]]) * [[1986年]] - [[カルル・ブルックナー]]、[[児童文学|児童文学作家]](* [[1906年]]) * [[1993年]] - [[ヴィンセント・プライス]]、[[俳優]](* [[1911年]]) * [[1993年]] - [[ダニー・チャン]]、歌手・俳優(* [[1958年]]) * [[1995年]] - [[ボビー・リッグス]]、[[テニス]]選手(* [[1918年]]) * [[1998年]] - [[スーザン・ストレンジ]]、[[国際政治経済学|国際政治経済学者]](* [[1923年]]) * [[1999年]] - [[ペイン・スチュワート]]、プロ[[ゴルファー]](* [[1957年]]) * [[2001年]] - [[松平頼則]]、[[作曲家]](* [[1907年]]) * [[2002年]] - [[ルネ・トム]]、数学者(* [[1923年]]) * 2002年 - [[リチャード・ハリス]]、俳優(* [[1930年]]) * 2002年 - [[石井紘基]]、政治家(* [[1940年]]) * [[2006年]] - [[千乃裕子]]、[[千乃正法]]代表(* [[1934年]]) * [[2008年]] - [[ジェラルド・ダミアーノ]]、[[ポルノ映画|ポルノ]][[映画監督]](* [[1928年]]) * [[2010年]] - [[河瀬断魚]]、[[書家]](* [[1929年]]) * [[2013年]] - [[岩谷時子]]、[[作詞家]](* [[1916年]]) * [[2013年]] - [[明日香 (シンガーソングライター)|明日香]]、[[シンガーソングライター]] (*[[1963年]]) * [[2016年]] - [[春野百合子#2代目|春野百合子(2代)]]、[[浪曲師]](* [[1927年]]) * 2016年 - [[カルロス・アウベルト]]、元サッカー選手、サッカー指導者(* [[1944年]]) * 2016年 - [[杉浦文夫]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shikoku-np.co.jp/bl/news/national/okuyami-detail.aspx?kid=20161026000009|title=杉浦文夫氏死去/元浜松市立高校長|publisher=BUSINESS LIVE|date=2016-10-26|accessdate=2020-11-25}}</ref>、[[経済評論家]](* [[1958年]]) * [[2017年]] - [[遠藤賢司]]<ref name="Sponichi">{{Cite news|title=遠藤賢司さん死去 最後まで音楽に情熱 ファンに「無理しないで!と言わないで」|newspaper=Sponichi ANNEX|date=2017-10-25|agency=スポーツニッポン新聞社|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/10/25/kiji/20171025s00041000200000c.html|accessdate=2020-11-08}}</ref>、[[音楽家]](* [[1947年]]) * [[2018年]] - [[愛田武]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fnn.jp/articles/-/2528?display=full|title=“ホスト界の帝王”愛田武氏が死去 伝説の男の波瀾万丈な人生|publisher=FNNプライムオンライン|date=2018-10-26|accessdate=2020-12-24}}</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201810250000561.html 「ホスト界の帝王」愛田武さん死去「僕だけに」息子] - 日刊スポーツ 2018年10月25日</ref>、[[実業家]](* [[1940年]])<ref>{{Cite news|date=2018-10-25|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/104575|title=“ホストの帝王”愛田社長死去|newspaper=[[東京スポーツ]]|accessdate=2020-11-01}}</ref> * [[2020年]] - [[ロザンナ・カルテリ]]、オペラソプラノ歌手(* [[1930年]]) == 記念日・年中行事 == * 世界[[パスタ]]デー *: [[1995年]]のこの日にイタリアで世界パスタ会議が開催されたことを記念。EUやイタリアパスタ製造業者連合会などが合同でパスタの販売促進キャンペーンを行っている。 * [[台湾光復節]]({{ROC}}) *: [[1945年]]のこの日、[[日本統治時代の台湾|日本の統治下]]にあった[[台湾]]を[[中華民国]]が接収した。([[台湾光復]]) * [[共和国記念日]]({{KAZ}}) *: [[1990年]]のこの日、[[カザフ・ソビエト社会主義共和国]]最高会議が国家主権宣言を採択したことを記念。 * [[軍隊記念日]]({{ROU}}) *: [[1944年]]のこの日、[[ルーマニア軍]]が北部の[[カレイ (ルーマニア)|カレイ]]を解放し、ルーマニア全土の解放が達成されたことを記念。 * 民間航空記念日({{JPN}}) *:[[1951年]]10月25日に、戦後最初の国内民間航空会社として設立された[[日本航空]]が一番機の[[マーチン2-0-2]]型機「もく星号」で東京 - 大阪 - 福岡間の運航を開始したことを記念。 * [[産業観光]]の日({{JPN}}) *: [[名古屋商工会議所]]文化委員会が制定。[[2001年]]のこの日に名古屋で産業観光サミットが開催されたことを記念。 * 憲法記念日({{LTU}}) *: [[1992年]]のこの日、リトアニア共和国憲法が国民投票にて承認されたことを記念。 * [[独島の日]]({{KOR}}) *: [[大韓帝国]]が[[1900年]]10月25日に独島を管轄地域に指定したことにちなむ。 * [[バスク自治州|バスク]]の日({{flag|País Vasco}}) *:自治州政府の行政機構を定めた地方自治憲章(ゲルニカ憲章)が1979年10月25日の国民投票で承認され、現在の自治州政府が確立したことを記念。 <!-- 『366日誕生石の本』でしか確認できない * リクエストの日 *:[[1936年]]10月25日に[[ベルリン]]のドイツ放送で[[ラジオ番組|ラジオ]]の[[リクエスト番組]]が始まった事にちなんで作られた記念日。 --> == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1025|date=2011年7月}} * [[1892年]] - ル・マルタン紙最終版が「スタンガーソン[[博士]]令嬢のマチルダが邸宅内の「黄色い部屋」で何者かに襲撃され重傷をおった」と報じる。(小説『[[黄色い部屋の秘密]]』第1部第1章) * 1985年 - タイムマシン「[[デロリアン (タイムマシン)|デロリアン]]」が完成する。(映画『[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]』) * 1988年(のび太24歳) - [[野比のび太]]と[[源静香]]が婚約。(漫画・アニメ『[[ドラえもん]]』「雪山のロマンス」) * 2005年 - ESウインドウから現れた[[隕石]]群を操るZX-06頭脳原種とGGGが交戦。スターガオガイガーがZX-06を倒した後、超竜神が巨大隕石を押し返すと同時に、ESウインドウの彼方へと消える。(アニメ『[[勇者王ガオガイガー]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0083年 - [[デラーズ・フリート]]、[[地球連邦軍]]に対して[[宣戦布告]]放送をかける。(アニメ『[[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1879年]] - グラン・マ、ゲーム・アニメ『[[サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜|サクラ大戦3~巴里は燃えているか~]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sakura-taisen.com/archives/game/3ps2/chara_grandma.html |title=グラン・マ |access-date=2022-09-01 |publisher=サクラ大戦3~巴里は燃えているか~}}</ref> * 生年不明 - 式守、漫画・アニメ『[[可愛いだけじゃない式守さん]]』のヒロイン<ref name="tokutaro3390351590829629452">{{Cite web|和書 |author=公式「可愛いだけじゃない式守さん」 |date=2021-01-06 |url=https://twitter.com/shikimori_off/status/1346652722196590594 |title=2021年1月6日のツイート (1346652722196590594) |publisher=[[Twitter]] |accessdate=2022-03-11}}</ref> * 生年不明 - アンソニー ホワイト、『[[ハローキティ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.puroland.jp/character/kt_anthony/ |title=アンソニー |access-date=2022-09-01 |publisher=サンリオピューロランド}}</ref> * 生年不明 - [[海馬瀬人]]、漫画・アニメ・ゲーム『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=遊☆戯☆王 キャラクターズガイド -真理の福音-|publisher=集英社|year=2002|page=45}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=高橋和希|title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書|publisher=集英社|series=Vジャンプブックス|year=2015|page=46|isbn=978-4-08-779722-0}}</ref> * 生年不明 - [[To LOVEる -とらぶる-の登場人物#九条凛|九条凛]]、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-]]』『To LOVEる -とらぶる- ダークネス』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=矢吹健太朗|authorlink1=矢吹健太朗|author2=長谷見沙貴|authorlink2=長谷見沙貴|year=2011|title=To LOVEる -とらぶる-&To LOVEる -とらぶる- ダークネス公式データブック「ぱ〜ふぇくとらぶる! 」|page=42|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-874852-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=矢吹健太朗、長谷見沙貴|year=2014|title=To LOVEる-とらぶる-ダークネス 楽園計画ガイドブック「とらぶまにあ」|page=58|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-880260-2}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=矢吹健太朗、長谷見沙貴|year=2015|title=To LOVEる -とらぶる- ダークネス総選挙BOOK「とらぶるくいーんず」|page=74|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-880576-4}}</ref> * 生年不明 - 高良みゆき、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>『ら・ら・ら らき☆すた ファンブック』([[月刊コンプエース]]2007年9月号付録)[[角川書店]]、2007年、7頁。</ref> * 生年不明 - 台湾、漫画・アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=Axis powers ヘタリア 2|date=2008-12-31|publisher=[[幻冬舎]]|page=21|author=日丸屋秀和}}</ref> * 生年不明 - 安倍蒼世、漫画・アニメ『[[曇天に笑う]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://anime.shochiku.co.jp/donten/birthday.html |title=お誕生日イラスト 安倍蒼世 |access-date=2022-09-01 |publisher=映画「曇天に笑う」<外伝> ~決別、犲の誓い~公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 五十嵐れお、漫画・アニメ『[[推しが武道館いってくれたら死ぬ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_oshibudo|1452288772406657041}}</ref> * 生年不明 - 泉宮寺豊久、アニメ『[[PSYCHO-PASS サイコパス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|noitamina_shop|790744920373927938}}</ref> * 生年不明 - 小笠原光、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |work=「ハイスクール・フリート」公式サイト |url=https://www.hai-furi.com/character/02_01/ |title=CHARACTER 小笠原 光 |accessdate=2022-09-01}}</ref> * 生年不明 - 城島譲、アニメ『[[RE-MAIN]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|remain_anime|1452288776504500239}}</ref> * 生年不明 - 奥村楓、小説・ゲーム・アニメ『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://posweb.jp/pos/character/saisei/06.html |title=西星学園|奥村楓 |access-date=2022-09-01 |publisher=プリンス・オブ・ストライド 公式ポータルサイト}}</ref> * 生年不明 - ペイントっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=講談社|editor-link=講談社|title=Tamagotchi iD L ぴかぴか育て方ガイド|year=2011|page=34|isbn=978-4-06-364876-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|others=[[ウィズ (玩具)|ウィズ]]、[[バンダイ]](監修)|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|publisher=[[小学館]]|year=2011|page=38|isbn=978-4-09-751048-2}}</ref> * 生年不明 - 天本玲泉、ゲーム『[[パワプロクンポケット4]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=パワプロクンポケット4 コナミ公式パーフェクトガイド|publisher=新紀元社|year=2002|page=68|isbn=978-4-77-530059-6}}</ref> * 生年不明 - 湊向日葵、ゲーム『[[しゅぷれ〜むキャンディ 〜王道には王道たる理由があるんです!〜]]』に登場するキャラクター<ref>『[[DENGEKI HIME]]』2008年10月号、[[アスキー・メディアワークス]]、83頁。</ref> * 生年不明 - 大山真由里、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130625_183042/ |title=【ガールフレンド(仮)通信66】気合一発!! 熱血空手ガール 大山真由里ちゃん(CV:大久保瑠美) |access-date=2022-09-01 |publisher=ファミ通App |date=2013-06-25}}</ref> * 生年不明 - 日野奏恵、ゲーム『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130510_161861/ |title=【ガールフレンド(仮)通信34】ラブリートランペットガール 日野奏恵ちゃん |access-date=2022-09-01 |publisher=ファミ通App |date=2013-05-10}}</ref> * 生年不明 - アンタレス、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=15&cate=name&cont=Antares |title=アンタレス |access-date=2022-09-01 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - プロンプト・アージェンタム、ゲーム『[[ファイナルファンタジーXV]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.jp.square-enix.com/ff15/character/prompto/ |title=プロンプト・アージェンタム {{!}} キャラクター |access-date=2022-09-01 |publisher=SQUARE ENIX |work=FINAL FANTASY XV (ファイナルファンタジー15)}}</ref> * 生年不明 - 泉田莇、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=キャラクター 秋組 泉田 莇 |accessdate=2022-09-01 |publisher= |website=【公式】A3!(エースリー)}}</ref> * 生年不明 - ジュン、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1320183319292592131}}</ref> * 生年不明 - トレイ・クローバー、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド|DISNEY TWISTED WONDERLAND]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/trey |title=トレイ・クローバー |access-date=2022-09-01 |publisher=DISNEY TWISTED WONDERLAND}}</ref> * 生年不明 - エウルア、ゲーム『[[原神]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://twitter.com/Genshin_7/status/1452485068526473218 |title=原神(Genshin)公式のポスト (1452485068526473218) |access-date=2023年10月25日 |publisher=}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|25 October}} {{新暦365日|10|24|10|26|[[9月25日]]|[[11月25日]]|[[10月25日 (旧暦)|10月25日]]|1025|10|25}} {{1年の月と日}}
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10月26日
10月26日(じゅうがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から299日目(閏年では300日目)にあたり、年末まであと66日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月26日'''(じゅうがつにじゅうろくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から299日目([[閏年]]では300日目)にあたり、年末まであと66日ある。 == できごと == [[ファイル:REALISM MURAL 19TH.jpg|thumb|upright|[[ジュゼッペ・ガリバルディ]]と[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]の会談(1860)。ガリバルディが領土を献上したことにより、[[イタリア]]は統一へと向かう]] {{multiple image | footer = [[ワイアット・アープ]](左)たちとアイク・クラントン(中)らによる集団決闘(1881)。右は舞台となった1881年の[[トゥームストーン]] | image1 = Wyatt Earp portrait.png | width1 = 100 | alt1 = アープ | image2 = IkeClanton1881.jpg | width2 = 95 | alt2 = クラントン | image3 = Tombstone (probably in 1881).jpg | width3 = 130 | alt3 = トゥームストーン }} [[ファイル:Autumn colors in Showa memorial park.jpg|thumb|upright|[[国営昭和記念公園]]開園(1983)]] *[[899年]] - [[アルフレッド大王]]の息子[[エドワード長兄王]]が[[イングランド君主一覧|アングロ・サクソン人の王]]に即位。 * [[990年]]([[永祚 (日本)|永祚]]2年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]) - [[一条天皇]]の[[女御]][[藤原定子]]が立后。[[三后]]の位が全てふさがっていたため、[[藤原遵子]]が「皇后宮」、定子が「中宮」と称される。皇后・中宮並立の初例{{要出典|date=2021-03}}。 * [[1428年]]([[正長]]元年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - 京都[[伏見区|醍醐]]の[[地下人]]らが[[徳政]]を要求して[[土倉]]、[[酒屋]]、寺院を襲撃し証文を破棄。([[正長の土一揆]]) * [[1597年]]([[慶長]]2年/[[宣祖]]30年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]: [[鳴梁海戦]]。[[李舜臣]]の朝鮮水軍が後退する。 * [[1605年]] - [[火薬陰謀事件]]: [[ウィリアム・パーカー (第4代モンティーグル男爵)|第4代モンティーグル男爵ウィリアム・パーカー]]に送られた匿名の手紙によって事件の計画が察知される。 * [[1774年]] - 第1回[[大陸会議]]が閉会。 * [[1775年]] - [[アメリカ独立戦争]]:[[イギリス]]国王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]が、[[13植民地|北米植民地]]が反乱状態にあると宣言し、鎮圧のための武力行動を容認する。 * [[1813年]] - [[米英戦争]]:[[シャトーゲーの戦い]]。 * [[1825年]] - [[エリー運河]]が全通。 <!--旧暦の10月26日?* [[1838年]] - 数日前に[[山辺郡]]庄屋敷村(現在の[[奈良県]][[天理市]])の庄屋中山善兵衞が山伏に祈祷を依頼した際、憑代となった妻・[[中山みき|みき]]に天理王命(てんりおうのみこと)が降臨。善兵衞が、みきを「神のやしろ」として差し出すことを認める。([[天理教]]の「立教の元一日」)--> * [[1860年]] - [[両シチリア王国]]を征服した[[ジュゼッペ・ガリバルディ]]が[[サルデーニャ王国|サルデーニャ]]王[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]と[[テアーノ]]で会談。ガリバルディはエマヌエーレ2世に征服地を献上。(テアーノの握手) * [[1881年]] - [[保安官]]の[[ワイアット・アープ]]とクラントン兄弟ら[[アウトロー]]「[[カウボーイ|カウボーイズ]]」が[[アリゾナ州]][[トゥームストーン]]のO.K.コラル付近で銃撃戦。([[OK牧場の決闘]]) * [[1905年]] - 同君連合[[スウェーデン=ノルウェー|スウェーデン=ノルウェー]]からの[[ノルウェー]]の分離独立が承認される。 * [[1909年]] - [[伊藤博文]]が[[ハルビン|哈爾浜]]で[[安重根]]に[[伊藤博文暗殺事件|暗殺]]される。 * [[1918年]] - [[ドイツ]]の参謀本部次長で[[第一次世界大戦]]の戦争指導者であった[[エーリヒ・ルーデンドルフ]]が、皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]の命により辞職。 * [[1941年]] - [[セントライト]]が[[菊花賞|京都農林省賞典四歳呼馬]]に勝ち、日本競馬史上初の[[三冠 (競馬)|三冠馬]]となる。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ソロモン諸島の戦い]]:[[南太平洋海戦]]。 * [[1947年]] - [[カシミール紛争]]:[[カシミール]]藩王がイスラム教徒住民の反乱への対応のため、[[インド]]への編入を申請し防衛援助を求める。 * 1947年 - 日本で、[[日本国憲法]]制定に伴い改正[[刑法 (日本)|刑法]]を公布。[[不敬罪]]・[[姦通罪]]を廃止。 * [[1948年]] - [[東富士欽壹]]が第40代[[横綱]]に昇進。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: [[大韓民国陸軍|韓国軍]][[第6歩兵師団 (韓国陸軍)|6師団]]7連隊が[[慈江道]][[楚山郡]]で[[鴨緑江]]左岸に到達する。([http://theme.archives.go.kr/next/625/archiveDetail.do?flag=3&evntId=0049259224 写真]) * [[1951年]] - [[中華人民共和国によるチベット併合|チベット侵攻]]: [[人民解放軍陸軍|中国陸軍]]18軍(軍長:[[張国華]])2500名余りが[[ラサ]]に入城する。 * [[1954年]] - [[山口県]][[吉敷郡]][[大内町 (山口県)|大内村]]仁保(現在・[[山口市]]仁保下郷)で一家6人が殺害([[仁保事件]])、翌年容疑者が逮捕されるが結局[[冤罪]]と判明した。 * [[1955年]] - [[オーストリア]]議会が[[永世中立国|永世中立]]を決議。 * 1955年 - [[ベトナム共和国]]([[南ベトナム]])が成立。[[ゴ・ディン・ジエム]]が大統領に就任。 * [[1958年]] - [[ボーイング707]]が[[パンアメリカン航空]]により初飛行。 * [[1961年]] - [[大分交通別大線]]で電車が土砂崩れに巻き込まれる事故。乗客31人死亡、乗員乗客36人が重軽傷を負った<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=156 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1963年]] - [[茨城県]][[東海村]]の[[日本原子力研究所]]の動力試験炉(JPDR)が日本で初めて[[原子力]]による発電に成功。 * [[1967年]] - [[イラン]]皇帝[[モハンマド・レザー・パフラヴィー]]が戴冠。 * [[1970年]] - 埼玉県[[志木市]]が市制施行。 * [[1979年]] - [[朴正煕]]が、宴席に同席していた[[大韓民国中央情報部]](KCIA)部長・[[金載圭]]によって射殺される。([[朴正煕暗殺事件]]) <!--* [[1979年]] - [[WHO]]が、地球上の[[天然痘]]根絶を発表。:1980年5月の記載を多数見かけます。一旦コメントアウト--> * 1979年 - TBSテレビで『[[3年B組金八先生]]』第1シリーズが放送開始。 * [[1983年]] - 東京の[[立川飛行場#アメリカ空軍立川基地|米軍立川基地]]跡地に[[国営昭和記念公園]]が開園。 * [[1989年]] - [[TBSビデオ問題]]:[[オウム真理教]]関係者がTBSテレビ『[[3時にあいましょう]]』のスタッフにオウム真理教を取り上げた番組VTR視聴を要求、プロデューサーの指示でオウム側にVTR視聴を認める。 * [[1992年]] - 日本初の[[神道]]専門の博物館「[[皇學館大学佐川記念神道博物館|皇學館大学神道博物館]]」が開館<ref>岡田芳幸(1997)"私立大学の博物館 28 皇學館大學神道博物館"大学時報(日本私立大学連盟).253:122-125.(122ページより)</ref>。 * [[1998年]] - [[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]が[[1998年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]を下し38年ぶり2度目の日本一。 * [[1999年]] - [[桶川ストーカー殺人事件]]発生。事件前に埼玉県警上尾署に訴えたが対応せず、捜査調書の改竄も判明。 * [[2001年]] - [[米国愛国者法]]が発効。 * [[2005年]] - [[千葉ロッテマリーンズ]]が[[2005年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で[[阪神タイガース]]を4戦全勝で下し31年ぶり3度目の日本一に輝く。 * 2005年 - [[シカゴ・ホワイトソックス]]が[[2005年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]で[[ヒューストン・アストロズ]]を4戦全勝で下し88年ぶり3度目のワールドチャンピオンに輝く。 * [[2006年]] - [[北海道日本ハムファイターズ]]が[[2006年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で[[中日ドラゴンズ]]を4勝1敗で下し44年ぶり2度目の日本一に輝く。 <!-- * [[2007年]] - [[Mac OS X v10.5|Mac OS X Leopard]]が世界同時発売(各国の現地時間26日18時に一斉に発売開始) --> * [[2008年]] - [[リトアニア]]で[[2008年リトアニア議会選挙|議会選挙]]の決選投票が行われる。対[[ロシア|露]]協調派の与党が議席数を減らす一方で、強硬派の野党が躍進。 * [[2012年]] - [[マイクロソフト]]が[[Microsoft Windows 8|Windows 8]]を発売。 * [[2015年]] - [[アフガニスタン]]東部の[[バダフシャーン州]]で[[マグニチュード]]7.4の地震発生<ref>{{Cite news |title=アフガニスタンで地震 M7.5|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2015-10-26|author=ニューデリー=黒沼勇史|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM26H88_W5A021C1000000/|accessdate=2020-10-24}}</ref>。([[アフガニスタン地震 (2015年)|アフガニスタン地震]]) * [[2017年]] - [[アメリカ国立公文書記録管理局]]、[[1963年]]に発生した[[ケネディ大統領暗殺事件]]関連資料の一部を公開<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20171027193230/https://www.jiji.com/jc/article?k=2017102700931&g=use|title=ケネディ暗殺犯の記録も=機密資料の一部公開-CIAは先送り主張・米|publisher=時事通信社|accessdate=2017-10-28|date=2017-10-27}}</ref> * [[2018年]] - [[Apple]]が[[iPhone XR]]を発売<ref>{{Cite web|和書 |date=2018年10月27日 |url=https://jp.wsj.com/articles/SB11008264359281183546404584556194048933518 |title=新型iPhone「XR」にのしかかる重圧、販売押し上げなるか |publisher=WSJ |accessdate=2019-10-29}}</ref>。 * [[2019年]] - [[アメリカ軍]]の[[カイラ・ミューラー作戦]]により[[ISIL]]の指導者[[アブー・バクル・アル=バグダーディー]]が死亡<ref>{{Cite web|和書 |date=2019年10月29日 |url=http://www.donga.com/jp/article/all/20191029/1886997/1/%E3%83%90%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%87%E3%82%A3%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%85%E4%BD%9C%E6%88%A6%E3%81%AB%E5%8B%95%E5%93%A1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%85%88%E7%AB%AF%E6%8A%80%E8%A1%93 |title=バグダディ容疑者作戦に動員された先端技術 |publisher=東亜日報 |accessdate=2019-10-29}}</ref>。 == 誕生日 == [[ファイル:Georges Danton.jpg|thumb|120px|[[フランス革命]]で活躍した革命政治家、[[ジョルジュ・ダントン]](1759-1794)誕生{{Squote|大胆なれ<br>さらに大胆なれ<br>常に大胆なれ}}]] [[ファイル:Helmuth Karl Bernhard von Moltke.jpg|thumb|120px|近代[[ドイツ]]陸軍の父、大モルトケこと [[ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ]](1800-1891)誕生]] {{multiple image | image1 = Akitake Tokugawa.jpg | width1 = 100 | caption1 = 最後の[[水戸藩]]主、 [[徳川昭武]](1853-1910)誕生。[[パリ万国博覧会 (1867年)|パリ万国博覧会]]の使節として欧州を歴訪した | alt1 = 徳川昭武 | image2 = Portrait of Komura Jutaro.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[日英同盟]]や[[ポーツマス条約]]をまとめた[[外交官]]、 [[小村壽太郎]](1855-1911)誕生 | alt2 = 小村壽太郎 }} {{multiple image | image1 = Napoleon Hill holding book 1937.jpg | width1 = 100 | caption1 = 成功哲学の先駆者である[[著作家]][[ナポレオン・ヒル]](1883-1958)誕生。自著『頭を使って豊かになれ』を手に | alt1 = ヒル | image2 = Primo Carnera.jpg | width2 = 100 | caption2 = 205cm、120kgの巨漢[[プロボクサー]]、[[プリモ・カルネラ]](1906-1999)誕生 | alt2 =カルネラ }} [[ファイル:Reagan Mitterrand 1984 (cropped).jpg|thumb|120px|第4代[[フランス]][[大統領]]、[[フランソワ・ミッテラン]](1916-1996)誕生]] [[ファイル:Tokuchi Masanobu.JPG|thumb|120px|[[作曲家]]、[[渡久地政信]](1916-1998)誕生。『[[島のブルース]]』、『[[お富さん]]』など多くの[[歌謡曲]]を手掛けた]] [[ファイル:Hillary Clinton official Secretary of State portrait crop.jpg|thumb|120px|[[ヒラリー・クリントン]](1947-)誕生]] * [[1491年]]([[弘治 (明)|弘治]]4年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]])- [[正徳帝]]{{要出典|date=2021-04}}、第11代[[明]][[皇帝]](+ [[1521年]]) * [[1613年]]([[慶長]]13年[[9月13日 (旧暦)|9月13日]])- [[水野忠職]]、第2代[[信濃国]][[松本藩|松本藩主]](+ [[1668年]]) * [[1619年]]([[元和 (日本)|元和]]5年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]])- [[細川光尚]]、第2代[[肥後国]][[熊本藩|熊本藩主]](+ [[1650年]]) * [[1645年]] - [[アールト・デ・ヘルデル]]、[[画家]](+ [[1727年]]) * [[1673年]] - [[ディミトリエ・カンテミール]]、文人、学者(+ [[1723年]]) * [[1685年]] - [[ドメニコ・スカルラッティ]]、[[作曲家]](+ [[1757年]]) * [[1694年]] - [[ユーハン・ヘルミク・ルーマン]]、作曲家(+ [[1758年]]) * [[1701年]]([[元禄]]14年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]])- [[松平直好]]、第2代[[越後国]][[糸魚川藩|糸魚川藩主]](+ [[1739年]]) * [[1715年]]([[正徳 (日本)|正徳]]5年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]])- [[松平乗祐]]、初代[[三河国]][[西尾藩|西尾藩主]](+ [[1769年]]) * [[1723年]]([[享保]]8年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]])- [[松平近形]]、第5代[[豊後国]][[府内藩|府内藩主]](+ [[1773年]]) * [[1730年]]([[享保]]15年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]])- [[佐竹義忠]]、第6代[[出羽国]][[岩崎藩|岩崎藩主]](+ [[1787年]]) * [[1757年]] - [[カール・レオンハルト・ラインホルト]]、哲学者(+ [[1823年]]) * [[1759年]] - [[ジョルジュ・ジャック・ダントン]]、[[フランス革命]]の指導者(+ [[1794年]]) * [[1794年]] - [[コンスタンチン・トーン]]、[[建築家]](+ [[1881年]]) * [[1795年]] - ニコラオス・マンザロス([[:en:Nikolaos Mantzaros|Nikolaos Mantzaros]])、作曲家(+ [[1996年]]) * [[1797年]] - [[ジュディッタ・パスタ]]、歌手(+ [[1872年]]) * [[1800年]] - [[ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ]]、[[軍人]](+ [[1891年]]) * [[1802年]] - [[ミゲル1世 (ポルトガル王)|ミゲル1世]]、ポルトガル王(+ [[1866年]]) * [[1825年]]([[文政]]8年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]])- [[岩倉具視]]、[[政治家]]、[[明治維新]]の元勲(+ [[1883年]]) * [[1842年]] - [[ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン]]、画家(+ [[1904年]]) * [[1849年]] - フェルディナント・ゲオルク・フロベニウ([[:en:Ferdinand Georg Frobenius|Ferdinand Georg Frobenius]])、数学者(+ [[1917年]]) * [[1850年]] - [[中川謙二郎]]、教育家(+ [[1928年]]) * [[1853年]]([[嘉永]]6年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]])- [[徳川昭武]]、第11代[[水戸藩|水戸藩主]](+ [[1910年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[小村壽太郎]]、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]](+ [[1911年]]) * [[1859年]] - [[アルトゥール・フリードハイム]]、[[音楽家]](+ [[1932年]]) * 1859年 - [[フランク・セレー]]、[[メジャーリーグ]]監督(+ [[1909年]]) * [[1865年]] - [[ベンジャミン・グッゲンハイム]]、実業家(+ [[1912年]]) * [[1869年]] - [[ワシントン・ルイス]]、第13代[[ブラジル連邦共和国大統領]](+ [[1957年]]) * [[1870年]]([[明治3年]][[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[加藤寛治]]、[[日本海軍]]の[[連合艦隊司令長官]]・[[軍令部|軍令部長]](+ [[1939年]]) * [[1874年]] - [[マーチン・ローリー]]、化学者(+ [[1936年]]) * [[1880年]] - [[アンドレイ・ベールイ]]、作家、詩人(+ [[1934年]]) * [[1883年]] - [[ナポレオン・ヒル]]、作家、哲学者(+ [[1958年]]) * 1883年 - [[ポール・ピルグリム]]、陸上選手(+ [[1958年]]) * [[1888年]] - [[ネストル・マフノ]]、革命家(+ [[1934年]]) * [[1902年]] - [[カール・シャウプ]]、[[経済学者]](+ [[2000年]]) * 1902年 - [[ジャック・シャーキー]]、ボクサー(+ [[1994年]]) * [[1906年]] - [[プリモ・カルネラ]]、ボクサー(+ [[1994年]]) * [[1908年]] - [[松田道雄]]、医師、育児評論家(+ [[1998年]]) * [[1911年]] - ソーリー・マクリーン([[:en:Sorley MacLean|Sorley MacLean]])、詩人(+ [[1996年]]) * [[1912年]] - [[ドン・シーゲル]]、映画監督(+ [[1991年]]) * [[1913年]] - [[織田作之助]]、[[作家]](+ [[1947年]]) * [[1914年]] - [[ジャッキー・クーガン]]、俳優(+ [[1984年]]) * [[1915年]] - [[ジョー・フライ]]([[:en:Joe Fry|Joe Fry]])、レーサー(+ [[1950年]]) * [[1916年]] - [[フランソワ・ミッテラン]]、政治家、第4代[[フランス]][[大統領]](+ [[1996年]]) * 1916年 - [[渡久地政信]]、[[作曲家]](+ [[1998年]]) * [[1919年]] - [[モハンマド・レザー・パフラヴィー]]、[[イラン]]・[[パフラヴィー朝]]第2代国王(+ [[1980年]]) * 1919年 - [[篠原三代平]]、[[経済学者]](+ [[2012年]]) * [[1922年]] - [[岩崎京子]]、[[児童文学者]] * [[1923年]] - [[下社邦男]]、元[[プロ野球選手]](+ 没年不詳) * [[1924年]] - [[ヨハンナ・マルツィ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1979年]]) * 1924年 - [[小泉淳作]]、[[日本画家]]、[[陶芸家]](+ [[2012年]]) * [[1926年]] - [[滝田政治]]、元プロ野球選手 * [[1929年]] - [[榎本勝起]]、アナウンサー(+ [[2021年]]) * [[1931年]] - [[山田重雄]]、[[バレーボール]]元日本代表監督(+ [[1998年]]) * [[1934年]] - [[ジャック・ルーシェ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[2019年]]) * [[1936年]] - シェリー・モリソン([[:en:Shelley Morrison|Shelley Morrison]])、女優 * 1936年 - ピーター・レイモンド・グラント、[[生物学者]]([[グラント夫妻]]) * [[1938年]] - [[中野武宣]]、[[天文学者]] * [[1939年]] - [[安藤元博]]、元プロ野球選手(+ [[1996年]]) * [[1942年]] - [[ボブ・ホスキンス]]、[[俳優]](+ [[2014年]]<ref name="cinematoday">{{Cite news|title=俳優ボブ・ホスキンスさん死去 71歳 『ロジャー・ラビット』『スーパーマリオ』など|newspaper=シネマトゥデイ|date=2014-04-30|author=入倉功一|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0062658|accessdate=2020-11-17}}</ref>) * 1942年 - [[ミルトン・ナシメント]]、歌手 * [[1943年]] - [[常石敬一]]、学者(+ [[2023年]]) * [[1944年]] - [[山川啓介]]、[[作詞家]](+ [[2017年]]) * 1944年 - [[合月勇]]、[[演出家]] * [[1945年]] - [[櫻井よしこ]]、[[ジャーナリスト]] * [[1946年]] - [[大島隆義]]、素粒子物理学者 * 1946年 - [[パット・セイジャック]]、テレビ司会者 * 1946年 - [[チャック・ウィルソン]]、[[タレント]] * [[1947年]] - [[北方謙三]]、作家 * 1947年 - [[ヒラリー・クリントン]]、政治家 * 1947年 - [[イアン・アシュレイ]]([[:en:Ian Ashley|Ian Ashley]])、レーサー * 1947年 - [[渡辺弘基]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[小山正]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[ジャクリーン・スミス]]、女優 * 1949年 - [[ケビン・サリバン]]、プロレスラー * [[1951年]] - [[根津嘉澄]]、[[東武鉄道]]社長 * 1951年 - [[スティーブ・オンティベロス (内野手)|スティーブ・オンティベロス]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[ブーツィー・コリンズ]]、ミュージシャン * 1951年 - [[ジュリアン・シュナーベル]]、[[画家]]、[[映画監督]] * [[1953年]] - [[大屋好正]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[小倉久寛]]、俳優 * [[1955年]] - ステファン・ロビンソン([[:en:Stephen Robinson|Stephen Robinson]])、宇宙飛行士 * 1955年 - [[ヤン・ホフマン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1956年]] - [[リタ・ウィルソン]]、女優、映画プロデューサー * 1956年 - [[あいざき進也]]、[[歌手]]、[[タレント]] * [[1957年]] - [[はざまもり]]、[[漫画家]] * [[1959年]] - [[朝岡聡]]、[[フリーアナウンサー]] * 1959年 - [[木村洋二]]、アナウンサー * 1959年 - [[久保田篤]]、タレント、[[パチンコ]]評論家 * 1959年 - [[牧野エミ]]、女優(+ [[2012年]]) * 1959年 - [[エボ・モラレス]]、政治家、第80代[[ボリビアの大統領|ボリビア大統領]] * [[1960年]] - [[関塚隆]]、[[サッカー選手]]、指導者 * [[1961年]] - [[ディラン・マクダーモット]]、俳優 * [[1962年]] - [[古谷盛人]]、元プロ野球選手 * 1962年 - [[ケイリー・エルウィス]]、俳優 * [[1963年]] - [[テッド・デミ]]、映画監督 (+ 2002年) * 1963年 - ナタリー・マーチャント([[:en:Natalie Merchant|Natalie Merchant]])、ミュージシャン * [[1964年]] - [[野村義男]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1964年 - [[渡辺敦子]]、ミュージシャン(元[[プリンセス・プリンセス]]) * 1964年 - [[山口憲一]]、ミュージシャン(wface、元[[マジック (バンド)|MAGIC]]) * 1964年 - トム・カバナー([[:en:Tom Cavanagh|Tom Cavanagh]])、俳優 * [[1965年]] - [[大澄賢也]]、[[ダンサー]]・タレント * 1965年 - [[岡田浩暉]]、ミュージシャン、俳優([[To Be Continued]]) * 1965年 - [[若林亜紀]]、[[作家]] * 1965年 - [[ケリー・ローワン]]、女優 * [[1966年]] - [[船守さちこ]]、アナウンサー、[[音楽評論家]] * 1966年 - [[谷本龍哉]]、政治家 * 1966年 - [[スティーヴ・ヴァレンタイン]]、俳優 * [[1967年]] - [[キース・アーバン]]、歌手 * [[1968年]] - [[井森美幸]]、タレント * 1968年 - [[スコット・ライディ]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[諏訪哲史]]、小説家 * 1969年 - [[Sammy (歌手)|Sammy]]、歌手 * [[1970年]] - [[原田龍二]]、俳優 * [[1971年]] - [[千秋 (タレント)|千秋]]、タレント * 1971年 - [[リトル清原]]、タレント * 1971年 - 佐々木収、ミュージシャン([[MOON CHILD (バンド)|MOON CHILD]]) * 1971年 - [[関口伊織]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[マツコ・デラックス]]、コラムニスト・タレント * [[1973年]] - [[TAKAみちのく]]、[[プロレスラー]] * 1973年 - [[鷲崎健]]、ミュージシャン * 1973年 - [[セス・マクファーレン]]、アニメーター * [[1974年]] - ザブングル加藤、[[お笑いタレント|お笑い芸人]](元[[ザブングル (お笑いコンビ)|ザブングル]]) * 1974年 - [[LISA (歌手)|LISA]]、ミュージシャン([[m-flo]]) * 1974年 - ラヴィーナ・タンドン([[:en:Raveena Tandon|Raveena Tandon]])、女優 * [[1975年]] - [[小西寛子]]、[[声優]]、[[俳優|女優]] * 1975年 - [[橋本優子]]、[[ファッションモデル]] * [[1976年]] - [[ジェレミー・ウォザースプーン]]、[[スピードスケート]]選手 * [[1977年]] - [[MICRO (ラッパー)|MICRO]]、ミュージシャン([[HOME MADE 家族]]) * 1977年 - [[ADAM at]]、ミュージシャン * 1977年 - [[ジョン・ヘダー]]、俳優 * 1977年 - [[安藤久美子]]、アナウンサー * [[1978年]] - [[CMパンク]]、[[プロレスラー]] * 1979年 - [[堀之内聖]]、元[[サッカー]]選手 * [[1980年]] - [[クリスティアン・キヴ]]、サッカー選手 * 1980年 - [[一柳亜矢子]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * [[1981年]] - ミッカ・キプルソフ([[:en:Miikka Kiprusoff|Miikka Kiprusoff]])、アイスホッケー選手 * 1981年 - ガイ・セバスチャン([[:en:Guy Sebastian|Guy Sebastian]])、歌手 * [[1982年]] - [[斉藤慎二]]、お笑い芸人([[ジャングルポケット (お笑いトリオ)|ジャングルポケット]]) * 1982年 - [[中澤聡太]]、元サッカー選手 * 1982年 - [[アダム・キャロル]]([[:en:Adam Carroll|Adam Carroll]])、レーサー * 1982年 - [[小笠真紀]]、[[ヨガ]][[インストラクター]]、元ミュージカル俳優 * [[1983年]] - [[黒岩悠]]、[[騎手]] * 1983年 - [[吉原寛人]]、騎手 * 1983年 - [[清水昭信]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[フランシスコ・リリアーノ]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[ドミトリ・シチェフ]]、サッカー選手 * [[1984年]] - [[吉野ももみ]]、元タレント * 1984年 - [[サーシャ・コーエン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1984年 - [[ジェフェルソン・ファルファン]]、サッカー選手 * 1984年 - [[アドリアーノ・コレイア]]、サッカー選手 * 1984年 - [[矢野大輔]]、元サッカー選手 * 1984年 - [[ハファエル・ドス・アンジョス]]、総合格闘家 * [[1985年]] - [[モンタ・エリス]]、バスケットボール選手 * 1985年 - [[アンドレア・バルニャーニ]]、バスケットボール選手 * [[1986年]] - [[太田エイミー]]、タレント * 1986年 - [[ダミャン・オストイッチ]]、フィギュアスケート選手 * 1986年 - [[ウーヴェ・ゲンスハイマー]]、ハンドボール選手 * [[1987年]] - [[今井メロ]]、[[スノーボード]]選手 * 1987年 - [[エリエーサー・ナバーロ]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[アンデルソン・パトリック・アグウイアル・オリベイラ|パトリック]]、サッカー選手 * [[1990年]] - [[川島正太郎]]、騎手 * 1990年 - [[kiki vivi lily]]、シンガーソングライター * [[1991年]] - [[渡部秀]]、俳優 * 1991年 - [[飯田里穂]]、タレント、声優 * 1991年 - [[ドミニク・レオン]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[堀田茜]]、ファッション[[モデル (職業)|モデル]]、タレント * 1992年 - [[ドワイト・スミス・ジュニア]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[釜田佳直]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[逢坂南]]、タレント * [[1995年]] - [[袁琦琦]]、陸上競技選手<ref>{{Cite web|和書|url=http://ryukyushimpo.jp/pages/2016rio.html?sj_page=OG0PRF000-1196398|title=袁琦琦|publisher=[[琉球新報]]|date=2016-08-04|accessdate=2016-08-18}}{{リンク切れ|date=2021年1月}}</ref> * 1995年 - [[中本悠太]]、アイドル([[NCT (音楽グループ)|NCT]]) * [[1996年]] - [[杉原凜]]、アナウンサー * [[1997年]] - [[福地桃子]]、女優 * [[1999年]] - [[月足天音]]、アイドル([[FRUITS ZIPPER]]、元[[HKT48]]) * 1999年 - [[ルイス・パティーノ]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[速水将大]]、プロ野球選手 * [[2001年]] - [[持丸泰輝]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - RIKU、アイドル([[NiziU]]) * 生年不詳 - [[中村カンナ]]、声優 == 忌日 == === 人物 === {{multiple image | image1 = Alfred the Great.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[アングロ・サクソン人]]の統一王国を樹立した[[アルフレッド大王]](849-899)没 | alt1 = アルフレッド大王 | image2 = Gillesderais1835.jpg | width2 = 100 | caption2 =童話『[[青ひげ]]』のモデルとなった[[フランス王国|フランス]]の[[貴族]]、[[ジル・ド・レ]](1404-1440)刑死 | alt2 = ジル・ド・レ | image3 = Kasuga no tsubone.jpg | width3 = 100 | caption3 =[[徳川家光]]の乳母、[[春日局]](1579-1643)没。江戸[[大奥]]の礎を築いた | alt3 = 春日局 }} {{multiple image | footer = [[イギリス]]の[[画家]][[ウィリアム・ホガース]](1697-1764)没。『[[ジン (蒸留酒)|ジン]]横丁』(右)など、社会風刺画の父と呼ばれる | image1 = William Hogarth 006.jpg | width1 = 100 | alt1 = ホガース | image2 = William Hogarth - Gin Lane.jpg | width2 = 120 | alt2 = ジン横丁 }} [[ファイル:Carlo Collodi.jpg|thumb|100px|『[[ピノッキオの冒険]]』の作者、[[カルロ・コッローディ]](1826-1890)没]] {{multiple image | footer = [[敦煌]][[莫高窟]]を調査した探検家たち。同日に死去 | image1 = Aurel Stein 1909.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[オーレル・スタイン]](1862-1943) | alt1 = スタイン | image2 = Pelliot.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[ポール・ペリオ]](1978-1945) | alt2 = ペリオ }} {{multiple image | image1 = Park Chung-hee 1963's.png | width1 = 120 | caption1 = 第5-9代[[大韓民国|韓国]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]、[[朴正煕]](1917-1979)暗殺 | alt1 = 朴正煕 | image2 = Junzaburo Ban 530406 Scan10008.JPG | width2 = 100 | caption2 = [[コメディアン]]、[[伴淳三郎]](1908-1981)没。「アジャパー」の[[ギャグ]]で一世を風靡した | alt2 = 伴淳三郎 | image3 = 灰田勝彦.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[歌手]]にして[[映画俳優]]、[[灰田勝彦]](1911-1982)没。『[[燦めく星座]]』『[[鈴懸の径]]』などの流行歌を歌った | alt3 = 灰田勝彦 }} {{multiple image | image1 = Khun Sa (cropped).jpg | width1 = 120 | caption1 = [[シャン族]]解放組織の指導者にして、[[黄金の三角地帯]]を築いた麻薬王、[[クン・サ]](1934-2007)没 | alt1 = クン・サ | image2 = | width2 = 120 | caption2 = [[外交官]]出身の[[評論家]]、[[岡崎久彦]](1930-2014)没 | alt2 = 岡崎久彦 }} {{multiple image | image1 = Roh_Tae-woo_-_cropped,_1989-Mar-13.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[盧泰愚]]、第13代[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]] | alt1 = クン・サ }} * [[899年]] - [[アルフレッド大王]]、[[ウェセックス|ウェセックス王]](* [[849年]]) * [[1440年]] - [[ジル・ド・レイ]]、[[フランス王国|フランス]]の[[貴族]](* [[1404年]]) * [[1576年]] - [[フリードリヒ3世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ3世]]、[[プファルツ選帝侯]](* [[1515年]]) * [[1633年]]([[寛永]]10年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]])- [[堀尾忠晴]]、[[松江藩|松江藩主]](* [[1596年]]) * [[1643年]](寛永20年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[春日局]]、[[徳川家光]]の乳母(* [[1579年]]) * [[1764年]] - [[ウィリアム・ホガース]]、[[画家]](* [[1697年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[9月26日 (旧暦)|9月26日]])- [[周布政之助]]、[[長州藩]]士(* [[1823年]]) * [[1871年]] - [[トマス・ユーイング]]、第14代[[アメリカ合衆国財務長官]]、初代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1789年]]) * [[1874年]] - [[ペーター・コルネリウス]]、[[作曲家]](* [[1824年]]) * [[1890年]] - [[カルロ・コッローディ]]、[[小説家]](* [[1826年]]) * [[1908年]] - [[榎本武揚]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Enomoto-Takeaki Enomoto Takeaki Japanese naval officer and statesman] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、政治家、幕臣(* [[1836年]]) * [[1909年]] - [[伊藤博文]]、第1・5・7・10代[[内閣総理大臣|首相]]、初代韓国統監(* [[1841年]]) * [[1919年]] - [[明石元二郎]]、第7代[[台湾総督]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]](* [[1864年]]) * [[1927年]] - [[八木重吉]]、[[詩人]](* [[1898年]]) * [[1931年]] - [[チャールズ・コミスキー]]、[[シカゴ・ホワイトソックス]]オーナー(* [[1859年]]) * [[1937年]] - [[上田萬年]]、[[国語学者]](* [[1867年]]) * [[1943年]] - [[オーレル・スタイン]]、[[探検家]](* [[1862年]]) * [[1944年]] - [[ベアトリス (イギリス王女)|ベアトリス]]、[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア英女王]]の五女(* [[1857年]]) * 1944年 - [[天川清三郎]]、[[プロ野球選手]](* [[1919年]]) * 1944年 - [[西沢広義]]、[[軍人]](* [[1920年]]) * [[1945年]] - [[ポール・ペリオ]]、探検家(* [[1878年]]) * [[1949年]] - [[林家正蔵#7代目|林家正蔵 (7代目)]]、[[落語家]](* [[1894年]]) * [[1952年]] - [[ハティ・マクダニエル]]、[[俳優|女優]](* [[1895年]]) * [[1956年]] - [[ヴァルター・ギーゼキング]]、[[ピアニスト]](* [[1895年]]) * [[1957年]] - [[ニコス・カザンザキス]]、作家(* [[1883年]]) * 1957年 - [[ゲルティー・コリ]]、[[生化学|生化学者]](* [[1896年]]) * [[1972年]] - [[イーゴリ・シコールスキイ]]、[[航空機]]技術者、[[シコルスキー・エアクラフト]]創業者(* [[1889年]]) * [[1973年]] - [[セミョーン・ブジョーンヌイ]][[軍人]](* [[1883年]]) * [[1976年]] - [[デリック・クック]]、[[音楽学者]](* [[1919年]]) * [[1977年]] - [[岡田源三郎]]、元[[プロ野球監督]](* [[1896年]]) * [[1979年]] - [[朴正煕]]、第5 - 9代[[大韓民国|韓国]][[大統領 (大韓民国)|大統領]](* [[1917年]]) * 1979年 - [[車智澈]]、韓国大統領警護室長(* [[1934年]]) * [[1980年]] - [[中河幹子]]、[[国文学者]]、[[歌人]](* [[1895年]]) * [[1981年]] - [[伴淳三郎]]、[[コメディアン]](* [[1908年]]) * [[1982年]] - [[灰田勝彦]]、[[歌手]]、俳優(* [[1911年]]) * [[1983年]] - [[アルフレト・タルスキ]]、[[数学者]]、[[論理学|論理学者]](* [[1901年]]) * [[1985年]] - [[宝井馬琴#5代目|宝井馬琴 (5代目)]]、[[講談師]](* [[1903年]]) * [[1986年]] - [[ジャクソン・ショルツ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1897年]]) * 1986年 - [[富樫淳]]、元プロ野球選手(* [[1924年]]) * [[1989年]] - [[チャールズ・ペダーセン]]、[[化学者]](* [[1904年]]) * 1989年 - [[浦辺粂子]]、[[俳優|女優]](* [[1902年]]) * [[1992年]] - [[生原昭宏]]、アマチュア野球指導者(* [[1937年]]) * [[1995年]] - [[松葉昇]]、元プロ野球選手(* [[1922年]]) * [[2002年]] - [[ジャック・マシュウ]]、[[フランス陸軍]]の[[大将]](* [[1908年]]) * [[2004年]] - [[リカルド・オドノポソフ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1914年]]) * [[2005年]] - [[吉川元忠]]、[[経済学者]](* [[1934年]]) * [[2006年]] - [[小島信夫]]、[[小説家]](* [[1915年]]) * [[2007年]] - [[アレクサンドル・フェクリソフ]]、[[ソビエト連邦]]の[[スパイ|諜報員]](* [[1914年]]) * 2007年 - [[アーサー・コーンバーグ]]、生化学者(* [[1918年]]) * 2007年 - [[クン・サ]]、軍人、[[黄金の三角地帯]]形成者(* [[1934年]]) * 2007年 - [[藤村雅美]]、高校野球指導者(* 1950年) * [[2008年]] - [[水原一]]、[[中世文学|中世文学者]]、[[駒澤大学]][[名誉教授]](* [[1925年]]) * 2008年 - [[中村忠 (会計学者)|中村忠]]、[[会計学者]]、[[一橋大学]]名誉教授(* [[1930年]]) * 2008年 - [[大島武]]、プロ野球選手(* [[1922年]]) * 2008年 - [[関晴正]]、政治家(* [[1923年]]) * [[2010年]] - [[コロムビア・ライト]]、[[漫才師]]、[[漫談家]](* [[1927年]]) * [[2012年]] - [[佐藤博 (ミュージシャン)|佐藤博]]、[[シンガーソングライター]]、[[キーボーディスト]](* [[1947年]]) * [[2012年]] - [[桑名正博]]、[[歌手]]、[[実業家]](* [[1953年]]) * [[2014年]] - [[岡崎久彦]]、元外交官・評論家(* [[1930年]]) * 2014年 - [[赤瀬川原平]]、[[美術家]]、[[作家]](* [[1937年]]) * [[2017年]] - [[篠沢秀夫]]、[[学習院大学]]名誉教授(* [[1933年]]) * [[2018年]] - [[森下整鎮]]、元プロ野球選手(* [[1933年]]) * [[2019年]] - [[吉田博美]]<ref>{{Cite news |title=自民党の吉田博美前参院幹事長が死去 |newspaper=産経新聞 |date=2019-10-26 |author= |url=https://www.iza.ne.jp/article/20191026-B3PYKBKABBNMTCOWJ64DPPFW5U/ |accessdate=2020-11-25}}</ref>、[[政治家]](* [[1949年]]) * 2019年 - [[アブー・バクル・アル=バグダーディー]]、[[ISIL]]指導者、自称[[カリフ]](*[[1971年]])<ref>{{Cite news|url=https://jp.reuters.com/article/usa-trump-statement-idJPKBN1X606M|title=IS最高指導者、米軍急襲で自爆 米大統領「最優先課題」達成|agency=[[ロイター]]|date=2019-10-27|accessdate=2019-10-28}}</ref><ref name=afpbb3251681>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3251681|title=IS最高指導者・最期の作戦「まるで映画」 トランプ氏が詳細明かす|work=AFPBB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2019-10-28|accessdate=2019-10-28}}</ref> * [[2020年]] - [[伊藤郁男]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S14681626.html|title=伊藤郁男さん死去|publisher=朝日新聞デジタル|date=2020-11-03|accessdate=2020-12-24}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20201114043534/https://www.jiji.com/sp/article?k=2020110200784&g=pol 伊藤郁男氏死去 元民社党参院議員] - 時事通信 2020年11月2日</ref><ref>{{Cite news|title=伊藤郁男氏が死去 元参院議員|newspaper=日本経済新聞|date=2020-11-02|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65760800S0A101C2CZ8000/|accessdate=2020-11-08}}</ref>、政治家(* [[1930年]]) * [[2021年]] - [[盧泰愚]]、第13代[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]](* [[1932年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2010年]] - [[パウル (タコ)|パウル]]、[[サッカードイツ代表]]の国際試合の結果を予言した[[マダコ]](* [[2008年]]) == 記念日・年中行事 == * [[ナショナルデー]]({{AUT}}) *: [[1955年]]のこの日、[[永世中立国]]宣言をしたことを記念。 * [[アンガム・デー]]({{NRU}}) *: 第一次世界大戦により民族の存続に必要とされる1500人を下回ったナウルの人口が、1932年のこの日に1500人に達したことを記念。 * [[インターセックス啓発デー]] (国際[[啓発デー]]) * [[原子力]]の日({{JPN}}) *: [[1956年]]10月26日に日本が[[国際原子力機関]] (IAEA) に加盟したこと、及び[[1963年]]10月26日に[[茨城県]][[東海村]]の[[日本原子力研究所]]で日本初の[[原子力発電]]が行われたことに由来。日本政府が[[1964年]]に制定。 * [[カキノキ|柿]]の日({{JPN}}) *: [[1895年]]10月26日に[[正岡子規]]が「[[柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺]]」の句を詠んだことに由来。全国果樹研究連合会カキ部会が[[2005年]]に制定。 * [[デニム]]の日({{JPN}}) *: 語呂合わせの音が「デニム」に近いことから岡山デニム協同組合が制定<ref name="chugoku-np">{{Cite news|url=http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201310250012.html|title=「デニムの日」PR始動|newspaper=[[中国新聞]]|date=2013-10-25|accessdate=2013-10-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131029204145/http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201310250012.html|archivedate=2013年10月29日|deadurldate=2017年09月}}</ref>。 * [[歴史シミュレーションゲーム]]の日({{JPN}}) *: [[1981年]]10月26日に、光栄マイコンシステム(現[[コーエーテクモゲームス]])による同社初の歴史シミュレーションゲーム、『[[川中島の戦い|川中島の合戦]]』が発売されたことに由来。発売35周年にあたる[[2016年]]に日本記念日協会により認定。 * [[どぶろく]]の日({{JPN}}) *:濁酒(どぶろく)造りのシーズンが始まる10月下旬に合わせ、[[長野県]][[佐久市]]の武重本家酒造株式会社が制定し、日本記念日協会が認定し登録される。ど(10)ぶ(2)ろく(6)という語呂合わせから来ていて、どぶろくの魅力を広めることが目的。 * [[きしめん]]の日({{JPN}}) *:10月は食欲の秋の時期である<ref name="chunichi20221026">{{Cite web|和書 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/570741 |title=10月26日はきしめんの日 多様な味で人気回復 |access-date=2022-10-26 |publisher=中日新聞社 |website=中日新聞Web (chunichi.co.jp) |date=2022-10-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221026101958/https://www.chunichi.co.jp/article/570741 |archive-date=2022-10-26}}</ref><ref name="めんの日_全国製麺協同組合連合会">{{Cite web|和書 |url=https://www.zenmenren.or.jp/men/day/index.html |title=11日はめんの日 11月11日および毎月11日は「めんの日」 |access-date=2022-10-26 |publisher=全国製麺協同組合連合会 (zenmenren.or.jp) |archive-date=2022-10-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221026103544/https://www.zenmenren.or.jp/men/day/index.html}}</ref>こと、食感がつ(2)る(6)つ(2)る(6)している<ref name="chunichi20221026" />ことから、2008年に制定された<ref name="chunichi20221026" /><ref name="めんの日_全国製麺協同組合連合会" />。 * アルファベットチョコレートの日({{JPN}}) *:[[名糖産業]]が製造・販売する「アルファベットチョコレート」の発売50周年を迎えたことを記念し、2020年に制定した。日付は「ひとくちチョコ」であることから「一口」を「10」と表し、アルファベットが26文字であることを合わせたもの。 <!-- 確認できず。 * [[サーカス]]の日({{JPN}}) *: [[1871年]]10月26日にフランスの「スリエサーカス」が東京招魂社(現・靖国神社)でサーカス興行を行ったことに由来。「[[サーカス]]」に1864年の興行に関する記述---> == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1026|date=2011年7月}} * [[1985年]] - [[カリフォルニア州]]の架空の町ヒル・バレーに住む科学者エメット・L・ブラウン博士(通称ドク)が、[[DMC-12]]を改造して[[タイムマシン]]「[[デロリアン (タイムマシン)|デロリアン]]」を完成させ、午前1時過ぎから博士の愛犬アインシュタインを乗せてタイムトラベルの実験が行われる。(映画『[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]』) *1985年 - 作家ヘレン・シャープが若返りの秘薬を飲み、不老不死の体を手に入れる。(映画『[[永遠に美しく…]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[976年]] - オーストリア(ローデリヒ・エーデルシュタイン)、漫画、アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター * [[1994年]] - 瀬乃宮みさ希、ゲーム『[[ROBOTICS;NOTES]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=電撃プレイステーション編集部 |date=2012-09-29|title =ROBOTICS;NOTES【ロボティクス・ノーツ】 公式設定資料集 Childhood Dreams|page=28|publisher=アスキー・メディアワークス|series= |isbn=978-4048867566}}</ref> * 生年不明 - 源氏あげだま、アニメ『[[ゲンジ通信あげだま]]』の主人公 * 生年不明 - 鬼灯幻月、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1452651221727133699}}</ref> * 生年不明 - マリエラ、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 本田マイケル、漫画・アニメ『[[エリアの騎士]]』に登場するキャラクター<ref>単行本『エリアの騎士 12』(第12巻 P.189)掲載。</ref> * 生年不明 - 猿島マリア、漫画・アニメ『[[山田くんと7人の魔女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yamajo_anime|524495043109724160}}</ref> * 生年不明 - 山下サトル、漫画・アニメ『[[鉄のラインバレル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 本郷唯、漫画・アニメ『[[ふしぎ遊戯]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 竹内理緒、漫画・小説・アニメ『[[スパイラル 〜推理の絆〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gameoukoku1|791243966431698948}}</ref> * 生年不明 - 松崎光太郎、漫画・アニメ『[[アニマル横町]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 栗ヶ沢麗羅、漫画『[[つくしまっすぐライフ!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 川崎沙希、小説・アニメ『[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_oregairu|1320379841435283456}}</ref> * 生年不明 - アーニャ・アールストレイム、アニメ『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ガストラ、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVI]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイナルファンタジーVI ザ・コンプリート|publisher=[[NTT出版]]|year=1994|page=182|ISBN=4-87188-303-5}}</ref> * 生年不明 - 鮎川美空、ゲーム『[[ラムネ (ゲーム)|ラムネ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - クリスティアーネ・フリードリヒ、ゲーム・アニメ『[[真剣で私に恋しなさい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.minatosoft.com/majikoi/ |title=登場人物 クリスティアーネ・フリードリヒ |access-date=2022-10-20 |publisher=みなとそふと |work=真剣で私に恋しなさい!}}</ref> * 生年不明 - 黛由紀江、ゲーム・アニメ『真剣で私に恋しなさい!』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.minatosoft.com/majikoi/ |title=登場人物 黛 由紀江 |access-date=2022-10-20 |publisher=みなとそふと |work=真剣で私に恋しなさい!}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#上田鈴帆|上田鈴帆]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20023 |title=上田 鈴帆(うえだ すずほ) |access-date=2022-10-20 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#島原エレナ|島原エレナ]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30012 |title=島原 エレナ(しまばら えれな) |access-date=2022-10-20 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 粟生津しいら、ゲーム『[[ステーションメモリーズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ekimemo|1187889579334000640}}</ref> * 生年不明 - 西園寺エレアノール、ゲーム・漫画・アニメ『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/saionji-eleanor/ |title=東京都 西園寺 エレアノール |access-date=2022-10-20 |publisher=MAGES. アイドル事変製作委員会}}</ref> * 生年不明 - [[Roselia|湊友希那]]、メディアミックス『[[BanG Dream!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bang-dream.bushimo.jp/character/minato-yukina/ |title=湊 友希那 |website=BanG Dream! ガールズバンドパーティ! 公式サイト |publisher=[[ブシロード]] |accessdate=2022-10-20}}</ref> * 生年不明 - 霧島レイ、[[ユピテル (企業)|ユピテル]]のレーダー探知機などに登場するナビゲーションキャラクター<ref>[https://lei-kirishima.jp/profile 霧島レイ オフィシャルサイト]</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|26 October}} {{新暦365日|10|25|10|27|[[9月26日]]|[[11月26日]]|[[10月26日 (旧暦)|10月26日]]|1026|10|26}} {{1年の月と日}}
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10月29日
10月29日(じゅうがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から302日目(閏年では303日目)にあたり、年末まであと63日ある。
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{{カレンダー 10月}} '''10月29日'''(じゅうがつにじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から302日目([[閏年]]では303日目)にあたり、年末まであと63日ある。 == できごと == [[ファイル:10th Anniversary Speech.jpg|thumb|upright|[[トルコ|トルコ共和国]]建国(1923)。画像は10周年式典での[[ムスタファ・ケマル・アタテュルク|アタテュルク]]ら]] [[ファイル:Crowd outside nyse.jpg|thumb|140px|[[ウォール街大暴落 (1929年)#経過|ブラックチューズデー]](1929)。この日だけで140億ドルを損失した]] [[ファイル:Sega-Mega-Drive-JP-Mk1-Console-Set.png|thumb|220px|[[メガドライブ]]発売(1988)]] [[ファイル:Itaewon (이태원) 2022 Halloween.jpg|サムネイル|[[梨泰院群衆事故]](2022年)。画像は事故発生前の事故現場の様子。|150px]] * [[437年]] - [[西ローマ帝国|西ローマ皇帝]][[ウァレンティニアヌス3世]]が[[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]][[テオドシウス2世]]の皇女[[リキニア・エウドクシア]]と結婚。東西の[[テオドシウス朝]]が融合{{要出典|date=2021-03}}。 * [[1268年]] - [[カルロ1世 (シチリア王)|シャルル・ダンジュー]]により[[シチリア王国|シチリア王]][[コッラディーノ]]が斬首刑。[[ホーエンシュタウフェン朝]]の男系が断絶。 * [[1675年]] - [[ゴットフリート・ライプニッツ]]が初めて[[積分]]の記号に[[長いs]](∫)を使用する。 * [[1746年]] - [[ペルー]]中部で[[マグニチュード]]8.5の地震、約1万人が死亡。 * [[1787年]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]のオペラ『[[ドン・ジョヴァンニ]]』が[[プラハ]]でモーツァルト自身の指揮により初演。 * [[1859年]] - [[スペイン・モロッコ戦争]]: [[スペイン]]が[[モロッコ]]に宣戦布告。 * [[1900年]] - 龍岩浦事件: [[大韓帝国軍]]が当地根拠の[[義兵]]と韓国籍の[[義和団]]余力に弾圧。 * [[1918年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ドイツ海軍]]の[[大洋艦隊]]に出撃命令が下されるが、多くの水兵が命令を拒否し、出撃を断念。[[ドイツ革命]]のきっかけとなる。 * [[1922年]] - [[イタリア王国|イタリア国王]][[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]]が[[ベニート・ムッソリーニ]]に組閣を命じる。 * [[1923年]] - [[トルコ|トルコ共和国]]が成立。ムスタファ・ケマル・パシャ(後の[[ムスタファ・ケマル・アタテュルク|アタテュルク]])が初代[[大統領]]に就任。 * [[1929年]] - [[ウォール街大暴落 (1929年)|ウォール街大暴落]]: 悲劇の火曜日。[[ニューヨーク]]の[[ウォール街]]で5日前の「暗黒の木曜日」に続いて株価が再度大暴落。 * [[1936年]] - [[イラク]]で[[バクル・シドキ]]将軍によるクーデター。 * [[1950年]] - 千葉県船橋市の[[船橋競馬場]]で日本初の[[オートレース]]開催。 * [[1953年]] - [[英連邦太平洋航空304便墜落事故]]。 * [[1955年]] - [[ドミトリー・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]の[[ヴァイオリン協奏曲第1番 (ショスタコーヴィチ)|ヴァイオリン協奏曲第1番]]が初演。 * [[1956年]] - [[第二次中東戦争]](スエズ戦争)が勃発。 * [[1958年]] - ソ連の詩人・[[ボリス・パステルナーク|パステルナーク]]が、共産党からの圧力により[[ノーベル文学賞]]受賞を辞退。 * [[1960年]] - [[大分県]][[蒲江町]]で定期船が[[蒲江港]]を出港直後に沈没。女子生徒5人死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=148|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1969年]] - [[ARPANET]]による[[コンピューター]]同士の接続が初めて行われる。 * 1969年 - [[ソニー]]、[[パナソニック|松下電器]]、[[日本ビクター]]等が家庭用[[ビデオテープレコーダ]]([[U規格]])の開発を発表。 * 1969年 - 厚生省が発癌性の疑いがあるとして人工甘味料[[チクロ]]の使用を禁止。 * [[1971年]] - [[許諾を得ないレコードの複製からのレコード製作者の保護に関する条約]](通称ジュネーブ・レコード条約)署名。 * [[1976年]] - 山形県[[酒田市]]で火災発生([[酒田大火]])。強風にあおられて約1200戸が焼失。 * [[1981年]] - [[宮崎自動車道]]が全線開通。 * [[1982年]] - 東京・吉祥寺に[[前進座劇場]]が完成。 * 1988年 - [[セガ・エンタープライゼス]]が[[メガドライブ]](MEGA DRIVE)を日本で発売。 * [[1991年]] - アメリカの探査機「[[ガリレオ (探査機)|ガリレオ]]」が小惑星[[ガスプラ (小惑星)|ガスプラ]]の近くを通過。史上初の[[小惑星]]の接近観測を行う。 * [[1998年]] - [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[横浜フリューゲルス]]と[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]の合併が発表される。 * 1998年 - [[STS-95]]で77歳の[[ジョン・ハーシェル・グレン]]が[[スペースシャトル]]・[[スペースシャトル・ディスカバリー|ディスカバリー]]に搭乗。最年長の宇宙飛行者となる。 * [[2005年]] - [[デリー]]で爆弾テロ。62人が死亡。([[:en:29 October 2005 Delhi bombings]]) * [[2008年]] - [[アメリカ合衆国]]の[[デルタ航空]]と[[ノースウエスト航空]]が[[合併 (企業)|合併]]。 * [[2011年]] - [[道東自動車道]]の[[夕張インターチェンジ]] - [[占冠インターチェンジ]]間が開通し、飛び地だった高速道路がつながった。 * [[2015年]] - 中国共産党第十八期中央委員会第五回全体会議において[[一人っ子政策]]の完全廃止を決定する<ref>{{Cite web|和書 |date=2015年10月30日 |url=https://www.sankei.com/article/20151030-ILXHDK35WVMTXNBDBVCJICF6K4/ |title=【中国5中総会】総会閉幕「一人っ子政策」廃止 安定成長へ構造改革 |work=産経ニュース |publisher= |accessdate=2019-06-02}}</ref>。 <!-- 「10月29日」に特記する情報ですか? * [[2016年]] - [[北海道日本ハムファイターズ]]が[[2016年の日本シリーズ|日本シリーズ]]第6戦で[[広島東洋カープ]]に10対4で勝ち10年ぶりの日本一達成 --> * [[2018年]] - [[絢子女王]]と守谷慧との結婚式が[[明治神宮]]で挙式される<ref>{{Cite web|和書 |date=2018年10月30日 |url=https://japanese.joins.com/article/570/246570.html |title=日本の絢子女王、皇族の身分離れ一般男性と結婚 |publisher=中央日報 |accessdate=2019-06-02}}</ref>。 * 2018年 - [[インドネシア]]、[[スカルノ・ハッタ国際空港]]発の[[ライオン・エア]]610便が離陸直後に墜落([[ライオン・エア610便墜落事故]])<ref>{{Cite web|和書 |date=2018年10月30日 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37127530Q8A031C1CC1000/ |title=インドネシア運輸省、墜落事故受け同型機の点検命令 |publisher=日本経済新聞 |accessdate=2019-06-02}}</ref>。 * [[2022年]] - [[韓国]]の[[ソウル]]で[[梨泰院群衆事故]]が発生。少なくとも158人が死亡。 == 誕生日 == [[ファイル:Edmund Halley.gif|thumb|100px|[[ハレー彗星]]の軌道計測をした[[イギリス]]の[[天文学者]]、[[エドモンド・ハレー]](1656-1742)誕生]] {{multiple image | footer = [[アメリカ合衆国]]の[[古生物学|古生物学者]]、[[オスニエル・チャールズ・マーシュ]](1831-1899)誕生。[[アパトサウルス|ブロントサウルス]]、[[アロサウルス]]などの名付け親 | image1 = OthnielCharlesMarsh.jpg | width1 = 100 | alt1 = マーシュ | image2 = Apatosaurus.jpg | width2 = 100 | alt2 = ブロントサウルス(アパトサウルス) | image3 = Allosaurus1.jpg | width3 = 120 | alt3 = アロサウルス }} [[ファイル:Isao Takahata.jpg|thumb|100px|[[アニメ]][[映画監督]]、[[高畑勲]](1935-2018)誕生]] [[ファイル:Edwin van derSar playing for MUFC cropped.jpg|thumb|100px|[[オランダ]]最高の[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]、[[エトヴィン・ファン・デル・サール]](1970-)誕生]] * [[1831年]] - [[オスニエル・チャールズ・マーシュ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Othniel-Charles-Marsh Othniel Charles Marsh American paleontologist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[古生物学|古生物学者]](+ [[1899年]]) * [[1863年]] - [[マーク・ボールドウィン]]、[[プロ野球選手]](+ [[1929年]]) * [[1880年]] - [[アブラム・ヨッフェ]]、[[物理学者]] (+ [[1960年]]) * [[1882年]] - [[ジャン・ジロドゥ]]、[[外交官]]、[[劇作家]]、[[小説家]](+ [[1944年]]) * [[1897年]] - [[ヨーゼフ・ゲッベルス]]、政治家、[[ナチス・ドイツ]]の宣伝相(+ [[1945年]]) * [[1899年]] - [[エドワード・ワズワース]]、[[画家]](+ [[1949年]]) * [[1906年]] - [[フレドリック・ブラウン]]、[[SF作家]]、[[推理作家]](+ [[1972年]]) * [[1909年]] - [[白井庄次郎]]、[[スーパーセンテナリアン]](+ [[2020年]]) * [[1922年]] - [[ロベルト・ミケルッチ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2010年]]) * [[1925年]] - [[辻源兵衛]]、元プロ野球選手(+ [[1945年]]) * [[1927年]] - [[嵯峨逸平]]、実業家(+ [[2007年]]) * [[1929年]] - [[春風亭柳朝 (5代目)|5代目春風亭柳朝]]、[[落語家]](+ [[1991年]]) * [[1930年]] - [[ニキ・ド・サンファル]]、画家、[[彫刻家]]、[[映像作家]](+ [[2002年]]) * [[1931年]] - [[戸口天従]]、元プロ野球選手 * [[1935年]] - [[高畑勲]]、アニメ映画監督(+ [[2018年]]<ref>{{Twitter status2|seijikanoh|1113947075710820353|2019年4月5日 |accessdate=2020-11-21}}</ref>) * [[1936年]] - [[児島明子]]、元[[モデル (職業)|モデル]]、元[[ミス・ユニバース]] * [[1937年]] - [[マイケル・ポンティ]]、[[ピアニスト]](+ [[2022年]]) * [[1939年]] - [[加茂周]]、元サッカー選手、指導者 * 1939年 - [[水野英子]]、[[漫画家]] * [[1941年]] - [[鳥海永行]]、[[アニメーション監督]](+ [[2009年]]) * [[1942年]] - [[浜畑賢吉]]、[[俳優]] * 1942年 - [[ボブ・ロス]]、[[画家]](+ [[1995年]]) * [[1945年]] - [[小栗康平]]、映画監督 * 1945年 - [[西城正明]]、プロボウラー * [[1947年]] - [[コリーヌ・セロー]]、映画監督、脚本家 * [[1949年]] - [[高橋英二]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[寺沢高栄]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[小倉一郎]]、俳優 * [[1952年]] - [[北井久美子]]、弁護士、厚生労働官僚 * [[1954年]] - [[藍とも子]]、[[俳優|女優]] * [[1955年]] - [[志穂美悦子]]、元女優 * [[1956年]] - [[周防正行]]、映画監督 * 1956年 - [[大徹忠晃]]、元[[大相撲力士]] * [[1959年]] - [[ジェシー・バーフィールド]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[中村福助 (9代目)|九代目 中村福助]]、[[歌舞伎]]役者、俳優 * [[1961年]] - [[吉崎典子]]、元[[アナウンサー]] * 1961年 - [[山中潔]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[ランディ・ジャクソン]]、[[歌手]] * [[1962年]] - [[谷村志穂]]、[[小説家]] * 1962年 - [[長谷川まさ子]]、[[芸能リポーター]] * [[1965年]] - [[髙嶋政宏]]、俳優 * 1965年 - [[たなかじゅん]]、漫画家 * 1965年 - [[南渕時高]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[金城一紀]]、[[小説家]] * 1968年 - [[つんく♂]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[シャ乱Q]])、[[音楽プロデューサー]] * 1968年 - [[インタビューマン山下]]、芸能記者、元[[お笑いタレント|お笑い芸人]](元[[ジャリズム]]) * [[1970年]] - [[エトヴィン・ファン・デル・サール]]、元[[サッカー選手]] * 1970年 - [[フィリップ・コクー]]、元サッカー選手 * 1970年 - [[ピストルモンキー(ズ)#メンバー|漣研太郎]]、ミュージシャン * [[1971年]] - [[ウィノナ・ライダー]]、[[俳優|女優]] * [[1972年]] - [[堀江貴文]]、実業家 * 1972年 - [[伊藤栄祐]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[ロベール・ピレス]]、元サッカー選手 * 1973年 - [[前園真聖]]、元サッカー選手 * [[1974年]] - [[杉田愉]]、映画監督 * 1974年 - [[住友健人]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[R.A.ディッキー]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[カリーム・ガルシア]]、プロ野球選手 * 1975年 - [[八木沼悟志]]、音楽プロデューサー([[fripSide]]) * 1975年 - [[高橋宏貴]]、ミュージシャン([[ELLEGARDEN]]、[[Scars Borough]]) * 1975年 - [[吉田哲人]]、作曲家 * [[1976年]] - [[菅広文]]、[[お笑い芸人]]([[ロザン]]) * 1976年 - [[許昱華]]、[[チェス]]選手 * [[1977年]] - [[長坂健冶]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[陳峰民]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[有馬隼人]]、元[[アメリカンフットボール]]選手 * 1977年 - [[しもうま和美]]、元[[プロレスラー]] * [[1978年]] - [[青木輝成]]、アイスホッケー選手 * 1978年 - [[比嘉久美子]]、声優 * [[1980年]] - [[伊代野貴照]]、競輪選手、元プロ野球選手 * 1980年 - [[横澤由貴]]、元[[柔道]]選手 * 1980年 - [[ベン・フォスター (俳優)|ベン・フォスター]]、俳優 * [[1981年]] - [[小松聖]]、元プロ野球選手 * 1981年 - Maboos、ミュージシャン([[Electroboyz]]) * 1981年 - [[吉原道臣]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[岸本ゆきえ]]、元タレント * 1981年 - [[アマンダ・ビアード]]、競泳選手 * [[1982年]] - [[山下奈々]]、[[ファッションモデル]] * 1982年 - [[ウィル・ベナブル]]、元プロ野球選手 * [[1983年]] - [[高野容輔]]、元[[騎手]]、調教助手 * 1983年 - 酒井健太、お笑いタレント([[アルコ&ピース]]) * [[1984年]] - [[今井洋介]]、[[アーティスト]](+ [[2015年]]<ref>[https://www.imaiyosuke.com/contents/27733 皆様へ(公式サイト2015年11月28日)]</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1572465.html テラスハウス出演の今井洋介さん心筋梗塞で急死](日刊スポーツ2015年11月28日)</ref>) * 1984年 - [[ホセ・ミハレス]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[長谷川純]]、[[タレント]]、俳優 * 1985年 - [[ヨンア]]、ファッションモデル * 1985年 - [[桑原謙太朗]]、元プロ野球選手 * [[1986年]] - [[狩野恵里]]、[[アナウンサー]] * 1986年 - [[上原理生]]、ミュージカル俳優 * 1986年 - [[北見綾野]]、[[アイドル]]、歌手 * 1986年 - [[ONE (漫画家)|ONE]]、漫画家 * 1986年 - [[清本章太]]、映画監督 * 1986年 - [[小谷昌太郎]]、俳優・モデル * [[1987年]] - [[小川麻琴]]、歌手(元[[モーニング娘。]]) * 1987年 - [[トーヴ・ロー]]、シンガーソングライター * 1987年 - [[黒田有彩]]、タレント * 1987年 - [[ジェシカ・デュベ]]、元フィギュアスケート選手 * 1987年 - [[アンディ・ダルトン]]、アメリカンフットボール選手 * 1987年 - [[石川卓哉]]、陸上選手 * [[1988年]] - [[浅本美加]]、元タレント * 1988年 - [[ヴィンセント・ケイン]]、サッカー選手 * 1988年 - [[長谷川アーリアジャスール]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[佐伯美香 (アイドル)|佐伯美香]]、元アイドル(元[[AKB48]]) * 1989年 - [[山本康裕]]、サッカー選手 * 1989年 - [[加藤多佳子]]、タレント、フリーアナウンサー * 1989年 - [[Masuo]]、[[YouTuber]] * [[1990年]] - [[河瀬ゆり]]、女優 * 1990年 - [[大熊未沙]]、タレント * 1990年 - [[エンダー・インシアーテ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[ヴァネッサ・クローン]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[陳冠宇|チェン・グァンユウ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[河載勲]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[エリック・サーデ]]、歌手 * [[1991年]] - [[AIKI (歌手)|AIKI]]、歌手(元[[bless4]]) * 1991年 - [[アリスメンディ・アルカンタラ]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[岡本健 (野球)|岡本健]]、元プロ野球選手 * 1992年 - [[新井和輝]]、[[ベーシスト]]([[King Gnu]]) * 1992年 - [[山下弘子]]、[[闘病記]]著者(+ [[2018年]]) * [[1993年]] - [[宮澤成良]]、モデル、タレント、元アイドル(元[[乃木坂46]]) * 1993年 - [[佐山みき]]、元[[グラビアアイドル]] * [[1994年]] - [[山本真菜香]]、元女優 * [[1995年]] - [[平岡卓]]、スノーボード選手 * 1995年 - [[YURiKA (歌手)|YURiKA]]、歌手 * [[1996年]] - [[篠原梨菜]]、[[TBSホールディングス|TBS]]アナウンサー * [[1998年]] - [[ランス・ストロール]]、レーシングドライバー * [[2000年]] - [[石野理子]]、ミュージシャン、元アイドル(元[[赤い公園]]、元[[アイドルネッサンス]]) * 2000年 - [[渡辺翔太 (野球)|渡辺翔太]]、プロ野球選手<ref name="sponichi202211010530">{{Cite web|和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/11/01/kiji/20221101s00001173090000c.html |title=いざ襲名パーム渡辺 楽天ドラ3が落とす魔球で名を上げる!球速も落差も自在 |access-date=2022-12-19 |date=2022年11月1日 |website=スポニチ Sponichi Annex 野球 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archive-date=2022-12-16 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221216070838/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/11/01/kiji/20221101s00001173090000c.html}}</ref> * [[2001年]] - 大芝りんか、アイドル(元[[SKE48]]) * [[2002年]] - [[:en:Ruel_(singer)|ルエル]]、歌手  * 生年不明 - [[大咲茉菜]]、声優 * 生年不明 - [[ひのでや参吉]]、漫画家 == 忌日 == * [[1268年]] - [[コッラディーノ]]、[[シチリア王国|シチリア王]](* [[1252年]]) * [[1339年]] - [[アレクサンドル・ミハイロヴィチ (トヴェリ大公)|アレクサンドル・ミハイロヴィチ]]、[[トヴェリ]][[大公]](* [[1301年]]) * [[1538年]]([[天文 (元号)|天文]]7年[[10月7日 (旧暦)|10月29日]]) - [[足利義明]]、初代[[小弓公方]](* [[1487年]]) * [[1618年]] - [[ウォルター・ローリー]]、[[イングランド王国|イングランド]]女王[[エリザベス1世]]の廷臣、[[探検家]]、[[詩人]](* [[1552年]]または[[1554年]]) * [[1645年]]([[正保]]2年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]])- [[上杉定勝]]、第2代[[米沢藩|米沢藩主]](* [[1604年]]) * [[1675年]] - [[アンドレーアス・ハンマーシュミット]]、[[作曲家]](* [[1611年]]もしくは[[1612年]]) * [[1678年]]([[延宝]]6年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]])- [[徳川綱重]]、[[徳川家光]]の三男、[[甲府藩|甲府藩主]](* [[1644年]]) * [[1712年]]([[正徳 (日本)|正徳]]2年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]])- [[柳原資廉]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](* [[1644年]]) * [[1744年]]([[延享]]元年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]])- [[石田梅岩]]、[[思想家]](* [[1685年]]) * [[1783年]] - [[ジャン・ル・ロン・ダランベール]]、[[数学者]]・思想家(* [[1717年]]) * [[1797年]]([[寛政]]9年9月10日) - [[六郷政林]]、第6代[[本荘藩|本荘藩主]](* [[1737年]]) * [[1799年]] - [[フランチェスコ・マリオ・パガーノ]] ([[:en:Francesco Mario Pagano|Francesco Mario Pagano]])、作曲家(* [[1748年]]) * [[1829年]] - [[マリア・アンナ・モーツァルト]]、ピアニスト、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]の姉(* [[1751年]]) * [[1873年]] - [[ヨハン (ザクセン王)|ヨハン]]、[[ザクセン王国|ザクセン]]王(* [[1801年]]) * [[1898年]] - [[小野友五郎]]、数学者、[[笠間藩|笠間藩士]]、[[幕臣]]、[[官僚]](* [[1817年]]) * [[1905年]] - [[エティエンヌ・デマルトー]]、[[陸上競技選手]](* [[1873年]]) * [[1911年]] - [[ジョセフ・ピュリッツァー]]、新聞発行者、ジャーナリスト(* [[1847年]]) * [[1924年]] - [[フランシス・ホジソン・バーネット]]、[[小説家]](* [[1849年]]) * [[1927年]] - [[ヘルマン・ムテジウス]]、[[建築家]](* [[1861年]]) * [[1932年]] - [[ジョゼフ・ババンスキー]]、[[医学者]](* [[1857年]]) * [[1933年]] - [[ポール・パンルヴェ]]、数学者、元[[フランスの首相|フランス首相]](* [[1863年]]) * 1933年 - [[岸清一]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、[[弁護士]]、[[国際オリンピック委員会|IOC]]委員、[[博士(法学)|法学博士]](* [[1867年]]) * [[1935年]] - [[濱尾四郎]]、[[推理作家]]、弁護士、貴族院議員(* [[1896年]]) * [[1941年]] - [[獅子内謹一郎]]、[[野球選手]](* [[1884年]]) * [[1943年]] - [[桂米團治 (3代目)]]、[[落語家]](* [[1869年]]) * [[1945年]] - [[成田為三]]、作曲家(* [[1893年]]) * [[1949年]] - [[ゲオルギィ・イワノヴィッチ・グルジェフ]]、[[神秘主義]]思想家(* [[1866年]]) * 1949年 - [[中島知久平]]、[[実業家]]、[[中島飛行機]]創業者、元[[鉄道省|鉄道相]]、[[軍需省|軍需相]]、[[商工省|商工相]](* [[1884年]]) * [[1950年]] - [[グスタフ5世 (スウェーデン王)|グスタフ5世]]、[[スウェーデン]]王(* [[1858年]]) * [[1951年]] - [[ロバート・グラント・エイトケン]]、[[天文学者]](* [[1864年]]) * [[1953年]] - [[ウィリアム・カペル]]、[[ピアニスト]](* [[1922年]]) * [[1960年]] - [[ユハン・アンデショーン]]、[[地質学|地質学者]]、[[考古学|考古学者]](* [[1874年]]) * [[1961年]] - [[長與善郎]]、小説家、[[劇作家]](* [[1888年]]) * [[1965年]] - [[ビル・マケシュニー]]、プロ野球選手(* [[1886年]]) * [[1971年]] - [[ウィルヘルム・ティセリウス]]、[[化学者]](* [[1902年]]) * [[1971年]] - [[デュアン・オールマン]]、[[ギタリスト]](* [[1946年]]) * [[1977年]] - [[千代の山雅信]]、[[大相撲]]第41代[[横綱]]、年寄11代[[九重 (相撲)|九重]](* [[1926年]]) * [[1978年]] - [[小牧近江]]、[[翻訳家]]、社会運動家(* [[1894年]]) * [[1981年]] - [[レオナード・ホークス]]、地質学者(* [[1891年]]) * [[1984年]] - [[伊東多三郎]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1909年]]) * [[1986年]] - [[清水脩]]、作曲家(* [[1911年]]) * [[1993年]] - [[マキノ雅弘]]、[[映画監督]](* [[1908年]]) * [[1994年]] - [[汐路章]]、[[俳優]](* [[1928年]]) * [[1995年]] - [[テリー・サザーン]]、小説家、[[脚本家]](* [[1926年]]) * [[1998年]] - [[中西龍]]、[[アナウンサー]](* [[1928年]]) * [[1999年]] - [[松島正幸]]、[[画家]](* [[1910年]]) * [[2002年]] - [[坂本多加雄]]、[[政治学者]](* [[1950年]]) * [[2003年]] - [[フランコ・コレッリ]]、[[テノール]][[歌手]](* [[1921年]]) * 2003年 - [[ハル・クレメント]]、[[SF作家]](* [[1922年]]) * [[2004年]] - [[アリス (グロスター公爵夫人)|アリス]]、グロスター公爵夫人(* [[1901年]]) * [[2006年]] - [[サイラス・シモンズ]]、[[プロ野球選手]](* [[1895年]]もしくは[[1897年]]) * 2006年 - [[武藤礼子]]、[[声優]](* [[1935年]]) * [[2007年]] - [[谷口千吉]]、映画監督(* [[1912年]]) * 2007年 - [[萩野純一郎]]、[[計算機科学|計算機科学者]]、[[プログラマ]](* [[1970年]]) * [[2008年]] - [[青山光二]]、小説家(* [[1913年]]) * 2008年 - [[水口健次]]、[[経済評論家]](* [[1932年]]) * 2008年 - [[シャドウ・ギャラリー|マイク・ベイカー]]、[[ヴォーカリスト]](* [[1963年]]) * [[2009年]] - [[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽]]、[[落語家]](* [[1932年]]) * [[2010年]] - [[首藤剛志]]、[[脚本家]](* [[1949年]]) * [[2012年]] - [[石川進]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.zakzak.co.jp/smp/entertainment/ent-news/news/20121101/enn1211011224008-s.htm|title=「歌手・石川進さん死去…79歳、「オバケのQ太郎」「ど根性ガエル」主題歌など」|publisher=ZAKZAK|date=2012-11-01|accessdate=2020-11-25}}</ref>、[[歌手]]、[[声優]]、[[俳優]](* [[1933年]]) * [[2013年]] - [[梅木恒明]]、[[ラグビーフットボール|ラグビー]]指導者(* [[1934年]]) * [[2016年]] - [[吉田正光]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15H9W_V11C16A2000000/|title= 国内最高齢の男性死去 東京の112歳|publisher=日本経済新聞|date=2016-12-15|accessdate=2020-11-08}}</ref><ref>[https://www.sankei.com/article/20161215-QA3PF5MIVFJAHDE4OIOUVXVB7A/ 国内最高齢112歳の男性死去 東京の吉田正光さん]産経新聞2016年12月15日付 </ref>、日本男性最高齢(* [[1904年]]) * 2016年 - [[ジョン・D・ロバーツ]]<ref>{{Cite web |date=2016-11-06 |url=https://www.nytimes.com/2016/11/07/science/john-roberts-organic-chemistry.html?_r=0 |title=John D. Roberts Dies at 98; He Revolutionized the Field of Organic Chemistry |publisher=The New York Times |language=英語 |accessdate=2020-10-24}}</ref>、化学者(* [[1918年]]) * [[2023年]] - [[HEATH]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2302253/full/|title=X JAPANメンバーがHEATHさんを悼む YOSHIKI「身も心もボロボロ」も決意「HEATHの願いを実現させるしかない」【コメント全文】|publisher=ORICON NEWS|date=2023-11-11|accessdate=2023-11-11}}</ref>、ベーシスト([[X JAPAN]])(* [[1968年]]) === 人物以外(動物など) === * 2004年 - [[アドマイヤベガ]]、[[競走馬]](* [[1996年]]) == 記念日・年中行事 == * [[建国記念日|共和国宣言記念日]]({{TUR}}) *: [[1923年]]のこの日、トルコ共和国の樹立が宣言されたことを記念。 * {{仮リンク|戴冠記念日|en|Coronation Day}}({{KHM}}) *: [[2004年]]のこの日、10月14日に即位したカンボジア国王[[ノロドム・シハモニ]]が戴冠した。 * [[おしぼり]]の日({{JPN}}) *: 全国おしぼり協同組合連合会が2004年に制定。10月はten=手の語呂合せと10本の指から、29日は「ふ(2)く(9)」の語呂合せで、全体で「手を拭く」の意味。 * ホームビデオ記念日({{JPN}}) *: [[1969年]]10月29日に、[[ソニー]]と[[パナソニック|松下電器]]が家庭用[[ビデオテープレコーダ]]([[U規格]])の開発を発表したことに由来。 * [[手袋|てぶくろ]]の日({{JPN}}) *:「10(て)2(ぶ)9(く)ろ」という語呂合わせにちなみ、手を使うことで進化してきた人類に、大切な手を守る作業用の手袋に関心を持ってもらうために株式会社[[東和コーポレーション]]が制定。 * [[和服]]の日({{JPN}}) *:「いい(1)わ(0)ふ(2)く(9)=いい和服」の語呂合わせで、「日本の伝統文化を思い出すきっかけや和服を着る機会をつくりたい」との思いから[[鈴花]]が制定<ref>[https://www.saga-s.co.jp/articles/-/596055 10月29日は「和服の日」 鈴花グループ制定、記念日協会が認定]佐賀新聞 - 2020年11月4日</ref>。 <!-- 確認できず。 * とらふぐの日({{JPN}}) *: 「と(10)らふ(2)ぐ(9)」の語呂合わせ。 --> == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1029|date=2011年7月}} *年不明 - 金曜日、チッピング・クレグホーン村の地元紙「ギャゼット」に「10月29日午後6時半にリトルパドックス館で殺人がおこる」という[[広告]]が掲載され、そのとおりに殺人事件がおきる。(小説『[[予告殺人]]』) *1984年 - 「科学アカデミア」の生徒である月形剣史(後の武装頭脳軍ボルト幹部・ドクターケンプ)と天宮勇介(後のライブマンメンバー・レッドファルコン)、「4年後にここ(科学アカデミア)で会おう」と誓う。(特撮『[[超獣戦隊ライブマン]]』第35話「勇介とケンプの約束!!」) *1988年 - レッドファルコンこと天宮勇介、先述の誓いの通り「科学アカデミア」に行く。そこへ頭脳獣ギルヅノーを連れたドクターケンプが現れ戦いとなる。(特撮『超獣戦隊ライブマン』第35話「勇介とケンプの約束!!」) === 誕生日(フィクション) === * [[1970年]] - 破鳥才蔵、ゲーム『[[豪血寺一族]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_gkt/vc_gkt_06.html |title=キャラクター紹介 破鳥 才蔵 |access-date=2022-10-24 |publisher=[[任天堂]] |work=VC 豪血寺一族}}</ref> * [[1988年]] - メガドライブ、漫画・アニメ『[[Hi☆sCoool! セハガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://shg.sega.jp/chara.html |title=キャラクター メガドライブ |access-date=2022-09-15 |publisher=SEGA |work=セガ★ハードガールズ}}</ref> * エイジ736 - [[クリリン]]、漫画・アニメ『[[ドラゴンボール]]』に登場するキャラクター<ref>[[後藤広喜]]編「永久保存版!! JUMPオールキャラクター総勢148名!! 名鑑」『週刊少年ジャンプ 1986年37号』集英社、1986年8月25日、雑誌29934-8/25、3頁。</ref> * C.E.55年 - [[アスラン・ザラ]] 、アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』に登場するキャラクター<ref>[http://blog-imgs-15.fc2.com/g/n/w/gnw20000/20090922224806a58.jpg 放送画面]</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.gundam.info/news/cafe-food/01_5748.html |title=ガンダムカフェ「ハッピーバースデー アスラン・ザラ」10月1日より開催! |access-date=2022-9-15 |publisher=GUNDAM.INFO |date=2021-09-27}}</ref> * 生年不明 - 森羅日下部、漫画・アニメ『[[炎炎ノ消防隊]]』の主人公<ref>{{Twitter status|fireforce_pr|1321466754502168577}}</ref> * [[1975年]] - [[冥王せつな]](セーラープルート)、漫画・アニメ『[[美少女戦士セーラームーン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://sailormoon-official.com/world/pluto.php |title=冥王せつな セーラープルート |access-date=2022-09-15 |publisher=美少女戦士セーラームーン 30周年プロジェクト公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 月影千草、漫画・アニメ『[[ガラスの仮面]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - シャーロット・スナック、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Charlotte_Snack.html |title=シャーロット・スナック |access-date=2022-09-15 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - 滝萩之介、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1321468032322015232}}</ref> * 生年不明 - ラモン・クロフォード、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1453739854202908674}}</ref> * 生年不明 - ギャングオルカ(逆俣空悟)、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group05/05-19/ |title=ギャングオルカ |publisher=堀越耕平/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |accessdate=2022-09-15}}</ref> * 生年不明 - ギルバート・バーニー 、漫画・アニメ『[[爆走兄弟レッツ&ゴー!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 早乙女水彦 、漫画・アニメ『[[艶漢]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - トルコ(サディク・アドナン)、漫画・アニメ『[[Axis powers ヘタリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=AXIS POWERS ヘタリア2|date=2008-12-31|publisher=[[幻冬舎]]|page=20|author=日丸屋秀和|isbn=978-4-344-81514-8}}</ref> * 生年不明 - 織田光永、漫画・アニメ『[[ひめゴト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=佃煮のりお|authorlink=佃煮のりお|year=2014|title=ひめゴト|volume=2|page=141|publisher=一迅社|isbn=978-4-7580-1368-0}}</ref> * 生年不明 - 遙鈴、アニメ『[[出撃!マシンロボレスキュー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 知床鈴、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |work=「ハイスクール・フリート」公式サイト |url=https://www.hai-furi.com/character/01_06/ |title=知床 鈴 |accessdate=2022-09-15 |publisher=AAS/新海上安全整備局}}</ref> * 生年不明 - 鷹見沢左門、ゲーム『[[夜明け前より瑠璃色な]]』に登場するキャラクター<ref>『夜明け前より瑠璃色な -Moonlight Cradle-』小冊子「Moonlight Chronicle」[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]]、2009年、37頁。</ref> * 生年不明 - 水越舞佳、漫画・アニメ『[[D.C.II ~ダ・カーポII~]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://circus-co.jp/product/dc2ps/character/maika.html |title=水越 舞佳 |access-date=2022-09-15 |publisher=CIRCUS |work=D.C.II P.S.~ダ・カーポII~プラスシチュエーション}}</ref> * 生年不明 - 深角友恵、ゲーム・アニメ『[[フォトカノ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://photokano.jp/maincharacter07.html |title=深角友恵 |access-date=2022-09-15 |work=フォトカノ}}</ref> * 生年不明 - 夜舞サヲリ、漫画・アニメ『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://t7s.jp/character/chara/26.html |title=夜舞サヨリ |access-date=2022-09-15 |publisher=Tokyo 7th シスターズ}}</ref> * 生年不明 - 米女メイ、メディアミックス『[[ラブライブ!スーパースター!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/yuigaoka/member/ |title=メンバー紹介|米女メイ |access-date=29 Oct 2023 |publisher=プロジェクトラブライブ!スーパースター!! |work=『ラブライブ!スーパースター!!』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|29 October}} {{新暦365日|10|28|10|30|[[9月29日]]|[[11月29日]]|[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]|1029|10|29}} {{1年の月と日}}
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10月30日
10月30日(じゅうがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から303日目(閏年では304日目)にあたり、年末まであと62日ある。
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10月30日(じゅうがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から303日目(閏年では304日目)にあたり、年末まであと62日ある。
{{カレンダー 10月}} '''10月30日'''(じゅうがつさんじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から303日目([[閏年]]では304日目)にあたり、年末まであと62日ある。 == できごと == {{multiple image | caption1 = 「[[教育ニ関スル勅語]]」発布(1890) | image1 = Imperial Rescript on Education.jpg | width1 = 90 | alt1 = 教育ニ関スル勅語 | caption2 = 民権の承認、国会開設などを定めた[[十月詔書]]署名(1905) | image2 = Repin 17October.jpg | width2 = 90 | alt2 = 十月詔書署名 }} {{multiple image | caption1 = ラジオドラマ『[[宇宙戦争 (ラジオ)|宇宙戦争]]』放送によるパニック(1938)。{{audio|War-of-the-worlds-broadcast.ogg|ラジオドラマ『宇宙戦争』を聴く}} | image1 = WOTW-Cartoon-Callan.jpg | width1 = 90 | alt1 = 教育ニ関スル勅語 | caption2 = [[中郷インターチェンジ|中郷IC]] - [[上越ジャンクション|上越JCT]](画像)間開通により、[[上信越自動車道]]が全線開通(1999) | image2 = Joetsu Junction.JPG | width2 = 90 | alt2 = 十月詔書署名 }} {{multiple image | footer = [[ドレスデン]]の[[聖母教会 (ドレスデン)|聖母教会]]復旧(2005)。左は破壊された当時の教会 | image1 = Bundesarchiv B 145 Bild-F088675-0031, Dresden, Ruine der Frauenkirche.jpg | width1 = 100 | alt1 = 復旧前 | image2 = Aerial photo Dresden re-construction of the Church of Our Lady Frauenkirche photo 2008 Wolfgang Pehlemann Wiesbaden Germany HSBD4382.jpg | width2 = 80 | alt2 = 復旧後 }} * [[1270年]] - [[第8回十字軍]]と[[チュニス]]の包囲が終了。 * [[1485年]] - [[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]が戴冠。 * [[1598年]]([[慶長]]3年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]・[[泗川の戦い]]:[[島津義弘]]、泗川城で[[明]]・[[朝鮮]]軍を大破する。 * [[1863年]] - [[3月30日]]に[[ギリシャ王国|ギリシャ]]国王に選出された[[ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)|ゲオルギオス1世]]が[[アテネ]]に到着。 * [[1864年]] - [[第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争]]が終結。 * [[1890年]] - 「[[教育ニ関スル勅語]]」(教育勅語)発布<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m23_1890_02.html |title=明治23年(1890)10月 教育に関する勅語が発せられる |access-date=31 Aug 2023 |publisher=国立公文書館}}</ref>。 * [[1905年]](ユリウス暦[[10月17日]]) - [[ロシア第一革命]]: ロシア皇帝[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]が[[十月詔書]]に署名。 * [[1918年]] - [[第一次世界大戦]]: [[オスマン帝国]]が[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]に降伏。([[ムドロス休戦協定]]) * [[1922年]] - 首相に指名された[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]がファシスト党員とともにローマに入城。 * [[1932年]] - [[熱海事件]]が発生。警察と共産党員の銃撃により警官2人が負傷、党員11人が検挙。[[非常時共産党]]が壊滅的打撃を受ける<ref>熱海会議出席の十一人、銃撃戦で検挙『東京日日新聞』昭和8年1月18日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p349-350 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1938年]] - アメリカで[[オーソン・ウェルズ]]が、[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|HGウェルズ]]の小説をもとに、火星人のニュージャージー侵攻を伝えるフェイクニュース『[[宇宙戦争 (ラジオ)|宇宙戦争]]』を放送。本物のニュースと勘違いされ、一部のリスナーが警察、新聞社、ラジオ局に電話をかける大パニックに<ref>{{Cite web |url=https://www.smithsonianmag.com/history/infamous-war-worlds-radio-broadcast-was-magnificent-fluke-180955180/ |title=The Infamous “War of the Worlds” Radio Broadcast Was a Magnificent Fluke |access-date=31 Aug 2023 |publisher=Smithsonian Magazine |date=May 6, 2015}}</ref>。 * [[1941年]] - [[駆逐艦]][[ラフィー_(DD-459)]]進水。 * [[1944年]] - [[ホロコースト]]: [[アンネ・フランク]]と姉の[[マルゴット・フランク]]が[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ]]から[[ベルゲン・ベルゼン強制収容所|ベルゲン・ベルゼン]]へ移送される。 * [[1947年]] - 国際貿易会議で23か国が「[[関税および貿易に関する一般協定]]」(GATT) に調印。 * [[1950年]] - [[山口県]]若沖炭鉱(広義の[[宇部炭鉱]])で海水流入事故。逃げ遅れた35人死亡<ref>「坑内に海水進入」『日本経済新聞』昭和25年10月31日3面</ref>。 * [[1952年]] - [[第4次吉田内閣|第4次吉田茂内閣]]が成立。 * [[1960年]] - [[北海道]][[白糠町]]の明治鉱業庶路鉱業所でガス爆発事故が発生。作業員18人が死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=148 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1961年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]が[[ノヴァヤゼムリャ]]上空で、史上最大の[[水素爆弾|水爆]][[核実験|実験]]([[ツァーリ・ボンバ]])を実施。 * [[1962年]] - 最高裁が[[吉田岩窟王事件]]の再審を決定。 * [[1973年]] - [[ボスポラス海峡]]に架かる[[ボスポラス橋]]が完成<ref>{{Cite web |url=https://www.propertyturkey.com/blog-turkey/famous-bosphorus-bridges-of-istanbul |title=Famous Bosphorus Bridges of Istanbul |access-date=31 Aug 2023 |publisher=Property Turkey Limited. |date=14 Mar 2023}}</ref>。 * [[1977年]] - [[ハワイ]]の[[アメリカ海兵隊]]員の宴会の席で[[トライアスロン]]が考案される。 * [[1978年]] - [[京王新線]]が開通。 * [[1987年]] - [[日本電気ホームエレクトロニクス|NECホームエレクトロニクス]]が[[ゲーム機|家庭用ゲーム機]]・[[PCエンジン]]を発売。 * [[1993年]] - 沖縄県ウリミバエ根絶宣言<ref>{{Cite web|和書 |title=1993年10月30日 沖縄県ウリミバエ根絶宣言 |url=https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4570 |access-date=31 Aug 2023 |publisher=1993年10月30日 沖縄県ウリミバエ根絶宣言}}</ref>。 * [[1995年]] - [[カナダ]]・[[ケベック州]]独立の是非を問う州民投票で、反対派が賛成派に辛勝(50.6%対49.4%)。 * [[1996年]] - [[柳川喜郎]]御嵩町長が襲われ、頭蓋骨骨折の重傷を負う。([[御嵩町長襲撃事件]]) * [[1999年]] - [[上信越自動車道]]が全線開通。 * [[2000年]] - [[シドニーオリンピック]]で金メダルを獲得した[[高橋尚子]]に[[国民栄誉賞]]が贈られる。 * 2000年 - 最後の[[Multics]]マシンが停止される。 * [[2005年]] - 第二次大戦中の[[ドレスデン爆撃]]により崩壊した[[聖母教会 (ドレスデン)|聖母教会]]が再建され、聖別が行われる。 * [[2013年]] - [[ボストン・レッドソックス]]が1918年以来、95年ぶりに地元[[ボストン]]で[[ワールドシリーズ]]優勝を決める<ref>{{Cite web|和書 |date=31 Oct 2013 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3002428 |title=最下位から頂点へ、レッドソックスがワールドシリーズ制覇! |work=[[フランス通信社|AFP]]BB News |accessdate=31 Aug 2023}}</ref>。 <!-- 「10月30日」に特記すべき情報ですか? * [[2016年]] - [[広島東洋カープ]]が[[黒田博樹]]の[[背番号]]15の[[永久欠番]]を発表。 --> * [[2017年]] - [[バクー=トビリシ=カルス鉄道]]開通<ref>{{Cite web|和書 |date=30 Aug 2017 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22883280Q7A031C1FF1000/ |title=「一帯一路」に新ルート ロシア迂回、3カ国鉄道開通 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=31 Aug 2023}}</ref>。 * [[2018年]] - [[大法院 (大韓民国)|韓国大法院]]、[[新日鉄住金]]に第2次大戦中の元朝鮮人工員への賠償を命ずる上告審を支持する判決を下し、賠償が確定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3195209|title=元徴用工訴訟、韓国最高裁が新日鉄住金に賠償支払い命じる|publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB NEWS|date=30 Oct 2018|accessdate=31 Aug 2023}}</ref>。 * 2018年 - [[ケプラー (探査機)|ケプラー宇宙望遠鏡]]が燃料枯渇のため運用を終了<ref>{{Cite web|和書 |url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/110100104/ |title=さよならケプラー宇宙望遠鏡、大量の惑星を発見 |publisher=National Geographic Society. National Geographic Partners, LLC. Nikkei National Geographic Inc. |date=1 Nov 2018 |accessdate=31 Aug 2023 |website=[[ナショナルジオグラフィック]]}}</ref>。 * [[2020年]] - トルコとギリシャの間のエーゲ海を震源とするマグニチュード7.0の大地震が発生<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.bbc.com/japanese/54745745 |title=エーゲ海震源にM7.0の地震 トルコとギリシャで死者 |access-date=31 Aug 2023 |publisher=[[BBC]] NEWS JAPAN |date=31 Oct 2020}}</ref>。 * [[2022年]] - [[プロ野球]][[オリックスバファローズ]]が26年ぶりに[[日本一]]になる。 == 誕生日 == [[ファイル:US Navy 031029-N-6236G-001 A painting of President John Adams (1735-1826), 2nd president of the United States, by Asher B. Durand (1767-1845)-crop.jpg|thumb|226x226px|第2代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョン・アダムズ]](1735-1826)誕生]] [[ファイル:Kanehiro Takaki.JPG|thumb|230x230px|[[海軍軍人]]、[[医学者]]、[[高木兼寛]](1849-1920)誕生。[[食事療法]]による[[脚気]]治療を提唱した]] [[File:UedaBin.jpg|thumb|240x240px|[[翻訳家]]、[[上田敏]](1874-1916)誕生。]] {{multiple image | footer = [[フランス]]の[[彫刻家]][[アントワーヌ・ブールデル]](1821-1890)誕生。右は「弓をひくヘラクレス」 | image1 = Antoine Bourdelle-1925.jpg | width1 = 90 | alt1 = ブールデル | image2 = Herakles the Archer - MET - 24.232.jpg | width2 = 90 | alt2 = 弓をひくヘラクレス }} [[ファイル:1988 CPA 6001.jpg|thumb|258x258px|[[ソビエト連邦の軍部大臣#ソビエト連邦国防省|ソ連国防相]]、[[ドミトリー・ウスチノフ]](1908-1984)誕生。[[冷戦]]時代のソ連軍事を支えた]] {{multiple image | footer = [[ディエゴ・マラドーナ]](1960-2020)誕生 | image1 = Maradona-Mundial 86 con la copa.JPG | width1 = 90 | alt1 = 現役時代 | image2 = Diego Maradona 2012 2.jpg | width2 = 90 | alt2 = 監督 }} [[ファイル:Shinobu Kandori.jpg|thumb|206x206px|女子[[プロレスラー]]、[[神取忍]](1964-)誕生]] * [[1218年]]([[建保]]6年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]])- [[仲恭天皇]]、第85代[[天皇]](+ [[1234年]]) * [[1513年]] - [[ジャック・アミヨ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Jacques-Amyot Jacques Amyot French scholar] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[翻訳家]]、[[人文主義者]] (+ [[1593年]]) * [[1709年]]([[宝永]]6年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]) - [[織田信朝]]、第2代[[柏原藩|柏原藩主]](+ [[1737年]]) * [[1735年]] - [[ジョン・アダムズ]]、第2代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1826年]]) * [[1741年]] - [[アンゲリカ・カウフマン (画家)|アンゲリカ・カウフマン]]、[[画家]](+ [[1807年]]) * [[1748年]] - [[マーサ・ジェファーソン]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[1782年]]) * [[1751年]] - [[リチャード・ブリンズリー・シェリダン]]、[[劇作家]]、[[政治家]](+ [[1816年]]) * [[1803年]]([[享和]]3年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[松平容衆]]、第7代[[会津藩|会津藩主]](+ [[1822年]]) * [[1805年]]([[文化 (元号)|文化]]2年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[松平忠彦]]、第2代[[忍藩|忍藩主]](+ [[1841年]]) * [[1818年]]([[文政]]1年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]])- [[元田永孚]]、[[熊本藩|熊本藩士]]、[[儒学者]](+ [[1891年]]) * [[1820年]](文政3年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]) - [[松平斉善]]、第15代[[福井藩|福井藩主]](+ [[1838年]]) * [[1839年]] - [[アルフレッド・シスレー]]、画家(+ [[1899年]]) * [[1840年]] - [[ウィリアム・グラハム・サムナー]]、学者(+ [[1910年]]) * [[1849年]]([[嘉永]]2年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[高木兼寛]]、[[海軍軍人]]、[[医学者]](+ [[1920年]]) * [[1861年]] - [[アントワーヌ・ブールデル]]、[[彫刻家]](+ [[1929年]]) * [[1862年]] - [[フリードリヒ・マイネッケ]]、[[歴史家]](+ [[1954年]]) * [[1867年]] - [[エド・デラハンティ]]、[[プロ野球選手]](+ [[1903年]]) * [[1868年]]([[明治]]元年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[大森房吉]]、[[地震学|地震学者]](+ [[1923年]]) * [[1871年]] - [[ポール・ヴァレリー]]、[[詩人]]・批評家(+ [[1945年]]) * [[1874年]] - [[上田敏]]、[[翻訳家]]・詩人(+ [[1916年]]) * [[1887年]] - [[ゲオルク・ハイム]]、[[詩人]](+ [[1912年]]) * [[1893年]] - [[ローラント・フライスラー]]、[[ナチス・ドイツ]]人民法廷長官(+ [[1945年]]) * [[1894年]] - [[ピーター・ウォーロック]]、[[作曲家]]、[[音楽評論家]](+ [[1930年]]) * [[1896年]] - [[アントニーノ・ヴォットー]]、[[指揮者]](+ [[1985年]]) * [[1898年]] - [[ビル・テリー]]、プロ野球選手(+ [[1989年]]) * [[1906年]] - [[ジュゼッペ・ファリーナ]]、[[フォーミュラ1|F1]]レーサー(+ [[1966年]]) * 1906年 - [[須藤克三]]、[[教育者]]、[[児童文学者]](+ [[1982年]]) * [[1907年]] - [[平野謙 (評論家)|平野謙]]、[[文芸評論家]](+ [[1978年]]) * [[1908年]] - [[ドミトリー・ウスチノフ]]、[[政治家]](+ [[1984年]]) * [[1910年]] - [[ヴィクター・ロスチャイルド (第3代ロスチャイルド男爵)|第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター・ロスチャイルド]]、[[銀行家]]、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員(+ [[1990年]]) * [[1913年]] - [[富士正晴]]、[[小説家]]、詩人(+ [[1987年]]) * [[1916年]] - [[戸田盛和]]、[[物理学者]](+ [[2010年]]) * 1916年 - [[小島一枝]]、[[水泳選手一覧|水泳選手]](+ [[1992年]]) * [[1921年]] - [[荻原賢次]]、[[漫画家]](+ [[1990年]]) * [[1927年]] - [[ジョン・マック]]、[[オーボエ]]奏者(+ [[2006年]]) * 1927年 - [[ジョー・アドコック]]、プロ野球選手(+ [[1999年]]) * [[1930年]] - [[クリフォード・ブラウン]]、[[ジャズ]]ミュージシャン(+ [[1956年]]) * [[1931年]] - [[ミルコ・ボボツォフ]]、[[チェス]]選手(+ [[2000年]]) * [[1932年]] - [[ルイ・マル]]、[[映画監督]](+ [[1995年]]) * 1932年 - [[小倉薫]]、元プロ野球選手 * [[1934年]] - [[フランス・ブリュッヘン]]、[[音楽家]](+ [[2014年]]) * [[1935年]] - [[マイケル・ウィナー]]、映画監督(+ [[2013年]]) * 1935年 - [[アゴタ・クリストフ]]、[[作家]](+ [[2011年]]) * 1935年 - [[滝内弥瑞生]]、プロ野球選手(+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|title=元西鉄・滝内弥瑞生氏が死去 82歳|date=23 Sep 2018|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/23/kiji/20180923s00001173218000c.html|website=Sponichi ANNEX|publisher=[[スポーツニッポン]]|accessdate=31 Aug 2023}}</ref>) * 1935年 - [[ジム・ペリー]]、元プロ野球選手 * 1935年 - [[小林和男 (政治家)|小林和男]]、政治家(+ 2018年) * [[1936年]] - [[川田孝子]]、[[童謡歌手]](+ 2021年) * [[1937年]] - [[東海林さだお]]、[[漫画家]]、エッセイスト * 1937年 - [[クロード・ルルーシュ]]、映画監督 * [[1939年]] - [[グレイス・スリック]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ジェファーソン・エアプレイン]]) * 1939年 - [[リーランド・ハートウェル]]、[[生物学者]] * [[1941年]] - [[山本小鉄]]、[[プロレスラー]](+ [[2010年]]) * [[1945年]] - [[蜂谷薫]]、アナウンサー * [[1946年]] - [[宝亀克寿]]、[[声優]] * [[1947年]] - [[ティモシー・B・シュミット|ティモシー・シュミット]]、ミュージシャン([[イーグルス]]) * [[1948年]] - [[大川栄策]]、[[演歌歌手]] * 1948年 - [[ミッキー・リバース]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[前田恵一]]、[[宇宙物理学|宇宙物理学者]] * 1950年 - [[夏夕介]]、[[俳優]](+ [[2010年]]) * [[1951年]] - [[金山仙吉]]、元プロ野球選手 * [[1955年]] - [[鳴海丈]]、[[作家]]、[[脚本家]] * 1955年 - [[佐藤滋孝]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[大平シロー]]、[[漫才師]](+ [[2012年]]) * [[1957年]] - [[ジャッキー佐藤]]、プロレスラー(+ [[1999年]]) * 1957年 - [[奥野敦子]](イリア)、ミュージシャン([[ジューシィ・フルーツ]]) * [[1958年]] - [[畠山智之]]、[[アナウンサー]] * 1958年 - [[西野智彦]]、ジャーナリスト * 1958年 - [[石川光久]]、[[アニメーション]][[プロデューサー]] * [[1960年]] - [[リー・タネル]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[丸山一仁]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[ディエゴ・マラドーナ]]、元[[サッカー選手]]、指導者(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書 |title=サッカーのマラドーナさん、60歳で死去 伝説的選手 |url=https://www.bbc.com/japanese/55082122 |publisher=[[BBC]] NEWS JAPAN |accessdate=31 Aug 2023 |date=26 Nov 2020}}</ref>) * [[1961年]] - [[長沢克泰]]、[[漫画家]] * 1961年 - [[西島義則]]、[[競艇選手]] * [[1962年]] - [[中馬賢治]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[トッド・サンド]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1964年]] - [[神取忍]]、プロレスラー * 1964年 - [[呂明賜]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[日出郎]]、タレント、歌手 * 1964年 - [[テレンス・リー]]、軍事[[評論家]] * [[1965年]] - [[森友嵐士]]、ミュージシャン、[[シンガーソングライター]]([[T-BOLAN]]) * 1965年 - [[レッド吉田]]、[[お笑い芸人]]([[TIM (お笑いコンビ)|TIM]]) * [[1967年]] - [[笹野みちる]]、ミュージシャン([[東京少年]]) * 1967年 - [[小島弘務]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[桑田靖子]]、[[歌手]]、[[タレント]] * [[1968年]] - [[清春]]、ミュージシャン([[黒夢]]、[[SADS]]) * [[1970年]] - [[伊藤智仁]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[川崎義文]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[金翰秀]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[門倉貴史]]、[[エコノミスト]] * [[1973年]] - [[シルビア・コルソ]]、[[ニュースキャスター]] * 1973年 - [[小松亮太]]、[[バンドネオン]]奏者 * 1973年 - [[エッジ (プロレスラー)|エッジ]]、プロレスラー * [[1974年]] - [[マーティン・ヘンリクソン]]、ミュージシャン * [[1975年]] - [[マルコ・スクータロ]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[ジャビット・バイラミ]]、[[K-1]]選手 * [[1976年]] - [[大橋マキ]]、アナウンサー * 1976年 - [[桜木ジェイアール]]、バスケットボール選手 * 1976年 - [[三上亮 (ヴァイオリニスト)|三上亮]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1978年]] - [[ルイス・マトス]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[中冨伸一]]、[[オートバイ]]レーサー * 1978年 - [[小関英吾]]、オートバイレーサー(+ [[2013年]]) * [[1979年]] - [[仲間由紀恵]]、女優 * 1979年 - [[東風万智子]]、女優 * 1979年 - [[Happy だんばら]]、[[ラジオパーソナリティ]] * [[1980年]] - [[鬼束ちひろ]]、シンガーソングライター * 1980年 - [[杉内俊哉]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[チェ・ホンマン]](崔洪万)、総合格闘家 * 1980年 - [[福田衣里子]]、政治家 * 1980年 - [[YUFUKO]]、[[ファッションモデル]] * 1980年 - [[クレイグ・アンダーソン (左投手)|クレイグ・アンダーソン]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[中沢健]]、作家、芸人 * 1981年 - [[イヴァンカ・トランプ]]、実業家、ソーシャライト * 1981年 - [[チョン・ジヒョン]]、ファッションモデル、女優 * 1981年 - [[長手絢香]]、タレント(元[[ココナッツ娘。]]) * 1981年 - [[仙台エリ]]、声優 * [[1982年]] - [[ジョナサン・アルバラデホ]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[アンダーソン・エルナンデス]]、プロ野球選手 * [[1984年]] - [[シェーン・ロビンソン]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[澤野ひとみ]]、ファッションモデル * [[1986年]] - [[相馬圭祐]]、俳優 * [[1987年]] - [[阿久津加菜]]、声優 * 1987年 - [[内山夕実]]、声優 * [[1988年]] - [[階戸瑠李]]、女優、モデル(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2020/08/31/0013652300.shtml?pu=20200831 |title=女優・階戸瑠李さん急死、31歳「半沢」で脚光浴びた矢先…持病で |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=2020-08-31 |accessdate=31 Aug 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |title=半沢女優の階戸瑠李さん急死 31歳、自宅で倒れ…持病の発作か 事件性や自殺の可能性なし |website=Sponichi Annex |date=1 Sep 2020 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/01/kiji/20200831s00041000489000c.html |accessdate=31 Aug 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]]}}</ref>) * [[1989年]] - [[ナスティア・リューキン]]、体操選手 * 1989年 - [[斎藤朱莉]]、元グラビアアイドル * [[1990年]] - [[水谷駿]]、俳優、歌手、タレント * 1990年 - [[吉田茉以]]、タレント([[9nine]]) * 1990年 - [[松本美星]]、タレント * 1990年 - [[土田慎]]、[[政治家]] * [[1991年]] - [[ベック (モデル)|ベック]]、モデル、タレント * [[1993年]] - [[マーカス・マリオタ]]、アメリカンフットボール選手 * [[1994年]] - [[春野杏]]、声優 * [[1995年]] - [[松井裕樹]]、プロ野球選手 * 1995年 - [[若井友希]]、声優、歌手、アイドル([[i☆Ris]]) * 1995年 - [[松田るか]]、女優 * 1995年 - [[藤本万梨乃]]、[[フジテレビアナウンサー]] * 1995年 - [[福田成美]]、元タレント、元フリーアナウンサー * [[1996年]] - [[大矢梨華子]]、歌手、[[アイドル]](元[[ベイビーレイズJAPAN]]) * 1996年 - [[佐藤勝利]]、歌手、俳優([[Sexy Zone]]) * 1996年 - [[譜久村聖]]、歌手([[モーニング娘。]]) * 1996年 - [[坪井ミサト]]、タレント、女優 * 1996年 - [[デビン・ブッカー]]、バスケットボール選手 * 1996年 - エイジ、[[YouTuber]]([[アバンティーズ]])(+ [[2019年]]) * 1996年 - [[岡本直也 (1996年生の投手)|岡本直也]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[神宮寺勇太]]、歌手、俳優([[Number_i]]、元[[King & Prince]]) * [[1998年]] - [[田村芽実]]、アイドル(元[[アンジュルム]]) * 1998年 - [[古橋舞悠]]、歌手、タレント、アイドル(元[[アイドリング!!!]]31号) * 1998年 - [[池田美優]]、ファッションモデル * [[2000年]] - [[橋本涼]]、アイドル([[HiHi Jets]]) * 2000年 - 宮﨑想乃、アイドル(元[[HKT48]]) * [[2002年]] - [[松田迅]]、アイドル([[INI]]) * 生年不明 - [[鈴木卓朗]]、声優 * 生年不明 - [[空見ゆき]]、声優 * 生年不明 - [[咲々木瞳]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=12931 |title=咲々木 瞳 |publisher=[[東京俳優生活協同組合|俳協]] |accessdate=31 Aug 2023}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[ビッグバン・ベリー]]、プロレスラー * 生年非公表 - [[てつや (東海オンエア)|てつや]]、YouTuber([[東海オンエア]]) == 忌日 == === 人物 === * [[1522年]] - [[ジャン・ムートン]]、[[作曲家]](* [[1459年]]?) * [[1626年]] - [[ヴィレブロルト・スネル]]、[[天文学者の一覧|天文学者]]、[[数学者]](* [[1580年]]) * [[1654年]]([[承応]]3年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[後光明天皇]]、第110代[[天皇]](* [[1633年]]) * [[1664年]]([[寛文]]4年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - [[南部重直]]、第2代[[盛岡藩|盛岡藩主]](* [[1606年]]) * [[1732年]] - [[ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](* [[1666年]]) * [[1772年]] - [[カール・イェルーザレム]]、[[法学者]](* [[1747年]]) * [[1790年]]([[寛政]]2年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]) - [[柄井川柳]]、[[川柳]]の祖(* [[1718年]]) * [[1796年]](寛政8年[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]) - [[牧野貞長]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[京都所司代]]、[[笠間藩|笠間藩主]](* [[1733年]]) * [[1816年]] - [[フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク王)|フリードリヒ1世]]、[[ヴュルテンベルク王国|ヴュルテンベルク王]](* [[1754年]]) * [[1823年]] - [[エドモンド・カートライト]]、[[実業家]]、[[発明家]](* [[1743年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[芹沢鴨]]、[[新選組]]筆頭局長(* [[1827年]]) * 1863年(文久3年9月18日) - [[平山五郎]]、新撰組副長助勤(* [[1829年]]) * [[1883年]] - [[ローベルト・フォルクマン]]、作曲家(* [[1815年]]) * [[1903年]] - [[尾崎紅葉]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/249/ |title=尾崎 紅葉 |access-date=31 Aug 2023 |publisher=[[国立国会図書館]]}}</ref>、[[小説家]]、[[俳人]](* [[1867年]]) * [[1910年]] - [[アンリ・デュナン]]、[[国際赤十字]]創始者(* [[1828年]]) * [[1912年]] - [[ジェームズ・S・シャーマン]]、第27代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1855年]]) * [[1916年]] - [[ピーター・ドッヅ・マコーミック]]、オーストラリアの国歌「[[アドヴァンス・オーストラリア・フェア]]」作者(* [[1834年]]?) * [[1923年]] - [[アンドルー・ボナー・ロー]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1858年]]) * [[1928年]] - [[ロバート・ランシング]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1864年]]) * [[1930年]] - [[豊田佐吉]]、[[発明家]]、[[豊田自動織機]]創業者(* [[1867年]]) * [[1933年]] - [[平福百穂]]、[[日本画]]家(* [[1877年]]) * [[1941年]] - [[谷口尚真]]、第18代[[連合艦隊司令長官]](* [[1870年]]) * [[1945年]] - [[堀口九萬一]]、[[外交官]]、[[随筆家]](* [[1865年]]) * [[1953年]] - [[カールマーン・イムレ]]、作曲家(* [[1882年]]) * 1953年 - [[レオニード・クロイツァー]]、[[ピアニスト]](* [[1884年]]) * [[1960年]] - [[ジョージ・ボンハーグ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1882年]]) * [[1961年]] - [[ルイージ・エイナウディ]]、第2代[[共和国大統領 (イタリア)|イタリア大統領]](* [[1874年]]) * [[1967年]] - [[ジュリアン・デュヴィヴィエ]]、[[映画監督]](* [[1896年]]) * [[1968年]] - [[ラモン・ノヴァロ]]、[[俳優]](* [[1899年]]) * [[1975年]] - [[グスタフ・ヘルツ]]、[[物理学者]](* [[1887年]]) * [[1977年]] - [[野尻抱影]]、[[随筆家]]、[[天文家|天文研究家]](* [[1885年]]) * [[1979年]] - [[ラケーレ・グイーディ]]、[[イタリア王国|イタリア]]指導者[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]の妻(* [[1890年]]) * [[1981年]] - [[能見正比古]]、[[血液型性格分類]]の普及者(* [[1925年]]) * [[1984年]] - [[森有一]]、[[俳人]]、日本画家(* [[1898年]]) * [[1985年]] - [[北裏喜一郎]]、[[実業家]](* [[1911年]]) * 1985年 - [[斎藤隆介]]、[[作家]](* [[1917年]]) * [[1990年]] - [[石川恒太郎]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1900年]]) * [[1995年]] - [[上杉隆憲]]、[[米沢藩|米沢]][[上杉氏|上杉家]]16代目当主、元[[東京都児童会館]]長(* [[1917年]]) * 1995年 - [[河北倫明]]、[[美術評論家]](* [[1914年]]) * [[1997年]] - [[サミュエル・フラー]]、[[映画監督]](* [[1911年]]) * [[2000年]] - 2代目[[神田山陽]]、[[講談|講談師]](* [[1909年]]) * [[2002年]] - [[Run-D.M.C.|ジャム・マスター・ジェイ]]、[[ラッパー]](* [[1965年]]) * [[2003年]] - [[フランコ・ボニゾッリ]]、[[テノール]][[歌手]](* [[1938年]]) * [[2004年]] - [[南條範夫]]、小説家(* [[1908年]]) * [[2005年]] - [[アル・ロペス]]、プロ野球選手(* [[1908年]]) * 2005年 - [[葉室鐵夫]]、[[水泳]]選手(* [[1917年]]) * [[2006年]] - [[白川静]]、[[漢文学|漢文学者]](* [[1910年]]) * 2006年 - [[木下順二]]、[[劇作家]](* [[1914年]]) * 2006年 - [[クリフォード・ギアツ]]、[[文化人類学|文化人類学者]](* [[1926年]]) * [[2007年]] - [[ジョン・ウッドラフ]]、陸上競技選手(* [[1915年]]) * 2007年 - [[ロバート・グーレ]]、歌手、[[俳優]](* [[1933年]]) * [[2008年]] - [[上田耕一郎]]、元[[参議院議員]]、[[日本共産党]]副委員長(* [[1927年]]) * [[2010年]] - [[野沢那智]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG3002R_Q0A031C1000000/ |title=声優の野沢那智さんが死去 アラン・ドロンら吹き替え |publisher=[[日本経済新聞]] |date=30 Oct 2010 |accessdate=31 Aug 2023}}</ref>、[[声優]](* [[1938年]]) * 2010年 - [[ハリー・ムリシュ]]、[[小説家]](* [[1927年]]) * [[2012年]] - [[藤本義一 (作家)|藤本義一]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG3004S_Q2A031C1CC1000/ |title=藤本義一氏が死去 直木賞受賞、テレビ司会も |publisher=[[日本経済新聞]] |date=31 Oct 2012 |accessdate=31 Aug 2023}}</ref>、[[作家]](* [[1933年]]) * [[2016年]] - [[宗藤尚三]]、[[随筆家]]、[[牧師]]、[[教育者]](* [[1927年]]) * [[2019年]] - [[山本昌平]]、俳優、[[声優]]、[[ナレーター]](* [[1938年]]<ref>{{Cite web|和書 |title=俳優・山本昌平さん死去 82歳 「水戸黄門」「電撃戦隊チェンジマン」など |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/11/28/kiji/20191128s00041000251000c.html |website=Sponichi Annex |access-date=31 Aug 2023 |language=ja |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=28 Nov 2019}}</ref>) * [[2022年]] - [[イ・ジハン]]、俳優(* [[1998年]]) * 2022年 - [[聖悠紀]]、[[漫画家]](* [[1949年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2013年]] - [[オレハマッテルゼ]]、[[競走馬]](+ [[2000年]]) == 記念日・年中行事 == * [[卵かけご飯|たまごかけごはん]]の日({{JPN}}) *: [[2005年]]のこの日に[[島根県]][[雲南市]]で開かれた「第1回日本たまごかけごはんシンポジウム」において制定。 * [[初恋]]の日({{JPN}}) *:[[島崎藤村]]ゆかりの宿である[[長野県]][[小諸市]]の中棚荘が制定。[[1896年]](明治29年)、島崎藤村が『文学界』46号に『こひぐさ』の一編として初恋の詩を発表。毎年、初恋をテーマとした「初恋はがき大賞」等のイベントがある。 * [[香り]]の記念日({{JPN}}) *:[[1992年]]のこの日、[[石川県]][[七尾市]]で第7回[[国民文化祭]]「世界香りのフェアIN能登」が開催され、それを記念し制定される。 * [[世界のウチナーンチュの日]]({{JPN}}) *:[[2016年]]の同日に閉会した第6回[[世界のウチナーンチュ大会]]の閉会式に制定が宣言された。 * 教育勅語発布の日({{JPN}}) *:[[1890年]](明治23年)のこの日発布された「教育ニ関スル勅語」は終戦まで教育の基本になった。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1030|date=Aug 2023}} === 誕生日(フィクション) === * [[1972年]] - [[ヴォルグ・ザンギエフ]]、漫画・アニメ『[[はじめの一歩]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ippo_fs|1326796876918747140}}</ref> *[[1976年]] - 沢渡桜子、[[仮面ライダーシリーズ]]『[[仮面ライダークウガ]]』の登場人物<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/characters/1330 |title=沢渡桜子 |access-date=31 Aug 2023 |publisher=[[石森プロ]]・[[テレビ朝日]]・ADK EM・[[東映]]・[[東映ビデオ]] |work=仮面ライダー図鑑}}</ref> * [[1995年]] - 塙かおる、アニメ『[[たまゆら (アニメ)|たまゆら]]』に登場するキャラクター * AO55年 - アントニオ・ホリゾン、アニメ『[[プラスティック・メモリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>第10話より</ref> * 生年不明 - チャーリー・ブラウン、漫画・アニメ『[[ピーナッツ (漫画)|ピーナッツ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|snoopymoviejp|659924702056464384}}</ref> * 生年不明 - 岡崎朋也、ゲーム・アニメ『[[CLANNAD -クラナド-]]』の主人公 * 生年不明 - 湊小春、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』の「Episode Chiral(エピソード キラル)」の主人公のひとり<ref>{{Cite web|和書 |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/koharu.html |title=湊 小春 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=31 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - イオン・リー、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ドミノ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/anime/character/characters/Domino |title=ドミノ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=31 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - マグラ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Magura.html |title=マグラ |work=『ONE PIECE』 |accessdate=31 Aug 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 氷室辰也、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1321832624478773249}}</ref> * 生年不明 - 大平獅音、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088804842|date=2015-10-03|volume=18巻|page=186}}</ref> * 生年不明 - 灰羽リエーフ、漫画・アニメ『ハイキュー!!』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088708522|date=2014-01-04|volume=9巻|page=170}}</ref> * 生年不明 - 常闇踏陰、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』の登場キャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://mhaoj2.bn-ent.net/character/fumikage.php |title=常闇踏陰 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 [[バンダイナムコエンターテインメント|BANDAI NAMCO Entertainment Inc.]] |accessdate=31 Aug 2023 |work=『僕のヒーローアカデミア One's Justice2』}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=堀越耕平|authorlink=堀越耕平|date=2015-04-03 |title =僕のヒーローアカデミア |publisher = [[集英社]] |isbn = 978-4088803357 |series=[[ジャンプ・コミックス]]}}</ref> * 生年不明 - 坂下花恋、漫画・アニメ『[[ライフル・イズ・ビューティフル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - デリエリ、漫画・アニメ『[[七つの大罪 (漫画)|七つの大罪]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 剣城斬鉄(つるぎざんてつ)、漫画・アニメ『[[ブルーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bluelock_pr|1586372283911790597}}</ref> * 生年不明 - ナオミちゃん、漫画・アニメ『[[金色のガッシュ!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 皇加賀斗、漫画・ドラマCD『[[國崎出雲の事情]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 房宿、漫画『[[ふしぎ遊戯]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ARIAの登場人物#アリシア・フローレンス(Alicia Florence)|アリシア・フローレンス]]、漫画・アニメ『[[ARIA (漫画)|ARIA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=天野こずえ|authorlink=天野こずえ|date=2005-10-29|title=ARIAオフィシャルナビゲーションガイド|page=44|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4861272127|series=BLADEコミックス}}</ref> * 生年不明 - ユキ、漫画『[[うわさの翠くん!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 徳川恋、漫画『[[東京★イノセント]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=鳴見なる|authorlink=鳴見なる|title=東京★イノセント|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|isbn=978-4088804842|series=[[ガンガンONLINE#ガンガンコミックスONLINE|ガンガンコミックスONLINE]]|date=2009-06-22|volume=7巻|page=92}}</ref> * 生年不明 - 菊地秀、漫画『[[生徒会のヲタのしみ。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 古谷楓、漫画・アニメ『[[ゆるゆり]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=なもり|authorlink=なもり|title=なもり画集 ゆるなもり|publisher=[[一迅社]]|isbn=978-4758072601|date=2013-08-02|page=9}}</ref> * 生年不明 - 千石冠、漫画・アニメ『[[スロウスタート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://slow-start.com/#character |title=character 千石 冠 |work=『スロウスタート』 |publisher=[[篤見唯子]]・[[芳文社]]/スロウスタート製作委員会 |accessdate=31 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - 西原ルミ、漫画・アニメ『[[腐男子高校生活]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_fudanshi|747673626619543552}}</ref> * 生年不明 - 葉月星夜、小説・アニメ『[[黒魔女さんが通る!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 沢桔梗、小説・漫画・アニメ『[[ベン・トー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 沢桔鏡、小説・漫画・アニメ『ベン・トー』に登場するキャラクター * 生年不明 - 星山吼児、アニメ『[[絶対無敵ライジンオー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1454281905612984322}}</ref> * 生年不明 - 北上緑、読者参加企画『[[お嬢様特急]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 針ヶ谷久人、小説・ゲーム・アニメ『[[プリンス・オブ・ストライド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://posweb.jp/pos/character/mihashi/04.html |title=針ヶ谷久人 |access-date=31 Aug 2023 |publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |work=『プリンス・オブ・ストライド』}}</ref> * 生年不明 - ジンガ、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 月宮雅、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20105 |title=月宮 雅(つきみや みやび) |access-date=31 Aug 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 斎宮宗、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ensemble-stars.jp/characters/itsuki_shu/ |title=斎宮 宗 |accessdate=31 Aug 2023 |work=『あんさんぶるスターズ‼︎』 |publisher=[[Happy Elements]]}}</ref> * 生年不明 - 新堂カイト、ゲーム・小説『[[夢色キャスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ycast.sega-net.com/cast.html |title=YUMEIRO COMPANY 新堂カイト |access-date=31 Aug 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]] |work=『夢色キャスト』}}</ref> * 生年不明 - 天童悠希、ゲーム・アニメ『[[CUE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.cue-liber.jp/character-05 |title=天童 悠希 |access-date=31 Aug 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=『CUE!』}}</ref> * 生年不明 - [[宇治川紫夕]]、ゲーム・アニメ『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aaside_info|1321829141713350656}}</ref> * 生年不明 - エミリア、ゲーム・漫画・アニメ『[[ラピスリライツ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|lapisrelights|1057089708138905600}}</ref> * 生年不明 - 不動明謙、メディアミックス『[[B-PROJECT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://bpro-official.com/artists/killerking/ |title=KiLLER KiNG|不動 明謙 |accessdate=31 Aug 2023 |publisher=[[MAGES.]] |work=『B-PROJECT』}}</ref> * 生年不明 - 渡月麗、メディアミックス『[[D4DJ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://d4dj.bushimo.jp/unit/togetsu-rei/ |title=渡月 麗 |access-date=31 Aug 2023 |publisher=[[ブシロード|bushiroad]] [[DONUTS (企業)|DONUTS Co. Ltd.]] |work=『D4DJ』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|30 October}} {{新暦365日|10|29|10|31|[[9月30日]]|[[11月30日]]|[[10月30日 (旧暦)|10月30日]]|1030|10|30}} {{1年の月と日}}
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神経幹細胞
神経幹細胞(しんけいかんさいぼう、英: Neural stem cell)は、ニューロンおよび(ミクログリアを除く)グリア細胞へ分化する細胞を供給する能力を持つ幹細胞。 1989年、サリー・テンプルがマウスの脳室下帯にある幹細胞の多分化能について論文を発表する。1992年、ブレント・レイノルズとサミュエル・ウェイスが初めて成体マウスの脳組織の、脳室下帯を含む線条体組織から神経幹細胞及び神経前駆細胞を分離させることに成功する。これ以来、神経幹細胞及び神経前駆細胞は人類を含む 多くの生物において脊髄等の非神経領域を含む成体の脳の他の部分からは分離された。 娘細胞の一方が神経前駆細胞となり、様々な分化制御を受けて神経細胞やアストロサイト、オリゴデンドロサイトを生み出す。分化制御には外部からのシグナル伝達や細胞自律的な転写因子の非対称分配、クロマチン修飾によるエピジェネティクスが関わる。発生における神経系の形成の他、終末分化した組織においても新たな神経細胞を供給する役割を持ち、神経の再生医療への応用も研究されている。 哺乳類の成体の脳の神経細胞は増えることはないと考えられていたが、海馬と側脳室と呼ばれる部位に神経幹細胞が存在しており、ニューロンの新生を行うことが報告されている。海馬の神経幹細胞は、学習や豊かな環境下で、その増殖頻度が増加し、またストレスを受けたり、加齢(歳をとること)によって減弱することが報告されている。
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神経幹細胞は、ニューロンおよび(ミクログリアを除く)グリア細胞へ分化する細胞を供給する能力を持つ幹細胞。
'''神経幹細胞'''(しんけいかんさいぼう、{{lang-en-short|Neural stem cell}})は、[[神経細胞|ニューロン]]および([[小膠細胞|ミクログリア]]を除く)[[グリア細胞]]へ[[分化]]する[[細胞]]を供給する能力を持つ[[幹細胞]]。 == 歴史 == [[1989年]]、[[サリー・テンプル]]が[[ハツカネズミ属|マウス]]の[[脳室下帯]]にある幹細胞の多分化能について論文を発表する<ref>{{cite journal |author=Sally Temple |title=Division and differentiation of isolated CNS blast cells in microculture |journal=Nature |volume=340 |issue= |pages=471-473 |year=1989 |month=August |pmid= |doi= 10.1038/340471a0}}</ref>。[[1992年]]、ブレント・レイノルズとサミュエル・ウェイスが初めて成体マウスの脳組織の、脳室下帯を含む[[線条体|線条体組織]]から神経幹細胞及び神経前駆細胞を分離させることに成功する<ref name=Reynolds>{{cite journal |author=Reynolds BA, Weiss S |title=Generation of neurons and astrocytes from isolated cells of the adult mammalian central nervous system |journal=Science |volume=255 |issue=5052 |pages=1707–10 |year=1992 |month=March |pmid=1553558 |doi= 10.1126/science.1553558|url=http://www.sciencemag.org/cgi/pmidlookup?view=long&pmid=1553558}}</ref>。これ以来、神経幹細胞及び神経前駆細胞は人類を含む<ref>{{cite journal |author=Taupin P, Gage FH |title=Adult neurogenesis and neural stem cells of the central nervous system in mammals |journal= J Neurosci Res. |volume=69 |issue=6 |pages=745–9 |year=2002 |month=September |pmid=12205667 |doi=10.1002/jnr.10378 |url=}}</ref> 多くの生物において[[脊髄]]等の非神経領域を含む成体の脳の他の部分からは分離された<ref name="ZigovaSanberg2002">{{cite book|author1=Tanja Zigova|author2=Paul R. Sanberg|author3=Juan Raymond Sanchez-Ramos|title=Neural stem cells: methods and protocols|url=https://books.google.com/books?id=4-KHzWwgMKEC|accessdate=18 April 2010|year=2002|publisher=Humana Press|isbn=9780896039643}}</ref>。 == 機能 == [[娘細胞]]の一方が神経前駆細胞となり、様々な分化制御を受けて[[神経細胞]]や[[アストロサイト]]、[[オリゴデンドロサイト]]を生み出す。分化制御には外部からの[[シグナル伝達]]や細胞自律的な[[転写因子]]の非対称分配、[[クロマチン]]修飾による[[エピジェネティクス]]が関わる。[[発生]]における神経系の形成の他、終末分化した組織においても新たな神経細胞を供給する役割を持ち、神経の[[再生医療]]への応用も研究されている。 [[哺乳類]]の成体の[[脳]]の[[神経細胞]]は増えることはないと考えられていたが、[[海馬 (脳)|海馬]]と[[側脳室]]と呼ばれる部位に神経幹細胞が存在しており、[[ニューロン]]の新生を行うことが報告されている。[[海馬 (脳)|海馬]]の神経幹細胞は、学習や豊かな環境下で、その増殖頻度が増加し、また[[ストレス (生体)|ストレス]]を受けたり、加齢(歳をとること)によって減弱することが報告されている。 == 関連項目 == *[[幹細胞]] *[[再生医療]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 外部リンク == *[http://www.gelifesciences.co.jp/newsletter/biodirect_mail/cell_story/41.asp <神経幹細胞~神経細胞は有限か無限か>] *{{脳科学辞典|記事名=エレベーター運動}} - [[発生]]期の[[神経前駆細胞]]が[[細胞周期]]進行に伴って示す[[細胞核|核]]移動についての記述。 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しんけいかんさいほう}} [[Category:細胞生物学]] [[Category:発生生物学]] [[Category:再生医学]] [[category:幹細胞]] {{Biosci-stub}} {{medical-stub}}
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スレッド (コンピュータ)
スレッド(thread)とは、コンピュータプログラムにおいて特定の処理を行うための一貫性のある命令の流れのことであり、プロセッサ利用の最小単位。プロセスは少なくとも1つ以上のスレッドを含む。一般的に各プロセスには独立した仮想アドレス空間が割り当てられるが、プロセス内のスレッド群はアドレス空間を共有する。そのためプログラムを実行するときのコンテキスト情報が最小で済み、同じプロセス内でスレッドを切り替える際はアドレス空間の切り替えが不要となるので、切り替えが高速になる。スレッドは、thread of execution(実行の脈絡)という言葉を省略したものである。複数のスレッドを生成して個々に処理を割り当てて実行させることで、並行処理による応答性の向上などを実現でき、さらにマルチコアプロセッサを複数のスレッドによって活用することで、並列処理による実行時間の短縮などを実現できる(これらの手法をマルチスレッドプログラミングと呼ぶ)。 プログラミングの観点からみると、アプリケーションの処理の「実行の脈絡」は1つでないことが多い。例えば即応性が求められるGUIを描画したりユーザーと対話したりするためのイベントループを実行するフローと、処理に時間のかかるネットワークアクセスやファイルI/O、低速ハードウェアとの通信などを実行するフローは完全に分離してしまったほうが都合がよい。これを単一のコンテキスト(シングルスレッド)上で実現しようとするとシグナルやタイマーを駆使してコーディングすることになる。あるいは、複数のプロセスに分割してプロセス間通信で協調動作させるという方法もある。しかし、いずれの場合もそれらの機能を使うための余分な、本来のアルゴリズムと関係ないコーディングが必要となる。スレッドを使用したプログラミングは本来のアルゴリズム(アプリケーションロジック)に集中しやすくなり、プログラムの構造が改善されるという効果がある。 計算機上で並行計算/並列計算あるいはマルチタスクといった、複数の処理を同時に実行するためには、計算機およびその上で動作するオペレーティングシステム (OS) が、プロセッサ(CPU)時間を個々の処理に対して適切に分配・スケジューリングする機能に対応している必要がある。同時に実行する部分を指定することができる、処理の分割の単位として、スレッドとプロセスがある。 新たなプロセスを動作させるためには、CPUやメインメモリ上のアドレス空間などの計算資源(リソース)を割り当てる必要がある。それぞれのプロセスは、割り当てられた資源内で独立して動く。通例、システム全体の動作の安定性および安全性の観点から、個々のプロセスは実際のメモリ上の位置を指す物理アドレス空間を直接使用するのではなく、OSによって仮想化・分離された仮想アドレス空間を使用する。プロセスごとにメモリ空間が独立しているため、あるプロセスから別のプロセスが参照しているメモリに直接アクセスするようなことはできない。しかし、独立したメモリ空間が不必要な場合では、メモリの利用効率が悪くなってしまう。プログラムによっては、処理ごとに別々の空間にあるメモリを利用するのではなく、単一の空間内のメモリを共有しながら複数の処理を行なう「共有メモリ方式」のほうが、ロジックの実装のしやすさやメモリ効率の面で優れている場合がある。これを可能にするのがスレッドである。 マルチタスクOSにおいて、1つのタスクは、1つ以上のプロセスから構成され、1つのプロセスは、1つ以上のスレッドから構成される。集合で表すと、スレッド ∈ プロセス ∈ タスクというようになる。しかし、この関係は環境によって異なる。例えば、リアルタイムOSでは、タスク ≒ スレッド、スレッド ∈ プロセス、である。しかし、タスクとプロセスの間に要素関係はない。 スレッドを使うことで、同一プロセス内の複数スレッドを同一メモリ空間上で実行でき、メモリ消費量などが軽減できるようになっている。しかし、このため、マルチスレッド処理のプログラミングにおいては、同じデータを複数のスレッドが同時に書き換えることによる不整合に注意し、排他制御を行う必要がある。 共有ライブラリ使用時には、その共有ライブラリがスレッドセーフ(リエントラント)になっているかどうか気をつけてプログラミングしなければならない。 また、複数のスレッドが協調動作する際、お互いの処理完了を待ち合わせてデッドロック (deadlock) 状態に陥ることのないよう配慮する必要もある。 ある処理を単一のスレッドのみを用いて動作させる環境もしくは手法をシングルスレッドという。対して、複数のスレッドが同時に動作することをマルチスレッドという。 プログラム(概ねプロセス)の開始時にはメインとなるスレッドが動作する。必要に応じてその他の処理をするスレッドを作り、実行させることもできる。 基本的なモデルとして、1つのCPUコアがある瞬間に同時に実行しているのは、割り込み処理なども含めて1つのスレッド、1つのプロセス、1つのタスクであるとする。なお、あるスレッドの実行時に余ったCPU資源を別のスレッドに割り当てる技術が同時マルチスレッディング (SMT) であり、SMTが動作しているとき、内部的な物理CPUコアとしては2つ以上のスレッドを同時に実行していることになるが、アプリケーションソフトウェアの観点では、SMTによって生み出される論理CPUコア(論理プロセッサ、見せかけのコア)がある瞬間に実行できるスレッドは1つである。 ユーザ空間で実装されたスレッド機構をユーザースレッド、特に仮想機械上で動くものをグリーンスレッドと呼ぶ。ユーザースレッドの切り替えは、そのプロセスがユーザー空間で動作中にライブラリ内のスレッドスケジューラが行う。これは非常にオーバーヘッドが小さく、しかも実装が簡単と言える。しかし、ひとつのプロセス内の複数のスレッドは常に1つだけが動作していることになり、マルチプロセッサシステムの恩恵を受けられない。また、あるスレッドがカーネル内で入出力待ちでスリープしてしまうと、全スレッドが入出力待ちとなってしまうという問題があった。すなわち、ユーザースレッドはあくまでもプログラミングの手法としてのみ意味を持ち、性能向上に寄与するものではない。 カーネル空間で実装されたスレッド機構をカーネルスレッドと呼ぶ。カーネルスレッドの切り替えはカーネルが行うため、マルチプロセッサシステムであれば同じプロセス内の複数のスレッドを並行して実行することもでき、どれかひとつのスレッドがスリープしても別のスレッドは処理を続行できる。しかし、カーネルスレッドは単にユーザー空間などのリソースを共有しているだけで、プロセス管理から見ればプロセスとほとんど変わりないため、オーバーヘッド(コンテキストスイッチなど)もプロセス並みとなる。また、カーネルが全スレッドを管理するため、生成可能なスレッド数の制限がきつくなる。 ライトウェイトプロセス(light-weight process、LWP)または軽量プロセスとは、スレッドを複数並行して実行するためのカーネル内の機構。マルチプロセッシングにおいて、ひとつのプロセス内のスレッドを複数個同時に実行する仕組みである。カーネルスレッドとLWPを総称してネイティブスレッドと呼ぶこともある。 LWPは上述の2つの方式を組み合わせたもので、SolarisやSVR4.2MPで導入されたスレッド機構である。プログラミング上いくつでもスレッドを生成できるとしても、並列実行できるのはプロセッサ数までである。従って、カーネルスレッド方式のように全スレッドをカーネルが制御するのは無駄が大きい。そこでカーネルはLWPというスレッドを実行するオブジェクトを管理し、LWPが適当なユーザースレッドを選択して実行する。LWPの個数はプロセス当たりの上限(全プロセッサ数+α)が設定されているため無駄が少なくなり、ユーザースレッドはメモリなどが許す限り生成可能となる。また、ユーザースレッド間の切り替えをユーザー空間で行うため、オーバーヘッドはユーザースレッドとカーネルスレッドの中間になる。 LWPはCライブラリ内でスレッド作成の延長で必要に応じて作成される。Cライブラリ内のスレッドスケジューラが、ユーザースレッドとLWPのマッピングを行う。このマッピングを指して、LWP方式を「M対Nスレッド」と呼ぶことがある。つまり、ユーザープロセス内のM個のスレッドとカーネル内のN個のLWPがマッピングを切り換えながら実行されることを意味している。 カーネルはLWPに関するシステムコールを提供しており、Cライブラリがそれを使用する(ユーザーにも公開されているが、一般に直接使うことはほとんどない)。LWPはコンテキストスイッチの対象として扱われるため、LWP方式のオペレーティングシステムではプロセス制御ブロックの一部がLWP毎のデータ構造になっている。 また、LWPとユーザースレッドを固定的に結びつけることもでき、これを「結合スレッド」と呼ぶ(一般のスレッドは「非結合スレッド」)。 グラフィカルユーザインタフェースにおいては、デッドロックにまつわる複雑さを回避するためUIを操作するスレッドを1つに統一し、その上でワーカーデザインパターンを採用するという手法がよく採用される。 ライトウェイトスレッド(light-weight thread)または軽量スレッドとは、ユーザープロセス空間内で、疑似的にスレッディング動作を行わせることができる概念である。通常のスレッドと区別する場合に「論理スレッド」と呼ぶ場合がある。 ライトウェイトプロセスとは異なり、スタックなどに退避されている「スレッドコンテキスト情報」の、暗黙の切り替えは行われない場合がある。また、タイムスライスによる論理スレッドの切り替えが起きず、任意のタイミング(例:APIの呼び出し時)にのみ、論理スレッドが切り替わる。完全にユーザープロセス空間内で実現され、一般的に論理スレッドコンテキストの情報量は小さいため、論理スレッド切り替えのオーバーヘッドは非常に小さい。 ライトウェイトスレッドとして分類される機構として、コルーチンや、C#/VB.NETなどの.NET言語におけるイテレータブロックが挙げられる。 C言語やC++といった初期のプログラミング言語においては、スレッドは当初言語仕様では標準サポートされていなかった。そのため、例えばMicrosoft WindowsではWindows APIのスレッド、POSIX準拠OSではPOSIXスレッド (Pthreads) といったように、プラットフォーム固有のAPIを利用する必要があった。Javaや.NET Framework/.NET Coreに代表されるように、現代的なほとんどの後発言語およびプラットフォームではスレッドを標準的にサポートしている。 C++11規格ではBoost C++ライブラリをベースとしたスレッドライブラリが標準化された。C11規格でもスレッドライブラリが標準として定義されたが、実装は任意であり必須ではない。 マルチスレッドのプログラミングは前述のように、シングルスレッド前提のプログラミングと比べて難易度が高い。マルチスレッドの動作は非決定論的であり、慎重にプログラミングしなければ、タイミングによって発生したりしなかったりする厄介な異常動作や不具合を引き起こすこともある。マルチスレッド環境におけるバグは、しばしば原因特定が困難となる。 一般的なアプリケーションプログラミングでは、スレッドを明示的に起動して利用することは少ない。代わりに、並列処理や並行処理のバックエンドとしてスレッドを暗黙的に利用する、上位レベルのAPIを利用することが多い。例としてOpenMPや、.NETのタスク並列ライブラリ(英語版) (TPL) などが挙げられる。Future パターンをサポートするプログラミング環境では、並行処理の実行にスレッドを利用するが、煩雑なスレッドの操作をほとんど意識することなく並行処理を効率的に記述することができる。また、これらはAPI呼び出しのたびにスレッドを起動/終了するのではなく、あらかじめいくつかのスレッドを起動しておいて再利用することのできるスレッドプールを内部で使用していることが多い。上位レベルのAPIを利用することで、オーバーヘッドを低減し、また実行環境のハードウェア構成を意識することなく、環境に適した数のスレッドを活用することが可能となる。しかし、スレッドを暗黙利用する場合でも、共有資源に複数のスレッドから同時アクセスする場合の排他制御などに関しては、依然として配慮が必要であることが多い。
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パターンをサポートするプログラミング環境では、並行処理の実行にスレッドを利用するが、煩雑なスレッドの操作をほとんど意識することなく並行処理を効率的に記述することができる。また、これらはAPI呼び出しのたびにスレッドを起動/終了するのではなく、あらかじめいくつかのスレッドを起動しておいて再利用することのできるスレッドプールを内部で使用していることが多い。上位レベルのAPIを利用することで、オーバーヘッドを低減し、また実行環境のハードウェア構成を意識することなく、環境に適した数のスレッドを活用することが可能となる。しかし、スレッドを暗黙利用する場合でも、共有資源に複数のスレッドから同時アクセスする場合の排他制御などに関しては、依然として配慮が必要であることが多い。", "title": "スレッドの暗黙的利用" } ]
スレッド(thread)とは、コンピュータプログラムにおいて特定の処理を行うための一貫性のある命令の流れのことであり、プロセッサ利用の最小単位。プロセスは少なくとも1つ以上のスレッドを含む。一般的に各プロセスには独立した仮想アドレス空間が割り当てられるが、プロセス内のスレッド群はアドレス空間を共有する。そのためプログラムを実行するときのコンテキスト情報が最小で済み、同じプロセス内でスレッドを切り替える際はアドレス空間の切り替えが不要となるので、切り替えが高速になる。スレッドは、thread of execution(実行の脈絡)という言葉を省略したものである。複数のスレッドを生成して個々に処理を割り当てて実行させることで、並行処理による応答性の向上などを実現でき、さらにマルチコアプロセッサを複数のスレッドによって活用することで、並列処理による実行時間の短縮などを実現できる(これらの手法をマルチスレッドプログラミングと呼ぶ)。 プログラミングの観点からみると、アプリケーションの処理の「実行の脈絡」は1つでないことが多い。例えば即応性が求められるGUIを描画したりユーザーと対話したりするためのイベントループを実行するフローと、処理に時間のかかるネットワークアクセスやファイルI/O、低速ハードウェアとの通信などを実行するフローは完全に分離してしまったほうが都合がよい。これを単一のコンテキスト(シングルスレッド)上で実現しようとするとシグナルやタイマーを駆使してコーディングすることになる。あるいは、複数のプロセスに分割してプロセス間通信で協調動作させるという方法もある。しかし、いずれの場合もそれらの機能を使うための余分な、本来のアルゴリズムと関係ないコーディングが必要となる。スレッドを使用したプログラミングは本来のアルゴリズム(アプリケーションロジック)に集中しやすくなり、プログラムの構造が改善されるという効果がある。
{{出典の明記|date=2017年5月}} '''スレッド'''({{lang|en|thread}})とは、[[プログラム (コンピュータ)|コンピュータプログラム]]において特定の処理を行うための一貫性のある命令の流れのことであり、[[プロセッサ]]利用の最小単位<ref>{{Cite web|和書|title=スレッドとは - IT用語辞典 |url=https://e-words.jp/w/%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89.html |website=IT用語辞典 e-Words |access-date=2022-06-15 |language=ja}}</ref>。[[プロセス]]は少なくとも1つ以上のスレッドを含む。一般的に各[[プロセス]]には独立した仮想[[アドレス空間]]が割り当てられるが、プロセス内のスレッド群はアドレス空間を共有する。そのためプログラムを実行するときの[[コンテキスト (情報工学)|コンテキスト]]情報が最小で済み、同じプロセス内でスレッドを切り替える際はアドレス空間の切り替えが不要となるので、切り替えが高速になる<ref>[https://docs.oracle.com/cd/E19455-01/806-2732/6jbu8v6oe/index.html マルチスレッドの基本概念 (マルチスレッドのプログラミング) | Oracle]</ref>。スレッドは、''thread of execution''(実行の脈絡)という言葉を省略したものである。複数のスレッドを生成して個々に処理を割り当てて実行させることで、[[並行計算|並行処理]]による応答性の向上などを実現でき、さらに[[マルチコア]]プロセッサを複数のスレッドによって活用することで、[[並列計算|並列処理]]による実行時間の短縮などを実現できる(これらの手法をマルチスレッドプログラミングと呼ぶ)。 [[プログラミング]]の観点からみると、[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]の処理の「実行の脈絡」は1つでないことが多い。例えば即応性が求められる[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]を描画したりユーザーと対話したりするための[[イベントループ]]を実行するフローと、処理に時間のかかるネットワークアクセスやファイル[[入出力|I/O]]、低速ハードウェアとの通信などを実行するフローは完全に分離してしまったほうが都合がよい。これを単一のコンテキスト(シングルスレッド)上で実現しようとすると[[シグナル (Unix)|シグナル]]や[[タイマー]]を駆使してコーディングすることになる。あるいは、複数の[[プロセス]]に分割して[[プロセス間通信]]で協調動作させるという方法もある。しかし、いずれの場合もそれらの機能を使うための余分な、本来の[[アルゴリズム]]と関係ないコーディングが必要となる。スレッドを使用したプログラミングは本来のアルゴリズム(アプリケーションロジック)に集中しやすくなり、プログラムの構造が改善されるという効果がある。 == スレッドとプロセスとタスク == 計算機上で[[並行計算]]/[[並列計算]]あるいは[[マルチタスク]]といった、複数の処理を同時に実行するためには、計算機およびその上で動作する[[オペレーティングシステム]] (OS) が、[[プロセッサ]]([[CPU]])時間を個々の処理に対して適切に分配・スケジューリングする機能に対応している必要がある。同時に実行する部分を指定することができる、処理の分割の単位として、'''スレッド'''と'''プロセス'''がある。 新たなプロセスを動作させるためには、CPUや[[主記憶装置|メインメモリ]]上の[[アドレス空間]]などの[[計算資源]](リソース)を割り当てる必要がある。それぞれのプロセスは、割り当てられた資源内で独立して動く。通例、システム全体の動作の安定性および安全性の観点から、個々のプロセスは実際のメモリ上の位置を指す物理アドレス空間を直接使用するのではなく、OSによって[[仮想記憶|仮想化]]・分離された仮想アドレス空間を使用する<ref>[https://e-words.jp/w/%E4%BB%AE%E6%83%B3%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9.html 仮想アドレス(論理アドレス)とは - 意味をわかりやすく - IT用語辞典 e-Words]</ref>{{efn|古いアーキテクチャや組み込み環境では、複数のプロセスがメモリ空間を共有しているシステムもある。例えば[[Win16]]などが挙げられる。}}。プロセスごとにメモリ空間が独立しているため、あるプロセスから別のプロセスが参照しているメモリに直接アクセスするようなことはできない。しかし、独立したメモリ空間が不必要な場合では、メモリの利用効率が悪くなってしまう。プログラムによっては、処理ごとに別々の空間にあるメモリを利用するのではなく、単一の空間内のメモリを共有しながら複数の処理を行なう「共有メモリ方式」のほうが、ロジックの実装のしやすさやメモリ効率の面で優れている場合がある。これを可能にするのがスレッドである。 マルチタスクOSにおいて、1つのタスクは、1つ以上のプロセスから構成され、1つのプロセスは、1つ以上のスレッドから構成される。[[集合]]で表すと、{{underline|スレッド [[要素|∈]] プロセス ∈ タスク}}というようになる。しかし、この関係は環境によって異なる。例えば、[[リアルタイムオペレーティングシステム|リアルタイムOS]]では、{{underline|タスク [[等号#ほぼ等しい|≒]] スレッド}}、{{underline|スレッド ∈ プロセス}}、である。しかし、タスクとプロセスの間に要素関係はない。 スレッドを使うことで、同一プロセス内の複数スレッドを同一メモリ空間上で実行でき、メモリ消費量などが軽減できるようになっている。しかし、このため、マルチスレッド処理のプログラミングにおいては、同じデータを複数のスレッドが同時に書き換えることによる不整合に注意し、[[排他制御]]を行う必要がある。 [[共有ライブラリ]]使用時には、その共有ライブラリが[[スレッドセーフ]]([[リエントラント]])になっているかどうか気をつけてプログラミングしなければならない。 また、複数のスレッドが協調動作する際、お互いの処理完了を待ち合わせて[[デッドロック]] (deadlock) 状態に陥ることのないよう配慮する必要もある。 ある処理を単一のスレッドのみを用いて動作させる環境もしくは手法を'''シングルスレッド'''という。対して、複数のスレッドが同時に動作することを'''マルチスレッド'''という。 プログラム(概ねプロセス)の開始時にはメインとなるスレッドが動作する。必要に応じてその他の処理をするスレッドを作り、実行させることもできる。 基本的なモデルとして、1つのCPUコアがある瞬間に同時に実行しているのは、割り込み処理なども含めて1つのスレッド、1つのプロセス、1つのタスクであるとする。なお、あるスレッドの実行時に余ったCPU資源を別のスレッドに割り当てる技術が[[同時マルチスレッディング]] (SMT) であり、SMTが動作しているとき、内部的な物理CPUコアとしては2つ以上のスレッドを同時に実行していることになるが、アプリケーションソフトウェアの観点では、SMTによって生み出される論理CPUコア(論理プロセッサ、見せかけのコア)がある瞬間に実行できるスレッドは1つである。 {{See also|ハードウェアマルチスレッディング}} == ユーザースレッドとカーネルスレッド == [[アドレス空間#ユーザー空間|ユーザ空間]]で実装されたスレッド機構を'''ユーザースレッド'''、特に仮想機械上で動くものを[[グリーンスレッド]]と呼ぶ。ユーザースレッドの切り替えは、その[[プロセス]]がユーザー空間で動作中に[[ライブラリ]]内のスレッドスケジューラが行う。これは非常にオーバーヘッドが小さく、しかも実装が簡単と言える。しかし、ひとつのプロセス内の複数のスレッドは常に1つだけが動作していることになり、[[マルチプロセッサ]]システムの恩恵を受けられない。また、あるスレッドが[[カーネル]]内で入出力待ちでスリープしてしまうと、全スレッドが入出力待ちとなってしまうという問題があった。すなわち、ユーザースレッドはあくまでもプログラミングの手法としてのみ意味を持ち、性能向上に寄与するものではない。 [[アドレス空間#カーネル空間|カーネル空間]]で実装されたスレッド機構を'''カーネルスレッド'''と呼ぶ。カーネルスレッドの切り替えは[[カーネル]]が行うため、[[マルチプロセッサ]]システムであれば同じプロセス内の複数のスレッドを並行して実行することもでき、どれかひとつのスレッドがスリープしても別のスレッドは処理を続行できる。しかし、カーネルスレッドは単にユーザー空間などの[[計算資源|リソース]]を共有しているだけで、{{要出典範囲|date=2023-03|[[プロセス管理]]から見ればプロセスとほとんど変わりないため、オーバーヘッド([[コンテキストスイッチ]]など)もプロセス並みとなる}}。また、カーネルが全スレッドを管理するため、生成可能なスレッド数の制限がきつくなる{{efn|例えば32ビット版の[[Microsoft Windows]]では、個々のスレッドに割り当てられるスタックサイズが既定で1[[メビバイト|MiB]]となっており、そのため1プロセスが生成できるスレッドの最大数(理論上限値)は既定で2,048までとなっている<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/processthreadsapi/nf-processthreadsapi-createthread CreateThread function (processthreadsapi.h) | Microsoft Docs]</ref><ref>[https://learn.microsoft.com/en-us/troubleshoot/windows-server/performance/ram-virtual-memory-pagefile-management Virtual memory in 32-bit version of Windows - Windows Server | Microsoft Learn]</ref><ref>[https://techcommunity.microsoft.com/t5/windows-blog-archive/pushing-the-limits-of-windows-processes-and-threads/ba-p/723824 Pushing the Limits of Windows: Processes and Threads - Microsoft Community Hub]</ref>。64ビット版Windowsでは理論上限値は緩和されるが、実際に生成可能なスレッドの数は物理メモリの搭載量に左右されることに変わりはない。}}。 == ライトウェイトプロセス == '''ライトウェイトプロセス'''('''light-weight process'''、'''LWP''')または'''軽量プロセス'''とは、スレッドを複数並行して実行するための[[カーネル]]内の機構。[[マルチプロセッシング]]において、ひとつの[[プロセス]]内のスレッドを複数個同時に実行する仕組みである。カーネルスレッドとLWPを総称して'''ネイティブスレッド'''と呼ぶこともある。 LWPは上述の2つの方式を組み合わせたもので、[[Solaris]]や[[UNIX System V|SVR4.2MP]]で導入されたスレッド機構である。プログラミング上いくつでもスレッドを生成できるとしても、並列実行できるのはプロセッサ数までである。従って、カーネルスレッド方式のように全スレッドをカーネルが制御するのは無駄が大きい。そこでカーネルはLWPというスレッドを実行するオブジェクトを管理し、LWPが適当なユーザースレッドを選択して実行する。LWPの個数はプロセス当たりの上限(全プロセッサ数+α)が設定されているため無駄が少なくなり、ユーザースレッドはメモリなどが許す限り生成可能となる。また、ユーザースレッド間の切り替えをユーザー空間で行うため、オーバーヘッドはユーザースレッドとカーネルスレッドの中間になる。 LWPはCライブラリ内でスレッド作成の延長で必要に応じて作成される。Cライブラリ内のスレッドスケジューラが、ユーザースレッドとLWPのマッピングを行う。このマッピングを指して、LWP方式を「M対Nスレッド」と呼ぶことがある。つまり、ユーザープロセス内のM個のスレッドとカーネル内のN個のLWPがマッピングを切り換えながら実行されることを意味している。 カーネルはLWPに関する[[システムコール]]を提供しており、Cライブラリがそれを使用する(ユーザーにも公開されているが、一般に直接使うことはほとんどない)。LWPは[[コンテキストスイッチ]]の対象として扱われるため、LWP方式の[[オペレーティングシステム]]では[[プロセス制御ブロック]]の一部がLWP毎のデータ構造になっている。 また、LWPとユーザースレッドを固定的に結びつけることもでき、これを「結合スレッド」と呼ぶ(一般のスレッドは「非結合スレッド」)。 ==ユーザーインターフェイススレッド== {{main|ユーザーインターフェイススレッド}} [[グラフィカルユーザインタフェース]]においては、デッドロックにまつわる複雑さを回避するためUIを操作するスレッドを1つに統一し、その上でワーカーデザインパターンを採用するという手法がよく採用される。 == ライトウェイトスレッド == '''ライトウェイトスレッド'''('''light-weight thread''')または'''軽量スレッド'''とは、ユーザープロセス空間内で、疑似的にスレッディング動作を行わせることができる概念である。通常のスレッドと区別する場合に「論理スレッド」と呼ぶ場合がある。 ライトウェイトプロセスとは異なり、スタックなどに退避されている「スレッドコンテキスト情報」の、暗黙の切り替えは行われない場合がある。また、タイムスライスによる論理スレッドの切り替えが起きず、任意のタイミング(例:APIの呼び出し時)にのみ、論理スレッドが切り替わる。完全にユーザープロセス空間内で実現され、一般的に論理スレッドコンテキストの情報量は小さいため、論理スレッド切り替えのオーバーヘッドは非常に小さい。 ライトウェイトスレッドとして分類される機構として、[[コルーチン]]や、[[C Sharp|C#]]/[[VB.NET]]などの[[.NET Framework|.NET]]言語における[[イテレータ]]ブロックが挙げられる。 == スレッドライブラリ == [[C言語]]や[[C++]]といった初期のプログラミング言語においては、スレッドは当初言語仕様では標準サポートされていなかった。そのため、例えば[[Microsoft Windows]]では[[Windows API]]のスレッド、[[POSIX]]準拠OSでは[[POSIXスレッド]] (Pthreads) といったように、プラットフォーム固有のAPIを利用する必要があった。[[Java]]や[[.NET Framework]]/[[.NET Core]]に代表されるように、現代的なほとんどの後発言語およびプラットフォームではスレッドを標準的にサポートしている。 [[C++11]]規格では[[Boost C++ライブラリ]]をベースとしたスレッドライブラリが標準化された。[[C11 (C言語)|C11]]規格でもスレッドライブラリが標準として定義されたが、実装は任意であり必須ではない<ref>[https://ja.cppreference.com/w/c/thread スレッドサポートライブラリ - cppreference.com]</ref>。 == スレッドの暗黙的利用 == マルチスレッドのプログラミングは前述のように、シングルスレッド前提のプログラミングと比べて難易度が高い。マルチスレッドの動作は非決定論的であり、慎重にプログラミングしなければ、タイミングによって発生したりしなかったりする厄介な異常動作や不具合を引き起こすこともある。マルチスレッド環境におけるバグは、しばしば原因特定が困難となる。 一般的なアプリケーションプログラミングでは、スレッドを明示的に起動して利用することは少ない。代わりに、並列処理や並行処理のバックエンドとしてスレッドを暗黙的に利用する、上位レベルのAPIを利用することが多い。例として[[OpenMP]]や、.NETの{{仮リンク|タスク並列ライブラリ|en|Task Parallel Library}} (TPL) などが挙げられる。[[Future パターン]]をサポートするプログラミング環境では、並行処理の実行にスレッドを利用するが、煩雑なスレッドの操作をほとんど意識することなく並行処理を効率的に記述することができる。また、これらはAPI呼び出しのたびにスレッドを起動/終了するのではなく、あらかじめいくつかのスレッドを起動しておいて再利用することのできる'''スレッドプール'''を内部で使用していることが多い。上位レベルのAPIを利用することで、オーバーヘッドを低減し、また実行環境のハードウェア構成を意識することなく、環境に適した数のスレッドを活用することが可能となる。しかし、スレッドを暗黙利用する場合でも、共有資源に複数のスレッドから同時アクセスする場合の排他制御などに関しては、依然として配慮が必要であることが多い。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[スレッド局所記憶]] * [[マルチタスク]] * [[タスク (コンピュータ)]] * [[プロセス]] * [[プロセス制御ブロック]] * [[ハードウェアマルチスレッディング]] ** [[同時マルチスレッディング]] ** [[バレルプロセッサ]] * [[排他制御]] * [[クリティカルセクション]] * [[コルーチン]] * [[POSIXスレッド]] - [[Native POSIX Thread Library]] * [[ユーザーインターフェイススレッド]] * [[ファイバー (コンピュータ)]] * [[マイクロスレッド]] * [[軽量カーネルスレッド]] {{オペレーティングシステム}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すれつと}} [[Category:スレッド (コンピュータ)|*]] [[Category:並行計算]] [[Category:OSのプロセス管理]] [[Category:プログラミング]]
2003-03-30T11:38:29Z
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邦楽
邦楽()とは、日本の音楽のこと。和楽()、国楽()とも。狭義には日本の伝統的な音楽を指し、広義には日本の音楽全般を指す場合がある。 本項においては狭義の邦楽である、日本の伝統的な民族音楽や古典音楽などを主として説明するが、一部に広義の邦楽も紹介する。 日本のポピュラー音楽(J-POPとも)全般をさして「邦楽」という場合もある(欧米のポピュラー音楽である"洋楽"との対になっている)ため、従来の邦楽(狭義の邦楽)を純邦楽()と呼ぶこともある。資料や時代によって「邦楽」がどの意味で使われているか、文脈に注意して判断する必要がある。 大宝元年(701年)に制定された大宝律令に雅楽寮(うたまひのつかさ)という音楽専門の部署を設置するという記述がある。外国の音楽と世俗の音楽をまとめ宮廷音楽とする試みである。 古代より室町時代前期の千年間に現れた邦楽の要素を大きく分けると、 がある。これらが相互に混じりあい多くの邦楽が形成された。この期間に生まれた音楽は現代まで継承されているものも多い。 公的機関による近代的な邦楽後継者育成、邦楽教育は、1887年(明治20年)に設立された東京音楽学校の師範科で箏曲が取り入れられたことに始まる。1929年(昭和4年)に長唄が取り入れられ、学内で選科に昇格。さらに1936年(昭和11年)に邦楽科を昇格した。 この際、講師として学生を指導していた観世流宗家の観世元滋、長唄研精成会の吉住小三郎、長唄の稀音家当主である杉本金太郎が同大教授に任命されている。戦後、邦楽が国家主義的なものだとして学内で批判が行われたものの、東京藝術大学音楽学部が発足した際に教育課程は引き継がれた。 現存のものを中心とする。(関連⇒邦楽のジャンル一覧) 以下は俗楽と総称する場合がある。 日本放送協会(NHK)のラジオ放送NHK-FMでは、午前11時台(初回放送)と午前5時台(前日の再放送)などが純邦楽の時間枠として割り当てられている。 ※2015年4月現在。 (正式名称:NHK教育テレビジョン) ※2016年4月現在。 現在の各番組が扱うのは古典芸能全般である。 など。 広義の邦楽は日本の音楽全般を指す場合があり、以下のようなジャンルがある。
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邦楽とは、日本の音楽のこと。和楽、国楽とも。狭義には日本の伝統的な音楽を指し、広義には日本の音楽全般を指す場合がある。 本項においては狭義の邦楽である、日本の伝統的な民族音楽や古典音楽などを主として説明するが、一部に広義の邦楽も紹介する。 日本のポピュラー音楽(J-POPとも)全般をさして「邦楽」という場合もある(欧米のポピュラー音楽である"洋楽"との対になっている)ため、従来の邦楽(狭義の邦楽)を純邦楽と呼ぶこともある。資料や時代によって「邦楽」がどの意味で使われているか、文脈に注意して判断する必要がある。
{{出典の明記|date=2022年10月}} {{Redirect|和楽|[[小学館]]の[[雑誌]]『和'''樂'''』(わらく)|和樂}} {{読み仮名|'''邦楽'''|ほうがく}}とは、[[日本]]の[[音楽]]のこと。{{読み仮名|'''[[和]]楽'''|わがく}}、{{読み仮名|'''[[国]]楽'''|こくがく}}とも。狭義には日本の伝統的な音楽を指し、広義には日本の音楽全般を指す場合がある。 本項においては'''狭義の邦楽'''である、日本の[[伝統]]的な[[民族音楽]]や[[古典音楽]]などを主として説明するが、一部に広義の邦楽も紹介する。 日本の[[ポピュラー音楽]]([[演歌・歌謡曲]]、[[J-POP]]など)全般を指した「[[wikt:邦|邦]]楽」という場合もある([[欧米]]のポピュラー音楽である"[[洋楽]]"との対になっている)ため、従来の邦楽(狭義の邦楽)を{{読み仮名|'''純邦楽'''|じゅんほうがく}}と呼ぶこともある。資料や時代によって「邦楽」がどの意味で使われているか、文脈に注意して判断する必要がある。 == 歴史 == [[大宝 (日本)|大宝]]元年([[701年]])に制定された[[大宝律令]]に[[雅楽寮]](うたまひのつかさ)という[[音楽]]専門の部署を設置するという記述がある。外国の音楽と[[世俗]]の音楽をまとめ[[宮廷]]音楽とする試みである。 古代より[[室町時代]]前期の千年間に現れた邦楽の要素を大きく分けると、 *御神楽、東遊などの上代歌舞([[国風歌舞]])。 *[[中国]]、[[朝鮮]]、[[南アジア]]など[[渡来]]の音楽を取り入れた[[宮廷音楽]]、[[雅楽]]。 *[[仏典]]に[[旋律]]を加えた歌曲([[声明]]、[[和讃]]等)、現代でいう[[宗教音楽]]。 *[[里神楽]]や[[田楽]]、[[猿楽]]などの歌舞[[芸能]]。 *世俗の民衆がはぐくんだ歌曲、現代でいう[[民謡]]。 がある。これらが相互に混じりあい多くの邦楽が形成された。この期間に生まれた音楽は現代まで継承されているものも多い。 公的機関による近代的な邦楽後継者育成、邦楽教育は、[[1887年]](明治20年)に設立された[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]の師範科で箏曲が取り入れられたことに始まる。[[1929年]](昭和4年)に長唄が取り入れられ、学内で選科に昇格。さらに[[1936年]](昭和11年)に邦楽科を昇格した<ref>邦楽の本科昇格を検討、国粋風潮の反映『東京日日新聞』昭和10年6月27日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p484-485 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 この際、講師として学生を指導していた[[観世流]]宗家の[[観世元滋]]、長唄研精成会の吉住小三郎、長唄の稀音家当主である[[稀音家六四郎|杉本金太郎]]が同大教授に任命されている<ref>観世・吉住・稀音家の邦楽三教授任命『東京日日新聞』昭和11年7月31日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p485)</ref>。戦後、邦楽が[[国家主義]]的なものだとして学内で批判が行われたものの、[[東京藝術大学]]音楽学部が発足した際に教育課程は引き継がれた。 == 邦楽のジャンル一覧 == {{重複|dupe=邦楽のジャンル一覧|date=2022年11月7日 (月) 11:24 (UTC)|section=1}} <!-- どう記事をすみ分けているのか不明瞭なため重複・差分を確認のうえ要整理 --> 現存のものを中心とする。(関連⇒[[邦楽のジャンル一覧]]) {{Div col}} *[[雅楽]] **[[国風歌舞]]([[御神楽]]など) **[[唐楽]] **[[高麗楽]] **[[謡物]] *** [[催馬楽]] *** [[朗詠]] *** [[今様]] **[[現代雅楽]] **[[近代に作られた神楽]](広義の雅楽として) *[[能楽]] **[[能]] ***[[謡曲]] ***[[能楽囃子]] **[[狂言]] *[[仏教音楽]] **[[念仏]] ***[[和讃]] ***[[踊念仏]] ***[[曲題目]] ***[[ご詠歌]] **[[声明]] 以下は[[俗楽]]と総称する場合がある。 *[[浄瑠璃]] **[[義太夫節]] ***[[人形浄瑠璃]]の[[義太夫節]] ***[[歌舞伎]]における[[竹本]](チョボ) ***[[素浄瑠璃]]としての[[義太夫節]] **[[常磐津節]] **[[清元節]] **[[新内節]] **[[河東節]] **[[一中節]] **[[宮薗節]] *[[唄もの]] **[[地歌]](地唄) **[[長唄]] ***[[長唄鳴物]]([[長唄囃子]]、[[邦楽囃子]]) **[[荻江節]] **[[大和楽]] **[[東明流]] *[[俗謡]]、[[民謡]] **[[歌沢]] **[[小唄]] **[[端唄]] **[[うた沢]] **[[俗曲]] **[[さのさ]] **[[都々逸]] **各地の[[民謡]]・[[民舞]] ***「何々[[メロディ|節]]」 ***「何々[[甚句]]」 ***「何々[[馬子唄]]」 ***「何々[[追分]]」 ***「何々[[音頭]]」 *[[吟詠]] **[[詩吟]] *[[器楽]] **[[箏曲]]([[琴]]) ***[[筑紫箏]] ***[[八橋流]] ***[[生田流]] ***[[山田流]] ***[[琴歌]] **[[尺八]] **[[胡弓]] **[[一弦琴]] **[[二弦琴]] ***[[八雲琴]] ***[[東流二弦琴]] **[[琵琶]]楽 ***[[平曲]]([[平家琵琶]]) ***[[盲僧琵琶]] ***[[薩摩琵琶]] ***[[筑前琵琶]] **[[和太鼓]] *祭礼音楽 **[[祭囃子]] ***[[祭太鼓]] **[[神楽]]([[御神楽]]を除く) **[[田楽]] **[[獅子舞]] *その他 **落語の[[出囃子 (落語)|出囃子]] {{Div col end}} == 邦楽の放送番組一覧 == === NHK === ==== NHK-FM ==== [[日本放送協会]](NHK)のラジオ放送[[NHK-FM放送|NHK-FM]]では、午前11時台(初回放送)と午前5時台(前日の再放送)などが純邦楽の時間枠として割り当てられている。 ※2015年4月現在。 *[[邦楽のひととき]](月曜から水曜、11時20分~11時50分 / 再放送:火曜から木曜、5時20分~5時50分) *[[浪曲十八番]](木曜、11時20分~11時50分 / 再放送:金曜、5時20分~5時50分) **各日11時~11時20分(翌日5時~5時20分)は『[[弾き語りフォーユー]]』を放送している。 *[[邦楽ジョッキー]](金曜、11時~11時50分 / 再放送:土曜、5時~5時50分) *[[邦楽百番]](土曜、11時~11時50分 / 再放送:日曜、5時~5時50分) *[[日本の民謡]](日曜、11時~11時50分 / 再放送:月曜、5時~5時50分) *[[能楽鑑賞]](日曜、6時~6時55分、再放送枠なし) *[[民謡をたずねて]](土曜、12時30分から12時55分、[[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1]]の[[サイマル放送]]) *[[雅楽]]([[元旦]]の特別放送。15分と短いが元旦の恒例となっている) **そのほか、年始には『初春の調べ』、『新春謡曲狂言』などの特別番組がある。 ==== NHK Eテレ ==== (正式名称:[[NHK教育テレビジョン]]) ※2016年4月現在。 現在の各番組が扱うのは[[古典芸能]]全般である。 *[[にっぽんの芸能]](金曜23時~54分、再放送月曜12時~54分) *[[古典芸能への招待]](毎月最終日曜21時~23時) ;過去 *[[古典芸能入門]](1980年-1988年、中学校向け) *[[芸能花舞台]](1988年-2011年) *[[日本の伝統芸能 (NHK)|日本の伝統芸能]](1990年-2011年) など。 === その他の放送 === ==== CSラジオ放送など ==== {{節スタブ}} == 広義の邦楽 == 広義の邦楽は日本の音楽全般を指す場合があり、以下のようなジャンルがある。 * 純邦楽 * [[演歌]] * [[雅楽]] ** [[現代雅楽]] * [[民謡]] * [[流行歌]] * [[歌謡曲]] * [[フォークソング#日本のフォーク|フォークソング]] * [[ニューミュージック]] ** [[シティポップ]] * [[日本のロック|ロック]] * [[J-POP]] * その他 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[和楽器]] * [[音楽]] * [[近世邦楽]] * [[音曲]] * [[現代邦楽]] * [[邦楽ジョッキー]] * [[三曲]] * [[邦楽ジャーナル]] * [[岡部好]] - 伝統邦楽から現代邦楽の写真を多数撮影・公開している写真家 * [[林陽一]] - 伝統邦楽から現代邦楽の写真を多数撮影・公開している写真家 * [[歌舞音楽略史]] * [[俗楽旋律考]] * [[十二律]] * [[文化庁]] * [[:Category:日本の音楽]] * [[:Category:日本の伝統音楽]] == 外部リンク == {{Commonscat|Music of Japan}} * {{Wayback|url=https://www.nhk.or.jp/koten/program/ |title=古典芸能番組一覧|古典芸能を楽しもう |date=20140421025149}} - NHK([[日本放送協会]]) * [https://rcjtm.kcua.ac.jp/ 日本伝統音楽研究センター] - [[京都市立芸術大学]] * {{CRD|2000025447|邦楽について調べる|桐朋学園大学附属図書館}} * [https://rnavi.ndl.go.jp/jp/guides/post_1203.html 邦楽(日本の伝統音楽・民俗音楽)の調べ方] - 調べ方案内([[国立国会図書館]]) {{音楽}} {{世界の音楽}} {{アジアの題材|音楽|mode=5}} {{日本の伝統芸能}} {{日本関連の項目}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ほうかく}} [[Category:日本の伝統音楽|*]] [[Category:日本の文化]] [[Category:日本の文化史]] [[Category:音楽のジャンル]]
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NPO
NPOとは、「Nonprofit Organization」又は「Not-for-Profit Organization」の略で、広義では非営利団体のこと。狭義では、非営利での社会貢献活動や慈善活動を行う市民団体のこと。最狭義では、1998年3月に成立した特定非営利活動促進法により法人格を得た団体(特定非営利活動法人)のことを指す。法人格を得た団体は内閣府の「NPO法人ポータルサイト」で確認できるようになっている。なお、米国や英国などではNon-profitというが、韓国や台湾などではNPOという表現が使われている。 1990年から行われたジョンズ・ホプキンズ大学国際比較研究プロジェクトにおいては、国際比較を可能とするためにNPOを次の要件を満たすものと定義した。 1994年までの研究プロジェクト第1段階では、 が付け加えられたが、あくまで比較作業上の理由によるものであり、第2段階では、上記の狭義の定義と、(6)(7)を要件から除外し、さらに協同組合と相互団体を加えた広義の定義との2本立てで調査が行われた。 以上の定義が一般的であるが、NPO(非営利組織)を組織の分析概念とすれば、認識主体の認識対象の重要性に応じ、NPOの定義は、James & Rose-Ackerman(1988)、Hayes(1996)、電通総研(1996:23-24)、田尾(1999:4-5)、田尾・吉田(2009:3-4)、村上(2014:96)など、さまざまになされている。またL.M.サラモンの研究でも、上記の5つの定義構成要素に加え、6番目の構成要素として「公益性」(public benefit)すなわち「公共目的のために活動・貢献している」が加わっている(Salamon,1999:10-11)。複数の定義構成要素のうち、NPOの本質的特徴は、「利益を分配しないこと」すなわち「非利益分配拘束」がもっとも重要である。なぜなら、それ以外の定義構成要素の特徴は、一定の社会貢献を経営理念とし、株式会社の組織形態を採用する民間企業も該当する。しかし「非利益分配拘束」は、純粋型としてのNPO(非営利組織)に不可欠である。またNPOは“Non-Profit Organization”であるから、営利活動とは無関係に寄付金や助成金だけに依存する、ボランティアの組織であると考えれば、「ソーシャル・ビジネス」の組織をNPOに含むことができなくなる。NPOによる営利活動は十分あり得るし、また営利組織も、その社会的責任から公益性を追求し、社会貢献することは、今日では、むしろ一般的である(新原,2003)。したがってNPOは“Not for Profit Organization”と考えることが現実的である。民間企業でも本業の貫徹とその成就自体に社会貢献の意味が含まれる(村上,2014:97)。社会に損傷を与えるビジネスは一過的であり、営利の事業運営の継続性も、なんらかの社会貢献と自然に結びついている。故に利益分配するかどうかの「非利益分配拘束」が「非営利」と「営利」の純粋型での違いである。 広義のNPOは、利益の再分配を行わない組織・団体一般(非営利団体)を意味する。この場合の対義語は営利団体、即ち会社(会社法による)などである。この意味では、社団法人や財団法人、医療法人、社会福祉法人、学校法人、宗教法人、中間法人、協同組合、果ては地域の自治会なども広義の NPO である。法令に定められた各種法人格を持つものにあっても、行う事業あるいはその組織・団体自体を維持するために収益を上げることに制限はない。有給・無給の専従職員を置く団体も数多い。 アメリカにおいて制定された内国歳入法典に "NPO" という呼称が使われたことから、この言葉が広まったとされる。1960年代の公民権運動がNPO活動の発展に火をつけた。もともと「小さな政府」として成立しているアメリカでは、市民の自発的な非営利活動によって市民社会をより良い環境に構築していく必要性があり、各州の法律によって非営利団体の活動は保護また規定されている。たとえば、ウィキペディアを運営する "Wikimedia Foundation" は、フロリダ州法に基づく非営利団体である。ほとんどの財源は民間や個人の寄付金によって賄われ、一般的な認識としては市場経済の一員である。 北欧では、スウェーデンの 1809年憲法に明記された近代的オンブズマンが起源である。憲法に記載されていることから分かるように、れっきとした行政機関である。財源は原則として福祉国家から拠出されるため、政府の代理人という性質を持つ。 フランスでは、1901年法という法律に基づいて設立された結社(アソシアシオン association)が、日米でいうところの NPOと類似の活動を行っている(社会福祉目的の他、スポーツ・文化活動など)。長い伝統に基づき、どこにも属さない市民社会の中核として活動している。 NPOは、狭義では、各種のボランティア団体や市民活動団体を意味し、さらに狭く「特定非営利活動法人」をNPOとする場合もある。「特定非営利活動促進法」によって国、又は都道府県に認証をうけたNPOを通称でNPO法人という。 日本では、1995年の阪神・淡路大震災を契機に市民活動団体、ボランティア団体等で法人格の必要性がクローズアップされた。 市民活動団体の法人格取得を容易にするための国会への法案提出はまず、新進党案として、市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案が、平成7年11月7日に第134回国会で衆議院に提出されたが、第137回国会まで継続審議となり、衆議院解散で廃案になった。 第139回国会において、新進党が、市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案を、1996年11月29日に再提出し、自民・社民・さきがけ連立与党は、市民活動促進法案を1996年11月29日に提出した。 この2法案は、第140回国会まで継続審査となり、この国会で、共産党案として、非営利団体に対する法人格の付与等に関する法律案が、1997年3月14日に提出された。 与野党提出の3法案は、1997年6月6日の本会議において、新進党案及び共産党案が否決され、自民・社民・さきがけ連立与党案の市民活動促進法案に民主党の修正を加えたものが、衆議院本会議で可決された。 参議院においては、第142回国会まで継続審議となり、参議院自民党が「市民」の語への反発から「市民活動」を「特定非営利活動」にするなどの修正要求を行い、これを与党が受け入れ、1998年3月4日の参議院本会議で、賛成票 217、反対票 2(新社会党)のほぼ全会一致で可決された。 1998年3月19日に、この参議院修正を衆議院が全回一致で同意し、法案は成立した。 これにより、条件を充たすものは特定非営利活動法人として法人格の取得が可能となった。また近年、社会起業家の概念が普及してきており、コミュニティ・ビジネスの主体としても期待されている。また、国、地方自治体の財政逼迫等から全国的に行政とNPOとのいわゆる協働がブームとなっている。 そうした行政とNPOとのいわゆる協働の流れの中で、各地で行政とNPOが協働してルール作りを行うなどの新しい試みが行われている。 NGO(非政府組織)という表現との使い分けは視点の違いであって、「民間団体の中で、営利目的ではなく社会的な事業を行っているもの」という、非営利性を強調した表現がNPOであり、「社会的な非営利事業の中で、行政ではなく市民によって行われているもの」という、非政府性を強調した表現がNGOであると言える。一般的には、国際的な分野で活躍するのがNGOと呼ばれる。ただし、ともに非営利であり、非政府であるという意味ではNPOとNGOは共通している。 最近では、CSR(Corporate Social Responsibility - 企業の社会的責任)のステークホルダー(利害関係者)として、企業にとっても無視できない存在になっている。 ドラッカーは、NPOの原型は、日本の寺院にあると述べている。 角川書店が、「雑誌」や「新聞」を指定商品として、「NPO」、「ボランティア」という語について商標登録出願をしたところ、特許庁は一旦登録を認めた。その後あるNPO法人が、雑誌名に「NPO」を含む雑誌を発刊しようとしたところ、この登録商標の存在が判明し、発刊に支障をきたす可能性が生じたことから、それを知った各地のNPO団体が「万人の公共財といえるNPOという言葉を特定の営利法人に独占させてはならない」と反発した。特にNPOは、さまざまな機関紙や雑誌・新聞などを発刊して意見を公表しながら社会改善を行っていくことが多く、そういった雑誌・新聞の誌名・紙名の一部に頻繁に使用されるであろう「NPO」という中核的な言葉を独占されたのでは、他の発刊者の事業展開に萎縮効果を生じさせ、ひいてはNPO活動に影響が大きいと思われたからである。なお、これらの商標登録が認められた場合に制限されるのは、「NPO」「ボランティア」を誌名や紙名として商業的に利用することであって、記事の表題や内容にこれらの語を用いることまでもが制限されるわけではない。 また、「NPO」「ボランティア」という言葉は、これら活動を積み重ねによってその概念を育ててきたNPOの人々にすれば、そういった活動にこれまで目立った貢献をしてきたわけではない角川書店が、抜け駆けで登録したことにも、強い反発を生む原因となった。その後、全国のNPO関係者の支援を受けたNPOが、特許庁へ登録異議申立を行った結果、角川書店の商標登録は取り消された。 決定の内容は、「本件商標は、標準文字よりなるものであり、その外観上の印象力及びこの語の有する意味からみて、創作性に欠け、指定商品の主たる内容を表示記述するものであって、取引者・需要者によって『雑誌,新聞』の自他商品識別標識と認識される程度が極めて低く、この語を含む題号の、NPO法人等の発行に係る定期刊行物等が多数存在する実情が認められ、また、この語について特定人に独占使用を認めることは公益上適当とはいえず、かつ、本件商標が使用された結果、自他商品識別力を獲得していた等の特段の事情もないことよりすれば、これをその指定商品である『雑誌,新聞』に使用しても、需要者が何人かの業務に係る商品であることを認識することができない商標である、というべきである」というものであった。 公金を利用した金儲けや不明朗会計による横領、詐欺や口座乱造など犯罪利用も見られるNPOの売買、売買仲介業者が存在していることなどNPOにまつわる諸問題が指摘されている。活動実態が乏しいまたは休眠状態、売却されていたことを犯罪利用発覚後に知ったなど、管轄の地方自治体も大半のNPOの活動実態を全く把握できていない。このようなことが見られることが日本では大きな問題になっている。
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NPOとは、「Nonprofit Organization」又は「Not-for-Profit Organization」の略で、広義では非営利団体のこと。狭義では、非営利での社会貢献活動や慈善活動を行う市民団体のこと。最狭義では、1998年3月に成立した特定非営利活動促進法により法人格を得た団体(特定非営利活動法人)のことを指す。法人格を得た団体は内閣府の「NPO法人ポータルサイト」で確認できるようになっている。なお、米国や英国などではNon-profitというが、韓国や台湾などではNPOという表現が使われている。
{{Otheruses}} {{経済システムのサイドバー}} '''NPO'''とは、「'''N'''on'''p'''rofit '''O'''rganization」又は「'''N'''ot-for-'''P'''rofit '''O'''rganization」の略で、広義では'''[[非営利団体]]'''のこと<ref>{{Cite web|和書|title=コロナでNPO苦境 活動ままならず、寄付金は減少|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60417110W0A610C2CC1000/|website=日本経済新聞|date=2020-06-16|accessdate=2021-11-19|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=NPOってなんだろう|石川県NPO活動支援センター|url=https://www.ishikawa-npo.jp/nandarou/index.html|website=www.ishikawa-npo.jp|accessdate=2021-11-19}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=NPOのイロハ {{!}} NPOホームページ|url=https://www.npo-homepage.go.jp/about/npo-kisochishiki/npoiroha|website=www.npo-homepage.go.jp|accessdate=2021-11-19}}</ref>。狭義では、非営利での社会貢献活動や[[慈善]]活動を行う[[市民団体]]のこと。最狭義では、1998年3月に成立した[[特定非営利活動促進法]]により法人格を得た団体([[特定非営利活動法人]])のことを指す<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|title=NPO法人に関するトピックス:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/topics/word/%EF%BC%AE%EF%BC%B0%EF%BC%AF%E6%B3%95%E4%BA%BA.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-11-19|language=ja|first=The Asahi Shimbun|last=Company}}</ref>。法人格を得た団体は[[内閣府]]の「NPO法人ポータルサイト」で確認できるようになっている<ref>{{Cite web|和書|title=NPO法人ポータルサイト - 内閣府 |url=https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/ |website=www.npo-homepage.go.jp |access-date=2022-12-13}}</ref>。なお、[[アメリカ合衆国|米国]]や[[イギリス|英国]]などではNon-profitというが<ref>{{Cite web|title=Not-for-profit organization definition and meaning {{!}} Collins English Dictionary|url=https://web.archive.org/web/20181107010422/https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/not-for-profit-organization|website=web.archive.org|date=2018-11-07|accessdate=2021-11-19}}</ref>、[[大韓民国|韓国]]や[[中華民国|台湾]]などではNPOという表現が使われている。 == 概説 == === ジョンズ・ホプキンズ大学国際比較研究プロジェクトにおける定義 === 1990年から行われた[[ジョンズ・ホプキンズ大学]]国際比較研究プロジェクトにおいては、国際比較を可能とするためにNPOを次の要件を満たすものと定義した。 *(1)正式の組織(Formal Organization)であること *(2)非政府組織であること(Non-Political) *(3)利益を配分しないこと(Non-Profit Distributing) *(4)自己統治(Self-Governing) *(5)自発的であること(Voluntary) 1994年までの研究プロジェクト第1段階では、 *(6)非宗教組織であること *(7)非政党団体であること が付け加えられたが、あくまで比較作業上の理由によるものであり、第2段階では、上記の狭義の定義と、(6)(7)を要件から除外し、さらに協同組合と相互団体を加えた広義の定義との2本立てで調査が行われた<ref>{{Cite book |和書 |author=NPO研究フォーラム |year=1999 |title=NPOが拓く新世紀 |publisher=清文社 |ISBN=978-4-433-17539-9 |pages=11-31}}</ref>。 以上の定義が一般的であるが、NPO(非営利組織)を組織の分析概念とすれば、認識主体の認識対象の重要性に応じ、NPOの[[定義]]は、James & Rose-Ackerman(1988)、Hayes(1996)、電通総研(1996:23-24)、田尾(1999:4-5)、田尾・吉田(2009:3-4)、村上(2014:96)など、さまざまになされている。またL.M.サラモンの研究でも、上記の5つの定義構成要素に加え、6番目の構成要素として「[[公益|公益性]]」(public benefit)すなわち「公共目的のために活動・貢献している」が加わっている(Salamon,1999:10-11)。複数の定義構成要素のうち、NPOの本質的特徴は、「利益を分配しないこと」すなわち「非利益分配拘束」がもっとも重要である。なぜなら、それ以外の定義構成要素の特徴は、一定の社会貢献を経営理念とし、株式会社の組織形態を採用する[[民間企業]]も該当する。しかし「非利益分配拘束」は、純粋型としてのNPO(非営利組織)に不可欠である。またNPOは“Non-Profit Organization”であるから、営利活動とは無関係に寄付金や助成金だけに依存する、ボランティアの組織であると考えれば、「ソーシャル・ビジネス」の組織をNPOに含むことができなくなる。NPOによる営利活動は十分あり得るし、また営利組織も、その社会的責任から公益性を追求し、社会貢献することは、今日では、むしろ一般的である(新原,2003)。したがってNPOは“Not for Profit Organization”と考えることが現実的である。民間企業でも本業の貫徹とその成就自体に社会貢献の意味が含まれる(村上,2014:97)。社会に損傷を与えるビジネスは一過的であり、営利の事業運営の継続性も、なんらかの社会貢献と自然に結びついている。故に利益分配するかどうかの「非利益分配拘束」が「非営利」と「営利」の純粋型での違いである。 === 広義のNPO === 広義のNPOは、利益の再分配を行わない組織・団体一般([[非営利団体]])を意味する。この場合の対義語は営利団体、即ち[[会社]]([[会社法]]による)などである。この意味では、[[社団法人]]や[[財団法人]]、[[医療法人]]、[[社会福祉法人]]、[[学校法人]]、[[宗教法人]]、[[中間法人]]、[[協同組合]]、果ては地域の[[町内会|自治会]]なども広義の NPO である。法令に定められた各種法人格を持つものにあっても、行う事業あるいはその組織・団体自体を維持するために収益を上げることに制限はない。有給・無給の専従職員を置く団体も数多い。 [[アメリカ合衆国|アメリカ]]において制定された内国歳入法典に "NPO" という呼称が使われたことから、この言葉が広まったとされる。1960年代の公民権運動がNPO活動の発展に火をつけた。もともと「[[小さな政府]]」として成立しているアメリカでは、市民の自発的な非営利活動によって市民社会をより良い環境に構築していく必要性があり、各州の法律によって非営利団体の活動は保護また規定されている。たとえば、[[ウィキペディア]]を運営する "Wikimedia Foundation" は、[[フロリダ州]]法に基づく非営利団体である。ほとんどの財源は民間や個人の[[寄付|寄付金]]によって賄われ、一般的な認識としては[[市場]]経済の一員である。 [[北ヨーロッパ|北欧]]では、[[スウェーデン]]の 1809年憲法に明記された近代的[[オンブズマン]]が起源である。憲法に記載されていることから分かるように、れっきとした行政機関である。財源は原則として福祉国家から拠出されるため、政府の代理人という性質を持つ。 [[フランス]]では、1901年法という法律に基づいて設立された結社(アソシアシオン association)が、日米でいうところの NPOと類似の活動を行っている(社会福祉目的の他、スポーツ・文化活動など)。長い伝統に基づき、どこにも属さない[[市民社会]]の中核として活動している。 === 狭義のNPO === NPOは、狭義では、各種のボランティア団体や市民活動団体を意味し、さらに狭く「特定非営利活動法人」をNPOとする場合もある。「特定非営利活動促進法」によって国、又は都道府県に認証をうけたNPOを通称でNPO法人という。 日本では、1995年の阪神・淡路大震災を契機に市民活動団体、ボランティア団体等で法人格の必要性がクローズアップされた。 市民活動団体の法人格取得を容易にするための国会への法案提出はまず、新進党案として、市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案が、平成7年11月7日に第134回国会で衆議院に提出されたが、第137回国会まで継続審議となり、衆議院解散で廃案になった<ref>{{Cite web|和書|url= https://hourei.ndl.go.jp/#/detail?billId=113402017&searchDiv=2&current=1 |title=市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案 衆法 (第134回国会 衆法 第17号)|date=|publisher=[[国立国会図書館]]|accessdate=2022-03-23}}</ref>。 第139回国会において、新進党が、市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案を、1996年11月29日に再提出<ref>{{Cite web|和書|url= https://hourei.ndl.go.jp/#/detail?billId=113902004&searchDiv=2&current=2|title=市民公益活動を行う団体に対する法人格の付与等に関する法律案 衆法 (第139回国会 衆法 第4号)|date=|publisher=[[国立国会図書館]]|accessdate=2022-03-23}}</ref>し、自民・社民・さきがけ連立与党は、市民活動促進法案<ref>{{Cite web|和書|url= https://hourei.ndl.go.jp/#/detail?lawId=0000083899&searchDiv=2&current=2|title=特定非営利活動促進法 平成10年3月25日法律第7号|date=|publisher=[[国立国会図書館]]|accessdate=2022-03-23}}</ref>を1996年11月29日に提出した。 この2法案は、第140回国会まで継続審査となり、この国会で、共産党案として、非営利団体に対する法人格の付与等に関する法律案<ref>{{Cite web|和書|url= https://hourei.ndl.go.jp/#/detail?billId=114002013&searchDiv=2&current=1|title=非営利団体に対する法人格の付与等に関する法律案|date=|publisher=[[国立国会図書館]]|accessdate=2022-03-23}}</ref>が、1997年3月14日に提出された。 与野党提出の3法案は、1997年6月6日の本会議において、新進党案及び共産党案が否決され、自民・社民・さきがけ連立与党案の市民活動促進法案に民主党の修正を加えたものが、衆議院本会議で可決された。 参議院においては、第142回国会まで継続審議となり、参議院自民党が「市民」の語への反発から「市民活動」を「特定非営利活動」にするなどの修正要求を行い、これを与党が受け入れ、1998年3月4日の参議院本会議で、賛成票 217、反対票 2(新社会党)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/vote/142/142-0304-v001.htm|title=第142回国会1998年3月4日投票結果環市民活動促進法案(第140回国会衆議院提出)「委員長報告の通り修正議決」|date=|publisher=[[参議院]]|accessdate=2022-03-23}}</ref>のほぼ全会一致で可決された。 1998年3月19日に、この参議院修正を衆議院が全回一致で同意{{efn|新社会党は、この時点で、衆議院に議席はなかった}}し、法案は成立した。 これにより、条件を充たすものは[[特定非営利活動法人]]として[[法人格]]の取得が可能となった。また近年、社会起業家の概念が普及してきており、[[コミュニティ・ビジネス]]の主体としても期待されている。また、国、地方自治体の財政逼迫等から全国的に行政とNPOとのいわゆる協働がブームとなっている。 そうした行政とNPOとのいわゆる協働の流れの中で、各地で行政とNPOが協働してルール作りを行うなどの新しい試みが行われている。 NGO([[非政府組織]])という表現との使い分けは視点の違いであって、「民間団体の中で、営利目的ではなく社会的な事業を行っているもの」という、非営利性を強調した表現がNPOであり、「社会的な非営利事業の中で、行政ではなく市民によって行われているもの」という、非政府性を強調した表現がNGOであると言える。一般的には、国際的な分野で活躍するのがNGOと呼ばれる。ただし、ともに非営利であり、非政府であるという意味ではNPOとNGOは共通している。 最近では、CSR(Corporate Social Responsibility - 企業の社会的責任)の[[ステークホルダー]](利害関係者)として、企業にとっても無視できない存在になっている。 [[ピーター・ドラッカー|ドラッカー]]は、NPOの原型は、日本の寺院にあると述べている。 == NPO商標問題 == [[角川書店]]が、「[[雑誌]]」や「[[新聞]]」を指定商品として、「NPO」、「ボランティア」という語について[[商標]]登録出願をしたところ、[[特許庁]]は一旦登録を認めた。その後あるNPO法人が、雑誌名に「NPO」を含む雑誌を発刊しようとしたところ、この登録商標の存在が判明し、発刊に支障をきたす可能性が生じたことから、それを知った各地のNPO団体が「万人の公共財といえるNPOという言葉を特定の営利法人に独占させてはならない」と反発した。特にNPOは、さまざまな機関紙や雑誌・新聞などを発刊して意見を公表しながら社会改善を行っていくことが多く、そういった雑誌・新聞の誌名・紙名の一部に頻繁に使用されるであろう「NPO」という中核的な言葉を独占されたのでは、他の発刊者の事業展開に[[萎縮効果]]を生じさせ、ひいてはNPO活動に影響が大きいと思われたからである。なお、これらの商標登録が認められた場合に制限されるのは、「NPO」「ボランティア」を誌名や紙名として商業的に利用することであって、記事の表題や内容にこれらの語を用いることまでもが制限されるわけではない。 また、「NPO」「ボランティア」という言葉は、これら活動を積み重ねによってその概念を育ててきたNPOの人々にすれば、そういった活動にこれまで目立った貢献をしてきたわけではない角川書店が、抜け駆けで登録したことにも、強い反発を生む原因となった。<!--(?)-->その後、全国のNPO関係者の支援を受けたNPOが、[[特許庁]]へ登録異議申立を行った結果、角川書店の商標登録は取り消された。<!--(?)--> 決定の内容は、「本件商標は、標準文字よりなるものであり、その外観上の印象力及びこの語の有する意味からみて、創作性に欠け、指定商品の主たる内容を表示記述するものであって、取引者・需要者によって『雑誌,新聞』の自他商品識別標識と認識される程度が極めて低く、この語を含む題号の、NPO法人等の発行に係る定期刊行物等が多数存在する実情が認められ、また、この語について特定人に独占使用を認めることは公益上適当とはいえず、かつ、本件商標が使用された結果、自他商品識別力を獲得していた等の特段の事情もないことよりすれば、これをその指定商品である『雑誌,新聞』に使用しても、需要者が何人かの業務に係る商品であることを認識することができない商標である、というべきである」というものであった。<!--(?)--> === 経過概要 === * 2002年1月18日- 株式会社角川書店が、雑誌・新聞についての商標として「NPO」を出願<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=行政 : NPO商標問題で協力呼びかけ {{!}} NPOWEB |url=https://www.npoweb.jp/2003/07/%e8%a1%8c%e6%94%bf-npo%e5%95%86%e6%a8%99%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%81%a7%e5%8d%94%e5%8a%9b%e5%91%bc%e3%81%b3%e3%81%8b%e3%81%91/ |date=2003-07-05 |access-date=2022-12-13 |language=ja}}</ref> * 2003年4月25日-商標登録<ref name=":1" />。 * [[2003年]]6月5日 - 本件問題についてマスコミ等の報道。 * 2003年6月6日 - 角川ホールディングスが各紙に社告掲載。 * 2003年7月25日 - 商標登録異議申立書の提出(特許庁へ)。 * [[2004年]]6月17日 - 特許庁が取消理由通知(角川側に意見書提出の機会付与)。 * [[2005年]]5月10日 - 特許庁が「NPO」商標取消決定。 * 2005年5月11日 - 特許庁が「ボランティア」商標取消決定。 == NPO売買・犯罪利用・公金搾取問題 == {{See also|大雪りばぁねっと。}} 公金を利用した金儲けや[[横領|不明朗会計による横領]]、詐欺や口座乱造など犯罪利用も見られるNPOの売買、売買仲介業者が存在していることなどNPOにまつわる諸問題が指摘されている。活動実態が乏しいまたは休眠状態、売却されていたことを犯罪利用発覚後に知ったなど、管轄の地方自治体も大半のNPOの活動実態を全く把握できていない。このようなことが見られることが日本では大きな問題になっている<ref>{{Cite news |title=脱法売買の詳細を初めて裏付け 犯罪グループ悪用も |newspaper=毎日新聞 |date=2018/06/06 |url=https://mainichi.jp/articles/20180606/mog/00m/040/027000c |accessdate=2018/06/08}}</ref><ref>{{Cite news |title=NPO法人:脱法売買 全国11法人売り出され、仲介業者も 口座乱造、詐欺に悪用 |newspaper=毎日新聞 |date=2018/06/07 |url=https://mainichi.jp/articles/20180607/ddm/001/040/187000c |accessdate=2018/06/08}}</ref><ref>{{Cite news |title=非営利法人「善意」の陰で.NPOの信用、逆手 逮捕の男「詐欺用口座、簡単に作れた」 |newspaper=毎日新聞 |date=2018/06/07 |url=https://mainichi.jp/articles/20180607/ddn/041/040/022000c |accessdate=2018/06/08}}</ref><ref>{{Cite news |title=非営利法人「善意」の陰で。転売NPO、犯罪の舞台 「信用」で次々預金口座 逮捕の男、本来の活動せず |newspaper=毎日新聞 |date=2018/06/07 |url=https://mainichi.jp/articles/20180607/ddm/041/040/100000c |accessdate=2018/06/08}}</ref><ref>{{Cite news |title=NPO売買:法人買いで利権狙う 目的は「もうけ話 |newspaper=毎日新聞 |date=2018/06/08 |url=https://mainichi.jp/articles/20180608/k00/00m/040/090000c |accessdate=2018/06/08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=震災事業費横領に実刑判決 「被災者愚弄している」 岩手 |url=https://www.sankei.com/article/20160120-JWRUS6ITE5PF5PPAQT7JBT5234/ |website=産経ニュース |date=2016-01-20 |access-date=2022-12-13 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=非営利法人「善意」の陰で:休眠NPO、看板悪用 東京、多重債務者集め詐欺/茨城、実態は違法風俗店 |url=https://mainichi.jp/articles/20181105/ddm/003/040/070000c |website=毎日新聞 |access-date=2022-12-13 |language=ja}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == *{{Cite book |author=Lester M. Salamon |year=1997 |title=HOLDING THE CENTER: American's Nonprofit Sector at a Crossroads |publisher=Nathan Cummings Foundation}}({{Cite book |和書 |author=レスター・サラモン |others=山内直人(訳解説) |year=1999 |title=NPO最前線―岐路に立つアメリカ市民社会 |publisher=岩波書店 |ISBN=4000222511}}). *{{Cite book |author=Lester M. Salamon |year=1999 |title=America's nonprofit sector: a primer |edition=2nd |location=New York |publisher=The Foundation Center.}} *{{Cite book|和書 |author=P.F.ドラッカー |authorlink=P.F.ドラッカー |year=1991年 |title=非営利組織の経営 |publisher=ダイヤモンド社 |ISBN=4478370621}} *{{Cite book |和書 |author=田尾雅夫 |authorlink=田尾雅夫 |author2=川野祐二 |year=2004 |title=ボランティア・NPOの組織論 |publisher=学陽書房 |ISBN=4313815082}} *{{Cite book |和書 |author=田尾雅夫 |author2=吉田忠彦 |year=2009 |title=非営利組織論 |publisher=有斐閣 |ISBN=978-4-641-12389-2}} *{{Cite book |和書 |author=電通総研 |year=1996 |title=NPOとは何か―社会サービスの新しいあり方 |publisher=日本経済新聞社 |ISBN=4532144590}} *{{Cite book |和書 |author=新原浩朗 |year=2003 |title=日本の優秀企業研究 |publisher=日本経済新聞社 |ISBN=978-4-532-31086-8}} *{{Cite book |和書 |author=村上綱実 |year=2014 |title=非営利と営利の組織理論 |edition=第二版 |publisher=絢文社 |ISBN=978-4-915-41616-3}} == 関連項目 == * [[市民社会]]([[シビル・ソサエティ]]) * [[市民]] * [[市民活動]] * [[1%支援制度]] * [[コミュニティ・ビジネス]] * [[ボランティア]] * [[中間支援組織]] * [[指定管理者]] * [[連帯経済]] * [[非政府組織|NGO]] * [[社会的企業]] * [[社会起業家]] * [[ブリコラージュ]] == 外部リンク == *[https://www.npo-homepage.go.jp/ 内閣府 NPOホームページ] - [[内閣府]] *{{Egov law|410AC1000000007|特定非営利活動促進法}} *[https://www.npo-sc.org/ 特定非営利活動法人NPOサポートセンター] *[https://www.jnpoc.ne.jp/ 特定非営利活動法人日本NPOセンター] *[http://www.kohokyo.or.jp/ 公益財団法人公益法人協会] *[http://www.npo-hiroba.or.jp/ NPO法人データベース NPOヒロバ] - 特定非営利活動法人日本NPOセンター {{normdaten}} {{DEFAULTSORT:えぬひいおう}} [[Category:非営利組織|*]] [[Category:市民活動]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/NPO
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クラシック音楽
クラシック音楽(、英: classical music、独: Klassische Musik 、仏: musique classique、伊: musica classica)は、一般に西洋の伝統的な作曲技法や演奏法による芸術音楽を指す。宗教音楽、世俗音楽のどちらにも用いられる。 今日一般的に「クラシック音楽」と称されるものはバロック音楽、古典派音楽、ロマン派音楽に当たる1550年頃から1900年頃の音楽であるが、それ以前のものも、それ以後のものも、同じ流れに属する音楽は今日あわせてクラシック音楽と呼ばれることが多い。また、古典派時代の宴席用音楽、ロマン派時代のウインナワルツなど、純粋に観賞用としてつくられたわけではない実用音楽も、今日ではクラシック音楽と呼ばれている。主な時代区分を以下に示す。 「クラシック音楽Classical Music」という用語は早くとも19世紀まで使われていなかった。その頃、ヨハン・ゼバスティアン・バッハからルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの時代の音楽を復活させる試みがなされたことにより、クラシック音楽が他と区別されるようになった。初めてオックスフォード英語辞典でクラシック音楽に言及されたのは1836年のことである。 6世紀頃、キリスト教の聖歌であるグレゴリオ聖歌や、多声音楽が生まれた。これが中世西洋音楽の始まりである。9世紀頃、グレゴリオ聖歌がネウマ譜で記譜されるようになった。これが発展し、15世紀にはブルゴーニュ公国でルネサンス音楽が確立された。16世紀には本格的な器楽音楽の発達、オペラの誕生が起こり、宮廷の音楽が栄えた(バロック音楽)。これ以前の音楽を初期音楽とよぶことが多い。その後18世紀半ばになると民衆にも音楽が広まり、古典派音楽とよばれる「形式」や「和声」に重点をおいた音楽に発展した。またこの頃から一般的に音楽が芸術として見られるようになる。19世紀には「表現」に重点を置いたロマン派音楽に移行し、各国の民謡などを取り入れた国民楽派も生まれる。20世紀頃には「気分」や「雰囲気」で表現する印象主義音楽や、和声及び調の規制をなくした音楽などの近代音楽が生まれ、さらに第二次世界大戦後は現代音楽とよばれる自由な音楽に発展していった。 CD店、図書館、音楽関連書籍ではしばしば以下のように分類される。 音楽チャートにクラシック音楽のアイテムがめったに登場しないことからもわかるとおり、クラシックファンの数はポピュラー音楽ファンに比べて圧倒的に少ない。しかし、いくつかの成功例がある。
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クラシック音楽(クラシックおんがく、は、一般に西洋の伝統的な作曲技法や演奏法による芸術音楽を指す。宗教音楽、世俗音楽のどちらにも用いられる。
[[File:Classical music composers montage.JPG|right|thumb|350px|著名なクラシック音楽の作曲家達の一部の肖像を集めたもの([[:Category:クラシック音楽の作曲家|クラシック音楽の作曲家一覧]])。 左から右へ:<br />最上段 – [[アントニオ・ヴィヴァルディ]], [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]], [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]], [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]], [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]];<br />2段目 – [[ジョアキーノ・ロッシーニ]], [[フェリックス・メンデルスゾーン]], [[フレデリック・ショパン]], [[リヒャルト・ワーグナー]], [[ジュゼッペ・ヴェルディ]];<br />3段目 – [[ヨハン・シュトラウス2世]], [[ヨハネス・ブラームス]], [[ジョルジュ・ビゼー]], [[ピョートル・チャイコフスキー]], [[アントニン・ドヴォルザーク]];<br />最下段 – [[エドヴァルド・グリーグ]], [[エドワード・エルガー]], [[セルゲイ・ラフマニノフ]], [[ジョージ・ガーシュウィン]], [[アラム・ハチャトゥリアン]]]] {{Portal クラシック音楽}} {{ウィキプロジェクトリンク|クラシック音楽}} {{読み仮名|'''クラシック音楽'''|クラシックおんがく|{{lang-en-short|classical music}}、{{lang-de-short|Klassische Musik}} 、{{lang-fr-short|musique classique}}、{{lang-it-short|musica classica}}}}は、一般に<ref>直訳は「古典音楽(こてんおんがく)」である</ref>[[西洋]]の伝統的な作曲技法や演奏法による芸術[[音楽]]を指す<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD-485508#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 クラシック音楽 大辞林 第三版] - [[コトバンク]]</ref>。[[宗教音楽]]、世俗音楽のどちらにも用いられる。 == 概説 == 今日一般的に「クラシック音楽」と称されるものは[[バロック音楽]]、[[古典派音楽]]、[[ロマン派音楽]]に当たる1550年頃から1900年頃の音楽であるが、それ以前のものも、それ以後のものも、同じ流れに属する音楽は今日あわせてクラシック音楽と呼ばれることが多い。また、古典派時代の宴席用音楽、ロマン派時代のウインナワルツなど、純粋に観賞用としてつくられたわけではない実用音楽も、今日ではクラシック音楽と呼ばれている。主な時代区分を以下に示す。 * [[古代の音楽]] * [[中世西洋音楽]] * [[ルネサンス音楽]] * [[バロック音楽]] * [[古典派音楽]] * [[ロマン派音楽]] * [[国民楽派]] * [[印象主義音楽]] * [[新古典主義音楽]] * [[近代音楽]] * [[現代音楽]] 「クラシック音楽''Classical Music''」という用語は早くとも[[19世紀]]まで使われていなかった。その頃、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]から[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]の時代の音楽を復活させる試みがなされたことにより、クラシック音楽が他と区別されるようになった<ref>Rushton, Julian, ''Classical Music'', (London, 1994), 10</ref>。初めて[[オックスフォード英語辞典]]でクラシック音楽に言及されたのは[[1836年]]のことである<ref name="Music 2007">"Classical", ''The Oxford Concise Dictionary of Music'', ed. Michael Kennedy, (Oxford, 2007), ''Oxford Reference Online''. Retrieved July 23, 2007.</ref>。 == 歴史 == {{main|音楽史#西洋音楽史}} [[8世紀]]頃、[[キリスト教]]の聖歌である[[グレゴリオ聖歌]]が誕生し、9世紀頃にはグレゴリオ聖歌が[[ネウマ譜]]で記譜されるようになった<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p23-26 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>。これが[[中世西洋音楽]]の始まりである。11世紀頃には[[オルガヌム]]と呼ばれる[[ポリフォニー|多声音楽]]が生まれ、12世紀後半頃からは[[サン・マルシャル楽派]]や[[ノートルダム楽派]]によってさらに発展した<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p27-28 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>。[[15世紀]]には[[ブルゴーニュ公国]]で[[ブルゴーニュ楽派]]、ついで[[フランドル楽派]]が成立し、[[ルネサンス音楽]]が確立された<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p36-41 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>。[[16世紀]]には本格的な[[器楽]]音楽の発達<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p49-52 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>、[[オペラ]]の誕生が起こり<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p53-59 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>、[[宮廷]]の音楽が栄えた([[バロック音楽]])。バロック音楽の代表的な作曲家としては、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]と[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]]が挙げられる<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p65-68 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>。これ以前の音楽を[[初期音楽]]とよぶことが多い。 その後1720年頃になると民衆にも現在「クラシック音楽」と呼ばれているような芸術音楽が広まり、[[古典派音楽]]とよばれる「形式」や「[[和声]]」に重点をおいた音楽に発展した。1720年代から1780年代までは前古典派と呼ばれる作曲家群の活動が続き<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p69 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>、1780年代から1820年ごろにかけて[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン]]、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]の3人による[[ウィーン楽派|ウィーン古典派]]の活動によって古典派音楽は最盛期を迎えた<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p77 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>。またこの頃から一般的に音楽が[[芸術]]として見られるようになる。 [[19世紀]]に入ると「表現」に重点を置いた[[ロマン派音楽]]に移行し<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p87 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>、まず[[フランツ・シューベルト]]、次いで[[ロベルト・シューマン]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン]]、[[フレデリック・ショパン]]といった作曲家が盛んに作曲を行った<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p93-95 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>。19世紀半ばには[[フランツ・リスト]]、[[リヒャルト・ワーグナー]]、[[ヨハネス・ブラームス]]、[[アントン・ブルックナー]]らが現れ<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p97-100 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>、各国の[[民謡]]や[[民族音楽]]の要素を取り入れた[[国民楽派]]も生まれる<ref>『増補改訂版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』 p103-104 音楽之友社 2009年4月10日第1刷</ref>。[[20世紀]]頃には「気分」や「雰囲気」で表現する[[印象主義音楽]]や、和声及び[[調]]の規制をなくした音楽などの[[近代音楽]]が生まれ、さらに[[第二次世界大戦]]後は[[現代音楽]]とよばれる自由な音楽に発展していった。<ref group="注釈">作曲家の[[三宅榛名]]は「今もクラシックの作曲家はいますか?」という質問に対し、「「クラシックの作曲家」とよばれる作曲家は、正確にいうと今現在は、いません。21世紀のクラシックの作曲家は、ふつう、「現代音楽の作曲家」とよばれています」という見解を示している。(三宅榛名『音楽が好きだ! (4) クラシックってなんだろう?』ポプラ社、1994年 p.31。)</ref> == 演奏形式による分類 == [[画像:Berlin Philharmonie asv2018-05 img2.jpg|right|thumb|350px|[[ベルリン・フィルハーモニー]]]] [[ファイル:Dresda Semperoper.jpg|thumb|260px|[[ゼンパー・オーパー]]]] [[File:Teatro alla Scala interior Milan.jpg|thumb|right|350px|[[スカラ座]]内部]] [[File:Suntoryhall-empty-may24-2016.jpg|thumb|right|300px|東京の[[サントリーホール]]内部]] [[File:Bayreuth Festspielhaus front.jpg|thumb|right|300px|[[バイロイト祝祭劇場]]]] * [[器楽]] ** [[ソナタ]] ** [[組曲]] ** [[性格的小品]] * [[オーケストラ|管弦楽]] ** [[管弦楽曲]] ** [[協奏曲]] ** [[交響曲]] ** [[序曲]] ** [[交響詩]] ** [[組曲]] *** [[バレエ組曲]] * [[吹奏楽]] * [[重奏|室内楽]] ** [[弦楽四重奏曲]] ** [[ピアノ三重奏曲]] ** [[ピアノ五重奏曲]] ** [[木管五重奏曲]] ** [[ヴァイオリンソナタ]] ** [[チェロソナタ]] ** [[トリオ・ソナタ]] * [[声楽曲]] ** [[オラトリオ]] ** [[カンタータ]] ** [[ミサ曲]] ** [[受難曲]] ** [[合唱|合唱曲]] ** [[歌曲]] ** [[連作歌曲]] * 舞台音楽 ** [[オペラ]] *** [[オペラ・ブッファ]] *** [[オペラ・セリア]] *** [[ジングシュピール]] *** [[オペラ・コミック]] *** [[オペレッタ]] *** [[グランド・オペラ]] *** [[楽劇]](Musikdrama:[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]や[[リヒャルト・シュトラウス|R・シュトラウス]]、[[ハンス・プフィッツナー|プフィッツナー]]など) *** {{仮リンク|ムジーク・テアター|de|Musiktheater}}(主に筋の無い音楽劇で[[ルイージ・ノーノ|ノーノ]]、[[カールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼン]]、[[ヘルムート・ラッヘンマン|ラッヘンマン]]、[[フィリップ・グラス|グラス]]らの作品に見られる) *** [[オペラ=バレ|オペラ・バレエ]]([[ニコライ・リムスキー=コルサコフ|リムスキー=コルサコフ]]の「[[ムラダ]]」など、オペラの中のバレエではなくてバレエの比重が半分以上あるもの) ** [[バレエ]] ** [[パントマイム]] ** [[劇付随音楽]]:演奏会形式の組曲で上演されることも多い(グリーグの《[[ペール・ギュント (グリーグ)|ペール・ギュント]]》など) * [[電子音楽]] ** [[ルイージ・ルッソロ|騒音音楽]] ** [[コンピュータ音楽]] ** [[テープ音楽]] ** [[ミュジーク・コンクレート|ミュージック・コンクレート]] ** [[ライヴエレクトロニクス]] ** (狭義の、電気的な合成音による)[[電子音楽]] ** [[電子楽器]]([[テルミン]]、[[オンドマルトノ]]、[[メロトロン]]、[[シンセサイザー]]等)のための器楽曲 == セールス・鑑賞上の分類 == CD店、図書館、音楽関連書籍ではしばしば以下のように分類される。<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://www.hmv.co.jp/search/advanced/type/1/|title=クラシック検索 総合 HMV ONLINE|work=|author=|publisher=[[HMV]]|accessdate=2013-1-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://www.ongakunotomo.co.jp/m_square/record_academy_total/index.html|title=レコード・アカデミー賞 受賞ディスク一覧 2010年度 - 音楽之友社|work=|author=|publisher=[[音楽之友社]]|accessdate=2013-1-26}}</ref> * [[交響曲]] * [[協奏曲]] * [[管弦楽曲]]:管弦楽のための音楽から上記2つを除いたもの * [[室内楽曲]] * 器楽曲:独奏曲と呼ぶ場合もある。 * 声楽曲:歌唱を主体にしたものからオペラを除いたもの * [[オペラ]] * 音楽史:[[古典派音楽]]より前、すなわち[[中世西洋音楽|中世音楽]]・[[ルネサンス音楽]]・[[バロック音楽]]。[[古楽]]とも。 * 現代曲 == クラシック音楽ファンを増やす試み == 音楽チャートにクラシック音楽のアイテムがめったに登場しないことからもわかるとおり、クラシックファンの数はポピュラー音楽ファンに比べて圧倒的に少ない。しかし、いくつかの成功例がある。 ; [[ラ・フォル・ジュルネ]] : [[1995年]]にフランスの[[ナント]]で始まったイヴェント。短時間・低価格のコンサートを多数開催し、初心者でも聴きやすくした。この試みは他国にも拡大し、日本でも「[[ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭]]」の名で2005年の東京を皮切りに行われている。 ; アダージョ・カラヤン : 1995年発売。[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]の演奏の中からゆったりかつ叙情的な作品または楽章を集めた[[コンピレーションアルバム]]。全世界500万枚のセールスを上げた<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.universal-music.co.jp/herbert-von-karajan/products/uccg-9669/|title=ヘルベルト・フォン・カラヤン Herbert von Karajan - アダージョ、カラヤンGOLD|work=|author=|publisher=[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]]|accessdate=2013-1-26}}</ref>。 ; 小澤征爾&ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート2002 : [[小澤征爾]]指揮の[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]の[[ニューイヤーコンサート]]のCDが100万枚を超えるヒットとなった<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://store.universal-music.co.jp/product/uccd50011/|title=小澤 征爾 / ニューイヤー・コンサート 2002【国内盤】【CD| Herbert von Karajan - アダージョ、カラヤンGOLD|work=|author=|publisher=ユニバーサルミュージック|accessdate=2013-1-26}}</ref>。 ; ベスト・クラシック100 : [[2005年]]発売。有名曲の聴きどころだけを集めたコンピレーションアルバム。70万枚を超えるセールスを上げた<ref>{{Cite web|和書|date=2006-03-29|url=http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/person/epoch/060329_classic1/|title=東芝EMIの「ベスト・クラシック100」(1)〜クラシック初心者の入門CDとして提供|work=nikkei BPnet|author=|publisher=[[日経BP]]|accessdate=2013-1-26}}</ref>。 ; [[「のだめオーケストラ」LIVE!]] : [[2006年]]発売。[[音楽大学]]を舞台とした漫画(のちにアニメ及びドラマ化)「[[のだめカンタービレ]]」に登場するクラシック曲を収録。オリコン週間チャートで最高6位、2006年年間チャートで74位を記録した。 ; Classic fm : [[イギリス]]のクラシック音楽専門の民間FM放送局<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.classicfm.com/|title=Classic FM - Discover Classical Music|work=|author=|publisher=Classic FM|accessdate=2013-06-10}}</ref>。[[1992年]]に放送を開始した。現在では、FM放送以外にデジタル衛星テレビ、[[ケーブルテレビ]]、[[デジタルラジオ|デジタルラジオ放送]]を行うほか、ストリーミング放送やポッドキャスト配信も行っている。よく知られた小品を数多く取り上げる。 : 大作は編集して短くする。交響曲等は一番ポピュラーな楽章だけを選んで放送する。リクエストで人気投票を行い、ヒットチャートのように紹介するなどの、ポピュラー音楽の商業放送では常套手段となっている手法を導入している。 ; Classic Manager-クラシックマネージャー''' <ref>https://classicmanager.com/</ref> : 著作権保護期間が経過したクラシック音楽を無料鑑賞できるアプリケーションサービス。ジャンル別で自動再生される機能や自分だけのオリジナルアルバムを作成できたり、作成したアルバムを共有して楽しめるなどクラシック音楽愛好家の中で密かに話題となっているサービスである。無料鑑賞可能な音源は7万7801個にもおよび、初心者でも利用できるように自動再生機能に力を入れている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[クラシック音楽の作曲家一覧]] * [[クラシック音楽の曲名一覧]] * [[クラシック音楽の指揮者一覧]] * [[クラシック音楽の演奏家一覧]] * [[オーケストラの一覧]] * [[クラシック音楽の室内楽団一覧]] * [[コンサートホール]] * [[歌劇場]](オペラハウス、オペラ座) * [[ハイカルチャー]] * [[オペラ]] * [[バレエ]] * [[邦楽]] - 日本の伝統音楽 {{音楽}} {{クラシック音楽-フッター}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くらしつくおんかく}} [[Category:クラシック音楽|*]] [[Category:クラシック音楽史|*くらしつくおんかく]] [[Category:レトロニム|くらしつくおんかく]]
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ポピュラー音楽
ポピュラー音楽(、英: popular music、ポピュラー・ミュージック)は、広く人々の好みに訴えかける音楽のことである。 ポピュラー音楽とは、何らかの「広く訴求力のある」音楽ジャンルに属す、人々の好みに訴求した、あらゆる時代の音楽を包括的に指す用語、等と定義づけられ、具体的にはロック、ポップ、ソウル、レゲエ、ラップ、ダンス・ミュージックなどが例としてあげられる。アメリカ合衆国のポピュラー音楽が今日に至るまで与えた影響は大きい。初期の多くのポピュラー音楽の特徴はその当時のクラシック音楽と共有する要素が多かったが、それらは簡潔でシンプルであったので決まり事が少なかった。 音楽産業(英語版)を通して多数の聴衆に配給されるものが典型的であり、芸術音楽とは区別される。伝統音楽(英語版)のように典型的には学術的な形態によって伝えられたり口承によって小規模の局地的に限定された聴衆に広められる音楽とも対照的な存在である。 この用語はもともと、1880年代のアメリカ合衆国でティン・パン・アレーの音楽を指したものであった。 また、日本ではポピュラー音楽を指して和製英語で「ポップス」とも呼称する。 アメリカ合衆国では「pops」という語はボストン・ポップス・オーケストラのようにオーケストラがポピュラー音楽や映画音楽などを演奏することを示す。また俗語で「おやじさん」の意味を持つため、ジャズやポピュラー音楽界では特に勢力のあるリーダーや大人物に対する愛称としても使われる。 「ポピュラー音楽」という言葉には、広い意味・狭い意味・その他諸々異なった意味合いがあり、文脈によってこの広がりが変わったりずれたりということが起き、定義を難しくしている。 ここではポピュラー音楽を「アメリカを中心に世界的な広がりを見せている近代的な商業音楽」とやや狭く定義し、その歴史を記載する。広義のポピュラー音楽に含まれるがこの項では扱われない音楽に関しては、民俗音楽・民族音楽および各国の音楽の項などを参照されたい。 ポピュラー音楽のルーツとして、19世紀後半のヨーロッパの大衆音楽、カリブ海及び南米の混血音楽、アメリカで誕生した音楽の3つが指摘できる。 19世紀後半、ヨーロッパでは資本主義の興隆によって豊かな中産階級の拡大と都市部への労働人口の流入が見られた。中産階級はワンランク上の生活に憧れオペラ劇場に定席を得たり子女にピアノを習わせたりすることがステータスとなり、労働者たちは生活の安定と余暇の充実に伴って娯楽として音楽を楽しむ習慣が広まり、クラシック・大衆音楽とも大幅に聴衆を増やし、現代に近い形で多くの人の生活に音楽がとりいれられるようになった。こうした中で、主に都市部で盛んになった大衆音楽が、のちのポピュラー音楽に大きな影響を与えている。 ヨーロッパではもともとダンスが盛んで、民俗音楽の中にも多くの踊りが見られるが、そこから変化したワルツ、ワンステップなどの社交ダンスの音楽が、ギターやアコーディオンを含むバンドで演奏されるようになった。ワルツは、オーストリアの山岳地方の舞曲レントラーが洗練・発展したものだが、ヨーロッパ中に熱狂的に広まり、19世紀を代表する舞曲となった。 18世紀にはすでにバラッド・オペラ(イギリス)、ジングシュピール(ドイツ)、オペラ・コミック(フランス)のような、民謡(または民謡風の単純な歌)を材料にした親しみやすいオペラが人気だったが、19世紀には喜劇的な内容の親しみやすいオペラがオペレッタ(軽歌劇)という名で人気を集めるようになった。オッフェンバックの「地獄のオルフェ」やスッペの「軽騎兵」やJ・シュトラウス2世の「こうもり」やレハールの「メリー・ウィドウ」などが挙げられる。 「パーラー」は「応接間」のこと。中産階級女性の間で盛んだったもので、家庭のパーラー(談話室)で家族や知り合い同士で、ピアノやギターなど家庭にあるような楽器で伴奏され歌われた。1曲1枚のシートミュージックと言う楽譜の形で販売された。 ミュージック・ホールとは、客が飲食を摂りながら音楽を楽しむことを目的とした施設で、パブで歌で客をもてなしたのが起源。1852年、イギリス最初の専用のホールとしてロンドンに開かれたカンタベリー・ホールは、客が飲食をとるために椅子とテーブルを並べた部分と舞台とをもっており、以後、同種のホールが全国につくられた。当初は大工業都市の労働者のビア・ホールとして生まれたものだったが、19世紀後半には飲酒よりも娯楽の方が重要になり、ユーモラスで風刺的または感傷的な歌からなる演芸を提供した。音楽だけでなく踊りやコントや手品、動物の芸、アクロバットなども演じられ、人気を博していた。1868年にはイギリスには500を超えるミュージック・ホールがあった。パリのムーラン・ルージュもミュージック・ホールである。 現代大衆歌謡としてのシャンソンは19世紀後半から20世紀初頭にかけて確立され、演劇的表現スタイル、反権威的現実主義、ミュゼット(同時代に誕生したダンス音楽)のアコーディオンと3拍子を伝統とする。パリやベルリンのキャバレー・カフェ・レビュー小屋などで盛んに歌われた。 こうした当時の大衆歌謡は、クラシック歌曲の通俗版としての性格をもち、歌い手も美しい声ではっきりと歌うのが普通だった。 現在「スコットランド民謡」「アイルランド民謡」などとして知られている曲の多くは、この時代にパーラー・ミュージックや酒場やミュージック・ホールの歌として人気を得たものが多く、「蛍の光」「庭の千草」「ダニー・ボーイ」「ホーム・スイート・ホーム」「アニーローリー」などが該当するし、フランスのシャンソンも古いもの(「さくらんぼの実る頃」など)は該当する。ロシア民謡として日本で知られている歌も、この時代の言わば歌謡曲が多く、「一週間」「カリンカ」「トロイカ」「コロブチカ」などはこの時代のものである。これらの中には売ることを目的に作曲されたものと、本当に民謡を手直ししたものが混在している。民俗音楽とポピュラー音楽の境界線はまだ曖昧であった。 当時たくさんあった植民地では、都市部の中産階級はヨーロッパの芸術音楽や大衆音楽をそのまま持ち込み、農村部ではヨーロッパの民俗音楽がそのまま持ち込まれていた。が、植民地での都市の発展の中で形成された周辺部のスラム地区で、黒人や先住民の音楽とヨーロッパ系の音楽が融合して新たな音楽が生まれる現象が様々な植民地で見られている。担い手は船乗りや日雇労働者、賭博師、売春婦などのいわゆるルンペンプロレタリアート層であった。リズムの肉体性・わざと濁らせた音色や声色・楽譜通りではない何らかの即興性などの要素を特徴とする。こうした音楽はその地域のエリート層からは下級な音楽として蔑視されたが、後にヨーロッパの民衆によって価値が見いだされて世界的な流行音楽となっていった例が多い。この種の音楽の最初期のものはスリランカとインドネシアで見られるが、後のポピュラー音楽に大きな影響を与えたのはカリブ海および南米地域のものである。 アメリカ大陸に連れて来られた黒人の多くは西アフリカ地域の人たちだったが、アフリカの音楽には広くポリリズムの要素が見られ、特に西アフリカの音楽はホットでテンポも速く、また数人の奏者による打楽器アンサンブルがよく見られる。中には太鼓だけではなく、金属製の打楽器も入ってリズムを明確にすることも見られる。もちろんアフリカを離れてから何世代も経ており、西アフリカの民族音楽そのままではありえないものの、根底にある「身体の奥からゆさぶってくれるようなビート」は明らかに「肉体の解放による喜びと高い精神的な喜びを合一させた」アフリカのダンス音楽のものであり、この要素はその後のポピュラー音楽まで確実に影響している。 西インド諸島では先住民がほとんど全滅しており、白人と奴隷の黒人が暮らしていた。黒人音楽とヨーロッパ音楽が融合して生み出された音楽の中で、最初に世界的に流行したのはジャズではなく、キューバのハバネラ、中でもスペイン人のイラディエールが作曲した「ラ・パロマ」だった。イラディエールは若いころに数年間キューバに住んだことがあり、そこで接したハバネラのリズムを自作に取り入れて発表し、世界的に大人気となるのみならず、様々な国の音楽に影響を与えた。ハバネラのリズムの影響はアメリカのジャズ、イタリアの「オー・ソレ・ミオ」、トルコからギリシャにかけて伝わるシルトースという踊りのリズム、アルゼンチンのタンゴなどに見られる。またジャズ発祥の地のニューオーリンズに移植された黒人奴隷の大部分は、スペイン領キューバ、フランス領ハイチなどから購入されたものであった。 南米は全般に先住民・白人・黒人の三者が混交し、メスティーソ(先住民+白人)・ムラート(白人+黒人)・サンボ(先住民+黒人)などの集団が存在する。音楽もメスティソ系とムラート系に分けられるが、それぞれの存在の比率により、メスティソ系(白人の要素が強い、メキシコ・アルゼンチンなど)・メスティーソ系(先住民の要素が強い、ペルー・ボリビア)・ムラート系(ブラジル海岸部・カリブ海地域)などと分けられる。 ブラジルでは18世紀にルンドゥーという踊りの音楽が成立し、最初は野卑なものとして上・中流階層の非難を浴びたが、やがて洗練されて都会的な歌謡形式へと変化した。このルンドゥーは19世紀半ばに同じブラジルで生まれたショーロと混交し、19世紀終わりごろにサンバへと発展する。またアルゼンチンではハバネラのリズムの影響のもと、19世紀末にタンゴが生まれている。タンゴもまた世界的に広まったので例えば日本の演歌などにも影響を与えており、民衆の音楽のグローバリゼーションの最初の例と言われている。もっとも有名なタンゴ「ラ・クンパルシータ」は、24時間365日常に世界のどこかで必ず演奏されているとの伝説もあるほどである。 ルンドゥーもハバネラも付点8分音符と16分音符を組み合わせた軽く跳ねるリズム感をもち、ポルトガルもしくはスペインの音楽にアフリカ的リズム感を加味したものと考えられるが、これがその後のラテン・アメリカの音楽の基調となった。ショーロやタンゴやサンバ、後に現れるキューバのルンバなどもこのリズムの延長上にあると言える。 このようなカリブ海地域・南米地域の音楽はラテン音楽などと呼ばれるが、これがポピュラー音楽の歴史上の要所要所で大きな影響を与え続けることになる。後にはキューバからマンボやチャチャチャ、トリニダード・トバゴからカリプソ、マルティニーク島とセント・ルシアからビギン、ブラジルからボサノヴァ、ジャマイカからレゲエなどが生まれ、世界的にも流行している。なお、先の分類でいえばムラート系の影響が勝っていることには留意すべきであろう。 アメリカはイギリス・アイルランドを中心とする白人移民の国だが、南部を中心にカリブ海地域から輸入された黒人奴隷を多く抱えており、それぞれの音楽を持ち込んでいる。このためアメリカは、ヨーロッパ型の芸術音楽と大衆音楽、植民地型の混血音楽の双方を国内に抱えることとなり、独自の発展を遂げていく。 植民地時代、白人入植者社会の音楽の大半はイギリスから輸入された世俗音楽や礼拝用音楽だった。18世紀半ばには東海岸ニューイングランドでオリジナルの讃美歌をつくる動きが出てきてアメリカ独自の音楽表現が生まれたが、芸術音楽はヨーロッパ出身者が依然として主導権を握っており、18世紀末にアメリカで一番人気があった曲はイギリスのイギリスの職業作曲家がロンドンの遊園地で行楽客に聴かせるために書いた歌や、英語のバラッド・オペラやコミック・オペラの中でうたわれた歌であったようである。19世紀初めにはイタリア・オペラも人気を博し、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティらイタリアのオペラ作曲家のアリアが、シート・ミュージックのかたちで発売されている。こうした状況を象徴するのがアメリカ合衆国国歌である「星条旗」(1814年)、独立革命中の流行歌「ヤンキードゥードル」(1780年ころ)、準アメリカ合衆国国歌「アメリカ」(1831年)が全てイギリス起源の曲だということである。ただ、アメリカ独自の表現を求める努力は続いており、ニューイングランドですたれた讃美歌づくりはアメリカ南部に伝えられ、「アメイジング・グレイス」などの今日でも歌われる讃美歌を生み出しており、またローウェル・メーソンは1838年にボストンの公立学校に音楽教育を導入したほか、讃美歌を1200曲以上作曲している。 農村部では、アメリカ南東部のアパラチア山脈周辺でスコットランド民謡やアイルランド民謡などのケルト音楽がアメリカ民謡の下地となっていく。これらはフィドル(ヴァイオリン)やギターやダルシマーで伴奏されていたが、やがて黒人音楽との接触からブルースの感覚やバンジョーというアフリカ起源の楽器を取り入れたり、スイスのヨーデルやチェコのポルカの要素を取り入れたりし、ブルーグラスやヒルビリーやカントリーなどと呼ばれるジャンルのもとになっていく。 ミンストレル・ショーとフォスターとヴォードヴィル。 都市部では、イギリスと同様にパーラー・ミュージックやダンスホールの音楽やオペレッタが流行しており、イギリスものが主流で専門家もロンドンで修業してくる流れが続いていたが、1820年ころにミンストレル・ショーという、白人が顔を黒く塗って黒人の真似をする差別的な喜劇が成立する。各自バンジョー・ヴァイオリン・タンバリン・ボーンズ(馬の骨などで作った一種の打楽器)で演奏しながら、コミカルな歌やセリフのやり取りをした。この頃は新移民として東欧(ロシア・ポーランド)や南欧(イタリア・ギリシャ)からの移民が急増しており、彼らは旧移民のように土地や農場を持つこともできず多くは都市の下層労働者となり、旧来のWASPと対立していた。このような新移民たちの間で、黒人を軽く見下して憂さ晴らしできるミンストレル・ショーは受け入れられていた。アメリカポピュラーソング史上最初の国際的なヒットはミンストレル・ショーから出たトマス・ダートマス・ライトの「ジャンプ・ジム・クロウ」(ミンストレル・ショーの代表的な黒人キャラクターの名)である。その音楽の多くは楽譜が出版されて商業的に成功し、アメリカの初期のポピュラー音楽をけん引し、19世紀半ばに最盛期を迎えたが、南北戦争や奴隷解放を経てミンストレル・ショーの人気は陰り、商業的には1910年ころに終焉を迎えた。 こうしたミンストレル・ショーの中から、フォスターが現れる。彼はミンストレル・ソングを書くところから経歴をスタートさせており、「おおスザンナ」「草競馬」「故郷の人々(スワニー河)」「主人は冷たい土の下に」「ケンタッキーの我が家」などは全てミンストレル・ショーのための作品である。やがてミンストレル・ソングに作曲することを恥じ、中流階級向けのパーラー・ソングに脱皮すべく方向転換し、「金髪のジェニー」「夢路より」などを残した。当時作曲家の地位は低く、低収入にあえいでいたフォスターは37歳で非業の死を遂げたが、作品の多さと現在でも歌われている親しみやすさ・その後に与えた影響から、「アメリカ音楽の父」「ポピュラー音楽の先駆者」と呼ばれている。彼の歌の作り方を、次代のポピュラー音楽の作曲家たちはこぞって「フック」(聴き手をとらえる印象的なメロディ。いわゆる「サビ」)の手本にした。 同じころ、いくつかの独立した出し物からなる舞台芸能や、軽わざ師、音楽家、コメディアン、手品師、魔術師などからなる芸人のショーがヴォードヴィルと呼ばれるようになった。イギリスのミュージック・ホールに当たるものであり、寄席演芸劇場と訳される。こうした家族で楽しめる娯楽場をアメリカに広めた最初の人物は、俳優で劇場支配人であったトニー・パスターで、1881年、ニューヨーク市の14丁目劇場でバラエティショーをおこなった。ヴォードヴィルは20世紀初頭にはアメリカで一番人気のある芸能となった。 黒人たちには18世紀後半あたりからキリスト教が普及し、白人たちもこれを黙認あるいは推奨するようになったとゴスペルとブルース。黒人たちも讃美歌で礼拝を行うようになったが、彼ら固有の音楽的な伝続からか、活気あるリズム・交互唱・叫ぶような唱法など、相当荒々しい形で礼拝を行っていたようである。奴隷だった黒人たちにとっては、教会での礼拝は唯一白人の監視がなく過ごせる場所であり、社交とエンターテインメントの場所でもあった。日曜日の黒人の礼拝のようすを描写した当時の記録によれば、輪になって踊りながらすり足で時計と反対方向に回り、リーダーと会衆とが掛合いで歌い(交互唱)、興奮が高まって憑依状態に達することもあった(リング・シャウトという)。歌といっしょに指をパチパチ鳴らしたり、手拍子をうったり、床を踏みならしたりということも見られ、その中にはポリリズムが含まれる。こうした黒人たちの讃美歌は、白人の讃美歌の歌詞や旋律を黒人のリズム・交互唱・シャウトにはめ込んだものと言える。 1863年の奴隷解放以後には、そこから黒人霊歌と呼ばれるジャンルが生まれる、これは白人がリーダーになってヨーロッパの讃美歌風の和音をつけ、楽譜として売り出したものであり、多くの曲が知られているが純粋に黒人のものとは言えず、黒人の礼拝から再度白人の要素を重点的に抽出したものと言える。それに対して黒人たち本来のものに近い讃美歌はゴスペルと呼ばれ、南部および北部・東部都市の黒人居住区に数多く生まれた黒人教会を拠点として独自の宗教音楽が発展を続けた。 同じく奴隷解放後には、南部農業地帯の黒人たちが抑圧の中で味わった個人的感情を呟くように吐き出す歌としてブルースが発生し、ギターの伴奏を伴う中でヨーロッパの和声構造を身につけていく。標準的なブルースの定型は、A A B の3行から成る詩を12小節に収め、各行ごとに後半でギターが歌の間に即興的に割り込む形になっている。音づかいとしてはブルー・ノート・スケールと呼ばれる黒人音楽の特質を示す音階(ミとシ(さらにソも)がときに低めの音になる)に特徴がある。 アメリカではイギリスやヨーロッパの影響で、18世紀末ころから鼓笛隊などが生まれ、南北戦争の頃にブラスバンドが盛んになり、19世紀後半には博覧会場や公園などで演奏する商業バンドが発達した。特にアメリカ海兵隊バンドの楽長だったジョン・フィリップ・スーザが退役してつくったスーザ吹奏楽団が1892年に活動を開始すると、その演奏水準の高さから大人気となった。19世紀末にアメリカで一番有名だった音楽家は、「行進曲王」の名で世界に知られたスーザだった。同じ頃、バス・ドラムの上にシンバルをセットしたり、バス・ドラムをペダルで演奏するドラムセットの基本アイデアが生まれ、リズムセクションの人数を減らすのに貢献した。 19世紀後半、東部の都市では、J・シュトラウス2世やレハールやオッフェンバック、それにロンドンのギルバートとサリバンによるオペレッタが移入され、人気を博した。 同じ時期、物語性がなく、歌、ダンス、コメディの寸劇などが演じられるショーとして、レビューが劇場や上流階級用のサロンなどでもてはやされていた。レビューは語源的には〈再見〉を意味するフランス語がジャンルの名となったもので、1820年代のパリで年末にその年のできごとを風刺的に回顧するために演じられた出し物を起源とする。その後、上演時期に関係なく、おおむね風刺的な内容の短い場面をつないだ芸能を指すようになった。 ワルツ王J. シュトラウスは、〈ウィンナ・ワルツ〉の名曲を数多く作ったが、熱狂的にヨーロッパに広がったこのワルツはアメリカに渡り、ゆるやかなボストン・ワルツが生まれた。 18世紀末から19世紀末にかけて、アメリカの領土は約3倍に、人口は移民や新領土獲得に伴う増で約14倍になっている。こうした中で文化的な統一など望むべくもないが、このように様々な民俗音楽の伝承が相互接触して文化変容するところから、多様なジャンルが生まれてくることになる。 最初に定義したポピュラー音楽の「近代的な商業音楽」という要素が明確になるのが、1880~90年代の「音楽の商品化システム確立」である。この商品化システムは、自然発生的でローカルな他ジャンルを取り込みつつ発展していく。アメリカは第1次世界大戦の影響をほぼ受けておらず、史上最高の繁栄を見せた時期だったこともこれを後押しし、第1次世界大戦後から大恐慌までの戦後の繁栄と享楽は「ジャズ・エイジ」とも呼ばれる。 フォスターの時期、つまり19世紀半ばにすでに幅広い活動を行っていた楽譜出版業界は、1880~90年代にはニューヨーク、特にマンハッタンの下町の〈ティン・パン・アレー〉と呼ばれる通りに集中し、音楽を商品化するシステムを確立した。業者が作詞家に具体的な詞の内容にまで注文をつけて作詞させ、作曲家にも細かい指示のもとに作曲させて、その曲を楽譜に印刷して販売し、曲が話題になるように宣伝マンに店先などで歌わせ、その曲が人々に広く歌われれば楽譜が売れて商業的に成功する、という仕組みだった。 この商品化のシステムでは、最初から流行しそうな曲を作詞家作曲家に書かせるための〈プロデュース〉と、それを多くの人に覚えてもらい流行させるための〈プロモーション〉という二つの作業が重要なポイントとなる。プロモーションがうまく行くよう、その曲を人気芸人に歌ってもらい、それに対して謝礼を支払うのを〈ペイオーラ〉と呼んだ。〈ティン・パン・アレー〉は直訳すれば「錫鍋小路」となり、それぞれの会社で試演を行っていたため大変にぎやかだったことからついた名前であるが、のちにポピュラー音楽業界を指すようにもなった。 曲は8小節×4行の32小節が標準で、ティン・パン・アレーの出版社が楽譜を売り、レコード会社はオーケストラ伴奏で録音し、片面1曲ずつのシングル盤として売り出すのが当時の典型的な発表方法だった。このような形の音楽がポピュラー・ソングと呼ばれ、このティン・パン・アレーによって生産される音楽が「メインストリーム」(主流)音楽として幅を利かせ、彼らの確立した生産・販売システムは、その後レコード業界にも踏襲され、1950年代半ばまでアメリカ音楽業界を支えた。この「ポピュラー・ソング」は、最狭義のポピュラー音楽の定義でもある。 こうしたシステムのもと、チャールズ・K・ハリス作の「舞踏会のあとで」(1892)の楽譜は史上はじめてミリオン・セラーを記録し、楽譜出版産業の急成長をうながした。同時期に大衆芸能の主流となったヴォードヴィルでは、人気歌手たちが全米を巡業して、ティン・パン・アレー産の歌を大衆に普及させた。 ティン・パン・アレー流の商業主義路線はアメリカのポピュラー音楽の特徴で、ヨーロッパのような「国民の大多数に共通の文化基盤」が存在しないアメリカでは、自然発生的に何かの音楽が大流行と言うことは大変起こりにくく、楽譜会社・のちにはレコード会社が企画して流行らせる音楽がメインという状況が続いていく。もちろん意図しないところから意図しない曲が大流行することはあり、またティン・パン・アレー側の企画も大外れする場合も多く、常にうまく行っているわけではなかったが、ニューヨークの音楽会社が商業的に流通させるのがアメリカのポピュラー音楽だ、と言う流れはこの頃に確立した。 ミュージカルは「ミュージカル・コメディ」の略。19世紀半ばに現れ、20世紀前半にニューヨークのブロードウェイを中心にしてアメリカで発展した。オペレッタ、パントマイム、ミンストレル・ショー、ヴォードヴィルなど、19世紀のさまざまな演劇から影響をうけて成立した。元来はコメディの名の通り、他愛のない喜劇的な物語をもっぱら扱っていたが、内容が深刻さを増したり、本格的な演劇性を獲得したりするにつれ、単にミュージカルと呼ばれるようになった。分かりやすい物語と親しみやすい音楽、時にはスペクタクル溢れる装置やコーラス・ガールの肉体的魅力などの視覚的要素で観客にアピールする、ショー・ビジネスが盛んなアメリカにふさわしい、費用の掛かる贅沢な舞台芸術である。 当初はその名の通り、形ばかりの物語で歌や踊りをつないだたわいのない恋愛劇や笑劇と、ヨーロッパ出身の作曲家によるオペレッタ風の作品が多かった。しかし1927年の「ショウボート」で、現実感のある舞台に人種差別などの社会問題を盛り込んだ物語でミュージカルに文学性が持ち込まれ、以後は都会的機知と文学性に富んだミュージカルが多く作られた。 黒人たちの音楽では、1890年代にラグタイムが誕生した。これは、ピアノの右手にアフリカ音楽に起因するシンコペーションを多用したメロディ、左手にはマーチに起因する規則的な伴奏を組み合わせたもので、ミンストレル・ショーの歌を母体に発展してきた。1900年前後に活躍していたスコット・ジョプリンという黒人ピアニストが、1899年に「メイプル・リーフ・ラグ」を発表し、1902年には「ジ・エンターテイナー」を発表している。20世紀初めの10年ほどの間は、このラグタイムとブルースが商業的にヒットしていた。 同じく1900年代には、ニューオーリンズの元奴隷の黒人たちが始めたブラスバンドが不思議とスウィングするリズムがあるとして評判になり、白人のバンドに真似されたり、そのままのスタイルでダンスホールに雇われたりするようになる。これがジャズの誕生である。ニューオーリンズの初期のジャズ(ディキシーランド・ジャズと言う)で一番目立つのはブラスバンドの行進曲の要素だが、これまでに出てきたブルース(特にブルー・ノートと言われる音階)、ラグタイム、黒人霊歌の要素を含んでいる。また、どのバンドにもクラシック音楽の素養を身につけたクレオール(白人と黒人の混血の人)がいて、楽譜も読めない元奴隷たちにできるだけの指導を行っていた。ディキシー・ランド・ジャズはトランペット・クラリネット・トロンボーン・ピアノ・ベース(もとはチューバ)・ドラム・ギター(もとはバンジョー)が標準的な編成で、決まったコード進行が繰り返される中、管楽器たちが即興演奏を行い、その時にはシンコペーションやスイングでリズムを豊かにするような工夫が行われる。ジャズも様々なスタイルがあるが、この即興とスイングの要素はどのジャズにも見られる。 ラグタイムやジャズは、黒人の音楽ではあるがヨーロッパ音楽の要素も多く含んでおり、メイン・ストリーム側とすぐに接触が生じ、ティン・パン・アレーからラグタイムやジャズの曲が売り出されて人気を得たり、逆にティン・パン・アレーの曲をジャズ・ミュージシャンが演奏したりということが盛んに見られるようになった。ジャズは本質的には「演奏テクニック」であり、どんな曲でも演奏できる代わりに必ず何か「元ネタ」を必要とする。ティン・パン・アレーの曲は「元ネタ」としてよく使われた。この後1940年代まで、ジャズは時代の主役となっていく。 ラグタイムやジャズは当時のアメリカ人たちの間では芸術的な価値は認められておらず、「黒人たちのやっているわけのわからない音楽」と思われていたようである。しかし、その価値はむしろヨーロッパのクラシック系の作曲家に認められた。ドビュッシーやミヨーは明らかにラグタイムやジャズの影響を受けた作品を残している。 1910年~20年にかけて産業構造が農業から工業に転換するにつれてアメリカでは南部から北部への人口の大移動が起こり、それに合わせるように多くのジャズメンがニューオーリンズからシカゴに移動する。シカゴでは天才トランペット奏者のルイ・アームストロングが全てのジャズ奏者と編曲者に甚大な影響を与え、ジャズの時代を築く。1920年頃にはドラムセットにハイハットが加わり、現在とほぼ同様のリズムパターンが出せるようになった。 1887年に発明された円盤型レコードは徐々に浸透し、1925年の電気録音方式の導入による音質向上にも後押しされ、1920年代半ばにはアメリカ全土でレコードは年間1億枚以上を売り上げるようになった。 電気録音導入以前は歌手は声が大きくなければならなかったが、マイクロフォンの導入により、声量がなくてもマイクを効果的につかって表情が出せるようになり、ビング・クロスビーなどによってソフトにささやくようにうたうクルーニング唱法(クルーンには感傷的にうたうという意味もある)が広まった。オペラのように、肉声で遠くまで響き渡らせようとすると不可能なささやくような歌い方は、現在のポピュラー曲でも多用されているが、音響・録音技術の進歩と不可分だった。やがてポピュラー音楽は実演のステージでさえも、拡声装置(Public Address)が切り離せなくなっていく。 同じく1920年代にはラジオや映画が浸透し始め、これがポピュラー音楽を大衆に伝えるのに大きな役割を果たすことになる。ラジオは当初レコードと競合すると思われていた。しかしレコードはラジオの番組制作簡略化に貢献しただけでなく、音楽が放送されることによって、多くの新たな聞き手を獲得した。 映画産業は20世紀初めの小規模の映画館の林立に始まった。1915-20年には多くの映画会社がカリフォルニア州ハリウッドに移り、映画の聖地となった。映画ははじめはサイレント(音声なし)だったが、1926年にトーキー映画が発明され、映画に音をつけることが出来るようになると、まずミュージカル映画が大流行する。また歌手や演奏者の出演がレコードの売れ行きを左右することから、主題歌や挿入歌のタイアップがすすんだ。 ハリウッドの映画各社がシステム化されるにつれ、各社とも音楽担当の部署を整備し、50人近いオーケストラを抱えるようになり、映画のための音楽を担当するようになった。オーケストラによる後期ロマン派スタイルの映画音楽という形はこの頃に確立し、シンフォニック・スコアと呼ばれている。映画音楽というジャンルは、このような中から生まれてきた。 レコードの普及は、音楽のあり方を大きな変えた。世界各地の音楽は時間や場所をこえてより多くの聴衆に聞かれるようになり、ここまでに出てきた様々なジャンルの音楽が街にあふれ、家庭に入ってくるようになった。都市部で商業的に制作される音楽(メイン・ストリームの音楽)と地域に密着した民謡などとの分離がすすんだ。 また、レコードやラジオや映画を通じて特定の演奏者や歌手とむすびついた曲がくりかえしながれることで、音楽家がスター化していく。新しいスターをつくりだそうとする音楽産業と聞き手の好みの移り変わりを反映して、流行のサイクルやスターの寿命がちぢまった。 さらに、音楽が大量生産向けに均質化する傾向や、聞き手が受動的な消費者になる傾向も出てきた。ミリオン・セラーの現象は、流行曲を次々と出すことをレコード資本の目標にさせ、音楽産業の主導権は楽譜出版からレコードに移った。 こうした中、ティン・パン・アレーは1920-30年代に全盛期を迎えた。当時のヒット曲はほとんどすべてニューヨークを本拠地とする一握りの作曲家と作詞家がつくりだしていた。ジョージ・ガーシュウィンとアイラ・ガーシュウイン、ロジャースとハマースタイン、同じくロジャースとロレンツ・ハートなど、作曲家と作詞家は多くの場合コンビを組んで活動した。 ヴォードヴィルは1928年に人気の絶頂を迎え、1000あまりあったアメリカのヴォードヴィル劇場に、およそ200万人の観客が毎日おしよせた。またチャールズ・チャップリン、バスター・キートン、マルクス兄弟といった、1910年代から20年代のスラップスティック・コメディの有名なスターたちは、ヴォードヴィルやミュージック・ホールに出演したのちに映画産業に入り、ヴォードヴィルの伝統を続けた。 ヴォードヴィルは30年代に入ると映画に押されて落ち目になるが、かわって大衆芸能の王座についたブロードウェイ・ミュージカルのほか、ダンス・オーケストラの専属歌手も、ティン・パン・アレーの歌の普及に貢献した。先に挙げたロジャースやガーシュウィンも多くのミュージカルをのこしている。 シカゴでは「ジャズ」ではなく「スイング・ミュージック」と言う言葉を使ったベニー・グッドマンが1935年にブレイクし、スイングの時代をもたらし、これは1940年代初めまで続く。この頃の人気バンドは全て白人だった。黒人が演奏するのは下品で喧騒なジャズ、白人がやるのはスマートで健康的なスイング・ミュージックというのが、初めて陽のあたる場所へ出たジャズに対する世人の受け止め方だった。 ジャズはビッグバンドというトランペット・トロンボーンの金管楽器6-8名・サックス中心の木管楽器4-6名・ピアノ・ギター・ベース・ドラムなどのリズムセクション3、4名が標準的な編成となり、4ビート・スイング・リフの使用・各メンバーの長大なソロなどを特徴とする。ポピュラー界のミュージシャンも、ジャズメンほど自由な即興はおこなわなかったが、明らかにジャズに特徴的なリズムとメロディをとりいれ、1930年代初めには、ジャズの感覚を吸収した先のビング・クロスビーがメイン・ストリームでは最高の人気を占め、ポピュラー・シンガーがジャズ風の楽団を伴奏に歌うのはごくありふれたこととなった。社交ダンスの音楽にもジャズの要素が大幅に取り入れられた。 この時代は、1930年代初頭の大不況による落込みはあったにせよ、アメリカの音楽業界が最も順調に進展した、メイン・ストリーム音楽の黄金時代だった。ここに挙げた新技術は全てポピュラー音楽を大衆に定着させるのに貢献した。しかし大衆の興味をつねに引きつけることには、ティン・パン・アレーのプロダクションとプロモーションの手腕をもってしても限界があり、例えば1930年にキューバの「南京豆売り」がヒットしてルンバ・ブームが突如巻き起こるなど、植民地型のポピュラー音楽が国外から入ってきて人気を奪い、音楽産業がそれを追いかけるといった現象もしばしばあった。 このことは、メイン・ストリーム(ティン・パン・アレーのポピュラー・ソングとブロードウェー・ミュージカル、先進国型のポピュラー音楽)と、ローカルな民族的基盤に基づいた音楽(ブルース・ラグタイム・ジャズなど、植民地型のポピュラー音楽)のその後の関係を示している。ジャズがそうであったように、もともとはサブカルチャーだったものがメイン・ストリームに取りこまれ、音楽業界の生産様式に組み込まれてメイン・カルチャー化するという流れである。 サブカルチャーは黒人のものとは限らない。1920年代、レコード会社が「ヒルビリー」と言うレーベルで、南部の白人大衆向けにアメリカ民謡に起源のある音楽を売りだした。アメリカ民謡に起源を持つメロディと、孤独、貧困、望郷など同時代のメイン・ストリームが取り上げないテーマを含んだ歌詞が共感を呼んだ。27年にミシシッピ生まれのロジャーズやカーター・ファミリーが評判となり、以後は急速に商業音楽として成長した。映画の誕生後は西部劇でカウボーイ姿で歌って人気を得る者が多く出て、西部開拓時代への懐古と田舎の生活への郷愁がこのジャンルの特徴となった。これはのちにカントリー&ウエスタンと呼ばれるジャンルとなるが、白人が担い手でありながら、ローカルな下層大衆の音楽であり、サブカルチャーとして始まり、後にメイン・ストリームに取りこまれることになる。 第二次世界大戦時のアメリカは、本土が直接攻撃されることがほとんどなく、生活必需品の生産や供給が滞ることもなかったため、戦争の国民生活への影響は比較的軽微であった。軍事増産はむしろ景気を回復させている。しかし国民の1割に当たる1200万人が兵士となり、多くの軍需工場では女性が工員として働くことになった。西海岸では防空壕設置や灯火規制が行われた。食料品や日用品の配給制は他国同様行われた。バーやダンスクラブの営業制限が行われ、後述のようにジャズの在り方に大きく影響している。軍需産業の発達は南部から北部などへの人口移動を生み、ヒルビリーやブルースやゴスペルなど南部に起源のある音楽の人気を高めた。1945年には大戦が終結し、経済状況も回復したものの、冷戦が固定化し、朝鮮戦争や東西の軍拡競争も行われ、政治的・文化的にはやや保守化した。 音楽の関連でいえば、ニューヨーク・フィルやNBC交響楽団の演奏は変わらず行われており、ブロードウェー・ミュージカルは新作を提供し続けており、ビング・クロスビーやフランク・シナトラは人気を集めており、ジャズ以外には明白な負の影響はあまりなかったようである。1930年代から黄金期を迎えていたハリウッド映画は戦争プロパガンダ映画も制作し、隆盛は続いていた。 しかし、戦争が大衆の音楽への嗜好に影響を与えた可能性は容易に指摘できる。ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」(1942年)は現在に至るも世界歴代シングル売上1位を崩していないが、これは憂鬱さと家庭の癒しのイメージの混在が戦時中のリスナーの心をとらえたためであり、米軍放送にはこの歌のリクエストが殺到したという。 愛国心の高揚はヒルビリーの国民的人気を後押しし、テネシー州メンフィスがそのメッカとなった。代表にハンク・ウィリアムズがいる。 厭戦気分の高まりは「長い旅路の果て、我が家に帰る」という歌詞を持つドリス・デイの「センチメンタル・ジャーニー」(1944年)を23週連続チャート1位に押し上げた。 ジャズは基本的にはダンス・ミュージックとして演奏されていたが、1941年の日米開戦とともに戦時統制によりダンスホールは高率課税の対象となり、また成人男子の多くは徴兵され、ビッグバンド編成での大人数の演奏がほとんど不可能になってしまった。ジャズの編成は3~8人と少人数化し、即興の腕を競い合うジャム・セッションを連日繰り返す形になり、そこからアドリブ・ソロとビート感を強調するビバップというジャンルが生まれた。チャーリー・パーカーはビバップの代表人物である。 ビバップはまとまりに欠けるきらいがあり、その要素を受け継ぎつつもそれ以前のスウィングの要素もとりいれ、冷静な編曲に基づいたなめらかでソフトな演奏のスタイルのクール・ジャズがニューヨークで生まれた。1949年のマイルス・デイヴィス九重奏団のアルバム「クールの誕生」がその始まりだが、やがて朝鮮戦争の好況でわくロサンゼルスに拠点を移しウェスト・コースト・ジャズと呼ばれるようになった。ロサンゼルスにはヨーロッパ音楽の巨匠ミヨーやシェーンベルクがナチス迫害を避けて移住してきており、しばしば近代音楽とジャズの融合が真面目に試みられた。ただし、これもどちらか言えば白人中心のジャズだった。 1940年代にはエレクトリック・ギターが急速に普及し、黒人の音楽で細々と続いていたブルースが人口移動に伴って北部の都市に流入し、エレクトリック・ギターを取り入れてビートを強調しつつジャズとゴスペルの要素を取り入れ、リズム・アンド・ブルースというジャンルを生み出す。もともとこの言葉は、当時レイス・ミュージック(人種音楽)と呼ばれていた黒人音楽の新しい呼び名として考えられたものだった。ジャズは当初は黒人の音楽だったが、白人のジャズ・プレイヤーが大量に登場したり、メイン・ストリームの音楽となって商業主義路線に乗っかったり、ダンス・ミュージックとして洗練されたり、クラシックとの接点が発生したりと、もとの黒人音楽の活気とはかけ離れたものになっていた。このリズム・アンド・ブルースはそういった中で登場し、当の黒人だけでなく白人の若者も熱狂して聴きあるいは踊るという現象が起きた。ビッグ・ジョー・ターナーはリズム・アンド・ブルースの初期の代表的人物である。 戦後のヨーロッパでは、フランスのシャンソンのエディット・ピアフ、イタリアのカンツォーネ歌手のドメニコ・モドゥーニョが人気を集めた。スペインではフラメンコ歌手が人気を集め、アフリカ・西アジア・インド・東南アジアなどでもポピュラー音楽界に大物が登場している。日本では美空ひばりが登場し、それまでのややぎこちない日本歌謡に新風を吹き込んだ。またキューバのバンドリーダーのペレス・プラードがアメリカに持ち込んだマンボは若者を熱狂させた。この時代を中村とうようは「世界ポピュラー音楽の黄金期」と書いている。 こうした中、マントヴァーニ(イギリス)、パーシー・フェイス(カナダ)、フランク・プゥルセル(フランス)らクラシックの教育を受けたミュージシャンが、自身のオーケストラを率いてムード音楽(のちにイージーリスニングと呼ばれる)を拓く。器楽曲でありながら、全米ヒットチャート上位にたびたび食い込んだ。 ハリウッドは戦後、独占禁止法の適用によるグループ解体と赤狩りの標的になったことによる優秀なスタッフの追放、郊外人口の増加とテレビの浸透による人々の生活様式の変化が重なり危機を迎えるが、作品そのものは名作がつくられ続け、西部劇やミュージカル映画の傑作(「雨に歌えば」など)と数々のスター(フレッド・アステアやジュディ・ガーランド、ジーン・ケリーなど)が生まれ続けた。第二次世界大戦前後からロック・アンド・ロールが台頭するあたりにかけて時期に作られた作品群は、今日においてスタンダードとみなされているものが多い。詳細についてはスタンダードの項目も参照のこと。 レコードの技術としては、1945年に高い周波数ほど大きく録音し再生時に電気的に調整して音質を高める技術のプリエンファシスが開発され、48年ごろからはそれまでのSPレコードに代わってLPレコードが用いられるようになり、50年代以降はステレオ録音が登場し、「原音に忠実」と言う意味の略語のHi-Fiがマーケティングに使われるようになった。同じく50年代以降は磁気テープによる録音が普及し、生演奏だけによらない音楽づくりに道を開いた。 アメリカでは41年にテレビ放送の規格が決められ、45年と50年には新技術が開発されて画質が向上し、普及に拍車がかかった。その結果、55年にはテレビ普及率はアメリカの家庭の67%に達した。48年からはエド・サリヴァン・ショーが始まり、多くのミュージシャンが登場した。 リズム・アンド・ブルースは白人の若者をも熱狂させたが、これを見た白人の一部がリズム・アンド・ブルースの感覚を取り入れる動きが見られ始める。白人のビル・ヘーリーは54年に「シェーク・ラトル・アンド・ロール」と「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を録音したが、前者は先のビッグ・ジョー・ターナー、後者はソニー・デーのレコードの模倣で、どちらもオリジナルは黒人であった。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は翌55年に映画「暴力教室」に用いられ、大ヒットとなった。 同じ54年にはメンフィスの電機会社の運転手だったエルヴィス・プレスリーが地元の小さなレコード会社から「ザッツ・オール・ライト」を出したが、これも黒人のアーサー・クルーダップの作品であった。 こうして生まれてきた新しい音楽は、ラジオのディスクジョッキーをしていたアラン・フリードによって「ロック・アンド・ロール」と呼ばれた。ロックの誕生である。 ロックは、リズム・アンド・ブルースの要素が一番強く、そこにヒルビリーやポピュラー・ソングの要素が融合して生まれた。先のヘーリーやプレスリーはヒルビリーの要素が強く、またプレスリーは好きな歌手としてフランク・シナトラを挙げており、ポピュラー・ソングの伝統も受け継いでいる。このため、ヒルビリーの要素が強いと「ロカビリー」(ロック+ヒルビリー、プレスリーなど)、ポピュラー・ソングの要素が強いと「ロッカバラード」(ロック+バラード、ポール・アンカなど)などの派生語が生まれたため、60年代になると、それらの全体を呼ぶ言葉がロック、1950年代中葉の初期のロックを指す言葉がロックンロール、と使い分けるのが一般的となった。 ロックは、命名者であるアラン・フリードやプロモーターの尽力によって、独立系小レーベルでレコード化されたが、経済的に恵まれるようになっていた10代の若者に想像をはるかに超える支持を受けた。 大手レコード会社もさっそくこのジャンルに目をつけ、プレスリーは早くも大手のRCAレコードに引き抜かれ、56年には「ハートブレイク・ホテル」の大ヒットを生んだ。プレスリーは「史上最も成功したソロ・アーティスト」(ギネス・ワールド・レコーズ)とされ、全米No1ヒット曲数歴代2位、週間数歴代1位など、記録には事欠かない。その後を追って誕生したのが先の「ロカバラード」で、これは旧来のメイン・ストリームの「プロの作詞家・作曲家がヒットをねらって書いた曲でレコードを作り、ラジオやテレビなどのメディアでうまく宣伝して広めていくという商業主義」そのもので作られた。 ロックの誕生は「白人の若者の欲求不満を白人文化では吸収しきれなくて黒人文化に頼らざるをえず、黒人底辺文化の価値観を白人若年層が大幅に取り入れたという、前例をみないラディカルな社会現象だった」と世界大百科事典の「ロック」の項で中村とうようが評しているが、せっかく誕生したロックはこうしてすぐに商業主義に取り込まれてしまった。ロックの立役者だったフリードも、音楽業界から放送関係者に贈られていたペイオーラが賄賂とされ、59年と60年に連邦議会(下院)で開かれた聴聞会で疑惑の張本人として取りざたされ、大スキャンダルとなった。こうした事情から、ロックンロールの全盛期は54年から59年までの5年間しか続かなかった。 ちょうどこの頃は奴隷解放後も解消されない差別(人種隔離制度と制度的差別体系)に苦しんでいた黒人たちが公民権運動を開始した時期である。 ニューヨークの黒人ジャズが復活し、ハード・バップまたはモダン・ジャズと呼ばれた。公民権運動にあわせ、黒人側からのラディカルな抗議を表明する曲が書かれ、また原点回帰とばかりにブルースやゴスペルの要素を取り入れ、その演奏には黒人の体臭を意味する〈ファンキー funky〉という形容詞がつけられた。マイルス・デイヴィスは初期の代表者だが、クール・ジャズの創始者でもある。 初期のロックンロールはリズム・アンド・ブルースとほとんど変わらなかったが、白人のロックンロール歌手が増えてくるにつれ、リズム・アンド・ブルースは、よりゴスペルなどのアフリカン・アメリカンの要素を取り込み、ソウル(ソウルミュージック)と呼ばれるようになった。レイ・チャールズはソウルの発展に大きく貢献した。社会背景的には先に挙げた公民権運動があった。 ロックンロールの登場に刺激されてヒルビリーも電気楽器をとりいれ、より洗練されたアレンジを用いるようになる。それにともない、レコード会社は従来の「ヒルビリー」にかえて「カントリー・アンド・ウェスタン」のレーベル名を導入した。 メイン・ストリームでは、ポピュラー・ソングが最後の最盛期を迎えており、フランク・シナトラやペリー・コモがテレビにも進出しつつ活躍した。このころミュージカル映画はテレビに押され始め、制作費の高騰で本数も減り黄金時代は終わりを告げる。「ウエスト・サイド物語」(1961年)「マイ・フェア・レディ」(1964年)「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)などは最後のミュージカル映画のヒット作である。 戦後のベビーブームで生まれた世代がティーンから成人を迎えるこの頃、依然として冷戦やベトナム戦争が続き、一向に戦争を反省していないように見える社会や国家に対し、世界的に若者たちによる異議申し立ての行動が活発で、世界各国で大学紛争が盛んだった。若者はこのような共通体験から一つの「世代」として認知され、彼らの主張や考え方は「若者文化」と呼ばれた。若者の重視は音楽の世界が先んじており、戦前のポピュラー音楽が基本的に大人を対象にしたメインカルチャーだったのに対し、50年代後半のロックンロールでは明らかに始めから若者をターゲットにした曲が多く作られ、歌詞も恋愛や私生活、自己実現の悩みなど10代の若者の主要な関心事をテーマにしていた。 ピート・シーガーはウディ・ガスリーらと組んで、1940年代から民謡風のメロディーに乗せてプロテスト・ソング(社会の中の不公平や不正を告発し抗議する歌)を歌っていたが、1950年の「おやすみアイリーン」が大ヒットし、この影響を受けたザ・キングストン・トリオによる古い民謡のリメーク「トム・ドゥーリー」(1958年)が大ヒットして、フォークソングは完全にポピュラー音楽の一部門を占めるにいたった。次いでボブ・ディランが「風に吹かれて」を62年に発表し、公民権運動の中で広く歌われた。フォークソングはロックとは対照的に、中流階級の大学生に支持され、清潔で知的なイメージでもてはやされた。 60年代初めには、音楽産業がロックンロールと銘うって売りだす音楽の大半が、ロックンロールの物まねにすぎなくなっていた。プロの作曲家がつくった曲をアイドル型クルーナーが歌い、スタジオ・ミュージシャンの伴奏で録音した。これはティン・パン・アレーの旧来のやり方そのものであった。 沈滞していたロックは、イギリスからの動きで息を吹き返した。62年、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、アニマルズなど多くのグループがロックの原点を取り戻し、アメリカの若者にも熱狂的に迎えられた。これはブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスのグループの襲来)と言われる。それに呼応して、64年にビーチ・ボーイズがカリフォルニアから出た。カリフォルニアはフォーク・ソングも盛んであり、またサンフランシスコとその周辺のヒッピーが新しい若者文化をつくり出していたが、そうした土壌から新しいロックが盛り上がった。新しいロックに関して、『世界大百科事典』のロックの項で中村とうようは「無教養な若者の衝動に発したロックは、10年後に知的な性格を帯び、運動の側面を備えたものとして、より広範な社会的影響力を発揮する形で再生した。歌詞は10代の感傷を歌う単純なものから,社会批評性をもったり、哲学的に思索したりするものに成長した」と評している。 60年代後半は、ロックがメイン・ストリームに食い込み、多様化していく時期となる。ブリティッシュ・インベージョン以前は弾圧の対象だったロックは、大規模化したレコード産業の後押しを受け、多種多様なスタイルとなった。 ヒッピーにつきものだった麻薬やLSDからは、サイケデリック・ロックが生まれた。代表はグレイトフル・デッド。幻覚体験を音楽で表現しようとするもので、多くのミュージシャンがサイケデリック・ロックに傾倒したが、LSDの所持の禁止・それに伴うヒッピー文化の衰退・麻薬によるアーティストの死などにより衰退し、アーティストたちは実験的な音楽を特徴とするプログレッシブ・ロックに移行し、クラシック系の現代音楽と影響しあうような作品まで書かれている。ピンク・フロイドなどが有名である。 フォークソングやカントリー・ミュージックのアーティストたちも、ロックへの接近が見られた。フォークシンガーだったボブ・ディランがエレクトリック・ギターを用いてフォーク・ロックというジャンルを開き、賛否両論を巻き起こす。同様にカントリー音楽の要素を入れたロックもバーズなどによって開かれ、ジャンルの垣根を取り払った。 イギリスでは黒人ギタリストによるブルースを白人が模倣し、ブルース・ロックが生まれる。元がギターブルースであるため、エレクトリック・ギターの長大な即興を特徴としている。エリック・クラプトンを中心とするクリームなどが代表。このジャンルはやがて「最もロックらしいロック」や「ロックの主流」と呼ばれるハード・ロック(ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバスなど)、さらにはヘヴィメタルなどへと続いていく。 多少遅れて70年代初頭のイギリスでは、デヴィッド・ボウイやT・レックスのマーク・ボランらが、妖艶な化粧と衣装で中性的なイメージをふりまき、退廃とクールさが入り混ざったロックの新感覚を示して流行となった。これは魅惑的(glamorous)からグラム・ロックと呼ばれる(ただし、英米では通常グリッター・ロック=けばけばしいロックと言われる)。初期のエルトン・ジョンもステージで奇抜な衣装やメガネをつけるなどして、グラム・ロックを象徴した。派手な化粧をしたバンドはその後もたびたび現れており、後のロックに与えた影響は少なくない。 ロックの影響は世界に及んでおり、例えば日本では65年のベンチャーズ、66年のビートルズ来日以後にグループ・サウンズやカレッジ・フォークがブームとなりアマチュア音楽の裾野を広げ、72年以降のフォーク系シンガーソングライター(吉田拓郎・井上陽水など)および75年ごろからの女性シンガーソングライター(荒井由実・矢野顕子・中島みゆきなど)の活躍につながった。 フランスではロックの影響のもと、ジョニー・アリディやシルヴィ・ヴァルタンなどの音楽がイェイェと呼ばれて人気を集めた。セルジュ・ゲンスブールのプロデュースしたフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」はユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝曲である。活躍した女性歌手たちはフレンチ・ロリータと呼ばれた。 ヨーロッパでは、ロックやリズム・アンド・ブルースが広く聴かれるようになったのみならず、大量販売をめざす大手レコード会社は、ビートルズ・ブーム以降、ロック的な音楽を国際的な主力商品にすえた。このようなロックの影響を受けた新しい若者向け音楽のスタイルを説明するための言葉として、イギリスでポップ(ポップ・ミュージック)と言う言葉が使われ始めた。ヨーロッパ各地でも、それにならった英語の音楽がつくられはじめた。このためヨーロッパでヒットする音楽の5~6割が英米の音楽で、ユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝者も過半数が英語で歌っている(1974年優勝のスウェーデンのABBAなど)。このように英米のポピュラー音楽の影響下にあるヨーロッパ産のポピュラー音楽をユーロ・ポップと呼ぶ場合がある。 東側諸国の多くはロックを資本主義の退廃を象徴する音楽として弾圧したため、ロックの影響は地下化した。 1960年はアフリカの年と呼ばれ多くの国が独立したが、アフリカ独立とロックの世界的な流行は、アフリカにエレキ・ギターの急速な普及をもたらし、ナイジェリアではフェラ・クティが現れる。クティはジャズとファンクを参照しつつ強烈な政治的発言を盛り込んだ音楽を作り上げ、自らアフロ・ビートと呼んだ。目の前の不正を強烈に告発する歌詞は当局の弾圧を生んだが、クティはさらに強烈な表現で今度はその弾圧を歌にした。後続は現れなかったが、アフリカ起源のアフロ・ビートと言うジャンルは全世界に広がった。 メイン・ストリームそのもののようなミュージカルでも、ロックを取り入れた作品がいくつもつくられたが、この時期のミュージカルは筋らしい筋がなく、文学性を喪失するなど迷走が見られる。 シンフォニック・スコア全盛だった映画音楽界は、テレビの台頭によって衝撃を受けた。ヘンリー・マンシーニやジョン・ウィリアムズはテレビで腕を磨き、映画音楽で活躍した人たちだが、彼らはそれまでの映画音楽の伝統にとらわれることなく、時代を反映した革新的な音楽を映画に取り入れた。1960年代はヨーロッパ勢が活躍しており、「007」のジョン・バリー、「シェルブールの雨傘」のミシェル・ルグラン、「男と女」のフランシス・レイ、「荒野の用心棒」のエンニオ・モリコーネ、「ゴッド・ファーザー」のニーノ・ロータらがいる。また誕生して間もないロックを映画音楽に取り入れる試みも行われ、「卒業」や「イージー・ライダー」は当時の有名なロックをテーマ曲としていた。 ムード音楽は1970年代以降、アメリカの音楽業界紙の表記に習ってイージー・リスニングと呼ばれるようになる。駅やデパートなどでのBGM使用は一般化し、単純労働の作業場でのBGMの活用が研究されるなど、この時代は音楽を人間工学的に利用しようと言う社会的な動きが存在した。この頃ポール・モーリアが登場し、68年に「恋はみずいろ」でビルボード・ホット100で5週連続1位を獲得し、年間チャートでも3位に入っているが、先述のヘンリー・マンシーニやミシェル・ルグランやフランシス・レイやニーノ・ロータの映画音楽もイージー・リスニングとしても聴かれている。 黒人たちの音楽では、リズム・アンド・ブルースから発展したソウル・ミュージックの中に、ゴスペルを基盤とする熱唱系の歌や、ハードバップに起源がある強烈な16ビートを特徴とするファンクなどが現れる。熱唱系の代表はアレサ・フランクリン、ファンクの代表にジェームス・ブラウンやアース・ウインド&ファイアーがいる。 一方、ジャズはロック人気に押され、商業的な危機を迎えたため、ジャズ・ミュージシャンの中にはソウルミュージシャンの音楽を手本にする動きが出てきて、フュージョンが生まれる。これは当初はファンク・ジャズやソウル・ジャズと呼ばれていた。代表者はマイルス・デイヴィスである。エレクトリック・ギターなどの電子楽器を導入しての斬新なサウンドは、古くからのジャズファンは眉をひそめたが、ジャズと言うジャンルの延命をもたらした。 その他、ジャズの分野ではコード進行を無視したような過激な即興を特徴とするフリー・ジャズやモード・ジャズが行われているが、クラシック音楽の現代音楽同様、技法的には新しいもののあまり多くの人に受け入れられたとは言えず、ジャズは以後伝統回帰と多様化の時代となっていく。フリージャズの開拓者にオーネット・コールマンがおり、モード・ジャズはまたもやマイルス・デービスが切り開いた。 アメリカのすぐ近く、カリブ海に浮かぶジャマイカは1962年にようやく独立を果たすが、伝統的なカリブ海の音楽がアメリカのソウル・ミュージックなどの影響を受け、レゲエが生まれる。レゲエはやがて60年代後半にアメリカに持ち込まれ、ソウル・ミュージックが失ってしまった精神的なメッセージの純粋さにより世界の若者をとりこにするまでになる。ボブ・マーリーが代表。同様に、プエルトリコで生まれたサルサは70年代初めにアメリカを席巻する。 61年にはアメリカ連邦通信委員会(FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局していたが、66年にはFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった。FM放送はAM放送に比べ音質が高く、より高い音質で音楽を楽しみたいという欲求を喚起し、オーディオ機器の普及をもたらした。 テープレコーダーはオープンリール式のものが主に業務用で使われていたが、63年にオランダのフィリップスがカセットテープの規格を開発・公開し、世界各国で普及し、テープそのものやカセットの機械的構造が改良されて、オーディオ用としてもつかわれるようになった。 エレクトリック・ギターは当初はクリーンなサウンドで、アンプを通すことで単に音量を上げて弾かれていたが、ロックのギタリストたちはアンプの容量最大に音量を上げると発生する音の歪み(ひずみ)を発見し、音楽の素材として活用を始めた。60年代後半のエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスやジェフ・ベックはアンプの音量を最大にして歪ませることでロックなサウンドを生み出していた。やがて人工的に歪みをつくりだす装置のエフェクターが登場し、62年にはファズが発売され、70年代にジミ・ヘンドリックスが使用している。オーバードライブやディスト―ションはもう少し遅く、1977年と78年である。 モーグ社のシンセサイザーが1964年に発売され、使われ始めた。電子音の合成を小さなシステムで可能にしたモーグ社のシンセサイザーは電子音楽の境界線を広げた。68年にウォルター・カーロスがこれを用いてバッハの音楽を合成した LP レコードが注目された。続いて日本の冨田勲がドビュッシーの曲による合成音楽を作り、シンセサイザーの音は急速に広まった。 1960年代後半に盛り上がったものは、70年代に入ると一斉に失速した。75年のベトナム戦争終結は学生運動の世界的な連帯の理由をなくし、また学生運動の暴力化や初期学生運動の担い手たちの就職に伴う転向は後継の学生たちの離反を招き、学生運動は実質的な終焉を迎える。73-74年と79-81年の2度にわたるオイルショックは世界的に続いていた戦後の経済成長を止めてしまった。東西陣営は緊張緩和の時代となり、世界は騒然とした状態からそれなりに静かな状態に移った。ソ連のアフガニスタン侵攻はデタントを崩壊させたが、そのソ連は社会主義経済の不調から内部がボロボロになっており、立て直しを図った87年からのペレストロイカは東欧諸国への締め付けを緩める結果となり、89年の東欧民主化革命とベルリンの壁崩壊、91年のソビエト連邦の崩壊へとつながっていく。 ポピュラー音楽の世界も、60年代後半の途方もない盛り上がりは見られなくなる。一つはオイルショックに始まる不況がレコード会社を慎重にさせ確実に売れるアーティストだけを売るようになった点、もう一つはアメリカの音楽産業が集中化した点である。60年代末までのローカルラジオの個性的な番組は全米共通の画一的な番組に変化し、特定のファン層を対象に製造された商品としての音楽がテープで全米に配給され、一斉に流された。結果的にポピュラー音楽界は、以前の商業主義路線に回帰した形になった。 商業主義路線の代表は、ディスコ(ディスコ・ミュージック)である。バス・ドラムによる一定不変のビートをアメリカ黒人のダンス音楽にくわえてリズムを単純化したもので、初めはニューヨークのゲイ・カルチャーの音楽だったが、名前の通りディスコ(DJがLPで音楽を流し、酒類が提供され、客にダンスをさせる店舗のこと)でのダンス・ミュージックだった。もともとダンスホールは生バンドの演奏が当然だったが、経費とスペースの節約のため若者向けの安直な店でレコードでの音楽提供が始められたのが最初のディスコの姿だった。ディスコはもともとレコードと言う意味のスペイン語やイタリア語である。しかしDJが客に呼びかけながらレコードをかける親しみやすい雰囲気が若者の人気を集め、レコード会社がDJが使いやすいように30cmのシングルでリズムを強調した踊りやすい音楽を提供し、それに合わせた新しい踊りが次々に出現し、77年には映画「サタデー・ナイト・フィーバー」というディスコダンスの名手を主人公にした映画が大ヒットするなどし、ディスコは大ブームとなった。70年代後半のメイン・ストリームはディスコだった。サタデー・ナイト・フィーバーに出演していたビージーズや、日本でもカバー曲が良く知られるヴィレッジ・ピープルが代表的である。 しかし、ディスコは(踊るための音楽なのでやむを得ないが)リズムは一定で、エレキ・ギターが前面に出ることはなく、歌詞もメッセージ性や過激な要素はなく、歌も特にメロディを歌い上げたりはしておらず、ロックの刺激性に慣れた人やフォークのメッセージ性に感じ入った人には明らかに物足りない。こうしたディスコに対し、音楽ファンや音楽評論家は「商業主義だ」という批判を容赦なく浴びせた。またディスコ文化に対しても、激しい反発が寄せられた。その結果、80年代に入る頃にはアメリカではディスコの人気は著しく落ち込んでいた。ただし、踊らせるための音楽は80年代を通じて存在し続け、80年代後半くらいから後述のエレクトロ・ポップの要素を取り込んでハウスと呼ばれるジャンルがニューヨークやシカゴで生まれ、イギリスを通じて全ヨーロッパに広まった。またディスコはクラブと呼ばれるようになる。 75年のロック界ではハード・ロックとプログレッシブ・ロックが主流だったが、ハード・ロックのスターたちはすでに大物となり高度な演奏技術を駆使するようになっており、プログレッシブ・ロックでは高価なシンセサイザーを駆使したり現代音楽とコラボレーションしたりして芸術志向になっていた。ソフト・ロックという、美しいメロディーとコーラスを特徴とするジャンルも人気があったが、本来のロックではないと批判されてもいた。こうした状況に対し、初期ロックの率直なエネルギーの復活を目指して、パンク・ロックが起こる。 パンクはもともと「粗悪品、不良、ちんぴら」を意味する俗語で、70年代ロンドンで始まった原色に染めて逆立てた髪などを特色とする奇抜な若者ファッションを指すようになった。パンク・ロックはロックに残っていたブルース色を削ぎ落し、粗野で荒削りで急テンポの演奏を特徴としている。コードはスリーコードにパワーコードを加えた程度のきわめて簡単なものだった。ニューヨークでアンダーグラウンド的な人気を得ていたいくつかのグループにロンドンのブティック経営者が刺激を受けて、素人の少年を4人集めて75年にセックス・ピストルズをデビューさせる。彼らは破壊的な言動で世間を騒がせつつ、慢性的な不況で不満を抱える若者たちに爆発的な人気を得た。 ロック界の新たな中心になるかに見えたパンクだったが、もともと保守層からの反発が強く演奏会場では中止運動がたびたび起きていた上、セックス・ピストルズの解散や元メンバーの殺人事件や麻薬中毒死でブームは終焉を迎え、パンクのムーブメントは78年にわずか3年ほどで幕を閉じる。 パンクの後には、ハード・ロックの延長線上にあるヘヴィメタル(アイアン・メイデンが初期の代表)や、パンクの様々な部分を引き継いだニュー・ウェイヴが現れる。もっともニュー・ウェーブは多様な傾向をひとまとめにした言葉で、シンセサイザーを駆使して商業主義的な若者向けの大衆音楽を作り出したエレクトロ・ポップからパンクの切り拓いた道をさらに先鋭化させようとしたオルタナティブ・ロックまで含んでおり、あまり適切なジャンル名ではない。ロックは再び多様化したように見えたが、60年代のような大物の登場は見られず、個性が薄れていた。レコード会社の意図通りに売れる曲をつくるロックの路線は「産業ロック」と揶揄された。78年から82年までに、レコードの売り上げとコンサートの収益がそれぞれ10億ドルも減少し、アメリカのロック音楽産業は深刻な危機に陥る。 音楽産業の不振は、カリスマ的スターの出現と技術の進歩によって救われた。マイケル・ジャクソン、ブルース・スプリングスティーン、プリンス、マドンナはこの時期にメガビットを飛ばしたカリスマたちであると、Microsoft『Encarta2005』のポピュラー音楽の項は評している。彼らは伝統的なアメリカの社会階層を超えて幅広い聴衆を獲得した。ミュージック・ビデオの出現と、これを24時間放映するミュージック・テレビジョン(MTV)の開局(81年)は、ミュージック・ビデオの販売促進効果を実証した。CDの登場(83年)はポピュラー音楽の需要を開拓した。これらによって、音楽産業は息を吹き返したが、ごく少数のカリスマが巨大な利益を上げる傾向が定着した。 ハード・ロックの後継であるヘヴイ・メタルはMTVのバックアップを受け、白人の労備者階級のみならず中産階級にも聴衆が広がり、女性も取り込んでいった。ヴァン・ヘイレン、AC/DC、メタリカなどヘヴィ・メタル・バンドが全レコードの売り上げに占める割合は、80年代末のアメリカで40%もの高率に達した。 ラップは、ニューヨークではブロック・パーティ(黒人・カリブ海からの移民・ヒスパニックの街区で行われていた地域の野外パーティ。音楽と踊り、バーベキューや野外ゲームなども行われた。DJの使用するサウンドシステムの電源は街灯から非合法に引かれた)から74年に発生したヒップホップと言う文化の一部で、MCとよばれるボーカリストがテキストをうたわずにリズミカルにかたる(ライムという)スタイルをとり、ふつう、シンセサイザーの演奏か既存のレコードから借用した音楽の断片(サンプル)を伴奏に使う。クール・ハーク、アフリカ・バンバータといったラップのDJは、複数のレコードを同時にまわしてそれぞれの音楽の断片をくみあわせたり、レコードを手でまわして特定のフレーズを反復再生したり(バック・スピン)、針で盤面を引っ搔いてノイズによるリズミカルな効果をつくりだしたりする(スクラッチ)など、ターンテーブルの独創的な活用法を開発した。 ラップがポピュラー音楽のメイン・ストリームに仲間入りしたのは86年のことだった。この年、Run-D.M.Cがハード・ロック・バンド、エアロスミスのヒット「ウォーク・ディス・ウェイ」(1977)をラップ・スタイルでカヴァーしてリバイバル・ヒットさせ、都市の郊外高級住宅地にすむ白人中産階級のロック・ファンをラップの聴衆にとりこんだ。1980年代末にはMTVがラップ専用の番組をもうけ、M.C.ハマー(現ハマー)、ビースティ・ボーイズといった人気ラッパーは人種の別を問わず幅広いファン層をもち数百万枚単位のレコード・セールスをあげるようになった。 70年代後半のレゲエ・ブームを先駆けとして、80年代初めにはワールド・ミュージック(ワールドビートとも言う)が人気を博した。きっかけは、ナイジェリアのキング・サニー・アデのアルバム「ジュジュ・ミュージック」(1982)のヒットだった。アフリカの伝統的な打楽器の音楽にとシンセサイザーを加えた同アルバムは、非西洋世界のポピュラー音楽に対する関心を高めた。 このような中からセネガル・マリ・コンゴなど西アフリカ諸国、パキスタン・イスラエルなど西アジア~南アジア、南アフリカやジプシー音楽など、様々な国からアーティストが現れ、人気を得た。これら第三世界のアーティストの紹介にはピーター・ガブリエル、デヴィッド・バーン、ポール・サイモンといったロック・ミュージシャンも尽力し、ロックの世界的な影響力をあらためて立証した。 ピーター・ガブリエルが1982年から開催しているウォーマッドは、ヨーロッパ世界にワールドミュージックを広める牽引車として、ヌスラット・ファテー・アリ・ハーンなど多くの世界中のミュージシャンの人気を高めた。サイモンの1985年のアルバム「グレイスランド」には、アフリカやラテンアメリカのミュージシャンが共演している。彼らはこのような非西洋の音楽スタイルを取り入れて自作を発表したりもしている。 アフリカへの関心と言う意味では、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダーをはじめとする45人のアーティストがチャリティとしてUSAフォー・アフリカ名義で「ウィ・アー・ザ・ワールド」を制作し、実際に印税を全てアフリカの飢餓と貧困を救うために寄付したのが85年だった。これはポピュラー音楽界にチャリティー・ブームを巻き起こした。 80年代半ば以降は東欧諸国で民主化運動が始まり、中・東欧の音楽が西側世界にも聴かれ始めた。ブルガリアの女性コーラス・グループはワールド・ミュージック・ブームのアイドルとなった。旧ソ連からはキノーが出て、ソビエト連邦を代表するロック・バンドとして西側世界に知られた。 映画音楽界では、「スター・ウォーズ」でジョン・ウィリアムズが古典的なシンフォニック・スコアを復活させたのが注目される。 ミュージカルではコーラスライン、アニー、キャッツ、オペラ座の怪人、レ・ミゼラブルなどのヒット作が生まれた。 イージー・リスニングでは、リチャード・クレイダーマンが76年にデビューし、ディスコ全盛の時代にあって、敢えてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴えるスタイルで人気となった。 ポピュラー音楽は、異質な音楽が混交したり、ローカルで自発的な音楽が荒削りな状態で流行ったのちメイン・ストリームに組み込まれると言うような形で発展してきたが、アメリカ国内の黒人音楽はジャズ・ロック・ソウル・フュージョン・ディスコなど、大半が商業主義に組み込まれてしまった。マイケル・ジャクソンやプリンスも、黒人による新種の商業主義音楽と考えることができる。こうした中、ヒップホップやラップは新たなローカルと言える が、アメリカの外に活力を求めたのがワールド・ミュージックだった、ということもできる。 1979年にウォークマンがソニーから発売された。カセットテープをメディアとして使用する、ヘッドホン式の携帯ステレオの登場によって、いつでもどこでも音楽が楽しめるようになり、若者たちの圧倒的な支持をうけて大ヒット商品となった。 82年にCDが登場した。レーザーによる走査によって情報を読みとるため、ターンテーブルの回転ムラによる音のひずみや針音などの雑音がさけられない従来のLPと比較し音質を飛躍的に向上できた上、摩耗による音質劣化や再生不能とは無縁となった。また、ランダムアクセス機能によって曲を任意の順序で再生できた。こうした利点からCDは徐々に販売枚数を増やし、86年には販売数がLPを抜き、90年代に入る頃にはLP自体がほとんどつくられなくなった。 コンピュータを音楽で活用しようとする試みは以前からあったが、80年代初頭から音楽製作の場においてデジタル技術やコンピュータ技術の導入が盛んに行われるようになった。単なる個別の機材のデジタル化を超え、シンセサイザー・シーケンサー・サンプラー・ミキサー・コンピュータなどを統合し、音楽制作のワークフローを1台で完結するデジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)の先駆けとなるシステムが現れ、シンクラヴィアやフェアライトCMIなどの初期の名機が争うように導入されたが、当初は大変高価なものだった。 シンセサイザーではそれまでのアナログ式のものに代わりデジタルシンセサイザーが現れ、特にFM音源を搭載した83年発売のYAMAHAのDX-7は画期的な高性能と低価格を実現し、デジタルシンセサイザーを一般化させた。 91年のソ連崩壊と冷戦の終了は世界を一つにし、95年のWindows95発売をきっかけとするインターネットの普及は社会のあり方を大きく変え、携帯電話、のちにはスマートホンの普及は若者たちの消費行動や音楽聴取のあり方を大きく変えた。 90年代に入ってCDの売り上げは伸びを見せ、99年には世界的にCDの売り上げが過去最高(日本は98年が過去最高)となった。 メガヒットが連発したため、歴代シングル売上ベスト50のランキングは、うち19曲が90年代~2000年代前半のものが占めている(これ以降は、ダウンロード販売が主流となるため、統計が別枠となる)。 アーティスト単位で見ても「世界で最も売れたアーティスト・ランキング!」にある31名のうち、4名はこの19曲の中に名前があり、累計で1億枚以上売り上げたとされる者も指摘できる。 ここでは歴代シングル売上ベスト50のうち90年代以降の19曲と、該当するアーティストおよび関連情報を表で示す。 1999年に242億USドルだった世界の音楽売り上げは減少を続け、2013年には150億USドルまで落ち込み、最盛期の2/3を切っている。ダウンロード販売の割合は年々増えており、2014年にはCDとダウンロード販売のシェアが逆転した。2018年には、世界最大の家電量販店であるアメリカの「ベスト・バイ」が店舗での音楽CDの販売を終了する方針であることが明らかになった。「アルバムを作って売って活動する」というスタイルは終焉を迎えつつあり、音楽業界は「ネット販売やネット配信、YouTubeの露出で知名度を上げて、ライブに来てもらう客の数を増やす」という形式に大きく変化してきている。業界全体の売上の低迷は、ほぼそのまま音楽アーティストの活動に影響するため、今後の状況の変化は無視することができない。 IFPIによると、世界の音楽売り上げは2014年を底に回復基調にある。成長を牽引しているのはSpotifyやApple Music、Amazon Musicなどのサブスクリプション型音楽ストリーミングで、CD売上の減少をカバーする形で急成長を見せている。2019年にはストリーミングの売上シェアが音楽売上全体の56.1%となり、CDやダウンロード販売のシェアを大きく上回った。 新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、音楽業界は新たな収入源やファンとの繋がりを模索し始めた。TikTokなどのソーシャルメディアから生まれるバイラル・ヒットがトレンドとなり、一部のアーティストはライブストリーミングによるバーチャル・コンサートを開催している。 ストリーミングサービスやメジャーレーベルが大きな利益を得る中で、中堅以下のアーティストには恩恵が十分に行き渡っておらず公平でないという批判は多く、業界団体はストリーミング報酬の引き上げを求めるキャンペーンを行っている。 メイン・ストリームと独立系小レーベルの対立、メインストリームによる非主流派の取り込み、しかしそうした中でも受け継がれているもの(1920年代のティン・パン・アレーの歌曲形式と滑らかでロマンティックなボーカル・スタイル、アフリカ系アメリカ音楽の強力なノリやバックビート(あと乗りのビート)、掛け合いの形式、濃密な情感、あるいはイギリス系アメリカ音楽の詩的なテーマやバラード形式など)は現在でも健在であり、アメリカ・ポピュラー音楽は表面上のスタイルが変わったりヒットソングが入れ替わったりしても、全体として強固な連続性を保っている。 ポピュラー音楽に含まれるジャンルを、カテゴリー別に示す。 この場合の「ポピュラー音楽」は、歴史の項と同様、「アメリカを中心に世界的な広がりを見せている商業音楽」およびその前身である。 カテゴリーもそれぞれのジャンルも概ね登場順に並んでいる。 個別的なジャンル名を全て列挙するのが目的ではないので、ここでは主なもののみ示している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ポピュラー音楽(、英: popular music、ポピュラー・ミュージック)は、広く人々の好みに訴えかける音楽のことである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ポピュラー音楽とは、何らかの「広く訴求力のある」音楽ジャンルに属す、人々の好みに訴求した、あらゆる時代の音楽を包括的に指す用語、等と定義づけられ、具体的にはロック、ポップ、ソウル、レゲエ、ラップ、ダンス・ミュージックなどが例としてあげられる。アメリカ合衆国のポピュラー音楽が今日に至るまで与えた影響は大きい。初期の多くのポピュラー音楽の特徴はその当時のクラシック音楽と共有する要素が多かったが、それらは簡潔でシンプルであったので決まり事が少なかった。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "音楽産業(英語版)を通して多数の聴衆に配給されるものが典型的であり、芸術音楽とは区別される。伝統音楽(英語版)のように典型的には学術的な形態によって伝えられたり口承によって小規模の局地的に限定された聴衆に広められる音楽とも対照的な存在である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "この用語はもともと、1880年代のアメリカ合衆国でティン・パン・アレーの音楽を指したものであった。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "また、日本ではポピュラー音楽を指して和製英語で「ポップス」とも呼称する。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国では「pops」という語はボストン・ポップス・オーケストラのようにオーケストラがポピュラー音楽や映画音楽などを演奏することを示す。また俗語で「おやじさん」の意味を持つため、ジャズやポピュラー音楽界では特に勢力のあるリーダーや大人物に対する愛称としても使われる。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「ポピュラー音楽」という言葉には、広い意味・狭い意味・その他諸々異なった意味合いがあり、文脈によってこの広がりが変わったりずれたりということが起き、定義を難しくしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ここではポピュラー音楽を「アメリカを中心に世界的な広がりを見せている近代的な商業音楽」とやや狭く定義し、その歴史を記載する。広義のポピュラー音楽に含まれるがこの項では扱われない音楽に関しては、民俗音楽・民族音楽および各国の音楽の項などを参照されたい。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ポピュラー音楽のルーツとして、19世紀後半のヨーロッパの大衆音楽、カリブ海及び南米の混血音楽、アメリカで誕生した音楽の3つが指摘できる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "19世紀後半、ヨーロッパでは資本主義の興隆によって豊かな中産階級の拡大と都市部への労働人口の流入が見られた。中産階級はワンランク上の生活に憧れオペラ劇場に定席を得たり子女にピアノを習わせたりすることがステータスとなり、労働者たちは生活の安定と余暇の充実に伴って娯楽として音楽を楽しむ習慣が広まり、クラシック・大衆音楽とも大幅に聴衆を増やし、現代に近い形で多くの人の生活に音楽がとりいれられるようになった。こうした中で、主に都市部で盛んになった大衆音楽が、のちのポピュラー音楽に大きな影響を与えている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ヨーロッパではもともとダンスが盛んで、民俗音楽の中にも多くの踊りが見られるが、そこから変化したワルツ、ワンステップなどの社交ダンスの音楽が、ギターやアコーディオンを含むバンドで演奏されるようになった。ワルツは、オーストリアの山岳地方の舞曲レントラーが洗練・発展したものだが、ヨーロッパ中に熱狂的に広まり、19世紀を代表する舞曲となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "18世紀にはすでにバラッド・オペラ(イギリス)、ジングシュピール(ドイツ)、オペラ・コミック(フランス)のような、民謡(または民謡風の単純な歌)を材料にした親しみやすいオペラが人気だったが、19世紀には喜劇的な内容の親しみやすいオペラがオペレッタ(軽歌劇)という名で人気を集めるようになった。オッフェンバックの「地獄のオルフェ」やスッペの「軽騎兵」やJ・シュトラウス2世の「こうもり」やレハールの「メリー・ウィドウ」などが挙げられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "「パーラー」は「応接間」のこと。中産階級女性の間で盛んだったもので、家庭のパーラー(談話室)で家族や知り合い同士で、ピアノやギターなど家庭にあるような楽器で伴奏され歌われた。1曲1枚のシートミュージックと言う楽譜の形で販売された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ミュージック・ホールとは、客が飲食を摂りながら音楽を楽しむことを目的とした施設で、パブで歌で客をもてなしたのが起源。1852年、イギリス最初の専用のホールとしてロンドンに開かれたカンタベリー・ホールは、客が飲食をとるために椅子とテーブルを並べた部分と舞台とをもっており、以後、同種のホールが全国につくられた。当初は大工業都市の労働者のビア・ホールとして生まれたものだったが、19世紀後半には飲酒よりも娯楽の方が重要になり、ユーモラスで風刺的または感傷的な歌からなる演芸を提供した。音楽だけでなく踊りやコントや手品、動物の芸、アクロバットなども演じられ、人気を博していた。1868年にはイギリスには500を超えるミュージック・ホールがあった。パリのムーラン・ルージュもミュージック・ホールである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "現代大衆歌謡としてのシャンソンは19世紀後半から20世紀初頭にかけて確立され、演劇的表現スタイル、反権威的現実主義、ミュゼット(同時代に誕生したダンス音楽)のアコーディオンと3拍子を伝統とする。パリやベルリンのキャバレー・カフェ・レビュー小屋などで盛んに歌われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "こうした当時の大衆歌謡は、クラシック歌曲の通俗版としての性格をもち、歌い手も美しい声ではっきりと歌うのが普通だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "現在「スコットランド民謡」「アイルランド民謡」などとして知られている曲の多くは、この時代にパーラー・ミュージックや酒場やミュージック・ホールの歌として人気を得たものが多く、「蛍の光」「庭の千草」「ダニー・ボーイ」「ホーム・スイート・ホーム」「アニーローリー」などが該当するし、フランスのシャンソンも古いもの(「さくらんぼの実る頃」など)は該当する。ロシア民謡として日本で知られている歌も、この時代の言わば歌謡曲が多く、「一週間」「カリンカ」「トロイカ」「コロブチカ」などはこの時代のものである。これらの中には売ることを目的に作曲されたものと、本当に民謡を手直ししたものが混在している。民俗音楽とポピュラー音楽の境界線はまだ曖昧であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "当時たくさんあった植民地では、都市部の中産階級はヨーロッパの芸術音楽や大衆音楽をそのまま持ち込み、農村部ではヨーロッパの民俗音楽がそのまま持ち込まれていた。が、植民地での都市の発展の中で形成された周辺部のスラム地区で、黒人や先住民の音楽とヨーロッパ系の音楽が融合して新たな音楽が生まれる現象が様々な植民地で見られている。担い手は船乗りや日雇労働者、賭博師、売春婦などのいわゆるルンペンプロレタリアート層であった。リズムの肉体性・わざと濁らせた音色や声色・楽譜通りではない何らかの即興性などの要素を特徴とする。こうした音楽はその地域のエリート層からは下級な音楽として蔑視されたが、後にヨーロッパの民衆によって価値が見いだされて世界的な流行音楽となっていった例が多い。この種の音楽の最初期のものはスリランカとインドネシアで見られるが、後のポピュラー音楽に大きな影響を与えたのはカリブ海および南米地域のものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "アメリカ大陸に連れて来られた黒人の多くは西アフリカ地域の人たちだったが、アフリカの音楽には広くポリリズムの要素が見られ、特に西アフリカの音楽はホットでテンポも速く、また数人の奏者による打楽器アンサンブルがよく見られる。中には太鼓だけではなく、金属製の打楽器も入ってリズムを明確にすることも見られる。もちろんアフリカを離れてから何世代も経ており、西アフリカの民族音楽そのままではありえないものの、根底にある「身体の奥からゆさぶってくれるようなビート」は明らかに「肉体の解放による喜びと高い精神的な喜びを合一させた」アフリカのダンス音楽のものであり、この要素はその後のポピュラー音楽まで確実に影響している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "西インド諸島では先住民がほとんど全滅しており、白人と奴隷の黒人が暮らしていた。黒人音楽とヨーロッパ音楽が融合して生み出された音楽の中で、最初に世界的に流行したのはジャズではなく、キューバのハバネラ、中でもスペイン人のイラディエールが作曲した「ラ・パロマ」だった。イラディエールは若いころに数年間キューバに住んだことがあり、そこで接したハバネラのリズムを自作に取り入れて発表し、世界的に大人気となるのみならず、様々な国の音楽に影響を与えた。ハバネラのリズムの影響はアメリカのジャズ、イタリアの「オー・ソレ・ミオ」、トルコからギリシャにかけて伝わるシルトースという踊りのリズム、アルゼンチンのタンゴなどに見られる。またジャズ発祥の地のニューオーリンズに移植された黒人奴隷の大部分は、スペイン領キューバ、フランス領ハイチなどから購入されたものであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "南米は全般に先住民・白人・黒人の三者が混交し、メスティーソ(先住民+白人)・ムラート(白人+黒人)・サンボ(先住民+黒人)などの集団が存在する。音楽もメスティソ系とムラート系に分けられるが、それぞれの存在の比率により、メスティソ系(白人の要素が強い、メキシコ・アルゼンチンなど)・メスティーソ系(先住民の要素が強い、ペルー・ボリビア)・ムラート系(ブラジル海岸部・カリブ海地域)などと分けられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ブラジルでは18世紀にルンドゥーという踊りの音楽が成立し、最初は野卑なものとして上・中流階層の非難を浴びたが、やがて洗練されて都会的な歌謡形式へと変化した。このルンドゥーは19世紀半ばに同じブラジルで生まれたショーロと混交し、19世紀終わりごろにサンバへと発展する。またアルゼンチンではハバネラのリズムの影響のもと、19世紀末にタンゴが生まれている。タンゴもまた世界的に広まったので例えば日本の演歌などにも影響を与えており、民衆の音楽のグローバリゼーションの最初の例と言われている。もっとも有名なタンゴ「ラ・クンパルシータ」は、24時間365日常に世界のどこかで必ず演奏されているとの伝説もあるほどである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ルンドゥーもハバネラも付点8分音符と16分音符を組み合わせた軽く跳ねるリズム感をもち、ポルトガルもしくはスペインの音楽にアフリカ的リズム感を加味したものと考えられるが、これがその後のラテン・アメリカの音楽の基調となった。ショーロやタンゴやサンバ、後に現れるキューバのルンバなどもこのリズムの延長上にあると言える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "このようなカリブ海地域・南米地域の音楽はラテン音楽などと呼ばれるが、これがポピュラー音楽の歴史上の要所要所で大きな影響を与え続けることになる。後にはキューバからマンボやチャチャチャ、トリニダード・トバゴからカリプソ、マルティニーク島とセント・ルシアからビギン、ブラジルからボサノヴァ、ジャマイカからレゲエなどが生まれ、世界的にも流行している。なお、先の分類でいえばムラート系の影響が勝っていることには留意すべきであろう。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "アメリカはイギリス・アイルランドを中心とする白人移民の国だが、南部を中心にカリブ海地域から輸入された黒人奴隷を多く抱えており、それぞれの音楽を持ち込んでいる。このためアメリカは、ヨーロッパ型の芸術音楽と大衆音楽、植民地型の混血音楽の双方を国内に抱えることとなり、独自の発展を遂げていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "植民地時代、白人入植者社会の音楽の大半はイギリスから輸入された世俗音楽や礼拝用音楽だった。18世紀半ばには東海岸ニューイングランドでオリジナルの讃美歌をつくる動きが出てきてアメリカ独自の音楽表現が生まれたが、芸術音楽はヨーロッパ出身者が依然として主導権を握っており、18世紀末にアメリカで一番人気があった曲はイギリスのイギリスの職業作曲家がロンドンの遊園地で行楽客に聴かせるために書いた歌や、英語のバラッド・オペラやコミック・オペラの中でうたわれた歌であったようである。19世紀初めにはイタリア・オペラも人気を博し、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティらイタリアのオペラ作曲家のアリアが、シート・ミュージックのかたちで発売されている。こうした状況を象徴するのがアメリカ合衆国国歌である「星条旗」(1814年)、独立革命中の流行歌「ヤンキードゥードル」(1780年ころ)、準アメリカ合衆国国歌「アメリカ」(1831年)が全てイギリス起源の曲だということである。ただ、アメリカ独自の表現を求める努力は続いており、ニューイングランドですたれた讃美歌づくりはアメリカ南部に伝えられ、「アメイジング・グレイス」などの今日でも歌われる讃美歌を生み出しており、またローウェル・メーソンは1838年にボストンの公立学校に音楽教育を導入したほか、讃美歌を1200曲以上作曲している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "農村部では、アメリカ南東部のアパラチア山脈周辺でスコットランド民謡やアイルランド民謡などのケルト音楽がアメリカ民謡の下地となっていく。これらはフィドル(ヴァイオリン)やギターやダルシマーで伴奏されていたが、やがて黒人音楽との接触からブルースの感覚やバンジョーというアフリカ起源の楽器を取り入れたり、スイスのヨーデルやチェコのポルカの要素を取り入れたりし、ブルーグラスやヒルビリーやカントリーなどと呼ばれるジャンルのもとになっていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ミンストレル・ショーとフォスターとヴォードヴィル。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "都市部では、イギリスと同様にパーラー・ミュージックやダンスホールの音楽やオペレッタが流行しており、イギリスものが主流で専門家もロンドンで修業してくる流れが続いていたが、1820年ころにミンストレル・ショーという、白人が顔を黒く塗って黒人の真似をする差別的な喜劇が成立する。各自バンジョー・ヴァイオリン・タンバリン・ボーンズ(馬の骨などで作った一種の打楽器)で演奏しながら、コミカルな歌やセリフのやり取りをした。この頃は新移民として東欧(ロシア・ポーランド)や南欧(イタリア・ギリシャ)からの移民が急増しており、彼らは旧移民のように土地や農場を持つこともできず多くは都市の下層労働者となり、旧来のWASPと対立していた。このような新移民たちの間で、黒人を軽く見下して憂さ晴らしできるミンストレル・ショーは受け入れられていた。アメリカポピュラーソング史上最初の国際的なヒットはミンストレル・ショーから出たトマス・ダートマス・ライトの「ジャンプ・ジム・クロウ」(ミンストレル・ショーの代表的な黒人キャラクターの名)である。その音楽の多くは楽譜が出版されて商業的に成功し、アメリカの初期のポピュラー音楽をけん引し、19世紀半ばに最盛期を迎えたが、南北戦争や奴隷解放を経てミンストレル・ショーの人気は陰り、商業的には1910年ころに終焉を迎えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "こうしたミンストレル・ショーの中から、フォスターが現れる。彼はミンストレル・ソングを書くところから経歴をスタートさせており、「おおスザンナ」「草競馬」「故郷の人々(スワニー河)」「主人は冷たい土の下に」「ケンタッキーの我が家」などは全てミンストレル・ショーのための作品である。やがてミンストレル・ソングに作曲することを恥じ、中流階級向けのパーラー・ソングに脱皮すべく方向転換し、「金髪のジェニー」「夢路より」などを残した。当時作曲家の地位は低く、低収入にあえいでいたフォスターは37歳で非業の死を遂げたが、作品の多さと現在でも歌われている親しみやすさ・その後に与えた影響から、「アメリカ音楽の父」「ポピュラー音楽の先駆者」と呼ばれている。彼の歌の作り方を、次代のポピュラー音楽の作曲家たちはこぞって「フック」(聴き手をとらえる印象的なメロディ。いわゆる「サビ」)の手本にした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "同じころ、いくつかの独立した出し物からなる舞台芸能や、軽わざ師、音楽家、コメディアン、手品師、魔術師などからなる芸人のショーがヴォードヴィルと呼ばれるようになった。イギリスのミュージック・ホールに当たるものであり、寄席演芸劇場と訳される。こうした家族で楽しめる娯楽場をアメリカに広めた最初の人物は、俳優で劇場支配人であったトニー・パスターで、1881年、ニューヨーク市の14丁目劇場でバラエティショーをおこなった。ヴォードヴィルは20世紀初頭にはアメリカで一番人気のある芸能となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "黒人たちには18世紀後半あたりからキリスト教が普及し、白人たちもこれを黙認あるいは推奨するようになったとゴスペルとブルース。黒人たちも讃美歌で礼拝を行うようになったが、彼ら固有の音楽的な伝続からか、活気あるリズム・交互唱・叫ぶような唱法など、相当荒々しい形で礼拝を行っていたようである。奴隷だった黒人たちにとっては、教会での礼拝は唯一白人の監視がなく過ごせる場所であり、社交とエンターテインメントの場所でもあった。日曜日の黒人の礼拝のようすを描写した当時の記録によれば、輪になって踊りながらすり足で時計と反対方向に回り、リーダーと会衆とが掛合いで歌い(交互唱)、興奮が高まって憑依状態に達することもあった(リング・シャウトという)。歌といっしょに指をパチパチ鳴らしたり、手拍子をうったり、床を踏みならしたりということも見られ、その中にはポリリズムが含まれる。こうした黒人たちの讃美歌は、白人の讃美歌の歌詞や旋律を黒人のリズム・交互唱・シャウトにはめ込んだものと言える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1863年の奴隷解放以後には、そこから黒人霊歌と呼ばれるジャンルが生まれる、これは白人がリーダーになってヨーロッパの讃美歌風の和音をつけ、楽譜として売り出したものであり、多くの曲が知られているが純粋に黒人のものとは言えず、黒人の礼拝から再度白人の要素を重点的に抽出したものと言える。それに対して黒人たち本来のものに近い讃美歌はゴスペルと呼ばれ、南部および北部・東部都市の黒人居住区に数多く生まれた黒人教会を拠点として独自の宗教音楽が発展を続けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "同じく奴隷解放後には、南部農業地帯の黒人たちが抑圧の中で味わった個人的感情を呟くように吐き出す歌としてブルースが発生し、ギターの伴奏を伴う中でヨーロッパの和声構造を身につけていく。標準的なブルースの定型は、A A B の3行から成る詩を12小節に収め、各行ごとに後半でギターが歌の間に即興的に割り込む形になっている。音づかいとしてはブルー・ノート・スケールと呼ばれる黒人音楽の特質を示す音階(ミとシ(さらにソも)がときに低めの音になる)に特徴がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "アメリカではイギリスやヨーロッパの影響で、18世紀末ころから鼓笛隊などが生まれ、南北戦争の頃にブラスバンドが盛んになり、19世紀後半には博覧会場や公園などで演奏する商業バンドが発達した。特にアメリカ海兵隊バンドの楽長だったジョン・フィリップ・スーザが退役してつくったスーザ吹奏楽団が1892年に活動を開始すると、その演奏水準の高さから大人気となった。19世紀末にアメリカで一番有名だった音楽家は、「行進曲王」の名で世界に知られたスーザだった。同じ頃、バス・ドラムの上にシンバルをセットしたり、バス・ドラムをペダルで演奏するドラムセットの基本アイデアが生まれ、リズムセクションの人数を減らすのに貢献した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "19世紀後半、東部の都市では、J・シュトラウス2世やレハールやオッフェンバック、それにロンドンのギルバートとサリバンによるオペレッタが移入され、人気を博した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "同じ時期、物語性がなく、歌、ダンス、コメディの寸劇などが演じられるショーとして、レビューが劇場や上流階級用のサロンなどでもてはやされていた。レビューは語源的には〈再見〉を意味するフランス語がジャンルの名となったもので、1820年代のパリで年末にその年のできごとを風刺的に回顧するために演じられた出し物を起源とする。その後、上演時期に関係なく、おおむね風刺的な内容の短い場面をつないだ芸能を指すようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ワルツ王J. シュトラウスは、〈ウィンナ・ワルツ〉の名曲を数多く作ったが、熱狂的にヨーロッパに広がったこのワルツはアメリカに渡り、ゆるやかなボストン・ワルツが生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "18世紀末から19世紀末にかけて、アメリカの領土は約3倍に、人口は移民や新領土獲得に伴う増で約14倍になっている。こうした中で文化的な統一など望むべくもないが、このように様々な民俗音楽の伝承が相互接触して文化変容するところから、多様なジャンルが生まれてくることになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "最初に定義したポピュラー音楽の「近代的な商業音楽」という要素が明確になるのが、1880~90年代の「音楽の商品化システム確立」である。この商品化システムは、自然発生的でローカルな他ジャンルを取り込みつつ発展していく。アメリカは第1次世界大戦の影響をほぼ受けておらず、史上最高の繁栄を見せた時期だったこともこれを後押しし、第1次世界大戦後から大恐慌までの戦後の繁栄と享楽は「ジャズ・エイジ」とも呼ばれる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "フォスターの時期、つまり19世紀半ばにすでに幅広い活動を行っていた楽譜出版業界は、1880~90年代にはニューヨーク、特にマンハッタンの下町の〈ティン・パン・アレー〉と呼ばれる通りに集中し、音楽を商品化するシステムを確立した。業者が作詞家に具体的な詞の内容にまで注文をつけて作詞させ、作曲家にも細かい指示のもとに作曲させて、その曲を楽譜に印刷して販売し、曲が話題になるように宣伝マンに店先などで歌わせ、その曲が人々に広く歌われれば楽譜が売れて商業的に成功する、という仕組みだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "この商品化のシステムでは、最初から流行しそうな曲を作詞家作曲家に書かせるための〈プロデュース〉と、それを多くの人に覚えてもらい流行させるための〈プロモーション〉という二つの作業が重要なポイントとなる。プロモーションがうまく行くよう、その曲を人気芸人に歌ってもらい、それに対して謝礼を支払うのを〈ペイオーラ〉と呼んだ。〈ティン・パン・アレー〉は直訳すれば「錫鍋小路」となり、それぞれの会社で試演を行っていたため大変にぎやかだったことからついた名前であるが、のちにポピュラー音楽業界を指すようにもなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "曲は8小節×4行の32小節が標準で、ティン・パン・アレーの出版社が楽譜を売り、レコード会社はオーケストラ伴奏で録音し、片面1曲ずつのシングル盤として売り出すのが当時の典型的な発表方法だった。このような形の音楽がポピュラー・ソングと呼ばれ、このティン・パン・アレーによって生産される音楽が「メインストリーム」(主流)音楽として幅を利かせ、彼らの確立した生産・販売システムは、その後レコード業界にも踏襲され、1950年代半ばまでアメリカ音楽業界を支えた。この「ポピュラー・ソング」は、最狭義のポピュラー音楽の定義でもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "こうしたシステムのもと、チャールズ・K・ハリス作の「舞踏会のあとで」(1892)の楽譜は史上はじめてミリオン・セラーを記録し、楽譜出版産業の急成長をうながした。同時期に大衆芸能の主流となったヴォードヴィルでは、人気歌手たちが全米を巡業して、ティン・パン・アレー産の歌を大衆に普及させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ティン・パン・アレー流の商業主義路線はアメリカのポピュラー音楽の特徴で、ヨーロッパのような「国民の大多数に共通の文化基盤」が存在しないアメリカでは、自然発生的に何かの音楽が大流行と言うことは大変起こりにくく、楽譜会社・のちにはレコード会社が企画して流行らせる音楽がメインという状況が続いていく。もちろん意図しないところから意図しない曲が大流行することはあり、またティン・パン・アレー側の企画も大外れする場合も多く、常にうまく行っているわけではなかったが、ニューヨークの音楽会社が商業的に流通させるのがアメリカのポピュラー音楽だ、と言う流れはこの頃に確立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ミュージカルは「ミュージカル・コメディ」の略。19世紀半ばに現れ、20世紀前半にニューヨークのブロードウェイを中心にしてアメリカで発展した。オペレッタ、パントマイム、ミンストレル・ショー、ヴォードヴィルなど、19世紀のさまざまな演劇から影響をうけて成立した。元来はコメディの名の通り、他愛のない喜劇的な物語をもっぱら扱っていたが、内容が深刻さを増したり、本格的な演劇性を獲得したりするにつれ、単にミュージカルと呼ばれるようになった。分かりやすい物語と親しみやすい音楽、時にはスペクタクル溢れる装置やコーラス・ガールの肉体的魅力などの視覚的要素で観客にアピールする、ショー・ビジネスが盛んなアメリカにふさわしい、費用の掛かる贅沢な舞台芸術である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "当初はその名の通り、形ばかりの物語で歌や踊りをつないだたわいのない恋愛劇や笑劇と、ヨーロッパ出身の作曲家によるオペレッタ風の作品が多かった。しかし1927年の「ショウボート」で、現実感のある舞台に人種差別などの社会問題を盛り込んだ物語でミュージカルに文学性が持ち込まれ、以後は都会的機知と文学性に富んだミュージカルが多く作られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "黒人たちの音楽では、1890年代にラグタイムが誕生した。これは、ピアノの右手にアフリカ音楽に起因するシンコペーションを多用したメロディ、左手にはマーチに起因する規則的な伴奏を組み合わせたもので、ミンストレル・ショーの歌を母体に発展してきた。1900年前後に活躍していたスコット・ジョプリンという黒人ピアニストが、1899年に「メイプル・リーフ・ラグ」を発表し、1902年には「ジ・エンターテイナー」を発表している。20世紀初めの10年ほどの間は、このラグタイムとブルースが商業的にヒットしていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "同じく1900年代には、ニューオーリンズの元奴隷の黒人たちが始めたブラスバンドが不思議とスウィングするリズムがあるとして評判になり、白人のバンドに真似されたり、そのままのスタイルでダンスホールに雇われたりするようになる。これがジャズの誕生である。ニューオーリンズの初期のジャズ(ディキシーランド・ジャズと言う)で一番目立つのはブラスバンドの行進曲の要素だが、これまでに出てきたブルース(特にブルー・ノートと言われる音階)、ラグタイム、黒人霊歌の要素を含んでいる。また、どのバンドにもクラシック音楽の素養を身につけたクレオール(白人と黒人の混血の人)がいて、楽譜も読めない元奴隷たちにできるだけの指導を行っていた。ディキシー・ランド・ジャズはトランペット・クラリネット・トロンボーン・ピアノ・ベース(もとはチューバ)・ドラム・ギター(もとはバンジョー)が標準的な編成で、決まったコード進行が繰り返される中、管楽器たちが即興演奏を行い、その時にはシンコペーションやスイングでリズムを豊かにするような工夫が行われる。ジャズも様々なスタイルがあるが、この即興とスイングの要素はどのジャズにも見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ラグタイムやジャズは、黒人の音楽ではあるがヨーロッパ音楽の要素も多く含んでおり、メイン・ストリーム側とすぐに接触が生じ、ティン・パン・アレーからラグタイムやジャズの曲が売り出されて人気を得たり、逆にティン・パン・アレーの曲をジャズ・ミュージシャンが演奏したりということが盛んに見られるようになった。ジャズは本質的には「演奏テクニック」であり、どんな曲でも演奏できる代わりに必ず何か「元ネタ」を必要とする。ティン・パン・アレーの曲は「元ネタ」としてよく使われた。この後1940年代まで、ジャズは時代の主役となっていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ラグタイムやジャズは当時のアメリカ人たちの間では芸術的な価値は認められておらず、「黒人たちのやっているわけのわからない音楽」と思われていたようである。しかし、その価値はむしろヨーロッパのクラシック系の作曲家に認められた。ドビュッシーやミヨーは明らかにラグタイムやジャズの影響を受けた作品を残している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1910年~20年にかけて産業構造が農業から工業に転換するにつれてアメリカでは南部から北部への人口の大移動が起こり、それに合わせるように多くのジャズメンがニューオーリンズからシカゴに移動する。シカゴでは天才トランペット奏者のルイ・アームストロングが全てのジャズ奏者と編曲者に甚大な影響を与え、ジャズの時代を築く。1920年頃にはドラムセットにハイハットが加わり、現在とほぼ同様のリズムパターンが出せるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1887年に発明された円盤型レコードは徐々に浸透し、1925年の電気録音方式の導入による音質向上にも後押しされ、1920年代半ばにはアメリカ全土でレコードは年間1億枚以上を売り上げるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "電気録音導入以前は歌手は声が大きくなければならなかったが、マイクロフォンの導入により、声量がなくてもマイクを効果的につかって表情が出せるようになり、ビング・クロスビーなどによってソフトにささやくようにうたうクルーニング唱法(クルーンには感傷的にうたうという意味もある)が広まった。オペラのように、肉声で遠くまで響き渡らせようとすると不可能なささやくような歌い方は、現在のポピュラー曲でも多用されているが、音響・録音技術の進歩と不可分だった。やがてポピュラー音楽は実演のステージでさえも、拡声装置(Public Address)が切り離せなくなっていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "同じく1920年代にはラジオや映画が浸透し始め、これがポピュラー音楽を大衆に伝えるのに大きな役割を果たすことになる。ラジオは当初レコードと競合すると思われていた。しかしレコードはラジオの番組制作簡略化に貢献しただけでなく、音楽が放送されることによって、多くの新たな聞き手を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "映画産業は20世紀初めの小規模の映画館の林立に始まった。1915-20年には多くの映画会社がカリフォルニア州ハリウッドに移り、映画の聖地となった。映画ははじめはサイレント(音声なし)だったが、1926年にトーキー映画が発明され、映画に音をつけることが出来るようになると、まずミュージカル映画が大流行する。また歌手や演奏者の出演がレコードの売れ行きを左右することから、主題歌や挿入歌のタイアップがすすんだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ハリウッドの映画各社がシステム化されるにつれ、各社とも音楽担当の部署を整備し、50人近いオーケストラを抱えるようになり、映画のための音楽を担当するようになった。オーケストラによる後期ロマン派スタイルの映画音楽という形はこの頃に確立し、シンフォニック・スコアと呼ばれている。映画音楽というジャンルは、このような中から生まれてきた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "レコードの普及は、音楽のあり方を大きな変えた。世界各地の音楽は時間や場所をこえてより多くの聴衆に聞かれるようになり、ここまでに出てきた様々なジャンルの音楽が街にあふれ、家庭に入ってくるようになった。都市部で商業的に制作される音楽(メイン・ストリームの音楽)と地域に密着した民謡などとの分離がすすんだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "また、レコードやラジオや映画を通じて特定の演奏者や歌手とむすびついた曲がくりかえしながれることで、音楽家がスター化していく。新しいスターをつくりだそうとする音楽産業と聞き手の好みの移り変わりを反映して、流行のサイクルやスターの寿命がちぢまった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "さらに、音楽が大量生産向けに均質化する傾向や、聞き手が受動的な消費者になる傾向も出てきた。ミリオン・セラーの現象は、流行曲を次々と出すことをレコード資本の目標にさせ、音楽産業の主導権は楽譜出版からレコードに移った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "こうした中、ティン・パン・アレーは1920-30年代に全盛期を迎えた。当時のヒット曲はほとんどすべてニューヨークを本拠地とする一握りの作曲家と作詞家がつくりだしていた。ジョージ・ガーシュウィンとアイラ・ガーシュウイン、ロジャースとハマースタイン、同じくロジャースとロレンツ・ハートなど、作曲家と作詞家は多くの場合コンビを組んで活動した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ヴォードヴィルは1928年に人気の絶頂を迎え、1000あまりあったアメリカのヴォードヴィル劇場に、およそ200万人の観客が毎日おしよせた。またチャールズ・チャップリン、バスター・キートン、マルクス兄弟といった、1910年代から20年代のスラップスティック・コメディの有名なスターたちは、ヴォードヴィルやミュージック・ホールに出演したのちに映画産業に入り、ヴォードヴィルの伝統を続けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "ヴォードヴィルは30年代に入ると映画に押されて落ち目になるが、かわって大衆芸能の王座についたブロードウェイ・ミュージカルのほか、ダンス・オーケストラの専属歌手も、ティン・パン・アレーの歌の普及に貢献した。先に挙げたロジャースやガーシュウィンも多くのミュージカルをのこしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "シカゴでは「ジャズ」ではなく「スイング・ミュージック」と言う言葉を使ったベニー・グッドマンが1935年にブレイクし、スイングの時代をもたらし、これは1940年代初めまで続く。この頃の人気バンドは全て白人だった。黒人が演奏するのは下品で喧騒なジャズ、白人がやるのはスマートで健康的なスイング・ミュージックというのが、初めて陽のあたる場所へ出たジャズに対する世人の受け止め方だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ジャズはビッグバンドというトランペット・トロンボーンの金管楽器6-8名・サックス中心の木管楽器4-6名・ピアノ・ギター・ベース・ドラムなどのリズムセクション3、4名が標準的な編成となり、4ビート・スイング・リフの使用・各メンバーの長大なソロなどを特徴とする。ポピュラー界のミュージシャンも、ジャズメンほど自由な即興はおこなわなかったが、明らかにジャズに特徴的なリズムとメロディをとりいれ、1930年代初めには、ジャズの感覚を吸収した先のビング・クロスビーがメイン・ストリームでは最高の人気を占め、ポピュラー・シンガーがジャズ風の楽団を伴奏に歌うのはごくありふれたこととなった。社交ダンスの音楽にもジャズの要素が大幅に取り入れられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "この時代は、1930年代初頭の大不況による落込みはあったにせよ、アメリカの音楽業界が最も順調に進展した、メイン・ストリーム音楽の黄金時代だった。ここに挙げた新技術は全てポピュラー音楽を大衆に定着させるのに貢献した。しかし大衆の興味をつねに引きつけることには、ティン・パン・アレーのプロダクションとプロモーションの手腕をもってしても限界があり、例えば1930年にキューバの「南京豆売り」がヒットしてルンバ・ブームが突如巻き起こるなど、植民地型のポピュラー音楽が国外から入ってきて人気を奪い、音楽産業がそれを追いかけるといった現象もしばしばあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "このことは、メイン・ストリーム(ティン・パン・アレーのポピュラー・ソングとブロードウェー・ミュージカル、先進国型のポピュラー音楽)と、ローカルな民族的基盤に基づいた音楽(ブルース・ラグタイム・ジャズなど、植民地型のポピュラー音楽)のその後の関係を示している。ジャズがそうであったように、もともとはサブカルチャーだったものがメイン・ストリームに取りこまれ、音楽業界の生産様式に組み込まれてメイン・カルチャー化するという流れである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "サブカルチャーは黒人のものとは限らない。1920年代、レコード会社が「ヒルビリー」と言うレーベルで、南部の白人大衆向けにアメリカ民謡に起源のある音楽を売りだした。アメリカ民謡に起源を持つメロディと、孤独、貧困、望郷など同時代のメイン・ストリームが取り上げないテーマを含んだ歌詞が共感を呼んだ。27年にミシシッピ生まれのロジャーズやカーター・ファミリーが評判となり、以後は急速に商業音楽として成長した。映画の誕生後は西部劇でカウボーイ姿で歌って人気を得る者が多く出て、西部開拓時代への懐古と田舎の生活への郷愁がこのジャンルの特徴となった。これはのちにカントリー&ウエスタンと呼ばれるジャンルとなるが、白人が担い手でありながら、ローカルな下層大衆の音楽であり、サブカルチャーとして始まり、後にメイン・ストリームに取りこまれることになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦時のアメリカは、本土が直接攻撃されることがほとんどなく、生活必需品の生産や供給が滞ることもなかったため、戦争の国民生活への影響は比較的軽微であった。軍事増産はむしろ景気を回復させている。しかし国民の1割に当たる1200万人が兵士となり、多くの軍需工場では女性が工員として働くことになった。西海岸では防空壕設置や灯火規制が行われた。食料品や日用品の配給制は他国同様行われた。バーやダンスクラブの営業制限が行われ、後述のようにジャズの在り方に大きく影響している。軍需産業の発達は南部から北部などへの人口移動を生み、ヒルビリーやブルースやゴスペルなど南部に起源のある音楽の人気を高めた。1945年には大戦が終結し、経済状況も回復したものの、冷戦が固定化し、朝鮮戦争や東西の軍拡競争も行われ、政治的・文化的にはやや保守化した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "音楽の関連でいえば、ニューヨーク・フィルやNBC交響楽団の演奏は変わらず行われており、ブロードウェー・ミュージカルは新作を提供し続けており、ビング・クロスビーやフランク・シナトラは人気を集めており、ジャズ以外には明白な負の影響はあまりなかったようである。1930年代から黄金期を迎えていたハリウッド映画は戦争プロパガンダ映画も制作し、隆盛は続いていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "しかし、戦争が大衆の音楽への嗜好に影響を与えた可能性は容易に指摘できる。ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」(1942年)は現在に至るも世界歴代シングル売上1位を崩していないが、これは憂鬱さと家庭の癒しのイメージの混在が戦時中のリスナーの心をとらえたためであり、米軍放送にはこの歌のリクエストが殺到したという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "愛国心の高揚はヒルビリーの国民的人気を後押しし、テネシー州メンフィスがそのメッカとなった。代表にハンク・ウィリアムズがいる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "厭戦気分の高まりは「長い旅路の果て、我が家に帰る」という歌詞を持つドリス・デイの「センチメンタル・ジャーニー」(1944年)を23週連続チャート1位に押し上げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ジャズは基本的にはダンス・ミュージックとして演奏されていたが、1941年の日米開戦とともに戦時統制によりダンスホールは高率課税の対象となり、また成人男子の多くは徴兵され、ビッグバンド編成での大人数の演奏がほとんど不可能になってしまった。ジャズの編成は3~8人と少人数化し、即興の腕を競い合うジャム・セッションを連日繰り返す形になり、そこからアドリブ・ソロとビート感を強調するビバップというジャンルが生まれた。チャーリー・パーカーはビバップの代表人物である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ビバップはまとまりに欠けるきらいがあり、その要素を受け継ぎつつもそれ以前のスウィングの要素もとりいれ、冷静な編曲に基づいたなめらかでソフトな演奏のスタイルのクール・ジャズがニューヨークで生まれた。1949年のマイルス・デイヴィス九重奏団のアルバム「クールの誕生」がその始まりだが、やがて朝鮮戦争の好況でわくロサンゼルスに拠点を移しウェスト・コースト・ジャズと呼ばれるようになった。ロサンゼルスにはヨーロッパ音楽の巨匠ミヨーやシェーンベルクがナチス迫害を避けて移住してきており、しばしば近代音楽とジャズの融合が真面目に試みられた。ただし、これもどちらか言えば白人中心のジャズだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "1940年代にはエレクトリック・ギターが急速に普及し、黒人の音楽で細々と続いていたブルースが人口移動に伴って北部の都市に流入し、エレクトリック・ギターを取り入れてビートを強調しつつジャズとゴスペルの要素を取り入れ、リズム・アンド・ブルースというジャンルを生み出す。もともとこの言葉は、当時レイス・ミュージック(人種音楽)と呼ばれていた黒人音楽の新しい呼び名として考えられたものだった。ジャズは当初は黒人の音楽だったが、白人のジャズ・プレイヤーが大量に登場したり、メイン・ストリームの音楽となって商業主義路線に乗っかったり、ダンス・ミュージックとして洗練されたり、クラシックとの接点が発生したりと、もとの黒人音楽の活気とはかけ離れたものになっていた。このリズム・アンド・ブルースはそういった中で登場し、当の黒人だけでなく白人の若者も熱狂して聴きあるいは踊るという現象が起きた。ビッグ・ジョー・ターナーはリズム・アンド・ブルースの初期の代表的人物である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "戦後のヨーロッパでは、フランスのシャンソンのエディット・ピアフ、イタリアのカンツォーネ歌手のドメニコ・モドゥーニョが人気を集めた。スペインではフラメンコ歌手が人気を集め、アフリカ・西アジア・インド・東南アジアなどでもポピュラー音楽界に大物が登場している。日本では美空ひばりが登場し、それまでのややぎこちない日本歌謡に新風を吹き込んだ。またキューバのバンドリーダーのペレス・プラードがアメリカに持ち込んだマンボは若者を熱狂させた。この時代を中村とうようは「世界ポピュラー音楽の黄金期」と書いている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "こうした中、マントヴァーニ(イギリス)、パーシー・フェイス(カナダ)、フランク・プゥルセル(フランス)らクラシックの教育を受けたミュージシャンが、自身のオーケストラを率いてムード音楽(のちにイージーリスニングと呼ばれる)を拓く。器楽曲でありながら、全米ヒットチャート上位にたびたび食い込んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "ハリウッドは戦後、独占禁止法の適用によるグループ解体と赤狩りの標的になったことによる優秀なスタッフの追放、郊外人口の増加とテレビの浸透による人々の生活様式の変化が重なり危機を迎えるが、作品そのものは名作がつくられ続け、西部劇やミュージカル映画の傑作(「雨に歌えば」など)と数々のスター(フレッド・アステアやジュディ・ガーランド、ジーン・ケリーなど)が生まれ続けた。第二次世界大戦前後からロック・アンド・ロールが台頭するあたりにかけて時期に作られた作品群は、今日においてスタンダードとみなされているものが多い。詳細についてはスタンダードの項目も参照のこと。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "レコードの技術としては、1945年に高い周波数ほど大きく録音し再生時に電気的に調整して音質を高める技術のプリエンファシスが開発され、48年ごろからはそれまでのSPレコードに代わってLPレコードが用いられるようになり、50年代以降はステレオ録音が登場し、「原音に忠実」と言う意味の略語のHi-Fiがマーケティングに使われるようになった。同じく50年代以降は磁気テープによる録音が普及し、生演奏だけによらない音楽づくりに道を開いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "アメリカでは41年にテレビ放送の規格が決められ、45年と50年には新技術が開発されて画質が向上し、普及に拍車がかかった。その結果、55年にはテレビ普及率はアメリカの家庭の67%に達した。48年からはエド・サリヴァン・ショーが始まり、多くのミュージシャンが登場した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "リズム・アンド・ブルースは白人の若者をも熱狂させたが、これを見た白人の一部がリズム・アンド・ブルースの感覚を取り入れる動きが見られ始める。白人のビル・ヘーリーは54年に「シェーク・ラトル・アンド・ロール」と「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を録音したが、前者は先のビッグ・ジョー・ターナー、後者はソニー・デーのレコードの模倣で、どちらもオリジナルは黒人であった。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は翌55年に映画「暴力教室」に用いられ、大ヒットとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "同じ54年にはメンフィスの電機会社の運転手だったエルヴィス・プレスリーが地元の小さなレコード会社から「ザッツ・オール・ライト」を出したが、これも黒人のアーサー・クルーダップの作品であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "こうして生まれてきた新しい音楽は、ラジオのディスクジョッキーをしていたアラン・フリードによって「ロック・アンド・ロール」と呼ばれた。ロックの誕生である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "ロックは、リズム・アンド・ブルースの要素が一番強く、そこにヒルビリーやポピュラー・ソングの要素が融合して生まれた。先のヘーリーやプレスリーはヒルビリーの要素が強く、またプレスリーは好きな歌手としてフランク・シナトラを挙げており、ポピュラー・ソングの伝統も受け継いでいる。このため、ヒルビリーの要素が強いと「ロカビリー」(ロック+ヒルビリー、プレスリーなど)、ポピュラー・ソングの要素が強いと「ロッカバラード」(ロック+バラード、ポール・アンカなど)などの派生語が生まれたため、60年代になると、それらの全体を呼ぶ言葉がロック、1950年代中葉の初期のロックを指す言葉がロックンロール、と使い分けるのが一般的となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "ロックは、命名者であるアラン・フリードやプロモーターの尽力によって、独立系小レーベルでレコード化されたが、経済的に恵まれるようになっていた10代の若者に想像をはるかに超える支持を受けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "大手レコード会社もさっそくこのジャンルに目をつけ、プレスリーは早くも大手のRCAレコードに引き抜かれ、56年には「ハートブレイク・ホテル」の大ヒットを生んだ。プレスリーは「史上最も成功したソロ・アーティスト」(ギネス・ワールド・レコーズ)とされ、全米No1ヒット曲数歴代2位、週間数歴代1位など、記録には事欠かない。その後を追って誕生したのが先の「ロカバラード」で、これは旧来のメイン・ストリームの「プロの作詞家・作曲家がヒットをねらって書いた曲でレコードを作り、ラジオやテレビなどのメディアでうまく宣伝して広めていくという商業主義」そのもので作られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "ロックの誕生は「白人の若者の欲求不満を白人文化では吸収しきれなくて黒人文化に頼らざるをえず、黒人底辺文化の価値観を白人若年層が大幅に取り入れたという、前例をみないラディカルな社会現象だった」と世界大百科事典の「ロック」の項で中村とうようが評しているが、せっかく誕生したロックはこうしてすぐに商業主義に取り込まれてしまった。ロックの立役者だったフリードも、音楽業界から放送関係者に贈られていたペイオーラが賄賂とされ、59年と60年に連邦議会(下院)で開かれた聴聞会で疑惑の張本人として取りざたされ、大スキャンダルとなった。こうした事情から、ロックンロールの全盛期は54年から59年までの5年間しか続かなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "ちょうどこの頃は奴隷解放後も解消されない差別(人種隔離制度と制度的差別体系)に苦しんでいた黒人たちが公民権運動を開始した時期である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "ニューヨークの黒人ジャズが復活し、ハード・バップまたはモダン・ジャズと呼ばれた。公民権運動にあわせ、黒人側からのラディカルな抗議を表明する曲が書かれ、また原点回帰とばかりにブルースやゴスペルの要素を取り入れ、その演奏には黒人の体臭を意味する〈ファンキー funky〉という形容詞がつけられた。マイルス・デイヴィスは初期の代表者だが、クール・ジャズの創始者でもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "初期のロックンロールはリズム・アンド・ブルースとほとんど変わらなかったが、白人のロックンロール歌手が増えてくるにつれ、リズム・アンド・ブルースは、よりゴスペルなどのアフリカン・アメリカンの要素を取り込み、ソウル(ソウルミュージック)と呼ばれるようになった。レイ・チャールズはソウルの発展に大きく貢献した。社会背景的には先に挙げた公民権運動があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "ロックンロールの登場に刺激されてヒルビリーも電気楽器をとりいれ、より洗練されたアレンジを用いるようになる。それにともない、レコード会社は従来の「ヒルビリー」にかえて「カントリー・アンド・ウェスタン」のレーベル名を導入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "メイン・ストリームでは、ポピュラー・ソングが最後の最盛期を迎えており、フランク・シナトラやペリー・コモがテレビにも進出しつつ活躍した。このころミュージカル映画はテレビに押され始め、制作費の高騰で本数も減り黄金時代は終わりを告げる。「ウエスト・サイド物語」(1961年)「マイ・フェア・レディ」(1964年)「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)などは最後のミュージカル映画のヒット作である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "戦後のベビーブームで生まれた世代がティーンから成人を迎えるこの頃、依然として冷戦やベトナム戦争が続き、一向に戦争を反省していないように見える社会や国家に対し、世界的に若者たちによる異議申し立ての行動が活発で、世界各国で大学紛争が盛んだった。若者はこのような共通体験から一つの「世代」として認知され、彼らの主張や考え方は「若者文化」と呼ばれた。若者の重視は音楽の世界が先んじており、戦前のポピュラー音楽が基本的に大人を対象にしたメインカルチャーだったのに対し、50年代後半のロックンロールでは明らかに始めから若者をターゲットにした曲が多く作られ、歌詞も恋愛や私生活、自己実現の悩みなど10代の若者の主要な関心事をテーマにしていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "ピート・シーガーはウディ・ガスリーらと組んで、1940年代から民謡風のメロディーに乗せてプロテスト・ソング(社会の中の不公平や不正を告発し抗議する歌)を歌っていたが、1950年の「おやすみアイリーン」が大ヒットし、この影響を受けたザ・キングストン・トリオによる古い民謡のリメーク「トム・ドゥーリー」(1958年)が大ヒットして、フォークソングは完全にポピュラー音楽の一部門を占めるにいたった。次いでボブ・ディランが「風に吹かれて」を62年に発表し、公民権運動の中で広く歌われた。フォークソングはロックとは対照的に、中流階級の大学生に支持され、清潔で知的なイメージでもてはやされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "60年代初めには、音楽産業がロックンロールと銘うって売りだす音楽の大半が、ロックンロールの物まねにすぎなくなっていた。プロの作曲家がつくった曲をアイドル型クルーナーが歌い、スタジオ・ミュージシャンの伴奏で録音した。これはティン・パン・アレーの旧来のやり方そのものであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "沈滞していたロックは、イギリスからの動きで息を吹き返した。62年、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、アニマルズなど多くのグループがロックの原点を取り戻し、アメリカの若者にも熱狂的に迎えられた。これはブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスのグループの襲来)と言われる。それに呼応して、64年にビーチ・ボーイズがカリフォルニアから出た。カリフォルニアはフォーク・ソングも盛んであり、またサンフランシスコとその周辺のヒッピーが新しい若者文化をつくり出していたが、そうした土壌から新しいロックが盛り上がった。新しいロックに関して、『世界大百科事典』のロックの項で中村とうようは「無教養な若者の衝動に発したロックは、10年後に知的な性格を帯び、運動の側面を備えたものとして、より広範な社会的影響力を発揮する形で再生した。歌詞は10代の感傷を歌う単純なものから,社会批評性をもったり、哲学的に思索したりするものに成長した」と評している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "60年代後半は、ロックがメイン・ストリームに食い込み、多様化していく時期となる。ブリティッシュ・インベージョン以前は弾圧の対象だったロックは、大規模化したレコード産業の後押しを受け、多種多様なスタイルとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "ヒッピーにつきものだった麻薬やLSDからは、サイケデリック・ロックが生まれた。代表はグレイトフル・デッド。幻覚体験を音楽で表現しようとするもので、多くのミュージシャンがサイケデリック・ロックに傾倒したが、LSDの所持の禁止・それに伴うヒッピー文化の衰退・麻薬によるアーティストの死などにより衰退し、アーティストたちは実験的な音楽を特徴とするプログレッシブ・ロックに移行し、クラシック系の現代音楽と影響しあうような作品まで書かれている。ピンク・フロイドなどが有名である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "フォークソングやカントリー・ミュージックのアーティストたちも、ロックへの接近が見られた。フォークシンガーだったボブ・ディランがエレクトリック・ギターを用いてフォーク・ロックというジャンルを開き、賛否両論を巻き起こす。同様にカントリー音楽の要素を入れたロックもバーズなどによって開かれ、ジャンルの垣根を取り払った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "イギリスでは黒人ギタリストによるブルースを白人が模倣し、ブルース・ロックが生まれる。元がギターブルースであるため、エレクトリック・ギターの長大な即興を特徴としている。エリック・クラプトンを中心とするクリームなどが代表。このジャンルはやがて「最もロックらしいロック」や「ロックの主流」と呼ばれるハード・ロック(ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバスなど)、さらにはヘヴィメタルなどへと続いていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "多少遅れて70年代初頭のイギリスでは、デヴィッド・ボウイやT・レックスのマーク・ボランらが、妖艶な化粧と衣装で中性的なイメージをふりまき、退廃とクールさが入り混ざったロックの新感覚を示して流行となった。これは魅惑的(glamorous)からグラム・ロックと呼ばれる(ただし、英米では通常グリッター・ロック=けばけばしいロックと言われる)。初期のエルトン・ジョンもステージで奇抜な衣装やメガネをつけるなどして、グラム・ロックを象徴した。派手な化粧をしたバンドはその後もたびたび現れており、後のロックに与えた影響は少なくない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "ロックの影響は世界に及んでおり、例えば日本では65年のベンチャーズ、66年のビートルズ来日以後にグループ・サウンズやカレッジ・フォークがブームとなりアマチュア音楽の裾野を広げ、72年以降のフォーク系シンガーソングライター(吉田拓郎・井上陽水など)および75年ごろからの女性シンガーソングライター(荒井由実・矢野顕子・中島みゆきなど)の活躍につながった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "フランスではロックの影響のもと、ジョニー・アリディやシルヴィ・ヴァルタンなどの音楽がイェイェと呼ばれて人気を集めた。セルジュ・ゲンスブールのプロデュースしたフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」はユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝曲である。活躍した女性歌手たちはフレンチ・ロリータと呼ばれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ヨーロッパでは、ロックやリズム・アンド・ブルースが広く聴かれるようになったのみならず、大量販売をめざす大手レコード会社は、ビートルズ・ブーム以降、ロック的な音楽を国際的な主力商品にすえた。このようなロックの影響を受けた新しい若者向け音楽のスタイルを説明するための言葉として、イギリスでポップ(ポップ・ミュージック)と言う言葉が使われ始めた。ヨーロッパ各地でも、それにならった英語の音楽がつくられはじめた。このためヨーロッパでヒットする音楽の5~6割が英米の音楽で、ユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝者も過半数が英語で歌っている(1974年優勝のスウェーデンのABBAなど)。このように英米のポピュラー音楽の影響下にあるヨーロッパ産のポピュラー音楽をユーロ・ポップと呼ぶ場合がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "東側諸国の多くはロックを資本主義の退廃を象徴する音楽として弾圧したため、ロックの影響は地下化した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "1960年はアフリカの年と呼ばれ多くの国が独立したが、アフリカ独立とロックの世界的な流行は、アフリカにエレキ・ギターの急速な普及をもたらし、ナイジェリアではフェラ・クティが現れる。クティはジャズとファンクを参照しつつ強烈な政治的発言を盛り込んだ音楽を作り上げ、自らアフロ・ビートと呼んだ。目の前の不正を強烈に告発する歌詞は当局の弾圧を生んだが、クティはさらに強烈な表現で今度はその弾圧を歌にした。後続は現れなかったが、アフリカ起源のアフロ・ビートと言うジャンルは全世界に広がった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "メイン・ストリームそのもののようなミュージカルでも、ロックを取り入れた作品がいくつもつくられたが、この時期のミュージカルは筋らしい筋がなく、文学性を喪失するなど迷走が見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "シンフォニック・スコア全盛だった映画音楽界は、テレビの台頭によって衝撃を受けた。ヘンリー・マンシーニやジョン・ウィリアムズはテレビで腕を磨き、映画音楽で活躍した人たちだが、彼らはそれまでの映画音楽の伝統にとらわれることなく、時代を反映した革新的な音楽を映画に取り入れた。1960年代はヨーロッパ勢が活躍しており、「007」のジョン・バリー、「シェルブールの雨傘」のミシェル・ルグラン、「男と女」のフランシス・レイ、「荒野の用心棒」のエンニオ・モリコーネ、「ゴッド・ファーザー」のニーノ・ロータらがいる。また誕生して間もないロックを映画音楽に取り入れる試みも行われ、「卒業」や「イージー・ライダー」は当時の有名なロックをテーマ曲としていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "ムード音楽は1970年代以降、アメリカの音楽業界紙の表記に習ってイージー・リスニングと呼ばれるようになる。駅やデパートなどでのBGM使用は一般化し、単純労働の作業場でのBGMの活用が研究されるなど、この時代は音楽を人間工学的に利用しようと言う社会的な動きが存在した。この頃ポール・モーリアが登場し、68年に「恋はみずいろ」でビルボード・ホット100で5週連続1位を獲得し、年間チャートでも3位に入っているが、先述のヘンリー・マンシーニやミシェル・ルグランやフランシス・レイやニーノ・ロータの映画音楽もイージー・リスニングとしても聴かれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "黒人たちの音楽では、リズム・アンド・ブルースから発展したソウル・ミュージックの中に、ゴスペルを基盤とする熱唱系の歌や、ハードバップに起源がある強烈な16ビートを特徴とするファンクなどが現れる。熱唱系の代表はアレサ・フランクリン、ファンクの代表にジェームス・ブラウンやアース・ウインド&ファイアーがいる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "一方、ジャズはロック人気に押され、商業的な危機を迎えたため、ジャズ・ミュージシャンの中にはソウルミュージシャンの音楽を手本にする動きが出てきて、フュージョンが生まれる。これは当初はファンク・ジャズやソウル・ジャズと呼ばれていた。代表者はマイルス・デイヴィスである。エレクトリック・ギターなどの電子楽器を導入しての斬新なサウンドは、古くからのジャズファンは眉をひそめたが、ジャズと言うジャンルの延命をもたらした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "その他、ジャズの分野ではコード進行を無視したような過激な即興を特徴とするフリー・ジャズやモード・ジャズが行われているが、クラシック音楽の現代音楽同様、技法的には新しいもののあまり多くの人に受け入れられたとは言えず、ジャズは以後伝統回帰と多様化の時代となっていく。フリージャズの開拓者にオーネット・コールマンがおり、モード・ジャズはまたもやマイルス・デービスが切り開いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "アメリカのすぐ近く、カリブ海に浮かぶジャマイカは1962年にようやく独立を果たすが、伝統的なカリブ海の音楽がアメリカのソウル・ミュージックなどの影響を受け、レゲエが生まれる。レゲエはやがて60年代後半にアメリカに持ち込まれ、ソウル・ミュージックが失ってしまった精神的なメッセージの純粋さにより世界の若者をとりこにするまでになる。ボブ・マーリーが代表。同様に、プエルトリコで生まれたサルサは70年代初めにアメリカを席巻する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "61年にはアメリカ連邦通信委員会(FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局していたが、66年にはFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった。FM放送はAM放送に比べ音質が高く、より高い音質で音楽を楽しみたいという欲求を喚起し、オーディオ機器の普及をもたらした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "テープレコーダーはオープンリール式のものが主に業務用で使われていたが、63年にオランダのフィリップスがカセットテープの規格を開発・公開し、世界各国で普及し、テープそのものやカセットの機械的構造が改良されて、オーディオ用としてもつかわれるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "エレクトリック・ギターは当初はクリーンなサウンドで、アンプを通すことで単に音量を上げて弾かれていたが、ロックのギタリストたちはアンプの容量最大に音量を上げると発生する音の歪み(ひずみ)を発見し、音楽の素材として活用を始めた。60年代後半のエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスやジェフ・ベックはアンプの音量を最大にして歪ませることでロックなサウンドを生み出していた。やがて人工的に歪みをつくりだす装置のエフェクターが登場し、62年にはファズが発売され、70年代にジミ・ヘンドリックスが使用している。オーバードライブやディスト―ションはもう少し遅く、1977年と78年である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "モーグ社のシンセサイザーが1964年に発売され、使われ始めた。電子音の合成を小さなシステムで可能にしたモーグ社のシンセサイザーは電子音楽の境界線を広げた。68年にウォルター・カーロスがこれを用いてバッハの音楽を合成した LP レコードが注目された。続いて日本の冨田勲がドビュッシーの曲による合成音楽を作り、シンセサイザーの音は急速に広まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "1960年代後半に盛り上がったものは、70年代に入ると一斉に失速した。75年のベトナム戦争終結は学生運動の世界的な連帯の理由をなくし、また学生運動の暴力化や初期学生運動の担い手たちの就職に伴う転向は後継の学生たちの離反を招き、学生運動は実質的な終焉を迎える。73-74年と79-81年の2度にわたるオイルショックは世界的に続いていた戦後の経済成長を止めてしまった。東西陣営は緊張緩和の時代となり、世界は騒然とした状態からそれなりに静かな状態に移った。ソ連のアフガニスタン侵攻はデタントを崩壊させたが、そのソ連は社会主義経済の不調から内部がボロボロになっており、立て直しを図った87年からのペレストロイカは東欧諸国への締め付けを緩める結果となり、89年の東欧民主化革命とベルリンの壁崩壊、91年のソビエト連邦の崩壊へとつながっていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "ポピュラー音楽の世界も、60年代後半の途方もない盛り上がりは見られなくなる。一つはオイルショックに始まる不況がレコード会社を慎重にさせ確実に売れるアーティストだけを売るようになった点、もう一つはアメリカの音楽産業が集中化した点である。60年代末までのローカルラジオの個性的な番組は全米共通の画一的な番組に変化し、特定のファン層を対象に製造された商品としての音楽がテープで全米に配給され、一斉に流された。結果的にポピュラー音楽界は、以前の商業主義路線に回帰した形になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "商業主義路線の代表は、ディスコ(ディスコ・ミュージック)である。バス・ドラムによる一定不変のビートをアメリカ黒人のダンス音楽にくわえてリズムを単純化したもので、初めはニューヨークのゲイ・カルチャーの音楽だったが、名前の通りディスコ(DJがLPで音楽を流し、酒類が提供され、客にダンスをさせる店舗のこと)でのダンス・ミュージックだった。もともとダンスホールは生バンドの演奏が当然だったが、経費とスペースの節約のため若者向けの安直な店でレコードでの音楽提供が始められたのが最初のディスコの姿だった。ディスコはもともとレコードと言う意味のスペイン語やイタリア語である。しかしDJが客に呼びかけながらレコードをかける親しみやすい雰囲気が若者の人気を集め、レコード会社がDJが使いやすいように30cmのシングルでリズムを強調した踊りやすい音楽を提供し、それに合わせた新しい踊りが次々に出現し、77年には映画「サタデー・ナイト・フィーバー」というディスコダンスの名手を主人公にした映画が大ヒットするなどし、ディスコは大ブームとなった。70年代後半のメイン・ストリームはディスコだった。サタデー・ナイト・フィーバーに出演していたビージーズや、日本でもカバー曲が良く知られるヴィレッジ・ピープルが代表的である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "しかし、ディスコは(踊るための音楽なのでやむを得ないが)リズムは一定で、エレキ・ギターが前面に出ることはなく、歌詞もメッセージ性や過激な要素はなく、歌も特にメロディを歌い上げたりはしておらず、ロックの刺激性に慣れた人やフォークのメッセージ性に感じ入った人には明らかに物足りない。こうしたディスコに対し、音楽ファンや音楽評論家は「商業主義だ」という批判を容赦なく浴びせた。またディスコ文化に対しても、激しい反発が寄せられた。その結果、80年代に入る頃にはアメリカではディスコの人気は著しく落ち込んでいた。ただし、踊らせるための音楽は80年代を通じて存在し続け、80年代後半くらいから後述のエレクトロ・ポップの要素を取り込んでハウスと呼ばれるジャンルがニューヨークやシカゴで生まれ、イギリスを通じて全ヨーロッパに広まった。またディスコはクラブと呼ばれるようになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "75年のロック界ではハード・ロックとプログレッシブ・ロックが主流だったが、ハード・ロックのスターたちはすでに大物となり高度な演奏技術を駆使するようになっており、プログレッシブ・ロックでは高価なシンセサイザーを駆使したり現代音楽とコラボレーションしたりして芸術志向になっていた。ソフト・ロックという、美しいメロディーとコーラスを特徴とするジャンルも人気があったが、本来のロックではないと批判されてもいた。こうした状況に対し、初期ロックの率直なエネルギーの復活を目指して、パンク・ロックが起こる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "パンクはもともと「粗悪品、不良、ちんぴら」を意味する俗語で、70年代ロンドンで始まった原色に染めて逆立てた髪などを特色とする奇抜な若者ファッションを指すようになった。パンク・ロックはロックに残っていたブルース色を削ぎ落し、粗野で荒削りで急テンポの演奏を特徴としている。コードはスリーコードにパワーコードを加えた程度のきわめて簡単なものだった。ニューヨークでアンダーグラウンド的な人気を得ていたいくつかのグループにロンドンのブティック経営者が刺激を受けて、素人の少年を4人集めて75年にセックス・ピストルズをデビューさせる。彼らは破壊的な言動で世間を騒がせつつ、慢性的な不況で不満を抱える若者たちに爆発的な人気を得た。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "ロック界の新たな中心になるかに見えたパンクだったが、もともと保守層からの反発が強く演奏会場では中止運動がたびたび起きていた上、セックス・ピストルズの解散や元メンバーの殺人事件や麻薬中毒死でブームは終焉を迎え、パンクのムーブメントは78年にわずか3年ほどで幕を閉じる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "パンクの後には、ハード・ロックの延長線上にあるヘヴィメタル(アイアン・メイデンが初期の代表)や、パンクの様々な部分を引き継いだニュー・ウェイヴが現れる。もっともニュー・ウェーブは多様な傾向をひとまとめにした言葉で、シンセサイザーを駆使して商業主義的な若者向けの大衆音楽を作り出したエレクトロ・ポップからパンクの切り拓いた道をさらに先鋭化させようとしたオルタナティブ・ロックまで含んでおり、あまり適切なジャンル名ではない。ロックは再び多様化したように見えたが、60年代のような大物の登場は見られず、個性が薄れていた。レコード会社の意図通りに売れる曲をつくるロックの路線は「産業ロック」と揶揄された。78年から82年までに、レコードの売り上げとコンサートの収益がそれぞれ10億ドルも減少し、アメリカのロック音楽産業は深刻な危機に陥る。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "音楽産業の不振は、カリスマ的スターの出現と技術の進歩によって救われた。マイケル・ジャクソン、ブルース・スプリングスティーン、プリンス、マドンナはこの時期にメガビットを飛ばしたカリスマたちであると、Microsoft『Encarta2005』のポピュラー音楽の項は評している。彼らは伝統的なアメリカの社会階層を超えて幅広い聴衆を獲得した。ミュージック・ビデオの出現と、これを24時間放映するミュージック・テレビジョン(MTV)の開局(81年)は、ミュージック・ビデオの販売促進効果を実証した。CDの登場(83年)はポピュラー音楽の需要を開拓した。これらによって、音楽産業は息を吹き返したが、ごく少数のカリスマが巨大な利益を上げる傾向が定着した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "ハード・ロックの後継であるヘヴイ・メタルはMTVのバックアップを受け、白人の労備者階級のみならず中産階級にも聴衆が広がり、女性も取り込んでいった。ヴァン・ヘイレン、AC/DC、メタリカなどヘヴィ・メタル・バンドが全レコードの売り上げに占める割合は、80年代末のアメリカで40%もの高率に達した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "ラップは、ニューヨークではブロック・パーティ(黒人・カリブ海からの移民・ヒスパニックの街区で行われていた地域の野外パーティ。音楽と踊り、バーベキューや野外ゲームなども行われた。DJの使用するサウンドシステムの電源は街灯から非合法に引かれた)から74年に発生したヒップホップと言う文化の一部で、MCとよばれるボーカリストがテキストをうたわずにリズミカルにかたる(ライムという)スタイルをとり、ふつう、シンセサイザーの演奏か既存のレコードから借用した音楽の断片(サンプル)を伴奏に使う。クール・ハーク、アフリカ・バンバータといったラップのDJは、複数のレコードを同時にまわしてそれぞれの音楽の断片をくみあわせたり、レコードを手でまわして特定のフレーズを反復再生したり(バック・スピン)、針で盤面を引っ搔いてノイズによるリズミカルな効果をつくりだしたりする(スクラッチ)など、ターンテーブルの独創的な活用法を開発した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "ラップがポピュラー音楽のメイン・ストリームに仲間入りしたのは86年のことだった。この年、Run-D.M.Cがハード・ロック・バンド、エアロスミスのヒット「ウォーク・ディス・ウェイ」(1977)をラップ・スタイルでカヴァーしてリバイバル・ヒットさせ、都市の郊外高級住宅地にすむ白人中産階級のロック・ファンをラップの聴衆にとりこんだ。1980年代末にはMTVがラップ専用の番組をもうけ、M.C.ハマー(現ハマー)、ビースティ・ボーイズといった人気ラッパーは人種の別を問わず幅広いファン層をもち数百万枚単位のレコード・セールスをあげるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "70年代後半のレゲエ・ブームを先駆けとして、80年代初めにはワールド・ミュージック(ワールドビートとも言う)が人気を博した。きっかけは、ナイジェリアのキング・サニー・アデのアルバム「ジュジュ・ミュージック」(1982)のヒットだった。アフリカの伝統的な打楽器の音楽にとシンセサイザーを加えた同アルバムは、非西洋世界のポピュラー音楽に対する関心を高めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "このような中からセネガル・マリ・コンゴなど西アフリカ諸国、パキスタン・イスラエルなど西アジア~南アジア、南アフリカやジプシー音楽など、様々な国からアーティストが現れ、人気を得た。これら第三世界のアーティストの紹介にはピーター・ガブリエル、デヴィッド・バーン、ポール・サイモンといったロック・ミュージシャンも尽力し、ロックの世界的な影響力をあらためて立証した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "ピーター・ガブリエルが1982年から開催しているウォーマッドは、ヨーロッパ世界にワールドミュージックを広める牽引車として、ヌスラット・ファテー・アリ・ハーンなど多くの世界中のミュージシャンの人気を高めた。サイモンの1985年のアルバム「グレイスランド」には、アフリカやラテンアメリカのミュージシャンが共演している。彼らはこのような非西洋の音楽スタイルを取り入れて自作を発表したりもしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "アフリカへの関心と言う意味では、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダーをはじめとする45人のアーティストがチャリティとしてUSAフォー・アフリカ名義で「ウィ・アー・ザ・ワールド」を制作し、実際に印税を全てアフリカの飢餓と貧困を救うために寄付したのが85年だった。これはポピュラー音楽界にチャリティー・ブームを巻き起こした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "80年代半ば以降は東欧諸国で民主化運動が始まり、中・東欧の音楽が西側世界にも聴かれ始めた。ブルガリアの女性コーラス・グループはワールド・ミュージック・ブームのアイドルとなった。旧ソ連からはキノーが出て、ソビエト連邦を代表するロック・バンドとして西側世界に知られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "映画音楽界では、「スター・ウォーズ」でジョン・ウィリアムズが古典的なシンフォニック・スコアを復活させたのが注目される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "ミュージカルではコーラスライン、アニー、キャッツ、オペラ座の怪人、レ・ミゼラブルなどのヒット作が生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "イージー・リスニングでは、リチャード・クレイダーマンが76年にデビューし、ディスコ全盛の時代にあって、敢えてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴えるスタイルで人気となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "ポピュラー音楽は、異質な音楽が混交したり、ローカルで自発的な音楽が荒削りな状態で流行ったのちメイン・ストリームに組み込まれると言うような形で発展してきたが、アメリカ国内の黒人音楽はジャズ・ロック・ソウル・フュージョン・ディスコなど、大半が商業主義に組み込まれてしまった。マイケル・ジャクソンやプリンスも、黒人による新種の商業主義音楽と考えることができる。こうした中、ヒップホップやラップは新たなローカルと言える が、アメリカの外に活力を求めたのがワールド・ミュージックだった、ということもできる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "1979年にウォークマンがソニーから発売された。カセットテープをメディアとして使用する、ヘッドホン式の携帯ステレオの登場によって、いつでもどこでも音楽が楽しめるようになり、若者たちの圧倒的な支持をうけて大ヒット商品となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "82年にCDが登場した。レーザーによる走査によって情報を読みとるため、ターンテーブルの回転ムラによる音のひずみや針音などの雑音がさけられない従来のLPと比較し音質を飛躍的に向上できた上、摩耗による音質劣化や再生不能とは無縁となった。また、ランダムアクセス機能によって曲を任意の順序で再生できた。こうした利点からCDは徐々に販売枚数を増やし、86年には販売数がLPを抜き、90年代に入る頃にはLP自体がほとんどつくられなくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "コンピュータを音楽で活用しようとする試みは以前からあったが、80年代初頭から音楽製作の場においてデジタル技術やコンピュータ技術の導入が盛んに行われるようになった。単なる個別の機材のデジタル化を超え、シンセサイザー・シーケンサー・サンプラー・ミキサー・コンピュータなどを統合し、音楽制作のワークフローを1台で完結するデジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)の先駆けとなるシステムが現れ、シンクラヴィアやフェアライトCMIなどの初期の名機が争うように導入されたが、当初は大変高価なものだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "シンセサイザーではそれまでのアナログ式のものに代わりデジタルシンセサイザーが現れ、特にFM音源を搭載した83年発売のYAMAHAのDX-7は画期的な高性能と低価格を実現し、デジタルシンセサイザーを一般化させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "91年のソ連崩壊と冷戦の終了は世界を一つにし、95年のWindows95発売をきっかけとするインターネットの普及は社会のあり方を大きく変え、携帯電話、のちにはスマートホンの普及は若者たちの消費行動や音楽聴取のあり方を大きく変えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "90年代に入ってCDの売り上げは伸びを見せ、99年には世界的にCDの売り上げが過去最高(日本は98年が過去最高)となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "メガヒットが連発したため、歴代シングル売上ベスト50のランキングは、うち19曲が90年代~2000年代前半のものが占めている(これ以降は、ダウンロード販売が主流となるため、統計が別枠となる)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "アーティスト単位で見ても「世界で最も売れたアーティスト・ランキング!」にある31名のうち、4名はこの19曲の中に名前があり、累計で1億枚以上売り上げたとされる者も指摘できる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "ここでは歴代シングル売上ベスト50のうち90年代以降の19曲と、該当するアーティストおよび関連情報を表で示す。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "1999年に242億USドルだった世界の音楽売り上げは減少を続け、2013年には150億USドルまで落ち込み、最盛期の2/3を切っている。ダウンロード販売の割合は年々増えており、2014年にはCDとダウンロード販売のシェアが逆転した。2018年には、世界最大の家電量販店であるアメリカの「ベスト・バイ」が店舗での音楽CDの販売を終了する方針であることが明らかになった。「アルバムを作って売って活動する」というスタイルは終焉を迎えつつあり、音楽業界は「ネット販売やネット配信、YouTubeの露出で知名度を上げて、ライブに来てもらう客の数を増やす」という形式に大きく変化してきている。業界全体の売上の低迷は、ほぼそのまま音楽アーティストの活動に影響するため、今後の状況の変化は無視することができない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "IFPIによると、世界の音楽売り上げは2014年を底に回復基調にある。成長を牽引しているのはSpotifyやApple Music、Amazon Musicなどのサブスクリプション型音楽ストリーミングで、CD売上の減少をカバーする形で急成長を見せている。2019年にはストリーミングの売上シェアが音楽売上全体の56.1%となり、CDやダウンロード販売のシェアを大きく上回った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、音楽業界は新たな収入源やファンとの繋がりを模索し始めた。TikTokなどのソーシャルメディアから生まれるバイラル・ヒットがトレンドとなり、一部のアーティストはライブストリーミングによるバーチャル・コンサートを開催している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "ストリーミングサービスやメジャーレーベルが大きな利益を得る中で、中堅以下のアーティストには恩恵が十分に行き渡っておらず公平でないという批判は多く、業界団体はストリーミング報酬の引き上げを求めるキャンペーンを行っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "メイン・ストリームと独立系小レーベルの対立、メインストリームによる非主流派の取り込み、しかしそうした中でも受け継がれているもの(1920年代のティン・パン・アレーの歌曲形式と滑らかでロマンティックなボーカル・スタイル、アフリカ系アメリカ音楽の強力なノリやバックビート(あと乗りのビート)、掛け合いの形式、濃密な情感、あるいはイギリス系アメリカ音楽の詩的なテーマやバラード形式など)は現在でも健在であり、アメリカ・ポピュラー音楽は表面上のスタイルが変わったりヒットソングが入れ替わったりしても、全体として強固な連続性を保っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "ポピュラー音楽に含まれるジャンルを、カテゴリー別に示す。", "title": "ポピュラー音楽の大まかなジャンル" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "この場合の「ポピュラー音楽」は、歴史の項と同様、「アメリカを中心に世界的な広がりを見せている商業音楽」およびその前身である。", "title": "ポピュラー音楽の大まかなジャンル" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "カテゴリーもそれぞれのジャンルも概ね登場順に並んでいる。", "title": "ポピュラー音楽の大まかなジャンル" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "個別的なジャンル名を全て列挙するのが目的ではないので、ここでは主なもののみ示している。", "title": "ポピュラー音楽の大まかなジャンル" } ]
ポピュラー音楽(ポピュラーおんがく、は、広く人々の好みに訴えかける音楽のことである。
{{redirect|大衆音楽|PEOPLE 1のアルバム|大衆音楽 (PEOPLE 1のアルバム)}} {{redirect|ポップソング|米津玄師の曲|POP SONG}} {{複数の問題|独自研究=2018-06|出典の明記=2018-06}} {{読み仮名|'''ポピュラー音楽'''|ポピュラーおんがく|{{lang-en-short|popular music}}、ポピュラー・ミュージック}}は、広く人々の好みに訴えかける音楽のことである<ref name="o_one">Oxford Dictionaries. "music appealing to the popular taste"</ref>。 == 概説 == ポピュラー音楽とは、何らかの「広く訴求力のある」[[音楽のジャンル一覧|音楽ジャンル]]に属す<ref name="NewGrovev15p87"/><ref>[http://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/popular-music popular music]. CollinsDictionary.com. Collins English Dictionary - Complete & Unabridged 11th Edition. Retrieved October 01, 2012</ref>、人々の好みに訴求した、あらゆる時代の音楽を包括的に指す用語<ref>Allen, Robert. "Popular music". ''Pocket Fowler's Modern English Usage''. 2004.</ref>、等と定義づけられ、具体的には[[ロック (音楽)|ロック]]、[[ポップ・ミュージック|ポップ]]、[[ソウルミュージック|ソウル]]、[[レゲエ]]、[[ラップ]]、[[ダンス・ミュージック]]などが例としてあげられる<ref name="o_two">Oxford Dictionaries. " including rock and pop and also soul, reggae, rap, and dance music"</ref>。アメリカ合衆国のポピュラー音楽が今日に至るまで与えた影響は大きい。初期の多くのポピュラー音楽の特徴はその当時の[[クラシック音楽]]と共有する要素が多かったが、それらは簡潔でシンプルであったので決まり事が少なかった<ref>{{Cite web|title=Definition of POPULAR MUSIC|url=https://www.merriam-webster.com/dictionary/popular+music|website=www.merriam-webster.com|accessdate=2020-07-28|language=en|publisher=Merriam-Webster, Incorporated|quote="popular music": music written and marketed with the intention of achieving mass distribution and sales now principally in the form of recordings Though many early pieces of popular music shared general features with classical music of the day, they were briefer and simpler, making fewer demands on both performer and listener. — Gregory D. Boothe et al., Musical Quarterly, Vol. 74 No. 3, 1990}}</ref>。 {{仮リンク|音楽産業|en|Music industry|preserve=1}}を通して多数の聴衆に配給されるものが典型的であり、[[現代の音楽#芸術音楽|芸術音楽]]とは区別される。{{仮リンク|伝統音楽|en|traditional music|preserve=1}}のように典型的には学術的な形態によって伝えられたり口承によって小規模の局地的に限定された聴衆に広められる音楽とも対照的な存在である<ref name="arnold_vol1">{{cite book|last=Arnold|first=Denis|title=The New Oxford Companion Music, Volume 1: A-J|publisher=Oxford University Press|page=111|year=1983|isbn=0-19-311316-3}}</ref><ref name="arnold_vol2">{{cite book|last=Arnold|first=Denis|title=The New Oxford Companion to Music, Volume 2: K-Z|publisher=Oxford University Press|page=1,467|year=1983|isbn=0-19-311316-3}}</ref><ref name="analysing_pop_music">{{Citation|last=Tagg|first=Philip|title=Analysing Popular Music: Theory, Method and Practice|periodical=Popular Music|issue=2|year=1982|page=41}}</ref>。 この用語はもともと、1880年代の[[アメリカ合衆国]]で[[ティン・パン・アレー]]の音楽を指したものであった<ref name="NewGrovev15p87">''[[:en:The New Grove Dictionary of Music and Musicians|The New Grove Dictionary of Music and Musicians]]'', volume 15, p.87 entry ''Popular music'' quotation: {{quotation|...music of, and since, the 'TIn Pan alley' era, i.e. the 1880s onwards in the USA and the early years of the 20th century in Europe. [] the music that, with the growth of industrialization in the 19th century, began to develop distinctive characteristics in line with the tastes and interests of the expanding urban middle classes.}}</ref>。 また、[[日本]]ではポピュラー音楽を指して[[和製英語]]で「ポップス」とも呼称する<ref name=":16" />。 [[アメリカ合衆国]]では「pops」という語は[[ボストン・ポップス・オーケストラ]]のように[[オーケストラ]]がポピュラー音楽や[[映画音楽]]などを演奏することを示す<ref name=":16">{{Cite web|和書|title=ポップス(ぽっぷす)とは? 意味や使い方 |url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9-630821 |website=コトバンク |access-date=2023-09-30 |language=ja |first=精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典 |last=第2版,音楽用語ダス}}</ref>。また俗語で「おやじさん」の意味を持つため、ジャズやポピュラー音楽界では特に勢力のあるリーダーや大人物に対する愛称としても使われる<ref name=":16" />。 == 歴史 == {{seealso|音楽史#ポピュラー音楽史}} 「ポピュラー音楽」という言葉には、広い意味・狭い意味・その他諸々異なった意味合いがあり、文脈によってこの広がりが変わったりずれたりということが起き、定義を難しくしている<ref>{{Cite web|和書|title=Harumichi YAMADA: 1996: 特別講義「ポピュラー音楽史概説」の概説 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/96pmk.html |website=camp.ff.tku.ac.jp |access-date=2023-09-30}}</ref>。 ここではポピュラー音楽を「アメリカを中心に世界的な広がりを見せている近代的な商業音楽」とやや狭く定義<ref>{{Cite web|和書|title=Harumichi YAMADA: 1996:特別講義「ポピュラー音楽史概説」の概説 |url=http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/96pmk.html |website=camp.ff.tku.ac.jp |access-date=2023-09-30}}</ref>し、その歴史を記載する。広義のポピュラー音楽に含まれるがこの項では扱われない音楽に関しては、[[民俗音楽]]・[[民族音楽]]および各国の音楽の項などを参照されたい。 === ポピュラー音楽の源泉 === ポピュラー音楽のルーツとして、19世紀後半のヨーロッパの[[大衆音楽]]、カリブ海及び南米の混血音楽、アメリカで誕生した音楽の3つが指摘できる<ref name=":0">中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書</ref>。 ==== 19世紀後半のヨーロッパの大衆音楽 ==== 19世紀後半、ヨーロッパでは資本主義の興隆によって豊かな中産階級の拡大と都市部への労働人口の流入が見られた。中産階級はワンランク上の生活に憧れオペラ劇場に定席を得たり子女にピアノを習わせたりすることがステータスとなり、労働者たちは生活の安定と余暇の充実に伴って娯楽として音楽を楽しむ習慣が広まり、クラシック・大衆音楽とも大幅に聴衆を増やし、現代に近い形で多くの人の生活に音楽がとりいれられるようになった<ref name=":1">平凡社『世界大百科事典』の「ポピュラー音楽」の項。</ref>。こうした中で、主に都市部で盛んになった大衆音楽が、のちのポピュラー音楽に大きな影響を与えている。 ===== 社交ダンス ===== ヨーロッパではもともと[[ダンス]]が盛んで、民俗音楽の中にも多くの踊りが見られる<ref>平凡社『世界大百科事典』より「社交ダンス」の項。</ref>が、そこから変化した[[ワルツ]]、ワンステップなどの[[社交ダンス]]の音楽が、ギターやアコーディオンを含むバンドで演奏されるようになった<ref name=":1" />。ワルツは、オーストリアの山岳地方の舞曲[[レントラー]]が洗練・発展したものだが、ヨーロッパ中に熱狂的に広まり、19世紀を代表する舞曲となった。 ===== オペレッタ<ref>平凡社『世界大百科事典』より「オペレッタ」の項。</ref> ===== 18世紀にはすでに[[バラッド・オペラ]](イギリス)、[[ジングシュピール]](ドイツ)、[[オペラ・コミック]](フランス)のような、民謡(または民謡風の単純な歌)を材料にした親しみやすいオペラが人気だったが、19世紀には喜劇的な内容の親しみやすいオペラが[[オペレッタ]](軽歌劇)という名で人気を集めるようになった。[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]の「[[地獄のオルフェ]]」や[[フランツ・フォン・スッペ|スッペ]]の「[[軽騎兵 (オペレッタ)|軽騎兵]]」や[[ヨハン・シュトラウス2世|J・シュトラウス2世]]の「[[こうもり (オペレッタ)|こうもり]]」や[[フランツ・レハール|レハール]]の「[[メリー・ウィドウ]]」などが挙げられる。 ===== パーラー・ミュージック<ref name=":0" /><small>({{lang-en-short|[[:en:Parlour music|parlour music]]}})</small> ===== 「パーラー」は「応接間」のこと。中産階級女性の間で盛んだったもので、家庭のパーラー(談話室)で家族や知り合い同士で、ピアノやギターなど家庭にあるような楽器で伴奏され歌われた。1曲1枚のシートミュージックと言う楽譜の形で販売された。 ===== ミュージック・ホール ===== [[ミュージック・ホール]]とは、客が飲食を摂りながら音楽を楽しむことを目的とした施設で、パブで歌で客をもてなしたのが起源<ref name=":1" />。1852年、イギリス最初の専用のホールとしてロンドンに開かれたカンタベリー・ホールは、客が飲食をとるために椅子とテーブルを並べた部分と舞台とをもっており、以後、同種のホールが全国につくられた。当初は大工業都市の労働者のビア・ホールとして生まれたものだったが、19世紀後半には飲酒よりも娯楽の方が重要になり、ユーモラスで風刺的または感傷的な歌からなる演芸を提供した<ref name="名前なし-1">平凡社『音楽大事典』より「ポピュラー音楽」の項。</ref>。音楽だけでなく踊りやコントや手品、動物の芸、アクロバットなども演じられ、人気を博していた<ref name=":2">平凡社『世界大百科事典』の「ミュージック・ホール」の項。</ref>。1868年にはイギリスには500を超えるミュージック・ホールがあった<ref name=":1" />。パリの[[ムーラン・ルージュ]]もミュージック・ホールである<ref name=":2" />。 ===== シャンソン ===== 現代大衆歌謡としての[[シャンソン]]は19世紀後半から20世紀初頭にかけて確立され、演劇的表現スタイル、反権威的現実主義、[[ミュゼット]](同時代に誕生したダンス音楽)のアコーディオンと3拍子を伝統とする<ref>Microsoft『Encarta2005』の「シャンソン」の項。</ref>。パリやベルリンのキャバレー・カフェ・[[レヴュー (演芸)|レビュー]]小屋などで盛んに歌われた<ref name=":1" />。 こうした当時の大衆歌謡は、クラシック歌曲の通俗版としての性格をもち、歌い手も美しい声ではっきりと歌うのが普通だった<ref name=":1" />。 現在「スコットランド民謡」「アイルランド民謡」などとして知られている曲の多くは、この時代にパーラー・ミュージックや酒場やミュージック・ホールの歌として人気を得たものが多く、「[[蛍の光]]」「[[庭の千草]]」「[[ダニー・ボーイ]]」「ホーム・スイート・ホーム」「[[アニーローリー]]」などが該当するし、フランスのシャンソンも古いもの(「[[さくらんぼの実る頃]]」など)は該当する。ロシア民謡として日本で知られている歌も、この時代の言わば歌謡曲が多く、「[[一週間 (ロシア民謡)|一週間]]」「[[カリンカ]]」「[[トロイカ]]」「[[コロベイニキ|コロブチカ]]」などはこの時代のものである。これらの中には売ることを目的に作曲されたものと、本当に民謡を手直ししたものが混在している。民俗音楽とポピュラー音楽の境界線はまだ曖昧であった<ref name=":0" />。 ==== 植民地の混血音楽 ==== 当時たくさんあった植民地では、都市部の中産階級はヨーロッパの芸術音楽や大衆音楽をそのまま持ち込み<ref name=":1" />、農村部ではヨーロッパの民俗音楽がそのまま持ち込まれていた。が、植民地での都市の発展の中で形成された周辺部のスラム地区で、黒人や先住民の音楽とヨーロッパ系の音楽が融合して新たな音楽が生まれる現象が様々な植民地で見られている。担い手は船乗りや日雇労働者、賭博師、売春婦などのいわゆる[[ルンペンプロレタリアート]]層であった。リズムの肉体性・わざと濁らせた音色や声色・楽譜通りではない何らかの即興性などの要素を特徴とする。こうした音楽はその地域のエリート層からは下級な音楽として蔑視されたが、後にヨーロッパの民衆によって価値が見いだされて世界的な流行音楽となっていった例が多い。この種の音楽の最初期のものはスリランカとインドネシアで見られるが、後のポピュラー音楽に大きな影響を与えたのはカリブ海および南米地域のものである。 ===== 黒人音楽の要素 ===== アメリカ大陸に連れて来られた黒人の多くは西アフリカ地域の人たちだったが、アフリカの音楽には広く[[ポリリズム]]の要素が見られ<ref>平凡社『世界大百科事典』の「アフリカ」の項。</ref>、特に西アフリカの音楽はホットでテンポも速く、また数人の奏者による打楽器アンサンブルがよく見られる<ref>Microsoft『Encarta2005』の「アフリカの音楽と舞踊」の項。</ref>。中には太鼓だけではなく、金属製の打楽器も入ってリズムを明確にすることも見られる。もちろんアフリカを離れてから何世代も経ており、西アフリカの民族音楽そのままではありえないものの、根底にある「身体の奥からゆさぶってくれるようなビート」は明らかに「肉体の解放による喜びと高い精神的な喜びを合一させた」アフリカのダンス音楽のものであり、この要素はその後のポピュラー音楽まで確実に影響している<ref name=":0" />。 ===== カリブ海地域 ===== 西インド諸島では先住民がほとんど全滅しており、白人と奴隷の黒人が暮らしていた<ref>平凡社『世界大百科事典』の「カリブ海」の項。</ref>。黒人音楽とヨーロッパ音楽が融合して生み出された音楽の中で、最初に世界的に流行したのは[[ジャズ]]ではなく、キューバの[[ハバネラ]]、中でもスペイン人の[[セバスティアン・イラディエル|イラディエール]]が作曲した「[[ラ・パロマ]]」だった。イラディエールは若いころに数年間キューバに住んだことがあり、そこで接したハバネラのリズムを自作に取り入れて発表し、世界的に大人気となるのみならず、様々な国の音楽に影響を与えた。ハバネラのリズムの影響はアメリカのジャズ、イタリアの「[[オー・ソレ・ミオ]]」、トルコからギリシャにかけて伝わるシルトースという踊りのリズム、アルゼンチンの[[タンゴ]]などに見られる。またジャズ発祥の地のニューオーリンズに移植された黒人奴隷の大部分は、スペイン領キューバ、フランス領ハイチなどから購入されたものであった<ref name=":0" />。 ===== 南米地域 ===== 南米は全般に先住民・白人・黒人の三者が混交し、[[メスティーソ]](先住民+白人)・[[ムラート]](白人+黒人)・サンボ(先住民+黒人)などの集団が存在する<ref>平凡社『世界大百科事典』の「ラテン・アメリカ音楽」の項。</ref>。音楽もメスティソ系とムラート系に分けられるが、それぞれの存在の比率により、メスティソ系(白人の要素が強い、メキシコ・アルゼンチンなど)・メスティーソ系(先住民の要素が強い、ペルー・ボリビア)・ムラート系(ブラジル海岸部・カリブ海地域)などと分けられる。 ブラジルでは18世紀にルンドゥーという踊りの音楽が成立し、最初は野卑なものとして上・中流階層の非難を浴びたが、やがて洗練されて都会的な歌謡形式へと変化した。このルンドゥーは19世紀半ばに同じブラジルで生まれた[[ショーロ]]と混交し、19世紀終わりごろに[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]へと発展する。またアルゼンチンではハバネラのリズムの影響のもと、19世紀末にタンゴが生まれている。タンゴもまた世界的に広まったので例えば日本の演歌などにも影響を与えており、民衆の音楽のグローバリゼーションの最初の例と言われている。もっとも有名なタンゴ「[[ラ・クンパルシータ]]」は、24時間365日常に世界のどこかで必ず演奏されているとの伝説もあるほどである。 ルンドゥーもハバネラも付点8分音符と16分音符を組み合わせた軽く跳ねるリズム感をもち、ポルトガルもしくはスペインの音楽にアフリカ的リズム感を加味したものと考えられるが、これがその後のラテン・アメリカの音楽の基調となった。ショーロやタンゴやサンバ、後に現れるキューバの[[ルンバ]]などもこのリズムの延長上にあると言える。 このようなカリブ海地域・南米地域の音楽は[[ラテン音楽]]などと呼ばれるが、これがポピュラー音楽の歴史上の要所要所で大きな影響を与え続けることになる。後にはキューバから[[マンボ]]や[[チャチャチャ]]、トリニダード・トバゴから[[カリプソ (音楽)|カリプソ]]、マルティニーク島とセント・ルシアから[[:en:Beguine (dance)|ビギン]]、ブラジルから[[ボサノヴァ]]、ジャマイカから[[レゲエ]]などが生まれ、世界的にも流行している<ref>音楽之友社『音楽中辞典』の「ラテン・アメリカ音楽」の項。</ref>。なお、先の分類でいえばムラート系の影響が勝っていることには留意すべきであろう。 ==== 19世紀後半までのアメリカの音楽の状況 ==== アメリカはイギリス・アイルランドを中心とする白人移民の国だが、南部を中心にカリブ海地域から輸入された黒人奴隷を多く抱えており、それぞれの音楽を持ち込んでいる。このためアメリカは、ヨーロッパ型の芸術音楽と大衆音楽、植民地型の混血音楽の双方を国内に抱えることとなり、独自の発展を遂げていく<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ポピュラー音楽」の項、および中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書。</ref>。 ===== 植民当初から19世紀初期までの状況 ===== 植民地時代、白人入植者社会の音楽の大半はイギリスから輸入された世俗音楽や礼拝用音楽だった<ref>Microsoft『Encarta2005』の「アメリカ音楽」の項。</ref>。18世紀半ばには東海岸ニューイングランドでオリジナルの讃美歌をつくる動きが出てきてアメリカ独自の音楽表現が生まれたが、芸術音楽はヨーロッパ出身者が依然として主導権を握っており、18世紀末にアメリカで一番人気があった曲はイギリスのイギリスの職業作曲家がロンドンの遊園地で行楽客に聴かせるために書いた歌や、英語のバラッド・オペラやコミック・オペラの中でうたわれた歌であったようである。19世紀初めにはイタリア・オペラも人気を博し、[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]、[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]]、[[ガエターノ・ドニゼッティ|ドニゼッティ]]らイタリアのオペラ作曲家のアリアが、シート・ミュージックのかたちで発売されている。こうした状況を象徴するのがアメリカ合衆国国歌である「[[星条旗 (国歌)|星条旗]]」(1814年)、独立革命中の流行歌「[[ヤンキードゥードゥル|ヤンキードゥードル]]」(1780年ころ)、準アメリカ合衆国国歌「[[My Country, 'Tis of Thee|アメリカ]]」(1831年)が全てイギリス起源の曲だということである。ただ、アメリカ独自の表現を求める努力は続いており、ニューイングランドですたれた讃美歌づくりはアメリカ南部に伝えられ、「[[アメイジング・グレイス]]」などの今日でも歌われる讃美歌を生み出しており、またローウェル・メーソンは1838年にボストンの公立学校に音楽教育を導入したほか、讃美歌を1200曲以上作曲している。 ===== アメリカ民謡の誕生 ===== 農村部では、アメリカ南東部のアパラチア山脈周辺でスコットランド民謡やアイルランド民謡などの[[ケルト音楽]]がアメリカ民謡の下地となっていく<ref>平凡社『世界大百科事典』の「カントリー・ミュージック」の項、および中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書。</ref>。これらは[[フィドル]](ヴァイオリン)やギターや[[ダルシマー]]で伴奏されていたが、やがて黒人音楽との接触からブルースの感覚や[[バンジョー]]というアフリカ起源の楽器を取り入れたり、スイスの[[ヨーデル]]やチェコの[[ポルカ]]の要素を取り入れたりし、[[ブルーグラス]]や[[カントリー・ミュージック|ヒルビリー]]や[[カントリー・ミュージック|カントリー]]などと呼ばれるジャンルのもとになっていく。 ===== ミンストレル・ショー ===== ミンストレル・ショー<ref>平凡社『世界大百科事典』の「ミンストレル・ショー」の項。</ref>とフォスター<ref>音楽之友社『音楽中辞典』より「フォスター」の項。</ref>とヴォードヴィル<ref name="名前なし-2">Microsoft『Encarta2005』より「ボードビル」の項。</ref>。 都市部では、イギリスと同様にパーラー・ミュージックやダンスホールの音楽やオペレッタが流行しており、イギリスものが主流で専門家もロンドンで修業してくる流れが続いていたが<ref name="名前なし-1" />、1820年ころに[[ミンストレル・ショー]]という、白人が顔を黒く塗って黒人の真似をする差別的な喜劇が成立する。各自バンジョー・ヴァイオリン・タンバリン・ボーンズ(馬の骨などで作った一種の打楽器)で演奏しながら、コミカルな歌やセリフのやり取りをした。この頃は新移民として東欧(ロシア・ポーランド)や南欧(イタリア・ギリシャ)からの移民が急増しており、彼らは旧移民のように土地や農場を持つこともできず多くは都市の下層労働者となり、旧来の[[WASP]]と対立していた。このような新移民たちの間で、黒人を軽く見下して憂さ晴らしできるミンストレル・ショーは受け入れられていた。アメリカポピュラーソング史上最初の国際的なヒットはミンストレル・ショーから出たトマス・ダートマス・ライトの「[[ジム・クロウ|ジャンプ・ジム・クロウ]]」(ミンストレル・ショーの代表的な黒人キャラクターの名)である。その音楽の多くは楽譜が出版されて商業的に成功し、アメリカの初期のポピュラー音楽をけん引し、19世紀半ばに最盛期を迎えたが、南北戦争や奴隷解放を経てミンストレル・ショーの人気は陰り、商業的には1910年ころに終焉を迎えた。 こうしたミンストレル・ショーの中から、[[スティーブン・フォスター|フォスター]]が現れる。彼はミンストレル・ソングを書くところから経歴をスタートさせており、「[[おおスザンナ]]」「[[草競馬 (歌)|草競馬]]」「[[故郷の人々]](スワニー河)」「[[主人は冷たい土の中に|主人は冷たい土の下に]]」「[[ケンタッキーの我が家]]」などは全てミンストレル・ショーのための作品である。やがてミンストレル・ソングに作曲することを恥じ、中流階級向けのパーラー・ソングに脱皮すべく方向転換し、「[[金髪のジェニー]]」「[[夢見る人|夢路より]]」などを残した。当時作曲家の地位は低く、低収入にあえいでいたフォスターは37歳で非業の死を遂げたが、作品の多さと現在でも歌われている親しみやすさ・その後に与えた影響から、「アメリカ音楽の父」「ポピュラー音楽の先駆者」と呼ばれている。彼の歌の作り方を、次代のポピュラー音楽の作曲家たちはこぞって「フック」(聴き手をとらえる印象的なメロディ。いわゆる「サビ」)の手本にした<ref name=":4">Microsoft『Encarta2005』の「ポピュラー音楽」の項。</ref>。 同じころ、いくつかの独立した出し物からなる舞台芸能や、軽わざ師、音楽家、コメディアン、手品師、魔術師などからなる芸人のショーが[[ヴォードヴィル]]と呼ばれるようになった。イギリスのミュージック・ホールに当たるものであり、寄席演芸劇場と訳される。こうした家族で楽しめる娯楽場をアメリカに広めた最初の人物は、俳優で劇場支配人であったトニー・パスターで、1881年、ニューヨーク市の[[14丁目劇場]]でバラエティショーをおこなった。ヴォードヴィルは20世紀初頭にはアメリカで一番人気のある芸能となった。 ===== 黒人霊歌 ===== 黒人たちには18世紀後半あたりからキリスト教が普及し、白人たちもこれを黙認あるいは推奨するようになった<ref>平凡社『世界大百科事典』の「黒人霊歌」の項。</ref>とゴスペルとブルース<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ブルース」の項。</ref>。黒人たちも讃美歌で礼拝を行うようになったが、彼ら固有の音楽的な伝続からか、活気あるリズム・[[コールアンドレスポンス|交互唱]]・叫ぶような唱法など、相当荒々しい形で礼拝を行っていたようである。奴隷だった黒人たちにとっては、教会での礼拝は唯一白人の監視がなく過ごせる場所であり、社交とエンターテインメントの場所でもあった。日曜日の黒人の礼拝のようすを描写した当時の記録によれば、輪になって踊りながらすり足で時計と反対方向に回り、リーダーと会衆とが掛合いで歌い(交互唱)、興奮が高まって憑依状態に達することもあった(リング・シャウトという)。歌といっしょに指をパチパチ鳴らしたり、手拍子をうったり、床を踏みならしたりということも見られ、その中にはポリリズムが含まれる。こうした黒人たちの讃美歌は、白人の讃美歌の歌詞や旋律を黒人のリズム・交互唱・シャウトにはめ込んだものと言える。 1863年の奴隷解放以後には、そこから[[霊歌|黒人霊歌]]と呼ばれるジャンルが生まれる、これは白人がリーダーになってヨーロッパの讃美歌風の和音をつけ、楽譜として売り出したものであり、多くの曲が知られているが純粋に黒人のものとは言えず、黒人の礼拝から再度白人の要素を重点的に抽出したものと言える。それに対して黒人たち本来のものに近い讃美歌は[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]と呼ばれ、南部および北部・東部都市の黒人居住区に数多く生まれた黒人教会を拠点として独自の宗教音楽が発展を続けた。 同じく奴隷解放後には、南部農業地帯の黒人たちが抑圧の中で味わった個人的感情を呟くように吐き出す歌として[[ブルース]]が発生し、ギターの伴奏を伴う中でヨーロッパの和声構造を身につけていく。標準的なブルースの定型は、A A B の3行から成る詩を12小節に収め、各行ごとに後半でギターが歌の間に即興的に割り込む形になっている。音づかいとしては[[ブルー・ノート・スケール]]と呼ばれる黒人音楽の特質を示す音階(ミとシ(さらにソも)がときに低めの音になる)に特徴がある。 ===== 吹奏楽の流行 ===== アメリカではイギリスやヨーロッパの影響で、18世紀末ころから鼓笛隊などが生まれ、南北戦争の頃にブラスバンドが盛んになり、19世紀後半には博覧会場や公園などで演奏する商業バンドが発達した<ref>Microsoft『Encarta2005』の「吹奏楽」の項。</ref>。特にアメリカ海兵隊バンドの楽長だった[[ジョン・フィリップ・スーザ]]が退役してつくったスーザ吹奏楽団が1892年に活動を開始すると、その演奏水準の高さから大人気となった。19世紀末にアメリカで一番有名だった音楽家は、「行進曲王」の名で世界に知られたスーザだった。同じ頃、バス・ドラムの上にシンバルをセットしたり、バス・ドラムをペダルで演奏する[[ドラムセット]]の基本アイデアが生まれ、リズムセクションの人数を減らすのに貢献した<ref>ウィキペディア各国語版「ドラムセット」の項など。</ref>。 ===== ヨーロッパからの移入文化 ===== 19世紀後半、東部の都市では、[[ヨハン・シュトラウス2世|J・シュトラウス2世]]や[[フランツ・レハール|レハール]]や[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]、それにロンドンの[[ギルバート・アンド・サリヴァン|ギルバートとサリバン]]によるオペレッタが移入され、人気を博した<ref name="名前なし-3">Microsoft『Encarta2005』より「ミュージカル」の項。</ref>。 同じ時期、物語性がなく、歌、ダンス、コメディの寸劇などが演じられるショーとして、[[レヴュー (演芸)|レビュー]]が劇場や上流階級用のサロンなどでもてはやされていた。レビューは語源的には〈再見〉を意味するフランス語がジャンルの名となったもので、1820年代のパリで年末にその年のできごとを風刺的に回顧するために演じられた出し物を起源とする。その後、上演時期に関係なく、おおむね風刺的な内容の短い場面をつないだ芸能を指すようになった<ref>平凡社『世界大百科事典』より「レビュー」の項。</ref>。 ワルツ王J. シュトラウスは、〈[[ウィンナ・ワルツ]]〉の名曲を数多く作ったが、熱狂的にヨーロッパに広がったこのワルツはアメリカに渡り、ゆるやかなボストン・ワルツが生まれた<ref>各種事典「ワルツ」の項。</ref>。 18世紀末から19世紀末にかけて、アメリカの領土は約3倍に、人口は移民や新領土獲得に伴う増で約14倍になっている<ref>Microsoft『Encarta2005』の「アメリカ合衆国の西部への領土拡大」の図版で、1790年のアメリカ建国時の人口が392万9214人、1880年の人口が5015万5783人と示されている。またNHK高校講座世界史第28回アメリカ合衆国の発展では「アメリカは独立から約100年で、領土は3.4倍に、人口は約14.3倍に増えたんです。」としている。https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume028.html</ref>。こうした中で文化的な統一など望むべくもないが<ref>平凡社『世界大百科事典』の「アメリカ合衆国」の項に、「移民はアメリカ社会に同化することを目的とした。しかし同化の速度は集団によってまちまちであった。〈新移民〉は〈旧移民〉ほど速く同化できなかったし,有色人種は白人のように簡単には同化できなかった。」とある。</ref>、このように様々な民俗音楽の伝承が相互接触して文化変容するところから、多様なジャンルが生まれてくることになる。 === ポピュラー音楽の誕生-19世紀末から1920年代 === 最初に定義したポピュラー音楽の「近代的な商業音楽」という要素が明確になるのが、1880~90年代の「音楽の商品化システム確立」である。この商品化システムは、自然発生的でローカルな他ジャンルを取り込みつつ発展していく<ref name=":1" />。アメリカは第1次世界大戦の影響をほぼ受けておらず、史上最高の繁栄を見せた時期だったこともこれを後押しし<ref>平凡社『世界大百科事典』より「アメリカ合衆国」の項の「経済・産業」の部分に「南北戦争後30年を経た94年には,その工業生産額が一躍,イギリス,ドイツ,フランスの生産額合計を上回る世界最大の工業国となり,さらに20年後には世界における工業生産能力の約3分の1を占めるまでになった。」「第1次世界大戦以後1920年代にかけて,アメリカ経済は未曾有の繁栄期を迎えた。」とある。</ref>、第1次世界大戦後から大恐慌までの戦後の繁栄と享楽は「[[ジャズ・エイジ]]」とも呼ばれる<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ジャズ・エージ」の項。</ref>。 ==== ティン・パン・アレー<ref name=":1" /> ==== フォスターの時期、つまり19世紀半ばにすでに幅広い活動を行っていた楽譜出版業界は、1880~90年代にはニューヨーク、特にマンハッタンの下町の〈[[ティン・パン・アレー]]〉と呼ばれる通りに集中し、音楽を商品化するシステムを確立した。業者が作詞家に具体的な詞の内容にまで注文をつけて作詞させ、作曲家にも細かい指示のもとに作曲させて、その曲を楽譜に印刷して販売し、曲が話題になるように宣伝マンに店先などで歌わせ、その曲が人々に広く歌われれば楽譜が売れて商業的に成功する、という仕組みだった。 この商品化のシステムでは、最初から流行しそうな曲を作詞家作曲家に書かせるための〈プロデュース〉と、それを多くの人に覚えてもらい流行させるための〈プロモーション〉という二つの作業が重要なポイントとなる。プロモーションがうまく行くよう、その曲を人気芸人に歌ってもらい、それに対して謝礼を支払うのを〈ペイオーラ〉と呼んだ。〈ティン・パン・アレー〉は直訳すれば「錫鍋小路」となり、それぞれの会社で試演を行っていたため大変にぎやかだったことからついた名前であるが、のちにポピュラー音楽業界を指すようにもなった。 曲は8小節×4行の32小節が標準で、ティン・パン・アレーの出版社が楽譜を売り、レコード会社はオーケストラ伴奏で録音し、片面1曲ずつのシングル盤として売り出すのが当時の典型的な発表方法だった。このような形の音楽が[[ポップ・ミュージック|ポピュラー・ソング]]と呼ばれ、このティン・パン・アレーによって生産される音楽が「[[メインストリーム]]」(主流)音楽として幅を利かせ、彼らの確立した生産・販売システムは、その後レコード業界にも踏襲され、1950年代半ばまでアメリカ音楽業界を支えた。この「ポピュラー・ソング」は、最狭義のポピュラー音楽の定義でもある。 こうしたシステムのもと、チャールズ・K・ハリス作の「[[舞踏会のあとで]]」(1892)の楽譜は史上はじめてミリオン・セラーを記録し、楽譜出版産業の急成長をうながした。同時期に大衆芸能の主流となったヴォードヴィルでは、人気歌手たちが全米を巡業して、ティン・パン・アレー産の歌を大衆に普及させた。 ティン・パン・アレー流の商業主義路線はアメリカのポピュラー音楽の特徴で、ヨーロッパのような「国民の大多数に共通の文化基盤」が存在しないアメリカでは、自然発生的に何かの音楽が大流行と言うことは大変起こりにくく、楽譜会社・のちにはレコード会社が企画して流行らせる音楽がメインという状況が続いていく。もちろん意図しないところから意図しない曲が大流行することはあり、またティン・パン・アレー側の企画も大外れする場合も多く、常にうまく行っているわけではなかったが、ニューヨークの音楽会社が商業的に流通させるのがアメリカのポピュラー音楽だ、と言う流れはこの頃に確立した。 ==== ミュージカル<ref name=":10">平凡社『大百科事典』より「ミュージカル」の項。</ref>==== [[ミュージカル]]は「ミュージカル・コメディ」の略。19世紀半ばに現れ、20世紀前半にニューヨークの[[ブロードウェイ (ニューヨーク)|ブロードウェイ]]を中心にしてアメリカで発展した。オペレッタ、パントマイム、ミンストレル・ショー、ヴォードヴィルなど、19世紀のさまざまな演劇から影響をうけて成立した。元来はコメディの名の通り、他愛のない喜劇的な物語をもっぱら扱っていたが、内容が深刻さを増したり、本格的な演劇性を獲得したりするにつれ、単にミュージカルと呼ばれるようになった。分かりやすい物語と親しみやすい音楽、時にはスペクタクル溢れる装置やコーラス・ガールの肉体的魅力などの視覚的要素で観客にアピールする、ショー・ビジネスが盛んなアメリカにふさわしい、費用の掛かる贅沢な舞台芸術である。 当初はその名の通り、形ばかりの物語で歌や踊りをつないだたわいのない恋愛劇や笑劇と、ヨーロッパ出身の作曲家によるオペレッタ風の作品が多かった。しかし1927年の「[[ショウボート (ミュージカル)|ショウボート]]」で、現実感のある舞台に人種差別などの社会問題を盛り込んだ物語でミュージカルに文学性が持ち込まれ、以後は都会的機知と文学性に富んだミュージカルが多く作られた。 ==== ジャズの誕生 ==== 黒人たちの音楽では、1890年代に[[ラグタイム]]が誕生した<ref name=":5">Microsoft『Encarta2005』より「ジャズ」の項目、および平凡社『世界大百科事典』より「ジャズ」の項目。</ref>。これは、ピアノの右手にアフリカ音楽に起因する[[シンコペーション]]を多用したメロディ、左手にはマーチに起因する規則的な伴奏を組み合わせたもので、ミンストレル・ショーの歌を母体に発展してきた。1900年前後に活躍していた[[スコット・ジョプリン]]という黒人ピアニストが、1899年に「[[メイプル・リーフ・ラグ]]」を発表し、1902年には「[[ジ・エンターテイナー]]」を発表している。20世紀初めの10年ほどの間は、このラグタイムとブルースが商業的にヒットしていた。 同じく1900年代には、ニューオーリンズの元奴隷の黒人たちが始めたブラスバンドが不思議とスウィングするリズムがあるとして評判になり、白人のバンドに真似されたり、そのままのスタイルでダンスホールに雇われたりするようになる。これが[[ジャズ]]の誕生である。ニューオーリンズの初期のジャズ([[ディキシーランド・ジャズ]]と言う)で一番目立つのはブラスバンドの行進曲の要素だが、これまでに出てきたブルース(特にブルー・ノートと言われる音階)、ラグタイム、黒人霊歌の要素を含んでいる。また、どのバンドにもクラシック音楽の素養を身につけた[[クレオール言語|クレオール]](白人と黒人の混血の人)がいて、楽譜も読めない元奴隷たちにできるだけの指導を行っていた。ディキシー・ランド・ジャズはトランペット・クラリネット・トロンボーン・ピアノ・ベース(もとはチューバ)・ドラム・ギター(もとはバンジョー)が標準的な編成で、決まったコード進行が繰り返される中、管楽器たちが即興演奏を行い、その時にはシンコペーションやスイングでリズムを豊かにするような工夫が行われる。ジャズも様々なスタイルがあるが、この即興とスイングの要素はどのジャズにも見られる。 ラグタイムやジャズは、黒人の音楽ではあるがヨーロッパ音楽の要素も多く含んでおり、メイン・ストリーム側とすぐに接触が生じ、ティン・パン・アレーからラグタイムやジャズの曲が売り出されて人気を得たり、逆にティン・パン・アレーの曲をジャズ・ミュージシャンが演奏したりということが盛んに見られるようになった。ジャズは本質的には「演奏テクニック」であり、どんな曲でも演奏できる代わりに必ず何か「元ネタ」を必要とする。ティン・パン・アレーの曲は「元ネタ」としてよく使われた。この後1940年代まで、ジャズは時代の主役となっていく。 ラグタイムやジャズは当時のアメリカ人たちの間では芸術的な価値は認められておらず、「黒人たちのやっているわけのわからない音楽」と思われていたようである。しかし、その価値はむしろヨーロッパのクラシック系の作曲家に認められた。[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]や[[ダリウス・ミヨー|ミヨー]]は明らかにラグタイムやジャズの影響を受けた作品を残している。 1910年~20年にかけて産業構造が農業から工業に転換するにつれてアメリカでは南部から北部への人口の大移動が起こり、それに合わせるように多くのジャズメンがニューオーリンズからシカゴに移動する。シカゴでは天才トランペット奏者の[[ルイ・アームストロング]]が全てのジャズ奏者と編曲者に甚大な影響を与え、ジャズの時代を築く。1920年頃にはドラムセットに[[シンバル|ハイハット]]が加わり、現在とほぼ同様のリズムパターンが出せるようになった。 === ティン・パン・アレーの全盛期-1920~30年代 === ==== 新技術とポピュラー音楽① ==== ===== レコード<ref>Microsoft『Encarta2005』より「レコード」の項。</ref> ===== 1887年に発明された円盤型[[レコード]]は徐々に浸透し、1925年の電気録音方式の導入による音質向上にも後押しされ、1920年代半ばにはアメリカ全土でレコードは年間1億枚以上を売り上げるようになった。 ===== PA<ref>Microsoft『Encarta2005』より「レコード」「PA」の項。</ref> ===== 電気録音導入以前は歌手は声が大きくなければならなかったが、[[マイクロフォン]]の導入により、声量がなくてもマイクを効果的につかって表情が出せるようになり、[[ビング・クロスビー]]などによってソフトにささやくようにうたうクルーニング唱法(クルーンには感傷的にうたうという意味もある)が広まった。オペラのように、肉声で遠くまで響き渡らせようとすると不可能なささやくような歌い方は、現在のポピュラー曲でも多用されているが、音響・録音技術の進歩と不可分だった。やがてポピュラー音楽は実演のステージでさえも、拡声装置([[Public Address]])が切り離せなくなっていく。 ===== ラジオ<ref name=":3">Microsoft『Encarta2005』より「レコード」「ラジオ」の項。</ref> ===== 同じく1920年代には[[ラジオ]]や[[映画]]が浸透し始め、これがポピュラー音楽を大衆に伝えるのに大きな役割を果たすことになる。ラジオは当初レコードと競合すると思われていた。しかしレコードはラジオの番組制作簡略化に貢献しただけでなく、音楽が放送されることによって、多くの新たな聞き手を獲得した。 ===== 映画<ref>Microsoft『Encarta2005』より「映画」「映画音楽」の項。</ref> ===== [[映画産業]]は20世紀初めの小規模の映画館の林立に始まった。1915-20年には多くの映画会社がカリフォルニア州[[ハリウッド]]に移り、映画の聖地となった。映画ははじめはサイレント(音声なし)だったが、1926年に[[トーキー]]映画が発明され、映画に音をつけることが出来るようになると、まず[[ミュージカル映画]]が大流行する。また歌手や演奏者の出演がレコードの売れ行きを左右することから、主題歌や挿入歌のタイアップがすすんだ。 ハリウッドの映画各社がシステム化されるにつれ、各社とも音楽担当の部署を整備し、50人近いオーケストラを抱えるようになり、映画のための音楽を担当するようになった。オーケストラによる後期ロマン派スタイルの映画音楽という形はこの頃に確立し、シンフォニック・スコアと呼ばれている。[[映画音楽]]というジャンルは、このような中から生まれてきた。 ===== 新技術の影響<ref name=":3" /> ===== レコードの普及は、音楽のあり方を大きな変えた。世界各地の音楽は時間や場所をこえてより多くの聴衆に聞かれるようになり、ここまでに出てきた様々なジャンルの音楽が街にあふれ、家庭に入ってくるようになった。都市部で商業的に制作される音楽(メイン・ストリームの音楽)と地域に密着した民謡などとの分離がすすんだ。 また、レコードやラジオや映画を通じて特定の演奏者や歌手とむすびついた曲がくりかえしながれることで、音楽家がスター化していく。新しいスターをつくりだそうとする音楽産業と聞き手の好みの移り変わりを反映して、流行のサイクルやスターの寿命がちぢまった。 さらに、音楽が大量生産向けに均質化する傾向や、聞き手が受動的な消費者になる傾向も出てきた。ミリオン・セラーの現象は、流行曲を次々と出すことをレコード資本の目標にさせ、音楽産業の主導権は楽譜出版からレコードに移った。 ==== ティン・パン・アレーの全盛期 ==== ===== ティン・パン・アレー ===== こうした中、ティン・パン・アレーは1920-30年代に全盛期を迎えた。当時のヒット曲はほとんどすべてニューヨークを本拠地とする一握りの作曲家と作詞家がつくりだしていた。[[ジョージ・ガーシュウィン]]と[[アイラ・ガーシュウィン|アイラ・ガーシュウイン]]、[[リチャード・ロジャース (作曲家)|ロジャース]]と[[オスカー・ハマースタイン2世|ハマースタイン]]、同じくロジャースと[[ロレンツ・ハート]]など、作曲家と作詞家は多くの場合コンビを組んで活動した<ref name=":4" />。 ヴォードヴィルは1928年に人気の絶頂を迎え、1000あまりあったアメリカのヴォードヴィル劇場に、およそ200万人の観客が毎日おしよせた<ref name="名前なし-2"/>。また[[チャールズ・チャップリン]]、[[バスター・キートン]]、[[マルクス兄弟]]といった、1910年代から20年代の[[スラップスティック・コメディ]]の有名なスターたちは、ヴォードヴィルやミュージック・ホールに出演したのちに映画産業に入り、ヴォードヴィルの伝統を続けた<ref>Microsoft『Encarta2005』より「チャップリン」「バスター・キートン」「マルクス兄弟」の項。</ref>。 ヴォードヴィルは30年代に入ると映画に押されて落ち目になるが、かわって大衆芸能の王座についた[[ブロードウェイ・シアター|ブロードウェイ・ミュージカル]]のほか、ダンス・オーケストラの専属歌手も、ティン・パン・アレーの歌の普及に貢献した<ref name=":4" />。先に挙げたロジャースやガーシュウィンも多くのミュージカルをのこしている。 ===== スイング・ミュージック ===== シカゴでは「ジャズ」ではなく「[[スウィング・ジャズ|スイング・ミュージック]]」と言う言葉を使った[[ベニー・グッドマン]]が1935年にブレイクし、スイングの時代をもたらし、これは1940年代初めまで続く。この頃の人気バンドは全て白人だった。黒人が演奏するのは下品で喧騒なジャズ、白人がやるのはスマートで健康的なスイング・ミュージックというのが、初めて陽のあたる場所へ出たジャズに対する世人の受け止め方だった<ref name=":6">平凡社『世界大百科事典』より「ジャズ」の項。</ref>。 ジャズは[[ビッグバンド]]というトランペット・トロンボーンの金管楽器6-8名・サックス中心の木管楽器4-6名・ピアノ・ギター・ベース・ドラムなどのリズムセクション3、4名が標準的な編成となり<ref>音楽之友社『音楽中辞典』より「ビッグ・バンド」の項。</ref>、4ビート・スイング・リフの使用・各メンバーの長大なソロなどを特徴とする<ref name=":7">Microsoft『Encarta2005』より「ジャズ」の項。</ref>。ポピュラー界のミュージシャンも、ジャズメンほど自由な即興はおこなわなかったが、明らかにジャズに特徴的なリズムとメロディをとりいれ<ref name=":7" />、1930年代初めには、ジャズの感覚を吸収した先のビング・クロスビーがメイン・ストリームでは最高の人気を占め<ref>1930年代にクロスビーが最も人気のある男性歌手だったことについては複数の辞典が一致している。</ref>、ポピュラー・シンガーがジャズ風の楽団を伴奏に歌うのはごくありふれたこととなった<ref name=":1" />。社交ダンスの音楽にもジャズの要素が大幅に取り入れられた<ref name=":6" />。 ===== メイン・ストリームとローカル ===== この時代は、1930年代初頭の大不況による落込みはあったにせよ、アメリカの音楽業界が最も順調に進展した、メイン・ストリーム音楽の黄金時代だった。ここに挙げた新技術は全てポピュラー音楽を大衆に定着させるのに貢献した。しかし大衆の興味をつねに引きつけることには、ティン・パン・アレーのプロダクションとプロモーションの手腕をもってしても限界があり、例えば1930年にキューバの「[[南京豆売り]]」がヒットして[[ルンバ]]・ブームが突如巻き起こるなど、植民地型のポピュラー音楽が国外から入ってきて人気を奪い、音楽産業がそれを追いかけるといった現象もしばしばあった<ref name=":1" />。 このことは、メイン・ストリーム(ティン・パン・アレーのポピュラー・ソングとブロードウェー・ミュージカル、先進国型のポピュラー音楽)と、ローカルな民族的基盤に基づいた音楽(ブルース・ラグタイム・ジャズなど、植民地型のポピュラー音楽)のその後の関係を示している。ジャズがそうであったように、もともとはサブカルチャーだったものがメイン・ストリームに取りこまれ、音楽業界の生産様式に組み込まれてメイン・カルチャー化するという流れである<ref name=":1" />。 サブカルチャーは黒人のものとは限らない。1920年代、レコード会社が「[[カントリー・ミュージック|ヒルビリー]]」と言うレーベルで、南部の白人大衆向けにアメリカ民謡に起源のある音楽を売りだした。アメリカ民謡に起源を持つメロディと、孤独、貧困、望郷など同時代のメイン・ストリームが取り上げないテーマを含んだ歌詞が共感を呼んだ。27年にミシシッピ生まれの[[ジミー・ロジャーズ (カントリー歌手)|ロジャーズ]]や[[カーター・ファミリー]]が評判となり、以後は急速に商業音楽として成長した。映画の誕生後は西部劇でカウボーイ姿で歌って人気を得る者が多く出て、西部開拓時代への懐古と田舎の生活への郷愁がこのジャンルの特徴となった<ref name=":8">平凡社『大百科事典』より「カントリー・ミュージック」の項、Microsoft『Encarta2005』より「カントリー・アンド・ウエスタン」の項、音楽之友社『音楽中辞典』より「カントリー・ミュージック」の項。</ref>。これはのちに[[カントリー・ミュージック|カントリー&ウエスタン]]と呼ばれるジャンルとなるが、白人が担い手でありながら、ローカルな下層大衆の音楽であり、サブカルチャーとして始まり、後にメイン・ストリームに取りこまれることになる<ref name=":1" />。 === 第二次世界大戦前後-1940年代~1950年代半ば === 第二次世界大戦時のアメリカは、本土が直接攻撃されることがほとんどなく<ref>{{Cite web|和書|title=名前。生年。死亡年。「Find a Grave」 メモリアル |url=https://ja.findagrave.com/memorial/11426932/elsie-m-mitchell |website=ja.findagrave.com |access-date=2023-09-30 |language=ja}}</ref>、生活必需品の生産や供給が滞ることもなかったため、戦争の国民生活への影響は比較的軽微であった<ref>Microsoft『Encarta2005』の「第2次世界大戦」の項に「アメリカの死者:軍人40万」とあり、市民の死者は皆無である。</ref>。軍事増産はむしろ景気を回復させている<ref>http://www.bea.gov/national/nipaweb/SelectTable.asp?Selected</ref>。しかし国民の1割に当たる1200万人が兵士となり、多くの軍需工場では女性が工員として働くことになった<ref>D'Ann Campbell, ''Women at War with America'' (1985)</ref>。西海岸では防空壕設置や灯火規制が行われた。食料品や日用品の配給制は他国同様行われた<ref>Schneider, Carl G and Schneider, Dorothy; ''World War II''; p. 57 ISBN 1438108907</ref>。バーやダンスクラブの営業制限が行われ、後述のようにジャズの在り方に大きく影響している<ref name=":6" />。軍需産業の発達は南部から北部などへの人口移動を生み、ヒルビリーやブルースやゴスペルなど南部に起源のある音楽の人気を高めた<ref name=":9">平凡社『音楽大事典』より「ポピュラー音楽」の項。</ref>。1945年には大戦が終結し、経済状況も回復したものの、冷戦が固定化し、朝鮮戦争や東西の軍拡競争も行われ、政治的・文化的にはやや保守化した<ref>平凡社『世界大百科事典』より「アメリカ合衆国」の項に「冷戦下,巨額の軍需生産が続き,またオートメーション制の導入など技術革新により,アメリカ社会は〈豊かな社会〉として繁栄を謳歌し,人々は郊外のこぎれいな家に住むことを求め,中産階級意識をもつにいたった。…ただ,冷戦下,マス・コミの発達の下で,反共思想が広まり,50年代前半マッカーシイズムに代表されるように〈自由〉の象徴をふりかざすことによって,言論などの自由そのものを拘束するという動きもみられた。」とある。</ref>。 音楽の関連でいえば、ニューヨーク・フィル<ref>ニューヨーク・フィルの公式ページによれば、演奏会は全く変わらず行われており、当時の指揮者ロジンスキーの解説には大戦の記載が全くない。https://nyphil.org/</ref>やNBC交響楽団の演奏は変わらず行われており、ブロードウェー・ミュージカルは新作を提供し続けており<ref>ライフ・ウィズ・ファーザーhttps://www.ibdb.com/Production/View/1720<nowiki/>などを始めとし、戦時中をまたいだロングラン公演がいくつも存在する。</ref>、ビング・クロスビー<ref>平凡社『世界大百科事典』より「クロスビー」の項。</ref>や[[フランク・シナトラ]]<ref>Microsoft『Encarta2005』より「フランク・シナトラ」の項。</ref>は人気を集めており、ジャズ以外には明白な負の影響はあまりなかったようである。1930年代から黄金期を迎えていたハリウッド映画は戦争[[プロパガンダ映画]]も制作し、隆盛は続いていた<ref>平凡社『世界大百科事典』およびMicrosoft『Encarta2005』より「アメリカ映画」の項。</ref>。 しかし、戦争が大衆の音楽への嗜好に影響を与えた可能性は容易に指摘できる。ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」(1942年)は現在に至るも世界歴代シングル売上1位を崩していない<ref>http://the-musicbox.net/single1banuretano.html</ref>が、これは憂鬱さと家庭の癒しのイメージの混在が戦時中のリスナーの心をとらえたためであり、米軍放送にはこの歌のリクエストが殺到したという<ref>John Mueller (1986). ''Astaire Dancing - The Musical Films''. London: Hamish Hamilton. pp. 204, 425. [[ISBN]] [[特別:文献資料/0-241-11749-6|0-241-11749-6]].</ref>。 愛国心の高揚はヒルビリーの国民的人気を後押しし、テネシー州メンフィスがそのメッカとなった。代表に[[ハンク・ウィリアムズ]]がいる<ref name=":8" />。 厭戦気分の高まりは「長い旅路の果て、我が家に帰る」という歌詞を持つ[[ドリス・デイ]]の「[[センチメンタル・ジャーニー (レス・ブラウン楽団の曲)|センチメンタル・ジャーニー]]」(1944年)を23週連続チャート1位に押し上げた<ref>Whitburn, Joel (1973). ''Top Pop Records 1940-1955''. Record Research.</ref>。 ==== ジャズとブルース ==== ===== ジャズ ===== ジャズは基本的にはダンス・ミュージックとして演奏されていたが、1941年の日米開戦とともに戦時統制によりダンスホールは高率課税の対象となり、また成人男子の多くは徴兵され、ビッグバンド編成での大人数の演奏がほとんど不可能になってしまった。ジャズの編成は3~8人と少人数化し、即興の腕を競い合うジャム・セッションを連日繰り返す形になり、そこからアドリブ・ソロとビート感を強調する[[ビバップ]]というジャンルが生まれた。[[チャーリー・パーカー]]はビバップの代表人物である<ref name=":5" />。 ビバップはまとまりに欠けるきらいがあり、その要素を受け継ぎつつもそれ以前のスウィングの要素もとりいれ、冷静な編曲に基づいたなめらかでソフトな演奏のスタイルの[[クール・ジャズ]]がニューヨークで生まれた<ref name=":5" />。1949年の[[マイルス・デイヴィス]]九重奏団のアルバム「クールの誕生」がその始まりだが、やがて朝鮮戦争の好況でわくロサンゼルスに拠点を移し[[ウェスト・コースト・ジャズ]]と呼ばれるようになった<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ウェスト・コースト・ジャズ」の項。</ref>。ロサンゼルスにはヨーロッパ音楽の巨匠[[ダリウス・ミヨー|ミヨー]]や[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]]がナチス迫害を避けて移住してきており、しばしば近代音楽とジャズの融合が真面目に試みられた。ただし、これもどちらか言えば白人中心のジャズだった<ref name=":5" />。 ===== リズム・アンド・ブルース ===== 1940年代には[[エレクトリック・ギター]]が急速に普及し、黒人の音楽で細々と続いていたブルースが人口移動に伴って北部の都市に流入し<ref name=":9" />、エレクトリック・ギターを取り入れてビートを強調しつつジャズとゴスペルの要素を取り入れ、[[リズム・アンド・ブルース]]というジャンルを生み出す<ref name=":1" />。もともとこの言葉は、当時レイス・ミュージック(人種音楽)と呼ばれていた黒人音楽<ref>音楽之友社『音楽中辞典』より「レイス・ミュージック」の項。</ref>の新しい呼び名として考えられたものだった<ref>ソウル&ファンク大辞典の「ジェリー・ウェクスラー」の項。http://www.mossfad.jp/soul/P_JerryWexler.html</ref>。ジャズは当初は黒人の音楽だったが、白人のジャズ・プレイヤーが大量に登場したり、メイン・ストリームの音楽となって商業主義路線に乗っかったり、ダンス・ミュージックとして洗練されたり、クラシックとの接点が発生したり<ref name=":5" />と、もとの黒人音楽の活気とはかけ離れたものになっていた。このリズム・アンド・ブルースはそういった中で登場し、当の黒人だけでなく白人の若者も熱狂して聴きあるいは踊るという現象が起きた<ref name=":1" />。[[ビッグ・ジョー・ターナー]]はリズム・アンド・ブルースの初期の代表的人物である。 ==== 戦後の動向 ==== 戦後のヨーロッパでは、フランスのシャンソンの[[エディット・ピアフ]]、イタリアのカンツォーネ歌手の[[ドメニコ・モドゥーニョ]]が人気を集めた。スペインでは[[フラメンコ]]歌手が人気を集め、アフリカ・西アジア・インド・東南アジアなどでもポピュラー音楽界に大物が登場している。日本では[[美空ひばり]]が登場し、それまでのややぎこちない日本歌謡に新風を吹き込んだ。またキューバのバンドリーダーの[[ペレス・プラード]]がアメリカに持ち込んだ[[マンボ]]は若者を熱狂させた。この時代を[[中村とうよう]]は「世界ポピュラー音楽の黄金期」と書いている<ref name=":0" />。 こうした中、[[マントヴァーニ]](イギリス)、[[パーシー・フェイス]](カナダ)、[[フランク・プゥルセル]](フランス)らクラシックの教育を受けたミュージシャンが、自身のオーケストラを率いて[[ムード音楽]](のちに[[イージーリスニング]]と呼ばれる<ref name="名前なし-4">平凡社『世界大百科事典』より「イージー・リスニング」の項。</ref>)を拓く。器楽曲でありながら、全米ヒットチャート上位にたびたび食い込んだ<ref>{{Cite web|和書|url=https://yougaku-data.com/rank/year-rank.php?SY=1957&CH=BY|title=米国ビルボード年間ランク:1957年(65位)|accessdate=2020-08-11|publisher=}}</ref><ref>{{Wayback |url=http://yougaku.org/1960-年間洋楽ランキング |title=1960-年間洋楽ランキング |date=20180531015623}}.2020年8月11日閲覧。 </ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://yougaku-data.com/rank/year-rank.php?SY=1959&CH=BY|title=米国ビルボード年間ランク:1959年(52位)|accessdate=2020-08-11|publisher=}}</ref>。 ハリウッドは戦後、独占禁止法の適用によるグループ解体と赤狩りの標的になったことによる優秀なスタッフの追放、郊外人口の増加とテレビの浸透による人々の生活様式の変化が重なり危機を迎えるが、作品そのものは名作がつくられ続け、西部劇やミュージカル映画の傑作(「[[雨に唄えば|雨に歌えば]]」など)と数々のスター([[フレッド・アステア]]や[[ジュディ・ガーランド]]、[[ジーン・ケリー]]など)が生まれ続けた<ref>Microsoft『Encarta2005』より「アメリカ映画」の項。</ref>。第二次世界大戦前後からロック・アンド・ロールが台頭するあたりにかけて時期に作られた作品群は、今日においてスタンダードとみなされているものが多い。詳細については[[トラディショナル・ポップ|スタンダード]]の項目も参照のこと。 ==== 新技術とポピュラー音楽② ==== ===== レコードの進化・テープレコーダーの登場<ref>平凡社『世界大百科事典』およびMicrosoft『Encarta2005』より「レコード」の項。</ref> ===== レコードの技術としては、1945年に高い周波数ほど大きく録音し再生時に電気的に調整して音質を高める技術のプリエンファシスが開発され、48年ごろからはそれまでのSPレコードに代わってLPレコードが用いられるようになり、50年代以降はステレオ録音が登場し、「原音に忠実」と言う意味の略語のHi-Fiがマーケティングに使われるようになった。同じく50年代以降は磁気テープによる録音が普及し、生演奏だけによらない音楽づくりに道を開いた。 ===== テレビ ===== アメリカでは41年に[[テレビ]]放送の規格が決められ、45年と50年には新技術が開発されて画質が向上し、普及に拍車がかかった。その結果、55年にはテレビ普及率はアメリカの家庭の67%に達した<ref>Microsoft『Encarta2005』より「テレビ」の項。</ref>。48年からは[[エド・サリヴァン・ショー]]が始まり、多くのミュージシャンが登場した<ref>http://www.edsullivan.com/about-ed-sullivan</ref>。 === ロックの誕生と沈滞-1950年代半ば<ref name=":11">平凡社『世界大百科事典』より「ロック」の項。</ref>=== リズム・アンド・ブルースは白人の若者をも熱狂させたが、これを見た白人の一部がリズム・アンド・ブルースの感覚を取り入れる動きが見られ始める。白人の[[ビル・ヘイリー|ビル・ヘーリー]]は54年に「シェーク・ラトル・アンド・ロール」と「[[ロック・アラウンド・ザ・クロック]]」を録音したが、前者は先の[[ビッグ・ジョー・ターナー]]、後者は[[ロック・アラウンド・ザ・クロック#経緯|ソニー・デー]]のレコードの模倣で、どちらもオリジナルは黒人であった。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は翌55年に映画「暴力教室」に用いられ、大ヒットとなった。 同じ54年にはメンフィスの電機会社の運転手だった[[エルヴィス・プレスリー]]が地元の小さなレコード会社から「[[ザッツ・オール・ライト#エルヴィス・プレスリーによる録音|ザッツ・オール・ライト]]」を出したが、これも黒人の[[アーサー・クルーダップ]]の作品であった。 こうして生まれてきた新しい音楽は、ラジオの[[ディスクジョッキー]]をしていた[[アラン・フリード]]によって「[[ロックンロール|ロック・アンド・ロール]]」と呼ばれた。[[ロック (音楽)|ロック]]の誕生である。 ロックは、リズム・アンド・ブルースの要素が一番強く、そこにヒルビリーやポピュラー・ソングの要素が融合して生まれた。先のヘーリーやプレスリーはヒルビリーの要素が強く、またプレスリーは好きな歌手としてフランク・シナトラを挙げており、ポピュラー・ソングの伝統も受け継いでいる。このため、ヒルビリーの要素が強いと「[[ロカビリー]]」(ロック+ヒルビリー、プレスリーなど)、ポピュラー・ソングの要素が強いと「[[ロッカ・バラード|ロッカバラード]]」(ロック+バラード、[[ポール・アンカ]]など)などの派生語が生まれたため、60年代になると、それらの全体を呼ぶ言葉がロック、1950年代中葉の初期のロックを指す言葉がロックンロール、と使い分けるのが一般的となった。 ロックは、命名者であるアラン・フリードやプロモーターの尽力によって、独立系小レーベルでレコード化されたが、経済的に恵まれるようになっていた10代の若者に想像をはるかに超える支持を受けた<ref name=":18">Microsoft『Encarta2005』より「ポピュラー音楽」の項。</ref>。 大手レコード会社もさっそくこのジャンルに目をつけ、プレスリーは早くも大手の[[RCAレコード]]に引き抜かれ、56年には「[[ハートブレイク・ホテル]]」の大ヒットを生んだ。プレスリーは「史上最も成功したソロ・アーティスト」(ギネス・ワールド・レコーズ)とされ、全米No1ヒット曲数歴代2位、週間数歴代1位など、記録には事欠かない。その後を追って誕生したのが先の「ロカバラード」で、これは旧来のメイン・ストリームの「プロの作詞家・作曲家がヒットをねらって書いた曲でレコードを作り、ラジオやテレビなどのメディアでうまく宣伝して広めていくという商業主義」そのもので作られた。 ロックの誕生は「白人の若者の欲求不満を白人文化では吸収しきれなくて黒人文化に頼らざるをえず、黒人底辺文化の価値観を白人若年層が大幅に取り入れたという、前例をみないラディカルな社会現象だった」と世界大百科事典の「ロック」の項で中村とうようが評しているが、せっかく誕生したロックはこうしてすぐに商業主義に取り込まれてしまった。ロックの立役者だったフリードも、音楽業界から放送関係者に贈られていたペイオーラが賄賂とされ、59年と60年に連邦議会(下院)で開かれた聴聞会で疑惑の張本人として取りざたされ、大スキャンダルとなった。こうした事情から、ロックンロールの全盛期は54年から59年までの5年間しか続かなかった<ref name=":12">Microsoft『Encarta2005』より「ロック」の項。</ref>。 ==== 初期ロックの影響と同時代現象 ==== ちょうどこの頃は奴隷解放後も解消されない差別(人種隔離制度と制度的差別体系)に苦しんでいた黒人たちが[[公民権運動]]を開始した時期である<ref>平凡社『世界大百科事典』より「公民権運動」の項。</ref>。 ニューヨークの黒人ジャズが復活し、[[ハード・バップ]]または[[モダン・ジャズ]]と呼ばれた。公民権運動にあわせ、黒人側からのラディカルな抗議を表明する曲が書かれ、また原点回帰とばかりにブルースやゴスペルの要素を取り入れ、その演奏には黒人の体臭を意味する〈ファンキー funky〉という形容詞がつけられた<ref name=":5" />。[[マイルス・デイヴィス]]は初期の代表者だが、クール・ジャズの創始者でもある<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ハード・バップ」の項。</ref>。 初期のロックンロールはリズム・アンド・ブルースとほとんど変わらなかったが、白人のロックンロール歌手が増えてくるにつれ、リズム・アンド・ブルースは、よりゴスペルなどのアフリカン・アメリカンの要素を取り込み、ソウル([[ソウルミュージック]])と呼ばれるようになった。[[レイ・チャールズ]]はソウルの発展に大きく貢献した<ref>Microsoft『Encarta2005』より「リズム・アンド・ブルース」の項。</ref>。社会背景的には先に挙げた公民権運動があった<ref>音楽之友社『音楽中辞典』より「ソウル・ミュージック」の項。</ref>。 ロックンロールの登場に刺激されてヒルビリーも電気楽器をとりいれ、より洗練されたアレンジを用いるようになる。それにともない、レコード会社は従来の「ヒルビリー」にかえて「[[カントリー・ミュージック|カントリー・アンド・ウェスタン]]」のレーベル名を導入した<ref>Microsoft『Encarta2005』より「カントリー・アンド・ウエスタン」の項。</ref>。 メイン・ストリームでは、ポピュラー・ソングが最後の最盛期を迎えており、フランク・シナトラや[[ペリー・コモ]]がテレビにも進出しつつ活躍した<ref>平凡社『世界大百科事典』の「ポピュラー・ソング」の項。</ref>。このころミュージカル映画はテレビに押され始め、制作費の高騰で本数も減り黄金時代は終わりを告げる。「[[ウエスト・サイド物語 (映画)|ウエスト・サイド物語]]」(1961年)「[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]」(1964年)「[[サウンド・オブ・ミュージック (映画)|サウンド・オブ・ミュージック]]」(1965年)などは最後のミュージカル映画のヒット作である<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ミュージカル映画」の項。</ref>。 === ポピュラー音楽史上最大の多様化-1960年代~1970年代前半 === 戦後の[[ベビーブーム]]で生まれた世代がティーンから成人を迎えるこの頃、依然として[[冷戦]]や[[ベトナム戦争]]が続き、一向に戦争を反省していないように見える社会や国家に対し、世界的に若者たちによる異議申し立ての行動が活発で、世界各国で大学紛争が盛んだった<ref name="名前なし-5">平凡社『世界大百科事典』より「学生運動」の項。</ref>。若者はこのような共通体験から一つの「[[世代]]」として認知され、彼らの主張や考え方は「[[若者文化]]」と呼ばれた<ref>平凡社『世界大百科事典』より「若者文化」「対抗文化」の項。</ref>。若者の重視は音楽の世界が先んじており、戦前のポピュラー音楽が基本的に大人を対象にしたメインカルチャーだったのに対し、50年代後半のロックンロールでは明らかに始めから若者をターゲットにした曲が多く作られ、歌詞も恋愛や私生活、自己実現の悩みなど10代の若者の主要な関心事をテーマにしていた<ref name=":18" />。 ==== フォーク・ソング<ref>平凡社『世界大百科事典』より「フォーク・ソング」「プロテストソング」、Microsoft『Encarta2005』より「フォーク(音楽)」の項。</ref> ==== [[ピート・シーガー]]は[[ウディ・ガスリー]]らと組んで、1940年代から民謡風のメロディーに乗せて[[プロテスト・ソング]](社会の中の不公平や不正を告発し抗議する歌)を歌っていたが、1950年の「[[おやすみアイリーン]]」が大ヒットし、この影響を受けたザ・キングストン・トリオによる古い民謡のリメーク「[[トム・ドゥーリー]]」(1958年)が大ヒットして、[[フォークソング]]は完全にポピュラー音楽の一部門を占めるにいたった。次いで[[ボブ・ディラン]]が「[[風に吹かれて (ボブ・ディランの曲)|風に吹かれて]]」を62年に発表し、公民権運動の中で広く歌われた。フォークソングはロックとは対照的に、中流階級の大学生に支持され、清潔で知的なイメージでもてはやされた。 ==== ロックの復活<ref name=":11" /> ==== 60年代初めには、音楽産業がロックンロールと銘うって売りだす音楽の大半が、ロックンロールの物まねにすぎなくなっていた。プロの作曲家がつくった曲をアイドル型クルーナーが歌い、[[スタジオ・ミュージシャン]]の伴奏で録音した。これはティン・パン・アレーの旧来のやり方そのものであった。 沈滞していたロックは、イギリスからの動きで息を吹き返した。62年、[[ビートルズ]]、[[ローリング・ストーンズ]]、[[アニマルズ]]など多くのグループがロックの原点を取り戻し、アメリカの若者にも熱狂的に迎えられた。これは[[ブリティッシュ・インヴェイジョン]](イギリスのグループの襲来)と言われる。それに呼応して、64年に[[ザ・ビーチ・ボーイズ|ビーチ・ボーイズ]]がカリフォルニアから出た。カリフォルニアはフォーク・ソングも盛んであり、またサンフランシスコとその周辺の[[ヒッピー]]が新しい若者文化をつくり出していたが、そうした土壌から新しいロックが盛り上がった。新しいロックに関して、『世界大百科事典』のロックの項で[[中村とうよう]]は「無教養な若者の衝動に発したロックは、10年後に知的な性格を帯び、運動の側面を備えたものとして、より広範な社会的影響力を発揮する形で再生した。歌詞は10代の感傷を歌う単純なものから,社会批評性をもったり、哲学的に思索したりするものに成長した」と評している<ref name=":13">音楽之友社『音楽中辞典』より「ロック」の項。</ref>。 ==== ロックの多様化 ==== 60年代後半は、ロックがメイン・ストリームに食い込み、多様化していく時期となる<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ロック」の項に「1960年代を通じてロックは、アメリカのポピュラー音楽のメーンストリームに食いこむ一方、さまざまな新しいスタイルに多様化していった。」とある。</ref>。ブリティッシュ・インベージョン以前は弾圧の対象だったロックは<ref name=":13" />、大規模化したレコード産業の後押しを受け、多種多様なスタイルとなった<ref name=":12" />。<!--1950年代にはメイン・ストリームではなかったということを典拠付きで示す必要があるのでは?--> ===== サイケデリック・ロック<ref name=":11" /> ===== ヒッピーにつきものだった麻薬やLSDからは、[[サイケデリック・ロック]]が生まれた。代表は[[グレイトフル・デッド]]<ref>Microsoft『Encarta2005』より「サイケデリック・ミュージック」の項。</ref>。幻覚体験を音楽で表現しようとするもので、多くのミュージシャンがサイケデリック・ロックに傾倒したが、LSDの所持の禁止・それに伴うヒッピー文化の衰退・麻薬によるアーティストの死などにより衰退し、アーティストたちは実験的な音楽を特徴とする[[プログレッシブ・ロック]]に移行し、クラシック系の現代音楽と影響しあうような作品まで書かれている。[[ピンク・フロイド]]などが有名である。 ===== フォーク・ロック<ref name=":11" /> ===== フォークソングやカントリー・ミュージックのアーティストたちも、ロックへの接近が見られた。フォークシンガーだったボブ・ディランがエレクトリック・ギターを用いて[[フォークロック|フォーク・ロック]]というジャンルを開き、賛否両論を巻き起こす。同様にカントリー音楽の要素を入れたロックも[[バーズ (アメリカのバンド)|バーズ]]などによって開かれ、ジャンルの垣根を取り払った。 ===== ブルース・ロック<ref name=":11" /> ===== イギリスでは黒人ギタリストによるブルースを白人が模倣し、[[ブルースロック|ブルース・ロック]]が生まれる。元がギターブルースであるため、エレクトリック・ギターの長大な即興を特徴としている。[[エリック・クラプトン]]を中心とする[[クリーム (バンド)|クリーム]]などが代表。このジャンルはやがて「最もロックらしいロック」<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ロック」の項で「強烈なビート,最大限に音量を増幅したエレクトリック・ギター,金切り声のボーカルを特徴とする,最もロックらしいロック」とされている。</ref>や「ロックの主流」<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ハード・ロック」の項</ref>と呼ばれる[[ハードロック|ハード・ロック]]([[ディープ・パープル]]、[[レッド・ツェッペリン]]、[[ブラック・サバス]]など)、さらには[[ヘヴィメタル]]などへと続いていく。 ===== グラム・ロック<ref>Microsoft『Encarta2005』より「グラム・ロック」の項。</ref> ===== 多少遅れて70年代初頭のイギリスでは、[[デヴィッド・ボウイ]]や[[T・レックス]]の[[マーク・ボラン]]らが、妖艶な化粧と衣装で中性的なイメージをふりまき、退廃とクールさが入り混ざったロックの新感覚を示して流行となった。これは魅惑的(glamorous)からグラム・ロックと呼ばれる(ただし、英米では通常グリッター・ロック=けばけばしいロックと言われる)。初期の[[エルトン・ジョン]]もステージで奇抜な衣装やメガネをつけるなどして、グラム・ロックを象徴した<ref>Microsoft『Encarta2005』より「エルトン・ジョン」の項。</ref>。派手な化粧をしたバンドはその後もたびたび現れており、後のロックに与えた影響は少なくない。 ==== 多様化したロックの影響 ==== ロックの影響は世界に及んでおり、例えば日本では65年のベンチャーズ、66年のビートルズ来日以後に[[グループ・サウンズ]]やカレッジ・フォークがブームとなりアマチュア音楽の裾野を広げ、72年以降のフォーク系[[シンガーソングライター]]([[吉田拓郎]]・[[井上陽水]]など)および75年ごろからの女性シンガーソングライター([[松任谷由実|荒井由実]]・[[矢野顕子]]・[[中島みゆき]]など)の活躍につながった<ref>Microsoft『Encarta2005』より「日本の流行歌」の項、VIIIニューミュージックの誕生(1970年代)1シンガーソングライターの台頭で紹介されている歌手のうち、項目間のリンクが存在する人を主要な人と見なして順に入れた。</ref>。 フランスではロックの影響のもと、[[ジョニー・アリディ]]や[[シルヴィ・ヴァルタン]]などの音楽がイェイェと呼ばれて人気を集めた。[[セルジュ・ゲンスブール]]のプロデュースした[[フランス・ギャル]]の「[[夢見るシャンソン人形]]」は[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]の優勝曲である。活躍した女性歌手たちは[[フレンチロリータ|フレンチ・ロリータ]]と呼ばれた<ref name=":14">Microsoft『Encarta2005』より「ユーロ・ポップ」の項。</ref>。 ヨーロッパでは、ロックやリズム・アンド・ブルースが広く聴かれるようになったのみならず、大量販売をめざす大手レコード会社は、ビートルズ・ブーム以降、ロック的な音楽を国際的な主力商品にすえた<ref name=":14" />。このようなロックの影響を受けた新しい若者向け音楽のスタイルを説明するための言葉として、イギリスでポップ([[ポップ・ミュージック]])と言う言葉が使われ始めた<ref>音楽之友社『音楽中辞典』より「ポップ」の項。</ref>。ヨーロッパ各地でも、それにならった英語の音楽がつくられはじめた。このためヨーロッパでヒットする音楽の5~6割が英米の音楽で、[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]の優勝者も過半数が英語で歌っている(1974年優勝のスウェーデンの[[ABBA]]など)。このように英米のポピュラー音楽の影響下にあるヨーロッパ産のポピュラー音楽を[[ユーロポップ|ユーロ・ポップ]]と呼ぶ場合がある<ref name=":14" />。 東側諸国の多くはロックを資本主義の退廃を象徴する音楽として弾圧したため、ロックの影響は地下化した<ref>History of Rock Music in Russia<nowiki>http://www.russia-ic.com/culture_art/music/380/、Beat</nowiki> and Rock Music in Hungary<nowiki>http://www.ce-review.org/00/12/bladerunner12.html など</nowiki></ref>。 1960年はアフリカの年と呼ばれ多くの国が独立したが、アフリカ独立とロックの世界的な流行は、アフリカにエレキ・ギターの急速な普及をもたらし、ナイジェリアでは[[フェラ・クティ]]が現れる。クティはジャズとファンクを参照しつつ強烈な政治的発言を盛り込んだ音楽を作り上げ、自ら[[アフロビート|アフロ・ビート]]と呼んだ。目の前の不正を強烈に告発する歌詞は当局の弾圧を生んだが、クティはさらに強烈な表現で今度はその弾圧を歌にした。後続は現れなかったが、アフリカ起源のアフロ・ビートと言うジャンルは全世界に広がった<ref name=":0" />。 メイン・ストリームそのもののようなミュージカルでも、ロックを取り入れた作品がいくつもつくられたが、この時期のミュージカルは筋らしい筋がなく、文学性を喪失するなど迷走が見られる<ref name=":10" />。 ==== 映画音楽とイージー・リスニング ==== シンフォニック・スコア全盛だった映画音楽界は、テレビの台頭によって衝撃を受けた。[[ヘンリー・マンシーニ]]や[[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]はテレビで腕を磨き、映画音楽で活躍した人たちだが、彼らはそれまでの映画音楽の伝統にとらわれることなく、時代を反映した革新的な音楽を映画に取り入れた。1960年代はヨーロッパ勢が活躍しており、「[[ジェームズ・ボンド|007]]」の[[ジョン・バリー (作曲家)|ジョン・バリー]]、「[[シェルブールの雨傘]]」の[[ミシェル・ルグラン]]、「[[男と女]]」の[[フランシス・レイ]]、「[[荒野の用心棒]]」の[[エンニオ・モリコーネ]]、「[[ゴッドファーザー (映画)|ゴッド・ファーザー]]」の[[ニーノ・ロータ]]らがいる。また誕生して間もないロックを映画音楽に取り入れる試みも行われ、「[[卒業 (1967年の映画)|卒業]]」や「[[イージー・ライダー]]」は当時の有名なロックをテーマ曲としていた<ref name="名前なし-6">Microsoft『Encarta2005』より「映画音楽」の項。</ref>。 ムード音楽は1970年代以降、アメリカの音楽業界紙の表記に習ってイージー・リスニングと呼ばれるようになる。駅やデパートなどでのBGM使用は一般化し、単純労働の作業場でのBGMの活用が研究されるなど、この時代は音楽を人間工学的に利用しようと言う社会的な動きが存在した<ref name="名前なし-4"/>。この頃[[ポール・モーリア]]が登場し、68年に「[[恋はみずいろ]]」でビルボード・ホット100で5週連続1位を獲得し<ref>https://megalodon.jp/2013-0205-1102-03/www.oricon.co.jp/news/music/38699/</ref>、年間チャートでも3位に入っている<ref>{{Wayback |url=http://yougaku.org/1968-年間洋楽ランキング |title=1968-年間洋楽ランキング |date=20180402090208}}.2020年8月11日閲覧。</ref>が、先述のヘンリー・マンシーニやミシェル・ルグランやフランシス・レイやニーノ・ロータの映画音楽もイージー・リスニングとしても聴かれている。 ==== R&Bとジャズの動向 ==== 黒人たちの音楽では、リズム・アンド・ブルースから発展した[[ソウルミュージック|ソウル・ミュージック]]の中に、ゴスペルを基盤とする熱唱系の歌や、ハードバップに起源がある強烈な16ビートを特徴とする[[ファンク]]などが現れる。熱唱系の代表は[[アレサ・フランクリン]]、ファンクの代表に[[ジェームス・ブラウン]]や[[アース・ウィンド・アンド・ファイアー|アース・ウインド&ファイアー]]がいる<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ファンク」の項。</ref>。 一方、ジャズはロック人気に押され、商業的な危機を迎えたため、ジャズ・ミュージシャンの中にはソウルミュージシャンの音楽を手本にする動きが出てきて、[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]が生まれる。これは当初は[[ファンキー・ジャズ|ファンク・ジャズやソウル・ジャズ]]と呼ばれていた。代表者は[[マイルス・デイヴィス]]である。エレクトリック・ギターなどの電子楽器を導入しての斬新なサウンドは、古くからのジャズファンは眉をひそめたが、ジャズと言うジャンルの延命をもたらした<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ジャズ」の項、Microsoft『Encarta2005』より「ジャズ」「フュージョン」の項、音楽之友社『音楽中辞典』より「フュージョン」の項。</ref>。 その他、ジャズの分野ではコード進行を無視したような過激な即興を特徴とする[[フリー・ジャズ]]や[[モード・ジャズ]]が行われているが、クラシック音楽の現代音楽同様、技法的には新しいもののあまり多くの人に受け入れられたとは言えず、ジャズは以後伝統回帰と多様化の時代となっていく。フリージャズの開拓者に[[オーネット・コールマン]]がおり、モード・ジャズはまたもやマイルス・デービスが切り開いた<ref name=":5" />。 アメリカのすぐ近く、カリブ海に浮かぶ[[ジャマイカ]]は1962年にようやく独立を果たすが、伝統的なカリブ海の音楽がアメリカのソウル・ミュージックなどの影響を受け、[[レゲエ]]が生まれる。レゲエはやがて60年代後半にアメリカに持ち込まれ、ソウル・ミュージックが失ってしまった精神的なメッセージの純粋さにより世界の若者をとりこにするまでになる。[[ボブ・マーリー]]が代表。同様に、プエルトリコで生まれた[[サルサ (音楽)|サルサ]]は70年代初めにアメリカを席巻する<ref>平凡社『世界大百科事典』より「レゲエ」の項。</ref>。 ==== 新技術とポピュラー音楽③ ==== ===== FMラジオ ===== 61年にはアメリカ[[連邦通信委員会]](FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局していたが<ref>Microsoft『Encarta2005』より「FM放送」の項。</ref>、66年にはFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった<ref>高木利弘『スマートTVと動画ビジネス 次世代メディアをデザインするのは誰か? 』2012年、インプレスジャパン、206頁</ref>。FM放送はAM放送に比べ音質が高く、より高い音質で音楽を楽しみたいという欲求を喚起し、オーディオ機器の普及をもたらした<ref>平凡社『世界大百科事典』より「FM放送」の項。</ref>。 ===== カセットテープ<ref name="名前なし-7">Microsoft『Encarta2005』より「テープレコーダー」の項。</ref> ===== [[テープレコーダー]]はオープンリール式のものが主に業務用で使われていたが、63年にオランダのフィリップスが[[カセットテープ]]の規格を開発・公開し、世界各国で普及し、テープそのものやカセットの機械的構造が改良されて、オーディオ用としてもつかわれるようになった。 ===== エフェクター<ref>島村楽器「今さら聞けないエフェクターの基礎知識編」https://info.shimamura.co.jp/guitar/feature/basic-knowledge-of-effector-hizumi/</ref> ===== エレクトリック・ギターは当初はクリーンなサウンドで、アンプを通すことで単に音量を上げて弾かれていたが、ロックのギタリストたちはアンプの容量最大に音量を上げると発生する音の歪み(ひずみ)を発見し、音楽の素材として活用を始めた。60年代後半のエリック・クラプトンや[[ジミ・ヘンドリックス]]や[[ジェフ・ベック]]はアンプの音量を最大にして歪ませることでロックなサウンドを生み出していた。やがて人工的に歪みをつくりだす装置の[[エフェクター]]が登場し、62年にはファズが発売され、70年代にジミ・ヘンドリックスが使用している。オーバードライブやディスト―ションはもう少し遅く、1977年と78年である。 ===== シンセサイザー<ref>平凡社『世界大百科事典』、Microsoft『Encarta2005』、音楽之友社『音楽中辞典』、それぞれより「シンセサイザー」の項。</ref> ===== [[モーグ・シンセサイザー|モーグ]]社の[[シンセサイザー]]が1964年に発売され、使われ始めた。電子音の合成を小さなシステムで可能にしたモーグ社のシンセサイザーは電子音楽の境界線を広げた。68年にウォルター・カーロスがこれを用いてバッハの音楽を合成した LP レコードが注目された。続いて日本の冨田勲がドビュッシーの曲による合成音楽を作り、シンセサイザーの音は急速に広まった。 === カリスマの時代からワールド・ミュージックへ-1970年代後半~1980年代 === 1960年代後半に盛り上がったものは、70年代に入ると一斉に失速した。75年の[[ベトナム戦争]]終結は[[学生運動]]の世界的な連帯の理由をなくし、また学生運動の暴力化や初期学生運動の担い手たちの就職に伴う転向は後継の学生たちの離反を招き、学生運動は実質的な終焉を迎える<ref name="名前なし-5"/>。73-74年と79-81年の2度にわたる[[オイルショック]]は世界的に続いていた戦後の経済成長を止めてしまった<ref>平凡社『世界大百科事典』より「石油危機」の項。</ref>。東西陣営は緊張緩和の時代となり、世界は騒然とした状態からそれなりに静かな状態に移った。ソ連のアフガニスタン侵攻はデタントを崩壊させたが<ref>Microsoft『Encarta2005』より「冷戦」の項。</ref>、そのソ連は社会主義経済の不調から内部がボロボロになっており<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ソビエト連邦」の項。</ref>、立て直しを図った87年からの[[ペレストロイカ]]は東欧諸国への締め付けを緩める結果となり、89年の[[東欧革命|東欧民主化革命]]と[[ベルリンの壁崩壊]]、91年の[[ソビエト連邦の崩壊]]へとつながっていく<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ペレストロイカ」の項。</ref>。 ==== 商業主義への回帰-ディスコ<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ディスコ」の項。</ref> ==== ポピュラー音楽の世界も、60年代後半の途方もない盛り上がりは見られなくなる。一つはオイルショックに始まる不況がレコード会社を慎重にさせ確実に売れるアーティストだけを売るようになった点、もう一つはアメリカの音楽産業が集中化した点である。60年代末までのローカルラジオの個性的な番組は全米共通の画一的な番組に変化し、特定のファン層を対象に製造された商品としての音楽がテープで全米に配給され、一斉に流された。結果的にポピュラー音楽界は、以前の商業主義路線に回帰した形になった<ref name="名前なし-8">Microsoft『Encarta2005』より「ロック」「ポピュラー音楽」の項。</ref>。 商業主義路線の代表は、[[ディスコ (音楽)|ディスコ]](ディスコ・ミュージック)である。バス・ドラムによる一定不変のビートをアメリカ黒人のダンス音楽にくわえてリズムを単純化したもので、初めはニューヨークのゲイ・カルチャーの音楽だったが<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ロック」の項。</ref>、名前の通り[[ディスコ]](DJがLPで音楽を流し、酒類が提供され、客にダンスをさせる店舗のこと)でのダンス・ミュージックだった。もともとダンスホールは生バンドの演奏が当然だったが、経費とスペースの節約のため若者向けの安直な店でレコードでの音楽提供が始められたのが最初のディスコの姿だった。ディスコはもともとレコードと言う意味のスペイン語やイタリア語である。しかしDJが客に呼びかけながらレコードをかける親しみやすい雰囲気が若者の人気を集め、レコード会社がDJが使いやすいように30cmのシングルでリズムを強調した踊りやすい音楽を提供し、それに合わせた新しい踊りが次々に出現し、77年には映画「[[サタデー・ナイト・フィーバー]]」というディスコダンスの名手を主人公にした映画が大ヒットするなどし、ディスコは大ブームとなった。70年代後半のメイン・ストリームはディスコだった。サタデー・ナイト・フィーバーに出演していた[[ビージーズ]]や、日本でもカバー曲が良く知られる[[ヴィレッジ・ピープル]]が代表的である。 しかし、ディスコは(踊るための音楽なのでやむを得ないが)リズムは一定で、エレキ・ギターが前面に出ることはなく、歌詞もメッセージ性や過激な要素はなく、歌も特にメロディを歌い上げたりはしておらず、ロックの刺激性に慣れた人やフォークのメッセージ性に感じ入った人には明らかに物足りない。こうしたディスコに対し、音楽ファンや音楽評論家は「商業主義だ」という批判を容赦なく浴びせた。またディスコ文化に対しても、激しい反発が寄せられた。その結果、80年代に入る頃にはアメリカではディスコの人気は著しく落ち込んでいた。ただし、踊らせるための音楽は80年代を通じて存在し続け、80年代後半くらいから後述の[[エレクトロ・ポップ]]の要素を取り込んで[[ハウス (音楽)|ハウス]]と呼ばれるジャンルがニューヨークやシカゴで生まれ、イギリスを通じて全ヨーロッパに広まった<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ハウス・ミュージック」の項。</ref>。またディスコは[[クラブ]]と呼ばれるようになる。 ==== パンクの誕生とロックの危機<ref name="名前なし-8"/> ==== 75年のロック界ではハード・ロックとプログレッシブ・ロックが主流だったが、ハード・ロックのスターたちはすでに大物となり高度な演奏技術を駆使するようになっており、[[プログレッシブ・ロック]]では高価なシンセサイザーを駆使したり現代音楽とコラボレーションしたりして芸術志向になっていた。[[ソフトロック|ソフト・ロック]]という、美しいメロディーとコーラスを特徴とするジャンルも人気があったが、本来のロックではないと批判されてもいた。こうした状況に対し、初期ロックの率直なエネルギーの復活を目指して、[[パンク・ロック]]が起こる。 パンクはもともと「粗悪品、不良、ちんぴら」を意味する俗語で、70年代ロンドンで始まった原色に染めて逆立てた髪などを特色とする奇抜な若者ファッションを指すようになった。パンク・ロックはロックに残っていたブルース色を削ぎ落し、粗野で荒削りで急テンポの演奏を特徴としている。コードはスリーコードにパワーコードを加えた程度のきわめて簡単なものだった。ニューヨークでアンダーグラウンド的な人気を得ていたいくつかのグループにロンドンのブティック経営者が刺激を受けて、素人の少年を4人集めて75年に[[セックス・ピストルズ]]をデビューさせる。彼らは破壊的な言動で世間を騒がせつつ、慢性的な不況で不満を抱える若者たちに爆発的な人気を得た<ref>Microsoft『Encarta2005』より「パンク」の項。「爆発的な人気を博した」との表現がある。</ref>。 ロック界の新たな中心になるかに見えたパンクだったが、もともと保守層からの反発が強く演奏会場では中止運動がたびたび起きていた上、セックス・ピストルズの解散や元メンバーの殺人事件や麻薬中毒死でブームは終焉を迎え、パンクのムーブメントは78年にわずか3年ほどで幕を閉じる<ref>Microsoft『Encarta2005』より「パンク」の項。</ref>。 パンクの後には、ハード・ロックの延長線上にある[[ヘヴィメタル]]([[アイアン・メイデン]]が初期の代表)や、パンクの様々な部分を引き継いだ[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]が現れる。もっともニュー・ウェーブは多様な傾向をひとまとめにした言葉で、シンセサイザーを駆使して商業主義的な若者向けの大衆音楽を作り出した[[エレクトロ・ポップ]]からパンクの切り拓いた道をさらに先鋭化させようとした[[オルタナティヴ・ロック|オルタナティブ・ロック]]まで含んでおり、あまり適切なジャンル名ではない。ロックは再び多様化したように見えたが、60年代のような大物の登場は見られず、個性が薄れていた。レコード会社の意図通りに売れる曲をつくるロックの路線は「[[産業ロック]]」と揶揄された。78年から82年までに、レコードの売り上げとコンサートの収益がそれぞれ10億ドルも減少し、アメリカのロック音楽産業は深刻な危機に陥る。 ==== カリスマとヘヴィ・メタル人気<ref name="名前なし-8"/> ==== 音楽産業の不振は、カリスマ的スターの出現と技術の進歩によって救われた。[[マイケル・ジャクソン]]、[[ブルース・スプリングスティーン]]、[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]はこの時期にメガビットを飛ばしたカリスマたちであると、Microsoft『Encarta2005』のポピュラー音楽の項は評している。彼らは伝統的なアメリカの社会階層を超えて幅広い聴衆を獲得した。[[ミュージック・ビデオ]]の出現と、これを24時間放映するミュージック・テレビジョン([[MTV]])の開局(81年)は、ミュージック・ビデオの販売促進効果を実証した。[[コンパクトディスク|CD]]の登場(83年)はポピュラー音楽の需要を開拓した。これらによって、音楽産業は息を吹き返したが、ごく少数のカリスマが巨大な利益を上げる傾向が定着した。 ハード・ロックの後継であるヘヴイ・メタルはMTVのバックアップを受け、白人の労備者階級のみならず中産階級にも聴衆が広がり、女性も取り込んでいった。[[ヴァン・ヘイレン]]、[[AC/DC]]、[[メタリカ]]などヘヴィ・メタル・バンドが全レコードの売り上げに占める割合は、80年代末のアメリカで40%もの高率に達した。 ==== ヒップホップとラップ<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ロック」「ポピュラー音楽」「ラップ」の項。</ref> ==== [[ラップ]]は、ニューヨークでは[[ブロック・パーティ]](黒人・カリブ海からの移民・ヒスパニックの街区で行われていた地域の野外パーティ。音楽と踊り、バーベキューや野外ゲームなども行われた。DJの使用するサウンドシステムの電源は街灯から非合法に引かれた)から74年に発生した[[ヒップホップ]]と言う文化の一部で、MCとよばれるボーカリストがテキストをうたわずにリズミカルにかたる(ライムという)スタイルをとり、ふつう、シンセサイザーの演奏か既存のレコードから借用した音楽の断片(サンプル)を伴奏に使う。[[クール・ハーク]]、[[アフリカ・バンバータ]]といったラップのDJは、複数のレコードを同時にまわしてそれぞれの音楽の断片をくみあわせたり、レコードを手でまわして特定のフレーズを反復再生したり(バック・スピン)、針で盤面を引っ掻いてノイズによるリズミカルな効果をつくりだしたりする(スクラッチ)など、ターンテーブルの独創的な活用法を開発した。 ラップがポピュラー音楽のメイン・ストリームに仲間入りしたのは86年のことだった。この年、[[Run-D.M.C.|Run-D.M.C]]がハード・ロック・バンド、[[エアロスミス]]のヒット「[[ウォーク・ディス・ウェイ]]」(1977)をラップ・スタイルでカヴァーしてリバイバル・ヒットさせ、都市の郊外高級住宅地にすむ白人中産階級のロック・ファンをラップの聴衆にとりこんだ。1980年代末にはMTVがラップ専用の番組をもうけ、[[M.C.ハマー]](現ハマー)、[[ビースティ・ボーイズ]]といった人気ラッパーは人種の別を問わず幅広いファン層をもち数百万枚単位のレコード・セールスをあげるようになった。 ==== ワールド・ミュージック<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ロック」「ポピュラー音楽」「ワールド・ミュージック」の項。</ref> ==== 70年代後半の[[レゲエ]]・ブームを先駆けとして、80年代初めには[[ワールドミュージック|ワールド・ミュージック]](ワールドビートとも言う)が人気を博した。きっかけは、ナイジェリアの[[キング・サニー・アデ]]のアルバム「ジュジュ・ミュージック」(1982)のヒットだった。アフリカの伝統的な[[打楽器]]の音楽にと[[シンセサイザー]]を加えた同アルバムは、非西洋世界のポピュラー音楽に対する関心を高めた。 このような中から[[セネガル]]・[[マリ共和国|マリ]]・コンゴなど[[西アフリカ]]諸国、[[パキスタン]]・[[イスラエル]]など[[西アジア]]~[[南アジア]]、[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]や[[ロマ#ロマの音楽|ジプシー音楽]]など、様々な国からアーティストが現れ、人気を得た。これら[[第三世界]]のアーティストの紹介には[[ピーター・ガブリエル]]、[[デヴィッド・バーン]]、[[ポール・サイモン]]といったロック・ミュージシャンも尽力し、ロックの世界的な影響力をあらためて立証した。 ピーター・ガブリエルが1982年から開催している[[ウォーマッド]]は、ヨーロッパ世界にワールドミュージックを広める牽引車として、[[ヌスラト・ファテー・アリー・ハーン|ヌスラット・ファテー・アリ・ハーン]]など多くの世界中のミュージシャンの人気を高めた。サイモンの1985年のアルバム「[[グレイスランド (アルバム)|グレイスランド]]」には、[[アフリカ]]や[[ラテンアメリカ]]のミュージシャンが共演している。彼らはこのような非西洋の音楽スタイルを取り入れて自作を発表したりもしている。 アフリカへの関心と言う意味では、[[マイケル・ジャクソン]]、[[スティーヴィー・ワンダー]]をはじめとする45人のアーティストがチャリティとして[[USAフォー・アフリカ]]名義で「[[ウィ・アー・ザ・ワールド]]」を制作し、実際に印税を全てアフリカの飢餓と貧困を救うために寄付したのが85年だった<ref group="注">チャリティーコンサートの「[[ライブ・エイド]]」が開催されたのも85年だった。</ref>。これはポピュラー音楽界にチャリティー・ブームを巻き起こした。 80年代半ば以降は[[東欧]]諸国で[[民主化運動]]が始まり、中・東欧の音楽が西側世界にも聴かれ始めた。[[ブルガリア]]の女性コーラス・グループはワールド・ミュージック・ブームのアイドルとなった<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ユーロ・ポップ」の項。</ref>。[[旧ソ連]]からは[[キノー]]が出て、ソビエト連邦を代表するロック・バンドとして西側世界に知られた<ref>Всеволод Гаккель . Аквариум как способ ухода за теннисным кортом. M.: Amphora, 2007. - S. 322. - 416 p. - ISBN 978-5-367-00331-4</ref>。 ==== 映画音楽とミュージカルとイージー・リスニング ==== 映画音楽界では、「[[スター・ウォーズシリーズ|スター・ウォーズ]]」で[[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]が古典的なシンフォニック・スコアを復活させたのが注目される<ref name="名前なし-6"/>。 ミュージカルでは[[コーラスライン]]、[[アニー]]、[[キャッツ (ミュージカル)|キャッツ]]、[[オペラ座の怪人]]、[[レ・ミゼラブル]]などのヒット作が生まれた<ref name="名前なし-3"/>。 イージー・リスニングでは、[[リチャード・クレイダーマン]]が76年にデビューし、ディスコ全盛の時代にあって、敢えてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴えるスタイルで人気となった<ref>http://www.clayderman.co.uk/biography/</ref>。 ==== メイン・ストリームとローカル ==== ポピュラー音楽は、異質な音楽が混交したり、ローカルで自発的な音楽が荒削りな状態で流行ったのちメイン・ストリームに組み込まれると言うような形で発展してきたが、アメリカ国内の黒人音楽はジャズ・ロック・ソウル・フュージョン・ディスコなど、大半が商業主義に組み込まれてしまった<ref>平凡社『世界大百科事典』より「ポピュラー音楽」の項。</ref>。マイケル・ジャクソンやプリンスも、黒人による新種の商業主義音楽と考えることができる<ref>平凡社『世界大百科事典』、Microsoft『Encarta2005』より「ポピュラー音楽」の項。</ref>。こうした中、ヒップホップやラップは新たなローカルと言える<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ヒップホップ」の項に「ニューヨークの局地的な文化として誕生した」とある</ref> が、アメリカの外に活力を求めたのがワールド・ミュージックだった<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ポピュラー音楽」の項に「多国籍企業が資本力にものをいわせてプロモートするアメリカのポピュラー音楽は、ときには地域の伝統的な音楽を衰弱させることもあるが、もともと「文化の異種交配」によって豊かな実りをむすんできた長い歴史をもっている。」「世界各地の個性的なポピュラー音楽は、ロック一辺倒だった1980年代半ばまでのポピュラー音楽の流れをかえ、現在では多彩で新鮮なトレンドをつくりだしている。」とある</ref>、ということもできる。 ==== 新技術とポピュラー音楽④ ==== ===== ヘッドホンステレオ<ref name="名前なし-7"/> ===== 1979年に[[ウォークマン]]がソニーから発売された。[[カセットテープ]]をメディアとして使用する、ヘッドホン式の携帯ステレオの登場によって、いつでもどこでも音楽が楽しめるようになり、若者たちの圧倒的な支持をうけて大ヒット商品となった。 ===== CD<ref>Microsoft『Encarta2005』より「CD」「レコード」の項。</ref> ===== 82年に[[コンパクトディスク|CD]]が登場した。[[レーザー]]による走査によって情報を読みとるため、ターンテーブルの回転ムラによる音のひずみや針音などの雑音がさけられない従来のLPと比較し音質を飛躍的に向上できた上、摩耗による音質劣化や再生不能とは無縁となった。また、ランダムアクセス機能によって曲を任意の順序で再生できた。こうした利点からCDは徐々に販売枚数を増やし、86年には販売数がLPを抜き、90年代に入る頃にはLP自体がほとんどつくられなくなった。 ===== デジタル・オーディオ・ワークステーション ===== コンピュータを音楽で活用しようとする試みは以前からあったが、80年代初頭から音楽製作の場において[[デジタル]]技術や[[コンピュータ]]技術の導入が盛んに行われるようになった。単なる個別の機材のデジタル化を超え、[[シンセサイザー]]・[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]・[[サンプラー]]・[[ミキシング・コンソール|ミキサー]]・コンピュータなどを統合し、音楽制作の[[ワークフロー]]を1台で完結する[[デジタル・オーディオ・ワークステーション]](DAW)の先駆けとなる[[システム]]が現れ、[[シンクラヴィア]]や[[フェアライトCMI]]などの初期の名機が争うように導入されたが、当初は大変高価なものだった。 ===== デジタルシンセサイザー ===== シンセサイザーではそれまでのアナログ式のものに代わり[[デジタルシンセサイザー]]が現れ、特にFM音源を搭載した83年発売の[[ヤマハ|YAMAHA]]の[[ヤマハ・DXシリーズ|DX-7]]は画期的な高性能と低価格を実現し、デジタルシンセサイザーを一般化させた<ref>音楽之友社『音楽中辞典』より「シンセサイザー」の項。</ref>。 === 現代-1990年代以降 === 91年のソ連崩壊と冷戦の終了は世界を一つにし<ref>http://www.y-history.net/appendix/wh1601-057.html</ref>、95年の[[Microsoft Windows 95|Windows95]]発売をきっかけとする[[インターネット]]の普及<ref>https://kotobank.jp/word/Windows%2095-1039</ref>は社会のあり方を大きく変え<ref>http://parstoday.com/ja/radio/programs-i1801</ref>、携帯電話、のちにはスマートホンの普及は若者たちの消費行動や音楽聴取のあり方を大きく変えた<ref>https://www.kobe-yamate.ac.jp/library/journal/pdf/univ/kiyo15/15nagai.pdf</ref>。 ==== CD全盛期 ==== 90年代に入ってCDの売り上げは伸びを見せ、99年には世界的にCDの売り上げが過去最高<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.riaj.or.jp/f/pdf/issue/industry/RIAJ2013.pdf|title=日本のレコード産業2013|accessdate=2020-08-11|publisher=}}</ref>(日本は98年が過去最高<ref>https://www.riaj.or.jp/g/data/annual/ms_n.html<nowiki/>を見ると、日本国内のデータだが確かに98年が最高になっている。</ref>)となった。 メガヒットが連発したため、歴代シングル売上ベスト50のランキングは、うち19曲が90年代~2000年代前半のものが占めている<ref name=":17">http://the-musicbox.net/single1banuretano.html</ref>(これ以降は、ダウンロード販売が主流となるため、統計が別枠となる)<ref>http://the-musicbox.net/best_selling_digital_singles.html</ref>。 アーティスト単位で見ても「世界で最も売れたアーティスト・ランキング!」にある31名のうち、4名はこの19曲の中に名前があり<ref name=":15">http://the-musicbox.net/best_selling_artists_1.html</ref>、累計で1億枚以上売り上げたとされる者も指摘できる。 ここでは歴代シングル売上ベスト50のうち90年代以降の19曲と、該当するアーティストおよび関連情報を表で示す。 {| class="wikitable sortable mw-collapsible" !曲名 !リリース !シングル 売上順位<ref name=":17" /> !当該曲 売上枚数<ref name=":17" /> !アーティスト !当該アーティストの 累計売上枚数<ref name=":15" /> !出身または ルーツ !ジャンル !その他 |- |[[キャンドル・イン・ザ・ウインド|キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997]] |1997 |2 |3300万 |[[エルトン・ジョン]] |2.5億以上 |イギリス |(ロック) |ダイアナ妃追悼曲 |- |[[マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン]] |1997 |8 |1500万 |[[セリーヌ・ディオン]] |2億以上 |カナダ |(ポップス) |映画「[[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]]」 |- |[[オールウェイズ・ラヴ・ユー]] |1992 |9 |1500万 |[[ホイットニー・ヒューストン]] |2億以上 |アメリカ |(R&B) |映画「[[ボディガード (1992年の映画)|ボディ・ガード]]」 |- |[[ウィンド・オブ・チェンジ (スコーピオンズの曲)|ウィンド・オブ・チェンジ]] |1991 |11 |1400万 |[[スコーピオンズ]] |1億以上<ref>http://www.cbc.ca/news/arts/music/story/2010/01/24/scorpions-final-album.html</ref> |ドイツ |ヘヴィ・メタル |グラスノスチを記念する曲 |- |[[君と旅立とう]] |1996 |13 |1200万 |[[アンドレア・ボチェッリ]] /[[サラ・ブライトマン]] |- |イタリア・ イギリス |クラシカル・ クロスオーバー | |- |[[恋人たちのクリスマス]] |1994 |15 |1200万 |[[マライア・キャリー]] |2億以上 |アメリカ |(R&B) |日本国内洋楽シングル売上歴代2位<ref>{{Cite web|和書|url=http://the-musicbox.net/japankokunaiuriage.html|title=日本国内の洋楽シングル・ランキング!|accessdate=2018-7-7|publisher=}}</ref> |- |[[ビリーヴ (シェールの曲)|ビリーヴ]] |1998 |19 |1100万 |[[シェール]] |1億以上<ref>http://today.msnbc.msn.com/id/23059743</ref> |アメリカ |ダンス・ポップ |[[オートチューン]]による<small>シェール・エフェクト</small> |- |[[恋のマカレナ]] |1995 |23 |1100万 |[[ロス・デル・リオ]] |- |スペイン |ラテン | |- |アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー |1991 |25 |1000万 |[[ブライアン・アダムス]] |1億以上<ref>http://jam.canoe.ca/Music/Artists/A/Adams_Bryan/2004/12/01/753551.html</ref> |カナダ |(ロック) |映画「[[ロビン・フッド (1991年のアメリカ映画)|ロビン・フッド]]」 |- |[[熱く胸を焦がして]] |2001 |28 |1000万 |[[カイリー・ミノーグ]] |- |オーストラリア |ダンス・ポップ | |- |ムンディアン・ト・バッチュ・ケ |1998 |31 |1000万 |[[パンジャービーMC]] |- |イギリス <small>(パンジャーブ語話者)</small> |バングラ<ref>インドとパキスタンにまたがるパンジャブ地方の舞踊。</ref> +ヒップホップ | |- |[[ベイビー・ワン・モア・タイム (曲)|ベイビー・ワン・モア・タイム]] |1998 |34 |1000万 |[[ブリトニー・スピアーズ]] |1億以上<ref>http://www.reuters.com/article/2010/09/29/us-glee-britney-idUSTRE68S4OX20100929</ref> |アメリカ |(ポップス) | |- |[[ホウェネヴァー・ホウェアエヴァー]] |2001 |36 |850万 |[[シャキーラ]] |- |コロンビア |ラテン | |- |愛しのバービー・ガール |1997 |39 |800万 |[[アクア (バンド)|アクア]] |- |デンマーク |ユーロダンス | |- |[[クレイジー・イン・ラブ|クレージー・イン・ラブ]] |2003 |41 |800万 |[[ビヨンセ]] |1億以上<ref>伊藤なつみ(アルバム『4』付録[[ライナーノーツ]])</ref> |アメリカ |(R&B) |[[ジェイ・Z]]と共演 |- |[[スメルズ・ライク・ティーン・スピリット]] |1991 |46 |800万 |[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]] |- |アメリカ |オルタナティブ・ロック /グランジ<ref>音楽之友社『音楽中辞典』より「グランジ」「オルターナティブ」、Microsoft『Encarta2005』より「オルタナティブ」の項。</ref> | |- |[[リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ]] |1999 |47 |800万 |[[リッキー・マーティン]] |- |プエルトリコ |ラテン |[[郷ひろみ]]がカバー |- |フーリッシュ |2002 |49 |700万 |[[アシャンティ (歌手)|アシャンティ]] |- |アメリカ |ゴスペル | |- |I'll Be Missing You |1997 |50 |700万 |[[パフ・ダディ]] |- |アメリカ |ヒップホップ | |} ==== CD不況と音楽業界の低迷 ==== 1999年に242億USドルだった世界の音楽売り上げは減少を続け、2013年には150億USドルまで落ち込み、最盛期の2/3を切っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.riaj.or.jp/f/pdf/issue/industry/RIAJ2014.pdf|title=日本のレコード産業2014|accessdate=2020-08-11|publisher=}}</ref>。ダウンロード販売の割合は年々増えており、2014年にはCDとダウンロード販売のシェアが逆転した<ref name=":19">{{Cite web|和書|url=https://gigazine.net/news/20180207-bestbuy-stop-cd-selling/|title=音楽の「CD離れ」がさらに加速、世界最大の家電量販店でもCDの販売が終了へ|accessdate=2020-08-11|publisher=}}</ref>。2018年には、世界最大の家電量販店であるアメリカの「[[ベスト・バイ]]」が店舗での音楽CDの販売を終了する方針であることが明らかになった<ref name=":19" />。「アルバムを作って売って活動する」というスタイルは終焉を迎えつつあり、音楽業界は「ネット販売やネット配信、YouTubeの露出で知名度を上げて、ライブに来てもらう客の数を増やす」という形式に大きく変化してきている<ref name=":19" />。業界全体の売上の低迷は、ほぼそのまま音楽アーティストの活動に影響するため、今後の状況の変化は無視することができない<ref name=":19" />。 ==== ストリーミングによる音楽市場の回復と課題 ==== [[IFPI]]によると、世界の音楽売り上げは2014年を底に回復基調にある。成長を牽引しているのは[[Spotify]]や[[Apple Music]]、[[Amazon Music]]などの[[サブスクリプション]]型音楽[[ストリーミング]]で、CD売上の減少をカバーする形で急成長を見せている。2019年にはストリーミングの売上シェアが音楽売上全体の56.1%となり、CDやダウンロード販売のシェアを大きく上回った<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a60bd137cbbc48ab302741de95fe356c94e91f92|title=全世界の音楽産業が、5年連続プラス成長。200億ドルを久々突破、日本市場の成長は?(ジェイ・コウガミ)|accessdate=2022-02-26|publisher=Yahoo!ニュース}}</ref>。 [[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]により、音楽業界は新たな収入源やファンとの繋がりを模索し始めた。[[TikTok]]などの[[ソーシャルメディア]]から生まれるバイラル・ヒットがトレンドとなり、一部のアーティストはライブストリーミングによるバーチャル・コンサートを開催している<ref name=":20">{{Cite web|和書|url=https://rollingstonejapan.com/articles/detail/35136/1/1/1|title=2020年に激変した音楽ビジネス、絶対知っておくべき12の事柄|accessdate=2022-02-26|publisher=Rolling Stone}}</ref>。 ストリーミングサービスやメジャーレーベルが大きな利益を得る中で、中堅以下のアーティストには恩恵が十分に行き渡っておらず公平でないという批判は多く、業界団体はストリーミング報酬の引き上げを求めるキャンペーンを行っている<ref name=":19" />。 === まとめ<ref>Microsoft『Encarta2005』より「ポピュラー音楽」の項。</ref> === メイン・ストリームと独立系小レーベルの対立、メインストリームによる非主流派の取り込み、しかしそうした中でも受け継がれているもの(1920年代のティン・パン・アレーの歌曲形式と滑らかでロマンティックなボーカル・スタイル、アフリカ系アメリカ音楽の強力なノリやバックビート(あと乗りのビート)、掛け合いの形式、濃密な情感、あるいはイギリス系アメリカ音楽の詩的なテーマやバラード形式など)は現在でも健在であり、アメリカ・ポピュラー音楽は表面上のスタイルが変わったりヒットソングが入れ替わったりしても、全体として強固な連続性を保っている。 == ポピュラー音楽の大まかなジャンル == ポピュラー音楽に含まれるジャンルを、カテゴリー別に示す。 この場合の「ポピュラー音楽」は、歴史の項と同様、「アメリカを中心に世界的な広がりを見せている商業音楽」およびその前身である。 カテゴリーもそれぞれのジャンルも概ね登場順に並んでいる。 個別的なジャンル名を全て列挙するのが目的ではないので、ここでは主なもののみ示している。 === ヨーロッパ大衆音楽 === ==== [[ダンス]] ==== *[[レントラー]] *[[ウィンナ・ワルツ]] *[[ポルカ]] *[[フォックストロット]] *[[ワンステップ]] *[[ミュゼット]] ==== 大衆向けオペラなど ==== *[[オペラ・コミック]] *[[バラッド・オペラ]] *[[ジングシュピール]] *[[オペレッタ]] *[[軽音楽|ライト・クラシック]] ==== 歌 ==== *[[パーラー・ミュージック]]<small>({{lang-en-short|[[:en:Parlour music|parlour music]]}})</small> *[[世界の民謡一覧|各国民謡]]([[アイルランド音楽|アイルランド]]・[[スコットランド音楽|スコットランド]]・[[イギリスの音楽|イングランド]]・[[シャンソン|フランス]]・[[ロシア民謡|ロシア]]・[[ポーランド#音楽|ポーランド]]・[[チェコの音楽|チェコ]]・[[ドイツ#音楽|ドイツ]]など) *[[シャンソン]] === [[ラテン音楽]] === * [[ハバネラ]]、[[ルンバ]]、[[マンボ]]、[[チャチャチャ]](キューバ) * [[ショーロ]]、[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]、[[ボサ・ノヴァ]](ブラジル) * [[タンゴ]](アルゼンチン) * [[カリプソ (音楽)|カリプソ]]、[[:en:Beguine (dance)|ビギン]]、[[レゲエ]](その他カリブ海地域) === 初期のポピュラー音楽 === *[[ミンストレル・ショー|ミンストレル・ソング]] *[[行進曲|マーチ]] *[[ポピュラー・ソング]] *[[ミュージカル]] *[[軽音楽|ライト・ミュージック]] (→[[イージー・リスニング]]) === 20世紀初頭までの黒人の音楽 === *[[コール・アンド・レスポンス]] *[[黒人霊歌]] *[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]] *[[ブルース]] *[[ケークウォーク]] *[[ラグタイム]] === [[ジャズ]] === *[[ディキシーランド・ジャズ]] *[[スウィング・ジャズ|スイング・ミュージック]] *[[ビバップ]] *[[クール・ジャズ]] (→[[ウェスト・コースト・ジャズ]]) *[[フュージョン (音楽)|フュージョン]] *[[フリー・ジャズ]] *[[モード・ジャズ]] === カントリー系 === *[[アメリカ民謡]] *[[ヒルビリー]] *[[ブルーグラス]] *[[カントリー&ウェスタン]] *[[フォークソング|フォーク]] === 第二次世界大戦後の黒人の音楽 === *[[リズム・アンド・ブルース]] *[[ソウルミュージック|ソウル]] *[[ファンク]] *[[ドゥーワップ]] *[[ヒップホップ・ミュージック]] === ロック系 === *[[ロック・アンド・ロール]] *[[ロカビリー]] *[[ロカバラード]] *[[ロック (音楽)|ロック]] *[[ハード・ロック]] *[[ブルース・ロック]] *[[サイケデリック・ロック]] *[[プログレッシブ・ロック]] *[[フォーク・ロック]] *[[グラムロック|グラム・ロック]] *[[パンク・ロック]] *[[ヘヴィメタル]] *[[オルタナティブ・ロック]] *[[グランジ]] === ディスコ系 === *[[ディスコ (音楽)|ディスコ]] *クラブ *[[ハウス (音楽)|ハウス]] *[[エレクトロ・ポップ]] *[[ユーロビート]] === [[ワールドミュージック]] === *[[アフロビート]] *{{仮リンク|ジュジュ・ミュージック|en|Jùjú music}} *[[カッワーリー]] *[[ファド]] *[[バングラ]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == *『ポピュラー音楽200年 フォスターからボブ・ディランまで』(青木啓 誠文堂新光社 1976) == 関連項目 == * [[ポピュラー音楽のジャンル一覧]] * [[音楽のジャンル一覧]] * [[ダブル・ミーニング]] * [[音楽家の一覧]] * [[ポップ・ミュージック]] * [[アメリカのポピュラー音楽]] = [[アメリカ合衆国の音楽#ポピュラー音楽]] * [[J-POP]](日本のポピュラー音楽) == 外部リンク == * [http://www.jaspm.jp/ JASPM 日本ポピュラー音楽学会 | Japanese Association for Studying Popular Music] {{音楽}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ほひゆらあおんかく}} [[Category:ポピュラー音楽|*]] [[Category:ポピュラーソング|*]] [[Category:大衆文化]]
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作曲家
作曲家(さっきょくか、英語: Composer)は、音楽作品(楽曲)を創作(作曲)する人のことであり、とくにそれを職業とする人を指す。日本語で作曲者というと、サウンドクリエイターなどそれより広い意味を持つことがある。 古くは作曲家と演奏家の区別がなかったこともあり、民族音楽では伝承に基づいた音楽形態を即興を交えて演奏する形が普通で、作曲家の成立する余地はなかった。 職業としての作曲家について、欧州ではもともと作曲家は宮廷のためにイベントや冠婚葬祭のための「音楽家」として雇われていた。その宮廷の中で曲を作り、演奏または指揮をこなし活動していた。作曲家か自身が作曲だけで養っていくようになったのは、宮廷政治が崩壊の後、コンサートが市民など行われるようになり、そこに自分の楽譜を売りこんだり(印刷技術の発展)、自分のリサイタルを開催し、入場料などを徴収し自立していくようになる。 日本のポピュラー音楽においては、歌手が自分が歌う曲を自分で作曲する場合が多くあるが、そのような歌手はシンガーソングライターと呼ばれる場合が多く、作曲家と呼ばれる事は稀である。通常自分では歌うことをせず、自作曲を他人に提供することを主に行う音楽家のみを「作曲家」と呼ぶ。 声楽曲においてはメロディーのみを作成する作曲家、楽曲にピアノやギターなどの伴奏を付けて仕上げる作編曲家、オーケストラ編曲まで手がける作編曲家、DTMソフトを使ってデジタルデータとして仕上げる作編曲家など、スタイルは様々ある。 作曲家の印税は、日本音楽著作権協会の使用料規程により、CDの場合は売上げの6%、ライブの場合は売上げの5%が著作権使用料としてレコード会社やコンサート主催者から徴収され、これらを契約に応じて作詞家、音楽出版社と分配する。 日本作曲家協会の正会員となるには、正会員2名の推薦を受け、理事会所定の申込書を理事長に提出し、理事会の承認を受ける手続きを経る。
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作曲家は、音楽作品(楽曲)を創作(作曲)する人のことであり、とくにそれを職業とする人を指す。日本語で作曲者というと、サウンドクリエイターなどそれより広い意味を持つことがある。
{{Redirect|サウンドクリエイター|効果音の製作者|サウンドデザイナー|電子機器を用いる音楽家|マニピュレーター#音楽|日本の興行会社|サウンドクリエーター}} '''作曲家'''(さっきょくか、{{lang-en|Composer}})は、[[音楽]]作品([[楽曲]])を創作([[作曲]])する人のことであり、とくにそれを[[職業]]とする人を指す。[[日本語]]で'''作曲者'''というと、サウンドクリエイターなどそれより広い意味を持つことがある。 == 歴史 == 古くは作曲家と[[演奏家]]の区別がなかったこともあり、[[民族音楽]]では[[伝承]]に基づいた音楽形態を即興を交えて演奏する形が普通で、作曲家の成立する余地はなかった。 職業としての作曲家について、欧州ではもともと作曲家は宮廷のためにイベントや[[冠婚葬祭]]のための「音楽家」として雇われていた。その宮廷の中で曲を作り、演奏または指揮をこなし活動していた。作曲家か自身が作曲だけで養っていくようになったのは、宮廷政治が崩壊の後、コンサートが市民など行われるようになり、そこに自分の楽譜を売りこんだり(印刷技術の発展)、自分のリサイタルを開催し、入場料などを徴収し自立していくようになる。 == 日本の作曲家 == [[日本]]の[[ポピュラー音楽]]においては、[[歌手]]が自分が歌う曲を自分で作曲する場合が多くあるが、そのような歌手は[[シンガーソングライター]]と呼ばれる場合が多く、作曲家と呼ばれる事は稀である。通常自分では歌うことをせず、自作曲を他人に提供することを主に行う[[音楽家]]のみを「作曲家」と呼ぶ。 [[声楽]]曲においては[[メロディー]]のみを作成する作曲家、[[楽曲]]に[[ピアノ]]や[[ギター]]などの伴奏を付けて仕上げる作[[編曲家]]、[[オーケストラ]][[編曲]]まで手がける作編曲家、[[デスクトップミュージック|DTM]]ソフトを使って[[デジタルデータ]]として仕上げる作編曲家など、スタイルは様々ある。 作曲家の[[印税]]は、[[日本音楽著作権協会]]の使用料規程により、CDの場合は売上げの6%、ライブの場合は売上げの5%が著作権使用料としてレコード会社やコンサート主催者から徴収され、これらを契約に応じて[[作詞家]]、[[音楽出版社]]と分配する。 [[日本作曲家協会]]の正会員となるには、正会員2名の推薦を受け、理事会所定の申込書を理事長に提出し、理事会の承認を受ける手続きを経る<ref>{{PDFlink|[http://www.jacompa.or.jp/info/teikan_H280523.pdf 公益社団法人日本作曲家協会 定款]}} p.2 2016年11月19日閲覧。</ref>。 == 著名な作曲家 == {{See|Category:作曲家}} {{Gallery |title=著名な作曲家 |Beethoven.jpg|[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]] |JohannesBrahms.jpg|[[ヨハネス・ブラームス]] |Wolfgang-amadeus-mozart_1.jpg|[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]] |Franz Schubert by Wilhelm August Rieder 1875 larger version.png|[[フランツ・シューベルト]] |Pyotr Ilyich Tchaikovsky.jpg|[[ピョートル・チャイコフスキー]] |Jean Sibelius, 1913.jpg|[[ジャン・シベリウス]] }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references/> == 関連項目 == *[[作曲家一覧]] **[[クラシック音楽の作曲家一覧]] **[[オペラ作曲家一覧]] **[[作曲家一覧#映画音楽]] **[[作曲家一覧#現代音楽]] **[[作曲家一覧#ゲーム音楽]] **[[作曲家一覧#アニメ]] **[[作曲家一覧#ジャズ]] **[[作曲家一覧#イージーリスニング]] **[[作曲家一覧#日本の歌謡曲・J-POP・演歌]] **[[作曲家一覧#労働歌]] **[[ゲーム音楽の作曲家一覧]] **[[アニメ音楽の作曲家一覧]] **[[劇伴音楽の作曲家一覧]] *[[ミュージシャン一覧]] *[[編曲家]] *[[スタジオ・ミュージシャン]] *[[音楽プロデューサー]] *[[トラックメイカー]] *[[作家]] *[https://web.archive.org/web/20070625200918/http://www.critical.ne.jp/~monoe/ 作曲する言葉] - 私設サイト == 外部リンク == * {{CRD|2000023458|作曲家について調べる(国・地域別)|桐朋学園大学附属図書館}} * {{CRD|2000023498|作曲家について調べる(時代別)|桐朋学園大学附属図書館}} {{音楽}} {{作曲}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:さつきよくか}} [[Category:作曲家|*]]
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指揮者
指揮者(しきしゃ、英語: conductor, ドイツ語: Dirigent, フランス語: chef d'orchestre, イタリア語: direttore d'orchestra)は管弦楽・合唱・オペラなどの演奏に自己の解釈を与え、統一のための作業をする者。 合奏や合唱を指揮する人物。 指揮者は、楽曲に自分の解釈を与え、その解釈を演奏者たちに伝え、演奏者らの演奏を統一する役目を担う人である。 オーケストラ、吹奏楽、合唱、ビッグバンドなどは指揮者を必要とする。ポピュラー音楽でも大編成のオーケストラで演奏をするにはやはり指揮者が必要である。 (ただし小編成のアンサンブルでは、演奏者らが音楽的表現についても話し合いをしたり、演奏者の中でリーダーを決められれば演奏を改善していくことも一応は可能な場合があり、特に同じ拍子で演奏をすればよいような場合は指揮者をたてないで済ますこともある。) 指揮者は、ある楽曲の指揮を担当することになったら、まずその楽曲の総譜、関連する音楽史上の文献などを読んで構造などを把握し、表情づけの方法などを検討し、練習の手順を計画する。また多くの指揮者は総譜を読み込んだあと、ピアノなどの鍵盤楽器を使い演奏してみて、自分の解釈がもたらす音響的効果や心理的効果を自分の耳で確認し、それを自ら検討する作業を、あらかじめ一人で行う。 なお小澤征爾の場合、勉強の段階がさらに徹底しており、(上記のように)一度勉強した曲を、さらに自ら白紙の五線譜に書き写し(つまり写譜し)、さらに作者の意思を追求し楽曲の理解を深めるなどの勉強方法を取っている。(小澤は「勉強してきてない指揮者ほど使えないものはありませんから」と語っている)。 指揮者が自己の解釈を演奏者たちに伝える作業は、練習やリハーサルの段階で行う。その段階で自分の解釈をどれほど楽団員に浸透させられるか、解釈どおりの演奏ができるように指導できるかで、本番の演奏の質の大部分も決まる。練習やリハーサルでは適宜、言葉(通常の言語)も使い、自分が思うことを楽団員に伝える。多忙な指揮者は時としてアシスタント(下振り)を使うこともある。 練習に際しては、音楽的表現全体を考えてテンポ・音程・音量・音色・奏法や歌唱法・パート間の音量バランス 等を指導し、ミスやずれを修正して、演奏の完成度を上げていく。最後のリハーサルまでにそれをまとめ上げる。そして演奏会本番に望む。 本番の演奏では、拍子(リズム)を取り、(通常の言語は使わず)表情や目力(めぢから)や仕草を用いて(練習やリハーサル時にすでに伝えた)解釈を楽団員に今一度想起させたり、また演奏や歌唱をリアルタイムで自分の耳で感じ取り、もし微修正したほうがよいと感じられた場合はその指示もリアルタイムで与える。また観客の反応もリアルタイムで感じ取り、必要ならばそれに応じた演奏の微修正を楽団員に指示する。 個性の強い指揮者の場合、(リハーサルの細かい指導では不完全だった場合でも)本番演奏時の「睨み(にらみ)」ひとつで楽団員の演奏能力を普段以上に大きく引き出す例もある。 その他にも、選曲も行う。また楽団員同士の仲裁など人間関係の問題解決等も行う。 指揮者の分類法は多々ある。 楽団との契約関係で分類する場合は次のように分類される。 現代音楽の作品の一部には、その楽譜の中で、指揮者に特殊な役割を果たすよう指示が与えられているものがある。例えば、指揮者が何らかの身振りをすると指示したり、指揮者自身が声を出したり楽器を鳴らすなどと指示している作品がある。具体例は以下の通り。 19世紀半ば以降、指揮者の専門職化が進んだ。現在では、音楽大学の指揮科で養成されることが多い。歴史的にみると、指揮者は専門職ではなく、楽団のリーダーである楽器奏者や声楽家、作曲家などが、まとめ役として担っていたポジションである。作曲家として知られているフェリックス・メンデルスゾーンやグスタフ・マーラーなども指揮者として活躍していた。現在でも、クア・オーケストラのように指揮を専門としない音楽家が指揮をすることもしばしば行われている。また、後述のように、専ら指揮者として活躍する音楽家の中に、器楽奏者、声楽家、作曲家などから転身した者も少なくない。特殊な例では、王侯貴族(デンマーク国王フレゼリク9世)、政治家(英国のエドワード・ヒース元首相など)、会社社長(ソニーの大賀典雄など。但し、もともと大賀は東京芸術大学にて正規の音楽教育を受けている声楽家である)、著名な音楽評論家が指揮台に立つ例もある。 一般的には、指揮の練習や楽曲の予習にはピアノなどの鍵盤楽器を使う。ブルーノ・ワルターやダニエル・バレンボイム、クリストフ・エッシェンバッハ等のようにピアニストとしてデビューし、後に指揮者に転じた者もいる(エッシェンバッハは、ピアニストとしてかなりの名声を築いたのちの転向である。バレンボイムはピアニストと指揮者の両方で現役かつ一流である。)。また、他の楽器についても演奏経験があれば役に立つ。アルトゥーロ・トスカニーニ(スカラ座のチェロ奏者)やシャルル・ミュンシュ(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者、コンサート・マスター)、ルドルフ・ケンペ(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のオーボエ奏者)、ネヴィル・マリナー(フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団のヴァイオリン奏者)など、指揮者の中にはキャリアを楽器奏者から始めた者も少なくない。 また、特に現在では、さまざまな地域で作曲された楽曲を演奏し、さまざまな国の楽団を指揮する機会が大幅に増えており、スコアの原語での読み込みを始め、リハーサルで細かなニュアンスを伝えるためには、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語など、複数の外国語の能力も欠かせなくなってきている。特に、世界最多の歌劇場とオーケストラを持ち各国から無料の音楽留学を受け入れているドイツ及びオーストリアの公用語であるドイツ語と、話者人口の多い英語は重要である。また、欧米で指揮者の仕事の半分を占めるオペラにおいて歌詞のニュアンスを十全に理解する必要性もある。 このように幅広い知識、能力が必要な上に、最終的には大勢の人間に自らの意思を伝え、音楽的表現を作り上げていく能力が重要であることから、指揮者となるためには実践的訓練が重要となる。例えば、ウィーンの音楽大学ではほぼ毎日、午前中はピアノを用いた指揮法のレッスンと楽曲分析(アナリーゼ)の授業、午後は実際に学生オーケストラを振らせるといった教育システムが取られている。 膨大な知識と幅広い能力、そしてそのための絶え間ない訓練を要求されるという点、そして、限られたポストをめぐって他者と争わなければならない点から、指揮者になるのはとても難しいといわれる。ほぼ膝から上の全身を使う肉体作業であるにもかかわらず、大器晩成的な性格もある。たとえば、日本で初の指揮者名鑑であるレコード芸術付録『指揮者WHO'S WHO』(1976)では、当時40代後半のカルロス・クライバーやハインツ・レーグナーが「若手」「未来株」と記述されている(現在の感覚ではさほど奇異ではないが、当時は55歳定年企業が多数派であり、後年に比べて中年や老人の概念がずっと若いことも留意が必要である。映画女優などは30代半ばをすぎると、男優でも40代半ばから助演に回るのが一般的な時代であった)。また、同書で「これといったセールス・ポイントがない」が「安定株ではある」と地味なローカル的存在扱いされた当時63歳のギュンター・ヴァントは、80歳近くなってカリスマ化して世界中で熱狂的人気を集めた。生涯固定したポストに恵まれず、オペラ録音や客演を中心に長い間職人的に語られてきたジョルジュ・プレートルがドイツ音楽の解釈で大指揮者的存在となったのも70歳以降である。70歳を過ぎて新ポストに就任することはごく通常であり、ロリン・マゼールが80歳でミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の新音楽監督として3年契約を交わした等の例がある。 また、長命な指揮者としては95歳没のレオポルド・ストコフスキーや94歳没のロベルト・シュトルツが挙げられるが、ともに死の直前まで活動を行っており、病臥を経ない急死だった。後者に至ってはレコーディング目的で滞在中の外国での客死である。 指揮者は尊敬を込めて「マエストロ」(元々の語源は経験を積んだ専門家の敬称)と呼ばれることもある。 クラシック音楽の特に有名な指揮者を15名ほど挙げるなら、たとえば次のようになる。
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指揮者は管弦楽・合唱・オペラなどの演奏に自己の解釈を与え、統一のための作業をする者。 合奏や合唱を指揮する人物。
{{Otheruses|音楽用語|軍隊用語|指揮官}} {{複数の問題|独自研究=2009年5月18日 (月) 13:40 (UTC)|出典の明記=2019-12}} [[Image:Maazel 08.jpg|thumb|right|300px|楽団を指揮する[[ロリン・マゼール]]]] '''指揮者'''(しきしゃ、{{lang-en|conductor}}, {{lang-de|Dirigent}}, {{lang-fr|chef d'orchestre}}, {{lang-it|direttore d'orchestra}})は[[管弦楽曲|管弦楽]]・[[合唱]]・[[オペラ]]などの[[演奏]]に自己の[[解釈]]を与え、統一のための作業をする者<ref>ブリタニカ国際大百科事典「指揮者」</ref>。 [[合奏]]や[[合唱]]を[[指揮 (音楽)|指揮]]する人物<ref>[[デジタル大辞泉]] 2012年5月23日閲覧。[https://kotobank.jp/word/%E6%8C%87%E6%8F%AE%E8%80%85-72614 コトバンク「指揮者」]でも閲覧可。</ref>。 == 指揮者の役割 == 指揮者は、楽曲に自分の[[解釈]]を与え、その解釈を演奏者たちに伝え、演奏者らの演奏を統一する役目を担う人である。 [[オーケストラ]]、[[吹奏楽]]、[[合唱]]、[[ビッグバンド]]などは指揮者を必要とする。[[ポピュラー音楽]]でも大編成のオーケストラで演奏をするにはやはり指揮者が必要である。 (ただし小編成の[[アンサンブル]]では、演奏者らが音楽的表現についても話し合いをしたり、演奏者の中でリーダーを決められれば演奏を改善していくことも一応は可能な場合があり、特に同じ拍子で演奏をすればよいような場合は指揮者をたてないで済ますこともある。) ;勉強、練習計画の立案 指揮者は、ある楽曲の指揮を担当することになったら、まずその楽曲の[[総譜]]、関連する音楽史上の文献などを読んで構造などを把握し、表情づけの方法などを検討し、練習の手順を[[計画]]する。また多くの指揮者は総譜を読み込んだあと、[[ピアノ]]などの鍵盤楽器を使い演奏してみて、自分の解釈がもたらす音響的効果や心理的効果を自分の耳で確認し、それを自ら検討する作業を、あらかじめ一人で行う。 なお[[小澤征爾]]の場合、勉強の段階がさらに徹底しており、(上記のように)一度勉強した曲を、さらに自ら白紙の[[五線譜]]に書き写し(つまり写譜し)、さらに作者の[[意思]]を追求し楽曲の[[理解]]を深めるなどの勉強方法を取っている<ref name="Ozawa_Seiji">NHK「小澤征爾 魂の響きを伝える」2002年</ref>。(小澤は「勉強してきてない指揮者ほど使えないものはありませんから」と語っている<ref name="Ozawa_Seiji" />)。 ;練習やリハーサルでの仕事 指揮者が自己の解釈を演奏者たちに伝える作業は、[[練習]]や[[リハーサル]]の段階で行う。その段階で自分の解釈をどれほど楽団員に浸透させられるか、解釈どおりの演奏ができるように指導できるかで、本番の演奏の質の大部分も決まる。練習やリハーサルでは適宜、[[言葉]](通常の[[言語]])も使い、自分が思うことを楽団員に伝える。多忙な指揮者は時としてアシスタント(下振り)を使うこともある。 練習に際しては、音楽的表現全体を考えて[[テンポ]]・[[音程]]・[[音の大きさ|音量]]・[[音色]]・[[奏法]]や歌唱法・パート間の音量バランス 等を指導し、ミスやずれを修正して、演奏の完成度を上げていく。最後のリハーサルまでにそれをまとめ上げる。そして演奏会本番に望む。 ;本番演奏の指揮 本番の演奏では、拍子(リズム)を取り、(通常の言語は使わず)表情や目力(めぢから)や仕草を用いて(練習やリハーサル時にすでに伝えた)解釈を楽団員に今一度想起させたり、また演奏や歌唱をリアルタイムで自分の耳で感じ取り、もし微修正したほうがよいと感じられた場合はその指示もリアルタイムで与える。また[[観客]]の反応もリアルタイムで感じ取り、必要ならばそれに応じた演奏の微修正を楽団員に指示する。 個性の強い指揮者の場合、(リハーサルの細かい指導では不完全だった場合でも)本番演奏時の「睨み(にらみ)」ひとつで楽団員の演奏能力を普段以上に大きく引き出す例もある{{efn|たとえばフルート奏者の吉田雅夫は、NHK交響楽団在籍中[[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]の指揮を受けた際、リハーサルで要求される音が出ないために降板を申し入れたが、「私の目を見て演奏しろ」の一言で却下され、本番中は眼光一睨みで音が出た例を語っている<ref>『世界のオーケストラ』音楽之友社、1977年</ref>。}}。{{Efn|なおポピュラーミュージックの本番演奏で、稀に楽団員に背を向けて観客側を向く指揮者などもいるが(ミッチ・ミラー、[[ダン池田]]など)、これはあくまで観客を楽しませるためのテクニックであり、[[パフォーマンス]]である。}} ;その他の仕事 その他にも、'''選曲'''も行う。また楽団員同士の仲裁など[[人間関係]]の問題解決等も行う。 == 種類、分類 == 指揮者の分類法は多々ある。 楽団との契約関係で分類する場合は次のように分類される。 *'''常任指揮者''' - 長期の契約で楽団の指揮を担当する指揮者。常任指揮者は[[オーケストラ]]や[[オペラ]]団の方針に大きな影響を与え、[[音楽監督]]を兼任することもある。 *'''客演指揮者''' - 楽団に招かれる形で、特定の演奏会やツアーだけ指揮を行う。 *'''専任指揮者''' - "専任"と聞くと、音楽に無関係の人々には辞書的な意味の「その楽団の仕事にだけ専念して、他の楽団の仕事はしない」というような意味が想像されてしまうが、「専任指揮者」の場合は、多くの場合その楽団の仕事だけしかしないというわけではなく、実際には他の楽団の仕事もそれなりに行っていることが多い。臨時や客演ではない、といった程度の意味。 == 現代音楽での特殊な役割 == [[現代音楽]]の作品の一部には、その楽譜の中で、指揮者に特殊な役割を果たすよう指示が与えられているものがある。例えば、指揮者が何らかの身振りをすると指示したり、指揮者自身が声を出したり楽器を鳴らすなどと指示している作品がある。具体例は以下の通り。 * [[マウリシオ・カーゲル]]「フィナーレ」 - 指揮者が演奏途中で倒れるように指示されている。 * [[ディーター・シュネーベル]]「ノスタルジー」 - 一人の指揮者(楽器奏者がいない)のための作品。彼の身振りによる視覚的要素を強調したもの。指揮者が無言で身振りを続ける作品。言うなれば指揮者が[[パントマイム]]の[[役者]]になる作品。<ref>Youtubeなどで「Schnebel, Nostalgie」と検索して実演を観ることが可能。</ref> * [[湯浅譲二]]「問い」 - 指揮者が聴衆に向かって語る。 * [[権代敦彦]]「Agnus Dei/Anus Mundi I」 - 指揮者がホイッスルを鳴らす。 * [[井上道義]] - 「[[メモリー・コンクリート]](2004年)」 - 指揮者[[井上道義]]の[[自伝]]的作品。曲中に「指揮者のためのカデンツァ」があり、小太鼓のリズムに乗って指揮者がパフォーマンスを繰り広げる。井上自身の演奏の一例では、礼服を脱ぎ捨ててトレーナー姿になり、王冠風の帽子をかぶって[[タップダンス]]を踊った。 * [[北方寛丈]]と[[菅原拓馬]] - 「[[コラーゲンII]]」(2005年初演) - 2人の指揮者と2群のオーケストラによる作品で、あるパートでは演奏者らが指揮者を全く無視するという指示もある。 == 指揮者の養成 == [[Image:Full score.jpg|thumb|right|300px|膨大な量の[[楽譜|スコア]]と[[指揮棒]]]] [[19世紀]]半ば以降、指揮者の専門職化が進んだ。現在では、[[音楽大学]]の指揮科で養成されることが多い。歴史的にみると、指揮者は専門職ではなく、楽団のリーダーである楽器奏者や声楽家、作曲家などが、まとめ役として担っていたポジションである。作曲家として知られている[[フェリックス・メンデルスゾーン]]や[[グスタフ・マーラー]]なども指揮者として活躍していた。現在でも、[[クア・オーケストラ]]のように指揮を専門としない音楽家が指揮をすることもしばしば行われている。また、後述のように、専ら指揮者として活躍する音楽家の中に、器楽奏者、声楽家、作曲家などから転身した者も少なくない。特殊な例では、王侯貴族([[デンマーク国王]][[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]])、[[政治家]]([[イギリス|英国]]の[[エドワード・ヒース]]元首相など)、[[実業家|会社社長]]([[ソニー]]の[[大賀典雄]]など。但し、もともと大賀は[[東京芸術大学]]にて正規の音楽教育を受けている[[声楽|声楽家]]である)、著名な[[音楽評論家]]が指揮台に立つ例もある。 一般的には、指揮の練習や楽曲の予習にはピアノなどの鍵盤楽器を使う。[[ブルーノ・ワルター]]や[[ダニエル・バレンボイム]]、[[クリストフ・エッシェンバッハ]]等のように[[ピアニスト]]としてデビューし、後に指揮者に転じた者もいる(エッシェンバッハは、ピアニストとしてかなりの名声を築いたのちの転向である。バレンボイムはピアニストと指揮者の両方で現役かつ一流である<ref>{{Cite web|和書|url=https://research.piano.or.jp/topics/2021/04/barenboim_interview.html |title=ピティナ後援 来日公演直前企画 ダニエル・バレンボイム氏 特別インタビュー |access-date=2022-9-24 |publisher=[[全日本ピアノ指導者協会]] |date=2021-4-30 |archive-url=https://megalodon.jp/2022-0924-1016-36/https://research.piano.or.jp:443/topics/2021/04/barenboim_interview.html |archive-date=2022-9-24}}</ref>。)。また、他の楽器についても演奏経験があれば役に立つ。[[アルトゥーロ・トスカニーニ]]([[スカラ座]]のチェロ奏者)や[[シャルル・ミュンシュ]]([[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]のヴァイオリン奏者、[[コンサート・マスター]])、[[ルドルフ・ケンペ]]([[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]のオーボエ奏者)、[[ネヴィル・マリナー]]([[フィルハーモニア管弦楽団]]、[[ロンドン交響楽団]]のヴァイオリン奏者)など、指揮者の中にはキャリアを楽器奏者から始めた者も少なくない。 また、特に現在では、さまざまな地域で作曲された楽曲を演奏し、さまざまな国の楽団を指揮する機会が大幅に増えており、スコアの原語での読み込みを始め、リハーサルで細かなニュアンスを伝えるためには、[[英語]]、[[フランス語]]、[[ドイツ語]]、[[イタリア語]]、[[ロシア語]]など、複数の外国語の能力も欠かせなくなってきている。特に、世界最多の歌劇場とオーケストラを持ち各国から無料の音楽留学を受け入れているドイツ及びオーストリアの公用語であるドイツ語と、話者人口の多い英語は重要である。また、欧米で指揮者の仕事の半分を占めるオペラにおいて歌詞のニュアンスを十全に理解する必要性もある。 このように幅広い知識、能力が必要な上に、最終的には大勢の人間に自らの意思を伝え、音楽的表現を作り上げていく能力が重要であることから、指揮者となるためには実践的訓練が重要となる。例えば、ウィーンの音楽大学ではほぼ毎日、午前中はピアノを用いた指揮法のレッスンと[[楽曲分析]](アナリーゼ)の授業、午後は実際に学生オーケストラを振らせるといった教育システムが取られている。 [[Image:Anthony inglis conducting melbourne symphony orchestra.jpg|thumb|right|300px|大楽団を率いる指揮者。[[メルボルン交響楽団]]]] 膨大な知識と幅広い能力、そしてそのための絶え間ない訓練を要求されるという点、そして、限られたポストをめぐって他者と争わなければならない点から、指揮者になるのはとても難しいといわれる{{要出典|date=2010年6月}}。ほぼ膝から上の全身を使う肉体作業であるにもかかわらず、大器晩成的な性格もある。たとえば、日本で初の指揮者名鑑であるレコード芸術付録『指揮者WHO'S WHO』(1976)では、当時40代後半の[[カルロス・クライバー]]や[[ハインツ・レーグナー]]が「若手」「未来株」と記述されている(現在の感覚ではさほど奇異ではないが、当時は55歳定年企業が多数派であり、後年に比べて中年や老人の概念がずっと若いことも留意が必要である。映画女優などは30代半ばをすぎると、男優でも40代半ばから助演に回るのが一般的な時代であった)。また、同書で「これといったセールス・ポイントがない」が「安定株ではある」と地味なローカル的存在扱いされた当時63歳の[[ギュンター・ヴァント]]は、80歳近くなってカリスマ化して世界中で熱狂的人気を集めた。生涯固定したポストに恵まれず、オペラ録音や客演を中心に長い間職人的に語られてきた[[ジョルジュ・プレートル]]がドイツ音楽の解釈で大指揮者的存在となったのも70歳以降である。70歳を過ぎて新ポストに就任することはごく通常であり、[[ロリン・マゼール]]が80歳で[[ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団]]の新音楽監督として3年契約を交わした等の例がある。{{-}}また、長命な指揮者としては95歳没の[[レオポルド・ストコフスキー]]や94歳没の[[ロベルト・シュトルツ]]が挙げられるが、ともに死の直前まで活動を行っており、病臥を経ない急死だった。後者に至ってはレコーディング目的で滞在中の外国での客死である。 == 敬称 == 指揮者は尊敬を込めて「[[マエストロ]]」(元々の語源は経験を積んだ専門家の[[敬称]])と呼ばれることもある。 == 指揮者一覧 == === クラシックの 世界的な指揮者 === クラシック音楽の特に有名な指揮者を15名ほど挙げるなら、たとえば次のようになる。 *[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]] *[[サイモン・ラトル]] *[[小澤征爾]] (※) *[[クラウディオ・アバド]] *[[ヘルベルト・ブロムシュテット]] *[[カルロス・クライバー]] *[[カルロ・マリア・ジュリーニ]] *[[ベルナルト・ハイティンク]] *[[ダニエル・バレンボイム]] *[[ヴァレリー・ゲルギエフ]] *[[グスターボ・ドゥダメル]] *[[ズービン・メータ]] *[[リッカルド・シャイー]] *[[佐渡裕]] {{Seealso|クラシック音楽の指揮者一覧}} ::(※)小澤征爾は一応は日本人だが、活躍の舞台はあくまで「世界」である。[[ボストン交響楽団]]の指揮者兼音楽監督を30年ほどつとめ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーンフィル 等々 世界最高レベルの楽団の指揮も行い、世界的に高い評価を受けており「世界の指揮者」である。 === クラシック以外の指揮者 === * [[ポール・モーリア]]([[イージーリスニング]]) * [[フランク・プゥルセル]](イージーリスニング) * [[レイモン・ルフェーブル]](イージーリスニング) * [[マントヴァーニ]](イージーリスニング) * [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]([[映画音楽]]) * {{仮リンク|フランク・ストローベル|en|Frank Strobel}}(映画音楽) === 日本人指揮者 === {{columns-list|colwidth=20em| * [[秋山和慶]] * [[朝比奈隆]] * [[飯田三郎]] * [[岩城宏之]] * [[大友直人]] * [[大野和士]] * [[小澤征爾]] * [[尾高忠明]] * [[小林研一郎]] * [[佐渡裕]] * [[須摩洋朔]] * [[高関健]] * [[外山雄三]] * [[西村友]] * [[西本智実]] * [[羽田健太郎]] * [[広上淳一]] * [[藤掛廣幸]] * [[前田憲男]] * [[山下一史]] * [[若杉弘]] }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[指揮棒]] * [[名誉指揮者]] * [[合唱指揮者]] * [[クラシック音楽]] * [[オーケストラ]] * [[コンサートマスター]] * [[吹奏楽]] * [[マーチングバンド]] * [[マーチングバンド#ドラムメジャー|ドラムメジャー]] * [[鼓笛隊]] {{音楽}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しきしや}} [[Category:指揮者|*]]
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非政府組織
非政府組織(、英: nongovernmental organization)は、民間人や民間団体のつくる機構・組織であり、国内・国際の両方がある。日本語では、NGO(エヌジーオー)という言葉が、国際的なものとして使われており、「国際協力に携わる組織」や「政府を補完する側面」というような場合に使用される。ただし、英語ではNGOは可算名詞としてみなされているため、原則として「NGOs」と記される。 1815年ウィーン会議で設立されたライン川航行中央委員会は中央ヨーロッパ諸国に限定されるものであったが、1813年健康理事会は欧州諸国に加えオスマン帝国も含むものだった。自国民の安全や利益だけでなく、諸国の共同の福祉を促進し、国際協調というものが、自国にも諸国にも得るものが多いということを人々に認識させてきたのである。 19世紀後半におよそ10のNGOが設立され始めた。NGO自体は国家に対峙して設立されたものではなく、政府と協力して活動を展開した。 例としては国際赤十字であるが、当初はNGOではなく政府間組織であった。スイス人アンリ・デュナンはサルディニアとフランスがオーストリアと闘ったソルフェリーノでの戦闘(1859年)を目の当たりにして著述した『ソルフェリーノでの思い出』(1862年)であり、これがスイス政府を動かし、戦傷者の処遇改善へ向けて国際会議を組織し、1864年には赤十字がジュネーヴで民間主導で組織された。 この会議に出席した諸政府は赤十字団体の活動を認める条約に署名したのである。衛生や健康の分野においても汎米衛生事務局や結核撲滅キャンペーン中央局が1902年に設立された。 第一次世界大戦後、死傷者数の多さなどの反省から組織化という考え方が戦後国際問題に重要な問題とみなされ、国際連盟が制度として成立される。NGOの数は増え続け1929年には478に上る総数の国際組織が上げられたが、そのうち90%は民間機関であった。 非営利組織で、慣習的に、国際的に活動するものを非政府組織・(国際)NGOと呼ぶ場合が多い。国際NGOの数は17,000以上に上るといわれ、特に緊急時の援助活動や地域住民の福祉の向上を目的とするものは民間援助団体ともよばれる。赤十字社連盟、国際商工会議所(ICC)、世界労連(WFTU)、国際自由労連(ICFTU)、よく耳にするYMCAや、YWCAなどがある。いずれも本部事務所を持ち、世界に支部をもち、活動国も多くの国々である。ブリュッセルの国際協会連合 の国際団体名鑑の7つの基準によれば、 国際NGOは国連憲章第71条 の精神から国連憲章における協議資格を持つNGO と 国連憲章における協議資格を持たないNGOがある。国連は経済社会理事会 (ECOSOC) を通して民間団体と協力関係をもつこと。NGOと取り決めを行い、その国の政府と協議のうえ、国内NGOとの間で行うことができる。 国際連合憲章においては、非政府組織(英語ではNGO)は、国際連合と連携を行う民間組織と定義されている(国際連合憲章の当時の日本政府訳(昭和31年条約第26号)では、単に「民間団体」と訳されている)。そのためこの文脈での非政府組織は、国際連合と協力関係にある国際組織と同義と考えられる。実際に、国際連合が連携・協議する国際的な非政府組織は、国際連合NGOとも呼ばれ、国際政治を動かすほどの影響力を持つ。国連はECOSOCを通して民間団体と協力関係を持ち、協議によりNGOとの間に取り決めを行うことがある。国連で実際上除外されているのは、営利団体、政党、基金の類である。 決議はNGOの協議上の地位を3つに分類している。 決議は協議上の地位の停止および撤回を定めている。とくに以下の場合3年間地位停止ないし撤回が決定される。 全体主義的な人権抑圧主義にある国が戦争を起こしやすいとの見解から、第二次大戦後は人権擁護を基本精神の一部にすることを連合国側は構想していた。人権、基本的自由を尊重する考え方は国連主要目的の柱の一つになった。(国連憲章1条3項) 人権NGOの舞台は、人権委員会である。委員会は43名の政府代表で構成され、3年を任期とする。日本は1982年以来今日までメンバーである。人権委員会は2006年に人権理事会へと改組した。 現在は国連憲章の枠を超えて ECOSOC 以外の多くの国連諸機関と広範囲で関係するようになってきている。 国連憲章の規定にカバーされないNGOの協力に総会関連機関がある。CONGO に代表されるNGOの最大の不満だからである。ナミビア理事会、非植民地化委員会、反アパルトヘイト特別委員会、パレスチナの権利委員会などは通常総会は出席出できるのみの権利しかないことや、すべての下部機関全体について ECOSOC における協議の権利を確保されていないことであり、各機関によって認められた権利は一様でなく、概して消極的なものしか与えられないことなどである。パレスチナについては1983年にICCP が設置された。また、開発のための科学技術委員会(CSTD) も存在する。大学、研究所、多国籍企業らの広い意味でのNGOとの協力を不可欠と考えて設置された。国際連合環境計画 (UNEP) があり、関連したもので国際湖沼環境委員会(ILEC) がある。国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) もそうである。 国際連合児童基金(ユニセフ)執行理事会の手続き規則は、オブザーバーとして次のものを挙げる。 自由権規約人権委員会は ECOSOC 下部機関である人権委員会におけるNGOとの協議とは別個系列で発達した人権通報 というものがある。国内の人権侵害を訴える通報には、内政不干渉の立場を国連はとってきたが、1968年の国際人権会議(テヘラン)を経て人権擁護に深く踏み込み、通報の要件を改定した。「一五〇三手続」 という。これは次のように二分される。 日本は規約には加入したが、議定書には加入していない。 1970年に決議一五〇三 (XLVIII) が採択されたことに鑑みて1974年以降通報の審議を中断していたが、1982年通報のための特別委員会が設置された。公権力により拘禁中の女性に対する暴力、強姦、性的虐待、妊婦への手荒い扱いなどがみられ、ECOSOCは関係加盟国に対してこのような暴力をなくすよう早急に適切な措置をするよう求めた。 安保理事会と軍縮会議も国連憲章の枠を超えた内容になっている。ジンバブエとして1980年に独立する以前の南ローデシア白人少数政権に対する経済制裁に関してである。宗主国のイギリス、欧米諸国らとの経済的結びつきから制裁破りの経済活動が横行した。委員会は制裁破りの活動に関して正確な情報を寄せるよう勧告し、理事会で承認された。1979年9月独立へ向けて制裁会議を開くとの合意が成立し、理事会は制裁解除を決定し1980年4月南ローデシアはジンバブエとして独立を達成した。 上述のとおり、非政府組織は国際的に活動する団体を特に指すことが多い。これは非政府組織と同様に国際的に活動する各国政府や国際機関との対比による。 同一の団体・組織であっても、所属する国内の法人格としてはNPO、国際的な通称としてはNGO(非政府組織)と標榜することが多い。そのため、国際的には非政府組織として認知され、かつ国内法上は非営利団体や特定非営利活動法人として扱われる。 非政府組織の多くは、所属国内の法律において法人種を非営利団体(特定非営利活動法人)、財団としている場合が多いが、法人格として会社であっても非政府組織となり得る。
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非政府組織(ひせいふそしき、は、民間人や民間団体のつくる機構・組織であり、国内・国際の両方がある。日本語では、NGOという言葉が、国際的なものとして使われており、「国際協力に携わる組織」や「政府を補完する側面」というような場合に使用される。ただし、英語ではNGOは可算名詞としてみなされているため、原則として「NGOs」と記される。
{{redirect|NGO}} {{出典の明記|date=2023年3月}} {{読み仮名|'''非政府組織'''|ひせいふそしき|{{lang-en-short|nongovernmental organization}}}}は、民間人や民間団体のつくる機構・[[組織 (社会科学)|組織]]であり、国内・国際の両方がある。日本語では、'''NGO'''(エヌジーオー)という言葉が、国際的なものとして使われており、「国際協力に携わる組織」や「政府を補完する側面」というような場合に使用される。ただし、英語ではNGOは可算名詞としてみなされているため、原則として「NGOs」と記される。 == 歴史 == {{正確性|section=1|date=2008年6月}} 1815年[[ウィーン会議]]で設立された[[ライン川航行中央委員会]]<ref group="注">{{lang-en-short|Central commission for the Navigation of the {{lang|de|Rhine}}}}</ref>は中央ヨーロッパ諸国に限定されるものであったが、1813年健康理事会<ref group="注">{{lang-en-short|Super Council of Health}}</ref>は欧州諸国に加え[[オスマン帝国]]も含むものだった。自国民の安全や利益だけでなく、諸国の共同の福祉を促進し、国際協調というものが、自国にも諸国にも得るものが多いということを人々に認識させてきたのである。 19世紀後半におよそ10のNGOが設立され始めた。NGO自体は国家に対峙して設立されたものではなく、政府と協力して活動を展開した。 例としては[[国際赤十字]]であるが、当初はNGOではなく政府間組織であった。[[スイス]]人[[アンリ・デュナン]]は[[サルディニア]]と[[フランス]]が[[オーストリア]]と闘った[[ソルフェリーノの戦い|ソルフェリーノでの戦闘]](1859年)を目の当たりにして著述した『ソルフェリーノでの思い出』(1862年)であり、これがスイス政府を動かし、戦傷者の処遇改善へ向けて国際会議を組織し、[[1864年]]には赤十字が[[ジュネーヴ]]で民間主導で組織された。 この会議に出席した諸政府は赤十字団体の活動を認める条約に署名したのである。[[衛生]]や[[健康]]の分野においても汎米衛生事務局<ref group="注">{{lang-en-short|Pan American Sanitary Bureau}}</ref>や[[結核]]撲滅キャンペーン中央局<ref group="注">{{lang-en-short|International Central Bureau for the Campaign against Tuberculosis}}</ref>が[[1902年]]に設立された。 [[第一次世界大戦]]後、死傷者数の多さなどの反省から組織化という考え方が戦後国際問題に重要な問題とみなされ、[[国際連盟]]が制度として成立される。NGOの数は増え続け[[1929年]]には478に上る総数の国際組織が上げられたが、そのうち90%は民間機関であった。 == 概要・定義 == [[非営利組織]]で、慣習的に、国際的に活動するものを非政府組織・(国際)NGOと呼ぶ場合が多い。国際NGOの数は17,000以上に上るといわれ、特に緊急時の援助活動や地域住民の福祉の向上を目的とするものは民間援助団体ともよばれる。[[赤十字社]]連盟、[[国際商工会議所]](ICC<ref group="注">{{lang-en-short|International Chamber of Commerce}}</ref>)、[[世界労連]](WFTU<ref group="注">{{lang-en-short|World Federation of Trade Unions}}</ref>)、[[国際自由労連]](ICFTU<ref group="注">{{lang-en-short|International Confederation of Free Trade Unions}}</ref>)、よく耳にする[[キリスト教青年会|YMCA]]や、[[キリスト教女子青年会|YWCA]]などがある。いずれも本部事務所を持ち、世界に支部をもち、活動国も多くの国々である。[[ブリュッセル]]の[[国際協会連合]]<ref group="注">毎年国際団体名鑑をだし、世界の政府機関、および国際NGOをカバーし、その所在、設立年、目的、事業活動、メンバー、組織、事務長など各機関に関する一通りの情報を掲載している貴重な本である {{lang|en|Yearbook of International Organizations}}、{{lang|en|Union of International Associations}}、{{lang|en|K.G. Saur}})。 連合は17,000に上る国際NGOとの接触をもっているという。</ref> の国際団体名鑑の7つの基準によれば、 {|class="wikitable" |1|| nowrap="nowrap" |目的||真に国際的な目的を有していること。 |- |2|| nowrap="nowrap" |メンバー||3か国以上の個人または団体が、完全な投票権を得て会員となっていること。その団体での活動分野での有資格者(団体を含む)に加入が開かれていること。 |- |3|| nowrap="nowrap" |規約||規約を有し、管理機関、および役員を会員が定期的に選出すべきこと。本部事務所を有し、活動に継続性があること。 |- |4|| nowrap="nowrap" |役員||一定期間すべての役員を同一国民が独占している場合には、本部所在地ならびに役員を一定期間ののち、持ち回りとしていること。 |- |5|| nowrap="nowrap" |財政||活動資金の実質部分を3か国以上から得ていること。会員への利益配分を意図しないこと。 |- |6|| nowrap="nowrap" |他団体との関係||他団体と正式な関係を持っている場合には、独自の活動をなし、別個の役員をもっていること。 |- |7|| nowrap="nowrap" |活動||現在活動していること。 |} 国際NGOは[[国連憲章]]第71条<ref group="注">「経済社会理事会はその権限内にある事項に関係のある民間団体と協議するために、適当な取極を行うことが出来る。この取極は、国際団体との間に、また適当な場合には、関係のある国際連合加盟国と協議したあとに、国内団体に行うことが出来る。」</ref> の精神から'''国連憲章における協議資格を持つNGO''' と '''国連憲章における協議資格を持たないNGO'''がある。国連は[[国際連合経済社会理事会|経済社会理事会]] (ECOSOC)<ref group="注">国連の主要機関のひとつで54か国の加盟国があり、「経済的、社会的、文化的、教育的および保健」について「研究および報告」を行い、総会、国際連合加盟国に勧告を行うことができる。総会や[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]にくらべてその地位が低下している。</ref> を通して民間団体と協力関係をもつこと。NGOと取り決めを行い、その国の政府と協議のうえ、国内NGOとの間で行うことができる。 ;NGOの定義 :「政府間協定によって成立したものでない国際団体を協議取り決めの対象とし、政府が任命したものを含んだNGOにしても、そのことによって表現の自由が妨げられないことを条件とする。」 === 国連憲章に基づくNGO === [[国際連合憲章]]においては、非政府組織(英語ではNGO)は、[[国際連合]]と連携を行う民間組織と定義されている(国際連合憲章の当時の日本政府訳([[1956年|昭和31年]][[条約]]第26号)では、単に「民間団体」と訳されている)。そのためこの文脈での非政府組織は、国際連合と協力関係にある国際組織と同義と考えられる。実際に、国際連合が連携・協議する国際的な非政府組織は、国際連合NGOとも呼ばれ、国際政治を動かすほどの影響力を持つ。国連は'''ECOSOC'''を通して[[民間団体]]と協力関係を持ち、協議によりNGOとの間に取り決めを行うことがある。国連で実際上除外されているのは、[[営利団体]]、[[政党]]、[[基金]]の類である。 ==== 協議上の地位 ==== 決議はNGOの協議上の地位を3つに分類している。 *ECOSOCの活動の大半に関心を持ち、[[国際経済]]、[[社会]]、[[文化 (代表的なトピック)|文化]]、[[教育]]、[[衛生]]、[[科学]]、[[技術]]、[[人権]]の分野で国連の目的達成に貢献し、国際的に知名度があり、多くの人々を代表とする。 *ECOSOCの活動分野の若干に関心を持ち、その分野で国際的に知名度があること。人権に関心あるNGOは人権全般に関心を有するものであること。 *上記2つに該当しないが、ECOSOC、同下部機関ないしその他の国連機関に有益な貢献をすると認められるもの。 ==== 協議上の地位停止と撤回 ==== 決議は協議上の地位の停止および撤回を定めている。とくに以下の場合3年間地位停止ないし撤回が決定される。 *秘密裡に政治資金を受領して、これを国連憲章の目的と原則に反する行為のために使用するとき<ref group="注">1967年にすでに協議上の地位を得ているいくつかのNGOに、米国の[[中央情報局|CIA]]から資金が出ていたことが、NGO委員会において暴露されたからであった。そしてこの事件がきっかけで決議1296 (XLIV) が採択されることになったという経緯がある。</ref> *国連憲章の原則に違反して、計画的に、実体のない政治行為に従事するとき<ref group="注">ここで意図されているのはNGOへの批判である。古いところでは朝鮮戦争における米国政府の行為を批判したNGOが、逆に米国政府から非難を受けたことがあった。しかしこれより多くの点で政府との間に緊張関係が生じるのは、人権の分野においてである。とくに共産圏諸国やラテンアメリカ諸国が国内での人権問題のNGOによる指摘に鋭い反応があった。</ref> *過去3年間に渡ってECOSOCおよび下部機関の事業に何らかの貢献もないとき ==== 人権NGO ==== [[全体主義]]的な[[人権抑圧]]主義にある国が戦争を起こしやすいとの見解から、[[第二次世界大戦|第二次大戦]]後は[[人権擁護者|人権擁護]]を基本精神の一部にすることを連合国側は構想していた。[[人権]]、[[自由|基本的自由]]を尊重する考え方は国連主要目的の柱の一つになった。(国連憲章1条3項)<ref group="注">経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに[[人種]]、[[ジェンダー|性]]、[[言語]]または[[宗教]]による[[差別]]なくすべての者のために[[人権]]および基本的[[自由]]を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。</ref> 人権NGOの舞台は、[[国際連合人権委員会|人権委員会]]である。委員会は43名の政府代表で構成され、3年を任期とする。日本は1982年以来今日までメンバーである<ref group="注">1946年人権委員会が設置されたとき、その任務は以下の点について提案、勧告をする。 *人権の国際的宣言。 *市民的自由、女性の地位、情報の自由、または類似の問題に関する宣言または国際条約。 *少数者の保護 *人権、性別、言語、あるいは宗教に基づく差別の禁止。</ref>。人権委員会は2006年に[[国際連合人権理事会|人権理事会]]へと改組した。 === 国連憲章に基づかないNGO === 現在は国連憲章の枠を超えて {{lang|en|'''ECOSOC'''}} 以外の多くの国連諸機関と広範囲で関係するようになってきている。 ==== 総会関係 ==== 国連憲章の規定にカバーされないNGOの協力に総会関連機関がある。{{lang|en|'''CONGO'''}}<ref group="注">{{lang|en|ECOSOC}}/NGOはそれぞれの組織を持ち、英語の略称を {{lang|en|conference of Non-Governmental Organizations in Consultative Status with the Economic and Social Council of the United Nations}} といい、その頭文字をとって略称を {{lang|en|CONGO}} という。その定款の目的は {{lang|en|ECOSOC}} との協議関係の発展と強化にある。</ref> に代表されるNGOの最大の不満だからである。'''ナミビア理事会'''、'''非植民地化委員会'''、'''反アパルトヘイト特別委員会'''、'''パレスチナの権利委員会'''などは通常総会は出席出できるのみの権利しかないことや、すべての下部機関全体について {{lang|en|ECOSOC}} における協議の権利を確保されていないことであり、各機関によって認められた権利は一様でなく、概して消極的なものしか与えられないことなどである。パレスチナについては1983年に'''ICCP'''<ref group="注">国際調整委員会 ({{lang|en|International Co-ordinating Committee}}-ICCP) 86年の第三回会議では集まった98のNGOから18のNGOが委員会に選出された。目的は国連の平和解決のために世論を喚起することである。</ref> が設置された。また、'''開発のための科学技術委員会(CSTD)''' <ref group="注">(Commission on Science and Technology for Development)</ref> も存在する。大学、研究所、多国籍企業らの広い意味でのNGOとの協力を不可欠と考えて設置された。[[国際連合環境計画]] (UNEP)<ref group="注">UNEP ({{lang|en|United Nations Environment Programme}}) 北米の環境保全NGOが国連を動かし、1972年国連人間環境会議が開催された。</ref> があり、関連したもので[[国際湖沼環境委員会]](ILEC)<ref group="注">ILEC ({{lang|en|International Lake Environment Committee}}) 日本発祥のNGOで琵琶湖の水質汚染問題から富栄養化の防止に関する条例の制定ができたが、同じような悩みを抱えた他の国々にも呼びかけて世界湖沼環境会議が開かれた。1985年大津で発起人会議が開かれ、1986年設立総会がそこで開かれた。</ref> がある。[[国連難民高等弁務官事務所]] (UNHCR)<ref group="注">1951年設立された国連難民高等弁務官事務所は、もっぱら国際保護の機関として設立。 *[[難民の地位に関する条約]]の締結および批准を促進し、その適用を監督する。 *各国政府との特別協定によって難民の状態を改善する措置の実施を促進する。 *自発的な帰国、または新しい国での同化を促進する努力を助ける。 *すべての難民の入国を促進する。 *難民の財産移転の許可を得られるようにする。 *各国内の状態および関係する法令について情報を集める。 *各国政府と連絡する。 *NGOと接触をたもつ。 *難民救護に当たるNGOの調整を行う</ref> もそうである。 ==== {{lang|en|ECOSOC}}関係 ==== [[国際連合児童基金]](ユニセフ)執行理事会の手続き規則は、[[オブザーバー]]として次のものを挙げる。 *総会がオブザーバーの地位を与えた民族団体 *ユニセフでの協議上の地位をもつNGO *ユニセフNGO委員会 *ユニセフ国内委員会 ==== 自由権規約人権委員会 ==== [[自由権規約人権委員会]]は {{lang|en|ECOSOC}} 下部機関である人権委員会におけるNGOとの協議とは別個系列で発達した人権通報<ref group="注">{{lang-en-short|Communication}}</ref> というものがある。国内の人権侵害を訴える通報には、内政不干渉の立場を国連はとってきたが、1968年の国際人権会議([[テヘラン]])を経て人権擁護に深く踏み込み、通報の要件を改定した。「一五〇三手続」<ref group="注"> *人権侵害の内容が大規模重大であること *その内容に信頼性があり十分に証明されていること *権利の侵害を受けたものであるか、その内容を直接見聞した人物のものであること *NGOからの場合それが国連憲章に反する団体でないこと *国内手続きを完了していること </ref> という。これは次のように二分される。 *[[市民的及び政治的権利に関する国際規約]]と[[市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書|その選択議定書]]によって扱われるべきもの *一五〇三の手続き 日本は規約には加入したが、議定書には加入していない。 ==== 婦人の地位委員会 ==== 1970年に決議一五〇三 (XLVIII) が採択されたことに鑑みて1974年以降通報の審議を中断していたが、1982年通報のための特別委員会が設置された。[[公権力]]により拘禁中の女性に対する[[暴力]]、[[強姦]]、[[性的虐待]]、[[妊婦]]への手荒い扱いなどがみられ、ECOSOCは関係加盟国に対してこのような暴力をなくすよう早急に適切な措置をするよう求めた。 ==== 安全保障理事会関係 ==== [[国際連合安全保障理事会|安保理事会]]と[[軍縮会議]]も国連憲章の枠を超えた内容になっている。[[ジンバブエ]]として1980年に独立する以前の南[[ローデシア]]白人少数政権に対する経済制裁に関してである。宗主国のイギリス、欧米諸国らとの経済的結びつきから制裁破りの経済活動が横行した。委員会は制裁破りの活動に関して正確な情報を寄せるよう勧告し、理事会で承認された。1979年9月独立へ向けて制裁会議を開くとの合意が成立し、理事会は制裁解除を決定し1980年4月南ローデシアはジンバブエとして独立を達成した。 == 非政府組織の法人格 == 上述のとおり、非政府組織は国際的に活動する団体を特に指すことが多い。これは非政府組織と同様に国際的に活動する各国政府や国際機関との対比による。 同一の団体・組織であっても、所属する国内の法人格としては[[NPO]]<ref group="注">{{lang-en-short|Non-Profit Organization, Non-Profitable Organization}}、非営利団体</ref>、国際的な通称としてはNGO(非政府組織)と標榜することが多い。そのため、国際的には非政府組織として認知され、かつ国内法上は非営利団体や特定非営利活動法人として扱われる。 非政府組織の多くは、所属国内の法律において法人種を非営利団体([[特定非営利活動法人]])、財団としている場合が多いが、法人格として会社であっても非政府組織となり得る。 == 日本に本部を置く国際連合NGO == <ref>[http://www.unic.or.jp/links/ngo/ 国際連合広報センター] からの出典</ref> === 経済社会理事会(ECOSOC)に諮問的地位を有するNGO === ==== 総合諮問資格 (General Consultative Status) ==== *[[アジア刑政財団]] *[[アムダ]](AMDA) *[[国連支援交流協会]](本部:ニューヨーク) *[[オイスカ]] *[[DEVNET Association]] ==== 特殊諮問資格 (Special Consultative Status) ==== *[[アクセプト・インターナショナル]] *[[アジア女性資料センター]] *[[喉頭摘出者団体アジア連盟]] *[[難民を助ける会]] *[[地球環境行動会議]] *[[GLOBE・JAPAN]](地球環境国際議員連盟 /本部:ワシントンDC) *[[国際港湾協会]] *[[国際婦人年連絡会]] *公益社団法人[[自由人権協会]] *[[国際女性の地位協会]] *財団法人[[家族計画国際協力財団]] *[[日本弁護士連合会]] *[[日本友和会]] *財団法人[[アジア女性交流・研究フォーラム]] *[[平和市長会議]] *[[妙智會ありがとう基金]] *特定非営利活動法人[[ネットワーク『地球村』]] *[[新日本婦人の会]] *[[日本国際民間協力会]] *[[ピースボート]] *[[市民フォーラム2001]] *[[アジア太平洋都市間協力ネットワーク]]〔CITYNET〕 *[[市民外交センター]] *[[世界被害者学会]] *[[反差別国際運動]](IMADR) *[[神道国際学会]] *[[日亜文化交流協会]] (JACE) *[http://www.ngoicsa.or.jp/ 国際キャリア支援協会及び日本自然医学会](ICSA&JNMS) ==== ロスター (Roster Consultative Status) ==== *[[世界冬の都市市長会]]【A1】 *特定非営利活動法人[[日本口唇口蓋裂協会]]【A1】 *[[アジア太平洋青年連合]]【A1】 *[[アジア留学生協力会]]【A1】 *[[日本財団]]【A1】 *[[創価学会インターナショナル]]【A1】 *[[地球環境と大気汚染を考える全国市民会議]]【A2】 *[[国際マングローブ生態系協会]]【A2】 *[[笹川平和財団]]【A2】 === 国連広報局登録NGO === *アジア太平洋青年連合(*) *[[国際協力推進協会]] *[[世界義勇消防連盟]] *[[福岡国際ミズの会]] *[[不戦兵士の会]] *[[日本被団協]] *世界冬の都市市長会(*) *国際港湾協会(*) *[[国際平和研究学会]] *インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(*) *国際マングローブ生態系協会(*) *[[原水爆禁止日本協議会]] *[[日本生活協同組合連合会]] *[[日本青年会議所]] *[[日本ウエルエージング協会]] *平和市長会議(*) *[[青少年育成国民会議]] *特定非営利活動法人ネットワーク『地球村』(*) *[[日本山妙法寺大僧伽]] *オイスカ* *[[大阪青年会議所]] *[[立正佼成会]] *創価学会インターナショナル(*) *[[戸田記念国際平和研究所]] *[[東京青年会議所]] *[[日本国際連合協会]] *世界被害者学会(*) *[[横浜国際人権センター]] **<small>(*) - ECOSOCに諮問的地位を有するNGO</small> == 代表的な日本の非政府組織 == <!--あいうえお順--> *[[アムネスティ・インターナショナル]]日本 *[https://jammin.co.jp/charity_list/140818oxfam/ オックスファム・ジャパン] *[[財務分析機構]](AFA) *[http://www.japanplatform.org/ ジャパン・プラットフォーム](JPF) *シャプラニール=市民による海外協力の会 *[[シャンティ国際ボランティア会]](SVA) *[[ジョイセフ]](JOICFP) *[[セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン]](SCJ) *[[難民を助ける会]](AAR Japan) *日本キリスト教海外医療協力会(JOCS) *[[日本国際ボランティアセンター]](JVC) *[[反差別国際運動]] *[[ピースウィンズ・ジャパン]] *プラン・インターナショナル・ジャパン *[http://www.worldvision.jp/ ワールド・ビジョン・ジャパン] *[[日本国際民間協力会]](NICCO) *国際青年環境NGO [[A SEED JAPAN]](ASJ) == 国際的な非政府組織 == <!--アルファベット順--> {{columns-list|2| *[[アムネスティ・インターナショナル]](AI) *[[口と足で描く芸術家協会]](AMFPA) *[[植物園自然保護国際機構]](BGCI) *[[国際建設・林業労組連盟]](BWI) *[[国際燃焼機関会議]](CIMAC) *[[国際歯科連盟]](FDI) *[[世界不動産連盟]](FIABCI) *[[国際測量者連盟]](FIG) *[[国際薬剤師・薬学連合]](FIP) *[[国際自動車技術会連盟]](FISITA) *[[国際翻訳家連盟]](FIT) *{{仮リンク|公差国際財団|en|Foundation for Tolerance International}}(FTI) *[[世界情報基盤委員会]](GIIC) *[[ヒューマン・ライツ・ウォッチ]] (HRW) *[[国際世界平和教育協会]](IAEWP) *[[国際医学検査技師協会]](IFBLS) *[[国際鍼灸中医薬学会]](IAMTCMS) *[[国際会計基準審議会]](IASB) *[[国際航空運送協会]](IATA) *[[国際法曹協会]](IBA) *[[国際アーカイブズ評議会]](ICA) *[[国際段ボール協会]](ICCA) *[[国際栄養士会義]](ICD) *[[国際化学エネルギー鉱山一般労連]](ICEM) *[[国際自由労連]](ICFTU) *[[医薬品規制ハーモナイゼーション国際会議]](ICH) *[[国際助産師連盟]](ICM) *[[国際看護師協会]](ICN) *[[国際博物館会議]](ICOM) *[[赤十字国際委員会]](ICRC) *[[国際科学会議]](ICSU)<!--国際学術連合会議--> *[[国際教育到達度評価学会]](IEA) *[[国際電気標準会議]](IEC) *[[国際競技連盟]](IF) *[[国際赤十字赤新月社連盟]](IFRC) *[[国際会計士連盟]](IFAC) *[[国際歯科衛生士連盟]](IFDH) *[[財務分析機構]](AFA) *[[国際選挙制度財団]](IFES) *[[国際ジャーナリスト連盟]](IFJ) *[[国際図書館連盟]](IFLA) *[[国際ソーシャルワーカー連盟]](IFSW) *[[国際ホテル協会]](IHA) *[[国際ハーモニカ協会]](IHO) *[[Institute for International Cooperation and Development]] (IICD) *[[国際金融協会]](IIF) *[[国際港湾倉庫労働組合]](ILWU) *[[国際パイロット協会]](IMPA) *[[国際視能訓練士協会]](IOA) *[[国際オリンピック委員会]](IOC) *[[国際救助隊]](IRC) *[[国際道路連盟]](IRF) *[[国際種子連盟]](ISF) *[[国際標準化機構]](ISO) *[[国際スノーモービル製造者協会]](ISMA) *[[国際東洋医学会]](ISOM) *[[国際義肢装具協会]](ISPO) *[[世界放射線技師会]](ISRRT) *[[国際種子検査協会]](ISTA) *[[国際運輸労連]](ITF) *[[国際運輸安全連合]](ITSA) *[[国際自治体連合]](IULA) *[[国際獣医鍼灸学会]](IVAS) *[[国際基準美容養生医学会]](KBY) *[[Kiva]] (Kiva) *[[世界歴史都市連盟]](LHC) *[[国際舟艇製造者協会]](NMMA) *[[国際自動車工業連合会]](OICA) *[[世界理容美容機構]](OMC) *[[オックスファム]](Oxfam) *[[国際交通安全協会]](PRI) *[[国際公務員労連]](PSI) *[[太平洋電気通信協議会]](PTC) *[[国際海賊党連盟]](PPI) *[[レインフォレスト・アライアンス]](RA) *[[ルーム・トゥ・リード]] (RtR) *[[セーブ・ザ・チルドレン]](SC) *[[国際銀行間通信協会]](SWIFT) *[[世界エスペラント協会]](UEA) *[[国際建築家連盟]](UIA) *[[国際鉄道連合]](UIC) *[[世界洋菓子連盟]](UIPCG) *[[世界司厨士協会連盟]](WACS) *[[世界動物園水族館協会]](WAZA) *[[世界盲人連合]](WBU) *[[ワールド・セントラル・キッチン]](WCK) *[[世界理学療法士連盟]](WCPT) *[[世界鍼灸学会連合会]](WFAS) *[[世界カイロプラクティック連合]](WFC) *[[世界中医学会連合会]](WFCM) *[[世界中医薬学会連合会]](WFCMS) *[[世界ろう連盟]](WFD) *[[世界作業療法士連盟]](WFOT) *[[世界スポーツ用品工業連盟]](WFSGI) *[[世界ガイド連盟]](WFTGA) *[[世界睡眠学会連合会]](WFSRS) *[[世界医師会]](WMA) *[[世界鉄鋼協会]](WSA) *[[世界中医指鍼学会]](WSCMZ) *[[世界セルフメディケーション協会]](WSMI) *[[世界シェパード犬団体連盟]](WUSV) *[[世界獣医学協会]](WVA) *[[ワールドビジョン|ワールド・ビジョン]] (WV) *[[世界自然保護基金]](WWF) }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *福田菊『国連とNGO』[[1988年]] *[[入江昭]]([[篠原初枝]]訳)『グローバル・コミュニティ―国際機関・NGOがつくる世界』[[2006年]] == 関連項目 == {{columns-list|2| *[[国際非政府組織]](INGO) *[[NPO]] *[[国連ボランティア]] *[[世界連邦運動]] *[[市民活動]] *[[市民社会]] *[[1%支援制度]] *[[非国家主体]]}} == 外部リンク == * [https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000183440 NPOとNGOは何が違うのか | レファレンス協同データベース] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひせいふそしき}} [[Category:非政府組織|*]] [[Category:社会貢献]]
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ポピュラー音楽のジャンル一覧
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ポピュラー音楽のジャンル一覧(ポピュラーおんがくのジャンルいちらん)では、ポピュラー音楽のジャンルの一覧を五十音順に挙げる。
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エクストリーム・プログラミング
エクストリーム・プログラミング、XP(英: extreme programming)は、 ソフトウェア品質 を向上させ、変化する顧客の要求への対応力を高めることを目的としたソフトウェア開発プロセスである。アジャイルソフトウェア開発の一つとして、短い開発サイクルで頻繁に「リリース」することを推奨することで、生産性を向上させ、新しい顧客の要求を採用するためのチェックポイントを導入することを意図している。 エクストリーム・プログラミングの他の要素には、ペアでのプログラミングや広範なコードレビューの実施、すべてのコードのユニットテスト、機能は実際に必要となるまでは追加しない、フラットな管理構造、コードのシンプルさと明快さ、時間の経過とともに問題がよりよく理解されたことでの顧客の要求の変化を期待する、顧客やプログラマーでの頻繁なコミュニケーションなどがある。この方法論は、伝統的なソフトウェアエンジニアリングのプラクティスの有益な要素を「極端な(エクストリームな)」レベルに持っていくという考えからその名前を取っている。例えば、コードレビューは有益なプラクティスと考えられており、これを極端にすれば、コードを「継続的」にレビューする、つまり、ペアプログラミングのプラクティスとなる。 ケント・ベックは、クライスラー総合報酬システム(英語版)(C3)給与計算プロジェクトでの業務の中で、エクストリーム・プログラミングを開発した。ケント・ベックは1996年3月にC3プロジェクトリーダーになった。彼はプロジェクトで使用された開発方法論を改良し始め、その方法論に関する本を書いた (エクストリームプログラミング, 1999年10月出版)。クライスラーは7年後の2000年2月、ダイムラー・ベンツが同社を買収した際にC3プロジェクトをキャンセルした。 エクストリーム・プログラミングの多くのプラクティスは以前から存在していた。この方法論は、「ベストプラクティス」を極端なレベルに引き上げる。 たとえば、「テストファースト開発のプラクティス、各マイクロインクリメントの前にテストを計画して書く」は、1960年代初頭のNASAのマーキュリー計画で早くも使われていた。総開発時間を短縮するために、一部の正式なテストドキュメント(受け入れテストのためのものなど)は、ソフトウェアのテストの準備がされるのと並行して(あるいは少し前から)開発されてきた。NASAの独立テストグループは、プログラマーがソフトウェアを書いてハードウェアと統合する前に、公式な要件と論理的限界に基づいてテスト手順を書くことができた。XPは、この概念を極限のレベルにまで引き上げて、機能という大きなテストしかしないのではなく、ソフトウェアコーディングの小さなセクションでさえも動作を検証する自動テスト(時にはソフトウェアモジュールの内部)を記述する。 2つの大きな影響が1990年代のソフトウェア開発を形作った: 急速に変化する要件は、製品のライフサイクルの短縮を要求し、しばしばソフトウェア開発の伝統的な方法と衝突した。 クライスラー総合報酬システム(C3)は、クライスラーの給与計算システムを研究対象とし、言語としてSmalltalk、データアクセス層(英語版)としてGemstoneを用いて、オブジェクト技術の最善の利用方法を見極めるために始まった。 クライスラーは、システムのパフォーマンスチューニング(英語版)のために、著名なSmalltalk実践者であるケント・ベックを招き入れたが、開発プロセスに関するいくつかの問題点を指摘したことで、彼の役割は拡大した。 彼はこの機会を利用して、開発プラクティスのいくつかの変更 -親しい共同研究者であるウォード・カニンガムとの業績に基づいたもの- を提案および実施した。 ケント・ベックは、手法の初期のコンセプトの説明を残している: ケント・ベックは、これらの方法の開発と改良の支援のために、ロン・ジェフリーズ(英語版)をプロジェクトに招いた。 ロン・ジェフリーズはその後、C3チームに習慣としてのプラクティスを浸透させるためのコーチを務めた。 XPの背後にある原則とプラクティスに関する情報は、オリジナルのウィキであるカニンガムのWikiWikiWebでの議論を通じて、より広い世界に広まった。 さまざまな寄稿者がアイデアを議論し、拡張し、いくつかのスピンオフの方法論が生まれた(アジャイルソフトウェア開発を参照)。 また、XPのコンセプトは、1999年頃のXPのWebサイト http://www.extremeprogramming.org でのハイパーテキストシステムによって、数年前から説明されている。 ケント・ベックは、彼自身の書籍『XPエクストリーム・プログラミング入門―ソフトウェア開発の究極の手法』 (原書初版1999年、ISBN 978-4894712751)を皮切りに、XPに関する一連の書籍を編集し、彼の考えをより多くの人に広めていった。 このシリーズの著者たちは、XPとそのプラクティスについて、様々な側面から考察をしている。一連の書籍には、プラクティスに批判的な本も含まれている。 XPは、1990年代後半から2000年代初頭にかけてソフトウェアコミュニティの間で大きな関心を集め、その起源とは根本的に異なる多くの環境で採用された。 元のプラクティスに求められていた高い規律はしばしば道端に捨て置かれ、厳しすぎると思われていたプラクティスの中には、銘々のサイトで非推奨になったり、縮小されたり、あるいは未完成のままにされるものもあった。 たとえば、各プロジェクトにおける一日の終わりの統合テストの実施を、週の終わりのスケジュールに変更したり、単に相互に合意した日でのテストに減らしたりする。 そのような弛んだスケジュールでは、一日の終わりのテストに合格するためだけに人為的なスタブを生成しなければならないという焦りを感じることはない。厳格でないスケジュールでは、代わりに、数日間も費やして複雑な機能を開発してしまう。 一方、他のアジャイル開発プラクティスは立ち止まっておらず、XPも、2019年の時点で、他のプラクティスを利用するために、現場での経験による多くの教訓を取り入れて進化し続けている。 初版から5年後の第2版の書籍『エクストリームプログラミング』(2004年11月原著発行)では、ケント・ベックはより多くの価値とプラクティスを追加し、基礎プラクティスと周辺プラクティスを区別した。 持続可能なソフトウェア開発の理論は、エクストリーム・プログラミングチームがチームの混乱にもかかわらず成長できる理由が説明されている 。 書籍『エクストリームプログラミング』では、エクストリーム・プログラミングは、より高品質なソフトウェアをより生産的に生産するために人々を組織化するソフトウェア開発の規律として説明されている。 XPは、長い開発サイクルではなく、複数の短い開発サイクルにより、要件変更のコストを下げようとする。 この教義では、変更はソフトウェア開発プロジェクトの自然で避けられない望ましい側面であり、変わることがない要件定義をしようとするのではなく、計画すべしとしている。 エクストリーム・プログラミングでは、アジャイルプログラミングのフレームワークに加えて、いくつかの基本的な価値、原則、およびプラクティスを取り入れている。 XPでは、ソフトウェア開発プロセス内で実行される4つの基本的なアクティビティ(コーディング、テスト、傾聴、設計)を描き出す。これら各アクティビティを次に説明する。 XPの支持者は、システム開発プロセスの唯一の真に重要な製品はコード、つまりコンピュータが解釈できるソフトウェア命令であると主張する。コードがなければ、動作する製品は存在しない。 コーディングは、最適な解決策を導き出すのに役立つ。コーディングはまた、プログラミングの問題についての考えを伝えるのにも役立つ。 複雑なプログラミングの問題を扱うプログラマーや、他のプログラマーに解決策を説明するのが難しいと感じるプログラマーは、シンプルな形でコード化し、そのコードを使って自分が何を言いたいのかを示すこともできる。 この立場の支持者らによると、コードは常に明確で簡潔であり、複数の方法で解釈することはできないと言う。 他のプログラマーも、自身の考えをコード化することで、コードに対してフィードバックすることができる。 テストはエクストリーム・プログラミングの中心である。 エクストリーム・プログラミングのアプローチは、少しのテストでいくつかの欠陥を取り除ければ、多くのテストでより多くの欠陥を取り除くことができるというものである。 システム全体の統合テストは、最初は、互換性のないインターフェースを早期に発見し、各セクションが首尾一貫した機能から大きく乖離する前に再接続するために、毎日の終業時に実施することが推奨されていた。しかし、システム全体の統合テストは、システムの全体的なインターフェースの安定性に応じて、週1回、またはそれ以下の頻度にまで減少した。 プログラマーは、顧客がシステムに何を必要としているのか、どのような「ビジネスロジック」が必要なのかに耳を傾けなければならない。 プログラマーはこれらのニーズを十分に理解して、問題がどのように解決されるか、あるいは解決されないのかの技術的な側面について顧客にフィードバックしなければならない。 顧客とプログラマーの間のコミュニケーションは、計画ゲームの中でさらに取り組まれる。 単純さの観点で言うと、当然のことながら、システム開発にはコーディング、テスト、傾聴以上のものは必要ないと言える。 これらのアクティビティが適切に行われていれば、その結果は常に動作するシステムになるはずだ。しかし、実際にはそうはならない。 設計せずに長い道のりを歩むことはできるが、いつかは行き詰まる。 システムが複雑になりすぎて、システム内の依存関係が明確でなくなる。 システム内のロジックを整理する設計構造を作成することで、これを回避できる。 優れた設計は、システム内の多くの依存関係を回避する; つまり、システムのある部分を変更しても、システムの他の部分に影響を与えない。 1999年の最初のエクストリーム・プログラミングでは、コミュニケーション、シンプルさ、フィードバック、勇気という4つの価値観に着目した。第2版の書籍『エクストリームプログラミング』では、新たに「リスペクト」という価値観が追加された。これら5つの価値観を以下で説明する。 ソフトウェアシステムを構築するには、システムの要件をシステムの開発者に伝える必要がある。 格式ばったソフトウェア開発方法論では、このタスクは文書化によって行われる。 エクストリーム・プログラミング技法は、開発チームのメンバー間における組織化された知識を迅速に構築し、普及させるための方法と見なせる。 目標は、システムの利用者が持つ見解と一致するシステムの共有見解をすべての開発者に与えることです。 この目的を達成するために、エクストリーム・プログラミングは、シンプルな設計、共通のメタファー、ユーザーとプログラマーのコラボレーション、頻繁な口頭でのコミュニケーション、フィードバックを重視している。 エクストリーム・プログラミングでは、最もシンプルな解説策から始めることを推奨している。機能は、後から追加できる。 このアプローチと従来のシステム開発手法との違いは、明日、来週、または来月のニーズではなく、今日のニーズに合わせた設計とコーディングに焦点を当てていることだ。 これは、「実際に必要となるまでは追加しない」(YAGNI)アプローチとして要約されることがある。 XPの支持者は、これが、システムの変更に明日より多くの努力を必要とすることがあるという欠点を認めている; 彼らの主張は、関係が生まれる前に変更される可能性のある将来の要件に投資しないという利点によって、これは十分に補償されるということだ。 将来の不確実な要件を考慮してコーディングや設計をすることは、必要ではないかもしれないものにリソースを費やすリスクを意味し、重要な機能を遅らせてしまう可能性がある。 「コミュニケーション」の価値に関連して、設計とコーディングのシンプルさは、コミュニケーションの質を向上させるはずである。 非常にシンプルなコードによるシンプルな設計は、チーム内のほとんどのプログラマーが簡単に理解できる。 エクストリーム・プログラミングでは、フィードバックはシステム開発のさまざまな側面に関連している: フィードバックは、コミュニケーションとシンプルさに密接に関係している。 システムの欠陥は、特定のコードが壊れることを証明するユニットテストを書くことで簡単に伝達される。 システムからの直接のフィードバックは、プログラマーにこの部分を再コーディングするように伝える。 顧客は、ユーザーストーリーとして知られる機能要件に従って、定期的にシステムをテストすることができる。 ケント・ベックを引用すると、「楽観主義はプログラミングの職業上の危険である。フィードバックが治療法である。」 いくつかのプラクティスは勇気を体現している。 1つは、明日のためではなく、常に今日のために設計とコーディングをするという戒めである。 これは、設計の行き詰まりを避け、余計なものを実装するために費やす多くの労力を回避するための取り組みである。 勇気により、開発者は必要に応じてコードのリファクタリングを快適に行える。 つまり、既存のシステムを見直し、将来の変更をより簡単に実装できるようにする。 勇気のもう一つの例は、コードを捨てるタイミングを知ることだ: そのソースコードを作成するためにどれだけの労力が費やされていたとしても、陳腐化したソースコードを削除する勇気である。 また、勇気とは永続性を意味する: プログラマーは複雑な問題に一日中悩まされても、翌日にはすぐに問題を解決しているかもしれない。だが、それは永続性がある場合に限られる。 リスペクトの価値には、自尊心だけでなく、他者への尊敬も含まれる。 プログラマは、コンパイルを中断させたり、既存のユニットテストを失敗させたり、仲間の作業を遅らせたりするような変更をコミットしてはならない。 チームメンバーは、常に高品質を目指し、リファクタリングを通して目の前の解決策に対して最善の設計を追求することで、自分の仕事を尊重する。 先に述べた4つの価値観を採用することは、チーム内の他のメンバーからの尊敬を得ることにつながる。 チームの誰かが、感謝されていないと感じたり、無視されていると感じたりするのはいけない。 これにより、高いモチベーションが確保され、チームとプロジェクトの目標に対する忠誠心が高まる。 この価値は他の価値に依存しており、チームワークを重視している。 XPのルールの最初のバージョンは、1999年にドン・ウェルズ によってXPのウェブサイトで公開された。 29のルールが、計画、管理、設計、コーディング、およびテストのカテゴリで提供されている。 計画、管理、設計は、XPがこれらの活動をサポートしていないという文句に対抗するために、明示的に書き出されている。 XPのルールの別バージョンは、ケン・アウアーによってXP/Agile Universe 2003で提案された。 彼は、XPはそのルールによって定義されるのであり、そのプラクティス(より多くのバリエーションがあり、あいまいさにさらされる)ではないと感じていた。 彼は2つのカテゴリーを定義した: ソフトウェア開発が効果的に行われる環境を規定する "交戦規定(Rules of Engagement)"と、 交戦規定の枠組みの中での分刻みのアクティビティとルールを定義する "ルールズ・オブ・プレイ(Rules of Play)"である。 以下、ルールの一部を示す(不完全): コーディング テスト XPの基礎となる原則は、先ほど説明した価値観に基づいており、システム開発プロジェクトにおける意思決定を促進することを目的としている。 原則は、価値よりも具体的で、より実践的な状況でのガイドラインに変換しやすいことを目指している。 エクストリーム・プログラミングでは、フィードバックが頻繁かつ迅速に行われることが最も有用であると考えられている。 また、あるアクションとそのフィードバックの間の遅延を最小限に抑えることが、学習や変化をする上で非常に重要であると強調している。 伝統的なシステム開発手法とは異なり、顧客との接触がより頻繁に繰り返される。 顧客は開発中のシステムを明確に理解しており、必要に応じてフィードバックを与え、開発の舵取りをすることができる。 顧客からの頻繁なフィードバックがあれば、開発者が誤った設計決定をした場合でも、開発者がそれを実装するのに多くの時間を費やす前に、迅速に気付き、修正することができる。 ユニットテストは迅速なフィードバックの原則に貢献している。 コードを書くとき、ユニットテストを実行することで、システムに加えられた変更に対してどのように反応するかの直接的なフィードバックが得られる。 これには、開発者のコードをテストするユニットテストを実行するだけでなく、単一のコマンドで起動される自動化されたプロセスを使用した、すべてのソフトウェアに対するすべての単体テストを実行することも含まれる。 このようにして、開発者の変更がシステムのその他の部分で開発者がほとんどまたはまったく知らない障害を引き起こした場合、 自動化された全ユニットテストスイートはすぐに障害を明らかにし、その変更がシステムの他の部分と非互換であること、そしてその変更を削除するか修正する必要があることを開発者に警告する。 伝統的な開発手法では、自動化された包括的なユニットテストスイートがないため、開発者は無害であると思っていたコード変更がそのまま残され、統合テスト中でしか現れず、さらに悪いことに、本番環境でしか現れなかった; また、統合テストの数週間前または数か月前からすべての開発者が行ったすべての変更の中から、どのコード修正が問題の原因となったのかを特定することは、大変な作業だった。 これは、すべての問題を、あたかもその解決策が「非常にシンプルである」かのように扱うことだ。 伝統的なシステム開発手法では、将来を見据えた計画を立て、再利用性を考慮したコーディングを行うように言われてきたが、エクストリーム・プログラミングはこれらの考え方を否定する。 エクストリーム・プログラミングの支持者は、一度に大きな変更を加えてもうまくいかないと言う。 エクストリーム・プログラミングでは、漸進的な変更を適用する: 例えば、システムは3週間ごとに小さなリリースを行うかもしれない。 多くの小さな段階が作られると、顧客は開発プロセスと開発中のシステムをより詳細に制御できるようになる。 変化を受け入れるという原則は、変化に逆らうのではなく、変化を受け入れるということだ。 例えば、イテレーションでの会議の一つで顧客の要求が劇的に変化したことが判明したら、プログラマーはこれを受け入れ、次のイテレーションのために新しい要件の計画していく。 エクストリームプログラミングには、4つの領域にグループ化された12のプラクティスがあると説明されている: XP のプラクティスは激しく議論されてきている。 エクストリーム・プログラミングの支持者は、オンサイト顧客に非公式に変更を要求することで、プロセスが柔軟になり、形式的なオーバーヘッドのコストを節約できると主張している。 XPの批判者は、これがコストのかかる手直しや、以前に合意や資金提供されていた範囲を超えたプロジェクトのスコープ・クリープにつながる可能性があると主張している。 変更管理委員会は、プロジェクトの目的と複数のユーザー間の制約に潜在的な矛盾があることを示している。 XPの迅速な手法は、プログラマーが妥協した目的や制約の文書化ではなくコーディングに集中できるようにするのに、統一されたクライアント視点をプログラマー達が想定できるかどうかにある程度依存している。 これは、複数のプログラミング組織、特にプロジェクトのシェアを競い合う組織にも当てはまる。 他にも、エクストリーム・プログラミングの潜在的な議論の余地のある側面としては、以下のようなものがある: 批評家は、不安定な要件の問題、ユーザーの衝突の妥協点が文書化されていないこと、全体的な設計仕様書や文書の欠如など、いくつかの潜在的な欠点を指摘している。 ThoughtWorks(英語版)は、最大60人の分散型XPプロジェクトにおいて、それなりの成功を収めている。 2004年に、XPの進化形として産業用エクストリーム・プログラミング(IXP)が導入された。 これは、大規模で分散したチームで作業できるようにすることを目的としている。 現在、23のプラクティスと柔軟な価値がある。 2003年に、マット・ステファン(英語版)とダグ・ローゼンバーグは、書籍『Extreme Programming Refactored:The Case Against XP』を出版した。 この本は、XPプロセスの価値に疑問を投げかけ、XPプロセスを改善する方法を提案している。 これにより、記事、インターネットニュースグループ、およびWebサイトのチャット界隈で長い議論が起きた。 この本の核心的な議論は、XPのプラクティスは相互に依存しているが、すべてのプラクティスを採用しようとする意志がある/可能な実際的な組織はほとんどないというものであり、したがって、プロセス全体が失敗するというものである。 また、本書は他の批判も行っており、XPの「集団所有」モデルを社会主義に例え否定的に描いている。 XPのある側面は『Extreme Programming Refactored』の出版以降、変化している; 特に、XPは現在、必要な目標が満たされているのであれば、プラクティスの変更を受け入れている。 XPはまた、プロセスに一般的な用語を使うようになってきている。 これらの変更により以前の批判は無効であると主張する人もいれば、これは単にプロセスを骨抜きにしているだけだという意見もある。 他の著者は、統一された方法論を形成するために、古い方法論とXPを調和させることを試みた。 これらのXPのいくつかは、 ウォーターフォール・モデルのような、置き換えを求めていた: 例: プロジェクトのライフサイクル: ウォーターフォール、高速アプリケーション開発(RAD)、およびそのすべて。 JPモルガン・チェースは、能力成熟度モデル統合(CMMI)およびシックス・シグマのコンピュータプログラミングの方法とXPを組み合わせてみた。 彼らは、3つのシステムが互いをよく補強し、よりよい開発をもたらし、相互に矛盾しなかったことを見つけた。 エクストリーム・プログラミングの初期の話題性と、ペアプログラミングや継続的設計(英語版)などの論争の的になっている教義は、 マクブリーン ベームとターナー、 マット・ステファンとダグ・ローゼンバーグ などからの批判を集めている。 しかし、批判の多くは、アジャイルの実践者によって、アジャイル開発への無理解であると信じられている 。 とりわけ、エクストリーム・プログラミングは、マット・ステファンとダグ・ローゼンバーグの書籍『Extreme Programming Refactored』で考察と批判がされている。 批判には次のようなものがある: アジャイルは機能駆動型である: 非機能的な品質属性をユーザーストーリーとして表現するのが困難
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"1999年の最初のエクストリーム・プログラミングでは、コミュニケーション、シンプルさ、フィードバック、勇気という4つの価値観に着目した。第2版の書籍『エクストリームプログラミング』では、新たに「リスペクト」という価値観が追加された。これら5つの価値観を以下で説明する。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ソフトウェアシステムを構築するには、システムの要件をシステムの開発者に伝える必要がある。 格式ばったソフトウェア開発方法論では、このタスクは文書化によって行われる。 エクストリーム・プログラミング技法は、開発チームのメンバー間における組織化された知識を迅速に構築し、普及させるための方法と見なせる。 目標は、システムの利用者が持つ見解と一致するシステムの共有見解をすべての開発者に与えることです。 この目的を達成するために、エクストリーム・プログラミングは、シンプルな設計、共通のメタファー、ユーザーとプログラマーのコラボレーション、頻繁な口頭でのコミュニケーション、フィードバックを重視している。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "エクストリーム・プログラミングでは、最もシンプルな解説策から始めることを推奨している。機能は、後から追加できる。 このアプローチと従来のシステム開発手法との違いは、明日、来週、または来月のニーズではなく、今日のニーズに合わせた設計とコーディングに焦点を当てていることだ。 これは、「実際に必要となるまでは追加しない」(YAGNI)アプローチとして要約されることがある。 XPの支持者は、これが、システムの変更に明日より多くの努力を必要とすることがあるという欠点を認めている; 彼らの主張は、関係が生まれる前に変更される可能性のある将来の要件に投資しないという利点によって、これは十分に補償されるということだ。 将来の不確実な要件を考慮してコーディングや設計をすることは、必要ではないかもしれないものにリソースを費やすリスクを意味し、重要な機能を遅らせてしまう可能性がある。 「コミュニケーション」の価値に関連して、設計とコーディングのシンプルさは、コミュニケーションの質を向上させるはずである。 非常にシンプルなコードによるシンプルな設計は、チーム内のほとんどのプログラマーが簡単に理解できる。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "エクストリーム・プログラミングでは、フィードバックはシステム開発のさまざまな側面に関連している:", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "フィードバックは、コミュニケーションとシンプルさに密接に関係している。 システムの欠陥は、特定のコードが壊れることを証明するユニットテストを書くことで簡単に伝達される。 システムからの直接のフィードバックは、プログラマーにこの部分を再コーディングするように伝える。 顧客は、ユーザーストーリーとして知られる機能要件に従って、定期的にシステムをテストすることができる。 ケント・ベックを引用すると、「楽観主義はプログラミングの職業上の危険である。フィードバックが治療法である。」", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "いくつかのプラクティスは勇気を体現している。 1つは、明日のためではなく、常に今日のために設計とコーディングをするという戒めである。 これは、設計の行き詰まりを避け、余計なものを実装するために費やす多くの労力を回避するための取り組みである。 勇気により、開発者は必要に応じてコードのリファクタリングを快適に行える。 つまり、既存のシステムを見直し、将来の変更をより簡単に実装できるようにする。 勇気のもう一つの例は、コードを捨てるタイミングを知ることだ: そのソースコードを作成するためにどれだけの労力が費やされていたとしても、陳腐化したソースコードを削除する勇気である。 また、勇気とは永続性を意味する: プログラマーは複雑な問題に一日中悩まされても、翌日にはすぐに問題を解決しているかもしれない。だが、それは永続性がある場合に限られる。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "リスペクトの価値には、自尊心だけでなく、他者への尊敬も含まれる。 プログラマは、コンパイルを中断させたり、既存のユニットテストを失敗させたり、仲間の作業を遅らせたりするような変更をコミットしてはならない。 チームメンバーは、常に高品質を目指し、リファクタリングを通して目の前の解決策に対して最善の設計を追求することで、自分の仕事を尊重する。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "先に述べた4つの価値観を採用することは、チーム内の他のメンバーからの尊敬を得ることにつながる。 チームの誰かが、感謝されていないと感じたり、無視されていると感じたりするのはいけない。 これにより、高いモチベーションが確保され、チームとプロジェクトの目標に対する忠誠心が高まる。 この価値は他の価値に依存しており、チームワークを重視している。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "XPのルールの最初のバージョンは、1999年にドン・ウェルズ によってXPのウェブサイトで公開された。 29のルールが、計画、管理、設計、コーディング、およびテストのカテゴリで提供されている。 計画、管理、設計は、XPがこれらの活動をサポートしていないという文句に対抗するために、明示的に書き出されている。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "XPのルールの別バージョンは、ケン・アウアーによってXP/Agile Universe 2003で提案された。 彼は、XPはそのルールによって定義されるのであり、そのプラクティス(より多くのバリエーションがあり、あいまいさにさらされる)ではないと感じていた。 彼は2つのカテゴリーを定義した: ソフトウェア開発が効果的に行われる環境を規定する \"交戦規定(Rules of Engagement)\"と、 交戦規定の枠組みの中での分刻みのアクティビティとルールを定義する \"ルールズ・オブ・プレイ(Rules of Play)\"である。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "以下、ルールの一部を示す(不完全):", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "コーディング", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "テスト", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "XPの基礎となる原則は、先ほど説明した価値観に基づいており、システム開発プロジェクトにおける意思決定を促進することを目的としている。 原則は、価値よりも具体的で、より実践的な状況でのガイドラインに変換しやすいことを目指している。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "エクストリーム・プログラミングでは、フィードバックが頻繁かつ迅速に行われることが最も有用であると考えられている。 また、あるアクションとそのフィードバックの間の遅延を最小限に抑えることが、学習や変化をする上で非常に重要であると強調している。 伝統的なシステム開発手法とは異なり、顧客との接触がより頻繁に繰り返される。 顧客は開発中のシステムを明確に理解しており、必要に応じてフィードバックを与え、開発の舵取りをすることができる。 顧客からの頻繁なフィードバックがあれば、開発者が誤った設計決定をした場合でも、開発者がそれを実装するのに多くの時間を費やす前に、迅速に気付き、修正することができる。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ユニットテストは迅速なフィードバックの原則に貢献している。 コードを書くとき、ユニットテストを実行することで、システムに加えられた変更に対してどのように反応するかの直接的なフィードバックが得られる。 これには、開発者のコードをテストするユニットテストを実行するだけでなく、単一のコマンドで起動される自動化されたプロセスを使用した、すべてのソフトウェアに対するすべての単体テストを実行することも含まれる。 このようにして、開発者の変更がシステムのその他の部分で開発者がほとんどまたはまったく知らない障害を引き起こした場合、 自動化された全ユニットテストスイートはすぐに障害を明らかにし、その変更がシステムの他の部分と非互換であること、そしてその変更を削除するか修正する必要があることを開発者に警告する。 伝統的な開発手法では、自動化された包括的なユニットテストスイートがないため、開発者は無害であると思っていたコード変更がそのまま残され、統合テスト中でしか現れず、さらに悪いことに、本番環境でしか現れなかった; また、統合テストの数週間前または数か月前からすべての開発者が行ったすべての変更の中から、どのコード修正が問題の原因となったのかを特定することは、大変な作業だった。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "これは、すべての問題を、あたかもその解決策が「非常にシンプルである」かのように扱うことだ。 伝統的なシステム開発手法では、将来を見据えた計画を立て、再利用性を考慮したコーディングを行うように言われてきたが、エクストリーム・プログラミングはこれらの考え方を否定する。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "エクストリーム・プログラミングの支持者は、一度に大きな変更を加えてもうまくいかないと言う。 エクストリーム・プログラミングでは、漸進的な変更を適用する: 例えば、システムは3週間ごとに小さなリリースを行うかもしれない。 多くの小さな段階が作られると、顧客は開発プロセスと開発中のシステムをより詳細に制御できるようになる。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "変化を受け入れるという原則は、変化に逆らうのではなく、変化を受け入れるということだ。 例えば、イテレーションでの会議の一つで顧客の要求が劇的に変化したことが判明したら、プログラマーはこれを受け入れ、次のイテレーションのために新しい要件の計画していく。", "title": "コンセプト" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "エクストリームプログラミングには、4つの領域にグループ化された12のプラクティスがあると説明されている:", "title": "プラクティス" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "XP のプラクティスは激しく議論されてきている。 エクストリーム・プログラミングの支持者は、オンサイト顧客に非公式に変更を要求することで、プロセスが柔軟になり、形式的なオーバーヘッドのコストを節約できると主張している。 XPの批判者は、これがコストのかかる手直しや、以前に合意や資金提供されていた範囲を超えたプロジェクトのスコープ・クリープにつながる可能性があると主張している。", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "変更管理委員会は、プロジェクトの目的と複数のユーザー間の制約に潜在的な矛盾があることを示している。 XPの迅速な手法は、プログラマーが妥協した目的や制約の文書化ではなくコーディングに集中できるようにするのに、統一されたクライアント視点をプログラマー達が想定できるかどうかにある程度依存している。 これは、複数のプログラミング組織、特にプロジェクトのシェアを競い合う組織にも当てはまる。", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "他にも、エクストリーム・プログラミングの潜在的な議論の余地のある側面としては、以下のようなものがある:", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "批評家は、不安定な要件の問題、ユーザーの衝突の妥協点が文書化されていないこと、全体的な設計仕様書や文書の欠如など、いくつかの潜在的な欠点を指摘している。", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ThoughtWorks(英語版)は、最大60人の分散型XPプロジェクトにおいて、それなりの成功を収めている。", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2004年に、XPの進化形として産業用エクストリーム・プログラミング(IXP)が導入された。 これは、大規模で分散したチームで作業できるようにすることを目的としている。 現在、23のプラクティスと柔軟な価値がある。", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2003年に、マット・ステファン(英語版)とダグ・ローゼンバーグは、書籍『Extreme Programming Refactored:The Case Against XP』を出版した。 この本は、XPプロセスの価値に疑問を投げかけ、XPプロセスを改善する方法を提案している。 これにより、記事、インターネットニュースグループ、およびWebサイトのチャット界隈で長い議論が起きた。 この本の核心的な議論は、XPのプラクティスは相互に依存しているが、すべてのプラクティスを採用しようとする意志がある/可能な実際的な組織はほとんどないというものであり、したがって、プロセス全体が失敗するというものである。 また、本書は他の批判も行っており、XPの「集団所有」モデルを社会主義に例え否定的に描いている。", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "XPのある側面は『Extreme Programming Refactored』の出版以降、変化している; 特に、XPは現在、必要な目標が満たされているのであれば、プラクティスの変更を受け入れている。 XPはまた、プロセスに一般的な用語を使うようになってきている。 これらの変更により以前の批判は無効であると主張する人もいれば、これは単にプロセスを骨抜きにしているだけだという意見もある。", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "他の著者は、統一された方法論を形成するために、古い方法論とXPを調和させることを試みた。 これらのXPのいくつかは、 ウォーターフォール・モデルのような、置き換えを求めていた: 例: プロジェクトのライフサイクル: ウォーターフォール、高速アプリケーション開発(RAD)、およびそのすべて。 JPモルガン・チェースは、能力成熟度モデル統合(CMMI)およびシックス・シグマのコンピュータプログラミングの方法とXPを組み合わせてみた。 彼らは、3つのシステムが互いをよく補強し、よりよい開発をもたらし、相互に矛盾しなかったことを見つけた。", "title": "物議を醸している側面" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "エクストリーム・プログラミングの初期の話題性と、ペアプログラミングや継続的設計(英語版)などの論争の的になっている教義は、 マクブリーン ベームとターナー、 マット・ステファンとダグ・ローゼンバーグ などからの批判を集めている。 しかし、批判の多くは、アジャイルの実践者によって、アジャイル開発への無理解であると信じられている 。", "title": "批判" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "とりわけ、エクストリーム・プログラミングは、マット・ステファンとダグ・ローゼンバーグの書籍『Extreme Programming Refactored』で考察と批判がされている。", "title": "批判" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "批判には次のようなものがある:", "title": "批判" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "アジャイルは機能駆動型である: 非機能的な品質属性をユーザーストーリーとして表現するのが困難", "title": "批判" } ]
エクストリーム・プログラミング、XPは、 ソフトウェア品質 を向上させ、変化する顧客の要求への対応力を高めることを目的としたソフトウェア開発プロセスである。アジャイルソフトウェア開発の一つとして、短い開発サイクルで頻繁に「リリース」することを推奨することで、生産性を向上させ、新しい顧客の要求を採用するためのチェックポイントを導入することを意図している。 エクストリーム・プログラミングの他の要素には、ペアでのプログラミングや広範なコードレビューの実施、すべてのコードのユニットテスト、機能は実際に必要となるまでは追加しない、フラットな管理構造、コードのシンプルさと明快さ、時間の経過とともに問題がよりよく理解されたことでの顧客の要求の変化を期待する、顧客やプログラマーでの頻繁なコミュニケーションなどがある。この方法論は、伝統的なソフトウェアエンジニアリングのプラクティスの有益な要素を「極端な(エクストリームな)」レベルに持っていくという考えからその名前を取っている。例えば、コードレビューは有益なプラクティスと考えられており、これを極端にすれば、コードを「継続的」にレビューする、つまり、ペアプログラミングのプラクティスとなる。
[[Image:Extreme Programming.svg|thumb|エクストリーム・プログラミングの計画とフィードバックのループ]] {{ソフトウェア開発工程}} '''エクストリーム・プログラミング'''、'''XP'''({{lang-en-short|extreme programming}})は、 [[ソフトウェア品質]] を向上させ、変化する顧客の要求への対応力を高めることを目的とした[[ソフトウェア開発工程|ソフトウェア開発プロセス]]である。[[アジャイルソフトウェア開発]]の一つとして<ref name="Informatics85">"Human Centred Technology Workshop 2006 ", 2006, PDF, [http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.465.2140&rep=rep1&type=pdf Human Centred Technology Workshop 2006 ]</ref><ref name=UPenn49/><ref name=USFCA601/>、短い開発サイクルで頻繁に「リリース」することを推奨することで、生産性を向上させ、新しい顧客の要求を採用するためのチェックポイントを導入することを意図している。 エクストリーム・プログラミングの他の要素には、[[ペアプログラミング|ペアでの]]プログラミングや広範な[[コードレビュー]]の実施、すべてのコードの[[単体テスト|ユニットテスト]]、[[YAGNI|機能は実際に必要となるまでは追加しない]]、フラットな管理構造、コードのシンプルさと明快さ、時間の経過とともに問題がよりよく理解されたことでの顧客の要求の変化を期待する、顧客やプログラマーでの頻繁なコミュニケーションなどがある<ref name="UPenn49">[http://www.cis.upenn.edu/~matuszek/cit591-2003/Lectures/49-design-patterns.ppt UPenn-Lectures-design-patterns "Design Patterns and Refactoring", University of Pennsylvania, 2003].</ref><ref name="USFCA601">[http://www.cs.usfca.edu/~parrt/course/601/lectures/xp.html USFCA-edu-601-lecture Extreme Programming].</ref><ref name="MASD">{{cite web|url=http://agilemanifesto.org |title=Manifesto for Agile Software Development |year=2001 |publisher=Agilemanifesto.org |accessdate=2019-03-26}}</ref>。この方法論は、伝統的なソフトウェアエンジニアリングのプラクティスの有益な要素を「極端な(エクストリームな)」レベルに持っていくという考えからその名前を取っている。例えば、[[コードレビュー]]は有益なプラクティスと考えられており、これを極端にすれば、コードを「継続的」にレビューする、つまり、[[ペアプログラミング]]のプラクティスとなる。 == 歴史 == [[ケント・ベック]]は、{{仮リンク|クライスラー総合報酬システム|en|Chrysler_Comprehensive_Compensation_System|label=クライスラー総合報酬システム}}(C3)給与計算[[プロジェクト]]での業務の中で、エクストリーム・プログラミングを開発した<ref name=Cworld92/>。ケント・ベックは1996年3月にC3[[プロジェクトマネジメント|プロジェクトリーダー]]になった。彼はプロジェクトで使用された開発方法論を改良し始め、その方法論に関する本を書いた (''エクストリームプログラミング'', 1999年10月出版)<ref name="Cworld92">[http://www.computerworld.com/article/2585634/app-development/extreme-programming.html Computerworld-appdev-92 "Extreme Programming", ''Computerworld'' (online), December 2001]</ref>。[[クライスラー]]は7年後の2000年2月、[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー・ベンツ]]が同社を買収した際にC3プロジェクトをキャンセルした<ref name="SR">{{cite book | last1 = Rosenberg | first1 = Doug | last2 = Stephens | first2 = Matt | title = Extreme Programming Refactored: The Case Against XP | year = 2003 | publisher = Apress | isbn = 978-1-59059-096-6 | url-access = registration | url = https://archive.org/details/extremeprogrammi00matt }}</ref>。 エクストリーム・プログラミングの多くのプラクティスは以前から存在していた。この方法論は、「[[ベストプラクティス]]」を極端なレベルに引き上げる。 たとえば、「テストファースト開発のプラクティス、各マイクロインクリメントの前にテストを計画して書く」は、1960年代初頭のNASAの[[マーキュリー計画]]で早くも使われていた{{sfn| Larman | 2003}}。総開発時間を短縮するために、一部の正式なテストドキュメント([[受け入れテスト]]のためのものなど)は、ソフトウェアのテストの準備がされるのと並行して(あるいは少し前から)開発されてきた。NASAの独立テストグループは、プログラマーがソフトウェアを書いてハードウェアと統合する前に、公式な要件と論理的限界に基づいてテスト手順を書くことができた。XPは、この概念を極限のレベルにまで引き上げて、機能という大きなテストしかしないのではなく、ソフトウェアコーディングの小さなセクションでさえも動作を検証する自動テスト(時にはソフトウェアモジュールの内部)を記述する。 === 起源 === 2つの大きな影響が1990年代のソフトウェア開発を形作った: * 内部的には、一部の開発者が好むプログラミングパラダイムとして、[[オブジェクト指向プログラミング]]が[[手続き型プログラミング]]に取って代わった。 * 外部的には、インターネットの台頭と[[インターネット・バブル]]により、競争力のある[[企業|ビジネス]]要因として市場投入のスピードと企業の成長が強調された。 急速に変化する要件は、[[商品ライフサイクルマネジメント|製品のライフサイクル]]の短縮を要求し、しばしばソフトウェア開発の伝統的な方法と衝突した。 クライスラー総合報酬システム(C3)は、クライスラーの給与計算システムを研究対象とし、言語として[[Smalltalk]]、{{仮リンク|データアクセス層|en|Data_access_layer|label=データアクセス層}}として[[Gemstone]]を用いて、オブジェクト技術の最善の利用方法を見極めるために始まった。 クライスラーは、システムの{{仮リンク|パフォーマンスチューニング|en|Performance_tuning|label=パフォーマンスチューニング}}のために、著名なSmalltalk実践者である[[ケント・ベック]]を招き入れた<ref name=Cworld92/>が、開発プロセスに関するいくつかの問題点を指摘したことで、彼の役割は拡大した。 彼はこの機会を利用して、開発プラクティスのいくつかの変更 -親しい共同研究者である[[ウォード・カニンガム]]との業績に基づいたもの- を提案および実施した。 ケント・ベックは、手法の初期のコンセプトの説明を残している<ref>{{cite book|url= http://www.informit.com/articles/article.aspx?p=20972|title= Interview with Kent Beck and Martin Fowler|work= informit.com|date=2001-03-23}}</ref>: {{quote|初めてチームのリーダーを任された時に、テストやレビューなど、私が理にかなっていると思ったことを少しだけやってもらいました。2回目はもっとたくさんのことをやってもらいました。私は、「機雷にかまうな、少なくともこれは良いシステムになるぞ」と考え、[そして]チームに、私が必要不可欠だと思うこと全てのツマミを10に上げ、それ以外はすべて省いてくれと求めました。|author=|title=|source=}} ケント・ベックは、これらの方法の開発と改良の支援のために、{{仮リンク|ロン・ジェフリーズ|en|Ron_Jeffries|label=ロン・ジェフリーズ}}をプロジェクトに招いた。 ロン・ジェフリーズはその後、C3チームに習慣としてのプラクティスを浸透させるためのコーチを務めた。 XPの背後にある原則とプラクティスに関する情報は、オリジナルの[[wiki|ウィキ]]であるカニンガムの{{仮リンク|WikiWikiWeb|en|WikiWikiWeb|label=WikiWikiWeb}}での議論を通じて、より広い世界に広まった。 さまざまな寄稿者がアイデアを議論し、拡張し、いくつかのスピンオフの方法論が生まれた([[アジャイルソフトウェア開発]]を参照)。 また、XPのコンセプトは、1999年頃のXPのWebサイト http://www.extremeprogramming.org での[[ハイパーテキスト]]システムによって、数年前から説明されている{{by whom?|date=August 2019}}。 ケント・ベックは、彼自身の書籍『XPエクストリーム・プログラミング入門―ソフトウェア開発の究極の手法』 (原書初版1999年、ISBN 978-4894712751)を皮切りに、XPに関する一連の書籍を編集し、彼の考えをより多くの人に広めていった。 このシリーズの著者たちは、XPとそのプラクティスについて、様々な側面から考察をしている。一連の書籍には、プラクティスに批判的な本も含まれている。 === 現状 === XPは、1990年代後半から2000年代初頭にかけてソフトウェアコミュニティの間で大きな関心を集め、その起源とは根本的に異なる多くの環境で採用された。 元のプラクティスに求められていた高い規律はしばしば道端に捨て置かれ、厳しすぎると思われていたプラクティスの中には、銘々のサイトで非推奨になったり、縮小されたり、あるいは未完成のままにされるものもあった。 たとえば、各プロジェクトにおける一日の終わりの[[統合テスト]]の実施を、週の終わりのスケジュールに変更したり、単に相互に合意した日でのテストに減らしたりする。 そのような弛んだスケジュールでは、一日の終わりのテストに合格するためだけに人為的なスタブを生成しなければならないという焦りを感じることはない。厳格でないスケジュールでは、代わりに、数日間も費やして複雑な機能を開発してしまう。 一方、他のアジャイル開発プラクティスは立ち止まっておらず、XPも、2019年の時点で、他のプラクティスを利用するために、現場での経験による多くの教訓を取り入れて進化し続けている。 初版から5年後の第2版の書籍『エクストリームプログラミング』(2004年11月原著発行)では、ケント・ベックはより多くの[[値|価値]]とプラクティスを追加し、基礎プラクティスと周辺プラクティスを区別した。 持続可能なソフトウェア開発の理論は、エクストリーム・プログラミングチームがチームの混乱にもかかわらず成長できる理由が説明されている <ref> {{cite book|last1= Sedano|first1= Todd |title= Proceedings of the 10th ACM/IEEE International Symposium on Empirical Software Engineering and Measurement - ESEM '16 |pages= 1–10|last2= Ralph|first2= Paul|last3= Péraire|first3= Cécile |url= https://www.researchgate.net/publication/304014117 |doi= 10.1145/2961111.2962590|year= 2016|isbn= 9781450344272 }} </ref>{{primary source inline|date= September 2018}} 。 == コンセプト == === ゴール === 書籍『エクストリームプログラミング』では、エクストリーム・プログラミングは、より高品質なソフトウェアをより生産的に生産するために人々を組織化するソフトウェア開発の規律として説明されている。 XPは、長い開発サイクルではなく、複数の短い開発サイクルにより、要件変更のコストを下げようとする。 この教義では、変更はソフトウェア開発プロジェクトの自然で避けられない望ましい側面であり、変わることがない要件定義をしようとするのではなく、計画すべしとしている。 エクストリーム・プログラミングでは、アジャイルプログラミングのフレームワークに加えて、いくつかの基本的な価値、原則、およびプラクティスを取り入れている。 === アクティビティ === XPでは、ソフトウェア開発プロセス内で実行される4つの基本的なアクティビティ(コーディング、テスト、傾聴、設計)を描き出す。これら各アクティビティを次に説明する。 ==== コーディング ==== XPの支持者は、システム開発プロセスの唯一の真に重要な製品はコード、つまりコンピュータが解釈できるソフトウェア命令であると主張する。コードがなければ、動作する製品は存在しない。 コーディングは、最適な解決策を導き出すのに役立つ。コーディングはまた、プログラミングの問題についての考えを伝えるのにも役立つ。 複雑なプログラミングの問題を扱うプログラマーや、他のプログラマーに解決策を説明するのが難しいと感じるプログラマーは、シンプルな形でコード化し、そのコードを使って自分が何を言いたいのかを示すこともできる。 この立場の支持者らによると、コードは常に明確で簡潔であり、複数の方法で解釈することはできないと言う。 他のプログラマーも、自身の考えをコード化することで、コードに対してフィードバックすることができる。 ==== テスト ==== {{main|テスト駆動開発}} テストはエクストリーム・プログラミングの中心である<ref>{{cite book |title=Testing Extreme Programming|author1= Lisa Crispin |author2 = Tip House|isbn=9780321113559|date=2003}}</ref>。 エクストリーム・プログラミングのアプローチは、少しのテストでいくつかの欠陥を取り除ければ、多くのテストでより多くの欠陥を取り除くことができるというものである。 * [[単体テスト|ユニットテスト]]は、特定の機能が意図した通りに動作するかどうかを判断する。プログラマは、コードを「壊す」可能性のある自動テストを思いつく限り多く書く; すべてのテストが成功したら、コーディングは完了である。書かれたすべてのコードは、次の機能の作成に進む前にテストされる。 * [[受け入れテスト]]では、プログラマーが理解した要件が顧客の実際の要件を満たしているかどうかを検証する。 システム全体の[[統合テスト]]は、最初は、互換性のないインターフェースを早期に発見し、各セクションが首尾一貫した機能から大きく乖離する前に再接続するために、毎日の終業時に実施することが推奨されていた。しかし、システム全体の統合テストは、システムの全体的なインターフェースの安定性に応じて、週1回、またはそれ以下の頻度にまで減少した{{citation needed|date=January 2013}}。 ==== 傾聴 ==== プログラマーは、顧客がシステムに何を必要としているのか、どのような「[[ビジネスロジック]]」が必要なのかに耳を傾けなければならない。 プログラマーはこれらのニーズを十分に理解して、問題がどのように解決されるか、あるいは解決されないのかの技術的な側面について顧客にフィードバックしなければならない。 顧客とプログラマーの間のコミュニケーションは、''[[計画ゲーム]]''の中でさらに取り組まれる。 ==== 設計 ==== 単純さの観点で言うと、当然のことながら、システム開発にはコーディング、テスト、傾聴以上のものは必要ないと言える。 これらのアクティビティが適切に行われていれば、その結果は常に動作するシステムになるはずだ。しかし、実際にはそうはならない。 設計せずに長い道のりを歩むことはできるが、いつかは行き詰まる。 システムが複雑になりすぎて、システム内の依存関係が明確でなくなる。 システム内のロジックを整理する設計構造を作成することで、これを回避できる。 優れた設計は、システム内の多くの依存関係を回避する; つまり、システムのある部分を変更しても、システムの他の部分に影響を与えない{{Citation needed|date=June 2009}}。 === 価値 === 1999年の最初のエクストリーム・プログラミングでは、コミュニケーション、シンプルさ、フィードバック、勇気という4つの価値観に着目した。第2版の書籍『エクストリームプログラミング』では、新たに「リスペクト」という価値観が追加された。これら5つの価値観を以下で説明する。 ==== コミュニケーション ==== ソフトウェアシステムを構築するには、システムの要件をシステムの開発者に伝える必要がある。 格式ばったソフトウェア開発方法論では、このタスクは文書化によって行われる。 エクストリーム・プログラミング技法は、開発チームのメンバー間における組織化された知識を迅速に構築し、普及させるための方法と見なせる。 目標は、システムの利用者が持つ見解と一致するシステムの共有見解をすべての開発者に与えることです。 この目的を達成するために、エクストリーム・プログラミングは、シンプルな設計、共通のメタファー、ユーザーとプログラマーのコラボレーション、頻繁な口頭でのコミュニケーション、フィードバックを重視している。 ==== シンプリシティ ==== エクストリーム・プログラミングでは、最もシンプルな解説策から始めることを推奨している。機能は、後から追加できる。 このアプローチと従来のシステム開発手法との違いは、明日、来週、または来月のニーズではなく、今日のニーズに合わせた設計とコーディングに焦点を当てていることだ。 これは、「[[YAGNI|実際に必要となるまでは追加しない]]」(YAGNI)アプローチとして要約されることがある<ref name="tr">"Everyone's a Programmer" by Clair Tristram. ''Technology Review'', November 2003. p. 39.</ref>。 XPの支持者は、これが、システムの変更に明日より多くの努力を必要とすることがあるという欠点を認めている; 彼らの主張は、関係が生まれる前に変更される可能性のある将来の要件に投資しないという利点によって、これは十分に補償されるということだ。 将来の不確実な要件を考慮してコーディングや設計をすることは、必要ではないかもしれないものにリソースを費やすリスクを意味し、重要な機能を遅らせてしまう可能性がある。 「コミュニケーション」の価値に関連して、設計とコーディングのシンプルさは、コミュニケーションの質を向上させるはずである。 非常にシンプルなコードによるシンプルな設計は、チーム内のほとんどのプログラマーが簡単に理解できる。 ==== フィードバック ==== エクストリーム・プログラミングでは、フィードバックはシステム開発のさまざまな側面に関連している: * システムからのフィードバック: [[単体テスト|ユニットテスト]]を書いたり<ref name=Cworld92/>、定期的に統合テストを実行することで、プログラマーは、変更した後にシステムの状態から直接フィードバックを得ることができる。 * 顧客からのフィードバック: 機能テスト(別名:([[受け入れテスト]])は、顧客とテスターが作成する。彼らは、システムの現状について具体的なフィードバックを得られる。このレビューを2~3週間に1回のペースで計画することで、顧客は容易に開発の舵取りができる。 * チームからのフィードバック: 顧客が計画ゲームで新しい要求を出すと、チームは直接、実装にかかる時間を見積もる。 フィードバックは、コミュニケーションとシンプルさに密接に関係している。 システムの欠陥は、特定のコードが壊れることを証明するユニットテストを書くことで簡単に伝達される。 システムからの直接のフィードバックは、プログラマーにこの部分を再コーディングするように伝える。 顧客は、''[[ユーザーストーリー]]''<ref name=Cworld92/>として知られる機能要件に従って、定期的にシステムをテストすることができる。 [[ケント・ベック]]を引用すると、「楽観主義はプログラミングの職業上の危険である。フィードバックが治療法である。」<ref name="Beck99">{{cite book|last=Beck|first=K.|authorlink=Kent Beck|title=Extreme Programming Explained: Embrace Change|publisher=Addison-Wesley|year=1999|isbn=978-0-321-27865-4}}</ref> {{Anchors|勇気}} ==== 勇気 ==== いくつかのプラクティスは勇気を体現している。 1つは、明日のためではなく、常に今日のために設計とコーディングをするという戒めである。 これは、設計の行き詰まりを避け、余計なものを実装するために費やす多くの労力を回避するための取り組みである。 勇気により、開発者は必要に応じてコードの[[リファクタリング_(プログラミング)|リファクタリング]]を快適に行える<ref name=Cworld92/>。 つまり、既存のシステムを見直し、将来の変更をより簡単に実装できるようにする。 勇気のもう一つの例は、コードを捨てるタイミングを知ることだ: そのソースコードを作成するためにどれだけの労力が費やされていたとしても、陳腐化したソースコードを削除する勇気である。 また、勇気とは永続性を意味する: プログラマーは複雑な問題に一日中悩まされても、翌日にはすぐに問題を解決しているかもしれない。だが、それは永続性がある場合に限られる。 ==== リスペクト ==== リスペクトの価値には、自尊心だけでなく、他者への尊敬も含まれる。 プログラマは、コンパイルを中断させたり、既存のユニットテストを失敗させたり、仲間の作業を遅らせたりするような変更をコミットしてはならない。 チームメンバーは、常に高品質を目指し、リファクタリングを通して目の前の解決策に対して最善の設計を追求することで、自分の仕事を尊重する。 先に述べた4つの価値観を採用することは、チーム内の他のメンバーからの尊敬を得ることにつながる。 チームの誰かが、感謝されていないと感じたり、無視されていると感じたりするのはいけない。 これにより、高いモチベーションが確保され、チームとプロジェクトの目標に対する忠誠心が高まる。 この価値は他の価値に依存しており、チームワークを重視している。 === ルール === XPのルールの最初のバージョンは、1999年にドン・ウェルズ<ref>{{cite web|url=http://www.extremeprogramming.org/rules.html|title=Extreme Programming Rules|work=extremeprogramming.org|accessdate=2019-03-26}}</ref> によってXPのウェブサイトで公開された。 29のルールが、計画、管理、設計、コーディング、およびテストのカテゴリで提供されている。 計画、管理、設計は、XPがこれらの活動をサポートしていないという文句に対抗するために、明示的に書き出されている。 XPのルールの別バージョンは、ケン・アウアー<ref>[http://www.rolemodelsoftware.com/moreAboutUs/publications/rulesOfXp.php Ken Auer] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080920062925/http://www.rolemodelsoftware.com/moreAboutUs/publications/rulesOfXp.php |date=September 20, 2008 }}</ref>によってXP/Agile Universe 2003で提案された。 彼は、XPはそのルールによって定義されるのであり、そのプラクティス(より多くのバリエーションがあり、あいまいさにさらされる)ではないと感じていた。 彼は2つのカテゴリーを定義した: ソフトウェア開発が効果的に行われる環境を規定する "交戦規定(Rules of Engagement)"と、 交戦規定の枠組みの中での分刻みのアクティビティとルールを定義する "ルールズ・オブ・プレイ(Rules of Play)"である。 以下、ルールの一部を示す(不完全): '''コーディング''' * 顧客は常に対応可能 * [[単体テスト|ユニットテスト]]コードファースト * コードの統合は一度に1ペアのみ * 最後まで[[最適化 (情報工学)|最適化]]しない * [[時間外労働|残業]]禁止 '''テスト''' * 全てのコードは、[[単体テスト|ユニットテスト]]を持つ * 全てのコードは、リリース前にすべての[[単体テスト|ユニットテスト]]を通す * [[バグ]]があれば、バグを調べる前にテストを書く(バグとは、ロジック内の誤りではない; 書かれていないテストである) * [[受け入れテスト]]は頻繁に実行され、結果は公開される === 原則 === XPの基礎となる原則は、先ほど説明した価値観に基づいており、システム開発プロジェクトにおける意思決定を促進することを目的としている。 原則は、価値よりも具体的で、より実践的な状況でのガイドラインに変換しやすいことを目指している。 ==== フィードバック ==== エクストリーム・プログラミングでは、フィードバックが頻繁かつ迅速に行われることが最も有用であると考えられている。 また、あるアクションとそのフィードバックの間の遅延を最小限に抑えることが、学習や変化をする上で非常に重要であると強調している。 伝統的なシステム開発手法とは異なり、顧客との接触がより頻繁に繰り返される。 顧客は開発中のシステムを明確に理解しており、必要に応じてフィードバックを与え、開発の舵取りをすることができる。 顧客からの頻繁なフィードバックがあれば、開発者が誤った設計決定をした場合でも、開発者がそれを実装するのに多くの時間を費やす前に、迅速に気付き、修正することができる。 ユニットテストは迅速なフィードバックの原則に貢献している。 コードを書くとき、ユニットテストを実行することで、システムに加えられた変更に対してどのように反応するかの直接的なフィードバックが得られる。 これには、開発者のコードをテストするユニットテストを実行するだけでなく、単一のコマンドで起動される自動化されたプロセスを使用した、すべてのソフトウェアに対するすべての単体テストを実行することも含まれる。 このようにして、開発者の変更がシステムのその他の部分で開発者がほとんどまたはまったく知らない障害を引き起こした場合、 自動化された全ユニットテストスイートはすぐに障害を明らかにし、その変更がシステムの他の部分と非互換であること、そしてその変更を削除するか修正する必要があることを開発者に警告する。 伝統的な開発手法では、自動化された包括的なユニットテストスイートがないため、開発者は無害であると思っていたコード変更がそのまま残され、統合テスト中でしか現れず、さらに悪いことに、本番環境でしか現れなかった; また、統合テストの数週間前または数か月前からすべての開発者が行ったすべての変更の中から、どのコード修正が問題の原因となったのかを特定することは、大変な作業だった。 ==== シンプルさを前提に ==== これは、すべての問題を、あたかもその解決策が「非常にシンプルである」かのように扱うことだ。 伝統的なシステム開発手法では、将来を見据えた計画を立て、再利用性を考慮したコーディングを行うように言われてきたが、エクストリーム・プログラミングはこれらの考え方を否定する。 エクストリーム・プログラミングの支持者は、一度に大きな変更を加えてもうまくいかないと言う。 エクストリーム・プログラミングでは、漸進的な変更を適用する: 例えば、システムは3週間ごとに小さなリリースを行うかもしれない。 多くの小さな段階が作られると、顧客は開発プロセスと開発中のシステムをより詳細に制御できるようになる。 ==== 変化を受け入れる ==== 変化を受け入れるという原則は、変化に逆らうのではなく、変化を受け入れるということだ。 例えば、イテレーションでの会議の一つで顧客の要求が劇的に変化したことが判明したら、プログラマーはこれを受け入れ、次のイテレーションのために新しい要件の計画していく。 == プラクティス == {{details|[[エクストリーム・プログラミング プラクティス]]}} エクストリームプログラミングには、4つの領域にグループ化された12のプラクティスがあると説明されている: === 詳細スケールフィードバック === * [[ペアプログラミング]]<ref name=Cworld92/> * [[エクストリーム・プログラミング_プラクティス#計画ゲーム|計画ゲーム]] * [[テスト駆動開発]] * [[エクストリーム・プログラミング_プラクティス#チーム全体|チーム全体]] === 継続的プロセス === * [[継続的インテグレーション]] * [[リファクタリング_(プログラミング)|リファクタリング]] もしくは 設計の改善<ref name=Cworld92/> * [[エクストリーム・プログラミング_プラクティス#小さなリリース|小さなリリース]] === 共有理解 === * [[エクストリーム・プログラミング_プラクティス#コーディング規約|コーディング規約]] * [[エクストリーム・プログラミング_プラクティス#ソースコードの共同所有|ソースコードの共同所有]]<ref name=Cworld92/> * [[エクストリーム・プログラミング_プラクティス#シンプル設計|シンプル設計]]<ref name=Cworld92/> * [[エクストリーム・プログラミング_プラクティス#システムメタファー|システムメタファー]] === プログラマーの福祉 === * [[エクストリーム・プログラミング_プラクティス#持続可能なペース|持続可能なペース]] == 物議を醸している側面 == XP のプラクティスは激しく議論されてきている<ref name=Cworld92/>。 エクストリーム・プログラミングの支持者は、オンサイト顧客<ref name=Cworld92/>に非公式に変更を要求することで、プロセスが柔軟になり、形式的なオーバーヘッドのコストを節約できると主張している。 XPの批判者は、これがコストのかかる手直しや、以前に合意や資金提供されていた範囲を超えたプロジェクトの[[スコープ・クリープ]]につながる可能性があると主張している{{Citation needed|date=February 2020}}。 変更管理委員会は、プロジェクトの目的と複数のユーザー間の制約に潜在的な矛盾があることを示している。 XPの迅速な手法は、プログラマーが妥協した目的や制約の文書化ではなくコーディングに集中できるようにするのに、統一されたクライアント視点をプログラマー達が想定できるかどうかにある程度依存している<ref name="CarrollMorris2015">{{cite book|author1=John Carroll|author2=David Morris|title=Agile Project Management in easy steps, 2nd edition|url=https://books.google.com/books?id=oqFKCgAAQBAJ&pg=PT162|date=July 29, 2015|publisher=In Easy Steps|isbn=978-1-84078-703-0|page=162}}</ref>。 これは、複数のプログラミング組織、特にプロジェクトのシェアを競い合う組織にも当てはまる{{Citation needed|date=July 2008}}。 他にも、エクストリーム・プログラミングの潜在的な議論の余地のある側面としては、以下のようなものがある: * 要件は、仕様書ではなく自動受け入れテストとして表現される。 * 要件は、すべてを事前に取得しようとするのではなく、漸進的に定義される。 * ソフトウェア開発者は通常、二人一組で作業することが求められる。 * {{仮リンク|事前の大規模設計|en|Big_Design_Up_Front|label=事前の大規模設計}}がない。ほとんどの設計作業は、<span id="SimplestThingThatCouldPossiblyWork"></span>「可能で最も単純なもの」から始まり、テストの失敗によって必要になった場合にのみ複雑さを追加することで、その場で漸進的に行われる。批評家はこれを「システムの外観を[[デバッグ]]する」ことと比較し、要件が変更されたときだけ再設計するよりも、再設計の労力が増えることを危惧している。 * プロジェクトに{{仮リンク|顧客担当者|en|customer representative|label=顧客担当者}}が付き添う。この役割はプロジェクトの単一障害点になる可能性があり、それがストレスの原因になると気づいた者もいる。また、技術的なソフトウェアの機能やアーキテクチャの使用を指示しようとする非技術的な担当者による[[マイクロマネジメント]]の危険もある。 批評家は、不安定な要件の問題、ユーザーの衝突の妥協点が文書化されていないこと、全体的な設計仕様書や文書の欠如など、いくつかの潜在的な欠点を指摘している<ref name=Cworld92/>。 === スケーラビリティ === {{仮リンク|ThoughtWorks|en|ThoughtWorks|label=ThoughtWorks}}は、最大60人の分散型XPプロジェクトにおいて、それなりの成功を収めている{{Citation needed|date=August 2009}}。 2004年に、XPの進化形として産業用エクストリーム・プログラミング(IXP)<ref>{{cite web|url=http://www.cutter.com/content-and-analysis/resource-centers/agile-project-management/sample-our-research/apmr0502.html|title=Industrial XP: Making XP Work in Large Organizations - Cutter Consortium|author=Cutter Consortium|work=cutter.com|accessdate=2019-03-26}}</ref>が導入された。 これは、大規模で分散したチームで作業できるようにすることを目的としている。 現在、23のプラクティスと柔軟な価値がある。 === 分離可能性と対応 === 2003年に、{{仮リンク|マット・ステファン|en|Matt_Stephens|label=マット・ステファン}}とダグ・ローゼンバーグは、書籍『Extreme Programming Refactored:The Case Against XP』を出版した。 この本は、XPプロセスの価値に疑問を投げかけ、XPプロセスを改善する方法を提案している<ref name=SR/>。 これにより、記事、インターネットニュースグループ、およびWebサイトのチャット界隈で長い議論が起きた。 この本の核心的な議論は、XPのプラクティスは相互に依存しているが、すべてのプラクティスを採用しようとする意志がある/可能な実際的な組織はほとんどないというものであり、したがって、プロセス全体が失敗するというものである。 また、本書は他の批判も行っており、XPの「集団所有」モデルを社会主義に例え否定的に描いている。 XPのある側面は『Extreme Programming Refactored』の出版以降、変化している; 特に、XPは現在、必要な目標が満たされているのであれば、プラクティスの変更を受け入れている。 XPはまた、プロセスに一般的な用語を使うようになってきている。 これらの変更により以前の批判は無効であると主張する人もいれば、これは単にプロセスを骨抜きにしているだけだという意見もある。 他の著者は、統一された方法論を形成するために、古い方法論とXPを調和させることを試みた。 これらのXPのいくつかは、 [[ウォーターフォール・モデル]]のような、置き換えを求めていた: 例: プロジェクトのライフサイクル: ウォーターフォール、[[高速アプリケーション開発]](RAD)、およびそのすべて。 [[JPモルガン・チェース]]は、[[能力成熟度モデル統合]](CMMI)および[[シックス・シグマ]]のコンピュータプログラミングの方法とXPを組み合わせてみた。 彼らは、3つのシステムが互いをよく補強し、よりよい開発をもたらし、相互に矛盾しなかったことを見つけた<ref>[http://www.sei.cmu.edu/library/assets/jarvis-gristock.pdf Extreme Programming (XP) Six Sigma CMMI].</ref>。 == 批判 == エクストリーム・プログラミングの初期の話題性と、[[ペアプログラミング]]や{{仮リンク|継続的設計|en|continuous design|label=継続的設計}}などの論争の的になっている教義は、 マクブリーン<ref name="mcbreen">{{cite book| last = McBreen| first = P.| title = Questioning Extreme Programming| year = 2003| publisher = Addison-Wesley| location = Boston, MA| isbn = 978-0-201-84457-3 }}</ref> ベームとターナー<ref name="boehm2004">{{cite book| author2 = R. Turner| last = Boehm| first = B.| authorlink = Barry Boehm| title = Balancing Agility and Discipline: A Guide for the Perplexed| year = 2004| publisher = Addison-Wesley| location = Boston, MA| isbn = 978-0-321-18612-6 | author2-link = Richard Turner (computer scientist)}}</ref>、 マット・ステファンとダグ・ローゼンバーグ<ref name="stephens2004">{{cite book| author2 = Doug Rosenberg| last = Stephens| first = Matt| authorlink = Matt Stephens| url=http://www.drdobbs.com/the-irony-of-extreme-programming/184405651 |title=The irony of extreme programming| year = 2004| publisher = Dr Dobbs journal| location = MA| isbn = }}</ref> などからの批判を集めている。 しかし、批判の多くは、アジャイルの実践者によって、アジャイル開発への無理解であると信じられている <ref name="sdmagazine1811">[http://www.sdmagazine.com/documents/s=1811/sdm0112h/0112h.htm sdmagazine] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20060316100811/http://www.sdmagazine.com/documents/s%3D1811/sdm0112h/0112h.htm |date=March 16, 2006 }}</ref>。 とりわけ、エクストリーム・プログラミングは、マット・ステファンとダグ・ローゼンバーグの書籍『Extreme Programming Refactored』で考察と批判がされている<ref name=SR/>。 批判には次のようなものがある: * 方法論が人によりけり、アジャイルはこれを解決していない{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * 成果物を定義しないことで顧客からお金を垂れ流すための手段としてよく使用される {{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * 構造と必要な文書の欠如 {{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * 上級レベルの開発者のみに作用する{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * 不十分なソフトウェア設計を包含している{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * 顧客は莫大な費用をかけて頻繁に会議をする必要がある{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * 採用するにはあまりにも多くの文化的変化が必要{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * より困難な契約交渉につながる可能性がある{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * 非常に非効率になる可能性がある: コードのある領域の要件が多くの反復によって変化する場合、同じプログラミングを数回繰り返す必要があるかもしれない。一方、計画にあってそれに従うのであれば、コードの1つの領域は1回しか記述されないことが期待される{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * プロジェクトの開始時には、誰も全体のスコープ/要件を知らないので、見積もりを出すのに必要な労力の現実的な見積もりを作ることは不可能{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} * 詳細な要件文書がないため、[[スコープ・クリープ]]のリスクを増大させる可能性がある{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} アジャイルは機能駆動型である: 非機能的な品質属性を[[ユーザーストーリー]]として表現するのが困難{{Citation needed|reason=Who has advanced this criticism?|date=May 2019}} == 関連項目 == * [[アジャイルソフトウェア開発]] * {{仮リンク|継続的陳腐化|en|Continuous obsolescence|label=継続的陳腐化}} * {{仮リンク|エクストリーム・マニュファクチャリング|en|EXtreme Manufacturing|label=エクストリーム・マニュファクチャリング}} * {{仮リンク|エクストリーム・プロジェクトマネジメント|en|Extreme project management|label=エクストリーム・プロジェクトマネジメント}} * [[エクストリーム・プログラミング プラクティス]] * [[改善]] * {{仮リンク|ソフトウェア開発哲学のリスト|en|List of software development philosophies|label=ソフトウェア開発哲学のリスト}} * [[ペアプログラミング]] * [[スクラム_(ソフトウェア開発)]] * [[ソフトウェア工学]] * {{仮リンク|ソフトウェア職人気質|en|Software craftsmanship|label=ソフトウェア職人気質}} * {{仮リンク|スタンドアップ・ミーティング|en|Stand-up meeting|label=スタンドアップ・ミーティング}} * {{仮リンク|タイムボックス_(ソフトウェア開発)|en|Timeboxing|label=タイムボックス}} == 参照 == <references /> == 参考文献 == * [[Ken Auer]] and Roy Miller. ''Extreme Programming Applied: Playing To Win'', Addison–Wesley. * ケン アウアー (著), ロイ ミラー (著), Ken Auer (原著), Roy Miller (原著), 平鍋 健児 (翻訳), 遠藤 真奈美 (翻訳), 高嶋 優子 (翻訳), 山田 禎一 (翻訳) 『XPエクストリーム・プログラミング適用編―ビジネスで勝つためのXP』ピアソン・エデュケーション、2002。ISBN 978-4894715554 * {{cite book |chapter=Are Testers eXtinct? How Can Testers Contribute to XP Teams? |author=Ken Auer|author2=Ron Jeffries |author3=Jeff Canna |author4=Glen B. Alleman |author5=Lisa Crispin |author6=Janet Gregory |title=Extreme Programming and Agile Methods — XP/Agile Universe 2002|volume=2418|pages=287|publisher=Springer-Verlag |year=2002 |doi=10.1007/3-540-45672-4_50|isbn=978-3-540-44024-6|author2-link=Ron Jeffries|series=Lecture Notes in Computer Science}} * [[Kent Beck]]: ''Extreme Programming Explained: Embrace Change'', Addison–Wesley. * ケント・ベック(著)、長瀬嘉秀(監訳)、永田渉、飯塚麻理香(訳)『XPエクストリーム・プログラミング入門:ソフトウェア開発の究極の手法』ピアソン・エデュケーション、2000。ISBN 489471275X * [[Kent Beck]] and [[Martin Fowler (software engineer)|Martin Fowler]]: ''Planning Extreme Programming'', Addison–Wesley. * ケント ベック (著), マーチン ファウラー (著), Kent Beck (原著), Martin Fowler (原著), 長瀬 嘉秀 (翻訳), 飯塚 麻理香 (翻訳)『XPエクストリーム・プログラミング実行計画』ピアソン・エデュケーション、2001。ISBN 978-4894713413 * [[Kent Beck]] and Cynthia Andres. ''Extreme Programming Explained: Embrace Change, Second Edition'', Addison–Wesley. * KentBeck、CynthiaAndres(著)、[[角征典]](訳)『エクストリームプログラミング』オーム社、2015。ISBN 978-4-274-21762-3 * [[Alistair Cockburn]]: ''Agile Software Development'', Addison–Wesley. * [[Martin Fowler (software engineer)|Martin Fowler]]: ''Refactoring: Improving the Design of Existing Code'', Addison–Wesley. * Martin Fowler (著), 児玉 公信 (翻訳), 友野 晶夫 (翻訳), 平澤 章 (翻訳), 梅澤 真史 (翻訳)『リファクタリング(第2版): 既存のコードを安全に改善する』オーム社、2019。ISBN 978-4274224546 * [[Harvey Herela]] (2005). [https://archive.is/20070715005646/http://calla.ics.uci.edu/histories/ccc/ Case Study: The Chrysler Comprehensive Compensation System]. Galen Lab, U.C. Irvine. * [[Jim Highsmith]]. ''Agile Software Development Ecosystems'', Addison–Wesley. * [[Ron Jeffries]], Ann Anderson and Chet Hendrickson (2000), ''Extreme Programming Installed'', Addison–Wesley. * ロン・ジェフリーズ (著), アン・アンダーソン (著), チェット・ヘンドリクソン (著), 平鍋 健児 (翻訳), 高嶋 優子 (翻訳), 藤本 聖 (翻訳)『XPエクストリーム・プログラミング導入編 ― XP実践の手引き』ピアソン・エデュケーション、2001。ISBN 978-4894714915 * [[Craig Larman]] & V. Basili (2003). "Iterative and Incremental Development: A Brief History", Computer (IEEE Computer Society) 36 (6): 47–56. * [[Matt Stephens]] and Doug Rosenberg (2003). ''Extreme Programming Refactored: The Case Against XP'', Apress. * Waldner, JB. (2008). "Nanocomputers and Swarm Intelligence". In: ISTE, 225–256. == 外部リンク == {{Commons category|Extreme programming}} {{Wikiquote}} * [[WikiWikiWeb:ExtremeProgramming|Extreme Programming]] * [http://www.extremeprogramming.org A gentle introduction] * [http://www.IndustrialXP.org/ Industrial Extreme Programming] * [http://www.xprogramming.com XP magazine] * [http://c2.com/cgi/wiki?ExtremeProgrammingImplementationIssues Problems and Solutions to XP implementation] * [http://www.martinfowler.com/articles/agileOffshore.html Using an Agile Software Process with Offshore Development] – [[ThoughtWorks]]' experiences with implementing XP in large distributed projects * [http://www.objectclub.jp/community/XP-jp/ オブジェクト倶楽部 XP-jp] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:えくすとりむふろくらみんく}} [[Category:エクストリーム・プログラミング|*]] [[Category:アジャイルソフトウェア開発]] [[Category:ソフトウェア開発手法]] [[Category:ソフトウェア開発哲学]]
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錬金術
錬金術(れんきんじゅつ、英: alchemy, hermetic art、ラテン語: alchemia, alchimia、アラビア語: خيمياء)は、最も狭義には化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。『日本大百科全書』によれば錬金術とは、古代~中世にわたって原始的な科学の試行錯誤を行った技術・哲学・宗教思想・実利追求などの固まりとされる。 現代英語で「ヘルメースの術」(hermetic art)は、錬金術を指す。中世ヨーロッパではヘルメース哲学が、錬金術や医学的伝統などと合わさり広まっていた。 錬金術の起源は古代エジプトや古代ギリシアに求められる。錬金術は、ヘレニズム文化の中心であった紀元前のエジプトのアレクサンドリアからイスラム世界に伝わり発展した。万物は四元素から構成されていると考えたアリストテレスら古代ギリシアの哲学者の物質観は、中世アラビアの錬金術に多大な影響をもたらした。12世紀にはイスラム錬金術がラテン語訳されてヨーロッパで盛んに研究されるようになった。 錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現在の化学薬品の多くが発見されており、実験道具が発明された。17世紀後半になると錬金術師でもあった化学者のロバート・ボイルが四元素説を否定、アントワーヌ・ラヴォアジェが著書で33の元素や「質量保存の法則」を発表するに至った。これらの成果は現在の化学に引き継がれている。歴史学者フランシス・イェイツは16世紀の錬金術が17世紀の自然科学を生み出した、と指摘した。 語源については通説は定まっていない。 英語の Alchemy(アルケミー)はアラビア語 Al kimiya に由来し、Al はアラビア語の定冠詞(英語では the に相当)であり、この技術がイスラム経由で伝えられたという歴史的経緯を示す。 chemyは、 錬金術の源は古代ギリシャや古代エジプトに求められる。1828年、エジプトのテーベで古代の墓地からギリシア語で書かれたパピルスが発掘された。これらは現在所蔵する都市の名をとって「ライデンパピルス(Leyden Papyrus)」「ストックホルムパピルス(Stockholm Papyrus)」と呼ばれている。 3世紀頃に書かれたとみられるこれらのパピルスには、金や銀に別の金属を加えて増量する方法や染色法が記述されている。 4世紀初めのアレクサンドリアの錬金術師、パノポリスのゾシモス(ギリシア語版、アラビア語版、英語版)(ゾーシモス)は膨大な著作を残したとされ現在に残っているものも多い。ユダヤ婦人マリア(英語版、ギリシア語版)は4世紀頃の錬金術師で、密閉した容器に金属片を入れて蒸気を当てるケロタキス(kerotakis)という装置を発明したとされ、今も「バン・マリ」(bain-marie、湯煎)の名で残っている。しかしこの時代の錬金術には賢者の石やエリクサーは登場しない。 7世紀にアラビア半島の一角で誕生したイスラームは、その信徒の共同体の支配する地域が短期間で拡大した。支配地域の行政には聖典の言語であるアラビア語が用いられ、のちには支配地域内に豊富に存在した学術書もアラビア語へ翻訳されるようになった。2-3世紀に書かれたヘルメス文書や、4世紀のゾシモスの著作、5-6世紀の新プラトン主義的文献といった、錬金術にかかわるエジプトのギリシア語文献も、8-9世紀のおよそ200年ほどの短期間に集中的にアラビア語へ翻訳された。 翻訳の時代が終わり、9世紀の終わりごろから10世紀の初め頃になると、ジャービル文献と呼ばれる、著者をジャービル・ブン・ハイヤーンという人物に擬した文書群や、ムハンマド・ブン・ザカリーヤー・ラーズィーというペルシア人の著作群が編纂された。ジャービル文書の実際の著者らはイスマーイール派というシーア派の秘教的分派の信奉者のようであり、文書中にはイスマーイール派の特異な魔術的・数秘術的・占星術的・生物学的考察が垣間見える。ジャービルとラーズィー以後も、イブン・ウマイル(10世紀)、カーシー(11世紀)、トゥグラーイー(12世紀)といった錬金術師が著作を書き、エジプトのジルダキー(14世紀)は先人たちの研究成果を総括する著作を書いた。17世紀後半、オスマン朝の宮廷医師サーリフ・ブン・ナスルッラー・サッルームはパラケルススの思想を伝統医術に導入しようとした。これは錬金術が近代的な「化学」に変容しうる機会であったが、そうはならず、錬金術師たちは「賢者の石」探しに終始した。 中世アラビア語圏における「錬金術」の定義はさまざまであるが、劣位の金属を変成(transmutation)させて高位の金属を得ることがテーマの技術であり、岩石学や鉱物学に近いが厳密には異なった。鉄鉱石や金鉱石から鉄・金を精錬する冶金術とも異なり、ガラスや金・銀のまがい物を製造する技術でもなかった。染色や香料製造も錬金術ではなく、薬化学はこの時代にはまだ存在していない。冶金、染色、香料製造といった工芸的技術と錬金術が根本的に異なっていた点は、錬金術が理論的基礎を持っていた点である。 錬金術師たちは、多様な鉱物は本来、一性(djins)であり、複数の要因によって本質的な(dhātiyya)鉱物なり非本質的な鉱物なりになっているに過ぎないと考え、要因は定常的ではなく変更可能であるから変成は可能であると考えた。このような理論的基礎の上、錬金術師たちは、大地の奥底で数千年かかって劣位の金属が高位の金属に変成するプロセスを、加速させる技術を研究した。 人為的な変成が可能か否かについて、錬金術師ではない学者の意見は多様であった。ジャーヒズは懐疑主義的に、砂がガラスになるのに、真鍮が金に、水銀が銀にならないのは矛盾していると書いた。キンディーは、自然にこそ留保された業を人類が為すことはできないと述べたが、のちにラーズィーがこれに激しく反論した。ファーラービーは、変成は可能であるが簡単にできるようであれば通貨の価値が暴落するため、錬金術書はわざとわかりにくく書かれている、そのため不可能になっていると、錬金術を擁護した。アブー・ハイヤーン・タウヒーディーは人間に自然を模倣する能力がないと考え、イブン・スィーナーは認識論の観点から人為的な変成の不可能性を論じた。後者によると、鉱物を他の鉱物から分ける特徴的な差異(faṣūl, differentia specifia)を認識する能力が人間には備わっておらず、人間は当該特徴的な差異に付加された属性や一過性の因子を認識できるにすぎない。イブン・スィーナーの論はトゥグラーイーやジルダキーにより反論を受けた。 イブン・ハズム・アンダルスィーやイブン・タイミーヤをはじめとして、護教的・社会防衛的立場から、錬金術という業そのものを非難した学者も多い。後者の弟子イブン・カイイム・ジャウズィーヤはイブン・スィーナーと同様に錬金術は鉱物の見かけだけを取り繕うものであると考え、さらに、錬金術は通貨の価値の暴落をもたらすことによって、神により創造された世界の秩序を壊しかねないとして錬金術を非難した。 8-9世紀ごろを中心にアラビア語へ翻訳された文献、又は、翻訳という体裁をとって新たに著述された文献は、ヘルメス・トリスメギストスの教えについて語るものが多い。錬金術師たちはヘルメスの信奉者であった。ヘルメスはハッラーンのサービア教徒が精神的父祖と仰ぐ預言者であり、マニ教においてもマーニーに先行する五大預言者のひとりとされる預言者である。マニ教の預言者論はイスラームのグノーシス主義的シーア派の預言者論の中にも姿を現し、ヘルメスは、最初に定住民の生活を組織し、ひとびとに様々な技術を教えるために遣わされた預言者として、預言者イドリースあるいは預言者エノクと同一視される。 サービア教徒・マニ教徒のヘルメス主義は、9世紀エジプトの錬金術師ズンヌーン・ミスリー(英語版)を介してハッラージュら初期スーフィーへ、さらにのちには12世紀のスフラワルディーへと流れ込んでいった。マスィニョン(フランス語版)によれば、一に礼拝・禁欲・祈願により神に近づきうるという信仰、二に占星術と結びついた円環的時間観、三に月下界と最高天、四元素と第五元素を対立させない、宇宙の統一性を強調する世界観といった特徴があるという。 1144年にチェスターのロバート (Robert of Chester) が『Morienus(モリエヌス)』を『錬金術の構成の書』としてアラビア語からラテン語に翻訳したものが西欧における最初のラテン語による錬金術書である。また、バスのアデラードも錬金術を紹介した。それから錬金術が注目を集めるようになり、13世紀以降に大きく発展した。初期の有名錬金術研究者、スコラ学者のアルベルトゥス・マグヌス(ヒ素を発見したとされる)、トマス・アクイナスやロジャー・ベーコンは金属生成の実験に関心を持ったが、彼らの実践については定かではない。多くの偽書が彼らの名に帰されたことが大きい。 13世紀には、アルベルトゥス・マグヌスが『鉱物書』において、自分で錬金術をおこなったが金、銀に似たものができるにすぎないと述べており、金を作ることに対して疑問がだされていた。 後世に数々の検証から、マグヌスの理論は正しかったことが実証されることとなる。 16世紀ルネサンス期に錬金術は最盛期を迎えた。錬金術師が増え、印刷術により先人の書物が広まった。 ルネサンス期の有名な医師・錬金術師にパラケルススがいる。彼はアリストテレスの四大説を引き継ぎ、アラビアの三原質(硫黄、水銀、塩)の結合により、完全な物質であるアルカナが生成されるとした。なお、ここでいう塩、水銀、硫黄、金などの用語は、現在の元素や化合物ではなく象徴的な表現と解釈する必要がある。彼を祖とする不老長生薬の発見を目的とする一派はイアトロ化学(iatrochemistry)派と呼ばれた。またゲオルク・アグリコラが「キミア(chymia)」の語を広範に用いたことで、錬金術は秘教的な実践を指すようになり、薬剤や経験主義の長い伝統の「化学」と区別されるようになった。 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世は身分や国籍を問わず錬金術師を厚遇した。プラハの宮殿にはヨーロッパ各地から錬金術師、科学者、占星術師、魔術師、芸術家が集まり、小さな大学のような雰囲気だった。宮廷を訪ねた錬金術師は予備試験に合格すると皇帝の前に通され、そこで珍しい実験を実演すると相応の褒賞が与えられた。イギリス人のジョン・ディーとエドワード・ケリーもプラハに滞在した。錬金術師たちはヨーロッパ中を駆け巡ったが、捕らえられ、錬金術の秘密を告白するよう拷問されて死んだものもいた。この時代を代表する動きはドイツではじまった薔薇十字団の活動である。薔薇十字団は『友愛団の名声(1614年)』『友愛団の告白(1615年)』という文書を発表。ともに賢者の石による金変成を「偽金作り」と糾弾し、真の錬金術の目標は病人を治療する新しい医療化学、人々を叡智に導き、神と人間の世界を改革することとされた。『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚(1616年)』は団の開祖とされるローゼンクロイツを主人公とする錬金術的幻想小説である。 16世紀は偽の錬金術師も急増した。錬金術書を偽造する、偽の金を売りさばく者があらわれた。何より彼らは実験に成功することなく具体的な成果を上げられず、徐々に錬金術は疑惑の目にさらされるようになった。 17世紀のイギリスではヘルメス思想を軸とする薔薇十字錬金術に対して、実践的な化学派の錬金術が生まれた。代表的なものがサミュエル・ハートリブ(英語版)を中心とするハートリブサークル(英語版)である。サークルにはロバート・ボイル、ジョージ・スターキー(英語版)らがいた。彼らが私淑していたのが、ベルギーの錬金術師ヤン・パブティスタ・ファン・ヘルモントであった。 デカルト学派から、神が作った金属は姿を変えない、天地創造の時から少しも変わらないという主張が錬金術理論を崩壊させ、化学へと向かう。ただし錬金術師たちはなおも健在でその中にはアイザック・ニュートンもいた。17世紀末までに錬金術の実践的な側面は化学となり、錬金術師は化学者として差異化するようになった。 数々の検証から錬金術は否定的に扱われ、化学の成立と移行につながった。神秘学、隠秘学としての錬金術はカリオストロやサンジェルマン伯爵、薔薇十字団により続けられた。 19世紀初頭には、ジョン・ドルトンが原子論を発表した。ドルトンは「原子論5つの原則」に於いて、「化学反応は、原子と原子の結合の仕方が変化するだけで、新たに原子が生成したり、消滅したり、異なる他の原子に変化することはない」とした。これにより、錬金術の技法では化学的手段を用いても卑金属から金などの貴金属を精錬することができないことが判明し、錬金術は完全に疑似科学または非科学的理論として化学から分離されることとなった。 長らく途絶えてきた錬金術はフルカネッリの著作『大聖堂の秘密』『賢者の住居』で再び脚光を浴びる。フルカネッリは自分の正体を明かさなかったが、弟子のウージェーヌ・カンスリエ(英語版)は積極的に錬金術の教えを広めた。この影響でヨーロッパ各地で錬金術専門誌が発行された。 インド錬金術の歴史は、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された ヴェーダに端を発し、紀元前4世紀のカウティリヤの実利論も錬金術にふれている。 インドの練金術者は27人の達人の名前が「ラサラトナ・サムッチャヤ」という本に記載され、その中に龍樹が含まれる。龍樹には「龍樹菩薩薬方」「龍樹菩薩養生方」「龍樹菩薩和香方」「龍樹眼論」などの著述がある。この「眼論」により、龍樹が眼科医の祖とされることもある。 「ラサラトナーカラ」というベンガルで発見された錬金術のタントラ(密教)の写本は、大乗仏教のタントラである。これらと中国仏教の三蔵の中に見いだせるものと比較すると、他の金属を金に変えるハータカという薬液や石汁ともいわれる山水シャイローダカなどが共通しており、中国の錬金術との類似点となっている。これらはインドのものが中国に密教とともに伝わったのではないかとされている。これに次ぐ錬金術書としては、カルカッタのアジア協会の図書館に秘蔵されている「ラサールナヴァカルパ」がある。 インド錬金術については、タントラ教やインド伝統医学も影響を与えたとされる。 水銀は通常は液体であって人間の精神と同様に流動的であるが、固形化されると、人間の精神集中をもたらすという。 中国では『抱朴子』などによると、金を作ることには「仙丹の原料にする」・「仙丹を作り仙人となるまでの間の収入にあてる」という二つの目的があったとされている。辰砂などから冶金術的に不老不死の薬・「仙丹(せんたん)」を創って服用し仙人となることが主目的となっている。これは「煉丹術(錬丹術、れんたんじゅつ)」と呼ばれている。厳密には、化学的手法を用いて物質的に内服薬の丹を得ようとする外丹術である。 仙丹を得るという考え方は同一であるが、気を整える呼吸法や瞑想等の身体操作で、体内の丹田において仙丹を練ることにより仙人を目指す内丹術とは区別される。 錬金術における最大の目標は賢者の石を創り出す(あるいは見つけ出す)ことだった。賢者の石は、非金属を金などの貴金属に変え、人間を不老不死にすることができる究極の物質と考えられた。また後述の通り、神にも等しい智慧を得るための過程の一つが賢者の石の生成とされた。 賢者の石を作る「大いなる業」には「湿った道(湿潤法)」と「乾いた道(乾式法)」の2種類があった。「湿った道」は材料を「哲学者の卵」と呼ばれる水晶でできた球形のフラスコに入れて密閉、外的条件が整ったら「アタノール(en:Athanor)」という炉で加熱する方法で、完成まで長い期間、少なくとも40日を要したが、ヨーロッパの錬金術においてもっともよく行われた。「乾いた道」は土製のるつぼだけを用いてわずか4日間で完成させるもので、実験を行う環境に恵まれなかった錬金術師たちが用いた。 この作業で材料は黒、白、赤と色を変える。賢者の石は、赤くかなり重い、輝く粉末の姿であらわれるとされた。この賢者の石を、水銀や熱して溶かした鉛や錫に入れると大量の貴金属に変じたという。赤い石は卑金属を金に、白い石は卑金属を銀に変えるとされた。 エリクサー(錬金霊液、エリクシル)は、賢者の石と同じように金属変成や病気治癒を可能にする霊薬である。ジャービルはエリクサーを瀕死の病人に飲ませ容態を回復させたと伝えられている。パラケルススは錬金術の知識を医学に応用し、人間の健康を守る薬を求めた。 ヘルメス・トリスメギストスは錬金術の始祖であり、錬金術の守護神とされた。『ヘルメス文書』は、ヘルメス・トリスメギストス(3倍もの偉大なヘルメスという意味)の著作とされる文書で、その数は3万冊を超えるといわれる。紀元前3世紀から紀元後3世紀までの6世紀にわたって書かれたとされており、実際は匿名の複数の著者による文書をまとめたものである。文書には、デモクリトスの原子論、アリストテレスの四元素説など随所にギリシャ哲学の影響が見られる。 『エメラルド・タブレット』は『ヘルメス文書』の中で、もっともよく知られている短い文献である。錬金術師たちはヘルメス自らがエメラルドの板に刻み、ヘルメスの墓地から発見されたと信じた。実際は10世紀ごろのアラビア語文献の翻訳で、さらにその元は4世紀ごろのギリシア語文献と推測されている。 錬金術の宇宙観は、マクロコスモスとミクロコスモス(天上界=マクロ、地上界=ミクロ)は対応関係があるというものだった。金属変成実験というミクロコスモスはマクロコスモスという世界の構造が映し出され、実験とともに世界の仕組みを明らかにできるとされた。 またホムンクルスのように、無生物から人間を作ろうとする技術も、一般の物質から、より完全な存在に近い魂を備えた人間を作り出すという意味で錬金術と言える。 錬金術に携わる研究者を錬金術師と呼ぶ。特に高等な錬金術師は、霊魂の錬金術を行い神と一体化すると考えられたので、宗教や神秘思想の趣きが強くなった。 現代人の視点からは、卑金属を金に変性しようとする錬金術師の試みは否定される。だが、歴史を通してみれば、錬金術は古代ギリシアの学問を応用したものであり、その時代においては正当な学問の一部であった。そして、他の学問同様、錬金術も実験を通して発展し各種の発明、発見が生み出され、旧説、旧原理が否定され、ついには科学である化学に生まれ変わった。これは歴代の錬金術師の貢献なくしてはありえなかったともいえる。文献からは、成立し始めた自然科学が錬金術を非科学的として一方的に排斥しているわけではなく、むしろ両者が共存していたことが見てとれる。様々な試行錯誤を行う錬金術による多様な分離精製の事例は、化学にとって格好の研究材料であった。 錬金術師たちは、俗にイメージされるような、魔法使いやマッドサイエンティストのような身なり・研究一辺倒の生活をしていたのではなく、他の職業を持ちながら錬金術の研究も行うといった人物も多く存在していた。例えば、万有引力の発見で知られるアイザック・ニュートンも錬金術に深く関わり膨大な文献を残した一人である。最近ではこれらの文献を集めた研究書も刊行されるなど、いわば錬金術的世界観の再評価が行われていると言える。 心理学者カール・グスタフ・ユングは、錬金術に注目し、『心理学と錬金術』なる著書を書いた。その本の考察のすえにユングが得た構図は、錬金術(のみならずいっさいの神秘主義というもの)が、実は「対立しあうものの結合」をめざしていること、そこに登場する物質と物質の変化のすべてはほとんど心の変容のプロセスのアレゴリーであること、また、そこにはたいてい「アニマとアニムスの対比と統合」が暗示されているということである。 神秘的、超自然的要素を含んだ錬金術は文芸術作品(漫画、小説)においても、特にスペキュレイティブ・フィクションというファンタジーやサイエンス・フィクションなどのジャンルに大きな影響を与えた。神話や伝説をベースとし、現実世界とは大きくかけ離れた世界観を持つファンタジー作品において、魔術と並ぶ空想の能力の一つとなった。また、通常の科学技術と並立し超科学的な分野として確立している例もあり、作品ごとに詳細かつ複雑に体系化されていった。さらにはアニメやゲームなどの娯楽のメディアにも錬金術の要素を組み込んだり、題材とすることが多い。 卑金属から貴金属を生成することは、原子物理学の進展によって、理論的には不可能ではないとまで言及できるようになった。 錬金術の目的の一つである「金の生成」は、採算は合わないが現在では可能とされている。金よりも原子番号が一つ大きい水銀の同位体Hgに中性子線を照射すれば、原子核崩壊によってAuに変わる。 1924年9月20日に長岡半太郎がこの「核を攪乱」する方法による水銀還金の研究を発表した。 「金」の字を「金銭」と解釈し、株式や不動産投資などの利殖行為や、悪徳商法などを「錬金術」と例えることがある。 比喩的に魔術師とも呼ばれる人物を含む 歴史研究 ユング系 神秘学 一般もの
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"中世アラビア語圏における「錬金術」の定義はさまざまであるが、劣位の金属を変成(transmutation)させて高位の金属を得ることがテーマの技術であり、岩石学や鉱物学に近いが厳密には異なった。鉄鉱石や金鉱石から鉄・金を精錬する冶金術とも異なり、ガラスや金・銀のまがい物を製造する技術でもなかった。染色や香料製造も錬金術ではなく、薬化学はこの時代にはまだ存在していない。冶金、染色、香料製造といった工芸的技術と錬金術が根本的に異なっていた点は、錬金術が理論的基礎を持っていた点である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "錬金術師たちは、多様な鉱物は本来、一性(djins)であり、複数の要因によって本質的な(dhātiyya)鉱物なり非本質的な鉱物なりになっているに過ぎないと考え、要因は定常的ではなく変更可能であるから変成は可能であると考えた。このような理論的基礎の上、錬金術師たちは、大地の奥底で数千年かかって劣位の金属が高位の金属に変成するプロセスを、加速させる技術を研究した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "人為的な変成が可能か否かについて、錬金術師ではない学者の意見は多様であった。ジャーヒズは懐疑主義的に、砂がガラスになるのに、真鍮が金に、水銀が銀にならないのは矛盾していると書いた。キンディーは、自然にこそ留保された業を人類が為すことはできないと述べたが、のちにラーズィーがこれに激しく反論した。ファーラービーは、変成は可能であるが簡単にできるようであれば通貨の価値が暴落するため、錬金術書はわざとわかりにくく書かれている、そのため不可能になっていると、錬金術を擁護した。アブー・ハイヤーン・タウヒーディーは人間に自然を模倣する能力がないと考え、イブン・スィーナーは認識論の観点から人為的な変成の不可能性を論じた。後者によると、鉱物を他の鉱物から分ける特徴的な差異(faṣūl, differentia specifia)を認識する能力が人間には備わっておらず、人間は当該特徴的な差異に付加された属性や一過性の因子を認識できるにすぎない。イブン・スィーナーの論はトゥグラーイーやジルダキーにより反論を受けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "イブン・ハズム・アンダルスィーやイブン・タイミーヤをはじめとして、護教的・社会防衛的立場から、錬金術という業そのものを非難した学者も多い。後者の弟子イブン・カイイム・ジャウズィーヤはイブン・スィーナーと同様に錬金術は鉱物の見かけだけを取り繕うものであると考え、さらに、錬金術は通貨の価値の暴落をもたらすことによって、神により創造された世界の秩序を壊しかねないとして錬金術を非難した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "8-9世紀ごろを中心にアラビア語へ翻訳された文献、又は、翻訳という体裁をとって新たに著述された文献は、ヘルメス・トリスメギストスの教えについて語るものが多い。錬金術師たちはヘルメスの信奉者であった。ヘルメスはハッラーンのサービア教徒が精神的父祖と仰ぐ預言者であり、マニ教においてもマーニーに先行する五大預言者のひとりとされる預言者である。マニ教の預言者論はイスラームのグノーシス主義的シーア派の預言者論の中にも姿を現し、ヘルメスは、最初に定住民の生活を組織し、ひとびとに様々な技術を教えるために遣わされた預言者として、預言者イドリースあるいは預言者エノクと同一視される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "サービア教徒・マニ教徒のヘルメス主義は、9世紀エジプトの錬金術師ズンヌーン・ミスリー(英語版)を介してハッラージュら初期スーフィーへ、さらにのちには12世紀のスフラワルディーへと流れ込んでいった。マスィニョン(フランス語版)によれば、一に礼拝・禁欲・祈願により神に近づきうるという信仰、二に占星術と結びついた円環的時間観、三に月下界と最高天、四元素と第五元素を対立させない、宇宙の統一性を強調する世界観といった特徴があるという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1144年にチェスターのロバート (Robert of Chester) が『Morienus(モリエヌス)』を『錬金術の構成の書』としてアラビア語からラテン語に翻訳したものが西欧における最初のラテン語による錬金術書である。また、バスのアデラードも錬金術を紹介した。それから錬金術が注目を集めるようになり、13世紀以降に大きく発展した。初期の有名錬金術研究者、スコラ学者のアルベルトゥス・マグヌス(ヒ素を発見したとされる)、トマス・アクイナスやロジャー・ベーコンは金属生成の実験に関心を持ったが、彼らの実践については定かではない。多くの偽書が彼らの名に帰されたことが大きい。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "13世紀には、アルベルトゥス・マグヌスが『鉱物書』において、自分で錬金術をおこなったが金、銀に似たものができるにすぎないと述べており、金を作ることに対して疑問がだされていた。 後世に数々の検証から、マグヌスの理論は正しかったことが実証されることとなる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "16世紀ルネサンス期に錬金術は最盛期を迎えた。錬金術師が増え、印刷術により先人の書物が広まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ルネサンス期の有名な医師・錬金術師にパラケルススがいる。彼はアリストテレスの四大説を引き継ぎ、アラビアの三原質(硫黄、水銀、塩)の結合により、完全な物質であるアルカナが生成されるとした。なお、ここでいう塩、水銀、硫黄、金などの用語は、現在の元素や化合物ではなく象徴的な表現と解釈する必要がある。彼を祖とする不老長生薬の発見を目的とする一派はイアトロ化学(iatrochemistry)派と呼ばれた。またゲオルク・アグリコラが「キミア(chymia)」の語を広範に用いたことで、錬金術は秘教的な実践を指すようになり、薬剤や経験主義の長い伝統の「化学」と区別されるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "神聖ローマ皇帝ルドルフ2世は身分や国籍を問わず錬金術師を厚遇した。プラハの宮殿にはヨーロッパ各地から錬金術師、科学者、占星術師、魔術師、芸術家が集まり、小さな大学のような雰囲気だった。宮廷を訪ねた錬金術師は予備試験に合格すると皇帝の前に通され、そこで珍しい実験を実演すると相応の褒賞が与えられた。イギリス人のジョン・ディーとエドワード・ケリーもプラハに滞在した。錬金術師たちはヨーロッパ中を駆け巡ったが、捕らえられ、錬金術の秘密を告白するよう拷問されて死んだものもいた。この時代を代表する動きはドイツではじまった薔薇十字団の活動である。薔薇十字団は『友愛団の名声(1614年)』『友愛団の告白(1615年)』という文書を発表。ともに賢者の石による金変成を「偽金作り」と糾弾し、真の錬金術の目標は病人を治療する新しい医療化学、人々を叡智に導き、神と人間の世界を改革することとされた。『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚(1616年)』は団の開祖とされるローゼンクロイツを主人公とする錬金術的幻想小説である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "16世紀は偽の錬金術師も急増した。錬金術書を偽造する、偽の金を売りさばく者があらわれた。何より彼らは実験に成功することなく具体的な成果を上げられず、徐々に錬金術は疑惑の目にさらされるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "17世紀のイギリスではヘルメス思想を軸とする薔薇十字錬金術に対して、実践的な化学派の錬金術が生まれた。代表的なものがサミュエル・ハートリブ(英語版)を中心とするハートリブサークル(英語版)である。サークルにはロバート・ボイル、ジョージ・スターキー(英語版)らがいた。彼らが私淑していたのが、ベルギーの錬金術師ヤン・パブティスタ・ファン・ヘルモントであった。 デカルト学派から、神が作った金属は姿を変えない、天地創造の時から少しも変わらないという主張が錬金術理論を崩壊させ、化学へと向かう。ただし錬金術師たちはなおも健在でその中にはアイザック・ニュートンもいた。17世紀末までに錬金術の実践的な側面は化学となり、錬金術師は化学者として差異化するようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "数々の検証から錬金術は否定的に扱われ、化学の成立と移行につながった。神秘学、隠秘学としての錬金術はカリオストロやサンジェルマン伯爵、薔薇十字団により続けられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "19世紀初頭には、ジョン・ドルトンが原子論を発表した。ドルトンは「原子論5つの原則」に於いて、「化学反応は、原子と原子の結合の仕方が変化するだけで、新たに原子が生成したり、消滅したり、異なる他の原子に変化することはない」とした。これにより、錬金術の技法では化学的手段を用いても卑金属から金などの貴金属を精錬することができないことが判明し、錬金術は完全に疑似科学または非科学的理論として化学から分離されることとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "長らく途絶えてきた錬金術はフルカネッリの著作『大聖堂の秘密』『賢者の住居』で再び脚光を浴びる。フルカネッリは自分の正体を明かさなかったが、弟子のウージェーヌ・カンスリエ(英語版)は積極的に錬金術の教えを広めた。この影響でヨーロッパ各地で錬金術専門誌が発行された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "インド錬金術の歴史は、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された ヴェーダに端を発し、紀元前4世紀のカウティリヤの実利論も錬金術にふれている。 インドの練金術者は27人の達人の名前が「ラサラトナ・サムッチャヤ」という本に記載され、その中に龍樹が含まれる。龍樹には「龍樹菩薩薬方」「龍樹菩薩養生方」「龍樹菩薩和香方」「龍樹眼論」などの著述がある。この「眼論」により、龍樹が眼科医の祖とされることもある。 「ラサラトナーカラ」というベンガルで発見された錬金術のタントラ(密教)の写本は、大乗仏教のタントラである。これらと中国仏教の三蔵の中に見いだせるものと比較すると、他の金属を金に変えるハータカという薬液や石汁ともいわれる山水シャイローダカなどが共通しており、中国の錬金術との類似点となっている。これらはインドのものが中国に密教とともに伝わったのではないかとされている。これに次ぐ錬金術書としては、カルカッタのアジア協会の図書館に秘蔵されている「ラサールナヴァカルパ」がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "インド錬金術については、タントラ教やインド伝統医学も影響を与えたとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "水銀は通常は液体であって人間の精神と同様に流動的であるが、固形化されると、人間の精神集中をもたらすという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "中国では『抱朴子』などによると、金を作ることには「仙丹の原料にする」・「仙丹を作り仙人となるまでの間の収入にあてる」という二つの目的があったとされている。辰砂などから冶金術的に不老不死の薬・「仙丹(せんたん)」を創って服用し仙人となることが主目的となっている。これは「煉丹術(錬丹術、れんたんじゅつ)」と呼ばれている。厳密には、化学的手法を用いて物質的に内服薬の丹を得ようとする外丹術である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "仙丹を得るという考え方は同一であるが、気を整える呼吸法や瞑想等の身体操作で、体内の丹田において仙丹を練ることにより仙人を目指す内丹術とは区別される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "錬金術における最大の目標は賢者の石を創り出す(あるいは見つけ出す)ことだった。賢者の石は、非金属を金などの貴金属に変え、人間を不老不死にすることができる究極の物質と考えられた。また後述の通り、神にも等しい智慧を得るための過程の一つが賢者の石の生成とされた。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "賢者の石を作る「大いなる業」には「湿った道(湿潤法)」と「乾いた道(乾式法)」の2種類があった。「湿った道」は材料を「哲学者の卵」と呼ばれる水晶でできた球形のフラスコに入れて密閉、外的条件が整ったら「アタノール(en:Athanor)」という炉で加熱する方法で、完成まで長い期間、少なくとも40日を要したが、ヨーロッパの錬金術においてもっともよく行われた。「乾いた道」は土製のるつぼだけを用いてわずか4日間で完成させるもので、実験を行う環境に恵まれなかった錬金術師たちが用いた。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "この作業で材料は黒、白、赤と色を変える。賢者の石は、赤くかなり重い、輝く粉末の姿であらわれるとされた。この賢者の石を、水銀や熱して溶かした鉛や錫に入れると大量の貴金属に変じたという。赤い石は卑金属を金に、白い石は卑金属を銀に変えるとされた。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "エリクサー(錬金霊液、エリクシル)は、賢者の石と同じように金属変成や病気治癒を可能にする霊薬である。ジャービルはエリクサーを瀕死の病人に飲ませ容態を回復させたと伝えられている。パラケルススは錬金術の知識を医学に応用し、人間の健康を守る薬を求めた。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ヘルメス・トリスメギストスは錬金術の始祖であり、錬金術の守護神とされた。『ヘルメス文書』は、ヘルメス・トリスメギストス(3倍もの偉大なヘルメスという意味)の著作とされる文書で、その数は3万冊を超えるといわれる。紀元前3世紀から紀元後3世紀までの6世紀にわたって書かれたとされており、実際は匿名の複数の著者による文書をまとめたものである。文書には、デモクリトスの原子論、アリストテレスの四元素説など随所にギリシャ哲学の影響が見られる。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "『エメラルド・タブレット』は『ヘルメス文書』の中で、もっともよく知られている短い文献である。錬金術師たちはヘルメス自らがエメラルドの板に刻み、ヘルメスの墓地から発見されたと信じた。実際は10世紀ごろのアラビア語文献の翻訳で、さらにその元は4世紀ごろのギリシア語文献と推測されている。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "錬金術の宇宙観は、マクロコスモスとミクロコスモス(天上界=マクロ、地上界=ミクロ)は対応関係があるというものだった。金属変成実験というミクロコスモスはマクロコスモスという世界の構造が映し出され、実験とともに世界の仕組みを明らかにできるとされた。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "またホムンクルスのように、無生物から人間を作ろうとする技術も、一般の物質から、より完全な存在に近い魂を備えた人間を作り出すという意味で錬金術と言える。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "錬金術に携わる研究者を錬金術師と呼ぶ。特に高等な錬金術師は、霊魂の錬金術を行い神と一体化すると考えられたので、宗教や神秘思想の趣きが強くなった。", "title": "錬金術の思想" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "現代人の視点からは、卑金属を金に変性しようとする錬金術師の試みは否定される。だが、歴史を通してみれば、錬金術は古代ギリシアの学問を応用したものであり、その時代においては正当な学問の一部であった。そして、他の学問同様、錬金術も実験を通して発展し各種の発明、発見が生み出され、旧説、旧原理が否定され、ついには科学である化学に生まれ変わった。これは歴代の錬金術師の貢献なくしてはありえなかったともいえる。文献からは、成立し始めた自然科学が錬金術を非科学的として一方的に排斥しているわけではなく、むしろ両者が共存していたことが見てとれる。様々な試行錯誤を行う錬金術による多様な分離精製の事例は、化学にとって格好の研究材料であった。", "title": "錬金術と化学" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "錬金術師たちは、俗にイメージされるような、魔法使いやマッドサイエンティストのような身なり・研究一辺倒の生活をしていたのではなく、他の職業を持ちながら錬金術の研究も行うといった人物も多く存在していた。例えば、万有引力の発見で知られるアイザック・ニュートンも錬金術に深く関わり膨大な文献を残した一人である。最近ではこれらの文献を集めた研究書も刊行されるなど、いわば錬金術的世界観の再評価が行われていると言える。", "title": "錬金術と化学" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "心理学者カール・グスタフ・ユングは、錬金術に注目し、『心理学と錬金術』なる著書を書いた。その本の考察のすえにユングが得た構図は、錬金術(のみならずいっさいの神秘主義というもの)が、実は「対立しあうものの結合」をめざしていること、そこに登場する物質と物質の変化のすべてはほとんど心の変容のプロセスのアレゴリーであること、また、そこにはたいてい「アニマとアニムスの対比と統合」が暗示されているということである。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "神秘的、超自然的要素を含んだ錬金術は文芸術作品(漫画、小説)においても、特にスペキュレイティブ・フィクションというファンタジーやサイエンス・フィクションなどのジャンルに大きな影響を与えた。神話や伝説をベースとし、現実世界とは大きくかけ離れた世界観を持つファンタジー作品において、魔術と並ぶ空想の能力の一つとなった。また、通常の科学技術と並立し超科学的な分野として確立している例もあり、作品ごとに詳細かつ複雑に体系化されていった。さらにはアニメやゲームなどの娯楽のメディアにも錬金術の要素を組み込んだり、題材とすることが多い。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "卑金属から貴金属を生成することは、原子物理学の進展によって、理論的には不可能ではないとまで言及できるようになった。", "title": "現代の科学による金の生成" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "錬金術の目的の一つである「金の生成」は、採算は合わないが現在では可能とされている。金よりも原子番号が一つ大きい水銀の同位体Hgに中性子線を照射すれば、原子核崩壊によってAuに変わる。 1924年9月20日に長岡半太郎がこの「核を攪乱」する方法による水銀還金の研究を発表した。", "title": "現代の科学による金の生成" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "「金」の字を「金銭」と解釈し、株式や不動産投資などの利殖行為や、悪徳商法などを「錬金術」と例えることがある。", "title": "日本語の「錬金術」" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "比喩的に魔術師とも呼ばれる人物を含む", "title": "錬金術師および関係のある人物の一覧" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "歴史研究", "title": "関連書籍" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ユング系", "title": "関連書籍" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "神秘学", "title": "関連書籍" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "一般もの", "title": "関連書籍" } ]
錬金術は、最も狭義には化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。『日本大百科全書』によれば錬金術とは、古代~中世にわたって原始的な科学の試行錯誤を行った技術・哲学・宗教思想・実利追求などの固まりとされる。 現代英語で「ヘルメースの術」は、錬金術を指す。中世ヨーロッパではヘルメース哲学が、錬金術や医学的伝統などと合わさり広まっていた。 錬金術の起源は古代エジプトや古代ギリシアに求められる。錬金術は、ヘレニズム文化の中心であった紀元前のエジプトのアレクサンドリアからイスラム世界に伝わり発展した。万物は四元素から構成されていると考えたアリストテレスら古代ギリシアの哲学者の物質観は、中世アラビアの錬金術に多大な影響をもたらした。12世紀にはイスラム錬金術がラテン語訳されてヨーロッパで盛んに研究されるようになった。 錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現在の化学薬品の多くが発見されており、実験道具が発明された。17世紀後半になると錬金術師でもあった化学者のロバート・ボイルが四元素説を否定、アントワーヌ・ラヴォアジェが著書で33の元素や「質量保存の法則」を発表するに至った。これらの成果は現在の化学に引き継がれている。歴史学者フランシス・イェイツは16世紀の錬金術が17世紀の自然科学を生み出した、と指摘した。
{{redirect|錬金術師|小説|錬金術師 (小説)|英語の錬金術師|アルケミスト}} {{Portal|スピリチュアリティ}} [[ファイル:William Fettes Douglas - The Alchemist.jpg|250px|thumb|right|{{仮リンク|ウィリアム・フェッツ・ダグラス|en|William Fettes Douglas}} 作 『錬金術師』]] [[File:Pieter Bruegel the Elder - The Alchemist.JPG|250px|thumb|right|[[ピーテル・ブリューゲル]]作『錬金術師』16世紀の錬金術師の実験室。]] '''錬金術'''(れんきんじゅつ、{{lang-en-short|[[wikt:alchemy|alchemy]], hermetic [[wikt:art#名詞|art]]{{Sfn|EDP|2023b|p=「錬金術」}}}}、{{lang-la|[[wikt:alchemia|alchemia]], [[wikt:alchimia|alchimia]]}}、{{lang-ar|خيمياء}})は、最も狭義には[[化学]]的手段を用いて[[卑金属]]から[[貴金属]](特に[[金]])を精錬しようとする試みのこと。広義では、[[金属]]に限らず様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。『[[日本大百科全書]]』によれば錬金術とは、[[科学史#ギリシア|古代]]~[[中世]]にわたって原始的な[[科学]]の試行錯誤を行った[[技術]]・[[哲学]]・[[宗教]][[思想]]・[[利益|実利追求]]などの固まりとされる{{sfn|平田|2021|p=錬金術}}{{efn|『デジタル大辞泉』からの引用 {{Quotation| '''錬金術''' … [[卑金属]]を[[貴金属]]の[[金]]に変えようとする<ins>'''[[化学]]技術'''</ins>。 … <ins>[[科学]]としては誤り</ins>であったが、多くの化学的知識が蓄積され、<ins>近代化学成立の基礎資料</ins>となった{{sfn|松村|2021|p=錬金術}}。}}<br> 『日本大百科全書(ニッポニカ)』からの引用 {{Quotation| '''錬金術''' … もともと錬金術の本質は、<ins>'''[[思想|思弁]]'''的、'''[[神秘]]'''的、'''[[宗教]]'''的な色彩</ins>と、<ins>'''実際'''的、'''[[技術]]'''的な色彩</ins>とが混ざり合って、広く[[ヨーロッパ]]に普及した(なお、東洋では古くから中国で長命薬の発見を意図した[[錬丹術|錬丹(れんたん)術]]が行われていた)。 …  初期の<ins>'''錬金術[[思想]]'''</ins>には、<ins>[[プラトン]]、[[アリストテレス]]、[[:en:Neopythagoreanism|新ピタゴラス派]]、[[グノーシス派]]、[[ストア哲学]]、宗教、[[占星術]]、[[俗信]]など</ins>が入り混じっており、また[[象徴主義]]とか[[寓意]](ぐうい)的表現による難解さもあった。しかしその一方で、錬金術の<ins>'''技術'''面</ins>では … <ins>'''[[実験]]'''用のさまざまな[[蒸留器]]や[[昇華_(化学)|昇華]]器、[[リキュール#製法|温浸]]器などが[[発明]]</ins>された。 … 12世紀までに<ins>'''[[化学薬品]]'''</ins>としては、新しく、<ins>[[ろ砂]]、[[アンモニア]]、[[鉱酸]]、[[ホウ砂]]などを[[発見]]</ins>した … 。 …  中世の人たちは、錬金術に潜む一種の<ins>'''神秘性'''</ins>や、卑金属を貴金属(金)にしたいという<ins>'''卑俗な[[物欲]]'''</ins>とも絡み合って、その魅力にひかれた … 。 … 17世紀の<ins>'''[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]'''でさえ、錬金術に対して強い関心をもって真剣に考えていた</ins> … 。 …  <ins>16世紀</ins>のいわゆる<ins>'''[[科学革命]]'''</ins>の時代になると、それまで根強く支持され続けてきた錬金術は、最盛期を過ぎて、思弁的・神秘的な色彩は消え始め、それにかわって新しい思想が注入され、<ins>化学という科学の新分野</ins>が芽生えてきた。 … <ins>錬金術から化学へ</ins>移行する過渡期を象徴する最初の人物としては、オランダの[[ファン・ヘルモント]]をあげることができる。  <ins>錬金術は[[疑似科学|「にせ」科学]]</ins>であった。そしてこの「にせ」科学は、初めから相反する二つの触手をもっていた。一つは<ins>'''科学的[[真理]]'''に近づこうとする触手</ins>であり、もう一つは無意識にしろ<ins>'''[[詐欺]]'''(さぎ)と握手しようとする触手</ins>である。しかし人々は長い間、この2本の触手を区別することができなかった。錬金術の誕生と死滅は、人間の無知と欲望、またその克服の反映であった{{sfn|平田|2021|p=錬金術}}。}}}}。 現代英語で「[[ヘルメース]]の[[テクネー|術]]」(hermetic art)は、錬金術を指す{{Sfn|EDP|2023b|p=「錬金術」}}。[[中世ヨーロッパ]]では[[ヘルメース哲学]]が、錬金術や[[医学]]的[[伝統]]などと合わさり広まっていた{{Sfn|米田|2022|p=「ヘルメス・トリスメギストス」}}。 錬金術の起源は[[古代エジプト]]や[[古代ギリシア]]に求められる{{sfn |澤井|2008| p=23}}。錬金術は、[[ヘレニズム]]文化の中心であった紀元前の[[エジプト]]の[[アレクサンドリア]]から[[イスラム教|イスラム]]世界に伝わり発展した。万物は[[四元素]]から構成されていると考えた[[アリストテレス]]ら古代ギリシアの哲学者の物質観は、中世アラビアの錬金術に多大な影響をもたらした<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://rika-net.com/contents/cp0030/part1/chap01/com1_2_1.html|title= 1.2 古代ギリシャの原子論(2)解説:アリストテレス|publisher=理科ねっとわーく,[[国立教育政策研究所]]|accessdate=2020-02-02}}</ref>。12世紀にはイスラム錬金術がラテン語訳されてヨーロッパで盛んに研究されるようになった。 錬金術の試行の過程で、[[硫酸]]・[[硝酸]]・[[塩酸]]など、現在の化学薬品の多くが発見されており<ref>{{Harvnb|クリエイティブ・スイート|澤井|2008|p=117}}</ref>、[[実験]]道具が発明された。17世紀後半になると錬金術師でもあった化学者の[[ロバート・ボイル]]が四元素説を否定{{sfn |吉村|2012| p=46}}、[[アントワーヌ・ラヴォアジェ]]が著書で33の[[元素]]や「[[質量保存の法則]]」を発表するに至った<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://rika-net.com/contents/cp0030/part1/chap03/com3_2_1.html|title= 3.2 ラボアジェの元素論 解説:ラボアジェの元素論|publisher=理科ねっとわーく,国立教育政策研究所|accessdate=2020-02-02}}</ref>。これらの成果は現在の化学に引き継がれている<ref name="matsumoto2006">{{Citation |author=松本浩一 |date=2006 |title=中国人の宗教・道教とは何か |publisher=PHP研究所 |isbn=9784569657714 |page=55 |quote=西洋錬金術が現代の化学の先駆けになった}}</ref><ref name="oyamada2001">{{Citation | author=[[小山田了三]] |date=2001 |title=材料技術史概論 |publisher=東京電機大学 |isbn=9784501618605 |page=137 | quote=錬金術が多くの実験事実を提供したことも、化学の発展に寄与した}}</ref>。歴史学者[[フランセス・イエイツ|フランシス・イェイツ]]は16世紀の錬金術が17世紀の[[自然科学]]を生み出した、と指摘した。 == 語源 == 語源については通説は定まっていない。 英語の Alchemy(アルケミー)は[[アラビア語]] Al kimiya に由来し、Al はアラビア語の[[定冠詞]](英語では the に相当)であり<ref>{{Citation | ref = none | title = Origins: Etymol Dict Mod Englsh | author = Partridge E Staff | first2 = Eric | last2 = Partridge | edition = 改訂4 | publisher = Routledge | date = 1977 | isbn = 9780203421147 | pages = 484-485}}</ref>、この技術がイスラム経由で伝えられたという歴史的経緯を示す<ref>{{Citation | first = Gabriele | last = Ferrario | date = 2007 | title = Al-Kimiya: Notes on Arabic Alchemy | periodical = Chemical Heritage | publisher = Chemical Heritage Foundation | volume = 25 | issue = 3 | issn = 0736-4555 | url = http://chemheritage.org/pubs/ch-v25n3-articles/feature_al-kimiya_p1.html | accessdate = 2009-07-19}}</ref>。 chemyは、 # [[エジプト]]の地の意の Kham([[聖書]]でもHamとして使われた)から、Khemeia はエジプトの術の意味だという。 # {{Lang-grc-short|χυμός}} {{Lang-el-short|Khumos}}(植物の汁の意)で、{{Lang-grc-short|χημεία}} {{Lang-el-short|Khemeia}} は汁を抽出する術の意味だという。 == 歴史 == {{See also|化学の歴史|元素|キミア}} === 古代ギリシア === [[ファイル:Four elements representation zh.svg|thumb|古代ギリシアの四元素説|200px]] 錬金術の源は古代ギリシャや[[古代エジプト]]に求められる{{sfn |澤井|2008| p=23}}。1828年、エジプトのテーベで古代の墓地からギリシア語で書かれたパピルスが発掘された。これらは現在所蔵する都市の名をとって「ライデンパピルス([[:en:Leyden papyrus X|Leyden Papyrus]])」「ストックホルムパピルス([[:en:Stockholm Papyrus|Stockholm Papyrus]])」と呼ばれている<ref>[http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/alchemy/fralchem01.html ライデンパピルス 錬金術断片集]</ref>。 3世紀頃に書かれたとみられるこれらのパピルスには、<!--銅や鉛を金や銀に変える方法<ref name="egypt"/>、-->金や銀に別の金属を加えて増量する方法や染色法が記述されている{{sfn |吉村|2012| p=20}}。 [[ファイル:Mary's Bath 1528 detail AQ9 (1).tif|thumb|right|錬金術で使用されたバン・マリ]] 4世紀初めの[[アレクサンドリア]]の錬金術師、{{仮リンク|パノポリスのゾシモス|el|Ζώσιμος ο Πανοπολίτης|ar|زوسيموس_من_بانوبوليس|en|Zosimos of Panopolis}}(ゾーシモス)<ref>{{kotobank|ゾシモス-90062|[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典|ゾシモス}}</ref>は膨大な著作を残したとされ現在に残っているものも多い{{sfn |ユタン|1972| p=55}}。{{仮リンク|ユダヤ婦人マリア|en|Mary the Jewess|el|Μαρία η Ιουδαία}}は4世紀頃の錬金術師で、密閉した容器に金属片を入れて蒸気を当てるケロタキス(kerotakis)という装置を発明したとされ、今も「バン・マリ」(bain-marie、[[湯煎]])の名で残っている{{sfn |ユタン|1972| p=56}}。しかしこの時代の錬金術には[[賢者の石]]や[[エリクサー]]は登場しない{{sfn |吉村|2012| p=20}}。 ===中世アラビア語圏における錬金術=== {{main|{{仮リンク|中世アラビア語圏における錬金術と化学|en|Alchemy and chemistry in the medieval Islamic world}}}} 7世紀にアラビア半島の一角で誕生したイスラームは、その信徒の共同体の支配する地域が短期間で拡大した。支配地域の行政には聖典の言語であるアラビア語が用いられ、のちには支配地域内に豊富に存在した学術書もアラビア語へ翻訳されるようになった。2-3世紀に書かれたヘルメス文書や、4世紀のゾシモスの著作、5-6世紀の新プラトン主義的文献といった、錬金術にかかわるエジプトのギリシア語文献も、8-9世紀のおよそ200年ほどの短期間に集中的にアラビア語へ翻訳された{{r|EI2-kimiya}}<ref name="Corbin1974">{{Cite book|和書|author=アンリ・コルバン|authorlink=アンリ・コルバン|title=イスラーム哲学史|translator=[[黒田壽郎]]、[[柏木英彦]]|publisher=[[岩波書店]]|date=1974|ref=Corbin74 }}</ref>{{rp|17-26}}。 翻訳の時代が終わり、9世紀の終わりごろから10世紀の初め頃になると、[[ジャービル文献]]{{efn|ここで言及している文献群は、厳密には、のちに ''{{lang|lt|Corpus Gabirianum}}'' (ジャービル文献, {{lang-de-short|Ğabir-schriften}}, {{lang-fr-short|Corpus Jabirien}})と呼ばれることになるラテン語のコーパス(これにはヨーロッパで書かれた偽書も含まれる)それ自体ではなく、その翻訳元になったアラビア語のコーパスであるが、ここでは出典の記載に沿ったものとした。}}と呼ばれる、著者を[[ジャービル・ブン・ハイヤーン]]という人物に擬した文書群や、[[アル・ラーズィー|ムハンマド・ブン・ザカリーヤー・ラーズィー]]というペルシア人の著作群が編纂された{{r|EI2-kimiya}}。ジャービル文書の実際の著者らは[[イスマーイール派]]という[[シーア派]]の秘教的分派の信奉者のようであり、文書中にはイスマーイール派の特異な魔術的・数秘術的・占星術的・生物学的考察が垣間見える{{r|EI2-kimiya}}。ジャービルとラーズィー以後も、[[ムハンマド・ブン・ウマイル|イブン・ウマイル]](10世紀)、[[ムハンマド・ブン・アブドゥルマリク・カーシー|カーシー]](11世紀)、[[フサイン・ブン・アリー・トゥグラーイー|トゥグラーイー]](12世紀)といった錬金術師が著作を書き、エジプトの[[アイダミル・ジルダキー|ジルダキー]](14世紀)は先人たちの研究成果を総括する著作を書いた{{r|EI2-kimiya}}。17世紀後半、オスマン朝の宮廷医師[[サーリフ・ブン・ナスルッラー・サッルーム]]は[[パラケルスス]]の思想を伝統医術に導入しようとした{{r|EI2-kimiya}}。これは錬金術が近代的な「化学」に変容しうる機会であったが、そうはならず、錬金術師たちは「[[賢者の石]]」探しに終始した{{r|EI2-kimiya}}。 中世アラビア語圏における「錬金術」の定義はさまざまであるが、劣位の金属を変成({{lang|en|transmutation}})させて高位の金属を得ることがテーマの技術であり、岩石学や鉱物学に近いが厳密には異なった{{r|EI2-kimiya}}。鉄鉱石や金鉱石から鉄・金を精錬する冶金術とも異なり、ガラスや金・銀のまがい物を製造する技術でもなかった{{r|EI2-kimiya}}。染色や香料製造も錬金術ではなく、薬化学はこの時代にはまだ存在していない{{r|EI2-kimiya}}。冶金、染色、香料製造といった工芸的技術と錬金術が根本的に異なっていた点は、錬金術が理論的基礎を持っていた点である{{r|EI2-kimiya}}。 錬金術師たちは、多様な鉱物は本来、一性({{transl|ar|EI|djins}})であり、複数の要因によって[[ウーシア|本質的な({{transl|ar|EI|dhātiyya}})]]鉱物なり非本質的な鉱物なりになっているに過ぎないと考え、要因は定常的ではなく変更可能であるから変成は可能であると考えた{{r|EI2-kimiya}}。このような理論的基礎の上、錬金術師たちは、大地の奥底で数千年かかって劣位の金属が高位の金属に変成するプロセスを、加速させる技術を研究した{{r|EI2-kimiya}}。 人為的な変成が可能か否かについて、錬金術師ではない学者の意見は多様であった{{r|EI2-kimiya}}。[[ジャーヒズ]]は懐疑主義的に、砂がガラスになるのに、真鍮が金に、水銀が銀にならないのは矛盾していると書いた{{r|EI2-kimiya}}。[[キンディー]]は、自然にこそ留保された業を人類が為すことはできないと述べたが、のちにラーズィーがこれに激しく反論した{{r|EI2-kimiya}}。[[ファーラービー]]は、変成は可能であるが簡単にできるようであれば通貨の価値が暴落するため、錬金術書はわざとわかりにくく書かれている、そのため不可能になっていると、錬金術を擁護した{{r|EI2-kimiya}}。[[アブー・ハイヤーン・タウヒーディー]]は人間に自然を模倣する能力がないと考え、[[イブン・スィーナー]]は[[認識論]]の観点から人為的な変成の不可能性を論じた{{r|EI2-kimiya}}。後者によると、鉱物を他の鉱物から分ける特徴的な差異({{transl|ar|EI|faṣūl}}, {{lang|lt|differentia specifia}})を認識する能力が人間には備わっておらず、人間は当該特徴的な差異に付加された属性や一過性の因子を認識できるにすぎない{{r|EI2-kimiya}}。イブン・スィーナーの論はトゥグラーイーやジルダキーにより反論を受けた{{r|EI2-kimiya}}。 [[イブン・ハズム|イブン・ハズム・アンダルスィー]]や[[イブン・タイミーヤ]]をはじめとして、護教的・社会防衛的立場から、錬金術という業そのものを非難した学者も多い{{r|EI2-kimiya}}。後者の弟子[[イブン・カイイム・ジャウズィーヤ]]はイブン・スィーナーと同様に錬金術は鉱物の見かけだけを取り繕うものであると考え、さらに、錬金術は通貨の価値の暴落をもたらすことによって、神により創造された世界の秩序を壊しかねないとして錬金術を非難した{{r|EI2-kimiya}}。 8-9世紀ごろを中心にアラビア語へ翻訳された文献、又は、翻訳という体裁をとって新たに著述された文献は、[[ヘルメス・トリスメギストス]]の教えについて語るものが多い{{r|EI2-kimiya}}。錬金術師たちはヘルメスの信奉者であった{{r|EI2-kimiya}}。ヘルメスは[[ハッラーン]]の[[サービア教徒]]が精神的父祖と仰ぐ預言者であり、[[マニ教]]においても[[マニ (預言者)|マーニー]]に先行する五大[[預言者]]のひとりとされる預言者である{{r|Corbin1974}}{{rp|149-150}}。マニ教の預言者論はイスラームのグノーシス主義的シーア派の預言者論の中にも姿を現し、ヘルメスは、最初に定住民の生活を組織し、ひとびとに様々な技術を教えるために遣わされた預言者として、[[預言者イドリース]]あるいは[[エノク|預言者エノク]]と同一視される{{r|Corbin1974}}{{rp|149-150}}。 サービア教徒・マニ教徒のヘルメス主義は、9世紀エジプトの錬金術師{{仮リンク|ズンヌーン・ミスリー|en|Dhul-Nun al-Misri}}を介して[[ハッラージュ]]ら初期[[スーフィー]]へ、さらにのちには12世紀の[[シハーブッディーン・ヤフヤー・スフラワルディー|スフラワルディー]]へと流れ込んでいった{{r|Corbin1974}}{{rp|150-151}}。{{仮リンク|ルイ・マスィニョン|fr|Louis Massignon|label=マスィニョン}}によれば、一に礼拝・禁欲・祈願により神に近づきうるという信仰、二に占星術と結びついた円環的時間観、三に[[月下界]]と最高天、[[四元素]]と[[第五元素]]を対立させない、宇宙の統一性を強調する世界観といった特徴があるという{{r|Corbin1974}}{{rp|150-151}}。 === 西ヨーロッパの錬金術 === [[ファイル:JosephWright-Alchemist.jpg|thumb|『賢者の石を求める錬金術師』[[ジョセフ・ライト (画家)|ライト・オブ・ダービー]]作(1771年)]] [[1144年]]に[[チェスターのロバート]] (Robert of Chester) が『Morienus(モリエヌス)』を『錬金術の構成の書』としてアラビア語からラテン語に翻訳したものが西欧における最初のラテン語による錬金術書である<ref>{{Citation | date = n.d. | last = Al-Hassan | first = Ahmad Y. | url = http://www.history-science-technology.com/Articles/articles%201.htm | title = The Arabic Origin of Liber de compositione alchimiae | accessdate = 2009-07-18}}</ref>。また、[[バースのアデラード|バスのアデラード]]も錬金術を紹介した。それから錬金術が注目を集めるようになり、[[13世紀]]以降に大きく発展した。初期の有名錬金術研究者、[[スコラ学]]者の[[アルベルトゥス・マグヌス]]([[ヒ素]]を発見したとされる<ref>{{Cite book|和書|author=[[アイザック・アシモフ]]|translator=玉虫文一・竹内敬人|year=2003 |title=化学の歴史|publisher=ちくま学芸文庫|page=38 |isbn=978-4-480-09282-3}}</ref>)、[[トマス・アクイナス]]や[[ロジャー・ベーコン]]は金属生成の実験に関心を持ったが、彼らの実践については定かではない。多くの偽書が彼らの名に帰されたことが大きい。 13世紀には、[[アルベルトゥス・マグヌス]]が『鉱物書』において、自分で錬金術をおこなったが金、銀に似たものができるにすぎないと述べており、金を作ることに対して疑問がだされていた<ref name="creative2008p62">{{Harvnb|クリエイティブ・スイート|澤井|2008|p=101}}</ref>。 後世に数々の検証から、マグヌスの理論は正しかったことが実証されることとなる。 === ルネサンス期の錬金術 === 16世紀ルネサンス期に錬金術は最盛期を迎えた{{Sfn|ユタン|1972|p=69}}。錬金術師が増え、印刷術により先人の書物が広まった{{Sfn|ユタン|1972|p=69}}。 ルネサンス期の有名な医師・錬金術師に[[パラケルスス]]がいる{{Sfn|アロマティコ|1997|p=114}}。彼はアリストテレスの[[四大説]]を引き継ぎ、アラビアの三原質(硫黄、水銀、塩)の結合により、完全な物質であるアルカナが生成されるとした<ref>{{Cite book|和書|last=草野|first=巧|year=2006 |title=図解 錬金術|publisher=新紀元社|page=118|isbn=978-4-7753-0433-4}}</ref>。なお、ここでいう塩、水銀、硫黄、金などの用語は、現在の元素や化合物ではなく象徴的な表現と解釈する必要がある。彼を祖とする不老長生薬の発見を目的とする一派はイアトロ化学([[:en:iatrochemistry|iatrochemistry]])派と呼ばれた。また[[ゲオルク・アグリコラ]]が「キミア(chymia)」の語を広範に用いたことで、錬金術は[[秘教]]的な実践を指すようになり、薬剤や経験主義の長い伝統の「[[化学]]」と区別されるようになった<ref>{{Cite book|和書|author=W.H.ブロック|translator=大野誠・梅田淳・菊池好行|year=2003|title=化学の歴史I|publisher=朝倉書店|pages=24-25 |isbn=4-254-10578-9}}</ref>。 神聖ローマ皇帝[[ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ2世]]は身分や国籍を問わず錬金術師を厚遇した。プラハの宮殿にはヨーロッパ各地から錬金術師、科学者、占星術師、魔術師、芸術家が集まり、小さな大学のような雰囲気だった{{Sfn|吉村|2012|p=32}}。宮廷を訪ねた錬金術師は予備試験に合格すると皇帝の前に通され、そこで珍しい実験を実演すると相応の褒賞が与えられた{{Sfn|ユタン|1972|p=72}}。イギリス人の[[ジョン・ディー]]と[[エドワード・ケリー]]もプラハに滞在した{{Sfn|吉村|2012|pp=32-34}}。錬金術師たちはヨーロッパ中を駆け巡ったが、捕らえられ、錬金術の秘密を告白するよう拷問されて死んだものもいた{{Sfn|ユタン|1972|p=72}}。この時代を代表する動きはドイツではじまった[[薔薇十字団]]の活動である{{Sfn|ユタン|1972|pp=72-73}}。薔薇十字団は『友愛団の名声(1614年)』『友愛団の告白(1615年)』という文書を発表。ともに賢者の石による金変成を「偽金作り」と糾弾し、真の錬金術の目標は病人を治療する新しい医療化学、人々を叡智に導き、神と人間の世界を改革することとされた。『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚(1616年)』は団の開祖とされるローゼンクロイツを主人公とする錬金術的幻想小説である{{Sfn|吉村|2012|pp=35-38}}。 16世紀は偽の錬金術師も急増した。錬金術書を偽造する、偽の金を売りさばく者があらわれた。何より彼らは実験に成功することなく具体的な成果を上げられず、徐々に錬金術は疑惑の目にさらされるようになった{{Sfn|アロマティコ|1997|p=113}}。 === 17世紀 === 17世紀のイギリスではヘルメス思想を軸とする薔薇十字錬金術に対して、実践的な化学派の錬金術が生まれた。代表的なものが{{仮リンク|サミュエル・ハートリブ|en|Samuel Hartlib}}を中心とする{{仮リンク|ハートリブサークル|en|Hartlib Circle}}である。サークルにはロバート・ボイル、{{仮リンク|ジョージ・スターキー|en|George Starkey}}らがいた。彼らが私淑していたのが、ベルギーの錬金術師[[ヤン・パブティスタ・ファン・ヘルモント]]であった{{Sfn|吉村|2012|p=44}}。 デカルト学派から、神が作った金属は姿を変えない、天地創造の時から少しも変わらないという主張が錬金術理論を崩壊させ、化学へと向かう。ただし錬金術師たちはなおも健在でその中にはアイザック・ニュートンもいた{{Sfn|ユタン|1972|pp=75-76}}。17世紀末までに錬金術の実践的な側面は化学となり、錬金術師は化学者として差異化するようになった{{Sfn|吉村|2012|p=47}}。 === 18世紀-19世紀 === 数々の検証から錬金術は否定的に扱われ、化学の成立と移行につながった。神秘学、隠秘学としての錬金術は[[カリオストロ]]や[[サンジェルマン伯爵]]、薔薇十字団により続けられた{{Sfn|ユタン|1972|pp=76-77}}。 19世紀初頭には、[[ジョン・ドルトン]]が原子論を発表した。ドルトンは「原子論5つの原則」に於いて、「化学反応は、原子と原子の結合の仕方が変化するだけで、新たに原子が生成したり、消滅したり、異なる他の原子に変化することはない」とした。これにより、錬金術の技法では化学的手段を用いても卑金属から金などの貴金属を精錬することができないことが判明し、錬金術は完全に[[疑似科学]]または非科学的理論として化学から分離されることとなった。 === 20世紀 === 長らく途絶えてきた錬金術はフルカネッリの著作『大聖堂の秘密』『賢者の住居』で再び脚光を浴びる{{Sfn|アロマティコ|1997|pp=144-145}}。フルカネッリは自分の正体を明かさなかったが、弟子の{{仮リンク|ウージェーヌ・カンスリエ|en|Eugène Canseliet}}は積極的に錬金術の教えを広めた。この影響でヨーロッパ各地で錬金術専門誌が発行された{{Sfn|アロマティコ|1997|pp=144-147}}。 === インドの錬金術 === インド錬金術の歴史は、[[紀元前1000年]]頃から[[紀元前500年]]頃にかけて[[インド]]で編纂された [[ヴェーダ]]に端を発し<ref>[[ブリタニカ百科事典]]Encyclopædia Britannica, the Vedas describe a connection between eternal life and gold.</ref>、[[紀元前4世紀]]の[[カウティリヤ]]の[[実利論]]も錬金術にふれている。 インドの練金術者は27人の達人の名前が「ラサラトナ・サムッチャヤ」という本に記載され、その中に[[龍樹]]が含まれる。[[龍樹]]には「龍樹菩薩薬方」「龍樹菩薩養生方」「龍樹菩薩和香方」「龍樹眼論」などの著述がある。この「眼論」により、龍樹が眼科医の祖とされることもある。 「ラサラトナーカラ」というベンガルで発見された錬金術のタントラ(密教)の写本は、大乗仏教のタントラである。これらと中国仏教の三蔵の中に見いだせるものと比較すると、他の金属を金に変えるハータカという薬液や石汁ともいわれる山水シャイローダカなどが共通しており、中国の錬金術との類似点となっている。これらはインドのものが中国に[[密教]]とともに伝わったのではないかとされている。これに次ぐ錬金術書としては、カルカッタのアジア協会の図書館に秘蔵されている「ラサールナヴァカルパ」がある。 インド錬金術については、[[タントラ教]]や[[アーユルヴェーダ|インド伝統医学]]も影響を与えたとされる。 [[水銀]]は通常は液体であって人間の精神と同様に流動的であるが、固形化されると、人間の精神集中をもたらすという。<ref>{{Cite web |url=http://hinduism.about.com/od/lordshiva/a/murcurylingam.htm |title=Mercury Shivalingam of Ujjain |publisher=about.com|accessdate=2016-11-10}}</ref> === 中国の錬金術 === [[ファイル:Baopuzi.JPG|thumb|『抱朴子』内篇]] 中国では『[[抱朴子]]』などによると、金を作ることには「仙丹の原料にする」・「仙丹を作り仙人となるまでの間の収入にあてる」という二つの目的があったとされている。[[辰砂]]などから冶金術的に不老不死の薬・「仙丹(せんたん)」を創って服用し[[仙人]]となることが主目的となっている。これは「[[錬丹術|煉丹術]](錬丹術、れんたんじゅつ)」と呼ばれている。厳密には、化学的手法を用いて物質的に内服薬の丹を得ようとする外丹術である<ref name="sendou">{{Citation | author = [[高藤聡一郎]] | date = 1992 | title = 仙道錬金術房中の法 | publisher = 学習研究社 | isbn = 4054000479}}</ref>。 仙丹を得るという考え方は同一であるが、[[気]]を整える[[呼吸法]]や瞑想等の身体操作で、体内の[[丹田]]において仙丹を練ることにより仙人を目指す[[内丹術]]とは区別される<ref name="sendou"/>。 == 錬金術の思想 == [[ファイル:Athanor.jpg|thumb|アタノール。中に「哲学者の卵」フラスコがある。]] === 賢者の石 === 錬金術における最大の目標は[[賢者の石]]を創り出す(あるいは見つけ出す)ことだった。賢者の石は、[[非金属]]を金などの[[貴金属]]に変え、人間を[[不老不死]]にすることができる究極の物質と考えられた{{Sfn|澤井|2008|pp=130-131}}。また後述の通り、神にも等しい智慧を得るための過程の一つが賢者の石の生成とされた。<!--16世紀以降の神秘主義による影響。いずれ加筆します。--><!-- 早く加筆してください。 --> 賢者の石を作る「[[大いなる業]]」には「湿った道(湿潤法)」と「乾いた道(乾式法)」の2種類があった{{Sfn|アロマティコ|1997|p=80}}。「湿った道」は材料を「哲学者の卵」と呼ばれる[[水晶]]でできた球形の[[フラスコ]]に入れて密閉、外的条件が整ったら「アタノール([[:en:Athanor]])」という炉で加熱する方法で、完成まで長い期間、少なくとも40日を要したが{{Sfn|ユタン|1972|p=150}}、ヨーロッパの錬金術においてもっともよく行われた。「乾いた道」は土製の[[るつぼ]]だけを用いてわずか4日間で完成させるもので、実験を行う環境に恵まれなかった錬金術師たちが用いた{{Sfn|アロマティコ|1997|pp=80-84}}。 この作業で材料は黒、白、赤と色を変える。賢者の石は、赤くかなり重い、輝く粉末の姿であらわれるとされた。この賢者の石を、水銀や熱して溶かした鉛や錫に入れると大量の貴金属に変じたという{{Sfn|ユタン|1972|pp=116-118}}。赤い石は卑金属を金に、白い石は卑金属を銀に変えるとされた{{Sfn|澤井|2008|p=147}}。 === エリクサー === [[エリクサー]](錬金霊液、エリクシル)は、賢者の石と同じように金属変成や病気治癒を可能にする霊薬である{{Sfn|吉村|2012|p=18}}。ジャービルはエリクサーを瀕死の病人に飲ませ容態を回復させたと伝えられている{{Sfn|澤井|2008|pp=75-76}}。パラケルススは錬金術の知識を医学に応用し、人間の健康を守る薬を求めた{{Sfn|アロマティコ|1997|p=114}}。 === 錬金術文書 === [[ヘルメス・トリスメギストス]]は錬金術の始祖であり、錬金術の守護神とされた{{Sfn|アロマティコ|1997|p=103}}。『ヘルメス文書』は、ヘルメス・トリスメギストス(3倍もの偉大なヘルメスという意味)の著作とされる文書で、その数は3万冊を超えるといわれる。紀元前3世紀から紀元後3世紀までの6世紀にわたって書かれたとされており{{Sfn|澤井|2008|pp=53-54}}、実際は匿名の複数の著者による文書をまとめたものである{{Sfn|澤井|2008|p=64}}。文書には、[[デモクリトス]]の原子論、[[アリストテレス]]の[[四元素]]説など随所に[[ギリシア哲学|ギリシャ哲学]]の影響が見られる{{Sfn|アロマティコ|1997|pp=26-28}}。 『エメラルド・タブレット』は『ヘルメス文書』の中で、もっともよく知られている短い文献である。錬金術師たちはヘルメス自らがエメラルドの板に刻み、ヘルメスの墓地から発見されたと信じた。実際は10世紀ごろのアラビア語文献の翻訳で、さらにその元は4世紀ごろのギリシア語文献と推測されている{{Sfn|ユタン|1972|pp=61-63}}。 === 宇宙観 === 錬金術の宇宙観は、[[マクロコスモスとミクロコスモス]](天上界=マクロ、地上界=ミクロ)は対応関係があるというものだった。金属変成実験というミクロコスモスはマクロコスモスという世界の構造が映し出され、実験とともに世界の仕組みを明らかにできるとされた{{Sfn|アロマティコ|1997|pp=28-29}}。 <!---[[ファイル:Homunculus Faust.jpg|thumb|ホムンクルスを作り出す錬金術師。]]---> <!---[[ファイル:Ouroboros.png|thumb|200px|[[ウロボロス]]]]---> また[[ホムンクルス]]のように、無生物から人間を作ろうとする技術も、一般の物質から、より完全な存在に近い魂を備えた人間を作り出すという意味で錬金術と言える。 錬金術に携わる研究者を'''錬金術師'''と呼ぶ。特に高等な錬金術師は、[[霊魂]]の錬金術を行い神と一体化すると考えられたので、宗教や神秘思想の趣きが強くなった。 == 錬金術と化学 == === 影響 === {{Main|化学の歴史}} 現代人の視点からは、卑金属を金に変性しようとする錬金術師の試みは否定される。だが、歴史を通してみれば、錬金術は古代ギリシアの学問を応用したものであり、その時代においては正当な学問の一部であった。そして、他の学問同様、錬金術も実験を通して発展し各種の発明、発見が生み出され、旧説、旧原理が否定され、ついには科学である'''[[化学]]'''に生まれ変わった。これは歴代の錬金術師の貢献なくしてはありえなかったともいえる<ref name="matsumoto2006"/>。文献からは、成立し始めた自然科学が錬金術を非科学的として一方的に排斥しているわけではなく、むしろ両者が共存していたことが見てとれる。様々な試行錯誤を行う錬金術による多様な分離精製の事例は、化学にとって格好の研究材料であった<ref name="oyamada2001" />。 錬金術師たちは、俗にイメージされるような、[[魔法使い]]や[[マッドサイエンティスト]]のような身なり・研究一辺倒の生活をしていたのではなく、他の職業を持ちながら錬金術の研究も行うといった人物も多く存在していた。例えば、[[万有引力]]の発見で知られる[[アイザック・ニュートン]]も錬金術に深く関わり膨大な文献を残した一人である<ref name="tanaka2006">{{Citation |author=田中和明 |date=2006 |title=図解入門よくわかる最新金属の基本と仕組み |publisher=秀和システム |isbn=9784798014869 |page=62 |quote=ニュートン…は、最後の錬金術師でした}}</ref>。最近ではこれらの文献を集めた研究書も刊行されるなど、いわば錬金術的世界観の再評価が行われていると言える<ref> {{Cite web|和書|author=[[吉本秀之]]|url=http://members3.jcom.home.ne.jp/hist_science/NewtonAlchemyTimeT01.html|title=ニュートンの錬金術年表|language=日本語|accessdate=2015年6月20日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=吉本秀之|url=http://members3.jcom.home.ne.jp/hist_science/NewtonAlchemyJpList.html|title=ニュートン錬金術に関する邦語文献|language=日本語|accessdate=2015年6月20日}}</ref>。{{Main|アイザック・ニュートンのオカルト研究#ニュートンの錬金術研究と著書}} === 錬金術の成果 === [[ファイル:Distillation_by_Retort.png|thumb|アランビック]] ; [[磁器]]の製法の再発見(ヨーロッパ、18世紀) : ヨーロッパでは[[磁器]]を中国・日本から輸入しており非常に高価な物だった。それをヨーロッパで生産する方法を再発見したのは錬金術師である。[[アウグスト2世 (ポーランド王)|ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世]]が[[錬金術師]][[ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー]]に研究を命じ、ベトガーは1709年に<ref>{{Citation | title = 日本の曖昧(あいまい)力: 融合する文化が世界を動かす | author = [[呉善花]] | publisher = PHP研究所 | date = 2009 | isbn = 9784569708294 | page = 107}}</ref>白磁の製造に成功した<ref>{{Citation | title = 危機管理から企業防衛の時代へ: 渦巻くグローバリズムの奔流の中で | author = 伊藤建彦 | publisher = 文芸社 | date = 2002 | isbn = 9784835540832 | page = 251}}</ref>。 ; [[蒸留]]の技術(中東、紀元前2世紀頃) : [[アランビック]]蒸留器の発明(ジャービル・イブン=ハイヤーンが考案したとされる)とそれによる高純度[[アルコール]]の精製、さらに天然物からの成分単離は化学分析、[[化学工業]]への道を開いた。日本では江戸時代に[[ランビキ]]の名で使用された。 ; [[火薬]]の発明(中国、7 - 10世紀頃) : 中国の[[煉丹術]]師の[[道士]]が[[仙丹]]の製作中、[[硫黄]]と[[硝酸]]、[[木炭]]を混合して偶然発明したといわれる<ref>{{Citation | author = 石田太郎 | date = 2003 | title = 知は力か | publisher = 文芸社 | isbn = 9784835556529 | page = 197}}</ref>。のちに西洋に伝わる。 ; [[硝酸]]、[[硫酸]]、[[塩酸]]、[[王水]]の発明(中東、8 - 9世紀頃) : [[緑礬]]や[[明礬]]などの硫酸塩鉱物{{efn|当時は[[硫酸塩]]ということなど知る由もない。}}と[[硝石]]を混合、蒸留して硝酸を得た。錬金術師ジャービル・イブン=ハイヤーンは、緑礬や明礬などの硫酸塩鉱物を[[乾留]]して硫酸を得<ref>{{Citation | author = マイクロソフト | date = 2009 | contribution = 硫酸 | title = MSN [[エンカルタ百科事典]] ダイジェスト | contribution-url = http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761566936/content.html | url = http://jp.encarta.msn.com/ | accessdate = 2009-07-18}}</ref>、硫酸と食塩を混合して塩酸を得、塩酸と硝酸を混合して[[王水]]を得た。 == その他 == === 錬金術とユング === [[心理学者]][[カール・グスタフ・ユング]]は、錬金術に注目し、『'''[[心理学]]と錬金術'''』なる著書を書いた。その本の考察のすえにユングが得た構図は、錬金術(のみならずいっさいの[[神秘主義]]というもの)が、実は「対立しあうものの結合」をめざしていること、そこに登場する物質と物質の変化のすべてはほとんど心の変容のプロセスの[[アレゴリー]]であること、また、そこにはたいてい「[[アニマ]]とアニムスの対比と統合」が暗示されているということである<ref>[https://1000ya.isis.ne.jp/0830.html 松岡正剛の書評より]</ref>。 === 錬金術と文芸作品 === [[神秘]]的、[[超常現象|超自然的]]要素を含んだ錬金術は[[芸術作品|文芸術作品]]([[漫画]]、[[小説]])においても、特に'''[[スペキュレイティブ・フィクション]]'''という[[ファンタジー]]や[[サイエンス・フィクション]]などのジャンルに大きな影響を与えた。[[神話]]や[[伝説]]をベースとし、現実世界とは大きくかけ離れた世界観を持つファンタジー作品において、[[魔術]]と並ぶ空想の[[能力]]の一つとなった。また、通常の科学技術と並立し超科学的な分野として確立している例もあり、作品ごとに詳細かつ複雑に[[体系]]化されていった。さらには[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]や[[テレビゲーム|ゲーム]]などの娯楽の[[メディア (媒体)|メディア]]にも錬金術の要素を組み込んだり、題材とすることが多い。 == 現代の科学による金の生成 == [[ファイル:Au-TableImage.svg|thumb|周期表上の金の位置]] 卑金属から貴金属を生成することは、原子物理学の進展によって、理論的には不可能ではないとまで言及できるようになった。 === 核分裂によるもの === 錬金術の目的の一つである「金の生成」は、採算は合わないが現在では可能とされている<ref>{{Citation | first1 = R. | last1 = Sherr | first2 = K. T. | last2 = Bainbridge | first3 = H. H. | last3 = Anderson | date = 1941 | title = Transmutation of Mercury by Fast Neutrons | periodical = Physical Review | publisher = American Physical Society | volume = 60 | issue = 7 | pages = 473-479 | doi = 10.1103/PhysRev.60.473 | accessdate = 2009-07-18}}</ref>。金よりも[[原子番号]]が一つ大きい[[水銀の同位体]]<sup>196</sup>Hgに[[中性子線]]を照射すれば、[[原子核崩壊]]によって<sup>197</sup>Auに変わる<ref>[https://www.zaikei.co.jp/article/20180727/456374.html 水銀から金を作る研究、クラウドファンディングで] [[財経新聞]]</ref><ref>[[東京都市大学]] [https://academist-cf.com/projects/72 水銀から金をつくる「原子炉錬金術」を実証する!] 学術系クラウドファンディングサイト「academist(アカデミスト)」</ref>。<!--[[金の同位体]]の198Au、199Auにこの長さの半減期は見当たらないが、文献内容が古いのでは?以下CO部 「金また生成される放射性同位体の[[半減期]]は、最長で78時間である。」--> [[1924年]]9月20日に[[長岡半太郎]]がこの「核を攪乱」する方法による[[長岡半太郎#水銀還金|水銀還金]]の研究を発表した。 === 中性子星の合体によるもの === {{main|金#自然界での金の生成}} == 日本語の「錬金術」== 「金」の字を「金銭」と解釈し、[[株式]]や[[不動産]][[投資]]などの利殖行為や、[[悪徳商法]]などを「錬金術」と例えることがある。 == 錬金術師および関係のある人物の一覧 == 比喩的に魔術師とも呼ばれる人物を含む * [[ヘルメス・トリスメギストス]] * [[テュアナのアポロニオス|偽「テュアナのアポロニオス」]]({{仮リンク|バリヌス|en|Balinus}}) * {{仮リンク|ユダヤ婦人マリア|en|Mary the Jewess|el|Μαρία η Ιουδαία}} - 伝説では錬金術の創始者とされる。 * {{仮リンク|パノポリスのゾシモス|el|Ζώσιμος ο Πανοπολίτης|ar|زوسيموس_من_بانوبوليس|en|Zosimos of Panopolis}} - 著作が残る古代ギリシアの錬金術師。 * [[ジャービル・イブン=ハイヤーン]] - 中世ヨーロッパの錬金術に多大な影響を及ぼす。 * [[アル・ラーズィー]] * [[チェスターのロバート]] * [[バースのアデラード|バスのアデラード]] * [[アルベルトゥス・マグヌス]] * [[ライムンドゥス・ルルス]] * [[アルナルドゥス・デ・ビラ・ノバ]] * [[ルペシッサのヨハネス]] * [[ニコラ・フラメル]] * [[クリスチャン・ローゼンクロイツ]] * [[ジル・ド・レイ]] * [[フランソワ・プレラーティ]] * {{仮リンク|トマス・ノートン|en|Thomas Norton (alchemist)}} * [[パラケルスス]] - 後の賢者の石の伝承の元となった人物。 * [[ゲオルグ・ファウスト]] - ゲーテの『[[ファウスト (ゲーテ)|ファウスト]]』にも登場する。 * {{仮リンク|ハインリッヒ・クンラート|en|Heinrich Khunrath}} * [[ジョン・ディー]] * [[エドワード・ケリー]] * {{仮リンク|ミヒャエル・センディヴォギウス|en|Michael Sendivogius}} * {{仮リンク|ミヒャエル・マイヤー|en|Michael Maier}} * [[ロバート・フラッド (医師)|ロバート・フラッド]] * [[ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ]] * {{仮リンク|ゲオルク・バレシュ|en|Georg Baresch}} * [[ヨハン・ベッヒャー]] * [[ヘニッヒ・ブラント]] * [[ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー]] * {{仮リンク|バシリウス・ヴァレンティヌス|en|Basilius Valentinus}} * [[アイザック・ニュートン]] * [[カリオストロ]] * [[サンジェルマン伯爵]] * {{仮リンク|フルカネリ|fr|Fulcanelli|en|Fulcanelli}} == 関連書籍 == {{Refbegin}} ===著名な書=== * [[ヘルメス文書]] * 『{{仮リンク|沈黙の書|fr|Mutus Liber|en|Mutus Liber|label=}}』({{lang-la-short|Mutus Liber}}) * 『{{仮リンク|太陽の輝き|de|Splendor Solis|en|Splendor Solis|label=}}』 - 1582年のドイツにおいて{{仮リンク|中世低地ドイツ語|de|Mittelniederdeutsche Sprache|en|Middle Low German|label=}}で出版された錬金術史上、最もカラフルな書物。 * 『[[エメラルド・タブレット]]』 * 『{{仮リンク|昇りゆく曙光|la|Aurora consurgens|en|Aurora consurgens|label=}}』({{lang-la-short|Aurora consurgens}}) - 15世紀に[[ラテン語]]で記された書物。 * 『永遠の叡智の円形劇場(Amphitheatrum Sapientiae Aeternae)』 - 1609年 ハインリッヒ・クンラート著 === 原典の邦訳 === * {{Cite book |title=沈黙の書/ヘルメス学の勝利 |author={{仮リンク|リモジョン・ド・サン=ディディエ |fr|Limojon de Saint-Didier}} |series=ヘルメス叢書 |publisher=白水社 |date=1993 |isbn=4560022895|和書|year=|last=|first=}} * {{Cite book |title=自然哲学再興 ヘルメス哲学の秘法 |author={{仮リンク|ジャン・デスパニエ |fr|Jean d'Espagnet|en|Jean d'Espagnet}} |series=ヘルメス叢書 |publisher=白水社 |date=1993 |isbn=4560022879|和書|year=|last=|first=}} * {{Cite book |title=象形寓意図の書 賢者の術概要・望みの望み |author-link=ニコラ・フラメル |first=ニコラ |last=フラメル |date=1993 |series=ヘルメス叢書 |publisher=白水社| isbn=4560022852|和書|year=}} * {{Cite book |title=闇よりおのずからほとばしる光 |first=マルク=アントニオ |last=クラッセラーム |series=ヘルメス叢書 |publisher=白水社 |date=1994 |isbn=4560022917|和書|year=}} * {{Cite book |title=賢者の石について 生ける潮の水先案内人 |author1={{仮リンク|ラムスプリンク |de|Lambspring}} |first2=マテュラン・エイカン・デュ |last2=マルティノー |others=[[有田忠郎]]編訳 |isbn=4560022909 |series=ヘルメス叢書 |publisher=白水社 |date=1994|和書|year=|last=|first=}} <!--* {{Citation |title=自然魔術 人体篇 |first=G・デッラ |last=ポルタ |last2=澤井 |first2=繁男 (訳) |publisher=[[青土社]] |date=1996}}--> * 『立昇る曙 中世寓意錬金術絵詞』大橋喜之編訳、[[八坂書房]]、2020年 === 2次文献 === '''歴史研究''' * {{Cite journal|和書|ref=none |author=[[祢宜田久男]] |title=物質間の愛憎: 親和力の概念形成 |periodical=広島経済大学研究論集 |volume=6 | issue=1 |date=1983 |issn=0387-1444 |page=3 | url=http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hue/metadata/3079 | accessdate = 2009-10-25|publisher=[[広島経済大学]]経済学会}} * {{Cite journal|和書 |author = 三浦伸夫 |authorlink = 三浦伸夫|title = アラビア錬金術史の研究動向 |journal = 化学史研究 |volume = 24 | issue = 3 | pages = 193-204 |publisher = 化学史研究会 |date = 1997 |url = https://ci.nii.ac.jp/naid/10002700645 |naid = 10002700645 }} * {{Cite journal|和書 |author = 平井浩 |authorlink = 平井浩|title = 西欧中世・近世の化学史の研究動向 |journal = 科学史研究 |volume = 40 ||issue= 218 |pages= 65-74 |publisher = [[日本科学史学会]] |date = 2001-06-28 |url = https://www.fragrance-j.co.jp/book/b210203.html?search_keyword=%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93 }} * {{Cite journal|和書 |author = 平井浩 |title = 蒸留技術とイスラム錬金術 |journal = aromatopia |volume = 10 ||issue= 5 |publisher = [[フレグランスジャーナル社]] |date = 2001-09-25 |url = https://www.fragrance-j.co.jp/book/b210198.html?search_keyword=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%AB }}= キンドル版、2014年。 * {{Cite journal|和書 |author = 平井浩 |title = 蒸留術とルネサンスの錬金術 エリクシルから第五精髄、そしてアルカナへ |journal = aromatopia |volume = 11 ||issue= 4 |publisher = [[フレグランスジャーナル社]] |date = 2002-07-25 |url = https://www.fragrance-j.co.jp/book/b210203.html?search_keyword=%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93 }}= キンドル版、2014年。 * {{Citation |和書| title = 錬金術の秘密:再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」| author= {{仮リンク|ローレンス・M・プリンチーペ|en|Lawrence M. Principe}}|translator= [[ヒロ・ヒライ]] | publisher=勁草書房 |date=2018 |isbn=978-4326148301}} * {{Citation |和書| title =パラケルススと魔術的ルネサンス| first=洋平 | last=菊地原 | author-link=菊地原洋平 | series=BH叢書 | publisher=勁草書房 |date=2013 |isbn=4326148276}} '''ユング系''' * {{Cite book |和書| first=カール・グスタフ | last=ユング | author-link=カール・グスタフ・ユング | translator= 池田紘一・鎌田道生 | title=心理学と錬金術 | volume=1 | publisher=人文書院 | date=1976 | isbn=4409330071}} * {{Cite book |和書| title=心理学と錬金術 | volume=2 | first=カール・グスタフ | last=ユング | translator= 池田紘一・鎌田道生 | publisher=人文書院 | date=1976 | isbn=440933008X}} * {{Cite book |和書| title=瞑想とユング心理学 | last=オダージンク | first=V. ウォルター |translator= [[湯浅泰雄]] | publisher=創元社 | date=1997 | isbn=4422111930}} * {{Cite book |和書| title=ユング思想と錬金術 錬金術における能動的想像 | author-link=マリー=ルイズ・フォン・フランツ | first=マリー=ルイズ | last=フォン・フランツ | translator= 垂谷茂弘 | publisher=人文書院 | date=2000 | isbn=4409330470}} * {{Cite book |和書| title=ユング 錬金術と無意識の心理学 | first=カール・グスタフ | last=ユング |translator= 松田誠思 | publisher=講談社 |series=[[講談社+α新書]]| date=2002 | isbn=4062721392}} '''神秘学''' * {{Citation |和書| title=魔術と占星術 |author={{仮リンク|アルフレッド・モーリー |fr|Alfred Maury|en|Louis Ferdinand Alfred Maury}} | translator= [[有田忠郎]] | isbn=4560022860 | publisher= [[白水社]] | series=ヘルメス叢書| date=1993}} * {{Citation |和書| editor=[[文藝春秋]] | title=オカルティズムへの招待―西欧“闇”の精神史 黒魔術、錬金術から秘密結社まで | series=[[文春文庫]]ビジュアル版 | date=1993 | isbn=4168104109|last=|first=|publisher=}} * {{Citation |和書| title=フリーメイソンと錬金術―西洋象徴哲学の系譜 | author=吉村正和 |authorlink=吉村正和 |publisher=人文書院 |date=1998 | isbn=4409030523}} '''一般もの''' * {{Citation |和書| title=錬金術 仙術と科学の間 | author-link=吉田光邦 |last=吉田 |first=光邦 | publisher=[[中央公論社]] |series= [[中公新書]] | isbn=4-12-100009-9 | date=1963}} ** [[中央公論新社]]〈[[中公文庫]]〉、2014年。ISBN 978-4-12-205980-1。 * {{Citation |和書| title=錬金術師―近代化学の創設者たち |author={{仮リンク|F・シャーウッド・テイラー|en|F. Sherwood Taylor|label=F・S・テイラー}} |translator= [[平田寛]]・[[大槻真一郎]] | publisher=人文書院 | date=1978 | isbn=4409030299}} * 平田寛 『錬金術の誕生 : 科学史とその周辺』 恒和出版、1981年。{{全国書誌番号|81041117}}。 * [[澁澤龍彦]] 『魔法のランプ』 [[立風書房]]、1982年。{{全国書誌番号|83001942}}。 ** 白水社〈新編ビブリオテカ澁澤龍彦〉版、1988年。ISBN 4560045399。 ** [[学研M文庫]]版、2002年。ISBN 4059040029。 * {{Citation |和書| title=黒い錬金術 | author-link=種村季弘 | last=種村 | first=季弘 | publisher=白水社 | date=1986 | isbn=978-4560049006}} ** [[白水Uブックス]]版、1991年。ISBN 978-4560073162。 * {{Citation |和書| title=仙道錬金術 房中の法 | author-link=高藤聡一郎 | last=高藤 | first=聡一郎 | publisher=[[学習研究社]] | date=1992| isbn=4054000479}} * {{Citation |和書| title=錬金術 宇宙論的生の哲学 | author-link=澤井繁男 | last=澤井 | first=繁男 | publisher=[[講談社]] | series= [[講談社現代新書]] | date=1992 |isbn=4061491288}} * {{Citation |和書| title=魔術と錬金術 |last=澤井 | first=繁男 |publisher= [[筑摩書房]] |series=[[ちくま学芸文庫]] | date=2000 |isbn=4480085890}} * {{Citation |和書| title=図解 錬金術 |author=草野巧 |authorlink=草野巧 | publisher=[[新紀元社]] |series= F‐Files No.004| date=2006 | isbn=477530433X}} {{Refend}} ==注釈== {{notelist}} ==出典== {{Reflist|2|refs= <ref name="EI2-kimiya">{{EI2|title=al-Kīmiyāʾ |volume=5 |pages=110-115 |first=M. |last=Ullmann }}</ref> }} == 参考文献 == <!-- 五十音・ABC・出版日昇順([[WP:CITE]]) --> * {{Citation |和書 | title=錬金術 |author=セルジュ・ユタン |authorlink= セルジュ・ユタン |translator=[[有田忠郎]] | publisher=白水社 | date=1972 | isbn=4-560-05525-4 |ref={{SfnRef|ユタン|1972}}}} * {{Citation |和書| title=錬金術―おおいなる神秘 |author={{仮リンク|アンドレーア・アロマティコ|en|Andrea Aromatico}} |translator=[[種村季弘]]| publisher=創元社 | date=1997 | isbn=4-422-21132-3|ref={{SfnRef|アロマティコ|1997}}}} * {{Citation|和書 | author=[[クリエイティブ・スイート]]編著|others=[[澤井繁男]]監修 | date=2008 | title=「錬金術」がよくわかる本: 賢者の石からエリクサー、ホムンクルスまで | publisher=PHP研究所 | isbn=9784569670911|ref={{SfnRef|澤井|2008}}}} <!--* {{Cite web |url=http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0030/part1/chap01/part1_top.html |title=マルチメディアで見る原子・分子の世界 Part1『周期律の発見』 |accessdate=2015-6-11}}--> * {{cite book | 和書 | last1 = 平田 |first1 = 寛 | authorlink = 平田寛 | title = 日本大百科全書(ニッポニカ) | chapter = 錬金術 | url = https://kotobank.jp/word/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93-152062 | year = 2021 | publisher = コトバンク | accessdate = 2021-07-11 | ref = harv}} * {{cite book | 和書 | last1 = 松村 |first1 = 明 | authorlink = 松村明 | title = デジタル大辞泉 | chapter = 錬金術 | url = https://kotobank.jp/word/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93-152062 | year = 2021 | publisher = コトバンク | accessdate = 2021-08-26 | ref = harv}} * {{Citation|和書 |title=図説 錬金術| author=吉村正和 |authorlink=吉村正和 |publisher=河出書房新社|date=2012|isbn=978-4-309-76181-7|ref={{SfnRef|吉村|2012}}}} * {{Cite book | 和書 | last = 米田 | first = 潔弘 | authorlink = 米田潔弘 | title = 日本大百科全書(ニッポニカ) | chapter = ヘルメス・トリスメギストス | year = 2022 | publisher = 小学館・Kotobank | url = https://kotobank.jp/word/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9-130822#%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9 | ref = harv }} * {{Cite book | 和書 | author = EDP | title = 英辞郎 | chapter = 錬金術 | url = https://eow.alc.co.jp/search?q=%e9%8c%ac%e9%87%91%e8%a1%93 | year = 2023b | publisher = EDP | ref = harv }} == 関連項目 == {{Commonscat|Alchemy}} {{wiktionary}} * [[キミア]] * [[錬金術記号]] * [[ウロボロス]] * [[カトリック]] * [[ホムンクルス]] * [[エメラルド・タブレット]] * [[エリクサー]] * [[大いなる業]] * [[疑似科学]] * [[錬金術師 (小説)]] * [[アルケミスト]] (alchemist) * {{prefix}} * {{intitle}} <!-- 別記事で作成できる事は載せないで下さい--> == 外部リンク == * [http://www.alchemywebsite.com/index.html The Alchemy Web Site] - イギリスの錬金術研究家アダム・マクリーン([[:en:Adam McLean]])の錬金術資料サイト * [http://www.revistaazogue.com/en_index.htm AZOGUE] - スペインの錬金術研究誌の公式サイト * [https://bh001.sakura.ne.jp/ bibliotheca hermetica ] - 科学史家[[ヒロ・ヒライ]]のサイト ** [http://bh001.sakura.ne.jp/doko.html 「西欧中世・近世の化学史の研究動向」『科学史研究』40巻、65-74ページ、2001年] ** [http://bh001.sakura.ne.jp/mysticisism.htm 神秘主義とは何か?] ** [http://bh001.sakura.ne.jp/grecs.html ギリシアの錬金術の系譜] * [http://subsite.icu.ac.jp/people/yoshino/alchemy.html 錬金術時代から純粋化学時代(自然科学としての化学)の確立期まで] - 講義資料(国際基督教大学・吉野輝雄) * [http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/alchemy/alch_grecs_index.html ギリシア語錬金術文献集成] ** [http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/alchemy/fralchem_index.html 錬金術断片集] ***[http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/alchemy/fralchem01.html ライデン・パピルス] ***[http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/alchemy/fralchem02.html ストックホルム・パピルス] ** [http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/alchemy/zosimos_index.html ゾーシモス作品集成] * {{kotobank|錬金術-152062|[[日本大百科全書]](ニッポニカ)|錬金術}} * [https://www.aozora.gr.jp/cards/000262/files/46588_25021.html 錬金詐欺] - [[小酒井不木]]、1926、青空文庫 {{normdaten}} {{DEFAULTSORT:れんきんしゆつ}} [[Category:錬金術|*]] [[Category:自然哲学]] [[Category:科学哲学]] [[Category:神秘主義]] [[Category:疑似科学]] [[Category:ヘルメス主義]] [[Category:科学史]] [[Category:化学史]] [[Category:呪術]] [[Category:金属]] [[Category:不老不死]] [[Category:悪魔]] [[Category:カトリック]] [[Category:イスラム科学]]
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