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オーサリングツール
オーサリングツール (Authoring Tool) またはオーサリングソフトウェアは、コンピュータでいわゆるメディアコンテンツを作るためのアプリケーションソフトウェアである。 グラフィックツール、音楽ツール(DTM系)、出版系(DTP用)、ウェブサイト制作や運営管理に用いるWebオーサリングツール、ゲームやスライドショーなどの制作に用いるマルチメディア系、DVDソフトの制作用などがある。 Appleのプログラマ、ビル・アトキンソンが開発したHyperCard(Macintosh標準ハイパーテキスト作成ツール)がマルチメディアオーサリングツールの元祖であるといわれている。HyperCardはプログラミング環境としても良く出来ており、ゲームなどの作品制作をはじめ、ペイントツールのようなツール等も作ることができる(スタイルとしては、イベント駆動型プログラミング及びオブジェクト指向プログラミングであった)。その後、HyperCardを基にしたSuperCardや、Oracle Media Objects (OMO) など、数々のマルチメディアオーサリングツールが出回った。日本ではパソコン通信全盛期にはMASL、Ray、FILLYといったマルチメディアオーサリングツールが主流であった。富士通のFM TOWNSにはTownsGEARというマルチメディアオーサリングツールが付属していたが、その後アドビのDirectorやFlashが主流になった。 eラーニングのコンテンツとして、Microsoft Office PowerPointのスライドと、それを発表している様子を撮影した動画を合成する各種ソフトウェアも、オーサリングツールであり、合成作業自体を「オーサリング」と読んでいる。 HDR (ハイダイナミックレンジ) に対応するもの。 HDR (ハイダイナミックレンジ) に対応しないもの。 DCI準拠JPEG2000連番画像やDCDM TIFF連番画像などの映像と、PCM音声から、DCP (デジタルシネマパッケージ)を作成するためのもの。なお、DCPパッケージの直接生成に対応する動画編集ソフトウェアとして、DaVinci ResolveやAdobe Premiere Proなども存在する。 DCPの再生には、easyDCP Player、CinePlayer、QuVIS DCPPlayer、NeoDCP Player、VLCメディアプレーヤー 2.2以降 (asdcplibベース)などが対応している。 IMFはNetflixなどのUHDストリーミングで使われている。IMF形式の直接出力に対応する動画編集ソフトウェアとして、DaVinci Resolve 15以降、Avid Media Composer 2019以降なども存在する。 多くの動画エンコードソフトウェアは標準でYoutubeやFacebookなどへの動画のオーサリングに対応している。 360度動画の出力に直接対応するソフトウェアとしては、Adobe Premiere Pro CC 2015.3以降、Final Cut Pro X 10.4以降などがある。 360度動画の再生にはVLC 3以降、Scratch Play、GoPro VR Player (旧Kolor Eyes)、Whirligig Playerなどが対応している。 YoutubeのHDR動画は、H.264 10bit、ProRes 422、ProRes 4444、DNxHR HQX、VP9 profile 2のどれかのコーデックにエンコードする必要があり、また、動画コンテナにはHDRメタデータを付加する必要がある。この出力に対応するソフトウェアとしては、DaVinci Resolve、Adobe Premiere Pro、Adobe After Effectsなどが存在する。 NetflixのHDR動画はIMF形式を採用している。IMF形式の出力に対応するオーサリングソフトウェアは#IMF対応を参照。
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オーサリングツール またはオーサリングソフトウェアは、コンピュータでいわゆるメディアコンテンツを作るためのアプリケーションソフトウェアである。 グラフィックツール、音楽ツール(DTM系)、出版系(DTP用)、ウェブサイト制作や運営管理に用いるWebオーサリングツール、ゲームやスライドショーなどの制作に用いるマルチメディア系、DVDソフトの制作用などがある。
{{出典の明記|date=2015年12月}} '''オーサリングツール''' ({{lang-en|links=no|authoring tool}}) または'''オーサリングソフトウェア'''は、[[コンピュータ]]で音楽や画像や映像やそれらを含む文書を編集するための[[アプリケーションソフトウェア]]である。 グラフィックツール、音楽ツール([[デスクトップミュージック|DTM]]系)、出版系([[DTP]]用)、[[ウェブサイト]]制作や運営管理に用いる[[Webオーサリングツール]]、ゲームや[[スライドショー]]などの制作に用いる[[マルチメディア]]系、DVDソフトの制作用などがある。 ==概略== [[Apple]]のプログラマ、[[ビル・アトキンソン]]が開発した[[HyperCard]]([[Macintosh]]標準[[ハイパーテキスト]]作成ツール)がマルチメディアオーサリングツールの元祖であるといわれている。HyperCardはプログラミング環境としても良く出来ており、ゲームなどの作品制作をはじめ、ペイントツールのようなツール等も作ることができる(スタイルとしては、[[イベント駆動型プログラミング]]及び[[オブジェクト指向プログラミング]]であった)。その後、[[HyperCard]]を基にした[[SuperCard]]や、Oracle Media Objects (OMO) など、数々のマルチメディアオーサリングツールが出回った。日本ではパソコン通信全盛期には[[MASL]]、[[Ray (ソフトウェア)|Ray]]、[[FILLY]]といったマルチメディアオーサリングツールが主流であった。[[富士通]]の[[FM TOWNS]]には[[TownsGEAR]]というマルチメディアオーサリングツールが付属していたが、その後[[アドビ]]の[[Adobe Director|Director]]や[[Adobe Flash|Flash]]が主流になった。 [[eラーニング]]のコンテンツとして、[[Microsoft Office PowerPoint]]のスライドと、それを発表している様子を撮影した動画を合成する各種ソフトウェアも、オーサリングツールであり、合成作業自体を「オーサリング」と読んでいる。 ==光学メディア用オーサリングツール== === UHD BD対応 === HDR (ハイダイナミックレンジ) に対応するもの。 ; {{仮リンク|Scenarist|de|Scenarist}} (Scenarist, LLC<ref name="scenarist-rovi">[http://www.businesswire.com/news/home/20140923005343/en/Scenarist-LLC-Acquires-Authoring-Technology Scenarist, LLC Acquires Authoring Technology] Business Wire 2014年9月23日</ref> ← [[ロヴィ|Rovi Corporation]] (現TiVo Corporation)<ref name="scenarist-rovi"/> ← {{仮リンク|Sonic Solutions|en|Sonic Solutions}}及びその子会社の{{仮リンク|Sonic Studio|en|Sonic Studio}} ← [[ダイキン]]<ref name="sonic-secgov-2001">[https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/916235/000102140801506794/ds3a.txt REGISTRATION STATEMENT UNDER THE SECURITIES ACT OF 1933 SONIC SOLUTIONS] [[証券取引委員会|アメリカ証券取引委員会]] 2001年9月14日</ref>) : DVD及びBDに対応するオーサリングソフトウェア。UHD BDにはScenarist UHDで対応している。Sonic DVD Creator及びSonic DVD Producerの後継製品。民生向けとして、Roxio (現在Corel子会社)の販売するMyDVDがある。 : 以前は民生向けとして、DVD Fusion、DVDit!、Reel DVDなども存在した<ref name="sonic-secgov-2001"/>。また、Avid Media ComposerにはAvid DVD by Sonicが付属していた。 ; DVDLogic BD Author/KITe (DVDLogic) : BD用のオーサリングスイート。Blu-ray 3D対応のBD Author 3D、UHD BD対応のKITe UHDがある。 === UHD BD未対応 === HDR (ハイダイナミックレンジ) に対応しないもの。 ; [[VideoStudio]] ([[コーレル|Corel]] ← [[ユーリードシステムズ|Ulead Systems]]) : ノンリニア動画編集ソフトウェア。X4でオーサリングソフト[[MovieWriter]] (旧DVD MovieWriter、海外名DVD MovieFactory)のオーサリング機能が統合された。ブルーレイのオーサリングにはBD packが必要となる。 : MovieWriterは統合後も並列してリリースされていたが、その後、開発終了となった。 ; [[TMPGEnc|TMPGEnc Authoring Works]] (Pegasys) : DVD及びBDに対応するオーサリングソフトウェア。 ; EDIUS ([[グラスバレー (企業)|グラスバレー]] ← トムソン・カノープス ← Canopus) : ノンリニア動画編集ソフトウェア。DVD及びBDのオーサリングに対応している。 ; [[PowerDirector]] (CyberLink) : ノンリニア動画編集ソフトウェア。DVD及びBDのオーサリングに対応している。 : 以前はオーサリング専用の[[PowerProducer]]もあったが、開発終了となっている。 === BD未対応 === ; {{仮リンク|DVDStyler|en|DVDStyler}} : オープンソースのDVDオーサリングソフトウェア。ライセンスはGPL。 === 開発停止中 === ; [[Adobe Encore]] (Adobe) : DVD及びBDに対応するオーサリングソフトウェア。Adobe Premiere Pro CS6に付属されていたが、Adobe Creative Cloudで廃止となった。 ; {{仮リンク|DVD Studio Pro|en|DVD Studio Pro}} (Apple) : Mac用のDVDオーサリングソフトウェア。 ; [[DivX Author]] (NeuLion←{{仮リンク|DivX, LLC|en|DivX, Inc.}}←DivX, Inc.←DivXNetworks, Inc.) : DVD等に対応するオーサリングソフトウェア。 ; [[DVDforger]] : オープンソースのDVDオーサリングソフトウェア。ライセンスはGPL。 ; [[DVD Flick]] : オープンソースのDVDオーサリングソフトウェア。ライセンスはGPL。 ; [[VEGAS DVD Architect]] (MAGIX ← Sony Creative Software ← Sonic Foundry) : DVD及びBDに対応するオーサリングソフトウェア。[[Vegas Pro]]に付属していた。開発停止中<ref>[https://www.vegascreativesoftware.info/us/forum/support--122901/#ca765408 VEGAS Forum - Support] MAGIX 2020年8月8日</ref>。 ; Pixelogic Blu-print (Pixelogic←Sony DADC New Media Solutions←Sony Creative Software) : BDオーサリングソフトウェア。 == 映画用オーサリングツール == DCI準拠JPEG2000連番画像やDCDM TIFF連番画像などの映像と、PCM音声から、DCP (デジタルシネマパッケージ)を作成するためのもの。なお、DCPパッケージの直接生成に対応する動画編集ソフトウェアとして、DaVinci ResolveやAdobe Premiere Proなども存在する。 DCPの再生には、easyDCP Player、CinePlayer、QuVIS DCPPlayer、NeoDCP Player、[[VLCメディアプレーヤー]] 2.2以降<ref>[http://www.slashcam.com/news/single/VLC-Player-2-2-0-with-X265-and-DCP-Support-11927.html VLC Player 2.2.0 with X265 and DCP Support] Slashcam News 2015年2月12日</ref> (asdcplibベース)などが対応している。 === IMF対応 === IMFはNetflixなどのUHDストリーミングで使われている。IMF形式の直接出力に対応する動画編集ソフトウェアとして、DaVinci Resolve 15以降<ref>[http://cgpress.org/archives/davinci-resolve-15-released-with-fusion-built-in.html DaVinci Resolve 15 released with Fusion built-in] CGPress 2018年4月10日</ref>、Avid Media Composer 2019以降<ref>[http://www.studiodaily.com/2019/04/avid-unveils-new-media-composer-modernized-ui-32-bit-full-float-color-processing/ Avid Unveils ‘All-New’ Media Composer with Modernized UI, 32-Bit Full-Float Color Processing] Studio Daily 2019年4月6日</ref>なども存在する。 ; easyDCP Creator (Fraunhofer IIS) : DCP及びIMF App2/App 2E<ref>[https://www.easydcp.com/support-faq.php?id=80 Which IMF specification supports easyDCP] Fraunhofer IIS</ref>作成ソフトウェア。DaVinci Resolveと連携できる。ステレオ3Dの出力やKDM(暗号鍵)の生成には上位版のeasyDCP Creator+が必要となる。 : 姉妹ソフトウェアにDCP/IMF<ref>[https://www.easydcp.com/support-faq.php?id=94 Does easyDCP Player support IMF?] Fraunhofer IIS</ref>再生のためのeasyDCP Playerがある。 ; Wailua (CineCert) : DCP/IMF作成ソフトウェア<ref>[http://www.cinecert.com/cinecerts-dcpimf-mastering-solutions-wailua-and-anini-certified-for-dolby-atmos-2/ CineCert’s DCP/IMF Mastering solutions, Wailua and Anini, certified for Dolby Atmos] CineCert 2014年10月20日</ref>。 ; asdcplib : オープンソース。初めはDigital Cinema Initiativeの協力により開発されていたが、現在はCineCertの協力により開発されている<ref>[http://www.cinecert.com/asdcplib/ AS-DCP FILE ACCESS LIBRARY] CineCert</ref>。IMFにも対応している<ref>[http://www.cinecert.com/asdcplib/download/ DOWNLOAD ASDCP] CineCert</ref>。 === IMF未対応 === ; {{仮リンク|Dolby CineExport|en|CineExport}} (Dolby Laboratories<ref>[http://www.doremilabs.com/archive/dolby-acquires-doremi/ Dolby Acquires Doremi] Doremi Labs 2014年11月3日</ref>←Doremi Labs) : Apple Compressor (エンコードソフト) 向けのDCP作成プラグイン。姉妹ソフトウェアにDCP再生のためのCinePlayerがある。有料版のCineAssetも存在する。 ; QuVIS Wraptor (QuVIS Technologies) : Adobe Media Encoder及びApple Compressor (エンコードソフト) 向けのDCP作成プラグイン。 : 姉妹ソフトウェアにDCP再生のためのQuVIS DCPPlayerがある。 ; CuteDCP (Fandev) : After Effects及びPremiere Pro用のDCP作成プラグイン。 ; OpenDCP : オープンソースのDCP作成ソフトウェア。 ; DCP-o-matic : オープンソースのDCP作成ソフトウェア。 == Web用オーサリングツール == 多くの動画エンコードソフトウェアは標準でYoutubeやFacebookなどへの動画のオーサリングに対応している。 === 360度動画・VR動画 === 360度動画の出力に直接対応するソフトウェアとしては、Adobe Premiere Pro CC 2015.3以降<ref>[https://helpx.adobe.com/jp/premiere-pro/using/whats-new-June2016.html 新機能の概要 - Adobe Premiere Pro CC - 2015 リリース] Adobe 2016年</ref>、Final Cut Pro X 10.4以降<ref>[https://support.apple.com/kb/PH26681?viewlocale=ja_JP&locale=ja_JP Final Cut Pro X: Final Cut Pro 10.4 の新機能] Apple 2018年1月26日</ref><ref>[https://support.apple.com/kb/PH26669?locale=ja_JP&viewlocale=ja_JP Final Cut Pro X: 360° ビデオの概要] Apple 2018年1月26日</ref>などがある。 360度動画の再生にはVLC 3以降、Scratch Play、GoPro VR Player (旧Kolor Eyes)、Whirligig Playerなどが対応している。 ; Spatial Media Metadata Injector (Google) : 動画に360°動画用メタデータを付加するためのツール。別名360 Video Metadata app。Apacheライセンス。空間音声(Spatial Audio)にも対応している。 === HDR動画 === YoutubeのHDR動画は、H.264 10bit、ProRes 422、ProRes 4444、DNxHR HQX、VP9 profile 2のどれかのコーデックにエンコードする必要があり<ref name="google-hdr">[https://support.google.com/youtube/answer/7126552?hl=en Upload High Dynamic Range (HDR) videos] Google</ref>、また、動画コンテナにはHDRメタデータを付加する必要がある<ref name="google-hdr"/>。この出力に対応するソフトウェアとしては、[[DaVinci Resolve]]、[[Adobe Premiere]] Pro、Adobe [[After Effects]]などが存在する<ref name="google-hdr"/>。 NetflixのHDR動画はIMF形式を採用している。IMF形式の出力に対応するオーサリングソフトウェアは[[#IMF対応]]を参照。 === ストリーミング === {{see|ストリーミング#主なフラグメント化ソフトウェア}} == マルチメディア用オーサリングツール == {{see also|3DCGソフトウェア#ゲーム及びインタラクティブコンテンツ作成}} ; [[Adobe Animate]] (Adobe Systems) : Adobe Flash及びWebGLのオーサリングが可能。旧Adobe Flash Professional。 ; [[DigitalLoca|MatrixEngine Studio]] : MatrixEngine及びWebGLのオーサリングが可能。過去には民生版のDigitalLocaも存在した。 ; Clickteam Fusion ({{仮リンク|Clickteam|en|Clickteam}}) : HTML5へのオーサリングが可能。旧Klik & Play←Click & Create←Multimedia Fusion。 === 開発停止中 === ; [[ソフマップ#関連会社|ZOOMA]] (ソフマップエフデザイン) : 旧MADO、QUOVIS。 ; [[easy driver]] ([[パナソニック システムネットワークス]]及び[[日本システムウエア]]) : オーサリングは独自形式となっており、独自Webプラグインでの再生にも対応していた。 ; [[Adobe Director]] (Adobe Systems) : Adobe Shockwave形式のオーサリングが可能。 == e-learning用オーサリングツール == *[[Dojo]] *[[スクールプレゼンター]] == その他のオーサリングツール == *LiveCode (旧[[Runtime Revolution]]) == 出典 == <references/> {{software-stub}} {{DEFAULTSORT:おおさりんくつうる}} [[Category:アプリケーションソフト]] [[Category:教育ソフトウェア]] [[Category:オーサリング|*]]
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ハイパーテキスト
ハイパーテキスト (hypertext) とは、複数の文書(テキスト)を相互に関連付け、結び付ける仕組みである。「テキストを超える」という意味から"hyper-"(~を超えた) "text"(文書)と名付けられた。テキスト間を結びつける参照のことをハイパーリンクと言う。 ハイパーテキストによる文書は静的(前もって準備され格納されている)または動的に(ユーザの入力に応じて)生成される。よって、うまく作られたハイパーテキストシステムは、メニューやコマンドラインなどの、他のユーザインタフェースパラダイムの能力を包含しており、それらを置き換えることができる。クロスリファレンスを含む静的な文書群と、対話的なアプリケーションの両方を実現するのに使える。文書やアプリケーションはローカルでもインターネットのようなコンピュータネットワーク環境でも利用できる。最も有名なハイパーテキストの実装はWorld Wide Webである。ハイパーテキストが提供する、情報の関連性を辿る手段により、大量の文献を逐一調べることなく目的の情報に到達する事ができるようになった。 ハイパーテキストという語は広く使われているが、実際にはハイパーメディアと呼んだほうが適切な場合も多い。 ハイパーテキストの前兆は、様々な種類のリファレンス(辞書や百科事典)で使われる単純なテクニックに見られる。用語に添えられた小さな文字でその用語についての(同じリファレンス内の)記事や項目を示すものである。用語の前に指差しの絵記号が ☞このように、または矢印が ➧このように 来ることもある。そのような手動のクロスリファレンスのほかにも、文書に注釈を組み込む様々な実験的手法があった。その最も有名な例はタルムードである。 ハイパーテキストの核心は、情報オーバーロード問題の扱いである。以下に述べる人物は皆、情報の中に人間性が埋もれてしまっているという認識を強く持っていた。意思決定者は誤った判断を繰り返し、科学者たちは研究を重複させることが、あまりにも多い。メンデルの研究の再発見がその例である。 20世紀の初め、先見の明のある2人の人物がクロスリファレンスの問題に挑み、労働集約的な力任せの方法に基づく提案をした。ポール・オトレは、すべての文書はインデックスカードに記録された固有の語句に分解できるはずだという "Monographic Principle" に基づく、ハイパーテキストの元ともいえるコンセプトを提案した。1930年代、H・G・ウェルズは書籍という線形な型には収まらない情報を蓄積する『世界の頭脳』の創設を提案した。しかしながら費用の理由から、どちらの提案も成功することはなかった。 したがって、ハイパーテキストの真の歴史が始まったのは1945年ということになる。この年、ヴァネヴァー・ブッシュが The Atlantic Monthly誌に As We May Think(『人の思考のように』)という論文を書き、彼がMemexと呼んだ未来のデバイスについて述べた。Memexは機械式の机で、マイクロフィルムの拡張可能なアーカイブと接続されており、図書館から本や書き物などのどんな種類の文書でも表示することができ、さらにあるページから参照されているページへと参照を辿っていくことができる。彼の言う「全く新しい形の百科事典; Wholly new forms of encyclopedia」は今日のコンピュータ、インターネットを予見したものだといえる。 ほとんどの専門家はMemexを真のハイパーテキストシステムだとは考えていない。しかし、ハイパーテキストの歴史はMemexから始まった。なぜなら、As We May Think は一般にハイパーテキストの発明者と称される2人のアメリカ人に直接の影響と着想を与えたからである。それはテッド・ネルソンとダグラス・エンゲルバートである。 ネルソンは「ハイパーテキスト」と「ハイパーメディア」という語を1965年に作り、ブラウン大学の アンドリーズ・ヴァン・ダム の指導の下で1968年にHypertext Editing Systemを開発した。 エンゲルバートは1962年にスタンフォード研究所でNLSシステムの開発を始めた。しかし、資金や人材、設備の確保の遅れのため、その核となる機能が完成したのは1968年のことだった。その年、エンゲルバートはハイパーテキストインタフェース(と初の実用的なGUI)のデモを公衆の前で初めておこなった。このデモはその革新性から「すべてのデモの母(The Mother of All Demos)」と呼ばれる。 NLSへの財政的支援が鈍った1974年以降、ハイパーテキスト研究の進歩はほとんど停止した。この期間、カーネギーメロン大学でZOGが人工知能の研究プロジェクトとしてアレン・ニューウェルの指導の下、開始した。プロジェクトの参加者たちがそれをハイパーテキストシステムであると気づいたのは、かなり後になってからであった。ZOGは1980年にCVN-70に配備され、後にナレッジマネジメントシステムとして商業化された。 1977年には初のハイパーメディアアプリケーションであるアスペン・ムービー・マップが登場した。 1980年代の初め、多くの実験的なハイパーテキストおよびハイパーメディアプログラムが現れ、それらの機能や概念の多くは後にウェブに取り込まれた。Guideはパーソナルコンピュータ用の初のハイパーテキストシステムであった。元々はUNIX向けに開発され、後にMS-DOSに移植された。 1987年8月、Apple Computerはボストンで催されたMacworld Conference & Expoで同社のMacintosh用に開発されたHyperCardを披露した。HyperCardはすぐにヒットし、ハイパーテキストの概念を公衆に広めるのに一役買った。またこの年には初めてのハイパーテキストに特化した学術会議がノースカロライナ州チャペルヒルで開催された。 その間、ネルソンは20年間以上に渡って彼のザナドゥシステムについて働き続け、それを擁護していた。HyperCardの商業的な成功を受け、オートデスク社は彼の革新的なアイデアに投資することを決断した。プロジェクトはオートデスク社で4年間続いたが、製品が発売されることはなかった。 1980年、ティム・バーナーズ=リーはENQUIREを開発した。ENQUIREは初期のハイパーテキストデータベースシステムで、いくぶんかウィキに似たものだった。1980年代の終わり、当時CERNに所属していたバーナーズ=リーは、世界中に分散する別々の大学や研究所で働いている研究者たちが自動的に情報を共有する、という要求に対してWorld Wide Webを開発した。 1993年の初め、イリノイ大学のNCSAがMosaicの最初のバージョンをリリースした。それ以前のウェブブラウザは、NeXTSTEP上でしか動作しないものと最小のユーザビリティしか持たないものの2つしかなかった。Mosaicは研究者たちの間で人気のあるX Window System上で動作し、ウィンドウベースの対話性を備えていた。Mosaicはハイパーリンクをテキストだけでなく画像からも張ることができ、Gopherなどの他のプロトコルも内蔵していた。ウェブトラフィックは爆発的に増加し、1993年には500のウェブサーバしか知られていなかったのが、PCとMacintosh用のブラウザがリリースされた後の1994年には10,000以上にまでなった。 World Wide Webはそれ以前のハイパーテキストシステムを霞ませるほどの成功を収めたが、それらのシステムが持っていた多くの機能を欠いている。例えば、型付きリンク、トランスクルージョン、ソーストラッキングなどである。 前述したもの以外にも、取り上げる価値のあるハイパーテキスト実装がいくつかある。 ハイパーテキストに関する学術会議の有名なものとして、毎年開催されている "ACM Conference on Hypertext and Hypermedia" (HT 2006) がある。 また、ハイパーテキストに限ったものではないが、IW3C2がホストする一連のカンファレンスではハイパーテキストに関連する多くの発表がある。
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ハイパーテキスト (hypertext) とは、複数の文書(テキスト)を相互に関連付け、結び付ける仕組みである。「テキストを超える」という意味から"hyper-"(~を超えた) "text"(文書)と名付けられた。テキスト間を結びつける参照のことをハイパーリンクと言う。 ハイパーテキストによる文書は静的(前もって準備され格納されている)または動的に(ユーザの入力に応じて)生成される。よって、うまく作られたハイパーテキストシステムは、メニューやコマンドラインなどの、他のユーザインタフェースパラダイムの能力を包含しており、それらを置き換えることができる。クロスリファレンスを含む静的な文書群と、対話的なアプリケーションの両方を実現するのに使える。文書やアプリケーションはローカルでもインターネットのようなコンピュータネットワーク環境でも利用できる。最も有名なハイパーテキストの実装はWorld Wide Webである。ハイパーテキストが提供する、情報の関連性を辿る手段により、大量の文献を逐一調べることなく目的の情報に到達する事ができるようになった。 ハイパーテキストという語は広く使われているが、実際にはハイパーメディアと呼んだほうが適切な場合も多い。
{{出典の明記|date=2021年4月4日 (日) 10:28 (UTC)}} [[ファイル:HypertextEditingSystemConsoleBrownUniv1969.jpg|thumb|right|200px|[[Hypertext Editing System]] (HES) IBM 2250 ディスプレイ・コンソール – ブラウン大学、1969年]] '''ハイパーテキスト''' ('''hypertext''') とは、複数の[[文書]]([[テキスト]])を相互に関連付け、結び付ける仕組みである。「テキストを超える」という意味から"[[ハイパー|hyper]]-"(~を超えた) "text"(文書)と名付けられた。テキスト間を結びつける参照のことを[[ハイパーリンク]]と言う。 ハイパーテキストによる文書は静的(前もって準備され格納されている)または動的に(ユーザの入力に応じて)生成される。よって、うまく作られたハイパーテキストシステムは、[[メニュー (コンピュータ)|メニュー]]や[[キャラクターユーザインタフェース|コマンドライン]]などの、他の[[ユーザインタフェース]][[パラダイム]]の能力を包含しており、それらを置き換えることができる。クロスリファレンスを含む静的な文書群と、対話的な[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]の両方を実現するのに使える。文書やアプリケーションはローカルでも[[インターネット]]のような[[コンピュータネットワーク]]環境でも利用できる。最も有名なハイパーテキストの実装は[[World Wide Web]]である。ハイパーテキストが提供する、情報の関連性を辿る手段により、大量の文献を逐一調べることなく目的の情報に到達する事ができるようになった。 ハイパーテキストという語は広く使われているが、実際には[[ハイパーメディア]]と呼んだほうが適切な場合も多い。 == 歴史 == === 前史 === ハイパーテキストの前兆は、様々な種類の[[リファレンス]]([[辞書]]や[[百科事典]])で使われる単純なテクニックに見られる。用語に添えられた小さな文字でその用語についての(同じリファレンス内の)記事や項目を示すものである。用語の前に指差しの絵記号が {{small|☞このように}}、または[[矢印]]が {{small|➧このように}} 来ることもある。そのような手動のクロスリファレンスのほかにも、文書に注釈を組み込む様々な実験的手法があった。その最も有名な例は[[タルムード]]である。 ハイパーテキストの核心は、[[情報オーバーロード]]問題の扱いである。以下に述べる人物は皆、[[情報]]の中に人間性が埋もれてしまっているという認識を強く持っていた。意思決定者は誤った判断を繰り返し、[[科学者]]たちは研究を重複させることが、あまりにも多い。[[グレゴール・ヨハン・メンデル#研究成果の承認|メンデルの研究の再発見]]がその例である。 [[20世紀]]の初め、先見の明のある2人の人物がクロスリファレンスの問題に挑み、[[単純労働|労働]]集約的な[[力まかせ探索|力任せの方法]]に基づく提案をした。[[ポール・オトレ]]は、すべての文書は[[インデックスカード]]に記録された固有の語句に分解できるはずだという "Monographic Principle" に基づく、ハイパーテキストの元ともいえるコンセプトを提案した。1930年代、[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H・G・ウェルズ]]は書籍という線形な型には収まらない情報を蓄積する『[[世界の頭脳]]』の創設を提案した。しかしながら費用の理由から、どちらの提案も成功することはなかった。 === Memex === {{Main|Memex}} したがって、ハイパーテキストの真の歴史が始まったのは[[1945年]]ということになる。この年、[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]が ''The Atlantic Monthly''誌に ''[http://www.theatlantic.com/doc/194507/bush As We May Think]''(『人の思考のように』)という論文を書き、彼がMemexと呼んだ未来のデバイスについて述べた。Memexは機械式の机で、[[マイクロフィルム]]の拡張可能なアーカイブと接続されており、[[図書館]]から[[本]]や書き物などのどんな種類の文書でも表示することができ、さらにあるページから参照されているページへと参照を辿っていくことができる。彼の言う「全く新しい形の百科事典; Wholly new forms of encyclopedia」は今日の[[コンピュータ]]、[[インターネット]]を予見したものだといえる。 ほとんどの専門家はMemexを真のハイパーテキストシステムだとは考えていない。しかし、ハイパーテキストの歴史はMemexから始まった。なぜなら、''As We May Think'' は一般にハイパーテキストの発明者と称される2人のアメリカ人に直接の影響と着想を与えたからである。それは[[テッド・ネルソン]]と[[ダグラス・エンゲルバート]]である。 === 初期 === ネルソンは「ハイパーテキスト」と「ハイパーメディア」という語を[[1965年]]に作り、[[ブラウン大学]]の [[アンドリーズ・ヴァン・ダム]] の指導の下で[[1968年]]に[[Hypertext Editing System]]を開発した。 エンゲルバートは[[1962年]]に[[スタンフォード研究所]]で[[NLS]]システムの開発を始めた。しかし、資金や人材、設備の確保の遅れのため、その核となる機能が完成したのは[[1968年]]のことだった。その年、エンゲルバートはハイパーテキストインタフェース(と初の実用的な[[GUI]])のデモを公衆の前で初めておこなった。このデモはその革新性から「[[すべてのデモの母]](The Mother of All Demos)」と呼ばれる。 NLSへの財政的支援が鈍った[[1974年]]以降、ハイパーテキスト研究の進歩はほとんど停止した。この期間、[[カーネギーメロン大学]]で[[ZOG]]が[[人工知能]]の研究プロジェクトとして[[アレン・ニューウェル]]の指導の下、開始した。プロジェクトの参加者たちがそれをハイパーテキストシステムであると気づいたのは、かなり後になってからであった。ZOGは[[1980年]]に[[カール・ヴィンソン (空母)|CVN-70]]に配備され、後に[[ナレッジマネジメント]]システムとして商業化された。 === 様々なアプリケーション === [[1977年]]には初のハイパーメディアアプリケーションである[[アスペン・ムービー・マップ]]が登場した。 [[1980年代]]の初め、多くの実験的なハイパーテキストおよびハイパーメディアプログラムが現れ、それらの機能や概念の多くは後にウェブに取り込まれた。[[Guide]]は[[パーソナルコンピュータ]]用の初のハイパーテキストシステムであった。元々は[[UNIX]]向けに開発され、後に[[MS-DOS]]に移植された。 [[1987年]]8月、[[Apple|Apple Computer]]は[[ボストン]]で催された[[Macworld Conference & Expo]]で同社の[[Macintosh]]用に開発された[[HyperCard]]を披露した。HyperCardはすぐにヒットし、ハイパーテキストの概念を公衆に広めるのに一役買った。またこの年には初めてのハイパーテキストに特化した学術会議が[[ノースカロライナ州]][[チャペルヒル (ノースカロライナ州)|チャペルヒル]]で開催された。 その間、ネルソンは20年間以上に渡って彼の[[ザナドゥ計画|ザナドゥシステム]]について働き続け、それを擁護していた。HyperCardの商業的な成功を受け、[[オートデスク]]社は彼の革新的なアイデアに投資することを決断した。プロジェクトはオートデスク社で4年間続いたが、製品が発売されることはなかった。 === World Wide Web === {{Main|World Wide Web}} [[1980年]]、[[ティム・バーナーズ=リー]]は[[ENQUIRE]]を開発した。ENQUIREは初期のハイパーテキストデータベースシステムで、いくぶんか[[ウィキ]]に似たものだった。1980年代の終わり、当時[[欧州原子核研究機構|CERN]]に所属していたバーナーズ=リーは、世界中に分散する別々の大学や研究所で働いている研究者たちが自動的に情報を共有する、という要求に対してWorld Wide Webを開発した。 [[1993年]]の初め、[[イリノイ大学]]の[[米国立スーパーコンピュータ応用研究所|NCSA]]が[[NCSA Mosaic|Mosaic]]の最初のバージョンをリリースした。それ以前の[[ウェブブラウザ]]は、[[NEXTSTEP|NeXTSTEP]]上でしか動作しないものと最小の[[ユーザビリティ]]しか持たないものの2つしかなかった。Mosaicは研究者たちの間で人気のある[[X Window System]]上で動作し、[[ウィンドウ]]ベースの対話性を備えていた。Mosaicはハイパーリンクをテキストだけでなく画像からも張ることができ[http://1997.webhistory.org/www.lists/www-talk.1993q1/0260.html]、[[Gopher]]などの他のプロトコルも内蔵していた[http://1997.webhistory.org/www.lists/www-talk.1993q1/0261.html]。[[ウェブトラフィック]]は爆発的に増加し、1993年には500のウェブサーバしか知られていなかったのが、PCとMacintosh用のブラウザがリリースされた後の[[1994年]]には10,000以上にまでなった。 World Wide Webはそれ以前のハイパーテキストシステムを霞ませるほどの成功を収めたが、それらのシステムが持っていた多くの機能を欠いている。例えば、[[型付きリンク]]、[[トランスクルージョン]]、[[ソーストラッキング]]などである。 == 実装 == 前述したもの以外にも、取り上げる価値のあるハイパーテキスト実装がいくつかある。 * [[FRESS]]は、1970年代の、マルチユーザー対応のHypertext Editing System後継製品 * [[Information Presentation Facility]]は、[[IBM]]の[[オペレーティングシステム]]の[[オンラインヘルプ|ヘルプ]]を表示するのに使われた。 * [[Intermedia]]は、1980年代半ばの、グループウェブオーサリングおよび共有システム * [[Microsoft Word]]は、ページからコンピュータドキュメントへと志向が変わっていった。 * [[アドビ]]の[[Portable Document Format]]にもリンク機能がある。 * [[Texinfo]]は、[[GNU]]のヘルプシステム * [[FM TOWNS]]の[[TownsGEAR]] * [[BTRON]]もハイパーテキストシステムを持つ。 * 各種[[ウィキソフトウェア|ウィキ実装]]([[MediaWiki]]など)は多くのウェブブラウザに欠けている組み込みエディタを補っている。 * [[マイクロソフト]]の[[WinHelp]]、後に[[Microsoft Compiled HTML Help|HTMLヘルプ]]に置き換えられた。 * [[XLink]]つきの[[Extensible Markup Language|XML]] == 学術会議 == ハイパーテキストに関する学術会議の有名なものとして、毎年開催されている "[[Association for Computing Machinery|ACM]] Conference on Hypertext and Hypermedia" ([http://www.ht06.org/ HT 2006]) がある。 また、ハイパーテキストに限ったものではないが、[http://www.iw3c2.org/ IW3C2]がホストする一連のカンファレンスではハイパーテキストに関連する多くの発表がある。 == 参考資料 == {{No footnotes|date=2018年11月|section=1}} * {{cite book | last = Bolter | first = Jay David | title = Writing Space: Computers, Hypertext, and the Remediation of Print | location= New Jersey | publisher=Lawrence Erlbaum Associates | year = 2001 | id = ISBN 0-8058-2919-9 }} * {{cite journal | last = Byers | first = T. 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Wells’s Idea of a World Brain: A Critical Re-Assessment | journal=Journal of the American Society for Information Science | volume=50 | issue= | pages=557-579 | id= | url=http://people.lis.uiuc.edu/~wrayward/Wellss_Idea_of_World_Brain.htm | accessdate= }} == 関連項目 == * [[間テクスト性]] * [[オンライン小説]] * [[マルチメディア]] == 外部リンク == * [http://jp.selfhtml.org/intro/hypertext/index.htm SELFHTML 日本語版:はじめに/ハイパーテキスト] {{リンク切れ|date=2018年11月}} * [http://www.paper-boy.org/worktext/hypertex.htm From Work to Hypertext : Hypertext] {{en icon}} {{リンク切れ|date=2018年11月}} * [http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~saitotac/2003Gradu/chiba/History_of_Hyper_Text_Main.html HyperTextの歴史] {{ja icon}} {{リンク切れ|date=2018年11月}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:はいはてきすと}} [[Category:ハイパーテキスト|*]] [[Category:コンピュータのユーザインタフェース]] [[Category:インターネットの歴史]]
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DTM
DTM
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DTM ドイツを中心に行われるツーリングカーレース 1984-1996年はドイチェ・トゥーレンヴァーゲン・マイスターシャフト 2000年以降はドイチェ・トゥーレンヴァーゲン・マスターズ デスクトップミュージック 決定性チューリング機械 数値地形モデル - 数値標高モデルを参照。 二重作業モデル ドルトムント空港のIATA空港コード Driver Test Manager - Windowsロゴプログラムのテストをドライバで実行するためのコンポーネント。 Dynamic synchronous Transfer Mode - ダイナミック同期転送モード Devid Thomas McNaught - アメリカのギターメーカー
'''DTM''' * ドイツを中心に行われるツーリングカーレース **1984-1996年は[[旧ドイツツーリングカー選手権|ドイチェ・トゥーレンヴァーゲン・マイスターシャフト]] ('''D'''eutsche '''T'''ourenwagen '''M'''eisterschaft) **2000年以降は[[ドイツツーリングカー選手権|ドイチェ・トゥーレンヴァーゲン・マスターズ]] ('''D'''eutsche '''T'''ourenwagen '''M'''asters) * [[デスクトップミュージック]] ('''D'''esk'''T'''op '''M'''usic) * 決定性[[チューリング機械]] ('''D'''eterministic '''T'''uring '''M'''achine) * 数値地形モデル ('''D'''igital '''T'''errain '''M'''odel) - [[数値標高モデル]]を参照。 * 二重作業モデル ('''D'''ual '''T'''ask '''M'''odel) * [[ドルトムント空港]]の[[IATA空港コード]] * '''D'''river '''T'''est '''M'''anager - [[Microsoft Windows|Windows]]ロゴプログラムのテストをドライバで実行するためのコンポーネント。 * [[Dynamic synchronous Transfer Mode|'''D'''ynamic synchronous '''T'''ransfer '''M'''ode]] - ダイナミック同期転送モード * '''D'''evid '''T'''homas '''M'''cNaught - アメリカのギターメーカー {{aimai}}
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シェアウェア
シェアウェア(Shareware)とは、ソフトウェアのライセンス形態の一種。また、そのようなライセンス形態を採用するソフトウェア。ソフトウェアの一時的な試用は無料であるが、継続的な使用に対しては対価を要求する。 シェアウェアの呼び名は「使用者と開発費を分担する」という意味から。「使用者間でソフトウェアを共有する」あるいは「使用者と共に開発する」という意味はない。よって、費用負担・分担を促す為に機能制限を行う事が多い。 シェアウェアは個人開発の趣味や副業の為の簡易的なライセンス形態と思われがちだが、企業によって採用される例も多く、近年では産業化の進展によって、企業開発の方が多くなっている。 シェアウェアが始まったのは1980年代前半のアメリカ合衆国である。世界初のシェアウェア作者は、アンドリュー・フリューゲルマン (Andrew Fluegelman) やジム・クノップ (Jim Knopf) とされる。フリーウェアと明確に区別されるようになったのは、1984年の「Softalk-PC」誌の読者投票からである。アメリカではシェアウェア・プロフェッショナル協会が作られ、シェアウェアの流通やルール整備による産業の保護が行われた。日本では1990年代後半に大きな盛り上がりを見せた。 シェアウェアが始まったのは1980年代前半である。世界初のシェアウェア作者は、アンドリュー・フリューゲルマンやジム・クノップとされる。フリューゲルマンは「フリーウェア」という言葉を造語した人物として知られている。しかし、実際にはフリーウェアではなく、現在でいう所のシェアウェアとしてソフトウェアを配布した。 1981年、フリューゲルマンは通信ソフト「PC-Talk」を開発。ソフトウェアを気に入り継続使用する場合は 25 $ 寄付するよう求めた。ほぼ同時期にクノップもデータベースソフトウェア「Easy-File」を開発。開発費の分担の為、メーリングリストへの参加と引き換えに 10 $ の寄付を願った。1982年、フリューゲルマンとクノップは連絡を取り合い、意気投合した。寄付の値段を 25 $ とすること。ドキュメントに互いのプログラムを紹介すること。「Easy-File」を「PC-File」に改称することを取り決め、この形態を普及させようとした。フリューゲルマンは「フリーウェア」 (Freeware) と言う商標登録も行った。 そのためか、当時はシェアウェアとフリーウェアとを区別することは無く、一括してフリーウェアと呼ばれる事が多かった。 シェアウェアという言葉を初めて使ったのは、ジェイ・ルーカス (Jay Lucas) である。1983年、InfoWorld誌のライターだったルーカスは、担当するコラムでシェアウェアを「無料かわずかの金額で提供されるソフトウェア」と説明した。 同年、ボブ・ウォレス (Bob Wallace) は InfoWorld 誌を参考に、世界で初めてシェアウェアと銘打ってソフトウェアを配布した。ワードプロセッサ「PC-Write」は寄付金の一部を紹介料としてユーザーに還元する独特のライセンス形態をとっており、売り上げを共有するという意味が込められていた。 シェアウェアという概念が明確化し、フリーウェアと区別されるようになったのは、1984年の「Softalk-PC」誌の読者投票からである。 1984年、ネルソン・フォード (Nelson Ford) は Softalk-PC 誌で「利用者が気に入った場合のみに料金を支払うソフトウェア」を紹介しようとしていた。しかし、名称に困った。フリーウェアの商標はフリューゲルマンが保有していた。また、フリーウェアは適切な名称とはいえなかった。「無料」を連想し、無料のサポートや著作権の放棄と誤解された。 フォードは Softalk-PC 誌上でコンテストを開催し、名称を広く募った。優勝したのは「シェアウェア」だった。「使用者が開発費を負担するソフトウェア」という意味が込められていた。フォードは PsL (Public Software Library) 社を設立。シェアウェアをフロッピーディスクに入れて通信販売を行う、シェアウェア・ディスクベンダとして成功を収めた。またシェアウェア・プロフェッショナル協会 (Association of Shareware Professionals) の設立に関わった。品質についてのルール整備などを行い、シェアウェア産業の保護に努めた。それと共にシェアウェアという名称も一般に広まった。 1990年代前半になると、Microsoft Office のようなメーカー製の低価格ビジネスソフトが発売され、ワードプロセッサのようなシェアウェアの人気は落ち込んだ。一方、WinZip のようなユーティリティソフトや Apogee Software 社の DOOM のようなゲームソフトは人気を博した。DOOM は一部シナリオを無料試用させるシェアウェア方式を採用した。 日本では1980年代中盤からパソコン通信によって広まった。アメリカと異なり、シェアウェアの産業化は遅れた。シェアウェアはフリーソフト(和製英語)と区別されず、使ってみて気に入ったら送金する。料金を払える人が払うという感覚が続いた。その後、インターネットが普及すると、ダウンロード販売を手軽に行えるようになった。人気ソフトウェアは本格的な商売を目指すようになった。 1990年代後半、秀丸エディタや AL-Mail 、Becky! Internet Mail などが定番として使用された。また窓の杜やベクターが開設され、ブロードバンド環境の無いユーザー向けに『PACK for WIN』のような書籍も販売された。nifty には「シェアウェア作家協会」のような使用者組織が開設され盛り上がった。 その後、シェアウェアが補完していた機能を大企業やオープンソース・コミュニティが無償・安価に提供し始めた。Netscape Navigator のようなウェブブラウザはオペレーティングシステムに取り込まれた。Netscape Navigator はオープンソースによって Mozilla Firefox に生まれ変わり、無料で提供された。Google が Gmail を広告モデルで提供した。ソースネクストが低価格ソフトを販売するようになった。ブロードバンド環境が普及し、大型ソフトウェアのダウンロードが容易になった。2000年代前半、個人開発のシェアウェア市場は飽和した。 2006年、ベクターは個人開発のシェアウェアの販売が減少したと発表した。シェアウェア開発は個人の趣味や副業から法人へと移っていった。 シェアウェアには、機能制限が施されない物があり、対価の支払いが任意の物もある。これらはドネーションウェアと呼ばれる場合もある。 一方、対価が支払われるまで機能制限が施されるものがある。機能制限の程度は様々で、通常使用には遜色のない程度の制限もあれば、利便性が皆無の体験版もある。制限解除によって、全く異なるバージョンの製品として動作するものはキーウェアと呼ばれる。試用の期間制限を設けている場合もある。 よくある機能制限には、次のようなものがある。 制限の解除方法にはパスワードが多く用いられ、解除方法の通知には電子メールが多く用いられる。制限の解除方法が使用者に見破られたり、パスワードが流通してしまう場合があり、こうした不正な制限解除のことをクラッキング (cracking, kracking) と呼び、不正な制限解除が施されたソフトウェアのことを Warez(ウェアーズ、割れ)と呼ぶ。 配布には主にインターネットやパソコン通信などのネットワークが用いられる。二次配布が許諾されている場合には、雑誌付録やオンラインソフトウェア集などの媒体への収録や、個人間の複製配布が行われる。 趣味として作られたシェアウェアの場合、対価が任意であったり、金銭の代わりに絵葉書を求めるポストカードウェアや電子メールを求めるメールウェアがある。また金銭を求める場合でも、図書券やビール券などの金券での支払いを受け付けているものもある。 副業や企業のシェアウェアの場合は、現金やクレジットカード、振込などでの支払いを求められる。ただし、商用利用や教育目的などの条件によって変わるものもある。 仲介業者も存在する。ベクターや iREGi 、Kagi などである。仲介業者の利点は決済方法の充実や決済の手間の軽減、クレジットカードなどの信用情報を直接相手方に通知しないことによる信頼性の向上などである。 ユーザサポート、バグ修正、互換性の維持などのアフターサポートをどの程度行うかは、製品に添付されるライセンスによって、作者が自由に設定することが出来る。有料にもかかわらず、全くアフターサポートを行わないという事も出来る。 これらの負担の重さや、対価・感想の不足、競合ソフトウェアの台頭、不正コピーの流通、個人的な多忙などから、サービスの維持をあきらめて公開停止に至ったり、改めてフリーウェアとして公開されるものも存在する。
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シェアウェア(Shareware)とは、ソフトウェアのライセンス形態の一種。また、そのようなライセンス形態を採用するソフトウェア。ソフトウェアの一時的な試用は無料であるが、継続的な使用に対しては対価を要求する。
'''シェアウェア'''({{lang|en|Shareware}})とは、ソフトウェアの[[ライセンス]]形態の一種。また、そのようなライセンス形態を採用するソフトウェア。ソフトウェアの一時的な[[試用版|試用]]は無料であるが、継続的な使用に対しては対価を要求する。 == 概要 == シェアウェアの呼び名は「使用者と開発費を分担する」という意味から。「使用者間でソフトウェアを共有する」あるいは「使用者と共に開発する」という意味はない。よって、費用負担・分担を促す為に機能制限を行う事が多い。 シェアウェアは個人開発の趣味や副業の為の簡易的なライセンス形態と思われがちだが、企業によって採用される例も多く、近年では産業化の進展によって、企業開発の方が多くなっている。 シェアウェアが始まったのは1980年代前半の[[アメリカ合衆国]]である。世界初のシェアウェア作者は、[[アンドリュー・フリューゲルマン]] ([[:en:Andrew Fluegelman|Andrew Fluegelman]]) や[[ジム・クノップ]] ([[:en:Jim Knopf|Jim Knopf]]) とされる。フリーウェアと明確に区別されるようになったのは、1984年の「Softalk-PC」誌の読者投票からである。アメリカではシェアウェア・プロフェッショナル協会が作られ、シェアウェアの流通やルール整備による産業の保護が行われた。日本では1990年代後半に大きな盛り上がりを見せた。 == 歴史 == === アメリカ合衆国 === シェアウェアが始まったのは1980年代前半である。世界初のシェアウェア作者は、[[アンドリュー・フリューゲルマン]]や[[ジム・クノップ]]とされる。フリューゲルマンは「[[フリーウェア]]」という言葉を造語した人物として知られている。しかし、実際にはフリーウェアではなく、現在でいう所のシェアウェアとしてソフトウェアを配布した。 [[1981年]]、フリューゲルマンは通信ソフト「PC-Talk」を開発。ソフトウェアを気に入り継続使用する場合は 25 $ 寄付するよう求めた。ほぼ同時期にクノップもデータベースソフトウェア「Easy-File」を開発。開発費の分担の為、メーリングリストへの参加と引き換えに 10 $ の寄付を願った。[[1982年]]、フリューゲルマンとクノップは連絡を取り合い、意気投合した。寄付の値段を 25 $ とすること。ドキュメントに互いのプログラムを紹介すること。「Easy-File」を「PC-File」に改称することを取り決め、この形態を普及させようとした。フリューゲルマンは「フリーウェア」 (Freeware) と言う商標登録も行った。 そのためか、当時はシェアウェアとフリーウェアとを区別することは無く、一括してフリーウェアと呼ばれる事が多かった。 シェアウェアという言葉を初めて使ったのは、ジェイ・ルーカス (Jay Lucas) である<ref>{{cite news | author = JOHN MARKOFF | url = http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9805E1D61039F935A1575AC0A9649C8B63&fta=y | title = Bob Wallace, 53, Software Pioneer, Dies | date = 2002-9-26 | publisher = NewYork Times }}</ref>。[[1983年]]、[[:en:InfoWorld|InfoWorld誌]]のライターだったルーカスは、担当するコラムでシェアウェアを「無料かわずかの金額で提供されるソフトウェア」と説明した<ref>{{Cite web|和書 | url = https://books.google.co.jp/books?id=4S8EAAAAMBAJ&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_v2_summary_r&redir_esc=y#v=onepage&q=shareware&f=false | title = InfoWorld 1983年5月30日号 | date = 1983-5-30 |accessdate=2009年12月21日 }}</ref>。 同年、[[ボブ・ウォレス]] ([[:en:Bob Wallace|Bob Wallace]]) は InfoWorld 誌を参考に、世界で初めてシェアウェアと銘打ってソフトウェアを配布した。ワードプロセッサ「PC-Write」は寄付金の一部を紹介料としてユーザーに還元する独特のライセンス形態をとっており、売り上げを共有するという意味が込められていた。 シェアウェアという概念が明確化し、フリーウェアと区別されるようになったのは、[[1984年]]の「Softalk-PC」誌の読者投票からである。 1984年、[[ネルソン・フォード]] ([[:en:Nelson Ford|Nelson Ford]]) は Softalk-PC 誌で「利用者が気に入った場合のみに料金を支払うソフトウェア」を紹介しようとしていた。しかし、名称に困った。フリーウェアの商標はフリューゲルマンが保有していた。また、フリーウェアは適切な名称とはいえなかった。「無料」を連想し、無料のサポートや著作権の放棄と誤解された。 フォードは Softalk-PC 誌上でコンテストを開催し、名称を広く募った<ref name="psl">{{Cite web|和書 | url = http://www.shareedge.com/modules/articles/index.php?op=viewarticle&artid=21 | title = シェアウェアの歴史 Psl創始者Nelson Fordの目を通して | date = 2000年 |accessdate=2009年12月20日 }}</ref>。優勝したのは「シェアウェア」だった。「使用者が開発費を負担するソフトウェア」という意味が込められていた。フォードは PsL (Public Software Library) 社を設立。シェアウェアを[[フロッピーディスク]]に入れて通信販売を行う、シェアウェア・ディスクベンダとして成功を収めた。また[[シェアウェア・プロフェッショナル協会]] ([[:en:Association of Shareware Professionals|Association of Shareware Professionals]]) の設立に関わった。品質についてのルール整備などを行い、シェアウェア産業の保護に努めた<ref name="psl" />。それと共にシェアウェアという名称も一般に広まった。 1990年代前半になると、[[Microsoft Office]] のようなメーカー製の低価格ビジネスソフトが発売され、ワードプロセッサのようなシェアウェアの人気は落ち込んだ。一方、[[WinZip]] のようなユーティリティソフトや Apogee Software 社の [[DOOM]] のようなゲームソフトは人気を博した。DOOM は一部シナリオを無料試用させるシェアウェア方式を採用した<ref name="psl" />。 === 日本 === {{See also|フリーウェア#日本における状況|オンラインソフトウェア}} 日本では1980年代中盤から[[パソコン通信]]によって広まった。アメリカと異なり、シェアウェアの産業化は遅れた。シェアウェアはフリーソフト(和製英語)と区別されず、使ってみて気に入ったら送金する。料金を払える人が払うという感覚が続いた<ref name="opensource">『オープンソースがビジネスになる理由』。P63</ref>。その後、[[インターネット]]が普及すると、ダウンロード販売を手軽に行えるようになった。人気ソフトウェアは本格的な商売を目指すようになった<ref name="opensource" />。 1990年代後半、[[秀丸エディタ]]や [[AL-Mail]] 、[[Becky! Internet Mail]] などが定番として使用された。また[[窓の杜]]や[[ベクター (企業)|ベクター]]が開設され、[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]環境の無いユーザー向けに『PACK for WIN』のような書籍も販売された。nifty には「シェアウェア作家協会」のような使用者組織が開設され盛り上がった。 その後、シェアウェアが補完していた機能を大企業やオープンソース・コミュニティが無償・安価に提供し始めた。[[Netscape Navigator (ネットスケープコミュニケーションズ)|Netscape Navigator]] のような[[ウェブブラウザ]]は[[オペレーティングシステム]]に取り込まれた。Netscape Navigator は[[オープンソース]]によって [[Mozilla Firefox]] に生まれ変わり、無料で提供された。[[Google]] が [[Gmail]] を[[広告モデル]]で提供した。[[ソースネクスト]]が低価格ソフトを販売するようになった。ブロードバンド環境が普及し、大型ソフトウェアのダウンロードが容易になった。2000年代前半、個人開発のシェアウェア市場は飽和した<ref>{{Cite web|和書 | author = Vector | url = http://www.vector.co.jp/ir/financial/settle_2003_al.html | title = 決算短信 2003年3月期通期 |accessdate=2009年12月20日 }}</ref>。 [[2006年]]、ベクターは個人開発のシェアウェアの販売が減少したと発表した<ref>{{Cite web|和書 | author = ITmedia | url = https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0604/28/news103.html | title = 個人開発シェアウェアの販売が減少傾向──ベクター | date = 2006-4-28 |accessdate=2009年12月20日 }}</ref>。シェアウェア開発は個人の趣味や副業から法人へと移っていった。 == 機能制限 == シェアウェアには、機能制限が施されない物があり、対価の支払いが任意の物もある。これらは[[ドネーションウェア]]と呼ばれる場合もある。 一方、対価が支払われるまで機能制限が施されるものがある。機能制限の程度は様々で、通常使用には遜色のない程度の制限もあれば、利便性が皆無の[[体験版]]もある。制限解除によって、全く異なるバージョンの製品として動作するものは[[キーウェア]]と呼ばれる。試用の期間制限を設けている場合もある。 よくある機能制限には、次のようなものがある。 * 保存や[[印刷]]などのデータ[[出力]]が出来ない。 * 表示や印刷などの生成物に[[透かし]]文字などを強制的に上書き。 * 一定の使用期間または起動回数を超えると使用不能。 * 一部の利便性の高い機能が使用不能。 * 未払いである旨のメッセージを表示し、待ち時間を要求。 制限の解除方法には[[パスワード]]が多く用いられ、解除方法の通知には[[電子メール]]が多く用いられる。制限の解除方法が使用者に見破られたり、パスワードが流通してしまう場合があり、こうした不正な制限解除のことを[[クラッキング (コンピュータ)|クラッキング]] (cracking, '''k'''racking<ref>Glazheim Lykeion "[http://ruffnex.oc.to/defolos/text1/hack/hack1.html Outline of the Hacking]" 2005年3月10日</ref>) と呼び、不正な制限解除が施されたソフトウェアのことを [[Warez]](ウェアーズ、割れ)と呼ぶ。 == 配布 == 配布には主に[[インターネット]]や[[パソコン通信]]などの[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]が用いられる。二次配布が許諾されている場合には、雑誌付録や[[オンラインソフトウェア]]集などの[[電子媒体|媒体]]への収録や、個人間の複製配布が行われる。 == 決済 == 趣味として作られたシェアウェアの場合、対価が任意であったり、金銭の代わりに[[絵葉書]]を求める[[ポストカードウェア]]や電子メールを求める[[メールウェア]]がある。また金銭を求める場合でも、[[図書券]]や[[ビール券]]などの[[金券]]での支払いを受け付けているものもある。 副業や企業のシェアウェアの場合は、[[現金]]や[[クレジットカード]]、[[振込]]などでの支払いを求められる。ただし、商用利用や教育目的などの条件によって変わるものもある。 仲介業者も存在する。[[ベクター (企業)|ベクター]]や [[iREGi]] 、[[Kagi]] などである。仲介業者の利点は決済方法の充実や決済の手間の軽減、クレジットカードなどの[[信用情報]]を直接相手方に通知しないことによる信頼性の向上などである。 == アフターサポート == ユーザサポート、[[バグ]]修正、互換性の維持などのアフターサポートをどの程度行うかは、製品に添付されるライセンスによって、作者が自由に設定することが出来る。有料にもかかわらず、全くアフターサポートを行わないという事も出来る<ref name="opensource" />。 これらの負担の重さや、対価・感想の不足、競合ソフトウェアの台頭、[[海賊版#コンピュータソフトウェア|不正コピー]]の流通、個人的な多忙などから、サービスの維持をあきらめて公開停止に至ったり、改めてフリーウェアとして公開されるものも存在する{{要出典|date=2017年8月}}。 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == * {{Cite book|和書 | author = 米持 幸寿 | year = 2003 | title = オープンソースがビジネスになる理由 | publisher = 日経BP社 | isbn = 978-4822221058 }} == 関連項目 == * [[超流通]] ==外部リンク== *[http://paulspicks.com/history.asp Paul'Pick Shareware Library History of Shareware] *[http://www.islandnet.com/~kpolsson/compsoft/soft1983.htm Chronology of Personal Computer Software] *[http://www.asp-shareware.org/users/history-of-shareware.asp The History of Shareware] *[http://www.jsaa.kikakuya.com/ シェアウェア作家協会] {{Software distribution}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しえあうえあ}} [[Category:ソフトウェアの分類]] [[Category:ソフトウェア]]
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ジョージ・ルーカス
ジョージ・ウォルトン・ルーカス・ジュニア(George Walton Lucas, Jr.、1944年5月14日 - )は、アメリカの映画製作者。カリフォルニア州モデスト出身。『スター・ウォーズ』や『インディ・ジョーンズ』などの世界的に大ヒットしたシリーズの製作者で知られている。スティーヴン・スピルバーグ、ジェームズ・キャメロンと並んで、最も商業的に成功した映画作家の一人でもある。アメリカ合衆国で発行されているフォーブス誌が発表した『アメリカで最も裕福なセレブリティ』にてトップに選ばれた著名人でもある。 カリフォルニア州モデストに生まれる。少年時代は、テレビで放映されたかつての映画の「連続活劇」やコミックブックに熱中して過ごす。高校時代は、カー・レースに熱中した(この時代の経験が、後に『アメリカン・グラフィティ』に描かれた)。1962年、高校卒業の直前に自動車事故に遭うが、奇跡的に死を逃れ、自分の人生を考え直す。 1960年代の間、フィルムに関する専門学科を早くから設けたロサンゼルスの南カリフォルニア大学(USC)で映画の勉強をした。そこで彼はたくさんの短編を制作し、特にその中の一つ、『電子的迷宮/THX 1138 4EB』は数々の賞を受ける。この時代の仲間に、ジョン・ミリアスやダン・オバノン、ハワード・カザンジアン、ハル・バーウッド、マシュー・ロビンズなどがいた。 卒業後、ワーナーのスタジオでの研修中、『フィニアンの虹』を撮影中のフランシス・フォード・コッポラと出会って意気投合し、ハリウッドのシステムに強制されることのない映画制作者のための環境を作ることを目指して、コッポラが設立したアメリカン・ゾエトロープ社の副社長に就任。そして、ゾエトロープの第一作『THX 1138』(『電子的迷宮/THX 1138 4EB』の長編映画化作品)で初監督を務めることになる。その後、ルーカスは自らの映画制作会社ルーカスフィルムを設立し、制作・監督した『アメリカン・グラフィティ』(『ゴッドファーザー』で一流監督の仲間入りをしていたコッポラを、プロデューサーとして迎え入れる)が大ヒットし、ルーカスは一躍有名になる。そして、映画会社の20世紀フォックスに企画を自ら持ち込んで『スター・ウォーズ』の制作を始めるが、コッポラが自分の企画に介入することを阻止するために、温めてきた『地獄の黙示録』をノンクレジットで渡してしまう。その代わり、『スター・ウォーズ』をコッポラの影響なしに制作することが出来た。 『スター・ウォーズ』製作時、監督としての収入は、当時の日本円にして約5,000万円であった。20世紀FOXが監督料の上乗せをしようとしたが、ルーカスはこれを受け取らない代わりにマーチャンダイジングの権利を20世紀FOXに要求し、結果、莫大な収入を得る。この収益は、『スター・ウォーズ』全6作(特別篇、ビデオ、DVD収入を含む)よりも遥かに上回る結果となった。 その『スター・ウォーズ』公開時、興行的失敗の知らせを聞きたくなかったために、電話のないオーストラリアのホテルに潜んでいた(「映画が成功した」と伝えたのは同じくオーストラリアにいたスピルバーグ)。 初めは、監督より編集者として活躍していただけに、早くからフィルムをカットしていく従来の方法ではなく、ビデオを利用した電子編集を導入したり、世界最初のノンリニア編集システム「editdroid」の開発をも支援した。 『スター・ウォーズ』第1作で既にドルビー・ステレオを導入していたルーカスは、映画館の音響設備が整備されていなかった高水準の音響設備や上映環境を整えるため、THXプログラムを1980年代に立ち上げた。これは音響機器の特性から残響・遮音といった上映施設の環境に至るまで厳しい基準を設定し、ルーカスフィルム傘下で高品質の音響製作を行うスカイウォーカー・サウンドの音が、そのまま映画館でも再生出来るよう意図したものである。さらに、映写システム調整用のテスト素材TAPの供給も開始。これによって、上映環境が画も音も改善され、ドルビーのサラウンドシステムの進歩も促した。THXでは上映フィルムの品質管理も行うようになり、レーザーディスクやDVD、Blu-ray Discなど、家庭用ソフトウェアでもTHX認定を受ける製品がある。映画上映の環境改善、ビデオや音響システムのデジタル化に伴った製作から家庭までの再生環境の向上に、ルーカスとTHXは絶大な影響を与えた。 『スター・ウォーズ』新3部作では、まず扮装したスタッフに構想した場面を演じさせ、視覚効果と合成した時の仕上がりや各場面の尺、編集のタイミングを見通した上で俳優を起用した撮影に入る、という「撮影前に編集する」プロセスを採用。さらに、その時の映像を撮影前に俳優に観せる事により、後でCGをはめ込むため、撮影中は周りの風景が見えないブルースクリーンの中でも、より演技しやすい環境を作った。 『スター・ウォーズ』第1作のために、ルーカスフィルム傘下に立ち上げたSFXスタジオ、インダストリアル・ライト&マジック(ILM)に、1980年代初頭にCG部門を開設してピクサーの母体を作り、逸早くHD24Pを導入し配給の経費削減にも貢献するデジタルシネマ構想など、映画製作のデジタル化推進の急先鋒であるにもかかわらず、当の本人は至ってアナログ派で『スター・ウォーズ』新3部作の脚本も、バインダー式ノートに鉛筆で書かれている。 映画賞にはそれほど縁のないルーカスではあるが、1991年には長年の功績を称えられ、アカデミー賞のアービング・G・タルバーグ賞を受賞した。2007年の第79回アカデミー賞授賞式で(過去に監督賞を受賞した)スピルバーグ、コッポラと並んでセルフ・パロディとも言うべき掛け合いを披露した。 製作総指揮を手掛けた作品は多いが、監督作とは対照的にそのほとんどは評価が低く、『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』はその最たる物である。また、監督としての作品も6作品と多くはない(うち4作が『スター・ウォーズ』)。理由の一つに、1977年の『スター・ウォーズ』製作時のストレスが甚大で、内気な性格の上に糖尿病を患っていたルーカスには肉体的負担が強かった事が挙げられる。ルーカスが思い描く「世界観」が誰にも理解出来ず、監督業から編集作業まで総てを手がけなければならないという激務もあって、実際、撮影中に二度入院している。そのため、同作のエピソード5・エピソード6では製作総指揮に回り、次の監督作であるエピソード1まで22年間の空白が出来る事になった。 2012年、1988年から企画を進めていた第二次世界大戦時に空軍に参加した黒人パイロットの物語『レッド・テイルズ』が公開された。ルーカスは同作を最後に「映画製作からも、会社からも身を引くつもりでいる」と引退を示唆した。ただし映画製作に全く関わらないというわけではなく、ルーカスフィルムから離れ、ハリウッドの大作ではなく『THX-1138』のような低予算で実験性の高い作品を作っていくつもりだと話している。 2012年10月30日、ウォルト・ディズニー・カンパニー(ウォルト・ディズニー・スタジオ)がルーカスフィルムを40億5000万ドル相当で買収したが、ルーカスフィルムはルーカスが完全に所有していたため、売却益のほぼすべてを手にすることになる。その利益の大半を慈善事業に寄付する意志を表明している。また、資産の半分をいずれ寄付することを宣言するギビング・プレッジに参加している。 これ以降に新規製作された『スター・ウォーズ』作品では、ルーカスはキャラクター原作者としてのクレジットのみで、製作に直接関与していない。ただし、製作メンバーへの助言や撮影現場への訪問など間接的な関わりは継続しているほか、2020年公開のアニメ『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』シーズン7では、ディズニー買収後の新規作品で唯一、製作総指揮として携わっている。 1994年の映画『ビバリーヒルズ・コップ3』、2005年の映画『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』ではカメオ出演している。 2015年、ディズニー・レジェンドを受賞。 2020年5月4日、カリフォルニア州ロサンゼルスのエクスポジション・パークに自身の博物館となる「ルーカス・ミュージアム・オブ・ナラティブ・アート」をオープンした。 映画の制作で得た利益のほとんどをルーカスフィルムに費やして、自身の生活は質素である。マリンカウンティのハンバーガー店でハンバーガーを食べている姿を良く見かけられている。なお、ルーカスフィルムがあるスカイウォーカーランチでは、ブドウを栽培しており、このブドウは収穫されコッポラの経営するニバウム・コッポラ・ワイナリーでワインとして販売され、高値で取引されている。 子供の頃からSFマニア。また、かつての映画での「連続活劇」のファンでもあり、インタビューにおいて『インディ・ジョーンズ』や『スター・ウォーズ』の演出には連続活劇の手法を用いていると語っている。 尊敬する映画監督は、特撮映画の巨匠レイ・ハリーハウゼンと黒澤明で、レイ・ハリーハウゼンについては「僕達のほとんどが子供の頃から彼(ハリーハウゼン)の影響を受けてきた。その存在なくして『スター・ウォーズ』は生まれなかった。」と影響の大きさを語っている。黒澤に対しては、『影武者』にて国際版の製作総指揮という立場で黒澤を支援し、1990年の第62回アカデミー賞授賞式では、スピルバーグと共に黒澤にアカデミー名誉賞のオスカー像を贈った。黒澤の影響からルーカスの作品には随所に日本文化の影響が表れている。 神話にも造詣深く、特に大きな影響を受けたと公言しているのがジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』(The Hero with a Thousand Faces)であり、「彼の本に出会っていなければ、私は未だにスター・ウォーズ・シリーズの脚本執筆に追われていただろう」と1984年のインタビューで語っている。その他にエドガー・ライス・バローズ、E・E・スミス、フランク・ハーバートなどのSF作品、グリム童話、C・S・ルイス、J・R・R・トールキン、カルロス・カスタネダから影響を受けたという。 スティーヴン・スピルバーグとは、映画界における昔からの戦友である。スピルバーグは『未知との遭遇』公開直後から同時期に公開された『スター・ウォーズ』の大ファンであった。『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ エピソード3』では、スピルバーグがアシスタント・ディレクターに就いた。ポーランドで『シンドラーのリスト』を撮影していたスピルバーグに代わって『ジュラシック・パーク』のCGの仕上げや編集などのポストプロダクションを統括したのもルーカスで、『E.T.』のハロウィーンのシーンでヨーダが登場、『スター・ウォーズ エピソード1』ではエキストラとしてE.T.が登場し、『未知との遭遇』にはR2-D2が登場していたりもする。 1981年に全米監督協会、全米脚本家組合、映画芸術科学アカデミーから脱退している。引き金となったのは『帝国の逆襲』の完成後、ルーカスはオープニング・クレジットの省略に関して各協会の許可を取っていなかったこと、自身の名前だけクレジットさせたこと(だが、それはルーカスフィルム・リミテッドという社名であった)から罰金を支払わされたことにある。 日本では、1987年頃から1990年にかけてテレビで放映された、パナソニックから当時発売されていた「パナカラーイクス」 や「HI-Fiマックロード」などのCMに登場していたことでも知られる。この時の繋がりが、東京ディズニーランド並びに東京ディズニーシー内のアトラクション、「スターツアーズ」や「インディー・ジョーンズ・アドベンチャー 〜クリスタルスカルの魔宮〜」など、アトラクションスポンサーとしての結び付きに繋がってもいる。 長年補佐役を務めるリック・マッカラムはルーカスについて「編集などフィルムを相手にする時は楽しげだが、人間が相手の場合はそれほどではない」と人付き合いを苦手とする一面を語っている。マシ・オカ曰く、性格はかなり人見知りすると言う。「演技指導はスタッフに耳打ちして役者に伝えさせている」とも言っているが、しっかりと自身の言葉で演技指導している。ルーカスの会社であるILMにマシは勤めているが、その社則には「ルーカス氏にサインを求めたらクビ」、「ルーカス氏と5秒以上目を合わせたら石になれ」などの変な規則があると言うが、前述のようにかなり誇張されている。スタッフ会議や演技指導の際には、皆がルーカスに目を合わせている。ただし、キャリー・フィッシャーやユアン・マクレガーによると、「演技指導の際に具体的な説明があまり無かった」と言い、「イメージははっきりしているが上手く説明出来ない」と、「ルーカス自身がマクレガーに話していた」と語っている。 自身のSF大作に無名の役者をキャスティングすることが多かったと言われる。
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22, "tag": "p", "text": "スティーヴン・スピルバーグとは、映画界における昔からの戦友である。スピルバーグは『未知との遭遇』公開直後から同時期に公開された『スター・ウォーズ』の大ファンであった。『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ エピソード3』では、スピルバーグがアシスタント・ディレクターに就いた。ポーランドで『シンドラーのリスト』を撮影していたスピルバーグに代わって『ジュラシック・パーク』のCGの仕上げや編集などのポストプロダクションを統括したのもルーカスで、『E.T.』のハロウィーンのシーンでヨーダが登場、『スター・ウォーズ エピソード1』ではエキストラとしてE.T.が登場し、『未知との遭遇』にはR2-D2が登場していたりもする。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1981年に全米監督協会、全米脚本家組合、映画芸術科学アカデミーから脱退している。引き金となったのは『帝国の逆襲』の完成後、ルーカスはオープニング・クレジットの省略に関して各協会の許可を取っていなかったこと、自身の名前だけクレジットさせたこと(だが、それはルーカスフィルム・リミテッドという社名であった)から罰金を支払わされたことにある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "日本では、1987年頃から1990年にかけてテレビで放映された、パナソニックから当時発売されていた「パナカラーイクス」 や「HI-Fiマックロード」などのCMに登場していたことでも知られる。この時の繋がりが、東京ディズニーランド並びに東京ディズニーシー内のアトラクション、「スターツアーズ」や「インディー・ジョーンズ・アドベンチャー 〜クリスタルスカルの魔宮〜」など、アトラクションスポンサーとしての結び付きに繋がってもいる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "長年補佐役を務めるリック・マッカラムはルーカスについて「編集などフィルムを相手にする時は楽しげだが、人間が相手の場合はそれほどではない」と人付き合いを苦手とする一面を語っている。マシ・オカ曰く、性格はかなり人見知りすると言う。「演技指導はスタッフに耳打ちして役者に伝えさせている」とも言っているが、しっかりと自身の言葉で演技指導している。ルーカスの会社であるILMにマシは勤めているが、その社則には「ルーカス氏にサインを求めたらクビ」、「ルーカス氏と5秒以上目を合わせたら石になれ」などの変な規則があると言うが、前述のようにかなり誇張されている。スタッフ会議や演技指導の際には、皆がルーカスに目を合わせている。ただし、キャリー・フィッシャーやユアン・マクレガーによると、「演技指導の際に具体的な説明があまり無かった」と言い、「イメージははっきりしているが上手く説明出来ない」と、「ルーカス自身がマクレガーに話していた」と語っている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "自身のSF大作に無名の役者をキャスティングすることが多かったと言われる。", "title": "人物" } ]
ジョージ・ウォルトン・ルーカス・ジュニアは、アメリカの映画製作者。カリフォルニア州モデスト出身。『スター・ウォーズ』や『インディ・ジョーンズ』などの世界的に大ヒットしたシリーズの製作者で知られている。スティーヴン・スピルバーグ、ジェームズ・キャメロンと並んで、最も商業的に成功した映画作家の一人でもある。アメリカ合衆国で発行されているフォーブス誌が発表した『アメリカで最も裕福なセレブリティ』にてトップに選ばれた著名人でもある。
{{ActorActress | 芸名 = George Lucas | ふりがな = ジョージ・ルーカス | 画像ファイル = George Lucas cropped 2009.jpg | 画像サイズ = 230 | 画像コメント = 2009年 | 本名 = George Walton Lucas Jr.<ref>{{cite book|last=White|first=Dana|title=George Lucas|publisher=[[Twenty-First Century Books]]|date=2000|page=12|isbn=0822549751}}</ref> | 別名義 = | 出生地 = {{USA}}<br>[[カリフォルニア州]][[モデスト]] | 出身地 = {{USA}}<br>カリフォルニア州 モデスト | 死没地 = | 国籍 = {{USA}} | 民族 = [[アメリカ人]]<ref>[http://ethnicelebs.com/george-lucas George Lucas - Ethnicity of Celebs] ethnicelebs.com.</ref> | 身長 = | 血液型 = | 生年 = 1944 | 生月 = 5 | 生日 = 14 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[映画監督]]<br />[[映画プロデューサー]]<br />[[脚本家]]<br />[[実業家]] | ジャンル = [[映画]] | 活動期間 = [[1965年]] - | 活動内容 = | 配偶者 = [[マーシア・ルーカス]]<br />([[1969年]] - [[1983年]])<br />[[メロディ・ホブソン]]<br />([[2013年]] -) | 著名な家族 = | 事務所 = | 公式サイト = | 主な作品 = '''監督'''<br />『[[THX 1138]]』<br />『[[アメリカン・グラフィティ]]』<br />『[[スター・ウォーズシリーズ|スター・ウォーズ]]』シリーズ<hr />'''製作・製作総指揮'''<br />『[[インディ・ジョーンズ シリーズ|インディ・ジョーンズ]]』シリーズ<br />『[[影武者 (映画)|影武者]]』<br 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シリーズ|インディ・ジョーンズ]]』などの世界的に大ヒットしたシリーズの製作者で知られている。[[スティーヴン・スピルバーグ]]、[[ジェームズ・キャメロン]]と並んで、最も商業的に成功した映画作家の一人でもある。アメリカ合衆国で発行されている[[フォーブス (雑誌)|フォーブス誌]]が発表した『アメリカで最も裕福なセレブリティ』にてトップに選ばれた[[セレブリティ|著名人]]でもある。 == 来歴 == [[Image:George Lucas.jpg|thumb|180px|ジョージ・ルーカス]] [[カリフォルニア州]][[モデスト (カリフォルニア州)|モデスト]]に生まれる。少年時代は、テレビで放映されたかつての映画の「[[連続活劇]]」やコミックブックに熱中して過ごす。高校時代は、カー・レースに熱中した(この時代の経験が、後に『アメリカン・グラフィティ』に描かれた)。[[1962年]]、高校卒業の直前に自動車事故に遭うが、奇跡的に死を逃れ、自分の人生を考え直す。 [[1960年代]]の間、フィルムに関する専門学科を早くから設けた[[ロサンゼルス]]の[[南カリフォルニア大学]](USC)で[[映画]]の勉強をした。そこで彼はたくさんの短編を制作し、特にその中の一つ、『[[電子的迷宮/THX 1138 4EB]]』は数々の賞を受ける。この時代の仲間に、[[ジョン・ミリアス]]や[[ダン・オバノン]]、[[ハワード・カザンジアン]]、[[ハル・バーウッド]]、[[マシュー・ロビンズ]]などがいた。 卒業後、ワーナーのスタジオでの研修中、『[[フィニアンの虹]]』を撮影中の[[フランシス・フォード・コッポラ]]と出会って意気投合し、[[ハリウッド]]のシステムに強制されることのない映画制作者のための環境を作ることを目指して、コッポラが設立した[[アメリカン・ゾエトロープ]]社の副社長に就任。そして、ゾエトロープの第一作『[[THX 1138]]』(『電子的迷宮/THX 1138 4EB』の長編映画化作品)で初監督を務めることになる。その後、ルーカスは自らの映画制作会社[[ルーカスフィルム]]を設立し、制作・監督した『[[アメリカン・グラフィティ]]』(『[[ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー]]』で一流監督の仲間入りをしていたコッポラを、プロデューサーとして迎え入れる)が大ヒットし、ルーカスは一躍有名になる。そして、映画会社の[[20世紀フォックス]]に企画を自ら持ち込んで『スター・ウォーズ』の制作を始めるが、コッポラが自分の企画に介入することを阻止するために、温めてきた『[[地獄の黙示録]]』をノンクレジットで渡してしまう。その代わり、『スター・ウォーズ』をコッポラの影響なしに制作することが出来た。 『スター・ウォーズ』製作時、監督としての収入は、当時の日本円にして約5,000万円であった。20世紀FOXが監督料の上乗せをしようとしたが、ルーカスはこれを受け取らない代わりに[[マーチャンダイジング]]の権利を20世紀FOXに要求し、結果、莫大な収入を得る。この収益は、『スター・ウォーズ』全6作(特別篇、ビデオ、DVD収入を含む)よりも遥かに上回る結果となった。 その『スター・ウォーズ』公開時、興行的失敗の知らせを聞きたくなかったために、電話のない[[オーストラリア]]のホテルに潜んでいた(「映画が成功した」と伝えたのは同じくオーストラリアにいたスピルバーグ)。{{要出典|date=2023年9月}} 初めは、監督より編集者として活躍していただけに、早くからフィルムをカットしていく従来の方法ではなく、ビデオを利用した電子編集を導入したり、世界最初の[[ノンリニア編集]]システム「editdroid」の開発をも支援した。 『スター・ウォーズ』第1作で既に[[ドルビーラボラトリーズ#主な技術・製品#映画のサラウンド記録再生方式|ドルビー・ステレオ]]を導入していたルーカスは、映画館の音響設備が整備されていなかった高水準の音響設備や上映環境を整えるため、[[THX]]プログラムを1980年代に立ち上げた。これは音響機器の特性から残響・遮音といった上映施設の環境に至るまで厳しい基準を設定し、ルーカスフィルム傘下で高品質の音響製作を行う[[スカイウォーカー・サウンド]]の音が、そのまま映画館でも再生出来るよう意図したものである。さらに、映写システム調整用のテスト素材TAP<ref>="Theater Alignment Program"</ref>の供給も開始。これによって、上映環境が画も音も改善され、ドルビーのサラウンドシステムの進歩も促した。THXでは上映フィルムの品質管理も行うようになり、[[レーザーディスク]]や[[DVD]]、[[Blu-ray Disc]]など、家庭用ソフトウェアでもTHX認定を受ける製品がある。映画上映の環境改善、ビデオや音響システムのデジタル化に伴った製作から家庭までの再生環境の向上に、ルーカスとTHXは絶大な影響を与えた。 『[[スター・ウォーズ]]』新3部作では、まず扮装したスタッフに構想した場面を演じさせ、視覚効果と合成した時の仕上がりや各場面の尺、編集のタイミングを見通した上で俳優を起用した撮影に入る、という「撮影前に編集する」プロセスを採用。さらに、その時の映像を撮影前に俳優に観せる事により、後でCGをはめ込むため、撮影中は周りの風景が見えないブルースクリーンの中でも、より演技しやすい環境を作った。 『スター・ウォーズ』第1作のために、ルーカスフィルム傘下に立ち上げた[[SFX]]スタジオ、[[インダストリアル・ライト&マジック]](ILM)に、1980年代初頭にCG部門を開設して[[ピクサー・アニメーション・スタジオ|ピクサー]]の母体を作り、逸早く[[HD24P]]を導入し配給の経費削減にも貢献する[[デジタルシネマ]]構想など、映画製作のデジタル化推進の急先鋒であるにもかかわらず、当の本人は至ってアナログ派で『スター・ウォーズ』新3部作の脚本も、バインダー式ノートに鉛筆で書かれている。 映画賞にはそれほど縁のないルーカスではあるが、1991年には長年の功績を称えられ、アカデミー賞の[[アービング・G・タルバーグ賞]]を受賞した。[[2007年]]の[[第79回アカデミー賞]]授賞式で(過去に監督賞を受賞した)スピルバーグ、コッポラと並んでセルフ・パロディとも言うべき掛け合いを披露した。 製作総指揮を手掛けた作品は多いが、監督作とは対照的にそのほとんどは評価が低く、『[[ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀]]』はその最たる物である。また、監督としての作品も6作品と多くはない(うち4作が『スター・ウォーズ』)。理由の一つに、1977年の『スター・ウォーズ』製作時のストレスが甚大で、内気な性格の上に[[糖尿病]]を患っていたルーカスには肉体的負担が強かった事が挙げられる。ルーカスが思い描く「世界観」が誰にも理解出来ず、監督業から編集作業まで総てを手がけなければならないという激務もあって、実際、撮影中に二度入院している。そのため、同作のエピソード5・エピソード6では製作総指揮に回り、次の監督作であるエピソード1まで22年間の空白が出来る事になった。 2012年、1988年から企画を進めていた[[第二次世界大戦]]時に空軍に参加した[[アフリカ系アメリカ人|黒人]]パイロットの物語『[[レッド・テイルズ]]』が公開された。ルーカスは同作を最後に「映画製作からも、会社からも身を引くつもりでいる」と引退を示唆した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0038609|title=ジョージ・ルーカス監督、引退宣言!?「映画業界からも、会社からも身を引くつもりでいる」|works=シネマトゥデイ |date=2012-01-19 |accessdate=2012-01-20}}</ref>。ただし映画製作に全く関わらないというわけではなく、ルーカスフィルムから離れ、ハリウッドの大作ではなく『THX-1138』のような低予算で実験性の高い作品を作っていくつもりだと話している<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20120531/10/ |title=ジョージ・ルーカス、自らの引退構想を告白 |works=映画.com |date=2012-05-31 |accessdate=2012-11-02}}</ref>。 2012年10月30日、[[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]([[ウォルト・ディズニー・スタジオ]])がルーカスフィルムを40億5000万ドル相当で買収したが、ルーカスフィルムはルーカスが完全に所有していたため、売却益のほぼすべてを手にすることになる。その利益の大半を慈善事業に寄付する意志を表明している<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20121102/4/ |title=G・ルーカス、売却益3200億円は慈善事業に投じると告白 |works=映画.com |date=2012-11-02 |accessdate=2012-11-02}}</ref>。また、資産の半分をいずれ寄付することを宣言する[[ギビング・プレッジ]]に参加している。 これ以降に新規製作された『スター・ウォーズ』作品では、ルーカスはキャラクター原作者としてのクレジットのみで、製作に直接関与していない。ただし、製作メンバーへの助言や撮影現場への訪問など間接的な関わりは継続しているほか、2020年公開のアニメ『[[スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ (テレビアニメ)|スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ]]』シーズン7では、ディズニー買収後の新規作品で唯一、製作総指揮として携わっている。 1994年の映画『[[ビバリーヒルズ・コップ3]]』、2005年の映画『[[スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐]]』ではカメオ出演している。 2015年、[[ディズニー・レジェンド]]を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/08/16/kiji/K20150816010943780.html|title=ジョージ・ルーカス氏「本当に光栄」ディズニー・レジェンド受賞|publisher=[[スポニチ]]|date=2015-08-16|accessdate=2015-08-17}}</ref>。 [[ファイル: George Lucas, Pasadena.jpg|thumb|2018年]] 2020年5月4日、[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]の[[エクスポジション・パーク]]に自身の博物館となる「ルーカス・ミュージアム・オブ・ナラティブ・アート」をオープンした<ref>{{cite news|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0088880|title=ルーカス博物館、スター・ウォーズの日に完成へ!|newspaper=シネマトゥデイ|date=2017-01-12|accessdate=2017-01-12}}</ref>。 == 人物 == 映画の制作で得た利益のほとんどをルーカスフィルムに費やして、自身の生活は質素である。[[マリン郡 (カリフォルニア州)|マリンカウンティ]]の[[ハンバーガー]]店でハンバーガーを食べている姿を良く見かけられている。なお、ルーカスフィルムがある[[スカイウォーカーランチ]]では、[[ブドウ]]を栽培しており、このブドウは収穫されコッポラの経営する[[ニバウム・コッポラ・ワイナリー]]で[[ワイン]]として販売され、高値で取引されている。 子供の頃からSFマニア。また、かつての映画での「[[連続活劇]]」のファンでもあり、インタビューにおいて『[[インディ・ジョーンズ]]』や『[[スター・ウォーズ]]』の演出には連続活劇の手法を用いていると語っている。 尊敬する映画監督は、特撮映画の巨匠[[レイ・ハリーハウゼン]]と[[黒澤明]]で、レイ・ハリーハウゼンについては「僕達のほとんどが子供の頃から彼(ハリーハウゼン)の影響を受けてきた。その存在なくして『スター・ウォーズ』は生まれなかった。」と影響の大きさを語っている<ref>{{cite news|title=【訃報】特撮の巨匠・レイ・ハリーハウゼン死去。ゴジラ、ルーカス、ピクサーに多大な影響|publisher=DDN JAPAN livedoorニュース|date=2013-05-08|accessdate=2013-06-08|url=https://news.livedoor.com/article/detail/7656547/}}</ref>。黒澤に対しては、『[[影武者 (映画)|影武者]]』にて国際版の製作総指揮という立場で黒澤を支援し、[[1990年]]の[[第62回アカデミー賞]]授賞式では、スピルバーグと共に黒澤にアカデミー名誉賞のオスカー像を贈った。黒澤の影響からルーカスの作品には随所に日本文化の影響が表れている。 [[神話]]にも造詣深く、特に大きな影響を受けたと公言しているのが[[ジョーゼフ・キャンベル]]の『千の顔を持つ英雄』(The Hero with a Thousand Faces)であり、「彼の本に出会っていなければ、私は未だに[[スター・ウォーズ・シリーズ]]の脚本執筆に追われていただろう」と[[1984年]]のインタビューで語っている。その他に[[エドガー・ライス・バローズ]]、[[E・E・スミス]]、[[フランク・ハーバート]]などのSF作品、[[グリム童話]]、[[C・S・ルイス]]、[[J・R・R・トールキン]]、[[カルロス・カスタネダ]]から影響を受けたという。 [[スティーヴン・スピルバーグ]]とは、映画界における昔からの戦友である。スピルバーグは『未知との遭遇』公開直後から同時期に公開された『スター・ウォーズ』の大ファンであった。『インディ・ジョーンズ』シリーズを一緒に製作しているほか、『スター・ウォーズ エピソード3』では、スピルバーグがアシスタント・ディレクターに就いた<ref group="注釈">スピルバーグが『ジェダイの復讐』を監督するという話もあったが、当時ルーカスが全米監督協会から脱退したばかりであったため、実現しなかった。</ref>。ポーランドで『[[シンドラーのリスト]]』を撮影していたスピルバーグに代わって『[[ジュラシック・パーク]]』の[[コンピュータグラフィックス|CG]]の仕上げや編集などの[[ポストプロダクション]]を統括したのもルーカスで、『[[E.T.]]』のハロウィーンのシーンで[[ヨーダ]]が登場<ref group="注釈">『スター・ウォーズ』シリーズの作曲家[[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]]はスピルバーグの殆どの作品を手掛けており、ヨーダ登場シーンでは一瞬『帝国の逆襲』の「ヨーダのテーマ」が流れる。</ref>、『[[スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス|スター・ウォーズ エピソード1]]』では[[エキストラ]]としてE.T.が登場し<ref group="注釈">E.T.の声を作ったのが『スター・ウォーズ』などのベン・バート。</ref>、『[[未知との遭遇]]』には[[R2-D2]]が登場していたり<ref group="注釈">マザー・シップ表面に逆さまになったR2が見える。『スター・ウォーズ』視覚効果撮影の[[デニス・ミューレン]]とデザイナーの[[ラルフ・マッカリー]]が招聘されていた。</ref>もする。 [[1981年]]に[[全米監督協会]]、[[全米脚本家組合]]、[[映画芸術科学アカデミー]]から脱退している。引き金となったのは『帝国の逆襲』の完成後、ルーカスはオープニング・クレジットの省略に関して各協会の許可を取っていなかったこと、自身の名前だけクレジットさせたこと(だが、それはルーカスフィルム・リミテッドという社名であった)から罰金を支払わされたことにある。 日本では、[[1987年]]頃から[[1990年]]にかけてテレビで放映された、[[パナソニック]]から当時発売されていた「[[パナソニックのテレビブランドの変遷#PANACOLOR X(パナカラーイクス)|パナカラーイクス]]」 や「HI-Fi[[マックロード]]」などのCMに登場していたことでも知られる。この時の繋がりが、[[東京ディズニーランド]]並びに[[東京ディズニーシー]]内のアトラクション、「スターツアーズ」や「インディー・ジョーンズ・アドベンチャー 〜クリスタルスカルの魔宮〜」など、アトラクションスポンサーとしての結び付きに繋がってもいる。 長年補佐役を務める[[リック・マッカラム]]はルーカスについて「編集などフィルムを相手にする時は楽しげだが、人間が相手の場合はそれほどではない」と人付き合いを苦手とする一面を語っている。[[マシ・オカ]]曰く、性格はかなり[[人見知り]]すると言う。「演技指導はスタッフに耳打ちして役者に伝えさせている」とも言っているが、しっかりと自身の言葉で演技指導している。ルーカスの会社である[[インダストリアル・ライト&マジック|ILM]]にマシは勤めているが、その社則には「ルーカス氏にサインを求めたらクビ」、「ルーカス氏と5秒以上目を合わせたら石になれ」などの変な規則があると言う<ref>『[[ダウンタウンDX]]』2008年5月8日放送より</ref>が、前述のようにかなり誇張されている。スタッフ会議や演技指導の際には、皆がルーカスに目を合わせている。ただし、[[キャリー・フィッシャー]]や[[ユアン・マクレガー]]によると、「演技指導の際に具体的な説明があまり無かった」と言い、「イメージははっきりしているが上手く説明出来ない」と、「ルーカス自身がマクレガーに話していた」と語っている。 自身のSF大作に無名の役者をキャスティングすることが多かったと言われる<ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/14839542/ 『スター・ウォーズ』キャラクターランキング ベスト50|2018年度改訂版 - ライブドアニュース]</ref>。 == 家族 == * 『アメリカン・グラフィティ』『[[アリスの恋]]』『[[タクシードライバー (1976年の映画)|タクシードライバー]]』『スター・ウォーズ』旧三部作などの編集者[[マーシア・ルーカス]](旧姓:グリフィン)は元妻。 * 養子が3人(年長者から順にアマンダ、ケイティ、ジェット)。[[アマンダ・ルーカス]]は女性総合格闘家([[DEEP (格闘技団体)|DEEP]]女子・無差別級初代チャンピオン)・[[ブラジリアン柔術]]家である。 * 2013年6月22日、実業家の{{仮リンク|メロディ・ホブソン|en|Mellody Hobson}}[https://www.ted.com/speakers/mellody_hobson TED speaker]([[ドリームワークス・アニメーション]]元会長<ref>{{Cite web |date= |url=http://ir.dreamworksanimation.com/phoenix.zhtml?c=185803&p=irol-govboard |title=- Investors Relations - Board of Directors |publisher=DreamWorks Animation SKG, Inc. |accessdate=2015-09-03}})</ref>、{{仮リンク|アリエル・インベストメンツ|en|Ariel Investments}}社長兼共同[[最高経営責任者|CEO]]、[[スターバックス]]副会長)と7年越しの交際を経て結婚<ref>{{Cite web|和書|date=2013-06-24 |url=https://news.mynavi.jp/article/20130624-a231/ |title=ジョージ・ルーカスが交際7年の恋人メロディ・ホブソンと結婚、セレブも祝福 |publisher=マイナビニュース |accessdate=2015-09-03}}</ref>。同年8月9日、代理出産にて女児Everest Hobson Lucas誕生<ref>{{Cite web |date=2013-08-12 |url=https://www.huffpost.com/entry/everest-hobson-lucas_n_3742950 |title=Everest Hobson Lucas Born To George Lucas And Mellody Hobson |publisher=HuffPost |accessdate=2015-09-03}}</ref>。 == 制作作品 == {| class="wikitable sortable" style="text-align:left; font-size:small" |- ! width="33" | 年度 !! width=110 | 映画 !! width=65 | 監督 !! width=65 | 脚本 !! width=65 | 製作総指揮 !! width=65 | その他 !! width=33 | 備考 |- |- | 1971 | style="text-align:left"| [[THX 1138]]<br />''THX1138'' | {{yes}} | {{yes}} | | | |- | 1973 | style="text-align:left"| [[アメリカン・グラフィティ]]<br />''American Graffiti'' | {{yes}} | {{yes}} | | | |- | 1977 | style="text-align:left"| [[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]<br />''Star Wars'' | {{yes}} | {{yes}} | {{yes}} | | |- | 1980 | style="text-align:left"| [[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|スター・ウォーズ/帝国の逆襲]]<br />''Star Wars Episode V: The Empire Strikes Back'' | | | {{yes}} | {{yes}} | 原案 |- | 1981 | style="text-align:left"| [[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]]<br />''Raiders of the Lost Ark'' | | | {{yes}} | | |- | 1983 | style="text-align:left"| [[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還|スター・ウォーズ/ジェダイの復讐]]<br />''Star Wars Episode VI: Return of the Jedi'' | | {{yes}} | {{yes}} | | |- | 1984 | style="text-align:left"| [[インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説]]<br />''Indiana Jones and the Temple of Doom'' | | | {{yes}} | | |- | 1985 | style="text-align:left"| [[ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ]]<br />''Mishima: A Life In Four Chapters'' | | | {{yes}} | | |- | rowspan="2"| 1986 | style="text-align:left"| [[ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀]]<br />''Howard the Duck'' | | | {{yes}} | | |- | style="text-align:left"| [[ラビリンス/魔王の迷宮]]<br />''Labyrinth'' | | | {{yes}} | | |- | rowspan="2"| 1988 | style="text-align:left"| [[ウィロー]]<br />''Willow'' | | | {{yes}} | | |- | style="text-align:left"| [[タッカー (映画)|タッカー]]<br />''Tucker: The Man and His Dream'' | | | {{yes}} | | |- | 1989 | style="text-align:left"| [[インディ・ジョーンズ/最後の聖戦]]<br />''Indiana Jones and the Last Crusade'' | | | {{yes}} | | |- | 1994 | style="text-align:left"| [[笑撃生放送! ラジオ殺人事件]]<br />''Radioland Murders'' | | | {{yes}} | {{yes}} | 原案 |- | 1999 | style="text-align:left"| [[スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス]]<br />''Star Wars Episode I: The Phantom Menace'' | {{yes}} | {{yes}} | {{yes}} | | |- | 2002 | style="text-align:left"| [[スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃]]<br />''Star Wars Episode II: Attack of the Clones'' | {{yes}} | {{yes}} | {{yes}} | | |- | 2005 | style="text-align:left"| [[スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐]]<br 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ディスク
ディスク(英: Disc、Disk)は、円盤状のものを表す言葉。
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ディスクは、円盤状のものを表す言葉。 ディスクメディア、特にハードディスクドライブを指す。ディスクドライブも参照。 ディスクブレーキのブレーキローター。 コインの別名。タロットの小アルカナにおける四大スートの一種。 降着円盤 銀河円盤。円盤銀河の円盤部。 今井神の漫画『NEEDLESS』の登場人物。
{{混同|デスク}} '''ディスク'''({{lang-en-short|Disc、Disk}}<ref>Discはイギリス英語、Diskはアメリカ英語に由来する。コンピュータ用語としては、Discは[[CD-ROM]]などの光学式メディア、Diskはハードディスクなどの磁気メディアを指す[https://support.apple.com/ja-jp/HT201697]。</ref>)は、[[円盤]]状のものを表す言葉。 ; 円盤状の道具や部品 * [[ディスクメディア]]、特に[[ハードディスクドライブ]]を指す。[[ディスクドライブ]]も参照。 * [[ディスクブレーキ]]の[[ブレーキローター]]。 * [[コイン (タロット)|コイン]]の別名。[[タロット]]の[[小アルカナ]]における四大[[スート]]の一種。 ; 天体の円盤状の部分や構造 * [[降着円盤]] * [[銀河円盤]]。[[円盤銀河]]の円盤部。 ; フィクション * [[今井神]]の漫画『[[NEEDLESS]]』の登場人物。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * {{Intitle}} * [[円盤]] * [[ディスカス (曖昧さ回避)]] {{Aimai}} {{デフォルトソート:ていすく}} [[Category:英語の語句]]
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パソコンゲーム
パソコンゲーム(PCゲーム、英: PC game)はパーソナルコンピュータで動作するコンピュータゲームである。 この世にパーソナルコンピュータが登場する前、つまりこの世に大型コンピュータやミニコンしかなかった時代から、エンジニアたちや大学院生たちはゲームソフトを制作して遊んでいた。 パーソナルコンピュータは、愛好家たちによって常にゲーム目的で使用されてきた。 1975年に「史上初の市販のパーソナルコンピュータ」とされるAltair 8800が登場し、1970年代後半に次々とパーソナルコンピュータの新しい機種が登場してくるとゲームソフトの数も急激に増えてゆくことになった。一例を挙げると1976年にはウォズニアックとスティーブ・ジョブズがApple Iを、翌1977年にはApple IIを発売し、そのApple II用に次々とゲームソフトが制作されてゆくことになり、最初はApple IIの開発者のウォズニアックが書いたBreak Outつまりブロックくずしなど数本だけであったが、その後はさまざまな組織が制作・発売することになり、1978年には17本前後、1979年には21本前後、1980年には25本前後といった調子で制作されていったのである(→en:List of Apple II gamesを参照)。また1977年にはコモドール社がCommodore PETというパーソナルコンピュータを発売し、そのPET用にも多くのゲームソフトが制作されていった(→en:List of Commodore PET gamesを参照)。Apple IIやPET用のゲームソフトの供給の形としては、カセットテープ(オーディオ用のカセットテープをデータ記録用に用いるデータレコーダでデータの書き込み、読み出しを行うもの)、フロッピーディスク、雑誌の誌面の文字などであった。 また1976年に日本でNECから発売されたTK-80という8080互換CPUのトレーニング用ボードでも、表示装置は8桁の7セグメントLEDしかなかったにもかかわらず、当時のコンピュータ・マニア(マイコン愛好家)たちはそんな表示装置だけでも遊べるゲームソフトをさっそく16進数の機械語で書き始めた。さらに1977年11月にTK-80BSという拡張キットが発売されテレビ画面に表示ができBASICも動くようになると、マニアたちは文字キャラクタ(文字フォント)を画面に表示することで簡素な図を表現して遊べるゲームを次々と制作、まもなくドットつまり画面上の黒くて小さな点単位で表示を制御してゲームを制作することも行い始め、1978年に世の中でスペースインベーダーが流行り始めるとマニアたちはまもなくそれの動作原理も解析し、機械語+BASICなどでプログラムを書きTK-80BSに移植した。1978年にはシャープからMZ-80Kが発売され、同機用のゲームをマニアたちや企業などが制作し、誌面の印刷文字などで供給され一文字づつ入力したり、カセットテープの形で供給でされたりした。ゲームソフトウェアを文字入力する場合、それがどのようにユーザに届けられていたかというと、1976年には『I/O』というマイコン雑誌が創刊され、そこにコンピュータゲームのプログラムがBASICや16進数の機械語で書かれた状態で紙面に印刷され、マニアたちがそれを、一文字一文字、手で入力して遊ぶなどということがさかんに行われるようになっていたのである。1982年5月には日本ソフトバンク社(現・ソフトバンクグループ)からゲームソフトのソースプログラムも掲載した(号によっては大量のダンプリストも掲載した)雑誌『Oh!MZ』が創刊(6月号)となった。 この段階のパソコンゲームですでに、ゲームにはまってしまい何日もやり続けるなど、一種の依存症、一種の中毒になる人たちもいた。 1979年にNECからPC-8001シリーズ、1981年にPC-8800シリーズが発売されると、パソコン愛好家たちは、こぞってゲームの制作・ソースコードの打ち込み・購入・プレイなどに熱中した。 スペースインベーダー、ギャラクシアン、ムーンクレスタ、ゼビウスなどの人気タイトルが次々と移植され、麻雀ソフトも流行した。このPC-8001用に初代『信長の野望』も開発・販売され、国産パソコンゲームの数少ない長寿タイトルとなっている。 1982年に日本電気(NEC)が、業務に使える水準に性能を向上させたPC-9800シリーズを発売すると、大企業からマニアまで急速に普及した。パソコンの愛好家たちやゲームメーカーは、高性能化したPC-9800を使って多数のゲームを展開し、国産パソコンゲームの全盛期を築いた。 PC-9800は日本国外でも販売され、英語のゲームソフトも多数開発された。 以下の一覧も参照のこと 1981年には、「コンピュータ業界の巨人」と言われていたIBMがIBM PCを発売し、欧米ではこれが標準的なコンピュータとなり普及した。またIBM PCのクローンを作るコンピュータメーカーが多数登場し、クローンマシンの群は「IBM PC コンパチブル」「PC/AT互換機」と呼ばれるようになり、IBM PCの仕様はデファクトスタンダード化した。 IBM PC(やそのクローン)は、基本はオフィスで使う想定で設計されたマシンではあるが、ゲームに使うということも行われた。たとえばアメリカの企業などの重役や中間管理職の部屋(※)にIBM PCが設置されている場合でも、基本は仕事のために使っていたにしても、一方でデスクの引き出しの中にはゲームソフトを1~3個ほど潜ませておいて、仕事の合間に息抜きにゲームをして遊ぶようなことは一般的だったと英語圏では言われている。 1982年にCommodore 64(コモドール64。略称 C64)の量産および販売が始まった。C64は欧米の一般家庭の人々に爆発的に売れた。C64はRFモジュレータ内蔵であったため、本体をそのまま家庭用テレビに接続して安価に使うことでき、また輝度信号と色信号に分離して出力可能なコンポジット映像信号出力端子も備えていたため、それに対応する別売専用モニターを接続すればより美しい出力を得ることもできた。コモドールは販売戦略にも長けていて、認定代理店で販売するだけでなく、デパートや玩具店やディスカウントストアでもC64を販売した。販売総数は1982年の量産開始から1993年の販売終了までに、1250万から1700万台ほどにおよんだとされており、単一機種としては最も販売台数の多いパーソナルコンピューターであり、今もこの記録は破られていない。1983年から1986年の間、C64は毎年200万台以上売れ、市場シェアは30%~40%にもおよんだ。競合機のPC/AT互換機やAppleの製品やAtariの8ビットファミリーよりもよく売れていた驚異的なマシンであり、家庭ではもっとも一般的なパソコンだったのである。 このC64向けに1万種を超えるソフトウェアが制作・販売されたとされており、家庭用のパソコンなのでまるでゲームマシンのように使う人も多く、C64向けに2000本を超えるゲームソフトが制作・販売された。 なお日本の市場では、パソコンとしてはNECのパソコン群との競合、ゲームマシンとしては日本のファミコンとの競合が起き、また日本語への適応もあまり良くなかった、などの諸事情が重なり、あまり販売数が伸びず日本では知名度が上がらなかった。だが欧米の人々にとっては、今なお1980年代のゲームマシンのようなパソコンとして圧倒的な知名度がある機種である。 2018年には復刻版のC64版がミニチュアサイズ、HDMI、USB端子つき、ジョイスティックつき、ゲームソフト64本こみで発売された(THEC64 Mini)。2019年にはC64の復刻盤、HDMI端子つき、実物大つまり1980年代当時のサイズで、おまけにキーボードのタッチ感も再現したものが、やはりゲームソフト64本プリインストール済みの状態で発売された。 1987年にシャープから発売されたX68000はコアゲーマーから熱狂的な支持を受けた。MPUとして、それまで日本のパソコンでは使われていなかったモトローラのMC68000(Macintoshに搭載されていたもの)が搭載されていたこともあるが、なによりも当時としては大容量を誇るVRAMと強力なグラフィックコントローラ群によって実現された65,536色の多色グラフィックとスプライト機能、FM音源8チャンネル+ADPCM1チャンネル、1MBのメインメモリ(最大12MB)などの周辺回路により、総合的に競合製品を凌駕するホビーマシンとしての性能を備えていたからである。このX68000はゲームクリエイターを育成するための専門学校の実習機としても採用され、良質なゲームが多く作られた。 1990年代前半頃から3Dゲームが流行する。1990年代前半のパソコンゲームの中でも、特に3D描画を前面に押し出したタイトルを挙げるとすれば、DOOM、Duke Nukem 3D、DESCENT、MechWarrior 2、MYST、ニード・フォー・スピード、レミングスなどがある。何れも初版はCPUのみでレンダリングを行っていた。画面解像度は640x480や800x600程度で、フレームレートも少なく、生ポリゴンの使用も多く、テクスチャマッピングは行われていても粗かった。高品質な描画でもフラットシェーディングの採用が多かった。 アーケードゲーム基板はメーカーの独自開発により複数のCPUや3Dアクセラレータが搭載可能になっていたため、当時のCGワークステーションに匹敵するような高品質な3Dを描画できた。アーケードゲームの流れを受け、パソコンゲームでも高品質なグラフィックを実現することを目標に3Dアクセラレータの開発が行われた。 とはいえ、すべてのゲーマーが3Dゲーム指向だったわけではなく、2Dゲームのほうを好んでいたゲーマーも多かった。2Dゲームは、1970年代後半から常に遊ばれ続け、1990年代前半でもその状況は変わらなかった。 1995年、安価にパソコン用の3Dアクセラレータチップを作れるようになり、NVIDIAのNV1,ATiの3D Rage,MatroxのMystique,S3 GraphicsのViRGE,RenditionのVérité V1000などが一斉に登場した。1996年には、一世を風靡した3dfxのVoodoo Graphicsや、影は薄かったもののNECのPowerVR PCX1も登場した。この出来事によって、初めてパソコンゲームでハードウェア支援による高速な3D機能が利用可能となった。但し、技術の限界から限定的な描画プロセスしか扱えないため、透視変換やライティングなどの複雑なジオメトリ計算はCPUに一任されており、まだGPUとは呼べないものであった。また、グラフィックAPIについて統一規格と呼べるものは未だなく、各社が異なるグラフィックAPIを提唱していた。例えば、NVIDIAは曲面描画API,ATiはATI3DCIF,S3 GraphicsはS3d,3dfxはGlideを提唱していた。これらの規格の違いで各社のグラフィックカードで遊べるゲームソフトが各々限定的になってしまった。また、ユーザー自身が購入するゲームソフトに応じてグラフィックカードの差異を強く意識しなければならず、プレイ環境一式を揃えようとすると非常に高価であることから、一般からは時期尚早として敬遠された。 3Dゲームについて言えば、1990年代後半は3Dグラフィックスの可能性を試すようなソフトが多数発売された。主にFPS、レース、フライトシミュレータが多数を占めた。数は少ないが、日本のゲームメーカーによるアーケードゲームの移植も行われ、特にセガはセガラリー、バーチャファイター、電脳戦機バーチャロンなど、最先端の3Dゲームを続々と移植した。ただしこの時代のパソコンのスペックでは、3Dゲームの多くは荷が重すぎた。またメーカーの独自規格に依存したゲームも多く、自由にゲームパッドが選べなかったり、多少の環境差異でゲームが起動しなくなることも多かった。インストールや設定で不親切なゲームも多かった。デバイスドライバの問題によるパソコンのクラッシュも日常的に起きていた。 この時代の3Dパソコンゲームには、Quake,Unreal,Half-Life,Flight Simulator 95があり、ネットゲームには上記のオンラインRPGなどがある。 1995年8月にMicrosoftから完全なGUIを備えたOSであるWindows 95が発売され、世界中で使いやすさが評価された。そして、1995年10月にMicrosoftから統一規格のグラフィックAPIであるDirectX 1.0が発表されると、グラフィックベンダーの独自規格は廃れていった。1999年にハードウェアT&Lを備えたGeForce256が、世界で初めて「GPU」と称して発売された。透視変換やライティングなどを行うジオメトリエンジンがハードウェア実装されたGeForce256の発売で、CPUが重い負荷から開放されたことで、グラフィック処理が劇的に高速化し、パソコンゲームのグラフィックは最先端のゲーム機と並ぶようになった。ハードウェアT&L以降はCPUとGPUというプロセッサの役割分担が明確化した。 Windows 95が普及しはじめたこの段階で、コンピュータは「パソコン愛好家」や「マイコン愛好家」だけのものではなく「一般人」のものになりはじめており、すでに素朴なレベルのパソコンゲームは一般人の娯楽の選択肢となっていた。パソコンショップに行けば、たとえば素朴な2Dシューティングのパソコンゲーム、チェスや将棋などのボードゲーム、戦略シミュレーションゲームなどのパソコンゲームも「Windows 95用」とパッケージに明記された状態で店頭に並べられて販売されていたからである。この時代でも2Dゲームは家庭用で快適に遊ぶことができた。 一方でPC/AT互換機の普及の前に国産PCは次々と撤退、日本のゲームメーカーはそれに伴ってパソコンゲームから撤退し当時流行の32bit/64bitゲーム機に移ったことで、日本では急激な市場の縮小を招いた。PCゲーマーであった原田勝弘(バンダイナムコ)は、当時はゲーム機の大ヒットで頂点に立っていたようにみえた日本のゲーム業界も、実はこの頃から弱体化が始まっていたと述べている。その代わり、以前から存在した同人ゲーム、アダルトゲームに加え、インターネットからダウンロードするフリーゲームが大きな位置を占めるようになった。 1990年代には既にネット対戦機能を搭載したゲームも発売され、LANパーティーなどのネット対戦がパソコンマニアの間で徐々に普及した。 1997年にMORPGのディアブロが発売され、MMORPGのウルティマオンラインも発売された。1998年には韓国製MMORPGのリネージュが発売された。何れも発売当時のパソコンやネット回線では極めて負荷が高く、滑らかには動作しなかったが、ハード側の性能向上により人気も増加し、これらは今日では多人数参加によるRPGの先駆的なゲームソフトとして知られている。 1990年代後半に入りネット対戦機能を備えたゲームが増えたことで、LANパーティーも次第に隆盛し、1997年に世界初のプロゲーマー参加型のe-Sports大会である「サイバーアスリート・プロフェッショナル・リーグ」がアメリカで開催された。 インターネットの利用が一般人の生活にも浸透してくると、パソコンの低価格化とネット回線の高速化と常時接続の普及で、ゲームマニアの間でネットゲームが流行し始めた。ネット回線が高速化したことで、MMORPGが実用的になった。 2000年代以降、パソコンがオフィスの必須道具となり、普及に加速がかかった。パソコン価格も、販売台数が増え、ロットが増えた分、一台あたりの低価格化が進んだ。インターネットも常時接続の時代を迎え徐々に普及していき、ネットカフェも増えた。 この時代は3Dパソコンゲームのタイトルが非常に増えた。代表的なものを挙げるとするとたとえばHALO、Half-Life 2、Far Cry、DOOM3、Battlefield、Grand Theft Auto 3、Crysis、ニード・フォー・スピードなどである。コンシューマゲーム機の前に劣勢だったゲームソフトのネームバリューも充実した。 一方でその当時のハイエンドパソコンでしか遊べないゲームが多くリリースされ、プレイ環境一式の価格を考えるとマニア向けの娯楽に留まっていた。 パソコンは1970年代に登場した時から、利用者の性能需要に応えるべく常に性能を向上させ続けており、メーカーは2000年代も同様に性能を向上させつづけていた。2000年代はプログラマブルシェーダーの実用化など、パソコンのGPUがグラフィックの牽引役を担った。 PCメーカーや半導体メーカーによって際限のない性能向上の競争が続けられ、その結果、マルチコアCPUや、数GBのメインメモリの搭載が当たり前になると、美麗な3Dパソコンゲームも一般人の娯楽の選択肢として現実的になった。また、ゲーミングパソコンも10~20万円程度で手に入るようになった。 一般人もパソコンやオンラインサービスの利用に慣れ、ネットゲームも違和感なく受け入れられる人の割合が増えた。動画共有サービス・SNSなどでゲーム動画や実況プレイ動画をアップロードすることも流行していった。 ECサイトでのソフトの購入や、ユーザーフレンドリーなゲームインストール環境であるSteamなども普及し、パソコンゲームはより身近なものになった。 2010年代にはゲームメーカーのマルチプラットフォーム戦略の一環で、コンシューマゲーム機のみで展開していたソフトがSteamで大量に供給され始めると、パソコンゲームとコンシューマゲームの区別がなくなる傾向も進んだ。オンラインでゲームが売買されることが当たり前になり、操作説明もゲーム内で用意されるようになり、むしろゲームのパッケージ販売がマニア向けになっていった。パソコン発のオンラインゲームのMinecraftはコンシューマーからも大きな人気を集めた。 2010年代も中盤に入ると、最早ゲームマシンの違いを問う意味もない程にマルチプラットフォーム化が進められた。 パソコンゲームの対戦の大会に若者が熱中しはじめ、それがいろいろな意味で「金のなる木」になると気付いた企業もそれを後押しし、それを「e-Sports」と呼び、世論もかつてのゲーム有害論から転換していった。 2010年代末ころから、VRヘッドセットやVRコントローラが安価になってきたことにより、パソコンゲームは没入感を高める方向で進化を続けている。また他のサービスとの連携も模索している。 また3Dゲームのブームが一段落したことで2Dゲームも再評価がされている。 一言にパソコンと言っても、OSはいくつもある。Windowsでも、MacOSでも、Linuxでもパソコンゲームは遊ぶことができるが、1990年代後半~2000年代はPC/AT互換機のWindows向けが圧倒的に多い状況だった。2010年代のマルチプラットフォーム化の進展により、MacOSやLinux対応のものは増えている。 1995年にWindows 95が発売されて以降は、PCにおけるゲームの販売数(売上金額)でWindows/DirectX向けが圧倒的に多い状況になっている。フリーゲームも同様である。DirectX向けのGPUにはNVIDIA GeForceやAMD Radeonがある。2016年現在でもOpenGLやmacOS、Linux向けにゲームは開発されているが、大手パブリッシャーから出ているゲームはWindowsからの移植がほとんどで、Windows以外のOS向けにゲームの開発を手がけるパブリッシャーはPangea Softwareなど非常に少数である。 Windows 10ではWindowsストアのアプリ基盤としてユニバーサルWindowsプラットフォームがあり、Xbox Oneなども対応している。 Macも、機種によってCPUの性能が異なるが、近年の機種で言えばMacBook ProのCPUの性能はMacの中でも高いので、グラフィックの性能を求めるゲームの処理も軽々とこなすことができる。たとえばMinecraftなどもサクサクと動く。 SteamでもMacOS対応のゲームがダウンロードできる。Steam内のMac対応ゲームのページを開けばよい。 特に2020年11月に高性能なApple M1チップが発表され、同チップが搭載されたMacが市販されるようになってからは、ゲームコミュニティの中でMacOSの評価が以前よりも高くなった。 Linux向けのゲームも多数開発されている。 無料のゲームが多く流通している。 SteamからLinux用のゲームをダウンロードして遊ぶこともできる。さらにSteamにはSteam Playというしくみ、もともとWindows向けのはずのゲームをLinux上で動作させる仕組みがあるので、Linux上でWindows向けのゲームも遊ぶことができる。一言でLinuxと言ってもさまざまなディストリビューション(Linuxのなかの種類)があるが、特にUbuntuはSteamの公式対応となっているので(Steam上のLinux向けゲームを)容易に動かすことができる。他の種類のLinuxについては、それなりの工夫が必要となる場合も多い。 Linuxでレトロゲームを動かすためのソフトウェア類が無料で多数公開されており、それに役立つハードウェア類も多数販売されている。レトロゲームを動かしたいならば、WindowsよりもむしろLinuxのほうが適している、と言えるくらいにLinuxはそのたぐいのソフトウェアやハードウェアが充実している。Linuxが動いているRaspberry Piを(かつてのファミコンなどのゲームが非常に多種類動くような)ゲーム専用のマシンに仕立てあげることも、Raspberry Piユーザたちや、Makers(メイカーズムーブメントの実行者たち)の間ではそれなりに流行している。 2002年に発表されたSteamが徐々に一般化したことで、パソコンゲームの流通に大きな変化が起きた。(後述) 2010年以降、PC上でしかプレイできないマルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ (MOBA) というジャンルの急激な普及と、エレクトロニック・スポーツやTwitchなどのライブストリーミング配信プラットフォームで観戦して楽しむ人達の増大が、PCゲームの市場規模拡大を後押ししている。今後もスマートフォンと並んでゲーム市場の成長の牽引役となることが予測されている。 久夛良木健によれば、PCでのゲーム開発環境ひいてはゲームプレイ環境の充実により、ゲームタイトル開発における家庭用ゲームとPCゲームのプラットフォームの融合も進んでいる。 日本におけるPCゲーム市場は、21世紀冒頭までニッチ市場から脱してない状況だった。ニッチ市場ということもあり、Steamなどでは少数の人々から大きく利益を得ようとするため高価格な傾向がある。 任天堂とソニーという二大ゲーム機メーカーの本拠地であり(かつてはセガなどのゲーム機も存在)、特に国産PC壊滅後、パソコンゲーム市場は死に体となっていた。フィーチャーフォン、低価格のスマートフォンの普及(日本ではコンソールゲームやアーケードゲームの市場が衰退するほど進んでいる)の影響も受けている。日本語表示に対応してないソフトが多かったのも原因である。 そのような状況が続いていた日本のPCゲーム市場は、近年になって復興の兆しをみせている。2010年代になって3000万ドルの規模になり、Steam総ユーザ数のうち、日本ユーザは4 - 5%まで増えている。2020年代からはSteamの日本ユーザーがもう一度大幅に増加する動きがある。それに合わせて、日本語公式対応のPCゲームソフトも増えつつある。日本語未対応のソフトも、ユーザー側が非公式翻訳パッチを制作・公開するケースも増えた。 日本のPCゲーム市場では、ハイエンド指向が最も強い。 PCゲームをダウンロード販売している主なストア。総合的なストアは、幅広いデベロッパーのゲームを数多く揃えている傾向にある。ゲーム会社が独自に展開するストアは主に自社製品に特化したものであるが、サードパーティー製のゲームを取り扱っているものもある。その他のストアは、ゲームソフトの引き換えに必要なプロダクトキーを販売するストアであり、比較的安価に販売されているものが多い。(※括弧内はメーカーと、主な配信タイトル) Steamについては特筆に値するので、特に一節を割いて説明する。 2002年に発表されたSteamは、ゲームのダウンロード販売と配信、著作権管理(アクティベーションによるコピーガード)、自動アップデート、そしてソーシャルネットワーク機能があり、完全なダウンロード販売のため、パッケージや説明書の印刷コストや流通コストも必要なくなり、ゲームの低価格化を促進した。さらに、Steamの特徴として常に何らかのセールを行い、年に数回の大規模セールでは4,000を超えるタイトルがセール対象となり、AAAタイトルでも50%引き〜75%引きなど高割引率での販売される。これは販売コストが低いダウンロード販売ならではの手法であり、セールによって売り上げの向上とさらなる利益をもたらしている。 これら、SteamやOriginやUplayは単なるゲームのダウンロード販売サイトでなく、ゲーム配信プラットフォームであり、CDキー(シリアル番号)の入力によって自社ストアからの購入でなくてもゲームをアカウントに追加することができる(購入したCDキーをアカウントの情報に登録する必要があるため、CDキーを2つ以上のアカウントで使い回す不正を防ぐことができる)。小売店においても在庫コストを要しないCDキーのみの販売とするメリットは大きく、2014年現在では世界のPCゲーム販売のほとんどがゲーム配信プラットフォームを介したものであり、パッケージソフトでの販売はごく少数にとどまっている。 高速インターネットの普及で大容量のPCゲームが数分~数時間でダウンロードし遊べる手軽さや、通信経由のため中間費用が一切かからないことによる低価格が市場を後押ししている。 ハイエンドなゲーミングPCは、コンシューマーゲーム機(俗に言う家庭用ゲーム機)と比較して、より複雑かつ多量の処理をこなすことができる。多くのパソコンゲームは、このようなハイエンドパソコンで動作させることを前提として開発されている。そのためコンシューマーゲーム機よりも視覚的なクオリティが高められていることが多い。主に挙げられるのは、FHDや4K、8Kなどの高解像度、デュアルやトリプルディスプレイといった複数画面のサポート、120fpsを超える高速なフレームレート、影や水反射、テクスチャなど精密なグラフィック、アンチエイリアス処理による見た目の向上などさまざまなものが利用できる。またSSDなどの高速なストレージを搭載したPC構成においては、ゲームの起動やロード時間が短いなどの特徴をもつ。 キーボードやマウスを始めとして、より幅広い入力デバイスやバーチャルリアリティを含む周辺機器がサポートされている。ゲームパッドやジョイスティック、ハンドルコントローラー、タッチパネル、3Dグラス、VRゴーグルなどがある。 一部のゲームではユーザー自身がゲームの拡張や修正、またはキャラクターをカスタマイズし、一種のDLCとしてそれらのデータを配布できる「MOD」と呼ばれる機能がある。 パソコンプラットフォームの決定的な特徴は、ソフトウェア頒布方法がシステムに制御されないことである(iOS/AndroidでいえばApp Store/Google Play、PlayStationでいえばPlayStation Storeのような縛りが存在しない)。よってプラットフォームによる「アップル税」などの経費、表現規制なども迂回できる。これによる利点は以下のソフトウェアコストの削減や自由な表現に繋がる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "パソコンゲーム(PCゲーム、英: PC game)はパーソナルコンピュータで動作するコンピュータゲームである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "この世にパーソナルコンピュータが登場する前、つまりこの世に大型コンピュータやミニコンしかなかった時代から、エンジニアたちや大学院生たちはゲームソフトを制作して遊んでいた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "パーソナルコンピュータは、愛好家たちによって常にゲーム目的で使用されてきた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1975年に「史上初の市販のパーソナルコンピュータ」とされるAltair 8800が登場し、1970年代後半に次々とパーソナルコンピュータの新しい機種が登場してくるとゲームソフトの数も急激に増えてゆくことになった。一例を挙げると1976年にはウォズニアックとスティーブ・ジョブズがApple Iを、翌1977年にはApple IIを発売し、そのApple II用に次々とゲームソフトが制作されてゆくことになり、最初はApple IIの開発者のウォズニアックが書いたBreak Outつまりブロックくずしなど数本だけであったが、その後はさまざまな組織が制作・発売することになり、1978年には17本前後、1979年には21本前後、1980年には25本前後といった調子で制作されていったのである(→en:List of Apple II gamesを参照)。また1977年にはコモドール社がCommodore PETというパーソナルコンピュータを発売し、そのPET用にも多くのゲームソフトが制作されていった(→en:List of Commodore PET gamesを参照)。Apple IIやPET用のゲームソフトの供給の形としては、カセットテープ(オーディオ用のカセットテープをデータ記録用に用いるデータレコーダでデータの書き込み、読み出しを行うもの)、フロッピーディスク、雑誌の誌面の文字などであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "また1976年に日本でNECから発売されたTK-80という8080互換CPUのトレーニング用ボードでも、表示装置は8桁の7セグメントLEDしかなかったにもかかわらず、当時のコンピュータ・マニア(マイコン愛好家)たちはそんな表示装置だけでも遊べるゲームソフトをさっそく16進数の機械語で書き始めた。さらに1977年11月にTK-80BSという拡張キットが発売されテレビ画面に表示ができBASICも動くようになると、マニアたちは文字キャラクタ(文字フォント)を画面に表示することで簡素な図を表現して遊べるゲームを次々と制作、まもなくドットつまり画面上の黒くて小さな点単位で表示を制御してゲームを制作することも行い始め、1978年に世の中でスペースインベーダーが流行り始めるとマニアたちはまもなくそれの動作原理も解析し、機械語+BASICなどでプログラムを書きTK-80BSに移植した。1978年にはシャープからMZ-80Kが発売され、同機用のゲームをマニアたちや企業などが制作し、誌面の印刷文字などで供給され一文字づつ入力したり、カセットテープの形で供給でされたりした。ゲームソフトウェアを文字入力する場合、それがどのようにユーザに届けられていたかというと、1976年には『I/O』というマイコン雑誌が創刊され、そこにコンピュータゲームのプログラムがBASICや16進数の機械語で書かれた状態で紙面に印刷され、マニアたちがそれを、一文字一文字、手で入力して遊ぶなどということがさかんに行われるようになっていたのである。1982年5月には日本ソフトバンク社(現・ソフトバンクグループ)からゲームソフトのソースプログラムも掲載した(号によっては大量のダンプリストも掲載した)雑誌『Oh!MZ』が創刊(6月号)となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "この段階のパソコンゲームですでに、ゲームにはまってしまい何日もやり続けるなど、一種の依存症、一種の中毒になる人たちもいた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1979年にNECからPC-8001シリーズ、1981年にPC-8800シリーズが発売されると、パソコン愛好家たちは、こぞってゲームの制作・ソースコードの打ち込み・購入・プレイなどに熱中した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "スペースインベーダー、ギャラクシアン、ムーンクレスタ、ゼビウスなどの人気タイトルが次々と移植され、麻雀ソフトも流行した。このPC-8001用に初代『信長の野望』も開発・販売され、国産パソコンゲームの数少ない長寿タイトルとなっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1982年に日本電気(NEC)が、業務に使える水準に性能を向上させたPC-9800シリーズを発売すると、大企業からマニアまで急速に普及した。パソコンの愛好家たちやゲームメーカーは、高性能化したPC-9800を使って多数のゲームを展開し、国産パソコンゲームの全盛期を築いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "PC-9800は日本国外でも販売され、英語のゲームソフトも多数開発された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "以下の一覧も参照のこと", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1981年には、「コンピュータ業界の巨人」と言われていたIBMがIBM PCを発売し、欧米ではこれが標準的なコンピュータとなり普及した。またIBM PCのクローンを作るコンピュータメーカーが多数登場し、クローンマシンの群は「IBM PC コンパチブル」「PC/AT互換機」と呼ばれるようになり、IBM PCの仕様はデファクトスタンダード化した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "IBM PC(やそのクローン)は、基本はオフィスで使う想定で設計されたマシンではあるが、ゲームに使うということも行われた。たとえばアメリカの企業などの重役や中間管理職の部屋(※)にIBM PCが設置されている場合でも、基本は仕事のために使っていたにしても、一方でデスクの引き出しの中にはゲームソフトを1~3個ほど潜ませておいて、仕事の合間に息抜きにゲームをして遊ぶようなことは一般的だったと英語圏では言われている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1982年にCommodore 64(コモドール64。略称 C64)の量産および販売が始まった。C64は欧米の一般家庭の人々に爆発的に売れた。C64はRFモジュレータ内蔵であったため、本体をそのまま家庭用テレビに接続して安価に使うことでき、また輝度信号と色信号に分離して出力可能なコンポジット映像信号出力端子も備えていたため、それに対応する別売専用モニターを接続すればより美しい出力を得ることもできた。コモドールは販売戦略にも長けていて、認定代理店で販売するだけでなく、デパートや玩具店やディスカウントストアでもC64を販売した。販売総数は1982年の量産開始から1993年の販売終了までに、1250万から1700万台ほどにおよんだとされており、単一機種としては最も販売台数の多いパーソナルコンピューターであり、今もこの記録は破られていない。1983年から1986年の間、C64は毎年200万台以上売れ、市場シェアは30%~40%にもおよんだ。競合機のPC/AT互換機やAppleの製品やAtariの8ビットファミリーよりもよく売れていた驚異的なマシンであり、家庭ではもっとも一般的なパソコンだったのである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "このC64向けに1万種を超えるソフトウェアが制作・販売されたとされており、家庭用のパソコンなのでまるでゲームマシンのように使う人も多く、C64向けに2000本を超えるゲームソフトが制作・販売された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なお日本の市場では、パソコンとしてはNECのパソコン群との競合、ゲームマシンとしては日本のファミコンとの競合が起き、また日本語への適応もあまり良くなかった、などの諸事情が重なり、あまり販売数が伸びず日本では知名度が上がらなかった。だが欧米の人々にとっては、今なお1980年代のゲームマシンのようなパソコンとして圧倒的な知名度がある機種である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2018年には復刻版のC64版がミニチュアサイズ、HDMI、USB端子つき、ジョイスティックつき、ゲームソフト64本こみで発売された(THEC64 Mini)。2019年にはC64の復刻盤、HDMI端子つき、実物大つまり1980年代当時のサイズで、おまけにキーボードのタッチ感も再現したものが、やはりゲームソフト64本プリインストール済みの状態で発売された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1987年にシャープから発売されたX68000はコアゲーマーから熱狂的な支持を受けた。MPUとして、それまで日本のパソコンでは使われていなかったモトローラのMC68000(Macintoshに搭載されていたもの)が搭載されていたこともあるが、なによりも当時としては大容量を誇るVRAMと強力なグラフィックコントローラ群によって実現された65,536色の多色グラフィックとスプライト機能、FM音源8チャンネル+ADPCM1チャンネル、1MBのメインメモリ(最大12MB)などの周辺回路により、総合的に競合製品を凌駕するホビーマシンとしての性能を備えていたからである。このX68000はゲームクリエイターを育成するための専門学校の実習機としても採用され、良質なゲームが多く作られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1990年代前半頃から3Dゲームが流行する。1990年代前半のパソコンゲームの中でも、特に3D描画を前面に押し出したタイトルを挙げるとすれば、DOOM、Duke Nukem 3D、DESCENT、MechWarrior 2、MYST、ニード・フォー・スピード、レミングスなどがある。何れも初版はCPUのみでレンダリングを行っていた。画面解像度は640x480や800x600程度で、フレームレートも少なく、生ポリゴンの使用も多く、テクスチャマッピングは行われていても粗かった。高品質な描画でもフラットシェーディングの採用が多かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "アーケードゲーム基板はメーカーの独自開発により複数のCPUや3Dアクセラレータが搭載可能になっていたため、当時のCGワークステーションに匹敵するような高品質な3Dを描画できた。アーケードゲームの流れを受け、パソコンゲームでも高品質なグラフィックを実現することを目標に3Dアクセラレータの開発が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "とはいえ、すべてのゲーマーが3Dゲーム指向だったわけではなく、2Dゲームのほうを好んでいたゲーマーも多かった。2Dゲームは、1970年代後半から常に遊ばれ続け、1990年代前半でもその状況は変わらなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1995年、安価にパソコン用の3Dアクセラレータチップを作れるようになり、NVIDIAのNV1,ATiの3D Rage,MatroxのMystique,S3 GraphicsのViRGE,RenditionのVérité V1000などが一斉に登場した。1996年には、一世を風靡した3dfxのVoodoo Graphicsや、影は薄かったもののNECのPowerVR PCX1も登場した。この出来事によって、初めてパソコンゲームでハードウェア支援による高速な3D機能が利用可能となった。但し、技術の限界から限定的な描画プロセスしか扱えないため、透視変換やライティングなどの複雑なジオメトリ計算はCPUに一任されており、まだGPUとは呼べないものであった。また、グラフィックAPIについて統一規格と呼べるものは未だなく、各社が異なるグラフィックAPIを提唱していた。例えば、NVIDIAは曲面描画API,ATiはATI3DCIF,S3 GraphicsはS3d,3dfxはGlideを提唱していた。これらの規格の違いで各社のグラフィックカードで遊べるゲームソフトが各々限定的になってしまった。また、ユーザー自身が購入するゲームソフトに応じてグラフィックカードの差異を強く意識しなければならず、プレイ環境一式を揃えようとすると非常に高価であることから、一般からは時期尚早として敬遠された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "3Dゲームについて言えば、1990年代後半は3Dグラフィックスの可能性を試すようなソフトが多数発売された。主にFPS、レース、フライトシミュレータが多数を占めた。数は少ないが、日本のゲームメーカーによるアーケードゲームの移植も行われ、特にセガはセガラリー、バーチャファイター、電脳戦機バーチャロンなど、最先端の3Dゲームを続々と移植した。ただしこの時代のパソコンのスペックでは、3Dゲームの多くは荷が重すぎた。またメーカーの独自規格に依存したゲームも多く、自由にゲームパッドが選べなかったり、多少の環境差異でゲームが起動しなくなることも多かった。インストールや設定で不親切なゲームも多かった。デバイスドライバの問題によるパソコンのクラッシュも日常的に起きていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "この時代の3Dパソコンゲームには、Quake,Unreal,Half-Life,Flight Simulator 95があり、ネットゲームには上記のオンラインRPGなどがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1995年8月にMicrosoftから完全なGUIを備えたOSであるWindows 95が発売され、世界中で使いやすさが評価された。そして、1995年10月にMicrosoftから統一規格のグラフィックAPIであるDirectX 1.0が発表されると、グラフィックベンダーの独自規格は廃れていった。1999年にハードウェアT&Lを備えたGeForce256が、世界で初めて「GPU」と称して発売された。透視変換やライティングなどを行うジオメトリエンジンがハードウェア実装されたGeForce256の発売で、CPUが重い負荷から開放されたことで、グラフィック処理が劇的に高速化し、パソコンゲームのグラフィックは最先端のゲーム機と並ぶようになった。ハードウェアT&L以降はCPUとGPUというプロセッサの役割分担が明確化した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "Windows 95が普及しはじめたこの段階で、コンピュータは「パソコン愛好家」や「マイコン愛好家」だけのものではなく「一般人」のものになりはじめており、すでに素朴なレベルのパソコンゲームは一般人の娯楽の選択肢となっていた。パソコンショップに行けば、たとえば素朴な2Dシューティングのパソコンゲーム、チェスや将棋などのボードゲーム、戦略シミュレーションゲームなどのパソコンゲームも「Windows 95用」とパッケージに明記された状態で店頭に並べられて販売されていたからである。この時代でも2Dゲームは家庭用で快適に遊ぶことができた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "一方でPC/AT互換機の普及の前に国産PCは次々と撤退、日本のゲームメーカーはそれに伴ってパソコンゲームから撤退し当時流行の32bit/64bitゲーム機に移ったことで、日本では急激な市場の縮小を招いた。PCゲーマーであった原田勝弘(バンダイナムコ)は、当時はゲーム機の大ヒットで頂点に立っていたようにみえた日本のゲーム業界も、実はこの頃から弱体化が始まっていたと述べている。その代わり、以前から存在した同人ゲーム、アダルトゲームに加え、インターネットからダウンロードするフリーゲームが大きな位置を占めるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1990年代には既にネット対戦機能を搭載したゲームも発売され、LANパーティーなどのネット対戦がパソコンマニアの間で徐々に普及した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1997年にMORPGのディアブロが発売され、MMORPGのウルティマオンラインも発売された。1998年には韓国製MMORPGのリネージュが発売された。何れも発売当時のパソコンやネット回線では極めて負荷が高く、滑らかには動作しなかったが、ハード側の性能向上により人気も増加し、これらは今日では多人数参加によるRPGの先駆的なゲームソフトとして知られている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1990年代後半に入りネット対戦機能を備えたゲームが増えたことで、LANパーティーも次第に隆盛し、1997年に世界初のプロゲーマー参加型のe-Sports大会である「サイバーアスリート・プロフェッショナル・リーグ」がアメリカで開催された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "インターネットの利用が一般人の生活にも浸透してくると、パソコンの低価格化とネット回線の高速化と常時接続の普及で、ゲームマニアの間でネットゲームが流行し始めた。ネット回線が高速化したことで、MMORPGが実用的になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2000年代以降、パソコンがオフィスの必須道具となり、普及に加速がかかった。パソコン価格も、販売台数が増え、ロットが増えた分、一台あたりの低価格化が進んだ。インターネットも常時接続の時代を迎え徐々に普及していき、ネットカフェも増えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "この時代は3Dパソコンゲームのタイトルが非常に増えた。代表的なものを挙げるとするとたとえばHALO、Half-Life 2、Far Cry、DOOM3、Battlefield、Grand Theft Auto 3、Crysis、ニード・フォー・スピードなどである。コンシューマゲーム機の前に劣勢だったゲームソフトのネームバリューも充実した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "一方でその当時のハイエンドパソコンでしか遊べないゲームが多くリリースされ、プレイ環境一式の価格を考えるとマニア向けの娯楽に留まっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "パソコンは1970年代に登場した時から、利用者の性能需要に応えるべく常に性能を向上させ続けており、メーカーは2000年代も同様に性能を向上させつづけていた。2000年代はプログラマブルシェーダーの実用化など、パソコンのGPUがグラフィックの牽引役を担った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "PCメーカーや半導体メーカーによって際限のない性能向上の競争が続けられ、その結果、マルチコアCPUや、数GBのメインメモリの搭載が当たり前になると、美麗な3Dパソコンゲームも一般人の娯楽の選択肢として現実的になった。また、ゲーミングパソコンも10~20万円程度で手に入るようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "一般人もパソコンやオンラインサービスの利用に慣れ、ネットゲームも違和感なく受け入れられる人の割合が増えた。動画共有サービス・SNSなどでゲーム動画や実況プレイ動画をアップロードすることも流行していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ECサイトでのソフトの購入や、ユーザーフレンドリーなゲームインストール環境であるSteamなども普及し、パソコンゲームはより身近なものになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2010年代にはゲームメーカーのマルチプラットフォーム戦略の一環で、コンシューマゲーム機のみで展開していたソフトがSteamで大量に供給され始めると、パソコンゲームとコンシューマゲームの区別がなくなる傾向も進んだ。オンラインでゲームが売買されることが当たり前になり、操作説明もゲーム内で用意されるようになり、むしろゲームのパッケージ販売がマニア向けになっていった。パソコン発のオンラインゲームのMinecraftはコンシューマーからも大きな人気を集めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2010年代も中盤に入ると、最早ゲームマシンの違いを問う意味もない程にマルチプラットフォーム化が進められた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "パソコンゲームの対戦の大会に若者が熱中しはじめ、それがいろいろな意味で「金のなる木」になると気付いた企業もそれを後押しし、それを「e-Sports」と呼び、世論もかつてのゲーム有害論から転換していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2010年代末ころから、VRヘッドセットやVRコントローラが安価になってきたことにより、パソコンゲームは没入感を高める方向で進化を続けている。また他のサービスとの連携も模索している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "また3Dゲームのブームが一段落したことで2Dゲームも再評価がされている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "一言にパソコンと言っても、OSはいくつもある。Windowsでも、MacOSでも、Linuxでもパソコンゲームは遊ぶことができるが、1990年代後半~2000年代はPC/AT互換機のWindows向けが圧倒的に多い状況だった。2010年代のマルチプラットフォーム化の進展により、MacOSやLinux対応のものは増えている。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1995年にWindows 95が発売されて以降は、PCにおけるゲームの販売数(売上金額)でWindows/DirectX向けが圧倒的に多い状況になっている。フリーゲームも同様である。DirectX向けのGPUにはNVIDIA GeForceやAMD Radeonがある。2016年現在でもOpenGLやmacOS、Linux向けにゲームは開発されているが、大手パブリッシャーから出ているゲームはWindowsからの移植がほとんどで、Windows以外のOS向けにゲームの開発を手がけるパブリッシャーはPangea Softwareなど非常に少数である。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "Windows 10ではWindowsストアのアプリ基盤としてユニバーサルWindowsプラットフォームがあり、Xbox Oneなども対応している。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "Macも、機種によってCPUの性能が異なるが、近年の機種で言えばMacBook ProのCPUの性能はMacの中でも高いので、グラフィックの性能を求めるゲームの処理も軽々とこなすことができる。たとえばMinecraftなどもサクサクと動く。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "SteamでもMacOS対応のゲームがダウンロードできる。Steam内のMac対応ゲームのページを開けばよい。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "特に2020年11月に高性能なApple M1チップが発表され、同チップが搭載されたMacが市販されるようになってからは、ゲームコミュニティの中でMacOSの評価が以前よりも高くなった。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "Linux向けのゲームも多数開発されている。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "無料のゲームが多く流通している。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "SteamからLinux用のゲームをダウンロードして遊ぶこともできる。さらにSteamにはSteam Playというしくみ、もともとWindows向けのはずのゲームをLinux上で動作させる仕組みがあるので、Linux上でWindows向けのゲームも遊ぶことができる。一言でLinuxと言ってもさまざまなディストリビューション(Linuxのなかの種類)があるが、特にUbuntuはSteamの公式対応となっているので(Steam上のLinux向けゲームを)容易に動かすことができる。他の種類のLinuxについては、それなりの工夫が必要となる場合も多い。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "Linuxでレトロゲームを動かすためのソフトウェア類が無料で多数公開されており、それに役立つハードウェア類も多数販売されている。レトロゲームを動かしたいならば、WindowsよりもむしろLinuxのほうが適している、と言えるくらいにLinuxはそのたぐいのソフトウェアやハードウェアが充実している。Linuxが動いているRaspberry Piを(かつてのファミコンなどのゲームが非常に多種類動くような)ゲーム専用のマシンに仕立てあげることも、Raspberry Piユーザたちや、Makers(メイカーズムーブメントの実行者たち)の間ではそれなりに流行している。", "title": "各OS" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2002年に発表されたSteamが徐々に一般化したことで、パソコンゲームの流通に大きな変化が起きた。(後述)", "title": "PCゲーム市場の状況" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2010年以降、PC上でしかプレイできないマルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ (MOBA) というジャンルの急激な普及と、エレクトロニック・スポーツやTwitchなどのライブストリーミング配信プラットフォームで観戦して楽しむ人達の増大が、PCゲームの市場規模拡大を後押ししている。今後もスマートフォンと並んでゲーム市場の成長の牽引役となることが予測されている。", "title": "PCゲーム市場の状況" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "久夛良木健によれば、PCでのゲーム開発環境ひいてはゲームプレイ環境の充実により、ゲームタイトル開発における家庭用ゲームとPCゲームのプラットフォームの融合も進んでいる。", "title": "PCゲーム市場の状況" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "日本におけるPCゲーム市場は、21世紀冒頭までニッチ市場から脱してない状況だった。ニッチ市場ということもあり、Steamなどでは少数の人々から大きく利益を得ようとするため高価格な傾向がある。 任天堂とソニーという二大ゲーム機メーカーの本拠地であり(かつてはセガなどのゲーム機も存在)、特に国産PC壊滅後、パソコンゲーム市場は死に体となっていた。フィーチャーフォン、低価格のスマートフォンの普及(日本ではコンソールゲームやアーケードゲームの市場が衰退するほど進んでいる)の影響も受けている。日本語表示に対応してないソフトが多かったのも原因である。", "title": "PCゲーム市場の状況" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "そのような状況が続いていた日本のPCゲーム市場は、近年になって復興の兆しをみせている。2010年代になって3000万ドルの規模になり、Steam総ユーザ数のうち、日本ユーザは4 - 5%まで増えている。2020年代からはSteamの日本ユーザーがもう一度大幅に増加する動きがある。それに合わせて、日本語公式対応のPCゲームソフトも増えつつある。日本語未対応のソフトも、ユーザー側が非公式翻訳パッチを制作・公開するケースも増えた。", "title": "PCゲーム市場の状況" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "日本のPCゲーム市場では、ハイエンド指向が最も強い。", "title": "PCゲーム市場の状況" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "PCゲームをダウンロード販売している主なストア。総合的なストアは、幅広いデベロッパーのゲームを数多く揃えている傾向にある。ゲーム会社が独自に展開するストアは主に自社製品に特化したものであるが、サードパーティー製のゲームを取り扱っているものもある。その他のストアは、ゲームソフトの引き換えに必要なプロダクトキーを販売するストアであり、比較的安価に販売されているものが多い。(※括弧内はメーカーと、主な配信タイトル)", "title": "主なPCゲームストア" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "Steamについては特筆に値するので、特に一節を割いて説明する。", "title": "主なPCゲームストア" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "2002年に発表されたSteamは、ゲームのダウンロード販売と配信、著作権管理(アクティベーションによるコピーガード)、自動アップデート、そしてソーシャルネットワーク機能があり、完全なダウンロード販売のため、パッケージや説明書の印刷コストや流通コストも必要なくなり、ゲームの低価格化を促進した。さらに、Steamの特徴として常に何らかのセールを行い、年に数回の大規模セールでは4,000を超えるタイトルがセール対象となり、AAAタイトルでも50%引き〜75%引きなど高割引率での販売される。これは販売コストが低いダウンロード販売ならではの手法であり、セールによって売り上げの向上とさらなる利益をもたらしている。", "title": "主なPCゲームストア" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "これら、SteamやOriginやUplayは単なるゲームのダウンロード販売サイトでなく、ゲーム配信プラットフォームであり、CDキー(シリアル番号)の入力によって自社ストアからの購入でなくてもゲームをアカウントに追加することができる(購入したCDキーをアカウントの情報に登録する必要があるため、CDキーを2つ以上のアカウントで使い回す不正を防ぐことができる)。小売店においても在庫コストを要しないCDキーのみの販売とするメリットは大きく、2014年現在では世界のPCゲーム販売のほとんどがゲーム配信プラットフォームを介したものであり、パッケージソフトでの販売はごく少数にとどまっている。", "title": "主なPCゲームストア" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "高速インターネットの普及で大容量のPCゲームが数分~数時間でダウンロードし遊べる手軽さや、通信経由のため中間費用が一切かからないことによる低価格が市場を後押ししている。", "title": "主なPCゲームストア" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ハイエンドなゲーミングPCは、コンシューマーゲーム機(俗に言う家庭用ゲーム機)と比較して、より複雑かつ多量の処理をこなすことができる。多くのパソコンゲームは、このようなハイエンドパソコンで動作させることを前提として開発されている。そのためコンシューマーゲーム機よりも視覚的なクオリティが高められていることが多い。主に挙げられるのは、FHDや4K、8Kなどの高解像度、デュアルやトリプルディスプレイといった複数画面のサポート、120fpsを超える高速なフレームレート、影や水反射、テクスチャなど精密なグラフィック、アンチエイリアス処理による見た目の向上などさまざまなものが利用できる。またSSDなどの高速なストレージを搭載したPC構成においては、ゲームの起動やロード時間が短いなどの特徴をもつ。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "キーボードやマウスを始めとして、より幅広い入力デバイスやバーチャルリアリティを含む周辺機器がサポートされている。ゲームパッドやジョイスティック、ハンドルコントローラー、タッチパネル、3Dグラス、VRゴーグルなどがある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "一部のゲームではユーザー自身がゲームの拡張や修正、またはキャラクターをカスタマイズし、一種のDLCとしてそれらのデータを配布できる「MOD」と呼ばれる機能がある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "パソコンプラットフォームの決定的な特徴は、ソフトウェア頒布方法がシステムに制御されないことである(iOS/AndroidでいえばApp Store/Google Play、PlayStationでいえばPlayStation Storeのような縛りが存在しない)。よってプラットフォームによる「アップル税」などの経費、表現規制なども迂回できる。これによる利点は以下のソフトウェアコストの削減や自由な表現に繋がる。", "title": "特徴" } ]
パソコンゲームはパーソナルコンピュータで動作するコンピュータゲームである。
{{出典の明記|date=2021年5月}} {{画像提供依頼|パソコン用ゲームのイメージ(権利に注意)|date=2023年4月}} [[File:Paku-paku4-dos.png|thumb|''Paku Paku''は[[パックマン]]の[[クローンゲーム]]。]] {{コンピュータゲームのサイドバー}} {{コンピュータゲーム産業}} '''パソコンゲーム'''('''PCゲーム'''、{{lang-en-short|[[w:PC game|PC game]]}})は[[パーソナルコンピュータ]]で動作する[[コンピュータゲーム]]である。 == 歴史 == === 前史 === {{main|ゲームソフト#歴史}} この世にパーソナルコンピュータが登場する前、つまりこの世に[[大型コンピュータ]]や[[ミニコン]]しかなかった時代から、エンジニアたちや大学院生たちはゲームソフトを制作して遊んでいた。 === 黎明期のパーソナルコンピュータ用のゲームソフト === パーソナルコンピュータは、愛好家たちによって常にゲーム目的で使用されてきた。 [[1975年]]に「史上初の市販の[[パーソナルコンピュータ]]」とされる[[Altair 8800]]が登場し、[[1970年]]代後半に次々とパーソナルコンピュータの新しい機種が登場してくるとゲームソフトの数も急激に増えてゆくことになった。一例を挙げると1976年には[[スティーブ・ウォズニアック|ウォズニアック]]と[[スティーブ・ジョブズ]]が[[Apple I]]を、翌[[1977年]]には[[Apple II]]を発売し、そのApple II用に次々とゲームソフトが制作されてゆくことになり、最初はApple IIの開発者のウォズニアックが書いたBreak Outつまり[[ブロックくずし]]など数本だけであったが、その後はさまざまな組織が制作・発売することになり、1978年には17本前後、1979年には21本前後、1980年には25本前後といった調子で制作されていったのである(→[[:en:List of Apple II games]]を参照)。また1977年には[[コモドール]]社が[[PET 2001|Commodore PET]]というパーソナルコンピュータを発売し、そのPET用にも多くのゲームソフトが制作されていった(→[[:en:List of Commodore PET games]]を参照)。Apple IIやPET用のゲームソフトの供給の形としては、[[カセットテープ]](オーディオ用のカセットテープをデータ記録用に用いる[[データレコーダ]]でデータの書き込み、読み出しを行うもの)、[[フロッピーディスク]]、雑誌の誌面の文字などであった。 また1976年に日本でNECから発売された[[TK-80]]という[[Intel 8080|8080]]互換CPUのトレーニング用ボードでも、表示装置は8桁の[[7セグメントディスプレイ|7セグメントLED]]しかなかったにもかかわらず、当時のコンピュータ・マニア([[マイコン]]愛好家)たちはそんな表示装置だけでも遊べるゲームソフトをさっそく[[16進数]]の[[機械語]]で書き始めた。さらに1977年11月に[[TK-80BS]]という拡張キットが発売されテレビ画面に表示ができ[[BASIC]]も動くようになると、マニアたちは文字[[キャラクタ (コンピュータ)|キャラクタ]](文字[[フォント]])を画面に表示することで簡素な図を表現して遊べるゲームを次々と制作、まもなくドットつまり画面上の黒くて小さな点<!--{{要曖昧さ回避|date=2021年4月}}-->単位で表示を制御してゲームを制作することも行い始め、1978年に世の中で[[スペースインベーダー]]が流行り始めるとマニアたちはまもなくそれの動作原理も解析し、機械語+[[BASIC]]などでプログラムを書きTK-80BSに移植した。1978年にはシャープから[[MZ-80K]]が発売され、同機用のゲームをマニアたちや企業などが制作し、誌面の印刷文字などで供給され一文字づつ入力したり、カセットテープの形で供給でされたりした。ゲームソフトウェアを文字入力する場合、それがどのようにユーザに届けられていたかというと、1976年には『[[I/O (雑誌)|I/O]]』というマイコン雑誌が創刊され、そこにコンピュータゲームのプログラムがBASICや16進数の機械語で書かれた状態で紙面に印刷され、マニアたちがそれを、一文字一文字、手で入力して遊ぶなどということがさかんに行われるようになっていたのである。1982年5月には日本ソフトバンク社(現・ソフトバンクグループ)からゲームソフトのソースプログラムも掲載した(号によっては大量のダンプリストも掲載した)雑誌『[[Oh!X|Oh!MZ]]』が創刊(6月号)となった。 この段階のパソコンゲームですでに、ゲームにはまってしまい何日もやり続けるなど、[[ゲーム依存症|一種の依存症]]、一種の中毒になる人たちもいた。 {{Gallery|width=200 |File:Mystery House - Apple II - 2.png|[[Apple II]]用ゲームソフト、[[ミステリーハウス|Mystery House]]([[1980年]]、Siera社より発売。1987年に権利者が[[パブリックドメイン]]へと移行させた。)コマンド入力させ、行動を選択させる。 |File:Mystery House - Apple II - 3.png|Mystery Houseの室内 |File:Prince of Persia 1 - Apple II.png|Apple II用ゲームソフト、『[[プリンス・オブ・ペルシャ]]』(1989年、[[ブローダーバンド]]社より発売、[[:en:Jordan Mechner]]制作) }} === PC8001、PC8800、PC9800のゲーム === {{see also|PC-9800シリーズ#日本のパソコンゲーム文化}} 1979年にNECからPC-8001シリーズ、1981年に[[PC-8800シリーズ]]が発売されると、パソコン愛好家たちは、こぞってゲームの制作・ソースコードの打ち込み・購入・プレイなどに熱中した。 [[スペースインベーダー]]、[[ギャラクシアン]]、[[ムーンクレスタ]]、[[ゼビウス]]などの人気タイトルが次々と移植され、麻雀ソフトも流行した。このPC-8001用に[[信長の野望 (初代)|初代『信長の野望』]]も開発・販売され、国産パソコンゲームの数少ない長寿タイトルとなっている。 :[[:Category:PC-8001用ゲームソフト]] :[[:Category:PC-8800用ゲームソフト]] :英語圏のみで発売されて日本では販売されなかったソフトも多いので[[:en:List of PC-88 games]]も参照のこと。 1982年に日本電気(NEC)が、業務に使える水準に性能を向上させた[[PC-9800]]シリーズを発売すると、大企業からマニアまで急速に普及した。パソコンの愛好家たちやゲームメーカーは、高性能化したPC-9800を使って多数のゲームを展開し、国産パソコンゲームの全盛期を築いた。 PC-9800は日本国外でも販売され、英語のゲームソフトも多数開発された。 以下の一覧も参照のこと :[[PC-9800シリーズのゲームタイトル一覧]] :[[:Category:PC-9800シリーズ用ゲームソフト]](英語圏でのみ発売され日本では販売されなかったソフトも多いので)[[:en:List of PC-98 games]]も参照のこと。 === IBM PCとクローンマシーン用のゲーム === 1981年には、「コンピュータ業界の巨人」と言われていた[[IBM]]が[[IBM PC]]を発売し、欧米ではこれが標準的なコンピュータとなり普及した。またIBM PCのクローンを作るコンピュータメーカーが多数登場し、クローンマシンの群は「IBM PC コンパチブル」「[[PC/AT互換機]]」と呼ばれるようになり、IBM PCの仕様は[[デファクトスタンダード]]化した。 IBM PC(やそのクローン)は、基本はオフィスで使う想定で設計されたマシンではあるが、ゲームに使うということも行われた。たとえばアメリカの企業などの重役や中間管理職の部屋(※)にIBM PCが設置されている場合でも、基本は仕事のために使っていたにしても、一方でデスクの引き出しの中にはゲームソフトを1~3個ほど潜ませておいて、仕事の合間に息抜きにゲームをして遊ぶようなことは一般的だったと英語圏では言われている。 :: ※ アメリカのオフィスというのは、プライバシーが守られやすい傾向が強い。重役の場合原則的に完全に密閉した個室形式であるし、中間管理職程度の人でも背の高い[[パーティション (用品)|パーティション]]でしっかり区切られ秘密やプライバシーが護られやすい構造になっている。つまりデスク上やディスプレイが他の従業員には直接見えないことが多い。その結果アメリカでは中ランク以上の社員たちは、コンピュータのスピーカから音が出ない設定にさえしておけば、業務用ソフトで真面目に仕事をしているのかゲームソフトで遊んでいるのか他の従業員には分からないので、オフィスでIBM PC(やクローン)を使って遊ぶこともできた。というわけで、IBM-PCおよびクローンマシン用のゲームソフトも多数作られた。 :[[:en:List of self-booting IBM PC compatible games]] === Commodore 64のゲーム === 1982年に[[コモドール64|Commodore 64]](コモドール64。略称 C64)の量産および販売が始まった。C64は欧米の一般家庭の人々に爆発的に売れた。C64は[[RFモジュレータ]]内蔵であったため、本体をそのまま家庭用テレビに接続して安価に使うことでき、また輝度信号と色信号に分離して出力可能なコンポジット映像信号出力端子も備えていたため、それに対応する別売専用モニターを接続すればより美しい出力を得ることもできた。コモドールは販売戦略にも長けていて、認定代理店で販売するだけでなく、デパートや玩具店やディスカウントストアでもC64を販売した。販売総数は1982年の量産開始から[[1993年]]の販売終了までに、1250万から1700万台ほどにおよんだとされており、単一機種としては最も販売台数の多い[[パーソナルコンピューター]]であり、今もこの記録は破られていない<ref name="Reimer1">{{Cite web|url= http://www.jeremyreimer.com/total_share.html|title=Personal Computer Market Share: 1975-2004|last= Reimer|first=Jeremy|accessdate=2009-07-17}}</ref><ref name="PageTable">{{Cite web|url= http://www.pagetable.com/?p=547|title=How many Commodore 64 computers were sold?|accessdate=2011-02-01}}</ref>。1983年から1986年の間、C64は毎年200万台以上売れ、'''市場シェアは30%~40%'''にもおよんだ<ref name="Reimer">{{Cite web|url= http://arstechnica.com/articles/culture/total-share.ars/4|title=Total share: 30 years of personal computer market share figures|last=Reimer|first=Jeremy|publisher=Ars Technica|accessdate=2008-09-13}}</ref>。競合機の[[PC/AT互換機]]や[[Apple]]の製品や[[Atari 8ビット・コンピュータ|Atariの8ビットファミリー]]よりもよく売れていた驚異的なマシンであり、家庭ではもっとも一般的なパソコンだったのである。 このC64向けに1万種を超えるソフトウェアが制作・販売されたとされており、家庭用のパソコンなのでまるでゲームマシンのように使う人も多く、C64向けに'''2000本を超えるゲームソフト'''が制作・販売された。 *'''[[:en:List of Commodore 64 games (A–M)]]''' - 1301 タイトル *'''[[:en:List of Commodore 64 games (N–Z)]]''' - 749 タイトル なお日本の市場では、パソコンとしてはNECのパソコン群との競合、ゲームマシンとしては日本の[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]との競合が起き、また日本語への適応もあまり良くなかった、などの諸事情が重なり、あまり販売数が伸びず日本では知名度が上がらなかった。だが欧米の人々にとっては、今なお1980年代のゲームマシンのようなパソコンとして圧倒的な知名度がある機種である。 2018年には復刻版のC64版がミニチュアサイズ、HDMI、USB端子つき、[[ジョイスティック]]つき、ゲームソフト64本こみで発売された(THEC64 Mini)<ref>[https://itlifehack.jp/archives/9878380.html]</ref>。2019年にはC64の復刻盤、HDMI端子つき、実物大つまり1980年代当時のサイズで、おまけにキーボードのタッチ感も再現したものが、やはりゲームソフト64本プリインストール済みの状態で発売された<ref>[https://retrogames.biz/thec64]</ref>。 === シャープX68000のゲーム === 1987年にシャープから発売された[[X68000]]はコアゲーマーから熱狂的な支持を受けた。MPUとして、それまで日本のパソコンでは使われていなかったモトローラの[[MC68000]](Macintoshに搭載されていたもの)が搭載されていたこともあるが、なによりも当時としては大容量を誇るVRAMと強力なグラフィックコントローラ群によって実現された65,536色の多色グラフィックとスプライト機能、FM音源8チャンネル+ADPCM1チャンネル、1MBのメインメモリ(最大12MB)などの周辺回路により、総合的に競合製品を凌駕するホビーマシンとしての性能を備えていたからである。このX68000はゲームクリエイターを育成するための専門学校の実習機としても採用され、良質なゲームが多く作られた。 :[[:Category:X68000用ゲームソフト]]も参照のこと。 === 3Dゲームの流行 === 1990年代前半頃から3Dゲームが流行する。1990年代前半のパソコンゲームの中でも、特に3D描画を前面に押し出したタイトルを挙げるとすれば、[[DOOM]]、[[Duke Nukem|Duke Nukem 3D]]、[[DESCENT]]、[[バトルテック|MechWarrior 2]]、[[MYST]]、[[ニード・フォー・スピード]]、[[レミングス]]などがある。何れも初版はCPUのみで[[レンダリング]]を行っていた。画面解像度は640x480や800x600程度で、フレームレートも少なく、生[[ポリゴン]]の使用も多く、[[テクスチャマッピング]]は行われていても粗かった。高品質な描画でも[[シェーディング|フラットシェーディング]]の採用が多かった。 アーケードゲーム基板はメーカーの独自開発により複数のCPUや3Dアクセラレータが搭載可能になっていたため、当時のCGワークステーションに匹敵するような高品質な3Dを描画できた。アーケードゲームの流れを受け、パソコンゲームでも高品質なグラフィックを実現することを目標に3Dアクセラレータの開発が行われた。 とはいえ、すべてのゲーマーが3Dゲーム指向だったわけではなく、2Dゲームのほうを好んでいたゲーマーも多かった。2Dゲームは、1970年代後半から常に遊ばれ続け、1990年代前半でもその状況は変わらなかった。 === 3Dアクセラレータ === [[1995年]]、安価にパソコン用の3Dアクセラレータチップを作れるようになり、[[NVIDIA]]の[[NV1]],[[ATI Technologies|ATi]]の3D Rage,[[Matrox]]の[[Matrox Millennium|Mystique]],[[S3 Graphics]]のViRGE,RenditionのVérité V1000などが一斉に登場した。1996年には、一世を風靡した[[3dfx]]のVoodoo Graphicsや、影は薄かったものの[[日本電気|NEC]]の[[PowerVR]] PCX1も登場した。この出来事によって、初めてパソコンゲームでハードウェア支援による高速な3D機能が利用可能となった。但し、技術の限界から限定的な描画プロセスしか扱えないため、透視変換やライティングなどの複雑なジオメトリ計算はCPUに一任されており、まだGPUとは呼べないものであった。また、グラフィックAPIについて統一規格と呼べるものは未だなく、各社が異なるグラフィックAPIを提唱していた。例えば、[[NVIDIA]]は曲面描画API,[[ATI Technologies|ATi]]はATI3DCIF,[[S3 Graphics]]はS3d,[[3dfx]]はGlideを提唱していた。これらの規格の違いで各社のグラフィックカードで遊べるゲームソフトが各々限定的になってしまった。また、ユーザー自身が購入するゲームソフトに応じてグラフィックカードの差異を強く意識しなければならず、プレイ環境一式を揃えようとすると非常に高価であることから、一般からは時期尚早として敬遠された。 3Dゲームについて言えば、1990年代後半は3Dグラフィックスの可能性を試すようなソフトが多数発売された。主にFPS、レース、フライトシミュレータが多数を占めた。数は少ないが、日本のゲームメーカーによるアーケードゲームの移植も行われ、特にセガはセガラリー、バーチャファイター、電脳戦機バーチャロンなど、最先端の3Dゲームを続々と移植した。ただしこの時代のパソコンのスペックでは、3Dゲームの多くは荷が重すぎた。またメーカーの独自規格に依存したゲームも多く、自由にゲームパッドが選べなかったり、多少の環境差異でゲームが起動しなくなることも多かった。インストールや設定で不親切なゲームも多かった。デバイスドライバの問題によるパソコンのクラッシュも日常的に起きていた。 この時代の3Dパソコンゲームには、[[Quake]],[[Unreal]],[[ハーフライフ (ゲーム)|Half-Life]],[[Microsoft Flight Simulator|Flight Simulator 95]]があり、ネットゲームには上記のオンラインRPGなどがある。 === Windows 95の登場 === 1995年8月に[[マイクロソフト|Microsoft]]から完全なGUIを備えたOSである[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]が発売され、世界中で使いやすさが評価された。そして、1995年10月に[[マイクロソフト|Microsoft]]から統一規格のグラフィックAPIである[[Microsoft DirectX|DirectX]] 1.0が発表されると、グラフィックベンダーの独自規格は廃れていった。[[1999年]]に[[Graphics Processing Unit|ハードウェアT&L]]を備えた[[NVIDIA GeForce|GeForce256]]が、世界で初めて「[[Graphics Processing Unit|GPU]]」と称して発売された。透視変換やライティングなどを行う[[ジオメトリエンジン]]がハードウェア実装されたGeForce256の発売で、CPUが重い負荷から開放されたことで、グラフィック処理が劇的に高速化し、パソコンゲームのグラフィックは最先端のゲーム機と並ぶようになった。[[Graphics Processing Unit|ハードウェアT&L]]以降はCPUとGPUというプロセッサの役割分担が明確化した。 Windows 95が普及しはじめたこの段階で、コンピュータは「パソコン愛好家」や「マイコン愛好家」だけのものではなく「一般人」のものになりはじめており、すでに素朴なレベルのパソコンゲームは一般人の娯楽の選択肢となっていた。パソコンショップに行けば、たとえば素朴な2Dシューティングのパソコンゲーム、チェスや将棋などのボードゲーム、戦略シミュレーションゲームなどのパソコンゲームも「Windows 95用」とパッケージに明記された状態で店頭に並べられて販売されていたからである。この時代でも2Dゲームは家庭用で快適に遊ぶことができた。 一方で[[PC/AT互換機]]の普及の前に国産PCは次々と撤退、日本のゲームメーカーはそれに伴ってパソコンゲームから撤退し当時流行の32bit/64bitゲーム機に移ったことで、日本では急激な市場の縮小を招いた。PCゲーマーであった[[原田勝弘 (ゲームクリエイター)|原田勝弘]]([[バンダイナムコ]])は、当時はゲーム機の大ヒットで頂点に立っていたようにみえた日本のゲーム業界も、実はこの頃から弱体化が始まっていたと述べている<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/interview/180428#i-4 格ゲー“暗黒の10年”は、『鉄拳』を世界一売れる格闘ゲームへと鍛え上げた──世界市場に活路を拓いた戦略を訊く【バンダイナムコ原田勝弘インタビュー/西田宗千佳連載】]</ref>。その代わり、以前から存在した[[同人ゲーム]]、[[アダルトゲーム]]に加え、インターネットからダウンロードする[[フリーゲーム]]が大きな位置を占めるようになった。 === インターネットゲームの黎明 === 1990年代には既にネット対戦機能を搭載したゲームも発売され、[[LANパーティー]]などのネット対戦がパソコンマニアの間で徐々に普及した。 [[1997年]]に[[MORPG]]の[[ディアブロ (ゲーム)|ディアブロ]]が発売され、[[MMORPG]]の[[ウルティマオンライン]]も発売された。[[1998年]]には韓国製[[MMORPG]]の[[リネージュ]]が発売された。何れも発売当時のパソコンやネット回線では極めて負荷が高く、滑らかには動作しなかったが、ハード側の性能向上により人気も増加し、これらは今日では多人数参加によるRPGの先駆的なゲームソフトとして知られている。 1990年代後半に入りネット対戦機能を備えたゲームが増えたことで、[[LANパーティー]]も次第に隆盛し、[[1997年]]に世界初のプロゲーマー参加型の[[エレクトロニック・スポーツ|e-Sports]]大会である「サイバーアスリート・プロフェッショナル・リーグ」が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で開催された。 インターネットの利用が一般人の生活にも浸透してくると、パソコンの低価格化とネット回線の高速化と常時接続の普及で、ゲームマニアの間でネットゲームが流行し始めた。ネット回線が高速化したことで、[[MMORPG]]が実用的になった。 === ヒット作の増加 === 2000年代以降、パソコンがオフィスの必須道具となり、普及に加速がかかった。パソコン価格も、販売台数が増え、ロットが増えた分、一台あたりの低価格化が進んだ。インターネットも常時接続の時代を迎え徐々に普及していき、[[ネットカフェ]]も増えた。 この時代は3Dパソコンゲームのタイトルが非常に増えた。代表的なものを挙げるとするとたとえば[[HALO (ビデオゲームシリーズ)|HALO]]、[[ハーフライフ2|Half-Life 2]]、[[Far Cryシリーズ|Far Cry]]、[[Doom 3|DOOM3]]、[[バトルフィールド (コンピューターゲーム)|Battlefield]]、[[グランド・セフト・オートIII|Grand Theft Auto 3]]、[[CRYSIS|Crysis]]、[[ニード・フォー・スピード]]などである。コンシューマゲーム機の前に劣勢だったゲームソフトのネームバリューも充実した。 一方でその当時のハイエンドパソコンでしか遊べないゲームが多くリリースされ、プレイ環境一式の価格を考えるとマニア向けの娯楽に留まっていた。 === PC性能の向上 === パソコンは1970年代に登場した時から、利用者の性能需要に応えるべく常に性能を向上させ続けており、メーカーは2000年代も同様に性能を向上させつづけていた<ref group="注">1970年代から[[指数関数]]的に性能を向上させ続けていた。メーカーは2000年代だけ特に急激に向上させたわけではない。1970年代のユーザーたちも、1980年代のユーザーたちも、常に「パソコンの性能は最近、急速に向上している」と感じ続けていた。[[ムーアの法則]]はただの比例関数ではなく、[[指数関数]]である。だから、人間的には、どの段階でも「急激に伸びている」と感じられている。</ref>。2000年代は[[シェーダー|プログラマブルシェーダー]]の実用化など、パソコンの[[Graphics Processing Unit|GPU]]がグラフィックの牽引役を担った。 PCメーカーや半導体メーカーによって際限のない性能向上の競争が続けられ、その結果、マルチコアCPUや、数GBのメインメモリの搭載が当たり前になると、美麗な3Dパソコンゲームも一般人の娯楽の選択肢として現実的になった。また、ゲーミングパソコンも10~20万円程度で手に入るようになった。 一般人もパソコンやオンラインサービスの利用に慣れ、ネットゲームも違和感なく受け入れられる人の割合が増えた。[[動画共有サービス]]・[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]などでゲーム動画や[[実況プレイ]]動画をアップロードすることも流行していった。 [[ECサイト]]でのソフトの購入や、ユーザーフレンドリーなゲームインストール環境である[[Steam]]なども普及し、パソコンゲームはより身近なものになった。 === マルチプラットフォーム化 === 2010年代にはゲームメーカーのマルチプラットフォーム戦略の一環で、コンシューマゲーム機のみで展開していたソフトが[[Steam]]で大量に供給され始めると、パソコンゲームとコンシューマゲームの区別がなくなる傾向も進んだ。オンラインでゲームが売買されることが当たり前になり、操作説明もゲーム内で用意されるようになり、むしろゲームのパッケージ販売がマニア向けになっていった。パソコン発のオンラインゲームの[[Minecraft]]はコンシューマーからも大きな人気を集めた。 2010年代も中盤に入ると、最早ゲームマシンの違いを問う意味もない程にマルチプラットフォーム化が進められた。 === ライト層の拡大 === パソコンゲームの対戦の大会に若者が熱中しはじめ、それがいろいろな意味で「金のなる木」になると気付いた企業もそれを後押しし、それを「[[エレクトロニック・スポーツ|e-Sports]]」と呼び、世論もかつてのゲーム有害論から転換していった。 2010年代末ころから、'''[[バーチャル・リアリティ|VR]]'''ヘッドセットやVRコントローラが安価になってきたことにより、パソコンゲームは没入感を高める方向で進化を続けている。また他のサービスとの連携も模索している。 また3Dゲームのブームが一段落したことで2Dゲームも再評価がされている。 ==各OS== 一言にパソコンと言っても、[[オペレーティングシステム|OS]]はいくつもある。[[Windows]]でも、[[MacOS]]でも、[[Linux]]でもパソコンゲームは遊ぶことができるが、1990年代後半~2000年代は[[PC/AT互換機]]のWindows向けが圧倒的に多い状況だった。2010年代の[[マルチプラットフォーム]]化の進展により、MacOSやLinux対応のものは増えている。 ===Windows=== 1995年に[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]が発売されて以降は、PCにおけるゲームの販売数(売上金額)で[[Microsoft Windows|Windows]]/[[Microsoft DirectX|DirectX]]向けが圧倒的に多い状況になっている。[[フリーゲーム]]も同様である。DirectX向けのGPUには[[NVIDIA GeForce]]や[[AMD Radeon]]がある。2016年現在でも[[OpenGL]]や[[macOS]]、[[Linux]]向けにゲームは開発されているが、大手パブリッシャーから出ているゲームはWindowsからの移植がほとんどで、Windows以外のOS向けにゲームの開発を手がけるパブリッシャーは[[:en:Pangea Software|Pangea Software]]など非常に少数である。 [[Microsoft Windows 10|Windows 10]]では[[Windowsストア]]のアプリ基盤として[[ユニバーサルWindowsプラットフォーム]]があり、[[Xbox One]]なども対応している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/990/G999025/20160615147/ |title=[E3 2016]西川善司の3DGE:E3 2016で見えたMicrosoftのXbox戦略(3)Xbox Play Anywhereがあれば,もうゲーム機はいらない!?|accessdate=2016-06-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/276/G027669/20160424001/ |title=「FFXIV」の吉田直樹Pも登場。日本マイクロソフトが展開する「ゲーム開発者向け動画コンテンツ」は要チェックだ |accessdate=2016-06-28}}</ref>。 ===MacOS=== [[Mac (コンピュータ)|Mac]]も、機種によってCPUの性能が異なるが、近年の機種で言えば[[MacBook Pro]]のCPUの性能はMacの中でも高いので、グラフィックの性能を求めるゲームの処理も軽々とこなすことができる。たとえば[[Minecraft]]などもサクサクと動く。 [[Steam]]でもMacOS対応のゲームがダウンロードできる。Steam内のMac対応ゲームのページを開けばよい。 特に2020年11月に高性能な[[Apple M1]]チップが発表され、同チップが搭載されたMacが市販されるようになってからは、ゲームコミュニティの中でMacOSの評価が以前よりも高くなった。 :英語版の以下の記事も参照可。 :[[:en:List of Macintosh games]] (アルファベット名で配列され、リストが分断されてしまっているが、各アルファベット内で右端のOSのバージョンを選べば近年のゲームも検索できる。) :[[:en:Mac gaming]] ===Linux=== [[Linux]]向けのゲームも多数開発されている。 :{{Seealso|Linuxゲーム}} 無料のゲームが多く流通している。 SteamからLinux用のゲームをダウンロードして遊ぶこともできる。さらにSteamにはSteam Playというしくみ、もともとWindows向けのはずのゲームをLinux上で動作させる仕組みがあるので、Linux上でWindows向けのゲームも遊ぶことができる。一言でLinuxと言ってもさまざまなディストリビューション(Linuxのなかの種類)があるが、特に[[Ubuntu]]はSteamの公式対応となっているので(Steam上のLinux向けゲームを)容易に動かすことができる。他の種類のLinuxについては、それなりの工夫が必要となる場合も多い。<ref>[https://miyacopl.hatenablog.com/entry/2020/05/04/155428 SteamのWindows向けゲームをLinuxでプレイする方法]</ref> Linuxで[[レトロゲーム]]を動かすためのソフトウェア類が無料で多数公開されており、それに役立つハードウェア類も多数販売されている。レトロゲームを動かしたいならば、WindowsよりもむしろLinuxのほうが適している、と言えるくらいにLinuxはそのたぐいのソフトウェアやハードウェアが充実している。Linuxが動いている[[Raspberry Pi]]を(かつての[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]などのゲームが非常に多種類動くような)ゲーム専用のマシンに仕立てあげることも、Raspberry Piユーザたちや、Makers([[メイカーズムーブメント]]の実行者たち)の間ではそれなりに流行している。 ==PCゲーム市場の状況== ;世界 2002年に発表されたSteamが徐々に一般化したことで、パソコンゲームの流通に大きな変化が起きた。([[#Steam|後述]]) 2010年以降、PC上でしかプレイできない[[マルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ]] (MOBA) というジャンルの急激な普及と、[[エレクトロニック・スポーツ]]や[[Twitch]]などの[[ライブ配信|ライブストリーミング配信]]プラットフォームで観戦して楽しむ人達の増大が、PCゲームの市場規模拡大を後押ししている<ref>{{Cite news |title=MOBAとF2Pの台頭著しいPCゲーム市場の売上げが遂にコンソールの市場規模を突破、米調査会社DFC Intelligenceが報告 |newspaper=doope! |date=2014年4月28日 |author=かたこり |url=http://doope.jp/2014/0433224.html |accessdate=2015-06-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://gigazine.net/news/20151117-lesson-pc-game-industry/ |title=成長が著しいPCゲーム市場から学べるビジネスモデルとは? |accessdate=2016-06-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=PC向けゲーミングハードウェア市場はコンソールハードウェアの倍に及ぶ215億ドル規模、JPRが興味深い調査結果を発表|url=http://doope.jp/2014/0735230.html|accessdate=2014-7-19}}</ref>。<!--国([[ロシア]]、[[東欧]]や[[南米]]など)によってはコンソールゲームをしのぐほどの支持を得ている。-->今後も[[スマートフォン]]と並んでゲーム市場の成長の牽引役となることが予測されている<ref>{{Cite news |title=北米PCゲーム業界団体が2019年までのゲーム市場予測を報告―PCゲームは350億ドル規模に成長か |newspaper=Game*Spark |date=March 04, 2015 |author=Yoshihiro Uchiyama |url=http://www.gamespark.jp/article/2015/03/04/55302.html |accessdate=2015-06-25}}</ref><ref>{{Cite news |title=世界のゲーム市場、2018年には約14兆円に・・・中国が今年にも米国を逆転 |newspaper=インサイド |date=2015年5月21日 |author=土本学 |url=https://www.inside-games.jp/article/2015/05/21/87813.html |accessdate=2015-06-25}}</ref>。 [[久夛良木健]]によれば、PCでの[[ゲーム開発]]環境ひいてはゲームプレイ環境の充実により、ゲームタイトル開発における[[家庭用ゲーム]]とPCゲームのプラットフォームの融合も進んでいる<ref>{{Cite web|和書|author=久夛良木健|url=http://research.cesa.or.jp/keifu/kutaragi/kutaragi04.html|title=プレイステーションの父が語る半世紀 第4回 リアルとサイバーが融合を始める、未来のコンピュータ・エンタテインメント|work=ゲーム産業の系譜|publisher=コンピュータエンターテインメント協会|date=2016|accessdate=2017-04-19}}</ref>。 ;日本の状況 日本におけるPCゲーム市場は、21世紀冒頭までニッチ市場から脱してない状況だった。ニッチ市場ということもあり、Steamなどでは少数の人々から大きく利益を得ようとするため高価格な傾向がある<ref>[http://damonge.com/p=5987 「なぜロシアでは安く日本では高いのか」、Steamにおける地域毎の価格の決定方法とその理由]</ref>。 <!-- 日本からはSteamのリージョン規制により購入不可能か、または購入可能であっても日本語音声や表示のないタイトルもある(この場合、国外から正規のパッケージ版を輸入できても、Steamのリージョン規制でプレイできないおそれがある)。 たとえば日本では[[スクウェア・エニックス]]から発売された『[[コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2#日本における問題点|コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2]]』の海外版([[北アメリカ|北米]]・[[ヨーロッパ|欧州]]・[[アジア]]・[[オーストラリア]]版)がSteamの認証で弾かれ、プレイできない問題も発生している。これは、発売前に「Steamの認証が必須」かつ「日本からはプレイできない」ことを知らされずに輸入したのが原因であり、代理店などが対応に追われることになった。 また、日本国内からも購入可能となっている代わりに、販売価格が(海外の価格と比して)割高なタイトルも一部に見られ、これら一連の規制は「おま国」(日本から購入不可能)や「おま値」(日本のみ割高価格)といった[[ネットスラング]]で通称される。 --> 任天堂とソニーという二大ゲーム機メーカーの本拠地であり(かつては[[セガ]]などのゲーム機も存在)、特に国産PC壊滅後、パソコンゲーム市場は死に体となっていた。[[フィーチャーフォン]]、低価格の[[スマートフォン]]の普及(日本ではコンソールゲームやアーケードゲームの市場が衰退するほど進んでいる)の影響も受けている。日本語表示に対応してないソフトが多かったのも原因である。 そのような状況が続いていた日本のPCゲーム市場は、近年になって復興の兆しをみせている。2010年代になって3000万ドルの規模になり<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/686687.html |title=100%ゲーミングデバイスメーカー、SteelSeries新CEOインタビュー|accessdate=2016-06-28}}</ref>、[[Steam]]総ユーザ数のうち、日本ユーザは4 - 5%まで増えている<ref>{{Cite news |title=ゲームPC「GALLERIA」に「Steam」クライアントソフトが標準でプリインストールされることに |newspaper=[[4Gamer.net]] |date=2015/03/11 |author=小西利明 |url=https://www.4gamer.net/games/029/G002975/20150311081/ |accessdate=2015-06-25}}</ref>。2020年代からはSteamの日本ユーザーがもう一度大幅に増加する動きがある。<ref>{{Cite web|和書|url=https://automaton-media.com/articles/newsjp/20220414-198993/ |title=日本のSteamユーザーが猛烈に増加、過去最高に。PCでゲームをする文化が、日本でも浸透してきている |access-date=2023-9-24 |publisher=https://automaton-media.com}}</ref>それに合わせて、日本語公式対応のPCゲームソフトも増えつつある。日本語未対応のソフトも、ユーザー側が非公式翻訳パッチを制作・公開するケースも増えた。 日本のPCゲーム市場では、ハイエンド指向が最も強い<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/720228.html |title=「日本はNVIDIAが最も優先しているハイエンド市場。ニコ生への対応も検討」|accessdate=2016-06-28}}</ref>。 == 主なPCゲームストア == PCゲームをダウンロード販売している主なストア。総合的なストアは、幅広いデベロッパーのゲームを数多く揃えている傾向にある。ゲーム会社が独自に展開するストアは主に自社製品に特化したものであるが、[[サードパーティー]]製のゲームを取り扱っているものもある。その他のストアは、ゲームソフトの引き換えに必要なプロダクトキーを販売するストアであり、比較的安価に販売されているものが多い。(※括弧内はメーカーと、主な配信タイトル) ;総合的なストア * [[Steam]]([[Valve Corporation]]社、大手デベロッパーの大作に加え、[[インディーゲーム]]のタイトルも数多く揃えられているのが特徴。) * [[Microsoftストア]] ([[マイクロソフト]]社、[[マインクラフト]]、[[Forza Horizon|Forza Horizonシリーズ]]) ;ゲーム開発会社が独自に展開するストア * [[Origin (デジタル配信プラットフォーム)|Origin]] ([[エレクトロニック・アーツ]]社、[[バトルフィールド (コンピューターゲーム)|バトルフィールドシリーズ]]、[[Apex Legends]]、[[タイタンフォール|タイタンフォールシリーズ]]、[[シムピープル|The Simsシリーズ]]、[[FIFAシリーズ]]) * [[Uplay|Ubisoft Connect]] ([[ユービーアイソフト]]社、[[アサシン クリードシリーズ]]、[[ウォッチドッグスシリーズ]]、[[Far Cryシリーズ]]、[[レインボーシックス シージ]]) * [[Epic Games Store]] ([[Epic Games]]社、[[フォートナイト (ゲーム)|フォートナイト]]) * [[Battle.net]] ([[ブリザード・エンターテイメント]]社、[[コール オブ デューティシリーズ]]、[[オーバーウォッチ]]、[[World of Warcraft]]、[[ハースストーン]]) * Rockstar Games Launcher([[Rockstar Games]]社、[[レッド・デッドシリーズ]]、[[グランド・セフト・オートシリーズ]]) * Bethesda Launcher([[ベセスダ・ソフトワークス]]社、[[Fallout シリーズ]]、[[The Elder Scrolls|The Elder Scrollsシリーズ]]) ;その他のストア * [[G2A]] * [[Humble Bundle]] * [[IndieGala]] * [[Fanatical (企業)|Fanatical]] * {{仮リンク|Green Man Gaming|en|Green Man Gaming}} * [[GameBillet]] * [[WinGameStore]] * [[Voidu]] * [[DLGamer]] ===Steam=== Steamについては特筆に値するので、特に一節を割いて説明する。 2002年に発表された[[Steam]]は、ゲームの[[ダウンロード販売]]と配信、著作権管理([[アクティベーション]]による[[コピーガード]])、自動アップデート、そしてソーシャルネットワーク機能があり<ref>{{cite web |url=http://store.steampowered.com/news/1050/ |title=Steam Surpasses 13 Million Accounts |accessdate=2014-8-21}}</ref>、完全なダウンロード販売のため、パッケージや説明書の印刷コストや流通コストも必要なくなり、ゲームの低価格化を促進した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gamespark.jp/article/2015/04/07/56099.html |title=今のPCゲームは2度目の黄金時代―『Killing Floor』のTripwireボスが語る|accessdate=2016-06-28}}</ref>。さらに、Steamの特徴として常に何らかのセールを行い、年に数回の大規模セールでは4,000を超えるタイトルがセール対象となり、AAAタイトルでも50%引き〜75%引きなど高割引率での販売される。これは販売コストが低いダウンロード販売ならではの手法であり、セールによって売り上げの向上とさらなる利益をもたらしている<ref>{{Cite news |title=Gabe Newell氏: セールは必ず利益を生む、海賊行為はサービスの問題 |newspaper=Game*Spark |date=October 25, 2011 |author=tobiuo |url=http://www.gamespark.jp/article/2011/10/25/30356.html |accessdate=2015-06-25}}</ref>。 これら、Steamや[[Origin (デジタル配信プラットフォーム)|Origin]]や[[Uplay]]は単なるゲームのダウンロード販売サイトでなく、ゲーム配信プラットフォームであり、[[ライセンスキー|CDキー]]([[シリアル番号]])の入力によって自社ストアからの購入でなくてもゲームをアカウントに追加することができる(購入したCDキーをアカウントの情報に登録する必要があるため、CDキーを2つ以上のアカウントで使い回す不正を防ぐことができる)。小売店においても在庫コストを要しないCDキーのみの販売とするメリットは大きく、2014年現在では世界のPCゲーム販売のほとんどがゲーム配信プラットフォームを介したものであり、パッケージソフトでの販売はごく少数にとどまっている<ref>{{cite web|title=The Master of Online Mayhem|url=http://www.forbes.com/forbes/2011/0228/technology-gabe-newell-videogames-valve-online-mayhem.html|accessdate=2014-8-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110301052600/http://www.forbes.com/forbes/2011/0228/technology-gabe-newell-videogames-valve-online-mayhem.html|archivedate=2011年3月1日}}</ref>。 [[ブロードバンドインターネット接続|高速インターネット]]の普及で大容量のPCゲームが数分~数時間で[[ダウンロード]]し遊べる手軽さや、通信経由のため中間費用が一切かからないことによる低価格が市場を後押ししている<ref>{{Cite web|和書|title=奥谷海人のAccess Accepted / 第277回:ダウンロード販売がついに“主流”に|url=https://www.4gamer.net/games/036/G003691/20100924062/|accessdate=2013-10-23}}</ref>。 ==特徴== ハイエンドな[[ゲーミングPC]]<ref>{{Cite web|和書|title=PCゲームのお作法|url=https://www.4gamer.net/words/001/W00172/|accessdate=2014-6-6}}</ref>は、コンシューマーゲーム機(俗に言う家庭用ゲーム機)と比較して、より複雑かつ多量の処理をこなすことができる<ref name=steamhw>{{cite web|title=Steam Hardware Survey|url=http://store.steampowered.com/hwsurvey|publisher=[[Valve Corporation]]|accessdate=February 24, 2012}}</ref>。多くのパソコンゲームは、このようなハイエンドパソコンで動作させることを前提として開発されている。そのためコンシューマーゲーム機よりも視覚的なクオリティが高められていることが多い。主に挙げられるのは、FHDや4K、8K<ref>[https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1274373.html NVIDIA、GeForce RTX 30シリーズを正式発表]</ref>などの高解像度、デュアルやトリプルディスプレイといった複数画面のサポート、120fpsを超える高速なフレームレート<ref name=ivan11>{{cite web|last=Ivan|first=Tom|title=Console Battlefield 3 is 720p, 30fps. DICE explains|url=http://www.computerandvideogames.com/308112/console-battlefield-3-is-720p-30fps-dice-explains/|publisher=[[Computer and Video Games]]|date=June 20, 2011|accessdate=2016-06-28}}</ref>、影や水反射、テクスチャなど精密なグラフィック、[[アンチエイリアス]]処理による見た目の向上などさまざまなものが利用できる<ref name=warner11>{{cite web|last=Warner|first=Mark|title=Tweaking Skyrim Image Quality|url=http://hardocp.com/article/2011/11/23/tweaking_skyrim_image_quality/3|publisher=[[HardOCP]]|date=November 23, 2011|accessdate=2016-06-28}}</ref>。またSSDなどの高速なストレージを搭載したPC構成においては、ゲームの起動やロード時間が短いなどの特徴をもつ。 キーボードやマウスを始めとして、より幅広い入力デバイスや[[バーチャルリアリティ]]を含む周辺機器がサポートされている。[[ゲームパッド]]や[[ジョイスティック]]、ハンドルコントローラー、[[タッチパネル]]、3Dグラス、VRゴーグルなどがある。<!--特に奇抜なものになると、実際に現実の自分が走ったりジャンプしてゲーム内のキャラクターを操作できるOmniとよばれるVRデバイスもある<ref name="nintendo">{{cite web | author=Joe Fielder| title = StarCraft 64| work=Gamespot.com |date = May 12, 2000| url = http://www.gamespot.com/n64/strategy/starcraft64/review.html?q=starcraft%2064| accessdate = August 19, 2006}}</ref>。--> 一部のゲームではユーザー自身がゲームの拡張や修正、またはキャラクターをカスタマイズし、一種の[[ダウンロードコンテンツ|DLC]]としてそれらのデータを配布できる「[[Mod (コンピューターゲーム)|MOD]]」と呼ばれる機能がある<ref>{{Cite web|和書|title=PCゲームを彩るMOD文化について知っておきたいこと ゲームあるところにMODあり。面白いものはコミュニティで作られる!|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/series/pcgaming/366346.html|accessdate=2014-6-6}}</ref>。 === 利点 === ;自由度の高いソフトウェア頒布 {{Main|パソコンゲーム#主なPCゲームストア}} パソコンプラットフォームの決定的な特徴は、ソフトウェア頒布方法がシステムに制御されないことである([[iOS]]/[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]でいえば[[App Store]]/[[Google Play]]、[[PlayStation]]でいえば[[PlayStation Store]]のような縛りが存在しない)。よってプラットフォームによる「アップル税」などの経費、表現規制なども迂回できる。これによる利点は以下のソフトウェアコストの削減や自由な表現に繋がる。 ;ソフトウェアコストの削減 :それぞれ独自のストア(ウェブサイトやクライアントソフトなど)で販売できるため、独自販売の場合はプラットフォームホルダーコストがかからないことや、価格競争も関係し安くなりやすい。あらゆるパソコンゲームは安価であり、無料で配布されているものも多くある<ref name=sweeny07>{{cite web|last=Sweeny|first=Tim|title=Next-Gen podcast|url=http://wap.evilavatar.com/forums/showpost.php?p=824721&postcount=13|publisher=[[Next Generation Magazine]] podcast|accessdate=February 23, 2012|year=2007|quote=We've been developing games that are community-based for more than ten years now, ever since the original Unreal and Unreal Tournament. We've had games that have had free online gameplay, free server lists, and in 2003 we shipped a game with in-game voice support, and a lot of features that gamers have now come to expect on the PC platform. A lot of these things are now features that Microsoft is planning to charge for.}}</ref><ref name=lane11>{{cite web|last=Lane|first=Rick|title=Is PC Gaming Really More Expensive Than Consoles?|url=http://pc.ign.com/articles/121/1214544p1.html|publisher=IGN|date=December 13, 2011|accessdate=2016-06-28}}</ref>。代表的なPCゲームの大手ストアは[[steam]]、[[Origin]]、[[ユービーアイソフト|Ubisoft]]などがあり、他にも[[Humble Bundle]]、[[IndieGala]]、[[Fanatical (企業)|Fanatical]]、[[G2A]]など安価なマーケットプレイスもある。 :対して販売ストアが限定的なスマートフォンでは、[[App Store]]([[iPhone]])と[[Google Play]]([[Android (オペレーティングシステム)|Android]])がほぼ独占状態のため、ゲームを開発したデベロッパーは[[Apple]]や[[Google]]に売上の30パーセントのロイヤリティ(プラットフォーム税)を支払う必要がある。これに関して独占禁止法に抵触すると訴える訴訟例もある。([[Epic Games対Apple訴訟]]を参照。) ;新旧作問わずプレイできる柔軟性 :長い年月を経た旧型プラットフォーム向けのゲームも、Windows向けに作られたものであれば大半は動作する。動作しない場合でも互換モードやデュアルブート、エミュレーター(仮想環境)の構築によってプレイできる場合が多い<ref>[https://support.ubisoft.com/ja-JP/Article/000063445 WINDOWS 10で前世代のゲームをプレイする - Ubisoft Support]</ref><ref name=gog>{{cite web|title=About Us|url=http://www.gog.com/en/about|publisher=[[Good Old Games]]|accessdate=February 23, 2012}}</ref>。逆にハイエンドな環境を要求する新しいゲームでも、グラフィックの品質や解像度を落とすなどで多少古いシステム上でもプレイ可能になる<ref group="注">新しいゲームがどの程度の性能を要求し、使用するPCがどの程度の性能かによる。あまりにも古すぎる場合は、設定を変えても動作不可の場合がある。</ref>。グラフィックカードの交換など、ハードウェアのアップグレードで最適なプレイ環境を得ることもできる。 ;オンライン接続サブスクリプションの有無 :PS4以降のPS Plusや、XboxのLive Gold、Nintendo Switch Onlineなど、近年のコンシューマーゲーム機にはオンラインマルチプレイに参加する際に、接続料金としてサブスクリプションへの加入が義務付けられているケースが多い。対してPC用ゲームの場合は接続料金が一律義務付けられていることはなく、料金徴収の有無はゲームタイトルの運営会社に委ねられている。またFPSゲームの場合は、サーバーを運営するユーザー(サーバー管理者)の有志に委ねられているケースが多く、一個人のプレイヤーがオンラインマルチプレイに参加する際に別途サブスクリプションへの加入が義務付けられるケースは比較的少ない。 ;クーリングオフ :Steamに限った例であるが、ゲームをダウンロードしてプレイした後でも、プレイ時間が2時間以内であれば「面白くなかった」など如何なる理由でも返金を受け付けるポリシーが運用されている。[[PlayStation Store]]<ref>[https://www.playstation.com/ja-jp/support/store/ps-store-refund-request/ PlayStation®Storeで購入したデジタルコンテンツのキャンセルについて - Sony Interactive Entertainment Inc.]</ref><ref group="注">購入後でも14日以内は返品返金可能なものの、ダウンロード・プレイ後は返金できなくなる(重大なバグがある場合を除く)。</ref>や、[[ニンテンドーeショップ]]<ref>[https://support.nintendo.co.jp/app/answers/detail/a_id/35397 【Switch/3DSシリーズ】ニンテンドーeショップや任天堂ホームページで購入したダウンロードソフトを、返品したり払い戻したりすることはできますか? - 任天堂サポート]</ref><ref group="注">購入後の返品返金は一切不可。</ref>など他プラットフォームと比較して、返品および返金のハードルが低く、手厚いクーリングオフが運用されている<ref>[https://www.famitsu.com/news/201506/03079993.html Steamの新たな返金ポリシーが発表、購入2週間以内・プレイ2時間以内であれば「理由は何であれ」返金対応可能に]</ref>。 ;個人で発表がしやすい :個人制作の[[フリーゲーム]]などを気兼ねなしに公開できる。 === 欠点 === ;複雑性の増加やセキュリティリスク :パソコンは本来ゲーム機ではなく、汎用的なものとして扱われている。自由度が高い故にパソコンやシステム内部の仕組みはとても複雑で、ひとつの設定やチューニングを間違えるだけで重大な問題が発生するリスクがある。ハードウェアやソフトウェアの互換性問題もそのひとつである。例えば、Windowsの旧バージョンを新バージョンに乗り換えてゲームが動かなくなる場合や、セキュリティソフトの相性問題、ハードウェアを制御するドライバのバージョンが古かったりなど何らかの理由で動かない場合がある。このような問題が起きた時には、さまざまな試行錯誤が強いられる。 :パソコンはコンシューマー機と比較しても、セキュリティリスクに晒されやすい傾向にある。セキュリティ対策が脆弱なオンラインゲームにおいては、不正にゲーム進行を有利に進める[[チート]]という行為が蔓延しやすい。 ;高額なハードウェアコスト :パソコンゲームを満足にプレイできるパソコンは、一般的な他プラットフォームよりも高価な傾向にあるが、家庭用コンシューマーゲーム機の場合は、単一のユニットで大量生産できるため安価にできる。しかし、パソコンではパーツ単体(事前に組み立てられた完成品も含む)は、パーツ個別のデベロッパー利益などが上乗せされるため高額になる。 ;ゲームタイトルの品揃え :PCゲームはコンシューマーにも劣らないほど数多くリリースされており、[[PlayStation]]や[[Xbox]]向けにリリースされたゲームの多くは、PC向けにもリリースされている。しかし、一部にはメジャーな人気タイトルにも拘らず、特定の国だけ発売しなかったり、コンシューマーゲーム機用しかリリースされていないものもある。特に日本製のゲームで顕著である(俗に「おま国」とも表現されているが、詳細は[[ジオブロッキング]]を参照)。また[[任天堂]]が開発したゲームタイトルはほぼ「任天堂のハード」だけにしか対応しておらず、PC向けにはリリースされていない。 :逆にPC版しかリリースせず、コンシューマー向けにはリリースされていないゲームタイトルも多くある。 ;中古マーケット :インターネット環境が普及してきた[[2000年代]]以降におけるPCゲームは、パッケージ販売よりも[[Steam]]などを通じたDL販売が一般的になっているが、基本的にアクティベーションキーを一度有効化したキーは異なるアカウントで再使用できないため、中古で売ることができない。コンシューマーゲーム機と比較して、PCゲームのパッケージ販売は極少数となっている。 <!-- ;違法コピー問題 :コンソールゲームでも同様の問題を抱えているが、パソコンゲームでは[[海賊版]]を容易に複製でき、インターネットで違法なアップロードも横行しているため、これが商業性の[[アキレス腱]]となっている。 :パソコンゲームは基本的にハードディスクにインストールしてから起動することを前提としているため、[[電子媒体|ソフトウェア媒体]]に特別な[[コピーガード]]を施す以外に方法がなく、強力なコピーガードを施したソフトも幾度となく登場しているが、発売後数週間でガードが外された海賊版がネット上で出回ることもあり、完全な抑止力として機能していない。 :場合によってはあまりにも複雑なコピーガードを導入したためにロードの時間が長くなりすぎたり、コピーガードとディスクドライブとの相性問題が発生して環境によっては正規のソフトでも起動ができないという問題も起こっている。このため、正規のゲームを買った消費者がわざわざ海賊版を手に入れてプレイするという悪循環も起こっている。 :コピーガードに次ぐ対策として、[[アクティベーション]]による認証の導入されており、元のディスクがコピーされても、ソフトウェアの「[[シリアル番号]]」と「インストールされたPCの情報」の組み合わせが認証できなければインストールや起動ができないよう保護することもできるが、PCゲームではあまり普及していない([[コンピュータソフトウェア倫理機構]]に加盟するブランドの[[アダルトゲーム]]などでしか導入されていない)。 --> ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} ==関連項目== * [[自作パソコン]] * [[ゲーミングPC]] * [[コンピュータゲームの歴史]] * [[パーソナルコンピュータ史]] * [[エミュレータ (コンピュータ)]] * [[ゲームエミュレータ]] * [[:Category:Windows用ゲームソフト]] * [[:Category:MSX/MSX2用ソフト]] {{video-game-stub}} {{コンピュータゲームのジャンル}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:はそこんけえむ}} [[Category:パソコン用ゲームソフト|*]] [[Category:パーソナルコンピュータ]] [[Category:コンピュータゲームプラットフォーム]]
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MIDI
MIDI(ミディ、Musical Instrument Digital Interface)は、電子楽器の演奏データを機器間で転送・共有するための共通規格である。日本のMIDI規格協議会(JMSC、現在の社団法人音楽電子事業協会)と国際団体のMIDI Manufacturers Association (MMA) により策定され1981年に公開された。 MIDIは音楽制作の現場で幅広く利用されている。MIDI規格に則って作成されたデータは、DAWをはじめとしたシーケンサーなどで再生・編集することができる。 物理的な送受信回路・インタフェース、通信プロトコル、ファイルフォーマットなど複数の規定からなる。MIDI 1.0の策定完了から38年後の2019年に、Ver.2.0となるMIDI 2.0の策定開始が発表された。 MIDIデータは、音声データ(マイクなどで録音した音の波形をサンプリングしたもの)ではなく演奏情報(発音せよ、音の高さは - 、音の大きさは - 、といった楽器や音源へのメッセージ)であり、データサイズが小さく、また音楽の細部を容易に変更することができる。 電子楽器以外では劇場の舞台照明のコントロールなどにも応用されている。また、MIDI規格とパソコンの普及は、ホビーとしての音楽制作(DTM)を一般化した。 当初、MIDI規格は、ハードウェアとソフトウェアの両分野にまたがり策定された。ハードウェアの規格は、インタフェースや送受信回路・端子に関することであり、ソフトウェアの規格は、データフォーマット(機器同士がリアルタイム通信する際の規格であって、MIDIデータを保存流通させるファイルフォーマットとは異なる)に関することである。 その後、MIDIの普及に伴いRP(Recommended Practice、推奨実施例)という拡張規格が策定された。音色配列などを厳密に定めたGMシステムレベル1や、MIDIデータを保存流通させるファイルフォーマット、劇場の舞台照明をコントロールする規格(MIDIショーコントロール)が、このRPに含まれる。 MIDIはJIS(日本産業規格)によって以下のように規格化されている。 31.25Kbps (±1%) の非同期方式シリアル転送を用いる。 MIDI機器(ハードウェア)は5ピンのDINコネクタで接続するのが一般的である。両端に位置する1番ピンと3番ピンは現在の仕様上では使用されず、中央2番ピンはケーブルのシールド用に、4番、5番ピンがデジタル信号のカレントループ(英語版)伝送に使用される。MIDIケーブルの両端はどちらもオス端子で、シールドされたツイストペアケーブルとして設計される。 コネクタには、MIDI信号を受け取るMIDI IN、MIDI信号を送信するMIDI OUT、受信したMIDI信号をそのまま送信するMIDI THRUの3種類がある。機器パネル側は常にメス端子となる。グラウンドループ(英語版)や障害の連鎖防止のため、MIDI機器同士には電気的絶縁が規定されており、受信側内部では接地線の2番ピンは接続されず、信号はフォトカプラで受信される基本仕様となっている。フォトカプラを経由するたびに信号波形の再現性が下がるため、MIDI THRUを多段直列すると通信エラーが発生することもある。並列に複数のMIDI機器を接続する場合や、信号系統を簡単に切り替えたい時はMIDIパッチベイを用いるが、これを使うことにより多段時の通信エラーも回避できる。 MIDIはバスではない。MIDI IN端子とMIDI OUT端子が別々で用意されていることから判るように、MIDIケーブル間のデータは一方向に送信される。 後述するアクティブセンシング機能で、接続状態が良好か、断線していないかを常に判定しており、アクティブセンシングが途絶えたとき、お互いのMIDI機器はケーブルが抜けたと判定するように作られている。 現代には、MIDI IN、MIDI OUTを使わずRS-232C、USB、IEEE 1394などの規格を使った接続を行う機器も存在している。この場合、MIDIケーブルではなくこれらの規格のケーブル内をMIDI信号が通るため、転送に関して上記の通りではない。 2本のMIDIケーブルを用い、お互いの機器のMIDI IN、MIDI OUTをそれぞれつないだ状態を1つの「システム」と捉える。このシステム毎に16のチャンネルが用意される。基本的にひとつのチャンネルにひとつの楽器(1パート)が割り当てられる。 これにより、1本のMIDIケーブルで16チャンネル分のデータを送信もしくは受信させることができる。例えば「1チャンネルのピアノと3チャンネルのギターを鳴らす」といったことである。16チャンネル分のデータは、後述する「チャンネルメッセージ」にて正確に分類され、相手機器の各チャンネルに届く。 それ以上のチャンネルを制御するためにはMIDIケーブルが複数本必要となり、MIDIデータのパート数(=チャンネル数)によっては、複数のMIDI音源を用意する必要もでてくる。 MIDI規格上のデータの送受信は、すべてMIDIメッセージで行われる。MIDIメッセージは、複数のバイト(8ビット)で構成されている。「電子楽器の鍵盤を弾いたことで音が出る」という一連の流れもMIDIメッセージで制御されている。バイト単位で処理していくため、文言上では16進数を用い、数の後にHを付ける。 MIDIメッセージを効率よく送信するために、MIDIメッセージに使用されるバイトは「ステータスバイト」か「データバイト」の大きく2種類に分けられる。ステータスバイトとはMSB (Most Significant Bit)が「1」、すなわち80H - FFHまでの128個のバイトを指し、データバイトとはMSBが「0」、すなわち00H - 7FHまでの128個のバイトを指す。 MIDIメッセージは複数のバイトで構成されていると前述したが、これらの先頭は常にステータスバイトで始まり、ステータスバイトの後に任意の個数のデータバイトが続く。ステータスバイトでは、ノートオンやコントロールチェンジ、システムエクスクルーシブなどを定義する。データバイトは、ステータスバイトで定義したものについて、その内容や数値を指定するのに使用する。 ステータスバイトが80H - FFHのうち何であるかによって、「チャンネルメッセージ」、「システムメッセージ」に分かれる。 チャンネルメッセージとは、特にチャンネルを指定して送信するMIDIメッセージのことである。チャンネルメッセージのステータスバイトは80H - EFHである。ここからさらに「チャンネルボイスメッセージ」、「チャンネルモードメッセージ」と分類される。 チャンネルボイスメッセージとは、音を鳴らす、止める、音色を変える、ピッチを変えるといった、音源の演奏に必要な情報に関する定義のことである。最大2つのデータバイトが続くことで、その内容・数値を決定する。 ステータスバイトの下位4ビットがMIDIチャンネル番号-1(0(0H)Hはチャンネル1、15(FH)はチャンネル16)を表している。 データバイトにて指定するノートナンバーとは、最も低い音を0、最も高い音を127と割り当てた音の高さのことであり、半音刻みとなっている。中央ハにはノートナンバー60が割り当てられ、88鍵盤のピアノで出せる音域(A0 - C8の7オクターブと短3度)はノートナンバー21 - 108と割り当てられるので、MIDIではそれよりさらに広い音域(C-1 - G9の10オクターブと完全5度)をカバーできる。また、ベロシティとは音の強さ(楽器で例えれば各弦や各鍵を弾く速さによって変化する音の強弱(強弱法))のことである。1 - 127までありmp(メゾピアノ)が64となり、127が最も強く、1が最も弱く、数値が0の場合は発音の終了(楽器で例えれば離鍵など)を表す。 なお、以下の説明では、これら0 - 127までの数字を、16進数で表記する。また、nはチャンネル番号を表わす。 ステータスバイト部のnには0H - FHが代入され、これは1チャンネル - 16チャンネルを表す。「90H 3CH 40H」というMIDIメッセージがあったとすると、これは「ノートオン、1チャンネル。3CH=60なので中央ハを鳴らす。40H=64なのでmpで鳴らす」という命令である。 チャンネルモードメッセージとは、ある楽器は和音が出せるのか、16チャンネルは区別するのかしないのか、といったことを設定するための定義のことである。BnHで始まるがコントロールチェンジには含まれず、BnHのあとに78H - 7FHが続くと、チャンネルモードメッセージのいずれかと判断される。多くの場合、第2データバイトには00Hがダミーとして送信され、受信側も無視する。ステータスバイト部のnには0H - FHが代入され、これは1チャンネル - 16チャンネルを表す。 システムメッセージとは、チャンネルに関係なくMIDIシステム全体に対する命令を行うMIDIメッセージである。システムメッセージのステータスバイトはF0H - FFHである。機能ごとに「システムエクスクルーシブメッセージ」、「システムコモンメッセージ」、「システムリアルタイムメッセージ」の分類される。 システムエクスクルーシブメッセージ(Sys-Ex、またはSysExと略記し、シスイーエックスと読む場合もある)は、MIDI機器のより細かい設定を行ったり、音色データやサンプリングデータを送受信するなど、各メーカーのMIDI機器の固有のデータのやりとりに使用できるシステムメッセージである。ステータスバイトF0Hで始まる。 MIDIメッセージは大抵2バイト程度のデータバイトで成り立つが、SysExはMIDIメッセージ中、唯一データバイト長が指定されていない。可変長のため、最後にシステムコモンメッセージとして定義されているF7H エンドオブエクスクルーシブ (EOX) を送信することでSysExの終了を表現する。 システムコモンメッセージは、主にシステムリアルタイムメッセージと併用され、MIDIシーケンサーなどの同期に使用される。ステータスバイト以下にデータバイトが続くものが多い。 システムリアルタイムメッセージは、MIDIシーケンサーなどの同期、MIDIタイミングクロックに使用される。ステータスバイト以下にデータバイトが続かず、単独の1バイトのみで機能する。リアルタイムに送信される必要があるため、最優先で送信される。 サンプルダンプとは、システムエクスクルーシブメッセージを使用してサンプラーとMIDI機器間でサンプリングデータを通信する規格である。サンプルダンプに関するフォーマットをサンプルダンプスタンダード (SDS) という。MMAが1987年に提案した規格で、MMA-0003として定義されている。 ただし、前述の通りMIDIの通信速度は31.25Kbpsと、データ転送用途としては非常に遅い上、現代にはUSBやIEEE 1394などの高速シリアルバスも普及しているため、一部の学習・研究用途を除き使われることは無くなった。 RP (Recommended Practice) とは、MIDI規格策定後、利便性を高めるための推奨実施例として拡張された規格である。現在すでに複数の拡張規格がAMEIとMMAにより承認されており、いずれも共通規格としてMIDI規格に組み込まれている。 スタンダードMIDIファイル(SMF)とは、MIDI機器やMIDIメッセージを用いる演奏に関するデータの保存形式であり、メーカー毎のソフトやハードに関係なく使用できる共通のファイルフォーマットである。拡張子は.mid。いわゆる「MIDIデータ」は演奏形式である前述した「MIDIデータフォーマット」の略称であるが、このスタンダードMIDIファイルを指すべく拡大使用される場合がある。 Opcode社により独自規格として提案されたが、1991年7月にAMEIとMMAによりRPの第1号(RP-001)に追認された。 GMシステムレベル1、通称GM (General MIDI) とは、それまで各メーカー毎に異なっていた音色配列を統一することを目的として策定されたRPである。1991年に、RP-003にて定義されている。音色配列の他、最低同時発音数や音色数、コントロールチェンジの効き具合といったことも指定されている。 さらに、従来のGMでは時代の進化に伴い補いきれなくなってきた部分を補完するため、GMシステムレベル2 (GM2) が上位規格として拡張された。GMとは完全な上位互換性をもつ。 のちに、主に携帯電話の着信メロディの制作用途として、General MIDI Lite (GML) も上位規格として拡張された。 DLS (Downloadable Sounds) は、SMFデータをサウンドカードなどの音源機器に転送して再生するために策定されたRPである。1997年に、RP-016にて定義されている。再生する音源が異なると、作者の意図しない音色で再生されてしまうSMFとは異なり、DLS対応機器ならほとんど同じ音での再生を行なうことが可能となる。拡張子は.dls。 のちに、上位規格であるDLSレベル2.1や、携帯電話向けのMobile DLSが拡張された。 XMF (eXtensible Music Format) は、MMAによって提案された新しい音楽ファイルフォーマットである。SMFや、音声ファイルであるWAVなどが一つのファイルとして格納できるようになっている。 複数回改稿されており、それぞれのバージョン毎にRPとして承認されている。 また、複数の用途に向けて、複数のタイプが定義、検討されている。 XMFに関する拡張規格も用意されている。 MIDIショーコントロール (MIDI Show Control, MSC) とは、照明や映像機器など、ショーの演出をコントロールする目的で策定されたRPである。1991年にRP-002、のちにRP-014にて定義されている。 MIDIタイムコード (MIDI Time Code, MTC) は、同期システムを組むことを目的として策定されたRPである。1987年に、RP-004にて定義されている。 MIDI規格策定時に、同時に策定されたMIDIタイミングクロックは絶対時間を持たなかったが、SMPTEの普及につれMIDI上でも絶対時間を持ったクロックが必要となってきたことが、MTC策定の背景である。 MIDI策定団体であるMMAが中心に提案したため、RPのほかにMMA-0001としても定義されている。 記譜情報はMIDIデータ(MIDIメッセージの集合)を楽譜上に音符として表示するために策定されたRPである。RP-005、RP-006にて定義されている。 ファイルダンプとは、MIDIケーブルを使ってSMFデータを転送するために策定されたRPである。RP-009にて定義されている。 MIDIマシンコントロールとは、システムエクスクルーシブメッセージを用いてMTRやVTRを制御するために策定されたRPである。1992年に、RP-013にて定義されている。 SMF with Lyrics (SMF Language and Display extensions) とは、SMFのメタイベントとして用意されている歌詞格納機能を拡張したRPである。1999年に、RP-026にて定義されている。 メタイベントと違い、表示を目的としており、曲タイトル、作曲者名、作詞者名、歌詞やふりがなを格納できる。カラオケの歌詞表示や楽譜上の歌詞表記などの用途を想定されている。また、日本語 (Shift JIS) も使用できる。 MIDI Media Adaptation Layer for IEEE-1394は、MIDIインタフェースなどのMIDI機器をIEEE 1394を用いて接続することに関するRPである。2000年に、RP-027にて定義されている。 SP-MIDI (Scalable Polyphony MIDI) は、あらゆる音源で最適なデータを再生するために策定されたRPである。2002年に、RP-034、RP-035にて定義されている。 例えば、通常だと24ボイス(パート数)を持つ音源用に作られたデータを16ボイスの音源で再生すると、8ボイス分は無視されてしまう。このままではデータ制作者の意図した再生ができないため、従来なら24ボイス用、16ボイス用と複数のデータを用意する必要が有った。このSP-MIDIの規格に従うと、ひとつのデータに前もって複数環境分の情報を収録できるので、少ない工数で、あらゆる音源で問題なく再生が出来るようになる。この技術は主に携帯電話向けに使用される。 MIDI XML ("MIDI Names, Device Types, & Events in XML") は、SMFをXMLで記述することを目的として策定されたRPである。2003年に、RP-038にて定義されている。 RPとして承認されていないが、各メーカーが独自に打ち出した規格も存在する。中には、比較的一般的となった規格も存在する。ただしメーカーに左右されるため、メーカーを越えた互換性は無い場合が多い。 なお、現在はこれ以上の音色配列などに関する規格の複雑化を防ぐため、AMEI、MMA共にGM2に一本化することを求めており、また、GS・XGはお互い規格をオープンにして相互にサポートすべきとしている。しかし、実際にはローランド製、ヤマハ製の製品であってもGS・XG自体をサポートしない製品が増えてきたことも事実である。 同じ楽譜で演奏をしても、演奏者や楽器が異なると音が違って聴こえるように、使用する音源を変えれば出音は違ってくる。そのため、例えばインターネット上で配布されているMIDIデータをデータ制作者の意図した通りに演奏するためには、制作者が使ったものと同じ、音色設定を完全に一致させた音源が必要になる。たとえGS対応と謳っていてもGS対応音源なら何でもいいというわけではなく、どの音源モジュールを使うかによって音は異なる。 GSフォーマットは、1991年にローランドが提唱、策定した音色配列などに関する独自規格。RP-003であるGMを拡張して作られたと思われがちだが、こちらが先行している。GMは、GSから他社と共有できる部分を抜粋し標準化したものである。 GSに対応した音源には、SC-55やSC-88Proなどのローランド・SCシリーズが有名。 XGフォーマットは、1994年にヤマハが提唱、策定した音色配列などに関する独自規格。ヤマハ製の音源モジュールやシンセサイザーの互換性を持たせるためにGMを拡張する形で作られた。 XGに対応した音源には、MU80やMU500などのヤマハ・MUシリーズが有名。 本項ではMIDI規格が使われる用途と、MIDI規格を使用するハードウェア(機器)、ソフトウェアについて解説する。なお、箇条書きにしているハードウェアやソフトウェアは一例である。 総合的な音楽制作用途は、MIDIの代表的な使用例である。パソコンとソフトウェア音源さえあれば、大がかりな設備投資をする必要無くDTMを楽しめるといったことで、90年代から一般の趣味としても普及し出した。 現代は、オーディオ編集とMIDIデータ編集を同時に行える統合環境DAWが業務向けを中心に普及している。 かつては、ハードウェア音源の代わりに、PCM音源等の音源データをソフトウェア向けに加工し、パソコン上のサウンドボードでMIDIファイルの再生を可能にしたソフトウェアMIDI音源も開発された。しかしながら、同時発音数や音質がCPUの性能に依存するなど、ソフトウェアMIDI音源発売当初はリアルタイム演奏には不向きであった。 現在は、一般のパソコンがソフトウェア音源を処理するのに十分な性能を持ったことや、再生時に音源が不要なMP3等の圧縮音声ファイルフォーマットの普及により、一般ユーザーではDTM愛好家以外のハードウェアベースのMIDI音源の使用は著しく減少している。 録音やMA (Multi Audio) でもMIDIは使用される。演奏情報の送受信ではなく、システムメッセージを中心とした同期処理が行われている。 カラオケ機器は、MIDIデータを再生する機能が備わっている。各カラオケ店舗では、インターネット回線を通じて最新曲のMIDIデータを受信する仕組みになっており、通信カラオケと呼ばれるのはこのためである。ブロードバンドインターネット接続が普及する以前は、現在のように大量の音声データをインターネットで送受信するのは困難であったが、MIDIデータであれば、当時の低速な回線でも十分に送受信可能であった。 なお、カラオケ用MIDIデータはカラオケデータ制作専門のプログラマなどが、ソフトシーケンサーなどを用いて制作し、通信カラオケ配信会社に卸す仕組みとなっている。 スマートフォンの登場以前、携帯電話の着信メロディにおいてMIDI規格が利用されていた。携帯電話内のデータを、携帯電話内に搭載された音源が処理し音を鳴らしている。携帯電話向けのRPも複数拡張された。 1991年にRP-002としてMIDIショーコントロールが定義された。これにより、MIDIで舞台装置、照明、演出効果などが制御できるようになった。 2009年頃、音声をフーリエ解析し周波数ごとに分離して正弦波にし、それをMIDIで再生することで音声を擬似的に再現する技術が発明された。 鉄道のプラットホームで流れる発車メロディや、学校・会社で流れるチャイムを再生するタイマーなどでもMIDI規格が応用されることがある。 MIDIの基礎知識や、業務レベルの細かい知識などを問うMIDI検定が1999年より実施された。現在4,3,2,1級の4階級が用意されており、2級には2級筆記試験と2級実技試験の2段階が用意されている。 3,2級検定試験は年1回の実施、MIDI4級検定試験は各公認講師・指定校による随時開催となっている。 MIDI検定開始から11年間、1級試験は実施されず2級実技試験が最高級とされていたが、2010年1月15日より、1級試験が新設された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "MIDI(ミディ、Musical Instrument Digital Interface)は、電子楽器の演奏データを機器間で転送・共有するための共通規格である。日本のMIDI規格協議会(JMSC、現在の社団法人音楽電子事業協会)と国際団体のMIDI Manufacturers Association (MMA) により策定され1981年に公開された。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "MIDIは音楽制作の現場で幅広く利用されている。MIDI規格に則って作成されたデータは、DAWをはじめとしたシーケンサーなどで再生・編集することができる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "物理的な送受信回路・インタフェース、通信プロトコル、ファイルフォーマットなど複数の規定からなる。MIDI 1.0の策定完了から38年後の2019年に、Ver.2.0となるMIDI 2.0の策定開始が発表された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "MIDIデータは、音声データ(マイクなどで録音した音の波形をサンプリングしたもの)ではなく演奏情報(発音せよ、音の高さは - 、音の大きさは - 、といった楽器や音源へのメッセージ)であり、データサイズが小さく、また音楽の細部を容易に変更することができる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "電子楽器以外では劇場の舞台照明のコントロールなどにも応用されている。また、MIDI規格とパソコンの普及は、ホビーとしての音楽制作(DTM)を一般化した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "当初、MIDI規格は、ハードウェアとソフトウェアの両分野にまたがり策定された。ハードウェアの規格は、インタフェースや送受信回路・端子に関することであり、ソフトウェアの規格は、データフォーマット(機器同士がリアルタイム通信する際の規格であって、MIDIデータを保存流通させるファイルフォーマットとは異なる)に関することである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "その後、MIDIの普及に伴いRP(Recommended Practice、推奨実施例)という拡張規格が策定された。音色配列などを厳密に定めたGMシステムレベル1や、MIDIデータを保存流通させるファイルフォーマット、劇場の舞台照明をコントロールする規格(MIDIショーコントロール)が、このRPに含まれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "MIDIはJIS(日本産業規格)によって以下のように規格化されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "31.25Kbps (±1%) の非同期方式シリアル転送を用いる。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "MIDI機器(ハードウェア)は5ピンのDINコネクタで接続するのが一般的である。両端に位置する1番ピンと3番ピンは現在の仕様上では使用されず、中央2番ピンはケーブルのシールド用に、4番、5番ピンがデジタル信号のカレントループ(英語版)伝送に使用される。MIDIケーブルの両端はどちらもオス端子で、シールドされたツイストペアケーブルとして設計される。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "コネクタには、MIDI信号を受け取るMIDI IN、MIDI信号を送信するMIDI OUT、受信したMIDI信号をそのまま送信するMIDI THRUの3種類がある。機器パネル側は常にメス端子となる。グラウンドループ(英語版)や障害の連鎖防止のため、MIDI機器同士には電気的絶縁が規定されており、受信側内部では接地線の2番ピンは接続されず、信号はフォトカプラで受信される基本仕様となっている。フォトカプラを経由するたびに信号波形の再現性が下がるため、MIDI THRUを多段直列すると通信エラーが発生することもある。並列に複数のMIDI機器を接続する場合や、信号系統を簡単に切り替えたい時はMIDIパッチベイを用いるが、これを使うことにより多段時の通信エラーも回避できる。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "MIDIはバスではない。MIDI IN端子とMIDI OUT端子が別々で用意されていることから判るように、MIDIケーブル間のデータは一方向に送信される。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "後述するアクティブセンシング機能で、接続状態が良好か、断線していないかを常に判定しており、アクティブセンシングが途絶えたとき、お互いのMIDI機器はケーブルが抜けたと判定するように作られている。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "現代には、MIDI IN、MIDI OUTを使わずRS-232C、USB、IEEE 1394などの規格を使った接続を行う機器も存在している。この場合、MIDIケーブルではなくこれらの規格のケーブル内をMIDI信号が通るため、転送に関して上記の通りではない。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2本のMIDIケーブルを用い、お互いの機器のMIDI IN、MIDI OUTをそれぞれつないだ状態を1つの「システム」と捉える。このシステム毎に16のチャンネルが用意される。基本的にひとつのチャンネルにひとつの楽器(1パート)が割り当てられる。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "これにより、1本のMIDIケーブルで16チャンネル分のデータを送信もしくは受信させることができる。例えば「1チャンネルのピアノと3チャンネルのギターを鳴らす」といったことである。16チャンネル分のデータは、後述する「チャンネルメッセージ」にて正確に分類され、相手機器の各チャンネルに届く。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "それ以上のチャンネルを制御するためにはMIDIケーブルが複数本必要となり、MIDIデータのパート数(=チャンネル数)によっては、複数のMIDI音源を用意する必要もでてくる。", "title": "ハードウェア規格" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "MIDI規格上のデータの送受信は、すべてMIDIメッセージで行われる。MIDIメッセージは、複数のバイト(8ビット)で構成されている。「電子楽器の鍵盤を弾いたことで音が出る」という一連の流れもMIDIメッセージで制御されている。バイト単位で処理していくため、文言上では16進数を用い、数の後にHを付ける。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "MIDIメッセージを効率よく送信するために、MIDIメッセージに使用されるバイトは「ステータスバイト」か「データバイト」の大きく2種類に分けられる。ステータスバイトとはMSB (Most Significant Bit)が「1」、すなわち80H - FFHまでの128個のバイトを指し、データバイトとはMSBが「0」、すなわち00H - 7FHまでの128個のバイトを指す。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "MIDIメッセージは複数のバイトで構成されていると前述したが、これらの先頭は常にステータスバイトで始まり、ステータスバイトの後に任意の個数のデータバイトが続く。ステータスバイトでは、ノートオンやコントロールチェンジ、システムエクスクルーシブなどを定義する。データバイトは、ステータスバイトで定義したものについて、その内容や数値を指定するのに使用する。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ステータスバイトが80H - FFHのうち何であるかによって、「チャンネルメッセージ」、「システムメッセージ」に分かれる。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "チャンネルメッセージとは、特にチャンネルを指定して送信するMIDIメッセージのことである。チャンネルメッセージのステータスバイトは80H - EFHである。ここからさらに「チャンネルボイスメッセージ」、「チャンネルモードメッセージ」と分類される。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "チャンネルボイスメッセージとは、音を鳴らす、止める、音色を変える、ピッチを変えるといった、音源の演奏に必要な情報に関する定義のことである。最大2つのデータバイトが続くことで、その内容・数値を決定する。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ステータスバイトの下位4ビットがMIDIチャンネル番号-1(0(0H)Hはチャンネル1、15(FH)はチャンネル16)を表している。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "データバイトにて指定するノートナンバーとは、最も低い音を0、最も高い音を127と割り当てた音の高さのことであり、半音刻みとなっている。中央ハにはノートナンバー60が割り当てられ、88鍵盤のピアノで出せる音域(A0 - C8の7オクターブと短3度)はノートナンバー21 - 108と割り当てられるので、MIDIではそれよりさらに広い音域(C-1 - G9の10オクターブと完全5度)をカバーできる。また、ベロシティとは音の強さ(楽器で例えれば各弦や各鍵を弾く速さによって変化する音の強弱(強弱法))のことである。1 - 127までありmp(メゾピアノ)が64となり、127が最も強く、1が最も弱く、数値が0の場合は発音の終了(楽器で例えれば離鍵など)を表す。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "なお、以下の説明では、これら0 - 127までの数字を、16進数で表記する。また、nはチャンネル番号を表わす。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ステータスバイト部のnには0H - FHが代入され、これは1チャンネル - 16チャンネルを表す。「90H 3CH 40H」というMIDIメッセージがあったとすると、これは「ノートオン、1チャンネル。3CH=60なので中央ハを鳴らす。40H=64なのでmpで鳴らす」という命令である。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "チャンネルモードメッセージとは、ある楽器は和音が出せるのか、16チャンネルは区別するのかしないのか、といったことを設定するための定義のことである。BnHで始まるがコントロールチェンジには含まれず、BnHのあとに78H - 7FHが続くと、チャンネルモードメッセージのいずれかと判断される。多くの場合、第2データバイトには00Hがダミーとして送信され、受信側も無視する。ステータスバイト部のnには0H - FHが代入され、これは1チャンネル - 16チャンネルを表す。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "システムメッセージとは、チャンネルに関係なくMIDIシステム全体に対する命令を行うMIDIメッセージである。システムメッセージのステータスバイトはF0H - FFHである。機能ごとに「システムエクスクルーシブメッセージ」、「システムコモンメッセージ」、「システムリアルタイムメッセージ」の分類される。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "システムエクスクルーシブメッセージ(Sys-Ex、またはSysExと略記し、シスイーエックスと読む場合もある)は、MIDI機器のより細かい設定を行ったり、音色データやサンプリングデータを送受信するなど、各メーカーのMIDI機器の固有のデータのやりとりに使用できるシステムメッセージである。ステータスバイトF0Hで始まる。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "MIDIメッセージは大抵2バイト程度のデータバイトで成り立つが、SysExはMIDIメッセージ中、唯一データバイト長が指定されていない。可変長のため、最後にシステムコモンメッセージとして定義されているF7H エンドオブエクスクルーシブ (EOX) を送信することでSysExの終了を表現する。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "システムコモンメッセージは、主にシステムリアルタイムメッセージと併用され、MIDIシーケンサーなどの同期に使用される。ステータスバイト以下にデータバイトが続くものが多い。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "システムリアルタイムメッセージは、MIDIシーケンサーなどの同期、MIDIタイミングクロックに使用される。ステータスバイト以下にデータバイトが続かず、単独の1バイトのみで機能する。リアルタイムに送信される必要があるため、最優先で送信される。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "サンプルダンプとは、システムエクスクルーシブメッセージを使用してサンプラーとMIDI機器間でサンプリングデータを通信する規格である。サンプルダンプに関するフォーマットをサンプルダンプスタンダード (SDS) という。MMAが1987年に提案した規格で、MMA-0003として定義されている。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ただし、前述の通りMIDIの通信速度は31.25Kbpsと、データ転送用途としては非常に遅い上、現代にはUSBやIEEE 1394などの高速シリアルバスも普及しているため、一部の学習・研究用途を除き使われることは無くなった。", "title": "データフォーマット" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "RP (Recommended Practice) とは、MIDI規格策定後、利便性を高めるための推奨実施例として拡張された規格である。現在すでに複数の拡張規格がAMEIとMMAにより承認されており、いずれも共通規格としてMIDI規格に組み込まれている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "スタンダードMIDIファイル(SMF)とは、MIDI機器やMIDIメッセージを用いる演奏に関するデータの保存形式であり、メーカー毎のソフトやハードに関係なく使用できる共通のファイルフォーマットである。拡張子は.mid。いわゆる「MIDIデータ」は演奏形式である前述した「MIDIデータフォーマット」の略称であるが、このスタンダードMIDIファイルを指すべく拡大使用される場合がある。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "Opcode社により独自規格として提案されたが、1991年7月にAMEIとMMAによりRPの第1号(RP-001)に追認された。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "GMシステムレベル1、通称GM (General MIDI) とは、それまで各メーカー毎に異なっていた音色配列を統一することを目的として策定されたRPである。1991年に、RP-003にて定義されている。音色配列の他、最低同時発音数や音色数、コントロールチェンジの効き具合といったことも指定されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "さらに、従来のGMでは時代の進化に伴い補いきれなくなってきた部分を補完するため、GMシステムレベル2 (GM2) が上位規格として拡張された。GMとは完全な上位互換性をもつ。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "のちに、主に携帯電話の着信メロディの制作用途として、General MIDI Lite (GML) も上位規格として拡張された。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "DLS (Downloadable Sounds) は、SMFデータをサウンドカードなどの音源機器に転送して再生するために策定されたRPである。1997年に、RP-016にて定義されている。再生する音源が異なると、作者の意図しない音色で再生されてしまうSMFとは異なり、DLS対応機器ならほとんど同じ音での再生を行なうことが可能となる。拡張子は.dls。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "のちに、上位規格であるDLSレベル2.1や、携帯電話向けのMobile DLSが拡張された。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "XMF (eXtensible Music Format) は、MMAによって提案された新しい音楽ファイルフォーマットである。SMFや、音声ファイルであるWAVなどが一つのファイルとして格納できるようになっている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "複数回改稿されており、それぞれのバージョン毎にRPとして承認されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、複数の用途に向けて、複数のタイプが定義、検討されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "XMFに関する拡張規格も用意されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "MIDIショーコントロール (MIDI Show Control, MSC) とは、照明や映像機器など、ショーの演出をコントロールする目的で策定されたRPである。1991年にRP-002、のちにRP-014にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "MIDIタイムコード (MIDI Time Code, MTC) は、同期システムを組むことを目的として策定されたRPである。1987年に、RP-004にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "MIDI規格策定時に、同時に策定されたMIDIタイミングクロックは絶対時間を持たなかったが、SMPTEの普及につれMIDI上でも絶対時間を持ったクロックが必要となってきたことが、MTC策定の背景である。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "MIDI策定団体であるMMAが中心に提案したため、RPのほかにMMA-0001としても定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "記譜情報はMIDIデータ(MIDIメッセージの集合)を楽譜上に音符として表示するために策定されたRPである。RP-005、RP-006にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ファイルダンプとは、MIDIケーブルを使ってSMFデータを転送するために策定されたRPである。RP-009にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "MIDIマシンコントロールとは、システムエクスクルーシブメッセージを用いてMTRやVTRを制御するために策定されたRPである。1992年に、RP-013にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "SMF with Lyrics (SMF Language and Display extensions) とは、SMFのメタイベントとして用意されている歌詞格納機能を拡張したRPである。1999年に、RP-026にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "メタイベントと違い、表示を目的としており、曲タイトル、作曲者名、作詞者名、歌詞やふりがなを格納できる。カラオケの歌詞表示や楽譜上の歌詞表記などの用途を想定されている。また、日本語 (Shift JIS) も使用できる。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "MIDI Media Adaptation Layer for IEEE-1394は、MIDIインタフェースなどのMIDI機器をIEEE 1394を用いて接続することに関するRPである。2000年に、RP-027にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "SP-MIDI (Scalable Polyphony MIDI) は、あらゆる音源で最適なデータを再生するために策定されたRPである。2002年に、RP-034、RP-035にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "例えば、通常だと24ボイス(パート数)を持つ音源用に作られたデータを16ボイスの音源で再生すると、8ボイス分は無視されてしまう。このままではデータ制作者の意図した再生ができないため、従来なら24ボイス用、16ボイス用と複数のデータを用意する必要が有った。このSP-MIDIの規格に従うと、ひとつのデータに前もって複数環境分の情報を収録できるので、少ない工数で、あらゆる音源で問題なく再生が出来るようになる。この技術は主に携帯電話向けに使用される。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "MIDI XML (\"MIDI Names, Device Types, & Events in XML\") は、SMFをXMLで記述することを目的として策定されたRPである。2003年に、RP-038にて定義されている。", "title": "RP" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "RPとして承認されていないが、各メーカーが独自に打ち出した規格も存在する。中には、比較的一般的となった規格も存在する。ただしメーカーに左右されるため、メーカーを越えた互換性は無い場合が多い。", "title": "その他の規格" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "なお、現在はこれ以上の音色配列などに関する規格の複雑化を防ぐため、AMEI、MMA共にGM2に一本化することを求めており、また、GS・XGはお互い規格をオープンにして相互にサポートすべきとしている。しかし、実際にはローランド製、ヤマハ製の製品であってもGS・XG自体をサポートしない製品が増えてきたことも事実である。", "title": "その他の規格" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "同じ楽譜で演奏をしても、演奏者や楽器が異なると音が違って聴こえるように、使用する音源を変えれば出音は違ってくる。そのため、例えばインターネット上で配布されているMIDIデータをデータ制作者の意図した通りに演奏するためには、制作者が使ったものと同じ、音色設定を完全に一致させた音源が必要になる。たとえGS対応と謳っていてもGS対応音源なら何でもいいというわけではなく、どの音源モジュールを使うかによって音は異なる。", "title": "その他の規格" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "GSフォーマットは、1991年にローランドが提唱、策定した音色配列などに関する独自規格。RP-003であるGMを拡張して作られたと思われがちだが、こちらが先行している。GMは、GSから他社と共有できる部分を抜粋し標準化したものである。", "title": "その他の規格" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "GSに対応した音源には、SC-55やSC-88Proなどのローランド・SCシリーズが有名。", "title": "その他の規格" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "XGフォーマットは、1994年にヤマハが提唱、策定した音色配列などに関する独自規格。ヤマハ製の音源モジュールやシンセサイザーの互換性を持たせるためにGMを拡張する形で作られた。", "title": "その他の規格" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "XGに対応した音源には、MU80やMU500などのヤマハ・MUシリーズが有名。", "title": "その他の規格" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "本項ではMIDI規格が使われる用途と、MIDI規格を使用するハードウェア(機器)、ソフトウェアについて解説する。なお、箇条書きにしているハードウェアやソフトウェアは一例である。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "総合的な音楽制作用途は、MIDIの代表的な使用例である。パソコンとソフトウェア音源さえあれば、大がかりな設備投資をする必要無くDTMを楽しめるといったことで、90年代から一般の趣味としても普及し出した。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "現代は、オーディオ編集とMIDIデータ編集を同時に行える統合環境DAWが業務向けを中心に普及している。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "かつては、ハードウェア音源の代わりに、PCM音源等の音源データをソフトウェア向けに加工し、パソコン上のサウンドボードでMIDIファイルの再生を可能にしたソフトウェアMIDI音源も開発された。しかしながら、同時発音数や音質がCPUの性能に依存するなど、ソフトウェアMIDI音源発売当初はリアルタイム演奏には不向きであった。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "現在は、一般のパソコンがソフトウェア音源を処理するのに十分な性能を持ったことや、再生時に音源が不要なMP3等の圧縮音声ファイルフォーマットの普及により、一般ユーザーではDTM愛好家以外のハードウェアベースのMIDI音源の使用は著しく減少している。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "録音やMA (Multi Audio) でもMIDIは使用される。演奏情報の送受信ではなく、システムメッセージを中心とした同期処理が行われている。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "カラオケ機器は、MIDIデータを再生する機能が備わっている。各カラオケ店舗では、インターネット回線を通じて最新曲のMIDIデータを受信する仕組みになっており、通信カラオケと呼ばれるのはこのためである。ブロードバンドインターネット接続が普及する以前は、現在のように大量の音声データをインターネットで送受信するのは困難であったが、MIDIデータであれば、当時の低速な回線でも十分に送受信可能であった。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "なお、カラオケ用MIDIデータはカラオケデータ制作専門のプログラマなどが、ソフトシーケンサーなどを用いて制作し、通信カラオケ配信会社に卸す仕組みとなっている。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "スマートフォンの登場以前、携帯電話の着信メロディにおいてMIDI規格が利用されていた。携帯電話内のデータを、携帯電話内に搭載された音源が処理し音を鳴らしている。携帯電話向けのRPも複数拡張された。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "1991年にRP-002としてMIDIショーコントロールが定義された。これにより、MIDIで舞台装置、照明、演出効果などが制御できるようになった。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "2009年頃、音声をフーリエ解析し周波数ごとに分離して正弦波にし、それをMIDIで再生することで音声を擬似的に再現する技術が発明された。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "鉄道のプラットホームで流れる発車メロディや、学校・会社で流れるチャイムを再生するタイマーなどでもMIDI規格が応用されることがある。", "title": "用途と機器" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "MIDIの基礎知識や、業務レベルの細かい知識などを問うMIDI検定が1999年より実施された。現在4,3,2,1級の4階級が用意されており、2級には2級筆記試験と2級実技試験の2段階が用意されている。", "title": "MIDI検定" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "3,2級検定試験は年1回の実施、MIDI4級検定試験は各公認講師・指定校による随時開催となっている。", "title": "MIDI検定" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "MIDI検定開始から11年間、1級試験は実施されず2級実技試験が最高級とされていたが、2010年1月15日より、1級試験が新設された。", "title": "MIDI検定" } ]
MIDIは、電子楽器の演奏データを機器間で転送・共有するための共通規格である。日本のMIDI規格協議会(JMSC、現在の社団法人音楽電子事業協会)と国際団体のMIDI Manufacturers Association (MMA) により策定され1981年に公開された。
{{Otheruses||レコード会社「MIDI INC.」|ミディ}} [[Image:MIDI LOGO.svg|200px|right|thumb|MIDIのロゴ]] '''MIDI'''(ミディ、'''M'''usical '''I'''nstrument '''D'''igital '''I'''nterface)は、[[電子楽器]]の演奏データを機器間で転送・共有するための共通規格である<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=MIDIが38年ぶりのバージョンアップでMIDI 2.0に。従来のMIDI 1.0との互換性を保ちつつ機能強化|藤本健の “DTMステーション”|url=https://www.dtmstation.com/archives/23425.html|website=藤本健の “DTMステーション”|date=2019-01-19|accessdate=2019-04-24|language=ja|last=藤本健}}</ref>。日本のMIDI規格協議会(JMSC、現在の社団法人[[音楽電子事業協会]])と国際団体の[[MIDI Manufacturers Association]] (MMA) により策定され1981年に公開された。 == 概要 == MIDIは音楽制作の現場で幅広く利用されている。MIDI規格に則って作成されたデータは、[[デジタルオーディオワークステーション|DAW]]をはじめとした[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]などで再生・編集することができる。 物理的な送受信回路・[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]、[[通信プロトコル]]、[[ファイルフォーマット]]など複数の規定からなる。MIDI 1.0の策定完了から38年後の[[2019年]]に、Ver.2.0となるMIDI 2.0の策定開始が発表された<ref name=":0" />。 MIDIデータは、音声データ(マイクなどで録音した音の波形を[[標本化|サンプリング]]したもの)ではなく演奏情報(発音せよ、音の高さは - 、音の大きさは - 、といった楽器や音源への[[メッセージ (コンピュータ)|メッセージ]])であり、データサイズが小さく、また音楽の細部を容易に変更することができる。 電子楽器以外では[[劇場]]の[[舞台照明]]のコントロールなどにも応用されている。また、MIDI規格と[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の普及は、ホビーとしての音楽制作([[デスクトップミュージック|DTM]])を一般化した。 当初、MIDI規格は、ハードウェアとソフトウェアの両分野にまたがり策定された。ハードウェアの規格は、[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]や送受信回路・端子に関することであり、ソフトウェアの規格は、データフォーマット(機器同士がリアルタイム通信する際の規格であって、MIDIデータを保存流通させる[[ファイルフォーマット]]とは異なる)に関することである。 その後、MIDIの普及に伴いRP(Recommended Practice、推奨実施例)という拡張規格が策定された。音色配列などを厳密に定めた[[General MIDI|GMシステムレベル1]]や、MIDIデータを保存流通させるファイルフォーマット、劇場の舞台照明をコントロールする規格([[MIDIショーコントロール]])が、このRPに含まれる。 MIDIはJIS([[日本産業規格]])によって以下のように[[規格化]]されている。 # X 6054-1 電子楽器デジタルインタフェース(MIDI)- 第1部:総則 # X 6054-2 電子楽器デジタルインタフェース(MIDI)- 第2部:プロトコル仕様 == ハードウェア規格 == [[ファイル:DIN-5 Diagram.svg|thumb|right|5ピンDINコネクタ]] [[ファイル:Midiaansl.jpg|thumb|right|MIDI端子とケーブル]] === 送信 === 31.25Kbps (±1%) の非同期方式[[シリアル通信|シリアル転送]]を用いる。 === 接続 === MIDI機器(ハードウェア)は5ピンの[[DINコネクタ]]で接続するのが一般的である。両端に位置する1番ピンと3番ピンは現在の仕様上では使用されず、中央2番ピンはケーブルの[[シールド]]用に、4番、5番ピンがデジタル信号の{{仮リンク|カレントループ|en|Digital current loop interface}}伝送に使用される。MIDIケーブルの両端はどちらもオス端子で、シールドされた[[ツイストペアケーブル]]として設計される。 コネクタには、MIDI信号を受け取るMIDI IN、MIDI信号を送信するMIDI OUT、受信したMIDI信号をそのまま送信するMIDI THRUの3種類がある。機器パネル側は常にメス端子となる。{{仮リンク|グラウンドループ|en|Ground loop (electricity)}}や障害の連鎖防止のため、MIDI機器同士には電気的[[絶縁 (電気)|絶縁]]が規定されており、受信側内部では[[接地]]線の2番ピンは接続されず、信号は[[フォトカプラ]]で受信される基本仕様となっている。フォトカプラを経由するたびに信号波形の再現性が下がるため、MIDI THRUを多段直列すると通信エラーが発生することもある。並列に複数のMIDI機器を接続する場合や、信号系統を簡単に切り替えたい時はMIDI[[パッチベイ]]を用いるが、これを使うことにより多段時の通信エラーも回避できる。 MIDIは[[バス (コンピュータ)|バス]]ではない。MIDI IN端子とMIDI OUT端子が別々で用意されていることから判るように、MIDIケーブル間のデータは一方向に送信される。 後述するアクティブセンシング機能で、接続状態が良好か、断線していないかを常に判定しており、アクティブセンシングが途絶えたとき、お互いのMIDI機器はケーブルが抜けたと判定するように作られている。 現代には、MIDI IN、MIDI OUTを使わず[[RS-232|RS-232C]]、[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]]、[[IEEE 1394]]などの規格を使った接続を行う機器も存在している。この場合、MIDIケーブルではなくこれらの規格のケーブル内をMIDI信号が通るため、転送に関して上記の通りではない。 === チャンネル === 2本のMIDIケーブルを用い、お互いの機器のMIDI IN、MIDI OUTをそれぞれつないだ状態を1つの「システム」と捉える。このシステム毎に16の[[チャンネル]]が用意される。基本的にひとつのチャンネルにひとつの楽器(1パート)が割り当てられる。 これにより、1本のMIDIケーブルで16チャンネル分のデータを送信もしくは受信させることができる。例えば「1チャンネルのピアノと3チャンネルのギターを鳴らす」といったことである。16チャンネル分のデータは、後述する「チャンネルメッセージ」にて正確に分類され、相手機器の各チャンネルに届く。 それ以上のチャンネルを制御するためにはMIDIケーブルが複数本必要となり、MIDIデータのパート数(=チャンネル数)によっては、複数のMIDI音源を用意する必要もでてくる。 == データフォーマット == === MIDIメッセージ === MIDI規格上のデータの送受信は、すべて'''MIDIメッセージ'''で行われる。MIDIメッセージは、複数の[[バイト (情報)|バイト]]([[8ビット]])で構成されている。「電子楽器の鍵盤を弾いたことで音が出る」という一連の流れもMIDIメッセージで制御されている。バイト単位で処理していくため、文言上では[[十六進法|16進数]]を用い、数の後にHを付ける。 MIDIメッセージを効率よく送信するために、MIDIメッセージに使用されるバイトは「ステータスバイト」か「データバイト」の大きく2種類に分けられる。ステータスバイトとは[[最上位ビット|MSB]] (Most Significant Bit)が「1」、すなわち80H - FFHまでの128個のバイトを指し、データバイトとはMSBが「0」、すなわち00H - 7FHまでの128個のバイトを指す。 MIDIメッセージは複数のバイトで構成されていると前述したが、これらの先頭は常にステータスバイトで始まり、ステータスバイトの後に任意の個数のデータバイトが続く。ステータスバイトでは、ノートオンやコントロールチェンジ、システムエクスクルーシブなどを定義する。データバイトは、ステータスバイトで定義したものについて、その内容や数値を指定するのに使用する。 ステータスバイトが80H - FFHのうち何であるかによって、「チャンネルメッセージ」、「システムメッセージ」に分かれる。 ==== チャンネルメッセージ ==== チャンネルメッセージとは、特にチャンネルを指定して送信するMIDIメッセージのことである。チャンネルメッセージのステータスバイトは80H - EFHである。ここからさらに「チャンネルボイスメッセージ」、「チャンネルモードメッセージ」と分類される。 ===== チャンネルボイスメッセージ ===== [[ファイル:NoteNamesFrequenciesAndMidiNumbers_V3.svg|thumb|right|MIDIノートナンバー(音域)と音名、周波数の対応表]] チャンネルボイスメッセージとは、音を鳴らす、止める、[[音色]]を変える、[[音高|ピッチ]]を変えるといった、音源の演奏に必要な情報に関する定義のことである。最大2つのデータバイトが続くことで、その内容・数値を決定する。 ステータスバイトの下位4ビットがMIDIチャンネル番号-1(0(0H)Hはチャンネル1、15(FH)はチャンネル16)を表している。 データバイトにて指定する'''[[ノートナンバー]]'''とは、最も低い音を0、最も高い音を127と割り当てた音の高さのことであり、半音刻みとなっている。[[中央ハ]]にはノートナンバー60が割り当てられ、88鍵盤の[[ピアノ]]で出せる音域(A0 - C8の7オクターブと短3度)はノートナンバー21 - 108と割り当てられるので、MIDIでは[[88鍵のピアノの音域外の音|それよりさらに広い音域]](C-1 - G9の10オクターブと完全5度)をカバーできる。また、'''ベロシティ'''とは音の強さ(楽器で例えれば各弦や各鍵を弾く速さによって変化する音の強弱([[強弱法]]))のことである。1 - 127まであり[[強弱法|mp(メゾピアノ)]]が64となり、127が最も強く、1が最も弱く、数値が0の場合は発音の終了(楽器で例えれば離鍵など)を表す{{Sfn|音楽電子事業協会|2016|p=2-10}}。 なお、以下の説明では、これら0 - 127までの数字を、[[十六進法|16進数]]で表記する。また、nはチャンネル番号を表わす。 ; 8nH ノートオフ : 音を止める命令。鍵盤楽器ではキーを離した時に送信される。ノートオフによって鳴っている音を止める。 : 第1データバイト - ノートナンバーを指定 : 第2データバイト - オフベロシティ値 ; 9nH ノートオン : 音を鳴らす命令。鍵盤楽器ではキーを押した時に送信される。この後ノートオフが送信されないままだと、音が鳴りっぱなしとなる。 : 第1データバイト - ノートナンバーを指定 : 第2データバイト - ベロシティ値 : なお「ノートオン・ベロシティ0」もノートオフと同じメッセージとみなされる。 ; AnH ポリフォニック キープレッシャー : 鍵盤楽器で、キーを押した状態でさらにその圧力を変化させた場合に(いわゆるアフタータッチ)、その圧力に応じて送信される。 : 第1データバイト - ノートナンバーを指定 : 第2データバイト - プレッシャー値 ; BnH [[コントロールチェンジ]] : 音量、音質など様々な要素を制御するための命令。 : 第1データバイト - コントロールナンバー(00H - 77H)を指定 - どのパラメータをコントロールするのか指定 : 第2データバイト - コントロール値 - コントロール番号にて指定した要素の大小や強弱を設定 : ただし第1データバイトが78H - 7FH(120 - 127)の場合はコントロールチェンジではなく、チャンネルモードメッセージとなる。 ; CnH [[プログラムチェンジ]] : 音色を変える命令。00H - 7FHで、最大128種類から音色を選択できる。 : 第1データバイト - プログラムナンバーを指定 : 第2データバイトは使用しない。 ; DnH チャンネルプレッシャー : 鍵盤楽器で、キーを押した状態でさらにその圧力を変化させた場合に、その圧力に応じて送信される。ポリフォニック キープレッシャーと違い、そのチャンネルの全ノートナンバーに対して適用される。 : 第1データバイト - プレッシャー値 : 第2データバイトは使用しない。 ; EnH [[ピッチベンド]] : 鳴っている音の[[音高|ピッチ]]を変える命令。[[最上位ビット|MSB]] (Most Significant Byte) 128段階の1段階ずつをさらに[[最下位ビット|LSB]] (Least Significant Byte) で128分割しているので、計16384段階の細かい指定ができる。[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]上では、-8192 - 0 - 8191といった数値で表示することが多い。 : 第1データバイト - ピッチベンド値LSB : 第2データバイト - ピッチベンド値MSB ステータスバイト部のnには0H - FHが代入され、これは1チャンネル - 16チャンネルを表す。「90H 3CH 40H」というMIDIメッセージがあったとすると、これは「ノートオン、1チャンネル。3CH=60なので[[中央ハ]]を鳴らす。40H=64なので[[強弱法|mp]]で鳴らす」という命令である。 ===== チャンネルモードメッセージ ===== チャンネルモードメッセージとは、ある楽器は和音が出せるのか、16チャンネルは区別するのかしないのか、といったことを設定するための定義のことである。BnHで始まるがコントロールチェンジには含まれず、BnHのあとに78H - 7FHが続くと、チャンネルモードメッセージのいずれかと判断される。多くの場合、第2データバイトには00Hが[[ダミー]]として送信され、受信側も無視する。ステータスバイト部のnには0H - FHが代入され、これは1チャンネル - 16チャンネルを表す。 ; BnH 78H オールサウンドオフ : 該当するチャンネルの発音中の音を直ちに消音する。後述のオールノートオフより強制力が強い。 ; BnH 79H リセットオールコントローラ : 該当するチャンネルの全種類のコントロール値を初期化する。初期化されるコントロールや初期値は、受信するMIDI機器側に依存する。 ; BnH 7AH ローカルコントロール : 鍵盤と音源を兼ねそろえたシンセサイザーの、鍵盤部と音源部の内部的な接続に関する設定。第2データバイトを指定することでオンオフを行う。 : 00H - ローカルオフ - 鍵盤と音源が接続されていない状態。鍵盤を弾くと、MIDI OUTからMIDIメッセージは送信されるが、音源は動かない。 : 7FH - ローカルオン - 鍵盤と音源が接続されている状態。鍵盤を弾くと、音源から音が出る。 ; BnH 7BH オールノートオフ : 該当するチャンネルの発音中の音すべてに対してノートオフ命令を出す。ただし、音の余韻の長いものや、[[ピアノ#ペダル|サスティンペダル]]がオンの状態では音は止まらないので、オールサウンドオフを使用する。 ; BnH 7CH - 7FH MIDIモード設定 : 7CH、7DH、7EH、7FHの4つのチャンネルモードメッセージを使いオムニモード、発音数のオンオフを組み合わせることで、4種のMIDIモードを設定できる。 : オムニモード - 7CH オムニオン、7DH オムニオフで設定。MIDIチャンネルを区別するかしないか。オフの場合、チャンネルに関係なく全ての情報を受信し処理、発音する。 : 発音数 - 7EH モノモードオン、7FH ポリモードオンで設定。どちらかを設定すると片方のモードは自動的にオフになる。単音しか出せないのか、和音が出せるのかを設定する。 :; モード1 = 7DH オムニオン + 7FH ポリモード :: MIDIチャンネルを意識せず和音演奏ができるモード。 :; モード2 = 7DH オムニオン + 7EH モノモード :: MIDIチャンネルに関わらず、常に1音のみ鳴らすモード。 :; モード3 = 7CH オムニオフ + 7FH ポリモード :: 一般的な送受信モード。MIDIチャンネルを区別し、各チャンネル毎に和音を用いた演奏が可能なモード。 :; モード4 = 7CH オムニオフ + 7EH モノモード :: チャンネルは区別するが、各チャンネル毎に1音しか出せないモード。たとえば6弦ある[[ギターシンセサイザー]]の各弦を各チャンネルに割り当てる場合に使用する。この場合、単音で発声するチャンネルは6つとなるので、第2データバイトでは06Hを送信する。 ==== システムメッセージ ==== システムメッセージとは、チャンネルに関係なくMIDIシステム全体に対する命令を行うMIDIメッセージである。システムメッセージのステータスバイトはF0H - FFHである。機能ごとに「システムエクスクルーシブメッセージ」、「システムコモンメッセージ」、「システムリアルタイムメッセージ」の分類される。 ===== システムエクスクルーシブメッセージ ===== {{Main|システムエクスクルーシブメッセージ}} [[システムエクスクルーシブメッセージ]](Sys-Ex、またはSysExと略記し、シスイーエックスと読む場合もある)は、MIDI機器のより細かい設定を行ったり、音色データや[[サンプリング]]データを送受信するなど、各メーカーのMIDI機器の固有のデータのやりとりに使用できるシステムメッセージである。ステータスバイトF0Hで始まる。 MIDIメッセージは大抵2バイト程度のデータバイトで成り立つが、SysExはMIDIメッセージ中、唯一データバイト長が指定されていない。可変長のため、最後にシステムコモンメッセージとして定義されているF7H エンドオブエクスクルーシブ (EOX) を送信することでSysExの終了を表現する。 ===== システムコモンメッセージ ===== システムコモンメッセージは、主にシステムリアルタイムメッセージと併用され、MIDIシーケンサーなどの[[同期]]に使用される。ステータスバイト以下にデータバイトが続くものが多い。 ; F1H [[MIDIタイムコード|MTC]]クォーターフレームメッセージ : [[MIDIタイムコード]] (MTC) の絶対時間情報を扱う。全2バイトで構成され、2バイト目で時刻、分、秒、フレームのカウントを処理する。 ; F2H ソングポジションポインタ : 同期時にマスター側で操作したロケータ位置をスレーブ側に送信する際に使用。[[音符|16分音符]]単位で指定できる。第1データバイトでソングポジションポインタLSB、第2データバイトでソングポジションポインタMSBを扱う。 ; F3H ソングセレクト : 受信側のMIDI機器が複数のソング・シーケンスを扱える場合、第1データバイトでソングナンバーを選択する。 ; F4H 未定義 ; F5H 未定義 : 定義されず、使われていない。 ; F6H チューンリクエスト : [[アナログシンセサイザー]](デジタルのそれに比べ自身の発熱や周囲の温度変化、舞台上で浴びる照明などで経時により[[調律]]が狂いやすい)などで、[[電圧制御発振器|オシレータ]]を再調律させるための命令。現在はアナログシンセサイザーとともにほとんど使われない。 ; F7H エンドオブエクスクルーシブ (EOX) : F0Hから始まるSysExの終了を示すステータスバイト。単独で機能し、データバイトを持たない。 ===== システムリアルタイムメッセージ ===== システムリアルタイムメッセージは、MIDIシーケンサーなどの[[同期]]、'''[[MIDIタイミングクロック]]'''に使用される。ステータスバイト以下にデータバイトが続かず、単独の1バイトのみで機能する。リアルタイムに送信される必要があるため、最優先で送信される。 ; F8H タイミングクロック : 絶対時間を持たない[[クロック]]情報。[[音符|4分音符]]ごとに24カウントされる。 ; F9H 未定義 : 定義されず、使われていない。 ; FAH スタート ; FBH コンティニュー ; FCH ストップ : マスター側機器のコントロールパネルを操作したときに送信。それぞれスレーブ側機器の先頭から再生、停止中からの再生、停止を行う。 ; FDH 未定義 : 定義されず、使われていない。 ; FEH アクティブセンシング : 突然のMIDIケーブルの断線や接触不良や出力側機器の故障などで、音が鳴りっぱなしになったりしないようにするための[[フェイルセーフ]]の仕組みである。MIDI機器間ではこのアクティブセンシングが常に送信されている。[[ウォッチドッグタイマー]]の一種である。受信側は、一度もアクティブセンシングを受けていない状態では通常通り動作するが、一度送信側からこれを受信すると、300ms([[ミリ秒]])以内に次のMIDIメッセージが送られてくることを期待するようになる。この状態で、アクティブセンシングや、その他MIDIメッセージを受信しなかった場合、断線したと判定する。 : ただし、実際は誤差やMIDI THRU処理の遅れを考慮し270ms - 330msの間で処理するよう余裕を持たせてある。このことから、送信側は270ms間隔でアクティブセンシングを送信し続ける。 ; FFH システムリセット : これを受信した全てのMIDI機器はリセット(電源投入時の状態に戻)される。通常は使用しない。 === サンプルダンプ === [[システムエクスクルーシブ|サンプルダンプ]]とは、システムエクスクルーシブメッセージを使用して[[サンプラー]]とMIDI機器間で[[サンプリング]]データを通信する規格である。サンプルダンプに関するフォーマットをサンプルダンプスタンダード (SDS) という。[[MIDI Manufacturers Association|MMA]]が1987年に提案した規格で、MMA-0003として定義されている。 ただし、前述の通りMIDIの通信速度は31.25Kbpsと、データ転送用途としては非常に遅い上、現代には[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]]や[[IEEE 1394]]などの高速[[シリアル通信|シリアルバス]]も普及しているため、一部の学習・研究用途を除き使われることは無くなった。 == RP == RP (Recommended Practice) とは、MIDI規格策定後、利便性を高めるための'''推奨実施例'''として拡張された規格である。現在すでに複数の拡張規格が[[音楽電子事業協会|AMEI]]と[[MIDI Manufacturers Association|MMA]]により承認されており、いずれも共通規格としてMIDI規格に組み込まれている。 === スタンダードMIDIファイル === {{Main|スタンダードMIDIファイル}} スタンダードMIDIファイル(SMF)とは、MIDI機器やMIDIメッセージを用いる演奏に関するデータの'''保存形式'''であり、メーカー毎のソフトやハードに関係なく使用できる共通の[[ファイルフォーマット]]である。拡張子は.mid。いわゆる「MIDIデータ」は'''演奏形式'''である[[#データフォーマット|前述]]した「MIDIデータフォーマット」の略称であるが、このスタンダードMIDIファイルを指すべく拡大使用される場合がある。 [[Opcode]]社により独自規格として提案されたが、[[1991年]][[7月]]に[[音楽電子事業協会|AMEI]]と[[MIDI Manufacturers Association|MMA]]によりRPの第1号(RP-001)に追認された。 === GM === GMシステムレベル1、通称[[General MIDI|GM]] (General MIDI) とは、それまで各メーカー毎に異なっていた音色配列を統一することを目的として策定されたRPである。[[1991年]]に、RP-003にて定義されている。音色配列の他、最低同時発音数や音色数、コントロールチェンジの効き具合といったことも指定されている。 さらに、従来のGMでは時代の進化に伴い補いきれなくなってきた部分を補完するため、GMシステムレベル2 (GM2) が上位規格として拡張された。GMとは完全な[[上位互換|上位互換性]]をもつ。 のちに、主に[[携帯電話]]の[[着信メロディ]]の制作用途として、General MIDI Lite (GML) も上位規格として拡張された。 * [[1991年]] - GMシステムレベル1 - RP-003 * [[1999年]] - GMシステムレベル2 - RP-024 * [[2001年]] - General MIDI Lite - RP-033 === DLS === [[Downloadable Sounds|DLS]] (Downloadable Sounds) は、SMFデータを[[サウンドカード]]などの音源機器に転送して再生するために策定されたRPである。[[1997年]]に、RP-016にて定義されている。再生する音源が異なると、作者の意図しない音色で再生されてしまうSMFとは異なり、DLS対応機器ならほとんど同じ音での再生を行なうことが可能となる。拡張子は.dls。 のちに、上位規格であるDLSレベル2.1や、携帯電話向けのMobile DLSが拡張された。 * [[1997年]] - DLSレベル1.0 - RP-016 * [[1999年]] - DLSレベル1.1 - RP-016 * [[2000年]] - DLSレベル2.0 - RP-025 * 2000年 - DLSレベル2.1 - RP-025 * [[2003年]] - Mobile DLS - RP-041 === XMF === [[Extensible Music Format|XMF]] (eXtensible Music Format) は、[[MIDI Manufacturers Association|MMA]]によって提案された新しい音楽[[ファイルフォーマット]]である。SMFや、[[音声ファイルフォーマット|音声ファイル]]であるWAVなどが一つのファイルとして格納できるようになっている。 複数回改稿されており、それぞれのバージョン毎にRPとして承認されている。 * [[2001年]] - XMFメタファイルフォーマット1.00 - RP-030 * [[2003年]] - XMFメタファイルフォーマット1.01 - RP-039 * [[2004年]] - XMFメタファイルフォーマット2.00 - RP-043 また、複数の用途に向けて、複数のタイプが定義、検討されている。 * [[2001年]] - XMFタイプ0 アンド XMFタイプ1ファイル - RP-031 * [[2004年]] - XMFタイプ2/Mobile XMFファイル - RP-042 * [[2007年]] - XMFタイプ3/Mobile オーディオクリップ for Mobile XMFファイル - RP-045 * 20XX年 - XMFタイプ4/Interactive XMF (iXMF) XMFに関する拡張規格も用意されている。 * [[2003年]] - UnPackerID for ZLIB - RP-040 * [[2006年]] - ID3 Meta-data Tags for XMF - RP-047 === MIDIショーコントロール === [[MIDIショーコントロール]] (MIDI Show Control, MSC) とは、照明や映像機器など、[[ショー]]の演出をコントロールする目的で策定されたRPである。[[1991年]]にRP-002、のちにRP-014にて定義されている。 === MIDIタイムコード === [[MIDIタイムコード]] (MIDI Time Code, MTC) は、[[同期]]システムを組むことを目的として策定されたRPである。[[1987年]]に、RP-004にて定義されている。 MIDI規格策定時に、同時に策定された[[MIDIタイミングクロック]]は絶対時間を持たなかったが、[[SMPTE]]の普及につれMIDI上でも絶対時間を持った[[クロック]]が必要となってきたことが、MTC策定の背景である。 MIDI策定団体である[[MIDI Manufacturers Association|MMA]]が中心に提案したため、RPのほかにMMA-0001としても定義されている。 === 記譜情報 === 記譜情報はMIDIデータ(MIDIメッセージの集合)を[[楽譜]]上に[[音符]]として表示するために策定されたRPである。RP-005、RP-006にて定義されている。 === ファイルダンプ === ファイルダンプとは、MIDIケーブルを使ってSMFデータを転送するために策定されたRPである。RP-009にて定義されている。 === MIDIマシンコントロール === [[システムエクスクルーシブメッセージ|MIDIマシンコントロール]]とは、システムエクスクルーシブメッセージを用いて[[マルチトラックレコーダー|MTR]]や[[ビデオテープレコーダ|VTR]]を制御するために策定されたRPである。[[1992年]]に、RP-013にて定義されている。 === SMF with Lyrics === SMF with Lyrics (SMF Language and Display extensions) とは、SMFのメタイベントとして用意されている歌詞格納機能を拡張したRPである。[[1999年]]に、RP-026にて定義されている。 メタイベントと違い、表示を目的としており、曲タイトル、作曲者名、作詞者名、歌詞やふりがなを格納できる。カラオケの歌詞表示や楽譜上の歌詞表記などの用途を想定されている。また、日本語 ([[Shift JIS]]) も使用できる。 === MIDI Media Adaptation Layer for IEEE-1394 === MIDI Media Adaptation Layer for IEEE-1394は、MIDI[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]などのMIDI機器を[[IEEE 1394]]を用いて接続することに関するRPである。[[2000年]]に、RP-027にて定義されている。 === SP-MIDI === SP-MIDI (Scalable Polyphony MIDI) は、あらゆる音源で最適なデータを再生するために策定されたRPである。[[2002年]]に、RP-034、RP-035にて定義されている。 例えば、通常だと24ボイス(パート数)を持つ音源用に作られたデータを16ボイスの音源で再生すると、8ボイス分は無視されてしまう。このままではデータ制作者の意図した再生ができないため、従来なら24ボイス用、16ボイス用と複数のデータを用意する必要が有った。このSP-MIDIの規格に従うと、ひとつのデータに前もって複数環境分の情報を収録できるので、少ない工数で、あらゆる音源で問題なく再生が出来るようになる。この技術は主に[[携帯電話]]向けに使用される。 === MIDI XML === MIDI XML ("MIDI Names, Device Types, & Events in XML") は、SMFを[[Extensible Markup Language|XML]]で記述することを目的として策定されたRPである。[[2003年]]に、RP-038にて定義されている。 == その他の規格 == RPとして承認されていないが、各メーカーが独自に打ち出した規格も存在する。中には、比較的一般的となった規格も存在する。ただしメーカーに左右されるため、メーカーを越えた互換性は無い場合が多い。 なお、現在はこれ以上の音色配列などに関する規格の複雑化を防ぐため、[[音楽電子事業協会|AMEI]]、[[MIDI Manufacturers Association|MMA]]共にGM2に一本化することを求めており、また、GS・XGはお互い規格をオープンにして相互にサポートすべきとしている<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010116/midi.htm ローランドとヤマハがMIDI規格の互換性向上で協力]</ref>。しかし、実際にはローランド製、ヤマハ製の製品であってもGS・XG自体をサポートしない製品が増えてきたことも事実である。 同じ楽譜で演奏をしても、演奏者や楽器が異なると音が違って聴こえるように、使用する音源を変えれば出音は違ってくる。そのため、例えば[[インターネット]]上で配布されているMIDIデータをデータ制作者の意図した通りに演奏するためには、制作者が使ったものと同じ、音色設定を完全に一致させた音源が必要になる。たとえGS対応と謳っていてもGS対応音源なら何でもいいというわけではなく、どの音源モジュールを使うかによって音は異なる。 === GSフォーマット === [[GSフォーマット]]は、[[1991年]]に[[ローランド]]が提唱、策定した音色配列などに関する独自規格。RP-003であるGMを拡張して作られたと思われがちだが、こちらが先行している。GMは、GSから他社と共有できる部分を抜粋し標準化したものである。 GSに対応した音源には、SC-55やSC-88Proなどの[[ローランド・SCシリーズ]]が有名。 === XGフォーマット === [[XGフォーマット]]は、[[1994年]]に[[ヤマハ]]が提唱、策定した音色配列などに関する独自規格。ヤマハ製の[[音源モジュール]]や[[シンセサイザー]]の互換性を持たせるためにGMを拡張する形で作られた。 XGに対応した音源には、MU80やMU500などの[[ヤマハ・MUシリーズ]]が有名。 == 用途と機器 == 本項ではMIDI規格が使われる用途と、MIDI規格を使用するハードウェア(機器)、ソフトウェアについて解説する。なお、箇条書きにしているハードウェアやソフトウェアは一例である。 === 音楽制作 === 総合的な音楽制作用途は、MIDIの代表的な使用例である。[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]と[[ソフトウェア・シンセサイザー|ソフトウェア音源]]さえあれば、大がかりな設備投資をする必要無く[[デスクトップミュージック|DTM]]を楽しめるといったことで、90年代から一般の趣味としても普及し出した。 現代は、オーディオ編集とMIDIデータ編集を同時に行える統合環境[[デジタルオーディオワークステーション|DAW]]が業務向けを中心に普及している。 ; ハードウェア :; 送信側 :* [[ミュージックシーケンサー]](ハードシーケンサー) :* [[MIDIコントローラー]] :* [[シンセサイザー]](MIDI OUT端子が有るのならば、他のMIDI機器を制御可能) :* [[ミュージックワークステーション]](同上) :; 受信側 :* [[シンセサイザー]] :* [[ミュージックワークステーション]] :* [[音源モジュール]] ; ソフトウェア :; 送信側 :* [[ミュージックシーケンサー]](ソフトシーケンサー) :* [[デジタルオーディオワークステーション]] (DAW) :; 受信側 :* [[ソフトウェア・シンセサイザー]](ソフトウェア音源) :** [[Microsoft GS Wavetable SW Synth]] - [[Microsoft Windows 2000]]以降の[[Microsoft Windows|Windows]]に搭載されており最も普及しているソフトウェア音源 :** [[QuickTime]]ミュージックシンセ - [[Mac OS]]に標準で付属するソフトウェア音源 かつては、ハードウェア音源の代わりに、[[PCM音源]]等の音源データをソフトウェア向けに加工し、パソコン上の[[サウンドボード]]でMIDIファイルの再生を可能にしたソフトウェアMIDI音源も開発された。しかしながら、同時発音数や音質がCPUの性能に依存するなど、ソフトウェアMIDI音源発売当初はリアルタイム演奏には不向きであった。 現在は、一般のパソコンが[[ソフトウェア・シンセサイザー|ソフトウェア音源]]を処理するのに十分な性能を持ったことや、再生時に音源が不要な[[MP3]]等の[[音声圧縮|圧縮]][[音声ファイルフォーマット]]の普及により、一般ユーザーではDTM愛好家以外のハードウェアベースのMIDI音源の使用は著しく減少している。 === 録音・MA === [[録音]]や[[映像編集|MA]] (Multi Audio) でもMIDIは使用される。演奏情報の送受信ではなく、システムメッセージを中心とした同期処理が行われている。 ; ハードウェア :; 送信側 :* [[ミュージックシーケンサー]](ハードシーケンサー) :* [[ドラムマシン]]、リズムマシン :* [[コントロールサーフェス]] :; 受信側 :* [[マルチトラックレコーダー]] (MTR) :* [[ビデオテープレコーダ|ビデオテープレコーダー]] (VTR) ; ソフトウェア :; 送信側 :* [[ミュージックシーケンサー]](ソフトシーケンサー) :* [[デジタルオーディオワークステーション]] (DAW) :; 受信側 :* [[ミュージックシーケンサー]](ソフトシーケンサー) :* [[デジタルオーディオワークステーション]] (DAW) :: (別々のコンピュータ上のソフトウェアに関する同期) === カラオケ === カラオケ機器は、MIDIデータを再生する機能が備わっている。各カラオケ店舗では、[[インターネット]]回線を通じて最新曲のMIDIデータを受信する仕組みになっており、[[通信カラオケ]]と呼ばれるのはこのためである。[[ブロードバンドインターネット接続]]が普及する以前は、現在のように大量の音声データをインターネットで送受信するのは困難であったが、MIDIデータであれば、当時の低速な回線でも十分に送受信可能であった。 なお、カラオケ用MIDIデータはカラオケデータ制作専門の[[プログラマ]]などが、[[ミュージックシーケンサー|ソフトシーケンサー]]などを用いて制作し、通信カラオケ配信会社に卸す仕組みとなっている。 === モバイル機器・着信メロディ === スマートフォンの登場以前、携帯電話の[[着信メロディ]]においてMIDI規格が利用されていた。携帯電話内のデータを、携帯電話内に搭載された音源が処理し音を鳴らしている。携帯電話向けのRPも複数拡張された。 === 舞台照明・演出 === [[1991年]]にRP-002として[[MIDIショーコントロール]]が定義された。これにより、MIDIで舞台装置、照明、演出効果などが制御できるようになった。 ; ハードウェア :; 送信側 :* [[ホスト]]コントローラー :; 受信側 :* 各舞台用機材(照明など) === 音声合成 === [[2009年|2009]]年頃、音声を[[フーリエ変換|フーリエ解析]]し周波数ごとに分離して[[正弦波]]にし、それをMIDIで再生することで音声を擬似的に再現する技術が発明された。 === その他 === [[鉄道]]の[[プラットホーム]]で流れる[[発車メロディ]]や、[[学校]]・[[会社]]で流れる[[チャイム]]を再生する[[タイマー]]などでもMIDI規格が応用されることがある。 == MIDI検定 == MIDIの基礎知識や、業務レベルの細かい知識などを問う[[MIDI検定]]が[[1999年]]より実施された。現在4,3,2,1級の4階級が用意されており、2級には2級筆記試験と2級実技試験の2段階が用意されている。 3,2級検定試験は年1回の実施、MIDI4級検定試験は各公認講師・指定校による随時開催となっている。 MIDI検定開始から11年間、1級試験は実施されず2級実技試験が最高級とされていたが、2010年1月15日より、1級試験が新設された。 == 年表 == * [[1981年]] - [[ヤマハ|日本楽器製造(現・ヤマハ)]]、[[ローランド]]、[[コルグ]]、[[河合楽器製作所|河合楽器(カワイ)]]、[[シーケンシャル・サーキット]]、[[オーバーハイム]]の国内外楽器メーカー6社が『MIDI 1.0 Specification』をまとめる。 * [[1982年]]10月 - ローランドを中心に規格化が進められ、米国音楽雑誌「KEYBOARD」誌上で Ver.1.0 が公開される。 * [[1983年]]1月 - [[楽器ショー#NAMM ショー|NAMMショー]]にて[[シーケンシャル・サーキット]]製Prophet600と[[ローランド]]製JX-3Pとの接続デモが行われる。 * 1983年8月 - 日本語版 MIDI 1.0 規格を発表。 * [[1984年]] - MIDI Manufacturers Association (MMA) が発足。 * [[1989年]]1月 - MIDI 1.0(Ver.4.1日本語版)発表。 * [[1991年]] - [[スタンダードMIDIファイル]](RP-001) がMIDI規格の「推奨実施例」(Recommended Practice) として承認。 * [[1991年]]9月 - [[General MIDI|GMシステムレベル1]](RP-003) がMMA,JMSCによって策定。 * [[1991年]] - [[ローランド]]初の[[GSフォーマット]]対応音源、[[ローランド・SCシリーズ|SC-55]]が発売。 * [[1994年]] - [[ヤマハ]]初の[[XGフォーマット]]対応音源、[[ヤマハ・MUシリーズ|MU80]]が発売。 * [[1996年]]5月 - 社団法人[[音楽電子事業協会]] (AMEI) が発足。 * [[1997年]] - [[Downloadable Sounds]] (RP-016) を策定。 * [[1999年]][[1月17日]] - 第1回3級MIDI検定試験を実施。 * 1999年[[1月20日]] - MIDIがJIS規格として策定される。 * 1999年7月 - GMシステムレベル2 (RP-024) を策定。 * [[2001年]] - [[Extensible Music Format]] (RP-030) を策定。 * [[2001年]]5月 - 携帯電話着信メロディ用の規格[[General MIDI|General MIDI Lite]] (RP-033) を策定。 * [[2003年]][[7月3日]] - 社団法人音楽電子事業協会がMIDI規格誕生20周年記念事業を開催。 * [[2013年]][[2月]] - ローランド社(浜松市)の創業者である[[梯郁太郎]]がMIDI規格の制定に対する貢献によりテクニカル・グラミー・アワードを受賞<ref>{{Cite web|和書|date=2013-02-10 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/02/10/kiji/K20130210005166530.html|title=ローランド創業者・梯郁太郎さんが受賞 米グラミー技術賞|work=スポニチアネックス|publisher=スポニチアネックス|accessdate=2013-02-20}}</ref>。 * 2016年7月 - MIDI 1.0規格書、RP、CAが無償公開される<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1012947.html|title=音楽電子事業協会、MIDI 1.0規格書を無償ダウンロード提供|accessdate=2017-06-07|author=劉尭|date=2017-06-07|work=PC Watch|publisher=インプレス}}</ref>。 * [[2019年]]1月18日 - MIDI 1.0の策定完了から38年目となる[[2019年]]に、次世代となるMIDI 2.0の策定開始を発表した<ref name=":0" />。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|title=MIDI 1.0 規格書|publisher=音楽電子事業協会|url=http://amei.or.jp/midistandardcommittee/MIDIspcj.html|format=PDF|isbn=4-8456-0348-9|date=2016-7-27|edition=PDF版|ref={{SfnRef|音楽電子事業協会|2016}}}} == 関連項目 == * [[音楽電子事業協会]] * [[MIDI Manufacturers Association]] * [[MIDI検定]] * [[OpenSound Control]] * [[Virtual Studio Technology]] * [[梯郁太郎]] - 規格策定の貢献者 * [[佐藤博 (ミュージシャン)|佐藤博]] (ミュージシャン) - MID規格に関してプレイヤー、エンジニアとして、その導入からアドバイザー的立場として関わっていた。 == 外部リンク == * [http://www.amei.or.jp 社団法人音楽電子事業協会] ** [http://amei.or.jp/midistandardcommittee/MIDIspcj.html MIDI1.0規格書] ** [http://amei.or.jp/midistandardcommittee/RP&CAj.html RP/CA] * [https://www.midi.org MIDI Manufacturers Association] {{音楽}} {{コンピュータバス}} {{デスクトップミュージック|state=1}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:みてい}} [[Category:MIDI|*]] [[Category:JIS]] [[Category:日本の発明]] [[Category:アクロニム|MIDI]]
2003-03-31T03:27:42Z
2023-09-28T04:33:38Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/MIDI
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令制国一覧
令制国一覧(りょうせいこくいちらん)は、7世紀後半からの日本国内の地方行政区分、国(令制国)の一覧である。 令制国の改廃は、奈良時代までと明治時代になされ、その間の平安時代から江戸時代には長期にわたって変更がなかった。 この一覧では、五畿七道に従って配列し、廃止・消滅したものや一時的に存在した諸国はその中に字下げして付ける。この一覧が、すべての国を列挙するためのもので、多くの改廃を記していないことに注意されたい。それらの詳細は、各国の項目に記す。 個々の国について、中国の地方単位である州になぞらえて、○州と呼ぶ慣用表現がある。○の部分には、二字からなる国の名のうち一字を採ってあてる。日本全体を総称する際には、「日本六十余州」などと表現することもあった。丸括弧( )内にあるのが、州を付ける呼び方である。読み仮名は現代仮名遣いで、歴史的仮名遣で表記が異なるものはスラッシュ " / " の後に示した。
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令制国一覧(りょうせいこくいちらん)は、7世紀後半からの日本国内の地方行政区分、国(令制国)の一覧である。 令制国の改廃は、奈良時代までと明治時代になされ、その間の平安時代から江戸時代には長期にわたって変更がなかった。
[[ファイル:Japan_prov_map701.png|thumb|right|240px|[[701年]]([[大宝 (日本)|大宝]]元年)から[[702年]](大宝2年)まで。濃い[[黄色]]で示す地域が制度の及ぶ範囲。]] [[ファイル:Japan_prov_map.png|thumb|right|240px|[[鎌倉時代]]から[[1868年]]([[明治]]元年)まで]] [[ファイル:1880s Meiji Japanese Folding Map of Japan - Geographicus - Japan-meiji-1880.jpg|thumb|明治初期の令制国の配置]] '''令制国一覧'''(りょうせいこくいちらん)は、[[7世紀]]後半からの[[日本]]国内の[[地方]][[行政区分]]、国([[令制国]])の一覧である。 令制国の改廃は、[[奈良時代]]までと明治時代になされ、その間の[[平安時代]]から[[江戸時代]]には長期にわたって変更がなかった。 == 表記の仕方について == この一覧では、[[五畿八道|五畿七道]]に従って配列し、廃止・消滅したものや一時的に存在した諸国はその中に字下げして付ける。この一覧が、すべての国を列挙するためのもので、多くの改廃を記していないことに注意されたい。それらの詳細は、各国の項目に記す。 個々の国について、[[中国]]の地方単位である[[州#漢字圏の「州」|州]]になぞらえて、○州と呼ぶ慣用表現がある。○の部分には、二字からなる国の名のうち一字を採ってあてる。日本全体を総称する際には、「日本六十余州」などと表現することもあった。[[括弧#丸括弧()|丸括弧( )]]内にあるのが、州を付ける呼び方である。読み仮名は[[現代仮名遣い]]で、[[歴史的仮名遣]]で表記が異なるものは[[スラッシュ (記号)|スラッシュ]] " / " の後に示した。 == 五畿 == === 畿内 === * [[大和国]] やまと(和州) ** [[716年]]頃 - [[738年]]頃。 *** 大和国 *** [[芳野監]] よしののげん * [[山城国]] やましろ(山州、城州、雍州) *[[河内国]] かわち/かはち(河州) * [[和泉国]] いずみ/いづみ(泉州) - [[716年]]に和泉監(いずみのげん)として河内国より分立。[[740年]]に河内国に併合されるも、[[757年]]に再分立。 * [[摂津国]] せっつ(摂州) == 七道 == === 東海道 === * [[伊賀国]] いが(伊州)<!-- - [[680年]]に伊勢国より分立。--> * [[伊勢国]] いせ(勢州) * [[志摩国]] しま(志州) - [[8世紀]]初めまでに伊勢国より分立。 * [[尾張国]] おわり/をはり(尾州) * [[三河国]] みかわ/みかは(三州、参州) <!-- ** ''律令制以前'' *** ''三河国'' *** ''[[穂国造|穂国]] ほ'' --> * [[遠江国]] とおとうみ/とほたふみ(遠州) * [[駿河国]] するが(駿州) <!-- ** ''律令制以前'' *** ''珠流河国 するが'' *** ''[[廬原国造|廬原国]] いおはら/いほはら'' --> * [[伊豆国]] いず/いづ(豆州) - [[680年]]に駿河国より分立。 * [[甲斐国]] かい/かひ(甲州) * [[相模国]] さがみ(相州) <!-- ** ''律令制以前'' *** ''相武国 さがみ'' *** ''[[師長国造|師長国]] しなが'' *** ''[[鎌倉別]] かまくら わけ'' --> * [[武蔵国]] むさし(武州) - [[771年]]、東山道から東海道に所属変更。 <!-- ** ''律令制以前'' *** ''无邪志国/胸刺国 むさし'' *** ''[[知知夫国造|知知夫国]] ちちぶ'' --> * [[安房国]] あわ/あは(房州、安州) - [[718年]]に上総国より分立。[[741年]]に上総国に併合されるも[[757年]]再分立。 * [[上総国]] かずさ/かづさ(総州)<!-- - [[7世紀]]に[[総国]](ふさ)を分割。--> * [[下総国]] しもうさ/しもふさ(総州)<!-- - 7世紀に総国(ふさ)を分割。--> * [[常陸国]] ひたち(常州) === 東山道 === * [[近江国]] おうみ/あふみ(江州・近州) * [[美濃国]] みの(濃州) * [[飛騨国]] ひだ(飛州) * [[信濃国]] しなの(信州) ** [[諏方国]] すわ/すは - [[721年]]に信濃国より分立。[[731年]]に再統合。 * [[上野国]] こうずけ/かうづけ(上州) * [[下野国]] しもつけ(野州) * [[陸奥国]] みちのおく/みちのく/むつ(奥州/陸州) - [[陸奥国]]は[[7世紀]]に[[常陸国]]より分立。 ** [[石背国]] いわせ/いはせ - [[718年]]に陸奥国より分立。数年後に再統合。 ** [[石城国]] いわき/いはき - [[718年]]に陸奥国より分立。数年後に再統合。 * [[出羽国]] でわ/では(羽州;[[山形県]]、[[秋田県]]の一部) - [[712年]](和銅5年)に[[越後国]]出羽郡を割いて出羽国を建てる。 ** 同年10月、陸奥国の最上・置賜両郡を出羽国に編入。 **:※ 陸奥・出羽は[[戊辰戦争#戦後処理|戊辰戦争の戦後処理]]の一環で分割された。 *** [[陸奥国 (1869-)]] りくおう/むつ - 陸前・陸中等を分割後の部分。 *** [[陸前国]] りくぜん - [[1869年]]に陸奥国より分立。 *** [[陸中国]] りくちゅう/りくちゆう - 1869年に陸奥国より分立。 *** [[岩代国]] いわしろ/いはしろ(岩州) - 1869年に陸奥国より分立。 *** [[磐城国]] いわき/いはき(磐州) - 1869年に陸奥国より分立。 *** [[羽前国]] うぜん - 1869年に出羽国より分立、現山形県に相当。 *** [[羽後国]] うご - 1869年に出羽国より分立、現秋田県に相当。 === 北陸道 === * [[若狭国]] わかさ(若州) * [[越前国]] えちぜん/ゑちぜん(越州)<!-- - [[7世紀]]末に[[越国]](こし)を分割。--> * [[加賀国]] かが(加州) - [[823年]]に越前国より分立。 * [[能登国]] のと(能州) - [[718年]]に越前国より分立。[[741年]]に越中国に併合されるも、[[757年]]に再分立。 * [[越中国]] えっちゅう/ゑつちゆう(越州)<!-- - 7世紀末に越国(こし)を分割。--> * [[越後国]] えちご/ゑちご(越州)<!-- - 7世紀末に越国(こし)を分割。--> * [[佐渡国]] さど(佐州、渡州) - [[743年]]に越後国に併合されるも、[[752年]]に再分立。 === 山陰道 === * [[丹波国]] たんば(丹州) * [[丹後国]] たんご(丹州) - [[713年]]に丹波国より分立。 * [[但馬国]] たじま/たぢま(但州) * [[因幡国]] いなば(因州) * [[伯耆国]] ほうき/はうき(伯州) * [[出雲国]] いずも/いづも(雲州) * [[石見国]] いわみ/いはみ(石州) * [[隠岐国]] おき(隠州) === 山陽道 === * [[播磨国]] はりま(播州) * [[美作国]] みまさか(作州) - [[713年]]に備前国より分立。 * [[備前国]] びぜん(備州)<!-- - [[7世紀]]後半に[[吉備国]](きび)を分割。--> * [[備中国]] びっちゅう/びつちゆう(備州)<!-- - 7世紀後半に吉備国(きび)を分割。--> * [[備後国]] びんご(備州)<!-- - 7世紀後半に吉備国(きび)を分割。--> * [[安芸国]] あき(芸州) * [[周防国]] すおう/すはう(防州、周州) * [[長門国]] ながと(長州) <!-- ** ''律令制以前'' *** ''穴門国 あなと'' *** ''[[阿武国造|阿武国]] あむ'' --> === 南海道 === * [[紀伊国]] きい(紀州) * [[淡路国]] あわじ/あはぢ(淡州) * [[阿波国]] あわ/あは(阿州) * [[讃岐国]] さぬき(讃州) * [[伊予国]] いよ(予州) * [[土佐国]] とさ(土州) <!-- ** ''律令制以前'' *** ''都佐国 とさ'' *** ''[[波多国造|波多国]] はた'' --> === 西海道 === * [[筑前国]] ちくぜん(筑州)<!-- - [[7世紀]]末までに[[筑紫国]](つくし)を分割。--> * [[筑後国]] ちくご(筑州)<!-- - 7世紀末までに筑紫国(つくし)を分割。--> * [[豊前国]] ぶぜん(豊州)<!-- - 7世紀末に[[豊の国|豊国]](とよ)を分割。--> * [[豊後国]] ぶんご(豊州)<!-- - 7世紀末に豊国(とよ)を分割。--> * [[肥前国]] ひぜん(肥州)<!-- - 7世紀末までに[[肥国]](ひ)を分割。--> **[[値嘉島]] ちか - 876年に肥前国より分立。数年後に再編入。 現在の長崎県[[平戸島]]及び[[江島 (長崎県)|江島]]、[[平島 (長崎県)|平島]]を除く[[五島列島]]及び附属島嶼。 * [[肥後国]] ひご(肥州)<!-- - 7世紀末までに肥国(ひ)を分割。--> * [[日向国]] ひゅうが/ひうが(日州、向州) * [[大隅国]] おおすみ/おほすみ(隅州) - [[713年]]に日向国より分立。 ** [[多禰国]] たね - [[702年]]に日向国より分立。[[824年]]に大隅国に併合。 * [[薩摩国]] さつま(薩州) - [[702年]]に日向国より分立。 * [[壱岐国]] いき(壱州) - 古代は「壱岐嶋」<ref name="延喜式"> [{{NDLDC|1442231/70 『延喜式 校訂 下巻』}}](大岡山書店、国立国会図書館デジタルコレクション)70コマ。</ref><ref>「壱岐国」『日本歴史地名大系 43 長崎県の地名』 平凡社、2001年。</ref>。 * [[対馬国]] つしま(対州) - 古代は「対馬嶋」または「対馬国」(文献により混用)<ref name="延喜式"/><ref>「対馬国」『日本歴史地名大系 43 長崎県の地名』 平凡社、2001年。</ref>。 <!-- * [[琉球国]] りゅうきゅう/りうきう(琉州) 西海道令制国としての根拠不明につき。再掲載の際には根拠を。- --> == 戊辰戦争直後に置かれた一道 == === 北海道 === * [[渡島国]] おしま/をしま(渡州) - かつての[[和人地]]。 * [[後志国]] しりべし(後州) - かつての[[和人地]]。 * [[胆振国]] いぶり(胆州) - [[山越郡]]は、かつての[[和人地]]。 * [[石狩国]] いしかり(石州) * [[天塩国]] てしお/てしほ(天州) * [[北見国]] きたみ(北州) - [[1881年]]、釧路国から旧[[網尻郡]]を編入。 * [[日高国]] ひだか(日州、高州) * [[十勝国]] とかち(十州) * [[釧路国]] くしろ(釧州) - 1881年、北見国へ旧網尻郡を移管。 * [[根室国]] ねむろ(根州) - [[1885年]]、千島国へ[[色丹郡]]を移管。 * [[千島国]] ちしま(千州) - [[1875年]]、[[樺太・千島交換条約]]により、[[得撫郡]]・[[新知郡]]・[[占守郡]]を追加新設。1885年、根室国から色丹郡を編入。 <!-- === 樺太 === [[鎌倉時代]]、[[日持]]の渡樺など日本との関わりは古く、[[1679年]]、[[松前藩]]は陣屋を置き、[[1809年]]、江戸幕府は樺太を[[北蝦夷]]と称した。明治政府は北蝦夷を[[1869年]]、樺太と改称し、[[開拓使#札幌本庁と支庁の時代|開拓使樺太支庁]]や[[樺太開拓使]]を置いた。しかし、ロシアの[[南下政策]]によりいったん喪失したが、日露戦争後に南半分を回復し、[[樺太庁]]を設置。[[共通法]]1条では内地とされ、[[1943年]]には法令上の特例が廃止され、名実ともに[[内地]]編入されるが、令制国には属さず。--> :※[[鎌倉時代]]から[[江戸時代]]にかけて[[和人]]が進出し居住していた[[蝦夷地]]('''北州''')を、[[戊辰戦争]]([[箱館戦争]])終結直後の[[1869年]]、北海道および[[樺太]]と改め、同時に[[大宝律令]]の[[国郡里制]]を踏襲し北海道11国86郡が置かれた。以後、'''五畿八道'''となる。なお、北海道および樺太を指した[[蝦夷国]](えぞのくに)は俗称であり、令制国としては存在しない。 <!--== 外地 == ;[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]] * [[大韓帝国]] だいかんていこく([[朝鮮半島]]最後の[[王朝]]。[[1910年]]の[[日韓併合]]後、[[朝鮮総督府]](植民地政府)は朝鮮に令制国ではなく内地の都庁府県(都道府県)に相当する[[日本統治時代の朝鮮#行政|十三道]]を置いた。 - [[1945年]]) ;[[日本統治時代 (台湾)|台湾]] * [[赤カン楼#鄭氏による東都承天府|東寧]]国 とうねい(台湾の[[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権時代]]の国名。台湾における日本編入以前の唯一の独立国。[[日清戦争]]後の[[台湾総督府]](植民地政府)では内地の都庁府県(都道府県)に相当する[[日本統治時代の台湾行政区分|5州3庁]]を置いた。 ;[[関東州]] ;[[南洋群島]] 以上の朝鮮・台湾・関東州・南洋諸島の旧外地は一度も内地編入されず、日本統治を離れるまで令制国は設定されていない。 --> == 関連項目 == {{Commons|Maps of the former provinces of Japan}} * [[国司]] * [[令制国]] * [[藩の一覧]] * [[琉球国]] * [[古代日本の地方官制]] * [[律令制]] * [[荘園公領制]] * [[武家官位]] * [[旧国名]] ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} {{令制国一覧}} {{DEFAULTSORT:りようせいこくいちらん}} [[Category:日本の旧国名|*]] [[Category:日本の地理一覧]]
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リカちゃん
リカちゃん(Licca-chan)は、タカラトミー(旧:タカラ)製の着せ替え人形玩具。別称リカちゃん人形、フルネームは香山リカ(Licca Kayama)。累計出荷数は2017年時点で約6000万体。人形玩具の域を超え、企業の広告キャラクターなどタレントとしても活動、公式Twitter・Instagramも開設している。 1966年、元々ダッコちゃん等のビニール玩具のメーカーだったタカラ(旧タカラビニール - 1966年)は、そのビニール加工のノウハウを生かして着せ替え人形市場への参入を計画していた。当初は米マテル社のバービーや、米旧アイデアル社のタミー等の他社の着せ替え人形用の、子供が持ち運びできるドールハウスを企画していたが、既存の人形のサイズに合わせると、ハウス自体のサイズが相当大きくなることが予想された。これが日本の住宅事情や子供の持ち運びに適さないとして根本的に企画が見直され、日本の事情に見合った大きさのドールハウスと、それに合ったサイズの独自の着せ替え人形として1967年に企画・開発されたものが本項のリカちゃんである。初代リカちゃんの開発を担当したのは、"育ての親"と呼ばれる小島康宏(旧・タカラ専務)。 企画にあたり、日本の少女たちがより身近に感じられるようなファッションドールというテーマが掲げられ、小学生という設定と、小さな女の子の手の平の中に収まる身長21cmという大きさと、当時流行していた少女漫画のヒロインのような顔立ちが採用された。漫画家の牧美也子が発売当時の広告のイラストを担当し、広告には「牧先生監修」という表記がされていた。「リカちゃん」という名前は月刊少女漫画雑誌「りぼん」の1967年7月号誌上の一般公募で決定されたことになっているが、実際には発表号をずらして、読者でなくタカラ側が命名した。日本人でも外国人でも通用する名前をということでリカとなった。 親しみやすい仕様が日本の子供に受け入れられたことと、マテル社が生産拠点を他国に移して日本でのバービーの販売に力を入れなくなったという市場の追い風を受け、発売から2年後の1969年には日本での売り上げでリカちゃんがバービーを上回った。その年の年末商戦でも他の人形を圧倒し、それ以降、事実上日本の着せ替え人形の女王として君臨しはじめる。それ以前に売上トップを飾った着せ替え人形は、中嶋製作所(現ナカジマコーポレーション)の「スカーレットちゃん」とアイデアル社の「タミーちゃん」だった。 その後、何度か売上が低迷した時期もあった。1993年から1995年まではバンダイの「セーラームーン人形」の売上が単年度でリカちゃんの売上を上回るものの、1996年には再び着せ替え人形売上のトップに返り咲く。 現在の日本でも「着せ替え人形のリカちゃん」の認知は極めて高い。あまり人形に詳しくない人が他社の着せ替え人形も全て「リカちゃん」とひとくくりにしてしまうこともあるほどで、日本における着せ替え人形の代名詞と化している。その高い認知から旧タカラ時代から現在のタカラトミーに至るまで、リカちゃんはメーカーのコーポレートアイデンティティ的キャラクターに位置付けられ、広報・宣伝の顔の1つとなっている。また、可愛らしく親しみやすく家庭的なキャラクターイメージから、多くの企業や公共機関のCMキャラクターとして採用されている。 タカラ創業者の佐藤安太は、リカちゃんを米マテル社に売り込もうとしたことがあるが、担当者らに設定を説明し始めると「なぜ少女向けの人形に親が出てくるのか」と一蹴したという。 「香山リカ(商標の称呼はカヤマリカチャン、カヤマリカ、コーヤマリカ)」という設定上の本名をタカラが1999年3月9日に商標出願した際「同名の精神科医香山リカの承諾を得られていない」という理由で一度拒絶されたが、タカラが不服を申し立てた結果、精神科医香山リカの筆名の方が本商品に因んでいることが認められ、翌年9月21日、無事出願が受け付けられた。 低年齢層の子供の「ごっこ遊び」による情操教育をテーマとする商品であるため、メインのリカちゃんと同時に多くの家族人形、ドレス、ハウス、小物が販売されている。メインターゲットは3〜6歳の女児で、その年齢の女児が好むピンク色を多く採用した商品ラインナップであり、仕様的にも幼児が1人で簡単に着せ替えできるようにワンピース型のドレスが多い。マクドナルド、ミスタードーナツ、サンリオ等、子供の好む飲食店やキャラクターとのタイアップ商品も多く、マクドナルドでは2017年からハッピーセットの着せ替え人形も発売しており、こちらはドレスがプラスチック製である。また、2017年から2019年のハッピーセットの人形とドレスは互換性があるので互いにドレスを着せ替えて遊ぶ事もできる(合計25体で625通りのコーディネートが可能)。旧タカラと旧トミーの合併後はディズニーとのタイアップ商品も発売された。 このように基本的に小さな子供向けの玩具だが、長い歴史を持つため、大人のファンやコレクターも多く存在する。まれに大人向けの凝った仕様の商品が発売されたり、レトロ趣味の人の間で旧型のリカちゃんが高額で取引されたりすることもある。 リカちゃんは年代によって改良が加えられ、1967年発売の初代と2009年現在のリカちゃんの仕様は大きく異なっている。ここでは2009年の現行販売されているリカちゃんとして展開されている。歴代の仕様については年表の項目を参照のこと。 胸部は ABS樹脂、腰部はポリプロピレン、腕・足・頭部はポリ塩化ビニル(ソフトビニル)、もしくは足はオレフィン系熱可塑性エラストマーから構成されている。腕・頭部のポリ塩化ビニルはゾル状からの射出成形、足はペレット状からの射出成形。近年、ポリ塩化ビニルに含まれる可塑剤の揮発による健康被害への対策として、使用する可塑剤が非フタル酸系に変更されたり、足の素材変更がされたりしている。腕の内部には、肌色のビニールでコーティングしたステンレス製の針金2本を中央部で合成ゴムで接続し、U字型に曲げたパーツが組み込まれ、この針金の変形の保持と、肩・腰・大腿付け根のジョイント部分の回転により、腕と足、首のある程度の可動やポージングが可能となっている。 リカちゃんの髪にはPVDC繊維が使われている。ごくまれにPVC繊維が採用されることもある。また、乳幼児の誤飲による窒息事故を避けるために、小さな部品には気道確保のための穴が開けられており、リカちゃんの靴や小物等には毒性の無い苦味成分が塗布されている。 人形の仕様は各商品によって細かい差異があり、様々な瞳の色やメイク、髪色・髪型のバリエーションが存在する。ほとんどの商品の製造は1回限りで、完売した場合は同じ仕様の商品が再生産される可能性は低い。 リカちゃんキャッスルの所在地である福島県小野町において、ふるさと納税の返礼として500体の「特製 リカちゃん人形」が開始から1ヶ月で全て返礼として在庫がなくなったと2017年6月に報じられた。 時代によってバリエーションがあり、一定しない。リカちゃんに設定がつくられたのは、怪獣図鑑を参考にしたものである。2010年度の日本タレント名鑑(VIPタイムズ社刊)にプロフィールが掲載されている唯一の架空キャラクターでもある。理由はプロフィールがタレント並みに細かく設定されている、様々な会社のCMキャラクターとして活躍しており、タカラトミーがリカちゃんをタレントと認識してもらう為にタレント名鑑の掲載をお願いした。 リカがフランス人と日本人のハーフという設定は、発売当時にハーフの少女タレントの高見エミリー(現・鳩山エミリー)が人気だったことによる。宣伝でも高見エミリーを使う予定があり、社内ではまだ名前が未定だったリカちゃん人形をエミリーと呼んでいたという) ここでは1997年に発売された、様々な年齢のリカちゃんを商品化したセット『リカちゃんのアルバム』に記載された設定、及びその延長上の設定を記載する。 公式設定ではリカちゃんの誕生日は5月3日。リカちゃんの人形が発売開始されたのは1967年7月4日とされるが、これについては幾つかの説があり7月1日ともいわれる。 福島県田村郡小野町にあるリカちゃんの工場兼展示施設。以下「キャッスル」と呼称する。 旧タカラの福島工場として設立され、主にリカちゃんやジェニー等の人形の生産を行っている一部門だったが、後にタカラいわき工業株式会社として分社化。2006年2月、旧タカラと旧トミーの合併前に自社株買いにより資本的に独立し、社名を「リカちゃんキャッスル株式会社」に変更。2011年1月1日からは法人名を「リトルファクトリー株式会社」に変更した。OEMとしてはタカラトミー社向け商品の製造以外に、株式会社スターの製品や株式会社アゾンインターナショナルの製品の製造を請け負っている。 小野町の観光名所の1つでランドマーク的存在でもあり、キャッスルの開設に合わせてリカちゃんは小野町の「町おこしプリンセス」に任命された。以降、町とキャッスルは観光や地域雇用に於いて積極的な連携を行っている。キャッスル付近の橋にはリカちゃんの銅像が立っている。キャッスル側でも小野町に伝わる小野小町伝説にちなみ、十二単を着た「小野小町リカちゃん」を製造、販売している。なお、キャッスルの名誉館長は歴代の小野町町長が務めている。 2014年8月1日東京都中央区日本橋に、大人のためのドールショップ「リカちゃんキャッスルのちいさなおみせ」をオープン。リカちゃんキャッスルやイベントで販売していないオリジナル商品も販売している。 2000年10月7日にオープンした、東京都中央区にある玩具販売店「博品館TOY PARK」地下1階にある、リカちゃんとジェニーの専門店のこと。既製品に加え、リカちゃんCLUB67オリジナルの人形や人形用ドレスも販売されている。店名の「67」は、リカちゃんが1967年に販売開始されたことにちなむもの。 かつて富士急ハイランドにあった、ファミリー向けアトラクションの1つ。2002年7月21日にオープンした。人間サイズに再現されたリカちゃんハウスや、CGによりリカちゃんと一緒に写真が撮れるスタジオ、リカちゃんをイメージしたデザートが食べられるカフェ、売店等が併設されていた。 リカちゃんタウンのオープン以降、富士急行が高速バスの富士河口湖線(新宿 - 富士五湖方面間)で、リカちゃんのラッピングバスを運行していた。また、富士急ハイランドに隣接したホテル「ハイランドリゾート・ホテル&スパ」には、リカちゃんの世界観をイメージして内装からアメニティまでがトータルデザインされた客室「リカちゃんルーム」があった。 リカちゃんタウンは2009年1月12日、リカちゃんルームは2009年1月15日に営業終了した。 #Licca(ハッシュタグ リカ)は、2020年9月1日にデビューした、17歳になったリカちゃん。誕生から53周年のリカちゃん(11歳)が17歳になった。 以下は公式プロフィールより: リカちゃんとの違い マキちゃん、ミキちゃんサイズの人形。 2009年1月2日放送回ぐるぐるナインティナイン「グルメチキンレース・ゴチになります!」で、岡村隆史が持参した「うなずきん ゴチになりますver.」に対抗し、森泉がタカラトミーに特注したリカちゃん人形から、商品化になったシリーズである。 1992年、リカちゃん生誕30周年記念ドールとして発売された。陶器製。パート1と2があった。 身長10cmくらいのリカちゃんのキーホルダーとストラップ。髪は植毛ではなく成型品だが、服は布製で着せ替えができる。 1992年、リカちゃん生誕25周年記念で初代リカちゃんが復刻された際に、初代リカちゃんをそのまま縮小したデザインで制作販売されたキーホルダーが最初。その後、タイアップ商品である琉球リカちゃんキーホルダー・ストラップが35万個も売れたのを受け、全国各地から様々なご当地リカちゃんキーホルダーやストラップが次々に発売されるようになった。現在ではどれぐらいの種類があるのか全て把握するのは困難な程に、全国で様々な企業や公共機関とのタイアップ商品が続々と発売されている。このキーホルダーやストラップだけを専門に集めるコレクターも存在する。 1968年10月から開始された、リカちゃんの声が聞けるテレフォンサービス。1967年、タカラの本社の電話に一人の女の子から「リカちゃんいますか?」と電話がかかってきた事がきっかけで開設された。当初は人間(初期は女性社員、後にアルバイト)が応対していたが、1968年10月からテープによる自動応答となる。公式にはこの自動応答となった時期をもってリカちゃん電話の開設としている。2002年時点で延べ通話数は1000万通話を超え、2007年時点で月に約1万件の電話が来る。電話番号はサービス開始当時のものから変更されている。現在の番号は外部リンクを参照のこと。 タカラトミーも出資している東京都葛飾区のコミュニティFMかつしかFMでは、朝の番組「モーニングジャーナル」内でリカちゃん電話のコーナーが設けられていた。 かつて、平良海上保安署(2019年現在の宮古島海上保安部)の電話番号がリカちゃん電話のそれと酷似していたため、子供たちからの間違い電話が相次いだことがあった。 リカちゃん電話には、都市伝説が存在する。1人で留守番をしている女の子がリカちゃん電話にかけると、リカちゃんが「これからお出かけするところなのよ」という内容が流れる。もう1度電話すると「お出かけ中」、さらに電話すると「あなたの家の前よ」となり、段々近づいてくる。そして、最後は「今、あなたの後ろよ......」というのがオチで、メリーさんの電話という都市伝説のバリエーションである。この他に「3本足のリカちゃん人形」という怪談系都市伝説も存在する。 「劇団ピッカリ座 ぬいぐるみ人形ファンタジー」は、『出演:リカちゃん』のビデオテロップと共に、ジャケット裏表紙にリカちゃんからのコメントが掲載されている。本編はぬいぐるみ(着ぐるみ)のリカちゃんがそれぞれの物語の主人公を演じている。 ここに記載した以外に、講談社や小学館の幼児誌に不定期にリカちゃんの漫画が掲載されることがある。
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"「香山リカ(商標の称呼はカヤマリカチャン、カヤマリカ、コーヤマリカ)」という設定上の本名をタカラが1999年3月9日に商標出願した際「同名の精神科医香山リカの承諾を得られていない」という理由で一度拒絶されたが、タカラが不服を申し立てた結果、精神科医香山リカの筆名の方が本商品に因んでいることが認められ、翌年9月21日、無事出願が受け付けられた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "低年齢層の子供の「ごっこ遊び」による情操教育をテーマとする商品であるため、メインのリカちゃんと同時に多くの家族人形、ドレス、ハウス、小物が販売されている。メインターゲットは3〜6歳の女児で、その年齢の女児が好むピンク色を多く採用した商品ラインナップであり、仕様的にも幼児が1人で簡単に着せ替えできるようにワンピース型のドレスが多い。マクドナルド、ミスタードーナツ、サンリオ等、子供の好む飲食店やキャラクターとのタイアップ商品も多く、マクドナルドでは2017年からハッピーセットの着せ替え人形も発売しており、こちらはドレスがプラスチック製である。また、2017年から2019年のハッピーセットの人形とドレスは互換性があるので互いにドレスを着せ替えて遊ぶ事もできる(合計25体で625通りのコーディネートが可能)。旧タカラと旧トミーの合併後はディズニーとのタイアップ商品も発売された。", "title": "商品展開" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "このように基本的に小さな子供向けの玩具だが、長い歴史を持つため、大人のファンやコレクターも多く存在する。まれに大人向けの凝った仕様の商品が発売されたり、レトロ趣味の人の間で旧型のリカちゃんが高額で取引されたりすることもある。", "title": "商品展開" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "リカちゃんは年代によって改良が加えられ、1967年発売の初代と2009年現在のリカちゃんの仕様は大きく異なっている。ここでは2009年の現行販売されているリカちゃんとして展開されている。歴代の仕様については年表の項目を参照のこと。", "title": "商品仕様" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "胸部は ABS樹脂、腰部はポリプロピレン、腕・足・頭部はポリ塩化ビニル(ソフトビニル)、もしくは足はオレフィン系熱可塑性エラストマーから構成されている。腕・頭部のポリ塩化ビニルはゾル状からの射出成形、足はペレット状からの射出成形。近年、ポリ塩化ビニルに含まれる可塑剤の揮発による健康被害への対策として、使用する可塑剤が非フタル酸系に変更されたり、足の素材変更がされたりしている。腕の内部には、肌色のビニールでコーティングしたステンレス製の針金2本を中央部で合成ゴムで接続し、U字型に曲げたパーツが組み込まれ、この針金の変形の保持と、肩・腰・大腿付け根のジョイント部分の回転により、腕と足、首のある程度の可動やポージングが可能となっている。", "title": "商品仕様" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "リカちゃんの髪にはPVDC繊維が使われている。ごくまれにPVC繊維が採用されることもある。また、乳幼児の誤飲による窒息事故を避けるために、小さな部品には気道確保のための穴が開けられており、リカちゃんの靴や小物等には毒性の無い苦味成分が塗布されている。", "title": "商品仕様" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "人形の仕様は各商品によって細かい差異があり、様々な瞳の色やメイク、髪色・髪型のバリエーションが存在する。ほとんどの商品の製造は1回限りで、完売した場合は同じ仕様の商品が再生産される可能性は低い。", "title": "商品仕様" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "リカちゃんキャッスルの所在地である福島県小野町において、ふるさと納税の返礼として500体の「特製 リカちゃん人形」が開始から1ヶ月で全て返礼として在庫がなくなったと2017年6月に報じられた。", "title": "商品仕様" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "時代によってバリエーションがあり、一定しない。リカちゃんに設定がつくられたのは、怪獣図鑑を参考にしたものである。2010年度の日本タレント名鑑(VIPタイムズ社刊)にプロフィールが掲載されている唯一の架空キャラクターでもある。理由はプロフィールがタレント並みに細かく設定されている、様々な会社のCMキャラクターとして活躍しており、タカラトミーがリカちゃんをタレントと認識してもらう為にタレント名鑑の掲載をお願いした。", "title": "キャラクター設定" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "リカがフランス人と日本人のハーフという設定は、発売当時にハーフの少女タレントの高見エミリー(現・鳩山エミリー)が人気だったことによる。宣伝でも高見エミリーを使う予定があり、社内ではまだ名前が未定だったリカちゃん人形をエミリーと呼んでいたという)", "title": "キャラクター設定" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ここでは1997年に発売された、様々な年齢のリカちゃんを商品化したセット『リカちゃんのアルバム』に記載された設定、及びその延長上の設定を記載する。", "title": "キャラクター設定" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "公式設定ではリカちゃんの誕生日は5月3日。リカちゃんの人形が発売開始されたのは1967年7月4日とされるが、これについては幾つかの説があり7月1日ともいわれる。", "title": "年表" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "福島県田村郡小野町にあるリカちゃんの工場兼展示施設。以下「キャッスル」と呼称する。 旧タカラの福島工場として設立され、主にリカちゃんやジェニー等の人形の生産を行っている一部門だったが、後にタカラいわき工業株式会社として分社化。2006年2月、旧タカラと旧トミーの合併前に自社株買いにより資本的に独立し、社名を「リカちゃんキャッスル株式会社」に変更。2011年1月1日からは法人名を「リトルファクトリー株式会社」に変更した。OEMとしてはタカラトミー社向け商品の製造以外に、株式会社スターの製品や株式会社アゾンインターナショナルの製品の製造を請け負っている。", "title": "関連施設" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "小野町の観光名所の1つでランドマーク的存在でもあり、キャッスルの開設に合わせてリカちゃんは小野町の「町おこしプリンセス」に任命された。以降、町とキャッスルは観光や地域雇用に於いて積極的な連携を行っている。キャッスル付近の橋にはリカちゃんの銅像が立っている。キャッスル側でも小野町に伝わる小野小町伝説にちなみ、十二単を着た「小野小町リカちゃん」を製造、販売している。なお、キャッスルの名誉館長は歴代の小野町町長が務めている。", "title": "関連施設" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2014年8月1日東京都中央区日本橋に、大人のためのドールショップ「リカちゃんキャッスルのちいさなおみせ」をオープン。リカちゃんキャッスルやイベントで販売していないオリジナル商品も販売している。", "title": "関連施設" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2000年10月7日にオープンした、東京都中央区にある玩具販売店「博品館TOY PARK」地下1階にある、リカちゃんとジェニーの専門店のこと。既製品に加え、リカちゃんCLUB67オリジナルの人形や人形用ドレスも販売されている。店名の「67」は、リカちゃんが1967年に販売開始されたことにちなむもの。", "title": "関連施設" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "かつて富士急ハイランドにあった、ファミリー向けアトラクションの1つ。2002年7月21日にオープンした。人間サイズに再現されたリカちゃんハウスや、CGによりリカちゃんと一緒に写真が撮れるスタジオ、リカちゃんをイメージしたデザートが食べられるカフェ、売店等が併設されていた。", "title": "関連施設" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "リカちゃんタウンのオープン以降、富士急行が高速バスの富士河口湖線(新宿 - 富士五湖方面間)で、リカちゃんのラッピングバスを運行していた。また、富士急ハイランドに隣接したホテル「ハイランドリゾート・ホテル&スパ」には、リカちゃんの世界観をイメージして内装からアメニティまでがトータルデザインされた客室「リカちゃんルーム」があった。 リカちゃんタウンは2009年1月12日、リカちゃんルームは2009年1月15日に営業終了した。", "title": "関連施設" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "#Licca(ハッシュタグ リカ)は、2020年9月1日にデビューした、17歳になったリカちゃん。誕生から53周年のリカちゃん(11歳)が17歳になった。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "以下は公式プロフィールより:", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "リカちゃんとの違い", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "マキちゃん、ミキちゃんサイズの人形。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2009年1月2日放送回ぐるぐるナインティナイン「グルメチキンレース・ゴチになります!」で、岡村隆史が持参した「うなずきん ゴチになりますver.」に対抗し、森泉がタカラトミーに特注したリカちゃん人形から、商品化になったシリーズである。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1992年、リカちゃん生誕30周年記念ドールとして発売された。陶器製。パート1と2があった。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "身長10cmくらいのリカちゃんのキーホルダーとストラップ。髪は植毛ではなく成型品だが、服は布製で着せ替えができる。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1992年、リカちゃん生誕25周年記念で初代リカちゃんが復刻された際に、初代リカちゃんをそのまま縮小したデザインで制作販売されたキーホルダーが最初。その後、タイアップ商品である琉球リカちゃんキーホルダー・ストラップが35万個も売れたのを受け、全国各地から様々なご当地リカちゃんキーホルダーやストラップが次々に発売されるようになった。現在ではどれぐらいの種類があるのか全て把握するのは困難な程に、全国で様々な企業や公共機関とのタイアップ商品が続々と発売されている。このキーホルダーやストラップだけを専門に集めるコレクターも存在する。", "title": "関連商品" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1968年10月から開始された、リカちゃんの声が聞けるテレフォンサービス。1967年、タカラの本社の電話に一人の女の子から「リカちゃんいますか?」と電話がかかってきた事がきっかけで開設された。当初は人間(初期は女性社員、後にアルバイト)が応対していたが、1968年10月からテープによる自動応答となる。公式にはこの自動応答となった時期をもってリカちゃん電話の開設としている。2002年時点で延べ通話数は1000万通話を超え、2007年時点で月に約1万件の電話が来る。電話番号はサービス開始当時のものから変更されている。現在の番号は外部リンクを参照のこと。", "title": "関連サービス" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "タカラトミーも出資している東京都葛飾区のコミュニティFMかつしかFMでは、朝の番組「モーニングジャーナル」内でリカちゃん電話のコーナーが設けられていた。", "title": "関連サービス" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "かつて、平良海上保安署(2019年現在の宮古島海上保安部)の電話番号がリカちゃん電話のそれと酷似していたため、子供たちからの間違い電話が相次いだことがあった。", "title": "関連サービス" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "リカちゃん電話には、都市伝説が存在する。1人で留守番をしている女の子がリカちゃん電話にかけると、リカちゃんが「これからお出かけするところなのよ」という内容が流れる。もう1度電話すると「お出かけ中」、さらに電話すると「あなたの家の前よ」となり、段々近づいてくる。そして、最後は「今、あなたの後ろよ......」というのがオチで、メリーさんの電話という都市伝説のバリエーションである。この他に「3本足のリカちゃん人形」という怪談系都市伝説も存在する。", "title": "関連サービス" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "「劇団ピッカリ座 ぬいぐるみ人形ファンタジー」は、『出演:リカちゃん』のビデオテロップと共に、ジャケット裏表紙にリカちゃんからのコメントが掲載されている。本編はぬいぐるみ(着ぐるみ)のリカちゃんがそれぞれの物語の主人公を演じている。", "title": "派生作品" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ここに記載した以外に、講談社や小学館の幼児誌に不定期にリカちゃんの漫画が掲載されることがある。", "title": "派生作品" } ]
リカちゃん(Licca-chan)は、タカラトミー製の着せ替え人形玩具。別称リカちゃん人形、フルネームは香山リカ。累計出荷数は2017年時点で約6000万体。人形玩具の域を超え、企業の広告キャラクターなどタレントとしても活動、公式Twitter・Instagramも開設している。
{{Infobox character | colour = <!-- headers background colour; the foreground colour is automatically computed --> | name = 香山 リカ | series = <!-- use without the italic on the outside --> | image = Christmas present for My daughter. (8303193063).jpg | image_upright = | alt = | caption | first = 1967年 | last = | creator = タカラ | portrayer = | voice = | lbl1 = | data1 = | lbl2 = | data2 = | lbl3 = | data3 = | info-hdr = | noinfo = | fullname = 香山 リカ | nickname = リカちゃん | alias = | species = <!-- for non-humans only --> | gender = <!-- if not obvious --> | occupation = | affiliation = | title = | family = | spouse = | significantother = | children = | relatives = | religion = | nationality = | lbl21 = | data21 = | lbl22 = | data22 = | lbl23 = | data23 = | extra-hdr = | lbl31 = | data31 = | lbl32 = | data32 = | lbl33 = | data33 = }} '''リカちゃん'''(''Licca-chan'')は、[[タカラトミー]](旧:[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]])製の[[着せ替え人形]]玩具。別称'''リカちゃん人形'''、フルネームは'''香山リカ'''(''Licca Kayama'')。累計出荷数は2017年時点で約6000万体<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ04HTV_U7A700C1TJ1000/ 「リカちゃん」愛されて50年 SNSで人気復活 : 日本経済新聞](2017年7月4日)2021年9月2日閲覧</ref>。人形玩具の域を超え、企業の広告キャラクターなどタレントとしても活動、公式[[Twitter]]・[[Instagram]]も開設している。 == 来歴 == {{see also|#年表}} [[1966年]]、元々[[ダッコちゃん]]等のビニール玩具のメーカーだったタカラ(旧タカラビニール - 1966年)は、そのビニール加工のノウハウを生かして着せ替え人形市場への参入を計画していた。当初は米[[マテル]]社の[[バービー]]や、米旧アイデアル社のタミー等の他社の着せ替え人形用の、子供が持ち運びできる[[ドールハウス]]を企画していたが、既存の人形のサイズに合わせると、ハウス自体のサイズが相当大きくなることが予想された。これが日本の住宅事情や子供の持ち運びに適さないとして根本的に企画が見直され、日本の事情に見合った大きさのドールハウスと、それに合ったサイズの独自の着せ替え人形として[[1967年]]に企画・開発されたものが本項のリカちゃんである。初代リカちゃんの開発を担当したのは、"育ての親"と呼ばれる[[小島康宏]](旧・タカラ専務)<ref>{{PDFlink|[https://www.city.sosa.lg.jp/data/doc/1550892946_doc_7_0.pdf 匝瑳市・広報そうさ『匝瑳市で生まれたリカちゃん人形』H25.1.1]}}</ref>。 企画にあたり、'''日本の少女たちがより身近に感じられるようなファッションドール'''というテーマが掲げられ、小学生という設定と、小さな女の子の手の平の中に収まる身長21cmという大きさと、当時流行していた[[少女漫画]]の[[ヒロイン]]のような顔立ちが採用された。漫画家の[[牧美也子]]が発売当時の広告のイラストを担当し、広告には「牧先生監修」という表記がされていた<ref name="kojima-p61">小島康宏『リカちゃん 生まれます』集英社、2009年、p.65。</ref>。「リカちゃん」という名前は月刊[[少女漫画雑誌]]「[[りぼん]]」の1967年[[7月]]号誌上の一般公募で決定されたことになっているが、実際には発表号をずらして、読者でなくタカラ側が命名した<ref>田埜哲文『ひみつのアッコちゃんのコンパクトはなぜ… ボクが解決したサブカルチャー疑問集』徳間書店、1993年、p.63。</ref>。日本人でも外国人でも通用する名前をということでリカとなった<ref name="kojima-p61"/>。 親しみやすい仕様が日本の子供に受け入れられたことと、マテル社が生産拠点を他国に移して日本でのバービーの販売に力を入れなくなったという市場の追い風を受け、発売から2年後の[[1969年]]には日本での売り上げでリカちゃんがバービーを上回った。その年の年末商戦でも他の人形を圧倒し、それ以降、事実上日本の着せ替え人形の女王として君臨しはじめる。それ以前に売上トップを飾った着せ替え人形は、中嶋製作所(現ナカジマコーポレーション)の「スカーレットちゃん」とアイデアル社の「タミーちゃん」だった。 その後、何度か売上が低迷した時期もあった。[[1993年]]から[[1995年]]までは[[バンダイ]]の「[[美少女戦士セーラームーン|セーラームーン]]人形」の売上が単年度でリカちゃんの売上を上回るものの、[[1996年]]には再び着せ替え人形売上のトップに返り咲く。 現在の日本でも「着せ替え人形のリカちゃん」の認知は極めて高い。あまり人形に詳しくない人が他社の着せ替え人形も全て「リカちゃん」とひとくくりにしてしまうこともあるほどで、日本における着せ替え人形の代名詞と化している。その高い認知から旧タカラ時代から現在のタカラトミーに至るまで、リカちゃんはメーカーの[[コーポレートアイデンティティ]]的キャラクターに位置付けられ、広報・宣伝の顔の1つとなっている。また、可愛らしく親しみやすく家庭的なキャラクターイメージから、多くの企業や公共機関の[[コマーシャルメッセージ|CM]]キャラクターとして採用されている。 タカラ創業者の[[佐藤安太]]は、リカちゃんを米マテル社に売り込もうとしたことがあるが、担当者らに設定を説明し始めると「なぜ少女向けの人形に親が出てくるのか」と一蹴したという<ref>「仕事人秘録 終わりなき人生ゲーム⑧ タカラ創業者 佐藤安太氏」『[[日経産業新聞]]』2011年6月1日付、19頁。</ref>。 「香山リカ(商標の称呼はカヤマリカチャン、カヤマリカ、コーヤマリカ)」という設定上の本名をタカラが1999年3月9日に商標出願した際「同名の精神科医[[香山リカ (精神科医)|香山リカ]]の承諾を得られていない」という理由で一度拒絶されたが、タカラが不服を申し立てた結果、精神科医香山リカの筆名の方が本商品に因んでいることが認められ、翌年9月21日、無事出願が受け付けられた<ref>審決公報DB 不服2000-002745</ref>。 == 商品展開 == 低年齢層の子供の「[[ごっこ遊び]]」<ref>土屋新太郎『キャラクタービジネス その構造と戦略』キネマ旬報社、1995年、p.114。</ref>による[[情操教育]]をテーマとする商品であるため、メインのリカちゃんと同時に多くの家族人形、ドレス、ハウス、小物が販売されている。メインターゲットは3〜6歳の女児で、その年齢の女児が好む[[ピンク]]色を多く採用した商品ラインナップであり、仕様的にも幼児が1人で簡単に着せ替えできるように[[ワンピース]]型のドレスが多い。[[日本マクドナルド|マクドナルド]]、[[ミスタードーナツ]]、[[サンリオ]]等、子供の好む飲食店やキャラクターとの[[タイアップ]]商品も多く、マクドナルドでは2017年から[[ハッピーセット]]の着せ替え人形も発売しており、こちらはドレスがプラスチック製である。また、2017年から2019年のハッピーセットの人形とドレスは互換性があるので互いにドレスを着せ替えて遊ぶ事もできる(合計25体で625通りのコーディネートが可能)。旧タカラと旧トミーの合併後は[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]とのタイアップ商品も発売された。 このように基本的に小さな子供向けの玩具だが、長い歴史を持つため、大人のファンや[[収集家|コレクター]]も多く存在する。まれに大人向けの凝った仕様の商品が発売されたり、[[レトロ]]趣味の人の間で旧型のリカちゃんが高額で取引されたりすることもある。 == 商品仕様 == リカちゃんは年代によって改良が加えられ、1967年発売の初代と[[2009年]]現在のリカちゃんの仕様は大きく異なっている。ここでは2009年の現行販売されているリカちゃんとして展開されている。歴代の仕様については[[#年表|年表]]の項目を参照のこと。 胸部は [[ABS樹脂]]、腰部は[[ポリプロピレン]]、腕・足・頭部は[[ポリ塩化ビニル]](ソフトビニル)、もしくは足は[[不飽和炭化水素|オレフィン]]系熱可塑性[[ゴム|エラストマー]]から構成されている。腕・頭部のポリ塩化ビニルは[[ゾル状]]からの[[射出成形]]、足は[[ペレット]]状からの射出成形。近年、ポリ塩化ビニルに含まれる[[可塑剤]]の揮発による健康被害への対策として、使用する可塑剤が非[[フタル酸]]系に変更されたり、足の素材変更がされたりしている。腕の内部には、肌色の[[ビニール]]でコーティングした[[ステンレス]]製の[[針金]]2本を中央部で合成ゴムで接続し、U字型に曲げたパーツが組み込まれ、この針金の変形の保持と、肩・腰・大腿付け根のジョイント部分の回転により、腕と足、首のある程度の可動やポージングが可能となっている。 リカちゃんの髪には[[ポリ塩化ビニリデン|PVDC]]繊維が使われている。ごくまれに[[ポリ塩化ビニル|PVC]]繊維が採用されることもある。また、[[乳幼児]]の誤飲による[[窒息]]事故を避けるために、小さな部品には気道確保のための穴が開けられており、リカちゃんの靴や小物等には毒性の無い苦味成分が塗布されている。 人形の仕様は各商品によって細かい差異があり、様々な瞳の色やメイク、髪色・髪型のバリエーションが存在する。ほとんどの商品の製造は1回限りで、完売した場合は同じ仕様の商品が再生産される可能性は低い。 [[リカちゃんキャッスル]]の所在地である[[福島県]][[田村郡]][[小野町]]において、[[ふるさと納税]]の返礼として500体の「特製 リカちゃん人形」が開始から1ヶ月で全て返礼として在庫がなくなったと2017年6月に報じられた<ref>{{Cite web|和書|title=リカちゃん…1ヶ月で『品切れ』 小野町のふるさと納税返礼品|url=https://www.minyu-net.com/news/news/FM20170601-176774.php|publisher=福島民友 みんゆうNet|date=2017-06-01|accessdate=2017-06-01}}{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。 == キャラクター設定 == 時代によってバリエーションがあり、一定しない。リカちゃんに設定がつくられたのは、[[怪獣]]図鑑を参考にしたものである。2010年度の日本タレント名鑑(VIPタイムズ社刊)にプロフィールが掲載されている唯一の架空キャラクターでもある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=W10-1620 |title=リカちゃん |work=日本タレント名鑑 |publisher=VIPタイムズ社 |accessdate=2017-01-02}}</ref>。理由はプロフィールがタレント並みに細かく設定されている、様々な会社のCMキャラクターとして活躍しており、タカラトミーがリカちゃんをタレントと認識してもらう為にタレント名鑑の掲載をお願いした。 * 本名:香山リカ<ref name="profile">[https://licca.takaratomy.co.jp/profile/index.html リカちゃんプロフィール]、タカラトミー - 2019年7月14日閲覧。</ref>(苗字は女優の[[香山美子 (女優)|香山美子]]と[[加山雄三]]に由来<ref name="kojima-p61" />) * 誕生日:[[5月3日]]<ref name="profile" />(「リカちゃんのアルバム」の設定では生年も含まれており、[[1967年]]5月3日と記載<ref>[https://web.archive.org/web/19991003220219/http://www.takaratoys.co.jp/JOY/album1.htm << リカちゃんのアルバム >>]、株式会社タカラの旧ホームページより。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>) * 年齢:11歳(小学5年生)<ref name="profile" /> * 星座:おうし座<ref name="profile" /> * 身長:142cm<ref name="profile" /> * 体重:34kg<ref name="profile" /> * 趣味:おかし作り<ref name="profile" /> * 性格:明るくてちょっぴりあわてんぼう<ref name="profile" /> * 将来の夢:ママみたいなデザイナー * 好きな色:白とピンク<ref name="profile" /> * 好きな花:赤いバラ<ref name="profile" /> === リカちゃんの家族 === * パパ:ピエール([[音楽家]])([[フランス]]人、年齢:36歳、誕生日:[[8月8日]]、常に海外で仕事をしていて不在。<ref name="profile" /><ref name="juminhyo">小野町発行の特別住民票による。</ref>) * ママ:織江([[ファッションデザイナー]]、年齢:33歳、誕生日:[[7月7日]]ピエールと共に常に忙しい。<ref name="profile" /><ref name="juminhyo"/>) * 姉:リエ(旅客機[[客室乗務員]]、年齢・誕生日不明<ref name="T_aqua">[[と学会]]『と学会年鑑 AQUA』楽工社、2008年、188-192頁。ISBN 978-4-903063-19-5。</ref> - 1972年から1974年に商品が存在したキャラクターだが、現在の公式サイトには掲載されておらず「現在、消息不明」とされている<ref name="T_aqua" />。2013年発行の「特別住民票」にも未掲載{{Efn|現設定では父母が30代のため、リカに歳が離れた姉がいると出産時の父母の年齢が低くなりすぎ不都合が生じる<ref name="T_aqua" />。}}) * 妹:ミキとマキ(双子、年齢:4歳、誕生日:[[6月12日]]<ref name="profile" /><ref name="juminhyo"/> - 「リカちゃんのアルバム」の設定では生年も含まれており、[[1974年]]生まれと記載<ref>[https://web.archive.org/web/19990913110900/http://www.takaratoys.co.jp/JOY/album3.htm << リカちゃんのアルバム >>]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>) * 妹・弟:みく、かこ、げん(三つ子、年齢:1歳、誕生日:[[3月3日]]<ref name="profile" /><ref name="juminhyo"/>) * おじいちゃん:アルベール(ファミリーネーム、国籍不明。父方祖父)<ref>[https://liccacastle-shop.com/liccacyan/20.1/ リカちゃんキャッスル]{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>、香山浩(国籍不明、母方祖父)<ref>[https://twitter.com/bonjour_licca/status/826968338504880128 リカちゃん公式Twitter(2017年2月2日付)]</ref> * おばあちゃん:エレーヌ・ミラモンド(フランス人、年齢:63歳、誕生日:[[9月15日]]<ref>[https://web.archive.org/web/20001027221452/http://www.takaratoys.co.jp/OFFICIAL/FAM/baba.html リカのファミリー おばあちゃん(エレーヌ・ミラモンド)]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>)、香山洋子(日本人、母方祖母、年齢:56歳、誕生日:[[10月10日]]<ref name="profile" />) * いとこ:シャルル * ペット:プリン(犬)、レモン(犬)、ライム(犬)、ピーちゃん(インコ) リカがフランス人と日本人のハーフという設定は、発売当時にハーフの少女タレントの高見エミリー(現・[[鳩山エミリー]])が人気だったことによる<ref>『ひみつのアッコちゃんのコンパクトはなぜ… ボクが解決したサブカルチャー疑問集』p.56。</ref>。宣伝でも高見エミリーを使う予定があり、社内ではまだ名前が未定だったリカちゃん人形をエミリーと呼んでいたという<ref>『リカちゃん 生まれます』p.60。</ref>) === リカちゃんの将来 === ここでは1997年に発売された、様々な年齢のリカちゃんを商品化したセット『リカちゃんのアルバム』に記載された設定、及びその延長上の設定を記載する。 * [[1981年]] 学園祭でミス白樺に選ばれる(14歳)<ref>[https://web.archive.org/web/20000229014146/http://www.takaratoys.co.jp/JOY/album4.htm << リカちゃんのアルバム >>]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>。 * [[1990年]] [[外交官]]になる(23歳)<ref>[https://web.archive.org/web/20000303051547/http://www.takaratoys.co.jp/JOY/album5.htm << リカちゃんのアルバム >>]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>。 * [[1992年]] 外交官のフランツ・シブレーと結婚する(25歳)<ref>[https://web.archive.org/web/20000303093507/http://www.takaratoys.co.jp/JOY/album6.htm << リカちゃんのアルバム >>]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>。 * [[1997年]][[2月11日]] 長女出産(30歳)<ref>[https://web.archive.org/web/20000303121520/http://www.takaratoys.co.jp/JOY/album7.htm << リカちゃんのアルバム >>]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>。 * [[2000年]] [[第26回主要国首脳会議|九州・沖縄サミット]]では、[[外務省]]大臣官房国際広報室の室長補佐(33歳)。 ; その他 * [[1999年]]、[[チョロQ]]モータース社長に就任。 * [[2006年]][[4月1日]]、タカラトミーに入社。22歳、ハートヒルズ大学[[教育学部]]児童心理学科卒という設定。 * [[2011年]]、[[ムッシュ熊雄]]の兄・熊麻呂と結婚。[[エステー]]「ムシューダ」[[コマーシャルメッセージ|CM]]での設定<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2001885/full/ リカちゃんがついに結婚! お相手は『ムシューダ』熊雄の兄“熊真呂”]、ORICON NEWS、2011年9月17日 08:00。</ref>。 == 年表 == 公式設定ではリカちゃんの誕生日は5月3日。リカちゃんの人形が発売開始されたのは[[1967年]][[7月4日]]とされるが、これについては幾つかの説があり7月1日ともいわれる。 * 1967年:初代リカちゃん発売。 *: 発売時から約1年間は腰部にジョイントが無く、腹部にへそのあるボディだった。最初に発売されたのは栗色の外巻きカール、ツーテール、おさげの3種。途中からアップヘアが加わる。瞳の中の星はひとつ。 *: 自社生産は行なわず、[[シバ (玩具メーカー)|株式会社シバ]]に生産を委託していた。 *: 初出荷時には、漫画家の[[牧美也子]]が表紙イラストを描いたブックレットが封入されていた。 * 1968年:「リカちゃんトリオ」結成、「初代いづみちゃん」と「わたるくん」が加わる。 *: トリオ発売を機に、腰部にジョイントを付け、腰を回転できるボディへ変更された。 * 1969年:いづみちゃんの妹「くるみちゃん」とわたるくんの弟「ごろちゃん」が加わる。続いて「リカちゃんのママ」が登場する。 * 1970年:「レディリカ」発売。 *: 通常販売されているリカちゃん(香山リカ)とは別設定の人形。ストレートヘアで名前は北原理香、年齢設定は16歳。翌年、ジュン(花園順子)とアヤ(白川彩)の3人で「花のトリオ」を結成する。 * 1971年:日焼けバージョンの「ピチピチリカちゃん」発売。 *: さらに肌色を濃くした水着バージョンの「クロンボリカちゃん」も追加発売。これら「ピチピチリカちゃん」シリーズでは、振り向いたとき首を傾げ可愛く見えるような専用ボディを使用していた。 *: 1970年以降、一人勝ち状態となったことで、競争相手のない着せ替え人形市場は逆に不活性化してきた。そのため競合する「ドォン人形」等を自ら投入する余裕も見せた。 * [[1972年]]:「姉のスチュワーデスのリエ」登場。 *: 夏向け商品「ピチピチリカちゃん」、ハワイのお友だち「さわやかリーナ」に続き、夏山バージョンの豪華セットが発売されるも、この年で終了した。 * 1972年:2代目リカちゃん(ニューリカちゃん)発売。 *: 初めて自社生産により誕生。栗色の外カール。瞳の中の星は三つ。顔もヘアスタイルもちょっぴり大人になった。バラ型のヘアピンが付属する。 *: ハウス類にも対応させるため、靴底に強力な[[磁石]]を付けるとともに、金属製のマグネットスタンドが付属するようになった。また「おでかけスタンド」に立たせると足が動き歩行できた。 *: 当時の旧タカラの[[変身サイボーグ]]、[[ミクロマン]]等の男の子向け商品のラインナップ拡張と時期が重なったため、付属の説明書の構成がよく似ている。 * [[1982年]]:3代目リカちゃん発売。 *: ヘッドおよびボディが変更され、初代および2代目よりすらっとした体形になった。口角が上がり、唇が厚くやや微笑んでいるような表情をしている。 *: 3代目から髪型にバリエーションが加わり、初期には外巻きカール、ロングストレートや金髪のリカちゃんが発売された。 * [[1987年]]:4代目リカちゃん発売。 *: 現在まで発売が続いている長寿モデル。現行リカちゃんのバリエーションは全てこの4代目を基本に作られている。 *: この頃から、[[増渕宗一]]の『リカちゃん少女フシギ学』([[新潮社]]、1987年)や『永遠のリカちゃん』([[みくに出版]]、1992年)など本格的なリカちゃん研究が始まる。 * [[1988年]]」「レディリカ(2代目)」発売。 *: リカちゃんの成長後という設定。 * [[1992年]]: 5代目(ピンキーピンクリカちゃん)発売。 *: 色白、小顔で大人びた表情をしたリカちゃん。 *: 誕生25周年記念のスポット商品として1年間のみ生産された。販売実績があまり伸びなかったのは、表情が笑顔なのが逆に子供に受けなかったためと言われる。 * 1992年:誕生25周年を記念し、初代リカちゃん復刻版が発売される。 *: 同時に記念ドールとしてリカちゃんの[[ビスク・ドール]]も発売され、リカちゃん生誕50周年記念パーティへの招待状が付属していた。 * [[1993年]][[5月3日]]:[[福島県]][[田村郡]][[小野町]]にあるタカラ福島工場を「[[リカちゃんキャッスル]]」としてリニューアルオープン。 * [[1997年]]:誕生30周年記念として「リカちゃんのアルバム」シリーズ発売。 *: 0歳、3歳、14歳、23歳、25歳、30歳のリカちゃんと、リカちゃんの娘の7体入りで、リカちゃんの30年の成長を描いている。 *: 1997年:「アイリッシュドレスデンリカちゃん」発売。 *: 1997年:リカちゃん30周年と[[ピンクハウス]]会社設立15周年を記念し、タイアップ企画「ピンクハウスリカちゃん」発売。 * [[1998年]]:ご当地リカちゃん第1弾「[[琉球リカちゃん]]」発売。 *: 1998年:[[サッカー日本代表]]の[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]初出場を記念し「サッカーリカちゃん [[1998 FIFAワールドカップ|フランス98]]」発売。 * * * * [[2000年]]:[[第26回主要国首脳会議]]で各国首脳への記念品として、琉球リカちゃんの亜種「[[琉球リカちゃん#サミットリカちゃん|サミットリカちゃん]]」が贈られた。 * [[2001年]]:「こんにちはあかちゃん」「マタニティーリカちゃん」発売。リカちゃんの成長後という設定。 * * * * [[2002年]]:誕生35周年記念として、2代目「かわいいリカちゃん」を復刻発売。 * 2002年:誕生35周年記念ドールとして、1億円相当の[[ダイヤモンド]]をドレスやアクセサリーに散りばめた「ダイヤモンド・リカちゃん」が一点物として製作される。また一般市販バージョンとしてダイヤモンドのネックレスを付けた「ダイヤモンド・リカちゃん」が発売された。 * 2002年:「アイドルリカちゃん」発売。リカ、みい、もえの3人が[[アイドル]]グループ「ラブ♥リカ」としてデビューしたという設定。実際に「ラブ♥リカ」名義で楽曲も発表された。 * [[2003年]]:販売5000万体を記念して[[ヴィネット]]化した「[[リカヴィネ]]」発売。 * 2003年:お友達ドール「ななみちゃん」シリーズとして、「キラキラしんだん アイドル[[エステティックサロン|エステ]] ななみちゃん」発売。 *: 2004年には「ハートヒルズ ななみちゃん」、2006年には「ペットサロン ななみちゃん」が発売されている。 * [[2004年]]:[[サカタのタネ]]とのタイアップ企画「虹色スミレリカちゃん」発売。 * 2004年:[[ピザーラ]]とのタイアップ企画「ピザーラ リカちゃん」発売。 *: 2013年4月20日には「バイクでおとどけ!ピザーラショップ」発売、新制服の「ピザーラのてんいんさん」リカちゃんも発売された。 * [[2006年]][[3月1日]]:タカラと[[トミー (企業)|トミー]]が合併し、タカラトミーとなる。[[少子化]]傾向の中、純玩具メーカーだった両社が将来を見据えた上での決断だった。 * [[2007年]]:誕生40周年記念「横浜元町リカちゃん」発売。 *: [[1970年代]]後半から[[1980年代]]に流行した「[[ハマトラ (ファッション)|ハマトラ]]」をコンセプト・イメージとした、[[横浜市|横浜]][[元町 (横浜市)|元町]]ブランドのファッションを身に着けた1000体限定ドール。[[横浜人形の家]]で行われたリカちゃん&[[ジェニー]]「永遠の夢の世界展」開催記念に発売。この人形は横浜人形の家のプロデューサーでおもちゃ鑑定士の[[北原照久]]の企画<ref>[http://www.toyhobby.jp/commodity_param/ctc/+/shc/0/cmc/4904810300939/detail.html タカラトミー通販サイト トイホビーマーケット]{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>により実現した。 * 2007年:「プリンセスカールマリアちゃん」発売。 *: 「女の子のおしゃれ」が基本コンセプト。新素材の形状記憶ポリマーヘアーを使用し、髪に熱を加えずにカールやワッフルといった髪型遊びが出来るため好評を博し、メーカーとしては異例の追加生産を行なった。 * 2007年:かつて登場したお友達ドール「もえちゃん」を幼稚園の先生という設定で再発売。 * [[2008年]]:「ビューティーカールマリアちゃん」発売。 *: 2007年の「プリンセスカールマリアちゃん」と髪型遊びが好評だったため、同製品をブラッシュアップしたもの。 * 2008年:「ビューティーカットアリスちゃん」発売。 *: この「ビューティーカットアリスちゃん」は、髪に[[ヘアーエクステンション]]を付けたり外したりという髪型遊びができる。 *: 同時にリカちゃんにも「ビューティーロングリカちゃん」としてロングヘアモデルが登場。リカ、マリア、アリスの3人で「ビューティーモデルズ」というコンセプトで展開する。 * 2008年:[[ミスタードーナツ]]とのタイアップ企画「リカちゃんミスタードーナツショップ」発売。店員制服ドレスも発売。 *: 「リカちゃんミスタードーナツショップ」は2011年、2015年にリニューアル発売され、新制服ドレスも発売された。 * [[2009年]][[1月20日]]:この日をもって、オフィシャルファンクラブ「リカちゃんフレンド」の新規会員募集中止。 *: [[2010年]]1月の[[年賀状]]送付を最後に、活動を停止する予定との告知がされる。 * 2009年:[[モスバーガー]]とのタイアップ企画「リカちゃん モスバーガーショップ」発売。店員制服ドレスも発売。 * 2009年:「カラーチェンジリカちゃん」「カラーチェンジさくらちゃん」を発売。 *: この「カラーチェンジリカちゃん」「カラーチェンジさくらちゃん」は、温めると髪の色を変えられるという髪型遊びができる。これにより「ビューティーモデルズ」シリーズにさくらちゃんが追加。 * [[2010年]]9月1日:[[日枝神社 (千代田区)|日枝神社]]とのタイアップ企画「[[日枝神社の巫女リカちゃん]]」を[[七五三]]参拝者の記念品として配布開始。 * [[2011年]]:[[サーティワンアイスクリーム]]とのタイアップ企画「リカちゃん サーティワン アイスクリームショップ」発売。新制服ドレスも発売された。 *: 2018年には「リカちゃん サーティワン アイスクリームショップ」がリニューアル発売、店員制服ドレスもリニューアル発売された。 * 2011年9月:「カラーチェンジエミリーちゃん」「カラーチェンジひなちゃん」を発売。 *: 「カラーチェンジエミリーちゃん」「カラーチェンジひなちゃん」も、同じく温めると髪の色を変えられるという髪型遊びができる(ブログでは、エミリーちゃんは留学先から帰国したという設定になる)。 * 2011年:「ファンタジーリカちゃんシリーズ」のCMキャラクター、タカラトミー「リカちゃんカタログ 2011.4 - 2011.9」のモデル、インタビューに、女優の[[芦田愛菜]]を起用する<ref group="注釈">「リカちゃんカタログ2011.10 - 2012.3 ジェニーカタログ2011.10」では以前のカタログの写真を流用した。</ref>。 * [[2013年]]5月3日:リカちゃんキャッスル開業20周年を記念し、[[小野町]]からリカちゃんファミリーに[[特別住民票]]が公布された<ref>[https://www.town.ono.fukushima.jp/soshiki/3/licca-chan.html リカちゃんファミリーへ特別住民票を交付] 小野町{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。 * 2013年:「トリプルカラーチェンジ リカちゃん」発売。[[日本おもちゃ大賞]]2013のガールズ・トイ部門で大賞を受賞する<ref>[https://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/jp/news/2013/li130628.html 「サラン繊維」を使用した「トリプルカラーチェンジ リカちゃん」が“日本おもちゃ大賞2013”ガールズ・トイ部門大賞を受賞] [[旭化成]]プレスリリース、2013年6月28日、2021年8月31日閲覧。</ref> * [[2014年]]2月1日:[[くまモン]]とのタイアップ企画「くまモン×リカちゃん」発売。くまモン風の衣装を着たリカちゃんに、リカちゃんサイズのくまモンの[[ぬいぐるみ]]が付属する。 * [[2014年]]4月:新シリーズとして、アイドルをテーマにした「[[原宿]]ガールズスクール」を展開。リカちゃんと他2名が[[オーディション]]に合格し「[[HGS (アイドルグループ)|HGS]]」というアイドルグループとしてデビューするという設定。[[拡張現実|AR]][[モバイルアプリケーション|アプリ]]と連動し、スマートフォンなどで「HGS」の映像が見られるほか、芸能事務所[[アミューズ]]の協力で実際に「HGS」の楽曲を制作し[[音楽配信]]を行った<ref>{{cite news | url = https://kyodonewsprwire.jp/release/201403269354 |title = ARアプリ連動!アミューズ全面協力でリカちゃんアイドルデビュー!リカちゃん「原宿ガールズスクール」シリーズ 4/19(土)新発売 | publisher = 共同通信PRワイヤー(タカラトミープレスリリース) | date = 2013-03-26 | accessdate = 2014-08-03}}</ref>。 * 2014年6月:公式Twitterアカウント(@bonjour_licca)開設。 * 2014年10月:ピエールが「[[イクメン]] オブ ザイヤー 2014」キャラクター部門を受賞。 * 2014年11月15日:大人向けリカちゃんの試みとして、[[光文社]]の女性[[ファッション雑誌]]『[[VERY]]』とのタイアップ企画「VERYコラボ コーディネートリカちゃん」第1弾を発売。 *: これが好評を博したことから、[[2010年代]]後半より大人向けリカちゃんシリーズの展開が増えることとなる。 *: 「VERYコラボ コーディネートリカちゃん」は、2017年11月11日に『VERY』ブック付きの第2弾、2020年11月7日には第3弾が発売され、シリーズ展開となった。 * [[2015年]]4月:「キラかみ リカちゃん」「キラかみ さくらちゃん」発売。 * 2015年7月:新フレンドドール「キラかみカール ひまりちゃん」発売。 * 2015年:大人向けリカちゃんブランド「LiccA(リカ)」を創設し「リカ スタイリッシュドールコレクション」としてシリーズ展開を開始。同年6月予約受付開始、12月発売。第1弾として「カプチーノ ワンピーススタイル」発売。限定1000体で自然なボディーラインなど細部にこだわったリカちゃん人形が発売され、1体10,800円という子供向けの3倍以上の価格ながら予約開始3日で完売した。 * [[2016年]]3月:[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の女性人気シンガー、[[アリアナ・グランデ]]の日本版[[ミュージックビデオ]]『[[フォーカス (アリアナ・グランデの曲)|フォーカス]]』に出演し、衣装・メイク・髪色などもアリアナに似せてダンスも披露した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fashion-press.net/news/22566 |title=アリアナ・グランデのアルバム『デンジャラス・ウーマン』収録のMVにリカちゃんが出演! |accessdate=2016-03-22 |date=2016-03-22 |publisher=ファッションプレス }}</ref>。リカちゃんが海外アーティストとコラボレーションするのは初の試みである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.universal-music.co.jp/ariana-grande/news/2016-03-23/|publisher=[[ユニバーサルミュージックジャパン]]|title=奇跡のコラボレーションが実現!!「アリアナ・グランデ × リカちゃん」ヒット・シングル「フォーカス」の日本版MV完成!リカちゃんが海外アーティストのMVに出演するのは初!!|accessdate=2016-03-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=gdeUxsVkRkY&feature=youtu.be |title=アリアナ・グランデ×リカちゃん「フォーカス」ミュージック・ビデオ |accessdate=2016-03-22 |date=2016-03-22 |publisher=UNIVERSAL MUSIC JAPAN公式YouTubeチャンネル }}</ref>。なお出演したリカちゃんは同年6月発売の「リカビジューシリーズ」の「ルミナスピンク」である<ref name="bijou160615">[https://licca.takaratomy.co.jp/official/archives/486/ リカビジューシリーズ誕生 アリアナ・グランデさんのMVに出演中♡] タカラトミー、2016年6月15日、2022年7月19日閲覧。</ref>。 * 2016年6月18日:大人向けリカちゃんブランド「[[リカビジューシリーズ]]」が誕生、第1弾として人形4種が発売される<ref name="bijou160615"/>。「ビジュー (bijou) 」は[[宝石]]を意味する[[フランス語]]で「宝石のようなきらめき」をイメージして命名された<ref name=共同通信PR>[https://kyodonewsprwire.jp/release/201605130603 待望の「リカちゃん」新シリーズ誕生!「リカビジューシリーズ」6月新発売のご案内(タカラトミープレスリリース)] プレスリリース/ニュースリリース配信の[[共同通信]]PRWire、2016年5月13日、2022年7月19日閲覧。</ref>。以降、[[2018年]]8月4日発売の第5弾まで計11体の人形および別売りドレスがシリーズ展開された。 * [[2017年]]3月:2017年度の[[フランス]]観光親善大使に[[くまモン]]と共に選ばれる。15日、同国大使公邸にて行われた「2017年 フランス観光キャンペーン披露記者発表会&観光親善大使任命式」に参加、任命状を受け取った<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2087503/full/|title=くまモン&リカちゃん、仏観光親善大使に任命 “人”以外で初の抜てき |publisher=ORICON NEWS|date=2017-03-15|accessdate=2017-03-16}}</ref>。くまモンとのコラボレーションは2014年に続き2度目となる。 * 2017年3月22日:この日から「誕生50周年 リカちゃん展」が[[松屋 (百貨店)|松屋銀座]]を皮切りに全国巡回開催。展覧会オリジナル商品や各企業との50周年記念コラボレーション商品も随時展開される。 * [[2018年]]3月3日:リカちゃん50周年記念事業が、第12回[[声優アワード]]特別賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiyuawards.jp/winning/winning_12/ |title=第十二回声優アワード受賞者 |publisher=声優アワード |accessdate=2018-03-04}}</ref>。 * [[2020年]]2月15日:大人の女性向けリカちゃんとして、リアルクローズ(大人の女性が実際に着るようなファッション性の高い衣装)を身にまとった新シリーズ「リアルコーディネートスタイル」を展開開始。2018年に終了した「リカビジューシリーズ」の事実上の後継となる。第1弾として「ガーリーフルラージュ」を発売。 *: 「リアルコーディネートスタイル」第2弾として、2021年10月16日に「ムートンミックス」が発売されている。 * 2020年4月25日:「ゆめいろリカちゃん カラフルチェンジ」発売、初年度に10万個以上を出荷するヒット商品となる<ref>[https://kyodonewsprwire.jp/release/202106186433 「マジックロングヘア リカちゃん」 6月19日(土)発売 | タカラトミーのプレスリリース | 共同通信PRワイヤー]. 2021年8月31日閲覧</ref>。 * 2020年9月1日:17歳の現役女子高生という設定の「#Licca(ハッシュタグ リカ)」発売<ref>[https://hobby.dengeki.com/news/1063663/ リカちゃんが17歳の現役SJKに!おとなっぽコーデや猫耳ヘアが可愛い「#Licca(ハッシュタグ リカ)」がデビュー!公式インスタグラムもオープン!!] [[電撃ホビーマガジン|電撃ホビーウェブ]]、[[アスキー・メディアワークス]]、2020年9月1日、2021年8月31日閲覧。</ref>。 * [[2021年]]4月<!--23日-->:[[ライオン (企業)|ライオン株式会社]]の[[解熱鎮痛薬]]「[[バファリン]]」の新アンバサダーとしてリカちゃんが起用され「バファリンアンバサダーLicca オリジナルドール」が制作された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lion.co.jp/ja/news/2021/3504|title=<お知らせ> リカちゃんとのコラボポスターを作って応募 オリジナルドールが当たる「バファリン×Liccaコラボキャンペーン」開始のお知らせ|publisher=ライオン株式会社|date=2021-04-23|accessdate=2021-04-30}}</ref>。 * 2021年6月19日:「マジックロングヘア リカちゃん」発売<ref name="itmedia202106">[https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2106/21/news102.html 54年間で初! タカラトミー、「髪が伸びる」リカちゃん発売:最長30センチ - ITmedia ビジネスオンライン](2021年06月21日)2021年8月31日閲覧</ref>。付属品を使うことで最長約30センチまで髪を伸ばしたり元に戻したりすることができる<ref name="itmedia202106" />。 == 関連施設 == === リカちゃんキャッスル === [[File:Liccacastle.JPG|thumb|250px|リカちゃんキャッスル]] {{Main|リカちゃんキャッスル}} [[福島県]][[田村郡]][[小野町]]にあるリカちゃんの工場兼展示施設。以下「キャッスル」と呼称する。 旧タカラの福島工場として設立され、主にリカちゃんや[[ジェニー]]等の人形の生産を行っている一部門だったが、後にタカラいわき工業株式会社として分社化。2006年2月、旧タカラと旧トミーの合併前に自社株買いにより資本的に独立し<ref>「[https://www.takaratomy.co.jp/ir/financial/pdf/kessan/06/06_kessan_02.pdf 株式会社タカラトミー 平成18年3月期決算短信(連結)] 3.経営成績及び財政状態」を参照のこと。</ref>、社名を「リカちゃんキャッスル株式会社」に変更。2011年1月1日からは法人名を「リトルファクトリー株式会社」に変更した<ref>「[http://liccacastle.seesaa.net/article/178202136.html 社名変更&振込み口座変更のお知らせ]」リカちゃんキャッスル オフィシャルブログ</ref>。[[OEM]]としてはタカラトミー社向け商品の製造以外に、株式会社[[ジェニー#関連サービス・関連商品・派生作品|スター]]の製品や株式会社[[アゾンインターナショナル]]の製品の製造を請け負っている。 小野町の観光名所の1つで[[ランドマーク]]的存在でもあり、キャッスルの開設に合わせてリカちゃんは小野町の「[[地域おこし|町おこし]]プリンセス」に任命された。以降、町とキャッスルは観光や地域雇用に於いて積極的な連携を行っている。キャッスル付近の[[橋]]にはリカちゃんの[[銅像]]が立っている。キャッスル側でも小野町に伝わる[[小野小町]]伝説にちなみ、[[十二単]]を着た「小野小町リカちゃん」を製造、販売している。なお、キャッスルの[[名誉館長]]は歴代の小野町[[町長]]が務めている。 2014年[[8月1日]]東京都中央区[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]に、大人のためのドールショップ「リカちゃんキャッスルのちいさなおみせ」をオープン。リカちゃんキャッスルやイベントで販売していないオリジナル商品も販売している。 === リカちゃんCLUB67 === 2000年[[10月7日]]にオープンした、東京都[[中央区 (東京都)|中央区]]にある玩具販売店「[[博品館]]TOY PARK」地下1階にある、リカちゃんとジェニーの専門店のこと。既製品に加え、リカちゃんCLUB67オリジナルの人形や人形用ドレスも販売されている。店名の「67」は、リカちゃんが1967年に販売開始されたことにちなむもの。 === リカちゃんタウン === かつて[[富士急ハイランド]]にあった、ファミリー向け[[アトラクション (遊園地)|アトラクション]]の1つ。2002年[[7月21日]]にオープンした。人間サイズに再現されたリカちゃんハウスや、[[コンピュータグラフィックス|CG]]によりリカちゃんと一緒に写真が撮れる[[スタジオ]]、リカちゃんをイメージした[[デザート]]が食べられる[[カフェ]]、売店等が併設されていた。 リカちゃんタウンのオープン以降、[[富士急行]]が[[高速バス]]の富士河口湖線([[新宿]] - [[富士五湖]]方面間)で、リカちゃんの[[ラッピング車両|ラッピングバス]]を運行していた。また、富士急ハイランドに隣接した[[ホテル]]「ハイランドリゾート・ホテル&スパ」には、リカちゃんの[[世界観]]をイメージして内装から[[アメニティ]]までがトータルデザインされた客室「リカちゃんルーム」があった。 リカちゃんタウンは2009年[[1月12日]]、リカちゃんルームは2009年[[1月15日]]に営業終了した。 == 関連商品 == === #Licca === <nowiki>#Licca</nowiki>(ハッシュタグ リカ)は、2020年9月1日にデビューした、17歳になったリカちゃん。誕生から53周年のリカちゃん(11歳)が17歳になった<ref>[https://twitter.com/takaratomytoys/status/1300705520865611776 タカラトミー(@takaratomytoys)のTweet] 2020年9月1日17時02分</ref>。<br> 以下は公式プロフィールより<ref>[https://licca.takaratomy.co.jp/products/doll/licca_17/ #Licca(ハッシュタグ リカ)]</ref>: * 本名:香山リカ(Lica Kayama) * 年齢:17歳 * 職業:都内の高校に通うSJK、インスタグラマー、読モ * {{Instagram|seventeen_licca|seventeen_licca}} リカちゃんとの違い * 身長が約5cmUP * 脚が長く、材質が異なる(組んだり、肩幅に広げて立ったりできる。自立は不可) * リカちゃんと#Liccaのクツや服は共通だが、ズボンなど#Liccaには着られないものも一部ある === フレンドドール === ==== 女の子 ==== {{節スタブ}} * いづみちゃん(初代) ** 1968年発売。初代リカちゃん、わたるくんとともに「リカちゃんトリオ」を組んでいた。本名は佐藤いづみ(いずみ)。初期の睫毛は7本、後期は4本に変更されている。 * くるみちゃん ** 1969年発売。初代いづみちゃんの妹。本名は佐藤くるみ。 * [[魔法のマコちゃん]] ** 1971年発売。テレビメイトの一人で、テレビから抜け出してきたという設定。アニメに忠実なアイプリントで、衣装もアニメと同様のものが販売された。 * さわやかリーナ ** 1972年発売。1972年の1年間のみ発売された、初代リカちゃんの日焼け版「ピチピチリカ」のハワイの友達。 * [[魔法使いチャッピー]] ** 1972年発売。(初代リカのボディが流用されてはいるが、魔法のマコちゃんの様なテレビメイトとは異なる単独商品で正確にはフレンドではなく亜種)アニメに忠実なアイプリントで、服や髪飾りまでアニメと同様だった。 * ハルミちゃん ** 1973年発売。2代目リカちゃん、パットちゃんとともに「なかよしトリオ」を組んでいた。グリーンの瞳が印象的。スーパーマーケットの娘で姉は医者。本名は朝丘ハルミ。 * パットちゃん ** 1973年発売。2代目リカちゃん、ハルミちゃんとともに「なかよしトリオ」を組んでいた。最初は「へんしんパットちゃん」のみだったが後に「タレントパットちゃん」が発売された。本名はパトリシア。 * あわてんぼクルリちゃん ** 1976年発売。顔が回転するギミックがついている。おてつだいレストランで手伝いをしているが、失敗ばかりしてはおどけている。 * おてつだいロボ家族・コックちゃん、クリーナちゃん ** 1976年発売。おてつだいレストランで働いている。 * チコちゃん ** 1976年、1981年発売。1976年に発売されたのは「おてつだいチコちゃん」、1981年に発売されたのは「おかいものチコちゃん」。 * 1丁目のテテちゃん ** 1977年発売。手が左右に動くギミック付き。ほかほかベーカリー・ジュースパーラーで働いている。 * おかいものサッちゃん ** 1977年発売。カスタネットの音(似た音にも)に反応し、動いたり止まったりする。歯を出して笑っているのが特徴。 * リナちゃん ** 1977年発売。ロングヘアのリカちゃんと共に「ファッションペア」を組んでいる金髪の少女。瞳は緑色でマンガチック。本名は水原リナ。 * プティアンジェ ** 1977年「リカちゃんテレビのおともだち」として発売。アニメ「[[女王陛下のプティアンジェ]]」(77~78年・テレビ朝日系列)の主人公 * いづみちゃん(2代目) ** 1978年発売。リカちゃんのママが経営するパーマ屋さんで知り合った。付け毛などで髪をアレンジするのが好き。髪型は当時流行したオオカミカット。 * ひとみちゃん ** 1979年発売。なかよし病院の看護婦さん。ワンタッチブーツと呼ばれる特殊なブーツを履いていた。 * LORI ** 1981年発売。アメリカで輸出販売していたLISA(リカちゃんの外国名)の唯一のお友達。髪型は2代目いづみちゃんと同じだが、顔は全く違う。 * まきまきカールのまゆみちゃん ** 1982年発売。髪の毛1本1本にワイヤーが仕込んであり、簡単にカールをつけることができる。 * ちえみちゃん ** 1983年発売。3代目リカちゃんとかおりちゃんとともに「リカちゃんトリオ」(2代目)を組んでいた。看護婦になるのが夢であり、ブーツが大好き。本名は河合ちえみ。 * かおりちゃん ** 1983年発売。3代目リカちゃんとちえみちゃんとともに「リカちゃんトリオ」(2代目)を組んでいた。お風呂が大好き。本名は水野かおり。 * ファニー&ロンド ** 1984年発売。ファニーはイギリスから来たピアノや絵が上手な女の子、ロンドはファニーのペットでヨークシャーテリアの名前。 * おしゃれなメルニー ** 1985年発売。腰部分が回転し、スカート部分が変えられるギミック付き。 * リカちゃんのアニメフレンド[[小公女セーラ]] ** 1985年発売。アニメ本編とは全くと言っていいほど似ておらず、衣装もアニメと同じものは発売されなかった。 * まきまきリボンのさやかちゃん ** 1986年発売。リボンを髪の毛にまくのが得意。すかいらーくのフルーツサンデーがお気に入り。 * ナースちゃん ** 1986年発売。リカちゃん病院「すこやかさん」の看護婦さん。3〜4代目に渡って販売されたお友達。 * パレットF ** 1987年発売。アメリカから来たパーティー好きの帰国子女。絵の具のようによく変身するため、このあだ名が付いた。リカちゃんと同じ白樺町に住む。 * プルルンちゃん ** 1988年発売。メルヘンの国で、リカちゃんとお友達になった花の妖精。ひみつの花ステッキで、魔法を使う。 * ユメカちゃん ** 1988年発売。ビニール製のドレスを着ており、腕も足も曲がらない。アイプリントも2色しか用いられていない。 * いづみちゃん(3代目) ** 1990年発売。本名は白鳥いづみ。誕生日:[[10月5日]]<ref>[https://web.archive.org/web/20010111191100/http://www.takaratoys.co.jp/OFFICIAL/FRE/izumi.html リカのおともだち いづみちゃん(白鳥 いづみ)]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref> * はりきりマイちゃん ** 1992年発売。本名は江原マイ。足が車輪になっており、両手にトレイを乗せると歩く。 * リカちゃんのおともだちクニちゃん ** 1994年に発売したリカちゃんのファンであるタレントの[[山田邦子]]の人形。 * コンビニみほちゃん ** 1994年発売。本名は安達みほ。にじいろが丘のリカちゃんコンビニで働く。 * シャンプーリボンちゃん ** 1996年発売。本名は大空リボン。専用ポンプでシャンプー遊びができる。双子の弟のゆう、だいも発売された。 * パリのおともだちショコラ ** 1998年発売。フランスのお友達。頭の型番号はジェニー・フレンドドールのティモテと同じ。 * あきちゃん ** 1999年発売。本名は木村あき。誕生日:[[9月11日]]<ref>[https://web.archive.org/web/20010123225600/http://www.takaratoys.co.jp/OFFICIAL/FRE/aki.html リカのおともだち あきちゃん(木村 あき)]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>。 * きらちゃん ** 1999年発売。本名は星野きら。誕生日:[[3月6日]]<ref>[https://web.archive.org/web/20001210145600/http://www.takaratoys.co.jp/OFFICIAL/FRE/kira.html リカのおともだち きらちゃん(星野 きら)]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref>。 * もえちゃん ** 2002年発売。本名は春野もえ。誕生日:[[10月17日]]<ref name="2002_profile">『超ひみつゲット!(35) リカちゃんコレクション』[[ポプラ社]]、2002年、4頁。ISBN 4-591-07332-7。</ref>。 * みいちゃん ** 2002年発売。本名は可愛みい。誕生日:[[1月12日]]<ref name="2002_profile" />。 * ななみちゃん ** 2002年発売。本名は藤本七海。アイドルリカちゃん新メンバーオーディションでグランプリを受賞した[[藤本七海]]の名前が付けられた。 * スイーツちゃん ** 2005年発売。ハートヒルズのクレープパーラーで働いている。 * マリアちゃん ** 2007年発売。リカ旅ブログでパリに来ていたリカちゃんと出会う。フランス出身。リカちゃん、アリスちゃんとビューティーモデルズを結成。誕生日は[[8月2日]]。 * アリスちゃん ** 2008年発売。イギリス出身。リカちゃん、マリアちゃんとビューティーモデルズを結成。 * さくらちゃん ** 2010年発売。メイクアップアーティスト志望の日本人の女の子。誕生日は[[4月22日]]。 * エミリーちゃん ** 2011年発売。デザイナー志望のしっかりとしたおねえさんタイプの女の子。誕生日は[[9月15日]]。頭の型番号はショコラ同様ジェニー・フレンドドールのティモテと同じ。 * ひなちゃん ** 2011年発売。頭の型番号、アイプリントはななみちゃんと同じ。アイドル志望のお菓子作りが好きな女の子。 * みゆちゃん ** 2012年発売。獣医志望の動物好きの女の子。誕生日は[[12月20日]]。 * ビッキーちゃん ** 2012年発売。ホビーショーなどでは「かなでちゃん」という名前だった。台北市内リカちゃん専門コーナーの開設と同時に発売。台湾の子供向けにデザインされた。台湾在住の台湾とアメリカのクォーター。 * つばさちゃん ** 2014年発売。本名は蒼井つばさ。リカちゃんとアイドルユニット「HGS」としてデビュー。誕生日は[[12月23日]]。 * みさきちゃん ** 2014年発売。本名は大島みさき。リカちゃんとアイドルユニット「HGS」としてデビュー。誕生日は[[7月19日]]。 * ひまりちゃん ** 2015年7月「キラかみカール ひまりちゃん」として発売。髪の毛に形状保持素材を使用している。運動が得意で明るく元気なしっかり者の女の子。誕生日は[[8月3日]]。 * かれんちゃん ** 2019年4月発売。才色兼備で、みんなでわくわくするのが大好きな女の子。誕生日は[[10月7日]]。 * セイラちゃん ** 2020年7月発売。スターライト王国のプリンセス。好奇心旺盛で勉強好きの大人っぽい女の子。誕生日は[[8月21日]]。 * ゆいゆい ** 2022年3月発売。本名は水野ゆいみ、17歳。#Liccaと同じ高校に転校してきたSJK。 ==== 男の子 ==== {{節スタブ}} * たちばな わたるくん(名字の漢字表記は当時のブックレット及びリカちゃんフレンドの質問回答欄でも「橘」表記のみ) ** 1968年発売。初代リカちゃんのボーイフレンド。初代リカちゃん、いづみちゃんとともに「リカちゃんトリオ」を組んでいた。リカちゃん、いづみちゃんより1級上で6年生。 * たちばな ごろ(名字の漢字表記は当時のブックレット及びリカちゃんフレンドの質問回答欄でも「橘」表記のみ) ** 1969年発売。わたるくんの弟。「巨人の星」が好き。 * 藤原マサトくん ** 1976年発売。勉強もスポーツも万能な6年生。テニスが趣味。 * 佐藤イサムくん ** 1981年(初代)発売。初代は眉が太く、2代目は眉がやや細くなった。下手だがサッカーが好きで、勉強が得意。ギターを弾くのが趣味。誕生日:[[7月11日]]<ref>『超ひみつゲット!(35) リカちゃんコレクション』[[ポプラ社]]、2002年、37頁。ISBN 4-591-07332-7。</ref>。 * パリのいとこシャルル ** 1998年発売。リカちゃんの従兄弟でショコラのボーイフレンド。11歳のフランス人。フルネームはシャルル・ミラモンド。父はリカちゃんのパパ、ピエールの弟でF1レーサーのリュック、母は元ファッションモデルのテレーズという設定が、発売年当時の「[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]」に掲載された。 * かけるくん ** 2000年発売。リカちゃんのボーイフレンド。白樺学園中等部の2年生。ブラジルでプロサッカー選手になることを目指す明るい男の子。たくみくん、あつしくん、しょうくんと4人でバンドを組んでいる。バンドではギターを担当。初期商品には「滝沢駆」というフルネームの設定があったが、再販からはひらがなの名前のみで販売された。 * たくみくん ** 2000年発売。いづみちゃんのボーイフレンド。白樺学園中等部の2年生。趣味はパソコンで作曲が得意。バンドではベースを担当。初期商品には「渋谷匠」というフルネームの設定があったが、再販からはひらがなの名前のみで販売された。 * あつしくん ** 2000年発売。あきちゃんのボーイフレンド。白樺学園中等部の2年生。趣味は読書でピアノが得意。バンドではキーボード担当。初期商品には「相葉温」というフルネームの設定があったが、再販からはひらがなの名前のみで販売された。 * しょうくん ** 2000年発売。きらちゃんのボーイフレンド。白樺学園中等部の2年生。ストリートダンスが得意で時々DJもやっている。バンドではドラムを担当。初期商品には「今井翔」というフルネームの設定があったが、再販からはひらがなの名前のみで販売された。 * レンくん ** 2008年発売。ヘアスタイリストを目指しているおしゃれな男の子。 * はるとくん ** 2016年発売。フルネームは桜井遥斗。リカちゃんの家の向かいに住む、スポーツが得意で優しいお兄さん。誕生日は[[4月3日]]。 === ようちえんのおともだち === マキちゃん、ミキちゃんサイズの人形。 {{節スタブ}} ==== 女の子 ==== * あわっこアコちゃん ** 1977年発売。お風呂とセットで販売されており、シャンプーを使って遊ぶ。リカちゃんとの位置づけは不明。 * なきむしジュンコちゃん・ごきげんモモエちゃん ** 1976年発売。わんさかシリーズの一種で、2体セットで売っていた。リカちゃんとの位置づけは不明。 * リカちゃん * いづみちゃん * パリのおともだち ショコラ * パリのおともだち ミルクちゃん * クリームちゃん * みほちゃん * リボンちゃん * プルルンちゃん * まいちゃん * あきちゃん * きらちゃん * うさちゃん * おみちゃん * いとちゃん * えりちゃん * えみりちゃん ** 名前の通り、目を閉じて笑っている人形。 * すやかちゃん ** 名前の通り、眠った感じに目を閉じている人形。 * 海のおともだち みなとちゃん * 山のおともだち こえだちゃん * ちゅうごくのおんなのこ メイレイちゃん * アメリカのおんなのこ キャンディーちゃん * にほんのおんなのこ みはるちゃん * インドのおんなのこ ターラちゃん * アフリカのおんなのこ ボンボちゃん ** ようちえんのおともだち人形では珍しい小麦色の肌の人形。 * あおいちゃん ==== 男の子 ==== * イサムくん * パリのおともだち シャルル * パリのおともだち アイスくん * マロンくん * えいじくん * あゆむくん * いくおくん * おとみくん * うみたくん * ゆうくん * だいくん * めがねくん ** 名前の通り眼鏡をかけている人形。 * 海のおともだち そらくん * 山のおともだち きのみくん * イギリスのおとこのこ チャールズくん * りくくん * ともくん === 限定商品 === {{節スタブ}} * 復刻版2代目リカちゃん * [[ループウイラー]]リカちゃん * [[ファイブフォックス#ブランド|コムサ・デ・モード]]リカちゃん * [[東京ミュウミュウ]]リカちゃん * [[中日ドラゴンズ|ドラゴンズ]]リカちゃん * [[久月]]・タカラトミーコラボレーション雛人形 ** リカちゃんのひな人形 *** リカちゃん単体のみ ** リカちゃん雛人形 ** 伝統工芸品衣装仕様 江戸小紋+会津塗り ** 伝統工芸品衣装仕様 結城紬+会津塗り ** 伝統工芸品衣装仕様 越後紬+明石縮+会津塗り ** 豪華リカちゃん雛人形 *** [[人形屋ホンポ]]とスワロスキーのコラボバージョン ** 豪華リカちゃん雛人形 *** スワロスキーのコラボヴァージョン :以上の人形はリカちゃんとかけるくんのセット。 * [[松田聖子]]ドール Seikoちゃん ** 1998年に発売した[[松田聖子]]を模した人形。フローレスセイコ限定。 * 高校生リカちゃん ** [[トイザらス]]限定の人形、種類は多数。 * 高校生イサムくん ** 2000年に発売したトイザらス限定の人形。 * 高校生あきちゃん ** 2001年に発売したトイザらス限定の人形。 * [[ハローマック]]限定リカちゃん ** 種類は多数の限定人形。 * [[プラスe]]限定リカちゃん ** 2003年に300体限定で発売され、服などの組み合わせが自由に行えた<ref>「ファミレスでリカちゃん注文 タッチパネルで好み選ぶ」日経MJ2003年3月4日付、1ページ</ref>。 * [[小田急電鉄|小田急]] [[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]] アテンダント リカちゃん ** 2005年10月1日発売、小田急電鉄・特急ロマンスカーのアテンダントの服を着ている。 * レアルリカちゃん ** 2006年に実施された[[ミスタードーナツ]]のキャンペーンにおける懸賞品。[[レアル・マドリード]]のユニフォームを着用している。CMには[[ラモス瑠偉]]が出演。 * 制服リカちゃん ** 2008年2月に[[文化女子大学附属杉並中学校・高等学校]]の赤リボンと黄色リボンの2種類が発売された。 ** 特注品として、その他の女子校の制服を着用したものも制作された。但し、PTAや同窓会など、その学校に関係する団体のみへの販売となり、個人購入は不可<ref>[https://web.archive.org/web/20190523220221/https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/live-love-hyogo/Lbiz/367492.html 人気!女子校の制服リカちゃん]{{リンク切れ|date=2021年9月}} - [[NHK大阪放送局]]ブログ 2019年5月15日</ref>。 * [[ルノワール+ルノワール展]]ルノワールリカちゃん ** 2008年2月フランス印象派のピエール=オーギュスト・ルノワールが発表した作品『ぶらんこ』に登場する女性をリカちゃんで再現。 * [[王様のブランチ]]姫様リカちゃん ** 2009年発売、[[はしのえみ]]が扮する姫様の服装をしたリカちゃん。 * 赤いくつリカちゃん<ref>[http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20090424mog00m200020000c.html リカちゃん:童謡「赤い靴」の少女に 横浜開港150周年記念、1000体限定発売]{{リンク切れ|date=2021年9月}}毎日新聞</ref> ** 2009年発売。 * [[日枝神社 (千代田区)]][[日枝神社の巫女リカちゃん]] ** 2009年配布開始、日枝神社で実際に奉仕する[[巫女]]さんをモデルにして白衣緋袴の服装をしたリカちゃん。七五三の記念品として配布される。※販売はしていない。 * [[スパリゾートハワイアンズ]]リカちゃん ** 2013年発売予定。スパリゾートハワイアンズの[[フラガール]]がモデルで、「フラダンサー」と「タヒチアンダンサー」の2種類。 * [[八重の桜]]リカちゃん ** 2013年発売。[[大河ドラマ]][[八重の桜]]のヒロインに扮したリカちゃん。 * LD-15 [[初音ミク]]リカちゃん ** 2013年7月13日発売。 * LD-16 [[くまモン]]×リカちゃん ** 2014年2月1日発売。 * [[プリパラ]]らぁらリカちゃん ** 2014年12月13日発売。 * [[マイメロディ]]だいすき リカちゃん ** 2015年5月23日発売。 * [[横浜元町]]リカちゃん WINTER EDITION === ぐるナイリカちゃん関連 === 2009年1月2日放送回[[ぐるぐるナインティナイン]]「[[グルメチキンレース・ゴチになります!]]」で、[[岡村隆史]]が持参した「[[うなずきん]] ゴチになりますver.」に対抗し、[[森泉]]がタカラトミーに特注したリカちゃん人形から、商品化になったシリーズである。 * [[森泉]]バージョン ** 2009年1月2日の放送で森が持参したリカちゃん。[[祖父母|祖母]]の[[森英恵]]がデザインした制服を着用。2009年9月10日に放送されたファンからの要望で同年10月に発売。通常の箱に[[ナインティナイン]]の2人の学生服姿のコミカルイラストシールが追加されている。 * [[佐々木希]]バージョン ** 2010年8月12日の放送で佐々木が持参したリカちゃん。服は佐々木が番組で着用している制服と同じ。同年10月21日発売。通常の箱に森とは別バージョンのナインティナインの2人の学生服姿のコミカルイラストシールが追加されている。 * リカちゃんのご近所に住む?田山君 ** 2011年7月28日放送の公開と同時にクーポンサイト「日テレグルチケ」で8月4日まで限定販売。この人形はリカちゃんではなく、番組の詰襟制服を着た、俳優・[[田山涼成]]をモデルにしている。身長は30cm。注文数1000体を達成したら商品化の予定だったが120体までしか達せず<ref>日テレグルチケ「ぐるナイ『ゴチになります!』× リカちゃんコラボ企画 第3弾!!田山くん人形 購入希望 1000体以上で商品化!!」より。</ref>、2011年8月18日放送回において、[[羽鳥慎一]]から発売中止が発表され、更に今回のクーポンサイトでの最多購入地域は田山の地元・[[愛知県]]という事も発表されている。 === アイリッシュドレスデンリカちゃん=== 1992年、リカちゃん生誕30周年記念ドールとして発売された。陶器製。パート1と2があった。 === リカちゃんキーホルダー・ストラップ === 身長10cmくらいのリカちゃんの[[キーホルダー]]と[[ストラップ]]。髪は植毛ではなく成型品だが、服は布製で着せ替えができる。 1992年、リカちゃん生誕25周年記念で初代リカちゃんが復刻された際に、初代リカちゃんをそのまま縮小したデザインで制作販売されたキーホルダーが最初。その後、タイアップ商品である[[琉球リカちゃん]]キーホルダー・ストラップが35万個も売れたのを受け、全国各地から様々なご当地リカちゃんキーホルダーやストラップが次々に発売されるようになった。現在ではどれぐらいの種類があるのか全て把握するのは困難な程に、全国で様々な企業や公共機関とのタイアップ商品が続々と発売されている。このキーホルダーやストラップだけを専門に集めるコレクターも存在する。 === ぬいぐるみ === * Steiff Licca Teddy *: [[マルガレーテ・シュタイフ]]製。リカちゃん生誕35周年の2002年に発売されたリカちゃんをテーマとしたテディベア。 * リカちゃんドリームケース *: [[マルガレーテ・シュタイフ]]製。リカちゃん生誕40周年の2007年に発売された、リカちゃんをテーマとしたテディベアとベア用ドレスのセット。 === リカヴィネ === {{See|リカヴィネ}} === 種苗 === * 虹色スミレ *: サカタのタネとの共同企画展開。2004年、[[パンジー]]の新品種「虹色スミレ with Licca」の苗と、数量限定の記念人形「虹色スミレリカちゃん」が同時発売され、「虹色スミレ with Licca」については2010年5月末の企画終了まで毎年新色の品種が発売された。各売上金の一部は[[骨髄バンク]]に寄付された。 == 関連サービス == === リカちゃん電話 === {{出典の明記|date=2011年8月|section=1}} 1968年10月から開始された<ref name=Impress070523>[https://bb.watch.impress.co.jp/cda/items/18179.html 気になる! itemズ パソコンにつないでリカちゃんとテレビ電話を楽しもう!]、[[Impress Watch]]、2007年5月23日 11:03。</ref>、リカちゃんの声が聞けるテレフォンサービス。1967年<ref name=Nikki020423>「『リカちゃん』35歳 ブランド成熟 男性もねらえ 芸能界・遊園地とコラボ」『[[日経流通新聞]]』2002年4月23日付、24頁。</ref>、タカラの本社の電話に一人の女の子から「リカちゃんいますか?」と電話がかかってきた事がきっかけで開設された<ref name=Impress070523 />。当初は人間(初期は女性社員、後にアルバイト)が応対していたが、1968年10月からテープによる自動応答となる。公式にはこの自動応答となった時期をもってリカちゃん電話の開設としている<ref>『リカちゃん 生まれます』pp.124-125</ref>。2002年時点で延べ通話数は1000万通話を超え<ref name=Nikki020423 />、2007年時点で月に約1万件の電話が来る<ref name=Impress070523 />。電話番号はサービス開始当時のものから変更されている。現在の番号は[[#外部リンク|外部リンク]]を参照のこと。<!--電話番号自体は記載しないでください--> タカラトミーも出資している[[東京都]][[葛飾区]]の[[コミュニティ放送|コミュニティFM]][[葛飾エフエム放送|かつしかFM]]では、朝の番組「モーニングジャーナル」内でリカちゃん電話のコーナーが設けられていた。 ====リカちゃん電話の声優 ==== * 初代:[[杉山佳寿子]]<ref>[https://www.aoni.co.jp/search/sugiyama-kazuko.html 杉山佳寿子のプロフィール]</ref>([[1968年]] - [[1997年]]<ref>『リカちゃん 生まれます』p.125</ref>) * 2代目:[[大野まりな]]<ref>[http://www.hormone.co.jp/peach/voice/oono.html 大野まりなのプロフィール]{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>(1997年 - 1999年) * 3代目:[[星河舞]]<ref>[http://www.terrafor.net/news_gmfnZrFyLO.html 【ネットの噂】リカちゃん電話 ]{{リンク切れ|date=2021年9月}} - 日刊テラフォー、2011年8月23日。</ref>(1999年? - 現在) ==== こぼれ話 ==== かつて、平良海上保安署(2019年現在の[[宮古島海上保安部]])の電話番号がリカちゃん電話のそれと酷似していたため、子供たちからの間違い電話が相次いだことがあった<ref>週刊朝日風俗リサーチ特別局(編著)『デキゴトロジー Vol.10 ホントだからたまんねえ!の巻』[[新潮社]]([[新潮文庫]])、1993年、31-33頁。ISBN 4-10-121120-5。</ref>。 ==== 都市伝説 ==== リカちゃん電話には、都市伝説が存在する。1人で留守番をしている女の子がリカちゃん電話にかけると、リカちゃんが「これからお出かけするところなのよ」という内容が流れる。もう1度電話すると「お出かけ中」、さらに電話すると「あなたの家の前よ」となり、段々近づいてくる。そして、最後は「今、あなたの後ろよ……」というのがオチで、[[メリーさんの電話]]という都市伝説のバリエーションである。この他に「3本足のリカちゃん人形」という怪談系都市伝説も存在する<ref>松山ひろし『3本足のリカちゃん人形 真夜中の都市伝説』イースト・プレス、2003年、pp.84-89</ref>。 === インターネットサービス === * リカちゃんタウンオンライン *: 2006年に開設された、リカちゃんの町をモデルにした子供向けのコミュニティサイト。 * @Licca *: 2006年に開設された女性向け[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]。リカちゃんの[[アバター]]が利用できる。 * i Love リカちゃん *: [[iモード]]向けサービス。リカちゃんの待ち受け画像等を配布。 * メロディーコールリカちゃん *: iモード向けサービス。リカちゃんの着ボイス等を配布。 == 派生作品 == === 音楽作品 === * [[小林由紀子 (歌手)|涼川真里(真理)(後に小林由紀子に改名)]]が、「香山リカ」の変名で発表した<ref>「ある日…あるとき…リカちゃんは…」『よいこの太陽』1969年12月号。{{NDLJP|1728800/12}}</ref>楽曲。 ** リカちゃん(1969年、[[テイチクエンタテインメント|テイチク]]、歌:香山リカ) ** リカちゃんトリオ(1969年、テイチク、歌:香山リカ、いづみ、わたる) ** ママのうた/ママ遠くへ行かないで(1970年、テイチク、歌:香山リカ) ** リカちゃん電話のテーマ(1971年、テイチク、歌:香山リカ) * リカちゃん人形の本名を芸名にしてデビューした少女歌手「[[香山リカ (歌手)|香山リカ]]」が歌唱する楽曲。 ** リカちゃんのタンゴ(1971年、[[東宝レコード]]、歌:香山リカ) - 少女歌手「香山リカ」(初代)のデビュー曲。B面は「ケッコンしたいパパ」。 ** リカちゃん音頭([[1974年]]、[[キングレコード]]、歌:香山リカ) - 少女歌手「香山リカ」(2代目)のデビュー曲。B面は「おうちに帰ろう」。 ** お医者さんブギ([[1975年]]、キングレコード、歌:香山リカ) - B面は「ママの写真」。 ** リカちゃんのクリスマス(1974年、キングレコード、歌:香山リカと[[ボニージャックス]]) * なかよしトリオの歌(1973年、歌:[[堀江美都子]]) * おしゃれなリカちゃん(1977年、日本コロムビア、作詞:柴田勝己、作・編曲:[[馬飼野康二]]、歌:[[ザ・チャープス]]、リカの声:杉山佳寿子) - 「ファッションペア リカとリナ」CMソング。B面は[[水木一郎]]、[[斉藤伸子]]の「[[クラリネットをこわしちゃった#日本語版|クラリネットをこわしちゃった]]」。 * リカちゃんてよんでね - リカのテーマ曲(1983年、歌:[[大和田りつこ]]) - LP「夢みるリカちゃん」の1曲目に収録。 * Dancin' LICCA Chan 〜リカのCMメドレー〜([[1986年]]、歌:[[小森まなみ]]とリカちゃんトリオ) * 夢少女リカ(1986年、歌:[[小森まなみ]]) * ガラスのダイアリー(1986年、歌:小森まなみ) * 永遠の少女たちへ(1992年、歌:Licca) * Dimanche et Fêtes(そよ風の少女〜リカちゃんに捧ぐ〜)(1998年、作曲:Paul de senneville、演奏:[[リチャード・クレイダーマン]]) * Perhaps or Really? Licca(2001年、歌:Licca with Happy Pappy) - Licca with Happy Pappyは、オーディションで選出された7人組女性ユニット。 * Lovely Lovely リカちゃん(歌:ラブ♥リカ) * おしゃれに恋して(2008年)- 2008年春のCMソングで初登場。2008年夏のキャンペーン「リカちゃんオリジナルDVDプレゼント」で貰えるDVDの中の「LICCA SWEET STORY」オープニング、エンディングでフルコーラスを聞く事が出来る。 ; アルバム * ワーイ!リカちゃん!(1970年頃、テイチク) - [[レコード|LP盤]]。 * 夢みるリカちゃん([[1983年]]、[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]) - LP盤。「ファミリー編」「青空編」の2種が発売された。 * リカちゃんおめでとう!私たちのアイドル(2007年、キングレコード) - リカちゃん誕生40周年を記念したベスト盤。 * Licca World Tour(2007年、[[ポニーキャニオン]]) - リカちゃんが世界中を旅するというテーマのキャンペーン「Licca World Tour」と連動した[[コンピレーション・アルバム]]。 === 書籍 === * LICCA WORLD TOUR(2008年)- タカラトミー公式サイト内に掲載された「リカ旅ブログ」を書籍化した写真集。ISBN 9784097263258 === アニメ === * リカちゃんの天気予報([[1976年]]) *: [[テレビ朝日|NET(現:テレビ朝日)]]で放送。それまでの「オーレおじさんの天気予報」([[としまえん|豊島園]][[一社提供]])に代わって開始。リカちゃんのアニメをバックに天気予報を流した。平日16時台の5分番組でスポンサーはタカラだった。 * リカちゃん ふしぎな不思議なユーニア物語([[1990年]]、キャラクターデザイン:[[高田明美]]、制作:[[亜細亜堂]]) *: [[OVA]](オリジナルビデオアニメ)。 * リカちゃん ふしぎな魔法のリング([[1991年]]、キャラクターデザイン:高田明美、制作:亜細亜堂) *: OVA。 * リカちゃんの日曜日([[1992年]]、キャラクターデザイン:高田明美、制作:亜細亜堂) *: OVA。 * リカちゃんとヤマネコ 星の旅([[1994年]]、キャラクターデザイン:高田明美、制作:亜細亜堂) *: 当初劇場公開作品として制作されたが、結局公開されずにお蔵入りになった。[[1997年]]にOVAとしてソフト化されている。 *: 上記4作は[[カートゥーンネットワーク]]や[[ファミリー劇場]]でも放映されている。4作品全てリカちゃん役は[[かないみか]]が担当した。 * [[スーパードール★リカちゃん]]([[1998年]]) * 人形アニメーション リカちゃん([[2007年]]) *: [[アニマックス|ANIMAX]]にて放映。セルやCGでなく実際のリカちゃん人形を用いた[[人形アニメ]]。リカちゃん役は[[星河舞]]が務めた。 * リカちゃんとプラネタリウムへGO!([[2008年]]、制作:株式会社サイエンスアート社) *: プラネタリウム専用作品。実際のリカちゃん人形を撮影して作られたスライド上映作品。 * ファンタジーリカちゃんシリーズ(アニメDVD付き商品) *: [[タツノコプロ]]製作。本家と同様、[[星河舞]]がリカちゃん役を担当。星河以外の声優は大幅に入れ替えられるケースとなる。「シンデレラひめリカちゃん」、「しらゆきひめリカちゃん」、「おやゆびひめリカちゃん」はオーディションで合格された声優が殆どが中心だったが、「マーメイドリカちゃん」のみ[[81プロデュース]]所属の声優が演じている。音響制作は、当初はBluetoothが務めていたが、同社は後に倒産したため「マーメイドリカちゃん」は[[HALF H・P STUDIO]]に変更された。また、これらに付属されているDVDのラインナップは以下のとおりである。 *: 「シンデレラひめリカちゃん」「しらゆきひめリカちゃん」「おやゆびひめリカちゃん」([[2011年]]) *: 「マーメイドリカちゃん」([[2012年]]) * [[トミカ絆合体 アースグランナー]]([[2020年]]、[[テレビ大阪]]) - 第16話で熊猫リン(声 - [[陶山恵実里]])が小さい頃に遊んでいた際、リカちゃん人形が置いてあることが発覚。 === ぬいぐるみ人形劇(着ぐるみ人形劇) === 「劇団ピッカリ座 ぬいぐるみ人形ファンタジー」は、『出演:リカちゃん』のビデオテロップと共に、ジャケット裏表紙にリカちゃんからのコメントが掲載されている。本編はぬいぐるみ(着ぐるみ)のリカちゃんがそれぞれの物語の主人公を演じている。 * オリジナル版'''(※1991年発売、VHSのみ。2019年現在 全て廃盤)''' ** 発売・販売 - (株)ジャパド、(株)タカラ(タカラ映像事業部) ** 価格 - 3,900円(税抜き) * 再発売廉価版'''(※1997年-2000年発売、VHSのみ。2019年現在 全て廃盤)''' ** 発売・販売 - (株)ピーエスジー&(株)タカラ(タカラ映像事業部) ** 価格 - 1,800円(税抜き) * タイトルの(   )内は廉価版の品番 ** Vol.1 白雪姫と七人の小人 YPV-1001(PPJ-01) ** Vol.3 不思議の国のアリス YPV-1003(PPJ-03) ** Vol.5 シンデレラ姫 YPV-1005(PPJ-05) === 漫画 === ここに記載した以外に、[[講談社]]や[[小学館]]の幼児誌に不定期にリカちゃんの漫画が掲載されることがある。 * リカちゃんトリオ(1968年 - 1969年、講談社 [[少女フレンド]]連載、作:細野みち子) * [[スーパードール★リカちゃん]](1998年 - 1999年、講談社 [[なかよし]]連載、作:[[征海未亜]]) === ゲーム === * [[闘神伝|にとうしんでん]]([[1996年]]、タカラ) *: [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]用[[対戦型格闘ゲーム]]。選択可能キャラクターのひとりとしてリカちゃんが参戦している。声優は[[高橋里華]]。 * [[ドリームミックスTV ワールドファイターズ]]([[2003年]]、[[ハドソン]]) *: [[PlayStation 2]]と[[ニンテンドーゲームキューブ]]用[[対戦アクションゲーム]]。選択可能キャラクターのひとりとしてリカちゃんが参戦している。声優は[[松本美和]]。 * [[キラキラ♥アイドル リカちゃん]]([[2006年]]、[[日本システム]]) *: [[アーケードゲーム|アーケード]]向け[[カードゲーム]]。[[2007年]][[11月30日]]にサービス終了。 * [[リカちゃんDS おんなのこレッスン〜オシャレもおしごともおまかせ!〜]]([[2007年]]、タカラトミー) *: [[ニンテンドーDS]]用[[シミュレーションゲーム]]。リカちゃんと一緒に、おしゃれや憧れの仕事、マナーレッスンを体験できるゲーム。 * [[リカちゃんDS もっと!おんなのこレッスン オシャレ・おしごと・おてつだいだいすき!]]([[2009年]]、タカラトミー) *: ニンテンドーDS用シミュレーションゲーム。「リカちゃんDS おんなのこレッスン」の続編。 * [[コーデアイドル★リカちゃん]]([[2011年]]、[[タカラトミーエンタメディア]]) *: [[GREE]]用シミュレーションゲーム。 * [[リカちゃんマイルーム]]([[2012年]]、タカラトミーエンタメディア/[[モバイルファクトリー]]) *: GREE用シミュレーションゲーム。最新作。 === ミュージカル === * [[1999年]]12月 - [[2000年]]1月に公演。出演は[[桂亜沙美]]、[[樋口智恵子]]、[[かかずゆみ]]、[[木村亜希子]]など。 === タレント === * アイドルリカちゃん<ref>[https://web.archive.org/web/19990831172209/http://takaratoys.co.jp:80/JOY/i_licca.htm コンピューターグラフィックスが生んだ、対話のできる“リカちゃん”「アイドルリカちゃん」ご案内]、株式会社タカラの旧ホームページより。(インターネットアーカイブのキャッシュ)</ref> *: [[1997年]]に登場。CGによる[[バーチャルアイドル]]で、「マルチタレントなリカちゃん」という設定。[[ホリプロ]]所属。[[中嶋ミチヨ]]が歌うテーマソングも存在する。 * [[Licca]] *: [[2002年]]に生誕35周年を記念して結成されたアイドルユニット。ホリプロに所属の[[酒井彩名]]・[[あびる優]]・[[木南晴夏]]の3人で構成され、2003年までの期間限定で活動を行なった。 * [[HGS (アイドルグループ)|HGS]] === 広告 === * [[旭化成]]ホームズ *: [[1996年]]、ヘーベルハウス二世帯住宅の広告イメージキャラクターとして採用。新聞・雑誌誌上に掲載。 * [[東日本旅客鉄道|JR東日本]] *: 1997年、車内マナー広告のイメージキャラクターとして採用。駅構内や電車社内の広告ポスターなどに出演。キャッチフレーズは「譲ってくれてありがとう」「乗る前にスイッチ切ってくれてありがとう」など多数。 * [[岡山理科大学]] *: [[1998年]]より同校のイメージキャラクターとして採用。同年から数年間、[[新幹線]][[岡山駅]]プラットホームの広告看板などに出演。キャッチフレーズは「リカ、大学に行きます」など多数。 * [[チーム・マイナス6%]]事務局 *: 2007年、リカちゃんを使って、家の中での温暖化対策の取組みをわかりやすく展示するイベント「リカちゃんの“うちエコ!”ハウス」を開催。 * [[日産自動車]] *: 2007年、新型「[[日産・スカイライン|スカイライン]]」のオフィシャル広報キャラクターとして採用。 * [[ホットペッパー (フリーペーパー)|ホットペッパー]] *: 2007年、「ホットペッパー・ビューティー」のイメージキャラクターとして採用。[[コンピュータグラフィックス|CG]]で作成された様々な髪型のリカちゃんの写真が掲載され、[[ブログ]]パーツも配布された。 * [[全国農業協同組合連合会|JA全農]]グループ佐賀 *: 2008年、[[佐賀県]]産[[イチゴ]]「[[さがほのか]]」のイメージキャラクターとして採用。リカちゃんが掲載された4種類のポスターが制作され、全国の青果店やスーパーマーケットの果物売場等に掲載された。2010年からはパッケージフィルムにもリカちゃんの写真を印刷したものを採用。2011年にはキャンペーンの一環としてオリジナルグッズも限定制作されている<ref>[https://jasaga.or.jp/agriculture/nousanbutsu/ichigo JAさ が さがいちご公式HP]</ref>。2020年に引退となった。 * [[三菱地所]]、[[三菱地所レジデンス|藤和不動産]] *: 2009年、両社が共同開発した[[神奈川県]][[相模原市]]の分譲マンションのイメージキャラクターとして採用。 * [[阪神住建]] *: 2010年、[[大阪府]][[大阪市]]の分譲マンションのイメージキャラクターとして採用。 * [[エステー]] *: 2011年、「ムシューダ」「かおりムシューダ」のCMに登場。CMキャラクターである、[[ムッシュ熊雄]]と熊真呂と共演する。 * [[資生堂]] *: 2011年、「dプログラム」のイメージキャラクターとして採用。 * [[NTTドコモ]] *: 2014年、「カケホーダイ&パケあえる」のイメージキャラクターとして採用。CM、新聞広告、屋外広告にリカちゃんファミリーで出演した。 :: ショップにも非売品のドコモショップの制服を着用したリカちゃんが展示された。 * [[パナホーム]] *: 2015年、パナホーム「家族の幸せ応援キャンペーン」のイメージキャラクターとして採用。同社の公式サイトに「パナホーム×リカちゃん コラボサイト」を開設<ref>[http://www.panahome.jp/licca/index.html パナホーム×リカちゃん コラボサイト]{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。リカちゃんファミリーも出演している。 * [[かどや製油]] *: 2017年、ともに発売50周年に当たる純正ごま油の広告に起用<ref>[https://www.kadoya.com/50th/tabid/329/Default.aspx かどや製油 純正ごま油発売50周年サイト]{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。 * [[数字選択式全国自治宝くじ]] *: 2017年、[[ビンゴ5]]のCMにリカちゃんファミリーとともに出演<ref>[https://www.takarakuji-official.jp/bingo5-cp/cm/ BINGO5公式サイト CM紹介]</ref><ref>[[YouTube]] [https://www.youtube.com/watch?v=LdMrapThhfI ビンゴ5 リカちゃん篇 30秒]{{リンク切れ|date=2021年9月}}</ref>。 === ラッピングバス === * タカラトミーの本社が所在する[[葛飾区]]は、タカラトミーと[[京成バス]]の協力で、2018年3月17日から「リカの好きなまちかつしかラッピングバス」を、[[京成バス金町営業所#亀有線|新小53系統]]([[亀有駅]] - [[京成立石駅|立石駅]]入口 - [[青砥駅]]入口 - [[新小岩駅]]東北広場 )にて運行を開始した。ラッピングデザインはピンク系とパープル系の2種となり、車内アナウンスの一部もリカちゃんが担当している。タカラトミーの子会社である[[トミーテック]]も、2018年7月に[[バスコレクション]]にて「リカの好きなまちかつしかラッピングバス」を発売した<ref>[http://www.katsushika-kanko.com/news/updates/post_1999.php リカちゃんラッピングバス、運行開始します!] かつまるガイド 2018年3月14日</ref><ref>[https://www.tomytec.co.jp/diocolle/items/pdf/newitem_20180315_03.pdf トミーテック新製品インフォメーション リカちゃんラッピングバスデビュー記念!2種類同時発売!!] トミーテック 2018年3月15日</ref><ref>[https://response.jp/article/2018/03/17/307366.html リカちゃんラッピングバス出発進行---アナウンスもリカちゃん] レスポンス 2018年3月17日</ref>。 === コラボレーション === * ジェニー カレンダーガール 2004 日本文化史THE流行 8月 リカちゃん ジェニー *: リカちゃんのファッションをしたジェニー。 * 「リカちゃん♥カモノハシのイコちゃんストラップ」、「リカちゃん♥カモノハシのスマートイコちゃんストラップ」([[2009年]](平成21年)[[12月22日]]発売)<ref>[https://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174616_799.html JR西日本 - プレスリリース]{{リンク切れ|date=2021年9月}}『リカちゃん♥カモノハシのイコちゃんストラップ』 『リカちゃん♥カモノハシのスマートイコちゃんストラップ』 12月22日に販売開始</ref> *: [[西日本旅客鉄道|JR西日本]]が発行する[[ICカード]]「[[ICOCA]]」の[[マスコット]][[キャラクター]]、「[[カモノハシのイコちゃん]]」を抱きかかえたリカちゃん。 * リカちゃん・[[MEG (歌手・ファッションデザイナー)|MEG]]モデル *: ミュージシャン MEGをモチーフとしたリカちゃん。ライブDVD「MEG PREMIUM LIVE "PARTY"(2009年2月25日発売)」の初回限定ボックスに同封されている。このリカちゃんは、MEG「FREAK - [[中田ヤスタカ]] remix」のPVにも登場し、バンド演奏もしている(リカちゃんキャッスルで撮影。監督は[[宇川直宏]])。 * リカちゃん×初音ミク *: [[初音ミク]]とコラボとした「初音ミクリカちゃん」が2013年7月に発売され、11月にコラボ第2弾として「リカちゃん 雪ミク Magical Snow Ver.」が発表された<ref>[https://kyodonewsprwire.jp/release/201311256543 リカちゃん×初音ミク コラボ第二弾!「リカちゃん 雪ミク Magical Snow Ver.」11/25(月)予約開始 - 共同通信PRWire]. 2013年11月25日(2021年9月1日閲覧)</ref>。 * くまモン×リカちゃん *: ゆるキャラ [[くまモン]]と一緒に「[[熊本県|くまもと]]サプライズ」を広げる「くまモン隊」のお姉さんをイメージしたリカちゃん。くまモンのマスコットを抱きかかえられる仕様となっている。2014年発売<ref>[https://kyodonewsprwire.jp/release/201401247759 「リカちゃん」と「くまモン」コラボしたモン♪ 「くまモン×リカちゃん」 2/1(土) 新発売のご案内 - 共同通信PRWire]. 2014年1月24日(2021年9月1日閲覧)</ref>。 * プリパラらぁらリカちゃん *: 同じくタカラトミーが展開している、「[[プリパラ]]」の主人公「真中らぁら」をモチーフとしたリカちゃん。2014年12月に発売された。 * リカちゃん×ASIENCE *: 2017年にリカちゃん誕生50周年を迎えるにあたって、[[花王]]のヘアケア製品『[[アジエンス|ASIENCE]]』とコラボレーション。同年6月にリカちゃんのパッケージを配した限定商品を販売。それに先駆け、同年3月22日より松屋銀座店で開催された「誕生50周年記念 リカちゃん展」にて“ASIENCEコラボ・リカちゃんドール”が展示された<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000547.000009276.html|title=今年50周年をむかえる「リカちゃん」 と 「アジエンス」のコラボレーションが決定!|publisher=PR TIMES|date=2017-03-17|accessdate=2017-03-23}}</ref>。 * 浅田真央・リカちゃん人形セット(記念[[フレーム切手]]セット付) *: リカちゃん誕生50周年記念商品。[[フィギュアスケート]]選手の[[浅田真央]]とコラボレーション。2013年 - 2014年シーズンのフリープログラムで着用した青い衣装を浅田自らが監修したものをリカちゃんが着ている。上記銀座松屋会場及び[[日本郵便]]が販売<ref>{{PDFlink|[https://www.post.japanpost.jp/notification/pressrelease/2017/00_honsha/0316_01_01.pdf 浅田真央・リカちゃん人形セット(記念フレーム切手付)」の販売開始]}} - 日本郵便株式会社、2017年3月16日配信、同年5月5日閲覧。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.j-cast.com/trend/2017/03/23293711.html|title=リカちゃんと浅田真央のコラボが実現!フレーム切手セット付スペシャルBOX|publisher=J-CASTトレンド|date=2017-03-23|accessdate=2017-03-23}}</ref>。 * 鬼滅の刃×リカちゃん *: 2020年12月3日、『[[鬼滅の刃 (アニメ)|鬼滅の刃]]』とのコラボレーションドール「鬼滅の刃 竈門炭治郎×はるとくん」と「鬼滅の刃 竈門禰豆子×リカちゃん」を2021年5月下旬に発売すると発表した<ref>[https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2012/03/news118.html 「鬼滅の刃」と「リカちゃん」がコラボ なぜ? : リカちゃんが禰豆子に - ITmedia ビジネスオンライン]. 2020年12月3日(2021年9月1日閲覧)</ref><ref>[https://hobby.watch.impress.co.jp/docs/news/1292780.html 「鬼滅の刃」と「リカちゃん」のコラボレーションドールが2021年5月下旬に発売! - HOBBY Watch]. 2020年12月3日(2021年9月1日閲覧)</ref>。予約分は即完売し<ref>[https://www.lmaga.jp/news/2020/12/189854/ 鬼滅の刃がリカちゃんに? 予約即完売も「違和感ハンパない」 » Lmaga.jp]. 2020年12月4日(2021年9月1日閲覧)</ref>、2021年6月24日より再販が開始された<ref>[https://hobby.watch.impress.co.jp/docs/news/1333970.html 「鬼滅の刃」×リカちゃん、コラボドールが販売再開 - HOBBY Watch]. 2021年6月25日(2021年9月1日閲覧)</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 外部リンク == * {{Official website}} * [https://licca.takaratomy.co.jp/official/ LICCA KAYAMA OFFICIAL | リカちゃん オフィシャル情報サイト] * {{Twitter|bonjour_licca|リカちゃん 公式 *♬}} * {{Instagram|bonjour_licca|リカちゃん【公式】- LICCA KAYAMA -}} * {{Instagram|seventeen_licca|【公式】リカちゃん新シリーズ「#Licca」}} * {{YouTube|handle=Licca-chan_official}} * {{日本タレント名鑑}} * [https://liccacastle.co.jp/ リカちゃんキャッスル公式サイト] * [https://licca.takaratomy.co.jp/stylishlicca/index.html LiccA(大人女性向けリカちゃんブランド公式サイト)] {{亜細亜堂}} {{望月智充監督作品}} {{大野まりな}} {{デフォルトソート:りかちやん}} [[Category:リカちゃん|*]] [[Category:めばえ]] [[Category:幼稚園 (雑誌)]] [[Category:たのしい幼稚園]] [[Category:着せ替え人形]]
2003-03-31T05:31:42Z
2023-12-05T13:24:57Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93
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ラトルズ
ラトルズ(The Rutles)は、エリック・アイドルやニール・イネスらがテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』で演じたビートルズのパロディ・バンド。 『ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン』(RUTLAND WEEKEND TELEVISION)は、モンティ・パイソンのエリック・アイドル(出演・脚本)とボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドのニール・イネス(出演・音楽)により、1975年にイギリスの BBC で始まったコメディ・テレビ番組。この番組の中での有名音楽アーティストのパロディや替え歌などの企画が、後のテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』のアイデア元となっている。 1975年5月26日の放送にニール・イネス演じるジョン・レノンによく似たシンガーが登場。白いピアノを弾きながらビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」に似た曲を演奏する。この番組のサウンドトラック・アルバム『ラトランド・ウィークエンド・ソングブック』にこの曲が収録された際、この曲はロン・レノンの「ザ・チルドレン・オブ・ロックン・ロール」とクレジットされるが、後にラトルズの「グッド・タイムス・ロール」となる曲である。 1976年11月12日の放送に初めてラトルズが登場。エリック・アイドルやニール・イネスが演じるこのバンドが演奏する「I Must Be In Love」は、1960年代風の白黒映像でビートルズの映画やテレビ番組のワン・シーンのようなパロディ映像となっていた。 エリック・アイドルは、この番組を『ラトランド・ダーティ・ウィークエンド・ブック』として一冊にまとめた。この中にもラトルズが架空のシングル『Ticket To Rut』をリリースする広告が掲載されている。 イギリスでのラトルズ初登場に先立つ1976年10月2日、エリック・アイドルは、アメリカNBCの人気コメディ・バラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』にホスト役として出演し、ラトルズの「I Must Be In Love」を紹介。これがプロデューサーの目に留まり、『サタデー・ナイト・ライブ』の特別番組として「架空」のバンドであるラトルズの栄光の足跡をたどるテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』が制作されることになる。 1977年4月23日の放送では、エリック・アイドルが二度目のホスト役となり、ニール・イネスがゲスト出演。元ラトルズのロン・ナスティとして紹介され「チーズ・アンド・オニオン」を演奏した。この時の演奏はビートルズの海賊盤に収録されたことがあり、ジョン・レノンの未発表曲ではないかと噂されたこともあった。またニールは当時の最新アルバムからの曲として「シャングリラ」(後にラトルズでリメイク)も演奏した。 1978年3月22日に全米NBC系列で放送されたこのテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』(THE RUTLES in ALL YOU NEED IS CASH)の内容は、ロン・ナスティ(ニール・イネス:ジョン・レノン)、ダーク・マックィックリー(エリック・アイドル:ポール・マッカートニー)、スティッグ・オハラ(リッキー・ファター:ジョージ・ハリスン)、バリー・ウォム(ジョン・ハルシー:リンゴ・スター)の4人が出会い、世界一のロック・バンドに成長していくというビートルズに起こったできごとをモキュメンタリー(ドキュメンタリー・タッチのフィクション)の手法で制作している。 日本でも1978年11月3日(金)23時10分 - 0時35分に東京12チャンネルで吹き替え『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ~金こそすべて(四人もアイドル)』が放送された。エリック・アイドルは「空飛ぶモンティ・パイソン」の広川太一郎が担当した。 ローリング・ストーンズのミック・ジャガーやサイモン&ガーファンクルのポール・サイモンのラトルズについてのパロディ・インタビューやパンク少年役のロン・ウッド、そしてパロディの対象で当事者でもあるビートルズのジョージ・ハリスン本人もテレビ・レポーター役で登場する。他にもブルース・ブラザーズ(ジョン・ベルーシ/ダン・エイクロイド)など豪華なゲストが出演している。また、作品中ダーク・マックィクリーの歌声と楽曲のギター演奏を行っていたオリー・ハルソール自身も初期メンバーのレポ役で少しだけ横顔が映っている。 パロディとはいえ、脚本や映像はビートルズをよく研究しており、特にニール・イネスとエリック・アイドルの演技や仕草はそっくりである。また、静かなビートルと言われたジョージ・ハリスンを意識してか、スティッグ・オハラにいたっては、演奏シーンを除いて一言も声を発していない。レノンによるキリスト発言などのパロディシーンも存在する。 音楽的にもビートルズを彷彿とさせる楽曲がこの特別番組のために作られ、アルバムやシングルも発表された。これらの曲はニール・イネスの高い音楽性により単なるモノマネに止まらないすばらしい完成度を誇っており、その年のグラミー賞コメディ音楽部門にノミネートされた。 『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』以後、ラトルズとしての活動はなかったが、1990年に完全版CDがリリース。1991年アメリカのガレージバンドが集まりトリビュート・アルバムが制作された。日本のバンド、少年ナイフも1曲参加している。 1996年にはビートルズのアンソロジー・プロジェクトに呼応し、ラトルズも再結成されアルバム『アーキオロジー』を発表。シングル「シャングリ・ラ」のプロモーション・ビデオも作られた(エリック・アイドルは不参加)。 2002年『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』にエリック・アイドルのコメントとゲストのインタビューが加えられた "RUTLES 2" が制作された。 2008年3月17日ハリウッドで開催されたMods & Rockers Film Festivalでは、30周年を記念してラトルズを招待。インタビュー形式のトーク・ショーが行われたが、オリジナル・メンバーの4人が揃って公の場に出たのはこれが初めてであった。 ラトルズの楽曲は、現在でもイネスのソロ・ライブで演奏され、時おりメンバー不定のロン・ナスティ&ザ・ニュー・ラトルズとしてライブ活動も行なわれている。 2019年12月29日にイネスが心臓発作により死去。享年75。 日本版のVHS、LD、DVDはすべて字幕。『モンティー・パイソンのザ・ラットルズ』『ザ・ラットルズ~金こそすべて』『ラトルズ 4人もアイドル!』等の邦題が付けられている。それぞれに微妙にカットが異なる部分があり、収録時間の違いもあるが、ほぼ同じ内容と言っても良い。 再結成アルバム『アーキオロジー』からのシングル・カット曲「シャングリ・ラ」のプロモーション・ビデオ。エリック・アイドルは参加していない。 アメリカ発売のDVD。ALL YOU NEED IS CASHに新たなエリック・アイドルによるコメントとゲストのインタビューを加えたもの。イギリスや日本は未発売。
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ラトルズは、エリック・アイドルやニール・イネスらがテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』で演じたビートルズのパロディ・バンド。
{{複数の問題 | 出典の明記 = 2021年9月4日 (土) 08:08 (UTC) | 独自研究 = 2021年9月4日 (土) 08:08 (UTC) | 大言壮語 = 2021年9月4日 (土) 08:08 (UTC) }} {{Infobox Musician <!-- See Wikipedia:WikiProject Musicians --> | 名前 = ラトルズ | 画像 = Rutles_comic.jpg | 画像説明 = | 画像サイズ = <!-- Only for images narrower than 220 pixels --> | 画像補正 = | 背景色 = group_or_band | 出身地 = {{ENG}}・[[ロンドン]] | ジャンル = {{Hlist-comma|[[ポップ・ロック]]<ref name="AM">{{AllMusic |first=Richie |last=Unterberger |title=The Rutles Biography, Songs & Albums |class=artist |id=mn0000897214/biography |accessdate=2021-09-04 }}</ref>|[[コメディ・ロック]]<ref name="AM" />|[[パロディ音楽]]<ref name="AM" />}} | 活動期間 = {{Plainlist| * [[1975年]] - [[1978年]] * [[1996年]] - [[1997年]] * [[2002年]] - [[2019年]] }} | レーベル = {{Hlist-comma|[[ワーナー・レコード|ワーナー・ブラザース]]|[[ライノ・エンタテインメント|ライノ]]|[[ヴァージン・レコード|ヴァージン]]}} | 公式サイト = [https://www.rutles.org/ The Rutles Tragical History Tour] | メンバー = {{Plainlist| * [[ジョン・ハルシー]] * ケン・ソーントン * フィル・ジャクソン * {{仮リンク|デイビット・カトリン・バーチ|en|David Catlin-Birch}} }} | 旧メンバー = {{Plainlist| * [[エリック・アイドル]] * {{仮リンク|リッキー・ファター|en|Ricky Fataar}} * [[オリー・ハルソール]] * {{仮リンク|デビッド・バットリー|en|David Battley}} * {{仮リンク|ミッキー・シモンズ|en|Mickey Simmonds}} * {{仮リンク|マーク・グリフィスス|en|Mark Griffiths}} * [[ニール・イネス]] * [[ビリー・ブレムナー (ミュージシャン)|ビリー・ブレムナー]] * アンディ・ブラウン * ロジャー・レティグ * ブライアン・ホジソン * J.J.ジョーンズ * ジェイ・グッドリッチ }} }} '''ラトルズ'''<ref group="注釈">'''ラットルズ'''とも表記される。日本では東京12チャンネルはラットルズ、ワーナーパイオニアはラトルズと日本語転写に揺らぎがある。</ref>(''The Rutles'')は、[[エリック・アイドル]]や[[ニール・イネス]]らがテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』で演じた[[ビートルズ]]の[[パロディ]]・[[バンド (音楽)|バンド]]<ref name="cdj">{{Cite web|和書|title=ザ・ラトルズ - プロフィール |url=https://artist.cdjournal.com/a/the-rutles/134318 |website=CDJournal |publisher=株式会社シーディージャーナル |accessdate=2021-09-04 }}</ref>。 == 来歴 == === 『ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン』 === 『'''ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン'''』(''RUTLAND WEEKEND TELEVISION'')は、[[モンティ・パイソン]]の[[エリック・アイドル]](出演・脚本)と[[ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド]]の[[ニール・イネス]](出演・音楽)により、1975年に[[イギリス]]の [[英国放送協会|BBC]] で始まった[[喜劇|コメディ]]・テレビ番組。この番組の中での有名音楽アーティストの[[パロディ]]や[[替え歌]]などの企画が、後のテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』のアイデア元となっている。 1975年5月26日の放送に[[ニール・イネス]]演じる[[ジョン・レノン]]によく似たシンガーが登場。白いピアノを弾きながらビートルズの「[[ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ]]」に似た曲を演奏する。この番組の[[サウンドトラック]]・[[アルバム]]『ラトランド・ウィークエンド・ソングブック』にこの曲が収録された際、この曲はロン・レノンの「ザ・チルドレン・オブ・ロックン・ロール」とクレジットされるが、後にラトルズの「グッド・タイムス・ロール」となる曲である。 1976年11月12日の放送に初めてラトルズが登場。エリック・アイドルやニール・イネスが演じるこのバンドが演奏する「I Must Be In Love」は、1960年代風の白黒映像でビートルズの映画やテレビ番組のワン・シーンのようなパロディ映像となっていた。 エリック・アイドルは、この番組を『ラトランド・ダーティ・ウィークエンド・ブック』として一冊にまとめた。この中にもラトルズが架空のシングル『Ticket To Rut』をリリースする広告が掲載されている。 === 『サタデー・ナイト・ライブ』 === イギリスでのラトルズ初登場に先立つ1976年10月2日、エリック・アイドルは、アメリカ[[NBC]]の人気コメディ・バラエティ番組『[[サタデー・ナイト・ライブ]]』にホスト役として出演し、ラトルズの「I Must Be In Love」を紹介。これがプロデューサーの目に留まり、『サタデー・ナイト・ライブ』の特別番組として「架空」のバンドであるラトルズの栄光の足跡をたどるテレビ映画『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』が制作されることになる。 1977年4月23日の放送では、エリック・アイドルが二度目のホスト役となり、ニール・イネスがゲスト出演。元ラトルズのロン・ナスティとして紹介され「チーズ・アンド・オニオン」を演奏した。この時の演奏はビートルズの[[海賊版|海賊盤]]に収録されたことがあり、ジョン・レノンの未発表曲ではないかと噂されたこともあった。またニールは当時の最新[[アルバム]]からの曲として「シャングリラ」(後にラトルズでリメイク)も演奏した。 === 『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』 === {{基礎情報 テレビ番組 | 番組名 = オール・ユー・ニード・イズ・キャシュ | 画像 = <!--入力例:Example.svg--> | 画像サイズ = <!--pxを含まない入力例:200--> | 画像サイズ自動補正比 = | 画像の代替テキスト = | 画像説明 = | 別名 = | ジャンル = [[モキュメンタリー]] | 原作 = | 原案 = | 企画 = | 構成 = | 脚本 = [[エリック・アイドル]] | 台本 = | 総監督 = | 監督 = {{Plainlist| * エリック・アイドル * {{仮リンク|ゲイリー・ウェイス|en|Gary Weis}} }} | 演出 = | 監修 = | クリエイティブ・ディレクター = | 司会者 = | 出演者 = {{Plainlist| * エリック・アイドル * ニール・イネス * ジョン・ハルシー * リッキー・ファター * [[ジョージ・ハリスン]] * [[ミック・ジャガー]] * [[ポール・サイモン]] * [[ロン・ウッド]] * [[ジョン・ベルーシ]] * [[ダン・エイクロイド]]}} | ナレーター = | アナウンサー = | テーマ曲作者 = | 音楽 = ニール・イネス | 国・地域 = <!--「製作」ヘッダ--> | 製作総指揮 = [[ローン・マイケルズ]] | プロデューサー ={{Plainlist| * クレイグ・ケレム * ゲイリー・ウェイス }} | 制作プロデューサー = | 撮影地 = | 撮影監督 = ゲイリー・ウェイス | 撮影体制 = | 編集 = {{仮リンク|アビバ・スレージン|en|Aviva Slesin}} | 制作 = | 製作 = | 配給 = {{Plainlist| * {{Flagicon|UK}} [[NBC]] * {{Flagicon|USA}} [[BBC Two]] }} | 製作費 = <!--「放送」ヘッダ--> | ヘッダ = 放送 <!--既定値は「放送」--> | ネット配信 = | 放送チャンネル = <!--「放送局」も使用可--> | 映像形式 = | 音声形式 = | 放送国 = {{Plainlist| * {{UK}} * {{USA}} }} | 放送期間 = 1978年3月22日 | 放送時間 = | 放送枠 = | 放送分 = 76分 | 放送回数 = | 外部リンク = | 外部リンク名 = <!--既定値は「公式ウェブサイト」--> | 副次的外部リンク = | 副次的外部リンク名 = <!--既定値は「公式ウェブサイト2」--> <!--シリーズ番組ヘッダ--> | ヘッダ1 = | ネット配信1 = | 司会者1 = | 出演者1 = | 審査員1 = | 声の出演1 = | ナレーター1 = | アナウンサー1 = | OPテーマ1 = | EDテーマ1 = | 放送チャンネル1 = <!--「放送局1」も使用可--> | 映像形式1 = | 音声形式1 = | 放送国1 = | 放送期間1 = | 放送時間1 = | 放送枠1 = | 各話の長さ1 = <!--「放送分1」も使用可--> | 放送回数1 = | 外部リンク1 = | 外部リンク名1 = <!--既定値は「公式ウェブサイト」--> <!--以下、数字は「20」まで--> <!--「番組年表」ヘッダ--> | 前作 = | 次作 = | 関連番組 = <!--脚注--> | 特記事項 = }} 1978年3月22日に全米NBC系列で放送されたこのテレビ映画『'''オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ'''』(''THE RUTLES in ALL YOU NEED IS CASH'')の内容は、ロン・ナスティ(ニール・イネス:ジョン・レノン)、ダーク・マックィックリー(エリック・アイドル:[[ポール・マッカートニー]])、スティッグ・オハラ(リッキー・ファター:[[ジョージ・ハリスン]])、バリー・ウォム(ジョン・ハルシー:[[リンゴ・スター]])の4人が出会い、世界一の[[ロック (音楽)|ロック]]・バンドに成長していくというビートルズに起こったできごとを[[モキュメンタリー]]([[ドキュメンタリー]]・タッチの[[フィクション]])の手法で制作している。 日本でも1978年11月3日(金)23時10分 - 0時35分に[[テレビ東京|東京12チャンネル]]で吹き替え『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ~金こそすべて(四人もアイドル)』が放送された。エリック・アイドルは「空飛ぶモンティ・パイソン」の広川太一郎が担当した。 [[ローリング・ストーンズ]]の[[ミック・ジャガー]]や[[サイモン&ガーファンクル]]の[[ポール・サイモン]]のラトルズについての[[パロディ]]・インタビューや[[パンク・ロック|パンク]]少年役の[[ロン・ウッド]]、そして[[パロディ]]の対象で当事者でもある[[ビートルズ]]の[[ジョージ・ハリスン]]本人もテレビ・レポーター役で登場する。他にも[[ブルース・ブラザーズ]]([[ジョン・ベルーシ]]/[[ダン・エイクロイド]])など豪華なゲストが出演している。また、作品中ダーク・マックィクリーの歌声と楽曲のギター演奏を行っていた[[オリー・ハルソール]]自身も初期メンバーのレポ役で少しだけ横顔が映っている。 パロディとはいえ、脚本や映像はビートルズをよく研究しており、特にニール・イネスとエリック・アイドルの演技や仕草はそっくりである。また、静かなビートルと言われた[[ジョージ・ハリスン]]を意識してか、スティッグ・オハラにいたっては、演奏シーンを除いて一言も声を発していない。レノンによる[[キリスト発言]]などのパロディシーンも存在する。 音楽的にもビートルズを彷彿とさせる楽曲がこの特別番組のために作られ、[[アルバム]]や[[シングル]]も発表された。これらの曲はニール・イネスの高い音楽性により単なるモノマネに止まらないすばらしい完成度を誇っており、その年の[[グラミー賞]]コメディ音楽部門にノミネートされた。 === 再結成 === 『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』以後、ラトルズとしての活動はなかったが、[[1990年]]に完全版[[コンパクトディスク|CD]]がリリース。[[1991年]]アメリカの[[ガレージロック|ガレージバンド]]が集まり[[トリビュート・アルバム]]が制作された。日本の[[バンド (音楽)|バンド]]、[[少年ナイフ]]も1曲参加している。 [[1996年]]にはビートルズのアンソロジー・プロジェクトに呼応し、ラトルズも再結成されアルバム『アーキオロジー』を発表<ref name="cdj" />。シングル「シャングリ・ラ」の[[プロモーション・ビデオ]]も作られた(エリック・アイドルは不参加)。 2002年『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』にエリック・アイドルのコメントとゲストのインタビューが加えられた "RUTLES 2" が制作された。 2008年3月17日ハリウッドで開催されたMods & Rockers Film Festivalでは、30周年を記念してラトルズを招待。インタビュー形式の[[トーク・ショー]]が行われたが、オリジナル・メンバーの4人が揃って公の場に出たのはこれが初めてであった。 ラトルズの楽曲は、現在でもイネスのソロ・ライブで演奏され、時おりメンバー不定のロン・ナスティ&ザ・ニュー・ラトルズとしてライブ活動も行なわれている<ref name="cdj" />。 2019年12月29日にイネスが心臓発作により死去。享年75<ref>{{Cite news |title=Neil Innes: Monty Python songwriter dies aged 75 |url=https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-50948921 |newspaper=BBC News |publisher=BBC |date=2019-12-30 |accessdate=2021-09-04 }}</ref>。 == メンバー == === 架空のラインナップ === * [[ニール・イネス|ロン・ナスティー]] (Ron Nasty) - [[ボーカル]]、[[ギター]]、[[鍵盤楽器]]、[[ハーモニカ]]、[[ベース (弦楽器)|ベース]](1960年 - 1969年) * [[エリック・アイドル|ダーク・マクィックリー]] (Dirk McQuickly) - ボーカル、ベース、ギター、鍵盤楽器、[[ドラムセット|ドラムス]](1960年 - 1970年) * {{仮リンク|リッキー・ファター|label=スディッグ・オハラ|en|Ricky Fataar}} (Stig O'Hara) - ギター、ボーカル、[[シタール]]、鍵盤楽器、ベース(1960年 - 1970年) * [[ジョン・ハルシー|バリー・ウォム]] (Barry Wom) - ドラムス、[[打楽器|パーカッション]]、ボーカル(1962年 - 1970年) === 実際のラインナップ === * [[ニール・イネス]](Neil Innes) - ボーカル、鍵盤楽器、ギター(1975年 - 1978年、1996年 - 1997年、2002年 - 2019年) * [[オリー・ハルソール]](Ollie Halsall) - ボーカル、ギター、鍵盤楽器(1975年 - 1978年) * {{仮リンク|リッキー・ファター|en|Ricky Fataar}}(Ricky Fataar) - ギター、ベース、ボーカル、シタール、[[タブラ]](1975年 - 1978年、1996年 - 1997年) * [[ジョン・ハルシー]](John Halsey) - ドラムス、パーカッション、ボーカル(1975年 - 1978年、1996年 - 1997年、2002年 - 2019年) * アンディ・ブラウン - ベース(1978年) == ディスコグラフィ == === アルバム === {{Main|ラトルズのディスコグラフィ}} *『ラトランド・ウィークエンド・ソングブック』 - ''The Rutland Weekend Songbook''(1976年)※エリック・アイドル&ニール・イネス名義 *『ラトルズがやって来た オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ (四人もアイドル)』 - ''The Rutles''(1978年) *『アーキオロジー』 - ''Archaeology''(1996年)※ラトルズ再結成時のアルバム。 *『生搾りライヴ (Live + Raw)』 - ''Live + Raw''(2014年)※ライブ・アルバム * ''The Wheat Album''(2018年) == フィルモグラフィ == === ALL YOU NEED IS CASH(TV)1978年 === 日本版のVHS、LD、DVDはすべて字幕。『モンティー・パイソンのザ・ラットルズ』『ザ・ラットルズ~金こそすべて』『ラトルズ 4人もアイドル!』等の邦題が付けられている。それぞれに微妙にカットが異なる部分があり、収録時間の違いもあるが、ほぼ同じ内容と言っても良い。 * 東京12チャンネル放送時吹替キャスト ** エリック・アイドル - [[広川太一郎]] ** [[マイケル・ペイリン]] - [[青野武]] ** [[ジョージ・ハリソン]] - [[古川登志夫]] ** [[ビアンカ・ジャガー]] - [[小宮和枝]] ** [[ジョン・ベルーシ]] - [[緒方賢一]] ** [[ダン・エイクロイド]] - [[玄田哲章]] ** [[ビル・マーレイ]] - [[鈴置洋孝]] ** [[ロン・ウッド]] - [[石丸博也]] ** [[テレンス・ベイラー]] - [[藤城裕士]] * インタビューに答える[[ミック・ジャガー]]などは原語を流用し、字幕を表示していた。 === Shangri-La(PV)1996年 === 再結成アルバム『アーキオロジー』からのシングル・カット曲「シャングリ・ラ」のプロモーション・ビデオ。エリック・アイドルは参加していない。 === THE RUTLES 2: Can't Buy Me Lunch(DVD)2002年 === アメリカ発売のDVD。ALL YOU NEED IS CASHに新たなエリック・アイドルによるコメントとゲストのインタビューを加えたもの。イギリスや日本は未発売。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[モキュメンタリー]] == 外部リンク == * [https://archive.is/20121209044407/http://www.neilinnes.org/rutles.htm Neil Innes サイトの The Rutles セクション] * [http://www.dailyllama.com/spam/audio/idle.html ERIC IDLE AUDIO RECORDINGS エリック・アイドル関連のアルバム] * [http://www.alicantespainhotels.com/en/terrascope.html It's a fab gear interview with RUTLES drummer BARRY WOM!(1992年9月バリー・ウォムのインタビュー)] * [http://www.rutlemania.org/ A History Of The Rutles] * {{Allcinema title|23658|オール・ユー・ニード・イズ・キャシュ}} * {{Amg movie|1597|THE RUTLES in ALL YOU NEED IS CASH}} * {{IMDb title|0077147|THE RUTLES in ALL YOU NEED IS CASH}} {{ラトルズ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:らとるす}} [[Category:イングランドのロック・バンド]] [[Category:架空の音楽グループ]] [[Category:コミックバンド]] [[Category:ビートルズ]] [[Category:1975年に結成した音楽グループ]] [[Category:2019年に解散した音楽グループ]] [[Category:パロディ音楽家]]
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エリーゼ
エリーゼ(Elise)は、ドイツ語圏などの女性名。エリザベトの短縮形に当たる。
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エリーゼ(Elise)は、ドイツ語圏などの女性名。エリザベトの短縮形に当たる。
'''エリーゼ'''(Elise)は、[[ドイツ語圏]]などの女性名。[[エリザベト (曖昧さ回避)|エリザベト]]の[[人名の短縮形|短縮形]]に当たる。 == 人物 == === 実在の人物 === * [[エリーゼ・エストラーダ]] - フィリピン出身のカナダの歌手。 === 架空の人物 === * エリーゼ・ルタス - 『[[テイルズ オブ エクシリア]]』の登場人物。 * エリーゼ・カタリーナ・フォン・ホーエンハイム - 『[[八男って、それはないでしょう!]]』の登場人物。 == その他 == *[[ロータス・エリーゼ]] - [[ロータス・カーズ]]が製造する自動車。 *[[エリーゼ (菓子)]] - [[ブルボン]]が販売している[[お菓子]]。 == 関連項目 == * [[エリス (曖昧さ回避)]] * [[エリーズ (曖昧さ回避)]] * [[エリザ (曖昧さ回避)]] * [[エリーゼのために (曖昧さ回避)]] *{{Prefix}} *{{intitle}} {{aimai}} {{DEFAULTSORT:えりいせ}} [[Category:ドイツ語の女性名]]
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細胞膜
細胞膜(さいぼうまく、cell membrane)は、細胞の内外を隔てる生体膜で、タンパク質が埋め込まれた脂質二重層によって構成される。形質膜や、その英訳であるプラズマメンブレン (plasma membrane) とも呼ばれる。細胞膜は、イオンや有機化合物に対する選択的透過性によって、細胞や細胞小器官への物質の出入りを制御している。それに加えて細胞膜は、細胞接着やシグナル伝達などさまざまなプロセスに関与し、細胞壁やグリコカリックスと呼ばれる炭水化物に富む層などの細胞外構造の接着表面として機能し、細胞骨格と呼ばれるタンパク質繊維の細胞内ネットワークにも関与する。合成生物学の分野では、細胞膜の人工的な再構成が行われている。 ロバート・フックは1665年に細胞を発見し細胞説を提唱したが、当時観察可能なのは植物細胞だけであったため、すべての細胞に固い細胞壁が存在すると誤解していた。顕微鏡学者たちは、顕微鏡が進歩するまで150年以上にわたって細胞壁に注目していた。19世紀初頭に植物細胞が分離できることが判明し、各細胞は、細胞壁で結合しているが連結されていない、別個の実体であることが認識されるようになった。細胞説は動物細胞へと拡張され、細胞の保護と成長のための普遍的なメカニズムが示唆された。19世紀後半の時点では、顕微鏡は細胞膜と細胞壁を区別できるほどには発達していなかった。しかし、当時の一部の顕微鏡学者たちは、細胞膜自体の観察は不可能であったものの、細胞の構成要素の運動が外部の影響を受けないことから、動物細胞に細胞膜が存在すること、また、細胞膜は植物細胞の細胞壁に相当するものではないことを推測し認識していた。一方で、細胞膜はすべての細胞に必須の要素ではないとも推測されていた。19世紀の末まで、細胞膜の存在については多くの反論が存在しており、1890年の段階の細胞説では、細胞膜は存在するが副次的構造物に過ぎないとされていた。後の浸透圧と透過性についての研究によって、細胞膜は初めて重要視されるようになった。1895年に、アーネスト・オーバートン(英語版)は細胞膜が脂質で構成されていると提唱した。 Gorter と Grendel は、細胞膜の構造は水面上の脂質の薄層を模倣した形でなければならないと考えた。さらに、細胞の表面積と脂質が水面に占める面積とを比較し、その比が2:1であると推計した。これによって、今日知られている脂質二重層の最初の基礎がもたらされた。1925年に提唱された仮説では、結晶学と石鹸の泡の観察に基づいて細胞膜の二重層構造を記述する思索がなされた (当時は疎水的相互作用はほとんど理解されていなかった)。この仮説の検証の試みとして、研究者たちは膜の厚さを測定した。1925年に Fricke によって決定された赤血球と酵母の細胞膜の厚さは 3.3 から 4 nm であり、これは脂質一層分に相当するものであった。これらの研究で用いられた比誘電率の選択には疑問があったが、追試で最初の実験の結果を反証することはできなかった。それとは独立して、試料から反射される光の強度を、既知の厚さを持つ膜の標準試料の強度と比較することで非常に薄い膜の厚さを測定する、レプトスコープが発明された。この器具で測定された厚さは、測定pHや膜タンパク質の存在に依存して 8.6 から 23.2 nm の範囲であり、測定結果の下方の値は脂質二重層仮説を支持するものであった。その後1930年代になって、Hugh Davson と James Danielli の膜構造についてのモデル (Davson-Danielliモデル、1935) が一般的に支持されるようになった。このモデルは油と棘皮動物の卵の表面張力の比較に基づいていた。表面張力の値は水-油界面に想定される値よりもかなり低いものであったため、細胞の表面では何らかの物質が界面張力を低下させていることが推測され、2層の薄いタンパク質層の間に脂質二重層が位置すると示唆した。このモデルはすぐに評判となり、シーモア・ジョナサン・シンガー(英語版)とガース・L・ニコルソン(英語版)による流動モザイクモデル (1972) が現れるまで、細胞膜研究において支配的なモデルであった。 流動モザイクモデルは1970年代以降、細胞膜の主要な典型的モデルであり続けている。流動モザイクモデルはその後の発見によって現代化され続けているが、その基礎は不変である。膜は親水性の外側の頭部と疎水性の内部から構成され、タンパク質は親水性の頭部と極性相互作用を行い、また膜を完全にまたは部分的に貫くタンパク質は非極性な脂質内部と相互作用する疎水的なアミノ酸を持っている。流動モザイクモデルは、膜の力学についての正確な表現を提供しただけでなく、後に生体高分子の記述の主要なパラメータとなる、疎水的な力についての研究を充実させることにつながった。 細胞膜は、多様な生体物質、特に脂質とタンパク質を含んでいる。その構成は固定されているのではなく、流動性や環境の変化のために常に変化しており、細胞の成長のステージによっても変動する。特に、発生のステージを通じてヒトの一次ニューロンの細胞膜中のコレステロールの量は変化しており、その変化が流動性に影響を与えている。 さまざまなメカニズムで物質は膜へ組み込まれ、そして取り除かれる。 細胞膜は3つのクラスの両親媒性の脂質を含んでいる。リン脂質、糖脂質、ステロールである。各成分の量は細胞種に依存するが、ほとんどの場合でリン脂質が最も多く、細胞膜の総脂質の50%以上を占めることも多い。糖脂質はわずか2%程度と微量であり、残りはステロールである。真核細胞の大部分では、細胞膜の重量組成は脂質とタンパク質がおよそ半分ずつを占める。 リン脂質や糖脂質の脂肪鎖は、通常偶数の炭素原子を含んでいる。典型的には16個から20個の間であり、16または18炭素の脂肪酸が最も多い。脂肪酸は飽和していることも不飽和であることもあるが、二重結合はほとんど常に「シス」型である。脂肪鎖の長さや不飽和度は細胞膜の流動性に大きな影響を与える。不飽和の脂肪は曲がった構造となるため、脂肪酸が互いに密にパッキングすることがなくなり、膜の融点が低下 (流動性が増加) する。いくつかの生物は脂質の組成を変えることで細胞膜の流動性を調節する能力を持っており、恒流動性適応(英語版) (Homeoviscous adaptation) と呼ばれる。 疎水的な尾部の非共有結合的な相互作用によって、膜全体は維持されている。しかし、構造はきわめて流動的で、どこかの地点に固定されているわけではない。生理的条件下では、細胞膜中のリン脂質分子は液晶状態である。これは、脂質分子は自由に拡散することができ、それらが存在している層に沿った方向へ迅速に拡散することを意味している。一方で、脂質二重層の細胞内側の層と外側の層の間でのリン脂質分子の交換は非常に遅い過程であり、そのため脂質二重層の非対称性は維持される。すべての脂質が迅速に拡散するわけではなく、脂質ラフトやカベオラといったコレステロールに富んだ微小ドメインが細胞膜には形成されている。また、脂質の一部は内在性膜タンパク質と直接的に接触している。タンパク質構造に強固に結合しているものは境界脂質(英語版)(輪状脂質、boundary lipid、annular lipid) と呼ばれ、タンパク質複合体の一部として振る舞う。 動物細胞では通常、コレステロールはさまざまな程度で細胞膜全体に分散しており、膜脂質の疎水性尾部の間の不定形の空間に位置して膜を硬化し強化している。生体膜中のコレステロールの量は、個体、細胞種、そして個々の細胞間でも異なる。コレステロールは動物の細胞膜の主要な構成要素であり、膜全体の流動性を調節している。すなわち、コレステロールの濃度によって、細胞膜のさまざまな構成要素の運動の量が調節されている。高温では、コレステロールはリン脂質の脂肪鎖の運動を阻害し、低分子の膜透過性を低下させ、膜の流動性を低下させる。低温でのコレステロールの役割はその逆であり、低温に応答してコレステロールの産生はアップレギュレーションされる。低温では、コレステロールは脂肪鎖どうしの相互作用を阻害し、膜の流動性を維持する抗凍結剤として機能する。コレステロールは、温暖な気候に暮らす動物よりも冷涼な気候の動物に多く存在する。コレステロールを持たない植物では、ステロール (フィトステロール) と呼ばれる関連化合物がコレステロールと同じ機能を果たしている。 脂質小胞またはリポソームは、脂質二重層で取り囲まれたほぼ球形の袋状構造である。これらの構造は、細胞へ直接的に化学物資を搬入することでその細胞への影響を調べたり、細胞膜の透過性についてより詳細な知見を得たり、といった目的で実験室で用いられる。脂質小胞とリポソームは、まず脂質を水溶液に懸濁し、そしてその混合物を超音波によって攪拌することによって得られる。小胞内部から環境中への流出率を測定することで、膜の透過性についてより良い理解が得られるようになった。内部に分子やイオンを含む小胞は、目的物質を含む溶液中で小胞を形成することで得られる。またタンパク質も、目的のタンパク質を界面活性剤の存在下で可溶化し、リポソームを形成するリン脂質と結合させることで膜へ組み込むことができる。このような技術によって、研究者たちはさまざまな膜タンパク質の機能を調べることができるようになった。 細胞膜は炭水化物も含んでいる。それは主に糖タンパク質であるが、糖脂質 (セレブロシドとガングリオシド) も含まれ、真核生物の細胞間認識に重要な役割を果たしている。それらは細胞の表面に位置し、宿主細胞を認識して情報を共有している一方で、ウイルスはこれらの受容体を利用して細胞に結合し感染を引き起こしている。ほとんどの場合、細胞内部の膜では糖鎖修飾は起こらず、一般的には細胞膜の外側の表面が糖鎖修飾されている。グリコカリックスは、すべての細胞、特に微絨毛を持つ上皮細胞の重要な特徴である。グリコカリックスは細胞接着、リンパ球ホーミング(英語版)や他の多くの過程に参加していることが近年のデータからは示唆されている。ゴルジ体での糖鎖修飾が行われるため、末端から2番目の糖はガラクトース、末端の糖はシアル酸である。シアル酸は負に帯電しており、電荷を持つ粒子に対する外部障壁となっている。 細胞膜は多くのタンパク質を含んでおり、典型的には膜の体積の50%を占める。これらのタンパク質は、さまざまな生物学的活性を担っており重要である。酵母では、約3分の1の遺伝子が膜タンパク質をコードしており、この割合は多細胞生物ではさらに高くなる。膜タンパク質は、内在性、表在性、脂質アンカータンパク質、という3つの主要なタイプから構成される。 右の表に示されている通り、内在性膜タンパク質は両親媒性の膜貫通タンパク質である。これには、イオンチャネル、プロトンポンプ、Gタンパク質共役受容体などが含まれる。イオンチャネルによって、ナトリウム、カリウム、カルシウム、塩素などの無機イオンの電気化学的な勾配に従った拡散が行われる。イオンチャネルの親水的な孔を通ってイオンは細胞膜を通過する。細胞の電気的な挙動 (神経細胞など) はイオンチャネルによって制御されている。プロトンポンプは脂質二重膜に埋め込まれたタンパク質のポンプであり、プロトンはアミノ酸の側鎖を次々に移動しながら膜を越えて移動する。このような電子の伝達やATPの産生にはプロトンポンプが用いられる。Gタンパク質共役受容体は、脂質二重膜を7回貫通する1本のポリペプチド鎖で、シグナル伝達物質 (ホルモンや神経伝達物質) に応答する。Gタンパク質共役型受容体は細胞間シグナリングや、cAMPの産生の調節、イオンチャネルの調節などに用いられる。 細胞膜は外部環境に露出しており、細胞間コミュニケーションに重要な部位となっている。そのため、さまざまな種類のタンパク質受容体や、抗原提示を行うタンパク質などが細胞膜の表面には存在している。膜タンパク質の機能には、細胞間の連絡、表面の認識、細胞骨格の連絡、シグナル伝達、酵素活性、膜を越えた物質輸送なども含まれる。 膜タンパク質はいくつかの方法で膜へ挿入されている。1つの方法では、N末端のアミノ酸の「シグナル配列」がタンパク質を小胞体へ向かわせ、そこで脂質二重層へ挿入される。挿入されたタンパク質は小胞の中で最終目的地まで輸送され、そこで小胞は標的の膜と融合する。 細胞膜は、細胞質を取り囲んでおり、細胞内の構成要素を細胞外の環境から物理的に分離している。また、細胞膜は細胞骨格の足場となって細胞を形づくり、細胞外マトリックスや他の細胞に接着し、まとまって組織を形成する。菌類、細菌、ほとんどの古細菌、そして植物は細胞壁も持っており、細胞の機械的な支持を行うとともに、巨大な分子の通過を防いでいる。 細胞膜には選択的透過性があり、細胞への出入りを調節し、生存に必要な物質の輸送を促進している。膜を越える物質移動は、細胞からのエネルギー入力なしに起こる「受動輸送」と、輸送のために細胞がエネルギーを消費する必要がある「能動輸送」のいずれかによって行われる。また、膜は細胞内外の電位差 (膜電位) を保っている。細胞膜は選択的フィルターとして働き、特定のものだけが細胞へ出入りするようになっている。細胞は、生体膜が関与する輸送メカニズムとして次のようなものを利用する。 原核生物は、古細菌と細菌の異なる2つのグループに分類され、細菌はさらにグラム陽性菌とグラム陰性菌に分類される。グラム陰性菌はペリプラズムによって隔てられる細胞膜と外膜を持っているが、他の原核生物は細胞膜のみを持っている。細胞膜と外膜は多くの面で異なっている。グラム陰性菌の外膜は、リン脂質が二重層の外側の面を形成し、リポタンパク質とリン脂質が内側の面を形成している。典型的な外膜は、孔を形成するタンパク質であるポリンのような膜タンパク質が存在するため、孔の多い構造となっている。内側の細胞膜は一般的に対称的な構造をしているが、外膜は上のようなタンパク質のために非対称的である。また、原核生物の膜は、複数の因子が流動性に影響を与えている。流動性に影響を与える主要な因子の1つは、脂肪酸の構成である。例えば、37°Cで24時間培養した黄色ブドウ球菌 Staphylococcus aureus の細胞膜は、ゲル状態というよりも流動的な状態となっている。このことは、高温下においては膜はより流動的となるという考えを支持している。膜がより流動的になり安定化が必要となると、より長い、またはより飽和した脂肪鎖が膜の安定化のために合成されるようになる。 また、細菌はペプチドグリカン (アミノ酸と糖) から構成される細胞壁に囲まれている。いくつかの真核生物の細胞も細胞壁をもっているが、それらはペプチドグリカンで作られているものではない。 グラム陰性菌の外膜はリポ多糖に富んでおり、それらは多糖またはオリゴ糖と脂質が結合したもので、細胞の自然免疫を刺激する。ストレス環境や宿主の標的細胞に遭遇し毒性が必要とされるときなどに、外膜はペリプラズム領域へ突起を形成し、毒性細胞小器官 (virulence organelle) として機能する。原核生物の細胞膜には、ニッチへ適合するために構造を適応させている多くの例が見つかる。例えば、ある細菌の細胞表面のタンパク質は滑走運動 (gliding motion) を行っている。多くのグラム陰性菌の細胞膜には、ATPによって駆動されるタンパク質輸送システムが存在する。 Davson と Danielli のモデルに置き換わって登場した、シーモア・ジョナサン・シンガー(英語版)とガース・L・ニコルソン(英語版)による流動モザイクモデル (1972) によると、生体膜は脂質やタンパク質分子が多かれ少なかれ容易に拡散する二次元液体とみなされている。膜の基礎となる脂質二重層は確かにそれ自体で二次元液体を形成するが、細胞膜には大量のタンパク質も含まれており、それらによってより構造化されたものとなっている。構造の例としては、タンパク質-タンパク質複合体や、アクチンを基礎とした細胞骨格によって形成される picket と fence などがあり、脂質ラフトも含まれる可能性がある。 細胞膜は通常脂質二重層と呼ばれる構造をつくっている。脂質二重層は自己集合によって形成される。細胞膜を構成する主要な成分であるリン脂質には頭部と尾部があるが、頭部はコリン、リン酸からなり、親水性である。一方、尾部は炭化水素からなり、疎水性である。そのため極性を持つ体液中では尾部を内側に、頭部を外側にするようにリン脂質が二重の膜を形成する。疎水的相互作用 (疎水効果) が脂質二重層形成の主な駆動力である。疎水的な分子間の相互作用が増加し、疎水的な領域が集合すると、水分子はより自由に互いに結合するようになり、系全体のエントロピーは増加する。この複雑な相互作用には、ファンデルワールス力、静電的相互作用、水素結合などの非共有結合的な相互作用が含まれる。細胞膜には、脂質の中に埋め込まれたり、脂質自体に結合した状態のタンパク質(膜タンパク質)が存在し、さらにこの脂質や膜タンパク質には多くの場合糖鎖が結合している。したがって細胞表層は全体として複雑な構造となり、細胞の種類ごとに特徴的なものとなる。 一般的に脂質二重層はイオンや極性分子を透過しない。脂質二重層の親水的な頭部と疎水的な尾部の配置は、一般的に疎水性分子の受動的な拡散を行うが、極性の溶質 (アミノ酸、核酸、炭水化物、タンパク質、イオン) が膜を越えて拡散することは防がれる。そのため細胞は、孔やチャネル、ゲートのような膜貫通タンパク質複合体を経由してこれらの物質の移動させることで、物質移動を制御することができる。フリッパーゼ(英語版)やリン脂質スクランブラーゼ(英語版)は、負電荷を持つホスファチジルセリンを細胞膜の内側に濃縮する。これと、N-アセチルノイラミン酸によって、荷電した分子の膜通過の更なる障壁が形成されている。 膜は真核生物や原核生物の細胞で多様な機能を果たしている。重要な機能の1つは、物質の細胞への出入りを調節することである。特定の膜タンパク質を持つリン脂質の二重層構造 (流動モザイクモデル) は、膜の選択的透過性と受動輸送、能動輸送のメカニズムを説明する。それに加え、原核生物や、真核生物のミトコンドリアと葉緑体の膜は、化学浸透によってATPの合成を促進している。 脂質二重層の例外としては、一部の古細菌の細胞膜がある。例えばスルフォロブス属 (Sulfolobus) 等では向かい合ったリン脂質の疎水鎖が連結し、脂質一重層になっている。 極性を有する細胞において、内腔に面した細胞膜表面は頂端膜 (apical membrane) と呼ばれ、他の面とは異なる活性を持つ。上皮細胞や内皮細胞において顕著であるが、神経細胞のような他の極性細胞でも見られる。極性細胞の側面と底面を形成する細胞膜は側底膜 (basolateral membrane) と呼ばれ、外側の間質に面しており、内腔からは離れている。側面と底面の細胞膜は、特に上皮細胞では、同一の組成と活性を持つ。イオンチャネルやポンプのようなタンパク質は、流動モザイクモデルの通りに底面から側面へ、側面から底面へと自由に移動する。上皮細胞どうしは頂端面の近くでタイトジャンクションによって結合しており、タンパク質の側底膜から頂端膜への移動が防がれている。 細胞膜は、カベオラ、シナプス後肥厚(英語版)、ポドソーム(英語版)、浸潤突起(英語版)、焦点接着(英語版)、さまざまな種類の細胞結合といった「超膜構造」("supramembrane" structure) を形成することができる。これらの構造は通常、細胞接着、細胞間のコミュニケーション、エンドサイトーシス、エキソサイトーシスを担っており、電子顕微鏡や蛍光顕微鏡で観察可能である。これらは、インテグリンやカドヘリンといった、特定のタンパク質から構成されている。 細胞骨格は細胞膜直下の細胞質に見つかり、膜タンパク質を固定するため、また、細胞から伸びる細胞小器官を形成するための足場となっている。実際に、細胞骨格の構成要素は、細胞膜と密接に相互作用している。アンカータンパク質 (anchoring protein) は膜タンパク質を細胞表面の特定の部位、例えば脊椎動物の腸管に並ぶ上皮細胞では頂端面に限定し、二重層内で拡散する領域を制限している。また、細胞骨格は付属器官型の細胞小器官を形成することができる。例えば繊毛は微小管を基盤とする突起構造であり、フィロポディア(英語版)はアクチンを基盤とする突起構造である。これらの突起は膜に覆われており、外部環境を感知したり、基質や他の細胞と接触したりするために細胞表面から突出する。上皮細胞の頂端面は微絨毛として知られるアクチンが基盤となった指型の突出が密集しており、細胞の表面積を増加させることで栄養素の吸収率を増加させている。細胞骨格と細胞膜が局所的に脱共役されると、ブレブ(英語版)が形成されることとなる。 細胞膜の内側の、細胞の内容物も多数の膜結合性の細胞小器官から構成されており、それらは細胞の全体的な機能に寄与している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "細胞膜(さいぼうまく、cell membrane)は、細胞の内外を隔てる生体膜で、タンパク質が埋め込まれた脂質二重層によって構成される。形質膜や、その英訳であるプラズマメンブレン (plasma membrane) とも呼ばれる。細胞膜は、イオンや有機化合物に対する選択的透過性によって、細胞や細胞小器官への物質の出入りを制御している。それに加えて細胞膜は、細胞接着やシグナル伝達などさまざまなプロセスに関与し、細胞壁やグリコカリックスと呼ばれる炭水化物に富む層などの細胞外構造の接着表面として機能し、細胞骨格と呼ばれるタンパク質繊維の細胞内ネットワークにも関与する。合成生物学の分野では、細胞膜の人工的な再構成が行われている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ロバート・フックは1665年に細胞を発見し細胞説を提唱したが、当時観察可能なのは植物細胞だけであったため、すべての細胞に固い細胞壁が存在すると誤解していた。顕微鏡学者たちは、顕微鏡が進歩するまで150年以上にわたって細胞壁に注目していた。19世紀初頭に植物細胞が分離できることが判明し、各細胞は、細胞壁で結合しているが連結されていない、別個の実体であることが認識されるようになった。細胞説は動物細胞へと拡張され、細胞の保護と成長のための普遍的なメカニズムが示唆された。19世紀後半の時点では、顕微鏡は細胞膜と細胞壁を区別できるほどには発達していなかった。しかし、当時の一部の顕微鏡学者たちは、細胞膜自体の観察は不可能であったものの、細胞の構成要素の運動が外部の影響を受けないことから、動物細胞に細胞膜が存在すること、また、細胞膜は植物細胞の細胞壁に相当するものではないことを推測し認識していた。一方で、細胞膜はすべての細胞に必須の要素ではないとも推測されていた。19世紀の末まで、細胞膜の存在については多くの反論が存在しており、1890年の段階の細胞説では、細胞膜は存在するが副次的構造物に過ぎないとされていた。後の浸透圧と透過性についての研究によって、細胞膜は初めて重要視されるようになった。1895年に、アーネスト・オーバートン(英語版)は細胞膜が脂質で構成されていると提唱した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "Gorter と Grendel は、細胞膜の構造は水面上の脂質の薄層を模倣した形でなければならないと考えた。さらに、細胞の表面積と脂質が水面に占める面積とを比較し、その比が2:1であると推計した。これによって、今日知られている脂質二重層の最初の基礎がもたらされた。1925年に提唱された仮説では、結晶学と石鹸の泡の観察に基づいて細胞膜の二重層構造を記述する思索がなされた (当時は疎水的相互作用はほとんど理解されていなかった)。この仮説の検証の試みとして、研究者たちは膜の厚さを測定した。1925年に Fricke によって決定された赤血球と酵母の細胞膜の厚さは 3.3 から 4 nm であり、これは脂質一層分に相当するものであった。これらの研究で用いられた比誘電率の選択には疑問があったが、追試で最初の実験の結果を反証することはできなかった。それとは独立して、試料から反射される光の強度を、既知の厚さを持つ膜の標準試料の強度と比較することで非常に薄い膜の厚さを測定する、レプトスコープが発明された。この器具で測定された厚さは、測定pHや膜タンパク質の存在に依存して 8.6 から 23.2 nm の範囲であり、測定結果の下方の値は脂質二重層仮説を支持するものであった。その後1930年代になって、Hugh Davson と James Danielli の膜構造についてのモデル (Davson-Danielliモデル、1935) が一般的に支持されるようになった。このモデルは油と棘皮動物の卵の表面張力の比較に基づいていた。表面張力の値は水-油界面に想定される値よりもかなり低いものであったため、細胞の表面では何らかの物質が界面張力を低下させていることが推測され、2層の薄いタンパク質層の間に脂質二重層が位置すると示唆した。このモデルはすぐに評判となり、シーモア・ジョナサン・シンガー(英語版)とガース・L・ニコルソン(英語版)による流動モザイクモデル (1972) が現れるまで、細胞膜研究において支配的なモデルであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "流動モザイクモデルは1970年代以降、細胞膜の主要な典型的モデルであり続けている。流動モザイクモデルはその後の発見によって現代化され続けているが、その基礎は不変である。膜は親水性の外側の頭部と疎水性の内部から構成され、タンパク質は親水性の頭部と極性相互作用を行い、また膜を完全にまたは部分的に貫くタンパク質は非極性な脂質内部と相互作用する疎水的なアミノ酸を持っている。流動モザイクモデルは、膜の力学についての正確な表現を提供しただけでなく、後に生体高分子の記述の主要なパラメータとなる、疎水的な力についての研究を充実させることにつながった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "細胞膜は、多様な生体物質、特に脂質とタンパク質を含んでいる。その構成は固定されているのではなく、流動性や環境の変化のために常に変化しており、細胞の成長のステージによっても変動する。特に、発生のステージを通じてヒトの一次ニューロンの細胞膜中のコレステロールの量は変化しており、その変化が流動性に影響を与えている。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "さまざまなメカニズムで物質は膜へ組み込まれ、そして取り除かれる。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "細胞膜は3つのクラスの両親媒性の脂質を含んでいる。リン脂質、糖脂質、ステロールである。各成分の量は細胞種に依存するが、ほとんどの場合でリン脂質が最も多く、細胞膜の総脂質の50%以上を占めることも多い。糖脂質はわずか2%程度と微量であり、残りはステロールである。真核細胞の大部分では、細胞膜の重量組成は脂質とタンパク質がおよそ半分ずつを占める。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "リン脂質や糖脂質の脂肪鎖は、通常偶数の炭素原子を含んでいる。典型的には16個から20個の間であり、16または18炭素の脂肪酸が最も多い。脂肪酸は飽和していることも不飽和であることもあるが、二重結合はほとんど常に「シス」型である。脂肪鎖の長さや不飽和度は細胞膜の流動性に大きな影響を与える。不飽和の脂肪は曲がった構造となるため、脂肪酸が互いに密にパッキングすることがなくなり、膜の融点が低下 (流動性が増加) する。いくつかの生物は脂質の組成を変えることで細胞膜の流動性を調節する能力を持っており、恒流動性適応(英語版) (Homeoviscous adaptation) と呼ばれる。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "疎水的な尾部の非共有結合的な相互作用によって、膜全体は維持されている。しかし、構造はきわめて流動的で、どこかの地点に固定されているわけではない。生理的条件下では、細胞膜中のリン脂質分子は液晶状態である。これは、脂質分子は自由に拡散することができ、それらが存在している層に沿った方向へ迅速に拡散することを意味している。一方で、脂質二重層の細胞内側の層と外側の層の間でのリン脂質分子の交換は非常に遅い過程であり、そのため脂質二重層の非対称性は維持される。すべての脂質が迅速に拡散するわけではなく、脂質ラフトやカベオラといったコレステロールに富んだ微小ドメインが細胞膜には形成されている。また、脂質の一部は内在性膜タンパク質と直接的に接触している。タンパク質構造に強固に結合しているものは境界脂質(英語版)(輪状脂質、boundary lipid、annular lipid) と呼ばれ、タンパク質複合体の一部として振る舞う。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "動物細胞では通常、コレステロールはさまざまな程度で細胞膜全体に分散しており、膜脂質の疎水性尾部の間の不定形の空間に位置して膜を硬化し強化している。生体膜中のコレステロールの量は、個体、細胞種、そして個々の細胞間でも異なる。コレステロールは動物の細胞膜の主要な構成要素であり、膜全体の流動性を調節している。すなわち、コレステロールの濃度によって、細胞膜のさまざまな構成要素の運動の量が調節されている。高温では、コレステロールはリン脂質の脂肪鎖の運動を阻害し、低分子の膜透過性を低下させ、膜の流動性を低下させる。低温でのコレステロールの役割はその逆であり、低温に応答してコレステロールの産生はアップレギュレーションされる。低温では、コレステロールは脂肪鎖どうしの相互作用を阻害し、膜の流動性を維持する抗凍結剤として機能する。コレステロールは、温暖な気候に暮らす動物よりも冷涼な気候の動物に多く存在する。コレステロールを持たない植物では、ステロール (フィトステロール) と呼ばれる関連化合物がコレステロールと同じ機能を果たしている。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "脂質小胞またはリポソームは、脂質二重層で取り囲まれたほぼ球形の袋状構造である。これらの構造は、細胞へ直接的に化学物資を搬入することでその細胞への影響を調べたり、細胞膜の透過性についてより詳細な知見を得たり、といった目的で実験室で用いられる。脂質小胞とリポソームは、まず脂質を水溶液に懸濁し、そしてその混合物を超音波によって攪拌することによって得られる。小胞内部から環境中への流出率を測定することで、膜の透過性についてより良い理解が得られるようになった。内部に分子やイオンを含む小胞は、目的物質を含む溶液中で小胞を形成することで得られる。またタンパク質も、目的のタンパク質を界面活性剤の存在下で可溶化し、リポソームを形成するリン脂質と結合させることで膜へ組み込むことができる。このような技術によって、研究者たちはさまざまな膜タンパク質の機能を調べることができるようになった。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "細胞膜は炭水化物も含んでいる。それは主に糖タンパク質であるが、糖脂質 (セレブロシドとガングリオシド) も含まれ、真核生物の細胞間認識に重要な役割を果たしている。それらは細胞の表面に位置し、宿主細胞を認識して情報を共有している一方で、ウイルスはこれらの受容体を利用して細胞に結合し感染を引き起こしている。ほとんどの場合、細胞内部の膜では糖鎖修飾は起こらず、一般的には細胞膜の外側の表面が糖鎖修飾されている。グリコカリックスは、すべての細胞、特に微絨毛を持つ上皮細胞の重要な特徴である。グリコカリックスは細胞接着、リンパ球ホーミング(英語版)や他の多くの過程に参加していることが近年のデータからは示唆されている。ゴルジ体での糖鎖修飾が行われるため、末端から2番目の糖はガラクトース、末端の糖はシアル酸である。シアル酸は負に帯電しており、電荷を持つ粒子に対する外部障壁となっている。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "細胞膜は多くのタンパク質を含んでおり、典型的には膜の体積の50%を占める。これらのタンパク質は、さまざまな生物学的活性を担っており重要である。酵母では、約3分の1の遺伝子が膜タンパク質をコードしており、この割合は多細胞生物ではさらに高くなる。膜タンパク質は、内在性、表在性、脂質アンカータンパク質、という3つの主要なタイプから構成される。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "右の表に示されている通り、内在性膜タンパク質は両親媒性の膜貫通タンパク質である。これには、イオンチャネル、プロトンポンプ、Gタンパク質共役受容体などが含まれる。イオンチャネルによって、ナトリウム、カリウム、カルシウム、塩素などの無機イオンの電気化学的な勾配に従った拡散が行われる。イオンチャネルの親水的な孔を通ってイオンは細胞膜を通過する。細胞の電気的な挙動 (神経細胞など) はイオンチャネルによって制御されている。プロトンポンプは脂質二重膜に埋め込まれたタンパク質のポンプであり、プロトンはアミノ酸の側鎖を次々に移動しながら膜を越えて移動する。このような電子の伝達やATPの産生にはプロトンポンプが用いられる。Gタンパク質共役受容体は、脂質二重膜を7回貫通する1本のポリペプチド鎖で、シグナル伝達物質 (ホルモンや神経伝達物質) に応答する。Gタンパク質共役型受容体は細胞間シグナリングや、cAMPの産生の調節、イオンチャネルの調節などに用いられる。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "細胞膜は外部環境に露出しており、細胞間コミュニケーションに重要な部位となっている。そのため、さまざまな種類のタンパク質受容体や、抗原提示を行うタンパク質などが細胞膜の表面には存在している。膜タンパク質の機能には、細胞間の連絡、表面の認識、細胞骨格の連絡、シグナル伝達、酵素活性、膜を越えた物質輸送なども含まれる。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "膜タンパク質はいくつかの方法で膜へ挿入されている。1つの方法では、N末端のアミノ酸の「シグナル配列」がタンパク質を小胞体へ向かわせ、そこで脂質二重層へ挿入される。挿入されたタンパク質は小胞の中で最終目的地まで輸送され、そこで小胞は標的の膜と融合する。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "細胞膜は、細胞質を取り囲んでおり、細胞内の構成要素を細胞外の環境から物理的に分離している。また、細胞膜は細胞骨格の足場となって細胞を形づくり、細胞外マトリックスや他の細胞に接着し、まとまって組織を形成する。菌類、細菌、ほとんどの古細菌、そして植物は細胞壁も持っており、細胞の機械的な支持を行うとともに、巨大な分子の通過を防いでいる。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "細胞膜には選択的透過性があり、細胞への出入りを調節し、生存に必要な物質の輸送を促進している。膜を越える物質移動は、細胞からのエネルギー入力なしに起こる「受動輸送」と、輸送のために細胞がエネルギーを消費する必要がある「能動輸送」のいずれかによって行われる。また、膜は細胞内外の電位差 (膜電位) を保っている。細胞膜は選択的フィルターとして働き、特定のものだけが細胞へ出入りするようになっている。細胞は、生体膜が関与する輸送メカニズムとして次のようなものを利用する。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "原核生物は、古細菌と細菌の異なる2つのグループに分類され、細菌はさらにグラム陽性菌とグラム陰性菌に分類される。グラム陰性菌はペリプラズムによって隔てられる細胞膜と外膜を持っているが、他の原核生物は細胞膜のみを持っている。細胞膜と外膜は多くの面で異なっている。グラム陰性菌の外膜は、リン脂質が二重層の外側の面を形成し、リポタンパク質とリン脂質が内側の面を形成している。典型的な外膜は、孔を形成するタンパク質であるポリンのような膜タンパク質が存在するため、孔の多い構造となっている。内側の細胞膜は一般的に対称的な構造をしているが、外膜は上のようなタンパク質のために非対称的である。また、原核生物の膜は、複数の因子が流動性に影響を与えている。流動性に影響を与える主要な因子の1つは、脂肪酸の構成である。例えば、37°Cで24時間培養した黄色ブドウ球菌 Staphylococcus aureus の細胞膜は、ゲル状態というよりも流動的な状態となっている。このことは、高温下においては膜はより流動的となるという考えを支持している。膜がより流動的になり安定化が必要となると、より長い、またはより飽和した脂肪鎖が膜の安定化のために合成されるようになる。", "title": "原核生物の膜" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "また、細菌はペプチドグリカン (アミノ酸と糖) から構成される細胞壁に囲まれている。いくつかの真核生物の細胞も細胞壁をもっているが、それらはペプチドグリカンで作られているものではない。", "title": "原核生物の膜" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "グラム陰性菌の外膜はリポ多糖に富んでおり、それらは多糖またはオリゴ糖と脂質が結合したもので、細胞の自然免疫を刺激する。ストレス環境や宿主の標的細胞に遭遇し毒性が必要とされるときなどに、外膜はペリプラズム領域へ突起を形成し、毒性細胞小器官 (virulence organelle) として機能する。原核生物の細胞膜には、ニッチへ適合するために構造を適応させている多くの例が見つかる。例えば、ある細菌の細胞表面のタンパク質は滑走運動 (gliding motion) を行っている。多くのグラム陰性菌の細胞膜には、ATPによって駆動されるタンパク質輸送システムが存在する。", "title": "原核生物の膜" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "Davson と Danielli のモデルに置き換わって登場した、シーモア・ジョナサン・シンガー(英語版)とガース・L・ニコルソン(英語版)による流動モザイクモデル (1972) によると、生体膜は脂質やタンパク質分子が多かれ少なかれ容易に拡散する二次元液体とみなされている。膜の基礎となる脂質二重層は確かにそれ自体で二次元液体を形成するが、細胞膜には大量のタンパク質も含まれており、それらによってより構造化されたものとなっている。構造の例としては、タンパク質-タンパク質複合体や、アクチンを基礎とした細胞骨格によって形成される picket と fence などがあり、脂質ラフトも含まれる可能性がある。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "細胞膜は通常脂質二重層と呼ばれる構造をつくっている。脂質二重層は自己集合によって形成される。細胞膜を構成する主要な成分であるリン脂質には頭部と尾部があるが、頭部はコリン、リン酸からなり、親水性である。一方、尾部は炭化水素からなり、疎水性である。そのため極性を持つ体液中では尾部を内側に、頭部を外側にするようにリン脂質が二重の膜を形成する。疎水的相互作用 (疎水効果) が脂質二重層形成の主な駆動力である。疎水的な分子間の相互作用が増加し、疎水的な領域が集合すると、水分子はより自由に互いに結合するようになり、系全体のエントロピーは増加する。この複雑な相互作用には、ファンデルワールス力、静電的相互作用、水素結合などの非共有結合的な相互作用が含まれる。細胞膜には、脂質の中に埋め込まれたり、脂質自体に結合した状態のタンパク質(膜タンパク質)が存在し、さらにこの脂質や膜タンパク質には多くの場合糖鎖が結合している。したがって細胞表層は全体として複雑な構造となり、細胞の種類ごとに特徴的なものとなる。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一般的に脂質二重層はイオンや極性分子を透過しない。脂質二重層の親水的な頭部と疎水的な尾部の配置は、一般的に疎水性分子の受動的な拡散を行うが、極性の溶質 (アミノ酸、核酸、炭水化物、タンパク質、イオン) が膜を越えて拡散することは防がれる。そのため細胞は、孔やチャネル、ゲートのような膜貫通タンパク質複合体を経由してこれらの物質の移動させることで、物質移動を制御することができる。フリッパーゼ(英語版)やリン脂質スクランブラーゼ(英語版)は、負電荷を持つホスファチジルセリンを細胞膜の内側に濃縮する。これと、N-アセチルノイラミン酸によって、荷電した分子の膜通過の更なる障壁が形成されている。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "膜は真核生物や原核生物の細胞で多様な機能を果たしている。重要な機能の1つは、物質の細胞への出入りを調節することである。特定の膜タンパク質を持つリン脂質の二重層構造 (流動モザイクモデル) は、膜の選択的透過性と受動輸送、能動輸送のメカニズムを説明する。それに加え、原核生物や、真核生物のミトコンドリアと葉緑体の膜は、化学浸透によってATPの合成を促進している。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "脂質二重層の例外としては、一部の古細菌の細胞膜がある。例えばスルフォロブス属 (Sulfolobus) 等では向かい合ったリン脂質の疎水鎖が連結し、脂質一重層になっている。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "極性を有する細胞において、内腔に面した細胞膜表面は頂端膜 (apical membrane) と呼ばれ、他の面とは異なる活性を持つ。上皮細胞や内皮細胞において顕著であるが、神経細胞のような他の極性細胞でも見られる。極性細胞の側面と底面を形成する細胞膜は側底膜 (basolateral membrane) と呼ばれ、外側の間質に面しており、内腔からは離れている。側面と底面の細胞膜は、特に上皮細胞では、同一の組成と活性を持つ。イオンチャネルやポンプのようなタンパク質は、流動モザイクモデルの通りに底面から側面へ、側面から底面へと自由に移動する。上皮細胞どうしは頂端面の近くでタイトジャンクションによって結合しており、タンパク質の側底膜から頂端膜への移動が防がれている。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "細胞膜は、カベオラ、シナプス後肥厚(英語版)、ポドソーム(英語版)、浸潤突起(英語版)、焦点接着(英語版)、さまざまな種類の細胞結合といった「超膜構造」(\"supramembrane\" structure) を形成することができる。これらの構造は通常、細胞接着、細胞間のコミュニケーション、エンドサイトーシス、エキソサイトーシスを担っており、電子顕微鏡や蛍光顕微鏡で観察可能である。これらは、インテグリンやカドヘリンといった、特定のタンパク質から構成されている。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "細胞骨格は細胞膜直下の細胞質に見つかり、膜タンパク質を固定するため、また、細胞から伸びる細胞小器官を形成するための足場となっている。実際に、細胞骨格の構成要素は、細胞膜と密接に相互作用している。アンカータンパク質 (anchoring protein) は膜タンパク質を細胞表面の特定の部位、例えば脊椎動物の腸管に並ぶ上皮細胞では頂端面に限定し、二重層内で拡散する領域を制限している。また、細胞骨格は付属器官型の細胞小器官を形成することができる。例えば繊毛は微小管を基盤とする突起構造であり、フィロポディア(英語版)はアクチンを基盤とする突起構造である。これらの突起は膜に覆われており、外部環境を感知したり、基質や他の細胞と接触したりするために細胞表面から突出する。上皮細胞の頂端面は微絨毛として知られるアクチンが基盤となった指型の突出が密集しており、細胞の表面積を増加させることで栄養素の吸収率を増加させている。細胞骨格と細胞膜が局所的に脱共役されると、ブレブ(英語版)が形成されることとなる。", "title": "構造" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "細胞膜の内側の、細胞の内容物も多数の膜結合性の細胞小器官から構成されており、それらは細胞の全体的な機能に寄与している。", "title": "構造" } ]
細胞膜は、細胞の内外を隔てる生体膜で、タンパク質が埋め込まれた脂質二重層によって構成される。形質膜や、その英訳であるプラズマメンブレン とも呼ばれる。細胞膜は、イオンや有機化合物に対する選択的透過性によって、細胞や細胞小器官への物質の出入りを制御している。それに加えて細胞膜は、細胞接着やシグナル伝達などさまざまなプロセスに関与し、細胞壁やグリコカリックスと呼ばれる炭水化物に富む層などの細胞外構造の接着表面として機能し、細胞骨格と呼ばれるタンパク質繊維の細胞内ネットワークにも関与する。合成生物学の分野では、細胞膜の人工的な再構成が行われている。
[[ファイル:Biological cell.svg|thumb|250px|[[細胞|動物細胞]]の模式図<br>図中の皮のように見えるものが'''細胞膜'''、(1) [[核小体]](仁)、(2) [[細胞核]]、(3) [[リボソーム]]、(4) [[小胞]]、(5) [[粗面小胞体]]、(6) [[ゴルジ体]]、(7) [[微小管]]、(8) [[滑面小胞体]]、(9) [[ミトコンドリア]]、(10) [[液胞]]、(11) [[細胞質基質]]、(12) [[リソソーム]]、(13) [[中心体]]]] '''細胞膜'''(さいぼうまく、cell membrane)は、[[細胞]]の内外を隔てる[[生体膜]]で<ref name=":6">[http://users.rcn.com/jkimball.ma.ultranet/BiologyPages/C/CellMembranes.html Kimball's Biology pages] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090125224255/http://users.rcn.com/jkimball.ma.ultranet/BiologyPages/C/CellMembranes.html|date=2009-01-25}}, Cell Membranes</ref><ref name=":7">{{cite book|author1=Singleton P|title=Bacteria in Biology, Biotechnology and Medicine|edition=5th|year=1999|publisher=Wiley|isbn=978-0-471-98880-9|location=New York}}</ref>、[[タンパク質]]が埋め込まれた[[脂質二重層]]によって構成される。'''形質膜'''や、その英訳である'''プラズマメンブレン''' (plasma membrane) とも呼ばれる。細胞膜は、[[イオン]]や[[有機化合物]]に対する選択的透過性によって、細胞や[[細胞小器官]]への物質の出入りを制御している<ref name="MBOC">{{cite book|last=|first=|title=Molecular Biology of the Cell|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21054/?term=Molecular%20Biology%20of%20the%20Cell|edition=4th|year=2002|publisher=Garland Science|isbn=978-0-8153-3218-3|pages=|location=New York|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171220092628/https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21054/?term=Molecular%20Biology%20of%20the%20Cell|deadurl=no|archivedate=2017-12-20|display-authors=etal|author=Alberts B, Johnson A, Lewis J|df=}}</ref>。それに加えて細胞膜は、[[細胞接着]]や[[シグナル伝達]]などさまざまなプロセスに関与し、[[細胞壁]]や[[グリコカリックス]]と呼ばれる[[炭水化物]]に富む層などの細胞外構造の接着表面として機能し、[[細胞骨格]]と呼ばれるタンパク質繊維の細胞内ネットワークにも関与する。[[合成生物学]]の分野では、細胞膜の人工的な再構成が行われている<ref name="JACS-20111229">{{cite journal|last1=Budin|first1=Itay|last2=Devaraj|first2=Neal K.|date=December 29, 2011|title=Membrane Assembly Driven by a Biomimetic Coupling Reaction|journal=[[Journal of the American Chemical Society]]|volume=134|issue=2|pages=751–753|doi=10.1021/ja2076873|pmid=22239722|pmc=3262119}}</ref><ref name="SD-20120125">{{cite web|url=https://www.sciencedaily.com/releases/2012/01/120125132822.htm|title=Chemists Synthesize Artificial Cell Membrane|accessdate=February 18, 2012|author=Staff|date=January 25, 2012|publisher=[[ScienceDaily]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120129222718/http://www.sciencedaily.com/releases/2012/01/120125132822.htm|archivedate=January 29, 2012|deadurl=no|df=}}</ref><ref name="KZ-20120126">{{cite web|url=http://www.kurzweilai.net/chemists-create-artificial-cell-membrane|title=Chemists create artificial cell membrane|accessdate=February 18, 2012|author=Staff|date=January 26, 2012|publisher=[[Ray Kurzweil|kurzweilai.net]]|archiveurl=https://webcitation.org/65kQlOzWn?url=http://www.kurzweilai.net/chemists-create-artificial-cell-membrane|archivedate=February 26, 2012|deadurl=no|df=}}</ref>。 [[Image:Cell membrane detailed diagram 4.svg|thumb|400px|[[真核生物]]の細胞膜のイラスト。Cell: [[細胞]]、Extra cellular fluid: [[細胞外液]]、Nucleus: [[細胞核|核]]、Cytoplasm: [[細胞質]]、Cell membrane: '''細胞膜'''、Carbohydrate: [[炭水化物]]、Glycoprotein: [[糖タンパク質]]、Globular protein: [[球状タンパク質]]、Protein Channel (Transport protein): [[イオンチャネル|タンパク質チャネル]] ([[膜輸送体|輸送タンパク質]])、Cholesterol: [[コレステロール]]、Glycolipid: [[糖脂質]]、Surface protein: 表在性[[膜タンパク質]]、Integral protein: 内在性膜タンパク質、Filaments of cytoskelton: [[細胞骨格]]繊維、Alpha-helix protein: [[Αヘリックス|α-ヘリックス]]タンパク質、Peripheral protein: 周辺タンパク質、Phospholipid bilayer: リン[[脂質二重層]]、Phospholipid (Phosphatidylcholine): [[リン脂質]] ([[ホスファチジルコリン]])、Hydrophilic head: [[親水性]]頭部、Hydrophobic tail: [[疎水性]]尾部。]] [[Image:Celltypes.svg|thumb|right|400px|[[真核生物]] (Eukaryote) と[[原核生物]] (Prokaryote) の比較。Membrane-enclosed nucleus: 膜に内包された核、Nucleolus: [[核小体]]、Mitochondrion: [[ミトコンドリア]]、Ribosomes: [[リボソーム]]、Cell Membrane: '''細胞膜'''、Nucleoid: [[核様体]]、Capsule: [[莢膜]]、Flagellum: [[鞭毛]]、Cell Wall: [[細胞壁]]。]] ==歴史== {{Main|en:History of cell membrane theory}}[[ロバート・フック]]は1665年に細胞を発見し[[細胞説]]を提唱したが、当時観察可能なのは植物細胞だけであったため、すべての細胞に固い[[細胞壁]]が存在すると誤解していた<ref name=":2">{{Cite journal|last=Lombard|first=Jonathan|date=2014-12-19|title=Once upon a time the cell membranes: 175 years of cell boundary research|journal=Biology Direct|volume=9|pages=32|doi=10.1186/s13062-014-0032-7|issn=1745-6150|pmid=25522740|pmc=4304622}}</ref>。顕微鏡学者たちは、顕微鏡が進歩するまで150年以上にわたって細胞壁に注目していた。19世紀初頭に植物細胞が分離できることが判明し、各細胞は、細胞壁で結合しているが連結されていない、別個の実体であることが認識されるようになった。細胞説は動物細胞へと拡張され、細胞の保護と成長のための普遍的なメカニズムが示唆された。19世紀後半の時点では、顕微鏡は細胞膜と細胞壁を区別できるほどには発達していなかった。しかし、当時の一部の顕微鏡学者たちは、細胞膜自体の観察は不可能であったものの、細胞の構成要素の運動が外部の影響を受けないことから、動物細胞に細胞膜が存在すること、また、細胞膜は植物細胞の細胞壁に相当するものではないことを推測し認識していた。一方で、細胞膜はすべての細胞に必須の要素ではないとも推測されていた。19世紀の末まで、細胞膜の存在については多くの反論が存在しており、1890年の段階の細胞説では、細胞膜は存在するが副次的構造物に過ぎないとされていた。後の[[浸透圧]]と透過性についての研究によって、細胞膜は初めて重要視されるようになった<ref name=":2" />。1895年に、{{仮リンク|アーネスト・オーバートン|en|Ernest Overton}}は細胞膜が脂質で構成されていると提唱した<ref name=":8">Leray, C. Chronological history of lipid center. ''Cyberlipid Center''. Last updated on 11 November 2017. [http://www.cyberlipid.org/cyberlip/home0001.htm link] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20171013173759/http://www.cyberlipid.org/cyberlip/home0001.htm|date=2017-10-13}}.</ref>。 Gorter と Grendel は、細胞膜の構造は水面上の脂質の薄層を模倣した形でなければならないと考えた。さらに、細胞の表面積と脂質が水面に占める面積とを比較し、その比が2:1であると推計した。これによって、今日知られている[[脂質二重層]]の最初の基礎がもたらされた。1925年に提唱された仮説<ref name=":9">{{cite journal|last1=Gorter|first1=E.|last2=Grendel|first2=F.|year=1925|title=On bimolecular layers of lipoids on the chromocytes of the blood|journal=J. Exp. Med.|volume=41|issue=4|pages=439–443|doi=10.1084/jem.41.4.439|pmid=19868999|pmc=2130960}}</ref>では、[[結晶学]]と[[石鹸]]の泡の観察に基づいて細胞膜の二重層構造を記述する思索がなされた (当時は疎水的相互作用はほとんど理解されていなかった)。この仮説の検証の試みとして、研究者たちは膜の厚さを測定した<ref name=":2" />。1925年に Fricke によって決定された[[赤血球]]と[[酵母]]の細胞膜の厚さは 3.3 から 4&nbsp;nm であり、これは脂質一層分に相当するものであった。これらの研究で用いられた[[比誘電率]]の選択には疑問があったが、追試で最初の実験の結果を反証することはできなかった。それとは独立して、試料から反射される光の強度を、既知の厚さを持つ膜の標準試料の強度と比較することで非常に薄い膜の厚さを測定する、レプトスコープが発明された。この器具で測定された厚さは、測定[[水素イオン指数|pH]]や[[膜タンパク質]]の存在に依存して 8.6 から 23.2&nbsp;nm の範囲であり、測定結果の下方の値は脂質二重層仮説を支持するものであった。その後1930年代になって、Hugh Davson と James Danielli の膜構造についてのモデル (Davson-Danielliモデル、1935) が一般的に支持されるようになった。このモデルは油と[[棘皮動物]]の[[卵]]の[[表面張力]]の比較に基づいていた。表面張力の値は水-油界面に想定される値よりもかなり低いものであったため、細胞の表面では何らかの物質が界面張力を低下させていることが推測され、2層の薄いタンパク質層の間に脂質二重層が位置すると示唆した。このモデルはすぐに評判となり、{{仮リンク|シーモア・ジョナサン・シンガー|en|Seymour Jonathan Singer}}と{{仮リンク|ガース・L・ニコルソン|en|Garth L. Nicolson}}による[[流動モザイクモデル]] (1972) が現れるまで、細胞膜研究において支配的なモデルであった<ref name=":2" /><ref name="Singer1972">S J Singer and G L Nicolson."The fluid mosaic model of the structure of cell membranes." Science. (1972) 175. 720-731.</ref>。 流動モザイクモデルは1970年代以降、細胞膜の主要な典型的モデルであり続けている<ref name=":2" />。流動モザイクモデルはその後の発見によって現代化され続けているが、その基礎は不変である。膜は[[親水性]]の外側の頭部と[[疎水性]]の内部から構成され、タンパク質は親水性の頭部と[[極性]]相互作用を行い、また膜を完全にまたは部分的に貫くタンパク質は非極性な脂質内部と相互作用する疎水的なアミノ酸を持っている。流動モザイクモデルは、膜の力学についての正確な表現を提供しただけでなく、後に[[生体高分子]]の記述の主要なパラメータとなる、疎水的な力についての研究を充実させることにつながった<ref name=":2" />。 ==構成== 細胞膜は、多様な生体物質、特に[[脂質]]と[[タンパク質]]を含んでいる。その構成は固定されているのではなく、流動性や環境の変化のために常に変化しており、細胞の成長のステージによっても変動する。特に、発生のステージを通じてヒトの一次[[神経細胞|ニューロン]]の細胞膜中の[[コレステロール]]の量は変化しており、その変化が流動性に影響を与えている<ref name=":10">{{Cite journal|last=Noutsi|first=Pakiza|last2=Gratton|first2=Enrico|last3=Chaieb|first3=Sahraoui|date=2016-06-30|title=Assessment of Membrane Fluidity Fluctuations during Cellular Development Reveals Time and Cell Type Specificity|journal=PLoS ONE|volume=11|issue=6|page=e0158313|doi=10.1371/journal.pone.0158313|issn=1932-6203|pmid=27362860|pmc=4928918}}</ref>。 さまざまなメカニズムで物質は膜へ組み込まれ、そして取り除かれる。 * 細胞内の[[小胞]]の膜への融合 ([[エキソサイトーシス]]) によって、小胞の内容物が排出されるだけでなく、小胞の膜の構成要素が細胞膜へと取り込まれる。また、膜は細胞外物質の周囲にブレブを形成し、くびれ切れて小胞となる ([[エンドサイトーシス]])。 * 細胞膜が膜成分からなるチューブ状構造と連続しているとき、物質はチューブから膜へと連続的に引き込まれる。 * 細胞膜の構成要素の水相での濃度は低い (安定な膜構成要素が水溶性が低い) ものの、脂質と水相の間での分子の交換は起こる。 [[Image:Membrane_Lipids.svg|thumb|right|310px|膜の主要な[[リン脂質]] (Phospholipids) と[[糖脂質]] (Glycolipids) の例。[[ホスファチジルコリン]] (PtdCho)、[[ホスファチジルエタノールアミン]] (PtdEtn)、[[ホスファチジルイノシトール]] (PtdIns)、[[ホスファチジルセリン]] (PtdSer)、[[スフィンゴミエリン]] (Sphingomyelin)、[[グルコセレブロシド]] (Glucosyl-Cerebroside)。]]細胞膜は3つのクラスの[[両親媒性分子|両親媒性]]の[[脂質]]を含んでいる。[[リン脂質]]、[[糖脂質]]、[[ステロール]]である。各成分の量は細胞種に依存するが、ほとんどの場合でリン脂質が最も多く、細胞膜の総脂質の50%以上を占めることも多い<ref name="Lodish">{{cite book|last=|first=|title=Molecular Cell Biology|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21583/|edition=4th|year=2000|publisher=Scientific American Books|isbn=978-0-7167-3136-8|pages=|chapter=Biomembranes: Structural Organization and Basic Functions|location=New York|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180605030211/https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21583/|deadurl=no|archivedate=2018-06-05|display-authors=etal|author=Lodish H, Berk A, Zipursky LS|df=}}</ref><ref name=":4">{{Cite journal|last=Cooper|first=Geoffrey M.|date=2000|title=Structure of the Plasma Membrane|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9898/|journal=The Cell: A Molecular Approach|volume=|pages=|edition=2nd|language=en|via=|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170919234732/https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9898/|archivedate=2017-09-19|df=}}</ref>。糖脂質はわずか2%程度と微量であり、残りはステロールである<ref name=":4" />。真核細胞の大部分では、細胞膜の重量組成は脂質とタンパク質がおよそ半分ずつを占める<ref name=":4" />。 リン脂質や糖脂質の脂肪鎖は、通常偶数の炭素原子を含んでいる。典型的には16個から20個の間であり、16または18炭素の脂肪酸が最も多い<ref>{{Cite journal|last=Abbott|first=Sarah K.|last2=Else|first2=Paul L.|last3=Atkins|first3=Taleitha A.|last4=Hulbert|first4=A. J.|date=2012-5|title=Fatty acid composition of membrane bilayers: importance of diet polyunsaturated fat balance|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22285120|journal=Biochimica Et Biophysica Acta|volume=1818|issue=5|pages=1309–1317|doi=10.1016/j.bbamem.2012.01.011|issn=0006-3002|pmid=22285120}}</ref>。脂肪酸は[[飽和脂肪酸|飽和]]していることも[[不飽和脂肪酸|不飽和]]であることもあるが、[[二重結合]]はほとんど常に「シス」型である。脂肪鎖の長さや不飽和度は細胞膜の流動性に大きな影響を与える。不飽和の脂肪は曲がった構造となるため、脂肪酸が互いに密にパッキングすることがなくなり、膜の[[融点]]が低下 (流動性が増加) する<ref name="Lodish" /><ref name=":4" />。いくつかの生物は脂質の組成を変えることで細胞膜の流動性を調節する能力を持っており、{{仮リンク|恒流動性適応|en|Homeoviscous adaptation}} (Homeoviscous adaptation) と呼ばれる<ref>{{Cite journal|last=Sinensky|first=M.|date=1974-2|title=Homeoviscous adaptation--a homeostatic process that regulates the viscosity of membrane lipids in Escherichia coli|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/4360948|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America|volume=71|issue=2|pages=522–525|issn=0027-8424|pmid=4360948|pmc=388039}}</ref>。 疎水的な尾部の非共有結合的な相互作用によって、膜全体は維持されている。しかし、構造はきわめて流動的で、どこかの地点に固定されているわけではない。生理的条件下では、細胞膜中のリン脂質分子は[[液晶]]状態である。これは、脂質分子は自由に拡散することができ、それらが存在している層に沿った方向へ迅速に拡散することを意味している<ref name="Lodish" />。一方で、脂質二重層の細胞内側の層と外側の層の間でのリン脂質分子の交換は非常に遅い過程であり、そのため脂質二重層の非対称性は維持される<ref>{{Cite book|last=William,|first=Stillwell,|title=An introduction to biological membranes : composition, structure and function|url=https://www.worldcat.org/oclc/953455850|edition=Second edition|isbn=9780444637901|location=London|oclc=953455850}}</ref>。すべての脂質が迅速に拡散するわけではなく、[[脂質ラフト]]や[[カベオラ]]といった[[コレステロール]]に富んだ微小ドメインが細胞膜には形成されている<ref name=":4" />。また、脂質の一部は内在性[[膜タンパク質]]と直接的に接触している。タンパク質構造に強固に結合しているものは{{仮リンク|境界脂質|en|Annular lipid shell}}(輪状脂質、boundary lipid、annular lipid) と呼ばれ、タンパク質複合体の一部として振る舞う。 動物細胞では通常、コレステロールはさまざまな程度で細胞膜全体に分散しており、膜脂質の疎水性尾部の間の不定形の空間に位置して膜を硬化し強化している<ref name="MBOC" />。生体膜中のコレステロールの量は、個体、細胞種、そして個々の細胞間でも異なる。コレステロールは動物の細胞膜の主要な構成要素であり、膜全体の流動性を調節している。すなわち、コレステロールの濃度によって、細胞膜のさまざまな構成要素の運動の量が調節されている<ref name="MBOC" />。高温では、コレステロールはリン脂質の脂肪鎖の運動を阻害し、低分子の膜透過性を低下させ、膜の流動性を低下させる。低温でのコレステロールの役割はその逆であり、低温に応答してコレステロールの産生はアップレギュレーションされる。低温では、コレステロールは脂肪鎖どうしの相互作用を阻害し、膜の流動性を維持する抗凍結剤として機能する。コレステロールは、温暖な気候に暮らす動物よりも冷涼な気候の動物に多く存在する。コレステロールを持たない植物では、ステロール ([[フィトステロール]]) と呼ばれる関連化合物がコレステロールと同じ機能を果たしている<ref name="MBOC" />。 === 脂質小胞を形成するリン脂質 === 脂質小胞または[[リポソーム]]は、脂質二重層で取り囲まれたほぼ球形の袋状構造である<ref name=":5">{{Cite journal|last=Lodish|first=Harvey|last2=Berk|first2=Arnold|last3=Zipursky|first3=S. Lawrence|last4=Matsudaira|first4=Paul|last5=Baltimore|first5=David|last6=Darnell|first6=James|date=2000|title=Biomembranes: Structural Organization and Basic Functions|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21583/|journal=Molecular Cell Biology|volume=|pages=|edition=4th|language=en|via=|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180605030211/https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21583/|archivedate=2018-06-05|df=}}</ref>。これらの構造は、細胞へ直接的に化学物資を搬入することでその細胞への影響を調べたり、細胞膜の透過性についてより詳細な知見を得たり、といった目的で実験室で用いられる。脂質小胞とリポソームは、まず脂質を水溶液に懸濁し、そしてその混合物を[[超音波]]によって攪拌することによって得られる<ref>{{Cite journal|last=Mendez|first=Roberto|last2=Banerjee|first2=Santanu|date=2017|title=Sonication-Based Basic Protocol for Liposome Synthesis|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28660588|journal=Methods in Molecular Biology (Clifton, N.J.)|volume=1609|pages=255–260|doi=10.1007/978-1-4939-6996-8_21|issn=1940-6029|pmid=28660588}}</ref>。小胞内部から環境中への流出率を測定することで、膜の透過性についてより良い理解が得られるようになった。内部に分子やイオンを含む小胞は、目的物質を含む溶液中で小胞を形成することで得られる。またタンパク質も、目的のタンパク質を[[界面活性剤]]の存在下で可溶化し、リポソームを形成するリン脂質と結合させることで膜へ組み込むことができる。このような技術によって、研究者たちはさまざまな膜タンパク質の機能を調べることができるようになった。 ===炭水化物=== 細胞膜は炭水化物も含んでいる。それは主に[[糖タンパク質]]であるが、[[糖脂質]] ([[セレブロシド]]と[[ガングリオシド]]) も含まれ、真核生物の細胞間認識に重要な役割を果たしている。それらは細胞の表面に位置し、宿主細胞を認識して情報を共有している一方で、[[ウイルス]]はこれらの[[受容体]]を利用して細胞に結合し感染を引き起こしている<ref name=":3">{{Cite journal|last=Brandley|first=B. K.|last2=Schnaar|first2=R. L.|date=July 1986|title=Cell-surface carbohydrates in cell recognition and response|journal=Journal of Leukocyte Biology|volume=40|issue=1|pages=97–111|doi=10.1002/jlb.40.1.97|issn=0741-5400|pmid=3011937}}</ref>。ほとんどの場合、細胞内部の膜では[[糖鎖|糖鎖修飾]]は起こらず、一般的には細胞膜の外側の表面が糖鎖修飾されている。[[グリコカリックス]]は、すべての細胞、特に[[微絨毛]]を持つ[[上皮細胞]]の重要な特徴である。グリコカリックスは[[細胞接着]]、{{仮リンク|リンパ球ホーミング受容体|en|Lymphocyte homing receptor|label=リンパ球ホーミング}}や他の多くの過程に参加していることが近年のデータからは示唆されている<ref name=":3" />。[[ゴルジ体]]での糖鎖修飾が行われるため、末端から2番目の糖は[[ガラクトース]]、末端の糖は[[シアル酸]]である<ref>{{Cite book|last=Bruce,|author=|first=Alberts,|title=Molecular biology of the cell|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK26941/|edition=4th ed|date=2002|year=|accessdate=|publisher=Garland Science|isbn=0815332181|location=New York|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|others=Johnson, Alexander,, Lewis, Julian,, Raff, Martin,, Roberts, Keith,, Walter, Peter,|oclc=48122761}}</ref>。シアル酸は負に帯電しており、電荷を持つ粒子に対する外部障壁となっている。 ===タンパク質=== {| class="wikitable" style="float:right; font-size:85%; margin-left:15px; width:60%" | '''タイプ''' || '''説明''' || '''例''' |- | 内在性膜タンパク質または膜貫通タンパク質 | 膜を貫通して存在し、親水的な細胞質ドメインを持ち細胞内の分子と相互作用する。疎水的な膜貫通ドメインは細胞膜の内部に存在し、親水的な細胞外ドメインが細胞外の分子と相互作用する。疎水的ドメインは、α-ヘリックスまたはβ-シートからなるタンパク質モチーフが1つまたは複数、もしくはこれらの組み合わせによって構成される。 |[[イオンチャネル]]、[[プロトンポンプ]]、[[Gタンパク質共役受容体]] |- |脂質アンカー型タンパク質 | 1つまたは複数の脂質分子に共有結合しており、それらを細胞膜に疎水的に挿入することでタンパク質を固定している。タンパク質自体は膜と必ずしも相互作用しているわけではない。 |[[Gタンパク質]] |- |表在性膜タンパク質 | 内在性膜タンパク質や、脂質二重層の周縁領域と相互作用している。これらのタンパク質は生体膜と一時的な相互作用しか行わない傾向があり、いったん反応すると分子は解離し細胞質へ移動して機能を果たす。 | いくつかの酵素、[[ホルモン]] |} 細胞膜は多くのタンパク質を含んでおり、典型的には膜の体積の50%を占める<ref name="flashbio">{{cite web|url=http://www.bio.davidson.edu/people/macampbell/111/memb-swf/membranes.swf|title=Membrane Structure|accessdate=2007-01-11|year=2002|format=SWF|publisher=Davidson College|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070108161823/http://www.bio.davidson.edu/people/macampbell/111/memb-swf/membranes.swf|archivedate=2007-01-08|author1=Jesse Gray|author2=Shana Groeschler|author3=Tony Le|author4=Zara Gonzalez|deadurl=no|df=}}</ref>。これらのタンパク質は、さまざまな生物学的活性を担っており重要である。[[酵母]]では、約3分の1の遺伝子が膜タンパク質をコードしており、この割合は多細胞生物ではさらに高くなる<ref name=":5" />。膜タンパク質は、内在性、表在性、脂質アンカータンパク質、という3つの主要なタイプから構成される<ref name="MBOC" />。 右の表に示されている通り、内在性膜タンパク質は両親媒性の[[膜貫通タンパク質]]である。これには、イオンチャネル、プロトンポンプ、Gタンパク質共役受容体などが含まれる。[[イオンチャネル]]によって、[[ナトリウム]]、[[カリウム]]、[[カルシウム]]、[[塩素]]などの無機イオンの電気化学的な勾配に従った拡散が行われる。イオンチャネルの親水的な孔を通ってイオンは細胞膜を通過する。細胞の電気的な挙動 (神経細胞など) はイオンチャネルによって制御されている<ref name="MBOC" />。[[プロトンポンプ]]は脂質二重膜に埋め込まれたタンパク質のポンプであり、[[プロトン]]はアミノ酸の側鎖を次々に移動しながら膜を越えて移動する。このような電子の伝達やATPの産生にはプロトンポンプが用いられる<ref name="MBOC" />。[[Gタンパク質共役受容体]]は、脂質二重膜を7回貫通する1本のポリペプチド鎖で、シグナル伝達物質 ([[ホルモン]]や[[神経伝達物質]]) に応答する。Gタンパク質共役型受容体は細胞間シグナリングや、[[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]の産生の調節、イオンチャネルの調節などに用いられる<ref name="MBOC" />。 細胞膜は外部環境に露出しており、細胞間コミュニケーションに重要な部位となっている。そのため、さまざまな種類のタンパク質受容体や、[[抗原提示]]を行うタンパク質などが細胞膜の表面には存在している。膜タンパク質の機能には、細胞間の連絡、表面の認識、細胞骨格の連絡、シグナル伝達、酵素活性、膜を越えた物質輸送なども含まれる。 膜タンパク質はいくつかの方法で膜へ挿入されている。1つの方法では、[[N末端]]のアミノ酸の「シグナル配列」がタンパク質を[[小胞体]]へ向かわせ、そこで脂質二重層へ挿入される。挿入されたタンパク質は小胞の中で最終目的地まで輸送され、そこで小胞は標的の膜と融合する<ref name=":11">{{Cite journal|last=Lodish|first=Harvey|last2=Berk|first2=Arnold|last3=Zipursky|first3=S. Lawrence|last4=Matsudaira|first4=Paul|last5=Baltimore|first5=David|last6=Darnell|first6=James|date=2000|title=Post-Translational Modifications and Quality Control in the Rough ER|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK21741/|journal=Molecular Cell Biology|volume=|pages=|edition=4th|language=en|via=}}</ref>。{{clear}} ==機能== [[File:Cell membrane detailed diagram en.svg|thumb|400px|細胞膜の詳細な図解。]] [[File:Blausen 0213 CellularDiffusion.png|thumb|細胞膜を通過する物質拡散。Plasma membrane: 細胞膜、Water soluble molecules: 水溶性分子、Fat soluble molecules: 脂溶性分子。]] 細胞膜は、[[細胞質]]を取り囲んでおり、細胞内の構成要素を細胞外の環境から物理的に分離している。また、細胞膜は[[細胞骨格]]の足場となって細胞を形づくり、[[細胞外マトリックス]]や他の細胞に接着し、まとまって[[組織 (生物学)|組織]]を形成する。[[菌類]]、[[細菌]]、ほとんどの[[古細菌]]、そして[[植物]]は[[細胞壁]]も持っており、細胞の機械的な支持を行うとともに、巨大な分子の通過を防いでいる。 細胞膜には選択的透過性があり、細胞への出入りを調節し、生存に必要な物質の輸送を促進している。膜を越える物質移動は、細胞からのエネルギー入力なしに起こる「[[受動輸送]]」と、輸送のために細胞がエネルギーを消費する必要がある「[[能動輸送]]」のいずれかによって行われる。また、膜は細胞内外の電位差 ([[膜電位]]) を保っている。細胞膜は選択的フィルターとして働き、特定のものだけが細胞へ出入りするようになっている。細胞は、生体膜が関与する輸送メカニズムとして次のようなものを利用する。 # 受動的な[[浸透]]と[[拡散]]: [[二酸化炭素]] (CO<sub>2</sub>) や[[酸素]] (O<sub>2</sub>) などのいくつかの物質は、拡散によって細胞膜を通過することができ、これは受動的な輸送プロセスである。膜は特定の物質やイオンに対する障壁として働くため、膜の両側では異なった濃度となる。拡散は、低分子やイオンが高濃度側から低濃度側へ自由に移動するときに起こる。このプロセスはエネルギーを必要とせず、膜の両側で作り出された濃度勾配によって推進されるため、受動輸送であると考えられる<ref name=":12">{{Cite journal|last=Cooper|first=Geoffrey M.|date=2000|title=Transport of Small Molecules|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9847/|journal=The Cell: A Molecular Approach|volume=|pages=|edition=2nd|language=en|via=|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180605030211/https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9847/|archivedate=2018-06-05|df=}}</ref>。半透膜を挟んだ濃度勾配は、水の浸透流を引き起こす。生体における浸透は溶媒の半透膜の通過を伴うが、溶媒は濃度勾配に従って移動しエネルギーを必要としないため、同様に受動的である。細胞内の溶媒は水が最も一般的であるが、他の液体や[[超臨界流体]]、ガスであることも可能である<ref name=":13">{{Cite journal|last=Kramer|first=Eric M.|last2=Myers|first2=David R.|year=2013|title=Osmosis is not driven by water dilution|url=http://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/S136013851200252X|journal=Trends in Plant Science|volume=18|issue=4|pages=195–197|doi=10.1016/j.tplants.2012.12.001|pmid=23298880|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170912202049/http://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/S136013851200252X|archivedate=2017-09-12|df=}}</ref>。 # 膜貫通[[イオンチャネル|チャネル]]と[[膜輸送体|輸送体]]: 膜貫通タンパク質は、分子の膜通過のために膜の両側で機能する<ref name=":0">{{Cite journal|last=Alberts|first=Bruce|last2=Johnson|first2=Alexander|last3=Lewis|first3=Julian|last4=Raff|first4=Martin|last5=Roberts|first5=Keith|last6=Walter|first6=Peter|date=2002|title=Membrane Proteins|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK26878/|journal=Molecular Biology of the Cell|volume=|pages=|edition=4th|language=en|via=|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180605030211/https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK26878/|archivedate=2018-06-05|df=}}</ref>。[[糖]]や[[アミノ酸]]のような栄養素は細胞へ入る必要があり、特定の[[代謝物質|代謝産物]]は細胞から出て行く必要がある。このような分子は、[[アクアポリン]]のようなタンパク質チャネルを受動的に通過して促進拡散されるか、膜貫通輸送体によって膜を越えて汲み上げられる。タンパク質チャネルは透過酵素 (permease) とも呼ばれ、通常は極めて特異性が高く、限られた種類の化学物質だけ (1種類の物質に限られることも多い) を認識して輸送する。膜貫通タンパク質の他の例としては細胞表面の[[受容体]]があり、[[シグナリング分子|シグナル伝達物質]]を利用して細胞間のコミュニケーションを行う<ref name=":0" />。 # [[エンドサイトーシス]]: エンドサイトーシスは、細胞が分子を包み込んで吸収するプロセスである。細胞膜は陥入 (invagination) と呼ばれる、内側への小さな変形を作り出し、輸送される物質がそこへ捕捉される。この陥入は細胞膜の外側に位置するタンパク質によって引き起こされ、それらは受容体のように機能して窪みへ集合し、細胞膜の内側へのタンパク質や脂質の蓄積を促進する<ref name=":14">{{Cite journal|last=Alberts|first=Bruce|last2=Johnson|first2=Alexander|last3=Lewis|first3=Julian|last4=Raff|first4=Martin|last5=Roberts|first5=Keith|last6=Walter|first6=Peter|date=2002|title=Transport into the Cell from the Plasma Membrane: Endocytosis|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK26870/|journal=Molecular Biology of the Cell|volume=|pages=|edition=4th|language=en|via=|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180605030211/https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK26870/|archivedate=2018-06-05|df=}}</ref>。その後、変形部は細胞の内側へくびれて膜から切り離され、捕捉された物質を内側に含む小胞が作り出される。エンドサイトーシスは、固形の粒子を取り込んだり ([[食作用]])、低分子やイオン ([[飲作用]])、高分子を取り込む経路である。エンドサイトーシスはエネルギーを必要とし、そのため能動輸送の一形態である。 #[[エキソサイトーシス]]: 陥入や小胞形成によって細胞に物質が取り込まれるのと同じように、小胞の膜は細胞膜と融合し、内容物を外部へ排出することができる。これがエキソサイトーシスのプロセスである。エキソサイトーシスは、エンドサイトーシスによって取り込まれた物質の未消化残留物を除去したり、[[ホルモン]]や[[酵素]]のような物質を分泌したり、物質を細胞の障壁を越えて輸送したりといった目的で、さまざまな細胞で行われる。エキソサイトーシスのプロセスでは、未消化残留物を含む食胞や[[ゴルジ体]]から出芽した[[分泌小胞]]は、まず[[細胞骨格]]によって細胞内部から表面へ移動し、小胞の膜と細胞膜が接触するようになる。2つの脂質二重層の脂質分子は互いに組み替えられ、2つの膜は融合する。膜の融合によって通り道が形成され、小胞はその内容物を細胞外へ廃棄する。 == 原核生物の膜 == [[原核生物]]は、[[古細菌]]と[[細菌]]の異なる2つのグループに分類され、細菌はさらに[[グラム陽性菌]]と[[グラム陰性菌]]に分類される。グラム陰性菌は[[ペリプラズム]]によって隔てられる細胞膜と外膜を持っているが、他の原核生物は細胞膜のみを持っている。細胞膜と外膜は多くの面で異なっている。グラム陰性菌の外膜は、リン脂質が二重層の外側の面を形成し、[[リポタンパク質]]とリン脂質が内側の面を形成している<ref name=":15">{{Cite book|last=Salton|first=Milton R. J.|editor-last=Baron|editor-first=Samuel|title=Medical Microbiology|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK8477/|edition=4th|date=1996|publisher=University of Texas Medical Branch at Galveston|isbn=978-0963117212|location=Galveston (TX)|last2=Kim|first2=Kwang-Shin|pmid=21413343}}</ref>。典型的な外膜は、孔を形成するタンパク質である[[ポリン (タンパク質)|ポリン]]のような膜タンパク質が存在するため、孔の多い構造となっている。内側の細胞膜は一般的に対称的な構造をしているが、外膜は上のようなタンパク質のために非対称的である。また、原核生物の膜は、複数の因子が流動性に影響を与えている。流動性に影響を与える主要な因子の1つは、脂肪酸の構成である。例えば、37℃で24時間培養した[[黄色ブドウ球菌]] ''Staphylococcus aureus'' の細胞膜は、ゲル状態というよりも流動的な状態となっている。このことは、高温下においては膜はより流動的となるという考えを支持している。膜がより流動的になり安定化が必要となると、より長い、またはより飽和した脂肪鎖が膜の安定化のために合成されるようになる<ref name=":16">{{Cite journal|last=Mishra|first=Nagendra N.|last2=Liu|first2=George Y.|last3=Yeaman|first3=Michael R.|last4=Nast|first4=Cynthia C.|last5=Proctor|first5=Richard A.|last6=McKinnell|first6=James|last7=Bayer|first7=Arnold S.|date=February 2011|title=Carotenoid-Related Alteration of Cell Membrane Fluidity Impacts Staphylococcus aureus Susceptibility to Host Defense Peptides|journal=Antimicrobial Agents and Chemotherapy|volume=55|issue=2|pages=526–531|doi=10.1128/AAC.00680-10|issn=0066-4804|pmid=21115796|pmc=3028772}}</ref>。 また、細菌は[[ペプチドグリカン]] (アミノ酸と糖) から構成される[[細胞壁]]に囲まれている。いくつかの真核生物の細胞も細胞壁をもっているが、それらはペプチドグリカンで作られているものではない。 グラム陰性菌の外膜は[[リポ多糖]]に富んでおり、それらは[[多糖]]または[[オリゴ糖]]と脂質が結合したもので、細胞の[[自然免疫]]を刺激する<ref name=":17">{{Cite journal|last=Alexander|first=C.|last2=Rietschel|first2=E. T.|date=2001|title=Bacterial lipopolysaccharides and innate immunity|journal=Journal of Endotoxin Research|volume=7|issue=3|pages=167–202|doi=10.1177/09680519010070030101|issn=0968-0519|pmid=11581570}}</ref>。ストレス環境や宿主の標的細胞に遭遇し毒性が必要とされるときなどに、外膜はペリプラズム領域へ突起を形成し、毒性細胞小器官 (virulence organelle) として機能する<ref name=":18">{{cite journal|last1=YashRoy|first1=R.C.|year=1999|title=A structural model for virulence organellae of gram negative organisms with reference to Salmonella pathogenicity in chicken ileum|url=https://www.researchgate.net/publication/230856732|journal=Indian Journal of Poultry Science|volume=34|issue=2|pages=213–219|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141107062130/http://www.researchgate.net/publication/230856732_A_structural_model_for_virulence_organellae_of_gram-negative_organisms_with_reference_to_Salmonella_pathogenicity_in_chicken_ileum?ev=prf_pub|archivedate=2014-11-07|df=}}</ref>。原核生物の細胞膜には、[[ニッチ]]へ適合するために構造を適応させている多くの例が見つかる。例えば、ある細菌の細胞表面のタンパク質は滑走運動 (gliding motion) を行っている<ref name="Saier 2013">{{Cite journal|last=Saier|first=Milton H.|date=2013|title=Microcompartments and Protein Machines in Prokaryotes|journal=Journal of Molecular Microbiology and Biotechnology|volume=23|issue=4–5|pages=243–269|doi=10.1159/000351625|issn=1464-1801|pmid=23920489|pmc=3832201}}</ref>。多くのグラム陰性菌の細胞膜には、[[アデノシン三リン酸|ATP]]によって駆動されるタンパク質輸送システムが存在する<ref name="Saier 2013" />。 ==構造== ===流動モザイクモデル=== Davson と Danielli のモデルに置き換わって登場した、{{仮リンク|シーモア・ジョナサン・シンガー|en|Seymour Jonathan Singer}}と{{仮リンク|ガース・L・ニコルソン|en|Garth L. Nicolson}}による[[流動モザイクモデル]] (1972) によると、[[生体膜]]は脂質やタンパク質分子が多かれ少なかれ容易に拡散する二次元液体とみなされている<ref name=":19">{{cite journal|date=Feb 1972|title=The fluid mosaic model of the structure of cell membranes|url=http://www.sciencemag.org/cgi/content/abstract/175/4023/720|journal=Science|volume=175|issue=4023|pages=720–31|doi=10.1126/science.175.4023.720|pmid=4333397|author=Singer SJ, Nicolson GL|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090208062522/http://sciencemag.org/cgi/content/abstract/175/4023/720|archivedate=2009-02-08|df=}}</ref>。膜の基礎となる脂質二重層は確かにそれ自体で二次元液体を形成するが、細胞膜には大量のタンパク質も含まれており、それらによってより構造化されたものとなっている。構造の例としては、タンパク質-タンパク質複合体や、[[アクチン]]を基礎とした[[細胞骨格]]によって形成される picket と fence<ref>{{Cite journal|last=Kusumi|first=Akihiro|last2=Shirai|first2=Yuki M.|last3=Koyama-Honda|first3=Ikuko|last4=Suzuki|first4=Kenichi G. N.|last5=Fujiwara|first5=Takahiro K.|date=2010-05-03|title=Hierarchical organization of the plasma membrane: investigations by single-molecule tracking vs. fluorescence correlation spectroscopy|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20178787|journal=FEBS letters|volume=584|issue=9|pages=1814–1823|doi=10.1016/j.febslet.2010.02.047|issn=1873-3468|pmid=20178787}}</ref> などがあり、[[脂質ラフト]]も含まれる可能性がある。 ===脂質二重層=== [[Image:Fluid Mosaic.svg|thumb|200px|right|[[脂質二重層]]を形成している両親媒性の脂質分子の配置の模式図。黄色で示されたの[[極性]]の頭部が、水性の細胞質と外部環境から灰色で示された疎水性の尾部を分離している。]] 細胞膜は通常[[脂質二重層]]と呼ばれる構造をつくっている。脂質二重層は[[自己集合]]によって形成される。細胞膜を構成する主要な成分である[[リン脂質]]には頭部と尾部があるが、頭部は[[コリン (栄養素)|コリン]]、[[リン酸]]からなり、親水性である。一方、尾部は[[炭化水素]]からなり、疎水性である。そのため極性を持つ体液中では尾部を内側に、頭部を外側にするようにリン脂質が二重の膜を形成する。疎水的相互作用 ([[疎水効果]]) が脂質二重層形成の主な駆動力である。疎水的な分子間の相互作用が増加し、疎水的な領域が集合すると、水分子はより自由に互いに結合するようになり、系全体の[[エントロピー]]は増加する。この複雑な相互作用には、[[ファンデルワールス力]]、静電的相互作用、[[水素結合]]などの非共有結合的な相互作用が含まれる。細胞膜には、脂質の中に埋め込まれたり、脂質自体に結合した状態のタンパク質(膜タンパク質)が存在し、さらにこの脂質や膜タンパク質には多くの場合[[糖鎖]]が結合している。したがって細胞表層は全体として複雑な構造となり、細胞の種類ごとに特徴的なものとなる。 一般的に脂質二重層はイオンや極性分子を透過しない。脂質二重層の親水的な頭部と疎水的な尾部の配置は、一般的に疎水性分子の受動的な拡散を行うが、極性の溶質 ([[アミノ酸]]、[[核酸]]、炭水化物、タンパク質、イオン) が膜を越えて拡散することは防がれる。そのため細胞は、孔やチャネル、ゲートのような膜貫通タンパク質複合体を経由してこれらの物質の移動させることで、物質移動を制御することができる。{{仮リンク|フリッパーゼ|en|Flippase}}や{{仮リンク|リン脂質スクランブラーゼ|en|Phospholipid scramblase}}は、負電荷を持つ[[ホスファチジルセリン]]を細胞膜の内側に濃縮する<ref>{{Cite journal|last=Hankins|first=Hannah M.|last2=Baldridge|first2=Ryan D.|last3=Xu|first3=Peng|last4=Graham|first4=Todd R.|date=2015-1|title=Role of flippases, scramblases and transfer proteins in phosphatidylserine subcellular distribution|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/25284293|journal=Traffic (Copenhagen, Denmark)|volume=16|issue=1|pages=35–47|doi=10.1111/tra.12233|issn=1600-0854|pmid=25284293|pmc=4275391}}</ref>。これと、[[N-アセチルノイラミン酸|''N''-アセチルノイラミン酸]]によって、荷電した分子の膜通過の更なる障壁が形成されている。 膜は真核生物や原核生物の細胞で多様な機能を果たしている。重要な機能の1つは、物質の細胞への出入りを調節することである。特定の膜タンパク質を持つリン脂質の二重層構造 (流動モザイクモデル) は、膜の選択的透過性と受動輸送、能動輸送のメカニズムを説明する。それに加え、原核生物や、真核生物の[[ミトコンドリア]]と[[葉緑体]]の膜は、[[化学浸透]]によってATPの合成を促進している。 脂質二重層の例外としては、一部の[[古細菌]]の細胞膜がある。例えば[[スルフォロブス属]] (''Sulfolobus'') 等では向かい合ったリン脂質の疎水鎖が連結し、脂質一重層になっている<ref>{{Cite journal|last=Albers|first=S. V.|last2=van de Vossenberg|first2=J. L.|last3=Driessen|first3=A. J.|last4=Konings|first4=W. N.|date=2000-09-01|title=Adaptations of the archaeal cell membrane to heat stress|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10966867|journal=Frontiers in Bioscience: A Journal and Virtual Library|volume=5|pages=D813–820|issn=1093-9946|pmid=10966867}}</ref>。 ===膜の極性=== {{See also|上皮細胞極性}} [[Image:Alpha Intercalated Cell Cartoon.svg|thumb|300px|α型[[間在細胞]]における物質移動の模式図。Apical Surface: 頂端面、Basolateral Surface: 側底面。]] [[細胞極性|極性]]を有する細胞において、[[内腔]]に面した細胞膜表面は[[頂端膜]] (apical membrane) と呼ばれ、他の面とは異なる活性を持つ。[[上皮細胞]]や[[内皮細胞]]において顕著であるが、[[神経細胞]]のような他の極性細胞でも見られる。極性細胞の側面と底面を形成する細胞膜は側底膜 (basolateral membrane) と呼ばれ、外側の[[間質]]に面しており、内腔からは離れている。側面と底面の細胞膜は、特に上皮細胞では、同一の組成と活性を持つ。イオンチャネルやポンプのようなタンパク質は、流動モザイクモデルの通りに底面から側面へ、側面から底面へと自由に移動する。上皮細胞どうしは頂端面の近くで[[タイトジャンクション]]によって結合しており、タンパク質の側底膜から頂端膜への移動が防がれている。 ===膜の構造=== [[File:Cell membrane drawing-en.svg|thumb|300px|細胞膜中の構造物とその機能の模式図。]] 細胞膜は、[[カベオラ]]、{{仮リンク|シナプス後肥厚|en|Postsynaptic density}}、{{仮リンク|ポドソーム|en|Podosome}}、{{仮リンク|浸潤突起|en|Invadopodia}}、{{仮リンク|焦点接着|en|Focal adhesion}}、さまざまな種類の[[細胞結合]]といった「超膜構造」("supramembrane" structure) を形成することができる。これらの構造は通常、[[細胞接着]]、細胞間のコミュニケーション、[[エンドサイトーシス]]、[[エキソサイトーシス]]を担っており、[[電子顕微鏡]]や[[蛍光顕微鏡]]で観察可能である。これらは、[[インテグリン]]や[[カドヘリン]]といった、特定のタンパク質から構成されている。 ===細胞骨格=== [[細胞骨格]]は細胞膜直下の細胞質に見つかり、膜タンパク質を固定するため、また、細胞から伸びる[[細胞小器官]]を形成するための足場となっている。実際に、細胞骨格の構成要素は、細胞膜と密接に相互作用している<ref name=":20">{{cite journal|year=2008|title=Mediation, Modulation and Consequences of Membrane-Cytoskeleton Interactions|journal=Annual Review of Biophysics|volume=37|pages=65–95|doi=10.1146/annurev.biophys.37.032807.125912|pmid=18573073|author=Doherty GJ, McMahon HT}}</ref>。アンカータンパク質 (anchoring protein) は膜タンパク質を細胞表面の特定の部位、例えば[[脊椎動物]]の[[腸管]]に並ぶ[[上皮細胞]]では頂端面に限定し、二重層内で拡散する領域を制限している。また、細胞骨格は付属器官型の細胞小器官を形成することができる。例えば[[繊毛]]は[[微小管]]を基盤とする突起構造であり、{{仮リンク|フィロポディア|en|Filopodia}}は[[アクチン]]を基盤とする突起構造である。これらの突起は膜に覆われており、外部環境を感知したり、基質や他の細胞と接触したりするために細胞表面から突出する。上皮細胞の頂端面は[[微絨毛]]として知られるアクチンが基盤となった指型の突出が密集しており、細胞の表面積を増加させることで栄養素の吸収率を増加させている。細胞骨格と細胞膜が局所的に脱共役されると、{{仮リンク|ブレブ|en|Bleb (cell biology)}}が形成されることとなる。 ===細胞内の膜=== 細胞膜の内側の、細胞の内容物も多数の膜結合性の細胞小器官から構成されており、それらは細胞の全体的な機能に寄与している。 *[[ミトコンドリア]]と[[葉緑体]]は[[細菌]]から進化したと考えられており、この考えは[[細胞内共生説]]として知られている。この理論は、[[パラコッカス属]]と[[ロドシュードモナス属]]の細菌がミトコンドリアと類似した機能を有しており、[[藍藻]] (シアノバクテリア) と葉緑体と類似した機能を有している、という考えに由来する。細胞内共生説では、[[真核生物]]の細胞はこれらの2種類の細菌を飲み込み、細胞内でミトコンドリアと葉緑体が形成されたとされる。これらの細胞小器官の二重の膜構造はこの飲み込みによるもので、その外膜は宿主の細胞膜に由来し、内膜は共生体の細胞膜に由来する。さらに、ミトコンドリアと葉緑体の双方が独自のDNAを持っていることも、これらの細胞小器官が真核細胞に飲み込まれ、細胞内で生育した細菌から進化したことを支持している<ref>{{Cite journal|last=Whatley|first=Jean M.|last2=John|first2=P.|last3=Whatley|first3=F. R.|date=1979-04-11|title=From Extracellular to Intracellular: The Establishment of Mitochondria and Chloroplasts|url=http://rspb.royalsocietypublishing.org/content/204/1155/165|journal=Proceedings of the Royal Society of London B: Biological Sciences|volume=204|issue=1155|pages=165–187|language=en|doi=10.1098/rspb.1979.0020|issn=0962-8452|pmid=36620|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171107014814/http://rspb.royalsocietypublishing.org/content/204/1155/165|archivedate=2017-11-07|df=}}</ref>。 * 真核細胞では、[[核膜]]が[[細胞核|核]]の内容物を[[細胞質]]から分離している<ref>{{Cite journal|last=Alberts|first=Bruce|last2=Johnson|first2=Alexander|last3=Lewis|first3=Julian|last4=Raff|first4=Martin|last5=Roberts|first5=Keith|last6=Walter|first6=Peter|date=2002|title=The Structure and Function of DNA|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK26821/|journal=Molecular Biology of the Cell|volume=|pages=|edition=4th|language=en|via=}}</ref>。核膜は内膜と外膜から構成され、核への物質の出入りを厳密に調節している。細胞質と核の間の物質の移動は[[核膜孔]]を経由して行われる。細胞核での[[転写 (生物学)|転写]]が活発になるほど、核膜には多くの核膜孔が形成される。多くのタンパク質は拡散によって核膜を越えることはできないため、核のタンパク質の組成は細胞質とは大きく異なっている。核膜の内部でも、内膜と外膜ではタンパク質の組成は大きく異なる。外膜は[[小胞体]]の膜と連続しており、小胞体と同様に外膜にも[[リボソーム]]が存在し、タンパク質の生産と2つの膜の間の領域への輸送を行っている。核膜は[[有糸分裂]]の初期の段階で解体し、末期の段階で再集合する<ref>{{Cite journal|last=Alberts|first=Bruce|last2=Johnson|first2=Alexander|last3=Lewis|first3=Julian|last4=Raff|first4=Martin|last5=Roberts|first5=Keith|last6=Walter|first6=Peter|date=2002|title=The Transport of Molecules between the Nucleus and the Cytosol|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK26932/|journal=Molecular Biology of the Cell|volume=|pages=|edition=4th|language=en|via=}}</ref>。 *[[小胞体]]は、[[細胞内膜系]]の一部であり、細胞の膜の総量のうちの大きな割合を占めている。小胞体は細管と嚢状構造の閉じたネットワークであり、主要な機能はタンパク質の合成や脂質の代謝である。小胞体には、[[粗面小胞体]]と[[滑面小胞体]]の2つの種類がある。粗面小胞体はリボソームが付着しておりタンパク質合成に用いられる。滑面小胞体は毒素の処理や細胞内のカルシウムの調節などに主に利用される<ref>{{Cite journal|last=Cooper|first=Geoffrey M.|date=2000|title=The Endoplasmic Reticulum|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9889/|journal=The Cell: A Molecular Approach|volume=|pages=|edition=2nd|language=en|via=|deadurl=no|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171003052047/https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK9889/|archivedate=2017-10-03|df=}}</ref>。 * [[ゴルジ体]]は、円盤状のゴルジ扁平嚢 (Golgi cisternae) の層が積み重なった構造をしている。ゴルジ体は3つの主要な区画 (シス嚢、中間嚢、トランス嚢) から構成され、複数の細管状・網状のネットワークと小胞によって、全体の組織化、層構造の連結、積み荷の輸送が行われている<ref>{{Cite journal|last=Xu|first=Haijiao|last2=Su|first2=Weiheng|last3=Cai|first3=Mingjun|last4=Jiang|first4=Junguang|last5=Zeng|first5=Xianlu|last6=Wang|first6=Hongda|date=2013-04-16|title=The Asymmetrical Structure of Golgi Apparatus Membranes Revealed by In situ Atomic Force Microscope|journal=PLOS ONE|volume=8|issue=4|pages=e61596|doi=10.1371/journal.pone.0061596|issn=1932-6203|pmid=23613878|pmc=3628984|deadurl=no|df=}}</ref>。 ==脚注== {{Reflist|2}} == 関連項目 == === 膜タンパク質 === * [[受容体]] * [[イオンチャネル]]、[[膜輸送体]] * [[Gタンパク質]] === 関わる機能等 === * [[エンドサイトーシス]] * [[エキソサイトーシス]] * [[シグナル伝達]] == 外部リンク == * {{脳科学辞典|記事名=細胞膜}} * {{Kotobank}} {{細胞小器官}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:さいほうまく}} [[Category:膜生物学]] [[Category:細胞小器官]] [[Category:細胞解剖学]]
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経済
経済(、希: οικονομία、羅: oeconomia、英: economy〈エコノミー〉)とは、市場が生産活動を調整するシステムを指す。 人々が豊かな生活を送るためには、需要に応じて財やサービスを生産し、充分に供給できるような精度の高いシステムが必要となる。なぜなら世の中にある資源には希少性があり、何かを手に入れるためには、他のものを諦めなければならないからである。経済とはそれらの活動を調整するシステムであり、経済学とはそのシステムを研究する学問である。 人間による重要な経済活動の一つに、取引がある。貨幣を用いた売買も取引の一形態である。貨幣は取引を円滑にする以外に、短期的に価値が変動しにくいため価値が貯蔵できる、商品の価値を計算する尺度になる、といった特徴を持つ。これら貨幣のはたらきも、経済学の重要な研究対象となっている。 日本語の「経済」は英語の "economy"の訳語となっているが、このeconomyという語は古典ギリシア語の οικονομία(家政術)に由来する。οικος は家を意味し、νομος は規則・管理を意味する。従って、economy の本来の意味は家庭のやりくりにおける財の扱い方であるが、近代になってこれを国家統治の単位にまで拡張し、以前の意味と区別して政治経済学(political economy)という名称が登場する(この名称は後にアルフレッド・マーシャルによって economics と改められた。)。 近代以降、日本のみならず中国など漢字文化圏の国で、上記のような "economy" を意味する「経済」の語が普及したが、それ以前は政治的、倫理的意味を含む「経世済民」の略語として用いられていた。 まず江戸時代後期の日本において、「経済」という言葉が人民の生活に関わる生産、支出、分配などの意味を含んで使われるようになり、幕末維新期に(古典派経済学における)"political economy" の訳語として用いられるようになった。たとえば、1862年発行の辞書『英和対訳袖珍辞典』が political economy の訳語として「経済」「経済学」の訳語を挙げており、同じ年に西周が手紙の中で「経済学」の語を用いている。「経済」の語が広まったのは、同時期に福澤諭吉が「経済」の語を用いていたことが大きく影響しているとされ、この訳語の考案者を福沢諭吉とする文献もある 。political economyの訳語としては、同時期に『易経』に由来する資生なども提唱されたが、こちらはあまり普及しなかった。 "(political) economy" の訳語としての「経済」の語法は、やがて翻訳を通じて「経世済民」の語を生んだ中国(清)に逆輸入されたが、初めは訳語としてあまり用いられず、富国策、資生学といった用語が用いられていた。その後、中華民国の初期に孫文ら革命派が「経済」を用いた影響もあり、訳語として定着していった。 経済活動は法律をはじめとする様々な条件によって制約されている。それらの制約のもとで、社会は人々のニーズを満足させるように供給を組織化する。この組織化された供給の仕組みを経済体制 (Economic system) という。代表的な経済体制として以下の3つが挙げられる。 伝統経済 (Traditional economy) とは生産や再配分などの主要な経済活動が慣習や文化によって大きく規定された経済である。集落や村落などの比較的に小規模な集団の経済にしばしば見られる形態であり、生産活動が個人の家柄や集団の文化によって定められているために予測可能性が高く、継続的かつ安定的な供給が維持される。 市場経済 (Market economy) とは企業や個人が自己利益を最優先して財・サービスを生産し、市場の仕組みによって配分する形態の経済である。規範や指令もなく、市場における消費の動向によって生産活動が規定される特徴があり、個人の自由度が高く、意思決定が分散的であり、また希少性の変化に柔軟に反応できる長所がある。ただし経済学が保証する市場経済の効率性は、財産権、取引の自由、企業参入退出の自由、完全情報などの条件が必要であり、これらの条件が満たされない場合には市場の失敗が生じる。 計画経済 (Command economy) とは中央当局によってあらゆる経済活動が運営されている形態の経済である。指令経済とも言う。産業への必要物資、生産目標、生産割り当てなどが定められ、その計画に基づいて経済活動が遂行される。経済資源や労働力を計画的に運用することができるために特定の産業を集中的に発展できるとされる。一方で、計画経済の下では労働者のインセンティブが欠如しやすいという欠点がある。また、計画経済の存立可能性をめぐってなされた議論として経済計算論争がある。 経済成長とは、経済規模の拡大や生産性の向上といった経済力の伸びを示す概念である。国の経済規模は、国内総生産(GDP)によって測られる。これら産出量の変化率が実質経済成長率であり、狭義にはこの変化率の上昇傾向を指して経済成長と呼ぶ。経済成長を決定づける要因や、経済成長率と失業、物価などとの関連を分析する経済学の分野としてマクロ経済学がある。 効率的な経済活動であることから転じて、商品の購入に際して金銭負担が少なくてすむことを「経済的」「エコノミカル(Economical)」という。飛行機で最も低価格な座席等級を「エコノミークラス」と呼ぶのもこうした用法の1つである。 日本経済、アメリカ経済、中国経済などのように、国家の経済活動を「経済」と呼ぶことがある。大阪経済、香港経済などのように、ローカルの経済活動を指すこともある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "経済(、希: οικονομία、羅: oeconomia、英: economy〈エコノミー〉)とは、市場が生産活動を調整するシステムを指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "人々が豊かな生活を送るためには、需要に応じて財やサービスを生産し、充分に供給できるような精度の高いシステムが必要となる。なぜなら世の中にある資源には希少性があり、何かを手に入れるためには、他のものを諦めなければならないからである。経済とはそれらの活動を調整するシステムであり、経済学とはそのシステムを研究する学問である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "人間による重要な経済活動の一つに、取引がある。貨幣を用いた売買も取引の一形態である。貨幣は取引を円滑にする以外に、短期的に価値が変動しにくいため価値が貯蔵できる、商品の価値を計算する尺度になる、といった特徴を持つ。これら貨幣のはたらきも、経済学の重要な研究対象となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本語の「経済」は英語の \"economy\"の訳語となっているが、このeconomyという語は古典ギリシア語の οικονομία(家政術)に由来する。οικος は家を意味し、νομος は規則・管理を意味する。従って、economy の本来の意味は家庭のやりくりにおける財の扱い方であるが、近代になってこれを国家統治の単位にまで拡張し、以前の意味と区別して政治経済学(political economy)という名称が登場する(この名称は後にアルフレッド・マーシャルによって economics と改められた。)。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "近代以降、日本のみならず中国など漢字文化圏の国で、上記のような \"economy\" を意味する「経済」の語が普及したが、それ以前は政治的、倫理的意味を含む「経世済民」の略語として用いられていた。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "まず江戸時代後期の日本において、「経済」という言葉が人民の生活に関わる生産、支出、分配などの意味を含んで使われるようになり、幕末維新期に(古典派経済学における)\"political economy\" の訳語として用いられるようになった。たとえば、1862年発行の辞書『英和対訳袖珍辞典』が political economy の訳語として「経済」「経済学」の訳語を挙げており、同じ年に西周が手紙の中で「経済学」の語を用いている。「経済」の語が広まったのは、同時期に福澤諭吉が「経済」の語を用いていたことが大きく影響しているとされ、この訳語の考案者を福沢諭吉とする文献もある 。political economyの訳語としては、同時期に『易経』に由来する資生なども提唱されたが、こちらはあまり普及しなかった。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "\"(political) economy\" の訳語としての「経済」の語法は、やがて翻訳を通じて「経世済民」の語を生んだ中国(清)に逆輸入されたが、初めは訳語としてあまり用いられず、富国策、資生学といった用語が用いられていた。その後、中華民国の初期に孫文ら革命派が「経済」を用いた影響もあり、訳語として定着していった。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "経済活動は法律をはじめとする様々な条件によって制約されている。それらの制約のもとで、社会は人々のニーズを満足させるように供給を組織化する。この組織化された供給の仕組みを経済体制 (Economic system) という。代表的な経済体制として以下の3つが挙げられる。", "title": "経済体制" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "伝統経済 (Traditional economy) とは生産や再配分などの主要な経済活動が慣習や文化によって大きく規定された経済である。集落や村落などの比較的に小規模な集団の経済にしばしば見られる形態であり、生産活動が個人の家柄や集団の文化によって定められているために予測可能性が高く、継続的かつ安定的な供給が維持される。", "title": "経済体制" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "市場経済 (Market economy) とは企業や個人が自己利益を最優先して財・サービスを生産し、市場の仕組みによって配分する形態の経済である。規範や指令もなく、市場における消費の動向によって生産活動が規定される特徴があり、個人の自由度が高く、意思決定が分散的であり、また希少性の変化に柔軟に反応できる長所がある。ただし経済学が保証する市場経済の効率性は、財産権、取引の自由、企業参入退出の自由、完全情報などの条件が必要であり、これらの条件が満たされない場合には市場の失敗が生じる。", "title": "経済体制" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "計画経済 (Command economy) とは中央当局によってあらゆる経済活動が運営されている形態の経済である。指令経済とも言う。産業への必要物資、生産目標、生産割り当てなどが定められ、その計画に基づいて経済活動が遂行される。経済資源や労働力を計画的に運用することができるために特定の産業を集中的に発展できるとされる。一方で、計画経済の下では労働者のインセンティブが欠如しやすいという欠点がある。また、計画経済の存立可能性をめぐってなされた議論として経済計算論争がある。", "title": "経済体制" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "経済成長とは、経済規模の拡大や生産性の向上といった経済力の伸びを示す概念である。国の経済規模は、国内総生産(GDP)によって測られる。これら産出量の変化率が実質経済成長率であり、狭義にはこの変化率の上昇傾向を指して経済成長と呼ぶ。経済成長を決定づける要因や、経済成長率と失業、物価などとの関連を分析する経済学の分野としてマクロ経済学がある。", "title": "経済成長" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "効率的な経済活動であることから転じて、商品の購入に際して金銭負担が少なくてすむことを「経済的」「エコノミカル(Economical)」という。飛行機で最も低価格な座席等級を「エコノミークラス」と呼ぶのもこうした用法の1つである。", "title": "「経済」の派生的用法" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本経済、アメリカ経済、中国経済などのように、国家の経済活動を「経済」と呼ぶことがある。大阪経済、香港経済などのように、ローカルの経済活動を指すこともある。", "title": "「経済」の派生的用法" } ]
経済(けいざい、とは、市場が生産活動を調整するシステムを指す。
{{Otheruses}} [[File:Allegory of inflation during the Bakumatsu era.jpg|thumb|300px|[[インフレーション]]の[[アレゴリー]]([[幕末]]、1868年より前)]] {{読み仮名|'''経済'''|けいざい|{{lang-el-short|οικονομία}}、{{lang-la-short|oeconomia}}、{{lang-en-short|economy〈エコノミー〉}}}}とは、[[市場]]が生産活動を調整するシステムを指す<ref>『クルーグマン ミクロ経済学』の経済(economy)の定義、およびコウビルド英英辞典の項目economyより。</ref>。 == 概要 == 人々が豊かな生活を送るためには、需要に応じて[[財]]や[[サービス]]を[[生産]]し、充分に供給できるような精度の高いシステムが必要となる<ref name="名前なし-1">クルーグマン『ミクロ経済学』8頁</ref>。なぜなら世の中にある[[資源]]には[[希少性]]があり、何かを手に入れるためには、他のものを諦めなければならないからである<ref>スティグリッツ『入門経済学』39頁</ref>。経済とはそれらの活動を調整するシステムであり、経済学とはそのシステムを研究する学問である<ref name="名前なし-1"/>。 {{see also|[[経済学]]}} 人間による重要な経済活動の一つに、[[取引]]がある。[[貨幣]]を用いた売買も取引の一形態である<ref>スティグリッツ『マクロ経済学』285-292頁</ref>。貨幣は取引を円滑にする以外に、短期的に価値が変動しにくいため価値が貯蔵できる、商品の価値を計算する尺度になる、といった特徴を持つ<ref>スティグリッツ『マクロ経済学』285-292頁 </ref>。これら貨幣のはたらきも、経済学の重要な研究対象となっている。 {{see also|貨幣#経済学における貨幣}} == 語源 == 日本語の「経済」は英語の "{{lang|en|[[:wikt:economy|economy]]}}"の訳語となっているが、このeconomyという語は古典[[ギリシア語]]の '''{{lang|el|οικονομία}}'''(家政術)に由来する<ref name="nihonnokezai26" />。{{lang|el|οικος}} は家を意味し、{{lang|el|νομος}} は規則・管理を意味する<ref name="nihonnokezai26" />。従って、{{lang|en|economy}} の本来の意味は[[家計]]であるが、近代になってこれを国家統治の単位にまで拡張し、以前の意味と区別して政治経済学({{lang|en|political economy}})という名称が登場する(この名称は後に[[アルフレッド・マーシャル]]によって {{lang|en|[[:wikt:economics|economics]]}} と改められた。)。 近代以降、日本のみならず中国など[[漢字文化圏]]の国で、上記のような "{{lang|en|economy}}" を意味する「経済」の語が普及したが、それ以前は政治的、倫理的意味を含む「経世済民」の略語として用いられていた<ref>{{Cite journal|和書|author=馮天瑜, 呉咏梅 |title=中国語、日本語、西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける「経済」という概念の変遷 |url=https://doi.org/10.15055/00000618 |journal=日本研究 |publisher=国際日本文化研究センター |year=2005 |month=oct |volume=31 |pages=159-190 |naid=120005681573 |doi=10.15055/00000618 |issn=09150900}}</ref>。 {{seealso|経世済民}} まず江戸時代後期の日本において、「経済」という言葉が人民の生活に関わる生産、支出、分配などの意味を含んで使われるようになり、幕末維新期に([[古典派経済学]]における)"{{lang|en|political economy}}" の訳語として用いられるようになった<ref>「中国語、日本語、西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける「経済」という概念の変遷」『日本研究』165-166頁、169頁</ref>。たとえば、1862年発行の辞書『英和対訳袖珍辞典』が {{lang|en|political economy}} の訳語として「経済」「経済学」の訳語を挙げており、同じ年に[[西周 (啓蒙家)|西周]]が手紙の中で「経済学」の語を用いている<ref>「中国語、日本語、西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける「経済」という概念の変遷」『日本研究』169-170頁</ref>。「経済」の語が広まったのは、同時期に[[福澤諭吉]]が「経済」の語を用いていたことが大きく影響しているとされ<ref>「中国語、日本語、西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける「経済」という概念の変遷」『日本研究』171頁</ref>、この訳語の考案者を福沢諭吉とする文献もある<ref name="nihonnokezai26">松原聡 『日本の経済 ([[図解雑学シリーズ]])』 ナツメ社、2000年、26頁。</ref> 。political economyの訳語としては、同時期に『[[易経]]』に由来する'''資生'''なども提唱されたが、こちらはあまり普及しなかった。 "{{lang|en|(political) economy}}" の訳語としての「経済」の語法は、やがて翻訳を通じて「経世済民」の語を生んだ中国(清)に逆輸入されたが、初めは訳語としてあまり用いられず、富国策、資生学といった用語が用いられていた。その後、中華民国の初期に[[孫文]]ら革命派が「経済」を用いた影響もあり、訳語として定着していった<ref>「中国語、日本語、西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける「経済」という概念の変遷」『日本研究』176-182頁</ref>。 == 経済体制 == [[File:Tokugawa coinage.jpg|thumb|220px|[[江戸時代]]の[[貨幣]](1714年)]] 経済活動は法律をはじめとする様々な条件によって制約されている。それらの制約のもとで、社会は人々のニーズを満足させるように供給を組織化する。この組織化された供給の仕組みを経済体制<ref>『アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践』352頁、経済システム(Economic system)の定義。</ref> ({{lang|en|Economic system}}) という。代表的な経済体制として以下の3つが挙げられる。 === 伝統経済 === {{See also|非市場経済}} 伝統経済 ({{lang|en|Traditional economy}}) とは[[生産]]や[[再配分]]などの主要な経済活動が慣習や文化によって大きく規定された経済である。集落や村落などの比較的に小規模な集団の経済にしばしば見られる形態であり、生産活動が個人の家柄や集団の文化によって定められているために予測可能性が高く、継続的かつ安定的な供給が維持される。 === 市場経済 === [[市場経済]] ({{lang|en|Market economy}}) とは[[企業]]や個人が自己利益を最優先して財・サービスを[[生産]]し、[[市場]]の仕組みによって配分する形態の経済である。規範や指令もなく、市場における消費の動向によって生産活動が規定される特徴があり、個人の自由度が高く、意思決定が分散的であり、また希少性の変化に柔軟に反応できる長所がある。ただし経済学が保証する市場経済の効率性は、財産権、取引の自由、企業参入退出の自由、完全情報などの条件が必要であり、これらの条件が満たされない場合には[[市場の失敗]]が生じる。 === 計画経済 === [[計画経済]]<ref group="注">『アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践』33-39頁では経済システムを伝統経済、市場経済、指令経済に分類しているが、指令経済に関しては計画経済と表記した。</ref> ({{lang|en|Command economy}}) とは中央当局によってあらゆる経済活動が運営されている形態の経済である。指令経済とも言う。産業への必要物資、生産目標、生産割り当てなどが定められ、その計画に基づいて経済活動が遂行される。経済資源や労働力を計画的に運用することができるために特定の産業を集中的に発展できるとされる。一方で、計画経済の下では労働者の[[インセンティブ (経済学)|インセンティブ]]が欠如しやすいという欠点がある。また、計画経済の存立可能性をめぐってなされた議論として[[経済計算論争]]がある。 == 経済成長 == {{Main|経済成長|マクロ経済学|経済成長理論}} 経済成長とは、経済規模の拡大や[[生産性]]の向上といった経済力の伸びを示す概念である<ref>『ブリタニカ国際百科事典 1 - 20』第6巻351頁</ref>。国の経済規模は、[[国内総生産]](GDP)によって測られる。これら産出量の変化率が[[実質経済成長率]]であり、狭義にはこの変化率の上昇傾向を指して経済成長と呼ぶ<ref>『スティグリッツ マクロ経済学 第2版』533―572頁</ref><ref>『クルーグマン ミクロ経済学』用語集</ref><ref>『ブランシャール マクロ経済学』27-35頁</ref>。経済成長を決定づける要因や、経済成長率と[[失業]]、[[物価]]などとの関連を分析する経済学の分野としてマクロ経済学がある。 == 「経済」の派生的用法 == === 金銭的 === 効率的な経済活動であることから転じて、商品の購入に際して金銭負担が少なくてすむことを「経済的」「エコノミカル(Economical)」という。飛行機で最も低価格な座席等級を「エコノミークラス」と呼ぶのもこうした用法の1つである。 === 地理的 === 日本経済、アメリカ経済、中国経済などのように、国家の経済活動を「経済」と呼ぶことがある。大阪経済、香港経済などのように、ローカルの経済活動を指すこともある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == {{参照方法|section=1|date=2014年12月}} * ポール・クルーグマン、ロビン・ウェルス著、大山道広、石橋孝次、塩沢修平、白井義昌、大東一郎、玉田康成、蓬田守弘訳 『クルーグマン ミクロ経済学』 東洋経済新報社, 2007年 * ゲーリー・E・クレイトン著、大和証券商品企画部訳、大和証券教育事業部監訳 『アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践』 WAVE出版、2005年 * 金森久雄、荒憲治郎、森口親司編『経済辞典(第四版)』有斐閣、2006年 * [[N・グレゴリー・マンキュー]]著、足立英之、石川城太、小川永治、地主敏樹、中馬宏之、柳川隆訳 『マンキュー経済学1 ミクロ編(第2版)』 東洋経済新報社、2005年 * N・グレゴリー・マンキュー著、足立英之、地主敏樹、中谷武、柳川隆訳 『マンキューマクロ経済学Ⅰ 入門編(第2版)』 東洋経済新報社、2005年 * フランク・B・ギブニー編 『ブリタニカ国際百科事典 1 - 20』 ティービーエス・ブリタニカ、1972年 * [[伊藤元重]] 『入門|経済学』 日本評論社,1988年 * 新井田宏 『経済学入門 ---ミクロ・マクロ経済学へ』 放送大学教育振興会、2000年 * オリヴィエ・ブランシャール著、鴇田忠彦、知野哲朗、中山徳良、中泉真樹、渡辺愼一訳 『ブランシャール マクロ経済学 上・下』 東洋経済新報社、1999年。 * [[ジョセフ・E・スティグリッツ]]著、藪下史郎、秋山太郎、金子能宏、木立力、清野一治訳 『スティグリッツ マクロ経済学 第2版』 東洋経済新報社、2001年。 * 『コウビルド英英辞典 改訂新版』 桐原書店、1995年。 * 牛致功1998 『唐高祖傳』 == 関連項目 == {{SisterlinksN | position = left }} {{ウィキプロジェクトリンク|経済}} *[[市場]] - [[資本]] - [[労働]] - [[金融]] - [[利子]] - [[貿易]] - [[為替]] - [[景気]] - [[費用]] - [[流通]] - [[消費]] *{{仮リンク|移行経済|en|Transition economy}} *[[交易路]] *[[Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事/経済]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{日本の経済史}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:けいさい}} [[Category:経済|*]] [[Category:和製漢語]] [[Category:哲学の和製漢語]] [[Category:戦後日本の経済]] {{economy-stub}}
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モノクローナル抗体
モノクローナル抗体(モノクローナルこうたい、英: monoclonal antibody、mAbまたはmoAb)は、単一の抗体産生細胞をクローニングして作られた抗体である。このようにして得られた後続の抗体は、すべて単一の親細胞までさかのぼる。 通常の抗体(ポリクローナル抗体)は抗原で免疫した動物の血清から調製するため、いろいろな抗体分子種の混合物となるが、モノクローナル抗体は抗体分子種が均一である。抗原は複数のエピトープ(抗原決定基。抗体によって認識される抗原の部分)を持つことが多く、ポリクローナル抗体は各々のエピトープに対する抗体の混合物となるため、厳密には抗原特異性が互いに異なる抗体分子が含まれている。これに対し、モノクローナル抗体では用いる抗原のエピトープが単一であるため、抗原特異性も単一である。また、1つのモノクローナル抗体の治療対象を2つのエピトープに増やすことで、二重特異性モノクローナル抗体を設計することもできる。 通常、抗体産生細胞と骨髄腫細胞とを細胞融合させることで自律増殖能を持たせた融合細胞ハイブリドーマ (hybridoma) を作成し、目的の抗原特異性をもつ融合細胞のみを選別(スクリーニング)し、これを抗原細胞とする。この抗原細胞を培養し、分泌物を精製して目的のモノクローナル抗体が作製される。事実上、あらゆる適切な物質に特異的に結合するモノクローナル抗体を作製し、その物質を検出または精製することができる。この機能は、生化学、分子生物学、および医学の分野で重要なツールとなっている。 1900年代、免疫学者のパウル・エールリヒは、病気の原因となる生物を選択的に標的とし、その生物に対して毒素を送達できる化合物として「魔法の弾丸」(Zauberkugel)のアイデアを提案した。これはモノクローナル抗体やモノクローナル薬物複合体の概念を支持した。エールリヒおよびイリヤ・メチニコフは、免疫学の理論的基礎を提供したことで、1908年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。 1970年代になると、単一の抗体を産生するリンパ球が、B細胞の癌である多発性骨髄腫という形で知られるようになった。これらの異常な抗体またはパラプロテイン(英語版)は、抗体の構造を研究するために使用されたが、特定の抗原に特異的な同一の抗体を作ることはまだできなかった。1973年、Jerrold Schwaberは、ヒトとマウスのハイブリッド細胞を使用したモノクローナル抗体の生産について説明した。この研究は、ヒト由来のハイブリドーマを使用している人々の間で広く引用されている。1975年、ジョルジュ・ケーラーとセーサル・ミルスタインは、骨髄腫細胞株とB細胞を融合させて、既知の抗原に特異的で不死化された抗体を産生する、ハイブリドーマを作成することに成功した。彼らおよびニールス・カイ・イェルネは、この発見により、1984年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。 1988年、グレッグ・ウィンターと彼のチームは、モノクローナル抗体をヒト化する技術を開拓し、多くのモノクローナル抗体が一部の患者に引き起こした反応を解消した。1990年代に入ると、モノクローナル抗体を治療に用いる研究が進展し、2018年には、抑制性連鎖を防ぐモノクローナル抗体を使用した負の免疫調節の阻害による癌治療法の発見により、ジェームズ・P・アリソンと本庶佑がノーベル生理学・医学賞を受賞した。 モノクローナル抗体の作製の背後にある研究の多くは、ハイブリドーマの作製に根ざしている。ハイブリドーマ作成には、目的の抗原に特異的な抗体を産生する抗原特異的血漿/形質芽細胞(ASPC)を特定し、これらの細胞と骨髄腫細胞を融合させることが含まれる。ウサギのB細胞を使って、ウサギ・ハイブリドーマ(英語版)を形成することができる。隣接する細胞膜を融合させるためにポリエチレングリコールを用いるが成功率が低いため、融合細胞のみが増殖できる選択培地を使用する。これが可能なのは、骨髄腫細胞が、核酸のサルベージ合成に必要な酵素であるヒポキサンチン-グアニン-ホスホリボシルトランスフェラーゼ(HGPRT)を合成する能力を失っているためである。HGPRTが欠損していても、de novoプリン合成経路(英語版)が破壊されない限り、これらの細胞にとっては問題にならない。細胞をアミノプテリン(英語版)(葉酸類似物質で、ジヒドロ葉酸還元酵素(DHFR)を阻害する)にさらすと、細胞は de novo 経路を使用できなくなり、核酸に対して完全な栄養要求性になるため、生き延びるために補給が必要となる。 選択培地は、ヒポキサンチン、アミノプテリン、チミジンを含むため、HAT培地(英語版)と呼ばれている。この培地は、融合細胞(ハイブリドーマ)に選択的である。未融合の骨髄腫細胞は、HGPRTが欠損しているため、DNAを複製することができず、増殖できない。未融合の脾臓細胞は、その寿命が限られているため、無制限に増殖することはできない。ハイブリドーマと呼ばれる融合したハイブリッド細胞のみが、培地中で無制限に増殖することができる。その理由は、脾臓細胞パートナーがHGPRTを供給し、骨髄腫細胞パートナーがそれを不死にする特性(癌細胞に似ている)を持つためである。 次に、この細胞の混合物を希釈し、マイクロタイターウェル上で単一の親細胞からクローンを増殖させる。その後、異なるクローンによって分泌された抗体は、抗原に結合する能力(ELISAや抗原マイクロアレイアッセイなどの試験で)や、またはイムノドットブロットで評価される。そして、最も生産的で安定したクローンが将来の使用のために選択される。 このハイブリドーマは、適切な細胞培養培地で無制限に増殖させることができる。それらはまた、マウスに注射することもできる(腸を囲む腹膜腔内)。そこで腹水と呼ばれる抗体を多く含む液体を分泌する腫瘍を生成する。 ハイブリドーマの増殖をさらに促進するために、器内(in vitro)での選択の際に培地を濃縮しなければならない。これは、フィーダー繊維細胞の層や、ブライクローンなどの補助媒体を使用することで実施される。マクロファージで調整した培地を使用することができる。腹水手法は動物に苦痛を与えるため、通常は細胞培養での製造が望ましい。代替技術が存在する場合、腹水は非倫理的と見なされる。 近年、ファージディスプレイ、単一B細胞培養、さまざまなB細胞集団からの単一細胞増幅、単一形質細胞解析技術など、いくつかのモノクローナル抗体技術が開発された。従来のハイブリドーマ技術とは異なり、新しい技術は分子生物学的手法を用いて、抗体遺伝子の重鎖と軽鎖をPCRで増幅し、組換え技術で細菌や哺乳類系で生産する。新しい技術の利点の一つは、ウサギ、ラマ、ニワトリ、その他の実験室で一般的な実験動物など、複数の動物で適用できることである。 培養したハイブリドーマの培地サンプルまたは腹水液サンプルをいずれかを入手した後、目的の抗体を抽出する必要がある。細胞培養液サンプルの夾雑物(きょうざつぶつ)は、主に成長因子、ホルモン、トランスフェリンなどの培地成分で構成されている。一方、生体内(in vivo)サンプルには、宿主の抗体、プロテアーゼ、ヌクレアーゼ、核酸、ウイルスが含まれている可能性がある。どちらの場合も、サイトカインのようなハイブリドーマによる他の分泌物が存在する可能性がある。また、細菌汚染があり、その結果、細菌が分泌する内毒素が存在する可能性もある。細胞培養に必要な培地の複雑さ、ひいては混入物に応じて、どちらか一方の方法(in vivoまたはin vitro)が好ましい場合がある。 サンプルは、まず前処理をするか精製の準備をする。最初に細胞、細胞組織片、脂質、および凝固物を、通常は遠心分離によって除去し、その後に0.45 μmのフィルターでろ過する。これらの大きな粒子は、後の精製工程で膜ファウリング(英語版)と呼ばれる現象を引き起こすことがある。さらに、特に分泌量の少ない細胞株で目的の抗体が作られている場合、サンプル中の生成物の濃度が十分でない可能性もある。そのため、サンプルを限外濾過または透析によって濃縮する。 帯電した不純物の多くは、核酸やエンドトキシンなどの陰イオンである。これらは、イオン交換クロマトグラフィーによって分離することができる。目的の抗体がカラムに結合しながら陰イオンが流れるような低いpHで陽イオン交換クロマトグラフィーを使用し、目的の抗体がカラムに結合しながら流れるような高いpHで陰イオン交換クロマトグラフィー(英語版)を使用する。また、さまざまなタンパク質を、その等電点(pI)に基づいて、陰イオンとともに分離することができる。タンパク質では、等電点(pI)は、タンパク質が正味の電荷を持たないpHと定義される。pH > pIの場合、タンパク質は正味の負電荷を持ち、pH < pIの場合、タンパク質は正味の正電荷を持つ。たとえば、アルブミンのpIは4.8であり、ほとんどのモノクローナル抗体のpIが6.1であるのと比べて著しく低い。したがって、pHが4.8から6.1の間では、アルブミン分子の平均電荷はより負になる可能性が高く、mAbs分子は正に帯電しているため、両者を分離することができる。一方、トランスフェリンのpIは5.9なので、この方法では簡単には分離できない。良好な分離のためには、少なくともpIの差は1を必要とする。 その代わりに、トランスフェリンは、サイズ排除クロマトグラフィーによって除去することができる。この方法は、より信頼性の高いクロマトグラフィー技術の一つである。タンパク質を扱っているので、電荷や親和性などの特性は一貫しておらず、pHによって分子がプロトン化および脱プロトン化されるため変化するが、サイズは比較的一定に保たれる。それでもなお、低分解能、低容量、低溶出時間などの欠点がある。 はるかに迅速な単一ステップの分離方法として、プロテインA/G(英語版)アフィニティークロマトグラフィーがある。この抗体は、プロテインA/Gに選択的に結合するため、高レベルの純度(通常80%以上)が得られる。しかし、この方法は一般的に過酷な条件で行われるため、損傷を受けやすい抗体には問題がある可能性がある。pHが低いと、結合が切断されて抗体がカラムから外れることがある。製品に影響を与える可能性があることに加え、pHが低いとプロテインA/G自体がカラムから漏れ出し、溶出したサンプルに混入する可能性がある。敏感な抗体が低pHにさらされるのを防ぐために、高塩濃度を採用した穏やかな溶出バッファーシステムを利用できる。固定化プロテインA/Gはより高価な樹脂であるため、この方法ではコストも重要な考慮事項となる。 単一の工程で最大の純度を達成するために、抗体に特異性を持たせるために抗原を使用して、アフィニティ精製を行うことができる。この方法では、抗体を生成するために用いる抗原は、アガロース担体に共有結合する。抗原がペプチドの場合、一般的には末端にシステインを持つように合成される。これにより、開発時にKLH(英語版)などのキャリアタンパク質に選択的に結合させ、精製を保持することができる。その後、抗体含有培地を、固定化された抗原とインキュベートする。このとき、抗体はバッチ式またはカラムを通過させることにより選択的に結合し不純物を洗い流す間保持される。その後、低pHバッファーまたはより穏やかな高塩濃度溶出バッファーで溶出し、担体から精製された抗体を回収する。 モノクローナル抗体やその他の組換え生物学的製品では、製品の不均一性が普通に見られ、一般的には発現時の上流側、または製造時の下流側のいずれかでもたらされる。 これらの変異体は、典型的には、凝集体、脱アミド化生成物、グリコシル化変異体、アミノ酸側鎖の酸化物、さらにはアミノおよびカルボキシル末端のアミノ酸付加物である。このような微小な構造変化は、前臨床試験の安定性とプロセスの最適化、ひいては治療薬の効力、バイオアベイラビリティ、および免疫原性に影響を及ぼす可能性がある。モノクローナル抗体のプロセス流における一般的に受け入れられている精製方法は、プロテインA(英語版)による製品ターゲットの捕捉、溶出、潜在的な哺乳動物ウイルスを不活性化するための酸性化、それに続くイオンクロマトグラフィー(最初に陰イオンビーズ(英語版)、次に陽イオンビーズ)が含まれる。 置換クロマトグラフィー(英語版)は、これらのあまり見られない変異体を、動物の薬物動態試験などの前臨床評価レジメンに適した量で同定し、特性を明らかにするために使用されている。前臨床開発段階で得られた知識は、製品の品質に対する理解を深めるために重要であり、リスク管理や規制の柔軟性を高めるための基礎となる。最近の米国食品医薬品局(FDA)のクオリティ・バイ・デザインイニシアチブは、開発に関するガイダンスを提供し、製品の製造可能性を高めながら、有効性と安全性プロファイルを最大化するような製品およびプロセスの設計を促進しようとするものである。 組換え(英語版)モノクローナル抗体の作製には、レパートリークローニング、CRISPR/Cas9、またはファージディスプレイ/酵母ディスプレイ技術が用いられる。組換え抗体(英語版)工学では、マウスではなくウイルスや酵母を使用して抗体を作製する。これらの技術は、免疫グロブリン遺伝子セグメントの迅速なクローニングに基づき、アミノ酸配列がわずかに異なる抗体のライブラリを作成し、そこから目的の特異性を持つ抗体を選択することができる。ファージ抗体ライブラリは、ファージ抗原ライブラリの別形である。これらの技術は、抗体が抗原を認識する特異性、さまざまな環境条件での安定性、治療効果、および診断用途での検出性を高めるために使用することができる。発酵槽は大規模な抗体生産に使用されている。 マウスとヒトの抗体は構造的には類似しているが、マウスモノクローナル抗体をヒトに注射したときに、それらの違いは免疫応答を引き起こすのに十分であり、その結果は、マウスモノクローナル抗体は血液中から速やかに除去され、全身性の炎症作用およびヒト抗マウス抗体(英語版)(HAMA)の産生をもたらす。 組換えDNAは、滞留時間を長くするために1980年代後半から探究されてきた。ある研究アプローチにおいて、モノクローナル抗体の結合部分をコードするマウスDNAを、生細胞の中でヒトの抗体産生DNAと融合させた。この「キメラ」または「ヒト化」されたDNAを細胞培養で発現させると、一部マウスで一部ヒトの抗体を産生する。 モノクローナル抗体を作製できるという発見以来、科学者たちは、ヒト化抗体またはキメラ抗体の副作用を軽減するために、完全ヒト製品の作製を目標としてきた。いくつかの成功したアプローチとして、トランスジェニックマウス(英語版)、ファージディスプレイ、単一B細胞クローニングが確認されている。 2016年11月現在、市販されている完全ヒトモノクローナル抗体治療薬19種のうち、13種がトランスジェニックマウス技術に由来している。 トランスジェニック技術を採用して市場に出している組織は次のとおりである。 ファージディスプレイは、繊維状ファージの外皮タンパク質(Phage major coat protein)上で可変抗体ドメインを発現させるために使用可能である。これらのファージディスプレイ抗体は、さまざまな研究用途に使用できる。ProAbは1997年12月に発表され、罹患組織と非罹患組織に対する抗体ライブラリのハイスループットスクリーニングを行うもので、Proximolはフリーラジカル酵素反応を利用して、特定のタンパク質に近接する分子を標識するものである。 モノクローナル抗体は、癌、心血管疾患、炎症性疾患、黄斑変性症、移植拒絶反応、多発性硬化症、ウイルス感染症の治療に承認されている。 2006年8月、米国研究製薬工業協会(英語版)の報告によると、米国企業は160種類のモノクローナル抗体を臨床試験中または米国食品医薬品局の承認を待っている。 モノクローナル抗体の製造は、複雑なプロセスが関与したり、その全般的な分子サイズのため、低分子化合物よりもコストが高く、これらはすべて新しい化学物質を患者に提供するための膨大な研究開発費に追加される。それらは、製造業者が多額の投資費用を回収できるように価格設定されており、米国のように価格統制がない場合は、価値が高いほど価格が高くなることがある。ピッツバーグ大学の7人の研究者は、患者一人当たり「mAb療法の年間費用は、腫瘍学および血液学の領域では他の疾病よりも約10万ドル高い」と結論づけた。新血管疾患や代謝性疾患、免疫領域、感染症、アレルギー、眼科の各領域と比較された。 ある物質に対するモノクローナル抗体ができれば、それを使ってその物質の存在を検出することができる。タンパク質は、ウェスタンブロットやイムノドットブロットを使用して検出できる。免疫組織化学検査では、モノクローナル抗体を使用して、固定組織切片中の抗原を検出でき、同様に、免疫蛍光検査では、凍結組織切片または生細胞中の物質を検出できる。 抗体はまた、免疫沈降法を使用して、混合物から標的化合物を精製するためにも使用される。 治療用モノクローナル抗体は、標的分子の機能の遮断、標的分子を発現している細胞のアポトーシス誘導、またはシグナル伝達経路の調節など、複数の機構を通じて作用する。 1970年代に発明されたモノクローナル抗体は臨床に革命的な変化を起こすといわれたが、その後ほぼ20年間、臨床試験は上手くいかなかった。これは主に、マウスの抗体はヒトに抗原認識されることが原因であった。しかし1990年代になって、CHO細胞内に、マウスでなくヒトの免疫グロブリン遺伝子を発現するプラスミドを直接形質転換する方法が開発されて以降、この問題は克服された。この方法はさらに進化し、現在ではハイブリドーマを使用せず、ファージディスプレイにより1兆個の分子からなる莫大なクローンライブラリーから最適抗体がスクリーニングされ、その遺伝子をCHO細胞で大量生産する方法が用いられている。もしくは、ヒトの抗体を生産するトランスジェニックマウスを使い、直接ヒト抗体を得る方法が用いられる。これらの方法は、前臨床段階までの開発費がわずか約2億円で済むといわれており、従来の古典的化学薬品にかかる20億円と比較して非常に効率がよい。ただし細胞培養を必要とするため、最終製品の製造費用は化学合成による化学薬品と比べると、非常に高い。 モノクローナル抗体はタンパク質薬品であり、いわゆる化学薬品と違い経口投与ができない(普通週一回の注射)、製造費用が非常に高い、細胞内部に侵入できないなどの欠点を持つ。しかしいったん標的分子に結合すると、患者自身の免疫機構が働いて標的分子を含むがん細胞を高率で破壊できるなどの利点をもつ。また、免疫グロブリン自体はヒトの体内に存在する分子なので、それ自身による副作用は予想しやすい。 原理的にはポリクローナル抗体も臨床に使用可能であるが、人間の患者への薬品として使用するためには、薬品内の分子が化学的に厳密に定義され、さらにそれらを極めて高純度でかつ安定的に大量生産する必要があり、現実にはほぼ不可能であるといわれている。 ヒト血漿由来(血液製剤)の免疫グロブリン製剤は一種のポリクローナル抗体であり、様々な難病に対して使用され有効性を示している。しかし、これら血液由来の免疫グロブリン製剤が組換え抗体医薬品に容易に置き換えることができないのは、上記の品質管理の困難さからである。 癌の治療法の一つとして、癌細胞に特異的な抗原にのみ結合し、標的となる癌細胞に対する免疫応答を誘発するモノクローナル抗体が考えられる。このようなモノクローナル抗体は、毒素、放射性同位体、サイトカイン、その他の活性コンジュゲートの送達用に修飾することができる。あるいは、Fab領域(英語版)で標的抗原およびコンジュゲート(またはエフェクター細胞)の両方に結合できる二重特異性抗体を設計できる。すべてのインタクト抗体は、そのFc領域で細胞受容体または他のタンパク質に結合することができる。 米国食品医薬品局(FDA)が癌に対して承認しているモノクローナル抗体は次のとおりである。 自己免疫疾患に用いられるモノクローナル抗体にはインフリキシマブやアダリムマブがあり、TNF-αに結合して阻害することにより、関節リウマチ、クローン病、潰瘍性大腸炎、強直性脊椎炎に効果がある。バシリキシマブとダクリズマブ(英語版)は、活性化T細胞のIL-2を阻害することにより、腎移植の急性拒絶反応を予防に役立つ。オマリズマブは、ヒト免疫グロブリンE(IgE)を阻害し、中等症から重症のアレルギー性喘息の治療に有用である。 研究用のモノクローナル抗体は、抗体サプライヤーから直接またはCiteAb(英語版)のような専門家検索エンジンを使用して入手することができる。次は臨床的に重要なモノクローナル抗体の例である。 モノクローナル抗体を使用したイムノクロマト法で各種の迅速診断キットが販売されている。5分から15分で診断できる。 たとえば、感染症にはインフルエンザウイルス、RSウイルス、A群β溶連菌、アデノウイルス、肺炎マイコプラズマ、ヒトメタニュウモウイルス、ノロウイルス、ロタウイルス、肺炎球菌、レジオネラ、病原性大腸菌O157、便中ピロリ菌などである。 心筋炎や心筋梗塞には、トロポニンTの迅速診断キットがある。 ベバシズマブやセツキシマブなどのいくつかのモノクローナル抗体は、さまざまな種類の副作用を引き起こす可能性がある。これらの副作用は、一般的な副作用と重篤な副作用に分類される。 一般的な副作用には次のものがある。 重大な副作用の可能性として次のものがある。 モノクローナル抗体は1990年代後半から、バイオテクノロジー産業に革命をもたらし、現在のバイオテクノロジー薬品のほぼ3分の1はモノクローナル抗体である。1997年にGENENTECH社のRituxan抗体が抗CD20抗体として非ホジキンリンパ腫 (NHL) に対して認可されたのをはじめ、Herceptin, Avastinなどのシグナルトランスダクションやアンジオジェネシスを標的とする新型をふくめ、現在15以上のモノクローナル抗体ががん治療などに使われ、少なくとも100を超えるモノクローナル抗体がPhaseI・II・IIIの臨床試験で開発されている。特にがん治療において使われ、2004年の売り上げは約60億ドル、2008年までにモノクローナル抗体の売り上げは150億ドルを超えると予想される。また、次世代モノクローナル抗体で呼ばれる、放射性同位体を結合したものや、抗体可変部位のみの極小型、などの新型が開発されている。 成功した抗体の売り上げは莫大で、2004年は抗TNF-α抗体Remicade(Centocor社)がトップで21億ドル、Rituxanが17億ドルとブロックバスター製品となっている。特にGENENTECH社が開発した3つのモノクローナル抗体製品(Rituxan, Herceptin, Avastin)はその全てがFDAから認可されており、その全てがヒット製品になっている。一般に4-6年に及ぶ臨床試験で製品が生き残る確率はわずか20%であることから考えて、これは米製薬業界史上稀にみる成功である。 モノクローナル抗体が最も成功した要因のひとつは、抗体はもともと生体防御タンパク質として進化した分子なので、他のタンパク質と比べ極めて安定性の高く半減期が長いこと、標的と結合した後、身体の免疫機構を利用するため、増幅効果を期待できることなどである。これとくらべ、同じく1990年代から開発中のアンチセンス (antisense) 薬品は、標的細胞内の核内に輸送すること自体が至難の業であることから、GENTA社やISIS社が莫大な開発費を投じた製品はほぼ全て失敗に終わっている。 モノクローナル抗体薬の名称は語尾が"-mab"(Monoclonal AntiBodies)であらわされる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体(モノクローナルこうたい、英: monoclonal antibody、mAbまたはmoAb)は、単一の抗体産生細胞をクローニングして作られた抗体である。このようにして得られた後続の抗体は、すべて単一の親細胞までさかのぼる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "通常の抗体(ポリクローナル抗体)は抗原で免疫した動物の血清から調製するため、いろいろな抗体分子種の混合物となるが、モノクローナル抗体は抗体分子種が均一である。抗原は複数のエピトープ(抗原決定基。抗体によって認識される抗原の部分)を持つことが多く、ポリクローナル抗体は各々のエピトープに対する抗体の混合物となるため、厳密には抗原特異性が互いに異なる抗体分子が含まれている。これに対し、モノクローナル抗体では用いる抗原のエピトープが単一であるため、抗原特異性も単一である。また、1つのモノクローナル抗体の治療対象を2つのエピトープに増やすことで、二重特異性モノクローナル抗体を設計することもできる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "通常、抗体産生細胞と骨髄腫細胞とを細胞融合させることで自律増殖能を持たせた融合細胞ハイブリドーマ (hybridoma) を作成し、目的の抗原特異性をもつ融合細胞のみを選別(スクリーニング)し、これを抗原細胞とする。この抗原細胞を培養し、分泌物を精製して目的のモノクローナル抗体が作製される。事実上、あらゆる適切な物質に特異的に結合するモノクローナル抗体を作製し、その物質を検出または精製することができる。この機能は、生化学、分子生物学、および医学の分野で重要なツールとなっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1900年代、免疫学者のパウル・エールリヒは、病気の原因となる生物を選択的に標的とし、その生物に対して毒素を送達できる化合物として「魔法の弾丸」(Zauberkugel)のアイデアを提案した。これはモノクローナル抗体やモノクローナル薬物複合体の概念を支持した。エールリヒおよびイリヤ・メチニコフは、免疫学の理論的基礎を提供したことで、1908年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1970年代になると、単一の抗体を産生するリンパ球が、B細胞の癌である多発性骨髄腫という形で知られるようになった。これらの異常な抗体またはパラプロテイン(英語版)は、抗体の構造を研究するために使用されたが、特定の抗原に特異的な同一の抗体を作ることはまだできなかった。1973年、Jerrold Schwaberは、ヒトとマウスのハイブリッド細胞を使用したモノクローナル抗体の生産について説明した。この研究は、ヒト由来のハイブリドーマを使用している人々の間で広く引用されている。1975年、ジョルジュ・ケーラーとセーサル・ミルスタインは、骨髄腫細胞株とB細胞を融合させて、既知の抗原に特異的で不死化された抗体を産生する、ハイブリドーマを作成することに成功した。彼らおよびニールス・カイ・イェルネは、この発見により、1984年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1988年、グレッグ・ウィンターと彼のチームは、モノクローナル抗体をヒト化する技術を開拓し、多くのモノクローナル抗体が一部の患者に引き起こした反応を解消した。1990年代に入ると、モノクローナル抗体を治療に用いる研究が進展し、2018年には、抑制性連鎖を防ぐモノクローナル抗体を使用した負の免疫調節の阻害による癌治療法の発見により、ジェームズ・P・アリソンと本庶佑がノーベル生理学・医学賞を受賞した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体の作製の背後にある研究の多くは、ハイブリドーマの作製に根ざしている。ハイブリドーマ作成には、目的の抗原に特異的な抗体を産生する抗原特異的血漿/形質芽細胞(ASPC)を特定し、これらの細胞と骨髄腫細胞を融合させることが含まれる。ウサギのB細胞を使って、ウサギ・ハイブリドーマ(英語版)を形成することができる。隣接する細胞膜を融合させるためにポリエチレングリコールを用いるが成功率が低いため、融合細胞のみが増殖できる選択培地を使用する。これが可能なのは、骨髄腫細胞が、核酸のサルベージ合成に必要な酵素であるヒポキサンチン-グアニン-ホスホリボシルトランスフェラーゼ(HGPRT)を合成する能力を失っているためである。HGPRTが欠損していても、de novoプリン合成経路(英語版)が破壊されない限り、これらの細胞にとっては問題にならない。細胞をアミノプテリン(英語版)(葉酸類似物質で、ジヒドロ葉酸還元酵素(DHFR)を阻害する)にさらすと、細胞は de novo 経路を使用できなくなり、核酸に対して完全な栄養要求性になるため、生き延びるために補給が必要となる。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "選択培地は、ヒポキサンチン、アミノプテリン、チミジンを含むため、HAT培地(英語版)と呼ばれている。この培地は、融合細胞(ハイブリドーマ)に選択的である。未融合の骨髄腫細胞は、HGPRTが欠損しているため、DNAを複製することができず、増殖できない。未融合の脾臓細胞は、その寿命が限られているため、無制限に増殖することはできない。ハイブリドーマと呼ばれる融合したハイブリッド細胞のみが、培地中で無制限に増殖することができる。その理由は、脾臓細胞パートナーがHGPRTを供給し、骨髄腫細胞パートナーがそれを不死にする特性(癌細胞に似ている)を持つためである。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "次に、この細胞の混合物を希釈し、マイクロタイターウェル上で単一の親細胞からクローンを増殖させる。その後、異なるクローンによって分泌された抗体は、抗原に結合する能力(ELISAや抗原マイクロアレイアッセイなどの試験で)や、またはイムノドットブロットで評価される。そして、最も生産的で安定したクローンが将来の使用のために選択される。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "このハイブリドーマは、適切な細胞培養培地で無制限に増殖させることができる。それらはまた、マウスに注射することもできる(腸を囲む腹膜腔内)。そこで腹水と呼ばれる抗体を多く含む液体を分泌する腫瘍を生成する。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ハイブリドーマの増殖をさらに促進するために、器内(in vitro)での選択の際に培地を濃縮しなければならない。これは、フィーダー繊維細胞の層や、ブライクローンなどの補助媒体を使用することで実施される。マクロファージで調整した培地を使用することができる。腹水手法は動物に苦痛を与えるため、通常は細胞培養での製造が望ましい。代替技術が存在する場合、腹水は非倫理的と見なされる。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "近年、ファージディスプレイ、単一B細胞培養、さまざまなB細胞集団からの単一細胞増幅、単一形質細胞解析技術など、いくつかのモノクローナル抗体技術が開発された。従来のハイブリドーマ技術とは異なり、新しい技術は分子生物学的手法を用いて、抗体遺伝子の重鎖と軽鎖をPCRで増幅し、組換え技術で細菌や哺乳類系で生産する。新しい技術の利点の一つは、ウサギ、ラマ、ニワトリ、その他の実験室で一般的な実験動物など、複数の動物で適用できることである。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "培養したハイブリドーマの培地サンプルまたは腹水液サンプルをいずれかを入手した後、目的の抗体を抽出する必要がある。細胞培養液サンプルの夾雑物(きょうざつぶつ)は、主に成長因子、ホルモン、トランスフェリンなどの培地成分で構成されている。一方、生体内(in vivo)サンプルには、宿主の抗体、プロテアーゼ、ヌクレアーゼ、核酸、ウイルスが含まれている可能性がある。どちらの場合も、サイトカインのようなハイブリドーマによる他の分泌物が存在する可能性がある。また、細菌汚染があり、その結果、細菌が分泌する内毒素が存在する可能性もある。細胞培養に必要な培地の複雑さ、ひいては混入物に応じて、どちらか一方の方法(in vivoまたはin vitro)が好ましい場合がある。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "サンプルは、まず前処理をするか精製の準備をする。最初に細胞、細胞組織片、脂質、および凝固物を、通常は遠心分離によって除去し、その後に0.45 μmのフィルターでろ過する。これらの大きな粒子は、後の精製工程で膜ファウリング(英語版)と呼ばれる現象を引き起こすことがある。さらに、特に分泌量の少ない細胞株で目的の抗体が作られている場合、サンプル中の生成物の濃度が十分でない可能性もある。そのため、サンプルを限外濾過または透析によって濃縮する。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "帯電した不純物の多くは、核酸やエンドトキシンなどの陰イオンである。これらは、イオン交換クロマトグラフィーによって分離することができる。目的の抗体がカラムに結合しながら陰イオンが流れるような低いpHで陽イオン交換クロマトグラフィーを使用し、目的の抗体がカラムに結合しながら流れるような高いpHで陰イオン交換クロマトグラフィー(英語版)を使用する。また、さまざまなタンパク質を、その等電点(pI)に基づいて、陰イオンとともに分離することができる。タンパク質では、等電点(pI)は、タンパク質が正味の電荷を持たないpHと定義される。pH > pIの場合、タンパク質は正味の負電荷を持ち、pH < pIの場合、タンパク質は正味の正電荷を持つ。たとえば、アルブミンのpIは4.8であり、ほとんどのモノクローナル抗体のpIが6.1であるのと比べて著しく低い。したがって、pHが4.8から6.1の間では、アルブミン分子の平均電荷はより負になる可能性が高く、mAbs分子は正に帯電しているため、両者を分離することができる。一方、トランスフェリンのpIは5.9なので、この方法では簡単には分離できない。良好な分離のためには、少なくともpIの差は1を必要とする。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "その代わりに、トランスフェリンは、サイズ排除クロマトグラフィーによって除去することができる。この方法は、より信頼性の高いクロマトグラフィー技術の一つである。タンパク質を扱っているので、電荷や親和性などの特性は一貫しておらず、pHによって分子がプロトン化および脱プロトン化されるため変化するが、サイズは比較的一定に保たれる。それでもなお、低分解能、低容量、低溶出時間などの欠点がある。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "はるかに迅速な単一ステップの分離方法として、プロテインA/G(英語版)アフィニティークロマトグラフィーがある。この抗体は、プロテインA/Gに選択的に結合するため、高レベルの純度(通常80%以上)が得られる。しかし、この方法は一般的に過酷な条件で行われるため、損傷を受けやすい抗体には問題がある可能性がある。pHが低いと、結合が切断されて抗体がカラムから外れることがある。製品に影響を与える可能性があることに加え、pHが低いとプロテインA/G自体がカラムから漏れ出し、溶出したサンプルに混入する可能性がある。敏感な抗体が低pHにさらされるのを防ぐために、高塩濃度を採用した穏やかな溶出バッファーシステムを利用できる。固定化プロテインA/Gはより高価な樹脂であるため、この方法ではコストも重要な考慮事項となる。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": 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"置換クロマトグラフィー(英語版)は、これらのあまり見られない変異体を、動物の薬物動態試験などの前臨床評価レジメンに適した量で同定し、特性を明らかにするために使用されている。前臨床開発段階で得られた知識は、製品の品質に対する理解を深めるために重要であり、リスク管理や規制の柔軟性を高めるための基礎となる。最近の米国食品医薬品局(FDA)のクオリティ・バイ・デザインイニシアチブは、開発に関するガイダンスを提供し、製品の製造可能性を高めながら、有効性と安全性プロファイルを最大化するような製品およびプロセスの設計を促進しようとするものである。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "組換え(英語版)モノクローナル抗体の作製には、レパートリークローニング、CRISPR/Cas9、またはファージディスプレイ/酵母ディスプレイ技術が用いられる。組換え抗体(英語版)工学では、マウスではなくウイルスや酵母を使用して抗体を作製する。これらの技術は、免疫グロブリン遺伝子セグメントの迅速なクローニングに基づき、アミノ酸配列がわずかに異なる抗体のライブラリを作成し、そこから目的の特異性を持つ抗体を選択することができる。ファージ抗体ライブラリは、ファージ抗原ライブラリの別形である。これらの技術は、抗体が抗原を認識する特異性、さまざまな環境条件での安定性、治療効果、および診断用途での検出性を高めるために使用することができる。発酵槽は大規模な抗体生産に使用されている。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "マウスとヒトの抗体は構造的には類似しているが、マウスモノクローナル抗体をヒトに注射したときに、それらの違いは免疫応答を引き起こすのに十分であり、その結果は、マウスモノクローナル抗体は血液中から速やかに除去され、全身性の炎症作用およびヒト抗マウス抗体(英語版)(HAMA)の産生をもたらす。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "組換えDNAは、滞留時間を長くするために1980年代後半から探究されてきた。ある研究アプローチにおいて、モノクローナル抗体の結合部分をコードするマウスDNAを、生細胞の中でヒトの抗体産生DNAと融合させた。この「キメラ」または「ヒト化」されたDNAを細胞培養で発現させると、一部マウスで一部ヒトの抗体を産生する。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体を作製できるという発見以来、科学者たちは、ヒト化抗体またはキメラ抗体の副作用を軽減するために、完全ヒト製品の作製を目標としてきた。いくつかの成功したアプローチとして、トランスジェニックマウス(英語版)、ファージディスプレイ、単一B細胞クローニングが確認されている。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2016年11月現在、市販されている完全ヒトモノクローナル抗体治療薬19種のうち、13種がトランスジェニックマウス技術に由来している。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "トランスジェニック技術を採用して市場に出している組織は次のとおりである。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ファージディスプレイは、繊維状ファージの外皮タンパク質(Phage major coat protein)上で可変抗体ドメインを発現させるために使用可能である。これらのファージディスプレイ抗体は、さまざまな研究用途に使用できる。ProAbは1997年12月に発表され、罹患組織と非罹患組織に対する抗体ライブラリのハイスループットスクリーニングを行うもので、Proximolはフリーラジカル酵素反応を利用して、特定のタンパク質に近接する分子を標識するものである。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体は、癌、心血管疾患、炎症性疾患、黄斑変性症、移植拒絶反応、多発性硬化症、ウイルス感染症の治療に承認されている。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2006年8月、米国研究製薬工業協会(英語版)の報告によると、米国企業は160種類のモノクローナル抗体を臨床試験中または米国食品医薬品局の承認を待っている。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体の製造は、複雑なプロセスが関与したり、その全般的な分子サイズのため、低分子化合物よりもコストが高く、これらはすべて新しい化学物質を患者に提供するための膨大な研究開発費に追加される。それらは、製造業者が多額の投資費用を回収できるように価格設定されており、米国のように価格統制がない場合は、価値が高いほど価格が高くなることがある。ピッツバーグ大学の7人の研究者は、患者一人当たり「mAb療法の年間費用は、腫瘍学および血液学の領域では他の疾病よりも約10万ドル高い」と結論づけた。新血管疾患や代謝性疾患、免疫領域、感染症、アレルギー、眼科の各領域と比較された。", "title": "コスト" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ある物質に対するモノクローナル抗体ができれば、それを使ってその物質の存在を検出することができる。タンパク質は、ウェスタンブロットやイムノドットブロットを使用して検出できる。免疫組織化学検査では、モノクローナル抗体を使用して、固定組織切片中の抗原を検出でき、同様に、免疫蛍光検査では、凍結組織切片または生細胞中の物質を検出できる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "抗体はまた、免疫沈降法を使用して、混合物から標的化合物を精製するためにも使用される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "治療用モノクローナル抗体は、標的分子の機能の遮断、標的分子を発現している細胞のアポトーシス誘導、またはシグナル伝達経路の調節など、複数の機構を通じて作用する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1970年代に発明されたモノクローナル抗体は臨床に革命的な変化を起こすといわれたが、その後ほぼ20年間、臨床試験は上手くいかなかった。これは主に、マウスの抗体はヒトに抗原認識されることが原因であった。しかし1990年代になって、CHO細胞内に、マウスでなくヒトの免疫グロブリン遺伝子を発現するプラスミドを直接形質転換する方法が開発されて以降、この問題は克服された。この方法はさらに進化し、現在ではハイブリドーマを使用せず、ファージディスプレイにより1兆個の分子からなる莫大なクローンライブラリーから最適抗体がスクリーニングされ、その遺伝子をCHO細胞で大量生産する方法が用いられている。もしくは、ヒトの抗体を生産するトランスジェニックマウスを使い、直接ヒト抗体を得る方法が用いられる。これらの方法は、前臨床段階までの開発費がわずか約2億円で済むといわれており、従来の古典的化学薬品にかかる20億円と比較して非常に効率がよい。ただし細胞培養を必要とするため、最終製品の製造費用は化学合成による化学薬品と比べると、非常に高い。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体はタンパク質薬品であり、いわゆる化学薬品と違い経口投与ができない(普通週一回の注射)、製造費用が非常に高い、細胞内部に侵入できないなどの欠点を持つ。しかしいったん標的分子に結合すると、患者自身の免疫機構が働いて標的分子を含むがん細胞を高率で破壊できるなどの利点をもつ。また、免疫グロブリン自体はヒトの体内に存在する分子なので、それ自身による副作用は予想しやすい。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "原理的にはポリクローナル抗体も臨床に使用可能であるが、人間の患者への薬品として使用するためには、薬品内の分子が化学的に厳密に定義され、さらにそれらを極めて高純度でかつ安定的に大量生産する必要があり、現実にはほぼ不可能であるといわれている。 ヒト血漿由来(血液製剤)の免疫グロブリン製剤は一種のポリクローナル抗体であり、様々な難病に対して使用され有効性を示している。しかし、これら血液由来の免疫グロブリン製剤が組換え抗体医薬品に容易に置き換えることができないのは、上記の品質管理の困難さからである。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "癌の治療法の一つとして、癌細胞に特異的な抗原にのみ結合し、標的となる癌細胞に対する免疫応答を誘発するモノクローナル抗体が考えられる。このようなモノクローナル抗体は、毒素、放射性同位体、サイトカイン、その他の活性コンジュゲートの送達用に修飾することができる。あるいは、Fab領域(英語版)で標的抗原およびコンジュゲート(またはエフェクター細胞)の両方に結合できる二重特異性抗体を設計できる。すべてのインタクト抗体は、そのFc領域で細胞受容体または他のタンパク質に結合することができる。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "米国食品医薬品局(FDA)が癌に対して承認しているモノクローナル抗体は次のとおりである。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "自己免疫疾患に用いられるモノクローナル抗体にはインフリキシマブやアダリムマブがあり、TNF-αに結合して阻害することにより、関節リウマチ、クローン病、潰瘍性大腸炎、強直性脊椎炎に効果がある。バシリキシマブとダクリズマブ(英語版)は、活性化T細胞のIL-2を阻害することにより、腎移植の急性拒絶反応を予防に役立つ。オマリズマブは、ヒト免疫グロブリンE(IgE)を阻害し、中等症から重症のアレルギー性喘息の治療に有用である。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "研究用のモノクローナル抗体は、抗体サプライヤーから直接またはCiteAb(英語版)のような専門家検索エンジンを使用して入手することができる。次は臨床的に重要なモノクローナル抗体の例である。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体を使用したイムノクロマト法で各種の迅速診断キットが販売されている。5分から15分で診断できる。 たとえば、感染症にはインフルエンザウイルス、RSウイルス、A群β溶連菌、アデノウイルス、肺炎マイコプラズマ、ヒトメタニュウモウイルス、ノロウイルス、ロタウイルス、肺炎球菌、レジオネラ、病原性大腸菌O157、便中ピロリ菌などである。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "心筋炎や心筋梗塞には、トロポニンTの迅速診断キットがある。", "title": "臨床への応用" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ベバシズマブやセツキシマブなどのいくつかのモノクローナル抗体は、さまざまな種類の副作用を引き起こす可能性がある。これらの副作用は、一般的な副作用と重篤な副作用に分類される。", "title": "副作用" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "一般的な副作用には次のものがある。", "title": "副作用" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "重大な副作用の可能性として次のものがある。", "title": "副作用" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体は1990年代後半から、バイオテクノロジー産業に革命をもたらし、現在のバイオテクノロジー薬品のほぼ3分の1はモノクローナル抗体である。1997年にGENENTECH社のRituxan抗体が抗CD20抗体として非ホジキンリンパ腫 (NHL) に対して認可されたのをはじめ、Herceptin, Avastinなどのシグナルトランスダクションやアンジオジェネシスを標的とする新型をふくめ、現在15以上のモノクローナル抗体ががん治療などに使われ、少なくとも100を超えるモノクローナル抗体がPhaseI・II・IIIの臨床試験で開発されている。特にがん治療において使われ、2004年の売り上げは約60億ドル、2008年までにモノクローナル抗体の売り上げは150億ドルを超えると予想される。また、次世代モノクローナル抗体で呼ばれる、放射性同位体を結合したものや、抗体可変部位のみの極小型、などの新型が開発されている。", "title": "米バイオテクノロジー産業における役割" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "成功した抗体の売り上げは莫大で、2004年は抗TNF-α抗体Remicade(Centocor社)がトップで21億ドル、Rituxanが17億ドルとブロックバスター製品となっている。特にGENENTECH社が開発した3つのモノクローナル抗体製品(Rituxan, Herceptin, Avastin)はその全てがFDAから認可されており、その全てがヒット製品になっている。一般に4-6年に及ぶ臨床試験で製品が生き残る確率はわずか20%であることから考えて、これは米製薬業界史上稀にみる成功である。", "title": "米バイオテクノロジー産業における役割" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体が最も成功した要因のひとつは、抗体はもともと生体防御タンパク質として進化した分子なので、他のタンパク質と比べ極めて安定性の高く半減期が長いこと、標的と結合した後、身体の免疫機構を利用するため、増幅効果を期待できることなどである。これとくらべ、同じく1990年代から開発中のアンチセンス (antisense) 薬品は、標的細胞内の核内に輸送すること自体が至難の業であることから、GENTA社やISIS社が莫大な開発費を投じた製品はほぼ全て失敗に終わっている。", "title": "米バイオテクノロジー産業における役割" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "モノクローナル抗体薬の名称は語尾が\"-mab\"(Monoclonal AntiBodies)であらわされる。", "title": "日本で上市されている医薬品" } ]
モノクローナル抗体は、単一の抗体産生細胞をクローニングして作られた抗体である。このようにして得られた後続の抗体は、すべて単一の親細胞までさかのぼる。 通常の抗体(ポリクローナル抗体)は抗原で免疫した動物の血清から調製するため、いろいろな抗体分子種の混合物となるが、モノクローナル抗体は抗体分子種が均一である。抗原は複数のエピトープ(抗原決定基。抗体によって認識される抗原の部分)を持つことが多く、ポリクローナル抗体は各々のエピトープに対する抗体の混合物となるため、厳密には抗原特異性が互いに異なる抗体分子が含まれている。これに対し、モノクローナル抗体では用いる抗原のエピトープが単一であるため、抗原特異性も単一である。また、1つのモノクローナル抗体の治療対象を2つのエピトープに増やすことで、二重特異性モノクローナル抗体を設計することもできる。 通常、抗体産生細胞と骨髄腫細胞とを細胞融合させることで自律増殖能を持たせた融合細胞ハイブリドーマ (hybridoma) を作成し、目的の抗原特異性をもつ融合細胞のみを選別(スクリーニング)し、これを抗原細胞とする。この抗原細胞を培養し、分泌物を精製して目的のモノクローナル抗体が作製される。事実上、あらゆる適切な物質に特異的に結合するモノクローナル抗体を作製し、その物質を検出または精製することができる。この機能は、生化学、分子生物学、および医学の分野で重要なツールとなっている。
{{出典の明記|date=2020-01-31}} [[Image:Monoclonals.png|300px|thumb|right|ハイブリドーマ技術とモノクローナル抗体作成の概要を示した模式図<ref>{{Cite web|url=https://home.ccr.cancer.gov/metabolism/hvgccr.htm|title=Cytochrome P450 Mediated Drug and Carcinogen Metabolism using Monoclonal Antibodies|website=home.ccr.cancer.gov|accessdate=2021-05-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190620102020/https://home.ccr.cancer.gov/metabolism/hvgccr.htm|archivedate=2019-06-20}}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Gelboin HV, Krausz KW, Gonzalez FJ, Yang TJ | title = Inhibitory monoclonal antibodies to human cytochrome P450 enzymes: a new avenue for drug discovery | journal = Trends in Pharmacological Sciences | volume = 20 | issue = 11 | pages = 432–8 | date = November 1999 | pmid = 10542439 | doi = 10.1016/S0165-6147(99)01382-6 | url = http://www.cell.com/trends/pharmacological-sciences/comments/S0165-6147(99)01382-6 }}</ref>。抗原を誘発したマウスの脾臓細胞と、骨髄腫細胞を融合してハイブリドーマを作成する。ハイブリドーマをHAT培地で培養し、優れた特性を持つ細胞のクローンからモノクローナル抗体を採取する。]] '''モノクローナル抗体'''(モノクローナルこうたい、{{Lang-en-short|monoclonal antibody}}、'''mAb'''または'''moAb''')は、単一の抗体産生細胞を[[クローニング]]して作られた[[抗体]]である。このようにして得られた後続の抗体は、すべて単一の親細胞までさかのぼる。 通常の抗体([[ポリクローナル抗体]])は[[抗原]]で[[免疫]]した[[動物]]の[[血清]]から調製するため、いろいろな抗体分子種の混合物となるが、モノクローナル抗体は抗体分子種が均一である。[[抗原]]は複数の[[エピトープ]](抗原決定基。抗体によって認識される[[抗原]]の部分)を持つことが多く、ポリクローナル抗体は各々のエピトープに対する抗体の混合物となるため、厳密には抗原特異性が互いに異なる抗体分子が含まれている。これに対し、モノクローナル抗体では用いる抗原のエピトープが単一であるため、抗原特異性も[[一価抗体|単一]]である。また、1つのモノクローナル抗体の治療対象を2つのエピトープに増やすことで、[[二重特異性モノクローナル抗体]]を設計することもできる。 通常、抗体産生[[細胞]]と[[骨髄腫]]細胞とを細胞融合させることで自律増殖能を持たせた融合細胞[[ハイブリドーマ]] (hybridoma) を作成し、目的の抗原特異性をもつ融合細胞のみを選別(スクリーニング)し、これを抗原細胞とする。この抗原細胞を[[培養]]し、分泌物を精製して目的のモノクローナル抗体が作製される。事実上、あらゆる適切な物質に特異的に結合するモノクローナル抗体を作製し、その物質を検出または精製することができる。この機能は、[[生化学]]、[[分子生物学]]、および[[医学]]の分野で重要なツールとなっている。 {{toclimit|3}} == 歴史 == 1900年代、[[免疫学者]]の[[パウル・エールリヒ]]は、病気の原因となる生物を選択的に標的とし、その生物に対して毒素を送達できる化合物として「[[魔法の弾丸 (医学)|魔法の弾丸]]」(''Zauberkugel'')のアイデアを提案した。これはモノクローナル抗体やモノクローナル薬物複合体の概念を支持<!-- underpinned -->した。エールリヒおよび[[イリヤ・メチニコフ]]は、免疫学の理論的基礎を提供したことで、1908年の[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。 1970年代になると、単一の抗体を産生するリンパ球が、[[B細胞]]の癌である[[多発性骨髄腫]]という形で知られるようになった。これらの異常な抗体または{{仮リンク|骨髄腫タンパク質|en|Myeloma protein|label=パラプロテイン}}は、抗体の構造を研究するために使用されたが、特定の[[抗原]]に特異的な同一の抗体を作ることはまだできなかった<ref>{{cite journal | vauthors = Tansey EM, Catterall PP | title = Monoclonal antibodies: a witness seminar in contemporary medical history | journal = Medical History | volume = 38 | issue = 3 | pages = 322–7 | date = July 1994 | pmid = 7934322 | pmc = 1036884 | doi = 10.1017/s0025727300036632 }}</ref>{{rp|324}}。1973年、[[:en:Jerrold Schwaber|Jerrold Schwaber]]は、ヒトとマウスのハイブリッド細胞を使用したモノクローナル抗体の生産について説明した<ref>{{cite journal | vauthors = Schwaber J, Cohen EP | title = Human x mouse somatic cell hybrid clone secreting immunoglobulins of both parental types | journal = Nature | volume = 244 | issue = 5416 | pages = 444–7 | date = August 1973 | pmid = 4200460 | doi = 10.1038/244444a0 | s2cid = 4171375 }}</ref>。この研究は、ヒト由来の[[ハイブリドーマ]]を使用している人々の間で広く引用されている<ref>{{cite journal | vauthors = Cambrosio A, Keating P | title = Between fact and technique: the beginnings of hybridoma technology | journal = Journal of the History of Biology | volume = 25 | issue = 2 | pages = 175–230 | year = 1992 | pmid = 11623041 | doi = 10.1007/BF00162840 | s2cid = 45615711 }}</ref>。1975年、[[ジョルジュ・J・F・ケーラー|ジョルジュ・ケーラー]]と[[セーサル・ミルスタイン]]は、骨髄腫細胞株とB細胞を融合させて、既知の抗原に特異的で不死化された抗体を産生する、ハイブリドーマを作成することに成功した<ref name="Marks">{{cite web |last1=Marks |first1=LV |title=The Story of César Milstein and Monoclonal Antibodies |url=https://www.whatisbiotechnology.org/index.php/exhibitions/milstein/monoclonals |website=WhatisBiotechnology.org |accessdate=23 September 2020 }}</ref>。彼らおよび[[ニールス・カイ・ジェルネ|ニールス・カイ・イェルネ]]は、この発見により、1984年にノーベル生理学・医学賞を受賞した<ref name="Marks" />。 1988年、[[グレゴリー・ウィンター|グレッグ・ウィンター]]と彼のチームは、モノクローナル抗体を[[ヒト化抗体|ヒト化]]する技術を開拓し<ref>{{cite journal | vauthors = Riechmann L, Clark M, Waldmann H, Winter G | title = Reshaping human antibodies for therapy | journal = Nature | volume = 332 | issue = 6162 | pages = 323–7 | date = March 1988 | pmid = 3127726 | doi = 10.1038/332323a0 | bibcode = 1988Natur.332..323R | s2cid = 4335569 }}</ref>、多くのモノクローナル抗体が一部の患者に引き起こした反応を解消した。1990年代に入ると、モノクローナル抗体を治療に用いる研究が進展し、2018年には、抑制性連鎖<!-- inhibitory linkage -->を防ぐモノクローナル抗体を使用した負の免疫調節の阻害による癌治療法の発見により、[[ジェームズ・P・アリソン]]と[[本庶佑]]がノーベル生理学・医学賞を受賞した<ref>{{cite journal | vauthors = Altmann DM | title = A Nobel Prize-worthy pursuit: cancer immunology and harnessing immunity to tumour neoantigens | journal = Immunology | volume = 155 | issue = 3 | pages = 283–284 | date = November 2018 | pmid = 30320408 | pmc = 6187215 | doi = 10.1111/imm.13008 }}</ref>。 == 製造 == [[Image:monoclonal antibodies3.jpg|upright=0.9|thumb|right|モノクローナル抗体を作る細胞の培養物のスライドを見る研究者たち。これらは実験室で培養され、研究者はその中から最も有望なものを選ぶために産物を分析している。]] [[Image:monoclonal antibodies4.jpg|upright=0.9|thumb|right|モノクローナル抗体は、この写真に示されているボトルで無制限に増殖させることができる。]] [[Image:monoclonal antibodies1.jpg|upright=0.9|thumb|right|[[テクニシャン|検査技師]]が研究テスト用の液体を[[マイクロプレート|ウェル]]に手で充填する。このテストでは、目的の抗体を産生するためにハイブリッドを大量に増殖させた培養液を調整する。これは、[[多発性骨髄腫|骨髄腫]]細胞とマウスの[[リンパ球]]を融合させてハイブリッド細胞([[ハイブリドーマ]])を形成することで行われる。]] [[Image:monoclonal antibodies2.jpg|upright=0.9|thumb|right|検査技師は、準備したスライドを溶液に浸す。この技師は、研究者のためにモノクローナル抗体のスライドを作成する。示されている細胞は、ヒトの[[乳癌]]を標識している。]] === ハイブリドーマ開発 === {{Further|{{ill2|ハイブリドーマ技術|en|Hybridoma technology}}}} モノクローナル抗体の作製の背後にある研究の多くは、[[ハイブリドーマ]]の作製に根ざしている。ハイブリドーマ作成には、目的の抗原に特異的な抗体を産生する抗原特異的血漿/形質芽細胞(ASPC)<!-- antigen-specific plasma/plasmablast cells -->を特定し、これらの細胞と骨髄腫細胞を[[細胞融合|融合させる]]ことが含まれる<ref name="Marks" />。ウサギのB細胞を使って、{{仮リンク|ウサギ・ハイブリドーマ|en|Rabbit hybridoma}}を形成することができる。隣接する細胞膜を融合させるために[[ポリエチレングリコール]]<ref>Yang J1, Shen MH. Polyethylene glycol-mediated cell fusion. Methods Mol Biol. 2006; 325:59-66.</ref>を用いるが成功率が低いため、融合細胞のみが増殖できる選択培地を使用する。これが可能なのは、骨髄腫細胞が、核酸の[[サルベージ経路|サルベージ合成]]に必要な酵素である[[ヒポキサンチン-グアニンホスホリボシルトランスフェラーゼ|ヒポキサンチン-グアニン-ホスホリボシルトランスフェラーゼ]](HGPRT)を合成する能力を失っているためである。HGPRTが欠損していても、{{仮リンク|de novo合成|en|De novo synthesis|label=de novoプリン合成経路}}が破壊されない限り、これらの細胞にとっては問題にならない。細胞を{{仮リンク|アミノプテリン|en|Aminopterin}}([[葉酸]]類似物質で、[[ジヒドロ葉酸還元酵素]](DHFR)を阻害する)にさらすと、細胞は ''de novo'' 経路を使用できなくなり、[[核酸]]に対して完全な[[栄養要求株|栄養要求性]]になるため、生き延びるために補給が必要となる。 選択培地は、[[ヒポキサンチン]]、アミノプテリン、[[チミジン]]を含むため、{{仮リンク|HAT培地|en|HAT medium}}と呼ばれている。この培地は、融合細胞([[ハイブリドーマ]])に選択的である。未融合の骨髄腫細胞は、HGPRTが欠損しているため、DNAを複製することができず、増殖できない。未融合の脾臓細胞は、その寿命が限られているため、無制限に増殖することはできない。ハイブリドーマと呼ばれる融合したハイブリッド細胞のみが、培地中で無制限に増殖することができる。その理由は、脾臓細胞パートナーがHGPRTを供給し、骨髄腫細胞パートナーがそれを不死にする特性(癌細胞に似ている)を持つためである。 次に、この細胞の混合物を希釈し、[[マイクロタイタープレート|マイクロタイター]]ウェル上で単一の親細胞からクローンを増殖させる。その後、異なるクローンによって分泌された抗体は、抗原に結合する能力([[ELISA (分析法)|ELISA]]や抗原[[マイクロアレイ]]アッセイなどの試験で)や、またはイムノ[[ドットブロット]]で評価される。そして、最も生産的で安定したクローンが将来の使用のために選択される。 このハイブリドーマは、適切な細胞培養培地で無制限に増殖させることができる。それらはまた、マウスに注射することもできる(腸を囲む[[腹膜腔]]内)。そこで[[腹水]]と呼ばれる抗体を多く含む液体を分泌する腫瘍を生成する。 ハイブリドーマの増殖をさらに促進するために、器内(''in vitro)''での選択の際に培地を濃縮しなければならない。これは、フィーダー繊維細胞の層や、ブライクローンなどの補助媒体を使用することで実施される。マクロファージで調整した培地を使用することができる。腹水手法は動物に苦痛を与えるため、通常は細胞培養での製造が望ましい。代替技術が存在する場合、腹水は[[倫理学|非倫理的]]と見なされる<ref>National Research Council (US) Committee on Methods of Producing Monoclonal Antibodies. [https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK100191/ Recommendation 1: Executive Summary]: Monoclonal Antibody Production. Washington (DC): National Academies Press (US); 1999. {{ISBN2|978-0-309-07511-4}}</ref>。 === モノクローナル抗体の新規開発技術 === 近年、[[ファージディスプレイ]]<ref name=":1">{{cite journal | vauthors = Ho M, Feng M, Fisher RJ, Rader C, Pastan I | title = A novel high-affinity human monoclonal antibody to mesothelin | journal = International Journal of Cancer | volume = 128 | issue = 9 | pages = 2020–30 | date = May 2011 | pmid = 20635390 | pmc = 2978266 | doi = 10.1002/ijc.25557 }}</ref>、単一B細胞培養<!-- single B cell culture --><ref>{{cite journal | vauthors = Seeber S, Ros F, Thorey I, Tiefenthaler G, Kaluza K, Lifke V, Fischer JA, Klostermann S, Endl J, Kopetzki E, Pashine A, Siewe B, Kaluza B, Platzer J, Offner S | display-authors = 6 | title = A robust high throughput platform to generate functional recombinant monoclonal antibodies using rabbit B cells from peripheral blood | journal = PLOS ONE | volume = 9 | issue = 2 | pages = e86184 | year = 2014 | pmid = 24503933 | pmc = 3913575 | doi = 10.1371/journal.pone.0086184 | bibcode = 2014PLoSO...986184S }}</ref>、さまざまなB細胞集団からの単一細胞増幅<!-- single cell amplification --><ref>{{cite journal | vauthors = Wardemann H, Yurasov S, Schaefer A, Young JW, Meffre E, Nussenzweig MC | title = Predominant autoantibody production by early human B cell precursors | journal = Science | volume = 301 | issue = 5638 | pages = 1374–7 | date = September 2003 | pmid = 12920303 | doi = 10.1126/science.1086907 | bibcode = 2003Sci...301.1374W | s2cid = 43459065 }}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Koelsch K, Zheng NY, Zhang Q, Duty A, Helms C, Mathias MD, Jared M, Smith K, Capra JD, Wilson PC | display-authors = 6 | title = Mature B cells class switched to IgD are autoreactive in healthy individuals | journal = The Journal of Clinical Investigation | volume = 117 | issue = 6 | pages = 1558–65 | date = June 2007 | pmid = 17510706 | pmc = 1866247 | doi = 10.1172/JCI27628 }}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Smith K, Garman L, Wrammert J, Zheng NY, Capra JD, Ahmed R, Wilson PC | title = Rapid generation of fully human monoclonal antibodies specific to a vaccinating antigen | journal = Nature Protocols | volume = 4 | issue = 3 | pages = 372–84 | date = 2009-01-01 | pmid = 19247287 | pmc = 2750034 | doi = 10.1038/nprot.2009.3 }}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Duty JA, Szodoray P, Zheng NY, Koelsch KA, Zhang Q, Swiatkowski M, Mathias M, Garman L, Helms C, Nakken B, Smith K, Farris AD, Wilson PC | display-authors = 6 | title = Functional anergy in a subpopulation of naive B cells from healthy humans that express autoreactive immunoglobulin receptors | journal = The Journal of Experimental Medicine | volume = 206 | issue = 1 | pages = 139–51 | date = January 2009 | pmid = 19103878 | pmc = 2626668 | doi = 10.1084/jem.20080611 }}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Huang J, Doria-Rose NA, Longo NS, Laub L, Lin CL, Turk E, Kang BH, Migueles SA, Bailer RT, Mascola JR, Connors M | display-authors = 6 | title = Isolation of human monoclonal antibodies from peripheral blood B cells | journal = Nature Protocols | volume = 8 | issue = 10 | pages = 1907–15 | date = October 2013 | pmid = 24030440 | pmc = 4844175 | doi = 10.1038/nprot.2013.117 }}</ref>、単一形質細胞解析技術<!-- single plasma cell interrogation -->など、いくつかのモノクローナル抗体技術が開発された<ref name="Ho_2018">{{cite journal | vauthors = Ho M | title = Inaugural Editorial: Searching for Magic Bullets | journal = Antibody Therapeutics | volume = 1 | issue = 1 | pages = 1–5 | date = June 2018 | pmid = 30101214 | pmc = 6086361 | doi = 10.1093/abt/tby001 }}</ref>。従来のハイブリドーマ技術とは異なり、新しい技術は分子生物学的手法を用いて、抗体遺伝子の重鎖と軽鎖を[[ポリメラーゼ連鎖反応|PCR]]で増幅し、[[遺伝的組換え|組換え]]技術で細菌や哺乳類系で生産する。新しい技術の利点の一つは、ウサギ、ラマ、ニワトリ、その他の実験室で一般的な実験動物など、複数の動物で適用できることである。 === 精製 === 培養したハイブリドーマの培地サンプルまたは腹水液サンプルをいずれかを入手した後、目的の抗体を抽出する必要がある。細胞培養液サンプルの夾雑物(きょうざつぶつ)は、主に成長因子、[[ホルモン]]、[[トランスフェリン]]などの培地成分で構成されている。一方、生体内(''in vivo'')サンプルには、宿主の抗体、[[プロテアーゼ]]、[[ヌクレアーゼ]]、核酸、[[ウイルス]]が含まれている可能性がある。どちらの場合も、[[サイトカイン]]のようなハイブリドーマによる他の分泌物が存在する可能性がある。また、細菌汚染があり、その結果、細菌が分泌する[[内毒素]]が存在する可能性もある。細胞培養に必要な培地の複雑さ、ひいては混入物に応じて、どちらか一方の方法(''in vivo''または''in vitro'')が好ましい場合がある。 サンプルは、まず前処理をするか精製の準備をする。最初に細胞、細胞組織片、脂質、および凝固物を、通常は遠心分離によって除去し、その後に0.45 µmのフィルターで[[ろ過]]する。これらの大きな粒子は、後の精製工程で{{仮リンク|膜ファウリング|en|Membrane fouling}}と呼ばれる現象を引き起こすことがある。さらに、特に分泌量の少ない細胞株で目的の抗体が作られている場合、サンプル中の生成物の濃度が十分でない可能性もある。そのため、サンプルを[[限外濾過]]または[[透析]]によって濃縮する。 帯電した不純物の多くは、核酸やエンドトキシンなどの[[陰イオン]]である。これらは、[[イオン交換クロマトグラフィー]]によって分離することができる<ref>{{cite journal | vauthors = Vlasak J, Ionescu R | title = Heterogeneity of monoclonal antibodies revealed by charge-sensitive methods | journal = Current Pharmaceutical Biotechnology | volume = 9 | issue = 6 | pages = 468–81 | date = December 2008 | pmid = 19075686 | doi = 10.2174/138920108786786402 }}</ref>。目的の抗体がカラムに結合しながら陰イオンが流れるような低いpHで[[陽イオン]]交換クロマトグラフィーを使用し、目的の抗体がカラムに結合しながら流れるような高いpHで{{仮リンク|陰イオン交換クロマトグラフィー|en|Anion-exchange chromatography}}を使用する。また、さまざまなタンパク質を、その[[等電点]](pI)に基づいて、陰イオンとともに分離することができる。タンパク質では、等電点(pI)は、タンパク質が正味の電荷を持たないpHと定義される。pH > pIの場合、タンパク質は正味の負電荷を持ち、pH < pIの場合、タンパク質は正味の正電荷を持つ。たとえば、[[アルブミン]]のpIは4.8であり、ほとんどのモノクローナル抗体のpIが6.1であるのと比べて著しく低い。したがって、pHが4.8から6.1の間では、アルブミン分子の平均電荷はより負になる可能性が高く、mAbs分子は正に帯電しているため、両者を分離することができる。一方、トランスフェリンのpIは5.9なので、この方法では簡単には分離できない。良好な分離のためには、少なくともpIの差は1を必要とする。 その代わりに、トランスフェリンは、[[サイズ排除クロマトグラフィー]]によって除去することができる。この方法は、より信頼性の高いクロマトグラフィー技術の一つである。タンパク質を扱っているので、電荷や親和性などの特性は一貫しておらず、pHによって分子がプロトン化および脱プロトン化されるため変化するが、サイズは比較的一定に保たれる。それでもなお、低分解能、低容量、低[[溶出]]時間などの欠点がある。 はるかに迅速な単一ステップの分離方法として、{{仮リンク|プロテインA/G|en|Protein A/G}}[[アフィニティークロマトグラフィー]]がある。この抗体は、プロテインA/Gに選択的に結合するため、高レベルの純度(通常80%以上)が得られる。しかし、この方法は一般的に過酷な条件で行われるため、損傷を受けやすい抗体には問題がある可能性がある。pHが低いと、結合が切断されて抗体がカラムから外れることがある。製品に影響を与える可能性があることに加え、pHが低いとプロテインA/G自体がカラムから漏れ出し、溶出したサンプルに混入する可能性がある。敏感な抗体が低pHにさらされるのを防ぐために、高塩濃度を採用した穏やかな溶出バッファーシステム<!-- Gentle elution buffer systems -->を利用できる。固定化プロテインA/Gはより高価な樹脂であるため、この方法ではコストも重要な考慮事項となる。 単一の工程で最大の純度を達成するために、抗体に特異性を持たせるために抗原を使用して、アフィニティ精製を行うことができる。この方法では、抗体を生成するために用いる抗原は、[[アガロース]]担体に共有結合する。抗原が[[ペプチド]]の場合、一般的には末端に[[システイン]]を持つように合成される。これにより、開発時に{{仮リンク|キーホールリンペットヘモシアニン|en|Keyhole limpet hemocyanin|label=KLH}}などのキャリアタンパク質に選択的に結合させ、精製を保持することができる。その後、抗体含有培地を、固定化された抗原とインキュベートする。このとき、抗体はバッチ式またはカラムを通過させることにより選択的に結合し不純物を洗い流す間保持される。その後、低pHバッファーまたはより穏やかな高塩濃度溶出バッファー<!-- high salt elution buffer -->で溶出し、担体から精製された抗体を回収する。 === 抗体の不均一性 === モノクローナル抗体やその他の組換え生物学的製品では、製品の不均一性が普通に見られ、一般的には発現時の上流側、または製造時の下流側のいずれかでもたらされる{{citation needed|date=December 2014}}。 これらの変異体は、典型的には、凝集体、[[脱アミノ化|脱アミド化]]生成物、[[グリコシル化]]変異体、アミノ酸側鎖の酸化物、さらにはアミノおよびカルボキシル末端のアミノ酸付加物である<ref>{{cite journal | vauthors = Beck A, Wurch T, Bailly C, Corvaia N | title = Strategies and challenges for the next generation of therapeutic antibodies | journal = Nature Reviews. Immunology | volume = 10 | issue = 5 | pages = 345–52 | date = May 2010 | pmid = 20414207 | doi = 10.1038/nri2747 | s2cid = 29689097 }}</ref>。このような微小な構造変化は、前臨床試験の安定性とプロセスの最適化、ひいては治療薬の効力、[[バイオアベイラビリティ]]、および[[免疫原性]]に影響を及ぼす可能性がある。モノクローナル抗体のプロセス流<!-- process streams -->における一般的に受け入れられている精製方法は、{{仮リンク|プロテインA|en|Protein A}}による製品ターゲットの捕捉、溶出、潜在的な哺乳動物ウイルスを不活性化するための酸性化、それに続く[[イオンクロマトグラフィー]](最初に{{仮リンク|陰イオン交換クロマトグラフィー|en|Anion-exchange chromatography|label=陰イオンビーズ}}、次に陽イオンビーズ)が含まれる{{citation needed|date=December 2014}}。 {{仮リンク|置換クロマトグラフィー|en|Displacement chromatography}}は、これらのあまり見られない変異体を、動物の[[薬物動態学|薬物動態]]試験などの前臨床評価レジメンに適した量で同定し、特性を明らかにするために使用されている<ref>{{cite journal | vauthors = Khawli LA, Goswami S, Hutchinson R, Kwong ZW, Yang J, Wang X, Yao Z, Sreedhara A, Cano T, Tesar D, Nijem I, Allison DE, Wong PY, Kao YH, Quan C, Joshi A, Harris RJ, Motchnik P | display-authors = 6 | title = Charge variants in IgG1: Isolation, characterization, in vitro binding properties and pharmacokinetics in rats | journal = mAbs | volume = 2 | issue = 6 | pages = 613–24 | year = 2010 | pmid = 20818176 | pmc = 3011216 | doi = 10.4161/mabs.2.6.13333 | url = http://www.landesbioscience.com/journals/mabs/abstract.php?id=13333 }}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Zhang T, Bourret J, Cano T | title = Isolation and characterization of therapeutic antibody charge variants using cation exchange displacement chromatography | journal = Journal of Chromatography A | volume = 1218 | issue = 31 | pages = 5079–86 | date = August 2011 | pmid = 21700290 | doi = 10.1016/j.chroma.2011.05.061 }}</ref>。前臨床開発段階で得られた知識は、製品の品質に対する理解を深めるために重要であり、リスク管理や規制の柔軟性を高めるための基礎となる。最近の[[米国食品医薬品局]](FDA)の[[クオリティ・バイ・デザイン]]イニシアチブは、開発に関するガイダンスを提供し、製品の製造可能性を高めながら、有効性と安全性プロファイルを最大化するような製品およびプロセスの設計を促進しようとするものである<ref>{{cite journal | vauthors = Rathore AS, Winkle H | title = Quality by design for biopharmaceuticals | journal = Nature Biotechnology | volume = 27 | issue = 1 | pages = 26–34 | date = January 2009 | pmid = 19131992 | doi = 10.1038/nbt0109-26 | s2cid = 5523554 }}</ref>。 === 組換え === {{仮リンク|組換え抗体|en|Recombinant antibodies|label=組換え}}モノクローナル抗体の作製には、レパートリー[[クローニング]]、[[CRISPR/Cas9]]、または[[ファージディスプレイ]]/[[酵母ディスプレイ]]技術が用いられる<ref>{{cite journal | vauthors = van der Schoot JM, Fennemann FL, Valente M, Dolen Y, Hagemans IM, Becker AM, Le Gall CM, van Dalen D, Cevirgel A, van Bruggen JA, Engelfriet M, Caval T, Bentlage AE, Fransen MF, Nederend M, Leusen JH, Heck AJ, Vidarsson G, Figdor CG, Verdoes M, Scheeren FA | display-authors = 6 | title = Functional diversification of hybridoma-produced antibodies by CRISPR/HDR genomic engineering | journal = Science Advances | volume = 5 | issue = 8 | pages = eaaw1822 | date = August 2019 | pmid = 31489367 | pmc = 6713500 | doi = 10.1126/sciadv.aaw1822 }}</ref>。{{仮リンク|組換え抗体|en|Recombinant antibodies|label=}}工学では、マウスではなく[[ウイルス]]や[[酵母]]を使用して抗体を作製する。これらの技術は、免疫グロブリン遺伝子セグメントの迅速なクローニングに基づき、[[アミノ酸]]配列がわずかに異なる抗体のライブラリを作成し、そこから目的の特異性を持つ抗体を選択することができる<ref>{{cite journal | vauthors = Siegel DL | title = Recombinant monoclonal antibody technology | journal = Transfusion Clinique et Biologique | volume = 9 | issue = 1 | pages = 15–22 | date = January 2002 | pmid = 11889896 | doi = 10.1016/S1246-7820(01)00210-5 }}</ref>。ファージ抗体ライブラリは、ファージ抗原ライブラリの別形<!-- variant -->である<ref>{{cite web |title=Dr. George Pieczenik |date=17 September 2009 |work=LMB Alumni |publisher=MRC Laboratory of Molecular Biology (LMB) |url=http://www2.mrc-lmb.cam.ac.uk/component/content/article/40-archive/200-archive-service-alumni |accessdate=17 November 2012 |archiveurl=https://archive.today/20121223051501/http://www2.mrc-lmb.cam.ac.uk/component/content/article/40-archive/200-archive-service-alumni |archivedate=23 December 2012 |url-status=dead }}</ref>。これらの技術は、抗体が抗原を認識する特異性、さまざまな環境条件での安定性、治療効果、および診断用途での検出性を高めるために使用することができる<ref>{{cite journal | vauthors = Schmitz U, Versmold A, Kaufmann P, Frank HG | title = Phage display: a molecular tool for the generation of antibodies--a review | journal = Placenta | volume = 21 Suppl A | issue = Suppl A | pages = S106-12 | year = 2000 | pmid = 10831134 | doi = 10.1053/plac.1999.0511 }}</ref>。発酵槽は大規模な抗体生産に使用されている。 === キメラ抗体 === {{Main|{{ill2|キメラ抗体|en|Chimeric antibodies}}}} マウスとヒトの抗体は構造的には類似しているが、[[ハツカネズミ属|マウス]]モノクローナル抗体をヒトに注射したときに、それらの違いは免疫応答を引き起こすのに十分であり、その結果は、マウスモノクローナル抗体は血液中から速やかに除去され、全身性の炎症作用および{{仮リンク|ヒト抗マウス抗体|en|Human anti-mouse antibody}}(HAMA)の産生をもたらす。 [[組換えDNA]]は、滞留時間を長くするために1980年代後半から探究されてきた。ある研究アプローチにおいて、モノクローナル抗体の結合部分をコードするマウスDNAを、生細胞の中でヒトの抗体産生DNAと融合させた。この「[[組換えDNA|キメラ]]」または「ヒト化」されたDNAを細胞培養で発現させると、一部マウスで一部ヒトの抗体を産生する<ref name="Boulianne_1984">{{cite journal | vauthors = Boulianne GL, Hozumi N, Shulman MJ | title = Production of functional chimaeric mouse/human antibody | journal = Nature | volume = 312 | issue = 5995 | pages = 643–6 | date = 1984 | pmid = 6095115 | doi = 10.1038/312643a0 | s2cid = 4311503 }}</ref><ref>{{cite journal | vauthors = Chadd HE, Chamow SM | title = Therapeutic antibody expression technology | journal = Current Opinion in Biotechnology | volume = 12 | issue = 2 | pages = 188–94 | date = April 2001 | pmid = 11287236 | doi = 10.1016/S0958-1669(00)00198-1 }}</ref>。 === ヒト抗体 === [[File:Isolation of human monoclonal antibodies. .tif|thumb|ヒトのモノクローナル抗体を単離するために開発された4つのアプローチ<ref name="Ho_2018" />。]] モノクローナル抗体を作製できるという発見以来、科学者たちは、[[ヒト化抗体]]またはキメラ抗体の副作用を軽減するために、'''完全'''ヒト製品<!-- fully human products -->の作製を目標としてきた。いくつかの成功したアプローチとして、{{仮リンク|遺伝子改変マウス|en|Genetically modified mouse|label=トランスジェニックマウス}}<ref>{{cite journal | vauthors = Lonberg N, Huszar D | title = Human antibodies from transgenic mice | journal = International Reviews of Immunology | volume = 13 | issue = 1 | pages = 65–93 | year = 1995 | pmid = 7494109 | doi = 10.3109/08830189509061738 }}</ref>、[[ファージディスプレイ]]<ref name=":1" />、単一B細胞クローニングが確認されている<ref name="Ho_2018" />。 2016年11月現在、市販されている'''完全'''ヒトモノクローナル抗体治療薬19種のうち、13種が[[トランスジェニック]]マウス技術に由来している。 トランスジェニック技術を採用して市場に出している組織は次のとおりである。 * {{仮リンク|Medarex|en|Medarex}} - UltiMabプラットフォームを販売していた。Medarex社は2009年7月に[[ブリストル・マイヤーズ スクイブ]]社に買収された<ref>{{Cite web|url=https://www.bloomberg.com/news/articles/2009-07-23/bristol-myers-squibb-bets-big-on-a-mouse|title=Bristol-Myers Squibb Bets Big on a Mouse|website=Bloomberg.com|accessdate=2021-05-28|publisher=Bloomberg L.P.}}</ref>。 * Abgenix社 - Xenomouse技術を販売していた。Abgenix社は2006年4月に[[アムジェン]]社に買収された<ref>{{Cite web|url=https://investors.amgen.com/news-releases/news-release-details/amgen-completes-acquisition-abgenix-acquisition-provides-amgen/|title=Amgen Completes Acquisition of Abgenix; Acquisition Provides Amgen with Full Ownership of Panitumumab and Eliminates a Denosumab Royalty &#124; Amgen Inc.|website=investors.amgen.com|accessdate=2021-05-28}}</ref>。 * [[リジェネロン・ファーマシューティカルズ]]社 - VelocImmune技術<ref>{{cite web|url=http://www.regeneron.com/velocimmune.html |title=Archived copy |accessdate=July 28, 2009 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090629204805/http://www.regeneron.com/velocimmune.html |archivedate=June 29, 2009 }}</ref>。 * Kymab - Kymouseテクノロジーを販売している<ref>{{cite web|url= http://www.kymab.com/kymouse_platform.php|title= Proprietary antibody platform|accessdate= 2013-01-17|archiveurl= https://web.archive.org/web/20130203024139/http://www.kymab.com/kymouse_platform.php|archivedate= 2013-02-03|url-status= dead}}</ref>。 * Open Monoclonal Technology社のOmniRat™およびOmniMouse™プラットフォーム<ref>{{Cite web|url=http://www.omtinc.net/p|title=Naturally optimized human antibodies|accessdate=2021-05-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131111110125/http://www.omtinc.net/p|archivedate=2013-11-11}}</ref>。同社は、2015年12月にLigand社に買収された<ref>{{Cite web|title=Ligand to Acquire OMT, Inc., a Leader in Human Antibody Generation, for $178 Million in Cash and Stock :: Ligand Pharmaceuticals Incorporated (LGND)|url=https://investor.ligand.com/press-releases/detail/282/ligand-to-acquire-omt-inc-a-leader-in-human-antibody|website=investor.ligand.com|accessdate=2021-05-28}}</ref>。 * [https://trianni.com/ TRIANNI, Inc] - TRIANNIマウスプラットフォームを販売している<ref>{{cite web|url=http://www.trianni.com|title=Proprietary antibody platform|accessdate=2021-05-28}}</ref>。 * Ablexis, LLC - AlivaMabマウスプラットフォームを販売している<ref>{{cite web|url=http://www.ablexis.com|title=Proprietary antibody platform|accessdate=2021-05-28}}</ref>。 [[ファージディスプレイ]]は、[[繊維状ファージ]]の外皮タンパク質(Phage major coat protein)上で可変抗体ドメインを発現させるために使用可能である<ref name="pmid2247164">{{cite journal | vauthors = McCafferty J, Griffiths AD, Winter G, Chiswell DJ | title = Phage antibodies: filamentous phage displaying antibody variable domains | journal = Nature | volume = 348 | issue = 6301 | pages = 552–4 | date = December 1990 | pmid = 2247164 | doi = 10.1038/348552a0 | bibcode = 1990Natur.348..552M | s2cid = 4258014 }}</ref><ref name="Marks_1991">{{cite journal | vauthors = Marks JD, Hoogenboom HR, Bonnert TP, McCafferty J, Griffiths AD, Winter G | title = By-passing immunization. Human antibodies from V-gene libraries displayed on phage | journal = Journal of Molecular Biology | volume = 222 | issue = 3 | pages = 581–97 | date = December 1991 | pmid = 1748994 | doi = 10.1016/0022-2836(91)90498-U }}</ref><ref name="Carmen_2002">{{cite journal | vauthors = Carmen S, Jermutus L | title = Concepts in antibody phage display | journal = Briefings in Functional Genomics & Proteomics | volume = 1 | issue = 2 | pages = 189–203 | date = July 2002 | pmid = 15239904 | doi = 10.1093/bfgp/1.2.189 | doi-access = free }}</ref>。これらのファージディスプレイ抗体は、さまざまな研究用途に使用できる<ref>{{cite book | vauthors = Osbourn JK | title = Antibody Phage Display | chapter = Proximity-guided (ProxiMol) antibody selection | series = Methods Mol. Biol. | volume = 178 | pages = 201–5 | year = 2002 | pmid = 11968489 | doi = 10.1385/1-59259-240-6:201 | isbn = 978-1-59259-240-1 }}</ref><ref>{{cite book| vauthors = Abeloff MD, Armitage JO, Niederhuber JE, Kastan MB, McKenna G |title=Abeloff's Clinical Oncology|edition=4th|year=2008|publisher=[[:en:Elsevier|Elsevier]]|chapter=Therapeutic Antibodies and Immunologic Conjugates}}</ref>。ProAbは1997年12月に発表され<ref>{{cite web|url=http://www.ukbusinesspark.co.uk/cay92125.htm|title=Cambridge Antibody Technology|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110928045141/http://www.ukbusinesspark.co.uk/cay92125.htm|archivedate=2011-09-28|accessdate=2021-05-28}}</ref>、罹患組織と非罹患組織に対する抗体ライブラリのハイスループットスクリーニングを行うもので、Proximolはフリーラジカル酵素反応を利用して、特定のタンパク質に近接する分子を標識するものである<ref>{{cite journal | vauthors = Osbourn JK, Derbyshire EJ, Vaughan TJ, Field AW, Johnson KS | title = Pathfinder selection: in situ isolation of novel antibodies | journal = Immunotechnology | volume = 3 | issue = 4 | pages = 293–302 | date = January 1998 | pmid = 9530562 | doi = 10.1016/S1380-2933(97)10007-0 }}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.chidb.com/newsarticles/issue3_1.ASP|title= The Current State of Proteomic Technology|accessdate= 2009-07-28|archiveurl= https://web.archive.org/web/20111008021447/http://www.chidb.com/newsarticles/issue3_1.ASP|archivedate= 2011-10-08|url-status= dead}}</ref>。 モノクローナル抗体は、[[悪性腫瘍|癌]]、[[心血管疾患]]、[[炎症]]性疾患、[[黄斑変性症]]、[[移植拒絶反応]]、[[多発性硬化症]]、ウイルス[[感染症]]の治療に承認されている。 2006年8月、{{仮リンク|米国研究製薬工業協会|en|Pharmaceutical Research and Manufacturers of America}}の報告によると、米国企業は160種類のモノクローナル抗体を臨床試験中または米国食品医薬品局の承認を待っている<ref>''PhRMA Reports Identifies More than 400 Biotech Drugs in Development.'' Pharmaceutical Technology, August 24, 2006. Retrieved 2006-09-04.</ref>。 == コスト == モノクローナル抗体の製造は、複雑なプロセスが関与したり、その全般的な分子サイズのため、低分子化合物よりもコストが高く、これらはすべて新しい化学物質を患者に提供するための膨大な研究開発費に追加される。それらは、製造業者が多額の投資費用を回収できるように価格設定されており、米国のように価格統制がない場合は、価値が高いほど価格が高くなることがある。[[ピッツバーグ大学]]の7人の研究者は、患者一人当たり「mAb療法の年間費用は、腫瘍学および血液学の領域では他の疾病よりも約10万ドル高い」と結論づけた。新血管疾患や代謝性疾患、免疫領域、感染症、アレルギー、眼科の各領域と比較された<ref name="pmid29461857">{{cite journal | vauthors = Hernandez I, Bott SW, Patel AS, Wolf CG, Hospodar AR, Sampathkumar S, Shrank WH | title = Pricing of monoclonal antibody therapies: higher if used for cancer? | journal = The American Journal of Managed Care | volume = 24 | issue = 2 | pages = 109–112 | date = February 2018 | pmid = 29461857 }}</ref>。 == 用途 == === 診断検査 === ある物質に対するモノクローナル抗体ができれば、それを使ってその物質の存在を検出することができる。タンパク質は、[[ウェスタンブロット]]やイムノ[[ドットブロット]]を使用して検出できる。[[免疫組織化学|免疫組織化学検査]]では、モノクローナル抗体を使用して、固定組織切片中の抗原を検出でき、同様に、[[免疫蛍光|免疫蛍光検査]]では、凍結組織切片または生細胞中の物質を検出できる。 === 分析および化学的用途 === 抗体はまた、[[免疫沈降法]]を使用して、混合物から標的化合物を精製するためにも使用される。 === 治療用途 === 治療用モノクローナル抗体は、標的分子の機能の遮断、標的分子を発現している細胞の[[アポトーシス]]誘導、またはシグナル伝達経路の調節など、複数の機構を通じて作用する<ref>{{cite journal | vauthors = Breedveld FC | title = Therapeutic monoclonal antibodies | journal = Lancet | volume = 355 | issue = 9205 | pages = 735–40 | date = February 2000 | pmid = 10703815 | doi = 10.1016/S0140-6736(00)01034-5 | s2cid = 43781004 | url = http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(00)01034-5/fulltext | author-link = Ferry Breedveld }}</ref><ref>{{cite journal|url=http://www.australianprescriber.com/magazine/29/5/130/3/#2|title=Monoclonal antibody therapy for non-malignant disease|year=2006|author=Australian Prescriber|journal=Australian Prescriber|volume=29|issue=5|pages=130–133|doi=10.18773/austprescr.2006.079|doi-access=free}}</ref>。 == 臨床への応用 == === モノクローナル抗体の臨床適用 === {{Main|{{ill2|モノクローナル抗体治療|en|Monoclonal antibody therapy}}}}1970年代に発明されたモノクローナル抗体は臨床に革命的な変化を起こすといわれたが、その後ほぼ20年間、臨床試験は上手くいかなかった。これは主に、[[ハツカネズミ|マウス]]の抗体は[[ヒト]]に抗原認識されることが原因であった。しかし1990年代になって、[[チャイニーズハムスター卵巣細胞|CHO細胞]]内に、マウスでなくヒトの免疫グロブリン遺伝子を発現する[[プラスミド]]を直接[[形質転換]]する方法が開発されて以降、この問題は克服された。この方法はさらに進化し、現在ではハイブリドーマを使用せず、ファージディスプレイにより1兆個の分子からなる莫大なクローンライブラリーから最適抗体がスクリーニングされ、その遺伝子をCHO細胞で大量生産する方法が用いられている。もしくは、ヒトの抗体を生産する[[遺伝子改変動物|トランスジェニックマウス]]を使い、直接ヒト抗体を得る方法が用いられる。これらの方法は、前臨床段階までの開発費がわずか約2億円で済むといわれており、従来の古典的化学薬品にかかる20億円と比較して非常に効率がよい。ただし細胞培養を必要とするため、最終製品の製造費用は化学合成による化学薬品と比べると、非常に高い。 モノクローナル抗体は[[タンパク質]]薬品であり、いわゆる化学薬品と違い経口投与ができない(普通週一回の注射)、製造費用が非常に高い、細胞内部に侵入できないなどの欠点を持つ。しかしいったん標的分子に結合すると、患者自身の免疫機構が働いて標的分子を含む[[悪性腫瘍|がん細胞]]を高率で破壊できるなどの利点をもつ。また、免疫グロブリン自体はヒトの体内に存在する分子なので、それ自身による副作用は予想しやすい。 原理的にはポリクローナル抗体も臨床に使用可能であるが、人間の患者への薬品として使用するためには、薬品内の分子が化学的に厳密に定義され、さらにそれらを極めて高純度でかつ安定的に大量生産する必要があり、現実にはほぼ不可能であるといわれている。 ヒト血漿由来(血液製剤)の免疫グロブリン製剤は一種のポリクローナル抗体であり、様々な難病に対して使用され有効性を示している。しかし、これら血液由来の免疫グロブリン製剤が組換え抗体医薬品に容易に置き換えることができないのは、上記の品質管理の困難さからである。 === 事例紹介 === ==== 癌治療 ==== [[悪性腫瘍|癌]]の治療法の一つとして、癌細胞に特異的な[[抗原]]にのみ結合し、標的となる癌細胞に対する[[免疫応答]]を誘発するモノクローナル抗体が考えられる。このようなモノクローナル抗体は、[[毒素]]、[[放射性同位体]]、[[サイトカイン]]、その他の活性コンジュゲートの送達用に修飾することができる。あるいは、{{仮リンク|フラグメント抗原結合|en|Fragment antigen-binding|label=Fab領域}}で標的抗原およびコンジュゲート(またはエフェクター細胞)の両方に結合できる[[二重特異性モノクローナル抗体|二重特異性抗体]]を設計できる。すべてのインタクト抗体<!-- intact antibody -->は、その[[フラグメント結晶化可能領域|Fc領域]]で細胞受容体または他のタンパク質に結合することができる。 [[Image:Monoclonal antibodies.svg|frame|'''癌に対するモノクローナル抗体'''。{{仮リンク|DEPT (medicine)|en|DEPT (medicine)|label=ADEPT}}:抗体指向性酵素プロドラッグ療法、[[抗体依存性細胞傷害|ADCC]]:抗体依存性細胞傷害、[[補体依存性細胞傷害|CDC]]:補体依存性細胞傷害、MAb:モノクローナル抗体、[[単鎖可変フラグメント|scFv]]:単鎖可変フラグメント<ref>Modified from {{cite journal | vauthors = Carter P | title = Improving the efficacy of antibody-based cancer therapies | journal = Nature Reviews. Cancer | volume = 1 | issue = 2 | pages = 118–29 | date = November 2001 | pmid = 11905803 | doi = 10.1038/35101072 | s2cid = 10169378 }}</ref>。]] [[米国食品医薬品局]](FDA)が癌に対して承認しているモノクローナル抗体は次のとおりである<ref>Takimoto CH, Calvo E. (January 01, 2005) [http://www.cancernetwork.com/articles/principles-oncologic-pharmacotherapy "Principles of Oncologic Pharmacotherapy"] in Pazdur R, Wagman LD, Camphausen KA, Hoskins WJ (Eds) [http://www.cancernetwork.com/cancer-management-11/ Cancer Management]</ref>。 {{div col|colwidth=20em}} * [[アレムツズマブ]] * [[ベバシズマブ]] * [[セツキシマブ]] * [[ゲムツズマブ オゾガマイシン]] * [[イピリムマブ]] * [[オファツムマブ]] * [[パニツムマブ]] * [[ペムブロリズマブ]] * [[ラニビズマブ]] * [[リツキシマブ]] * [[トラスツズマブ]] {{Div col end}} ==== 自己免疫疾患 ==== [[自己免疫疾患]]に用いられるモノクローナル抗体には[[インフリキシマブ]]や[[アダリムマブ]]があり、[[TNF-α]]に結合して阻害することにより、[[関節リウマチ]]、[[クローン病]]、[[潰瘍性大腸炎]]、[[強直性脊椎炎]]に効果がある<ref name="Rang" />。[[バシリキシマブ]]と{{仮リンク|ダクリズマブ|en|Daclizumab}}は、活性化[[T細胞]]の[[インターロイキン-2|IL-2]]を阻害することにより、腎移植の急性拒絶反応を予防に役立つ<ref name="Rang" />。[[オマリズマブ]]は、ヒト[[免疫グロブリンE]](IgE)を阻害し、中等症から重症のアレルギー性[[気管支喘息|喘息]]の治療に有用である。 === 治療用モノクローナル抗体の例 === {{Main|{{ill2|治療用モノクローナル抗体のリスト|en|List of monoclonal antibodies}}}} 研究用のモノクローナル抗体は、抗体サプライヤーから直接または{{仮リンク|CiteAb|en|CiteAb}}のような専門家検索エンジンを使用して入手することができる。次は臨床的に重要なモノクローナル抗体の例である。 {| class="wikitable" |- ! 主なカテゴリー !! 種類 !! 用途 !! 機構/標的 !! 形態 |- ! rowspan="5" | 抗炎症 ! [[インフリキシマブ]]<ref name="Rang">{{cite book | vauthors = Rang HP |title=Pharmacology |publisher=Churchill Livingstone |location=Edinburgh |year=2003 |pages=241, for the examples infliximab, basiliximab, abciximab, daclizumab, palivusamab, gemtuzumab, alemtuzumab and rituximab, and mechanism and mode |isbn=978-0-443-07145-4 }}</ref> | *[[関節リウマチ]] *[[クローン病]] *[[潰瘍性大腸炎]] *[[強直性脊椎炎]] || [[TNF-α]]阻害 || キメラ |- ! [[アダリムマブ]] | *[[関節リウマチ]] *[[クローン病]] *[[潰瘍性大腸炎]] *[[強直性脊椎炎]] || [[TNF-α]]阻害 || ヒト |- ! [[バシリキシマブ]]<ref name="Rang" /> | * 腎移植の急性[[拒絶反応]] || 活性化[[T細胞]]の[[インターロイキン-2|IL-2]]抑制 || キメラ |- ! {{ill2|ダクリズマブ|en|daclizumab}}<ref name="Rang" /> | * 腎移植の急性[[拒絶反応]] || 活性化[[T細胞]]の[[インターロイキン-2|IL-2]]抑制 || ヒト化 |- ! [[オマリズマブ]] | *中等度から重度のアレルギー性[[気管支喘息|喘息]] | ヒト[[免疫グロブリンE]] (IgE) 抑制 | ヒト化 |- ! rowspan="7" | 抗癌 ! [[ゲムツズマブ]]<ref name="Rang" /> | * 再発性[[急性骨髄性白血病]] |[[白血病]]細胞の骨髄細胞表面抗原{{仮リンク|CD33|en|CD33}}を標的 || ヒト化 |- ![[アレムツズマブ]]<ref name="Rang" /> | *{{仮リンク|リンパ性白血病|en|Lymphoid leukemia|label=B細胞白血病}} || [[Tリンパ球]]および[[Bリンパ球]]の抗原{{仮リンク|CD52|en|CD52}}を標的 || ヒト化 |- ![[リツキシマブ]]<ref name="Rang" /> | *[[非ホジキンリンパ腫]] *関節リウマチ || [[Bリンパ球]]上のリン酸化タンパク質{{仮リンク|CD20|en|CD20}}を標的 || キメラ |- ![[トラスツズマブ]] | * [[HER2/neu]]過剰発現を伴う乳癌 || [[HER2/neu]] (erbB2) 受容体を標的 || ヒト化 |- !{{ill2|ニモツズマブ|en|Nimotuzumab}} | * [[扁平上皮癌]]、神経膠腫で承認済 *臨床試験を実施中の他の適応症 ||[[上皮成長因子受容体|EGFR]]阻害 ||ヒト化 |- ![[セツキシマブ]] | * 扁平上皮癌、[[大腸癌|結腸直腸癌]]で承認済 ||[[上皮成長因子受容体|EGFR]]阻害 ||キメラ |- ![[ベバシズマブ]] & [[ラニビズマブ]] | *{{Ill2|血管新生抑制剤|en|Angiogenesis inhibitor}}による癌治療 || [[VEGF]]阻害 || ヒト化 |- ! rowspan="1" | 抗癌および抗ウイルス ! {{ill2|バビツキシマブ|en|bavituximab}} <ref name="Adis">Staff, Adis Insight. [http://adisinsight.springer.com/drugs/800022616 Bavituximab profile] Last updated Jan 27 2016</ref> | *癌、[[C型肝炎]]感染 || [[免疫療法]]、[[ホスファチジルセリン]]を標的<ref name="Adis" /> || キメラ |- ! rowspan="2" | 抗ウイルス ! [[カシリビマブ/イムデビマブ]]<ref name="FDA PR 20201121">{{cite press release | title=Coronavirus (COVID-19) Update: FDA Authorizes Monoclonal Antibodies for Treatment of COVID-19 | website=U.S. [[:en:Food and Drug Administration|Food and Drug Administration]] (FDA) | date=21 November 2020 | url=https://www.fda.gov/news-events/press-announcements/coronavirus-covid-19-update-fda-authorizes-monoclonal-antibodies-treatment-covid-19 | accessdate=21 November 2020}} {{PD-notice}}</ref> | *[[COVID-19パンデミック]]を引き起こす[[SARS-CoV-2]][[コロナウイルス]] || [[免疫療法]]、[[SARS-CoV-2]]スパイクタンパクを標的 || キメラ |- ![[バムラニビマブ/エテセビマブ]]<ref name="FDA PR 20210209">{{cite press release|title=FDA Authorizes Monoclonal Antibodies for Treatment of COVID-19|website=U.S. [[:en:Food and Drug Administration|Food and Drug Administration]] (FDA)|date=10 February 2021|url=https://www.fda.gov/news-events/press-announcements/coronavirus-covid-19-update-fda-authorizes-monoclonal-antibodies-treatment-covid-19-0|accessdate=9 February 2021}} {{PD-notice}}</ref> | *[[COVID-19パンデミック]]を引き起こす[[SARS-CoV-2]][[コロナウイルス]] || [[免疫療法]]、[[SARS-CoV-2]]スパイクタンパクを標的 || キメラ |- ! rowspan="3" | その他 ! [[パリビズマブ]] <ref name="Rang" /> | *小児の[[RSウイルス|RSV]]感染症 || RSV融合 (F) タンパク質を阻害 || ヒト化 |- ! {{ill2|アブシキシマブ|en|abciximab}} <ref name="Rang" /> | * [[経皮的冠動脈形成術|冠動脈形成術]]における[[凝固]]の防止 || [[血小板]]上の受容体{{仮リンク|GpIIb/IIIa|en|GpIIb/IIIa}}を阻害 || キメラ |- |} === 病気の迅速診断キット === モノクローナル抗体を使用した[[イムノクロマトグラフィ|イムノクロマト法]]で各種の迅速診断キットが販売されている。5分から15分で診断できる。 たとえば、感染症には[[インフルエンザウイルス]]、[[RSウイルス]]、[[A群β溶連菌]]、[[アデノウイルス]]、[[肺炎マイコプラズマ]]、[[ヒトメタニュウモウイルス]]、[[ノロウイルス]]、[[ロタウイルス]]、[[肺炎球菌]]、[[レジオネラ]]、[[病原性大腸菌O157]]、[[ピロリ菌|便中ピロリ菌]]などである。 [[心筋炎]]や[[心筋梗塞]]には、[[トロポニン]]Tの迅速診断キットがある。 == 副作用 == [[ベバシズマブ]]や[[セツキシマブ]]などのいくつかのモノクローナル抗体は、さまざまな種類の副作用を引き起こす可能性がある<ref>{{Cite web|url=https://www.cancer.org/treatment/treatments-and-side-effects/treatment-types/immunotherapy/monoclonal-antibodies.html|title=Monoclonal antibodies to treat cancer {{!}} American Cancer Society|website=www.cancer.org|accessdate=2018-04-19}}</ref>。これらの副作用は、一般的な副作用と重篤な副作用に分類される<ref>{{Cite news|url=https://www.mayoclinic.org/diseases-conditions/cancer/in-depth/monoclonal-antibody/art-20047808|title=Monoclonal antibody drugs for cancer: How they work|work=Mayo Clinic|accessdate=2018-04-19}}</ref>。 一般的な副作用には次のものがある。 {{div col|colwidth=20em}} * めまい * 頭痛 * アレルギー * [[下痢]] * 咳 * 発熱 * かゆみ * 背中の痛み * 全身の脱力感 * 食欲不振 * 不眠症 * 便秘<ref name=":0">{{Cite news|url=https://www.medicinenet.com/monoclonal_antibodies/article.htm#what_drugs_or_other_compounds_interact_with_monoclonal_antibodies?|title=Monoclonal Antibodies: List, Types, Side Effects & FDA Uses (Cancer)|work=MedicineNet|accessdate=2018-04-19}}</ref> {{Div col end}} 重大な副作用の可能性として次のものがある。{{div col|colwidth=20em}} * [[アナフィラキシー]] * 出血 * 動脈および静脈の[[血栓]] * {{ill2|自己免疫性甲状腺炎|en|Autoimmune thyroiditis}} * [[甲状腺機能低下症]] * 肝炎 * 心不全 * 癌 * [[貧血]] * 白血球の減少 * [[口内炎]] * [[腸炎]] * [[消化管穿孔]] * {{ill2|粘膜炎|en|Mucositis}}<ref name=":0" /> {{Div col end}} == 米バイオテクノロジー産業における役割 == モノクローナル抗体は1990年代後半から、[[バイオテクノロジー]]産業に革命をもたらし、現在のバイオテクノロジー薬品のほぼ3分の1はモノクローナル抗体である。1997年にGENENTECH社の[[リツキシマブ|Rituxan]]抗体が[[抗CD20抗体]]として[[非ホジキンリンパ腫]] (NHL) に対して認可されたのをはじめ、[[トラスツズマブ|Herceptin]], [[ベバシズマブ|Avastin]]などのシグナルトランスダクションやアンジオジェネシスを標的とする新型をふくめ、現在15以上のモノクローナル抗体ががん治療などに使われ、少なくとも100を超えるモノクローナル抗体がPhaseI・II・IIIの臨床試験で開発されている。特にがん治療において使われ、2004年の売り上げは約60億ドル、2008年までにモノクローナル抗体の売り上げは150億ドルを超えると予想される。また、次世代モノクローナル抗体で呼ばれる、[[放射性同位体]]を結合したものや、抗体可変部位のみの極小型、などの新型が開発されている。 成功した抗体の売り上げは莫大で、2004年は抗[[腫瘍壊死因子|TNF-α]]抗体[[インフリキシマブ|Remicade]](Centocor社)がトップで21億ドル、Rituxanが17億ドルとブロックバスター製品となっている。特にGENENTECH社が開発した3つのモノクローナル抗体製品(Rituxan, Herceptin, Avastin)はその全てがFDAから認可されており、その全てがヒット製品になっている。一般に4-6年に及ぶ臨床試験で製品が生き残る確率はわずか20%であることから考えて、これは米製薬業界史上稀にみる成功である。 モノクローナル抗体が最も成功した要因のひとつは、抗体はもともと生体防御タンパク質として進化した分子なので、他のタンパク質と比べ極めて安定性の高く半減期が長いこと、標的と結合した後、身体の免疫機構を利用するため、増幅効果を期待できることなどである。これとくらべ、同じく1990年代から開発中のアンチセンス (antisense) 薬品は、標的細胞内の核内に[[ドラッグデリバリーシステム|輸送]]すること自体が至難の業であることから、GENTA社やISIS社が莫大な開発費を投じた製品はほぼ全て失敗に終わっている。 == 日本で上市されている医薬品 == モノクローナル抗体薬の名称は語尾が"-mab"(Monoclonal AntiBodies)であらわされる。{{main|モノクローナル抗体の命名法}}{{see also|分子標的治療薬}} {{div col|colwidth=20em}} * [[リツキシマブ]] * [[ベバシズマブ]] * [[トシリズマブ]] * [[インフリキシマブ]] * [[ゴリムマブ]] * [[トラスツズマブ]] * [[アダリムマブ]] * [[ラニビズマブ]] * [[ニボルマブ]] * [[イブリツモマブ チウキセタン]] * [[オマリズマブ]] * [[デュピルマブ]] * [[エボロクマブ]] {{Div col end}} == 参照項目 == {{div col|colwidth=20em}} * {{ill2|アフィマー|en|Affimer}} * [[抗体ミメティック]] * [[アプタマー]] * [[免疫毒素]] - モノクローナル抗体を標的とすることもある * {{ill2|モノクローナル抗体の一覧|en|List of monoclonal antibodies}} * {{ill2|モノクローナル抗体療法|en|Monoclonal antibody therapy}} * [[モノクローナル抗体の命名法]] * [[ポリクローナル抗体]] * {{ill2|MAbs (雑誌)|en|MAbs (journal)}} {{Div col end}} == 脚注 == {{Reflist|colwidth=30em}} == 推薦文献 == *[https://www.nature.com/articles/d41586-019-02840-w 2019 Historical overview of monoclonal antibodies in the journal Nature] *[https://web.archive.org/web/20130112205725/http://users.rcn.com/jkimball.ma.ultranet/BiologyPages/M/Monoclonals.html Monoclonal Antibodies], from John W. Kimball's online biology textbook == 外部リンク == * {{MeshName|Monoclonal+antibodies}} * [http://www.antibodypedia.com Antibodypedia] - 科学界で利用可能なあらゆる抗体に関するデータと解説を公開したオープンアクセスの仮想リポジトリ * [http://www.gelifesciences.com/handbooks Antibody Purification Handbook] - 抗体精製ハンドブック {{Library resources box |onlinebooks=no |by=no |lcheading=Monoclonal antibodies}} {{Immune system}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ものくろおなるこうたい}} [[Category:モノクローナル抗体|*]] [[Category:生物学の研究技術]] [[Category:免疫学]] [[Category:抗体]] [[Category:医薬品]] [[Category:バイオテクノロジー]] [[Category:がん治療]] [[Category:免疫系]] [[Category:治療用抗体]]
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2023-02-12T00:11:09Z
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抗体
抗体(、英: antibody)は、白血球のサブタイプの一つであるリンパ球の一種であるB細胞の産生する糖タンパク分子。免疫グロブリン(、immunoglobulin)、血漿中のγ‐グロブリン(英語版)(ガンマグロブリン)、Ig(アイジー)とも。獲得免疫系の液性免疫(特定のタンパク質などの分子(抗原)を認識して、排除する働き)を担う。抗体は主に血液中や体液中に存在する。 B細胞は抗原に応じて分化し抗体産生をする。一度分化したB細胞は、大量の抗体を迅速に産生し抗原を除去し、生態を防御する。 抗体が抗原へ結合すると、その抗原と抗体の複合体を好中球やマクロファージといった食細胞が認識・貪食して体内から除去するように働いたり、リンパ球などの免疫細胞が結合して免疫反応を引き起こしたりする。これらの働きを通じ、脊椎動物の感染防御機構において重要な役割を担っている(無脊椎動物は抗体を産生しない)。 すべての抗体は基本的には同じ構造を持っており、"Y"字型の4本鎖構造(軽鎖・重鎖の2つのポリペプチド鎖が2本ずつ)を基本構造としている。軽鎖(またはL鎖)にはλ鎖とκ鎖の2種類があり、すべての免疫グロブリンはこのどちらかを持つが、分子量は約25,000で共通である。重鎖(またはH鎖)には、γ鎖、μ鎖、α鎖、δ鎖、ε鎖の、構造の異なる5種類があり、この重鎖の違いによって免疫グロブリンの種類(アイソタイプと呼ぶ)が変わる。分子量は50,000〜77,000である。この軽鎖と重鎖がジスルフィド結合(SS結合)で結びついてヘテロダイマーを形成し、さらにこのヘテロダイマーが左右2つジスルフィド結合で結合して "Y"字型のヘテロテトラマーを形成する。 2本の軽鎖同士、あるいは2本の重鎖同士は全く同一のポリペプチド鎖である。 "Y"字の下半分の縦棒部分にあたる場所をFc領域 (Fragment, crystallizable) と呼ぶ。左右2つの重鎖からなる。白血球やマクロファージなどの食細胞はこのFc領域と結合できる受容体(Fc受容体)を持っており、このFc受容体を介して抗原と結合した抗体を認識して抗原を貪食する(オプソニン作用)。その他Fc領域は、補体の活性化や抗体依存性細胞傷害作用(英: Antibody Dependent Cellular Cytotoxicity、ADCC)など、免疫反応の媒介となる。このようにFc領域は抗体が抗原に結合した後の反応を惹起する「エフェクター機能」をもつ。免疫グロブリンのエフェクター機能は、免疫グロブリンの種類(アイソタイプ)によって異なる。 "Y"字の上半分の"V"字の部分をFab領域 (Fragment,antigen binding) と呼ぶ。この2つのFab領域の先端の部分で抗原と結合する。2本の軽鎖と2本の重鎖からなる。重鎖のFab領域とFc領域はヒンジ部でつながっている。左右の重鎖はこのヒンジ部がジスルフィド結合している。パパイヤに含まれるタンパク分解酵素パパインはこのヒンジ部を分解して、2つのFabと1つのFc領域に切断する。またタンパク分解酵素のペプシンはヒンジ部のジスルフィド結合のFc側で切断し、大きなFabが2個くっついたF(ab')2を1つと、多数の小さなFc断片を生成する。Fc断片のうち、CH3領域に相当する最も大きな断片はpFc'と呼ばれる。F(ab')2は、ジスルフィド結合部を含むため、Fabよりも構造が大きいため、Fabと区別するため ab' としている。このF(ab')2は抗原に結合するが、Fc領域を持たないためその後の免疫反応を引き起こさない。このことを利用して抗原の標識に用いられる。 Fab領域のうち先端に近い半分は、多様な抗原に結合できるように、アミノ酸配列に多彩な変化がみられる。このFab領域の先端に近い半分を可変領域(V領域)といい、軽鎖の可変領域をVL領域、重鎖の可変領域をVH領域と呼ぶ。V領域以外のFab領域とFc領域は、比較的変化の少ない領域であり、定常領域(C領域)と呼ばれる。軽鎖の定常領域をCL領域と呼び、重鎖の定常領域をCH領域と呼ぶが、CH領域はさらにCH1〜CH3の3つに分けられる。重鎖のFab領域はVH領域とCH1からなり、重鎖のFc領域はCH2とCH3からなる。ヒンジ部はCH1とCH2の間に位置する。 可変領域のうち、直接抗原と接触する領域は特に変化が大きく、この超可変領域を相補性決定領域 (complementarity-determining region: CDR) と呼び、それ以外の比較的変異の少ない部分をフレームワーク領域 (framework region: FR) と呼ぶ。軽鎖と重鎖の可変領域に、それぞれ3つのCDR (CDR1 - CDR3) と、3つのCDRを取り囲む4つのFR (FR1 - FR4) が存在する。 抗体は定常領域の構造の違いにより、いくつかのクラス(アイソタイプ)に分けられる。多くの哺乳類では、定常領域の構造の違いによりIgG、IgA、IgM、IgD、IgEの5種類のクラスの免疫グロブリンに分類される。それぞれのクラスの免疫グロブリンは大きさや生理活性が異なり、例えばIgAは粘膜分泌型の分子であり、IgEは肥満細胞に結合してアレルギー反応を引き起こす。さらにヒトの場合、IgGにはIgG1〜IgG4の4つのサブクラスが、IgAにはIgA1とIgA2の2つのサブクラスがあり、それぞれ少しずつ構造が異なっている。IgM、IgD、IgEにはサブクラスはない。 また、免疫グロブリンは血中や粘膜への分泌型の他、B細胞の細胞表面に結合した型(膜型)のものがある。 重鎖は定常領域の違いにより、γ鎖、μ鎖、α鎖、δ鎖、ε鎖に分けられ、この違いによりそれぞれIgG、IgM、IgA、IgD、IgEの5種類のクラス(アイソタイプ)の免疫グロブリンが形成される。これらの分泌型の免疫グロブリンの他、B細胞表面に結合したものがある。これは、分泌型免疫グロブリンが細胞表面に接着しているのではなく、細胞膜貫通部分をもったものであり、B細胞受容体 (B cell receptor; BCR) と呼ばれる。BCRは2本の重鎖と2本の軽鎖を持ち、細胞膜貫通部分にIgα/Igβヘテロ二量体を持つ。アイソタイプの違いにより、免疫グロブリンの持つ「エフェクター機能」が異なる。 免疫グロブリンは無脊椎動物には見られず、軟骨魚類以降の脊椎動物で見つかっている。それぞれの生物ごとに複数のクラスの免疫グロブリンを持つが、その種類は綱ごとに違いが見られる。IgMのみが脊椎動物のすべてで共通に見られる。 また、同じ哺乳類でもサブクラスの種類には種ごとに違いが見られる。例えばヒトIgGのサブクラスがIgG1〜IgG4の4種類であるのに対し、マウスIgGではIgG1, IgG2a, IgG2b, IgG3の4種類である。 関連する話題として、軟骨魚類と硬骨魚類はともにクラススイッチを起こさない。生物のうち免疫グロブリン抗体にてクラススイッチを起こすのは、両生類・爬虫類。鳥類・哺乳類である。 両生類と爬虫類に共通してIgYが見られる。哺乳類と鳥類に共通してIgAが見られる。IgEは哺乳類だけに見られる。 抗体は血液中や体液中に遊離型として存在するか、またはB細胞表面上にB細胞受容体として存在する。特定の抗原と結合する機能が抗体の最も重要な機能である。 抗体はウイルスや細菌などの微生物、あるいは毒素などを抗原として結合するが、抗原と抗体が結合すると、凝集反応(免疫沈降)をおこし、その凝集した抗原抗体複合体は、マクロファージやその他の食細胞が認識し貪食する。その際、抗体はそのFc領域をもってマクロファージ等に認識され貪食されやすくする役割をする(オプソニン作用)。そしてマクロファージに貪食された抗原は、マクロファージ内で分解され、T細胞にペプチド-MHC複合体として提示され、さらなる免疫反応がおこる。また抗体は補体活性化作用を通した免疫反応もおこす。抗体の中には、結合するだけで微生物の感染力を低下させたり、毒性を減少させたりする働きをもつものもある(中和作用)。これらの機構により、抗体は体内に侵入してきた細菌・ウイルスなどの微生物・毒素や、微生物に感染した細胞を認識して体内から排除しようとする。 B細胞表面に存在するBCRは、B細胞の抗原認識受容体として働き、特異的な抗原が結合することで、抗体産生細胞(形質細胞)や体細胞超変異、クラススイッチ組み換え等を経た後の、より抗原に対する親和性の高いBCRをもった抗体産生細胞や記憶B細胞への分化を引き起こす。抗体産生細胞はBCRと同じ抗原特異性、アイソタイプを持つ抗体を産生する。 抗体が抗原と結合する際、抗原の一部分(エピトープ)のみを認識して結合する。抗体はエピトープの立体構造を厳密に認識して結合し、エピトープのアミノ酸配列の違いはもちろんのこと、荷電の差、光学異性体、立体異性体の違いでも結合しなくなる。エピトープと結合する抗体側の部分をパラトープという。エピトープとパラトープの間には、水素結合、静電気力、ファンデルワールス力、疎水結合などの引力がかかり、これらの力により安定して結合する。このエピトープとパラトープの間の結合力のことをアフィニティ affinity という。 ただし、抗体は基本の4本鎖構造においては、抗原と結合する部位は2カ所であるが、IgMは五量体、IgAは二量体を形成するのでさらに多くの抗原認識部位を持っている。また、抗原によってはエピトープを複数もつ。このため抗体によっては、抗原と抗体は1か所で結合したり(1価)、同時に複数か所で認識したりする(多価)。このように抗原と抗体が結合するときの結合力の総和をアビディティ avidity と呼ぶ。多価の結合の際、結合力が相乗的に働くため、アビディティはアフィニティよりも高くなる。 マクロファージや好中球といった食細胞は、もともと細菌や死んだ細胞に結合する能力を持っているが、こういった細菌や死細胞に抗体や補体が結合すると、食細胞がもつ補体受容体やFc受容体を介して結合し、食作用を促進する。これをオプソニン作用という。 抗体は補体の古典経路によって補体を活性化し、抗体の結合した細菌に補体を結合させて細菌の細胞膜を破壊し、溶菌する。またオプソニン作用で食細胞による抗原の食作用を促進させる。IgG1、IgG3、IgMがもつ機能である。IgG2は補体活性化能は低く、IgG4、IgA、IgD、IgEはこの機能をもたない。 細菌やウイルスなどの微生物や、ヘビや虫などの毒素は、自らの構造の一部を細胞表面に結合させて細胞内に侵入し、毒性を示す。細胞に侵入する際に結合させる部分に抗体が結合してしまえば、微生物や毒素は細胞に結合できず、毒性を示せない。このように抗体は、結合することによって微生物の感染力を低下させたり、毒素の毒性を減少させたりすることがある。例えばインフルエンザウイルスは、ウイルス表面のヘマグルチニンを気道上皮細胞のシアル酸残基に結合させて細胞内に侵入するため、ヘマグルチニンに対する抗体はインフルエンザの感染力を低下させる。このことを中和作用という。 あらゆる抗原に対応するために、体内では可変領域の異なる重鎖と軽鎖を何百・何千万種類と用意する。このような抗体の多様性をどのようにして作り出しているのかは、長い間不明であった。1897年エールリヒは、もともとさまざまな抗原に対する鋳型を細胞表面にもっている細胞があり、その鋳型が抗原に出会うと、それが刺激となってその抗原に対する抗体を産生すると考えた(側鎖説)が、ラントシュタイナーは、新しく人工合成された化合物に対しても抗体が作用することを示し、この世になかった物質に対する鋳型をもともと細胞が持っていたとは考えにくく、抗体の多様性は側鎖説だけでは説明がつかないと考えた。その後、抗体は抗原に出会うとそれに結合できるように自らの姿を変えることができるという説(鋳型説)や、抗原の刺激により抗体が後天的に作られるという説(指令説)が唱えられたが、1959年エーデルマンが免疫グロブリンの基本構造を解明し、また1958年クリックにより、タンパクは遺伝子の情報に基づいて作られることが明らかになる(セントラルドグマ)と、鋳型説・指令説は否定的と考えられた。それに代わってバーネットの提唱したクローン選択説(1957年)が受け入れられるようになった。つまり、リンパ球はそれぞれ1種類の抗体しか作ることができず、そのため体内には非常に多くの種類のリンパ球が先天的に用意されている。そして抗原が体内に侵入すると、その抗原と結合できるリンパ球が選ばれて増殖し(クローン)、この抗原に対する抗体を産生する、という説である。この説は種々の実験によって正当性が証明されていったが、クローン選択説もエールリヒの側鎖説と同じように、全く未知の抗原に対応できるような抗体を、遺伝子はどうやって用意できるのか、という点は不明であった。非常に多くの種類の抗体の構造がひとつひとつ全て遺伝子に書き込まれているとは考えにくかった。 1976年利根川らは免疫グロブリンの遺伝子再構成という現象を発見し、この抗体の多様性に関する遺伝子レベルの謎に答えを出した。その他、体細胞超変異、遺伝子変換、クラススイッチ組み換えといった現象も抗体の多様性に関与していることが知られている。 B細胞に分化する前の生殖細胞の遺伝子では、重鎖可変領域 (VH) をコードする遺伝子は、VH遺伝子部分、DH遺伝子部分、JH遺伝子部分の3つに分かれており、この3つの遺伝子部分にそれぞれ、可変領域の遺伝子断片が複数個コードされている。抗体を産生するB細胞の重鎖可変領域の遺伝子は、VH遺伝子部分にコードされているいくつかの遺伝子断片の中から1種類、DH遺伝子部分から1種類、JH遺伝子部分から1種類が選ばれて、それが組み立てられてつくられる。VH遺伝子部分に50の遺伝子断片、DH遺伝子部分に30の遺伝子断片、JH遺伝子部分に6種類の遺伝子断片があるとすると、その組み合わせは50×30×6 = 9000種類となる。 軽鎖可変領域 (VL) をコードする遺伝子は、重鎖よりも少なく、VL遺伝子部分、JL遺伝子部分の2つの部分からなる。同じようにVL遺伝子部分に35の遺伝子断片、JL遺伝子部分に5つの遺伝子断片があるとすると、その組み合わせは35×5 = 175種類となる。そして、9000種類の重鎖と175種類の軽鎖の組み合わせは9000×175 = 150万種類以上となる。このように、重鎖のV、D、J、軽鎖のVとJの遺伝子断片の組み合わせで多様な遺伝子をもつB細胞ができ、それぞれ異なった種類のB細胞がそれぞれ異なった抗体を作ることで多様な抗体がつくられる。これをV(D)J遺伝子再構成といい、主にヒトやマウスでみられる。 各細胞につき、遺伝子再構成が起こるのは相同染色体の片方だけであり、再構成がないほうの遺伝子は不活化される。 幹細胞が分化して体のさまざまな細胞に分化していくが、この分化した細胞を体細胞という。幹細胞が体細胞に分化していくときにごく稀に遺伝子に変異が起こることがある(体細胞変異)。B細胞は変異の頻度が極めて高く、1万倍にも及ぶ。これは末梢の成熟したB細胞の中で、T細胞依存性抗原で活性されたB細胞は胚中心を形成し、この微小環境内で免疫グロブリン遺伝子のV領域が、AID(activation-induced cytidine deaminase)により様々な塩基置換を引き起こされるためである。このメカニズムを体細胞超変異といい、ヒトやマウスにおいて抗体の多様性や親和性の成熟に関与している。 V(D)J遺伝子再構成を終えた可変領域遺伝子が、V遺伝子上流に存在する偽遺伝子にランダムに置換されて、多様性をつくる。これを遺伝子変換 (gene conversion; GC) といい、主にニワトリでみられる。1986年レイノーらにより報告された。 V(D)J遺伝子再構成等の過程を経て生まれたB細胞は、抗原の刺激を受けると成熟化し、増殖する。この際、重鎖定常領域 (CH) をコードする遺伝子にDNA改変が起こり、最初IgMを分泌していたB細胞はIgG等他のクラスの免疫グロブリンを産生する。同じ可変領域を異なる定常領域と組み合わせることにより、さらに多様な抗体を作り出す。このことをクラススイッチ組み換えという。 近年、モノクローナル抗体の持つ特異性を利用した医薬品の開発が進んでいる。抗体医薬は標的となる抗原に対して特異的に働くためにこれまでの医薬品よりも副作用を軽減させ、かつ高い治療効果が得られることが期待されている。2008年現在で関節リウマチ治療薬として抗TNF-α抗体であるインフリキシマブや抗IL-6抗体であるトシリズマブ、癌遺伝子HER2に対する抗体であるトラスツズマブなどがすでに臨床において使用されている。
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"抗体が抗原と結合する際、抗原の一部分(エピトープ)のみを認識して結合する。抗体はエピトープの立体構造を厳密に認識して結合し、エピトープのアミノ酸配列の違いはもちろんのこと、荷電の差、光学異性体、立体異性体の違いでも結合しなくなる。エピトープと結合する抗体側の部分をパラトープという。エピトープとパラトープの間には、水素結合、静電気力、ファンデルワールス力、疎水結合などの引力がかかり、これらの力により安定して結合する。このエピトープとパラトープの間の結合力のことをアフィニティ affinity という。", "title": "働き" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ただし、抗体は基本の4本鎖構造においては、抗原と結合する部位は2カ所であるが、IgMは五量体、IgAは二量体を形成するのでさらに多くの抗原認識部位を持っている。また、抗原によってはエピトープを複数もつ。このため抗体によっては、抗原と抗体は1か所で結合したり(1価)、同時に複数か所で認識したりする(多価)。このように抗原と抗体が結合するときの結合力の総和をアビディティ avidity と呼ぶ。多価の結合の際、結合力が相乗的に働くため、アビディティはアフィニティよりも高くなる。", "title": "働き" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "マクロファージや好中球といった食細胞は、もともと細菌や死んだ細胞に結合する能力を持っているが、こういった細菌や死細胞に抗体や補体が結合すると、食細胞がもつ補体受容体やFc受容体を介して結合し、食作用を促進する。これをオプソニン作用という。", "title": "働き" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "抗体は補体の古典経路によって補体を活性化し、抗体の結合した細菌に補体を結合させて細菌の細胞膜を破壊し、溶菌する。またオプソニン作用で食細胞による抗原の食作用を促進させる。IgG1、IgG3、IgMがもつ機能である。IgG2は補体活性化能は低く、IgG4、IgA、IgD、IgEはこの機能をもたない。", "title": "働き" }, { "paragraph_id": 23, "tag": 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"あらゆる抗原に対応するために、体内では可変領域の異なる重鎖と軽鎖を何百・何千万種類と用意する。このような抗体の多様性をどのようにして作り出しているのかは、長い間不明であった。1897年エールリヒは、もともとさまざまな抗原に対する鋳型を細胞表面にもっている細胞があり、その鋳型が抗原に出会うと、それが刺激となってその抗原に対する抗体を産生すると考えた(側鎖説)が、ラントシュタイナーは、新しく人工合成された化合物に対しても抗体が作用することを示し、この世になかった物質に対する鋳型をもともと細胞が持っていたとは考えにくく、抗体の多様性は側鎖説だけでは説明がつかないと考えた。その後、抗体は抗原に出会うとそれに結合できるように自らの姿を変えることができるという説(鋳型説)や、抗原の刺激により抗体が後天的に作られるという説(指令説)が唱えられたが、1959年エーデルマンが免疫グロブリンの基本構造を解明し、また1958年クリックにより、タンパクは遺伝子の情報に基づいて作られることが明らかになる(セントラルドグマ)と、鋳型説・指令説は否定的と考えられた。それに代わってバーネットの提唱したクローン選択説(1957年)が受け入れられるようになった。つまり、リンパ球はそれぞれ1種類の抗体しか作ることができず、そのため体内には非常に多くの種類のリンパ球が先天的に用意されている。そして抗原が体内に侵入すると、その抗原と結合できるリンパ球が選ばれて増殖し(クローン)、この抗原に対する抗体を産生する、という説である。この説は種々の実験によって正当性が証明されていったが、クローン選択説もエールリヒの側鎖説と同じように、全く未知の抗原に対応できるような抗体を、遺伝子はどうやって用意できるのか、という点は不明であった。非常に多くの種類の抗体の構造がひとつひとつ全て遺伝子に書き込まれているとは考えにくかった。", "title": "免疫グロブリンの多様性" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1976年利根川らは免疫グロブリンの遺伝子再構成という現象を発見し、この抗体の多様性に関する遺伝子レベルの謎に答えを出した。その他、体細胞超変異、遺伝子変換、クラススイッチ組み換えといった現象も抗体の多様性に関与していることが知られている。", "title": "免疫グロブリンの多様性" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "B細胞に分化する前の生殖細胞の遺伝子では、重鎖可変領域 (VH) をコードする遺伝子は、VH遺伝子部分、DH遺伝子部分、JH遺伝子部分の3つに分かれており、この3つの遺伝子部分にそれぞれ、可変領域の遺伝子断片が複数個コードされている。抗体を産生するB細胞の重鎖可変領域の遺伝子は、VH遺伝子部分にコードされているいくつかの遺伝子断片の中から1種類、DH遺伝子部分から1種類、JH遺伝子部分から1種類が選ばれて、それが組み立てられてつくられる。VH遺伝子部分に50の遺伝子断片、DH遺伝子部分に30の遺伝子断片、JH遺伝子部分に6種類の遺伝子断片があるとすると、その組み合わせは50×30×6 = 9000種類となる。", "title": "免疫グロブリンの多様性" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "軽鎖可変領域 (VL) をコードする遺伝子は、重鎖よりも少なく、VL遺伝子部分、JL遺伝子部分の2つの部分からなる。同じようにVL遺伝子部分に35の遺伝子断片、JL遺伝子部分に5つの遺伝子断片があるとすると、その組み合わせは35×5 = 175種類となる。そして、9000種類の重鎖と175種類の軽鎖の組み合わせは9000×175 = 150万種類以上となる。このように、重鎖のV、D、J、軽鎖のVとJの遺伝子断片の組み合わせで多様な遺伝子をもつB細胞ができ、それぞれ異なった種類のB細胞がそれぞれ異なった抗体を作ることで多様な抗体がつくられる。これをV(D)J遺伝子再構成といい、主にヒトやマウスでみられる。", "title": "免疫グロブリンの多様性" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "各細胞につき、遺伝子再構成が起こるのは相同染色体の片方だけであり、再構成がないほうの遺伝子は不活化される。", "title": "免疫グロブリンの多様性" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "幹細胞が分化して体のさまざまな細胞に分化していくが、この分化した細胞を体細胞という。幹細胞が体細胞に分化していくときにごく稀に遺伝子に変異が起こることがある(体細胞変異)。B細胞は変異の頻度が極めて高く、1万倍にも及ぶ。これは末梢の成熟したB細胞の中で、T細胞依存性抗原で活性されたB細胞は胚中心を形成し、この微小環境内で免疫グロブリン遺伝子のV領域が、AID(activation-induced cytidine deaminase)により様々な塩基置換を引き起こされるためである。このメカニズムを体細胞超変異といい、ヒトやマウスにおいて抗体の多様性や親和性の成熟に関与している。", "title": "免疫グロブリンの多様性" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "V(D)J遺伝子再構成を終えた可変領域遺伝子が、V遺伝子上流に存在する偽遺伝子にランダムに置換されて、多様性をつくる。これを遺伝子変換 (gene conversion; GC) といい、主にニワトリでみられる。1986年レイノーらにより報告された。", "title": "免疫グロブリンの多様性" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "V(D)J遺伝子再構成等の過程を経て生まれたB細胞は、抗原の刺激を受けると成熟化し、増殖する。この際、重鎖定常領域 (CH) をコードする遺伝子にDNA改変が起こり、最初IgMを分泌していたB細胞はIgG等他のクラスの免疫グロブリンを産生する。同じ可変領域を異なる定常領域と組み合わせることにより、さらに多様な抗体を作り出す。このことをクラススイッチ組み換えという。", "title": "免疫グロブリンの多様性" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "近年、モノクローナル抗体の持つ特異性を利用した医薬品の開発が進んでいる。抗体医薬は標的となる抗原に対して特異的に働くためにこれまでの医薬品よりも副作用を軽減させ、かつ高い治療効果が得られることが期待されている。2008年現在で関節リウマチ治療薬として抗TNF-α抗体であるインフリキシマブや抗IL-6抗体であるトシリズマブ、癌遺伝子HER2に対する抗体であるトラスツズマブなどがすでに臨床において使用されている。", "title": "抗体医薬" } ]
抗体(こうたい、は、白血球のサブタイプの一つであるリンパ球の一種であるB細胞の産生する糖タンパク分子。免疫グロブリン(めんえきグロブリン、、血漿中のγ‐グロブリン、Igとも。獲得免疫系の液性免疫を担う。抗体は主に血液中や体液中に存在する。 B細胞は抗原に応じて分化し抗体産生をする。一度分化したB細胞は、大量の抗体を迅速に産生し抗原を除去し、生態を防御する。 抗体が抗原へ結合すると、その抗原と抗体の複合体を好中球やマクロファージといった食細胞が認識・貪食して体内から除去するように働いたり、リンパ球などの免疫細胞が結合して免疫反応を引き起こしたりする。これらの働きを通じ、脊椎動物の感染防御機構において重要な役割を担っている。
[[ファイル:Antibody.png|300px|thumb|right|免疫グロブリン(抗体)。色の薄い部分が軽鎖、先端の黒い部分が可変部。適合する抗原が可変部に特異的に結合する。]] {{読み仮名|'''抗体'''|こうたい|{{lang-en-short|antibody}}}}は、[[白血球]]のサブタイプの一つである[[リンパ球]]の一種である[[B細胞]]の産生する[[糖タンパク質|糖タンパク]]分子。{{読み仮名|'''免疫グロブリン'''|めんえきグロブリン|immunoglobulin}}、血漿中の'''{{仮リンク|γ‐グロブリン|en|Gamma globulin}}'''(ガンマグロブリン)、'''Ig'''(アイジー)とも。[[獲得免疫]]系の[[液性免疫]](特定のタンパク質などの分子('''[[抗原]]''')を認識して、排除する働き)を担う。抗体は主に[[血液]]中や[[体液]]中に存在する。 B細胞は抗原に応じて[[分化]]し抗体産生をする。一度分化したB細胞は、大量の抗体を迅速に産生し抗原を除去し、生態を防御する<ref>[https://www.jst.go.jp/crest/immunesystem/result/02.html 2.抗体産生のしくみ] 科学技術振興機構 2021年7月31日閲覧。</ref>。 抗体が抗原へ結合すると、その抗原と抗体の複合体を[[好中球]]や[[マクロファージ]]といった食細胞が認識・貪食して体内から除去するように働いたり、リンパ球などの免疫細胞が結合して[[免疫|免疫反応]]を引き起こしたりする。これらの働きを通じ、[[脊椎動物]]の感染防御機構において重要な役割を担っている([[無脊椎動物]]は抗体を産生しない)。 == 構造 == [[ファイル:2fab fc.svg|200px|thumb|right|抗体は[[パパイン]]により、2つのFab領域と1つのFc領域に分断される。]] [[ファイル:f(ab')2_fcfragment.png|205x205px|thumb|抗体は[[ペプシン]]により、F(ab')<sub>2</sub>領域と多数のFc断片に分断される。]] === 軽鎖と重鎖 === すべての抗体は基本的には同じ[[構造]]を持っており、"Y"字型の4本鎖構造([[免疫グロブリン軽鎖|軽鎖]]・[[免疫グロブリン重鎖|重鎖]]の2つのポリペプチド鎖が2本ずつ)を基本構造としている{{efn|[[ラクダ科]]の動物は、重鎖だけで構成されるサイズの小さな抗体([[ナノ抗体]])を持つことが知られている<ref>Hamers-Casterman, C. et al., "Naturally occurring antibodies devoid of light chains", ''Nature'' '''363''', 446−448 (1993). {{Doi|10.1038/363446a0}}、[http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/magazine/0601/nanobody.html W.W.ギブズ, 「開発進むナノ抗体医薬」, ''日経サイエンス'' 2006年1月号]</ref>。}}。軽鎖(またはL鎖)にはλ鎖とκ鎖の2種類があり、すべての免疫グロブリンはこのどちらかを持つが、[[分子量]]は約25,000で共通である。重鎖(またはH鎖)には、γ鎖、μ鎖、α鎖、δ鎖、ε鎖の、構造の異なる5種類があり、この重鎖の違いによって免疫グロブリンの種類('''[[アイソタイプ (免疫学)|アイソタイプ]]'''と呼ぶ)が変わる。分子量は50,000〜77,000である。この軽鎖と重鎖が[[ジスルフィド結合]](SS結合)で結びついて[[ヘテロダイマー]]を形成し、さらにこのヘテロダイマーが左右2つジスルフィド結合で結合して "Y"字型のヘテロテトラマーを形成する。 2本の軽鎖同士、あるいは2本の重鎖同士は全く同一のポリペプチド鎖である。 === Fc領域とFab領域 === "Y"字の下半分の縦棒部分にあたる場所を'''Fc領域''' (Fragment, crystallizable) と呼ぶ。左右2つの重鎖からなる。白血球やマクロファージなどの[[食細胞]]はこのFc領域と結合できる[[受容体]](Fc受容体)を持っており、このFc受容体を介して抗原と結合した抗体を認識して抗原を貪食する([[オプソニン作用]])。その他Fc領域は、[[補体]]の[[活性]]化や[[抗体依存性細胞傷害]]作用({{lang-en-short|Antibody Dependent Cellular Cytotoxicity}}、ADCC)など、免疫反応の媒介となる。このようにFc領域は抗体が抗原に結合した後の反応を惹起する「エフェクター機能」をもつ。免疫グロブリンのエフェクター機能は、免疫グロブリンの種類(アイソタイプ)によって異なる。 "Y"字の上半分の"V"字の部分を'''Fab領域''' (Fragment,antigen binding) と呼ぶ。この2つのFab領域の先端の部分で抗原と結合する。2本の軽鎖と2本の重鎖からなる。重鎖のFab領域とFc領域はヒンジ部でつながっている。左右の重鎖はこのヒンジ部がジスルフィド結合している。[[パパイヤ]]に含まれるタンパク分解酵素[[パパイン]]はこのヒンジ部を分解して、2つのFabと1つのFc領域に切断する<ref>Porter RR. "The hydrolysis of rabbit γ-globulin and antibodies with crystalline papain." ''Biochemical Journal'', 73, 1959, p.p. 119-127. {{PMID|14434282}}</ref>。またタンパク分解酵素の[[ペプシン]]はヒンジ部のジスルフィド結合のFc側で切断し、大きなFabが2個くっついたF(ab')<sub>2</sub>を1つと、多数の小さなFc断片を生成する<ref>Nisonoff A, Wissler FC, Lipman LN, Woernley DL. "Separation of univalent fragments from the bivalent rabbit antibody molecule by reduction of disulfide bonds." ''Archives of biochemistry and biophysics'', 89, 1960, p.p. 230-44. {{PMID|14427334}}</ref>。Fc断片のうち、C<sub>H</sub>3領域に相当する最も大きな断片はpFc'と呼ばれる。F(ab')<sub>2</sub>は、ジスルフィド結合部を含むため、Fabよりも構造が大きいため、Fabと区別するため ab' としている。このF(ab')<sub>2</sub>は抗原に結合するが、Fc領域を持たないためその後の免疫反応を引き起こさない。このことを利用して抗原の標識に用いられる。 [[Image:Immunoglobulin_basic_unit.svg|300px|thumb|left|'''免疫グロブリンの基本構造'''<br /> (1) Fab領域, (2) Fc領域, (3) 重鎖(N端側から V<sub>H</sub>、C<sub>H</sub>1、ヒンジ部、C<sub>H</sub>2、C<sub>H</sub>3), (4) 軽鎖(N端側から V<sub>L</sub>、C<sub>L</sub>), (5) 抗原結合部位, (6) ヒンジ部]] === 定常領域と可変領域 === Fab領域のうち先端に近い半分は、多様な[[抗原]]に結合できるように、アミノ酸配列に多彩な変化がみられる。このFab領域の先端に近い半分を'''可変領域'''('''V領域''')といい、軽鎖の可変領域を'''V<sub>L</sub>領域'''、重鎖の可変領域を'''V<sub>H</sub>領域'''と呼ぶ。V領域以外のFab領域とFc領域は、比較的変化の少ない領域であり、'''定常領域'''('''C領域''')と呼ばれる。軽鎖の定常領域を'''C<sub>L</sub>領域'''と呼び、重鎖の定常領域を'''C<sub>H</sub>領域'''と呼ぶが、C<sub>H</sub>領域はさらにC<sub>H</sub>1〜C<sub>H</sub>3の3つに分けられる。重鎖のFab領域はV<sub>H</sub>領域とC<sub>H</sub>1からなり、重鎖のFc領域はC<sub>H</sub>2とC<sub>H</sub>3からなる。ヒンジ部はC<sub>H</sub>1とC<sub>H</sub>2の間に位置する。 === 相補性決定領域とフレームワーク領域 === 可変領域のうち、直接抗原と接触する領域は特に変化が大きく、この超可変領域を'''[[相補性決定領域]]''' (complementarity-determining region: '''CDR''') と呼び、それ以外の比較的変異の少ない部分を'''フレームワーク領域''' (framework region: '''FR''') と呼ぶ。軽鎖と重鎖の可変領域に、それぞれ3つのCDR (CDR1 - CDR3) と、3つのCDRを取り囲む4つのFR (FR1 - FR4) が存在する。 {{-}} == 種類 == 抗体は定常領域の構造の違いにより、いくつかの'''クラス'''('''アイソタイプ''')に分けられる。多くの哺乳類では、定常領域の構造の違いによりIgG、IgA、IgM、IgD、IgEの5種類のクラスの免疫グロブリンに分類される。それぞれのクラスの免疫グロブリンは大きさや生理活性が異なり、例えばIgAは粘膜分泌型の分子であり、IgEは[[肥満細胞]]に結合して[[アレルギー]]反応を引き起こす。さらにヒトの場合、IgGにはIgG1〜IgG4の4つのサブクラスが、IgAにはIgA1とIgA2の2つのサブクラスがあり、それぞれ少しずつ構造が異なっている。IgM、IgD、IgEにはサブクラスはない。 また、免疫グロブリンは血中や粘膜への分泌型の他、[[B細胞]]の細胞表面に結合した型(膜型)のものがある。 === ヒト免疫グロブリンの分類 === [[File:Mono-und-Polymere.svg|thumb|400px|ヒト免疫グロブリンのアイソタイプの構造]] 重鎖は定常領域の違いにより、γ鎖、μ鎖、α鎖、δ鎖、ε鎖に分けられ、この違いによりそれぞれIgG、IgM、IgA、IgD、IgEの5種類のクラス(アイソタイプ)の免疫グロブリンが形成される。これらの分泌型の免疫グロブリンの他、B細胞表面に結合したものがある。これは、分泌型免疫グロブリンが細胞表面に接着しているのではなく、細胞膜貫通部分をもったものであり、[[B細胞受容体]] (B cell receptor; BCR) と呼ばれる。BCRは2本の重鎖と2本の軽鎖を持ち、細胞膜貫通部分にIgα/Igβヘテロ二量体を持つ。アイソタイプの違いにより、免疫グロブリンの持つ「エフェクター機能」が異なる。 ; IgG : [[免疫グロブリンG]](IgG)はヒト免疫グロブリンの70-75%を占め、血漿中に最も多い単量体の抗体である。軽鎖2本と重鎖2本の4本鎖構造をもつ。IgG1、IgG2、IgG4は分子量は約146,000であるが、IgG3はFab領域とFc領域をつなぐヒンジ部が長く、分子量も170,000と大きい。IgG1はIgGの65%程度、IgG2は25%程度、IgG3は7%程度、IgG4は3%程度を占める。血管内外に平均して分布する。 ; IgM : [[免疫グロブリンM]](IgM)はヒト免疫グロブリンの約10%を占める、基本の4本鎖構造が5つ結合した五量体の抗体である。分子量は970,000。通常血中のみに存在し、感染微生物に対して最初に産生され、初期免疫を司る免疫グロブリンである。分子量が大きいので、[[マクログロブリン]]とも呼ばれる。[[マクロ]]は、「大きい」という意味である。 ; IgA : [[免疫グロブリンA]](IgA)はヒト免疫グロブリンの10-15%を占める。分子量は160,000。分泌型IgAは2つのIgAが結合した二量体の抗体になっている。IgA1は血清、鼻汁、唾液、母乳中に存在し、腸液にはIgA2が多く存在する。 ; IgD : [[免疫グロブリンD]](IgD)はヒト免疫グロブリンの1%以下の単量体の抗体である。B細胞表面に存在し、抗体産生の誘導に関与する。 ; IgE : [[免疫グロブリンE]](IgE)はヒト免疫グロブリンの0.001%以下と極微量しか存在しない単量体の抗体である。IgEが抗原と反応すると[[ヒスタミン]]の分泌が起きる<ref name="miyasaka">[[宮坂昌之]]ほか『標準免疫学』、医学書院、2016年2月1日 第3版 第2刷、254ページ</ref>。寄生虫に対する免疫反応に関与していると考えられるが、寄生虫の稀な先進国においては、特に[[気管支喘息]]や[[アレルギー]]に大きく関与している。「肥満細胞」とも言われる[[肥満細胞|マスト細胞]]の表面にあるFCεR受容体にIgEが常駐しているが、ここのIgEにさらに抗原が結合する反応によってマスト細胞が活性化され、[[ヒスタミン]]などの分泌物をマスト細胞から放出する<ref name="miyasaka"/>。好塩基球にもIgEが存在している。 === その他の生物での分類 === 免疫グロブリンは無脊椎動物には見られず、[[軟骨魚類]]以降の脊椎動物で見つかっている。それぞれの生物ごとに複数のクラスの免疫グロブリンを持つが、その種類は[[綱 (分類学)|綱]]ごとに違いが見られる<ref>Stavnezer J, Amemiya CT. "Evolution of isotype switching" ''Semin. Immunol.'' 16, 2006, p.p. 257-275. {{PMID|15522624}}</ref>。IgMのみが脊椎動物のすべてで共通に見られる。 ; 軟骨魚類 : IgMの他にIgW、IgW (long)、IgNARと呼ばれるクラスを持つ ; [[硬骨魚類]] : IgMとIgD、IgT(IgZ)を持つ ; [[ハイギョ]] : IgM, IgW, IgW (long) を持つ ; [[爬虫類]] : IgMの他、IgYと呼ばれるクラスを持つ<ref name="menekigaku">河本宏『もっとよくわかる! 免疫学』、2018年5月30日 第8刷、176ページ</ref> ; [[両生類]]([[アフリカツメガエル]]) : IgMの他、IgXとIgYと呼ばれるクラスを持つ ; [[鳥類]]([[ニワトリ]]) : IgM、IgA、IgYを持つ ; 哺乳類 : IgM、IgD、IgG、IgA、IgEの5種類を持つ また、同じ哺乳類でもサブクラスの種類には種ごとに違いが見られる。例えばヒトIgGのサブクラスがIgG1〜IgG4の4種類であるのに対し、マウスIgGではIgG1, IgG2a, IgG2b, IgG3の4種類である。 関連する話題として、軟骨魚類と硬骨魚類はともに[[クラススイッチ]]を起こさない<ref name="menekigaku"/>。生物のうち免疫グロブリン抗体にてクラススイッチを起こすのは、両生類・爬虫類。鳥類・哺乳類である。 両生類と爬虫類に共通してIgYが見られる<ref name="menekigaku"/>。哺乳類と鳥類に共通してIgAが見られる<ref name="menekigaku"/>。IgEは哺乳類だけに見られる<ref name="menekigaku"/>。 == 働き == 抗体は血液中や体液中に遊離型として存在するか、または[[B細胞]]表面上に[[B細胞受容体]]として存在する。特定の抗原と結合する機能が抗体の最も重要な機能である。 抗体はウイルスや細菌などの微生物、あるいは[[毒素]]などを抗原として結合するが、抗原と抗体が結合すると、凝集反応([[免疫沈降法|免疫沈降]])をおこし、その凝集した抗原抗体複合体は、[[マクロファージ]]やその他の食細胞が認識し貪食する。その際、抗体はそのFc領域をもってマクロファージ等に認識され貪食されやすくする役割をする('''オプソニン作用''')。そしてマクロファージに貪食された抗原は、マクロファージ内で分解され、T細胞にペプチド-MHC複合体として提示され、さらなる免疫反応がおこる。また抗体は'''補体活性化作用'''を通した免疫反応もおこす。抗体の中には、結合するだけで微生物の感染力を低下させたり、毒性を減少させたりする働きをもつものもある('''中和作用''')。これらの機構により、抗体は体内に侵入してきた細菌・ウイルスなどの微生物・毒素や、微生物に感染した細胞を認識して体内から排除しようとする。 B細胞表面に存在するBCRは、B細胞の抗原認識受容体として働き、特異的な抗原が結合することで、抗体産生細胞(形質細胞)や体細胞超変異、クラススイッチ組み換え等を経た後の、より抗原に対する親和性の高いBCRをもった抗体産生細胞や記憶B細胞への分化を引き起こす。抗体産生細胞はBCRと同じ抗原特異性、アイソタイプを持つ抗体を産生する。 === 抗原と抗体の結合 === 抗体が抗原と結合する際、抗原の一部分([[エピトープ]])のみを認識して結合する。抗体はエピトープの立体構造を厳密に認識して結合し、エピトープのアミノ酸配列の違いはもちろんのこと、荷電の差、光学異性体、立体異性体の違いでも結合しなくなる。エピトープと結合する抗体側の部分を[[パラトープ]]という。エピトープとパラトープの間には、[[水素結合]]、[[静電気力]]、[[ファンデルワールス力]]、[[疎水結合]]などの引力がかかり、これらの力により安定して結合する。このエピトープとパラトープの間の結合力のことを'''アフィニティ''' ''affinity'' という。 ただし、抗体は基本の4本鎖構造においては、抗原と結合する部位は2カ所であるが、IgMは五量体、IgAは二量体を形成するのでさらに多くの抗原認識部位を持っている。また、抗原によってはエピトープを複数もつ。このため抗体によっては、抗原と抗体は1か所で結合したり(1価)、同時に複数か所で認識したりする(多価)。このように抗原と抗体が結合するときの結合力の総和を'''アビディティ''' ''avidity'' と呼ぶ。多価の結合の際、結合力が相乗的に働くため、アビディティはアフィニティよりも高くなる。 === オプソニン作用 === マクロファージや好中球といった食細胞は、もともと細菌や死んだ細胞に結合する能力を持っているが、こういった細菌や死細胞に抗体や[[補体]]が結合すると、食細胞がもつ補体受容体やFc受容体を介して結合し、食作用を促進する。これをオプソニン作用という。 === 補体活性化機能 === 抗体は補体の古典経路によって補体を活性化し、抗体の結合した細菌に補体を結合させて細菌の細胞膜を破壊し、溶菌する。またオプソニン作用で食細胞による抗原の食作用を促進させる。IgG1、IgG3、IgMがもつ機能である。IgG2は補体活性化能は低く、IgG4、IgA、IgD、IgEはこの機能をもたない。 === 中和作用 === {{main|中和抗体}} 細菌やウイルスなどの微生物や、ヘビや虫などの毒素は、自らの構造の一部を細胞表面に結合させて細胞内に侵入し、毒性を示す。細胞に侵入する際に結合させる部分に抗体が結合してしまえば、微生物や毒素は細胞に結合できず、毒性を示せない。このように抗体は、結合することによって微生物の感染力を低下させたり、毒素の毒性を減少させたりすることがある。例えば[[インフルエンザウイルス]]は、ウイルス表面のヘマグルチニンを気道上皮細胞のシアル酸残基に結合させて細胞内に侵入するため、ヘマグルチニンに対する抗体はインフルエンザの感染力を低下させる。このことを中和作用という。 == 免疫グロブリンの多様性 == あらゆる抗原に対応するために、体内では可変領域の異なる重鎖と軽鎖を何百・何千万種類と用意する。このような抗体の多様性をどのようにして作り出しているのかは、長い間不明であった。[[1897年]][[パウル・エールリヒ|エールリヒ]]は、もともとさまざまな抗原に対する鋳型を細胞表面にもっている細胞があり、その鋳型が抗原に出会うと、それが刺激となってその抗原に対する抗体を産生すると考えた([[側鎖説]])<ref name="Silverstein,1999">Silverstein AM. "Paul Ehrlich's passion: the origins of his receptor immunology." ''Cellular Immunology'', 194, 1999, p.p. 213-221. {{PMID|10383824}}</ref>が、[[カール・ラントシュタイナー|ラントシュタイナー]]は、新しく人工合成された化合物に対しても抗体が作用することを示し、この世になかった物質に対する鋳型をもともと細胞が持っていたとは考えにくく、抗体の多様性は側鎖説だけでは説明がつかないと考えた。その後、抗体は抗原に出会うとそれに結合できるように自らの姿を変えることができるという説(鋳型説)や、抗原の刺激により抗体が後天的に作られるという説(指令説)が唱えられたが、[[1959年]][[ジェラルド・エーデルマン|エーデルマン]]が免疫グロブリンの基本構造を解明し<ref name="Edelman,1959">Edelman GM. "Journal of American Chemical Society", 81, 1959, p.p. 3155.</ref><ref name="Edelman,1961">Edelman GM, Poulik MD. "Studies on structural units of the gamma-globulins." ''Journal of Experimental Medicine'', 113, 1961, p.p. 861-884. {{PMID|13725659}}</ref>、また[[1958年]][[フランシス・クリック|クリック]]により、タンパクは遺伝子の情報に基づいて作られることが明らかになる([[セントラルドグマ]])と、鋳型説・指令説は否定的と考えられた。それに代わって[[フランク・マクファーレン・バーネット|バーネット]]の提唱した[[クローン選択説]]<ref name="Burnet,1957">Burnet FM. "A modification of Jerne's theory of antibody production using the concept of clonal selection." ''Australian Journal of Science'', 20, 1957, p.p. 67-69. </ref>([[1957年]])が受け入れられるようになった。つまり、リンパ球はそれぞれ1種類の抗体しか作ることができず、そのため体内には非常に多くの種類のリンパ球が先天的に用意されている。そして抗原が体内に侵入すると、その抗原と結合できるリンパ球が選ばれて増殖し(クローン)、この抗原に対する抗体を産生する、という説である。この説は種々の実験によって正当性が証明されていったが、クローン選択説もエールリヒの側鎖説と同じように、全く未知の抗原に対応できるような抗体を、遺伝子はどうやって用意できるのか、という点は不明であった。非常に多くの種類の抗体の構造がひとつひとつ全て遺伝子に書き込まれているとは考えにくかった。 [[1976年]][[利根川進|利根川]]らは免疫グロブリンの'''遺伝子再構成'''という現象を発見し<ref name="Hozumi,1976">Hozumi N, Tonegawa S. "Evidence for somatic rearrangement of immunoglobulin genes coding for variable and constant regions." ''Proceedings of National Academy of Science of United States of America'', 73, 1976, p.p. 3628-3632. {{PMID|824647}}</ref><ref name="Tonegawa,1983">Tonegawa S. "Somatic generation of antibody diversity." ''Nature'', 302, 1983, p.p. 575-581. {{PMID|6300689}}</ref>、この抗体の多様性に関する遺伝子レベルの謎に答えを出した。その他、[[体細胞]]超変異、[[遺伝子変換]]、クラススイッチ組み換えといった現象も抗体の多様性に関与していることが知られている<ref name="Li,2004">Li Z, Woo CJ, Iglesias-Ussel MD, et al. "The generation of antibody diversity throuth somatic hypermutation and class switch recombination." ''Gene & Development'', 18, 2004, p.p. 1-11. {{PMID|14724175}}</ref>。 === V(D)J遺伝子再構成 (gene rearrangement) === B細胞に分化する前の[[生殖細胞]]の遺伝子では、重鎖可変領域 (V<small>H</small>) をコードする遺伝子は、V<small>H</small>遺伝子部分、D<small>H</small>遺伝子部分、J<small>H</small>遺伝子部分の3つに分かれており、この3つの遺伝子部分にそれぞれ、可変領域の遺伝子断片が複数個コードされている。抗体を産生するB細胞の重鎖可変領域の遺伝子は、V<small>H</small>遺伝子部分にコードされているいくつかの遺伝子断片の中から1種類、D<Small>H</small>遺伝子部分から1種類、J<small>H</small>遺伝子部分から1種類が選ばれて、それが組み立てられてつくられる。V<small>H</small>遺伝子部分に50の遺伝子断片、D<small>H</small>遺伝子部分に30の遺伝子断片、J<small>H</small>遺伝子部分に6種類の遺伝子断片があるとすると、その組み合わせは50×30×6 = 9000種類となる。 軽鎖可変領域 (V<small>L</small>) をコードする遺伝子は、重鎖よりも少なく、V<small>L</small>遺伝子部分、J<small>L</small>遺伝子部分の2つの部分からなる。同じようにV<small>L</small>遺伝子部分に35の遺伝子断片、J<small>L</small>遺伝子部分に5つの遺伝子断片があるとすると、その組み合わせは35×5 = 175種類となる。そして、9000種類の重鎖と175種類の軽鎖の組み合わせは9000×175 = 150万種類以上となる。このように、重鎖のV、D、J、軽鎖のVとJの遺伝子断片の組み合わせで多様な遺伝子をもつB細胞ができ、それぞれ異なった種類のB細胞がそれぞれ異なった抗体を作ることで多様な抗体がつくられる<ref name="Hozumi,1976" /><ref name="Market,2003">Market E, Papavasiliou FN. [http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pubmed&pubmedid=14551913 "V(D)J recombination and the evolution of the adaptive immune system."] ''PloS Biology'', 1, 2003, p.p. 24-27. {{PMID|14551913}}</ref>。これをV(D)J遺伝子再構成といい、主にヒトやマウスでみられる。 各細胞につき、遺伝子再構成が起こるのは[[相同染色体]]の片方だけであり、再構成がないほうの遺伝子は不活化される。 === 体細胞超変異 (somatic hypermutation; SHM) === [[幹細胞]]が分化して体のさまざまな細胞に分化していくが、この分化した細胞を[[体細胞]]という。幹細胞が体細胞に分化していくときにごく稀に遺伝子に変異が起こることがある(体細胞変異)。B細胞は変異の頻度が極めて高く、1万倍にも及ぶ<ref>Rajewsky K, Forster I, Cumano A. "Evolutionary and somatic selection of the antibody repertoire in the mouse." ''Science'', 238, 1987, p.p. 1088-1094. {{PMID|3317826}}</ref>。これは末梢の成熟したB細胞の中で、T細胞依存性抗原で活性されたB細胞は[[胚中心]]を形成し、この微小環境内で免疫グロブリン遺伝子のV領域が、[[活性化誘導シチジンデアミナーゼ|AID]](activation-induced cytidine deaminase)により様々な塩基置換を引き起こされるためである。このメカニズムを体細胞超変異といい、ヒトやマウスにおいて抗体の多様性や親和性の成熟に関与している<ref name="Li,2004" />。 === 遺伝子変換 (gene conversion) === V(D)J遺伝子再構成を終えた可変領域遺伝子が、V遺伝子上流に存在する[[偽遺伝子]]にランダムに置換されて、多様性をつくる。これを遺伝子変換 (gene conversion; GC) といい、主にニワトリでみられる<ref>Weill JC, Reynaud CA, Lassila O, Pink JR. "Rearrangement of chicken immunoglobulin genes is not an ongoing process in the embryonic bursa of Fabricius." ''Proceedings of National Academy of Science of United States of America'', 83, 1986, p.p. 3336-3340. {{PMID|3010290}}</ref><ref>Weill JC, Reynaud CA. "Rearrangement/hypermutation/gene conversion: When, where and why?" ''Immunology Today'', 17, 1996, p.p. 92 -97. {{PMID|8808057}}</ref>。[[1986年]]レイノーらにより報告された<ref name="Reynaud,1985">Reynaud CA, Anquez V, Dahan A, Weill JC. "A single rearrengement event generates most of the chicken immunoglobulin light chain diversity." ''Cell'', 40, 1985, p.p. 283-291. {{PMID|3917859}}</ref><ref>"系統看護学講座 専門基礎① 解剖生理学 人体の構造と機能[1]" ''医学書院'', p.p. 435.</ref>。 === クラススイッチ組み換え (class switch recombination; CSR) === V(D)J遺伝子再構成等の過程を経て生まれたB細胞は、抗原の刺激を受けると成熟化し、増殖する。この際、重鎖定常領域 (C<sub>H</sub>) をコードする遺伝子にDNA改変が起こり、最初IgMを分泌していたB細胞はIgG等他のクラスの免疫グロブリンを産生する。同じ可変領域を異なる定常領域と組み合わせることにより、さらに多様な抗体を作り出す。このことをクラススイッチ組み換えという<ref name="Li,2004" />。 == 抗体医薬 == 近年、[[モノクローナル抗体]]の持つ特異性を利用した[[医薬品]]の開発が進んでいる。抗体医薬は標的となる抗原に対して特異的に働くためにこれまでの医薬品よりも[[副作用]]を軽減させ、かつ高い治療効果が得られることが期待されている。2008年現在で[[関節リウマチ]]治療薬として抗[[TNF-α]]抗体である[[インフリキシマブ]]や抗[[IL-6]]抗体である[[トシリズマブ]]、癌遺伝子HER2に対する抗体である[[トラスツズマブ]]などがすでに[[臨床]]において使用されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat|Antibodies}} * [[モノクローナル抗体]] * [[ポリクローナル抗体]] * [[抗原抗体反応]] * [[エピトープ]] * [[ワクチン]] * [[ELISA (分析法)]] * [[中和抗体]] * [[遮断抗体]] * [[移行抗体]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} * {{Kotobank|免疫グロブリン}} {{biosci-stub}} {{Medical-stub}} {{Immune system}} {{Antibodies}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:こうたい}} [[Category:抗体|*]] [[Category:免疫学]] [[Category:タンパク質]] [[Category:糖タンパク質]]
2003-03-31T09:23:27Z
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カクテル
カクテル(英: cocktail)とは、ベース(基酒)となる酒に、他の酒またはジュースなどを混ぜて作るアルコール飲料のこと。混酒。ただし、アルコール分を含まないか、1%未満程度のノンアルコールカクテルもある。 カクテルを具体的に表現したとき、しばしば「酒+何か」と表現される。 例えば、スタンダードなカクテルとして紹介される「スクリュー・ドライバー」というカクテルは、「ウォッカ+オレンジ・ジュース」で構成されており、この表現に当てはまる。しかし、「マティーニ」というカクテルは「ジン+ドライ・ベルモット」、つまり「酒+酒」ということになる。 ここから、カクテルをより正確に定義づけるには「酒+その他の酒 and/or その他の副材料」と考えることができる。 酒と水だけの場合もカクテルと言えるが、日本においては水割りと呼ばれている。日本において最も有名なカクテルを水割りとすることもある。 原始的なカクテルが作られはじめたのは、古代ローマや古代ギリシャ、古代エジプトの時代だったと考えられている。これは、当時のアルコール飲料(ワインやビールであった)の質が現代に比べてはるかに劣るものであり、その味を改善するための手段であった。 古代ローマ、古代ギリシャでは、そのまま保存したのでは劣化・酸化してしまうワインに熱を加え、凝縮したうえで副材料(草根木皮や粘土など)を混ぜたものを保存していた。それを水で割って飲むことが一般的なワインの飲み方とされており、これは「酒+何か」の定義に当てはまる。 また、古代エジプトではビールにさまざまな副材料を加えたものが飲用されており、これには、カルミ(calmi、蜂蜜を加えたもの)、チズム(zythum、ういきょうやサフランなどを加えたもの)、コルマ(korma、生姜と蜂蜜を加えたもの)があった。こちらも「酒+何か」の定義に当てはまる。 他にも、原始的なカクテルとしては、唐で作られていた「ワイン+馬乳」というものがある。 このように、「常温」で飲まれていたカクテルであったが、中世の時代になると、寒い冬の時期に「カクテルを温めて飲む」という習慣が生まれていく。その名残として、現代でもフランスのヴァン・ショー(仏: vin chaud)、ドイツのグリューヴァイン(独: Glühwein)、北欧のグレッグ(丁: Gløgg、諾: Gløgg)といったものが飲用されている。さらに、中世は蒸留酒が錬金術師たちによって作り出された時代でもあり、様々なカクテルが誕生した時代でもある。この時代に生まれたものとして特筆されるのはイギリス陸軍大佐フランシス・ニーガス(英: Francis Negus)が考案したニーガス(英: Negus、ポート・ワイン+湯+砂糖+レモン+ナツメグ+ブランデー)、インドが発祥といわれる「パンチ・スタイル」がある。 近年では、氷を用いた「コールド・ドリンク」が主流であるが、そうしたカクテルが登場するのはずっと後、19世紀末から20世紀初頭になってからのことである。「氷は近代になるまで貴重品であったから」というのがその理由であったが、1876年にカール・フォン・リンデが製氷機を開発したことによって、一年を通していつでも氷を入手できるようになった。これにより、「マティーニ」や「マンハッタン」といった、新しいジャンルの、現在ではカクテルの代表格とされるレシピが発案されていったのである。 それらの新しいカクテルはアメリカで生まれたものであったが、第一次世界大戦と禁酒法により職を失ったバーテンダーがヨーロッパへ移っていったことによって、全世界に広がっていくことになったのである。 1920-30年代のヨーロッパにジャズなどのアメリカ文化が流入し、その一端としてカクテルブームが起きた。イギリスでは第一次世界大戦以前はディナーの前に酒を飲む習慣はほとんど無かったが、アフタヌーン・ティーの時間に女性も含めた仲間が連れ立ってホテルのバーなどに集まり、強いカクテルを飲むことが当たり前のようになった。カクテル・タイムと呼ばれるこの新しい習慣は、若い世代を中心にあっという間に受け入れられた。 「酒+その他の酒 and/or その他の副材料」を指して「カクテル」と呼ぶようになったのは、1700年代とも1800年代に入りすぐとも言われている。前者の説を「イギリス説」、後者の説を「アメリカ説」と言う。 その語源については諸説あり、例えばバーテンダーの団体間で統一するといったことはなされていない。以下にいくつかの説を示す。 『サヴォイ・カクテルブック』で、「カクテルという言葉の起源」として特に紹介されている説。 19世紀のはじめ、アメリカ合衆国南部陸軍とアホロートル8世 (Axolotl VIII) 率いるメキシコ軍の間には小競り合いが絶えなかった。しかしある時、休戦協定が結ばれることとなった。 休戦協定交渉にあたり、まず最初に酒が供された。自身が調合したらしき飲み物を満たした杯を持ち、美女がその場に現れたが、その杯がひとつしかなかったことで、その場の雰囲気が不穏なものとなる。杯がひとつだけということは、アメリカ軍の将軍かメキシコ王か、どちらかが先に飲むことを意味しており、後に回された方が「自らを侮辱している」と感じるのではないかという懸念があったからである。しかし、その美女は不穏な空気を察し、微笑みうやうやしく頭を垂れると、自らその杯の酒を飲み干した。これにより、その場の緊張が解け、交渉は成功に終わる。協定交渉の最後、将軍が機転の利くその美女についてたずねると、王は自らもその美女に会ったことはなかったにもかかわらず、自慢げに答えた。「あれは自分の娘で、コクテル(Coctel)という」。 サヴォイ・カクテルブックに示された説はこのとおりであるが、他の文献にも類似の説が示されている。ただし、19世紀はじめのメキシコにはすでに王はおらず、アホロートル8世という名の王も存在していない。 国際バーテンダー協会が、カクテルの語源として採用している説。 メキシコのユカタン半島にあるカンペチェという港町にイギリス船が入港したときのこと、船員達は町の居酒屋に立ち寄り、渇きを癒していた。当時、イギリス人たちが酒を飲むときには、ほぼストレートでしか飲んでいなかった。しかし、カンペチェでは「ブランデー、もしくはラムに砂糖などをミックスした飲み物(ドラック・drac)」が流行していた。この飲み物は、酒をストレートで飲む習慣しかなかったイギリス人の興味を引くものだった。ドラックは、厚手のグラスに材料を入れ、スティックやスプーンで攪拌して作られるものであったが、金属製のスティックを使うと不快な臭いがドラックに移ると嫌われていたため、木製のスティックを使うことが多かった。ある店の少年もそうであった。 あるとき、船員は少年に「それはなんだ?」とたずねた。船員は「その飲み物の名(ドラック)」をたずねたのであるが、少年は攪拌に使用したスティックのことをたずねられたと思い、「これはコーラ・デ・ガジョ(cola de gallo スペイン語で「雄鶏の尻尾」の意)です」と答えた。その道具の形が雄鶏の尻尾に似ていたからである。ともあれ、船員はその飲み物を「コーラ・デ・ガジョ」を英語に訳した「テール・オブ・コック」と言う名で呼ぶようになった。このエピソードはカンペチェに入港する船員たちに広まり、次第に他の地域の酒場でもこの名を使用するようになっていく。そのうちに、「テール・オブ・コック」を1語とした「カクテル」という語句が生まれ、それがミクスト・ドリンク全般を指すようになっていった。 この説を最初に提唱したのはハリー・クラドックである。1936年1月に発行されたイギリスバーテンダー協会(United Kingdom Bartender's Guild、U.K.B.G.)の機関誌『ザ・バーテンダー(The Bartender)』に、「ルーカス・デ・パラシオという人物から聞いた話」として掲載された。後に、イギリスバーテンダー協会が監修したカクテルブック『UKBG インターナショナル・ガイド・トゥ・ドリンクス(U.K.B.G. International Guide to Drinks)』に掲載、1967年に発行された『ザ・バーテンダー』でも再掲されている。 日本でも1967年の『ザ・バーテンダー』再掲を期として、1969年10月に発行された全日本バーテンダー協会(All Nippon Bartenders Association)の機関誌によって、この説が紹介されている。 「ベッチー・フラナガン(ベッツィー・フラグナンとも、Betsy Flanagan)」説や「雄鶏」説などとも呼ばれているが、いずれにしても「四角軒」という名のバーが舞台であることから、「四角軒」説として記述する。 アメリカ独立戦争の折、ニューヨークの北にイギリスの植民地があった。町の名はエムスフォードといった。戦争で、騎兵隊員であった夫を亡くしたベッチー・フラナガンが、この町で「四角軒」というバーを経営していた。彼女は独立派側に与しており、独立軍にオリジナルのミクスト・ドリンクを振舞っていた。あるとき、彼女は反独立派側に属する人間の屋敷に忍び込み、立派な尻尾を持つ雄鶏を盗み出す。盗んだ雄鶏はローストチキンに、その尻尾は酒壺に飾られた。その夜も、独立軍の兵士達は四角軒で、ローストチキンをつまみに酒を飲んでいた。ある将校がおかわりをしようとし、酒壺に飾られた雄鶏の尻尾に気付く。「ずいぶん立派な雄鶏の尻尾じゃないか。一体どこから手に入れたんだ?」すると彼女はこう答えた。「失敬したのよ。イギリス男の家からね」。自分たちが口にしていたローストチキンの正体を知った兵士達は、高らかに叫んだ。「Viva cock's tail!(コックテール、万歳!)」。以来四角軒で振舞われるミクスト・ドリンクには「コックテール」の名が与えられ、その名が広まっていった。 過去においては現代とは異なる単位や用語が用いられた場合が存在し、標準液体分量単位および薬剤液体分量単位をもととしている。 また、グラスの容量で示した単位も用いられている。 日本語の単位で注意すべきは「滴」であり、dashを示したり1/3dashを示す場合が存在する。 現代においてはヤード・ポンド法等に基づく単位ではなく国際単位系による単位を用いる。 カクテルの種類は、書籍などに収録されて名前が知られているものだけでも数百種のオーダーではなく、少なくとも数千種存在する。これだけ多いのは、使用される材料が多岐に渡る上に、わずかにレシピが変わっただけで別なカクテルだと区別されるケースがあるためである。さらに、オリジナルカクテルと呼ばれる、独自に創作されたものの有名にはなっていないカクテルも数多く存在するため、その総数は不明である。 水だけの水割り、炭酸飲料だけのハイボールやチューハイなど、他の酒や風味をつけるための材料を入れず、割っただけのレシピはカクテルから除外することもある。ただしウイスキー・ソーダは伝統的にカクテルに分類されている。 1951年に北海道の税務関係の役所が、「酒類に種類の異なる酒類を混和した時は、新たに酒類を製造したものと見なされるため、酒税法の適用を受ける。したがって、もしもカクテルを作るのであれば、カクテル1杯ごとに酒税を支払わなければならず、そうでなければカクテルは禁止である。」として、摘発を行ったことがある。無論、後日、この酒税法の解釈は誤りであったとして取り消されており、カクテルの禁止は解除された。 近年、日本では「カクテルの街」として町おこしをはかっているところがいくつかある。栃木県宇都宮市と北海道旭川市が特に有名で、カクテルの国内大会で優勝経験を持つバーテンダーを中心に、観光協会などがイメージ作りを進めている。他には、神奈川県横浜市(理由は同様)などもカクテルの街を名乗っている。
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カクテルとは、ベース(基酒)となる酒に、他の酒またはジュースなどを混ぜて作るアルコール飲料のこと。混酒。ただし、アルコール分を含まないか、1%未満程度のノンアルコールカクテルもある。
{{Otheruses}} [[ファイル:Cocktail1.jpg|thumb|upright|カクテル(マティーニの一種)]] {{食事}} '''カクテル'''({{lang-en-short|cocktail}})とは、ベース(基酒)となる[[酒]]に、他の酒またはジュースなどを混ぜて作る[[アルコール飲料]]のこと。混酒。ただし、アルコール分を含まないか、1%未満程度の'''[[ノンアルコールカクテル]]'''もある。 ==概要== カクテルを具体的に表現したとき、しばしば「酒+何か」と表現される<ref name="HBAOfficialP188">『2007新版 HBAバーテンダーズオフィシャルブック』 p188</ref><ref>『読むカクテル百科』p17</ref><ref>『新版バーテンダーズマニュアル』p218</ref>。 例えば、スタンダードなカクテルとして紹介される「[[スクリュー・ドライバー]]」というカクテルは、「[[ウォッカ]]+[[オレンジジュース|オレンジ・ジュース]]」で構成されており、この表現に当てはまる。しかし、「[[マティーニ]]」というカクテルは「[[ジン (蒸留酒)|ジン]]+[[ドライ・ベルモット]]」、つまり「酒+酒」ということになる。 ここから、カクテルをより正確に定義づけるには「酒+その他の酒 and/or その他の副材料」と考えることができる<ref name="HBAOfficialP188" />{{efn2|『新版バーテンダーズマニュアル』(p218)では、「酒と何らかの材料を混ぜた飲料=ミクスト・ドリンク」と定義し、「酒+{{lang|en|something}}=カクテル=ミクスト・ドリンク」であるという解説を行っている。}}。 酒と水だけの場合もカクテルと言えるが、日本においては[[水割り]]と呼ばれている。日本において最も有名なカクテルを水割りとすることもある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.suntory.co.jp/whisky/museum/enter/v11/mi02.html|title=私の信じる水割り カクテルとしての水割り|author=樋口保彦|website=[[サントリー]] WHISKY WHISKY on the Web|accessdate=2021-04-17}}</ref>。 == 歴史 == [[File:Pacific Standard owner preparing Santorum cocktail drink 07.JPG|thumb]] 原始的なカクテルが作られはじめたのは、[[古代ローマ]]や[[古代ギリシャ]]、[[古代エジプト]]の時代だったと考えられている。これは、当時のアルコール飲料([[ワイン]]や[[ビール]]であった)の質が現代に比べてはるかに劣るものであり、その味を改善するための手段であった<ref>『2007新版 HBAバーテンダーズオフィシャルブック』p189 - p190</ref><ref name="CocktailEncyclopediaP43">『読むカクテル百科』p43</ref><ref name="BartendersManualP218">『新版バーテンダーズマニュアル』p221</ref>。 古代ローマ、古代ギリシャでは、そのまま保存したのでは劣化・酸化してしまうワインに熱を加え、凝縮したうえで副材料(草根木皮や粘土など<ref>『読むカクテル百科』p46</ref>)を混ぜたものを保存していた。それを水で割って飲むことが一般的なワインの飲み方とされており<ref name="BartendersManualP218"></ref><ref>『読むカクテル百科』p47 - p48</ref>{{efn2|そうしない者は酒に耽溺する者、つまり現在における[[アルコール依存症]]患者として扱われ、非難を受けていたことが参考文献『読むカクテル百科』(p48)や『新版バーテンダーズマニュアル』(p221)によって紹介されている。}}、これは「酒+何か」の定義に当てはまる。 また、古代エジプトではビールにさまざまな副材料を加えたものが飲用されており、これには、カルミ(calmi、蜂蜜を加えたもの)、チズム(zythum、[[ういきょう]]や[[サフラン]]などを加えたもの)、コルマ(korma、[[生姜]]と[[蜂蜜]]を加えたもの)があった。こちらも「酒+何か」の定義に当てはまる。 他にも、原始的なカクテルとしては、[[唐]]で作られていた「ワイン+馬乳」というものがある。 このように、「常温」で飲まれていたカクテルであったが{{efn2|[[福西英三]]は、参考文献『読むカクテル百科』(p48 - p49)の中で、「従来行なわれている「ホット」「コールド」の分類に「常温」を加えるのが妥当」と述べている。}}、中世の時代になると、寒い冬の時期に「カクテルを温めて飲む」という習慣が生まれていく。その名残として、現代でも[[フランス]]の[[ヴァン・ショー]]({{lang-fr-short|[[:fr:vin chaud|vin chaud]]}})、[[ドイツ]]の[[グリューヴァイン]]({{lang-de-short|[[:de:Glühwein|Glühwein]]}})、[[北ヨーロッパ|北欧]]の[[グロッグ|グレッグ]]({{lang-da-short|[[:da:Gløgg|Gløgg]]}}、{{lang-no-short|[[:no:Gløgg|Gløgg]]}})といったものが飲用されている<ref>読むカクテル百科 p55</ref>。さらに、中世は[[蒸留酒]]が[[錬金術師]]たちによって作り出された時代でもあり、様々なカクテルが誕生した時代でもある。この時代に生まれたものとして特筆されるのは[[イギリス]]陸軍大佐[[フランシス・ニーガス]]({{lang-en-short|[[w:Francis Negus|Francis Negus]]}})が考案した[[ニーガス]]({{lang-en-short|[[w:Negus (drink)|Negus]]}}、[[ポート・ワイン]]+湯+砂糖+[[レモン]]+[[ナツメグ]]+[[ブランデー]])、[[インド]]が発祥といわれる「[[フルーツポンチ|パンチ]]・スタイル」がある{{efn2|『2007新版 HBAバーテンダーズオフィシャルブック』p189、『読むカクテル百科』p56}}。 近年では、[[氷]]を用いた「[[コールドドリンク (カクテル)|コールド・ドリンク]]」が主流であるが、そうしたカクテルが登場するのはずっと後、19世紀末から20世紀初頭になってからのことである。「氷は近代になるまで貴重品であったから」というのがその理由であった<ref>『読むカクテル百科』p52</ref>が、1876年に[[カール・フォン・リンデ]]が[[製氷機]]を開発したことによって、一年を通していつでも氷を入手できるようになった。これにより、「[[マティーニ]]」や「[[マンハッタン (カクテル)|マンハッタン]]」といった、新しいジャンルの、現在ではカクテルの代表格とされるレシピが発案されていったのである。 それらの新しいカクテルは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で生まれたものであったが、[[第一次世界大戦]]と[[アメリカ合衆国における禁酒法|禁酒法]]により職を失った[[バーテンダー]]が[[ヨーロッパ]]へ移っていったことによって、全世界に広がっていくことになったのである。 1920-30年代のヨーロッパに[[ジャズ]]などのアメリカ文化が流入し、その一端としてカクテルブームが起きた。イギリスでは第一次世界大戦以前はディナーの前に酒を飲む習慣はほとんど無かったが、[[アフタヌーン・ティー]]の時間に女性も含めた仲間が連れ立ってホテルの[[バー (酒場)|バー]]などに集まり、強いカクテルを飲むことが当たり前のようになった{{efn2|当時の雰囲気は[[アガサ・クリスティ]]の『[[名探偵ポワロ]]』シリーズなどが参考になる。}}。[[カクテル・タイム]]と呼ばれるこの新しい習慣は、若い世代を中心にあっという間に受け入れられた<ref>海野弘『酒場の文化史』 講談社学術文庫、2009年、p198 - p202</ref>。 == 語源 == 「酒+その他の酒 and/or その他の副材料」を指して「カクテル」と呼ぶようになったのは、1700年代{{efn2|1748年にイギリスで発行された『ザ・スクイア・レシピズ(The Squire Recipes)』という小冊子に、「酒+その他の酒 and/or その他の副材料=カクテル」と記されている(『読むカクテル百科』p28)。}}とも1800年代に入りすぐ{{efn2|『サヴォイ・カクテルブック』(p13)は、1806年5月に発行されたアメリカの雑誌『ザ・バランス』の文章を引用し、少なくとも1806年には「カクテル」という言葉が「酒+その他の酒 and/or その他の副材料」を指していたとしている。『ザ・バランス』で言及されたカクテルは、ビタード・スリング(苦い飲み物。酒+砂糖や水+[[ビターズ]]という構成)であった。}}とも言われている。前者の説を「イギリス説」、後者の説を「アメリカ説」と言う<ref name="CocktailEncyclopediaP28">『読むカクテル百科』p28</ref>。 その[[語源]]については諸説あり、例えばバーテンダーの団体間で統一するといったことはなされていない。以下にいくつかの説を示す。 === 「メキシコ王の娘」説 === 『[[サヴォイ・カクテルブック]]』で、「カクテルという言葉の起源」として特に紹介されている説<ref name="CocktailEncyclopediaP28" /><ref name="SAVOYp13">『サヴォイ・カクテルブック』p13 - p15</ref>。 [[19世紀]]のはじめ、[[アメリカ合衆国南部]][[アメリカ陸軍|陸軍]]とアホロートル8世 (Axolotl VIII) 率いるメキシコ軍の間には小競り合いが絶えなかった。しかしある時、休戦協定が結ばれることとなった。 休戦協定交渉にあたり、まず最初に酒が供された。自身が調合したらしき飲み物を満たした杯を持ち、美女がその場に現れたが、その杯がひとつしかなかったことで、その場の雰囲気が不穏なものとなる。杯がひとつだけということは、アメリカ軍の将軍かメキシコ王か、どちらかが先に飲むことを意味しており、後に回された方が「自らを侮辱している」と感じるのではないかという懸念があったからである。しかし、その美女は不穏な空気を察し、微笑みうやうやしく頭を垂れると、自らその杯の酒を飲み干した。これにより、その場の緊張が解け、交渉は成功に終わる。協定交渉の最後、将軍が機転の利くその美女についてたずねると、王は自らもその美女に会ったことはなかったにもかかわらず、自慢げに答えた。「あれは自分の娘で、コクテル(Coctel)という」。 サヴォイ・カクテルブックに示された説はこのとおりであるが、他の文献にも類似の説が示されている<ref>『読むカクテル百科』p31 - p32</ref>{{efn2|『読むカクテル百科』(p31 - p32)に示された説では、「乾杯の音頭をどちらがとるかでもたもたしていた将軍と王を、「自らが先んじて杯を掲げ飲み干す」という機転により救った少女「ホキトル([[:en:Xóchitl|X'ochitl]])」の名をその飲料につけた」としている。}}。ただし、19世紀はじめのメキシコにはすでに王はおらず、アホロートル8世という名の王も存在していない。 === 「コーラ・デ・ガジョ(木の名前)」説 === 国際バーテンダー協会が、カクテルの語源として採用している説<ref>『読むカクテル百科』p34 - p40</ref><ref>『新版バーテンダーズマニュアル』p218 - p219</ref>。 メキシコの[[ユカタン半島]]にある[[カンペチェ]]という港町にイギリス船が入港したときのこと{{efn2|『読むカクテル百科』(p35)では、[[福西英三]]の注釈として、18世紀ごろのことだろうとしている。}}、船員達は町の居酒屋に立ち寄り、渇きを癒していた。当時、イギリス人たちが酒を飲むときには、ほぼストレートでしか飲んでいなかった。しかし、カンペチェでは「ブランデー、もしくはラムに砂糖などをミックスした飲み物(ドラック・drac)」が流行していた。この飲み物は、酒をストレートで飲む習慣しかなかったイギリス人の興味を引くものだった。ドラックは、厚手のグラスに材料を入れ、スティックやスプーンで攪拌して作られるものであったが、金属製のスティックを使うと不快な臭いがドラックに移ると嫌われていたため、木製のスティックを使うことが多かった。ある店の少年もそうであった。 あるとき、船員は少年に「それはなんだ?」とたずねた。船員は「その飲み物の名(ドラック)」をたずねたのであるが、少年は攪拌に使用したスティックのことをたずねられたと思い、「これはコーラ・デ・ガジョ(cola de gallo スペイン語で「雄鶏の尻尾」の意)です」と答えた。その道具の形が雄鶏の尻尾に似ていたからである。ともあれ、船員はその飲み物を「コーラ・デ・ガジョ」を英語に訳した「テール・オブ・コック」と言う名で呼ぶようになった。このエピソードはカンペチェに入港する船員たちに広まり、次第に他の地域の酒場でもこの名を使用するようになっていく。そのうちに、「テール・オブ・コック」を1語とした「カクテル」という語句が生まれ、それがミクスト・ドリンク全般を指すようになっていった。 この説を最初に提唱したのは[[ハリー・クラドック]]である。1936年1月に発行されたイギリスバーテンダー協会(United Kingdom Bartender's Guild、U.K.B.G.)の機関誌『ザ・バーテンダー(The Bartender)』に、「ルーカス・デ・パラシオという人物から聞いた話」として掲載された。後に、イギリスバーテンダー協会が監修したカクテルブック『UKBG インターナショナル・ガイド・トゥ・ドリンクス(U.K.B.G. International Guide to Drinks)』に掲載、1967年に発行された『ザ・バーテンダー』でも再掲されている。 日本でも1967年の『ザ・バーテンダー』再掲を期として、1969年10月に発行された全日本バーテンダー協会(All Nippon Bartenders Association)の機関誌によって、この説が紹介されている。 === 「四角軒」説 === 「ベッチー・フラナガン(ベッツィー・フラグナンとも、Betsy Flanagan)」説や「雄鶏」説などとも呼ばれているが、いずれにしても「四角軒」という名のバーが舞台であることから、「四角軒」説として記述する<ref>『読むカクテル百科』p30 - p31</ref><ref>『新版バーテンダーズマニュアル』p219</ref><ref>『2007新版 HBAバーテンダーズオフィシャルブック』p186 - p187</ref>。 アメリカ独立戦争の折、ニューヨークの北にイギリスの植民地があった。町の名はエムスフォードといった。戦争で、騎兵隊員であった夫を亡くしたベッチー・フラナガンが、この町で「四角軒」というバーを経営していた。彼女は独立派側に与しており、独立軍にオリジナルのミクスト・ドリンク{{efn2|『2007新版 HBAバーテンダーズオフィシャルブック』(p187)ではラム・パンチとされている。}}を振舞っていた。あるとき、彼女は反独立派側に属する人間の屋敷に忍び込み、立派な尻尾を持つ雄鶏を盗み出す。盗んだ雄鶏は[[ローストチキン]]に、その尻尾は酒壺に飾られた。その夜も、独立軍の兵士達は四角軒で、ローストチキンをつまみに酒を飲んでいた。ある将校がおかわりをしようとし、酒壺に飾られた雄鶏の尻尾に気付く。「ずいぶん立派な雄鶏の尻尾じゃないか。一体どこから手に入れたんだ?」すると彼女はこう答えた。「失敬したのよ。イギリス男の家からね」。自分たちが口にしていたローストチキンの正体を知った兵士達は、高らかに叫んだ。「Viva cock's tail!(コックテール、万歳!)」。以来四角軒で振舞われるミクスト・ドリンクには「コックテール」の名が与えられ、その名が広まっていった。 === その他の説 === ; 「雄鶏の尻尾(コックス・テール)」説 : 飾りのため、あるいはグラスの中身にアルコールが含まれていることを示すために、羽根をグラスに差す風習があったとされる。この羽根は雄鶏の尻尾(cock tail)からとったもので、そこからカクテルの名がついたとの説がある。 : なお、[[中国語]]ではカクテルを「鶏尾酒」({{繁体字|雞尾酒/鷄尾酒}}、{{簡体字|鸡尾酒}}、{{ピンイン|jī wěi jiǔ}})と呼ぶが、この説とは関係はない。 : また、「雄鶏の尻尾」説には以下のような諸説あるが、決定的なものはない。 :* 飲料を攪拌するために雄鶏の尻尾が使われていたことが由来であるとの説 :* 雄鶏の尻尾がカクテルのように七色に変化することが由来であるとの説 :* 闘鶏の盛んだった頃、試合の結果、尻尾に羽を一番多く残した雄鶏を祝福して乾杯した故事が由来であるとの説 :* 闘鶏の際に鶏を興奮させるために使用された火酒「コケール」あるいは「コックズ・エール(cock's ale)」が由来であるとの説 ; 「ニューオリンズの薬屋」説 : [[サン=ドマング]]からアメリカの[[ニューオリンズ]]に移住してきた薬剤師アントワーヌ・アメデ・ペイショー({{lang|fr|Antoine Amédée Peychaud}})が今日{{仮リンク|ペイショーズ・ビターズ|en|Peychaud's Bitters}}と呼ばれる[[ビターズ]]を[[1834年]]に発明した。これと砂糖、ブランデーを混ぜたものをコクティエ({{lang-fr|coquetier}}、フランス語で[[エッグスタンド]])に入れて売っていたが、これが評判となった。やがて、英語訛りのカクテルと呼ばれるようになった<ref name="た">{{Cite book|和書|page=14|title=カクテルをたしなむ人のレッスン&400レシピ|publisher=[[日本文芸社]]|year=2021|isbn=978-4537218695}}</ref>。 <!-- ; 「ドック・テール」説 ; 「コクチェ」説 ; 「トルテカ族の娘」説 ; 「アステカの王女ショチトル(Xochitl)」説 --> == カクテルの作成技法 == <!--50音順に並べてください。--> ; {{Anchors|シェイク}}シェイク(shake)、または、{{Anchors|シェーク}}シェーク : [[シェイカー (調理器具)|シェイカー]](シェーカー)に[[氷]]と共に材料を入れ、シェイカーを振ることにより材料を混ぜる技法(ただし、非常に混ざりにくい材料を混合する場合は、氷を入れる前に、予めシェイカーの中で[[バー・スプーン]]などを使ってステアすることで、材料を溶いてしまう場合もある)。この技法は、材料を混合することと[[冷却]]することを、主な目的<!--ステアとは違って、細かな空気の泡を混合することなども目的としているので、こちらでは「主な」と書いています。-->としている。 ; [[ステア]](stir)、または、ステアー、スター : 混ざりやすい幾つかの材料を、氷を入れた[[ミキシンググラス|ミキシング・グラス]]に注ぎ、[[バー・スプーン]]などで手早くかき混ぜる技法。英語のstirの発音は/stˈɚː/である。この技法は、材料を混合することと冷却することを目的<!--シェークとは違って、細かな空気の泡を混合することは目的としていないので、こちらでは「主な」を入れていません。-->としている。 : なお、[[攪拌]]することを指す用語でもある。 ; {{Anchors|ビルド}}ビルド(build) : 直接グラスに氷や酒類などの材料を注いで作る技法。なお、この方法で冷たい[[ロングドリンク]](ロングカクテル)を作る場合で、氷を使用する時は、予めグラスに氷を入れた上で、その他の材料を入れる<!--ビールを使用するカクテルでは、基本的に氷を入れないので、こういう書き方となっています。-->。この方法で作った場合、グラスに材料を注いだ後で、しばしばステアが行われる。ただし、ステアする場合でも、ステアの前に[[炭酸]]を含む材料を加えた場合、炭酸が[[二酸化炭素]]となって逃げてしまい、味が悪くならないように注意する必要がある。 ; {{Anchors|ブレンド}}ブレンド(blend) : ブレンダー([[ミキサー (調理器具)|ミキサー]])を使い、材料と[[クラッシュドアイス|クラッシュド・アイス]]を細かく混ぜる技法。フローズン・スタイルのカクテルはこの技法で作られる。 ; [[フロート]](float) : [[比重]]の違う液体を混ざらないように静かに注ぎ、重ねる技法。 : なお、カクテルのスタイルを指す場合は、2種類の液体を使って作った[[プース・カフェ]]・スタイルのカクテルのことを言う。 ; リンス<ref>{{Cite book|和書|chapter=サイドカー Sidecar|title=スタア・バーのカクテルブック|author=岸久|authorlink=岸久 (バーテンダー)|year=2015|publisher=[[文藝春秋]]|isbn=978-4166610402}}</ref><ref>{{Cite book|和書|series=[[Truth In Fantasy]]|author=朱鷺田祐介|authorlink=朱鷺田祐介|chapter=5 その他の技法|title=酒の伝説|year=2012|publisher=[[新紀元社]]|isbn=978-4775306970}}</ref> : グラスやシェイカーに[[ビターズ]]や[[コアントロー]]などを入れて回すことで内側を濡らすようにし、余分な液は捨てる技法。 : 香りづけのために行われる。 == カクテルの用語 == === カクテルで用いられる単位 === <!--この項目だけ、50音順ではなく、単位の大小で並べておきます。--> ==== 過去の単位 ==== <!--この項目は[[金園社]]「カクテルブック 作り方400選」日本バーテンダー協会 昭和48年12月1日発行 および[[日本文芸社]]「2色刷図解カクテルハンドブック」浜田昌吾 昭和49年5月10日20版 を参照した--> 過去においては現代とは異なる単位や用語が用いられた場合が存在し、[[米国慣用単位#液量|標準液体分量単位]]および[[帝国単位#薬衡による体積の単位|薬剤液体分量単位]]をもととしている。 ;drop( ドロップ ) : 0.95グレーンの水の体積あるいはビターズ・ボトルを静かに逆さにして落とした滴量、1/480 オンス、日本語では「落滴」とあらわす。 ; dash( ダッシュ ) :ビターズ・ボトルから強く振り出した単位であり、約1/27オンス、日本語では「滴」とあらわす。 ; tsp( Tea-spoon、[[ティースプーン]] ) :[[バー・スプーン]]1杯分程、約1/9オンス、日本語では「茶匙」とあらわす。 ; Teble-spoon( テーブルスプーン ) :約8/9オンス、日本語では「卓匙」とあらわす。 ; oz( Ounce、[[オンス]] ) :[[液量オンス]]、アメリカとイギリスで定義の違いによりその値は異なるが、28.4mlから29.5mlの間となる。 また、グラスの容量で示した単位も用いられている。 ; Pony( ポニー ) :リキュールグラス1杯分、1オンス ; Jigger( ジガー ) :[[カクテル・グラス]]1杯分、2オンス ; Gill( ジル ) :大型ワイングラス1杯分、4オンス 日本語の単位で注意すべきは「滴」であり、dashを示したり1/3dashを示す場合が存在する。 ==== 現代の単位 ==== 現代においては[[ヤード・ポンド法]]等に基づく単位ではなく[[国際単位系]]による単位を用いる。 ; 1drop(ドロップ) : ごく少量しか用いない場合に使われる単位。1dropは約5分の1ml程度。一滴分。日本語では「1滴」と書く。 ; 1ml(ミリリットル) : 1l([[リットル]])に1000分1を表すm([[ミリ]])が付いた単位。 ; 1dash(ダッシュ) : 約1ml程度の少量用いる際に使われる用語。5、6滴(5、6drop)ほど。日本語では「1振」と書く。 ; 1tsp([[ティースプーン]]) : [[バー・スプーン]]1杯分程。小さじ1杯。約5ml程度。日本語では「茶匙1」または「茶匙1杯」と書く。 ; 1cl([[国際単位系|センチ]][[リットル]]) : 1l(リットル)に100分1を表すc([[センチ]])が付いた単位。10mlのこと。日本ではあまり一般的な単位ではなく、clを使うのであれば、mlの単位を使用するのが普通。<!--輸入ワインくらいでしか見ません--> ; 1oz([[液量オンス|オンス]]) : 約30mlのこと。 === カクテルの用具 === [[ファイル:Cocktail shaker set.JPG|thumb|upright|カップ、バースプーン、シェーカー]] ; [[アイス・ペール]] : 氷を入れておく容器。 ; [[カクテル・ピン]] : 一部のカクテルで使用される、[[マラスキーノ・チェリー|チェリー]]や[[オリーブ]]を飾り付ける際に使用するピン。様々な形状や色のカクテル・ピンが存在している。 ; [[シェイカー (調理器具)|シェイカー]] : トップ、[[ストレーナ]]、ボディーの3つのパーツからなる、混ざりにくい物を混ぜ合わせ、冷やしにくいものを強制的に冷やすために作られた道具(写真右上)。大抵は[[ステンレス鋼|ステンレス]]製。またボストンシェイカーというステンレスの容器と[[ガラス]]の容器の二つのパーツからなるシェイカーも存在する。 ; [[ストロー]] : 通常のストローと同じ物。ただし、ノンアルコールと誤って飲んでしまわないよう、ストローは2本挿すことになっている。 ; [[バー・スプーン]] : [[攪拌]]するために用いる長柄のスプーン。反対側はフォーク状になっており、瓶に入っているマラスキーノ・チェリーなどを取り出すために使われる(写真下方)。 ; ブレンダー : [[ミキサー (調理器具)|ミキサー]]のこと。 : ただし、カクテルの用語で「ミキサー」と言うと「割り材」を意味する点に注意。すなわち、水、炭酸水、トニック・ウォーター、ジンジャー・エール、コーラ、オレンジ・ジュース、トマト・ジュースなど、割るために用いる飲料の総称が「ミキサー」である(よって、グレナディン・シロップ、シュガー・シロップのようなものは、液体ではあっても、甘味を付けるためなどに用いられているのであって、割るために用いているわけではないので、ミキサーに含まれない)。 ; [[マドラー]] : 撹拌するために用いる棒。バー・スプーンとは違い、カクテルに添えられることがある。 ; [[ミキシンググラス|ミキシング・グラス]] : シェイカーと同じように、混合と冷却を目的として使用されるグラス。このため、カクテルの中には、このミキシング・グラスで作ってもシェイカーで作っても構わないというものもある。一方で、混ざりにくいものを混合する場合は、基本的にシェイカーしか用いられないなど、一定の住み分けがなされている。 ; メジャー・カップ : バー・スプーンよりも多い量の液体を、量り取るために使用される金属製の容器(写真左上)。サイズの異なるカップが背中合せの状態となっている。したがって、上側を使用している時は下側を使用できないし、その逆もまた然りだが、この背中合せになっている部分に出来ているくびれを持って使用するため、背中合せの構造にすることが不可欠なのである。 === カクテルの分類 === ==== 飲み方 ==== ; [[食前酒|アペリティフ]] : [[フランス語]]で「食前酒」の意味。 ; [[ショートドリンク]] (ショートカクテル) : 短時間で飲み干すのに適したカクテル。対義語はロングドリンク。 ; [[食後酒|ディジェスティフ]] : フランス語で「食後酒」の意味。 ; [[ロングドリンク]] (ロングカクテル) : のんびりと時間をかけて味わうのに適したカクテル。 ==== 提供温度 ==== ; [[ホットドリンク (カクテル)|ホットドリンク]] : 完成時の温度が高いカクテル。 {{main|ホットドリンク (カクテル)}} ; [[コールドドリンク (カクテル)|コールドドリンク]] : 完成時の温度が低いカクテル。なお、常温で飲まれるカクテルの分類名は特にない。 {{main|コールドドリンク (カクテル)}} === カクテルのスタイル === [[ファイル:Tom Collins cocktail.jpg|thumb|upright|トム・コリンズ]] ; [[エッグノッグ]] ({{lang|en|Eggnog}}) : 酒と(鶏)卵とミルクと[[甘味料]]を使ったカクテル。シェークで卵を混ぜるのは、やや難易度が高い。フリップとは違い、ミルクも入っている。ホットで作る場合とコールドで作る場合とがある。[[ブランデー・エッグノッグ]]、ワイン・エッグノッグ<!--エッグノッグの場合、蒸留酒がベースとは限らないことをハッキリさせたいので、ワイン・エッグノッグは有名ではありませんが、敢えて挙げてあります。-->などが、このスタイルのカクテル。 ; クーラー ({{lang|en|Cooler}}) : 蒸留酒に、酸味(レモンやライムの果汁)と甘味料を加え、[[炭酸飲料]]([[炭酸水]]も含む)で割ったカクテル。[[ボストン・クーラー]]、[[モスコー・ミュール]]などが、このスタイルのカクテル。 ; コブラー ({{lang|en|Cobbler}}) : 製氷機が普及した19世紀中頃にアメリカで産まれたスタイル。中型のゴブレットやワイン・グラスにクラッシュド・アイスを詰め、フルーツやミントを飾りストローを添えて供される。柑橘系のジュースは使用されないことが多い。 ; コリンズ({{lang|en|Collins}}) : イギリスで産まれたスタイル。蒸留酒にレモンジュースと[[砂糖]]などの甘味料を加え、炭酸水で割ったカクテル。フィズより甘く、量はとても多い。サワーよりも酸味は少ない。[[トム・コリンズ]]などが、このスタイルのカクテル。 ; [[サワー]]({{lang|en|Sour}}) : 蒸留酒にレモンジュースと砂糖などの甘味料を加え、炭酸水で割ったカクテル。場合によっては、炭酸水の代わりに[[発泡ワイン|スパークリング・ワイン]]で割ることもある。フィズやコリンズよりも、酸味が強い。炭酸水で割るレシピと割らないレシピがある<ref>カクテル大全1000 p290</ref>。<!--アメリカがカクテル発祥だとの説をおす著者やアメリカが好きな著者の場合、炭酸水などで割らないのがサワーの標準だと書いている場合もあります。しかし、アメリカ以外では、炭酸水などで割ったサワーも炭酸水などで割らないサワーも見られます。国際的な観点で考えれば、現状のように、書くのが良いと思われます。←ホテルパシフィック東京監修『カクテル大全1000』(永岡書店、2008年9月10日発行、ISBN 978-4-522-42269-4)の290頁によれば米国でも炭酸水で割ることも多いとのことなので出典を付けた上で修正させていただきます。-->[[ウイスキー・サワー]]などが、このスタイルのカクテル。 ; ジュレップ({{lang|en|Julep}}) : アメリカ南部が発祥。酒に<!--現在は、酒が蒸留酒であることがほとんどであり、実際に蒸留酒を使用したカクテルと説明する書籍も存在します。しかし、歴史的には、元々醸造酒がベースだったので、敢えて「酒」としてあります。-->[[ミント]]の葉(若芽など茎を含む場合もあり)と甘味料を加え、多量の氷で満たしたカクテル。氷は、クラッシュド・アイスを使用する。[[ミント・ジュレップ]]、ラム・ジュレップなどが、このスタイルのカクテル。 ; スリング({{lang|en|Sling}}) : 蒸留酒にレモンジュースと甘味料を加え、それを、水(冷水か、お湯)や炭酸水やジンジャー・エールなどで割ったカクテル。したがって、ホットで作る場合とコールドで作る場合とがある。[[シンガポール・スリング]]などが、このスタイルのカクテル。 ; デイジー ({{lang|en|Daisy}}) : ゴブレットや大型のワイン・グラスにクラッシュド・アイスを詰め、フルーツを飾り、ストローを添えて供される。スピリッツに柑橘系のジュースやフルーツ・シロップ(ラズベリー系が多い)またはリキュールを加えて作る。 ; トデー、または、トディー ({{lang|en|Toddy}}) : 蒸留酒に甘味料を加え、それを熱湯で割ったカクテル。したがって、[[ホットカクテル|ホットドリンク]]である。ウィスキー・トデーなどが、このスタイルのカクテル。 ; バック ({{lang|en|Buck}}) : ワインやスピリッツにレモン果肉やレモン果汁とジンジャー・エールを加えてつくる。 ; ハーフ・アンド・ハーフ([[:en:Half and half|Half and half]]) : 2種類の材料を、等量ずつ混ぜて作るカクテル。[[ブラック・ベルベット]]などが、このスタイルのカクテル。 : ただし、日本では、[[スタウト]](黒ビール)と黒ビール以外の[[ビール]](主に[[ピルスナー]])を、半々で混ぜたカクテルのことを、ハーフ・アンド・ハーフと呼ぶこともある。しかし、本来、ハーフ・アンド・ハーフとは、カクテルのスタイルの1種を指す語である。 ; フィズ (Fizz) : 語義は、炭酸ガスが弾ける際の擬声語{{R|入門}}。 : 蒸留酒やカクテルに甘味料、酸味料を加え、炭酸水で割ったロングドリンク{{R|入門}}。コリンズより甘くなく、量は少ない。サワーよりも酸味は少ない。[[ジン・フィズ]]などが、このスタイルのカクテル。 ; フィックス ({{lang|en|Fix}}) : ゴブレットや大型のワイン・グラスにクラッシュド・アイスを詰め、フルーツを飾り、ストローを添えて供される。スピリッツに柑橘系のジュースやフルーツ・シロップ(パイナップル系が多い)またはリキュールを加えて作る。 ; [[プース・カフェ]] ({{lang|en|Pousse-cafe}}) : 2種類以上の比重が違う飲料(蒸留酒、リキュール、シロップなど)を、比重の重い順から、混ざらないようにそっとグラスに注ぎ、グラスの中で層状になっているもの。「プース・カフェ」とはフランス語で「コーヒーを押しやる」という意味で、食後のコーヒーの後や代わりとして飲むカクテルという意味合いがある。 ; フリップ (Flip) : 料理などで用いる「ホイップ」と同義{{R|入門}}。 : 酒に(鶏)卵と甘味料を加えて、十分にシェイクする<ref name="入門">{{cite book|和書|title=カクテル入門|publisher=[[保育社]]|year=1982|isbn=9784586505630|page=142}}</ref>。近年では手動でシェイクするのではなく[[ミキサー (調理器具)|ブレンダー]]を用いることも多い。 : ラム酒を用いた[[ラム・フリップ]]、[[ポートワイン]]を用いた[[ポート・フリップ]]<!--フリップの場合、蒸留酒がベースとは限らないことをハッキリさせたいので、敢えて2つの例を挙げてあります。-->などが、このスタイルのカクテル。 ; フローズン : 氷と共に[[ミキサー (調理器具)|ミキサー]](バー・ブレンダー)にかけてしまうことで、シャーベット状に仕上げたカクテル。氷は通常、クラッシュド・アイスを使用する。フローズン・ダイキリなどが、このスタイルのカクテル。 ; フロート : 比重の違う液体を混ざらないように静かにそそぎ、重ねたカクテル。プース・カフェとは違って、3種類以上の材料は使用しない([[カクテル#カクテルの作成技法|カクテルの作成技法]]も参照)。 ; [[パンチ酒|パンチ]] (Punch){{R|入門}} : 蒸留酒やワインに果汁、フルーツ、氷を加えたもの。 : 大型のパンチボウルで作り、パーティなどで利用されることも多い。[[ヒンドゥスターニー語]]で「5つ」を表す「panch」が語源とされ、昔は5種類の材料を混ぜ合わせてパンチを作っていたことから来ている。 ; リッキー (Rickey)<ref>{{cite book|和書|title=カクテルの図鑑|publisher=[[マイナビ出版]]|year=2013|isbn=9784839946234|page=40}}</ref> : 蒸留酒にライムやレモンなどの果肉と炭酸水を加えるカクテル。マドラーで果肉を潰して味を調整する。 : 19世紀末に[[ワシントンD.C.]]のレストランで夏季の飲料として考案されたとされる。 : [[ジン・リッキー]]、ウォッカ・リッキーなどが、このスタイルのカクテル。 === 関連用語 === ; [[クラッシュドアイス|クラッシュド・アイス]] : 細かく砕いた氷のこと。日本語では「砕氷」と書かれる。 ; スノースタイル : グラスの縁をレモン汁で濡らし、[[食塩]]や砂糖を付着させるデコレーション技法。なお、スノースタイルという呼称は和製英語である。英語では、rimmed with salt または、rimmed with sugar つまり「縁に塩」ないし「塩で縁取った」、「縁に砂糖」ないし「砂糖で縁取った」と言う。 ; コーラルスタイル : グラスの縁をシロップやリキュールで濡らし、塩や砂糖を付着させるデコレーション技法。グラスの縁に幅広くデコレーションするのが特徴<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.suntory.co.jp/wnb/dictionary/technique/other.html|title=用語辞典 技法|website=[[サントリー]]|accessdate=2022-08-05}}</ref>。[[シティ・コーラル]]、[[フラミンゴ・レディ]]などで使用される。 ; [[チェイサー]] : 強い酒の後や合間に飲む飲み物のこと。日本では[[水]]を指すことが多いが、チェイサーとなる飲み物は水に限定されているわけではなく、お茶、炭酸水、ジュースなどもチェイサーとして飲むことは問題がないし、主となる酒よりアルコール度数の低いビールなどをチェイサーとして飲むことは、広く行われている<ref>{{Cite web|和書|url=https://getnews.jp/archives/2545588|title=ビールをチェイサーに飲む! 通好みのおすすめスタイル|date=2020-05-18|author=たのしいお酒.jp|website=[[ガジェット通信]]|accessdate=2021-04-07}}</ref>。 ; [[果皮|ピール]] : [[柑橘類]]の[[果皮]]のこと。果皮の油分をカクテルに香り付けするために吹き付ける技法のことも指す。 == カクテルに用いられるリキュールなど == [[ファイル:Eierlikör.jpg|thumb|アドヴォカート]] ; [[アドヴォカート]] : [[ブランデー]]がベースになっており、[[卵黄]]や[[バニラ]]が配合されている。[[オランダ]]原産。 ; [[アマレット・ディザローノ]](アマレット・ディ・サロンノ) : [[アンズ]]の核の[[エキス]]に、多数のハーブをブレンドして作ったリキュール。[[イタリア]]原産。[[アーモンド]]の風味が特徴で、アーモンドリキュールと言われる場合もある。わかりやすく表現すると[[杏仁豆腐]](杏の仁)の香りがする。 ; カシス([[クレーム・ド・カシス]]) : [[クロスグリ]]を原料の1つとして使用した、甘い深紅のリキュール。ルジェの製品が有名。 ; [[ガリアーノ (リキュール)|ガリアーノ]] : バニラや薬草を使ったリキュール。 ; [[カルーア]] : 焙煎した[[コーヒー]]豆を蒸留酒に漬け込んだ甘いリキュール。バニラ風味。 ; [[カンパリ]] : 少し苦めのリキュール。製法は秘密とされている。 ; [[キュラソー (酒)|キュラソー]] : オレンジの果皮を使用して作られた甘めのリキュール。色により味がやや違う。 ; [[グレナデン・シロップ]] : [[ザクロ]]のシロップ。甘味付けの目的でも使用されるが、カクテルに赤系統の色を付けるためにも使用される。なお、これは酒ではない。 ; ココモ : [[ラム酒]]と[[ココナッツ]]で作られたリキュール。 ; [[シトロン・ジェネヴァ]] : [[レモン]]のリキュール。 ; [[シャルトリューズ]] : フランス、シャルトリューズ修道院に伝わる薬草リキュール。ジョーヌ(黄色)、ヴェール(緑)、エリクシル・ヴェジェタルの三種類が存在する。これらの正確な製法はシャルトリューズ修道院の修道士3人しか知らない。 ; [[チェリー・ヒーリング]] : [[デンマーク]]原産のチェリー・ブランデーの製品名。 ; [[ディタ]] : [[ライチ]]のリキュール。日本では商標登録の都合上「DITA」であるが、日本以外では「SOHO」という名で流通している。 ; [[ドランブイ]] : [[スコッチ・ウイスキー#モルトウイスキーの製造工程|モルトウィスキー]]の15年以上の物をベースにヒースの花の蜂蜜や香草を使って作られたリキュール。 ; パッシモ : [[ブランデー]]、[[パッションフルーツ]]などを用いたリキュール。 ; [[ビターズ]] : 苦味のある酒で、元々は薬用酒だったもの。[[アンゴスチュラ・ビターズ]]、[[オレンジ・ビターズ]]などがある。 ; [[ピムス]] : [[イングランド]]原産の[[柑橘類]]のエキスやハーブ等を加えたリキュール。 ; ブラック・サンブーカ : 黒色のリキュール。黒色のカクテルを作る時などに用いられる。 ; [[ベルモット]] : 白ワインベースの、多数の香草などを用いて作る[[混成酒]]。一般的にイタリアン・ベルモットは甘口で、フレンチ・ベルモットは辛口。なお、甘口のものはスイート・ベルモット、辛口のものはドライ・ベルモットなどとも呼ばれる。 ; [[ミドリ (アルコール飲料)|ミドリ]] : 日本産の[[メロン・リキュール]]。 == カクテルの種類 == カクテルの種類は、書籍などに収録されて名前が知られているものだけでも数百種のオーダーではなく、少なくとも数千種存在する。これだけ多いのは、使用される材料が多岐に渡る上に、わずかにレシピが変わっただけで別なカクテルだと区別されるケースがあるためである。さらに、オリジナルカクテルと呼ばれる、独自に創作されたものの有名にはなっていないカクテルも数多く存在するため、その総数は不明である。 {{main2|個々のカクテルについては、[[カクテルの一覧]]([[50音順のカクテル一覧|50音順]])を}} == 関連事項 == ===割り材のみ=== 水だけの[[水割り]]、[[炭酸飲料]]だけの[[ハイボール]]や[[チューハイ]]など、他の酒や風味をつけるための材料を入れず、割っただけのレシピはカクテルから除外することもある。ただし[[ウイスキー・ソーダ]]は伝統的にカクテルに分類されている。 === カクテル禁止 === 1951年に[[北海道]]の税務関係の役所が、「酒類に種類の異なる酒類を混和した時は、新たに酒類を製造したものと見なされるため、酒税法の適用を受ける。したがって、もしもカクテルを作るのであれば、カクテル1杯ごとに酒税を支払わなければならず、そうでなければカクテルは禁止である。」として、摘発を行ったことがある。無論、後日、この酒税法の解釈は誤りであったとして取り消されており、カクテルの禁止は解除された<ref name=fukunisi136>[[#福西|福西(1996)p136]]</ref>。 === カクテルの街 === 近年、日本では「カクテルの街」として町おこしをはかっているところがいくつかある。[[栃木県]][[宇都宮市]]と[[北海道]][[旭川市]]が特に有名で、カクテルの国内大会で優勝経験を持つ[[バーテンダー]]を中心に、観光協会などがイメージ作りを進めている。他には、[[神奈川県]][[横浜市]](理由は同様)などもカクテルの街を名乗っている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{reflist|3}} == 参考文献 == * 『新版 バーテンダーズマニュアル』[[福西英三]]監修、[[花崎一夫]]、[[山﨑正信]]共著、[[柴田書店]]、1995年(参照13版、2004年)。 ISBN 4-388-05765-7 * 『[[サヴォイ・カクテルブック]]』[[ピーター・ドレーリ]]・[[サヴォイ・ホテル]]著、[[日暮雅通]]訳、[[パーソナルメディア]]、2002年。 ISBN 978-4-89362-196-2 * 『2007新版 HBAバーテンダーズオフィシャルブック』[[社団法人日本ホテルバーメンズ協会]]著、[[ごま書房]]、2007年。 ISBN 978-4-341-13138-8 * 『読むカクテル百科』[[福西英三]]著、[[河出書房新社]]、2008年。 ISBN 978-4-309-27014-2 * 『ザ・カクテルブック』[[日本バーテンダー協会]]、柴田書店、1991年。ISBN 4-388-05666-9 * 『カクテル教室』福西英三著、[[保育社]]〈カラーブックス887〉、1996年。ISBN 4586508876 * 『カクテル大全1000』[[ホテルパシフィック東京]]監修、[[永岡書店]]、2008年。ISBN 978-4-522-42269-4 == 関連項目 == {{Commons&cat|Cocktail|Cocktails}} * [[カクテルの一覧]] * [[50音順のカクテル一覧]] * [[IBA公認カクテルリスト|国際バーテンダー協会公認カクテルリスト]] * [[フレアバーテンディング]] == 外部リンク == * [http://www.vector.co.jp/soft/data/writing/se362841.html カクテル・レシピ集(EPWING版付)] - [[EPWING]]形式の[[電子辞書]](2,333種類収載、日本語・英語・ベース・材料などで検索できるフリーソフト([[ベクター (企業)|Vector]])) {{アルコール飲料}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:かくてる}} [[category:カクテル|*]]
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抗原
免疫学では、抗原(こうげん、英: antigen、Ag)は、病原体の外側に存在するような分子または分子構造で、抗原特異的な抗体またはB細胞抗原受容体と結合することができる部位を指す。体内に抗原が存在すると、通常、免疫応答が引き起こされる。Agは抗体生成器(antibody generator)の略語である。 抗原(antigen)は抗体(antibody)によって「標的化」される。それぞれの抗体は、免疫系の細胞が抗原に接触した後、その抗原に適合するように免疫系によって特異的に作成される。これにより、抗原の正確な識別または適合が可能となり、適応応答が開始される。抗体は、抗体の抗原結合フラグメントの適合により、抗原に結合できるという意味で、抗原と「一致」すると言われている。ほとんどの場合、適合した抗体は1つの特定の抗原にのみ反応して結合することができる。ただし、いくつかの例では、抗体が交差反応して複数の抗原に結合することができる。 抗原は、タンパク質、ペプチド(アミノ酸の鎖)そして多糖類(単糖類/単糖の鎖)であるが、脂質や核酸もタンパク質や多糖類と結合することでのみ抗原となる。 抗原は、体内から発生するもの(自己タンパク質)と外部環境から発生するもの(非自己)がある。免疫系は「非自己」の外部抗原を識別して攻撃する。対して、胸腺にあるT細胞がネガティブセレクションされるため、通常は自己タンパク質には反応しない。 ワクチンは、免疫原性をもつ抗原の例であり、接種者に意図的に投与することで、侵入する病原体の抗原に対する適応免疫系の記憶機能を誘導するものである。季節性インフルエンザウイルス(英語版)のワクチンはその代表例である。 パウル・エールリヒは、19世紀末に提唱した側鎖説で抗体(ドイツ語ではAntikörper)という用語を作り出した。1899年、ラディスラス・ドイッチュ(英語版)(László Detre)(1874-1939)は、細菌成分と抗体の中間にある仮説的な物質を「substance immunogenes ou antigenes」(抗原性物質または免疫原性物質)と命名した。彼は、チモーゲン(zymogen)が酵素の前駆体であるように、これらの物質が抗体の前駆体であると考えていた。しかし、1903年までには、彼は抗原が免疫体(抗体)の産生を誘導することを理解し、抗原という言葉はantisomatogen(Immunkörperbildner)の縮約であると記している。オックスフォード英語辞典によると、論理構成は「anti(body)-gen」であるべきとされている。 抗原提示細胞(antigen-presenting cells、APC)は、組織適合性分子上にペプチドの形で抗原を提示する。T細胞は、抗原を選択的に認識する。抗原と組織適合性分子の種類に応じて、さまざまな種類のT細胞が活性化される。T細胞受容体(TCR)に認識されるためには、ペプチドは細胞内で小さな断片に切断され、主要組織適合性複合体(MHC)によって提示される必要がある。抗原は、免疫アジュバント(immunologic adjuvant)の助けを借りなければ免疫応答を誘発することはできない。同様に、ワクチンのアジュバント成分は、自然免疫系の活性化に重要な役割を果たしている。 免疫原(immunogen)とは、自然免疫(体液性免疫や細胞性免疫など)応答を引き起こすことができる抗原物質(または付加物(英語版))のことである。それは最初に自然免疫応答を開始し、それが次に適応免疫応答の活性化を引き起こす。抗原は、多様な免疫受容体産物(B細胞受容体またはT細胞受容体)が生成されると、それらに結合する。免疫原とは、免疫応答を誘発することができる抗原のことで、免疫原性(immunogenicity)と呼ばれる。 分子レベルでは、抗原は抗体のパラトープに結合する能力によって特徴づけられる。異なる抗体は、抗原の表面に存在する特定のエピトープを識別する可能性がある。ハプテンとは、抗原性エピトープの構造を変化させる小分子である。免疫応答を誘導するためには、タンパク質(ペプチドの複合体)などの大きな担体分子に結合させる必要がある。抗原は通常、タンパク質や多糖類、そして頻度は低いが脂質によって運ばれる。これには細菌やウイルスなどの微生物の一部(被膜、カプセル、細胞壁、鞭毛、綿毛、毒素など)が含まれる。脂質や核酸は、タンパク質や多糖類と結合した場合にのみ抗原性を示す。非微生物性の非自己抗原には、花粉、卵白、および移植された組織や臓器からのタンパク質、または輸血された血液細胞の表面にあるタンパク質などがある。 抗原は、その由来によって分類することができる。 外因性抗原(または外来性抗原、exogenous antigens)とは、たとえば、吸入、摂取、または注射によって、外部から体内に入ってきた抗原のことである。外因性抗原に対する免疫系の反応はしばしば不顕性(無症状)である。エンドサイトーシスやファゴサイトーシス(食作用)によって、外因性抗原は抗原提示細胞(APC)に取り込まれ、断片に加工される。次に、APCは、表面にあるクラスII組織適合性分子を用いて、断片をTヘルパー細胞(CD4+)に提示する。T細胞の中には、ペプチド:MHC複合体に特異的なものもある。それらは活性化され、サイトカイン、細胞傷害性Tリンパ球(CTL)を活性化する物質、抗体分泌B細胞、マクロファージ、その他の粒子を分泌し始める。 抗原の中には、初めは外因性で、後に内因性になるものがある(たとえば、細胞内ウイルス)。細胞内抗原は、感染した細胞が破壊されると循環に戻る可能性がある。 内因性抗原(または内在性抗原、endogenous antigens)は、正常な細胞代謝の結果として、あるいはウイルスや細胞内細菌性感染によって、正常な細胞内で生成される。そして、その断片はMHCクラスI分子との複合体として細胞表面に提示される。活性化した細胞障害性CD8+T細胞がこれを認識すると、T細胞は感染細胞の溶解やアポトーシスを引き起こすさまざまな毒素を分泌する。自己タンパク質を提示しただけで細胞を殺してしまわないように、寛容(ネガティブセレクション)の結果、細胞傷害性細胞(自己反応性T細胞)が除去される。内因性抗原には、異好抗原(異種抗原)、自己抗原(英語版)、イディオタイプ抗原(英語版)または同種抗原(英語版)(相同抗原)がある。自己免疫疾患では、抗原が宿主自身の一部(英語版)である場合がある。 自己抗原(autoantigens)とは、通常、特定の自己免疫疾患に罹患している患者の免疫系によって認識される自己タンパク質またはタンパク質複合体(場合によってはDNAやRNAも)のことである。正常な状態であれば、これらの自己タンパク質は免疫系の標的になるべきではないが、自己免疫疾患では、それらに関連するT細胞が除去されず、代わりに攻撃を行う。 新生抗原(新抗原、ネオアンチゲン、neoantigen)とは、通常のヒトのゲノムには全く存在しないものを指す。非変異自己タンパク質と比較して、新生抗原は、これらの抗原に対して利用可能なT細胞プールの性質が中枢性T細胞寛容の影響を受けないため、腫瘍制御の用途に適する。新生抗原に対するT細胞の反応性を系統的に解析する技術が利用可能になったのはごく最近である。新生抗原は、分子診断会社Complete Omics Inc.がジョンズ・ホプキンス大学医学部のチームと共同で開発したMANA-SRMと呼ばれる方法で、直接検出および定量することができる。 子宮頸がんや一部の頭頸部がんなどのウイルス関連腫瘍では、ウイルスのオープンリーディングフレームに由来するエピトープが新生抗原のプール(蓄積)に貢献する。 腫瘍抗原(tumor antigens)とは、腫瘍細胞の表面にあるMHCクラスIまたはMHCクラスII分子によって提示される抗原である。このような細胞にのみ存在する抗原は腫瘍特異的抗原(英語版)(TSA)と呼ばれ、一般的には腫瘍特異的な突然変異に起因する。より一般的なものは、腫瘍細胞と正常細胞が提示する抗原で、腫瘍関連抗原(TAA)と呼ばれる。これらの抗原を認識した細胞障害性Tリンパ球は、腫瘍細胞を破壊できる可能性がある。 腫瘍抗原は、たとえば、変異した受容体の形で腫瘍の表面に現れることがあり、その場合、B細胞に認識される。 ウイルス病因を持たないヒト腫瘍の場合、腫瘍特異的なDNAの変化によって新規ペプチド(ネオエピトープ)が作られる。 ヒトの腫瘍変異の大部分は、事実上、患者固有のものである。したがって、新生抗原は、個々の腫瘍ゲノムに基づいている可能性がある。ディープシークエンシング技術は、ゲノムのタンパク質コード部分(エクソーム)内の変異を特定し、潜在的な新生抗原を予測することができる。マウスモデルでは、すべての新規タンパク質配列について、潜在的なMHC結合ペプチドが予測された。このようにして得られた潜在的な新生抗原の集まりを用いて、T細胞の反応性を評価した。エクソームに基づく分析は、腫瘍浸潤リンパ球(英語版)(TIL)細胞療法またはチェックポイントブロック療法のいずれかを受けた患者の反応性を評価するために、臨床現場で活用された。新生抗原の同定は、複数の実験モデル系やヒトの悪性腫瘍に対して成功した。 がんエクソームシークエンシングの偽陰性率は低い。すなわち、新生抗原の大部分は十分なカバレッジを持つエクソン配列内に存在する。しかし、発現している遺伝子内の変異の大部分は、自己T細胞に認識される新生抗原を生成しない。 2015年現時点で、質量分析の分解能は、MHC分子が提示する可能性のあるペプチドのプールから多くの偽陽性を除外するのには不十分である。代わりに、アルゴリズムを使用して最も可能性の高い候補を特定する。これらのアルゴリズムでは、プロテアソーム処理の見込み、小胞体への輸送、関連するMHCクラスI対立遺伝子への親和性、遺伝子発現やタンパク質翻訳レベルなどの要素が考慮される。 不偏スクリーニング(unbiased screens)で同定されたヒトの新生抗原の大部分は、高い予測MHC結合親和性を示す。概念的に類似した抗原クラスであるマイナー組織適合性抗原(英語版)も、MHC結合アルゴリズムによって正しく識別される。もう一つの潜在的なフィルターは、突然変異がMHC結合を改善すると期待されるかどうかを調べるものである。MHC結合ペプチドの中心となるTCR露出残基の性質は、ペプチドの免疫原性と関連している。 天然抗原(native antigen)とは、まだAPCによって小さな断片に処理されていない抗原である。T細胞は天然抗原に結合することができないため、APCによって処理されること必要があるのに対し、B細胞は天然抗原によって活性化される。 抗原特異性(antigenic specificity)とは、宿主細胞が抗原をユニークな分子実体として特異的に認識し、他の抗原と極めて正確に区別する能力のことである。抗原特異性は、主に抗原の側鎖のコンフォメーションに起因する。それは測定可能であり、線形である必要はなく、また律速段階または方程式である必要もない。T細胞とB細胞はどちらも適応免疫の細胞構成要素である。 医学では、細胞表面の機能性分子を抗原抗体反応による有無の検査に使う。そこから、細胞表面に発現している物質はまだ同定されていない物質でも検査対象となり、これらすべてを抗原と呼んでいる。 抗原の発現は、腫瘍(しゅよう)細胞の性状を判定するのに有用な所見であり頻用される。血中に現れた抗原は腫瘍マーカーと呼ばれ、腫瘍の早期発見や検索、術後フォローアップに重要である。 さらに、癌(がん)の表面には癌特異的な癌抗原が存在し、癌抗原をターゲットにした免疫療法としてがんワクチン療法などが癌治療に応用されている。 また、免疫細胞の持つ主要組織適合抗原(MHC、人間のものは特にHLAと呼ぶ)は自己と他者の認識を司る重要なセンサーであり、HLAの型(白血球型)は臓器移植、特に骨髄移植の際に適合させる必要がある。
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"ワクチンは、免疫原性をもつ抗原の例であり、接種者に意図的に投与することで、侵入する病原体の抗原に対する適応免疫系の記憶機能を誘導するものである。季節性インフルエンザウイルス(英語版)のワクチンはその代表例である。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "パウル・エールリヒは、19世紀末に提唱した側鎖説で抗体(ドイツ語ではAntikörper)という用語を作り出した。1899年、ラディスラス・ドイッチュ(英語版)(László Detre)(1874-1939)は、細菌成分と抗体の中間にある仮説的な物質を「substance immunogenes ou antigenes」(抗原性物質または免疫原性物質)と命名した。彼は、チモーゲン(zymogen)が酵素の前駆体であるように、これらの物質が抗体の前駆体であると考えていた。しかし、1903年までには、彼は抗原が免疫体(抗体)の産生を誘導することを理解し、抗原という言葉はantisomatogen(Immunkörperbildner)の縮約であると記している。オックスフォード英語辞典によると、論理構成は「anti(body)-gen」であるべきとされている。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "抗原提示細胞(antigen-presenting cells、APC)は、組織適合性分子上にペプチドの形で抗原を提示する。T細胞は、抗原を選択的に認識する。抗原と組織適合性分子の種類に応じて、さまざまな種類のT細胞が活性化される。T細胞受容体(TCR)に認識されるためには、ペプチドは細胞内で小さな断片に切断され、主要組織適合性複合体(MHC)によって提示される必要がある。抗原は、免疫アジュバント(immunologic adjuvant)の助けを借りなければ免疫応答を誘発することはできない。同様に、ワクチンのアジュバント成分は、自然免疫系の活性化に重要な役割を果たしている。", "title": "用語" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "免疫原(immunogen)とは、自然免疫(体液性免疫や細胞性免疫など)応答を引き起こすことができる抗原物質(または付加物(英語版))のことである。それは最初に自然免疫応答を開始し、それが次に適応免疫応答の活性化を引き起こす。抗原は、多様な免疫受容体産物(B細胞受容体またはT細胞受容体)が生成されると、それらに結合する。免疫原とは、免疫応答を誘発することができる抗原のことで、免疫原性(immunogenicity)と呼ばれる。", "title": "用語" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "分子レベルでは、抗原は抗体のパラトープに結合する能力によって特徴づけられる。異なる抗体は、抗原の表面に存在する特定のエピトープを識別する可能性がある。ハプテンとは、抗原性エピトープの構造を変化させる小分子である。免疫応答を誘導するためには、タンパク質(ペプチドの複合体)などの大きな担体分子に結合させる必要がある。抗原は通常、タンパク質や多糖類、そして頻度は低いが脂質によって運ばれる。これには細菌やウイルスなどの微生物の一部(被膜、カプセル、細胞壁、鞭毛、綿毛、毒素など)が含まれる。脂質や核酸は、タンパク質や多糖類と結合した場合にのみ抗原性を示す。非微生物性の非自己抗原には、花粉、卵白、および移植された組織や臓器からのタンパク質、または輸血された血液細胞の表面にあるタンパク質などがある。", "title": "用語" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "抗原は、その由来によって分類することができる。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "外因性抗原(または外来性抗原、exogenous antigens)とは、たとえば、吸入、摂取、または注射によって、外部から体内に入ってきた抗原のことである。外因性抗原に対する免疫系の反応はしばしば不顕性(無症状)である。エンドサイトーシスやファゴサイトーシス(食作用)によって、外因性抗原は抗原提示細胞(APC)に取り込まれ、断片に加工される。次に、APCは、表面にあるクラスII組織適合性分子を用いて、断片をTヘルパー細胞(CD4+)に提示する。T細胞の中には、ペプチド:MHC複合体に特異的なものもある。それらは活性化され、サイトカイン、細胞傷害性Tリンパ球(CTL)を活性化する物質、抗体分泌B細胞、マクロファージ、その他の粒子を分泌し始める。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "抗原の中には、初めは外因性で、後に内因性になるものがある(たとえば、細胞内ウイルス)。細胞内抗原は、感染した細胞が破壊されると循環に戻る可能性がある。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "内因性抗原(または内在性抗原、endogenous antigens)は、正常な細胞代謝の結果として、あるいはウイルスや細胞内細菌性感染によって、正常な細胞内で生成される。そして、その断片はMHCクラスI分子との複合体として細胞表面に提示される。活性化した細胞障害性CD8+T細胞がこれを認識すると、T細胞は感染細胞の溶解やアポトーシスを引き起こすさまざまな毒素を分泌する。自己タンパク質を提示しただけで細胞を殺してしまわないように、寛容(ネガティブセレクション)の結果、細胞傷害性細胞(自己反応性T細胞)が除去される。内因性抗原には、異好抗原(異種抗原)、自己抗原(英語版)、イディオタイプ抗原(英語版)または同種抗原(英語版)(相同抗原)がある。自己免疫疾患では、抗原が宿主自身の一部(英語版)である場合がある。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "自己抗原(autoantigens)とは、通常、特定の自己免疫疾患に罹患している患者の免疫系によって認識される自己タンパク質またはタンパク質複合体(場合によってはDNAやRNAも)のことである。正常な状態であれば、これらの自己タンパク質は免疫系の標的になるべきではないが、自己免疫疾患では、それらに関連するT細胞が除去されず、代わりに攻撃を行う。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "新生抗原(新抗原、ネオアンチゲン、neoantigen)とは、通常のヒトのゲノムには全く存在しないものを指す。非変異自己タンパク質と比較して、新生抗原は、これらの抗原に対して利用可能なT細胞プールの性質が中枢性T細胞寛容の影響を受けないため、腫瘍制御の用途に適する。新生抗原に対するT細胞の反応性を系統的に解析する技術が利用可能になったのはごく最近である。新生抗原は、分子診断会社Complete Omics Inc.がジョンズ・ホプキンス大学医学部のチームと共同で開発したMANA-SRMと呼ばれる方法で、直接検出および定量することができる。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "子宮頸がんや一部の頭頸部がんなどのウイルス関連腫瘍では、ウイルスのオープンリーディングフレームに由来するエピトープが新生抗原のプール(蓄積)に貢献する。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "腫瘍抗原(tumor antigens)とは、腫瘍細胞の表面にあるMHCクラスIまたはMHCクラスII分子によって提示される抗原である。このような細胞にのみ存在する抗原は腫瘍特異的抗原(英語版)(TSA)と呼ばれ、一般的には腫瘍特異的な突然変異に起因する。より一般的なものは、腫瘍細胞と正常細胞が提示する抗原で、腫瘍関連抗原(TAA)と呼ばれる。これらの抗原を認識した細胞障害性Tリンパ球は、腫瘍細胞を破壊できる可能性がある。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "腫瘍抗原は、たとえば、変異した受容体の形で腫瘍の表面に現れることがあり、その場合、B細胞に認識される。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ウイルス病因を持たないヒト腫瘍の場合、腫瘍特異的なDNAの変化によって新規ペプチド(ネオエピトープ)が作られる。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ヒトの腫瘍変異の大部分は、事実上、患者固有のものである。したがって、新生抗原は、個々の腫瘍ゲノムに基づいている可能性がある。ディープシークエンシング技術は、ゲノムのタンパク質コード部分(エクソーム)内の変異を特定し、潜在的な新生抗原を予測することができる。マウスモデルでは、すべての新規タンパク質配列について、潜在的なMHC結合ペプチドが予測された。このようにして得られた潜在的な新生抗原の集まりを用いて、T細胞の反応性を評価した。エクソームに基づく分析は、腫瘍浸潤リンパ球(英語版)(TIL)細胞療法またはチェックポイントブロック療法のいずれかを受けた患者の反応性を評価するために、臨床現場で活用された。新生抗原の同定は、複数の実験モデル系やヒトの悪性腫瘍に対して成功した。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "がんエクソームシークエンシングの偽陰性率は低い。すなわち、新生抗原の大部分は十分なカバレッジを持つエクソン配列内に存在する。しかし、発現している遺伝子内の変異の大部分は、自己T細胞に認識される新生抗原を生成しない。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2015年現時点で、質量分析の分解能は、MHC分子が提示する可能性のあるペプチドのプールから多くの偽陽性を除外するのには不十分である。代わりに、アルゴリズムを使用して最も可能性の高い候補を特定する。これらのアルゴリズムでは、プロテアソーム処理の見込み、小胞体への輸送、関連するMHCクラスI対立遺伝子への親和性、遺伝子発現やタンパク質翻訳レベルなどの要素が考慮される。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "不偏スクリーニング(unbiased screens)で同定されたヒトの新生抗原の大部分は、高い予測MHC結合親和性を示す。概念的に類似した抗原クラスであるマイナー組織適合性抗原(英語版)も、MHC結合アルゴリズムによって正しく識別される。もう一つの潜在的なフィルターは、突然変異がMHC結合を改善すると期待されるかどうかを調べるものである。MHC結合ペプチドの中心となるTCR露出残基の性質は、ペプチドの免疫原性と関連している。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "天然抗原(native antigen)とは、まだAPCによって小さな断片に処理されていない抗原である。T細胞は天然抗原に結合することができないため、APCによって処理されること必要があるのに対し、B細胞は天然抗原によって活性化される。", "title": "抗原の由来" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "抗原特異性(antigenic specificity)とは、宿主細胞が抗原をユニークな分子実体として特異的に認識し、他の抗原と極めて正確に区別する能力のことである。抗原特異性は、主に抗原の側鎖のコンフォメーションに起因する。それは測定可能であり、線形である必要はなく、また律速段階または方程式である必要もない。T細胞とB細胞はどちらも適応免疫の細胞構成要素である。", "title": "抗原特異性" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "医学では、細胞表面の機能性分子を抗原抗体反応による有無の検査に使う。そこから、細胞表面に発現している物質はまだ同定されていない物質でも検査対象となり、これらすべてを抗原と呼んでいる。", "title": "医学的な利用" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "抗原の発現は、腫瘍(しゅよう)細胞の性状を判定するのに有用な所見であり頻用される。血中に現れた抗原は腫瘍マーカーと呼ばれ、腫瘍の早期発見や検索、術後フォローアップに重要である。", "title": "医学的な利用" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "さらに、癌(がん)の表面には癌特異的な癌抗原が存在し、癌抗原をターゲットにした免疫療法としてがんワクチン療法などが癌治療に応用されている。", "title": "医学的な利用" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また、免疫細胞の持つ主要組織適合抗原(MHC、人間のものは特にHLAと呼ぶ)は自己と他者の認識を司る重要なセンサーであり、HLAの型(白血球型)は臓器移植、特に骨髄移植の際に適合させる必要がある。", "title": "医学的な利用" } ]
免疫学では、抗原は、病原体の外側に存在するような分子または分子構造で、抗原特異的な抗体またはB細胞抗原受容体と結合することができる部位を指す。体内に抗原が存在すると、通常、免疫応答が引き起こされる。Agは抗体生成器の略語である。 抗原(antigen)は抗体(antibody)によって「標的化」される。それぞれの抗体は、免疫系の細胞が抗原に接触した後、その抗原に適合するように免疫系によって特異的に作成される。これにより、抗原の正確な識別または適合が可能となり、適応応答が開始される。抗体は、抗体の抗原結合フラグメントの適合により、抗原に結合できるという意味で、抗原と「一致」すると言われている。ほとんどの場合、適合した抗体は1つの特定の抗原にのみ反応して結合することができる。ただし、いくつかの例では、抗体が交差反応して複数の抗原に結合することができる。 抗原は、タンパク質、ペプチド(アミノ酸の鎖)そして多糖類(単糖類/単糖の鎖)であるが、脂質や核酸もタンパク質や多糖類と結合することでのみ抗原となる。 抗原は、体内から発生するもの(自己タンパク質)と外部環境から発生するもの(非自己)がある。免疫系は「非自己」の外部抗原を識別して攻撃する。対して、胸腺にあるT細胞がネガティブセレクションされるため、通常は自己タンパク質には反応しない。 ワクチンは、免疫原性をもつ抗原の例であり、接種者に意図的に投与することで、侵入する病原体の抗原に対する適応免疫系の記憶機能を誘導するものである。季節性インフルエンザウイルスのワクチンはその代表例である。
[[File:Antibody.svg|thumb|255px|抗原(Antigen)の[[分子構造]]に合致した[[抗体]](Antibody)が相互作用することで[[免疫応答]]を引き起こす]] [[免疫学]]では、'''抗原'''(こうげん、{{Lang-en-short|antigen}}、Ag)は、[[病原体]]の外側に存在するような[[分子]]または[[分子構造]]で、抗原特異的な[[抗体]]または[[B細胞抗原受容体]]と結合することができる部位を指す<ref name="gen">{{cite web |title=Antibody |url=https://www.genome.gov/genetics-glossary/Antibody |publisher=National Human Genome Research Institute, US National Institutes of Health |access-date=13 October 2020 |date=2020}}</ref>。体内に抗原が存在すると、通常、[[免疫応答]]が引き起こされる<ref name="mlp">{{cite web |title=Immune system and disorders |url=https://medlineplus.gov/immunesystemanddisorders.html |publisher=MedlinePlus, US National Institute of Medicine |access-date=13 October 2020 |date=28 September 2020}}</ref>。Agは抗体生成器(''antibody generator'')の略語である<ref>{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=gE6o5ZRJUawC&q=antibody+generator&pg=PA10|title=Immunology|last=Male|first=David K.|date=2006|publisher=Elsevier Health Sciences|isbn=978-0323033992|pages=10|language=en}}</ref>。 抗原(antigen)は抗体(antibody)によって「[[生物学的標的|標的化]]」される<ref name="gen" />。それぞれの抗体は、免疫系の[[抗原提示細胞|細胞]]が抗原に接触した後、その抗原に適合するように免疫系によって特異的に作成される。これにより、抗原の正確な識別または適合が可能となり、[[適応免疫|適応応答]]が開始される<ref name="gen" /><ref name="mlp" />。抗体は、[[相補性決定領域|抗体の抗原結合フラグメント]]の[[体細胞超変異|適合]]により、抗原に結合できるという意味で、抗原と「一致」すると言われている<ref name="gen" />。ほとんどの場合、適合した抗体は1つの特定の抗原にのみ反応して結合することができる。ただし、いくつかの例では、抗体が[[交差反応性|交差反応]]して複数の抗原に結合することができる。 抗原は、[[タンパク質]]、[[ペプチド]](アミノ酸の鎖)そして[[多糖|多糖類]](単糖類/単糖の鎖)であるが、[[脂質]]や核酸もタンパク質や多糖類と結合することでのみ抗原となる<ref name="ReferenceA">{{cite journal|last1=Gavin|first1=AL|last2=Hoebe|first2=K|last3=Duong|first3=B|last4=Ota|first4=T|last5=Martin|first5=C|last6=Beutler|first6=B|last7=Nemazee|first7=D|title=Adjuvant-enhanced antibody responses in the absence of toll-like receptor signaling|journal=Science|date=22 December 2006|volume=314|issue=5807|pages=1936–38|pmid=17185603|doi=10.1126/science.1135299|pmc=1868398|bibcode=2006Sci...314.1936G}}</ref>。 抗原は、体内から発生するもの([[自己タンパク質]])と外部環境から発生するもの(非自己)がある。免疫系は「非自己」の外部抗原を識別して攻撃する。対して、[[胸腺]]にある[[T細胞]]が[[中枢性免疫寛容|ネガティブセレクション]]されるため、通常は自己タンパク質には反応しない<ref>{{cite journal|last1=Gallucci|first1=S|last2=Lolkema|first2=M|last3=Matzinger|first3=P|title=Natural adjuvants: endogenous activators of dendritic cells|journal=Nature Medicine|date=November 1999|volume=5|issue=11|pages=1249–55|pmid=10545990|doi=10.1038/15200|s2cid=29090284}}</ref>。 [[ワクチン]]は、[[免疫原性]]をもつ抗原の例であり、接種者に意図的に投与することで、侵入する病原体の抗原に対する[[適応免疫|適応免疫系]]の記憶機能を誘導するものである。{{仮リンク|季節性インフルエンザウイルス|en|Seasonal influenza}}のワクチンはその代表例である<ref name="cdc">{{cite web |title=Antigenic characterization |url=https://www.cdc.gov/flu/about/professionals/antigenic.htm |publisher=US Centers for Disease Control and Prevention |access-date=13 October 2020 |date=15 October 2019}}</ref>。 == 語源 == [[パウル・エールリヒ]]は、19世紀末に提唱した[[側鎖説]]で[[抗体]](ドイツ語では''Antikörper'')という用語を作り出した<ref>{{cite journal|last=Strebhardt|first=Klaus|author2=Ullrich, Axel|title=Paul Ehrlich's magic bullet concept: 100 years of progress|journal=Nature Reviews Cancer|date=Jun 2008|volume=8|issue=6|pages=473–80|doi=10.1038/nrc2394|pmid=18469827|s2cid=30063909|issn=1474-1768}}</ref>。1899年、{{仮リンク|ラディスラス・ドイッチュ (微生物学者)|en|László Detre (microbiologist)|label=ラディスラス・ドイッチュ}}(László Detre)(1874-1939)は、細菌成分と抗体の中間にある仮説的な物質を「substance immunogenes ou antigenes」(抗原性物質または免疫原性物質)と命名した。彼は、[[酵素前駆体|チモーゲン]](zymogen)が酵素の前駆体であるように、これらの物質が抗体の前駆体であると考えていた。しかし、1903年までには、彼は抗原が免疫体(抗体)の産生を誘導することを理解し、抗原という言葉はantisomatogen(''Immunkörperbildner'')の[[縮約]]であると記している。[[オックスフォード英語辞典]]によると、論理構成は「anti(body)-gen」であるべきとされている<ref name="Lindenmann">{{cite journal |author=Lindenmann, Jean |title=Origin of the Terms 'Antibody' and 'Antigen' |journal=Scand. J. Immunol.|volume=19 |pages=281–85 |year=1984 |pmid=6374880 |issue=4 |doi=10.1111/j.1365-3083.1984.tb00931.x}}</ref>。 == 用語 == * [[エピトープ]](epitope) - 抗原の明確な表面の特徴、その抗原決定基のこと。抗体に結合することができる抗原の性質を'''[[抗原性]]'''(antigenicity)と呼ぶ。抗原性分子(通常「大きな」生物学的ポリマー)は通常、特異的な抗体の相互作用点となる表面特徴を持っている。このような特徴はすべてエピトープを構成する。ほとんどの抗原は、複数の抗体と結合する可能性があるが、対してそれぞれの抗体は抗原のエピトープの1つに特異的である。「錠前と鍵」という比喩を使うと、抗原(エピトープ)は鍵で、異なる複数の錠前(抗体)に合致する可能性があると見なせる。異なる抗体{{仮リンク|イディオタイプ|en|Idiotopes|label='''イディオタイプ'''}}は、それぞれ明確に形成された[[相補性決定領域]]を持っている。 * [[アレルゲン]](allergen) - [[アレルギー反応]]を引き起こす可能性のある物質のこと。その(有害な)反応は、摂取、吸入、注射、皮膚との接触などの方法で暴露された結果、発生することがある。 * [[スーパー抗原]](superantigen) - T細胞の非特異的な活性化を引き起こし、ポリクローナルT細胞の活性化と大量の[[サイトカイン]]放出をもたらす抗原のクラス。 * 寛容原(または[[免疫寛容]]原、tolerogen、トレロゲン) - その[[分子構造|分子形態]]に起因して、特定の免疫不応答を引き起こす物質。その分子形態を変えれば、寛容原は[[免疫原性|免疫原]]になる可能性がある。 * [[免疫グロブリン]]結合タンパク質 - 抗原結合部位以外の位置で抗体と結合することができる{{仮リンク|プロテインA|en|Protein A}}、[[プロテインG]]、{{仮リンク|プロテインL|en|Protein L}}などのタンパク質。抗原が抗体の「標的」であるのに対し、免疫グロブリン結合タンパク質は抗体を「攻撃」する。 * T依存性抗原(T-dependent antigen)- 特異的な抗体の形成を誘導するために、T細胞の助けを必要とする抗原(胸腺依存性抗原(Thymus-dependent antigen、TD抗原))。 * {{仮リンク|T非依存性抗原|en|T independent antigen (TI)}}(T-independent antigen) - B細胞を直接刺激する抗原(胸腺非依存性抗原(Thymus independent antigens、TI抗原))<ref>{{cite|和書|author=Parham, Peter|others=笹月健彦|title=エッセンシャル免疫学|publisher=メディカル・サイエンス・インターナショナル|year=2007}}</ref>。 * 免疫優性抗原(immunodominant antigens) - 免疫応答を起こす能力において優位に立つ抗原([[病原体]]からの他のすべての抗原よりも)。T細胞応答は通常、比較的少数の免疫優性なエピトープに向けられるが、場合によっては(たとえば、[[マラリア]]病原体である[[マラリア原虫]]の感染)、比較的多数の寄生虫抗原に分散する<ref name="pmid12886016">{{cite journal | vauthors = Doolan DL, Southwood S, Freilich DA, Sidney J, Graber NL, Shatney L, Bebris L, Florens L, Dobano C, Witney AA, Appella E, Hoffman SL, Yates JR, Carucci DJ, Sette A | title = Identification of Plasmodium falciparum antigens by antigenic analysis of genomic and proteomic data | journal = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America | volume = 100 | issue = 17 | pages = 9952–57 | date = August 2003 | pmid = 12886016 | pmc = 187898 | doi = 10.1073/pnas.1633254100 | bibcode = 2003PNAS..100.9952D }}</ref>。 '''[[抗原提示細胞]]'''(antigen-presenting cells、APC)は、[[主要組織適合遺伝子複合体|組織適合性分子]]上にペプチドの形で抗原を提示する。T細胞は、抗原を選択的に認識する。抗原と組織適合性分子の種類に応じて、さまざまな種類のT細胞が活性化される。[[T細胞受容体]](TCR)に認識されるためには、ペプチドは細胞内で小さな断片に切断され、[[主要組織適合性複合体]](MHC)によって提示される必要がある<ref>Parham, Peter. (2009). ''The Immune System'', 3rd Edition, p. G:2, Garland Science, Taylor and Francis Group, LLC.</ref>。抗原は、[[免疫アジュバント]](immunologic adjuvant)の助けを借りなければ免疫応答を誘発することはできない<ref name="ReferenceA" />。同様に、ワクチンのアジュバント成分は、自然免疫系の活性化に重要な役割を果たしている<ref>{{cite journal|last1=Janeway CA|first1=Jr|date=1 November 2013|title=Pillars article: approaching the asymptote? Evolution and revolution in immunology. Cold spring harb symp quant biol. 1989. 54: 1–13|journal=Journal of Immunology|volume=191|issue=9|pages=4475–87|pmid=24141854}}</ref><ref>{{cite journal|last=Gayed|first=PM|date=June 2011|title=Toward a modern synthesis of immunity: Charles A. Janeway Jr. and the immunologist's dirty little secret|journal=The Yale Journal of Biology and Medicine|volume=84|issue=2|pages=131–38|issn=1551-4056|pmc=3117407|pmid=21698045}}</ref>。 '''免疫原'''(immunogen)とは、[[自然免疫]]([[液性免疫|体液性免疫]]や[[細胞性免疫]]など)応答を引き起こすことができる抗原物質(または{{仮リンク|付加物|en|Adduct}})のことである<ref>Parham, Peter. (2009). ''The Immune System'', 3rd Edition, p. G:11, Garland Science, Taylor and Francis Group, LLC.</ref>。それは最初に自然免疫応答を開始し、それが次に[[適応免疫]]応答の活性化を引き起こす。抗原は、多様な免疫受容体産物(B細胞受容体またはT細胞受容体)が生成されると、それらに結合する。免疫原とは、免疫応答を誘発することができる抗原のことで、'''[[免疫原性]]'''(immunogenicity)と呼ばれる<ref>{{cite book|title=Kuby Immunology|publisher=Macmillan|year=2006|isbn=978-1-4292-0211-4|edition= 6th|pages=77}}</ref>。 分子レベルでは、抗原は抗体の[[パラトープ]]に結合する能力によって特徴づけられる。異なる抗体は、抗原の表面に存在する特定のエピトープを識別する可能性がある。[[ハプテン]]とは、抗原性エピトープの構造を変化させる小分子である。免疫応答を誘導するためには、[[タンパク質]](ペプチドの複合体)などの大きな担体分子に結合させる必要がある。抗原は通常、タンパク質や多糖類、そして頻度は低いが[[脂質]]によって運ばれる。これには[[細菌]]や[[ウイルス]]などの[[微生物]]の一部(被膜、カプセル、細胞壁、鞭毛、綿毛、毒素など)が含まれる。脂質や[[核酸]]は、タンパク質や多糖類と結合した場合にのみ抗原性を示す{{citation needed|date=October 2012}}。非微生物性の非自己抗原には、花粉、卵白、および移植された組織や臓器からのタンパク質、または輸血された血液細胞の表面にあるタンパク質などがある。 ==抗原の由来== 抗原は、その由来によって分類することができる。 === 外因性抗原 === '''外因性抗原'''(または外来性抗原、exogenous antigens)とは、たとえば、[[吸気|吸入]]、[[摂取]]、または[[注射]]によって、外部から体内に入ってきた抗原のことである。外因性抗原に対する免疫系の反応はしばしば[[不顕性]](無症状)である。[[エンドサイトーシス]]や[[ファゴサイトーシス]](食作用)によって、外因性抗原は[[抗原提示細胞]](APC)に取り込まれ、断片に加工される。次に、APCは、表面にある[[MHCクラスII分子|クラスII組織適合性分子]]を用いて、断片を[[ヘルパーT細胞|Tヘルパー細胞]]([[CD4]]+)に提示する。T細胞の中には、ペプチド:MHC複合体に特異的なものもある。それらは活性化され、サイトカイン、[[細胞傷害性Tリンパ球]](CTL)を活性化する物質、抗体分泌[[B細胞]]、[[マクロファージ]]、その他の粒子を分泌し始める。 抗原の中には、初めは外因性で、後に内因性になるものがある(たとえば、細胞内ウイルス)。細胞内抗原は、感染した細胞が破壊されると循環<!-- circulation -->に戻る可能性がある。 === 内因性抗原 === '''内因性抗原'''(または内在性抗原、endogenous antigens)は、正常な細胞[[代謝]]の結果として、あるいはウイルスや細胞内細菌性[[感染]]によって、正常な細胞内で生成される。そして、その断片は[[MHCクラスI分子]]との複合体として細胞表面に提示される。活性化した[[細胞傷害性T細胞|細胞障害性CD8+T細胞]]がこれを認識すると、T細胞は感染細胞の[[溶菌|溶解]]や[[アポトーシス]]を引き起こすさまざまな[[毒素]]を分泌する。[[自己タンパク質]]を提示しただけで細胞を殺してしまわないように、[[中枢性免疫寛容|寛容]](ネガティブセレクション)の結果、細胞傷害性細胞(自己反応性T細胞)が除去される。内因性抗原には、[[生体異物|異好抗原]](異種抗原)、{{仮リンク|自家性|en|Autologous|label=自己抗原}}、{{仮リンク|イディオタイプ|en|Idiotopes|label=イディオタイプ抗原}}または{{仮リンク|アロタイプ|en|Allotype (immunology)|label=同種抗原}}(相同抗原)がある。[[自己免疫疾患]]では、抗原が{{仮リンク|自己免疫 (免疫学)|en|Autoimmunity|label=宿主自身の一部}}である場合がある<ref name="mlp" />。 === 自己抗原 === '''自己抗原'''(autoantigens)とは、通常、特定の[[自己免疫疾患]]に罹患している患者の免疫系によって認識される[[自己タンパク質]]またはタンパク質複合体(場合によってはDNAやRNAも)のことである。正常な状態であれば、これらの自己タンパク質は免疫系の標的になるべきではないが、自己免疫疾患では、それらに関連するT細胞が除去されず、代わりに攻撃を行う。 === 新生抗原 === '''新生抗原'''(新抗原、ネオアンチゲン、neoantigen)とは、通常のヒトのゲノムには全く存在しないものを指す。非変異自己タンパク質と比較して、新生抗原は、これらの抗原に対して利用可能なT細胞プールの性質が中枢性T細胞寛容<!-- central T cell tolerance -->の影響を受けないため、腫瘍制御の用途に適する。新生抗原に対するT細胞の反応性を系統的に解析する技術が利用可能になったのはごく最近である<ref name="ss15">{{cite journal| journal=Science |date= April 3, 2015 |volume= 348 |issue= 6230 |pages= 69–74 |doi= 10.1126/science.aaa4971 |title=Neoantigens in cancer immunotherapy |first=Ton N. |last1=Schumacher |first2=Robert D. |last2=Schreiber |pmid=25838375|bibcode= 2015Sci...348...69S |doi-access=free }}</ref>。新生抗原は、分子診断会社Complete Omics Inc.が[[ジョンズ・ホプキンズ大学|ジョンズ・ホプキンス大学]]医学部のチームと共同で開発したMANA-SRMと呼ばれる方法で、直接検出および定量することができる<ref name="ss16">{{cite journal| journal=Cancer Immunol Res. |date= September 16, 2019 |volume= 7 |issue= 11 |pages= 1748–54 |doi= 10.1158/2326-6066.CIR-19-0107 |title=Direct Detection and Quantification of Neoantigens|first=Qing. |last1=Wang |first2=Jacqueline |last2=Douglass |pmid=31527070|pmc= 6825591 }}</ref>。 ==== ウイルス抗原 ==== [[子宮頸がん]]や一部の[[頭頸部癌|頭頸部がん]]などのウイルス関連腫瘍では、ウイルスの[[オープンリーディングフレーム]]に由来する[[エピトープ]]が新生抗原のプール(蓄積)に貢献する<ref name="ss15" />。 ==== 腫瘍抗原 ====<!-- This section is linked from [[:en:Immune system|Immune system]] --> [[腫瘍抗原]](''tumor antigens'')とは、[[腫瘍]]細胞の表面にある[[MHCクラスI分子|MHCクラスI]]または[[MHCクラスII分子]]によって提示される抗原である。このような細胞にのみ存在する抗原は{{仮リンク|腫瘍特異的抗原|en|Tumor-specific antigen}}(TSA)と呼ばれ、一般的には腫瘍特異的な[[突然変異]]に起因する。より一般的なものは、腫瘍細胞と正常細胞が提示する抗原で、[[腫瘍関連抗原]](TAA)と呼ばれる。これらの抗原を認識した[[細胞傷害性Tリンパ球|細胞障害性Tリンパ球]]は、腫瘍細胞を破壊できる可能性がある<ref name="ss15" />。 腫瘍抗原は、たとえば、変異した受容体の形で腫瘍の表面に現れることがあり、その場合、[[B細胞]]に認識される<ref name="ss15" />。 ウイルス病因を持たないヒト腫瘍の場合、腫瘍特異的なDNAの変化によって新規[[ペプチド]](ネオエピトープ)が作られる<ref name="ss15" />。 ===== プロセス===== ヒトの腫瘍変異の大部分は、事実上、患者固有のものである。したがって、新生抗原は、個々の腫瘍ゲノムに基づいている可能性がある。ディープシークエンシング技術は、[[ゲノム]]のタンパク質コード部分([[エクソソーム (小胞)|エクソーム]])内の変異を特定し、潜在的な新生抗原を予測することができる。マウスモデルでは、すべての新規タンパク質配列について、潜在的なMHC結合ペプチドが予測された。このようにして得られた潜在的な新生抗原の集まりを用いて、T細胞の反応性を評価した。エクソームに基づく分析は、{{仮リンク|腫瘍浸潤リンパ球|en|Tumor-infiltrating lymphocytes}}(TIL)細胞療法または[[免疫チェックポイント阻害剤|チェックポイントブロック]]療法のいずれかを受けた患者の反応性を評価するために、臨床現場で活用された。新生抗原の同定は、複数の実験モデル系やヒトの悪性腫瘍に対して成功した<ref name="ss15" />。 がんエクソームシークエンシングの偽陰性率は低い。すなわち、新生抗原の大部分は十分なカバレッジを持つ[[エクソン]]配列内に存在する。しかし、発現している遺伝子内の変異の大部分は、自己T細胞に認識される新生抗原を生成しない<ref name="ss15" />。 2015年現時点で、質量分析の分解能は、MHC分子が提示する可能性のあるペプチドのプールから多くの偽陽性を除外するのには不十分である。代わりに、アルゴリズムを使用して最も可能性の高い候補を特定する。これらのアルゴリズムでは、[[プロテアソーム]]処理の見込み、[[小胞体]]への輸送、関連するMHCクラスI[[対立遺伝子]]への親和性、遺伝子発現やタンパク質翻訳レベルなどの要素が考慮される<ref name="ss15" />。 不偏スクリーニング(unbiased screens)で同定されたヒトの新生抗原の大部分は、高い予測MHC結合親和性を示す。概念的に類似した抗原クラスである{{仮リンク|マイナー組織適合性抗原|en|Minor histocompatibility antigen}}も、MHC結合アルゴリズムによって正しく識別される。もう一つの潜在的なフィルターは、突然変異がMHC結合を改善すると期待されるかどうかを調べるものである。MHC結合ペプチドの中心となるTCR露出残基<!-- central TCR-exposed residues -->の性質は、ペプチドの免疫原性と関連している<ref name="ss15" />。 === 誕生 === <!-- 英語版セクション名: Nativity -->天然抗原(native antigen)とは、まだAPCによって小さな断片に処理されていない抗原である。[[T細胞]]は天然抗原に結合することができないため、APCによって処理されること必要があるのに対し、[[B細胞]]は天然抗原によって活性化される。 == 抗原特異性 == 抗原特異性(antigenic specificity)とは、宿主細胞が抗原をユニークな分子実体として特異的に認識し、他の抗原と極めて正確に区別する能力のことである。抗原特異性は、主に抗原の側鎖の[[コンフォメーション]]に起因する。それは測定可能であり、線形である必要はなく、また律速段階または方程式である必要もない<ref name="mlp" /><ref name="cdc" />。[[T細胞]]と[[B細胞]]はどちらも[[適応免疫]]の細胞構成要素である<ref name="mlp" /><ref>{{cite book |last1=K. Abbas |first1=Abul |last2=Lichtman |first2=Andrew |last3=Pillai |first3=Shiv |title=Cellular and molecular immunology |date=2018 |publisher=Elsevier|location=Philadelphia |isbn=978-0-323-52324-0 |page=97 |edition= Ninth }}</ref>。 == 医学的な利用 == [[医学]]では、[[細胞]]表面の機能性[[分子]]を[[抗原抗体反応]]による有無の検査に使う。そこから、細胞表面に発現している物質はまだ同定されていない物質でも検査対象となり、これらすべてを抗原と呼んでいる。 抗原の発現は、[[腫瘍]](しゅよう)細胞の性状を判定するのに有用な所見であり頻用される。血中に現れた抗原は[[腫瘍マーカー]]と呼ばれ、腫瘍の早期発見や検索、術後フォローアップに重要である。 さらに、癌(がん)の表面には癌特異的な癌抗原が存在し、癌抗原をターゲットにした免疫療法として[[がんワクチン]]療法などが癌治療に応用されている。 また、免疫細胞の持つ[[主要組織適合抗原]](MHC、人間のものは特にHLAと呼ぶ)は自己と他者の認識を司る重要なセンサーであり、HLAの型([[血液型|白血球型]])は[[移植 (医療)|臓器移植]]、特に[[骨髄移植]]の際に適合させる必要がある。 == 参照項目 == * [[アジュバント]] *[[ワクチン]] *[[免疫回避]] * [[抗毒素]] *[[エピトープ]] * {{仮リンク|配座エピトープ|en|Conformational epitope}} * {{仮リンク|線状エピトープ|en|Linear epitope}} * {{仮リンク|磁気イノムアッセイ|en|Magnetic immunoassay}} * [[中和抗体]] * [[抗原原罪]] * [[パウル・エールリヒ]] * {{仮リンク|多クローン性B細胞応答|en|Polyclonal B cell response}} * {{仮リンク|初回抗原刺激 (免疫学)|en|Priming (immunology)}} ==脚注== {{Reflist}} {{Immune system}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こうけん}} [[Category:免疫学]] [[Category:免疫系]] [[Category:生体物質]]
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統合開発環境
統合開発環境(とうごうかいはつかんきょう)、IDEは、ソフトウェア開発のための統合的なプログラミング環境であり、様々なツールの集合からなる。 従来、ソフトウェアプログラムのコーディング・コンパイル・ビルド・デバッグといった作業を行なう際に、テキストエディタ、コンパイラ、リンカ、デバッガなどの各ツールを個別にコマンドラインから利用していたものを、ひとつの対話型操作環境(多くはGUI)から直感的かつシームレスに利用できるように統合したもの。最近のIDEには、GUIアプリケーション開発のための迅速なプロトタイピング (Rapid Application Development: RAD) が可能なものが多い。統合開発環境を使うことによって、開発者の学習や作業負担を大幅に低減することが可能になり、特に巨大かつ複雑なソフトウェアの開発に効果を発揮する。ソフトウェアテストのためのツールが統合されてシームレスに連携できるようになっているものもある。 ひとつのソフトウェアを作成するには、プログラミング言語のソースコードを記述したソースファイルや、アイコン画像やローカライズされたテキストなどのリソースファイル、そしてビルド(コンパイル&リンク)設定管理用ファイルなど、複数のファイルが必要になる。自動化されたビルドシステムでは、これらをまとめて「プロジェクト」として扱い、一括して管理できるようにしている。開発環境のコンピュータにおけるファイルシステム上のディレクトリ階層と自動的に同期するビルドシステムもあれば、ファイルシステムとは無関係に論理的なディレクトリ階層を使用するビルドシステムもあるが、ビルドシステムのプロジェクトファイルの管理は一般的に煩雑であり、大規模なソフトウェアになるほど困難となる。IDEでは、対応するビルドシステムのプロジェクトファイルを直接編集することなく視覚的かつ直感的に操作・管理することが可能となっている。 より複雑なソフトウェアでは、再利用性やメンテナンス性などを考慮してプログラムを機能ごとに分類された部品(モジュール)に分割して管理する。一般的なビルドシステムでは、そのモジュールごとにプロジェクトファイルを作成し、さらに複数のプロジェクトファイルとそれらの依存関係をまとめて管理することのできる「ワークスペースファイル」をサポートする。プロジェクトファイルやワークスペースファイルは、個々のビルドシステムによって、ファイルフォーマットや拡張子が異なる。Gradleなどのようにファイルシステム上でビルドスクリプトが置かれたディレクトリ構造そのものをプロジェクトやワークスペースとして扱うビルドシステムもあるが、IDEではそういった詳細仕様を意識することなく直感的にモジュールを管理できるようになっており、またプロジェクトの新規作成時もウィザードの指示に従っていけば簡単にファイル一式を自動生成できるようになっている。 ソフトウェア開発においては、ソースコード管理にCVS、Subversion、Gitなどのバージョン管理システムを使うことが多い。IDEの多くはチェックアウト、コミット、リバート(バージョンの巻き戻し)などのバージョン管理システムに対する操作が簡単に実行可能となっている。 IDEの中にはコード整形ルールをプロジェクト単位あるいはソースツリー単位で管理できるものもある。チームで開発を行なう際、同じIDEと同じルール設定ファイルを各開発者が利用することによって、コーディングスタイルの統一を図りやすくなる。 タスク管理ツールやテストケース管理ツールなどと連携して、ソフトウェア開発プロジェクトの進捗管理を含めた総合的なチーム開発をサポートするエンタープライズ向け機能を持ったIDEもある。 IDEに統合されたコードエディターは、プログラミングに特化されており、各言語のキーワード(予約語)をハイライト(色分け)したり、またプロジェクト内のソースファイルやヘッダーファイルから抽出した解析済みシンボル情報のデータベースをもとに、ユーザー定義のデータ型や変数やサブルーチン(関数/メソッド)の名前(識別子)を補完したり、といったことができるようになっている。これにより、ソースコードの記述効率が上がり、またコーディングミスなどを防ぎやすくなる。また、ソースコードのコメント先頭に「TODO」などといった特定の文字列を入れておくと、それをIDE上で一覧表示して確認できるようになる機能をサポートするものもある。さらに、一部のIDEでは実際にコンパイルすることなくリアルタイムでソースコードを解析して構文エラーや警告を検出し、当該部分に下線を引くなどしてプログラマに知らせるものもある。 コンパイラやリンカなどと連携しているため、作成したソフトウェアのビルドを簡単に実行できる。また、デバッガと連携しているため、ソースコード中に視覚的なブレークポイントを置いてソフトウェアの動作を一時停止させたり、変数の中身を確認しながらソースコードを1行ずつステップ実行させて問題のある個所を探したり、といったことが直感的にできる。 GUIを持つソフトウェアを開発する際、一般的に各ウィジェット(部品)の位置やサイズといったプロパティ情報の指定は、専用のレイアウト設定ファイルを使用して記述する。レイアウト設定ファイルは通例XML形式であったり独自の階層構造テキスト形式であったりするが、テキストエディターを使ってGUIの定義を記述するのは手間がかかる。さらにプログラムをビルドして実行してみなければ画面表示結果が確認できないのであれば、直感性に欠け、効率も悪い。そこで、多くのIDEは、GUIの作成をIDE上で視覚的かつ直感的に行なえるように、WYSIWYGに対応したグラフィカルなビジュアルエディターを統合している。また、ウィジェットを操作したときに発生するイベントに対する処理(イベントハンドラー)の記述も、コードエディターと連携・同期できるようになっている。これにより、簡単にGUIを持つソフトウェアを開発できるようになり、また、管理も一括して行なえる。なお、一部のIDEは、GUIの作成を行なうソフトウェアを分離しているものもある。 コンシューマーゲームコンソールの公式開発環境は独自開発のものが多く分断化されている。開発環境の価格にライセンス料が含まれることもある。 ゲーム機の性能が向上し、またスマートフォンなどのモバイル端末もゲームプラットフォームとして台頭してきたことで、UnityやUnreal Engineといったマルチプラットフォームに対応したミドルウェア(ゲームエンジン)もサードパーティ製の統合開発環境として普及している。インディーズの参入障壁も下がっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "統合開発環境(とうごうかいはつかんきょう)、IDEは、ソフトウェア開発のための統合的なプログラミング環境であり、様々なツールの集合からなる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "従来、ソフトウェアプログラムのコーディング・コンパイル・ビルド・デバッグといった作業を行なう際に、テキストエディタ、コンパイラ、リンカ、デバッガなどの各ツールを個別にコマンドラインから利用していたものを、ひとつの対話型操作環境(多くはGUI)から直感的かつシームレスに利用できるように統合したもの。最近のIDEには、GUIアプリケーション開発のための迅速なプロトタイピング (Rapid Application Development: RAD) が可能なものが多い。統合開発環境を使うことによって、開発者の学習や作業負担を大幅に低減することが可能になり、特に巨大かつ複雑なソフトウェアの開発に効果を発揮する。ソフトウェアテストのためのツールが統合されてシームレスに連携できるようになっているものもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ひとつのソフトウェアを作成するには、プログラミング言語のソースコードを記述したソースファイルや、アイコン画像やローカライズされたテキストなどのリソースファイル、そしてビルド(コンパイル&リンク)設定管理用ファイルなど、複数のファイルが必要になる。自動化されたビルドシステムでは、これらをまとめて「プロジェクト」として扱い、一括して管理できるようにしている。開発環境のコンピュータにおけるファイルシステム上のディレクトリ階層と自動的に同期するビルドシステムもあれば、ファイルシステムとは無関係に論理的なディレクトリ階層を使用するビルドシステムもあるが、ビルドシステムのプロジェクトファイルの管理は一般的に煩雑であり、大規模なソフトウェアになるほど困難となる。IDEでは、対応するビルドシステムのプロジェクトファイルを直接編集することなく視覚的かつ直感的に操作・管理することが可能となっている。", "title": "統合開発環境の特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "より複雑なソフトウェアでは、再利用性やメンテナンス性などを考慮してプログラムを機能ごとに分類された部品(モジュール)に分割して管理する。一般的なビルドシステムでは、そのモジュールごとにプロジェクトファイルを作成し、さらに複数のプロジェクトファイルとそれらの依存関係をまとめて管理することのできる「ワークスペースファイル」をサポートする。プロジェクトファイルやワークスペースファイルは、個々のビルドシステムによって、ファイルフォーマットや拡張子が異なる。Gradleなどのようにファイルシステム上でビルドスクリプトが置かれたディレクトリ構造そのものをプロジェクトやワークスペースとして扱うビルドシステムもあるが、IDEではそういった詳細仕様を意識することなく直感的にモジュールを管理できるようになっており、またプロジェクトの新規作成時もウィザードの指示に従っていけば簡単にファイル一式を自動生成できるようになっている。", "title": "統合開発環境の特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ソフトウェア開発においては、ソースコード管理にCVS、Subversion、Gitなどのバージョン管理システムを使うことが多い。IDEの多くはチェックアウト、コミット、リバート(バージョンの巻き戻し)などのバージョン管理システムに対する操作が簡単に実行可能となっている。", "title": "統合開発環境の特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "IDEの中にはコード整形ルールをプロジェクト単位あるいはソースツリー単位で管理できるものもある。チームで開発を行なう際、同じIDEと同じルール設定ファイルを各開発者が利用することによって、コーディングスタイルの統一を図りやすくなる。", "title": "統合開発環境の特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "タスク管理ツールやテストケース管理ツールなどと連携して、ソフトウェア開発プロジェクトの進捗管理を含めた総合的なチーム開発をサポートするエンタープライズ向け機能を持ったIDEもある。", "title": "統合開発環境の特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "IDEに統合されたコードエディターは、プログラミングに特化されており、各言語のキーワード(予約語)をハイライト(色分け)したり、またプロジェクト内のソースファイルやヘッダーファイルから抽出した解析済みシンボル情報のデータベースをもとに、ユーザー定義のデータ型や変数やサブルーチン(関数/メソッド)の名前(識別子)を補完したり、といったことができるようになっている。これにより、ソースコードの記述効率が上がり、またコーディングミスなどを防ぎやすくなる。また、ソースコードのコメント先頭に「TODO」などといった特定の文字列を入れておくと、それをIDE上で一覧表示して確認できるようになる機能をサポートするものもある。さらに、一部のIDEでは実際にコンパイルすることなくリアルタイムでソースコードを解析して構文エラーや警告を検出し、当該部分に下線を引くなどしてプログラマに知らせるものもある。", "title": "統合開発環境の特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "コンパイラやリンカなどと連携しているため、作成したソフトウェアのビルドを簡単に実行できる。また、デバッガと連携しているため、ソースコード中に視覚的なブレークポイントを置いてソフトウェアの動作を一時停止させたり、変数の中身を確認しながらソースコードを1行ずつステップ実行させて問題のある個所を探したり、といったことが直感的にできる。", "title": "統合開発環境の特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "GUIを持つソフトウェアを開発する際、一般的に各ウィジェット(部品)の位置やサイズといったプロパティ情報の指定は、専用のレイアウト設定ファイルを使用して記述する。レイアウト設定ファイルは通例XML形式であったり独自の階層構造テキスト形式であったりするが、テキストエディターを使ってGUIの定義を記述するのは手間がかかる。さらにプログラムをビルドして実行してみなければ画面表示結果が確認できないのであれば、直感性に欠け、効率も悪い。そこで、多くのIDEは、GUIの作成をIDE上で視覚的かつ直感的に行なえるように、WYSIWYGに対応したグラフィカルなビジュアルエディターを統合している。また、ウィジェットを操作したときに発生するイベントに対する処理(イベントハンドラー)の記述も、コードエディターと連携・同期できるようになっている。これにより、簡単にGUIを持つソフトウェアを開発できるようになり、また、管理も一括して行なえる。なお、一部のIDEは、GUIの作成を行なうソフトウェアを分離しているものもある。", "title": "統合開発環境の特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "コンシューマーゲームコンソールの公式開発環境は独自開発のものが多く分断化されている。開発環境の価格にライセンス料が含まれることもある。", "title": "ゲームの標準開発環境" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ゲーム機の性能が向上し、またスマートフォンなどのモバイル端末もゲームプラットフォームとして台頭してきたことで、UnityやUnreal Engineといったマルチプラットフォームに対応したミドルウェア(ゲームエンジン)もサードパーティ製の統合開発環境として普及している。インディーズの参入障壁も下がっている。", "title": "ゲームの標準開発環境" } ]
統合開発環境(とうごうかいはつかんきょう)、IDEは、ソフトウェア開発のための統合的なプログラミング環境であり、様々なツールの集合からなる。 従来、ソフトウェアプログラムのコーディング・コンパイル・ビルド・デバッグといった作業を行なう際に、テキストエディタ、コンパイラ、リンカ、デバッガなどの各ツールを個別にコマンドラインから利用していたものを、ひとつの対話型操作環境(多くはGUI)から直感的かつシームレスに利用できるように統合したもの。最近のIDEには、GUIアプリケーション開発のための迅速なプロトタイピング が可能なものが多い。統合開発環境を使うことによって、開発者の学習や作業負担を大幅に低減することが可能になり、特に巨大かつ複雑なソフトウェアの開発に効果を発揮する。ソフトウェアテストのためのツールが統合されてシームレスに連携できるようになっているものもある。
{{出典の明記|date=2015年12月}} {{ソフトウェア開発工程}} {{読み仮名_ruby不使用|'''統合開発環境'''|とうごうかいはつかんきょう}}、'''IDE'''<ref group="注">{{lang-en-short|integrated development environment}}</ref>は、[[ソフトウェア]]開発のための統合的なプログラミング環境であり、様々な[[プログラミングツール|ツール]]の集合からなる。 [[ファイル:Apache NetBeans 12.2 screenshot.png|サムネイル|[[NetBeans]]]] 従来、ソフトウェアプログラムの[[コーディング]]・[[コンパイル]]・[[ビルド (ソフトウェア)|ビルド]]・[[デバッグ]]といった作業を行なう際に、[[テキストエディタ]]、[[コンパイラ]]、[[リンケージエディタ|リンカ]]、[[デバッガ]]などの各ツールを個別にコマンドラインから利用していたものを、ひとつの対話型操作環境(多くは[[グラフィカルユーザインターフェース|GUI]])から直感的かつシームレスに利用できるように統合したもの。IDEには、GUIアプリケーション開発のための迅速な[[ソフトウェアプロトタイピング|プロトタイピング]] ([[Rapid Application Development]]: RAD) が可能なものが多い。統合開発環境を使うことによって、開発者の学習や作業負担を大幅に低減することが可能になり、特に巨大かつ複雑なソフトウェアの開発に効果を発揮する。[[ソフトウェアテスト]]のためのツールが統合されてシームレスに連携できるようになっているものもある。 ==統合開発環境の特徴== ===モジュール管理=== [[ファイル:Eclipse 4.9 Windows 10.PNG|サムネイル|[[Eclipse (統合開発環境)]]]] ひとつのソフトウェアを作成するには、プログラミング言語の[[ソースコード]]を記述したソースファイルや、[[アイコン]]画像や[[国際化と地域化|ローカライズ]]されたテキストなどのリソースファイル、そしてビルド(コンパイル&リンク)設定管理用ファイルなど、複数のファイルが必要になる。自動化されたビルドシステムでは、これらをまとめて「プロジェクト」として扱い、一括して管理できるようにしている。開発環境のコンピュータにおけるファイルシステム上の[[ディレクトリ]]階層と自動的に同期するビルドシステムもあれば、ファイルシステムとは無関係に論理的なディレクトリ階層を使用するビルドシステムもあるが、ビルドシステムのプロジェクトファイルの管理は一般的に煩雑であり、大規模なソフトウェアになるほど困難となる。IDEでは、対応するビルドシステムのプロジェクトファイルを直接編集することなく視覚的かつ直感的に操作・管理することが可能となっている。 より複雑なソフトウェアでは、再利用性やメンテナンス性などを考慮してプログラムを機能ごとに分類された部品(モジュール)に分割して管理する。一般的なビルドシステムでは、そのモジュールごとにプロジェクトファイルを作成し、さらに複数のプロジェクトファイルとそれらの依存関係をまとめて管理することのできる「ワークスペースファイル」<ref group="注">Visual Studio .NET以降の[[MSBuild]]では「ソリューションファイル」と呼ばれている。</ref>をサポートする。プロジェクトファイルやワークスペースファイルは、個々のビルドシステムによって、[[ファイルフォーマット]]や[[拡張子]]が異なる<ref group="注">Visual Studioのように、プログラミング言語ごとにプロジェクトファイルの拡張子が異なるものもある。</ref>。[[Gradle]]などのようにファイルシステム上でビルドスクリプトが置かれたディレクトリ構造そのものをプロジェクトやワークスペースとして扱うビルドシステムもあるが、IDEではそういった詳細仕様を意識することなく直感的にモジュールを管理できるようになっており、またプロジェクトの新規作成時もウィザードの指示に従っていけば簡単にファイル一式を自動生成できるようになっている。 ===バージョン管理=== ソフトウェア開発においては、ソースコード管理に[[Concurrent Versions System|CVS]]、[[Apache Subversion|Subversion]]、[[Git]]などの[[バージョン管理システム]]を使うことが多い。IDEの多くはチェックアウト、[[コミット (バージョン管理)|コミット]]、リバート(バージョンの巻き戻し)などのバージョン管理システムに対する操作が簡単に実行可能となっている。 ===チーム開発=== IDEの中にはコード整形ルールをプロジェクト単位あるいはソースツリー単位で管理できるものもある<ref>[https://docs.microsoft.com/ja-jp/visualstudio/ide/create-portable-custom-editor-options EditorConfig 設定 - Visual Studio (Windows) | Microsoft Docs]</ref>。チームで開発を行なう際、同じIDEと同じルール設定ファイルを各開発者が利用することによって、コーディングスタイルの統一を図りやすくなる。 タスク管理ツールやテストケース管理ツールなどと連携して、ソフトウェア開発プロジェクトの進捗管理を含めた総合的なチーム開発をサポートするエンタープライズ向け機能を持ったIDEもある。 ===コーディング補助=== IDEに統合されたコードエディターは、プログラミングに特化されており、各言語のキーワード([[予約語]])をハイライト(色分け)したり、またプロジェクト内のソースファイルやヘッダーファイルから抽出した解析済みシンボル情報のデータベースをもとに、ユーザー定義のデータ型や[[変数 (プログラミング)|変数]]や[[サブルーチン]](関数/[[メソッド (計算機科学)|メソッド]])の名前(識別子)を補完したり、といったことができるようになっている。これにより、ソースコードの記述効率が上がり、またコーディングミスなどを防ぎやすくなる。また、ソースコードのコメント先頭に「TODO」などといった特定の文字列を入れておくと、それをIDE上で一覧表示して確認できるようになる機能をサポートするものもある<ref>[https://docs.microsoft.com/ja-jp/visualstudio/ide/using-the-task-list タスク一覧の使用 - Visual Studio (Windows) | Microsoft Docs]</ref>。さらに、一部のIDEでは実際にコンパイルすることなくリアルタイムでソースコードを解析して構文エラーや警告を検出し、当該部分に下線を引くなどしてプログラマに知らせるものもある。 ===ビルド、デバッグ補助=== コンパイラや[[リンケージエディタ|リンカ]]などと連携しているため、作成したソフトウェアの[[ビルド (ソフトウェア)|ビルド]]を簡単に実行できる。また、デバッガと連携しているため、ソースコード中に視覚的な[[ブレークポイント]]を置いてソフトウェアの動作を一時停止させたり、変数の中身を確認しながらソースコードを1行ずつステップ実行させて問題のある個所を探したり、といったことが直感的にできる。 ===GUIの作成=== GUIを持つソフトウェアを開発する際、一般的に各[[ウィジェット (GUI)|ウィジェット]](部品)の位置やサイズといったプロパティ情報の指定は、専用のレイアウト設定ファイルを使用して記述する。レイアウト設定ファイルは通例XML形式であったり独自の階層構造テキスト形式であったりするが、テキストエディターを使ってGUIの定義を記述するのは手間がかかる。さらにプログラムをビルドして実行してみなければ画面表示結果が確認できないのであれば、直感性に欠け、効率も悪い。そこで、多くのIDEは、GUIの作成をIDE上で視覚的かつ直感的に行なえるように、[[WYSIWYG]]に対応したグラフィカルなビジュアルエディターを統合している。また、ウィジェットを操作したときに発生する[[イベント (プログラミング)|イベント]]に対する処理(イベントハンドラー)の記述も、コードエディターと連携・同期できるようになっている。これにより、簡単にGUIを持つソフトウェアを開発できるようになり、また、管理も一括して行なえる。なお、一部のIDEは、GUIの作成を行なうソフトウェアを分離しているものもある。 ==IDEの例== {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2021-09}} *[[ActiveBasic]] - 元はN88互換として開発が始まり、{{いつ範囲|date=2019-09|今}}はRADや[[コンパイラ]]を搭載しネイティブなアプリが作れる。[[フリーウェア|フリーソフト]]。 *[[ActiveState]] **[[Komodo IDE]] - もともとはスクリプト言語用に特化した統合環境である。 **[[Komodo Edit]] - Komodo IDEの機能縮小版(オープンソース) *[[Anjuta]] - [[GNOME]]で用いられているオープンソースの統合開発環境 *[[アドビ]] ** [[Adobe Flash Builder]] *[[Apple]] **[[Xcode]] - [[GNUコンパイラコレクション|GCC]]/[[Clang]]を使用。[[C言語]]/[[C++]]、[[Objective-C]]/C++、[[Swift (プログラミング言語)|Swift]]を使用した[[macOS]]/[[iOS]]のアプリ開発に対応。 *[[Google]] **[[Android Studio]] - [[IntelliJ IDEA]]をベースに開発された。C/C++、[[Java]]、[[Kotlin]]を使用した[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]アプリ開発に対応。 *[[エンバカデロ・テクノロジーズ]](旧[[ボーランド]]) **[[RAD Studio]] **[[C++Builder]] **[[Delphi]] **[[JBuilder]] **[[Kylix]] **[[Turbo C]] - [[MS-DOS]]時代に使用された統合環境 **[[Turbo Pascal]] - MS-DOS時代に使用された統合環境。[[Pascal]]の項を参照 *[[CodeWarrior]] - 様々な[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]に対応する、統合開発環境の代表格 *[[Eclipse (統合開発環境)|Eclipse]] - 本来は[[Java]]向けのIDEであったが、現在は様々な言語での開発に対応している。豊富な[[プラグイン]]が特徴。 *[[Emacs]] - 厳密に言えば[[テキストエディタ]]だが、その強力な拡張性により統合開発環境と同等の使い方ができる。[[Unix系]]OSでIDEがあまり流行らないのは、Emacs文化が存在する部分が大きい。 *[[FutureBASIC]] <!--*[[Hot Soup Processor]] - フリーのプログラミングツール。一部ではスクリプト言語扱いされている。--> *[[IntelliJ IDEA]] - Java IDE。世界で初めてJavaのIDEに[[リファクタリング]]機能を導入。優秀な[[Swing]]のRAD機能も持つ。他のプログラミング言語に対応した派生環境として[[CLion]]などがある。 <!-- *JDE --> *[[オラクル (企業)|オラクル]] **[[JDeveloper]] - オラクルが開発した[[Java]] IDE。2021年6月13日現在、無料で配布されている。 **旧[[サン・マイクロシステムズ]] ***[[Java Studio Creator]] - [[Java]] IDE。[[World Wide Web|ウェブ]]開発に適している。事実上開発は停止し、下記のNetBeansが後継となっている。 ***[[NetBeans]] - [[Java]] IDE。主に[[Java]] [[Swing]]開発に適しているが、プラグインも豊富で、PHPやC言語系等を標準でサポートしている。 *[[KDevelop]] - [[KDE]]のIDE <!-- *NAG **NAG IDE Client **NAG Fortran Builder --> *[[Qt|Qt Creator]] - [[Qt]]の統合開発環境。Qt4.5のバージョンアップの際、Qt SDKとともに発表された。[[Qtソフトウェア]]社製。 *[[REALbasic]] - [[Classic Mac OS]] / [[macOS]]で多く用いられている[[クロスプラットフォーム]]統合開発環境。REAL Software製 *[[Microsoft Visual Studio|Visual Studio]] - [[マイクロソフト]]製。[[Windows]]ネイティブアプリや[[ユニバーサルWindowsプラットフォーム|UWP]]アプリ、[[.NET Framework]]/[[.NET Core]]アプリ、[[ASP.NET]]アプリ、[[Microsoft Office]]アドイン、デバイスドライバの開発などに対応している。 **[[Microsoft Visual Basic|Visual Basic]] (開発終了) **[[Microsoft Visual Basic .NET|Visual Basic .NET]] **[[Microsoft Visual C++|Visual C++]] **[[Microsoft Visual J++|Visual J++]] (開発終了) **[[Microsoft Visual C Sharp|Visual C#]] **[[Microsoft Visual J Sharp|Visual J#]] (開発終了) **[[Microsoft Visual F Sharp|Visual F#]] *Visual Studio for Mac - [[Xamarin]] Studioがベース。[[ASP.NET Core]]や[[Microsoft Azure]]を利用したWeb・クラウド開発、[[Mono (ソフトウェア)|Mono]]/XamarinフレームワークおよびC#を利用したmacOS/iOS/Androidアプリ開発などが可能<ref>[https://visualstudio.microsoft.com/ja/vs/mac/ Visual Studio for Mac | Visual Studio]</ref>。 *[[WideStudio]] - 様々な[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]に対応するオープンソースの統合開発環境 *[[Code::Blocks]] - C++統合開発環境 *[[SharpDevelop]] - オープンソースで開発されている.NETの統合開発環境。利用できるプログラミング言語としては、[[C Sharp|C#]]、[[VB.NET]]、[[F Sharp|F#]]、[[IronPython]]、Boo、ILAsmに対応しており、開発できるアプリケーションの種類としては、[[Windowsフォーム]]、[[Windows Presentation Foundation|WPF]]、ASP.NET、Compact Framework等に対応している。 **[[MonoDevelop]] - SharpDevelopから派生し、[[Mono (ソフトウェア)|Mono]]向けの最適化を施したバージョン。その後、独自の進化を遂げ、現在ではまったくの別物となっている。 **[[FlashDevelop]] - SharpDevelopから派生し、[[Adobe Flex]]向けの最適化を施したバージョン。Adobe Flex向けの無償で利用できる統合開発環境が他にないため非常に人気が高い。 *[[Dev-C++]] - GCCを使うWindows上のC++統合開発環境。 *[[Actuate Basic]] - 帳票サーバ[[Actuate]]の開発言語Actuate Basicの統合開発環境。 *[[PowerBuilder]] - データベースや帳票出力のための統合開発環境。 *[[CodeLite]] フリーでオープンソースなクロスプラットフォームのC/C++統合開発環境。 *[[Geany]] GTK+上の軽量なクロスプラットフォームのテキストエディタであり、[[Scintilla]]と基本的な統合開発環境機能をベースとしている。 *[[GNAT Programming Studio]] free multi-language integrated development environment (IDE) by AdaCore. GPS uses compilers from the GNU Compiler Collection, taking its name from GNAT, the GNU compiler for the Ada programming language. *[[Ultimate++]] C++ cross-platform development framework which aims to reduce the code complexity of typical desktop applications by extensively exploiting C++ features. *[[Team Developer]] SQLWindows、Report Builder、Team Object Managerなどを備えた統合開発環境。.Netに対応している。 *[[PaizaCloud]] - Cloud IDE。ブラウザ上で動作するウェブ開発、アプリ開発環境。 *[[Lazarus]] - PascalおよびObject Pascalの統合開発環境。 *[[Light Table]] - [[Clojure]]、Python及び[[JavaScript]]の統合開発環境。 ==ゲームの標準開発環境== コンシューマーゲームコンソールの公式開発環境は独自開発のものが多く分断化されている。開発環境の価格にライセンス料が含まれることもある。 {| class="wikitable" |- ! ハードウェア !! 開発環境 !! コンパイラ |- | [[PlayStation 3]] || ProDG || SNC |- | [[Wii]] || CodeWarrior || CodeWarrior Compiler |- | [[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]シリーズ || Visual Studio || VC++ |} ゲーム機の性能が向上し、また[[スマートフォン]]などのモバイル端末もゲームプラットフォームとして台頭してきたことで、[[Unity (ゲームエンジン)|Unity]]や[[Unreal Engine]]といった[[マルチプラットフォーム]]に対応した[[ミドルウェア]]([[ゲームエンジン]])も[[サードパーティ]]製の統合開発環境として普及している。インディーズの参入障壁も下がっている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ソースコードエディタ]] {{Integrated development environments}} {{プログラミング言語の関連項目}} {{コンピュータ科学}} {{DEFAULTSORT:とうこうかいはつかんきよう}} [[Category:ソフトウェア開発ツール]] [[Category:統合開発環境|*]]
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免疫学
免疫学(めんえきがく、英語: immunology)とは、生体の持つ免疫機能の解明を目的とする学問分野のこと。 主に、基礎医学・歯学・薬学・生物学、臨床医学による研究が行われている。免疫には生物が広く持つ自然免疫と、哺乳類や鳥類がもつ獲得免疫がある。 抗体の機能をになう免疫グロブリンの多様性の生成機能、B細胞、T細胞の抗原レセプターの多様性形成機構、リンパ球内でのシグナル伝達機構、リンパ球の発生・分化・成熟機構、細菌やウイルスなど病原体と生体の相互作用の解析、自己と非自己の識別機構の詳細など、対象は多岐にわたる。 過剰免疫応答による疾患(アレルギー、炎症性疾患等)や自己免疫疾患の病理と治療法の理解や、免疫機能の亢進による保存的治療法の研究、移植免疫学など、今日の医学における免疫学は臨床医学と密接な関わりを持つ。 人は古くから、一度かかった病に二度目はかからなかったり、二度目は軽い症状で済む場合があることを経験則的に知っていた。紀元前5世紀に記されたトゥキディデスの『戦史』ではアテナイの疫病について「二度なし」という言葉を用いて免疫について記した。 14世紀にはヨーロッパでペスト(黒死病)の流行が頻発し、キリスト教騎士や修道士が患者の手当てなどの慈善活動にあたっていた。慈善活動にあたっていたキリスト教騎士らの中にはペストにかかりながらも奇跡的に回復した者もいたが、彼らはその後ペスト患者と接していても二度と病にかかることがなかった。このような現象は、神のご加護によるものと信じられ、ローマ教皇から課役や課税を免除(im-munitas)され、のちのimmunity(免疫)の語源となった。 一方、天然痘でも免疫性が経験則的に知られており、西アジア、インド、中国などでは天然痘患者の膿を健康な人の皮膚に塗って免疫を得るという呪術的な方法が行われていた。この現象に注目したエドワード・ジェンナーは1798年に牛痘接種による天然痘ワクチン(種痘)を公式に発表し、ジェンナーは「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった。 ジェンナーの天然痘ワクチンのメカニズムを科学的に分析したのがフランスの生化学者ルイ・パスツールであり、弱毒化した微生物の接種により免疫を得ることができることを解明した。 さらにエミール・アドルフ・フォン・ベーリングと北里柴三郎はワクチン接種により生体が獲得する免疫の正体が血中蛋白質である抗体によるものであることを突き止めた。また、ロシアのイリヤ・メチニコフは免疫の本質が血液中の食細胞と生体防御の双方の働きにあると考えた。 ジェンナーの種痘に始まった免疫学は現在幅広く発展し、生命現象を全体的に理解するために欠かせない学問となっている。現在では各種免疫疾患のメカニズム及び治療法の確立が問題である。
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免疫学とは、生体の持つ免疫機能の解明を目的とする学問分野のこと。
'''免疫学'''(めんえきがく、{{Lang-en|immunology}})とは、生体の持つ[[免疫]]機能の解明を目的とする[[学問]]分野のこと。 == 概要 == 主に、基礎[[医学]]・[[歯学]]・[[薬学]]・[[生物学]]、臨床医学による研究が行われている。免疫には生物が広く持つ[[自然免疫]]と、[[哺乳類]]や[[鳥類]]がもつ[[獲得免疫]]がある。 [[抗体]]の機能をになう[[抗体|免疫グロブリン]]の多様性の生成機能、[[B細胞]]、[[T細胞]]の[[抗原レセプター]]の多様性形成機構、[[リンパ球]]内でのシグナル伝達機構、[[リンパ球]]の発生・分化・成熟機構、[[細菌]]や[[ウイルス]]など[[病原体]]と生体の相互作用の解析、[[自己]]と非自己の識別機構の詳細など、対象は多岐にわたる。 過剰免疫応答による疾患([[アレルギー]]、炎症性疾患等)や[[自己免疫疾患]]の病理と治療法の理解や、免疫機能の亢進による保存的治療法の研究、移植免疫学など、今日の医学における免疫学は[[臨床医学]]と密接な関わりを持つ。 == 歴史 == 人は古くから、一度かかった病に二度目はかからなかったり、二度目は軽い症状で済む場合があることを[[経験則]]的に知っていた{{sfn|鈴木隆二|2015|p=12}}。紀元前5世紀に記された[[トゥキディデス]]の『[[戦史 (トゥキディデス)|戦史]]』ではアテナイの疫病について「二度なし」という言葉を用いて免疫について記した{{sfn|鈴木隆二|2015|p=12}}。 [[14世紀]]にはヨーロッパで[[ペスト]](黒死病)の流行が頻発し、キリスト教騎士や修道士が患者の手当てなどの慈善活動にあたっていた{{sfn|鈴木隆二|2015|p=12}}。慈善活動にあたっていたキリスト教騎士らの中にはペストにかかりながらも奇跡的に回復した者もいたが、彼らはその後ペスト患者と接していても二度と病にかかることがなかった{{sfn|鈴木隆二|2015|p=12}}。このような現象は、神のご加護によるものと信じられ、ローマ教皇から課役や課税を免除(im-munitas)され、のちのimmunity(免疫)の語源となった{{sfn|鈴木隆二|2015|p=12}}。 一方、[[天然痘]]でも免疫性が経験則的に知られており、西アジア、インド、中国などでは天然痘患者の膿を健康な人の皮膚に塗って免疫を得るという呪術的な方法が行われていた{{sfn|鈴木隆二|2015|p=14}}。この現象に注目した[[エドワード・ジェンナー]]は[[1798年]]に[[牛痘]]接種による天然痘ワクチン([[種痘]])を公式に発表し、ジェンナーは「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった{{sfn|鈴木隆二|2015|p=14}}。 ジェンナーの天然痘ワクチンのメカニズムを科学的に分析したのが[[フランス]]の[[生化学]]者[[ルイ・パスツール]]であり、弱毒化した微生物の接種により免疫を得ることができることを解明した{{sfn|鈴木隆二|2015|p=15}}。 さらに[[エミール・アドルフ・フォン・ベーリング]]と[[北里柴三郎]]はワクチン接種により生体が獲得する免疫の正体が血中蛋白質である[[抗体]]によるものであることを突き止めた{{sfn|鈴木隆二|2015|p=15}}。また、[[ロシア]]の[[イリヤ・メチニコフ]]は免疫の本質が血液中の[[食細胞]]と生体防御の双方の働きにあると考えた{{sfn|鈴木隆二|2015|p=15}}。 ジェンナーの種痘に始まった免疫学は現在幅広く発展し、生命現象を全体的に理解するために欠かせない学問となっている。現在では各種免疫疾患のメカニズム及び治療法の確立が問題である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite |和書 |author = 鈴木隆二 |title = カラー図解 免疫学の基本がわかる事典 |date = 2015 |publisher = [[西東社]] |isbn = 978-4791619399 |ref = harv }} == 関連項目 == * [[免疫 (医学)|免疫]] * [[日本免疫学会]] * [[日本アレルギー学会]] == 外部リンク == {{Commonscat|Immunology}} * [http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsi2/ 日本免疫学会] * [http://www.oxfordjournals.org/page/3064/10 オックスフォード・ジャーナル(International Immunology) (英語)] {{生物学}} {{医学}} {{Immune system}} {{Myeloid_blood_cells_and_plasma}} {{Lymphocytes}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:めんえきかく}} [[Category:免疫学|*]]
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台車
台車()は、荷物をのせて運搬移動するための、車輪が付いた台のことである。荷車の一種でもある。 なお、鉄道車両の台車は、当該項目を参照のこと。 狭義の台車は、荷車のうち、比較的小型で、人力による直接の搬送、あるいは電動などにより自走するものを言う。また、(全般的な)荷車のように使役動物や他の車による牽引(ロープ牽引などの簡易な牽引は考慮しない)を想定していない構造であるものを言う。 構造としては、人力で押すために取っ手が付いているものや、荷物を載せる平台と車輪だけで、取っ手が付いてないもの(搬送台車とも言う。板台車もこれである。)がある。また、構造や大きさに関しても、人力で容易に扱える範囲の構造やサイズのもの、平台状のものやカゴ台車(積み荷の転落や散逸防止のためのカゴ枠があるもの、カーゴ等とよぶ)状のもの、相当な重量物や長尺物を積むために堅牢な鋼製枠によるものなどがある。 工場などで重量部品を専門に運搬するものは架台と呼ばれる場合もある。また、平らな面を走行できる車輪が付いているタイプ(このうち取っ手が無いものはトロリーとも呼ばれる)、専用のレールや溝などを走行できる専用タイプの台車もある。 小荷物等を運搬するときに使う台車では、一般的には手で押すための取っ手が付いたタイプが多いが、ロープなどを結索する部分のみで取っ手のないタイプ、取っ手付きの台車の前側に数列の取っ手のない台車を連結できるタイプ、台の部分を上下に配置した2段式のタイプ、台の部分に金網製の箱を取り付けたタイプなど用途に合わせて様々なタイプのものがある。 取っ手が付いたタイプについては、1965年、花岡車輌が日本初の規格量産型台車『ダンディ』を開発発売、以後、標準規格となった。 自動車部品用などの専用台車においては、輸送中に商品の傷つきや変形がないよう、また納入先の工場での作業者の取り出しやすさなどについても構造的に配慮される。 なお、カメラやカメラマンを載せるための撮影用の台車はカメラドリーと呼ぶ。 日本の道路交通法では、台車は一部を除いて軽車両の扱いである。 ただし、「歩行補助車、小児用の車及びショッピング・カート」または「レール又は架線によらないで通行させる車であって、他の歩行者の通行を妨げるおそれのないものとして長さ 190cm以下かつ幅 60cm以下であって、車体の構造が、歩きながら用いるものとして通行させる者が乗車することができない車」は軽車両ではなく歩行補助車等に該当し、歩行者の扱いとなる。 そのため、歩行者扱いになる台車には、「歩行補助車、小児用の車及びショッピング・カート」に該当するもの(大型乳母車(お散歩カー)、避難車など)のほか、キャリーカート、トロリーバッグ、トロリーケース、そして長さ190cm以下、幅60cm以下の比較的小型の台車などがある。 上記に列挙したものであっても、電動機や内燃機関付きのものは、原則として原動機付自転車または自動車扱いとなる。詳細は、当該原則および例外も含めて「原動機付自転車#電動の小型車両等に対する規制」を参照。 ただし、一定の基準を満たす電動台車等は、歩行補助車または軽車両扱いとなる(「軽車両#原動機を用いる軽車両」参照)。
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台車は、荷物をのせて運搬移動するための、車輪が付いた台のことである。荷車の一種でもある。 なお、鉄道車両の台車は、当該項目を参照のこと。
{{otheruses|荷物運搬用の台車|鉄道車両の台車|鉄道車両の台車}} {{出典の明記|date=2023年2月26日 (日) 09:25 (UTC)}} {{読み仮名|'''台車'''|だいしゃ}}は、荷物をのせて運搬移動するための、[[車輪]]が付いた台のことである。[[荷車]]の一種でもある。 ''なお、[[鉄道車両の台車]]は、当該項目を参照のこと。'' == 概要 == [[ファイル:Small hand truck with blue padding side.JPG|thumb|300px|典型的な台車]] [[ファイル:Mover's Woody dollies in Japan.jpg|thumb|300px|板台車([[引越し]]業者などが使用)]] === 全般 === 狭義の台車は、[[荷車]]のうち、比較的小型で、人力による直接の搬送、あるいは電動などにより自走するものを言う。また、(全般的な)荷車のように[[使役動物]]や他の車による牽引(ロープ牽引などの簡易な牽引は考慮しない)を想定していない構造であるものを言う。 構造としては、人力で押すために取っ手が付いているものや、荷物を載せる平台と車輪だけで、取っ手が付いてないもの('''搬送台車'''とも言う。'''板台車'''もこれである。)がある。また、構造や大きさに関しても、人力で容易に扱える範囲の構造やサイズのもの、平台状のものやカゴ台車(積み荷の転落や散逸防止のためのカゴ枠があるもの、'''カーゴ'''等とよぶ)状のもの、相当な重量物や長尺物を積むために堅牢な鋼製枠によるものなどがある。 工場などで重量部品を専門に運搬するものは'''架台'''と呼ばれる場合もある。また、平らな面を走行できる車輪が付いているタイプ(このうち取っ手が無いものは'''トロリー'''とも呼ばれる)、専用のレールや溝などを走行できる専用タイプの台車もある。 === 狭義の台車 === 小荷物等を運搬するときに使う台車では、一般的には手で押すための取っ手が付いたタイプが多いが、[[ロープ]]などを結索する部分のみで取っ手のないタイプ、取っ手付きの台車の前側に数列の取っ手のない台車を連結できるタイプ、台の部分を上下に配置した2段式のタイプ、台の部分に金網製の箱を取り付けたタイプなど用途に合わせて様々なタイプのものがある。 取っ手が付いたタイプについては、[[1965年]]、[[花岡車輌]]が日本初の規格量産型台車『ダンディ』を開発発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://magazine.cainz.com/article/115239|title=かつて台車は「ダンディ」と呼ばれていた!? 日本最古の台車メーカー花岡車輌に学ぶ、台車今昔物語|website=となりのカインズさん |publisher=株式会社[[カインズ]]|date=2022-11-10|accessdate=2023-01-13}}</ref>、以後、標準規格となった。 [[自動車]]部品用などの専用台車においては、輸送中に商品の傷つきや変形がないよう、また納入先の工場での作業者の取り出しやすさなどについても構造的に配慮される。 === その他 === なお、[[カメラ]]や[[カメラマン]]を載せるための撮影用の台車は[[カメラドリー]]と呼ぶ。 == 法令 == {{Main|軽車両|歩行補助車}}日本の[[道路交通法]]では、台車は一部を除いて[[軽車両]]の扱いである。 ただし、「歩行補助車、[[小児用の車]]及び[[ショッピング・カート]]」または「レール又は架線によらないで通行させる車であって、他の歩行者の通行を妨げるおそれのないものとして長さ 190cm以下かつ幅 60cm以下であって、車体の構造が、歩きながら用いるものとして通行させる者が乗車することができない車」は軽車両ではなく歩行補助車等に該当し、歩行者の扱いとなる。 そのため、歩行者扱いになる台車には、「歩行補助車、[[小児用の車]]及び[[ショッピング・カート]]」に該当するもの(大型[[乳母車]](お散歩カー)、避難車など)のほか、[[キャリーカート]]、[[トロリーバッグ]]、トロリーケース、そして長さ190cm以下、幅60cm以下の比較的小型の台車'''<ref name=":0" group="注">他の歩行者の通行を妨げるおそれのないものとして、歩きながら用いるものであること。なおかつ、[[普通自転車]]の乗車装置(幼児用座席を除く。)を使用することができないようにした車であって、通行させる者が乗車することができないもの、または、その他の車で、通行させる者が乗車することができないものに限る。</ref>'''などがある。 === 動力あり === 上記に列挙したものであっても、[[電動機]]や[[内燃機関]]付きのものは、原則として[[原動機付自転車]]または[[自動車]]扱いとなる。詳細は、当該原則および例外も含めて「[[原動機付自転車#電動の小型車両等に対する規制]]」を参照。 ただし、一定の基準を満たす電動台車等は、[[歩行補助車]]または軽車両扱いとなる(「[[軽車両#原動機を用いる軽車両]]」参照)。 == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat}} {{Wiktionary}} * [[板台車]] * [[鉄道車両の台車]] * [[軽車両]] {{Product-stub}} {{DEFAULTSORT:たいしや}} [[Category:車両]]
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鉄道車両の台車
鉄道車両の台車(てつどうしゃりょうのだいしゃ)とは、鉄道車両において、車体に直結されていない、自由度のある走り装置のことである。 車両の走行のための装置の総称は走り装置(または走行装置)であり、台車とは、車体に直結されていない、自由度のある走り装置のことである。 蒸気機関車の動輪やワム80000のような二軸貨車の走り装置は台車とは呼ばない。これらの走り装置は固定軸受もしくは固定車軸と呼ばれる、一方旧式の電気機関車(EF58など)の足回りはボギー台車とかなり異なった形だが、動輪部を含めれっきとした台車(通常は1両につき先台車と主台車を2組で構成される)である。国鉄においてはボギー台車、一軸台車、機関車の主台車、先台車、従台車には台車形式を付与しているが、固定軸受には台車形式は付与していない。 また熊本市交通局9700形電車のような超低床電車(いわゆるライトレール)には、1車体4輪としつつ車軸を持たない独立車輪を、それぞれ旋回可能な4つの台車で保持しているものもある。 現在最も多く用いられている2軸ボギー台車は、右図のように1車両あたり4軸を2軸ずつの小さな単位に分割し、車体に対して回転できる(一部に3軸ボギー台車や4軸ボギー台車、あるいはそれらを複数組み合わせて一まとまりとして使用するケースもある)。 鉄道車両の車輪は車軸に固定されており(輪軸という)、初期の蒸気機関車・客車・貨車は4輪、すなわち2軸であった。車体の長大化、重量の増大につれより多くの車輪・車軸が必要となるが、2軸以上を車体に固定すると曲線の通過が困難になる。また、2軸であっても、固定された状態でその間隔(固定軸距)が長くなると、理想的には輪軸がレールと直角になるべきところ、その角度のずれ(アタック角)が大きくなるため、走行抵抗が大きくなり曲線通過が困難になる。 ボギー台車は曲線に追従して回転できるため、曲線の通過が容易となる。また、乗り心地や走行性能についても、縦の揺動をボギーの2軸間で一旦平準化するので揺れが少なくなり、ばね装置を2段階にできる点でも固定軸車に比べて有利である。ばね装置を台車構造の内部で完結する構造としたものが多く、車体と台車の機能の切り離しが行われる形になっていたが、近年は、枕ばね(後述)を車体との間に持たせる形のものが増えている。 特に古い機関車の台車については、旅客車のボギー台車とは大きく異なるものが用いられた。これについては機関車の台車を参照されたい。 台車の役割は次のようなものである。 このうちばね機能と回転機能の概要を図示すると右のとおりで、ばね機能は一般に二種類のばねで分担される。 機関車でとくに旧形のものは、旅客車のボギー台車とは様相が大きく異なる。蒸気機関車の場合、動輪は軸ばねを介して台枠に直接取り付けられるが、先輪・従輪で台枠に対して回転可能なものは、先台車・従台車と呼ばれる。国鉄では形式にLTを付する。これらのうち、2軸で心皿(後述)を中心に回転するものは、ボギー台車の一種である。(元来、旅客車のボギー台車は歴史的には蒸気機関車のそれにならったものである。鉄道車両の台車史#ボギー台車の誕生を参照)。これに対して1軸のものは一般に外の1点を中心に回転して動輪との位置関係でカーブに沿うようにされている。 また、日本ではEH10形以降の電気機関車は、頑丈な台枠を持つ車体に連結器が取り付けられ、ボギー台車で駆動する形であるが、それ以前の旧形電気機関車は、蒸気機関車と同様の台車枠(台枠)に動輪が付けられ、連結器はその台車枠に設けられていた。多くの場合、蒸気機関車と同様に先台車が設けられるが、これに対して動輪の部分の台車は主台車と呼ばれ、国鉄では形式にHTを付する。また、多くの形式は前後の台車が中央で中間連結器と呼ばれる連結器によって連結され、牽引力もこの連結器を介して伝達する形になっていた。先台車は、主台車の先端にさらに回転するように取り付けられ、カーブでガイドする役割を担った。 6動軸をもつF形機関車で、2軸ボギー台車3組を用いるものは、カーブを曲がるときに線路への横圧が大きくならないよう、中間台車が横動しやすい特殊な構造が用いられる。動輪のない中間台車 が、軸重調整のために設けられる場合もある。また固定した3軸ボギー台車とすると中央の軸の横圧が大きくなるので、DE10形ディーゼル機関車などでは1軸ごとに可動の特殊な形が用いられている。古いタイプの機関車には、3軸台車も多く用いられ、うち2軸のみ動輪など、さまざまなタイプがあった。 多くの旅客車で使用されている台車ではおおむね右図のようになっている。通常1では回転機構と、車体・台車枠間の上下・左右動を受けるばねとその振動を減衰させるダンパーの機構、3では軸箱・台車枠間の上下動を受けるばねおよびダンパーの機構を設ける。1を車体支持装置、3を軸箱支持装置とよぶ。両者は、多くの種類が考案・実用化されてきた。なお車体支持装置には一般に前後の牽引力を伝達する装置も組み込まれる。また、列車を止める制動装置(ブレーキ)や、動力台車では、駆動装置が搭載される。 台車の前後方向は固定され、車体と台車の間の牽引力・ブレーキ力を伝達する。(なお前後・左右はそれぞれ列車の進行方向と、それに直交する枕木方向。上下は垂直方向とし、回転はこの垂直軸の回りの回転とする)。 輪軸がレールに沿って進行するため、基本的に左右方向の動きが拘束され、車体の揺れや曲線で生じる左右の相対移動を台車が大きく負担・吸収すること、操舵のために自ら回転させる必要がないことが、自動車のサスペンションと大きく異なる点として挙げられる。 右図のように模式的に車体 - ばね - 輪軸が垂直に並んでいるとして、レールにより上下動が生じた状態では、一般にはばねより下の重量が軽いほど、車輪が容易にレールに追随することになり、またばねを介して車体に与える振動衝撃も少なくなる。一般には鉄道車両の台車では通常台車枠と軸箱間にある軸ばねの下に相当する。また、軸箱以下のばね下重量ほどではないが軸ばねと枕ばねの間、つまり台車枠などの質量も軽いことが望ましく、ばね下重量とばね間重量の軽量化にはさまざまな工夫がされてきた。 主要な車体支持機構ごとに、車体と台車枠の間で荷重を伝達する構成要素を右表に示す。略号はそれぞれ、次の運動を行なうことを示す。 車体と台車(具体的には台車枠)との間の相対運動に関して、枕ばねは上下や左右方向の運動を吸収するが、前後方向については相対的に固定して輪軸と車体の間に生じる前後方向の力、すなわち牽引力やブレーキ力を伝達する必要がある。(なお輪軸と台車枠との間の伝達は下記の軸箱支持装置が行う)。 スイングハンガー方式、インダイレクトマウント方式においては車体と上揺れ枕または枕ばり(ボルスタ)の間は心皿・中心ピンで伝達されるが、そこから台車枠の間には枕ばねが介在する。またダイレクトマウント方式においては車体とボルスタの間に、ボルスタレス台車では車体と台車枠の間に枕ばねが介在する。しかし枕ばねは一般に横方向の剛性が低く、力の伝達には適しない。そのため以下のように様々な方式が用いられてきた。 ダンパーの種類には次のようなものがある。 台車枠とは、車体支持装置と軸箱支持装置の中間に位置する構造物を指す。車体重量を均等に各車輪に配分し、各輪軸を平行に保つ。イコライザーのない台車ではイコライザーの作用も分担するが、3軸ボギーでは正しく釣合梁の作用にはならない。台車を進行方向においてみた場合、両側に縦に側梁があり、横に横梁でそれらを結合する。横向きの梁の本数や形態は種類によりさまざまで、端部に設けられる端梁があることもある。車輪は一般に両側の側梁の内側に位置する(下記インサイドフレームの場合は外側になる)。軸箱支持装置の荷重は側梁の真下からかかるのが望ましいが、国鉄TR10形などイコライザー台車では構造上釣り合いばねの中心が側梁の中心とずれることもあり、これを解消するためイコライザーを側梁の内外に設けるなどの策もとられる。 その他、主電動機やブレーキなどさまざまな装置を取り付けるためにも用いられる。 台車枠の構造としては、古くは形鋼や板材をリベット締結により組み立てる構造、鋳物を使用した構造、プレス成形された鋼材を溶接組立する構造などがある。 上から見ると「H」の形をしているのが特徴であり、レールと平行で左右外側に位置する2本の側梁と、この側梁を繋ぐ中心部の横梁から構成される。 軸箱支持装置とは、輪軸・軸箱を台車枠に対して保持する機構または装置のことを指す。自動車のサスペンションに相当するもので、軸箱を上下にコイルばねなどを介して十分に可動できるようにする一方、前後・左右には対しては固く抑制することで、一般に高速安定性を重視するもの(新幹線用など)は前後をより固く、曲線通過性を重視するものは前後をやや柔らかく抑制する。また1台車中の前後の車軸をレールに直角になるよう積極的に操舵させる構造の台車もある。 前述のように車体支持装置が車体・台車枠間の変位を受けるのに対し、軸箱支持装置は台車枠と各軸箱(2軸ボギーでは4つ)間の変位を受け、軌道不整、レール継ぎ目、カーブ入り口などで前後輪の高さが違ったり4輪が同一平面から外れたりする場合には、まずその変位を受けることになる。これは車両が高速で安全に走行する際には、台車に装備された輪軸が常に平行を保ちながら、刻々と変化する線路状況において正確に追従する必要があるためである。なお枕ばねと軸ばねの分担関係については鉄道車両の台車史も参照。 以前は、上下の案内にスライドレールの役割をする軸箱守(ペデスタル)を設けて軸箱を滑らせ台車枠との間に軸ばねを介する方式や、ばね支持にイコライザーを介して軸箱を支える方式が多く用いられたが、軸箱守が磨耗すると騒音や蛇行動が発生しやすくなり、強度の摩擦部分のため保守に手が掛かる問題があった。その後軸箱守を用いず、上下案内とばね支持を上下にたわむ高剛性の板ばねで行うものや、リンクを用いるものなど、様々な形が出てきている。 上述のとおり、きわめて多岐に亘るため、構造の詳細は、可能な場合代表的な形式を挙げてそれへのリンクをもってかえる。 比較的古い様式の軸箱支持方式。後述のイコライザー式でも一般に軸箱の案内には軸箱守を用いるが、軸箱守式(ペデスタル式)と称するときには、イコライザーを用いない方式の中での名称として使うことがしばしばある。ただ、軸箱守と軸箱の間にすり板を設ける必要があるため、定期的にすり板の交換が必要である。その中でもばねの種類や配置により種類が分かれる。 釣り合い梁式ともいう。ボギー台車の軸箱の上にそれぞれ支点を設けて軸距の方向にそれぞれの軸箱を抑えるように釣り合い梁を設け、その中央にばね上荷重をかけたもの。軸箱上に直接ばねがないので軸箱の前後運動を抑えて輪軸相互の平行度を保ち、軸箱にかかる荷重の釣り合いがよく行われる強みがあるが、釣り合い梁が外からの点検・ブレーキ調整などの邪魔になる他、重い釣り合い梁がばね下重量となる点では軌道保守上不利であるため国鉄では昭和初期まで、大手私鉄では1950年ころまでの台車に多く用いられた(アメリカではかなり後年まで多用)。 イコライザーのないタイプでは台車枠がイコライザーの代理をすることになるが、劣悪な軌道では負担もある。 鉄道車両で使用されるブレーキ装置は多種多様なものがあるが、ここでは、台車に搭載され、空気圧や油圧によって生じた力をてこ機構により増幅し、車輪やブレーキディスクに摩擦機械的なブレーキ力を伝えて輪軸を抑止する基礎ブレーキ装置について説明する。 制輪子が車輪の踏面を押える踏面ブレーキ式と、制輪子が輪軸に搭載されるブレーキディスクを押えるディスクブレーキ式がある。 電車の動力源による回転力を輪軸へ伝える装置を駆動装置と呼ぶ。 軸箱組立とは、軸受と車軸が収められている所であり、車体の荷重を枕ばねと台車枠から軸箱支持装置を介して受け取り、また車輪で発生した駆動力を軸箱支持装置を介して台車枠に伝え、さらに、心皿・中心ピン・枕梁(ボルスタ)・ボルスタアンカを介するかまたは牽引装置を介して車体に伝える部分である。単に軸箱とも呼ぶ。基本構成要素は軸箱体と軸受。 輪軸とは、車輪と車軸を組み立てたもので、駆動装置による動力が伝えられ、レールを走行する部分である。 その他の台車に装備される装置類としては、以下のようなものがある。 操舵台車は輪軸操舵機構により輪軸の方向を変えて曲線をスムーズに通過できるようにした台車である。普通の台車は車体に対して回転することにより曲線区間を滑らかに通過することができるが、それでもなお1台車の2輪軸は一定間隔(ホイールベース)を保って平行に支持されているため、輪軸とレールが完全に直角にはならず、車輪とレールとの間にアタック角(攻撃角とも。レールの円弧の接線と車輪の進行方向のなす角度。)が発生して車輪のフランジやレールを磨耗させるだけでなく騒音(きしり音やゴロゴロ音)を発生させる。もし、各々の車軸の延長線がレールの曲線の中心(曲線半径の中心)を通るように変位させることができればアタック角が0となり、車輪のフランジやレールの磨耗が一層少なくなり騒音の発生を抑え、さらにスムーズに通過することができるようになる。 このため、単台車において、2つの輪軸のそれぞれ左右に備わる軸箱をクロスアンカーリンクでたすき掛けに結合し、台車枠と軸箱の位置関係を可変させることで曲線通過時の横圧低減を目指すラジアル台車が研究開発されるなど、比較的早期から自己操舵のアイデアは注目されていた。だが、この方式はラジアル台車の機構をボギー台車に応用して1970年代に実用化された南アフリカのシェッフェル台車などを含め、一般に軸箱の前後方向の支持剛性を意図的に低下させることになる。この点は1980年代にカナダのバンクーバーで実用化されたスカイトレイン用Mark Iの操舵リンク方式でも同様で、高速走行時には支持剛性が決定的に不足し蛇行動が発生しやすくなるという、致命的な弱点を抱えていた。 そのため、1台車の中で完結する自己操舵機構を高速鉄道向けとして実現するにあたっては、直進時の軸箱について前後支持剛性の確保と、曲線通過時の前後支持剛性低減による操舵性能の確保という、矛盾した要素の両立が強く求められた。さらに、日本では自然振り子式車両の導入の本格化に伴い、曲線区間での横圧の軽減が軌道保守の観点から特に強く要求されるようになり、自然振り子式と組み合わせることを主眼とした自己操舵台車の研究開発が本格化した。この点についてある程度解決が見られるようになったのは1980年代中盤に入って以降のことで、まず1986年に日本の国鉄がDT953形台車として、制御付き自然振り子と同様に軌道の曲線情報をあらかじめ制御装置に記録し、ATS地上子による位置情報と速度情報から曲線進入を検知、油圧により強制自己操舵を行うという方式を開発、381系電車に装着して本線走行試験が行われた。 この方式はただちに実用化されることはなかったが、こうした実験データの蓄積とその後の研究の進展で、1台車に2組ずつ備わる輪軸のいずれか一方の軸箱と台車枠の水平面における位置関係を固定とし、一方のみを操舵可能とすることで曲線と直線の双方での特性の両立が可能な見通しが立ち、1990年代以降、JR東海の383系電車を皮切りに日本のJR各社を中心に制御付き自然振り子車と組み合わせる形で自己操舵台車を導入するケースが増えている。 このほか、リニアモーター地下鉄の車両ではその構造上、一般的な回転式電動機と駆動装置の接合部が不要であることから操舵機構を用いた台車が採用されており、軸箱に積層ゴムを用いることで自己操舵機構を持つ台車が使用されている(半強制操舵台車)。 現在実用化されているのは以下の各種である。 2軸ボギー台車のうち片側だけを動輪とする場合に使用され、車輪径を前後で違えて動輪となる一方を大径とし、心皿位置をも動軸側に偏倚させた構造で粘着力の強化を図った台車である。ブリル社が特許を取った「Eureka Maximum-Traction Truck 22E」(ユーリカ・マキシマム・トラクション・トラック 22E)は、台車中心ピンの無い「仮想心皿方式」や、曲線区間で従輪(小径輪)の荷重を増して脱線を防ぐ「スプリングコンプレッサー」の採用を特徴とする。 マキシマム・トラクション台車はオタマジャクシのように頭を振りながら走るため、高速走行すると脱線の危険が大きくなるという問題がある。 気動車用の1軸駆動の2軸ボギー台車の車体支持装置を軸間中央ではなく動軸側に偏らせることにより動軸にかかる軸重を増大させ粘着性能を向上させた台車。1930年代の日本の車輌技術では実用的な1台車2軸駆動や2個エンジン連動制御が開発できなかったため気動車の走行性能確保のため偏心台車や片ボギー車が開発された。マキシマム・トラクション台車も偏心台車の一種であるが、気動車用の偏心台車は日本独自のものとされ、日本車輌製造が製造した大隅鉄道むけ気動車を嚆矢とする。採用車の多くは1930年代製だが、1台車1軸駆動のままで一定の粘着性能が確保できることから戦後製の気動車にも大分交通や熊延鉄道をはじめいくつかの私鉄・第三セクター向け気動車で採用例があり、2015年の時点での日本国内における最終製造事例は1988年製造の由利高原鉄道YR1000形YR1005(新潟鐵工所製)となる。 通常、鉄道車両の形式名とは別に、台車に対しても形式名が付与される。 国鉄では、1929年に実施された台車の形式称号の整理に基づき、ボギー台車をTRの後に形式ごとに数字を付けて呼んでいたが、1949年に実施された台車形式命名基準改正により、動力台車についてはDTと数字の形式に改めた。TRはTruckの略であるが、(MTは主電動機の形式に使われていたため)電動のDを付してDTとした。私鉄用の台車は、メーカーの形式をそのまま使うことが多いが、鉄道事業者で独自に付けることもある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "鉄道車両の台車(てつどうしゃりょうのだいしゃ)とは、鉄道車両において、車体に直結されていない、自由度のある走り装置のことである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "車両の走行のための装置の総称は走り装置(または走行装置)であり、台車とは、車体に直結されていない、自由度のある走り装置のことである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "蒸気機関車の動輪やワム80000のような二軸貨車の走り装置は台車とは呼ばない。これらの走り装置は固定軸受もしくは固定車軸と呼ばれる、一方旧式の電気機関車(EF58など)の足回りはボギー台車とかなり異なった形だが、動輪部を含めれっきとした台車(通常は1両につき先台車と主台車を2組で構成される)である。国鉄においてはボギー台車、一軸台車、機関車の主台車、先台車、従台車には台車形式を付与しているが、固定軸受には台車形式は付与していない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また熊本市交通局9700形電車のような超低床電車(いわゆるライトレール)には、1車体4輪としつつ車軸を持たない独立車輪を、それぞれ旋回可能な4つの台車で保持しているものもある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "現在最も多く用いられている2軸ボギー台車は、右図のように1車両あたり4軸を2軸ずつの小さな単位に分割し、車体に対して回転できる(一部に3軸ボギー台車や4軸ボギー台車、あるいはそれらを複数組み合わせて一まとまりとして使用するケースもある)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "鉄道車両の車輪は車軸に固定されており(輪軸という)、初期の蒸気機関車・客車・貨車は4輪、すなわち2軸であった。車体の長大化、重量の増大につれより多くの車輪・車軸が必要となるが、2軸以上を車体に固定すると曲線の通過が困難になる。また、2軸であっても、固定された状態でその間隔(固定軸距)が長くなると、理想的には輪軸がレールと直角になるべきところ、その角度のずれ(アタック角)が大きくなるため、走行抵抗が大きくなり曲線通過が困難になる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ボギー台車は曲線に追従して回転できるため、曲線の通過が容易となる。また、乗り心地や走行性能についても、縦の揺動をボギーの2軸間で一旦平準化するので揺れが少なくなり、ばね装置を2段階にできる点でも固定軸車に比べて有利である。ばね装置を台車構造の内部で完結する構造としたものが多く、車体と台車の機能の切り離しが行われる形になっていたが、近年は、枕ばね(後述)を車体との間に持たせる形のものが増えている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "特に古い機関車の台車については、旅客車のボギー台車とは大きく異なるものが用いられた。これについては機関車の台車を参照されたい。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "台車の役割は次のようなものである。", "title": "台車の役割" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "このうちばね機能と回転機能の概要を図示すると右のとおりで、ばね機能は一般に二種類のばねで分担される。", "title": "台車の役割" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "機関車でとくに旧形のものは、旅客車のボギー台車とは様相が大きく異なる。蒸気機関車の場合、動輪は軸ばねを介して台枠に直接取り付けられるが、先輪・従輪で台枠に対して回転可能なものは、先台車・従台車と呼ばれる。国鉄では形式にLTを付する。これらのうち、2軸で心皿(後述)を中心に回転するものは、ボギー台車の一種である。(元来、旅客車のボギー台車は歴史的には蒸気機関車のそれにならったものである。鉄道車両の台車史#ボギー台車の誕生を参照)。これに対して1軸のものは一般に外の1点を中心に回転して動輪との位置関係でカーブに沿うようにされている。", "title": "台車の種類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "また、日本ではEH10形以降の電気機関車は、頑丈な台枠を持つ車体に連結器が取り付けられ、ボギー台車で駆動する形であるが、それ以前の旧形電気機関車は、蒸気機関車と同様の台車枠(台枠)に動輪が付けられ、連結器はその台車枠に設けられていた。多くの場合、蒸気機関車と同様に先台車が設けられるが、これに対して動輪の部分の台車は主台車と呼ばれ、国鉄では形式にHTを付する。また、多くの形式は前後の台車が中央で中間連結器と呼ばれる連結器によって連結され、牽引力もこの連結器を介して伝達する形になっていた。先台車は、主台車の先端にさらに回転するように取り付けられ、カーブでガイドする役割を担った。", "title": "台車の種類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "6動軸をもつF形機関車で、2軸ボギー台車3組を用いるものは、カーブを曲がるときに線路への横圧が大きくならないよう、中間台車が横動しやすい特殊な構造が用いられる。動輪のない中間台車 が、軸重調整のために設けられる場合もある。また固定した3軸ボギー台車とすると中央の軸の横圧が大きくなるので、DE10形ディーゼル機関車などでは1軸ごとに可動の特殊な形が用いられている。古いタイプの機関車には、3軸台車も多く用いられ、うち2軸のみ動輪など、さまざまなタイプがあった。", "title": "台車の種類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "多くの旅客車で使用されている台車ではおおむね右図のようになっている。通常1では回転機構と、車体・台車枠間の上下・左右動を受けるばねとその振動を減衰させるダンパーの機構、3では軸箱・台車枠間の上下動を受けるばねおよびダンパーの機構を設ける。1を車体支持装置、3を軸箱支持装置とよぶ。両者は、多くの種類が考案・実用化されてきた。なお車体支持装置には一般に前後の牽引力を伝達する装置も組み込まれる。また、列車を止める制動装置(ブレーキ)や、動力台車では、駆動装置が搭載される。", "title": "全体構造" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "台車の前後方向は固定され、車体と台車の間の牽引力・ブレーキ力を伝達する。(なお前後・左右はそれぞれ列車の進行方向と、それに直交する枕木方向。上下は垂直方向とし、回転はこの垂直軸の回りの回転とする)。", "title": "全体構造" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "輪軸がレールに沿って進行するため、基本的に左右方向の動きが拘束され、車体の揺れや曲線で生じる左右の相対移動を台車が大きく負担・吸収すること、操舵のために自ら回転させる必要がないことが、自動車のサスペンションと大きく異なる点として挙げられる。", "title": "全体構造" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "右図のように模式的に車体 - ばね - 輪軸が垂直に並んでいるとして、レールにより上下動が生じた状態では、一般にはばねより下の重量が軽いほど、車輪が容易にレールに追随することになり、またばねを介して車体に与える振動衝撃も少なくなる。一般には鉄道車両の台車では通常台車枠と軸箱間にある軸ばねの下に相当する。また、軸箱以下のばね下重量ほどではないが軸ばねと枕ばねの間、つまり台車枠などの質量も軽いことが望ましく、ばね下重量とばね間重量の軽量化にはさまざまな工夫がされてきた。", "title": "全体構造" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "主要な車体支持機構ごとに、車体と台車枠の間で荷重を伝達する構成要素を右表に示す。略号はそれぞれ、次の運動を行なうことを示す。", "title": "車体支持装置" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "車体と台車(具体的には台車枠)との間の相対運動に関して、枕ばねは上下や左右方向の運動を吸収するが、前後方向については相対的に固定して輪軸と車体の間に生じる前後方向の力、すなわち牽引力やブレーキ力を伝達する必要がある。(なお輪軸と台車枠との間の伝達は下記の軸箱支持装置が行う)。", "title": "車体支持装置" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "スイングハンガー方式、インダイレクトマウント方式においては車体と上揺れ枕または枕ばり(ボルスタ)の間は心皿・中心ピンで伝達されるが、そこから台車枠の間には枕ばねが介在する。またダイレクトマウント方式においては車体とボルスタの間に、ボルスタレス台車では車体と台車枠の間に枕ばねが介在する。しかし枕ばねは一般に横方向の剛性が低く、力の伝達には適しない。そのため以下のように様々な方式が用いられてきた。", "title": "車体支持装置" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ダンパーの種類には次のようなものがある。", "title": "車体支持装置" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "台車枠とは、車体支持装置と軸箱支持装置の中間に位置する構造物を指す。車体重量を均等に各車輪に配分し、各輪軸を平行に保つ。イコライザーのない台車ではイコライザーの作用も分担するが、3軸ボギーでは正しく釣合梁の作用にはならない。台車を進行方向においてみた場合、両側に縦に側梁があり、横に横梁でそれらを結合する。横向きの梁の本数や形態は種類によりさまざまで、端部に設けられる端梁があることもある。車輪は一般に両側の側梁の内側に位置する(下記インサイドフレームの場合は外側になる)。軸箱支持装置の荷重は側梁の真下からかかるのが望ましいが、国鉄TR10形などイコライザー台車では構造上釣り合いばねの中心が側梁の中心とずれることもあり、これを解消するためイコライザーを側梁の内外に設けるなどの策もとられる。", "title": "台車枠" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "その他、主電動機やブレーキなどさまざまな装置を取り付けるためにも用いられる。", "title": "台車枠" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "台車枠の構造としては、古くは形鋼や板材をリベット締結により組み立てる構造、鋳物を使用した構造、プレス成形された鋼材を溶接組立する構造などがある。", "title": "台車枠" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "上から見ると「H」の形をしているのが特徴であり、レールと平行で左右外側に位置する2本の側梁と、この側梁を繋ぐ中心部の横梁から構成される。", "title": "台車枠" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "軸箱支持装置とは、輪軸・軸箱を台車枠に対して保持する機構または装置のことを指す。自動車のサスペンションに相当するもので、軸箱を上下にコイルばねなどを介して十分に可動できるようにする一方、前後・左右には対しては固く抑制することで、一般に高速安定性を重視するもの(新幹線用など)は前後をより固く、曲線通過性を重視するものは前後をやや柔らかく抑制する。また1台車中の前後の車軸をレールに直角になるよう積極的に操舵させる構造の台車もある。", "title": "軸箱支持装置" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "前述のように車体支持装置が車体・台車枠間の変位を受けるのに対し、軸箱支持装置は台車枠と各軸箱(2軸ボギーでは4つ)間の変位を受け、軌道不整、レール継ぎ目、カーブ入り口などで前後輪の高さが違ったり4輪が同一平面から外れたりする場合には、まずその変位を受けることになる。これは車両が高速で安全に走行する際には、台車に装備された輪軸が常に平行を保ちながら、刻々と変化する線路状況において正確に追従する必要があるためである。なお枕ばねと軸ばねの分担関係については鉄道車両の台車史も参照。", "title": "軸箱支持装置" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "以前は、上下の案内にスライドレールの役割をする軸箱守(ペデスタル)を設けて軸箱を滑らせ台車枠との間に軸ばねを介する方式や、ばね支持にイコライザーを介して軸箱を支える方式が多く用いられたが、軸箱守が磨耗すると騒音や蛇行動が発生しやすくなり、強度の摩擦部分のため保守に手が掛かる問題があった。その後軸箱守を用いず、上下案内とばね支持を上下にたわむ高剛性の板ばねで行うものや、リンクを用いるものなど、様々な形が出てきている。", "title": "軸箱支持装置" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "上述のとおり、きわめて多岐に亘るため、構造の詳細は、可能な場合代表的な形式を挙げてそれへのリンクをもってかえる。", "title": "軸箱支持装置" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "比較的古い様式の軸箱支持方式。後述のイコライザー式でも一般に軸箱の案内には軸箱守を用いるが、軸箱守式(ペデスタル式)と称するときには、イコライザーを用いない方式の中での名称として使うことがしばしばある。ただ、軸箱守と軸箱の間にすり板を設ける必要があるため、定期的にすり板の交換が必要である。その中でもばねの種類や配置により種類が分かれる。", "title": "軸箱支持装置" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "釣り合い梁式ともいう。ボギー台車の軸箱の上にそれぞれ支点を設けて軸距の方向にそれぞれの軸箱を抑えるように釣り合い梁を設け、その中央にばね上荷重をかけたもの。軸箱上に直接ばねがないので軸箱の前後運動を抑えて輪軸相互の平行度を保ち、軸箱にかかる荷重の釣り合いがよく行われる強みがあるが、釣り合い梁が外からの点検・ブレーキ調整などの邪魔になる他、重い釣り合い梁がばね下重量となる点では軌道保守上不利であるため国鉄では昭和初期まで、大手私鉄では1950年ころまでの台車に多く用いられた(アメリカではかなり後年まで多用)。 イコライザーのないタイプでは台車枠がイコライザーの代理をすることになるが、劣悪な軌道では負担もある。", "title": "軸箱支持装置" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "鉄道車両で使用されるブレーキ装置は多種多様なものがあるが、ここでは、台車に搭載され、空気圧や油圧によって生じた力をてこ機構により増幅し、車輪やブレーキディスクに摩擦機械的なブレーキ力を伝えて輪軸を抑止する基礎ブレーキ装置について説明する。", "title": "ブレーキ装置" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "制輪子が車輪の踏面を押える踏面ブレーキ式と、制輪子が輪軸に搭載されるブレーキディスクを押えるディスクブレーキ式がある。", "title": "ブレーキ装置" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "電車の動力源による回転力を輪軸へ伝える装置を駆動装置と呼ぶ。", "title": "駆動装置" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "軸箱組立とは、軸受と車軸が収められている所であり、車体の荷重を枕ばねと台車枠から軸箱支持装置を介して受け取り、また車輪で発生した駆動力を軸箱支持装置を介して台車枠に伝え、さらに、心皿・中心ピン・枕梁(ボルスタ)・ボルスタアンカを介するかまたは牽引装置を介して車体に伝える部分である。単に軸箱とも呼ぶ。基本構成要素は軸箱体と軸受。", "title": "軸箱組立" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "輪軸とは、車輪と車軸を組み立てたもので、駆動装置による動力が伝えられ、レールを走行する部分である。", "title": "輪軸" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "その他の台車に装備される装置類としては、以下のようなものがある。", "title": "その他の装置" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "操舵台車は輪軸操舵機構により輪軸の方向を変えて曲線をスムーズに通過できるようにした台車である。普通の台車は車体に対して回転することにより曲線区間を滑らかに通過することができるが、それでもなお1台車の2輪軸は一定間隔(ホイールベース)を保って平行に支持されているため、輪軸とレールが完全に直角にはならず、車輪とレールとの間にアタック角(攻撃角とも。レールの円弧の接線と車輪の進行方向のなす角度。)が発生して車輪のフランジやレールを磨耗させるだけでなく騒音(きしり音やゴロゴロ音)を発生させる。もし、各々の車軸の延長線がレールの曲線の中心(曲線半径の中心)を通るように変位させることができればアタック角が0となり、車輪のフランジやレールの磨耗が一層少なくなり騒音の発生を抑え、さらにスムーズに通過することができるようになる。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "このため、単台車において、2つの輪軸のそれぞれ左右に備わる軸箱をクロスアンカーリンクでたすき掛けに結合し、台車枠と軸箱の位置関係を可変させることで曲線通過時の横圧低減を目指すラジアル台車が研究開発されるなど、比較的早期から自己操舵のアイデアは注目されていた。だが、この方式はラジアル台車の機構をボギー台車に応用して1970年代に実用化された南アフリカのシェッフェル台車などを含め、一般に軸箱の前後方向の支持剛性を意図的に低下させることになる。この点は1980年代にカナダのバンクーバーで実用化されたスカイトレイン用Mark Iの操舵リンク方式でも同様で、高速走行時には支持剛性が決定的に不足し蛇行動が発生しやすくなるという、致命的な弱点を抱えていた。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "そのため、1台車の中で完結する自己操舵機構を高速鉄道向けとして実現するにあたっては、直進時の軸箱について前後支持剛性の確保と、曲線通過時の前後支持剛性低減による操舵性能の確保という、矛盾した要素の両立が強く求められた。さらに、日本では自然振り子式車両の導入の本格化に伴い、曲線区間での横圧の軽減が軌道保守の観点から特に強く要求されるようになり、自然振り子式と組み合わせることを主眼とした自己操舵台車の研究開発が本格化した。この点についてある程度解決が見られるようになったのは1980年代中盤に入って以降のことで、まず1986年に日本の国鉄がDT953形台車として、制御付き自然振り子と同様に軌道の曲線情報をあらかじめ制御装置に記録し、ATS地上子による位置情報と速度情報から曲線進入を検知、油圧により強制自己操舵を行うという方式を開発、381系電車に装着して本線走行試験が行われた。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "この方式はただちに実用化されることはなかったが、こうした実験データの蓄積とその後の研究の進展で、1台車に2組ずつ備わる輪軸のいずれか一方の軸箱と台車枠の水平面における位置関係を固定とし、一方のみを操舵可能とすることで曲線と直線の双方での特性の両立が可能な見通しが立ち、1990年代以降、JR東海の383系電車を皮切りに日本のJR各社を中心に制御付き自然振り子車と組み合わせる形で自己操舵台車を導入するケースが増えている。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "このほか、リニアモーター地下鉄の車両ではその構造上、一般的な回転式電動機と駆動装置の接合部が不要であることから操舵機構を用いた台車が採用されており、軸箱に積層ゴムを用いることで自己操舵機構を持つ台車が使用されている(半強制操舵台車)。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "現在実用化されているのは以下の各種である。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2軸ボギー台車のうち片側だけを動輪とする場合に使用され、車輪径を前後で違えて動輪となる一方を大径とし、心皿位置をも動軸側に偏倚させた構造で粘着力の強化を図った台車である。ブリル社が特許を取った「Eureka Maximum-Traction Truck 22E」(ユーリカ・マキシマム・トラクション・トラック 22E)は、台車中心ピンの無い「仮想心皿方式」や、曲線区間で従輪(小径輪)の荷重を増して脱線を防ぐ「スプリングコンプレッサー」の採用を特徴とする。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "マキシマム・トラクション台車はオタマジャクシのように頭を振りながら走るため、高速走行すると脱線の危険が大きくなるという問題がある。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "気動車用の1軸駆動の2軸ボギー台車の車体支持装置を軸間中央ではなく動軸側に偏らせることにより動軸にかかる軸重を増大させ粘着性能を向上させた台車。1930年代の日本の車輌技術では実用的な1台車2軸駆動や2個エンジン連動制御が開発できなかったため気動車の走行性能確保のため偏心台車や片ボギー車が開発された。マキシマム・トラクション台車も偏心台車の一種であるが、気動車用の偏心台車は日本独自のものとされ、日本車輌製造が製造した大隅鉄道むけ気動車を嚆矢とする。採用車の多くは1930年代製だが、1台車1軸駆動のままで一定の粘着性能が確保できることから戦後製の気動車にも大分交通や熊延鉄道をはじめいくつかの私鉄・第三セクター向け気動車で採用例があり、2015年の時点での日本国内における最終製造事例は1988年製造の由利高原鉄道YR1000形YR1005(新潟鐵工所製)となる。", "title": "特殊な台車" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "通常、鉄道車両の形式名とは別に、台車に対しても形式名が付与される。", "title": "台車の形式名" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "国鉄では、1929年に実施された台車の形式称号の整理に基づき、ボギー台車をTRの後に形式ごとに数字を付けて呼んでいたが、1949年に実施された台車形式命名基準改正により、動力台車についてはDTと数字の形式に改めた。TRはTruckの略であるが、(MTは主電動機の形式に使われていたため)電動のDを付してDTとした。私鉄用の台車は、メーカーの形式をそのまま使うことが多いが、鉄道事業者で独自に付けることもある。", "title": "台車の形式名" } ]
鉄道車両の台車(てつどうしゃりょうのだいしゃ)とは、鉄道車両において、車体に直結されていない、自由度のある走り装置のことである。
[[File:Brill77E.JPG|250 px|thumb|[[ブリル]]77E形<br/>[[広島電鉄]][[千田車庫]]<br/>2008年6月8日]] {{Train topics}} '''鉄道車両の台車'''(てつどうしゃりょうのだいしゃ)とは、[[鉄道車両]]において、[[構体 (鉄道車両)|車体]]に直結されていない、[[自由度]]のある走り装置のことである。 == 概要 == [[File:Bogiediagramfromfrwp.png|thumb|250px|曲線でのボギー台車の働き]] 車両の走行のための装置の総称は'''走り装置'''(または走行装置)であり、'''台車'''とは、車体に直結されていない、自由度のある走り装置のことである。 蒸気機関車の動輪や[[国鉄ワム80000形貨車|ワム80000]]のような[[二軸車 (鉄道)|二軸貨車]]の走り装置は台車とは呼ばない<ref name="yosi">吉川1989。</ref><ref>持永芳文・宮本昌幸 編著 『鉄道技術140年の歩み』 コロナ社2012年 p160、p162。</ref>。<!-- 上記の走り装置は直接もしくは、ばねを介して台枠に固定されているため「車体に直結されていない、自由度のある走り装置」という台車の定義から外れる。-->これらの走り装置は固定軸受もしくは固定車軸と呼ばれる<ref group="注釈">固定軸受は単台車などと呼ばれることもあるが、固定軸受・単台車・一軸台車はそれぞれ構造が異なるものである。</ref>、一方旧式の電気機関車(EF58など)の足回りはボギー台車とかなり異なった形だが、動輪部を含めれっきとした台車(通常は1両につき先台車と主台車を2組で構成される)である<ref name=台車の構造(電気機関車の)>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.998-1000「【台車の構造(電気機関車の)】」。</ref>。国鉄においてはボギー台車、一軸台車、機関車の主台車、先台車、従台車には台車形式を付与しているが、固定軸受には台車形式は付与していない。 また[[熊本市交通局9700形電車]]のような[[超低床電車]](いわゆる[[ライトレール]])には、1車体4輪としつつ車軸を持たない独立車輪を、それぞれ旋回可能な4つの台車で保持しているものもある。 現在最も多く用いられている'''2軸ボギー台車'''は、右図のように1車両あたり4軸を2軸ずつの小さな単位に分割し、車体に対して回転できる(一部に3軸ボギー台車や4軸ボギー台車、あるいはそれらを複数組み合わせて一まとまりとして使用するケースもある)。 鉄道車両の車輪は車軸に固定されており([[輪軸 (鉄道車両)|輪軸]]という)、初期の[[蒸気機関車]]・[[客車]]・[[貨車]]は4輪、すなわち2軸であった。車体の長大化、重量の増大につれより多くの車輪・車軸が必要となるが、2軸以上を車体に固定すると曲線の通過が困難になる。また、2軸であっても、固定された状態でその間隔(固定軸距)が長くなると、理想的には輪軸がレールと直角になるべきところ、その角度のずれ(アタック角)が大きくなるため、走行抵抗が大きくなり曲線通過が困難になる。 ボギー台車は曲線に追従して回転できるため、曲線の通過が容易となる。また、乗り心地や走行性能についても、縦の揺動をボギーの2軸間で一旦平準化するので揺れが少なくなり、ばね装置を2段階にできる点でも固定軸車に比べて有利である。ばね装置を台車構造の内部で完結する構造としたものが多く、車体と台車の機能の切り離しが行われる形になっていたが、近年は、枕ばね(後述)を車体との間に持たせる形のものが増えている。 特に古い機関車の台車については、旅客車のボギー台車とは大きく異なるものが用いられた。これについては機関車の台車を参照されたい。 == 台車の役割 == [[File:Function of Bogie ja.png|thumb|200px|台車に設けられる二種類のばね]] 台車の役割は次のようなものである。 * 車体の重量を[[車輪]]を介して[[軌条|レール]]に伝えることで車体を保持する。 * 車体をレールにそって安定して高速に走行させる。 * 車輪の回転による推進力(動台車の場合)および制動時のブレーキ力を車体に伝える。 * 曲線で、レールから車輪に伝わった横向きの力(方向を変える力)を車体に伝える。同時に、車輪がカーブに沿うよう台車自身を回転可能とする([[ボギー台車]])。 * 走行時に線路から伝わる振動や衝撃をなるべく車体に伝えないように減衰させる。 * [[線路 (鉄道)|線路]]の平面からのずれを補償(吸収)して、4つの車輪がレールから浮かないようにする。 * 駆動装置、ブレーキ装置が組み込まれる。多くの電気車の場合は動力装置となる[[電動機|モーター]]も組み込む。 このうちばね機能と回転機能の概要を図示すると右のとおりで、ばね機能は一般に二種類のばねで分担される。 == 台車の種類 == === 基本的な分類 === ; [[一軸台車]] [[File:ED6214b.jpg|thumb|150px|[[国鉄ED62形電気機関車]]14号のTR109形1軸中間台車<br />(佐久間レールパーク)]] : 一つの[[輪軸 (鉄道車両)|輪軸]]で構成される台車。一軸台車は[[東急デハ200形電車|東急デハ200形]]の[[連接台車]] (TS-501) や写真の[[国鉄ED62形電気機関車|ED62電気機関車]]の中間台車 (TR109) などで採用されている。 ; 単台車 [[File:Hakodate-tram39-amid.jpg|thumb|220px|[[函館市交通局30形電車|函館市交通局30形]]<br />単台車のBrill 21Eを装着する車両の例。]] : 古典的な電車の[[二軸車 (鉄道)|4輪単車]]などに、1車体に1台取り付けられている台車<ref group="注釈">英語のsingle truck car が由来とされる。</ref>。台車が台枠に対してばねを介して取り付けられているため、車体に対する回転(首振り)機能は持たない。ラジアル式台車は単台車の輪軸を前後方向にも可動する構造にして曲線通過性能を向上した台車で、[[ブリル|J.G.Brill]]社や[[ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス]]社、それに丹羽工業所などが1910年代に製造した。文献によっては「台車枠を有せず、輪軸を直接車体に取り付けたもの」と一般的な[[二軸車 (鉄道)|二軸車]]の固定軸受と紛らわしい定義にされることもある<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1000・1002「【台車の種類】6 単台車」</ref>が、固定軸受がばねを介して一つの輪軸が台枠に取り付けられているのに対して、単台車は二つの輪軸がばねを介して台車枠に取り付けられ、その台車枠がばねを介して台枠に取り付けられている<ref group="注釈">ばね装置が固定軸車が1段階なのに対し単台車は2段階にあるということでもある。</ref>。 ; [[ボギー台車]] [[File:TR71.jpg|thumb|200px|イコライザー式三軸ボギー台車の例<br/>([[国鉄TR10形台車#派生形式|国鉄TR71形]])]] : 電車・客車などで1車体に2台取り付けられる台車。機関車には使用条件や要求性能に応じて1車体に3台ないしは4台取り付ける場合もある。 :* 2軸ボギー台車 :* 3軸ボギー台車 :* 4軸以上のボギー台車:特殊。日本では重量物を運ぶ[[大物車]]に用いられるのみ。 :* 複式ボギー台車 ==== 機関車の台車 ==== 機関車でとくに旧形のものは、旅客車のボギー台車とは様相が大きく異なる。蒸気機関車の場合、動輪は軸ばねを介して台枠に直接取り付けられるが、[[先輪]]・[[従輪]]で台枠に対して回転可能なものは、'''先台車'''・'''従台車'''と呼ばれる。国鉄では形式に'''LT'''<ref group="注釈">英語のLeading Truck(先台車)の頭文字より。</ref>を付する。これらのうち、2軸で心皿(後述)を中心に回転するものは、ボギー台車の一種である。(元来、旅客車のボギー台車は歴史的には蒸気機関車のそれにならったものである。[[鉄道車両の台車史#ボギー台車の誕生]]を参照)。これに対して1軸のものは一般に外の1点を中心に回転して動輪との位置関係でカーブに沿うようにされている。 また、日本では[[国鉄EH10形電気機関車|EH10形]]以降の電気機関車は、頑丈な台枠を持つ車体に[[連結器]]が取り付けられ、ボギー台車で駆動する形であるが、それ以前の旧形電気機関車は、蒸気機関車と同様の台車枠(台枠)に動輪が付けられ、連結器はその台車枠に設けられていた。多くの場合、蒸気機関車と同様に先台車が設けられるが、これに対して動輪の部分の台車は'''主台車'''と呼ばれ、国鉄では形式に'''HT'''<ref group="注釈">Hはドイツ語のHaupt(主の意)から。</ref>を付する。また、多くの形式は前後の台車が中央で中間連結器と呼ばれる連結器によって連結され、牽引力もこの連結器を介して伝達する形になっていた。先台車は、主台車の先端にさらに回転するように取り付けられ、カーブでガイドする役割を担った<ref name=台車の構造(電気機関車の)/><ref group="注釈">両端に付いているが、双方向に運転されるので、一般に両方とも先台車と言う。</ref>。 6動軸をもつF形機関車で、2軸ボギー台車3組を用いるものは、カーブを曲がるときに線路への横圧が大きくならないよう、'''中間台車'''が横動しやすい特殊な構造が用いられる。動輪のない中間台車 が、軸重調整のために設けられる場合もある。また固定した3軸ボギー台車とすると中央の軸の横圧が大きくなるので、[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形ディーゼル機関車]]などでは1軸ごとに可動の特殊な形が用いられている。古いタイプの機関車には、3軸台車も多く用いられ、うち2軸のみ動輪など、さまざまなタイプがあった。<!--機関車の台車については、後に一章設けるか、または記事を分割するか? --> === 動力の有無による分類 === ; 動力台車及び電動台車 : [[動力車]]において、台車に減速歯車と駆動装置が付いているものを動力台車、特に[[主電動機]]が付いているものは電動台車と呼ぶ<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1000「【台車の種類】3 動軸台車及び電動台車」</ref>。 :ただし旧式電気機関車の動輪が付いている台車は従台車と組み合わせて使う関係で「主台車」と呼ぶ<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1000「【台車の種類】1 主台車」</ref>。 ; 付随台車 : 客車や貨車、電車などの[[付随車]]に用いられる駆動装置のない台車<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1000・1002「【台車の種類】4 付随台車」</ref>。一般に[[鉄道のブレーキ|制動装置(ブレーキ装置)]]は装備されている。動力車においても、機関車では[[活荷重|軸重]]調整、[[気動車]]では1エンジン車、電車では[[MT比]]の調整などで、一部の台車を付随台車とする場合もある。 :ただし通常蒸気機関車や旧式電気機関車の前後にある曲線通過時の運転を円滑にするための台車は「先台車」「従台車」と呼ばれる<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1000「【台車の種類】2 先台車および従台車」</ref>。また、一部の蒸気機関車では[[ブースター (蒸気機関車)|ブースター]]と称し、従台車に小型の蒸気機関による駆動装置を取り付けて始動時の加速補助にのみこれを使用するケースが存在したが、これは動輪に含めない。 === 車両への取り付け位置による名称 === [[File:Jacobs bogie of EER 300.jpg|thumb|200px|連接台車の例([[江ノ島鎌倉観光300形電車|江ノ島電鉄300形電車]])]] ; [[連接台車]]・端台車・関節台車 : 車体の長い電車などで車体を常時分割しない連結にし、その連結部分に広い上心皿をもうけてこれを台車の芯皿と組み合わせたもの<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1000「【台車の種類】5 関節台車」</ref>。多くの場合ボギー台車が使用されるが、1軸台車が使われる場合もある。 : 対して連接車の車端に設置される連接構造ではない台車は端台車と呼ばれることもある。 : 連接車は車体に2つの台車を設けるボギー車に比較して、[[編成 (鉄道)|編成]]における台車の数が少なくなるが、その得失については当該項目を参照されたい。 ; 中間台車 : ボギー車に3台以上台車が取り付けられている場合、中間部分に設置された台車の名称。多くの場合ボギー台車が使用されるが、1軸台車が使われる場合もある。 ; 先台車・従台車 {{-}} == 全体構造 == {| class="wikitable" style="text-align:center; float:right; font-size:90%;" |+台車の荷重伝達順序 |- | |車体 |- |1 |'''車体支持装置'''<br />(上下・左右動、回転を受ける部分) |- |2 | 台車枠 |- |3 |'''軸箱支持装置'''<br />(上下動を受ける部分) |- |4 | 軸箱 - 軸受(輪軸回転を受ける) |- |5 | 輪軸(車軸 - 車輪) |- | | レール |} 多くの旅客車で使用されている台車ではおおむね右図のようになっている。通常1では回転機構と、車体・台車枠間の上下・左右動を受けるばねとその振動を減衰させるダンパーの機構、3では軸箱・台車枠間の上下動を受けるばねおよびダンパーの機構を設ける。1を'''車体支持装置'''、3を'''軸箱支持装置'''とよぶ。両者は、多くの種類が考案・実用化されてきた。なお車体支持装置には一般に前後の牽引力を伝達する装置も組み込まれる。また、列車を止める制動装置(ブレーキ)や、動力台車では、駆動装置が搭載される。 台車の前後方向は固定され、車体と台車の間の牽引力・ブレーキ力を伝達する。(なお前後・左右はそれぞれ列車の進行方向と、それに直交する枕木方向。上下は垂直方向とし、回転はこの垂直軸の回りの回転とする<ref group="注釈">厳密には他の2軸の回転もあるがこれは上下動に分解して受ける。</ref>)。 輪軸がレールに沿って進行するため、基本的に左右方向の動きが拘束され、車体の揺れや曲線で生じる左右の相対移動を台車が大きく負担・吸収すること、操舵のために自ら回転させる必要がないことが、自動車のサスペンションと大きく異なる点として挙げられる。 === ばね下重量・ばね間重量 === [[File:Conventional-2.jpeg|thumb|80px]] 右図のように模式的に車体 - ばね - 輪軸が垂直に並んでいるとして、レールにより上下動が生じた状態では、一般にはばねより下の重量が軽いほど、車輪が容易にレールに追随することになり、またばねを介して車体に与える振動衝撃も少なくなる。一般には鉄道車両の台車では通常台車枠と軸箱間にある軸ばねの下に相当する。また、軸箱以下のばね下重量ほどではないが軸ばねと枕ばねの間、つまり台車枠などの質量も軽いことが望ましく、[[ばね下重量]]とばね間重量の軽量化にはさまざまな工夫がされてきた。 {{-}} == 車体支持装置 == === 車体支持方式 === [[File:JRE-TR-235D.jpg|thumb|200px|上面から見たボルスタレス台車 (TR235D<!--T205-116と書いてあるのでこう判断 -->)]] * スイングハンガー方式(揺れ枕吊り方式):詳細は[[ボルスタアンカー#揺れ枕もり方式とその欠点|揺れ枕守方式とその欠点]]を参照。 * インダイレクトマウント:詳細は[[ボルスタアンカー#インダイレクトマウント方式|インダイレクトマウント方式]]を参照。 * ダイレクトマウント:詳細は[[ボルスタアンカー#枕梁の機構|枕ばりの機構]]および[[ボルスタアンカー#牽引力を伝達するボルスタアンカー|牽引力を伝達するボルスタアンカー]]を参照。 * ボルスタレス:[[鉄道車両の台車史#ボルスタレス台車|ボルスタレス台車]]を参照。 {{-}} === 車体支持装置の構成要素 === {| class="wikitable" style="text-align:center; float:right; font-size:80%;" |+ 主要な車体支持機構の構成要素 |- !スイングハンガー方式!!インダイレクトマウント方式!!ダイレクトマウント方式!!ボルスタレス方式 |- |colspan=4|車体 |- |colspan=2|心皿・側受 (Y)||枕ばね (V+H)||枕ばね (Y+V+H) |- |上揺れ枕||colspan=2|ボルスタ||台車枠 |- |枕ばね (V)||枕ばね (V+H)||心皿・側受 (Y)|| |- |下揺れ枕||colspan=2|台車枠|| |- |揺れ枕つり (H) <ref group="注釈">実際には上揺れ枕 - 台車枠間が一連の揺れ装置(左右動を行なう)をなしているが、これで代表させる。</ref>|||||| |- |台車枠|||||| |} 主要な車体支持機構ごとに、車体と台車枠の間で荷重を伝達する構成要素を右表に示す。略号はそれぞれ、次の運動を行なうことを示す。 * Y: [[ヨーイング|回転 (Yawing)]] * V: 上下方向 (Vertical) * H: 左右方向 (Horizontal) [[File:JNR-TR43-3.jpg|thumb|200px|心皿・側受部分([[国鉄TR23形台車#派生形式|国鉄TR43形]])]] [[File:JNR-TR43-2.jpg|thumb|200px|スイングハンガー方式を採用する台車の、重ね板ばねによる枕ばね部。(国鉄TR43形)]] <!--将来的には、方式によって区分することも考えられる --> ; 中心ピン・心皿 : 車体底部から下向きに凸になった部分(上心皿)が、上揺れ枕または枕梁の上に凹になった円形の穴(下心皿)にはめ込まれ、垂直荷重を受け、回転を行ない、牽引力を伝達する。また摺動摩擦により過大な回転を抑えるようになっている。詳細は、[[ボルスタアンカー#枕梁の機構|枕ばりの機構]]も参照。 ; 側受 : 上揺れ枕または枕梁の左右に設置され、車体傾斜時にのみ荷重を負担する場合と、常に荷重支持を負担する場合とがある。歴史的には前者の方がより古い。一般に擦り板の摺動抵抗により回転を案内するが、車体傾斜時にのみ荷重を負担するタイプの一部には台車側にローラーを設置するものもあった<ref>『日本車輛製品案内 昭和5年(NSK型トラック)』 p.15</ref>。また、一般には台車1台につき心皿の左右に1組ずつ設置されるが、古い3軸ボギー台車では各車輪間の枕梁ごとに側受を置く構造であったため、左右2組を設置した。 : 右写真(心皿・側受部分)中央の、車体の枕梁から下に突き出すように固定された円筒形部品の底に接触するのが心皿。奥に上下非接触状態の側受が見える。この形式のように古い設計の台車では、一般に心皿が全荷重を負担するため、曲線通過時などの車体傾斜時以外には左右の側受は接触しない。 ; 揺れ枕 : スイングハンガー方式の場合2つあり、上揺れ枕、下揺れ枕と呼ばれ間に枕ばねをもつ。下揺れ枕は揺れ枕つりで台車枠に吊り下げられ、これが揺動することで振動を吸収する揺れ装置をなす。詳細は[[ボルスタアンカー#揺れ枕もり方式とその欠点|揺れ枕守方式とその欠点]]を参照。 ; 揺れ枕つり : 台車枠の内部の横梁、または側梁の外側から下揺れ枕を吊り下げるリンク。線路方向に揺動を許容するタイプと、枕木方向に揺動を許容するタイプの2種が存在する。右の写真(TR43形枕ばね部)では台車枠の内側から揺れ枕つりが下げられ、枕木方向の揺動を許容するようにリンクが構成されている。(下記[[#枕ばね|枕ばね]]節の写真のDT21B形では台車枠の外側から下げられている)。多くの場合、下部が開くハの字形にされ、揺動に際して中心に復元する力を与えるとともに、揺れ枕中心部、すなわち心皿部分の上下動が少なくなるように構成されている。一部ではT字形のリンクとその左右に小型のリンクを組み合わせ、短いリンク長でより長いリンクと等価の作用を得られるようにしたものも存在する。一方機関車の中間台車など、横圧を小さくしなくてはならないものは、リンクを長くしたり、等価的に長くなる機構を採用したりして、復元力を極力小さくしている。 ; 枕ばり(ボルスタ) : 上の揺れ枕を1つに置き換えたものと見ることもできる(英語では揺れ枕もBolsterである)。詳細は[[ボルスタアンカー#枕梁の機構|枕ばりの機構]]および[[ボルスタアンカー#インダイレクトマウント方式|インダイレクトマウント方式]]を参照。 ; 枕ばね : 車体と台車枠の間に設けられるばね装置。古くは主に上下動を受けるものであったが、多くの方向の運動を受けるものに発展してきて、材質・機構の変化とともに台車の中でも役割分担の変動の激しい部分である。スイングハンガー方式では揺れ枕装置の中、インダイレクトマウント方式ではボルスタの下と、車体とはなれて台車内部にあるが、ダイレクトマウント方式・ボルスタレス方式ではボルスタや台車枠と車体との間に位置して直接車体を支持する。詳細は[[枕ばね]]を参照。 : 右の写真(枕ばね部)の形式では複列の重ね板ばねを上下向かい合わせに組み合わせた枕ばね本体が、台車枠の内側から揺れ枕つりで吊り下げられた下揺れ枕に乗っている。また、軸箱間を連結するローワーレール(下軸箱守控:写真手前下側に写っている横方向の鋼棒)と呼ばれる補強梁が渡してあり、揺れ枕吊りによる枕木方向のスイングの際にこれと干渉するため、揺れ枕の可動範囲に制約があることがわかる。 === 前後方向の力の伝達 === 車体と台車(具体的には台車枠)との間の相対運動に関して、枕ばねは上下や左右方向の運動を吸収するが、前後方向については相対的に固定して輪軸と車体の間に生じる前後方向の力、すなわち牽引力やブレーキ力を伝達する必要がある。(なお輪軸と台車枠との間の伝達は下記の軸箱支持装置が行う)。 スイングハンガー方式、インダイレクトマウント方式においては車体と上揺れ枕または枕ばり(ボルスタ)の間は心皿・中心ピンで伝達されるが、そこから台車枠の間には枕ばねが介在する。またダイレクトマウント方式においては車体とボルスタの間に、ボルスタレス台車では車体と台車枠の間に枕ばねが介在する。しかし枕ばねは一般に横方向の剛性が低く、力の伝達には適しない。そのため以下のように様々な方式が用いられてきた。 ; 揺れ枕守方式 : スイングハンガー方式の中でも古い台車では上揺れ枕と台車枠の間に「すり板」を設け、相互に揺動する両者を接触させることで、前後の牽引力の伝達を行う揺れ枕守方式が主流であった。しかし揺れ枕守は、構造が簡単で安価な一方で、台車の揺れにより摩耗し「がたつき」を起こしやすいことが欠点である。詳細は[[ボルスタアンカー#揺れ枕もり方式とその欠点]]を参照されたい。 ; ボルスタアンカー : 上の欠点を克服するものとして登場したのが[[ボルスタアンカー]]である。ボルスタアンカーは、枕ばねの上端・下端を前後方向に拘束し、牽引力やブレーキ力を伝達するもので、その他の動きは拘束しない。スイングハンガー方式では上揺れ枕と台車枠の間に、インダイレクトマウント方式ではボルスタと台車枠の間に設けられる。詳細は[[ボルスタアンカー#ボルスタアンカーのバリエーション]]を参照されたい。 : 一方ダイレクトマウント方式においては車体とボルスタの間に設けられる。詳細は[[ボルスタアンカー#牽引力を伝達するボルスタアンカー]]を参照されたい。 [[File:KINTETSU 21000 020.JPG|thumb|200px|近畿車輛KD-97形台車<br/>ボルスタアンカーとヨーダンパを併設する台車の例。車体と揺れ枕を結合するボルスタアンカー(上)と、車体と台車枠の間の振動を吸収するヨーダンパ(下)が枕梁の下に並んで取り付けられている。]] ; 牽引装置 : 枕ばりを持たない[[ボルスタレス台車]]には、[[牽引装置]]が設けられて回転運動などは拘束せずに前後の力を車体と台車枠の間で伝達する。'''門形板ばね'''、'''Zリンク'''、'''1本リンク'''、'''積層ゴム式'''などの方式が存在する。 : なおボルスタレス台車においては、上記ボルスタアンカーと類似した外観を呈するが牽引力の伝達を行うのではない[[蛇行動#ヨーダンパ|ヨーダンパ]]が設けられていることも多い。また、ごく一部のボルスタアンカー付き台車では、高速時の蛇行動対策としてヨーダンパを併設した例が存在する。その詳細は[[ボルスタアンカー#ヨーダンパとボルスタアンカー]]を参照されたい。 === ばね・ダンパーの種類 === ==== 枕ばね ==== [[File:JNR-DT21B-2.jpg|thumb|200px|スイングハンガー方式台車のコイルばねによる枕ばね部(左)。上下方向の振動を減衰させる[[ショックアブソーバー|オイルダンパー]]が設けられている。右はウイングばね軸箱守式軸箱支持装置。(国鉄[[国鉄DT21形台車|DT21B形]])]] {{main|枕ばね}} * 金属[[ばね]] ** [[リーフ式サスペンション|板ばね]]:同重量ではコイルばねより負担荷重が小さいが、内部で摩擦損失があって振動を減衰させる働きがあり、古くは枕ばねに好んで用いられた。 ** [[巻きばね|コイル(蔓巻き)ばね]]:ダンパーで振動を減衰させる手法が一般化してからよく用いられた。 ** [[エリゴばね]]:金属のコイルばねに筒状にゴムを被覆したもので、ゴムによる(特に高周波の)振動減衰が期待できる。ゴミや雪など異物の噛み込みを防ぐ効果もある。 ** [[トーションバー・スプリング]](ねじり棒ばね S.I.G式 [[日本車輌製造|日本車両]]):金属棒のねじりに対する復元力による弾性を利用したもの。<!--日車SIG台車はND509だけではありません--> * [[ゴムばね]] * [[空気ばね#鉄道車両|空気ばね]]:[[鉄道車両の台車史#空気ばね|鉄道車両の台車史]]も参照。 ** [[蛇腹|ベローズ]]形:縦に蛇腹形になったもので、垂直荷重は受けるが、横変形には弱い。 ** [[ダイアフラム]]形:おわんを伏せたような形で、垂直荷重のほか、横変形にも復元力が働くが用途によってその特性は異なる。 ==== ダンパー ==== [[ショックアブソーバー|ダンパー]]の種類には次のようなものがある。 * 垂直方向 ** ダンパー:枕ばねや軸ばねの振動を減衰する。(枕ばねのダンパーは上記「枕ばね」節の写真を参照)。 * 水平方向 ** [[蛇行動#ヨーダンパ|ヨーダンパー]]:ボルスタレス台車において、車体との間にレール方向に置かれ、台車[[蛇行動]]を抑える。 ** 左右動ダンパー:車体床下の中心ピンと台車を[[枕木]]方向に結び、車体の左右動を抑える。 <gallery> File:JRE-TR255A-closeup.jpg|[[JR東日本E233系電車|JR東日本E233系]]のTR255A形台車の軸箱支持装置部。垂直なダンパーが見える。 File:JRW-WDT50H.jpg|[[JR西日本221系電車|JR西日本モハ221]]のWDT50H。レールに平行なヨーダンパが見える。 </gallery> ==== 振動制御装置 ==== * [[セミアクティブサスペンション|セミアクティブ式]] * [[アクティブサスペンション|アクティブ式]] === 車体傾斜装置 === {{main|振り子式車両}} * 自然式 * 強制式 * 制御付き自然式 == 台車枠 == === 構造概要 === '''台車枠'''とは、車体支持装置と軸箱支持装置の中間に位置する構造物を指す。車体重量を均等に各車輪に配分し、各輪軸を平行に保つ。イコライザーのない台車ではイコライザーの作用も分担するが、3軸ボギーでは正しく釣合梁の作用にはならない。台車を進行方向においてみた場合、両側に縦に側梁があり、横に横梁でそれらを結合する。横向きの梁の本数や形態は種類によりさまざまで、端部に設けられる端梁があることもある。車輪は一般に両側の側梁の内側に位置する(下記インサイドフレームの場合は外側になる)。軸箱支持装置の荷重は側梁の真下からかかるのが望ましいが、[[国鉄TR10形台車|国鉄TR10形]]などイコライザー台車では構造上釣り合いばねの中心が側梁の中心とずれることもあり、これを解消するためイコライザーを側梁の内外に設けるなどの策もとられる。 その他、主電動機やブレーキなどさまざまな装置を取り付けるためにも用いられる。 === 台車枠の種類 === 台車枠の構造としては、古くは形鋼や板材をリベット締結により組み立てる構造、鋳物を使用した構造、プレス成形された鋼材を溶接組立する構造などがある<ref>野元浩『電車基礎講座』p.97</ref>。 * 菱枠台車 ** 台車枠の側面形状を平鋼で組み立てた軸箱つき菱枠形にし、これに枕ばね受けを設けて心ざらつき揺れ枕や輪軸を取り付けたもの。台車枠の形状が菱形なのでこの名がある。日本では主に貨車に使用された<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1002「【台車の種類】7ダイヤモンド・トラックまたは菱形ボギー」</ref>。 * アーチバー ** [[1920年代]]の貨車と、一部の客車用。枠の主要部材が弓([[アーチ]])形のもので、軸箱は固定式。日本では国鉄TR20形など。 * [[ベッテンドルフ台車|ベッテンドルフ]] ** 軸箱固定式の貨車用で、アーチバーの[[強度]]と[[剛性]]を向上させたもの。初期の形鋼材を組み立てたものと、量産性を高めた一体[[鋳造]]のものがある。ベッテンドルフ社の[[特許]]公開により、類型が多数存在する。日本では国鉄TR41形など。 * アンドリュー(アンドリュース) ** 貨車用。枠の形態は鋳鋼製ベッテンドルフに類似するが、軸箱を別体とし、上下の台枠で軸箱を挟む構造。 * ヴァルカン ** 貨車用。アンドリューを簡素化し、軸箱の緊定を1本ボルトにしたもの。 * インサイドフレーム(内側梁 / 内側枠式) ** 側梁(側枠)と軸受けが車輪の内側にある構造。レールに直接働く[[電磁吸着ブレーキ]]など、いわゆるトラックブレーキ(台車の Tr'''u'''ck ではなく、[[軌道 (鉄道)|軌道]]の Tr'''a'''ck)の装備と、その保守に都合が良い形状。[[PCCカー]]、[[ライトレール|LRT]]、[[路面電車]]に採用例が多い。<br/>これとは別に、ゴム[[タイヤ]]のみを走行輪に用いた台車では、タイヤ幅やトレッド寸法の問題と、頻繁なタイヤ交換に対応すべく、内側梁(枠)式となっている。 * 板台枠式 ** 側枠を薄鋼板の組み立てによって構成するもの。19世紀頃からヨーロッパの鉄道において多用され、第二次世界大戦後も貨車用を中心にヨーロッパメーカーでの製作が続いている。日本では雨宮製作所が[[花巻電鉄]]や[[東武鬼怒川線|下野電気鉄道]]、それに[[京王電鉄|京王電気軌道]]向けなど電車用として好んで製作し、同社の倒産・消滅後[[東洋工機|日本鉄道自動車]]がこれを模倣した台車を各地の私鉄に供給した。また、[[日立製作所]]が製造した[[国鉄ED15形電気機関車|国鉄ED15形]]などの初期の本線用電気機関車にも採用されている。<!--[[ブラウン・ボベリ]]など戦前のヨーロッパの車両に採用例が多い。--><!--←ヨーロッパではドイツのリンケ=ホフマンをはじめとする各社で貨車用を中心に戦後も大量にこの種の台車が製作されています。-->この種の台車では、構造上軸箱支持機構として一般にウィングばね方式が使用される。 <gallery> File:Truck-TR26.jpg|菱枠台車の例<br/>([[国鉄TR26形台車|国鉄TR26形]]) File:Oigawa-Archbar-Truck.jpg|弓形棒菱枠(アーチバー)台車の例 File:Bettendorf truck at Illinois Railway Museum.JPG|ベッテンドルフ型台車の例 </gallery> <gallery> File:JRN DE10 Truck DT141 20071020 001.jpg|インサイドフレームの例<br/>ばねとリンクのスペースを捻出<br/>(国鉄 DT141形・[[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]]) File:Septa PCC car truck.jpg|インサイドフレームの例<br/>前後の車輪の間にトラックブレーキを装備する。<br/>([[南東ペンシルベニア交通局|SEPTA]]・[[PCCカー]]) File:ST SN5000 20061102 001.jpg|インサイドフレームの例<br/>ゴムタイヤ方式のため<br/>([[札幌市交通局5000形電車|札幌市交通局5000系]]) File:DeHa 103 bogie Tobu Museum 20120118.JPG|板台枠式の例<br/>(下野電気鉄道ホデハ101形) File:Podvozek 26-2 8 odpr kluzn.jpg|板台枠式の例<br/>貨車用台車<br/>([[チェコ鉄道|ČD]] 26-2.8形台車) </gallery> === 台車枠の構成要素 === 上から見ると「H」の形をしているのが特徴であり、レールと平行で左右外側に位置する2本の側梁と、この側梁を繋ぐ中心部の横梁から構成される。 * 側梁:前後の軸箱支持装置と接続して、輪軸を台車枠に対して保持する。 * 横梁:2本の側梁を繋ぐ部分を指す。主電動機、歯車箱装置、ブレーキなどの装置が取り付けられる。 * 端梁:側梁の端を繋ぐ部分を指す。上記の側梁、横梁だけでは必要な装置を搭載し切れない場合などに台車枠に取り付けられる。端梁が存在する場合、台車枠が「日」の形となるのが特徴である。 == 軸箱支持装置 == === 構造概要 === 軸箱支持装置とは、[[輪軸 (鉄道車両)|輪軸]]・軸箱を台車枠に対して保持する機構または装置のことを指す。自動車のサスペンションに相当するもので、軸箱を上下にコイルばねなどを介して十分に可動できるようにする<ref group="注釈">貨車用を中心に、構造簡素化のために固定またはそれに近い構造を採用するものも存在する。</ref>一方、前後・左右には対しては固く抑制することで、一般に高速安定性を重視するもの(新幹線用など)は前後をより固く、曲線通過性を重視するものは前後をやや柔らかく抑制する<ref group="注釈">[[汽車製造]]のエコノミカル・トラックやバッド社のパイオニア形台車のように、円筒形の軸箱に巻き付けるように防振ゴムを取り付け、上下・前後動を許容する構造のものも存在する。</ref>。また1台車中の前後の車軸をレールに直角になるよう積極的に操舵させる構造の台車もある。 前述のように車体支持装置が車体・台車枠間の変位を受けるのに対し、軸箱支持装置は台車枠と各軸箱(2軸ボギーでは4つ)間の変位を受け、軌道不整、レール継ぎ目、カーブ入り口などで前後輪の高さが違ったり4輪が同一平面から外れたりする場合には、まずその変位を受けることになる。これは車両が高速で安全に走行する際には、台車に装備された輪軸が常に平行を保ちながら、刻々と変化する線路状況において正確に追従する必要があるためである。なお枕ばねと軸ばねの分担関係については[[鉄道車両の台車史#空気ばね|鉄道車両の台車史]]も参照。 以前は、上下の案内にスライドレールの役割をする軸箱守(ペデスタル)を設けて軸箱を滑らせ台車枠との間に軸ばねを介する方式や、ばね支持にイコライザーを介して軸箱を支える方式が多く用いられた<!--イコライザー式が出て、軸ばね式、という順番に綺麗に並んでいるわけではありません。むしろ、軸ばね式の歴史に併走して後追いでイコライザー式が出現したと見るべきです。現に、鉄道作業局や日本鉄道などでは前半に軸ばね式のボギー台車を多用していますので。-->が、軸箱守が磨耗すると騒音や[[蛇行動]]が発生しやすくなり、強度の摩擦部分のため保守に手が掛かる問題があった。その後軸箱守を用いず、上下案内とばね支持を上下にたわむ高剛性の板ばねで行うものや、リンクを用いるものなど、様々な形が出てきている。 === 軸箱支持方式 === 上述のとおり、きわめて多岐に亘るため、構造の詳細は、可能な場合代表的な形式を挙げてそれへのリンクをもってかえる。 ==== 軸箱守式(ペデスタル式) ==== [[File:JNR-TR43-1.jpg|thumb|200px|軸箱守式台車(国鉄TR43形)<br/>軸箱の上に単列式の軸ばね(コイルばね)が見える。軸箱の両側の縦のガイドが軸箱守。その下側を横に塞いでいるのが軸箱守控。]] [[File:Montion_of_bogie_pedestal_200px.gif|thumb|ペデスタル式軸箱支持装置の動き]] 比較的古い様式の軸箱支持方式。後述の[[#イコライザー式|イコライザー式]]でも一般に軸箱の案内には軸箱守を用いるが、軸箱守式(ペデスタル式)と称するときには、イコライザーを用いない方式の中での名称として使うことがしばしばある。ただ、軸箱守と軸箱の間にすり板を設ける必要があるため、定期的にすり板の交換が必要である<ref>例えばRP515 p.27 - 28。これを避ける場合は釣り合い梁軸箱守式、軸ばね軸箱守式などと称する場合もある。(『鉄道車両ハンドブック』、p.201 - 202。)</ref>。その中でもばねの種類や配置により種類が分かれる。 * 板ばね * コイルばね ** 単式(軸ばね):台車の軸箱上部に単列式のばね(コイルばね単独や防振ゴム・板ばねなどと組み合わせたものなどがある)を用いたもので、構造が簡単なため日本では一般的に広く用いられた<ref group="注釈">特に[[東急車輛製造]]製の台車では1990年代までこのタイプの台車がメインとして作られていた。</ref>が台車枠の軸ばねを入れる部分が高くなるので床下の隙間が小さいものには向かない欠点がある<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1002「【台車の種類】10 軸ばね式台車」</ref>。 *** [[国鉄TR23形台車#構造|国鉄TR23形]]:[[国鉄オハ35系客車#ペンシルバニア形軸ばね式台車|ペンシルバニア形]]についてはリンク先も参照。 *** [[国鉄DT17形台車|国鉄DT17形]]:複列コイルばね ** 複式(ウイングばね):台車の軸箱上にある軸ばねの代わりに、軸箱の軸受けを中心として「翼」を設け、軸ばねを2個に分けて比較的柔らかいばねを用いたもの。軸受けの翼の代わりに軸ばね式と同じ軸箱用いてつり合い棒を使用したものもある。軸ばね式より左右の場所を取る欠点があるが振動性能や柔らかいばねを用いられる強みがある<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1002「【台車の種類】11 ウィングばね式台車」</ref>。 *** [[国鉄TR37形台車#構造|国鉄TR37形]]:[[国鉄オハ35系客車#ウィングばね式台車|こちら]]も参照。 *** [[国鉄DT21形台車#構造|国鉄DT21形]] *** [[国鉄DT18形台車#構造|国鉄DT18形]]:下天秤ウィングばね式 ** [[ゲルリッツ]]式(ドイツ式 / 住友式):本来はドイツで開発された軸箱支持機構と枕ばね機構がセットとなったものを指すが、日本ではその内の軸箱支持機構部分のみを模倣したものをこの名で呼んだ。[[鉄道車両の台車史#ドイツ|鉄道車両の台車史]]も参照。 *** [[国鉄オハ35系客車#ゲルリッツ式台車|オハ35系客車]]での試験についてはリンク先も参照。 *** [[国鉄DT20形台車#構造|国鉄DT20形]]:亜種。いわゆる住友式ゲルリッツについては[[国鉄DT20形台車#日本における「ゲルリッツ式台車」|日本における「ゲルリッツ式台車」]]を参照。 <gallery> File:JNR_PC20truck01.jpg|単式支持軸箱守式(軸ばね式)軸箱支持の例<br/>([[日本国有鉄道|国鉄]]TR55形<br/>[[国鉄20系客車|20系客車]]) File:JNR_113_series_EMU_005_W.JPG|ウイングばね軸箱守式軸箱支持の例<br/>([[国鉄DT21形台車|国鉄DT21-B形]]<br/>[[日本国有鉄道|国鉄]][[国鉄113系電車|113系電車]] ) File:Meitetsu 6750 series 006.JPG|上天秤ウイングばね<br/>軸箱守式軸箱支持の例<br/>天秤を重ね板ばねとしたことから住友式ゲルリッツとも呼ばれる<br/>([[住友金属工業|住友金属]]FS107形<br/>[[名鉄6750系電車]]) </gallery> ==== イコライザー式 ==== [[File:Truck-D14.jpg|thumb|200px|イコライザー式台車の例<br/>(日本車輛 D14)]] 釣り合い梁式ともいう。ボギー台車の軸箱の上にそれぞれ支点を設けて軸距の方向にそれぞれの軸箱を抑えるように釣り合い梁を設け、その中央にばね上荷重をかけたもの。軸箱上に直接ばねがないので軸箱の前後運動を抑えて輪軸相互の平行度を保ち、軸箱にかかる荷重の釣り合いがよく行われる強みがあるが、釣り合い梁が外からの点検・ブレーキ調整などの邪魔になる<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1002「【台車の種類】12 つり合いばり式台車」</ref>他、重い釣り合い梁がばね下重量となる点では軌道保守上不利であるため[[日本国有鉄道|国鉄]]では昭和初期まで<ref group="注釈">ただし、[[1958年]]に製造が開始された[[国鉄DD13形ディーゼル機関車]]では、初期形に理由は不明ながらイコライザー式台車が採用された。2次形以降はウイングばね式に変更されている。</ref>、[[大手私鉄]]では1950年ころまでの台車に多く用いられた(アメリカではかなり後年まで多用<ref group="注釈">ことに長大編成の列車を沿線に人家すらまれな地域で運行し、脱線時の対応を基本的にすべて列車乗務員だけで行う必要があるアメリカの鉄道では、台車の軌道への追従性を少しでも上げて脱線の可能性を減らすことは、他国での事例と比較して非常に切実な課題である。</ref>)。 イコライザーのないタイプでは台車枠がイコライザーの代理をすることになるが、劣悪な軌道では負担もある<ref>RP515 p.44。</ref>。 * [[国鉄TR10形台車|国鉄TR10形]] * [[ボールドウィンA形台車|ボールドウィンA形]] ==== 軸箱守のないもの ==== * 円筒案内式(ウイングばね):上下の案内に、縦にした二重の円筒(内筒と外筒)を用いて相互に滑らせるもの。これには、乾式円筒案内方式と湿式円筒案内方式があり、前者は内筒と外筒との間に、耐磨耗性の良好な耐磨レジンの摺動筒を挿入した構造としており、後者は外筒の中に油を入れて、内筒の底部に複数の小穴を空けた密閉構造とし、油の粘性抵抗を利用したオイルダンパの役割と摺動する内筒と外筒の間の潤滑の役割を持っている。両者とも、内筒と外筒の外側を保護の円筒で覆うことで塵埃の進入を防いでいる。軸ばねの内部に取付けられており、製造会社の技術導入先によりさまざまな呼称がある。[[鉄道車両の台車史#スイス|鉄道車両の台車史]]も参照。 ** [[スイス車両エレベーター製造|シュリーレン]]式([[近畿車輛]]) ** [[シンドラー]]式([[汽車製造]]→川崎重工) ** [[シグ|SIG]]式([[日本車輌製造]]) <gallery> File:Kintetsu 8600 series 006.JPG|円筒案内式ウイングばね(シュリーレン式)軸箱支持の例<br/>([[近畿車輛]]KD76形<br/>[[近鉄8600系電車|近鉄8600系]]) File:Keihan 2600 Series EMU 007.JPG|シンドラー式の例<br/>([[汽車製造]]KS58形<br/>[[京阪2600系電車|京阪2600系]]) File:JRH-Kiha40 1738 DT44ATruck.jpg|[[日本国有鉄道|国鉄]]の円筒案内式ウイングばね軸箱支持の例<br/>(国鉄DT44A形<br/>[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系気動車]]) </gallery> * 板ばね支持式(ミンデン式) ** [[ミンデン (ノルトライン=ヴェストファーレン)|ミンデン]]ドイツ式:前後一枚ずつの板ばねで軸箱の位置を定めるもの。ただし水平支持が固すぎると板ばねが上下にたわむこともできないので、台車の中心から遠い側を垂直の板ばねで支持し剛性を下げている。具体例は[[東武8000系電車#前期形]]を参照。 ** Sミンデン式:台車中心側から伸びた上下二枚の板ばねで軸箱の位置を定めるものであり、軸箱支持装置のサイズをコンパクトにすることができる。S形ミンデン式または片板ばね式とも呼ぶ。具体例は[[東武8000系電車#後期形]]を参照。 ** IS式:ミンデンドイツ式と類似するが、板ばねの支持部分にゴムブッシュを介して水平方向の剛性を下げ、板ばねのたわみを許容する。ミンデン式より台車の前後方向のサイズを小さくできる。 ** SUミンデン式:Sミンデン式にU字形ゴムをいれて剛性を下げたもの<ref>RP515 p.31。</ref>。 <gallery> File:Tobu 8000 series EMU 008.JPG|ミンデンドイツ式の例<br/>([[住友金属工業|住友金属]]FS-356形<br/>[[東武8000系電車]]) File:Tobu 200 series EMU 005.JPG|S形ミンデン台車の例<br/>(住友金属FS370A形<br/>[[東武200系電車]]) File:Nankai 1000 series 007.JPG|SU形ミンデン台車の例<br/>(住友金属SS027形<br/>[[南海1000系電車 (2代)|南海1000系電車]]) File:Shinkansen 0 Bogie.jpg|IS式軸箱支持の例<br/>([[日本国有鉄道|国鉄]]DT200形<br/>[[新幹線0系電車|0系新幹線電車]]) </gallery> * 軸梁式:下記モノリンク式とも似ているが、軸箱と一体となった軸梁([[スイングアーム]])を、台車枠の側梁の近くの1か所でゴムブッシュを介して支持する。ゴムブッシュは緩衝用であり、簡素な構造で部品点数が少ないため、コストダウンが図れる。車軸は軸梁の支点を中心に回転運動するため、車軸の上下に伴い軸距が変化する。 ** [[川崎車輌OK形台車|OK形台車]] ** [[三菱重工業MD形台車|MD形台車]](MD1 - MD7) * リンク式 ** [[アルストム]]式:軸箱前後に高さの異なる2つの支点があり、それと台車枠側の支点とを繋ぐ、水平で同じ長さの2本のリンクで位置決めを行う。高さの異なる2本のリンクと軸箱とで{{仮リンク|ワッツリンク|en|Watt's linkage}}が構成され、輪軸の上下動に伴って軸箱が回転するものの、ほぼ直線運動となるため軸距の変化は無視できる。各支点には緩衝用のゴムブッシュが嵌入されている。 ** モノリンク式:1本リンク式とも言う。軸梁式とは異なり、台車枠の側梁と軸箱の間を可動の1本のリンクでゴムブッシュを介して支持する。ゴムブッシュは緩衝用であり、ゴムブッシュ部の2か所が可動するため、リンクだけでは軸箱の前後位置が固定できないので、軸ばねの周囲の部分が円筒状になって受ける。 <gallery> File:JR East E531 series EMU 006.JPG|軸梁式軸箱支持の例<br/>([[東日本旅客鉄道|JR東日本]]DT71形<br/>[[JR東日本E531系電車|E531系電車]] ) File:Truck-FS008.jpg|アルストムリンク式軸箱支持の例<br/>(住友金属FS-008形<br/>[[小田急7000形電車]]) File:Hokuso 7500 series EMU 007.JPG|モノリンク式軸箱支持の例<br/>(住友金属FS-564形<br/>[[京成3000形電車 (2代)]]<br/>[[北総鉄道7500形電車]]) </gallery> * 積層ゴム式:鉄板を挟むなどして積層したゴムが、圧縮方向には固く、剪断(斜めにずれる)方向には柔らかいという特性を利用したもの。軸箱の案内だけでなく、軸ばねの代替も(程度の差はあるが)ゴムが行なう。下記はそれぞれゴムの取り付け方向が異なる。 ** シェブロン式:山形断面の鉄板とゴム板を交互に重ねたばねを、前後やや上からハの字形に挟み込むことで、上下に柔らかく支持する。この積層ばねは、左右(車軸・枕木)方向の復元力を得る(ずれを防止する)ため「山形」(ゆるい Λ 形)になっていることから、「[[シェブロン (紋章学)|シェブロン]]」ばねと呼ばれる。下記FT2形のように上から別のゴムで荷重を支持する場合もある<ref group="注釈">「複合ゴム支持方式」という。(外部リンク「台車近影」該当ページ)</ref>。 ** 円錐積層ゴム式:ゴムと鋼板を[[円錐]]状に重ねた円錐積層ゴムを、ウイングばねと類似の位置で軸箱の両側に設置する。円錐積層ゴムは、縦(上下)に柔らかく、横(水平方向)に固い特性があり、円筒案内式と構造が似ているが、案内と軸ばねの両者を兼ねるため、メンテナンスフリー化を図ることができる。 <gallery> File:Sapporo Tram Type 8520 001.JPG|シェブロン式(山形積層ゴム)<br/>([[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工]] KW59<br/>[[札幌市交通局8520形電車|札幌市電8520形]]) File:FT2形台車.jpg|積層ゴム式軸箱支持の例<br/>([[日本貨物鉄道|JR貨物]] FT2<br/>[[JR貨物コキ100系貨車|コキ106形貨車]]) File:JRE_415-1500_DT50_001.jpg|円錐積層ゴム式軸箱支持の例<br/>([[日本国有鉄道|国鉄]][[国鉄415系電車|415系電車]] DT50) </gallery> * 側梁緩衝ゴム式:単に緩衝ゴム式とも言う。[[鉄道車両の台車史#側梁緩衝ゴム式]]も参照。 ** 住友金属工業FS337系:台車枠と軸箱両側の間のゴムで前後左右方向の支持を行なう。新造時のFS337Aは軸箱の上にもゴムを用いて上下方向を支持し、軸箱梁式に近い構造<ref>RP515 p.29。</ref>であったが乗り心地が思わしくなく、これは後に軸ばねをコイルばねに交換している。 * 軸箱梁式:軸箱と側梁が一体化されたもの。軸箱は円筒状の緩衝ゴム(ゴムブッシュ)で囲まれて支持されており、それが軸ばねの働きも兼ねている。梁に着目して軸箱梁式と呼ばれることが多い。 ** [[京阪1900系電車#特殊台車の試験|エコノミカル台車]]:[[鉄道車両の台車史#エコノミカルトラック]]も参照。 ** [[東急7000系電車 (初代)#車両概説|パイオニアIII形台車]]:[[鉄道車両の台車史#パイオニアIII]]も参照。 <gallery> File:Keihan 2600 Series EMU 031.JPG|側梁緩衝ゴム式の例<br/>([[京阪2600系電車|京阪2600系]] FS337A) File:Keihan 5000 Series EMU 006.JPG|軸箱梁式(エコノミカル台車)の例<br/>(汽車製造KS76A形<br/>[[京阪5000系電車|京阪5000系]] ) File:Tōkyū 7000 series EMU 011.JPG|軸箱梁式(パイオニアIII形台車)の例<br/>(東急車輛製造TS-701<br/>[[東急7000系電車 (初代)|東急7000系(初代)]]<br/>現・[[水間鉄道7000系電車|水間鉄道1000形]]) </gallery> * 軸箱一体式:貨車に多く用いられる。軸箱と台車枠が一体で、特に軸箱支持装置と呼べるものは持たないが、ここに含める。 * 軸箱直結式:貨車に多く用いられる。下記FT1のように台車枠との間に防振ゴムをはさむものも軸箱直結式とされる<ref>RP515 p.33。</ref>。 <gallery> File:JRN tk42750 Truck TR41 20071020 001.jpg|[[ベッテンドルフ台車|ベッテンドルフ]](軸箱一体)式の例<br/>([[国鉄タキ9900形貨車|タキ42750形]] TR41) File:TR223F形台車.jpg|軸箱直結式の例<br/>([[国鉄コキ50000形貨車|コキ50000]] TR223F) File:FT1 draaistel van Koki 104-1292, -26 juni 2005.jpg|軸箱直結式の例<br/>(コキ104 FT1) </gallery> == ブレーキ装置 == 鉄道車両で使用されるブレーキ装置は多種多様なものがあるが、ここでは、台車に搭載され、空気圧や油圧によって生じた力をてこ機構により増幅し、車輪やブレーキディスクに摩擦機械的なブレーキ力を伝えて[[輪軸 (鉄道車両)|輪軸]]を抑止する'''基礎ブレーキ装置'''について説明する。 {{main|鉄道のブレーキ}} === 基礎ブレーキ装置の種類 === [[File:Kiso_brake.JPG|thumb|250px|基礎ブレーキ装置]] 制輪子が車輪の踏面を押える踏面ブレーキ式と、制輪子が輪軸に搭載されるブレーキディスクを押えるディスクブレーキ式がある。 * 踏面ブレーキ式:車輪の踏面に制輪子を押しつける方式。以下の2つの方式がある。 ** 片押し式:車輪の片側からのみ制輪子が押し付けられる方式 ** 両抱え式:車輪の両側から同時に制輪子が押し付けられる方式 * [[ディスクブレーキ]]式:車軸に取付けたブレーキディスクに両側がら制輪子を挟みつける方式。ディスクが取り付く位置により以下の方式がある。 ** 側ブレーキ:車輪を挟み込むように取り付けられたブレーキディスクを制輪子が押える方式。下記の軸ディスクを取り付けるのがスペース上困難な電動台車で使用されることが多い。国内では新幹線用台車などに使用されている。 ** 軸ディスクブレーキ:車軸の車輪の間に取り付けられたブレーキディスクを制輪子が押える方式。国内では在来線、新幹線用台車などの付随台車に使用されている。 ** 軸端ディスクブレーキ:車輪より外側の車軸端に取り付けられたブレーキディスクを制輪子が押える方式。路面電車用台車などで使用されている。 ==== 基礎ブレーキ装置の構成要素 ==== * 制輪子:車輪またはブレーキディスクに押し付けられ、制動力を発生させる部品。鋳鉄、レジン、焼結合金などの材料が使用される。 * ブレーキシリンダー:ブレーキ作動時、空気タンクから圧縮空気がシリンダーに流れ込み中にあるピストンを作動させる装置 * ブレーキてこ:ブレーキ作動時、ピストンが作動することによりロッドが動き、てこの原理により制輪子を動かし車輪の踏面またはブレーキディスクに押付けブレーキを作動させる装置 == 駆動装置 == 電車の動力源による回転力を輪軸へ伝える装置を'''駆動装置'''と呼ぶ<ref name="総研(2006)">[[#総研(2006)|総研(2006)]]</ref>。 === 駆動装置の構成 === ==== 電車の場合 ==== * [[主電動機]]:電車および電気式の内燃動車に用いられる。(詳細はリンク先を参照) ** [[直流整流子電動機]] ** [[交流整流子電動機|単相整流子電動機]] ** [[三相交流|三相]][[誘導電動機]] ** 三相[[同期電動機]] * 主電動機の装架方式と動力伝達構造(詳細はリンク先を参照) ** 車体装架式 ** [[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]] ** 中空軸可撓吊り掛け式(半吊り掛け式) ** ばね上装架 *** [[カルダン駆動方式|カルダン式]] *** [[WN駆動方式|WN式]] *** [[TD平行カルダン駆動方式|TD式]] *** [[クイル式駆動方式|クイル式]] *** リンク式 ==== 気動車・ディーゼル機関車の場合 ==== * 動力伝達装置:気動車の場合はエンジンが車体に設置されるが、この動力を輪軸へ伝える部分は'''動力伝達装置'''と呼ぶ<ref name="総研(2006)"/>。(機械式および液体式の[[気動車]]、詳しくは[[気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式]]を参照) ** 減速[[歯車]]・減速機:電車は台車に装備された電動機と車軸との間に設けられた減速歯車によって動力を減速させ車輪に回転力を伝達する。気動車は減速機が台車に装備されており減速歯車によって液体変速機から推進軸で伝達された動力をさらに減速させ車輪に回転力を伝達する。 ** 推進軸・車体に吊られたエンジンの動力を伝えるための車体から輪軸へ渡る軸。自在継手を備えて、車体・輪軸間の変位を吸収する。 * 逆転機:車両の進行方向を変える装置で逆転歯車群を減速機内に内蔵し台車に装備している方式と液体変速機の後部に正逆転クラッチと歯車群を装備する方式がある{{sfn|『鉄道車両メカニズム図鑑』|p=55}}。 == 軸箱組立 == '''軸箱組立'''とは、軸受と車軸が収められている所であり、車体の荷重を枕ばねと台車枠から軸箱支持装置を介して受け取り、また車輪で発生した駆動力を軸箱支持装置を介して台車枠に伝え、さらに、心皿・中心ピン・枕梁(ボルスタ)・ボルスタアンカを介するかまたは牽引装置を介して車体に伝える部分である。単に'''軸箱'''とも呼ぶ<ref name="総研(2006)"/>。基本構成要素は軸箱体と軸受。 * 軸箱体:軸受を収める構造体。軸箱支持装置の構成要素であるばねやゴムが取り付く。 * [[軸受]]:通常軸箱体に収められており、車体の荷重を回転する車軸に伝える重要な部分である。昔の車両は軸箱の中にオイルを満たし軸受と車軸の間に油の膜を張る方式の鞍形の[[すべり軸受|平軸受]]が使用されていた。戦後は摩擦抵抗の少ないコロ軸受が使用さるようになり、上下方向と軸方向の荷重を受け持つ複列円錐コロ軸受が採用された。しかし軸受自体に左右の動きがまったく無いと車輪のフランジ磨耗が大きく、保守にも問題が出るので、軸方向の変位を受けるスラスト受<ref group="注釈">軸方向の変位を受ける方法としては、玉軸受と緩衝ゴムを組合わせと玉軸受と皿ばねの組合わせにより軸箱内部で軸方向の変位を受ける緩衝方式と、軸箱の外部で軸方向の変位を受ける外部緩衝方式がある。</ref>を併用した摩擦抵抗の少ない複列円筒[[転がり軸受|コロ軸受]](上下荷重を受け持つ)+玉軸受(軸方向の荷重を受け持つ)<ref group="注釈">円筒コロの外側に装備されている。</ref>が使用されている{{sfn|『鉄道車両メカニズム図鑑』|p=226}}。最近では軽量化され、上下方向と軸方向の荷重を受持ち、荷重の耐圧に優れ騒音や振動が少なく小型で潤滑剤のグリースの寿命が長い、密封複列円錐コロ軸受を緩衝ゴムによる支持を組み合わせる方法が取られている。 *その他:軸受の潤滑装置など。 <gallery> File:Jikubako.JPG|鉄道台車の軸箱、専用の棚にパレットの上に置かれている状態で、中央に軸受(ベアリング)と車軸が入るための穴がある File:Train Bearing.JPG|鉄道車両台車に使用される最近の密封型の複列円筒コロ軸受(左側)と複列円錐コロ軸受(右側)、従来の軸受と比較してフリーメンテナンス化とランニングコストの削減を図ることができる。 File:Jikubako kouzou.JPG|鉄道車両台車の軸箱と装着された軸受(ベアリング)の実物の断面図 </gallery> {{-}} == 輪軸 == '''輪軸'''とは、車輪と車軸を組み立てたもので、駆動装置による動力が伝えられ、[[レール]]を走行する部分である。 {{main|輪軸 (鉄道車両)}} * [[車軸]]は両端部を軸受の部分(ジャーナル)とその内側に左右の車輪を圧入する輪心座が設けられており、また左右輪心座の間には駆動台車では駆動歯車装置の取付け座(歯車座)が設けられ、付随台車では一定の太さ又は中央部分の径を細めたテーパー状になっており、ディスクブレーキ装着台車ではブレーキディスクの取付け座が設けられている{{sfn|『鉄道車両メカニズム図鑑』|p=226}}。 * [[車輪]]には、踏面を形成しているタイヤの部分をリムに相当する輪心に焼きばめしたタイヤ付き車輪と、タイヤと輪心が一体に作られた一体圧廷車輪がある。タイヤ付き車輪は、磨耗したタイヤだけ取替えられるが、焼きばめ部分で弛緩や割損などの欠点があるため、現在ではあまり使用されなくなり、一体圧廷車輪がほとんどを占めている{{sfn|『鉄道車両メカニズム図鑑』|p=225}}。 == その他の装置 == その他の台車に装備される装置類としては、以下のようなものがある。 * [[滑走防止装置]] * [[排障器]] * [[スノープラウ]] * [[砂撒き装置]] * 速度検出器 * 集電装置([[第三軌条方式]]の場合) == 特殊な台車 == === 操舵台車・ラジアル台車(輪軸操舵機構つき台車) === {{anchors|輪軸操舵機構(操舵台車)}} 操舵台車は輪軸操舵機構により[[輪軸]]の方向を変えて曲線をスムーズに通過できるようにした台車である<ref name="sicejl2017-12">{{Cite journal|和書|author=下川嘉之 |year=2017 |url=https://doi.org/10.11499/sicejl.56.87 |title=曲線を円滑に通過するための操舵技術 |journal=計測と制御 |ISSN=04534662 |publisher=計測自動制御学会 |volume=56 |issue=2 |pages=87-92 |doi=10.11499/sicejl.56.87 |naid=130005240488 |CRID=1390282681523924992}}</ref>。普通の台車は車体に対して回転することにより曲線区間を滑らかに通過することができるが、それでもなお1台車の2輪軸は一定間隔(ホイールベース)を保って平行に支持されているため、輪軸とレールが完全に直角にはならず、[[車輪]]とレールとの間にアタック角(攻撃角とも。レールの円弧の[[接線]]と車輪の進行方向のなす角度。)が発生して車輪のフランジやレールを磨耗させるだけでなく騒音(きしり音やゴロゴロ音)を発生させる。もし、各々の[[車軸]]の延長線がレールの曲線の中心(曲線半径の中心)を通るように変位させることができればアタック角が0となり、車輪のフランジやレールの磨耗が一層少なくなり騒音の発生を抑え、さらにスムーズに通過することができるようになる。 このため、単台車において、2つの輪軸のそれぞれ左右に備わる軸箱をクロスアンカー[[リンク機構|リンク]]で[[襷#襷を含む言葉|たすき掛け]]に結合し、台車枠と軸箱の位置関係を可変させることで曲線通過時の横圧低減を目指す'''ラジアル台車'''が研究開発されるなど、比較的早期から自己操舵のアイデアは注目されていた<ref group="注釈">この方式を考案したのは大手機関車メーカーとしても著名であった[[ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス]] (BLW) 社で、この種のクロスアンカーの利用による輪軸の操舵は、蒸気機関車用1軸心向先台車という形でこれより早い時期に考案されていた。</ref>。だが、この方式はラジアル台車の機構をボギー台車に応用して1970年代に実用化された南アフリカの'''シェッフェル台車'''などを含め、一般に軸箱の前後方向の支持剛性を意図的に低下させることになる。この点は1980年代にカナダのバンクーバーで実用化された[[バンクーバー・スカイトレイン|スカイトレイン]]用Mark Iの操舵リンク方式<ref group="注釈">各輪軸を支持する軸箱の一方について前後方向の支持剛性を確保し操舵時の回転運動の中心とし、もう一方の軸箱を台車の回転角に応じてリンクで操舵させる方式。各輪軸は心皿を中心として点対称に前後方向の支持剛性が高い軸箱によって支持される。</ref>でも同様で、高速走行時には支持剛性が決定的に不足し蛇行動が発生しやすくなるという、致命的な弱点を抱えていた<ref group="注釈">このような事情から、20世紀中に開発・実用化された自己操舵台車はほぼ例外なく最高速度の低い路面電車や貨車、それに山岳線区用の機関車など各台車固有の1次蛇行動が発生する速度域よりも低い速度域で、しかも急曲線区間を抱える線区で運用される車両に適用されるに留まった。</ref>。 そのため、1台車の中で完結する自己操舵機構を高速鉄道向けとして実現するにあたっては、直進時の軸箱について前後支持剛性の確保と、曲線通過時の前後支持剛性低減による操舵性能の確保という、矛盾した要素の両立が強く求められた。さらに、日本では自然振り子式車両の導入の本格化に伴い、曲線区間での横圧の軽減が軌道保守の観点から特に強く要求されるようになり、自然振り子式と組み合わせることを主眼とした自己操舵台車の研究開発が本格化した<ref group="注釈">それに先立ち、1970年に試作された自然振り子式の試験車である[[国鉄591系電車|591系電車]]では軌道横圧の低減に主眼をおいて連接構造を採用し、各連接台車に前後車体とのリンク結合による自己操舵機構を組み込んで試験が行われた。だが、これは逆に両端の通常台車から軌道にかかる横圧が過大となるという現象が発生したため、連接構造共々量産採用が断念されている。</ref>。この点についてある程度解決が見られるようになったのは1980年代中盤に入って以降のことで、まず1986年に日本の国鉄がDT953形台車として、制御付き自然振り子と同様に軌道の曲線情報をあらかじめ制御装置に記録し、ATS地上子による位置情報と速度情報から曲線進入を検知、油圧により強制自己操舵を行うという方式を開発、[[国鉄381系電車|381系電車]]に装着して本線走行試験が行われた。 この方式はただちに実用化されることはなかったが、こうした実験データの蓄積とその後の研究の進展で、1台車に2組ずつ備わる輪軸のいずれか一方の軸箱と台車枠の水平面における位置関係を固定とし、一方のみを操舵可能とすることで曲線と直線の双方での特性の両立が可能な見通しが立ち、1990年代以降、JR東海の383系電車<ref group="注釈">近畿車輛(台車の首振り角に応じた輪軸操舵角をリンクにより機械的に与える方式)と住友金属工業(軸箱前後支持剛性を進行方向に応じ、前後非対称に設定する方式)の2社により試作されたC-DT955台車を381系に装着して長期試験を実施した後、実用化。</ref>を皮切りに日本のJR各社を中心に制御付き自然振り子車と組み合わせる形で自己操舵台車を導入するケースが増えている。<!--この辺はいずれ[[鉄道車両の台車史]]で加筆しようと考えていたのですが、とりあえずこちらに書いておきます。--> このほか、[[リニアモーターカー#鉄輪式|リニアモーター地下鉄]]の車両ではその構造上、一般的な回転式電動機と駆動装置の接合部が不要であることから操舵機構を用いた台車が採用されており、軸箱に積層ゴムを用いることで自己操舵機構を持つ台車が使用されている(半強制操舵台車)<ref name="sicejl2017-12"/>。 現在実用化されているのは以下の各種である。 * 各ボギー台車に備わる軸箱の一方について支持剛性を柔らかい設定とする方式 ** [[JR東海383系電車]](車体端側軸箱を柔支持) * 各ボギー台車の両軸箱をリンクで結合して変位可能とし、各車軸の変位角を均等にする方式 ** [[スイス国鉄]][[スイス国鉄Re460形電気機関車|Re460形]]、[[BLS AG]][[ベルン-レッチュベルク-シンプロン鉄道Re465形電気機関車|Re465形]](枕木に対して車軸が最大4度まで変位、半径300mの曲線で104km/hでの走行が可能、最高速度230km/h) * 台車内前後の主電動機および[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]]の駆動装置と輪軸全体が台車中心付近のピボットを中心にして曲線にあわせて台車枠に対して転向する方式 ** スイス国鉄[[スイス国鉄Re450形電気機関車|Re450形]](最高速度130km/h)、スイス、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道[[モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道GDe4/4形電気機関車|GDe4/4形]]など * 台車内前後の主電動機および[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]]の駆動装置と輪軸全体が台車中心付近のピボットを中心にして曲線にあわせて台車枠に対して転向するのに加え、さらに前後の主電動機、駆動装置、輪軸をリンクで結合して2軸の車軸の変位角を均等にする方式 ** スイス、[[レーティッシュ鉄道]][[レーティッシュ鉄道Ge4/4 III形電気機関車|Ge4/4<sup>III</sup>形]]、[[モルジュ-ビエール-コソネイ地域交通Ge4/4形電気機関車|モルジュ-ビエール-コソネイ地域交通Ge4/4形]]、[[モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道Ge4/4形電気機関車|モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道Ge4/4形]](1m軌間、設計最高速度120km/h)など * 曲線区間で車体に対して台車が回転すると、車体と台車の位置関係の変化をリンク機構により輪軸に伝え、両輪軸の延長線が曲線の中心に指向するように角度が与えられる方式 ** [[JR北海道キハ283系気動車]]、[[東京メトロ1000系電車]](車体中心側軸箱のみ操舵) * 台車そのものを転向制御する方式 ** スイス国鉄[[スイス国鉄Re420形電気機関車|Re420形]]・[[スイス国鉄Re620形電気機関車|Re620形]]など1960 - 80年代のスイスの多くの電気機関車、[[小田急50000形電車|小田急50000形]]の連接台車など <gallery> File:JR Tokai 383 series EMU 006.JPG|383系電車のC-DT61形台車。軸箱を支持する軸ばね上部の構造が左右で異なっている(向かって右側の軸箱が柔支持となる)ことに注意 File:JRN DC283 Truck N-DT283 20071020 001.jpg|キハ283系気動車のN-DT283形台車。中央の枕ばね下部から左右の軸箱に伸びるリンクに注意 </gallery> === マキシマム・トラクションボギー === [[File:CCFL336pizzaABT(truck).jpg|thumb|200px|[[トラム (リスボン)|リスボン市電]]336号]] 2軸ボギー台車のうち片側だけを動輪とする場合に使用され、車輪径を前後で違えて動輪となる一方を大径とし、心皿位置をも動軸側に偏倚させた構造で粘着力の強化を図った台車である。[[ブリル]]社が特許を取った「Eureka Maximum-Traction Truck 22E」(ユーリカ・マキシマム・トラクション・トラック 22E)は、台車中心ピンの無い「仮想心皿方式」や、曲線区間で従輪(小径輪)の荷重を増して脱線を防ぐ「スプリングコンプレッサー」の採用を特徴とする。 マキシマム・トラクション台車はオタマジャクシのように頭を振りながら走るため、高速走行すると脱線の危険が大きくなるという問題がある<ref>日本国有鉄道編 『鉄道辞典(下巻)』、日本国有鉄道発行、1958年、p.1002「【台車の種類】 9マキシマム・トラクションボギー」。</ref>。 === 偏心台車 === [[File:Kishu Railway Kiha 600 027.JPG|thumb|220px|[[紀州鉄道線#過去の車両|紀州鉄道キハ600形]]の日本車両製ND208B形偏心台車<br />動力台車のみ枕ばねが駆動軸に寄っている]] 気動車用の1軸駆動の2軸ボギー台車の車体支持装置を軸間中央ではなく動軸側に偏らせることにより動軸にかかる軸重を増大させ粘着性能を向上させた台車。1930年代の日本の車輌技術では実用的な1台車2軸駆動や2個エンジン連動制御が開発できなかったため気動車の走行性能確保のため偏心台車や[[片ボギー|片ボギー車]]が開発された。マキシマム・トラクション台車も偏心台車の一種であるが、気動車用の偏心台車は日本独自のものとされ<ref>湯口徹『日本の内燃動車』成山堂書店、他</ref>、[[日本車輌製造]]が製造した[[大隅鉄道カホ1形気動車|大隅鉄道むけ気動車]]を嚆矢とする。採用車の多くは1930年代製だが、1台車1軸駆動のままで一定の粘着性能が確保できることから戦後製の気動車にも[[大分交通]]や[[熊延鉄道]]をはじめいくつかの私鉄・第三セクター向け気動車で採用例があり、2015年の時点での日本国内における最終製造事例は1988年製造の[[由利高原鉄道YR-1000形気動車|由利高原鉄道YR1000形]]YR1005(新潟鐵工所製)となる。 === 振り子式台車・車体傾斜装置つき台車 === {{main|車体傾斜式車両}} == 台車の歴史 == {{main|鉄道車両の台車史}} == 台車の形式名 == 通常、鉄道車両の形式名とは別に、台車に対しても形式名が付与される。 国鉄では、1929年に実施された台車の形式称号の整理に基づき、ボギー台車を'''TR'''の後に形式ごとに数字を付けて呼んでいたが、1949年に実施された台車形式命名基準改正により、[[動力台車]]については'''DT'''と数字の形式に改めた。TRはTruckの略であるが、(MTは[[主電動機]]の形式に使われていたため)電動のDを付してDTとした<ref>久保敏、小山政明編『鉄道青春時代 - 国電 (1) 』(『[[鉄道ピクトリアル]]』2011年2月号別冊)電気車研究会、p.13。</ref>。私鉄用の台車は、メーカーの形式をそのまま使うことが多いが、鉄道事業者で独自に付けることもある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * 日本国有鉄道編『鉄道事典(下)』日本国有鉄道発行、1958年。 * 日本車輌製造『日本車輛製品案内 昭和5年(NSK型トラック)』、1930年 * 電気車研究会『[[鉄道ピクトリアル]]』1989年8月号 No.515 特集 台車(同誌は必要に応じ、注において略号RPと通巻、頁で指示する。) * [[吉川文夫]]「台車の歴史過程」 p.10 - 15。<!--所収書籍、刊行年不明--> * {{Cite book|和書|author=伊原一夫 |title=鉄道車両メカニズム図鑑 |publisher=グランプリ出版 |year=1987 |NCID=BN02088631 |ISBN=978-4906189649 |ref={{harvid|『鉄道車両メカニズム図鑑』}}}} * 久保田博『鉄道車両ハンドブック』、グランプリ出版、1997年 * ヴォルフガング・シヴェルブシュ 著 加藤二郎 訳 『鉄道旅行の歴史 - 十九世紀における空間と時間の工業化』、法政大学出版局、1982年 *{{Cite |和書 |editor = 日本機械学会 |title = 鉄道車両のダイナミクス |year = 1994 |publisher = 電気車研究会 |isbn = 4-88548-074-4 |ref = 鉄道車両のダイナミクス }} * 宮本昌幸『[[図解雑学シリーズ|図解雑学]] 電車のしくみ』、[[ナツメ社]]、2005年 *{{Cite book|和書 |author = 野元浩 |year = 2013 |edition = 初版 |title = 電車基礎講座 |publisher = 交通新聞社 |isbn = 978-4-330-28012-7 |ref = 電車基礎講座 }} *{{Cite book |author = 鉄道総合技術研究所 |authorlink = 鉄道総合技術研究所 |year = 2006 |title = 鉄道技術用語辞典 |publisher = 丸善 |isbn = 978-4-621-07765-8 |ref = 総研(2006) }} == 関連項目 == {{Commonscat|Rolling stock bogies|鉄道車両の台車}} {{Commonscat|Bogie trucks in Japan|日本の鉄道車両の台車}} * [[鉄道車両の台車史]] * 関連する構造 ** [[連接台車]] ** [[ボギー台車]] ** [[二軸車 (鉄道)]] ** [[鉄道のブレーキ]] * 関連する事象 ** [[粘着式鉄道]] ** [[脱線]] ** [[蛇行動]] ** [[脱線係数]] * 日本国内の台車製造メーカー ** [[川崎重工業車両カンパニー]] ** [[近畿車輛]] ** [[日本製鉄]] ** [[総合車両製作所]] ** [[日本車輌製造]] ** [[日立製作所]] ** [[新潟トランシス]] ** [[三菱重工業]] == 外部リンク == * [http://rail.hobidas.com/bogie/ 台車近影] - [[ネコ・パブリッシング]]『鉄道ホビダス』(2019年4月12日閲覧) {{rail-stub|てつとうしやりようのたいしや}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:てつとうしやりようのたいしや}} [[Category:鉄道車両の台車|*]] [[Category:鉄道車両工学]]
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スポーツ選手一覧の一覧
スポーツ選手一覧の一覧(スポーツせんしゅいちらんのいちらん)は、スポーツ選手に関する一覧の一覧。五十音順に集めた。
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電波
電波(、英: radio wave)とは、電磁波のうち、比較的周波数の低いもの。日本の電波法などでは300万メガヘルツ以下のものと定義される。 電磁波の存在を初めて実証したハインリヒ・ヘルツは著書『Electric Waves』(1893年)の中で、電磁波を「Electromagnetics wave in air(空中の電磁波)」と「The propagation of electric Waves bymeans of wire(線上の電磁波)」に区別しており、電波に関する国際機関ITU-Rにおけるradio waveの定義も とあるように、「人工的なガイドなしで空中を伝搬する電磁波」であることを明確化している。 電波の用途としては、次のようなものを挙げることができる。 1864年にジェームズ・クラーク・マクスウェルは「光は波の姿をした電磁散乱である」と予測した。それから13年後の1887年にハインリッヒ・ヘルツがマクスウェルの方程式から光よりも周波数の低い電磁波(電波)の姿を推測し、電磁波の発生と検出を可能とする実験機器を考案制作してその存在を実証した。 今日、電波は英語では"Radio wave"もしくは"Hertzian wave"と呼ばれており、"Radio"と略して呼ばれる場合もある。CCIR(現在のITU-R)の基金が設立された1927年に世界的な公用語として定着した。一方、1904年にイギリスの郵便局が無線電信をRadioと称したことから、Radioは空間に適した周波数帯の電磁波を使用して情報を搬送する技術・機器・システムを指す語として一般に使われるようになった。 日本語の「電波」という訳語は明治26年(1893年)に逓信省技師の伊藤潔が著した『電気訳語集』が初出と考えられる。『電気訳語集』では、"Electric wave"の訳として「電波」を充てている。その後「電波」の用例は増えていったが、大正4年(1929年)の無線電信法には「電波」の文字はない。昭和25年(1950年)に制定された電波法によって現代の「電波」が公用語として定義された。 周波数と対応する波長によって電波は以下の周波数帯に分割される。 電波法第28条に「送信設備に使用する電波の周波数の偏差及び幅、高調波の強度等電波の質は、総務省令で定めるところに適合するものでなければならない。」と規定している。これを受けた無線設備規則には、第1章総則第2節電波の質として、第5条から第7条に「周波数の許容偏差」、「占有周波数帯幅の許容値」、「スプリアス発射又は不要発射の強度の許容値」があり、具体的な値は別表第1号から第3号に規定するものとしている。 電波法第103条の2第2項に「広範囲の地域において同一の者により相当数開設される無線局に専ら使用させることを目的として別表第7の上欄に掲げる区域を単位として総務大臣が指定する周波数(6000MHz以下のものに限る。)の電波」と規定している。 広域使用電波の指定は、電波法施行規則第51条の9の9に「総務大臣が別に告示により行うものとする。」とされ、この規定に基づき告示される。 この規定は、電波利用料の算定に際し、電波の経済的価値に応じて負担する考え方を導入したもので、携帯電話など特定無線局として包括免許されるものについて適用され、使用する周波数幅に応じて増減される。当初の上限は3000MHz以下であったが後に6000MHz以下となった。なお、導入の検討時から「広域専用電波」という文言が使用され、電波法改正後でもこの語を使用した記事があるが、これは誤字である。
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電波(でんぱ、とは、電磁波のうち、比較的周波数の低いもの。日本の電波法などでは300万メガヘルツ以下のものと定義される。
{{混同|x1=人物の種類|電波系}} [[ファイル:Dipole xmting antenna animation 4 408x318x150ms.gif|サムネイル|[[アンテナ]](中央)から電波が放射される様子を表した図]] [[ファイル:Dipole receiving antenna animation 6 800x394x150ms.gif|サムネイル|[[ダイポールアンテナ]]が電波を受信する様子を表す模式図。緑の矢印が電波による[[電場|電界]]であり、黒の矢印が[[電流]]である。]] {{読み仮名|'''電波'''|でんぱ|{{Lang-en-short|radio wave}}}}とは、[[電磁波]]のうち、比較的[[周波数]]の低いもの。日本の[[電波法]]などでは300[[ギガヘルツ|万メガヘルツ]]以下のものと定義される<ref>{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=325AC0000000131#Mp-At_2 |title=電波法 |access-date=2021年6月21日 |website=elaws.e-gov.go.jp |work=[[e-Gov法令検索]] |publisher=[[総務省]] |quote=(定義) 第二条 この法律及びこの法律に基づく命令の規定の解釈に関しては、次の定義に従うものとする。 一 「電波」とは、三百万メガヘルツ以下の周波数の電磁波をいう。}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_content/000171443.pdf |title=国際電気通信連合憲章(平成七年一月十八日条約第二号) |access-date=2021年6月21日 |publisher=総務省 |page=69 |quote=注1 電波とは、人工的導体のない空間を伝搬する当面三、〇〇〇ギガヘルツよ り低い周波数の電磁波をいう。}}</ref>。 == 概要 == 電磁波の存在を初めて実証した[[ハインリヒ・ヘルツ]]は著書『Electric Waves』([[1893年]])の中で、電磁波を「Electromagnetics wave in air(空中の電磁波)」と「The propagation of electric Waves bymeans of wire(線上の電磁波)」に区別しており、電波に関する国際機関[[国際電気通信連合|ITU-R]]におけるradio waveの定義も {{Quotation|radio waves or hertzian waves:Electromagnetics waves of frequencies arbitrarily lower than 3000GHz,propagated in space without artificial guide.|『ARTICLE 1 Terms and definitions,1.5』|ITU(1992)}} とあるように、「人工的なガイドなしで空中を伝搬する電磁波」であることを明確化している<ref name="Nojima">野島俊雄・大西輝夫、電波産業会電磁環境委員会(編)『電波と生体安全性:基礎理論から実験評価・防護指針まで』 <設計技術シリーズ> 科学情報出版 2019年 ISBN 978-4-904774-79-3 pp.120-131.</ref>。 === 用途 === 電波の用途としては、次のようなものを挙げることができる。 * [[通信]]・放送 類 ** [[放送]]([[地上波]]や[[衛星放送]]。[[ラジオ]]や[[テレビ]]) ** 行政無線([[防災無線]]、[[警察無線]]、[[消防無線]]など) ** 業務無線([[船舶無線]]、[[航空交通管制|航空管制]]、[[鉄道無線]]、[[マルチチャネルアクセス無線]]など) ** [[アマチュア無線]] ** [[携帯電話]]([[スマートフォン]]、[[フィーチャーフォン]]、[[PHS]]、[[衛星電話]]など) ** [[コードレス電話]] ** 遠隔のデータ取得([[テレメータ]]、[[ラジオゾンデ]]など) ** 近距離のデータ送受([[無線LAN]]、[[Wi-Fi]]、[[Bluetooth]]など。また[[VICS]]も) * 遠隔操作([[ラジコン]]) * 位置測定([[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]、[[LORAN|ロラン]]など) * [[レーダー]] * 加熱([[電子レンジ]]など) * [[核磁気共鳴分光法]] * [[電子スピン共鳴]] == 歴史 == [[1864年]]に[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]は「[[光]]は波の姿をした電磁散乱である」と予測した。それから13年後の[[1887年]]にハインリッヒ・ヘルツが[[マクスウェルの方程式]]から光よりも周波数の低い電磁波(電波)の姿を推測し、電磁波の発生と検出を可能とする実験機器を考案制作してその存在を実証した<ref name="Nojima"/>。 今日、電波は英語では"Radio wave"もしくは"Hertzian wave"と呼ばれており、"Radio"と略して呼ばれる場合もある<ref name="Nojima"/>。CCIR(現在のITU-R)の基金が設立された[[1927年]]に世界的な公用語として定着した。一方、[[1904年]]にイギリスの郵便局が[[無線電信]]をRadioと称したことから、Radioは空間に適した周波数帯の電磁波を使用して情報を搬送する技術・機器・システムを指す語として一般に使われるようになった<ref name="Nojima"/>。 日本語の「電波」という訳語は明治26年(1893年)に[[逓信省]]技師の伊藤潔が著した『電気訳語集』が初出と考えられる<ref name="Nojima"/>。『電気訳語集』では、"Electric wave"の訳として「電波」を充てている。その後「電波」の用例は増えていったが、大正4年(1929年)の[[無線電信法]]には「電波」の文字はない。昭和25年(1950年)に制定された電波法によって現代の「電波」が公用語として定義された<ref name="Nojima"/>。 == 電波における電磁スペクトル == {{See also|電磁スペクトル|電波の周波数による分類}} 周波数と対応する[[波長]]によって電波は以下の周波数帯に分割される。 {| class="wikitable" style="text-align:center" !周波数帯!!style="white-space:nowrap"|略称!!style="white-space:nowrap"|[[国際電気通信連合|ITU]]基準!!周波数!!波長!!用途例 |- ||||||||3[[ヘルツ (単位)|Hz]]以下||100,000[[キロメートル|km]]以上|| |- |極極極超長波||ELF||1||style="white-space:nowrap"|3 - 30Hz||style="white-space:nowrap"|10,000 - 100,000km||rowspan="2" style="text-align:left"|潜水艦の通信 |- |極極超長波||SLF||2||30 - 300Hz||1,000 - 10,000km |- |[[極超長波]]||ULF||3||300 - 3000Hz||100 - 1,000km||style="text-align:left"|鉱山における通信 |- |[[超長波]]||VLF||4||3 - 30[[キロヘルツ|kHz]]||10 - 100km||style="text-align:left"|{{Flatlist|class=hlist-comma| * 無線[[心拍計]] * [[地球物理学]] }} |- |[[長波]]||LF||5||30 - 300kHz||1 - 10km||style="text-align:left"|{{Flatlist|class=hlist-comma| * [[電波航法]] * [[電波時計]] * [[長波放送]](一部の国でのAM放送) }} |- |[[中波]]||MF||6||300 - 3000kHz||100[[メートル|m]] - 1km||style="text-align:left"|{{Flatlist|class=hlist-comma| * [[中波放送]](多くの国でのAM放送) * [[雪崩ビーコン]] }} |- |[[短波]]||HF||7||3 - 30[[メガヘルツ|MHz]]||10 - 100m||style="text-align:left"|{{Flatlist|class=hlist-comma| * [[短波放送]] * [[アマチュア無線]] * [[業務無線]] * [[核磁気共鳴分光法]] }} |- |[[超短波]]||VHF||8||30 - 300MHz||1 - 10m||style="text-align:left"|{{Flatlist|class=hlist-comma| * [[超短波放送]](FM放送) * VHF[[テレビジョン放送|テレビ放送]] * 業務通信 * 核磁気共鳴分光法 }} |- |[[極超短波]]||UHF||9||style="white-space:nowrap"|300 - 3000MHz||100[[ミリメートル|mm]] - 1m||style="text-align:left"|{{Flatlist|class=hlist-comma| * UHFテレビ放送([[地上デジタルテレビ放送|地デジ]]含む) * [[電子レンジ]] * [[携帯電話]] * [[無線LAN]] * [[Bluetooth]] * [[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]] * 業務通信 * 核磁気共鳴分光法 }} |- |style="white-space:nowrap"|[[センチメートル波]]||SHF||10||3 - 30[[ギガヘルツ|GHz]]||10 - 100mm||style="text-align:left"|{{Flatlist|class=hlist-comma| * [[ETC]] * 無線LAN * [[第5世代移動通信システム|5G]] * [[衛星放送]] * 最新[[レーダー]] * [[電子スピン共鳴]] }} |- |[[ミリ波]]||EHF||11||30 - 300GHz||1 - 10mm||style="text-align:left"|{{Flatlist|class=hlist-comma| * [[電波天文学]] * 高速[[中継放送]] * 最新レーダー(ミリ波レーダー) * 電子スピン共鳴 }} |- |[[サブミリ波]]||||||300GHz以上||1mm以下|| |} == 日本での規定 == === 質の規定 === 電波法第28条に「[[無線設備#送信設備|送信設備]]に使用する電波の周波数の[[偏差]]及び幅、[[高調波]]の強度等電波の質は、[[総務省|総務]][[省令]]で定めるところに適合するものでなければならない。」と規定している。これを受けた[[無線設備規則]]には、第1章総則第2節電波の質として、第5条から第7条に「周波数の許容偏差」、「占有周波数帯幅の許容値」、「[[スプリアス]]発射又は不要発射の強度の許容値」があり、具体的な値は別表第1号から第3号に規定するものとしている。 === 広域使用電波という線引き === 電波法第103条の2第2項に「広範囲の地域において同一の者により相当数開設される無線局に専ら使用させることを目的として別表第7の上欄に掲げる区域を単位として[[総務大臣]]が指定する周波数(6000MHz以下のものに限る。)の電波」と規定している。 広域使用電波の指定は、[[電波法施行規則]]第51条の9の9に「総務大臣が別に[[告示]]により行うものとする。」とされ、この規定に基づき告示<ref>[https://www.tele.soumu.go.jp/horei/law_honbun/71ab8393.html 令和3年9月27日総務省告示第336号(令和3年12月20日施行)電波法施行規則第五十一条の九の九の規定に基づく総務大臣が指定する周波数](総務省電波利用ホームページ - 総務省電波関係法令集)</ref>される。 この規定は、[[電波利用料]]の算定に際し、電波の経済的価値に応じて負担する考え方を導入したもの<ref>{{WAP|pid=258151|url=www.tele.soumu.go.jp/j/fees/sum/calc.htm|title=電波利用料の料額算定の考え方(総務省電波利用ホームページ - 電波利用料制度 - 電波利用料の額)|date=2007年8月8日}}</ref>で、[[日本における携帯電話|携帯電話]]など[[特定無線局]]として包括免許されるものについて適用され、使用する周波数幅に応じて増減される。当初<ref>平成17年法律第107号による電波法改正の平成18年4月1日施行</ref>の上限は3000MHz以下であったが後に<ref>令和元年法律第6号による電波法改正の令和元年10月1日施行</ref>6000MHz以下となった。なお、導入の検討時から「広域'''専'''用電波」という文言が使用され、電波法改正後でもこの語を使用した記事があるが、これは誤字である。 == 脚注 == {{Reflist|colwidth=30em}} == 関連項目 == * [[電波の周波数による分類]] - [[アマチュア無線の周波数帯]] * [[電波工学]]・[[無線工学]] * [[電波障害]] * [[通信]]・[[電気通信]]・[[無線通信]] * [[エレクトロニクス用語一覧]] * [[電波利用料]] * [[電波天文学]] * [[電波の日]](6月1日) * [[電磁波過敏症]] * [[非電離放射線]] * [[ラジオ]] * [[アンテナ]] * [[電離層]] * [[電波系]] == 外部リンク == * [https://www.tele.soumu.go.jp/index.htm総務省 電波利用ホームページ] * [https://www.sigidwiki.com/wiki/Signal_Identification_Guide Signal Identification Guide(無線信号同定ガイド)] * [[情報通信振興会]] ** 情報通信法令wiki - 用語解説 *** [https://web.archive.org/web/20160710080916/http://dsk.or.jp/dskwiki/index.php?%E9%9B%BB%E6%B3%A2 電波] 2016年7月10日時点での[[ウェイバックマシン]] *** [https://web.archive.org/web/20210905115918/https://dsk.or.jp/dskwiki/index.php?%E9%9B%BB%E6%B3%A2%E3%81%AE%E8%B3%AA 電波の質] 2021年9月5日時点でのウェイバックマシン {{電磁波}} {{Telecommunications}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てんは}} [[Category:電波|*]] [[Category:電磁波]]
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メガヘルツ
メガヘルツ(megahertz、記号:MHz)は、国際単位系における周波数の単位で、10ヘルツ(Hz)(=1,000,000Hz)、1000キロヘルツ(kHz)、0.001ギガヘルツ(GHz)に相当する。日本では1972年(昭和47年)7月1日の改正計量法の施行を以って変更された。それまではMc/s(メガサイクル毎秒)又はMc(メガサイクル)と呼ばれた。MhzやMHZという表記は誤り。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "メガヘルツ(megahertz、記号:MHz)は、国際単位系における周波数の単位で、10ヘルツ(Hz)(=1,000,000Hz)、1000キロヘルツ(kHz)、0.001ギガヘルツ(GHz)に相当する。日本では1972年(昭和47年)7月1日の改正計量法の施行を以って変更された。それまではMc/s(メガサイクル毎秒)又はMc(メガサイクル)と呼ばれた。MhzやMHZという表記は誤り。", "title": null } ]
メガヘルツ(megahertz、記号:MHz)は、国際単位系における周波数の単位で、106ヘルツ(Hz)(=1,000,000Hz)、1000キロヘルツ(kHz)、0.001ギガヘルツ(GHz)に相当する。日本では1972年(昭和47年)7月1日の改正計量法の施行を以って変更された。それまではMc/s(メガサイクル毎秒)又はMc(メガサイクル)と呼ばれた。MhzやMHZという表記は誤り。
{{単位| 名称=メガヘルツ(megahertz)| 記号=MHz| 単位系=[[国際単位系]]([[SI接頭語|接頭語]]をつけた[[SI組立単位|組立単位]])| 物理量=[[周波数]]| 定義=10<sup>6</sup>Hz| 画像=[[Image:Radio.jpg|250px|MHz帯域を主とする受信機]]|MHz帯域を主とする[[受信機]]}} '''メガヘルツ'''(megahertz、記号:'''MHz''')は、[[国際単位系]]における[[周波数]]の[[物理単位|単位]]で、10<sup>6</sup>[[ヘルツ (単位)|ヘルツ]](Hz)(=1,000,000Hz)、1000[[キロヘルツ]](kHz)、0.001[[ギガヘルツ]](GHz)に相当する。[[日本]]では[[1972年]]([[昭和]]47年)[[7月1日]]の改正[[計量法]]の施行を以って変更された。それまではMc/s(メガサイクル毎秒)又はMc(メガサイクル)と呼ばれた。MhzやMHZという表記は誤り。<!--JIS X0124 単位記号の情報交換用表記方法の第二形式では“MAHZ”と表記される。--> == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|13202|3392|-|メガヘルツ記号|font=MacJapanese}} |} == 脚注・出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==関連項目== * [[周波数の比較]] * [[ヘルツ (単位)|ヘルツ]](Hz) 基本単位 * [[キロヘルツ]](kHz、10<sup>3</sup>Hz) * [[ギガヘルツ]](GHz、10<sup>9</sup>Hz) * [[テラヘルツ]](THz、10<sup>12</sup>Hz) {{DEFAULTSORT:めかへるつ}} [[Category:周波数の単位]] [[Category:SI単位の10進の倍量及び分量]] [[Category:物理学のエポニム]]
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マイクロプロセッサ
マイクロプロセッサ(英: microprocessor)は、広義には、プロセッサをマイクロチップに実装したものである。(狭義には)デジタルコンピューターの中央処理装置(CPU)の機能を実行するために必要な算術回路、論理回路、制御回路を含むきわめて小さな電子デバイスのこと。MPU(英: micro-processing unit)ともいう。 狭義の用法では「CPUに必要な"機能を備えている" 」ということが定義文にあり必要条件となっているが、必ずしもCPUとして使わなければならないわけではなく、実際の用途としては、その機能を活かしつつCPU以外の、周辺回路のために使われていることが遥かに多い。たとえばパーソナルコンピュータではCPU以外の、周辺の電源や各種入出力などの制御にマイクロコントローラが多く使われている。 汎用のマイクロプロセッサの他に、各種用途に特化したマイクロプロセッサも製品化されている。デジタル信号処理に特化したDSPや、画像処理用のGPUなどである。 世界初のマイクロプロセッサとされるのはIntel 4004であり、これは4ビットのもので、クロック周波数は740KHz(0.74MHz)であり、2300個のトランジスタを含んでいた。→#歴史 2022年時点で市販されているマイクロプロセッサで最速のものは、AMDの RyzenTM ThreadripperTM PRO 5995WX desktop PC processor(64コア、128スレッド)だと考えられている。この RyzenTM ThreadripperTM PRO 5995WXには、332億個のトランジスタが含まれていると言われている。 なおCPUの機能だけでなく、従来ならその周辺に配置されていたさまざまな機能を担う集積回路類(コントローラやメモリなど)までひとつにまとめて搭載し小さくしたものはSystem-on-a-chip (SoC)という。スマートフォンや組み込みシステムなどで使われている。 またマイクロプロセッサの中でも特に制御や組込みシステムに使うために開発され、メモリやI/Oポートなどもひとつの集積回路にまとめており、消費電力を抑えるためにクロック周波数を抑えたものはマイクロコントローラという。 1960年代頃まで、プロセッサは個別のトランジスタか、当時のせいぜい数百素子程度の集積度の集積回路(IC)を繋ぎ合わせて作られていた。製造技術の発達、設計ルールの微細化が進むにつれてチップ上に集積できる素子の数が増え、大規模集積回路(LSI)の1チップにプロセッサを実装できるようになった。1970年代初頭に現れた初期のマイクロプロセッサは電卓や機器制御、もしくはビデオ表示端末用であり、非常に限られた機能しか持たなかったが、従来のディスクリート半導体を使った回路に比べとても安価で利用しやすかったため、ほどなくして大量に使われるようになった。CPUというコンピュータの機能を実現する最も主要な部品がワンチップ化されたことで、個人でも容易に購入できるパーソナルコンピュータが実現可能となった。その後もムーアの法則に従い、マイクロプロセッサに集積される素子数は増加の一途をたどり、性能は目覚ましく向上し続けている(ただし、かつてはムーアの法則に従属していたデナード則によるクロック周波数の向上や消費電力の低下は、2000年代後半から頭打ちの傾向となり、2010年代後半からは微細化自体も鈍化が著しい)。今日ではマイクロプロセッサは、巨大なHPCサーバから小さなウェアラブル端末や家電に至るまで、さまざまな機器に搭載されている。 マイクロプロセッサを実現する様々な新しい基本技術は1970年頃に整い、1971年11月15日に発表された4004はテッド・ホフによる基本的なアイディアと、嶋正利による論理設計とフェデリコ・ファジンによる回路・マスク設計による、最初期のマイクロプロセッサとして周知のことだが、他複数のプロジェクトでほぼ同時期にCADC、TMS0100シリーズ、μPD707・708などのマイクロプロセッサと認められるLSIが開発されている。 1968年にギャレット・エアリサーチ(英語版)社がF-14飛行制御用デジタルコンピュータの開発を要請されてCADC(英語版)を設計する。これは1970年に設計を完了したMP944というMOSベースのチップセットから成るマイクロプロセッサで、従来の機械装置より小型で信頼性が高く、初期のF14 トムキャット戦闘機に採用された。米海軍は軍需用品として民間への商用販売などを1997年まで禁止していたため、CADC (MP944) は最近までほとんど知られていなかった。 TIのテキサス・インスツルメンツ TMS0100シリーズはマイクロコントローラに近い構成のLSIで、1971年9月17日に電卓向けプログラムを内蔵した TMS1802NC をリリースしている。 μPD707・708はNECが設計・製造したLSIで、半導体プロセスの製造効率から2チップ構成だが機能的にはマイクロプロセッサでμCOMシリーズの源流である。1971年12月にサンプル出荷され、シャープが日本コカ・コーラへ供給する仕向け機器に用いられている。 英語版では他に en:Gilbert Hyatt の特許、Pico と General Instrument の協業によるチップ、Four-Phase Systems の AL1 チップ、フェアチャイルドの PPS25、Viatron が端末装置用に開発したチップ、TIのTMX 1795なども記されている。 TIはマイクロプロセッサに関する特許を出願した。ゲイリー・ブーンはシングルチップのマイクロプロセッサに関する特許を1973年9月4日に取得した(米国特許第3,757,306号)。1971年と1976年、インテルとTIは包括的なクロスライセンス契約を締結し、インテルはTIの持つマイクロプロセッサの特許に対してロイヤリティを支払った。この間の経緯は、サイリックスとインテル間の訴訟に関する法廷文書に記述されている。この訴訟においてTIはマイクロプロセッサに関する特許の所有者および仲裁人として関与した。 マイクロプロセッサのコア(プロセッサコア)だけでなくメモリと入出力処理の回路も集積した、現代で言うマイクロコントローラの実現に関する特許は、TIのゲイリー・ブーンとマイケル・J・コクランに与えられた(米国特許第4,074,351号)。 4004の後継として1972年4月に発表された8008が世界初の8ビットマイクロプロセッサである。 4004や8008を発展・改良させる形で、1974年4月にインテルの8080が誕生、さらに1976年(の3月~7月ころ)には8080の上位互換品で速度・機能などを向上させたザイログのZ80が誕生し、またその後もインテル製の他の派生プロセッサ群が誕生してゆくことになった。その一方で同時期にそれらとは系統が異なるモトローラのMC6800というプロセッサも構想され1974年から製造、そのMC6800とバス互換としつつパイプライン処理の採用などの改良を加えたモステクノロジー社の6502が1975年に発表された。こうしてZ80と6502が覇を競うことになった(「80系と68系の戦い」などとも言われた)。1970年代後半から1980年代前半にかけてのことである。 Z80も6502もシステム全体のコストを低減することに注力しており、パッケージを小さくし、要求されるバスを単純なものにし、それまで外部に別チップで持たなければならなかった回路(例えばZ80はDRAMリフレッシュカウンタ)を内蔵した。これにより1980年初頭にホームコンピュータ(ホビーコンピュータ)市場が新たに生まれ、それなりに使えるマシンが、99USドルで売られるようになった。 モトローラが「切り札」として1979年に発売したMC6809は、命令セットに直交性があり美しい設計が特徴の、事実上最もパワフルな8ビットマイクロプロセッサであり、当時製品化されたマイクロプロセッサの中で最も複雑な回路から成っていた。 他の初期の8ビットマイクロプロセッサとしてはSigneticsの2650もある。PDP-8を機能縮小しワンチップ化したものであるが、PDP-8を知らない層からは一風変わったパワフルな命令セットと受け止められた。 航空宇宙分野での最初のマイクロプロセッサは、1976年に発表されたRCA社のRCA 1802(別名 CDP1802、RCA COSMAC)であり、1970年代のNASAの宇宙探査機ボイジャーとバイキングに使われた。木星探査機ガリレオにも搭載されている(1989年出発、1995年到着)。CDP1802が使われた理由は、消費電力が極めて小さいことと、非常に広い電源電圧範囲で動作すること、製造プロセス(Silicon on Sapphire)が宇宙線や放電に他のどんなプロセッサよりも強いからであった。したがって1802は「最初の放射線耐性マイクロプロセッサ」と呼ぶにふさわしい。 ここまでに登場したプロセッサのほとんどがマイクロプログラム方式による制御ではなく、ワイヤードロジック制御である。 最初の複数チップで構成された16ビットマイクロプロセッサは1973年に登場したナショナル セミコンダクターのIMP-16である。8ビット版のチップセットはIMP-8として1974年に登場した。1975年、ナショナル セミコンダクターは最初の16ビットマイクロプロセッサPACEを開発、後にNMOS版のINS8900を開発した。 その他の初期のマルチチップ16ビットマイクロプロセッサとしては、PDP-11をLSI化したLSI-11(PDP-11#LSI-11を参照)などがあり、LSI-11は1975年に登場した。 初期のシングルチップの16ビットマイクロプロセッサには、1975年4月に完成したPANAFACOM L-16A(MN1610)、1976年のTIのTMS9900や Data General の MicroNOVA (mN601) がある。いずれもミニコンピュータの影響を受けている。TMS9900は同社のミニコンピュータTI 990シリーズと互換性があった。9900はミニコンピュータTI 990/4、ホームコンピュータTI-99/4A、OEM用マイコンボードTM990シリーズに使われた。チップは大型のセラミック製64ピンDIPパッケージで、当時の8ビットマイクロプロセッサIntel 8080はもっと一般的で小さくて安いプラスチック製40ピンDIPパッケージだった。後継のチップTMS9980はIntel 8080への対抗を意識して設計された。TI 990 の16ビット命令セットを持ち、プラスチック製40ピンパッケージで、データバスは8ビット、アドレス空間は16キロバイトしかなかった。三番目のチップTMS9995は新たに設計しなおされた。ファミリーはさらに99105、99110と進化していった。当時の Data General NOVA 互換のマイクロプロセッサには、他にフェアチャイルド・セミコンダクタの F9440 (1977年) も挙げられる。 インテルは参考とすべきミニコンピュータを持たなかったため、全く別の道をたどる。8080を拡張して16ビットのIntel 8086を設計したのである。このx86ファミリの最初のメンバー8086はパーソナルコンピュータ(パソコン)に広く採用される。インテルは8086を8080用ソフトウェアを最も簡単に移植できる方法として提案し、成功した。8086と8088に続いて、インテルは80186、80286をリリースし、1985年に32ビットの80386をリリースするに及んで、既存のソフトウェア資産をそのまま使用できる下位互換性を武器にPC市場での占有状態を強固なものにした。 マイクロプロセッサ内蔵のメモリ管理機構(MMU)はChilds他(インテル)によって開発された(米国特許第4,442,484号)。 16ビット化によってさらに進んだ複雑化により、以前のワイヤードロジックから、マイクロプログラム方式を採用するプロセッサが増えた。Z8000はワイヤードロジックだが、68000や8086はマイクロプログラム制御である。 マイクロプロセッサでは一旦はマイクロプログラム方式が増えたが、RISC化のためと性能競争のために、32ビット化後はワイヤードロジックに戻っており、インテルでは486でワイヤードロジックを採用した。 市場では16ビットマイクロプロセッサに対してC言語が普及した。OSが16bitから32bitへの移行が可能なようにC言語が16bit と32bitの両方に対応するように設計された。 32ビットを実装したマイクロプロセッサが、16bitマイクロプロセッサと同価格で販売されるようになると、16bitマイクロプロセッサの利点は、省電力、省空間になった。ARMでは、32bitでも16bitと同程度の省電力、省空間、費用を目標に市場を拡大していった。 世界初のシングルチップの32ビットマイクロプロセッサはAT&T ベル研究所のBELLMAC-32Aである。最初のサンプル出荷は1980年で、正式出荷は1982年であった。1984年のAT&T分割の後、WE32000と改称され(WEはWestern Electricを意味する)、さらにWE32100、WE32200と続いた。これらのマイクロプロセッサはAT&Tのミニコンピュータ3B5や3B15、世界初のデスクトップコンピュータ3B2、世界初の32ビットラップトップコンピュータCompanion、世界初の(本程度のサイズの)超小型コンピュータAlexanderに使われた。AlexanderはROMカートリッジを装備しており、その点は現在のゲーム機に似ている。これらは全てベル研究所オリジナルのUNIXオペレーティングシステムが動作し、最初のウィンドウ型ソフトウェアであるxt-layersを装備していた。 インテルの最初の32ビットマイクロプロセッサは1981年に登場したiAPX432である。iAPX432は権限に基づくセキュリティ機構とオブジェクト指向という進んだアーキテクチャだったが、モトローラの68000などの対抗アーキテクチャ、ひいては自社のIntel 80286等に比較して性能が及ばず、商業的には失敗した。 モトローラは1985年にMC68020で、データバスもアドレスバスも完全32ビット化されたマイクロプロセッサを出荷した。68020はUNIX市場では非常に人気を博し、多くの小企業が68020を使ってデスクトップサイズのシステムを製品化した。日本でもソニーのNEWS、NECのEWS4800、住友電工のEstationなどが68020を使って製品化された。続くMC68030はチップにMMUを内蔵し、68KファミリーはMS-DOS以外のあらゆるものが動作するプロセッサとなった。さらにMC68040ではFPUを内蔵して浮動小数点演算性能を向上させた。68050は予定していた性能目標を達成できず、リリースされなかった。そしてMC68060が出荷されたころ、市場にはより高性能なRISCプロセッサがあふれていた。1990年代初頭、68Kファミリーはデスクトップ市場から消えていった。 他の多くの企業が68020やその後継プロセッサを組み込み機器用に使用した。特筆すべきは、機器に組み込まれた68020の個数は、これまでに出荷されたインテルのPentium搭載PCより多いのである。ColdFireのプロセッサコアは68020の正当な後継である。 1980年代中盤までに、ナショナル セミコンダクターは外部16ビットで内部アーキテクチャが32ビットであるマイクロプロセッサNS16032(後に32016と改称)と完全32ビット版のNS32032を開発。また、それを使用したOEM向け32ビット小型コンピュータシリーズをリリースしている。シークエント・コンピュータは1980年代中頃にNS32032を使った最初の対称型マルチプロセッサ (SMP) サーバコンピュータを開発した。これは設計という面では勝利と言えるものだったが、1980年代終盤には消えていった。 他にもザイログのZ80000などは興味深いが市場でチャンスを掴むには登場が遅すぎたため即座に消えていった。 インテルが発売した80386は、x86アーキテクチャでの最初の32ビットプロセッサであり、ここで採用されたIA-32アーキテクチャ上では多くの本格的OSが動作し、後のインテルや互換プロセッサの基礎となった。 1980年代終盤、いわゆる「マイクロプロセッサ戦争」が勃発しいくつかのマイクロプロセッサが「戦死」した。前述の唯一の設計上の勝利と称したSequentは、NS32032が消えるとともにインテルのマイクロプロセッサに切り替えた。 Alpha・MIPS・SPARCなどのRISCプロセッサでは、1990年代初頭から64ビット化が行われており、特にAlphaは32ビットアーテクチャが存在せず、当初から64ビットプロセッサとして登場した。PC(PC/AT互換機とMacintosh)向けマイクロプロセッサは21世紀に入ってから64ビット化が行われた。2003年4月にAMDのOpteronが、同年6月にはIBMのPowerPC G5が出荷開始され、AMDのAthlon64は2003年9月、インテルXeonは2004年である。 Power Mac G5が最初の64ビットデスクトップとして登場したあと、AMDが2003年9月にAthlon 64でx86(IA-32)アーキテクチャを拡張したAMD64アーキテクチャの64ビットチップを導入し、それに続いてインテルがAMD64互換のIA-32eアーキテクチャの64ビットマイクロプロセッサを登場させるに及んで、Windowsパソコンにも64ビットデスクトップ時代が到来した。AMD64は32ビットの従来のアプリケーションも使用できると同時に、64ビットに対応したオペレーティングシステムやアプリケーションで動作させることにより、プロセッサの性能と機能を発揮させることができる。AMD64における64ビット化では、レジスタのサイズとともにレジスタの数も倍増し性能の向上に貢献している。デスクトップ向けでは64ビットWindowsはドライバの非互換性からあまり普及していないので、デスクトップではIntel 64/AMD64プロセッサは高速な32ビットCPUとして使われていることが多い。 PowerPCの64ビットへの移行は1990年代前半のプロセッサ設計当時から意識されていたため、互換性は大きな問題を起さなかった。既存の整数レジスタはデータバス幅に合わせて拡張されている。IA-32と異なり、既に32本の汎用レジスタと32本の浮動小数点レジスタを持っていたのでレジスタの本数は増加していない。 またIBMメインフレームのz/Architectureも、64ビットマイクロプロセッサであり、IBM z10などがある。 1980年代中盤、複数の新たな高性能RISC(reduced instruction set computer)マイクロプロセッサが登場した。命令の種類を減らし、アドレッシングモードを制限し、全てをワイヤードロジック制御で構成する。多数のレジスタを備えてメモリへのアクセスを減らすとともに、すべての命令を固定長としパイプライン処理で高性能化を狙うものであった。それらは当初、特殊な用途のマシンやUNIXワークステーションに使われていたが、その後あらゆる分野で使われるようになった。 RISCの開発は1970年代のIBM 801に始まった。最初の商用のRISCマイクロプロセッサはミップス・テクノロジーズの32ビットプロセッサであるR2000である(1985年。R1000はリリースされなかった)。続くR3000は更に実用的な設計となり、R4000では世界初の64ビットアーキテクチャを採用した。それに対抗すべくIBMのRT PC(1986年)や後継のPOWER、サン・マイクロシステムズのSPARCシステム(1985年)が生み出され、間もなく各主要ベンダはRISCアーキテクチャを採用したプロセッサをリリースした。AT&TのCRISP、AMDの29000、インテルのi860とi960、モトローラの88000、DEC Alpha、ヒューレット・パッカードのPA-RISCなどである。 DEC Alphaは性能面では優秀と言われながら、ヒューレット・パッカードに買収された後に消滅した。ヒューレット・パッカードのPA-RISCは、インテルと共同開発のItaniumに移行した。MIPSアーキテクチャは組み込みシステム(シスコシステムズのルータなど)に広く使われている。POWER/PowerPCは、Macintoshにも採用されたが、現在はサーバーとスーパーコンピュータのほかは、組み込みシステムが中心である。 ARMアーキテクチャは当初ホームコンピュータ向けに開発されたが、その後は携帯電話・スマートフォンをはじめとした携帯機器や組み込みシステムで支配的となった。ARMv8-Aで64ビット化がなされて以降、ARMアーキテクチャはサーバー分野にも進出し、スーパーコンピュータやデスクトップ分野でも台頭が著しい。 現在のx86マイクロプロセッサは従来の(可変長の)命令セットとの互換性を保ちながら、内部的には固定長命令に変換して実行するなどRISCの技術を段階的に採用し、また各RISCマイクロプロセッサはコード効率の向上を意図して短縮命令モード(ARMのThumb命令など)を実装するなど命令セットの追加を重ねたため、現在ではRISCとCISCの技術的な分類は困難である。しかしRISCという用語は便宜上使われる場合が多い。 かつて世界で販売されたマイクロプロセッサのうち最も多かったのは安価な8ビット製品である。1997年には20億個以上が出荷され、組み込みシステムとして非常に様々な用途に利用されてきた。 しかし、その後は半導体製造技術の発達によりローエンドの32ビットプロセッサーと16ビット/8ビットプロセッサーの価格差は徐々に少なくなり、IoTなどの要求仕様の高度化や汎用開発ツールの援用要求により、16ビット命令(ARMのThumb命令など)を持つ32ビットRISCプロセッサ(主にARM互換製品)が組み込み用途にも広く使われるようになった。また、64ビットの高性能品もパソコンやサーバ、スマートフォンのほか、デジタル家電やネットワーク機器など大量のデータの処理が要求される分野で使われている。 マイクロプロセッサはその特性上小さく、軽いが価格が高価なことから、航空機での輸送が盛んである。日本においてマイクロプロセッサの取扱量が最も多い空港は、成田国際空港である。
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"1960年代頃まで、プロセッサは個別のトランジスタか、当時のせいぜい数百素子程度の集積度の集積回路(IC)を繋ぎ合わせて作られていた。製造技術の発達、設計ルールの微細化が進むにつれてチップ上に集積できる素子の数が増え、大規模集積回路(LSI)の1チップにプロセッサを実装できるようになった。1970年代初頭に現れた初期のマイクロプロセッサは電卓や機器制御、もしくはビデオ表示端末用であり、非常に限られた機能しか持たなかったが、従来のディスクリート半導体を使った回路に比べとても安価で利用しやすかったため、ほどなくして大量に使われるようになった。CPUというコンピュータの機能を実現する最も主要な部品がワンチップ化されたことで、個人でも容易に購入できるパーソナルコンピュータが実現可能となった。その後もムーアの法則に従い、マイクロプロセッサに集積される素子数は増加の一途をたどり、性能は目覚ましく向上し続けている(ただし、かつてはムーアの法則に従属していたデナード則によるクロック周波数の向上や消費電力の低下は、2000年代後半から頭打ちの傾向となり、2010年代後半からは微細化自体も鈍化が著しい)。今日ではマイクロプロセッサは、巨大なHPCサーバから小さなウェアラブル端末や家電に至るまで、さまざまな機器に搭載されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "マイクロプロセッサを実現する様々な新しい基本技術は1970年頃に整い、1971年11月15日に発表された4004はテッド・ホフによる基本的なアイディアと、嶋正利による論理設計とフェデリコ・ファジンによる回路・マスク設計による、最初期のマイクロプロセッサとして周知のことだが、他複数のプロジェクトでほぼ同時期にCADC、TMS0100シリーズ、μPD707・708などのマイクロプロセッサと認められるLSIが開発されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1968年にギャレット・エアリサーチ(英語版)社がF-14飛行制御用デジタルコンピュータの開発を要請されてCADC(英語版)を設計する。これは1970年に設計を完了したMP944というMOSベースのチップセットから成るマイクロプロセッサで、従来の機械装置より小型で信頼性が高く、初期のF14 トムキャット戦闘機に採用された。米海軍は軍需用品として民間への商用販売などを1997年まで禁止していたため、CADC (MP944) は最近までほとんど知られていなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "TIのテキサス・インスツルメンツ TMS0100シリーズはマイクロコントローラに近い構成のLSIで、1971年9月17日に電卓向けプログラムを内蔵した TMS1802NC をリリースしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "μPD707・708はNECが設計・製造したLSIで、半導体プロセスの製造効率から2チップ構成だが機能的にはマイクロプロセッサでμCOMシリーズの源流である。1971年12月にサンプル出荷され、シャープが日本コカ・コーラへ供給する仕向け機器に用いられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "英語版では他に en:Gilbert Hyatt の特許、Pico と General Instrument の協業によるチップ、Four-Phase Systems の AL1 チップ、フェアチャイルドの PPS25、Viatron が端末装置用に開発したチップ、TIのTMX 1795なども記されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "TIはマイクロプロセッサに関する特許を出願した。ゲイリー・ブーンはシングルチップのマイクロプロセッサに関する特許を1973年9月4日に取得した(米国特許第3,757,306号)。1971年と1976年、インテルとTIは包括的なクロスライセンス契約を締結し、インテルはTIの持つマイクロプロセッサの特許に対してロイヤリティを支払った。この間の経緯は、サイリックスとインテル間の訴訟に関する法廷文書に記述されている。この訴訟においてTIはマイクロプロセッサに関する特許の所有者および仲裁人として関与した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "マイクロプロセッサのコア(プロセッサコア)だけでなくメモリと入出力処理の回路も集積した、現代で言うマイクロコントローラの実現に関する特許は、TIのゲイリー・ブーンとマイケル・J・コクランに与えられた(米国特許第4,074,351号)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "4004の後継として1972年4月に発表された8008が世界初の8ビットマイクロプロセッサである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "4004や8008を発展・改良させる形で、1974年4月にインテルの8080が誕生、さらに1976年(の3月~7月ころ)には8080の上位互換品で速度・機能などを向上させたザイログのZ80が誕生し、またその後もインテル製の他の派生プロセッサ群が誕生してゆくことになった。その一方で同時期にそれらとは系統が異なるモトローラのMC6800というプロセッサも構想され1974年から製造、そのMC6800とバス互換としつつパイプライン処理の採用などの改良を加えたモステクノロジー社の6502が1975年に発表された。こうしてZ80と6502が覇を競うことになった(「80系と68系の戦い」などとも言われた)。1970年代後半から1980年代前半にかけてのことである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "Z80も6502もシステム全体のコストを低減することに注力しており、パッケージを小さくし、要求されるバスを単純なものにし、それまで外部に別チップで持たなければならなかった回路(例えばZ80はDRAMリフレッシュカウンタ)を内蔵した。これにより1980年初頭にホームコンピュータ(ホビーコンピュータ)市場が新たに生まれ、それなりに使えるマシンが、99USドルで売られるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "モトローラが「切り札」として1979年に発売したMC6809は、命令セットに直交性があり美しい設計が特徴の、事実上最もパワフルな8ビットマイクロプロセッサであり、当時製品化されたマイクロプロセッサの中で最も複雑な回路から成っていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "他の初期の8ビットマイクロプロセッサとしてはSigneticsの2650もある。PDP-8を機能縮小しワンチップ化したものであるが、PDP-8を知らない層からは一風変わったパワフルな命令セットと受け止められた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "航空宇宙分野での最初のマイクロプロセッサは、1976年に発表されたRCA社のRCA 1802(別名 CDP1802、RCA COSMAC)であり、1970年代のNASAの宇宙探査機ボイジャーとバイキングに使われた。木星探査機ガリレオにも搭載されている(1989年出発、1995年到着)。CDP1802が使われた理由は、消費電力が極めて小さいことと、非常に広い電源電圧範囲で動作すること、製造プロセス(Silicon on Sapphire)が宇宙線や放電に他のどんなプロセッサよりも強いからであった。したがって1802は「最初の放射線耐性マイクロプロセッサ」と呼ぶにふさわしい。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ここまでに登場したプロセッサのほとんどがマイクロプログラム方式による制御ではなく、ワイヤードロジック制御である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "最初の複数チップで構成された16ビットマイクロプロセッサは1973年に登場したナショナル セミコンダクターのIMP-16である。8ビット版のチップセットはIMP-8として1974年に登場した。1975年、ナショナル セミコンダクターは最初の16ビットマイクロプロセッサPACEを開発、後にNMOS版のINS8900を開発した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "その他の初期のマルチチップ16ビットマイクロプロセッサとしては、PDP-11をLSI化したLSI-11(PDP-11#LSI-11を参照)などがあり、LSI-11は1975年に登場した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "初期のシングルチップの16ビットマイクロプロセッサには、1975年4月に完成したPANAFACOM L-16A(MN1610)、1976年のTIのTMS9900や Data General の MicroNOVA (mN601) がある。いずれもミニコンピュータの影響を受けている。TMS9900は同社のミニコンピュータTI 990シリーズと互換性があった。9900はミニコンピュータTI 990/4、ホームコンピュータTI-99/4A、OEM用マイコンボードTM990シリーズに使われた。チップは大型のセラミック製64ピンDIPパッケージで、当時の8ビットマイクロプロセッサIntel 8080はもっと一般的で小さくて安いプラスチック製40ピンDIPパッケージだった。後継のチップTMS9980はIntel 8080への対抗を意識して設計された。TI 990 の16ビット命令セットを持ち、プラスチック製40ピンパッケージで、データバスは8ビット、アドレス空間は16キロバイトしかなかった。三番目のチップTMS9995は新たに設計しなおされた。ファミリーはさらに99105、99110と進化していった。当時の Data General NOVA 互換のマイクロプロセッサには、他にフェアチャイルド・セミコンダクタの F9440 (1977年) も挙げられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "インテルは参考とすべきミニコンピュータを持たなかったため、全く別の道をたどる。8080を拡張して16ビットのIntel 8086を設計したのである。このx86ファミリの最初のメンバー8086はパーソナルコンピュータ(パソコン)に広く採用される。インテルは8086を8080用ソフトウェアを最も簡単に移植できる方法として提案し、成功した。8086と8088に続いて、インテルは80186、80286をリリースし、1985年に32ビットの80386をリリースするに及んで、既存のソフトウェア資産をそのまま使用できる下位互換性を武器にPC市場での占有状態を強固なものにした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "マイクロプロセッサ内蔵のメモリ管理機構(MMU)はChilds他(インテル)によって開発された(米国特許第4,442,484号)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "16ビット化によってさらに進んだ複雑化により、以前のワイヤードロジックから、マイクロプログラム方式を採用するプロセッサが増えた。Z8000はワイヤードロジックだが、68000や8086はマイクロプログラム制御である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "マイクロプロセッサでは一旦はマイクロプログラム方式が増えたが、RISC化のためと性能競争のために、32ビット化後はワイヤードロジックに戻っており、インテルでは486でワイヤードロジックを採用した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "市場では16ビットマイクロプロセッサに対してC言語が普及した。OSが16bitから32bitへの移行が可能なようにC言語が16bit と32bitの両方に対応するように設計された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "32ビットを実装したマイクロプロセッサが、16bitマイクロプロセッサと同価格で販売されるようになると、16bitマイクロプロセッサの利点は、省電力、省空間になった。ARMでは、32bitでも16bitと同程度の省電力、省空間、費用を目標に市場を拡大していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "世界初のシングルチップの32ビットマイクロプロセッサはAT&T ベル研究所のBELLMAC-32Aである。最初のサンプル出荷は1980年で、正式出荷は1982年であった。1984年のAT&T分割の後、WE32000と改称され(WEはWestern Electricを意味する)、さらにWE32100、WE32200と続いた。これらのマイクロプロセッサはAT&Tのミニコンピュータ3B5や3B15、世界初のデスクトップコンピュータ3B2、世界初の32ビットラップトップコンピュータCompanion、世界初の(本程度のサイズの)超小型コンピュータAlexanderに使われた。AlexanderはROMカートリッジを装備しており、その点は現在のゲーム機に似ている。これらは全てベル研究所オリジナルのUNIXオペレーティングシステムが動作し、最初のウィンドウ型ソフトウェアであるxt-layersを装備していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "インテルの最初の32ビットマイクロプロセッサは1981年に登場したiAPX432である。iAPX432は権限に基づくセキュリティ機構とオブジェクト指向という進んだアーキテクチャだったが、モトローラの68000などの対抗アーキテクチャ、ひいては自社のIntel 80286等に比較して性能が及ばず、商業的には失敗した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "モトローラは1985年にMC68020で、データバスもアドレスバスも完全32ビット化されたマイクロプロセッサを出荷した。68020はUNIX市場では非常に人気を博し、多くの小企業が68020を使ってデスクトップサイズのシステムを製品化した。日本でもソニーのNEWS、NECのEWS4800、住友電工のEstationなどが68020を使って製品化された。続くMC68030はチップにMMUを内蔵し、68KファミリーはMS-DOS以外のあらゆるものが動作するプロセッサとなった。さらにMC68040ではFPUを内蔵して浮動小数点演算性能を向上させた。68050は予定していた性能目標を達成できず、リリースされなかった。そしてMC68060が出荷されたころ、市場にはより高性能なRISCプロセッサがあふれていた。1990年代初頭、68Kファミリーはデスクトップ市場から消えていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "他の多くの企業が68020やその後継プロセッサを組み込み機器用に使用した。特筆すべきは、機器に組み込まれた68020の個数は、これまでに出荷されたインテルのPentium搭載PCより多いのである。ColdFireのプロセッサコアは68020の正当な後継である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1980年代中盤までに、ナショナル セミコンダクターは外部16ビットで内部アーキテクチャが32ビットであるマイクロプロセッサNS16032(後に32016と改称)と完全32ビット版のNS32032を開発。また、それを使用したOEM向け32ビット小型コンピュータシリーズをリリースしている。シークエント・コンピュータは1980年代中頃にNS32032を使った最初の対称型マルチプロセッサ (SMP) サーバコンピュータを開発した。これは設計という面では勝利と言えるものだったが、1980年代終盤には消えていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "他にもザイログのZ80000などは興味深いが市場でチャンスを掴むには登場が遅すぎたため即座に消えていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "インテルが発売した80386は、x86アーキテクチャでの最初の32ビットプロセッサであり、ここで採用されたIA-32アーキテクチャ上では多くの本格的OSが動作し、後のインテルや互換プロセッサの基礎となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1980年代終盤、いわゆる「マイクロプロセッサ戦争」が勃発しいくつかのマイクロプロセッサが「戦死」した。前述の唯一の設計上の勝利と称したSequentは、NS32032が消えるとともにインテルのマイクロプロセッサに切り替えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "Alpha・MIPS・SPARCなどのRISCプロセッサでは、1990年代初頭から64ビット化が行われており、特にAlphaは32ビットアーテクチャが存在せず、当初から64ビットプロセッサとして登場した。PC(PC/AT互換機とMacintosh)向けマイクロプロセッサは21世紀に入ってから64ビット化が行われた。2003年4月にAMDのOpteronが、同年6月にはIBMのPowerPC G5が出荷開始され、AMDのAthlon64は2003年9月、インテルXeonは2004年である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "Power Mac G5が最初の64ビットデスクトップとして登場したあと、AMDが2003年9月にAthlon 64でx86(IA-32)アーキテクチャを拡張したAMD64アーキテクチャの64ビットチップを導入し、それに続いてインテルがAMD64互換のIA-32eアーキテクチャの64ビットマイクロプロセッサを登場させるに及んで、Windowsパソコンにも64ビットデスクトップ時代が到来した。AMD64は32ビットの従来のアプリケーションも使用できると同時に、64ビットに対応したオペレーティングシステムやアプリケーションで動作させることにより、プロセッサの性能と機能を発揮させることができる。AMD64における64ビット化では、レジスタのサイズとともにレジスタの数も倍増し性能の向上に貢献している。デスクトップ向けでは64ビットWindowsはドライバの非互換性からあまり普及していないので、デスクトップではIntel 64/AMD64プロセッサは高速な32ビットCPUとして使われていることが多い。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "PowerPCの64ビットへの移行は1990年代前半のプロセッサ設計当時から意識されていたため、互換性は大きな問題を起さなかった。既存の整数レジスタはデータバス幅に合わせて拡張されている。IA-32と異なり、既に32本の汎用レジスタと32本の浮動小数点レジスタを持っていたのでレジスタの本数は増加していない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "またIBMメインフレームのz/Architectureも、64ビットマイクロプロセッサであり、IBM z10などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1980年代中盤、複数の新たな高性能RISC(reduced instruction set computer)マイクロプロセッサが登場した。命令の種類を減らし、アドレッシングモードを制限し、全てをワイヤードロジック制御で構成する。多数のレジスタを備えてメモリへのアクセスを減らすとともに、すべての命令を固定長としパイプライン処理で高性能化を狙うものであった。それらは当初、特殊な用途のマシンやUNIXワークステーションに使われていたが、その後あらゆる分野で使われるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "RISCの開発は1970年代のIBM 801に始まった。最初の商用のRISCマイクロプロセッサはミップス・テクノロジーズの32ビットプロセッサであるR2000である(1985年。R1000はリリースされなかった)。続くR3000は更に実用的な設計となり、R4000では世界初の64ビットアーキテクチャを採用した。それに対抗すべくIBMのRT PC(1986年)や後継のPOWER、サン・マイクロシステムズのSPARCシステム(1985年)が生み出され、間もなく各主要ベンダはRISCアーキテクチャを採用したプロセッサをリリースした。AT&TのCRISP、AMDの29000、インテルのi860とi960、モトローラの88000、DEC Alpha、ヒューレット・パッカードのPA-RISCなどである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "DEC Alphaは性能面では優秀と言われながら、ヒューレット・パッカードに買収された後に消滅した。ヒューレット・パッカードのPA-RISCは、インテルと共同開発のItaniumに移行した。MIPSアーキテクチャは組み込みシステム(シスコシステムズのルータなど)に広く使われている。POWER/PowerPCは、Macintoshにも採用されたが、現在はサーバーとスーパーコンピュータのほかは、組み込みシステムが中心である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ARMアーキテクチャは当初ホームコンピュータ向けに開発されたが、その後は携帯電話・スマートフォンをはじめとした携帯機器や組み込みシステムで支配的となった。ARMv8-Aで64ビット化がなされて以降、ARMアーキテクチャはサーバー分野にも進出し、スーパーコンピュータやデスクトップ分野でも台頭が著しい。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "現在のx86マイクロプロセッサは従来の(可変長の)命令セットとの互換性を保ちながら、内部的には固定長命令に変換して実行するなどRISCの技術を段階的に採用し、また各RISCマイクロプロセッサはコード効率の向上を意図して短縮命令モード(ARMのThumb命令など)を実装するなど命令セットの追加を重ねたため、現在ではRISCとCISCの技術的な分類は困難である。しかしRISCという用語は便宜上使われる場合が多い。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "かつて世界で販売されたマイクロプロセッサのうち最も多かったのは安価な8ビット製品である。1997年には20億個以上が出荷され、組み込みシステムとして非常に様々な用途に利用されてきた。", "title": "市場" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "しかし、その後は半導体製造技術の発達によりローエンドの32ビットプロセッサーと16ビット/8ビットプロセッサーの価格差は徐々に少なくなり、IoTなどの要求仕様の高度化や汎用開発ツールの援用要求により、16ビット命令(ARMのThumb命令など)を持つ32ビットRISCプロセッサ(主にARM互換製品)が組み込み用途にも広く使われるようになった。また、64ビットの高性能品もパソコンやサーバ、スマートフォンのほか、デジタル家電やネットワーク機器など大量のデータの処理が要求される分野で使われている。", "title": "市場" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "マイクロプロセッサはその特性上小さく、軽いが価格が高価なことから、航空機での輸送が盛んである。日本においてマイクロプロセッサの取扱量が最も多い空港は、成田国際空港である。", "title": "市場" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "", "title": "市場" } ]
マイクロプロセッサは、広義には、プロセッサをマイクロチップに実装したものである。(狭義には)デジタルコンピューターの中央処理装置ともいう。
{{出典の明記|date=2014年5月}} '''マイクロプロセッサ'''({{lang-en-short|microprocessor}})は、広義には、[[プロセッサ]]を[[集積回路|マイクロチップ]]に実装したもの<ref name="Osborne80">{{cite book | first=Adam | last=Osborne | title=An Introduction to Microcomputers | volume=Volume 1: Basic Concepts | edition=2nd | publisher=Osborne-McGraw Hill | location=Berkeley, California | year=1980 | isbn=0-931988-34-9}}</ref>である。(狭義には)[[デジタル]][[コンピューター]]の[[中央処理装置]]([[CPU]])の[[機能]]を実行するために必要な[[演算装置|算術回路]]、論理回路、制御回路を含むきわめて小さな[[電子デバイス]]のこと<ref>Britannica, definition of microprocessor.[https://www.britannica.com/technology/microprocessor]</ref>。'''MPU'''({{lang-en-short|micro-processing unit}})ともいう。 == 概説 == 狭義の用法では「CPUに必要な"機能を備えている" 」ということが定義文にあり[[必要条件]]となっているが、必ずしもCPUとして使わなければならないわけではなく、実際の用途としては、その機能を活かしつつCPU以外の、周辺回路のために使われていることが遥かに多い。たとえば[[パーソナルコンピュータ]]ではCPU以外の、周辺の電源や各種[[入出力]]などの[[制御]]に[[マイクロコントローラ]]が多く使われている。 汎用のマイクロプロセッサの他に、各種用途に特化したマイクロプロセッサも製品化されている。デジタル信号処理に特化した[[デジタルシグナルプロセッサ|DSP]]や、画像処理用の[[Graphics Processing Unit|GPU]]などである。 世界初のマイクロプロセッサとされるのは[[Intel 4004]]であり<ref>[https://spectrum.ieee.org/chip-hall-of-fame-intel-4004-microprocessor IEEE Spectrum, Chip Hall of Fame: Intel 4004 Microprocessor]</ref>、これは4[[ビット]]のもので<ref name="CPU-WORLD_INTEL_4004">[https://www.cpu-world.com/CPUs/4004/Intel-C4004.html CPU-world, Intel 4004 specification.]</ref>、クロック周波数は740KHz(0.74MHz)であり<ref name="CPU-WORLD_INTEL_4004" />、2300個の[[トランジスタ]]を含んでいた<ref name="CPU-WORLD_INTEL_4004" />。→[[#歴史]] 2022年時点で市販されているマイクロプロセッサで最速のものは、[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]の [[Ryzen]]™ Threadripper™ PRO 5995WX desktop PC processor(64[[マルチコア|コア]]、128[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]])だと考えられている<ref>https://www.cpubenchmark.net/high_end_cpus.html</ref>。この Ryzen™ Threadripper™ PRO 5995WXには、332[[億]]個のトランジスタが含まれている<ref>https://www.techpowerup.com/cpu-specs/ryzen-threadripper-pro-5995wx.c2719</ref>と言われている。 なおCPUの機能だけでなく、従来ならその周辺に配置されていたさまざまな機能を担う集積回路類(コントローラやメモリなど)までひとつにまとめて搭載し小さくしたものは[[System-on-a-chip|System-on-a-chip (SoC)]]という。[[スマートフォン]]や[[組み込みシステム]]などで使われている。 またマイクロプロセッサの中でも特に制御や組込みシステムに使うために開発され、メモリやI/Oポートなどもひとつの集積回路にまとめており、消費電力を抑えるためにクロック周波数を抑えたものは[[マイクロコントローラ]]という。 [[File:Zen 2 Matisse Ryzen-5-3600.jpg|thumb|180px|マイクロプロセッサの中身の例]] [[File:I5 3230m - Pins.jpg|thumb|180px|マイクロプロセッサの裏側のピンの例]] <gallery> File:IBM Power10 SCM.jpg|[[IBM]] [[POWER10]] ファイル:Intel CPU Core i7 6700K Skylake top.jpg|[[インテル]]の[[Intel Core i7|Core i7]] [[Skylakeマイクロアーキテクチャ|6700K]] File:AMD Ryzen 9 3900X - ISO.jpg|[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]の[[Ryzen]] 9 File:ARMCortexA57A53.jpg|[[ARMアーキテクチャ|ARM]]のCortexシリーズ ファイル:CELL BE processor PS3 board.jpg|[[Cell Broadband Engine]]。[[ソニー・コンピュータエンタテインメント|ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)]] 、ソニー、IBM、東芝により協同開発されたマイクロプロセッサであり、[[PlayStation 3]]に搭載された。 </gallery> <gallery> File:Apple M1.jpg|[[SoC]]の一例、[[Apple M1]]。 File:HTC Desire - main board - Qualcomm QSD8250-2.jpg|SoCの一例、[[クアルコム|Qualcomm]]社の[[Snapdragon]] File:ATMEGA328P-PU.jpg|[[マイクロコントローラ]]の一例、[[Atmel]]社の[[:en:ATmega328]] </gallery> == 歴史 == {{seealso|CPU年表|CPU#マイクロプロセッサ}} 1960年代頃まで、プロセッサは個別のトランジスタか、当時のせいぜい数百素子程度の集積度の[[集積回路]](IC)を繋ぎ合わせて作られていた。製造技術の発達、設計ルールの微細化が進むにつれてチップ上に集積できる素子の数が増え、大規模集積回路(LSI)の1チップに[[プロセッサ]]を実装できるようになった。1970年代初頭に現れた初期のマイクロプロセッサは[[電卓]]や機器制御、もしくは[[ビデオ表示端末]]用であり、非常に限られた機能しか持たなかったが、従来の[[半導体素子|ディスクリート半導体]]を使った回路に比べとても安価で利用しやすかったため、ほどなくして大量に使われるようになった。[[CPU]]というコンピュータの機能を実現する最も主要な部品がワンチップ化されたことで、個人でも容易に購入できる[[パーソナルコンピュータ]]が実現可能となった。その後も[[ムーアの法則]]に従い、マイクロプロセッサに集積される素子数は増加の一途をたどり、性能は目覚ましく向上し続けている(ただし、かつてはムーアの法則に従属していた[[デナード則]]によるクロック周波数の向上や消費電力の低下は、2000年代後半から頭打ちの傾向となり、2010年代後半からは微細化自体も鈍化が著しい)。<!--ムーアの法則の誕生はマイクロプロセッサ'''より古い'''-->今日ではマイクロプロセッサは、巨大な[[スーパーコンピュータ|HPCサーバ]]から小さな[[ウェアラブルコンピュータ|ウェアラブル端末]]や[[家庭用電気機械器具|家電]]に至るまで、さまざまな機器に搭載されている。 === 最初のマイクロプロセッサ === [[File:C4004 (Intel).jpg|thumb|right|220px|Intel 4004 マイクロプロセッサ]] マイクロプロセッサを実現する様々な新しい基本技術は[[1970年]]頃に整い、[[1971年]]11月15日に発表された[[Intel 4004|4004]]は<!--基本構造を[[テッド・ホフ]]が、実用回路を[[嶋正利]]や[[フェデリコ・ファジン]]らが設計し--><!-- ← マイクロプロセッサの設計を「基本構造」「実用回路」と分類する専門家はいないと思いますが? -->[[テッド・ホフ]]による基本的なアイディアと、[[嶋正利]]による論理設計と[[フェデリコ・ファジン]]による回路・マスク設計による、最初期のマイクロプロセッサとして周知のことだが、他複数のプロジェクトでほぼ同時期にCADC、[[TMS0100]]シリーズ、μPD707・708などのマイクロプロセッサと認められるLSIが開発されている。 [[1968年]]に{{仮リンク|ギャレット・エアリサーチ|en|Garrett AiResearch}}社が[[F-14 (戦闘機)|F-14]]飛行制御用デジタルコンピュータの開発を要請されて{{仮リンク|セントラル・エア・データ・コンピュータ|label=CADC|en|Central Air Data Computer|preserve=1}}を設計する。これは1970年に設計を完了したMP944という[[MOSFET|MOS]]ベースの[[チップセット]]から成るマイクロプロセッサで、従来の機械装置より小型で信頼性が高く、初期の[[F-14 (戦闘機)|F14 トムキャット]]戦闘機に採用された。[[米海軍]]は軍需用品として民間への商用販売などを[[1997年]]まで禁止していたため、CADC (MP944) は最近までほとんど知られていなかった。 [[テキサス・インスツルメンツ|TI]]の[[テキサス・インスツルメンツ TMS0100シリーズ]]は[[マイクロコントローラ]]に近い構成のLSIで、[[1971年]]9月17日に[[電卓]]向けプログラムを内蔵した TMS1802NC をリリースしている。 μPD707・708は[[日本電気|NEC]]が設計・製造したLSIで、半導体プロセスの製造効率から2チップ構成だが機能的にはマイクロプロセッサで[[μCOMシリーズ]]の源流である。1971年12月にサンプル出荷され、[[シャープ]]が[[日本コカ・コーラ]]へ供給する仕向け機器に用いられている。<ref>{{Cite book|和書|author=多田則明|title=世界にないものを創れ : 日本コカ・コーラ、シャープ、NECによる携帯用コンピュータ開発物語|publisher=コスモトゥーワン|isbn 4-906361-79-X |page=113}}</ref> [[:en:Microprocessor|英語版]]では他に [[:en:Gilbert Hyatt]] の特許、Pico と General Instrument の協業によるチップ、[[Four-Phase Systems]] の AL1 チップ、[[フェアチャイルドセミコンダクター|フェアチャイルド]]の PPS25、[[バイアトロン|Viatron]] が端末装置用に開発したチップ<ref>http://www.pcmuseum.ca/jim2.asp 参照。[[バイアトロン|Viatron]] は『マイ・コンピュータ入門』に言及が見られる。</ref>、TIのTMX 1795<ref>http://www.righto.com/2015/05/the-texas-instruments-tmx-1795-first.html</ref>なども記されている。 === マイクロプロセッサ特許 === TIはマイクロプロセッサに関する[[特許]]を出願した。[[ゲイリー・ブーン]]はシングルチップのマイクロプロセッサに関する特許を1973年9月4日に取得した({{米国特許|3757306}})。1971年と1976年、インテルとTIは包括的な[[クロスライセンス]]契約を締結し、インテルはTIの持つマイクロプロセッサの特許に対してロイヤリティを支払った。この間の経緯は、[[サイリックス]]とインテル間の訴訟に関する法廷文書に記述されている。この訴訟においてTIはマイクロプロセッサに関する特許の所有者および仲裁人として関与した。 マイクロプロセッサのコア(プロセッサコア)だけでなくメモリと入出力処理の回路も集積した、現代で言う[[マイクロコントローラ]]の実現に関する特許は、TIのゲイリー・ブーンと[[マイケル・J・コクラン]]に与えられた({{米国特許|4074351}})。 === 8ビットマイクロプロセッサ === [[File:Zilog Z80.jpg|thumb|right|220px|Z80 マイクロプロセッサ]] [[ファイル:MOS_6502AD_4585_top.jpg|thumb|right|220px|MOS 6502]] 4004の後継として1972年4月に発表された[[Intel 8008|8008]]が世界初の[[8ビット]]マイクロプロセッサである。 4004や8008を発展・改良させる形で、1974年4月にインテルの[[Intel 8080|8080]]が誕生、さらに1976年(の3月~7月ころ)には8080の上位互換品で速度・機能などを向上させた[[ザイログ]]の[[Z80]]が誕生し、またその後もインテル製の他の派生プロセッサ群が誕生してゆくことになった。その一方で同時期にそれらとは系統が異なる[[モトローラ]]の[[MC6800]]というプロセッサも構想され1974年から製造、そのMC6800と[[バス (コンピュータ)|バス]]互換としつつ[[パイプライン処理]]の採用などの改良を加えた[[モステクノロジー]]社の[[6502]]が1975年に発表された。こうして[[Z80]]と[[6502]]が覇を競うことになった(「80系と68系の戦い」などとも言われた)。1970年代後半から1980年代前半にかけてのことである。 [[Z80]]も[[6502]]もシステム全体のコストを低減することに注力しており、パッケージを小さくし、要求される[[バス (コンピュータ)|バス]]を単純なものにし、それまで外部に別チップで持たなければならなかった[[電子回路|回路]](例えば[[Z80]]はDRAMリフレッシュカウンタ)を内蔵した。これにより1980年初頭に[[ホビーパソコン|ホームコンピュータ(ホビーコンピュータ)]]市場が新たに生まれ、それなりに使えるマシンが、99[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]で売られるようになった。 モトローラが「切り札」として1979年に発売した[[MC6809]]は、[[命令セット]]に[[直交性 (情報科学)|直交性]]があり美しい設計が特徴の、事実上最もパワフルな8ビットマイクロプロセッサであり、当時製品化されたマイクロプロセッサの中で最も複雑な回路から成っていた。 他の初期の8ビットマイクロプロセッサとしては[[:en:Signetics_2650|Signeticsの2650]]もある。[[PDP-8]]を機能縮小しワンチップ化したものであるが、PDP-8を知らない層からは一風変わったパワフルな命令セットと受け止められた。 航空宇宙分野での最初のマイクロプロセッサは、1976年に発表された[[RCA]]社の[[RCA 1802]](別名 CDP1802、RCA COSMAC)であり、1970年代のNASAの宇宙探査機[[ボイジャー計画|ボイジャー]]と[[バイキング計画|バイキング]]に使われた。木星探査機[[ガリレオ (探査機)|ガリレオ]]にも搭載されている([[1989年]]出発、[[1995年]]到着)。CDP1802が使われた理由は、消費電力が極めて小さいことと、非常に広い電源電圧範囲で動作すること、製造プロセス([[サファイア#産業・科学での用途|Silicon on Sapphire]])が[[宇宙線]]や[[放電]]に他のどんなプロセッサよりも強いからであった。したがって1802は「最初の[[放射線]]耐性マイクロプロセッサ」と呼ぶにふさわしい。 ここまでに登場したプロセッサのほとんどが[[マイクロプログラム方式]]による制御ではなく、[[ワイヤードロジック]]制御である。 === 16ビットマイクロプロセッサ === [[File:TI-TMS9900NL.jpg|thumb|right|220px|TI TMS9900]] 最初の複数チップで構成された[[16ビット]]マイクロプロセッサは[[1973年]]に登場した[[ナショナル セミコンダクター]]の[[IMP-16]]である。8ビット版のチップセットはIMP-8として[[1974年]]に登場した。[[1975年]]、ナショナル セミコンダクターは最初の16ビットマイクロプロセッサPACEを開発、後に[[NMOS]]版のINS8900を開発した。 その他の初期のマルチチップ16ビットマイクロプロセッサとしては、[[PDP-11]]をLSI化したLSI-11([[PDP-11#LSI-11]]を参照)などがあり、LSI-11は[[1975年]]に登場した。 初期のシングルチップの16ビットマイクロプロセッサには、1975年4月に完成したPANAFACOM L-16A(MN1610)、1976年のTIのTMS9900や Data General の MicroNOVA (mN601) がある。いずれもミニコンピュータの影響を受けている。TMS9900は同社のミニコンピュータTI 990シリーズと互換性があった。9900はミニコンピュータTI 990/4、ホームコンピュータ[[TI-99/4A]]、OEM用マイコンボードTM990シリーズに使われた。チップは大型のセラミック製64ピンDIPパッケージで、当時の8ビットマイクロプロセッサIntel 8080はもっと一般的で小さくて安いプラスチック製40ピンDIPパッケージだった。後継のチップTMS9980はIntel 8080への対抗を意識して設計された。TI 990 の16ビット命令セットを持ち、プラスチック製40ピンパッケージで、データバスは8ビット、アドレス空間は16キロバイトしかなかった。三番目のチップTMS9995は新たに設計しなおされた。ファミリーはさらに99105、99110と進化していった。当時の Data General NOVA 互換のマイクロプロセッサには、他にフェアチャイルド・セミコンダクタの F9440 (1977年) も挙げられる。 インテルは参考とすべきミニコンピュータを持たなかったため、全く別の道をたどる。8080を拡張して16ビットの[[Intel 8086]]を設計したのである。この[[x86]]ファミリの最初のメンバー8086は[[パーソナルコンピュータ]](パソコン)に広く採用される。インテルは8086を8080用ソフトウェアを最も簡単に移植できる方法として提案し、成功した。8086と8088に続いて、インテルは[[Intel 80186|80186]]、[[Intel 80286|80286]]をリリースし、[[1985年]]に32ビットの[[Intel 80386|80386]]をリリースするに及んで、既存のソフトウェア資産をそのまま使用できる下位互換性を武器にPC市場での占有状態を強固なものにした。 マイクロプロセッサ内蔵のメモリ管理機構(MMU)はChilds他(インテル)によって開発された({{米国特許|4442484}})。 16ビット化によってさらに進んだ複雑化により、以前の[[ワイヤードロジック]]から、[[マイクロプログラム方式]]を採用するプロセッサが増えた。Z8000はワイヤードロジックだが<ref>嶋『マイクロコンピュータの誕生』p. 156</ref>、68000や8086はマイクロプログラム制御である<ref>bit臨時増刊『ダイナミック・アーキテクチャ』pp. 312-317</ref>。 === 32ビットマイクロプロセッサ === [[File:80486DX2 200x.png|thumb|right|220px|Intel 486DX2 の金属配線(200倍に拡大)]] マイクロプロセッサでは一旦はマイクロプログラム方式が増えたが、RISC化のためと性能競争のために、32ビット化後はワイヤードロジックに戻っており、インテルでは486でワイヤードロジックを採用した。 市場では16ビットマイクロプロセッサに対してC言語が普及した。OSが16bitから32bitへの移行が可能なようにC言語が16bit と32bitの両方に対応するように設計された。 32ビットを実装したマイクロプロセッサが、16bitマイクロプロセッサと同価格で販売されるようになると、16bitマイクロプロセッサの利点は、省電力、省空間になった。ARMでは、32bitでも16bitと同程度の省電力、省空間、費用を目標に市場を拡大していった。 世界初のシングルチップの[[32ビット]]マイクロプロセッサは[[AT&T]] [[ベル研究所]]のBELLMAC-32Aである。最初のサンプル出荷は[[1980年]]で、正式出荷は[[1982年]]であった{{要出典|date=2018年7月}}。[[1984年]]のAT&T分割の後、WE32000と改称され(WEはWestern Electricを意味する)、さらにWE32100、WE32200と続いた。これらのマイクロプロセッサはAT&Tのミニコンピュータ3B5や3B15、世界初のデスクトップコンピュータ3B2、世界初の32ビットラップトップコンピュータCompanion、世界初の(本程度のサイズの)超小型コンピュータAlexanderに使われた。AlexanderはROMカートリッジを装備しており、その点は現在のゲーム機に似ている{{要出典|date=2018年7月}}。これらは全てベル研究所オリジナルの[[UNIX]]オペレーティングシステムが動作し、最初のウィンドウ型ソフトウェアであるxt-layersを装備していた{{要出典|date=2018年7月}}。 インテルの最初の32ビットマイクロプロセッサは[[1981年]]に登場した[[Intel iAPX 432|iAPX432]]である。iAPX432は権限に基づくセキュリティ機構とオブジェクト指向という進んだアーキテクチャだったが、モトローラの68000などの対抗アーキテクチャ、ひいては自社の[[Intel 80286]]等に比較して性能が及ばず、商業的には失敗した。 モトローラは[[1985年]]に[[MC68020]]で、データバスもアドレスバスも完全32ビット化されたマイクロプロセッサを出荷した。68020は[[UNIX]]市場では非常に人気を博し、多くの小企業が68020を使ってデスクトップサイズのシステムを製品化した。日本でも[[ソニー]]の[[NEWS (ソニー)|NEWS]]、[[日本電気|NEC]]の[[EWS4800]]、[[住友電工]]のEstationなどが68020を使って製品化された。続く[[MC68030]]はチップにMMUを内蔵し、68Kファミリーは[[MS-DOS]]以外のあらゆるものが動作するプロセッサとなった。さらに[[MC68040]]では[[FPU]]を内蔵して[[浮動小数点演算]]性能を向上させた。68050は予定していた性能目標を達成できず、リリースされなかった。そして[[MC68060]]が出荷されたころ、市場にはより高性能な[[RISC]]プロセッサがあふれていた。[[1990年代]]初頭、68Kファミリーはデスクトップ市場から消えていった。 他の多くの企業が68020やその後継プロセッサを組み込み機器用に使用した。特筆すべきは、機器に組み込まれた68020の個数は、これまでに出荷されたインテルのPentium搭載PCより多いのである。[[ColdFire]]のプロセッサコアは68020の正当な後継である。 [[1980年代]]中盤までに、[[ナショナル セミコンダクター]]は外部16ビットで内部アーキテクチャが32ビットであるマイクロプロセッサNS16032(後に32016と改称)と完全32ビット版の[[NS32032]]を開発。また、それを使用したOEM向け32ビット小型コンピュータシリーズをリリースしている。[[シークエント・コンピュータ]]は[[1980年代]]中頃にNS32032を使った最初の対称型マルチプロセッサ (SMP) サーバコンピュータを開発した。これは設計という面では勝利と言えるものだったが、[[1980年代]]終盤には消えていった。 他にもザイログの[[Z80000]]などは興味深いが市場でチャンスを掴むには登場が遅すぎたため即座に消えていった。 インテルが発売した[[Intel 80386|80386]]は、x86アーキテクチャでの最初の32ビットプロセッサであり、ここで採用された[[IA-32]]アーキテクチャ上では多くの本格的OSが動作し、後のインテルや互換プロセッサの基礎となった。 [[1980年代]]終盤、いわゆる「マイクロプロセッサ戦争」が勃発しいくつかのマイクロプロセッサが「戦死」した。前述の唯一の設計上の勝利と称したSequentは、NS32032が消えるとともにインテルのマイクロプロセッサに切り替えた。 === 64ビットマイクロプロセッサ === {{更新|section=1|date=2013年12月}} [[DEC Alpha|Alpha]]・[[MIPSアーキテクチャ|MIPS]]・[[SPARC]]などの[[RISC]]プロセッサでは、[[1990年代]]初頭から[[64ビット]]化が行われており、特にAlphaは32ビットアーテクチャが存在せず、当初から64ビットプロセッサとして登場した。PC([[PC/AT互換機]]とMacintosh)向けマイクロプロセッサは[[21世紀]]に入ってから64ビット化が行われた。[[2003年]]4月に[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]の[[Opteron]]が、同年6月にはIBMの[[PowerPC G5]]が出荷開始され、AMDの[[Athlon64]]は[[2003年]]9月、インテル[[Xeon#ノコーナ(Nocona)|Xeon]]は[[2004年]]である。 [[Power Mac]] G5が最初の64ビットデスクトップとして登場したあと、AMDが[[2003年]]9月に[[Athlon 64]]でx86([[IA-32]])アーキテクチャを拡張した[[x64|AMD64]]アーキテクチャの64ビットチップを導入し、それに続いてインテルがAMD64互換の[[x64|IA-32e]]アーキテクチャの64ビットマイクロプロセッサを登場させるに及んで、Windowsパソコンにも64ビットデスクトップ時代が到来した。AMD64は32ビットの従来のアプリケーションも使用できると同時に、64ビットに対応した[[オペレーティングシステム]]やアプリケーションで動作させることにより、プロセッサの性能と機能を発揮させることができる。AMD64における64ビット化では、レジスタのサイズとともにレジスタの数も倍増し性能の向上に貢献している。デスクトップ向けでは64ビットWindowsはドライバの非互換性からあまり普及していないので、デスクトップではIntel 64/AMD64プロセッサは高速な32ビットCPUとして使われていることが多い。 [[PowerPC]]の64ビットへの移行は[[1990年代]]前半のプロセッサ設計当時から意識されていたため、互換性は大きな問題を起さなかった。既存の整数レジスタはデータバス幅に合わせて拡張されている。IA-32と異なり、既に32本の[[汎用レジスタ]]と32本の浮動小数点レジスタを持っていたのでレジスタの本数は増加していない。 またIBM[[メインフレーム]]の[[System z|z/Architecture]]も、64ビットマイクロプロセッサであり、[[IBM z10]]などがある。 === RISC === [[1980年代]]中盤、複数の新たな高性能[[RISC]](reduced instruction set computer)マイクロプロセッサが登場した。命令の種類を減らし、アドレッシングモードを制限し、全てを[[ワイヤードロジック]]制御で構成する。多数のレジスタを備えてメモリへのアクセスを減らすとともに、すべての命令を固定長とし[[パイプライン処理]]で高性能化を狙うものであった。それらは当初、特殊な用途のマシンや[[UNIX]][[ワークステーション]]に使われていたが、その後あらゆる分野で使われるようになった。 [[RISC]]の開発は[[1970年]]代の[[IBM 801]]に始まった。最初の商用のRISCマイクロプロセッサは[[ミップス・テクノロジーズ]]の32ビットプロセッサである[[R2000]]である(1985年。R1000はリリースされなかった)。続く[[R3000]]は更に実用的な設計となり、[[R4000]]では世界初の64ビットアーキテクチャを採用した。それに対抗すべく[[IBM]]の[[IBM RT-PC|RT PC]](1986年)や後継の[[POWER (マイクロプロセッサ)|POWER]]、[[サン・マイクロシステムズ]]の[[SPARC]]システム(1985年)が生み出され、間もなく各主要ベンダはRISCアーキテクチャを採用したプロセッサをリリースした。[[AT&T]]のCRISP、[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]の29000、[[インテル]]のi860とi960、[[モトローラ]]の88000、[[DEC Alpha]]、[[ヒューレット・パッカード]]の[[PA-RISC]]などである。 [[DEC Alpha]]は性能面では優秀と言われながら、[[ヒューレット・パッカード]]に買収された後に消滅した。[[ヒューレット・パッカード]]の[[PA-RISC]]は、[[インテル]]と共同開発の[[Itanium]]に移行した。[[MIPSアーキテクチャ]]は[[組み込みシステム]]([[シスコシステムズ]]のルータなど)に広く使われている。[[POWER (マイクロプロセッサ)|POWER]]/[[PowerPC]]は、[[Macintosh]]にも採用されたが、現在は[[サーバ|サーバー]]と[[スーパーコンピュータ]]のほかは、[[組み込みシステム]]が中心である。 [[ARMアーキテクチャ]]は当初ホームコンピュータ向けに開発されたが、その後は[[携帯電話]]・[[スマートフォン]]をはじめとした携帯機器や[[組み込みシステム]]で支配的となった。ARMv8-Aで64ビット化がなされて以降、ARMアーキテクチャは[[サーバ|サーバー]]分野にも進出し、[[スーパーコンピュータ]]やデスクトップ分野でも台頭が著しい。 現在の[[x86]]マイクロプロセッサは従来の(可変長の)命令セットとの互換性を保ちながら、内部的には固定長命令に変換して実行するなど[[RISC]]の技術を段階的に採用し、また各[[RISC]]マイクロプロセッサはコード効率の向上を意図して短縮命令モード(ARMのThumb命令など)を実装するなど命令セットの追加を重ねたため、現在では[[RISC]]と[[CISC]]の技術的な分類は困難である。しかしRISCという用語は便宜上使われる場合が多い。 == 市場 == かつて世界で販売されたマイクロプロセッサのうち最も多かったのは安価な[[8ビット]]製品である。[[1997年]]には20億個以上が出荷され、[[組み込みシステム]]として非常に様々な用途に利用されてきた。 しかし、その後は半導体製造技術の発達によりローエンドの32ビットプロセッサーと[[16ビット]]/[[8ビット]]プロセッサーの価格差は徐々に少なくなり、[[モノのインターネット|IoT]]などの要求仕様の高度化や汎用開発ツールの援用要求により、16ビット命令(ARMのThumb命令など)を持つ32ビットRISCプロセッサ(主にARM互換製品)が組み込み用途にも広く使われるようになった。また、64ビットの高性能品もパソコンやサーバ、スマートフォンのほか、[[デジタル家庭電化製品|デジタル家電]]やネットワーク機器など大量のデータの処理が要求される分野で使われている。 マイクロプロセッサはその特性上小さく、軽いが価格が高価なことから、[[航空機]]での輸送が盛んである。日本においてマイクロプロセッサの取扱量が最も多い[[空港]]は、[[成田国際空港]]である。 <!-- === 2000年代後半のCPU市場 === [[ARMアーキテクチャ]]のCPUは、[[2006年]]第2四半期までの一年間で20億2,600万以上の製品に搭載された<ref>[http://www.jp.arm.com/pressroom/06/060726_2.html ARM社ニュースリリース ARM社が2006年第2四半期および上半期の業績速報を発表]</ref><ref>[http://www.jp.arm.com/pressroom/06/060420.html ARM社ニュースリリース ARM社が2006年第1四半期の業績速報を発表]</ref><ref>[http://www.jp.arm.com/pressroom/06/060202_2.html ARM社ニュースリリース ARM社が2005年度の第4四半期および年間の業績速報を発表]</ref><ref>[http://www.jp.arm.com/pressroom/05/051020.html ARM社ニュースリリース ARM HOLDINGS PLC、2005年第3四半期および年度初めから9月末までの業績速報を発表]</ref>。 出荷されるコアのおよそ3分の2は[[携帯電話]]向けのものである<ref>[http://www.atmarkit.co.jp/fembedded/06arm/arm02.html @IT:年45億個の出荷を目指すアームの戦略とは]</ref>。 [[パーソナルコンピュータ]]など、汎用のコンピュータで使われる[[x86]]系CPUを搭載した製品は、[[2005年]]に約2億1853万台<ref>[http://journal.mycom.co.jp/news/2006/01/20/100.html 2005年、欧州が米国を抜き世界最大のPC市場へ - 米Gartner報告]</ref>(別な調査では約2億760万台<ref>[http://journal.mycom.co.jp/news/2006/03/28/102.html Windows Vista発売延期のPC販売に与える影響は軽微--米IDC調査](2003年から2005年のPC出荷総数と、2006年と2007年の予測値が引用されている)</ref>)出荷されている。 シェアの内訳は、最大手である[[インテル|Intel]]が約8割<ref>[https://japan.cnet.com/article/20089886/ CNET Japan:AMDの市場シェアが躍進、インテルから奪う](Mercury Researchの調査の引用)</ref>、二番手の[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]と合わせた上位2社で98.6%(2005年第3四半期)を占める<ref>[https://japan.cnet.com/article/20095098/ CNET Japan:AMDのプロセッサ市場シェア、2割台に返り咲き--2005年第4四半期](Mercury Researchの調査の引用)</ref>。 --><!--2005年~2006年前半のCPUのみを特に取り上げる意義はあるのか--> <!-- 問題提起するのはともかく、年代毎に項目を設けてある程度編集し、「加筆を求めています。」タグを付けた方が良いのでは? --> == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[CPU年表]] * [[Intel 4004]] * [[組み込みシステム]] * [[マイクロコントローラ]] * [[チップセット]] * [[歩留まり]] * [[割り込み (コンピュータ)|割り込み]] * [[アドレッシングモード]] * [[テープアウト]] * [[ソフトプロセッサ]] * [[CPU設計]] == 外部リンク == * マイクロプロセッサ設計企業 ** [https://jpn.nec.com/ NEC] ** [https://www.renesas.com/jp/ja ルネサス エレクトロニクス] ** [https://www.fujitsu.com/jp/group/fsl/ 富士通セミコンダクター] ** [https://www.amd.com/ja AMD] ** [https://www.intel.co.jp/ インテル] ** [https://www.ibm.com/jp-ja IBM] ** [https://www.nxp.jp/ NXP Semiconductors] ** [https://www.arm.com/ja/ Arm] ** [https://www.mips.com/ MIPS Technologies]{{en icon}} ** [https://www.tij.co.jp/ テキサス・インスツルメンツ] * その他 ** [http://www.gamezero.com/team-0/articles/math_magic/micro/index.html Processor Design]{{en icon}} ** [http://computer.howstuffworks.com/microprocessor.htm How Microprocessors Work]{{en icon}} * [https://spectrum.ieee.org/tech-history/silicon-revolution/the-surprising-story-of-the-first-microprocessors "The Surprising Story of the First Microprocessors", IEEE SPECTRUM (2016)記事]{{en icon}} {{CPU technologies}} {{半導体}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:まいくろふろせつさ}} [[Category:マイクロプロセッサ|*]] [[Category:CPU]]
2003-03-31T10:30:50Z
2023-10-11T04:12:06Z
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[ "Template:En icon", "Template:出典の明記", "Template:Cite book", "Template:仮リンク", "Template:米国特許", "Template:要出典", "Template:更新", "Template:Reflist", "Template:CPU technologies", "Template:Lang-en-short", "Template:Seealso", "Template:半導体", "Template:Normdaten" ]
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701年
701年(701 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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701年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|701}} {{year-definition|701}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[辛丑]] * [[日本]] ** [[大宝 (日本)|大宝]]元年 ** [[皇紀]]1361年 * [[中国]] ** [[武則天|武周]] : [[久視]]2年、[[大足 (年号)|大足]]元年、[[長安 (元号)|長安]]元年 * [[朝鮮]]: * [[仏滅紀元]]: * [[ユダヤ暦]]: {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=701|Type=J|表題=可視}} == 在位・官職 == * 周 皇帝 - [[武則天]](則天武后) * [[新羅]] 王 - [[孝昭王]] * [[ローマ教皇]]-[[ヨハネス6世 (ローマ教皇)|ヨハネス6世]]就任([[10月30日]]) === 日本 === * [[天皇]] - [[文武天皇]] * [[左大臣]] - [[多治比嶋]](7月21日没) * [[右大臣]] - [[阿倍御主人]](3月21日任) == できごと == * 5月 - [[新羅]]、[[霊岩郡|霊巖郡]]太守の[[諸逸]]を流島に処す(『[[三国史記]]』) * [[西ゴート王国|西ゴート]]王ウィティザが祖父のエルギカから王位を継承する * [[ランゴバルド王国|ランゴバルド]]王リウトペルトが父のペルクタリトから王位を継承する * ラジンペルトがリウトペルトを暗殺し、ランゴバルド王の座を奪ったが直後に死去し、息子のアリペルト2世が王位を継承する === 日本 === {{seealso|701年の日本}} * [[1月23日 (旧暦)]] - [[遣唐使]]を任官。遣唐執節使は[[粟田真人]]([[続日本紀]]) * 1月 - [[伊豆大島]]に流されていた[[役小角]]が赦される(『[[日本現報善悪霊異記]]』) * [[3月27日]](文武天皇5年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]) - [[釈奠]]の初見(続日本紀) * [[4月13日]](文武天皇5年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[大宝律令|大宝令]]の官位が施行される。[[中納言]]は廃止(続日本紀) * [[5月3日]](文武天皇5年[[3月21日 (旧暦)|3月21日]]) - [[改元]]して[[年号]]を大宝とする。 * [[5月19日]](大宝元年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) - [[下毛野古麻呂]]ら3人が親王・諸臣・百官人に[[大宝律令|大宝令]]の講義を始める(続日本紀) * [[6月17日]](大宝元年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[遣唐使]]の粟田真人が[[節刀]]を授かる(続日本紀) * [[7月10日]](大宝元年[[6月1日 (旧暦)|6月1日]]) - [[道首名]]が[[僧尼令]]を[[大安寺]]で説く(続日本紀) * [[7月11日]](大宝元年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - はじめて[[内舎人]]を任じる(続日本紀) * [[7月17日]](大宝元年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[大宝律令]]を施行(続日本紀) * [[9月9日]](大宝元年[[8月3日 (旧暦)|8月3日]]) - [[大宝律令]]が完成(続日本紀) * [[9月14日]](大宝元年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[明法博士]]を[[西海道]]を除く六道に遣わして、[[大宝律令|大宝令]]を講義させる(続日本紀) * [[8月26日 (旧暦)]] - 大和王朝、[[高安城]]を廃城(続日本紀) * [[12月11日]](大宝元年[[11月8日 (旧暦)|11月8日]]) - 初めて[[造大幣司]]を任じ、[[弥努王]]と[[引田尓閇]]を長官とする(続日本紀) * [[12月12日]](大宝元年[[11月9日 (旧暦)|11月9日]]) - [[弾正台]]に[[畿内]]を巡察させる(続日本紀) == 誕生 == {{see also|Category:701年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[聖武天皇]]、第45代[[天皇]](+ [[756年]]) * [[光明皇后]]、聖武天皇の[[皇后]](+ [[760年]]) * [[李白]]、[[唐]]の[[詩人]](詩仙)(+ [[762年]]) * [[王維]]、唐の詩人(+[[761年]]) == 死去 == {{see also|Category:701年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月16日]](文武天皇5年[[1月4日 (旧暦)|1月4日]]) - [[金所毛]]、新羅大使として訪日中に没([[続日本紀]]) * [[2月27日]](文武天皇5年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[大伴御行]]、[[大納言]]。死後[[右大臣]]追贈(* [[646年]]) * [[3月13日]](文武天皇5年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[県犬養大侶]]、[[壬申の乱]]の功臣 * [[7月11日]](大宝元年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[忌部色布知]]、壬申の乱の功臣 * [[8月29日]](大宝元年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[多治比嶋]]、[[左大臣]](* [[624年]]) * [[9月4日]] - [[永泰公主]]、[[唐]]の皇族(* [[685年]]) * [[9月8日]] - [[セルギウス1世]]、ローマ教皇(* [[650年]]ごろ) * 淵男産、[[高句麗]]軍の指導者。高句麗の滅亡後は[[唐]]の役職に就いた(* [[639年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|701}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=8|年代=700}} {{デフォルトソート:701ねん}} [[Category:701年|*]]
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ライトペン
ライトペン (英: light pen) とは、ブラウン管と組み合わせて利用する、コンピュータに位置を指示する為の装置(ポインティングデバイス)である。 ペンの形をした受光装置に光センサを内蔵しており、走査によって画像・映像を表示するブラウン管の画面に接触させその位置が光るタイミングを拾うことで画面上の位置を認識する。基本原理はライトガンと同じである。 光センサが人間の眼と比較して輝度の感度が非常に高く、人間の視覚では残像が起き点滅していないように見えていても、光センサはその点滅を感知することができるということを利用している。走査が行われているということは、たとえば一番高い位置の左端から右端へと光の点が移動してゆき右端に達したら次に2段目の左端から右端へとまた光の点が移動してゆくということなので、ペンに組み込まれた光センサが光量の変化を感知して信号として送るとコンピュータ側はその光量変化が起きたタイミングが分かり、それをもとにどの座標位置つまり画面上のどの位置にペンの先が押し当てられているか算出することができる。 原理上、ディスプレイで走査が行われていなければならず、基本的にブラウン管用のポインティングデバイスである。タッチパネルなどと異なりディスプレイの表面に透明なセンサの層を貼り付ける必要は無い。 走査のない液晶ディスプレイでは基本的に使えないため、タッチ操作は別方式で実現されている。 1980年ごろに当時の8ビットパーソナルコンピュータの周辺機器としても発売された。ピクセル単位など高精度で位置を検出するには少なくとも0.1マイクロ秒単位の非常に高精度の計時手段が必要である為、Atari 8ビット・コンピュータ、コモドールVIC-1001、コモドール64のようにビデオコントローラにライトペンの座標検出を行わせるか、座標計算を行うための専用の拡張カードを必要としていた。当時のパーソナルコンピュータにはグラフィカルユーザインターフェースも存在せず、画面の位置を指し示すという需要は小さく、また座標計算をコンピュータのCPUで行う場合は文字単位程度でしか位置を取得することができず(横軸方向に80桁程度)、高精度の位置検出のために専用の座標計算カードを併用する場合は高価なものとなっていたため、日本国内では一部の業務用途に利用されるにとどまり一般には普及しなかった。 直接的な操作であることから、ライトペンかペンタブレットが、コンピュータが将来一般に普及した際には使われることになるのではないかという予測が当時はあった(たとえばTRONキーボードの80年代のデザインではペンタブレットが組込まれていた)が、実際に広く使われるようになったのはライトペンやペンタブレットではなく、マウスのほうであり、ブラウン管も無くなっていった。 日本のテレビ番組においてはフリップボードの代わりにも使用された。例えば「クイズダービー」(復活版のみ)やフジテレビ系「平成教育委員会」(1991年 - )などのクイズ番組で回答者が答えを記入する装置にも用いられたり、スポーツ中継・ニュース番組でも試合の流れや選手の動きなどを解説する際に使用された。
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ライトペン とは、ブラウン管と組み合わせて利用する、コンピュータに位置を指示する為の装置(ポインティングデバイス)である。
[[File:HypertextEditingSystemConsoleBrownUniv1969.jpg|thumb|200px|ハイパーテキスト編集システムの表示装置[[:en:IBM 2250]]のライトペン(1969年、ブラウン大学にて)]] '''ライトペン''' ({{Lang-en-short|light pen}}) とは、[[ブラウン管]]と組み合わせて利用する、[[コンピュータ]]に位置を指示する為の装置([[ポインティングデバイス]])である。 == 概要 == [[ペン]]の形をした受光装置に[[光センサ]]を内蔵しており、[[走査]]によって画像・映像を表示するブラウン管の画面に接触させその位置が光るタイミングを拾うことで画面上の位置を認識する。基本原理は[[ライトガン]]と同じである。 光センサが人間の眼と比較して輝度の感度が非常に高く、人間の視覚では[[残像]]が起き点滅していないように見えていても、光センサはその点滅を感知することができるということを利用している<ref name="History_of_P_D">[https://silo.tips/download/history-of-computer-pointing-input-devices Candice Washington(2017), History of Computer Pointing Input Devices, p.3 ]</ref>。走査が行われているということは、たとえば一番高い位置の左端から右端へと光の点が移動してゆき右端に達したら次に2段目の左端から右端へとまた光の点が移動してゆくということなので、ペンに組み込まれた光センサが光量の変化を感知して信号として送るとコンピュータ側はその光量変化が起きたタイミングが分かり、それをもとにどの座標位置つまり画面上のどの位置にペンの先が押し当てられているか算出することができる<ref name="History_of_P_D" />。 原理上、ディスプレイで走査が行われていなければならず、基本的にブラウン管用のポインティングデバイスである。[[タッチパネル]]などと異なりディスプレイの表面に透明なセンサの層を貼り付ける必要は無い。 走査のない[[液晶ディスプレイ]]では基本的に使えないため、タッチ操作は別方式で実現されている。<!--画面の外にある[[マウスポインタ]] と思うと理解しやすいと思う。--> ==歴史== *物体表面の光を検出する装置は1930年代に一応はあったが、ブラウン管表面の位置を検知する実用的なライトペンは[[1949年]]から[[1952年]]にかけて[[マサチューセッツ工科大学]]における[[Whirlwind]]プロジェクトで[[ジェイ・フォレスター]]の指揮のもとに開発された<ref name="History_of_P_D" />。そして[[NORAD]](米国とカナダ)の防空管制システム[[半自動式防空管制組織|SAGE]]で使用された<ref>[http://design.osu.edu/carlson/history/lesson2.html Section 2 The emergence of computer graphics]</ref>。SAGEのものはペンというより銃のような形状をしている。 *1956年に稼働開始した、Whirlwindをトランジスタ化した[[TX-0]]でも、ライトペンが使用された<ref>[http://sgforum.impress.co.jp/article/859 連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(6)ウェズリー・クラーク]</ref>。 *1956年、[[ダグ・T・ロス]]がブラウン管モニターを指でなぞって図形を入力するプログラムを開発<ref>[http://www21.big.or.jp/~tamomo/CompMusPrj/rekisikobore/rekisikobore41_50/aideakyouyuu.htm アイデア共有空間]</ref>。 *1960年代、のちにコンピュータグラフィックスの父と呼ばれる[[アイバン・サザランド]]が、ライトペンを入力デバイスとした対話型図形処理システム「[[Sketchpad]]」を開発した。スケッチパッドはその後「[[CADAM]]」へ進化することとなる。 <gallery> ファイル:Bell telephone magazine (1922) (14569771118).jpg|AT&Tの"Bell telephone magazine"の1967年1-2月号<ref>[https://archive.org/details/belltelephone6667mag00amerrich/page/n221/mode/1up?view=theater]</ref>に掲載された写真。 File:An Air Force officer uses a light pen to design an experimental aircraft on a Control Data Cyber Graphics terminal at the Air Froce Avionics Laboratory - DPLA - d0255bcc96c64b13a6205e6716013680.jpeg|米国のAir Froce Avionics Laboratoryにおいて実験機の設計をするためにライトペンを使用しているところ(1987年)。 </gallery> 1980年ごろに当時の[[8ビット]][[パーソナルコンピュータ]]の周辺機器としても発売された。ピクセル単位など高精度で位置を検出するには少なくとも0.1マイクロ秒単位の非常に高精度の計時手段が必要である為、[[Atari 8ビット・コンピュータ]]、[[VIC-1001|コモドールVIC-1001]]、[[コモドール64]]のようにビデオコントローラにライトペンの座標検出を行わせるか、座標計算を行うための専用の拡張カードを必要としていた。当時のパーソナルコンピュータには[[グラフィカルユーザインターフェース]]も存在せず、画面の位置を指し示すという需要は小さく、また座標計算をコンピュータのCPUで行う場合は文字単位程度でしか位置を取得することができず(横軸方向に80桁程度)、高精度の位置検出のために専用の座標計算カードを併用する場合は高価なものとなっていたため、日本国内では一部の業務用途に利用されるにとどまり一般には普及しなかった。 直接的な操作であることから、ライトペンかペンタブレットが、コンピュータが将来一般に普及した際には使われることになるのではないかという予測が当時はあった(たとえば[[TRONプロジェクト#TRONキーボード|TRONキーボード]]の80年代のデザインではペンタブレットが組込まれていた)が、実際に広く使われるようになったのはライトペンやペンタブレットではなく、[[マウス (コンピュータ)|マウス]]のほうであり、ブラウン管も無くなっていった。 日本の[[テレビ番組]]においては[[フリップボード]]の代わりにも使用された。例えば「[[クイズダービー]]」(復活版のみ)やフジテレビ系「[[たけし・逸見の平成教育委員会|平成教育委員会]]」(1991年 - )などの[[クイズ番組]]で回答者が答えを記入する装置にも用いられたり、[[スポーツ中継]]・[[ニュース]]番組でも試合の流れや選手の動きなどを解説する際に使用された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[ペンタブレット]] * [[スマートフォン]] {{commonscat|Light pens}} == 外部リンク == * [http://www.aimex.co.jp/product/ml-100.html CRTライトペン ML-100] {{video-game-stub}} {{Basic computer components}} {{デフォルトソート:らいとへん}} [[Category:ポインティングデバイス]] [[Category:コンピュータゲームの周辺機器]] [[Category:クイズ番組]]
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悟空の大冒険
『悟空の大冒険』(ごくうのだいぼうけん)は、1967年1月7日から同年9月30日までフジテレビ系列で放送されていた日本のテレビアニメ。カラー作品。 手塚治虫が『西遊記』を元に描いた漫画作品『ぼくのそんごくう』を原作に、虫プロダクションがスラップスティックなギャグアニメとして作り上げたのが本作である。『鉄腕アトム』(アニメ第1作)の後番組であり、引き続き明治製菓(現・明治)の一社提供で放送された。 キャラクターや話の内容が現代風にアレンジされており、三蔵法師が天竺まで経典を取りに行くという基本設定を除いてほとんど作り替えている。登場人物も、竜子(たつこ)という女性キャラが追加されている。 当初は高い視聴率を稼ぎ、最高視聴率は1967年2月18日(土)に31.7%を記録している。しかし、同年4月に日本テレビ系列で同じ時間帯に『黄金バット』(読売テレビ製作)がスタートしてからは、視聴率の低下に苦しんだ。その為に「妖怪連合シリーズ」などの路線変更が行われたが、後半の視聴率不振の盛り返しには至らず、3クール9か月(全39話分)で放映を終了した。 本放送当時に、内容が過激すぎてお蔵入りになったとされるエピソードが1つある。これは本作のDVD-BOXに収録されている。 また、本放送時およびそれからあまり年月が経っていない頃の再放送時にはエンディング前に次週の予告クリップがあったが、後に使われなくなり、様々な事情で紛失してしまった模様である。その為、幾つか現存している音声の一部はDVD-BOXに収録されている。 この作品にはパイロット版の『孫悟空が始まるよー 黄風大王の巻』がある(脚本は児童文学者の佐野美津男)。しかしその内容はのちのテレビ版とはかなり異なっており、たとえば、パイロット版において悟空が三蔵法師を呼ぶ際には「おっしょうさま」との呼称を用いるが(これは『ぼくのそんごくう』でも同様である)、本編では「坊さん」に変えられている。またキャラに関しては、八戒は殆ど同じだが、孫悟空と竜子はやや背が高く、三蔵法師は『アトム』の田鷲警部に近く、沙悟浄に至っては全く異なっている。演じる声優も悟空・三蔵法師・猪八戒がテレビ版とは違い、音楽担当も異なる。 なお、この内容変更に関しては、総監督の杉井ギサブローが、完成したパイロット版を見るなり「自分の作りたかった物はこれじゃない」と手塚治虫に直訴し、手塚から「なら好きなように作って良いから」と了解を得たためとのちに発言している。一方、手塚治虫公式サイトにおける紹介では、小学校における試写で観衆の小学生から「悟空が優等生過ぎる」という理由で評価が芳しくなかったとされている。 初期の『世界名作劇場』(当時は『カルピスまんが劇場』)で『ムーミン』、『アンデルセン物語』、『山ねずみロッキーチャック』の音楽を担当した宇野誠一郎がBGMを作・編曲し、ほとんどの主題歌・挿入歌の作・編曲も行ったほか、歌詞を手掛けた曲もある。 主な歌手は、いくつかの宇野作品で歌唱を担当したヤング・フレッシュ。その他、『ひょっこりひょうたん島』からは前川陽子や中山千夏、そして『アンデルセン物語』や『さるとびエッちゃん』でも宇野と組むことになる増山江威子が参加した。 副主題歌は2000年代になってからテレビCMに流用されたりしている。例えば、「牛乳が好きな人のメグミルク」のCMでは、歌詞を「牛乳が好き」に変えて使っている(俗に言う「替え歌」である)。歌手は井上鉄平(BAZRA)。 2013年12月19日からYouTubeの「手塚プロダクション公式チャンネル」で、本作オープニングと話の前半部を無料配信していたが、2019年12月26日より、同チャンネルで第1話全てが無料配信されている。 いずれもOP映像は、ラストの提供クレジット部が番組タイトルに差し替えられ、サブタイトル表示部はブラックバックに話数とサブタイトルを記載したバージョンに差し替えられた。また第1話全話配信版の次回予告は、音声は存在するものの映像はないので、音声だけを配信している。 2022年5月17日からは同年7月19日まで、同チャンネルから全39話が期間限定無料配信された(第1話も先述配信分と共に並行配信)。今回も先述の第1話配信分同様、OPラストの提供クレジット部は番組タイトルに差し替えたが、次回予告は画像が存在する回(第10回・第12回ほか)はそのまま配信、逆に存在しない回は音声だけ配信となり、サブタイトル表示は第6話まではブラックバック、そして第7話からは通常バージョンになっている。 2023年4月14日からは同年6月5日まで、同チャンネルで再び全話の無料配信が行われた(配信形態は前回と同じ)。
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『悟空の大冒険』(ごくうのだいぼうけん)は、1967年1月7日から同年9月30日までフジテレビ系列で放送されていた日本のテレビアニメ。カラー作品。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = 悟空の大冒険 | 画像 = | サイズ = | 説明 = | ジャンル = }} {{Infobox animanga/TVAnime | タイトル = | 原作 = [[手塚治虫]]『[[ぼくのそんごくう]]』 | 総監督 = [[杉井ギサブロー]] | 監督 = | シリーズディレクター = | シリーズ構成 = | 脚本 = | キャラクターデザイン = | メカニックデザイン = | 音楽 = [[宇野誠一郎]] | アニメーション制作 = | 製作 = [[虫プロダクション]] | 放送局 = [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列 | 放送開始 = 1967年1月7日 | 放送終了 = 1967年9月30日 | 話数 = | その他 = | インターネット = }} {{Infobox animanga/Footer | ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:アニメ|アニメ]] | ウィキポータル = [[Portal:アニメ|アニメ]] }} 『'''悟空の大冒険'''』(ごくうのだいぼうけん)は、[[1967年]][[1月7日]]から同年[[9月30日]]まで[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列で放送されていた[[日本]]の[[テレビアニメ]]。[[カラーテレビ|カラー]]作品。 == 概要 == {{出典の明記|date=2019年9月|section=1}} [[手塚治虫]]が『[[西遊記]]』を元に描いた[[漫画]]作品『[[ぼくのそんごくう]]』を原作に、[[虫プロダクション]]がスラップスティックな[[ギャグアニメ]]として作り上げたのが本作である。『[[鉄腕アトム (アニメ第1作)|鉄腕アトム]]』(アニメ第1作)の後番組であり、引き続き[[明治製菓]](現・[[明治 (企業)|明治]])の一社提供で放送された。 キャラクターや話の内容が現代風にアレンジされており、[[玄奘三蔵|三蔵法師]]が[[天竺]]まで[[経典]]を取りに行くという基本設定を除いてほとんど作り替えている。登場人物も、竜子(たつこ)という女性キャラが追加されている{{efn|『西遊記』の玉龍は[[ウマ|馬]]の姿にされた[[龍]]で性別は男性だが、本作のベースとなった『ぼくのそんごくう』で女性という設定が取り入れられていた。}}。 当初は高い[[視聴率]]を稼ぎ、最高視聴率は1967年2月18日(土)に31.7%を記録している。しかし、同年4月に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列で同じ時間帯に『[[黄金バット#テレビアニメ|黄金バット]]』([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]製作)がスタートしてからは、視聴率の低下に苦しんだ<ref>杉井ギサブロー『アニメと生命と放浪と』[[ワニブックス]]《ワニブックスPLUS新書》、2012年、pp.96 - 97</ref>。その為に「[[妖怪]]連合シリーズ」などの路線変更が行われたが、後半の視聴率不振の盛り返しには至らず、3クール9か月(全39話分)で放映を終了した{{efn|一部の書籍では、「言葉遣いが良くない」などの苦情が入り、打ち切りになったという記述がある。[https://tezukaosamu.net/jp/anime/36.html 手塚治虫公式サイト]でも「『言葉遣いが汚い!』とPTAからの大批判を受けて、放映打ち切りに追いこまれてしまいまし」と説明されている}}。 本放送当時に、内容が過激すぎて[[お蔵入り]]になったとされるエピソードが1つある{{efn|第8話として放映されるはずだった「ニセ札で世界はまわる」。}}。これは本作の[[ボックス・セット#DVD-BOX|DVD-BOX]]に収録されている。 また、本放送時およびそれからあまり年月が経っていない頃の再放送時にはエンディング前に次週の予告クリップがあったが、後に使われなくなり、様々な事情で紛失してしまった模様{{要説明|date=2019年9月}}である。その為、幾つか現存している音声の一部はDVD-BOXに収録されている。 === パイロットフィルム === この作品には[[パイロット版]]の『孫悟空が始まるよー 黄風大王の巻』がある(脚本は児童文学者の[[佐野美津男]])<ref name="kofu">[https://tezukaosamu.net/jp/anime/101.html#014082 孫悟空が始まるよー 黄風大王の巻] - 手塚治虫公式サイト</ref>。しかしその内容はのちのテレビ版とはかなり異なっており、たとえば、パイロット版において悟空が三蔵法師を呼ぶ際には「おっしょうさま」との呼称を用いるが(これは『ぼくのそんごくう』でも同様である)、本編では「坊さん」に変えられている<ref name="kofu"/>。またキャラに関しては、八戒は殆ど同じだが、孫悟空と竜子はやや背が高く、三蔵法師は『アトム』の田鷲警部に近く、沙悟浄に至っては全く異なっている<ref name="kofu"/>。演じる声優も悟空・三蔵法師・猪八戒がテレビ版とは違い、音楽担当も異なる。 なお、この内容変更に関しては、総監督の[[杉井ギサブロー]]が、完成したパイロット版を見るなり「自分の作りたかった物はこれじゃない」と手塚治虫に直訴し、手塚から「なら好きなように作って良いから」と了解を得たためとのちに発言している<ref>『[[アニメージュ]]』1978年9月号の特集「幻のパイロットフィルム」でのインタビューより。</ref>。一方、手塚治虫公式サイトにおける紹介では、小学校における試写で観衆の小学生から「悟空が優等生過ぎる」という理由で評価が芳しくなかったとされている<ref name="kofu"/>。 == キャスト == * [[孫悟空|悟空]] - [[右手和子]] / [[高橋和枝]](パイロット版) / [[天地総子]](第1話NG){{efn|天地版はDVDに収録。}} * {{Ruby|竜子|たつこ}} - [[増山江威子]] * 三蔵法師 - [[野沢那智]] / [[早野寿郎]](パイロット版) * [[猪八戒|八戒]] - [[滝口順平]] / [[里井茂]](パイロット版) * [[沙悟浄]]、[[次回予告]]ナレーター(第10回以降) - [[愛川欽也]] * ナレーター、ドッカンコ博士、プランクトン一味の首領 ほか - [[近石真介]] * {{Ruby|竜海仙人|りゅうかいせんにん}} - [[永井一郎]] * 老人 - [[八奈見乗児]] * [[金角・銀角|金角]] - [[大塚周夫]] * ベロリベロベロ - [[和久井節緒]] * ムシャムシャ女王 - [[向井真理子]] * ハンター、一ツ目 ほか - [[増岡弘]] * つらら大王、ガツガツ大王、[[金角・銀角|銀角]] ほか - [[雨森雅司]] * [[釈迦如来|釈迦]]、オールド・グット、ガローマ、化物王 ほか - [[大宮悌二]] * 銀糸仙人、ニュー・ナイス ほか - [[熊倉一雄]] * 悟空の手下 ほか - 愛川欽也 * 傲来国の王 ほか - 滝口順平 * 上記以外のキャスト - [[小原乃梨子]]、[[三輪勝恵]]、[[大竹宏]]、[[小林清志]]、[[田の中勇]]、[[小宮山清]]、[[塩見竜介]]、[[内海賢二]]、[[神山卓三]] == スタッフ == * 総監督 - [[杉井ギサブロー]]<ref name="別冊オトナアニメ2011/09">『別冊オトナアニメ プロフェッショナル100人が選ぶベストアニメ』洋泉社、2011年9月29日発行、140頁、{{ISBN2|978-4-86248-782-7}}</ref> * プロデューサー - 川畑栄一{{R|別冊オトナアニメ2011/09}} * 作画監督 - 山本繁{{R|別冊オトナアニメ2011/09}} * 美術監督 - 藤本四郎 * 音響監督 - 鈴木芳男 * 技術監督 - 土屋旭 * 制作担当 - 富岡厚司 * 資料 - 三上康雄 * 編集 - [[松浦典良]] * 文芸 - [[鈴木良武]] * 音楽 - [[宇野誠一郎]]{{R|別冊オトナアニメ2011/09}} * 録音・効果 - [[アオイスタジオ]] * 現像 - [[IMAGICA|東洋現像所]] * 制作協力 - フジテレビ{{R|別冊オトナアニメ2011/09}}、アートフレッシュ{{R|別冊オトナアニメ2011/09}} * 制作 - 虫プロダクション{{R|別冊オトナアニメ2011/09}} == 音楽 == 初期の『[[世界名作劇場]]』(当時は『カルピスまんが劇場』)で『[[ムーミン (アニメ)|ムーミン]]』、『[[アンデルセン物語]]』、『[[山ねずみロッキーチャック]]』の音楽を担当した[[宇野誠一郎]]がBGMを作・編曲し、ほとんどの主題歌・挿入歌の作・編曲も行ったほか、歌詞を手掛けた曲もある。 主な歌手は、いくつかの宇野作品で歌唱を担当した[[ヤング・フレッシュ]]。その他、『[[ひょっこりひょうたん島]]』からは[[前川陽子]]{{efn|前川陽子は『ひょっこりひょうたん島』の主題歌でソロ・デビューしたが、その後、一時的に(本作や『[[仮面の忍者 赤影]]』の頃)ヤング・フレッシュに所属していた。}}や[[中山千夏]]、そして『[[アンデルセン物語]]』や『[[さるとびエッちゃん]]』でも宇野と組むことになる[[増山江威子]]が参加した。 === 主題歌 === ; オープニングテーマ :; 「悟空の大冒険マーチ」(第1話 - 第39話) :: 作詞 - [[吉岡治]] / 作曲・編曲 - 宇野誠一郎 / 歌 - ヤング・フレッシュ :: 正規版(モノラル録音)は[[テイチク]]と[[朝日ソノラマ]]から発売。[[日本コロムビア]]音源(ステレオ録音)はセルフカバー版(歌 - ヤング・フレッシュ)で、歌い方が微妙に異なる。 :: この曲が使われているオープニング映像には、ラストで転んだ悟空のマント状が直立してタイトルロゴが映し出される演出があるが、本放送時にはタイトルではなく「提供(社紋)明治製菓」という提供クレジットが出た。提供クレジット付きは[[DVD-Video|DVD]]に初収録された。 ; エンディングテーマ :; 「悟空が好き好き」(第1話 - 第25話) :: 作詞 - 吉岡治、宇野誠一郎 / 作曲・編曲 - 宇野誠一郎 / 歌 - ヤング・フレッシュ :: 正規版(モノラル録音)はテイチクと朝日ソノラマから発売。日本コロムビア音源(ステレオ録音)はセルフカバー版(歌 - ヤング・フレッシュ、アンサンブル・ファンタジア)で、歌い方や「かもね」というセリフの言い方が微妙に異なる。 :; 「悟空音頭」(第26話 - 第39話) :: 作詞 - [[井上ひさし]] / 作曲・編曲 - 宇野誠一郎 / 歌 - [[中山千夏]]、ヤング・フレッシュ :: 再放送においてはエンディング映像が「悟空が好き好き」バージョンに統一されていたが、DVDで「悟空音頭」バージョンが復活した。なお、[[カートゥーン ネットワーク]]で再放送された時には双方が使われた。 副主題歌は2000年代になってからテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]に流用されたりしている。例えば、「[[日本ミルクコミュニティ|牛乳が好きな人のメグミルク]]」のCMでは、歌詞を「牛乳が好き」に変えて使っている(俗に言う「[[替え歌]]」である)<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.megmilk.com/efforts/sukimeg/sukimeg07.html |title= テレビCMのご紹介 |publisher= 日本ミルクコミュニティ株式会社 |accessdate= 2021-10-15 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20050511023547/http://www.megmilk.com/efforts/sukimeg/sukimeg07.html |archivedate= 2005-05-11 }}</ref><ref name="cdjournal">[https://www.cdjournal.com/main/research/bazra/1735 「牛乳がすっき すっき すっき」と歌う「MEGMILK」のCM曲は?]、CDJournal、2005年5月13日。</ref>。歌手は井上鉄平([[BAZRA]])<ref name="cdjournal" />。 === 挿入歌 === ; 「悟空がやってくる」 : 作詞 - 吉岡治 / 作曲 - [[山崎唯]] / 編曲 - [[中村五郎]] / 歌 - 山崎唯 ; 「{{Ruby|竜子|たつこ}}のうた」 : 作詞・作曲・編曲 - 宇野誠一郎 / 歌 - 増山江威子 === イメージソング === ; 「レッツゴーボンダンス」 : 作詞・作曲・編曲 - 宇野誠一郎 / 歌 - 中山千夏、ヤング・フレッシュ ; 「レッツ!悟空ダンス」 : 作詞・作曲・編曲 - 宇野誠一郎 / 歌 - 前川陽子、ヤング・フレッシュ == 各話リスト == {{節スタブ}} *サブタイトル読み上げは原則として近石真介ナレーターが担当するが、別の声優が担当する事もある<ref group="注釈">例:第14話はカジババの家来役の[[小宮山清]]が担当。</ref>。 {| class="wikitable" style="font-size:small;" |- !話数 !放送日!!サブタイトル!!脚本!!演出!!登場妖怪 |- |1 |'''1967年'''<br />1月7日||悟空誕生|| rowspan="3" |[[鈴木良武]]||[[出崎統|出﨑統]]||傲来国の王、箱天童子 |- |2 |1月14日||キント雲はいただき||[[西牧秀夫|西牧秀雄]]|| |- |3 |1月21日||坊さんナンバーワン||[[波多正美]]||混世魔王 |- |4 |1月28日||宝の地図はペケペケ|| ||出﨑統||盗賊団 |- |5 |2月4日||雨に唄えば|| ||西牧秀雄||カンカラ大臣<br />カミナリ大臣 |- |6 |2月11日||銀糸仙人|| ||出﨑統||銀糸仙人 |- |7 |2月18日||ゴミまで愛して|| ||波多正美||サンショウウオの化け物 |- |8 |2月25日||博士は何にしびれたか||[[山中恒]]||西牧秀雄||ドッカンコ博士 |- |9 |3月4日||おかしな?おかしな?|| || rowspan="2" |波多正美||ギルド |- |10 |3月11日||ハートでいただき||[[佐野美津男]]||ミクロン |- |11 |3月18日||どっちもどっち!||菅野昭彦||西牧秀雄||原始村の長オールド・グッド<br />現代町の長ニュー・ナイス |- |12 |3月25日||ぼくはコブコブよ!||佐野美津男||出﨑統||コブコブ大王 |- |13 |4月1日||王様はユウレイ||[[山元護久]]||波多正美||狼男 |- |14 |4月8日||カジババと40にんの盗賊||佐野美津男||出崎統||カジババと盗賊団 |- |15 |4月15日||あけてビックリ||柳沢類寿<br />伊地知道明||[[北野英明]]||美人国 |- |16 |4月22日||5.9(ゴクウ)作戦||山中恒||[[高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔]]||プランクトンの怪物 |- |17 |4月29日||奥様は妖怪|| rowspan="2" |佐野美津男||西牧秀雄||おもちゃ妖怪 |- |18 |5月6日||ベロりベロベロ||[[ひこねのりお|彦根範夫]]||ベロリベロベロ |- |19 |5月13日||われらガードマン||菅野昭彦||北野英明||モグラの親分 |- |20 |5月20日||荒野の妖怪|| ||出﨑統||マカロニィ<br />ガマーロ<br />コロンコ |- |21 |5月27日||プイプイ教の大魔神||山元護久||[[月岡貞夫]]||プイプイ教<br />大魔神 |- |22 |6月3日||妖怪連合シリーズ第1弾!ドラゴンの牙|| ||波多正美||大王<br />ドラゴンの牙<br />大王のしもべ |- |23 |6月10日 |妖怪連合シリーズ第2弾!バラモンの足||colspan="2" style="text:align:center"|北野英明||バラモンの足 |- |24 |6月17日 |妖怪連合シリーズ第3弾!ヘラクレスの手||colspan="2" style="text:align:center"|勝井千賀雄||ヘラクレスの手 |- |25 |6月24日||妖怪連合シリーズ第4弾!ハネ一族の巻|| ||高橋良輔||ハネ一族のオババ<br />ハネ一族の守護神 |- |26 |7月1日||妖怪連合シリーズ第5弾!メデュウスの髪の毛|| ||片岡忠三||メデュウスの髪の毛 |- |27 |7月8日||妖怪連合シリーズ 第6の妖怪ハリケーン<ref group="注釈">サブタイトル表記は同じだが、読み上げは「妖怪連合シリーズ'''第6弾''' 妖怪ハリケーン」。</ref>||colspan="2" style="text:align:center"|[[平田敏夫]]||ハリケーン |- |28 |7月15日 |妖怪連合シリーズ第7弾!妖怪連合のさいご||colspan="2" style="text:align:center"|西牧秀雄||大王<br />合体妖怪 |- |29 |7月22日||つらら大王の巻|| ||出﨑統||つらら大王<br />のっぺらぼう |- |30 |7月29日||ガツガツムシャムシャの巻||菅野昭彦||平田敏夫||カツカツ大王<br />ムシャムシャ女王 |- |31 |8月5日||かげろうの谷|| ||北野英明||怪物 |- |32 |8月12日||火輪童子の巻|| ||西牧秀雄||火輪童子 |- |33 |8月12日||おいらゴウケツだい||平田敏夫|| rowspan="2" |波多正美||ギダーラ大臣 |- |34 |8月26日||人喰いジャングル|| ||青獅子<br />白象<br />ワシ |- |35 |9月2日||霊感大王|| ||出﨑統||霊感大王 |- |36 |9月9日||おナカの中の中|| ||彦根範夫||南京虫の化物 |- | rowspan="2" |37 | rowspan="2" |9月16日||かぼちゃの化物|| ||高橋良輔||かぼちゃの化物 |- |のろわれた王様|| ||波多正美||化猫 |- |38 |9月23日||金角銀角の巻|| ||片岡忠三||金角<br />銀角 |- |39 |9月30日||あれが天竺の灯だ|| ||平田敏夫|| |- |映像特典 |未放送||ニセ札で世界はまわる|| ||出崎統|| |} == 放送局 == {{節スタブ}} * フジテレビ(制作局):土曜 19:00 - 19:30 * [[札幌テレビ放送|札幌テレビ]]:日曜 9:00 - 9:30<ref>『[[北海道新聞]]』(マイクロフィルム版) 1967年(昭和42年)3月、テレビ欄。</ref> * [[青森放送]]:火曜 18:00 - 18:30<ref name="k6744">『[[河北新報]]』1967年4月4日 - 4月25日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[IBC岩手放送|岩手放送]]:日曜 10:30 - 11:00<ref>『河北新報』1967年4月2日 - 4月29日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[秋田放送]]:火曜 18:00 - 18:30<ref name="k6744" /> * [[山形放送]]:火曜 18:15 - 18:45(1967年1月10日から7月11日まで)<ref>『[[福島民報]]』1967年1月10日 - 7月11日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[仙台放送]]:土曜 19:00 - 19:30(1967年1月7日かた9月30日まで)<ref>『福島民報』1967年1月7日 - 9月30日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[福島テレビ]]:火曜 18:15 - 18:45(1967年1月10日から7月25日まで)<ref>『福島民報』1967年1月10日 - 7月25日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[新潟放送]]:土曜 19:00 - 19:30(1967年1月7日から7月8日まで)<ref>『福島民報』1967年1月7日 - 7月8日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[北日本放送]]:火曜 18:15 - 18:45(1967年1月10日スタート)<ref>『北國新聞』1967年1月10日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[北陸放送]]:月曜 19:00 - 19:30(1967年1月9日スタート)<ref>『北國新聞』1967年1月9日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[福井放送]]:土曜 19:00 - 19:30(1967年1月7日スタート)<ref>『北國新聞』1967年1月7日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[東海テレビ放送|東海テレビ]]:土曜 19:00 - 19:30(1967年1月7日スタート)<ref>『北日本新聞』1967年1月7日付朝刊、テレビ欄。</ref> * [[テレビ西日本]]:土曜 19:00 - 19:30<ref>『西日本新聞』1967年1月7日付朝刊、テレビ欄。</ref> == ネット配信 == [[2013年]][[12月19日]]から[[YouTube]]の「手塚プロダクション公式チャンネル」で、本作オープニングと話の前半部を無料配信していたが、[[2019年]][[12月26日]]より、同チャンネルで第1話全てが無料配信されている。 いずれもOP映像は、ラストの提供クレジット部が番組タイトルに差し替えられ、サブタイトル表示部はブラックバックに話数とサブタイトルを記載したバージョンに差し替えられた。また第1話全話配信版の[[次回予告]]は、音声は存在するものの映像はないので、音声だけを配信している。 [[2022年]][[5月17日]]からは同年[[7月19日]]まで、同チャンネルから全39話が期間限定無料配信された(第1話も先述配信分と共に並行配信)。今回も先述の第1話配信分同様、OPラストの提供クレジット部は番組タイトルに差し替えたが、次回予告は画像が存在する回(第10回・第12回ほか)はそのまま配信、逆に存在しない回は音声だけ配信となり、サブタイトル表示は第6話まではブラックバック、そして第7話からは通常バージョンになっている。 [[2023年]][[4月14日]]からは同年[[6月5日]]まで、同チャンネルで再び全話の無料配信が行われた(配信形態は前回と同じ)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == *[https://tezukaosamu.net/jp/anime/36.html 手塚治虫公式サイト内作品ページ(アニメ『悟空の大冒険』)] {{前後番組 | 放送局 = [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列 | 放送枠 = [[フジテレビ系列土曜夜7時台枠のアニメ|土曜 19:00 - 19:30]] | 番組名 = 悟空の大冒険<br />(1967年1月7日 - 1967年9月30日) | 前番組 = [[鉄腕アトム (アニメ第1作)|鉄腕アトム]](アニメ第1作)<br />(1964年1月18日 - 1966年12月31日) | 次番組 = [[おらぁグズラだど]](第1作)<br />(1967年10月7日 - 1968年3月30日) }} {{手塚治虫}} {{杉井ギサブロー監督作品}} {{明治グループ}} {{DEFAULTSORT:こくうのたいほうけん}} [[Category:アニメ作品 こ|くうのたいほうけん]] [[Category:1967年のテレビアニメ]] [[Category:手塚治虫のアニメ作品]] [[Category:秋田書店のアニメ作品]] [[Category:フジテレビ系アニメ]] [[Category:フジテレビの一社提供番組]] [[Category:明治グループ単独提供番組]] [[Category:西遊記を題材としたアニメ作品]] [[Category:ギャグアニメ]] [[Category:冒険アニメ]] <!--[[Category:めばえ]] ←?--> <!--[[Category:幼稚園 (雑誌)]] ←?-->
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ハンガー・ストライキ
ハンガー・ストライキ(英語: Hunger strike)とは、マハトマ・ガンディーにより始められた非暴力抵抗運動の方法の一つである。何らかの主張を世間に広く訴えるために、断食を行うストライキの一種。「飢餓(ハンガー)によるストライキ」という意味である。略して「ハンスト」ともいう。 公共の場(受刑者の場合は刑務所内)に座り込み、断食することで、相手が要求を受け入れなければ餓死に至るという状況に追い込むことで注目を集め、自分の主義・主張を通そうとしたり、それを世に広めたりするのが目的である。完全に飲食を絶つのではなく水だけ、あるいは塩と水だけを摂ったりする場合もある。流動食を限定的にとるものもある。 ロシア帝国の刑務所では、ゴロドーフカ(Голодовка)というハンガー・ストライキがよく行われており、それはソ連時代も続いていた。 イギリスにおける女性参政権運動では投獄されたサフラジェットがハンガー・ストライキをしばしば抗議手段として用いた。 アイルランドにおいては歴史的にハンガー・ストライキがしばしば反英運動の中で用いられてきた。1981年に行われた北アイルランド独立運動の闘士による刑務所でのハンガー・ストライキでは死者も出ている。この時の経緯は『HUNGER/ハンガー』として映画化されている。 日本でも、入国管理センターの入国者収容所で、収容の長期化や虐待への抗議のため、被収容者たちによるハンガー・ストライキが繰り返し行われている。その他にも各種の団体や個人が行っている。特に世間の注目を集めた例としては、1992年9月、検察庁が金丸信と東京佐川急便との癒着疑惑(東京佐川急便事件)を政治資金規正法違反のみの略式起訴による罰金で幕引きを図ったことに、青島幸男が抗議して実施したものが挙げられる。青島のハンガー・ストライキは、30時間以上が経過したところで脱水症状に陥ったために緊急入院せざるを得なくなり、中断を余儀なくされた。しかし、青島が呼びかけた「検察庁に抗議のハガキを送ろう」という運動には、多くの賛同者が現れた。後に検察庁は金丸に対して強制捜査に踏み切り、金丸は巨額脱税事件で逮捕・起訴された。 韓国においても、一人デモと並んで、よく行われる抗議手段として知られている。 2021年7月10日よりフランス人のヴィンセント・フィショ (Vincent Fichot) が日本の千駄ケ谷駅前にて自らの子どもの連れ去りに抗議するためのハンガー・ストライキを始めた。
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ハンガー・ストライキとは、マハトマ・ガンディーにより始められた非暴力抵抗運動の方法の一つである。何らかの主張を世間に広く訴えるために、断食を行うストライキの一種。「飢餓(ハンガー)によるストライキ」という意味である。略して「ハンスト」ともいう。
[[File:Dobrzeń Wielki – protest głodowy i Grzegorz Schetyna.JPG|thumb|[[ポーランド]]で行われたハンガー・ストライキ]] '''ハンガー・ストライキ'''({{lang-en|Hunger strike}})とは、[[マハトマ・ガンディー]]により始められた[[非暴力]][[抵抗]]運動の方法の一つである。何らかの主張を世間に広く訴えるために、[[断食]]を行う[[ストライキ]]の一種。「[[飢餓]](ハンガー)によるストライキ」という意味である。略して「'''ハンスト'''」ともいう。 ==活動内容== {{出典の明記| date = 2022-10-05| section = 1}} 公共の場(受刑者の場合は[[刑務所]]内)に座り込み、[[断食]]することで、相手が要求を受け入れなければ[[餓死]]に至るという状況に追い込むことで注目を集め、自分の主義・主張を通そうとしたり、それを世に広めたりするのが目的である。完全に飲食を絶つのではなく[[水]]だけ、あるいは[[塩]]と水だけを摂ったりする場合もある<ref>{{Cite web|和書|title=水と塩だけしか口にしない。気候危機に「食べないストライキ」が意味するもの |url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_60c95f0ee4b0587266d5c8fb |website=ハフポスト |date=2021-06-16 |access-date=2022-10-05 |language=ja}}</ref>。[[流動食]]を限定的にとるものもある<ref>{{Cite news|title=Okinawan woman on hunger strike against US base soil that may contain war dead remains|url=https://mainichi.jp/english/articles/20210408/p2a/00m/0na/011000c|work=Mainichi Daily News|date=2021-04-08|access-date=2022-10-05|language=en}}</ref>。 ==ハンガー・ストライキの例== [[ロシア帝国]]の刑務所では、ゴロドーフカ({{lang|ru|Голодовка}})というハンガー・ストライキがよく行われており、それは[[ソビエト連邦|ソ連]]時代も続いていた<ref>[{{NDLDC|1020460}} 赤露二年の獄中生活] P.195 [[久保田栄吉]] 1926年</ref>。 イギリスにおける[[女性参政権運動]]では投獄された[[サフラジェット]]がハンガー・ストライキをしばしば抗議手段として用いた<ref>{{Cite web |title=Six facts about Suffragette hunger strikes |url=https://www.museumoflondon.org.uk/discover/six-things-you-didnt-know-about-suffragette-hunger-strikes |website=Museum of London |access-date=2022-10-05 |language=en}}</ref>。 [[アイルランド]]においては歴史的にハンガー・ストライキがしばしば反英運動の中で用いられてきた<ref name=":0">{{Cite web |title=The long history of the Irish hunger strike |url=https://www.irishtimes.com/culture/heritage/the-long-history-of-the-irish-hunger-strike-1.3228103 |website=The Irish Times |access-date=2022-10-05 |language=en}}</ref>。1981年に行われた[[アイルランドの歴史|北アイルランド独立運動]]の闘士による刑務所でのハンガー・ストライキでは死者も出ている<ref name=":0" />。この時の経緯は『[[HUNGER/ハンガー]]』として映画化されている<ref>{{Cite web|和書|title=IRA活動家のハンスト殉死描く『Hunger』、カンヌ映画祭で上映 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2391899 |website=www.afpbb.com |access-date=2022-10-05 |language=ja}}</ref>。 日本でも、入国管理センターの[[入国者収容所]]で、収容の長期化や虐待への抗議のため、被収容者たちによるハンガー・ストライキが繰り返し行われている<ref>{{cite news |title=入管収容者が集団ハンスト 東日本センター 長期の拘束抗議|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201804/CK2018041702000255.html |newspaper=[[東京新聞]] |date=2018-04-17 }}</ref><ref>{{cite news |title=入管施設で外国人30人抗議のハンスト 開始から1週間|url=https://www.asahi.com/articles/ASLCV4GNNLCVUQIP02H.html |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2018-11-26 }}</ref><ref>{{cite news |title=集団暴力、無期限拘束……。あまりに酷い、入管収容所における外国人虐待の実態|url=https://hbol.jp/167711/2 |newspaper=[[ハーバー・ビジネス・オンライン]] |date=2018-06-19 }}</ref><ref>{{cite news |title=牛久の入管施設で27人がハンスト、大村ではナイジェリア人が死亡 |url=https://jp.reuters.com/article/ushiku-omura-idJPKCN1TR0YR |newspaper=[[ロイター]] |date=2019-06-27 }}</ref>。その他にも各種の団体や個人が行っている。特に世間の注目を集めた例としては、[[1992年]]9月、[[検察庁]]が[[金丸信]]と[[東京佐川急便]]との癒着疑惑([[東京佐川急便事件]])を[[政治資金規正法]]違反のみの[[略式起訴]]による[[罰金]]で幕引きを図ったことに、[[青島幸男]]が抗議して実施したものが挙げられる。青島のハンガー・ストライキは、30時間以上が経過したところで[[脱水症状]]に陥ったために緊急入院せざるを得なくなり、中断を余儀なくされた。しかし、青島が呼びかけた「検察庁に抗議の[[ハガキ]]を送ろう」という運動には、多くの賛同者が現れた{{要出典|date=2022-10-05}}。後に検察庁は金丸に対して強制捜査に踏み切り、金丸は[[金丸事件|巨額脱税事件]]で逮捕・起訴された。 韓国においても、[[一人デモ]]と並んで、よく行われる抗議手段として知られている<ref>{{cite news |title=GSOMIA破棄、ハンスト抗議 韓国保守系党首「死を覚悟」|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52398770Q9A121C1FF1000/ |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2019-11-20 }}</ref>。 [[2021年]][[7月10日]]よりフランス人のヴィンセント・フィショ (Vincent Fichot) が日本の[[千駄ケ谷駅]]前にて自らの子どもの連れ去りに抗議するためのハンガー・ストライキを始めた<ref>{{Cite web|和書|title=日本の「子ども連れ去り」に海外が注目する理由 |url=https://toyokeizai.net/articles/-/442410 |website=東洋経済オンライン |date=2021-07-24 |access-date=2022-10-05 |language=ja}}</ref>。 ==脚注== {{Reflist}} == 関連項目 == *[[デモ活動]] *[[リレーハンスト]] *[[強制摂食]] *[[ゼネラル・ストライキ]] *[[納金スト]] *[[早良親王]] {{就業}}{{Politics-stub}} {{デフォルトソート:はんかあすとらいき}} [[Category:ハンガーストライキ|*]] [[Category:抗議行動の戦術]] [[Category:ストライキ]] [[Category:抗議行動]] [[Category:市民活動]] [[Category:非暴力]] [[Category:断食]] [[Category:空腹]] [[Category:英語の成句]]
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ボブ・サップ
ボブ・サップ(Bob Sapp、1973年9月22日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングス出身のキックボクサー、プロボクサー、プロレスラー、総合格闘家、タレント、俳優、元アメリカンフットボール選手。 本名はロバート・マルコム・サップ(Robert Malcolm Sapp)。2005年にはマーベル・コミックの『エレクトラ』に出演しハリウッドデビューを果たす。 教育熱心で厳格な家庭で育った。特に両親の離婚後母の教育熱がエスカレートし、テレビは教育テレビのみ視聴することを許されていたとインタビューで語った。 少年時から様々なスポーツに取り組み、高校時で既に体重115kgという大柄だった。ワシントン州シアトルにあるワシントン大学にアメリカンフットボールの特待生として入学し、学業では社会学と薬学を専攻。カレッジフットボールではオフェンスのラインとして活躍し、1997年1月のシニアボウルにメンバーにも選ばれた。 一部報道によると、不仲の両親、育児放棄の母親のもとで育ったといい、14歳の時に年齢を偽り警備業に就いたとある。 1997年、NFLのシカゴ・ベアーズにドラフト3巡(全体69位)指名されて入団したが、シーズン開幕前に禁止薬物使用によりベアーズから解雇された。その後度重なる故障に見舞われ、その後ミネソタ・バイキングス、ボルチモア・レイブンズ、オークランド・レイダースに所属した。 2000年、両足のアキレス腱を痛め、負傷前の実力を取り戻すに至らなかったため、現役続行を断念。プロレスラーに転向し、アメリカ合衆国のプロレス団体であるWCWに入団して、団体の養成所である「パワープラント」に一時期所属していたがWCWが倒産したため数試合の(前座)出場のみにとどまった。後、病院に遺体搬出の仕事に就き収入を得る。NFL時代のパワーリフトMAXは、ベンチプレス266kg、インクラインベンチ363kg、パワークリーン191kgと公表している。 2002年、同じく元WCWの選手で友人のサム・グレコの紹介でK-1にスカウトされ、格闘家としてPRIDE、K-1に参戦。K-1とは何をするか決まっていないまま契約したため、最初は石井和義のボディーガードをやるという話もあったという。因みに契約内容は、1年間で契約金とファイトマネー込みで10万ドル(約950万円)という、後の活躍からは考えられないほどの内容であった。試合ではフットボールの経験を生かした肉弾的な戦いを得意とし、自らをビーストと呼ぶことから、「野獣」「ビースト」といったキャッチコピー(ちなみに、PRIDEにデビューした当初は「暗黒肉弾魔人」)を得た。格闘家として活躍時の体脂肪率は11 - 13%程度で、筋力維持のため毎日400g程度のプロテインパウダーを摂取しトレーニングに励んでいた。来日当初は異国の勝手がわからず、その巨体を小さくして萎縮していたが、活動初期には手にした生肉を貪り食うなど食人を意識したギミック(役付け)で登場。 4月28日、PRIDE.20で日本デビュー。山本憲尚(現山本宜久)を1R2分44秒で下した。 6月2日、K-1 SURVIVAL 2002で中迫剛と対戦、K-1ルールを無視して中迫を投げ飛ばし上から殴るなど暴走し反則負け。乱闘騒ぎになる大荒れの試合となった。試合後、石井和義館長は「このままでは収まらない。2人にはきっちり決着をつけさせる」と明言した。 6月23日、PRIDE.21で田村潔司と対戦、開始11秒でTKO勝利。 8月28日、Dynamite!にてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに2ラウンド4分02秒で一本負けを喫するも、ノゲイラのフィニッシュ・ホールドである三角絞めを、持ち上げてリングに叩きつけて阻止するなど、その怪力ぶりを発揮。一般にこれが彼の本格的なブレイクとされる。 9月22日、K-1 ANDY SPIRITSでシリル・アビディと対戦し、KO勝ち。 10月5日、K-1 WORLD GP 2002 開幕戦にてアーネスト・ホーストと対戦、パンチと圧力で攻め1R終了時にドクターストップによりTKO勝ち。K-1を3度制したホーストに勝利したことで知名度は急上昇する。 10月14日、新日本プロレス東京ドーム大会に出場し、中西学と対戦。久々のプロレスルール、アメリカ時代では経験出来なかったビッグマッチでのメジャーカードと言う不利を全て規格外のパワーで吹き飛ばし、当時の団体でも屈指のパワーファイターであった中西をパワーボムやドロップキックで圧倒し、リングアウト勝ち。ファンに強烈な印象を残すと共に、プロレスへの適用力の高さも見せつけた。 11月17日に、サップをエースとするK-1によるプロレスイベント「ファンタジーファイトWRESTLE-1」が旗揚げ。フジテレビは「ボブ・サップのバトル・エンターテイメント W-1」というサップの冠番組としてゴールデンタイムに録画中継した。グレート・ムタと対戦し、毒霧やシャイニング・ウィザードを喰らう場面もありながら、最後はドロップキックからのダイビング・ヘッドバットでピンフォール勝ちを収めた。 12月7日、K-1 WORLD GP 2002 決勝戦のGP準々決勝にて、出場辞退者が出た関係上、アーネスト・ホーストと再戦し、2R2分53秒でKO勝ち。だが、右拳を骨折しGP準決勝を棄権した。大会規定により、ホーストが準決勝に進出し、皮肉にも、王者になったのは、サップに2度負けたホーストであった。 12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002ではプロレスラーの高山善廣相手に打撃では勝負をせずにタックルで倒し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。この頃から格闘技ファンに認められ、知性派であることがメディアに紹介されるにつれ、野太い声で「ハッハッハッハッハッ」と笑う姿や流暢な日本語を交えながらおどけるそのギャップから親しみやすいキャラクターとして話題を呼び、日本の数多くの番組やテレビCMに多く出演することとなる。 2003年、3月5日、フジテレビのバラエティ番組「力あわせてゴーゴゴー!!」内の企画で、シングル「SAPP Time!」をリリースした。オリコン週間チャートは最高28位。 3月30日、K-1 WORLD GP 2003 in さいたまでミルコ・クロコップと対戦し、左ストレートでKO負け。試合後、右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された。 8月15日、K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガスでキモと対戦、2R1分11秒右フックでKO勝ち。試合終了後、マイク・タイソンを挑発した。 10月11日、K-1 WORLD GP 2003 開幕戦にてレミー・ボンヤスキーと対戦、2Rに倒れたレミーを殴ってしまい反則負け。 12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!にて曙太郎と対戦、1R2分58秒でKO勝ち。そのシーンは瞬間最高視聴率で民放がNHK紅白歌合戦を史上初めて上回り、大きな話題となった。 2004年、3月28日、新日本プロレスにて佐々木健介と対戦、8分24秒体固めで勝利し、第37代IWGPヘビー級王座につく。 5月3日、新日本プロレスにて中邑真輔と対戦、12分31秒体固めで勝利し、IWGPヘビー級王座の初防衛に成功する。 5月22日のK-1 ROMANEXで藤田和之と対戦、序盤でテイクダウンをとられ、一方的に藤田の打撃を浴びタップアウトで敗北。試合後、保持していたIWGPヘビー級王座を返上。 12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!においてジェロム・レ・バンナと、1Rと3RはK-1ルール、2Rと4Rは総合格闘技ルールで行うミックスルールで対戦し、時間切れ引き分け。 2005年、3月26日、HERO'Sで、キム・ミンスに右ストレートでKO勝利。5月からサム・グレコの下で修行し、6月14日のK-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMAで開催されたJAPAN GPに出場。中尾芳広、堀啓、富平辰文を破り優勝。 7月6日、HERO'Sで、アラン・カラエフに左ストレートでKO勝利を収めた。11月5日には「HERO'S 2005 in SEOUL」においてキム・ジョンワンに、8秒でKO勝ち。 8月4日、プロレスにも参戦し「WRESTLE-1 GP 2005 開幕戦」においてジャイアント・バーナードと対戦し、5分30秒、横入りエビ固めで勝利。 10月2日、「WRESTLE-1 GP 2005 2回戦」において秋山準と対戦し、7分21秒、ビーストボムからのエビ固めで勝利。 2006年、5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストの国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって試合をボイコット。この件でサップは弁護士を介しての声明文や外国人記者クラブで会見を行うなどし、一方、FEG社長谷川貞治もサップへ法的措置をとると会見するなどして、両者で争うことになった。『サンデー毎日』2006年12月31日号では、映画に出演すると共に、獣医を目指して勉強中と報じられた。10月15日にはWWEのトライアウトを受けていた。 2007年、2月10日、Cage Rage 20のリングに上がり、4月21日のCage Rage 21への参戦を表明したが、開催直前になって出場がキャンセルされた。 6月、サップを契約違反として民事裁判の提訴をしたK-1と和解、6月23日のK-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMでピーター・アーツと対戦。試合は、開始早々突進しみぞおちへの左膝蹴りを受けダウン、そのまま立ち上がらず26秒でKO負けを喫した。その姿に観客からは大ブーイングとともにリングに物が投げ入れられた。試合後の会見で谷川貞治K-1イベントプロデューサーは裏切られたと不快感を露わにした。なおこの試合前に発表されたサップの体重は180kgと、1年前に比べ20 - 30kg重く体が緩んでいた。各メディアで練習不足による肥満が指摘された。 10月16日、ハッスルの会場に姿を現し、モンスター・ボノの「バブー」をパロって「ボブー」と言った。11月22日、ハッスルマニア2007でHGに勝利。 12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でボビー・オロゴンと対戦、マウントパンチでKO勝ち。 2008年、2月23日、米国での総合格闘技デビュー戦となるStrikeforce: At The Domeでヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦し、パンチを連打されTKO負け。Strikeforceとは15試合の長期契約を締結したと報道された。 12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のDJ OZMAプロデュース試合でキン肉万太郎と対戦し、スタンドパンチ連打でTKO勝ちを収めた。 2009年、1月、プロ野球北海道日本ハムファイターズの坪井智哉と東京都内のジムで自主トレーニング(格闘技トレーニング)を行った。 5月26日、DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でミノワマンと対戦し、アキレス腱固めで一本負け。 6月27日、Ultimate Chaosでボビー・ラシュリーと対戦し、パウンドチで1ラウンド3分17秒、タップアウト負け。闘争心を見せない試合ぶりに観客からブーイングを浴びる。 10月6日、ゲガール・ムサシの負傷欠場により敗者復活となり、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でソクジュと対戦し、パウンドでTKO負け。 2010年、格闘家として第一線を退き、韓国でトークショーの司会や、会社の経営に乗り出していると明言。 11月27日、スウェーデンのRumble of the Kingsのメインでユルゲン・クルトとK-1ルールで対戦し、ひざ蹴り一発で戦意を喪失して、タオル投入による1ラウンド98秒のTKO負け。 12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で鈴川真一とIGF特別ルールで対戦する予定だったが、試合放棄したため、「サップの戦意喪失」として不戦敗扱いとなった。試合放棄の理由の詳細は、#人物・エピソードの2010年Dynamite!!試合放棄およびFEGのファイトマネー未払い問題を参照。 東日本大震災後の2011年8月にはチャリティーオークション参加や避難所へ訪問している。 2013年、1月4日、新日本プロレスの矢野通からラブコールを受ける形でCHAOSのサポートメンバーとして、久々にプロレスに参戦。試合はタッグメンバーの飯塚高史が対戦組の中西学のアルゼンチンバックブリーカーによるギブアップで敗れるものの、試合後のバックステージでのコメントで新日本プロレスに再参戦する意思を見せている。因みに、この日の試合の対戦組メンバーにかつて2003年12月31日のK-1で対戦した曙がいた。 3月、著書『野獣の怒り』で、谷川貞治の放漫なマネジメントを批判。また自身はドン・フライほか引退したファイターへの支援活動を開始しており、40歳で引退すると表明した。 9月には、武藤敬司の設立したプロレス団体「WRESTLE-1」の旗揚げ戦に参加、メインイベントで武藤とタッグチームを組んで、ゾディアック&レネ・デュプリと対戦し、勝利した。 2015年、12月31日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSで曙と再戦し、判定勝ち。 2017年、12月21日発売の『週刊文春』で、2011年春から2017年1月の約6年間に渡って内縁の妻に対して暴行を加え続けたと報道された。同報道によると女性は鼓膜破裂、肋骨骨折、鼻骨骨折などの重傷を負ったとされており、暴力を恐れて女性が子供を連れて日本に帰国した後も7000通のメールが女性の元に送られるなど、サップによるストーカー行為が行われていたという。このような暴行が行われた背景には、鎮痛剤、筋肉増強剤、興奮剤などの薬物使用が影響していると見られる。誌上には暴行を加えられた痕跡のある女性の写真など、証拠も掲載されている。この報道に際して、NFLはステロイド使用によって追放されたとする説も伝えられた。 2018年、9月30日、RIZIN.13にてMMAデビュー戦の大砂嵐と3R3R特別MMAルールで対戦。1R打撃で押されるも持ちこたえ、2R、3Rに優勢に立ち判定勝ち。8年ぶりのMMAルールでの勝利となった。 2021年1月の一部報道によると、グアテマラでプロレス関連のビジネスを行い、現地に自宅を構えて悠々自適に生活しているという。 身長に関しては諸説あるが、PRIDE初参戦時は205cmと紹介されていた。後にK-1にも出場、そのときは200cmに訂正された。大学フットボール時代ならびにNFL時代は6フィート4インチ≒193cmである。利き手(書字など)は左だが、利き腕(ストレートパンチなど)は右のコンバーテッドファイターである。 全盛期は怪力を活かしたセオリー無視のファイターであり、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦でパワーボムを放つなどその力任せぶりが目立っていた。技術を覚えてからはセオリーにはまって弱体化した。 一部で「ボブ・サップは元NFLプレイヤーのウォーレン・サップ(2013年プロフットボール殿堂入り)の兄弟(または従兄弟)である」というまったくの誤報が流れたが、ボブ・サップとウォーレン・サップとの間に特筆すべき血縁関係はない。なお、ウォーレン・サップはフロリダ州オーランド出身であり、マイアミ大学の卒業生である。 2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストの国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって出場を固辞、試合をボイコットした。FEG側の説明では「(サップ側から)試合前に無理難題を吹っかけられ、拒否したら突然『やらない』と言い出した」としていて、その無理難題の内容は「契約上明かすことは出来ない」として説明を避けた。契約上問題があると法的措置も検討していて、K-1永久追放の可能性も示唆していた。この時谷川の口から4月23日プロレスリング・ノア日本武道館興行のオファーを蹴っていることが明かされた。本人はハッスルに参戦したいと語っていた。2006年6月27日、K-1オランダ大会ボイコットの件に関しての声明を発表し、当時の詳細を語った。その中でサップは、オランダでK-1を共催した人物から脅されたとも語っている。これに対し6月29日、K-1サイドは「事実に反する」と反論し、サップ側から長期契約からのリリースの要求があったと主張。さらに7月3日、ボブ・サップの代理人から、K-1サイドの事実誤認に対する指摘がなされた。その後2007年6月、サップ側の申し入れによりFEGと和解、6月23日のK-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMに出場することとなった。しかし、試合内容に激怒した谷川は、損害賠償などの法的措置を取り下げないことを発表した。2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜では、エグゼクティブプロデューサーに就任したアントニオ猪木による提供試合として鈴川真一の対戦相手としてIGF特別ルールでマッチメイクされた。しかし大会当日になってサップが試合放棄したことにより、戦意喪失による鈴川の不戦勝と発表された。これを受けて谷川は1月1日の記者会見の場にて「二度と呼ぶことはないでしょう」と事実上のFEG関連興行からの永久追放を宣言した。谷川はサップが「売店で俺のフィギュアが売っているが、ロイヤリティをもらってない」と言っていたという。さらに素手で戦うIGF特別ルールがプロレスなのか格闘技なのかの解釈の違いがファイトマネーのトラブルの原因になったという憶測については、FEGもIGFも格闘技の「つもり」で、オファーしたと主張している。一方、サップの側は、3万ドルのファイトマネーでFEGからオファーされたのに来日すると1万5千ドルに半減されたのが試合放棄の原因だとインターネットメディアで主張した。対戦相手だった鈴川が所属するIGFの渉外のサイモン・ケリー猪木はTwitterで、一番悪いのは主催のFEGだとサップに同情するコメントをしている。また、同時期から主催者側FEGが多額の負債により各選手へのファイトマネーが未払いになっていたことがのちに発覚(FEGの項参照)し、サップの主張が裏付けられるかたちとなった。 過去にお笑い番組ワンナイのコーナーの無理やリフォームにサップ3兄弟として出演したことがある。 2013年には自身の証言を口述筆記した暴露本である「野獣の怒り」を双葉社から出版した。本著での内容は以下のとおりである。 ボクシング戦績 48戦45勝2敗1分(37KO)
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"11月17日に、サップをエースとするK-1によるプロレスイベント「ファンタジーファイトWRESTLE-1」が旗揚げ。フジテレビは「ボブ・サップのバトル・エンターテイメント W-1」というサップの冠番組としてゴールデンタイムに録画中継した。グレート・ムタと対戦し、毒霧やシャイニング・ウィザードを喰らう場面もありながら、最後はドロップキックからのダイビング・ヘッドバットでピンフォール勝ちを収めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "12月7日、K-1 WORLD GP 2002 決勝戦のGP準々決勝にて、出場辞退者が出た関係上、アーネスト・ホーストと再戦し、2R2分53秒でKO勝ち。だが、右拳を骨折しGP準決勝を棄権した。大会規定により、ホーストが準決勝に進出し、皮肉にも、王者になったのは、サップに2度負けたホーストであった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002ではプロレスラーの高山善廣相手に打撃では勝負をせずにタックルで倒し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。この頃から格闘技ファンに認められ、知性派であることがメディアに紹介されるにつれ、野太い声で「ハッハッハッハッハッ」と笑う姿や流暢な日本語を交えながらおどけるそのギャップから親しみやすいキャラクターとして話題を呼び、日本の数多くの番組やテレビCMに多く出演することとなる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2003年、3月5日、フジテレビのバラエティ番組「力あわせてゴーゴゴー!!」内の企画で、シングル「SAPP Time!」をリリースした。オリコン週間チャートは最高28位。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "3月30日、K-1 WORLD GP 2003 in さいたまでミルコ・クロコップと対戦し、左ストレートでKO負け。試合後、右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された。", "title": 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"paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2005年、3月26日、HERO'Sで、キム・ミンスに右ストレートでKO勝利。5月からサム・グレコの下で修行し、6月14日のK-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMAで開催されたJAPAN GPに出場。中尾芳広、堀啓、富平辰文を破り優勝。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "7月6日、HERO'Sで、アラン・カラエフに左ストレートでKO勝利を収めた。11月5日には「HERO'S 2005 in SEOUL」においてキム・ジョンワンに、8秒でKO勝ち。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "8月4日、プロレスにも参戦し「WRESTLE-1 GP 2005 開幕戦」においてジャイアント・バーナードと対戦し、5分30秒、横入りエビ固めで勝利。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "10月2日、「WRESTLE-1 GP 2005 2回戦」において秋山準と対戦し、7分21秒、ビーストボムからのエビ固めで勝利。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2006年、5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストの国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって試合をボイコット。この件でサップは弁護士を介しての声明文や外国人記者クラブで会見を行うなどし、一方、FEG社長谷川貞治もサップへ法的措置をとると会見するなどして、両者で争うことになった。『サンデー毎日』2006年12月31日号では、映画に出演すると共に、獣医を目指して勉強中と報じられた。10月15日にはWWEのトライアウトを受けていた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2007年、2月10日、Cage Rage 20のリングに上がり、4月21日のCage Rage 21への参戦を表明したが、開催直前になって出場がキャンセルされた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "6月、サップを契約違反として民事裁判の提訴をしたK-1と和解、6月23日のK-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMでピーター・アーツと対戦。試合は、開始早々突進しみぞおちへの左膝蹴りを受けダウン、そのまま立ち上がらず26秒でKO負けを喫した。その姿に観客からは大ブーイングとともにリングに物が投げ入れられた。試合後の会見で谷川貞治K-1イベントプロデューサーは裏切られたと不快感を露わにした。なおこの試合前に発表されたサップの体重は180kgと、1年前に比べ20 - 30kg重く体が緩んでいた。各メディアで練習不足による肥満が指摘された。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "10月16日、ハッスルの会場に姿を現し、モンスター・ボノの「バブー」をパロって「ボブー」と言った。11月22日、ハッスルマニア2007でHGに勝利。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でボビー・オロゴンと対戦、マウントパンチでKO勝ち。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2008年、2月23日、米国での総合格闘技デビュー戦となるStrikeforce: At The Domeでヤン・\"ザ・ジャイアント\"・ノルキヤと対戦し、パンチを連打されTKO負け。Strikeforceとは15試合の長期契約を締結したと報道された。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜のDJ OZMAプロデュース試合でキン肉万太郎と対戦し、スタンドパンチ連打でTKO勝ちを収めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2009年、1月、プロ野球北海道日本ハムファイターズの坪井智哉と東京都内のジムで自主トレーニング(格闘技トレーニング)を行った。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "5月26日、DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でミノワマンと対戦し、アキレス腱固めで一本負け。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "6月27日、Ultimate Chaosでボビー・ラシュリーと対戦し、パウンドチで1ラウンド3分17秒、タップアウト負け。闘争心を見せない試合ぶりに観客からブーイングを浴びる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "10月6日、ゲガール・ムサシの負傷欠場により敗者復活となり、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でソクジュと対戦し、パウンドでTKO負け。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2010年、格闘家として第一線を退き、韓国でトークショーの司会や、会社の経営に乗り出していると明言。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "11月27日、スウェーデンのRumble of the Kingsのメインでユルゲン・クルトとK-1ルールで対戦し、ひざ蹴り一発で戦意を喪失して、タオル投入による1ラウンド98秒のTKO負け。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜で鈴川真一とIGF特別ルールで対戦する予定だったが、試合放棄したため、「サップの戦意喪失」として不戦敗扱いとなった。試合放棄の理由の詳細は、#人物・エピソードの2010年Dynamite!!試合放棄およびFEGのファイトマネー未払い問題を参照。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "東日本大震災後の2011年8月にはチャリティーオークション参加や避難所へ訪問している。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "2013年、1月4日、新日本プロレスの矢野通からラブコールを受ける形でCHAOSのサポートメンバーとして、久々にプロレスに参戦。試合はタッグメンバーの飯塚高史が対戦組の中西学のアルゼンチンバックブリーカーによるギブアップで敗れるものの、試合後のバックステージでのコメントで新日本プロレスに再参戦する意思を見せている。因みに、この日の試合の対戦組メンバーにかつて2003年12月31日のK-1で対戦した曙がいた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "3月、著書『野獣の怒り』で、谷川貞治の放漫なマネジメントを批判。また自身はドン・フライほか引退したファイターへの支援活動を開始しており、40歳で引退すると表明した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "9月には、武藤敬司の設立したプロレス団体「WRESTLE-1」の旗揚げ戦に参加、メインイベントで武藤とタッグチームを組んで、ゾディアック&レネ・デュプリと対戦し、勝利した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2015年、12月31日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSで曙と再戦し、判定勝ち。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2017年、12月21日発売の『週刊文春』で、2011年春から2017年1月の約6年間に渡って内縁の妻に対して暴行を加え続けたと報道された。同報道によると女性は鼓膜破裂、肋骨骨折、鼻骨骨折などの重傷を負ったとされており、暴力を恐れて女性が子供を連れて日本に帰国した後も7000通のメールが女性の元に送られるなど、サップによるストーカー行為が行われていたという。このような暴行が行われた背景には、鎮痛剤、筋肉増強剤、興奮剤などの薬物使用が影響していると見られる。誌上には暴行を加えられた痕跡のある女性の写真など、証拠も掲載されている。この報道に際して、NFLはステロイド使用によって追放されたとする説も伝えられた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2018年、9月30日、RIZIN.13にてMMAデビュー戦の大砂嵐と3R3R特別MMAルールで対戦。1R打撃で押されるも持ちこたえ、2R、3Rに優勢に立ち判定勝ち。8年ぶりのMMAルールでの勝利となった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2021年1月の一部報道によると、グアテマラでプロレス関連のビジネスを行い、現地に自宅を構えて悠々自適に生活しているという。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "身長に関しては諸説あるが、PRIDE初参戦時は205cmと紹介されていた。後にK-1にも出場、そのときは200cmに訂正された。大学フットボール時代ならびにNFL時代は6フィート4インチ≒193cmである。利き手(書字など)は左だが、利き腕(ストレートパンチなど)は右のコンバーテッドファイターである。", "title": "人物・エピソード" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "全盛期は怪力を活かしたセオリー無視のファイターであり、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦でパワーボムを放つなどその力任せぶりが目立っていた。技術を覚えてからはセオリーにはまって弱体化した。", "title": "人物・エピソード" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "一部で「ボブ・サップは元NFLプレイヤーのウォーレン・サップ(2013年プロフットボール殿堂入り)の兄弟(または従兄弟)である」というまったくの誤報が流れたが、ボブ・サップとウォーレン・サップとの間に特筆すべき血縁関係はない。なお、ウォーレン・サップはフロリダ州オーランド出身であり、マイアミ大学の卒業生である。", "title": "人物・エピソード" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストの国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって出場を固辞、試合をボイコットした。FEG側の説明では「(サップ側から)試合前に無理難題を吹っかけられ、拒否したら突然『やらない』と言い出した」としていて、その無理難題の内容は「契約上明かすことは出来ない」として説明を避けた。契約上問題があると法的措置も検討していて、K-1永久追放の可能性も示唆していた。この時谷川の口から4月23日プロレスリング・ノア日本武道館興行のオファーを蹴っていることが明かされた。本人はハッスルに参戦したいと語っていた。2006年6月27日、K-1オランダ大会ボイコットの件に関しての声明を発表し、当時の詳細を語った。その中でサップは、オランダでK-1を共催した人物から脅されたとも語っている。これに対し6月29日、K-1サイドは「事実に反する」と反論し、サップ側から長期契約からのリリースの要求があったと主張。さらに7月3日、ボブ・サップの代理人から、K-1サイドの事実誤認に対する指摘がなされた。その後2007年6月、サップ側の申し入れによりFEGと和解、6月23日のK-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMに出場することとなった。しかし、試合内容に激怒した谷川は、損害賠償などの法的措置を取り下げないことを発表した。2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜では、エグゼクティブプロデューサーに就任したアントニオ猪木による提供試合として鈴川真一の対戦相手としてIGF特別ルールでマッチメイクされた。しかし大会当日になってサップが試合放棄したことにより、戦意喪失による鈴川の不戦勝と発表された。これを受けて谷川は1月1日の記者会見の場にて「二度と呼ぶことはないでしょう」と事実上のFEG関連興行からの永久追放を宣言した。谷川はサップが「売店で俺のフィギュアが売っているが、ロイヤリティをもらってない」と言っていたという。さらに素手で戦うIGF特別ルールがプロレスなのか格闘技なのかの解釈の違いがファイトマネーのトラブルの原因になったという憶測については、FEGもIGFも格闘技の「つもり」で、オファーしたと主張している。一方、サップの側は、3万ドルのファイトマネーでFEGからオファーされたのに来日すると1万5千ドルに半減されたのが試合放棄の原因だとインターネットメディアで主張した。対戦相手だった鈴川が所属するIGFの渉外のサイモン・ケリー猪木はTwitterで、一番悪いのは主催のFEGだとサップに同情するコメントをしている。また、同時期から主催者側FEGが多額の負債により各選手へのファイトマネーが未払いになっていたことがのちに発覚(FEGの項参照)し、サップの主張が裏付けられるかたちとなった。", "title": "人物・エピソード" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "過去にお笑い番組ワンナイのコーナーの無理やリフォームにサップ3兄弟として出演したことがある。", "title": "人物・エピソード" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "2013年には自身の証言を口述筆記した暴露本である「野獣の怒り」を双葉社から出版した。本著での内容は以下のとおりである。", "title": "人物・エピソード" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ボクシング戦績", "title": "戦績" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "48戦45勝2敗1分(37KO)", "title": "戦績" } ]
ボブ・サップは、アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングス出身のキックボクサー、プロボクサー、プロレスラー、総合格闘家、タレント、俳優、元アメリカンフットボール選手。 本名はロバート・マルコム・サップ。2005年にはマーベル・コミックの『エレクトラ』に出演しハリウッドデビューを果たす。
{{存命人物の出典明記|date=2013年10月}} {{MMA statsbox3 |name=ボブ・サップ<br />{{lang|en|Bob Sapp}} |image=Bob Sapp 2011.jpg |realname=ロバート・マルコム・サップ<br />(Robert Malcolm Sapp) |nickname=ザ・ビースト<br />野獣<br />暗黒肉弾魔人<br />無敵の暴走機関車<br />筋肉の二世帯住宅 |nationality={{USA}} |birth={{生年月日と年齢|1973|9|22}} |place={{USA}}・[[コロラド州]][[コロラドスプリングス]] |died= |team=[[モーリス・スミス|モーリス・スミス・キックボクシングセンター]]<br />→チーム・ビースト |cm=200cm<ref name=igf>[https://web.archive.org/web/20160306145042/http://www.igf.jp/fighter/bob-sapp/ ボブ・サップ (BOB SAPP)][[イノキ・ゲノム・フェデレーション|アントニオ猪木 IGFプロレスリング]]</ref> |kg=147kg<ref name=igf/> |reach=210cm |weight=[[ヘビー級]] |style=[[アメリカンフットボール]]<br>[[キックボクシング]] |theme=[[ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)|ツァラトゥストラはかく語りき]] |}} [[ファイル:WKA World Championschips 2011 160.jpg|thumb|300px|試合中のサップ]] '''ボブ・サップ'''(Bob Sapp、[[1973年]][[9月22日]]<ref>出生年には1973年生まれ説と1974年生まれ説があるが、これはサップの両親が離婚、両親の出生届けが父(1973年)、母(1974年)となったためである。</ref> - )は、[[アメリカ合衆国]][[コロラド州]][[コロラドスプリングス]]出身の[[キックボクサー]]、[[プロボクサー]]、[[プロレスラー]]、[[総合格闘家]]、[[タレント]]、[[俳優]]、元[[アメリカンフットボール]]選手。 本名はロバート・マルコム・サップ(Robert Malcolm Sapp)。[[2005年]]には[[マーベル・コミック]]の『[[エレクトラ (2005年の映画)|エレクトラ]]』に出演しハリウッドデビューを果たす。 == 来歴 == {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2013年10月}} 教育熱心で厳格な家庭で育った。特に両親の離婚後母の教育熱がエスカレートし、テレビは教育テレビのみ視聴することを許されていたとインタビューで語った。 少年時から様々なスポーツに取り組み、高校時で既に体重115kgという大柄だった。[[ワシントン州]][[シアトル]]にある[[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]]に[[アメリカンフットボール]]の特待生として入学し、学業では[[社会学]]と[[薬学]]を専攻。[[カレッジフットボール]]ではオフェンスのラインとして活躍し、1997年1月のシニアボウルにメンバーにも選ばれた<ref>{{cite web|url=http://www.newspapers.com/newspage/61690450/ |title=Standard-Speaker from Hazleton, Pennsylvania · Page 14 |publisher=Standard-Speaker |date=1997-01-18 |accessdate=2015-09-13 }}</ref>。 一部報道によると、不仲の両親、育児放棄の母親のもとで育ったといい、14歳の時に年齢を偽り警備業に就いたとある<ref name="kinshi">[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/301948 「2002年に最もブレークした格闘家」ボブ・サップの意外な来歴(1/3ページ)] 日刊ゲンダイDIGITAL 2022/03/01 17:00 (2023年4月19日閲覧)</ref>。 '''[[1997年]]'''、[[NFL]]の[[シカゴ・ベアーズ]]にドラフト3巡(全体69位)指名されて<ref>{{cite web|url=http://insider.espn.go.com/nfl/draft/rounds/_/round/3/year/1997 |title=1997 NFL Draft Pick List and Results - Round 3 |publisher=[[ESPN]] |date=1997 |accessdate=2015-09-13 }}</ref>入団したが、シーズン開幕前に禁止薬物使用により<ref name="kinshi"/>ベアーズから解雇された<ref>{{cite web|url=http://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-1997-08-27-9708270042-story.html |title=BEARS CUT SAPP, NO.2 DRAFTEE |publisher=シカゴ・トリビューン |date=1997-08-27 |accessdate=2018-10-04 }}</ref>。その後度重なる故障に見舞われ、その後[[ミネソタ・バイキングス]]、[[ボルチモア・レイブンズ]]、[[ラスベガス・レイダース|オークランド・レイダース]]に所属した<ref>{{cite web|url=http://a.espncdn.com/nfl/columns/pasquarelli_len/1578963.html |title=Former NFL guard finds sporting success in Japan |publisher=[[ESPN]] |author=Len Pasquarelli |date= |accessdate=2015-09-13 }}</ref>。 '''[[2000年]]'''、両足の[[アキレス腱]]を痛め、負傷前の実力を取り戻すに至らなかったため、現役続行を断念。[[プロレスラー]]に転向し、アメリカ合衆国の[[プロレス]]団体である[[WCW]]に入団して、団体の養成所である「パワープラント」に一時期所属<ref>ボブ・サップ『野獣の怒り』2013年、3頁。</ref>していたがWCWが倒産したため数試合の(前座)出場のみにとどまった。後、病院に遺体搬出の仕事に就き収入を得る<ref name="kinshi"/>。NFL時代のパワーリフトMAXは、[[ベンチプレス]]266kg、インクラインベンチ363kg、パワークリーン191kgと公表している<ref name="body">{{Cite web|和書| url=http://www.bodypowermag.com/online_article/davidhalton1.html | title=ビーストの誕生まで ボブ・サップインタビュー |accessdate=2011年1月23日 }}</ref>。 '''[[2002年]]'''、同じく元WCWの選手で友人の[[サム・グレコ]]の紹介で[[K-1]]にスカウトされ、格闘家として[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]、K-1に参戦。K-1とは何をするか決まっていないまま契約したため、最初は[[石井和義]]のボディーガードをやるという話もあったという。因みに契約内容は、1年間で契約金とファイトマネー込みで10万ドル(約950万円)という、後の活躍からは考えられないほどの内容であった<ref name="kinshi2">[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/301948/2 「2002年に最もブレークした格闘家」ボブ・サップの意外な来歴(2/3ページ)] 日刊ゲンダイDIGITAL 2022/03/01 17:00 (2023年4月19日閲覧)</ref>。試合ではフットボールの経験を生かした肉弾的な戦いを得意とし、自らをビーストと呼ぶことから、「野獣」「ビースト」といったキャッチコピー(ちなみに、PRIDEにデビューした当初は「暗黒肉弾魔人」)を得た。格闘家として活躍時の体脂肪率は11 - 13%程度で、筋力維持のため毎日400g程度の[[プロテイン]]パウダーを摂取しトレーニングに励んでいた<ref name="body"/>。来日当初は異国の勝手がわからず、その巨体を小さくして萎縮していたが、活動初期には手にした生肉を貪り食うなど食人を意識したギミック(役付け)で登場。 4月28日、[[PRIDE.20]]で日本デビュー。山本憲尚(現[[山本宜久]])を1R2分44秒で下した。 6月2日、K-1 SURVIVAL 2002で[[中迫剛]]と対戦、K-1ルールを無視して中迫を投げ飛ばし上から殴るなど暴走し反則負け。乱闘騒ぎになる大荒れの試合となった。試合後、[[石井和義]]館長は「このままでは収まらない。2人にはきっちり決着をつけさせる」と明言した。 6月23日、[[PRIDE.21]]で[[田村潔司]]と対戦、開始11秒でTKO勝利。 8月28日、[[Dynamite!]]にて[[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]に2ラウンド4分02秒で一本負けを喫するも、ノゲイラのフィニッシュ・ホールドである[[三角絞め]]を、持ち上げてリングに叩きつけて阻止するなど、その怪力ぶりを発揮。一般にこれが彼の本格的なブレイクとされる<ref name="kinshi2"/>。 9月22日、K-1 ANDY SPIRITSで[[シリル・アビディ]]と対戦し、KO勝ち。 10月5日、K-1 WORLD GP 2002 開幕戦にて[[アーネスト・ホースト]]と対戦、パンチと圧力で攻め1R終了時にドクターストップによりTKO勝ち。K-1を3度制したホーストに勝利したことで知名度は急上昇する<ref name="kinshi3">[https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/301948/3「2002年に最もブレークした格闘家」ボブ・サップの意外な来歴(3/3ページ)] 日刊ゲンダイDIGITAL 2022/03/01 17:00 (2023年4月19日閲覧)</ref>。 10月14日、[[新日本プロレス]]東京ドーム大会に出場し、[[中西学]]と対戦。久々のプロレスルール、アメリカ時代では経験出来なかったビッグマッチでのメジャーカードと言う不利を全て規格外のパワーで吹き飛ばし、当時の団体でも屈指のパワーファイターであった中西をパワーボムやドロップキックで圧倒し、リングアウト勝ち。ファンに強烈な印象を残すと共に、プロレスへの適用力の高さも見せつけた。 11月17日に、サップをエースとするK-1によるプロレスイベント「[[ファンタジーファイトWRESTLE-1]]」が旗揚げ。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]は「ボブ・サップのバトル・エンターテイメント W-1」というサップの[[冠番組]]として[[ゴールデンタイム]]に録画中継した。[[グレート・ムタ]]と対戦し、毒霧やシャイニング・ウィザードを喰らう場面もありながら、最後はドロップキックからのダイビング・ヘッドバットでピンフォール勝ちを収めた。 12月7日、K-1 WORLD GP 2002 決勝戦のGP準々決勝にて、出場辞退者が出た関係上、[[アーネスト・ホースト]]と再戦し、2R2分53秒でKO勝ち。だが、右拳を骨折しGP準決勝を棄権した。大会規定により、ホーストが準決勝に進出し、皮肉にも、王者になったのは、サップに2度負けたホーストであった。 12月31日、[[INOKI BOM-BA-YE 2002]]ではプロレスラーの[[高山善廣]]相手に打撃では勝負をせずにタックルで倒し、[[腕挫十字固|腕ひしぎ十字固め]]で一本勝ちを収めた。この頃から格闘技ファンに認められ、知性派であることがメディアに紹介されるにつれ、野太い声で「ハッハッハッハッハッ」と笑う姿や流暢な日本語を交えながらおどけるそのギャップから親しみやすいキャラクターとして話題を呼び、日本の数多くの番組や[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]に多く出演することとなる。 '''[[2003年]]'''、3月5日、フジテレビのバラエティ番組「[[NEPTUNEPRESENTS 日本列島元気満点! 力あわせてゴーゴゴー!!|力あわせてゴーゴゴー!!]]」内の企画で、シングル「SAPP Time!」をリリースした。[[オリコンチャート|オリコン]]週間チャートは最高28位。 3月30日、K-1 WORLD GP 2003 in さいたまで[[ミルコ・クロコップ]]と対戦し、左ストレートでKO負け。試合後、右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200304/0402sn_01.html サップ骨折癒えず 復活に黄信号も「再戦は避けられない」] スポーツナビ 2003年4月2日</ref>。 8月15日、K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガスで[[キモ・レオポルド|キモ]]と対戦、2R1分11秒右フックでKO勝ち。試合終了後、[[マイク・タイソン]]を挑発した。 10月11日、K-1 WORLD GP 2003 開幕戦にて[[レミー・ボンヤスキー]]と対戦、2Rに倒れたレミーを殴ってしまい反則負け。 12月31日、[[K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!]]にて[[曙太郎]]と対戦、1R2分58秒でKO勝ち。そのシーンは瞬間最高[[視聴率]]で民放が[[NHK紅白歌合戦]]を史上初めて上回り、大きな話題となった。 '''[[2004年]]'''、3月28日、[[新日本プロレス]]にて[[佐々木健介]]と対戦、8分24秒[[フォール技#体固め|体固め]]で勝利し、第37代[[IWGPヘビー級王座]]につく。 5月3日、新日本プロレスにて[[中邑真輔]]と対戦、12分31秒体固めで勝利し、IWGPヘビー級王座の初防衛に成功する。 5月22日の[[K-1 ROMANEX]]で[[藤田和之]]と対戦、序盤で[[テイクダウン]]をとられ、一方的に藤田の打撃を浴びタップアウトで敗北。試合後、保持していたIWGPヘビー級王座を返上。 12月31日、[[K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!]]において[[ジェロム・レ・バンナ]]と、1Rと3RはK-1ルール、2Rと4Rは総合格闘技ルールで行うミックスルールで対戦し、時間切れ引き分け。 '''[[2005年]]'''、3月26日、[[HERO'S]]で、[[キム・ミンス]]に右ストレートでKO勝利。5月からサム・グレコの下で修行し、6月14日のK-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMAで開催されたJAPAN GPに出場。[[中尾芳広]]、[[堀啓]]、[[富平辰文]]を破り優勝。 7月6日、HERO'Sで、[[アラン・カラエフ]]に左ストレートでKO勝利を収めた。11月5日には「HERO'S 2005 in SEOUL」において[[キム・ジョンワン]]に、8秒でKO勝ち。 8月4日、プロレスにも参戦し「WRESTLE-1 GP 2005 開幕戦」において[[マシュー・ブルーム|ジャイアント・バーナード]]と対戦し、5分30秒、横入り[[フォール技#エビ固め|エビ固め]]で勝利。 10月2日、「WRESTLE-1 GP 2005 2回戦」において[[秋山準]]と対戦し、7分21秒、ビーストボムからのエビ固めで勝利。 '''[[2006年]]'''、5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、[[アーネスト・ホースト]]の国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって試合をボイコット。この件でサップは弁護士を介しての声明文や外国人記者クラブで会見を行うなどし、一方、FEG社長[[谷川貞治]]もサップへ法的措置をとると会見するなどして、両者で争うことになった<ref>[http://www.boutreview.com/data/news05/060514k1-sapp.html K-1 ついにサップと法廷闘争へ。PRIDE参戦のメレンデスも提訴] BOUTREVIEW 2006年10月11日</ref>。『[[サンデー毎日]]』2006年12月31日号では、映画に出演すると共に、[[獣医]]を目指して勉強中と報じられた。10月15日には[[WWE]]の[[トライアウト]]を受けていた。 '''[[2007年]]'''、2月10日、[[Cage Rage]] 20のリングに上がり、4月21日の[[Cage Rage]] 21への参戦を表明したが、開催直前になって出場がキャンセルされた<ref>[http://www.boutreview.com/data/news05/070421cagerage.html ケージレイジ 4.21 ロンドン:サップまたも急遽欠場。代役アボット] BOUTREVIEW 2007年4月20日</ref>。 6月、サップを契約違反として民事[[裁判]]の提訴をしたK-1と和解<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200706/at00013617.html ボブ・サップが緊急来日、K-1と電撃和解! 因縁の地・オランダでピーター・アーツとの復帰戦が決定] スポーツナビ 2007年6月18日</ref>、6月23日のK-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMで[[ピーター・アーツ]]と対戦。試合は、開始早々突進しみぞおちへの左膝蹴りを受けダウン、そのまま立ち上がらず26秒でKO負けを喫した。その姿に観客からは大ブーイングとともにリングに物が投げ入れられた。試合後の会見で[[谷川貞治]]K-1イベントプロデューサーは裏切られたと不快感を露わにした<ref>[http://www.boutreview.com/data/reports05/070623k1wgp.html (レポ) K-1 6.23 オランダ:サップ秒殺負け。スロウィンスキー優勝] BOUTREVIEW 2007年6月26日</ref>。なおこの試合前に発表されたサップの体重は180kgと、1年前に比べ20 - 30kg重く体が緩んでいた。各メディアで練習不足による[[肥満]]が指摘された。 10月16日、[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]の会場に姿を現し、[[曙太郎|モンスター・ボノ]]の「バブー」をパロって「ボブー」と言った。11月22日、ハッスルマニア2007で[[レイザーラモンHG|HG]]に勝利。 12月31日、[[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]で[[ボビー・オロゴン]]と対戦、[[グラウンドパンチ|マウントパンチ]]でKO勝ち。 '''[[2008年]]'''、2月23日、米国での[[総合格闘技]]デビュー戦となる[[Strikeforce]]: At The Domeで[[ヤン・ノルキヤ|ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ]]と対戦し、パンチを連打されTKO負け。Strikeforceとは15試合の長期契約を締結したと報道された。 12月31日、[[Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜]]の[[DJ OZMA]]プロデュース試合で[[キン肉万太郎]]と対戦し、スタンドパンチ連打でTKO勝ちを収めた。 '''[[2009年]]'''、1月、[[プロ野球]][[北海道日本ハムファイターズ]]の[[坪井智哉]]と東京都内のジムで自主トレーニング(格闘技トレーニング)を行った。 5月26日、[[DREAM.9]]のスーパーハルクトーナメント1回戦で[[ミノワマン]]と対戦し、[[アキレス腱固め]]で一本負け。 6月27日、Ultimate Chaosで[[ボビー・ラシュリー]]と対戦し、パウンドチで1ラウンド3分17秒、タップアウト負け。闘争心を見せない試合ぶりに観客からブーイングを浴びる<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/916795.html 【Ultimate Chaos】ラシュリーが戦意なきサップを撃破] MMAPLANET 2009年6月28日</ref>。 10月6日、[[ゲガール・ムサシ]]の負傷欠場により敗者復活となり<ref>[http://gbring.com/sokuho/news/2009_09/0918_dream.htm 【DREAM】10・6川尻達也がレスリングの強豪と対戦!ボブ・サップが敗者復活] 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年9月18日</ref>、[[DREAM.11]]のスーパーハルクトーナメント準決勝で[[ソクジュ]]と対戦し、パウンドでTKO負け。 '''[[2010年]]'''、格闘家として第一線を退き、[[大韓民国|韓国]]でトークショーの司会や、会社の経営に乗り出していると明言<ref>[[文化放送]][[大竹まことゴールデンラジオ]]にて2010年7月8日放送</ref>。 11月27日、[[スウェーデン]]のRumble of the Kingsのメインで[[ユルゲン・クルト]]とK-1ルールで対戦し、ひざ蹴り一発で戦意を喪失して、タオル投入による1ラウンド98秒のTKO負け<ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/5173231/ サップがお決まりの戦意喪失、キシェンコは本領発揮] livedoorスポーツ(MMAPLANET配信記事)2010年11月30日</ref><ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1344500.html Rumble of the Kings 主要試合レポート] MMAPLANET 2010年11月30日</ref>。 12月31日、[[Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜]]で[[鈴川真一]]とIGF特別ルールで対戦する予定だったが、試合放棄したため、「サップの戦意喪失」として不戦敗扱いとなった<ref>[http://www.dreamofficial.com/free/fightcard/detail.php?fightid=20101231&cardid=1293003627 DREAM公式サイトによる試合詳細]</ref><ref name="gbr1231">[http://gbring.com/sokuho/news/2010_12/1231_dynamite_02.htm 【Dynamite!!】ボブ・サップがまたしても敵前逃亡!当日に試合をドタキャン] 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日</ref>。試合放棄の理由の詳細は、[[#人物・エピソード]]の2010年Dynamite!!試合放棄および[[FEG]]の[[FEG#ファイトマネー未払い問題|ファイトマネー未払い問題]]を参照。 [[東日本大震災]]後の[[2011年]]8月にはチャリティーオークション参加や避難所へ訪問している<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=DHj_mdgO2CQ ボブサップが避難所を訪問 支援とエールを贈る]</ref>。 '''[[2013年]]'''、1月4日、[[新日本プロレス]]の[[矢野通]]からラブコールを受ける形で[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]のサポートメンバーとして、久々にプロレスに参戦。試合はタッグメンバーの[[飯塚高史]]が対戦組の[[中西学]]のアルゼンチンバックブリーカーによるギブアップで敗れるものの、試合後のバックステージでのコメントで新日本プロレスに再参戦する意思を見せている。因みに、この日の試合の対戦組メンバーにかつて2003年12月31日のK-1で対戦した[[曙太郎|曙]]がいた。 3月、著書『野獣の怒り』で、谷川貞治の放漫なマネジメントを批判。また自身は[[ドン・フライ]]ほか引退したファイターへの支援活動を開始しており、40歳で引退すると表明した。 9月には、武藤敬司の設立したプロレス団体「[[WRESTLE-1]]」の旗揚げ戦に参加、メインイベントで武藤とタッグチームを組んで、[[ゾディアック (プロレスラー)|ゾディアック]]&[[レネ・デュプリ]]と対戦し、勝利した。 '''[[2015年]]'''、12月31日、[[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS]]で[[曙太郎|曙]]と再戦し、判定勝ち。 '''[[2017年]]、'''12月21日発売の『週刊文春』で、2011年春から2017年1月の約6年間に渡って内縁の妻に対して暴行を加え続けたと報道された。同報道によると女性は鼓膜破裂、肋骨骨折、鼻骨骨折などの重傷を負ったとされており、暴力を恐れて女性が子供を連れて日本に帰国した後も7000通のメールが女性の元に送られるなど、サップによるストーカー行為が行われていたという。このような暴行が行われた背景には、鎮痛剤、筋肉増強剤、興奮剤などの薬物使用が影響していると見られる。誌上には暴行を加えられた痕跡のある女性の写真など、証拠も掲載されている<ref>[http://bunshun.jp/articles/-/5481 ボブ・サップからのDV地獄6年 日本人恋人が決死の告白] 文春オンライン 2017/12/20(文藝春秋、2018年3月2日閲覧)</ref>。この報道に際して、NFLはステロイド使用によって追放されたとする説も伝えられた<ref>[https://dailynewsonline.jp/article/1386900/ ボブ・サップが薬物依存でDV疑惑?朝青龍との対戦見送りや逮捕の可能性も] デイリーニュースオンライン 2017.12.20 21:26 (2022年8月30日閲覧)</ref>。 [[2018年]]、9月30日、[[RIZIN.13]]にてMMAデビュー戦の[[大砂嵐]]と3R3R特別MMAルールで対戦。1R打撃で押されるも持ちこたえ、2R、3Rに優勢に立ち判定勝ち。8年ぶりのMMAルールでの勝利となった。 2021年1月の一部報道によると、グアテマラでプロレス関連のビジネスを行い、現地に自宅を構えて悠々自適に生活しているという<ref>[https://npn.co.jp/article/detail/200010151 大晦日の格闘技イベントの常連だったボブ・サップの今 韓国やグアテマラにも活動の幅を広げる?] リアルライブ 2021年01月03日 12時10分 (2021年4月25日閲覧)</ref>。 == 人物・エピソード == 身長に関しては諸説あるが、PRIDE初参戦時は205cmと紹介されていた。後にK-1にも出場、そのときは200cmに訂正された。大学[[フットボール]]時代ならびに[[NFL]]時代は6[[フィート]]4[[インチ]]≒193cmである。利き手(書字など)は左だが、利き腕(ストレートパンチなど)は右のコンバーテッドファイターである。 全盛期は怪力を活かしたセオリー無視のファイターであり、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦でパワーボムを放つなどその力任せぶりが目立っていた。技術を覚えてからはセオリーにはまって弱体化した<ref>平直行『平直行の格闘技のおもちゃ箱』(2006年、福昌堂)pp.283-286. ISBN 4892247979</ref>。 一部で「ボブ・サップは元NFLプレイヤーの[[ウォーレン・サップ]](2013年[[プロフットボール殿堂]]入り)の兄弟(または従兄弟)である」というまったくの誤報が流れたが、ボブ・サップとウォーレン・サップとの間に特筆すべき血縁関係はない。なお、ウォーレン・サップは[[フロリダ州]][[オーランド]]出身であり、[[マイアミ大学 (フロリダ州)|マイアミ大学]]の卒業生である。 [[2006年]]5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、[[アーネスト・ホースト]]の国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって出場を固辞、試合をボイコットした。[[FEG]]側の説明では「(サップ側から)試合前に無理難題を吹っかけられ、拒否したら突然『やらない』と言い出した」としていて、その無理難題の内容は「契約上明かすことは出来ない」として説明を避けた。契約上問題があると法的措置も検討していて、K-1永久追放の可能性も示唆していた。この時谷川の口から4月23日プロレスリング・ノア日本武道館興行のオファーを蹴っていることが明かされた。本人は[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]に参戦したいと語っていた。2006年6月27日、K-1オランダ大会ボイコットの件に関しての声明を発表し、当時の詳細を語った。その中でサップは、オランダでK-1を共催した人物から脅されたとも語っている<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200606/at00009709.html 「ボブ・サップ声明文 K-1欧州GPの真相について」] スポーツナビ 2006年6月29日</ref>。これに対し6月29日、K-1サイドは「事実に反する」と反論し、サップ側から長期契約からのリリースの要求があったと主張<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200606/at00009708.html 「谷川氏、サップ声明文を否定。『事実に反する』」] スポーツナビ 2006年6月29日</ref>。さらに7月3日、ボブ・サップの代理人から、K-1サイドの事実誤認に対する指摘がなされた<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200607/at00009787.html 「ボブ・サップ代理人、谷川氏の反論について重大な事実誤認を指摘」] スポーツナビ 2006年7月3日</ref>。その後[[2007年]]6月、サップ側の申し入れによりFEGと和解、6月23日のK-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMに出場することとなった。しかし、試合内容に激怒した谷川は、損害賠償などの法的措置を取り下げないことを発表した。2010年12月31日、[[Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜]]では、エグゼクティブプロデューサーに就任した[[アントニオ猪木]]による提供試合として鈴川真一の対戦相手としてIGF特別ルールでマッチメイクされた<ref>[http://gbring.com/sokuho/news/2010_12/1222_dynamite.htm Dynamite!!】12・31石井慧は“K-1の番長”バンナと対戦!猪木特別試合で鈴川VSサップ] 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月22日</ref>。しかし大会当日になってサップが試合放棄したことにより、戦意喪失による鈴川の不戦勝と発表された<ref name="gbr1231" />。これを受けて谷川は1月1日の記者会見の場にて「二度と呼ぶことはないでしょう」と事実上のFEG関連興行からの永久追放を宣言した<ref>[http://www.gbring.com/sokuho/news/2011_01/0101_dynamite_02.htm 【ニュース】谷川代表がFEG再建を発表!春からイベント再開、海外大会も示唆] 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年1月1日</ref>。谷川はサップが「売店で俺のフィギュアが売っているが、ロイヤリティをもらってない」と言っていたという。さらに素手で戦うIGF特別ルールがプロレスなのか格闘技なのかの解釈の違いがファイトマネーのトラブルの原因になったという憶測については、FEGもIGFも格闘技の「つもり」で、オファーしたと主張している<ref>『[[kamipro]]』No.155、[[エンタープレイン]]、2011年、p.55。谷川貞治インタビュー。</ref>。一方、サップの側は、3万ドルのファイトマネーでFEGからオファーされたのに来日すると1万5千ドルに半減されたのが試合放棄の原因だとインターネットメディアで主張した<ref>[https://archive.is/20120712201337/mmajunkie.com/news/22138/bob-sapp-explains-dream-dynamite-2010-no-show-says-dream-is-broke.mma?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+mmajunkie+(MMAjunkie.com+Feed) Bob Sapp explains DREAM "Dynamite!! 2010" no-show, says DREAM is "broke"] MMA JUNKIE.COM 2011年1月18日</ref>。対戦相手だった鈴川が所属する[[イノキ・ゲノム・フェデレーション|IGF]]の渉外の[[サイモン・ケリー猪木]]は[[Twitter]]で、一番悪いのは主催のFEGだとサップに同情するコメントをしている<ref>[http://twitter.com/IGFSimonInoki/status/26701067672625152 SimonInoki] 2011年1月17日</ref>。また、同時期から主催者側FEGが多額の負債により各選手へのファイトマネーが未払いになっていたことがのちに発覚([[FEG]]の項参照)し、サップの主張が裏付けられるかたちとなった。 過去にお笑い番組ワンナイのコーナーの無理やリフォームにサップ3兄弟として出演したことがある。 === 暴露本「野獣の怒り」 === 2013年には自身の証言を口述筆記した暴露本である「野獣の怒り」を双葉社から出版した。本著での内容は以下のとおりである<ref>[http://taishu.jp/sports_detail438.php 野獣ボブ・サップ怒りの暴露「格闘技界のカネ、女、FBI」 vol.1]デジタル大衆 週刊大衆4月1日号</ref><ref>[http://taishu.jp/sports_detail439.php 野獣ボブ・サップ怒りの暴露「格闘技界のカネ、女、FBI」 vol.2] デジタル大衆 週刊大衆4月1日号</ref>。 ; リング上関連 : 自身とK-1の関係が悪化した原因は谷川の能力の低さやK-1という組織の杜撰な経営実態にあったと主張し、FBIがK-1やPRIDEの組織的犯罪を疑惑視しているという説も唱えた。 * 2006年5月15日の『K-1ワールドグランプリ』アムステルダム大会は敵前逃亡ではなく契約延長の話がまとまらず無契約状態のまま試合当日を迎えてしまったという問題故に試合を行えないと判断したことが真相であり、試合出場を拒んだ自身に対してオランダ人プロモーターがマフィアらしき男と共に控室でギャングの存在を示唆しつつ銃を取り出す仕草を見せて出場を強要したと説明した。 * 2006年のある日にFBIから捜査協力要請が来たのでオフィスに向かい、そこで担当官は捜査について何もいわなかったが自身は「FBIはK-1の組織的犯罪、マネーロンダリングや脱税、そしてマフィアやヤクザとの関係などを疑惑視している」と悟ったと記述されている。 * 谷川との関係が悪化した直因は2003年12月31日の曙戦であり、それについて「イベントは大成功だったが、それで谷川は天狗になってしまった。最初に会った頃は腰の低い、シャイでいいヤツだったんだけどな……。」と谷川の変貌ぶりを表現すると共に、件の試合で1R終了間際に曙がうつ伏せに倒れたまま微動だにしない姿を見せた際のレフェリーの対応を見て「"(完全にダウンしているのに)何をやっているんだ!"と思ったよ。試合を続けさせたい"別の理由"でもあるのかと疑ったくらいだ。試合終了のゴングが鳴るや、オレは曙のもとに走った。曙を助けないと、本当に死んでしまうと思ったんだよ。」とK-1の安全管理の拙さを感じたことも話した。 * [[ガオグライ・ゲーンノラシン]]が貧窮に喘ぎ、タイ国内で1戦ごとに(タイの物価相場が日本の10分の1程度とは言え)10ドルから20ドルのファイトマネーの試合をこなし、日々の糧を受けている旨を書いている。 ;リング外 * K-1ファイターの中には婦女暴行を起こすものも存在したためK-1側がグルーピーの女性を一部ファイターに手配することでトラブルに発展する可能性を避けていたとしている。自らの性的嗜癖についても記述がある。 * 元ファイターの窮状について、「ゲーリー・グッドリッジはパンチドランカー、アレクセイ・イグナショフはアルコール中毒、[[マイケル・マクドナルド (格闘家)|マイケル・マクドナルド]]<ref>カナダ出身の格闘家で、1965年生まれ。彼とは別にアメリカ出身で同姓同名の格闘家・[[マイケル・マクドナルド (総合格闘家)|マイケル・マクドナルド]]が存在するが、こちらは1991年生まれでありUFCを中心として総合格闘技一本に絞った競技生活を送っている。後者はK-1崩壊に至るまでK-1参戦経験がない。</ref>は統合失調症に苦しんでいる。」と証言しており、生活に困ったファイターをサポートするためスポンサーを集めて引退基金を作り彼らに還元されるように活動していると明かしている。 * マイク・タイソンとは今や個人的に食事する間柄である。ファイトマネーで折り合いがつかない、タイソン本人の犯罪歴から日本への入国が不可能といった問題によりK-1でタイソン戦が実現しないとサップ本人が当初より予想していたことも明かされている。 == 戦績 == === 総合格闘技 === {{MMA recordbox |total=32 |wins=12 |KOwins=8 |subwins=3 |decwins=1 |otherwins=0 |losses=20 |KOloss=8 |subloss=10 |decloss=0 |otherloss=0 |draws=0 |no contests=0 |}} {{Fight-start}} {{Fight-header}} {{Fight-cont|○|[[大砂嵐金崇郎|大砂嵐]]|3分3R終了 判定3-0|[[RIZIN.13]]|2018年9月30日}} {{Fight-cont|×| [[アオルコロ]]| 1R 0:36 TKO(パウンド)| ROAD FC 032| 2016年7月2日}} {{Fight-cont|×| エジソン・フランカ| 1R 0:35 ギブアップ| Ox MMA| 2013年8月8日}} {{Fight-cont|×| [[エメリヤーエンコ・アレキサンダー]]| 1R 1:18 TKO(パウンド)| Legend: Emelianenko vs. Sapp| 2013年5月25日}} {{Fight-cont|×| デュシャン・パナジョトヴィッチ| 1R 1:28 ギブアップ(パンチ)| Ultimate Fight Serbia: Night of the Champions 2012| 2012年9月15日}} {{Fight-cont|×| キム・ジョンデ| 2R 2:00 TKO(パウンド)| ROAD FC 008: Bitter Rivals| 2012年6月16日}} {{Fight-cont|×| トルゲン・アキルベコフ| 1R 1:29 ギブアップ(パウンド)| Bushido Lithuania Vol. 51| 2012年6月8日}} {{Fight-cont|×| ソア・パラレイ| 1R 0:12 TKO(パンチ)| CFC 21| 2012年5月18日}} {{Fight-cont|×| [[マリウス・プッツナウスキー]]| 1R 0:39 TKO(パウンド)| KSW 19: Pudzianowski vs. Sapp| 2012年5月12日}} {{Fight-cont|×| [[ジェームス・トンプソン (格闘家)|ジェームス・トンプソン]]| 1R 1:52 ギブアップ(脚の負傷)| [[Super Fight League 1]]| 2012年3月11日}} {{Fight-cont|×| [[ホーレス・グレイシー]]| 1R 1:18 ギブアップ(パウンド)| [[ONE FC 2|ONE FC 2: Battle of Heroes]]| 2012年2月11日}} {{Fight-cont|×| [[アレクサンダー大塚]]| 2R 1:43 反則| [[ACCEL|ACCEL18 聖夜祭り]]| 2011年12月25日}} {{Fight-cont|×| {{仮リンク|マロ・ペラク|hr|Maro Perak}}| 1R 3:04 TKO(パンチ)| Noc Gladiatora 6| 2011年12月16日}} {{Fight-cont|×| アッティラ・ウカル| 1R 0:43 アキレス腱固め| Premium Fight Night| 2011年4月30日}} {{Fight-cont|×| スタブ・エコノム| 1R 1:45 TKO(パンチ)| ADFC: Round 3| 2011年3月11日}} {{Fight-cont|○| サスチャ・ウェインポルター| 1R 2:03 前腕チョーク| Obracun Ringu 10| 2010年3月27日}} {{Fight-cont|×| [[ソクジュ]]| 1R 1:31 TKO(パウンド)| [[DREAM.11|DREAM.11 フェザー級グランプリ2009 決勝戦]]<br />【スーパーハルクトーナメント 準決勝】| 2009年10月6日}} {{Fight-cont|×| [[ボビー・ラシュリー]]| 1R 3:17 ギブアップ(パウンド)| FFI: Ultimate Chaos| 2009年6月27日}} {{Fight-cont|×| [[ミノワマン]]| 1R 1:15 アキレス腱固め| [[DREAM.9|DREAM.9 フェザー級グランプリ2009 2nd ROUND]]<br />【スーパーハルクトーナメント 1回戦】| 2009年5月26日}} {{Fight-cont|○| [[田中章仁|キン肉万太郎]]| 1R 5:22 TKO(スタンドパンチ連打)| [[Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜]]| 2008年12月31日}} {{Fight-cont|×| [[ヤン・ノルキヤ|ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ]]| 1R 0:55 TKO(スタンドパンチ連打)| Strikeforce: At The Dome| 2008年2月23日}} {{Fight-cont|○| [[ボビー・オロゴン]]| 1R 4:10 KO(マウントパンチ)<!--K-1公式記録-->| [[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]| 2007年12月31日}} {{Fight-cont|○| [[キム・ジョンワン]]| 1R 0:08 KO(右膝蹴り)<!--HERO'S公式記録-->| HERO'S 2005 in SEOUL| 2005年11月5日}} {{Fight-cont|○| [[アラン・カラエフ]]| 1R 3:44 KO(左ストレート)| HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント開幕戦| 2005年7月6日}} {{Fight-cont|○| [[キム・ミンス]]| 1R 1:12 KO(右ストレート)| HERO'S| 2005年3月26日}} {{Fight-cont|×| [[藤田和之]]| 1R 2:15 ギブアップ(サッカーボールキック)| [[K-1 ROMANEX|ROMANEX 格闘技世界一決定戦]]| 2004年5月22日}} {{Fight-cont|○| [[ドルゴルスレン・スミヤバザル]]| 1R終了時 TKO(タオル投入)| K-1 BEAST 2004 〜新潟初上陸〜| 2004年3月14日}} {{Fight-cont|○| ステファン・ガムリン| 1R 0:52 フロントスリーパー| K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜| 2003年9月21日}} {{Fight-cont|○| [[高山善廣]]| 1R 2:16 腕ひしぎ十字固め| [[INOKI BOM-BA-YE 2002]]| 2002年12月31日}} {{Fight-cont|×| [[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]| 2R 4:03 腕ひしぎ十字固め| [[Dynamite!|Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立]]| 2002年8月28日}} {{Fight-cont|○| [[田村潔司]]| 1R 0:11 TKO(右フック→パウンド)| [[PRIDE.21]]| 2002年6月23日}} {{Fight-cont|○| [[山本宜久|山本憲尚]]| 1R 2:44 TKO(スタンドパンチ連打)| [[PRIDE.20]]| 2002年4月28日}} {{Fight-end}} === キックボクシング === {{Kickboxing recordbox |total=22 |wins=10 |KOwins=8 |decwins=2 |otherwins=0 |losses=13 |KOloss=7 |decloss=4 |otherloss=2 |draws=0 |no contests=0 |}} {{Fight-start}} {{Fight-header}} {{Fight-cont|×| セルチュク・ウスタバシ| 1R 1:36 TKO(タオル投入)| Mix Fight Championship 24|2018年1月28日}} {{Fight-cont|○| [[曙太郎|曙]]| 2R 0:47 負傷判定3-0| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS]]<br/>【シュートボクシングルール】| 2015年12月31日}} {{Fight-cont|×| [[西島洋介]]| 1R 2:36 KO| LEGEND 4|2013年11月17日}} {{Fight-cont|×| {{仮リンク|フロリアン・パビッチ|de|Florian Pavic}}| 3R終了 判定| Steko's Fight Night| 2011年8月26日}} {{Fight-cont|×| [[ユルゲン・クルト]]| 1R 0:45 TKO(タオル投入)| Rumble of The Kings| 2010年11月27日}} {{Fight-cont|×| [[パトリス・カルテロン]]| 1R 2:32 KO(右膝蹴り)| A1 World Combat Cup| 2009年11月28日}} {{Fight-cont|×| {{仮リンク|アライン・ンガラニ|en|Alain Ngalani}} | 3R終了 判定0-3| PLANET BATTLE| 2009年10月7日}} {{Fight-cont|×| [[ピーター・アーツ]]| 1R 0:26 KO(左膝蹴り)| K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAM<br />【スーパーファイト】| 2007年6月23日}} {{Fight-cont|×| [[武蔵 (格闘家)|武蔵]]| 3R終了 判定0-3| [[K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!]]<br />【K-1ルール】| 2005年12月31日}} {{Fight-cont|×| [[チェ・ホンマン]]| 3R終了 判定0-2| K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦<br />【WORLD GP 1回戦】| 2005年9月23日}} {{Fight-cont|○| [[富平辰文]]| 3R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMA<br />【JAPAN GP 決勝】| 2005年6月14日}} {{Fight-cont|○| [[堀啓]]| 2R 1:54 KO(2ノックダウン:右フック)| K-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMA<br />【JAPAN GP 準決勝】| 2005年6月14日}} {{Fight-cont|○| [[中尾芳広]]| 3R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP 2005 in HIROSHIMA<br />【JAPAN GP 1回戦】| 2005年6月14日}} {{Fight-cont|×| [[レイ・セフォー]]| 2R 0:29 KO(右ボディブロー)| K-1 BEAST 2004 in 静岡 〜JAPAN GP決勝トーナメント〜<br />【スーパーファイト】| 2004年6月26日}} {{Fight-cont|○| トミー・グランビル| 1R 0:33 KO(左フック)| K-1 WORLD GP in LAS VEGAS<br />【スーパーファイト】| 2004年4月30日}} {{Fight-cont|○| [[セス・ペトルゼリ]]| 1R 0:57 KO(右肘のダメージ)| K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA| 2004年3月27日}} {{Fight-cont|○| [[曙太郎|曙]]| 1R 2:58 KO(右ストレート)| [[K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!]]<br />【K-1ルール】| 2003年12月31日}} {{Fight-cont|×| [[レミー・ボンヤスキー]]| 2R 1:20 反則失格(倒れた相手への攻撃)| K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS<br />【WORLD GP 1回戦】| 2003年10月11日}} {{Fight-cont|○| [[キモ・レオポルド|キモ]]| 2R 1:11 KO(右フック)| K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス<br />【スーパーファイト】| 2003年8月15日}} {{Fight-cont|×| [[ミルコ・クロコップ]]| 1R 1:26 KO(左ストレート)| K-1 WORLD GP 2003 in さいたま| 2003年3月30日}} {{Fight-cont|○| [[アーネスト・ホースト]]| 2R 2:53 KO(2ノックダウン:パンチ連打)| K-1 WORLD GP 2002 決勝戦<br />【WORLD GP 準々決勝】| 2002年12月7日}} {{Fight-cont|○| [[アーネスト・ホースト]]| 1R終了時 TKO(ドクターストップ:左眉上部カット)| K-1 WORLD GP 2002 開幕戦<br />【WORLD GP 1回戦】| 2002年10月5日}} {{Fight-cont|○| [[シリル・アビディ]]| 1R 1:17 KO(3ノックダウン:パンチ連打)| K-1 ANDY SPIRITS 2002 〜JAPAN GP 決勝戦〜<br />【スーパーファイト】| 2002年9月22日}} {{Fight-cont|×| [[中迫剛]]| 1R 1:30 反則失格(倒れた相手への攻撃)| K-1 SURVIVAL 2002 〜富山初上陸〜| 2002年6月2日}} {{Fight-end}} === ミックスルール === {{Fight-start}} {{Fight-header}} {{Fight-cont|△| [[ジェロム・レ・バンナ]]| 4R終了 時間切れ| [[K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!]]<br />【K-1&総合格闘技MIXルール】| 2004年12月31日}} {{Fight-end}}ボクシング戦績 48戦45勝2敗1分(37KO) == タイトル歴 == ; [[新日本プロレス]] * 第37代[[IWGPヘビー級王座]] ; [[K-1]] * K-1 WORLD GP 2005 IN HIROSHIMA JAPAN GP 優勝 ; [[プロレス大賞]] * 2002年度プロレス大賞 最優秀選手賞 == 得意技 == ; [[パワーボム|ビーストボム]] : 自らも前方に倒れこむ形の[[パワーボム]]を使用。プロレスでの[[フィニッシュ・ホールド]]。 ; [[ドロップキック]] : 正面飛び式を使用。あの巨体から繰り出されるとは思えない程、打点が高い。コーナーポスト最上段からのミサイルキックはフィニッシュブローとしても使われた。 ; [[バックブリーカー|ビーストバックブリーカー]] ; [[ラリアット|ビーストラリアット]] : [[カウンター]]式のラリアット ; [[ボディ・プレス|ゴリラプレス]] ; [[チョークスラム|喉輪落とし]] == 出演 == === 映画 === * [[IZO (映画)|IZO]]([[2004年]]) - 門衛の怪物 * [[デビルマン (映画)|デビルマン]](2004年) - モリソン * [[エレクトラ (2005年の映画)|エレクトラ]]([[2005年]]) - ストーン * [[ロンゲスト・ヤード (2005年の映画)|ロンゲスト・ヤード]](2005年) - スウィトウスキ * Big Stan(2005年) - Big Raymond * Remarkable Power(2008年) - Tiny * Player 5150(2008年) - Beno * Blood and Bone([[2009年]]) - Hammerman * Frankenhood(2009年) - Frankie * [[コナン・ザ・バーバリアン]] (2011年) - ウカファ * 日本で有名になる方法(Big in Japan)(2018年)(ドキュメンタリー) === テレビ === * [[NEPTUNEPRESENTS 日本列島元気満点! 力あわせてゴーゴゴー!!|日本列島元気満点!力あわせてゴーゴゴー]](フジテレビ) - [[なまはげ|ぼぶはげ]] * [[笑いの金メダル]]([[テレビ朝日]]) - 実質的出演は3回 * [[USO!?ジャパン]]([[TBSテレビ|TBS]]) - ゲスト * [[天才てれびくんMAX]]([[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]) - コーナーゲスト * [[どっちの料理ショー]] * [[志村けんのバカ殿様]](フジテレビ) - ゲスト * [[東京ラブ・シネマ]](フジテレビ)- 第1話ゲスト * [[逮捕しちゃうぞ]](テレビ朝日) - 第6話ゲスト * [[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]] (日本テレビ) - 七変化シリーズ * [[サタ☆ネプ ベストテン!!]](TBS) - 初回ゲスト * [[オールスター感謝祭|オールスター感謝祭'11春20周年超豪華版SP]](TBS) * [[炎の体育会TV]](TBS) * [[VS嵐]](2013年4月4日、フジテレビ) * [[battle for money 戦闘中]](2013年4月7日、2014年1月12日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 外国人としての初戦闘者 * [[run for money 逃走中]](2013年4月14日、フジテレビ) * [[ミス・パイロット]](2013年11月12日 - 26日、フジテレビ) * ジャイアントキリング2、ジャイアントキリング3(2012年12月30日、2013年12月30日、フジテレビ) * ワンナイR&R(2000年10月19日、2006年12月20日、フジテレビ) === ウェブテレビ === * ボブ・サップ緊急来日!第1回Abema杯5種競技HAOOO5!(2017年10月14日、10月22日、[[AbemaTV]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tvlife.jp/entame/142342|title=ボブ・サップも参戦!武井壮プロデュースのアスリート頂上決戦『5種競技HAOOO5!』AbemaTVで10・22放送|accessdate=2017-11-26|date=2017-10-03|publisher=TVLIFE web}}</ref> *[[朝青龍を押し出したら1000万円]](2017年12月31日、AbemaTV)<ref>{{Cite web|和書|url=https://abema.tv/channels/abema-special/slots/9h8KvRiQu6g8pw|title=朝青龍を押し出したら1000万円|accessdate=2017-12-31|date=2017-12-31|publisher=AbemaTV(アベマTV)}}</ref> === CM === * [[バイク王&カンパニー]] * [[味覚糖|UHA味覚糖]]([[ぷっちょ]]、シゲキックス) * [[ピザーラ]](エビマヨ) * [[コカ・コーラ]](ジョージア) * [[ライオン (企業)|ライオン]](ソフト&ドライ) * [[ロッテ]](モナ王) * [[パナソニック|Panasonic]]([[DIGA]]) * [[スパワールド]] * [[olleh]](韓国携帯電話) * [[日清食品]](日清焼きそばカップ Wからしマヨネーズ) * [[SoftBank (携帯電話)|ソフトバンク]]「[[白戸家]]」「シンジ来る」編「兄食べる」編 * [[明治安田生命保険]]「医療費リンクシリーズ うさりんレスラー」ビョウキング役(2013年6月21日~) * [[千寿製薬]]「マイティアCLアイスクラッシュ」(2013年7月6日~) === PV === * [[fripSide]]「[[black bullet]]」(2014年5月14日) * せんせーションズ「さよならセンセーション」(2016年3月23日) - マスター“B” 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/175347|title=「暗殺教室 -卒業編-」主題歌はせんせーションズが担当、MVにボブ・サップ登場|publisher=映画ナタリー|date=2016-02-08|accessdate=2016-02-08}}</ref> *レペゼン地球「GachiBokore」(2018年7月26日) == 出版物 == === 書籍 === * ザ・ビースト ボブ・サップ公式マガジン ([[扶桑社]]、2002年) * 野獣の怒り ([[双葉社]]、2013年) === CD === * SAPP Time!(ロッテ「モナ王」CMソング、2003年3月5日)<ref name="sapptime">{{Cite web|和書|url=http://www.forlife.co.jp/artist/?aid=FL00335 |title=ボブ・サップ │ FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INC. |accessdate=2017-09-18 |archiveurl=https://archive.is/20130501091252/http://www.forlife.co.jp/artist/?aid=FL00335 |archivedate=2013年5月1日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref> === ビデオ === * SAPP Time!(DVD版・VHS版、2003年5月21日)<ref name="sapptime" /> == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[男子総合格闘家一覧]] * [[男子キックボクサー一覧]] * [[プロレスラー一覧]] * [[DREAM選手一覧]] * [[PRIDE選手一覧]] * [[HERO'S選手一覧]] * [[K-1選手一覧]] == 外部リンク == * {{Wayback|url=http://thebeastbobsapp.com/ |title=ボブ・サップ オフィシャルサイト |date=20200920164619 }} * [https://ameblo.jp/bobsapp/ ボブ・サップ オフィシャルブログ] * {{Twitter|bobsappmma|Bob Sapp ボブ サップ}} * {{facebook|bobthebeastsapp|ボブ サップ}} * {{YouTube|u=BobSappTV|BobSappTV's channel}} * {{YouTube|channel=UCzFFltgtNY58Z7dLL_TkAjw|ボブサップ日本語公式チャンネル ボブサップTV}} === 戦績等 === * [http://jp.rizinff.com/_tags/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%97 RIZIN 選手データ] * [http://www.k-1sport.de/en/database/show_fighter.php?id=3 K-1sport.de - Complete Fighters Profile of Bob Sapp] *{{Wayback |url=http://www.k-1.co.jp/jp/fighter/player.php?index=sapp |title=K-1 選手データ |date=20110317023056}} * [https://web.archive.org/web/20100720140816/http://www.hero-s.com/06fightersinfo/06ha/07sapp/07sapp.html HERO'S 選手データ] * [http://www.dreamofficial.com/free/fighters/detail.php?id=1230093600 DREAM 選手データ] * [http://www.boutreview.com/fightsspiral/BOB_SAPP.html バウトレビュー 選手データ] * {{SHERDOG}} * {{NFLstats |nfl= |espn= |pfr=S/SappBo20 |dbf=SAPPBOB01 |sportsline=}} {{IWGPヘビー級王座}} {{プロレス大賞MVP歴代受賞者}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:さつふ ほふ}} [[Category:アメリカ合衆国のアメリカンフットボール選手]] [[Category:アメリカンフットボールのオフェンシブラインマン]] [[Category:アフリカ系アメリカ人のアメリカンフットボール選手]] [[Category:ワシントン大学出身のアメリカンフットボール選手]] [[Category:ミネソタ・バイキングスの選手]] [[Category:アメリカ合衆国のプロレスラー]] [[Category:アフリカ系アメリカ人のプロレスラー]] [[Category:アメリカンフットボール出身のプロレスラー]] [[Category:新日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー]] [[Category:全日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー]] [[Category:DDTに参戦した外国人プロレスラー]] [[Category:WRESTLE-1に参戦した外国人プロレスラー]] [[Category:WCWに参戦したプロレスラー]] [[Category:ハッスルの人物]] [[Category:アメリカ合衆国のキックボクサー]] [[Category:アメリカ合衆国の総合格闘家]] [[Category:アフリカ系アメリカ人の総合格闘家]] [[Category:アメリカンフットボール出身の総合格闘家]] [[Category:キックボクシング出身の総合格闘家]] [[Category:プロレス出身の総合格闘家]] [[Category:K-1に参戦した選手]] [[Category:IGFに参戦した選手]] [[Category:RIZINに参戦した選手]] [[Category:アメリカ合衆国のドーピング違反選手]] [[Category:複数のスポーツで活躍した選手]] [[Category:20世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手]] [[Category:21世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手]] [[Category:コロラドスプリングス出身の人物]] [[Category:1973年生]] [[Category:存命人物]]
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ミルコ・クロコップ
ミルコ・クロコップ(Mirko Cro Cop、1974年9月10日 - )は、クロアチアの元男性総合格闘家、元キックボクサー、元アマチュアボクサー、元国会議員。ヴィンコヴツィ出身。チーム・クロコップ主宰。元警察官でもあり、リングネームの「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意で、対テロリスト特殊部隊の"ルチェコ(英語版)"に所属していた。PRIDE無差別級グランプリ2006王者。RIZIN無差別級グランプリ2016王者。K-1 WORLD GP 2012王者。 総合格闘技の試合では立ち技主体で勝負するストライカーであり、左ハイキックを武器に多くのKO勝利を挙げ、海外では「右足は病院行き、左足は墓場行き」と形容された。総合格闘技に適応した最初の本格ストライカーといわれており、ストライカーの弱点であるテイクダウンディフェンスと寝技を身に付けた。ミルコの活躍は総合格闘技界の技術体系を打撃偏重へシフトチェンジしたとも言える。2000年代初頭から2000年代半ば、特に全盛期であったPRIDE時代はヘビー級の打撃系総合格闘家として世界トップクラスの実力を誇り、エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと並んでPRIDEヘビー級三強と称された。PRIDE参戦当初はK-1からの外敵といった悪役、ヒール的な存在であったが、PRIDEでの闘いを重ねていくにつれ、PRIDEのエース格桜庭和志と肩を並べるほどの人気選手となり、PRIDEの主役とも言える存在であった。 1997年10月にはアマチュアボクシングのクロアチア代表として世界ボクシング選手権に出場。2003年12月23日から2008年1月11日まではクロアチアの国会議員を務めた。 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国クロアチア社会主義共和国(のちのクロアチア)の都市、ヴィンコヴツィに生まれる。しかし少年期に暮らしていた町が民族紛争に巻き込まれ、友人たちが次々と死んでいくという過酷な経験をきっかけに格闘技を学び始めた。この時期のことをミルコは後年、「その頃の私は戦争に対する怒りに任せて、ひたすら体を鍛え続けるようになっていた。自分が強い男になってみんなを守り、もう誰も死なせないと心に誓ったからだ」と述懐している。当初は専門的なジムに通う経済的余裕も無く、父親が砂袋や綿で造ったグローブやパンチバッグを使って、独学で空手、キックボクシングなどの習得に励んだ。この頃、鉄棒の両端に石を結び付けた手作りのバーベルで、ウエイトトレーニングをする様子を撮影した写真が残っている。 7歳の頃テコンドーを始め、その後に空手を始めたが、ユーゴスラビア紛争の激化により断念し、紛争が収まった数年後にようやくトレーニングを再開した。18歳の時に、通信士としてクロアチア軍に入隊。そこでクロアチアのキックボクシングナショナルチームでのトレーニングを希望し、上官に「私はあなたが将来特別な兵士になるとは思わないが、いつか良いファイターになると信じている。だから通信を学ぶ必要はない。あなたを解放するので、その分、1日に2回トレーニングを積んで欲しい。そしていつか母国に誇りを持たせて欲しい」と許可されると、19歳でキックボクシングを始めた。 幼少期から紛争地帯で凄惨な光景を目の当たりにしてきたためか、インタビュー内で「戦争は愚かで悲しいだけだ」と述べるなど、戦争に対する激しい嫌悪を公言している。ボブ・サップ戦の前日記者会見で当時開戦したばかりのイラク戦争に言及が及ぶと、涙ながらに反対を表明した。 1996年3月10日、K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦で日本のリングに初登場。K-1初代王者であるブランコ・シカティックの一番弟子として、ミルコ・タイガーのリングネームで出場し、GP1回戦で前年GP準優勝者のジェロム・レ・バンナからダウンを奪い、3-0の判定勝ちを収めた。 1996年5月6日、K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦のGP準々決勝ではアーネスト・ホーストのテクニックとローキックに翻弄され、3RにTKO負けを喫した。 この試合以降ミルコは師シカティックと決別し、3年間に渡って日本のリングから遠ざかった。その間はアマチュアボクシングの試合に多く出場しており、国内王者に3度輝き、地中海競技大会では銅メダル獲得、 軍人世界選手権では銀メダル獲得など実績を上げ、1997年10月にはクロアチア代表として世界ボクシング選手権に出場した。また同時期に、対テロリスト特殊部隊の"ルチェコ(英語版)"に配属され、クロアチア議会で当選するまでの6年間任務に就いた。 1999年4月25日、K-1 REVENGE '99に出場し、約3年ぶりのK-1復帰を果たした。ミルコ・"クロコップ"・フィリポビッチとリングネームも変え、ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤに左ストレートで4RKO勝ちを収めた。 1999年6月20日、K-1 BRAVES '99に出場し、GP予選1回戦でリッキー・ニケルソンに右ハイキックで1RKO勝ち。GP予選準決勝ではジャビット・バイラミに延長1R判定負けを喫し、GPの出場権を逃したが、怪我人の発生で推薦枠でのGP出場が決まった。 1999年10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦に出場し、GP1回戦でマイク・ベルナルドからハイキックでいきなりダウンを奪うと、一気にラッシュを叩き込んで2つ目のダウンを奪って1RKO勝ちし、K-1四天王の1人を倒したことで一躍脚光を浴びるようになる。 1999年6月12月5日のK-1 GRAND PRIX '99 決勝戦では、GP準々決勝で武蔵に2RKO勝ち、GP準決勝でサム・グレコに2RKO勝ちして決勝まで駒を進めたが、武蔵戦で痛めた脇腹を、続くグレコ戦でも痛めて肋骨を骨折してしまったこともあり、GP決勝ではアーネスト・ホーストにその部分を攻められボディ打ちで3RKO負けを喫し、グランプリ準優勝に終わった。 その後リングネームを現在のミルコ・クロコップに変更。かつてのやや細身で迫力を欠く体格はビルドアップされ、更にポーカーフェイスの精悍な顔つきも相まって「ターミネーター」のニックネームが定着。この頃から人気と実力を兼ね備えた、次世代を担う選手として注目されるようになった。 2000年3月19日、K-1 BURNING 2000で天田ヒロミと対戦。元暴走族と現役警察官の対決だったため、天田は暴走族を、ミルコは警官隊を引き連れて入場するというパフォーマンスを披露。試合は4RでミルコがKO勝ちを収めた。 2000年6月3日、アンディ・フグの母国スイスでの引退試合の相手を務める。お互い決定打に欠けたが、手数で勝ったフグに判定負けとなった。少年の頃からフグに憧れていたというミルコは、母国引退となるフグを笑顔で讃えた。 2000年10月9日、K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAのGP予選トーナメントでは、1回戦でグラウベ・フェイトーザに判定勝ち、準決勝で天田ヒロミに判定勝ちを収めた。決勝の相手はマイク・ベルナルドであったが、この予選トーナメントのファイナリスト2人が12月の決勝大会へと出場できるため、すでに出場権を手に入れていたミルコは、準決勝で怪我をしたこともあり決勝では無理をせず1R終了後に自らタオル投入によるTKO負けを選択し、ベルナルドにリベンジを許した。 2000年12月、K-1 WORLD GP 2000 決勝戦では準々決勝でアーネスト・ホースト相手に延長まで持ち込むものの、延長に入ると試合をリードされ0-3で判定負けに終わった。 2001年3月17日、K-1 GLADIATORS 2001のピーター・アーツ戦では、序盤にハイキックとパンチのラッシュでめ込むも、後半は膝蹴りを受けスタミナ切れを起こし失速。最後はクリンチ合戦となった末、ミルコが辛くも競り勝ち2-0で判定勝利を収めた。 2001年6月16日、K-1 WORLD GP in MELBOURNEではGP予選トーナメント1回戦でマイケル・マクドナルドと対戦。相手を格下と見て、試合中に腕を回すなどの挑発行為や余裕な態度をとったが、クリンチをして密着した状態でマクドナルドが放ったパンチを顎に受けてグラついてしまいそのままラッシュを受けて1RKO負けし、まさかの初戦敗退となった。 2001年8月19日、K-1 ANDY MEMORIAL 2001にて、K-1と猪木軍との対抗戦に出場することとなり、3分5Rの総合格闘技(MMA)ルールで猪木軍のエース藤田和之と対戦する。試合は下馬評を覆して、藤田のタックルに膝蹴りを合わせ大流血に追い込み、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた。後にミルコがこの勝利が大きな転機となったとコメントしているように、この総合格闘技ルールでの番狂わせの勝利が、後の総合格闘家への転向、そしてPRIDE出場に繋がることになる。 2001年10月8日、K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKAの敗者復活トーナメントに出場予定だったが、9月11日のアメリカ同時多発テロ事件発生の影響で、当時警察官だったミルコは国内待機となり、GP出場は断念した。 2001年11月3日、PRIDE.17でPRIDE初出場を果たした。藤田戦と同じルールでの高田延彦との対戦は、高田が試合序盤でミルコにローキックをカットされ右足踵骨を骨折したためリングに腰を降ろしてグラウンドに誘う作戦に出たが、ミルコはこれを拒否し続け、猪木アリ状態のまま試合は終了しドローとなった。ミルコは試合後、激怒し「気分が悪い。高田はチキンだ。」「藤田は本物のファイター。高田は偽者のファイター。」と罵倒したが、後に高田が足を骨折していたことを知ると謝罪に近い言葉を述べ、互いのわだかまりはなくなっている。 2001年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2001にてプロレスラー永田裕志と総合格闘技ルールで対戦し、試合開始から21秒後には左ハイキック一撃で永田をリングに沈め、藤田、高田、永田の3人のプロレスラーを倒したことでプロレスハンターと呼ばれるようになった。 2002年3月3日、K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYAで、前年GP王者マーク・ハントと対戦。試合序盤はハントを翻弄し、3Rに左ハイキックでダウンを奪う。後半はハントのプレッシャーや打撃により逆襲を受ける展開となってしまうが、その反撃をかわし切り判定で勝利した。試合後には笑顔一つも見せずにハントの祝福にも首を振っていたが、この勝利を以って改めて「K-1王者になりたい」と語り、一方で総合格闘技への本格的な挑戦も語った。 2002年4月28日、PRIDE.20では総合格闘技4戦目でPRIDEミドル級王者ヴァンダレイ・シウバと対戦。ルールは3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はブレイクの後スタンドからのリスタートという、総合格闘技経験の浅い当時のミルコに配慮した特別ルールとなった。また両者の体重差に配慮して98kg契約だったが、計量時はミルコよりもシウバの方が体重を上回っていた。この試合は「K-1vsPRIDE 頂上決戦」と評された。ミルコの左ミドルキックがシウバの脇腹を抉り、紫色に腫れ上がらせた一方、シウバもミルコから数度のテイクダウンを奪い、スタンドでも手数で上回っていた。試合は規定によりドローに終わる。 再びK-1ルールに舞い戻り、2002年4月7月14日のK-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKAでは、後のGP王者レミー・ボンヤスキーにパンチの連打で2RTKO勝ちし、GP本戦の切符を手に入れた。 2002年8月28日、「Dynamite!」で桜庭和志と対戦。ルールはミルコにとっては初めての5分3R制のPRIDE特別ルールとなった。なお、体重は20kg近くミルコが重かった。2Rには桜庭にテイクダウンを奪われたものの、脱出の際の顔面への蹴り上げで桜庭の右目が腫れ上がり、眼窩底骨折の疑いでドクターストップがかかりTKO勝利となった。その後椎間板ヘルニアを理由にK-1 WORLD GP 2002を欠場、長期休暇を取ったこの間に長年交際してきた女性と結婚している。 2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002にて藤田和之と総合格闘技ルールで再戦し、危なげない試合運びで判定勝ちを収め返り討ちにした。 2003年3月30日、K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMAで当時人気絶頂にあったボブ・サップと対戦。体格差に押されるシーンが多かったがフットワークでいなし、左ミドルからのワンツーでミルコのKO勝利。勝利直後、普段はKO勝利してもクールなミルコにしては珍しくコーナーポストに駆け上がり、雄たけびを上げた。風邪を引いて高熱でコンディションが悪く、母国クロアチアでは衛星生中継されている重圧から開放されてうれしかったと後に語っている。なお、クロアチアでのこの試合の視聴率は約50%であった。試合後、サップは右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された。この試合を境にミルコはK-1、キックボクシングからしばらく離れる。 2003年6月8日、PRIDE.26からPRIDEシリーズに本格参戦。当時のPRIDEヘビー級3強の1人と言われたヒース・ヒーリングと通常PRIDEルール(1R10分、2・3R各5分)で対戦、強烈な左ミドルキックからのパウンドでTKO勝利。試合後、ミルコはエメリヤーエンコ・ヒョードルが保持するPRIDEヘビー級王座への挑戦を宣言。なおこの試合は母国クロアチアでも当日ディレイ放送され70%超の視聴率を叩き出した。 2003年8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦でイゴール・ボブチャンチンに強烈な左ハイキックで1R1分29秒KO勝利。ヒョードルの保持するヘビー級王座への挑戦を決定的なものとした。10月5日には「PRIDE武士道」に出場。自らこの試合をタイトルマッチのためのクールダウンと称し、ドス・カラスJrに左ハイキックで1R46秒でKO勝利。 2003年11月9日、PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦ではPRIDEヘビー級暫定王座決定戦としてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦を迎えた。本来ならこの大会でPRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルに挑戦するはずだったもののヒョードルの怪我により暫定王座決定戦となった。1Rはミルコが打撃で圧倒し、終了間際に左ハイキックを放ち、完全な形ではないがヒットさせてノゲイラからダウンを奪った。2R開始直後、初めてテイクダウンを奪われるとパウンドを浴びて、グラウンドの展開から脱出しようとした際にノゲイラに腕ひしぎ十字固めを極められてしまいタップアウト負け。これにより総合格闘技での無敗記録がストップした。 試合後のセレモニーで、暫定王者のベルトを与えられるノゲイラの姿を見つめながら、ミルコはリングの片隅で涙を浮かべていた。 2003年12月31日のINOKI BOM-BA-YE 2003に出場し高山善廣と対戦予定だったが、直前になって出場をキャンセルした。 2004年2月1日、PRIDE.27でロン・ウォーターマンと対戦。序盤からいきなりテイクダウンを奪われるも、スタンドに復帰後すぐさま左ハイキックでダウンを奪い、サッカーボールキックを浴びせてKO勝利。2週間後、2月15日のPRIDE 武士道 -其の弐-では山本宜久にTKO勝利する。 2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のPRIDEヘビー級GP1回戦でケビン・ランデルマンと対戦。満を持して臨んだトーナメントで、ミルコを優勝候補に挙げる声も多かったが、1R1分57秒、左フックからのパウンドでまさかの失神KO負けを喫した。 2004年8月15日、PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦ではPRIDEヘビー級王者ヒョードルの弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦、20キロ以上の体重差を問題にせず左ハイキックでKO勝利。観衆はミルコの鮮烈な復活劇を歓喜で迎えた。この勝利により、ミルコはPRIDEトップ戦線への返り咲きを果たした。 2004年10月31日、PRIDE.28での第10代パンクラス無差別級王者・元UFC世界ヘビー級王者ジョシュ・バーネットと対戦。「最後の大物」とも呼ばれたバーネットとの対決は、ファンの期待を大いに高めたが、1R46秒、バーネットの左肩の脱臼によるタップアウトにより、勝利するも消化不良のまま終わった。 2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004ではケビン・ランデルマンと再戦、フロントチョークで一本勝ちを収め、リベンジを果たした。 2005年2月20日、PRIDE.29でマーク・コールマンと対戦。コールマンのタックルを完封し、1R3分42秒右アッパーでKO勝ちし、PRIDEヘビー級王座への挑戦権を獲得。 2005年8月28日、PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦でついにエメリヤーエンコ・ヒョードルの持つPRIDEヘビー級王座に挑戦。「21世紀最初の世紀の一戦」と評されたこの試合で、ミルコはバックステップで下がりながらも打撃をヒットさせるが、1R中盤にテイクダウンを奪われるとそこから一気にヒョードルペースとなる。2、3Rはスタンドでもヒョードルにリードされた。ミルコはヒョードルの攻撃にガードポジションで耐えたものの、ヒョードルの優位は動かず判定0-3で敗れ、王座獲得に失敗した。 2005年10月23日、PRIDE.30でジョシュ・バーネットと再戦。「ミルコには間合いを空けずプレッシャーをかけ続ければ良い」という持論をバーネットが実践、打撃が思うように出せず劣勢に立たされるが、終盤にスタンドでパンチを集めることに成功し、3-0で判定勝利を収めた。 2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005において、2004年からPRIDEへ参戦したマーク・ハントとのストライカー頂上対決が組まれるも足首の負傷と体調不良による高熱により序盤から調子が上がらず、ハントに主導権を握られる。左ハイキックを完璧にヒットさせる場面もあったが1-2で判定負けを喫し、K-1時代のリベンジを許してしまった。足首の負傷のためかこの試合ではミルコにしては珍しくレスリングシューズを履いて試合を行った。 2006年5月5日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦に出場し、1回戦で美濃輪育久に1R1分10秒、パウンドでTKO勝利。 2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDの2回戦では、日本重量級のエース吉田秀彦と対戦し、ローキックによるTKO勝利。 2006月9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦の準決勝では、ヴァンダレイ・シウバと4年ぶりに再戦。シウバのパンチを殆ど見切り、更にシウバを右眼負傷に追い込み、左ハイキックで失神KO勝利。因縁の再戦を完全勝利で収めた。この試合は、「ファンが選ぶ2006年ベストバウト&MVP」のベストバウトにて1位となった。 続く決勝戦ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを準決勝で破ったジョシュ・バーネットと3度目の対戦。序盤から圧倒しボディブローでダウンを奪うとインサイドガードから鉄槌・パウンドを連打。この時の攻防でミルコの手がバーネットの眼に当たり、一時的に視力を失ったバーネットがタップアウト。アクシデントも手伝ったが、内容は一方的なものであり、バーネットは「今日はミルコのための夜だった」と讃えた。自身の32歳の誕生日に初めてのメジャータイトルを戴冠し、リング上で男泣きするミルコの姿に、会場からは暖かい拍手が送られた。優勝により、エメリヤーエンコ・ヒョードルの持つPRIDEヘビー級王座への挑戦権を手にしたものの、UFC移籍のため行使することはなかった。前述の「ファンが選ぶ2006年ベストバウト&MVP」のMVPにて、ミルコは2位に選ばれた。 2006年12月30日、アメリカ合衆国の総合格闘技団体UFCへの参戦を表明し、PRIDEから離脱した。 2007年2月3日、UFC初出場となったUFC 67でエディ・サンチェスと対戦。ミルコの打撃を警戒するサンチェスを追い込み、1RマウントパンチによるTKOで勝利し、アメリカ進出は白星デビューとなった。 2007年4月21日、勝てばタイトルマッチといわれたUFC 70のガブリエル・ゴンザーガとの対戦ではミドルを掴まれてテイクダウンを許した後グラウンドで頭部へ何度も肘打ちを受け続け、最後は右ハイキックを被弾し失神KO負けを喫した。試合後には、スタンドに戻った際にすでにグラウンドでの肘打ちにより大きなダメージを受けていたことや、UFCのルールへの対策が甘く、肘打ちに対する防御の練習を怠っていたことを語った。 2007年9月8日、UFC 75でシーク・コンゴと対戦。序盤は優勢に試合を進めるも、中盤からはローブローも重なって急激に失速。最終的にコンゴに巻き返される形となり、0-3の判定負けを喫した。この時期からたび重なる怪我と手術の影響により、PRIDEの時のようなキレのある動きができなくなってしまう。 2008年は一端UFCを離れ、日本の新団体DREAMに参戦した。3月15日の旗揚げ戦DREAM.1で水野竜也と対戦し、開始55秒TKO勝ち。 2008年6月15日、DREAM.4でハレック・グレイシーと「グラップリング・チャレンジマッチ」で対戦予定であったが、ミルコが遺恨のある練習パートナーのギルバート・アイブルと実戦練習した際に両者がヒートアップして、アイブルはアキレス腱を断裂し、ミルコは右肘靱帯を亜脱臼してしまう。ミルコはその状態のまま練習を続けたため、さらに右肘の状態を悪化させてしまい、ハレックとの試合前にドクターストップ。急遽欠場となる。その後、DREAM.5にも出場予定となるが、怪我の回復が間に合わず欠場となった。この怪我により、のちにUFCで対戦するフランク・ミアが対戦前にミルコを研究していた時に、「ミルコは右のパンチがある時期を境におかしくなっている。何か大きな怪我でもしたんじゃないか。」と語るように、ミルコはその後パンチの能力が落ちていくこととなる。 2008年9月23日、DREAM.6でアリスター・オーフレイムと対戦するが1R6分9秒、アリスターの膝蹴りが何度も下腹部に入り、ミルコが悶絶。数分間の回復時間が与えられ試合は再開されるが、再度アリスターの膝蹴りがミルコの下腹部に入り試合続行不可能となりドクターストップ。審議の結果、アリスターの下腹部への攻撃は故意ではなかったという判断によりノーコンテストとなった。 2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜でチェ・ホンマンとDREAMルールで対戦。両者にイエローカードが提示されるほど両者とも手が出ない試合となったが、試合序盤からミルコが何度も放っていたローキックが徐々にホンマンの足にダメージを与えており、1R開始6分を過ぎた頃にミルコの左ローキックでホンマンが崩れ落ちてKO勝ちを収めた。 2009年6月13日、ドイツで開催されたUFC 99でムスタファ・アルタークと1年9か月ぶりのUFC復帰戦を行い、スタンドパンチでTKO勝ち。 2009年9月19日、UFC 103でジュニオール・ドス・サントスと対戦するも打撃で圧され、3Rに膝蹴りと目へのアッパーで一時的に失明状態に陥り、ギブアップ負け。試合後、引退を示唆する発言をした。 サントス戦から半年~1年後、バリー戦前にミルコはGONG格闘技の特集やMMA Weeklyなどの海外格闘技系のサイトのインタビューで、この頃の自身のコンディションを振り返る機会があった。その際には、「俺の膝は2008年頃から完全に壊れていた。膝の手術だけで(PRIDE後期から2009年頃までに)3度受けたが、アルターク戦でも蹴りをまったく出さなかったように、あの時期は術後で膝がまだ治っていなかった。ドス・サントス戦でも膝の状態が完全に治っておらず、医者に試合を行うことを止められたし、蹴りを打つことも禁止されていた。(このような状態で)サントス戦を受けたのは良い判断ではなかったかもしれないが...、でも俺はファイターだから良いコンディションじゃなくても競い合いたいし、戦いたかったんだ。」と明かしている。サントス戦では医者に禁止されていた蹴りを放ったが、その際に激痛を感じてその後は何度も蹴るのはやめたという。それほどミルコの膝の怪我は深刻になってきており、足だけではなく腕や脳へのダメージも含めて、長年の戦いにより体中がボロボロになっていたと述懐している。 2010年2月20日、オーストラリアで開催されたUFC 110でベン・ロズウェルと対戦予定だったが、ロズウェルが現地に到着後、ウイルス性胃腸炎にかかってしまい急遽欠場。代わりに急遽呼ばれた代打のアンソニー・ペロシュと対戦。2Rにグラウンドでの肘打ちでペロシュの額をカットさせ、2R終了時にドクターストップによるTKO勝ちとなった。 2010年6月12日、UFC 115でパトリック・バリーと対戦。1Rにバリーのパンチで2度ダウンを奪われるも、3Rにパンチでバリーをぐらつかせてダウンを奪うとそのまま背後からバリーにチョークを仕掛け、チョークスリーパーで一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した。 2010年9月25日、UFC 119で怪我をしたノゲイラの代わりにフランク・ミアと対戦し、3Rに右膝蹴りでKO負け。 2011年3月19日、UFC 128でブレンダン・シャウブと対戦し、互角の展開となっていたが、3Rにミルコのローキックにシャウブのカウンターのパンチが入り、ミルコがダウン。3RKO負けを喫した。 2011年10月29日、UFC 137でロイ・ネルソンと対戦した。UFCとの契約満了を迎える試合であり、2ラウンド序盤にラッシュで攻めるなど打撃で押す場面もあったが、3RにバックマウントパンチでTKO負けを喫し、試合後に引退を示唆した。 UFC 137から約1ヵ月後の12月、キックボクシング復帰を表明し、「俺が最初に始めたスポーツはK-1だった。俺にとっては初恋の相手だし、K-1の方が魅力的でクロアチアのファンに合ってると思う。俺の闘いの炎は永遠だ」と言って自身の引退も否定した。 2012年3月10日、母国クロアチアのアリーナ・ザグレブで開催されたCro Cop Final Fightにてキックボクシング復帰初戦を行い、レイ・セフォーに3R判定3-0で勝利。なお、大会名が「Cro Cop Final Fight」となっているものの、この試合は引退試合ではないことをミルコ本人も大会前の記者会見で明言しており、さらに「今年K-1 GPが開催されるなら出場したい」と意欲を見せていた。 2012年5月27日、K-1 RISING 2012~K-1 WORLD MAX FINAL16 2012~でローレン・ハヴィエ・ホルヘと対戦しKO勝ち。 2012年10月14日、K-1 RISING 2012 WORLD GP FINAL 16でランディ・ブレイクとグランプリ1回戦を行い2-0の判定勝ち。2012年12月26日にニューヨークで行われる決勝トーナメントに駒を進めた。その後、決勝トーナメントは翌年の3月15日に延期されることになり、開催地はミルコの母国であるクロアチアのザグレブに変更された。 2013年3月15日、K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREBでは、決勝トーナメント1回戦でジャレル・ミラーに判定勝ちで降し、準決勝ではパヴェル・ズラリオフに判定勝ち。決勝ではイスマエル・ロントと対戦し2Rに得意の左ハイキックでダウンを奪い判定勝ちを収め、かつてのK-1ではなく運営が変わり規模が縮小された新生K-1ではあるが、ミルコの夢であった悲願のK-1初優勝を母国クロアチアで成し遂げ、ミルコはリング上で涙を流した。 2013年11月9日、ロシアで行われたLEGEND.2で総合格闘技ルールでエメリヤーエンコ・アレキサンダーと再戦予定だったが、アレキサンダーが欠場し、代役のアレクセイ・オレイニクと対戦。三角絞めを仕掛けた際にパスガードされ、そのまま袈裟固めで一本負け。 その後、キックボクシング団体GLORYと契約。 2014年3月8日、母国クロアチアのアレナ・ザグレブで行われたGLORY14 ZAGREBにて、GLORY初出場。レミー・ボンヤスキーと再戦し0-2で判定負け。 2014年6月21日、GLORY 17でジャレル・ミラーと再戦。判定で勝利した。 2014年8月23日、INOKI GENOME FIGHT2で総合格闘技に復帰。石井慧と対戦し、1Rに下から肘打ちを放った際に石井がカットしてしまい、その後試合は続行するも出血がひどく2Rドクターストップ勝ち。IGF王者となった。 2014年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2014で石井慧と再戦し、2R終了間際に左ハイキックをヒットさせてそのままパンチラッシュで石井を攻め立て、インターバル中も石井が立ち上がれなかったためにTKO勝ちを収めた。後にUFCと再び契約したために王座を返上した。この後石井とは親交を深め、石井は彼の弟子になってクロアチアに練習拠点を移す。 2015年4月11日、 約4年ぶりのUFC復帰となったUFC Fight Night: Gonzaga vs. Cro Cop 2でヘビー級ランキング14位のガブリエル・ゴンザーガと再戦。3Rにクリンチ際での肘打ちでゴンザーガをグラつかせ、グラウンドでの強烈な左肘及びパウンド連打でTKO勝ちを収め、8年前のリベンジを果たした。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞。 2015年11月28日にUFC Fight Night: Henderson vs. Masvidalにてアンソニー・ハミルトンと対戦する予定になっていたが、米国アンチドーピング機関(USADA)のアンチドーピング規定に違反したために出場停止の仮処分を科された事が判明した。それにより11月10日にミルコは自身の公式サイトで、アンチドーピング規定に違反したからではなく、肩の怪我が深刻なため現役を引退すると発表した。また、処分に対しては「検査結果はまだ出ていない」とし、「肩に問題が起きた時、基本的な治療法はマッサージとアイシングだが、全然良くならなかった。それから肩を早く治すために血漿と成長ホルモンの注射をすることにした。成長ホルモンが禁止薬物のリストに入っていることは知ってたが、肩を治す方法が他には無かった。ほんの少量だった。欠場して休むことが一番良いことは分かっていたが、ヤケクソになった男は何でも試そうとするものだ。成長ホルモンと血漿の注射をした6日後にUSADAの検査をすることになった。血液と尿のサンプルが取られた後にすぐにUFCに報告した。血漿と成長ホルモンのことも言った。」「強くなるためにテストステロンやアナボリックステロイドを使ったことなどない。それがルールだから。金曜(6日)まで試合をキャンセルしたくないと言っていた。(4月の)ガブリエル・ゴンザーガ戦のときも5回テストを受けて、すべての結果をクリアした。土曜(7日)まで試合をするつもりだった。月曜(9日)のMRI検査で筋断裂と腱損傷が分かり、(引退を)決断した」と説明した。 2015年11月25日、USADAがミルコに2年間の出場停止処分を科したと発表し、11月4日にザグレブでミルコに競技外の抜き打ち検査を実施した時に、ミルコ自らヒト成長ホルモン(hGH)を使用したと申告があったためと、処分の理由を説明した。 後日、クロアチアの新聞社Vecernjiが、2016年1月8日にミルコがUSADAのCEOトラビス・タイガートから薬物検査の結果が全て陰性だったとことを報告するメールを受け取っていたことを報道した。ただし、薬物検査の結果に関わらず、2015年11月4日に実施した抜き打ち検査の際にミルコ本人が肩の治療のためにヒト成長ホルモンの使用と所持を認めているので、違反薬物の使用と所持を禁じているアンチドーピング規定に違反しているとして、2年間の出場停止処分が軽減又は変更されることは無かった。 2016年7月16日に行われたRIZINの記者会見にてRIZIN無差別級グランプリに出場が決定。引退撤回について「それまで全てのオファーを断ってきたが、榊原さんのオファーを受けて最後に日本でやろうと思った」とコメントした。 2016年9月26日 さいたまスーパーアリーナで開催されたRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 開幕戦にて無差別級グランプリの1回戦としてRoad FC代表のミョン・ヒョンマンと対戦し肩固めで一本勝ち。試合後、マイクパフォーマンスでヴァンダレイと対戦する意思を語り、高田延彦からの呼びかけに「ヤル!」と答え、ヴァンダレイもリングに上がり「ヤッテヤル!」と答え、対戦が決定するが、ヴァンダレイは交通事故の怪我の回復が思わしくないということで欠場し、実現しなかった。 2016年12月29日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUNDにて無差別級グランプリの2回戦として、欠場したヴァンダレイの代役としてエントリーした前年のヘビー級グランプリ王者キング・モーと対戦。1Rにテイクダウンを奪われるものの、2Rにクリンチアッパーを効かせてからのパンチ連打でダウンを奪い、パウンドでTKO勝ち。 2016年12月31日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUNDにて無差別級グランプリ準決勝として把瑠都と対戦。クリンチ状態からのボディへの膝蹴りでKO勝ちし、グランプリ決勝へ進出。続く決勝戦ではアミール・アリアックバリと対戦。カウンターの左フックでダウンを奪い、最後は左フックでKO勝ち。優勝を果たし、10年前にPRIDE無差別級グランプリ2006で優勝した時と同じように、涙を浮かべた。母国クロアチアでは29日のキング・モーとの試合で46.04%の高視聴率を記録した。 2018年5月25日、Bellator 200にてロイ・ネルソンと再戦が決まっていたが左足前十字靭帯を損傷し、手術を受けたことにより欠場。このためイリー・プロハースカとの対戦が予定されていた7月29日のRIZIN.11も出場が見送られた。 2019年2月16日、Bellator初出場となったBellator 216でロイ・ネルソンと約8年ぶりに再戦し、3-0の判定勝ちを収め、リベンジに成功した。 2019年3月2日、トレーニング中に頭痛が続き医師の診断を受けたところ、脳内血管から微量の出血痕が確認され脳卒中と診断を受けたため、現役引退を表明した。 K-1初登場当時の1996年は、恵まれた筋肉の柔軟性や身体能力の高さは窺えたものの、その他にはさして光るものを持たなかったミルコだが、3年のブランクを経て復帰した1999年には攻撃に多彩さが増し、ミルコの代名詞といえる左ハイキックも積極的に使うようになった。しかしこの頃もっとも冴えていたものはクリンチワークであり、KOを奪えない相手にはクリンチで相手の攻撃をしのぎ、その合間に打撃を打ち込んでポイントを稼ぐというのが、ファイトスタイルの基本となっていた。総合格闘技への参戦が始まると、ミルコは急速な体のビルドアップに成功し、徐々に一撃必殺に傾倒していくようになる。ミルコのファイトスタイルはボクシングを元にテコンドーやキックボクシングをオリジナルアレンジした物であり、試合中に放つ打撃の数は極端に少なく、ジャブはほとんど打たずに、利き手利き足(ただし右利きのサウスポーであるため本来の利き手とは逆である)での打撃に終始する。右腕はラッシュをかける時以外は、ディフェンスや距離を稼ぐ時に伸ばす程度しか使用しない。絶対の自信を持つ左ハイキックや、ミドルキックを放つまでに、その他を布石として使用する彼独自の戦法である。主な例はミドルキックやローキックで相手の注意を下にさげさせ、ガードが下がった所に左ハイキックを打ち込む方法と、相手に自分のストレートの軌道を覚えさせ、ウィービングで相手の頭が傾いたところに合わせて左ハイキックを打ち込む方法がある。特に後者は、まるで相手が自らミルコの足に当たりに行っているように見える。ミルコの左ハイキックは高速で相手の視界の死角から足が急に現れる軌道のためかわされにくく、まさに一撃必殺の破壊力を持つ。ただし、ミルコの打撃はある程度の間合いがないとその効果は発揮できず、プレッシャーを掛けて前へ前へと進んでくる相手を苦手としていたが、UFCキャリア晩年から、元々のクリンチワークを利用した左肘を織り混ぜたダーティーボクシングを使うようになり、更に柔道金メダリストの石井慧との練習を重ねて向上させ、ロイ・ネルソンとの再戦では、ダーティーボクシングで打撃をヒットさせつつ相手をコントロールすることでリベンジを達成している。 また、打撃技に対してはガードをほとんど使わず、スウェーとステップワークでかわす。また、ヘビー級選手とは思えないほど非常に素早く、ホーストがボブ・サップとの対戦で捕まえられてハンマーパンチを浴びたのに対し、ミルコはスピードとクリンチワークを生かして捕まえられることはなかった。マーク・ハント、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラも「ミルコは素早かった」と認めていた。 一方でK-1時代から通して指摘されているのがスタミナ不足であり、本人もそのことを認めている。かつては1Rでは高いKO率を誇るが、2R以降は口を開けて呼吸する姿が目立った。これはK-1時代での鼻の怪我によって鼻呼吸が上手くできなくなってしまったものであり、しばらく処方された塗り薬を使っていたが、手術し改善された。 ノゲイラ戦での逆転の腕ひしぎ十字固めによる敗北により、ファブリシオ・ヴェウドゥムを柔術コーチに迎え入れ、ディフェンスは向上したが、基本的にひたすら守りに徹し、隙があれば突き放すだけであり、攻めにおいては積極的に仕掛けたりはしないが、ガブリエル・ゴンザーガ戦では、柔術の実力者であるゴンザーガのマウントから脱出の際に足関節を狙うなど、更に寝技のスキルがアップしている。サブミッションスキルは高くないが、マウントポジションの状態でもバランスがよく、高いグラウンドスキルを持つジョシュも中々振りほどけなかったほどである。組み技に対するディフェンスにも定評があり、特にタックルを切る技術の会得の早さには目を見張るものがある。K-1参戦時から足を掴まれても倒されない腰の強さがあり、テイクダウンされてもすぐさまクロスガードを取るなど対応力もそろえている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ミルコ・クロコップ(Mirko Cro Cop、1974年9月10日 - )は、クロアチアの元男性総合格闘家、元キックボクサー、元アマチュアボクサー、元国会議員。ヴィンコヴツィ出身。チーム・クロコップ主宰。元警察官でもあり、リングネームの「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意で、対テロリスト特殊部隊の\"ルチェコ(英語版)\"に所属していた。PRIDE無差別級グランプリ2006王者。RIZIN無差別級グランプリ2016王者。K-1 WORLD GP 2012王者。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "総合格闘技の試合では立ち技主体で勝負するストライカーであり、左ハイキックを武器に多くのKO勝利を挙げ、海外では「右足は病院行き、左足は墓場行き」と形容された。総合格闘技に適応した最初の本格ストライカーといわれており、ストライカーの弱点であるテイクダウンディフェンスと寝技を身に付けた。ミルコの活躍は総合格闘技界の技術体系を打撃偏重へシフトチェンジしたとも言える。2000年代初頭から2000年代半ば、特に全盛期であったPRIDE時代はヘビー級の打撃系総合格闘家として世界トップクラスの実力を誇り、エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと並んでPRIDEヘビー級三強と称された。PRIDE参戦当初はK-1からの外敵といった悪役、ヒール的な存在であったが、PRIDEでの闘いを重ねていくにつれ、PRIDEのエース格桜庭和志と肩を並べるほどの人気選手となり、PRIDEの主役とも言える存在であった。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1997年10月にはアマチュアボクシングのクロアチア代表として世界ボクシング選手権に出場。2003年12月23日から2008年1月11日まではクロアチアの国会議員を務めた。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ユーゴスラビア社会主義連邦共和国クロアチア社会主義共和国(のちのクロアチア)の都市、ヴィンコヴツィに生まれる。しかし少年期に暮らしていた町が民族紛争に巻き込まれ、友人たちが次々と死んでいくという過酷な経験をきっかけに格闘技を学び始めた。この時期のことをミルコは後年、「その頃の私は戦争に対する怒りに任せて、ひたすら体を鍛え続けるようになっていた。自分が強い男になってみんなを守り、もう誰も死なせないと心に誓ったからだ」と述懐している。当初は専門的なジムに通う経済的余裕も無く、父親が砂袋や綿で造ったグローブやパンチバッグを使って、独学で空手、キックボクシングなどの習得に励んだ。この頃、鉄棒の両端に石を結び付けた手作りのバーベルで、ウエイトトレーニングをする様子を撮影した写真が残っている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "7歳の頃テコンドーを始め、その後に空手を始めたが、ユーゴスラビア紛争の激化により断念し、紛争が収まった数年後にようやくトレーニングを再開した。18歳の時に、通信士としてクロアチア軍に入隊。そこでクロアチアのキックボクシングナショナルチームでのトレーニングを希望し、上官に「私はあなたが将来特別な兵士になるとは思わないが、いつか良いファイターになると信じている。だから通信を学ぶ必要はない。あなたを解放するので、その分、1日に2回トレーニングを積んで欲しい。そしていつか母国に誇りを持たせて欲しい」と許可されると、19歳でキックボクシングを始めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "幼少期から紛争地帯で凄惨な光景を目の当たりにしてきたためか、インタビュー内で「戦争は愚かで悲しいだけだ」と述べるなど、戦争に対する激しい嫌悪を公言している。ボブ・サップ戦の前日記者会見で当時開戦したばかりのイラク戦争に言及が及ぶと、涙ながらに反対を表明した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1996年3月10日、K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦で日本のリングに初登場。K-1初代王者であるブランコ・シカティックの一番弟子として、ミルコ・タイガーのリングネームで出場し、GP1回戦で前年GP準優勝者のジェロム・レ・バンナからダウンを奪い、3-0の判定勝ちを収めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1996年5月6日、K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦のGP準々決勝ではアーネスト・ホーストのテクニックとローキックに翻弄され、3RにTKO負けを喫した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "この試合以降ミルコは師シカティックと決別し、3年間に渡って日本のリングから遠ざかった。その間はアマチュアボクシングの試合に多く出場しており、国内王者に3度輝き、地中海競技大会では銅メダル獲得、 軍人世界選手権では銀メダル獲得など実績を上げ、1997年10月にはクロアチア代表として世界ボクシング選手権に出場した。また同時期に、対テロリスト特殊部隊の\"ルチェコ(英語版)\"に配属され、クロアチア議会で当選するまでの6年間任務に就いた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1999年4月25日、K-1 REVENGE '99に出場し、約3年ぶりのK-1復帰を果たした。ミルコ・\"クロコップ\"・フィリポビッチとリングネームも変え、ヤン・\"ザ・ジャイアント\"・ノルキヤに左ストレートで4RKO勝ちを収めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1999年6月20日、K-1 BRAVES '99に出場し、GP予選1回戦でリッキー・ニケルソンに右ハイキックで1RKO勝ち。GP予選準決勝ではジャビット・バイラミに延長1R判定負けを喫し、GPの出場権を逃したが、怪我人の発生で推薦枠でのGP出場が決まった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1999年10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦に出場し、GP1回戦でマイク・ベルナルドからハイキックでいきなりダウンを奪うと、一気にラッシュを叩き込んで2つ目のダウンを奪って1RKO勝ちし、K-1四天王の1人を倒したことで一躍脚光を浴びるようになる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1999年6月12月5日のK-1 GRAND PRIX '99 決勝戦では、GP準々決勝で武蔵に2RKO勝ち、GP準決勝でサム・グレコに2RKO勝ちして決勝まで駒を進めたが、武蔵戦で痛めた脇腹を、続くグレコ戦でも痛めて肋骨を骨折してしまったこともあり、GP決勝ではアーネスト・ホーストにその部分を攻められボディ打ちで3RKO負けを喫し、グランプリ準優勝に終わった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "その後リングネームを現在のミルコ・クロコップに変更。かつてのやや細身で迫力を欠く体格はビルドアップされ、更にポーカーフェイスの精悍な顔つきも相まって「ターミネーター」のニックネームが定着。この頃から人気と実力を兼ね備えた、次世代を担う選手として注目されるようになった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2000年3月19日、K-1 BURNING 2000で天田ヒロミと対戦。元暴走族と現役警察官の対決だったため、天田は暴走族を、ミルコは警官隊を引き連れて入場するというパフォーマンスを披露。試合は4RでミルコがKO勝ちを収めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2000年6月3日、アンディ・フグの母国スイスでの引退試合の相手を務める。お互い決定打に欠けたが、手数で勝ったフグに判定負けとなった。少年の頃からフグに憧れていたというミルコは、母国引退となるフグを笑顔で讃えた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2000年10月9日、K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAのGP予選トーナメントでは、1回戦でグラウベ・フェイトーザに判定勝ち、準決勝で天田ヒロミに判定勝ちを収めた。決勝の相手はマイク・ベルナルドであったが、この予選トーナメントのファイナリスト2人が12月の決勝大会へと出場できるため、すでに出場権を手に入れていたミルコは、準決勝で怪我をしたこともあり決勝では無理をせず1R終了後に自らタオル投入によるTKO負けを選択し、ベルナルドにリベンジを許した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "2000年12月、K-1 WORLD GP 2000 決勝戦では準々決勝でアーネスト・ホースト相手に延長まで持ち込むものの、延長に入ると試合をリードされ0-3で判定負けに終わった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2001年3月17日、K-1 GLADIATORS 2001のピーター・アーツ戦では、序盤にハイキックとパンチのラッシュでめ込むも、後半は膝蹴りを受けスタミナ切れを起こし失速。最後はクリンチ合戦となった末、ミルコが辛くも競り勝ち2-0で判定勝利を収めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2001年6月16日、K-1 WORLD GP in MELBOURNEではGP予選トーナメント1回戦でマイケル・マクドナルドと対戦。相手を格下と見て、試合中に腕を回すなどの挑発行為や余裕な態度をとったが、クリンチをして密着した状態でマクドナルドが放ったパンチを顎に受けてグラついてしまいそのままラッシュを受けて1RKO負けし、まさかの初戦敗退となった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2001年8月19日、K-1 ANDY MEMORIAL 2001にて、K-1と猪木軍との対抗戦に出場することとなり、3分5Rの総合格闘技(MMA)ルールで猪木軍のエース藤田和之と対戦する。試合は下馬評を覆して、藤田のタックルに膝蹴りを合わせ大流血に追い込み、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた。後にミルコがこの勝利が大きな転機となったとコメントしているように、この総合格闘技ルールでの番狂わせの勝利が、後の総合格闘家への転向、そしてPRIDE出場に繋がることになる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2001年10月8日、K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKAの敗者復活トーナメントに出場予定だったが、9月11日のアメリカ同時多発テロ事件発生の影響で、当時警察官だったミルコは国内待機となり、GP出場は断念した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2001年11月3日、PRIDE.17でPRIDE初出場を果たした。藤田戦と同じルールでの高田延彦との対戦は、高田が試合序盤でミルコにローキックをカットされ右足踵骨を骨折したためリングに腰を降ろしてグラウンドに誘う作戦に出たが、ミルコはこれを拒否し続け、猪木アリ状態のまま試合は終了しドローとなった。ミルコは試合後、激怒し「気分が悪い。高田はチキンだ。」「藤田は本物のファイター。高田は偽者のファイター。」と罵倒したが、後に高田が足を骨折していたことを知ると謝罪に近い言葉を述べ、互いのわだかまりはなくなっている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2001年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2001にてプロレスラー永田裕志と総合格闘技ルールで対戦し、試合開始から21秒後には左ハイキック一撃で永田をリングに沈め、藤田、高田、永田の3人のプロレスラーを倒したことでプロレスハンターと呼ばれるようになった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2002年3月3日、K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYAで、前年GP王者マーク・ハントと対戦。試合序盤はハントを翻弄し、3Rに左ハイキックでダウンを奪う。後半はハントのプレッシャーや打撃により逆襲を受ける展開となってしまうが、その反撃をかわし切り判定で勝利した。試合後には笑顔一つも見せずにハントの祝福にも首を振っていたが、この勝利を以って改めて「K-1王者になりたい」と語り、一方で総合格闘技への本格的な挑戦も語った。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2002年4月28日、PRIDE.20では総合格闘技4戦目でPRIDEミドル級王者ヴァンダレイ・シウバと対戦。ルールは3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はブレイクの後スタンドからのリスタートという、総合格闘技経験の浅い当時のミルコに配慮した特別ルールとなった。また両者の体重差に配慮して98kg契約だったが、計量時はミルコよりもシウバの方が体重を上回っていた。この試合は「K-1vsPRIDE 頂上決戦」と評された。ミルコの左ミドルキックがシウバの脇腹を抉り、紫色に腫れ上がらせた一方、シウバもミルコから数度のテイクダウンを奪い、スタンドでも手数で上回っていた。試合は規定によりドローに終わる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "再びK-1ルールに舞い戻り、2002年4月7月14日のK-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKAでは、後のGP王者レミー・ボンヤスキーにパンチの連打で2RTKO勝ちし、GP本戦の切符を手に入れた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2002年8月28日、「Dynamite!」で桜庭和志と対戦。ルールはミルコにとっては初めての5分3R制のPRIDE特別ルールとなった。なお、体重は20kg近くミルコが重かった。2Rには桜庭にテイクダウンを奪われたものの、脱出の際の顔面への蹴り上げで桜庭の右目が腫れ上がり、眼窩底骨折の疑いでドクターストップがかかりTKO勝利となった。その後椎間板ヘルニアを理由にK-1 WORLD GP 2002を欠場、長期休暇を取ったこの間に長年交際してきた女性と結婚している。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002にて藤田和之と総合格闘技ルールで再戦し、危なげない試合運びで判定勝ちを収め返り討ちにした。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2003年3月30日、K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMAで当時人気絶頂にあったボブ・サップと対戦。体格差に押されるシーンが多かったがフットワークでいなし、左ミドルからのワンツーでミルコのKO勝利。勝利直後、普段はKO勝利してもクールなミルコにしては珍しくコーナーポストに駆け上がり、雄たけびを上げた。風邪を引いて高熱でコンディションが悪く、母国クロアチアでは衛星生中継されている重圧から開放されてうれしかったと後に語っている。なお、クロアチアでのこの試合の視聴率は約50%であった。試合後、サップは右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された。この試合を境にミルコはK-1、キックボクシングからしばらく離れる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2003年6月8日、PRIDE.26からPRIDEシリーズに本格参戦。当時のPRIDEヘビー級3強の1人と言われたヒース・ヒーリングと通常PRIDEルール(1R10分、2・3R各5分)で対戦、強烈な左ミドルキックからのパウンドでTKO勝利。試合後、ミルコはエメリヤーエンコ・ヒョードルが保持するPRIDEヘビー級王座への挑戦を宣言。なおこの試合は母国クロアチアでも当日ディレイ放送され70%超の視聴率を叩き出した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2003年8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦でイゴール・ボブチャンチンに強烈な左ハイキックで1R1分29秒KO勝利。ヒョードルの保持するヘビー級王座への挑戦を決定的なものとした。10月5日には「PRIDE武士道」に出場。自らこの試合をタイトルマッチのためのクールダウンと称し、ドス・カラスJrに左ハイキックで1R46秒でKO勝利。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2003年11月9日、PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦ではPRIDEヘビー級暫定王座決定戦としてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦を迎えた。本来ならこの大会でPRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルに挑戦するはずだったもののヒョードルの怪我により暫定王座決定戦となった。1Rはミルコが打撃で圧倒し、終了間際に左ハイキックを放ち、完全な形ではないがヒットさせてノゲイラからダウンを奪った。2R開始直後、初めてテイクダウンを奪われるとパウンドを浴びて、グラウンドの展開から脱出しようとした際にノゲイラに腕ひしぎ十字固めを極められてしまいタップアウト負け。これにより総合格闘技での無敗記録がストップした。 試合後のセレモニーで、暫定王者のベルトを与えられるノゲイラの姿を見つめながら、ミルコはリングの片隅で涙を浮かべていた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2003年12月31日のINOKI BOM-BA-YE 2003に出場し高山善廣と対戦予定だったが、直前になって出場をキャンセルした。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2004年2月1日、PRIDE.27でロン・ウォーターマンと対戦。序盤からいきなりテイクダウンを奪われるも、スタンドに復帰後すぐさま左ハイキックでダウンを奪い、サッカーボールキックを浴びせてKO勝利。2週間後、2月15日のPRIDE 武士道 -其の弐-では山本宜久にTKO勝利する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のPRIDEヘビー級GP1回戦でケビン・ランデルマンと対戦。満を持して臨んだトーナメントで、ミルコを優勝候補に挙げる声も多かったが、1R1分57秒、左フックからのパウンドでまさかの失神KO負けを喫した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2004年8月15日、PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦ではPRIDEヘビー級王者ヒョードルの弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦、20キロ以上の体重差を問題にせず左ハイキックでKO勝利。観衆はミルコの鮮烈な復活劇を歓喜で迎えた。この勝利により、ミルコはPRIDEトップ戦線への返り咲きを果たした。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2004年10月31日、PRIDE.28での第10代パンクラス無差別級王者・元UFC世界ヘビー級王者ジョシュ・バーネットと対戦。「最後の大物」とも呼ばれたバーネットとの対決は、ファンの期待を大いに高めたが、1R46秒、バーネットの左肩の脱臼によるタップアウトにより、勝利するも消化不良のまま終わった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004ではケビン・ランデルマンと再戦、フロントチョークで一本勝ちを収め、リベンジを果たした。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2005年2月20日、PRIDE.29でマーク・コールマンと対戦。コールマンのタックルを完封し、1R3分42秒右アッパーでKO勝ちし、PRIDEヘビー級王座への挑戦権を獲得。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2005年8月28日、PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦でついにエメリヤーエンコ・ヒョードルの持つPRIDEヘビー級王座に挑戦。「21世紀最初の世紀の一戦」と評されたこの試合で、ミルコはバックステップで下がりながらも打撃をヒットさせるが、1R中盤にテイクダウンを奪われるとそこから一気にヒョードルペースとなる。2、3Rはスタンドでもヒョードルにリードされた。ミルコはヒョードルの攻撃にガードポジションで耐えたものの、ヒョードルの優位は動かず判定0-3で敗れ、王座獲得に失敗した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2005年10月23日、PRIDE.30でジョシュ・バーネットと再戦。「ミルコには間合いを空けずプレッシャーをかけ続ければ良い」という持論をバーネットが実践、打撃が思うように出せず劣勢に立たされるが、終盤にスタンドでパンチを集めることに成功し、3-0で判定勝利を収めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005において、2004年からPRIDEへ参戦したマーク・ハントとのストライカー頂上対決が組まれるも足首の負傷と体調不良による高熱により序盤から調子が上がらず、ハントに主導権を握られる。左ハイキックを完璧にヒットさせる場面もあったが1-2で判定負けを喫し、K-1時代のリベンジを許してしまった。足首の負傷のためかこの試合ではミルコにしては珍しくレスリングシューズを履いて試合を行った。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2006年5月5日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦に出場し、1回戦で美濃輪育久に1R1分10秒、パウンドでTKO勝利。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDの2回戦では、日本重量級のエース吉田秀彦と対戦し、ローキックによるTKO勝利。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2006月9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦の準決勝では、ヴァンダレイ・シウバと4年ぶりに再戦。シウバのパンチを殆ど見切り、更にシウバを右眼負傷に追い込み、左ハイキックで失神KO勝利。因縁の再戦を完全勝利で収めた。この試合は、「ファンが選ぶ2006年ベストバウト&MVP」のベストバウトにて1位となった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "続く決勝戦ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを準決勝で破ったジョシュ・バーネットと3度目の対戦。序盤から圧倒しボディブローでダウンを奪うとインサイドガードから鉄槌・パウンドを連打。この時の攻防でミルコの手がバーネットの眼に当たり、一時的に視力を失ったバーネットがタップアウト。アクシデントも手伝ったが、内容は一方的なものであり、バーネットは「今日はミルコのための夜だった」と讃えた。自身の32歳の誕生日に初めてのメジャータイトルを戴冠し、リング上で男泣きするミルコの姿に、会場からは暖かい拍手が送られた。優勝により、エメリヤーエンコ・ヒョードルの持つPRIDEヘビー級王座への挑戦権を手にしたものの、UFC移籍のため行使することはなかった。前述の「ファンが選ぶ2006年ベストバウト&MVP」のMVPにて、ミルコは2位に選ばれた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "2006年12月30日、アメリカ合衆国の総合格闘技団体UFCへの参戦を表明し、PRIDEから離脱した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "2007年2月3日、UFC初出場となったUFC 67でエディ・サンチェスと対戦。ミルコの打撃を警戒するサンチェスを追い込み、1RマウントパンチによるTKOで勝利し、アメリカ進出は白星デビューとなった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2007年4月21日、勝てばタイトルマッチといわれたUFC 70のガブリエル・ゴンザーガとの対戦ではミドルを掴まれてテイクダウンを許した後グラウンドで頭部へ何度も肘打ちを受け続け、最後は右ハイキックを被弾し失神KO負けを喫した。試合後には、スタンドに戻った際にすでにグラウンドでの肘打ちにより大きなダメージを受けていたことや、UFCのルールへの対策が甘く、肘打ちに対する防御の練習を怠っていたことを語った。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2007年9月8日、UFC 75でシーク・コンゴと対戦。序盤は優勢に試合を進めるも、中盤からはローブローも重なって急激に失速。最終的にコンゴに巻き返される形となり、0-3の判定負けを喫した。この時期からたび重なる怪我と手術の影響により、PRIDEの時のようなキレのある動きができなくなってしまう。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2008年は一端UFCを離れ、日本の新団体DREAMに参戦した。3月15日の旗揚げ戦DREAM.1で水野竜也と対戦し、開始55秒TKO勝ち。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2008年6月15日、DREAM.4でハレック・グレイシーと「グラップリング・チャレンジマッチ」で対戦予定であったが、ミルコが遺恨のある練習パートナーのギルバート・アイブルと実戦練習した際に両者がヒートアップして、アイブルはアキレス腱を断裂し、ミルコは右肘靱帯を亜脱臼してしまう。ミルコはその状態のまま練習を続けたため、さらに右肘の状態を悪化させてしまい、ハレックとの試合前にドクターストップ。急遽欠場となる。その後、DREAM.5にも出場予定となるが、怪我の回復が間に合わず欠場となった。この怪我により、のちにUFCで対戦するフランク・ミアが対戦前にミルコを研究していた時に、「ミルコは右のパンチがある時期を境におかしくなっている。何か大きな怪我でもしたんじゃないか。」と語るように、ミルコはその後パンチの能力が落ちていくこととなる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2008年9月23日、DREAM.6でアリスター・オーフレイムと対戦するが1R6分9秒、アリスターの膝蹴りが何度も下腹部に入り、ミルコが悶絶。数分間の回復時間が与えられ試合は再開されるが、再度アリスターの膝蹴りがミルコの下腹部に入り試合続行不可能となりドクターストップ。審議の結果、アリスターの下腹部への攻撃は故意ではなかったという判断によりノーコンテストとなった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜でチェ・ホンマンとDREAMルールで対戦。両者にイエローカードが提示されるほど両者とも手が出ない試合となったが、試合序盤からミルコが何度も放っていたローキックが徐々にホンマンの足にダメージを与えており、1R開始6分を過ぎた頃にミルコの左ローキックでホンマンが崩れ落ちてKO勝ちを収めた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2009年6月13日、ドイツで開催されたUFC 99でムスタファ・アルタークと1年9か月ぶりのUFC復帰戦を行い、スタンドパンチでTKO勝ち。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2009年9月19日、UFC 103でジュニオール・ドス・サントスと対戦するも打撃で圧され、3Rに膝蹴りと目へのアッパーで一時的に失明状態に陥り、ギブアップ負け。試合後、引退を示唆する発言をした。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "サントス戦から半年~1年後、バリー戦前にミルコはGONG格闘技の特集やMMA Weeklyなどの海外格闘技系のサイトのインタビューで、この頃の自身のコンディションを振り返る機会があった。その際には、「俺の膝は2008年頃から完全に壊れていた。膝の手術だけで(PRIDE後期から2009年頃までに)3度受けたが、アルターク戦でも蹴りをまったく出さなかったように、あの時期は術後で膝がまだ治っていなかった。ドス・サントス戦でも膝の状態が完全に治っておらず、医者に試合を行うことを止められたし、蹴りを打つことも禁止されていた。(このような状態で)サントス戦を受けたのは良い判断ではなかったかもしれないが...、でも俺はファイターだから良いコンディションじゃなくても競い合いたいし、戦いたかったんだ。」と明かしている。サントス戦では医者に禁止されていた蹴りを放ったが、その際に激痛を感じてその後は何度も蹴るのはやめたという。それほどミルコの膝の怪我は深刻になってきており、足だけではなく腕や脳へのダメージも含めて、長年の戦いにより体中がボロボロになっていたと述懐している。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "2010年2月20日、オーストラリアで開催されたUFC 110でベン・ロズウェルと対戦予定だったが、ロズウェルが現地に到着後、ウイルス性胃腸炎にかかってしまい急遽欠場。代わりに急遽呼ばれた代打のアンソニー・ペロシュと対戦。2Rにグラウンドでの肘打ちでペロシュの額をカットさせ、2R終了時にドクターストップによるTKO勝ちとなった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "2010年6月12日、UFC 115でパトリック・バリーと対戦。1Rにバリーのパンチで2度ダウンを奪われるも、3Rにパンチでバリーをぐらつかせてダウンを奪うとそのまま背後からバリーにチョークを仕掛け、チョークスリーパーで一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "2010年9月25日、UFC 119で怪我をしたノゲイラの代わりにフランク・ミアと対戦し、3Rに右膝蹴りでKO負け。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "2011年3月19日、UFC 128でブレンダン・シャウブと対戦し、互角の展開となっていたが、3Rにミルコのローキックにシャウブのカウンターのパンチが入り、ミルコがダウン。3RKO負けを喫した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "2011年10月29日、UFC 137でロイ・ネルソンと対戦した。UFCとの契約満了を迎える試合であり、2ラウンド序盤にラッシュで攻めるなど打撃で押す場面もあったが、3RにバックマウントパンチでTKO負けを喫し、試合後に引退を示唆した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "UFC 137から約1ヵ月後の12月、キックボクシング復帰を表明し、「俺が最初に始めたスポーツはK-1だった。俺にとっては初恋の相手だし、K-1の方が魅力的でクロアチアのファンに合ってると思う。俺の闘いの炎は永遠だ」と言って自身の引退も否定した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "2012年3月10日、母国クロアチアのアリーナ・ザグレブで開催されたCro Cop Final Fightにてキックボクシング復帰初戦を行い、レイ・セフォーに3R判定3-0で勝利。なお、大会名が「Cro Cop Final Fight」となっているものの、この試合は引退試合ではないことをミルコ本人も大会前の記者会見で明言しており、さらに「今年K-1 GPが開催されるなら出場したい」と意欲を見せていた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2012年5月27日、K-1 RISING 2012~K-1 WORLD MAX FINAL16 2012~でローレン・ハヴィエ・ホルヘと対戦しKO勝ち。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "2012年10月14日、K-1 RISING 2012 WORLD GP FINAL 16でランディ・ブレイクとグランプリ1回戦を行い2-0の判定勝ち。2012年12月26日にニューヨークで行われる決勝トーナメントに駒を進めた。その後、決勝トーナメントは翌年の3月15日に延期されることになり、開催地はミルコの母国であるクロアチアのザグレブに変更された。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2013年3月15日、K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREBでは、決勝トーナメント1回戦でジャレル・ミラーに判定勝ちで降し、準決勝ではパヴェル・ズラリオフに判定勝ち。決勝ではイスマエル・ロントと対戦し2Rに得意の左ハイキックでダウンを奪い判定勝ちを収め、かつてのK-1ではなく運営が変わり規模が縮小された新生K-1ではあるが、ミルコの夢であった悲願のK-1初優勝を母国クロアチアで成し遂げ、ミルコはリング上で涙を流した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2013年11月9日、ロシアで行われたLEGEND.2で総合格闘技ルールでエメリヤーエンコ・アレキサンダーと再戦予定だったが、アレキサンダーが欠場し、代役のアレクセイ・オレイニクと対戦。三角絞めを仕掛けた際にパスガードされ、そのまま袈裟固めで一本負け。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "その後、キックボクシング団体GLORYと契約。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "2014年3月8日、母国クロアチアのアレナ・ザグレブで行われたGLORY14 ZAGREBにて、GLORY初出場。レミー・ボンヤスキーと再戦し0-2で判定負け。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2014年6月21日、GLORY 17でジャレル・ミラーと再戦。判定で勝利した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "2014年8月23日、INOKI GENOME FIGHT2で総合格闘技に復帰。石井慧と対戦し、1Rに下から肘打ちを放った際に石井がカットしてしまい、その後試合は続行するも出血がひどく2Rドクターストップ勝ち。IGF王者となった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "2014年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2014で石井慧と再戦し、2R終了間際に左ハイキックをヒットさせてそのままパンチラッシュで石井を攻め立て、インターバル中も石井が立ち上がれなかったためにTKO勝ちを収めた。後にUFCと再び契約したために王座を返上した。この後石井とは親交を深め、石井は彼の弟子になってクロアチアに練習拠点を移す。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2015年4月11日、 約4年ぶりのUFC復帰となったUFC Fight Night: Gonzaga vs. Cro Cop 2でヘビー級ランキング14位のガブリエル・ゴンザーガと再戦。3Rにクリンチ際での肘打ちでゴンザーガをグラつかせ、グラウンドでの強烈な左肘及びパウンド連打でTKO勝ちを収め、8年前のリベンジを果たした。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "2015年11月28日にUFC Fight Night: Henderson vs. Masvidalにてアンソニー・ハミルトンと対戦する予定になっていたが、米国アンチドーピング機関(USADA)のアンチドーピング規定に違反したために出場停止の仮処分を科された事が判明した。それにより11月10日にミルコは自身の公式サイトで、アンチドーピング規定に違反したからではなく、肩の怪我が深刻なため現役を引退すると発表した。また、処分に対しては「検査結果はまだ出ていない」とし、「肩に問題が起きた時、基本的な治療法はマッサージとアイシングだが、全然良くならなかった。それから肩を早く治すために血漿と成長ホルモンの注射をすることにした。成長ホルモンが禁止薬物のリストに入っていることは知ってたが、肩を治す方法が他には無かった。ほんの少量だった。欠場して休むことが一番良いことは分かっていたが、ヤケクソになった男は何でも試そうとするものだ。成長ホルモンと血漿の注射をした6日後にUSADAの検査をすることになった。血液と尿のサンプルが取られた後にすぐにUFCに報告した。血漿と成長ホルモンのことも言った。」「強くなるためにテストステロンやアナボリックステロイドを使ったことなどない。それがルールだから。金曜(6日)まで試合をキャンセルしたくないと言っていた。(4月の)ガブリエル・ゴンザーガ戦のときも5回テストを受けて、すべての結果をクリアした。土曜(7日)まで試合をするつもりだった。月曜(9日)のMRI検査で筋断裂と腱損傷が分かり、(引退を)決断した」と説明した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "2015年11月25日、USADAがミルコに2年間の出場停止処分を科したと発表し、11月4日にザグレブでミルコに競技外の抜き打ち検査を実施した時に、ミルコ自らヒト成長ホルモン(hGH)を使用したと申告があったためと、処分の理由を説明した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "後日、クロアチアの新聞社Vecernjiが、2016年1月8日にミルコがUSADAのCEOトラビス・タイガートから薬物検査の結果が全て陰性だったとことを報告するメールを受け取っていたことを報道した。ただし、薬物検査の結果に関わらず、2015年11月4日に実施した抜き打ち検査の際にミルコ本人が肩の治療のためにヒト成長ホルモンの使用と所持を認めているので、違反薬物の使用と所持を禁じているアンチドーピング規定に違反しているとして、2年間の出場停止処分が軽減又は変更されることは無かった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2016年7月16日に行われたRIZINの記者会見にてRIZIN無差別級グランプリに出場が決定。引退撤回について「それまで全てのオファーを断ってきたが、榊原さんのオファーを受けて最後に日本でやろうと思った」とコメントした。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2016年9月26日 さいたまスーパーアリーナで開催されたRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 開幕戦にて無差別級グランプリの1回戦としてRoad FC代表のミョン・ヒョンマンと対戦し肩固めで一本勝ち。試合後、マイクパフォーマンスでヴァンダレイと対戦する意思を語り、高田延彦からの呼びかけに「ヤル!」と答え、ヴァンダレイもリングに上がり「ヤッテヤル!」と答え、対戦が決定するが、ヴァンダレイは交通事故の怪我の回復が思わしくないということで欠場し、実現しなかった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "2016年12月29日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUNDにて無差別級グランプリの2回戦として、欠場したヴァンダレイの代役としてエントリーした前年のヘビー級グランプリ王者キング・モーと対戦。1Rにテイクダウンを奪われるものの、2Rにクリンチアッパーを効かせてからのパンチ連打でダウンを奪い、パウンドでTKO勝ち。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "2016年12月31日、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUNDにて無差別級グランプリ準決勝として把瑠都と対戦。クリンチ状態からのボディへの膝蹴りでKO勝ちし、グランプリ決勝へ進出。続く決勝戦ではアミール・アリアックバリと対戦。カウンターの左フックでダウンを奪い、最後は左フックでKO勝ち。優勝を果たし、10年前にPRIDE無差別級グランプリ2006で優勝した時と同じように、涙を浮かべた。母国クロアチアでは29日のキング・モーとの試合で46.04%の高視聴率を記録した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "2018年5月25日、Bellator 200にてロイ・ネルソンと再戦が決まっていたが左足前十字靭帯を損傷し、手術を受けたことにより欠場。このためイリー・プロハースカとの対戦が予定されていた7月29日のRIZIN.11も出場が見送られた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "2019年2月16日、Bellator初出場となったBellator 216でロイ・ネルソンと約8年ぶりに再戦し、3-0の判定勝ちを収め、リベンジに成功した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "2019年3月2日、トレーニング中に頭痛が続き医師の診断を受けたところ、脳内血管から微量の出血痕が確認され脳卒中と診断を受けたため、現役引退を表明した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "K-1初登場当時の1996年は、恵まれた筋肉の柔軟性や身体能力の高さは窺えたものの、その他にはさして光るものを持たなかったミルコだが、3年のブランクを経て復帰した1999年には攻撃に多彩さが増し、ミルコの代名詞といえる左ハイキックも積極的に使うようになった。しかしこの頃もっとも冴えていたものはクリンチワークであり、KOを奪えない相手にはクリンチで相手の攻撃をしのぎ、その合間に打撃を打ち込んでポイントを稼ぐというのが、ファイトスタイルの基本となっていた。総合格闘技への参戦が始まると、ミルコは急速な体のビルドアップに成功し、徐々に一撃必殺に傾倒していくようになる。ミルコのファイトスタイルはボクシングを元にテコンドーやキックボクシングをオリジナルアレンジした物であり、試合中に放つ打撃の数は極端に少なく、ジャブはほとんど打たずに、利き手利き足(ただし右利きのサウスポーであるため本来の利き手とは逆である)での打撃に終始する。右腕はラッシュをかける時以外は、ディフェンスや距離を稼ぐ時に伸ばす程度しか使用しない。絶対の自信を持つ左ハイキックや、ミドルキックを放つまでに、その他を布石として使用する彼独自の戦法である。主な例はミドルキックやローキックで相手の注意を下にさげさせ、ガードが下がった所に左ハイキックを打ち込む方法と、相手に自分のストレートの軌道を覚えさせ、ウィービングで相手の頭が傾いたところに合わせて左ハイキックを打ち込む方法がある。特に後者は、まるで相手が自らミルコの足に当たりに行っているように見える。ミルコの左ハイキックは高速で相手の視界の死角から足が急に現れる軌道のためかわされにくく、まさに一撃必殺の破壊力を持つ。ただし、ミルコの打撃はある程度の間合いがないとその効果は発揮できず、プレッシャーを掛けて前へ前へと進んでくる相手を苦手としていたが、UFCキャリア晩年から、元々のクリンチワークを利用した左肘を織り混ぜたダーティーボクシングを使うようになり、更に柔道金メダリストの石井慧との練習を重ねて向上させ、ロイ・ネルソンとの再戦では、ダーティーボクシングで打撃をヒットさせつつ相手をコントロールすることでリベンジを達成している。", "title": "ファイトスタイル" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "また、打撃技に対してはガードをほとんど使わず、スウェーとステップワークでかわす。また、ヘビー級選手とは思えないほど非常に素早く、ホーストがボブ・サップとの対戦で捕まえられてハンマーパンチを浴びたのに対し、ミルコはスピードとクリンチワークを生かして捕まえられることはなかった。マーク・ハント、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラも「ミルコは素早かった」と認めていた。", "title": "ファイトスタイル" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "一方でK-1時代から通して指摘されているのがスタミナ不足であり、本人もそのことを認めている。かつては1Rでは高いKO率を誇るが、2R以降は口を開けて呼吸する姿が目立った。これはK-1時代での鼻の怪我によって鼻呼吸が上手くできなくなってしまったものであり、しばらく処方された塗り薬を使っていたが、手術し改善された。", "title": "ファイトスタイル" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "ノゲイラ戦での逆転の腕ひしぎ十字固めによる敗北により、ファブリシオ・ヴェウドゥムを柔術コーチに迎え入れ、ディフェンスは向上したが、基本的にひたすら守りに徹し、隙があれば突き放すだけであり、攻めにおいては積極的に仕掛けたりはしないが、ガブリエル・ゴンザーガ戦では、柔術の実力者であるゴンザーガのマウントから脱出の際に足関節を狙うなど、更に寝技のスキルがアップしている。サブミッションスキルは高くないが、マウントポジションの状態でもバランスがよく、高いグラウンドスキルを持つジョシュも中々振りほどけなかったほどである。組み技に対するディフェンスにも定評があり、特にタックルを切る技術の会得の早さには目を見張るものがある。K-1参戦時から足を掴まれても倒されない腰の強さがあり、テイクダウンされてもすぐさまクロスガードを取るなど対応力もそろえている。", "title": "ファイトスタイル" } ]
ミルコ・クロコップは、クロアチアの元男性総合格闘家、元キックボクサー、元アマチュアボクサー、元国会議員。ヴィンコヴツィ出身。チーム・クロコップ主宰。元警察官でもあり、リングネームの「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意で、対テロリスト特殊部隊の"ルチェコ"に所属していた。PRIDE無差別級グランプリ2006王者。RIZIN無差別級グランプリ2016王者。K-1 WORLD GP 2012王者。 総合格闘技の試合では立ち技主体で勝負するストライカーであり、左ハイキックを武器に多くのKO勝利を挙げ、海外では「右足は病院行き、左足は墓場行き」と形容された。総合格闘技に適応した最初の本格ストライカーといわれており、ストライカーの弱点であるテイクダウンディフェンスと寝技を身に付けた。ミルコの活躍は総合格闘技界の技術体系を打撃偏重へシフトチェンジしたとも言える。2000年代初頭から2000年代半ば、特に全盛期であったPRIDE時代はヘビー級の打撃系総合格闘家として世界トップクラスの実力を誇り、エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと並んでPRIDEヘビー級三強と称された。PRIDE参戦当初はK-1からの外敵といった悪役、ヒール的な存在であったが、PRIDEでの闘いを重ねていくにつれ、PRIDEのエース格桜庭和志と肩を並べるほどの人気選手となり、PRIDEの主役とも言える存在であった。 1997年10月にはアマチュアボクシングのクロアチア代表として世界ボクシング選手権に出場。2003年12月23日から2008年1月11日まではクロアチアの国会議員を務めた。
{{Redirect|クロコップ|日本のお笑いコンビ|クロコップ (お笑いコンビ)}} {{Infobox martial artist | name = ミルコ・クロコップ | image = Mirko Cro Cop.png | image_size = | caption = | birth_name = ミルコ・フィリポヴィッチ<br />(Mirko Filipovi&#263;) | birth_date = {{生年月日と年齢|1974|9|10}} | birth_place = {{YUG1945}}<br />[[クロアチア社会主義共和国]]、[[ヴィンコヴツィ]] | death_date = <!-- {{死亡年月日と没年齢|YYYY|MM|DD|yyyy|mm|dd}} --> | death_place = | native_name = | native_name_lang = | nickname = クロコップ (Cro Cop)<br />最強の愛国戦士<br />ターミネーター<br />プロレスハンター | residence = | nationality = {{CRO}} | ethnicity = | height = 188 cm<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sherdog.net/forums/showthread.php?t=763760|title=Sherdog.com ミルコ・クロコップとのチャットセッション|accessdate=2008-04-10}}</ref> | weight = 106 kg | weight_class = [[ヘビー級]] | reach = 185 cm | style = [[キックボクシング]] | stance = | fighting_out_of = | team = [[ドージョー・チャクリキ|タイガージム]]<br />→クロコップ・スクワッド<br />→[[チーム・クロコップ]] | teacher = | trainer = | rank = [[テコンドー]] (黒帯) | wrestling = | years_active = | mma_kowin = 30 | mma_subwin = 4 | 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[[イーヴォ・サナデル]] | party = [[無所属]] | otherparty = [[クロアチア社会民主党]] (SDP) | religion = }} }} '''ミルコ・クロコップ'''(Mirko Cro Cop、[[1974年]][[9月10日]] - )は、[[クロアチア]]の元男性[[総合格闘家]]、元[[キックボクサー]]、元アマチュアボクサー、元[[サボル (クロアチア議会)|国会議員]]。[[ヴィンコヴツィ]]出身。[[チーム・クロコップ]]主宰。元[[警察官]]でもあり、[[リングネーム]]の「クロコップ」は、英語で「クロアチア人のコップ(警官)」の意で、対[[テロリスト]][[特殊部隊]]の"{{仮リンク|ルチェコ|en|Lučko Anti-Terrorist Unit}}"に所属していた。[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]][[無差別級]]グランプリ2006優勝。[[RIZIN]]無差別級グランプリ2016優勝。[[K-1]] WORLD GP 2012優勝。 [[総合格闘技]]の試合では立ち技主体で勝負する[[ストライカー (格闘技)|ストライカー]]であり、左[[ハイキック]]を武器に多くのKO勝利を挙げ、海外では「右足は病院行き、左足は墓場行き」と形容された。総合格闘技に適応した最初の本格ストライカーといわれており、ストライカーの弱点である[[テイクダウン]]ディフェンスと[[寝技]]を身に付けた。ミルコの活躍は総合格闘技界の技術体系を打撃偏重へシフトチェンジしたとも言える。2000年代初頭から2000年代半ば、特に全盛期であったPRIDE時代はヘビー級の打撃系総合格闘家として世界トップクラスの実力を誇り、[[エメリヤーエンコ・ヒョードル]]、[[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]と並んで'''PRIDEヘビー級三強'''と称された。PRIDE参戦当初はK-1からの外敵といった悪役、ヒール的な存在であったが、PRIDEでの闘いを重ねていくにつれ、PRIDEのエース格[[桜庭和志]]と肩を並べるほどの人気選手となり、PRIDEの主役とも言える存在であった。 1997年10月には[[アマチュアボクシング]]のクロアチア代表として[[AIBA世界ボクシング選手権|世界ボクシング選手権]]に出場。2003年12月23日から2008年1月11日まではクロアチアの国会議員を務めた。 == 来歴 == [[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]][[クロアチア社会主義共和国]](のちの[[クロアチア]])の都市、[[ヴィンコヴツィ]]に生まれる。しかし少年期に暮らしていた町が民族紛争に巻き込まれ、友人たちが次々と死んでいくという過酷な経験をきっかけに格闘技を学び始めた。この時期のことをミルコは後年、「その頃の私は戦争に対する怒りに任せて、ひたすら体を鍛え続けるようになっていた。自分が強い男になってみんなを守り、もう誰も死なせないと心に誓ったからだ」と述懐している。当初は専門的なジムに通う経済的余裕も無く、父親が砂袋や綿で造ったグローブやパンチバッグを使って、独学で空手、キックボクシングなどの習得に励んだ。この頃、鉄棒の両端に石を結び付けた手作りの[[バーベル]]で、[[ウエイトトレーニング]]をする様子を撮影した写真が残っている。 7歳の頃[[テコンドー]]を始め、その後に[[空手道|空手]]を始めたが、[[ユーゴスラビア紛争]]の激化により断念し、紛争が収まった数年後にようやくトレーニングを再開した。18歳の時に、[[通信士]]としてクロアチア軍に入隊。そこでクロアチアのキックボクシングナショナルチームでのトレーニングを希望し、上官に「私はあなたが将来特別な兵士になるとは思わないが、いつか良いファイターになると信じている。だから通信を学ぶ必要はない。あなたを解放するので、その分、1日に2回トレーニングを積んで欲しい。そしていつか母国に誇りを持たせて欲しい」と許可されると、19歳で[[キックボクシング]]を始めた。 幼少期から紛争地帯で凄惨な光景を目の当たりにしてきたためか、インタビュー内で「戦争は愚かで悲しいだけだ」と述べるなど、戦争に対する激しい嫌悪を公言している。[[ボブ・サップ]]戦の前日記者会見で当時開戦したばかりの[[イラク戦争]]に言及が及ぶと、涙ながらに反対を表明した<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200303/0329sn_02.html ミルコ反戦、K−1平和訴える サップは異例の会見欠席] スポーツナビ 2003年3月29日</ref>。 === 日本初登場、K-1 === ; K-1 GP 1996 [[1996年]]3月10日、K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦で日本のリングに初登場。[[K-1]]初代王者である[[ブランコ・シカティック]]の一番弟子として、'''ミルコ・タイガー'''<ref>「タイガー」はシカティックの持つ道場名「[[ドージョー・チャクリキ|チャクリキ・タイガージム]]」に因んでいる。</ref>のリングネームで出場し、GP1回戦で前年GP準優勝者の[[ジェロム・レ・バンナ]]からダウンを奪い、3-0の判定勝ちを収めた。 1996年5月6日、K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦のGP準々決勝では[[アーネスト・ホースト]]のテクニックとローキックに翻弄され、3RにTKO負けを喫した。 === アマチュアボクシング === この試合以降ミルコは師ブランコ・シカティックと決別し、3年間に渡って日本のリングから遠ざかった。その間は[[アマチュアボクシング]]の試合に多く出場しており、国内王者に3度輝き、[[地中海競技大会]]では銅メダル獲得、 [[軍人ワールドカップ|軍人世界選手権]]では銀メダル獲得など実績を上げ、1997年10月にはクロアチア代表として[[1997年世界ボクシング選手権大会|世界ボクシング選手権]]に出場した。また同時期に、対[[テロリスト]][[特殊部隊]]の"{{仮リンク|ルチェコ|en|Lučko Anti-Terrorist Unit}}"に配属され、[[サボル (クロアチア議会)|国会議員]]に当選するまでの6年間任務に就いた。 === K-1復帰 === [[1999年]]4月25日、K-1 REVENGE '99に出場し、約3年ぶりのK-1復帰を果たした。'''ミルコ・"クロコップ"・フィリポビッチ'''とリングネームも変え、[[ヤン・ノルキヤ|ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ]]に左ストレートで4RKO勝ちを収めた。 1999年6月20日、K-1 BRAVES '99に出場し、GP予選1回戦でリッキー・ニケルソンに右ハイキックで1RKO勝ち。GP予選準決勝では[[ジャビット・バイラミ]]に延長1R判定負けを喫し、GPの出場権を逃したが、怪我人の発生で推薦枠でのGP出場が決まった。 ; K-1 GP 1999 準優勝 1999年10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦に出場し、GP1回戦で[[マイク・ベルナルド]]からハイキックでいきなりダウンを奪うと、一気にラッシュを叩き込んで2つ目のダウンを奪って1RKO勝ちし、K-1四天王の1人を倒したことで一躍脚光を浴びるようになる。 1999年6月12月5日のK-1 GRAND PRIX '99 決勝戦では、GP準々決勝で[[武蔵 (格闘家)|武蔵]]に2RKO勝ち、GP準決勝で[[サム・グレコ]]に2RKO勝ちして決勝まで駒を進めたが、武蔵戦で痛めた脇腹を、続くグレコ戦でも痛めて肋骨を骨折してしまったこともあり、GP決勝では[[アーネスト・ホースト]]にその部分を攻められボディ打ちで3RKO負けを喫し、グランプリ準優勝に終わった。 その後リングネームを'''ミルコ・クロコップ'''に変更。かつてのやや細身で迫力を欠く体格はビルドアップされ、更にポーカーフェイスの精悍な顔つきも相まって「[[ターミネーター]]」のニックネームが定着。この頃から人気と実力を兼ね備えた、次世代を担う選手として注目されるようになった。 [[2000年]]3月19日、K-1 BURNING 2000で[[天田ヒロミ]]と対戦。元[[暴走族]]と現役警察官の対決だったため、天田は暴走族を、ミルコは警官隊を引き連れて入場するというパフォーマンスを披露。試合は4RでミルコがKO勝ちを収めた。 2000年6月3日、[[アンディ・フグ]]の母国[[スイス]]での引退試合の相手を務める。お互い決定打に欠けたが、手数で勝ったフグに判定負けとなった。少年の頃からフグに憧れていたというミルコは、母国引退となるフグを笑顔で讃えた。 2000年10月9日、K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAのGP予選トーナメントでは、GP予選1回戦で[[グラウベ・フェイトーザ]]に判定勝ち、GP予選準決勝で天田ヒロミに判定勝ちを収めた。GP予選決勝の相手はマイク・ベルナルドであったが、この予選トーナメントのファイナリスト2人が12月の決勝大会へと出場できるため、すでに出場権を手に入れていたミルコは、準決勝で怪我をしたこともあり決勝では無理をせず1R終了後に自らタオル投入によるTKO負けを選択し、ベルナルドにリベンジを許した。 ; K-1 GP 2000 2000年12月、K-1 WORLD GP 2000 決勝戦では準々決勝でアーネスト・ホースト相手に延長まで持ち込むものの、延長に入ると試合をリードされ0-3で判定負けに終わった。 [[2001年]]3月17日、K-1 GLADIATORS 2001の[[ピーター・アーツ]]戦では、序盤にハイキックとパンチのラッシュでめ込むも、後半は膝蹴りを受けスタミナ切れを起こし失速。最後はクリンチ合戦となった末、ミルコが辛くも競り勝ち2-0で判定勝利を収めた。 2001年6月16日、K-1 WORLD GP in MELBOURNEではGP予選トーナメント1回戦で[[マイケル・マクドナルド (格闘家)|マイケル・マクドナルド]]と対戦。相手を格下と見て、試合中に腕を回すなどの挑発行為や余裕な態度をとったが、クリンチをして密着した状態でマクドナルドが放ったパンチを顎に受けてグラついてしまいそのままラッシュを受けて1RKO負けし、まさかの初戦敗退となった。 === K-1・総合格闘技両立時代 === ; 総合格闘技初挑戦での番狂わせ 2001年8月19日、K-1 ANDY MEMORIAL 2001にて、K-1と[[アントニオ猪木|猪木軍]]との対抗戦に出場することとなり、3分5Rの[[総合格闘技]]ルールで猪木軍のエース[[藤田和之]]と対戦する。試合は下馬評を覆して、藤田のタックルに膝蹴りを合わせ大流血に追い込み、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた。後にミルコがこの勝利が大きな転機となったとコメントしているように、この総合格闘技ルールでの番狂わせの勝利が、後の総合格闘技への転向、そしてPRIDE出場に繋がることになった。 2001年10月8日、K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKAの敗者復活トーナメントに出場予定だったが、9月11日の[[アメリカ同時多発テロ事件]]発生の影響で、当時警察官だったミルコは国内待機となり、GP出場は断念した。 ; PRIDE初出場 2001年11月3日、[[PRIDE.17]]で[[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]]初出場を果たした。藤田戦と同じルールでの[[髙田延彦|高田延彦]]との対戦は、高田が試合序盤でミルコにローキックをカットされ右足踵骨を骨折したためリングに腰を降ろしてグラウンドに誘う作戦に出たが、ミルコはこれを拒否し続け、[[猪木アリ状態]]のまま試合は終了しドローとなった。ミルコは試合後、激怒し「気分が悪い。高田はチキンだ。」「藤田は本物のファイター。高田は偽者のファイター。」と罵倒したが、後に高田が足を骨折していたことを知ると謝罪に近い言葉を述べ、互いのわだかまりはなくなっている。 2001年12月31日、[[INOKI BOM-BA-YE 2001]]にてプロレスラーの[[永田裕志]]と総合格闘技ルールで対戦し、試合開始から21秒後には左ハイキック一撃で永田をリングに沈め、藤田、高田、永田の3人のプロレスラーを倒したことでプロレスハンターと呼ばれるようになった。 ; ハント戦 [[2002年]]3月3日、K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYAで、前年GP王者[[マーク・ハント]]と対戦。試合序盤はハントを翻弄し、3Rに左ハイキックでダウンを奪う。後半はハントのプレッシャーや打撃により逆襲を受ける展開となってしまうが、その反撃をかわし切り判定で勝利した。試合後には笑顔一つも見せずにハントの祝福にも首を振っていたが、この勝利を以って改めて「K-1王者になりたい」と語り、一方で総合格闘技への本格的な挑戦も語った。 ; ヴァンダレイ第1戦 2002年4月28日、[[PRIDE.20]]では総合格闘技4戦目でPRIDEミドル級王者[[ヴァンダレイ・シウバ]]と対戦。ルールは3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はスタンドからのリスタートという、総合格闘技経験の浅い当時のミルコに配慮した特別ルールとなった。また両者の体重差に配慮して98kg契約だったが、計量時はミルコよりもシウバの方が体重を上回っていた。この試合は「K-1vsPRIDE 頂上決戦」と評された。ミルコの左ミドルキックがシウバの脇腹を抉り、紫色に腫れ上がらせた一方、シウバもミルコから数度のテイクダウンを奪い、スタンドでも手数で上回っていた。試合は規定により時間切れドローに終わった。 再びK-1に戻り、2002年4月7月14日のK-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKAでは、後のGP王者[[レミー・ボンヤスキー]]にパンチの連打で2RTKO勝ちし、GP本戦の切符を手に入れた。 ; 桜庭戦 2002年8月28日、「[[Dynamite!]]」で[[桜庭和志]]と対戦。ルールはミルコにとっては初めての5分3R制のPRIDE特別ルールとなった。なお、体重は20kg近くミルコが重かった。2Rに桜庭にテイクダウンを奪われたものの、脱出の際の顔面への蹴り上げで桜庭の右目が腫れ上がり、眼窩底骨折の疑いでドクターストップがかかりTKO勝利となった。その後[[椎間板ヘルニア]]を理由にK-1 WORLD GP 2002を欠場、長期休暇を取ったこの間に長年交際してきた女性と結婚している。 2002年12月31日、[[INOKI BOM-BA-YE 2002]]にて藤田和之と総合格闘技ルールで再戦し、危なげない試合運びで判定勝ちを収め返り討ちにした。 ; サップ戦 [[2003年]]3月30日、K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMAで当時人気絶頂にあった[[ボブ・サップ]]と対戦。体格差に押されるシーンが多かったがフットワークでいなし、左ミドルからのワンツーでKO勝利を挙げた。勝利直後、普段はKO勝利してもクールなミルコにしては珍しくコーナーポストに駆け上がり、雄たけびを上げた。風邪を引いて高熱でコンディションが悪く、母国クロアチアでは衛星生中継されている重圧から開放されてうれしかったと後に語っている。なお、クロアチアでのこの試合の視聴率は約50%であった。試合後、サップは右眼窩内側壁骨折および右眼窩壁骨折と診断された<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200304/0402sn_01.html サップ骨折癒えず 復活に黄信号も「再戦は避けられない」] スポーツナビ 2003年4月2日</ref><ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/838595 ミルコ・クロコップが完全引退。超ストイックな闘争本能の記憶。] NumberWeb 2019/03/13 16:30(2020年2月3日閲覧)</ref>。この試合を境にミルコはK-1、キックボクシングからしばらく離れる。 === PRIDE === 2003年6月8日、[[PRIDE.26]]からPRIDEシリーズに本格参戦。当時のPRIDEヘビー級3強の1人と言われた[[ヒース・ヒーリング]]と通常PRIDEルール(1R10分、2・3R各5分)で対戦、強烈な左ミドルキックからのパウンドでTKO勝利。試合後、ミルコはPRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルへの挑戦を宣言した。なおこの試合は母国クロアチアでも当日[[遅れネット|ディレイ放送]]され70%超の視聴率を叩き出した。 2003年8月10日、[[PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦]]で[[イゴール・ボブチャンチン]]に強烈な左ハイキックで1R1分29秒KO勝利。ヒョードルの保持するヘビー級王座への挑戦を決定的なものとした。10月5日には「PRIDE武士道」に出場。自らこの試合をタイトルマッチのためのクールダウンと称し、[[アルベルト・ロドリゲス|ドス・カラスJr]]に左ハイキックで1R46秒でKO勝利。 ; ノゲイラ戦 2003年11月9日、[[PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦]]ではPRIDEヘビー級暫定王座決定戦として[[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]との対戦を迎えた。本来ならこの大会でPRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルに挑戦するはずだったものの、ヒョードルの怪我によりノゲイラとの暫定王座決定戦となった。1Rはミルコが打撃で圧倒し、終了間際に左ハイキックを放ち、完全な形ではないがヒットさせてノゲイラからダウンを奪った。2R開始直後、初めてテイクダウンを奪われるとパウンドを浴びて、グラウンドの展開から脱出しようとした際にノゲイラに[[腕挫十字固|腕ひしぎ十字固め]]を極められてしまいタップアウト負け。これにより総合格闘技での無敗記録がストップした。 試合後のセレモニーで、暫定王者のベルトを与えられるノゲイラの姿を見つめながら、ミルコはリングの片隅で涙を浮かべていた。 2003年12月31日の[[INOKI BOM-BA-YE 2003]]に出場し[[高山善廣]]と対戦予定だったが、直前になって出場をキャンセルした。 [[2004年]]2月1日、[[PRIDE.27]]で[[ロン・ウォーターマン]]と対戦。序盤からいきなりテイクダウンを奪われるも、スタンドに復帰後すぐさま左ハイキックでダウンを奪い、[[サッカーボールキック]]を浴びせてKO勝利。2週間後、2月15日の[[PRIDE 武士道 -其の弐-]]では[[山本宜久]]にTKO勝利する。 ; PRIDE GP 2004 2004年4月25日、[[PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦]]のPRIDEヘビー級GP1回戦で[[ケビン・ランデルマン]]と対戦。満を持して臨んだトーナメントで、ミルコを優勝候補に挙げる声も多かったが、1R1分57秒、左フックからのパウンドでまさかの失神KO負けを喫した。 2004年8月15日、[[PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦]]ではPRIDEヘビー級王者ヒョードルの弟の[[エメリヤーエンコ・アレキサンダー]]と対戦、20キロ以上の体重差を問題にせず左ハイキックでKO勝利。観衆はミルコの鮮烈な復活劇を歓喜で迎えた。この勝利により、ミルコはPRIDEトップ戦線への返り咲きを果たした。 2004年10月31日、[[PRIDE.28]]でパンクラス無差別級王者、元[[UFC]]世界ヘビー級王者の[[ジョシュ・バーネット]]と対戦。「最後の大物」とも呼ばれたバーネットとの対決は、ファンの期待を大いに高めたが、1R46秒、バーネットの左肩の脱臼による[[タップアウト]]により、勝利するも消化不良のまま終わった。 2004年12月31日、[[PRIDE 男祭り 2004]]ではケビン・ランデルマンと再戦、[[フロントチョーク]]で一本勝ちを収め、リベンジを果たした。 [[2005年]]2月20日、[[PRIDE.29]]で[[マーク・コールマン]]と対戦。コールマンのタックルを完封し、1R3分42秒右アッパーでKO勝ちし、PRIDEヘビー級王座への挑戦権を獲得した。 ; ヒョードル戦 2005年8月28日、[[PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦]]でついにPRIDEヘビー級王者[[エメリヤーエンコ・ヒョードル]]に挑戦。「21世紀最初の世紀の一戦」と評されたこの試合で、ミルコはバックステップで下がりながらも打撃をヒットさせるが、1R中盤にテイクダウンを奪われるとそこから一気にヒョードルペースとなる。2、3Rはスタンドの打撃でもヒョードルにリードされた。ミルコはヒョードルの攻撃に[[グラウンドポジション#ガードポジション|ガードポジション]]で耐えたものの、ヒョードルの優位は動かず判定0-3で敗れ、王座獲得に失敗した。 2005年10月23日、[[PRIDE.30]]で[[ジョシュ・バーネット]]と再戦。「ミルコには間合いを空けずプレッシャーをかけ続ければ良い」という持論をバーネットが実践、打撃が思うように出せず劣勢に立たされるが、終盤にスタンドでパンチを集めることに成功し、3-0で判定勝利を収めた。 2005年12月31日、[[PRIDE 男祭り 2005]]において、2004年からPRIDEへ参戦した[[マーク・ハント]]とのストライカー頂上対決が組まれるも足首の負傷と体調不良による高熱により序盤から調子が上がらず、ハントに主導権を握られる。左ハイキックを完璧にヒットさせる場面もあったが1-2で判定負けを喫し、K-1時代のリベンジを許してしまった。足首の負傷のためかこの試合ではミルコにしては珍しくレスリングシューズを履いて試合を行った。 ; PRIDE無差別級GP 2006 優勝 [[2006年]]5月5日、[[PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦]]に出場し、GP1回戦で[[ミノワマン|美濃輪育久]]に1R1分10秒、パウンドでTKO勝利。 2006年7月1日、[[PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND]]のGP2回戦では、日本重量級のエース[[吉田秀彦]]と対戦し、ローキックによるTKO勝利。 ; ヴァンダレイ第2戦 2006月9月10日、[[PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦]]のGP準決勝では、[[ヴァンダレイ・シウバ]]と4年ぶりに再戦。シウバのパンチを殆ど見切り、更にシウバを右眼負傷に追い込み、左ハイキックで失神KO勝利。因縁の再戦を完全勝利で収めた。この試合は、「ファンが選ぶ2006年ベストバウト&MVP」のベストバウトにて1位となった。 続くGP決勝ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを準決勝で破った[[ジョシュ・バーネット]]と3度目の対戦となったが、序盤から圧倒しボディブローでダウンを奪うとインサイドガードから鉄槌・パウンドを連打。この時の攻防でミルコの手がバーネットの眼に当たり、一時的に視力を失ったバーネットがタップアウト。アクシデントも手伝ったが、内容は一方的なものであり、バーネットは「今日はミルコのための夜だった」と讃えた。自身の32歳の誕生日に初めてのメジャータイトルを戴冠し、リング上で男泣きするミルコの姿に、会場からは暖かい拍手が送られた。優勝により、[[エメリヤーエンコ・ヒョードル]]の持つPRIDEヘビー級王座への挑戦権を手にしたものの、ミルコのUFC移籍のため実現しなかった。ミルコは前述の「ファンが選ぶ2006年ベストバウト&MVP」にて、MVPの2位に選ばれた。 === UFC・DREAM === [[ファイル:Mirko_Cro_Cop_vs_Pat_Barry_UFC_115.jpg|thumb|試合中のミルコ]] [[2006年]]12月30日、[[UFC]]への参戦を表明し、PRIDEから離脱した。 [[2007年]]2月3日、UFC初出場となった[[UFC 67]]で[[エディ・サンチェス]]と対戦。ミルコの打撃を警戒するサンチェスを追い込み、1RマウントパンチによるTKOで勝利し、アメリカ進出は白星デビューとなった。 [[2007年]]4月21日、勝てばタイトルマッチといわれた[[UFC 70]]の[[ガブリエル・ゴンザーガ]]との対戦ではミドルを掴まれてテイクダウンを許した後グラウンドで頭部へ何度も肘打ちを受け続け、最後は右ハイキックを被弾し失神KO負けを喫した。試合後には、スタンドに戻った際にすでにグラウンドでの肘打ちにより大きなダメージを受けていたことや、UFCのルールへの対策が甘く、肘打ちに対する防御の練習を怠っていたことを語った。 [[2007年]]9月8日、[[UFC 75]]で[[シーク・コンゴ]]と対戦。序盤は優勢に試合を進めるも、中盤からはローブローも重なって急激に失速。最終的にコンゴに巻き返される形となり、0-3の判定負けを喫した。この時期からたび重なる怪我と手術の影響により、PRIDEの時のようなキレのある動きができなくなってしまう。 [[2008年]]は一端UFCを離れ、日本の新団体[[DREAM (格闘技イベント)|DREAM]]に参戦した。3月15日の旗揚げ戦[[DREAM.1]]で[[水野竜也]]と対戦し、開始55秒TKO勝ち。 2008年6月15日、[[DREAM.4]]で[[ハレック・グレイシー]]と「グラップリング・チャレンジマッチ」で対戦予定であったが、ミルコが遺恨のある練習パートナーの[[ギルバート・アイブル]]と実戦練習した際に両者がヒートアップして、アイブルはアキレス腱を断裂し、ミルコは右肘靱帯を亜脱臼してしまう。ミルコはその状態のまま練習を続けたため、さらに右肘の状態を悪化させてしまい、ハレックとの試合前にドクターストップ。急遽欠場となる<ref>[http://www.dreamofficial.com/news/detail.php?id=1213017943 ミルコ・クロコップが右肘靱帯亜脱臼のため『DREAM.4』を欠場!!] DREAM公式サイト 2008年6月9日</ref>。その後、[[DREAM.5]]にも出場予定となるが、怪我の回復が間に合わず欠場となった。この怪我により、のちにUFCで対戦する[[フランク・ミア]]が対戦前にミルコを研究していた時に、「ミルコは右のパンチがある時期を境におかしくなっている。何か大きな怪我でもしたんじゃないか。」と語るように、ミルコはその後パンチの能力が落ちていくこととなる。 [[2008年]]9月23日、[[DREAM.6]]で[[アリスター・オーフレイム]]と対戦するが1R6分9秒、アリスターの膝蹴りが何度も下腹部に入り、ミルコが悶絶。数分間の回復時間が与えられ試合は再開されるが、再度アリスターの膝蹴りがミルコの下腹部に入り試合続行不可能となりドクターストップ。審議の結果、アリスターの下腹部への攻撃は故意ではなかったという判断によりノーコンテストとなった<ref>[http://www.boutreview.com/2/reports/dream/080924dream.html DREAM 秋山・青木・ヒョードル… 大晦日へアピール合戦] BoutReview 2008年9月24日</ref>。 2008年12月31日、[[Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜]]で[[チェ・ホンマン]]とDREAMルールで対戦。両者にイエローカードが提示されるほど両者とも手が出ない試合となったが、試合序盤からミルコが何度も放っていたローキックが徐々にホンマンの足にダメージを与えており、1R開始6分を過ぎた頃にミルコの左ローキックでホンマンが崩れ落ちてKO勝ちを収めた。 [[2009年]]6月13日、[[ドイツ]]で開催された[[UFC 99]]で[[ムスタファ・アルターク]]と1年9か月ぶりのUFC復帰戦を行い、スタンドパンチでTKO勝ち<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/900297.html 【UFC99】ミルコ、1年9ヶ月振りのオクタゴンで快勝] MMAPLANET 2009年6月14日</ref>。 2009年9月19日、[[UFC 103]]で[[ジュニオール・ドス・サントス]]と対戦するも打撃で圧され、3Rに膝蹴りと目へのアッパーで一時的に失明状態に陥り、ギブアップ負け<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/999042.html 【UFC103】ミルコ、ドスサントスに言い訳のきかない完敗] MMAPLANET 2009年9月20日</ref>。試合後、引退を示唆する発言をした<ref>[http://www.mmanews.com/ufc/Cro-Cop-Down-On-Himself-After-UFC-103-Loss-Talks-Retiring.html Cro Cop Down On Himself After UFC 103 Loss, Talks Retiring] MMANEWS 2009年9月21日</ref>。 サントス戦から半年~1年後、バリー戦前にミルコはGONG格闘技の特集やMMA Weeklyなどの海外格闘技系のサイトのインタビューで、この頃の自身のコンディションを振り返る機会があった。その際には、「俺の膝は2008年頃から完全に壊れていた。膝の手術だけで(PRIDE後期から2009年頃までに)3度受けたが、アルターク戦でも蹴りをまったく出さなかったように、あの時期は術後で膝がまだ治っていなかった。ドス・サントス戦でも膝の状態が完全に治っておらず、医者に試合を行うことを止められたし、蹴りを打つことも禁止されていた。(このような状態で)サントス戦を受けたのは良い判断ではなかったかもしれないが…、でも俺はファイターだから良いコンディションじゃなくても競い合いたいし、戦いたかったんだ。」と明かしている。サントス戦では医者に禁止されていた蹴りを放ったが、その際に激痛を感じてその後は何度も蹴るのはやめたという。それほどミルコの膝の怪我は深刻になってきており、足だけではなく腕や脳へのダメージも含めて、長年の戦いにより体中がボロボロになっていたと述懐している。 [[2010年]]2月20日、[[オーストラリア]]で開催された[[UFC 110]]で[[ベン・ロズウェル]]と対戦予定だったが、ロズウェルが現地に到着後、ウイルス性胃腸炎にかかってしまい急遽欠場。代わりに急遽呼ばれた代打の[[アンソニー・ペロシュ]]と対戦。2Rにグラウンドでの肘打ちでペロシュの額をカットさせ、2R終了時にドクターストップによるTKO勝ちとなった<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1154065.html 【UFC110】ミルコ、代役ペロッシュ破りUFC3勝3敗に] MMAPLANET 2010年2月22日</ref>。 2010年6月12日、[[UFC 115]]で[[パット・バリー|パトリック・バリー]]と対戦。1Rにバリーのパンチで2度ダウンを奪われるも、3Rにパンチでバリーをぐらつかせてダウンを奪うとそのまま背後からバリーにチョークを仕掛け、チョークスリーパーで一本勝ち<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1239412.html 【UFC115】ミルコが一本勝ち、お茶目にアピールも] MMAPLANET 2010年6月13日</ref>。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した。 2010年9月25日、[[UFC 119]]で怪我をしたノゲイラの代わりに[[フランク・ミア]]と対戦し、3Rに右膝蹴りでKO負け<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1309677.html 【UFC119】ミア×ミルコ、静かな展開もラストは衝撃的に] MMAPLANET 2010年9月26日</ref>。 [[2011年]]3月19日、[[UFC 128]]で[[ブレンダン・シャウブ]]と対戦し、互角の展開となっていたが、3Rにミルコのローキックにシャウブのカウンターのパンチが入り、ミルコがダウン。3RKO負けを喫した<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1473213.html 【UFC128】シャウブがKO勝利、ミルコに右フック一閃] MMAPLANET 2011年3月20日</ref>。 2011年10月29日、[[UFC 137]]で[[ロイ・ネルソン]]と対戦した。UFCとの契約満了を迎える試合であり、2ラウンド序盤にラッシュで攻めるなど打撃で押す場面もあったが、3RにバックマウントパンチでTKO負けを喫し、試合後に引退を示唆した<ref>{{Cite web|和書|date=2011-10-30|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/ufc/headlines/20111030-00000017-spnavi-fight.html|title=ミルコ、TKO負けで3連敗「これが最後」と引退表明=UFC|publisher=[[スポーツナビ]]|accessdate=2011-10-30}}</ref>。  === キックボクシング復帰・IGF === UFC 137から約1ヵ月後の12月、キックボクシング復帰を表明し、「俺が最初に始めたスポーツはK-1だった。俺にとっては初恋の相手だし、K-1の方が魅力的でクロアチアのファンに合ってると思う。俺の闘いの炎は永遠だ」と言って自身の引退も否定した<ref>[http://www.mmafighting.com/2011/12/09/despite-close-to-ufc-career-mirko-cro-cop-plans-return-to-kickb Despite Close to UFC Career, Mirko Cro Cop Plans Return to Kickboxing] MMAFighting 2011年12月9日</ref>。 [[2012年]]3月10日、母国[[クロアチア]]の[[アリーナ・ザグレブ]]で開催された[[Cro Cop Final Fight]]にてキックボクシング復帰初戦を行い、[[レイ・セフォー]]に3R判定3-0で勝利。なお、大会名が「Cro Cop Final Fight」となっているものの、この試合は引退試合ではないことをミルコ本人も大会前の記者会見で明言しており、さらに「今年K-1 GPが開催されるなら出場したい」と意欲を見せていた<ref>[http://www.fightersonlymag.com/content/news/15495-crocop-not-retiring-wants-to-win-k-1-gp-this-year CroCop not retiring, wants to win K-1 GP this year] Fighters Only 2012年1月25日</ref>。 2012年5月27日、K-1 RISING 2012~K-1 WORLD MAX FINAL16 2012~でローレン・ハヴィエ・ホルヘと対戦しKO勝ち。 2012年10月14日、[[K-1 RISING 2012 WORLD GP FINAL 16]]でランディ・ブレイクとグランプリ1回戦を行い2-0の判定勝ち。2012年12月26日にニューヨークで行われる決勝トーナメントに駒を進めた。その後、決勝トーナメントは翌年の3月15日に延期されることになり、開催地はミルコの母国である[[クロアチア]]の[[ザグレブ]]に変更された。 [[2013年]]3月15日、[[K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREB]]では、決勝トーナメント1回戦でジャレル・ミラーに判定勝ちで降し、準決勝ではパヴェル・ズラリオフに判定勝ち。決勝ではイスマエル・ロントと対戦し2Rに得意の左[[ハイキック]]でダウンを奪い判定勝ちを収め、かつてのK-1ではなく運営が変わり規模が縮小された新生K-1ではあるが、ミルコの夢であった悲願のK-1初優勝を母国クロアチアで成し遂げ、ミルコはリング上で涙を流した。 2013年11月9日、ロシアで行われたLEGEND.2で総合格闘技ルールで[[エメリヤーエンコ・アレキサンダー]]と再戦予定だったが、アレキサンダーが欠場し、代役の[[アレクセイ・オレイニク (格闘家)|アレクセイ・オレイニク]]と対戦。[[三角絞め]]を仕掛けた際にパスガードされ、そのまま[[袈裟固め]]で一本負け。 その後、キックボクシング団体[[GLORY (格闘技)|GLORY]]と契約。 [[2014年]]3月8日、母国クロアチアのアレナ・ザグレブで行われたGLORY14 ZAGREBにて、GLORY初出場。レミー・ボンヤスキーと再戦し0-2で判定負け。 2014年6月21日、GLORY 17でジャレル・ミラーと再戦。判定で勝利した。 2014年8月23日、INOKI GENOME FIGHT2で総合格闘技に復帰。[[石井慧]]と対戦し、1Rに下から肘打ちを放った際に石井がカットしてしまい、その後試合は続行するも出血がひどく2Rドクターストップ勝ち。[[IGF王座|IGF王者]]となった<ref>{{Cite web|和書|date=2014-08-23 |url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/304651/ |title=【IGF両国大会】石井流血で王座陥落 ミルコに額割られドクターストップ |publisher=[[東京スポーツ]] |accessdate=2014-08-24}}</ref>。 2014年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2014で石井慧と再戦し、2R終了間際に左ハイキックをヒットさせてそのままパンチラッシュで石井を攻め立て、インターバル中も石井が立ち上がれなかったためにTKO勝ちを収めた。後にUFCと再び契約したために王座を返上した。この後石井とは親交を深め、石井は彼の弟子になってクロアチアに練習拠点を移す。 === UFC復帰、引退 === [[2015年]]4月11日、 約4年ぶりのUFC復帰となった[[UFC Fight Night: Gonzaga vs. Cro Cop 2]]でヘビー級ランキング14位の[[ガブリエル・ゴンザーガ]]と再戦。3Rにクリンチ際での肘打ちでゴンザーガをグラつかせ、グラウンドでの強烈な左肘及びパウンド連打でTKO勝ちを収め、8年前のリベンジを果たした。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞。 2015年11月28日に[[UFC Fight Night: Henderson vs. Masvidal]]にてアンソニー・ハミルトンと対戦する予定になっていたが、米国アンチドーピング機関(USADA)のアンチドーピング規定に違反したために出場停止の仮処分を科された事が判明した。それにより11月10日にミルコは自身の公式サイトで、アンチドーピング規定に違反したからではなく、肩の怪我が深刻なため現役を引退すると発表した。また、処分に対しては「検査結果はまだ出ていない」とし、「肩に問題が起きた時、基本的な治療法はマッサージとアイシングだが、全然良くならなかった。それから肩を早く治すために血漿と[[成長ホルモン]]の注射をすることにした。成長ホルモンが禁止薬物のリストに入っていることは知ってたが、肩を治す方法が他には無かった。ほんの少量だった。欠場して休むことが一番良いことは分かっていたが、ヤケクソになった男は何でも試そうとするものだ。成長ホルモンと血漿の注射をした6日後にUSADAの検査をすることになった。血液と尿のサンプルが取られた後にすぐにUFCに報告した。血漿と成長ホルモンのことも言った。」「強くなるためにテストステロンやアナボリックステロイドを使ったことなどない。それがルールだから。金曜(6日)まで試合をキャンセルしたくないと言っていた。(4月の)ガブリエル・ゴンザーガ戦のときも5回テストを受けて、すべての結果をクリアした。土曜(7日)まで試合をするつもりだった。月曜(9日)のMRI検査で筋断裂と腱損傷が分かり、(引退を)決断した」と説明した<ref>[https://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2015/11/13/0008563787.shtml ミルコ 公式サイトで「引退する」] デイリースポーツ 2015年11月13日</ref>。 2015年11月25日、USADAがミルコに2年間の出場停止処分を科したと発表し、11月4日にザグレブでミルコに競技外の抜き打ち検査を実施した時に、ミルコ自らヒト成長ホルモン(hGH)を使用したと申告があったためと、処分の理由を説明した<ref>[https://efight.jp/news-20151126_226723 【UFC】ミルコ、2年間出場停止、ドーピング発覚は抜き打ち検査]eFight 2015年11月23日</ref><ref>[https://ufc.usada.org/mirko-filipovic-receives-doping-violations/ UFC Athlete, Mirko Filipovic Receives Sanction for Anti-Doping Policy Violations]USADA 2015年11月25日</ref>。 後日、クロアチアの新聞社Vecernjiが、2016年1月8日にミルコがUSADAのCEOトラビス・タイガートから薬物検査の結果が全て陰性だったとことを報告するメールを受け取っていたことを報道した。ただし、薬物検査の結果に関わらず、2015年11月4日に実施した抜き打ち検査の際にミルコ本人が肩の治療のためにヒト成長ホルモンの使用と所持を認めているので、違反薬物の使用と所持を禁じているアンチドーピング規定に違反しているとして、2年間の出場停止処分が軽減又は変更されることは無かった<ref>[http://www.mmafighting.com/2016/1/9/10743272/usada-mirko-cro-cop-still-suspended-despite-report-stating-he-didnt USADA: Mirko Cro Cop still suspended despite report stating he didn't fail drug test]MMA FIGHTING 2016年9月10日</ref>。 === RIZIN === 2016年7月16日に行われた[[RIZIN]]の記者会見にてRIZIN無差別級グランプリに出場が決定。引退撤回について「それまで全てのオファーを断ってきたが、榊原さんのオファーを受けて最後に日本でやろうと思った」とコメントした。 2016年9月26日 さいたまスーパーアリーナで開催された[[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 開幕戦]]にて無差別級グランプリの1回戦として[[Road FC]]代表のミョン・ヒョンマンと対戦し肩固めで一本勝ち。試合後、マイクパフォーマンスでヴァンダレイと対戦する意思を語り、高田延彦からの呼びかけに「ヤル!」と答え、ヴァンダレイもリングに上がり「ヤッテヤル!」と答え、対戦が決定するが、ヴァンダレイは交通事故の怪我の回復が思わしくないということで欠場し、実現しなかった。 2016年12月29日、[[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUND]]にて無差別級グランプリの2回戦として、欠場したヴァンダレイの代役としてエントリーした前年のヘビー級グランプリ王者[[キング・モー]]と対戦<ref>[https://efight.jp/news-20161220_252310 【RIZIN】急遽参戦のキング・モーにミルコも敬意]eFight 2016年12月20日</ref>。1Rにテイクダウンを奪われるものの、2Rにクリンチアッパーを効かせてからのパンチ連打でダウンを奪い、パウンドでTKO勝ち。 2016年12月31日、[[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUND]]にて無差別級グランプリ準決勝として[[把瑠都]]と対戦。クリンチ状態からのボディへの膝蹴りでKO勝ちし、グランプリ決勝へ進出。続く決勝戦では[[アミル・アリアックバリ|アミール・アリアックバリ]]と対戦。カウンターの左フックでダウンを奪い、最後は左フックでKO勝ち。優勝を果たし、10年前にPRIDE無差別級グランプリ2006で優勝した時と同じように、涙を浮かべた。母国クロアチアでは29日のキング・モーとの試合で46.04%の高視聴率を記録した<ref>[https://twitter.com/rizin_STAFF/status/815408856587079680] 2017年1月17日</ref>。 2018年5月25日、Bellator 200にてロイ・ネルソンと再戦が決まっていたが左足前十字靭帯を損傷し、手術を受けたことにより欠場<ref>[https://efight.jp/news-20180522_289739 【ベラトール】ミルコがまさかの負傷欠場、ロイ・ネルソンとの再戦消滅]eFight 2018年5月22日</ref>。このため[[イリー・プロハースカ]]との対戦が予定されていた7月29日の[[RIZIN.11]]も出場が見送られた<ref>[https://efight.jp/news-20180529_290844 【RIZIN】ミルコ・クロコップ欠場、年末引退試合は1年延期] 2018年5月29日</ref>。 === Bellator MMA === [[2019年]]2月16日、[[Bellator MMA|Bellator]]初出場となったBellator 216で[[ロイ・ネルソン]]と約8年ぶりに再戦し、3-0の判定勝ちを収め、リベンジに成功した。 === 現役引退 === 2019年3月2日、トレーニング中に頭痛が続き医師の診断を受けたところ、脳内血管から微量の出血痕が確認され[[脳卒中]]と診断を受けたため、現役引退を表明した<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/201903020000211.html ミルコ「本当の終わり」引退表明 練習で脳卒中発症]日刊スポーツ 2019年3月2日</ref><ref>[https://hochi.news/articles/20190302-OHT1T50114.html 脳卒中で引退のミルコ・クロコップの診断状況を「RIZIN」実行委員長が公表「脳内血管から微量の出血痕が確認され医師から引退勧告」]スポーツ報知 2019年3月2日</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/201903020000567.html ミルコ電撃引退 病気の兆候示す首の違和感明かす] 日刊スポーツ 2019年3月2日17時59分(日刊スポーツ新聞社、2019年3月20日閲覧)</ref>。 == 戦績 == ===総合格闘技=== {{MMA recordbox |total=52 |wins=38 |KOwins=28 |subwins=6 |decwins=4 |otherwins=0 |losses=11 |KOloss=5 |subloss=3 |decloss=3 |otherloss=0 |draws=2 |no contests=1 |}} {{Fight-start}} {{Fight-header}} {{Fight-cont|○| [[ロイ・ネルソン]]| 5分3R終了 判定3-0| Bellator 216: MVP vs. Daley| 2019年2月16日}} {{Fight-cont|○| ロッキー・マルティネス|1R 4:56 TKO(レフェリーストップ:負傷)|[[RIZIN.13]]|2018年9月30日}} {{Fight-cont|○| [[高阪剛]]| 1R 1:02 TKO(パウンド)| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 Final ROUND]]| 2017年12月31日}} {{Fight-cont|○| [[アミル・アリアックバリ]]|1R 2:02 KO(左フック)| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUND]]<br />【無差別級トーナメント決勝】| 2016年12月31日}} {{Fight-cont|○| [[把瑠都]]|1R 0:49 KO(膝蹴り)| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント FINAL ROUND]]<br />【無差別級トーナメント準決勝】| 2016年12月31日}} {{Fight-cont|○| [[キング・モー]]|2R 1:49 TKO(スタンドパンチ連打→パウンド)| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 2nd ROUND]]<br />【無差別級トーナメント2回戦】| 2016年12月29日}} {{Fight-cont|○| ミョン・ヒョンマン|1R 2:20 肩固め| [[RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 開幕戦]]<br />【無差別級トーナメント1回戦】| 2016年9月25日}} {{Fight-cont|○| [[ガブリエル・ゴンザーガ]]|3R 3:30 TKO(パウンド)| [[UFC Fight Night: Gonzaga vs. Cro Cop 2]]| 2015年4月11日}} {{Fight-cont|○| [[石井慧]]| 2R終了時 TKO(スタンドパンチ連打)| INOKI BOM-BA-YE 2014<br />【IGFタイトルマッチ】| 2014年12月31日}} {{Fight-cont|○| [[石井慧]]| 2R 2:37 TKO(ドクターストップ)| INOKI GENOME FIGHT 2<br />【IGFタイトルマッチ】| 2014年8月23日}} {{Fight-cont|×| [[アレクセイ・オレイニク (格闘家)|アレクセイ・オレイニク]]| 1R 4:42 袈裟固め| Legend Part 2: Invasion| 2013年11月9日}} {{Fight-cont|○| [[鈴川真一]]| 1R 1:18 腕ひしぎ十字固め| [[INOKI BOM-BA-YE 2012]]| 2012年12月31日}} {{Fight-cont|×| [[ロイ・ネルソン]]| 3R 1:30 TKO(パウンド)| [[UFC 137|UFC 137: Penn vs. Diaz]]| 2011年10月29日}} {{Fight-cont|×| [[ブレンダン・シャウブ]]| 3R 3:44 KO(右フック)| [[UFC 128|UFC 128: Shogun vs. Jones]]| 2011年3月19日}} {{Fight-cont|×| [[フランク・ミア]]| 3R 4:02 KO(右膝蹴り)| [[UFC 119|UFC 119: Mir vs. Cro Cop]]| 2010年9月25日}} {{Fight-cont|○| [[パット・バリー|パトリック・バリー]]| 3R 4:30 チョークスリーパー| [[UFC 115|UFC 115: Liddell vs. Franklin]]| 2010年6月12日}} {{Fight-cont|○| [[アンソニー・ペロシュ]]| 2R終了時 TKO(ドクターストップ)| [[UFC 110|UFC 110: Nogueira vs. Velasquez]]| 2010年2月20日}} {{Fight-cont|×| [[ジュニオール・ドス・サントス]]| 3R 2:00 ギブアップ(右アッパー)| [[UFC 103|UFC 103: Franklin vs. Belfort]]| 2009年9月19日}} {{Fight-cont|○| [[ムスタファ・アルターク]]| 1R 3:06 TKO(スタンドパンチ連打)| [[UFC 99|UFC 99: The Comeback]]| 2009年6月13日}} {{Fight-cont|○| [[チェ・ホンマン]]| 1R 6:32 KO(左ローキック)<!--DREAM公式記録-->| [[Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜]]| 2008年12月31日}} {{Fight-cont|-| [[アリスター・オーフレイム]]| 1R 6:09 ノーコンテスト(ローブロー)| [[DREAM.6|DREAM.6 ミドル級グランプリ2008 決勝戦]]| 2008年9月23日}} {{Fight-cont|○| [[水野竜也]]| 1R 0:55 TKO(パウンド)| [[DREAM.1|DREAM.1 ライト級グランプリ2008 開幕戦]]| 2008年3月15日}} {{Fight-cont|×| [[シーク・コンゴ]]| 5分3R終了 判定0-3| [[UFC 75|UFC 75: Champion vs. Champion]]| 2007年9月8日}} {{Fight-cont|×| [[ガブリエル・ゴンザーガ]]| 1R 4:51 KO(右ハイキック)| [[UFC 70|UFC 70: Nations Collide]]| 2007年4月21日}} {{Fight-cont|○| [[エディ・サンチェス]]| 1R 4:33 TKO(マウントパンチ)| [[UFC 67|UFC 67: All or Nothing]]| 2007年2月3日}} {{Fight-cont|○| [[ジョシュ・バーネット]]| 1R 7:32 ギブアップ(パウンド)| [[PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦]]<br />【無差別級グランプリ 決勝】| 2006年9月10日}} {{Fight-cont|○| [[ヴァンダレイ・シウバ]]| 1R 5:22 KO(左ハイキック)| [[PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦]]<br />【無差別級グランプリ 準決勝】| 2006年9月10日}} {{Fight-cont|○| [[吉田秀彦]]| 1R 7:38 TKO(タオル投入)| [[PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND]]<br />【無差別級グランプリ 2回戦】| 2006年7月1日}} {{Fight-cont|○| [[ミノワマン|美濃輪育久]]| 1R 1:10 TKO(パウンド)<!--PRIDE公式記録-->| [[PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦]]<br />【無差別級グランプリ 1回戦】| 2006年5月5日}} {{Fight-cont|×| [[マーク・ハント]]| 3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2| [[PRIDE 男祭り 2005|PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-]]| 2005年12月31日}} {{Fight-cont|○| [[ジョシュ・バーネット]]| 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0| [[PRIDE.30|PRIDE.30 STARTING OVER]]| 2005年10月23日}} {{Fight-cont|×| [[エメリヤーエンコ・ヒョードル]]| 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3| [[PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦]]<br />【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】| 2005年8月28日}} {{Fight-cont|○| [[イブラヒム・マゴメドフ]]| 1R 3:53 TKO(左ミドルキック)| [[PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND]]| 2005年6月26日}} {{Fight-cont|○| [[マーク・コールマン]]| 1R 3:40 TKO(スタンドパンチ連打)| [[PRIDE.29|PRIDE.29 SURVIVAL]]| 2005年2月20日}} {{Fight-cont|○| [[ケビン・ランデルマン]]| 1R 0:41 フロントチョーク| [[PRIDE 男祭り 2004|PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-]]| 2004年12月31日}} {{Fight-cont|○| [[ジョシュ・バーネット]]| 1R 0:46 ギブアップ(肩の負傷)| [[PRIDE.28]]| 2004年10月31日}} {{Fight-cont|○| [[エメリヤーエンコ・アレキサンダー]]| 1R 2:09 KO(左ハイキック→パウンド)| [[PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦]]| 2004年8月15日}} {{Fight-cont|○| [[大山峻護]]| 1R 1:00 KO(スタンドパンチ連打)<!--PRIDE公式記録-->| [[PRIDE 武士道 -其の四-]]| 2004年7月19日}} {{Fight-cont|○| [[金原弘光]]| 2R(10分/5分)終了 判定3-0| [[PRIDE 武士道 -其の参-]]| 2004年5月23日}} {{Fight-cont|×| [[ケビン・ランデルマン]]| 1R 1:57 KO(左フック→パウンド)| [[PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦]]<br />【ヘビー級グランプリ 1回戦】| 2004年4月25日}} {{Fight-cont|○| [[山本宜久]]| 1R 2:12 TKO(スタンドパンチ連打)| [[PRIDE 武士道 -其の弐-]]| 2004年2月15日}} {{Fight-cont|○| [[ロン・ウォーターマン]]| 1R 1:37 KO(サッカーボールキック)<!--PRIDE公式記録-->| [[PRIDE.27|PRIDE.27 TRIUMPHAL RETURN]]| 2004年2月1日}} {{Fight-cont|×| [[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]| 2R 1:45 腕ひしぎ十字固め| [[PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦]]<br />【PRIDEヘビー級暫定王者決定戦】| 2003年11月9日}} {{Fight-cont|○| [[アルベルト・ロドリゲス|ドス・カラスJr]]| 1R 0:46 KO(左ハイキック)| [[PRIDE 武士道 -其の壱-|PRIDE 武士道]]| 2003年10月5日}} {{Fight-cont|○| [[イゴール・ボブチャンチン]]| 1R 1:29 KO(左ハイキック)| [[PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦]]| 2003年8月10日}} {{Fight-cont|○| [[ヒース・ヒーリング]]| 1R 3:17 TKO(左ミドルキック→パウンド)| [[PRIDE.26|PRIDE.26 REBORN]]| 2003年6月8日}} {{Fight-cont|○| [[藤田和之]]| 5分3R終了 判定3-0| [[INOKI BOM-BA-YE 2002]]| 2002年12月31日}} {{Fight-cont|○| [[桜庭和志]]| 2R終了時 TKO(目の負傷)| [[Dynamite!|Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立]]| 2002年8月28日}} {{Fight-cont|△| [[ヴァンダレイ・シウバ]]| 3分5R終了 ドロー| [[PRIDE.20]]| 2002年4月28日}} {{Fight-cont|○| [[永田裕志]]| 1R 0:21 TKO(左ハイキック→パウンド)| [[INOKI BOM-BA-YE 2001]]| 2001年12月31日}} {{Fight-cont|△| [[髙田延彦|高田延彦]]| 3R(10分/5分/5分)+延長5分2R終了 ドロー| [[PRIDE.17]]| 2001年11月3日}} {{Fight-cont|○| 藤田和之| 1R 0:39 TKO(ドクターストップ)| K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜| 2001年8月19日}} {{Fight-end}} === キックボクシング === {{Kickboxing recordbox |total=34 |wins=26 |KOwins=13 |decwins=12 |otherwins= |losses=8 |KOloss=4 |decloss=4 |otherloss= |draws=0 |no contests=0 |}} {{Fight-start}} {{Fight-header}} {{Fight-cont|○| ジャレル・ミラー| 3R終了 判定3-0| Glory 17: Los Angeles| 2014年6月21日}} {{Fight-cont|×| [[レミー・ボンヤスキー]]| 3R終了 判定0-2| Glory Glory 14: Zagreb| 2014年3月8日}} {{Fight-cont|○| イスマエル・ロント| 3R終了 判定3-0| [[K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREB]]<br />【WORLD GP 決勝】| 2013年3月15日}} {{Fight-cont|○| パべル・ズラフリオフ| 3R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREB<br />【WORLD GP 準決勝】| 2013年3月15日}} {{Fight-cont|○| [[ジャレル・ミラー]]| 3R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREB<br />【WORLD GP 1回戦】| 2013年3月15日}} {{Fight-cont|○| ランディ・ブレイク| 3R終了 判定2-0| [[K-1 RISING 2012 WORLD GP FINAL 16]]| 2012年10月14日}} {{Fight-cont|○| ローレン・ハヴィエ・ホルヘ| 2R 2:23 KO(左アッパー)| K-1 RISING 2012~K-1 WORLD MAX FINAL16 2012~| 2012年5月27日}} {{Fight-cont|○| [[レイ・セフォー]]| 3R終了 判定3-0| [[Cro Cop Final Fight]]| 2012年3月10日}} {{Fight-cont|○| [[ボブ・サップ]]| 1R 1:29 KO(左ストレート)| K-1 WORLD GP 2003 in SAITAMA| 2003年3月30日}} {{Fight-cont|○| レミー・ボンヤスキー| 2R 2:06 TKO(レフェリーストップ)| K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKA| 2002年7月14日}} {{Fight-cont|○| [[マーク・ハント]]| 5R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA| 2002年3月3日}} {{Fight-cont|○| [[柳澤龍志]]| 1R 2:44 TKO(ドクターストップ)| K-1 RISING 2002 〜静岡初上陸〜| 2002年1月27日}} {{Fight-cont|×| [[マイケル・マクドナルド (格闘家)|マイケル・マクドナルド]]| 1R 1:24 KO(左フック)| K-1 WORLD GP in MELBOURNE<br />【GP予選 1回戦】| 2001年6月16日}} {{Fight-cont|○| [[ピーター・アーツ]]| 5R終了 判定2-0| K-1 GLADIATORS 2001| 2001年3月17日}} {{Fight-cont|○| [[富平辰文]]| 2R 2:55 KO(左ハイキック)| K-1 RISING 2001 〜四国初上陸〜| 2001年1月30日}} {{Fight-cont|×| [[アーネスト・ホースト]]| 延長R終了 判定0-3| K-1 WORLD GP 2000 決勝戦<br />【WORLD GP 1回戦】| 2000年12月10日}} {{Fight-cont|×| [[マイク・ベルナルド]]| 1R 1:07 TKO(タオル投入)| K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA<br />【GP予選 決勝】| 2000年10月9日}} {{Fight-cont|○| [[天田ヒロミ]]| 3R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA<br />【GP予選 準決勝】| 2000年10月9日}} {{Fight-cont|○| [[グラウベ・フェイトーザ]]| 3R終了 判定3-0| K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA<br />【GP予選 1回戦】| 2000年10月9日}} {{Fight-cont|○| スチュアート・グリーン| 2R KO(ハイキック)| K-1 WORLD GP EUROPE 2000| 2000年3月19日}} {{Fight-cont|×| [[アンディ・フグ]]| 5R終了 判定0-3| K-1 FIGHT NIGHT 2000| 2000年6月3日}} {{Fight-cont|○| [[天田ヒロミ]]| 5R終了 判定3-0| K-1 BURNING 2000| 2000年3月19日}} {{Fight-cont|×| アーネスト・ホースト| 3R 1:09 KO(左ボディフック)| K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦<br />【GRAND PRIX 決勝】| 1999年12月5日}} {{Fight-cont|○| [[サム・グレコ]]| 2R 2:50 KO(左ローキック)| K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦<br />【GRAND PRIX 準決勝】| 1999年12月5日}} {{Fight-cont|○| [[武蔵 (格闘家)|武蔵]]| 2R 1:13 KO(左アッパー)| K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦<br />【GRAND PRIX 準々決勝】| 1999年12月5日}} {{Fight-cont|○| マイク・ベルナルド| 1R 1:20 KO(パンチ)| K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦<br />【GRAND PRIX 1回戦】| 1999年10月3日}} {{Fight-cont|×| [[ジャビット・バイラミ]]| 延長R終了 判定0-3| K-1 BRAVES '99 〜グランプリへの道〜<br />【GP予選 準決勝】| 1999年6月20日}} {{Fight-cont|○| リッキー・ニケルソン| 1R 1:20 KO(右ハイキック)| K-1 BRAVES '99 〜グランプリへの道〜<br />【GP予選 1回戦】| 1999年6月20日}} {{Fight-cont|○| [[ヤン・ノルキヤ|ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ]]| 4R 1:58 KO(左フック)| K-1 REVENGE '99| 1999年4月25日}} {{Fight-cont|○| アシール・ロジャー| 6R終了 判定3-0| Kickboxing Tournament Prague 1997<br />【決勝戦】| 1997年10月}} {{Fight-cont|○| N/A| N/A| Kickboxing Tournament Prague 1997<br />【準決勝】| 1997年10月}} {{Fight-cont|○| [[リー・ハスデル]]| 2R TKO(ドクターストップ)| Kickboxing Tournament Prague 1997<br />【1回戦】| 1997年10月}} {{Fight-cont|×| アーネスト・ホースト| 3R 1:27 TKO(右ローキック)| K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦<br />【GRAND PRIX 準々決勝】| 1996年5月6日}} {{Fight-cont|○| [[ジェロム・レ・バンナ]]| 5R終了 判定3-0| K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦<br />【GRAND PRIX 1回戦】| 1996年3月10日}} {{Fight-end}} == 人物 == * 警察官時代は"[[:en:Lučko Anti-Terrorist Unit|ルチェコ]]"という[[テロ]]対策[[特殊部隊]]に所属していてその傍ら格闘技で活躍していた(クロアチア警察の格闘技教官も担当)。 *熱心な読書家であり、好きな本としてフランスのジャーナリストである[[ルネ・ベルブノワ]]の自伝『[[Dry Guillotine|乾いたギロチン]]』を挙げている<ref>https://www.index.hr/vijesti/clanak/pitali-smo-cro-copa-kojih-mu-je-pet-omiljenih-knjiga/2057358.aspx</ref>。 * パトロール中に街角で喧嘩をしている集団を見つけ、割って入ったところ、そのうちの1人が「お前はミルコ・クロコップに似ているな」と仲間と一緒に散々にからかった。それに対して「本人だよ」と答えたところ全員が一斉に顔色を失い、駆けつけた護送車に大人しく乗り込んだという。 * クロアチアでは国民的な人気があり、[[テレビゲーム]]や[[映画]]の主役になっている<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/column/200404/at00000163.html ミルコ、GP優勝は当然 “第2のミルコ”育成も] スポーツナビ 2004年4月11日</ref>。 * 愛国者としても知られ、[[2003年]]11月23日に投開票されたクロアチアの総選挙にクロアチア社会民主党から出馬し初当選。国会([[サボル (クロアチア議会)|サボル]])議員として4年間活動した。また、[[2004年]]2月13日に、当時の日本の内閣総理大臣[[小泉純一郎]]と面会している<ref>[http://www.boutreview.com/data/news/040215pride-bushido2.html [PRIDE武士道2]2.15 横浜:ミルコ、小泉首相と会談。ラジオにも出演] BoutReview 2004年2月12日</ref>。 * 夫人は、サッカーの[[FIFAワールドカップ]]フランス大会で得点王となったクロアチア代表[[ダヴォール・シューケル]]の妹である<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/column/200402/0205sn_01.html ミルコ母国凱旋! ノゲイラと4万人ザグレブ決戦だ] スポーツナビ 2004年2月5日</ref>。 * [[2004年]]、クロアチアの[[サッカー]]クラブ「[[HNKツィバリア・ヴィンコヴツィ|ツィバリア・ヴィンコヴツィ]]」へ入団。[[フォワード (サッカー)|FW]]として公式デビュー<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pride/column/200411/at00003106.html ミルコ、プロサッカーでデビュー ランデルマンと運命の再戦も] スポーツナビ 2004年11月18日</ref>している。ツィバリア・ヴィンコヴツィはミルコの好きなチームであり、「このチームでプレーできて嬉しい。」と語っている。また、自分の息子に対してはサッカー選手になってほしい、格闘家にはあまりなってほしくないと語ったこともある。 * 日本、K-1、キックボクシングへの愛着は深い。K-1に対しては2003年のPRIDE移籍時にちょうど谷川モンスター路線(詳細は[[谷川貞治]]の項を参照)が始まった時期ということもあり、「一日で3試合も戦うトーナメントなんてトーナメントの組み合わせの運で優勝が決まるから誰が本当に強いのかが決まらないし、身体を壊すためにやるようなものだ」「身体がでかいだけだったり、話題性があるだけでキック経験の浅い奴ばかりが参戦するようになった今のK-1は俺の命を懸けて戦いたいと思える場所じゃない」などと苦言を呈していたが、UFC参戦中の2009年にクロアチアのメディアに対して「俺の引退試合はK-1の大会でK-1ルールでしたいし、俺は日本から選手として始まったから最後の試合も日本でやりたい」と語っている<ref>dnevnikでのインタビュー 2009年2月24日</ref>。また、2012年のキックボクシング復帰の際にも「俺が最初に始めたスポーツはK-1だ。俺にとっては初恋の相手だし、K-1の方が魅力的でクロアチアのファンに合ってると思う」と語っている。 *戦いぶりなどから、冷徹な印象を持つファンも少なくないが、リング外ではジョークやユーモアを好むひょうきんな一面を持つことで知られ、取材に訪れた記者たちに手の込んだドッキリを仕掛けることもある。 *[[Facebook]]に、空港で[[Pokémon GO|ポケモンGO]]に熱中している動画をアップロードし、RIZINの記者会見で「ポケモンGOをやっていたらそのまま日本について六本木で榊原さんにばったり出くわしてオファーを受けたから参戦を決めた」というジョークを言い会場を笑わせた。なお、その後、「ポケモンGOはやっているフリで注意喚起のためにアップロードした」とコメントしている。 == ファイトスタイル== === 打撃 === K-1初登場当時の1996年は、恵まれた筋肉の柔軟性や身体能力の高さは窺えたものの、その他にはさして光るものを持たなかったミルコだが、3年のブランクを経て復帰した1999年には攻撃に多彩さが増し、ミルコの代名詞といえる左ハイキックも積極的に使うようになった。しかしこの頃もっとも冴えていたものはクリンチワークであり、KOを奪えない相手にはクリンチで相手の攻撃をしのぎ、その合間に打撃を打ち込んでポイントを稼ぐというのが、ファイトスタイルの基本となっていた。総合格闘技への参戦が始まると、ミルコは急速な体のビルドアップに成功し、徐々に一撃必殺に傾倒していくようになる。ミルコのファイトスタイルはボクシングを元にテコンドーやキックボクシングをオリジナルアレンジした物であり、試合中に放つ打撃の数は極端に少なく、ジャブはほとんど打たずに、利き手利き足(ただし右利きのサウスポーであるため本来の利き手とは逆である)での打撃に終始する。右腕はラッシュをかける時以外は、ディフェンスや距離を稼ぐ時に伸ばす程度しか使用しない。絶対の自信を持つ左ハイキックや、ミドルキックを放つまでに、その他を布石として使用する彼独自の戦法である。主な例はミドルキックやローキックで相手の注意を下にさげさせ、ガードが下がった所に左ハイキックを打ち込む方法と、相手に自分のストレートの軌道を覚えさせ、[[ボクシングの技術#ウィービング|ウィービング]]で相手の頭が傾いたところに合わせて左ハイキックを打ち込む方法がある。特に後者は、まるで相手が自らミルコの足に当たりに行っているように見える。ミルコの左ハイキックは高速で相手の視界の死角から足が急に現れる軌道のためかわされにくく、まさに一撃必殺の破壊力を持つ。ただし、ミルコの打撃はある程度の間合いがないとその効果は発揮できず、プレッシャーを掛けて前へ前へと進んでくる相手を苦手としていたが、UFCキャリア晩年から、元々のクリンチワークを利用した左肘を織り混ぜたダーティーボクシングを使うようになり、更に柔道金メダリストの石井慧との練習を重ねて向上させ、ロイ・ネルソンとの再戦では、ダーティーボクシングで打撃をヒットさせつつ相手をコントロールすることでリベンジを達成している。 また、打撃技に対してはガードをほとんど使わず、スウェーとステップワークでかわす。また、ヘビー級選手とは思えないほど非常に素早く、ホーストがボブ・サップとの対戦で捕まえられてハンマーパンチを浴びたのに対し、ミルコはスピードとクリンチワークを生かして捕まえられることはなかった。マーク・ハント、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラも「ミルコは素早かった」と認めていた。 一方でK-1時代から通して指摘されているのがスタミナ不足であり、本人もそのことを認めている。かつては1Rでは高いKO率を誇るが、2R以降は口を開けて呼吸する姿が目立った。これはK-1時代での鼻の怪我によって鼻呼吸が上手くできなくなってしまったものであり、しばらく処方された塗り薬を使っていたが、手術し改善された。 === 寝技・組技=== ノゲイラ戦での逆転の腕ひしぎ十字固めによる敗北により、[[ファブリシオ・ヴェウドゥム]]を柔術コーチに迎え入れ、ディフェンスは向上したが、基本的にひたすら守りに徹し、隙があれば突き放すだけであり、攻めにおいては積極的に仕掛けたりはしないが、ガブリエル・ゴンザーガ戦では、柔術の実力者であるゴンザーガのマウントから脱出の際に足関節を狙うなど、更に寝技のスキルがアップしている。サブミッションスキルは高くないが、[[マウントポジション]]の状態でもバランスがよく、高いグラウンドスキルを持つジョシュも中々振りほどけなかったほどである。組み技に対するディフェンスにも定評があり、特にタックルを切る技術の会得の早さには目を見張るものがある。K-1参戦時から足を掴まれても倒されない腰の強さがあり、テイクダウンされてもすぐさまクロスガードを取るなど対応力もそろえている。 == 獲得タイトル == ; [[キックボクシング]] * IKBF 世界ヘビー級フルコンタクト王座 * [[K-1]] GRAND PRIX '99 準優勝 * K-1 WORLD GP 2012 優勝 ; [[アマチュアボクシング]] * [[地中海競技大会]] 3位(1997年) * [[軍人ワールドカップ|軍人世界選手権]] 準優勝(1998年) ; [[総合格闘技]] * [[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]][[無差別級]]グランプリ2006 優勝 * 第4代[[IGF王座]] * RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 優勝 == 表彰 == * [[UFC]] ** UFC ファイト・オブ・ザ・ナイト(1回) ** UFC サブミッション・オブ・ザ・ナイト(1回) * [[PRIDE (格闘技イベント)|PRIDE]] ** ベストバウト(2006年/[[ヴァンダレイ・シウバ]]戦) * [[MMA Fighting]] ** ファイト・オブ・ザ・イヤー (2003年/[[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]戦) ** ファイト・オブ・ザ・イヤー (2005年/[[エメリヤーエンコ・ヒョードル]]戦) ** ノックアウト・オブ・ザ・イヤー (2006年/[[ヴァンダレイ・シウバ]]戦) * [[SHERDOG]] ** ノックアウト・オブ・ザ・イヤー(2006年/ヴァンダレイ・シウバ戦) * [[スポーツ・イラストレイテッド]] ** 2000年代ファイト・オブ・ザ・ディケイド (2005年/[[エメリヤーエンコ・ヒョードル]]戦) * [[Yahoo!|Yahoo! Sports]] ** 2000年代ファイト・オブ・ザ・ディケイド (2005年/エメリヤーエンコ・ヒョードル戦) == 出演 == === 映画 === * アルティメット・フォース 孤高のアサシン === CM === * [[シック・ジャパン]] * [[ボス (コーヒー)|ボス]] * [[ボディメーカー]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[PRIDE王者一覧]] * [[UFC選手一覧]] * [[DREAM選手一覧]] * [[PRIDE選手一覧]] * [[K-1選手一覧]] == 外部リンク == * [https://www.mirkofilipovic.com/en/ ミルコ・クロコップ オフィシャルサイト] * {{Instagram|crocop1009}} * [http://jp.ufc.com/fighter/mirko-cro-cop UFC 選手データ] * [http://www.dreamofficial.com/fighters/detail.php?id=1203486510 DREAM 選手データ] * [https://mmajunkie.usatoday.com/fighters/mirko-filipovic/ MMAjunkie 選手データ] * {{SHERDOG|2326}} {{K-1 WORLD GP歴代王者}} {{Championshiptitle2||PRIDE GP 2006|[[無差別級]]トーナメント|マーク・コールマン|N/A|2006年9月10日}} {{Championshiptitle2||[[K-1]] WORLD GP 2012||アリスター・オーフレイム|N/A|2013年3月15日}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くろこつふ みるこ}} [[Category:クロアチアのサッカー選手]] [[Category:クロアチアの空手家]] [[Category:クロアチアの男子ボクサー]] [[Category:男子アマチュアボクシング選手]] [[Category:クロアチアのキックボクサー]] [[Category:K-1に参戦した選手]] [[Category:男子テコンドー選手]] [[Category:クロアチアの総合格闘家]] [[Category:軍隊出身の総合格闘家]] [[Category:空手出身の総合格闘家]] [[Category:ボクシング出身の総合格闘家]] [[Category:キックボクシング出身の総合格闘家]] [[Category:テコンドー出身の総合格闘家]] [[Category:総合格闘技のトレーナー]] [[Category:IGFに参戦した選手]] [[Category:UFCに参戦した選手]] [[Category:RIZINに参戦した選手]] [[Category:Bellator MMAに参戦した選手]] [[Category:地中海競技大会メダリスト]] [[Category:クロアチアのドーピング違反選手]] [[Category:ドーピング違反の総合格闘家]] [[Category:クロアチアの警察官]] [[Category:クロアチアの政治家]] [[Category:スポーツ選手出身の政治家]] [[Category:障害を持つ人物]] [[Category:ヴコヴァル=スリイェム郡出身の人物]] [[Category:1974年生]] [[Category:存命人物]]
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大相撲力士一覧
大相撲力士一覧(おおずもうりきしいちらん)は、大相撲の前頭以下の力士一覧。横綱は横綱一覧、大関は大関一覧、関脇は関脇一覧、小結は小結一覧を参照(在籍時の最高位)。 太字は1909年(明治42年)6月場所以降に幕内最高優勝を経験した力士、もしくはそれ以前に全勝を達成した力士。 ※上記に該当する力士は当時の四股名(複数ある場合は回数が多いか番付が高い時)で記載。 ※Wikipediaにページが存在する力士のみを記載する。 最高位が前頭である力士。 最高位が十両である力士。 最高位が幕下以下である力士(関取昇進なし)。
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大相撲力士一覧(おおずもうりきしいちらん)は、大相撲の前頭以下の力士一覧。横綱は横綱一覧、大関は大関一覧、関脇は関脇一覧、小結は小結一覧を参照(在籍時の最高位)。 太字は1909年(明治42年)6月場所以降に幕内最高優勝を経験した力士、もしくはそれ以前に全勝を達成した力士。 ※上記に該当する力士は当時の四股名(複数ある場合は回数が多いか番付が高い時)で記載。 ※Wikipediaにページが存在する力士のみを記載する。
{{Pathnav|大相撲|frame=1}} {{No footnotes|date=2013年4月}} '''大相撲力士一覧'''(おおずもうりきしいちらん)は、[[大相撲]]の[[前頭]]以下の[[力士]]一覧。[[横綱]]は[[横綱一覧]]、[[大関]]は[[大関一覧]]、[[関脇]]は[[関脇一覧]]、[[小結]]は[[小結一覧]]を参照(在籍時の最高位)。 '''太字'''は[[1909年]]([[明治]]42年)6月場所以降に幕内最高優勝を経験した力士、もしくはそれ以前に全勝を達成した力士。 ※上記に該当する力士は当時の四股名(複数ある場合は回数が多いか番付が高い時)で記載。 ※Wikipediaにページが存在する力士のみを記載する。 == 幕内 == 最高位が[[前頭]]である力士。 === 現役力士 === <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;あ行 * [[天空海翔馬]] * [[熱海富士朔太郎]] * [[天風浩一|天風健人]] * [[一山本大生]] * [[炎鵬晃]] * [[王鵬幸之介]] * [[大の里泰輝]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;か行 * [[輝大士]] * [[北の若大輔]] * [[北磻磨聖也]] * [[旭大星託也]] * [[金峰山晴樹]] * [[荒篤山太郎]] * [[豪ノ山登輝]] * [[琴恵光充憲]] * [[琴勝峰吉成]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;さ行 * [[佐田の海貴士]] * [[島津海空]] * [[志摩ノ海航洋]] * [[湘南乃海桃太郎]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;た行 * [[大奄美元規]] * [[大翔鵬清洋]] * [[大翔丸翔伍]] * [[千代ノ皇王代仁]] * [[千代翔馬富士雄]] * [[千代丸一樹]] * [[美ノ海義久]] * [[剣翔桃太郎]] * [[照強翔輝]] * [[東白龍雅士]] * [[友風勇太]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;な行 * [[鳰の湖真二]] * [[錦富士隆聖]] </div>{{clear}} <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;は行 * [[伯桜鵬哲也]] * [[英乃海拓也]] * [[平戸海雄貴]] * [[富士東和佳]] * [[武将山虎太郎]] * [[北青鵬治]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ま行 * [[翠富士一成]] * [[水戸龍聖之]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;や行 * [[矢後太規]] * [[芳東洋]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ら行 * [[狼雅外喜義]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;わ行 </div>{{clear}} === 引退・廃業・死去した力士 === <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;あ行 * [[相生芳藏]] * [[愛知山春雄]] * [[蒼樹山秀樹]] * [[青葉山徳雄]] * [[明石竜兵太郎]] * [[明瀬川傳四郎]] * [[明瀬山光彦]] * [[安芸ノ州法光]] * [[阿久津川高一郎]] * [[上ヶ汐福治郎]] * [[朝嵐大三郎]] * [[淺瀬川健次]] * [[朝岡勲]] * [[朝ノ海正清]] * [[朝乃翔嚆矢]] * [[朝乃若武彦]] * [[朝登俊光]] * [[朝光亀太郎]] * [[旭里憲治]] * [[旭日松広太]] * [[朝響信親]] * [[朝日枩清治郎]] * [[朝緑冨五郎]] * [[朝若佐太郎]] * [[葦葉山七兵衛]] * [[東海稔]] * [[東錦栄三郎]] * [[東龍強]] * [[安壮富士清也]] * [[愛宕山武司]] * [[當り矢信太郎]] * [[天城山猪太夫]] * [[天津風征夫]] * [[天津灘福一]] * [[天ノ山静雄]] * [[阿夢露光大]] * [[綾鬼喜一郎]] * [[綾瀬川三左エ門]] * [[綾ノ浪俊一郎]] * [[綾錦久五郎]] * [[綾錦由之丞]] * [[綾若真生]] * [[荒岐山正]] * [[璞歳之助]] * [[荒熊谷五郎]] * [[嵐山次郎]] * [[荒角金太郎]] * [[荒波秀義]] * [[荒鷲毅]] * [[有明五郎]] * [[有村直吉]] * [[碇潟夘三郎]] * [[勢イ力八]] * [[生月鯨太左衛門]] * [[池田川助枩]] * [[石浦鹿介]] * [[石山曻之助]] * [[泉滝福治]] * [[泉洋辰夫]] * [[泉洋藤太郎]] * [[伊勢ノ浜寅之助]] * [[一ノ濱善之助]] * [[一乃矢藤太郎]] * [[市原孝行]] * [[一湊政五郎]] * [[一力長五郎]] * [[一渡明]] * [[嚴嶋関右エ門 (寛政)]] * [[嚴嶋関右エ門 (天保)]] * [[五ッ洋義一]] * [[稲瀬川栄治郎]] * [[稲葉嶽光之助]] * [[稲野花倉吉]] * [[稲ノ森勉]] * [[伊吹山末吉]] * [[射水川成吉]] * [[入間川清藏]] * [[岩木山謙治郎]] * [[岩木山孫平]] * [[巖虎寛一]] * [[岩波重廣]] * [[因州山稔]] * [[潮丸元康]] * [[宇多川勝太郎]] * [[宇都宮新八郎]] * [[梅ノ花市五郎]] * [[梅錦寅之介]] * [[雲竜辰五郎]] * [[恵那櫻徹]] * [[及川煌久]] * [[追風山裕邦]] * [[扇山民雄]] * [[王湖伊津男]] * [[皇司信秀]] * [[大碇剛]] * [[大位山勝蔵]] * [[大岩戸義之]] * [[大岩山大五郎]] * [[大江戸勇二]] * [[大江山枩太郎]] * [[大熊宗清]] * [[大嵜爲之助]] * [[大嶌佐太郎]] * [[大砂嵐金崇郎]] * [[大瀬川半五郎]] * [[大空源太夫]] * [[大田山一朗]] * [[大戸嵜岩枩]] * [[大浪妙博]] * [[大鳴門太三郎]] * [[大鳴門灘右エ門 (初代)]] * [[大鳴戸灘之助]] * [[石川孝志|大ノ海敬士]] * [[大ノ海久光]] * [[大ノ浦一廣]] * [[大ノ高純市]] * [[大乃花武虎]] * [[大ノ濱勝治|大ノ濵勝治]] * [[大昇充宏]] * [[大ノ森金市]] * [[大日ノ出崇揚]] * [[大纒千代吉]] * [[大見嵜八之助]] * [[大緑仁吉]] * [[大湊徳枩]] * [[大八洲晃]] * [[大淀音右エ門]] * [[大若松好弘]] * [[大鷲平]] * [[岡ノ山喜郎]] * [[小城ノ花昭和]] * [[繯長治郎]] * [[小戸ヶ岩龍雄]] * [[男嶌舟藏]] * [[音羽山市平]] * [[鬼ヶ﨑綱之助]] * [[鬼風一男]] * [[鬼角長治郎]] * [[御西山政夫]] * [[小ノヶ嵜金藏]] * [[小ノヶ崎仙吉]] * [[小野錦喜三郎]] * [[小野錦仁之助]] * [[大蛇潟金作]] * [[大蛇潟大五郎]] *'''[[大蛇山酉之助]]''' </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;か行 * [[開月勘太郎]] * [[魁罡功]] * [[海光山大五郎]] * [[海山太郎 (大天龍)|海山太郎]] * [[海山太郎 (友綱)|海山太郎]] * [[甲斐錦勝]] * [[甲斐ノ山福人]] * [[鏡岩源之助]] * [[鏡桜南二]] * [[鏡川正光]] * [[影虎和彦]] * [[鹿嶌洋起市]] * [[加勝山鹿治]] * [[柏戸秀剛]] * [[柏山吾郎]] * [[春日王克昌]] * [[春日錦孝嘉]] * [[春日富士晃大]] * [[春日森富三郎]] * [[片山伸次]] * [[勝鬨鉄藏]] * [[和錦克年]] * [[勝ノ浦与一右エ門]] * [[和晃敏郎]] * [[勝山芳藏]] * [[桂川質郎]] * [[桂川力蔵]] * [[桂山勘五郎]] * [[金湊仁三郎]] * [[甲吾郎]] * [[神生山清]] * [[神錦國康]] * [[芳の里淳三|神若順三]] * [[苅藻川真治郎]] * [[神嵜重太郎]] * [[寒玉子爲治郎]] * [[巌雄謙治]] * [[起雲山世志介]] * [[北勝鬨準人]] * [[北桜英敏]] * [[北太樹明義]] * [[北ノ國仁]] * [[北の花勝利]] * [[騏乃嵐和稔|騏ノ嵐和敏]] * [[皇風俊司]] * [[君ヶ嶽助三郎]] * [[君錦利正]] * [[木村山守]] * [[狭布里錦太夫]] * [[清惠波清隆]] * [[旭豪山和泰]] * [[旭秀鵬滉規]] * [[旭南海丈一郎]] * [[清ノ森政夫]] * [[清美川梅之]] * [[鬼雷砲良蔵]] * [[起利錦利郎]] * [[鬼竜川光雄]] * [[鬼竜山雷八 (2代)]] * [[金開山龍]] * [[錦華山大五郎]] * [[錦城山勇吉]] * [[九ヶ錦坦平]] * [[久島海啓太]] * [[九州錦正男]] * [[國ヶ岩夘八]] * [[國ノ濱源逸]] * [[國見山半五郎]] * [[鞍ヶ嶽楯右エ門]] * [[栗家山恵三]] * [[黒岩壽太郎]] * [[黒岩万吉]] * [[黒雲雷五郎]] * [[黒崎佐吉]] * [[黒獅子勇蔵]] * [[桑ノ弓鬼太郎]] * [[源氏山祐蔵]] * [[兼六山鉄太郎]] * [[鯉ノ勢寅雄]] * [[光法賢一]] * [[港龍安啓]] * [[光龍忠晴]] * [[古賀ノ浦茂]] * [[小牛田山金太郎]] * [[小坂川健三郎]] * [[越ノ海東治郎]] * [[越ノ海勇藏 (初代)]] * [[小嶌川庄吉]] * [[五城楼勝洋]] * [[五所車菊太郎]] * [[琴ヶ浦善治郎]] * [[琴春日桂吾]] * [[琴ヶ嶽綱一]] * [[琴千歳幸征]] * [[琴椿克之]] * [[琴乃富士宗義]] * [[琴別府要平]] * [[琴龍宏央]] * [[琴若央雄]] * [[小沼克行]] * [[駒泉徳治郎]] * [[小松山与三松]] * [[小松山貞造]] * [[駒ノ里秀雄]] * [[駒錦信樹]] * [[駒不動大助]] * [[小柳芦太郎]] * [[小柳平助]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;さ行 * [[斉須稔]] * [[蔵玉錦敏正]] * [[境澤賢一]] * [[磋牙司洋之]] * [[佐賀ノ海初太郎]] * [[佐賀昇博]] * [[逆鉾盛吉]] * [[逆鉾與治郎]] * [[櫻川五良藏]] * [[櫻國輝男]] * [[佐田の富士哲博]] * [[薩洲洋康貴]] * [[佐渡ヶ嶌林蔵]] * [[佐渡嶽沢右エ門]] * [[里山浩作]] * [[紫雲竜吉之助]] * [[潮ヶ濱義夫]] * [[四海波好一郎]] * [[四海波静太夫]] * [[敷嶌猪之助]] * [[敷島勝盛]] * [[嗣子鵬慶昌]] * [[司天竜芳太郎]] * [[信夫山秀之助]] * [[嶌田川儀兵衞]] * [[嶋錦博]] * [[釋迦ヶ嶽庄太郎]] * [[鯱ノ里一郎]] * [[鯱和三郎]] * [[斜里錦菊三]] * [[十文字友和]] * [[駿傑悠志]] * [[翔天狼大士]] * [[白岩亮治]] * [[白梅文治郎]] * [[白田山秀敏]] * [[白真弓肥太右エ門]] * [[神幸勝紀]] * [[信州山由金]] * [[神東山忠也]] * [[駿河海光夫]] * [[青狼武士]] * [[戦闘竜|戦闘竜扁利]] * [[蒼国来栄吉]] * [[双大竜亮三]] * [[外ヶ濱浪五郎 (2代)]] * [[外ヶ濱弥太郎]] * [[杣ヶ花渕右エ門]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;た行 * [[大旺吉伸]] * [[大輝煌正人]] * [[大喜鵬将大]] * [[大觥吉男]] * [[大豪健嗣]] * [[大至伸行]] * [[大翔山直樹]] * [[大心昇]] * [[大雪嶺登]] * [[大道健二]] * [[大童山文五郎]] * [[大飛進]] * [[大飛翔誠志]] * [[大真鶴健司]] * [[大文字研二]] * [[大雄辰實]] * [[大龍志郎]] * [[大竜川一男]] * [[鷹城山多作]] * [[貴賢神|貴源治賢士]] * [[高砂浦五郎 (初代)]] * [[高錦昭應]] * [[貴ノ岩義司]] * [[隆の鶴伸一]] * [[高ノ花武也]] * [[貴ノ嶺明彦]] * [[高ノ山三郎]] * [[隆の山俊太郎]] * [[寶川石五郎]] * [[寶川政治]] * [[五十嵐敬之助|滝ノ音啓五郎]] * [[武ノ里武三]] * [[太刀風義経]] * [[太刀ノ海浪右エ門]] * [[大刀光電右エ門]] * [[太刀若峯五郎]] * [[立田野邦清]] * [[立田野竹松]] * [[立洸熊五郎]] * [[楯甲久四郎]] * [[楯甲幸男]] * [[楯甲新蔵]] * [[立汐祐治郎]] * [[伊達ノ花静]] * [[達ノ矢源之助]] * [[谷嵐市藏]] * [[谷嵐久]] * [[玉飛鳥大輔]] * [[玉嵐孝平]] * [[玉碇佐太郎]] * [[玉海力剛]] * [[玉櫻八郎]] * [[玉ノ井福司]] * [[玉ノ川脇太郎]] * [[玉響克己]] * [[玉力道栄来]] * [[太郎山勇吉]] * [[千賀ノ浦喜三郎]] * [[竹旺山友久]] * [[竹葉山真邦]] * [[千羽ヶ嶽宗助]] * [[千羽ヶ嶽兵右エ門]] * [[銚子灘傳右エ門]] * [[千代櫻輝夫]] * [[千代の国憲輝]] * [[千代白鵬大樹]] * [[筑波嶺清平]] * [[常錦利豪]] * [[常の山勝正]] * [[常ノ山勝正]] * [[鶴ヶ濱熊吉]] * [[鶴ヶ嶺道芳]] * [[剣岳吉五郎]] * [[剣武輝希]] * [[鶴渡清治郎]] * [[鉄甲宗五郎]] * [[照ヶ嶽光右エ門]] * [[照櫻弘行]] * [[出羽嵐大輔]] * [[出羽海運右エ門]] * [[出羽ノ花國市]] * [[出羽ノ花好秀]]  * [[出羽湊秀一]] * [[天鎧鵬貴由輝]] * [[天水山正則]] * [[天龍源一郎]] * [[唐辛多喜弥]] * [[十勝岩豊]] * [[時津海正博]] * [[時津洋宏典]] * [[時葉山敏夫]] * [[常盤野藤兵衛]] * '''[[德勝龍誠]]''' * [[徳瀬川正直]] * [[十三錦市松]] * [[十三ノ浦金四郎]] * [[土佐豊祐哉]] * [[土州山好一郎]] * [[土州山役太郎]] * [[戸田川鷲之助 (明和)]] * [[栃勇義治]] * [[栃王山裕規]] * [[栃栄篤史]] * [[栃剣展秀]] * [[栃乃藤達之]] * [[栃乃若導大]] * [[栃富士勝健]] * [[栃纒勇光]] * [[富ノ山等]] * [[友綱良助 (3代)]] * [[友ノ浦喬次]] * [[豊桜俊昭]] * [[豊錦喜一郎]] * [[豊ノ海真二]] * [[豊ノ海義美]] * [[豊登道春]] * [[豊響隆太]] * [[鳥井崎与助]] * [[鳥羽の山喜充]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;な行 * [[投石菊治郎]] * [[那智ノ山公晴]] * [[七ッ海操]] * [[楢錦政吉]] * [[鳴門海一行]] * [[鳴門洋利之助]] * [[南海龍太郎]] * [[錦木塚右エ門 (2代)]] * [[錦戸春吉]] * [[錦洋慶祐]] * [[錦洋幸治]] * [[日本海忠藏]] </div>{{clear}} <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;は行 * [[柏農山勝栄]] * [[白竜山憲史]] * [[白龍山慶祐]] * [[白露山佑太]] * [[蜂矢敏行]] * [[八甲山純司]] * [[花ノ国明宏]] * [[花光節夫]] * [[羽子錦徳三郎]] * [[濱錦竜郎]] * [[春ノ山竜尚]] * [[晴ノ海弥太郎]] * [[盤石力勝]] * [[番神山政三郎]] * [[緋縅祐光]] * [[緋縅力弥 (3代)]] * [[緋縅力弥 (4代)]] * [[響矢春吉]] * [[響矢由太郎]] * [[肥後ノ海直哉]] * [[常陸海光房]] * [[常陸嶌朝次郎]] * [[常陸嶽理市]] * [[常陸山虎吉]] * [[日立龍栄一]] * [[飛騨乃花成栄]] * [[秀湊忠司]] * [[氷見ヶ濱弥太郎]] * [[平鹿川泰二]] * [[平ノ石辰治郎]] * [[平ノ戸三之助 (初代)]] * [[平ノ戸千代蔵]] * [[広瀬川惣吉]] * [[福田山幸雄]] * [[福ノ海七男]] * [[福ノ里牛之助]] * [[藤田山忠義]] * [[藤錦千代吉]] * [[藤ノ川祐兒]] * [[藤ノ里栄藏]] * [[富士乃真司]] * [[藤見嶽虎之助]] * [[武州山隆士]] * [[双子岩傳一]] * [[二瀬山勝語]] * [[双ツ龍徳義]] * [[双見山又五郎]] * [[武雄山喬義]] * [[寶智山幸観]] * [[防長山源治]] * [[星岩涛祐二]] * [[星甲実義]] * [[星甲良夫]] * [[北海大太郎]] * [[誉富士歓之]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ま行 * [[舞靏千五郎]] * [[前ヶ潮春夫]] * [[前ノ山政三 (1919年生)]] * [[前ノ山政三 (1931年生)]] * [[牧本英輔]] * [[鉞り鉄五郎]] * [[真砂石三郎]] * [[将司昂親]] * [[舛ノ山大晴]] * [[増巳山豪]] * [[待乳山楯之亟 (3代)]] * [[松前山熊義]] * [[松前山武士]] * [[松ノ里直市]] * [[真鶴政吉 (5代)]] * [[丸山孝彦]] * [[三熊山美夫]] * [[三杉磯拓也]] * [[禊鳳英二]] * [[緑川兼吉]] * [[緑國政雄]] * [[緑嶋英三]] * [[湊川四良兵衞]] * [[湊富士孝行]] * [[三濱洋俊明]] * [[宮城海清人]] * [[宮ノ花秀輝]] * [[宮柱義雄]] * [[武藏野弥助]] * [[陸奥ノ里敏男]] * [[猛虎浪栄]] * [[最上山辨治]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;や行 * [[八方山主計]] * [[八嶌山平八郎]] * [[野州山孝市]] * [[八十嶋冨五郎]] * [[八染茂雄]] * [[山田川清太郎]] * [[大和剛]] * [[倭岩英太郎]] * [[大和錦幸男]] * [[山本山龍太]] * [[槍ヶ嶽峯五郎]] * [[豊山鬼吉]] * [[豊山亮太]] * [[由良ノ海楫五郎]] * [[燁司大]] * [[横車利三郎]] * [[吉井山朋一郎]] * [[吉王山修]] * [[吉田川清四郎]] * [[吉野岩畄吉]] * [[吉の谷彰俊]] * [[義ノ花成典]] * [[芳野嶺元志]] * [[芳ノ山夛治郎]] * [[吉野山要次郎]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ら行 * [[雷山勇吉]] * [[雷ノ峰伊助]] * [[力皇猛|力櫻猛]] * [[龍皇昇]] * [[琉王優貴]] * [[龍王山光]] * [[龍興山一人]] * [[琉鵬正吉]] * [[凌駕精考]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;わ行 * [[若嵐武]] * [[鈴川真一|若麒麟真一]] * [[若光翔大平]] * [[若駒健三]] * [[若左倉与吉]] * [[若潮芳雄]] * [[若島幸右エ門]] * [[若杉山豊一]] * [[若瀬川栄蔵]] * [[若瀬川剛充]] * [[若太刀芳之助]] * [[若孜浩気]] * [[若天龍祐三]] * [[若兎馬裕三]] * [[若浪義光]] * [[若鳴門清海]] * [[若ノ海正照]] * [[若ノ國豪夫]] * [[若乃洲敏弥]] * [[若ノ城宗彦]] * [[若の富士昭一]] * [[若ノ鵬寿則]] * [[若常陸恒吉]]  * [[若港三郎]] * [[若山与吉]] * [[若吉葉重幸]] * [[鷲ヶ濱音右エ門]] </div>{{clear}} == 十両(十枚目) == 最高位が[[十両]]である力士。 === 現役力士 === <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;あ行 * [[朝玉勢大幸]] * [[朝紅龍琢馬]] * [[朝志雄亮賀]] * [[朝乃若樹]] * [[朝弁慶大吉]] * [[王輝嘉助]] * [[欧勝海成矢]] * [[欧勝馬出気]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;か行 * [[魁勝旦祈]] * [[輝鵬智貴]] * [[慶天海孔晴]] * [[琴裕将由拡]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;さ行 * [[獅司大]] * [[紫雷匠]] * [[高橋優太 (大相撲力士)|白熊優太]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;た行 * [[大成龍喜悌]] * [[大雷童太郎]] * [[貴健斗輝虎]] * [[尊富士弥輝也]] * [[玉正鳳萬平]] * [[千代嵐慶喜]] * [[千代栄栄太]] * [[千代の海明太郎]] * [[對馬洋勝満]] * [[天照鵬真豪]] * [[時疾風秀喜]] * [[栃丸正典]] * [[栃武蔵陽太]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;な行 </div>{{clear}} <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;は行 * [[白鷹山亨将]] * [[日翔志忠勝]] * [[藤青雲龍輝]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ま行 </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;や行 * [[勇磨猛]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ら行 </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;わ行 </div>{{clear}} === 引退・廃業・死去した力士 === <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;あ行 * [[愛ノ花初義]] * [[青ノ海勇三]] * [[赤城山晃]] * [[明石海秀昭]] * [[秋田嶽由藏]] * [[安芸の國一典]] * [[安芸の嶺良信]] * [[昭光徳昭]] * [[上潮智也]] * [[明ノ海正五郎]] * [[朝風新一郎]] * [[朝明重男]] * [[朝錦利則]] * [[朝乃涛誠]] * [[旭國強]] * [[朝見山峻一郎]] * [[渥美洋正征]] * [[綾の海金太郎]] * [[荒川文夫]] * [[荒駒兵衛]] * [[嵐立磨]] * [[荒浪源四郎]] * [[荒山宇三郎]] * [[生汐左衛門]] * [[伊集院大八]] * [[石山源治郎]] * [[維新力浩司]] * [[伊勢錦貫二郎]] * [[伊勢錦清]] * [[磯千鳥重五郎]] * [[一錦周之助]] * [[一の谷崇帥]] * [[一ノ濱枩雄]] * [[市ノ渡三四四]] * [[五ツ潟吉衛]] * [[伊予櫻政行]] * [[彩尊光]] * [[岩手富士祐一]] * [[上宮山勇市]] * [[羽後響助枩]] * [[宇佐ノ山英策]] * [[牛若丸悟嘉]] * [[梅垣直治郎]] * [[梅の里昭二]] * [[雲仙嶽光徳]] * [[雲仙山尚敏]] * [[越後山重正]] * [[江戸響博昭]] * [[可愛嶽実男]] * [[恵比寿洋直三郎]] * [[皇牙篤]] * [[大石田謙治]] * [[大泉隆司]] * [[大潮英雄]] * [[大獅子耕蔵]] * [[大鷹雅規]] * [[大高山十郎]] * [[大達信太郎]] * [[大鶴多喜之助]] * [[大戸崎祐慈朗]] * [[大野咲慎祐]] * [[大橋直松]] * [[大日岳栄隆]] * [[大日山廣司]] * [[大平山圭四郎]] * [[大富士|大富士慶二]] * [[大岬伝左衛門]] * [[大緑勝五郎]] * [[大矢崎信哉]] * [[大矢崎武男]] * [[大倭東洋]] * [[隠岐ノ島恵一]] * [[忍の山剛]] * [[乙女川定吉]] * [[鬼嵐力]] * [[大蛇川覚]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;か行 * [[凱皇仁]] * [[開心栄]] * [[魁道康弘]] * [[開錦豪藏]] * [[華王錦武志]] * [[鏡川四郎]] * [[鶴嶺山宝一]] * [[鹿嶌嵜健太郎]] * [[柏龍成彦]] * [[春日洋光二]] * [[春日竜功隠]] * [[霞ヶ浦忠男]] * [[片ノ濱軍平]] * [[桂川力蔵 (入間川部屋)|桂川力蔵]] * [[金親和憲]] * [[株本義久]] * [[鎌錦爲之助]] * [[頂ノ郷昌登]] * [[神威山力雄]] * [[河内山一夫]] * [[木﨑海伸之助]] * [[希善龍貴司]] * [[北ノ花吉保]] * [[北吹雪弘士]] * [[北見潟政義]] * [[九州海清]] * [[清乃洋文幸]] * [[清乃華玉誉]] * [[清の富士猛]] * [[清美岳太]] * [[桐ノ花光之助]] * [[岡本将之|霧の若太郎]] * [[錦龍山宗治]] * [[草竹幸一]] * [[楠ノ海正治]] * [[国東始]] * [[國光鉄太郎]] * [[國見山兼初]] * [[久能山長五郎]] * [[熊翁博]] * [[熊乃浦忠行]] * [[九紋竜政五郎]] * [[呉錦三郎]] * [[黒瀬川進]] * [[黒田山昭二]] * [[黒鷲二千郎]] * [[玄海桃太郎]] * [[剣岳寛]] * [[玄武満]] * [[源武山源右エ門]] * [[劍龍猛虎]] * [[乾龍初太郎]] * [[剛堅大二朗]] * [[晃山昌士]] * [[公地次男]] * [[小金山幸一郎]] * [[極芯道貴裕]] * [[五剣山博之]] * [[琴嵐佳史]] * [[琴岩国武士]] * [[琴冠佑源正]] * [[琴国晃将]] * [[琴立山兼滋]] * [[琴の郷栄一]] * [[琴乃峰篤実]] * [[琴の龍功師]] * [[琴白山俊也]] * [[琴禮巨樹]] * [[琴弥山幸基]] * [[駒木川蔵太郎]] * [[小役丸勇走]] * [[金剛敏彦]] * [[坤龍文一郎]] </div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;さ行 * [[西郷市之助]] * [[彩豪一義]] * [[佐賀ノ海輝一]] * [[佐賀光健吾]] * [[魁猛]] * [[佐久昇染太]] * [[薩摩洋時久]] * [[郷錦廣次]] * [[佐ノ藤清彦]] * [[沢風富治]] * [[三瓶山征夫]] * [[山陽山淺一]] * [[四賀ノ峰辰之助]] * [[四季の花範雄]] * [[重ノ海博久]] * [[信濃川藤四郎]] * [[若越英雄]] * [[壽山勝昭]] * [[修羅王政勝]] * [[翔鵬豪一]] * [[常陽山正治]] * [[白岩政寿]] * [[白根山宗則]] * [[白乃波寿洋]] * [[城ノ龍康允]] * [[新川完二]] * [[信山信幸]] * [[神雷龍之助]] * [[神竜定夫]] * [[翠竜輝嘉]] * [[須佐の湖善誉]] * [[砂浜正二]] * [[須磨ノ富士茂雄]] * [[清王洋好造]] * [[盛風力秀彦]] * [[勢力忠四郎]] * [[関の花勉]] * [[瀬戸錦年光]] * [[瀬戸山要藏]] * [[泉州山久義]] * [[泉州山喜裕]] * [[千昇秀貴]] * [[前進山良太]] * [[相武山信男]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;た行 * [[大海竹郎]] * [[大岳宗正]] * [[大寛宗之]] * [[代官山康弘]] * [[大喜進]] * [[大車輪松五郎]] * [[大翔湖友樹]] * [[大翔大豪志]] * [[太晨光真]] * [[大殿英武]] * [[大勇武龍泉]] * [[大龍隆寛]] * [[大竜忠博]] * [[高瀬山清]] * [[高田山惠助]] * [[スダリオ剛|貴ノ富士三造]] * [[貴ノ山英二]] * [[貴羽山善之]] * [[高見藤英希]] * [[髙立直哉]] * [[瀧見山延雄]] * [[高木功 (プロレスラー)|卓越山吾郎]] * [[田代岩弘道]] * [[太刀光昭洋]] * [[立富士祐司]] * [[立汐唯五郎]] * [[伊達錦一成]] * [[達ノ里寿弥]] * [[谷ノ音谷五郎]] * [[玉風福太郎]] * [[田上明|玉麒麟安正]] * [[玉乃浦友喜]] * [[玉ノ川正行]] * [[玉ノ国光国]] * [[丹蔵隆浩]] * [[智異ノ山正一郎]] * [[力駒雄偉]] * [[筑後山一政]] * [[千葉昇隆利]] * [[千代桜右京]] * [[千代の海茂夫]] * [[千代の若秀則]] * [[鳥海龍秀俊]] * [[津軽海伝藏]] * [[津軽國芳隆]] * [[津軽冨士節三]] * [[常曻正]] * [[常の松寛]] * [[常の山日出男]] * [[津峯山政雄]] * [[鶴ノ富士智万]] * [[鶴美山侑宏]] * [[照錦富治]] * [[照ノ海十二]] * [[照ノ海照光]] * [[照の花謙二]] * [[照美山英實]] * [[輝山大峯]] * [[出羽鳳太一]] * [[出羽平真一]] * [[出羽の邦真光]] * [[出羽の郷秀之]] * [[出羽の洲聖]] * [[出羽乃富士智章]] * [[出羽疾風龍二]] * [[天凰山豊]] * [[天剛山隆清]] * [[嘉地久晴|天山久晴]] * [[天地山人]] * [[時潮信雄]] * [[時津海正男]] * [[時津浪朋納]] * [[時浪春樹]] * [[徳真鵬元久|&#24503;真鵬元久]] * [[土州灘浪五郎]] * [[栃泉隆幸]] * [[栃偉山弘行]] * [[栃木野竹三郎]] * [[栃櫻光輝]] * [[栃忠秀昭]] * [[栃天晃正嵩]] * [[栃ノ関雅清]] * [[栃ノ峯甚一郎]] * [[栃ノ華朝王]] * [[栃ノ森昇治]] * [[栃葉山暁輝]] * [[栃飛龍幸也]] * [[栃不動周二]] * [[飛島正]] * [[富風悟]] * [[冨田濱正治]] * [[豊錦規矩雄]] * [[豊乃國大地]] * [[豊ノ花光義]] * [[豊光重信]] * [[鳥ヶ峰吉五郎]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;な行 * [[仲の国将]] * [[長良川彦三郎]] * [[七尾潟直右エ門]] * [[七瀬川秀雄]] * [[浪速龍功]] * [[浪泉藤市]] * [[浪ノ音藤美]] * [[鳴潮茂生]] * [[鳴海潟陸奥雄]] * [[錦竜栄廣]] * [[西中憲四郎]] * [[西の富士勝治]] * [[二所錦照生]] * [[二豊山光良]] * [[布引國太郎]] * [[能登ノ山竜三]] </div>{{clear}} <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;は行 * [[羽咋山勝久]] * [[白雄山昇]] * [[魄龍弘]] * [[柏梁勝雄]] * [[八竜鉄右エ門]] * [[大黒坊弁慶|花嵐一美]] * [[八剣山鐘太郎]] * [[花筏健]] * [[花ノ藤昭三]] * [[花ノ山春治]] * [[花龍真吾]] * [[濵ノ石政吉]] * [[濱ノ海芳正]] * [[速浪武夫]] * [[葉山健治]] * [[榛名富士新司]] * [[磐石博文]] * [[磐城徳枩]] * [[幡龍洋賢三]] * [[肥後ノ城政和]] * [[飛翔富士廣樹]] * [[秀錦啓光]] * [[英錦匡男]] * [[秀ノ海渡累]] * [[日出ノ国太子郎]] * [[秀ノ花宗市]] * [[秀ノ花行秀]] * [[飛天龍貴信]] * [[響矢影男]] * [[白法山旺三]] * [[桧山剛志]] * [[平戸灘常吉]] * [[福井山常志]] * [[福知海勝美]] * [[冨久錦武光]] * [[福ノ里邦男]] * [[福の守尚]] * [[福緑正義]] * [[福龍岳茂生]] * [[富士の岩秀之]] * [[富士の里昇]] * [[双筑波勇人]] * [[古市貞秀]] * [[鳳龍一雄]] * [[北勝岩治]] * [[北勝国英明]] * [[北勝光康仁]] * [[星安出寿保世]] * [[星風芳宏]] * [[星誕期偉真智]] * [[保志光信一]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ま行 * [[舞風昌宏]] * [[前ヶ汐英太郎]] * [[前田花英介]] * [[政風基嗣]] * [[増健亘志]] * [[益荒海幸太]] * [[松恵山邦治]] * [[松嶋市平]] * [[松錦常市]] * [[松光正文]] * [[松緑貢兵衛]] * [[松山佳弘]] * [[松若正次]] * [[真鶴照久]] * [[三池山大五郎]] * [[三笠山護]] * [[三輝山輝男]] * [[三鷹山昌吾]] * [[美楯山海一郎]] * [[緑岩三郎]] * [[三舩浪盛吉]] * [[三山貞次]] * [[陸奥錦建市]] * [[陸奥錦秀二郎]] * [[陸奥ノ洋光司]] * [[陸奥ノ花亮一]] * [[陸奥北海勝昭]] * [[武哲山剛]] * [[森ノ里信義]] * [[森乃里治重]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;や行 * [[薬師山精進]] * [[矢筈山剛志]] * [[八幡錦秀尾]] * [[八幡野平八郎]] * [[山中山和洋]] * [[山錦喜章]] * [[豊富士修]] * [[吉ノ岩義行]] * [[芳昇幸司]] * [[四ツ車大八 (8代)|四ツ車大八]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ら行 * [[雷光肇]] * [[雷光山善胤]] * [[雷門辰男]] * [[力真樹]] * [[竜ヶ嵜唯雄]] * [[龍ヶ浜広宣]] * [[竜虎川上]] * [[龍授山正男]] * [[隆昌山勝茂]] * [[隆濤剛]] * [[龍門孝幸]] * [[輪鵬和久]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;わ行 * [[若東吉信]] * [[和歌木山栄一]] * [[若國一男]] * [[若双龍秀造]] * [[若筑波茂]] * [[若椿利信]] * [[若天狼啓介]] * [[若闘将敏男]] * [[若東龍秀史]] * [[若十勝正雄]] * [[若ノ海正照 (1959年生)|若ノ海正照]] * [[和歌ノ海忠次郎]] * [[若ノ里雄三]] * [[若乃島史也]] * [[若隼人幸治]] * [[若葉山強]] * [[若晃三昌]] * [[若美山三雄]] </div>{{clear}} == 幕下以下 == 最高位が[[幕下]]以下である力士([[関取]]昇進なし)。 === 現役力士 === <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;あ行 * [[朝興貴祐貴]] * [[朝天舞晴多]] * [[朝白龍太郎]] * [[宇瑠寅太郎]] * [[欧勝竜健汰]] * [[大谷真惟]] * [[大辻理紀]] * [[大畑空宇]] * [[隠岐の富士和也]] * [[長内孝樹]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;か行 * [[海龍元生]] * [[風賢央厳太]] * [[風の湖競]] * [[克乃富士修一]] * [[上戸大輝]] * [[嘉陽快宗]] * [[神崎大河]] * [[木竜皇博一]] * [[麒麟龍勇人]] * [[琴太豪晃匡|琴太豪晃有]] * [[琴手計太希]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;さ行 * [[佐々木山大輔]] * [[聡ノ富士久志]] * [[澤勇智和]] * [[翔傑喜昭]] * [[勝誠剛]] * [[将豊竜将太]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;た行 * [[丹治純]] * [[千代虎大樹]] * [[千代大豪勇星]] * [[塚原隆明]] * [[出羽ノ龍和希]] * [[天一俊哉]] * [[天道山大河]] * [[東俊隆勝介]] * [[時乃平亜睦]] * [[土佐緑清太]] * [[栃神山龍一]] * [[栃幸大英樹]] * [[栃清龍勇気]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;な行 * [[生田目竜也]] * [[鳴滝翔月]] * [[納谷幸林]] * [[西乃龍龍太朗]] * [[二本栁亘]] </div>{{clear}} <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;は行 * [[羽出山将]] * [[颯富士元揮]] * [[爆羅騎源氣]] * [[飛燕力敬介]] * [[深井拓斗]] * [[富士の山優斗]] * [[宝香鵬宏作]] * [[北天海葵]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ま行 * [[峰刃幾叉丸]] * [[宮城陽]] * [[武蔵海豊]] * [[夢道鵬幸成]] * [[森麗勇樹]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;や行 * [[吉井虹]] * [[田邉大宜|良安大宜]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ら行 </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;わ行 * [[若碇成剛]] * [[若隆元渡]] </div>{{clear}} === 引退・廃業・死去した力士 === <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;あ行 * [[碧天大市]] * [[碧剣健太]] * [[めっちゃ (お笑い芸人)|安大ノ浪亮]] * [[安芸旭雅士]] * [[秋乃峰將司]] * [[朝ノ霧満]] * [[旭桜隆秀]] * [[旭弁天崇弘]] * [[朝陽丸勝人]] * [[朝日龍克宗]] * [[大鷲透|朝鷲透]] * [[桜田一男|網走洋一男]] * [[ソラキチ・マツダ|荒竹寅吉]] * [[荒谷望誉|荒谷信孝]] * [[有門勇人]] * [[一木隆冶]] * [[一ノ矢充]] * [[入江正登]] * [[上田馬之助 (プロレスラー)|上田山裕司]] * [[永源遙]] * [[キラー・カーン|越錦正志]] * [[江戸の華重信]] * [[恵那司千浩]] * [[遠州洋悠仁]] * [[鴨緑江渡右衛門]] * [[太田剛希]] * [[巨武蔵大喜]] * [[大露羅敏]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;か行 * [[魁将龍邦昭]] * [[魁渡頌胆]] * [[春日国晃大]] * [[風冨山泰雅]] * [[片福面大五郎]] * [[金木山弥一郎]] * [[唐津海誠二]] * [[諫誠章道]] * [[箕應山朋恭]] * [[ラッシャー木村|木ノ村政雄]] * [[希帆ノ海勇樹]] * [[木村健悟|木村山聖裔]] * [[輝面龍政樹]] * [[旭天山武]] * [[旭光誓一]] * [[国ノ音治三郎]] * [[毛谷村六介]] * [[元亀進之介]] * [[豪頂山傑士]] * [[郡山勇二]] * [[小金富士岳士]] * [[小島貞二]] * [[グレート小鹿|小鹿信也]] * [[琴旭基太造]] * [[市場孝之|琴市場孝之]] * [[入江秀忠|琴入江秀忠]] * [[後藤友和]] * [[ターザン後藤|後藤政二]] * [[琴鳳圭史]] * [[琴剣淳弥]] * [[ジョン・テンタ|琴天山俊光]] * [[琴藤沢和穂]] * [[小濱新次]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;さ行 * [[スネーク奄美|栄勇]] * [[佐々木悠太]] * [[佐田岬和吉]] * [[師子王正樹]] * [[宍戸清志]] * [[志州山真国]] * [[志免錦金五郎]] * [[下田圭将]] * [[駿馬赤兎]] * [[両國宏|祥映斗宏務]] * [[勝南桜聡太]] * [[勝武士幹士]] * [[杉田喜章]] * [[朱雀太]] * [[昴光司]] * [[駿河司章洋]] * [[松岡巌鉄|正剛山正夫]] * [[瀬戸の海龍昇]] * [[外ヶ濱信行]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;た行 * [[大凰紀久]] * [[大鷹浪勝]] * [[太牙虎五郎]] * [[太閤丸豊]] * [[大子錦大伍郎]] * [[大翔地健太]] * [[大翔馬和侍]] * [[マービンJr.|大翔勇真亜敏]] * [[大天濠征信]] * [[大天霄健]] * [[大納川憲治]] * [[合田正和|貴伊吹正和]] * [[貴月芳将匡]] * [[貴斗志将吏]] * [[ジョージ高野|高野謙次]] * [[米村天心|高昇紀彰]] * [[高三郷勝義]] * [[テイラ・トゥリ|高見州大吉]] * [[高見若清一]] * [[高武藏源太郎]] * [[玉泉一博]] * [[玉ノ華重二朗]] * [[潮光山重春]] * [[澤田賢澄|千代の眞賢澄]] * [[土橋賢一]] * [[白川裕二郎|綱ノ富士裕二郎]] * [[寺西勇]] * [[照瀬川邦昭]] * [[電山博保]] * [[田代良徳|東桜山勝徳]] * [[東昌邦匡志]] * [[東心山徳幸]] * [[澤田大筰|尖山大作]] * [[時潮豊]] * [[栃相模久]] * [[栃翼祐一]] * [[栃乃里隆光]] * [[栃の山博士|栃ノ山拓]] * [[突光力和樹]] * [[飛円美智浩]] * [[富栄ドラム|富栄龍太郎]] * [[虎伏山義幸]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;な行 * [[ミスター・ヒト|浪速海勝治]] * [[マンモス佐々木|浪速嘉則]] * [[奈良光幹夫]] * [[南富健三]] * [[錦風真悟]] * [[能登櫻和也]] </div>{{clear}} <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;は行 * [[吐合明文]] * [[白頭山福童]] * [[羽黒海憲司]] * [[波戸ヶ崎昇太]] * [[華吹大作]] * [[早瀬川修一]] * [[光源治晴]] * [[肥後嵐悠太]] * [[英ノ国一]] * [[火の竜清徳]] * [[佐野浅太郎|日吉山浅太郎]] * [[福轟力浩城]] * [[キング・ハク|福ノ島裕士]] * [[ドン・フジイ|藤井達樹]] * [[藤健勝歩紀]] * [[藤本悠介]] * [[武誠山一成]] * [[サムソン・クツワダ|二瀬海友継]] * [[藤田川藤介]] * [[鰤の里強志]] * [[浜亮太|北勝嵐亮太]] * [[北勝輝勇気]] * [[樋口和貞|北道山和貞]] * [[北勝城勲]] * [[北勝森文仁]] * [[北斗龍定裕]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ま行 * [[前田勝]] * [[舛東欧旭]] * [[舛ノ湖大明]] * [[舛名大周一]] * [[松緑哲也]] * [[摩天楼健]] * [[柴田勝久|三重ノ山勝久]] * [[木村晃健|三杉豊高暁]] * [[水口剛]] * [[水戸豊幸樹]] * [[緑富士優]] * [[男女ノ里泰之]] * [[南乃島勇]] * [[峰桜健士]] * [[宮内輝和]] * [[泉田純|武蔵海顕義]] * [[武蔵國真武]] * [[武蔵富士敏]] * [[照喜 (呼出)|陸奥龍隆久]] * [[村上光昭]] * [[三遊亭歌武蔵|森武蔵正英]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;や行 * [[山口利夫|山口大五郎]] * [[大和富士充]] * [[友鵬勝尊|勇鵬勝一]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;ら行 * [[雷昊充敏]] * [[嵐望将輔]] * [[竜王浪勝照]] * [[龍巍生明]] * [[龍帝衛福]] </div> <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;わ行 * [[若い浪剛史]] * [[若風学]] * [[若木野金介]] * [[HIRO (お笑い芸人)|和歌桜康幸]] * [[若三梅雅裕]] * [[若緑陸奥之亟]] * [[若三藤成豊]] * [[若八嶋泰成]] * [[若力堂聖也]] * [[大谷米太郎|鷲尾嶽米太郎]] * [[鷲ノ森常吉]] </div>{{clear}} == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[横綱一覧]] * [[大関一覧]] * [[関脇一覧]] * [[小結一覧]] * [[40歳以上まで現役を続けた力士一覧]] == 外部リンク == * [http://tsubotaa.la.coocan.jp/mindex/mindex.html 幕内力士一覧表]([http://tsubotaa.la.coocan.jp/index.html 相撲評論家之頁] 内) * [http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/000.htm 相撲人名鑑]([http://www.fsinet.or.jp/~sumo/sumo.htm 大相撲 記録の玉手箱] 内) {{相撲}} {{Sumo-stub}} {{DEFAULTSORT:おおすもうりきしいちらん}} [[Category:大相撲力士一覧|*]] [[Category:相撲関連一覧|りきし]]
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横綱一覧
横綱一覧(よこづないちらん)では、大相撲の歴代横綱を一覧する。
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横綱一覧(よこづないちらん)では、大相撲の歴代横綱を一覧する。
{{Pathnavbox| * {{Pathnav|武道|相撲|大相撲|大相撲力士一覧|横綱}} }} '''横綱一覧'''(よこづないちらん)では、[[大相撲]]の歴代[[横綱]]を一覧する。 {{multiple image | align = right | direction = horizontal | image1 = Nomisukune_Jinja_Shrine,_Sumida_List_of_Yokozuna_1.jpg| width1 = 160| alt1 = | caption1 = [[野見宿禰神社 (墨田区)|野見宿禰神社]]にある歴代横綱の石碑(初代 - 四十六代) | image2 = Nomisukune_Jinja_Shrine,_Sumida_List_of_Yokozuna_2.jpg | width2 = 90| alt2 = | caption2 = 野見宿禰神社にある歴代横綱の石碑(四十七代 - ) }} {{main2|[[大関]]は[[大関一覧]]、[[関脇]]は[[関脇一覧]]、[[小結]]は[[小結一覧]]、[[前頭]]以下は[[大相撲力士一覧]]を(いずれも在籍時の最高位)}} == 現役の横綱 == {{現役横綱}} == 歴代横綱 == * '''[[四股名]]/読み仮名'''の欄の太字は優勝20回以上の横綱を示す。 * '''[[優勝]]'''の欄は[[幕内]]優勝の回数を示す。ただし、23代[[大木戸森右エ門|大木戸]]以前の「優勝」は幕内最高成績(優勝相当)の回数(常陸山、太刀山は優勝相当と幕内最高優勝の合計)。また、35代[[双葉山定次|双葉山]]以前の時代は年2場所制。 * '''連勝'''の欄は、各横綱の幕内においての最長の連勝記録。  * '''勝率'''の欄に各横綱の幕内勝率を記載。 {| class="sortable wikitable" style="font-size:80%" |- style="line-height:1.15em; white-space:nowrap" ! 代位 ! 四股名/読み仮名!! 出身地 !! 横綱昇進 !! 引退 !! 優勝 ! [[横綱土俵入り|土俵入り]] ! [[年寄名跡]] !! 連勝 !! 幕内勝率 !! 備考 |- style="line-height:0.5em; white-space:nowrap" ! style="border-top:hidden;" |<ref group="注釈"> [[江戸時代]]の横綱の人数や昇進順については異説も存在する。現在ひろく知られ、[[日本相撲協会]]でも採用している横綱一覧は、[[1900年]]に[[陣幕久五郎]]が[[富岡八幡宮]]に建立した「[[横綱力士碑]]」に基づくもの。本項もこれに倣う。初代から3代までは、歴史的に横綱という制度は存在しなかったとするのが通説である。この横綱碑では、[[寛政]]期の強豪大関 [[雷電爲右エ門]]が「無類力士」として別枠で顕彰されており、彼も横綱と同列に扱われる場合がある。</ref> ! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | ! style="border-top:hidden;" |<ref group="注釈">現在の雲龍型、不知火型土俵入りが定まった型となったのは、それぞれの土俵入りの完成者である第20代横綱・梅ヶ谷(2代)、第22代横綱・太刀山以降。第10代横綱・雲龍から第19代横綱・常陸山までの横綱土俵入りの型は、原型又は現在の雲龍型、不知火型とは多少異なる雲龍型、不知火型。第4代横綱・谷風から第9代横綱・秀ノ山あたりまでは後の横綱土俵入りの原型となる型で横綱土俵入りをしていた。</ref> ! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | |- !{{Display none|01代/}}初代 |あかし&nbsp;しがのすけ<br /><span style="font-size:125%">[[明石志賀之助]]</span> | style="white-space:nowrap" |{{Display none|09-}}[[下野国]]<br />([[栃木県]]) |{{Display none|00/}}不明 |{{Display none|00/}}不明 |{{Display none|00/}}不明 |不明 |不明 |不明 |不明 |京で[[仁王仁太夫]]を倒して[[日下開山]]の称号を受け、<br />これを以って初代横綱(江戸初の横綱)の根拠とされた。<br>文献等の資料が乏しく、伝説的な人物である。 |- !{{Display none|0}}2代 |あやがわ&nbsp;ごろうじ<br /><span style="font-size:125%">[[綾川五郎次 (初代)|綾川五郎次]]</span> |{{Display none|09-}}[[下野国]]<br />([[栃木県]]) |{{Display none|00/}}不明 |{{Display none|00/}}不明 |{{Display none|00/}}不明 | | | | | |- !{{Display none|0}}3代 |style="white-space:nowrap" |まるやま&nbsp;ごんだざえもん<br /><span style="font-size:125%">[[丸山権太左衛門]]</span> |{{Display none|04-}}[[陸奥国]]<br />([[宮城県]]) |1749年 | style="line-height:1.15em" |1749年<br /><span style="font-size:90%">([[現役中に死亡した力士一覧|現役中に死去]])</span> |{{Display none|00/}}不明 | | | | | |- !{{Display none|0}}4代<br /><ref group="注釈" name=Same>谷風と小野川、常陸山と2代目梅ヶ谷、安藝ノ海と照國、柏戸と大鵬、玉の海と北の富士は横綱同時昇進。それぞれ引退の早かった方に若い代数が与えられている(但し谷風と玉の海の二人は現役中に死去)。</ref> |'''たにかぜ&nbsp;かじのすけ'''<br /><span style="font-size:125%">'''[[谷風梶之助_(2代)|谷風梶之助]]'''</span> |{{Display none|04-}}[[陸奥国]]<br />([[宮城県]]) |style="white-space:nowrap"|1789年11月 |style="line-height:1.15em; white-space:nowrap"|1794年11月<br /><span style="font-size:90%">([[現役中に死亡した力士一覧|現役中に死去]])</span> | style="white-space:nowrap;" |'''21回''' | | | style="white-space:nowrap" |'''63連勝<br /><ref group="注釈">[[谷風梶之助 (2代)|谷風梶之助]]の63連勝という記録は一般に江戸本場所のみの63連勝を指すが、江戸本場所・京都本場所・大坂本場所まで含めれば98連勝となる。98連勝は現在(2021年時点)でもいまだ破られていない最多連勝記録である。</ref>''' | 0.949 |{{Nowrap|実質的な初代}}横綱<ref>"[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/137945/m0u/%E8%B0%B7%E9%A2%A8/ 谷風梶之助]" - デジタル大辞泉, 2010年11月1日</ref> |- !{{Display none|0}}5代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |おのがわ&nbsp;きさぶろう<br /><span style="font-size:125%">[[小野川喜三郎]]</span> |{{Display none|25-}}[[近江国]]<br />([[滋賀県]]) |1789年11月 |1797年10月 |{{Display none|0}}7回 | |[[小野川_(年寄名跡)|小野川]] |32連勝 | 0.917 |[[18世紀]]最後の横綱 |- !{{Display none|0}}6代 |おうのまつ&nbsp;みどりのすけ<br /><span style="font-size:125%">[[阿武松緑之助]]</span> |{{Display none|17-}}[[能登国]]<br />([[石川県]]) |1828年2月 |1835年10月 |{{Display none|0}}5回 | |[[阿武松_(相撲)|阿武松]] |18連勝 |0.821 |[[19世紀]]初の横綱 |- !{{Display none|0}}7代 |いなづま&nbsp;らいごろう<br /><span style="font-size:125%">[[稲妻雷五郎]]</span> |{{Display none|08-}}[[常陸国]]<br />([[茨城県]]) |1829年9月 |1839年11月 |10回 | | |33連勝 |0.919 |1828年7月に[[五条家 (菅原氏)|五条家]]免許 |- !{{Display none|0}}8代 |しらぬい&nbsp;だくえもん<br /><span style="font-size:125%">[[不知火諾右衛門]]</span> |{{Display none|43-}}[[肥後国]]<br />([[熊本県]]) |1840年11月 |1844年1月 |{{Display none|0}}1回 | |[[湊 (相撲)|湊]] |16連勝 |0.762 |歴代横綱の中で下位番付(関脇)に陥落した唯一の横綱<ref group="注釈">当時は横綱が固定の番付として確立されておらず、あくまでも大関が最高位であったため、制度上は横綱からの陥落も在り得た。</ref>。 |- !{{Display none|0}}9代 |ひでのやま&nbsp;らいごろう<br /><span style="font-size:125%">[[秀ノ山雷五郎]]</span> |{{Display none|04-}}[[陸奥国]]<br />([[宮城県]]) |1847年9月 |1850年3月 |{{Display none|0}}6回 | |[[秀ノ山_(年寄名跡)|秀ノ山]] |30連勝 |0.842 | |- ! style="white-space:nowrap" |10代 |うんりゅう&nbsp;きゅうきち<br /><span style="font-size:125%">[[雲龍久吉]]</span> |{{Display none|40-}}[[筑後国]]<br />([[福岡県]]) |1861年9月 |1865年2月 |{{Display none|0}}7回 | style="white-space:nowrap;" |[[横綱土俵入り#雲龍型と不知火型|不知火型]]<br /><ref group="注釈" name=Device>雲龍型の考案者は第11代横綱・不知火(光)、不知火型の考案者は第10代横綱・雲龍であり、現在新聞などで一般に記される考案者とは逆という考えが通説。</ref> |[[追手風]] |16連勝 |0.799 | |- !11代 |しらぬい&nbsp;こうえもん<br /><span style="font-size:125%">[[不知火光右衛門]]</span> |{{Display none|43-}}[[肥後国]]<br />([[熊本県]]) |1863年10月 |1869年11月 |{{Display none|0}}3回 |[[横綱土俵入り#雲龍型と不知火型|雲龍型]]<br /><ref group="注釈" name=Device /> |湊 |16連勝 |0.773 | |- !12代 |じんまく&nbsp;きゅうごろう<br /><span style="font-size:125%">[[陣幕久五郎]]</span> |{{Display none|32-}}[[出雲国]]<br />([[島根県]]) |1867年1月 |1867年11月 |{{Display none|0}}5回 | |[[北陣|陣幕]] |25連勝 |0.946 |江戸最後の横綱、1863年1月に五条家免許<ref group="注釈">横綱免許後本場所出場なし。</ref>、 |- !13代 |きめんざん&nbsp;たにごろう<br /><span style="font-size:125%">[[鬼面山谷五郎]]</span> |{{Display none|21-}}[[美濃国]]<br />([[岐阜県]]) |1869年2月 |1870年11月 |{{Display none|0}}7回 | |鬼面山 |23連勝 |0.856 |[[明治]]初の横綱 |- !14代 |さかいがわ&nbsp;なみえもん<br /><span style="font-size:125%">[[境川浪右衛門|境川浪右エ門]]</span> |{{Display none|12-}}[[下総国]]<br />([[千葉県]]) |1877年2月 |1881年1月 |{{Display none|0}}5回 | |[[境川_(相撲)|境川]] |26連勝 |0.837 |1876年2月に五条家免許 |- !15代 |style="white-space:nowrap" |うめがたに&nbsp;とうたろう<br />{{Display none|梅ヶ谷藤太郎 (1代)/}}<span style="font-size:125%">[[梅ヶ谷藤太郎 (初代)]]</span> |{{Display none|40-}}[[筑前国]]<br />([[福岡県]]) |1884年2月 |1885年5月 |{{Display none|0}}9回 | |[[雷 (相撲)|雷]] |'''58連勝''' |0.951 |五条家と[[吉田司家]]から同時免許 |- !16代 |にしのうみ&nbsp;かじろう<br /><span style="font-size:125%">{{Display none|西ノ海嘉治郎 (1代)/}}[[西ノ海嘉治郎 (初代)]]</span> |{{Display none|46-}}[[薩摩国]]<br />([[鹿児島県]]) |1890年5月 |1896年1月 |{{Display none|0}}2回 | |[[井筒 (相撲)|井筒]] |14連勝 |0.774 | |- !17代 |こにしき&nbsp;やそきち<br /><span style="font-size:125%">[[小錦八十吉 (初代)]]</span> |{{Display none|12-}}[[上総国]]<br />([[千葉県]]) |1896年5月 |1901年1月 |{{Display none|0}}7回 | |[[二十山]] |39連勝 |0.832 |19世紀最後の横綱 |- !18代 |おおづつ&nbsp;まんえもん<br /><span style="font-size:125%">[[大砲万右エ門]]</span> |{{Display none|04-}}[[岩代国]]<br />([[宮城県]]) |1901年5月 |1908年1月 |{{Display none|0}}2回 | |[[待乳山 (相撲)|待乳山]] |20連勝 |0.772 |[[20世紀]]初の横綱 |- !19代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |ひたちやま&nbsp;たにえもん<br /><span style="font-size:125%">[[常陸山谷右エ門]]</span> |{{Display none|08-}}[[茨城県]] |1903年6月 |1914年5月 |{{Display none|0}}7回 | |[[出羽海|出羽ノ海]] |32連勝 |0.909 |優勝回数の内訳は優勝1回,優勝相当6回 |- !20代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |うめがたに&nbsp;とうたろう<br /><span style="font-size:125%">[[梅ヶ谷藤太郎 (2代)]]</span> |{{Display none|16-}}[[石川県]]<br />([[富山県]]) |1903年6月 |1915年6月 |{{Display none|0}}3回 |雲龍型 |[[雷 (相撲)|雷]] |19連勝 |0.862 | |- !21代 |わかしま&nbsp;ごんしろう<br /><span style="font-size:125%">[[若島権四郎|若嶌權四郎]]</span> |{{Display none|12-}}[[千葉県]] | style="line-height:1.15em" |1903年1月<br /><span style="font-size:90%">[[大坂相撲]]で<br />の横綱免許</span> |1907年1月 |{{Display none|0}}4回 | |若嶌 |35連勝 |0.737 |優勝4回、35連勝は大阪相撲での記録<br/>勝率は東京と大阪を合算したもの。<br />東京に限れば0.333、大阪加入後は0.920 |- !22代 |たちやま&nbsp;みねえもん<br /><span style="font-size:125%">[[太刀山峯右エ門]]<br /></span> |{{Display none|16-}}[[石川県]]<br />([[富山県]]) |1910年6月 |1917年1月 |11回 |不知火型 |[[東関]]<ref group="注釈" name=cab>年寄襲名後に相撲協会を定年前に退職。</ref> |'''56連勝''' |0.878 |明治最後の横綱、優勝回数の内訳は優勝9回,優勝相当2回。 |- !23代 |おおきど&nbsp;もりえもん<br /><span style="font-size:125%">[[大木戸森右エ門]]</span> |{{Display none|28-}}[[兵庫県]] | style="line-height:1.15em" |1913年1月<br /><span style="font-size:90%">[[大坂相撲]]で<br />の横綱免許</span> |1914年1月 | style="white-space:nowrap" |10回<br /><ref group="注釈">大坂相撲での最多優勝回数。</ref> | |湊 |28連勝 |0.877 |[[大正]]初の横綱、1910年[[大坂相撲]]が独断で横綱免許。<br/>優勝10回、28連勝、勝率は大阪相撲での記録。 |- !24代 |おおとり&nbsp;たにごろう<br /><span style="font-size:125%">[[鳳谷五郎_(横綱)|鳳谷五郎]]</span> |{{Display none|12-}}[[千葉県]] |1914年6月 |1919年5月 |{{Display none|0}}2回 |雲龍型 |[[宮城野_(年寄名跡)|宮城野]] |14連勝 |0.688 | |- !25代 |にしのうみ&nbsp;かじろう<br /><span style="font-size:125%">[[西ノ海嘉治郎 (2代)]]</span> |{{Display none|46-}}[[鹿児島県]] |1915年5月 |1918年5月 |{{Display none|0}}1回 |雲龍型 |[[井筒 (相撲)|井筒]] |14連勝 |0.736 | |- !26代 |おおにしき&nbsp;ういちろう<br /><span style="font-size:125%">[[大錦卯一郎]] </span> |{{Display none|27-}}[[大阪府]] |1917年5月 |1923年1月 |{{Display none|0}}5回 |雲龍型 | |28連勝 |0.881 | |- !27代 |とちぎやま&nbsp;もりや<br /><span style="font-size:125%">[[栃木山守也]]</span> |{{Display none|09-}}[[栃木県]] |1918年2月 |1925年5月 |{{Display none|0}}9回 |雲龍型 |春日野 |29連勝 |0.878 | |- !28代 |おおにしき&nbsp;だいごろう<br /><span style="font-size:125%">[[大錦大五郎]]</span> |{{Display none|23-}}[[愛知県]] | style="line-height:1.15em" |1918年5月<br /><span style="font-size:90%">[[大坂相撲]]で<br />の横綱免許</span> |1922年1月 |{{Display none|0}}6回 |雲龍型 |[[朝日山_(相撲)|朝日山]]<br />(後に返上)<br />→大錦 |11連勝 |0.765 |優勝6回、11連勝、勝率は大阪相撲での記録<br />初代~3代目を除く歴代横綱の中で最も連勝記録が少ない。<br />東京相撲の横綱・大関に歯が立たなかったことから<br />「歴代最弱横綱」と評されることがある。 |- !29代 |みやぎやま&nbsp;ふくまつ<br /><span style="font-size:125%">[[宮城山福松]]</span> |{{Display none|03-}}[[岩手県]] | style="line-height:1.15em" |1922年2月<br /><span style="font-size:90%">[[大坂相撲]]で<br />の横綱免許</span> |1931年3月 |{{Display none|0}}6回 |雲龍型 |[[芝田山]] |15連勝 |0.671 |15連勝は大阪相撲での記録<br/>優勝は大坂相撲で4回、東京加入後に2回<br/>勝率は大阪と東京を合算したもの。<br />大阪に限れば0.803、東京加入後は0.566 |- !30代 |にしのうみ&nbsp;かじろう<br /><span style="font-size:125%">[[西ノ海嘉治郎 (3代)]]</span> |{{Display none|46-}}[[鹿児島県]] |1922年5月 |1928年10月 |{{Display none|0}}1回 |雲龍型 |[[浅香山 (相撲)|浅香山]] |14連勝 |0.691 | |- !31代 |つねのはな&nbsp;かんいち<br /><span style="font-size:125%">[[常ノ花寛市]]</span> |{{Display none|33-}}[[岡山県]] |1924年1月 |1930年10月 |10回 |雲龍型 |出羽海 |15連勝 |0.792 |大正最後の横綱 |- !32代 |たまにしき&nbsp;さんえもん<br /><span style="font-size:125%">[[玉錦三右エ門]]</span> |{{Display none|39-}}[[高知県]] |1933年1月 | style="line-height:1.15em" |1938年5月<br /><span style="font-size:90%">場所後[[現役中に死亡した力士一覧|現役中<br />に死去]]</span> |{{Display none|0}}9回 |雲龍型 |[[二所ノ関]] |27連勝 |0.770 |[[昭和]]初の横綱 |- !33代 |むさしやま&nbsp;たけし<br /><span style="font-size:125%">[[武藏山武]]</span> |{{Display none|14-}}[[神奈川県]] |1936年1月 |1939年5月 |{{Display none|0}}1回 |雲龍型 |[[出来山_(相撲)|出来山]]<br />→[[不知火_(年寄名跡)|不知火]]<ref group="注釈" name=cab /> |13連勝 |0.716 |横綱在位中の連勝が最も少ない。 |- !34代 |みなのがわ&nbsp;とうぞう<br /><span style="font-size:125%">[[男女ノ川登三]]</span> |{{Display none|08-}}[[茨城県]] |1937年1月 |1942年1月 |{{Display none|0}}2回 |雲龍型 |男女ノ川<ref group="注釈" name=cab /> |16連勝 |0.645 | |- !35代 |ふたばやま&nbsp;さだじ<br /><span style="font-size:125%">[[双葉山定次]]<br /></span> |{{Display none|44-}}[[大分県]] |1938年1月 |1945年11月 |12回 |雲龍型 |双葉山<br />→[[時津風 (相撲)|時津風]] |'''69連勝''' |0.802 | |- !36代 |はぐろやま&nbsp;まさじ<br /><span style="font-size:125%">[[羽黒山政司]]</span> |{{Display none|15-}}[[新潟県]] |1942年1月 |1953年9月 |{{Display none|0}}7回 |不知火型 |羽黒山<br />→[[立浪]] |32連勝 |0.773 | |- !37代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |あきのうみ&nbsp;せつお<br /><span style="font-size:125%">[[安藝ノ海節男]]</span> |{{Display none|34-}}[[広島県]] |1943年1月 |1946年11月 |{{Display none|0}}1回 |雲龍型 |不知火<br />→[[藤島 (相撲)|藤島]]<ref group="注釈" name=cab /> |20連勝 |0.706 | |- !38代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |てるくに&nbsp;まんぞう<br /><span style="font-size:125%">[[照國萬藏]]</span> |{{Display none|05-}}[[秋田県]] |1943年1月 |1953年1月 |{{Display none|0}}2回 |雲龍型 |[[荒磯 (相撲)|荒磯]]<br />→[[伊勢ヶ濱]] |17連勝 |0.749 |戦前・戦中最後の横綱、横綱昇進時には優勝経験がなかったが、在位中に優勝した。 |- !39代 |まえだやま&nbsp;えいごろう<br /><span style="font-size:125%">[[前田山英五郎]]</span> |{{Display none|38-}}[[愛媛県]] |1947年11月 |1949年10月 |{{Display none|0}}1回 |雲龍型 |[[高砂 (相撲)|高砂]] |13連勝 |0.665 |戦後([[第二次世界大戦]]後)初の横綱 |- !40代 |あずまふじ&nbsp;きんいち<br /><span style="font-size:125%">[[東富士欽壹]]</span> |{{Display none|13-}}[[東京府]]<br />([[東京都]]) |1949年1月 |1954年9月 |{{Display none|0}}6回 |雲龍型 |[[錦戸_(相撲)|錦戸]]<ref group="注釈" name=cab /> |16連勝 |0.715 | |- !41代 |ちよのやま&nbsp;まさのぶ<br /><span style="font-size:125%">[[千代の山雅信]]</span> |{{Display none|01-}}[[北海道]] |1951年9月 |1959年1月 |{{Display none|0}}6回 |雲龍型 |千代の山<br />→[[九重 (相撲)|九重]] |16連勝 |0.711 |[[横綱審議委員会]]発足後、初の横綱 |- !42代 |かがみさと&nbsp;きよじ<br /><span style="font-size:125%">[[鏡里喜代治]]</span> |{{Display none|02-}}[[青森県]] |1953年3月 |1958年1月 |{{Display none|0}}4回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |鏡里<br />→[[粂川]]<br />→[[立田川_(相撲)|立田川]]<br />→時津風<br />→立田川<br />→二十山 |17連勝 |0.688 |横綱審議委員会への諮問なしで昇進 |- !43代 |よしばやま&nbsp;じゅんのすけ<br /><span style="font-size:125%">[[吉葉山潤之輔]]</span> |{{Display none|01-}}[[北海道]] |1954年3月 |1958年1月 |{{Display none|0}}1回 |不知火型 | style="line-height:1.25em" |吉葉山<br />→宮城野 |15連勝 |0.668 | |- !44代 |とちにしき&nbsp;きよたか<br /><span style="font-size:125%">[[栃錦清隆]]</span> |{{Display none|13-}}[[東京府]]<br />([[東京都]]) |1955年1月 |1960年5月 |10回 |雲龍型 |春日野 |24連勝 |0.716 | |- !45代 |わかのはな&nbsp;かんじ<br />{{Display none|若乃花幹士 (1代)/}}<span style="font-size:125%">[[若乃花幹士 (初代)]]</span> |{{Display none|02-}}[[青森県]] |1958年3月 |1962年3月 |10回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |[[二子山 (相撲)|二子山]]<br />→藤島 |24連勝 |0.699 |横綱審議委員会が「内規」を定めてから、初の横綱<br>昭和生まれ初の横綱 |- !46代 |あさしお&nbsp;たろう<br /><span style="font-size:125%">[[朝潮太郎 (3代)]]</span> |{{Display none|46-}}[[鹿児島県]] |1959年5月 |1961年11月 |{{Display none|0}}5回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |朝潮<br />→[[振分]]<br />→高砂 |12連勝 |0.635 | |- !47代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |かしわど&nbsp;つよし<br /><span style="font-size:125%">[[柏戸剛]]</span> |{{Display none|06-}}[[山形県]] |1961年11月 |1969年7月 |{{Display none|0}}5回 |雲龍型 |[[鏡山_(相撲)|鏡山]] |15連勝 |0.714 | |- !48代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |'''たいほう&nbsp;こうき'''<br /><span style="font-size:125%">'''[[大鵬幸喜]]'''</span> |{{Display none|01-}}[[北海道]] |1961年11月 |1971年5月 |'''32回''' |雲龍型 |大鵬 |'''45連勝''' |0.838 | |- !49代 |とちのうみ&nbsp;てるよし<br /><span style="font-size:125%">[[栃ノ海晃嘉]]</span> |{{Display none|02-}}[[青森県]] |1964年3月 |1966年11月 |{{Display none|0}}3回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |栃ノ海<br />→中立<br />→春日野<br />→[[竹縄]] |17連勝 |0.635 | |- !50代 |さだのやま&nbsp;しんまつ<br /><span style="font-size:125%">[[佐田の山晋松]]</span> |{{Display none|42-}}[[長崎県]] |1965年3月 |1968年3月 |{{Display none|0}}6回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |出羽海<br />→境川<br />→[[中立_(相撲)|中立]] |25連勝 |0.726 | |- !51代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |たまのうみ&nbsp;まさひろ<br /><span style="font-size:125%">[[玉の海正洋]]</span> |{{Display none|23-}}[[愛知県]] |1970年3月 | style="line-height:1.15em" |1971年9月<br /><span style="font-size:90%">(現役中に死去)</span> |{{Display none|0}}6回 |不知火型 | |19連勝 |0.680 | |- !52代<br /><ref group="注釈" name=Same /> |きたのふじ&nbsp;かつあき<br /><span style="font-size:125%">[[北の富士勝昭]]</span> |{{Display none|01-}}[[北海道]] |1970年3月 |1974年7月 |10回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |井筒<br />→九重<br />→[[陣幕_(相撲)|陣幕]]<ref group="注釈" name=cab /> |21連勝 |0.668 | |- !53代 |ことざくら&nbsp;まさかつ<br /><span style="font-size:125%">[[琴櫻傑將]]</span> |{{Display none|31-}}[[鳥取県]] |1973年3月 |1974年5月 |{{Display none|0}}5回 |不知火型 | style="line-height:1.25em" |[[白玉 (相撲)|白玉]]<br />→[[佐渡ヶ嶽]] |18連勝 |0.616 | |- !54代 |わじま&nbsp;ひろし<br /><span style="font-size:125%">[[輪島大士]]</span> |{{Display none|17-}}[[石川県]] |1973年7月 |1981年3月 |14回 |雲龍型 |[[花籠]]<ref group="注釈" name=cab /> |27連勝 |0.744 |学生相撲出身及び本名を四股名とした初の横綱<ref>[https://www.zakzak.co.jp/spo/news/181009/spo1810090006-n1.html ZAKZAK(2018年10月9日)]</ref> |- !55代 |'''きたのうみ&nbsp;としみつ'''<br /><span style="font-size:125%">'''[[北の湖敏満]]'''</span> |{{Display none|01-}}[[北海道]] |1974年9月 |1985年1月 |'''24回''' |雲龍型 |北の湖 |32連勝 |0.765 | |- !56代 |わかのはな&nbsp;かんじ<br /><span style="font-size:125%">[[若乃花幹士 (2代)]]</span> |{{Display none|02-}}[[青森県]] |1978年7月 |1983年1月 |{{Display none|0}}4回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |若乃花<br />→[[間垣]]<ref group="注釈" name=cab /> |26連勝 |0.686 | |- !57代 |みえのうみ&nbsp;つよし<br /><span style="font-size:125%">[[三重ノ海剛司]]</span> |{{Display none|24-}}[[三重県]] |1979年9月 |1980年11月 |{{Display none|0}}3回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |[[山科]]<br />→[[武蔵川]] |24連勝 |0.568 | |- !58代 |'''ちよのふじ&nbsp;みつぐ'''<br /><span style="font-size:125%">'''[[千代の富士貢]]'''<br /></span> |{{Display none|01-}}[[北海道]] |1981年9月 |1991年5月 |'''31回''' |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |陣幕<br />→[[九重 (相撲)|九重]] |'''53連勝''' |0.761 | |- !59代 |たかのさと&nbsp;としひで<br /><span style="font-size:125%">[[隆の里俊英]]</span> |{{Display none|02-}}[[青森県]] |1983年9月 |1986年1月 |{{Display none|0}}4回 |不知火型 |[[鳴戸]] |21連勝 |0.597 | |- !60代 |ふたはぐろ&nbsp;こうじ<br /><span style="font-size:125%">[[北尾光司|双羽黒光司]]</span> |{{Display none|24-}}[[三重県]] |1986年9月 |1987年11月 |{{Display none|00回/}}なし |不知火型 | |13連勝 |0.694 |歴代横綱の中で唯一、優勝経験が無い<ref group="注釈">初代~3代、および優勝制度が無い時代の横綱を除く。</ref> |- !61代 |ほくとうみ&nbsp;のぶよし<br /><span style="font-size:125%">[[北勝海信芳]]</span> |{{Display none|01-}}[[北海道]] |1987年{{Display none|0}}7月 |1992年3月 |{{Display none|0}}8回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |北勝海<br />→[[八角 (相撲)|八角]] |20連勝 |0.693 | |- !62代 |おおのくに&nbsp;やすし<br /><span style="font-size:125%">[[大乃国康]]</span> |{{Display none|01-}}[[北海道]] |1987年11月 |1991年7月 |{{Display none|0}}2回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |大乃国<br />→芝田山 |19連勝 |0.651 |昭和最後の横綱 |- !63代 |あさひふじ&nbsp;せいや<br /><span style="font-size:125%">[[旭富士正也]]</span> |{{Display none|02-}}[[青森県]] |1990年9月 |1992年1月 |{{Display none|0}}4回 |不知火型 | style="line-height:1.25em" |旭富士<br />→[[安治川 (相撲)|安治川]]<br />→伊勢ヶ濱 |24連勝 |0.637 |[[平成]]初の横綱 |- !64代 |あけぼの&nbsp;たろう<br /><span style="font-size:125%">[[曙太郎]]</span> |{{Display none|外-}}[[アメリカ合衆国|米国]] |1993年3月 | style="line-height:1.15em" |2001年1月<br /><span style="font-size:90%">場所終了直後<br />に引退表明</span> |11回 |雲龍型 |曙<ref group="注釈" name=cab /> |16連勝 |0.741 |初の外国出身横綱(1996年4月に帰化し、現在は日本国籍) |- !65代 |'''たかのはな&nbsp;こうじ'''<br /><span style="font-size:125%">'''[[貴乃花光司]]'''</span> |{{Display none|13-}}[[東京都]] |1995年1月 |2003年{{Display none|0}}1月 |'''22回''' |雲龍型 |貴乃花<ref group="注釈" name=cab /> |30連勝 |0.764 | |- !66代 |わかのはな&nbsp;まさる<br /><span style="font-size:125%">[[花田虎上|若乃花勝]]</span> |{{Display none|13-}}[[東京都]] |1998年7月 |2000年3月 |{{Display none|0}}5回 |不知火型 |藤島<ref group="注釈" name=cab /> |14連勝 |0.661 | |- !67代 |むさしまる&nbsp;こうよう<br /><span style="font-size:125%">[[武蔵丸光洋]]</span> |{{Display none|外-}}[[アメリカ合衆国|米国]] |1999年7月 |2003年11月 |12回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |武蔵丸<br />→[[振分]]<br />→[[大島 (相撲)|大島]]<br />→武蔵川 |22連勝 |0.726 |20世紀最後の横綱、1996年1月に帰化しており、横綱昇進時は日本国籍 |- !68代 | style="white-space:nowrap"|'''あさしょうりゅう&nbsp;あきのり'''<br /><span style="font-size:125%">'''[[朝青龍明徳]]'''</span> | {{Display none|外-}}[[モンゴル国|モンゴル]] |2003年3月 |2010年1月 |'''25回''' |雲龍型 | |35連勝 |0.796 |[[21世紀]]及びモンゴル出身初の横綱 |- !69代 |'''はくほう&nbsp;しょう'''<br /><span style="font-size:125%">'''[[白鵬翔]]'''</span> |{{Display none|外-}}[[モンゴル国|モンゴル]] |2007年7月 |2021年9月 |'''45回''' |不知火型 | style="line-height:1.25em" |間垣<br />→宮城野 |'''63連勝''' |0.846 |2019年9月に帰化し、現在は日本国籍 |- !70代 |はるまふじ&nbsp;こうへい<br /><span style="font-size:125%">[[日馬富士公平]]</span> |{{Display none|外-}}[[モンゴル国|モンゴル]] |2012年11月 |2017年11月 |{{Display none|0}}9回 |不知火型 | |32連勝 |0.656 | |- !71代 |かくりゅう&nbsp;りきさぶろう<br /><span style="font-size:125%">[[鶴竜力三郎]]</span> |{{Display none|外-}}[[モンゴル国|モンゴル]] |2014年5月 |2021年3月 |{{Display none|0}}6回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |鶴竜<br />→音羽山 |16連勝 |0.621 |2020年12月に帰化し、現在は日本国籍 |- !72代 |きせのさと&nbsp;ゆたか<br /><span style="font-size:125%">[[稀勢の里寛]]</span> |{{Display none|08-}}[[茨城県]] |2017年3月 |2019年1月 |{{Display none|0}}2回 |雲龍型 | style="line-height:1.25em" |荒磯<br />→二所ノ関 |18連勝 |0.612 |平成最後の横綱、[[21世紀]]初の日本出身横綱 |- !73代 |てるのふじ はるお<br /><span style="font-size:125%">[[照ノ富士春雄]]</span> |{{Display none|08-}}[[モンゴル国|モンゴル]] |2021年9月 |現役 |{{Display none|0}}8回 |不知火型 | |23連勝 |0.624 |令和初の横綱、平成生まれ初の横綱。2021年8月に帰化し、現在は日本国籍 |} == 脚注 == ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|Yokozuna|横綱}} * [[大相撲力士一覧]] * [[北海道出身の横綱一覧]] * [[青森県出身の横綱一覧]] * [[大関一覧]] * [[関脇一覧]] * [[小結一覧]] *[[横綱力士碑]] == 外部リンク == * [http://www.sumo.or.jp/Yokozuna 歴代横綱 - 日本相撲協会公式サイト] {{相撲}} {{歴代横綱}} {{DEFAULTSORT:よこつないちらん}} [[Category:横綱| ]] [[Category:大相撲力士一覧|よこつな]]
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1605年
1605年(1605 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
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1605年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1605}} {{year-definition|1605}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[慶長]]10年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2265年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[万暦]]33年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[宣祖]]38年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3938年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[弘定]]6年 *** [[莫朝|高平莫氏]] : [[乾統 (莫朝)|乾統]]13年 * [[仏滅紀元]] : 2147年 - 2148年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1013年 - 1014年 * [[ユダヤ暦]] : 5365年 - 5366年 * [[ユリウス暦]] : 1604年12月22日 - 1605年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1605}} == できごと == * [[4月16日]]、[[徳川秀忠]]が[[江戸幕府]]2代[[征夷大将軍]]に就任{{要出典|date=2021-03}}。 * [[11月15日]]([[ユリウス暦]][[11月5日]]) - [[イギリス]]の[[ガイ・フォークス]]らが、国王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]らの爆殺を企てるも失敗([[火薬陰謀事件]]){{要出典|date=2021-04}} * [[ミゲル・デ・セルバンテス|セルバンテス]]が『[[ドン・キホーテ]]』(前編)を発表{{要出典|date=2021-04}}。 == 誕生 == {{see also|Category:1605年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月8日]] - [[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Philip-IV-king-of-Spain-and-Portugal Philip IV king of Spain and Portugal] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[スペイン]]王、[[ナポリ]]・[[シチリア]]王、[[ポルトガル]]王(+ [[1665年]]) * [[4月18日]] - [[ジャコモ・カリッシミ]]、[[イタリア]]の[[バロック音楽]]の[[作曲家]](+ [[1674年]]) * [[7月29日]] - [[ジーモン・ダッハ]]、[[ドイツ]]の[[詩人]](+ [[1659年]]) * [[セミョン・デジニョフ]]、[[ロシア帝国]]の[[探検家]](+ [[1673年]]) * [[天啓帝]]、中国明朝の第16代[[皇帝]](+ [[1627年]]) * [[アドリアーン・ブラウエル]]、[[フランドル]]の画家(+ [[1638年]]) * [[由井正雪]]、江戸前期の[[軍学者]](+ [[1651年]]) * [[西山宗因]]、江戸前期の[[俳人]]・[[連歌師]](+ [[1682年]]) == 死去 == {{see also|Category:1605年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月23日]]([[ユリウス暦]][[4月13日]]) - [[ボリス・ゴドゥノフ]]、[[ロシア]]の[[ツァーリ]](* [[1522年]]頃) * [[10月13日]] - [[アクバル]]、[[ムガル帝国]]第3代君主(* [[1542年]]) * [[11月1日]]([[慶長]]10年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[山内一豊]]、[[武将]]、初代[[土佐藩|土佐藩主]](* [[1545年]]) * [[11月23日]](慶長10年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[摩阿姫]]、[[前田利家]]の娘。[[豊臣秀吉]]側室、後、[[万里小路充房]]側室(* [[1572年]]) * [[12月29日]] - [[ジョン・デイヴィス (探検家)|ジョン・デイヴィス]]、[[探検家]](* [[1550年]]頃) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1605}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1605ねん}} [[Category:1605年|*]]
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PDC
PDC(英語: Personal Digital Cellular)とは、かつて存在したFDD-TDMAの第2世代移動通信システムの通信方式の一つである。日本で開発され、日本国内で利用されていた。後述のmovaが終了したことに伴い、2012年(平成24年)3月31日をもって使用停止となった。 1991年(平成3年)4月に電波システム開発センター(RCR、現電波産業会)によって、標準規格 RCR-STD 27 が定められた。この頃はJDC (Japan Digital Cellular) と呼ばれていた。 1993年(平成5年)3月、にNTTドコモがPDCを採用した800MHz帯を使用するmovaのサービスを始め、その後、旧デジタルホン(デジタルツーカー、J-フォン、ボーダフォン、ソフトバンクモバイル)、IDO/DDIセルラーグループ(現・au(KDDI/沖縄セルラー電話)連合)、ツーカーグループ(現・KDDI)でも採用された。2011年11月末の時点で59万人の利用者があり、これは携帯電話利用者全体の約0.48%に当たる。 開発当初、NTTドコモはNTTの世界進出を規制するNTT法があることから、独自の規格を開発する予定はなかった。しかし、GSM1987(1987年策定)の次の世代の電波の利用効率の高いデジタルの国際規格が待てど暮らせど登場しなかったため、やむなく電波利用効率の高い暫定的デジタル方式としてPDCを開発した。最初の計画通り一切海外への営業や特許利用許可を出さなかったので、PDCは日本のローカル規格となった。電波の利用効率の低い初代TDMAについては日本と韓国・北朝鮮を除く国外ではGSM方式が改訂され使用されている。 事業者各社は、FDD-CDMAの第三世代携帯電話(通称:3G)に移行し、PDC方式は段階的に廃止されていった。 連結子会社の沖縄セルラー電話を含むKDDIのauは2003年3月31日を以てPDCによるサービスを終了したが(新規受付は2002年3月31日に終了)、2005年10月1日にツーカーグループがKDDIに吸収されたことに伴い、事実上、一時的にKDDIによるPDC方式の携帯電話サービスが復活した。ただしその後、ツーカーからauへの乗り換え手続きを開始し、2006年6月30日をもってツーカーの新規受付を終了、2008年3月31日をもってサービスが終了し、auに統一された。 ソフトバンクモバイル (SoftBank 6-2) も、2008年3月31日をもって、新規受付を停止した。新規端末の開発はすでに停止、2007年後半には端末供給も止まり、新規受付は同年12月の時点で事実上停止。また、総務省により、ソフトバンクPDCの1.5GHz周波数帯の使用期限が2010年3月31日と定められており、2008年7月3日、これに合わせてサービスを終了することを正式に発表し、2010年3月31日を以てPDCサービスを終了した。 なお2006年10月24日実施の番号ポータビリティでは、ソフトバンクモバイルへの転入に対しては、PDCの新規受け付け停止以前からSoftBank 3Gへの転入だけを認めており、PDCへの番号ポータビリティを利用した転入は不可能であった。同制度ではツーカーへの転入もできなかったことから、他ネットワークから同制度を使いPDCに移行できるのは、唯一NTTドコモだけであった(auはMNP開始時点ですでにPDCサービスを停止していた)。 そのドコモも、1.5GHz帯を使用するシティフォン・シティオのサービスを2008年6月30日限りで終了(新規受付は2004年9月30日終了)。電気通信事業者協会が2008年4月7日に発表した統計で、movaの2007年度末における契約者数が遂に1000万件を割り込んだことから、2008年11月30日をもって新規受付を停止した。もちろん番号ポータビリティによる転入もできなくなった。端末の新規開発・生産・出荷は終了している。2010年12月24日からは第四世代の携帯電話サービスXiも開始され、第二世代事業の廃止は時間の問題となりつつあったが、2009年1月30日にmovaサービスを2012年3月31日限りで終了することが正式に発表された。そして予定通りに停波され、PDCは19年の歴史に幕を下ろした。 北米標準の1つであるD-AMPSは、搬送波周波数間隔と通信速度以外はほぼPDCの技術を使用している。 800MHz/1.5GHzの周波数で使用され、50kHz(25kHzインタリーブ)×2の帯域でπ/4DQPSKデジタル変調の1つの搬送波をFDD-TDMAで使用する。 音声回線は20ミリ秒フレームからなり、その時分割方法によってフルレートとハーフレートに大別される。 フルレート方式の通話では各ユーザーは3チャンネル中の1チャンネルを利用する。音声コーデックはさらに以下のように分けられる。 ハーフレート方式の通話では各ユーザーは6チャンネル中の1チャンネルを利用する。音声コーデックは以下の1種類のみである。 また、データ通信は、回線交換9.6kbps、パケット通信はタイムスロットを3つまとめて最高28.8kbpsが可能である。 端末(電話機)は、送信と受信とを同時に行わず、またGSMと比較して多重化数が少なく、最大瞬時空中線電力も小さい。また、基地局に位置登録された端末を送信時間別グループに分け、そのときのみ待ち受け端末が受信状態となる間欠通信も行っている。そのため、電池の容量当たりの待ち受け時間や通話時間を長くすることが容易である。 結果として電波帯域有効利用という点ではGSMより遥かに優れている。
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PDCとは、かつて存在したFDD-TDMAの第2世代移動通信システムの通信方式の一つである。日本で開発され、日本国内で利用されていた。後述のmovaが終了したことに伴い、2012年(平成24年)3月31日をもって使用停止となった。
{{otheruses|携帯電話の通信方式}} '''PDC'''({{lang-en|'''P'''ersonal '''D'''igital '''C'''ellular}})とは、かつて存在した[[周波数分割複信|FDD]]-[[時分割多元接続|TDMA]]の[[第2世代移動通信システム]]の通信方式の一つである。[[日本]]で開発され、日本国内で利用されていた。後述の[[mova]]が終了したことに伴い、[[2012年]]([[平成]]24年)[[3月31日]]をもって使用停止となった。 == 概略 == [[1991年]](平成3年)[[4月]]に電波システム開発センター(RCR、現[[電波産業会]])によって、標準規格 RCR-STD 27 が定められた。この頃はJDC (Japan Digital Cellular) と呼ばれていた。 1993年(平成5年)3月、に[[NTTドコモ]]がPDCを採用した[[800MHz帯]]を使用するmovaのサービスを始め、その後、旧デジタルホン([[デジタルツーカー]]、J-フォン、ボーダフォン、[[ソフトバンクモバイル]])、IDO/[[DDIセルラーグループ]](現・[[au (携帯電話)|au]]([[KDDI]]/[[沖縄セルラー電話]])連合)、[[ツーカー|ツーカーグループ]](現・KDDI)でも採用された。2011年11月末の時点で59万人の利用者があり、これは携帯電話利用者全体の約0.48%に当たる。 開発当初、NTTドコモはNTTの[[世界]]進出を規制する[[日本電信電話株式会社等に関する法律|NTT法]]があることから、独自の規格を開発する予定はなかった。しかし、[[GSM]]1987(1987年策定)の次の世代の電波の利用効率の高いデジタルの国際規格が待てど暮らせど登場しなかったため、やむなく電波利用効率の高い暫定的デジタル方式としてPDCを開発した。最初の計画通り一切海外への営業や特許利用許可を出さなかったので、PDCは日本の[[ガラパゴス化|ローカル規格]]となった。電波の利用効率の低い初代TDMAについては日本と[[大韓民国|韓国]]・[[北朝鮮]]を除く国外では[[GSM]]方式が改訂され使用されている。 == 第三世代携帯電話への移行から終焉に至るまで == [[電気通信事業者|事業者]]各社は、[[周波数分割複信|FDD]]-[[符号分割多元接続|CDMA]]の[[第3世代移動通信システム|第三世代携帯電話]](通称:'''3G''')に移行し、PDC方式は段階的に廃止されていった。 [[連結子会社]]の[[沖縄セルラー電話]]を含むKDDIのauは[[2003年]][[3月31日]]を以てPDCによるサービスを終了したが(新規受付は[[2002年]][[3月31日]]<ref>プリペイド契約は同年[[6月30日]]。</ref>に終了)、[[2005年]][[10月1日]]にツーカーグループがKDDIに吸収されたことに伴い、事実上、一時的にKDDIによるPDC方式の携帯電話サービスが復活した。ただしその後、ツーカーからauへの乗り換え手続きを開始し、[[2006年]][[6月30日]]をもってツーカーの新規受付を終了、[[2008年]][[3月31日]]をもってサービスが終了し、auに統一された。 [[ソフトバンクモバイル]] ([[SoftBank 6-2]]) も、[[2008年]][[3月31日]]をもって、新規受付を停止した。新規端末の開発はすでに停止、2007年後半には端末供給も止まり、新規受付は同年12月の時点で事実上停止。また、総務省により、ソフトバンクPDCの1.5GHz周波数帯の使用期限が[[2010年]][[3月31日]]と定められており<ref>{{Cite web|和書 | url = https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/policyreports/denpa_kanri/pdf/070110_1.pdf | archiveurl = https://web.archive.org/web/20070930181158/soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/denpa_kanri/pdf/070110_1.pdf | format = PDF | title = 【電波監理審議会会長会見用資料】周波数割当計画の一部変更案について(平成19年1月10日 諮問第2号)[1.5GHz帯における周波数再編に伴う変更] | publisher = [[総務省]] | date = 2007-1-10 | accessdate = 2007-5-17 | archivedate = 2007-9-30 | deadlinkdate = 2019年12月28日 }}</ref>、[[2008年]][[7月3日]]、これに合わせてサービスを終了することを正式に発表し<ref>{{Cite web|和書 | url = http://www.softbankmobile.co.jp/ja/news/press/2008/20080703_01/ | title = 第2世代携帯電話サービスの終了について | publisher = [[ソフトバンクモバイル]] | date = 2008-7-3 | accessdate = 2008-7-3 }} </ref>、2010年3月31日を以てPDCサービスを終了した。 なお2006年10月24日実施の[[番号ポータビリティ]]では、ソフトバンクモバイルへの転入に対しては、PDCの新規受け付け停止以前から[[SoftBank 3G]]への転入だけを認めており、PDCへの[[番号ポータビリティ]]を利用した転入は不可能であった。同制度ではツーカーへの転入もできなかったことから、他ネットワークから同制度を使いPDCに移行できるのは、唯一[[NTTドコモ]]だけであった(auはMNP開始時点ですでにPDCサービスを停止していた)。 そのドコモも、[[1.5GHz帯]]を使用する[[シティフォン]]・シティオのサービスを2008年6月30日限りで終了(新規受付は2004年9月30日終了)。[[電気通信事業者協会]]が2008年4月7日に発表した統計で、movaの2007年度末における契約者数が遂に1000万件を割り込んだことから、2008年11月30日をもって新規受付を停止した。もちろん番号ポータビリティによる転入もできなくなった。端末の新規開発・生産・出荷は終了している<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.jeita.or.jp/japanese/stat/cellular/2007/index.htm|title=2007年度携帯電話国内出荷統計|publisher=[[電子情報技術産業協会]]|accessdate=2008-7-3}}</ref>。2010年12月24日からは第四世代の携帯電話サービス[[Xi (携帯電話)|Xi]]も開始され、第二世代事業の廃止は時間の問題となりつつあったが、2009年1月30日にmovaサービスを2012年3月31日限りで終了することが正式に発表された。そして予定通りに[[停波]]され、PDCは19年の歴史に幕を下ろした。 == 技術 == [[北アメリカ|北米]]標準の1つである[[D-AMPS]]は、搬送波周波数間隔と通信速度以外はほぼPDCの技術を使用している。 [[800MHz帯|800MHz]]/1.5[[ギガヘルツ|GHz]]の[[周波数]]で使用され、50[[キロヘルツ|kHz]](25kHzインタリーブ)×2の帯域でπ/4DQPSK[[デジタル変調]]の1つの搬送波を[[周波数分割複信|FDD]]-[[時分割多元接続|TDMA]]で使用する。 音声回線は20ミリ秒フレームからなり、その時分割方法によってフルレートとハーフレートに大別される。 * [[誤り検出訂正|誤り訂正]]符号を含めて11.2kbps・3チャネルのフルレート * 同5.6kbps・6チャネルのハーフレート フルレート方式の通話では各ユーザーは3チャンネル中の1チャンネルを利用する。音声コーデックはさらに以下のように分けられる。 * すべての端末で使用できる[[VSELP]]6.7kbps * 対応機種相互間などとの間で使われるより高音質なエンハンスドフルレートCS-[[ACELP]]8kbps(NTTドコモ) * 同[[ACELP]]6.7kbps(ソフトバンクモバイル) ハーフレート方式の通話では各ユーザーは6チャンネル中の1チャンネルを利用する。音声コーデックは以下の1種類のみである。 * [[PSI-CELP]]3.45kbps また、[[データ通信]]は、[[回線交換]]9.6kbps、[[パケット通信]]はタイムスロットを3つまとめて最高28.8kbpsが可能である。 [[端末]]([[電話機]])は、送信と受信とを同時に行わず、また[[GSM]]と比較して多重化数が少なく、最大瞬時[[空中線電力]]も小さい。また、[[基地局]]に位置登録された[[端末]]を送信時間別グループに分け、そのときのみ待ち受け端末が受信状態となる間欠通信も行っている。そのため、電池の容量当たりの待ち受け時間や通話時間を長くすることが容易である。 結果として電波帯域有効利用という点ではGSMより遥かに優れている。 == 関連項目 == * [[移動体通信]]:方式間の比較 * [[電波利用高度化政策 (日本)]]:PDC発祥と終焉 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> {{携帯電話の世代}} [[Category:携帯電話の通信規格]]
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米国国家規格協会
米国国家規格協会(、英: American National Standards Institute)は、アメリカ合衆国の国内における工業分野の標準化組織であり、公の合意形成のためにさまざまな規格の承認を担っている。 米国国家規格協会そのものは規格を作成せず、SDOsと呼ばれる280以上の規格開発団体の作成した規格を認定して承認する機関が米国国家規格協会であり、認定された規格は米国国家規格(ANSI規格)として認定される。 略称はANSI(アンシ、アンジ、アンシー)。訳は米国国家標準協会とも。また、元は旧称 American Standards Association (ASA) の訳だった米国規格協会・米国標準協会とも呼ばれる。本部はワシントンD.C.にあるが、事務局はニューヨークにある。 電子工業会 (EIA)、電気通信工業会 (TIA) などの国内規格作成団体による仕様を承認し、ANSI規格とする。 ANSI規格は、日本の日本産業規格 (JIS) に相当するとされる。ただし、政府(大臣)が制定する規格であるJISと違い、ANSI規格を制定するのは政府から独立した私的な非営利組織のANSIである。 国際標準化機構 (ISO) 設立メンバーであり、ISO、国際電気標準会議 (IEC)、国際認定フォーラム (IAF) にアメリカ代表として参加している。アメリカの国内規格機関ではあるが、ISO等の規格に先だって決まることも多く、ANSI規格がISO規格になることも多い。また、製造業における国際標準化団体としてIPC(米国電子回路協会)があるが、ANSIの標準開発組織として正式に認可されている。ASCIIの文字コード規格 (X.34) が、ISO 646になるなどの例がある。
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米国国家規格協会(べいこくこっかきかくきょうかい、は、アメリカ合衆国の国内における工業分野の標準化組織であり、公の合意形成のためにさまざまな規格の承認を担っている。 米国国家規格協会そのものは規格を作成せず、SDOsと呼ばれる280以上の規格開発団体の作成した規格を認定して承認する機関が米国国家規格協会であり、認定された規格は米国国家規格として認定される。 略称はANSI。訳は米国国家標準協会とも。また、元は旧称 American Standards Association の訳だった米国規格協会・米国標準協会とも呼ばれる。本部はワシントンD.C.にあるが、事務局はニューヨークにある。 電子工業会 、電気通信工業会 などの国内規格作成団体による仕様を承認し、ANSI規格とする。 ANSI規格は、日本の日本産業規格 に相当するとされる。ただし、政府が制定する規格であるJISと違い、ANSI規格を制定するのは政府から独立した私的な非営利組織のANSIである。 国際標準化機構 設立メンバーであり、ISO、国際電気標準会議 、国際認定フォーラム にアメリカ代表として参加している。アメリカの国内規格機関ではあるが、ISO等の規格に先だって決まることも多く、ANSI規格がISO規格になることも多い。また、製造業における国際標準化団体としてIPCがあるが、ANSIの標準開発組織として正式に認可されている。ASCIIの文字コード規格 が、ISO 646になるなどの例がある。
{{Infobox organization | name = 米国国家規格協会<br>American National Standards Institute | abbreviation = ANSI | formation = {{Start date and age|1918|05|14|paren=yes}}<ref>14 May 1918, Minutes, American Engineering Standards Committee (AESC), p. 1</ref> | purpose = [[標準化団体]] | headquarters = {{USA}} [[ワシントンD.C.]] | membership = 12万5000社、350万人<ref name="membership">ANSI membership page, [http://www.ansi.org/membership/overview/overview.aspx?menuid=2www.ansi.org/membership www.ansi.org/membership]</ref> | language = [[英語]] | website = {{URL|www.ansi.org}} | logo = ANSI logo.svg }} {{読み仮名|'''米国国家規格協会'''|べいこくこっかきかくきょうかい|{{lang-en-short|American National Standards Institute}}}}は、[[アメリカ合衆国]]の国内における工業分野の標準化組織であり、公の合意形成のためにさまざまな規格の承認を担っている。 米国国家規格協会そのものは規格を作成せず、SDOsと呼ばれる280以上の規格開発団体の作成した規格を認定して承認する機関が米国国家規格協会であり、認定された規格は米国国家規格(ANSI規格)として認定される<ref>江藤学『標準化教本 世界をつなげる標準化の知識』、日本規格協会、2016年7月29日 初版第1刷、21ページ</ref>。 略称は'''ANSI'''(アンシ、アンジ、アンシー)<ref>{{Kotobank|ANSI}}</ref>。訳は'''米国国家標準協会'''とも。また、元は旧称 {{en|American Standards Association}} (ASA) の訳だった'''米国規格協会'''・'''米国標準協会'''とも呼ばれる。本部は[[ワシントンD.C.]]にあるが、事務局は[[ニューヨーク]]にある。 [[電子工業会]] (EIA)、[[電気通信工業会]] (TIA) などの国内規格作成団体による仕様を承認し、ANSI規格とする。 ANSI規格は、日本の[[日本産業規格]] (JIS) に相当するとされる。ただし、政府(大臣)が制定する規格であるJISと違い、ANSI規格を制定するのは政府から独立した私的な[[非営利組織]]のANSIである。 [[国際標準化機構]] (ISO) 設立メンバーであり、ISO、[[国際電気標準会議]] (IEC)、[[国際認定フォーラム]] (IAF) にアメリカ代表として参加している。アメリカの国内規格機関ではあるが、ISO等の規格に先だって決まることも多く、ANSI規格がISO規格になることも多い。また、製造業における国際標準化団体として[[IPC (エレクトロニクス)|IPC(米国電子回路協会)]]があるが、ANSIの標準開発組織として正式に認可されている。[[ASCII]]の文字コード規格 (X.34) が、[[ISO 646]]になるなどの例がある。 == 歴史 == * [[1918年]] - American Engineering Standards Committee(AESC)として、以下の5つの工業団体および3つの政治機関によって設立。 ** [[米国電気学会]] ({{en|American Institute of Electrical Engineers}}, AIEE) - 現 [[IEEE]] ** [[米国機械工学会]] ({{interlang|en|American Society of Mechanical Engineers}}, ASME) ** [[米国土木学会]] ({{interlang|en|American Society of Civil Engineers}}, ASCE) ** 米国鉱山技師協会 ({{en|American Institute of Mining Engineers}}, AIME) - 現 [[米国鉱業冶金石油学会]] ({{interlang|en|American Institute of Mining, Metallurgical, and Petroleum Engineers}}) ** 米国材料試験協会 ({{en|American Society for Testing and Materials}}, ASTM) - 現 [[ASTMインターナショナル]] * [[1928年]] - American Standards Association (ASA) に改名。 * [[1966年]] - 再編成され、United States of America Standards Institute (USASI) に改名。 * [[1969年]] - 現在の名称に改名。 ==出典== {{Reflist}} == 関連項目 == * [[標準化団体 (コンピュータと通信)]] * [[IPC (エレクトロニクス)|IPC(米国電子回路協会)]] * [[TIA/EIA-568-B]] * [[米国家電製品協会]] * [[欧州標準化委員会]] - ヨーロッパにおける統一規格を推進・策定する団体 == 参考文献 == * [https://www.ansi.org/ American National Standards Institute (ANSI)]{{En icon}} * 経済産業省{{Wayback |url=http://www.meti.go.jp/discussion/topic_2001_11/kikou_01.htm |date=20050907203041 |title=特集【変化を促進する ――ANSIによる、世界標準化に対する新しい戦略的アプローチの導入】}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:へいこくこつかひようしゆんきようかい}} [[Category:標準化団体]] [[Category:工業規格]] [[Category:アメリカ合衆国の規格]] [[Category:アメリカ合衆国の非営利組織]] [[Category:ワシントンD.C.の組織]]
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5,827
電力工学
電力工学(、英: power engineering)とは、電力系統に関する工学分野を言う。 単位時間あたりの電気エネルギーを電力(electric power)と呼ぶが、電力は貯蔵が難しいことから、電力の発生量と消費量は常に釣り合わせる必要がある。 電力の発生から消費までは、普通、発電、送電、変電、配電の四つに分類され、それらが相互に連携することで電力は安定的に供給される。このようなシステムを電力系統(electric power system)または電力システムと呼び、電力系統に関する工学を電力工学(power engineering)と呼ぶ。
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電力工学(でんりょくこうがく、とは、電力系統に関する工学分野を言う。
{{読み仮名|'''電力工学'''|でんりょくこうがく|{{lang-en-short|power engineering}}}}とは、[[電力系統]]に関する工学分野を言う<ref>具体的には[[電力流通]]や、高[[電圧]]・大[[電流]]・大[[電力]]の[[電力機器]]・[[電気材料]]・[[電力回路]]・[[電力応用]]などを扱う。</ref>。 == 概要 == 単位時間あたりの電気エネルギーを[[電力]](electric power)と呼ぶが、電力は貯蔵が難しいことから、電力の発生量と消費量は常に釣り合わせる必要がある。 電力の発生から消費までは、普通、[[発電]]、[[送電]]、[[変電]]、[[配電]]の四つに分類され、それらが相互に連携することで電力は安定的に供給される。このようなシステムを[[電力系統]](electric power system)または電力システムと呼び<ref>[[#安岡(2012)|安岡(2012)]] p.1</ref>、電力系統に関する工学を'''電力工学'''(power engineering)と呼ぶ。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 参考文献 == * {{cite book | 和書 | author=安岡 康一 | title=基本を学ぶ 電力工学 | publisher=オーム社 | year=2012 | ref=安岡(2012) }} == 関連項目 == ** [[電気保安操作]]・[[電気関係法令]] * [[電力土木]] * [[電気工学]]・[[パワーエレクトロニクス]]・[[電子工学]] * [[電気計測工学]]・[[半導体工学]]・[[電磁気学]] * [[制御工学]]・[[デジタル制御工学]]・[[メカトロニクス]] * [[電圧降下]]・[[フェランチ効果]] == 外部リンク == * [http://criepi.denken.or.jp/ 財団法人 電力中央研究所] {{Engineering fields}} {{電気電力}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てんりよくこうかく}} [[Category:電力工学|*]] [[Category:電磁気学]] [[Category:電力流通]] [[Category:工学の分野]] {{tech-stub}} [[it:Ingegneria energetica]]
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5,828
国際経済学
国際経済学(、英: international economics)は、国家間の経済活動を分析対象とする経済学である。ミクロ分野とマクロ分野に大別される。貿易論が前者であり、前者のみを指して国際経済学と区分する場合もある。近年、独占的競争モデルの貿易論での使用の変種として空間経済学が生まれた。一方、国際金融論、国際マクロ経済学が後者である。 貿易理論には、比較優位概念を生み出したリカード・モデルの他、ヘクシャー・オリーンの理論(HO理論)、その変種としてのHOV理論、産業内貿易を説明する新貿易理論、異質企業の存在の帰結を分析する新々貿易理論などがある。 為替レートの決定理論としては、古典派の絶対購買力平価説、ケインジアンの資産動機選択説(アセットアプローチ)に二分される。マクロ経済学と同様に長期においては前者、短期においては後者が当てはまるとするのが通説である。 購買力平価説によれば、長期的には実物変数の影響が無効であるとすると二国間の貨幣供給量によって、為替の強弱が決まる。 アセットアプローチによれば、金利平価による裁定、すなわち二国間の利子率の高低によって、為替の強弱が決まる。 これらを踏まえたモデルとして、マンデルフレミングモデル、IS-LM-BPモデル、AA-DDモデル(Krugman and Obsfeld, 2004)などがある。 マンデルフレミングモデルでは、小国開放経済、国内外の資産の完全代替性、スポットレートと現在の為替レートが等しいなどといった種々の仮定を置いた上で理論を簡略化している。AA-DDモデルは、アセットアプローチの仮定する外国為替市場、PPPに加え、実物為替レートという概念に着目して、貨幣市場と生産物市場双方の影響を加味して名目為替レートが決定されるとする為替-所得決定モデルである。 以下政策の効果である。 他の理論として以下のものがある。 二国間の物価差を生産性格差で説明する、バラッサ・サミュエルソン(Balassa-Samuelson)定理がある。 通貨危機のモデルとしては、ポール・クルーグマンの第1世代モデル、第2世代モデルが存在する。 ゲーム理論も国際協調の失敗を説明する上で使用される。
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国際経済学(こくさいけいざいがく、は、国家間の経済活動を分析対象とする経済学である。ミクロ分野とマクロ分野に大別される。貿易論が前者であり、前者のみを指して国際経済学と区分する場合もある。近年、独占的競争モデルの貿易論での使用の変種として空間経済学が生まれた。一方、国際金融論、国際マクロ経済学が後者である。
{{出典の明記|date=2012年1月|ソートキー=学}} {{経済学のサイドバー}} {{読み仮名|'''国際経済学'''|こくさいけいざいがく|{{lang-en-short|international economics}}}}は、国家間の経済活動を分析対象とする[[経済学]]である。ミクロ分野とマクロ分野に大別される。貿易論が前者であり、前者のみを指して国際経済学と区分する場合もある。近年、独占的競争モデルの貿易論での使用の変種として[[空間経済学]]が生まれた。一方、国際金融論、国際マクロ経済学が後者である。 == 貿易論 == {{main|貿易理論}} 貿易理論には、[[比較優位]]概念を生み出したリカード・モデルの他、ヘクシャー・オリーンの理論(HO理論)、その変種としてのHOV理論、産業内貿易を説明する新貿易理論、異質企業の存在の帰結を分析する新々貿易理論などがある。 == 国際金融論 == [[為替レート]]の決定理論としては、古典派の絶対[[購買力平価説]]、ケインジアンの資産動機選択説(アセットアプローチ)に二分される。マクロ経済学と同様に長期においては前者、短期においては後者が当てはまるとするのが通説である。 購買力平価説によれば、長期的には実物変数の影響が無効であるとすると二国間の貨幣供給量によって、為替の強弱が決まる。 アセットアプローチによれば、金利平価による裁定、すなわち二国間の利子率の高低によって、為替の強弱が決まる。 これらを踏まえたモデルとして、[[マンデルフレミングモデル]]、IS-LM-BPモデル、AA-DDモデル(Krugman and Obsfeld, 2004)などがある。 マンデルフレミングモデルでは、小国開放経済、国内外の資産の完全代替性、スポットレートと現在の為替レートが等しいなどといった種々の仮定を置いた上で理論を簡略化している。AA-DDモデルは、アセットアプローチの仮定する外国為替市場、PPPに加え、実物為替レートという概念に着目して、貨幣市場と生産物市場双方の影響を加味して名目為替レートが決定されるとする為替-所得決定モデルである。 以下政策の効果である。 ; 固定相場制での政策効果 : 外貨との交換比率を固定化する[[固定相場制]]の下では、[[金融政策]]は効果が弱いが、[[財政政策]]は効果が強いとされる。 ; 変動相場制での政策効果 : 外貨の需給で交換比率が決まる[[変動相場制]]の下では、財政政策は効果が弱いが、金融政策は効果が強いとされる。 他の理論として以下のものがある。 二国間の物価差を生産性格差で説明する、バラッサ・サミュエルソン(Balassa-Samuelson)定理がある。 通貨危機のモデルとしては、[[ポール・クルーグマン]]の第1世代モデル、第2世代モデルが存在する。 [[ゲーム理論]]も国際協調の失敗を説明する上で使用される。 == 学術雑誌 == * ''{{仮リンク|Journal of International Economics|en|Journal of International Economics}}'' * ''{{仮リンク|Journal of International Money and Finance|en|Journal of International Money and Finance}}'' * ''{{仮リンク|World Economy|en|The World Economy (journal)}}'' == 関連項目 == * [[貿易理論]] * [[国際金融]] * [[空間経済学]] * [[開発経済学]] {{経済学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こくさいけいさいかく}} [[Category:経済学の分野]] [[Category:国際経済学|*]]
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5,829
首相
首相(しゅしょう、英: Prime minister)とは、内閣における首席の大臣を指す。 日本においては内閣総理大臣、イギリスではPrime Minister、フランスではPremier ministre、ドイツではBundeskanzler、ロシアではПредседатель Правительства(政府議長)、中華民国(台湾)では行政院長、中国では国务院总理(国務院総理)、韓国では국무총리(国務総理)が、それぞれ首相に該当する。 一部は「首相」以外の日本語訳が用いられることもあるが、それらの通称・普通名詞として「首相」という単語が使われている。単語の由来は首席宰相の略語とされている。 閣僚の首席の名称は各国においてそれぞれ異なり、日本の内閣の首相は、正式には「内閣総理大臣」(ないかくそうりだいじん)と呼ばれる。首相という呼称は日本の法体系に基づく正式な用語ではなく、法令上は一切使用されていない。一方、マスメディアなどでは内閣総理大臣を指す慣用的な呼称として定着している。 現在のベトナムでは、漢字語「首相」のベトナム語読みである「Thủ tướng」が首席閣僚の官名として用いられている。またかつての北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)でも、首相の朝鮮語読み「수상(ラテン文字:susang)」が政府の長の官名として用いられていた。 類似した語に「宰相(さいしょう)」 があるが、これは秦の官制に由来する呼称で原意は「君主から特に親任されて王家(帝室)を司り、宮廷で国政を補佐する者」である。宰相が複数存在する体制においては、その中の首席宰相を略して「首相」と称する場合があるが(北宋の王安石など)、いずれにせよ近代以降の首相とは意味が違うものである。日本語においては明治以来、宰相もまた首相と同じく慣用的な呼称にすぎず、「首相」と「宰相」の区別はほとんどの場合、詩文的修飾の差異であり、大物政治家としての内閣総理大臣を表現する際に重みを出すために、あるいは「国政を司った(有能な)人物」という敬意を表現するために「宰相」と修飾的に呼ぶ程度の区別である。 国家には元首としての君主や大統領とは別に政府首班として首相を置くことがある。 首相任命権に関しては、国家元首や立法府が単独で行う場合のほか、その指名等を立法府や国家元首が承認する場合など様々な形態がある。スペイン1978年憲法や赤道ギニア1991年憲法などでは、議会選挙後に国家元首が議会多数派と協議して組閣担当者を指名し、その組閣担当者が組閣して議会から信任を受けたときに改めて国家元首が任命を行う組閣担当者方式(formateur)が採用されている。なお、首相職を国民から直接選出する首相公選制(後述)もありイスラエルで採用されていたことがある。 国家元首と内閣や首相との関係については、国家元首を内閣の一員とするか否か、国家元首が閣議を主宰するかなどでも違いがある。 議院内閣制の国では、首相は内閣を構成する閣僚への人事権を行使し、これによって閣僚に対する指揮権を掌握するケースが多い。大日本帝国憲法では首相の閣僚に対する人事権が明記されなかったため、国務大臣の筆頭という立場にとどまった(「内閣官制」も参照)。 執政権の行使については、国家元首に提案して国家元首名義の命令を発令できると定めている場合や首相名義の命令を発令できると定めている場合もあるが、立法府による事前承認または事後承認を要件にしている国が多い。 議会解散権については君主や大統領など国家元首に対して議会解散を提案・助言できるとする場合や、議会選挙後に組閣が不調に終わった場合や年度内に予算案を可決できなかった場合、不信任や弾劾を受けた場合に議会の解散権を認めている国がある。 政治学では執政制度の類型について、政府の長の選出と解任の違いから、議院内閣制・自律内閣制・首相公選制・大統領制の4つの類型に分けることがある。 首相の正式名称は各国で異なるが、それが首相に相当する官職であれば、日本語では一律に「首相」と呼ぶ慣習になっている。英語でも原語の官名に関わらず、Prime ministerと呼ぶのが通例である。 例外的にドイツとオーストリアの首相は、原語ドイツ語を直訳し「Chancellor」と英訳される。中国語では君主国のものにおいては「首相」、共和国のものは「总理」といった訳し分けが行われることが多い。 また日本語においては、外交文書や外国法令の日本語訳では、外国首相を「総理大臣」や「内閣総理大臣」と呼称することがある。 ※日本以外は五十音順 地方政府においても議院内閣制が採用され、地方議会がその首相を選出し、首相が内閣を組織して行政を行なう国もある。混同防止のために、当該国の中央政府の首相とは異なる官名となっていることが多い。日本語でも中央政府の首相と峻別するため首席大臣・第一大臣という訳語をあてることがある。
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首相とは、内閣における首席の大臣を指す。 日本においては内閣総理大臣、イギリスではPrime Minister、フランスではPremier ministre、ドイツではBundeskanzler、ロシアではПредседатель Правительства(政府議長)、中華民国(台湾)では行政院長、中国では国务院总理(国務院総理)、韓国では국무총리(国務総理)が、それぞれ首相に該当する。
{{Otheruseslist|各国の首相|[[日本]]の首相|内閣総理大臣}} '''首相'''(しゅしょう、{{lang-en-short|Prime minister}})とは、[[内閣]]における[[首席]]の[[大臣]]を指す<ref name="Digital">[https://kotobank.jp/word/%E9%A6%96%E7%9B%B8-77724#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 デジタル大辞泉「首相」]</ref>。 [[日本]]においては[[内閣総理大臣]]<ref name="Digital"/>、[[イギリス]]では[[イギリスの首相|Prime Minister]]<ref>{{cite news|title=ジョンソン英首相、「違うやり方もあったかもしれない」 新型コロナウイルス対策|url=https://www.bbc.com/japanese/53535116|accessdate=2020年8月21日|newspaper=[[BBC]]|date=2020年7月25日}}</ref>、[[フランス]]では[[フランスの首相|Premier ministre]]{{sfn|秦郁彦|2001|p=299}}、[[ドイツ]]では[[連邦首相 (ドイツ)|Bundeskanzler]]{{sfn|秦郁彦|2001|p=341}}、[[ロシア連邦|ロシア]]では[[ロシアの首相|Председатель Правительства]](政府議長){{sfn|秦郁彦|2001|p=473}}、[[中華民国]]([[台湾]])では[[中華民国の首相#行政院長|行政院長]]、[[中華人民共和国|中国]]では[[国務院総理|国务院总理]](国務院総理)<ref>{{cite news|title=中国の李克強首相、武漢を訪問=声明|url=https://web.archive.org/web/20201025094711/http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKBN1ZQ09H.html|accessdate=2020年8月21日|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2020年1月27日}}</ref>、[[大韓民国|韓国]]では[[国務総理 (大韓民国)|국무총리]](国務総理){{sfn|秦郁彦|2001|p=126}}が、それぞれ首相に該当する。 == 「首相」の語源について == 一部は「首相」以外の日本語訳が用いられることもあるが、それらの通称・普通名詞として「首相」という単語が使われている。{{要出典範囲|date=2023年10月|単語の由来は'''首席宰相'''の略語とされている}}。 [[大臣|閣僚]]の[[首席]]の名称は各国においてそれぞれ異なり、[[内閣 (日本)|日本の内閣]]の首相は、正式には「'''[[内閣総理大臣]]'''」(ないかくそうりだいじん)と呼ばれる。'''首相'''という呼称は[[日本法|日本の法体系]]に基づく正式な用語ではなく、法令上は一切使用されていない。一方、マスメディアなどでは内閣総理大臣を指す慣用的な呼称として定着している。 現在の[[ベトナム]]では、漢字語「'''首相'''」の[[ベトナム語]]読みである「'''Thủ tướng'''」が首席閣僚の官名として用いられている。またかつての北朝鮮([[朝鮮民主主義人民共和国]])でも、首相の[[朝鮮語]]読み「'''수상'''(ラテン文字:''susang'')」が政府の長の官名として用いられていた。 類似した語に「'''[[宰相]]'''(さいしょう)」{{efn|宰は「つかさどり、きりもりし、おさめる」意味で「首(head)」とは意図する表意が異なる。[[宋 (春秋)|宋]]の時代に編纂された事物紀原には「昔周公位冢宰、正百官以相成王、故有'宰相'之稱、其事自秦漢始」とある。天子をたすけて政治を行う最高官、天子を輔相し、天下を宰制する意味(出典:KO字源 [https://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/]:「宰」)}} があるが、これは秦の官制に由来する呼称で原意は「君主から特に親任されて王家(帝室)を司り、宮廷で国政を補佐する者」である。{{要出典範囲|date=2023年10月|宰相が複数存在する体制においては、その中の首席宰相を略して「首相」と称する場合があるが([[北宋]]の[[王安石]]など)}}、いずれにせよ近代以降の首相とは意味が違うものである。日本語においては明治以来、宰相もまた首相と同じく慣用的な呼称にすぎず、「首相」と「宰相」の区別はほとんどの場合、詩文的修飾の差異であり、大物政治家としての内閣総理大臣を表現する際に重みを出すために、あるいは「国政を司った(有能な)人物」という敬意を表現するために「宰相」と修飾的に呼ぶ程度の区別である。 == 地位と権限 == === 首相の地位 === 国家には[[元首]]としての[[君主]]や[[大統領]]とは別に政府首班として首相を置くことがある<ref name="imai">{{Cite journal |author= 今井真士 |title= 執政制度の設計と権限行使の経路|publisher=日本比較政治学会 |accessdate=2021-07-11|year=2018}}</ref>。 首相任命権に関しては、国家元首や立法府が単独で行う場合のほか、その指名等を立法府や国家元首が承認する場合など様々な形態がある<ref name="imai" />。[[スペイン]]1978年憲法や[[赤道ギニア]]1991年憲法などでは、議会選挙後に国家元首が議会多数派と協議して組閣担当者を指名し、その組閣担当者が組閣して議会から信任を受けたときに改めて国家元首が任命を行う組閣担当者方式(formateur)が採用されている<ref name="imai" />。なお、首相職を国民から直接選出する[[首相公選制]](後述)もあり[[イスラエル]]で採用されていたことがある<ref name="imai" />。 国家元首と内閣や首相との関係については、国家元首を内閣の一員とするか否か、国家元首が閣議を主宰するかなどでも違いがある<ref name="imai" />。 {{Main2|国家元首との関係については「[[元首]]」を}} === 首相の権限 === 議院内閣制の国では、首相は内閣を構成する閣僚への[[任命権者|人事権]]を行使し、これによって閣僚に対する指揮権を掌握するケースが多い。[[大日本帝国憲法]]では首相の閣僚に対する人事権が明記されなかったため、[[国務大臣]]の筆頭という立場にとどまった(「[[内閣官制]]」も参照)。 執政権の行使については、国家元首に提案して国家元首名義の命令を発令できると定めている場合や首相名義の命令を発令できると定めている場合もあるが、立法府による事前承認または事後承認を要件にしている国が多い<ref name="imai" />。 議会解散権については君主や大統領など国家元首に対して議会解散を提案・助言できるとする場合や、議会選挙後に組閣が不調に終わった場合や年度内に予算案を可決できなかった場合、不信任や弾劾を受けた場合に議会の解散権を認めている国がある<ref name="imai" />。 == 政治制度の類型と首相 == 政治学では[[政治制度|執政制度]]の類型について、[[政府の長]]の選出と解任の違いから、議院内閣制・自律内閣制・[[首相公選制]]・[[大統領制]]の4つの類型に分けることがある<ref name="introduction118">{{Cite book|和書|author1=砂原庸介|author2=稗田健志|author3=多湖淳|title=政治学の第一歩 |publisher=有斐閣|year=2015|page=118}}</ref>。 ; 議院内閣制 : 議院内閣制では首相は議会多数派から選出され、解任も議会多数派により行いうる<ref name="introduction118" />。議院内閣制の[[国家]]では、首相が[[政府の長]]である。近代の[[議院内閣制]]における史上最初の'''首相'''は、[[イギリス]]の[[ハノーヴァー朝]]における[[第一大蔵卿]]の[[ロバート・ウォルポール]]であるとされる。ハノーヴァー朝初代国王[[ジョージ1世 (イギリス王)|ジョージ1世]]はドイツ人だったため[[英語]]が全く読み書きできず、ウォルポールに内政外交全ての政策決定権を委託した。これが、国家元首である君主が「君臨すれども統治せず」という[[立憲君主制]]と[[議院内閣制]]による民主主義政治システムの構築の始まりとされる。 ; 自律内閣制 : スイスで採用されている自律内閣制では首相は議会多数派から選出されるが、任期期間中は解任できない制度になっている<ref name="introduction118" />。スイスでは議会において各地域、各言語圏を代表する政党から内閣の構成員を選出し、内閣全体で等しく政策決定に責任を負っており、首相職も閣内での1年ごとの交代制である(内閣の任期は4年)<ref name="introduction118" />。 ; 首相公選制 : 首相公選制は有権者から直接首相を選出する制度<ref name="introduction118" />。イスラエルで採用されていたことがあるが、議会多数派から選出されるわけではないため議会での支持基盤のない首相の誕生と多党分立が問題になり、議会で政策の支持を円滑に取り付けることが困難になったため廃止された<ref name="introduction118" />。 ; 大統領制 : 大統領制は有権者から大統領を選出する制度であるが、大統領制の下での内閣の役割は国により大きな違いがある<ref name="introduction118" />。ドイツやイタリアのように大統領が形式的・象徴的存在にすぎず議会多数派から首相が選出される議院内閣制に近い形態の国と、韓国やアルゼンチンのように首相の選出や解任が大統領によって行われ大統領のスタッフとして機能している国がある<ref>{{Cite book|和書|author1=砂原庸介|author2=稗田健志|author3=多湖淳|title=政治学の第一歩 |publisher=有斐閣|year=2015|pages=118-119}}</ref>。 == 各国の名称 == 首相の正式名称は各国で異なるが、それが首相に相当する[[官職]]であれば、[[日本語]]では一律に「首相」と呼ぶ慣習になっている。[[英語]]でも原語の官名に関わらず、「{{lang|en|Prime Minister}}」と呼ぶのが通例である。例外的に[[連邦首相 (ドイツ)|ドイツ]]と[[連邦首相 (オーストリア)|オーストリアの首相]]は、[[ドイツ語]]の「{{lang|de|Kanzler}}」を直訳し「{{lang|en|Chancellor}}」と英訳されるほか、[[アイルランドの首相]]は[[アイルランド語]]の「{{lang|ga|Taoiseach}}」を英語でもそのまま用いる{{efn|なお、アイルランド語では他国の首相を「{{lang|en|Prime Minister}}」に相当する「{{lang|ga|Príomh-Aire}}」と呼ぶ。}}。 [[中国語]]では君主国のものにおいては「{{lang|zh-cn|首相}}」、共和国のものは「{{lang|zh-cn|总理}}」といった訳し分けが行われることが多い。 また日本語においては、外交文書や外国法令の日本語訳では、外国首相を「総理大臣」や「内閣総理大臣」と呼称することがある<ref>[https://worldjpn.net/documents/texts/JPEU/19570329.O1J.html][https://worldjpn.net/documents/texts/JPEU/19570329.O1J.html 原水爆実験禁止問題に関するマクラミン英首相宛ての岸信介首相書簡]</ref>。 === 現在 === ※日本以外は五十音順 * {{JPN}} - [[内閣総理大臣]] * {{IRE}} - [[アイルランドの首相|首相]]({{lang-ga-short|Taoiseach}}) * {{AFG}} - [[アフガニスタンの首相|行政長官]](英:Chief Executive Officer) * {{ARG}} - [[アルゼンチンの首相|内閣首席大臣]] ({{lang-es-short|Jefe de Gabinete de Ministros}})({{lang-en-short|Chief of the Cabinet of Ministers}}) * {{GBR}} - [[イギリスの首相|グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国首相]]({{lang-en-short|Prime Minister of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland}}) * {{ISR}} - [[イスラエルの首相|政府首班]]([[ヘブライ語]]:{{lang|he|רֹאשׁ הַמֶּמְשָׁלָה, Rosh HaMemshala}}) * {{ITA}} - [[イタリアの首相|閣僚評議会議長]]({{lang-it-short|Presidente del Consiglio dei Ministri}}) * {{AUS}} - [[オーストラリアの首相|首相]]({{lang-en-short|Prime Minister of Australia}}) * {{AUT}} - [[連邦首相 (オーストリア)|連邦首相]]({{lang-de-short|Bundeskanzler}}) * {{CAN}} - [[カナダ首相|首相]](英:Prime minister) * {{CUB}} - [[キューバの首相|首相]] ({{lang-es-short|Primer Ministro de Cuba}}) * {{SWE}} - [[スウェーデンの首相|首相]]({{lang-sv-short|Statsminister}}) * {{SPA}} - [[スペインの首相|政府首班]]({{lang-es-short|Presidente del Gobierno}}) * {{THA}} - [[タイの首相|首相]]({{lang-th-short|นายกรัฐมนตรีไทย}}) * {{ROK}} - [[国務総理 (大韓民国)|国務総理]]({{lang-ko-short|국무총리}}) * {{PRC}} - [[国務院総理]]({{Lang-zh-short|国务院总理}}) * {{ROC-TW}} - [[中華民国の首相#行政院長|行政院長]] * {{DPRK}}(北朝鮮)- [[朝鮮民主主義人民共和国の首相|内閣総理]]({{lang-ko-short|내각총리}}) * {{DEU}}(旧[[西ドイツ]]時代含む) - [[連邦首相 (ドイツ)|連邦首相]]({{lang-de-short|Bundeskanzler}}) * {{NZL}} - [[ニュージーランドの首相|首相]]({{lang-en-short|Prime Minister of New Zealand}}) * {{VAT}} - 国務省長官 ([[ラテン語|羅]]:[[:la:Cardinalis Secretarius Status|Cardinalis Secretarius Status]]) * {{FRA}} [[フランス第五共和政|第五共和政]] - [[フランスの首相|首相]](仏:{{lang|fr|Premier ministre}}) * {{VNM}} - [[ベトナムの首相|政府首相]]({{lang-vi-short|Thủ tướng}}) * {{MAS}} - [[マレーシアの首相|首相]]([[マレー語]]:{{lang|ms|Perdana Menteri}}) * {{RUS}} - [[ロシアの首相|連邦政府議長]]({{lang-ru-short|Председатель Правительства}} {{lang-en-short|Chairman of the Government}}) === 過去 === * [[日本]] - [[太政大臣]] * [[ドイツ]] - [[ドイツの首相]]参照 ** {{Flagicon|DEU1871}}{{Flagicon|DEU}}{{Flagicon|DEU1935}} [[ドイツ国]](1871年 - 1945年) - [[ドイツ国首相]]({{lang-de-short|Reichskanzler}}){{efn|{{要出典範囲|ドイツ語では[[ドイツ帝国|帝国時代]]から[[ヴァイマル共和政]]、[[ナチス・ドイツ|ナチス時代]]まで呼称は同じであるが、日本語では帝国時代やナチス時代の首相は「帝国宰相」と訳し分けることがある|date=2016年9月}}。}} ** {{DDR2}}(東ドイツ) - [[閣僚評議会議長 (東ドイツ)|閣僚評議会議長]]({{lang-de-short|Vorsitzende des Ministerrates}}) * [[オーストリア]] - [[オーストリアの首相]]参照 ** {{AUT1804}} ***[[#「首相」の語源について|国家宰相]]({{lang-de-short|Staatskanzler}}) ***[[#「首相」の語源について|総理大臣]]({{lang-de-short|Ministerpräsident}}) ***[[#現在|閣僚会議議長]]({{lang-de-short|Vorsitzende der Ministerkonferenz}}) ** {{AUT1867}} ***[[#過去|共通閣僚評議会議長]]({{lang-de-short|Vorsitzende des Ministerrates für Gemeinsame Angelegenheiten}}) * [[フランス]] - [[フランスの首相]]参照 ** {{Flagicon|FRA}} フランス[[フランス第三共和政|第三]]・[[フランス第四共和政|第四共和制]] - [[閣僚評議会議長 (フランス)|閣僚評議会議長]]({{lang-fr-short|Président du conseil des ministres}}) * [[中国]] ** {{QIN}} - [[内閣総理大臣 (清朝)|内閣総理大臣]]([[中国語|中]]:{{Lang|zh|內閣總理大臣}}) ** {{Flagicon|CHN1912}} [[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]][[北京政府]] *** [[中華民国の首相#国務総理|国務総理]]({{Lang-zh-short|國務總理}}) *** [[中華民国の首相#政事堂国務卿|政事堂国務卿]]({{Lang-zh-short|政事堂國務卿}}) ** {{MCK}} ***[[国務総理大臣|国務総理]]({{Lang-zh-short|國務院總理}}):[[1932年]] - [[1934年]] ***[[国務総理大臣]]({{Lang-zh-short|國務總理大臣}}) * [[朝鮮]] ** {{KOR1897}} *** 総理大臣 *** [[内閣総理大臣 (大韓帝国)|内閣総理大臣]] *** 議政府議政大臣 ** [[File:Flag of the People's Committee of Korea.svg|border|25px]] [[朝鮮人民共和国]] - [[国務総理]] ** {{DPRK}}(北朝鮮) *** 首相 *** 政務院総理 *[[ベトナム]] - [[ベトナムの首相]]参照 **[[File:Flag of the Empire of Vietnam (1945).svg|25px]] - 内閣総長({{lang-vi-short|Nội các Tổng trưởng}}) **{{VNM1945}} *** 政府主席({{lang-vi-short|Chủ tịch Chính phủ}}) *** 政府首相({{lang-vi-short|Thủ tướng Chính phủ}}) **{{Flagicon|VNM}} [[ベトナム|ベトナム社会主義共和国]] *** 閣僚評議会議長({{lang-vi-short|部長会同主席 Chủ tịch Hội đồng Bộ trưởng}}) *ロシア **{{RUS1883}} - 大臣会議議長 * {{SSR}} ** [[ソビエト連邦人民委員会議議長|人民委員会議議長]]({{lang-ru-short|Председатель Совета Народных Комиссаров}}) ** [[ソビエト連邦の首相|閣僚会議議長]]({{lang-ru-short|Председатель Совета Министров}}) ** 首相({{lang-ru-short|Премьер-министра}}) <!-- キリル文字の読みも分るとなお良いかと。ローマンアルファベットならそれなりに見当がつきますが、キリル文字だけだと見当がつかないので。 --> == 地方政府の首相 == 地方政府においても[[議院内閣制]]が採用され、地方議会がその首相を選出し、首相が内閣を組織して行政を行なう国もある。混同防止のために、当該国の中央政府の首相とは異なる官名となっていることが多い。日本語でも中央政府の首相と峻別するため[[首席大臣]]・[[第一大臣]]という訳語をあてることがある。 * [[インドの州首相一覧|インドの州首相]]: Chief Minister * ネパールの州首相: Chief Minister * パキスタンの州首相: Chief Minister * フィリピンのバンサモロ自治地域の首相: Chief Minister * イギリスの[[北アイルランド]]、[[ウェールズ]]、[[スコットランド]]の自治政府首相: First Minister * オーストラリアの州首相: Premier * オーストラリアの自治権のある特別地域の首相: Chief Minister * カナダの州首相: 英:Premier 仏:Premier ministre * [[ドイツの州首相一覧|ドイツの州首相]]: Ministerpräsident * オーストリアの州首相:Landeshauptmann * スイスの州首相::RegierungspräsidentないしStaatsratspräsident * スペインの自治州首相:Presidente de la Junta etc.(スペインでは自治州自体の名称がJunta, Gobierno, Comunidad, Generalitatなど地域により異なるため、地域に応じた名称となる)。 * 南アフリカ共和国の州首相:Premier == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|year=2001|title=世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000|author=秦郁彦|authorlink=秦郁彦|publisher=[[東京大学出版会]]|isbn=978-4130301220|ref=harv}} == 関連項目 == {{Wiktionary|首相}} * [[大統領]] ** {{仮リンク|大統領代行|en|Acting president}} ** {{仮リンク|終身大統領|en|President for life}} * [[国家主席]] * [[総理]] * [[組閣]]・[[親任式]]・[[認証官任命式]] * [[内閣総理大臣]] - [[内閣総理大臣指名選挙]] * [[丞相]] * [[相国]] * [[太師]] * [[三公]] * [[中国の宰相]] * [[太政大臣]] * [[宰相]] * [[宮宰]] * [[副首相]] * [[大臣]] - [[大臣 (日本)]] * [[国務大臣]]・[[副大臣]]・[[大臣政務官]]・[[大臣補佐官]] * [[内閣総理大臣補佐官]]・[[内閣総理大臣秘書官]] * [[内閣官房長官]]・[[内閣官房副長官]]・[[内閣官房副長官補]] * [[内閣法制局長官]]・[[内閣法制次長]] * [[大連 (古代日本)]] * [[首相公選制]] * [[アメリカ合衆国の首相]] * [[摂政]] * [[終身官]] * [[関白]] * [[内覧]] * [[太閤]] * [[征夷大将軍]] * [[大御所]] * [[書記]] {{DEFAULTSORT:しゆしよう}} [[Category:首相|*]] [[Category:閣僚]] [[Category:公務員]] [[Category:政治家・官僚の称号]]
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投資家
投資家(とうしか、英: investor)とは、投資を目的として、市場において発行された金融商品(株式や債券など)、通貨、不動産、コモディティなどを保有する者。 投資家の投資対象には株式や債券などの金融商品、不動産、コモディティなどがあるが、その保有目的(投資の目的)には様々なものがある。例えば株式であれば経済的な利潤(配当や値上がりによる利益)が目的である場合もあれば、会社の経営への参画であることもある。短期の値動きによる利益を狙う「投機家」や「トレーダー」に対して、長期の値上がりを期待する立場を意味することもある。 一般的に銀行に預金を保有していても投資家と呼ぶことはないが、それは投資と貯蓄が対立した概念として捉えられているからである。しかし、経済的には預金の保有は預金者と銀行との間の金銭消費寄託契約であり、これは銀行等が発行している社債等に投資しているのと本質的には同じである。 投資を行う者には「個人投資家」や「機関投資家」がある。 外国の株式や不動産に投資する者は、投資先の国から「外国人投資家」と呼ばれ、時にその国の投資家以上に存在がクローズアップされる事もある。例えば日本では、株式市場における外国人投資家の売買シェアが5割を超えるため、その動向に常に注意が払われている。投資家の中には才気と好機に恵まれ、莫大な富を築く人物もおり、世界の長者番付に名を連ねる者もいる。 労働を美徳とする社会においては、キャピタルゲインを目標とした投資によって利益を得る投資家は攻撃の対象とされることがある。しかし投資家は「高い確率で存在している」買い手であることから流動性を高め、企業の資金調達(増資や余剰不動産の処分)を潤滑し経済活動の機動性や効率、規模を向上させ経済全体の向上に寄与している面がある。また逆に株式や不動産の取得を望む場合にも「高い確率で存在している」売り手となることから同様に流動性を高め、やはり経済全体の向上に寄与することになる。 投資家は洋の東西を問わず古くから存在したが、現代につながる金融技術は18世紀から20世紀にかけてアムステルダム、ロンドン、ニューヨーク及びシカゴで開発されてきた。日本でも北浜の米相場が著名であり、江戸時代には高度な金融技術やローソク足チャートなどの相場分析が開発された。 現代の投資家について。株取引を例に取ると、個人投資家が行う取引の形態は、証券会社の窓口や営業を通して株式の売買を行うという形(対面取引)から、パソコンや携帯電話をインターネットに接続して行うオンライントレードが盛んになってきている。未成年者や無職の者でも口座の開設は可能で、また投資に必要な最低限度額や手数料も低下傾向にあり、投資家になるためのハードルは以前より低くなってきている。昔は、投資家と言えば「億万長者」というイメージもあったが、野村総合研究所の調査によれば現在では個人投資家の8割が年収1,000万円に満たない者達で占められている。 機関投資家として、金融機関などが組織的に大規模な投資を行なう場合もある。近年では機関投資家が運用する投資信託(ファンド)への資金流入が進み市場においても、各種ファンドの動向が無視出来ない規模になってきている。
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投資家とは、投資を目的として、市場において発行された金融商品(株式や債券など)、通貨、不動産、コモディティなどを保有する者。
{{金融市場参加者}} '''投資家'''(とうしか、{{lang-en-short|investor}})とは、'''[[投資]]'''を目的として、市場において発行された'''[[金融商品]]'''([[株式]]や[[債券]]など)、'''[[通貨]]'''、'''[[不動産]]'''、'''[[コモディティ]]'''などを保有する者<ref name="syoken">{{Cite book|和書|author1=証券経済学会|author2=公益財団法人日本証券経済研究所|year=2017|edition=|title=証券事典|pages=48|publisher=きんざい}}</ref>。 == 概要 == '''投資家'''の投資対象には株式や債券などの金融商品、不動産、コモディティなどがあるが、その保有目的(投資の目的)には様々なものがある<ref name="syoken" />。例えば株式であれば経済的な利潤(配当や値上がりによる利益)が目的である場合もあれば、会社の経営への参画であることもある<ref name="syoken" />。短期の値動きによる利益を狙う「[[投機家]]」や「トレーダー」に対して、長期の値上がりを期待する立場を意味することもある。 一般的に[[銀行]]に預金を保有していても投資家と呼ぶことはないが、それは投資と[[貯蓄]]が対立した概念として捉えられているからである<ref name="syoken" />。しかし、経済的には預金の保有は預金者と銀行との間の金銭消費寄託契約であり、これは銀行等が発行している社債等に投資しているのと本質的には同じである<ref name="syoken" />。 投資を行う者には「[[個人投資家]]」や「[[機関投資家]]」がある。 外国の株式や不動産に投資する者は、投資先の国から「'''外国人投資家'''」と呼ばれ、時にその国の投資家以上に存在がクローズアップされる事もある。例えば日本では、株式市場における外国人投資家の売買シェアが5割を超えるため、その動向に常に注意が払われている。投資家の中には才気と好機に恵まれ、莫大な富を築く人物もおり、世界の[[長者番付]]に名を連ねる者もいる。 [[労働]]を美徳とする社会においては、[[キャピタルゲイン]]を目標とした投資によって利益を得る投資家は攻撃の対象とされることがある。しかし投資家は「高い確率で存在している」買い手であることから[[流動性 (経済学)|流動性]]を高め、企業の資金調達(増資や余剰不動産の処分)を潤滑し経済活動の機動性や効率、規模を向上させ経済全体の向上に寄与している面がある。また逆に株式や不動産の取得を望む場合にも「高い確率で存在している」売り手となることから同様に[[流動性 (経済学)|流動性]]を高め、やはり経済全体の向上に寄与することになる<ref group="注釈">[[流動性 (経済学)|流動性]]が低下すると、資金調達の際の買い手探しや資産取得の際の売り手との交渉に時間が掛かるなどして、機を失ったり想定外の出費がかさんだりすることになる。これらのリスクを嫌気して投資意欲が減退したり、企業経営の効率が低下したり、場合によっては資金調達の遅れにより経営計画が達成出来ず倒産してしまうなど、経済全体へ大きく影響を与えることになる。</ref>。 == 動向 == [[画像:Warren Buffett KU Visit.jpg|thumb|right|200px|[[ウォーレン・バフェット]]。総資産は3兆円に上り、彼の発言が市場を動かすことさえある]] '''投資家は洋の東西を問わず古くから存在'''したが、現代につながる金融技術は18世紀から20世紀にかけて[[アムステルダム]]、[[ロンドン]]、[[ニューヨーク]]及びシカゴで開発されてきた。日本でも北浜の米相場が著名であり、江戸時代には高度な金融技術<ref>{{Cite |和書|author=脇田成|date=1995年6月|title=近世大阪堂島米先物市場における合理的期待の成立|journal=研究助成金対象論文集|volume=1|issue=1|publisher=日本商品先物振興協会|page=1|url=http://www.jcfia.gr.jp/study/ronbun-pdf/no1/01.pdf}}</ref>や[[ローソク足チャート]]などの相場分析が開発された。 現代の投資家について。[[株式|株取引]]を例に取ると、個人投資家が行う取引の形態は、[[証券会社]]の窓口や営業を通して株式の売買を行うという形(対面取引)から、パソコンや[[携帯電話]]をインターネットに接続して行う[[オンライントレード]]が盛んになってきている。未成年者や無職の者でも口座の開設は可能で、また投資に必要な最低限度額や手数料も低下傾向にあり、投資家になるためのハードルは以前より低くなってきている。昔は、投資家と言えば「億万長者」というイメージもあったが、[[野村総合研究所]]の調査によれば現在では個人投資家の8割が年収1,000万円に満たない者達で占められている。 機関投資家として、[[金融機関]]などが組織的に大規模な投資を行なう場合もある。近年では機関投資家が運用する[[投資信託]](ファンド)への資金流入が進み市場においても、各種ファンドの動向が無視出来ない規模になってきている。 {{Clear}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[富裕層]] * [[個人投資家]] * [[機関投資家]] * [[自己責任原則]] * [[デイトレード]] * [[相場師]] * [[エンジェル投資家]] * [[投機家]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とうしか}} [[Category:投資家|*]] [[Category:職業]] [[Category:機関投資家|*とうしか]]
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金融機関
金融機関(きんゆうきかん)は、金融ビジネスを業務とし顧客に対して各種の金融サービスを提供する企業または組織。 金融機関は(中央銀行を除いて)、1.金融(仲介)の形式(直接金融、間接金融、ハイブリッド金融)、2.預金(預金通貨)の取り扱いの有無、3.公的金融機関か民間金融機関かで分けられる。 なお、金融業という場合、広く、資金融通機関(銀行、協同組織金融業)、資金取引の仲介機関(貸金業、質屋、クレジットカード業、割賦金融業、住宅専門金融業、証券金融業、ファクタリング業者、金融商品取引業、商品先物取引業など)、補助的金融業(短資会社、手形交換所、両替業、信用保証機関、前払式証票発行業者、債権管理回収業者など)や信託業を含む。 日本銀行は日本銀行法に基づく日本の中央銀行である。 日本の民間金融機関は預金取扱金融機関とその他の金融機関(証券会社や保険会社)に分けられる。なお、日本郵政(ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)や商工組合中央金庫は政府保有株式(完全民営化の移行状況)の関係で公的金融機関に分類されることがある。 預金取扱金融機関は普通銀行、長期金融機関(信託銀行)、協同組織金融機関に分けられる。 公的金融機関には政府系金融機関とその他の金融機関があり、先述のように日本郵政(ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)や株式会社商工組合中央金庫は政府保有株式(完全民営化の移行状況)の関係で公的金融機関に分類されることがある。 日本では、1990年上半期ごろまで銀行、信用金庫、信用組合は単体でポスターや新聞などのいわゆるスチル媒体以外はコマーシャル活動をすることができない(統括団体のCMは放送媒体でも行われた。代表的なものに1983年の銀行法改正による土曜日休業告知CMなどがある)規制があった。規制運用時は、系列クレジットカードを使って「○○(=銀行名)カード、お申し込みは銀行へ」の形での間接的なコマーシャルを行っていた。なお、相互銀行はコマーシャル規制が緩く、普通銀行転換前は提供クレジットを出す相互銀行もあったが、普通銀行転換時に一時銀行、信用金庫、信用組合等と同様の規制となった。 1990年下半期ごろからラジオに限定して放送媒体でのコマーシャルを部分解禁した。ラジオの場合は特に規制をかけなかったことから一部の番組で銀行などが冠スポンサーとして番組を提供した事例も一部あった。 1991年1月からテレビでのコマーシャルも解禁された。スタートした当初は定時番組の提供クレジットを入れない(パーティシペーション扱い)、放送時間も一定基準の時間枠しか放送できないなどの規制があったため、主としてスポットコマーシャルでの活動が多かった。 その後規制が緩和され現在は他の企業と同じように提供クレジットを出すことも可能になった。 主な金融機関に商業銀行(commercial bank)、貯蓄金融機関(savings association, thrift institution)、信用組合(credit union)がある。 銀行は銀行持株会社法(Bank Holding Companies Act)に定義されており、商業銀行には連邦法に基づく国法銀行(national bank)と州法に基づく州法銀行(state bank)がある二元銀行制度(Dual Banking System)である。銀行の多くは銀行持株会社(bank holding company)の傘下にある。 貯蓄金融機関にも、連邦法に基づく連邦貯蓄金融機関(federal savings association)と州法に基づく州貯蓄金融機関(state savings associations)がある。 主な金融機関に銀行、住宅金融組合(building society)、信用組合がある。住宅金融組合は1986年住宅金融組合法(Building Society Act 1986)に基づく金融機関で主に住宅を担保とする貸付を行っている。 EUでは銀行業務を行う金融機関は信用機関(credit institution)と呼ばれ、Directive2013/36/EU(第4次資本要件指令)で「預金又はその他の払戻可能な資金を公衆から受入れ、かつ、自己勘定での信用供与を行うことを業務とする事業者」と定義され同指令で規制されている。 EUでは金融サービス市場の統合でユニバーサルバンク形態を採用し、銀行業務を行う機関であれば信用機関として免許を取得することができるようになったが、証券関連業務のみを行う金融機関については別途1993年5月に93/22/EEC(投資サービス指令)で規制を行うことになった。93/22/EEC(投資サービス指令)はDirective 2004/39/EC(金融商品市場指令)で改正され、これらは投資サービス会社(investment firm)と定義されることになった。 中国銀行業監督管理委員会(China Banking Regulatory Commission, CBRC)の監督下にある金融機関には、政策銀行及び国家開発銀行、商業銀行、農村信用組合、農村合作銀行、新型農村金融機関及び郵政貯蓄銀行、ノンバンク、金融資産管理会社、外国銀行がある。
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金融機関(きんゆうきかん)は、金融ビジネスを業務とし顧客に対して各種の金融サービスを提供する企業または組織。 金融機関は(中央銀行を除いて)、1.金融(仲介)の形式(直接金融、間接金融、ハイブリッド金融)、2.預金(預金通貨)の取り扱いの有無、3.公的金融機関か民間金融機関かで分けられる。 なお、金融業という場合、広く、資金融通機関(銀行、協同組織金融業)、資金取引の仲介機関(貸金業、質屋、クレジットカード業、割賦金融業、住宅専門金融業、証券金融業、ファクタリング業者、金融商品取引業、商品先物取引業など)、補助的金融業(短資会社、手形交換所、両替業、信用保証機関、前払式証票発行業者、債権管理回収業者など)や信託業を含む。
'''金融機関'''(きんゆうきかん)は、[[金融|金融ビジネス]]を業務とし顧客に対して各種の金融サービスを提供する[[企業]]または組織<ref name="hirata" />。 金融機関は([[中央銀行]]を除いて)、1.金融(仲介)の形式([[直接金融]]、[[間接金融]]、ハイブリッド金融)、2.預金(預金通貨)の取り扱いの有無、3.公的金融機関か民間金融機関かで分けられる<ref name="hirata">{{Cite book|和書|author=平田潤 |title=プレステップ金融学 第2版 |publisher=弘文堂 |date=2018 |page=58 }}</ref>。 なお、金融業という場合、広く、資金融通機関(銀行、協同組織金融業)、資金取引の仲介機関(貸金業、[[質屋]]、クレジットカード業、割賦金融業、住宅専門金融業、証券金融業、ファクタリング業者、金融商品取引業、商品先物取引業など)、補助的金融業([[短資会社]]、[[手形交換所]]、[[両替|両替業]]、信用保証機関、前払式証票発行業者、債権管理回収業者など)や信託業を含む<ref>{{PDFlink|[https://www.soumu.go.jp/main_content/000300074.pdf 大分類J-金融業,保険業]}} - 総務省、2022年7月28日閲覧。</ref>。 == 日本の金融機関 == {| class="wikitable floatright" style="font-size:small" |+日本における主な金融機関の種類 |- !分類!!該当機関 |- |中央銀行||日本銀行 |- |普通銀行||都市銀行、<br>地方銀行、<br>信託銀行 など |- |{{語中改行|中小企業|金融機関}}||信用金庫、<br>信用組合 など |- |{{語中改行|協同組織|金融機関}}||労働金庫 など |- |{{語中改行|農林水産|金融機関}}||農業協同組合、<br>漁業協同組合 など |- |{{語中改行|厚生労働|金融機関}}||生活協同組合 など |- |証券金融機関||証券会社など |- |保険会社||生命保険会社、<br>損害保険会社 など |- |ノンバンク||消費者金融など |- |{{語中改行|政府系|金融機関}}||日本政策金融公庫、<br>日本政策投資銀行、<br>住宅金融支援機構 など  |} === 中央銀行 === [[日本銀行]]は[[日本銀行法]]に基づく日本の[[中央銀行]]である。 === 民間金融機関 === 日本の民間金融機関は預金取扱金融機関とその他の金融機関(証券会社や保険会社)に分けられる<ref name="zenginkyo">{{Cite web|和書|url=https://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/education/material/bank_highschool/pdf/dl_tool/seikei.pdf|title=経済全体の中での銀行の役割|publisher=一般社団法人全国銀行協会|accessdate=2021-09-10|format=PDF}}</ref>。なお、日本郵政(ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)や[[商工組合中央金庫]]は政府保有株式(完全民営化の移行状況)の関係で公的金融機関に分類されることがある<ref name="zenginkyo" />。 ==== 預金取扱金融機関 ==== {{See|預貯金取扱金融機関}} [[預貯金取扱金融機関|預金取扱金融機関]]は普通銀行、長期金融機関(信託銀行)、協同組織金融機関に分けられる<ref name="zenginkyo" />。 * [[普通銀行]] - [[銀行法]]により、免許を受けて[[銀行業]]を営む[[株式会社 (日本)|株式会社]]。普通銀行は都市銀行、地方銀行、第二地方銀行、その他の銀行(ネット専業銀行、流通系銀行)に分けられる<ref name="tasb">{{Cite web|和書|url=https://www.tasb.jp/kinko/index.html|title=信用金庫とは|publisher=一般社団法人東京都信用金庫協会|accessdate=2021-09-10}}</ref>。[[日本の銀行一覧]]も参照。なお、銀行法上の銀行ではなく[[長期信用銀行法]]において規定された金融機関に[[長期信用銀行]]があった(現在は存在しない)。 ** [[都市銀行]] ** [[地方銀行]] ** [[第二地方銀行]] ** 外国銀行支店 - 銀行法上、銀行とみなされる。 * 長期金融機関([[信託銀行]]) * [[協同組織金融機関]] - 営利法人たる株式会社である銀行とは異なり[[非営利法人]]である。対象となる主な顧客によって、中小企業系の信用金庫や信用組合、農林漁業系の農業協同組合や漁業協同組合、労働組合系の労働金庫などがある<ref name="tasb" />。 ** 中小企業系 - [[信用金庫]](系統中央機関は[[信金中央金庫]])、[[信用協同組合]](信用組合、系統中央機関は[[全国信用協同組合連合会]]) ** 農林漁業系 - [[農業協同組合]]、[[漁業協同組合]](信用部門の[[系統中央機関]]は[[農林中央金庫]]) ** 労働組合系 - [[労働金庫]]([[系統中央機関]]は[[労働金庫連合会]]) ==== その他の金融機関 ==== * [[証券金融会社]] * [[保険会社]] - [[保険業法]]に基づく免許を受けた[[保険業]]を営む[[株式会社 (日本)|株式会社]]または[[相互会社]]。集めた保険料は[[株式]]や[[債券]]などの証券投資や貸付け等で運用を行う。また活動運営面では[[保険法]]の適用を受ける。 ** [[生命保険|生命保険会社]] - 保険会社のうち生命保険業免許を受けた者をいう。 ** [[損害保険|損害保険会社]] - 保険会社のうち損害保険業免許を受けた者をいう。 ** [[少額短期保険業者]] - 一定事業規模の範囲内において少額・短期の保険の引受けのみを行う事業。 ==== 共済団体 ==== * [[共済]] - 生命保険・損害保険に類似した保障(補償)制度を取扱う認可団体。保険会社と同様に[[保険法]]の適用を受けるが、各団体の根拠法や監督官庁はそれぞれ異なる。また、保険会社との大きな相違点は、[[非営利法人]]の[[協同組合]]組織であることや、集めた掛金の運用先(特に株式や不動産投資)に制限が設けられていることなどが挙げられる。 ** [[農業協同組合]]系([[JA共済]]など) ** [[漁業協同組合]]系([[共済#JF共済|JF共済]]など) ** [[生活協同組合]]系([[こくみん共済 coop]] や [[共済#CO・OP共済|CO・OP共済]]など) === 公的金融機関 === 公的金融機関には政府系金融機関とその他の金融機関があり、先述のように日本郵政(ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)や[[商工組合中央金庫|株式会社商工組合中央金庫]]は政府保有株式(完全民営化の移行状況)の関係で公的金融機関に分類されることがある<ref name="zenginkyo" />。 * [[政策金融機関|政府系金融機関]] ** [[日本政策投資銀行|株式会社日本政策投資銀行]] ** [[国際協力銀行|株式会社国際協力銀行]] ** [[日本政策金融公庫|株式会社日本政策金融公庫]] ** [[沖縄振興開発金融公庫]] ** [[奄美群島振興開発基金|独立行政法人奄美群島振興開発基金]] ** [[住宅金融支援機構|独立行政法人住宅金融支援機構]] ** [[福祉医療機構|独立行政法人福祉医療機構]] === その他の業態と法規制 === * [[金融商品取引法]] - [[金融商品取引業]] * [[貸金業法]] ** [[消費者金融]] - 「サラ金」とも俗称され、消費者を対象に、高金利で融資を行う。 ** [[信販会社]] - 個人を対象に分割払いや後払いの仲介([[クレジットカード (日本)|クレジットカード]]、個品割賦購入斡旋)をする。[[融資]](キャッシング)や、事業者対象のリース業務も行っている。 ** [[住宅金融専門会社]] - 個人を対象に[[住宅ローン]]を取り扱う。 ** [[商工ローン]] - 主に零細事業者を対象に、高金利で融資を行う。 ** [[リース|リース会社]] - おもに事業者や法人を対象に、高額な機械設備(小は[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]などの[[情報機器]]や[[家具]]などの[[什器]]から大は[[船舶]]、[[飛行機]]まで)を購入して一定期間貸し出すという手法で、導入を容易にする。会社によっては[[融資]]業務も行っている。 * [[無尽業法]] - [[無尽会社]] * [[質屋営業法]] - [[質屋]] === 銀行・信用金庫・信用組合のコマーシャル規制 === 日本では、[[1990年]]上半期ごろまで銀行、信用金庫、信用組合は単体で[[ポスター]]や[[新聞]]などのいわゆるスチル媒体以外は[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]活動をすることができない(統括団体のCMは放送媒体でも行われた。代表的なものに1983年の[[銀行法]]改正による土曜日休業告知CMなどがある)規制があった。規制運用時は、系列[[クレジットカード (日本)|クレジットカード]]を使って「○○(=銀行名)カード、お申し込みは銀行へ」の形での間接的なコマーシャルを行っていた。なお、[[相互銀行]]はコマーシャル規制が緩く、普通銀行転換前は提供クレジットを出す相互銀行{{efn|『[[奥様なんでも大学|山相アワー 奥様なんでも大学]]』を参照。}}もあったが、普通銀行転換時に一時銀行、信用金庫、信用組合等と同様の規制となった。 1990年下半期ごろから[[ラジオ]]に限定して放送媒体でのコマーシャルを部分解禁した。ラジオの場合は特に規制をかけなかったことから一部の番組で銀行などが[[冠スポンサー]]として番組を提供した事例も一部あった。 [[1991年]]1月から[[テレビ]]でのコマーシャルも解禁された。スタートした当初は定時番組の[[提供クレジット]]を入れない([[パーティシペーション]]扱い)、放送時間も一定基準の時間枠しか放送できないなどの規制があったため、主としてスポットコマーシャルでの活動が多かった。 その後規制が緩和され現在は他の企業と同じように提供クレジットを出すことも可能になった。 == 米国の金融機関 == === 金融機関の種類 === 主な金融機関に商業銀行(commercial bank)、貯蓄金融機関(savings association, thrift institution)、信用組合(credit union)がある<ref name="seido">{{Cite web|和書|url=https://www.fsa.go.jp/common/about/research/kaigaiseido.pdf|title=諸外国における金融制度の概要報告書(大和総研)|publisher=金融庁|accessdate=2021-09-10|format=PDF}}</ref>。 銀行は銀行持株会社法(Bank Holding Companies Act)に定義されており、商業銀行には連邦法に基づく国法銀行(national bank)と州法に基づく州法銀行(state bank)がある二元銀行制度(Dual Banking System)である<ref name="seido" />。銀行の多くは銀行持株会社(bank holding company)の傘下にある<ref name="seido" />。 貯蓄金融機関にも、連邦法に基づく連邦貯蓄金融機関(federal savings association)と州法に基づく州貯蓄金融機関(state savings associations)がある<ref name="seido" />。 === 金融監督機関 === * 通貨監督庁(Office of the Comptroller of the Currency, OCC) - 全国通貨法(National Currency Act)により1863年に創設<ref name="seido" />。 * [[連邦準備制度理事会]](Board of Governors of the Federal Reserve System, FRB) - 連邦準備法(Federal Reserve Act)に基づき創設<ref name="seido" />。 == イギリスの金融機関 == === 金融機関の種類 === 主な金融機関に銀行、住宅金融組合(building society)、信用組合がある<ref name="seido" />。住宅金融組合は1986年住宅金融組合法(Building Society Act 1986)に基づく金融機関で主に住宅を担保とする貸付を行っている<ref name="seido" />。 === 金融監督機関 === * 金融安定政策委員会(Financial Policy Committee, FPC) - 1998年イングランド銀行法(Bank of England Act 1998)でイングランド銀行内に設置された期間で、2012年金融サービス法(Financial Services Act 2012)で業務内容が一部改正された<ref name="seido" />。 == EUの金融機関 == === 金融機関の種類 === EUでは銀行業務を行う金融機関は信用機関(credit institution)と呼ばれ、Directive2013/36/EU(第4次資本要件指令)で「預金又はその他の払戻可能な資金を公衆から受入れ、かつ、自己勘定での信用供与を行うことを業務とする事業者」と定義され同指令で規制されている<ref name="seido" />。 EUでは金融サービス市場の統合でユニバーサルバンク形態を採用し、銀行業務を行う機関であれば信用機関として免許を取得することができるようになったが、証券関連業務のみを行う金融機関については別途1993年5月に93/22/EEC(投資サービス指令)で規制を行うことになった<ref name="seido" />。93/22/EEC(投資サービス指令)はDirective 2004/39/EC(金融商品市場指令)で改正され、これらは投資サービス会社(investment firm)と定義されることになった<ref name="seido" />。 === 金融監督機関 === * 欧州銀行監督機構(European Banking Authority, EBA)<ref name="seido" /> * 欧州証券市場監督機構(European Securities and Markets Authority, ESMA)<ref name="seido" /> * 欧州保険年金監督機構(European Insurance and Occupational Pensions Authority, EIOPA)<ref name="seido" /> == 中国の金融機関 == === 金融機関の種類 === 中国銀行業監督管理委員会(China Banking Regulatory Commission, CBRC)の監督下にある金融機関には、政策銀行及び国家開発銀行、商業銀行、農村信用組合、農村合作銀行、新型農村金融機関及び郵政貯蓄銀行、ノンバンク、金融資産管理会社、外国銀行がある<ref name="seido" />。 * 政策銀行及び国家開発銀行 - 政策銀行は1994年に政府の全額出資により設立された非営利の金融機関で、個人預金は扱っておらず、財政交付金、政策金融債の発行、中央銀行からの借入を資金にしている<ref name="seido" />。中国輸出入銀行や中国農業発展銀行がある(従来の国家開発銀行は2008年12月に商業銀行に転換した)<ref name="seido" />。 * 商業銀行 - 商業銀行法で規定され、大型商業銀行、株式制商業銀行、都市商業銀行、農村商業銀行がある<ref name="seido" />。 * 農村信用組合 - 農民、農協、郷鎮企業などが出資し、主に出資者からの預金や貸出の取り扱いなどのサービスを提供する金融機関<ref name="seido" />。 * 農村合作銀行 - 最低資本金2,000万元以上で自己資本比率4%以上の農村信用組合から転換した金融機関で商業銀行に準じた業務が認められた金融機関<ref name="seido" />。 * 新型農村金融機関及び郵政貯蓄銀行 ** 新型農村金融機関 - 村鎮銀行、農村資金互助社、ローン専門会社で、農村部への参入促進のために認められた金融機関<ref name="seido" />。 ** 郵政貯蓄銀行 - 国家郵政局郵政貯蓄局の郵便貯金業務を引き継ぎ、中国郵政集団公司の全額出資で2007年3月20日に設立された金融機関<ref name="seido" />。 === 金融監督機関 === * 中国銀行業監督管理委員会(China Banking Regulatory Commission, CBRC) - 銀行業監督管理法で規定された国務院直属の銀行監督機関<ref name="seido" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == *[[証券取引等監視委員会]] *[[金融庁]] *[[統一金融機関コード]] *[[公庫]] *[[金融センター]] {{Normdaten}} [[Category:金融庁|きんゆうきかん]] [[Category:金融機関|*]] [[Category:日本の金融機関|*]]
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開発経済学
開発経済学(、英: development economics)は、途上国の経済問題を分析する、経済学の一分野。貧困や飢餓、栄養失調、失業、低賃金労働、低教育水準、女性差別、乳幼児や妊婦の高い死亡率、HIVやマラリアなどの感染病の蔓延、環境問題や水問題、汚職、貿易政策や債務問題など扱われるトピックは幅広い。そのため、ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学、労働経済学、教育経済学、医療経済学、産業組織論、環境経済学、組織の経済学、都市経済学、行動経済学など幅広い経済学の知識が必要とされることから、開発経済学は「経済学の十種競技」と呼ばれる。 理論開発経済学者の第一人者の一人であるDilip Mookherjeeによれば、開発経済学における国家間所得格差の原因を説明する理論的アプローチとして、以下の5つが挙げられる。 他の条件(貯蓄率、投資率、人口増加率、技術進歩率など)が同じであれば、収穫逓減の法則の下に、貧しい国は豊かな国よりも高い経済成長率を達成するので、長期的には国家間所得格差は無くなると主張する。従って、現実に観察される所得格差は、貯蓄率、投資率、人口増加率、技術進歩率などの差によって説明される。ロバート・ソローによる経済成長モデルを元にした議論で、1980年代半ばまで学界の主流意見であった。 経済発展は、伝統的産業(農業など)から労働生産性のより高い近代的産業(製造業など)へ労働力が移動することによって達成されると主張する。アーサー・ルイスによる議論が元になっている。 この議論では発展途上国の伝統的産業は効率が悪く余剰労働者数が高いと考えられ、この余っている労働者を近代的産業が伝統的産業より少し高い賃金を設定することによって労働力を伝統的産業から近代的産業へと移動させる。 近代的産業は従来の伝統的産業よりも高い利益をあげることができ、その利益をまた近代的産業に投資し拡大することによって、近代的産業の労働力需要が増え、さらに労働者を伝統的産業から移動させていくことができる。 こうして伝統的産業の労働者数を減らすことにより、伝統的産業は自ずと効率化を強いられ、結果的に労働力を最も効率良く分配することが可能になる。 しかしながらこの議論には問題が多少ある。 最初の問題は発展途上国の近代的産業はあまり効率がよくないことだ。 例としては家族経営の事業などがある。発展途上国では家系で代々継がれているお店や小さな売店などが多々ある。このような場所では商品を売る際にその場にいる労働者が全員で働くことはあまりない。つまり近代的産業に無駄が生じているわけであり、投資をしたり、労働力を伝統的産業から必要としていないことになる。この場合この議論では国は発展できない。 また次の問題として、発展途上国では伝統的産業がもともと効率が高くなっている場合がほとんどである。発展途上国での農民はすでに貧困状態であり、それを解消するために伝統的産業の効率があがっているからである。この場合この議論による伝統的産業の効率化はおこらず、貧困の原因は効率性ではなくその資力である(農民の場合、所有している耕地面積)。 最後の問題は政治的な問題である。 この議論は一方的に近代的産業を支援し、伝統的産業に効率化を強いるため、伝統的産業家(農家など)と近代的産業家が対立することは避けられず、これらをまとめ上げるのもまた非常に難しいとされる。 規模の経済や外部性の存在により、経済主体(家計、企業)が協調して行動できないことが低所得をもたらすと主張する。経済主体が協調できるか否かは、各人の持つ他人の行動に関する期待や、歴史に依存する。Paul Rosenstein-Rodanが1940年代に唱えた説で、1989年に出版されたKevin Murphy, Andrei Shleifer, Robert Vishnyによる論文によって、数学的に定式化された。1990年代に主流意見となる。 ヨーロッパによる植民地化が、所有権などの政治経済制度に影響を与え、それが今日の所得水準を決定していると主張する。Daron Acemoglu, Simon Johnson, James A. Robinsonによる2001年に出版された論文で、ヨーロッパ植民者の死亡率が高かった国ほど、今日の所有権制度が未整備で、従って所得水準も低い、ということが実証されたことをきっかけに、2000年代の主流意見となった。 規模の経済が存在する場合に、貧しい者はお金を借りる事ができないので、生産性の高い事業に投資できず、経済全体としても貧しい状態に留まってしまうと主張する。1993年に同時に発表された、アビジット・V・バナジーとAndrew Newmanによる論文、及び、Oded GalorとJoseph Zeiraによる論文によって、数学的に定式化された。 戦後の復興を交え、援助が始まった時期。政府主導型の開発。 経済発展は国民所得の向上ととらえられており、国民一人あたり国民所得が伸びることを最大の「開発」の目的とした。この「開発の恩恵」は、自然に高所得層から低所得層に浸透(トリクル・ダウン)していくと考えられていたが、実際はそうはならなかった。 主流理論:単線段階理論 ハロッド・ドーマーモデル...より多くの投資が、より高い成長につながる。 経済発展=工業化の概念が確立された時期。政府主導型の開発。 国の経済構造の中心が農業から工業へと移ることを目指した。その過程で工業部門で雇用が創出され、労働力が農村から都市へ移り、工業労働人口が増えれば増えるほど、開発が進んだとみなされた。 経済発展の段階:伝統的社会の自給農業(第1次産業)→近代化社会の工業(第2次産業)→サービス(第3次産業) 主流理論:2部門経済発展モデル 開発途上国の経済発展が一向に進まず、貧困が減らないことに悲観論が出た時期。 これまでの開発戦略が、途上国の歴史的経験や経済の現状から乖離していることへの反省が出てきた。 台頭してきた理論:国際従属理論 新しい古典派の台頭。市場主導型の開発により新興工業国が勃興。 主流理論:自由市場主義 新成長理論...生産性の改善が、生産の拡大(経済成長)をもたらす。 地球環境の悪化に伴い、持続可能な開発を志向すべきだという、国際的コンセンサスができた。 NGOなどの草の根の活動や個人経営体や地域住民を開発の担い手とする草の根民活の認識がふかまり、直接貧困層へ援助のアプローチすることが増え始める。
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開発経済学(かいはつけいざいがく、は、途上国の経済問題を分析する、経済学の一分野。貧困や飢餓、栄養失調、失業、低賃金労働、低教育水準、女性差別、乳幼児や妊婦の高い死亡率、HIVやマラリアなどの感染病の蔓延、環境問題や水問題、汚職、貿易政策や債務問題など扱われるトピックは幅広い。そのため、ミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学、労働経済学、教育経済学、医療経済学、産業組織論、環境経済学、組織の経済学、都市経済学、行動経済学など幅広い経済学の知識が必要とされることから、開発経済学は「経済学の十種競技」と呼ばれる。
{{出典の明記|date=2016-6-2}}{{経済学のサイドバー}} {{読み仮名|'''開発経済学'''|かいはつけいざいがく|{{lang-en-short|development economics}}}}は、途上国の経済問題を分析する、[[経済学]]の一分野{{refnest|name="kono"|[[高野久紀]](2018年)「私の研究」『[https://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~dosokai/vol.19.pdf 京都大学経済学部会報(19)]』。}}。貧困や飢餓、栄養失調、失業、低賃金労働、低教育水準、女性差別、乳幼児や妊婦の高い死亡率、HIVやマラリアなどの感染病の蔓延、環境問題や水問題、汚職、貿易政策や債務問題など扱われるトピックは幅広い。そのため、[[ミクロ経済学]]、[[マクロ経済学]]、[[計量経済学]]、[[労働経済学]]、[[教育経済学]]、[[医療経済学]]、[[産業組織論]]、[[環境経済学]]、[[新制度派経済学|組織の経済学]]、[[都市経済学]]、[[行動経済学]]など幅広い経済学の知識が必要とされることから、開発経済学は「経済学の十種競技」と呼ばれる{{refnest|name="kono"}}。 ==国家間所得格差の原因== 理論開発経済学者の第一人者の一人であるDilip Mookherjeeによれば<ref>Dilip Mookherjee "[http://dse.univr.it/ssef/documents/material2008/mookherjeeoverview.pdf Development Economics: Theoretical Overview]" BREAD Summer School lecture sildes, June 30, 2008</ref>、開発経済学における国家間所得格差の原因を説明する理論的アプローチとして、以下の5つが挙げられる。 ===新古典派成長モデル=== 他の条件(貯蓄率、投資率、人口増加率、技術進歩率など)が同じであれば、[[収穫逓減]]の法則の下に、貧しい国は豊かな国よりも高い経済成長率を達成するので、長期的には国家間所得格差は無くなると主張する。従って、現実に観察される所得格差は、貯蓄率、投資率、人口増加率、技術進歩率などの差によって説明される。[[ロバート・ソロー]]による経済成長モデルを元にした議論で、1980年代半ばまで学界の主流意見であった。 ===二重経済モデル=== 経済発展は、伝統的産業(農業など)から労働生産性のより高い近代的産業(製造業など)へ労働力が移動することによって達成されると主張する。[[アーサー・ルイス]]による議論が元になっている。 この議論では発展途上国の伝統的産業は効率が悪く余剰労働者数が高いと考えられ、この余っている労働者を近代的産業が伝統的産業より少し高い賃金を設定することによって労働力を伝統的産業から近代的産業へと移動させる。 近代的産業は従来の伝統的産業よりも高い利益をあげることができ、その利益をまた近代的産業に投資し拡大することによって、近代的産業の労働力需要が増え、さらに労働者を伝統的産業から移動させていくことができる。 こうして伝統的産業の労働者数を減らすことにより、伝統的産業は自ずと効率化を強いられ、結果的に労働力を最も効率良く分配することが可能になる。 しかしながらこの議論には問題が多少ある。 最初の問題は発展途上国の近代的産業はあまり効率がよくないことだ。 例としては家族経営の事業などがある。発展途上国では家系で代々継がれているお店や小さな売店などが多々ある。このような場所では商品を売る際にその場にいる労働者が全員で働くことはあまりない。つまり近代的産業に無駄が生じているわけであり、投資をしたり、労働力を伝統的産業から必要としていないことになる。この場合この議論では国は発展できない。 また次の問題として、発展途上国では伝統的産業がもともと効率が高くなっている場合がほとんどである。発展途上国での農民はすでに貧困状態であり、それを解消するために伝統的産業の効率があがっているからである。この場合この議論による伝統的産業の効率化はおこらず、貧困の原因は効率性ではなくその資力である(農民の場合、所有している耕地面積)。 最後の問題は政治的な問題である。 この議論は一方的に近代的産業を支援し、伝統的産業に効率化を強いるため、伝統的産業家(農家など)と近代的産業家が対立することは避けられず、これらをまとめ上げるのもまた非常に難しいとされる。 ===ビッグプッシュモデル=== [[規模の経済]]や[[外部性]]の存在により、経済主体(家計、企業)が協調して行動できないことが低所得をもたらすと主張する。経済主体が協調できるか否かは、各人の持つ他人の行動に関する期待や、歴史に依存する。Paul Rosenstein-Rodanが1940年代に唱えた説で、1989年に出版されたKevin Murphy, Andrei Shleifer, Robert Vishnyによる論文によって、数学的に定式化された。1990年代に主流意見となる。 ===植民地制度と歴史依存性=== ヨーロッパによる植民地化が、[[所有権]]などの政治経済制度に影響を与え、それが今日の所得水準を決定していると主張する。Daron Acemoglu, Simon Johnson, James A. Robinsonによる2001年に出版された論文で、ヨーロッパ植民者の死亡率が高かった国ほど、今日の所有権制度が未整備で、従って所得水準も低い、ということが実証されたことをきっかけに、2000年代の主流意見となった。 ===信用制約と貧困の罠=== {{See also|貧困の悪循環}} [[規模の経済]]が存在する場合に、貧しい者はお金を借りる事ができないので、生産性の高い事業に投資できず、経済全体としても貧しい状態に留まってしまうと主張する。1993年に同時に発表された、[[アビジット・V・バナジー]]とAndrew Newmanによる論文、及び、Oded GalorとJoseph Zeiraによる論文によって、数学的に定式化された。 ==歴史== ===1950-60年代=== 戦後の復興を交え、[[援助]]が始まった時期。政府主導型の開発。 [[経済発展]]は[[国民所得]]の向上ととらえられており、国民一人あたり国民所得が伸びることを最大の「開発」の目的とした。この「開発の恩恵」は、自然に高所得層から低所得層に浸透(''トリクル・ダウン'')していくと考えられていたが、実際はそうはならなかった。 主流理論:単線段階理論 :[[経済発展段階説]]の一種。経済成長には決まった段階があるとされており、時間を経るに従って、自然に経済格差は縮まっていくと楽観視する見方。[[ウォルト・ロストウ]]が提唱したモデルが有名で、一時期[[経済史]]にも影響を与えた。 :経済発展の段階:[[伝統的社会]]→成長への離陸の準備段階→離陸(テイク・オフ)→経済の成熟→大量消費社会 [[ハロッド・ドーマーモデル]]…より多くの投資が、より高い成長につながる。 ===1960-70年代=== 経済発展=工業化の概念が確立された時期。政府主導型の開発。 国の経済構造の中心が[[農業]]から[[工業]]へと移ることを目指した。その過程で工業部門で[[雇用]]が創出され、労働力が農村から都市へ移り、工業労働人口が増えれば増えるほど、開発が進んだとみなされた。 経済発展の段階:伝統的社会の自給農業([[第1次産業]])→近代化社会の工業([[第2次産業]])→[[サービス]]([[第3次産業]]) 主流理論:2部門経済発展モデル :伝統的社会と近代化社会、農業と工業、農村と都市といった、2部門の対比構造からなる理論。 :経済発展の速度は、投資と貯蓄の割合が多いほど、速まる。 ===1970年代=== [[開発途上国]]の経済発展が一向に進まず、貧困が減らないことに悲観論が出た時期。 これまでの開発戦略が、途上国の歴史的経験や経済の現状から乖離していることへの反省が出てきた。 台頭してきた理論:[[従属理論|国際従属理論]] :[[第三世界]]の国々が、国内外の制度や経済的政治的硬直性の壁を前にして、途上国の開発が進まない原因は、[[先進国]]への従属・支配関係に巻き込まれているせいだとする見方。 :この従属・支配関係は、もはや経済のシステム(仕組み)であり、この関係にある以上、「豊かな先進国と貧しい途上国」という関係は、慢性的で続いていく関係で、差は開く一方だと主張する。 :[[資源ナショナリズム]]による[[産油国]]の勃興。 ===1980年代以降=== [[新しい古典派]]の台頭。市場主導型の開発により[[新興工業経済地域|新興工業国]]が勃興。 主流理論:[[自由市場主義]] :政府の補助や規制を排除し、効率的な自由競争市場を促進するべきだという主張。開発が進まない原因は、国内の市場整備が遅れており、''市場インセンティブ''が働いていないためだとする。 :むしろ、非民主的な政府が介入することで、利権が公平に配分されなくなるため、政府の介入は少なければ少ないほど良い。 新成長理論…生産性の改善が、生産の拡大(経済成長)をもたらす。 ===1990年代以降=== 地球環境の悪化に伴い、[[持続可能な開発]]を志向すべきだという、国際的コンセンサスができた。 [[非政府組織|NGO]]などの草の根の活動や個人経営体や地域住民を開発の担い手とする[[草の根民活]]の認識がふかまり、直接貧困層へ援助のアプローチすることが増え始める。 ==関連する課題== *開発途上国と先進国の関係、[[世界システム論]] **[[南北問題]]、[[北北問題]]、[[債務]]、[[ジュビリー2000]] **[[国際協力]]…[[援助]]を進めるための議論、[[国益]]と援助の関係 **[[グローバル資本主義]][[グローバル化]]、[[グローバリゼーション]]、[[グローバルスタンダード]] ***[[アルテルモンディアリスム]]、[[世界社会フォーラム]] ***[[反グローバリゼーション]]、[[地域主義]]、[[リージョナリズム]] *[[政治体制]]…[[開発独裁]]、[[傀儡政権]] - [[軍事援助]]。他方で政治体制が経済発展を阻害するという主張 **国内[[経済格差]]…経済発展が進んだ際に国内での「開発の恩恵」が性別や人種や宗教などに左右されずに、均等に配分され得るか *[[多国籍企業]] *[[開発論]]…「開発」の定義をめぐる問題 *[[地球環境問題]] *[[人口増加]] *[[緑の革命]] *[[二重経済モデル]] *[[振替価格操作]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references/> == 外部リンク == * [http://www.cid.harvard.edu/bread/index.htm BREAD (Bureau for Research and Economic Analysis of Development)]:一流の研究実績のある開発経済学者による研究ネットワーク。研究会 (conference) の開催、ワーキングペーパーのウェブページ上での出版、及び、経済学大学院生を対象にしたサマースクールの開催を主な活動としている。開発経済学の最先端の研究動向を知る上で非常に有用なホームページとなっている。 {{authority control}} {{経済学}} {{DEFAULTSORT:かいはつけいさいかく}} [[Category:経済学の分野]] [[Category:国際経済学]] [[Category:開発経済学|*]] [[Category:経済開発]] [[Category:開発学]] [[Category:グローバリゼーション]] [[Category:反グローバリゼーション]]
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レンズマン
レンズマン(Lensman)は、アメリカのSF作家E・E・スミスが作り上げたヒーローである。 “ドク”E(エドワード)・E(エルマー)・スミスは、1937年から10年以上に渡り『銀河パトロール隊』を始めとする一大SF小説、レンズマン・シリーズを書き上げ、“スペースオペラ”といわれる娯楽小説のジャンルの形成に、大きな方向付けの役割を果たした。 レンズマン・シリーズは、地球人のレンズマンである主人公キムボール・キニスンの成長と活躍を物語の軸に置き、銀河文明とそれに敵対する宇宙海賊ボスコーン(ボスコニア文明)との宿命的な全面戦争に到るまでの波瀾万丈の物語を描く。 レンズ(アリシアのレンズ、驚異のレンズ)とは、銀河パトロール隊がアリシア人から与えられた認識票である。他者から認識されやすく、当人の行動の邪魔にならない箇所に装着する。原作では人間型レンズマンはプラチナ・イリジウム合金製の腕輪にはめ込まれ、手首に着用する(通常の場合。潜入工作の際などは肩に近い上腕、ズボンのポケット、靴の中などに仕込む場合もある)。リゲル人トレゴンシーは腕(触手)の1本、ヴェランシア人ウォーゼルは額の中央に埋め込まれるように装着されており、他の非ヒューマノイドもこれに準じていると思われる。パレイン人ナドレックがどのように装着しているかは不明(彼らの外見は温血の酸素呼吸生物には知覚不能であるため、厳密な描写がほとんどない)。第三段階レンズマンである“レンズの子供たち”は、レンズそのものを自分の肌の表面に出現させることが可能である。 分析・合成が不可能な未知の物質でできており、偽造は不可能である。また、既知のいかなる薬品、発生させ得る限りの高温、低温、振動、衝撃などによっても破壊は不可能である。所有する個人ごとに調製され、レンズと対になる本人にしか着用できず、着用している間は独特の光彩を放ち、この状態では無害であるが、暗い(光彩を放っていない)状態で他人が着用すれば激しい苦痛を感じて即死する。正規の所有者が死亡すると、数分後に分解消滅し、いかなる残留物も残さない。 また、保有者を精神感応者(テレパス)にする機能を持つ。これにより、人類以外の異種知性体ともコミュニケーションが可能となる。言語や思考そのものだけでなく、思考を代表するメッセージであれば、いかに隠され、暗号化されていようとも即座に理解することができる。 このレンズを所持するものはレンズマンと呼ばれ、法と正義の執行者として既知のあらゆる宇宙において絶大な信頼を受ける。特に「リリース」(普通任務解除)され「独立レンズマン」となった者は、ほとんど無制限の権利を行使することができ、銀河調整官からの指示など一部例外を除き誰からも命令を受けることはなく、銀河パトロール隊の莫大な予算も無制限に使用することができる。独立レンズマンはその制服の色から「グレー・レンズマン」と呼ばれる。 レンズを製造できるのは第3水準以上の知性のみで、作中ではアリシア人とエッドア人、そして“レンズの子供たち”だけである。 物語終盤では、エッドア人によって製造されたボスコニアのレンズが登場し、その着用者はブラック・レンズマンと呼ばれた。ただし、ボスコニアでは個人の自発的な意思や士気を重視しないため、訓練は主に潜在意識下において行なわれ、他者を傷つけ苦しめる「実技」が重視された。またその着用者も自ら修練して己を高めるような性格ではなく、銀河文明に対し致命的な脅威とはならなかった。 通常、レンズは1人のレンズマンに対して1個だけ供与されるが、キムボール・キニスンは潜入捜査の過程で一度レンズを失い、再度供与を受けている。 レンズの着用者は基本的に男性のみで、“レッド・レンズマン”クラリッサと彼女の娘たちは例外的な存在とされている。ただし、デイヴィッド・カイルによる外伝には彼女たち以外の女性レンズマンが登場する。 日本語タイトルは創元SF文庫(東京創元社)版による。 3作品とも『第二段階レンズマン』と『レンズの子ら』の間の話 以下は「ファースト・レンズマン」に登場する主だったレンズマンたち。カッコ内は出身地。 日本においては、劇場アニメの公開後TVアニメシリーズが放送された。艦船など一部の動画にCGを採用した作品として話題を呼んだ。また、TVアニメ、および映画向けにストーリーを大幅に脚色してあり、特に劇場版では、主人公キニスンが登場当初は銀河パトロール隊とは全く無関係の一般市民で、別の人物が装着していたレンズを受け継ぎ、なかば偶発的にレンズマンになるという、設定の大幅な改変も見てとれる。 当時人気を博していたTHE ALFEEが歌った映画版の主題歌「STARSHIP -光を求めて-」はシングル盤としてリリースされ、当時の人気番組「ザ・ベストテン」等でトップとなるなど、ヒットを記録し、話題を呼んだ。 さらに、TVアニメシリーズに連動して、ノベライゼーション版・漫画版も出版されているが、どちらもオリジナル版とはかなり異なるストーリーになっている。 また、TVアニメ放送から約10年後、連続ラジオドラマとして「銀河パトロール レンズマン」「渦動破壊者 ヴォルテックス・ブラスター」が製作されていた。それぞれ原作の「銀河パトロール隊」「渦動破壊者」を元にしている。 1984年7月7日に『SF新世紀レンズマン』というタイトルで映画化され、東宝東和系で公開された。カラー、107分。制作費12億円。動画枚数7万枚。日本での配給収入は2億5300万円。冒頭の宇宙戦闘シーンやキムのレンズ継承シーン、ヘルマスや車輪人間の描写などに当時としては最先端のCGが用いられた。 過去にはポニー(現・ポニーキャニオン)よりVHS・Beta・LD・VHDが販売されていたが、2017年8月現在、DVD・BD化の予定はない。 本作はアメリカ合衆国に初進出した日本のアニメ映画だが、字幕を読みながら映画を見ることに慣れていなかった当時のアメリカの状況が影響し成功しなかった。 村野守美作画による映画版コミカライズ(全3巻)がメディアミックスを企図してB5ワイド版で講談社から刊行された。 アニメ映画に続いて、1984年10月6日から1985年3月30日まで「GALACTIC PATROL レンズマン」のタイトルで、朝日放送製作・テレビ朝日系にて放送された。全25話。 テレビ未放映が二話分存在する。 ビデオソフトを全6巻購入、帯の応募券でもれなく特典ソフトとして入手出来た。 タイトルは「LENSMAN ビデオスペシャル」。 しかし、後に同内容で発売されたLDセットには未収録。 主要キャラの外見等は劇場版を引き継いでいるものの、内容は劇場版と繋がりがなく、メンターやトレゴンシー等の原作出身キャラの追加、キャラクター設定、および担当声優も一部変更されている。しかし、ヘルマス率いるボスコーン帝国に、レンズマンとなったキムボール・キニスンとその仲間達が立ち向かっていく筋立ては共通である。 CGの使用はオープニングでの劇場版からの流用があるのみである。 なお、過去にセレクション形式(第1-6話だけ)でVHS、LD販売があったが、それ以降DVD、およびBD等のメディア販売はされていない。 オリジナル盤発売時は、レコード収録曲が童謡と判断されれば物品税非課税であったため、発売元のキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)はオープニング主題歌「ON THE WING」を収録したシングルレコードを童謡扱いとしていたが、1986年(昭和61年)に東京国税局が「番組とは独立して聴ける若者向けの曲」と判定したため、同レコードについても物品税が課せられるようになった。 ※放送日時は個別に出典が提示されているものを除き1985年2月時点、放送系列は放送当時のものとする。 テレビ放送とタイアップする形で、週刊少年マガジンに三浦みつるがコミック版を連載し、少年マガジンKCとして、全3巻にまとめられ発売された。 ラジオたんぱ SF名作シアターとして「銀河パトロール レンズマン」「渦動破壊者 ヴォルテックス・ブラスター」が放送され、後にCD化された。 大貫健一によるイメージイラスト、人気声優の起用等、アニメファン層をターゲットとしているが、その内容はアニメ版に比べ、原作に忠実だった。 徳間ジャパンコミュニケーションズより発売。ドラマCDには各4話収録。
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レンズマン(Lensman)は、アメリカのSF作家E・E・スミスが作り上げたヒーローである。 “ドク”E(エドワード)・E(エルマー)・スミスは、1937年から10年以上に渡り『銀河パトロール隊』を始めとする一大SF小説、レンズマン・シリーズを書き上げ、“スペースオペラ”といわれる娯楽小説のジャンルの形成に、大きな方向付けの役割を果たした。 レンズマン・シリーズは、地球人のレンズマンである主人公キムボール・キニスンの成長と活躍を物語の軸に置き、銀河文明とそれに敵対する宇宙海賊ボスコーン(ボスコニア文明)との宿命的な全面戦争に到るまでの波瀾万丈の物語を描く。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = レンズマンシリーズ | 画像 = | サイズ = | 説明 = | ジャンル = [[サイエンス・フィクション|SF]]・[[スペースオペラ]] }} {{Infobox animanga/Novel | タイトル = | 著者 = [[E・E・スミス]] | イラスト = | 出版社 = {{flagicon|アメリカ}}Fantasy Press<br />{{flagicon|日本}}[[東京創元社]] | 他出版社 = | 掲載誌 = | レーベル = {{flagicon|日本}}[[創元SF文庫]] | 発行日 = | 発売日 = | 掲載号 = | 開始号 = | 終了号 = | 開始日 = | 終了日 = | 発表期間 = | 巻数 = | 話数 = | その他 = | インターネット = }} {{Infobox animanga/Movie | タイトル = SF新世紀レンズマン | 原作 = E・E・スミス | 総監督 = | 監督 = [[広川和之]]、[[川尻善昭]] | 脚本 = [[吉川惣司]] | キャラクターデザイン = 川尻善昭、[[富沢和雄]] | メカニックデザイン = [[渡部隆]]、[[森本晃司 (アニメーター)|森本晃司]] | 音楽 = | 制作 = エムケイ、[[マッドハウス]](製作協力) | 製作 = [[講談社]] | 配給 = [[東宝東和]] | 封切日 = [[1984年]][[7月7日]] | 上映時間 = 107分 | その他 = }} {{Infobox animanga/TVAnime | タイトル = GALACTIC PATROL レンズマン | 原作 = E・E・スミス | 総監督 = | 監督 = [[福富博]](チーフディレクター) | シリーズディレクター = | シリーズ構成 = | 脚本 = [[辻真先]]、[[吉川惣司]]、[[山崎晴哉]]<br>[[高階航]]、馬嶋満、渡辺誓子 | キャラクターデザイン = [[富沢和雄]](キャラクター設定) | メカニックデザイン = [[渡部隆]](メカニック設定) | 音楽 = [[COSMOS-keyboards trio-|COSMOS]] | アニメーション制作 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'''レンズ'''(アリシアのレンズ、驚異のレンズ)とは、銀河パトロール隊がアリシア人から与えられた認識票である。他者から認識されやすく、当人の行動の邪魔にならない箇所に装着する。原作では人間型レンズマンは[[プラチナ]]・[[イリジウム]]合金製の腕輪にはめ込まれ、手首に着用する(通常の場合。潜入工作の際などは肩に近い上腕、ズボンのポケット、靴の中などに仕込む場合もある)。リゲル人トレゴンシーは腕(触手)の1本、ヴェランシア人ウォーゼルは額の中央に埋め込まれるように装着されており、他の非ヒューマノイドもこれに準じていると思われる。パレイン人ナドレックがどのように装着しているかは不明(彼らの外見は温血の[[酸素]]呼吸生物には知覚不能であるため、厳密な描写がほとんどない)。第三段階レンズマンである“レンズの子供たち”は、レンズそのものを自分の肌の表面に出現させることが可能である。 分析・合成が不可能な未知の物質でできており、偽造は不可能である。また、既知のいかなる薬品、発生させ得る限りの高温、低温、振動、衝撃などによっても破壊は不可能である。所有する個人ごとに調製され、レンズと対になる本人にしか着用できず、着用している間は独特の光彩を放ち、この状態では無害であるが、暗い(光彩を放っていない)状態で他人が着用すれば激しい苦痛を感じて即死する。正規の所有者が死亡すると、数分後に分解消滅し、いかなる残留物も残さない。 また、保有者を[[テレパシー|精神感応者]](テレパス)にする機能を持つ。これにより、人類以外の異種知性体ともコミュニケーションが可能となる。[[言語]]や思考そのものだけでなく、思考を代表するメッセージであれば、いかに隠され、[[暗号]]化されていようとも即座に理解することができる。 このレンズを所持するものは'''レンズマン'''と呼ばれ、法と正義の執行者として既知のあらゆる宇宙において絶大な信頼を受ける。特に「リリース」(普通任務解除)され「独立レンズマン」となった者は、ほとんど無制限の権利を行使することができ、銀河調整官からの指示など一部例外を除き誰からも命令を受けることはなく、銀河パトロール隊の莫大な予算も無制限に使用することができる。独立レンズマンはその制服の色から「グレー・レンズマン」と呼ばれる。 レンズを製造できるのは第3水準以上の知性のみで、作中ではアリシア人とエッドア人、そして“レンズの子供たち”だけである。 物語終盤では、エッドア人によって製造されたボスコニアのレンズが登場し、その着用者はブラック・レンズマンと呼ばれた。ただし、ボスコニアでは個人の自発的な意思や士気を重視しないため、訓練は主に潜在意識下において行なわれ、他者を傷つけ苦しめる「実技」が重視された。またその着用者も自ら修練して己を高めるような性格ではなく、銀河文明に対し致命的な脅威とはならなかった。 通常、レンズは1人のレンズマンに対して1個だけ供与されるが、キムボール・キニスンは潜入捜査の過程で一度レンズを失い、再度供与を受けている。 レンズの着用者は基本的に男性のみで、“レッド・レンズマン”クラリッサと彼女の娘たちは例外的な存在とされている。ただし、デイヴィッド・カイルによる外伝には彼女たち以外の女性レンズマンが登場する。 == シリーズ一覧 == === スミスによる正伝 === 日本語タイトルは[[創元SF文庫]]([[東京創元社]])版による。 * 『銀河パトロール隊』 Galactic Patrol (1937年、キムがレンズマンになるところから始まる話) ISBN 978-4488603168 * 『グレー・レンズマン』 Gray Lensman (1939年、『銀河パトロール隊』の続編) ISBN 978-4488603175 * 『第二段階レンズマン』 Second Stage Lensman (1941年、『銀河パトロール隊』の続々編) ISBN 978-4488603182 * 『レンズの子供たち(レンズの子ら)』 Children of the Lens (1947年、キムの子供たちの世代の話) ISBN 978-4488603199 * 『ファースト・レンズマン』 First Lensman (1950年、最初のレンズマン誕生の話。銀河パトロール隊の結成以前に遡る) ISBN 978-4488603205 * 『三惑星連合』 Triplanetary (1934年、『ファースト・レンズマン』の前日譚) ISBN 978-4488603212 * 『渦動破壊者』 The Vortex Blaster (1960年、シリーズ外伝。『第二段階レンズマン』と『レンズの子供たち』の間の話。主人公はレンズマンではないが、銀河調整官になったキムやレーシーが脇役として登場する) ISBN 978-4488603229 === 正伝のジュブナイル === ==== 偕成社 ==== * 『宇宙パトロール』 Galactic Patrol(名作アニメート絵話15、1969年。ヴァレンシア/デルゴンがトリぼし/ケモノぼし、ヘルマスがクロボシなど各所が翻案されている。) * 『銀河パトロール隊』 Galactic Patrol([[SF名作シリーズ]]-2) ==== 集英社 ==== * 『銀河パトロール隊』 Galactic Patrol (ジュニア版・世界のSF11) ==== あかね書房 ==== * 『銀河系防衛軍』 Triplanetary ([[少年少女世界SF文学全集]]20) ==== ポプラ社 ==== * 『銀河戦士レンズマン』 Galactic Patrol * 『レンズマン対宇宙海賊』 Galactic Patrol * 『レンズマン危機一髪』 Gray Lensman * 『レンズマンの反撃』 Second Stage Lensman ==== 講談社・青い鳥文庫 ==== * 『三惑星連合軍の戦い』 Triplanetary * 『宇宙戦士レンズマン』 First Lensman * 『銀河パトロール隊』 Galactic Patrol * 『戦うグレーレンズマン』 Gray Lensman * 『ボスコニア大戦争』 Second-Stage Lensman * 『レンズマンの子どもたち』 Children of the Lens === その他の作者による外伝・続編 === ==== [[デイヴィッド・カイル]] 著 ==== 3作品とも『第二段階レンズマン』と『レンズの子ら』の間の話 * 『ドラゴン・レンズマン』The Dragon Lensman(1980)(創元推理文庫、ウォーゼルが主人公) ISBN 978-4488603144 * 『リゲルのレンズマン』Lensman from Rigel (1982)(創元SF文庫、トレゴンシーが主人公) ISBN 978-4488603151 * 『Z-Lensman』(1984)(未訳、ナドレックが主人公) : カイルの作品は「最も"ドク"の文体に近い」と言われる。ただし「正伝」のファンの中には、「正伝」を絶対視して彼の作品を認めない者も存在する。これは宗教的にE.E.スミスを崇拝している訳ではなく、第1作の『ドラゴン・レンズマン』において「正伝」の世界観の中核のひとつでもある「銀河文明を通して唯一の女性レンズマンは“レッド”・レンズマン のみ」という部分を壊したことが大きく響いている。 ==== [[古橋秀之]] 著 ==== * 『[[サムライ・レンズマン]]』(『第二段階レンズマン』と『レンズの子供たち』の間の話) ISBN 978-4199050923 ==== 講談社・X文庫 ==== * 劇場版アニメノベライズ ** 『SF新世紀レンズマン』(上下) [[吉川惣司]] 1984年 (上巻) ISBN 4061900013 (下巻) ISBN 4061900021 * テレビアニメノベライズ ** 『レンズマン誕生』 [[辻真先]]/[[比留間さつき]] 1984年10月 ISBN 4061900056 ** 『バレリア星救出作戦』 吉川惣司 1984年11月 ISBN 4061900064 ** 『氷星の黒十字軍』 [[山崎晴哉]] 1985年1月 ISBN 4061900188 ** 『大銀河の危機』 [[馬嶋満]] 1985年2月 ISBN 4061900234 ** 『惑星トレンコの勝利』 辻真先/[[塚本裕美子]] 1985年5月 ISBN 4061900285 == 主な登場人物 == === キニスン一族 === ; キムボール・K・キニスン : 地球人。通称キム。第二段階レンズマン。レンズマン養成校を首席で卒業。アリシア人の再訓練を受け、最初の第二段階レンズマンとなる。後に銀河調整官に就任する。『銀河パトロール隊』、『グレー・レンズマン』、『第二段階レンズマン』の主人公。デラメーターの早撃ちの名手。工作員として優秀なばかりでなく、自由な発想で様々な新兵器の開発を提案し、ボスコーンとの戦いを推進、勝利に導く。対ボスコニア戦争の象徴的存在であり、『レンズの子供たち』の時代には、単に「グレー・レンズマン」といえば彼のことを指す。 :彼の言葉によれば、銀河パトロール隊の慣習として、困難な任務にはまず最適任と思われる人材を差し向け、彼(ら)に解決できない場合は、その時のレンズマン養成校の首席卒業者を派遣することになっている、という。新任のレンズマンであった彼が、ボスコーンの新動力を奪取する「ブリタニア号」作戦に抜擢されたのはこのためである。 ; クラリッサ・メイ・マクドゥガル : 地球人。第二段階レンズマン。レーシーの下で[[看護師]]を務めていた。キムの恋人となり、後に結婚して妻となる。恋人時代は通称マック、結婚後はクリス。のちの日本における劇場/テレビアニメ版およびその派生作品上ではクリスと呼称される。史上初の女性レンズマンとなり、その赤毛から敬愛をこめて“レッド”・レンズマンと呼ばれる。 ; クリストファー(キット)・キニスン : キムとクリスの息子。第三段階レンズマン。クロヴィアの生まれだが、銀河調整官の息子として特別扱いされぬよう、地球のレンズマン養成校に入学し、首席で卒業した。その後すぐに独立レンズマンとなる。レンズの子供たちのリーダー役。アリシア人の後継者として育成された彼らは、両親や他の第二段階レンズマンたちをもはるかに凌ぐ能力を有し、事実上人類ではない。レンズの子供たちがその能力を最大限に発揮する必要がある時は、彼を中心として「ユニティ(統一体)」を形成する。 ; キャスリン(キャット)・キニスン : キムとクリスの長女。第三段階レンズマン。キャットとケイ、カムとコンはそれぞれ双子。彼女たちの能力はそれぞれ特徴があり、それぞれの得意分野で最大限の能力を発揮する(そうなるようにアリシア人が血統の操作を行なってきた)。キャットの能力の特徴はその包容力である。妹たちがそれぞれ性分に合った第二段階レンズマンをパートナーとしているため、「消去法により」父親をパートナーとする(父親を取り合って喧嘩になりかけた時、こう言って妹たちを納得させた)。 ; カレン(ケイ)・キニスン : キムとクリスの次女。第三段階レンズマン。能力の特徴は防御力。ほとんど不屈の意思を持ち、何者の強制も受けつけない(メンターにさえ反抗したことがある)。ナドレックをパートナーとする。 ; カミラ(カム)・キニスン : キムとクリスの三女。第三段階レンズマン。能力の特徴は探査・分析。トレゴンシーをパートナーとする。 ; コンスタンス(コン)・キニスン : キムとクリスの四女。第三段階レンズマン。能力の特徴は攻撃力。極めて強力な闘士だが、持続力は乏しい。ウォーゼルをパートナーとする。 ; ロデリック・“ロッド・ザ・ロック”・キニスン : 地球人。キムの先祖、ファースト・レンズマンの親友。銀河パトロール隊初代空港長官。北アメリカの大統領に就任し、初のレンズマン国家元首となる。彼のレンズはサムズが受け取ったため、恐らく史上唯一の、メンターに「直接」会ったことのないレンズマンであると思われる。 ; ジャック・K・キニスン : ロデリックの息子。優秀なエージェントだが、やや短気でケンカっぱやいところがある。ジル(ヴァージル・サムスの娘)とは(アリシア人の心理操作の影響で)犬猿の仲。ただし戦友としてお互いを認め合ってはいる。アリシアに赴いた際は、アリシアに着陸せず、純粋エネルギー体のようなメンターと話し、レンズや腕輪は希薄な空中から出現して彼の腕にはまったという。当時としては最も「真実」に近い体験をしたレンズマンである。 === レンズマン達 === ; ウォーゼル : ヴェランシア人。第二段階レンズマン。全長10メートル近い、有翼の[[ドラゴン]](外見的には東洋の[[龍]]に近い)状の生物。 ; トレゴンシー : リゲル人。第二段階レンズマン。高重力下で進化した、直立する[[ドラム缶]]のごとき生物。四方放射状に伸びる触手を持ち、視覚はないが空間把握能力で全方向を同時に感知する。 ; ナドレック : パレイン系第7惑星人。第二段階レンズマン。極低温で進化したため、身体の一部(もしくは大半)を五次元的に拡張、別次元を介した代謝を行う冷血生物。 ; ヘインズ空港長官 : 地球人。レンズマン。キムの上司でよき理解者。銀河パトロール隊地球基地の最高責任者。戦略・戦術の達人。レーシー外科部長、ホーヘンドルフ校長とは旧友。 ; レーシー外科部長 : 地球人。レンズマン。クラリッサの上司。医者を困らせる患者が好きと公言する変わり者。医学の他、[[骨相学]]の権威でもある。彼によればキムとクリスは完璧な骨格を持っているとのこと。また彼は、「渦動破壊者」ニール・“ストーム”・クラウドについても「みごとな骨格だ、実にすばらしい」と賞賛している。 ; フリッツ・フォン・フォーヘンドルフ(ホーヘンドルフ) : 地球人。レンズマン。レンズマン養成校校長。キムの恩師。 ; ジェロンド : ラデリックス基地の司令官。キムの評によれば、レンズマンとしての能力はさほど優秀ではなく、いささか権威主義的な傾向があるとのこと。 ; クリフォード・メートランド : 地球人。レンズマン。レンズマン養成校ではキムと同じクラス。通称クリフ。後に銀河副調整官となる。 ; ラウール・ラフォルジュ : 地球人。レンズマン。レンズマン養成校ではキムと同じクラス。後に空港長官となる。 ; ヴィーデル・ホルムバーグ : 地球人。レンズマン。レンズマン養成校ではキムと同じクラス。殉職した。 ; ヴァージル・サムス(サムズ) : 地球人。ファースト・レンズマン。銀河評議会初代議長。銀河パトロール隊創立の原動力となった。クラリッサの先祖。アリシアのメンターは彼と会見した際、クラリッサがスレール陥落の後にある店で衣料品を大量に買い込む様子を予言したが、サムズには確認できない事項なので言いかけて止め、代わりにサムズ自身に関する事項を予言した。 ; コンウェー・コスティガン : 地球人。レンズマン。サムズの部下。腕利きの工作員。愛称は「スパッド([[じゃがいも]])」。本来は「三惑星連合軍」のヒーロー。 ; メースン・ノースロップ : 地球人。レンズマン。サムズの部下。一流の技術者。大柄で力も強く、格闘も得意である。後にサムズの娘ジルと結婚する。つまり彼もクラリッサの先祖ということになる。 ; フレデリック・ロードブッシュ : 地球人。レンズマン。トップクラスの科学者で、パトロール隊のために様々な機器を開発したが、慣性中立装置の完成にはバーゲンホルムの助言が必要だった。 ; ライマン・クリーブランド : 地球人。レンズマン。ロードブッシュとともに様々な機器を開発。慣性中立装置の共同開発者。 ; ネルス・バーゲンホルム : 地球人。レンズマンではないが天才科学者。慣性中立化装置“バーゲンホルム機関”の事実上の発明者。実質的に地球人ではなく、レンズマンたちに助言を与えるために、アリシア人(主にドロウンリ)によって操作されることがある。 ; ドロンヴィル : リゲル人最初のレンズマン。 以下は「ファースト・レンズマン」に登場する主だったレンズマンたち。カッコ内は出身地。 * アレクサンダー・クレートン(地球・北米) * シュヴァイケルト(地球・ヨーロッパ) * ノボス(火星) * ダルナルテン(金星) * ルラリオン(北極木星) === 銀河パトロール隊員(非レンズマン) === ; ピーター・バン・バスカーク(ピーター・ヴァン・バスカーク) : オランダ系ヴァレリア人。通称バス。[[白兵戦]]の達人。キムの親友。ヴァンバスカーク/バンバスカーク/ヴァンブスキルクと表記されることもある。彼がレンズマン候補生から脱落したのは、生まれつき高等数学をこなす能力が不足していたためであり、その他の能力についてはレンズマンに匹敵する。ブリタニア号作戦以降、幾つかの作戦で行動を共にするが、キムと再会のたびに親しみを込めた悪態をつく。ヘインズの入れ知恵ではあるが、グレー・レンズマンに作戦行動中の(依頼ではなく)指示を下したのは、レンズマンを含めてもバスカークのみである。 ; ヘンリー・ヘンダースン : 地球人。主席パイロット。ブリタニア号、ドーントレス号のパイロットを務める。後にイロナ・ポッターと結婚し、息子のヘンリー・ジュニアもまた主席パイロットとなる。通称ハンク。 ; ラヴェルヌ・ソーンダイク : 地球人。天才技術者。「およそ建造可能なもので彼に建造できないものはなく、建造不可能なものなら同程度に効果のある別のものを建造できる」と言われる。部下からはソーニー、キムらからはベルヌと呼ばれる。アラーダイスの「不正」をただ一人見破った。 ; アラーダイス : 地球人。ブリタニア号の主計長。イカサマくじが得意で、それがブリタニア号作戦を成功に導くカギとなった。 ; オースティン・カーディンジ卿 : 地球人。偏屈で傲岸だが銀河文明でもトップクラスの数学と物理学の天才。その天才ぶりは、数学と物理学に関してだけはメンターと対等に議論できるほど。 ; ネダイン・アーンリー : 地球人。旧姓ホステッター。結婚する前は地球の最高基地に勤務しており、ヘインズの命令でキムに協力し、科学者評議会を構成するべく、銀河最高の頭脳の持ち主たちの選抜にあたった。 : 後にスレールの資料室長となり、銀河調整官となったキムの依頼で、部下たちと共にスレールの膨大な資料の中から惑星カロニアについての資料を検索・収集する。キムは息子とカロニアの調査を5日以内に完了させるという賭けをし、彼女たちの助力で見事勝利した。しかし、彼女たちの力をもってしても、ボスコニアの真の上層部への手がかりをつかむことはできなかった。 ; ニール・“ストーム”・クラウド : 地球人。『渦動破壊者』の主人公。『第二段階レンズマン』と『レンズの子供たち』の中間の時期に世間を騒がせていた新たな脅威「野放し原子渦動」のために妻子を失うが、ふとした事からこれを消滅させる手段を考案し、「渦動破壊者」の名で呼ばれるようになった。 : 通常の手段では全く予測不可能な原子渦動の変動を予測し、エネルギーを相殺するために必要なディオデック爆薬の数量と使用の正確なタイミングを瞬間的に計算するという、いかなる電子頭脳をも凌ぐ超高速演算能力を持つ。後に彼が史上初の「第六型思考者」であることが明らかになる。 === それ以外のヒューマノイド === ; ヘレン : ライレーン人の長老。ヘレンは[[イリオス|トロイ]]の[[ヘレネ|ヘレン]]にちなんでキムがつけた名前(他にも色々なあだ名で呼んでいる)。後に正式に改名したとのこと。 : ライレーン人は閉鎖的な女系支配の種族で、他星人全般、特に男性を人間扱いせず口もきかないほどであったが、ヘレンは例外。 ; イロナ : アルデバラン出身だがロナバールへ移住。姓がないため、父親の職業(ポッター:陶工)からキムによりイロナ・ポッターと命名される。アクロバット・ダンスの名手。ボスコーンの下級の工作員だったがキムによって赦免され、後にヘンダースンと結婚する。 ; ヴァージリア(ジル)・サムズ : ヴァージル・サムズの娘。彼女もアリシアに派遣されたが、レンズマンにはなれなかった。パトロール隊員ではないが、彼らに協力して工作員として働いていた。[[読唇術]]ならぬ読筋術(全身の[[筋肉]]の微妙な動きや緊張から相手の思考を類推する技術)の達人。 ; ジョーン・ジャノウィック : 銀河系高等研究所[[意味論 (曖昧さ回避)|意味論]]研究室室長。山ほど[[博士号]]を持つ上に、自己開発でテレパシーと知覚力まで身につけ、その上[[チェス]]の元チャンピオンで、しかも美女。クラウドの(公私ともに)よきパートナーとなる。 ; スラスキン : チクラドリア人。宇宙パイロット。新婚旅行中に難破して救命ボートで脱出するが、銀河文明のオーバーテクノロジーに目をつけたダルジーブに襲われる。そこをクラウドに助けられ、恩を返すべく渦動破壊者号(および渦動破壊者二世号)のパイロットに強引に居座る。 ; マルレーム : チクラドリア人。スラスキンの新婚の妻。夫にどこまでも従うべく、調理士の肩書き(だけ)で渦動破壊者号に居座る。地球人の目から見ても美女な上に、しかもその正装は面積41平方インチ([[マイクロビキニ]]以下の面積)で、擦り寄られて哀願されたクラウドは断るどころではなかった。 ; ヴェスタ : ヴェギア人。本名「ヴェズプトゥクン(以下略、地球人には発音不能)」。人生勉強の一環として宇宙旅行中、スラスキンたちと共に遭難。クラウドに救出され、これも勉強と通訳として居すわる。猫型ヒューマノイドの女性だが、いわゆる[[ネコ耳]]娘ではなく、二足直立した猫に近い姿。 ; トミー : トミンガ人。本名「小川のしっとりした岸のほとりで恥ずかしげに佇む春の小さな花」。原子力技術者。機関員として居坐る。「ディーゼルトラック並みの体格で、真っ黒な極太の[[葉巻きたばこ|葉巻]]さえふかしていなければ」一応美女。 ; フェアチャイルド : 放射線学者。地球製薬会社(TPI)の惑星デカ工場の顧問。実験室でトレンコの広葉植物を育て、シオナイト密造を企む。さらに、邪魔者を「事故死」させるため、野放し原子渦動を人為的に引き起こす。ボスコーンとの関連は不明。 === それ以外の非ヒューマノイド === ; 第十二ピリニプシ : パレイン人。主任デクシトロボーパー。サムズがレンズを使い、人類史上初めて言葉を交わすことに成功したパレイン人。しかし、言葉は通じても話は通じず、サムズはデクシトロボーパーとは何をどうする職業なのかわからず、ピリニプシの方は銀河パトロール隊の何がどう素晴らしいのかわからなかった。 ; タリック : パレイン人。パレイン人から見ればかなり異常な存在らしいが、その分地球人に近い。“ウェベゴーン(翻訳不能)”な態度をとった挙句、アリシア行きを承諾。 ; ネラド艦長 : ネヴィア人。ファースト・レンズマン時代の行政官。優秀だが、レンズマンとなれるほどの素質はなかった。本来は『三惑星連合軍』における敵方のリーダー。 ; ダルジーブ : ナハル人。発展途上惑星ナハルの独裁者。[[象]]に似た巨体の背から頑丈な頭と四本の太い腕を生やしたような、知的生物とは思えぬ異様で屈強な外見。真空中でもかなり長い間平気。 ; ルーダ : ディル人。ナハルの隣星で、同様の発展途上惑星ディルの女戦争大臣。ダルジーブに拉致される。ナハルとディルの基準ではかなりの美女だが、地球人から見るとダルジーブ同様の宇宙怪獣で、助けに来たクラウドはどっちが悪党だかわからなかった。 ; ナディーヌ : マナルカ人。本名なし(マナルカ人はテレパシーで個人を識別するので、名前がいらない)。女医。恩を返さずば生きていられないと言い張り、船医として渦動破壊者号に居坐る。マナルカ人は男も女も地球人には「包帯を巻いた棒杭」にしか見えないので、美女かどうかは不明。 === キムが使った偽名およびその人物 === ; スター・A・スター: ジャーヌヴォン潜入にあたり、失敗した際に敵に与える[[偽情報]]として、キムとウォーゼルが考案した架空のレンズマン指導者。その後、ボスコーン側に広く伝わり、「超強力な一個人が、表に姿を見せないまま全権を振るっている」という構図がボスコーン的には極めて自然なものだったため、最後の最後まで全てのボスコーンが(エッドア人までもが)スター・A・スターの実在を信じていた。 ; チェスター・Q・フォーダイス: キムの偽名。ただし「本物」が存在するらしい。宇宙の有閑紳士。ひげを生やしている。ラデリックスで使用。 ; ウィリアム・“ワイルド・ビル”・ウィリアムス: キムの偽名。ユーフロジーヌ及びトレッシリアの潜入捜査の際に使用。<br />ユーフロジーヌ潜入の当初は「荒くれながら腕は確かで、酒と[[麻薬]]ベントラムが大好きな隕石鉱夫」という設定であったが、バーゲンホルムが故障して立ち往生した遭難船を救助した際、船長から感謝と尊敬を受けるも、要らぬ注目を浴びることを避けるためにキムの機転でその場でベントラムを大量服用して白痴的醜態を晒し、「元は優秀な技術者であり紳士だったが、酒とベントラムで身を持ち崩し、隕石鉱夫になった」という設定に微妙に書き換えられた。この機転により、きっかけさえあれば再度紳士に戻るだろうというキャラクターと、鉱夫として優秀でいつか価値の高い鉱石を発見してもおかしくないであろう理由が裏書きされることになり、キムはそれらを利用して、一山当てて堅気に戻ったワイルド・ビル・ウィリアムスとしてトレッシリアに潜入した。キムが二度同じ偽名を利用したのはこの名前のみである。<br />キムはこの役を演じるため、演技ではなく実際にベントラム中毒者となった。陽気で歌が好きだが下手。 ; モーガン: キムの偽名。卒業したばかりの新任のレンズマンで心理学者であり、"スター・A・スター"から最初の任務としてジャーヌヴォンへの潜入調査を命じられた、という設定。失敗した場合に敵に情報を渡さないため、モーガンとなっている間、ウォーゼルの暗示によってキムの記憶は封印されていた。 ; カーティフ: キムの偽名、[[宝石]]故買業者。ロナバール潜入のために使用。キムは怪しまれないためにまず堅気の宝石商をよそおって登場し、それから徐々に馬脚をあらわして宇宙を逃走しながら故買屋家業を続け、そしてついに縄張り荒らしというかたちでロナバールへと乗り込んで地元のボスメンジョ・ブリーコと自ら対決し、その裏でブリーコの精神からボスコーンの情報を得ようとした。 ; トラスカ・ガネル: キムの偽名。キムは第二銀河系(ランドマーク星雲)のボスコニアの軍事的本拠地であるスレール(スラール)潜入の際に、ボスコニアの軍人ガネル少尉と入れ替わって出世を重ね、遂にスレールの独裁者に登りつめた(本物のガネルの消息は不明)。潜入に際し、パトロール隊の工作員は考えられる限りのガネルの記録を修正したが、物理的限界によりガネルの学校卒業以降の記録までしかさかのぼることができなかった。しかしこの潜入がアリシアとエッドア(エッドール)による無限の歳月の決着に向けて高度に重要であることを知っていたアリシア人の介入により、ガネルの全ての記録は完全にキムのものと差し替えられた。 ; サイブリー(シブリー)・ホワイト: キムの偽名。小説家。実際に[[スペースオペラ]]を書き、『水星人カドゴップとシンシア』のシリーズは後に傑作と認められたらしい。やや太り気味で、度の強い眼鏡をかけている。ラデリックスの擾乱の原因を追求する際に使用。 ; ブラッドロー・サイロン: キムの偽名。個人用の強力な戦艦(実はドーントレス号)を持つズウィルニク(麻薬業者のこと。ただし、この呼び名は彼らの間ではタブーとなっている)。カロニアのブラック・レンズマン捕獲の際に使用。キムは例によって新人海賊として登場し、「悪行の限りを尽くした」挙句にカロニアへと逃走、ブラック・レンズマン立会いの下でカロニア当局と交渉するというかたちでブラック・レンズマンと接触した。 === アリシア人 === ; 導師(メンター) : レンズマンたちの指導者。「メンター」は英語で「賢明で有能な相談役」を意味する呼称。 ; 造成者(モールダー) : ドロウンリ、ブロレンティーン、ネダニラー、クリーディガンの4人。地球は主にドロウンリの担当。彼らの融合体がメンター。 ; ユーコニドール : 若き監視者。 ; エンフィリスター : エッドア人と最初に接触した若き学究。 === ボスコーン(ボスコニア)陣営 === ; ヘルマス : カロニア人。第一銀河系のボスコーンの海賊組織を統括していた。 ; ギルダースリーブ : ヴァレリア人。襲った船は皆殺しにして跡形もなく爆破する、勇猛というより凶暴な海賊。だが、ヘルマスがアリシア調査を命じた時、それほどの凶賊でさえ子供のように怯えて拒否した。 ; ブレークスリー : 地球人。ボイッシア基地の通信員。本心ではボスコーンを嫌悪し、組織から足抜けしたいと思っていた。キムにコントロールされて基地の壊滅にひと役買った。 ; デッサ・デスプレーンズ : ボスコーン麻薬組織の下級工作員。相当な美女であり、候補生時代のキムを誘惑し、任務を妨害しようとするが失敗。それ以来キムは女性がやや苦手になったほど。任務でキムと再会するが、彼に情報を与えないために、義歯に仕込んだ薬品で記憶を抹消する。結局記憶は回復せず、やむなくキムは彼女に日常生活に不都合がない程度の偽の記憶を上書きせざるを得なかった。 ; ストロングハート : 小惑星ユーフロジーヌの闇酒場「マイナーズ・レスト(鉱夫休息所)」の経営者。麻薬組織の下級幹部。 ; ジャルト : カロニア人。ヘルマスの死後、第一銀河系の軍事・麻薬両面の統括を引き継いだ。 ; プレリン : 名前のみ。カロニア人。麻薬組織の上級幹部。表の顔は惑星ブロンセカの堅気の貿易業者、ハワード・ウェンブルスン。オフィスビル(に偽装した要塞)に篭城しつつ麻薬取引を監督していた。 ; クラウニンシールド : カロニア人。麻薬組織の中堅幹部。表の顔は惑星トレッシリアの高級クラブ「クラウン・オン・シールド」の経営者。 ; デルゴン上帝族(オーバーロード) : ヴェランシア人の宿敵。後にアイヒ族と出会い、ボスコーンに協力するようになる。 ; アイヒラン : アイヒ族。ボスコーン評議会の主席。自らアリシア破壊を試みるが、ユーコニドールによって返り討ちにされる。 ; アイヒミル : アイヒ族。ボスコーン評議会の次席。アイヒランの死後主席に昇格するが、アイヒランの最期から何も学ばず、改心しなかった。 ; アイヒアンプ : アイヒ族。ボスコーン評議会の第八席。心理学者。アイヒランにアリシア攻撃を進言し、同行して共に命を落とす。 ; メンジョ・ブリーコ : 惑星ロナバールの独裁者。実はボスコーンの中級幹部だが、機密保持のために上位者に必要なときだけコントロールされては記憶を消される身で、本人にはまったく自覚がなかった。 ; カンドロン : オンロー族。アルコンの閣僚。優秀な心理学者で謀略担当。スレール及びオンロー陥落後は上位の組織と連絡をとり、銀河文明に対する数々の[[テロリズム|テロ]]攻撃と、第二段階レンズマン(特にナドレック)の抹殺に血道を上げていた。 ; アルコン : 惑星スレールの独裁者。実体はフォステンの傀儡。 ; トラスカ・ガネル : スレール人。近衛師団の少尉。キムが潜入のためにすり替わった(ガネル本人の消息は不明)。 ; フォステン : 惑星スレールの総理大臣。 ; ラニオン : キムがガネルとして登用したスレール人閣僚たちの筆頭。後に政治的に転向、スレール帝国の「銀河文明化」に貢献。 ; メラスニコフ : カロニア人。エッドア人が独自に開発したレンズを与えられた「ブラック・レンズマン」。しかし、ブラック・レンズマンは能力より人格に問題があって成長が阻害され、銀河文明の脅威とはなりえなかった。 ; クレオニー : ライレーン人。ヘレンの血族のひとり。後にブラック・レンズマンとなる。 ; メンドナイ : カロニア人。カロニア正規軍の第一司令官。カロニアに乗り込んだキニスンと対峙し、メラスニコフを紹介する。 ; プルーア人 : エッドア人の下でボスコニア帝国の最上層を担う。母星である恒星ロンティエフが極端な[[変光星]]のため、プルーア人は四季によって[[変態]]する。標準的十段階分類表記に従えば、春期はTUUVWYXXWT、夏期はRTSLQP、秋期はVWZYTXSYZY、冬期はZZZZZZZZZZである。なお、春夏秋冬どの姿をとっても地球人には似ても似つかないが、その精神は地球人から見て好ましいとはいえないという点では一貫している。 ; クロンジェネス : エッドア人。エッドアの物理学者。 ; 主上陛下(アルティメット・シュープレマシー) : エッドア人。絶対的至高者(オール・ハイエスト)とも。エッドアの最高権力者にして最強の存在であり、彼と側近サークルの融合体にはアリシア人でさえ歯が立たなかった。 ; ガーレーン : エッドア人。エッドアの次席。グレー・ロージャーの本体。他にも暴君[[ネロ]]や[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]など様々な仮の姿で地球の文明に干渉して来た。ボスコニアで最初にアリシア人の計画の一端に気づくが、既に手遅れとなった後であった。 ; グレー・ロージャー : 謎の宇宙海賊。[[ステルス性|ステルス]]機能や無人艦隊まで完備した超重武装の移動[[小惑星]]を建造し、三惑星連合軍を脅かした。ネヴィア人の介入と三惑星連合軍の新兵器に敗れる。不老不死との噂あり。 ; モーガン : 地球人。ファースト・レンズマンの時代のボスコーンの地球方面責任者。国民党の大物で北アメリカ上院議員。 ; ジェームズ・"ビッグ・ジム"・タウン : 地球人。暗黒街のボス。モーガンの下で軍事組織を統括していた。 ; アーチボルト・アイザークスン : 恒星間スペースウェーの経営者。モーガンの下で麻薬取引を監督していた。 ; ウィザースプーン : 地球人。名前のみ。国民党推薦の北アメリカ大統領。モーガンの部下で政治取引を監督していた。典型的な腐敗政治家。再選をかけた選挙でロッド・キニスンに雪崩的大敗を喫する。 ; マーガトロイド : 名前のみ。タウンの部下でボスコーンの艦隊司令。当時は単なる宇宙海賊と考えられていた。 ; ハーキマー・ハーキマー3世 : モーガンの腹心で筆頭秘書。[[プレイボーイ]]の皮を被った[[シリアルキラー]]。 ; ウィロビー船長 : 貨物船ヴァージン・クィーンの船長。嵐の惑星トレンコに上陸班を下ろし、トレンコの広葉植物を採取させる役。ボスコニア人の常として、部下には厳しいが、上級者あるいはそうなる素質を持つ者には卑屈である。 ; トウォーン : プロキオン人。上陸班のリーダー格。殺人犯で死刑囚で脱獄犯の極悪人だが、度胸はある筋金入りの男。 ; クランシー : 惑星エリダンの鉱山支配人。トレンコの広葉植物を、鉱石精錬所に偽装した麻薬工場で宇宙最凶の麻薬シオナイトに加工、地球のアイザークスンに発送する役。 ; オスメン : 金星人の大物実業家。アイザークスンの配下からシオナイトを受け取り、売人たちに流す役。 ; ファーナルド : カロニア人。モーガンの上司。なぜかプルーアの事まで知っていた。 ; スクルワン : 名前のみ。アイヒ族。当時のボスコーン評議会の第一席。 ; コランダー : ペトリン人。ボスコーン艦隊の指揮官の一人で、階級は中将。後に惑星ペトリンを挙げてサムズに降る。ペトリン人で最初のレンズマンとなる。 ; オーランサー : ペトリン人。ボスコーン艦隊の指揮官の一人で、階級は中将。典型的な頭の固い軍人で、最初は降伏をがえんじなかったが、コランダーらに説得されてサムズに降る。 == 登場する主な惑星 == ; アリシア : アリシア人の故郷。惑星全体に思念障壁を張り巡らせ、招かれざるものは接近すら叶わない。レンズマンとなるものが(通常は)生涯に一度だけ訪問を許される。訪問した者によって知覚するイメージが異なる。 ; アルザカン / アラスカン : 名前のみ。[[煙草]]の産地として有名。 ; [[アルデバラン]] : 第1惑星にはボスコーンの前進基地が存在し、車輪人間が常駐していた。第2惑星の住人は地球人とほぼ同じ。イロナの出身星。 ; アンティガン : 名前のみ。この星系にあったボスコーンの前進基地がスター・A・スターによって壊滅したとアルコンの閣議では報告された(実際にはナドレックの戦果だった)。後にカンドロンの工作で大混乱が生じる惑星のひとつ。 ; ヴァレリア : 重力が地球の3倍に相当する。住人は地球人(オランダ人)の移民の子孫だが、環境に適応して筋力が非常に発達している。 ; ヴェギア : 恒星[[ベガ|ヴェガ]]の惑星。[[ネコ|猫]]に似たヒューマノイドであるヴェギア人の出身星。 ; ヴェランシア : ヴェラン系第3惑星。デルゴンの隣星。ウォーゼルの出身星。 ; エッドール / エッドア : 腐食性の大気と有毒の液体系を有する。本来は別の宇宙の惑星で、エッドア人が宇宙船代わりとしてこの宇宙へ移動してきた。 ; エリダン : ボスコーンのダミー企業『恒星間スペースウェー』が「地殻から地軸まで所有している」鉱山惑星。地上の鉱石精錬所はシオナイト精製プラントを兼ねている。名の由来は[[エリダヌス座]]のフランス語読み「エリダン座」から。 ; オンロー : スラリア系第9惑星。カンドロンの出身星。「当時宇宙で最も強固に防衛され」事実上惑星全体が要塞化されていた。 ; カヴェンダ : ザブリスカ星系の惑星。地球人に近い原住民族がいるが文化程度は低く、ボスコーンが中継基地として利用していた。 ; カロニア : ヘルマスらの出身星。住人は青い肌が特徴。徹底した[[男尊女卑]]社会で、「女性の唯一の機能は男性の生産」とまで言われる。 ; グラントリア : 名前のみ。ボスコーンの基地があったが、壊滅。カンドロンたちは「例の」レンズマンの仕業と断じたが、キムはおろかナドレックも関与していないことだった。 ; クレヴェニア : 名前のみ。パトロール隊の公式飲料フェイアリンの原産地。 ; ザブリスカ : 車輪型生物フォンテマの生息地。「ザブリスカのフォンテマなみ」といえば「低能」「馬鹿」を意味する[[慣用句]]。メースン・ノースロップらが、ボスコーンの通信線の追跡作戦である「ザブリスカ作戦」の途上で発見し、その作戦名にちなんで命名した。なおこの時、メースとジャックはそれぞれ恋人にちなんで「バージリア」「ディンプル」(旧訳版では長らく「[[えくぼ]]」と誤訳されていた)と命名しようとしたが、お互いに阻止された。 ; ジャーヌヴォン : アイヒ族によるボスコーン評議会の所在地。強固に防衛されていた。 ; シングヴォルス : 名前のみ。アンティガン同様、基地の壊滅がアルコンの閣議に報告された。これもナドレックの戦果である。 ; スレール : スラリア系第2惑星。スレール帝国の帝都でアルコンの出身星。 ; セントラリア : 名前のみ。麻薬ニトロラーブの原産地。その名の通り銀河系の中心部に存在する。銀河系内を航行する際は基準点のひとつとなる。 ; チクラドリア : [[銀河系]]中心部にある。チクラドリア人は毛髪から肌、歯にいたるまで三角形でピンク色をしているのが特徴。またその思考は銀河に類例が無く、レンズマンでも同調には苦労する。 ; 地球 / [[テルス]] : ソル系第3惑星。銀河パトロール隊発祥の地であり、クロヴィアに「超最高基地」が建設され、キムボール・キニスンが銀河調整官に就任するまでは銀河系文明の中心であった。 ; ディル : 未知の恒星系の第二惑星。銀河文明に知られることもないまま、第三惑星のナハルと慢性的な紛争下にあった。 ; デカ : デカノア系第3惑星。地球製薬会社 (TPI) の工場がある。原住生物は[[クモ]]に似た姿をしている。 ; デルゴン : ヴェラン系第2惑星。ヴェランシアの隣星。デルゴン人の出身星。デルゴン人は上帝族と[[奴隷]]種族に二分化されている。知覚力を持った肉食性の半植物(キャトラットなど)が生い茂る[[熱帯雨林|ジャングル]]がある。 ; トミンガ : トミンガ系の惑星。かなり高温多湿。トミンガ人は女性でさえ地球人の男性より二回り大きく屈強な体格で、「トンガヌア」という独自の武術を持っている。 ; トレッシリア : クラウニンシールドの経営する高級クラブ「クラウン・オン・シールド」がある。 ; トレンコ : [[麻薬]]シオナイトの原料の産地。大気は有毒の腐食性、しかも猛烈な嵐が常に吹き荒れ、凪の状態でさえ屈強な男が立つのがやっと。その嵐と雷の影響で空間が歪んでいて、視覚や通常通信が全く役に立たない。現住動物ばかりか植物までもが凶暴な肉食性。 ; ナハル : 未知の恒星系の第三惑星。第二惑星のディルと似た惑星であり、宇宙怪獣じみた住民の姿もよく似ている。技術レベルはまだまだで、ディルとナハル全軍より、渦動破壊者号一隻の方が強かった(スミスのデビュー作「[[宇宙のスカイラーク]]」と同じパターン)。 ; ネヴィア : 表面のほとんどを海に覆われた海洋惑星。ネヴィア人の出身星。[[鉄]]が非常に乏しい。ネヴィア人は比較的表層に近い層に住むものと、深海に住むものに二分化され、慢性的な戦争状態にある。 ; パレイン系第7惑星 : 温血生物が居住できないほど非常に寒冷で、大気は有毒。ナドレックの出身星。なおパレイン人たちは「白人が北アメリカに入植する前から」[[冥王星]]に入植していたという。 ; プルーア : ロンティエフ星系唯一の惑星。プルーア人の出身星。星系そのものが要塞化されていた。 ; ブロンセカ : 首都コミノチェにはプレリンの経営するダミー企業「ウェンブルスン父子商会」がある。本社ビルは要塞化されており、ビジネス街のど真ん中でパトロール隊と砲爆撃戦が行なわれた。 ; ボイッシア系第2惑星 : 地球人の要員で構成されたボスコーンの基地があった。 ; ボロバ / ボロヴァ : 名前のみ。希少な宝石ファイアストーンの産地。原住生物のひとつである粘膜トカゲ(スライム・リザード)は嫌悪の対象。 ; マナルカ : 最高級の織物グラモレットや希少な宝石スタードロップの産地。住人は異様なほどの細身を隙間なく布を巻いて覆い、言葉を話せず[[テレパシー]]と[[手話]]で意思の疎通を行なう。 ; メドン : ランドマーク星雲でボスコーンに抵抗を続けていた惑星。キムの勧めに従って[[ケンタウルス座アルファ星|アルファ・ケンタウリ]]へ惑星ごと移住した。動力系の工学と医学が非常に発達している。 ; ユーフロジーヌ : ボロヴァ星系の小惑星。悪名高い[[隕石]]鉱夫の休息所「鉱夫の休息(マイナーズ・レスト)」がある。名称は[[ギリシャ神話]]の女神[[エウプロシュネ]]から。 ; ライレーン系第2惑星 : 絶対的女系独裁制の惑星。ヘレンの出身星。“レッド”レンズマンの最初の任地。 ; ライレーン系第8惑星 : ジャーヌヴォン壊滅後、アイヒ族の根拠地となった。 ; ライレーン系第9惑星 : ブラック・レンズマンの養成に利用された。 ; ラデリックス : パトロール隊の主要な基地のひとつが存在する。獰猛な飛行猛獣“猫鷲(オグロン)”の生息地。 ; [[リゲル]]系第4惑星 : トレゴンシーの出身星。住人は視覚と聴覚を持たないため、全ての色彩と騒音が野放しになっており、普通の地球人では精神的に耐えられない。 ; ロナバール : 希少な宝石の産地。独裁者メンジョ・ブリーコはボスコーンの幹部で、ライレーン系第8惑星のアイヒ族などと連絡を取っていたが、これがボスコーン評議会より上位の組織がパトロール隊に発覚する原因となった。 ; ワイノール : 名前のみ。ボスコーン基地があったが、グラントリア同様謎の壊滅を遂げる。内部の陰謀か、単なる事故かはナドレックにもわからなかった。 == 用語 == ; 圧迫ビーム : 牽引ビームとは逆に、投射された対象物を圧迫する(押し出す)作用を及ぼす光線。 ; 宇宙斧 : スペースアックス。銀河パトロール隊の白兵隊が愛用する武器。ヴァレリア人にとっては[[制服]]の一部も同然である。[[斧]]、[[棍棒]]、[[槌矛]]などの良いところを一つにまとめた、と形容される。 ; 宇宙服 : 現代の[[宇宙服]]とは異なり、小型のバーゲンホルムと推進器を装備しており、惑星間航行・大気圏突入突破・大気圏内飛行が可能。また防弾・防ビーム構造。後にさらに重装甲・重武装で、内蔵動力で自立歩行する[[パワードスーツ]]や[[アーマードトルーパー]]に近いものも登場。 ; [[エーテル (物理)|エーテル]] / サブエーテル : 空間あるいは亜空間を満たし、[[電磁波]]や重力波、思考波などの媒質となっている物質。 ; カーディンジ限界 : [[恒星]]中心から超空間チューブの出口が開口できる限界の距離。太陽(ソル)の場合は約1.3[[天文単位]]で、地球と火星の公転軌道の中間付近。オースティン・カーディンジ卿が理論解を導いたためこう呼ばれる。 ; 機関銃 : 据え付け式の[[重機関銃]]。現代のものと構造的にほとんど変わらないが、殺傷力は桁違いに向上しており、ビーム兵器が通用しない宇宙服をも破壊できる。 ; QX : 「了解」「OK」を意味する慣用句。銀河パトロール隊の慣用表現から広まった。 ; Q砲 : 近接した宇宙船の間にQ型(正式型番Q47SM9)の螺旋状エネルギーチューブをはり渡し、それを砲身として特殊砲弾(推薬はヘプタデトナイト、爆薬は20メートルトン(注:原作表記<!-- のママ -->)のデュオデック)を打ち込む兵器。宇宙船同士の防御シールドが接するほどの近距離(船間が10km程度)でないと使用できず、バックファイヤで自船が破壊される危険もある<!-- 特殊兵器-->。 ; グラモレット : 非常に美しく高価な織物。惑星マナルカの特産。マナルカ人はこれで織られた衣装で全身を包み、外にはほとんど眼しか出さない。 ; クリア・エーテル : 「清澄な宇宙空間を(祈念する)」という意味の別れの挨拶。現代語では「グッド・ラック」に近い[[ニュアンス]]の慣用句。銀河パトロール隊の用語から広まった。 ; クレジット : 銀河パトロール隊が発行する[[通貨]]。銀河文明の全ての惑星で通用する。信用単位と訳されることもある。より小額の単位としてミロがあり、1,000ミロで1クレジット。 ; クロノ(神) : 宇宙神。作中の慣用句としてよく登場する架空(?)の神格。様々な惑星・種族の様々な神格を合成して造られたもので、ヴァレリアのノシャブケミングも習合されている。「聖なるクロノ神の[[イリジウム]]の内臓にかけて!」のように用いられる。 ; 牽引ビーム : トラクタービームともいわれる。投射された対象物を引きつける(引っ張る)作用を及ぼす光線。 ; 固有速度 : 無慣性航行に移行する直前に船や物体が持っていた[[慣性]][[空間ベクトル|ベクトル]]。有慣性状態に復帰した瞬間に回復する。この時の移動の方向や速度によっては大事故につながる場合があり、注意が必要。 ; 殺人思考ビーム発生器 : 正式な名称は不明。生物の思考活動の根幹となる、ある巨大化合物を破壊する振動を放射し、その生物を即死させる。ウォーゼルがキムの護身用として考案し、ソーンダイクが製作した。装置自体は非常に小さく、レンズマンの腕輪、あるいは大粒の模造真珠に仕込むこともできる程度の大きさしかない。思考波によって操作される。極小の動力で致命的な効果を得ることができるが、思考波スクリーンによって防御することが可能という欠点を持つ。そのため、この装置が実際に使用され、効果を上げたことが確認できるのはロナバールのメンジョ・ブリーコ打倒時のみ。 ; シオナイト : 惑星トレンコ産の植物から精製される超強力な[[麻薬]]。赤紫色の結晶で、鼻から吸引する。温血の酸素呼吸生物に対し、圧倒的な多幸感、全能感を与えるが、毒性と習慣性が極めて高く、良識ある人々からは蛇蠍のごとく忌み嫌われている。宇宙で最も悪質な麻薬とされている。製造販売はもちろん、トレンコの植物を採取しようとしただけで死刑となる重罪である。 ; 思考波 : 精神活動を行う生物が必ず放射する波動。 ; 思考波スクリーン : 思考波の外部放射/内部浸透を防ぐ力場。銀河文明に対しては、ヴェランシアで開発され、キムが改良したものがもたらされた。 ; 自由航行 / フリーフライト : 無慣性航行中の状態を示す言葉。この状態にある物体は、周囲の媒質の抵抗が許す限りの最大限の速度まで加速させる事が可能となる。 ; ズウィルニク(麻薬業者) : 狭義ではベントラム、ハディヴ、ニトロラーブ、[[ヘロイン]]、シオナイトなどの非合法な麻薬を売りさばく密売業者のこと。実際はもっと広義に「最悪の犯罪者」「人間のクズ」のような意味合いで用いられることが多い。銀河パトロール隊創設時、シオナイトの産地と流通経路を突き止め、撲滅するべく行なわれた作戦行動の秘匿名称が語源。 ; スタードロップ : 惑星マナルカで産出する、宇宙でも屈指の豪奢で希少な青い[[宝石]]。 ; セミ・ポータブル / 可搬式ビーム砲 : [[重機関銃]]のように架台に据えて使用するビーム砲。大変重たくかさばる武器だが、数人がかり(もしくはヴァレリア人などの怪力種族)ならば運搬することが可能なため「可搬式」と呼ばれる。 ; 太陽ビーム : 恒星の周囲の宇宙空間を巨大な[[真空管]]に見立て、恒星の膨大な輻射エネルギーをビームとして一方向に収束放射する超巨大兵器で、大艦隊を一薙ぎで殲滅するほどの破壊力を持つ。かさばって扱いにくいのが大きな欠点で、攻撃には向かず、拠点防衛用に使用される。プルーア人はこれを拡大改良し、遠方の恒星、あるいは[[新星]]から放射する兵器のアイデアを考案・検討していた。 ; タンク : 正確には航法タンク。宙域の三次元的な状況をリアルタイムで表示する投影装置。ただし有慣性状態の時は現在位置の再計算は行なわれない(無慣性状態の時と比較して、移動距離が無視できるほど小さいため)。 ; 超空間チューブ : 任意の2点間を極短時間で結ぶ超時空間的なトンネル。開口部はどこにでも作れるわけではなく、恒星などの巨大質量からの距離的な制限(カーディンジ限界)が存在する。チューブ内は一種の擬似空間で、チューブ内外は境界面で断絶しており、開口部以外ではあらゆる電磁波などが遮断され、外部との連絡・索敵は不可能。一方、外部からはチューブ出口の出現を事前に探知できるため、出現以前に包囲して待ち伏せることは一応可能。 ; 超原子爆弾 : または「完全解放」爆弾。物質をエネルギーに完全転換する爆弾で、その破壊力は言語を絶し、通常の[[核兵器]]でさえ[[月とスッポン]]ならぬ、月と[[かじき座S星|かじき座S]](劇中では、宇宙で一番明るく大きい星)程の差がある。 ; ディオデック / デュオデック : デュオデカプリラトメートの略称。含窒素の巨大分子。発火後1マイクロ秒以内に[[絶対温度]]4000度に達するという爆発性の化合物(架空の物質)。その破壊力は[[核兵器]]に近いが[[放射能]]は出さず、扱いやすい。 ; 鉄槌 / 空飛ぶ鉄槌 : 銀河パトロール艦隊の主要攻撃艦の一種。モーラー(打撃艦)。武装は最高レベルだが非常に低速。単独で運用されることはなく、他の高速艦と併用される。後に、さらに巨大で強力な「スーパー・モーラー」が開発された。 ; デュレウム : 超重物質。位相の異なる通常空間と超空間チューブ内部の疑似空間の両方に存在できるように巨大な質量と慣性を持つようにエネルギー飽和された合成物質。いかなる通常物質よりも強固。 ; デラメーター(銃) : 熱線銃の一種。これまでに開発された携帯兵器のうちでは最強の威力を誇る。「デラメーター」は開発者の名前を取ってつけられたと思われる呼称である。ボスコーン陣営にもほぼ同様の熱線銃が存在する。なお『ファースト・レンズマン』の時代の携帯型熱線銃は同じく開発者の名前を取って「リューイストン(型)」と呼ばれていた。いずれもピストルに似た形状で、腰や脇に吊るしたホルスターに収めて携帯する。なお、アルデバランの紳士が常用する丸首型の上衣は、デラメーターの隠し場所としては最上である、との事。 ; ネット : 宇宙船などに設置される、無慣性状態におかれた間に生じた固有速度のずれを補正するために使用される設備。衝撃を和らげるためにスプリング、クッション、[[水銀]]などおよそ考えうる限りの緩衝装置が備えられている。この中に人間などの物体を入れて有慣性状態に移行すると、固有速度のずれている物体は、復活した慣性によって壁面に激しく押しつけられて停止する(周囲の固有速度に同調する)。その様子は「[[象]]の一団が音も無く暴れまわっている」ようだと形容される。固有速度の差が大きく、ネットや対象物が衝撃に耐えられない場合は使用されず、宇宙船や宇宙服の推進器を使用しての固有速度の同調が行なわれる。 ; ノシャブケミング(神) : ヴァレリア人の間で信仰される神格。ヴァンバスカークはヘルメット内に小さな黄金像を安置している。ボスコーンに所属するヴァレリア人でさえ、ノシャブケミング神を信仰している。 ; 野放し原子渦動 : [[原子炉]]の中の「太陽の中心物質の塊にも似た強烈なエネルギー」が暴走、原子炉を破壊してさらに燃え広がる現象。いわゆる[[核分裂反応]]、[[核融合反応]]とは異なり自然消滅することがなく、放置しておけば惑星を丸ごと焼き尽くしても止まらない。イメージ的には[[油田火災]]に近く、「消火」するには小型のデュオデックを適切な数と配置とタイミングで起爆させて渦動を破壊するしかないが、それらの算出には人知を超える超高速演算能力が必要である。 ; バーゲンホルム駆動(無慣性航行) : フレデリック・ロードブッシュ、ライマン・クリーブランドの二人のレンズマン科学者が開発し、ネルス・バーゲンホルムが完成させた超光速航法。慣性中立化装置(通称「バーゲンホルム」)の作用で、慣性(と質量)をゼロにすることで、[[相対性理論]]を超えた超光速航行を可能にする。 ; 標準的十段階分類表記 : さまざまな異星人種族を簡易的に分類する方法。地球人はAAAAAAAAAA(「ストレートA」とも言う)、パレイン人はZZZZZZZZZZとされる。 ; フィリップス式組織再生術 : 欠落した肉体組織を再生する(文字通り「再び生やす」)画期的な医療技術。ポセニア人の科学者(地球での通称はフィリップス)が開発した。『グレー・レンズマン』では実際に手足が「生えて」くるが、他の作品では身体部位の複製([[クローン|クローニング]])の様に描写されている事が多い。 ; フェイアリン : フェアリンと表記されることもある。生活に余裕のある人々に公式な場所で飲まれることの多い、格式の高い醸造飲料。深紅の液体で非常に芳醇な香りをもつ。惑星クレヴェニアの植物から[[醸造]]される。パトロール隊でも公式の飲料とされており、キムやヘインズ、レーシーらがこれで乾杯する様子が劇中でも数回見受けられる。 ; 負の球体(ネガスフィア) : 「負爆弾(ネガボム)」とも呼ばれる。マイナスの質量を持つ“反”球。最大のものは惑星に匹敵する反質量を有し、対惑星兵器として用いられる。通常物質と接触すると、反応して双方とも消滅し、致命的な[[放射線]]をまき散らす。通常物質とは反対に圧迫ビームで牽引され、牽引ビームで圧迫される。いわゆる[[反物質]]に類似するが、[[負の質量]]物質と性質が混同されている。 ; 誘導惑星 : 正式名称は不明。キムがつけた通称は「[[くるみ割り器]]」。質量がほぼ等しく、固有速度が逆の二つの惑星を無慣性状態で配置し、標的となる惑星の両側で同時に固有速度を復活させる。つまり二つの惑星で標的を挟みつぶす兵器。ただし、二つ一組でなく、単独で目標に突入させる、いわば「惑星爆弾」として使用される場合もある。プルーア破壊に使用された、n次空間の惑星(固有速度が光速の15倍)を利用したものはこの方式であった。 == 登場する主な宇宙船 == ; ディレクトリクス号 : 銀河パトロール隊大艦隊(グランドフリート)の旗艦。数万隻ものパトロール隊の大艦隊を統率運用するための巨大な(通常の知覚では全体を把握しきれないほどの)“タンク”を持つのが特徴。これを実際に運用するためには、キムたち第二段階レンズマン、もしくは高度に専門化され訓練を受けたリゲル人レンズマンによる「圧縮・要約」(むしろ「翻訳」というべきか)された小型タンクが必要であった。略称はGFHQ(Grand Fleet Head Quarter)、形式番号はZ9M9Z、愛称は"ビッグ・ノイズ"(お偉方)。なお、現代海軍では必須のものとされる[[戦闘指揮所]](CIC)を開発した[[アメリカ海軍]]の[[:en:Cal Laning|C・ラニング]]中佐は、その発想の源流の一つが、このディレクトリクス号にあると述べている<ref>{{Cite journal|和書||author=[[岡部いさく]]||year=2011||month=10||title=軍艦のコンバット・システム||journal=[[世界の艦船]]||issue=第748集||pages=75-81頁||publisher=海人社}}</ref>。 ; ドーントレス号 : 銀河パトロール隊の超弩級戦艦。後に銀河調整官の専用船となる。大型で重武装だが、極めて高速でもある強力な艦。『グレー・レンズマン』で登場してから『第二段階レンズマン』の間に3度の大改装が施され、その二十年後の『レンズの子ら』においても移動研究施設としてなお現役<!-- として、危険極まりないn次空間での任務を見事成し遂げた -->。 ; ブリタニア号 : キムの最初の乗艦。実質的な攻撃力は新兵器「Q砲」のみ。ボスコーンとの戦闘で失われるが、後にキムは新たに艦長を拝命した高速巡洋艦に同じ名前をつけ、独立レンズマンとなるまで乗艦としていた。 ; ヴェラン号 : ウォーゼルの乗艦。クルーは全てヴェランシア人で、彼らの身体的頑強性を活かした高加速高機動が特徴。<!-- の -->デルゴン上帝族狩りのスペシャリスト艦である。 ; ネラド艦 : 『三惑星連合軍』に登場。ネヴィア人ネラドが建造した「超宇宙船」。初歩的な慣性制御機関と[[鉄]]をエネルギー源に完全変換する超動力、それに固体の鉄を液体状に変換して吸い取る「赤い力場」を持つ。たまたま訪れた「鉄が豊富で妙な現住生物がいる星」すなわち地球を襲い、連合軍宇宙艦の船体、日常の鉄製品、果ては人体の血液中の[[ヘモグロビン]]まで、鉄をことごとく強奪する(地球人そのものには敵意はない、というより下等生物扱いで興味がない)。 ; ボイシ号 : 『三惑星連合軍』に登場した「超宇宙船」。三惑星連合軍が満を持して建造した、不完全ながら慣性制御機関を搭載した強大艦で、ネラド艦に対抗できる地球唯一の艦であった。 ; シカゴ号 : 『ファースト・レンズマン』で、ボイシ号の僚艦として活躍する戦艦。 ; 渦動破壊者(ヴォーテックス・ブラスター)一世号 / 二世号 :“ストーム”・クラウドの専用船。野放し原子渦動のエネルギーを相殺するための、様々な大きさのディオデック爆弾多数と、その発射機を備えている。 ; 探知不能な黒い快速艇 : キムのものとナドレックのものが知られている。反射率0.01以下の黒い塗装が施されていること、非鉄金属で建造されている(僅かな鉄製部品は電磁探知機に反応しないように処理されている)こと、厳重なスパイ光線遮断スクリーン及び思考波スクリーンを装備していることから、センサーからも目視からも実質的“不可視”である(背景の星の光を遮ることによってのみ発見が可能)。なお、ボスコーンでも同種の艇が運用されている。 : なお、原作発表当時は、[[ステルス性|ステルス]]技術はおろか『ステルス』という用語や概念自体が存在していなかった。 == メディアミックス == 日本においては、劇場アニメの公開後TVアニメシリーズが放送された。艦船など一部の動画に[[コンピュータグラフィックス|CG]]を採用した作品として話題を呼んだ。また、TVアニメ、および映画向けにストーリーを大幅に脚色してあり、特に劇場版では、主人公キニスンが登場当初は銀河パトロール隊とは全く無関係の一般市民で、別の人物が装着していたレンズを受け継ぎ、なかば偶発的にレンズマンになるという、設定の大幅な改変も見てとれる。 当時人気を博していた[[THE ALFEE]]が歌った映画版の主題歌「[[STARSHIP -光を求めて-]]」はシングル盤としてリリースされ、当時の人気番組「[[ザ・ベストテン]]」等でトップとなるなど、ヒットを記録し、話題を呼んだ<ref>映画のサウンドトラックも同時にTHE ALFEE(主に[[高見沢俊彦]]と[[井上鑑]])が担当している。</ref>。 さらに、TVアニメシリーズに連動して、ノベライゼーション版・漫画版も出版されているが、どちらもオリジナル版とはかなり異なるストーリーになっている。 また、TVアニメ放送から約10年後、連続ラジオドラマとして「銀河パトロール レンズマン」「渦動破壊者 ヴォルテックス・ブラスター」が製作されていた。それぞれ原作の「銀河パトロール隊」「渦動破壊者」を元にしている。 === アニメ映画 === [[1984年]][[7月7日]]に『'''SF新世紀レンズマン'''』というタイトルで映画化され、[[東宝東和]]系で公開された。カラー、107分。制作費12億円。動画枚数7万枚。日本での[[配給収入]]は2億5300万円<ref>{{Cite journal|和書|year=1985|title=邦画フリーブッキング配収ベスト作品|journal=[[キネマ旬報]]|issue=[[1985年]]([[昭和]]60年)2月下旬号|pages=119|publisher=[[キネマ旬報社]]}}</ref>。冒頭の宇宙戦闘シーン<ref>ブリタニア号、戦闘機ストライカー1を追跡するボスコーンの戦艦ミッドガルドの描画にスーパーコンピュータ[[CRAY-1]]を導入(ポニーキャニオン発売VHSビデオ「MAKING OF LENSMAN」V50X1041内の解説)</ref>やキムのレンズ継承シーン、ヘルマスや車輪人間の描写などに当時としては最先端のCGが用いられた。 過去には[[ポニーキャニオン|ポニー(現・ポニーキャニオン)]]よりVHS・Beta・LD・VHDが販売されていたが、2017年8月現在、DVD・BD化の予定はない。 本作は[[アメリカ合衆国]]に初進出した日本のアニメ映画だが、[[字幕]]を読みながら映画を見ることに慣れていなかった当時のアメリカの状況が影響し成功しなかった<ref>{{Cite journal|和書 |url=https://doi.org/10.18910/57305 |title=ポップカルチャーを通してみるグローカリゼーションの双方向性 |author=金兌娟 |journal=言語文化共同研究プロジェクト |publisher=大阪大学大学院言語文化研究科 |year=2016 |month=may |issue=2015 |pages=23-31 |naid=120005830384 |doi=10.18910/57305}}</ref>。 ==== 登場人物(映画) ==== *キムボール・キニスン(声 - [[古川登志夫]]) :設定年齢18歳。レンズマン養成校には通っておらず、惑星ムケイエで父を手伝って暮らしていた。 :偶然出会ったレンズマンから、重要情報を記録した彼のレンズを託されるという(レンズの設定的に本来ありえない)経緯を経てレンズマンになる。 :正式な教育を受けていないためか、知略・謀略を駆使する原作とは異なり、若さに任せた無鉄砲な行動が目立つ。 *クラリッサ・マクドガル(声 - [[小山茉美]]) *バン・バスカーク(声 - [[大塚周夫]]) : 原作とは異なり、銀河パトロール隊に所属しておらず、ポンコツ宇宙船ノシャブケミング<ref>前述の通り彼等ヴァレリア人の崇拝対象。劇中ではこの神の名を事あるごとに念仏の如く唱えている。</ref>号で宇宙を放浪していた。 *ウォーゼル(声 - [[野沢那智]]) : 原作とは異なり、竜人のような容姿をしており、地球人レンズマンと同様に手の甲にレンズを持つ。両腕に巻かれた皮膜を翼状に伸ばして飛行する。 *ゲイリィ・キニスン(声 - [[中村正 (声優)|中村正]]) : 劇場アニメ版におけるキムの父。惑星ムケイエで農業を営んでいた。キムがレンズマンになった後、彼を追撃するボスコーンに対する囮としてノシャブケミング号で離陸するが撃墜される。 : 昔、銀河パトロール隊員でレンズマン候補でもあったが、任務中の負傷により腕を失ったため、レンズマンになることができなかった。また、ヘインズ提督の親友でもある。 *ヘインズ提督(声 - [[柴田秀勝]]) *ソーンダイク(声 - [[青野武]]) *ソル(声 - [[斉藤ゆう子]]) : ゲイリィの仕事のパートナーとも言えるロボットで、後述のテレビアニメ版と比較すると無感情的にも思えるしゃべり方をしている。キムがレンズマンになった後、囮になったゲイリィと運命を共にする。 *ヘルマス(声 - [[加藤精三 (声優)|加藤精三]]) : アニメ版(劇場版・テレビ版)を通しての悪の首魁。宇宙海賊ボスコーンの首領で、巨大な体躯を持ち、要塞と一体化している。 : 冷酷な性格であり、失敗した部下に対して容赦なく死の制裁を与える。また、情報端末のギギを使って幹部達を監視している(ギギの正体を知らない幹部らは『ヘルマスの腰ぎんちゃく』と揶揄している)。 *グリードル(声 - [[矢田耕司]]) : 劇場版アニメにおけるヘルマス三幹部の一人。兜を被りローブを身に着け、右腕にモーニングスター状の義手をつけた昆虫の姿をしている。甲高い声で気性が荒い。ブリタニア号を惑星ムケイエまで追い詰め、惑星を破壊するが、ゲイリィが操作するノシャブケミング号に気を取られてブリタニア号を取り逃がし、その責任を負わされて処刑される。 *ブレークスリー(声 - [[田中康郎]]) : 劇場版アニメにおけるヘルマス三幹部の一人。原作にも同名の人間型キャラが存在するが、こちらでは4本の腕を持つ肥満体をしている。 : 銀河パトロール艦船との接触中のブリタニア号を急襲。パトロール艦を破壊し、ブリタニア号を惑星デルゴンに追い落とすも、ヘルマスへの報告が杜撰だったため、ボスコーン幹部として不適合とみなされて処刑される。 *ズウィルク(声 - [[兼本新吾]]) : 劇場版アニメにおけるヘルマス三幹部の一人。ローブを着た[[レイヨウ]]に似た姿をしており、杖を持っている。 : 惑星デルゴンでブリタニア号を追い詰めて破壊するも、ギギが惑星ラディリクスにおけるキムの生存を確認しヘルマスに告げ口したため、任務失敗の責で処刑される。 *DJビル(声 - [[小林克也]]) : 惑星ラディリクスで[[ディスコ]]の[[DJ]]を職業とする老齢の男性。時折、客どうしのケンカの原因を作っているため、警備兵に目を付けられている。 *金髪のレンズマン(声 - [[横内正]]) : ブリタニア号の乗員で、惑星ムケイエに到着した後、気力を振り絞って自らのレンズをキムに引き渡す。 : バスカークの言によれば、キムとの会話の1時間以上前には死亡していたとのこと。 *ナレーター(声 - [[蟹江栄司]]) ==== スタッフ(映画) ==== *監督:[[広川和之]]、[[川尻善昭]] *脚本:[[吉川惣司]] *キャラクターデザイン:川尻善昭、[[富沢和雄]] *メカニックデザイン:[[渡部隆]]、[[森本晃司 (アニメーター)|森本晃司]] *作画監督:富沢和雄、北島信幸 *美術監督:青木勝志 *撮影監督:八巻磐 *音楽監督:[[井上鑑]] *主題歌:アルフィー『[[STARSHIP -光を求めて-]]』、挿入歌:アルフィー『愛の鼓動』 *音響監督:[[明田川進]] *効果:[[倉橋静男]]、[[柴崎憲治]] *CG:JCGL(ジャパン・コンピュータ・グラフィックス・ラボ)、New York Institute of Technology Computer Graphics Lab *企画:伊藤章彦、[[金子満]] *プロデュース:富井道宏、渡辺宙美、[[丸山正雄]] *製作者:須藤博 *製作協力:エムケイ、[[マッドハウス]] *製作:[[講談社]] ==== コミック版(映画) ==== [[村野守美]]作画による映画版コミカライズ(全3巻)がメディアミックスを企図してB5ワイド版で講談社から刊行された。 ===テレビアニメ=== アニメ映画に続いて、[[1984年]][[10月6日]]から[[1985年]]3月30日まで「GALACTIC PATROL レンズマン」のタイトルで、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]製作・[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系]]にて放送された。全25話。 テレビ未放映が二話分存在する。 ビデオソフトを全6巻購入、帯の応募券でもれなく特典ソフトとして入手出来た。 タイトルは「LENSMAN ビデオスペシャル」。 しかし、後に同内容で発売されたLDセットには未収録。 主要キャラの外見等は劇場版を引き継いでいるものの、内容は劇場版と繋がりがなく、メンターやトレゴンシー等の原作出身キャラの追加、キャラクター設定、および担当声優も一部変更されている。しかし、ヘルマス率いるボスコーン帝国に、レンズマンとなったキムボール・キニスンとその仲間達が立ち向かっていく筋立ては共通である。 CGの使用はオープニングでの劇場版からの流用があるのみである。 なお、過去にセレクション形式(第1-6話だけ)でVHS、LD販売があったが、それ以降DVD、およびBD等のメディア販売はされていない。 ==== 登場人物(テレビアニメ) ==== *キムボール・キニスン(キム)(声 - 古川登志夫) *クラリッサ・マクドガル(クリス)(声 - 小山茉美) *バン・バスカーク(バン)(声 - [[銀河万丈]]) *ウォーゼル(声 - [[野田圭一]]) *ソル(声 - [[鈴木富子]]) : 形状は前述の劇場版のものと同一だが、劇場版とは異なり、テレビアニメ版ではキムのサポートロボットとして登場。キムと共に行動していることが多く、より人間的な口調でしゃべる。 *メンター(声 - [[永井一郎]]) : テレビアニメ版から登場。ローブを着た小柄な老人の姿で登場している。 *トレゴンシー(声 - [[龍田直樹]]) : テレビアニメ版から登場。外見はほぼ原作通り、ドラム缶状の胴体に象の足のような4本の脚、4本の触手を持ち、そのうちの一本にレンズが付いている。また、原作にはなかった、ある程度の視覚を有しており(胴体のやや上側に赤い目がある)会話はテレパシーで行なう。 *フリック(声 - [[江森浩子]]) : テレビアニメ版終盤から登場したレンズマン。青い肌の子供のような容姿をしている。 *ソーンダイク(声 - [[塩沢兼人]]) *ヘンダースン(声 - [[堀秀行]]) *トーマス(声 - [[小林通孝]]) *ヘインズ提督(声 - 柴田秀勝) *レーシー外科部長(声 - 永井一郎) *ホーヘンドルフ(声 - [[佐藤正治 (声優)|佐藤正治]]) *グロリア婦長(声 - [[中谷ゆみ]]) *ナイゼル(声 - [[戸谷公次]]) : テレビアニメ版にて登場するボスコーン幹部の一人で劇場版に登場しているグリードルと似た容姿をしているが両手があるのとヘルメットの隙間から頭髪がある等の違いがある。テレビアニメ版の幹部は数多く存在するが、劇場版のようにヘルマスによって失敗の責で処刑されるケースは最終回以外は比較的少ない。 *ヘルマス(声 - 加藤精三) ==== スタッフ(テレビアニメ) ==== * 原作 - E,E,スミス *チーフディレクター - [[福富博]] *設定 - [[竹内啓雄]] *キャラクター設定 - [[富沢和雄]] *メカニック設定 - [[渡部隆]] *美術監督 - [[窪田忠雄]] * 音響監督 - [[明田川進]] * 録音 - 橋本二三郎 * 効果 - 柴崎憲治 *音楽 - [[COSMOS-keyboards trio-|COSMOS]] *制作協力 - エムケイ *製作 - 朝日放送、講談社 ==== 主題歌(テレビアニメ) ==== ; オープニング主題歌「ON THE WING」 : 作詞 - [[売野雅勇]] / 作曲・歌 - 小島恵理 ; エンディング主題歌「パラダイス」 : 作詞・作曲・歌 - [[鈴木雄大]] オリジナル盤発売時は、レコード収録曲が[[童謡]]と判断されれば[[物品税]]非課税であったため、発売元のキャニオン・レコード(現:[[ポニーキャニオン]])はオープニング主題歌「ON THE WING」を収録したシングルレコードを童謡扱いとしていたが、[[1986年]](昭和61年)に[[東京国税局]]が「番組とは独立して聴ける若者向けの曲」と判定したため、同レコードについても物品税が課せられるようになった<ref>「東京国税局、アニメソングにも物品税──レコード大手に追徴4000万」『[[日本経済新聞]]』1986年6月13日付朝刊、30頁。</ref>。 ==== 各話リスト(テレビアニメ) ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" border="1" !話数!!サブタイトル!!シナリオ!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!放送日 |- |1||レンズマン誕生||rowspan="6"|[[辻真先]]||rowspan="2" colspan="2" style="text-align:center"|[[福富博]]||[[富沢和雄]]||'''1984年'''<br />10月6日 |- |2||竜戦士ウォーゼル||大坂竹志||10月13日 |- |3||嵐の惑星トレンコ||[[池田成]]||rowspan="4"|福富博||本木久年||10月20日 |- |4||まぼろしのベムガ||鈴木幸雄||富沢和雄||10月27日 |- |5||伝説のパトロール隊||[[木上益治]]||rowspan="2"|[[梅津泰臣]]||11月3日 |- |6||クリス戦う時||鈴木幸雄||11月17日 |- |7||バスカークがんばる||rowspan="4"|[[吉川惣司]]||[[秋山勝仁]]||rowspan="4"|[[冨永恒雄]]||rowspan="3"|清水恵蔵||11月24日 |- |8||ブリタニア号の危機||[[広川和之]]||12月1日 |- |9||グラップラーで戦え!バスカーク||rowspan="2"|[[井内秀治]]||12月8日 |- |10||壊滅!ボスコーン秘密研究所||川筋豊||12月15日 |- |11||迷パイロット!?ソル||rowspan="6"|[[山崎晴哉]]||野寺三郎||五月女有作||高田三郎||12月22日 |- |12||リリー救出大作戦||[[奥田誠治 (アニメーション演出家)|奥田誠治]]||平林淳||[[谷口守泰]]||12月29日 |- |13||伝説の星キリーランド||[[平田敏夫|平田としお]]||[[えんどうてつや|遠藤徹哉]]||[[木下ゆうき]]||'''1985年'''<br />1月5日 |- |14||キララ姫の涙||rowspan="3"|遠藤徹哉||colspan="2" style="text-align:center"|北島信幸||1月12日 |- |15||クリスとらわる||五月女有作||高田三郎||1月19日 |- |16||キリーランドよ永遠なれ||平林淳||木下ゆうき||1月26日 |- |17||秘密指令宇宙海賊作戦!||rowspan="4"|[[高階航]]||rowspan="2" colspan="2" style="text-align:center"|蔭山康生||rowspan="2"|北島信幸||2月2日 |- |18||驚くべきウルフの謎||2月9日 |- |19||ベリリウムの謎をさぐれ||rowspan="2"|[[日下部光雄]]||rowspan="2" colspan="2" style="text-align:center"|北島信幸||2月16日 |- |20||ライトビーム砲を叩け||2月23日 |- |21||恐怖のスペースウェーブ||rowspan="4"|馬嶋満||野田拓実||rowspan="4"|高須賀勝己||rowspan="4"|[[椛島義夫]]||3月2日 |- |22||謎のエメラルド星雲||高須賀勝己<br />岡嶋国敏||3月9日 |- |23||新レンズマン誕生||rowspan="2"|矢沢則夫||3月16日 |- |24||トール博士を救え!||3月23日 |- |25||対決!ボスコーン大要塞||渡辺誓子||野寺三郎||宮下研史||島田ひであき||3月30日 |} ==== 放送局(テレビアニメ) ==== ※放送日時は個別に出典が提示されているものを除き1985年2月時点、放送系列は放送当時のものとする<ref>『[[アニメージュ]] 1985年3月号』 1985年、[[徳間書店]]、全国放映リスト(126 - 127頁)</ref>。 {| class="wikitable" style="font-size:small" !放送地域!!放送局!!放送日時!!放送系列!!備考 |- |[[広域放送|近畿広域圏]]||[[朝日放送テレビ|朝日放送]]||rowspan="12"|土曜 19:00 - 19:30||rowspan="12"|[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]||'''制作局'''<br />現:朝日放送テレビ。 |- |[[北海道]]||[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]|| |- |[[宮城県]]||[[東日本放送]]|| |- |[[福島県]]||[[福島放送]]|| |- |[[広域放送|関東広域圏]]||テレビ朝日|| |- |[[新潟県]]||[[新潟テレビ21]]|| |- |[[静岡県]]||静岡けんみんテレビ||現:[[静岡朝日テレビ]]。 |- |[[広域放送|中京広域圏]]||[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]]|| |- |[[広島県]]||[[広島ホームテレビ]]|| |- |[[岡山県・香川県の放送|香川県・岡山県]]||[[瀬戸内海放送]]|| |- |[[福岡県]]||[[九州朝日放送]]|| |- |[[鹿児島県]]||[[鹿児島放送]]|| |- |[[山形県]]||[[山形放送]]||火曜 17:00 - 17:30||[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]<br />テレビ朝日系列|| |- |[[長野県]]||[[信越放送]]||月曜 16:00 - 16:30||[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]|| |- |[[富山県]]||[[富山テレビ放送|富山テレビ]]||水曜 17:20 - 17:50(1985年2月時点)<br />土曜 6:15 - 6:45(1985年4月時点)<ref>『北國新聞』1985年4月6日付朝刊、テレビ欄。</ref>||[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]|| |- |[[石川県]]||[[北陸放送]]||金曜 17:00 - 17:30||TBS系列|| |- |[[福井県]]||[[福井放送]]||月曜 17:30 - 18:00||日本テレビ系列|| |- |[[鳥取県]]・[[島根県]]||[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]||月曜 19:00 - 19:30||日本テレビ系列|| |- |[[山口県]]||[[山口放送]]||水曜 17:15 - 17:45||日本テレビ系列<br>テレビ朝日系列|| |- |[[愛媛県]]||愛媛放送||月曜 17:25 - 17:55||フジテレビ系列||現:[[テレビ愛媛]]。<br />1984年11月19日ネット開始<ref>{{Cite journal |和書|journal=[[アニメージュ]] |issue=1984年12月号 |publisher=[[徳間書店]] |title=全国縦断放映リスト |page=94}}</ref> |- |[[高知県]]||[[テレビ高知]]||金曜 16:30 - 17:00||rowspan="2"|TBS系列|| |- |[[長崎県]]||[[長崎放送]]||金曜 16:50 - 17:20|| |- |[[熊本県]]||[[テレビ熊本]]||火曜 17:30 - 18:00||フジテレビ系列<br>テレビ朝日系列|| |- |[[沖縄県]]||[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]||木曜 17:30 - 18:00||フジテレビ系列|| |} ====コミック版(テレビアニメ)==== テレビ放送とタイアップする形で、[[週刊少年マガジン]]に[[三浦みつる]]がコミック版を連載し、少年マガジンKCとして、全3巻にまとめられ発売された。 === ラジオドラマ === [[日経ラジオ社|ラジオたんぱ]] SF名作シアターとして「銀河パトロール レンズマン」「渦動破壊者 ヴォルテックス・ブラスター」が放送され、後にCD化された。 [[大貫健一]]によるイメージイラスト、人気声優の起用等、アニメファン層をターゲットとしているが、その内容はアニメ版に比べ、原作に忠実だった。 ==== 登場人物(ラジオドラマ) ==== *キムボール・キニスン(声 - [[結城比呂]]) *クラリッサ・マクドゥガル(声 - 笠原弘子) *ヘンダーソン(声 - [[藤原啓治]]) *バンバスカーク(声 - [[辻親八]]) *ソーンダイク(声 - [[谷山紀章]]) *ウォーゼル(声 - [[森川智之]]) *トレゴンシー(声 - [[茶風林]]) *ヘインズ提督(声 - [[麦人]]) *アイラ(声 - [[長沢美樹]]) *セシル(声 - [[堀江由衣]]) *ヘルマス(声 - [[子安武人]]) *ブラウンリー(声 - [[吉田古奈美]]) *ウォルマーク(声 - [[小西克幸]]) *フェイ・サラウェイ(声 - [[氷上恭子]]) *メンター(声 - [[丸山詠二]]) ==== スタッフ(ラジオドラマ) ==== *監督・演出:藤岡央 *脚本・演出補:安達成彦 *音楽:藤岡央 *主題歌:[[笠原弘子]] ==== CD ==== [[徳間ジャパンコミュニケーションズ]]より発売。ドラマCDには各4話収録。 #銀河パトロール レンズマンドラマCD1(TKCA-71314:1998年1月21日発売) #銀河パトロール レンズマンドラマCD2(TKCA-71333:1998年2月25日発売) #銀河パトロール レンズマンドラマCD3(TKCA-71353:1998年4月8日発売) *STAND THE NIGHT/MY PRAYER(銀河パトロール レンズマンオープニング&エンディングテーマ)(TKDA-71313:1998年1月21日発売) ==== 渦動破壊者 ヴォルテックス・ブラスター ==== == 関連事項 == ;[[アメコミ]]「[[グリーンランタン]]」 :[[DCコミックス]]の[[スーパーヒーロー]]。超越者によって組織された宇宙全域の平和維持活動を行う組織の存在や、主人公が瀕死の前任者から基本となるアイテム(映画版におけるレンズ/グリーンランタンのパワーリング)を継承されるなど、設定に多くの共通点を持つ。 ;ゲーム「[[スペースウォー!]]」 :世界で初めて、本当の意味で多数の人に遊ばれた[[テレビゲーム]]。ゲームデザインをしたスティーブ・ラッセルは、当小説にヒントを得たと語っている。 ;[[ボスコニアン]] :[[ナムコ]]のアーケードゲーム。「宇宙海賊ボスコニアン」の名称は本作の「宇宙海賊ボスコーン」にヒントを得たもの。また「アイヒ」「プルーア」「エッドール」型ミサイルと呼ばれる敵キャラも存在する。なお同社の[[ゼビウス]]には、本作に登場するガジェットから名称を取ったと思われるキャラ(メカ)「シオナイト」が登場。 ;小説「[[青の騎士ベルゼルガ物語]]」 :主人公のケイン・マクドガルのファミリーネームとシリーズ前半の敵となるクリス・カーツのファースト・ネームは、クラリッサ・メイ・マクドゥガルの愛称とファミリーネームに由来する。この事は作品を連載していたホビー誌・[[デュアルマガジン]]の記事で、作者である[[はままさのり]]や制作に携わった伸童舎のスタッフが『SF新世紀レンズマン』のファンだった(ので、主人公とそのライバルの名前に拝借した)からと明かされていた。 ;小説「[[タツモリ家の食卓]]」シリーズ([[古橋秀之]]、[[電撃文庫]]) :主要登場人物のひとり、銀河連邦特務監査官カーツ大尉は、独立した巨大な権限を持った執行官であることや、偽造不能なIDとして首につけたベルの設定など、レンズマンを基にしていると思われる。 ;漫画およびアニメ「[[地球へ…]]」 :登場人物の一人、キース・アニアンの名は、キニスンの名をヒントにして創作された<ref>「テラFes2007」(2007年7月)での質問コーナーにおける作者・[[竹宮惠子]]自身の発言より</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{Commonscat|Lensman series}} {{前後番組 |放送局=[[テレビ朝日]]系 |放送枠=土曜19時台前半(1984年10月‐1985年3月)<br />(当時は[[朝日放送テレビ|朝日放送]]の担当枠) |番組名=GALACTIC PATROL レンズマン |前番組=[[とんがり帽子のメモル]]<br />(日曜8:30枠へ移動) |次番組=[[あっ!カメラだ]]<br />※ここからバラエティ枠 }} {{テレビ朝日系列土曜夜7時台枠のアニメ}} {{川尻善昭監督作品}} {{福冨博監督作品}} {{DEFAULTSORT:れんすまん}} [[Category:アメリカ合衆国のSF小説]] [[Category:1937年の小説]] [[Category:SF小説のシリーズ]] [[Category:地球外生命体を題材としたアニメ映画]] [[Category:日本のSF映画作品]] [[Category:SFアニメ映画]] [[Category:1984年のアニメ映画]] [[Category:SF小説を原作とする映画]] [[Category:アメリカ合衆国の小説を原作とした映画作品]] [[Category:小説を原作とするアニメ映画]] [[Category:アニメ作品 れ|んすまん]] [[Category:朝日放送テレビのアニメ]] [[Category:地球外生命体を題材としたアニメ作品]] [[Category:1984年のテレビアニメ]] [[Category:小説を原作とするアニメ作品]] [[Category:スペースオペラ]] [[Category:地球外生命体を題材とした小説]] [[Category:宇宙海賊を題材とした作品]] [[Category:未来を題材とした小説]] [[Category:未来を題材としたアニメ作品]] [[Category:未来を題材とした映画作品]] [[Category:創元SF文庫]]
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日本産業規格
日本産業規格(、英: Japanese Industrial Standards)は、産業標準化法に基づき、認定標準作成機関の申し出又は日本産業標準調査会(JISC)の答申を受けて、主務大臣が制定する規格であり、日本の国家標準の一つである。JIS()またはJIS規格()と通称されている。 1949年以来、長らく日本工業規格()と呼ばれてきたが、法改正に伴い2019年7月1日より改称された(後述)。 明治時代には、日本の工業規格は民間団体が作っていた。ただし、軍需品などの政府調達品には、政府の購入規格、試験規格、標準仕様書があった。 1921年(大正10年)には、大正10年勅令第164号に基づいて工業品規格統一調査会が設置された。この調査会は、1941年までに520件の日本標準規格(旧JES、Japanese Engineering Standards)を制定した。 臨時日本標準規格 (臨JES)は、1939年(昭和14年)から1945年(昭和20年)までの間に931件制定された。臨JESには、規格が要求する品質を下げて物資の有効利用をはかることおよび、制定手続を簡素化して規格の制定を促進すること、というねらいがあった(工業技術院標準部 1997、p. 226)。臨時規格または戦時規格とも呼ばれた(国立国会図書館 2006)。 日本航空機規格(航格)は、1938年(昭和13年)の航空機製造事業法第6条に基づいて定められた航空機の規格である。工業技術院標準部(1997、p. 229)は、臨JESとは別に航格が設けられた理由の一つに「外部に対して秘匿扱いする必要があるものもある」ことを挙げている。1945年までに660件の航格が制定された。 航格の特徴は、強制標準である点にある。航空機製造事業法第6条は、航格に適合しない航空機部品の製造または使用を禁じていた。 昭和21年勅令第98号によって、1946年(昭和21年)2月に工業品統一調査会が廃止され、そのかわりに工業標準調査会が設けられた。旧JES、臨JESおよび航格を再検討し、これらのかわりに2,102件の日本規格(新JES)が制定された(工業技術院標準部 1997、p. 231)。旧JES、臨JESおよび航格は文語体で書かれていたが、新JESは口語体で書かれた(工業技術院標準部 1997、p. 231)。 工業標準化法は、1949年(昭和24年)6月1日に制定され、7月1日から施行された。工業標準調査会は廃止され、日本工業標準調査会(JISC)が設けられた。10月31日には、最初の日本工業規格(JIS)であるJIS C 0901 電気機器の防爆構造(炭坑用)が制定された。 2017年(平成29年)7月に経済産業省の産業構造審議会基準認証小委員会 第3回、日本工業標準調査会基本政策部会 第1回 合同会議は、日本の国内総生産の約70%がサービス業によるなど産業構造が変化したことを踏まえ、標準化対象のサービス業への拡大を含めた法改正の答申を行った。 翌2018年(平成30年)に第196回国会にて、工業標準化法の改正を含む「不正競争防止法等の一部を改正する法律」(平成30年5月30日法律第33号)が可決成立し、2019年(令和元年)7月1日に法律を産業標準化法に、規格名を日本産業規格 (JIS)に、日本工業標準調査会を日本産業標準調査会にそれぞれ改め、JISの標準化対象に「データ、サービス等」を追加することとなった。ただし、JISの英語名称は従来のまま変更はない。 日本は1995年に発効した貿易の技術的障害に関する協定により、ISO及びIECに準ずることが定められている。したがって、本協定に依れば、全てのJISは前述の国際規格に準じた内容とする必要がある。 ただし、各国特有の地域性や商習慣による変更は許容される。 実際には、機械的に同時にすべてのJIS規格を国際規格に適合させることは困難であるため、規格内容の見直し等のタイミングでJIS規格の国際規格適合のための改訂が実施されている。 JISの国際規格への対応の程度によって、JIS規格には略号が付される。略号はJIS文書の付属書等に対応表や説明書きを参照することで把握することができる。 次の場合、国家規格は国際規格と一致する。 産業標準化法にいう産業標準化は、つぎの事項を「全国的に統一し、又は単純化すること」を意味し、産業標準は、そのための基準である(第2条)。この法律に基づいて主務大臣が制定する産業標準が、日本産業規格と呼ばれる(第17条第1項)。 産業標準化法における定義から明らかなように、JISは、日本全国を単位とした標準化のための基準である。この意味で、JISは日本の国家標準である。 JIS以外の日本の国家標準としては、日本薬局方、日本農林規格 (JAS) などがある。 JISは、法律に基づく手続を経て制定される標準であり、JISには一定の公正さが期待できる。このため、日本の法令が技術的な基準への適合を強制するにあたって、その基準としてJISを採用することがある。この意味で、JISは公的標準 (デジュリスタンダード; de jure standard)である。 産業標準化法に改正され、データ、サービスも対象になったが、物に対する標準としては、定義から明らかなように、JISは鉱工業に関する標準化のための基準、すなわち工業標準であることに変更はない。医薬品、農薬、化学肥料、蚕糸、食料品などの標準化は、日本薬局方および日本農林規格の範疇である。 産業標準化法に改正される前においても、情報技術についても工業標準としており、工業の範囲が広がっていた。情報技術分類では、対象となる情報そのものの標準を制定している。そのため、「工業」の範疇に収まらないJISも、近年制定されていた。例えば、2007年にはJIS X 0814 図書館統計というJISを制定している。今後は改正後の「電磁的記録」の標準として位置づけがされる。 JISそれ自体は、JISに適合しない製品の製造、販売、使用、JISに適合しない方法の使用などを禁ずるものではない。この意味で、JISは基本的に任意標準である。ただし、国および地方公共団体に対して、JISは強制標準に準じた性格を有している。工業標準化法第67条は、国および地方公共団体が鉱工業に関する技術上の基準を定めるとき、買い入れる鉱工業品に関する仕様を定めるときなどに、JISを尊重すべきことを定めている。また、JISは法令が引用すれば、強制標準としてはたらくこともある。例えば、工業用水道事業法施行令第1条は、工業用水道事業者に対して、JIS K 0101 工業用水試験方法による水質の測定を、工業用水道事業法第19条の測定として義務づけている。 「標準」と「規格」は、英語では共に「standard」であるためよく混同される。しかし厳密には、「規格」が文書化された基準(例:「デジュールスタンダード (de jure standard)」など)を指すのに対し、「標準」はより広義で、事実上標準化した基準である「デファクトスタンダード (de facto standard)」をも包含する。例えば、Microsoft Officeはデファクトスタンダードであるため、国際標準とは呼べるが、標準化団体の制定した国際規格ではない。 JIS制定の手続は、主務大臣の意思又は利害関係人若しくは認定産業標準作成機関の申し出によって開始される。 主務大臣の意思によってJISを制定するときは、主務大臣または主務大臣から委託を受けた者がJISの原案 (draft) を作成する。主務大臣は、標準化のための調査研究やJIS原案の作成を、国費を支出して日本規格協会(JSA)などの適当な者に委託する。JIS原案の作成を委託された団体には原案作成委員会 (drafting committee) が結成され、この委員会がJIS原案を作成する。主務大臣はできあがった原案を日本産業標準調査会(JISC)に付議する。ただし認定産業標準作成機関が原案を作成した場合は付議を要さない。 利害関係人は、みずから作成した原案を添えて、主務大臣に工業標準を制定すべき旨を申し出ることができる(産業標準化法第12条第1項)。申し出を受けた主務大臣がJISを制定すべきと認めるときは、大臣はその原案をJISCに付議する。制定の必要がないと認めるときは、大臣はJISCの意見を徴したうえ、その旨を理由とともに利害関係人に通知する。現在、つくられる規格の約80パーセントは利害関係人からの申し出による(日本工業標準調査会 2003)。 認定産業標準作成機関は、2019年の改正であらたに作られた。JISの原案を作成する約300ある業界団体のうち、これまでに十分な実績があって、適正な合意形成プロセスを持つ団体については、「認定産業標準作成機関」として認定する。これらからの原案については、審議会での審議を省くことで制定のスピードアップがされる。 日本産業標準調査会 (JISC)は、その標準部会 (the Standard Board) のもとに設置された専門委員会 (technical committee) において、主務大臣から付議された原案の審議 (investigation) および議決をする。標準部会長から上申を受けた調査会長は、主務大臣に答申する。JISを制定すべき旨の答申を受けたとき、主務大臣がJISの制定 (establishment) をする。 主務大臣は環境大臣、経済産業大臣、厚生労働大臣、国土交通大臣、総務大臣、農林水産大臣、文部科学大臣または内閣総理大臣である(産業標準化法第72条)。複数の主務大臣が連名でJISを制定することもある。経済産業大臣を主務大臣とする規格が圧倒的に多い。やや古いデータであるが、工業技術院標準部 (1997)によれば、1997年3月末の時点で有効な規格8,161件のうち、通商産業大臣が主務大臣を務めるものは、他の大臣と共管の135件を含めて7,193件である。これは全規格の88パーセントを占める。 JISを制定した主務大臣は、その旨の公示 (announcement) をする。公示は、名称、番号、および制定年月日を官報に掲載することによりおこなわれる(産業標準化法施行規則第3条)。JISの内容は官報には掲載されない。内容は経済産業省本省、経済産業局、沖縄総合事務局または都道府県庁で閲覧に供される。調査会のサイトにおいてPDFで閲覧することもできる。 主務大臣は、JISの制定、確認または改正の日から5年以内に、それがなお適正であるかをJISCに付議する。JISCの答申に基づいて、主務大臣はJISの確認 (re-affirmation)、改正 (revision) または廃止 (withdrawal) をおこなう。 制定、確認または改正から年月が経過しても規格が適正であるとき、規格は確認される。年月の経過にともなって規格を改める必要が生じたとき、規格は改正される。年月が経過して規格がもはや不要になったとき、規格は廃止される。 主務大臣は、JISを確認、改正または廃止したときには、制定したときと同様に、その旨を公示する。 製品がJISの要求を満足していることをJISに適合しているといい、適合していることを適合性 (conformance) という。製造者や輸入者が製品のJISへの適合性を取引者や需要者に示す手段として、第3者による認証 (certification)、第2者による確認および第1者自己適合宣言の三つがある。 2005年10月1日から施行された改正法のもとでは、製品のJISへの適合性を登録認証機関が認証する。製造者または輸入者は、登録認証機関に認証を申請し、登録認証機関による審査を受ける。適合性の認証を受けた製品には、JISマークを表示することができる。 自己適合宣言の指針はJIS Q 1000 適合性評価—製品規格への自己適合宣言指針に定められている。 JISの内容は規格票という文書にあらわされる。 規格票の発行は、その「出版に関しては、規格の適正かつ網羅的な普及の観点から、あらゆる規格について需要に応じ一元的に販売できる体制を整えることが必要である」ことから、日本規格協会 (JSA)に委託されている。2009 (平成21)年度においては、規格票とJISハンドブックの販売によるJSAへの収入は、1,574,901,508円であった。 規格票の様式はJIS Z 8301 規格票の様式及び作成方法 (Rules for the layout and drafting of Japanese Industrial Standards) というJISに規定されている。 JSAは、複数の規格票を分野ごとにまとめた縮刷版をJISハンドブックとして発行している。JISハンドブックは、多くの規格について、規格票の冒頭に記されたまえがきや末尾に付された解説を収録していない。また、一部の規格については、本文の一部を収録していない。JISハンドブックの各巻は1年から3年に1度改訂される。 個々のJISは規格番号によって識別できる。例えば、JIS B 0001は規格番号の一つである。 規格番号のうち、「JIS」のつぎのローマ字1文字は、部門記号と呼ばれ、JISの部門をあらわす。現在、表に示す20の部門がある。 部門記号に続く数字は、各部門で一意な番号である。かつて、番号はもっぱら4桁だった。現在、国際規格と一致または対応するJISについては、国際規格の番号とJISの番号を同じにしておくことが便利であるので、国際規格が5桁の番号を持つ場合には、それに合わせた5桁の番号が用いられるようになっている。ISO/IEC 17000を翻訳したJIS Q 17000 適合性評価—用語及び一般原則はその例である。また、「電子機器及び電気機械」部門において、一部の規格の規格番号がIEC規格に対応した5桁のものに変更された(日本工業標準調査会 2004)。 大きな規格は第1部、第2部といった部 (part) に分かれていて、部ごとに制定、改正などがおこなわれ、部ごとに規格票が発行される。部を識別するために枝番号が用いられる。番号の後にハイフンおよび枝番号を記載する。つぎは、枝番号を使用した例である。 文書においてJISが規格番号によって参照されている場合、通常、読者がその文書を読んでいる時点での最新版が参照されていると考える。特定の版を参照したいときには、規格番号の後にコロンおよび制定または改正の年を西暦で記載する。例えば、JIS B 0001の2000年改正版を参照したいときは、JIS B 0001:2000と書く。 1995年以前のJISでは、枝番号が用いられていなかった。現在では番号および枝番号を区切るために用いられているハイフンは、かつては番号および年を区切るために用いられていた。例えば、JIS B 0001は1958年にJIS B 0001-1958として制定された。 JISマークは、製品がJISへの適合性の認証を受けたときに、製品そのもの、製品の包装、製品の容器または製品の送り状に付することができる、JISへの適合性を示すためのマークである。 JISマークは、1949年(昭和24年)の工業標準化法制定以来付されてきたマークであったが、2004年(平成16年)の工業標準化法の改正により従来とは異なる新たな表示制度に改正された。これに伴いマークのデザインも刷新された。 旧JISマーク: 新JISマーク: 新JISマークのデザインは公募により選ばれた(日本規格協会 2004)。これには5,000件近い応募があった(日本工業標準調査会 2005a)。応募の中から水野尚雄がデザインしたものが選ばれ、2005年3月28日に発表された(経済産業省 2005)。 この新JISマークは2005年(平成17年)10月1日から製品などに付することができるが、改めて適合性の認証を得たうえでなければならない。ただし旧から新への移行期間として3年間、2008年(平成20年)9月30日まで旧マークは付することができ、この3年間内に改めて適合の認証を得る。認証が得られない場合は新マークを付することができない。すなわち、2008年10月1日以降の製品などはすべて改めて適合性の認証を得たか、新たに認証を得て新マークを付したものとなる。 JISマークは直線および円弧のみを用いて描けるように設計されている。その制式は、鉱工業品及びその加工技術に係る日本産業規格への適合性の認証に関する省令(平成17年3月30日厚生労働省・農林水産省・経済産業省・国土交通省令第6号)第1条第1項から第3項に掲げられている。e-Gov法令検索が提供する同省令にJISマークの図は掲載されている。また、JISマークはこの省令の一部なので、著作権法第13条(権利の目的とならない著作物)の第1号に該当し、著作権法第3章に規定された権利の対象とはならない。 JISマークのデザインは次の内容を含むとされる。 JISマーク「〄」はUnicodeにおいて「JAPANESE INDUSTRIAL STANDARD SYMBOL」として個別のコードポイントU+3004を割り当てられている。 1992年リリースのUnicode 1.0.1まで、符号位置はU+32FFであり、現在地のU+3004には漢字「仝」が割り当てられていた。1993年リリースのUnicode 1.1において「仝」はU+4EDDに統合され、その跡地にJISマークが移動されることで現在の符号位置となった。なお、元のU+32FFは長らく空いたままだったが、2019年リリースのUnicode 12.1で「令和」(令和の合字)が追加されている。 JIS X 0208などJIS自体による文字集合にJISマークが含まれていないことを考えるとUnicodeへの収録はやや奇妙に思えるが、これはShift_JISのAppleによる拡張「MacJapanese」に旧JISマークが含まれていたことから、ラウンドトリップ変換対応への必要性から収録されたものであり、類似の事例としては韓国産業標準(朝鮮語版)のマーク「㉿」がU+327Fに割り当てられていることが知られている。 新JISマークの制定後、新旧両マークの扱いについてはUnicode公式メーリングリストにおいて話題に上ることはあるものの、新JISマークの新規収録や置き換え等は今のところ決定されておらず、仕様書におけるU+3004の例示字形は旧JISマークのままとなっている。JISマーク改定後に製作された代表的なフォントであるマイクロソフトの「メイリオ」や、Googleの「Noto」においては、U+3004のデザインは旧JISマークのまま維持されている。 JISが取扱う知的財産権 (IPR) には、特許権、実用新案権、商標権、著作権などがある。 知的財産権の保護対象は、特許権が発明、実用新案権が考案、商標権が商標、著作権が著作物と様々であることから、それぞれ異なる取扱いをする必要がある。したがって、標準化機関が知的財産権の取扱方針、IPRポリシー、パテントポリシー等を作成する場合には、特許権に関する規定を著作権に当てはめるなどの誤解をすることなく、細心の注意を払う必要がある。 日本工業標準調査会(2006)は、特許権、実用新案権などと抵触する工業標準の案をJISとして制定するにあたっては、非差別的かつ合理的な条件で実施許諾する旨の書面を権利者から取り付けるとしている。また、JISの制定後に特許権等との抵触が明らかになった場合であって、権利者が非差別的かつ合理的条件で実施許諾する旨を表明しないときは、必要に応じて、JISの改正または廃止の手続をとるとしている。 JISと抵触することが判明している特許権のリストは、JISCのデータベース(#外部リンク)の「工業所有権情報」で閲覧できる。 JISを制定するに当たり「国(主務大臣)は、JIS原案を工業標準化法に基づいてJISCに付議し、JISCは、JIS原案について調査審議を行い、当該JIS原案がJISとして適切であると判断した場合、その旨を国(主務大臣)に答申し、国(主務大臣)は、当該JIS原案をJISとして制定する旨官報に公示する」という手続きが行われる。したがって、JISが著作権法上の著作物(同法2条1項1号)に該当する場合でも、JISの制定に国の機関(主務大臣)が関与していることから、「国の機関が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの」(著作権法13条2号)として著作権法で保護されない著作物に該当するのかどうかが問題になる。 この点山本もぐ「日本工業規格の著作権」(2000)によれば、JISは著作権法による保護の対象となる著作物ではないという見解を、かつて工業技術院標準部が示した。ただしこの場合でも、JISの規格票の末尾に付されている解説は、JISの一部ではなく、その著作権は解説を著した原案作成者に帰属するとしている。 しかしその後、JISCは『21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会報告書』(平成12年5月29日)44頁で、民間主導のJISの原案作成の更なる推進を提言した上で、「我が国では、規格原案作成を専業として行っている民間団体はなく、規格作成・普及だけで独立に採算を立てられる状況にはほとんどないものと考えられる」ことから「今後規格作成における民間の役割を更に強化するためには、引き続き民間における規格原案作成を支援していく一方、民間提案((注:工業標準化法)12条提案)に係る規格原案作成者に著作権を残す等、規格作成に係るインセンティブを高める方策を探る」との見解を示した。 この提言に基づき、JISCは著作権の取扱いについて、「日本工業規格等に関する著作権の取扱方針について」(平成14年3月28日 日本工業標準調査会標準部会議決・平成14年4月24日適合性評価部会議決)を定めた。それによれば、1主務大臣または主務大臣の委託を受けた者が作成した原案の著作権は国に帰属し、2利害関係人が作成して主務大臣に提出した原案の著作権はその利害関係人に帰属するとしている。しかし2に該当する場合でも、調査会における調査審議、官報公示及び電子閲覧に伴うJIS原案/同規格の公表及び公衆送信、調査審議において原案の修正、追加などの翻案、さらにJSAによる規格票の販売など、国(主務大臣)は、JISの普及及び他の法令等に当該JISを使用するために必要かつ適切な範囲において、JIS原案/同規格にかかる本著作権者の著作権を制限することができるとしている。 JISCウェブサイトではJISの検索・閲覧が可能である。ただし、閲覧には利用者登録を必要とする(2020年12月2日以降)。また、印刷・購入は不可となっており、購入に関しては日本規格協会が受付を行っている。 ISO規格、IEC規格、ITU規格といった国際規格は、各規格を作成している民間の国際標準化機関から著作権保護が主張されている。またJISCを含むISO加盟団体は、1992年11月に採用され1993年1月1日から発効しているPOCOSA協定 (ISO Policies and Procedures for Copyright, Copyright Exploitation Rights and Sales of ISO Publications) に基づいて、ISOが発行する規格を含む文書の著作権保護義務を負っている。この点、TBT協定に基づき、国家規格であるJISは国際規格のISO/IEC/ITUの規格内容に整合化する必要があるため、これらの国際規格を翻訳してJISに採用する際に著作権が問題になる。JISの原案に採用される国際規格を作成した国際標準化機関は、日本政府に対してその規格の著作権に基づいて権利を主張することは可能である。しかし国により制定されたJISを利用する国民、企業等との関係では、日本と諸外国とでは国家規格の制定プロセスにおいて次の表のとおり官民の違いがあり、民間団体により制定されている国際規格や先進諸外国の規格と、主務大臣によって制定されるJISを同列に論じるのは適当といえない。 ※出典:鳥澤孝之,「国家規格の著作権保護に関する考察 -民間団体が関与した日本工業規格の制定を中心に-」 また、著作権国際条約であるベルヌ条約、WIPO著作権条約、TRIPS協定で、各加盟国の国民・法人が有する著作権の外国での保護については、その外国の国内法令の定めるところによると規定されているため、スイスに本部があるISOの規格を原案としてJISを制定する場合も、ISOの著作権保護については日本の著作権法が適用される。以上のようなことから、国家標準化機関が政府審議会である日本の体制では、次節で述べる著作権法13条2号がJISについて適用されることから、ISOに対する著作権保護義務を果たせないとする著作権法学者の学術的見解がある。 JIS規格票を所蔵する図書館等の複写サービスでは、規格票のうちJIS本文については著作権法13条2号が適用されるとして全文複写により提供する一方で、規格票に含まれる解説、JSA等が英訳したJIS本文、編集著作物であるJISハンドブックについては著作権が発生することから、著作権法31条1項1号に基づいて各資料の一部分について一部のみ提供するという運用が広く行われ、市民に対するJISの普及に貢献している。 このようなJIS本文に著作権法13条2号が適用され著作権が発生しないとする見解に対しては、経済産業省から次のような批判がなされている。 しかし1.については、同号の告示等は官報の掲載内容に限定されるものではない。法令公布に関する一般的規定は、法令等の公布を官報によって行う旨、第2次世界大戦前に規定していた公文式(明治19年2月26日勅令第1号)や公式令(明治40年2月1日勅令第6号)に相当するものは現在なく、最高裁判所大法廷判決において「法令の公布が、官報による以外の方法でなされることを絶対に認め得ないとまで云うことはできない」と判示しており、告示を含む法令等の効力は官報の掲載内容に拘束されない。また官報及び法令全書に関する内閣府令(昭和24年6月1日総理府・大蔵省令第1号)1条では、著作権法13条2号で規定するもののうち告示と訓令については官報の掲載内容として掲げているものの、通達については規定しないことから、同号により著作権法の保護対象とならない著作物は官報の掲載事項と連動しない。 一方で主務大臣が制定した「工業標準は制定されることが目的ではなく、それが実施されることが目的であるから、各方面への普及徹底ということが最も重要である」。この点JISの官報公示においては、規格の名称、番号、制定・確認・改正・廃止の別、その年月日のみ掲載され(工業標準化法第16条、工業標準化法施行規則第3条)、「内容省略」とした上で、備考で と付記している。このJISの内容を著した規格票の印刷・発行は、JISC事務局の監督の下にJSAが行い、上記の官報公示と並行して、制定又は改正されるJISの原稿をJSAに回付し、JSAがその原稿に基づいてJIS規格票を印刷・発行し、その窓口を通じて同規格票を販売・配布しているところである。さらに規格票は有償で頒布されているが、法令等が掲載される官報も有料で販売され、かつ規格票は国内で広く市場に流通していることから、規格について「その内容を公表することによって国民に知らしめ、また国民が自由に知るべきもの」となっている。このように、JISは官報と規格票を通じて公表され、JISの詳細内容は官報に代わって、国 (JISC)名義で公表された規格票に掲載されていることから、官報で規格内容が省略されたことを著作権発生の根拠にすることはできない。また「現在有効な法令約7,400件の中で、JIS規格を引用した法令は約360件(5%)もある」など、「単なる技術標準としてだけでなく、行政制度とのつながりも深いものとなっている」との指摘もなされている。例えば、「指定公証人の行う電磁的記録に関する事務に関する省令(平成十三年三月一日法務省令第二十四号)」では次のように日本工業規格を引用し、各規格の内容を知らなければ法令が規定する様式等を理解できず、規格が法令と同様のものとなっている。 第2条 2.については、著作権法13条4号では国等が「作成する」法令等翻訳物及び編集物について著作権法の保護の対象にならないと規定しているのに対して、同法13条2号では国等が「発する」告示、訓令、通達等について規定していることから、同号で対象にする著作物は「官公庁自身が創作し国民に知らしめることが目的であるような場合に限定されるもの」ではない。また著作権法13条で法令、通達等の著作権が否定されるのは「公益的な見地から、国民に広く知らせ、かつ、自由に利用させるべき性質の著作物には、権利を認める結果としてその円滑な利用を阻害することとなるのを防ぐという観点から」であるところ、JISの原案作成者が官公庁以外の者であることを理由に著作権の発生を認めれば、JISを利用する国民の生活や企業活動等に支障をきたし、国内に広く知らしめることを主要な機能とするJISの役割を損なうことになる。なお原案作成者に著作権が認められない場合でも、原案を採用した主務大臣から補償金等を得て経済的利益を確保することは可能である。 以上のように、JISが著作権法の保護対象であるとする経済産業省の見解は、JISの著作権保護の必要性を訴えているが、著作権法上の根拠について判例、学説、著作権法所管省庁(文化庁)の見解などを引用することなく主張しているもので、政策論と法解釈論を混同したものとなっている。 このようにISO、IECといった国際規格や、民間団体が作成した原案を元に制定された場合でもJISに著作権が認められないのは、日本の国家標準化機関であるJISCが国営であることによるともされる。この点、JISCの民営化や、規格制定事業の民間機関への移管を行うべきであるとの主張が、専門家からなされている。 JISCには、一般の標準規格の制定作業とは他に、標準仕様書 (TS: Technical Specifications) 制度と標準報告書 (TR: Technical Reports) 制度がある。これは進歩が早い技術分野において、まだ標準規格としては未熟でも将来重要と考えられる技術文書を公表することで、議論を促し、将来のスムーズな標準化につなげることを目的としている。TS文書・TR文書は誰でも提案することができる。 現時点ではJISCとしてJIS化にふさわしいと判断されなかったが、将来は標準化の可能性があるとされる技術文書。 TS文書は公表後3年以内に、原則として廃止・JIS化・3年延長のいずれかの処理がなされる。なお3年延長は1度限りしか行われない。 標準に関連する技術文書であるが、JISでの標準化がふさわしくないもの。 TR文書は公表後5年以内に原則として廃止される。
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229)は、臨JESとは別に航格が設けられた理由の一つに「外部に対して秘匿扱いする必要があるものもある」ことを挙げている。1945年までに660件の航格が制定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "航格の特徴は、強制標準である点にある。航空機製造事業法第6条は、航格に適合しない航空機部品の製造または使用を禁じていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "昭和21年勅令第98号によって、1946年(昭和21年)2月に工業品統一調査会が廃止され、そのかわりに工業標準調査会が設けられた。旧JES、臨JESおよび航格を再検討し、これらのかわりに2,102件の日本規格(新JES)が制定された(工業技術院標準部 1997、p. 231)。旧JES、臨JESおよび航格は文語体で書かれていたが、新JESは口語体で書かれた(工業技術院標準部 1997、p. 231)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "工業標準化法は、1949年(昭和24年)6月1日に制定され、7月1日から施行された。工業標準調査会は廃止され、日本工業標準調査会(JISC)が設けられた。10月31日には、最初の日本工業規格(JIS)であるJIS C 0901 電気機器の防爆構造(炭坑用)が制定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2017年(平成29年)7月に経済産業省の産業構造審議会基準認証小委員会 第3回、日本工業標準調査会基本政策部会 第1回 合同会議は、日本の国内総生産の約70%がサービス業によるなど産業構造が変化したことを踏まえ、標準化対象のサービス業への拡大を含めた法改正の答申を行った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "翌2018年(平成30年)に第196回国会にて、工業標準化法の改正を含む「不正競争防止法等の一部を改正する法律」(平成30年5月30日法律第33号)が可決成立し、2019年(令和元年)7月1日に法律を産業標準化法に、規格名を日本産業規格 (JIS)に、日本工業標準調査会を日本産業標準調査会にそれぞれ改め、JISの標準化対象に「データ、サービス等」を追加することとなった。ただし、JISの英語名称は従来のまま変更はない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本は1995年に発効した貿易の技術的障害に関する協定により、ISO及びIECに準ずることが定められている。したがって、本協定に依れば、全てのJISは前述の国際規格に準じた内容とする必要がある。", "title": "国際規格(ISO, IEC, ITU)との関係" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ただし、各国特有の地域性や商習慣による変更は許容される。", "title": "国際規格(ISO, IEC, ITU)との関係" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "実際には、機械的に同時にすべてのJIS規格を国際規格に適合させることは困難であるため、規格内容の見直し等のタイミングでJIS規格の国際規格適合のための改訂が実施されている。", "title": "国際規格(ISO, IEC, ITU)との関係" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "JISの国際規格への対応の程度によって、JIS規格には略号が付される。略号はJIS文書の付属書等に対応表や説明書きを参照することで把握することができる。", "title": "国際規格(ISO, IEC, ITU)との関係" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "次の場合、国家規格は国際規格と一致する。", "title": "国際規格(ISO, IEC, ITU)との関係" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "産業標準化法にいう産業標準化は、つぎの事項を「全国的に統一し、又は単純化すること」を意味し、産業標準は、そのための基準である(第2条)。この法律に基づいて主務大臣が制定する産業標準が、日本産業規格と呼ばれる(第17条第1項)。", "title": "性格" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "産業標準化法における定義から明らかなように、JISは、日本全国を単位とした標準化のための基準である。この意味で、JISは日本の国家標準である。", "title": "性格" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "JIS以外の日本の国家標準としては、日本薬局方、日本農林規格 (JAS) などがある。", "title": "性格" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "JISは、法律に基づく手続を経て制定される標準であり、JISには一定の公正さが期待できる。このため、日本の法令が技術的な基準への適合を強制するにあたって、その基準としてJISを採用することがある。この意味で、JISは公的標準 (デジュリスタンダード; de jure standard)である。", "title": "性格" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "産業標準化法に改正され、データ、サービスも対象になったが、物に対する標準としては、定義から明らかなように、JISは鉱工業に関する標準化のための基準、すなわち工業標準であることに変更はない。医薬品、農薬、化学肥料、蚕糸、食料品などの標準化は、日本薬局方および日本農林規格の範疇である。", "title": "性格" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "産業標準化法に改正される前においても、情報技術についても工業標準としており、工業の範囲が広がっていた。情報技術分類では、対象となる情報そのものの標準を制定している。そのため、「工業」の範疇に収まらないJISも、近年制定されていた。例えば、2007年にはJIS X 0814 図書館統計というJISを制定している。今後は改正後の「電磁的記録」の標準として位置づけがされる。", "title": "性格" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "JISそれ自体は、JISに適合しない製品の製造、販売、使用、JISに適合しない方法の使用などを禁ずるものではない。この意味で、JISは基本的に任意標準である。ただし、国および地方公共団体に対して、JISは強制標準に準じた性格を有している。工業標準化法第67条は、国および地方公共団体が鉱工業に関する技術上の基準を定めるとき、買い入れる鉱工業品に関する仕様を定めるときなどに、JISを尊重すべきことを定めている。また、JISは法令が引用すれば、強制標準としてはたらくこともある。例えば、工業用水道事業法施行令第1条は、工業用水道事業者に対して、JIS K 0101 工業用水試験方法による水質の測定を、工業用水道事業法第19条の測定として義務づけている。", "title": "性格" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "「標準」と「規格」は、英語では共に「standard」であるためよく混同される。しかし厳密には、「規格」が文書化された基準(例:「デジュールスタンダード (de jure standard)」など)を指すのに対し、「標準」はより広義で、事実上標準化した基準である「デファクトスタンダード (de facto standard)」をも包含する。例えば、Microsoft Officeはデファクトスタンダードであるため、国際標準とは呼べるが、標準化団体の制定した国際規格ではない。", "title": "性格" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "JIS制定の手続は、主務大臣の意思又は利害関係人若しくは認定産業標準作成機関の申し出によって開始される。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "主務大臣の意思によってJISを制定するときは、主務大臣または主務大臣から委託を受けた者がJISの原案 (draft) を作成する。主務大臣は、標準化のための調査研究やJIS原案の作成を、国費を支出して日本規格協会(JSA)などの適当な者に委託する。JIS原案の作成を委託された団体には原案作成委員会 (drafting committee) が結成され、この委員会がJIS原案を作成する。主務大臣はできあがった原案を日本産業標準調査会(JISC)に付議する。ただし認定産業標準作成機関が原案を作成した場合は付議を要さない。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "利害関係人は、みずから作成した原案を添えて、主務大臣に工業標準を制定すべき旨を申し出ることができる(産業標準化法第12条第1項)。申し出を受けた主務大臣がJISを制定すべきと認めるときは、大臣はその原案をJISCに付議する。制定の必要がないと認めるときは、大臣はJISCの意見を徴したうえ、その旨を理由とともに利害関係人に通知する。現在、つくられる規格の約80パーセントは利害関係人からの申し出による(日本工業標準調査会 2003)。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "認定産業標準作成機関は、2019年の改正であらたに作られた。JISの原案を作成する約300ある業界団体のうち、これまでに十分な実績があって、適正な合意形成プロセスを持つ団体については、「認定産業標準作成機関」として認定する。これらからの原案については、審議会での審議を省くことで制定のスピードアップがされる。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "日本産業標準調査会 (JISC)は、その標準部会 (the Standard Board) のもとに設置された専門委員会 (technical committee) において、主務大臣から付議された原案の審議 (investigation) および議決をする。標準部会長から上申を受けた調査会長は、主務大臣に答申する。JISを制定すべき旨の答申を受けたとき、主務大臣がJISの制定 (establishment) をする。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "主務大臣は環境大臣、経済産業大臣、厚生労働大臣、国土交通大臣、総務大臣、農林水産大臣、文部科学大臣または内閣総理大臣である(産業標準化法第72条)。複数の主務大臣が連名でJISを制定することもある。経済産業大臣を主務大臣とする規格が圧倒的に多い。やや古いデータであるが、工業技術院標準部 (1997)によれば、1997年3月末の時点で有効な規格8,161件のうち、通商産業大臣が主務大臣を務めるものは、他の大臣と共管の135件を含めて7,193件である。これは全規格の88パーセントを占める。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "JISを制定した主務大臣は、その旨の公示 (announcement) をする。公示は、名称、番号、および制定年月日を官報に掲載することによりおこなわれる(産業標準化法施行規則第3条)。JISの内容は官報には掲載されない。内容は経済産業省本省、経済産業局、沖縄総合事務局または都道府県庁で閲覧に供される。調査会のサイトにおいてPDFで閲覧することもできる。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "主務大臣は、JISの制定、確認または改正の日から5年以内に、それがなお適正であるかをJISCに付議する。JISCの答申に基づいて、主務大臣はJISの確認 (re-affirmation)、改正 (revision) または廃止 (withdrawal) をおこなう。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "制定、確認または改正から年月が経過しても規格が適正であるとき、規格は確認される。年月の経過にともなって規格を改める必要が生じたとき、規格は改正される。年月が経過して規格がもはや不要になったとき、規格は廃止される。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "主務大臣は、JISを確認、改正または廃止したときには、制定したときと同様に、その旨を公示する。", "title": "制定から廃止まで" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "製品がJISの要求を満足していることをJISに適合しているといい、適合していることを適合性 (conformance) という。製造者や輸入者が製品のJISへの適合性を取引者や需要者に示す手段として、第3者による認証 (certification)、第2者による確認および第1者自己適合宣言の三つがある。", "title": "適合性" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2005年10月1日から施行された改正法のもとでは、製品のJISへの適合性を登録認証機関が認証する。製造者または輸入者は、登録認証機関に認証を申請し、登録認証機関による審査を受ける。適合性の認証を受けた製品には、JISマークを表示することができる。", "title": "適合性" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "自己適合宣言の指針はJIS Q 1000 適合性評価—製品規格への自己適合宣言指針に定められている。", "title": "適合性" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "JISの内容は規格票という文書にあらわされる。", "title": "規格票" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "規格票の発行は、その「出版に関しては、規格の適正かつ網羅的な普及の観点から、あらゆる規格について需要に応じ一元的に販売できる体制を整えることが必要である」ことから、日本規格協会 (JSA)に委託されている。2009 (平成21)年度においては、規格票とJISハンドブックの販売によるJSAへの収入は、1,574,901,508円であった。", "title": "規格票" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "規格票の様式はJIS Z 8301 規格票の様式及び作成方法 (Rules for the layout and drafting of Japanese Industrial Standards) というJISに規定されている。", "title": "規格票" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "JSAは、複数の規格票を分野ごとにまとめた縮刷版をJISハンドブックとして発行している。JISハンドブックは、多くの規格について、規格票の冒頭に記されたまえがきや末尾に付された解説を収録していない。また、一部の規格については、本文の一部を収録していない。JISハンドブックの各巻は1年から3年に1度改訂される。", "title": "規格票" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "個々のJISは規格番号によって識別できる。例えば、JIS B 0001は規格番号の一つである。", "title": "規格番号" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "規格番号のうち、「JIS」のつぎのローマ字1文字は、部門記号と呼ばれ、JISの部門をあらわす。現在、表に示す20の部門がある。", "title": "規格番号" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "部門記号に続く数字は、各部門で一意な番号である。かつて、番号はもっぱら4桁だった。現在、国際規格と一致または対応するJISについては、国際規格の番号とJISの番号を同じにしておくことが便利であるので、国際規格が5桁の番号を持つ場合には、それに合わせた5桁の番号が用いられるようになっている。ISO/IEC 17000を翻訳したJIS Q 17000 適合性評価—用語及び一般原則はその例である。また、「電子機器及び電気機械」部門において、一部の規格の規格番号がIEC規格に対応した5桁のものに変更された(日本工業標準調査会 2004)。", "title": "規格番号" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "大きな規格は第1部、第2部といった部 (part) に分かれていて、部ごとに制定、改正などがおこなわれ、部ごとに規格票が発行される。部を識別するために枝番号が用いられる。番号の後にハイフンおよび枝番号を記載する。つぎは、枝番号を使用した例である。", "title": "規格番号" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "文書においてJISが規格番号によって参照されている場合、通常、読者がその文書を読んでいる時点での最新版が参照されていると考える。特定の版を参照したいときには、規格番号の後にコロンおよび制定または改正の年を西暦で記載する。例えば、JIS B 0001の2000年改正版を参照したいときは、JIS B 0001:2000と書く。", "title": "規格番号" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1995年以前のJISでは、枝番号が用いられていなかった。現在では番号および枝番号を区切るために用いられているハイフンは、かつては番号および年を区切るために用いられていた。例えば、JIS B 0001は1958年にJIS B 0001-1958として制定された。", "title": "規格番号" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "JISマークは、製品がJISへの適合性の認証を受けたときに、製品そのもの、製品の包装、製品の容器または製品の送り状に付することができる、JISへの適合性を示すためのマークである。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "JISマークは、1949年(昭和24年)の工業標準化法制定以来付されてきたマークであったが、2004年(平成16年)の工業標準化法の改正により従来とは異なる新たな表示制度に改正された。これに伴いマークのデザインも刷新された。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "旧JISマーク:", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "新JISマーク:", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "新JISマークのデザインは公募により選ばれた(日本規格協会 2004)。これには5,000件近い応募があった(日本工業標準調査会 2005a)。応募の中から水野尚雄がデザインしたものが選ばれ、2005年3月28日に発表された(経済産業省 2005)。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "この新JISマークは2005年(平成17年)10月1日から製品などに付することができるが、改めて適合性の認証を得たうえでなければならない。ただし旧から新への移行期間として3年間、2008年(平成20年)9月30日まで旧マークは付することができ、この3年間内に改めて適合の認証を得る。認証が得られない場合は新マークを付することができない。すなわち、2008年10月1日以降の製品などはすべて改めて適合性の認証を得たか、新たに認証を得て新マークを付したものとなる。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "JISマークは直線および円弧のみを用いて描けるように設計されている。その制式は、鉱工業品及びその加工技術に係る日本産業規格への適合性の認証に関する省令(平成17年3月30日厚生労働省・農林水産省・経済産業省・国土交通省令第6号)第1条第1項から第3項に掲げられている。e-Gov法令検索が提供する同省令にJISマークの図は掲載されている。また、JISマークはこの省令の一部なので、著作権法第13条(権利の目的とならない著作物)の第1号に該当し、著作権法第3章に規定された権利の対象とはならない。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "JISマークのデザインは次の内容を含むとされる。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "JISマーク「〄」はUnicodeにおいて「JAPANESE INDUSTRIAL STANDARD SYMBOL」として個別のコードポイントU+3004を割り当てられている。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "1992年リリースのUnicode 1.0.1まで、符号位置はU+32FFであり、現在地のU+3004には漢字「仝」が割り当てられていた。1993年リリースのUnicode 1.1において「仝」はU+4EDDに統合され、その跡地にJISマークが移動されることで現在の符号位置となった。なお、元のU+32FFは長らく空いたままだったが、2019年リリースのUnicode 12.1で「令和」(令和の合字)が追加されている。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "JIS X 0208などJIS自体による文字集合にJISマークが含まれていないことを考えるとUnicodeへの収録はやや奇妙に思えるが、これはShift_JISのAppleによる拡張「MacJapanese」に旧JISマークが含まれていたことから、ラウンドトリップ変換対応への必要性から収録されたものであり、類似の事例としては韓国産業標準(朝鮮語版)のマーク「㉿」がU+327Fに割り当てられていることが知られている。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "新JISマークの制定後、新旧両マークの扱いについてはUnicode公式メーリングリストにおいて話題に上ることはあるものの、新JISマークの新規収録や置き換え等は今のところ決定されておらず、仕様書におけるU+3004の例示字形は旧JISマークのままとなっている。JISマーク改定後に製作された代表的なフォントであるマイクロソフトの「メイリオ」や、Googleの「Noto」においては、U+3004のデザインは旧JISマークのまま維持されている。", "title": "JISマーク" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "JISが取扱う知的財産権 (IPR) には、特許権、実用新案権、商標権、著作権などがある。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "知的財産権の保護対象は、特許権が発明、実用新案権が考案、商標権が商標、著作権が著作物と様々であることから、それぞれ異なる取扱いをする必要がある。したがって、標準化機関が知的財産権の取扱方針、IPRポリシー、パテントポリシー等を作成する場合には、特許権に関する規定を著作権に当てはめるなどの誤解をすることなく、細心の注意を払う必要がある。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "日本工業標準調査会(2006)は、特許権、実用新案権などと抵触する工業標準の案をJISとして制定するにあたっては、非差別的かつ合理的な条件で実施許諾する旨の書面を権利者から取り付けるとしている。また、JISの制定後に特許権等との抵触が明らかになった場合であって、権利者が非差別的かつ合理的条件で実施許諾する旨を表明しないときは、必要に応じて、JISの改正または廃止の手続をとるとしている。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "JISと抵触することが判明している特許権のリストは、JISCのデータベース(#外部リンク)の「工業所有権情報」で閲覧できる。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "JISを制定するに当たり「国(主務大臣)は、JIS原案を工業標準化法に基づいてJISCに付議し、JISCは、JIS原案について調査審議を行い、当該JIS原案がJISとして適切であると判断した場合、その旨を国(主務大臣)に答申し、国(主務大臣)は、当該JIS原案をJISとして制定する旨官報に公示する」という手続きが行われる。したがって、JISが著作権法上の著作物(同法2条1項1号)に該当する場合でも、JISの制定に国の機関(主務大臣)が関与していることから、「国の機関が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの」(著作権法13条2号)として著作権法で保護されない著作物に該当するのかどうかが問題になる。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "この点山本もぐ「日本工業規格の著作権」(2000)によれば、JISは著作権法による保護の対象となる著作物ではないという見解を、かつて工業技術院標準部が示した。ただしこの場合でも、JISの規格票の末尾に付されている解説は、JISの一部ではなく、その著作権は解説を著した原案作成者に帰属するとしている。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "しかしその後、JISCは『21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会報告書』(平成12年5月29日)44頁で、民間主導のJISの原案作成の更なる推進を提言した上で、「我が国では、規格原案作成を専業として行っている民間団体はなく、規格作成・普及だけで独立に採算を立てられる状況にはほとんどないものと考えられる」ことから「今後規格作成における民間の役割を更に強化するためには、引き続き民間における規格原案作成を支援していく一方、民間提案((注:工業標準化法)12条提案)に係る規格原案作成者に著作権を残す等、規格作成に係るインセンティブを高める方策を探る」との見解を示した。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "この提言に基づき、JISCは著作権の取扱いについて、「日本工業規格等に関する著作権の取扱方針について」(平成14年3月28日 日本工業標準調査会標準部会議決・平成14年4月24日適合性評価部会議決)を定めた。それによれば、1主務大臣または主務大臣の委託を受けた者が作成した原案の著作権は国に帰属し、2利害関係人が作成して主務大臣に提出した原案の著作権はその利害関係人に帰属するとしている。しかし2に該当する場合でも、調査会における調査審議、官報公示及び電子閲覧に伴うJIS原案/同規格の公表及び公衆送信、調査審議において原案の修正、追加などの翻案、さらにJSAによる規格票の販売など、国(主務大臣)は、JISの普及及び他の法令等に当該JISを使用するために必要かつ適切な範囲において、JIS原案/同規格にかかる本著作権者の著作権を制限することができるとしている。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "JISCウェブサイトではJISの検索・閲覧が可能である。ただし、閲覧には利用者登録を必要とする(2020年12月2日以降)。また、印刷・購入は不可となっており、購入に関しては日本規格協会が受付を行っている。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ISO規格、IEC規格、ITU規格といった国際規格は、各規格を作成している民間の国際標準化機関から著作権保護が主張されている。またJISCを含むISO加盟団体は、1992年11月に採用され1993年1月1日から発効しているPOCOSA協定 (ISO Policies and Procedures for Copyright, Copyright Exploitation Rights and Sales of ISO Publications) に基づいて、ISOが発行する規格を含む文書の著作権保護義務を負っている。この点、TBT協定に基づき、国家規格であるJISは国際規格のISO/IEC/ITUの規格内容に整合化する必要があるため、これらの国際規格を翻訳してJISに採用する際に著作権が問題になる。JISの原案に採用される国際規格を作成した国際標準化機関は、日本政府に対してその規格の著作権に基づいて権利を主張することは可能である。しかし国により制定されたJISを利用する国民、企業等との関係では、日本と諸外国とでは国家規格の制定プロセスにおいて次の表のとおり官民の違いがあり、民間団体により制定されている国際規格や先進諸外国の規格と、主務大臣によって制定されるJISを同列に論じるのは適当といえない。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "※出典:鳥澤孝之,「国家規格の著作権保護に関する考察 -民間団体が関与した日本工業規格の制定を中心に-」", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "また、著作権国際条約であるベルヌ条約、WIPO著作権条約、TRIPS協定で、各加盟国の国民・法人が有する著作権の外国での保護については、その外国の国内法令の定めるところによると規定されているため、スイスに本部があるISOの規格を原案としてJISを制定する場合も、ISOの著作権保護については日本の著作権法が適用される。以上のようなことから、国家標準化機関が政府審議会である日本の体制では、次節で述べる著作権法13条2号がJISについて適用されることから、ISOに対する著作権保護義務を果たせないとする著作権法学者の学術的見解がある。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "JIS規格票を所蔵する図書館等の複写サービスでは、規格票のうちJIS本文については著作権法13条2号が適用されるとして全文複写により提供する一方で、規格票に含まれる解説、JSA等が英訳したJIS本文、編集著作物であるJISハンドブックについては著作権が発生することから、著作権法31条1項1号に基づいて各資料の一部分について一部のみ提供するという運用が広く行われ、市民に対するJISの普及に貢献している。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "このようなJIS本文に著作権法13条2号が適用され著作権が発生しないとする見解に対しては、経済産業省から次のような批判がなされている。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "しかし1.については、同号の告示等は官報の掲載内容に限定されるものではない。法令公布に関する一般的規定は、法令等の公布を官報によって行う旨、第2次世界大戦前に規定していた公文式(明治19年2月26日勅令第1号)や公式令(明治40年2月1日勅令第6号)に相当するものは現在なく、最高裁判所大法廷判決において「法令の公布が、官報による以外の方法でなされることを絶対に認め得ないとまで云うことはできない」と判示しており、告示を含む法令等の効力は官報の掲載内容に拘束されない。また官報及び法令全書に関する内閣府令(昭和24年6月1日総理府・大蔵省令第1号)1条では、著作権法13条2号で規定するもののうち告示と訓令については官報の掲載内容として掲げているものの、通達については規定しないことから、同号により著作権法の保護対象とならない著作物は官報の掲載事項と連動しない。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "一方で主務大臣が制定した「工業標準は制定されることが目的ではなく、それが実施されることが目的であるから、各方面への普及徹底ということが最も重要である」。この点JISの官報公示においては、規格の名称、番号、制定・確認・改正・廃止の別、その年月日のみ掲載され(工業標準化法第16条、工業標準化法施行規則第3条)、「内容省略」とした上で、備考で", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "と付記している。このJISの内容を著した規格票の印刷・発行は、JISC事務局の監督の下にJSAが行い、上記の官報公示と並行して、制定又は改正されるJISの原稿をJSAに回付し、JSAがその原稿に基づいてJIS規格票を印刷・発行し、その窓口を通じて同規格票を販売・配布しているところである。さらに規格票は有償で頒布されているが、法令等が掲載される官報も有料で販売され、かつ規格票は国内で広く市場に流通していることから、規格について「その内容を公表することによって国民に知らしめ、また国民が自由に知るべきもの」となっている。このように、JISは官報と規格票を通じて公表され、JISの詳細内容は官報に代わって、国 (JISC)名義で公表された規格票に掲載されていることから、官報で規格内容が省略されたことを著作権発生の根拠にすることはできない。また「現在有効な法令約7,400件の中で、JIS規格を引用した法令は約360件(5%)もある」など、「単なる技術標準としてだけでなく、行政制度とのつながりも深いものとなっている」との指摘もなされている。例えば、「指定公証人の行う電磁的記録に関する事務に関する省令(平成十三年三月一日法務省令第二十四号)」では次のように日本工業規格を引用し、各規格の内容を知らなければ法令が規定する様式等を理解できず、規格が法令と同様のものとなっている。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "第2条", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "2.については、著作権法13条4号では国等が「作成する」法令等翻訳物及び編集物について著作権法の保護の対象にならないと規定しているのに対して、同法13条2号では国等が「発する」告示、訓令、通達等について規定していることから、同号で対象にする著作物は「官公庁自身が創作し国民に知らしめることが目的であるような場合に限定されるもの」ではない。また著作権法13条で法令、通達等の著作権が否定されるのは「公益的な見地から、国民に広く知らせ、かつ、自由に利用させるべき性質の著作物には、権利を認める結果としてその円滑な利用を阻害することとなるのを防ぐという観点から」であるところ、JISの原案作成者が官公庁以外の者であることを理由に著作権の発生を認めれば、JISを利用する国民の生活や企業活動等に支障をきたし、国内に広く知らしめることを主要な機能とするJISの役割を損なうことになる。なお原案作成者に著作権が認められない場合でも、原案を採用した主務大臣から補償金等を得て経済的利益を確保することは可能である。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "以上のように、JISが著作権法の保護対象であるとする経済産業省の見解は、JISの著作権保護の必要性を訴えているが、著作権法上の根拠について判例、学説、著作権法所管省庁(文化庁)の見解などを引用することなく主張しているもので、政策論と法解釈論を混同したものとなっている。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "このようにISO、IECといった国際規格や、民間団体が作成した原案を元に制定された場合でもJISに著作権が認められないのは、日本の国家標準化機関であるJISCが国営であることによるともされる。この点、JISCの民営化や、規格制定事業の民間機関への移管を行うべきであるとの主張が、専門家からなされている。", "title": "JISおよび知的財産権" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "JISCには、一般の標準規格の制定作業とは他に、標準仕様書 (TS: Technical Specifications) 制度と標準報告書 (TR: Technical Reports) 制度がある。これは進歩が早い技術分野において、まだ標準規格としては未熟でも将来重要と考えられる技術文書を公表することで、議論を促し、将来のスムーズな標準化につなげることを目的としている。TS文書・TR文書は誰でも提案することができる。", "title": "標準仕様書 (TS) と標準報告書 (TR)" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "現時点ではJISCとしてJIS化にふさわしいと判断されなかったが、将来は標準化の可能性があるとされる技術文書。", "title": "標準仕様書 (TS) と標準報告書 (TR)" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "TS文書は公表後3年以内に、原則として廃止・JIS化・3年延長のいずれかの処理がなされる。なお3年延長は1度限りしか行われない。", "title": "標準仕様書 (TS) と標準報告書 (TR)" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "標準に関連する技術文書であるが、JISでの標準化がふさわしくないもの。", "title": "標準仕様書 (TS) と標準報告書 (TR)" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "TR文書は公表後5年以内に原則として廃止される。", "title": "標準仕様書 (TS) と標準報告書 (TR)" } ]
日本産業規格(にほんさんぎょうきかく、は、産業標準化法に基づき、認定標準作成機関の申し出又は日本産業標準調査会の答申を受けて、主務大臣が制定する規格であり、日本の国家標準の一つである。JISまたはJIS規格と通称されている。 1949年以来、長らく日本工業規格と呼ばれてきたが、法改正に伴い2019年7月1日より改称された。
{{複数の問題 | 参照方法 = 2019年6月24日 (月) 17:31 (UTC) | 独自研究 = 2019年6月24日 (月) 17:31 (UTC) | 内容過剰 = 2019年6月24日 (月) 17:31 (UTC) }} {{redirect|JIS}} [[画像:JIS_mark.svg|thumb|right|125px|現行JIS[[マーク]]<br/>([[鉱業|鉱]][[工業品]]用)]] [[画像:JIS_mark_old.svg|thumb|right|125px|旧JISマーク<br/>([[鉱業|鉱]][[工業品]]用)]] {{読み仮名|'''日本産業規格'''|にほんさんぎょうきかく|{{lang-en-short|Japanese Industrial Standards}}<ref group="注釈">JIS全体を指すときは複数形のsを付けてStandardsとし、個々の規格を指すときはsを付けずにStandardとする。</ref>}}は、[[産業標準化法]]に基づき、認定標準作成機関の申し出又は[[日本産業標準調査会]](JISC)の答申を受けて、主務[[大臣]]が制定する[[規格]]であり、日本の国家標準の一つである。{{読み仮名|'''JIS'''|ジス}}または{{読み仮名|'''JIS規格'''|ジスきかく}}<ref group="注釈">JISのSは[[英語]] {{lang|en|[[標準化|Standards]]}} の[[頭文字]]であって規格を意味するので、「JIS規格」という表現は冗長であり、これを誤りとする人もある([[RAS症候群]])。ただしこの表現は、JISC、[[日本規格協会|JSA]]および[[日本放送協会|NHK]]の[[ウェブサイト|サイト]]でも一部用いられている。</ref>と通称されている。 [[1949年]]以来、長らく{{読み仮名|'''日本工業規格'''|にほんこうぎょうきかく}}と呼ばれてきたが、法改正に伴い[[2019年]][[7月1日]]より改称された(後述)。 == 歴史 == [[明治時代]]には、日本の[[工業規格]]は[[民間団体]]が作っていた。ただし、[[軍需品]]などの政府調達品には、[[政府]]の購入[[規格]]、試験規格、標準仕様書があった。 === 日本標準規格 === [[1921年]]([[大正]]10年)には、大正10年[[勅令]]第164号に基づいて'''工業品規格統一[[調査]]会'''が設置された。この調査会は、1941年までに520件の'''日本標準規格'''('''旧JES'''、Japanese Engineering Standards)を制定した。 === 臨時日本標準規格 === '''臨時日本標準規格''' ('''臨JES''')は、[[1939年]]([[昭和]]14年)から[[1945年]](昭和20年)までの間に931件制定された。臨JESには、規格が要求する[[品質]]を下げて物資の有効利用をはかることおよび、制定[[手続]]を簡素化して規格の制定を促進すること、というねらいがあった([[工業技術院]]標準部 1997、p. 226)。'''臨時規格'''または'''戦時規格'''とも呼ばれた([[国立国会図書館]] 2006)。 === 日本航空機規格 === '''日本航空機規格'''('''航格''')は、[[1938年]](昭和13年)の[[航空機製造事業法 (昭和13年)|航空機製造事業法]]<ref>昭和13年3月30日法律第41号。現行の[[航空機製造事業法]](昭和27年7月16日法律第237号)ではない。</ref>第6条に基づいて定められた[[航空機]]の規格である。工業技術院標準部(1997、p. 229)は、臨JESとは別に航格が設けられた理由の一つに「外部に対して秘匿扱いする必要があるものもある」ことを挙げている。1945年までに660件の航格が制定された。 航格の特徴は、強制標準である点にある。航空機製造事業法第6条は、航格に適合しない航空機部品の製造または使用を禁じていた。 === 日本規格 === 昭和21年勅令第98号によって、1946年(昭和21年)2月に工業品統一調査会が廃止され、そのかわりに'''工業標準調査会'''が設けられた。旧JES、臨JESおよび航格を再検討し、これらのかわりに2,102件の'''日本規格'''('''新JES''')が制定された(工業技術院標準部 1997、p. 231)。旧JES、臨JESおよび航格は[[文語体]]で書かれていたが、新JESは[[口語体]]で書かれた(工業技術院標準部 1997、p. 231)。 === 日本工業規格 === [[産業標準化法|工業標準化法]]は、[[1949年]](昭和24年)[[6月1日]]に制定され、7月1日から施行された。工業標準調査会は廃止され、'''[[日本産業標準調査会|日本工業標準調査会]]'''(JISC)が設けられた。10月31日には、最初の'''日本工業規格'''('''JIS''')である'''JIS C 0901 [[電気機器]]の[[防爆]]構造([[炭坑]]用)'''が制定された。 === 日本産業規格 === 2017年([[平成]]29年)7月に[[経済産業省]]の産業構造審議会基準認証小委員会 第3回、日本工業標準調査会基本政策部会 第1回 合同会議は、日本の[[国内総生産]]の約70%が[[サービス業]]によるなど産業構造が変化したことを踏まえ、標準化対象のサービス業への拡大を含めた法改正の答申を行った<ref name=sangyou1>{{Cite web|和書 | url = https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sangyo_gijutsu/kijun_ninsho/pdf/003_02_00.pdf | title = 今後の基準認証の在り方 | publisher = [[経済産業省]] | accessdate = 2019/7/1 | date = 2017/7/21 }}</ref>。 翌[[2018年]](平成30年)に[[第196回国会]]にて、工業標準化法の改正を含む「不正競争防止法等の一部を改正する法律」(平成30年5月30日法律第33号)が可決成立し<ref name=sangyou2>{{Cite web|和書 | url = http://www.meti.go.jp/policy/economy/hyojun/JISho.html | title = JIS法改正(産業標準化法) | publisher = 経済産業省 | accessdate = 2018-12-02 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20181202102836/http://www.meti.go.jp/policy/economy/hyojun/JISho.html | archivedate = 2018-12-02 }}</ref>、[[2019年]]([[令和]]元年)[[7月1日]]に法律を'''産業標準化法'''に、規格名を'''日本産業規格''' ('''JIS''')に、日本工業標準調査会を'''日本産業標準調査会'''にそれぞれ改め、JISの標準化対象に「データ、サービス等」を追加することとなった{{R|sangyou2}}。ただし、JISの英語名称は従来のまま変更はない{{R|sangyou2}}。 == 国際規格(ISO, IEC, ITU)との関係 == === JISの国際規格との整合性 === 日本は1995年に発効した[[貿易の技術的障害に関する協定]]により、[[ISO]]及び[[国際電気標準会議|IEC]]に準ずることが定められている。したがって、本協定に依れば、全てのJISは前述の国際規格に準じた内容とする必要がある。 ただし、各国特有の地域性や商習慣による変更は許容される。 実際には、機械的に同時にすべてのJIS規格を国際規格に適合させることは困難であるため、規格内容の見直し等のタイミングでJIS規格の国際規格適合のための改訂が実施されている。 === JISの国際規格対応の程度について=== JISの国際規格への対応の程度によって、JIS規格には略号が付される。略号はJIS文書の付属書等に対応表や説明書きを参照することで把握することができる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jisc.go.jp/jis-act/pdf/jis-seigouka.pdf|title=JISと国際規格との整合化について|accessdate=2020/02/04|publisher=日本産業標準調査会}}</ref>。 * IDT(Identical):一致 次の場合、国家規格は国際規格と一致する。 : a) 国家規格が、技術的内容、構成及び文言に関して一致している。 : b) 国家規格が、技術的内容及び構成に関して一致しているが、最小限の編集上の変更を含む。 * MOD(Modified):修正 : 許容される技術的差異が明記され、説明されている場合は、国家規格は、国際規格に対する修正となる。 : 国家規格は国際規格の構成を反映するが、構成を改変しても両規格の内容が容易に比較できる場合は、構成の変更が許される。修正規格も、一致規格の場合に許される変更を含んでよい。 * NEQ(Not Equivalent):同等でない : 国家規格は、技術的内容及び構成において、国際規格と 同等でなく、変更点が明記されていない。 : 国家規格と国際規格との明確な対応が見られない。このカテゴリは、国際規格の採用に該当しない。 == 性格 == === 産業標準化法における定義 === 産業標準化法にいう'''産業[[標準化]]'''は、つぎの事項を「[[全国]]的に統一し、又は単純化すること」を意味し、'''産業標準'''は、そのための基準である(第2条)。この法律に基づいて主務[[大臣]]が制定する産業標準が、日本産業規格と呼ばれる(第17条第1項)。 * [[鉱業|鉱]][[工業]]品の種類、[[型式]]、[[形状]]、[[寸法]]、[[構造]]、装備、[[品質]]、[[等級]]、[[成分]]、[[性能]]、耐久度または[[安全]]度 * 鉱工業品の[[生産]]方法、[[設計]]方法、[[製図]]方法、[[使用 (法律)|使用]]方法または原単位 * 鉱工業品の生産に関する作業方法または安全条件 * 鉱工業品の[[包装]]の種類、型式、形状、寸法、構造、性能または等級 * 鉱工業品の包装方法 * 鉱工業品に関する[[試験]]、[[分析]]、[[鑑定]]、[[検査]]、[[検定]]または[[測定]]の方法 * 鉱工業の技術に関する[[用語]]、[[略語]]、[[記号]]、[[符号]]、[[標準数]]または[[単位]] * プログラムその他の電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。)(以下単に「電磁的記録」という。)の種類、構造、品質、等級又は性能 * 電磁的記録の作成方法又は使用方法 * 電磁的記録に関する試験又は測定の方法 * 建築物その他の構築物の設計、施行方法または安全条件 * 役務(農林物資の販売その他の取扱いに係る役務を除く。以下同じ。)の種類、内容、品質又は等級 * 役務の内容又は品質に関する調査又は評価の方法 * 役務に関する用語、略語、記号、符号又は単位 * 役務の提供に必要な能力 * 事業者の経営管理の方法(日本農林規格等に関する法律第二条第二項第二号に規定する経営管理の方法を除く。) * 前各号に掲げる事項に準ずるものとして主務省令で定める事項 * 鉱工業品には、産業標準化法第2条第1号の定義により、[[医薬品]]、[[農薬]]、[[化学肥料]]、[[蚕糸]]および[[農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律]]による農林物資を含まない。 === 国家標準 === 産業標準化法における定義から明らかなように、JISは、[[日本]]全国を単位とした標準化のための基準である。この意味で、JISは日本の'''[[国家標準]]'''である。 JIS以外の日本の国家標準としては、[[日本薬局方]]、[[日本農林規格]] (JAS) などがある。 === 公的標準 === JISは、[[法律]]に基づく手続を経て制定される標準であり、JISには一定の公正さが期待できる。このため、日本の法令が技術的な基準への適合を強制するにあたって、その基準としてJISを採用することがある。この意味で、JISは'''[[デジュリスタンダード|公的標準]]''' (デジュリスタンダード; ''de jure'' standard)である。 === 産業標準 === 産業標準化法に改正され、データ、サービスも対象になったが、物に対する標準としては、定義から明らかなように、JISは鉱工業に関する標準化のための基準、すなわち'''[[工業標準]]'''であることに変更はない。医薬品、農薬、化学肥料、蚕糸、食料品などの標準化は、日本薬局方および日本農林規格の範疇である。 産業標準化法に改正される前においても、[[情報技術]]についても工業標準としており、工業の範囲が広がっていた。情報技術分類では、対象となる[[情報]]そのものの標準を制定している。そのため、「工業」の範疇に収まらないJISも、近年制定されていた。例えば、2007年にはJIS X 0814 [[図書館]]統計というJISを制定している。今後は改正後の「電磁的記録」の標準として位置づけがされる。 === 任意標準 === JISそれ自体は、JISに適合しない製品の[[製造]]、[[販売]]、使用、JISに適合しない方法の使用などを禁ずるものではない。この意味で、JISは基本的に'''[[任意標準]]'''である。ただし、国および地方公共団体に対して、JISは'''[[強制標準]]'''に準じた性格を有している。工業標準化法第67条は、[[国]]および[[地方公共団体]]が鉱工業に関する技術上の基準を定めるとき、買い入れる鉱工業品に関する仕様を定めるときなどに、JISを尊重すべきことを定めている。また、JISは[[法令]]が引用すれば、強制標準としてはたらくこともある。例えば、工業用水道事業法施行令第1条は、工業用水道事業者に対して、JIS K 0101 工業用水試験方法による水質の測定を、[[工業用水道事業法]]第19条の測定として義務づけている。 === 規格 === 「標準」と「規格」は、英語では共に「standard」であるためよく混同される。しかし厳密には、「規格」が文書化された基準(例:「[[デジュリスタンダード|デジュールスタンダード]] (de jure standard)」など)を指すのに対し、「標準」はより広義で、事実上標準化した基準である「[[デファクトスタンダード]] (de facto standard)」をも包含する。例えば、[[Microsoft Office]]はデファクトスタンダードであるため、国際標準とは呼べるが、標準化団体の制定した国際規格ではない。 == 制定から廃止まで == === 原案作成 === JIS制定の手続は、主務大臣の意思又は利害関係人若しくは認定産業標準作成機関の申し出によって開始される。 主務大臣の意思によってJISを制定するときは、主務大臣または主務大臣から委託を受けた者がJISの'''原案''' (draft) を作成する。主務大臣は、標準化のための調査研究やJIS原案の作成を、国費を支出して[[日本規格協会]](JSA)などの適当な者に委託する。JIS原案の作成を委託された団体には'''原案作成委員会''' (drafting committee) が結成され、この委員会がJIS原案を作成する。主務大臣はできあがった原案を[[日本産業標準調査会]](JISC)に付議する。ただし認定産業標準作成機関が原案を作成した場合は付議を要さない。 '''利害関係人'''は、みずから作成した原案を添えて、主務大臣に工業標準を制定すべき旨を申し出ることができる(産業標準化法第12条第1項)。申し出を受けた主務大臣がJISを制定すべきと認めるときは、大臣はその原案をJISCに付議する。制定の必要がないと認めるときは、大臣はJISCの意見を徴したうえ、その旨を理由とともに利害関係人に通知する。現在、つくられる規格の約80パーセントは利害関係人からの申し出による(日本工業標準調査会 2003)。 認定産業標準作成機関は、2019年の改正であらたに作られた。JISの原案を作成する約300ある業界団体のうち、これまでに十分な実績があって、適正な合意形成プロセスを持つ団体については、「認定産業標準作成機関」として認定する。これらからの原案については、審議会での審議を省くことで制定のスピードアップがされる。 === 制定 === 日本産業標準調査会 (JISC)は、その'''標準部会''' (the Standard Board) のもとに設置された'''専門委員会''' (technical committee) において、主務大臣から付議された原案の'''審議''' (investigation) および議決をする。標準部会長から上申を受けた調査会長は、主務大臣に答申する。JISを制定すべき旨の答申を受けたとき、主務大臣がJISの'''制定''' (establishment) をする。 主務大臣は[[環境大臣]]、[[経済産業大臣]]、[[厚生労働大臣]]、[[国土交通大臣]]、[[総務大臣]]、[[農林水産大臣]]、[[文部科学大臣]]または[[内閣総理大臣]]である(産業標準化法第72条)。複数の主務大臣が連名でJISを制定することもある。経済産業大臣を主務大臣とする規格が圧倒的に多い。やや古いデータであるが、工業技術院標準部 (1997)によれば、1997年3月末の時点で有効な規格8,161件のうち、通商産業大臣が主務大臣を務めるものは、他の大臣と共管の135件を含めて7,193件である。これは全規格の88パーセントを占める。 JISを制定した主務大臣は、その旨の'''公示''' (announcement) をする。公示は、名称、番号、および制定年月日を官報に掲載することによりおこなわれる(産業標準化法施行規則第3条)。JISの内容は官報には掲載されない。内容は経済産業省本省、経済産業局、沖縄総合事務局または都道府県庁で閲覧に供される。調査会のサイトにおいてPDFで閲覧することもできる。 === 確認、改正または廃止 === 主務大臣は、JISの制定、確認または改正の日から5年以内に、それがなお適正であるかをJISCに付議する。JISCの答申に基づいて、主務大臣はJISの'''確認''' (re-affirmation)、'''改正''' (revision) または'''廃止''' (withdrawal) をおこなう。 制定、確認または改正から年月が経過しても規格が適正であるとき、規格は確認される。年月の経過にともなって規格を改める必要が生じたとき、規格は改正される。年月が経過して規格がもはや不要になったとき、規格は廃止される。 主務大臣は、JISを確認、改正または廃止したときには、制定したときと同様に、その旨を公示する。 == 適合性 == 製品がJISの要求を満足していることをJISに'''適合'''しているといい、適合していることを'''適合性''' (conformance) という。製造者や輸入者が製品のJISへの適合性を取引者や需要者に示す手段として、第3者による'''認証''' (certification)、第2者による確認および第1者'''自己適合宣言'''の三つがある。 === 認証 === 2005年10月1日から施行された改正法のもとでは、製品のJISへの適合性を'''登録認証機関'''が'''認証'''する。製造者または輸入者は、登録認証機関に認証を申請し、登録認証機関による'''審査'''を受ける。適合性の認証を受けた製品には、JISマークを表示することができる。 === 自己適合宣言 === 自己適合宣言の指針は'''JIS Q 1000 適合性評価—製品規格への自己適合宣言指針'''に定められている。 == 規格票 == JISの内容は'''規格票'''という文書にあらわされる。 規格票の発行は、その「出版に関しては、規格の適正かつ網羅的な普及の観点から、あらゆる規格について需要に応じ一元的に販売できる体制を整えることが必要である」ことから<ref>[http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g00608aj.pdf 日本工業標準調査会『21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会報告書』(平成12年5月29日)45頁]</ref>、日本規格協会 (JSA)に委託されている。2009 (平成21)年度においては、規格票とJISハンドブックの販売によるJSAへの収入は、1,574,901,508円であった<ref>[http://www.jsa.or.jp/aboutus/pdf/21syushi.pdf 財団法人日本規格協会「平成21年度収支計算書」]</ref>。 規格票の様式は'''JIS Z 8301 規格票の様式及び作成方法''' (Rules for the layout and drafting of Japanese Industrial Standards) というJISに規定されている。 === JISハンドブック === JSAは、複数の規格票を分野ごとにまとめた縮刷版を'''JISハンドブック'''として発行している。JISハンドブックは、多くの規格について、規格票の冒頭に記されたまえがきや末尾に付された解説を収録していない。また、一部の規格については、本文の一部を収録していない。JISハンドブックの各巻は1年から3年に1度改訂される。 == 規格番号 == {| class="wikitable" style="float:right; margin:0px 0px 3px 7px;" |+JISの部門記号および部門 !部門記号 !部門 |- | style="text-align:center" |A |[[土木]]及び[[建築]] |- | style="text-align:center" |B |一般[[機械]] |- | style="text-align:center" |C |[[電子機器]]及び[[電気機械]] |- | style="text-align:center" |D |[[自動車]] |- | style="text-align:center" |E |[[鉄道]] |- | style="text-align:center" |F |[[船舶]] |- | style="text-align:center" |G |[[鉄鋼]] |- | style="text-align:center" |H |[[非鉄金属]] |- | style="text-align:center" |K |[[化学]] |- | style="text-align:center" |L |[[繊維]] |- | style="text-align:center" |M |[[鉱山]] |- | style="text-align:center" |P |[[パルプ]]及び[[紙]] |- | style="text-align:center" |Q |[[管理システム]] |- | style="text-align:center" |R |[[窯業]] |- | style="text-align:center" |S |[[日用品]] |- | style="text-align:center" |T |[[医療]]安全用具 |- | style="text-align:center" |W |[[航空]] |- | style="text-align:center" |X |[[情報処理]] |- | style="text-align:center" |Y |[[サービス]] |- | style="text-align:center" |Z |その他 |} 個々のJISは'''規格番号'''によって識別できる。例えば、JIS B 0001は規格番号の一つである。 規格番号のうち、「JIS」のつぎの[[ラテン文字|ローマ字]]1文字は、'''[[部門]]記号'''と呼ばれ、JISの'''部門'''をあらわす。現在、表に示す20の部門がある。 部門記号に続く数字は、各部門で一意な'''番号'''である。かつて、番号はもっぱら4桁だった。現在、国際規格と一致または対応するJISについては、国際規格の番号とJISの番号を同じにしておくことが便利であるので、国際規格が5桁の番号を持つ場合には、それに合わせた5桁の番号が用いられるようになっている。ISO/IEC 17000を翻訳したJIS Q 17000 適合性評価—用語及び一般原則はその例である。また、「電子機器及び電気機械」部門において、一部の規格の規格番号が[[IEC規格]]に対応した5桁のものに変更された(日本工業標準調査会 2004)。 大きな規格は第1部、第2部といった'''部''' (part) に分かれていて、部ごとに制定、改正などがおこなわれ、部ごとに規格票が発行される。部を識別するために'''枝番号'''が用いられる。番号の後に[[ハイフン]]および枝番号を記載する。つぎは、枝番号を使用した例である。 * JIS B 0002-1 [[製図]]—[[ねじ]]及びねじ部品—第1部: 通則 * JIS B 0002-2 製図—ねじ及びねじ部品—第2部: ねじインサート * JIS B 0002-3 製図—ねじ及びねじ部品—第3部: 簡略図示方法 文書においてJISが規格番号によって参照されている場合、通常、読者がその文書を読んでいる時点での最新版が参照されていると考える。特定の版を参照したいときには、規格番号の後に[[コロン (記号)|コロン]]および制定または改正の年を[[西暦]]で記載する。例えば、JIS B 0001の2000年改正版を参照したいときは、JIS B 0001:2000と書く。 1995年以前のJISでは、枝番号が用いられていなかった。現在では番号および枝番号を区切るために用いられているハイフンは、かつては番号および年を区切るために用いられていた。例えば、JIS B 0001は1958年にJIS B 0001-1958として制定された。 == JISマーク == '''JISマーク'''は、製品がJISへの適合性の認証を受けたときに、製品そのもの、製品の包装、製品の容器または製品の送り状に付することができる、JISへの適合性を示すためのマークである。 JISマークは、1949年(昭和24年)の工業標準化法制定以来付されてきたマークであったが、2004年(平成16年)の工業標準化法の改正により従来とは異なる新たな表示制度に改正された。これに伴いマークのデザインも刷新された。 旧JISマーク: <gallery> File:JIS_mark_old.svg|鉱工業品用 </gallery> 新JISマーク: <gallery> File:JIS_mark.svg|鉱工業品用:鉱工業品のJISに適合の表示 File:JIS_Symbol_02.svg|加工技術用:加工技術のJISに適合の表示 File:JIS_Symbol_03.svg|特定側面用:性能、安全度などの特定の側面について定められたJISに適合の表示 </gallery> 新JISマークのデザインは公募により選ばれた(日本規格協会 2004)。これには5,000件近い応募があった(日本工業標準調査会 2005a)。応募の中から水野尚雄がデザインしたものが選ばれ、2005年3月28日に発表された(経済産業省 2005)。 この新JISマークは[[2005年]](平成17年)10月1日から製品などに付することができるが、改めて適合性の認証を得たうえでなければならない。ただし旧から新への移行期間として3年間、[[2008年]](平成20年)9月30日まで旧マークは付することができ、この3年間内に改めて適合の認証を得る。認証が得られない場合は新マークを付することができない。すなわち、2008年10月1日以降の製品などはすべて改めて適合性の認証を得たか、新たに認証を得て新マークを付したものとなる<ref>[http://www.jsa.or.jp/jiscba/file/jismark_oshirase.pdf 旧JISマーク認定工場の皆様へ!] [[日本規格協会]]</ref>。 JISマークは直線および円弧のみを用いて描けるように設計されている。その制式は、鉱工業品及びその加工技術に係る日本産業規格への適合性の認証に関する省令<ref group="注釈">令和元年7月1日厚生労働省・農林水産省・経済産業省・国土交通省令第4号による改正で、「日本工業規格への適合性の認証に関する省令」より改題。</ref>(平成17年3月30日厚生労働省・農林水産省・経済産業省・国土交通省令第6号)第1条第1項から第3項に掲げられている。[[e-Gov法令検索]]が提供する[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=417M60000f00006 同省令]にJISマークの図は掲載されている。また、JISマークはこの省令の一部なので、[[著作権法]]第13条(権利の目的とならない著作物)の第1号に該当し、著作権法第3章に規定された権利の対象とはならない。 JISマークのデザインは次の内容を含むとされる<ref>[http://www.jisc.go.jp/newjis/pdf/jis_new_pamph.pdf JISマーク表示制度]</ref>。 #「JIS」を横に並べることにより、世界中の人に一目で分かってもらえるようにした。 #Industry([[工業]])を示す「I」の文字を中心に置くことにより、工業製品のきっちりした品質を[[イメージ]]。 #丸い囲みには、認証OKの意味。 #円形の外周は[[日本]]を象徴し、[[右回り]]に旋回することにより、[[21世紀]]の日本の[[産業]]が[[発展]]していくイメージを重ねている。 #[[左右対称]]の丸い外周は、人の[[顔]]を想起させ、親しみを持ちやすくした。 === JISマークの寸法 === [[File:JIS_Symbol_01_Construction.svg|thumb|left|450px|JISマークの寸法]] {{-}} === Unicode符号位置 === {{特殊文字|説明=JISマーク記号}} JISマーク「{{MacJapanese|&#x3004;}}」は[[Unicode]]において「JAPANESE INDUSTRIAL STANDARD SYMBOL」として個別の[[コードポイント]]U+3004を割り当てられている。 [[1992年]]リリースのUnicode 1.0.1まで、符号位置はU+32FFであり、現在地のU+3004には漢字「[[仝]]」が割り当てられていた。[[1993年]]リリースのUnicode 1.1において「仝」はU+4EDDに統合され、その跡地にJISマークが移動されることで現在の符号位置となった。なお、元のU+32FFは長らく空いたままだったが、[[2019年]]リリースのUnicode 12.1で「&#x32FF;」([[令和]]の合字)が追加されている。 [[JIS X 0208]]などJIS自体による[[文字集合]]にJISマークが含まれていないことを考えるとUnicodeへの収録はやや奇妙に思えるが、これは[[Shift_JIS]]の[[Apple]]による拡張「[[MacJapanese]]」に旧JISマークが含まれていたことから、[[ラウンドトリップ変換]]対応への必要性から収録されたものであり、類似の事例としては{{仮リンク|韓国産業標準|ko|한국산업표준}}のマーク「&#x327F;」がU+327Fに割り当てられていることが知られている<ref>[http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51266454.html 404 Blog Not Found:Unicode - JISマークは一文字!]</ref>。 新JISマークの制定後、新旧両マークの扱いについてはUnicode公式[[メーリングリスト]]において話題に上ることはあるものの<ref>[http://unicode.org/mail-arch/unicode-ml/y2009-m08/thread.html 2009年7月]・[http://unicode.org/mail-arch/unicode-ml/y2009-m08/thread.html 2009年8月]のログを参照。</ref>、新JISマークの新規収録や置き換え等は今のところ決定されておらず、仕様書におけるU+3004の例示字形は旧JISマークのままとなっている。JISマーク改定後に製作された代表的な[[フォント]]である[[マイクロソフト]]の「[[メイリオ]]」や、[[Google]]の「[[Noto]]」においては、U+3004のデザインは旧JISマークのまま維持されている。 {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|12292|3004|-|JAPANESE INDUSTRIAL STANDARD SYMBOL|font=MacJapanese}} |} == JISおよび知的財産権 == JISが取扱う[[知的財産権]] (IPR) には、[[特許権]]、[[実用新案権]]、[[商標権]]、[[著作権]]などがある。 知的財産権の保護対象は、特許権が[[発明]]、実用新案権が[[考案]]、商標権が[[商標]]、著作権が[[著作物]]と様々であることから、それぞれ異なる取扱いをする必要がある。したがって、標準化機関が知的財産権の取扱方針、IPRポリシー、パテントポリシー等を作成する場合には、特許権に関する規定を著作権に当てはめるなどの誤解をすることなく、細心の注意を払う必要がある<ref>和久井理子『技術標準をめぐる法システム―企業間協力と競争,独禁法と特許法の交錯』(商事法務、2010年 ISBN 4785717912)258-259頁参照</ref>。 === 特許権および実用新案権 === 日本工業標準調査会(2006)は、特許権、実用新案権などと抵触する工業標準の案をJISとして制定するにあたっては、非差別的かつ合理的な条件で実施許諾する旨の書面を権利者から取り付けるとしている。また、JISの制定後に特許権等との抵触が明らかになった場合であって、権利者が非差別的かつ合理的条件で実施許諾する旨を表明しないときは、必要に応じて、JISの改正または廃止の手続をとるとしている。 JISと抵触することが判明している特許権のリストは、JISCのデータベース([[#外部リンク]])の「工業所有権情報」で閲覧できる。 === 著作権 === {{独自研究|section=1|date=2019年6月}} ==== 著作権法上の問題点 ==== JISを制定するに当たり「国(主務大臣)は、JIS原案を工業標準化法に基づいてJISCに付議し、JISCは、JIS原案について調査審議を行い、当該JIS原案がJISとして適切であると判断した場合、その旨を国(主務大臣)に答申し、国(主務大臣)は、当該JIS原案をJISとして制定する旨官報に公示する」という手続きが行われる<ref>[https://www.jisc.go.jp/jis-act/pdf/applicationform/jis_copyright.docx 「日本工業規格等に関する著作権の取扱方針について」(平成14年3月28日 日本工業標準調査会標準部会議決・平成14年4月24日適合性評価部会議決)2頁]</ref>。したがって、JISが[[著作権法]]上の[[著作物]](同法2条1項1号)に該当する場合でも、JISの制定に国の機関(主務大臣)が関与していることから、「国の機関が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの」(著作権法13条2号)として著作権法で保護されない著作物に該当するのかどうかが問題になる。 ==== 著作権の取扱いの経緯 ==== この点[https://web.archive.org/web/20051221112956/http://www.geocities.com/mogukun/jis/copyright.html 山本もぐ「日本工業規格の著作権」(2000)]によれば、JISは著作権法による保護の対象となる著作物ではないという見解を、かつて[[工業技術院]]標準部が示した。ただしこの場合でも、JISの規格票の末尾に付されている解説は、JISの一部ではなく、その著作権は解説を著した原案作成者に帰属するとしている。 しかしその後、JISCは[http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g00608aj.pdf 『21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会報告書』(平成12年5月29日)44頁]で、民間主導のJISの原案作成の更なる推進を提言した上で、「我が国では、規格原案作成を専業として行っている民間団体はなく、規格作成・普及だけで独立に採算を立てられる状況にはほとんどないものと考えられる<ref group="注釈">なお平成13年の省庁再編の際には、行政組織の減量・効率化の観点から[[工業技術院]](当時)の付属機関であったJISCなどの位置づけが問題になったが、[https://www.kantei.go.jp/jp/990126kettei/9901taikou-6.html 中央省庁等改革大綱(1999 (平成11)年1月26日 中央省庁等改革推進本部決定)]で「通商産業省の工業技術院標準実施部門について、一部民間で対応できない規格作成等を除き、民間移譲する。」とされた。その結果、規格制定部門については経済産業省産業技術環境局に移管することになり([http://www.meti.go.jp/intro/downloadfiles/s000012.pdf 通商産業省『通商産業省組織の移管先一覧』(2000 (平成12)年12月)19-20頁]参照)、国営による国家標準化事業を維持することになった。</ref>」ことから「今後規格作成における民間の役割を更に強化するためには、引き続き民間における規格原案作成を支援していく一方、民間提案((注:工業標準化法)12条提案)に係る規格原案作成者に著作権を残す等、規格作成に係るインセンティブを高める方策を探る<ref group="注釈">ただし、同報告書の作成について検討した[https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/285403/www.meti.go.jp/kohosys/committee/oldsummary/0000806/index.html 日本工業標準調査会21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会(第6回)〔2000 (平成12)年5月10日〕]で、山田肇委員から「著作権の話に関して、『著作権を原案作成団体に残す』ことの意義が印税を渡せるようにするということであれば、その効果は非常にわずかであろう」との指摘がなされた。</ref>」との見解を示した<ref group="注釈">なおこの委員会の委員には、著作権法を含めた知的財産法専攻の研究者、法曹実務家等の有識者は加わっていない。[http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g00608aj.pdf 『21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会報告書』(2000 (平成12)年5月29日)58頁]参照。</ref>。 この提言に基づき、JISCは[[著作権]]の取扱いについて、[https://www.jisc.go.jp/jis-act/pdf/applicationform/jis_copyright.docx 「日本工業規格等に関する著作権の取扱方針について」(平成14年3月28日 日本工業標準調査会標準部会議決・平成14年4月24日適合性評価部会議決)]を定めた。それによれば、①主務大臣または主務大臣の委託を受けた者が作成した原案の著作権は国に帰属し、②利害関係人が作成して主務大臣に提出した原案の著作権はその利害関係人に帰属するとしている。しかし②に該当する場合でも、調査会における調査審議、官報公示及び電子閲覧に伴うJIS原案/同規格の公表及び公衆送信、調査審議において原案の修正、追加などの翻案、さらにJSAによる規格票の販売など、国(主務大臣)は、JISの普及及び他の法令等に当該JISを使用するために必要かつ適切な範囲において、JIS原案/同規格にかかる本著作権者の著作権を制限することができるとしている。 JISCウェブサイトではJISの検索・閲覧が可能である。ただし、閲覧には利用者登録を必要とする(2020年12月2日以降)。また、印刷・購入は不可となっており、購入に関しては日本規格協会が受付を行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jisc.go.jp/jis-act/reading.html |title=JISの入手閲覧方法 |publisher=日本産業標準調査会 |accessdate=2021-03-13 }}</ref>。 ==== 国際規格の翻訳利用との関係 ==== [[国際標準化機構|ISO]]規格、[[国際電気標準会議|IEC]]規格、[[国際電気通信連合|ITU]]規格といった国際規格は、各規格を作成している民間の国際標準化機関から著作権保護が主張されている。またJISCを含むISO加盟団体は、1992年11月に採用され1993年1月1日から発効しているPOCOSA協定 (ISO Policies and Procedures for Copyright, Copyright Exploitation Rights and Sales of ISO Publications) に基づいて、ISOが発行する規格を含む文書の著作権保護義務を負っている<ref>[https://web.archive.org/web/20130310012049/http://www.jsa.or.jp/itn/pdf/shiryo/iso_ipprotection.pdf ISO の知的財産権保護に関する指針及び方針(理事会決議42/1996 で承認)〔GUIDELINES AND POLICIES FOR THE PROTECTION OF ISO’s INTELLECTUAL PROPERTY (as approved under Council resolution 42/1996)〕]</ref><ref group="注釈">ただし、国際規格 (ISO/IEC) を基礎としてJIS原案を作成する場合について、JISCは「JISに採用する場合は国際機関に対する事前許諾及びロイヤリティは原則として必要ありません」と説明している。[https://www.jisc.go.jp/jis-act/pdf/jis-manual.pdf#page=8 経済産業省産業技術環境局工業標準調査室・一般財団法人日本規格協会規格開発ユニット規格管理グループ標準チーム『JIS等原案作成マニュアル』(平成29年4月版)6頁]参照。</ref>。この点、[[貿易の技術的障害に関する協定|TBT協定]]に基づき、国家規格であるJISは国際規格のISO/IEC/ITUの規格内容に整合化する必要があるため、これらの国際規格を翻訳してJISに採用する際に著作権が問題になる。JISの原案に採用される国際規格を作成した国際標準化機関は、日本政府に対してその規格の著作権に基づいて権利を主張することは可能である。しかし国により制定されたJISを利用する国民、企業等との関係では、日本と諸外国とでは国家規格の制定プロセス<ref group="注釈">[https://www.jisc.go.jp/jis-act/cap_process.html 日本工業標準調査会「JISの制定等のプロセス&lt;図の説明&gt;」参照]</ref>において次の表のとおり官民の違いがあり<ref>[http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g00608aj.pdf 日本工業標準調査会『21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会報告書』(2000 (平成12)年5月29日)53頁(表1 主要国の国家標準化機関と政府との関係について)]</ref><ref>[https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1368617/www.meti.go.jp/discussion/topic_2006_10/main_01.htm 高柳誠一・田中正躬・松本隆太郎「座談会【国際標準化100年を記念して】」経済産業ジャーナル No.426(2006年10月号)13頁参照]</ref>、民間団体により制定されている国際規格や先進諸外国の規格と、主務大臣によって制定されるJISを同列に論じるのは適当といえない。 {| class="wikitable" |+ 主要国の政府と国家標準化機関の状況 |- ! 国名 !! 日本 !! 米国 !! カナダ !! 英国 !! ドイツ !! フランス |- | '''政府における標準化管理部署''' || 経済産業省産業技術環境局基準認証ユニット || 商務省国家標準技術研究所 (NIST) || 産業省消費者問題局 (OCA) など || ビジネス・イノベーション・技能省 (BIS) || 経済技術省 (BMWi) || 経済産業雇用省 (MEIE) |- | '''国家標準化機関''' || [[日本産業標準調査会]] (JISC) || [[米国国家標準協会]] (ANSI) || [[カナダ標準委員会]] (SCC) || [[英国規格協会]] (BSI) || [[ドイツ標準協会]] (DIN) || [[フランス規格協会]] (AFNOR) |- | '''上記機関の法的地位''' || 政府審議会 || 非営利団体 || 政府から独立した連邦公社<ref group="注釈">なお増田優通商産業省工業技術院標準部長(当時)は[http://www.meti.go.jp/kohosys/committee/oldsummary/0000792/index.html 日本工業標準調査会21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会(第5回)(平成12年4月6日)]で「カナダは日本と状況が似ており独立行政法人であるSCCが権限を持っている」と説明しているが、SCC(カナダ標準委員会)のSenior program officer and managerのGary C. Hysert=Marc Archambaultは、SCCは政府機関ではなく、政府から運営も、政策も、手続も独立した機関であると述べている ([https://books.google.co.jp/books?id=9ZzVxqh8DPsC&pg=PA104&dq=SCC+is+not+a+government+agency+crown+corporation+independent+of%20+government+in+its+operations+policies&hl=ja&ei=6ZKaTM3HJIa2vQOgneDzBA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CCgQ6AEw%20AA#v=onepage&q=SCC%20is%20not%20a%20government%20agency%20crown%20corporation%20independent%20of%20government%20in%20its%20 Harvey Schock, Harvey E. Schock, Accreditation practices for inspections, tests, and laboratories, ASTM Committee, 1989, p. 104.])。</ref> || 非営利団体 || 登録社団 || 公益性承認非営利社団 |} ※出典:鳥澤孝之,「国家規格の著作権保護に関する考察 -民間団体が関与した日本工業規格の制定を中心に-」<ref name=torisawa>鳥澤孝之, 「[https://hdl.handle.net/2241/117579 国家規格の著作権保護に関する考察 -民間団体が関与した日本工業規格の制定を中心に-]」『知財管理』 59巻 7号 2009年 p.793-805, 日本知的財産協会, {{issn|1340-847X}}。</ref> また、著作権国際条約である[[文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約|ベルヌ条約]]、[[著作権に関する世界知的所有権機関条約|WIPO著作権条約]]、[[知的所有権の貿易関連の側面に関する協定|TRIPS協定]]で、各加盟国の国民・法人が有する著作権の外国での保護については、その外国の国内法令の定めるところによると規定されているため、スイスに本部があるISOの規格を原案としてJISを制定する場合も、ISOの著作権保護については日本の著作権法が適用される。以上のようなことから、国家標準化機関が政府審議会である日本の体制では、次節で述べる[[著作権法]]13条2号がJISについて適用されることから、ISOに対する著作権保護義務を果たせないとする著作権法学者の学術的見解がある<ref name=torisawa />。 ==== 著作権法13条2号の解釈をめぐる議論 ==== JIS規格票を所蔵する[[図書館]]等の[[複写]]サービスでは、規格票のうちJIS本文については著作権法13条2号が適用されるとして全文複写により提供する一方で、規格票に含まれる解説、JSA等が英訳したJIS本文、編集著作物であるJISハンドブックについては著作権が発生することから、著作権法31条1項1号に基づいて各資料の一部分について一部のみ提供するという運用が広く行われ<ref>[https://rnavi.ndl.go.jp/jp/patents/theme_honbun_400392.html#riyou 国立国会図書館「リサーチ・ナビ JIS規格 国立国会図書館での利用 ▼複写」(2017年8月2日)];[[日本図書館協会]]著作権委員会編『図書館サービスと著作権 改訂第3版』〔図書館員選書・10〕(日本図書館協会、2007年)22-24頁</ref>、市民に対するJISの普及に貢献している。 このようなJIS本文に著作権法13条2号が適用され著作権が発生しないとする見解に対しては、経済産業省から次のような批判がなされている<ref>[https://web.archive.org/web/20150427083412/http://www.jisc.go.jp/policy/hyoujunka_text/text_7syou.pdf 経済産業省産業技術環境局基準認証ユニット(江藤学編)『標準化実務入門(試作版)』(平成22年7月)185頁〔長谷亮輔執筆〕]。ただし、経済産業省がJIS規格本文を全文複写により提供している図書館等に対して、著作権侵害等の警告などを行った例はない。</ref>。 # 「著作権法第13条第2項(原文ママ。正しくは「第2号」。以下同様。)でいう告示とは、立法行為、司法行為、行政行為として権限のある者が作成し、その内容を公表することによって国民に知らしめ、また国民が自由に知るべきものであると性格づけることをいうものである。これに対して、JIS規格の[[官報]]への公示は規格の名称及び番号のみで、内容についてまで掲載されているわけではない。」 # 「JIS規格の原文は、原案作成者や利害関係人などの民間団体において作成されているものである。著作権法第13条第2項の対象となるのは、官公庁自身が創作し国民に知らしめることが目的であるような場合に限定されるものであり、JIS規格のように利害関係者が原案を作成して申し出たり、原案を委託によって作成した者がいる場合には、著作権法第13条第2項を適用するのは不適当である」 ===== JISの官報公示内容と著作権 ===== しかし1.については、同号の告示等は[[官報]]の掲載内容に限定されるものではない。法令[[公布]]に関する一般的規定は、法令等の[[公布]]を[[官報]]によって行う旨、第2次世界大戦前に規定していた[[公文式 (勅令)|公文式]](明治19年2月26日勅令第1号)や[[公式令]](明治40年2月1日勅令第6号)に相当するものは現在なく、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]大法廷判決において「法令の公布が、官報による以外の方法でなされることを絶対に認め得ないとまで云うことはできない」と判示しており<ref>[https://web.archive.org/web/20120324161027/http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120100751072.pdf 最高裁判所大法廷昭和32年12月28日判決(昭和30年(れ)第3号)]</ref>、告示を含む法令等の効力は官報の掲載内容に拘束されない。また[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=324M50000042001 官報及び法令全書に関する内閣府令(昭和24年6月1日総理府・大蔵省令第1号)]1条では、[[著作権法]]13条2号で規定するもののうち告示と訓令については[[官報]]の掲載内容として掲げているものの、通達については規定しないことから、同号により著作権法の保護対象とならない著作物は官報の掲載事項と連動しない。 一方で主務大臣が制定した「工業標準は制定されることが目的ではなく、それが実施されることが目的であるから、各方面への普及徹底ということが最も重要である」<ref>通商産業省工業技術院標準部編『平成9年版 工業標準化法解説』(通商産業調査会出版部、平成9年)63頁</ref>。この点JISの[[官報]]公示においては、規格の名称、番号、制定・確認・改正・廃止の別、その年月日のみ掲載され(工業標準化法第16条、工業標準化法施行規則第3条)、「内容省略」とした上で、備考で {{Quotation|内容は、日本工業標準調査会ホームページ ( https://www.jisc.go.jp/ ) において閲覧に供する。また、[[経済産業省]]産業技術環境局基準認証政策課、各経済産業局及び沖縄総合事務局経済産業部においても閲覧に供する。}} と付記している。このJISの内容を著した規格票の印刷・発行は、JISC事務局の監督の下にJSAが行い、上記の官報公示と並行して、制定又は改正されるJISの原稿をJSAに回付し、JSAがその原稿に基づいてJIS規格票を印刷・発行し、その窓口を通じて同規格票を販売・配布しているところである<ref>[[日本規格協会]]編『JISハンドブック2010 56 標準化』(日本規格協会、2010年)1026頁</ref>。さらに規格票は有償で頒布されているが、法令等が掲載される[[官報]]も有料で販売され、かつ規格票は国内で広く市場に流通していることから、規格について「その内容を公表することによって国民に知らしめ、また国民が自由に知るべきもの」となっている。このように、JISは官報と規格票を通じて公表され、JISの詳細内容は官報に代わって、国 (JISC)名義で公表された規格票に掲載されていることから、[[官報]]で規格内容が省略されたことを[[著作権]]発生の根拠にすることはできない。また「現在有効な法令約7,400件の中で、JIS規格を引用した法令は約360件(5%)もある」など、「単なる技術標準としてだけでなく、行政制度とのつながりも深いものとなっている」との指摘もなされている<ref>[https://www.itscj.ipsj.or.jp/hasshin_joho/hj_newsletter/bknum/files/85.pdf#page=2 山中豊「事業仕分けと標準化」情報処理学会 情報規格調査会 NEWSLETTER No.85 (2010-03) 2-3頁]</ref>。例えば、「指定公証人の行う電磁的記録に関する事務に関する省令(平成十三年三月一日法務省令第二十四号)」では次のように日本工業規格を引用し、各規格の内容を知らなければ法令が規定する様式等を理解できず、規格が法令と同様のものとなっている。 {{Quotation|(電子署名の方法) 第2条 法第62条ノ6第1項第1号及び第62条ノ8第1項第1号に定める措置は、電磁的記録に記録することができる情報に、工業標準化法(昭和24年法律第185号)に基づく日本工業規格(以下「日本工業規格」という。)X5731-8の附属書Dに適合する方法であって同附属書に定めるnの長さの値が1024[[ビット]]又は2048ビットであるものを講ずる措置(以下「電子署名」という。)とする。}} ===== JIS原案の作成主体と著作権 ===== 2.については、著作権法13条4号では国等が「作成する」法令等翻訳物及び編集物について著作権法の保護の対象にならないと規定しているのに対して、同法13条2号では国等が「発する」告示、訓令、通達等について規定していることから、同号で対象にする著作物は「官公庁自身が創作し国民に知らしめることが目的であるような場合に限定されるもの」ではない。また著作権法13条で法令、通達等の著作権が否定されるのは「公益的な見地から、国民に広く知らせ、かつ、自由に利用させるべき性質の著作物には、権利を認める結果としてその円滑な利用を阻害することとなるのを防ぐという観点から」であるところ<ref>加戸守行『著作権法逐条講義 五訂新版』(著作権情報センター、平成18年)136頁</ref>、JISの原案作成者が官公庁以外の者であることを理由に著作権の発生を認めれば、JISを利用する国民の生活や企業活動等に支障をきたし、国内に広く知らしめることを主要な機能とするJISの役割を損なうことになる。なお原案作成者に著作権が認められない場合でも、原案を採用した主務大臣から補償金等を得て経済的利益を確保することは可能である。 以上のように、JISが著作権法の保護対象であるとする経済産業省の見解は、JISの著作権保護の必要性を訴えているが、著作権法上の根拠について判例、学説、著作権法所管省庁([[文化庁]])の見解などを引用することなく主張しているもので、政策論と法解釈論を混同したものとなっている<ref group="注釈">経済産業省のJISの著作権に関する見解の妥当性を疑問視するものとして、南亮一、「[https://doi.org/10.1241/johokanri.53.381 教えて!著作権 第1回 著作権とは? 著作物を利用する,とは?]」『情報管理』 2010年 53巻 7号 p.381-395, {{doi|10.1241/johokanri.53.381}}</ref>。 ==== 今後の政策課題 ==== このようにISO、IECといった国際規格や、民間団体が作成した原案を元に制定された場合でもJISに著作権が認められないのは、日本の国家標準化機関であるJISCが国営であることによるともされる<ref group="注釈">なお日本政府は2009 (平成21)年度に、JISCが加盟するISOに148百万円を([http://www.meti.go.jp/information_2/downloadfiles/review_sheet/0206.pdf 経済産業省産業技術環境局基準認証政策課「行政事業レビューシート 国際標準化機構分担金」(2010 (平成22)年8月31日)])、IECに81百万円を[http://www.meti.go.jp/information_2/downloadfiles/review_sheet/0207.pdf (経済産業省産業技術環境局基準認証政策課「行政事業レビューシート 国際電気標準会議分担金」(2010 (平成22)年8月31日))]、それぞれ分担金として一般会計から支出した。</ref>。この点、JISCの民営化や、規格制定事業の民間機関への移管を行うべきであるとの主張が、専門家からなされている<ref>[https://www.itscj.ipsj.or.jp/hasshin_joho/hj_newsletter/bknum/files/39.pdf#page=3 高橋茂「情報技術標準化についての私見」情報処理学会 情報規格調査会 NEWSLETTER No.39 (1998-09) 4-7頁]</ref><ref>[https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10207750/www.jisc.go.jp/newstopics/2000/21c_0.pdf 日本工業標準調査会標準会議21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会事務局「『21世紀に向けた標準化課題検討特別委員会報告書案』に対する意見募集の結果について 頂いた御意見及び御意見に対する対応」(平成12年6月)4-7頁〔吉木健提出〕]</ref><ref>江藤学「産業政策としての標準化」日本知財学会誌 Vol.4 No.1 (2007.12) 15頁</ref>。 {{main|日本産業標準調査会}} == 標準仕様書 (TS) と標準報告書 (TR) == JISCには、一般の標準規格の制定作業とは他に、'''標準仕様書 (TS: Technical Specifications) '''制度と'''標準報告書 (TR: Technical Reports) '''制度がある。これは進歩が早い技術分野において、まだ標準規格としては未熟でも将来重要と考えられる技術文書を公表することで、議論を促し、将来のスムーズな標準化につなげることを目的としている。TS文書・TR文書は誰でも提案することができる。 === 標準仕様書 (TS) === 現時点ではJISCとしてJIS化にふさわしいと判断されなかったが、将来は標準化の可能性があるとされる技術文書。 TS文書は公表後3年以内に、原則として廃止・JIS化・3年延長のいずれかの処理がなされる。なお3年延長は1度限りしか行われない。 === 標準報告書 (TR) === {{節スタブ}} 標準に関連する技術文書であるが、JISでの標準化がふさわしくないもの。 TR文書は公表後5年以内に原則として廃止される。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == === 書籍 === * [[飯塚幸三]](監修)、島弘志(編集委員長)。2005。日本・中国・アジア・オセアニア編(世界の規格便覧第3巻)。日本規格協会。 * [[経済産業省]]。2005。[https://web.archive.org/web/20070105015411/http://www.jisc.go.jp/newjis/pdf/mark-release.pdf 新JISマークの発表について]。2007年3月26日閲覧。 * [[国立国会図書館]]。2006。[http://www.ndl.go.jp/jp/data/theme/theme_honbun_400112.html テーマ別調べ方案内: 規格資料(戦前・戦中の国内規格)]。2007年3月26日閲覧。 * [[工業技術院]]標準部(編)。1989。工業標準化のあゆみ: 工業標準化法施行40周年。日本規格協会。 * 工業技術院標準部(編)。1997。平成九年版工業標準化法解説。通商産業調査会出版部。 * [[日本規格協会]]。2004。[https://web.archive.org/web/20041102224125/http://www.jsa.or.jp/info_detail/info_jsa_info12.asp JISマーク公募]。2004年11月2日閲覧。 * [[日本産業標準調査会|日本工業標準調査会]]。2003。[http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g30701bj.pdf 新時代における規格・認証制度のあり方検討特別委員会報告書]。 * 日本工業標準調査会。2004。[http://www.jisc.go.jp/newstopics/2004/JISC-5.html 日本工業規格 (JIS)C部門における一部規格の規格番号の切替えについて: 5桁化及びIECに一致した番号体系への移行]。2007年3月26日閲覧。 * 日本工業標準調査会。2005a。[http://www.jisc.go.jp/newstopics/2005/newjismknews.htm 新JISマークの決定]。2007年3月26日閲覧。 * 日本工業標準調査会。2005b。[https://www.jisc.go.jp/qa/ FAQ(よくある質問)]。2007年3月19日閲覧。 * 日本工業標準調査会。2006。[http://www.jisc.go.jp/jis-act/pdf/new_patent_policy.pdf 特許権等を含むJISの制定等に関する手続について]。2007年3月26日閲覧。 === 雑誌 === * 月刊『標準化と品質管理』[[日本規格協会]]=発行 == 関連項目 == * [[日本産業規格の一覧]] * [[国際標準化機構]] (ISO) * [[IPC (エレクトロニクス)]] (IPC) * [[日本自動車技術会規格]] (JASO) * [[工業標準化]] * [[安全標識]] * [[JIS安全色]] (JIS Z 9103) * [[宮津市]]([[天橋立]]をモチーフにした市章が旧・JISマークに似ている) == 外部リンク == * [https://www.jisc.go.jp/ 日本産業標準調査会] ** [https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrJISSearch.html データベース検索] * [https://www.jsa.or.jp/ 一般財団法人日本規格協会] * {{Kotobank|JIS}} {{DEFAULTSORT:にほんさんきようきかく}} [[Category:JIS|*]] [[Category:工業規格]]
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T細胞
T細胞(ティーさいぼう、英: T cell, T lymphocyte)とは、リンパ球の一種で、骨髄で産生された前駆細胞が胸腺での選択を経て分化成熟したもの。細胞表面に特徴的なT細胞受容体(T cell receptor;TCR)を有している。末梢血中のリンパ球の70〜80%を占める。名前の『T』は胸腺を意味するThymusに由来する。 1961年、ロンドンにあるチェスター・ビーティがん研究所のジャック・ミラーは、胸腺を摘出したマウスを解剖し、リンパ節、脾臓、末梢血中でリンパ球が激減し、免疫不全を発症することや、移植の際の拒絶反応が抑制されることを発見した。1968年にG. F. Mitchellおよびミラーにより、初めてマウスの胸管リンパ中に19S溶血素(抗ヒツジ赤血球抗原IgM抗体)産生細胞前駆細胞(すなわちB細胞)及び、その前駆細胞を抗原依存性に19S溶血素産生細胞へと分化させる細胞(すなわちT細胞)における、二つのリンパ球亜集団が存在することが見出された。この時点でT細胞にもさらに亜集団が存在することが予想されていたが、1975年にはフィリッパ・マラック及びJohn Kapplerが限界希釈法(limited dilution)の応用によってT細胞クローン間の明確な機能的差異について報告して以来、さまざまな亜集団、さらにはその下位の亜集団の存在が提起されている。 T細胞は骨髄の造血幹細胞に由来する。骨髄を出た造血幹細胞は胸腺へと移動し、胸腺細胞 (thymocyte) となる。胸腺へと入った時点では、前駆細胞はT細胞特異的なCD2を発現していないが、1週間のうちに発現するようになる。この時点の胸腺細胞はCD4もCD8も発現していないためダブルネガティブ胸腺細胞と呼ばれる。次いで、T細胞受容体のβ鎖の再構成が完了すると、CD4、CD8の両者を発現するようになりダブルポジティブ胸腺細胞となる。その後、激しい増殖を経たのち、α鎖の再構成が行われT細胞の一次レパートリーが形成される。 一次レパートリーは自己のMHCと相互作用できる2%程度を除いてアポトーシスにより死滅する (正の選択)。胸腺上皮細胞表面にMHCと結合して提示された自己タンパクとの相互作用によって胸腺細胞は成熟するが、このシグナルを受けることのできなかった細胞はアポトーシスにより細胞死することになる。このときに相互作用するMHCのクラスに応じて成熟した胸腺細胞はCD4、ないしCD8のいずれかのみを発現するようになり、シングルポジティブ胸腺細胞となる。このメカニズムについてはよく分かっていない。 このようにして選択された胸腺細胞はさらに、胸腺内の樹状細胞やマクロファージなどによって負の選択を受ける。これらの細胞によって提示された自己タンパクと相互作用した胸腺細胞もアポトーシスにより死滅する。これは自己反応性のT細胞を除去するためと考えられている。胸腺内で発現しない自己タンパクと相互作用するT細胞はこの機構で選別することはできないため、末梢系に入ったのちアネルギーにより不応答化される。 これらの選別に残った細胞は成熟ナイーブT細胞として体循環系に入るが、二次リンパ組織中で活性化されエフェクターT細胞となる。 末梢に存在するほとんどの成熟したT細胞は、細胞表面のマーカー分子としてCD4かCD8のどちらかを発現している。CD4を発現したT細胞は他のT細胞の機能発現を誘導したりB細胞の分化成熟、抗体産生を誘導したりするヘルパーT細胞として機能する。このCD4陽性T細胞は、後天性免疫不全症候群(AIDS)の病原ウイルスであるヒト免疫不全ウイルス(HIV)や、成人T細胞白血病(ATL)の病原ウイルスであるヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)が感染する細胞である。CD8陽性T細胞はウイルス感染細胞などを破壊するCTL(キラーT細胞)として機能する。 また、NK細胞とT細胞の性質を併せ持つNKT細胞や、CD25分子を発現して他のT細胞の活性を抑制する働きのあるレギュラトリーT細胞などもある。最近では胸腺を介さずに分化成熟する末梢性T細胞が存在することも知られるようになった。 細胞表面にCD4抗原を発現しているリンパ球の亜集団。 1986年にT. R. Mosmannらが初めてマウスのT細胞クローン間のサイトカインの分泌パターンの違いによってTh1細胞及びTh2細胞の二つのヘルパーT細胞の亜集団の概念を提起して以来、この二つの亜集団に関しては精力的な研究が行われてきている。 CD4陽性T細胞から分化し、IFN-γ(Th1細胞)、IL-4やIL-5(Th2細胞)またはIL-17(Th17細胞)等を産生し他の細胞の活性化、機能の行使等を助ける。 Th1という細胞はキラーT細胞やマクロファージに作用してそれを活性化して、細胞の活性を増強させる物である。 Th2はB細胞や抗原提示細胞と協力して抗体生産を行なう。 ヘルパーT細胞は、そのサイトカイン産生パターンよりさらに3つの集団に分けられ、T cell helperの頭文字をとってTh1細胞、Th2細胞、Th17細胞と名づけられた。Th1細胞は主にIL-12の存在下で分化し、分化後はIFN-γを主に産生する。Th2細胞はIL-4によって分化し、分化後に主に産生するサイトカインもIL-4である。Th17細胞は最近発見された新たなT細胞集団でIL-6、TGF-β存在下で分化し、分化後はIL-17を産生する。 Th1細胞は細胞性免疫を媒介し、自己免疫疾患、遅延型アレルギーにも関与すると考えられている。対するTh2細胞は液性免疫を媒介し、即時型アレルギーに関与している。また、Th17細胞は多くの自己免疫疾患モデルマウスにおいて増加していることから自己免疫疾患に関わっていることが考えられている。 これらのTh1とTh2の各細胞を分化させたり、分化後に産生されるサイトカインは、お互いの細胞群を抑制し調整する性質が単純図式上は見られる。つまりTh1/Th2のバランスがお互いに拮抗しあって保たれていると見ることができる。Th1型サイトカインを外部から投与することによるアレルギー疾患の治療など、このバランスを操作することによる治療法が提唱されたが、成功は見ていない。複雑に関連しあう関係があると見られている。 キラーT細胞ともいう。ウイルスに感染した細胞や癌細胞を認識しその細胞を殺す。 レギュラトリーT細胞(Treg)ともいう。胸腺から分化してくる制御性T細胞はCD4、CD25、Foxp3分子を発現して他のT細胞の活性を抑制する。その他、末梢で抗原特異的に誘導されてくる制御性T細胞や、CD8陽性T細胞から分化する制御性T細胞もある。がん細胞の免疫回避に関わる。 免疫反応を抑制(suppress)し、終了に導く機能を持つT細胞として多田富雄によって理論が提唱され、研究されてきたが、実際にはゲノム上に存在しないことが明らかになると、1990年代以降はその存在が否定されており、「免疫応答を抑制するT細胞」の概念は、制御性T細胞に取って代わられている。 γδT細胞はCD4およびCD8(αβ)T細胞とは対照的に別のT細胞受容体(TCR)をもち、ヘルパーT細胞、細胞傷害性T細胞、およびNK細胞と同じ性質を共有する。γδT細胞から応答を得る条件は完全には解明されていない。他のなじみのない変異型TCRをもったT細胞サブセット、例えばCD1d-拘束性ナチュラルキラーT細胞などと同様に、自然免疫と適応免疫の間を広くまたいでいる。 一方でγδT細胞は、この細胞はTCR遺伝子を再編成して受容体の多様性を生じること、そして記憶表現型も発達させることができることから、適応免疫の要素である。他方様々なサブセットは、制限されたTCRあるいはNK受容体が受容体のパターン認識に用いられることがあるため、自然免疫系の一部分をなす。例えばきわめて多数のヒトVγ9/Vδ2 T細胞は微生物によって産生される共通の分子に対して数時間以内に応答する。さらに高度に制限されたVδ1 T細胞は上皮細胞が受けるストレスに応答するようだ。
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T細胞とは、リンパ球の一種で、骨髄で産生された前駆細胞が胸腺での選択を経て分化成熟したもの。細胞表面に特徴的なT細胞受容体を有している。末梢血中のリンパ球の70〜80%を占める。名前の『T』は胸腺を意味するThymusに由来する。
{{出典の明記|date=2013年3月}} [[画像:SEM Lymphocyte.jpg|250px|thumb|T細胞]] '''T細胞'''(ティーさいぼう、{{lang-en-short|'''T cell'''}}, T lymphocyte)とは、[[リンパ球]]の一種で、[[骨髄]]で産生された[[前駆細胞]]が[[胸腺]]での選択を経て[[分化]][[成熟]]したもの。細胞表面に特徴的な[[T細胞受容体]](T cell receptor;TCR)を有している。[[末梢血]]中のリンパ球の70〜80%を占める。名前の『'''T'''』は胸腺を意味する'''Thymus'''に由来する。 ==歴史== 1961年、ロンドンにあるチェスター・ビーティがん研究所の[[ジャック・ミラー (生物学者)|ジャック・ミラー]]は、胸腺を摘出したマウスを解剖し、リンパ節、脾臓、末梢血中でリンパ球が激減し、免疫不全を発症することや、移植の際の拒絶反応が抑制されることを発見した。1968年にG. F. Mitchellおよびミラーにより、初めてマウスの胸管リンパ中に19S溶血素(抗ヒツジ赤血球抗原IgM抗体)産生細胞前駆細胞(すなわち[[B細胞]])及び、その前駆細胞を抗原依存性に19S溶血素産生細胞へと分化させる細胞(すなわちT細胞)における、二つのリンパ球亜集団が存在することが見出された。この時点でT細胞にもさらに亜集団が存在することが予想されていたが、1975年には[[フィリッパ・マラック]]及び[[:en:John Kappler|John Kappler]]が限界希釈法(limited dilution)の応用によってT細胞クローン間の明確な機能的差異について報告して以来、さまざまな亜集団、さらにはその下位の亜集団の存在が提起されている。 ==分化== T細胞は[[骨髄]]の[[造血幹細胞]]に由来する。骨髄を出た造血幹細胞は[[胸腺]]へと移動し、胸腺細胞 (thymocyte) となる。胸腺へと入った時点では、前駆細胞はT細胞特異的なCD2を発現していないが、1週間のうちに発現するようになる。この時点の胸腺細胞は[[CD4]]も[[CD8]]も発現していないためダブルネガティブ胸腺細胞と呼ばれる。次いで、[[T細胞受容体]]のβ鎖の再構成が完了すると、CD4、CD8の両者を発現するようになりダブルポジティブ胸腺細胞となる。その後、激しい増殖を経たのち、α鎖の再構成が行われT細胞の一次レパートリーが形成される。 一次レパートリーは自己の[[主要組織適合性遺伝子複合体#MHC分子|MHC]]と相互作用できる2%程度を除いて[[アポトーシス]]により死滅する (正の選択)。胸腺上皮細胞表面にMHCと結合して提示された自己タンパクとの相互作用によって胸腺細胞は成熟するが、このシグナルを受けることのできなかった細胞はアポトーシスにより細胞死することになる。このときに相互作用するMHCのクラスに応じて成熟した胸腺細胞はCD4、ないしCD8のいずれかのみを発現するようになり、シングルポジティブ胸腺細胞となる。このメカニズムについてはよく分かっていない。 このようにして選択された胸腺細胞はさらに、胸腺内の[[樹状細胞]]や[[マクロファージ]]などによって負の選択を受ける。これらの細胞によって提示された自己タンパクと相互作用した胸腺細胞もアポトーシスにより死滅する。これは自己反応性のT細胞を除去するためと考えられている。胸腺内で発現しない自己タンパクと相互作用するT細胞はこの機構で選別することはできないため、末梢系に入ったのち[[アネルギー (免疫学)|アネルギー]]により不応答化される。 これらの選別に残った細胞は成熟[[ナイーブT細胞]]として[[体循環|体循環系]]に入るが、[[リンパ系#リンパ組織|二次リンパ組織]]中で活性化され[[エフェクターT細胞]]となる。 == 分類 == 末梢に存在するほとんどの成熟したT細胞は、細胞表面の[[マーカー]]分子として[[CD4]]か[[CD8]]のどちらかを発現している。CD4を発現したT細胞は他のT細胞の機能発現を誘導したり[[B細胞]]の分化成熟、抗体産生を誘導したりするヘルパーT細胞として機能する。このCD4陽性T細胞は、[[後天性免疫不全症候群]](AIDS)の病原[[ウイルス]]である[[ヒト免疫不全ウイルス]](HIV)や、[[成人T細胞白血病]](ATL)の病原ウイルスである[[ヒトT細胞白血病ウイルス]](HTLV-1)が[[感染]]する細胞である。CD8陽性T細胞はウイルス感染細胞などを破壊する[[細胞傷害性T細胞|CTL]](キラーT細胞)として機能する。 また、[[NK細胞]]とT細胞の性質を併せ持つ[[NKT細胞]]や、CD25分子を発現して他のT細胞の活性を抑制する働きのあるレギュラトリーT細胞などもある。最近では胸腺を介さずに分化成熟する末梢性T細胞が存在することも知られるようになった{{要出典|date=2014年6月}}。 === ヘルパーT細胞 === {{節スタブ}} 細胞表面に[[CD4]]抗原を発現しているリンパ球の亜集団。 1986年にT. R. Mosmannらが初めてマウスのT細胞クローン間の[[サイトカイン]]の分泌パターンの違いによってTh1細胞及びTh2細胞の二つの[[ヘルパーT細胞]]の亜集団の概念を提起して以来、この二つの亜集団に関しては精力的な研究が行われてきている。 CD4陽性T細胞から分化し、[[IFN-γ]](Th1細胞)、[[IL-4]]や[[IL-5]](Th2細胞)または[[IL-17]](Th17細胞)等を産生し他の細胞の[[活性化]]、機能の行使等を助ける。 Th1という細胞はキラーT細胞や[[マクロファージ]]に作用してそれを活性化して、細胞の活性を増強させる物である。 Th2はB細胞や[[抗原提示細胞]]と協力して抗体生産を行なう。 ヘルパーT細胞は、その[[サイトカイン]]産生パターンよりさらに3つの集団に分けられ、T cell helperの頭文字をとって[[Th1細胞]]、[[Th2細胞]]、[[Th17細胞]]と名づけられた。Th1細胞は主に[[IL-12]]の存在下で分化し、分化後は[[IFN-γ]]を主に産生する。Th2細胞は[[IL-4]]によって分化し、分化後に主に産生するサイトカインも[[IL-4]]である。Th17細胞は最近発見された新たなT細胞集団で[[IL-6]]、[[TGF-β]]存在下で分化し、分化後は[[IL-17]]を産生する。 Th1細胞は[[細胞性免疫]]を媒介し、[[自己免疫疾患]]、[[遅延型アレルギー]]にも関与すると考えられている。対するTh2細胞は[[液性免疫]]を媒介し、[[即時型アレルギー]]に関与している。また、Th17細胞は多くの自己免疫疾患モデルマウスにおいて増加していることから自己免疫疾患に関わっていることが考えられている。 これらのTh1とTh2の各細胞を分化させたり、分化後に産生されるサイトカインは、お互いの細胞群を抑制し調整する性質が単純図式上は見られる。つまりTh1/Th2のバランスがお互いに拮抗しあって保たれていると見ることができる。Th1型サイトカインを外部から投与することによるアレルギー疾患の治療など、このバランスを操作することによる治療法が提唱されたが、成功は見ていない。複雑に関連しあう関係があると見られている。 === 細胞傷害性T細胞 === {{main|細胞傷害性T細胞}} '''キラーT細胞'''ともいう。ウイルスに感染した細胞や癌細胞を認識しその細胞を殺す。 === 制御性T細胞 === レギュラトリーT細胞(Treg)ともいう。胸腺から分化してくる[[制御性T細胞]]はCD4、CD25、Foxp3分子を発現して他のT細胞の活性を抑制する。その他、末梢で抗原特異的に誘導されてくる制御性T細胞や、CD8陽性T細胞から分化する制御性T細胞もある。{{疑問点|date=2016年9月}}がん細胞の免疫回避に関わる。 ==== サプレッサーT細胞 ==== 免疫反応を抑制(suppress)し、終了に導く機能を持つT細胞として[[多田富雄]]によって理論が提唱され、研究されてきたが、実際にはゲノム上に存在しないことが明らかになると、1990年代以降はその存在が否定されており、「免疫応答を抑制するT細胞」の概念は、制御性T細胞に取って代わられている。 === γδT細胞 === {{main|γδT細胞}} [[γδT細胞]]はCD4<sup>+</sup>およびCD8<sup>+</sup>(αβ)T細胞とは対照的に別のT細胞受容体(TCR)をもち、ヘルパーT細胞、細胞傷害性T細胞、およびNK細胞と同じ性質を共有する。γδT細胞から応答を得る条件は完全には解明されていない。他のなじみのない変異型TCRをもったT細胞サブセット、例えばCD1d-拘束性[[ナチュラルキラーT細胞]]などと同様に、自然免疫と適応免疫の間を広くまたいでいる。<ref>{{cite journal | author = Girardi M |title=Immunosurveillance and immunoregulation by γδ T cells |journal=J Invest Dermatol |volume=126 |issue=1 |pages=25--31 |year=2006 |pmid= 16417214 |doi=10.1038/sj.jid.5700003}}</ref> 一方でγδT細胞は、この細胞はTCR遺伝子を再編成して受容体の多様性を生じること、そして記憶表現型も発達させることができることから、適応免疫の要素である。他方様々なサブセットは、制限されたTCRあるいはNK受容体が受容体のパターン認識に用いられることがあるため、自然免疫系の一部分をなす。例えばきわめて多数のヒトVγ9/Vδ2 T細胞は微生物によって産生される共通の分子に対して数時間以内に応答する。さらに高度に制限されたVδ1<sup>+</sup> T細胞は上皮細胞が受けるストレスに応答するようだ。<ref>{{cite journal | author = Holtmeier W, Kabelitz D |title=γδ T cells link innate and adaptive immune responses |journal=Chem Immunol Allergy |volume=86 |pages=151--183 |year=2005 |pmid= 15976493 | doi = 10.1159/000086659}}</ref> == 脚注・出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|T cells}} * [[細胞性免疫]] * [[主要組織適合遺伝子複合体]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Lymphocytes}} {{Immune system}} {{authority control}} {{DEFAULTSORT:Tさいほう}} [[Category:血液]] [[Category:免疫学]] [[Category:T細胞|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/T%E7%B4%B0%E8%83%9E
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B細胞
B細胞(ビーさいぼう、英: B cell、B lymphocyte)はリンパ球の一種である。 1965年、オハイオ州立大学のBruce Glickは孵化したばかりのニワトリのファブリキウス嚢 (Bursa Fabricii) を除去すると抗体の産生が起こらないことを発見した。その後、マックス・クーパーとRobert A. Goodにより鳥類における抗体産生の前駆細胞の分化成熟に必要であることが証明され、器官の頭文字を取ってB細胞と命名された。哺乳動物にはこの器官は存在せず、骨髄 (bone marrow) でつくられることが確認された。偶然にも頭文字が同じであることから、そのままB細胞という名称が定着した。 抗体は特定の分子にとりつく機能を持った分子で、その働きによって病原体を失活させたり、病原体を直接攻撃する目印になったりする。そのため、抗体を産生するB細胞は免疫系の中では間接攻撃の役割を担っており、その働きは液性免疫とも呼ばれる。 B細胞は細胞ごとに産生する抗体の種類が決まっている。自分の抗体タイプに見合った病原体が出現した場合にのみ活性化して抗体産生を開始することになる。また、いったん病原体が姿を消しても、それに適合したB細胞の一部は記憶細胞として長く残り、次回の侵入の際に素早く抗体産生が開始できるようになる。この働きによっていわゆる「免疫が付く」(免疫記憶)という現象が起きており、予防接種もこれを利用したもの。 哺乳動物においては、B細胞は骨髄に存在する造血幹細胞から分化したのち、脾臓などの二次リンパ組織に移動し、抗原に対する反応に備える。 また一部のB細胞には、消化管上皮、粘膜組織など、外来抗原との接触頻度の高い組織に移動する集団も存在する。 細胞表面の抗原レセプターとして細胞膜結合形の免疫グロブリン(Ig)を発現しており、これによって自分に適合した抗原の出現を察知する。抗原が適合した場合には、それを細胞内に取り込んだ後、抗原提示する。提示された抗原をヘルパーT細胞が認識すると、ヘルパーT細胞からの刺激を受け、形質細胞に分化することになる。形質細胞に分化すると分泌形の免疫グロブリンを抗体として産生するようになる。個々のB細胞が産生する抗体は均一な免疫グロブリン分子(抗原分子)であり、単一の抗原特異性を示す。この単一な抗体産生細胞のクローンを分離してモノクローナル抗体を得ることができる。 B細胞を始めとした全ての血球細胞は、骨髄中の造血幹細胞が分化したものである。始めに造血幹細胞はリンパ系幹細胞へ分化する。次いでプロB細胞を経てH鎖の遺伝子再構成が起きる。完成したH鎖とSL鎖(V-preB・lambda5)とともにpre-BCRを形成、大型プレB細胞となる。そこでpre-BCRシグナルにより一度増殖した後に、L鎖の遺伝子再構成が引き起こされ、やがて小型プレB細胞へと分化する。完成したL鎖はH鎖とともにIgMを形成して、細胞膜上に発現する。そしてIgMとともに同じ抗原特異性をもつIgDも発現し、B細胞は骨髄から末梢へと移行し、脾臓において成熟B細胞となる。B細胞は、抗原の存在下で抗体を産生するべく、形質細胞(プラズマ細胞、plasma cell)へと最終的に分化する。 B細胞の活性化には一般に、B細胞受容体、B細胞補助受容体、およびCD4陽性T細胞からのシグナルの3つが必要である。 成熟ナイーブB細胞は表面にIgMを発現しており、これらが微生物表面の抗原により架橋されることによりB細胞内へシグナルが伝達される。B細胞膜において、IgMはIgαおよびIgβと呼ばれる膜貫通タンパクと会合しており、これらの会合体が機能的なB細胞抗原受容体 (B cell receptor, BCR) である。このIgβの細胞質部分に存在するチロシン残基がリン酸化されることにより、シグナル伝達経路が始動する。 B細胞補助受容体はCD21 (補体受容体2、CR2)、CD19、およびCD81からなる。ある種の病原体表面は補体を分解する特性を持っている。このため、補体断片C3dが沈着することになるが、CD21はこの分子と結合することができる。このようにしてB細胞受容体とB細胞補助受容体が同時に会合すると、Igαに細胞質部分で会合したチロシンキナーゼによってCD19がリン酸化され、シグナル伝達経路が始動する。 さらに、胸腺非依存性抗原を除く抗原による活性化においてはCD4陽性T細胞の分泌するサイトカインが必要である。B細胞はB細胞抗原受容体により受容体介在性エンドサイトーシス(英語版)により抗原を取り込むことができる。取り込んだ抗原を提示したMHC IIとCD4陽性T細胞が相互作用すると、B細胞表面のCD40とT細胞表面のCD40Lの結合、およびT細胞から産生されるサイトカインの刺激によりB細胞が活性化される。 結合したCD4陽性T細胞からのサイトカインにより活性化されると、B細胞が増殖を開始し、一次反応巣 (primary focus) を形成する。その後、これらの細胞は髄索と濾胞に移動する。髄索に移動したものはTH2細胞からのサイトカインにより形質細胞へと分化する。ここで形成された形質細胞は主としてIgMを産生する。一方、濾胞に移動したものは大型化し、さらに活発に分裂するようになる。この細胞は中心芽細胞(英語版) (centroblast) と呼ばれる。中心芽細胞は増殖するにしたがい胚中心を形成し、リンパ節に腫脹をもたらす。やがて分裂が停止し、中心細胞 (centrocyte) となると、胚中心の外側に位置する明領域に移動して濾胞樹状細胞と相互作用する。 濾胞樹状細胞は表面に抗原を免疫複合体として提示しており、中心細胞はこれと相互作用するにつれ胚中心の外縁部に移動する。外縁部にはヘルパーT細胞が多数存在しており、これと相互作用できた場合のみ中心細胞はアポトーシスによる細胞死を免れる。この、より抗原との親和性が高い中心細胞が選択される過程を親和性成熟 (affinity maturation) と呼ぶ。こうして選別された中心細胞はその後、形質細胞、ないし記憶B細胞に分化する。
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B細胞はリンパ球の一種である。
{{混同|β細胞}}{{出典の明記|date=2014年5月9日 (金) 21:39 (UTC)}} '''B細胞'''(ビーさいぼう、{{lang-en-short|B cell}}、B lymphocyte)は[[リンパ球]]の一種である。 == 歴史 == 1965年、[[オハイオ州立大学]]のBruce Glickは孵化したばかりのニワトリの[[ファブリキウス嚢]] (''Bursa Fabricii'') を除去すると抗体の産生が起こらないことを発見した。その後、[[マックス・クーパー]]とRobert A. Goodにより鳥類における抗体産生の[[前駆細胞]]の分化成熟に必要であることが証明され、器官の頭文字を取ってB細胞と命名された。哺乳動物にはこの器官は存在せず、[[骨髄]] (''bone marrow'') でつくられることが確認された。偶然にも頭文字が同じであることから、そのままB細胞という名称が定着した。 == 性質 == [[抗体]]は特定の[[分子]]にとりつく機能を持った分子で、その働きによって[[病原体]]を失活させたり、[[病原体]]を直接攻撃する目印になったりする。そのため、抗体を産生するB細胞は[[免疫系]]の中では間接攻撃の役割を担っており、その働きは'''[[液性免疫]]'''とも呼ばれる。 B細胞は細胞ごとに産生する[[抗体]]の種類が決まっている。自分の抗体タイプに見合った病原体が出現した場合にのみ活性化して抗体産生を開始することになる。また、いったん病原体が姿を消しても、それに適合したB細胞の一部は'''記憶細胞'''として長く残り、次回の侵入の際に素早く[[抗体]]産生が開始できるようになる。この働きによっていわゆる「免疫が付く」([[免疫記憶]])という現象が起きており、[[予防接種]]もこれを利用したもの。 [[哺乳類|哺乳動物]]においては、B細胞は[[骨髄]]に存在する[[造血幹細胞]]から分化したのち、[[脾臓]]などの[[リンパ系#リンパ組織|二次リンパ組織]]に移動し、[[抗原]]に対する反応に備える。 また一部のB細胞には、[[消化管]]上皮、[[粘膜]]組織など、外来[[抗原]]との接触頻度の高い組織に移動する集団も存在する。 [[細胞]]表面の[[抗原]][[レセプター]]として[[細胞膜]]結合形の[[抗体|免疫グロブリン]](Ig)を発現しており、これによって自分に適合した[[抗原]]の出現を察知する。抗原が適合した場合には、それを細胞内に取り込んだ後、抗原提示する。提示された抗原を[[ヘルパーT細胞]]が認識すると、ヘルパーT細胞からの刺激を受け、形質細胞に分化することになる<ref>{{Cite web|和書|url=http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/public/public_007.html|title=抗原の情報はどうやってT細胞からB細胞へ伝わるの?|publisher=京都大学ウイルス・再生医科学研究所 河本宏研究室|accessdate=2014-12-16}}</ref>。[[形質細胞]]に[[分化]]すると分泌形の[[抗体|免疫グロブリン]]を[[抗体]]として産生するようになる。個々のB細胞が産生する抗体は均一な免疫グロブリン分子(抗原分子)であり、単一の抗原特異性を示す。この単一な抗体産生細胞の[[クローン]]を分離して[[モノクローナル抗体]]を得ることができる。 == 分化過程 == B細胞を始めとした全ての血球細胞は、[[骨髄]]中の'''[[造血幹細胞]]'''が分化したものである。始めに[[造血幹細胞]]は'''リンパ系幹細胞'''へ分化する。次いで'''プロB細胞'''を経てH鎖の遺伝子再構成が起きる。完成したH鎖とSL鎖(V-preB・lambda5)とともにpre-BCRを形成、大型プレB細胞となる。そこでpre-BCRシグナルにより一度増殖した後に、L鎖の遺伝子再構成が引き起こされ、やがて小型プレB細胞へと分化する。完成したL鎖はH鎖とともにIgMを形成して、細胞膜上に発現する。そして[[免疫グロブリンM|IgM]]とともに同じ抗原特異性をもつ[[免疫グロブリンD|IgD]]も発現し、'''B細胞'''は骨髄から末梢へと移行し、脾臓において成熟B細胞となる。B細胞は、[[抗原]]の存在下で[[抗体]]を産生するべく、'''[[形質細胞]]'''(プラズマ細胞、plasma cell)へと最終的に分化する。 ===活性化=== B細胞の活性化には一般に、B細胞受容体、B細胞補助受容体、およびCD4陽性T細胞からのシグナルの3つが必要である<ref>{{cite|和書|author=Parham, Peter|others=笹月健彦|title=エッセンシャル免疫学|year=2007|publisher=メディカル・サイエンス・インターナショナル}}</ref>。 成熟[[ナイーブB細胞]]は表面にIgMを発現しており、これらが微生物表面の抗原により架橋されることによりB細胞内へシグナルが伝達される。B細胞膜において、IgMはIgαおよびIgβと呼ばれる膜貫通タンパクと会合しており、これらの会合体が機能的な'''[[B細胞受容体|B細胞抗原受容体]]''' (B cell receptor, BCR) である。このIgβの細胞質部分に存在するチロシン残基がリン酸化されることにより、シグナル伝達経路が始動する。 '''B細胞[[補助受容体]]'''はCD21 (補体受容体2、CR2)、CD19、およびCD81からなる。ある種の[[病原体]]表面は[[補体]]を分解する特性を持っている。このため、補体断片C3dが沈着することになるが、CD21はこの分子と結合することができる。このようにしてB細胞受容体とB細胞補助受容体が同時に会合すると、Igαに細胞質部分で会合した[[チロシンキナーゼ]]によってCD19がリン酸化され、シグナル伝達経路が始動する。 さらに、[[抗原#用語|胸腺非依存性抗原]]を除く抗原による活性化においてはCD4陽性T細胞の分泌する[[サイトカイン]]が必要である。B細胞はB細胞抗原受容体により{{仮リンク|受容体介在性エンドサイトーシス|en|receptor-mediated endocytosis}}により抗原を取り込むことができる。取り込んだ抗原を提示したMHC IIとCD4陽性T細胞が相互作用すると、B細胞表面のCD40とT細胞表面のCD40Lの結合、およびT細胞から産生されるサイトカインの刺激によりB細胞が活性化される。 ===増幅=== 結合したCD4陽性T細胞からのサイトカインにより活性化されると、B細胞が増殖を開始し、一次反応巣 (primary focus) を形成する。その後、これらの細胞は髄索と濾胞に移動する。髄索に移動したものはT<sub>H</sub>2細胞からのサイトカインにより[[形質細胞]]へと分化する。ここで形成された形質細胞は主としてIgMを産生する。一方、濾胞に移動したものは大型化し、さらに活発に分裂するようになる。この細胞は{{仮リンク|中心芽細胞|en|centroblasts}} (centroblast) と呼ばれる。中心芽細胞は増殖するにしたがい[[胚中心]]を形成し、リンパ節に腫脹をもたらす。やがて分裂が停止し、中心細胞 (centrocyte) となると、胚中心の外側に位置する明領域に移動して[[濾胞樹状細胞]]と相互作用する。 ===親和性成熟=== 濾胞樹状細胞は表面に抗原を免疫複合体として提示しており、中心細胞はこれと相互作用するにつれ胚中心の外縁部に移動する。外縁部にはヘルパーT細胞が多数存在しており、これと相互作用できた場合のみ中心細胞は[[アポトーシス]]による細胞死を免れる。この、より抗原との親和性が高い中心細胞が選択される過程を[[親和性成熟]] (affinity maturation) と呼ぶ。こうして選別された中心細胞はその後、形質細胞、ないし[[記憶B細胞]]に分化する。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[血液]] ** [[白血球]] *** [[顆粒球]] *** [[リンパ球]]:[[ナチュラルキラー細胞]] - '''B細胞''' - [[T細胞]] *** [[単球]] * [[免疫]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Lymphocytes}} {{Immune system}} {{authority control}} {{DEFAULTSORT:Bさいほう}} [[Category:リンパ球]] [[Category:ヒト細胞]] [[Category:免疫学]] [[Category:B細胞]]
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アメリカ先住民
アメリカ先住民、アメリカインディアン、インディアン、インディオ アメリカ先住民(アメリカせんじゅうみん、Indigenous peoples of the Americas)は、ヴァイキングやクリストファー・コロンブスによるアメリカ本土への到達以前からアメリカ州(南北アメリカ大陸とその周辺)に住んでいる先住民族の総称。エスキモー・アレウト人を除き、インディアン、アメリカインディアン、インディオなどとも呼ばれてきた。 「アメリカ先住民」には、「インディアンとインディオ」と「エスキモー・アレウト人(エスキモーとアレウト)」がいる。 アメリカ合衆国やチリが領有する、アメリカ州に属さない太平洋の島々には「アウストロネシア人(ポリネシア人・チャモロ人・トンガ人・ミクロネシア人など)」がいるが、少なくともアメリカ合衆国国勢調査では、彼らはアメリカ先住民(Native Americans)に含まれない。ハワイ先住民はかなりの人口がアメリカ合衆国本土に居住するが、彼らも同様である。 なかでもエスキモーやアレウト族、太平洋諸島民を除くアメリカ州本土の民族を、インディアンまたはインディオと呼ぶ。日本語では、「インディアン」は北米本土の先住民、「インディオ」は中南米の先住民をさすことが多い。 ただし、現在では、「インディアン」、「インディオ」という呼称は用いられなくなってきており、特に前者は差別用語と一般に認識されている。そのため、アメリカ合衆国では「ネイティブ・アメリカン」、カナダでは「ファーストネーション」、中南米では「インディヘナ」などの呼称が一般的である。また、エスキモーも、近年はカナダで「イヌイット」、グリーンランドで「カラーリット」と呼ばれている。(後述) 現代では白人種や黒人種、アジア人種等との混血が進んでいる。 インディアンやエスキモー、アレウトの場合、アメリカ連邦政府が「インディアン部族」、「エスキモー部族」、「アレウト」として認める部族のみが、アメリカ内務省の指定保留(reserve)した保留地(Reservation)を領有している。内務省が条約関係を打ち切り「絶滅部族」として認定しない部族は、保留地を持てず、各州に散って暮らしている。カナダ連邦におけるインディアン、イヌイットも同様である。 エスキモー・アレウト語族を話す諸民族。インディアンとは起源(アメリカへの移住時期)が異なると考えられる。新モンゴロイドに属す。 インディアン(英: Indian)は、アメリカ先住民のうち、エスキモー・アレウト人を除く諸民族の総称。スペイン語・ポルトガル語ではインディオ(西: indio)。日本語では、メキシコ以北の諸民族をインディアン、ラテンアメリカの諸民族をインディオと呼び分けることが多い。 「インディアン」(英語)と「インディオ」(スペイン語・ポルトガル語)ともに、本来はインド人を指す言葉である。「インディアン」、「インディオ」がこのように二義的な意味を持つのは、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到着したときに、その地をインド(当時は東アジア全体を指した)と誤解したことに由来する。スペイン人が先住民をインディオス(インド人の意)と呼んだことから、そのまま英語のインディアンに引継がれ、以降アメリカ先住民(の大半)をインディアンと呼ぶようになった。 英語のインディアンは直訳するとインド人の意味であり、歴史的な文脈や広義では、旧イギリス領インド全域や東南アジアの住民を含むこともあることから、本来のインド人をイースト・インディアン 、アメリカ先住民をアメリカン・インディアン と区分して呼称する場合がある。 おもに平原部族が正装の際に顔や上半身を赤く塗装したことから、また、赤褐色の肌色を持つことからレッド・マン という呼称もあり、彼ら自身も使用しているが、コロンブスがタイノ族を同じ理由でこう呼んだことによる。公民権運動やブラック・パワー運動の影響でインディアン達もレッド・パワー運動を展開した1960年代以降、侮蔑的な呼称として問題化されることがあり、イギリスでもレッド・インディアン と呼ぶことがあるが、この語は差別的とみなされることが多い。 また「インジャン」という呼び方 は現代アメリカにおいては「ニガー」などと同様の差別的な蔑称であり、ほか、「アンクル・トマホーク」、「トント(英語版)」などは、現在では同じく「白人におもねるインディアン」の代名詞となっている。 イギリスの作家アガサ・クリスティによる小説「Ten Little Niggers」はイギリス国内ではこのまま出版されたが、アメリカ版ではNiggerが不適切として「And Then There Were None」に修正され、作中に登場するNigger IslandもIndian Islandに変えられたが、こちらも差別的として変更された。 人類学・言語学では、アメリンド と呼ぶこともある。ただしこの語は厳密には、アメリカ先住民のうち、起源が異なるという説があるナ・デネ(ナヴァホなど)やイヌイットを除いたグループに対する呼称である。 他に以下の呼称があるが、これらの中には定義が不明確なものも多い。 なお、アメリカ合衆国のインディアンについてはネイティブ・アメリカンの記事に詳しい。 スペイン語indio・ポルトガル語índio(ブラジルではインジオ、あるいはインヂオと発音する)は、アメリカ州の先住民族のうちエスキモーやアレウト族などを除いた民族を総称する(英語のインディアンと同義である)ことが多いが、日本語では北米と中南米の先住民族を区別して後者のみをインディオと呼ぶことが多い。 インド人と区別するためにスペイン語ではアメリンディオ(amerindio)と呼ぶこともあるが、逆にインド人をインドゥ (hindú)と呼ぶことで区別することが多い。 先住民と白人との混血をメスティーソ(mestizo)、ラディーノ(ladino)などという。ボリビア、ペルーなどでは、先住民として位置づけられる者を含めてチョロとも呼ばれる。先住民(インディオ)と黒人との混血をサンボと呼ぶ。なお、サンボという呼称と差別についての話題がちびくろサンボにあるので、そちらも参照されたい。 人種的に純粋なインディオであっても、都市部の住民を中心にインディオ的な文化を喪失し、白人やメスティーソに文化的に同化した人はインディオと呼べないのではないかという議論がある。そのような人はインディオと称されることを忌避し、メスティーソなどと自己規定することが多い。しかし日常会話では、厳密にはメスティーソであるがインディオの人種的特徴を強く持つ人もまとめてインディオと呼ばれるのが一般的である。一方で、逆に人種的には混血であっても、先住民としてのアイデンティティを持ち、農村部を中心に先住民系の言語を日常的に用い、伝統的な文化を守る人々も決して少なくない(チョロ又はチョリータを参照)。 「エスキモー」という言葉は、アラスカエスキモーと居住域が隣接していた亜極北のアルゴンキン系インディアンの言葉で「かんじきの網を編む」という意味である。これが、東カナダに住むクリー族の言葉で「生肉を食べる者」を意味する語と誤って解釈されたことから、「エスキモー」という呼称はある時期においてしばしば侮蔑的に使用された。これには、生肉を食べる行為を野蛮であるとみなす人々の偏見が背景にある。 カナダでは1970年代ごろから「エスキモー」を差別用語と位置付け、彼ら自身の言葉で「人々」を意味する「イヌイット」が代わりに使用されている。現在では「イヌイット」という呼称は、本来「人々」を意味する言葉ではなかったとされている。先住民運動の高まりの中で、これまで他者から「エスキモー」と呼ばれてきた集団が自らを指す呼称が必要となり、「イヌイット」という言葉を採用したためである。 なお、グリーンランドでは「カラーリット」と呼ばれる。 カナダでは、イヌイットとメティ(先住民とヨーロッパ人両方の血を引く人々とその子孫)を除く先住民の総称としてファースト・ネーションズという呼称が一般的である。ハイダ族、クリー等個々の部族を指すときは部族名の後に「ファースト・ネーション」をつける(例:ハイダ・ファースト・ネーション)ことも多い。また、現在ではネイティブ・カナディアン という呼称が使われることは少ない。 近年アメリカ合衆国では「インディアン」という呼称自体が差別的であるとして、また間違った命名の歴史を反映としているとして使わなくなってきている。アメリカ合衆国ではMLB球団のクリーブランド・インディアンスがこれを理由に、2022年からクリーブランド・ガーディアンズに改称した。 現在、アメリカ合衆国では、先住民は「ネイティブ・アメリカン」と呼ばれることが多い。この単語は、アメリカ合衆国内務省インディアン管理局(BIA)の意向を受けて「インド人」を祖先に持つ「インド系アメリカ人」と区別するために、人類学者が作った造語である。1960年代にBIAが、そのサービス対象グループに対して使用を始めた。 ネイティブ・アメリカンはアメリカ合衆国内の先住民全般、つまり「インディアン」、「サモア人」、「ミクロネシア人」、「アレウト」、「ハワイ人」、「エスキモー」全てを含む場合がある。当初はインディアンとアラスカ先住民(アラスカ・インディアン、エスキモー、アレウト)を指しており、のちに連邦の枠組みに入るハワイ先住民と太平洋諸島民などを含むようになった。 一方、歴史的呼称としての「インディアン」に誇りをもつインディアン達の中には、これをあくまで自称とし、またその名称を替えること自体が差別的であるとするものもいる。インディアン運動家たちには『アメリカ・インディアン』を主張するものもある。(→ネイティブアメリカンの呼称論争(英語版)) 「アメリカン・ヘリテージ英語辞典第4版」には、「『ネイティブ・アメリカン』の承認は、『インディアン』の消滅をもたらさなかった。一度『ブラック』が好まれるようになると、あっという間に『ニグロ』が嫌われたのとは異なり、『インディアン』はアメリカ人の大多数で、決して嫌われることはなかった。」との記述も見られる。 チェロキー族の作家であるクリスティーナ・ベリーは「アメリカ・インディアン」も「ネイティブ・アメリカン」も、両方とも、様々なインディアンの民族の違いをぼかすので使用を避け、各部族名を使うべきであると主張している。 インディオという言葉に侮蔑的な響きがあることから、ラテンアメリカでは、現在は先住民のことをナティーボ (nativo,旧来の住人の意)やプレイスパニコ (prehispánico, スペイン以前の意)、インディヘナ(indígena,土着の人)などということが多くなってきている。また、カンペシーノ (campesino, 都市に住んでいない人)やアンテセデンテス (antecedentes, 先祖)という表現をすることもある(いずれもスペイン語。ポルトガル語では、例えばナティーヴなど)。 1920年代頃よりホセ・カルロス・マリアテギ等を中心にインディヘニスモ(先住民の復権)が唱えられるにつれ、先住民という意味の「インディヘナ (Indígena)」(ポルトガル語ではインディジェナ)という呼び方も普及していった。 既に述べたように、インディオという言葉には侮蔑的な響きがあり、差別用語であるともされる。ホセ・デ・サン=マルティン将軍がペルーを解放した時は、先住民をインディオと呼ぶことをやめるべきだと述べ、一世紀半後にフアン・ベラスコ・アルバラード将軍の革命政権はこの考えを実践して公的な文書の中でインディオと呼称することをやめ、カンペシーノ(農民)と呼称することを定めた。現在、多くの国では一般的には先住民を表す時にはインディヘナの名称が使われる。しかし、当のインディオの側から自分達の歴史をインディヘナという言葉によって消し去られるのは屈辱だという声も聞かれ、言い換えを拒否する動きもある。 学術の分野では、近年「初期アメリカ人」という呼称が使われることがある。 アメリカ先住民は人種的にはモンゴロイドに属すとされるが、新モンゴロイドのエスキモーを除き、赤みがかった黄褐色の肌を持つなどユーラシアのモンゴロイドとは異なる点もあることから、「アメリンド人種」とされる場合もある。エスキモーを除くアラスカ、カナダ、アメリカ合衆国北部の部族は肌の色が赤黒く鼻筋が通り高く盛り上がっておりワシ鼻である人が多い。 アメリカ先住民はモンゴロイドの一亜型であるエスキモー(エスキモー人種)とモンゴロイド的特徴が希薄なインディアン(アメリンド人種)に大きく二つに分け、インディアンの分類はヴァロワにならい北・南アメリカの西半分に住む短頭型のニ群『北太平洋インディアン又はアリューシャン人種又はコロンビア人種(ナ・デネ系民族)』、『南太平洋インディアンはソノーラ人種、プエブロ・アンデス人種、地峡人種に細分される』と東側に住む中頭型のニ群『北大西洋インディアンインディアン又平原人種又はダコタ人種ともいい西部劇でおなじみの赤色インディアンはこの人種に属する。アレゲニー山脈より東に住む人々をアパラチア人種と呼ぶことがある。』、『南大西洋インディアン又はアマゾン人種(グアラニー族等)』とその他のニ群『古層インディアン又はラゴア・サンタ人種(ヤーガン族等)』、『パンパ・インディアン又はパタゴニア人種(テウェルチェ族等)』に分類出来る。 遺伝的には東ユーラシアの諸民族に最も近い。Y染色体ハプログループはほとんどをQ系統が占める。ミトコンドリアDNAハプログループはA、B、C、D、Xが見られる。 一般に、アメリカ州への先住民族の移住は1.アメリンド、2.ナ・デネ、3.エスキモー・アレウトの3波が存在したと考えられている。 なお、インディアンの神話伝説では「亀の島」(アメリカ大陸のこと)が水の中から隆起した時に、その中心から現れた人類の祖先こそインディアンであると伝えている。 大航海時代以降は、ヨーロッパ人との混血、アフリカ黒人との混血が進んだ部族も多い。純血の民族はメキシコ、グアテマラ、エクアドル、ペルー、ボリビアなどに多く存在する。しかしブラジルやアルゼンチン、ウルグアイなどのスペイン人と激烈な戦いを繰り広げた地域では、純血な先住民はスペインによる侵略により、大幅に数を減らしている。アメリカ大陸にいた先住民はヨーロッパ人の持ち込んだ伝染病、奴隷制度、レイプ、戦争による殺戮によって、1491年に西半球には約1億4500万人の人々が住んでいたが、1691年には、アメリカ先住民の人口は90-95%、約1億3千万人も減少したとされる。 アメリカ合衆国においては白人入植者によってインディアン戦争に代表される北米植民地戦争がおこなわれた。この戦争は白人、主にキリスト教徒によって行われた大量虐殺、民族浄化、強制移住であった。これらの戦争の影響により、インディアンは今日でも貧困やアルコール依存症などの問題に苦しみ続けている。また、インディアンはブラックヒルズなど白人に奪われた土地の返還を求めて闘い続けているが、アメリカ合衆国政府や政府を支持する人々は土地を返還するつもりはない。 アメリカ合衆国およびカナダの在来の民族を、アメリカ合衆国の領有する太平洋諸島の民族を除いて、共有される文化的特性を備えた10の地理的な地方に分類するのが一般の民族史学者の見解であったが、現在は太平洋諸島民を含む11の地理的分類が通例となっている。 中南米の先住民は、言語、環境及び文化的類似性によって分類するのが一般的である。 エスキモー・アレウトの言語は1つの語族エスキモー・アレウト語族を構成する。インディアン/インディオの言語は非常に多様であり、分類が進んでいない。 その他、孤立した言語も多数ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アメリカ先住民、アメリカインディアン、インディアン、インディオ", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アメリカ先住民(アメリカせんじゅうみん、Indigenous peoples of the Americas)は、ヴァイキングやクリストファー・コロンブスによるアメリカ本土への到達以前からアメリカ州(南北アメリカ大陸とその周辺)に住んでいる先住民族の総称。エスキモー・アレウト人を除き、インディアン、アメリカインディアン、インディオなどとも呼ばれてきた。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「アメリカ先住民」には、「インディアンとインディオ」と「エスキモー・アレウト人(エスキモーとアレウト)」がいる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国やチリが領有する、アメリカ州に属さない太平洋の島々には「アウストロネシア人(ポリネシア人・チャモロ人・トンガ人・ミクロネシア人など)」がいるが、少なくともアメリカ合衆国国勢調査では、彼らはアメリカ先住民(Native Americans)に含まれない。ハワイ先住民はかなりの人口がアメリカ合衆国本土に居住するが、彼らも同様である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "なかでもエスキモーやアレウト族、太平洋諸島民を除くアメリカ州本土の民族を、インディアンまたはインディオと呼ぶ。日本語では、「インディアン」は北米本土の先住民、「インディオ」は中南米の先住民をさすことが多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ただし、現在では、「インディアン」、「インディオ」という呼称は用いられなくなってきており、特に前者は差別用語と一般に認識されている。そのため、アメリカ合衆国では「ネイティブ・アメリカン」、カナダでは「ファーストネーション」、中南米では「インディヘナ」などの呼称が一般的である。また、エスキモーも、近年はカナダで「イヌイット」、グリーンランドで「カラーリット」と呼ばれている。(後述)", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "現代では白人種や黒人種、アジア人種等との混血が進んでいる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "インディアンやエスキモー、アレウトの場合、アメリカ連邦政府が「インディアン部族」、「エスキモー部族」、「アレウト」として認める部族のみが、アメリカ内務省の指定保留(reserve)した保留地(Reservation)を領有している。内務省が条約関係を打ち切り「絶滅部族」として認定しない部族は、保留地を持てず、各州に散って暮らしている。カナダ連邦におけるインディアン、イヌイットも同様である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "エスキモー・アレウト語族を話す諸民族。インディアンとは起源(アメリカへの移住時期)が異なると考えられる。新モンゴロイドに属す。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "インディアン(英: Indian)は、アメリカ先住民のうち、エスキモー・アレウト人を除く諸民族の総称。スペイン語・ポルトガル語ではインディオ(西: indio)。日本語では、メキシコ以北の諸民族をインディアン、ラテンアメリカの諸民族をインディオと呼び分けることが多い。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "「インディアン」(英語)と「インディオ」(スペイン語・ポルトガル語)ともに、本来はインド人を指す言葉である。「インディアン」、「インディオ」がこのように二義的な意味を持つのは、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到着したときに、その地をインド(当時は東アジア全体を指した)と誤解したことに由来する。スペイン人が先住民をインディオス(インド人の意)と呼んだことから、そのまま英語のインディアンに引継がれ、以降アメリカ先住民(の大半)をインディアンと呼ぶようになった。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "英語のインディアンは直訳するとインド人の意味であり、歴史的な文脈や広義では、旧イギリス領インド全域や東南アジアの住民を含むこともあることから、本来のインド人をイースト・インディアン 、アメリカ先住民をアメリカン・インディアン と区分して呼称する場合がある。 おもに平原部族が正装の際に顔や上半身を赤く塗装したことから、また、赤褐色の肌色を持つことからレッド・マン という呼称もあり、彼ら自身も使用しているが、コロンブスがタイノ族を同じ理由でこう呼んだことによる。公民権運動やブラック・パワー運動の影響でインディアン達もレッド・パワー運動を展開した1960年代以降、侮蔑的な呼称として問題化されることがあり、イギリスでもレッド・インディアン と呼ぶことがあるが、この語は差別的とみなされることが多い。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "また「インジャン」という呼び方 は現代アメリカにおいては「ニガー」などと同様の差別的な蔑称であり、ほか、「アンクル・トマホーク」、「トント(英語版)」などは、現在では同じく「白人におもねるインディアン」の代名詞となっている。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "イギリスの作家アガサ・クリスティによる小説「Ten Little Niggers」はイギリス国内ではこのまま出版されたが、アメリカ版ではNiggerが不適切として「And Then There Were None」に修正され、作中に登場するNigger IslandもIndian Islandに変えられたが、こちらも差別的として変更された。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "人類学・言語学では、アメリンド と呼ぶこともある。ただしこの語は厳密には、アメリカ先住民のうち、起源が異なるという説があるナ・デネ(ナヴァホなど)やイヌイットを除いたグループに対する呼称である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "他に以下の呼称があるが、これらの中には定義が不明確なものも多い。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "なお、アメリカ合衆国のインディアンについてはネイティブ・アメリカンの記事に詳しい。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "スペイン語indio・ポルトガル語índio(ブラジルではインジオ、あるいはインヂオと発音する)は、アメリカ州の先住民族のうちエスキモーやアレウト族などを除いた民族を総称する(英語のインディアンと同義である)ことが多いが、日本語では北米と中南米の先住民族を区別して後者のみをインディオと呼ぶことが多い。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "インド人と区別するためにスペイン語ではアメリンディオ(amerindio)と呼ぶこともあるが、逆にインド人をインドゥ (hindú)と呼ぶことで区別することが多い。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "先住民と白人との混血をメスティーソ(mestizo)、ラディーノ(ladino)などという。ボリビア、ペルーなどでは、先住民として位置づけられる者を含めてチョロとも呼ばれる。先住民(インディオ)と黒人との混血をサンボと呼ぶ。なお、サンボという呼称と差別についての話題がちびくろサンボにあるので、そちらも参照されたい。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "人種的に純粋なインディオであっても、都市部の住民を中心にインディオ的な文化を喪失し、白人やメスティーソに文化的に同化した人はインディオと呼べないのではないかという議論がある。そのような人はインディオと称されることを忌避し、メスティーソなどと自己規定することが多い。しかし日常会話では、厳密にはメスティーソであるがインディオの人種的特徴を強く持つ人もまとめてインディオと呼ばれるのが一般的である。一方で、逆に人種的には混血であっても、先住民としてのアイデンティティを持ち、農村部を中心に先住民系の言語を日常的に用い、伝統的な文化を守る人々も決して少なくない(チョロ又はチョリータを参照)。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "「エスキモー」という言葉は、アラスカエスキモーと居住域が隣接していた亜極北のアルゴンキン系インディアンの言葉で「かんじきの網を編む」という意味である。これが、東カナダに住むクリー族の言葉で「生肉を食べる者」を意味する語と誤って解釈されたことから、「エスキモー」という呼称はある時期においてしばしば侮蔑的に使用された。これには、生肉を食べる行為を野蛮であるとみなす人々の偏見が背景にある。", "title": "近年の呼称" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": 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アメリカ先住民、アメリカインディアン、インディアン、インディオ アメリカ州の先住民族:アメリカ州の先住民族全般(エスキモー・アレウトを含む)→本記事で扱う。 インディアン:アメリカ州の先住民族のうち、エスキモー・アレウトを除く諸民族の総称。狭義には北米の先住民。→#インディアン アメリカ合衆国のインディアンについてはネイティブ・アメリカンに詳しい。 カナダのインディアンについてはファースト・ネーションも参照。 インディオ:中南米の先住民の総称。→#インディオ アメリカ先住民は、ヴァイキングやクリストファー・コロンブスによるアメリカ本土への到達以前からアメリカ州(南北アメリカ大陸とその周辺)に住んでいる先住民族の総称。エスキモー・アレウト人を除き、インディアン、アメリカインディアン、インディオなどとも呼ばれてきた。
{{Otheruses|アメリカ州の先住民|アメリカ合衆国の先住民|ネイティブ・アメリカン}} {{Redirect|インディアン|その他の用法|インディアン (曖昧さ回避)}} '''アメリカ先住民'''、'''アメリカインディアン'''、'''インディアン'''、'''インディオ''' *'''アメリカ州の先住民族''':アメリカ州の先住民族全般(エスキモー・アレウトを含む)→'''本記事'''で扱う。 *'''インディアン''':アメリカ州の先住民族のうち、エスキモー・アレウトを除く諸民族の総称。狭義には北米の先住民。→'''[[アメリカ先住民#インディアン、インディオ|#インディアン]]''' **'''アメリカ合衆国のインディアン'''については'''[[ネイティブ・アメリカン]]に詳しい。''' **カナダのインディアンについては[[ファースト・ネーション]]も参照。 *'''インディオ''':中南米の先住民の総称。→'''[[アメリカ先住民#インディオ(中南米)|#インディオ]]''' ----{{Infobox ethnic group|group=アメリカ大陸の先住民|pop21=51,000|region21=[[グリーンランド]]|pop20=80,000|region20=[[ガイアナ]]|pop19=70,000|region19=[[エルサルバドル]]|pop18=116,000|region22=[[ベリーズ]]|region18=[[パラグアイ]]|pop17=118,000|region17=[[コスタリカ]]|pop16=160,000|region16=[[ウルグアイ]]|pop15=444,000|pop22=40,000 (Maya)|pop26=2,000|religions=|languages=|pop27=2,000|region27=[[セントビンセント・グレナディーン]]|pop28=1,500|region28=[[トリニダード・トバゴ]]|region26=[[ドミニカ共和国]]|pop25=4,000|region25=[[キューバ]]|pop24=19,000|region24=[[フランス]] ([[フランス領ギアナ]])|pop23=20,300|region23=[[スリナム]]|region15=[[ニカラグア]]|pop14=460,000|native_name=|region3=[[グァテマラ]]|pop5=5.2 million|region5=[[アメリカ合衆国]]|pop4=6 million|region4=[[ボリビア]]|pop3=7.8 million|pop6=4.5 million|pop2=13 million|region2=[[ペルー]]|pop1=25.7 million<ref>{{cite web|url=https://web.archive.org/web/20160304103300/https://www.inegi.org.mx/est/contenidos/proyectos/encuestas/hogares/especiales/ei2015/doc/panorama_sociodemografico_2015.pdf |title=Página no encontrada |access-date=2015-12-12 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20160304103300/http://www.inegi.org.mx/est/contenidos/proyectos/encuestas/hogares/especiales/ei2015/doc/panorama_sociodemografico_2015.pdf |archive-date=4 March 2016}}</ref><!-- 21.5% of 119.5 million -->|region1=[[メキシコ]]|regions=|pop=およそ7,000万人|caption=アメリカ大陸における先住民の分布図|image=Distribution of Indigenous Peoples in the Americas.svg|native_name_lang=|region6=[[エクアドル]]|region14=[[パナマ]]|pop13=520,000|region13=[[ホンデュラス]]|pop12=524,000|region12=[[ベネズエラ]]|pop11=997,000|region11=[[ブラジル]]|pop10=1.2 million|region7=[[カナダ]]|region10=[[アルゼンチン]]|pop9=1.9 million|region9=[[コロンビア]]|pop8=2.1 million|region8=[[チリ]]|pop7=2.13 million|related=}}'''アメリカ先住民'''<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91-1501312 アメリカ先住民]</ref>(アメリカせんじゅうみん、Indigenous peoples of the Americas)は、[[ヴァイキング]]や[[クリストファー・コロンブス]]によるアメリカ本土への到達以前から[[アメリカ州]](南北[[アメリカ大陸]]とその周辺)に住んでいる[[先住民族]]の総称。エスキモー・アレウト人を除き、'''インディアン'''、'''アメリカインディアン'''、'''インディオ'''などとも呼ばれてきた。<!-- サムネの画像 「南北アメリカ州の先住民」の総覧肖像画(1904年)Amerikanska folk, Nordisk familjebok.jpg は百年以上も前に描かれ北欧の百科事典に掲載されていたものであり、アメリカ先住民の項目のサムネにするにはいろいろと表象の問題もあると思われます。現在このような百年以上前に白人が描いただろう絵画をサムネに使用する必要もないと思われますので、分布図と入れ替えました。ALAIN PARKS --> == 概要 == 「アメリカ先住民」には、「'''[[#インディアン(北米)|インディアン]]'''と'''[[#インディオ(中南米)|インディオ]]'''」と「'''[[エスキモー・アレウト語族|エスキモー・アレウト人]]'''([[エスキモー]]と[[アレウト族|アレウト]])」がいる。 [[アメリカ合衆国]]や[[チリ]]が領有する、アメリカ州に属さない[[太平洋諸島|太平洋の島々]]には「[[オーストロネシア人|アウストロネシア人]]([[ポリネシア人]]・[[チャモロ人]]・[[トンガ|トンガ人]]・[[ミクロネシア人]]など)」がいる<ref>アメリカ内務省[[:w:BIA|BIA]]公式規定より</ref>が、少なくとも[[アメリカ合衆国国勢調査]]では、彼らはアメリカ先住民(Native Americans)に含まれない。[[ハワイ先住民]]はかなりの人口がアメリカ合衆国本土に居住するが、彼らも同様である。 なかでもエスキモーやアレウト族、太平洋諸島民を除くアメリカ州本土の民族を、'''インディアン'''または'''インディオ'''と呼ぶ。[[日本語]]では、「インディアン」は[[北アメリカ|北米]]本土の先住民、「インディオ」は[[ラテンアメリカ|中南米]]の先住民をさすことが多い。 ただし、現在では、「インディアン」、「インディオ」という呼称は用いられなくなってきており、特に前者は差別用語と一般に認識されている{{要出典|date=2021年7月}}。そのため、[[アメリカ合衆国]]では「'''[[ネイティブ・アメリカン]]'''」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3-27439#:~:text=%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E7%A7%BB%E4%BD%8F%E3%81%8C,%E3%82%92%E3%81%95%E3%81%99%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82&text=%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AF%EF%BC%8C%E7%B4%84%20160,(%E2%86%92%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E8%AB%B8%E8%AA%9E%20)%20%E3%80%82 アメリカインディアン]</ref>、[[カナダ]]では「'''[[ファーストネーション]]'''」、[[中南米]]では「'''インディヘナ'''」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA-33022#:~:text=%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E8%AA%9E%E3%80%81%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E8%AA%9E%E3%81%A7,%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3Indian%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82&text=%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%97,%E7%9A%84%E3%81%AA%E9%9F%BF%E3%81%8D%E3%81%8C%E4%BB%98%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%81%86%E3%80%82 インディオ]</ref>などの呼称が一般的である。また、エスキモーも、近年はカナダで「'''[[イヌイット]]'''」、[[グリーンランド]]で「'''[[カラーリット]]'''」と呼ばれている。(後述) 現代では白人種や黒人種、アジア人種等との混血が進んでいる。 インディアンやエスキモー、アレウトの場合、アメリカ連邦政府が「インディアン部族」、「エスキモー部族」、「アレウト」として認める部族のみが、アメリカ内務省の指定保留(reserve)した[[インディアン居留地|保留地]](Reservation)を領有している。内務省が条約関係を打ち切り「絶滅部族」として認定しない部族は、保留地を持てず、各州に散って暮らしている。カナダ連邦におけるインディアン、イヌイットも同様である。 ==分類== ===エスキモー、アレウト=== [[エスキモー・アレウト語族]]を話す諸民族。[[#インディアン、インディオ|インディアン]]とは起源(アメリカへの移住時期)が異なると考えられる。[[新モンゴロイド]]に属す。 {{See|エスキモー|イヌイット|アレウト}} ===インディアン、インディオ=== '''インディアン'''({{lang-en-short|Indian}})は、[[アメリカ州の先住民族|アメリカ先住民]]のうち、エスキモー・アレウト人を除く諸民族の総称。[[スペイン語]]・[[ポルトガル語]]では'''インディオ'''({{lang-es-short|indio}})。[[日本語]]では、[[メキシコ]]以北の諸民族をインディアン、[[ラテンアメリカ]]の諸民族をインディオと呼び分けることが多い。 「インディアン」(英語)と「インディオ」(スペイン語・ポルトガル語)ともに、本来は[[インド人]]を指す言葉である。「インディアン」、「インディオ」がこのように二義的な意味を持つのは、[[クリストファー・コロンブス]]が[[アメリカ大陸]]に到着したときに、その地を[[インド]](当時は[[東アジア]]全体を指した)と誤解したことに由来する。スペイン人が先住民をインディオス(インド人の意)と呼んだことから、そのまま英語のインディアンに引継がれ、以降アメリカ先住民(の大半)をインディアンと呼ぶようになった。 ====インディアン(北米)==== [[英語]]のインディアンは直訳すると[[インド|インド人]]の意味であり、歴史的な文脈や広義では、旧[[イギリス領インド帝国|イギリス領インド]]全域や[[東南アジア]]の住民を含むこともあることから、本来のインド人を'''イースト・インディアン'''<ref group="原">{{lang-en-short|East Indian}}</ref> 、アメリカ先住民を'''アメリカン・インディアン'''<ref group="原">{{lang-en-short|American Indian}}</ref> と区分して呼称する場合がある。 おもに平原部族が正装の際に顔や上半身を赤く塗装したことから、また、赤褐色の肌色を持つことから'''レッド・マン'''<ref group="原">{{lang-en-short|Red Man}}</ref> という呼称もあり、彼ら自身も使用しているが、コロンブスが[[タイノ族]]を同じ理由でこう呼んだことによる。[[公民権運動]]や[[ブラック・パワー運動]]の影響でインディアン達も[[レッド・パワー運動]]を展開した1960年代以降、侮蔑的な呼称として問題化されることがあり<ref group="注">NFLチームの「[[ワシントン・コマンダース|ワシントン・レッドスキンズ]]」の'''レッドスキンズ'''({{lang-en-short|Redskins}})は、「赤い肌の連中」という意味であり、インディアン権利団体はこの名称の変更を要求して抗議を繰り返している。</ref>、イギリスでも'''レッド・インディアン'''<ref group="原">{{lang-en-short|Red Indian}}</ref> と呼ぶことがあるが、この語は差別的とみなされることが多い<ref>大修館書店刊『ジーニアス英和辞典 改訂版』(1994年)</ref>。 また「'''インジャン'''」という呼び方<ref group="注">『[[トム・ソーヤーの冒険]]』にも出てくる。</ref> は現代アメリカにおいては「'''[[ニガー]]'''」などと同様の差別的な蔑称であり、ほか、「'''アンクル・トマホーク'''<ref group="原">{{lang-en-short|Uncle Tomahawk}}</ref><ref group="注">黒人達が「ブラック・パワー運動」のなかで、「白人にこびへつらう黒人」のことを「[[アンクル・トムの小屋#蔑称としての「アンクル・トム」|アンクル・トム]]」と呼んだのに引っ掛けて、インディアン達も「レッド・パワー運動」のなかで、「白人にこびへつらうインディアン」のことをこう呼んだ。</ref>」、「{{仮リンク|トント|en|Tonto|label='''トント'''}}<ref group="注">テレビ西部劇の『[[ローン・レンジャー]]』で、主人公の白人ガンマンの相棒を務めるインディアン青年の名前。</ref>」などは、現在では同じく「白人におもねるインディアン」の代名詞となっている。 [[イギリス]]の作家[[アガサ・クリスティ]]による小説「[[そして誰もいなくなった|Ten Little Niggers]]」はイギリス国内ではこのまま出版されたが、アメリカ版ではNiggerが不適切として「And Then There Were None」に修正され、作中に登場するNigger IslandもIndian Islandに変えられたが、こちらも差別的として変更された。 [[人類学]]・[[言語学]]では、[[アメリンド]]<ref group="原">{{lang-en-short|Amerind}}</ref> と呼ぶこともある。ただしこの語は厳密には、アメリカ先住民のうち、起源が異なるという説がある[[ナ・デネ]]([[ナヴァホ]]など)や[[イヌイット]]を除いたグループに対する呼称である。 他に以下の呼称があるが、これらの中には定義が不明確なものも多い。 *'''ファースト・ネーションズ'''<ref group="原">{{lang-en-short|First Nations}}</ref> *'''ファースト・ピープルズ'''<ref group="原">{{lang-en-short|First Peoples}}</ref> *'''インディジェナス・ピープルズ・オブ・アメリカ'''<ref group="原">{{lang-en-short|Indigenous Peoples of America}}</ref> *'''アボリジナル・ピープルズ'''<ref group="原">{{lang-en-short|Aboriginal Peoples}}</ref> *'''アボリジナル・アメリカンズ'''<ref group="原">{{lang-en-short|Aboriginal Americans}}</ref> *'''アメリンディアンズ'''<ref group="原">{{lang-en-short|Amerindians}}</ref> *'''ネイティブ・アメリカンズ'''<ref group="原">{{lang-en-short|Native Americans}}</ref> *'''ネイティブ・カナディアンズ'''<ref group="原">{{lang-en-short|Native Canadians}}</ref> なお、アメリカ合衆国のインディアンについては'''[[ネイティブ・アメリカン]]'''の記事に詳しい。 ====インディオ(中南米)==== [[画像:Pan flute played 2.jpg|200px|right|thumb|笛を吹く'''インディオ系民族の男性''']] [[スペイン語]]''indio''・[[ポルトガル語]]''índio''([[ブラジル]]ではインジオ、あるいはインヂオと発音する)は、[[アメリカ州の先住民族]]のうち[[エスキモー]]や[[アレウト族]]などを除いた民族を総称する(英語の[[インディアン]]と同義である)ことが多いが、日本語では[[北米]]と[[中南米]]の先住民族を区別して後者のみをインディオと呼ぶことが多い。 インド人と区別するためにスペイン語では''アメリンディオ''(''[[:es:Amerindio|amerindio]]'')と呼ぶこともあるが、逆にインド人を''インドゥ'' (''hindú'')と呼ぶことで区別することが多い。 先住民と[[白人]]との混血を[[メスティーソ]]([[:en:mestizo|mestizo]])、ラディーノ(ladino)などという。[[ボリビア]]、[[ペルー]]などでは、先住民として位置づけられる者を含めて[[チョロ]]とも呼ばれる。先住民(インディオ)と[[黒人]]との混血を[[サンボ]]と呼ぶ。なお、サンボという呼称と差別についての話題が[[ちびくろサンボ]]にあるので、そちらも参照されたい。<!--ちびくろサンボのサンボは、中南米で言うところのサンボから来ているわけではない。--> [[画像:BenitoJuarez.jpg|140px|right|thumb|'''インディオ'''出身のメキシコ大統領[[ベニート・フアレス]]]] 人種的に純粋なインディオであっても、都市部の住民を中心にインディオ的な文化を喪失し、白人やメスティーソに文化的に同化した人はインディオと呼べないのではないかという議論がある。そのような人はインディオと称されることを忌避し、[[メスティーソ]]などと自己規定することが多い。しかし日常会話では、厳密にはメスティーソであるがインディオの人種的特徴を強く持つ人もまとめてインディオと呼ばれるのが一般的である。一方で、逆に人種的には混血であっても、先住民としてのアイデンティティを持ち、農村部を中心に先住民系の言語を日常的に用い、伝統的な文化を守る人々も決して少なくない([[チョロ]]又は[[チョリータ]]を参照)。   ==近年の呼称== ===イヌイット、カラーリット=== 「'''[[エスキモー]]'''」という言葉は、アラスカエスキモーと居住域が隣接していた亜極北の[[アルゴンキン語族|アルゴンキン系インディアン]]の言葉で「[[かんじき]]の網を編む」という意味である。これが、東カナダに住む[[クリー語|クリー族の言葉]]で「生肉を食べる者」を意味する語と誤って解釈されたことから、「エスキモー」という呼称はある時期においてしばしば侮蔑的に使用された。これには、生肉を食べる行為{{efn2|植物の育たない極地において、肉と魚を生で食べることでビタミンとミネラルを摂取できる。}}を野蛮であるとみなす人々の偏見が背景にある。 カナダでは[[1970年代]]ごろから「エスキモー」を差別用語と位置付け{{efn2|この主張自体は[[1920年代]]から既に存在していた。}}、彼ら自身の言葉で「人々」を意味する「'''イヌイット'''」{{efn2|彼らの言語に[[促音]]は存在しないので「イヌイト」のほうがより正確である。}}が代わりに使用されている。現在では「イヌイット」という呼称は、本来「人々」を意味する言葉ではなかったとされている。先住民運動の高まりの中で、これまで他者から「エスキモー」と呼ばれてきた集団が自らを指す呼称が必要となり、「イヌイット」という言葉を採用したためである<ref>スチュアート・ヘンリ「民族呼称とイメージ―「イヌイト」の創成とイメージ操作」『民族学研究』第63巻2号、[[1998年]][[9月]]</ref>。 なお、[[グリーンランド]]では「'''[[カラーリット]]'''」と呼ばれる。 ===ファーストネーション=== [[カナダ]]では、[[イヌイット]]と[[メティ (カナダ)|メティ]](先住民と[[ヨーロッパ人]]両方の血を引く人々とその子孫)を除く先住民の総称として'''[[ファースト・ネーション|ファースト・ネーションズ]]'''という呼称が一般的である。[[ハイダ族]]、[[クリー]]等個々の部族を指すときは部族名の後に「ファースト・ネーション」をつける(例:ハイダ・ファースト・ネーション)ことも多い。また、現在ではネイティブ・カナディアン<ref group="原">{{lang-en-short|Native Canadian}}</ref> という呼称が使われることは少ない。 ===ネイティブ・アメリカン=== 近年[[アメリカ合衆国]]では「インディアン」という呼称自体が差別的であるとして、また間違った命名の歴史を反映としているとして使わなくなってきている。アメリカ合衆国ではMLB球団のクリーブランド・インディアンスがこれを理由に、{{Mlby|2022|d=y}}から[[クリーブランド・ガーディアンズ]]に改称した<ref>{{cite news |last1=Hoynes |first1=Paul |title=Cleveland Indians will officially become Cleveland Guardians on Friday |url=https://www.cleveland.com/guardians/2021/11/cleveland-indians-will-officially-become-cleveland-guardians-on-friday.html |work=cleveland.com |date=Nov. 19, 2021}}</ref>。 現在、アメリカ合衆国では、先住民は「'''[[ネイティブ・アメリカン]]'''<ref group="原">{{lang-en-short|Native American}}</ref>」と呼ばれることが多い。この単語は、[[アメリカ合衆国内務省]][[インディアン管理局]](BIA)の意向を受けて「インド人<ref group="原">{{lang-en-short|Indian}}</ref>」を祖先に持つ「インド系アメリカ人<ref group="原">{{lang-en-short|Indian American}}</ref>」と区別するために、[[人類学]]者が作った造語である<ref group="注">この「ネイティブ・アメリカン」とする場合の表記は、一般的には先頭に「大文字の「N」が使用される。</ref>。1960年代にBIAが、そのサービス対象グループに対して使用を始めた<ref name=":0" />。 '''ネイティブ・アメリカン'''は[[アメリカ合衆国]]内の先住民全般、つまり「インディアン」、「[[サモア人]]」、「[[ミクロネシア人]]」、「アレウト」、「[[ハワイ人]]」、「エスキモー」全てを含む場合がある。当初はインディアンとアラスカ先住民(アラスカ・インディアン、エスキモー、アレウト)を指しており、のちに連邦の枠組みに入るハワイ先住民と太平洋諸島民などを含むようになった。 一方、歴史的呼称としての「インディアン」に誇りをもつインディアン達の中には、これをあくまで自称とし、またその名称を替えること自体が差別的であるとするものもいる。インディアン運動家たちには『アメリカ・インディアン』を主張するものもある<ref name=":0">[[インディアン管理局]] (BIA) の公式な質疑応答テキストによる</ref>。(→{{仮リンク|ネイティブアメリカンの呼称論争|en|Native American name controversy}}) 「[[アメリカン・ヘリテージ英語辞典]]第4版」には、「『ネイティブ・アメリカン』の承認は、『インディアン』の消滅をもたらさなかった。一度『ブラック』が好まれるようになると、あっという間に『ニグロ』が嫌われたのとは異なり、『インディアン』はアメリカ人の大多数で、決して嫌われることはなかった。」との記述も見られる。 [[チェロキー族]]の作家であるクリスティーナ・ベリーは「アメリカ・インディアン」も「ネイティブ・アメリカン」も、両方とも、様々なインディアンの民族の違いをぼかすので使用を避け、各部族名を使うべきであると主張している<ref>クリスティーナ・ベリー『名前には何があるの?インディアンと[[ポリティカル・コレクトネス]]』</ref>。 ===インディへナ、ナティーボ、プレイスパニコなど=== [[ファイル:Fray Bartolomé de las Casas.jpg|thumb|『'''インディオ'''の使徒』[[バルトロメ・デ・ラス・カサス]]]] '''インディオ'''という言葉に侮蔑的な響きがあることから、[[ラテンアメリカ]]では、現在は[[先住民]]のことを'''''ナティーボ''''' (''nativo'',旧来の住人の意)や'''''プレイスパニコ''''' (''prehispánico'', スペイン以前の意)、'''''インディヘナ'''''(''indígena'',土着の人)などということが多くなってきている。また、'''''カンペシーノ''''' (''campesino'', 都市に住んでいない人)や'''''アンテセデンテス''''' (''antecedentes'', 先祖)という表現をすることもある(いずれもスペイン語。ポルトガル語では、例えばナティーヴなど)。 [[1920年代]]頃より[[ホセ・カルロス・マリアテギ]]等を中心に[[インディヘニスモ]](先住民の復権)が唱えられるにつれ、先住民という意味の「''インディヘナ'' (''{{Lang|es|Indígena}}'')」(ポルトガル語ではインディジェナ)という呼び方も普及していった。 既に述べたように、インディオという言葉には侮蔑的な響きがあり、差別用語であるともされる。[[ホセ・デ・サン=マルティン]]将軍がペルーを解放した時は、先住民をインディオと呼ぶことをやめるべきだと述べ、一世紀半後に[[フアン・ベラスコ・アルバラード]]将軍の革命政権はこの考えを実践して公的な文書の中でインディオと呼称することをやめ、カンペシーノ(農民)と呼称することを定めた。現在、多くの国では一般的には先住民を表す時にはインディヘナの名称が使われる。しかし、当のインディオの側から自分達の歴史をインディヘナという言葉によって消し去られるのは屈辱だという声も聞かれ、言い換えを拒否する動きもある。 ===初期アメリカ人=== 学術の分野では、近年「'''初期アメリカ人'''<ref group="原">{{lang-en-short|early Americans}}</ref>」という呼称が使われることがある<ref>[http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3859/?ST=m_news ニュース - 古代 - アラスカで氷河期の子どもを発見] - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 2011年2月25日</ref><ref>今関恒夫, 「[https://doi.org/10.14988/pa.2017.0000008725 初期アメリカ人の社会的出自]」『同志社アメリカ研究』 10号 p.20-41 1974年, {{issn|04200918}}, {{doi|10.14988/pa.2017.0000008725}}, 同志社大学アメリカ研究所</ref>。 ==人類学的特徴== アメリカ先住民は人種的には[[モンゴロイド]]に属すとされる<ref>ただし北米東部に関して、古くからコーカソイドが混血しているとする見方がある(バリー・フェル(著)、喜多迅鷹・元子(訳)『紀元前のアメリカ』(1981)草思社)</ref>が、[[新モンゴロイド]]のエスキモーを除き、赤みがかった黄褐色の肌を持つなどユーラシアのモンゴロイドとは異なる点もあることから、「アメリンド人種」とされる場合もある。[[エスキモー]]を除く[[アラスカ]]、[[カナダ]]、[[アメリカ合衆国]]北部の部族は肌の色が赤黒く鼻筋が通り高く盛り上がっておりワシ鼻である人が多い。 アメリカ先住民はモンゴロイドの一亜型である[[エスキモー]]([[エスキモー人種]])とモンゴロイド的特徴が希薄なインディアン([[アメリンド人種]])に大きく二つに分け、インディアンの分類はヴァロワにならい北・南アメリカの西半分に住む短頭型のニ群『北太平洋インディアン又は[[アリューシャン人種]]又はコロンビア人種([[ナ・デネ]]系民族)』、『南太平洋インディアンは[[ソノーラ人種]]、[[プエブロ・アンデス人種]]、[[地峡人種]]に細分される』と東側に住む中頭型のニ群『北大西洋インディアンインディアン又[[平原人種]]又はダコタ人種ともいい西部劇でおなじみの[[赤色インディアン]]はこの人種に属する。アレゲニー山脈より東に住む人々を[[アパラチア人種]]と呼ぶことがある。』、『南大西洋インディアン又は[[アマゾン人種]]([[グアラニー族]]等)』とその他のニ群『古層インディアン又は[[ラゴア・サンタ人種]]([[ヤーガン族]]等)』、『パンパ・インディアン又は[[パタゴニア人種]]([[テウェルチェ族]]等)』に分類出来る<ref>[[寺田和夫]]『人種とは何か』、岩波書店</ref>。 遺伝的には東ユーラシアの諸民族に最も近い。[[Y染色体ハプログループ]]はほとんどを[[ハプログループQ-M242 (Y染色体)|Q系統]]が占める<ref name="Zegura"/><ref name="Bortolini">Bortolini, Maria-Catira et al 2003, [https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1180678/ Y-Chromosome Evidence for Differing Ancient Demographic Histories in the Americas]</ref><ref>Hammer, Michael F. et al 2005, [https://web.archive.org/web/20140606011248/http://www.familytreedna.com/pdf/HammerFSIinpress.pdf Population structure of Y chromosome SNP haplogroups in the United States and forensic implications for constructing Y chromosome STR databases]</ref>。[[ミトコンドリアDNAハプログループ]]は[[ハプログループA (mtDNA)|A]]、[[ハプログループB (mtDNA)|B]]、[[ハプログループC (mtDNA)|C]]、[[ハプログループD (mtDNA)|D]]、[[ハプログループX (mtDNA)|X]]が見られる。 ==起源と歴史== {{Seealso|アメリカ大陸史#前史|先コロンブス期|パレオインディアン}} 一般に、アメリカ州への先住民族の移住は1.アメリンド、2.[[ディネ|ナ・デネ]]、3.[[エスキモー|エスキモー・アレウト]]の3波が存在したと考えられている。 #インディアン/インディオの祖先は、約2万5000年前に[[シベリア]]に進出した[[モンゴロイド]]である。当時は[[最終氷期]]の最盛期で、現在の[[ベーリング海]]は陸地の[[ベーリンジア]]になっており、[[ユーラシア大陸]]から[[アラスカ州|アラスカ]]に歩いて移民できた。ベーリング海峡が海に戻った1万4000年前より前に、彼らはアラスカまで進出したはずだが、考古学的証拠は乏しく正確な時期は特定できない。約1万5000年前、古モンゴロイドはカナダを超え[[アメリカ合衆国本土]]へ渡り、[[クローヴィス文化]]の担い手の[[パレオインディアン]]となった。彼らがインディアン/インディオの直接の祖先であり、1000年で南米南端まで広がった。近年では最初期のアメリカ先住民(アメリンド)はアメリカ西海岸を氷床を避けて南下していったとする見方が有力である。ただし論争はあるものの、クローヴィス以前の可能性がある遺跡がいくつか見つかっており、パレオインディアン以前の住民がいた可能性もある。インディアン/インディオの[[遺伝的多様性]]はクローヴィスより古い起源を示唆しており、彼らがインディアン/インディオの祖先の一部となった可能性もある。 #[[ナデネ語族]]を話す[[ディネ]]はアメリカ大陸における移住拡散の第2波と考えられる。ハプログループQに加え、[[ハプログループC2 (Y染色体)]]を中頻度に保有する<ref name="Zegura">Zegura, Stephen L. et al 2004, [http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/reprint/21/1/164 High-Resolution SNPs and Microsatellite Haplotypes Point to a Single, Recent Entry of Native American Y Chromosomes into the Americas]</ref><ref name="Malhi">Malhi, Ripan Singh et al 2008, [https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2584155/pdf/nihms64490.pdf Distribution of Y Chromosomes Among Native North Americans: A Study of Athapaskan Population History]</ref><ref name="Dulik" >Matthew C. Dulik et al 2012, [http://www.pnas.org/content/109/22/8471.full Y-chromosome analysis reveals genetic divergence and new founding native lineages in Athapaskan- and Eskimoan-speaking populations] PNAS May 29, 2012 vol. 109 no. 22</ref>。 #エスキモー・アレウトは、おそらく比較的最近にシベリアからアラスカに進出し、グリーンランドまで拡散した。寒冷な気候に適応して進化した[[新モンゴロイド]]である。 #また、紀元前にヨーロッパから北米に移住があったとする見方もあり<ref>バリー・フェル(著)、喜多迅鷹・元子(訳)『紀元前のアメリカ』(1981)草思社</ref>、遺伝子からも、欧州に多い[[ハプログループR (Y染色体)|Y染色体-R]]、[[ハプログループX (mtDNA)|mtDNA-X]]が北米東部でかなりの頻度で観察される<ref name="Zegura"/><ref name="Malhi"/><ref name="Bolnick">Bolnick, Deborah A. et al 2006, [http://mbe.oxfordjournals.org/content/23/11/2161.full.pdf+html Asymmetric Male and Female Genetic Histories among Native Americans from Eastern North America]</ref><ref name="Genebase">{{cite web |title=Learn about Y-DNA Haplogroup Q |work=Wendy Tymchuk – Senior Technical Editor |url=http://www.genebase.com/tutorial/item.php?tuId=16 |format=Verbal tutorial possible |publisher=Genebase Systems |year=2008 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20100622001311/http://www.genebase.com/tutorial/item.php?tuId=16 |accessdate=22 June 2010 |df=dmy-all |archive-date=2010年6月22日}}</ref><ref>Salas A, Lovo-Gómez J, Álvarez-Iglesias V, Cerezo M, Lareu MV, Macaulay V, et al. (2009) [http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371%2Fjournal.pone.0006882 Mitochondrial Echoes of First Settlement and Genetic Continuity in El Salvador.] PLoS ONE 4(9): e6882. doi:10.1371/journal.pone.0006882 </ref>ことから、有史以前のある時期に[[ヨーロッパ]]からの直接移住が存在した可能性がうかがえる。 #加えて南米原産の[[サツマイモ]]がコロンブス以前の[[ポリネシア]]から発見されていることから、[[ポリネシア人]]が南アメリカ大陸から持ち込んだと考えられ、南アメリカ大陸と交流があったと思われるが、ポリネシア人がアメリカ先住民の[[遺伝子プール]]に与えた影響などは不明である。 なお、インディアンの神話伝説では「亀の島」(アメリカ大陸のこと)が水の中から隆起した時に、その中心から現れた人類の祖先こそインディアンであると伝えている<ref>『太ったインディアンの警告』(エリコ・ロウ、NHK出版)</ref>。 [[大航海時代]]以降は、ヨーロッパ人との混血、[[アフリカ]][[黒人]]との混血が進んだ部族も多い。純血の民族は[[メキシコ]]、[[グアテマラ]]、[[エクアドル]]、[[ペルー]]、[[ボリビア]]などに多く存在する。しかし[[ブラジル]]や[[アルゼンチン]]、[[ウルグアイ]]などのスペイン人と激烈な戦いを繰り広げた地域では、純血な先住民は[[スペインによるアメリカ大陸の植民地化|スペインによる侵略]]により、大幅に数を減らしている。アメリカ大陸にいた先住民はヨーロッパ人の持ち込んだ伝染病、[[奴隷制度]]、レイプ、戦争による殺戮によって、1491年に西半球には約1億4500万人の人々が住んでいたが、1691年には、アメリカ先住民の人口は90-95%、約1億3千万人も減少したとされる<ref>McKenna, Erin, and Scott L. Pratt. 2015. American Philosophy: From Wounded Knee to the Present. Bloomsbury. p. 375.</ref>。 アメリカ合衆国においては白人入植者によって[[インディアン戦争]]に代表される[[北米植民地戦争]]がおこなわれた。この戦争は白人、主に[[キリスト教徒]]によって行われた[[大量虐殺]]、[[民族浄化]]、[[強制移住]]であった。これらの戦争の影響により、インディアンは今日でも[[貧困]]や[[アルコール依存症]]などの問題に苦しみ続けている。また、インディアンは[[ブラックヒルズ]]など白人に奪われた土地の返還を求めて闘い続けているが、[[アメリカ合衆国政府]]や政府を支持する人々は土地を返還するつもりはない<ref>[https://www.se.edu/native-american/wp-content/uploads/sites/49/2019/09/A-NAS-2017-Proceedings-Smith.pdf&ved=2ahUKEwjktufI6cT5AhU-UPUHHa-pA8I4ChAWegQIJhAB&usg=AOvVaw05rQU4NwUsOdUqysBeoxzm] Counting the Dead: Estimating the Loss of Life in the Indigenous Holocaust, 1492-Present David Michael Smith University of Houston-Downtown</ref><ref>『American Holocaust』(David Stannard,Oxford University Press, 1992)</ref><ref>[https://www.history.com/news/native-americans-genocide-united-states]</ref><ref>[https://around.uoregon.edu/content/historian-examines-native-american-genocide-its-legacy-and-survivors]</ref><ref>[https://historynewsnetwork.org/article/162804]</ref><ref>[https://www.science.org/doi/10.1126/science.abe4943?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp]</ref><ref>{{cite journal|pmc=1446168 |pmid=10705850 |doi=10.2105/ajph.90.3.344 |volume=90 |title=Historical and cultural roots of drinking problems among American Indians |year=2000 |last1=Frank |first1=JW |last2=Moore |first2=RS|last3=Ames |first3=GM |journal=Am J Public Health |issue=3 |pages=344–51}}</ref><ref>{{cite book|last=Brown|first=Dee|title=Bury My Heart at Wounded Knee|year=1971|publisher=Henry Holt|location=New York}}</ref><ref>[https://uclajournals.org/doi/abs/10.17953/aicr.25.4.d7703373656686m4?journalCode=aicr Gilbert Quintero "Making the Indian: Colonial Knowledge, Alcohol, and Native Americans." ''American Indian Culture and Research Journal'', 2001, Vol. 25, No. 4, pp. 57–71]</ref><ref>{{Cite news |last1=Barbash |first1=Fred |last2=Elkind |first2=Peter |date=1980-07-01 |title=Sioux Win $105 Million |language=en-US |newspaper=The Washington Post |url=https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1980/07/01/sioux-win-105-million/a595cc88-36c6-49b9-be4f-6ea3c2a8fa06/ |access-date=2021-12-22|issn=0190-8286}}</ref>。 {{See also|ネイティブ・アメリカン#近代以降の歴史}} == 一覧 == === アメリカ合衆国とカナダ === アメリカ合衆国およびカナダの在来の民族を、アメリカ合衆国の領有する太平洋諸島の民族を除いて、共有される文化的特性を備えた10の地理的な地方に分類するのが一般の民族史学者の見解であったが、現在は太平洋諸島民を含む11の地理的分類が通例となっている。 ==== 北極のエスキモー、イヌイット、アレウト ==== * [[アレウト族]] [[:en:Aleut]] - アラスカ[[ファイル:aleut.jpg|thumb|250px|伝統衣装をまとった[[アレウト族|アレウト]]の肖像]] * カナダ・エスキモー ** [[イヌイット]] [[:en:Inuit]] ** [[イヌヴィアルイト]] [[:en:Inuvialuit]] * [[エスキモー|アラスカ・エスキモー]] ** [[イヌピアット]] [[:en:Inupiat]] - アラスカの[[エスキモー]]。'''「イヌイット」とは呼ばない。''' ** [[ユピク]] [[:en:Yupik]] - アラスカのエスキモー。'''「イヌイット」とは呼ばない。''' ==== 亜北極のインディアン ==== * [[アトナ]] Ahtna, Ahtena, Nabesna * [[アティカメク]] Atikamekw, Attikamekw、Attikamek、Attimewk, Atikamek * [[バビーン]] [[:en:Babine]] * [[ベアレイク]] Bearlake * [[キャリアー]]([[キャリアー|ダケル]]) Carrier(英語名), Dakelh, Dakelhne(複数形) * [[チペワイアン]] Chipewyan * [[チルコーティン]] Chilcotin * [[クリー]] Cree * [[インガリック]] [[:en:Deg Hit’an]] (Deg Xinag, Deg Xit'an, Deg Hitan, Degexit'an, Ingalik, Ingalit, Inkaliten, Inkality, Kaiyuhkhotana) * [[デナイナ]] [[:en:Dena’ina]] * [[ドグリブ]] Dogrib, [[:en:Tli Cho]] * [[グウィッチン]] Gwichʼin, Kutchin, Gwitchin) * [[ハイダ族|ハイダ]] [[:en:Haida]] * [[ハン (アメリカ)|ハン]] [[:en:Hän language]] * [[ディネ]] Dene:カナダのアサバスカ語系狩猟民族[[ヘア・インディアン|ヘア]](Hare)を指し[[チペワイアン]]、[[グウィッチン]]も含み、またアメリカ合衆国での[[ナバホ族]](Navajo)」および「[[アパッチ族]](Apache)」も含む * [[ホリカチャック]] [[:en:Holikachuk]], Innoko, Organized Village of Grayling, Innoka-khotana, Tlëgon-khotana * [[インヌ]](ナスカピ族) [[:en:Innu]], Naskapi ** [[インヌ|モンターネ]] Montagnais * [[カスカ]] [[:en:Kaska]], Kaska Dena, Nahane * [[コルチャン]] [[:en:Kolchan language]], Upper Kuskowim * [[コユーコン]] [[:en:Koyukon]][[ファイル:Koyukon People 1898 sfc00497.jpg|thumb|250px|1898年のコユーコン族]] * マウンテン Mountain * [[ニスガ族|ニスカ]](ニシュガ、ニスガ) Nishka, Nisga'a * [[オジブワ]] Ojibwa * [[セカニ]] [[:en:Sekani]] * [[スレービー]] [[:en:Slavey]][[ファイル:Slavey girls Mackenzie River Northwest Territories - NA-1463-23.jpg|thumb|200px|スレービー族の少女たち]] * [[タギシュ]] Tagish, Tagish Khwáan * [[タールタン]] [[:en:Tahltan]], Nahanni * [[下タナナ]] cf.[[:en:Lower Tanana language]] * [[中タタナ|中タナナ]] Middle Tanana * [[高地タナナ]] [[:en:Upper Tanana language]] * [[タナクロス]] [[:en:Tanacross language]] * [[ダネザ]] [[:en:Dunneza]], Tasttine, Dunne-za, Beaver * [[タナイナ]] Tanaina (方言:クック入り江、イリアムナ、カチェマック湾、キナイ、スシツナ川) * [[トリンギット]] Tlingit, Lingít * [[ツェツァウト]] [[:en:Tsetsaut language]] * [[ツィムシャン]] *[[:en:Tsimshian]] * 北[[トゥトチョネ]] [[:en:Northern Tutchone]] * 南[[トゥトチョネ]] [[:en:Southern Tutchone]] * [[ウィツウィテン]] [[:en:Wet'suwet'en]], Hwotsotenne, Witsuwit'en, Wetsuwet'en * イエローナイフ [[:en:Yellowknives]], Yellow Knives, Copper Indians, Red Knives or T'atsaot'ine ==== カリフォルニアのインディアン ==== {{Colbegin}} * [[アコマウイ]] Achomawi * [[アントニアーニョ]] Antoniaño * [[アツゲウィ]] Atsugewi * [[ベアリバー]] * [[カウィヤ]] Cahuilla * [[カンポ族|カンポ]] Campo * [[チュケチャンスィ]] Chukchansi * [[チュマシュ]] Chumash (Dialects: Roseño, Purisimeño, Barbareño, Inezeño, Ventureño, Obispeño, [[:en:Santa Paula]], Cruzeño, Emigdiano Allilik) * [[チルラ]] Chilula * [[チマリコ]] Chimariko * [[コスタノアン]] Costanoan (方言: Ramaytush、[[サンノゼ]]、Juichen、Chocheño、Tamyen、Awaswas、Chalon、Mutsun、[[ラムセン]]) * [[クペーニョ]] Cupeño * [[ディエゲノ]] Diegueño * [[エセレン]] Esselen * [[フェルナンデーニョ]] Fernandeño * [[ガブリエレノ]] Gablieleno、Gabrieliño * [[ジマイナ]] Giamina * [[フチノム]] Huchnom * フーパ Hupa * [[イパイ]] Ipai * [[ジャムル]] Jamul * [[フアネニョ]] Juaneño * [[カミア]] Kamia * [[カロク]] Karok * [[カトー族|カトー]] Kato * [[キリワ]] Kiliwa * [[キタネムク]] Kitanemuk * [[コノミフ]] Konomihu * [[コンコウ]] Konkow * [[クミアイ族|クミアイ]] Kumeyaay、Kumiai * [[ラシキ]] Lassik * [[ルイセノ]] Luiseño * [[マイドゥ]] Maidu * [[マトール]] Mattole * [[ミーウォク]] Me-wuk * [[メサ・グランデ]] Mesa Grande * [[ミグレーノ]] Migueleño * [[ミッション・インディアン]]Mission Indians * [[ミウォク]] Miwok * [[モードック]]Modoc * [[モハーベ]] Mohave * [[モナチェ]] Monache * [[ナキパ]] Nakipa * [[ニセナン]] Nisenan * [[ノムラキ]] Nomlaki * [[ノンガトル]] Nongatl * [[オローニ]] Ohlone * [[パイパイ]] Paipai (Akwa'ala) * [[パトウィン]] Patwin * ピット・リバー・インディアン Pit River Indians :[[アコマウイ]](Achomawi)参照。 * [[ポモ]] Pomo * [[サリナン]] Salinan * [[サン・クレメンテ (アメリカ)|サンクレメンテ]] San Clemente * [[サン・ニコラス]] San Nicolas * [[サンタ・カタリナ]] Santa Catalina * [[セラーノ]] Serrano * [[シャスタ]] Shasta tribe * [[シンキオン]] Sinkyone * [[タチェ]]Tache * [[タチ族]]Tachi tribe * [[タタヴィアム]] Tataviam * [[ティパイ]]Tipai * [[トロワ族|トロワ]] Tolowa * [[トングヴァ]] Tongva * [[ツヌングェ]]Tsnungwe * [[トゥバツラバル]] Tubatulabal * [[ワイラキ]]Wailaki * [[ワッポ]] Wappo * [[ウィルクート]] Whilkut * [[ウィントゥン]] Wintun * [[ウィヨット]] Wiyot * [[ヤヒ]] Yahi * [[ヤナ族]] Yana * [[ヨチェ・デヘ]] Yocha Dehe * [[ヨークッツ]] Yokuts * [[ユキ族|ユキ]] Yuki tribe|Yuki * [[ユキ族|コースト・ユキ]] Coast Yuki * [[ユロック]] Yurok {{Colend}} ==== 東部森林地帯のインディアン ==== [[ファイル:Abenaki Tribe.jpg|thumb|伝統衣装をまとった[[アベナキ族]]男性]] {{Colbegin}} * [[アベナキ族|アベナキ]] Abenaki (Wabenaki) [[バーモント州]] * [[アコハノック]] Accohannock [[メリーランド州]] * [[アニシナーベ]] Anishinaabe ** [[アルゴンキン族 (ケベックの民族)|アルゴンキン]] Algonquin カナダ・[[オンタリオ州]]、[[ケベック州]] ** [[ニピシング]] Nipissing カナダ・[[オンタリオ州]] ** [[オジブワ]] Ojibwa(e)(チペワ Chippewa)[[ミシガン州]]、[[ミネソタ州]]、[[ウィスコンシン州]]、[[ノースダコタ州]]、[[モンタナ州]]、カナダ・[[マニトバ州]]、[[オンタリオ州]] *** [[ミシサガ族|ミシサガ]] Missisauga カナダ・[[オンタリオ州]] *** [[ソートー]] Saulteaux ([[平原オジブワ]] Plains Ojibwe) カナダ・[[ブリティッシュコロンビア州]]、[[アルバータ州]]、[[サスカチュワン州]]、[[マニトバ州]]、[[オンタリオ州]] ** [[オジ・クリー]] Oji-Cree カナダ・[[マニトバ州]]、[[オンタリオ州]] ** [[オタワ族|オタワ]] Ottawa [[オクラホマ州]]、[[ミシガン州]]、カナダ・[[オンタリオ州]] ** [[ポタワトミ族|ポタワトミ]] Potawatomi [[オクラホマ州]]、[[カンザス州]]、[[ウィスコンシン州]]、[[インディアナ州]]、[[ミシガン州]]、カナダ・[[オンタリオ州]] * [[ベオサック]]([[ベオスック]]) Beothuk [[ニューファンドランド島]]、19世紀に絶滅 * [[カニバ]] Caniba * [[コニー族|コニー]] Conoy * [[レナペ|デラウェア]] Delaware(レニ・レナペ、Leni Lenape) [[デラウェア州]] * [[エリー族|エリー]] Erie * [[エシュマン]] Etchemin * [[フォックス族|フォックス]] Fox [[メスクワキ族]]とも * [[ホーチャンク]] Ho-Chunk (ウィネバーゴ Wiinebago) [[ネブラスカ州]]、[[ミネソタ州]]、[[ウィスコンシン州]] * [[イリニウェク]] Ileniwek (Illini) [[イリノイ州]] * [[イロコイ語族|イロコイ]]族 Iroquois [[ニューヨーク州]]、カナダ・[[オンタリオ州]] 、[[ケベック州]] ** [[カユーガ]] Cayuga ** [[モホーク族|モホーク]] Mohawk ** [[オナイダ族|オナイダ]] Oneida ** [[オノンダーガ族|オノンダガ]] Onondaga ** [[セネカ族|セネカ]] Seneca ** [[タスカローラ]] Tuscarora * [[キカプー]] Kickapoo [[イリノイ州]]、[[ミズーリ州]]、[[カンザス州]]、[[オクラホマ州]]、[[テキサス州]]、メキシコ * [[スタダコナン|ローレンシャン]] Laurentian (スタダコナン stadaconan) [[デラウェア州]]、[[ペンシルベニア州]]、[[ニュージャージー州]]、 [[オクラホマ州]] * [[ループ族|ループ]]A Loup A * [[ループ族|ループ]]B Loup B * [[マヒカン族|マヒカン]] Mahican (方言: [[ストックブリッジ]]) * [[マリシート]] Maliseet [[メイン州]]、カナダ・[[ニューブランズウィック州]] * [[マスカウテン]] Mascouten * [[マサチューセッツ族|マサチューセッツ]] Massachusett [[マサチューセッツ州]] * [[メノミニー]] Menominee [[ウィスコンシン州]] * [[ミクマク]] Mi'kmaq, Micmacs [[メイン州]]、カナダ・[[ニューブランズウィック州]]、 [[ノバスコシア州]] * [[マイアミ族|マイアミ]] Miami [[インディアナ州]]、 現在は [[オクラホマ州]] * [[ミンゴ]] Mingo [[ペンシルベニア州]]、[[オハイオ州]] * [[モヒカン族|モヘガン]] Mohican(Mohegan) [[コネチカット州]] * [[モントーク]] Montauk [[ニューヨーク州]] * [[マンシー]] Munsee * [[ナンティコック]] Nanticoke * [[ナラガンセット]] Narragansett Rhode Island * [[ナティック]] Natick * [[ニュートラル族|ニュートラル]] Neutral * [[ニプマック]] Nipmuc [[マサチューセッツ州]] * [[ポガセット]] Paugusset [[コネチカット州]] * [[パサマクォディ]] Passamaquoddy [[メイン州]] * [[ペノブスコット]] Penobscot [[メイン州]] * [[ピオリア族|ピオリア]] Peoria [[イリノイ州]]、[[オクラホマ州]] * [[ピクォート]] Pequot [[コネチカット州]] * [[ピトゥン]] Petun [[オンタリオ州]] * [[ポクマック]] Pocumtuk * [[プースパチュック]] Poospatuck [[ニューヨーク州]] * [[ポウハタン]] Powhatan [[バージニア州]] * [[クィニピアック]] Quinnipiack [[コネチカット州]] * [[クィリピ]] Quiripi * [[ラマポー・マウンテン・インディアンス]] Ramapough Mountain Indians [[ニュージャージー州]] * ホープウェル Hopewell [[オハイオ州]] * [[ソーク族|ソーク]] Sauk * [[シコタン族|シコタン]] Secotan * [[ショーニー]] Shawnee [[オハイオ州]]、[[ペンシルベニア州]]、多くは[[オクラホマ州]]に定着 * [[シネコック]] Shinnecock [[ニューヨーク州]] * [[ソウリンコワン]] Souriquoian * [[サスケハノック]] Susquahannock (サスケハナ、Susquehannaコネストーガ、Conestoga) [[ペンシルベニア州]]、[[メリーランド州]] * [[ヌアラチャティゴ]] Unalachtigo [[デラウェア州]] * [[ウナミ]] Unami * [[ウンクァチョグ]] Unquachog * [[ワンパノアグ]] Wampanoag [[マサチューセッツ州]] * [[ワッピンガー]] Wappinger * [[ワウィノック]] Wawenoc * [[ウィア]] Wea * [[ウェンロ]] Wenro * [[ワイアンドット族|ワイアンドット]] Wyandot (ヒューロン Huron) [[オハイオ州]]から[[オクラホマ州]]、起源は[[オンタリオ州]] {{Colend}} ==== グレートベースン(盆地)のインディアン ==== * [[バンノック]]Bannock [[アイダホ州]] * [[チェメウェビ]] Chemehuevi * [[ゴシュート]] Gosiute [[ユタ州]] * [[カワイイス]] Kawaiisu * [[コソ]] Koso * [[モノ族|モノ]] Mono * [[オーウェン・バレリー]] Owen's Valley * [[パイユート|北パイユート]] Northern Paiute [[カリフォルニア州]]、[[ネバダ州]]、[[オレゴン州]] [Burns-Paiute]、[[アリゾナ州]] * [[パイユート|南パイユート]] Southern Paiute (Kaibab) * [[パナミント]] Panamint * [[パヴィオツォ]] Paviotso * [[ショーショーニー族|ショーショーニー]] (Shoshone、Shoshoni) [[ネバダ州]]、[[ワイオミング州]]、[[カリフォルニア州]] ** [[ウインド・リバー・インディアン居留地|ウィンド・リヴァー・ショーショーニー]] Wind River Shoshone ** {{仮リンク|フォート・ホール・インディアン居留地|en|Fort Hall Indian Reservation|label=フォート・ホール・ショーショーニー}} Fort Hall Shoshone * [[ティンビシャ]] Tümpisa * [[ユート族|ユート]] Ute [[ユタ州]]、[[コロラド州]] * [[ワショー]] Washo [[ネバダ州]]、[[カリフォルニア州]] ==== 北西高原地帯のインディアン ==== * [[カイユース]]Cayuse [[オレゴン州]] * [[セリロー]]Celilo (Wayampam) * Upper Chinookan (方言: [[クラッカマス]]Clackamas、Cascades、[[フッドリバーワスコ]]Hood River Wasco、Wishram Kathlamet、Wishram、Cathlamet、[[マルトノーマ]]Multnomah) [[オレゴン州]] * [[コロンビアン]] Columbian (方言: Wenatchee、Sinkayuse、Chelan) [[ワシントン州]] * [[クーダレン]]Coeur d'Alene (tribe)|Coeur d'Alene [[アイダホ州]] * [[コルビル]]Colville [[ワシントン州]] * [[コーリッツ]]Upper Cowlitz * Flatbow * [[サリシ]]Flathead * Fountain * [[ジョン・ダイ]] John Day * [[カリスペル]] Kalispel [[ワシントン州]] * Kittitas * [[クラマス]] Klamath * Klikitat [[ワシントン州]] * ラケス Lakes * Lillooet * Lower Snake (Chamnapam、Wauyukma、Naxiyampam) * [[モードック]] Modoc * [[モララ]] Molala (Molale) [[オレゴン州]] * [[クーテネイ]] Kootenay (Kutenai) [[ブリティッシュコロンビア州]]、[[モンタナ州]]、[[アイダホ州]]、[[ワシントン州]] * [[ネ・ペルセ]] Nez Perce 北中央[[アイダホ州]]、南東[[ワシントン州]]、北東[[オレゴン州]]、西[[モンタナ州]]、[[ワイオミング州]] * [[ニコラ族|ニコラ]] Nicola * Upper Nisqually (Mishalpan) * [[オカナガン]] Okanagan (方言: Northern and Southern) * [[パルース]]Palouse (Palus) * [[ペンド・オリール]]Pend'Oreille * [[ロック・クリーク]] Rock Creek * [[サハプティン]]Sahaptin * [[サンポイル]] Sanpoil * [[シュスワップ]]Shuswap * [[スポケーン族|スポケーン]] Spokane [[ワシントン州]] [[アイダホ州]] * [[テニノ]] Tenino * [[トンプソン族|トンプソン]] Thompson * Tygh * Tygh Valley * [[ユーマティラ]]Umatilla [[オレゴン州]] * {{仮リンク|ワラワラ (部族)|en|Walla Walla (tribe)|label=ワラワラ}} Walla Walla [[オレゴン州]] * [[ワナプム]] Wanapum * [[ワスコ]] Wasco [[オレゴン州]] * [[ヤカマ]] Yakama [[ワシントン州]] ==== 北西太平洋岸のインディアン ==== {{Colbegin}} * [[アルシー]] Alsea * [[アップルゲート]] Applegate * [[ベーラ・ベーラ]] Bella Bella * [[ベーラ・コーラ]] Bella Coola * [[チャスタ・コスタ]] Chasta Costa * [[チェハリス]] Chehalis (Upper and Lower) [[ワシントン州]] * [[チェマクム]] Chemakum [[ワシントン州]] * [[チェトコ]] Chetco * [[チリワック]] Chilliwack * [[ロワ・チヌーケン]] Lower Chinookan * [[クラットソップ]] Clatsop * クラッツカニーClatskanie (Tlatskanie) * [[コーモックス]] Comox * [[クース]] Coos [[オレゴン州]] * [[ロワ・コキーユ]] Lower Coquille (Miluk) [[オレゴン州]] * [[アッパー・コキーユ]] Upper Coquille * [[カウチン]] Cowichan * [[ロワ・コウリッツ]] Lower Cowlitz [[ワシントン州]] * [[ドゥワーミシュ]] Duwamish [[ワシントン州]] * [[イヤック]] Eyak Alaska * [[ガリチ]] Galice * [[ハイダ族|ハイダ]] Haida (方言: Kaigani、Skidegate、Masset) [[アラスカ州]]、[[ブリティッシュコロンビア州]] * ハイハイ Haihai * [[ハイスラ]] Haisla * [[ハルコメレム]] Halkomelem * [[ハニス]] Hanis * [[ヘイルツク]] Heiltsuk (ベラベラ、Bella Bella)、[[ブリティッシュコロンビア州]] * [[ホー族|ホー]] Hoh [[ワシントン州]] * [[カラプヤ|中央カラプヤ]] Central Kalapuya (方言: Santiam、Mary's River、Lakmiut、Ahantchuyuk、Lower McKenzie) * [[カラプヤ|北カラプヤ]] North Kalapuya (方言: Yamhill、Tualtin or Tfalati) * [[カラプヤ|南カラプヤ]] South Kalapuya (Yonkalla) * [[キムスクィット]] Kimsquit * [[キティマト]] Kitimat * [[クララム]] Klallam (Clallam,方言: Klallam (Lower Elwha)、S'Klallam (Jamestown)、S'Klallam (Port Gamble)) * [[クレムトゥ]] Klemtu * [[クリキタット]] Klickitat [[ワシントン州]] * [[コスキモ]] Koskimo * [[クワリオオクア]] Kwalhioqua * [[クワキウトル]] Kwakiutl (Kwakwala) * [[クワントレム]] Kwantlem * [[クワタミ]] Kwatami * [[イリノイ族|上イリノイ]] * [[ラミ族|ラミ]] Lummi [[ワシントン州]] * [[ルスフットシード]] Lushootseed * [[マカ族|マカー]] Makah [[ワシントン州]] * [[マックルシュート]] Muckleshoot [[ワシントン州]] * [[マスキーム]] Musqueam、Xwméthkwyiem [[ブリティッシュコロンビア州]] * [[ナナイモ族|ナナイモ]] Nanaimo [[ブリティッシュコロンビア州]] * [[ニスクワリィー]] Niskwalli * [[ヌクサック]] Nooksack [[ワシントン州]] * [[ニスクォーリ]] Nisqually [[ワシントン州]] * [[ペントラッチ]] Pentlatch * [[プヤラップ]] Puyallup [[ワシントン州]] * [[キリュート]] Quileute [[ワシントン州]] * [[キノールト]] Quinault [[ワシントン州]] * Rivers Inlet * [[サーニッシュ]] Saanich * [[サミッシュ]] Samish * [[ソーク=スラルト]] Sauk-Suiattle [[ワシントン州]] * [[セチェルト]] Sechelt * [[ショウルウォーター・ベイ]] Shoalwater Bay Tribe [[ワシントン州]] * [[シレッツ]]Siletz [[オレゴン州]] * Siuslaw [[オレゴン州]] * [[アッパー・スカジット]] Upper Skagit * [[スコーコミッシュ]] Skokomish [[ワシントン州]] * Sliammon * [[スノホミッシュ]] Snohomish * Songish * [[スーク]] Sooke * [[スカシン・アイランド]] Squaxin Island Tribe [[ワシントン州]] * [[スポケーン族|スポケーン]] Spokane [[ワシントン州]]、[[アイダホ州]] * [[スティラガミッシュ]] Stillaguamish [[ワシントン州]] * [[スクワミッシュ]] Squamish [[ワシントン州]]、[[ブリティッシュコロンビア州]] * [[スウィノミッシュ]] Swinomish [[ワシントン州]] * [[タイト]] Tait * [[タケルマ]] Takelma * [[タリオ (部族)|タリオ]] Talio * [[ティラムーク]]Tillamook [[オレゴン州]] * [[トラトラシコアラ]]Tlatlasikoala * [[トリンギット]] Tlingit [[アラスカ]] * [[トロワ族|トロワ]] Tolowa * [[ツィムシャン]] Tsimshian (方言: Hartley Bay、Prince Rupert、Gitando、Kitkatla) * [[ツレイルワウスス]] Tsleil'wauthuth [[ブリティッシュコロンビア州]] * [[トゥラリック]] Tulalip [[ワシントン州]] * [[トゥトゥトニ]] Tututni * [[トワナ]] Twana * [[アンプクア]] Umpqua [[オレゴン州]] * [[アンプクア|アッパー・アンプクア]] Upper Umpqua [[オレゴン州]] * [[アッパー・スカジット]] Upper Skagit [[ワシントン州]] * [[ウィケノ]] Wikeno * [[ヤキーナ]] Yaquina [[オレゴン州]] {{Colend}} ==== 大平原地帯のインディアン ==== [[ファイル:Portrait of Red Bird.jpg|thumb|伝統衣装をまとった[[スー族]]の戦士、ジトカラ・サ(19世紀の撮影)]] * [[アラナマ]] Aranama [[テキサス州]] * [[アラパホ|アラパホー]] Arapahoe [[ワイオミング州]]、[[オクラホマ州]] * [[アシニボイン]] Assiniboine [[モンタナ州]] ※ペック砦保留地: アシニボイン族とダコタ族が住む * [[アトシナ]]、または[[グロー・ヴァントル]] Atsina or Gros Ventre (a'aninin) [[モンタナ州]] * [[ベサウネナ]] Besawunena * [[スー族|スー]] Sioux([[ラコタ]]、[[ラコタ|ナコタ]]、[[ラコタ|ダコタ]]) [[ミネソタ州]]、[[ネブラスカ州]]、[[サウスダコタ州]]、[[ノースダコタ州]]、カナダ・[[サスカチュワン州]] ** [[ラコタ]]、テトン Teton([[サウスダコタ州]]、[[ノースダコタ州]]、[[ネブラスカ州]] *** [[シハサパ族|ブラックフット]] (Blackfoot or Sihasapa)(シハサパ族) **** ※ブラッド族、シクシカ族、ピーガン族のことを指すブラックフットとは別の部族である。どちらも「黒い足」という意味なので、英訳の際に混同されることになった。前者はブラックフット・スー、後者はブラックフィートとも呼ばれる。 *** [[ブルーレ族|ブルーレ]] (シチャング族) *** [[オグララ]]Oglala ** [[ナコタ]] nakota *** [[ヤンクトン族|ヤンクトン]]Yankton *** [[ヤンクトナイ]]Yanktonai [[サウスダコタ州|南]][[ノースダコタ州|北]]ダコタ州) ** [[ダコタ]] Dakota、サンティー、Santee * [[ブラックフット族|ブラックフット(シクシカ)]] Siksika、Kainai、Piegan.(Blackfoot or Blackfeet) [[モンタナ州]](現在) ** [[ピーガン]]・ブラックフット Piegan ※シクシカ族 * [[カド|カドー]] Caddo [[テキサス州]]、[[オクラホマ州]] * [[シャイアン族|シャイアン]] Cheyenne [[モンタナ州]], [[サウスダコタ州]]; [[オクラホマ州]] * [[チカソー]] Chickasaw [[オクラホマ州]] * [[コマンチェ]](Comanche) [[オクラホマ州]] * [[クロウ族|クロウ]] Crow (アプサロケ族 Absaroka or Apsáalooke) [[モンタナ州]], [[サウスダコタ州]] * [[クリー|平原クリー]] Plains Cree [[モンタナ州]] * [[ハシナイ]] Hasinai [[アーカンソー州]]、[[テキサス州]]※カドー族 * [[アイオワ族|アイオワ]] (Ioway) [[カンザス州]], [[ネブラスカ州]], [[オクラホマ州]] * [[カランカワ]] Karankawa [[テキサス州]] * [[カンサ]] Kaw(Kansa) [[オクラホマ州]] ※コー族 * [[カイオワ]] Kiowa [[オクラホマ州]] * [[アパッチ族|カイオワ・アパッチ]] Kiowa Apache [[オクラホマ州]] * [[キツァイ]] Kitsai [[テキサス州]] * [[MHA]] Mandan, Hidatsa, and Arikara Nation [[ノースダコタ州]] ** [[アリカラ]] Arikara (aka Arikaree or Ree) [[ノースダコタ州]] ※リー族 ** [[マンダン]] Mandan [[ノースダコタ州]] ** [[ヒダーツァ]] Hidatsa [[ノースダコタ州]] * [[リパン]]・アパッチ Lipan [[テキサス州]] * [[ミズーリア|ミズーリ]] Missouri (Missouria) [[ミズーリ州]] * [[ナワティネヘナ]] Nawathinehena * [[オジブワ|平原オジブワ]]Plains Ojibwe * [[オマハ族|オマハ]] Omaha [[ネブラスカ州]] * [[ミシサガ族|ミシサガ]] Mississaugas カナダ・[[オンタリオ州]] * [[オーセージ]] Wazhazhe Osage [[オクラホマ州]] * [[オト族|オート]] Otoe(Oto) [[オクラホマ州]] * [[オタワ族|オタワ]] Ottawa Michigan; [[オクラホマ州]] * [[ポーニー]] Pawnee(Dialects: South Band, Skiri) [[オクラホマ州]] * [[ポンカ]] Ponca [[ネブラスカ州]]、[[オクラホマ州]] * [[クアポー]] Quapaw [[アーカンソー州]]、[[オクラホマ州]] * [[サーシー]] Sarsi (Sarcee) * [[ソーク族|ソーク]] Sauk (Sauk First Nation) (originally Great Lakes now [[カンザス州]], [[オクラホマ州]], [[アイオワ州]] ※アサキワキ族、サック族 * [[ストーニー]] Stoney [[モンタナ州]]、カナダ・[[アルバータ州]] * [[タミケ]] Tamique * [[トンカワ]] Tonkawa [[オクラホマ州]] * [[ウィチタ族|ウィチタ]] Wichita [[オクラホマ州]] [Affiliated Tribes - Wichita, Waco, Tawakoni, Keechi] * [[ワイアンドット]] Wyandot (ヒューロン Huron) カナダ・[[オンタリオ州]]、[[ミシガン州]] ==== 南東部のインディアン ==== * [[アダイ]] Adai [[ルイジアナ州]] * [[アイス族|アイス]] Ais [[フロリダ州]] * [[アコキサ]] Akokisa [[テキサス州]]、[[ルイジアナ州]] * [[アラバマ族|アラバマ]] Alabama [[アラバマ州]] * [[アパラチー]] Apalachee [[フロリダ州]] * [[アタカパ]] Atakapa [[テキサス州]]東部、[[ルイジアナ州]] * [[ビダイ]] Bidai [[テキサス州]]東部、[[ルイジアナ州]] * [[ビロキシー]] Biloxi [[ミシシッピ州]] * [[カドー]] Caddo [[アーカンソー州]]、[[ルイジアナ州]]、[[オクラホマ州]]、[[テキサス州]] * [[カルーサ]] Calusa [[フロリダ州]] * [[カトーバ]] Catawba [[サウスカロライナ州]] * [[チャトト]]Chatot [[ルイジアナ州]] * [[チャワシャ]] Chawasha [[ルイジアナ州]] * [[チェロキー]] Cherokee [[ノースカロライナ州]]、後に[[オクラホマ州]] * [[チアハ]] Chiaha [[フロリダ州]] * [[チカホミニ]] Chickahominy [[バージニア州]] * [[チカマウガ]] Chickamauga [[フロリダ州]] * [[チカソー]] Chickasaw [[ミシシッピ州]], [[サウスカロライナ州]]、[[ノースカロライナ州]]、後に[[オクラホマ州]] * [[シティマシャ]] Chitimacha [[ルイジアナ州]] * [[チョクトー]] Choctaw [[ルイジアナ州]]、[[ミシシッピ州]]、[[アラバマ州]]、後に[[オクラホマ州]] * [[クリーク族|クリークcreek]] [[アラバマ州]]、[[オクラホマ州]]、[[ジョージア州]] * [[コーシャッタ]] Coushatta [[ルイジアナ州]] * [[コハリー]] Coharie [[ノースカロライナ州]] * [[クサボ]] Cusabo [[サウスカロライナ州]] * [[ヒチティ]] Hitchiti [[フロリダ州]] * [[ホウマ]] Houma [[ルイジアナ州]] * [[イサワ]] Iswa * [[ジェアガ]] Jeaga [[フロリダ州]] * [[コウシャッタ|コアサティ]] Koasati [[アラバマ州]] * [[ラムビー]] Lumbee [[ノースカロライナ州]] * [[マタポニ]] Mattaponi [[バージニア州]] * [[メヘリン]] Meherrin [[ノースカロライナ州]] * [[ミカズキ]] Mikasuki, Miccosukee, Mikisúkî [[フロリダ州]] * [[モービル族|モービル]] Mobile [[アラバマ州]] * [[モカマ]] Mocama [[ジョージア州]] * [[モナカン]] Monacan [[バージニア州]] * [[ナンスモンド]] Nansemond [[バージニア州]] * [[ナチェズ]] Natchez [[ミシシッピ州]]、[[ルイジアナ州]] * [[チェロエンホカ|ノットウェイ]] Cheroenhoka,Nottoway [[バージニア州]] * [[モソペレア|オフォ]] Ofo [[アーカンソー州]]、[[ミシシッピ州]] * [[パムリコ]] Pamlico [[ノースカロライナ州]] * [[パムンキー]] Pamunkey [[バージニア州]] * [[ピーディー]] Pee Dee [[サウスカロライナ州]]、[[ノースカロライナ州]] * [[ペンサコーラ族|ペンサコーラ]] Pensacola * [[ラパハノック]] Rappahannock [[バージニア州]] * [[サポーニ]] Saponi [[ノースカロライナ州]]、[[バージニア州]] * [[セミノール]] Seminole [[フロリダ州]]、[[オクラホマ州]] * [[タエンサ]] Taensa [[アラバマ州]] * [[タワサ]] Tawasa [[ミシシッピ州]] * [[テケスタ]] Tekesta [[フロリダ州]] * [[ティムクア]] Timucua (Utina) [[フロリダ州]] * [[トパチュラ]] Topachula [[フロリダ州]] * [[タスキーギー]] Tuskegee [[アラバマ州]] * [[トゥテロ]] Tutelo [[バージニア州]]、[[ノースカロライナ州]] * [[トゥーニカ]] Tunica [[ミシシッピ州]] * [[ワッカモー]] Waccamaw [[ノースカロライナ州]]、[[サウスカロライナ州]] * [[ウォコン]] Woccon [[ノースカロライナ州]] * [[ヤマシー]] Yamasee [[ジョージア州]] * [[ユチ]] Yuchi [[ケンタッキー州]] ==== 南西部のインディアン ==== * [[アパッチ族|アパッチ]] Ndé/Nné [[アリゾナ州]]、[[オクラホマ州]]、[[ニューメキシコ州]] * [[アパッチ族|メスカレロアパッチ]] Mescalero Apache * [[トント|北方トント]]・アパッチ Northern Tonto * [[トント|南方トント]]・アパッチSouthern Tonto * [[コチミ]] Cochimi バハ カリフォルニア * [[コチティ]] Cochiti [[ニューメキシコ州]] * [[ココパ]] Cocopa [[アリゾナ州]] * [[ナバホ]] Navajo(Diné) [[アリゾナ州]], [[ニューメキシコ州]] * [[ハノ]] Hano [[アリゾナ州]] * [[ハバスーパイ]] Havasuw-baaja [[アリゾナ州]] * [[ホホカム]] Hoohoogam [[アリゾナ州]] * [[ホピ族|ホピ]] Hopi [[アリゾナ州]] * [[ジカリラ]] Jicarilla [[ニューメキシコ州]] * [[ジュマノ]] Jumano [[テキサス州]]南西部 * [[カランカワ]] Karankawa [[テキサス州]] * [[ロス・ルセロス]] Los Luceros * [[マリコパ]] Maricopa [[アリゾナ州]] * [[モハーヴェ族|モハーヴェ]] Mohave [[アリゾナ州]] * [[ナンベ]] Nambe [[ニューメキシコ州]] * [[オパタ]] Opata [[メキシコ]]、[[テキサス州]] * [[パパゴ]] Papago [[アリゾナ州]] (Tohono O'odham) * [[ピリチュ]] Pericu バハ カリフォルニア * [[ピマ]] Pima [[アリゾナ州]] (Akimel O'odham) * [[ピマ・バホ]] Pima Bajo * [[ピロ]] Piro * [[プエブロ]] Pueblo people [[ニューメキシコ州]] ** [[プエブロ|アコマ]]Acoma ** [[プエブロ|イスレタ]]Isleta ** [[プエブロ|Isleta del Sur]] ** [[プエブロ|ヘメス]]Jemez ** [[プエブロ|ケレス]]Keres ** [[プエブロ|ラグナ]]Laguna ** [[プエブロ|ペコス]]Pecos ** [[プエブロ|ピキュリス]]Picuris ** [[プエブロ|サンディア]] Sandia(''Nafiat'' was the name for the Bernalillo pueblo) ** [[プエブロ|サンカルロス]]San Carlos ** [[プエブロ|サンフェリペ]]San Felipe ** [[プエブロ|サンイルデフォンソ]]San Ildefonso ** [[プエブロ|サンファン]]San Juan ** [[プエブロ|サンタアナ]]Santa Ana ** [[プエブロ|サンタクララ]]Santa Clara ** [[プエブロ|サントドミンゴ]]Santo Domingo ** [[プエブロ|タオス]]Taos ** [[プエブロ|テスケ]]Tesuque ** [[プエブロ|テワ]]Tewa ** [[プエブロ|ティグア]]Tigua ** [[プエブロ|ジア]]Zia ** [[プエブロ|ズニ]]Zuni * [[クァハティカ]] Qahatika * [[シリ族|シリ]] Seri * [[スマ族|スマ]] Suma * [[トボソ]]Toboso * [[ワイクリ]] Waicuri(Guaicura) バハ カリフォルニア * [[ワラパイ]] Walapai [[アリゾナ州]] Hwal Baay * [[ヤバパイ]] Yavapai [[アリゾナ州]] * [[ユマ族|ユマ]] Yuma/Quiche/Quechan [[アリゾナ州]] === 中南米 === [[中南米]]の先住民は、言語、環境及び文化的類似性によって分類するのが一般的である。 ==== カリブ・インディアン ==== * [[アラワク族|アラワク]] Arawak [[西インド諸島]]([[大アンティル諸島]]と[[小アンティル諸島]])、南米の一部 ** [[タイノ族|タイノ]] Taino [[大アンティル諸島]]の[[キューバ]]、[[バハマ|バハマ諸島]]、[[ジャマイカ]]、[[イスパニョーラ島]]([[ハイチ]]、[[ドミニカ共和国]])、[[プエルトリコ]]と[[小アンティル諸島]]の一部及び、[[南アメリカ|南米]]の[[ギアナ地方]] ** [[ルカヤン]] Lucayan [[バハマ|バハマ諸島]] ** [[シボネイ]] Ciboney [[キューバ]]西部、[[ハイチ]]南西の半島、[[小アンティル諸島]]の一部 ** [[カケティオス]] Caquetios [[アルバ]]、[[キュラソー島|キュラソー]]、[[ボネール島|ボネール]] ** [[カリブ族|カリブ]]Carib [[小アンティル諸島]]、ギアナ地方 * [[ネーベ]] Neve [[パナマ]] * [[クナ]] Kuna [[パナマ]] * [[エンベラー]] [[パナマ]] * [[ブグレー]] Bougle [[パナマ]] * [[オウナン]] [[パナマ]] * [[ナソ族|ナソ]] Naso [[パナマ]]、[[コスタリカ]] * [[ブリブリ]] Bribri [[パナマ]]、[[コスタリカ]] * [[ボコタ]] Bocota [[パナマ]]、[[コスタリカ]] ==== 中米のインディアン・インディオ ==== [[ファイル:BenitoJuarez.jpg|thumb|upright|メキシコ・インディアン初の大統領、[[ベニート・フアレス]]([[サポテカ族]])]] [[ファイル:EquateurOtavalo 0606.jpg|thumb|upright|エクアドルの[[オタヴァレノ族]]の少女]] * [[アステカ]](Aztec) * [[チョチョ族|チョチョ]] (Chocho) * [[ワステカ]]([[:en:Huastec]];[[メキシコ湾]]岸北部、タマウリーパス州) * [[ワベ族|ワベ]] (Huave) * [[イチャテコ族|イチャテコ]] (Ichatec) * [[レンカ族|レンカ]](Lenca;[[ホンジュラス]]北部) * [[マヤ人|マヤ]](Maya) ** [[マム族|マム]](Mam) ** [[モパン]](Mopan、モパン・マヤ、mopan mayas;[[ベリーズ]]西部、[[グアテマラ]]低地) ** [[ケクチ]](Kekchi;ベリーズ、グアテマラ) ** [[キチェー]](K'iche';グアテマラ高地) ** [[イシル族|イシル]] (Ixil) ** {{仮リンク|ツェルタル族|label=ツェルタル|en|Tzeltal people}} (Tzeltal) ** [[ツォツィル族|ツォツィル]] (Tzotzil) * [[マサテコ族|マサテコ]] (Mazatec;[[メキシコ]]南東部、オアハカ州) * [[ミシュテカ]]([[:en:Mixtec]];[[メキシコ]]南東部、[[オアハカ州]]) * [[オルメカ]] (Olmec) * [[ペチ族|ペチ]](Pech)ホンジュラス海岸部、カリブ海:パヤとも。 * [[ポポルカ族|ポポルカ]] (Popoluca) * [[ラビナル族|ラビナル]] (Rabinal) * [[タラスコ族|タラスコ]] (Tarascan;メキシコ西部、[[ミチョアカン州]]) * [[テオティワカン]] (Teotihuacan) * [[テキストラテコ族|テキストラテコ]] (Tequistlatec) * [[トルテカ]] (Toltec) * [[トトナカ]] (Totonac;メキシコ湾岸、[[ベラクルス州]]) * [[トリケ族|トリケ]] (Trique) * [[サポテカ]] ([[:en:Zapotec]];メキシコ南東部、オアハカ州) * [[ソケ族|ソケ]] (Zoque) ==== アンデスのインディオ ==== [[ファイル:Kichwa_Ecua_06.jpg|thumb|ケチュア族の女性]] * [[ケチュア]] Quechua * [[アイマラ]] Aymara * Diaguita * Atacameño * Saraguro ==== サブアンデスのインディオ ==== * [[パノアン]] Panoan * [[ヒバロ族|ヒバロー]] Jivaro ==== アマゾン川流域のインディオ ==== ===== アマゾン川流域西部のインディオ ===== [[ファイル:Alto orinoco5.jpg|250px|thumb|[[ヤノマミ族]]の子供]] * {{仮リンク|アンドケ族|label=アンドケ|es|Andoque}} (Andoke, Andoque) * {{仮リンク|アシャニンカ族|label=アシャニンカ|en|Asháninka}} (Asháninka) * {{仮リンク|ボラ族|label=ボラ|en|Bora people}} (Bora) * {{仮リンク|マチゲンガ族|label=マチゲンガ|en|Machiguenga people}} (Machiguenga) * [[マシコ・ピロ族|マシコ・ピロ]] (Mashco Piro) * [[オカイナ族|オカイナ]] (Ocaina) * [[レシガロ族|レシガロ]] (Resígaro) * [[トゥカノ]] (Tukanoan) * {{仮リンク|ウィトト族|label=ウィトト|en|Witoto people}} (Witoto) * [[ヤノマミ族|ヤノマミ]] * {{仮リンク|イネ族|label=イネ|en|Yine people}} (Yine) ===== アマゾン川流域中央部のインディオ ===== * [[アラワク族|アラワク]] Arawak * [[トゥピ]] Tupian ===== アマゾン川流域東部及び南部のインディオ ===== * {{仮リンク|ボロロ族|label=ボロロ|en|Bororo}} Bororo * Ge * {{仮リンク|カドゥヴェオ族|label=カドゥヴェオ|en|Kadiweu}} Kadiweu, Caduvéo * {{仮リンク|カインガン族|label=カインガン|en|Kaingang}} Kaingang * {{仮リンク|クレナック族|label=クレナック|en|Krenak people}} Krenak * {{仮リンク|ナンビクワラ族|label=ナンビクワラ|en|Nambikwara}} Nambikwara * [[トゥピ]] Tupian ** [[グアラニー族|グアラニー]] [[パラグアイ]] * {{仮リンク|シャバンテ族|label=シャバンテ|en|Xavante}} Xavante ====南米大陸南部(パンパ,パタゴニア,南端部)の先住民==== * [[マプチェ族|マプーチェ]] Mapuche * [[チャルーア族|チャルーア]] Charrua * プエーチェ Puelche *[[テウェルチェ族|テウェルチェ]] Tehuelche *[[セルクナム族|オナ(セルクナム)]] Ona or Selk'nam *マネクエンク(ハウシュ(オーシ)) Manek'enk or Haush *[[カウェスカル]](アラカウルプ) Kaweshkar or Alacawulup *[[ヤーガン族|ヤマナ(ヤーガン)]] Yamana or Yahgan == 言語 == {{main|[[アメリカ・インディアン諸語]]及びその[[:en:Indigenous languages of the Americas|英語版]]}} エスキモー・アレウトの言語は1つの語族[[エスキモー・アレウト語族]]を構成する。インディアン/インディオの言語は非常に多様であり、分類が進んでいない。 * [[エスキモー・アレウト語族]] * [[ナ・デネ語族]]([[アサバスカ語派]]) * [[アルゴンキン語族]] * [[スー語族]] * [[マスコギ語族]] **{{仮リンク|モビリアン語|en|Mobilian Jargon}} * [[マヤ語族]] * [[ユト・アステカ語族]] * [[カイオワ・タノア語族]] **{{仮リンク|トワ語|en|Jemez language}} - [[プエブロ|プエブロ族]] **{{仮リンク|テワ語|en|Tewa language}} - プエブロ族 * {{仮リンク|ケレサン語族|en|Keresan languages}} - プエブロ族 * [[オト・マンゲ語族]] * {{仮リンク|チブチャ語族|en|Chibchan languages}} * [[アイマラ語]] * ケチュア語族<span style="font-size: 0.77em;">([[:en:Quechuan languages|英語版]])</span> **[[ケチュア語]] * [[アラワク語族]] **† [[タイノ語]] * [[トゥピ語族]] ** [[グアラニー語]] その他、[[孤立した言語]]も多数ある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 原語表記 === {{Reflist|group="原"|25em}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|50em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == {{commons&cat|Native_Americans|Indigenous_peoples_of_the_Americas}} * [[ファースト・ネーション]] * [[インディアン]] * [[インディオ]] * [[先住アメリカ人の一覧]] - よく知られた個人の一覧。 * [[ラナルド・マクドナルド]](日本初の母語話者による英語教師) * [[阿部珠理]](日本におけるアメリカ先住民研究の第一人者) * [[先住アメリカ人の神話]]([[:en:Native American mythology|Native American mythology]]) * [[アメリカ州の先住民族の旗一覧]]([[commons:Flags of Native Americans in the United States|Flags of Native Americans in the United States]]) * [[ネイティブ・アメリカン]] * [[:en:Classification of Native Americans]](アメリカ先住民の一覧) * [[人種差別]] **[[カナダ・インディアン住宅学校制度]] ** [[インディアン寄宿学校]] == 外部リンク == * http://www.anthro.mankato.msus.edu/cultural/newworld/index.shtml * http://www.nativeweb.org/resources/ * http://www.native-languages.org/ Native Languages of the Americas:Preserving and promoting American Indian languages * http://www.dickshovel.com/trbindex.html (List of North American Tribes) * http://www.indianlife.org/reserves/ (Canadian reserves) * http://www12.statcan.ca/english/census01/products/analytic/companion/abor/canada.cfm (Aboriginal peoples of Canada: A demographic profile) * http://www.accessgenealogy.com/native/ Native American Records * {{Kotobank|アメリカ・インディアン}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:あめりかしゆうのせんしゆうみんそく}} [[Category:アメリカ州の先住民族|*]] [[Category:アメリカ大陸の民族|*あめりかしゆうのせんしゆうみんそく]] [[Category:アメリカ大陸史]] [[tr:Kızılderililer]]
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三井住友銀行
株式会社三井住友銀行(みついすみともぎんこう、英語: Sumitomo Mitsui Banking Corporation、略称:SMBC)は、東京都千代田区丸の内に本店を置く、三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)傘下の都市銀行。三菱UFJ銀行(三菱UFJフィナンシャル・グループ)、みずほ銀行(みずほフィナンシャルグループ)とともに3大メガバンクの一角を占める。SMBCグループの中核企業である。 戦前の財閥を起源とする大阪の住友グループ(旧住友財閥)と三井グループ(旧三井財閥)の両方に属する(「三井住友」も参照のこと)。 2001年4月1日に大阪の住友グループの住友銀行と、三井グループのさくら銀行(三井銀行の流れを汲む)が合併して誕生した。前身の住友銀行は在阪三大都市銀行の一角であり、合併は住友銀行主導で進められた。経営統合にあたっては、2000年代以降に再編した他のメガバンクで行われている、新規設立した金融持株会社に前身銀行を株式移転・株式交換させて経営統合させた後に銀行を合併するのではなく、株式を上場する都市銀行同士の直接合併であり、あさひ銀行(現りそな銀行)以来、最後のケースである。住友金属工業(現在の日本製鉄でグループを離脱)、住友化学とともに「住友御三家」の一つであり、三井物産、三井不動産とともに「三井新御三家」の一つである。 2002年12月2日に旧、住友銀行の主要子会社で当行子会社に置かれた日本総研、三井住友カード(旧住友クレジットサービス)と、上場していた当行の株式を株式移転させる形で金融持株会社三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)を新たに設立・上場している。 2004年度、2007年度、2010年度は(旧)全国銀行協会会長行を務めた。 本項では特記しない限り、2001年に発足し2003年に法人格が消滅した初代法人、旧称が株式会社わかしお銀行で2003年に初代法人を吸収合併(逆さ合併)した2代目法人について、まとめて解説する。 コーポレートカラーは、緑色を基調とした若草色。和文ロゴタイプは前身の住友銀行およびさくら銀行それぞれのデザインに近づけた書体を使用している。屏風のような形を思わせる若草色のブランドロゴは、香港のグラフィックデザイナーであるアラン・チャン(陳幼堅)によりデザインされた。 広告等のキャッチコピーとして、2007年4月に三井住友フィナンシャルグループが発表した中期経営計画のスローガン「LEAD the VALUE」を主だって使用している。当行単体では「いくぞミライ」のフレーズ・名称が使われている。 表面上は「将来を見据えての合併」という形を取っているが、合併時の存続会社は住友銀行であり、発足した三井住友銀行の頭取職と三井住友FGの社長職を旧住友銀行頭取だった西川善文が兼務した。また合併比率も当時の株価を反映して1対0.6で決まった。即ち、実質的には住友銀行によるさくら銀行の救済合併であった。 発足当時、かつての財閥(三井財閥・住友財閥)の枠を越えたことで話題になった。その歴史から、三井グループと住友グループの両方に属している。太平洋戦争における日本の敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は財閥解体を進めた。GHQ占領終了後、住友グループはほぼ戦前同様に集結したのに対し、三井グループは帝国銀行の第一銀行(現みずほ銀行)と三井銀行への分離を機にグループ各社が他の銀行とも取引をし、メインバンクという点で住友グループにおける住友銀行ほどの地位を三井銀行は三井グループに対してなさなかった経緯が関連している(詳細は「三井グループ」参照)。 1990年、三井銀行が規模を拡大する意図で太陽神戸銀行と対等合併する結果となった(行名は太陽神戸三井銀行。1992年にさくら銀行に行名変更)。規模は預金高ベースで、合併前は都市銀行13行中、下位に位置していた三井・太陽神戸両行が、合併の結果、第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)に次ぐ第2位に拡大した。しかし1998年には、さくら銀行の株価は165円にまで落ち込んだ。 1999年に住友銀行とさくら銀行は「将来の統合を前提とした全面提携」を発表した。その後の動きとして、1999年にさくら銀行は単独で、個人向け融資やコンビニATM、ジャパンネット銀行(現PayPay銀行)を設立した。 2000年に発表された合併比率は、さくら銀行の普通株式1株につき住友銀行の普通株式0.6株が割当交付されるもので、「さくら銀行1000株の価値=住友銀行600株の価値」である。 西川善文頭取時代は、失われた10年での経済情勢に加え、2002年10月策定竹中プランの影響により、厳格な不良債権対策を迫られた。前身銀行(主に住友銀行)からの大口貸出先で不良債権比率の高かった三洋電機と三洋電機クレジット、カネボウ、ダイエー、フジタなどは債権放棄などの金融支援を順次実施した。 同行が保有していた資産の含み益(約2兆円)を帳簿上に現実化させ、旧・住友銀行が保有する有価証券の含み損(約8000億円)を一掃させる為の手段として、旧・太平洋銀行の承継銀行として旧さくら銀行が設立したわかしお銀行をSMFGの完全子会社化した上で、わかしお銀行に対して三井住友銀行が逆さ合併することを2003年1月に発表。同年3月17日付けで三井住友銀行(初代法人)は逆さ合併により消滅し、わかしお銀行が三井住友銀行(2代目法人)へ商号変更。 合併に先立つ3月には、1986年に住友銀行が資本提携していた米国の投資銀行であるゴールドマン・サックスに対してSMFGが第三者割当増資を行い、優先株で1500億円を調達している。 2004年5月には、UFJホールディングス(UFJHD)が子会社のUFJ信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行:三菱UFJフィナンシャル・グループ〈MUFG〉傘下)株式を住友信託銀行(現・三井住友信託銀行:三井住友トラスト・ホールディングス傘下)へ売却する方向で詰めていたものの、同年7月にUFJHDが三菱東京フィナンシャル・グループ(MTFG)へ金融持株会社レベルでの経営統合を申し入れ、住信へのUFJ信託売却は白紙化された。これに住信が異議を唱えて合併差し止めの提訴をするなどし、これに触発される形で7月30日に三井住友フィナンシャルグループがUFJホールディングスとの経営統合を提案するも、8月には三菱UFJフィナンシャル・グループ発足に向けての合意に達したことで頓挫した(→UFJ銀行#三井住友FGによる経営統合の申入れ)。 2010年11月1日に、親会社の三井住友フィナンシャルグループは、米国ニューヨーク証券取引所(NYSE)に上場。北山FG社長は、NYSEからブルームバーグテレビジョンの生放送で、主に投資家向けディスクロージャーの透明性を高めることが目的と説明した。 前身の三井銀行(→さくら銀行)と太陽銀行(→太陽神戸銀行→さくら銀行)は首都圏、神戸銀行(→太陽神戸銀行→さくら銀行)と住友銀行は関西地区を地盤としている。特に住友銀行は在阪三大都市銀行(関西都銀)の一角であり、長らく大阪を拠点としていた住友グループの中核企業であった。そのため関西地区はグループ全体で強固な基盤を有しており、歴史的な関わりも深く、取引先も多い。かつては第二地方銀行の関西アーバン銀行およびみなと銀行がグループ内に存在した(現在両行はSMBCグループを離れ、りそなホールディングス傘下の関西みらいフィナンシャルグループに再編)。東海銀行(→UFJ銀行→現三菱UFJ銀行)ならびにその系列企業が圧倒していた東海地区の金融事情であるが、MUFGの発足に伴う、三菱系企業主導による再編を嫌う旧東海銀行系企業のMUFGからSMFGへの異動が見られる。三井住友銀行も従来手薄だった東海地区(中京圏)の支店を順次開設していたり、新たに名古屋銀行とATM相互開放して手数料引き下げたりするなど基盤強化に務めている。 前身の神戸銀行との関係で、兵庫県や神戸市など兵庫県下のいくつかの市の指定金融機関となっている。SMBCが指定金融機関となっている都道府県は兵庫県のみである。また、神戸銀行時代から兵庫県内に大口取引先を多く抱えているため、東京・大阪とは別に神戸にも本店クラスの営業拠点(神戸営業部・神戸公務部、かつての神戸銀行本店→太陽神戸銀行本店→さくら銀行関西本部)を設置している。 以上の4か所に分かれている。本店営業部を、2010年10月18日に、現在の東京営業部・大手町本部向かいに2010年7月1日に竣工した、三井不動産のオフィスビルである三井住友銀行本店ビルディング(旧JFEビルディング跡地)を全フロア借り上げる形で集約した。これにより、本部機能は、一部の大手町一丁目三井ビルディング(本店北館)に移設される部門と、新住友ビル(大手町本部ビル)内にある東京営業部の窓口をのぞき、大手町・日比谷両地区のセクションは原則全て新本店ビルへ集約された。 海外については、主要都市にホールセール拠点を有しており、日系および非日系大手企業取引を推進する。 「三井住友銀行 発足後の店舗統廃合」を参照 「住友銀行 芦屋北口支店」、「さくら銀行 芦屋駅前支店(旧・太陽神戸銀行 芦屋駅前支店)」のように、近隣に支店が2つ以上ある場合は、どちらかの支店の名称を変更(上記の場合は、住友銀行 芦屋支店の支店名を芦屋北口支店に変更)した。その後、銀行の勘定系システム統合後に重複していた支店の統廃合を進めた。主な例を下記に挙げる。 個人部門、法人部門、企業金融部門、市場営業部門、国際部門、投資銀行部門及び各種本社部署・関連子会社からなる。他行に先駆けた個人顧客分野への取組を実施しており、旧行時代末期から国内営業店組織を個人営業の「支店」、中小法人営業の「法人営業部」(住銀時代は「法人部」)に分けている。 「支店」「エリア」という名称の組織からなり、個人顧客宛金融商品販売業務、コンサルティング業務の深化を目指す。中期経営計画では投資信託、年金販売、証券仲介及び保険販売を注力分野としている。 「法人営業部」「法人エリア」からなり、法人融資・預金為替業務部のみならず、各種金融商品関連、アドバイザリー業務に注力。中期経営計画ではエクイティ投資含めた中小企業育成、地公体・地銀との連携による地方経済への噛みこみなどを掲げている。 上場企業クラス・日系グローバル企業を担当しており、東京・名古屋・大阪の「営業部」から成る。通常「本店営業第x部」という名称がついており、業種単位となっている。たとえば商社は主に本店営業第三部が所管する。 2006年(平成18年)4月より「コーポレート・アドバイザリー本部(CA本部)」が新設され、ホールセール部門の顧客に対して、アドバイザリー業務強化を目指すダブルフロント体制を敷いている。具体的には上場クラスの企業に対して、事業再編、資本政策、などの提案を実施し、必要に応じて海外拠点、SMBC日興証券や関係の強いファンドと協働する役割を担うことで同行グループの金融ソリューション能力向上を目指す。 2007年(平成19年)4月より「プライベート・アドバイザリー本部(PA本部)」を新設し、リテール部門・ホールセール部門の共管業務を担当する。具体的には、プライベートバンキング、職域取引、事業承継の強化である。 銀行本体では、主に国内に於ける仕組みもののデットファイナンスを所管し、ストラクチャードファイナンス営業部、シンジケーション営業部、不動産ファイナンス営業部、アセットファイナンス営業部などからなる。営業体制としては、ホールセール部門(・グローバルバンキング部門)の各営業部が顧客窓口となり、デットファイナンスのソリューションについてファイナンシャル・ソリューション本部各部が専門的に提案・取組をするというダブルフロント体制となっている。また、金融商品営業部はデリバティブ商品や仕組物の組成販売を手がけ、また企業情報部はM&A業務を手がけるが、これらは本当の意味での投資銀行業務である。 資金・為替などディーリング・トレーディング業務を主に担当しており、大規模海外拠点の資金繰含めて所管する。元ラグビー日本代表監督であった故宿澤広朗は、本分野での勤務経験が長く、かつてはロンドンでディーラーを担当していた。 主に同行の海外拠点業務を担当する。日系企業の海外各地に於ける業務サポート、グローバル非日系企業宛取引推進、日系・非日系ストラクチャードファイナンスの推進などが主業務。 地域本部制をとっており、アジア大洋州本部(シンガポールベース)、米州本部(ニューヨークベース)、および欧州本部(ロンドンベース)では、地域本部長の下で、ある程度現地での裁量が認められている。 また日系取引については国内法人部門との連携が重視されており、グローバルアドバイザリー部が設置されている他、中国現地法人日系取引については、2010年度(平成22年度)より業務推進の所管が国内法人部門となった。 経営企画部、財務企画部、システム統括部、人事部、総務部、広報部、品質管理部などからなる。 同行は合併当初から、各種事務(バックオフィス)を支店から分離・集中処理する体制を築き上げ、経費率の著しい低下を目指してきた。融資ミドルバック業務は融資集中部に、外為関連バック業務は外為事務部に集約しており、それぞれ2003年(平成15年)2月に「SMBC融資事務サービス株式会社」、1994年(平成6年)12月に「SMBCインターナショナルオペレーションズ株式会社」という名称の別会社を設立した。また各営業店に於ける預金為替業務も支店サービス部という部署に分けられており、個人宛金融サービスを行う支店とは別組織となっている。 2014年(平成26年)10月に三井住友銀行は「SMBCインターナショナルオペレーションズ株式会社」を吸収合併した。この合併に伴い三井住友銀行に「グローバルサービス推進部」と、部内室として「外国為替受託室」を、また、営業店組織として「グローバルサービス部」を設置した。 三井住友銀行ではICキャッシュカードを発行している。生体認証には手指静脈を用いる。従来からの磁気ストライプ記録データでの取引よりも、ICチップ記録データでの取引、さらにICチップ記録データと生体認証とを組み合わせた取引となるにつれてデータの信頼度が向上するとされ、ATMで取引できる上限金額を高く設定できるようになっている。 2017年時点で、窓口で即時発行したICキャッシュカード(対象となるのは、一般デザインの普通預金キャッシュカードのみ。他のデザインや普通預金以外の科目のカードなどは即時発行の対象外)はエンボスレスカード、郵送で届けられるカードはエンボスカードでの発行となる。 2023年現在、ICキャッシュカードの即時発行は行っていない。 2016年より、総合口座の「普通預金・貯蓄預金」通帳が冊子の在庫払拭次第廃止され、代わって、普通預金通帳兼用の通帳に変更され、表紙の口座番号の下に「≪総合口座≫」と印字される(以前は、総合口座ではないSMBCポイントパック契約口座となっている通帳に於いて、「残高別金利息型普通預金」と表示されていた。総合口座普通預金の冊子が普通預金通帳の冊子を用いる形となったことで、「≪総合口座≫」が印字されたSMBCポイントパック契約口座の場合、「残高別金利型普通預金」の文字は、見開きページ部分に表示がされる)。印字可能ページ数は11ページであり、総合口座兼用となる前から変わらない。 これにあわせて、総合口座通帳としても使用するため、別冊子となる貯蓄預金や定期預金等の口座番号が見開きページに記載されるようになり、従来の普通預金通帳にはなかったいくつかの欄が新たに設けられた。 2007年(平成19年)3月12日よりOne's plusの改定が行われ、One's plus契約者で一定条件(30万円以上の預金残高、ウェブ通帳、三井住友VISAカード・セディナの引き落としがある、等)を1つでも満たしていれば、三井住友銀行の自行ATMだけでなく、セブン銀行・イーネット・ローソンATMのコンビニATMでも、24時間手数料が一切かからなくなる(月4回まで)ほか、三井住友銀行本支店間の振込手数料が、インターネットバンキング(Web)・モバイルバンキング・テレホンバンキング(無人対応)で無料となる。 紙の預金通帳を「ウェブ通帳」に変更するだけでも条件を満たすので、日本の三大銀行で一番簡単に無料利用ができる。2008年(平成20年)10月6日より、One's plusは、SMBCポイントパックに、One'sダイレクトはSMBCダイレクトに改称されている。 平成29年10月1日に、SMBCポイントパックのサービス内容が改定され、上記の条件のうちローンの借り入れ、カードローンの契約が対象外となり、SMBCデビットの契約が条件に加わった。また、コンビニATMの手数料無料回数が月3回になった。さらに、15歳となる誕生月の初日~25歳となる誕生月の末日の間は、無条件で上記の優遇が受けられる。 SMBCポイントバックのサービス内容が改定され2021年7月末判定より優遇サービスの条件が改定になる。また4月5日付でコンビニATM手数料を改定する。 今まではいずれか1つの条件を満たしていればコンビニATMの手数料無料回数が月3回ついていたが、改定後は実質ステージ制方式になり お取引状況に応じて最大3回に変更される 詳細は なお、この契約がされている普通預金(総合口座普通預金を含む)は、「残高別金利型普通預金」となっており、口座残高に応じて、利息の利率が変動する。 この新しいOne's plus(現・SMBCポイントパック)に、One'sダイレクト(現・SMBCダイレクト)と三井住友VISAカード、および特典を付加した「SMBCファーストパック」が同日から提供される。これに伴い、類似の現行商品「One's Style」は、2007年3月12日から新規申込みが終了されるが、「One's Style」の特典は基本的に「SMBCファーストパック」に引き継がれ、むしろ、三井住友VISAカードの年会費が永年無料になったり通帳発行型も選択可能になったり40歳以上の個人顧客も申し込みが可能になったりするなど、「SMBCファーストパック」のほうが特典が拡大している。 ただし、クレジットカードの年会費については、2011年(平成23年)2月1日に規定が改定され、永年無料は従前からの利用者を含め条件付となっている。 前述の「One's Style」は、2016年7月11日を以て廃止される。セットになっている物を一つも解約していない場合(ひとつでも、解約があった場合は、「One's Style」自体が解除という扱いとなる)は、基本は「SMBCポイントパック」がそのまま適用され、クレジットカードの年会費は徴収されるが、「SMBCファーストパック」に切り替えた場合は、取引により、年会費の優遇が受けられる場合がある。 2018年3月1日からSMBCデビット(Visaデビット)一体型キャッシュカード及び三井住友VISA SMBC CARDの取扱を開始したことにより店頭での新規受付が停止された(SMBCダイレクトでの切替は可能) 近年、地方銀行・第二地方銀行との提携による外貨宅配サービスの受託を行っているが、これまでこのサービスを主に手がけてきた香港上海銀行在日支店が、2010年(平成22年)までにMoneyportの受託を順次打ち切り、最終的に同年までに終了させたため、当行がその受託をこれまでHSBCと提携してきたほとんどの地銀・第二地銀の受け皿となっている。なお、日本円に戻すサービスも行っているが、こちらについては、SMBC以外へ振り込みを依頼してもSMBC宛に振込を依頼した場合と手数料が変わらないよう優遇している。 2019年4月1日をもって、地方銀行との提携も含め、外貨宅配サービスの取扱を終了し、以降はトラベレックスジャパンへの取り次ぎとなっている。 三井住友銀行では、2006年(平成18年)3月13日より貯蓄預金と新型通知預金《Can》の新規口座開設を停止した。 貯蓄預金の口座開設停止については、都市銀行ではりそな銀行・埼玉りそな銀行に次ぐ対応であった。 この対応以後、三井住友銀行では現在、普通預金と貯蓄預金とで利率が同率に設定されているが、それでも、利息決算日の点で異なる商品となっている(下記「利息決算日」を参照)。 なお、残高別金利型普通預金『One's plus』は、登場当初より、普通預金の特徴に貯蓄預金の元来の特徴である優遇金利を組み合わせた特徴も持ってきたが、利用状況によっては「ワンズプラス利用料」として月210円徴収されることもあった。これについては、貯蓄預金の口座開設を停止してからほぼ1年が経過した2007年(平成19年)2月21日から無料である。 2010年(平成22年)9月27日を以って、テレビ電話を利用したコンサルティングマシン「Bank TV」が廃止された。最終的な設置拠点は、セブン銀行の有人拠点6ヶ点とアットバンクが設置されたドコモショップ3店舗であった。全拠点で住宅ローンおよび資産運用の相談に対応しており、加えてドコモショップ設置分では、ドコモの通話料金の口座振替申し込みと普通預金の口座開設(口座店は、いずれも東京営業部に固定されていた)が可能であった。 普通預金およびSMBCポイントパックは2月・8月の第3日曜日の翌営業日付、貯蓄預金は毎月第3日曜日の翌営業日付で利息が付与される。利息決算日はそれぞれ、利息が付与される日の前日である。 毎月25日と26日は、口座の預金残高に関わらず、8時45分以前と18時以降もATM時間外手数料が無料である。但し、三井住友銀行のキャッシュカード利用時のみが対象。25日が土曜・日曜・祝日と重なる場合はその前の窓口営業日、26日が土曜・日曜・祝日と重なる場合は、その次の窓口営業日が終日無料。 また、戦略的提携により「店舗外」の三菱UFJ銀行ATMで自行と同様に使うことができる。対象のATMかどうかは現地のATMにおいて「有料」になるか「無料」で使えるかのステッカーが貼り出されているが、ホームページでATMを検索する際にも絞り込むことで確認ができる。これによりATMの統廃合が進んでいる。通帳記帳は双方の銀行のみでしかできない。 2021年4月5日、コンビニATMの利用手数料の改定が行われた。自行ATMの利用が高くなる毎月25日と26日(25日が銀行休業日にあたる場合はその前の営業日、26日が銀行休業日にあたる場合はその翌営業日)は日中時間帯の手数料無料化および早朝・夜間時間帯の手数料の値下げが行われ、逆に通常日は手数料が値上げされた。 手数料体系は以下の通りで、消費税込み、取引1件あたりの手数料となる。 なお利用できる取引は預け入れ、引き出し、キャッシュカードによる電信振込(イーネットATM、ローソン銀行ATM)である。セブン銀行ATMではキャッシュカードによる電信振込はできない。 北山会長は2010年(平成22年)末に、主要メディアへのインタビューに応じ、三井住友フィナンシャルグループの業務純益ベースで、国債売却益など市場部門を除いた利益に占める海外事業の比率を、最大50%程度まで高める方針との考えを示した。2010年上期の、市場部門以外の業務純益に占める海外事業の割合は約22%であり、2012年度までにまずは30%に増やすことを目指す意向。その他、インタビューからの主な抜粋は以下の通り。 (%)は出資比率 他行に先駆けて開拓した分野が中小企業向けビジネスローンである。ビジネスセレクトローンという名称の商品は、年商10億円程度までの小企業向け無担保ローンで、原則として最大5000万円、期間は3年程度であり、これまで保証協会の保証貸金しか融資を受けられなかった中小企業の資金繰に旋風を起こした。 銀行での審査方法も、2期分の決算書と各種公的証明書から、過去のデータに基づき、適切な金利と金額を算出するという割り切ったもの。同趣旨のクレセルローン(ビジネスセレクトローンより若干規模の大きい会社を対象)含めて、貸出残高は2兆円に迫り、他行の追随を許さない。 またインターネット上で、融資審査に必要な財務諸表を、e-Taxの確定申告データで電子送付するWeb申告データ受付サービスを利用することを条件に、融資時の利率の優遇を行うWebレポートローンという画期的な商品もある。 金融業等 業務管理・事務受託等 三井グループと住友グループ以外の企業を記述 運輸 製造 建設・不動産 鉄鋼・エネルギー 化学 消費財 商業・サービス・商社 マスコミ 金融 三井住友銀行は、オリエンタルランドを設立した当時の三井グループに所属していた三井銀行の流れを受け、東京ディズニーランド・東京ディズニーシー内に唯一 出張所を設置している。これは、同じ三井グループに所属する三井不動産が、旧・三和銀行系の鉄道会社である京成電鉄との合弁で東京ディズニーリゾートの運営母体であるオリエンタルランドを設立したことが主な要因とされている。 東京ディズニーシー内にある出張所は「日本橋支店 東京ディズニーシー出張所」という名称の無人ATMコーナーとなっているが、東京ディズニーランド内にある「浦安支店東京ディズニーランド出張所」(店番号593)では会社ロゴ入りの看板が掲示されているほか、三井住友銀行の行員も配置され、通常の窓口業務を行っている。口座開設も可能であり、開園後数年間は顧客も限定されていなかったが、現在は浦安市民や関係者に限られている。また、ディズニーランド出張所では以前、外貨両替の取扱も取り扱っていた。 ディズニーキャラクターは、日本にディズニーランドを誘致する際に三井不動産と同じ財閥系不動産デベロッパーである三菱地所(三菱グループ)も名乗りを上げており、その一環で三井銀行と同じ都市銀行である三菱銀行が1962年に同行のイメージキャラクターとして採用していたため、半世紀以上経過した2019年現在でも、その後身企業である三菱UFJ銀行が引き続き起用している(ちなみに三菱UFJ銀行はオリエンタルランド敷地内(イクスピアリを含む)に支店・ATM共に設置していない)。 テレビ番組 ラジオ番組 発足当時の2001年から数年間は、前身の一つであるさくら銀行が採用していた「ドラえもん」をマスコットキャラクターとして採用していた。(住友銀行もさくら銀行が採用する以前にドラえもんをマスコットキャラクターに採用している時期があった) 2014年からは、カワウソを模したミドすけというオリジナルキャラクターが使われている。体は緑色で、首には当行のシンボルマークであるライジングマークに似たスカーフを巻いている。デザインは合田経郎(株式会社ドワーフ)、プランニングは電通。当初は公式LINEアカウントを中心に使用されていたが、後にCM(声: 堂島孝平)やキャッシュカードやデビットカードの券面デザイン、銀行利用者向けグッズとしても使用されるようになった。 身長66.6 cmで、両親と祖父母もいる。「ひょんなことから人間の世界に棲みついた」という設定。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "株式会社三井住友銀行(みついすみともぎんこう、英語: Sumitomo Mitsui Banking Corporation、略称:SMBC)は、東京都千代田区丸の内に本店を置く、三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)傘下の都市銀行。三菱UFJ銀行(三菱UFJフィナンシャル・グループ)、みずほ銀行(みずほフィナンシャルグループ)とともに3大メガバンクの一角を占める。SMBCグループの中核企業である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "戦前の財閥を起源とする大阪の住友グループ(旧住友財閥)と三井グループ(旧三井財閥)の両方に属する(「三井住友」も参照のこと)。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2001年4月1日に大阪の住友グループの住友銀行と、三井グループのさくら銀行(三井銀行の流れを汲む)が合併して誕生した。前身の住友銀行は在阪三大都市銀行の一角であり、合併は住友銀行主導で進められた。経営統合にあたっては、2000年代以降に再編した他のメガバンクで行われている、新規設立した金融持株会社に前身銀行を株式移転・株式交換させて経営統合させた後に銀行を合併するのではなく、株式を上場する都市銀行同士の直接合併であり、あさひ銀行(現りそな銀行)以来、最後のケースである。住友金属工業(現在の日本製鉄でグループを離脱)、住友化学とともに「住友御三家」の一つであり、三井物産、三井不動産とともに「三井新御三家」の一つである。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2002年12月2日に旧、住友銀行の主要子会社で当行子会社に置かれた日本総研、三井住友カード(旧住友クレジットサービス)と、上場していた当行の株式を株式移転させる形で金融持株会社三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)を新たに設立・上場している。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2004年度、2007年度、2010年度は(旧)全国銀行協会会長行を務めた。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "本項では特記しない限り、2001年に発足し2003年に法人格が消滅した初代法人、旧称が株式会社わかしお銀行で2003年に初代法人を吸収合併(逆さ合併)した2代目法人について、まとめて解説する。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "コーポレートカラーは、緑色を基調とした若草色。和文ロゴタイプは前身の住友銀行およびさくら銀行それぞれのデザインに近づけた書体を使用している。屏風のような形を思わせる若草色のブランドロゴは、香港のグラフィックデザイナーであるアラン・チャン(陳幼堅)によりデザインされた。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "広告等のキャッチコピーとして、2007年4月に三井住友フィナンシャルグループが発表した中期経営計画のスローガン「LEAD the VALUE」を主だって使用している。当行単体では「いくぞミライ」のフレーズ・名称が使われている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "表面上は「将来を見据えての合併」という形を取っているが、合併時の存続会社は住友銀行であり、発足した三井住友銀行の頭取職と三井住友FGの社長職を旧住友銀行頭取だった西川善文が兼務した。また合併比率も当時の株価を反映して1対0.6で決まった。即ち、実質的には住友銀行によるさくら銀行の救済合併であった。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "発足当時、かつての財閥(三井財閥・住友財閥)の枠を越えたことで話題になった。その歴史から、三井グループと住友グループの両方に属している。太平洋戦争における日本の敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は財閥解体を進めた。GHQ占領終了後、住友グループはほぼ戦前同様に集結したのに対し、三井グループは帝国銀行の第一銀行(現みずほ銀行)と三井銀行への分離を機にグループ各社が他の銀行とも取引をし、メインバンクという点で住友グループにおける住友銀行ほどの地位を三井銀行は三井グループに対してなさなかった経緯が関連している(詳細は「三井グループ」参照)。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1990年、三井銀行が規模を拡大する意図で太陽神戸銀行と対等合併する結果となった(行名は太陽神戸三井銀行。1992年にさくら銀行に行名変更)。規模は預金高ベースで、合併前は都市銀行13行中、下位に位置していた三井・太陽神戸両行が、合併の結果、第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)に次ぐ第2位に拡大した。しかし1998年には、さくら銀行の株価は165円にまで落ち込んだ。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1999年に住友銀行とさくら銀行は「将来の統合を前提とした全面提携」を発表した。その後の動きとして、1999年にさくら銀行は単独で、個人向け融資やコンビニATM、ジャパンネット銀行(現PayPay銀行)を設立した。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2000年に発表された合併比率は、さくら銀行の普通株式1株につき住友銀行の普通株式0.6株が割当交付されるもので、「さくら銀行1000株の価値=住友銀行600株の価値」である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "西川善文頭取時代は、失われた10年での経済情勢に加え、2002年10月策定竹中プランの影響により、厳格な不良債権対策を迫られた。前身銀行(主に住友銀行)からの大口貸出先で不良債権比率の高かった三洋電機と三洋電機クレジット、カネボウ、ダイエー、フジタなどは債権放棄などの金融支援を順次実施した。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "同行が保有していた資産の含み益(約2兆円)を帳簿上に現実化させ、旧・住友銀行が保有する有価証券の含み損(約8000億円)を一掃させる為の手段として、旧・太平洋銀行の承継銀行として旧さくら銀行が設立したわかしお銀行をSMFGの完全子会社化した上で、わかしお銀行に対して三井住友銀行が逆さ合併することを2003年1月に発表。同年3月17日付けで三井住友銀行(初代法人)は逆さ合併により消滅し、わかしお銀行が三井住友銀行(2代目法人)へ商号変更。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "合併に先立つ3月には、1986年に住友銀行が資本提携していた米国の投資銀行であるゴールドマン・サックスに対してSMFGが第三者割当増資を行い、優先株で1500億円を調達している。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2004年5月には、UFJホールディングス(UFJHD)が子会社のUFJ信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行:三菱UFJフィナンシャル・グループ〈MUFG〉傘下)株式を住友信託銀行(現・三井住友信託銀行:三井住友トラスト・ホールディングス傘下)へ売却する方向で詰めていたものの、同年7月にUFJHDが三菱東京フィナンシャル・グループ(MTFG)へ金融持株会社レベルでの経営統合を申し入れ、住信へのUFJ信託売却は白紙化された。これに住信が異議を唱えて合併差し止めの提訴をするなどし、これに触発される形で7月30日に三井住友フィナンシャルグループがUFJホールディングスとの経営統合を提案するも、8月には三菱UFJフィナンシャル・グループ発足に向けての合意に達したことで頓挫した(→UFJ銀行#三井住友FGによる経営統合の申入れ)。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "2010年11月1日に、親会社の三井住友フィナンシャルグループは、米国ニューヨーク証券取引所(NYSE)に上場。北山FG社長は、NYSEからブルームバーグテレビジョンの生放送で、主に投資家向けディスクロージャーの透明性を高めることが目的と説明した。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "前身の三井銀行(→さくら銀行)と太陽銀行(→太陽神戸銀行→さくら銀行)は首都圏、神戸銀行(→太陽神戸銀行→さくら銀行)と住友銀行は関西地区を地盤としている。特に住友銀行は在阪三大都市銀行(関西都銀)の一角であり、長らく大阪を拠点としていた住友グループの中核企業であった。そのため関西地区はグループ全体で強固な基盤を有しており、歴史的な関わりも深く、取引先も多い。かつては第二地方銀行の関西アーバン銀行およびみなと銀行がグループ内に存在した(現在両行はSMBCグループを離れ、りそなホールディングス傘下の関西みらいフィナンシャルグループに再編)。東海銀行(→UFJ銀行→現三菱UFJ銀行)ならびにその系列企業が圧倒していた東海地区の金融事情であるが、MUFGの発足に伴う、三菱系企業主導による再編を嫌う旧東海銀行系企業のMUFGからSMFGへの異動が見られる。三井住友銀行も従来手薄だった東海地区(中京圏)の支店を順次開設していたり、新たに名古屋銀行とATM相互開放して手数料引き下げたりするなど基盤強化に務めている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "前身の神戸銀行との関係で、兵庫県や神戸市など兵庫県下のいくつかの市の指定金融機関となっている。SMBCが指定金融機関となっている都道府県は兵庫県のみである。また、神戸銀行時代から兵庫県内に大口取引先を多く抱えているため、東京・大阪とは別に神戸にも本店クラスの営業拠点(神戸営業部・神戸公務部、かつての神戸銀行本店→太陽神戸銀行本店→さくら銀行関西本部)を設置している。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "以上の4か所に分かれている。本店営業部を、2010年10月18日に、現在の東京営業部・大手町本部向かいに2010年7月1日に竣工した、三井不動産のオフィスビルである三井住友銀行本店ビルディング(旧JFEビルディング跡地)を全フロア借り上げる形で集約した。これにより、本部機能は、一部の大手町一丁目三井ビルディング(本店北館)に移設される部門と、新住友ビル(大手町本部ビル)内にある東京営業部の窓口をのぞき、大手町・日比谷両地区のセクションは原則全て新本店ビルへ集約された。", "title": "営業拠点" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "海外については、主要都市にホールセール拠点を有しており、日系および非日系大手企業取引を推進する。", "title": "営業拠点" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "「三井住友銀行 発足後の店舗統廃合」を参照", "title": "営業拠点" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "「住友銀行 芦屋北口支店」、「さくら銀行 芦屋駅前支店(旧・太陽神戸銀行 芦屋駅前支店)」のように、近隣に支店が2つ以上ある場合は、どちらかの支店の名称を変更(上記の場合は、住友銀行 芦屋支店の支店名を芦屋北口支店に変更)した。その後、銀行の勘定系システム統合後に重複していた支店の統廃合を進めた。主な例を下記に挙げる。", "title": "営業拠点" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "個人部門、法人部門、企業金融部門、市場営業部門、国際部門、投資銀行部門及び各種本社部署・関連子会社からなる。他行に先駆けた個人顧客分野への取組を実施しており、旧行時代末期から国内営業店組織を個人営業の「支店」、中小法人営業の「法人営業部」(住銀時代は「法人部」)に分けている。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "「支店」「エリア」という名称の組織からなり、個人顧客宛金融商品販売業務、コンサルティング業務の深化を目指す。中期経営計画では投資信託、年金販売、証券仲介及び保険販売を注力分野としている。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "「法人営業部」「法人エリア」からなり、法人融資・預金為替業務部のみならず、各種金融商品関連、アドバイザリー業務に注力。中期経営計画ではエクイティ投資含めた中小企業育成、地公体・地銀との連携による地方経済への噛みこみなどを掲げている。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "上場企業クラス・日系グローバル企業を担当しており、東京・名古屋・大阪の「営業部」から成る。通常「本店営業第x部」という名称がついており、業種単位となっている。たとえば商社は主に本店営業第三部が所管する。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2006年(平成18年)4月より「コーポレート・アドバイザリー本部(CA本部)」が新設され、ホールセール部門の顧客に対して、アドバイザリー業務強化を目指すダブルフロント体制を敷いている。具体的には上場クラスの企業に対して、事業再編、資本政策、などの提案を実施し、必要に応じて海外拠点、SMBC日興証券や関係の強いファンドと協働する役割を担うことで同行グループの金融ソリューション能力向上を目指す。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2007年(平成19年)4月より「プライベート・アドバイザリー本部(PA本部)」を新設し、リテール部門・ホールセール部門の共管業務を担当する。具体的には、プライベートバンキング、職域取引、事業承継の強化である。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "銀行本体では、主に国内に於ける仕組みもののデットファイナンスを所管し、ストラクチャードファイナンス営業部、シンジケーション営業部、不動産ファイナンス営業部、アセットファイナンス営業部などからなる。営業体制としては、ホールセール部門(・グローバルバンキング部門)の各営業部が顧客窓口となり、デットファイナンスのソリューションについてファイナンシャル・ソリューション本部各部が専門的に提案・取組をするというダブルフロント体制となっている。また、金融商品営業部はデリバティブ商品や仕組物の組成販売を手がけ、また企業情報部はM&A業務を手がけるが、これらは本当の意味での投資銀行業務である。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "資金・為替などディーリング・トレーディング業務を主に担当しており、大規模海外拠点の資金繰含めて所管する。元ラグビー日本代表監督であった故宿澤広朗は、本分野での勤務経験が長く、かつてはロンドンでディーラーを担当していた。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "主に同行の海外拠点業務を担当する。日系企業の海外各地に於ける業務サポート、グローバル非日系企業宛取引推進、日系・非日系ストラクチャードファイナンスの推進などが主業務。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "地域本部制をとっており、アジア大洋州本部(シンガポールベース)、米州本部(ニューヨークベース)、および欧州本部(ロンドンベース)では、地域本部長の下で、ある程度現地での裁量が認められている。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また日系取引については国内法人部門との連携が重視されており、グローバルアドバイザリー部が設置されている他、中国現地法人日系取引については、2010年度(平成22年度)より業務推進の所管が国内法人部門となった。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "経営企画部、財務企画部、システム統括部、人事部、総務部、広報部、品質管理部などからなる。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "同行は合併当初から、各種事務(バックオフィス)を支店から分離・集中処理する体制を築き上げ、経費率の著しい低下を目指してきた。融資ミドルバック業務は融資集中部に、外為関連バック業務は外為事務部に集約しており、それぞれ2003年(平成15年)2月に「SMBC融資事務サービス株式会社」、1994年(平成6年)12月に「SMBCインターナショナルオペレーションズ株式会社」という名称の別会社を設立した。また各営業店に於ける預金為替業務も支店サービス部という部署に分けられており、個人宛金融サービスを行う支店とは別組織となっている。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2014年(平成26年)10月に三井住友銀行は「SMBCインターナショナルオペレーションズ株式会社」を吸収合併した。この合併に伴い三井住友銀行に「グローバルサービス推進部」と、部内室として「外国為替受託室」を、また、営業店組織として「グローバルサービス部」を設置した。", "title": "業務部門" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "三井住友銀行ではICキャッシュカードを発行している。生体認証には手指静脈を用いる。従来からの磁気ストライプ記録データでの取引よりも、ICチップ記録データでの取引、さらにICチップ記録データと生体認証とを組み合わせた取引となるにつれてデータの信頼度が向上するとされ、ATMで取引できる上限金額を高く設定できるようになっている。", "title": "基幹システム関係" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2017年時点で、窓口で即時発行したICキャッシュカード(対象となるのは、一般デザインの普通預金キャッシュカードのみ。他のデザインや普通預金以外の科目のカードなどは即時発行の対象外)はエンボスレスカード、郵送で届けられるカードはエンボスカードでの発行となる。 2023年現在、ICキャッシュカードの即時発行は行っていない。", "title": "基幹システム関係" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2016年より、総合口座の「普通預金・貯蓄預金」通帳が冊子の在庫払拭次第廃止され、代わって、普通預金通帳兼用の通帳に変更され、表紙の口座番号の下に「≪総合口座≫」と印字される(以前は、総合口座ではないSMBCポイントパック契約口座となっている通帳に於いて、「残高別金利息型普通預金」と表示されていた。総合口座普通預金の冊子が普通預金通帳の冊子を用いる形となったことで、「≪総合口座≫」が印字されたSMBCポイントパック契約口座の場合、「残高別金利型普通預金」の文字は、見開きページ部分に表示がされる)。印字可能ページ数は11ページであり、総合口座兼用となる前から変わらない。", "title": "基幹システム関係" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "これにあわせて、総合口座通帳としても使用するため、別冊子となる貯蓄預金や定期預金等の口座番号が見開きページに記載されるようになり、従来の普通預金通帳にはなかったいくつかの欄が新たに設けられた。", "title": "基幹システム関係" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2007年(平成19年)3月12日よりOne's plusの改定が行われ、One's plus契約者で一定条件(30万円以上の預金残高、ウェブ通帳、三井住友VISAカード・セディナの引き落としがある、等)を1つでも満たしていれば、三井住友銀行の自行ATMだけでなく、セブン銀行・イーネット・ローソンATMのコンビニATMでも、24時間手数料が一切かからなくなる(月4回まで)ほか、三井住友銀行本支店間の振込手数料が、インターネットバンキング(Web)・モバイルバンキング・テレホンバンキング(無人対応)で無料となる。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "紙の預金通帳を「ウェブ通帳」に変更するだけでも条件を満たすので、日本の三大銀行で一番簡単に無料利用ができる。2008年(平成20年)10月6日より、One's plusは、SMBCポイントパックに、One'sダイレクトはSMBCダイレクトに改称されている。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "平成29年10月1日に、SMBCポイントパックのサービス内容が改定され、上記の条件のうちローンの借り入れ、カードローンの契約が対象外となり、SMBCデビットの契約が条件に加わった。また、コンビニATMの手数料無料回数が月3回になった。さらに、15歳となる誕生月の初日~25歳となる誕生月の末日の間は、無条件で上記の優遇が受けられる。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "SMBCポイントバックのサービス内容が改定され2021年7月末判定より優遇サービスの条件が改定になる。また4月5日付でコンビニATM手数料を改定する。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "今まではいずれか1つの条件を満たしていればコンビニATMの手数料無料回数が月3回ついていたが、改定後は実質ステージ制方式になり", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "お取引状況に応じて最大3回に変更される", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "詳細は", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "なお、この契約がされている普通預金(総合口座普通預金を含む)は、「残高別金利型普通預金」となっており、口座残高に応じて、利息の利率が変動する。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "この新しいOne's plus(現・SMBCポイントパック)に、One'sダイレクト(現・SMBCダイレクト)と三井住友VISAカード、および特典を付加した「SMBCファーストパック」が同日から提供される。これに伴い、類似の現行商品「One's Style」は、2007年3月12日から新規申込みが終了されるが、「One's Style」の特典は基本的に「SMBCファーストパック」に引き継がれ、むしろ、三井住友VISAカードの年会費が永年無料になったり通帳発行型も選択可能になったり40歳以上の個人顧客も申し込みが可能になったりするなど、「SMBCファーストパック」のほうが特典が拡大している。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ただし、クレジットカードの年会費については、2011年(平成23年)2月1日に規定が改定され、永年無料は従前からの利用者を含め条件付となっている。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "前述の「One's Style」は、2016年7月11日を以て廃止される。セットになっている物を一つも解約していない場合(ひとつでも、解約があった場合は、「One's Style」自体が解除という扱いとなる)は、基本は「SMBCポイントパック」がそのまま適用され、クレジットカードの年会費は徴収されるが、「SMBCファーストパック」に切り替えた場合は、取引により、年会費の優遇が受けられる場合がある。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2018年3月1日からSMBCデビット(Visaデビット)一体型キャッシュカード及び三井住友VISA SMBC CARDの取扱を開始したことにより店頭での新規受付が停止された(SMBCダイレクトでの切替は可能)", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "近年、地方銀行・第二地方銀行との提携による外貨宅配サービスの受託を行っているが、これまでこのサービスを主に手がけてきた香港上海銀行在日支店が、2010年(平成22年)までにMoneyportの受託を順次打ち切り、最終的に同年までに終了させたため、当行がその受託をこれまでHSBCと提携してきたほとんどの地銀・第二地銀の受け皿となっている。なお、日本円に戻すサービスも行っているが、こちらについては、SMBC以外へ振り込みを依頼してもSMBC宛に振込を依頼した場合と手数料が変わらないよう優遇している。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2019年4月1日をもって、地方銀行との提携も含め、外貨宅配サービスの取扱を終了し、以降はトラベレックスジャパンへの取り次ぎとなっている。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "三井住友銀行では、2006年(平成18年)3月13日より貯蓄預金と新型通知預金《Can》の新規口座開設を停止した。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "貯蓄預金の口座開設停止については、都市銀行ではりそな銀行・埼玉りそな銀行に次ぐ対応であった。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "この対応以後、三井住友銀行では現在、普通預金と貯蓄預金とで利率が同率に設定されているが、それでも、利息決算日の点で異なる商品となっている(下記「利息決算日」を参照)。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "なお、残高別金利型普通預金『One's plus』は、登場当初より、普通預金の特徴に貯蓄預金の元来の特徴である優遇金利を組み合わせた特徴も持ってきたが、利用状況によっては「ワンズプラス利用料」として月210円徴収されることもあった。これについては、貯蓄預金の口座開設を停止してからほぼ1年が経過した2007年(平成19年)2月21日から無料である。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)9月27日を以って、テレビ電話を利用したコンサルティングマシン「Bank TV」が廃止された。最終的な設置拠点は、セブン銀行の有人拠点6ヶ点とアットバンクが設置されたドコモショップ3店舗であった。全拠点で住宅ローンおよび資産運用の相談に対応しており、加えてドコモショップ設置分では、ドコモの通話料金の口座振替申し込みと普通預金の口座開設(口座店は、いずれも東京営業部に固定されていた)が可能であった。", "title": "個人預金業務の新展開" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "普通預金およびSMBCポイントパックは2月・8月の第3日曜日の翌営業日付、貯蓄預金は毎月第3日曜日の翌営業日付で利息が付与される。利息決算日はそれぞれ、利息が付与される日の前日である。", "title": "利息決算日" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "毎月25日と26日は、口座の預金残高に関わらず、8時45分以前と18時以降もATM時間外手数料が無料である。但し、三井住友銀行のキャッシュカード利用時のみが対象。25日が土曜・日曜・祝日と重なる場合はその前の窓口営業日、26日が土曜・日曜・祝日と重なる場合は、その次の窓口営業日が終日無料。", "title": "ATM利用時の時間外手数料" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "また、戦略的提携により「店舗外」の三菱UFJ銀行ATMで自行と同様に使うことができる。対象のATMかどうかは現地のATMにおいて「有料」になるか「無料」で使えるかのステッカーが貼り出されているが、ホームページでATMを検索する際にも絞り込むことで確認ができる。これによりATMの統廃合が進んでいる。通帳記帳は双方の銀行のみでしかできない。", "title": "ATM利用時の時間外手数料" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "2021年4月5日、コンビニATMの利用手数料の改定が行われた。自行ATMの利用が高くなる毎月25日と26日(25日が銀行休業日にあたる場合はその前の営業日、26日が銀行休業日にあたる場合はその翌営業日)は日中時間帯の手数料無料化および早朝・夜間時間帯の手数料の値下げが行われ、逆に通常日は手数料が値上げされた。", "title": "コンビニATMの手数料" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "手数料体系は以下の通りで、消費税込み、取引1件あたりの手数料となる。", "title": "コンビニATMの手数料" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "なお利用できる取引は預け入れ、引き出し、キャッシュカードによる電信振込(イーネットATM、ローソン銀行ATM)である。セブン銀行ATMではキャッシュカードによる電信振込はできない。", "title": "コンビニATMの手数料" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "北山会長は2010年(平成22年)末に、主要メディアへのインタビューに応じ、三井住友フィナンシャルグループの業務純益ベースで、国債売却益など市場部門を除いた利益に占める海外事業の比率を、最大50%程度まで高める方針との考えを示した。2010年上期の、市場部門以外の業務純益に占める海外事業の割合は約22%であり、2012年度までにまずは30%に増やすことを目指す意向。その他、インタビューからの主な抜粋は以下の通り。", "title": "海外展開の推進" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "(%)は出資比率", "title": "海外展開の推進" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "他行に先駆けて開拓した分野が中小企業向けビジネスローンである。ビジネスセレクトローンという名称の商品は、年商10億円程度までの小企業向け無担保ローンで、原則として最大5000万円、期間は3年程度であり、これまで保証協会の保証貸金しか融資を受けられなかった中小企業の資金繰に旋風を起こした。", "title": "中小企業向けビジネスローン" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "銀行での審査方法も、2期分の決算書と各種公的証明書から、過去のデータに基づき、適切な金利と金額を算出するという割り切ったもの。同趣旨のクレセルローン(ビジネスセレクトローンより若干規模の大きい会社を対象)含めて、貸出残高は2兆円に迫り、他行の追随を許さない。", "title": "中小企業向けビジネスローン" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "またインターネット上で、融資審査に必要な財務諸表を、e-Taxの確定申告データで電子送付するWeb申告データ受付サービスを利用することを条件に、融資時の利率の優遇を行うWebレポートローンという画期的な商品もある。", "title": "中小企業向けビジネスローン" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "金融業等", "title": "子会社・関連会社" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "業務管理・事務受託等", "title": "子会社・関連会社" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "三井グループと住友グループ以外の企業を記述", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "運輸", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "製造", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "建設・不動産", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "鉄鋼・エネルギー", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "化学", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "消費財", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "商業・サービス・商社", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "マスコミ", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "金融", "title": "三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "三井住友銀行は、オリエンタルランドを設立した当時の三井グループに所属していた三井銀行の流れを受け、東京ディズニーランド・東京ディズニーシー内に唯一 出張所を設置している。これは、同じ三井グループに所属する三井不動産が、旧・三和銀行系の鉄道会社である京成電鉄との合弁で東京ディズニーリゾートの運営母体であるオリエンタルランドを設立したことが主な要因とされている。", "title": "東京ディズニーリゾートとの関係" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "東京ディズニーシー内にある出張所は「日本橋支店 東京ディズニーシー出張所」という名称の無人ATMコーナーとなっているが、東京ディズニーランド内にある「浦安支店東京ディズニーランド出張所」(店番号593)では会社ロゴ入りの看板が掲示されているほか、三井住友銀行の行員も配置され、通常の窓口業務を行っている。口座開設も可能であり、開園後数年間は顧客も限定されていなかったが、現在は浦安市民や関係者に限られている。また、ディズニーランド出張所では以前、外貨両替の取扱も取り扱っていた。", "title": "東京ディズニーリゾートとの関係" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "ディズニーキャラクターは、日本にディズニーランドを誘致する際に三井不動産と同じ財閥系不動産デベロッパーである三菱地所(三菱グループ)も名乗りを上げており、その一環で三井銀行と同じ都市銀行である三菱銀行が1962年に同行のイメージキャラクターとして採用していたため、半世紀以上経過した2019年現在でも、その後身企業である三菱UFJ銀行が引き続き起用している(ちなみに三菱UFJ銀行はオリエンタルランド敷地内(イクスピアリを含む)に支店・ATM共に設置していない)。", "title": "東京ディズニーリゾートとの関係" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "テレビ番組", "title": "CM・広告" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "ラジオ番組", "title": "CM・広告" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "発足当時の2001年から数年間は、前身の一つであるさくら銀行が採用していた「ドラえもん」をマスコットキャラクターとして採用していた。(住友銀行もさくら銀行が採用する以前にドラえもんをマスコットキャラクターに採用している時期があった)", "title": "マスコットキャラクター" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "2014年からは、カワウソを模したミドすけというオリジナルキャラクターが使われている。体は緑色で、首には当行のシンボルマークであるライジングマークに似たスカーフを巻いている。デザインは合田経郎(株式会社ドワーフ)、プランニングは電通。当初は公式LINEアカウントを中心に使用されていたが、後にCM(声: 堂島孝平)やキャッシュカードやデビットカードの券面デザイン、銀行利用者向けグッズとしても使用されるようになった。", "title": "マスコットキャラクター" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "身長66.6 cmで、両親と祖父母もいる。「ひょんなことから人間の世界に棲みついた」という設定。", "title": "マスコットキャラクター" } ]
株式会社三井住友銀行は、東京都千代田区丸の内に本店を置く、三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)傘下の都市銀行。三菱UFJ銀行(三菱UFJフィナンシャル・グループ)、みずほ銀行(みずほフィナンシャルグループ)とともに3大メガバンクの一角を占める。SMBCグループの中核企業である。 戦前の財閥を起源とする大阪の住友グループ(旧住友財閥)と三井グループ(旧三井財閥)の両方に属する(「三井住友」も参照のこと)。
{{Redirect|SMBC|野球の日本シリーズ|日本選手権シリーズ}} {{混同|三井住友信託銀行}} {{Pathnav|三井住友フィナンシャルグループ|frame=1}} {{基礎情報 会社 | 社名 = 株式会社三井住友銀行 | 英文社名 = Sumitomo Mitsui Banking Corporation | ロゴ = [[File:Sumitomo Mitsui Banking Logo.svg|270px]] | 画像 = [[File:SMBC Head Office Building.JPG|300px]] | 画像説明 = [[三井住友銀行本店ビルディング]] | 種類 = [[株式会社]] | 機関設計 = [[監査等委員会設置会社]]<ref>[https://www.smbc.co.jp/aboutus/profile/orgchart.html 組織図] - 株式会社三井住友銀行</ref> | 市場情報 = | 略称 = SMBC | 国籍 = {{JPN}} | 本社郵便番号 = 100-0005 | 本社所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]一丁目1番2号 | 本社緯度度 = | 本社緯度分 = | 本社緯度秒 = | 本社N(北緯)及びS(南緯) = | 本社経度度 = | 本社経度分 = | 本社経度秒 = | 本社E(東経)及びW(西経) = | 本社地図国コード = | 本店郵便番号 = | 本店所在地 = | 本店緯度度 = | 本店緯度分 = | 本店緯度秒 = | 本店N(北緯)及びS(南緯) = | 本店経度度 = | 本店経度分 = | 本店経度秒 = | 本店E(東経)及びW(西経) = | 本店地図国コード = | 設立 = [[1996年]]([[平成]]8年)[[6月6日]]<br />(株式会社[[わかしお銀行]]) | 業種 = 7050 | 法人番号 = | 統一金融機関コード = 0009 | SWIFTコード = '''SMBCJPJT''' | 事業内容 = 預金業務、貸出業務、有価証券売買業務・投資業務、為替業務など | 代表者 = [[代表取締役]][[頭取]][[最高経営責任者|CEO]] [[福留朗裕]]<br />代表取締役兼副頭取[[執行役員]] [[今枝哲郎]] | 資本金 = 1兆7709億9650万5719円 | 発行済株式総数 = 1億631万8401株 | 売上高 = 連結:2兆2833億56百万円 | 営業利益 = | 経常利益 = 連結:4360億62百万円 | 純利益 = 連結:3380億36百万円 | 純資産 = 連結:8兆658億66百万円 | 総資産 = 連結:215兆8467億32百万円 | 従業員数 = 連結:58,527人<ref group="注釈">平均臨時従業員数9,143を含まない。</ref> <br />単体:28,482人<ref group="注釈">平均臨時従業員数7,382を含まない。</ref> | 支店舗数 = | 決算期 = 3月31日 | 会計監査人 = [[有限責任あずさ監査法人]] | 所有者 = | 主要株主 = 株式会社[[三井住友フィナンシャルグループ]] 100% | 主要部門 = | 主要子会社 = [[#子会社・関連会社|子会社・関連会社]]参照 | 関係する人物 = [[#関連項目|関連項目]]参照 | 外部リンク = [https://www.smbc.co.jp/ 株式会社三井住友銀行] | 特記事項 = 大阪本店の所在地は[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[北浜]]四丁目6番5号([[三井住友銀行大阪本店ビル]])。 }} <!--テンプレートの使用法については、[[Template‐ノート:基礎情報 銀行]]まで。--> {{基礎情報 銀行 |銀行 = 三井住友銀行 |英名 = Sumitomo Mitsui Banking Corporation |英項名 = Sumitomo Mitsui Banking Corporation |統一金融機関コード = |SWIFTコード = |代表者種別 = |氏名 = |店舗数 = 国内本支店 444<ref group="注釈">出張所、代理店等を除く。</ref><br />海外支店 19<ref group="注釈">出張所、駐在員事務所を除く。</ref> |従業員数 = |資本金 = |総資産 = |貸出金残高 = 81兆9,377億25百万円 |預金残高 = 134兆6,855億82百万円 |設立日 = |郵便番号 = |所在地 = |外部リンク = |特記事項 = 貸出金残高、預金残高は、『2021年3月期[[有価証券報告書]]』による<ref>{{PDFlink|[https://www.smfg.co.jp/investor/financial/yuho/2021_pdf/2021_fy_bc.pdf 2021年3月期有価証券報告書] 三井住友銀行}}</ref>。 個人の預金口座数は、約2700万口座、法人の貸出先は、約8万4000社である<ref>{{PDFlink|[https://www.smfg.co.jp/investor/financial/disclosure/h2907_c_disc01_pdf/h2907c01_02.pdf SMFGのグループ概要] 三井住友フィナンシャルグループ}}</ref>。 }} '''株式会社三井住友銀行'''(みついすみともぎんこう、{{Lang-en|Sumitomo Mitsui Banking Corporation}}、略称:'''SMBC''')は、[[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]に本店を置く、[[三井住友フィナンシャルグループ]](SMFG)傘下の[[都市銀行]]。[[三菱UFJ銀行]]([[三菱UFJフィナンシャル・グループ]])、[[みずほ銀行]]([[みずほフィナンシャルグループ]])とともに3大[[メガバンク]]の一角を占める<ref>{{Cite web|和書|title=【バンクマップ】メガバンク|金融用語集 |url=https://www.homemate-research-finance.com/useful/glossary/finance/1525201/ |website=www.homemate-research-finance.com |access-date=2022-05-30}}</ref>。'''SMBCグループ'''の中核企業である。 戦前の[[財閥]]を起源とする大阪の[[住友グループ]](旧[[住友財閥]])と[[三井グループ]](旧[[三井財閥]])の両方に属する(「[[三井住友]]」も参照のこと)。 == 概説 == [[2001年]]4月1日に大阪の[[住友グループ]]の'''[[住友銀行]]'''と、[[三井グループ]]の'''[[さくら銀行]]'''([[三井銀行]]の流れを汲む)が合併して誕生した。前身の住友銀行は在阪三大都市銀行の一角であり、合併は住友銀行主導で進められた。経営統合にあたっては、[[2000年代]]以降に再編した他の[[メガバンク]]で行われている、新規設立した[[金融持株会社]]に前身銀行を[[株式移転]]・[[株式交換]]させて経営統合させた後に銀行を合併するのではなく、株式を[[上場]]する[[都市銀行]]同士の直接合併であり、[[あさひ銀行]](現[[りそな銀行]])以来、最後のケースである。[[住友金属工業]](現在の[[日本製鉄]]でグループを離脱)、[[住友化学]]とともに「住友[[御三家]]」の一つであり、[[三井物産]]、[[三井不動産]]とともに「三井新御三家」の一つである。 [[2002年]][[12月2日]]に旧、住友銀行の主要子会社で当行子会社に置かれた[[日本総合研究所 (株式会社)|日本総研]]、[[三井住友カード]](旧住友クレジットサービス)と、上場していた当行の株式を[[株式移転]]させる形で[[金融持株会社]][[三井住友フィナンシャルグループ]](SMFG)を新たに設立・上場している。 [[2004年]]度、[[2007年]]度、[[2010年]]度は(旧)[[全国銀行協会]]会長行を務めた。 本項では特記しない限り、[[2001年]]に発足し[[2003年]]に[[権利能力|法人格]]が消滅した初代[[法人]]、旧称が株式会社[[わかしお銀行]]で2003年に初代法人を[[合併 (企業)|吸収合併]]('''[[逆さ合併]]''')した2代目法人について、まとめて解説する。 === CI === {{Main|三井住友フィナンシャルグループ#ブランディング}} [[コーポレートカラー]]は、緑色を基調とした[[若草]]色。和文[[ロゴタイプ]]は前身の住友銀行およびさくら銀行それぞれのデザインに近づけた[[フォント|書体]]を使用している。屏風のような形を思わせる若草色のブランドロゴは、[[香港]]の[[グラフィックデザイナー]]であるアラン・チャン([[陳幼堅]])によりデザインされた。 広告等の[[キャッチコピー]]として、[[2007年]]4月に[[三井住友フィナンシャルグループ]]が発表した中期経営計画のスローガン「LEAD the VALUE」を主だって使用している。当行単体では「いくぞミライ」のフレーズ・名称が使われている。 === 合併の背景 === 表面上は「将来を見据えての合併」という形を取っているが、合併時の存続会社は住友銀行であり、発足した三井住友銀行の[[頭取]]職と三井住友FGの社長職を旧住友銀行頭取だった[[西川善文]]が兼務した。また合併比率も当時の株価を反映して1対0.6で決まった。即ち、実質的には住友銀行によるさくら銀行の救済合併であった<ref>1999年10月30日付日本経済新聞</ref>。 発足当時、かつての[[財閥]]([[三井財閥]]・[[住友財閥]])の枠を越えたことで話題になった。その歴史から、[[三井グループ]]と[[住友グループ]]の両方に属している。[[太平洋戦争]]における[[日本の敗戦]]後、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)は[[財閥解体]]を進めた。[[連合国軍占領下の日本|GHQ占領]]終了後、住友グループはほぼ戦前同様に集結したのに対し、三井グループは[[帝国銀行]]の[[第一銀行]](現[[みずほ銀行]])と[[三井銀行]]への分離を機にグループ各社が他の銀行とも取引をし、[[メインバンク]]という点で住友グループにおける住友銀行ほどの地位を三井銀行は三井グループに対してなさなかった経緯が関連している(詳細は「[[三井グループ]]」参照)。 [[1990年]]、三井銀行が規模を拡大する意図で[[太陽神戸銀行]]と対等合併する結果となった(行名は太陽神戸三井銀行。[[1992年]]に[[さくら銀行]]に行名変更)。規模は預金高ベースで、合併前は都市銀行13行中、下位に位置していた三井・太陽神戸両行が、合併の結果、[[第一勧業銀行]](現在のみずほ銀行)に次ぐ第2位に拡大した。しかし[[1998年]]には、さくら銀行の[[株価]]は165円にまで落ち込んだ。 [[1999年]]に住友銀行とさくら銀行は「将来の統合を前提とした全面提携」を発表した。その後の動きとして、1999年にさくら銀行は単独で、個人向け融資やコンビニATM、ジャパンネット銀行(現[[PayPay銀行]])を設立した。 [[2000年]]に発表された合併比率は、さくら銀行の普通株式1株につき住友銀行の普通株式0.6株が割当交付されるもので、「さくら銀行1000株の価値=住友銀行600株の価値」である。 === 西川頭取時代以降 === [[西川善文]]頭取時代は、[[失われた10年]]での経済情勢に加え、[[2002年]]10月策定[[金融再生プログラム|竹中プラン]]の影響により、厳格な[[不良債権]]対策を迫られた。前身銀行(主に住友銀行)からの大口貸出先で不良債権比率の高かった[[三洋電機]]と[[三洋電機クレジット]]、[[クラシエホールディングス|カネボウ]]<ref group="注釈">化粧品事業は[[カネボウ化粧品]]が承継し、それ以外の事業はそれぞれ[[クラシエホームプロダクツ]]、[[クラシエ薬品]]、[[クラシエフーズ]]に引き継がれた。</ref>、[[ダイエー]]、[[フジタ]]などは債権放棄などの金融支援を順次実施した。 ==== わかしお銀行との逆さ合併 ==== 同行が保有していた資産の含み益(約2兆円)を帳簿上に現実化させ、旧・住友銀行が保有する有価証券の含み損(約8000億円)を一掃させる為の手段として、旧・[[太平洋銀行]]の承継銀行として旧さくら銀行が設立した'''[[わかしお銀行]]'''をSMFGの[[完全子会社]]化した上で、わかしお銀行に対して三井住友銀行が[[逆さ合併]]することを[[2003年]]1月に発表。同年3月17日付けで三井住友銀行(初代法人)は逆さ合併により消滅し、わかしお銀行が三井住友銀行(2代目法人)へ商号変更。 合併に先立つ3月には、[[1986年]]に住友銀行が資本提携していた米国の[[投資銀行]]である[[ゴールドマン・サックス]]に対してSMFGが[[第三者割当増資]]を行い、[[優先株]]で1500億円を調達している。 ==== UFJホールディングスへの経営統合提案 ==== [[2004年]]5月には、[[UFJホールディングス]](UFJHD)が子会社の[[UFJ信託銀行]](現・[[三菱UFJ信託銀行]]:[[三菱UFJフィナンシャル・グループ]]〈MUFG〉傘下)株式を[[住友信託銀行]](現・[[三井住友信託銀行]]:[[三井住友トラスト・ホールディングス]]傘下)へ売却する方向で詰めていたものの、同年7月にUFJHDが[[三菱東京フィナンシャル・グループ]](MTFG)へ[[金融持株会社]]レベルでの経営統合を申し入れ、住信へのUFJ信託売却は白紙化された。これに住信が異議を唱えて合併差し止めの提訴をするなどし、これに触発される形で7月30日に三井住友フィナンシャルグループがUFJホールディングスとの経営統合を提案するも、8月には三菱UFJフィナンシャル・グループ発足に向けての合意に達したことで頓挫した(→[[UFJ銀行#三井住友FGによる経営統合の申入れ]])。 [[2010年]]11月1日に、親会社の[[三井住友フィナンシャルグループ]]は、[[アメリカ合衆国|米国]][[ニューヨーク証券取引所]](NYSE)に上場。北山FG社長は、NYSEから[[ブルームバーグテレビジョン]]の[[生放送]]で、主に投資家向け[[ディスクロージャー (金融機関)|ディスクロージャー]]の透明性を高めることが目的と説明した。 === 地域的基盤 === 前身の[[三井銀行]](→[[さくら銀行]])と[[太陽銀行]](→[[太陽神戸銀行]]→さくら銀行)は[[首都圏 (日本)|首都圏]]、[[神戸銀行]](→太陽神戸銀行→さくら銀行)と[[住友銀行]]は[[関西]]地区を地盤としている。特に住友銀行は在阪三大都市銀行(関西都銀)の一角であり、長らく大阪を拠点としていた住友グループの中核企業であった。そのため関西地区はグループ全体で強固な基盤を有しており、歴史的な関わりも深く、取引先も多い。かつては第二地方銀行の[[関西アーバン銀行]]および[[みなと銀行]]がグループ内に存在した(現在両行はSMBCグループを離れ、[[りそなホールディングス]]傘下の[[関西みらいフィナンシャルグループ]]に再編)。[[東海銀行]](→[[UFJ銀行]]→現[[三菱UFJ銀行]])ならびにその系列企業が圧倒していた[[東海地方|東海地区]]の金融事情であるが、[[三菱UFJフィナンシャル・グループ|MUFG]]の発足に伴う、[[三菱銀行|三菱]]系企業主導による再編を嫌う旧東海銀行系企業のMUFGからSMFGへの異動が見られる。三井住友銀行も従来手薄だった東海地区([[中京圏]])の支店を順次開設していたり、新たに[[名古屋銀行]]とATM相互開放して手数料を引き下げたりするなど基盤強化に務めている。 前身の神戸銀行との関係で、[[兵庫県]]や[[神戸市]]など兵庫県下のいくつかの市の[[指定金融機関]]となっている。SMBCが指定金融機関となっている都道府県は兵庫県のみである。また、神戸銀行時代から兵庫県内に大口取引先を多く抱えているため、東京・大阪とは別に神戸にも本店クラスの営業拠点(神戸営業部・神戸公務部、かつての神戸銀行本店→太陽神戸銀行本店→さくら銀行関西本部)を設置している。 === 格付(2022年12月現在) === {| class="wikitable" | !長期 !見通し !短期 | !スタンドアローン |- !Moody's |A1 |安定的 |P-1 | rowspan="5" | |a3 (BCA) |- !S&P |A |安定的 |A-1 |a (SACP) |- !Fitch |A- |安定的 |F1 |a- (VR) |- !R&I |AA- |ポジティブ |a-1+ | - |- !JCR |AA |安定的 |J-1+ | - |} * * Moody's:ベースライン信用リスク評価(『BCA』=Baseline Credit Assessment) S&P:スタンドアローン評価(『SACP』=Stand-Alone Credit Profile) Fitch:存続性格付(『VR』=Viability Rating) * == 営業拠点 == *'''本店営業部''' **東京・[[丸の内]]の[[三井住友銀行本店ビルディング]]内に置かれている。以前は[[有楽町]]の[[日比谷三井ビルディング]](旧[[さくら銀行]]東京営業部。その前は[[三井銀行]]本店)に置かれており、本部機能(持株会社の三井住友フィナンシャルグループも、同様に本部機能が分散されている)は、当時の本店所在地だった東京・[[日比谷]]と、同じく当時の東京営業部所在地であった東京・[[丸の内]]にある新住友ビル(大手町本部ビル)内に存在した。[[2014年]][[11月17日]]より、大手町の三井物産ビルディングの建替えに伴い、同ビル内にある[[三井物産]]ビル支店を一時的に取り込んでいる。 *'''東京営業部''' **本店営業部に[[ブランチインブランチ]]として同居している。同行では前身行(旧住友銀行東京営業部)時代から名称が変わらず存続している唯一の営業部である。新住友ビルに存続していたが、取り壊し時に現在地に存在する(同行では、旧本店を「日比谷」、東京営業部を「大手町」と呼んでいた)。 ** 跡地は、三井住友銀行の東館として、2015年夏に竣工しているが、東京営業部は本店ビル内へ留まり、東館の地下に、エーティーエムサービス東日本支店管轄の店舗外ATMのみ設置される形となっている。その後、[[SMBC信託銀行]]の本部を東館に入居させ、4Fには近隣から移転してきた同信託銀行の大手町支店を入居させ、本店営業部窓口として営業することになった。 *'''大阪本店''' **大阪・[[北浜]]の「[[住友村]]」にある[[三井住友銀行大阪本店ビル]]に置かれている。在阪三大都銀の一角であった旧住友銀行本店時代から同一所在地に存在する。[[西日本]]の本部であり、副頭取がトップとして駐在。[[関西]]全域で[[大学]]や[[ベンチャー企業|スタートアップ企業]]と連携する「関西成長戦略室」が設置されている<ref>「[https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20210720-OYO1T50007/ 大学発の新興企業を支援…三井住友銀、大阪に戦略室]」[[読売新聞]]オンライン(2021年7月20日)2021年8月23日閲覧</ref>。2018年より[[御堂筋]]沿いにあった[[備後町 (大阪市)|備後町]]支店をブランチインブランチとして受け入れている。 *'''神戸営業部''' **[[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]の[[神戸外国人居留地|旧居留地]]の三井住友銀行神戸本部ビルに置かれている。神戸本部。旧神戸銀行本店→旧太陽神戸銀行本店・神戸本部→旧さくら銀行神戸営業部・関西本部の流れによる。特筆的なところとして、神戸本部は前身行の一つである神戸銀行時代から、何度も合併・再編を繰り返し、営業所名称も変更されつつも同一所在地で本部を有する(三井銀行の西日本の本部は「大阪営業部」つまり現在の大阪中央支店の地にあったが、さくら銀行時代には西日本の本部は大阪にではなくここにあった)。 以上の4か所に分かれている。本店営業部<ref group="注釈">[[1960年]]([[昭和]]35年)に建築した日比谷三井ビルの老朽化に伴う取り壊しに伴うものでもある。[[有楽町]]エリアには丸ノ内支店〈旧住友店〉が存在するため、同エリアから有人店舗が消滅するわけではない。</ref>を、[[2010年]][[10月18日]]に、現在の東京営業部・大手町本部向かいに2010年[[7月1日]]に竣工した、[[三井不動産]]の[[オフィスビル]]である三井住友銀行本店ビルディング(旧[[JFEホールディングス|JFE]]ビルディング跡地)を全フロア借り上げる形で集約した<ref>[http://www.smbc.co.jp/news/html/j200123/j200123_01.html 本店機能の移転および大手町本部ビルの取得について]</ref><ref>[http://www.smbc.co.jp/kojin/tenpo/tougou/index.html 店舗統合・移転等のお知らせ:三井住友銀行]</ref>。これにより、本部機能は、一部の大手町一丁目三井ビルディング(本店北館)に移設される部門と、新住友ビル(大手町本部ビル)内にある東京営業部の窓口をのぞき、大手町・日比谷両地区のセクションは原則全て新本店ビルへ集約された。 {{gallery |width=200 |File:SMBC Head Office Building.JPG|[[三井住友銀行本店ビルディング]] |ファイル:Mitsui sumitomo bank east tower.jpg|三井住友銀行本店ビルディング東館 |ファイル:SMBC Osaka head office.jpg|大阪本店営業部([[三井住友銀行大阪本店ビル]]) |ファイル:SMBC Kobe Office Bldg 20091120-002.jpg|神戸営業部 }} === かつて存在した営業拠点 === *'''千代田営業部''' **東京・[[神田神保町]]に置かれていた。[[登記]]上・法人格上の存続会社(旧太平洋銀行→旧わかしお銀行)の旧本店営業部であり、旧わかしお銀行の店舗を統括するコミュニティバンキング本部の統括店([[2005年]]4月1日付で、同本部は廃止された)であった。支店コードは、合併前より「001」を使用していた。2012年10月15日、[[神田小川町]]に移転の上、神保町支店に店名変更された<ref>[http://www.smbc.co.jp/kojin/tenpo/tougou/index.html 店舗統合・移転のお知らせ] - 三井住友銀行公式サイト。なお、発足時点では同名の支店(旧さくら店)があった(2003年に神田支店に統合され現存しない)が、これとは無関係。</ref>。支店コードは、所在地移転及び店名が変更された現在も「001」を継続している。 *'''九段営業部''' **東京・[[九段]]に置かれていた。旧さくら銀行本店営業部。店番「088」を使用していた。さくら銀行の前身行である太陽神戸銀行の東京営業部(東京本部)であったが、2002年11月18日、本店営業部に統合され消滅(営業窓口としては太陽銀行本店時代からの営業部である)。九段営業部が入居していたビル([[東京堂書店|東京堂]]千代田ビル)には、2003年から[[あおぞら銀行]]本店が入居していたが、2017年に移転した。 海外については、主要都市にホールセール拠点を有しており、日系および非日系大手企業取引を推進する。 === 支店の統廃合 === [https://www.smbc.co.jp/kojin/tenpo/jouhou/resources/pdf/index_tougo01.pdf 「三井住友銀行 発足後の店舗統廃合」]を参照 [[ファイル:The Sakura Bank, Limited and The Sumitomo Bank, Limited.JPG|thumb|230px|合併直前の様子(住友銀行芦屋北口支店・さくら銀行[[芦屋駅 (JR西日本)|芦屋駅]]前支店)]] [[ファイル:Sumitomo Mitsui Banking Corporation.jpg|thumb|230px|合併直後の様子(のちに芦屋北口支店は芦屋駅前支店に統合された。]] 「住友銀行 芦屋北口支店」、「さくら銀行 芦屋駅前支店(旧・太陽神戸銀行 芦屋駅前支店)」のように、近隣に支店が2つ以上ある場合は、どちらかの支店の名称を変更(上記の場合は、住友銀行 芦屋支店の支店名を芦屋北口支店に変更)した。その後、銀行の[[勘定系システム]]統合後に重複していた支店の統廃合を進めた。主な例を下記に挙げる。 * 住友店が存続:旧さくら銀行 難波駅前支店が旧住友銀行 難波支店に統合 * さくら店が存続:旧住友銀行 [[高麗橋]]支店が旧さくら銀行 大阪中央支店(旧・三井銀行 大阪支店)に統合 == 業務部門 == 個人部門、法人部門、企業金融部門、市場営業部門、国際部門、投資銀行部門及び各種本社部署・関連子会社からなる。他行に先駆けた個人顧客分野への取組を実施しており、旧行時代末期から国内営業店組織を個人営業の「支店」、中小法人営業の「法人営業部」(住銀時代は「法人部」)に分けている。 === リテール部門 === 「支店」「エリア」という名称の組織からなり、個人顧客宛[[金融商品]]販売業務、[[コンサルティング]]業務の深化を目指す。中期経営計画では[[投資信託]]、[[年金]]販売、証券仲介及び保険販売を注力分野としている。 ==== SMFG各社との連携 ==== ; SMBC信託銀行 : [[2015年]][[11月1日]]付けで、[[シティバンク銀行]]のリテール部門を継承し、[[SMBC信託銀行]]の「プレスティア部門」として、営業開始されたが、これに先だって、同年4月より、シティバンク銀行のキャッシュカードを三井住友銀行ATMで利用した場合は、自行カードと同じ条件で引き出しが可能となった。また、SMBC日興証券への証券仲介業務も行うようになった。 ; SMBC日興証券 : [[2010年]](平成22年)[[10月15日]]付で当行子会社となった[[SMBC日興証券]]が、三井住友銀行を所属行とする[[銀行代理店]]業務の認可取得により、同年[[10月18日]]から東北6県と四国4県の県庁所在地のSMBC日興証券の支店での円普通預金・定期預金の新規取引の媒介業務の取り扱いを開始し、該当する支店にはと三井住友銀行の通帳記帳・繰越機の設置を開始した。 ; SMBCコンシューマーファイナンス(プロミス) : [[2004年]](平成16年)にSMFGグループとなった[[消費者金融]]専業大手の[[プロミス]]は、[[2000年]](平成12年)にさくら銀行と三洋信販が主体となって設立した銀行系消費者金融の[[アットローン]]と当行の3社間で個人向け消費者ローンの提携(カスケードスキーム)事業を通じて、[[2005年]](平成17年)4月から[[三井住友銀行カードローン]]の発売を開始。[[2009年]](平成21年)からは[[自動車ローン]]・[[教育ローン]]等、当行の個人向け無担保[[証書貸付]]融資の[[信用保証]]([[連帯保証]])受託業務も担当している。[[2010年]](平成22年)[[10月20日]]以降、[[プロミス]]の新型有人拠点(お客様サービスプラザ)にアットバンク(アットバンクブランド終了後は、SMBC日興証券設置分と同じ対応となった)が順次設置された。2012年7月1日にプロミスは、社名を[[SMBCコンシューマーファイナンス]]に改称した。なおサービス・ブランド名としては、引き続き「プロミス」(新ロゴマークに変更)が使用されている。 === ホールセール部門 === *'''コーポレートバンキング本部''' 「法人営業部」「法人エリア」からなり、法人融資・預金為替業務部のみならず、各種金融商品関連、アドバイザリー業務に注力。中期経営計画ではエクイティ投資含めた中小企業育成、地公体・地銀との連携による地方経済への噛みこみなどを掲げている。 *'''グローバルコーポレートバンキング本部''' 上場企業クラス・日系グローバル企業を担当しており、東京・名古屋・大阪の「営業部」から成る。通常「本店営業第x部」という名称がついており、業種単位となっている。たとえば商社は主に本店営業第三部が所管する。 *'''コーポレート・アドバイザリー本部''' [[2006年]](平成18年)4月より「コーポレート・アドバイザリー本部(CA本部)」が新設され、ホールセール部門の顧客に対して、アドバイザリー業務強化を目指すダブルフロント体制を敷いている。具体的には上場クラスの企業に対して、事業再編、資本政策、などの提案を実施し、必要に応じて海外拠点、SMBC日興証券や関係の強い[[投資ファンド|ファンド]]と協働する役割を担うことで同行グループの金融ソリューション能力向上を目指す。 *'''プライベート・アドバイザリー本部''' [[2007年]](平成19年)4月より「プライベート・アドバイザリー本部(PA本部)」を新設し、リテール部門・ホールセール部門の共管業務を担当する。具体的には、[[プライベートバンキング]]、職域取引、事業承継の強化である。 *'''ファイナンシャル・ソリューション本部''' 銀行本体では、主に国内に於ける仕組みもののデットファイナンスを所管し、ストラクチャードファイナンス営業部、シンジケーション営業部、不動産ファイナンス営業部、アセットファイナンス営業部などからなる。営業体制としては、ホールセール部門(・グローバルバンキング部門)の各営業部が顧客窓口となり、デットファイナンスのソリューションについてファイナンシャル・ソリューション本部各部が専門的に提案・取組をするというダブルフロント体制となっている。また、金融商品営業部はデリバティブ商品や仕組物の組成販売を手がけ、また企業情報部はM&A業務を手がけるが、これらは本当の意味での投資銀行業務である。 === 市場営業部門 === 資金・為替などディーリング・トレーディング業務を主に担当しており、大規模海外拠点の資金繰含めて所管する。元ラグビー日本代表監督であった故[[宿澤広朗]]は、本分野での勤務経験が長く、かつてはロンドンでディーラーを担当していた。 === グローバルバンキング部門 === 主に同行の海外拠点業務を担当する。日系企業の海外各地に於ける業務サポート、グローバル非日系企業宛取引推進、日系・非日系ストラクチャードファイナンスの推進などが主業務。 地域本部制をとっており、アジア大洋州本部(シンガポールベース)、米州本部(ニューヨークベース)、および欧州本部(ロンドンベース)では、地域本部長の下で、ある程度現地での裁量が認められている。 また日系取引については国内法人部門との連携が重視されており、グローバルアドバイザリー部が設置されている他、中国現地法人日系取引については、[[2010年]]度(平成22年度)より業務推進の所管が国内法人部門となった。 === コーポレートスタッフ部門 === 経営企画部、財務企画部、システム統括部、人事部、総務部、広報部、品質管理部などからなる。 === 事務関連子会社 === 同行は合併当初から、各種事務(バックオフィス)を支店から分離・集中処理する体制を築き上げ、経費率の著しい低下を目指してきた。融資ミドルバック業務は融資集中部に、外為関連バック業務は外為事務部に集約しており、それぞれ2003年(平成15年)2月に「SMBC融資事務サービス株式会社」、1994年(平成6年)12月に「SMBCインターナショナルオペレーションズ株式会社」という名称の別会社を設立した。また各営業店に於ける[[預金]][[為替]]業務も支店サービス部という部署に分けられており、個人宛金融サービスを行う支店とは別組織となっている。 2014年(平成26年)10月に三井住友銀行は「SMBCインターナショナルオペレーションズ株式会社」を吸収合併した。この合併に伴い三井住友銀行に「グローバルサービス推進部」と、部内室として「外国為替受託室」を、また、営業店組織として「グローバルサービス部」を設置した。 == 基幹システム関係 == === ICキャッシュカード関連 === 三井住友銀行ではICキャッシュカードを発行している。[[生体認証]]には手指静脈を用いる。従来からの磁気ストライプ記録データでの取引よりも、ICチップ記録データでの取引、さらにICチップ記録データと生体認証とを組み合わせた取引となるにつれてデータの信頼度が向上するとされ、ATMで取引できる上限金額を高く設定できるようになっている。 2017年時点で、窓口で即時発行したICキャッシュカード(対象となるのは、一般デザインの普通預金キャッシュカードのみ。他のデザインや普通預金以外の科目のカードなどは即時発行の対象外)はエンボスレスカード、郵送で届けられるカードはエンボスカードでの発行となる。 2023年現在、ICキャッシュカードの即時発行は行っていない。 === 総合口座通帳の対応科目 === 2016年より、総合口座の「普通預金・貯蓄預金」通帳が冊子の在庫払拭次第廃止され、代わって、普通預金通帳兼用の通帳に変更され、表紙の口座番号の下に「≪総合口座≫」と印字される(以前は、総合口座ではないSMBCポイントパック契約口座となっている通帳に於いて、「残高別金利息型普通預金」と表示されていた。総合口座普通預金の冊子が普通預金通帳の冊子を用いる形となったことで、「≪総合口座≫」が印字されたSMBCポイントパック契約口座の場合、「残高別金利型普通預金」の文字は、見開きページ部分に表示がされる)。印字可能ページ数は11ページであり、総合口座兼用となる前から変わらない。 これにあわせて、総合口座通帳としても使用するため、別冊子となる貯蓄預金や定期預金等の口座番号が見開きページに記載されるようになり、従来の普通預金通帳にはなかったいくつかの欄が新たに設けられた。 == 個人預金業務の新展開 == === SMBCポイントパック === [[2007年]](平成19年)[[3月12日]]より'''One's plus'''の改定が行われ、One's plus契約者で一定条件(30万円以上の預金残高、ウェブ通帳、[[三井住友カード|三井住友VISAカード]]・[[セディナ]]の引き落としがある、等)を1つでも満たしていれば、三井住友銀行の自行ATMだけでなく、[[セブン銀行]]・[[イーネット]]・[[ローソン銀行|ローソンATM]]の[[コンビニATM]]でも、24時間手数料が一切かからなくなる(月4回まで)ほか、三井住友銀行本支店間の振込手数料が、[[インターネットバンキング]][[三井住友銀行#SMBCポイントパック|(Web)]]・モバイルバンキング・テレホンバンキング(無人対応)で無料となる<ref>[http://www.smbc.co.jp/kojin/sougou/plus/atm.html SMBCポイントパック ATM時間外手数料・コンビニATM利用手数料が「無料」] - 三井住友銀行</ref>。 紙の預金通帳を「ウェブ通帳」に変更するだけでも条件を満たすので、日本の三大銀行で一番簡単に無料利用ができる。[[2008年]](平成20年)[[10月6日]]より、'''One's plus'''は、'''SMBCポイントパック'''に、'''One'sダイレクト'''は'''SMBCダイレクト'''に改称されている。 平成29年10月1日に、SMBCポイントパックのサービス内容が改定され、上記の条件のうちローンの借り入れ、カードローンの契約が対象外となり、SMBCデビットの契約が条件に加わった。また、コンビニATMの手数料無料回数が月3回になった。さらに、15歳となる誕生月の初日~25歳となる誕生月の末日の間は、無条件で上記の優遇が受けられる<ref>[http://www.smbc.co.jp/kojin/sougou/standard/kaitei.html <個人のお客さまへ>SMBCポイントパックのサービス内容改定のお知らせ]</ref>。 SMBCポイントバックのサービス内容が改定され2021年7月末判定より優遇サービスの条件が改定になる。また4月5日付でコンビニATM手数料を改定する。 今まではいずれか1つの条件を満たしていればコンビニATMの手数料無料回数が月3回ついていたが、改定後は実質ステージ制方式になり お取引状況に応じて最大3回に変更される 詳細は<ref>{{Cite web|和書|title=2021年7月に実施するSMBCポイントパック(手数料優待サービス)の改定内容を知りたい。 {{!}} よくあるご質問 : 三井住友銀行|url=https://qa.smbc.co.jp/faq/show/4193?site_domain=default|website=qa.smbc.co.jp|accessdate=2021-03-17}}</ref> なお、この契約がされている普通預金(総合口座普通預金を含む)は、「残高別金利型普通預金」となっており、口座残高に応じて、利息の利率が変動する。 === SMBCファーストパック === この新しい'''One's plus'''(現・SMBCポイントパック)に、One'sダイレクト(現・SMBCダイレクト)と三井住友VISAカード、および特典を付加した「SMBCファーストパック」が同日から提供される。これに伴い、類似の現行商品「One's Style」は、[[2007年]][[3月12日]]から新規申込みが終了されるが、「One's Style」の特典は基本的に「SMBCファーストパック」に引き継がれ、むしろ、三井住友VISAカードの年会費が永年無料になったり通帳発行型も選択可能になったり40歳以上の個人顧客も申し込みが可能になったりするなど、「SMBCファーストパック」のほうが特典が拡大している。 ただし、クレジットカードの年会費については、[[2011年]](平成23年)[[2月1日]]に規定が改定され、永年無料は従前からの利用者を含め条件付となっている。 前述の「One's Style」は、[[2016年]][[7月11日]]を以て廃止される。セットになっている物を一つも解約していない場合(ひとつでも、解約があった場合は、「One's Style」自体が解除という扱いとなる)は、基本は「SMBCポイントパック」がそのまま適用され、クレジットカードの年会費は徴収されるが、「SMBCファーストパック」に切り替えた場合は、取引により、年会費の優遇が受けられる場合がある。 2018年3月1日からSMBCデビット(Visaデビット)一体型キャッシュカード及び三井住友VISA SMBC CARDの取扱を開始したことにより店頭での新規受付が停止された(SMBCダイレクトでの切替は可能) === 外貨宅配サービス === 近年、[[地方銀行]]・[[第二地方銀行]]との提携による外貨宅配サービスの受託を行っているが、これまでこのサービスを主に手がけてきた[[香港上海銀行]]在日支店が、[[2010年]](平成22年)までにMoneyportの受託を順次打ち切り、最終的に同年までに終了させたため、当行がその受託をこれまでHSBCと提携してきたほとんどの地銀・第二地銀の受け皿となっている。なお、日本円に戻すサービスも行っているが、こちらについては、SMBC以外へ振り込みを依頼してもSMBC宛に振込を依頼した場合と手数料が変わらないよう優遇している。 2019年4月1日をもって、地方銀行との提携も含め、外貨宅配サービスの取扱を終了し、以降は[[トラベレックスジャパン]]への取り次ぎとなっている。 === 商品の合理化 === 三井住友銀行では、[[2006年]](平成18年)[[3月13日]]より[[貯蓄預金]]と[[預金#預金の種類|新型通知預金《Can》]]<ref group="注釈">「通知預金」の口座開設は、三井住友銀行になるかなり以前に終了している。</ref>の新規口座開設を停止した。 : [[三井住友銀行#SMBCポイントパック|One'sダイレクト]]での開設については、2006年(平成18年)[[4月17日]]で停止。 貯蓄預金の口座開設停止については、都市銀行では[[りそな銀行]]・[[埼玉りそな銀行]]に次ぐ対応であった。 この対応以後、三井住友銀行では現在、普通預金と貯蓄預金とで利率が同率に設定されているが、それでも、利息決算日の点で異なる商品となっている(下記「利息決算日」を参照)。 なお、残高別金利型普通預金『One's plus』は、登場当初より、普通預金の特徴に貯蓄預金の元来の特徴である優遇金利を組み合わせた特徴も持ってきたが、利用状況によっては「ワンズプラス利用料」として'''月210円徴収'''されることもあった。これについては、貯蓄預金の口座開設を停止してからほぼ1年が経過した[[2007年]](平成19年)[[2月21日]]から無料である。 [[2010年]](平成22年)[[9月27日]]を以って、[[テレビ電話]]を利用したコンサルティングマシン「Bank TV」が廃止された。最終的な設置拠点は、[[セブン銀行]]の有人拠点6ヶ点と[[アットバンク]]が設置された[[NTTドコモ#販売店等|ドコモショップ]]3店舗であった。全拠点で住宅ローンおよび資産運用の相談に対応しており、加えてドコモショップ設置分では、ドコモの通話料金の口座振替申し込みと普通預金の口座開設(口座店は、いずれも東京営業部に固定されていた)が可能であった。 == 利息決算日 == 普通預金およびSMBCポイントパックは2月・8月の第3日曜日の翌営業日付、貯蓄預金は毎月第3日曜日の翌営業日付で利息が付与される。利息決算日はそれぞれ、利息が付与される日の前日である。 == 店舗 == {{Main2|現行店舗については、[http://www.smbc.co.jp/kojin/tenpo/ 公式サイトの店舗・ATM検索]}} == ATM利用時の時間外手数料 == 毎月25日と26日は、口座の預金残高に関わらず、8時45分以前と18時以降もATM時間外手数料が無料である<ref>[http://www.smbc.co.jp/kojin/tenpo/atm/2526muryou.html 毎月25日と26日はATM時間外手数料無料!] - 三井住友銀行(2012年7月24日閲覧)</ref>。但し、三井住友銀行のキャッシュカード利用時のみが対象。25日が土曜・日曜・祝日と重なる場合はその前の窓口営業日、26日が土曜・日曜・祝日と重なる場合は、その次の窓口営業日が終日無料。 また、戦略的提携により「店舗外」の[[三菱UFJ銀行]]ATMで自行と同様に使うことができる。対象のATMかどうかは現地のATMにおいて「有料」になるか「無料」で使えるかのステッカーが貼り出されているが、ホームページでATMを検索する際にも絞り込むことで確認ができる。これによりATMの統廃合が進んでいる。通帳記帳は双方の銀行のみでしかできない。 == コンビニATMの手数料 == 2021年4月5日、コンビニATMの利用手数料の改定が行われた。自行ATMの利用が高くなる毎月25日と26日(25日が銀行休業日にあたる場合はその前の営業日、26日が銀行休業日にあたる場合はその翌営業日)は日中時間帯の手数料無料化および早朝・夜間時間帯の手数料の値下げが行われ、逆に通常日は手数料が値上げされた。 手数料体系は以下の通りで、消費税込み、取引1件あたりの手数料となる。 * 通常日 *: 平日8:45~18:00:220円 *: それ以外の時間帯:330円 * 毎月25日、26日 *: 8:45~18:00:無料 *: それ以外の時間帯:110円 なお利用できる取引は預け入れ、引き出し、キャッシュカードによる電信振込(イーネットATM、ローソン銀行ATM)である。セブン銀行ATMではキャッシュカードによる電信振込はできない。 == 海外展開の推進 == === 今後の海外展開計画 === 北山会長は[[2010年]](平成22年)末に、主要メディアへのインタビューに応じ、三井住友フィナンシャルグループの業務純益ベースで、国債売却益など市場部門を除いた利益に占める海外事業の比率を、最大50%程度まで高める方針との考えを示した。2010年上期の、市場部門以外の業務純益に占める海外事業の割合は約22%であり、2012年度までにまずは30%に増やすことを目指す意向。その他、インタビューからの主な抜粋は以下の通り<ref> * {{cite news|title=アジア事業と日興コーデの強化が課題、M&Aも選択肢=三井住友FG社長|newspaper=ロイター|date=2010-12-30|url=https://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-18832220101229?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0|accessdate=2011-01-10}} * {{cite news|title=アジア融資強化、個人向け業務参入も 三井住友FG社長|newspaper=朝日新聞|date=2010-12-29|url=http://www.asahi.com/business/update/1229/TKY201012290403.html|accessdate=2011-01-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101231074703/http://www.asahi.com/business/update/1229/TKY201012290403.html|archivedate=2010年12月31日|deadlinkdate=2017年9月}} * {{cite news|title=三井住友、アジア事業を最優先 北山社長、海外利益比率最大50%へ|author=山口暢彦|newspaper=[[フジサンケイビジネスアイ|サンケイビズ]]|date=2010-12-30|url=https://web.archive.org/web/20110102044638/http://www.sankeibiz.jp/business/news/101230/bse1012300501002-n1.htm|accessdate=2011-01-10}}</ref>。 * 重点地域は「[[アジア]]が最優先」とし、欧米や地元企業取引を拡大するために、アジアでのネットワーク拡充に力を注ぐ。アジアに投資する海外企業向けの融資業務を強化するため、海外での事業買収や資本提携を加速。 * [[中華人民共和国]]では、昨年開設準備認可を取得した深圳支店など2拠点を順次開業し、15拠点体制を確立。 * [[マレーシア]]についても、今春にフルバンキング業務が可能な現地法人を開業し、[[イスラム金融]]などに力を入れる方針。現地の人員を強化するほか、企業買収、合弁会社設立などの中で最も効果のある手法をとる。 === 主な業務提携先 === (%)は出資比率 * [[ベトナム]]輸出入銀行(15%) * 英国[[バークレイズ]]グループ(数%) * [[台湾]][[第一商業銀行]](数%) * [[香港]][[東亜銀行]](数%) * [[インド]]コタックマヒンドラグループ(数%) * [[マレーシア]][[RHB]]グループ * [[インドネシア]][[BCA]](バンク セントラル アジア) == 中小企業向けビジネスローン == 他行に先駆けて開拓した分野が[[中小企業]]向けビジネスローンである。ビジネスセレクトローンという名称の商品は、年商10億円程度までの小企業向け無担保ローンで、原則として最大5000万円、期間は3年程度であり、これまで[[保証協会]]の保証貸金しか融資を受けられなかった中小企業の資金繰に旋風を起こした。 銀行での審査方法も、2期分の決算書と各種公的証明書から、過去のデータに基づき、適切な金利と金額を算出するという割り切ったもの。同趣旨のクレセルローン(ビジネスセレクトローンより若干規模の大きい会社を対象)含めて、貸出残高は2兆円に迫り、他行の追随を許さない。 またインターネット上で、融資審査に必要な財務諸表を、[[e-Tax]]の[[確定申告]]データで電子送付する[http://www.smbc.co.jp/hojin/sonota/web/index.html Web申告データ受付サービス]を利用することを条件に、融資時の利率の優遇を行う[http://www.smbc.co.jp/hojin/financing/webreport/index.html Webレポートローン]という画期的な商品もある。 == 沿革 == {{Main2|統合前の沿革については、[[住友銀行]]、[[三井銀行]]、[[さくら銀行]]、[[わかしお銀行]]を}} * [[1996年]]([[平成]]8年)[[6月6日]] - '''[[わかしお銀行|株式会社わかしお銀行]]'''設立(第一相互銀行から普銀転換し、後に経営破綻した[[第二地方銀行]]である[[株式会社]][[太平洋銀行]]から営業譲受を目的とした受け皿銀行)。 * [[2001年]](平成13年) ** 4月1日 - 株式会社住友銀行が株式会社さくら銀行を吸収合併し、(旧)株式会社三井住友銀行となる。 ** 6月 - 子会社だった[[さくら信託銀行]]の全株式を[[中央三井信託銀行]](当時)に売却する(現:[[三井住友信託銀行]])。 * [[2002年]](平成14年)[[12月2日]] - 三井住友銀行が[[株式移転]]により[[三井住友フィナンシャルグループ]]を設立し、その傘下に入る。 * [[2003年]](平成15年)[[3月17日]] - わかしお銀行が三井住友銀行を吸収合併する。第二地方銀行から都市銀行に転換し、'''株式会社三井住友銀行'''に商号変更。 * [[2009年]](平成21年)[[10月1日]] - 株式会社三井住友銀行が、日興コーディアル証券株式会社(現:[[SMBC日興証券]]株式会社)を完全子会社化する。 * [[2013年]](平成25年)10月1日 - 株式会社三井住友銀行が、ソシエテジェネラル信託銀行株式会社を完全子会社化し、株式会社[[SMBC信託銀行]]に商号変更する。 *[[2019年]]([[令和]]元年)[[7月5日]] - [[三菱UFJ銀行]]と提携して、同年9月22日から店舗外ATMの共同利用(他行ATM利用手数料の一部無料化)を開始すると発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.smbc.co.jp/news/j601846_01.html|title=株式会社三菱UFJ銀行との店舗外ATM共同利用開始について|accessdate=2019年7月6日|publisher=株式会社三井住友銀行(2019年7月5日作成)}}</ref>。 * [[2021年]][[10月13日]] - システム障害が発生。 * [[2022年]][[5月10日]] - 同年[[4月30日]]から発生したシステム障害について、[[金融庁]]は報告命令を出した<ref>{{Cite web|和書|title=金融庁、三井住友銀行に報告命令 連休中のATM障害 |url=https://mainichi.jp/articles/20220510/k00/00m/020/101000c |website=毎日新聞 |access-date=2022-05-10 |language=ja}}</ref>。 === 母体行 === ==== 財閥系銀行 ==== ; [[三井銀行]] : [[三越|越後屋]]・[[三井高利|三井八郎右衛門高利]]が興した越後屋三井両替店がその起源であり、三井住友銀行側も同店を自らのルーツとして位置付けている。戦時中[[第一銀行]]を一時合併して'''[[帝国銀行]]'''([[1943年]] - [[1954年]])と名乗ったが、戦後に第一銀行の再分離により解体、その後も財閥商標の使用が禁じられたこととの兼ね合いでしばらくこの名称が用いられた時期がある(詳しくは三井銀行の項を参照のこと)。 ; [[住友銀行]] : [[住友財閥|泉屋]]・[[住友友信|住友吉左衛門友信]]が江戸寛文年間に興した泉屋両替店がその起源であり、住友財閥の中枢として機能した。戦後、財閥商標の使用が禁じられ、本店所在地から'''大阪銀行'''([[1948年]] - [[1952年]])と改称していた時期がある(詳しくは住友銀行の項を参照のこと)。 ==== 中規模財閥系都市銀行 ==== ; [[神戸銀行]] : [[1936年]](昭和11年)[[大日本帝国]]政府の「一県一行主義」の方針に従って、[[岡崎藤吉]]が[[1917年]](大正6年)5月8日に開業した'''神戸岡崎銀行'''を中核として成立した銀行。[[岡崎財閥]]は[[岡崎汽船]]や朝日海上火災保険(現:[[あいおいニッセイ同和損害保険]])等全国的な事業展開をしていたため、合併成立後の神戸銀行も都市銀行とみなされた。したがって、大阪、名古屋、東京にも幾つかの店舗が存在したが、店舗網の大半は[[兵庫県]]下に存在していた。なお、戦時統合で神戸貯蓄銀行と神戸信託を合併。後者はのちに[[三菱UFJ信託銀行|東洋信託銀行]](現:三菱UFJ信託銀行)の設立に際し、その事業を譲渡。その後も日本クレジットビューロー(現:[[ジェーシービー]])やオリエント・リース(現:[[オリックス (企業)|オリックス]])の設立に出資するなど、どちらかといえば[[三和銀行]](現:[[三菱UFJ銀行]])に近い存在であった。 :むしろ住友銀行とは、兵庫県内においては、神戸銀行系であった'''阪神相互銀行'''(普銀転換後は'''阪神銀行''')と、住友銀行系であった'''[[兵庫相互銀行]]'''('''兵庫銀行'''へ普銀転換した後に経営破綻。その後、受け皿銀行として'''みどり銀行'''が発足した。)の競合もあり、ライバル関係にあった。その後、兵庫県南部を基盤とする[[第二地銀]]である'''[[みなと銀行]]'''(阪神銀行を存続行として、再破綻したみどり銀行を救済合併)が三井住友銀行グループであること、三井住友銀行に神戸営業部および神戸公務部があること、三井住友銀行が神戸市および兵庫県の[[指定金融機関]]であることは、いずれも、この神戸銀行が源流にある。また、現在でも兵庫県内での拠点数は他のメガバンクより多く<ref group="注釈">2016年10月現在、兵庫県内での支店・ATMコーナーの数は、[[三菱UFJ銀行]]は84箇所、[[みずほ銀行]]は27箇所([[イオン銀行]]との共同ATMは除く)に過ぎないのに対して、三井住友銀行は250箇所存在する。</ref>、三大メガバンクのうち三井住友銀行のみが支店を置く地域も存在する。また、兵庫県内では旧神戸銀行の支店が存続していることが多いが例外もある(例:三宮支店の場合、所在地は旧住友銀行の三宮支店([[三宮センター街]])だが、支店コードは旧さくら銀行の三宮支店を受け継いで410となっており、営業上は旧さくら銀行(旧三井銀行)の三宮支店が存続している扱いとなっている。合併後しばらくの間、旧住友銀行の三宮支店が「三宮南支店」(支店コード522)、旧さくら銀行の三宮支店([[神戸阪急|そごう神戸店]]の1階にあった)が「三宮支店」として共存していた)。 ; [[十五銀行]] : [[1877年]](明治10年)に[[岩倉具視]]の呼びかけに応じた有力華族の出資により[[国立銀行条例]]に基づく銀行として設立された銀行。「華族銀行」と称され、当時の全銀行総資産の半数近くを保有した。[[1920年]]には、浪速銀行、[[神戸川崎銀行]]および丁酉銀行の3行を合併し、市中金融の強化を図ったが、[[1927年]](昭和2年)の[[昭和金融恐慌]]により事実上倒産。[[1944年]]に帝国銀行に吸収され、帝銀分割時に大部分の店舗は新帝銀(→三井銀行)に承継された。 ==== 地方銀行 ==== ; [[河内銀行]] : [[1952年]](昭和27年)設立の[[戦後地銀]]。[[東大阪市]]を中心とした[[大阪府]]東部の商工業向け金融機関であった。 ; [[東都銀行]] : [[1900年]](明治33年)'''高田農商銀行'''として東京府豊多摩郡高田村(現在の東京都[[豊島区]])で開業。長らく本店1店舗のみの銀行として存在し、[[コクド|国土計画興業]](現在の[[プリンスホテル]])の[[堤康次郎]]が経営していた。戦後の[[1951年]](昭和26年)に[[華僑]]資本の導入を目指して'''亜東銀行'''と改称するが頓挫。翌1952年(昭和27年)、[[鮎川義介]]の手により中小企業復興のための銀行・'''中小企業助成銀行'''として再出発した。[[1958年]](昭和33年)'''東都銀行'''と改称。以降東京の地銀として存在していた。 ==== 相互銀行・第二地方銀行 ==== ; [[太陽銀行]] : [[1940年]](昭和15年)、[[東京川崎財閥]]の相生無尽を中心として東京市内の[[無尽会社]]5社が合併し、成立した '''大日本無尽''' が起源。その後同社は政府の勧奨に基づき相互無尽1社を除く東京府内の無尽会社を統合。終戦までに[[神奈川県]]・[[埼玉県]]・[[山梨県]]および[[長野県]]下の無尽会社を統合した。戦後、日本無尽と改称。相互銀行法の制定により[[相互銀行]]に転換。'''日本相互銀行''' と改称した。この時点で相銀界のリーディングカンパニーとして、ときわ相互銀行(現在の[[東日本銀行]])や第一相互銀行が経営危機に陥った際には、率先してこれを支援した。[[太陽生命保険]]と提携して業績を拡大。やがて高度経済成長で中小企業だった取引先と共に日本相銀も急成長し、その一方で相銀特有の零細融資である相互掛金の取扱高は減少する事態になり、大蔵省から河野社長を迎えた頃はもはや地銀上位行を凌ぐ内容であった。こうして[[1968年]](昭和43年)普通銀行に転換し、'''太陽銀行'''と改称。同時に[[都市銀行]]の一角に加わった。 ; [[平和相互銀行]] : 戦前は'''東北林業'''という名の会社であったが、終戦直後看做無尽の日掛金融を営業して急成長し、相互銀行法の制定で相互銀行に転換。平和相互銀行となった。駅前から住宅地まで首都圏随一の店舗網、夜7時までの窓口営業、都銀各行と提携しATMではどの銀行のキャッシュカードでも使用可能とする等、当時最も便利な銀行であった。しかし、創業以来小宮山英蔵ならびに小宮山一族がオーナーとして君臨し、グループ会社の[[太平洋クラブ]]等に対する不明瞭な融資や放漫かつ乱脈融資で知られ、「闇の紳士の貯金箱」とも揶揄された。[[1986年]](昭和61年)についに破綻し、住友銀行に救済合併された。旧平和相互銀行の若手行員の中には合併後十数年の出世競争に生き残り、三井住友銀行の部店長にまで昇進した例が複数あることも事実である。旧平和相互銀行本店は[[1990年代]]まで「第二東京営業部」として存置され、同行の店舗は店番が800・900番台として区別された(支店番号としては統合されてはいるものの2017年現在も存続)。 <!--[[画像:千代田営業部旧館.jpg|thumb|200px|right|千代田営業部 旧館<br />(旧わかしお銀行本店 旧館)]]--> ; [[わかしお銀行]] : 戦前'''相互無尽'''という名の無尽会社として東京・神田神保町で開業。大日本無尽への統合にも加わらず独立を守り、戦後、 「'''第一相互銀行'''」に転換後経営危機を迎え、日本相銀の支援を受けるも再建後は[[富士銀行]]に接近して救済合併を免れた。しかし[[1989年]](平成元年)、当時の小林社長による乱脈経営で行き詰まり、太陽神戸銀行ほか都銀数行による管理体制に入る。同年10月第二地銀に転換し、'''太平洋銀行'''となるも[[バブル崩壊]]による経営危機で遂に破綻。受け皿銀行としてさくら銀行全額出資のわかしお銀行が設立された。以降、太平洋銀行を承継した同行は東京の第二地銀として中小企業金融を中心に営業していた。[[2003年]](平成15年)3月に、(旧)三井住友銀行の有価証券含み損(約8000億円)を資産の含み益(約2兆円)を帳簿上現実化させる目的でわかしお銀行が存続会社となり(旧)三井住友銀行を合併するいわゆる「逆さ合併」を実施した。千代田営業部旧館の建物は[[関東大震災]]時の震災復興建築として知られている。 ==== 信用協同組合 ==== ; 福徳信用組合 : [[1953年]](昭和28年)、東京都に設立される。[[1955年]](昭和30年)には曙信用組合、[[1968年]](昭和43年)には第一信用組合をそれぞれ合併。[[1974年]](昭和49年)、平和相互銀行に合併された。 ; 田辺信用組合 : [[1953年]](昭和28年)、[[大阪市]][[東住吉区]]に設立。バブル景気の中、急速に業容を拡大させたが、1993年(平成5年)以降、地価下落とともに不良債権が急増し、経営状態が急速に悪化した。1998年(平成8年)8月の大阪府の検査において、実質大幅な債務超過が判明し、預金流出が続いたことから資金繰りの先行きが極めて厳しい状況となり、自主再建を断念。2000年(平成10年)、さくら銀行に事業譲渡した。 ; 西南信用組合 : [[1945年]](昭和20年)に設立された東京西南信用組合と[[1953年]](昭和28年)に設立された三善信用組合が合併して発足した西南三善信用組合が母体。新宿区に本店を置いた。[[1988年]](昭和63年)の総栄信用組合を合併後、業容拡大を図ったが、融資先が不動産業に過度に集中したため、バブル崩壊後経営が急速に悪化。[[1994年]](平成6年)には、東京都より決算承認組合と指定され、リストラを推進したが、1996年の東京都の調査で実質的に債務超過と指摘され、自力再建を断念。[[1998年]](平成10年)11月1日、住友銀行に事業譲渡した。 == 子会社・関連会社 == === 子会社 === '''金融業等''' * SMBCベンチャーキャピタル株式会社 - プライベート・エクイティ投資事業。合弁契約解消に伴い、大和SMBCキャピタル株式会社(旧[[エヌ・アイ・エフSMBCベンチャーズ]]株式会社)から分離。 * 株式会社[[SMBC信託銀行]] - 信託銀行業。ソシエテ・ジェネラル信託銀行を2013年に買収し、完全子会社化。[[2015年]][[11月1日]]より、リテール部門の営業を「プレスティア」ブランドにより開始している。 * 株式会社SMBCキャピタル・パートナーズ - 企業再生・事業承継等に係る投資事業。2020年2月10日設立。 '''業務管理・事務受託等''' * NCore株式会社 * SMBC GMO Payment株式会社 * SMBCグリーンサービス株式会社 * [[SMBCコンサルティング]]株式会社 * SMBC債権回収株式会社 * SMBC信用保証株式会社 * SMBCスタッフサービス株式会社 * SMBC電子債権記録株式会社 * SMBCパーソネルサポート株式会社 * SMBC不動産調査サービス株式会社 * SMBCオペレーションサービス株式会社 * SMBCラーニングサポート株式会社 * SMBCローンビジネス・プランニング株式会社 * 株式会社[[さくらケーシーエス]](旧神戸銀行系システムインテグレーター) * ジャパン・ペンション・ナビゲーター株式会社 * SMBCバリュークリエーション株式会社 * 株式会社SMBCヒューマン・キャリア === 関連会社 === * [[PayPay銀行]]株式会社 - インターネット銀行業。41.1%出資。[[2014年]]4月30日付で[[連結子会社]]から[[持分法適用会社]]に変更。 * [[三井住友アセットマネジメント]]株式会社 - 投資信託の運用や投資子顧問業。27.5%出資 * [[さくら情報システム]]株式会社 - 旧「三井銀行」系と旧「太陽銀行」系のシステムインテグレーター。49%出資(残り51%は株式会社[[オージス総研]]) * [[大和証券エスエムビーシープリンシパル・インベストメンツ]]株式会社 - 投資業務・ファンド運営業務 * エー・アイ・キャピタル株式会社 - プライベート・エクイティ・ファンド関連の投資運用・助言業務 === 海外の子会社・関連会社<ref>https://www.smbc.co.jp/aboutus/profile/group.html </ref> === * [[欧州三井住友銀行]] * SMBC バンク EU AG * 三井住友銀行(中国)有限公司 * マニュファクチャラーズ銀行 * ブラジル三井住友銀行 * PT Bank BTPN Tbk * ロシア三井住友銀行 * マレーシア三井住友銀行 * SMBCキャピタル・マーケット会社 * 英国SMBC日興キャピタル・マーケット会社 * [[SMBCアビエーション・キャピタル]] * SMBCリース・ファイナンス会社 * SMBC Rail Services LLC * SMBC日興セキュリテーズ・アメリカ会社 * SMBCフィナンシャル・サービス会社 * エスエムビーシー・ケイマン・エルシー・リミテッド * エス・エフ・ブイ・アイ会社 * SMBCインターナショナル・ファイナンス・エヌ・ブイ * エスエムビーシー・リーシング・インベストメント・エルエルシー * エスエムビーシー・キャピタル・パートナーズ・エルエルシー * SMBCエム・ブイ・アイエス・ピー・シー * SMBCディー・アイ・ピーリミテッド * SMBCデリバティブ・プロダクツ・リミテッド * SMBCキャピタル・インディア * 三井住友ファイナンス・ダブリン * さくらファイナンス・アジア === かつての関連会社 === * [[ソニー銀行]]株式会社 *: ソニー(現在の[[ソニーグループ]])と三井住友銀行の出資により設立。後に[[ソニーフィナンシャルホールディングス]]([[SFHD]])が完全子会社化したため、[[株式交換]]の影響によりSMBCはSFHDへ出資する形になっていたが、現在は出資を引き揚げている。 * 大和証券SMBC株式会社(後の[[大和証券キャピタル・マーケッツ]]) *: 旧 大和証券が60%、旧 住友銀行が40%出資して設立した、ホールセール(法人向け)証券会社。[[2009年]](平成21年)末に合弁解消し、大和証券グループの100%子会社化。そして2012年4月1日には、リテール(個人向け)証券会社であった「(2代目)大和証券」に吸収合併され、リテール・ホールセールを一本化した「(3代目)[[大和証券]]」が発足した。 * [[アットローン]]株式会社 - 銀行系消費者金融業社。2011年4月1日、プロミス(当時)に吸収合併され解散。 * [[プロミス]]株式会社 - 2012年4月1日、SMFGの完全子会社化。同年7月1日より、[[SMBCコンシューマーファイナンス]]に社名変更。ブランド・サービスネームは引き続き「プロミス」(新ロゴマークに変更)を使用。 * [[三井住友カード]]株式会社(三井住友VISAカード)- [[SMFGカード&クレジット]]傘下。 * 株式会社[[セントラルファイナンス]] - [[OMCカード]]に吸収合併され株式会社[[セディナ]]に改称後、現在は[[SMBCファイナンスサービス]]。SMFGカード&クレジット傘下。 * 株式会社[[クオーク (信販)|クオーク]] - [[OMCカード]]に吸収合併され株式会社[[セディナ]]に改称後、現在は[[SMBCファイナンスサービス]]。SMFGカード&クレジット傘下。 * [[さくらカード]]株式会社 - クレジットカード事業。85.2%出資。JCBカードを発行していた。2016年4月1日、セディナに吸収合併され消滅。 * [[SMBC日興証券]]株式会社 - 証券業。日興コーディアル証券時代の2009年に買収し、完全子会社とした。2016年10月に、SMFGの完全子会社に移行。 * [[オリックス・クレジット]]株式会社 - 消費者金融業。2009年から2012年までオリックスとの共同出資会社であった。 * 株式会社[[関西みらいフィナンシャルグループ]] - 金融持株会社。2018年から2021年まで関連会社であった。 ** 株式会社[[みなと銀行]] - 銀行業(旧[[阪神銀行]]・旧[[みどり銀行]])。 ** 株式会社[[関西アーバン銀行]] - 銀行業(旧関西銀行・関西さわやか銀行)。[[近畿大阪銀行]]と合併し、現在は[[関西みらい銀行]]。 == 三井・住友グループ以外でSMBCが主な株主をしている企業・金融機関== [[三井グループ]]と[[住友グループ]]以外の企業を記述 {{Col| '''運輸''' * [[相鉄ホールディングス]] * [[神戸電鉄]] * [[京阪電気鉄道]] * [[西日本鉄道]] * [[西日本旅客鉄道]] * [[ANAホールディングス]] * [[阪急阪神ホールディングス]] * [[山陽電気鉄道]] * [[神姫バス]] | '''製造''' * [[三和シヤッター工業|三和ホールディングス]] * [[アシックス]] * [[カシオ計算機]] * [[凸版印刷]] * [[東芝テック]] * [[ダイフク]] * [[岩崎電気]] * [[マキタ]] * [[グローリー (企業)|グローリー]] * [[スタンレー電気]] * [[ブラザー工業]] * [[クボタ]] * [[ソニー]] * [[パナソニック]] * [[小松製作所]] * [[小糸製作所]] * [[倉敷紡績]] * [[キングジム]] * [[愛知製鋼]] * [[豊田合成]] * [[中央発條]] * [[ジェイテクト]] * [[マツダ]] * [[ブリヂストン]] * [[ミズノ]] * [[ハリマ化成|ハリマ化成グループ]] | '''建設・不動産''' * [[ニチハ]] * [[ダイビル]] * [[LIXILグループ]] * [[熊谷組]] * [[奥村組]] * [[前田建設工業]] }} {{Col| '''鉄鋼・エネルギー''' * [[九州電力]] * [[西部ガス]] * [[東邦瓦斯|東邦ガス]] * [[大阪瓦斯|大阪ガス]] * [[出光興産]] | '''化学''' * [[武田薬品工業]] * [[アステラス製薬]] * [[大正製薬]] * [[関西ペイント]] * [[バンドー化学]] | '''消費財''' * [[レナウン (企業)|レナウン]] * [[カンロ]] * [[アサヒビール]] * [[日清製粉グループ本社]] * [[ハウス食品]] * [[江崎グリコ]] }} {{Col| '''商業・サービス・商社''' * [[ながの東急百貨店]] * [[丸善CHIホールディングス]] * [[リーガロイヤルホテル|ロイヤルホテル]] * [[ダスキン]] * [[ネクシィーズ]] * [[東海物産]] * [[伊藤忠商事]] * [[豊田通商]] * [[学研ホールディングス|学習研究社]] * [[麻生 (企業)|株式会社麻生]] * [[東映]] * [[セブン&アイ・ホールディングス]] * [[山陽百貨店]] * [[カプコン]] | '''マスコミ''' * [[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]] * [[日本テレビ放送網]] * [[関西テレビ放送]] * [[テレビ朝日]] * [[テレビ大阪]] * [[テレビ東京]] * [[パラマウント・グローバル]] * [[フジテレビジョン]] * [[讀賣テレビ放送]] | '''金融''' * [[三十三フィナンシャルグループ]] * [[名古屋銀行]] * [[だいこう証券ビジネス]] * [[大和証券グループ本社]] * [[ジェーシービー]] }} == 東京ディズニーリゾートとの関係 == [[File:三井住友銀行 ディズニーランド出張所.jpg|サムネイル|250x250px|三井住友銀行 ディズニーランド出張所]] 三井住友銀行は、オリエンタルランドを設立した当時の三井グループに所属していた三井銀行の流れを受け、[[東京ディズニーランド]]・[[東京ディズニーシー]]内に唯一 出張所を設置している。これは、同じ[[三井グループ]]に所属する[[三井不動産]]が、旧・[[三和銀行]]系の[[鉄道事業体|鉄道会社]]である[[京成電鉄]]との合弁で[[東京ディズニーリゾート]]の運営母体である[[オリエンタルランド]]を設立したことが主な要因とされている。 東京ディズニーシー内にある出張所は「日本橋支店 東京ディズニーシー出張所」という名称の無人ATMコーナーとなっているが、東京ディズニーランド内にある「浦安支店東京ディズニーランド出張所」(店番号593)では会社ロゴ入りの看板が掲示されているほか、三井住友銀行の行員も配置され、通常の窓口業務を行っている。口座開設も可能であり、開園後数年間は顧客も限定されていなかったが、現在は浦安市民や関係者に限られている。また、ディズニーランド出張所では以前、[[両替|外貨両替]]の取扱も取り扱っていた。 ディズニーキャラクターは、日本にディズニーランドを誘致する際に三井不動産と同じ財閥系[[デベロッパー (開発業者)|不動産デベロッパー]]である[[三菱地所]]([[三菱グループ]])も名乗りを上げており<ref>{{Cite web|和書|title=浦安の漁師たちに“夢の陸地”を約束…東京ディズニーリゾート誕生秘話<3>|url=https://hochi.news/articles/20181230-OHT1T50090.html|website=スポーツ報知|date=2019-01-01|accessdate=2020-06-21|publisher=}}</ref>、その一環で三井銀行と同じ都市銀行である[[三菱銀行]]が1962年に同行のイメージキャラクターとして採用していたため、半世紀以上経過した2019年現在でも、その後身企業である[[三菱UFJ銀行]]が引き続き起用している<ref>{{Cite web|和書|title=ディズニーキャラクターカードのサービス変更のお知らせ|url=https://www.bk.mufg.jp/info/20190308_disneycard.html|website=三菱UFJ銀行|accessdate=2020-06-21|publisher=|date=2019-03-08}}</ref>(ちなみに三菱UFJ銀行はオリエンタルランド敷地内([[イクスピアリ]]を含む)に支店・ATM共に設置していない)。 == CM・広告 == ; 現在 * [[吉高由里子]]:2014年10月25日から放送のシリーズ「いくぞ、ミライ。」シリーズに出演。同年11月から、三井住友銀行カードローンCMにも出演。 * [[堺雅人]]:2016年10月25日から放送のシリーズ「まるごと話せる人。」シリーズに出演。 * [[稲垣啓太]]:2021年から「ともに、前へ」篇に出演。 * [[岡崎体育]]:同上。CM曲「[[深夜高速]]」も担当。 * [[内村光良]]:2021年から「UPDATE! SMBC」シリーズに出演。 ; 過去 * [[家入レオ]]:2017年より「ヒーロー」が「ひとりひとりが日本代表」でテーマソングで起用。 * [[木村佳乃]] - [[三井住友銀行カードローン]]のCMに出演 * [[多部未華子]] - 三井住友銀行カードローン * [[長谷川博己]] - 「いくぞ、ミライ。」新規口座編 * [[大森南朋]] - 「いくぞ、ミライ。」積立編 * [[大塚寧々]] - 「いくぞ、ミライ。」保険編 * [[西田敏行]] - 「いくぞ、ミライ。」投資信託編 * [[桑田佳祐]]([[サザンオールスターズ]]) - 2011年度より、同行の企業イメージCM「人は、人と、生きてるんだ。」シリーズにて「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」を使用、2012年は、「みんなの『はじめよう』から、はじまるんだ。」シリーズにて「幸せのラストダンス」を使用(本人出演バージョンも)を放映。2013年サザンオールスターズに復活後は「栄光の男」「東京VICTORY」を使用。 * [[いきものがかり]] 2016年より「翼」が「ひとりひとりが日本代表」イメージソングで起用。2016年の地元の凱旋ライブでは冠スポンサーになった。 * [[オードリー・ヘプバーン]] * [[原田知世]] * [[浅野ゆう子]](住友銀行時代) * [[忍者ハットリ君]](住友銀行時代) - 1980年代初頭から末期まで忍者ハットリ君の粗品が配られていた。 * [[バンクー|くまのバンクー]](住友銀行時代)- [[佐藤雅彦 (メディアクリエーター)|佐藤雅彦]]作のオリジナルキャラクター。テレビCMでは[[関根勤]]が声の出演を行っていた。 * [[パラサ&ディンキーダイノス]](さくら銀行時代)- オリジナルの[[恐竜]]キャラクター。 * [[ジュリー・ドレフュス]](太陽神戸三井銀行→さくら銀行1990年代初頭) * [[広末涼子]](さくら銀行時代 末期) * [[ドラえもん]] - 住友銀行 時代からの流れで、太陽神戸三井銀行・さくら銀行、そして 現在の「三井住友銀行」発足当初までのあいだマスコットキャラクターとして採用されていた。 '''[[テレビ番組]]''' ; 現在 * [[土曜プレミアム]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系) - 隔週で前後半入れ替え。 * [[ダウンタウンDX]] ([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系) - これまでの[[アイフル]]から引き継いだ。 * [[マツコ会議]](日本テレビ系) * [[お笑い実力刃]]([[テレビ朝日]]系) - 後半ナショナルスポンサー。隔週で同業者の[[アコム]]も提供している。 * [[笑点 特大号]]([[BS日本|BS日テレ]]) - 番組の前半か後半に提供。 ; 過去 * [[アメトーーク!|アメトーク]](テレビ朝日系) - ナショナルスポンサー<ref group="注釈">[[2019年]]6月13日から8月1日まで、出演している[[宮迫博之|男性芸人]]の闇営業問題で[[ACジャパン]]に差し替え。同年8月8日からPT扱いで提供復帰するも、同年9月26日をもって降板。</ref>。 * [[水曜ドラマ (日本テレビ)|水曜ドラマ]] (日本テレビ系) - 2018年4月 -、これまでの[[住友生命保険|住友生命]]から引き継いだ。 *[[あざとくて何が悪いの?]](テレビ朝日系) - 2020年10月 - 2022年3月 '''[[ラジオ番組]]''' ; 現在 * [[ニッポン放送ショウアップナイター]]([[ニッポン放送]]及び[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列ネットスポンサー)火曜日 * [[ラジオ時報CM]](JFN系列)週末午後 B枠14:00 - 22:00までスポンサー担当(ナレーションは[[浜崎美保]])※2021年4月〜12月・2022年4月〜 ; 過去 * [[桑田佳祐のやさしい夜遊び]](TOKYO FM)毎週番組のエンディング時と2時間スペシャルでは冠スポンサーを務めていた。 * [[MY OLYMPIC|MY OLYMPIC+]]([[全国FM放送協議会|JFN]])土曜日 22:30 - 22:55 === その他の協賛事業 === *[[日本野球機構]]オフィシャルパートナー<ref>[http://www.npb.or.jp/news/20141001.html NPBパートナーに「三井住友銀行」](日本野球機構NPBニュース 2014年10月1日 10月7日閲覧)</ref> **[[2014年の日本シリーズ]]より、[[日本選手権シリーズ|プロ野球・SMBC日本シリーズ]]特別協賛<ref name="smbc">[http://www.npb.or.jp/nippons/2014news01.html 「日本シリーズ2014」特別協賛社に三井住友銀行](日本野球機構リリース 2014年10月7日閲覧)</ref>またこの協賛を機に、NPBオフィシャルパートナー(同機構協賛企業・団体)に2014年10月1日付で就任 == マスコットキャラクター == 発足当時の2001年から数年間は、前身の一つである'''さくら銀行'''が採用していた「ドラえもん」をマスコットキャラクターとして採用していた。(住友銀行もさくら銀行が採用する以前にドラえもんをマスコットキャラクターに採用している時期があった) 2014年からは、[[カワウソ]]を模した'''ミドすけ'''というオリジナルキャラクターが使われている<ref name="official2">[http://www.smbc.co.jp/sns/character.html キャラクター紹介] - 三井住友銀行</ref>。体は[[緑]]色で、首には当行の[[シンボルマーク]]であるライジングマークに似たスカーフを巻いている。デザインは[[合田経郎]](株式会社ドワーフ)、プランニングは[[電通]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.dw-f.jp/characters/characters06.html|title=ドワーフから生まれたキャラクターたちです!|accessdate=2016-01-08|date=|publisher=dwarf inc.}}</ref>。当初は公式[[LINE (アプリケーション)|LINE]]アカウントを中心に使用されていたが<ref name="official2" />、後にCM(声: [[堂島孝平]])やキャッシュカードやデビットカードの券面デザイン、銀行利用者向けグッズとしても使用されるようになった<ref>{{Cite web|和書|url=http://cmtv-news.com/midosuke|title=TVCM「ミドすけ」の声は誰?三井住友銀行のキャラクターグッズが可愛い!|accessdate=2017-02-22|publisher=CMTV.news}}</ref>。 身長66.6 [[センチメートル|cm]]で、両親と祖父母もいる。「ひょんなことから人間の世界に棲みついた」という設定<ref name="official2" />。 == 不祥事 == *2006年4月27日、[[金融庁]]より[[銀行法]]第26条第1項に基づく命令がなされ、法人営業部による金利系[[デリバティブ]]商品の販売業務の6ヶ月間停止、法人営業部の1年間新設禁止などの[[行政行為|行政処分]]が下された。2002年から2004年にかけて販売に取り組んだ金利スワップ商品について、[[独占禁止法]]第19条([[優越的地位の濫用]])の規定に違反すると認定されたものによる。 *[[2008年]]11月、386の支店において10360件の'''預金印鑑届'''、8の支店において1723件の外国為替勘定元帳を紛失していることが判明したと発表した<ref>[https://www.smbc.co.jp/news/html/j200383/j200383_01.html お客さま情報の紛失について] 三井住友銀行(平成20年11月17日)</ref>。 *[[大森 (大田区)|大森]]支店の元副支店長が、2015年11月から2016年6月にかけ、[[外貨預金]]取引のシステムを不正操作し、同銀行から約1億9000万円を騙し取ったとして、[[警視庁]]に[[詐欺罪]]の容疑で[[逮捕]]された<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161012/k10010726621000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_004 「三井住友銀行の元副支店長を逮捕 約1億9000万円詐取容疑」]NHKニュース(2016年10月12日)</ref>。 *2022年10月、銀証ファイアーウォール規制違反事案に関して、金融庁より銀行法第24条の規定に基づき、報告徴収命令が出された<ref>{{Cite web|和書|title=SMBC日興証券株式会社及び株式会社三井住友フィナンシャルグループに対する行政処分等について |url=https://www.fsa.go.jp/news/r4/shouken/20221007/20221007.html |website=www.fsa.go.jp |access-date=2022-10-07 |language=ja}}</ref>。 == ギャラリー == {{Gallery |width=200px |height=200px |lines=3 |File:Sumitomo Mitsui Banking Corporation Head Office.jpg|[[日比谷三井ビルディング]](旧 三井銀行本店営業部、三井住友銀行旧本店) |File:SMBC Tokyo Sales Department.jpg|[[東京新住友ビルディング]](大手町本部ビル)・東京営業部(旧 住友銀行東京本部・東京営業部)<ref group="注釈">建物としては取り壊し後跡地に東館を建設。営業店としては本店営業部に事実上統合(システム上では口座店として残っているが建物建て替え後に再移転の予定がない)</ref> |File:Sumitomo bld02s3200.jpg|大阪本店営業部(旧 住友銀行本店、設計:[[長谷部鋭吉]]) |File:SMBC Kobe Office Bldg 20091120-001.jpg|神戸営業部(旧 神戸銀行 ~ 太陽神戸銀行 本店・さくら銀行 関西本部) |File:Sumitomo Mitsui Banking Corporation Osaka-Chuo Branch01-r.jpg|[[三井住友銀行大阪中央支店|大阪中央支店]](旧三井銀行大阪支店、設計:[[曽禰達蔵]]) |File:Mitsui Sumitomo Kyoto 三井住友銀行 京都支店.jpg|京都支店 }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == === 事項 === {{Div col|cols = 3}} * [[三井住友]] * [[国際キャッシュカードサービス]] * [[三井住友銀行カードローン]] * [[Workflow Innovation Terminal]] (WIT) * [[アットバンク]] * [[OMCカード]] * [[華麗なる一族]](前身の[[神戸銀行]]が作中に登場する阪神銀行のモデルである) * [[三洋信販]] * [[イトマン]] * [[三井グループ]] * [[住友グループ]] * [[岡崎財閥]] {{Div col end}} === 人物 === {{Div col|cols = 3}} * [[北山禎介]] * [[宮田孝一]] * [[上田孝]] * [[奥正之]] * [[宿澤広朗]] * [[堀田庄三]] * [[伊部恭之助]] * [[磯田一郎]] * [[村井勉]] * [[樋口廣太郎]] * [[巽外夫]] * [[森川敏雄]] * [[西川善文]] * [[松下武義]] * [[池田成彬]] * [[万代順四郎]] * [[米山梅吉]] * [[佐藤喜一郎]] * [[小山五郎]] * [[岡田明重]] * [[岡崎忠]] * [[石野信一]] * [[河野一之]] * [[福留朗裕]] * [[松下康雄]] * [[水島藤一郎]] * [[橋本俊作]] * [[國部毅]] {{Div col end}} == 外部リンク == * [https://www.smbc.co.jp/ 三井住友銀行 公式サイト] * {{Twitter|smbc_midosuke}} * {{facebook|smbc.jp}} * {{YouTube|c=UCMHtw3dZWwH7NXZEiLY41nQ|三井住友銀行(SMBC)公式チャンネル}} {{三井住友フィナンシャルグループ}} {{都市銀行}} {{三井グループ}} {{住友グループ}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:みついすみともきんこう}} [[Category:都市銀行]] [[Category:三井住友フィナンシャルグループ|きんこう]] [[Category:イギリスにおける外国銀行]] [[Category:三井グループ|すみともきんこう]] [[Category:住友グループ]] [[Category:千代田区の企業]] [[Category:日本の信託兼営金融機関]] [[Category:1996年設立の銀行]]
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拡張子
拡張子(、英: filename extension)とは、ファイルの種類を識別するためにファイル名の末尾につけられる文字列。 通常、ファイル名の本体と拡張子は "."(ピリオド、ドット)で区切られる。拡張子はアルファベットと数字の組み合わせで、歴史的には3文字以内が好まれたが、4文字以上や2文字以下の場合もある。拡張子は、オペレーティングシステム (OS) においてファイルの判別のために任意につけられるもので、必ずしも必須ではない。拡張子が適切でない場合は、システムまたはアプリケーションソフトウェアの動作に影響を及ぼす場合がある。 .tar.gzのように複数のピリオドで区切っているケースもあるが、最後のピリオド以降を拡張子と判断するシステムが一般的である。 Mac OSでは、OSレベルでは各ファイルに埋め込まれたクリエータとファイルタイプで識別するシステムを持っている。macOSでは拡張子も利用して動作するようになり、Mac OS X v10.4 TigerからはUniform Type Identifier (UTI) なる枠組みでデータの種類を判別するようになった。 Unix系OSではファイル名の終端でファイルの種類を表す慣習があり、一般にはsuffixと呼ぶが、必ずしもピリオドで区切るとは限らない。カンマで区切る「,v」(バージョンの差分情報などを格納するRCSファイルの末尾につけられる)や、特に区切り文字を使わずに「-」や「~」や「rc」を付けるケースもある。これはあくまでも整理上の便宜であってシステム上意味はない。ただしmakeコマンドがsuffixに基づいたルールに従って動作したり、lsコマンドが色分けして表示するようなケースはある。またデスクトップ環境であるKDE、GNOME、CDE等も拡張子に基づく動作をする。 OS以外では、MIMEタイプの設定に拡張子を利用していることなどがあげられる。Apache HTTP Serverはindex.ja.htmlとindex.html.jaの両方を「日本語(ja)のhtmlファイル」と判断する。最後尾でなくても拡張子として判断する一例である。 こうしたことから、かつては一部のシステムのみの概念だった拡張子は、現在は広い範囲で使われていることがわかる。 拡張子は、もともとはDECのオペレーティングシステム (OS) 、たとえば、TOPS-10、OS/8やRT-11に利用されていた。その後、CP/Mでも採用された。CP/Mのファイル名は8+3バイトの構成になっており、後ろの3バイトが拡張子と呼ばれた。さらにCP/Mと互換性を取るため、MS-DOSやOS/2、Windowsなどに受け継がれた。現在のWindowsでは3バイトの制限はない。 Windowsには、拡張子とアプリケーションの関連付けという機能があり、拡張子の種類によってそのファイルを処理するアプリケーションを選択することが可能である。ただし、設定次第でファイル名の拡張子を表示しないようにできるため、コンピュータウイルスなどがこれを悪用する場合がある。例えばLOVE-LETTER-FOR-YOU.TXT.vbsという名前のファイルはそのような環境ではLOVE-LETTER-FOR-YOU.TXTとのみ表示され、一見テキストファイルに見える。これをテキストファイルだと思って実行すると、実際にはVBScriptが起動し、ウイルスなどの被害に遭う。 また、一部のWindowsではUnicodeの制御文字の一つであるU+202E (RIGHT-TO-LEFT OVERRIDE) をファイル名に使用することで、拡張子を末尾以外の場所に表示させることが可能である。例えばSAMPLE-(U+202E)TXT.EXEというファイル名はSAMPLE-EXE.TXTと表示され、一見テキストファイルに見える。これをテキストファイルだと思って実行すると、実際にはEXEファイルが実行されることになり、前記同様の問題が発生する。このように、拡張子を誤読させる他要因との複合技で問題を生ずることもある。
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拡張子(かくちょうし、とは、ファイルの種類を識別するためにファイル名の末尾につけられる文字列。
{{WikipediaPage|[[Wikipedia:FAQ 画像などのファイル|記事で使うファイル]]の形式|Help:画像などのファイルのアップロードと利用#アップロード可能なファイル形式}} {{出典の明記|date=2019年10月}} {{Wikibooks}} {{読み仮名|'''拡張子'''|かくちょうし|{{lang-en-short|filename extension}}}}とは、[[ファイルフォーマット|ファイルの種類]]を識別するために[[ファイル名]]の末尾につけられる[[文字列]]。 == 概要 == 通常、ファイル名の本体と拡張子は "."([[終止符|ピリオド]]、ドット)で区切られる。拡張子は[[アルファベット]]と[[数字]]の組み合わせで、歴史的には3文字以内が好まれたが、4文字以上や2文字以下の場合もある。拡張子は、[[オペレーティングシステム]] (OS) において[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]の判別のために任意につけられるもので、必ずしも必須ではない。拡張子が適切でない場合は、システムまたは[[アプリケーションソフトウェア]]の動作に影響を及ぼす場合がある。 <code>.tar.gz</code>のように複数のピリオドで区切っているケースもあるが、最後のピリオド以降を拡張子と判断するシステムが一般的である。 [[Mac OS]]では、OSレベルでは各ファイルに埋め込まれた[[Finder#クリエータとファイルタイプ|クリエータとファイルタイプ]]で識別するシステムを持っている。[[macOS]]では拡張子も利用して動作するようになり、[[Mac OS X v10.4|Mac OS X v10.4 Tiger]]からは[[Uniform Type Identifier]] (UTI) なる枠組みでデータの種類を判別するようになった。 [[Unix系]]OSではファイル名の終端でファイルの種類を表す慣習があり、一般にはsuffixと呼ぶが、必ずしもピリオドで区切るとは限らない。カンマで区切る「<code>,v</code>」(バージョンの差分情報などを格納するRCSファイルの末尾につけられる<ref name="pro-unix">{{Cite book|和書 | author1 = 村井純 | author2 = 井上尚司 | author3 = 砂原秀樹 | title= プロフェッショナルUNIX | year=1986 | date=1986-1-15 | page= 184-185 | publisher=[[アスキー (企業)|株式会社アスキー]]|isbn = 4-87148-184-0}}</ref>)や、特に区切り文字を使わずに「<code>-</code>」や「<code>~</code>」や「<code>rc</code>」を付けるケースもある。これはあくまでも整理上の便宜であってシステム上意味はない。ただしmakeコマンドがsuffixに基づいたルールに従って動作したり、lsコマンドが色分けして表示するようなケースはある。また[[デスクトップ環境]]である[[KDE]]、[[GNOME]]、[[Common Desktop Environment|CDE]]等も拡張子に基づく動作をする。 OS以外では、[[メディアタイプ|MIMEタイプ]]の設定に拡張子を利用していることなどがあげられる。[[Apache HTTP Server]]は<code>index.ja.html</code>と<code>index.html.ja</code>の両方を「日本語(ja)のhtmlファイル」と判断する。最後尾でなくても拡張子として判断する一例である。 こうしたことから、かつては一部のシステムのみの概念だった拡張子は、現在は広い範囲で使われていることがわかる。 == 拡張子の由来 == 拡張子は、もともとは[[ディジタル・イクイップメント・コーポレーション|DEC]]のオペレーティングシステム (OS) 、たとえば、TOPS-10、OS/8やRT-11に利用されていた。その後、[[CP/M]]でも採用された。CP/Mのファイル名は[[8.3形式|8+3バイトの構成]]になっており、後ろの3バイトが拡張子と呼ばれた。さらにCP/Mと互換性を取るため、[[MS-DOS]]や[[OS/2]]、[[Microsoft Windows|Windows]]などに受け継がれた。現在のWindowsでは3バイトの制限はない。 == 拡張子の一例 == {{Main|ファイルフォーマット一覧}} ; bmp : [[Windowsビットマップ]]。Windowsの標準的な静止画像ファイル。 ; wav : [[WAV|WAVE]]。Windowsの標準的な音声ファイル。 ; avi : [[Audio Video Interleave]]。主にWindowsで使われる動画ファイル。 ; txt : 一般的な[[テキストファイル]]。 ; zip : [[ZIP (ファイルフォーマット)|ZIPファイルフォーマット]]。[[データ圧縮]]や[[アーカイブ (コンピュータ)|アーカイブ]]目的で使用される。 ; pdf : [[Portable Document Format|PDF]]。[[アドビ]]が開発した[[文書ファイルフォーマット]]。 == 拡張子が引き起こすセキュリティ上の問題== [[Microsoft Windows|Windows]]には、拡張子と[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]の関連付けという機能があり、拡張子の種類によってそのファイルを処理するアプリケーションを選択することが可能である。ただし、設定次第でファイル名の拡張子を表示しないようにできるため、[[コンピュータウイルス]]などがこれを悪用する場合がある。例えば''LOVE-LETTER-FOR-YOU.TXT.'''vbs'''''という名前のファイルはそのような環境では''LOVE-LETTER-FOR-YOU.TXT''とのみ表示され、一見[[テキストファイル]]に見える。これをテキストファイルだと思って実行すると、実際には[[VBScript]]が起動し、ウイルスなどの被害に遭う。 また、一部のWindowsでは[[Unicode]]の制御文字の一つであるU+202E (RIGHT-TO-LEFT OVERRIDE) をファイル名に使用することで、拡張子を末尾以外の場所に表示させることが可能である。例えば''SAMPLE-(U+202E)TXT.'''''EXE'''というファイル名は''SAMPLE-'''''EXE'''''.TXT''と表示され、一見テキストファイルに見える。これをテキストファイルだと思って実行すると、実際にはEXEファイルが実行されることになり、前記同様の問題が発生する。このように、拡張子を誤読させる他要因との複合技で問題を生ずることもある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wikidata property}} * [[Multipurpose Internet Mail Extensions]] (MIME) ** [[メディアタイプ]] * [[マジックナンバー (フォーマット識別子)]] == 外部リンク == * [https://www.ccfa.info/ CCfA.info] * [https://www.filehelp.jp/extensions FileHelp - ファイル拡張子] * [http://www.file-extension.org/ja File-Extension.org] * [https://www.file-extension.info/ja File Extension] * [http://dotwhat.net/ DotWhat?]{{en icon}} {{ファイル (コンピュータ)}} {{Windows Components}} {{DEFAULTSORT:かくちようし}} [[Category:OSのファイルシステム]] [[Category:ファイルフォーマット]] [[Category:ファイル (コンピュータ)]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%A1%E5%BC%B5%E5%AD%90
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ステンレス鋼
ステンレス鋼(ステンレスこう、英: stainless steel)とは、鉄に一定量以上のクロムを含ませた腐食に対する耐性を持つ合金鋼である。規格などでは、クロム含有量が 10.5 %(質量パーセント濃度)以上、炭素含有量が 1.2 % 以下の鋼と定義される。単にステンレスとも呼ばれ、かつては不銹鋼(ふしゅうこう)と呼ばれていた。1910年代前半ごろに発明・実用化された。 ステンレス鋼の腐食に対する耐性(耐食性)の源は含有されているクロムで、このクロムによって不働態皮膜と呼ばれる数ナノメートルの極めて薄い皮膜が表面に形成されて、金属素地が腐食から保護されている。不働態皮膜は傷ついても一般的な環境であればすぐに回復し、一般的な普通鋼であれば錆びるような環境でもステンレス鋼が錆びることはない。ただし、万能な耐食性を持つわけではなく、特に孔食、すきま腐食、応力腐食割れといった局部的な腐食は問題となり得る。特に塩化物イオン環境には注意を要する。また、ステンレス鋼は高温腐食に対しても耐性が高く、耐熱鋼としても位置づけられる。 一口にステンレス鋼と言っても、実際には多様なステンレス鋼の種類が存在しており、耐食性がより高い鋼種、高強度な鋼種、磁性を持つ鋼種、非磁性(常磁性)の鋼種、極低温でも脆化しない鋼種などがある。特に主要金属組織をもとにして「オーステナイト系ステンレス鋼」「フェライト系ステンレス鋼」「マルテンサイト系ステンレス鋼」「オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼」「析出硬化系ステンレス鋼」の5つで大別されている。クロム以外にも、ニッケルを筆頭に、特性向上のために様々な元素が添加される。 ステンレス鋼の製造上は、炭素の効率的な除去が特に重要なポイントとなる。成形、溶接、切削といった加工上も、普通鋼とはいくらか異なる面がある。日用品から産業用に至る幅広い分野でステンレス鋼が使われており、耐食性により金属素地を露出して利用可能なため、意匠的な利用も多い。 ステンレス鋼とは、鉄にクロムが一定量以上添加された錆びにくい合金の一種といえる。鉄鋼材料の中では、高合金鋼または特殊鋼に位置づけられる。後述のように、含まれるクロムがステンレス鋼の耐食性の主たる源で、現在の国際的な定義では、ステンレス鋼は「クロム含有量が 10.5 % 以上、炭素含有量が 1.2 % 以下の合金鋼」と定められている。 このステンレス鋼の定義は、国際統一のために1988年に世界税関機構によって導入され、現在に至っている。国際標準規格 (ISO) や 日本産業規格 (JIS) でも、同様の定義が現在では採用されている。以前は、クロム含有量が約 12 %以上で十分な耐食性が発揮されると認識されており、ステンレス鋼に必要なクロムの最低含有量は約 13 % や約 12 % などとされていた。技術の向上によって炭素、窒素、硫黄などの耐食性を低下させる元素の含有を減らせるようになったため、定義上のクロムの最低含有量が 10.5 % で十分となった。 「ステンレス鋼」という名は、英語の名称 "stainless steel" の音訳に由来する。stainless steel という名は、ステンレス鋼を最初に実用化した一人であるイギリスのハリー・ブレアリーによって、より正確には、ブレアリーの鋼の耐食性を確認した刃物技師のアーネスト・スチュアートによって名付けられた。1914年にスチュアートがブレアリーが開発した鋼を「より変色しにくい (stains less)」と評した記録が残っており、それがステンレス鋼に対して「ステンレス」という言葉が使われた最初だと推定される。 日本語では、かつては「不銹鋼(ふしゅうこう)」という名でも呼ばれていた。現在では、短く「ステンレス」と呼ぶことも多い。業界用語として、さらに省略して「ステン」と呼んだり、ステンレス鋼のJISの材料記号がSUSであることから「サス」と呼んだりもする。 ステンレス鋼が発明、実用化されたのは、20世紀初頭の1910年代のことである。18世紀に元素としてのクロムが発見され、19世紀中にステンレス鋼発明につながる多くの重要な基礎研究成果があり、それらをもとにステンレス鋼の発明が達成できたといえる。1900年代には、フランスのレオン・ギレやドイツのフィリップ・モンナルツが鉄・クロム合金についての特筆すべき学術的成果をまとめ、ステンレス鋼発明の土台が整いつつあった。 後述のように、ステンレス鋼は金属組織別に大きく5つに分類される。1912年、オーステナイト系ステンレス鋼がドイツのベンノ・シュトラウス(ドイツ語版)とエドゥアルト・マウラー(ドイツ語版)によって発明された。そして1913年、マルテンサイト系ステンレス鋼が、上述のイギリスのハリー・ブレアリーによって発明された。フェライト系ステンレス鋼もこの頃に発明されたが、フェライト系ステンレス鋼の場合は誰を発明者とするかは決め難い。フランスのアルバート・ポートヴァン(ドイツ語版)、米国のクリスチャン・ダンチゼン、米国のエルウッド・ヘインズ(英語版)などがフェライト系ステンレス鋼の発明者として挙げられる。以上のようにステンレス鋼には多くの発見者・発明者が居たが、ステンレス鋼の発明者として一人を挙げるときにはハリー・ブレアリーの名を挙げることが多い。 実用化後から、ステンレス鋼は耐食性およびその他特性を活かして、産業用から家庭用まで様々な用途で需要を伸ばしてきた。新たな機能・特性を持った鋼種の開発が行われ、ステンレス鋼の種類も豊富に増えていった。オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼は1930年代に、析出硬化系ステンレス鋼は1940年代に実用化された。同時に、ステンレス鋼の量産化と生産技術の向上も進められてきた。特に、1940年代の酸素脱炭法のステンレス鋼製造への適用、さらに1960年代後半のVOD法とAOD法の発明は、ステンレス鋼の生産性・品質を大きく向上し、製造コストを低下させた。1950年から2019年までの統計によれば、ステンレス鋼の全世界生産量は平均 5.8 % で増加を続けてきた。近年でも、製造法の改良や開発、耐食性・強度・加工性を改良あるいは兼備した鋼種の開発、省エネや省資源化を目指した鋼種の開発などが続けられている。 ステンレス鋼に添加される合金元素は、定義のようにクロムを必須とする。さらに、各種特性向上のためにニッケル、モリブデン、銅、ケイ素、窒素、アルミニウムなどの他の元素も添加される。また、リンや硫黄は場合によっては有効な含有物だが、基本的に有害な不純物元素であり、普通はこれらは製造上できるだけ取り除かれる。炭素は、ステンレス鋼の耐食性を落とす不純物であるが、一方で、強度向上に寄与する有用な元素でもある。一部の種類を除いて、ステンレス鋼は0.01桁%–0.001桁%といった低い炭素含有量となるよう製造されている。 ステンレス鋼の金属組織をミクロに観察すると、金属組織を主に占めている相の種類には、体心立方構造のフェライト、体心正方構造のマルテンサイト、面心立方構造のオーステナイトの3つが存在する。こういった合金の金属組織は、含有する化学成分の種類と濃度(組成)、加熱・冷却・一定温度保持などの材料が受けた熱履歴、および加工履歴などによって決まる。フェライト、マルテンサイト、オーステナイトは結晶構造がそれぞれ異なっており、結晶構造の違いがステンレス鋼の材料特性の違いとなって現れる。特に物理的性質と機械的性質が、金属組織の種類によって変化する。 フェライト、マルテンサイト、オーステナイトという3つの相は鋼全般で存在する相だが、鉄・炭素の2つから成る単純な鋼では、オーステナイトは高温のみで現れる相であり、常温で組織がオーステナイトになることは普通はない。常温でオーステナイトを主要な相とする鋼種があることは、ステンレス鋼の特徴の一つといえる。 ステンレス鋼の基礎となるのが、鉄・クロム系の状態図である。2成分系合金の状態図とは、縦軸に温度を取り、横軸に2つの元素の質量比を取り、温度と質量比によって決まる熱力学的平衡状態の金属組織を示す図である。鉄・クロム系2元状態図によると、クロム濃度 0 % のとき約 900–1400 °C の範囲で組織はオーステナイトとなる。クロム濃度を 0 % から増やすと、オーステナイトが存在する温度域は狭くなっていき、ついにはオーステナイトは存在しなくなり、組織は融点までフェライト単相となる。このように、濃度を増やすとフェライトが生成する方に寄与する元素を「フェライト生成元素」「フェライト形成元素」「フェライト安定化元素」などと呼ぶ。クロムの他にも、フェライト形成元素にはモリブデン、チタン、ニオブ、ケイ素などがある。 一方、鉄・クロム系2元状態図上では、高温でクロム濃度が低い範囲まではオーステナイトが存在する。この高温域にあるオーステナイト(γ)の存在領域を「γ ループ」などと呼ぶ。鉄・クロム系に炭素もわずかに加わったような場合を想定すると、γ ループより低い温度では、オーステナイトは共析反応でフェライトと炭化物へと分解される。しかし、γ ループから組織を急冷した場合、組織はマルテンサイトに変わる。すなわち、急冷によって共析変態が阻止されてマルテンサイト変態が代わりに起こる。生成されたマルテンサイトには炭素が過飽和に固溶されており、組織中に転位が高密度に存在した状態となる。これによって、マルテンサイトは高い強度と硬度を持つ組織となる。 フェライト生成元素とは逆に、濃度を増やすとオーステナイトが生成する方に寄与する元素を「オーステナイト生成元素」「オーステナイト形成元素」「オーステナイト安定化元素」などと呼ぶ。ステンレス鋼に加えられるオーステナイト生成元素の代表例がニッケルである。鉄・ニッケル2元系の状態図を見ると、ニッケル濃度が高いほどオーステナイトの領域が広がっていく。鉄・クロム・ニッケルの3元系で考えると、γ ループの領域が大きくなっておく。このようなオーステナイト生成元素を利用し、ステンレス鋼の特定の種類では常温でもオーステナイト組織のままとすることができる。オーステナイトの組織は、高い延性、非磁性などの特徴を持つ。ニッケルの他には、炭素、窒素、コバルト、マンガン、銅などがオーステナイト生成元素である。 以上のようなフェライト生成元素とオーステナイト生成元素の量が、ステンレス鋼の組織を主に決めている。フェライト生成元素とオーステナイト生成元素の量から決まる主要相を図示したのがシェフラーの組織図(ドイツ語版)である。これは、横軸をクロム当量(フェライト生成元素)、縦軸をニッケル当量(オーステナイト生成元素)として組成と組織の関係を示したもので、クロム当量 (Creq) とニッケル当量 (Nieq) とは、 のような形で、クロムのフェライト生成能あるいはニッケルのオーステナイト生成能と同じになるように重み付けし、各々の元素含有量を足し合わせたものである。ここで、%X で元素 X の質量パーセント濃度を意味する。シェフラーの組織図は、元々は溶接時の溶着金属の組織に対するものだったが、組成からステンレス鋼の相を予測するのに実用上も有効である。当量からステンレス鋼の組織を予測する手法については、シェフラーの組織図以外にも様々な手法が提案されている。 ステンレス鋼には、現在では多くの種類が存在している。用途・目的に応じて、適当な鋼種を選択することが重要である。大別分類としては、主要成分別と金属組織別がある。さらに細かくは、規格で分類・指定されている。 ステンレス鋼に含まれる合金元素としてはクロムが欠かせない。さらに、ニッケルを主要合金元素として含むステンレス鋼も主流である。主要な合金元素がクロムのみであるステンレス鋼、主要な合金元素がクロムとニッケルのステンレス鋼、これら2つを という。クロム系ステンレス鋼とクロム・ニッケル系ステンレス鋼の2種類が、主要成分による大別分類として定着している。 ただし、主要合金元素の組み合わせとしては、クロム系とクロム・ニッケル系以外もあり得る。かつて日本産業規格にあった SUS200 番台のステンレス鋼などはニッケルを減らしてマンガンも主要成分としているので、Cr-Ni-Mn系のステンレス鋼といわれる。ステンレス鋼の主要成分は金属組織の決定に直結し、後述の組織別分類にも関わってくる。 前記のように、金属組織の状態は材料特性に特に影響する。そのため、金属組織別にステンレス鋼を大別するのが学問的にも順当で、材料特性を理解しやすい。常温における金属組織によって大別すると、ステンレス鋼は以下の5つに分類される。 この中で析出硬化系ステンレス鋼は主要な相ではなく組織の析出硬化の有無による分類なので、その母相にもとづき「マルテンサイト系析出硬化型ステンレス鋼」「オーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」のようにさらに細分もされる。 以下、特に断りがない限り、「マルテンサイト系」「フェライト系」「オーステナイト系」「オーステナイト・フェライト系」「析出硬化系」という表記は上記の5種類を指す。 マルテンサイト系ステンレス鋼とは、常温でマルテンサイトを主要な組織とするステンレス鋼である。高温ではオーステナイト単一組織、またはフェライトが少し混じったオーステナイト組織で、その状態から急冷して焼入れを行うことによってマルテンサイト変態を起こしてマルテンサイト組織にする。焼入れ後は、残留応力の除去や靭性の回復を行うために通常焼戻しを行う。 マルテンサイト系のクロム含有量は一般的に 11 % から 18 % 程度で、クロム系ステンレス鋼の一種に分類される。また、他のステンレス鋼と異なり炭素を積極的に含むのがマルテンサイト系の特徴で、0.15 % から最大 1.2 % の炭素がマルテンサイト系に含有される。ステンレス鋼の中では、クロム含有量が比較的少なく炭素含有量が比較的多いという組成となっている。「13Cr鋼」や「13クロムステンレス」など呼ばれるクロム量約 13 % の鋼種が、マルテンサイト系の代表的な鋼種である。焼入れではなく完全焼なましを施した場合のマルテンサイト系の組織は、炭化物を多く含むフェライト組織となる。 フェライト系ステンレス鋼とは、常温でフェライトを主要な組織とするステンレス鋼である。高温ではフェライト単一組織またはオーステナイトが少し混じったフェライト組織で、焼入れ処理をしても相変態が起きない。 フェライト系のクロム量にはおよそ 12 % から 30 % 程度までの種類がある。マルテンサイト系と同じくニッケルを主要合金元素として含まず、クロム系ステンレス鋼に分類される。「18%Cr鋼」や「18クロムステンレス」など呼ばれるクロム量約 18 % の鋼種が、フェライト系の代表的な鋼種である。特に、炭素および窒素の含有量を 0.03 % 以下のような極低量まで低減し、さらにチタンやニオブなどの炭化物安定化元素を添加し、性能を高めたフェライト系鋼種は「高純度フェライト系ステンレス鋼」と呼ばれる。 オーステナイト系ステンレス鋼とは、常温でオーステナイトを主要な組織とするステンレス鋼である。上記で述べたとおり、通常は常温ではオーステナイトは残存しないが、オーステナイト生成元素を添加することでオーステナイトが安定化して常温で存在可能になる。通常、高温で材料全体をオーステナイト化・合金元素を十分に固溶させ、急冷して完全なオーステナイト組織にする。 オーステナイト系は、主要合金元素としてクロムとニッケルを含むクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種である。「18-8(じゅうはちはち)ステンレス」など呼ばれるクロム約 18 % ・ニッケル約 8 % の鋼種が、オーステナイト系の代表的な鋼種である。オーステナイト系はステンレス鋼全体の中でもっとも広く使われている鋼種で、使用量も種類も多い。 オーステナイト系は常温でも主要組織をオーステナイトとするが、添加される合金元素組成によって存在するオーステナイトの安定度が異なる。オーステナイト安定度が低い場合は、塑性加工が施されたり、低温下に置かれたりすると、一部のオーステナイトがマルテンサイトに変態する。このような鋼種は「準安定オーステナイト系ステンレス鋼」と呼ばれる。一方、オーステナイト安定度が高い場合は加工などを施しても相変態が起きず、このような鋼種を「安定オーステナイト系ステンレス鋼」と呼ぶ。 オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼とは、常温でオーステナイトとフェライトの両方が並存する組織のステンレス鋼である。2つの相から成るので「二相ステンレス鋼」などとも呼ばれる。実際のフェライト・オーステナイトの割合は成分と熱履歴によって変わるが、一般的には、それぞれの存在割合がおおよそ同じとなるように製造する。 オーステナイト生成元素とフェライト生成元素の調整によって、オーステナイトとフェライトを並存させる。例えば、ニッケルを 8 % 含むものがクロムを 22 % 以上含むようになると、常温で二相組織を得ることができるようになる。オーステナイト系と同じくニッケルも主要合金元素として含むため、オーステナイト・フェライト系はクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種に分類される。オーステナイト・フェライト系の代表的鋼種の場合で、クロム約 25 %、ニッケル約 4.5 %、モリブデン約 2 % を主要合金元素とする。 析出硬化系ステンレス鋼とは、銅やアルミニウムといった元素を添加して母相に析出させ、析出硬化と呼ばれる材質の硬化現象を起こして用いるステンレス鋼である。一般的に使われている析出硬化系の母相の種類は、オーステナイトとマルテンサイトの2つである。硬化を起こす微細な析出物を母相中に分散・現出させて、析出硬化を起こす。析出物自体は、光学顕微鏡では視認できず、電子顕微鏡などを使って確認できるレベルの大きさである。 ニッケルも主要合金元素として含むため、析出硬化系はクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種に分類される。析出硬化系の代表例が「17-4PH」と呼ばれるマルテンサイトを母相とする鋼種で、クロム約 17 %、ニッケル約 4 % を含み、析出硬化性元素として銅約 4 % を含む。析出硬化系は母相の種類・性質に応じて細分され、「マルテンサイト系析出硬化型ステンレス鋼」「セミオーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」「オーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」の3つが一般的である。 ステンレス鋼の種類は、世界各国の国家規格や団体規格、および国際規格で規定されている。2010年版のISO規格では全191種のステンレス鋼が規定されており、その内、オーステナイト系が98種、フェライト系が34種、マルテンサイト系が33種、オーステナイト・フェライト系が15種、析出硬化系が11種となっている。こういった規格で、化学組成の指定のほか、機械的性質、耐食性などの品質要求が、各鋼種に対して定められている。 ステンレス鋼の規格分類を最初期に規定したのはアメリカ鉄鋼協会(英語版)(AISI)で、3桁の数字と末尾の記号でステンレス鋼の種類を体系付けした。マルテンサイト系とフェライト系には400台を、オーステナイト系には300台を割り当てている。もっとも使用されている18-8ステンレスには「304」という記号が割り当てられている。AISI規格の命名体系はアメリカのみならず世界各国でも採用され、カナダ、メキシコ、日本、韓国、イギリス、ブラジル、オーストラリアなどがAISI規格体系を基にした国家規格を制定している。一方で、国際規格であるISO規格や欧州統一規格であるEN規格は、ドイツのDIN規格の命名体系を採用している。アメリカではAISIは鋼種の規格活動を1960年代に終了しており、アメリカ国内では、AISI規格はアメリカ試験材料協会やアメリカ自動車技術者協会の規格に採用された形で残っている。さらに、金属・合金コードの統一を目指すユニファイド・ナンバリング・システム(英語版)(UNS)でもステンレス鋼についてはAISI規格体系をベースにしている。 18-8ステンレス鋼(JIS SUS304 と同等の鋼種)を例にして、主な規格の材料記号を下記の表に示す。この内、イギリス、ドイツ、フランスなどの規格は、現在ではEN規格に統合されている。 JISを例にすると、ステンレス鋼の指定は以下のような具合である。まず、頭に大まかな分類記号が付く。「SUS」がステンレス鋼材全般(棒材、線材、管材、板材、帯材、形鋼など)を意味しており、他には鋳鋼品を意味する「SCS」や、溶接用ワイヤを意味する「SUSY」などがある。次に、鋼種を指定する記号が続く。これはAISI規格に由来する3桁の数字から成り、さらに意味づけされたアルファベットが数字の後に続くこともある。「SUS304L」であれば SUS304 をより低炭素にした鋼種を意味する。鋳鋼については独自の体系で整理されている。 このような具合に決められた一連の記号によって、満たすべき化学組成および機械的性質の範囲などが指定される。さらに必要であれば、製品形状を示す記号を末尾に付ける。「SUS304-B」であれば SUS304 の棒材を意味し、「SUS304-HS」であれば SUS304 の熱間圧延帯材を意味する。 ステンレス鋼の耐食性は、化学組成、組織の状態、熱履歴によって変動する。優れた耐食性を持ち、「さびない材料」のイメージを一般に持たれるステンレス鋼だが、実際の耐食性は鋼種によって幅広い。海水でも錆びない高耐食なものから、野外に放置すると数日で錆び出すものまで存在する。 特に、耐食性の度合いの決定には化学組成の影響が大きく、各々のステンレス鋼の実際の耐食性は主に化学組成によって決まるといえる。ステンレス鋼の耐食性を向上させるには、有効な合金元素の添加と不純物となる元素の減少が有効である。 主要組織別の分類でいえば、オーステナイト系の耐食性が優れ、マルテンサイト系の耐食性は悪いと、大まかに評される。ただし、このように主要組織別分類で耐食性を大まかに評価できるのは、主要組織が化学組成と熱履歴によって決まっているからである。マルテンサイト系の例でいえば、マルテンサイト系はマルテンサイト組織を得るために、耐食性に有効なクロムを増やすことと耐食性上は不純物となる炭素を減らすことが両立しない。結果的に、マルテンサイト系の耐食性は他のステンレス鋼よりも一般的に劣る。 ステンレス鋼が関わる腐食には、大きく分けて「湿食」と「乾食」という2つの形態がある。湿食は水溶液腐食とも呼ばれ、水溶液の作用で起こる腐食である。乾食は気体腐食とも呼ばれ、高温の気体の作用で起こる腐食である。湿食は典型的な腐食現象で、地球上の金属の腐食のほとんどが湿食で起きている。 炭素鋼が中性の水に浸されると、すぐに錆びが発生し、腐食が進む。一般的に、電気化学的な見地から、腐食はアノード反応とカソード反応の組み合わせによる化学反応と理解される。酸素が溶存する中性の水に炭素鋼が触れると、局所的に以下のアノード反応とカソード反応が起きる。 このように、アノード反応域の鉄が Feイオンとして溶け出ることで、通常は腐食が進む。 一方、ステンレス鋼を同種の環境においても一般に腐食することはない。ステンレス鋼の表面には「不働態皮膜」と呼ばれる特殊な皮膜が形成されており、金属がイオンとなって溶け出て行く上記の反応をこの皮膜が防いでいる。不働態皮膜は化学的に安定かつ緻密に表面を覆っており、仮にステンレス鋼表面が傷つき皮膜が破壊されたとしても、通常は瞬時に新たな不働態皮膜が破壊面で生じる。このように、熱力学的には腐食した状態の方が安定な化学組成であるにもかかわらず、不動態皮膜の存在によって腐食が著しく遅くなり、実質的に腐食しなくなることを「不働態化」と呼ぶ。また、この状態や構造を「不働態」と呼ぶ。特殊な環境であれば、不働態化は普通の鉄でも起きる。例えば、普通の鉄は一定以上の濃度の硝酸水溶液において不働態化して、溶解反応が停止する。ステンレス鋼が普通の鉄と異なる点は、不働態化がより一般的な環境でも起きるということである。これが、ステンレス鋼が高い耐食性を示す理由である。 不働態化の様子は、金属の「アノード分極曲線」から読み取ることができる。アノード分極曲線とは、ある電解質溶液に対象の金属を電極(アノード; 陽極または負極)として浸したときに電極へ流れる電流密度を電極電圧の関数として表した曲線であり、この電流密度の大きさは対象金属の腐食速度と等価である。アノード(対象金属)の電圧を平衡電位から上げていくと、電流密度も上昇していく。アノードが不働態化を起こす金属である場合、ある電位に達した時点で電流密度が頭打ちになり、その電位以上の電圧をかけると電流密度は逆に急激に下がりはじめ、やがて電流密度は低い一定値を示すようになる。この電流密度の低い状態が不働態である。不働態となる直前の電流密度の最高値を「臨界不働態化電流密度」、このときの電位を「不働態化電位」と呼び、また、不働態化した後の低い電流密度値は「不働態維持電流」と呼ばれる。不働態となった後に、さらに電位を上昇させると、ある電位以上で電流密度が再度増える。これは、高すぎる電位に不働態皮膜が溶解してしまい、アノードの表面が活性な状態に戻るためである。 この臨界不働態化電流密度は、金属の不働態化を検討するうえで重要な特性値である。一般に、金属が不働態化するには、臨界不働態化電流密度以上の電流が、対になるカソード反応によって供給される必要がある。カソード反応に対する「カソード分極曲線」も、アノード分極曲線とほぼ同様に測定して得ることができ、カソード分極曲線は対象の環境によって定まる。不働態化が起こるには、不働態化電位に至るまでカソード分極曲線がアノード分極曲線を常に上回り続けて、不働態域まで自発的に電位が上がった平衡状態になる必要がある。よって、臨界不働態化電流密度が低い金属ほど、不働態化しやすい。鉄にクロムを添加すると、クロム含有量の増加にともなって臨界不働態化電流密度と不働態化電位が低くなり、不働態域も広がることが知られている。すなわち、クロムの添加により、あまり酸化性が強くない環境でも不働態化しやすくなる。さらに、クロムの添加により不働態維持電流も小さくなり、不働態はより安定する。これらのクロムの効果でステンレス鋼は耐食性を発揮しており、これがステンレス鋼の定義においてクロムの一定以上の含有を必須事項としている理由である。鉄に添加して有効な不働態皮膜を発生させることができるクロム以外の元素は、現在までのところ見つかっていない。 ステンレス鋼が作る不働態皮膜の詳細は現在も様々な手段による解析が行われており、まだ正確には解明できていない面もある。不働態皮膜の厚さは、組成や環境にもよるが、1–3 nm ないし 1–5 nm と極めて薄い。そのため、不働態皮膜の有無は肉眼では分からない。 ステンレス鋼の不働態皮膜の構造は2層構造となっており、外層側が水酸化物、内層側が酸化物で構成されている。内層酸化物では3価のクロムイオン (Cr) が濃縮されており、ステンレス鋼の素地と皮膜は、酸化物イオン (OH) を介して結合していると考えられている。この内層酸化物が、不動態皮膜の耐食性を主に生み出していると考えられている。解析結果からの一例だが、水和オキシ水酸化クロム (Cr-O-OH-H2O) と呼ばれる錯化合物が主体として皮膜を構成しているというモデルが考えられている。また、不動態皮膜は非化学量論的化合物であり、明確な結晶構造を持たないものとみられている。クロムの量が多いほど、非晶質的な性質をより示す。 ステンレス鋼が弾性変形しても、不働態皮膜もそれによく追従して破壊されることはない。上記でも述べたとおり、もしステンレス鋼表面が傷ついて皮膜が機械的に破壊されても、瞬時に再生する性質を持つ。また、ステンレス鋼の不働態皮膜は半導体型のバンド構造を有し、クロム 20 % 程度までではn型半導体、それ以上ではp型半導体となることも分かっている。 鉄とクロムの2元合金に対して、さらにニッケルやモリブデンなどの他の元素を加わえても、耐食性向上の効果がある。ニッケルは臨界不働態化電流密度と不働態維持電流を小さくし、モリブデンも臨界不働態化電流密度を小さくすることが知られている。しかし、いずれの元素も不働態化電位は高くしてしまう。モリブデンは不働態皮膜中には存在しないとされるが、不働態皮膜の再生を助ける働きをすると考えられている。 腐食の形態を進行範囲の大きさで分けると「全面腐食」と「局部腐食」の2つに分かれる。全面腐食は、表面全体がおおむね均一に腐食して失われていく形態で、局部腐食は、材料の一部分で腐食が局部的に進行する形態である。ステンレス鋼は、その不働態化能力によって全面腐食に対しては比較的強い。ステンレス鋼の腐食による事故・事例の中では、全面腐食によるものの割合は少ない。全面腐食は発生の予測がしやすいため、腐食現象の中では危険性が小さい方である。 ステンレス鋼の全面腐食は、表面が不働態化できず、全面が活性状態となる環境で起きる。アノード分極曲線上でいえば、不働態に移る前の電位に比例して電流が急増していく領域のことを「活性帯」といい、この活性帯で全面腐食が起きる。一度不働態になった金属に対して酸化剤の pH が下がっていくと、あるところの pH 以下で不働態を維持できなくなる。この pH の値を「脱不働態化pH」といい、SUS304 の場合で 2 前後である。ステンレス鋼の全面腐食は、一般的に pH = 2 以下の酸環境で起きる。脱不働態化pH をさらに下げるには、クロム、モリブデン、ニッケルの添加が有効である。主な酸に対する大まかな全面腐食耐食性の傾向を以下に示す。 ステンレス鋼の塩酸に対する耐性は、表にも示すように乏しい。塩酸はステンレス鋼を不働態化させるほど十分な酸化力がなく、全面腐食を引き起こす。ステンレス鋼がもっとも苦手とする環境が塩酸だといえる。希塩酸に対して使われる場合もあるが、塩酸濃度が低い場合でも後述の孔食や応力腐食割れの可能性がある。 硫酸に対しては、中濃度では全面腐食が起きる。十分な高濃度または低濃度の硫酸に対してのみ、ステンレス鋼の使用が許容される。高温化した硫酸に対しても全面腐食が起きる可能性があり、0.5 % 硫酸でも温度が 100 °C で腐食が進む。硝酸については、中濃度およびそれ以下であればステンレス鋼は良好な耐食性を持つ。一方で、高濃度や高温度の硝酸に対しては大きな腐食が起きる。代表的な有機酸である酢酸に対しては、沸点温度になると腐食しないために高耐食ステンレス鋼が必要となる。ただし、実際の酢酸には不純物や共存成分が混じり、それらが腐食を促進する。 アルカリ性環境については、希薄なアルカリ水溶液に対しては不働態化して良好な耐食性を示す。ステンレス鋼で実際に問題となるのは苛性ソーダによる腐食である。苛性ソーダに対してはニッケルが有効で、ニッケル含有量が多いほど耐食性が向上する。クロム・ニッケル系ステンレス鋼の SUS304 の場合で、濃度 50 % 以下、温度 80 °C 以下であれば腐食に耐え、それ以上の条件になると全面腐食が進む。 ステンレス鋼の場合、全面腐食よりも、材料中の一部分で腐食が進む局部腐食の方が実用上の問題となることが多い。特にステンレス鋼で問題となる局部腐食は「孔食」「すきま腐食」「粒界腐食」「応力腐食割れ」などがある。 孔食とは、全体的には腐食が進んでいない状況にもかかわらず材料中の一部分が穴状に浸食する形態の腐食である。具体的な破壊モデルは種々提案されているが、不働態皮膜が電気化学的あるいは機械的に局所的に破壊されると、そこから孔食が発生する。ハロゲンイオンを含む水溶液環境中で孔食は起こりやすく、特にステンレス鋼の場合は塩化物イオン(Cl)を含む水溶液中で孔食が起こりやすい。外部との液交換が難しいピット(孔)中では、ピット中の溶存酸素が消費されて、ピット中は溶解金属イオンが過剰な状態となる。電気的中性を保つために、外部の Cl が電気泳動でピット中に引き寄せられ、ピット内で金属塩化物ができる。金属塩化物はすぐに加水分解して、ピット内部の pH はさらに低下し、ピット内部で腐食が進む。塩化物イオンの場合はこのような機構によって孔食が進むと考えられている。 孔食に対するの耐食性向上には、クロム、モリブデン、窒素、ケイ素、タングステン、レニウムなど添加が有効である。特に、クロムとモリブデンが耐孔食性向上の元素として挙げられる。合金元素量から耐孔食性の指標を計算するものとして、耐孔食指数 (Pitting Resistance Equivalent Number, PREN または Pitting Resistance Equivalent, PRE) が知られている。よく使われる PREN の式は と表される。窒素(N)の影響力を意味する係数 n の値は研究者によって異なり、n = 16 がよく使われる。ただし、オーステナイト系には n = 30 の方がより適当ともいわれる。フェライト系の場合は n = 0 で計算する。PREN が40以上の鋼種を「スーパーステンレス鋼」と呼ぶ。 また、ステンレス鋼中の非金属介在物は、孔食発生の核となり、有害であることが知られる。特に硫化マンガン(II) (MnS) の介在物が有害である。このため、組成の制御や表面処理による MnS の除去が耐食性改善に有効である。使用上の対策としては、できるだけ Cl 濃度および温度が低い環境で使用することが望ましい。日常生活の例でいえば、台所周りでステンレス鋼に付着した塩や醤油などを放置すると、孔食が発生・進行する恐れがある。 すきま腐食とは、だいたい 0.01 mm 程度の微小なすきまで起こる腐食で、すきま内部で局所的な腐食が進む。ステンレス鋼表面に付着した異物の下から、あるいはボルト・ナット締結部やフランジ継手のような構造上のすきま部から、すきま腐食が起きる。 すきま腐食では閉鎖環境として機能するすきまが最初から存在する点が孔食と異なるが、すきま腐食の腐食進行機構は孔食と本質的には同じである。対策も同様に、クロムやモリブデンの合金元素添加、低 Cl 濃度環境での使用が有効である。また、構造上のすきまができるだけないように配慮することも必要である。 粒界腐食とは、多結晶体中の個々の結晶の境目である結晶粒界で局部的に腐食が進む現象である。ステンレス鋼の粒界腐食は、粒界付近にクロムが欠乏した領域が存在することによって起きる。粒界では、結晶粒内と比較して析出が進行しやすい。また、炭素はクロムと結合しやすい性質を持っている。そのため、ステンレス鋼が高温に加熱されると、ステンレス鋼中の炭素とクロムが結合して粒界でクロム炭化物 (Cr23C6) ができる。生成したクロム炭化物の周辺ではステンレス鋼中のクロムは欠乏する。クロム欠乏帯では 10 % を下回るような低クロム濃度になっており、耐食性が乏しく、そのため粒界腐食が起きる。粒界腐食がひどく進行すると結晶粒の脱落が起き、強度にも悪影響を及ぼし得る。 クロム欠乏帯の発生のように、粒界腐食が起きやすい材質になることを「鋭敏化」という。オーステナイト系の場合、およそ 400 °C から 800 °C の温度域でクロム欠乏帯による鋭敏化が起きる可能性がある。この温度域で短時間でも保持されるとクロム炭化物が析出するため、この温度域を徐冷でゆっくり通過しても鋭敏化の可能性がある。一方で、フェライト系では約 900 °C 以上からの急冷で鋭敏化が起こる。オーステナイト系とフェライト系の温度条件の違いは、組織中におけるクロムの拡散速度、炭素の拡散速度、炭素の固溶量が異なることによる。ただし、フェライト系の鋭敏化は比較的軽微で、特に問題となるのはオーステナイト系の鋭敏化といえる。 ステンレス鋼が素材の状態では、適切な熱処理を施すことによってクロム炭化物は素地に溶けて、クロム欠乏帯を作らずに済む。しかし溶接を行う場合、高温に上昇する溶接箇所の熱影響部で鋭敏化が起き得る。上記の温度条件の違いにより、オーステナイト系では溶接金属から少し離れたところで、フェライト系では溶接金属の直近で鋭敏化の可能性が高い。このように溶接熱影響部で起きる粒界腐食は「ウェルドディケイ (weld decay)」と呼ばれる。 ステンレス鋼の鋭敏化に対する材料側の対策としては、クロム炭化物の元となる炭素の低減が有効となる。また、ニオブやチタンのような、優先的に炭素と安定な化合物を作る合金元素の添加も有効である。溶接上の対策は、できるだけ入熱が小さい溶接条件を選定することである。変形の危険もあるが、溶接後に再度の固溶化熱処理を実施することも対策となる。 応力腐食割れとは、腐食環境に引っ張る力(応力)が重なったときに割れが起きる現象である。引張り強さ未満の応力であっても腐食作用が加わることで割れが発生し、最終的には破断にまで至る可能性もある。広義の応力腐食割れは、アノード反応溶解が割れを助長する「活性経路腐食型応力腐食割れ」と、材料中の水素原子が原因となる「水素脆性型応力腐食割れ」に分かれる。応力腐食割れの事例全体の中でも発生事例が多いのが、ステンレス鋼の応力腐食割れ、特に塩化物環境で起きるオーステナイト系の活性経路腐食型応力腐食割れである。オーステナイト系使用上の大きな問題点の一つが、応力腐食割れといえる。 塩化物環境での応力腐食割れの場合、塩化物濃度、溶存酸素、温度が高いほど割れが発生しやすくなる。高温高圧の塩化物水溶液を扱う熱交換器などで起きるものが、オーステナイト系の応力腐食割れの代表例である。実際の環境で起きたステンレス鋼の応力腐食割れの事例によると、多くは 70 °C 以上の環境温度で起きている。塩化物以外では、苛性ソーダなどの高温アルカリ水溶液でステンレス鋼の応力腐食割れは起きる。 固溶化熱処理されたステンレス鋼であれば、結晶粒内を割れが進む「粒内割れ」が塩化物環境の活性経路腐食型応力腐食割れの形態となることが多い。ステンレス鋼で起こる応力腐食割れの多くは粒内割れである。一方で、ステンレス鋼が鋭敏化していると、結晶粒界を割れが進む「粒界割れ」が生じ得る。粒界割れ型の応力腐食割れの場合は、200 °C から 300 °C の高純度高温水でも発生する。粒界割れ型の応力腐食割れを防ぐためにも、材料の鋭敏化を防ぐことが重要となる。 フェライト系とオーステナイト・フェライト系は、オーステナイト系と比較すると応力腐食割れが生じづらい。ステンレス鋼の中で材料を選ぶならば、対応策としてはフェライト系やオーステナイト・フェライト系が選択肢となる。オーステナイト系の場合は、ニッケル含有量を 40 % 近くまで増やすと実用的なレベルまで耐応力腐食割れ性が高まるが、コストの面からこのような鋼種の選択は難しい。引張応力が大きいほど応力腐食割れは起きやすくなるので、引張応力ができるだけ加わらない設計や施工が望まれる。 水素脆性型応力腐食割れは、単に「水素脆化」や「水素脆性」とも呼ばれる。通常の腐食に起因した水素の侵入を原因とする水素脆性の場合は、その耐食性によって炭素鋼などよりもステンレス鋼の水素脆性は起きづらい。水素燃料機器の材料として、オーステナイト系ステンレス鋼が用いられることが多い。しかし、ステンレス鋼であって、腐食に起因した水素侵入ではないため高圧水素ガス環境下では水素脆性の可能性がある。高圧水素中の水素脆性評価によると、オーステナイト系 SUS316L やオーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼 A-286 などのオーステナイト安定度の高い鋼種が脆化しづらく、オーステナイト系 SUS304L やマルテンサイト系ステンレス鋼は脆化を示す。ただし、ステンレス鋼の水素脆性の機構自体がまだ未解明で、結論は得られていない。 異種金属接触腐食とは、異なる種類の金属が接触するときに電池が形成され、電極電位が低くなる方(卑な方)の金属で腐食が進む現象である。不働態化したステンレス鋼は、海水中の腐食電位列に代表されるように、鋼、鋳鉄、銅合金といった他の実用構造材料に対して電極電位の高い側(貴な側)となりやすい。そのため、異種金属接触腐食が起こる場合も、ステンレス鋼側の腐食よりも相手材料側の腐食が問題となることが実用上は多い。 異種金属接触腐食への影響要素としては、両金属の腐食電位列上の関係や面積の比率、電解質溶液の電気伝導率や流速が関係する。特に重要なのが面積比率で、接触する両金属の内の卑な金属の面積が、貴な金属の面積よりも小さければ小さいほど腐食が進展しやすくなる。よくある例はステンレス鋼板を普通鋼のボルトで締結したような事例で、ステンレス鋼板側が貴かつ面積大の状態で、普通鋼ボルト側が卑かつ面積小の状態であるため、ボルトの著しい腐食が起こり得る。 高温の気体の作用で起こる腐食現象の乾食、あるいは高温で起こる腐食現象全般の高温腐食についても、汎用金属材料の中ではステンレス鋼は優秀な耐性を持つ材料だといえる。乾食は、発電所、石油化学プラント、自動車排ガス装置などの高温装置で関係し、主に「高温酸化」と「高温ガス腐食」に分類される。 鉄鋼材料を高温大気中に長時間さらすと、ぼろぼろの表面となることがある。このような現象を高温酸化という。高温大気環境中で生じる酸化現象で、空気中や酸素中の他に水蒸気中や二酸化炭素中でも生じる。ステンレス鋼は高温酸化にも優れた耐性を示す。ステンレス鋼の耐酸化性の源は主にクロムによるもので、クロム含有量が多いほど高温酸化への耐性も向上する。高温酸化が激しくなって使用が困難になる温度が炭素鋼では 500 °C 程度といわれるのに対して、ステンレス鋼では鋼種にもよるが 1000 °C 程度となる。 高温での耐酸化性や耐食性の源は、表面に形成される保護皮膜による。この皮膜は保護性を持つ点では不働態皮膜と同じだが、組成も異なり厚みも大きく、不働態皮膜とは別物である。ステンレス鋼のクロムが 20 % 以上の高含有量になると、酸化クロム(III)(Cr2O3)で出来た保護性のある酸化物皮膜が表面を緻密に覆う。この酸化物皮膜中では金属イオンや酸素イオンの拡散が非常に遅く、ステンレス鋼の高い耐酸化性が得られる。ただし、18 % 未満程度のクロム含有量が低い場合は、緻密で連続した Cr2O3 皮膜は形成されず、FeCr2O4 や Fe(Fe,Cr)2O4 の皮膜が形成されるに留まる。しかし実用的には、SUS410 のような11%クロムステンレス鋼や SUS430 のような17%クロムステンレス鋼も 800 °C ないし 850 °C を使用限度温度として高温酸化環境で使われている。 保護性の Cr2O3 皮膜が欠損・剥離を起こした場合でも、クロム含有量が高ければ直ちに Cr2O3 皮膜を再生できる。他の合金元素としては、ケイ素が耐酸化性を著しく改善する。添加されたケイ素は皮膜層と母材の界面に二酸化ケイ素として塊状または連続層として存在し、Cr2O3 皮膜の形成を助力する。アルミニウムにも大きな改善の効果があるが、クロムとアルミニウムの含有量によって効果が異なり、その挙動は複雑である。例えば クロム 14 % を含むものに対して 0.8 % から 2.0 % のアルミニウムを添加すると、酸化アルミニウム(Al2O3)の皮膜が Cr2O3 皮膜の下に形成される。Al2O3 皮膜自体は緻密で保護性が高いが、この場合は皮膜の剥離を誘発して酸化速度がむしろ大きくなる。さらにアルミニウム濃度が高くなれば、最外層に Al2O3 皮膜が形成されるようになり、酸化速度が著しく小さくなる。逆にアルミニウム含有量が 0.3 % 程度の場合も、Al2O3 粒子が Cr2O3 皮膜の下に分散、内部酸化層となって、酸化速度を減少させる。 上述のように、高温酸化は水蒸気雰囲気中でも生じる。水蒸気中で起こる高温腐食を特に「水蒸気酸化」と呼ぶ。火力発電のボイラーで 500 °C から 650 °C の高温蒸気に晒される管内面などで問題となる。水蒸気酸化の進行は、水蒸気の解離によって発生した酸素分子によって、または水蒸気と鉄の直接反応によって進行するといわれる。水蒸気酸化では、同時発生する水素が皮膜に欠陥を作り、さらに、そこまで温度が高くないため保護皮膜が一様に生成されにくいことや酸素の供給が不十分なことによって、水蒸気酸化中での酸化皮膜は不完全で保護性が低くなりやすい。水蒸気酸化性に大きな影響を持つ合金元素はクロムで、多量添加によって水蒸気酸化への耐性を向上できる。 大気環境以外で生じる乾食は高温ガス腐食と呼ばれる。ステンレス鋼に関わる代表的な高温ガス腐食が、高温硫化、浸炭、窒化、ハロゲンガス腐食などである。 高温硫化は、硫化水素ガスや亜硫酸ガスなどの雰囲気中で起こる。高温硫化の挙動は、高温酸化と同じように、表面にできる皮膜の生成と成長に支配される。高温硫化における皮膜は硫化物によって形成されるが、格子欠陥が多くてイオンが拡散しやすいため、この硫化物皮膜には高温酸化における酸化物皮膜のような保護力はない。実用合金全般を見渡しても、硫化水素ガス雰囲気中での最大の耐用温度は 600 °C が限界といわれる。クロムの添加は硫化を抑制する効果があるため、ステンレス鋼の耐高温硫化性は炭素鋼よりは優れている。クロムの他にはアルミニウムやケイ素の添加が有効で、硫化速度減少の効果を示す。 浸炭は、一酸化炭素、二酸化炭素、炭化水素などの高温ガス雰囲気中で起こる現象で、炭素原子が内部に拡散して炭化物を形成する。窒化は、アンモニア雰囲気などの窒素を含む高温雰囲気中で起こる現象で、窒素原子が内部に拡散して固溶体や窒化物を形成する。浸炭も窒化も材質を脆化させたり、クロム欠乏帯をつくり異常酸化の原因となったりする。浸炭に有効な合金元素には、保護性のある酸化物を形成するクロムとケイ素、炭化物を形成しないニッケルが挙げられる。窒化の場合は、特に有効な合金元素はニッケルで、ニッケル含有量が多いほど耐窒化性が増す。 ハロゲンガス腐食は塩素ガスや塩化水素ガス中で起こる腐食で、激しい腐食性を示す。塩素ガスや塩化水素ガスとの反応で生成される塩化物は低融点で容易に昇華するため、ハロゲンガス腐食の腐食速度は大きい。SUS304の例で、塩素ガス中での耐用温度が約 310 °C、塩化水素ガス中での耐用温度が約 400 °C である。 ステンレス鋼の機械的性質も、その組織の状態と組成によって様々に変わる。多くの種類のステンレス鋼が存在するように、ステンレス鋼の機械的性質も幅広い。一般に、鉄鋼材料の強度・硬度を高める原理には、次の5つがある。 いずれの強化機構も、塑性変形の基となる転位の運動を妨げることで材質を高強度化させる。ステンレス鋼の強度も、これらの強化機構を基礎とする。一方、材質を高強度化すると、一般的に延性・靭性が低下する。延性・靭性が低下すると、材料が破壊されるときに脆性破壊となる。機械・構造物の安全使用の観点からは、強度が高いことだけでなく、靭性が大きいことも望ましい。 ステンレス鋼の機械的性質を評価するのに用いられる指標は、0.2%耐力、引張強さ、伸び、絞り、硬さ、衝撃強さなどである。これらの内の0.2%耐力、引張強さ、伸びは引張試験で測定できる代表的な材料特性で、0.2%耐力は材料の降伏点を代表する 0.2 % の塑性ひずみを起こす応力を、引張強さは材料の強さを代表する最終的な破断を起こす応力を、伸びは材料の延性を代表する破断までに材料が伸びる変形の程度を表す。常温におけるステンレス鋼の各代表的鋼種の0.2%耐力、引張強さ、伸びの例を下記に示す。 ステンレス鋼の中で引張強さ 1000 MPa を超える高強度の鋼種には、マルテンサイト系、析出硬化系、加工硬化させたオーステナイト系の3つがある。マルテンサイト系では、焼入れでマルテンサイト組織となり、強く硬い組織となっている。通常は焼入れ後に焼戻しも行い、マルテンサイト系の最終的な機械的性質は焼戻し温度によって変わる。高炭素鋼種 AISI 440C の例では、2000 MPa 近い引張強さを得ることもできる。析出硬化系は、時効処理によって微細第2相を分散析出させる析出硬化機構によって高い強度・硬度を得ている。マルテンサイト系と比較すると、含有炭素量を減らせるので、耐食性や靭性をそれほど落とさずに済む。オーステナイト系は加工硬化度が大きく、さらに準安定オーステナイト系では塑性変形が加わると加工誘起マルテンサイト変態が起こるため、圧延加工を加えることで高強度・高硬度の特性が得られる。加工硬化で高強度化させた後でも十分な延性・靭性を保っているのも、加工硬化させたオーステナイト系の特徴である。 フェライト系、オーステナイト系、オーステナイト・フェライト系の3つには、熱処理による硬化性がない。フェイライト系は焼なまし状態で使用され、オーステナイト・フェライト系と加工硬化させない場合のオーステナイト系は固溶化熱処理状態で使用される。低炭素鋼と比較すると、フェライト系の降伏応力と引張り強さは少し高めである。フェライト系と比較すると、オーステナイト系は降伏応力が低めで、引張り強さが高めである。オーステナイト・フェライト系の引張強さと降伏応力は、フェイライト系とオーステナイト系よりも高めである。これは、含有元素の影響と、オーステナイト・フェライト系の結晶粒サイズが微細なため起きる粒界強化によるものである。ステンレス鋼の中では、焼きなまし状態のフェライト系のみが応力-ひずみ曲線上で明確な降伏点を示し、他の鋼種は明確な降伏点を示さない。 ステンレス鋼の延性・靭性については、オーステナイト系が特に優れている。炭素鋼やフェライト系の伸びが 20–30 % 程度であるのに対し、固溶化熱処理状態のオーステナイト系の伸びは 45–55 % という値を示す。靭性の指標である衝撃強さにおいても、オーステナイト系が優れた値を示す。 金属が高温環境下に置かれると、一般的に変形抵抗が低下する。しかし、ステンレス鋼は高温でも比較的高い強度を保つことができ、上述のように高温環境下での耐酸化性や耐食性に優れることから、耐熱用途に幅広く利用される。JISでもいくつかのステンレス鋼の鋼種をそのまま耐熱鋼の鋼種として規定しており、ステンレス鋼は耐熱鋼の一種でもある。 オーステナイト系とフェライト系の2つが、耐熱用に供されるステンレス鋼の主流となっている。代表的な耐熱ステンレス鋼でいえば、常温での降伏応力はオーステナイト系よりもフェライト系の方が高いが、およそ 600 °C 以上の降伏応力はフェライト系よりもオーステナイト系の方が高くなる。そのため、より高温で使用する場合はオーステナイト系が、それ以外ではフェイライト系が重宝される。 オーステナイト・フェライト系は、600 °C 以上では、オーステナイト系とフェイライト系の中間的強度を示す。高温強度を向上させる場合、ニオブ、窒素、ケイ素、モリブデン、銅、タングステンなどの固溶強化元素の添加が行われる。マルテンサイト系にもモリブデン、バナジウム、タングステンなどの添加で高温強度を高めた鋼種があり、限定的ながらも強度が必要な個所で使用される。 一般の炭素鋼と同様に、フェライト系、マルテンサイト系が低温環境に置かれると靭性が低下し、脆性破壊を起こすようになる。靭性が著しく低下する温度を延性-脆性遷移温度といい、フェライト系 430 の例では、室温から約 −70 °C までの間で衝撃強さが急激に低下する。しかし、オーステナイト系はこのような低温時にも高い靭性を保つ。鋼種にもよるが、オーステナイト系は −200 °C 以下の極低温でも使用できる。オーステナイト・フェライト系は、低温時に脆性破壊を起こすが、フェライト系よりは延性-脆性遷移が緩やかに起きる傾向にある。 ステンレス鋼の物理的性質は金属組織の種類によってほぼ決まり、さらに合金元素添加量が影響する。フェライト系とマルテンサイト系が類似した物理的性質を持っており、オーステナイト系の物理的性質はそれらとは異なる傾向を持つ。析出硬化系も、最終的に母相がマルテンサイト組織となる鋼種であれば物理的性質はフェライト系とマルテンサイト系に類似する。オーステナイト・フェライト系の物理的性質は、オーステナイト系とフェライト系のおおむね中間に位置する。ステンレス鋼の物理的性質の例を、下記の表に示す。 質量と体積の比である密度は、ステンレス鋼の種類の中で違いは小さく、各々の組成でほとんど決まる。軟鋼と比較すると、ニッケルを多く含むオーステナイト系の密度がやや大きい。ニッケルを主合金元素としないフェライト系とマルテンサイト系は、軟鋼よりもやや小さい。モリブデンのような重い元素を合金元素として含めば含むほど、密度は大きくなっていく。 熱が伝わったときの温度変化の程度を示す比熱も、ステンレス鋼の種類間の違いは小さい。クロム系ステンレス鋼の比熱が軟鋼とほぼ同等で、クロム・ニッケル系が軟鋼よりもやや大きい。 熱の伝わりやすさを示す熱伝導率については、金属材料全般の中でもステンレス鋼の熱伝導率は小さいといえる。フェライト系とマルテンサイト系の熱伝導率も炭素鋼より小さく、オーステナイト系の熱伝導率はさらに小さい。一般に金属の熱伝達は自由電子を通じて行われるため、金属中に不純物が存在すると、電子の運動を阻害して熱伝導率を低下させる。したがって、添加元素が多いほど熱伝導率が低下する。ステンレス鋼の場合、含有するクロムやニッケルによって熱伝導率が小さくなっている。 温度上昇時の体積膨張の割合である線膨張係数は、主に結晶構造によって決まる。フェライト系とマルテンサイト系は軟鋼に近い値を示すが、面心立方構造であるオーステナイト系はそれらの約1.5倍の線膨張係数を示す。オーステナイト・フェライト系の線膨張係数は、フェライト系とオーステナイト系の中間程度となる。 物質の電気抵抗の大きさを示す比電気抵抗についても、その原理は熱伝導率と同じで、含有元素が多くなると抵抗が大きなる。金属材料全般の中でもステンレス鋼の比電気抵抗は大きいといえる。このため、ステンレス鋼は導電用材料には向かない。比電気抵抗はおおよそ熱伝導率と反比例の関係にあるが、析出硬化系は析出硬化熱処理によって組織が複雑化した影響で比電気抵抗がやや大きくなる。 弾性変形に対する抵抗の大きさを示すヤング率は、ステンレス鋼は全般的に軟鋼とおおむね同じである。組成や組織の違いよるヤング率への影響は小さく、ステンレス鋼の中での鋼種間の違いは小さい。非鉄金属材料と比較すると、ステンレス鋼のヤング率は高い部類に入る。 一般的な鉄鋼材料は強磁性材料で、いわゆる磁石にひっつく材料であるが、面心立方格子構造であるオーステナイトは常磁性材料で、強磁場中でもごくわずかにしか磁化しない。このため、オーステナイト系は非磁性材料である。一方、フェライト系やマルテンサイト系は、一般的な鉄鋼材料と同様の強磁性材料である。ただし、オーステナイト系も、加工誘起マルテンサイト変態が起こると磁性を帯びるようになる。オーステナイト・フェライト系は、磁性の強さはフェライト量比率によって変わるものの、基本的に強磁性材料である。 また、機械的性質と同様に、温度によって物理的性質は変化する。低温になるほど、電気抵抗、熱膨張係数、熱伝導率、比熱は小さくなる。密度とヤング率は、低温になるほど大きくなる。 ステンレス鋼の原料には、鉄の他に、合金元素として大量のクロムを必要とし、さらにニッケル、モリブデン、マンガン、チタンなども使う。主な合金元素であるクロムとニッケルは、主にフェロクロムとフェロニッケルとして、またはスクラップとして供給される。フェロクロムとフェロニッケルは合金鉄の一種で、採掘されたクロム鉱石またはニッケル鉱石から製造される。合金鉄は、不純物である炭素が取り除かれている低炭素なものほど価格が高くなる。しかし、後述する精錬技術の発達により、廉価な高炭素フェロクロムと高炭素フェロニッケルも、現在ではステンレス鋼の原料として多量に利用可能になっている。クロムもニッケルも資源が世界に偏在しており、需要供給バランス、産出国の経済情勢、国際紛争、為替レート変動などによって原料価格が大きく変動するため、これら原料の安定確保とコストダウンがステンレス鋼メーカーにとっての課題である。 ステンレス鋼はリサイクルしやすい材料であり、ステンレス鋼スクラップの回収率は高い。2006年の調査によると、生産された約2800万トンのステンレス鋼の内、その原料の約 60 % がステンレス鋼スクラップを利用できている。市場から回収されたスクラップの他に、ステンレス鋼製造過程で生じたスクラップも回収・利用されている。特にオーステナイト系は、高価な合金元素を多く含み、磁性を持つため分別しやすいため、スクラップ活用が進んでいる。 原料としての鉄には、ステンレス鋼スクラップの他に、普通鋼のスクラップも活用されている。集められたスクラップは使用前に成分検査や放射能探知検査が行われる。スクラップは割安だが、価格変動も大きく、供給が不安定といった面もある。 高炉を持つ銑鋼一貫製鉄所がステンレス鋼を製造する場合は、高炉で銑鉄を製造し、予備処理した上で銑鉄をステンレス鋼の原料として用いる場合もある。また、フェロクロムではなく、安価なクロム鉱石を直接の原料にして製鋼する方法も開発・実用化されている。 原料はまず炉で溶解される。ステンレス鋼製造で用いる溶解炉は、電気アーク炉が一般的である。ステンレス鋼スクラップ、フェロクロム、フェロニッケルなどの主原料が電気炉に装入されて溶解される。電気炉内に強力なアークが発生し、原料を溶解する。アーク熱は 3000 °C から最大 3500 °C に達し、原料はおよそ 1550 から最大 1800 °C まで昇温されて溶解される。電気炉の大きさは、一回のチャージ当たり 30 トンのものから最大で 160 トンのものまである。 高炉を持つ銑鋼一貫製鉄所がステンレス鋼を製造する場合は、電気炉ではなく、高炉で溶銑を造り、ステンレス鋼を製造する。高炉による製造は大量生産に向いている。しかし、電気炉によるステンレス鋼製造がクロム系にもクロム・ニッケル系にも利用されているのに対して、高炉によるステンレス鋼製造はクロム系に限られている。高炉法ではニッケルの溶解が難しく、クロム・ニッケル系では電気炉法よりも効率が悪い。高炉の溶銑は数%のレベルで炭素を含有しているような状態であるため、「溶銑予備処理」と呼ばれる工程を本格的な精錬前に行う。溶銑予備処理では、炭素に加えてリンや硫黄の除去も行う。ステンレス鋼では、リンがクロムの活量を低下させるため、溶銑の段階で脱リンしておくことが溶銑予備処理の重要な意義の一つといえる。 溶解の後には、化学組成を調整する精錬と呼ばれる工程が行われる。精錬工程では不純物を除去するが、ステンレス鋼にとっての最大の不純物が炭素である。効率的に脱炭することがステンレス鋼製造における重要なポイントで、このための技術開発が過去から行われてきた。ステンレス鋼の基本的な脱炭は、おおまかに以下のような過程から成る。 しかし、ステンレス鋼特有の高濃度のクロムによって、溶鋼中の炭素の活量は下がっており、一般的な炭素鋼と比べて脱炭が進まない。特に低炭素域ではクロムは炭素と優先して結合し、脱炭反応が阻害される。普通に脱炭を進めると、クロムが多量に酸化してスラグ中に入ってしまう。クロムをスラグから回収するために、高価なフェロシリコンを要することになる。このような事態を避け、効率良く脱炭を進める方法として、脱炭反応時に生じる一酸化炭素ガスの圧力(分圧)を下げることで、クロムの酸化を抑制しながら脱炭反応を進める手法が現在では採用されている。この原理にもとづく精錬法が、AOD法、VOD法、またはこれらを組み合わせた方法である。 AOD法は、Argon Oxygen Decarburization の略で、大気中の溶鋼にアルゴンと酸素の混合ガスを下部から吹き込み、アルゴンガスによる希釈によって脱炭時の一酸化炭素ガス分圧を下げて脱炭する方法である。AOD法の長所は、溶鋼の炭素含有量が高くても脱炭が可能な点である。これによって安価な原料が使用可能で、生産性が高い。VOD法は、Vacuum Oxygen Decarburization の略で、溶鋼を真空減圧下に移して酸素ガスを吹き込み、脱炭時の一酸化炭素ガス分圧を下げて脱炭する方法である。VOD法の場合は、ある程度低いレベルの炭素含有量にしてから適用する必要があるが、一方で最終的な炭素含有量をより低いレベルにすることができる。各精錬過程では、脱炭のほかに、窒素、水素、硫黄、酸素、リンなどの不純物除去や介在物制御も行われる。ステンレス鋼にAOD法またはVOD法を適用したときの、おおよそ精錬レベルの目安を以下の表に示す。 具体的な工程としては、溶解された原料は転炉で精錬され、その後AOD炉やVOD炉などで炉外精錬が実施される。ただし、電気炉法で溶解された場合は、ある程度の精錬がすでに完了しているので転炉での精錬を省略することが多い。VOD法を採用するときには、VOD法適用前に溶鋼の炭素含有量をある程度のレベルまで下げる必要があるため、電気炉法でも転炉での精錬を工程に加えることがある。高炉法で溶解した場合は、ほぼ必ず転炉での精錬を行う。炉外精錬での脱炭完了後には、「仕上げ精錬」と呼ばれる同じ炉のまま所望の組成へ調整する作業が行われる。 精錬を終えた溶鋼は、鉄鋼メーカーから出荷される最終製品形状に適した形へ冷やし固められる。この段階で冷やし固められたものを半製品と呼び、厚板や圧延材生産用のスラブ、形鋼生産用のブルーム、棒材・線材やパイプ生産用のビレットがある。この工程を鋳造といい、大きく分けて造塊法と連続鋳造法の2つがある。造塊法は、インゴットと呼ばれる型に溶鋼を注入して固め、再加熱・圧延して半製品を作る方法である。過去のステンレス鋼は主に造塊法で造られていたが、生産効率の高い連続鋳造法が実現されてからは、一部の特殊な鋼種を除いてほとんどのステンレス鋼が連続鋳造法で製造されている。 連続鋳造の過程に他と異なるステンレス鋼特有の要素はないが、表面品質が特に要求されるステンレス鋼では品質重視の操業が特徴といえる。連続鋳造では、取鍋に入れられて精錬炉から供給される溶鋼が、タンディッシュと呼ばれる容器へ一旦移される。タンディッシュでは、溶鋼中の有害な非金属介在物を浮かび上がらせて除去する。タンディッシュから出た溶鋼は、冷却された鋳型に通され、さらに冷却スプレーを浴びせられ凝固する。凝固したステンレス鋼を、その下に配置されているローラーが連続的に引き抜き、切断機まで送り出す。切断機で所定の長さに切断して、長方体や角材の形の半製品となる。 ステンレス鋼の板や帯を生産する場合、スラブを圧延することによって造られる。ステンレス鋼生産の中でも、鋼板および鋼帯の生産量が圧倒的に多い。圧延とは、回転する2つの円柱(ロール)に材料が挟み込みながら薄く引き伸ばす工程で、材料を再結晶温度以上に加熱する圧延する熱間圧延と、再結晶温度以下(通常は常温)で圧延する冷間圧延がある。 スラブは通常 100 mm 以上の厚みがある。冷間圧延は被加工品が厚いと圧延できないため、スラブはまず熱間圧延される。ステンレス鋼の場合、スラブ表面の欠陥が熱間圧延後も残ってしまうので、熱間圧延前にはグラインダー等でスラブ表面を研削して表面欠陥を前もって除去する。傷取りされたスラブは加熱され、圧延機に通される。熱間圧延機には、タンデムミルやステッケルミルが用いられている。タンデムミルは生産性が高く、普通鋼と兼用する場合などに使われる。ステッケルミルは初期コストが小さい長所があり、ステンレス鋼専用で生産する場合などに使われる。 熱間圧延を終えると、鋼種に応じた適当な熱処理が施され、さらにスケールを除去するために酸洗が行われる。このときの熱処理は、組織の再結晶化と炭化物の固溶化などを目的とする。この状態で製造完了として出荷する場合もある(#圧延仕上げも参照)。熱間圧延で可能な最小板厚は 3 mm 程度が限度で、さらに薄くする場合や、表面を美麗に仕上げる場合は冷間圧延が行われる。冷間圧延で問題となるがステンレス鋼の変形抵抗の高さで、特にオーステナイト系が著しい加工硬化を起こす。このため、20段式ゼンジミアミルがステンレス鋼の冷間圧延に用いられる。ゼンジミアミルは、ワークロールを小径にして大きな圧力によって圧延を可能とし、中間ロールがワークロールのたわみを抑え、強固なハウジングで多段ロールを支える構造を持つ。フェライト系などに対しては普通鋼用の冷間圧延設備を使用する場合もある。 冷間圧延後は、熱処理と酸洗をまた行い、必要に応じて表面仕上げ用の冷間圧延を再度行う。冷間圧延後の熱処理の主な目的は圧延組織の再結晶化である。表面光沢の良い製品にするために、光輝焼なましと呼ばれる無酸活性雰囲気中での熱処理を行う場合もある。この場合はスケールの発生を防げるので、酸洗を省略して圧延ままの光沢を維持できる(#圧延仕上げも参照)。これらの工程の後、研磨、形状修正、脱脂、検査、裁断、梱包などを経て製品が出荷される。ステンレス鋼の場合は外観に対する要求水準が高いため、メーカーと購入者の間で外観の限度見本を取り交わすこともある。 鋼板以外のステンレス鋼の製品形状には、鋼管、鋼棒、線材、形鋼などがある。鋼管には、継ぎ目なしのシームレス鋼管と鋼板を溶接してつくる溶接鋼管があるが、どちらも基本的に普通鋼と同じ製法で造られている。シームレス鋼管、鋼棒、線材は、ブルームまたはビレットから熱間圧延、冷間圧延・引抜きで造られる。形鋼もブルームの熱間圧延から造られるが、まとまった需要が少ないため溶接で造ることも多い。 他の特殊なものとしては、鋳造品やクラッド鋼がある。鋳造は、溶鋼を鋳型に流し込んで直接その形に冷やし固める製法で、複雑な形状の部品などに対して用いられる。ステンレス鋼の鋳造に使われる溶鋼自体は、板などを造る溶鋼とほとんど同じである。鋳造法の基本的な考え方は炭素鋼や低炭素合金鋼鋳鋼と同じだが、溶鋼の流動性が悪い点や合金量の多さによって融点が異なる点などを考慮する必要がある。クラッド鋼は、ある材料を別の材料で全面的に覆って接合させる複合材料の一種で、単体材料では得られない特性を与えたり、単体材料よりも低コスト化させるためなどに用いられる。クラッド鋼の母材は炭素鋼や低合金鋼とすることが多く、それを覆う合わせ材にはステンレス鋼、銅、チタン、ニッケルが使われているが、特にステンレス鋼を合わせ材とするクラッド鋼が市場でも主流である。 金属加工を行う第一歩として、大きな素材から望ましい大きさや形に切り出す切断加工を通常は最初に行う。熱エネルギーを利用して材料を溶かして切断する方法を溶断といい、ガス切断が最も代表的な溶断方法である。しかし、一般的に用いられている酸素・アセチレンによるガス切断ではステンレス鋼を溶断できず、適用不可といえる。ステンレス鋼中に多量に含まれるクロムは燃焼温度が高く、さらに燃焼時に生成される酸化クロムも溶融温度が高い。これらが酸素アセチレン切断による燃焼を妨げて、ステンレス鋼の酸素アセチレン切断を不可能にしていると考えられている。ステンレス鋼用に発達したガス切断法が、パウダ切断と呼ばれる溶断方法である。パウダ切断では、鉄粉を切断酸素に混入させて、その鉄粉の酸化反応熱を利用して切断する。板厚 600 mm までならば、そこまでの技術を要せずにパウダ切断でステンレス鋼を切断可能である。 ステンレス鋼に適用される他の溶断方法には、アーク切断、プラズマ切断、レーザー切断がある。アーク切断は、アークを発生させてアーク熱で材料を溶融する切断法である。アーク切断はステンレス鋼の切断法として発達したものだが、切断面の品質がよくなく、イナートガスアーク溶接を応用した方式のアーク切断を除いて利用は限られている。プラズマ切断は、プラズマガス気流の機械的なエネルギーとアークの熱エネルギーを利用する切断方法で、ステンレス鋼の主要な切断方法の一つである。使用ガスにはアルゴン・水素を使用すると切断面の品質が最もよく、ステンレス鋼でもアルゴン・水素が主流である。プラズマ切断の場合、100 mm を超える板厚まで切断可能である。レーザーを熱源とするのがレーザー切断で、適用板厚は小さいが、高精度な切断が可能である。ステンレス鋼のレーザー切断の場合はアシストガスに窒素がよく使われ、切断面の酸化を起こさずに金属光沢のある断面を得られる。 溶断のほかには、一対の刃で挟んでせん断メカニズムにもとづいて素材を切り落とすせん断加工がある。鉄鋼メーカーが生産したコイルをさらに幅を小さなコイルや平板にするシャーリングや、プレス機械で板を打ち抜く打ち抜き加工がせん断加工に該当する。ステンレス鋼のせん断加工の場合、材料強度が高めのため、普通鋼や軟鋼よりも大きな力を要し、十分な能力を持った機器の選定や刃型の管理がより重要となる。せん断加工では、良好な切断のために、向き合う刃先のクリアランス(すきま)を材質や板厚に応じて適切に設定する必要がある。ステンレス鋼でも種類に応じた設定クリアランスの傾向がある。 他の機械的な切断方法にはウォータージェット切断がある。高速で噴射された超高圧水で素材を切断する方法で、熱影響や加工ひずみがないという長所があり、精密切断などに用いられている。 プレス成形は、ステンレス鋼の板材を様々な形に変形するためによく利用される。ステンレス製品の利用促進には、プレス成形技術の発展の寄与が大きいといわれる。曲げ加工、深絞り加工、張り出し加工、打ち抜き加工、ロール成形、コイニング加工、エンボス加工など、ほとんど全ての成形加工がステンレス鋼で可能である。特に塑性変形能の高いオーステナイト系は、180度密着折り曲げのような厳しい成形や、複数の種類の成形から成るような複雑なプレス成形にも対応できる利点がある。 ただし、普通鋼などと比べると、ステンレス鋼は一般的に強度が高いため加工負荷が大きく、金型の異常摩耗や焼付きも起きやすい。そのため、金型の材料や表面処理、潤滑油の選定がよりきびしくなる。ステンレス鋼では、プレスを離した後に弾性変形分だけ元に戻ろうとするスプリングバックが大きく、特に曲げ加工で所定の曲げ角度を狙うときはこの大きなスプリングバックの考慮が必要である。一般的に、オーステナイト系が大きな加工硬化を起こすためスプリングバックが大きく、オーステナイト・フェライト系も降伏応力が高めのためスプリングバックが大きい。 ステンレス鋼で特に問題となる成形時の欠陥が、オーステナイト系の時期割れ、フェライト系の縦割れやリジングである。成形性を向上させる場合、オーステナイト系の場合に重要なのが加工硬化特性である。オーステナイト安定度を調整して適切な度合いの加工硬化が起こるようにすると、成形性が向上する。フェライト系の場合は、炭素量・窒素量を減らす高純度化とチタンなどの合金元素添加が成形性向上に有効である。 また、ステンレス鋼の場合、その表面の美麗さを商品価値とすることが多い。そのため、成形加工中に表面が損傷しないように特に注意を要する。ステンレス鋼の成形加工では、潤滑油の塗布のほか、表面保護のために樹脂系のフィルムを表面に付けてプレス成形することもある。 鍛造は、鋼塊にハンマやプレスで大きな力を加えて形を作る加工法で、同時に材料内部の欠陥を押しつぶし、結晶粒の微細化なども実現する。一般的には、鍛造前に鋼塊の加熱を行い、熱間または温間で鍛造する。オーステナイト系は、その著しい加工硬化のため、一般的には冷間鍛造されない。線材では、炭素・窒素を極低量化して軟質にし、ニッケルや銅を添加して加工硬化を抑えた鋼種のオーステナイト系を使って冷間鍛造することもある。 また、ステンレス鋼は焼付きを起こしやすいので鍛造時には注意を要する。温間加工時も、炭素鋼などでは表面の酸化物が焼付きを防止する機能を果たすが、ステンレス鋼では高耐食性のため表面が酸化しづらい。そのため、何らかの表面皮膜処理を行って潤滑性を高めることが望ましい。 不要な部分を切りくずとして取り除きながら、所望の形状に作り上げるのが切削加工である。切削加工においては、ステンレス鋼は一般的に難切削材料といわれる。全ての切削加工自体はステンレス鋼に適用可能だが、普通鋼、銅、アルミニウムなどと比較すると切削しづらい。フェライト系と焼なまし状態のマルテンサイト系は炭素鋼に似た切削特性といえるが、加工硬化性が強いオーステナイト系の切削性が特に劣る。快削性の硫黄鋼 AISI B1112 を100 とする被削性指数の例を以下に示す。 材料を溶かして接合する溶接には、アーク溶接を筆頭に多く種類の溶接法が存在する。基本的にはステンレス鋼でも同じ溶接法が用いられる。鋼種による差異はあるが、ステンレス鋼を溶接して接合すること自体に特段の困難はない。ただし、ステンレス鋼は他の鋼と異なる特性を持っている面もあるため、それらの特性に適した溶接法を選択しないと種々の溶接欠陥を生むなどの不具合の原因となる。その意味では、ステンレス鋼の溶接難度は高いといえる。 ステンレス鋼と炭素鋼は物理的性質がかなり異なる面もあるため、溶接上もこれらの性質の違いに配慮が必要である。電気抵抗については次のような影響がある。被覆アーク溶接では、高い電気抵抗のために溶接電流が高いと発熱が著しくなり、溶接棒が焼ける恐れがある。そのため、通常は溶接電流を普通鋼よりもやや低くする。一方、電気抵抗による発熱を利用して溶接する抵抗溶接では、この高い電気抵抗が利点として働き、抵抗溶接に必要な電流が小さくて済む。ステンレス鋼の薄板の接合には、抵抗溶接を利用することが多い。 熱伝導率と線膨張係数については、特にオーステナイト系が炭素鋼と大きく異なるため溶接上注意を要する。熱伝導率が小さいため溶接による熱が逃げにくく、その上、線膨張係数が大きいため熱が入った箇所が大きく伸びようとするため、溶接対象物の変形が起こりやすい。また、このような溶接変形が拘束された結果、比較的大きな残留応力が残り、後の応力腐食割れの原因となることも多い。溶接上の対策としては、固定具を用いる、溶接順序を工夫する、他の熱伝導率の良い金属を裏当てして熱を逃がす等を行う。 上述のように溶接熱による鋭敏化も、ステンレス鋼特有の溶接施工の注意点である。その他の溶接上の問題点としては、オーステナイト系の高温割れ、フェライト系の475°C脆化、マルテンサイト系の低温割れ、オーステナイト・フェライト系のオーステナイト量変化などが挙げられる。フェライト系やマルテンサイト系では、割れなどを防ぐために溶接前に溶接対象物にある程度熱を加える予熱処理を行う。一方で、オーステナイト系は延性に富み、予熱処理がかえって有害になることも多いため、通例は予熱処理を行わない。溶接後に熱を加える後熱処理についても、耐食性を確実にしたいなどの事情がないかぎりオーステナイト系では通例は行わない。マルテンサイト系とフェライト系では延性回復の点から後熱処理を行う。 また、ステンレス鋼と他の金属材料を溶接する異種金属溶接が行われることもある。実際の設計では、経済性も考慮してそれぞれの使用場所に応じて必要な材料を選定するので、必然的に異なる材料との接合も必要となる。母材と溶接材が異なる場合、溶着金属が母材組成によって希釈され、溶着金属の組成が変わってくる。異種金属溶接ではこの点を考慮する必要があり、予想される希釈後の組成をもとに上述のシェフラーの組織図から溶着金属の組織を予測し、適切な溶接材を選択する。ステンレス鋼と異種材溶接可能なのは、多くの他の鋼、ニッケルおよびニッケル合金、銅および銅合金などである。フェライト系とマルテンサイト系を溶接する場合は、フェライト系の溶接材料を用いるのが、オーステナイト系とフェライト系あるいはオーステナイト系とマルテンサイト系を溶接する場合は、オーステナイト系の溶接材料を用いるのが望ましいとされる。 熱処理は、ステンレス鋼の製造過程の最終工程あるいは中間工程として行われる。特にステンレス鋼の場合、その金属組織を最終的に決めるという点において熱処理工程は重要である。熱処理は耐食性、機械的性質、さらには物理的性質にも影響する点でも重要性を持つ。 固溶化熱処理は、主にオーステナイト系およびオーステナイト・フェライト系に施される熱処理である。具体的な温度は鋼種によって異なるが、おおよそ 950 °C から 1150 °C まで加熱した後に急冷する。固溶化熱処理によってそれぞれの目的の金属組織にし、さらに耐食性や機械的性質を回復させる。特に固溶化熱処理には、クロム炭化物や窒化物を固溶させ、鋭敏化を防いで耐食性を確実にする効果がある。析出硬化系の前処理としても行われる。 焼入れと焼戻しは、主にマルテンサイト系に施される。焼入れは、加熱して組織をオーステナイトにした後、冷却して組織をマルテンサイトにする熱処理で、マルテンサイト系には必須の熱処理といえる。JIS SUS420J2 の例で、おおよそ 920 °C から 950 °C まで加熱して油冷する。焼戻しは、靭性を回復するために焼入れ後に引き続いて行われる熱処理で、約 600–750 °C に加熱して冷却する高温焼戻しと、約 150–200 °C に加熱して冷却する低温焼戻しがある。 焼なましは、フェライト系やマルテンサイト系などに施される。 おおよそ 780 °C から 900°C に加熱し、空冷または徐冷する。 フェライト系の場合は、焼なまし後そのまま使用に供される。焼なましによって、靭性向上や加工ひずみ除去を行う。一方、マルテンサイト系の場合は、成形や切削の前段階として焼なまし状態にすることが多い。マルテンサイトにした後では硬くて成形や切削が困難になるため、焼なましによってマルテンサイト系の組織を一旦フェライト組織にする。その後に成形・切削し、それから焼入れ・焼戻しする。また、有害な残留応力を除去する応力除去焼なましなどをオーステナイト系に施すこともある。 時効硬化処理は析出硬化系特有の熱処理で、固溶化熱処理後の材料を加熱・一定時間保持し、析出硬化を起こさせる。高温で時効硬化処理を行えば保持時間は短くできるが、達成可能な強度は低くなる。マルテンサイト系析出硬化型の 630 の例では、470 °C で1時間保持して空冷という条件や 630 °C で4時間保持して空冷という条件が規定されている。 ステンレス鋼の熱処理上気を付けるべき点としては、フェライト系の475°C脆性やσ相脆化、マルテンサイト系の焼戻し脆性などがあり、適切な温度制御が求められる。また、過加熱による結晶粒の粗大化も注意点である。 ステンレス鋼は金属表面を晒して利用可能なため、様々な意匠用途に使われてきた。このため、ステンレス鋼には多くの表面仕上げ方法が開発されている。新しい表面をつくるために、複数の表面処理方法を組み合わすこともある。 仕上げ後の表面状態は、見た目のみならず耐食性にも影響し、この点でも表面仕上げは重要となる。一般的には、表面が滑らかであるほど腐食が起きにくくなるといえる。例えば、グラインダーされたままの表面状態では、同じ環境で比較して本来発揮できるはずの耐食性よりも孔食などの局部腐食が起きやすいといったことがある。 ステンレス鋼の板材は、基本的には圧延仕上げで製造され、市場へ供給される。ステンレス鋼の場合は金属表面のまま利用可能なので、追加の表面仕上げを行わない圧延仕上げのままでも意匠用として利用できる。仕上げ内容を示す記号が規格で割り当てられている。JISまたはASTMに制定されているステンレス鋼の代表的な圧延仕上げについて以下に示す。 他のステンレス鋼向けの圧延仕上げとしては、ダル仕上げやエンボス仕上げがある。どちらも表面に凹凸を持つ圧延ロールで圧延することで、その凹凸を素材表面に転写する仕上げ方法で、ダル仕上げは不規則な凹凸模様を与え、エンボス仕上げは規則的な凹凸模様を与える。ダル仕上げの場合は、鈍く光沢を抑えた落ち着いた見た目になる。エンボス仕上げは、ファッション的な柄模様の見た目にする。 ステンレス鋼の表面仕上げによく使われているのが、研磨を施した仕上げである。研磨仕上げ材は主に外観を装飾する用途に使われ、普段目にするステンレス鋼製の装飾金物や台所用品の多くは研磨仕上げがされている。 研磨仕上げの場合、市場に流通している研磨済み素材を使用する場合の他に、プラントのタンクなどのように設備施工後に研磨する場合もある。研磨仕上げの主な手法は、研磨目を残らせるベルト研磨と鏡面に仕上げることを目的とするバフ研磨の2種類である。硫黄系の研磨油は、研磨後にステンレス鋼表面に硫化物を生成し、耐食性を劣化させることがあるので注意を要する。研磨仕上げも、規格で仕上げ内容を示す記号が割り当てられている。JISまたはASTMで制定されている代表的な研磨仕上げについて以下に示す。 他の研磨方法としては、小物の研磨に用いるバレル研磨や電解液に浸して表面を電解させる電解研磨(英語版)がある。ステンレス鋼の電解研磨には、リン酸、硫酸、硝酸が電解液としてよく使われる。電解研磨と砥粒による機械的な研磨を複合させた手法もあり、より高平滑な表面が得られる。 ステンレス鋼は金属素地を露出させて使うのが一般的だが、ニーズの多様化に応える形で近年では着色したステンレス鋼も利用されている。用途によっては銀色の金属光沢が持つ冷たい印象を嫌う場合もあり、そういった面からも着色が求められる。 ステンレス鋼の着色方法には、後述の塗装のほかに、表面に酸化皮膜を作り、光の干渉色を利用する方法がある。酸化皮膜の厚さを変えることで、干渉色を変えることができる。この方法には様々なものが存在するが、実用的にはインコ法が主流である。 インコ法は、硫酸と酸化クロムの浴に浸漬して発色させる工程と、さらに硫酸とリン酸の浴で浸漬・電解し、酸化皮膜を強固にする工程から成る。できあがる酸化皮膜は「化学発色皮膜」と呼ばれる。化学発色皮膜の組成はクロムに豊み、厚みはステンレス鋼元来の不働態皮膜よりも著しく大きい。ただし、化学発色法による酸化膜は、元来の不働態皮膜と異なり傷ついたら回復しない。浸漬時間に応じて化学発色皮膜の厚みが変わり、厚みが増すにしたがって発色が「ブロンズ → 青 → 金色 → 赤 → 緑」と変わる。化学発色皮膜の厚さは、ブロンズのときに 0.02 μm 程度、緑のときに 0.36 μm 程度である。現在では発色と硬化を分けずに、同じ工程で一度に行う技術も実用化されている。以前の化学発色法は発色の不均一さを克服できなかったが、現在では前処理技術の向上などによって均一な発色も可能となっている。 かつては、ステンレス鋼を使うときにはその耐食性と金属的外観が好まれ、ステンレス鋼を塗装することはほとんどなかった。しかし、近年では塗装がなされたステンレス鋼も多く利用されており、「塗装ステンレス鋼」と呼ばれる。 塗装されたステンレス鋼の見た目自体は、普通鋼を塗装したものと変わらない。ステンレス鋼に塗装を行う理由としては、装飾のためにカラフルな見た目にしたいことの他に、腐食保護の信頼性の高さがある。普通鋼を塗装したものだと、塗膜が欠損したときにそこから現れる地肌に錆が生じるが、ステンレス鋼を塗装した場合、現れる地肌の耐食性が高いため発錆が生じにくい。他の着色法よりも、塗装の加工コストが廉価という長所もある。また、金属的外観を活かしつつも、汚れや指紋を付きにくくするために、クリア塗装やカラークリア塗装もステンレス鋼塗装に利用されている。 ステンレス鋼塗装に使われている塗料は、耐食性向上の観点を重視するときは、耐候性が高いシリコン変成ポリエステル、シリコン変成アクリル樹脂、フッ素樹脂の利用が一般的である。ステンレス鋼の表面は不活性な不働態皮膜に覆われているため、一般的に有機皮膜との密着性が良くない。脱脂して表面の汚れや油分を取り除く、ショットブラストや酸洗で方面に適度に粗くして塗料の食いつきを良くする、といった適当な前処理を行えば、一般的な鋼板と同じように塗装できる。 めっきもステンレス鋼に使われている表面処理である。耐食性、装飾性、導電性の向上といった目的から、めっきがステンレス鋼にも利用されている。電気めっきも溶融めっきもステンレスに施工可能だが、めっきの密着を確実にする上でステンレス鋼の不働態皮膜が問題となる。そのため、電気めっきではストライクめっきなどの前処理が必要となる。ガス還元法による溶融めっきでも、前処理として別のめっきを行う。 耐食性を目的としたステンレス鋼へのめっきとしては、溶融アルミニウムめっきの例が知られる。アルミニウムは自然電位がステンレス鋼よりも卑であるため、犠牲陽極として働き、ステンレス鋼素地の孔食防止などの効果がある。自動車排気系部品で耐熱用フェライト系ステンレス鋼を溶融アルミニウムめっきすることで、304系並みの耐食性を付与させた例などがある。 装飾用には、金めっきや銀めっきが古くから用いられている。いぶし瓦の色合いを出すことを狙った、溶融亜鉛メッキステンレス製の瓦の例などがある。導電性向上の観点からは、ニッケルめっきや金めっきが施される。電気ニッケルめっきを施して導電性と耐食性を両立させたステンレス鋼が、ボタン電池などで使われている。 他にも、ブラスト処理、エッチング、不働態化処理、物理蒸着法(PVD)など、ステンレス鋼に適用される様々な表面仕上げが存在する。 ブラスト処理は、適当な材質の小さな粒を表面に高速でたたきつけてスケールの除去や素地の調整を行う処理。表面仕上げとしては、ビーズブラストなどで方向性を持たない低光沢の表面を得るのに使われている。エッチングは、表面を部分的に溶かし、文字や絵をステンレス鋼の表面につくる処理である。不働態化処理は、不働態化の程度を意識的に向上させたいときに行う処理で、硝酸などに浸漬して行われる。PVDは、近年発達してきたドライプロセスによる表面処理の一種で、ステンレス鋼の場合は薄いセラミック層を蒸着させて色付けや耐久性向上のために使われている。 ステンレス鋼は、その耐食性を活かして、日用品、業務用機器、建設、自動車、鉄道、電気機器、産業機械など、様々な分野で幅広く使われている。使用分野に特に偏りはなく、用途は多種多様といえる。2019年の統計によると、金属製品全般が 37.5 %、機械類が 29.1 %、建設関連が 12.2 %、自動車関連が 8.5 %、電気機器が 7.7 %、その他輸送機器が 4.9 % という使用割合となっている。 耐食性に加えて、高温環境や低温環境への耐性があり、鋼種によって物理的性質や機械的性質が異なるため、ステンレス鋼は多様な形で利用される。ステンレス鋼と競合する他材料には、塗装・めっき・ホーローなどの表面処理を施した鋼、ポリプロピレンのような樹脂材料、アルミニウムやチタンなどの他金属材料などがあり、要求特性とコストのバランスの中で材料が選択される。 フォーク、スプーン、ナイフなどのカトラリー類では、ステンレス鋼が多量に使われており、ステンレス製カトラリーのシェアは圧倒的といってもいいほど大きい。古くはステンレス鋼が実用化されたときから、ステンレス鋼の有用な使い道としてステンレス製カトラリーが使われてきた。一般的なカトラリーにはオーステナイト系が用いられ、高級な食卓用ナイフには高硬度なマルテンサイト系も利用されている。また、ステンレス製の箸も韓国では利用が浸透している。 調理器具では、ステンレス製の包丁も主流である。刃物類には、高炭素のマルテンサイト系の焼入れ焼き戻し材を使用して、ロックウェル硬さが 50 から 60 の高硬度で実用に供される。刃先となる芯材にはマルテンサイト系を使い、それをフェライト系で挟み込んだ構造の刃の包丁などもある。他には、トレイ、ボウル、お玉などの調理器具もステンレス製が多い。 台所の流し台も、現在ではステンレス製が定番となっている。ホーローや人工大理石などの他の材料と比較すると、ステンレス製流し台は耐久性があり、メンテナンスしやすい。ステンレス製流し台本体は、板材からプレス成形で造られる。台所の天板でも、ステンレス鋼が選択肢の一つで、エンボス仕上げや着色処理による外観を良くしたものも採用されている。 鍋やフライパンなどでもステンレス製が使われている。ただし、ステンレス鋼は熱伝導があまりよくないので、ステンレス鋼でアルミを挟み込んだ三層構造クラッド鋼などにして対策される。IH調理器用には、磁性のあるフェライト系や普通鋼と複合させた、ステンレスクラッド鋼が使われる。業務用の厨房は、流し台、テーブル、ケース類に至るまで、清潔さを保つために清浄しやすいステンレス鋼が全面的に使われている。魔法瓶の水筒もステンレス鋼を使った製品で、ステンレス鋼管のプレス成形で造られる。魔法瓶水筒の場合は、ステンレス鋼の熱伝導の悪さを逆に有効活用している事例といえる。 食品産業では、食品が接触する部分の多くがステンレス化されている。清潔を第一とする食品機器では、昔からステンレス鋼が多量に使われてきた。食品産業のステンレス鋼の特徴は、食品が接触する部分には研磨仕上げを標準としている点である。これによって、もし食品接触面にかき傷や微小な穴があったときに、そこに食品が入り込み、清掃時にも残ってしまうような事態が起こらないようにしている。鋼種は主に304系が使われており、より耐食性を要する箇所には316系が使われている。 電気製品では、製品の主部から小物部品まで幅広くステンレス鋼が使われている。消費者の高級志向もあり、電気製品へのステンレス鋼適用は増加傾向にある。白物家電では、冷蔵庫、食洗機、炊飯器、電子レンジなどでステンレス鋼が使われており、耐指紋性と抗菌性のためにクリア塗装を施すこともある。洗濯機では清潔感の良さから洗濯槽のステンレス化が進んでおり、特にドラム式洗濯機のドラムはステンレス製が標準的である。電気ポットの内部容器や電気給湯器のタンクでもステンレス鋼を採用しており、ステンレス製の給湯タンクでは孔食や応力腐食割れへの対策として高耐食フェライト系の444系が使われている。 電子機器類でもステンレス鋼が使わており、多くは小物部品で使われている。電子機器の使用環境はオフィスや家庭といった腐食の厳しい環境ではないため、耐食性が問題となることは比較的少ない。携帯電話部品やハードディスクドライブなどでは、非磁性の要求からステンレス鋼を使う場合もある。 現在の鉄道車両は、車体(構体)がステンレス製であるステンレス車両、車体がアルミニウム合金製であるアルミ車両、この2種類が主流である。ステンレス車両では、以前の普通鋼製車体の車両と比べると塗装を省略することができ、保守の手間が少ない。さらに、塗装と腐食代が省略できるため軽量化が可能となっている。鉄道車両の車体用には、オーステナイト系を低炭素化で耐食性を高めた鋼種が使われており、さらに加工硬化による高強度化が施されて使われている。ステンレス車両のコストは普通鋼製よりも高いが、アルミ車両よりは安く、通勤車両を中心にステンレス車両が多用されている。ステンレス構体の組立には抵抗スポット溶接が用いられており、近年では、ひずみが小さく溶接速度が速いレーザー溶接も用いられている。 自動車では、エンジンで発生した燃焼ガスが排気されるまでの排気系で、ステンレス鋼がもっとも利用されている。エキゾーストマニホールドからマフラーに至る排気系部品のほとんどでステンレス鋼を使用しており、鋼種は熱膨張係数が低くコストが比較的安いフェライト系が主に使われている。排気系部品でステンレス鋼利用が一般化した背景としては、排ガス規制強化がある。この規制強化に守るために、エンジン燃焼温度の上昇が必要となり、排気系部品へのステンレス鋼適用が進んだ。より高温のエンジン近くの部品には、耐熱性を重視した鋼種が選択され、比較的低温のマフラー側の部品には、耐食性に優れた鋼種が選択される。排気系以外でステンレス鋼の使用が一般化しているものとしては、外装の装飾モールやエンジンで使用されているメタルガスケットなどがある。反面、ボディにステンレス鋼が用いられた例は極めて少なく、2021年現在ではデロリアン・DMC-12及びテスラ・サイバートラックが採用した程度に留まっている。 二輪車分野では、オートバイやマウンテンバイクで使われるディスクブレーキのローター(ブレーキディスク)に、ステンレス鋼が常用されている。自動車ではローター材料は炭素鋼や鋳鉄が多いのに対して、二輪車では外見の良さも重要なことからステンレス鋼が主流となっている。ローターには強い摩擦力が働き、摩耗が問題となるため、ローターの硬度がある程度以上高いことが望ましい。一方で、ブレーキ時の摩擦熱が発生するため耐熱性が求められる。そのため、高硬度・耐熱性・耐食性のバランスがいいマルテンサイト系が、ローターの材料として広く実用されている。 耐食性が高いステンレス鋼だが、船舶分野では使用はそれほど多くない(下記の#海洋・海水環境も参照)。船舶におけるステンレス鋼の主な使用箇所で挙げられるのは、ケミカルタンカーやLNGタンカーにおけるタンク用材料で、ステンレス鋼の耐食性や低温特性を活かして使用される。ケミカルタンカーでは、国際海事機関が定めた国際規則で一部の化学薬品用のタンクにはステンレス鋼の使用を義務づけている。天然ガスを −162 °C に冷却した液化天然ガス(LNG)を運ぶLNGタンクには、ニッケル合金の他に、304 や 304L などのオーステナイト系ステンレス鋼が用いられる。高強度と腐食疲労耐性を求めて、スクリュープロペラにステンレス鋳鋼が採用される場合もある。 航空機分野では、機体材料の全体的な傾向として、鉄鋼材料自体がチタン合金、アルミニウム合金、複合材料などに取って代わられつつある。航空機でステンレス鋼が特に使われている箇所は、強固な特性が求められる機械部品類が多い。脚部や油圧機器、ラッチ、ロッド、ヒンジ類などで、ステンレス鋼が用いられている。 建築物では、その見た目の良さを理由に外装用・内装用ともにステンレス鋼が使われている。外装用としては、特に屋根用やファサード用にステンレス鋼が古くから使われてきた。ニューヨークのクライスラー・ビルディングは、外装にステンレス鋼を採用した最初の著名な建築物として知られる。クライスラー・ビルディングの尖塔外装にオーステナイト系が使われており、1930年代に建てられて海岸地帯に存在するにもかかわらず、今日も輝きを保っている。一方、建築物の荷重を支える構造材料では普通鋼が主流である。近年では鉄筋コンクリートに使われるステンレス製の異形鉄筋が実用化されており、構造材用途向けのステンレス鋼適用拡大が検討されている。 建物内部では、ドアノブ、蝶番、換気口、窓枠、クレセント、カーテンレール、手すりなど、様々な建築金物にステンレス鋼が使われている。普通鋼や表面処理鋼が昔は使われていたが、腐食対策や高級志向から、ドアノブのような目立つ箇所にはステンレス鋼が使われるようになった。ビルの内装材としてはヘアライン仕上げのステンレス鋼が主に用いられるが、入り口やエレベーター周辺では鏡面仕上げのステンレス鋼もアクセントとして用いられることもある。 土木分野では、水門の扉体・戸当り、橋梁の高欄(手すり)で、美観維持とメンテナンスフリーのためにステンレス鋼が使われている。公共施設や公園にある案内板といったものも、保全コストの削減のためにステンレス鋼化が進んでいる。 ドーム球場やコンベンション・センターのような大型建造物の屋根も、メンテナンスフリーや美観の向上のために、ステンレス鋼使用が浸透している。屋根は日射や気温による温度変化が起こるため、大型の屋根では熱膨張率の低いフェライト系の使用が望ましい。海浜地区などの腐食が厳しい場所に建てられる場合は、高耐食ステンレス鋼や塗装ステンレス鋼が適用される。 硝酸工業では、共沸濃度の以下の硝酸であれば304系のステンレス鋼で十分に耐用でき、304L が硝酸を扱う器具・装置の材料として広く利用されている。歴史的にも、ステンレス鋼実用化後の最初の大量使用の一つが硝酸を取り扱う用途であった。 硫酸は幅広く用いられている基礎化学原料の一つだが、限られた硫酸濃度範囲でしかステンレス鋼は不働態化しないため、硫酸を扱うのにステンレス鋼の使用範囲は限られている。窒素肥料となる硫安の製造では、硫安が腐食作用を緩和するため結晶缶に 316 などを用いている。 石油精製では、高温耐食性や高温強度といったニーズからステンレス鋼の適用が多い。300 °C から500 °C の高温下、3 MPa から 20 MPa の高圧下で硫黄分を除去する水素化脱硫装置では、耐粒界腐食性を高めた安定化オーステナイト系の 321 や 347 が使われている。常圧蒸留装置では、原油を 300 °C 前後まで加熱して原油を分留しており、装置は厳しい高温腐食環境に晒される。日本では、劣化の防止まではできていないものの、応力腐食割れの懸念が少ないフェライト系 SUS405 クラッド鋼が常圧蒸留装置の材料に用いられている。 製紙業も腐食が常に問題となってきた分野で、ステンレス鋼実用化後の初期からステンレス鋼が活用されてきた。よく使われている鋼種はオーステナイト系で、パルプ製造の連続蒸解釜では内側を 304L にしたクラッド鋼が使われ、二酸化塩素を使うパルプ漂白のより腐食が厳しい工程ではスーパーステンレス鋼が必要になる。パルプから紙をつくる抄紙工程では、圧搾脱水を行うサクションロールに耐食性や疲労強度を考慮してオーステナイト・フェライト系が主に使われている。 塩化物イオンを多量に含む海水環境は、ステンレス鋼にとって好ましくない環境といえる。海水環境で問題となるのは全面腐食よりも局部腐食で、鋼種によって程度の大小はあるが、海水環境ではほとんどのステンレス鋼にすきま腐食や孔食の可能性がある。海洋中の付着生物の存在もすきま腐食の原因となる。316系はステンレス鋼の中で耐食性の高い方であるが、316系であっても海水環境への耐食性を持つと言えず、利用範囲は限定される。 港湾や海洋構造物では、経済的理由もあり、海水に晒される箇所の構造材料は塗装と電気防食で対策した炭素鋼や低合金鋼を主体としている。ただし、海水中から大気中にかけての海水飛沫を受ける箇所や潮の干満によって海水に浸されたり外気に晒されたりする箇所では電気防食ができず、また、塗装には経年劣化や損傷の問題がある。そのため、日本では、鋼管構造を採用した海洋構造物に対して、SUS312L のようなスーパーステンレス鋼の薄板で海水飛沫部と干満部を覆って防食する手法が開発され、1997年頃から実用化されている。 海水淡水化設備では、コストを下げる観点からも、ステンレス鋼が活用されている。海水淡水化装置には主に蒸発式と逆浸透式があるが、いずれの方式でも各構成機器にステンレス鋼が利用されている。主に使われているのはオーステナイト系の316系や317系で、蒸発器には高強度かつ応力腐食割れへの耐性が高いオーステナイト・フェライト系の S2205 も使われている。 現代の火力発電所は超臨界圧または超々臨界圧の蒸気条件で運転されており、このような高圧化・高温化にともなってボイラーの材料としてステンレス鋼利用が増えている。ボイラーの過熱器、再熱器、熱交換器配管などにステンレス鋼が使われており、一般的には、金属温度が 600 °C を超えると、高温強度や耐酸化性のためにステンレス鋼が経済的にも有利といわれる。 蒸気のエネルギーを回転運動エネルギーに変換する蒸気タービンでは、強度と耐食性が必要な動翼と静翼にマルテンサイト系や析出硬化系が使われている。ローターやケーシングでは、より高温の厳しい運転条件になると、ステンレス鋼が必要とされる。ガスタービンでは、金属の融点レベルの高温の燃焼ガスを扱うため、タービン本体や燃焼器には超耐熱合金が主に使われるが、圧縮機やタービンディスクなどでステンレス鋼が使われることもある。 原子力発電所における軽水炉では、多くのステンレス鋼管やステンレス鋼厚板が用いられている。炉心で発生した蒸気をそのままタービンに送る沸騰水型軽水炉では原子炉圧力容器や配管系でステンレス鋼が使われており、応力腐食割れへの対策のために非鋭敏化鋼種へと置き換えられてきた歴史がある。加圧水型軽水炉の1次冷却系でもステンレス鋼を利用しているが、沸騰水型とは条件が異なることもあって応力腐食割れが問題となったケースは少ない。使用済み核燃料の再処理施設では、再処理に多量の硝酸を用いるため、ステンレス鋼が多量に使われる。 医療分野でも、手術器具から検査機器に至るまで、ステンレス鋼は多く使われている。薬品、消毒液、血液、体液などに対して耐食性が必要なため、ステンレス鋼が適しており、衛生面からも好まれる。種々の検査機器に対しては、非磁性であることも利点となる。メスや鉗子などの手術器具にはマルテンサイト系ステンレス鋼が使われている。 人工関節用など、人体内で使用するインプラント用材料としても使われる。体液は海水と同等の組成であるため、これらの用途には高耐食性の鋼種が利用されている。血管、胆管、食道などを広げるステントでは、コバルト合金などの他使用材料も存在するが、加工性や溶接性が良好であることや廉価であることからステンレス鋼の高耐食性鋼種も使われている。ただし、ステンレス鋼中に含まれるクロムとニッケルには金属アレルギーの問題もあり、優れた生体適合性を持ち、さらに軽量であるチタンなどの他の生体材料への置き換えも進んでいる。特に近年では毒性や金属アレルギーが懸念されるニッケルを生体材料から排除する動きが強まっており、ステンレス鋼でもニッケルを含まない、窒素などの他のオーステナイト生成元素を代わりに用いた生体材料用オーステナイト系ステンレス鋼の開発・実用化が進められている。 実用品以外の分野では、モニュメントやオブジェといった美術作品の素材として利用されている。ステンレス鋼を彫刻素材に使用する利点には、他の金属同様に可塑性があり加工しやすく且つ丈夫であること、耐食性が高くメンテナンス性に優れていること、光輝を持ち現代的な材質感が得られることが挙げられる。 ステンレス材に各種の研磨仕上げや表面処理を施すことで、多様な肌合いを表現することもできる。細かい孔を開けて透明を表現する、インコ法でグラデーションを作って虹を表現する、モアレを利用して三次元的な奥行きを表現する、といったステンレス鋼による表現の幅を広げる試みもなされている。石材、木材、鉄、プラスチックなど他の素材と組み合わせる例もある。鋼種としては、オーステナイト系の 304 がよく使われるが、沿岸部のような場所では高耐食な 316 も使われる。 ステンレス鋼はリサイクル可能な材料であり、再融解してステンレス鋼製品の原料にできる。ステンレス鋼に含まれるクロム、ニッケル、モリブデンなどの合金元素は枯渇性資源であり、ステンレス鋼リサイクルの重要性は大きい。現状では、使い終わったステンレス鋼製品のおよそ 80 % がスクラップとして回収され、リサイクルされていると推定される。国からの補助など無しで、経済的にリサイクルが成立できている。 特に、オーステナイト系(クロム・ニッケル系ステンレス鋼)は非磁性であるため、他の鉄スクラップと分別しやすい長所がある。一方で、フェライト系やマルテンサイト系(クロム系ステンレス鋼)は磁性があり、分別しづらいという短所がある。また、クロム系の場合、ステンレス鋼スクラップとフェロクロムの価格差が小さいため、回収費用に対して割に合わないといった課題もある。 これらの理由から、クロム系の大半は分別されずに、普通鋼スクラップとして回収されたり、クロム・ニッケル系とまとめて回収されたりしている。2003年から2005年までの日本のステンレス鋼市場を対象に行われたマテリアルフロー解析の結果によると、クロム・ニッケル系ステンレス鋼として回収できたスクラップ回収率は 75 % から 98 % であったが、クロム系ステンレス鋼として回収できたスクラップ回収率は 12 % から 34 % に留まっていた。 クロム系の中でもフェライト系の利用量は、オーステナイト系に次いでおり、利用のさらなる拡大が予測されている。そのため、フェライト系の分別回収を確立し、含有されているクロムをさらに有効活用することが期待されている。クロム系スクラップの回収率向上が、ステンレス鋼リサイクルにおける今後の課題の一つとなっている。 1950年頃のステンレス鋼の粗鋼生産量は、世界でおよそ 1,000,000 トンであった。それから年平均成長率 5.8 % で生産量は伸び続け、2019年の世界のステンレス鋼粗鋼生産量は 52,218,000 トンとなっている。鉄鋼材料全般における2019年の世界の粗鋼生産量は、1,869,000,000 トンで、ステンレス鋼生産の割合は 2.8 % である。 国別・地域別のステンレス鋼生産量については、2019年の実績では、1位が中国で生産量の 56.3% を占めている。次いで、2位がインド、3位が日本という順になっている。以下に、2001年から2019年まで世界のステンレス鋼生産量のグラフと、2018年時の国・地域別の生産量順位のグラフを示す。 ※特に文献内の複数個所に亘って参照したものを示す。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼(ステンレスこう、英: stainless steel)とは、鉄に一定量以上のクロムを含ませた腐食に対する耐性を持つ合金鋼である。規格などでは、クロム含有量が 10.5 %(質量パーセント濃度)以上、炭素含有量が 1.2 % 以下の鋼と定義される。単にステンレスとも呼ばれ、かつては不銹鋼(ふしゅうこう)と呼ばれていた。1910年代前半ごろに発明・実用化された。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の腐食に対する耐性(耐食性)の源は含有されているクロムで、このクロムによって不働態皮膜と呼ばれる数ナノメートルの極めて薄い皮膜が表面に形成されて、金属素地が腐食から保護されている。不働態皮膜は傷ついても一般的な環境であればすぐに回復し、一般的な普通鋼であれば錆びるような環境でもステンレス鋼が錆びることはない。ただし、万能な耐食性を持つわけではなく、特に孔食、すきま腐食、応力腐食割れといった局部的な腐食は問題となり得る。特に塩化物イオン環境には注意を要する。また、ステンレス鋼は高温腐食に対しても耐性が高く、耐熱鋼としても位置づけられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "一口にステンレス鋼と言っても、実際には多様なステンレス鋼の種類が存在しており、耐食性がより高い鋼種、高強度な鋼種、磁性を持つ鋼種、非磁性(常磁性)の鋼種、極低温でも脆化しない鋼種などがある。特に主要金属組織をもとにして「オーステナイト系ステンレス鋼」「フェライト系ステンレス鋼」「マルテンサイト系ステンレス鋼」「オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼」「析出硬化系ステンレス鋼」の5つで大別されている。クロム以外にも、ニッケルを筆頭に、特性向上のために様々な元素が添加される。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の製造上は、炭素の効率的な除去が特に重要なポイントとなる。成形、溶接、切削といった加工上も、普通鋼とはいくらか異なる面がある。日用品から産業用に至る幅広い分野でステンレス鋼が使われており、耐食性により金属素地を露出して利用可能なため、意匠的な利用も多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼とは、鉄にクロムが一定量以上添加された錆びにくい合金の一種といえる。鉄鋼材料の中では、高合金鋼または特殊鋼に位置づけられる。後述のように、含まれるクロムがステンレス鋼の耐食性の主たる源で、現在の国際的な定義では、ステンレス鋼は「クロム含有量が 10.5 % 以上、炭素含有量が 1.2 % 以下の合金鋼」と定められている。", "title": "定義と名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "このステンレス鋼の定義は、国際統一のために1988年に世界税関機構によって導入され、現在に至っている。国際標準規格 (ISO) や 日本産業規格 (JIS) でも、同様の定義が現在では採用されている。以前は、クロム含有量が約 12 %以上で十分な耐食性が発揮されると認識されており、ステンレス鋼に必要なクロムの最低含有量は約 13 % や約 12 % などとされていた。技術の向上によって炭素、窒素、硫黄などの耐食性を低下させる元素の含有を減らせるようになったため、定義上のクロムの最低含有量が 10.5 % で十分となった。", "title": "定義と名称" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「ステンレス鋼」という名は、英語の名称 \"stainless steel\" の音訳に由来する。stainless steel という名は、ステンレス鋼を最初に実用化した一人であるイギリスのハリー・ブレアリーによって、より正確には、ブレアリーの鋼の耐食性を確認した刃物技師のアーネスト・スチュアートによって名付けられた。1914年にスチュアートがブレアリーが開発した鋼を「より変色しにくい (stains less)」と評した記録が残っており、それがステンレス鋼に対して「ステンレス」という言葉が使われた最初だと推定される。", "title": "定義と名称" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本語では、かつては「不銹鋼(ふしゅうこう)」という名でも呼ばれていた。現在では、短く「ステンレス」と呼ぶことも多い。業界用語として、さらに省略して「ステン」と呼んだり、ステンレス鋼のJISの材料記号がSUSであることから「サス」と呼んだりもする。", "title": "定義と名称" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼が発明、実用化されたのは、20世紀初頭の1910年代のことである。18世紀に元素としてのクロムが発見され、19世紀中にステンレス鋼発明につながる多くの重要な基礎研究成果があり、それらをもとにステンレス鋼の発明が達成できたといえる。1900年代には、フランスのレオン・ギレやドイツのフィリップ・モンナルツが鉄・クロム合金についての特筆すべき学術的成果をまとめ、ステンレス鋼発明の土台が整いつつあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "後述のように、ステンレス鋼は金属組織別に大きく5つに分類される。1912年、オーステナイト系ステンレス鋼がドイツのベンノ・シュトラウス(ドイツ語版)とエドゥアルト・マウラー(ドイツ語版)によって発明された。そして1913年、マルテンサイト系ステンレス鋼が、上述のイギリスのハリー・ブレアリーによって発明された。フェライト系ステンレス鋼もこの頃に発明されたが、フェライト系ステンレス鋼の場合は誰を発明者とするかは決め難い。フランスのアルバート・ポートヴァン(ドイツ語版)、米国のクリスチャン・ダンチゼン、米国のエルウッド・ヘインズ(英語版)などがフェライト系ステンレス鋼の発明者として挙げられる。以上のようにステンレス鋼には多くの発見者・発明者が居たが、ステンレス鋼の発明者として一人を挙げるときにはハリー・ブレアリーの名を挙げることが多い。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "実用化後から、ステンレス鋼は耐食性およびその他特性を活かして、産業用から家庭用まで様々な用途で需要を伸ばしてきた。新たな機能・特性を持った鋼種の開発が行われ、ステンレス鋼の種類も豊富に増えていった。オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼は1930年代に、析出硬化系ステンレス鋼は1940年代に実用化された。同時に、ステンレス鋼の量産化と生産技術の向上も進められてきた。特に、1940年代の酸素脱炭法のステンレス鋼製造への適用、さらに1960年代後半のVOD法とAOD法の発明は、ステンレス鋼の生産性・品質を大きく向上し、製造コストを低下させた。1950年から2019年までの統計によれば、ステンレス鋼の全世界生産量は平均 5.8 % で増加を続けてきた。近年でも、製造法の改良や開発、耐食性・強度・加工性を改良あるいは兼備した鋼種の開発、省エネや省資源化を目指した鋼種の開発などが続けられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼に添加される合金元素は、定義のようにクロムを必須とする。さらに、各種特性向上のためにニッケル、モリブデン、銅、ケイ素、窒素、アルミニウムなどの他の元素も添加される。また、リンや硫黄は場合によっては有効な含有物だが、基本的に有害な不純物元素であり、普通はこれらは製造上できるだけ取り除かれる。炭素は、ステンレス鋼の耐食性を落とす不純物であるが、一方で、強度向上に寄与する有用な元素でもある。一部の種類を除いて、ステンレス鋼は0.01桁%–0.001桁%といった低い炭素含有量となるよう製造されている。", "title": "基本金属組織と合金元素の関係" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の金属組織をミクロに観察すると、金属組織を主に占めている相の種類には、体心立方構造のフェライト、体心正方構造のマルテンサイト、面心立方構造のオーステナイトの3つが存在する。こういった合金の金属組織は、含有する化学成分の種類と濃度(組成)、加熱・冷却・一定温度保持などの材料が受けた熱履歴、および加工履歴などによって決まる。フェライト、マルテンサイト、オーステナイトは結晶構造がそれぞれ異なっており、結晶構造の違いがステンレス鋼の材料特性の違いとなって現れる。特に物理的性質と機械的性質が、金属組織の種類によって変化する。", "title": "基本金属組織と合金元素の関係" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "フェライト、マルテンサイト、オーステナイトという3つの相は鋼全般で存在する相だが、鉄・炭素の2つから成る単純な鋼では、オーステナイトは高温のみで現れる相であり、常温で組織がオーステナイトになることは普通はない。常温でオーステナイトを主要な相とする鋼種があることは、ステンレス鋼の特徴の一つといえる。", "title": "基本金属組織と合金元素の関係" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の基礎となるのが、鉄・クロム系の状態図である。2成分系合金の状態図とは、縦軸に温度を取り、横軸に2つの元素の質量比を取り、温度と質量比によって決まる熱力学的平衡状態の金属組織を示す図である。鉄・クロム系2元状態図によると、クロム濃度 0 % のとき約 900–1400 °C の範囲で組織はオーステナイトとなる。クロム濃度を 0 % から増やすと、オーステナイトが存在する温度域は狭くなっていき、ついにはオーステナイトは存在しなくなり、組織は融点までフェライト単相となる。このように、濃度を増やすとフェライトが生成する方に寄与する元素を「フェライト生成元素」「フェライト形成元素」「フェライト安定化元素」などと呼ぶ。クロムの他にも、フェライト形成元素にはモリブデン、チタン、ニオブ、ケイ素などがある。", "title": "基本金属組織と合金元素の関係" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "一方、鉄・クロム系2元状態図上では、高温でクロム濃度が低い範囲まではオーステナイトが存在する。この高温域にあるオーステナイト(γ)の存在領域を「γ ループ」などと呼ぶ。鉄・クロム系に炭素もわずかに加わったような場合を想定すると、γ ループより低い温度では、オーステナイトは共析反応でフェライトと炭化物へと分解される。しかし、γ ループから組織を急冷した場合、組織はマルテンサイトに変わる。すなわち、急冷によって共析変態が阻止されてマルテンサイト変態が代わりに起こる。生成されたマルテンサイトには炭素が過飽和に固溶されており、組織中に転位が高密度に存在した状態となる。これによって、マルテンサイトは高い強度と硬度を持つ組織となる。", "title": "基本金属組織と合金元素の関係" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "フェライト生成元素とは逆に、濃度を増やすとオーステナイトが生成する方に寄与する元素を「オーステナイト生成元素」「オーステナイト形成元素」「オーステナイト安定化元素」などと呼ぶ。ステンレス鋼に加えられるオーステナイト生成元素の代表例がニッケルである。鉄・ニッケル2元系の状態図を見ると、ニッケル濃度が高いほどオーステナイトの領域が広がっていく。鉄・クロム・ニッケルの3元系で考えると、γ ループの領域が大きくなっておく。このようなオーステナイト生成元素を利用し、ステンレス鋼の特定の種類では常温でもオーステナイト組織のままとすることができる。オーステナイトの組織は、高い延性、非磁性などの特徴を持つ。ニッケルの他には、炭素、窒素、コバルト、マンガン、銅などがオーステナイト生成元素である。", "title": "基本金属組織と合金元素の関係" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "以上のようなフェライト生成元素とオーステナイト生成元素の量が、ステンレス鋼の組織を主に決めている。フェライト生成元素とオーステナイト生成元素の量から決まる主要相を図示したのがシェフラーの組織図(ドイツ語版)である。これは、横軸をクロム当量(フェライト生成元素)、縦軸をニッケル当量(オーステナイト生成元素)として組成と組織の関係を示したもので、クロム当量 (Creq) とニッケル当量 (Nieq) とは、", "title": "基本金属組織と合金元素の関係" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "のような形で、クロムのフェライト生成能あるいはニッケルのオーステナイト生成能と同じになるように重み付けし、各々の元素含有量を足し合わせたものである。ここで、%X で元素 X の質量パーセント濃度を意味する。シェフラーの組織図は、元々は溶接時の溶着金属の組織に対するものだったが、組成からステンレス鋼の相を予測するのに実用上も有効である。当量からステンレス鋼の組織を予測する手法については、シェフラーの組織図以外にも様々な手法が提案されている。", "title": "基本金属組織と合金元素の関係" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼には、現在では多くの種類が存在している。用途・目的に応じて、適当な鋼種を選択することが重要である。大別分類としては、主要成分別と金属組織別がある。さらに細かくは、規格で分類・指定されている。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼に含まれる合金元素としてはクロムが欠かせない。さらに、ニッケルを主要合金元素として含むステンレス鋼も主流である。主要な合金元素がクロムのみであるステンレス鋼、主要な合金元素がクロムとニッケルのステンレス鋼、これら2つを", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "という。クロム系ステンレス鋼とクロム・ニッケル系ステンレス鋼の2種類が、主要成分による大別分類として定着している。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ただし、主要合金元素の組み合わせとしては、クロム系とクロム・ニッケル系以外もあり得る。かつて日本産業規格にあった SUS200 番台のステンレス鋼などはニッケルを減らしてマンガンも主要成分としているので、Cr-Ni-Mn系のステンレス鋼といわれる。ステンレス鋼の主要成分は金属組織の決定に直結し、後述の組織別分類にも関わってくる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "前記のように、金属組織の状態は材料特性に特に影響する。そのため、金属組織別にステンレス鋼を大別するのが学問的にも順当で、材料特性を理解しやすい。常温における金属組織によって大別すると、ステンレス鋼は以下の5つに分類される。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "この中で析出硬化系ステンレス鋼は主要な相ではなく組織の析出硬化の有無による分類なので、その母相にもとづき「マルテンサイト系析出硬化型ステンレス鋼」「オーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」のようにさらに細分もされる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "以下、特に断りがない限り、「マルテンサイト系」「フェライト系」「オーステナイト系」「オーステナイト・フェライト系」「析出硬化系」という表記は上記の5種類を指す。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "マルテンサイト系ステンレス鋼とは、常温でマルテンサイトを主要な組織とするステンレス鋼である。高温ではオーステナイト単一組織、またはフェライトが少し混じったオーステナイト組織で、その状態から急冷して焼入れを行うことによってマルテンサイト変態を起こしてマルテンサイト組織にする。焼入れ後は、残留応力の除去や靭性の回復を行うために通常焼戻しを行う。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "マルテンサイト系のクロム含有量は一般的に 11 % から 18 % 程度で、クロム系ステンレス鋼の一種に分類される。また、他のステンレス鋼と異なり炭素を積極的に含むのがマルテンサイト系の特徴で、0.15 % から最大 1.2 % の炭素がマルテンサイト系に含有される。ステンレス鋼の中では、クロム含有量が比較的少なく炭素含有量が比較的多いという組成となっている。「13Cr鋼」や「13クロムステンレス」など呼ばれるクロム量約 13 % の鋼種が、マルテンサイト系の代表的な鋼種である。焼入れではなく完全焼なましを施した場合のマルテンサイト系の組織は、炭化物を多く含むフェライト組織となる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "フェライト系ステンレス鋼とは、常温でフェライトを主要な組織とするステンレス鋼である。高温ではフェライト単一組織またはオーステナイトが少し混じったフェライト組織で、焼入れ処理をしても相変態が起きない。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "フェライト系のクロム量にはおよそ 12 % から 30 % 程度までの種類がある。マルテンサイト系と同じくニッケルを主要合金元素として含まず、クロム系ステンレス鋼に分類される。「18%Cr鋼」や「18クロムステンレス」など呼ばれるクロム量約 18 % の鋼種が、フェライト系の代表的な鋼種である。特に、炭素および窒素の含有量を 0.03 % 以下のような極低量まで低減し、さらにチタンやニオブなどの炭化物安定化元素を添加し、性能を高めたフェライト系鋼種は「高純度フェライト系ステンレス鋼」と呼ばれる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "オーステナイト系ステンレス鋼とは、常温でオーステナイトを主要な組織とするステンレス鋼である。上記で述べたとおり、通常は常温ではオーステナイトは残存しないが、オーステナイト生成元素を添加することでオーステナイトが安定化して常温で存在可能になる。通常、高温で材料全体をオーステナイト化・合金元素を十分に固溶させ、急冷して完全なオーステナイト組織にする。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "オーステナイト系は、主要合金元素としてクロムとニッケルを含むクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種である。「18-8(じゅうはちはち)ステンレス」など呼ばれるクロム約 18 % ・ニッケル約 8 % の鋼種が、オーステナイト系の代表的な鋼種である。オーステナイト系はステンレス鋼全体の中でもっとも広く使われている鋼種で、使用量も種類も多い。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "オーステナイト系は常温でも主要組織をオーステナイトとするが、添加される合金元素組成によって存在するオーステナイトの安定度が異なる。オーステナイト安定度が低い場合は、塑性加工が施されたり、低温下に置かれたりすると、一部のオーステナイトがマルテンサイトに変態する。このような鋼種は「準安定オーステナイト系ステンレス鋼」と呼ばれる。一方、オーステナイト安定度が高い場合は加工などを施しても相変態が起きず、このような鋼種を「安定オーステナイト系ステンレス鋼」と呼ぶ。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼とは、常温でオーステナイトとフェライトの両方が並存する組織のステンレス鋼である。2つの相から成るので「二相ステンレス鋼」などとも呼ばれる。実際のフェライト・オーステナイトの割合は成分と熱履歴によって変わるが、一般的には、それぞれの存在割合がおおよそ同じとなるように製造する。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "オーステナイト生成元素とフェライト生成元素の調整によって、オーステナイトとフェライトを並存させる。例えば、ニッケルを 8 % 含むものがクロムを 22 % 以上含むようになると、常温で二相組織を得ることができるようになる。オーステナイト系と同じくニッケルも主要合金元素として含むため、オーステナイト・フェライト系はクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種に分類される。オーステナイト・フェライト系の代表的鋼種の場合で、クロム約 25 %、ニッケル約 4.5 %、モリブデン約 2 % を主要合金元素とする。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "析出硬化系ステンレス鋼とは、銅やアルミニウムといった元素を添加して母相に析出させ、析出硬化と呼ばれる材質の硬化現象を起こして用いるステンレス鋼である。一般的に使われている析出硬化系の母相の種類は、オーステナイトとマルテンサイトの2つである。硬化を起こす微細な析出物を母相中に分散・現出させて、析出硬化を起こす。析出物自体は、光学顕微鏡では視認できず、電子顕微鏡などを使って確認できるレベルの大きさである。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ニッケルも主要合金元素として含むため、析出硬化系はクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種に分類される。析出硬化系の代表例が「17-4PH」と呼ばれるマルテンサイトを母相とする鋼種で、クロム約 17 %、ニッケル約 4 % を含み、析出硬化性元素として銅約 4 % を含む。析出硬化系は母相の種類・性質に応じて細分され、「マルテンサイト系析出硬化型ステンレス鋼」「セミオーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」「オーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」の3つが一般的である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の種類は、世界各国の国家規格や団体規格、および国際規格で規定されている。2010年版のISO規格では全191種のステンレス鋼が規定されており、その内、オーステナイト系が98種、フェライト系が34種、マルテンサイト系が33種、オーステナイト・フェライト系が15種、析出硬化系が11種となっている。こういった規格で、化学組成の指定のほか、機械的性質、耐食性などの品質要求が、各鋼種に対して定められている。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の規格分類を最初期に規定したのはアメリカ鉄鋼協会(英語版)(AISI)で、3桁の数字と末尾の記号でステンレス鋼の種類を体系付けした。マルテンサイト系とフェライト系には400台を、オーステナイト系には300台を割り当てている。もっとも使用されている18-8ステンレスには「304」という記号が割り当てられている。AISI規格の命名体系はアメリカのみならず世界各国でも採用され、カナダ、メキシコ、日本、韓国、イギリス、ブラジル、オーストラリアなどがAISI規格体系を基にした国家規格を制定している。一方で、国際規格であるISO規格や欧州統一規格であるEN規格は、ドイツのDIN規格の命名体系を採用している。アメリカではAISIは鋼種の規格活動を1960年代に終了しており、アメリカ国内では、AISI規格はアメリカ試験材料協会やアメリカ自動車技術者協会の規格に採用された形で残っている。さらに、金属・合金コードの統一を目指すユニファイド・ナンバリング・システム(英語版)(UNS)でもステンレス鋼についてはAISI規格体系をベースにしている。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "18-8ステンレス鋼(JIS SUS304 と同等の鋼種)を例にして、主な規格の材料記号を下記の表に示す。この内、イギリス、ドイツ、フランスなどの規格は、現在ではEN規格に統合されている。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "JISを例にすると、ステンレス鋼の指定は以下のような具合である。まず、頭に大まかな分類記号が付く。「SUS」がステンレス鋼材全般(棒材、線材、管材、板材、帯材、形鋼など)を意味しており、他には鋳鋼品を意味する「SCS」や、溶接用ワイヤを意味する「SUSY」などがある。次に、鋼種を指定する記号が続く。これはAISI規格に由来する3桁の数字から成り、さらに意味づけされたアルファベットが数字の後に続くこともある。「SUS304L」であれば SUS304 をより低炭素にした鋼種を意味する。鋳鋼については独自の体系で整理されている。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "このような具合に決められた一連の記号によって、満たすべき化学組成および機械的性質の範囲などが指定される。さらに必要であれば、製品形状を示す記号を末尾に付ける。「SUS304-B」であれば SUS304 の棒材を意味し、「SUS304-HS」であれば SUS304 の熱間圧延帯材を意味する。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の耐食性は、化学組成、組織の状態、熱履歴によって変動する。優れた耐食性を持ち、「さびない材料」のイメージを一般に持たれるステンレス鋼だが、実際の耐食性は鋼種によって幅広い。海水でも錆びない高耐食なものから、野外に放置すると数日で錆び出すものまで存在する。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "特に、耐食性の度合いの決定には化学組成の影響が大きく、各々のステンレス鋼の実際の耐食性は主に化学組成によって決まるといえる。ステンレス鋼の耐食性を向上させるには、有効な合金元素の添加と不純物となる元素の減少が有効である。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "主要組織別の分類でいえば、オーステナイト系の耐食性が優れ、マルテンサイト系の耐食性は悪いと、大まかに評される。ただし、このように主要組織別分類で耐食性を大まかに評価できるのは、主要組織が化学組成と熱履歴によって決まっているからである。マルテンサイト系の例でいえば、マルテンサイト系はマルテンサイト組織を得るために、耐食性に有効なクロムを増やすことと耐食性上は不純物となる炭素を減らすことが両立しない。結果的に、マルテンサイト系の耐食性は他のステンレス鋼よりも一般的に劣る。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼が関わる腐食には、大きく分けて「湿食」と「乾食」という2つの形態がある。湿食は水溶液腐食とも呼ばれ、水溶液の作用で起こる腐食である。乾食は気体腐食とも呼ばれ、高温の気体の作用で起こる腐食である。湿食は典型的な腐食現象で、地球上の金属の腐食のほとんどが湿食で起きている。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "炭素鋼が中性の水に浸されると、すぐに錆びが発生し、腐食が進む。一般的に、電気化学的な見地から、腐食はアノード反応とカソード反応の組み合わせによる化学反応と理解される。酸素が溶存する中性の水に炭素鋼が触れると、局所的に以下のアノード反応とカソード反応が起きる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "このように、アノード反応域の鉄が Feイオンとして溶け出ることで、通常は腐食が進む。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "一方、ステンレス鋼を同種の環境においても一般に腐食することはない。ステンレス鋼の表面には「不働態皮膜」と呼ばれる特殊な皮膜が形成されており、金属がイオンとなって溶け出て行く上記の反応をこの皮膜が防いでいる。不働態皮膜は化学的に安定かつ緻密に表面を覆っており、仮にステンレス鋼表面が傷つき皮膜が破壊されたとしても、通常は瞬時に新たな不働態皮膜が破壊面で生じる。このように、熱力学的には腐食した状態の方が安定な化学組成であるにもかかわらず、不動態皮膜の存在によって腐食が著しく遅くなり、実質的に腐食しなくなることを「不働態化」と呼ぶ。また、この状態や構造を「不働態」と呼ぶ。特殊な環境であれば、不働態化は普通の鉄でも起きる。例えば、普通の鉄は一定以上の濃度の硝酸水溶液において不働態化して、溶解反応が停止する。ステンレス鋼が普通の鉄と異なる点は、不働態化がより一般的な環境でも起きるということである。これが、ステンレス鋼が高い耐食性を示す理由である。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "不働態化の様子は、金属の「アノード分極曲線」から読み取ることができる。アノード分極曲線とは、ある電解質溶液に対象の金属を電極(アノード; 陽極または負極)として浸したときに電極へ流れる電流密度を電極電圧の関数として表した曲線であり、この電流密度の大きさは対象金属の腐食速度と等価である。アノード(対象金属)の電圧を平衡電位から上げていくと、電流密度も上昇していく。アノードが不働態化を起こす金属である場合、ある電位に達した時点で電流密度が頭打ちになり、その電位以上の電圧をかけると電流密度は逆に急激に下がりはじめ、やがて電流密度は低い一定値を示すようになる。この電流密度の低い状態が不働態である。不働態となる直前の電流密度の最高値を「臨界不働態化電流密度」、このときの電位を「不働態化電位」と呼び、また、不働態化した後の低い電流密度値は「不働態維持電流」と呼ばれる。不働態となった後に、さらに電位を上昇させると、ある電位以上で電流密度が再度増える。これは、高すぎる電位に不働態皮膜が溶解してしまい、アノードの表面が活性な状態に戻るためである。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "この臨界不働態化電流密度は、金属の不働態化を検討するうえで重要な特性値である。一般に、金属が不働態化するには、臨界不働態化電流密度以上の電流が、対になるカソード反応によって供給される必要がある。カソード反応に対する「カソード分極曲線」も、アノード分極曲線とほぼ同様に測定して得ることができ、カソード分極曲線は対象の環境によって定まる。不働態化が起こるには、不働態化電位に至るまでカソード分極曲線がアノード分極曲線を常に上回り続けて、不働態域まで自発的に電位が上がった平衡状態になる必要がある。よって、臨界不働態化電流密度が低い金属ほど、不働態化しやすい。鉄にクロムを添加すると、クロム含有量の増加にともなって臨界不働態化電流密度と不働態化電位が低くなり、不働態域も広がることが知られている。すなわち、クロムの添加により、あまり酸化性が強くない環境でも不働態化しやすくなる。さらに、クロムの添加により不働態維持電流も小さくなり、不働態はより安定する。これらのクロムの効果でステンレス鋼は耐食性を発揮しており、これがステンレス鋼の定義においてクロムの一定以上の含有を必須事項としている理由である。鉄に添加して有効な不働態皮膜を発生させることができるクロム以外の元素は、現在までのところ見つかっていない。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼が作る不働態皮膜の詳細は現在も様々な手段による解析が行われており、まだ正確には解明できていない面もある。不働態皮膜の厚さは、組成や環境にもよるが、1–3 nm ないし 1–5 nm と極めて薄い。そのため、不働態皮膜の有無は肉眼では分からない。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の不働態皮膜の構造は2層構造となっており、外層側が水酸化物、内層側が酸化物で構成されている。内層酸化物では3価のクロムイオン (Cr) が濃縮されており、ステンレス鋼の素地と皮膜は、酸化物イオン (OH) を介して結合していると考えられている。この内層酸化物が、不動態皮膜の耐食性を主に生み出していると考えられている。解析結果からの一例だが、水和オキシ水酸化クロム (Cr-O-OH-H2O) と呼ばれる錯化合物が主体として皮膜を構成しているというモデルが考えられている。また、不動態皮膜は非化学量論的化合物であり、明確な結晶構造を持たないものとみられている。クロムの量が多いほど、非晶質的な性質をより示す。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼が弾性変形しても、不働態皮膜もそれによく追従して破壊されることはない。上記でも述べたとおり、もしステンレス鋼表面が傷ついて皮膜が機械的に破壊されても、瞬時に再生する性質を持つ。また、ステンレス鋼の不働態皮膜は半導体型のバンド構造を有し、クロム 20 % 程度までではn型半導体、それ以上ではp型半導体となることも分かっている。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "鉄とクロムの2元合金に対して、さらにニッケルやモリブデンなどの他の元素を加わえても、耐食性向上の効果がある。ニッケルは臨界不働態化電流密度と不働態維持電流を小さくし、モリブデンも臨界不働態化電流密度を小さくすることが知られている。しかし、いずれの元素も不働態化電位は高くしてしまう。モリブデンは不働態皮膜中には存在しないとされるが、不働態皮膜の再生を助ける働きをすると考えられている。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "腐食の形態を進行範囲の大きさで分けると「全面腐食」と「局部腐食」の2つに分かれる。全面腐食は、表面全体がおおむね均一に腐食して失われていく形態で、局部腐食は、材料の一部分で腐食が局部的に進行する形態である。ステンレス鋼は、その不働態化能力によって全面腐食に対しては比較的強い。ステンレス鋼の腐食による事故・事例の中では、全面腐食によるものの割合は少ない。全面腐食は発生の予測がしやすいため、腐食現象の中では危険性が小さい方である。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の全面腐食は、表面が不働態化できず、全面が活性状態となる環境で起きる。アノード分極曲線上でいえば、不働態に移る前の電位に比例して電流が急増していく領域のことを「活性帯」といい、この活性帯で全面腐食が起きる。一度不働態になった金属に対して酸化剤の pH が下がっていくと、あるところの pH 以下で不働態を維持できなくなる。この pH の値を「脱不働態化pH」といい、SUS304 の場合で 2 前後である。ステンレス鋼の全面腐食は、一般的に pH = 2 以下の酸環境で起きる。脱不働態化pH をさらに下げるには、クロム、モリブデン、ニッケルの添加が有効である。主な酸に対する大まかな全面腐食耐食性の傾向を以下に示す。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の塩酸に対する耐性は、表にも示すように乏しい。塩酸はステンレス鋼を不働態化させるほど十分な酸化力がなく、全面腐食を引き起こす。ステンレス鋼がもっとも苦手とする環境が塩酸だといえる。希塩酸に対して使われる場合もあるが、塩酸濃度が低い場合でも後述の孔食や応力腐食割れの可能性がある。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "硫酸に対しては、中濃度では全面腐食が起きる。十分な高濃度または低濃度の硫酸に対してのみ、ステンレス鋼の使用が許容される。高温化した硫酸に対しても全面腐食が起きる可能性があり、0.5 % 硫酸でも温度が 100 °C で腐食が進む。硝酸については、中濃度およびそれ以下であればステンレス鋼は良好な耐食性を持つ。一方で、高濃度や高温度の硝酸に対しては大きな腐食が起きる。代表的な有機酸である酢酸に対しては、沸点温度になると腐食しないために高耐食ステンレス鋼が必要となる。ただし、実際の酢酸には不純物や共存成分が混じり、それらが腐食を促進する。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "アルカリ性環境については、希薄なアルカリ水溶液に対しては不働態化して良好な耐食性を示す。ステンレス鋼で実際に問題となるのは苛性ソーダによる腐食である。苛性ソーダに対してはニッケルが有効で、ニッケル含有量が多いほど耐食性が向上する。クロム・ニッケル系ステンレス鋼の SUS304 の場合で、濃度 50 % 以下、温度 80 °C 以下であれば腐食に耐え、それ以上の条件になると全面腐食が進む。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の場合、全面腐食よりも、材料中の一部分で腐食が進む局部腐食の方が実用上の問題となることが多い。特にステンレス鋼で問題となる局部腐食は「孔食」「すきま腐食」「粒界腐食」「応力腐食割れ」などがある。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "孔食とは、全体的には腐食が進んでいない状況にもかかわらず材料中の一部分が穴状に浸食する形態の腐食である。具体的な破壊モデルは種々提案されているが、不働態皮膜が電気化学的あるいは機械的に局所的に破壊されると、そこから孔食が発生する。ハロゲンイオンを含む水溶液環境中で孔食は起こりやすく、特にステンレス鋼の場合は塩化物イオン(Cl)を含む水溶液中で孔食が起こりやすい。外部との液交換が難しいピット(孔)中では、ピット中の溶存酸素が消費されて、ピット中は溶解金属イオンが過剰な状態となる。電気的中性を保つために、外部の Cl が電気泳動でピット中に引き寄せられ、ピット内で金属塩化物ができる。金属塩化物はすぐに加水分解して、ピット内部の pH はさらに低下し、ピット内部で腐食が進む。塩化物イオンの場合はこのような機構によって孔食が進むと考えられている。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "孔食に対するの耐食性向上には、クロム、モリブデン、窒素、ケイ素、タングステン、レニウムなど添加が有効である。特に、クロムとモリブデンが耐孔食性向上の元素として挙げられる。合金元素量から耐孔食性の指標を計算するものとして、耐孔食指数 (Pitting Resistance Equivalent Number, PREN または Pitting Resistance Equivalent, PRE) が知られている。よく使われる PREN の式は", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "と表される。窒素(N)の影響力を意味する係数 n の値は研究者によって異なり、n = 16 がよく使われる。ただし、オーステナイト系には n = 30 の方がより適当ともいわれる。フェライト系の場合は n = 0 で計算する。PREN が40以上の鋼種を「スーパーステンレス鋼」と呼ぶ。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "また、ステンレス鋼中の非金属介在物は、孔食発生の核となり、有害であることが知られる。特に硫化マンガン(II) (MnS) の介在物が有害である。このため、組成の制御や表面処理による MnS の除去が耐食性改善に有効である。使用上の対策としては、できるだけ Cl 濃度および温度が低い環境で使用することが望ましい。日常生活の例でいえば、台所周りでステンレス鋼に付着した塩や醤油などを放置すると、孔食が発生・進行する恐れがある。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "すきま腐食とは、だいたい 0.01 mm 程度の微小なすきまで起こる腐食で、すきま内部で局所的な腐食が進む。ステンレス鋼表面に付着した異物の下から、あるいはボルト・ナット締結部やフランジ継手のような構造上のすきま部から、すきま腐食が起きる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "すきま腐食では閉鎖環境として機能するすきまが最初から存在する点が孔食と異なるが、すきま腐食の腐食進行機構は孔食と本質的には同じである。対策も同様に、クロムやモリブデンの合金元素添加、低 Cl 濃度環境での使用が有効である。また、構造上のすきまができるだけないように配慮することも必要である。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "粒界腐食とは、多結晶体中の個々の結晶の境目である結晶粒界で局部的に腐食が進む現象である。ステンレス鋼の粒界腐食は、粒界付近にクロムが欠乏した領域が存在することによって起きる。粒界では、結晶粒内と比較して析出が進行しやすい。また、炭素はクロムと結合しやすい性質を持っている。そのため、ステンレス鋼が高温に加熱されると、ステンレス鋼中の炭素とクロムが結合して粒界でクロム炭化物 (Cr23C6) ができる。生成したクロム炭化物の周辺ではステンレス鋼中のクロムは欠乏する。クロム欠乏帯では 10 % を下回るような低クロム濃度になっており、耐食性が乏しく、そのため粒界腐食が起きる。粒界腐食がひどく進行すると結晶粒の脱落が起き、強度にも悪影響を及ぼし得る。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "クロム欠乏帯の発生のように、粒界腐食が起きやすい材質になることを「鋭敏化」という。オーステナイト系の場合、およそ 400 °C から 800 °C の温度域でクロム欠乏帯による鋭敏化が起きる可能性がある。この温度域で短時間でも保持されるとクロム炭化物が析出するため、この温度域を徐冷でゆっくり通過しても鋭敏化の可能性がある。一方で、フェライト系では約 900 °C 以上からの急冷で鋭敏化が起こる。オーステナイト系とフェライト系の温度条件の違いは、組織中におけるクロムの拡散速度、炭素の拡散速度、炭素の固溶量が異なることによる。ただし、フェライト系の鋭敏化は比較的軽微で、特に問題となるのはオーステナイト系の鋭敏化といえる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼が素材の状態では、適切な熱処理を施すことによってクロム炭化物は素地に溶けて、クロム欠乏帯を作らずに済む。しかし溶接を行う場合、高温に上昇する溶接箇所の熱影響部で鋭敏化が起き得る。上記の温度条件の違いにより、オーステナイト系では溶接金属から少し離れたところで、フェライト系では溶接金属の直近で鋭敏化の可能性が高い。このように溶接熱影響部で起きる粒界腐食は「ウェルドディケイ (weld decay)」と呼ばれる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の鋭敏化に対する材料側の対策としては、クロム炭化物の元となる炭素の低減が有効となる。また、ニオブやチタンのような、優先的に炭素と安定な化合物を作る合金元素の添加も有効である。溶接上の対策は、できるだけ入熱が小さい溶接条件を選定することである。変形の危険もあるが、溶接後に再度の固溶化熱処理を実施することも対策となる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "応力腐食割れとは、腐食環境に引っ張る力(応力)が重なったときに割れが起きる現象である。引張り強さ未満の応力であっても腐食作用が加わることで割れが発生し、最終的には破断にまで至る可能性もある。広義の応力腐食割れは、アノード反応溶解が割れを助長する「活性経路腐食型応力腐食割れ」と、材料中の水素原子が原因となる「水素脆性型応力腐食割れ」に分かれる。応力腐食割れの事例全体の中でも発生事例が多いのが、ステンレス鋼の応力腐食割れ、特に塩化物環境で起きるオーステナイト系の活性経路腐食型応力腐食割れである。オーステナイト系使用上の大きな問題点の一つが、応力腐食割れといえる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "塩化物環境での応力腐食割れの場合、塩化物濃度、溶存酸素、温度が高いほど割れが発生しやすくなる。高温高圧の塩化物水溶液を扱う熱交換器などで起きるものが、オーステナイト系の応力腐食割れの代表例である。実際の環境で起きたステンレス鋼の応力腐食割れの事例によると、多くは 70 °C 以上の環境温度で起きている。塩化物以外では、苛性ソーダなどの高温アルカリ水溶液でステンレス鋼の応力腐食割れは起きる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "固溶化熱処理されたステンレス鋼であれば、結晶粒内を割れが進む「粒内割れ」が塩化物環境の活性経路腐食型応力腐食割れの形態となることが多い。ステンレス鋼で起こる応力腐食割れの多くは粒内割れである。一方で、ステンレス鋼が鋭敏化していると、結晶粒界を割れが進む「粒界割れ」が生じ得る。粒界割れ型の応力腐食割れの場合は、200 °C から 300 °C の高純度高温水でも発生する。粒界割れ型の応力腐食割れを防ぐためにも、材料の鋭敏化を防ぐことが重要となる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "フェライト系とオーステナイト・フェライト系は、オーステナイト系と比較すると応力腐食割れが生じづらい。ステンレス鋼の中で材料を選ぶならば、対応策としてはフェライト系やオーステナイト・フェライト系が選択肢となる。オーステナイト系の場合は、ニッケル含有量を 40 % 近くまで増やすと実用的なレベルまで耐応力腐食割れ性が高まるが、コストの面からこのような鋼種の選択は難しい。引張応力が大きいほど応力腐食割れは起きやすくなるので、引張応力ができるだけ加わらない設計や施工が望まれる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "水素脆性型応力腐食割れは、単に「水素脆化」や「水素脆性」とも呼ばれる。通常の腐食に起因した水素の侵入を原因とする水素脆性の場合は、その耐食性によって炭素鋼などよりもステンレス鋼の水素脆性は起きづらい。水素燃料機器の材料として、オーステナイト系ステンレス鋼が用いられることが多い。しかし、ステンレス鋼であって、腐食に起因した水素侵入ではないため高圧水素ガス環境下では水素脆性の可能性がある。高圧水素中の水素脆性評価によると、オーステナイト系 SUS316L やオーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼 A-286 などのオーステナイト安定度の高い鋼種が脆化しづらく、オーステナイト系 SUS304L やマルテンサイト系ステンレス鋼は脆化を示す。ただし、ステンレス鋼の水素脆性の機構自体がまだ未解明で、結論は得られていない。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "異種金属接触腐食とは、異なる種類の金属が接触するときに電池が形成され、電極電位が低くなる方(卑な方)の金属で腐食が進む現象である。不働態化したステンレス鋼は、海水中の腐食電位列に代表されるように、鋼、鋳鉄、銅合金といった他の実用構造材料に対して電極電位の高い側(貴な側)となりやすい。そのため、異種金属接触腐食が起こる場合も、ステンレス鋼側の腐食よりも相手材料側の腐食が問題となることが実用上は多い。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "異種金属接触腐食への影響要素としては、両金属の腐食電位列上の関係や面積の比率、電解質溶液の電気伝導率や流速が関係する。特に重要なのが面積比率で、接触する両金属の内の卑な金属の面積が、貴な金属の面積よりも小さければ小さいほど腐食が進展しやすくなる。よくある例はステンレス鋼板を普通鋼のボルトで締結したような事例で、ステンレス鋼板側が貴かつ面積大の状態で、普通鋼ボルト側が卑かつ面積小の状態であるため、ボルトの著しい腐食が起こり得る。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "高温の気体の作用で起こる腐食現象の乾食、あるいは高温で起こる腐食現象全般の高温腐食についても、汎用金属材料の中ではステンレス鋼は優秀な耐性を持つ材料だといえる。乾食は、発電所、石油化学プラント、自動車排ガス装置などの高温装置で関係し、主に「高温酸化」と「高温ガス腐食」に分類される。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "鉄鋼材料を高温大気中に長時間さらすと、ぼろぼろの表面となることがある。このような現象を高温酸化という。高温大気環境中で生じる酸化現象で、空気中や酸素中の他に水蒸気中や二酸化炭素中でも生じる。ステンレス鋼は高温酸化にも優れた耐性を示す。ステンレス鋼の耐酸化性の源は主にクロムによるもので、クロム含有量が多いほど高温酸化への耐性も向上する。高温酸化が激しくなって使用が困難になる温度が炭素鋼では 500 °C 程度といわれるのに対して、ステンレス鋼では鋼種にもよるが 1000 °C 程度となる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "高温での耐酸化性や耐食性の源は、表面に形成される保護皮膜による。この皮膜は保護性を持つ点では不働態皮膜と同じだが、組成も異なり厚みも大きく、不働態皮膜とは別物である。ステンレス鋼のクロムが 20 % 以上の高含有量になると、酸化クロム(III)(Cr2O3)で出来た保護性のある酸化物皮膜が表面を緻密に覆う。この酸化物皮膜中では金属イオンや酸素イオンの拡散が非常に遅く、ステンレス鋼の高い耐酸化性が得られる。ただし、18 % 未満程度のクロム含有量が低い場合は、緻密で連続した Cr2O3 皮膜は形成されず、FeCr2O4 や Fe(Fe,Cr)2O4 の皮膜が形成されるに留まる。しかし実用的には、SUS410 のような11%クロムステンレス鋼や SUS430 のような17%クロムステンレス鋼も 800 °C ないし 850 °C を使用限度温度として高温酸化環境で使われている。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "保護性の Cr2O3 皮膜が欠損・剥離を起こした場合でも、クロム含有量が高ければ直ちに Cr2O3 皮膜を再生できる。他の合金元素としては、ケイ素が耐酸化性を著しく改善する。添加されたケイ素は皮膜層と母材の界面に二酸化ケイ素として塊状または連続層として存在し、Cr2O3 皮膜の形成を助力する。アルミニウムにも大きな改善の効果があるが、クロムとアルミニウムの含有量によって効果が異なり、その挙動は複雑である。例えば クロム 14 % を含むものに対して 0.8 % から 2.0 % のアルミニウムを添加すると、酸化アルミニウム(Al2O3)の皮膜が Cr2O3 皮膜の下に形成される。Al2O3 皮膜自体は緻密で保護性が高いが、この場合は皮膜の剥離を誘発して酸化速度がむしろ大きくなる。さらにアルミニウム濃度が高くなれば、最外層に Al2O3 皮膜が形成されるようになり、酸化速度が著しく小さくなる。逆にアルミニウム含有量が 0.3 % 程度の場合も、Al2O3 粒子が Cr2O3 皮膜の下に分散、内部酸化層となって、酸化速度を減少させる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "上述のように、高温酸化は水蒸気雰囲気中でも生じる。水蒸気中で起こる高温腐食を特に「水蒸気酸化」と呼ぶ。火力発電のボイラーで 500 °C から 650 °C の高温蒸気に晒される管内面などで問題となる。水蒸気酸化の進行は、水蒸気の解離によって発生した酸素分子によって、または水蒸気と鉄の直接反応によって進行するといわれる。水蒸気酸化では、同時発生する水素が皮膜に欠陥を作り、さらに、そこまで温度が高くないため保護皮膜が一様に生成されにくいことや酸素の供給が不十分なことによって、水蒸気酸化中での酸化皮膜は不完全で保護性が低くなりやすい。水蒸気酸化性に大きな影響を持つ合金元素はクロムで、多量添加によって水蒸気酸化への耐性を向上できる。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "大気環境以外で生じる乾食は高温ガス腐食と呼ばれる。ステンレス鋼に関わる代表的な高温ガス腐食が、高温硫化、浸炭、窒化、ハロゲンガス腐食などである。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "高温硫化は、硫化水素ガスや亜硫酸ガスなどの雰囲気中で起こる。高温硫化の挙動は、高温酸化と同じように、表面にできる皮膜の生成と成長に支配される。高温硫化における皮膜は硫化物によって形成されるが、格子欠陥が多くてイオンが拡散しやすいため、この硫化物皮膜には高温酸化における酸化物皮膜のような保護力はない。実用合金全般を見渡しても、硫化水素ガス雰囲気中での最大の耐用温度は 600 °C が限界といわれる。クロムの添加は硫化を抑制する効果があるため、ステンレス鋼の耐高温硫化性は炭素鋼よりは優れている。クロムの他にはアルミニウムやケイ素の添加が有効で、硫化速度減少の効果を示す。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "浸炭は、一酸化炭素、二酸化炭素、炭化水素などの高温ガス雰囲気中で起こる現象で、炭素原子が内部に拡散して炭化物を形成する。窒化は、アンモニア雰囲気などの窒素を含む高温雰囲気中で起こる現象で、窒素原子が内部に拡散して固溶体や窒化物を形成する。浸炭も窒化も材質を脆化させたり、クロム欠乏帯をつくり異常酸化の原因となったりする。浸炭に有効な合金元素には、保護性のある酸化物を形成するクロムとケイ素、炭化物を形成しないニッケルが挙げられる。窒化の場合は、特に有効な合金元素はニッケルで、ニッケル含有量が多いほど耐窒化性が増す。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "ハロゲンガス腐食は塩素ガスや塩化水素ガス中で起こる腐食で、激しい腐食性を示す。塩素ガスや塩化水素ガスとの反応で生成される塩化物は低融点で容易に昇華するため、ハロゲンガス腐食の腐食速度は大きい。SUS304の例で、塩素ガス中での耐用温度が約 310 °C、塩化水素ガス中での耐用温度が約 400 °C である。", "title": "耐食性" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の機械的性質も、その組織の状態と組成によって様々に変わる。多くの種類のステンレス鋼が存在するように、ステンレス鋼の機械的性質も幅広い。一般に、鉄鋼材料の強度・硬度を高める原理には、次の5つがある。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "いずれの強化機構も、塑性変形の基となる転位の運動を妨げることで材質を高強度化させる。ステンレス鋼の強度も、これらの強化機構を基礎とする。一方、材質を高強度化すると、一般的に延性・靭性が低下する。延性・靭性が低下すると、材料が破壊されるときに脆性破壊となる。機械・構造物の安全使用の観点からは、強度が高いことだけでなく、靭性が大きいことも望ましい。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の機械的性質を評価するのに用いられる指標は、0.2%耐力、引張強さ、伸び、絞り、硬さ、衝撃強さなどである。これらの内の0.2%耐力、引張強さ、伸びは引張試験で測定できる代表的な材料特性で、0.2%耐力は材料の降伏点を代表する 0.2 % の塑性ひずみを起こす応力を、引張強さは材料の強さを代表する最終的な破断を起こす応力を、伸びは材料の延性を代表する破断までに材料が伸びる変形の程度を表す。常温におけるステンレス鋼の各代表的鋼種の0.2%耐力、引張強さ、伸びの例を下記に示す。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の中で引張強さ 1000 MPa を超える高強度の鋼種には、マルテンサイト系、析出硬化系、加工硬化させたオーステナイト系の3つがある。マルテンサイト系では、焼入れでマルテンサイト組織となり、強く硬い組織となっている。通常は焼入れ後に焼戻しも行い、マルテンサイト系の最終的な機械的性質は焼戻し温度によって変わる。高炭素鋼種 AISI 440C の例では、2000 MPa 近い引張強さを得ることもできる。析出硬化系は、時効処理によって微細第2相を分散析出させる析出硬化機構によって高い強度・硬度を得ている。マルテンサイト系と比較すると、含有炭素量を減らせるので、耐食性や靭性をそれほど落とさずに済む。オーステナイト系は加工硬化度が大きく、さらに準安定オーステナイト系では塑性変形が加わると加工誘起マルテンサイト変態が起こるため、圧延加工を加えることで高強度・高硬度の特性が得られる。加工硬化で高強度化させた後でも十分な延性・靭性を保っているのも、加工硬化させたオーステナイト系の特徴である。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "フェライト系、オーステナイト系、オーステナイト・フェライト系の3つには、熱処理による硬化性がない。フェイライト系は焼なまし状態で使用され、オーステナイト・フェライト系と加工硬化させない場合のオーステナイト系は固溶化熱処理状態で使用される。低炭素鋼と比較すると、フェライト系の降伏応力と引張り強さは少し高めである。フェライト系と比較すると、オーステナイト系は降伏応力が低めで、引張り強さが高めである。オーステナイト・フェライト系の引張強さと降伏応力は、フェイライト系とオーステナイト系よりも高めである。これは、含有元素の影響と、オーステナイト・フェライト系の結晶粒サイズが微細なため起きる粒界強化によるものである。ステンレス鋼の中では、焼きなまし状態のフェライト系のみが応力-ひずみ曲線上で明確な降伏点を示し、他の鋼種は明確な降伏点を示さない。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の延性・靭性については、オーステナイト系が特に優れている。炭素鋼やフェライト系の伸びが 20–30 % 程度であるのに対し、固溶化熱処理状態のオーステナイト系の伸びは 45–55 % という値を示す。靭性の指標である衝撃強さにおいても、オーステナイト系が優れた値を示す。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "金属が高温環境下に置かれると、一般的に変形抵抗が低下する。しかし、ステンレス鋼は高温でも比較的高い強度を保つことができ、上述のように高温環境下での耐酸化性や耐食性に優れることから、耐熱用途に幅広く利用される。JISでもいくつかのステンレス鋼の鋼種をそのまま耐熱鋼の鋼種として規定しており、ステンレス鋼は耐熱鋼の一種でもある。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "オーステナイト系とフェライト系の2つが、耐熱用に供されるステンレス鋼の主流となっている。代表的な耐熱ステンレス鋼でいえば、常温での降伏応力はオーステナイト系よりもフェライト系の方が高いが、およそ 600 °C 以上の降伏応力はフェライト系よりもオーステナイト系の方が高くなる。そのため、より高温で使用する場合はオーステナイト系が、それ以外ではフェイライト系が重宝される。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "オーステナイト・フェライト系は、600 °C 以上では、オーステナイト系とフェイライト系の中間的強度を示す。高温強度を向上させる場合、ニオブ、窒素、ケイ素、モリブデン、銅、タングステンなどの固溶強化元素の添加が行われる。マルテンサイト系にもモリブデン、バナジウム、タングステンなどの添加で高温強度を高めた鋼種があり、限定的ながらも強度が必要な個所で使用される。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "一般の炭素鋼と同様に、フェライト系、マルテンサイト系が低温環境に置かれると靭性が低下し、脆性破壊を起こすようになる。靭性が著しく低下する温度を延性-脆性遷移温度といい、フェライト系 430 の例では、室温から約 −70 °C までの間で衝撃強さが急激に低下する。しかし、オーステナイト系はこのような低温時にも高い靭性を保つ。鋼種にもよるが、オーステナイト系は −200 °C 以下の極低温でも使用できる。オーステナイト・フェライト系は、低温時に脆性破壊を起こすが、フェライト系よりは延性-脆性遷移が緩やかに起きる傾向にある。", "title": "強度・機械的性質" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の物理的性質は金属組織の種類によってほぼ決まり、さらに合金元素添加量が影響する。フェライト系とマルテンサイト系が類似した物理的性質を持っており、オーステナイト系の物理的性質はそれらとは異なる傾向を持つ。析出硬化系も、最終的に母相がマルテンサイト組織となる鋼種であれば物理的性質はフェライト系とマルテンサイト系に類似する。オーステナイト・フェライト系の物理的性質は、オーステナイト系とフェライト系のおおむね中間に位置する。ステンレス鋼の物理的性質の例を、下記の表に示す。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "質量と体積の比である密度は、ステンレス鋼の種類の中で違いは小さく、各々の組成でほとんど決まる。軟鋼と比較すると、ニッケルを多く含むオーステナイト系の密度がやや大きい。ニッケルを主合金元素としないフェライト系とマルテンサイト系は、軟鋼よりもやや小さい。モリブデンのような重い元素を合金元素として含めば含むほど、密度は大きくなっていく。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "熱が伝わったときの温度変化の程度を示す比熱も、ステンレス鋼の種類間の違いは小さい。クロム系ステンレス鋼の比熱が軟鋼とほぼ同等で、クロム・ニッケル系が軟鋼よりもやや大きい。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "熱の伝わりやすさを示す熱伝導率については、金属材料全般の中でもステンレス鋼の熱伝導率は小さいといえる。フェライト系とマルテンサイト系の熱伝導率も炭素鋼より小さく、オーステナイト系の熱伝導率はさらに小さい。一般に金属の熱伝達は自由電子を通じて行われるため、金属中に不純物が存在すると、電子の運動を阻害して熱伝導率を低下させる。したがって、添加元素が多いほど熱伝導率が低下する。ステンレス鋼の場合、含有するクロムやニッケルによって熱伝導率が小さくなっている。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "温度上昇時の体積膨張の割合である線膨張係数は、主に結晶構造によって決まる。フェライト系とマルテンサイト系は軟鋼に近い値を示すが、面心立方構造であるオーステナイト系はそれらの約1.5倍の線膨張係数を示す。オーステナイト・フェライト系の線膨張係数は、フェライト系とオーステナイト系の中間程度となる。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "物質の電気抵抗の大きさを示す比電気抵抗についても、その原理は熱伝導率と同じで、含有元素が多くなると抵抗が大きなる。金属材料全般の中でもステンレス鋼の比電気抵抗は大きいといえる。このため、ステンレス鋼は導電用材料には向かない。比電気抵抗はおおよそ熱伝導率と反比例の関係にあるが、析出硬化系は析出硬化熱処理によって組織が複雑化した影響で比電気抵抗がやや大きくなる。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "弾性変形に対する抵抗の大きさを示すヤング率は、ステンレス鋼は全般的に軟鋼とおおむね同じである。組成や組織の違いよるヤング率への影響は小さく、ステンレス鋼の中での鋼種間の違いは小さい。非鉄金属材料と比較すると、ステンレス鋼のヤング率は高い部類に入る。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "一般的な鉄鋼材料は強磁性材料で、いわゆる磁石にひっつく材料であるが、面心立方格子構造であるオーステナイトは常磁性材料で、強磁場中でもごくわずかにしか磁化しない。このため、オーステナイト系は非磁性材料である。一方、フェライト系やマルテンサイト系は、一般的な鉄鋼材料と同様の強磁性材料である。ただし、オーステナイト系も、加工誘起マルテンサイト変態が起こると磁性を帯びるようになる。オーステナイト・フェライト系は、磁性の強さはフェライト量比率によって変わるものの、基本的に強磁性材料である。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "また、機械的性質と同様に、温度によって物理的性質は変化する。低温になるほど、電気抵抗、熱膨張係数、熱伝導率、比熱は小さくなる。密度とヤング率は、低温になるほど大きくなる。", "title": "物理的性質" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の原料には、鉄の他に、合金元素として大量のクロムを必要とし、さらにニッケル、モリブデン、マンガン、チタンなども使う。主な合金元素であるクロムとニッケルは、主にフェロクロムとフェロニッケルとして、またはスクラップとして供給される。フェロクロムとフェロニッケルは合金鉄の一種で、採掘されたクロム鉱石またはニッケル鉱石から製造される。合金鉄は、不純物である炭素が取り除かれている低炭素なものほど価格が高くなる。しかし、後述する精錬技術の発達により、廉価な高炭素フェロクロムと高炭素フェロニッケルも、現在ではステンレス鋼の原料として多量に利用可能になっている。クロムもニッケルも資源が世界に偏在しており、需要供給バランス、産出国の経済情勢、国際紛争、為替レート変動などによって原料価格が大きく変動するため、これら原料の安定確保とコストダウンがステンレス鋼メーカーにとっての課題である。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼はリサイクルしやすい材料であり、ステンレス鋼スクラップの回収率は高い。2006年の調査によると、生産された約2800万トンのステンレス鋼の内、その原料の約 60 % がステンレス鋼スクラップを利用できている。市場から回収されたスクラップの他に、ステンレス鋼製造過程で生じたスクラップも回収・利用されている。特にオーステナイト系は、高価な合金元素を多く含み、磁性を持つため分別しやすいため、スクラップ活用が進んでいる。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "原料としての鉄には、ステンレス鋼スクラップの他に、普通鋼のスクラップも活用されている。集められたスクラップは使用前に成分検査や放射能探知検査が行われる。スクラップは割安だが、価格変動も大きく、供給が不安定といった面もある。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "高炉を持つ銑鋼一貫製鉄所がステンレス鋼を製造する場合は、高炉で銑鉄を製造し、予備処理した上で銑鉄をステンレス鋼の原料として用いる場合もある。また、フェロクロムではなく、安価なクロム鉱石を直接の原料にして製鋼する方法も開発・実用化されている。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "原料はまず炉で溶解される。ステンレス鋼製造で用いる溶解炉は、電気アーク炉が一般的である。ステンレス鋼スクラップ、フェロクロム、フェロニッケルなどの主原料が電気炉に装入されて溶解される。電気炉内に強力なアークが発生し、原料を溶解する。アーク熱は 3000 °C から最大 3500 °C に達し、原料はおよそ 1550 から最大 1800 °C まで昇温されて溶解される。電気炉の大きさは、一回のチャージ当たり 30 トンのものから最大で 160 トンのものまである。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "高炉を持つ銑鋼一貫製鉄所がステンレス鋼を製造する場合は、電気炉ではなく、高炉で溶銑を造り、ステンレス鋼を製造する。高炉による製造は大量生産に向いている。しかし、電気炉によるステンレス鋼製造がクロム系にもクロム・ニッケル系にも利用されているのに対して、高炉によるステンレス鋼製造はクロム系に限られている。高炉法ではニッケルの溶解が難しく、クロム・ニッケル系では電気炉法よりも効率が悪い。高炉の溶銑は数%のレベルで炭素を含有しているような状態であるため、「溶銑予備処理」と呼ばれる工程を本格的な精錬前に行う。溶銑予備処理では、炭素に加えてリンや硫黄の除去も行う。ステンレス鋼では、リンがクロムの活量を低下させるため、溶銑の段階で脱リンしておくことが溶銑予備処理の重要な意義の一つといえる。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "溶解の後には、化学組成を調整する精錬と呼ばれる工程が行われる。精錬工程では不純物を除去するが、ステンレス鋼にとっての最大の不純物が炭素である。効率的に脱炭することがステンレス鋼製造における重要なポイントで、このための技術開発が過去から行われてきた。ステンレス鋼の基本的な脱炭は、おおまかに以下のような過程から成る。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "しかし、ステンレス鋼特有の高濃度のクロムによって、溶鋼中の炭素の活量は下がっており、一般的な炭素鋼と比べて脱炭が進まない。特に低炭素域ではクロムは炭素と優先して結合し、脱炭反応が阻害される。普通に脱炭を進めると、クロムが多量に酸化してスラグ中に入ってしまう。クロムをスラグから回収するために、高価なフェロシリコンを要することになる。このような事態を避け、効率良く脱炭を進める方法として、脱炭反応時に生じる一酸化炭素ガスの圧力(分圧)を下げることで、クロムの酸化を抑制しながら脱炭反応を進める手法が現在では採用されている。この原理にもとづく精錬法が、AOD法、VOD法、またはこれらを組み合わせた方法である。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "AOD法は、Argon Oxygen Decarburization の略で、大気中の溶鋼にアルゴンと酸素の混合ガスを下部から吹き込み、アルゴンガスによる希釈によって脱炭時の一酸化炭素ガス分圧を下げて脱炭する方法である。AOD法の長所は、溶鋼の炭素含有量が高くても脱炭が可能な点である。これによって安価な原料が使用可能で、生産性が高い。VOD法は、Vacuum Oxygen Decarburization の略で、溶鋼を真空減圧下に移して酸素ガスを吹き込み、脱炭時の一酸化炭素ガス分圧を下げて脱炭する方法である。VOD法の場合は、ある程度低いレベルの炭素含有量にしてから適用する必要があるが、一方で最終的な炭素含有量をより低いレベルにすることができる。各精錬過程では、脱炭のほかに、窒素、水素、硫黄、酸素、リンなどの不純物除去や介在物制御も行われる。ステンレス鋼にAOD法またはVOD法を適用したときの、おおよそ精錬レベルの目安を以下の表に示す。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "具体的な工程としては、溶解された原料は転炉で精錬され、その後AOD炉やVOD炉などで炉外精錬が実施される。ただし、電気炉法で溶解された場合は、ある程度の精錬がすでに完了しているので転炉での精錬を省略することが多い。VOD法を採用するときには、VOD法適用前に溶鋼の炭素含有量をある程度のレベルまで下げる必要があるため、電気炉法でも転炉での精錬を工程に加えることがある。高炉法で溶解した場合は、ほぼ必ず転炉での精錬を行う。炉外精錬での脱炭完了後には、「仕上げ精錬」と呼ばれる同じ炉のまま所望の組成へ調整する作業が行われる。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "精錬を終えた溶鋼は、鉄鋼メーカーから出荷される最終製品形状に適した形へ冷やし固められる。この段階で冷やし固められたものを半製品と呼び、厚板や圧延材生産用のスラブ、形鋼生産用のブルーム、棒材・線材やパイプ生産用のビレットがある。この工程を鋳造といい、大きく分けて造塊法と連続鋳造法の2つがある。造塊法は、インゴットと呼ばれる型に溶鋼を注入して固め、再加熱・圧延して半製品を作る方法である。過去のステンレス鋼は主に造塊法で造られていたが、生産効率の高い連続鋳造法が実現されてからは、一部の特殊な鋼種を除いてほとんどのステンレス鋼が連続鋳造法で製造されている。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "連続鋳造の過程に他と異なるステンレス鋼特有の要素はないが、表面品質が特に要求されるステンレス鋼では品質重視の操業が特徴といえる。連続鋳造では、取鍋に入れられて精錬炉から供給される溶鋼が、タンディッシュと呼ばれる容器へ一旦移される。タンディッシュでは、溶鋼中の有害な非金属介在物を浮かび上がらせて除去する。タンディッシュから出た溶鋼は、冷却された鋳型に通され、さらに冷却スプレーを浴びせられ凝固する。凝固したステンレス鋼を、その下に配置されているローラーが連続的に引き抜き、切断機まで送り出す。切断機で所定の長さに切断して、長方体や角材の形の半製品となる。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の板や帯を生産する場合、スラブを圧延することによって造られる。ステンレス鋼生産の中でも、鋼板および鋼帯の生産量が圧倒的に多い。圧延とは、回転する2つの円柱(ロール)に材料が挟み込みながら薄く引き伸ばす工程で、材料を再結晶温度以上に加熱する圧延する熱間圧延と、再結晶温度以下(通常は常温)で圧延する冷間圧延がある。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "スラブは通常 100 mm 以上の厚みがある。冷間圧延は被加工品が厚いと圧延できないため、スラブはまず熱間圧延される。ステンレス鋼の場合、スラブ表面の欠陥が熱間圧延後も残ってしまうので、熱間圧延前にはグラインダー等でスラブ表面を研削して表面欠陥を前もって除去する。傷取りされたスラブは加熱され、圧延機に通される。熱間圧延機には、タンデムミルやステッケルミルが用いられている。タンデムミルは生産性が高く、普通鋼と兼用する場合などに使われる。ステッケルミルは初期コストが小さい長所があり、ステンレス鋼専用で生産する場合などに使われる。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "熱間圧延を終えると、鋼種に応じた適当な熱処理が施され、さらにスケールを除去するために酸洗が行われる。このときの熱処理は、組織の再結晶化と炭化物の固溶化などを目的とする。この状態で製造完了として出荷する場合もある(#圧延仕上げも参照)。熱間圧延で可能な最小板厚は 3 mm 程度が限度で、さらに薄くする場合や、表面を美麗に仕上げる場合は冷間圧延が行われる。冷間圧延で問題となるがステンレス鋼の変形抵抗の高さで、特にオーステナイト系が著しい加工硬化を起こす。このため、20段式ゼンジミアミルがステンレス鋼の冷間圧延に用いられる。ゼンジミアミルは、ワークロールを小径にして大きな圧力によって圧延を可能とし、中間ロールがワークロールのたわみを抑え、強固なハウジングで多段ロールを支える構造を持つ。フェライト系などに対しては普通鋼用の冷間圧延設備を使用する場合もある。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "冷間圧延後は、熱処理と酸洗をまた行い、必要に応じて表面仕上げ用の冷間圧延を再度行う。冷間圧延後の熱処理の主な目的は圧延組織の再結晶化である。表面光沢の良い製品にするために、光輝焼なましと呼ばれる無酸活性雰囲気中での熱処理を行う場合もある。この場合はスケールの発生を防げるので、酸洗を省略して圧延ままの光沢を維持できる(#圧延仕上げも参照)。これらの工程の後、研磨、形状修正、脱脂、検査、裁断、梱包などを経て製品が出荷される。ステンレス鋼の場合は外観に対する要求水準が高いため、メーカーと購入者の間で外観の限度見本を取り交わすこともある。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "鋼板以外のステンレス鋼の製品形状には、鋼管、鋼棒、線材、形鋼などがある。鋼管には、継ぎ目なしのシームレス鋼管と鋼板を溶接してつくる溶接鋼管があるが、どちらも基本的に普通鋼と同じ製法で造られている。シームレス鋼管、鋼棒、線材は、ブルームまたはビレットから熱間圧延、冷間圧延・引抜きで造られる。形鋼もブルームの熱間圧延から造られるが、まとまった需要が少ないため溶接で造ることも多い。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "他の特殊なものとしては、鋳造品やクラッド鋼がある。鋳造は、溶鋼を鋳型に流し込んで直接その形に冷やし固める製法で、複雑な形状の部品などに対して用いられる。ステンレス鋼の鋳造に使われる溶鋼自体は、板などを造る溶鋼とほとんど同じである。鋳造法の基本的な考え方は炭素鋼や低炭素合金鋼鋳鋼と同じだが、溶鋼の流動性が悪い点や合金量の多さによって融点が異なる点などを考慮する必要がある。クラッド鋼は、ある材料を別の材料で全面的に覆って接合させる複合材料の一種で、単体材料では得られない特性を与えたり、単体材料よりも低コスト化させるためなどに用いられる。クラッド鋼の母材は炭素鋼や低合金鋼とすることが多く、それを覆う合わせ材にはステンレス鋼、銅、チタン、ニッケルが使われているが、特にステンレス鋼を合わせ材とするクラッド鋼が市場でも主流である。", "title": "製造" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "金属加工を行う第一歩として、大きな素材から望ましい大きさや形に切り出す切断加工を通常は最初に行う。熱エネルギーを利用して材料を溶かして切断する方法を溶断といい、ガス切断が最も代表的な溶断方法である。しかし、一般的に用いられている酸素・アセチレンによるガス切断ではステンレス鋼を溶断できず、適用不可といえる。ステンレス鋼中に多量に含まれるクロムは燃焼温度が高く、さらに燃焼時に生成される酸化クロムも溶融温度が高い。これらが酸素アセチレン切断による燃焼を妨げて、ステンレス鋼の酸素アセチレン切断を不可能にしていると考えられている。ステンレス鋼用に発達したガス切断法が、パウダ切断と呼ばれる溶断方法である。パウダ切断では、鉄粉を切断酸素に混入させて、その鉄粉の酸化反応熱を利用して切断する。板厚 600 mm までならば、そこまでの技術を要せずにパウダ切断でステンレス鋼を切断可能である。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼に適用される他の溶断方法には、アーク切断、プラズマ切断、レーザー切断がある。アーク切断は、アークを発生させてアーク熱で材料を溶融する切断法である。アーク切断はステンレス鋼の切断法として発達したものだが、切断面の品質がよくなく、イナートガスアーク溶接を応用した方式のアーク切断を除いて利用は限られている。プラズマ切断は、プラズマガス気流の機械的なエネルギーとアークの熱エネルギーを利用する切断方法で、ステンレス鋼の主要な切断方法の一つである。使用ガスにはアルゴン・水素を使用すると切断面の品質が最もよく、ステンレス鋼でもアルゴン・水素が主流である。プラズマ切断の場合、100 mm を超える板厚まで切断可能である。レーザーを熱源とするのがレーザー切断で、適用板厚は小さいが、高精度な切断が可能である。ステンレス鋼のレーザー切断の場合はアシストガスに窒素がよく使われ、切断面の酸化を起こさずに金属光沢のある断面を得られる。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "溶断のほかには、一対の刃で挟んでせん断メカニズムにもとづいて素材を切り落とすせん断加工がある。鉄鋼メーカーが生産したコイルをさらに幅を小さなコイルや平板にするシャーリングや、プレス機械で板を打ち抜く打ち抜き加工がせん断加工に該当する。ステンレス鋼のせん断加工の場合、材料強度が高めのため、普通鋼や軟鋼よりも大きな力を要し、十分な能力を持った機器の選定や刃型の管理がより重要となる。せん断加工では、良好な切断のために、向き合う刃先のクリアランス(すきま)を材質や板厚に応じて適切に設定する必要がある。ステンレス鋼でも種類に応じた設定クリアランスの傾向がある。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "他の機械的な切断方法にはウォータージェット切断がある。高速で噴射された超高圧水で素材を切断する方法で、熱影響や加工ひずみがないという長所があり、精密切断などに用いられている。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "プレス成形は、ステンレス鋼の板材を様々な形に変形するためによく利用される。ステンレス製品の利用促進には、プレス成形技術の発展の寄与が大きいといわれる。曲げ加工、深絞り加工、張り出し加工、打ち抜き加工、ロール成形、コイニング加工、エンボス加工など、ほとんど全ての成形加工がステンレス鋼で可能である。特に塑性変形能の高いオーステナイト系は、180度密着折り曲げのような厳しい成形や、複数の種類の成形から成るような複雑なプレス成形にも対応できる利点がある。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "ただし、普通鋼などと比べると、ステンレス鋼は一般的に強度が高いため加工負荷が大きく、金型の異常摩耗や焼付きも起きやすい。そのため、金型の材料や表面処理、潤滑油の選定がよりきびしくなる。ステンレス鋼では、プレスを離した後に弾性変形分だけ元に戻ろうとするスプリングバックが大きく、特に曲げ加工で所定の曲げ角度を狙うときはこの大きなスプリングバックの考慮が必要である。一般的に、オーステナイト系が大きな加工硬化を起こすためスプリングバックが大きく、オーステナイト・フェライト系も降伏応力が高めのためスプリングバックが大きい。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼で特に問題となる成形時の欠陥が、オーステナイト系の時期割れ、フェライト系の縦割れやリジングである。成形性を向上させる場合、オーステナイト系の場合に重要なのが加工硬化特性である。オーステナイト安定度を調整して適切な度合いの加工硬化が起こるようにすると、成形性が向上する。フェライト系の場合は、炭素量・窒素量を減らす高純度化とチタンなどの合金元素添加が成形性向上に有効である。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "また、ステンレス鋼の場合、その表面の美麗さを商品価値とすることが多い。そのため、成形加工中に表面が損傷しないように特に注意を要する。ステンレス鋼の成形加工では、潤滑油の塗布のほか、表面保護のために樹脂系のフィルムを表面に付けてプレス成形することもある。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "鍛造は、鋼塊にハンマやプレスで大きな力を加えて形を作る加工法で、同時に材料内部の欠陥を押しつぶし、結晶粒の微細化なども実現する。一般的には、鍛造前に鋼塊の加熱を行い、熱間または温間で鍛造する。オーステナイト系は、その著しい加工硬化のため、一般的には冷間鍛造されない。線材では、炭素・窒素を極低量化して軟質にし、ニッケルや銅を添加して加工硬化を抑えた鋼種のオーステナイト系を使って冷間鍛造することもある。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "また、ステンレス鋼は焼付きを起こしやすいので鍛造時には注意を要する。温間加工時も、炭素鋼などでは表面の酸化物が焼付きを防止する機能を果たすが、ステンレス鋼では高耐食性のため表面が酸化しづらい。そのため、何らかの表面皮膜処理を行って潤滑性を高めることが望ましい。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "不要な部分を切りくずとして取り除きながら、所望の形状に作り上げるのが切削加工である。切削加工においては、ステンレス鋼は一般的に難切削材料といわれる。全ての切削加工自体はステンレス鋼に適用可能だが、普通鋼、銅、アルミニウムなどと比較すると切削しづらい。フェライト系と焼なまし状態のマルテンサイト系は炭素鋼に似た切削特性といえるが、加工硬化性が強いオーステナイト系の切削性が特に劣る。快削性の硫黄鋼 AISI B1112 を100 とする被削性指数の例を以下に示す。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "材料を溶かして接合する溶接には、アーク溶接を筆頭に多く種類の溶接法が存在する。基本的にはステンレス鋼でも同じ溶接法が用いられる。鋼種による差異はあるが、ステンレス鋼を溶接して接合すること自体に特段の困難はない。ただし、ステンレス鋼は他の鋼と異なる特性を持っている面もあるため、それらの特性に適した溶接法を選択しないと種々の溶接欠陥を生むなどの不具合の原因となる。その意味では、ステンレス鋼の溶接難度は高いといえる。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼と炭素鋼は物理的性質がかなり異なる面もあるため、溶接上もこれらの性質の違いに配慮が必要である。電気抵抗については次のような影響がある。被覆アーク溶接では、高い電気抵抗のために溶接電流が高いと発熱が著しくなり、溶接棒が焼ける恐れがある。そのため、通常は溶接電流を普通鋼よりもやや低くする。一方、電気抵抗による発熱を利用して溶接する抵抗溶接では、この高い電気抵抗が利点として働き、抵抗溶接に必要な電流が小さくて済む。ステンレス鋼の薄板の接合には、抵抗溶接を利用することが多い。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "熱伝導率と線膨張係数については、特にオーステナイト系が炭素鋼と大きく異なるため溶接上注意を要する。熱伝導率が小さいため溶接による熱が逃げにくく、その上、線膨張係数が大きいため熱が入った箇所が大きく伸びようとするため、溶接対象物の変形が起こりやすい。また、このような溶接変形が拘束された結果、比較的大きな残留応力が残り、後の応力腐食割れの原因となることも多い。溶接上の対策としては、固定具を用いる、溶接順序を工夫する、他の熱伝導率の良い金属を裏当てして熱を逃がす等を行う。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "上述のように溶接熱による鋭敏化も、ステンレス鋼特有の溶接施工の注意点である。その他の溶接上の問題点としては、オーステナイト系の高温割れ、フェライト系の475°C脆化、マルテンサイト系の低温割れ、オーステナイト・フェライト系のオーステナイト量変化などが挙げられる。フェライト系やマルテンサイト系では、割れなどを防ぐために溶接前に溶接対象物にある程度熱を加える予熱処理を行う。一方で、オーステナイト系は延性に富み、予熱処理がかえって有害になることも多いため、通例は予熱処理を行わない。溶接後に熱を加える後熱処理についても、耐食性を確実にしたいなどの事情がないかぎりオーステナイト系では通例は行わない。マルテンサイト系とフェライト系では延性回復の点から後熱処理を行う。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "また、ステンレス鋼と他の金属材料を溶接する異種金属溶接が行われることもある。実際の設計では、経済性も考慮してそれぞれの使用場所に応じて必要な材料を選定するので、必然的に異なる材料との接合も必要となる。母材と溶接材が異なる場合、溶着金属が母材組成によって希釈され、溶着金属の組成が変わってくる。異種金属溶接ではこの点を考慮する必要があり、予想される希釈後の組成をもとに上述のシェフラーの組織図から溶着金属の組織を予測し、適切な溶接材を選択する。ステンレス鋼と異種材溶接可能なのは、多くの他の鋼、ニッケルおよびニッケル合金、銅および銅合金などである。フェライト系とマルテンサイト系を溶接する場合は、フェライト系の溶接材料を用いるのが、オーステナイト系とフェライト系あるいはオーステナイト系とマルテンサイト系を溶接する場合は、オーステナイト系の溶接材料を用いるのが望ましいとされる。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "熱処理は、ステンレス鋼の製造過程の最終工程あるいは中間工程として行われる。特にステンレス鋼の場合、その金属組織を最終的に決めるという点において熱処理工程は重要である。熱処理は耐食性、機械的性質、さらには物理的性質にも影響する点でも重要性を持つ。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "固溶化熱処理は、主にオーステナイト系およびオーステナイト・フェライト系に施される熱処理である。具体的な温度は鋼種によって異なるが、おおよそ 950 °C から 1150 °C まで加熱した後に急冷する。固溶化熱処理によってそれぞれの目的の金属組織にし、さらに耐食性や機械的性質を回復させる。特に固溶化熱処理には、クロム炭化物や窒化物を固溶させ、鋭敏化を防いで耐食性を確実にする効果がある。析出硬化系の前処理としても行われる。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "焼入れと焼戻しは、主にマルテンサイト系に施される。焼入れは、加熱して組織をオーステナイトにした後、冷却して組織をマルテンサイトにする熱処理で、マルテンサイト系には必須の熱処理といえる。JIS SUS420J2 の例で、おおよそ 920 °C から 950 °C まで加熱して油冷する。焼戻しは、靭性を回復するために焼入れ後に引き続いて行われる熱処理で、約 600–750 °C に加熱して冷却する高温焼戻しと、約 150–200 °C に加熱して冷却する低温焼戻しがある。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "焼なましは、フェライト系やマルテンサイト系などに施される。 おおよそ 780 °C から 900°C に加熱し、空冷または徐冷する。 フェライト系の場合は、焼なまし後そのまま使用に供される。焼なましによって、靭性向上や加工ひずみ除去を行う。一方、マルテンサイト系の場合は、成形や切削の前段階として焼なまし状態にすることが多い。マルテンサイトにした後では硬くて成形や切削が困難になるため、焼なましによってマルテンサイト系の組織を一旦フェライト組織にする。その後に成形・切削し、それから焼入れ・焼戻しする。また、有害な残留応力を除去する応力除去焼なましなどをオーステナイト系に施すこともある。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "時効硬化処理は析出硬化系特有の熱処理で、固溶化熱処理後の材料を加熱・一定時間保持し、析出硬化を起こさせる。高温で時効硬化処理を行えば保持時間は短くできるが、達成可能な強度は低くなる。マルテンサイト系析出硬化型の 630 の例では、470 °C で1時間保持して空冷という条件や 630 °C で4時間保持して空冷という条件が規定されている。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の熱処理上気を付けるべき点としては、フェライト系の475°C脆性やσ相脆化、マルテンサイト系の焼戻し脆性などがあり、適切な温度制御が求められる。また、過加熱による結晶粒の粗大化も注意点である。", "title": "加工" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼は金属表面を晒して利用可能なため、様々な意匠用途に使われてきた。このため、ステンレス鋼には多くの表面仕上げ方法が開発されている。新しい表面をつくるために、複数の表面処理方法を組み合わすこともある。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "仕上げ後の表面状態は、見た目のみならず耐食性にも影響し、この点でも表面仕上げは重要となる。一般的には、表面が滑らかであるほど腐食が起きにくくなるといえる。例えば、グラインダーされたままの表面状態では、同じ環境で比較して本来発揮できるはずの耐食性よりも孔食などの局部腐食が起きやすいといったことがある。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の板材は、基本的には圧延仕上げで製造され、市場へ供給される。ステンレス鋼の場合は金属表面のまま利用可能なので、追加の表面仕上げを行わない圧延仕上げのままでも意匠用として利用できる。仕上げ内容を示す記号が規格で割り当てられている。JISまたはASTMに制定されているステンレス鋼の代表的な圧延仕上げについて以下に示す。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "他のステンレス鋼向けの圧延仕上げとしては、ダル仕上げやエンボス仕上げがある。どちらも表面に凹凸を持つ圧延ロールで圧延することで、その凹凸を素材表面に転写する仕上げ方法で、ダル仕上げは不規則な凹凸模様を与え、エンボス仕上げは規則的な凹凸模様を与える。ダル仕上げの場合は、鈍く光沢を抑えた落ち着いた見た目になる。エンボス仕上げは、ファッション的な柄模様の見た目にする。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の表面仕上げによく使われているのが、研磨を施した仕上げである。研磨仕上げ材は主に外観を装飾する用途に使われ、普段目にするステンレス鋼製の装飾金物や台所用品の多くは研磨仕上げがされている。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "研磨仕上げの場合、市場に流通している研磨済み素材を使用する場合の他に、プラントのタンクなどのように設備施工後に研磨する場合もある。研磨仕上げの主な手法は、研磨目を残らせるベルト研磨と鏡面に仕上げることを目的とするバフ研磨の2種類である。硫黄系の研磨油は、研磨後にステンレス鋼表面に硫化物を生成し、耐食性を劣化させることがあるので注意を要する。研磨仕上げも、規格で仕上げ内容を示す記号が割り当てられている。JISまたはASTMで制定されている代表的な研磨仕上げについて以下に示す。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "他の研磨方法としては、小物の研磨に用いるバレル研磨や電解液に浸して表面を電解させる電解研磨(英語版)がある。ステンレス鋼の電解研磨には、リン酸、硫酸、硝酸が電解液としてよく使われる。電解研磨と砥粒による機械的な研磨を複合させた手法もあり、より高平滑な表面が得られる。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼は金属素地を露出させて使うのが一般的だが、ニーズの多様化に応える形で近年では着色したステンレス鋼も利用されている。用途によっては銀色の金属光沢が持つ冷たい印象を嫌う場合もあり、そういった面からも着色が求められる。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼の着色方法には、後述の塗装のほかに、表面に酸化皮膜を作り、光の干渉色を利用する方法がある。酸化皮膜の厚さを変えることで、干渉色を変えることができる。この方法には様々なものが存在するが、実用的にはインコ法が主流である。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "インコ法は、硫酸と酸化クロムの浴に浸漬して発色させる工程と、さらに硫酸とリン酸の浴で浸漬・電解し、酸化皮膜を強固にする工程から成る。できあがる酸化皮膜は「化学発色皮膜」と呼ばれる。化学発色皮膜の組成はクロムに豊み、厚みはステンレス鋼元来の不働態皮膜よりも著しく大きい。ただし、化学発色法による酸化膜は、元来の不働態皮膜と異なり傷ついたら回復しない。浸漬時間に応じて化学発色皮膜の厚みが変わり、厚みが増すにしたがって発色が「ブロンズ → 青 → 金色 → 赤 → 緑」と変わる。化学発色皮膜の厚さは、ブロンズのときに 0.02 μm 程度、緑のときに 0.36 μm 程度である。現在では発色と硬化を分けずに、同じ工程で一度に行う技術も実用化されている。以前の化学発色法は発色の不均一さを克服できなかったが、現在では前処理技術の向上などによって均一な発色も可能となっている。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "かつては、ステンレス鋼を使うときにはその耐食性と金属的外観が好まれ、ステンレス鋼を塗装することはほとんどなかった。しかし、近年では塗装がなされたステンレス鋼も多く利用されており、「塗装ステンレス鋼」と呼ばれる。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "塗装されたステンレス鋼の見た目自体は、普通鋼を塗装したものと変わらない。ステンレス鋼に塗装を行う理由としては、装飾のためにカラフルな見た目にしたいことの他に、腐食保護の信頼性の高さがある。普通鋼を塗装したものだと、塗膜が欠損したときにそこから現れる地肌に錆が生じるが、ステンレス鋼を塗装した場合、現れる地肌の耐食性が高いため発錆が生じにくい。他の着色法よりも、塗装の加工コストが廉価という長所もある。また、金属的外観を活かしつつも、汚れや指紋を付きにくくするために、クリア塗装やカラークリア塗装もステンレス鋼塗装に利用されている。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼塗装に使われている塗料は、耐食性向上の観点を重視するときは、耐候性が高いシリコン変成ポリエステル、シリコン変成アクリル樹脂、フッ素樹脂の利用が一般的である。ステンレス鋼の表面は不活性な不働態皮膜に覆われているため、一般的に有機皮膜との密着性が良くない。脱脂して表面の汚れや油分を取り除く、ショットブラストや酸洗で方面に適度に粗くして塗料の食いつきを良くする、といった適当な前処理を行えば、一般的な鋼板と同じように塗装できる。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "めっきもステンレス鋼に使われている表面処理である。耐食性、装飾性、導電性の向上といった目的から、めっきがステンレス鋼にも利用されている。電気めっきも溶融めっきもステンレスに施工可能だが、めっきの密着を確実にする上でステンレス鋼の不働態皮膜が問題となる。そのため、電気めっきではストライクめっきなどの前処理が必要となる。ガス還元法による溶融めっきでも、前処理として別のめっきを行う。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "耐食性を目的としたステンレス鋼へのめっきとしては、溶融アルミニウムめっきの例が知られる。アルミニウムは自然電位がステンレス鋼よりも卑であるため、犠牲陽極として働き、ステンレス鋼素地の孔食防止などの効果がある。自動車排気系部品で耐熱用フェライト系ステンレス鋼を溶融アルミニウムめっきすることで、304系並みの耐食性を付与させた例などがある。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "装飾用には、金めっきや銀めっきが古くから用いられている。いぶし瓦の色合いを出すことを狙った、溶融亜鉛メッキステンレス製の瓦の例などがある。導電性向上の観点からは、ニッケルめっきや金めっきが施される。電気ニッケルめっきを施して導電性と耐食性を両立させたステンレス鋼が、ボタン電池などで使われている。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "他にも、ブラスト処理、エッチング、不働態化処理、物理蒸着法(PVD)など、ステンレス鋼に適用される様々な表面仕上げが存在する。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "ブラスト処理は、適当な材質の小さな粒を表面に高速でたたきつけてスケールの除去や素地の調整を行う処理。表面仕上げとしては、ビーズブラストなどで方向性を持たない低光沢の表面を得るのに使われている。エッチングは、表面を部分的に溶かし、文字や絵をステンレス鋼の表面につくる処理である。不働態化処理は、不働態化の程度を意識的に向上させたいときに行う処理で、硝酸などに浸漬して行われる。PVDは、近年発達してきたドライプロセスによる表面処理の一種で、ステンレス鋼の場合は薄いセラミック層を蒸着させて色付けや耐久性向上のために使われている。", "title": "表面仕上げ" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼は、その耐食性を活かして、日用品、業務用機器、建設、自動車、鉄道、電気機器、産業機械など、様々な分野で幅広く使われている。使用分野に特に偏りはなく、用途は多種多様といえる。2019年の統計によると、金属製品全般が 37.5 %、機械類が 29.1 %、建設関連が 12.2 %、自動車関連が 8.5 %、電気機器が 7.7 %、その他輸送機器が 4.9 % という使用割合となっている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "耐食性に加えて、高温環境や低温環境への耐性があり、鋼種によって物理的性質や機械的性質が異なるため、ステンレス鋼は多様な形で利用される。ステンレス鋼と競合する他材料には、塗装・めっき・ホーローなどの表面処理を施した鋼、ポリプロピレンのような樹脂材料、アルミニウムやチタンなどの他金属材料などがあり、要求特性とコストのバランスの中で材料が選択される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "フォーク、スプーン、ナイフなどのカトラリー類では、ステンレス鋼が多量に使われており、ステンレス製カトラリーのシェアは圧倒的といってもいいほど大きい。古くはステンレス鋼が実用化されたときから、ステンレス鋼の有用な使い道としてステンレス製カトラリーが使われてきた。一般的なカトラリーにはオーステナイト系が用いられ、高級な食卓用ナイフには高硬度なマルテンサイト系も利用されている。また、ステンレス製の箸も韓国では利用が浸透している。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "調理器具では、ステンレス製の包丁も主流である。刃物類には、高炭素のマルテンサイト系の焼入れ焼き戻し材を使用して、ロックウェル硬さが 50 から 60 の高硬度で実用に供される。刃先となる芯材にはマルテンサイト系を使い、それをフェライト系で挟み込んだ構造の刃の包丁などもある。他には、トレイ、ボウル、お玉などの調理器具もステンレス製が多い。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "台所の流し台も、現在ではステンレス製が定番となっている。ホーローや人工大理石などの他の材料と比較すると、ステンレス製流し台は耐久性があり、メンテナンスしやすい。ステンレス製流し台本体は、板材からプレス成形で造られる。台所の天板でも、ステンレス鋼が選択肢の一つで、エンボス仕上げや着色処理による外観を良くしたものも採用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "鍋やフライパンなどでもステンレス製が使われている。ただし、ステンレス鋼は熱伝導があまりよくないので、ステンレス鋼でアルミを挟み込んだ三層構造クラッド鋼などにして対策される。IH調理器用には、磁性のあるフェライト系や普通鋼と複合させた、ステンレスクラッド鋼が使われる。業務用の厨房は、流し台、テーブル、ケース類に至るまで、清潔さを保つために清浄しやすいステンレス鋼が全面的に使われている。魔法瓶の水筒もステンレス鋼を使った製品で、ステンレス鋼管のプレス成形で造られる。魔法瓶水筒の場合は、ステンレス鋼の熱伝導の悪さを逆に有効活用している事例といえる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "食品産業では、食品が接触する部分の多くがステンレス化されている。清潔を第一とする食品機器では、昔からステンレス鋼が多量に使われてきた。食品産業のステンレス鋼の特徴は、食品が接触する部分には研磨仕上げを標準としている点である。これによって、もし食品接触面にかき傷や微小な穴があったときに、そこに食品が入り込み、清掃時にも残ってしまうような事態が起こらないようにしている。鋼種は主に304系が使われており、より耐食性を要する箇所には316系が使われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "電気製品では、製品の主部から小物部品まで幅広くステンレス鋼が使われている。消費者の高級志向もあり、電気製品へのステンレス鋼適用は増加傾向にある。白物家電では、冷蔵庫、食洗機、炊飯器、電子レンジなどでステンレス鋼が使われており、耐指紋性と抗菌性のためにクリア塗装を施すこともある。洗濯機では清潔感の良さから洗濯槽のステンレス化が進んでおり、特にドラム式洗濯機のドラムはステンレス製が標準的である。電気ポットの内部容器や電気給湯器のタンクでもステンレス鋼を採用しており、ステンレス製の給湯タンクでは孔食や応力腐食割れへの対策として高耐食フェライト系の444系が使われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "電子機器類でもステンレス鋼が使わており、多くは小物部品で使われている。電子機器の使用環境はオフィスや家庭といった腐食の厳しい環境ではないため、耐食性が問題となることは比較的少ない。携帯電話部品やハードディスクドライブなどでは、非磁性の要求からステンレス鋼を使う場合もある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "現在の鉄道車両は、車体(構体)がステンレス製であるステンレス車両、車体がアルミニウム合金製であるアルミ車両、この2種類が主流である。ステンレス車両では、以前の普通鋼製車体の車両と比べると塗装を省略することができ、保守の手間が少ない。さらに、塗装と腐食代が省略できるため軽量化が可能となっている。鉄道車両の車体用には、オーステナイト系を低炭素化で耐食性を高めた鋼種が使われており、さらに加工硬化による高強度化が施されて使われている。ステンレス車両のコストは普通鋼製よりも高いが、アルミ車両よりは安く、通勤車両を中心にステンレス車両が多用されている。ステンレス構体の組立には抵抗スポット溶接が用いられており、近年では、ひずみが小さく溶接速度が速いレーザー溶接も用いられている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "自動車では、エンジンで発生した燃焼ガスが排気されるまでの排気系で、ステンレス鋼がもっとも利用されている。エキゾーストマニホールドからマフラーに至る排気系部品のほとんどでステンレス鋼を使用しており、鋼種は熱膨張係数が低くコストが比較的安いフェライト系が主に使われている。排気系部品でステンレス鋼利用が一般化した背景としては、排ガス規制強化がある。この規制強化に守るために、エンジン燃焼温度の上昇が必要となり、排気系部品へのステンレス鋼適用が進んだ。より高温のエンジン近くの部品には、耐熱性を重視した鋼種が選択され、比較的低温のマフラー側の部品には、耐食性に優れた鋼種が選択される。排気系以外でステンレス鋼の使用が一般化しているものとしては、外装の装飾モールやエンジンで使用されているメタルガスケットなどがある。反面、ボディにステンレス鋼が用いられた例は極めて少なく、2021年現在ではデロリアン・DMC-12及びテスラ・サイバートラックが採用した程度に留まっている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "二輪車分野では、オートバイやマウンテンバイクで使われるディスクブレーキのローター(ブレーキディスク)に、ステンレス鋼が常用されている。自動車ではローター材料は炭素鋼や鋳鉄が多いのに対して、二輪車では外見の良さも重要なことからステンレス鋼が主流となっている。ローターには強い摩擦力が働き、摩耗が問題となるため、ローターの硬度がある程度以上高いことが望ましい。一方で、ブレーキ時の摩擦熱が発生するため耐熱性が求められる。そのため、高硬度・耐熱性・耐食性のバランスがいいマルテンサイト系が、ローターの材料として広く実用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "耐食性が高いステンレス鋼だが、船舶分野では使用はそれほど多くない(下記の#海洋・海水環境も参照)。船舶におけるステンレス鋼の主な使用箇所で挙げられるのは、ケミカルタンカーやLNGタンカーにおけるタンク用材料で、ステンレス鋼の耐食性や低温特性を活かして使用される。ケミカルタンカーでは、国際海事機関が定めた国際規則で一部の化学薬品用のタンクにはステンレス鋼の使用を義務づけている。天然ガスを −162 °C に冷却した液化天然ガス(LNG)を運ぶLNGタンクには、ニッケル合金の他に、304 や 304L などのオーステナイト系ステンレス鋼が用いられる。高強度と腐食疲労耐性を求めて、スクリュープロペラにステンレス鋳鋼が採用される場合もある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "航空機分野では、機体材料の全体的な傾向として、鉄鋼材料自体がチタン合金、アルミニウム合金、複合材料などに取って代わられつつある。航空機でステンレス鋼が特に使われている箇所は、強固な特性が求められる機械部品類が多い。脚部や油圧機器、ラッチ、ロッド、ヒンジ類などで、ステンレス鋼が用いられている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "建築物では、その見た目の良さを理由に外装用・内装用ともにステンレス鋼が使われている。外装用としては、特に屋根用やファサード用にステンレス鋼が古くから使われてきた。ニューヨークのクライスラー・ビルディングは、外装にステンレス鋼を採用した最初の著名な建築物として知られる。クライスラー・ビルディングの尖塔外装にオーステナイト系が使われており、1930年代に建てられて海岸地帯に存在するにもかかわらず、今日も輝きを保っている。一方、建築物の荷重を支える構造材料では普通鋼が主流である。近年では鉄筋コンクリートに使われるステンレス製の異形鉄筋が実用化されており、構造材用途向けのステンレス鋼適用拡大が検討されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 179, "tag": "p", "text": "建物内部では、ドアノブ、蝶番、換気口、窓枠、クレセント、カーテンレール、手すりなど、様々な建築金物にステンレス鋼が使われている。普通鋼や表面処理鋼が昔は使われていたが、腐食対策や高級志向から、ドアノブのような目立つ箇所にはステンレス鋼が使われるようになった。ビルの内装材としてはヘアライン仕上げのステンレス鋼が主に用いられるが、入り口やエレベーター周辺では鏡面仕上げのステンレス鋼もアクセントとして用いられることもある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 180, "tag": "p", "text": "土木分野では、水門の扉体・戸当り、橋梁の高欄(手すり)で、美観維持とメンテナンスフリーのためにステンレス鋼が使われている。公共施設や公園にある案内板といったものも、保全コストの削減のためにステンレス鋼化が進んでいる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 181, "tag": "p", "text": "ドーム球場やコンベンション・センターのような大型建造物の屋根も、メンテナンスフリーや美観の向上のために、ステンレス鋼使用が浸透している。屋根は日射や気温による温度変化が起こるため、大型の屋根では熱膨張率の低いフェライト系の使用が望ましい。海浜地区などの腐食が厳しい場所に建てられる場合は、高耐食ステンレス鋼や塗装ステンレス鋼が適用される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 182, "tag": "p", "text": "硝酸工業では、共沸濃度の以下の硝酸であれば304系のステンレス鋼で十分に耐用でき、304L が硝酸を扱う器具・装置の材料として広く利用されている。歴史的にも、ステンレス鋼実用化後の最初の大量使用の一つが硝酸を取り扱う用途であった。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 183, "tag": "p", "text": "硫酸は幅広く用いられている基礎化学原料の一つだが、限られた硫酸濃度範囲でしかステンレス鋼は不働態化しないため、硫酸を扱うのにステンレス鋼の使用範囲は限られている。窒素肥料となる硫安の製造では、硫安が腐食作用を緩和するため結晶缶に 316 などを用いている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 184, "tag": "p", "text": "石油精製では、高温耐食性や高温強度といったニーズからステンレス鋼の適用が多い。300 °C から500 °C の高温下、3 MPa から 20 MPa の高圧下で硫黄分を除去する水素化脱硫装置では、耐粒界腐食性を高めた安定化オーステナイト系の 321 や 347 が使われている。常圧蒸留装置では、原油を 300 °C 前後まで加熱して原油を分留しており、装置は厳しい高温腐食環境に晒される。日本では、劣化の防止まではできていないものの、応力腐食割れの懸念が少ないフェライト系 SUS405 クラッド鋼が常圧蒸留装置の材料に用いられている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 185, "tag": "p", "text": "製紙業も腐食が常に問題となってきた分野で、ステンレス鋼実用化後の初期からステンレス鋼が活用されてきた。よく使われている鋼種はオーステナイト系で、パルプ製造の連続蒸解釜では内側を 304L にしたクラッド鋼が使われ、二酸化塩素を使うパルプ漂白のより腐食が厳しい工程ではスーパーステンレス鋼が必要になる。パルプから紙をつくる抄紙工程では、圧搾脱水を行うサクションロールに耐食性や疲労強度を考慮してオーステナイト・フェライト系が主に使われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 186, "tag": "p", "text": "塩化物イオンを多量に含む海水環境は、ステンレス鋼にとって好ましくない環境といえる。海水環境で問題となるのは全面腐食よりも局部腐食で、鋼種によって程度の大小はあるが、海水環境ではほとんどのステンレス鋼にすきま腐食や孔食の可能性がある。海洋中の付着生物の存在もすきま腐食の原因となる。316系はステンレス鋼の中で耐食性の高い方であるが、316系であっても海水環境への耐食性を持つと言えず、利用範囲は限定される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 187, "tag": "p", "text": "港湾や海洋構造物では、経済的理由もあり、海水に晒される箇所の構造材料は塗装と電気防食で対策した炭素鋼や低合金鋼を主体としている。ただし、海水中から大気中にかけての海水飛沫を受ける箇所や潮の干満によって海水に浸されたり外気に晒されたりする箇所では電気防食ができず、また、塗装には経年劣化や損傷の問題がある。そのため、日本では、鋼管構造を採用した海洋構造物に対して、SUS312L のようなスーパーステンレス鋼の薄板で海水飛沫部と干満部を覆って防食する手法が開発され、1997年頃から実用化されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 188, "tag": "p", "text": "海水淡水化設備では、コストを下げる観点からも、ステンレス鋼が活用されている。海水淡水化装置には主に蒸発式と逆浸透式があるが、いずれの方式でも各構成機器にステンレス鋼が利用されている。主に使われているのはオーステナイト系の316系や317系で、蒸発器には高強度かつ応力腐食割れへの耐性が高いオーステナイト・フェライト系の S2205 も使われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 189, "tag": "p", "text": "現代の火力発電所は超臨界圧または超々臨界圧の蒸気条件で運転されており、このような高圧化・高温化にともなってボイラーの材料としてステンレス鋼利用が増えている。ボイラーの過熱器、再熱器、熱交換器配管などにステンレス鋼が使われており、一般的には、金属温度が 600 °C を超えると、高温強度や耐酸化性のためにステンレス鋼が経済的にも有利といわれる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 190, "tag": "p", "text": "蒸気のエネルギーを回転運動エネルギーに変換する蒸気タービンでは、強度と耐食性が必要な動翼と静翼にマルテンサイト系や析出硬化系が使われている。ローターやケーシングでは、より高温の厳しい運転条件になると、ステンレス鋼が必要とされる。ガスタービンでは、金属の融点レベルの高温の燃焼ガスを扱うため、タービン本体や燃焼器には超耐熱合金が主に使われるが、圧縮機やタービンディスクなどでステンレス鋼が使われることもある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 191, "tag": "p", "text": "原子力発電所における軽水炉では、多くのステンレス鋼管やステンレス鋼厚板が用いられている。炉心で発生した蒸気をそのままタービンに送る沸騰水型軽水炉では原子炉圧力容器や配管系でステンレス鋼が使われており、応力腐食割れへの対策のために非鋭敏化鋼種へと置き換えられてきた歴史がある。加圧水型軽水炉の1次冷却系でもステンレス鋼を利用しているが、沸騰水型とは条件が異なることもあって応力腐食割れが問題となったケースは少ない。使用済み核燃料の再処理施設では、再処理に多量の硝酸を用いるため、ステンレス鋼が多量に使われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 192, "tag": "p", "text": "医療分野でも、手術器具から検査機器に至るまで、ステンレス鋼は多く使われている。薬品、消毒液、血液、体液などに対して耐食性が必要なため、ステンレス鋼が適しており、衛生面からも好まれる。種々の検査機器に対しては、非磁性であることも利点となる。メスや鉗子などの手術器具にはマルテンサイト系ステンレス鋼が使われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 193, "tag": "p", "text": "人工関節用など、人体内で使用するインプラント用材料としても使われる。体液は海水と同等の組成であるため、これらの用途には高耐食性の鋼種が利用されている。血管、胆管、食道などを広げるステントでは、コバルト合金などの他使用材料も存在するが、加工性や溶接性が良好であることや廉価であることからステンレス鋼の高耐食性鋼種も使われている。ただし、ステンレス鋼中に含まれるクロムとニッケルには金属アレルギーの問題もあり、優れた生体適合性を持ち、さらに軽量であるチタンなどの他の生体材料への置き換えも進んでいる。特に近年では毒性や金属アレルギーが懸念されるニッケルを生体材料から排除する動きが強まっており、ステンレス鋼でもニッケルを含まない、窒素などの他のオーステナイト生成元素を代わりに用いた生体材料用オーステナイト系ステンレス鋼の開発・実用化が進められている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 194, "tag": "p", "text": "実用品以外の分野では、モニュメントやオブジェといった美術作品の素材として利用されている。ステンレス鋼を彫刻素材に使用する利点には、他の金属同様に可塑性があり加工しやすく且つ丈夫であること、耐食性が高くメンテナンス性に優れていること、光輝を持ち現代的な材質感が得られることが挙げられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 195, "tag": "p", "text": "ステンレス材に各種の研磨仕上げや表面処理を施すことで、多様な肌合いを表現することもできる。細かい孔を開けて透明を表現する、インコ法でグラデーションを作って虹を表現する、モアレを利用して三次元的な奥行きを表現する、といったステンレス鋼による表現の幅を広げる試みもなされている。石材、木材、鉄、プラスチックなど他の素材と組み合わせる例もある。鋼種としては、オーステナイト系の 304 がよく使われるが、沿岸部のような場所では高耐食な 316 も使われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 196, "tag": "p", "text": "ステンレス鋼はリサイクル可能な材料であり、再融解してステンレス鋼製品の原料にできる。ステンレス鋼に含まれるクロム、ニッケル、モリブデンなどの合金元素は枯渇性資源であり、ステンレス鋼リサイクルの重要性は大きい。現状では、使い終わったステンレス鋼製品のおよそ 80 % がスクラップとして回収され、リサイクルされていると推定される。国からの補助など無しで、経済的にリサイクルが成立できている。", "title": "リサイクル" }, { "paragraph_id": 197, "tag": "p", "text": "特に、オーステナイト系(クロム・ニッケル系ステンレス鋼)は非磁性であるため、他の鉄スクラップと分別しやすい長所がある。一方で、フェライト系やマルテンサイト系(クロム系ステンレス鋼)は磁性があり、分別しづらいという短所がある。また、クロム系の場合、ステンレス鋼スクラップとフェロクロムの価格差が小さいため、回収費用に対して割に合わないといった課題もある。", "title": "リサイクル" }, { "paragraph_id": 198, "tag": "p", "text": "これらの理由から、クロム系の大半は分別されずに、普通鋼スクラップとして回収されたり、クロム・ニッケル系とまとめて回収されたりしている。2003年から2005年までの日本のステンレス鋼市場を対象に行われたマテリアルフロー解析の結果によると、クロム・ニッケル系ステンレス鋼として回収できたスクラップ回収率は 75 % から 98 % であったが、クロム系ステンレス鋼として回収できたスクラップ回収率は 12 % から 34 % に留まっていた。", "title": "リサイクル" }, { "paragraph_id": 199, "tag": "p", "text": "クロム系の中でもフェライト系の利用量は、オーステナイト系に次いでおり、利用のさらなる拡大が予測されている。そのため、フェライト系の分別回収を確立し、含有されているクロムをさらに有効活用することが期待されている。クロム系スクラップの回収率向上が、ステンレス鋼リサイクルにおける今後の課題の一つとなっている。", "title": "リサイクル" }, { "paragraph_id": 200, "tag": "p", "text": "1950年頃のステンレス鋼の粗鋼生産量は、世界でおよそ 1,000,000 トンであった。それから年平均成長率 5.8 % で生産量は伸び続け、2019年の世界のステンレス鋼粗鋼生産量は 52,218,000 トンとなっている。鉄鋼材料全般における2019年の世界の粗鋼生産量は、1,869,000,000 トンで、ステンレス鋼生産の割合は 2.8 % である。", "title": "生産量統計" }, { "paragraph_id": 201, "tag": "p", "text": "国別・地域別のステンレス鋼生産量については、2019年の実績では、1位が中国で生産量の 56.3% を占めている。次いで、2位がインド、3位が日本という順になっている。以下に、2001年から2019年まで世界のステンレス鋼生産量のグラフと、2018年時の国・地域別の生産量順位のグラフを示す。", "title": "生産量統計" }, { "paragraph_id": 202, "tag": "p", "text": "※特に文献内の複数個所に亘って参照したものを示す。", "title": "参照文献" } ]
ステンレス鋼とは、鉄に一定量以上のクロムを含ませた腐食に対する耐性を持つ合金鋼である。規格などでは、クロム含有量が 10.5 %(質量パーセント濃度)以上、炭素含有量が 1.2 % 以下の鋼と定義される。単にステンレスとも呼ばれ、かつては不銹鋼(ふしゅうこう)と呼ばれていた。1910年代前半ごろに発明・実用化された。 ステンレス鋼の腐食に対する耐性(耐食性)の源は含有されているクロムで、このクロムによって不働態皮膜と呼ばれる数ナノメートルの極めて薄い皮膜が表面に形成されて、金属素地が腐食から保護されている。不働態皮膜は傷ついても一般的な環境であればすぐに回復し、一般的な普通鋼であれば錆びるような環境でもステンレス鋼が錆びることはない。ただし、万能な耐食性を持つわけではなく、特に孔食、すきま腐食、応力腐食割れといった局部的な腐食は問題となり得る。特に塩化物イオン環境には注意を要する。また、ステンレス鋼は高温腐食に対しても耐性が高く、耐熱鋼としても位置づけられる。 一口にステンレス鋼と言っても、実際には多様なステンレス鋼の種類が存在しており、耐食性がより高い鋼種、高強度な鋼種、磁性を持つ鋼種、非磁性(常磁性)の鋼種、極低温でも脆化しない鋼種などがある。特に主要金属組織をもとにして「オーステナイト系ステンレス鋼」「フェライト系ステンレス鋼」「マルテンサイト系ステンレス鋼」「オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼」「析出硬化系ステンレス鋼」の5つで大別されている。クロム以外にも、ニッケルを筆頭に、特性向上のために様々な元素が添加される。 ステンレス鋼の製造上は、炭素の効率的な除去が特に重要なポイントとなる。成形、溶接、切削といった加工上も、普通鋼とはいくらか異なる面がある。日用品から産業用に至る幅広い分野でステンレス鋼が使われており、耐食性により金属素地を露出して利用可能なため、意匠的な利用も多い。
[[File:Stainless steel montage.jpg|thumb|260px|ステンレス鋼を使った、[[カトラリー]]、[[食器]]、[[鍋]]、[[ワイン醸造]]タンク、[[ジェファーソン・ナショナル・エクスパンション・メモリアル|アーチ]]、[[ニューヨーク市地下鉄R179形電車|鉄道車両]]、[[手すり]]、[[バーミンガム・ニューストリート駅|駅]]。]] '''ステンレス鋼'''(ステンレスこう、{{lang-en-short|stainless steel}})とは、[[鉄]]に一定量以上の[[クロム]]を含ませた[[腐食]]に対する耐性を持つ[[合金鋼]]である。規格などでは、クロム含有量が 10.5 %([[質量パーセント濃度]])以上、[[炭素]]含有量が 1.2 % 以下の[[鋼]]と定義される。単に'''ステンレス'''とも呼ばれ、かつては'''不銹鋼'''(ふしゅうこう)と呼ばれていた。1910年代前半ごろに[[ステンレス鋼の歴史|発明・実用化された]]。 ステンレス鋼の腐食に対する耐性(耐食性)の源は含有されているクロムで、このクロムによって[[不動態|不働態皮膜]]と呼ばれる数[[ナノメートル]]の極めて薄い皮膜が表面に形成されて、金属素地が腐食から保護されている。不働態皮膜は傷ついても一般的な環境であればすぐに回復し、一般的な[[普通鋼]]であれば錆びるような環境でもステンレス鋼が錆びることはない。ただし、万能な耐食性を持つわけではなく、特に[[孔食]]、[[すきま腐食]]、[[応力腐食割れ]]といった局部的な腐食は問題となり得る。特に[[塩化物イオン]]環境には注意を要する。また、ステンレス鋼は[[高温腐食]]に対しても耐性が高く、[[耐熱鋼]]としても位置づけられる。 一口にステンレス鋼と言っても、実際には多様なステンレス鋼の種類が存在しており、耐食性がより高い鋼種、[[強度|高強度]]な鋼種、[[磁性]]を持つ鋼種、非磁性([[常磁性]])の鋼種、極低温でも[[脆化]]しない鋼種などがある。特に主要金属組織をもとにして「[[オーステナイト系ステンレス鋼]]」「[[フェライト系ステンレス鋼]]」「[[マルテンサイト系ステンレス鋼]]」「[[オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼]]」「[[析出硬化系ステンレス鋼]]」の5つで大別されている。クロム以外にも、[[ニッケル]]を筆頭に、特性向上のために様々な元素が添加される。 ステンレス鋼の製造上は、炭素の効率的な除去が特に重要なポイントとなる。成形、溶接、切削といった加工上も、[[普通鋼]]とはいくらか異なる面がある。日用品から産業用に至る幅広い分野でステンレス鋼が使われており、耐食性により金属素地を露出して利用可能なため、意匠的な利用も多い。 ==定義と名称== ステンレス鋼とは、[[鉄]]に[[クロム]]が一定量以上添加された[[さび|錆び]]にくい[[合金]]の一種といえる<ref name="小林2013_6"/>。鉄鋼材料の中では、[[高合金鋼]]または[[特殊鋼]]に位置づけられる{{Sfn|野原|2016|p=25}}。[[#耐食性|後述]]のように、含まれるクロムがステンレス鋼の耐食性の主たる源で、現在の国際的な定義では、ステンレス鋼は「クロム含有量が 10.5 [[パーセント|%]] 以上、[[炭素]]含有量が 1.2 % 以下の合金鋼」と定められている{{Sfnm|遅沢|2009|1p=5|平松(監修)|2005|2p=9}}。 このステンレス鋼の定義は、国際統一のために1988年に[[世界税関機構]]によって導入され、現在に至っている{{Sfnm|平松(監修)|2005|1p=9|橋本|2007|2p=152}}<ref>{{Cite web | work = HS Nomenclature 2017 edition | title = Chapter 72 Iron and steel | url = http://www.wcoomd.org/en/topics/nomenclature/instrument-and-tools/hs_nomenclature_older_edition/~/media/30074D53DEDC4673A478FA8F30141DFF.ashx | publisher = World Customs Organization | accessdate = 2020-09-28}}</ref>。[[国際標準規格]] (ISO) や [[日本産業規格]] (JIS) でも、同様の定義が現在では採用されている<ref>ISO 15510: 2014, Stainless steels — Chemical composition</ref><ref name="JIS G 0203">{{Cite jis|G|0203|2009|name= 鉄鋼用語(製品及び品質)}} pp. 19&ndash;20</ref>。以前は、クロム含有量が約 12 %以上で十分な耐食性が発揮されると認識されており、ステンレス鋼に必要なクロムの最低含有量は約 13 % や約 12 % などとされていた{{Sfnm|Peckner & Bernstein (ed)|1977|1p=1-1|野原|2016|2p=95|平松(監修)|2005|3p=9}}。技術の向上によって炭素、[[窒素]]、[[硫黄]]などの耐食性を低下させる元素の含有を減らせるようになったため、定義上のクロムの最低含有量が 10.5 % で十分となった{{Sfn|平松(監修)|2005|p=10}}。 「ステンレス鋼」という名は、英語の名称 "stainless steel" の音訳に由来する<ref name="ステンレスとは">{{Cite web|和書|url = http://www.jssa.gr.jp/contents/about_stainless/ |title = ステンレスとは |publisher = ステンレス協会|accessdate = 2020-03-28}}</ref>。stainless steel という名は、ステンレス鋼を最初に実用化した一人であるイギリスの[[ハリー・ブレアリー]]によって{{Sfnm|野原|2016|1p=15|遅沢|2009|2p=5}}、より正確には、ブレアリーの鋼の耐食性を確認した刃物技師のアーネスト・スチュアートによって名付けられた<ref name="ウォルドマン">{{Cite book ja-jp |author = ジョナサン・ウォルドマン |translator = 三木 直子 |year= 2016 |title = 錆と人間 : ビール缶から戦艦まで |publisher = 築地書館 |edition=初版 |isbn = 978-4-8067-1521-4 }} p. 78</ref><ref name="BSSA31">{{Cite web |url = https://www.bssa.org.uk/about_stainless_steel.php?id=31 |title = The Discovery of Stainless Steel |publisher = British Stainless Steel Association |accessdate=2020-03-28}}</ref>。1914年にスチュアートがブレアリーが開発した鋼を「より変色しにくい (stains less)」と評した記録が残っており、それがステンレス鋼に対して「ステンレス」という言葉が使われた最初だと推定される<ref name="ウォルドマン"/>。 [[日本語]]では、かつては「不銹鋼(ふしゅうこう)」という名でも呼ばれていた<ref name="ブリタニカ">{{Cite web|和書| url = https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%B9%E9%8B%BC-84285 |title=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 |publisher=Britannica Japan Co., Ltd. |work=コトバンク |accessdate=2019-11-11}}</ref>。現在では、短く「ステンレス」と呼ぶことも多い{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=1&ndash;2}}。[[業界用語]]として、さらに省略して「ステン」と呼んだり、ステンレス鋼のJISの材料記号がSUSであることから「サス」と呼んだりもする<ref>{{Cite web|和書| url = http://www2.memenet.or.jp/kinugawa/yume/04011.pdf |title = 『ステンとサス』 |publisher = 衣川製鎖工業 |work = 夢通信平成16年1月号 |accessdate=2020-03-28}}</ref>。 == 歴史 == {{main|ステンレス鋼の歴史}} [[File:Stainless steel nyt 1-31-1915.jpg|thumb|イギリスで発明されたステンレス鋼について伝える、1915年1月31日付の[[ニューヨークタイムズ]]記事]] ステンレス鋼が発明、実用化されたのは、20世紀初頭の1910年代のことである。18世紀に元素としてのクロムが発見され、19世紀中にステンレス鋼発明につながる多くの重要な基礎研究成果があり、それらをもとにステンレス鋼の発明が達成できたといえる{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1pp=3&ndash;6|Cobb|2010|2pp=7&ndash;8}}。1900年代には、フランスの[[レオン・ギレ]]やドイツのフィリップ・モンナルツが鉄・クロム合金についての特筆すべき学術的成果をまとめ、ステンレス鋼発明の土台が整いつつあった{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=6&dash;8}}。 [[#金属組織による大別|後述]]のように、ステンレス鋼は金属組織別に大きく5つに分類される。1912年、[[オーステナイト系ステンレス鋼]]がドイツの{{仮リンク|ベンノ・シュトラウス|de|Benno Strauß}}と{{仮リンク|エドゥアルト・マウラー|de|Eduard Maurer (Chemiker)}}によって発明された{{Sfnm|野原|2016|1p=15|大山・森田・吉武|1990|2pp=9&ndash;10|田中(編)|2010|3p=17|鈴木|2000|4p=55}}。そして1913年、[[マルテンサイト系ステンレス鋼]]が、上述のイギリスの[[ハリー・ブレアリー]]によって発明された{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=18|大山・森田・吉武|1990|2p=8|野原|2016|3p=15|鈴木|2000|4p=55}}<ref name="遅沢2011">{{Cite journal ja-jp |author = 遅沢 浩一郎 |year = 2011 |title = 講座:ステンレス鋼活用の基礎知識 ―歴史、特性、耐食性― 1.ステンレス鋼の歴史と製造 |journal = 材料 |volume = 60 |issue = 7 |doi = 10.2472/jsms.60.680 |publisher = 日本材料学会 |page = 681 }}</ref>。[[フェライト系ステンレス鋼]]もこの頃に発明されたが、フェライト系ステンレス鋼の場合は誰を発明者とするかは決め難い{{Sfn|鈴木|2000|p=98}}。フランスの{{仮リンク|アルバート・ポートヴァン|de|Albert Portevin}}、米国の[[クリスチャン・ダンチゼン]]、米国の{{仮リンク|エルウッド・ヘインズ|en|Elwood Haynes}}などがフェライト系ステンレス鋼の発明者として挙げられる{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|2p=9|野原|2016|3p=15|田中(編)|2010|4p=18|Cobb|2010|5p=21}}<ref name="遅沢2011"/>。以上のようにステンレス鋼には多くの発見者・発明者が居たが、ステンレス鋼の発明者として一人を挙げるときにはハリー・ブレアリーの名を挙げることが多い{{Sfn|Cobb|2010|p=8}}<ref name="BSSA31"/>。 実用化後から、ステンレス鋼は耐食性およびその他特性を活かして、産業用から家庭用まで様々な用途で需要を伸ばしてきた{{Sfn|菊池|2015|p=37}}。新たな機能・特性を持った鋼種の開発が行われ、ステンレス鋼の種類も豊富に増えていった{{Sfn|鈴木|2000|p=i}}。[[オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼]]は1930年代に、[[析出硬化系ステンレス鋼]]は1940年代に実用化された{{Sfn|鈴木|2000|pp=128&ndash;129, 139&ndash;140}}。同時に、ステンレス鋼の量産化と生産技術の向上も進められてきた{{Sfn|鈴木|2000|p=i}}。特に、1940年代の[[酸素脱炭法]]のステンレス鋼製造への適用、さらに1960年代後半の[[VOD法]]と[[AOD法]]の発明は、ステンレス鋼の生産性・品質を大きく向上し、製造コストを低下させた{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=20|ステンレス協会(編)|1995|3p=752|Cobb|2010|4p=309|大山・森田・吉武|1990|5p=13}}。1950年から2019年までの統計によれば、ステンレス鋼の全世界生産量は平均 5.8 % で増加を続けてきた{{Sfn|ISSF|2020|p=3}}。近年でも、製造法の改良や開発、耐食性・強度・加工性を改良あるいは兼備した鋼種の開発、省エネや省資源化を目指した鋼種の開発などが続けられている{{Sfnm|菊池|2015|1p=43|大山・森田・吉武|1990|2p=14}}。 == 基本金属組織と合金元素の関係 == ステンレス鋼に添加される[[合金元素]]は、定義のように[[クロム]]を必須とする。さらに、各種特性向上のために[[ニッケル]]、[[モリブデン]]、[[銅]]、[[ケイ素]]、[[窒素]]、[[アルミニウム]]などの他の元素も添加される{{Sfnm|遅沢|2009|1p=6|田中(編)|2010|2p=95}}。また、[[リン]]や[[硫黄]]は場合によっては有効な含有物だが、基本的に有害な不純物元素であり、普通はこれらは製造上できるだけ取り除かれる{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=94|ステンレス協会(編)|1995|2p=770}}。[[炭素]]は、ステンレス鋼の耐食性を落とす不純物であるが、一方で、強度向上に寄与する有用な元素でもある{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=94}}<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 佐藤 昌男 |year = 2015 |month = 5 |title = 5.ステンレス鋼 |journal = 特殊鋼 |volume = 64 |issue = 3 |url = http://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2015/magazine1505.pdf |publisher = 特殊鋼倶楽部 |page = 22}}</ref>。一部の種類を除いて、ステンレス鋼は0.01桁%&ndash;0.001桁%といった低い炭素含有量となるよう製造されている<ref name="Cunat2004">{{Cite web |author = Pierre-Jean Cunat |year = 2004 |url = https://www.worldstainless.org/media/01xnmqhr/alloying-elements.pdf | title = Alloying Elements in Stainless Steel and Other Chromium-Containing Alloys | publisher = Euro Inox (in cooperation with the International Chromium Development Association) | page = 4 | accessdate = 2020-04-25}}</ref>。 [[File:IronAlfa&amp;IronGamma.svg|thumb|240px|フェライト(&alpha;)とオーステナイト(&gamma;)の結晶格子の様子。マルテンサイト(&alpha;′)の結晶格子は &alpha; とほぼ同じで、わずかに立方体から直方体となる{{Sfn|谷野・鈴木|2013|p=79}}。]] ステンレス鋼の金属組織をミクロに観察すると、金属組織を主に占めている[[相 (物質)|相]]の種類には、[[体心立方構造]]の[[フェライト相|フェライト]]、[[体心正方構造]]の[[マルテンサイト]]、[[面心立方構造]]の[[オーステナイト]]の3つが存在する{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=4}}。こういった合金の金属組織は、含有する化学成分の種類と濃度(組成)、加熱・冷却・一定温度保持などの材料が受けた熱履歴、および加工履歴などによって決まる{{Sfn|野原|2016|p=46}}。フェライト、マルテンサイト、オーステナイトは[[結晶構造]]がそれぞれ異なっており、結晶構造の違いがステンレス鋼の材料特性の違いとなって現れる{{Sfn|野原|2016|p=41}}<ref>{{Cite web|和書|author =平松 博之(監修)|url = https://www.nipponsteel.com/company/publications/monthly-nsc/pdf/2005_12_154_13_16.pdf | title = ものづくりの原点 科学の世界VOL.23 錆に負けない鋼 ステンレス鋼(下) |website = Nippon Steel |work = Nippon Steel Monthly 2005年12月号 Vol.154 |publisher =新日本製鐵 |page = 14 |accessdate = 2020-09-20}}</ref>。特に物理的性質と機械的性質が、金属組織の種類によって変化する{{Sfn|遅沢|2009|p=8}}。 フェライト、マルテンサイト、オーステナイトという3つの相は[[鋼]]全般で存在する相だが、[[鉄]]・[[炭素]]の2つから成る単純な鋼では、オーステナイトは高温のみで現れる相であり、常温で組織がオーステナイトになることは普通はない{{Sfn|徳田・山田・片桐|2005|pp=152&ndash;155}}<ref>{{Cite book ja-jp |editor = 日本熱処理技術協会 |title= 熱処理ガイドブック |publisher= 大河出版 |year= 2013 |edition= 4版 |isbn= 978-4-88661-811-5 }} p. 11</ref>。常温でオーステナイトを主要な相とする鋼種があることは、ステンレス鋼の特徴の一つといえる<ref>{{Cite book ja-jp |author = 大和久 重雄 |title = 熱処理技術マニュアル |publisher = 日本規格協会 |year = 2008 |edition = 増補改訂版 |isbn = 978-4-542-30391-1 }} p. 285</ref>。 [[File:Phase diagram of Fe-Cr.svg|thumb|340px|left|鉄・クロム系2元状態図。縦軸が温度、横軸がクロム濃度で、図中には[[準静的過程|静的に変化]]させたときのその温度とクロム濃度における相を示している。''&alpha;''がフェライト、''&gamma;''がオーステナイトを意味しており、左端の閉じた ''&gamma;'' の存在領域が ''&gamma;'' ループ。]] ステンレス鋼の基礎となるのが、[[鉄]]・[[クロム]]系の[[状態図]]である{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=1-2}}。2成分系合金の状態図とは、縦軸に温度を取り、横軸に2つの元素の質量比を取り、温度と質量比によって決まる[[熱力学的平衡]]状態の金属組織を示す図である{{Sfn|金子・須藤・菅又|2004|pp=108&ndash;111}}。鉄・クロム系2元状態図によると、クロム濃度 0 % のとき約 900&ndash;1400 °C の範囲で組織はオーステナイトとなる{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=10}}。クロム濃度を 0 % から増やすと、オーステナイトが存在する温度域は狭くなっていき、ついにはオーステナイトは存在しなくなり、組織は融点までフェライト単相となる{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=10}}。このように、濃度を増やすとフェライトが生成する方に寄与する元素を「フェライト生成元素」「フェライト形成元素」「フェライト安定化元素」などと呼ぶ{{Sfnm|野原|2016|1p=53|谷野・鈴木|2013|2p=103|ステンレス協会(編)|1995|3p=100}}。クロムの他にも、フェライト形成元素には[[モリブデン]]、[[チタン]]、[[ニオブ]]、[[ケイ素]]などがある{{Sfn|谷野・鈴木|2013|pp=102&ndash;103}}。 一方、鉄・クロム系2元状態図上では、高温でクロム濃度が低い範囲まではオーステナイトが存在する。この高温域にあるオーステナイト(''&gamma;'')の存在領域を「''&gamma;'' ループ」などと呼ぶ{{Sfn|野原|2016|p=48}}。鉄・クロム系に[[炭素]]もわずかに加わったような場合を想定すると、''&gamma;'' ループより低い温度では、オーステナイトは[[共析反応]]でフェライトと炭化物へと分解される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=98}}。しかし、''&gamma;'' ループから組織を急冷した場合、組織はマルテンサイトに変わる{{Sfn|橋本|2007|p=154}}。すなわち、急冷によって共析変態が阻止されて[[マルテンサイト変態]]が代わりに起こる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=98}}。生成されたマルテンサイトには炭素が過飽和に固溶されており、組織中に[[転位]]が高密度に存在した状態となる<ref name="高橋2013"/>。これによって、マルテンサイトは高い[[強度]]と[[硬度]]を持つ組織となる<ref name="高橋2013"/>。 [[File:Fe-Ni binary phase diagram.svg|thumb|210px|鉄・ニッケルの2元合金状態図。ニッケル濃度が上がるにつれて ''&gamma;'' の領域が広がる。]] フェライト生成元素とは逆に、濃度を増やすとオーステナイトが生成する方に寄与する元素を「オーステナイト生成元素」「オーステナイト形成元素」「オーステナイト安定化元素」などと呼ぶ{{Sfnm|野原|2016|1p=53|谷野・鈴木|2013|2p=103|ステンレス協会(編)|1995|3p=100}}。ステンレス鋼に加えられるオーステナイト生成元素の代表例が[[ニッケル]]である{{Sfn|谷野・鈴木|2013|p=103}}。鉄・ニッケル2元系の状態図を見ると、ニッケル濃度が高いほどオーステナイトの領域が広がっていく{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=110}}。鉄・クロム・ニッケルの3元系で考えると、''&gamma;'' ループの領域が大きくなっておく{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=9}}。このようなオーステナイト生成元素を利用し、ステンレス鋼の特定の種類では常温でもオーステナイト組織のままとすることができる{{Sfnm|野原|2016|1p=49|田中(編)|2010|2p=99}}。オーステナイトの組織は、高い[[展延性|延性]]、[[非磁性]]などの特徴を持つ<ref>{{Cite book ja-jp |author=大和久 重雄 |title = 鋼のおはなし |series = おはなし科学・技術シリーズ |publisher =日本規格協会 |year= 2003 |edition=訂正版 |isbn = 978-4-542-90117-9 }} pp. 185&ndash;186</ref>。ニッケルの他には、[[炭素]]、[[窒素]]、[[コバルト]]、[[マンガン]]、[[銅]]などがオーステナイト生成元素である{{Sfn|谷野・鈴木|2013|p=103}}。 [[File:Diagramme schaeffler text zoom.svg|thumb|300px|{{仮リンク|シェフラーの組織図|de|Schaefflerdiagramm}}の一例。A はオーステナイト、F はフェライト、M はマルテンサイトを意味する。]] 以上のようなフェライト生成元素とオーステナイト生成元素の量が、ステンレス鋼の組織を主に決めている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=38}}。フェライト生成元素とオーステナイト生成元素の量から決まる主要相を図示したのが{{仮リンク|シェフラーの組織図|de|Schaefflerdiagramm}}である{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=557|野原|2016|2pp=53&ndash;54}}。これは、横軸をクロム当量(フェライト生成元素)、縦軸をニッケル当量(オーステナイト生成元素)として組成と組織の関係を示したもので、クロム当量 (Cr<sub>eq</sub>) とニッケル当量 (Ni<sub>eq</sub>) とは、 :Cr<sub>eq</sub> = %Cr + %Mo + 1.5 &times; %Si + 0.5 &times; %Nb :Ni<sub>eq</sub> = %Ni + 30 &times; %C + 0.5 &times; %Mn のような形で、クロムのフェライト生成能あるいはニッケルのオーステナイト生成能と同じになるように重み付けし、各々の元素含有量を足し合わせたものである<ref>{{Cite web|和書|url = http://polar.imr.tohoku.ac.jp/_userdata/kinzoku_s_1.pdf |title = ものづくり基礎講座 金属の魅力をみなおそう 第五回 ステンレス |year = 2012 |author = 正橋 直哉 |website = http://polar.imr.tohoku.ac.jp/archives.html |accessdate = 2020-04-30 |page = 8 }}</ref>。ここで、%X で元素 X の質量パーセント濃度を意味する。シェフラーの組織図は、元々は溶接時の溶着金属の組織に対するものだったが、組成からステンレス鋼の相を予測するのに実用上も有効である{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=557|野原|2016|2pp=53&ndash;54}}。当量からステンレス鋼の組織を予測する手法については、シェフラーの組織図以外にも様々な手法が提案されている{{Sfnm|田中(編)|2010|1pp=106&ndash;107|Lai et al.(ed)|2012|2p=55}}。 == 分類 == ステンレス鋼には、現在では多くの種類が存在している{{Sfn|田中(編)|2010|p=95}}。用途・目的に応じて、適当な鋼種を選択することが重要である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=485}}。大別分類としては、主要成分別と金属組織別がある{{Sfn|橋本|2007|p=152}}。さらに細かくは、規格で分類・指定されている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1515}}。 === 主要成分による大別 === ステンレス鋼に含まれる合金元素としては[[クロム]]が欠かせない。さらに、[[ニッケル]]を主要合金元素として含むステンレス鋼も主流である{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=25|田中(編)|2010|2pp=24, 26}}。主要な合金元素がクロムのみであるステンレス鋼、主要な合金元素がクロムとニッケルのステンレス鋼、これら2つを *'''クロム系ステンレス鋼'''('''Cr系ステンレス鋼''') *'''クロム・ニッケル系ステンレス鋼'''('''Cr-Ni系ステンレス鋼''') という{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=25|田中(編)|2010|2pp=24, 26}}。クロム系ステンレス鋼とクロム・ニッケル系ステンレス鋼の2種類が、主要成分による大別分類として定着している{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=38}}。 ただし、主要合金元素の組み合わせとしては、クロム系とクロム・ニッケル系以外もあり得る。かつて[[日本産業規格]]にあった SUS200 番台のステンレス鋼などはニッケルを減らして[[マンガン]]も主要成分としているので、Cr-Ni-Mn系のステンレス鋼といわれる{{Sfn|野原|2016|p=17}}。ステンレス鋼の主要成分は金属組織の決定に直結し、後述の組織別分類にも関わってくる{{Sfn|鈴木|2011|p=957}}。 === 金属組織による大別 === 前記のように、金属組織の状態は材料特性に特に影響する。そのため、金属組織別にステンレス鋼を大別するのが学問的にも順当で、材料特性を理解しやすい{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=485|野原|2016|2p=16}}。常温における金属組織によって大別すると、ステンレス鋼は以下の5つに分類される<ref name="JIS G 0203"/><ref name="BSSA_10">{{Cite web |url = https://www.bssa.org.uk/faq.php?id=10 |title = How many types of stainless steel are there? |publisher = British Stainless Steel Association |accessdate = 2020-04-19}}</ref>。 *'''[[マルテンサイト系ステンレス鋼]]''' *'''[[フェライト系ステンレス鋼]]''' *'''[[オーステナイト系ステンレス鋼]]''' *'''[[オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼]]''' *'''[[析出硬化系ステンレス鋼]]''' この中で析出硬化系ステンレス鋼は主要な相ではなく組織の[[析出硬化]]の有無による分類なので、その[[wikt:母相|母相]]にもとづき「マルテンサイト系析出硬化型ステンレス鋼」「オーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」のようにさらに細分もされる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=38}}。 以下、特に断りがない限り、「マルテンサイト系」「フェライト系」「オーステナイト系」「オーステナイト・フェライト系」「析出硬化系」という表記は上記の5種類を指す。 ==== マルテンサイト系ステンレス鋼 ==== {{Main|マルテンサイト系ステンレス鋼}} [[File:Microstructure of martensitic stainless steel AISI 420.jpg|thumb|180px|マルテンサイト系ステンレス鋼 AISI 420 の金属組織写真]] [[マルテンサイト系ステンレス鋼]]とは、常温で[[マルテンサイト]]を主要な組織とするステンレス鋼である{{Sfn|遅沢|2009|p=6}}。高温ではオーステナイト単一組織、またはフェライトが少し混じったオーステナイト組織で、その状態から急冷して[[焼入れ]]を行うことによって[[マルテンサイト変態]]を起こしてマルテンサイト組織にする{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=24|野原|2016|2p=51}}。焼入れ後は、[[残留応力]]の除去や[[靭性]]の回復を行うために通常[[焼戻し]]を行う{{Sfn|田中(編)|2010|p=154}}。 マルテンサイト系のクロム含有量は一般的に 11 % から 18 % 程度で、クロム系ステンレス鋼の一種に分類される{{Sfn|橋本|2007|p=154}}。また、他のステンレス鋼と異なり[[炭素]]を積極的に含むのがマルテンサイト系の特徴で、0.15 % から最大 1.2 % の炭素がマルテンサイト系に含有される<ref name="Cunat2004"/>。ステンレス鋼の中では、クロム含有量が比較的少なく炭素含有量が比較的多いという組成となっている{{Sfn|谷野・鈴木|2013|p=241}}。「13Cr鋼」や「13クロムステンレス」など呼ばれるクロム量約 13 % の鋼種が、マルテンサイト系の代表的な鋼種である{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1pp=145&ndash;146}}<ref name="小林2013_6">{{Cite journal ja-jp |author = 小林 裕 |year = 2013 |month = 11 |title = 特集/エネルギー・インフラ技術を支えるステンレス鋼 II. ステンレス鋼の種類、性質と適用状況 ステンレス鋼とは何か |journal = 特殊鋼 |volume = 62 |issue = 6 |url = http://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2013/magazine1311.pdf | publisher = 特殊鋼倶楽部 |pages = 6&ndash;7 }}</ref>。焼入れではなく[[完全焼なまし]]を施した場合のマルテンサイト系の組織は、[[炭化物]]を多く含むフェライト組織となる{{Sfn|田中(編)|2010|p=153}}。 ==== フェライト系ステンレス鋼 ==== {{Main|フェライト系ステンレス鋼}} [[File:Microstructure of AISI 430 cooled in air after heating to 950 deg C.jpg|thumb|フェライト系ステンレス鋼 AISI 430 の金属組織写真]] [[フェライト系ステンレス鋼]]とは、常温で[[フェライト相|フェライト]]を主要な組織とするステンレス鋼である{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=5-2}}。高温ではフェライト単一組織またはオーステナイトが少し混じったフェライト組織で、焼入れ処理をしても相変態が起きない{{Sfnm|遅沢|2009|p=6|田中(編)|2010|pp=25&ndash;26}}。 フェライト系のクロム量にはおよそ 12 % から 30 % 程度までの種類がある{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=5-1}}。マルテンサイト系と同じくニッケルを主要合金元素として含まず、クロム系ステンレス鋼に分類される{{Sfn|田中(編)|2010|pp=24&ndash;25}}。「18%Cr鋼」や「18クロムステンレス」など呼ばれるクロム量約 18 % の鋼種が、フェライト系の代表的な鋼種である{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=32|ステンレス協会(編)|1995|2p=499}}<ref name="小林2013_6"/>。特に、炭素および[[窒素]]の含有量を 0.03 % 以下のような極低量まで低減し、さらに[[チタン]]や[[ニオブ]]などの炭化物安定化元素を添加し、性能を高めたフェライト系鋼種は「高純度フェライト系ステンレス鋼」と呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.jssa.gr.jp/contents/faq-article/q4/ |title =LowC、Nフェライト系ステンレスの特長について |publisher =ステンレス協会 |accessdate =2020-05-04}}</ref>。 ==== オーステナイト系ステンレス鋼 ==== {{Main|オーステナイト系ステンレス鋼}} [[File:Unsensitised structure of type 304 stainless steel.jpg|thumb|オーステナイト系ステンレス鋼 304 系の金属組織写真]] [[オーステナイト系ステンレス鋼]]とは、常温で[[オーステナイト]]を主要な組織とするステンレス鋼である{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=1-6}}。[[#基本金属組織と合金元素の関係|上記]]で述べたとおり、通常は常温ではオーステナイトは残存しないが、オーステナイト生成元素を添加することでオーステナイトが安定化して常温で存在可能になる{{Sfn|徳田・山田・片桐|2005|p=160}}。通常、高温で材料全体をオーステナイト化・合金元素を十分に固溶させ、急冷して完全なオーステナイト組織にする{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=33|杉本|2009|2p=145|野原|2016|3p=143}}。 オーステナイト系は、主要合金元素としてクロムとニッケルを含むクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種である{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=26|大山・森田・吉武|1990|2p=25}}。「18-8(じゅうはちはち)ステンレス」など呼ばれるクロム約 18 % ・ニッケル約 8 % の鋼種が、オーステナイト系の代表的な鋼種である<ref name="小林2013_6"/><ref>{{Cite Kotobank|word=18-8ステンレス鋼|encyclopedia=世界大百科事典|accessdate=2020年8月1日}}</ref>。オーステナイト系はステンレス鋼全体の中でもっとも広く使われている鋼種で、使用量も種類も多い<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.jssa.gr.jp/contents/about_stainless/key_properties/types/ |title = 種類 |publisher = ステンレス協会 |accessdate = 2020-05-03}}</ref>{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=554|Lai et al.(ed)|2012|2p=23}}。 オーステナイト系は常温でも主要組織をオーステナイトとするが、添加される合金元素組成によって存在するオーステナイトの安定度が異なる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=113&ndash;114}}。オーステナイト安定度が低い場合は、[[塑性加工]]が施されたり、低温下に置かれたりすると、一部のオーステナイトがマルテンサイトに変態する{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=27}}。このような鋼種は「準安定オーステナイト系ステンレス鋼」と呼ばれる{{Sfn|田中(編)|2010|pp=106&ndash;107}}。一方、オーステナイト安定度が高い場合は加工などを施しても相変態が起きず、このような鋼種を「安定オーステナイト系ステンレス鋼」と呼ぶ{{Sfn|谷野・鈴木|2013|p=243}}。 ==== オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼 ==== {{Main|オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼}} [[File:Microstructure of duplex stainless steel S32205.jpg|thumb|200px|オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼 UNS S32205 の金属組織写真]] [[オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼]]とは、常温でオーステナイトとフェライトの両方が並存する組織のステンレス鋼である{{Sfn|田中(編)|2010|p=28}}。2つの相から成るので「二相ステンレス鋼」などとも呼ばれる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=38}}。実際のフェライト・オーステナイトの割合は成分と熱履歴によって変わるが、一般的には、それぞれの存在割合がおおよそ同じとなるように製造する{{Sfn|IMOA|2014|pp=8, 10}}。 オーステナイト生成元素とフェライト生成元素の調整によって、オーステナイトとフェライトを並存させる{{Sfn|IMOA|2014|p=10}}。例えば、ニッケルを 8 % 含むものがクロムを 22 % 以上含むようになると、常温で二相組織を得ることができるようになる{{Sfn|田中(編)|2010|p=28}}。オーステナイト系と同じくニッケルも主要合金元素として含むため、オーステナイト・フェライト系はクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種に分類される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=38}}。オーステナイト・フェライト系の代表的鋼種の場合で、クロム約 25 %、ニッケル約 4.5 %、モリブデン約 2 % を主要合金元素とする{{Sfn|鈴木|2011|p=957}}。 ==== 析出硬化系ステンレス鋼 ==== {{Main|析出硬化系ステンレス鋼}} [[析出硬化系ステンレス鋼]]とは、[[銅]]や[[アルミニウム]]といった元素を添加して[[wikt:母相|母相]]に[[析出]]させ、[[析出硬化]]と呼ばれる材質の硬化現象を起こして用いるステンレス鋼である{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=64}}。一般的に使われている析出硬化系の母相の種類は、オーステナイトとマルテンサイトの2つである{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=640&ndash;641}}。硬化を起こす微細な析出物を母相中に分散・現出させて、析出硬化を起こす<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 横田 孝三・江波戸 和男 |year= 1971 |title = 析出硬化型ステンレス鋼 |journal =日本金属学会会報 |publisher = 日本金属学会 |volume = 10 |issue = 4 |pages = 235&ndash;236 |doi = 10.2320/materia1962.10.226 }}</ref>。析出物自体は、[[光学顕微鏡]]では視認できず、[[電子顕微鏡]]などを使って確認できるレベルの大きさである{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|pp=7-5, 7-6}}。 ニッケルも主要合金元素として含むため、析出硬化系はクロム・ニッケル系ステンレス鋼の一種に分類される{{Sfn|野原|2016|p=17}}。析出硬化系の代表例が「17-4PH」と呼ばれるマルテンサイトを母相とする鋼種で、クロム約 17 %、ニッケル約 4 % を含み、析出硬化性元素として銅約 4 % を含む{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=642}}。析出硬化系は母相の種類・性質に応じて細分され、「マルテンサイト系析出硬化型ステンレス鋼」「セミオーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」「オーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼」の3つが一般的である{{Sfn|田中(編)|2010|p=111}}。 === 規格による分類 === ステンレス鋼の種類は、世界各国の国家規格や団体規格、および国際規格で規定されている{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1515|橋本|2007|2p=44}}。2010年版の[[国際標準化機構|ISO規格]]では全191種のステンレス鋼が規定されており、その内、オーステナイト系が98種、フェライト系が34種、マルテンサイト系が33種、オーステナイト・フェライト系が15種、析出硬化系が11種となっている<ref>{{Cite web |url = https://www.worldstainless.org/media/um0fv1ua/stainless-steel-grades-listed-in-the-international-standard-iso-155102010.pdf |title = Stainless steel grades listed in the international standard ISO 15510:2010 |publisher = International Stainless Steel Forum |date = 2019-11-15 |accessdate = 2020-09-06}}</ref>。こういった規格で、化学組成の指定のほか、機械的性質、耐食性などの品質要求が、各鋼種に対して定められている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1515}}。 ステンレス鋼の規格分類を最初期に規定したのは{{仮リンク|アメリカ鉄鋼協会|en|American Iron and Steel Institute}}(AISI)で、3桁の数字と末尾の記号でステンレス鋼の種類を体系付けした{{Sfn|Cobb|2010|p=244}}。マルテンサイト系とフェライト系には400台を、オーステナイト系には300台を割り当てている{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|pp=1-6, 1-7}}。もっとも使用されている18-8ステンレスには「304」という記号が割り当てられている{{Sfn|Cobb|2010|p=30}}。AISI規格の命名体系はアメリカのみならず世界各国でも採用され、カナダ、メキシコ、日本、韓国、イギリス、ブラジル、オーストラリアなどがAISI規格体系を基にした国家規格を制定している{{Sfn|Cobb|2010|p=246}}。一方で、国際規格であるISO規格や欧州統一規格である[[欧州標準化委員会|EN規格]]は、ドイツの[[ドイツ工業規格|DIN規格]]の命名体系を採用している{{Sfn|Cobb|2010|p=250}}。アメリカではAISIは鋼種の規格活動を1960年代に終了しており、アメリカ国内では、AISI規格は[[アメリカ試験材料協会]]や[[アメリカ自動車技術者協会]]の規格に採用された形で残っている{{Sfn|Cobb|2010|pp=245&ndash;246}}<ref name="BSSA_183">{{Cite web |url = https://www.bssa.org.uk/topics.php?article=183 |title = Chemical compositions of AISI (ASTM/ASME) and UNS austenitic stainless steel grades |publisher = British Stainless Steel Association |accessdate = 2020-05-06}}</ref>。さらに、金属・合金コードの統一を目指す{{仮リンク|ユニファイド・ナンバリング・システム|en|Unified numbering system}}(UNS)でもステンレス鋼についてはAISI規格体系をベースにしている<ref name="BSSA_183"/>{{Sfn|Cobb|2010|pp=238&ndash;239}}。 18-8ステンレス鋼(JIS SUS304 と同等の鋼種)を例にして、主な規格の材料記号を下記の表に示す。この内、イギリス、ドイツ、フランスなどの規格は、現在ではEN規格に統合されている<ref name="吉田2013">{{Cite journal ja-jp |author = 吉田 裕志 |year = 2013 |month = 5 |title =特集/グローバルに考える特殊鋼の規格 II.特殊鋼の海外規格 2. ステンレス鋼 |journal = 特殊鋼 |volume = 62 |issue = 3 |url = http://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2013/magazine1305.pdf |publisher = 特殊鋼倶楽部 |pages = 17&ndash;18}}</ref>。 {| class="wikitable" style="text-align:center ; width:30em" |+ 主な規格における18-8ステンレス鋼<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.mitsubishicarbide.net/contents/mmc/ja/html/product/technical_information/information/material_4.html |title = 金属材料記号対照表 |publisher = 三菱マテリアル |accessdate = 2020-05-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = http://www.jssa.gr.jp/contents/products/standards/comparisons/ |title = 外国規格との比較 |publisher = ステンレス協会 |accessdate = 2020-05-06}}</ref><ref>{{Cite web |url = https://equivalentmaterials.com/materials/aisi-304 |title = Equivalent Materials to AISI 304 |publisher = Equivalent Materials |accessdate = 2020-05-06}}</ref>{{Sfn|Cobb|2010|p = 245}} ! 国・地域 !! 規格 !! 記号 |- | アメリカ || AISI || 304 |- | アメリカ || UNS || S30400 |- | イギリス || BS || 304S11 / 304S15 / 304S31 |- | フランス || AFNOR || Z6CN18-09 / Z7CN18-09 |- | ドイツ || DIN || X5CrNi189 (1.4301 / 1.4350) |- | イタリア || UNI || X5CrNi1810 |- | スペイン || UNE || F.3541 / F.3551 / F.3504 |- | スウェーデン || SS || 2332 / 2333 |- | ロシア || GOST || 08Ch18N10 |- | インド || IS || 04Cr18Ni11 |- | 中国 || GB || S30408 (OCr18Ni9) |- | 日本 || JIS || SUS304 |- | 韓国 || KS || STS304 |- | ヨーロッパ || EN || 1.4301 / 1.4350 |- | 国際規格 || ISO || X5CrNi18-10 (4301-304-00-I) |} JISを例にすると、ステンレス鋼の指定は以下のような具合である。まず、頭に大まかな分類記号が付く{{Sfn|田中(編)|2010|p=36}}。「SUS」がステンレス鋼材全般(棒材、線材、管材、板材、帯材、形鋼など)を意味しており、他には[[鋳鋼]]品を意味する「SCS」や、[[溶接]]用ワイヤを意味する「SUSY」などがある{{Sfn|野原|2016|p=24}}<ref name="名前なし-1">{{Cite jis|G|5121|2003|name=ステンレス鋼鋳鋼品}} p. 2</ref><ref>{{Cite jis|G|4316|1991|name=溶接用ステンレス鋼線材}} p. 2</ref>。次に、鋼種を指定する記号が続く{{Sfn|田中(編)|2010|pp=38&ndash;39}}。これはAISI規格に由来する3桁の数字から成り、さらに意味づけされたアルファベットが数字の後に続くこともある{{Sfn|田中(編)|2010|pp=38&ndash;39}}。「SUS304L」であれば SUS304 をより低炭素にした鋼種を意味する{{Sfn|田中(編)|2010|pp=38&ndash;39}}。鋳鋼については独自の体系で整理されている<ref name="名前なし-1"/>。 このような具合に決められた一連の記号によって、満たすべき化学組成および機械的性質の範囲などが指定される{{Sfn|田中(編)|2010|pp=44&ndash;67}}<ref name="吉田2013"/>。さらに必要であれば、製品形状を示す記号を末尾に付ける{{Sfn|田中(編)|2010|pp=38&ndash;39}}。「SUS304-B」であれば SUS304 の棒材を意味し、「SUS304-HS」であれば SUS304 の熱間圧延帯材を意味する<ref>{{Cite jis|G|4303|2012|name=ステンレス鋼棒}} p. 2</ref><ref>{{Cite jis|G|4304|2012|name=熱間圧延ステンレス鋼板及び鋼帯}} p. 2</ref>。 == 耐食性 == {{See also|オーステナイト系ステンレス鋼#耐食性|フェライト系ステンレス鋼#耐食性|マルテンサイト系ステンレス鋼#耐食性|オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼#耐食性|析出硬化系ステンレス鋼#耐食性}} ステンレス鋼の耐食性は、化学組成、組織の状態、熱履歴によって変動する{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=15-2}}。優れた耐食性を持ち、「さびない材料」のイメージを一般に持たれるステンレス鋼だが、実際の耐食性は鋼種によって幅広い{{Sfn|橋本|2007|p=284}}。[[海水]]でも錆びない高耐食なものから、野外に放置すると数日で錆び出すものまで存在する{{Sfn|橋本|2007|p=284}}。 特に、耐食性の度合いの決定には化学組成の影響が大きく、各々のステンレス鋼の実際の耐食性は主に化学組成によって決まるといえる{{Sfn|梶村|2011|p=862}}<ref>{{Cite book ja-jp |author = International Stainless Steel Forum |translator = ステンレス協会 |url = http://www.worldstainless.org/Files/issf/non-image-files/PDF/ISSF_The_Ferritic_Solution_Japanese.pdf |title = フェライト系ソリューション |year = 2007 |isbn = 2-930069-51-1 }} p. 21</ref>。ステンレス鋼の耐食性を向上させるには、有効な合金元素の添加と不純物となる元素の減少が有効である{{Sfn|梶村|2011|pp=863&ndash;864}}。 主要組織別の分類でいえば、オーステナイト系の耐食性が優れ、マルテンサイト系の耐食性は悪いと、大まかに評される{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=15-2}}。ただし、このように主要組織別分類で耐食性を大まかに評価できるのは、主要組織が化学組成と熱履歴によって決まっているからである{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=15-2}}。マルテンサイト系の例でいえば、マルテンサイト系はマルテンサイト組織を得るために、耐食性に有効なクロムを増やすことと耐食性上は不純物となる炭素を減らすことが両立しない{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=28}}。結果的に、マルテンサイト系の耐食性は他のステンレス鋼よりも一般的に劣る{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=28}}。 === 湿食 === ステンレス鋼が関わる[[腐食]]には、大きく分けて「[[湿食]]」と「[[乾食]]」という2つの形態がある{{Sfn|梶村|2011|p=862}}。湿食は水溶液腐食とも呼ばれ、[[水溶液]]の作用で起こる腐食である{{Sfnm|杉本|2009|1p=7|野原|2016|2p=91}}。乾食は気体腐食とも呼ばれ、高温の気体の作用で起こる腐食である{{Sfnm|杉本|2009|1p=7|野原|2016|2p=91}}。湿食は典型的な腐食現象で、地球上の金属の腐食のほとんどが湿食で起きている{{Sfnm|杉本|2009|1p=7|野原|2016|2p=91}}。 ==== 不働態化 ==== [[炭素鋼]]が中性の水に浸されると、すぐに[[さび|錆び]]が発生し、腐食が進む{{Sfn|松島|2007|p=10}}。一般的に、[[電気化学]]的な見地から、腐食は[[アノード]]反応と[[カソード]]反応の組み合わせによる化学反応と理解される{{Sfn|杉本|2009|p=7}}。酸素が溶存する中性の水に炭素鋼が触れると、局所的に以下のアノード反応とカソード反応が起きる{{Sfn|杉本|2009|p=5}}。 * アノード反応(鉄の酸化): Fe &rarr; Fe<sup>2+</sup> + 2 e<sup>&minus;</sup> * カソード反応(酸素の還元): 1/2 O<sub>2</sub> + H<sub>2</sub>O + 2 e<sup>&minus;</sup> &rarr; 2 OH<sup>&minus;</sup> このように、アノード反応域の鉄が Fe<sup>2+</sup>イオンとして溶け出ることで、通常は腐食が進む{{Sfn|杉本|2009|p=5}}。 一方、ステンレス鋼を同種の環境においても一般に腐食することはない{{Sfn|松島|2007|pp=10&ndash;11}}。ステンレス鋼の表面には「不働態皮膜」と呼ばれる特殊な皮膜が形成されており、金属がイオンとなって溶け出て行く上記の反応をこの皮膜が防いでいる{{Sfn|松島|2007|p=10}}。不働態皮膜は化学的に安定かつ緻密に表面を覆っており、仮にステンレス鋼表面が傷つき皮膜が破壊されたとしても、通常は瞬時に新たな不働態皮膜が破壊面で生じる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=48}}。このように、熱力学的には腐食した状態の方が安定な化学組成であるにもかかわらず、不動態皮膜の存在によって腐食が著しく遅くなり、実質的に腐食しなくなることを「不働態化」と呼ぶ{{Sfn|杉本|2009|pp=80, 107}}。また、この状態や構造を「[[不動態|不働態]]」と呼ぶ{{Sfn|杉本|2009|p=80}}。特殊な環境であれば、不働態化は普通の鉄でも起きる{{Sfn|橋本|2007|pp=184&ndash;185}}。例えば、普通の鉄は一定以上の濃度の[[硝酸]]水溶液において不働態化して、溶解反応が停止する{{Sfn|橋本|2007|pp=184&ndash;185}}。ステンレス鋼が普通の鉄と異なる点は、不働態化がより一般的な環境でも起きるということである{{Sfn|梶村|2011|p=863}}。これが、ステンレス鋼が高い耐食性を示す理由である{{Sfn|梶村|2011|p=863}}。 [[File:不働態化する合金の分極曲線模式図.svg|thumb|280px|不働態化する合金の分極曲線模式図<ref>{{cite journal ja-jp |author = 佐藤 教男 |title = 不働態の歴史 |journal = 金属表面技術 |publisher = 表面技術協会 |year = 1986 |volume = 37 |issue = 8 |pages = 390&ndash;391 |doi = 10.4139/sfj1950.37.388 }}</ref>。青色実線がアノード分極曲線、赤色点線がカソード分極曲線。交点Aが活性帯に留まる場合で、交点Bが不働態化する場合。]] 不働態化の様子は、金属の「[[電気化学的分極|アノード分極曲線]]」から読み取ることができる{{Sfn|杉本|2009|p=107}}。アノード分極曲線とは、ある[[電解質溶液]]に対象の金属を[[電極|電極(アノード; 陽極または負極)]]として浸したときに電極へ流れる[[電流密度]]を[[電極電位|電極電圧]]の関数として表した曲線であり、この電流密度の大きさは対象金属の腐食速度と等価である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=252}}。アノード(対象金属)の電圧を平衡電位から上げていくと、電流密度も上昇していく{{Sfn|田中(編)|2010|p=116}}。アノードが不働態化を起こす金属である場合、ある電位に達した時点で電流密度が頭打ちになり、その電位以上の電圧をかけると電流密度は逆に急激に下がりはじめ、やがて電流密度は低い一定値を示すようになる{{Sfn|杉本|2009|p=80}}。この電流密度の低い状態が不働態である{{Sfn|梶村|2011|p=863}}。不働態となる直前の電流密度の最高値を「臨界不働態化電流密度」、このときの電位を「不働態化電位」と呼び、また、不働態化した後の低い電流密度値は「不働態維持電流」と呼ばれる{{Sfn|杉本|2009|pp=107&ndash;108}}。不働態となった後に、さらに電位を上昇させると、ある電位以上で電流密度が再度増える{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=16-2}}。これは、高すぎる電位に不働態皮膜が溶解してしまい、アノードの表面が活性な状態に戻るためである{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=16-2}}。 この臨界不働態化電流密度は、金属の不働態化を検討するうえで重要な特性値である{{Sfn|杉本|2009|p=81}}。一般に、金属が不働態化するには、臨界不働態化電流密度以上の電流が、対になるカソード反応によって供給される必要がある{{Sfn|杉本|2009|p=81}}。カソード反応に対する「カソード分極曲線」も、アノード分極曲線とほぼ同様に測定して得ることができ、カソード分極曲線は対象の環境によって定まる{{Sfn|杉本|2009|pp=81&ndash;82}}。不働態化が起こるには、不働態化電位に至るまでカソード分極曲線がアノード分極曲線を常に上回り続けて、不働態域まで自発的に電位が上がった平衡状態になる必要がある{{Sfn|杉本|2009|pp=81&ndash;82}}。よって、臨界不働態化電流密度が低い金属ほど、不働態化しやすい{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=252}}。鉄にクロムを添加すると、クロム含有量の増加にともなって臨界不働態化電流密度と不働態化電位が低くなり、不働態域も広がることが知られている{{Sfnm|野原|2016|1pp=94&ndash;95|田中(編)|2010|2p=117}}。すなわち、クロムの添加により、あまり酸化性が強くない環境でも不働態化しやすくなる{{Sfnm|野原|2016|1pp=94&ndash;95|田中(編)|2010|2p=117}}。さらに、クロムの添加により不働態維持電流も小さくなり、不働態はより安定する{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=49}}。これらのクロムの効果でステンレス鋼は耐食性を発揮しており、これがステンレス鋼の定義においてクロムの一定以上の含有を必須事項としている理由である{{Sfn|平松(監修)|2005|p=9}}。鉄に添加して有効な不働態皮膜を発生させることができるクロム以外の元素は、現在までのところ見つかっていない{{Sfn|平松(監修)|2005|p=10}}。 [[File:Cross section of passive film of stainless steel.webp|thumb|left|270px|電界放出型[[走査電子顕微鏡]]で撮影された SUS304 の不働態皮膜断面。"Substrate" が素地で、沈着された白金・炭素との間に 3.8 [[ナノメートル|nm]] の不働態皮膜が確認できる<ref>Wang, R., Li, Y., Xiao, T. et al. Using Atomic Force Microscopy to Measure Thickness of Passive Film on Stainless Steel Immersed in Aqueous Solution. Sci Rep 9, 13094 (2019). https://doi.org/10.1038/s41598-019-49747-0</ref>。]] ステンレス鋼が作る不働態皮膜の詳細は現在も様々な手段による解析が行われており、まだ正確には解明できていない面もある{{Sfn|野原|2016|p=96}}<ref name="佐藤">{{Cite journal |和書 |author = 佐藤 眞直・藤本 慎司 |year = 2008 |title = 放射光を用いたステンレス鋼不動態皮膜の構造解析 |journal = 材料と環境 |volume = 57 |issue = 6 |doi =10.3323/jcorr.57.250 |publisher = 腐食防食学会 |page= 250}}</ref>。不働態皮膜の厚さは、組成や環境にもよるが、1&ndash;3 [[ナノメートル|nm]] ないし 1&ndash;5 nm と極めて薄い<ref name="佐藤"/>{{Sfn|原|2016|p=207}}。そのため、不働態皮膜の有無は肉眼では分からない{{Sfn|松島|2007|p=10}}。 ステンレス鋼の不働態皮膜の構造は2層構造となっており、外層側が[[水酸化物]]、内層側が[[酸化物]]で構成されている<ref name="佐藤"/>{{Sfn|遅沢|2009|p=12}}。内層酸化物では3価のクロムイオン (Cr<sup>3+</sup>) が濃縮されており、ステンレス鋼の素地と皮膜は、[[酸化物|酸化物イオン]] (OH<sup>−</sup>) を介して結合していると考えられている{{Sfnm|原|2016|1p=207|田中(編)|2010|2p=117}}。この内層酸化物が、不動態皮膜の耐食性を主に生み出していると考えられている<ref name="佐藤"/>。解析結果からの一例だが、水和オキシ水酸化クロム (Cr-O-OH-H<sub>2</sub>O) と呼ばれる[[錯体|錯化合物]]が主体として皮膜を構成しているというモデルが考えられている{{Sfn|野原|2016|p=96}}。また、不動態皮膜は[[化学量論|非化学量論的]]化合物であり、明確な結晶構造を持たないものとみられている<ref name="佐藤"/>。クロムの量が多いほど、[[アモルファス|非晶質]]的な性質をより示す<ref name="佐藤"/>。 ステンレス鋼が[[弾性変形]]しても、不働態皮膜もそれによく追従して破壊されることはない{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=262}}。上記でも述べたとおり、もしステンレス鋼表面が傷ついて皮膜が機械的に破壊されても、瞬時に再生する性質を持つ{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=48|橋本|2007|2p=187}}。また、ステンレス鋼の不働態皮膜は[[半導体]]型の[[バンド構造]]を有し、クロム 20 % 程度まででは[[n型半導体]]、それ以上では[[p型半導体]]となることも分かっている{{Sfn|杉本|2009|p=117}}。 鉄とクロムの2元合金に対して、さらに[[ニッケル]]や[[モリブデン]]などの他の元素を加わえても、耐食性向上の効果がある。ニッケルは臨界不働態化電流密度と不働態維持電流を小さくし{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=49}}、モリブデンも臨界不働態化電流密度を小さくすることが知られている{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=49}}。しかし、いずれの元素も不働態化電位は高くしてしまう{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=49}}。モリブデンは不働態皮膜中には存在しないとされるが、不働態皮膜の再生を助ける働きをすると考えられている{{Sfn|平松(監修)|2005|p=10}}。 ==== 全面腐食 ==== 腐食の形態を進行範囲の大きさで分けると「[[全面腐食]]」と「[[局部腐食]]」の2つに分かれる{{Sfn|松島|2007|pp=17&ndash;18}}。全面腐食は、表面全体がおおむね均一に腐食して失われていく形態で、局部腐食は、材料の一部分で腐食が局部的に進行する形態である{{Sfn|松島|2007|pp=17&ndash;18}}。ステンレス鋼は、その不働態化能力によって全面腐食に対しては比較的強い{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=16-6}}。ステンレス鋼の腐食による事故・事例の中では、全面腐食によるものの割合は少ない{{Sfn|野原|2016|p=91}}。全面腐食は発生の予測がしやすいため、腐食現象の中では危険性が小さい方である{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=16-7}}。 ステンレス鋼の全面腐食は、表面が不働態化できず、全面が活性状態となる環境で起きる{{Sfn|橋本|2007|p=197}}。アノード分極曲線上でいえば、不働態に移る前の電位に比例して電流が急増していく領域のことを「活性帯」といい、この活性帯で全面腐食が起きる{{Sfnm|遅沢|2009|1p=12|梶村|2011|2p=865}}。一度不働態になった金属に対して酸化剤の [[水素イオン指数|pH]] が下がっていくと、あるところの pH 以下で不働態を維持できなくなる{{Sfn|杉本|2009|p=123}}。この pH の値を「脱不働態化pH」といい、SUS304 の場合で 2 前後である{{Sfn|田中(編)|2010|p=120}}。ステンレス鋼の全面腐食は、一般的に pH = 2 以下の酸環境で起きる{{Sfn|田中(編)|2010|p=120}}。脱不働態化pH をさらに下げるには、クロム、モリブデン、ニッケルの添加が有効である{{Sfn|田中(編)|2010|p=120}}。主な酸に対する大まかな全面腐食耐食性の傾向を以下に示す{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=52}}。 {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%" |+ 主な酸に対する全面腐食の耐食性目安{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=52}} ! 酸の種類 !! 濃度<br>(%) !! 温度<br>(°C) !! 13Cr鋼 !! 18Cr鋼 !! 18Cr-8Ni鋼 !! 18Cr-12Mo鋼 |- | rowspan="2" | [[塩酸]] || 1 || 20 || × || × || △ || 〇 |- | | 10 || 20&ndash;35 || × || × || × || × |- | rowspan="3" | [[硫酸]] || 0.5 || 20 || × || △ || 〇 || 〇 |- | | 50 || 20&ndash;30 || × || × || × || × |- | | 98 || 30 || △ || △ || 〇 || 〇 |- | rowspan="3" | [[硝酸]] || 1 || 20&ndash;50 || 〇 || 〇 || 〇 || 〇 |- | | 5 || 85&ndash;沸点 || △ || 〇 || 〇 || 〇 |- | | 65 || 沸点 || × || × || △ || △ |- | rowspan="3" | [[酢酸]] || 1 || 沸点 || △ || 〇 || 〇 || 〇 |- | | 50 || 20&ndash;50 || × || △ || 〇 || 〇 |- | | 100 || 沸点 || × || × || × || 〇 |- | colspan="7" | 〇:浸食度 0.1 mm/年 以下、△:浸食度 0.1&ndash;1.0 mm/年、×:浸食度 1.0 mm/年 以上 |} ステンレス鋼の[[塩酸]]に対する耐性は、表にも示すように乏しい{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=51}}。塩酸はステンレス鋼を不働態化させるほど十分な酸化力がなく、全面腐食を引き起こす{{Sfn|橋本|2007|p=198}}。ステンレス鋼がもっとも苦手とする環境が塩酸だといえる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=51}}。希塩酸に対して使われる場合もあるが、塩酸濃度が低い場合でも後述の[[孔食]]や[[応力腐食割れ]]の可能性がある{{Sfnm|橋本|2007|1p=198|ステンレス協会(編)|1995|2p=1188}}。 [[硫酸]]に対しては、中濃度では全面腐食が起きる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=51}}。十分な高濃度または低濃度の硫酸に対してのみ、ステンレス鋼の使用が許容される{{Sfn|橋本|2007|p=198}}。高温化した硫酸に対しても全面腐食が起きる可能性があり、0.5 % 硫酸でも温度が 100 °C で腐食が進む{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=51&ndash;52}}。[[硝酸]]については、中濃度およびそれ以下であればステンレス鋼は良好な耐食性を持つ{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1181}}。一方で、高濃度や高温度の硝酸に対しては大きな腐食が起きる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1181}}。代表的な有機酸である[[酢酸]]に対しては、沸点温度になると腐食しないために高耐食ステンレス鋼が必要となる{{Sfn|田中(編)|2010|p=252}}。ただし、実際の酢酸には不純物や共存成分が混じり、それらが腐食を促進する{{Sfn|田中(編)|2010|p=253}}。 [[アルカリ性]]環境については、希薄なアルカリ水溶液に対しては不働態化して良好な耐食性を示す{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=489}}。ステンレス鋼で実際に問題となるのは[[苛性ソーダ]]による腐食である{{Sfn|橋本|2007|p=198}}。苛性ソーダに対してはニッケルが有効で、ニッケル含有量が多いほど耐食性が向上する{{Sfn|橋本|2007|p=199}}。クロム・ニッケル系ステンレス鋼の SUS304 の場合で、濃度 50 % 以下、温度 80 °C 以下であれば腐食に耐え、それ以上の条件になると全面腐食が進む{{Sfn|田中(編)|2010|p=254}}。 ==== 孔食・すきま腐食 ==== ステンレス鋼の場合、全面腐食よりも、材料中の一部分で腐食が進む[[局部腐食]]の方が実用上の問題となることが多い{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=54}}。特にステンレス鋼で問題となる局部腐食は「[[孔食]]」「[[すきま腐食]]」「[[粒界腐食]]」「[[応力腐食割れ]]」などがある{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=54}}。 [[File:Pitting corrosion on duplex stainless steel specimens.jpg|thumb|280px|孔食試験後のオーステナイト・フェライト系に出来た孔食の様子。写真は高温暴露の影響を調べており、(a)は固溶化熱処理後の試験片、(b)(c)(d)はそれぞれ 350 °C、450 °C、500 °C で5500時間時効されたもの<ref>{{Cite journal |authors = Yongqiang Wanga, Hao Suna, Junliang Lia, Dandan Lia & Na Lib |title = Pitting Corrosion of Thermally Aged Duplex Stainless Steels at Different Temperature for Long Time | journal= Materials Research | location= São Carlos | year = 2019 | volume = 22 |issue = 6 |doi = 10.1590/1980-5373-mr-2018-0663 |issn=1980-5373 }}</ref>。]] 孔食とは、全体的には腐食が進んでいない状況にもかかわらず材料中の一部分が穴状に浸食する形態の腐食である{{Sfn|松島|2007|p=21}}。具体的な破壊モデルは種々提案されているが、不働態皮膜が電気化学的あるいは機械的に局所的に破壊されると、そこから孔食が発生する{{Sfnm|原|2016|1p=209|杉本|2009|2p=183}}。[[ハロゲンイオン]]を含む水溶液環境中で孔食は起こりやすく、特にステンレス鋼の場合は[[塩化物イオン]](Cl<sup>&minus;</sup>)を含む水溶液中で孔食が起こりやすい{{Sfnm|杉本|2009|1p=173|橋本|2007|2p=190}}。外部との液交換が難しいピット(孔)中では、ピット中の溶存酸素が消費されて、ピット中は溶解金属イオンが過剰な状態となる{{Sfn|田中(編)|2010|p=122}}。電気的中性を保つために、外部の Cl<sup>&minus;</sup> が[[電気泳動]]でピット中に引き寄せられ、ピット内で金属塩化物ができる{{Sfn|田中(編)|2010|p=122}}。金属塩化物はすぐに[[加水分解]]して、ピット内部の pH はさらに低下し、ピット内部で腐食が進む{{Sfn|田中(編)|2010|p=122}}。塩化物イオンの場合はこのような機構によって孔食が進むと考えられている{{Sfn|田中(編)|2010|p=122}}。 孔食に対するの耐食性向上には、[[クロム]]、[[モリブデン]]、[[窒素]]、[[ケイ素]]、[[タングステン]]、[[レニウム]]など添加が有効である{{Sfn|杉本|2009|p=177}}。特に、クロムとモリブデンが耐孔食性向上の元素として挙げられる{{Sfn|梶村|2011|p=866}}。合金元素量から耐孔食性の指標を計算するものとして、[[耐孔食指数]] (Pitting Resistance Equivalent Number, PREN または Pitting Resistance Equivalent, PRE) が知られている{{Sfnm|梶村|2011|1p=866|Lai et al.(ed)|2012|2p=116}}。よく使われる PREN の式は :PREN = %Cr + 3.3 &times; %Mo + n &times; %N と表される{{Sfnm|遅沢|2009|1p=13|Lai et al.(ed)|2012|2p=116}}。窒素(N)の影響力を意味する係数 n の値は研究者によって異なり、n = 16 がよく使われる{{Sfnm|遅沢|2009|1p=13|Lai et al.(ed)|2012|2p=116}}。ただし、オーステナイト系には n = 30 の方がより適当ともいわれる{{Sfn|遅沢|2009|p=13}}。フェライト系の場合は n = 0 で計算する{{Sfn|遅沢|2009|p=13}}。PREN が40以上の鋼種を「スーパーステンレス鋼」と呼ぶ{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=328}}。 [[File:Morphology of pitting corrosion around inclusion on 304 stainless steel.webp|thumb|left|270px|304系ステンレス鋼上の非金属介在物から形成された孔食の様子。塩酸酸性の[[塩化第二鉄]]溶液による浸漬試験後のもので、縦列が浸漬時間を示す。横列(a)(b)(c)は非金属介在物の種類別<ref>Shi, W., Yang, S. & Li, J. Correlation between evolution of inclusions and pitting corrosion in 304 stainless steel with yttrium addition. Sci Rep 8, 4830 (2018). https://doi.org/10.1038/s41598-018-23273-x</ref>。]] また、ステンレス鋼中の非金属介在物は、孔食発生の核となり、有害であることが知られる{{Sfn|杉本|2009|p=178}}。特に[[硫化マンガン(II)]] (MnS) の介在物が有害である{{Sfn|原|2016|p=209}}。このため、組成の制御や表面処理による MnS の除去が耐食性改善に有効である{{Sfn|原|2016|pp=212&ndash;213}}。使用上の対策としては、できるだけ Cl<sup>&minus;</sup> 濃度および温度が低い環境で使用することが望ましい{{Sfn|田中(編)|2010|p=123}}。日常生活の例でいえば、台所周りでステンレス鋼に付着した[[塩]]や[[醤油]]などを放置すると、孔食が発生・進行する恐れがある{{Sfn|橋本|2007|p=284}}。 すきま腐食とは、だいたい 0.01 mm 程度の微小なすきまで起こる腐食で、すきま内部で局所的な腐食が進む{{Sfn|松島|2007|p=15}}。ステンレス鋼表面に付着した異物の下から、あるいは[[ボルト (部品)|ボルト]]・[[ナット]]締結部や[[フランジ継手]]のような構造上のすきま部から、すきま腐食が起きる{{Sfnm|橋本|2007|1p=190|田中(編)|2010|2p=122}}。 すきま腐食では閉鎖環境として機能するすきまが最初から存在する点が孔食と異なるが、すきま腐食の腐食進行機構は孔食と本質的には同じである{{Sfnm|梶村|2011|1p=865|野原|2016|2p=100}}。対策も同様に、クロムやモリブデンの合金元素添加、低 Cl<sup>&minus;</sup> 濃度環境での使用が有効である{{Sfn|野原|2016|p=100}}。また、構造上のすきまができるだけないように配慮することも必要である{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=62}}。 ==== 粒界腐食 ==== [[File:Intergranular corrosion.JPG|thumb|オーステナイト系に発生した粒界腐食の様子。]] [[粒界腐食]]とは、多結晶体中の個々の結晶の境目である[[結晶粒界]]で局部的に腐食が進む現象である{{Sfn|杉本|2009|p=189}}。ステンレス鋼の粒界腐食は、粒界付近にクロムが欠乏した領域が存在することによって起きる{{Sfn|杉本|2009|p=189}}。粒界では、[[結晶粒]]内と比較して[[析出]]が進行しやすい{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=276}}。また、炭素はクロムと結合しやすい性質を持っている{{Sfn|橋本|2007|p=192}}。そのため、ステンレス鋼が高温に加熱されると、ステンレス鋼中の炭素とクロムが結合して粒界で[[クロム炭化物]] (Cr<sub>23</sub>C<sub>6</sub>) ができる{{Sfn|橋本|2007|p=192}}。生成したクロム炭化物の周辺ではステンレス鋼中のクロムは欠乏する{{Sfn|橋本|2007|p=192}}。クロム欠乏帯では 10 % を下回るような低クロム濃度になっており、耐食性が乏しく、そのため粒界腐食が起きる{{Sfnm|杉本|2009|1p=189|田中(編)|2010|2p=121}}。粒界腐食がひどく進行すると結晶粒の脱落が起き、強度にも悪影響を及ぼし得る{{Sfn|田中(編)|2010|p=122}}。 [[File:Sensitized structure of 304 stainless steel.jpg|thumb|著しく鋭敏化した304系の組織写真。一般的に、鋭敏化したステンレス鋼ではクロム炭化物の析出によって粒界が太く見える{{Sfn|向井|1999|p=70}}。]] クロム欠乏帯の発生のように、粒界腐食が起きやすい材質になることを「鋭敏化」という{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=276}}。オーステナイト系の場合、およそ 400 °C から 800 °C の温度域でクロム欠乏帯による鋭敏化が起きる可能性がある{{Sfn|杉本|2009|p=190}}。この温度域で短時間でも保持されるとクロム炭化物が析出するため、この温度域を徐冷でゆっくり通過しても鋭敏化の可能性がある{{Sfn|杉本|2009|p=190}}。一方で、フェライト系では約 900 °C 以上からの急冷で鋭敏化が起こる{{Sfn|杉本|2009|p=190}}。オーステナイト系とフェライト系の温度条件の違いは、組織中におけるクロムの拡散速度、炭素の拡散速度、炭素の固溶量が異なることによる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=281}}。ただし、フェライト系の鋭敏化は比較的軽微で、特に問題となるのはオーステナイト系の鋭敏化といえる{{Sfn|野原|2016|p=98}}。 ステンレス鋼が素材の状態では、適切な熱処理を施すことによってクロム炭化物は素地に溶けて、クロム欠乏帯を作らずに済む{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1pp=55, 57|田中(編)|2010|2pp=104&ndash;105, 122}}。しかし[[溶接]]を行う場合、高温に上昇する溶接箇所の[[熱影響部]]で鋭敏化が起き得る{{Sfn|梶村|2011|p=866}}。上記の温度条件の違いにより、オーステナイト系では溶接金属から少し離れたところで、フェライト系では溶接金属の直近で鋭敏化の可能性が高い{{Sfn|梶村|2011|pp=864, 866}}。このように溶接熱影響部で起きる粒界腐食は「ウェルドディケイ (weld decay)」と呼ばれる{{Sfn|向井|1999|p=42}}。 ステンレス鋼の鋭敏化に対する材料側の対策としては、クロム炭化物の元となる炭素の低減が有効となる{{Sfnm|松島|2007|1pp=89&ndash;90|梶村|2011|2p=866}}。また、[[ニオブ]]や[[チタン]]のような、優先的に炭素と安定な化合物を作る合金元素の添加も有効である{{Sfnm|松島|2007|1pp=89&ndash;90|梶村|2011|2p=866}}。溶接上の対策は、できるだけ入熱が小さい溶接条件を選定することである{{Sfn|向井|1999|p=74}}。変形の危険もあるが、溶接後に再度の[[固溶化熱処理]]を実施することも対策となる{{Sfn|向井|1999|p=74}}。 ==== 応力腐食割れ ==== [[File:SCC of stainless steel UNS S31603.jpg|thumb|120px|UNS S31603 の人工海水環境[[応力腐食割れ]]試験で起きた割れ<ref>{{Cite journal |authors = Henrique Boschetti Pereiraa, Zehbour Panossiana, Ilson Palmieri Baptistab, & Cesar Roberto de Farias Azevedoc |title = Investigation of Stress Corrosion Cracking of Austenitic, Duplex and Super Duplex Stainless Steels under Drop Evaporation Test using Synthetic Seawater |journal= Materials Research |month = January |year = 2019 |volume = 22 |issue = 2 |doi = 10.1590/1980-5373-mr-2018-0211 |issn=1980-5373 |accessdate=2020-06-14 }}</ref>。]] [[応力腐食割れ]]とは、腐食環境に引っ張る力([[応力]])が重なったときに割れが起きる現象である{{Sfn|橋本|2007|p=194}}。[[引張り強さ]]未満の応力であっても腐食作用が加わることで割れが発生し、最終的には破断にまで至る可能性もある{{Sfn|松島|2007|p=47}}。広義の応力腐食割れは、アノード反応溶解が割れを助長する「活性経路腐食型応力腐食割れ」と、材料中の[[水素]]原子が原因となる「水素脆性型応力腐食割れ」に分かれる{{Sfn|杉本|2009|p=198}}。応力腐食割れの事例全体の中でも発生事例が多いのが、ステンレス鋼の応力腐食割れ、特に[[塩化物]]環境で起きるオーステナイト系の活性経路腐食型応力腐食割れである{{Sfnm|金子・須藤・菅又|2004|1p=79|松島|2007|2p=49}}。オーステナイト系使用上の大きな問題点の一つが、応力腐食割れといえる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=62}}。 塩化物環境での応力腐食割れの場合、塩化物濃度、溶存酸素、温度が高いほど割れが発生しやすくなる<ref>{{cite book |和書 |author = 大路 清嗣・中井 善一 |title = 材料強度 |publisher = コロナ社 |year = 2010 |edition=第1版 |isbn = 978-4-339-04039-5 |page = 151}}</ref>。高温高圧の塩化物水溶液を扱う[[熱交換器]]などで起きるものが、オーステナイト系の応力腐食割れの代表例である{{Sfn|徳田・山田・片桐|2005|p=118}}。実際の環境で起きたステンレス鋼の応力腐食割れの事例によると、多くは 70 °C 以上の環境温度で起きている{{Sfn|橋本|2007|p=195}}。塩化物以外では、[[苛性ソーダ]]などの高温アルカリ水溶液でステンレス鋼の応力腐食割れは起きる{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=16-84}}。 [[固溶化熱処理]]されたステンレス鋼であれば、[[結晶粒]]内を割れが進む「粒内割れ」が塩化物環境の活性経路腐食型応力腐食割れの形態となることが多い{{Sfn|田中(編)|2010|p=124}}。ステンレス鋼で起こる応力腐食割れの多くは粒内割れである{{Sfn|梶村|2011|p=867}}。一方で、ステンレス鋼が鋭敏化していると、[[結晶粒界]]を割れが進む「粒界割れ」が生じ得る{{Sfn|野原|2016|pp=102&ndash;103}}。粒界割れ型の応力腐食割れの場合は、200 °C から 300 °C の高純度高温水でも発生する{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=269|Outokumpu|2013|2p=39}}。粒界割れ型の応力腐食割れを防ぐためにも、材料の鋭敏化を防ぐことが重要となる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=65}}。 フェライト系とオーステナイト・フェライト系は、オーステナイト系と比較すると応力腐食割れが生じづらい{{Sfnm|野原|2016|1p=103|IMOA|2014|2p=17}}。ステンレス鋼の中で材料を選ぶならば、対応策としてはフェライト系やオーステナイト・フェライト系が選択肢となる{{Sfn|野原|2016|p=103}}。オーステナイト系の場合は、ニッケル含有量を 40 % 近くまで増やすと実用的なレベルまで耐応力腐食割れ性が高まるが、コストの面からこのような鋼種の選択は難しい{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=64}}。引張応力が大きいほど応力腐食割れは起きやすくなるので、引張応力ができるだけ加わらない設計や施工が望まれる{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=64|Peckner & Bernstein (ed)|1977|2p=16-84}}。 水素脆性型応力腐食割れは、単に「[[水素脆化]]」や「水素脆性」とも呼ばれる{{Sfnm|杉本|2009|1p=198|金子・須藤・菅又|2004|2p=80}}。通常の腐食に起因した水素の侵入を原因とする水素脆性の場合は、その耐食性によって炭素鋼などよりもステンレス鋼の水素脆性は起きづらい<ref name="大村・中村2011">{{Cite journal ja-jp |author = 大村 朋彦・中村 潤 |year = 2011 |title = ステンレス鋼の水素脆性 |journal = Zairyo-to-Kankyo |volume = 60 |issue = 5 |doi = 10.3323/jcorr.60.241 |publisher = 腐食防食学会 |pages = 241, 246 }}</ref>。[[水素燃料]]機器の材料として、オーステナイト系ステンレス鋼が用いられることが多い<ref name="南雲2010">{{Cite journal ja-jp |author = 南雲 道彦 |year = 2010 |title = オーステナイト系ステンレス鋼の水素脆性 |journal = 圧力技術 |volume = 48 |issue = 3 |doi = 10.11181/hpi.48.154 |publisher = 日本高圧力技術協会 |pages = 154, 163}}</ref>。しかし、ステンレス鋼であって、腐食に起因した水素侵入ではないため高圧水素ガス環境下では水素脆性の可能性がある<ref name="大村・中村2011"/>。高圧水素中の水素脆性評価によると、オーステナイト系 SUS316L やオーステナイト系析出硬化型ステンレス鋼 A-286 などのオーステナイト安定度の高い鋼種が脆化しづらく、オーステナイト系 SUS304L やマルテンサイト系ステンレス鋼は脆化を示す<ref name="大村・中村2011"/>。ただし、ステンレス鋼の水素脆性の機構自体がまだ未解明で、結論は得られていない<ref name="南雲2010"/>。 ==== 異種金属接触腐食 ==== [[異種金属接触腐食]]とは、異なる種類の金属が接触するときに電池が形成され、電極電位が低くなる方(卑な方)の金属で腐食が進む現象である{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=296|松島|2007|2pp=28&ndash;29}}。不働態化したステンレス鋼は、海水中の腐食電位列に代表されるように、[[鋼]]、[[鋳鉄]]、[[銅合金]]といった他の実用構造材料に対して電極電位の高い側(貴な側)となりやすい{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=297|松島|2007|2pp=28&ndash;29}}。そのため、異種金属接触腐食が起こる場合も、ステンレス鋼側の腐食よりも相手材料側の腐食が問題となることが実用上は多い{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=297}}。 異種金属接触腐食への影響要素としては、両金属の腐食電位列上の関係や面積の比率、電解質溶液の電気伝導率や流速が関係する{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=297}}。特に重要なのが面積比率で、接触する両金属の内の卑な金属の面積が、貴な金属の面積よりも小さければ小さいほど腐食が進展しやすくなる{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=16-87}}。よくある例はステンレス鋼板を普通鋼の[[ボルト (部品)|ボルト]]で締結したような事例で、ステンレス鋼板側が貴かつ面積大の状態で、普通鋼ボルト側が卑かつ面積小の状態であるため、ボルトの著しい腐食が起こり得る{{Sfn|橋本|2007|p=197}}。 === 乾食 === 高温の気体の作用で起こる腐食現象の[[乾食]]、あるいは高温で起こる腐食現象全般の[[高温腐食]]についても、汎用金属材料の中ではステンレス鋼は優秀な耐性を持つ材料だといえる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=487}}。乾食は、発電所、石油化学プラント、自動車排ガス装置などの高温装置で関係し、主に「高温酸化」と「高温ガス腐食」に分類される{{Sfnm|田中(編)|2010|1pp=127&ndash;128|菊池|2014|2p=11}}。 ==== 高温酸化 ==== [[File:Macro morphologies of stainless steel S32654 after oxidation.webp|thumb|330px|高温酸化したステンレス鋼(S32654)の表面の様子。(a)(d)が1時間暴露後、(b)(e)が3時間暴露後、(c)(f)が5時間暴露後の状態を示す<ref name="Dong2017">Dong, N., Zhang, C., Li, H. et al. A combined experimental and first-principle study on the oxidation mechanism of super austenitic stainless steel S32654 at 900 °C. Sci Rep 7, 871 (2017). https://doi.org/10.1038/s41598-017-00903-4</ref>。]] 鉄鋼材料を高温大気中に長時間さらすと、ぼろぼろの表面となることがある{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=66}}。このような現象を[[高温酸化]]という{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=66}}。高温大気環境中で生じる[[酸化]]現象で、[[空気]]中や[[酸素]]中の他に[[水蒸気]]中や[[二酸化炭素]]中でも生じる{{Sfnm|菊池|2014|1p=11|松島|2007|2p=159}}。ステンレス鋼は高温酸化にも優れた耐性を示す{{Sfnm|菊池|2014|1p=11|大山・森田・吉武|1990|2p=66}}。ステンレス鋼の耐酸化性の源は主にクロムによるもので、クロム含有量が多いほど高温酸化への耐性も向上する{{Sfnm|橋本|2007|1p=200|菊池|2014|2p=14}}。高温酸化が激しくなって使用が困難になる温度が炭素鋼では 500 °C 程度といわれるのに対して、ステンレス鋼では鋼種にもよるが 1000 °C 程度となる<ref name="藤井2017">{{Cite book ja-jp |others=藤井 哲雄(監修) |title=錆・腐食・防食のすべてがわかる事典 |publisher=ナツメ社 |year=2017 |edition=初版 |isbn=978-4-8163-6243-9}} pp. 122&ndash;126</ref>。 高温での耐酸化性や耐食性の源は、表面に形成される保護皮膜による{{Sfn|菊池|2014|p=11}}。この皮膜は保護性を持つ点では不働態皮膜と同じだが、組成も異なり厚みも大きく、不働態皮膜とは別物である{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=66}}。ステンレス鋼のクロムが 20 % 以上の高含有量になると、[[酸化クロム(III)]](Cr<sub>2</sub>O<sub>3</sub>)で出来た保護性のある酸化物皮膜が表面を緻密に覆う{{Sfn|菊池|2014|p=12}}。この酸化物皮膜中では金属イオンや酸素イオンの拡散が非常に遅く、ステンレス鋼の高い耐酸化性が得られる{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=128|橋本|2007|2p=201}}。ただし、18 % 未満程度のクロム含有量が低い場合は、緻密で連続した Cr<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 皮膜は形成されず、FeCr<sub>2</sub>O<sub>4</sub> や Fe(Fe,Cr)<sub>2</sub>O<sub>4</sub> の皮膜が形成されるに留まる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=375}}。しかし実用的には、SUS410 のような11%クロムステンレス鋼や SUS430 のような17%クロムステンレス鋼も 800 °C ないし 850 °C を使用限度温度として高温酸化環境で使われている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=379}}。 [[File:Cross-section morphology of stainless steel S32654 after 1 hour oxidation.jpg|thumb|left|1時間・900 &deg;Cの高温酸化を受けたステンレス鋼(S32654)の断面写真。明るい灰色部分が素地で、暗い灰色部分が高温酸化でできた酸化物皮膜<ref name="Dong2017"/>。]] 保護性の Cr<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 皮膜が欠損・剥離を起こした場合でも、クロム含有量が高ければ直ちに Cr<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 皮膜を再生できる{{Sfn|菊池|2014|pp=13&ndash;14}}。他の合金元素としては、[[ケイ素]]が耐酸化性を著しく改善する{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=376}}。添加されたケイ素は皮膜層と母材の界面に[[二酸化ケイ素]]として塊状または連続層として存在し、Cr<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 皮膜の形成を助力する{{Sfnm|菊池|2014|1p=14|ステンレス協会(編)|1995|2pp=376&ndash;377}}。[[アルミニウム]]にも大きな改善の効果があるが、クロムとアルミニウムの含有量によって効果が異なり、その挙動は複雑である{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=375|菊池|2014|2p=14}}。例えば クロム 14 % を含むものに対して 0.8 % から 2.0 % のアルミニウムを添加すると、[[酸化アルミニウム]](Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub>)の皮膜が Cr<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 皮膜の下に形成される{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=375|菊池|2014|2p=14}}。Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 皮膜自体は緻密で保護性が高いが、この場合は皮膜の剥離を誘発して酸化速度がむしろ大きくなる{{Sfnm|谷野・鈴木|2013|1p=222|ステンレス協会(編)|1995|2p=375|菊池|2014|3p=14}}。さらにアルミニウム濃度が高くなれば、最外層に Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 皮膜が形成されるようになり、酸化速度が著しく小さくなる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=375|菊池|2014|2p=14}}。逆にアルミニウム含有量が 0.3 % 程度の場合も、Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 粒子が Cr<sub>2</sub>O<sub>3</sub> 皮膜の下に分散、内部酸化層となって、酸化速度を減少させる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=375|菊池|2014|2p=14}}。 上述のように、高温酸化は水蒸気雰囲気中でも生じる。水蒸気中で起こる高温腐食を特に「水蒸気酸化」と呼ぶ{{Sfn|野原|2016|p=107}}。火力発電のボイラーで 500 &deg;C から 650 &deg;C の高温蒸気に晒される管内面などで問題となる{{Sfn|田中(編)|2010|p=130}}。水蒸気酸化の進行は、水蒸気の解離によって発生した酸素分子によって、または水蒸気と鉄の直接反応によって進行するといわれる{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=132|野原|2016|2p=107}}。水蒸気酸化では、同時発生する[[水素]]が皮膜に欠陥を作り、さらに、そこまで温度が高くないため保護皮膜が一様に生成されにくいことや酸素の供給が不十分なことによって、水蒸気酸化中での酸化皮膜は不完全で保護性が低くなりやすい{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=387|田中(編)|2010|2pp=132&ndash;133}}。水蒸気酸化性に大きな影響を持つ合金元素はクロムで、多量添加によって水蒸気酸化への耐性を向上できる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=389|菊池|2014|2p=15}}。 ==== 高温ガス腐食 ==== 大気環境以外で生じる乾食は[[高温ガス腐食]]と呼ばれる{{Sfn|菊池|2014|p=12}}。ステンレス鋼に関わる代表的な高温ガス腐食が、高温硫化、浸炭、窒化、ハロゲンガス腐食などである{{Sfn|菊池|2014|p=12}}。 高温硫化は、[[硫化水素]]ガスや[[亜硫酸]]ガスなどの雰囲気中で起こる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=67}}。高温硫化の挙動は、高温酸化と同じように、表面にできる皮膜の生成と成長に支配される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=390}}。高温硫化における皮膜は[[硫化物]]によって形成されるが、格子欠陥が多くてイオンが拡散しやすいため、この硫化物皮膜には高温酸化における酸化物皮膜のような保護力はない{{Sfnm|橋本|2007|1p=202|菊池|2014|2p=16}}。実用合金全般を見渡しても、硫化水素ガス雰囲気中での最大の耐用温度は 600 °C が限界といわれる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=67&ndash;68}}。クロムの添加は硫化を抑制する効果があるため、ステンレス鋼の耐高温硫化性は炭素鋼よりは優れている{{Sfn|谷野・鈴木|2013|pp=223&ndash;224}}。クロムの他にはアルミニウムやケイ素の添加が有効で、硫化速度減少の効果を示す{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=487|田中(編)|2010|2p=133|菊池|2014|3p=16}}。 [[浸炭]]は、[[一酸化炭素]]、[[二酸化炭素]]、[[炭化水素]]などの高温ガス雰囲気中で起こる現象で、炭素原子が内部に拡散して[[炭化物]]を形成する<ref name="藤井2017"/>{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=406}}。[[窒化]]は、[[アンモニア]]雰囲気などの[[窒素]]を含む高温雰囲気中で起こる現象で、窒素原子が内部に拡散して固溶体や[[窒化物]]を形成する{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=137|橋本|2007|2p=202|ステンレス協会(編)|1995|3pp=407&ndash;408}}。浸炭も窒化も材質を[[脆化]]させたり、クロム欠乏帯をつくり異常酸化の原因となったりする{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=68|菊池|2014|2p=17}}。浸炭に有効な合金元素には、保護性のある酸化物を形成するクロムとケイ素、炭化物を形成しないニッケルが挙げられる{{Sfn|田中(編)|2010|pp=135&ndash;136}}。窒化の場合は、特に有効な合金元素はニッケルで、ニッケル含有量が多いほど耐窒化性が増す{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=69|菊池|2014|2p=17}}。 ハロゲンガス腐食は[[塩素]]ガスや[[塩化水素]]ガス中で起こる腐食で、激しい腐食性を示す{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=69}}。塩素ガスや塩化水素ガスとの反応で生成される塩化物は低融点で容易に昇華するため、ハロゲンガス腐食の腐食速度は大きい{{Sfn|田中(編)|2010|p=138}}。SUS304の例で、塩素ガス中での耐用温度が約 310 °C、塩化水素ガス中での耐用温度が約 400 °C である{{Sfn|菊池|2014|p=18}}。 == 強度・機械的性質 == {{See also|オーステナイト系ステンレス鋼#機械的性質|フェライト系ステンレス鋼#機械的性質|マルテンサイト系ステンレス鋼#機械的性質|オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼#機械的性質|析出硬化系ステンレス鋼#機械的性質}} ステンレス鋼の[[機械的性質]]も、その組織の状態と組成によって様々に変わる{{Sfn|田中(編)|2010|p=147}}。多くの種類のステンレス鋼が存在するように、ステンレス鋼の機械的性質も幅広い{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-15}}。一般に、鉄鋼材料の[[強度]]・[[硬度]]を高める原理には、次の5つがある{{Sfnm|谷野・鈴木|2013|1p=117|牧|2015|2pp=109&ndash;116, 120&ndash;122|ステンレス協会(編)|1995|3pp=165&ndash;167}}。 ;[[固溶強化]] :添加された元素の原子が材料中に[[固溶]]されることにより、母材格子にゆがみが起こり、[[転位]]の運動が妨害されて強度が高まる機構{{Sfn|谷野・鈴木|2013|pp=118&ndash;119}}。 ;[[加工硬化]] :転位強化ともいい、[[塑性加工]]によって組織中の転位を意図的に増大させ、転位同士がその運動を妨害することで強度が高まる機構{{Sfnm|牧|2015|1pp=111&ndash;112|ステンレス協会(編)|1995|2pp=166&ndash;167}} ;[[析出硬化]] :分散強化ともいい、合金炭化物や金属間化合物の第2相が微細に分散して母相中に[[析出]]することで、転位の運動の障害となって強度が高まる機構{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=165}}。 ;[[粒界強化]] :細粒化強化ともいい、多結晶体中の[[結晶粒]]サイズを小さくすることで強度が高まる機構{{Sfn|牧|2015|pp=112&ndash;114}}。[[降伏応力]]を上昇させ、[[延性-脆性遷移温度]]を低くする{{Sfn|谷野・鈴木|2013|pp=135&ndash;136}}。 ;[[マルテンサイト変態]]による強化 :基礎的な強化機構というより、上の4つが重ね合わさった強化機構である{{Sfn|牧|2015|p=120}}。マルテンサイト変態が起きることで、上記4つの強化機構を同時に実現し、高強度化される{{Sfn|牧|2015|p=120}}。特に炭素を過飽和に含有することによる固溶強化が大きい{{Sfn|牧|2015|p=120}}。 いずれの強化機構も、[[塑性変形]]の基となる転位の運動を妨げることで材質を高強度化させる<ref name="高橋2013">{{Cite journal ja-jp |author = 高橋 茉莉 |year = 2013 |month = 11 |title = 特集/エネルギー・インフラ技術を支えるステンレス鋼 II. ステンレス鋼の種類、性質と適用状況 4. 高強度ステンレス鋼 |journal = 特殊鋼 |volume = 62 |issue = 6 |url = http://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2013/magazine1311.pdf |publisher = 特殊鋼倶楽部 |page = 15 }}</ref>。ステンレス鋼の強度も、これらの強化機構を基礎とする<ref name="高橋2013"/>。一方、材質を高強度化すると、一般的に[[展延性|延性]]・[[靭性]]が低下する{{Sfn|牧|2015|p=123}}。延性・靭性が低下すると、材料が破壊されるときに[[脆性破壊]]となる{{Sfn|徳田・山田・片桐|2005|p=102}}。機械・構造物の安全使用の観点からは、強度が高いことだけでなく、靭性が大きいことも望ましい{{Sfn|金子・須藤・菅又|2004|p=65}}。 === 常温における機械的性質 === ステンレス鋼の機械的性質を評価するのに用いられる指標は、[[0.2%耐力]]、[[引張強さ]]、[[wikt:のび|伸び]]、[[wikt:しぼり|絞り]]、[[硬さ]]、[[衝撃強さ]]などである{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=74&ndash;75}}。これらの内の0.2%耐力、引張強さ、伸びは[[引張試験]]で測定できる代表的な材料特性で、0.2%耐力は材料の[[降伏点]]を代表する 0.2 % の[[塑性|塑性ひずみ]]を起こす[[応力]]を、引張強さは材料の強さを代表する最終的な破断を起こす応力を、伸びは材料の[[展延性|延性]]を代表する破断までに材料が伸びる変形の程度を表す{{Sfn|金子・須藤・菅又|2004|pp=44, 86&ndash;87}}。常温におけるステンレス鋼の各代表的鋼種の0.2%耐力、引張強さ、伸びの例を下記に示す。 {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%" |+ 機械的性質の例 ! 大別 !! 鋼種・状態 !! [[0.2%耐力]]<br>(MPa) !! [[引張強さ]]<br>(MPa) !! [[wikt:のび|伸び]]<br>(%) !! 出典 |- | rowspan="2" | オーステナイト系 || AISI 304<br>固溶化熱処理 || 290 || 579 || 55 || {{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-26}} |- | | AISI 304<br>圧延率 50 % 冷間加工 || 1000 || 1102 || 10 || {{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-28}} |- | rowspan="1" | フェライト系 || AISI 430<br>焼なまし || 345 || 517 || 25 || {{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-18}} |- | rowspan="2" | マルテンサイト系 || AISI 410<br>焼入れ・648 °C 焼戻し || 586 || 759 || 23 || {{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-18}} |- | AISI 410<br>焼入れ・204 °C 焼戻し || 1000 || 1310 || 15 || {{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-18}} |- | rowspan="1" | オーステナイト・フェライト系 || UNS S32205<br>固溶化熱処理 || 450 || 655 || 25 || {{Sfn|IMOA|2014|p=26}} |- | rowspan="1" | 析出硬化系 || 17-4PH<br>496 °C・4時間時効処理 || 1207 || 1310 || 14 || {{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=7-14}} |} ステンレス鋼の中で引張強さ 1000 [[パスカル (単位)|MPa]] を超える高強度の鋼種には、マルテンサイト系、析出硬化系、加工硬化させたオーステナイト系の3つがある{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1pp=493&ndash;494|鈴木|2011|2pp=958&ndash;959}}。マルテンサイト系では、[[焼入れ]]でマルテンサイト組織となり、強く硬い組織となっている{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=28}}。通常は焼入れ後に[[焼戻し]]も行い、マルテンサイト系の最終的な機械的性質は焼戻し温度によって変わる{{Sfn|橋本|2007|p=165}}。高炭素鋼種 AISI 440C の例では、2000 MPa 近い引張強さを得ることもできる{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-18}}。析出硬化系は、[[時効 (金属)|時効処理]]によって微細第2相を分散析出させる析出硬化機構によって高い強度・硬度を得ている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=170}}。マルテンサイト系と比較すると、含有炭素量を減らせるので、耐食性や靭性をそれほど落とさずに済む{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=170}}。オーステナイト系は加工硬化度が大きく、さらに準安定オーステナイト系では塑性変形が加わると加工誘起マルテンサイト変態が起こるため、[[圧延加工]]を加えることで高強度・高硬度の特性が得られる{{Sfn|田中(編)|2010|p=150}}。加工硬化で高強度化させた後でも十分な延性・靭性を保っているのも、加工硬化させたオーステナイト系の特徴である{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=150|Peckner & Bernstein (ed)|1977|2p=20-25}}。 フェライト系、オーステナイト系、オーステナイト・フェライト系の3つには、熱処理による硬化性がない{{Sfn|遅沢|2009|p=11}}。フェイライト系は[[焼なまし]]状態で使用され、オーステナイト・フェライト系と加工硬化させない場合のオーステナイト系は[[固溶化熱処理]]状態で使用される{{Sfnm|橋本|2007|1pp=165&ndash;166|遅沢|2009|2p=11}}。[[低炭素鋼]]と比較すると、フェライト系の[[降伏応力]]と引張り強さは少し高めである{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-22}}。フェライト系と比較すると、オーステナイト系は降伏応力が低めで、引張り強さが高めである{{Sfn|田中(編)|2010|p=148}}。オーステナイト・フェライト系の引張強さと降伏応力は、フェイライト系とオーステナイト系よりも高めである{{Sfn|田中(編)|2010|p=156}}。これは、含有元素の影響と、オーステナイト・フェライト系の結晶粒サイズが微細なため起きる粒界強化によるものである<ref>{{Cite journal |author = Iris Alvarez-Armas |year = 2008 |title = Duplex Stainless Steels: Brief History and Some Recent Alloys |journal = Recent Patents on Mechanical Engineering |publisher = Bentham Science Publishers |volume = 1 |issue = 1 |doi = 10.2174/2212797610801010051 |page = 54 }}<br>{{Cite journal ja-jp |author = 阿部 雅之・日裏 昭・石田 清仁・西沢 泰二 |year = 1984 |month = 3 |title = 二相ステンレス鋼の結晶粒成長 |journal = 鉄と鋼 |volume = 70 |issue = 15 |doi = 10.2355/tetsutohagane1955.70.15_2025 |publisher = 日本鉄鋼協会 |pages = 2025&ndash;2032 }}<br>{{Cite journal ja-jp |author = 溝口 太一朗 |year = 2018 |month = 3 |title = 特集/特殊鋼のミクロ組織のやさしい解説 7.ステンレス |journal = 特殊鋼 |volume = 67 |issue = 2 |url = http://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2018/magazine1803.pdf |publisher = 特殊鋼倶楽部 |page = 41 }}</ref>。ステンレス鋼の中では、焼きなまし状態のフェライト系のみが[[応力-ひずみ曲線]]上で明確な降伏点を示し、他の鋼種は明確な降伏点を示さない{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=175}}。 ステンレス鋼の延性・靭性については、オーステナイト系が特に優れている{{Sfn|野原|2016|p=34}}。炭素鋼やフェライト系の伸びが 20&ndash;30 % 程度であるのに対し、固溶化熱処理状態のオーステナイト系の伸びは 45&ndash;55 % という値を示す{{Sfn|橋本|2007|pp=166, 167, 169}}。靭性の指標である衝撃強さにおいても、オーステナイト系が優れた値を示す{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-31}}。 === 高温における機械的性質 === 金属が高温環境下に置かれると、一般的に変形抵抗が低下する{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=204}}。しかし、ステンレス鋼は高温でも比較的高い強度を保つことができ、[[#乾食|上述]]のように高温環境下での耐酸化性や耐食性に優れることから、耐熱用途に幅広く利用される{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=161|菊池|2014|2p=11}}。[[日本産業規格|JIS]]でもいくつかのステンレス鋼の鋼種をそのまま[[耐熱鋼]]の鋼種として規定しており、ステンレス鋼は耐熱鋼の一種でもある<ref>{{cite book |和書 | title = 機械材料 | author = 門間 改三 |series=大学基礎 | publisher = 実教出版 | year = 1993 |edition=SI単位版 |isbn=978-4-407-02328-2 |pages=123}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://www.jssa.gr.jp/contents/faq-article/q2/ |title= ステンレスと耐熱鋼の違いについて |publisher= ステンレス協会 |accessdate=2020-09-29}}</ref>。 オーステナイト系とフェライト系の2つが、耐熱用に供されるステンレス鋼の主流となっている<ref name="西山2013">{{Cite journal ja-jp |author = 西山 佳孝 |year = 2013 |month = 11 |title = 特集/エネルギー・インフラ技術を支えるステンレス鋼 II. ステンレス鋼の種類、性質と適用状況 3. 耐熱ステンレス鋼 |journal = 特殊鋼 |volume = 62 |issue = 6 |url = http://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2013/magazine1311.pdf#zoom=60 |publisher = 特殊鋼倶楽部 |page = 12 }}</ref>。代表的な耐熱ステンレス鋼でいえば、常温での降伏応力はオーステナイト系よりもフェライト系の方が高いが、およそ 600 °C 以上の降伏応力はフェライト系よりもオーステナイト系の方が高くなる<ref name="西山2013"/>。そのため、より高温で使用する場合はオーステナイト系が、それ以外ではフェイライト系が重宝される<ref name="西山2013"/>。 オーステナイト・フェライト系は、600 °C 以上では、オーステナイト系とフェイライト系の中間的強度を示す{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=207}}。高温強度を向上させる場合、[[ニオブ]]、[[窒素]]、[[ケイ素]]、[[モリブデン]]、[[銅]]、[[タングステン]]などの固溶強化元素の添加が行われる{{Sfn|鈴木|2011|p=958}}。マルテンサイト系にもモリブデン、バナジウム、タングステンなどの添加で高温強度を高めた鋼種があり、限定的ながらも強度が必要な個所で使用される{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=86}}。 === 低温における機械的性質 === 一般の[[炭素鋼]]と同様に、フェライト系、マルテンサイト系が低温環境に置かれると[[靭性]]が低下し、[[脆性破壊]]を起こすようになる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=494|橋本|2007|2p=177}}。靭性が著しく低下する温度を[[延性-脆性遷移温度]]といい、フェライト系 430 の例では、室温から約 &minus;70 °C までの間で[[衝撃強さ]]が急激に低下する{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-2}}。しかし、オーステナイト系はこのような低温時にも高い靭性を保つ{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=20-3}}。鋼種にもよるが、オーステナイト系は &minus;200 °C 以下の極低温でも使用できる{{Sfn|谷野・鈴木|2013|p=212}}。オーステナイト・フェライト系は、低温時に脆性破壊を起こすが、フェライト系よりは延性-脆性遷移が緩やかに起きる傾向にある{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=494|IMOA|2014|2p=27}}。 == 物理的性質 == {{See also|オーステナイト系ステンレス鋼#物理的性質|フェライト系ステンレス鋼#物理的性質|マルテンサイト系ステンレス鋼#物理的性質|オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼#物理的性質|析出硬化系ステンレス鋼#物理的性質}} ステンレス鋼の物理的性質は金属組織の種類によってほぼ決まり、さらに合金元素添加量が影響する{{Sfnm|遅沢|2009|1p=8|田中(編)|2010|2p=167}}。フェライト系とマルテンサイト系が類似した物理的性質を持っており、オーステナイト系の物理的性質はそれらとは異なる傾向を持つ{{Sfn|田中(編)|2010|p=167}}。析出硬化系も、最終的に母相がマルテンサイト組織となる鋼種であれば物理的性質はフェライト系とマルテンサイト系に類似する{{Sfn|田中(編)|2010|p=167}}。オーステナイト・フェライト系の物理的性質は、オーステナイト系とフェライト系のおおむね中間に位置する{{Sfnm|IMOA|2014|1p=29|ステンレス協会(編)|1995|2p=634}}。ステンレス鋼の物理的性質の例を、下記の表に示す。 {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%" |+ 物理的性質の例 ! 鋼種 !! オーステナイト系<br>JIS SUS304 !! フェライト系<br>JIS SUS430 !! マルテンサイト系<br>JIS SUS410 !! オーステナイト・<br>フェライト系<br>UNS S32205 !! 析出硬化系<br>JIS SUS630 |- | [[密度]]<br>([[キログラム毎立方メートル|kg/m<sup>3</sup>]]) || 8.03 &times; 10<sup>3</sup> || 7.75 &times; 10<sup>3</sup> || 7.75 &times; 10<sup>3</sup> || 7.80 &times; 10<sup>3</sup> || 7.75 &times; 10<sup>3</sup> |- | [[比熱]]<br>(0&ndash;100 &deg;C)<br>(kJ/(kg&middot;K) || 0.50 || 0.46 || 0.46 || 0.50 || 0.46 |- | [[熱伝導率]]<br>(100 &deg;C)<br>(W/(m&middot;K) || 16.3 || 23.9 || 24.9 || 17.0 || 18.4 |- | [[線膨張係数]]<br>(K<sup>&minus;1</sup>) || 17.2 &times; 10<sup>&minus;6</sup> <br>(0&ndash;100 &deg;C) || 10.4 &times; 10<sup>&minus;6</sup> <br>(0&ndash;100 &deg;C) || 9.9 &times; 10<sup>&minus;6</sup> <br>(0&ndash;100 &deg;C) || 13.0 &times; 10<sup>&minus;6</sup> <br>(20&ndash;100 &deg;C) || 10.8 &times; 10<sup>&minus;6</sup> <br>(0&ndash;100 &deg;C) |- | [[比電気抵抗]]<br>(&Omega;&middot;m) || 720 &times; 10<sup>&minus;9</sup> || 600 &times; 10<sup>&minus;9</sup> || 570 &times; 10<sup>&minus;9</sup> || 800 &times; 10<sup>&minus;9</sup> || 800 &times; 10<sup>&minus;9</sup> |- | [[ヤング率]]<br>([[パスカル (単位)|GPa]]) || 193 || 200 || 200 || 200 || 196 |- | [[磁性]]|| 弱磁性(非磁性) || 強磁性 || 強磁性 || 強磁性 || 強磁性 |- | 出典 || {{Sfn|田中(編)|2010|p=168}} || {{Sfn|田中(編)|2010|p=168}} || {{Sfn|田中(編)|2010|p=168}} || {{Sfn|IMOA|2014|pp=29&ndash;30}} || {{Sfn|田中(編)|2010|p=168}} |} 質量と体積の比である[[密度]]は、ステンレス鋼の種類の中で違いは小さく、各々の組成でほとんど決まる{{Sfnm|野原|2016|1pp=87, 89|田中(編)|2010|2p=167}}。[[軟鋼]]と比較すると、[[ニッケル]]を多く含むオーステナイト系の密度がやや大きい{{Sfn|田中(編)|2010|p=167}}。ニッケルを主合金元素としないフェライト系とマルテンサイト系は、軟鋼よりもやや小さい{{Sfn|田中(編)|2010|p=167}}。[[モリブデン]]のような重い元素を合金元素として含めば含むほど、密度は大きくなっていく{{Sfn|Outokumpu|2013|p=54}}。 熱が伝わったときの温度変化の程度を示す[[比熱]]も、ステンレス鋼の種類間の違いは小さい{{Sfn|野原|2016|p=89}}。クロム系ステンレス鋼の比熱が軟鋼とほぼ同等で、クロム・ニッケル系が軟鋼よりもやや大きい{{Sfn|田中(編)|2010|p=169}}。 熱の伝わりやすさを示す[[熱伝導率]]については、金属材料全般の中でもステンレス鋼の熱伝導率は小さいといえる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=71}}。フェライト系とマルテンサイト系の熱伝導率も炭素鋼より小さく、オーステナイト系の熱伝導率はさらに小さい{{Sfn|Outokumpu|2013|p=55}}。一般に金属の熱伝達は自由電子を通じて行われるため、金属中に不純物が存在すると、電子の運動を阻害して熱伝導率を低下させる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=147}}。したがって、添加元素が多いほど熱伝導率が低下する{{Sfn|田中(編)|2010|pp=169&ndash;170}}。ステンレス鋼の場合、含有するクロムやニッケルによって熱伝導率が小さくなっている{{Sfn|橋本|2007|pp=159&ndash;160}}。 温度上昇時の体積膨張の割合である[[線膨張係数]]は、主に[[結晶構造]]によって決まる{{Sfn|田中(編)|2010|p=170}}。フェライト系とマルテンサイト系は軟鋼に近い値を示すが、[[面心立方構造]]であるオーステナイト系はそれらの約1.5倍の線膨張係数を示す{{Sfn|田中(編)|2010|p=170}}。オーステナイト・フェライト系の線膨張係数は、フェライト系とオーステナイト系の中間程度となる{{Sfn|Outokumpu|2013|p=54}}。 物質の電気抵抗の大きさを示す[[比電気抵抗]]についても、その原理は熱伝導率と同じで、含有元素が多くなると抵抗が大きなる{{Sfn|田中(編)|2010|pp=169&ndash;170}}。金属材料全般の中でもステンレス鋼の比電気抵抗は大きいといえる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=72}}。このため、ステンレス鋼は導電用材料には向かない{{Sfn|田中(編)|2010|p=169}}。比電気抵抗はおおよそ熱伝導率と反比例の関係にあるが、析出硬化系は析出硬化熱処理によって組織が複雑化した影響で比電気抵抗がやや大きくなる{{Sfnm|橋本|2007|1p=161|野原|2016|2p=89}}。 [[弾性変形]]に対する抵抗の大きさを示す[[ヤング率]]は、ステンレス鋼は全般的に軟鋼とおおむね同じである{{Sfn|田中(編)|2010|p=167}}。組成や組織の違いよるヤング率への影響は小さく、ステンレス鋼の中での鋼種間の違いは小さい{{Sfnm|Outokumpu|2013|1p=54|野原|2016|2pp=89&ndash;90}}。[[非鉄金属]]材料と比較すると、ステンレス鋼のヤング率は高い部類に入る{{Sfn|田中(編)|2010|p=167}}。 一般的な鉄鋼材料は[[強磁性]]材料で、いわゆる磁石にひっつく材料であるが、面心立方格子構造であるオーステナイトは[[常磁性]]材料で、強磁場中でもごくわずかにしか磁化しない{{Sfn|谷野・鈴木|2013|pp=247&ndash;248, 254}}。このため、オーステナイト系は非磁性材料である{{Sfn|谷野・鈴木|2013|pp=254&ndash;255}}。一方、フェライト系やマルテンサイト系は、一般的な鉄鋼材料と同様の強磁性材料である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=150}}。ただし、オーステナイト系も、加工誘起マルテンサイト変態が起こると磁性を帯びるようになる{{Sfn|田中(編)|2010|p=171}}。オーステナイト・フェライト系は、磁性の強さはフェライト量比率によって変わるものの、基本的に強磁性材料である{{Sfn|野原|2016|p=17}}。 また、機械的性質と同様に、温度によって物理的性質は変化する。低温になるほど、電気抵抗、熱膨張係数、熱伝導率、比熱は小さくなる{{Sfn|橋本|2007|p=178}}。密度とヤング率は、低温になるほど大きくなる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1429&ndash;1430}}。 == 製造 == {{See also|製鉄所|製鋼}} === 原料 === [[File:Ferrochrome.JPG|thumb|180px|[[フェロクロム]]]] ステンレス鋼の原料には、[[鉄]]の他に、合金元素として大量の[[クロム]]を必要とし、さらに[[ニッケル]]、[[モリブデン]]、[[マンガン]]、[[チタン]]なども使う{{Sfn|野原|2016|p=25}}。主な合金元素であるクロムとニッケルは、主に[[フェロクロム]]と[[フェロニッケル]]として、または[[スクラップ]]として供給される{{Sfn|田中(編)|2010|p=70}}。フェロクロムとフェロニッケルは[[合金鉄]]の一種で、採掘されたクロム鉱石またはニッケル鉱石から製造される{{Sfn|橋本|2007|pp=212, 214}}。合金鉄は、不純物である炭素が取り除かれている低炭素なものほど価格が高くなる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=754}}。しかし、後述する精錬技術の発達により、廉価な高炭素フェロクロムと高炭素フェロニッケルも、現在ではステンレス鋼の原料として多量に利用可能になっている<ref name="製造工程の流れ">{{Cite web|和書|url= http://www.jssa.gr.jp/contents/about_stainless/productions/processflow/ |title=製造工程の流れ |publisher=ステンレス協会|accessdate=2017-10-22}}</ref>。クロムもニッケルも資源が世界に偏在しており、需要供給バランス、産出国の経済情勢、国際紛争、為替レート変動などによって原料価格が大きく変動するため、これら原料の安定確保とコストダウンがステンレス鋼メーカーにとっての課題である<ref name="製造工程の流れ"/>{{Sfn|野原|2016|p=26}}。 [[File:Steel Scrap Compacted.JPG|thumb|190px|left|潰されたステンレス鋼の[[スクラップ]]]] ステンレス鋼は[[リサイクル]]しやすい材料であり、ステンレス鋼スクラップの回収率は高い<ref name = "リサイクルJSSA">{{Cite web|和書| url = http://www.jssa.gr.jp/contents/wp-content/uploads/2013/06/recycle_stainless.pdf | title = リサイクルが容易なステンレス鋼 | publisher = ステンレス協会 | accessdate = 2020-08-13 | pages = 1&ndash;4 }}</ref>。2006年の調査によると、生産された約2800万トンのステンレス鋼の内、その原料の約 60 % がステンレス鋼スクラップを利用できている<ref name="リサイクルJSSA"/>。市場から回収されたスクラップの他に、ステンレス鋼製造過程で生じたスクラップも回収・利用されている<ref name="リサイクルJSSA"/>。特にオーステナイト系は、高価な合金元素を多く含み、磁性を持つため分別しやすいため、スクラップ活用が進んでいる{{Sfn|橋本|2007|p=310}}<ref name="池田2009"/>。 原料としての鉄には、ステンレス鋼スクラップの他に、[[普通鋼]]のスクラップも活用されている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=767}}。集められたスクラップは使用前に成分検査や放射能探知検査が行われる{{Sfn|Outokumpu|2013|p=24}}。スクラップは割安だが、価格変動も大きく、供給が不安定といった面もある{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=754}}。 [[高炉]]を持つ銑鋼一貫製鉄所がステンレス鋼を製造する場合は、高炉で[[銑鉄]]を製造し、予備処理した上で銑鉄をステンレス鋼の原料として用いる場合もある{{Sfnm|野原|2016|1p=26|田中(編)|2010|2p=72}}。また、フェロクロムではなく、安価なクロム鉱石を直接の原料にして製鋼する方法も開発・実用化されている{{Sfn|橋本|2007|p=220}}。 === 溶解・予備精錬 === [[File:Electric Arc Furnace.svg|thumb|200px|[[アーク炉]]の概略図]] 原料はまず[[炉]]で[[溶解]]される{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=92}}。ステンレス鋼製造で用いる溶解炉は、[[電気アーク炉]]が一般的である{{Sfnm|Outokumpu|2013|1p=25|佐藤|2015|2p=22}}。ステンレス鋼スクラップ、フェロクロム、フェロニッケルなどの主原料が電気炉に装入されて溶解される<ref name="製造工程の流れ"/>。電気炉内に強力な[[アーク放電|アーク]]が発生し、原料を溶解する{{Sfn|Outokumpu|2013|p=25}}。アーク熱は 3000 &deg;C から最大 3500 &deg;C に達し、原料はおよそ 1550 から最大 1800 °C まで昇温されて溶解される{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=94|Outokumpu|2013|2p=25}}。電気炉の大きさは、一回のチャージ当たり 30 [[トン]]のものから最大で 160 トンのものまである<ref name="池田2009">{{Cite journal ja-jp |author = 池田 聡 |year = 2009 |title = ステンレス鋼の製造技術進歩と今後の展望 |url = https://www.nipponsteel.com/tech/report/nsc/pdf/38902.pdf |journal = 新日鉄技報 |serial = 389号 |publisher = 新日鉄住金 |page = 3 }}</ref>。 [[高炉]]を持つ銑鋼一貫製鉄所がステンレス鋼を製造する場合は、電気炉ではなく、高炉で[[wikt:溶銑|溶銑]]を造り、ステンレス鋼を製造する{{Sfnm|野原|2016|1p=26|田中(編)|2010|2p=72}}。高炉による製造は大量生産に向いている{{Sfn|野原|2016|p=26}}。しかし、電気炉によるステンレス鋼製造がクロム系にもクロム・ニッケル系にも利用されているのに対して、高炉によるステンレス鋼製造はクロム系に限られている{{Sfnm|橋本|2007|1p=219|大山・森田・吉武|1990|2p=116}}。高炉法ではニッケルの溶解が難しく、クロム・ニッケル系では電気炉法よりも効率が悪い{{Sfn|橋本|2007|p=220}}。高炉の溶銑は数%のレベルで炭素を含有しているような状態であるため、「溶銑予備処理」と呼ばれる工程を本格的な精錬前に行う{{Sfn|野原|2016|p=26}}。溶銑予備処理では、炭素に加えて[[リン]]や[[硫黄]]の除去も行う{{Sfn|野原|2016|p=26}}。ステンレス鋼では、リンがクロムの活量を低下させるため、溶銑の段階で脱リンしておくことが溶銑予備処理の重要な意義の一つといえる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=760}}。 === 精錬 === [[File:AOD process simplified diagram.svg|thumb|AOD法の概略図]] [[File:VOD process simplified diagram.svg|thumb|VOD法の概略図]] 溶解の後には、化学組成を調整する[[精錬]]と呼ばれる工程が行われる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=93}}。精錬工程では不純物を除去するが、ステンレス鋼にとっての最大の不純物が[[炭素]]である{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=94}}。効率的に脱炭することがステンレス鋼製造における重要なポイントで、このための技術開発が過去から行われてきた{{Sfn|佐藤|2015|p=22}}。ステンレス鋼の基本的な脱炭は、おおまかに以下のような過程から成る{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=94|ステンレス協会(編)|1995|2p=752}}。 #[[酸素]]ガスを溶鋼に吹き込み、鋼中の[[クロム]]が酸化反応を起こす #生成されたクロム酸化物が鋼中の炭素と反応を起こし、[[一酸化炭素]]ガスの生成とクロムの再生成が起きる #一酸化炭素ガスを除去し、溶鋼中からの炭素除去を達成する しかし、ステンレス鋼特有の高濃度のクロムによって、溶鋼中の炭素の活量は下がっており、一般的な炭素鋼と比べて脱炭が進まない{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=752}}。特に低炭素域ではクロムは炭素と優先して結合し、脱炭反応が阻害される{{Sfn|佐藤|2015|p=22}}<ref name="池田2009"/>。普通に脱炭を進めると、クロムが多量に酸化して[[スラグ]]中に入ってしまう{{Sfn|野原|2016|p=27}}。クロムをスラグから回収するために、高価な[[フェロシリコン]]を要することになる{{Sfn|野原|2016|p=27}}。このような事態を避け、効率良く脱炭を進める方法として、脱炭反応時に生じる一酸化炭素ガスの圧力([[分圧]])を下げることで、クロムの酸化を抑制しながら脱炭反応を進める手法が現在では採用されている{{Sfnm|野原|2016|1p=27|田中(編)|2010|2p=72}}。この原理にもとづく精錬法が、[[AOD法]]、[[VOD法]]、またはこれらを組み合わせた方法である{{Sfn|佐藤|2015|p=22}}。 AOD法は、Argon Oxygen Decarburization の略で、大気中の溶鋼に[[アルゴン]]と酸素の混合ガスを下部から吹き込み、アルゴンガスによる[[希釈]]によって脱炭時の一酸化炭素ガス分圧を下げて脱炭する方法である{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=753|佐藤|2015|2p=22}}。AOD法の長所は、溶鋼の炭素含有量が高くても脱炭が可能な点である{{Sfn|佐藤|2015|p=22}}。これによって安価な原料が使用可能で、生産性が高い{{Sfn|佐藤|2015|p=22}}。VOD法は、Vacuum Oxygen Decarburization の略で、溶鋼を真空減圧下に移して酸素ガスを吹き込み、脱炭時の一酸化炭素ガス分圧を下げて脱炭する方法である{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=753|佐藤|2015|2p=22}}。VOD法の場合は、ある程度低いレベルの炭素含有量にしてから適用する必要があるが、一方で最終的な炭素含有量をより低いレベルにすることができる{{Sfn|佐藤|2015|pp=22&ndash;23}}。各精錬過程では、脱炭のほかに、窒素、水素、硫黄、酸素、リンなどの不純物除去や介在物制御も行われる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1pp=798&ndash;815|佐藤|2015|2p=23}}。ステンレス鋼にAOD法またはVOD法を適用したときの、おおよそ精錬レベルの目安を以下の表に示す<ref name="金子・田中1995"/>。 {| class="wikitable" style="text-align:center;" |+ AOD法とVOD法における、おおよその精錬レベルの目安<ref name="金子・田中1995">{{Cite journal ja-jp |author = 金子 智・田中 博孝 |year = 1995 |title = ステンレス鋼の脱炭法と材質改善 |journal = Zairyo-to-Kankyo |volume = 44 |issue = 1 |doi = 10.3323/jcorr1991.44.49 |publisher = 社団法人腐食防食協会 |page = 50 }}</ref> |- ! 不純物成分 !! AOD法 !! VOD法 |- | [[炭素]] || 0.01 % 以下 || 0.005 % 以下 |- | [[窒素]] || 0.01 % 以下 || 0.007 % 以下 |- | [[酸素]] || 0.003 % 以下 || 0.003 % 以下 |- | [[硫黄]] || 0.0005 % 以下 || 0.001 % 以下 |- | [[リン]] || 0.01 % 以下 || 0.01 % 以下 |} 具体的な工程としては、溶解された原料は[[転炉]]で精錬され、その後AOD炉やVOD炉などで炉外精錬が実施される{{Sfnm|橋本|2007|1p=219|田中(編)|2010|2p=71}}。ただし、電気炉法で溶解された場合は、ある程度の精錬がすでに完了しているので転炉での精錬を省略することが多い{{Sfnm|野原|2016|1p=26|大山・森田・吉武|1990|2p=94}}。VOD法を採用するときには、VOD法適用前に溶鋼の炭素含有量をある程度のレベルまで下げる必要があるため、電気炉法でも転炉での精錬を工程に加えることがある{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=775}}。高炉法で溶解した場合は、ほぼ必ず転炉での精錬を行う{{Sfn|野原|2016|p=26}}。炉外精錬での脱炭完了後には、「仕上げ精錬」と呼ばれる同じ炉のまま所望の組成へ調整する作業が行われる{{Sfn|田中(編)|2010|pp=72&ndash;73}}。 === 鋳造 === [[File:Continuous casting (Tundish and Mold)-1 NT.PNG|thumb|285px|[[連続鋳造]]の基本的な概略図。溶鋼は取鍋(1)からタンディッシュ(2)へ一旦移され、モールド(3)に流し込まれ、冷やし固められながらローラー(7)で引き抜かれる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=97&ndash;98}}。]] 精錬を終えた溶鋼は、鉄鋼メーカーから出荷される最終製品形状に適した形へ冷やし固められる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=96}}。この段階で冷やし固められたものを半製品と呼び、厚板や圧延材生産用のスラブ、形鋼生産用のブルーム、棒材・線材やパイプ生産用のビレットがある{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=96|橋本|2007|2pp=221&ndash;223}}。この工程を[[鋳造]]といい、大きく分けて[[造塊法]]と[[連続鋳造法]]の2つがある{{Sfn|野原|2016|pp=27&ndash;28}}。造塊法は、[[インゴット]]と呼ばれる型に溶鋼を注入して固め、再加熱・圧延して半製品を作る方法である{{Sfn|橋本|2007|pp=221&ndash;222}}。過去のステンレス鋼は主に造塊法で造られていたが、生産効率の高い連続鋳造法が実現されてからは、一部の特殊な鋼種を除いてほとんどのステンレス鋼が連続鋳造法で製造されている{{Sfnm|野原|2016|1p=28|ステンレス協会(編)|1995|2p=816}}。 連続鋳造の過程に他と異なるステンレス鋼特有の要素はないが、表面品質が特に要求されるステンレス鋼では品質重視の操業が特徴といえる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=816, 827}}。連続鋳造では、取鍋に入れられて精錬炉から供給される溶鋼が、タンディッシュと呼ばれる容器へ一旦移される{{Sfnm|橋本|2007|1p=221|ステンレス協会(編)|1995|2p=816}}。タンディッシュでは、溶鋼中の有害な非金属介在物を浮かび上がらせて除去する{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=822}}。タンディッシュから出た溶鋼は、冷却された鋳型に通され、さらに冷却スプレーを浴びせられ凝固する{{Sfn|橋本|2007|p=221}}。凝固したステンレス鋼を、その下に配置されているローラーが連続的に引き抜き、切断機まで送り出す{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=816}}。切断機で所定の長さに切断して、長方体や角材の形の半製品となる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=97&ndash;98}}。 === 圧延鋼板 === [[File:Rolling.png|thumb|190px|[[圧延]]の概念図]] [[File:Stainless Steel Sheet Plate Strip Coil Circle.jpg|thumb|190px|ステンレスの鋼板とコイル(帯鋼)]] ステンレス鋼の[[鋼板|板や帯]]を生産する場合、スラブを[[圧延]]することによって造られる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=745}}。ステンレス鋼生産の中でも、鋼板および鋼帯の生産量が圧倒的に多い{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=91}}。圧延とは、回転する2つの円柱(ロール)に材料が挟み込みながら薄く引き伸ばす工程で、材料を[[再結晶温度]]以上に加熱する圧延する熱間圧延と、再結晶温度以下(通常は常温)で圧延する冷間圧延がある{{Sfn|徳田・山田・片桐|2005|p=124}}。 スラブは通常 100 mm 以上の厚みがある{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=99}}。冷間圧延は被加工品が厚いと圧延できないため、スラブはまず熱間圧延される{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=99}}。ステンレス鋼の場合、スラブ表面の欠陥が熱間圧延後も残ってしまうので、熱間圧延前には[[グラインダー]]等でスラブ表面を研削して表面欠陥を前もって除去する{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=833}}。傷取りされたスラブは加熱され、圧延機に通される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=833}}。熱間圧延機には、[[タンデムミル]]や[[ステッケルミル]]が用いられている{{Sfn|佐藤|2015|p=23}}。タンデムミルは生産性が高く、普通鋼と兼用する場合などに使われる{{Sfn|佐藤|2015|p=23}}。ステッケルミルは初期コストが小さい長所があり、ステンレス鋼専用で生産する場合などに使われる{{Sfn|佐藤|2015|p=23}}。 熱間圧延を終えると、鋼種に応じた適当な[[熱処理]]が施され、さらにスケールを除去するために[[酸洗]]が行われる{{Sfn|Outokumpu|2013|p=28}}。このときの熱処理は、組織の再結晶化と炭化物の固溶化などを目的とする{{Sfn|田中(編)|2010|p=76}}。この状態で製造完了として出荷する場合もある{{Sfn|Outokumpu|2013|p=28}}([[#圧延仕上げ]]も参照)。熱間圧延で可能な最小板厚は 3 mm 程度が限度で、さらに薄くする場合や、表面を美麗に仕上げる場合は冷間圧延が行われる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=103}}。冷間圧延で問題となるがステンレス鋼の変形抵抗の高さで、特にオーステナイト系が著しい加工硬化を起こす{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=840}}。このため、20段式[[ゼンジミアミル]]がステンレス鋼の冷間圧延に用いられる{{Sfn|佐藤|2015|p=23}}。ゼンジミアミルは、ワークロールを小径にして大きな圧力によって圧延を可能とし、中間ロールがワークロールのたわみを抑え、強固なハウジングで多段ロールを支える構造を持つ{{Sfnm|佐藤|2015|1p=23|田中(編)|2010|2p=74}}。フェライト系などに対しては普通鋼用の冷間圧延設備を使用する場合もある{{Sfn|橋本|2007|p=232}}。 冷間圧延後は、熱処理と酸洗をまた行い、必要に応じて表面仕上げ用の冷間圧延を再度行う{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=745}}。冷間圧延後の熱処理の主な目的は圧延組織の再結晶化である{{Sfn|田中(編)|2010|p=76}}。表面光沢の良い製品にするために、[[光輝焼なまし]]と呼ばれる無酸活性雰囲気中での熱処理を行う場合もある{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=843}}。この場合はスケールの発生を防げるので、酸洗を省略して圧延ままの光沢を維持できる{{Sfn|佐藤|2015|p=24}}([[#圧延仕上げ]]も参照)。これらの工程の後、研磨、形状修正、脱脂、検査、裁断、梱包などを経て製品が出荷される{{Sfn|田中(編)|2010|p=80}}。ステンレス鋼の場合は外観に対する要求水準が高いため、メーカーと購入者の間で外観の限度見本を取り交わすこともある{{Sfn|佐藤|2015|p=24}}。 === 管・棒線材・形鋼・鋳造・クラッド === [[File:Stainless Steel Welded Erw Efw Lsaw Dsaw Pipe.jpg|thumb|180px|ステンレス溶接鋼管]] 鋼板以外のステンレス鋼の製品形状には、[[鋼管]]、[[条鋼|鋼棒]]、線材、[[形鋼]]などがある。鋼管には、継ぎ目なしのシームレス鋼管と鋼板を溶接してつくる溶接鋼管があるが、どちらも基本的に普通鋼と同じ製法で造られている{{Sfn|橋本|2007|p=238}}。シームレス鋼管、鋼棒、線材は、ブルームまたはビレットから熱間圧延、冷間圧延・引抜きで造られる{{Sfn|佐藤|2015|p=24}}。形鋼もブルームの熱間圧延から造られるが、まとまった需要が少ないため溶接で造ることも多い{{Sfnm|橋本|2007|1p=237|田中(編)|2010|2p=83}}。 他の特殊なものとしては、[[鋳造|鋳造品]]や[[クラッド鋼]]がある。鋳造は、溶鋼を鋳型に流し込んで直接その形に冷やし固める製法で、複雑な形状の部品などに対して用いられる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=111&ndash;112}}。ステンレス鋼の鋳造に使われる溶鋼自体は、板などを造る溶鋼とほとんど同じである{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=111&ndash;112}}。鋳造法の基本的な考え方は炭素鋼や低炭素合金鋼鋳鋼と同じだが、溶鋼の流動性が悪い点や合金量の多さによって融点が異なる点などを考慮する必要がある{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=904, 907}}。クラッド鋼は、ある材料を別の材料で全面的に覆って接合させる複合材料の一種で、単体材料では得られない特性を与えたり、単体材料よりも低コスト化させるためなどに用いられる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=889}}。クラッド鋼の母材は炭素鋼や低合金鋼とすることが多く、それを覆う合わせ材にはステンレス鋼、銅、チタン、ニッケルが使われているが、特にステンレス鋼を合わせ材とするクラッド鋼が市場でも主流である{{Sfn|谷野・鈴木|2013|pp=260&ndash;261}}。 ==加工== {{See also|オーステナイト系ステンレス鋼#加工|フェライト系ステンレス鋼#加工|マルテンサイト系ステンレス鋼#加工|オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼#加工|析出硬化系ステンレス鋼#加工}} === 切断 === [[金属加工]]を行う第一歩として、大きな素材から望ましい大きさや形に切り出す[[切断加工]]を通常は最初に行う<ref>{{Cite book ja-jp |author = 田中 和明 |title = よくわかる最新金属加工の基本と仕組み |year = 2008 | publisher = 秀和システム |series = 図解入門 |isbn = 978-4-7980-2086-0 |edition =第1版 }} p. 180</ref>。熱エネルギーを利用して材料を溶かして切断する方法を溶断といい、[[ガス切断]]が最も代表的な溶断方法である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1093}}。しかし、一般的に用いられている酸素・アセチレンによるガス切断ではステンレス鋼を溶断できず、適用不可といえる{{Sfn|橋本|2007|pp=245&ndash;246}}。ステンレス鋼中に多量に含まれるクロムは燃焼温度が高く、さらに燃焼時に生成される酸化クロムも溶融温度が高い{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1094}}。これらが酸素アセチレン切断による燃焼を妨げて、ステンレス鋼の酸素アセチレン切断を不可能にしていると考えられている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1094}}。ステンレス鋼用に発達したガス切断法が、パウダ切断と呼ばれる溶断方法である<ref name="パウダ切断"/>。パウダ切断では、鉄粉を切断酸素に混入させて、その鉄粉の酸化反応熱を利用して切断する<ref name="パウダ切断">{{Cite book ja-jp |editor = 日本機械学会 |title = 機械工学辞典 |publisher = 丸善 |year = 2007 |edition = 第2版 |isbn = 978-4-88898-083-8 }} p. 1025<br>{{Cite journal ja-jp |author = 田川 一郎・岩佐 実 |year = 1956 |title = 非鉄金属のパウダーカッティング |journal = 溶接学会誌 |volume = 25 |issue = 4 |doi = 10.2207/qjjws1943.25.217 |publisher = 溶接学会 |page = 217 }}</ref>。板厚 600 mm までならば、そこまでの技術を要せずにパウダ切断でステンレス鋼を切断可能である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1095&ndash;1096}}。 [[File:Vergleich-UWP-Trocken-SS-10mm.jpg|thumb|x240px|10 mm 板厚ステンレス鋼板の[[プラズマ切断]]の例。奥側が水プラズマ切断、手前側がドライプラズマ切断。]] ステンレス鋼に適用される他の溶断方法には、[[アーク切断]]、[[プラズマ切断]]、[[レーザー切断]]がある。アーク切断は、[[電弧|アーク]]を発生させてアーク熱で材料を溶融する切断法である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1093, 1096}}。アーク切断はステンレス鋼の切断法として発達したものだが、切断面の品質がよくなく、[[イナートガスアーク溶接]]を応用した方式のアーク切断を除いて利用は限られている{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1096|向井|1999|2pp=191&ndash;192}}。プラズマ切断は、プラズマガス気流の機械的なエネルギーとアークの熱エネルギーを利用する切断方法で、ステンレス鋼の主要な切断方法の一つである{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1096|向井|1999|2p=191}}。使用ガスには[[アルゴン]]・[[水素]]を使用すると切断面の品質が最もよく、ステンレス鋼でもアルゴン・水素が主流である<ref>{{Cite journal ja-jp | author = 濱田 智・茂木 正裕・神田 晋 | year = 2010 | title = プラズマ切断の最新技術 | journal = 溶接学会誌 | volume = 79 | issue = 2 | doi = 10.2207/jjws.79.123 | publisher = 日本材料学会 | page = 132 }}</ref>。プラズマ切断の場合、100 mm を超える板厚まで切断可能である{{Sfn|向井|1999|p=193}}。[[レーザー]]を熱源とするのがレーザー切断で、適用板厚は小さいが、高精度な切断が可能である<ref>{{Cite web|和書|url = http://www-it.jwes.or.jp/qa/details.jsp?pg_no=0070120020 |title = Q-07-12-02 レーザ切断の特徴とレーザ切断するときに使用するアシストガスについて教えて下さい。 | year = 2012 |author = 沼田 慎治 |publisher = 日本溶接協会 |work = 接合・溶接技術Q&A1000 |accessdate = 2020-08-08}}</ref>。ステンレス鋼のレーザー切断の場合はアシストガスに窒素がよく使われ、切断面の酸化を起こさずに金属光沢のある断面を得られる<ref>{{Cite journal ja-jp | author = 長堀 正幸・沼田 慎治・佐野 義美 | year = 2010 | title = 中・厚板レーザ切断の最新技術 | journal = 溶接学会誌 | volume = 79 | issue = 2 | doi = 10.2207/jjws.79.136 | publisher = 日本材料学会 | page = 140 }}</ref>。 溶断のほかには、一対の刃で挟んで[[せん断]]メカニズムにもとづいて素材を切り落とす[[せん断加工]]がある<ref name="朝倉・橋本"/>。鉄鋼メーカーが生産した[[コイルセンター|コイル]]をさらに幅を小さなコイルや平板にする[[シャーリング]]や、プレス機械で板を打ち抜く[[打ち抜き加工]]がせん断加工に該当する{{Sfnm|野原|2016|1p=131|橋本|2007|2pp=244&ndash;245}}。ステンレス鋼のせん断加工の場合、材料強度が高めのため、普通鋼や軟鋼よりも大きな力を要し、十分な能力を持った機器の選定や刃型の管理がより重要となる{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=200|野原|2016|2p=134}}。せん断加工では、良好な切断のために、向き合う刃先のクリアランス(すきま)を材質や板厚に応じて適切に設定する必要がある<ref name="朝倉・橋本">{{Cite book ja-jp | author = 朝倉 健二・橋本 文雄 | title = 機械工作法Ⅰ | edition = 改訂版 | year = 2002 | publisher = 共立出版 | isbn = 4-320-08105-6 }} pp. 105&ndash;108</ref>。ステンレス鋼でも種類に応じた設定クリアランスの傾向がある{{Sfn|田中(編)|2010|pp=200&ndash;201}}。 他の機械的な切断方法には[[ウォータージェット切断]]がある{{Sfn|向井|1999|p=191}}。高速で噴射された超高圧水で素材を切断する方法で、熱影響や加工ひずみがないという長所があり、精密切断などに用いられている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1104&ndash;1105}}。 === プレス成形 === [[File:Stainless kitchen container with cover.jpg|thumb|left|230px|[[プレス加工|プレス]][[絞り加工]]で製造されたステンレス製食材容器。]] [[プレス成形]]は、ステンレス鋼の板材を様々な形に変形するためによく利用される<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.jssa.gr.jp/contents/faq-article/q10/ |title = 成形加工での注意事項について |publisher = ステンレス協会 |accessdate = 2020-07-15 }}</ref>。ステンレス製品の利用促進には、プレス成形技術の発展の寄与が大きいといわれる{{Sfn|橋本|2007|p=254}}。[[曲げ加工]]、[[絞り加工|深絞り加工]]、[[張り出し加工]]、[[打ち抜き加工]]、[[ロール成形]]、[[コイニング加工]]、[[エンボス加工]]など、ほとんど全ての成形加工がステンレス鋼で可能である{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=117&ndash;122}}。特に塑性変形能の高いオーステナイト系は、180度密着折り曲げのような厳しい成形や、複数の種類の成形から成るような複雑なプレス成形にも対応できる利点がある{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=119, 121}}。 ただし、普通鋼などと比べると、ステンレス鋼は一般的に強度が高いため加工負荷が大きく、金型の異常[[摩耗]]や[[焼きつき|焼付き]]も起きやすい{{Sfn|田中(編)|2010|p=204}}。そのため、金型の材料や表面処理、潤滑油の選定がよりきびしくなる{{Sfn|田中(編)|2010|p=204}}。ステンレス鋼では、プレスを離した後に弾性変形分だけ元に戻ろうとするスプリングバックが大きく、特に曲げ加工で所定の曲げ角度を狙うときはこの大きなスプリングバックの考慮が必要である{{Sfn|田中(編)|2010|p=198}}。一般的に、オーステナイト系が大きな加工硬化を起こすためスプリングバックが大きく、オーステナイト・フェライト系も降伏応力が高めのためスプリングバックが大きい{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=198|IMOA|2014|2p=35}}。 ステンレス鋼で特に問題となる成形時の欠陥が、オーステナイト系の[[オーステナイト系ステンレス鋼#塑性加工|時期割れ]]、フェライト系の[[フェライト系ステンレス鋼#特有の加工欠陥|縦割れやリジング]]である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=927, 933, 936}}。成形性を向上させる場合、オーステナイト系の場合に重要なのが加工硬化特性である{{Sfn|田中(編)|2010|pp=194&ndash;196}}。オーステナイト安定度を調整して適切な度合いの加工硬化が起こるようにすると、成形性が向上する{{Sfn|田中(編)|2010|pp=194&ndash;196}}。フェライト系の場合は、炭素量・窒素量を減らす高純度化とチタンなどの合金元素添加が成形性向上に有効である<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 古君 修・江藤 敏泰・伊藤 雅俊 |year = 2011 |title = 講座:ステンレス鋼活用の基礎知識 ―歴史、特性、耐食性― 2.ステンレス鋼の加工と溶接 |journal = 材料 |volume = 60 |issue = 8 |doi = 10.2472/jsms.60.771 |publisher = 日本材料学会 |page = 773 }}</ref>。 また、ステンレス鋼の場合、その表面の美麗さを商品価値とすることが多い{{Sfn|田中(編)|2010|p=204}}。そのため、成形加工中に表面が損傷しないように特に注意を要する{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=204|橋本|2007|2pp=257&ndash;258}}。ステンレス鋼の成形加工では、潤滑油の塗布のほか、表面保護のために樹脂系のフィルムを表面に付けてプレス成形することもある{{Sfn|橋本|2007|pp=257&ndash;258}}。 === 鍛造 === [[鍛造]]は、鋼塊にハンマやプレスで大きな力を加えて形を作る加工法で、同時に材料内部の欠陥を押しつぶし、[[結晶粒]]の微細化なども実現する{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=896}}。一般的には、鍛造前に鋼塊の加熱を行い、熱間または温間で鍛造する{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=889}}<ref name = "鍛造加工">{{Cite book ja-jp | title = わかりやすい鍛造加工 | editor = 日本塑性加工学会鍛造分科会 | publisher = 日刊工業社 | year = 2005 | edition=初版 | isbn = 978-4-526-05457-0 }} pp. 23&ndash;24</ref>。オーステナイト系は、その著しい加工硬化のため、一般的には冷間鍛造されない<ref name = "鍛造加工"/>。線材では、炭素・窒素を極低量化して軟質にし、ニッケルや銅を添加して加工硬化を抑えた鋼種のオーステナイト系を使って冷間鍛造することもある{{Sfn|田中(編)|2010|p=215}}。 また、ステンレス鋼は焼付きを起こしやすいので鍛造時には注意を要する<ref name = "鍛造加工"/>。温間加工時も、炭素鋼などでは表面の酸化物が焼付きを防止する機能を果たすが、ステンレス鋼では高耐食性のため表面が酸化しづらい<ref name = "鍛造加工"/>。そのため、何らかの表面皮膜処理を行って潤滑性を高めることが望ましい<ref name = "鍛造加工"/>{{Sfn|田中(編)|2010|p=217}}。 === 切削 === 不要な部分を切りくずとして取り除きながら、所望の形状に作り上げるのが[[切削加工]]である<ref>{{Cite book ja-jp |editor = 日本機械学会 |title = 機械工学辞典 |publisher = 丸善 |year = 2007 |edition = 第2版 |isbn = 978-4-88898-083-8 }} p. 716</ref>。切削加工においては、ステンレス鋼は一般的に難切削材料といわれる{{Sfn|野原|2016|p=155}}。全ての切削加工自体はステンレス鋼に適用可能だが、普通鋼、銅、アルミニウムなどと比較すると切削しづらい{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1107|大山・森田・吉武|1990|2p=122}}。フェライト系と焼なまし状態のマルテンサイト系は炭素鋼に似た切削特性といえるが、加工硬化性が強いオーステナイト系の切削性が特に劣る{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1108}}。快削性の硫黄鋼 AISI B1112 を100 とする[[被削性指数]]の例を以下に示す{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1110}}。 {| class="wikitable" |+ 被削性指数の例{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1110}} |- ! 種類 !! 鋼種 !! 被削性指数 |- | 硫黄快削鋼 || AISI B1112 || 100 |- | 低・中炭素鋼 || JIS S25C || 70 |- | オーステナイト系代表的鋼種 || JIS SUS304 || 35 |- | オーステナイト系快削鋼 || JIS SUS340 || 60 |- | マルテンサイト系代表的鋼種(硬化処理前) || JIS SUS410 || 50 |- | マルテンサイト系快削鋼(硬化処理前) || JIS SUS416 || 65 |- | フェライト系代表的鋼種 || JIS SUS430 || 50 |- | フェライト系快削鋼 || JIS SUS430F || 80 |} === 溶接 === [[File:Roostevabaterase keevisõmblus.jpg|thumb|直流[[被覆アーク溶接]]によるステンレス鋼溶接ビードの様子。]] [[File:Stainless lap joints.jpg|thumb|[[TIG溶接]]によるステンレス鋼溶接ビードの様子。]] 材料を溶かして接合する[[溶接]]には、[[アーク溶接]]を筆頭に多く種類の溶接法が存在する{{Sfn|田中(編)|2010|pp=223&ndash;224}}。基本的にはステンレス鋼でも同じ溶接法が用いられる{{Sfn|田中(編)|2010|pp=223&ndash;224}}。鋼種による差異はあるが、ステンレス鋼を溶接して接合すること自体に特段の困難はない{{Sfn|野原|2016|p=154}}。ただし、ステンレス鋼は他の鋼と異なる特性を持っている面もあるため、それらの特性に適した溶接法を選択しないと種々の溶接欠陥を生むなどの不具合の原因となる{{Sfn|向井|1999|p=61}}。その意味では、ステンレス鋼の溶接難度は高いといえる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=125}}。 ステンレス鋼と炭素鋼は物理的性質がかなり異なる面もあるため、溶接上もこれらの性質の違いに配慮が必要である<ref name="溶接学会2010">{{Cite book ja-jp |editor = 溶接学会 |year= 2010 |title = 新版 溶接・接合技術入門 |publisher = 産報出版 |edition = 3版 |isbn = 978-4-88318-151-3 }} p. 122</ref>。[[電気抵抗]]については次のような影響がある。[[被覆アーク溶接]]では、高い電気抵抗のために溶接電流が高いと発熱が著しくなり、溶接棒が焼ける恐れがある{{Sfn|向井|1999|p=103}}。そのため、通常は溶接電流を普通鋼よりもやや低くする{{Sfn|向井|1999|p=104}}。一方、電気抵抗による発熱を利用して溶接する[[抵抗溶接]]では、この高い電気抵抗が利点として働き、抵抗溶接に必要な電流が小さくて済む{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|pp=125&ndash;126, 131}}。ステンレス鋼の薄板の接合には、抵抗溶接を利用することが多い<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 野田 卓継 |year = 1993 |title = ステンレス鋼うす板溶接の実際(1) ステンレス鋼うす板のアーク溶接と抵抗溶接 |journal = 溶接学会誌 |volume = 62 |issue = 4 |doi = 10.2207/qjjws1943.62.232 |publisher = 溶接学会 |page = 51 }}</ref>。 [[熱伝導率]]と[[線膨張係数]]については、特にオーステナイト系が炭素鋼と大きく異なるため溶接上注意を要する<ref name="溶接学会2010"/>。熱伝導率が小さいため溶接による熱が逃げにくく、その上、線膨張係数が大きいため熱が入った箇所が大きく伸びようとするため、溶接対象物の変形が起こりやすい{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=125}}。また、このような溶接変形が拘束された結果、比較的大きな[[残留応力]]が残り、後の応力腐食割れの原因となることも多い{{Sfn|向井|1999|p=82}}。溶接上の対策としては、固定具を用いる、溶接順序を工夫する、他の熱伝導率の良い金属を裏当てして熱を逃がす等を行う{{Sfn|向井|1999|pp=114&ndash;115, 127}}。 [[#粒界腐食|上述]]のように溶接熱による鋭敏化も、ステンレス鋼特有の溶接施工の注意点である。その他の溶接上の問題点としては、オーステナイト系の[[オーステナイト系ステンレス鋼#溶接|高温割れ]]、フェライト系の[[フェライト系ステンレス鋼#加工性|475&deg;C脆化]]、マルテンサイト系の[[マルテンサイト系ステンレス鋼#溶接|低温割れ]]、オーステナイト・フェライト系の[[オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼#溶接|オーステナイト量変化]]などが挙げられる{{Sfnm|向井|1999|1pp=62&ndash;69, 126&ndash;127|野原|2016|2p=154}}。フェライト系やマルテンサイト系では、割れなどを防ぐために溶接前に溶接対象物にある程度熱を加える予熱処理を行う{{Sfn|向井|1999|pp=119&ndash;120, 126&ndash;127}}。一方で、オーステナイト系は延性に富み、予熱処理がかえって有害になることも多いため、通例は予熱処理を行わない{{Sfn|向井|1999|pp=119&ndash;120, 126&ndash;127}}。溶接後に熱を加える後熱処理についても、耐食性を確実にしたいなどの事情がないかぎりオーステナイト系では通例は行わない{{Sfnm|向井|1999|1p=123|ステンレス協会(編)|1995|2p=1037}}。マルテンサイト系とフェライト系では延性回復の点から後熱処理を行う{{Sfnm|向井|1999|1pp=126&ndash;127|ステンレス協会(編)|1995|2pp=1035&ndash;1036}}。 また、ステンレス鋼と他の金属材料を溶接する異種金属溶接が行われることもある{{Sfn|向井|1999|p=163}}。実際の設計では、経済性も考慮してそれぞれの使用場所に応じて必要な材料を選定するので、必然的に異なる材料との接合も必要となる{{Sfn|向井|1999|p=163}}。母材と溶接材が異なる場合、溶着金属が母材組成によって希釈され、溶着金属の組成が変わってくる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1063|向井|1999|2pp=165&ndash;166}}。異種金属溶接ではこの点を考慮する必要があり、予想される希釈後の組成をもとに[[#基本金属組織と合金元素の関係|上述]]の[[シェフラーの組織図]]から溶着金属の組織を予測し、適切な溶接材を選択する{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1063|向井|1999|2pp=165&ndash;166}}。ステンレス鋼と異種材溶接可能なのは、多くの他の鋼、ニッケルおよびニッケル合金、銅および銅合金などである{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1pp=1064&ndash;1065|Peckner & Bernstein (ed)|1977|2p=26-10}}。フェライト系とマルテンサイト系を溶接する場合は、フェライト系の溶接材料を用いるのが、オーステナイト系とフェライト系あるいはオーステナイト系とマルテンサイト系を溶接する場合は、オーステナイト系の溶接材料を用いるのが望ましいとされる<ref>{{Cite web|和書|url = http://www-it.jwes.or.jp/qa/details.jsp?pg_no=0050020530 |title = Q-05-02-53 種類の異なるステンレス鋼の異材溶接についての注意点を教えて下さい。| year = 2012 |author = 丸山 敏治 |publisher = 日本溶接協会 |work = 接合・溶接技術Q&A1000 |accessdate = 2020-07-08}}</ref>。 === 熱処理 === [[熱処理]]は、ステンレス鋼の製造過程の最終工程あるいは中間工程として行われる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=88|野原|2016|2p=140}}。特にステンレス鋼の場合、その金属組織を最終的に決めるという点において熱処理工程は重要である{{Sfn|野原|2016|p=140}}。熱処理は耐食性、機械的性質、さらには物理的性質にも影響する点でも重要性を持つ{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=88|野原|2016|2p=140}}。 [[固溶化熱処理]]は、主にオーステナイト系およびオーステナイト・フェライト系に施される熱処理である{{Sfn|田中(編)|2010|pp=26, 28}}。具体的な温度は鋼種によって異なるが、おおよそ 950 &deg;C から 1150 &deg;C まで加熱した後に急冷する{{Sfn|田中(編)|2010|pp=26, 28}}。固溶化熱処理によってそれぞれの目的の金属組織にし、さらに耐食性や機械的性質を回復させる{{Sfnm|田中(編)|2010|1pp=26, 28|大山・森田・吉武|1990|2p=82|IMOA|2014|3p=33}}。特に固溶化熱処理には、クロム炭化物や窒化物を固溶させ、鋭敏化を防いで耐食性を確実にする効果がある<ref name="山方2010">{{Cite book |和書 |author = 山方 三郎 | title = 図解入門 よくわかる最新熱処理技術の基本と仕組み | publisher = 秀和システム | year = 2010 | edition = 第2版 | isbn = 978-4-7980-2573-5 | page = 162 }}</ref>。析出硬化系の前処理としても行われる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=640}}。 [[焼入れ]]と[[焼戻し]]は、主にマルテンサイト系に施される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=88}}。焼入れは、加熱して組織を[[オーステナイト]]にした後、冷却して組織を[[マルテンサイト]]にする熱処理で、マルテンサイト系には必須の熱処理といえる{{Sfn|野原|2016|p=141}}。JIS SUS420J2 の例で、おおよそ 920 &deg;C から 950 &deg;C まで加熱して油冷する<ref name="山方2010"/>。焼戻しは、[[靭性]]を回復するために焼入れ後に引き続いて行われる熱処理で、約 600&ndash;750 &deg;C に加熱して冷却する高温焼戻しと、約 150&ndash;200 &deg;C に加熱して冷却する低温焼戻しがある{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=76}}。 [[焼なまし]]は、フェライト系やマルテンサイト系などに施される{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=76}}。 おおよそ 780 &deg;C から 900&deg;C に加熱し、空冷または徐冷する{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=76}}。 フェライト系の場合は、焼なまし後そのまま使用に供される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=519}}。焼なましによって、靭性向上や加工ひずみ除去を行う{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=88}}。一方、マルテンサイト系の場合は、成形や切削の前段階として焼なまし状態にすることが多い{{Sfn|田中(編)|2010|p=25}}。マルテンサイトにした後では硬くて成形や切削が困難になるため、焼なましによってマルテンサイト系の組織を一旦フェライト組織にする{{Sfn|田中(編)|2010|p=25}}。その後に成形・切削し、それから焼入れ・焼戻しする{{Sfn|田中(編)|2010|p=25}}。また、有害な[[残留応力]]を除去する応力除去焼なましなどをオーステナイト系に施すこともある{{Sfn|野原|2016|p=143}}。 [[時効硬化処理]]は析出硬化系特有の熱処理で、固溶化熱処理後の材料を加熱・一定時間保持し、[[析出硬化]]を起こさせる{{Sfn|田中(編)|2010|pp=111&ndash;112}}。高温で時効硬化処理を行えば保持時間は短くできるが、達成可能な強度は低くなる{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=7-2}}。マルテンサイト系析出硬化型の 630 の例では、470 &deg;C で1時間保持して空冷という条件や 630 &deg;C で4時間保持して空冷という条件が規定されている{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=82}}。 ステンレス鋼の熱処理上気を付けるべき点としては、フェライト系の[[フェライト系ステンレス鋼#脆化|475&deg;C脆性やσ相脆化]]、マルテンサイト系の[[マルテンサイト系ステンレス鋼#熱処理|焼戻し脆性]]などがあり、適切な温度制御が求められる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=88&ndash;89}}。また、過加熱による[[結晶粒]]の粗大化も注意点である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=89}}。 == 表面仕上げ == ステンレス鋼は金属表面を晒して利用可能なため、様々な意匠用途に使われてきた{{Sfn|橋本|2007|p=263}}。このため、ステンレス鋼には多くの表面仕上げ方法が開発されている{{Sfn|橋本|2007|p=263}}。新しい表面をつくるために、複数の表面処理方法を組み合わすこともある{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=141}}。 仕上げ後の表面状態は、見た目のみならず耐食性にも影響し、この点でも表面仕上げは重要となる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=133}}。一般的には、表面が滑らかであるほど腐食が起きにくくなるといえる<ref name="ASSDA_surface"/>。例えば、[[グラインダー]]されたままの表面状態では、同じ環境で比較して本来発揮できるはずの耐食性よりも孔食などの局部腐食が起きやすいといったことがある<ref>{{Cite web |author = Heinz Koch, Alfred Otto, Wolfgang Schlump |year = 2004 |url = https://www.imoa.info/download_files/stainless-steel/euroinox/Koch_Otto_Challenge-of-Time.pdf?m=1546844872& | title = Stainless Steel and the Challenge of Time | publisher = Euro Inox | pages = 3&ndash;5 | accessdate = 2020-09-19}}</ref>。 === 圧延仕上げ === [[File:Torres Bicentenario - panoramio (1) cropped.jpg|thumb|x300px|独立二百周年を記念して建てられたメキシコ・[[トルーカ]]にある塔のモニュメント。304Lの2B仕上げ材が使われている<ref>{{Cite web |url = https://www.worldstainless.org/files/issf/non-image-files/PDF/ISSF_Stainless_Steel_as_an_Architectural_Material.pdf |title = Built to Last - Stainless Steel as an Architectural Material |publisher= International Stainless Steel Forum |accessdate = 2020-09-19 |page = 8 }}</ref>。]] ステンレス鋼の板材は、基本的には圧延仕上げで製造され、市場へ供給される<ref name="Cochrane2005">{{Cite book | author = David Cochrane | editor = Euro Inox | year = 2005 | edition = 3rd | title= Guide to Stainless Steel Finishes | url = https://www.imoa.info/download_files/stainless-steel/euroinox/Finishes.pdf?m=1454491282& | series = Building Series, Vol. 1 | publisher = Euro Inox |isbn = 2-87997-173-X |pages = 3, 11 }}</ref>。ステンレス鋼の場合は金属表面のまま利用可能なので、追加の表面仕上げを行わない圧延仕上げのままでも意匠用として利用できる<ref name="三井・池澤">{{Cite journal ja-jp | author = 三井 攻・池澤 守 | year = 2000 | title = ステンレス鋼と意匠性 | journal = 表面技術 | volume = 51 | issue = 8 | doi = 10.4139/sfj.51.798 | publisher = 表面技術協会 | pages = 799, 801 }}</ref>。仕上げ内容を示す記号が規格で割り当てられている。[[日本産業規格|JIS]]または[[ASTMインターナショナル|ASTM]]に制定されているステンレス鋼の代表的な圧延仕上げについて以下に示す。 ;No.1 :粗めの表面で、銀白色または白色をした光沢の無い見た目の仕上げ{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}<ref name="ISSF_surface">{{Cite web |url= https://www.worldstainless.org/about-stainless/process-and-production/surface-treatment/ |title= Surface treatment |publisher= ISSF |accessdate=2020-07-25}}</ref>。[[熱間圧延]]完了後、熱処理を行い、酸洗でスケール除去を行った状態で、この表面状態となる{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}<ref name="ISSF_surface"/>。主に、表面の光沢が求められない用途に使われる{{Sfn|橋本|2007|p=264}}<ref name="JSSA_surface">{{Cite web|和書|url= http://www.jssa.gr.jp/contents/about_stainless/selections/surfaces/ |title= ステンレスの主な表面仕上げ |publisher= ステンレス協会 |accessdate=2020-07-25}}</ref>。 ;No.2D :鈍い灰色または銀白色で、光沢は少なく、つや消し調の見た目の仕上げ{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}<ref name="JSSA_surface"/>。[[冷間圧延]]後に、熱処理、酸洗を行った状態{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}。あるいは、ダルロールで軽く圧延しても、この表面状態を得ることもできる<ref name="ISSF_surface"/>。幅広い用途に使われている仕上げである{{Sfn|橋本|2007|p=264}}<ref name="JSSA_surface"/>。特に、弱めの光沢が求められる用途に使われ、屋根などの建材で多い利用が多い<ref name="ASSDA_surface">{{Cite web |url= https://www.assda.asn.au/technical-info/surface-finishes/2b-2d-and-ba-cold-rolled-finishes |title= 2B, 2D and BA Cold Rolled Finishes |publisher= Australian Stainless Steel Development Association |accessdate=2020-07-26}}</ref>。 ;No.2B :No.2Dよりも滑らかな表面で、銀白色のやや光沢がある見た目の仕上げ{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}<ref name="JSSA_surface"/>。No.2D材を鏡面ロールで軽く圧延することで得られる{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}<ref name="JSSA_surface"/>。一般用途向けの仕上げで、ステンレス鋼材の大部分はこの仕上げで市販されている<ref name="ISSF_surface"/><ref name="JSSA_surface"/><ref name="ASSDA_surface"/>。 ;BA :No.2Bよりも滑らかな表面で、光沢ありの見た目の仕上げ<ref name="ISSF_surface"/><ref name="JSSA_surface"/>。冷間圧延後に、熱処理を光輝熱処理で行った状態の表面<ref name="ISSF_surface"/><ref name="JSSA_surface"/>。さらに、鏡面ロールによる軽い圧延を行うこともある{{Sfn|橋本|2007|p=264}}<ref name="JSSA_surface"/>。装飾品、家電、自動車部品、台所用品などで使われる{{Sfn|橋本|2007|p=264}}<ref name="JSSA_surface"/>。さらに鏡面仕上げを行う場合も、BA仕上げの素材が使われる<ref name="ASSDA_surface"/>。 他のステンレス鋼向けの圧延仕上げとしては、ダル仕上げや[[エンボス]]仕上げがある<ref name="三井・池澤"/>。どちらも表面に凹凸を持つ圧延ロールで圧延することで、その凹凸を素材表面に転写する仕上げ方法で、ダル仕上げは不規則な凹凸模様を与え、エンボス仕上げは規則的な凹凸模様を与える{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1130&ndash;1131}}。ダル仕上げの場合は、鈍く光沢を抑えた落ち着いた見た目になる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1130}}。エンボス仕上げは、ファッション的な柄模様の見た目にする{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1130}}。 === 研磨仕上げ === [[File:Len Lye Exterior.jpg|thumb|280px|{{仮リンク|ゴベット・ブリュースター美術館|en|Govett-Brewster Art Gallery}}のレン・ライ・センターの[[ファサード]]外板。316Lの鏡面仕上げ材が使われている{{Sfn|ISSF|2016|p=16}}。]] ステンレス鋼の表面仕上げによく使われているのが、[[研磨]]を施した仕上げである{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=135}}。研磨仕上げ材は主に外観を装飾する用途に使われ、普段目にするステンレス鋼製の装飾金物や台所用品の多くは研磨仕上げがされている<ref name="林ステンレス工業">{{Cite web|和書|url = http://hsk.ecnet.jp/%E6%8A%80%E8%A1%93%E8%A7%A3%E8%AA%AC/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%A7%A3%E8%AA%AC%EF%BC%88%E5%85%A5%E9%96%80%E7%AF%87%EF%BC%89/ |title = ステンレスについて解説(入門篇) 2.表面仕上・研磨仕上 | publisher = 林ステンレス工業株式会社 | accessdate = 2020-08-01 }}</ref>。 研磨仕上げの場合、市場に流通している研磨済み素材を使用する場合の他に、プラントのタンクなどのように設備施工後に研磨する場合もある{{Sfn|橋本|2007|p=266}}。研磨仕上げの主な手法は、研磨目を残らせるベルト研磨と鏡面に仕上げることを目的とするバフ研磨の2種類である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1124}}。[[硫黄]]系の研磨油は、研磨後にステンレス鋼表面に硫化物を生成し、耐食性を劣化させることがあるので注意を要する{{Sfn|田中(編)|2010|pp=218&ndash;219}}。研磨仕上げも、規格で仕上げ内容を示す記号が割り当てられている。JISまたはASTMで制定されている代表的な研磨仕上げについて以下に示す。 ;No.4 :光沢があり、細かな研磨目が残された表面の仕上げ{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}。JISでは#150から#180の砥粒の[[研磨ベルト]]で研磨して仕上げる{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}。ASTMでは#120から#150を用いる<ref name="ISSF_surface"/>。 ;HL :連続した線状の細かい研磨目が付いた表面の仕上げ{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}。#150から#240程度の研磨ベルトで仕上げられる{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}。建材用途で一般的な仕上げで、建物の内装・外装に使われる{{Sfn|橋本|2007|pp=263&ndash;264}}。 ;No.6 :光沢の低い、つや消し梨地(サテン)の仕上げ{{Sfn|橋本|2007|p=264}}<ref name="ISSF_surface"/>。仕上げ方法は、No.4仕上げ材をタンピコブラシで研磨するのが典型的な方法{{Sfn|橋本|2007|p=264}}。 ;No.8 :光沢が高く、研磨目は除去され、高い反射率を持つ[[鏡|鏡面]]状の仕上げ{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=218|橋本|2007|2p=264}}。いわゆる鏡面仕上げに相当する{{Sfn|田中(編)|2010|p=218}}<ref name="JSSA_surface"/>。細かい研磨剤で研磨した後、鏡面用バフで最終研磨して仕上げる<ref name="ISSF_surface"/>。装飾用や反射鏡に使われる<ref name="JSSA_surface"/>。 他の研磨方法としては、小物の研磨に用いるバレル研磨や電解液に浸して表面を電解させる{{仮リンク|電解研磨|en|Electropolishing|preserve=1}}がある{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=136}}。ステンレス鋼の電解研磨には、[[リン酸]]、[[硫酸]]、[[硝酸]]が電解液としてよく使われる{{Sfn|田中(編)|2010|p=221}}。電解研磨と砥粒による機械的な研磨を複合させた手法もあり、より高平滑な表面が得られる{{Sfn|田中(編)|2010|p=222}}。 === 化学発色皮膜 === [[File:化学発色皮膜による発色をさせたステンレス鋼のコースター.jpg|thumb|left|240px|化学発色皮膜による発色をさせたステンレス鋼の[[コースター (食器)|コースター]]<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.meti.go.jp/press/2019/02/20200220001/20200220001.html |title = 日本産業規格(JIS)を制定・改正しました(2020年2月分)-ステンレス鋼の化学発色皮膜、多様化する太陽電池モジュールの評価、テレビジョン受信用同軸ケーブルなどのJISを制定・改正- |publisher = 経済産業省 |accessdate= 2020-08-08 | date = 2020-02-20 }}</ref>]] [[File:OTH Terminal - trimmed.jpg|thumb|left|240px|化学発色させたステンレス鋼を使ったサウスウエストオレゴン地域空港の外壁<ref name="StainlessSteelWorld2014"/>。]] ステンレス鋼は金属素地を露出させて使うのが一般的だが、ニーズの多様化に応える形で近年では着色したステンレス鋼も利用されている{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=137|野原|2016|2p=149}}。用途によっては銀色の金属光沢が持つ冷たい印象を嫌う場合もあり、そういった面からも着色が求められる<ref name="竹内1986">{{Cite journal ja-jp |author = 竹内 武 |year = 1986 |title = ステンレス鋼の着色処理 |journal = 実務表面技術 |volume = 33 |issue = 11 |doi = 10.4139/sfj1970.33.440 |publisher = 表面技術協会 |pages = 440&ndash;441 }}</ref>。 ステンレス鋼の着色方法には、後述の塗装のほかに、表面に酸化皮膜を作り、光の[[干渉色]]を利用する方法がある{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1149}}。酸化皮膜の厚さを変えることで、干渉色を変えることができる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1149}}。この方法には様々なものが存在するが、実用的にはインコ法が主流である<ref name="三井・池澤"/>。 インコ法は、硫酸と酸化クロムの浴に浸漬して発色させる工程と、さらに硫酸とリン酸の浴で浸漬・電解し、酸化皮膜を強固にする工程から成る{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1149}}。できあがる酸化皮膜は「化学発色皮膜」と呼ばれる<ref>{{Cite jis|G|4331|2020|name=ステンレス鋼の化学発色皮膜-品質及び試験方法}} p. 1</ref>。化学発色皮膜の組成はクロムに豊み、厚みはステンレス鋼元来の不働態皮膜よりも著しく大きい{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1149}}。ただし、化学発色法による酸化膜は、元来の不働態皮膜と異なり傷ついたら回復しない<ref name="EuroInox2011">{{Cite book | title = Coouring Stainless Steel | isbn = 978-2-87997-359-3 |publisher = Euro Inox | series = Materials and Applications Series, Volume 16 | author = Alenka Kosmac |pages = 3, 8 |year = 2011 | edition = 1st }}</ref>。浸漬時間に応じて化学発色皮膜の厚みが変わり、厚みが増すにしたがって発色が「ブロンズ &rarr; 青 &rarr; 金色 &rarr; 赤 &rarr; 緑」と変わる<ref name="三井・池澤"/><ref name="EuroInox2011"/>。化学発色皮膜の厚さは、ブロンズのときに 0.02 &mu;m 程度、緑のときに 0.36 &mu;m 程度である<ref name="StainlessSteelWorld2014">{{Cite web |date = 2014-03 |url = https://www.stainless-steel-world.net/pdf/polychrome_colours_of_stainless_steel.pdf |title = Polychrome: the many colours of stainless steel |website = www.stainless-steel-world |publisher = Stainless Steel World |pages = 2&ndash;3 |accessdate = 2020-08-02}}</ref>。現在では発色と硬化を分けずに、同じ工程で一度に行う技術も実用化されている{{Sfnm|野原|2016|1p=151|ステンレス協会(編)|1995|2p=1149}}。以前の化学発色法は発色の不均一さを克服できなかったが、現在では前処理技術の向上などによって均一な発色も可能となっている<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.meti.go.jp/press/2019/02/20200220001/20200220001-2.pdf |title = ステンレス鋼の化学発色皮膜-品質及び試験方法に関するJIS制定 -色調装飾性等が向上したステンレス鋼製品の普及を目指して- |publisher = 経済産業省 |accessdate= 2020-08-08 | date = 2020-02-20 }}</ref>。 === 塗装 === [[File:Jaume Plensa.jpg|thumb|x260px|白色塗装されたステンレス鋼でつくられた野外彫刻<ref name="StainlessSteelWorld2014"/>。[[ジャウメ・プレンサ]]の「ノマド」。]] かつては、ステンレス鋼を使うときにはその耐食性と金属的外観が好まれ、ステンレス鋼を[[塗装]]することはほとんどなかった{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1164|大山・森田・吉武|1990|2p=137}}。しかし、近年では塗装がなされたステンレス鋼も多く利用されており、「塗装ステンレス鋼」と呼ばれる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1164}}<ref name="三井・池澤"/>。 塗装されたステンレス鋼の見た目自体は、普通鋼を塗装したものと変わらない<ref name="三井・池澤"/>。ステンレス鋼に塗装を行う理由としては、装飾のためにカラフルな見た目にしたいことの他に、腐食保護の信頼性の高さがある{{Sfnm|橋本|2007|1p=273|大山・森田・吉武|1990|2p=137}}。[[普通鋼]]を塗装したものだと、塗膜が欠損したときにそこから現れる地肌に錆が生じるが、ステンレス鋼を塗装した場合、現れる地肌の耐食性が高いため発錆が生じにくい{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=137}}。他の着色法よりも、塗装の加工コストが廉価という長所もある<ref name="JSSA_surface"/>。また、金属的外観を活かしつつも、汚れや指紋を付きにくくするために、クリア塗装やカラークリア塗装もステンレス鋼塗装に利用されている{{Sfn|橋本|2007|p=274}}。 ステンレス鋼塗装に使われている[[塗料]]は、耐食性向上の観点を重視するときは、耐候性が高いシリコン変成ポリエステル、シリコン変成アクリル樹脂、フッ素樹脂の利用が一般的である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1165}}。ステンレス鋼の表面は不活性な不働態皮膜に覆われているため、一般的に有機皮膜との密着性が良くない{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1164}}。脱脂して表面の汚れや油分を取り除く、ショットブラストや酸洗で方面に適度に粗くして塗料の食いつきを良くする、といった適当な前処理を行えば、一般的な鋼板と同じように塗装できる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1164&ndash;1165}}。 === めっき === [[File:Tride Naruto - trimmed.jpg|thumb|left|溶融亜鉛めっきステンレスを使った[[瓦]]<ref>{{Cite web|和書|author = ステンレス協会 |title = 第17回ステンレス協会賞 受賞作品 優秀賞 |url = http://www.jssa.gr.jp/prize/17/17-1/yusyu4.html | accessdate = 2020-08-09}}</ref>。鳴門市の[[トリーデなると]]。]] [[めっき]]もステンレス鋼に使われている表面処理である{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1150}}。耐食性、装飾性、導電性の向上といった目的から、めっきがステンレス鋼にも利用されている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1150}}。[[電気めっき]]も[[溶融めっき]]もステンレスに施工可能だが、めっきの密着を確実にする上でステンレス鋼の不働態皮膜が問題となる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1150, 1157}}。そのため、電気めっきでは[[ストライクめっき]]などの前処理が必要となる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1150&ndash;1151}}。ガス還元法による溶融めっきでも、前処理として別のめっきを行う{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1157}}。 耐食性を目的としたステンレス鋼へのめっきとしては、溶融アルミニウムめっきの例が知られる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1155|橋本|2007|2p=271|野原|2016|3p=148}}。アルミニウムは自然電位がステンレス鋼よりも卑であるため、[[犠牲陽極]]として働き、ステンレス鋼素地の孔食防止などの効果がある{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1155|野原|2016|2p=148}}。自動車排気系部品で耐熱用フェライト系ステンレス鋼を溶融アルミニウムめっきすることで、304系並みの耐食性を付与させた例などがある{{Sfn|橋本|2007|p=271}}。 装飾用には、金めっきや銀めっきが古くから用いられている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1153}}。[[いぶし瓦]]の色合いを出すことを狙った、溶融亜鉛メッキステンレス製の[[瓦]]の例などがある{{Sfn|橋本|2007|p=272}}。導電性向上の観点からは、ニッケルめっきや金めっきが施される{{Sfnm|橋本|2007|1p=272|ステンレス協会(編)|1995|2p=1153}}。電気ニッケルめっきを施して導電性と耐食性を両立させたステンレス鋼が、[[ボタン電池]]などで使われている{{Sfn|橋本|2007|p=272}}。 === その他の表面処理 === 他にも、[[ブラスト処理]]、[[エッチング]]、[[不働態化処理]]、[[物理蒸着法]](PVD)など、ステンレス鋼に適用される様々な表面仕上げが存在する。 ブラスト処理は、適当な材質の小さな粒を表面に高速でたたきつけてスケールの除去や素地の調整を行う処理{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1127}}。表面仕上げとしては、ビーズブラストなどで方向性を持たない低光沢の表面を得るのに使われている<ref name="Cochrane2005"/>。エッチングは、表面を部分的に溶かし、文字や絵をステンレス鋼の表面につくる処理である{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=139}}。不働態化処理は、不働態化の程度を意識的に向上させたいときに行う処理で、硝酸などに浸漬して行われる{{Sfnm|野原|2016|1p=151|Outokumpu|2013|2p=74}}。PVDは、近年発達してきたドライプロセスによる表面処理の一種で、ステンレス鋼の場合は薄いセラミック層を蒸着させて色付けや耐久性向上のために使われている<ref name="StainlessSteelWorld2014"/>。 == 用途 == {{See also|オーステナイト系ステンレス鋼#用途例|フェライト系ステンレス鋼#使用例|マルテンサイト系ステンレス鋼#用途例|オーステナイト・フェライト系ステンレス鋼#用途例|析出硬化系ステンレス鋼#用途例}} ステンレス鋼は、その耐食性を活かして、日用品、業務用機器、建設、自動車、鉄道、電気機器、産業機械など、様々な分野で幅広く使われている{{Sfn|田中(編)|2010|p=239}}。使用分野に特に偏りはなく、用途は多種多様といえる{{Sfn|菊池|2015|p=40}}。2019年の統計によると、金属製品全般が 37.5 %、機械類が 29.1 %、建設関連が 12.2 %、自動車関連が 8.5 %、電気機器が 7.7 %、その他輸送機器が 4.9 % という使用割合となっている{{Sfn|ISSF|2020|p=20}}。 耐食性に加えて、高温環境や低温環境への耐性があり、鋼種によって物理的性質や機械的性質が異なるため、ステンレス鋼は多様な形で利用される{{Sfn|野原|2016|p=31}}。ステンレス鋼と競合する他材料には、[[塗装]]・[[めっき]]・[[ホーロー]]などの表面処理を施した鋼、[[ポリプロピレン]]のような樹脂材料、[[アルミニウム]]や[[チタン]]などの他金属材料などがあり、要求特性とコストのバランスの中で材料が選択される{{Sfn|橋本|2007|pp=14&ndash;23}}。 === 食卓・厨房・食品産業 === [[File:Kitchen Knife 03 Stainless steel Cutting edge.JPG|thumb|190px|ステンレス鋼製のスプーンと食卓ナイフ]] フォーク、スプーン、ナイフなどの[[カトラリー]]類では、ステンレス鋼が多量に使われており、ステンレス製カトラリーのシェアは圧倒的といってもいいほど大きい{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=168}}。古くはステンレス鋼が実用化されたときから、ステンレス鋼の有用な使い道としてステンレス製カトラリーが使われてきた{{Sfn|Cobb|2010|pp=193&ndash;194}}。一般的なカトラリーにはオーステナイト系が用いられ、高級な食卓用ナイフには高硬度なマルテンサイト系も利用されている{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1386|橋本|2007|2p=121}}。また、ステンレス製の[[箸]]も韓国では利用が浸透している{{Sfn|橋本|2007|p=121}}。 調理器具では、ステンレス製の[[包丁]]も主流である<ref name="包丁">{{Cite web |url= https://www.telegraph.co.uk/recommended/home/best-chefs-knives/ |title = The best chef's knives |author = Tomé Morrissy-Swan |date = 2020-01-08 |accessdate = 2020-08-22 }}<br>{{Cite web|和書|url= https://hamono-net.or.jp/%E5%8C%85%E4%B8%81%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/%E5%8C%85%E4%B8%81%E3%81%AE%E7%A8%AE%E9%A1%9E/ |title = 包丁の種類 |publisher = 京浜刃物専門店会 |accessdate = 2020-08-22 }}</ref>。刃物類には、高炭素のマルテンサイト系の焼入れ焼き戻し材を使用して、[[ロックウェル硬さ]]が 50 から 60 の高硬度で実用に供される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|pp=1386&ndash;387}}。刃先となる芯材にはマルテンサイト系を使い、それをフェライト系で挟み込んだ構造の刃の包丁などもある{{Sfn|徳田・山田・片桐|2005|pp=176&ndash;177}}。他には、トレイ、ボウル、お玉などの調理器具もステンレス製が多い{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=168}}。 [[File:8linden-linearkueche-indoor-outdoor kitchen.jpg|thumb|200px|left|ステンレス鋼製の[[台所]][[流し台]]]] 台所の[[流し台]]も、現在ではステンレス製が定番となっている<ref name="流し台">{{Cite web |url= https://www.bobvila.com/articles/best-kitchen-sink-materials/ |title = Stylish, Stain-Resistant, or Both: Which Type of Kitchen Sink Is Right for You? |author = Andréana Lefton and Bob Vila |accessdate = 2020-08-22 }}<br>{{Cite web|和書|url= https://allabout.co.jp/gm/gc/454330/ |title = キッチンシンクの種類と特徴&選び方のポイント |author = 岩間 光佐子 |accessdate = 2020-08-22 }}</ref>。ホーローや人工大理石などの他の材料と比較すると、ステンレス製流し台は耐久性があり、メンテナンスしやすい<ref name="流し台"/>。ステンレス製流し台本体は、板材からプレス成形で造られる{{Sfn|橋本|2007|pp=114&ndash;115}}。台所の天板でも、ステンレス鋼が選択肢の一つで、エンボス仕上げや着色処理による外観を良くしたものも採用されている{{Sfn|橋本|2007|pp=114&ndash;115}}。 [[File:Hahn 28cm Non Stick Buffet Saute Pan.jpg|thumb|200px|left|ステンレス製外輪鍋。底がIH調理対応となっている。]] [[鍋]]や[[フライパン]]などでもステンレス製が使われている{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=168}}。ただし、ステンレス鋼は熱伝導があまりよくないので、ステンレス鋼でアルミを挟み込んだ三層構造[[クラッド鋼]]などにして対策される{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=168}}。[[IH調理器]]用には、磁性のあるフェライト系や普通鋼と複合させた、ステンレスクラッド鋼が使われる{{Sfn|田中(編)|2010|p=318}}。業務用の厨房は、流し台、テーブル、ケース類に至るまで、清潔さを保つために清浄しやすいステンレス鋼が全面的に使われている{{Sfn|橋本|2007|p=117}}。[[魔法瓶]]の[[水筒]]もステンレス鋼を使った製品で、ステンレス鋼管のプレス成形で造られる{{Sfn|橋本|2007|p=123}}。魔法瓶水筒の場合は、ステンレス鋼の熱伝導の悪さを逆に有効活用している事例といえる{{Sfn|橋本|2007|p=123}}。 [[食品産業]]では、食品が接触する部分の多くがステンレス化されている{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=40-5}}。清潔を第一とする食品機器では、昔からステンレス鋼が多量に使われてきた{{Sfn|橋本|2007|p=134}}。食品産業のステンレス鋼の特徴は、食品が接触する部分には研磨仕上げを標準としている点である{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=161}}。これによって、もし食品接触面にかき傷や微小な穴があったときに、そこに食品が入り込み、清掃時にも残ってしまうような事態が起こらないようにしている{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=161}}。鋼種は主に304系が使われており、より耐食性を要する箇所には316系が使われている{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=255|Peckner & Bernstein (ed)|1977|2p=40-5}}。 === 電気機器・電子機器 === [[File:Samsung Refrigerator RF24FSEDBSR.jpg|thumb|x225px|ステンレス製の冷蔵庫]] 電気製品では、製品の主部から小物部品まで幅広くステンレス鋼が使われている{{Sfn|田中(編)|2010|p=309}}。消費者の高級志向もあり、電気製品へのステンレス鋼適用は増加傾向にある{{Sfn|田中(編)|2010|p=309}}。[[白物家電]]では、[[冷蔵庫]]、[[食洗機]]、[[炊飯器]]、[[電子レンジ]]などでステンレス鋼が使われており、耐指紋性と抗菌性のためにクリア塗装を施すこともある{{Sfn|菊池|2015|p=42}}。[[洗濯機]]では清潔感の良さから洗濯槽のステンレス化が進んでおり、特にドラム式洗濯機のドラムはステンレス製が標準的である{{Sfnm|橋本|2007|1pp=68&ndash;70|菊池|2015|2p=42}}。[[電気ポット]]の内部容器や[[電気給湯器]]のタンクでもステンレス鋼を採用しており、ステンレス製の給湯タンクでは孔食や応力腐食割れへの対策として高耐食フェライト系の444系が使われている{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=314|ステンレス協会(編)|1995|2pp=1339, 1388}}<ref>{{Cite web | url= https://www.aksteel.com/sites/default/files/2019-04/444-stainless.pdf | title = 444 Stainless Steel | publisher = AKSteel | accessdate = 2020-09-01 }}</ref>。 電子機器類でもステンレス鋼が使わており、多くは小物部品で使われている{{Sfn|田中(編)|2010|p=315}}。電子機器の使用環境はオフィスや家庭といった腐食の厳しい環境ではないため、耐食性が問題となることは比較的少ない{{Sfn|田中(編)|2010|p=315}}。[[携帯電話]]部品や[[ハードディスクドライブ]]などでは、非磁性の要求からステンレス鋼を使う場合もある{{Sfn|菊池|2015|p=42}}。 === 輸送機器 === [[File:HHA DT5 - 306-III.JPG|thumb|250px|ステンレス車両の例。[[ハンブルク高架鉄道]]を走るDT5。加工硬化された AISI 301 LN(EN 1.4318)を使用<ref>{{Cite web |url=http://www.worldstainless.org/Files/issf/non-image-files/PDF/ISSF_Railcars_in_Stainless_Steel.pdf |title=Railcars in Stainless Steel |publisher=ISSF |accessdate=2017-11-05 | page=5}}</ref>。]] 現在の[[鉄道車両]]は、車体([[構体 (鉄道車両)|構体]])がステンレス製である[[オールステンレス車両|ステンレス車両]]、車体が[[アルミニウム合金]]製である[[アルミニウム合金製の鉄道車両|アルミ車両]]、この2種類が主流である<ref name="近藤">{{Cite book|和書 |editor=近藤 圭一郎 |title=鉄道車両技術入門 |edition=初版 |date=2013-07-20 |publisher=オーム社 |isbn=978-4-274-21383-0 |pages= 28-33}}</ref>。ステンレス車両では、以前の[[普通鋼]]製車体の車両と比べると[[塗装]]を省略することができ、保守の手間が少ない<ref name="近藤"/>。さらに、塗装と腐食代が省略できるため軽量化が可能となっている<ref name="近藤"/>。鉄道車両の車体用には、オーステナイト系を低炭素化で耐食性を高めた鋼種が使われており、さらに加工硬化による高強度化が施されて使われている{{Sfn|橋本|2007|p=138}}。ステンレス車両のコストは普通鋼製よりも高いが、アルミ車両よりは安く、通勤車両を中心にステンレス車両が多用されている<ref>{{Cite book |和書 |author=宮本 昌幸 |title=図解・鉄道の科学 |edition=初版 |year=2006 |publisher=講談社 |series=ブルーバックス |isbn=4-06-257520-5 |page= 191}}</ref>。ステンレス構体の組立には[[抵抗スポット溶接]]が用いられており、近年では、ひずみが小さく溶接速度が速い[[レーザー溶接]]も用いられている<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 佐藤 裕之 |year = 2016 |month = 10 |title = 鉄道技術 来し方行く末 鉄道車両用構体の材料と構造 |journal = RRR |volume = 73 |issue = 10 |publisher = 鉄道総合技術研究所 |page = 30 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://ex-press.jp/wp-content/uploads/2016/11/ILSJ_May16_ar1.pdf |title = application report 鉄道車両製造におけるレーザビーム溶接 | author = マリアナ・フォレスト、ホルガー・アルダー |publisher = イーエクスプレス | work = Industrial Laser Solutions Japan | page = 20 | website = http://ex-press.jp/ilsj/ |year=2016 |month= 5 |accessdate = 2020-07-11 }}</ref>。 [[File:De Lorean.jpg|thumb|250px|left|ステンレス製のボディを持つデロリアン・DMC-12]] [[自動車]]では、エンジンで発生した燃焼ガスが排気されるまでの排気系で、ステンレス鋼がもっとも利用されている{{Sfn|田中(編)|2010|p=258}}。[[エキゾーストマニホールド]]から[[マフラー (原動機)|マフラー]]に至る排気系部品のほとんどでステンレス鋼を使用しており、鋼種は熱膨張係数が低くコストが比較的安いフェライト系が主に使われている{{Sfnm|菊池|2015|1p=41|田中(編)|2010|2p=259}}。排気系部品でステンレス鋼利用が一般化した背景としては、排ガス規制強化がある{{Sfnm|橋本|2007|1p=90|菊池|2015|2p=41}}。この規制強化に守るために、エンジン燃焼温度の上昇が必要となり、排気系部品へのステンレス鋼適用が進んだ{{Sfnm|橋本|2007|1p=90|菊池|2015|2p=41}}。より高温のエンジン近くの部品には、耐熱性を重視した鋼種が選択され、比較的低温のマフラー側の部品には、耐食性に優れた鋼種が選択される{{Sfn|菊池|2015|p=41}}。排気系以外でステンレス鋼の使用が一般化しているものとしては、外装の装飾モールやエンジンで使用されている[[ガスケット|メタルガスケット]]などがある{{Sfnm|橋本|2007|1pp=91&ndash;93|田中(編)|2010|2p=262}}。反面、ボディにステンレス鋼が用いられた例は極めて少なく、2021年現在では[[デロリアン#概要|デロリアン・DMC-12]]及び[[テスラ (会社)|テスラ・サイバートラック]]が採用した程度に留まっている<ref>[https://www.businessinsider.jp/post-203614 サイバートラックとDMCデロリアン、車とその製作者を写真で比較] - Business Insider、2019年12月12日</ref>。 [[File:Bike disc brake rotor.jpg|thumb|190px|left|自転車用のステンレス製ディスクブレーキローター]] [[二輪車]]分野では、[[オートバイ]]や[[マウンテンバイク]]で使われる[[ディスクブレーキ]]の[[ブレーキローター|ローター]](ブレーキディスク)に、ステンレス鋼が常用されている{{Sfnm|橋本|2007|1p=94|田中(編)|2010|2p=261}}。自動車ではローター材料は[[炭素鋼]]や[[鋳鉄]]が多いのに対して、二輪車では外見の良さも重要なことからステンレス鋼が主流となっている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.advicsaftermarket.co.jp/support/brake/detail/33/index.html |title=雑学講座33: バイクのブレーキ その1 |publisher=S&Eブレーキ株式会社 |work=ブレーキ雑学講座 |accessdate=2017-11-18}}</ref>{{Sfn|橋本|2007|p=94}}。ローターには強い[[摩擦力]]が働き、[[摩耗]]が問題となるため、ローターの[[硬度]]がある程度以上高いことが望ましい{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1273}}。一方で、ブレーキ時の摩擦熱が発生するため耐熱性が求められる{{Sfn|橋本|2007|p=94}}。そのため、高硬度・耐熱性・耐食性のバランスがいいマルテンサイト系が、ローターの材料として広く実用されている{{Sfn|野原|2016|p=221}}。 耐食性が高いステンレス鋼だが、[[船舶]]分野では使用はそれほど多くない{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=175}}(下記の[[#海洋・海水環境]]も参照)。船舶におけるステンレス鋼の主な使用箇所で挙げられるのは、[[ケミカルタンカー]]や[[LNGタンカー]]におけるタンク用材料で、ステンレス鋼の耐食性や低温特性を活かして使用される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1278}}。ケミカルタンカーでは、[[国際海事機関]]が定めた国際規則で一部の化学薬品用のタンクにはステンレス鋼の使用を義務づけている{{Sfn|田中(編)|2010|p=265}}。[[天然ガス]]を &minus;162 &deg;C に冷却した液化天然ガス(LNG)を運ぶLNGタンクには、ニッケル合金の他に、304 や 304L などのオーステナイト系ステンレス鋼が用いられる{{Sfn|橋本|2007|pp=144&ndash;145}}<ref>{{Cite web |author = James Chater |url = https://www.stainless-steel-world.net/webarticles/2019/02/04/picking-up-steam-lng-continues-to-expand.html |title = Picking up steam: LNG continues to expand |publisher = KCI Media Group B.V. |website = Stainless Steel World |accessdate = 2020-09-18 }}</ref>。高強度と腐食疲労耐性を求めて、[[スクリュープロペラ]]にステンレス鋳鋼が採用される場合もある{{Sfnm|Peckner & Bernstein (ed)|1977|1p=37-6|ステンレス協会(編)|1995|2p=1280}}。 [[航空機]]分野では、機体材料の全体的な傾向として、鉄鋼材料自体がチタン合金、アルミニウム合金、複合材料などに取って代わられつつある{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1281}}。航空機でステンレス鋼が特に使われている箇所は、強固な特性が求められる機械部品類が多い{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=47-10}}。脚部や油圧機器、ラッチ、ロッド、ヒンジ類などで、ステンレス鋼が用いられている{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1281|Peckner & Bernstein (ed)|1977|2p=47-10}}。 === 建築・土木 === [[File:Chrysler Building spire, Manhattan, by Carol Highsmith (LOC highsm.04444).jpg|thumb|right|x200px|[[クライスラー・ビルディング]]の段型尖塔の外装はステンレス鋼を使用している。]] [[建築物]]では、その見た目の良さを理由に外装用・内装用ともにステンレス鋼が使われている{{Sfn|田中(編)|2010|p=321}}。外装用としては、特に[[屋根]]用や[[ファサード]]用にステンレス鋼が古くから使われてきた{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=134}}。[[ニューヨーク]]の[[クライスラー・ビルディング]]は、外装にステンレス鋼を採用した最初の著名な建築物として知られる{{Sfn|橋本|2007|p=96}}。クライスラー・ビルディングの尖塔外装にオーステナイト系が使われており、1930年代に建てられて海岸地帯に存在するにもかかわらず、今日も輝きを保っている{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=3}}。一方、建築物の荷重を支える構造材料では[[普通鋼]]が主流である{{Sfn|橋本|2007|p=98}}。近年では[[鉄筋コンクリート]]に使われるステンレス製の[[異形鉄筋]]が実用化されており、構造材用途向けのステンレス鋼適用拡大が検討されている{{Sfnm|Lai et al.(ed)|2012|1p=134|田中(編)|2010|2p=325}}。 建物内部では、[[ドアノブ]]、[[蝶番]]、換気口、窓枠、クレセント、[[カーテンレール]]、[[手すり]]など、様々な建築金物にステンレス鋼が使われている{{Sfn|田中(編)|2010|pp=320&ndash;321}}。普通鋼や表面処理鋼が昔は使われていたが、腐食対策や高級志向から、ドアノブのような目立つ箇所にはステンレス鋼が使われるようになった{{Sfn|橋本|2007|p=99}}。ビルの内装材としてはヘアライン仕上げのステンレス鋼が主に用いられるが、入り口やエレベーター周辺では鏡面仕上げのステンレス鋼もアクセントとして用いられることもある{{Sfn|田中(編)|2010|p=321}}。 [[File:Bridge to Bishop's Stortford Goods Yard Hertfordshire England 1.jpg|thumb|left|210px|ステンレス製の高欄]] [[土木]]分野では、[[水門]]の扉体・戸当り、[[橋梁]]の高欄(手すり)で、美観維持とメンテナンスフリーのためにステンレス鋼が使われている{{Sfnm|菊池|2015|1p=42|大山・森田・吉武|1990|2p=155|田中(編)|2010|3p=325}}。公共施設や公園にある案内板といったものも、保全コストの削減のためにステンレス鋼化が進んでいる{{Sfn|橋本|2007|p=97}}。 [[ドーム球場]]や[[コンベンション・センター]]のような大型建造物の屋根も、メンテナンスフリーや美観の向上のために、ステンレス鋼使用が浸透している{{Sfn|橋本|2007|pp=100&ndash;102}}。屋根は日射や気温による温度変化が起こるため、大型の屋根では熱膨張率の低いフェライト系の使用が望ましい<ref name="諸石1995">{{Cite journal ja-jp |author = 諸石 大司 |year = 1995 |title = 最近のステンレス鋼の動向 |journal = まてりあ |volume = 34 |issue = 12 |doi = 10.2320/materia.34.1401 |publisher = 日本金属学会 |page = 1405 }}</ref>。海浜地区などの腐食が厳しい場所に建てられる場合は、高耐食ステンレス鋼や塗装ステンレス鋼が適用される{{Sfn|田中(編)|2010|p=323}}。 === 化学工業 === [[硝酸]]工業では、共沸濃度の以下の硝酸であれば304系のステンレス鋼で十分に耐用でき、304L が硝酸を扱う器具・装置の材料として広く利用されている{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1181|Peckner & Bernstein (ed)|1977|2p=38-5}}。歴史的にも、ステンレス鋼実用化後の最初の大量使用の一つが硝酸を取り扱う用途であった{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=38-5}}。 [[硫酸]]は幅広く用いられている基礎化学原料の一つだが、限られた硫酸濃度範囲でしかステンレス鋼は不働態化しないため、硫酸を扱うのにステンレス鋼の使用範囲は限られている{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1179|Peckner & Bernstein (ed)|1977|2pp=38-8, 38-9}}。窒素肥料となる[[硫安]]の製造では、硫安が腐食作用を緩和するため結晶缶に 316 などを用いている{{Sfn|田中(編)|2010|p=247}}。 [[石油精製]]では、高温耐食性や高温強度といったニーズからステンレス鋼の適用が多い{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1195}}。300 &deg;C から500 &deg;C の高温下、3 MPa から 20 MPa の高圧下で硫黄分を除去する[[水素化脱硫装置]]では、耐粒界腐食性を高めた安定化オーステナイト系の 321 や 347 が使われている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1195}}<ref>{{Cite web | url= https://nickelinstitute.org/media/4667/ni_aisi_9021_petroleumrefining.pdf | title = The Role of Stainless Steels in Petroleum Refining | publisher = Nickel Institute | year = 2020 | accessdate = 2020-09-05 | page = 17 }}</ref>。[[常圧蒸留装置]]では、[[原油]]を 300 &deg;C 前後まで加熱して原油を[[分留]]しており、装置は厳しい高温腐食環境に晒される{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1195}}。日本では、劣化の防止まではできていないものの、応力腐食割れの懸念が少ないフェライト系 SUS405 クラッド鋼が常圧蒸留装置の材料に用いられている<ref>{{Cite journal ja-jp | author = 川野 浩二 |year = 2016 | title = 石油精製プラントにおける材料経年劣化 | journal = 圧力技術 |volume = 54 | issue = 3 | doi = 10.11181/hpi.54.133 | publisher = 日本高圧力技術協会 |pages = 132&ndash;137 }}</ref>。 [[製紙業]]も腐食が常に問題となってきた分野で、ステンレス鋼実用化後の初期からステンレス鋼が活用されてきた{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|p=43-1}}。よく使われている鋼種はオーステナイト系で、[[パルプ]]製造の連続蒸解釜では内側を 304L にしたクラッド鋼が使われ、[[二酸化塩素]]を使うパルプ漂白のより腐食が厳しい工程ではスーパーステンレス鋼が必要になる<ref name="NickelInstitute2017">{{Cite web | url= https://nickelinstitute.org/media/1810/stainlesssteelsandspecialtyalloysformodernpulpandpapermills_11025_.pdf | title = Stainless steelsand specialty alloysfor pulp, paper and biomass conversion | publisher = Nickel Institute | year = 2017 | accessdate = 2020-09-05 | pages = 7, 19, 74, 87&ndash;88 }}</ref>。パルプから紙をつくる[[抄紙機|抄紙工程]]では、圧搾脱水を行うサクションロールに耐食性や疲労強度を考慮してオーステナイト・フェライト系が主に使われている<ref name="NickelInstitute2017"/>。 === 海洋・海水環境 === [[塩化物イオン]]を多量に含む[[海水]]環境は、ステンレス鋼にとって好ましくない環境といえる{{Sfn|田中(編)|2010|p=293}}。海水環境で問題となるのは全面腐食よりも局部腐食で、鋼種によって程度の大小はあるが、海水環境ではほとんどのステンレス鋼にすきま腐食や孔食の可能性がある{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|pp=37-2, 37-3}}。海洋中の[[付着生物]]の存在もすきま腐食の原因となる{{Sfn|Peckner & Bernstein (ed)|1977|pp=37-2}}。316系はステンレス鋼の中で耐食性の高い方であるが、316系であっても海水環境への耐食性を持つと言えず、利用範囲は限定される<ref name="BSSA100">{{Cite web |url = https://www.bssa.org.uk/topics.php?article=100 |title = Selection of 316, 304 and 303 types of stainless steels for seawater applications |publisher = British Stainless Steel Association | accessdate = 2020-08-26}}</ref>。 [[File:Haneda Airport D-Runway seen from sea surface.jpg|thumb|280px|[[羽田空港]]のD滑走路桟橋支持部。滑走路を支える円柱杭は、飛沫部から干満部にかけて高耐食性ステンレス鋼で覆われ、防食対策されている<ref name="小林2013_36">{{Cite journal ja-jp |author = 小林 裕 |year = 2013 |month = 11 |title = 特集/エネルギー・インフラ技術を支えるステンレス鋼 IV. インフラ関係で使用されるステンレス鋼 1. ジャケット式防波堤向けスーパーステンレス鋼 |journal = 特殊鋼 |volume = 62 |issue = 6 |url = http://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2013/magazine1311.pdf |publisher = 特殊鋼倶楽部 |pages = 36&ndash;37 }}</ref>。]] [[港湾]]や海洋構造物では、経済的理由もあり、海水に晒される箇所の構造材料は[[塗装]]と[[電気防食]]で対策した炭素鋼や低合金鋼を主体としている{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1357|松島|2007|2pp=113&ndash;116}}。ただし、海水中から大気中にかけての海水飛沫を受ける箇所や潮の干満によって海水に浸されたり外気に晒されたりする箇所では電気防食ができず、また、塗装には経年劣化や損傷の問題がある<ref name="小林2013_36"/>。そのため、日本では、鋼管構造を採用した海洋構造物に対して、SUS312L のようなスーパーステンレス鋼の薄板で海水飛沫部と干満部を覆って防食する手法が開発され、1997年頃から実用化されている<ref name="小林2013_36"/>。 [[海水淡水化]]設備では、コストを下げる観点からも、ステンレス鋼が活用されている{{Sfn|田中(編)|2010|p=293}}。海水淡水化装置には主に蒸発式と逆浸透式があるが、いずれの方式でも各構成機器にステンレス鋼が利用されている<ref name="DesalinationInStainlessSteel">{{Cite book |editor = International Stainless Steel Forum |title = Desalination in Stainless Steel |publisher = International Stainless Steel Forum |year = 2010 |isbn = 978-2-930069-63-0 |page = 3, 5}}</ref>。主に使われているのはオーステナイト系の316系や317系で、蒸発器には高強度かつ応力腐食割れへの耐性が高いオーステナイト・フェライト系の S2205 も使われている<ref name="DesalinationInStainlessSteel"/>{{Sfn|IMOA|2014|p=55}}。 === 発電所 === 現代の[[火力発電所]]は[[超臨界流体|超臨界圧]]または超々臨界圧の蒸気条件で運転されており、このような高圧化・高温化にともなって[[ボイラー]]の材料としてステンレス鋼利用が増えている{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=267|ステンレス協会(編)|1995|2p=1286}}。ボイラーの過熱器、再熱器、熱交換器配管などにステンレス鋼が使われており、一般的には、金属温度が 600 &deg;C を超えると、高温強度や耐酸化性のためにステンレス鋼が経済的にも有利といわれる{{Sfnm|田中(編)|2010|1pp=267&ndash;268|ステンレス協会(編)|1995|2p=1287}}。 蒸気のエネルギーを回転運動エネルギーに変換する[[蒸気タービン]]では、強度と耐食性が必要な動翼と静翼にマルテンサイト系や析出硬化系が使われている{{Sfnm|田中(編)|2010|1pp=271&ndash;273|ステンレス協会(編)|1995|2p=1293}}。ローターやケーシングでは、より高温の厳しい運転条件になると、ステンレス鋼が必要とされる{{Sfnm|田中(編)|2010|1p=273|ステンレス協会(編)|1995|2pp=1293&ndash;1294}}。[[ガスタービン]]では、金属の融点レベルの高温の燃焼ガスを扱うため、タービン本体や燃焼器には[[超耐熱合金]]が主に使われるが、[[圧縮機]]やタービンディスクなどでステンレス鋼が使われることもある{{Sfnm|田中(編)|2010|1pp=274&ndash;277|ステンレス協会(編)|1995|2p=1294}}。 [[原子力発電所]]における[[軽水炉]]では、多くのステンレス鋼管やステンレス鋼厚板が用いられている{{Sfn|橋本|2007|p=129}}。炉心で発生した蒸気をそのままタービンに送る[[沸騰水型軽水炉]]では[[原子炉圧力容器]]や配管系でステンレス鋼が使われており、[[応力腐食割れ]]への対策のために非鋭敏化鋼種へと置き換えられてきた歴史がある<ref name="IAEA">{{Cite book |author = International Atomic Energy Agency |year = 2011 |title = Stress Corrosion Cracking in Light Water Reactors: Good Practices and Lessons Learned |url = https://www.iaea.org/publications/8671/stress-corrosion-cracking-in-light-water-reactors-good-practices-and-lessons-learned |series = IAEA Nuclear Energy Series |publisher = International Atomic Energy Agency |issn = 1995-7807 |isbn = 978-92-0-117210-5 |pages = 18&ndash;23}}</ref>。[[加圧水型軽水炉]]の1次冷却系でもステンレス鋼を利用しているが、沸騰水型とは条件が異なることもあって応力腐食割れが問題となったケースは少ない{{Sfn|田中(編)|2010|p=284}}。[[再処理工場|使用済み核燃料の再処理施設]]では、再処理に多量の硝酸を用いるため、ステンレス鋼が多量に使われる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=162}}。 === 医療 === [[File:Dissection tools.jpg|thumb|215px|left|ステンレス鋼製の外科手術器具]] 医療分野でも、手術器具から検査機器に至るまで、ステンレス鋼は多く使われている{{Sfn|野原|2016|p=39}}。薬品、消毒液、血液、体液などに対して耐食性が必要なため、ステンレス鋼が適しており、衛生面からも好まれる{{Sfnm|大山・森田・吉武|1990|1p=168|ステンレス協会(編)|1995|2p=1392}}。種々の検査機器に対しては、非磁性であることも利点となる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1392}}。[[メス (刃物)|メス]]や[[鉗子]]などの手術器具にはマルテンサイト系ステンレス鋼が使われている{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=168}}。 [[人工関節]]用など、人体内で使用する[[インプラント]]用材料としても使われる{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=169}}。体液は[[海水]]と同等の組成であるため、これらの用途には高耐食性の鋼種が利用されている{{Sfn|大山・森田・吉武|1990|p=169}}。血管、胆管、食道などを広げる[[ステント]]では、コバルト合金などの他使用材料も存在するが、加工性や溶接性が良好であることや廉価であることからステンレス鋼の高耐食性鋼種も使われている{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=135}}<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 塙 隆夫 |year = 2006 |title = ステント用金属材料 |journal = 人工臓器 |volume = 35 |issue = 1 |doi = 10.11392/jsao1972.35.193 |publisher = 日本人工臓器学会 |pages = 193&ndash;196 }}</ref>。ただし、ステンレス鋼中に含まれるクロムとニッケルには[[金属アレルギー]]の問題もあり、優れた生体適合性を持ち、さらに軽量である[[チタン]]などの他の[[生体材料]]への置き換えも進んでいる{{Sfn|野原|2016|p=39}}<ref>{{Cite journal |和書 |author = 塙 隆夫 |year = 2005 |title = 医療分野におけるチタンの表面処理 |journal = 軽金属 |volume = 55 |issue = 11 |doi = 10.2464/jilm.55.553 |publisher = 軽金属学会 |page = 553 }}</ref>。特に近年では毒性や金属アレルギーが懸念される[[ニッケル]]を生体材料から排除する動きが強まっており、ステンレス鋼でもニッケルを含まない、窒素などの他のオーステナイト生成元素を代わりに用いた生体材料用オーステナイト系ステンレス鋼の開発・実用化が進められている{{Sfn|Lai et al.(ed)|2012|p=73}}<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 塙 隆夫 |year = 2007 |title = 人体中での金属の信頼性を向上させる技術 |journal = 表面技術 |volume = 58 |issue = 9 |doi = 10.4139/sfj.58.495 |publisher = 表面技術協会 |page = 498 }} <br> {{Cite journal |author = Daisuke Kuroda, Sachiko Hiromoto, Takao Hanawa, Yasuyuki Katada |year = 2002 |title = Corrosion Behavior of Nickel-Free High Nitrogen Austenitic Stainless Steel in Simulated Biological Environments |journal = MATERIALS TRANSACTIONS |volume = 43 |issue = 12 |doi = 10.2320/matertrans.43.3100 |publisher = The Japan Institute of Metals and Materials |page = 3100 }}</ref>。 === 美術品 === [[File:The Kelpies, at The Helix, Scotland.JPG|thumb|320px|ステンレス製の野外彫刻の例。スコットランドの「{{仮リンク|ザ・ケルピーズ|en|The Kelpies}}」。厚さ 6 mm の 316L 圧延板 No.8 研磨材を約 150 トン使用{{Sfn|ISSF|2016|p=6}}。]] 実用品以外の分野では、[[モニュメント]]や[[オブジェ]]といった美術作品の素材として利用されている{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1412}}<ref>{{Cite web |url= https://www.worldstainless.org/applications/art/ |title= Art |publisher = ISSF |accessdate=2020-09-16 }}</ref>。ステンレス鋼を彫刻素材に使用する利点には、他の金属同様に可塑性があり加工しやすく且つ丈夫であること、耐食性が高くメンテナンス性に優れていること、光輝を持ち現代的な材質感が得られることが挙げられる{{Sfnm|ステンレス協会(編)|1995|1p=1412|大山・森田・吉武|1990|2p=155}}<ref>{{Cite book |和書 |author = 佐藤 義夫 |year= 1993 |title = 野外彫刻マニュアル :まちにアートを |publisher = ぎょうせい |isbn = 4-324-03957-7 |pages = 106-122 }}</ref>。 ステンレス材に各種の研磨仕上げや表面処理を施すことで、多様な肌合いを表現することもできる{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1413}}。細かい孔を開けて透明を表現する、インコ法でグラデーションを作って虹を表現する、モアレを利用して三次元的な奥行きを表現する、といったステンレス鋼による表現の幅を広げる試みもなされている<ref>{{Cite book ja-jp |title = 翼竜のたまご:ステンレスは建築の絵の具だ |author = 坂上 直哉 |publisher = 日経BP |year = 2017 |edition = 第1版 |isbn = 978-4-8222-5068-3 }} pp. 56&dash;58, 64</ref>。石材、木材、鉄、プラスチックなど他の素材と組み合わせる例もある{{Sfn|ステンレス協会(編)|1995|p=1413}}。鋼種としては、オーステナイト系の 304 がよく使われるが、沿岸部のような場所では高耐食な 316 も使われる<ref>{{Cite web |url= https://www.johndesmond.com/blog/art-and-sculpture/stainless-steel-and-art/ |title= Stainless steel and art |author= Ian Desmond |publisher=John Desmond Limited |date= 2014-05-08 |accessdate = 2018-04-01 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20180401212806/https://www.johndesmond.com/blog/art-and-sculpture/stainless-steel-and-art/ |archivedate= 2018-04-01 }}</ref>。 == リサイクル == ステンレス鋼は[[リサイクル]]可能な材料であり、再融解してステンレス鋼製品の原料にできる{{Sfn|Team Stainless|2013|p=2}}。ステンレス鋼に含まれる[[クロム]]、[[ニッケル]]、[[モリブデン]]などの合金元素は[[枯渇性資源]]であり、ステンレス鋼リサイクルの重要性は大きい{{Sfn|Team Stainless|2013|p=5}}。現状では、使い終わったステンレス鋼製品のおよそ 80 % が[[スクラップ]]として回収され、リサイクルされていると推定される<ref name="リサイクルJSSA"/><ref name="ISSF_Environment"/>。国からの補助など無しで、経済的にリサイクルが成立できている<ref name="ISSF_Environment">{{Cite web |url = https://www.worldstainless.org/sustainability/environment/ |title = Environmental sustainability |publisher = ISSF |accessdate=2020-09-13 }}</ref>。 特に、オーステナイト系(クロム・ニッケル系ステンレス鋼)は非磁性であるため、他の鉄スクラップと分別しやすい長所がある{{Sfn|橋本|2007|p=310}}。一方で、フェライト系やマルテンサイト系(クロム系ステンレス鋼)は磁性があり、分別しづらいという短所がある{{Sfn|橋本|2007|p=310}}。また、クロム系の場合、ステンレス鋼スクラップと[[フェロクロム]]の価格差が小さいため、回収費用に対して割に合わないといった課題もある<ref name="五十嵐">{{Cite journal ja-jp |author = 五十嵐 佑馬・醍醐 市朗・松野 泰也・足立 芳寛 |year = 2005 |title = 日本国内におけるステンレス鋼のマテリアルフロー解析および循環利用促進によるCO<sub>2</sub>削減効果の評価 |journal = 鉄と鋼 |volume = 91 |issue = 12 |doi = 10.2355/tetsutohagane1955.91.12_903 |publisher = 日本鉄鋼協会 |page = 906 }}</ref>。 これらの理由から、クロム系の大半は分別されずに、普通鋼スクラップとして回収されたり、クロム・ニッケル系とまとめて回収されたりしている{{Sfn|Team Stainless|2013|pp=6&ndash;8}}<ref name="五十嵐"/>。2003年から2005年までの日本のステンレス鋼市場を対象に行われた[[マテリアルフロー解析]]の結果によると、クロム・ニッケル系ステンレス鋼として回収できたスクラップ回収率は 75 % から 98 % であったが、クロム系ステンレス鋼として回収できたスクラップ回収率は 12 % から 34 % に留まっていた<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 醍醐 市朗・松本 祐一・松野 泰也・足立 芳寛 |year = 2009 |title = CrとNiの物質収支を考慮したステンレス鋼のマテリアルフロー分析 |journal = 鉄と鋼 |volume = 95 |issue = 6 |doi = 10.2355/tetsutohagane.95.506 |publisher = 日本鉄鋼協会 |pages = 512&ndash;513 }}</ref>。 クロム系の中でもフェライト系の利用量は、オーステナイト系に次いでおり、利用のさらなる拡大が予測されている{{Sfn|Team Stainless|2013|pp=2, 8}}。そのため、フェライト系の分別回収を確立し、含有されているクロムをさらに有効活用することが期待されている{{Sfn|Team Stainless|2013|p=8}}。クロム系スクラップの回収率向上が、ステンレス鋼リサイクルにおける今後の課題の一つとなっている{{Sfn|菊池|2015|p=44}}。 == 生産量統計 == {{See also|ステンレス鋼の歴史#生産量の推移}} 1950年頃のステンレス鋼の[[粗鋼]]生産量は、世界でおよそ 1,000,000 トンであった{{Sfn|ISSF|2020|p=3}}。それから年平均成長率 5.8 % で生産量は伸び続け、2019年の世界のステンレス鋼粗鋼生産量は 52,218,000 トンとなっている{{Sfn|ISSF|2020|pp=3, 7}}。鉄鋼材料全般における2019年の世界の粗鋼生産量は、1,869,000,000 トンで<ref>{{Cite web | url = https://www.worldsteel.org/en/dam/jcr:f7982217-cfde-4fdc-8ba0-795ed807f513/World%2520Steel%2520in%2520Figures%25202020i.pdf | title = 2020 World Steel in Figures | publisher = World Steel Association | page= 7 | accessdate = 2020-09-16 }}</ref>、ステンレス鋼生産の割合は {{#expr:({{formatnum:52,218,000|R}}+1)*100/{{formatnum:1,869,000,000|R}} round 1}} % である。 国別・地域別のステンレス鋼生産量については、2019年の実績では、1位が[[中華人民共和国|中国]]で生産量の 56.3% を占めている{{Sfn|ISSF|2020|p=4}}。次いで、2位が[[インド]]、3位が[[日本]]という順になっている{{Sfn|ISSF|2020|p=7}}。以下に、2001年から2019年まで世界のステンレス鋼生産量のグラフと、2018年時の国・地域別の生産量順位のグラフを示す。 {{Image frame | caption = 2001年&ndash;2019年間のステンレス鋼全世界生産量変移<ref>{{Cite web |url = http://www.worldstainless.org/statistics/crude_steel_production |title=Meltshop production |publisher=ISSF |accessdate=2019-01-13 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20191221173526/http://www.worldstainless.org/statistics/crude_steel_production |archivedate= 2019-12-21 }}</ref>{{Sfn|ISSF|2020|p=7}} |align = center | content = {{Graph:Chart |width= 500 |height= 250 |type= line |yAxisMin= 0 |xAxisTitle= 年 |yAxisTitle= 生産量(1000トン) |x = 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019 |y = 19187, 20690, 22840, 24570, 24546, 28706, 28146, 26218, 24904, 31094, 33621, 35917, 38506, 41686, 41548, 45778, 48081, 50730, 52218 }} }} {{Bar chart | title = 2018年の国・地域別ステンレス鋼年間生産量{{Sfn|ISSF|2020|p=7}} | float = center | label_type = 国・地域 | data_type = 生産量(1,000[[トン]]) | data_max = 27000 | label1 = 中華人民共和国 | data1 = 26706 | label2 = インド | data2 = 3740 | label3 = 日本 | data3 = 3283 | label4 = アメリカ合衆国 | data4 = 2808 | label5 = 韓国 | data5 = 2407 | label6 = フィンランド/スウェーデン/イギリス | data6 = 2285 | label7 = ベルギー/オーストリア | data7 = 1754 | label8 = イタリア | data8 = 1484 | label9 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book ja-jp |author = 大山 正・森田 茂・吉武 進也 |year= 1990 |title = ステンレスのおはなし |series=おはなし科学技術シリーズ |publisher = 日本規格協会 |edition=第1版 |isbn = 4-542-90150-5 |ref={{Sfnref|大山・森田・吉武|1990}} }} * {{Cite book ja-jp |author=谷野 満・鈴木 茂 |title=鉄鋼材料の科学 : 鉄に凝縮されたテクノロジー |series=材料学シリーズ |publisher=内田老鶴圃 |year=2013 |edition=第3版 |isbn=978-4-7536-5615-8 |ref={{Sfnref|谷野・鈴木|2013}} }} *{{Cite book ja-jp |author=杉本 克久 |title=金属腐食工学 |series=材料学シリーズ |publisher=内田老鶴圃 |year=2009 |edition=第1版 |isbn=978-4-7536-5635-6 |ref={{Sfnref|杉本|2009}} }} * {{Cite book ja-jp |author=松島 巌 |title=腐食防食の実務知識 |publisher=オーム社 |year=2007 |edition=第1版 |isbn=4-274-08721-2 |ref={{Sfnref|松島|2007}} }} * {{Cite book ja-jp |author = 鈴木 隆志 |year= 2000 |title = ステンレス鋼発明史 |publisher = アグネ技術センター |edition=初版 |isbn = 4-900041-80-7 |ref={{Sfnref|鈴木|2000}} }} * {{Cite book ja-jp |author = 向井 善彦 |year= 1999 |title = ステンレス鋼の溶接 |publisher = 日刊工業新聞社 |edition=第2版 |isbn = 4-526-04433-4 |ref={{Sfnref|向井|1999}} }} *{{Cite book ja-jp |author=牧 正志 |title=鉄鋼の組織制御 : その原理と方法 |publisher=内田老鶴圃 |year=2015 |edition=第1版 |isbn=978-4-7536-5136-8 |ref={{Sfnref|牧|2015}} }} * {{Cite book ja-jp |author=徳田 昌則・山田 勝利・片桐 望 |title=金属の科学 |series=図解雑学シリーズ |publisher=ナツメ社 |year=2005 |edition=初版 |isbn=4-8163-4040-8 |ref={{Sfnref|徳田・山田・片桐|2005}} }} *{{Cite book ja-jp |title = 新版 基礎機械材料学 |author =金子 純一・須藤 正俊・菅又 信 |publisher = 朝倉書店 |year = 2004 |edition=初版 |isbn=4-254-23103-2 |ref={{Sfnref|金子・須藤・菅又|2004}} }} * {{Cite journal ja-jp |author = 梶村 治彦 |year = 2011 |title = 講座:ステンレス鋼活用の基礎知識 ―歴史、特性、耐食性― 3.ステンレス鋼の耐食性 |journal = 材料 |volume = 60 |issue = 9 |doi = 10.2472/jsms.60.862 |publisher = 日本材料学会 |pages = 862&ndash;867 |ref={{Sfnref|梶村|2011}} }} * {{Cite journal ja-jp |author = 鈴木 聡 |year = 2011 |title = 講座:ステンレス鋼活用の基礎知識 ―歴史、特性、耐食性― 5. ステンレス鋼材料の選択の指針 |journal = 材料 |volume = 60 |issue = 10 |doi = 10.2472/jsms.60.957 |publisher = 日本材料学会 |pages = 957&ndash;963 |ref={{Sfnref|鈴木|2011}} }} * {{Cite journal ja-jp |author = 佐藤 昌男 |year = 2015 |month = 5 |title = 特殊鋼の製造プロセス 3.ステンレス鋼 |journal = 特殊鋼 |volume = 64 |issue = 3 |url = http://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2015/magazine1505.pdf#zoom=60 |publisher = 特殊鋼倶楽部 |pages = 22&ndash;25 |ref={{Sfnref|佐藤|2015}} }} * {{Cite journal ja-jp |author = 菊池 正夫 |year = 2015 |title = ステンレス鋼の最近の動向 |journal = 大同特殊鋼技報 |volume = 86 |issue = 1 |url = https://www.daido.co.jp/common/pdf/pages/technology/journal/backno/2015/86_1/06_technicalreview.pdf |publisher = 大同特殊鋼 |pages = 37&ndash;44 |ref={{Sfnref|菊池|2015}} }} * {{Cite journal ja-jp |author = 菊池 正夫 |year = 2014 |month = 6 |title = ステンレス鋼の高温特性 |journal = 山陽特殊製鋼技報 |volume = 21 |url = http://www.sanyo-steel.co.jp/technology/images/pdf/21/21_03.pdf |publisher = 山陽特殊製鋼 |pages = 11&ndash;27 |ref = {{Sfnref|菊池|2014}} }} *{{Cite journal ja-jp |author = 原 信義 |year = 2016 |title = ステンレス鋼の不働態と局部腐食研究の進歩 |journal = まてりあ |volume = 55 |issue = 5 |doi = 10.2320/materia.55.207 |publisher = 日本金属学会 |pages = 207&ndash;214 |ref = {{Sfnref|原|2016}} }} * {{Cite web|和書 |author=遅沢 浩一郎 |url= http://www.okayshin.sakura.ne.jp/news_code_PDF/48002.pdf |title=腐食センターニュース No. 048 ステンレス鋼の特性と使用上の要点 |publisher=腐食センター |date= 2009-01 |accessdate= 2020-03-09 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20190330090442/http://www.k0906n.sakura.ne.jp/news_code_PDF/48002.pdf |archivedate= 2019-03-30 |ref={{Sfnref|遅沢|2009}} }} *{{Cite web|和書 |author =平松 博之(監修) |url = https://www.nipponsteel.com/company/publications/monthly-nsc/pdf/2005_11_153_09_12.pdf | title = ものづくりの原点 科学の世界VOL.23 錆に負けない鋼 ステンレス鋼(上) |website = Nippon Steel |work = Nippon Steel Monthly 2005年11月号 Vol.153 |publisher =新日本製鐵 |pages = 9&ndash;12 |accessdate = 2020-03-25 |ref={{Sfnref|平松(監修)|2005}} }} * {{Cite book |editor=Joseph Ki Leuk Lai, Kin Ho Lo, Chan Hung Shek |title=Stainless Steels: An Introduction and Their Recent Developments |publisher=Bentham Science Publishers |year=2012 |isbn=978-1-60805-305-6 |doi=10.2174/97816080530561120101 |ref={{Sfnref|Lai et al.(ed)|2012}} }} *{{Cite book |editor = Donald Peckner, I. M. Bernstein |year= 1977 |title = Handbook of Stainless Steels |publisher = McGraw-Hill |isbn = 007-049147-X |ref = {{Sfnref|Peckner & Bernstein (ed)|1977}} }} * {{Cite book |author=International Molybdenum Association |title=Practical Guidelines for the Fabrication of Duplex Stainless Steels |publisher=International Molybdenum Association |url= https://www.imoa.info/download_files/stainless-steel/Duplex_Stainless_Steel_3rd_Edition.pdf |location = London |year=2014 |isbn=978-1-907470-09-7 |edition=Third |ref={{Sfnref|IMOA|2014}} }} * {{Cite book |author= Harold M. Cobb |title=The History of Stainless Steel |publisher=ASM International |year=2010 |isbn=978-1-61503-010-1 |ref={{Sfnref|Cobb|2010}} }} * {{Cite web |url= http://www.outokumpu.com/sitecollectiondocuments/outokumpu-stainless-steel-handbook.pdf |title= Handbook of Stainless Steel |publisher=Outokumpu |year= 2013 |accessdate= 2017-10-22 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20180403154157/http://www.outokumpu.com/SiteCollectionDocuments/Outokumpu-stainless-steel-handbook.pdf |archivedate= 2018-04-03 |ref={{Sfnref|Outokumpu|2013}} }} * {{Cite web |url= http://www.worldstainless.org/Files/ISSF/non-image-files/PDF/Team_Stainless_Recycling_Ferritic_Stainless_Steel.pdf |title= Recycling Ferritic Stainless Steel |publisher=Team Stainless |year=2013 |accessdate=2020-03-22 |ref={{Sfnref|Team Stainless|2013}} }} * {{Cite web |url= http://www.worldstainless.org/Files/issf/non-image-files/PDF/ISSF_Stainless_Steel_in_Architectural_Applications.pdf |title= Stainless Steel in Architectural Applications |publisher=International Stainless Steel Forum |date=2016-12-12 |accessdate=2018-04-01 |ref={{Sfnref|ISSF|2016}} }} * {{Cite web |url = https://www.worldstainless.org/Files/issf/non-image-files/PDF/ISSF_Stainless_Steel_in_Figures_2020_English_public_version.pdf |title = Stainless Steel in Figures 2020 |year = 2020 |publisher= International Stainless Steel Forum |accessdate = 2020-07-03 |ref={{Sfnref|ISSF|2020}} }} == 外部リンク == {{Commonscat}} {{Wikt|ステンレス鋼|ステンレス|不銹鋼}} * [https://www.jssa.gr.jp/ ステンレス協会] * [https://zensuren.jp/ 全国ステンレス流通協会連合会] * [https://www.worldstainless.org/ World Stainless Association]{{en icon}} * [https://stainless-steel-world.net/ Stainless Steel World]{{en icon}} *{{Kotobank}} *{{機械工学事典|id=08:1006464}} {{Normdaten}} {{Featured article}} {{DEFAULTSORT:すてんれすこう}} [[Category:ステンレス鋼|*]] [[Category:鋼]] [[Category:クロム]]
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5,852
Expression
Expression(エクスプレッション)
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Expression(エクスプレッション) 英語で式を意味する。数式、式 (プログラミング) を参照。 Creature House Expression - Creature House社製の画像処理ソフト。 Microsoft Expression - Creature Houseを買収したマイクロソフトのグラフィック・Webデザイン用ソフトウェアのパッケージ名。 エクスプレッション (MIDI) - MIDIのコントロールチェンジのひとつ。 エクスプレッション (ジョン・コルトレーンのアルバム) - ジョン・コルトレーンのアルバム。 EXPRESSION - DA PUMPのアルバム。 ExpressionJAPAN - 「エクスプレッション」レクサスを専門で取り扱うエアロパーツメーカー。
{{wiktionarypar|expression}} '''Expression'''(エクスプレッション) * 英語で[[式]]を意味する。[[数式]]、[[式 (プログラミング)]] を参照。 * [[Creature House Expression]] - Creature House社製の画像処理ソフト。 * [[Microsoft Expression]] - Creature Houseを買収した[[マイクロソフト]]のグラフィック・Webデザイン用ソフトウェアのパッケージ名。 * [[エクスプレッション (MIDI)]] - [[MIDI]]のコントロールチェンジのひとつ。 * [[エクスプレッション (ジョン・コルトレーンのアルバム)]] - [[ジョン・コルトレーン]]のアルバム。 * [[EXPRESSION (DA PUMPのアルバム)]] - [[DA PUMP]]のアルバム。 * [[ExpressionJAPAN]] - 「エクスプレッション」レクサスを専門で取り扱うエアロパーツメーカー。 == 関連項目 == * [[Expressions]] - [[竹内まりや]]のベスト・アルバム。 {{aimai}} {{デフォルトソート:えくすふれつしよん}} [[Category:表現]] [[Category:英語の語句]]
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5,853
トロ
トロは、寿司のネタなどに使われるマグロの特定の部位の呼称。脂質の含量が高い腹部の身を指す。語源は肉質がトロリとしていることからで、吉野昇雄『鮓・鮨・すし-すしの事典』によれば、吉野鮨本店の客が「口に入れるとトロッとするから」と命名したとされる。この語の定着以前は脂身であることからアブと呼ばれていた。 かつての日本(特に江戸時代以前)ではマグロといえば赤身を指し、赤身に比べ品質が劣化しやすいトロの部分は上等な部位とは考えられていなかった。当時の日本人は白身のすっきりした旨みを好み、また、トロは脂肪分が多く水分を弾いてしまうので、赤身のように醤油に漬け込んでヅケにして保存することができなかった。今日では動物性脂肪の旨みが広く知られるようになったことと、冷凍/冷蔵-保存/輸送技術が向上したことから、トロの人気が高くなった。価格も近代になってから急激に上がり、現在では赤身の2倍以上の値段がつく。 特に、よく脂の乗った部分を「大トロ」、やや劣るものを「中トロ」と称する。大トロ・中トロ以外の部分は「赤身」または単に「マグロ」と称して、「トロ」とは別物とされる。一般に背肉より腹肉のほうが、後部肉より前部肉のほうが、内層肉より表層肉のほうが脂質の含量が高い。一般的に「大トロ」は腹肉前部、「中トロ」は腹肉後部である。昨今ではマグロの完全養殖により、「全身がトロ」などという個体も作れるようになった。 マグロの肉以外でも、脂が乗っている状態の肉をトロということがある。例えば、カツオの刺身の脂が乗った部分はトロカツオと呼ばれる。北海道では生の牛肉を使った牛とろ丼というご当地丼がある。豚肉においても豚トロと呼ばれる部位が販売されている。トロという言葉には肉の種類に明確な定義がなく、マグロのトロが持つ高級品としてのイメージを借りようとする販売戦略に利用されている。 また、マグロの中落ち部分や脂身をペースト状にしたものを「ネギトロ」と呼ぶ。一般には脂っぽい食感に由来する名称と解釈されているが、異説もある。 江戸時代までトロは「猫またぎ」と呼ばれ、猫ですらまたいで通り過ぎるほどの極めて価値の低い食材とされ、捨てられることがほとんどだった。
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トロは、寿司のネタなどに使われるマグロの特定の部位の呼称。脂質の含量が高い腹部の身を指す。語源は肉質がトロリとしていることからで、吉野昇雄『鮓・鮨・すし-すしの事典』によれば、吉野鮨本店の客が「口に入れるとトロッとするから」と命名したとされる。この語の定着以前は脂身であることからアブと呼ばれていた。 かつての日本(特に江戸時代以前)ではマグロといえば赤身を指し、赤身に比べ品質が劣化しやすいトロの部分は上等な部位とは考えられていなかった。当時の日本人は白身のすっきりした旨みを好み、また、トロは脂肪分が多く水分を弾いてしまうので、赤身のように醤油に漬け込んでヅケにして保存することができなかった。今日では動物性脂肪の旨みが広く知られるようになったことと、冷凍/冷蔵-保存/輸送技術が向上したことから、トロの人気が高くなった。価格も近代になってから急激に上がり、現在では赤身の2倍以上の値段がつく。 特に、よく脂の乗った部分を「大トロ」、やや劣るものを「中トロ」と称する。大トロ・中トロ以外の部分は「赤身」または単に「マグロ」と称して、「トロ」とは別物とされる。一般に背肉より腹肉のほうが、後部肉より前部肉のほうが、内層肉より表層肉のほうが脂質の含量が高い。一般的に「大トロ」は腹肉前部、「中トロ」は腹肉後部である。昨今ではマグロの完全養殖により、「全身がトロ」などという個体も作れるようになった。 マグロの肉以外でも、脂が乗っている状態の肉をトロということがある。例えば、カツオの刺身の脂が乗った部分はトロカツオと呼ばれる。北海道では生の牛肉を使った牛とろ丼というご当地丼がある。豚肉においても豚トロと呼ばれる部位が販売されている。トロという言葉には肉の種類に明確な定義がなく、マグロのトロが持つ高級品としてのイメージを借りようとする販売戦略に利用されている。 また、マグロの中落ち部分や脂身をペースト状にしたものを「ネギトロ」と呼ぶ。一般には脂っぽい食感に由来する名称と解釈されているが、異説もある。 江戸時代までトロは「猫またぎ」と呼ばれ、猫ですらまたいで通り過ぎるほどの極めて価値の低い食材とされ、捨てられることがほとんどだった。
{{Otheruses}} {{出典の明記|date=2017年2月}} [[ファイル:Rokusanen Wakayama Japan08bs.jpg|thumb|大トロの握り寿司]] [[ファイル:Rokusanen Wakayama Japan07s5.jpg|thumb|中トロの握り寿司]] '''トロ'''は、[[寿司]]の[[寿司|ネタ]]などに使われる[[マグロ]]の特定の部位の呼称。[[脂質]]の含量が高い腹部の身を指す。語源は肉質がトロリとしていることからで、[[野口元夫|吉野昇雄]]『鮓・鮨・すし-すしの事典』によれば、吉野鮨本店の客が「口に入れるとトロッとするから」と命名したとされる。この語の定着以前は脂身であることからアブと呼ばれていた。 かつての日本(特に[[江戸時代]]以前)ではマグロといえば[[赤肉#魚肉|赤身]]を指し、赤身に比べ品質が劣化しやすいトロの部分は上等な部位とは考えられていなかった。当時の日本人は白身のすっきりした旨みを好み、また、トロは[[脂肪]]分が多く水分を弾いてしまうので、赤身のように醤油に漬け込んで[[ヅケ]]にして保存することができなかった。今日では動物性脂肪の[[旨み]]が広く知られるようになったことと、冷凍/冷蔵-保存/輸送技術が向上したことから、トロの人気が高くなった。価格も近代になってから急激に上がり、現在では赤身の2倍以上の値段がつく。 特に、よく脂の乗った部分を「'''大トロ'''」、やや劣るものを「'''中トロ'''」と称する。大トロ・中トロ以外の部分は「'''赤身'''」または単に「マグロ」と称して、「トロ」とは別物とされる。一般に背肉より腹肉のほうが、後部肉より前部肉のほうが、内層肉より表層肉のほうが脂質の含量が高い。一般的に「大トロ」は腹肉前部、「中トロ」は腹肉後部である。昨今ではマグロの[[養殖業#完全養殖|完全養殖]]により、「全身がトロ」などという個体も作れるようになった。 マグロの肉以外でも、脂が乗っている状態の肉をトロということがある。例えば、[[カツオ]]の[[刺身]]の脂が乗った部分はトロカツオと呼ばれる。北海道では生の[[牛肉]]を使った[[牛とろ丼]]というご当地丼がある。[[豚肉]]においても[[豚トロ]]と呼ばれる部位が販売されている。トロという言葉には肉の種類に明確な定義がなく、マグロのトロが持つ高級品としてのイメージを借りようとする販売戦略に利用されている。 また、マグロの中落ち部分や脂身をペースト状にしたものを「ネギトロ」と呼ぶ。一般には脂っぽい食感に由来する名称と解釈されているが、異説もある。{{main|ネギトロ}} 江戸時代までトロは「猫またぎ」と呼ばれ、猫ですらまたいで通り過ぎるほどの極めて価値の低い食材とされ、捨てられることがほとんどだった<ref>{{Cite journal|和書|author=陸井眞一|date=1992-03-31|title=特集:最新マグロ事情|url=https://osakana.suisankai.or.jp/wp/wp-content/uploads/2021/05/1992%E5%B9%B43%E6%9C%88%E3%80%80%E9%AD%9A%E3%80%90NO.71%E3%80%91.pdf|journal=魚|issue=71|pages=1-5|publisher=社団法人大日本水産会おさかな普及協議会}}</ref>。 ==脚注== {{reflist}} {{DEFAULTSORT:とろ}} [[Category:刺身]] [[Category:寿司種]] [[Category:マグロ]]
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五畿七道
五畿七道()とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道()とも呼ばれた。1869年(明治2年)、北海道が新設されてからは五畿八道と呼ばれる。 現在の日本各地の地方名の多く(東海、東山、北陸、山陽、山陰、北海道など)は、五畿七道、八道に由来している。 元々は、中国で用いられていた行政区分「道」に倣った物である。日本における「道」の成立については大化改新以前より存在したとする見方もあるが、五畿七道の原型は天武天皇の時代に成立したと言われている。当初は全国を、都(難波宮、平城宮、平安宮)周辺を畿内五国、それ以外の地域をそれぞれ七道に区分した。 七道は都を基準として、東(東海・東山)、西(山陽(・西海))、南(南海)、北(北陸)に放射状に編成されていた(山陰道については西と北の両方の解釈がある)。 律令時代からの七道は、概ね地形的要件に基づいて区分されているが、西海道以外では道単位での行政機関は常置されなかった。西海道は大陸との外交・防衛上の重要性から大宰府が置かれて諸国を管轄した。七道の中でも最も重視されたのが山陽道であり、駅路では唯一の大路である。次いで中路は東海道と東山道の二つである。 七道の各国の国府は、それぞれ同じ名の幹線官道(駅路)で結ばれていた。七道駅路は大路、中路、小路に分けられ、原則として30里(約16キロ)ごとに駅(駅家)を置き、駅ごとに駅馬が常備された。備える馬の数が異なっていた。駅周辺(必ずしも周辺とは限らなかった)に駅長や駅子を出す駅戸を置き、駅馬の育養にあたらせた。駅家には往来する人馬の休息・宿泊施設を置き、駅鈴を持っている官人や公文書を伝達する駅使が到着すると乗り継ぎの駅馬や案内の駅子を提供した。各道に派遣された官人は駅路で結ばれた国府を順に巡察した。 これら七道には、江戸時代の五街道などと重複する呼称がある。時代や成り立ちが異なるものの、ほぼ同じ道筋にはなっている。 律令制以降、令制国などの細部の境界の移動を除き長らく変更はなかったが、後代明治維新後の1869年9月20日(明治2年8月15日)に、和人地および蝦夷地に新たに北海道が置かれたことにより、以後は五畿八道とも呼ばれる。 なお、蝦夷地の記録は古く斉明天皇の時代阿倍比羅夫の遠征まで遡り、鎌倉時代には和人が住み道南十二館の時代を経、江戸時代には松前藩領や天領となっていた地域に置かれた。 1871年(明治4年)の廃藩置県以降も五畿八道は廃止されておらず、令制国も併用されていたが、1885年(明治18年)以降は公的には殆ど使用されなくなり、社会的にも、現代に至るまでに年代と共に使われなくなっていった。
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五畿七道とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道とも呼ばれた。1869年(明治2年)、北海道が新設されてからは五畿八道と呼ばれる。 現在の日本各地の地方名の多く(東海、東山、北陸、山陽、山陰、北海道など)は、五畿七道、八道に由来している。
[[ファイル:Gokishichido.svg|thumb|300px|{{Colorbox|#FFC109|}}畿内 {{Colorbox|#FF9D9D|}}東海道 {{Colorbox|#FFDDBB|}}東山道 {{Colorbox|#FFFFFF|}}北陸道<br /> {{Colorbox|#DFDFFF|}}山陰道 {{Colorbox|#F5FD95|}}山陽道 {{Colorbox|#DCE0C0|}}南海道 {{Colorbox|#F0E1E1|}}西海道]] {{読み仮名|'''五畿七道'''|ごきしちどう}}とは、古代[[日本]]の[[律令制]]における、広域地方[[行政区画]]である。{{読み仮名|'''畿内七道'''|きないしちどう}}とも呼ばれた。[[1869年]]([[明治]]2年)、[[北海道 (令制)|北海道]]が新設されてからは'''[[五畿七道#五畿八道|五畿八道]]'''と呼ばれる。 現在の日本各地の地方名の多く([[東海地方|東海]]、[[東山地方|東山]]、[[北陸地方|北陸]]、[[山陽地方|山陽]]、[[山陰地方|山陰]]、[[北海道]]など)は、五畿七道、八道に由来している。 <!-- 名残と言うほどのものではない(単に現代的地方区分や歴史地震地域区分の影響を受けているだけである:地方区分や地震地域区分が大元をたどれば令制道に行きつくだけのことである=きりがない) また、東海道新幹線や山陽新幹線、北陸自動車道などの交通網や、今後想定される東海地震や南海地震、また地震発生帯の南海トラフなどの名称にもその名残が見られる。 --> == 概要 == [[File:Gokishichido_Seven_Circuits_Japan_Map.png|thumb|五畿七道の地図と畿内]] 元々は、[[中国]]で用いられていた行政区分「[[道 (行政区画)|道]]」に倣った物である。日本における「道」の成立については[[大化の改新|大化改新]]以前より存在したとする見方<ref group="注釈">古い行政区分である「四道」があり、神話上の[[四道将軍]]はその由来について解説するために創作されたとされる他、[[国造|国造制]]から令制国への移行過程で過渡的に用いられたとする見解などがある(前田晴人『日本古代の道と衢』(吉川弘文館、1996年) ISBN 4642022929)。</ref>もあるが、五畿七道の原型は[[天武天皇]]の時代に成立したと言われている<ref>{{Cite book|和書|author=虎尾俊哉|year=1995|title=律令国家の地方支配|publisher=吉川弘文館|isbn=4642022880|pages=121-122}}</ref>。当初は全国を、都(難波宮、平城宮、平安宮)周辺を[[畿内]]五国、それ以外の地域をそれぞれ七道に区分した。 ;五畿 :'''畿内'''ともいい、[[大和国|大和]]、[[山城国|山城]]、[[摂津国|摂津]]、[[河内国|河内]]、[[和泉]]の五国。現在の奈良県、京都府中南部、大阪府、兵庫県南東部を合わせた地域{{Sfn|浅井建爾|2001|p=84}}。 ;七道 :[[東海道]]、[[東山道]]、[[北陸道]]、[[山陽道]]、[[山陰道]]、[[南海道]]、[[西海道]]の七道。地理的な行政区分であるという見方もされるが、地域ごとに独立した行政府がある訳ではないため、国の集合地域区分という見方もされている{{Sfn|武部健一|2015|p=45|ps=、ただし、西海道だけは大宰府があったため、一定の行政権があった。}}。畿内から放射状に伸び、所属する国の国府を順に結ぶ[[駅路]]の名称でもあった{{Sfn|浅井建爾|2001|p=84}}。 :*東海道:現在の茨城、千葉、埼玉、東京、神奈川、山梨、静岡、愛知、三重([[熊野]]地方を除く)の各都県を合わせた地域。 :*東山道:現在の青森、岩手、秋田、宮城、山形、福島の東北6県と、栃木、群馬、長野、岐阜、滋賀の各県を合わせた地域。 :*北陸道:現在の新潟、富山、石川、福井の各県を合わせた地域。 :*山陽道:現在の兵庫県南西部と、岡山、広島、山口の各県を合わせた地域。 :*山陰道:現在の[[京都府北部地域|京都府北部]]と兵庫県北部および、鳥取、島根の各県を合わせた地域。 :*南海道:現在の香川、徳島、愛媛、高知の四国4県と、三重県熊野地方、和歌山県、淡路島を合わせた地域。 :*西海道:現在の福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎、熊本、鹿児島の九州7県の地域。 七道は都を基準として、東(東海・東山)、西(山陽(・西海))、南(南海)、北(北陸)に放射状に編成されていた(山陰道については西と北の両方の解釈がある)<ref>市大樹「律令制下の交通制度」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 1 制度と実態』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01728-2 P2-3</ref>。 == 律令時代からの七道 == 律令時代からの七道は、概ね[[地形]]的要件に基づいて区分されているが、西海道以外では道単位での行政機関は常置されなかった。西海道は大陸との外交・防衛上の重要性から[[大宰府]]が置かれて諸国を管轄した。七道の中でも最も重視されたのが山陽道であり、駅路では唯一の大路である{{Sfn|浅井建爾|2001|p=87}}。次いで中路は東海道と東山道の二つである。 七道の各国の[[国府]]は、それぞれ同じ名の幹線官道([[駅路]])で結ばれていた。七道駅路は大路、中路、小路に分けられ{{Sfn|浅井建爾|2001|p=87}}、原則として30里(約16キロ)ごとに駅([[駅家]])を置き、駅ごとに駅馬が常備された{{Sfn|浅井建爾|2001|p=84}}。備える馬の数が異なっていた。駅周辺(必ずしも周辺とは限らなかった)に[[駅長]]や[[駅子]]を出す'''[[駅戸]]'''を置き、駅馬の育養にあたらせた。駅家には往来する人馬の休息・宿泊施設を置き、[[駅鈴]]を持っている官人や公文書を伝達する駅使が到着すると乗り継ぎの駅馬や案内の駅子を提供した。各道に派遣された官人は駅路で結ばれた国府を順に巡察した。 これら七道には、[[江戸時代]]の[[五街道]]などと重複する呼称がある。時代や成り立ちが異なるものの、ほぼ同じ道筋にはなっている。 [[File:Gyokizu.jpg|thumb|right|300px|[[行基図]](『[[拾芥抄]]』写本。[[明暦]]2年([[1656年]])村上勘兵衛刊行。2枚の画像を合成)<br/>地図中に七道の線が引かれている。]] * [[東海道]] 中路。駅家ごとに10疋 * [[東山道]] 中路。駅家ごとに10疋 * [[北陸道]] 小路。駅家ごとに5疋 * [[山陰道]] 小路。駅家ごとに5疋 * [[山陽道]] 大路。駅家ごとに20疋 * [[南海道]] 小路。駅家ごとに5疋 * [[西海道]] 小路。駅家ごとに5疋 中国(唐)の道は、元からあった州の上部(すなわち地域単位)に道を設置したのに対し、日本の道は都及び畿内からほぼ放射状に道が設置されてそれに合わせて幹線官道も整備された。唐も日本も基本的な地方行政自体はそれぞれの州および(令制)国が行っており、道は使者派遣の対象区域を定める際に用いられたのは基本的には同じである。ただし、中央から地方への日常的な行政文書の伝達について、唐ではそれぞれの州に直送されたのに対して、日本では道単位で作成されて所属する各国の間を順番に転送されるのを基本としていた点では異なっている。日本で駅伝制が衰退した平安時代になっても地方行政としての上部区分は五畿七道が維持され続け、七道の線が挿入された「[[行基図]]」はその後も使用されている<ref name=kenegae>鐘江宏之「七道制と日本の律令制国家運営」『律令制諸国支配の成立と展開』(吉川弘文館、2023年) ISBN 978-4-642-04672-5 P186-189.</ref>。 == 五畿八道 == {{See also|道 (行政区画)#令制後}} 律令制以降、令制国などの細部の境界の移動を除き長らく変更はなかったが、後代明治維新後の[[1869年]][[9月20日]]([[明治]]2年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]])に、[[和人地]]および[[蝦夷地]]に新たに[[北海道 (令制)|北海道]]が置かれたことにより、以後は'''五畿八道'''とも呼ばれる。 なお、蝦夷地の記録は古く[[斉明天皇]]の時代[[阿倍比羅夫]]の遠征まで遡り、[[鎌倉時代]]には[[大和民族|和人]]が住み[[道南十二館]]の時代を経、[[江戸時代]]には[[松前藩]]領や[[天領]]となっていた地域に置かれた。 [[1871年]]([[明治]]4年)の[[廃藩置県]]以降も五畿八道は廃止されておらず、[[令制国]]も併用されていたが、[[1885年]]([[明治]]18年)以降は公的には殆ど使用されなくなり、社会的にも、現代に至るまでに年代と共に使われなくなっていった。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=浅井建爾|authorlink=浅井建爾|edition= 初版|date=2001-11-10 |title=道と路がわかる辞典 |publisher=[[日本実業出版社]] |isbn=4-534-03315-X |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=武部健一 |title=道路の日本史 |edition= |date=2015-05-25 |publisher=[[中央公論新社]] |series=中公新書 |isbn=978-4-12-102321-6 |ref=harv}} == 関連項目 == * [[令制国一覧]] * [[日本の古代道路]] * [[古代日本の地方官制]] * [[日本の地域]] * [[道州制]] * [[州]] == 外部リンク == * {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/wuyongdeye/tables/5ki8dau.html |title=五畿八道}} * [http://www.ookuninushiden.com/newpage109.html 北海道と天武天皇] * {{Archive.today|url=http://homepage2.nifty.com/k-plan/yodan/yodan_47.htm |title=余談・娯談・散談/2006年9月号|date=20130427091511}} {{令制国一覧}} {{デフォルトソート:こきしちとう}} [[Category:五畿七道|*]] [[Category:日本の律令制]] [[Category:日本の名数5|き こきしちとう]] [[Category:日本の名数7|とう こきしちとう]]
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園芸
園芸(えんげい)とは、野菜(蔬菜)、果樹、庭木、花卉(かき)などの栽培またはそのための技術。英語のhorticultureの訳語にあたる。 産業としての側面から生産園芸、文化としての側面から鑑賞園芸に区別されることもある。 「園芸」は旧字体では「園藝」と書き、「園」は圃場のこと、「藝」は「植える」ことを意味している。この語が英語のhorticultureの訳語として最初に用いられたのは、1867年に中国で出版された「英華字典II」とされている。 英語のhorticultureは、これと同意語の「hortus」(アングロサクソン語に由来)と、cultureと同意語の「colere」の2つのラテン語からなり、「囲われた土地で作物を栽培する」という意味である。ヨーロッパでは日常の食用作物は畑地で栽培されており、horticultureには特に人手をかけて貴重な作物を集約的に栽培する意味があった。 「園芸」の語は日本では明治時代以降に用いられるようになり、この語が定着する以前は園芸関連するものは「種芸」や「樹芸」と呼ばれていた。日本では1870年(明治3年)には民部省勧農局に「種芸課」、1874年(明治7年)以降は内務省勧業寮農務課に「樹芸掛」が設置された。ウィーン万国博覧会(澳国博覧会)の津田仙による報告(1897年)には、「農業及園芸審査官」として派遣され、「園芸栽培ノ事」を学んだとの記載がある。ただし、明治40年頃から大正時代になるまで「園芸」の意味には揺らぎがあり、国語辞典などでは庭を作る技術(造庭)の意味合いが色濃く残っていた。 園芸によって栽培される作物を園芸作物といい、果樹、野菜、花き、鑑賞樹木がある。 園芸作物には以下のような特異性や類似性がある。 産業としての側面の園芸を生産園芸という。また、園芸作物の生産を主軸とする経営を園芸経営という。単一経営形態別農家の10アール当たりの農業固定資本額や農業経営費、農業労働時間、農業粗収益を比較すると、畜産経営ほど集約的ではないが、稲作経営などの普通農作物作経営よりは労働、資本ともに集約的であるとされる。 園芸作には以下のような特徴がある。 施設園芸とは、広義にはガラスやプラスチックフィルムなどの被覆物で圃場を覆い、通常の露地栽培では不可能な時期に園芸作物を栽培するものをいう。ただし、一般的にはガラス室やプラスチックハウス内で栽培するものをいう。統計などでは「人が通常の姿勢で施設内において作業できるもので、ビニールハウス、温室、ガラス室等をいいトンネル栽培などはこれに該当しない。」とされることもある。 食用でなく鑑賞目的で花などを育てる行為の起源は古い。古代エジプト中王国時代のテーベにある遺跡からは、約4000年前の花壇らしき遺構が発見されている。 日本で園芸植物が栽培されるようになった時期は定かではないが、平安時代の「和名類聚鈔」にはボタン、「枕草子」にはセキチク(64段)とボタン(143段)が掲載されており、平安時代中期には中国原産の園芸植物が貴族階級で鑑賞されていた。 西洋の「ガーデニング」と日本で使われてきた「園芸」や「庭仕事」の関係については同義性と相違性の識別が十分に吟味されてこなかったとされる。そこで「ガーデニング」と「園芸」を区別する要素を探る研究も出されており、従来の「園芸」や「庭仕事」が植物の栽培そのものを楽しむものだったのに対し、「ガーデニング」はデザインに留意して生活空間の向上に利用する意図も含まれる点に違いがあるなどの見解がみられる。 「ガーデニング」に関しては、日本では一方では「ホビー・スポーツ」といった趣味として位置づけながら、もう一方では住まいを快適にすることも意識されたため、園芸業者などの産業界からの園芸や庭づくりまでも含んできたために概念が曖昧に拡散してきたとの指摘もある。
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園芸(えんげい)とは、野菜(蔬菜)、果樹、庭木、花卉(かき)などの栽培またはそのための技術。英語のhorticultureの訳語にあたる。 産業としての側面から生産園芸、文化としての側面から鑑賞園芸に区別されることもある。
[[File:House plants.jpg|thumb|290px|家庭でもできる[[#観賞園芸|観賞園芸]]</center>]] '''園芸'''(えんげい)とは、[[野菜]](蔬菜)、果樹、庭木、[[草花|花卉]](かき)などの栽培またはそのための技術<ref name="mori">{{Cite journal |和書 |url= https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010214382 |author=森 和男 |authorlink= |title=日本園芸経営論(学)体系化の意義と手がかりについて |journal=農林業問題研究 |volume=16 |issue=1 |publisher=富民協会 |date=1980 |pages=1-10 |doi=10.7310/arfe1965.16.1 |ref=}}</ref><ref name="sosai">{{Cite web|和書|title=蔬菜園芸学|url=http://lab.agr.hokudai.ac.jp/botagr/sakumotsu/Jitsuyama/vege_files/2020%E5%B9%B44%E6%9C%8817%E6%97%A5%20%E3%82%AB%E3%82%99%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%99%E3%83%B3%E3%82%B9%EF%BC%88%E5%8D%B0%E5%88%B7%E7%94%A8%EF%BC%89.pdf|website=北海道大学農学部長・農学院長・農学研究院|accessdate=2023-04-10|language=ja-JP}}</ref>。[[英語]]の{{Lang|en|horticulture}}の[[翻訳|訳語]]にあたる<ref>{{Cite journal |和書 |url= https://doi.org/10.24658/bunkakango.1.1_1_52 |author=古在 豊樹 |authorlink= |title=「農」と「市民」を基盤とした文化・学術 |journal=文化看護学会誌 |volume= 1|issue=1 |publisher=文化看護学会 |date=2009 |pages=52-59 |naid=40017238990 |ref=}}</ref>。 産業としての側面から生産園芸、文化としての側面から鑑賞園芸に区別されることもある<ref name="sosai" />。 == 概説 == 「園芸」は旧字体では「園藝」と書き、「園」は[[圃場]]のこと、「[[wikt:藝|藝]]」は「植える」ことを意味している<ref name="sosai" />。この語が英語のhorticultureの訳語として最初に用いられたのは、[[1867年]]に中国で出版された「英華字典II」とされている<ref name="kyoto" />。 英語のhorticultureは、これと同意語の「hortus」(アングロサクソン語に由来)と、cultureと同意語の「colere」の2つの[[ラテン語]]からなり、「囲われた土地で作物を栽培する」という意味である<ref name="kyoto">{{Cite web|和書|title=5.園芸作物の特徴|url=https://ocw.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2021/04/2011_shigenseibutsukagakugairon-1_05.pdf|website=京都大学オープンコースウェア(OCW)|accessdate=2023-04-10|language=ja-JP}}</ref>。ヨーロッパでは日常の食用作物は畑地で栽培されており、horticultureには特に人手をかけて貴重な作物を集約的に栽培する意味があった<ref name="kyoto" />。 「園芸」の語は日本では明治時代以降に用いられるようになり、この語が定着する以前は園芸関連するものは「種芸」や「樹芸」と呼ばれていた<ref name="mizushima2008" />。日本では[[1870年]](明治3年)には[[民部省]]勧農局に「種芸課」、[[1874年]](明治7年)以降は内務省勧業寮農務課に「樹芸掛」が設置された<ref name="mizushima2008">{{Cite journal |和書 |url= https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10584344&contentNo=1 |author=水島 かな江 |authorlink= |title=近代における園芸領域への団らんの浸透―女学雑誌と園芸書の分析から― |journal=日本家政学会誌 |volume= 59|issue=2 |publisher=日本家政学会 |date=2008 |pages=69-79 |naid= |ref=}}</ref>。[[ウィーン万国博覧会]](澳国博覧会)の[[津田仙]]による報告([[1897年]])には、「農業及園芸審査官」として派遣され、「園芸栽培ノ事」を学んだとの記載がある<ref name="mizushima2008" />。ただし、明治40年頃から大正時代になるまで「園芸」の意味には揺らぎがあり、[[国語辞典]]などでは庭を作る技術(造庭)の意味合いが色濃く残っていた<ref name="mizushima2008" />。 == 園芸作物 == 園芸によって栽培される作物を園芸作物といい、果樹、野菜、花き、鑑賞樹木がある<ref name="mori" />。 * 果樹 - 一般的に果実の構造から、仁果類、核果類、漿果類、準仁果類、堅果類などに分類される<ref name="mori" />。 * 野菜 - 一般的に食用部位から、果菜類、葉(茎)菜類、根菜類などに分類される<ref name="mori" />。 * 花き - 一年生、二年生、宿根性、球根、花木などに分類される<ref name="mori" />。切花用(花物、観葉)、鉢物用(花物、観葉)、球根・種苗用などに分類されることもある<ref name="mori" />。 園芸作物には以下のような特異性や類似性がある<ref name="mori" />。 ; 栽培期間 : 園芸作物の栽培期間には永年栽培型と年次栽培型のものがあり、永年栽培型のものは木本性のものと宿根性のものに分けられ、さらに木本性作目は喬木性(きょうぼくせい)、灌木性(かんぼくせい)、蔓性(つるせい)に分けられる<ref name="mori" />。野菜や花きの多くは普通農作物と同じく年次栽培型である<ref name="mori" />。木本性の果樹や庭木などは育成期間を必要とし、園芸経営では長期かつ資本投入の多いものほど生産の固定性が強い<ref name="mori" />。 ; 生産目的 : 園芸経営では、花きは開花までの段階で、果菜では多くが未熟果の段階で、果実ではほぼ成熟果として収穫され商品化されており相違がある<ref name="mori" />。一方、葉茎菜や根茎菜類は種類・品種・栽培方法に多様性があり、成育期間や収穫期の選択に幅があるため短期作物化しやすい<ref name="mori" />。 ; 貯蔵性、加工性 : 果樹、野菜、花きは普通農作物に比べて一般的には貯蔵性や加工性に乏しい<ref name="mori" />。ただし、果樹は永年性作物で、果実は野菜や花きに比べると貯蔵性がある<ref name="mori" />。一方、野菜や花きは貯蔵性に乏しい一年生作物であることが多く、温室、冷室、ハウス栽培、トンネル栽培、露地栽培などで生産期間の季節的移動が行われており施設園芸という特殊な経営形態がみられる<ref name="mori" />。 == 生産園芸 == 産業としての側面の園芸を生産園芸という<ref name="sosai" />。また、園芸作物の生産を主軸とする経営を園芸経営という<ref name="mori" />。単一経営形態別農家の10アール当たりの農業固定資本額や農業経営費、農業労働時間、農業粗収益を比較すると、[[畜産|畜産経営]]ほど集約的ではないが、[[稲作|稲作経営]]などの普通農作物作経営よりは労働、資本ともに集約的であるとされる<ref name="mori" />。 === 特徴 === 園芸作には以下のような特徴がある。 * 審美的要素を持つ保健的・嗜好品的生産物を生産する作目である<ref name="mori" />。 *: 果実、野菜、花きには鮮度が要求され、花きにおいては審美的要素、野菜や果実では食味や栄養価が重要な商品的要素になっている<ref name="mori" />。 * 多様な種類、品種、系統を持ち、全般に普通農作物よりも栽培環境の影響を受けやすい<ref name="mori" />。 *: 普通農作物に比べて生産期間や生産目的の異なる多品種・多系統のものを含み、自然環境や栽培条件の良否の影響を受けやすい<ref name="mori" />。 * 労働集約的、資本集約的である<ref name="mori" />。 * 好適自然条件や価格形成力など生産立地条件に規定されるところが大きい<ref name="mori" />。 * 技術水準による収益格差が大きい<ref name="mori" />。 * 自然環境や栽培環境の影響を受けやすく、一般に貯蔵性も乏しい季節性商品のため、価格の不安定性が比較的顕著である<ref name="mori" />。 * 種苗生産過程(種苗生産部門)が独立していることが多い<ref name="mori" />。 === 施設園芸 === 施設園芸とは、広義にはガラスやプラスチックフィルムなどの被覆物で圃場を覆い、通常の露地栽培では不可能な時期に園芸作物を栽培するものをいう<ref name="nougyoushisetsu">{{Cite journal |和書 |url= https://doi.org/10.11449/sasj1971.1.95 |author1=小原 聰|author2=太田 成美 |authorlink= |title=施設園芸の現状と今後の課題|journal=農業施設 |volume= 1|issue=1-2 |publisher=農業施設学会 |date=1971 |pages=95-102 |naid= |ref=}}</ref>。ただし、一般的にはガラス室やプラスチックハウス内で栽培するものをいう<ref name="nougyoushisetsu" />。統計などでは「人が通常の姿勢で施設内において作業できるもので、[[ビニールハウス]]、温室、ガラス室等をいいトンネル栽培などはこれに該当しない。」とされることもある<ref>{{Cite web|和書|title=6.施設園芸|url=https://www.city.hirakata.osaka.jp/cmsfiles/contents/0000011/11922/05-06.pdf|website=枚方市|accessdate=2023-04-10|language=ja-JP}}</ref>。 == 鑑賞園芸 == === 歴史 === 食用でなく鑑賞目的で[[花]]などを育てる行為の起源は古い。[[エジプト中王国|古代エジプト中王国]]時代の[[テーベ]]にある[[遺跡]]からは、約4000年前の[[花壇]]らしき遺構が発見されている<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20170506/k00/00m/030/069000c|title=エジプト 「ガーデニング」跡か 4000年前の花壇|work=|publisher=[[毎日新聞]]インターネット版|date=2017年5月5日}}</ref>。 日本で園芸植物が栽培されるようになった時期は定かではないが、平安時代の「[[和名類聚鈔]]」には[[ボタン (植物)|ボタン]]、「[[枕草子]]」には[[セキチク]](64段)とボタン(143段)が掲載されており、平安時代中期には中国原産の園芸植物が貴族階級で鑑賞されていた<ref>{{Cite web|和書|author=天野 誠|title=「くらしの中に息づく植物—園芸植物の歴史—」 |url=https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/plant/column/2023/425.pdf|website=国立歴史民俗博物館|accessdate=2023-04-10|language=ja-JP}}</ref>。 === 伝統的な園芸植物 === * [[古典園芸植物]] - 日本および中国において古くから栽培されてきた園芸植物。[[唐]]代にはすでにさかんにボタンが育種され、宋代にはランがもてはやされた。日本では特に江戸時代、爆発的な発展を見せた。世界的に見ても高度な育種が行なわれ、ツツジやカエデ、サクラ、ハナショウブなど現在世界的に愛好されている植物も多く、またマツバランなど日本独自の美意識が高く反映されたものが多く、世界園芸史上においても貴重な存在である。 * [[フローリスツ・フラワー]] - 英国、ベルギーで16世紀から育種されてきた十数種の古典的園芸植物 === ガーデニングとの関係 === 西洋の「ガーデニング」と日本で使われてきた「園芸」や「庭仕事」の関係については同義性と相違性の識別が十分に吟味されてこなかったとされる<ref name="takahashi">{{Cite journal |和書 |url= https://doi.org/10.5632/jila.65.27 |author1=高橋 ちぐさ|author2=下村 孝 |authorlink= |title=特集・イングリッシュガーデンから『ジャパニーズガーデン』へ ガーデニングブームの実態と背景―雑誌、出版物を通して見たガーデニングブーム―|journal=ランドスケープ研究 |volume= 65|issue=1 |publisher=日本造園学会 |date=2001 |pages=27-32 |naid= |ref=}}</ref>。そこで「ガーデニング」と「園芸」を区別する要素を探る研究も出されており、従来の「園芸」や「庭仕事」が植物の栽培そのものを楽しむものだったのに対し、「ガーデニング」はデザインに留意して生活空間の向上に利用する意図も含まれる点に違いがあるなどの見解がみられる<ref name="takahashi" />。 「ガーデニング」に関しては、日本では一方では「ホビー・スポーツ」といった趣味として位置づけながら、もう一方では住まいを快適にすることも意識されたため、園芸業者などの産業界からの園芸や庭づくりまでも含んできたために概念が曖昧に拡散してきたとの指摘もある<ref>{{Cite journal |和書 |url=http://id.nii.ac.jp/1294/00000923/ |author=水島 かな江 |authorlink= |title=ガーデニングと明治期の家庭園芸 |journal=園芸文化 : 恵泉女学園大学園芸文化研究所報告 |volume=7 |publisher=恵泉女学園大学園芸文化研究所 |date=2010 |pages=12-23 |naid=110007887325 |ref=harv}}</ref>。 {{See|ガーデニング}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Notelist}}--> === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == <!-- {{Wiktionary}} --> <!-- {{Commonscat|}} --> * [[園芸学]] * [[園芸用語]] * [[栽培]] * [[芸術]] * [[造園]] * [[農業]] * [[盆栽]] * [[花のまちコンクール]] * [[庭師]] * [[ガーデンデザイナー]] <!-- == 外部リンク == --> {{庭と庭園、園芸とガーデニング}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:えんけい}} [[Category:園芸|*]] [[Category:農業]] [[Category:植物]] [[Category:芸術]] [[Category:職業訓練の分野]]
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会津藩
会津藩()は、陸奥(後の岩代)会津郡を中心に現在の福島県西部と新潟県および栃木県の一部を治めた藩。藩は若松城(会津若松市)。最大版図は後の陸奥国北会津郡全域と耶麻郡、河沼郡の大部分、大沼郡の一部及び安積郡の一部、越後国東蒲原郡、下野国塩谷郡の一部(三依村)。後の南会津郡全域と河沼郡の一部及び大沼郡の大部分は南山御蔵入領と呼ばれる天領であったが預地として実質的に統治した。別途越後国内にも領地が点在していた(後述の『領地』を参照)。 戦国時代、会津地方は後の会津若松である黒川を本拠とする戦国大名の蘆名家の領国であった。蘆名氏は会津守護を自称して勢威をふるったが、後継者争いや家臣団の権力闘争など内紛を繰り返して次第に衰微し、天正17年(1589年)6月5日に蘆名義広が摺上原の戦いで伊達政宗に大敗して、義広は実家の常陸佐竹家を頼って落ち延び、ここに蘆名家は滅亡して会津は政宗の支配下に入り、政宗は黒川を新たな本拠とした。 天正18年(1590年)7月に小田原征伐で北条家を滅ぼした豊臣秀吉は、8月9日に会津黒川に入って奥州仕置を行なう。政宗は小田原征伐に参陣していたものの、前年の合戦が秀吉の出した惣無事令違反と見なされて会津地方及び周辺地域は政宗から没収された。秀吉は仕置において検地や刀狩、寺社政策など諸事を定めて帰洛し、会津には蒲生氏郷が42万石で入部することとなった。後に検地と加増で氏郷は92万石を領有することになる。 氏郷は織田信長にその非凡な才能を評価されて信長の次女・相応院を正室に迎えることを許され、信長没後は秀吉に従い伊勢松坂に12万石の所領を得ていた人物である。秀吉も氏郷の才能を認め、東北の伊達政宗や関東の徳川家康を抑える枢要の地に大領を与えて入部させたのである。 氏郷は黒川を若松と改め、故郷の近江日野から商人や職人を呼び寄せ、城下町の建設、武家屋敷を分離させた町割、7層の天守を持つ城を築いて現在の会津若松の基盤を築いた。 文禄4年(1595年)2月7日に氏郷は死去した。嫡子の蒲生秀行(数え13歳)が跡を継ぎ、家康の娘振姫(正清院) を正室に娶わせた。だが蒲生家中で重臣間の内紛が起こるようになり、慶長3年(1598年)1月、秀吉は家中騒動を理由にして秀行を宇都宮12万石へ減封した。ただし秀行の母、すなわち氏郷の正室が美しかったため、氏郷没後に秀吉が側室にしようとしたが姫が尼になって貞節を守ったことを不愉快に思った説、秀行が家康の娘(三女の振姫(正清院))を娶っていた親家康派のため石田三成が重臣間の諍いを口実に減封を実行したとする説もある。 代わって越後春日山から上杉景勝が入部した。領地は蒲生旧領と出羽庄内に佐渡を加えた120万石であった。景勝は戦国時代に「軍神」の異名をとった上杉謙信の養子(実は甥、生母が謙信の姉仙桃院)である。しかし入部から間もない8月18日に秀吉が死去し、次の覇権を狙って徳川家康が台頭する。これに対抗しようと豊臣家五奉行の石田三成は上杉家の家老である直江兼続に接近し、直江は景勝と慶長4年(1599年)8月に会津に帰国すると、領内の山道を開き、武具や浪人を集め、28の支城を整備するという軍備増強に出た。景勝・兼続主従は慶長5年(1600年)2月から若松城に代わる新たな城として、若松の北西およそ3キロの地点に位置する神指村に神指城の築城を開始した。しかしこの軍備増強は隣国越後の堀秀治や出羽の最上義光らにより家康に報告され、また上杉家中でも和平を唱える藤田信吉が出奔して江戸に落ち延びたため、家康は景勝に弁明を求める使者を出したが景勝は拒絶し、家康は諸大名を集めて会津征伐を開始した。 神指城築城は6月まで続けられたが、家康率いる討伐軍が江戸にまで来たため中止し、白河城の修築が急がれた。7月、下野小山で石田三成らの挙兵を知った家康は、次男の結城秀康や娘婿の蒲生秀行らを宇都宮城に牽制として残し、8月に西上を開始した。直江兼続は家康を追撃しようとしたが、上杉領の北に位置する最上義光や伊達政宗らの攻勢もあって追撃は断念した。9月15日、関ヶ原の戦いで石田三成の西軍は壊滅したため、家康ら東軍の圧勝に終わった。景勝は11月に家康と和睦するために重臣の本庄繁長を上洛させて謝罪させ、自らも慶長6年(1601年)8月8日に結城秀康に伴われて伏見城において家康に謝罪した結果、8月17日に家康は上杉家の存続を許したが、会津など90万石を没収して出羽米沢30万石へ減封した。 慶長6年(1601年)8月24日、景勝に代わって関ヶ原の戦いで東軍に与した蒲生秀行が60万石で入部した。この加増は東軍の中ではトップクラスであり、正室が家康の娘ということが作用したといわれる。一説には景勝の謝罪の遅れに加え、その旧領に武田信吉を入れる構想もあり、会津に誰を入れるかで纏まらなかったが、信吉の病気と景勝の入部経緯から秀行に対して会津を与えられることになったという。 秀行は執政に津川城代2万石の岡重政を任命したが、これが原因で以前から続いていた家中内紛が再燃した。特に三春城代の蒲生郷成に至っては、岡と激しく対立して、遂には出奔するほどだった。しかし、その岡も秀行が死ぬと未亡人となった振姫と対立し、その父である徳川家康の意向によって処刑され、郷成らが呼び戻されることになる(ただし、郷成自身は帰国途中で病死)。 慶長16年(1611年)8月21日には会津地震が藩内を襲った。震源地は柳津町滝谷付近でマグニチュードは7と推定、若松城天守の石垣が崩れ、天守は傾き、城下町では2万戸余が倒壊、死者は3700名に上り、山崩れのために23の村が没したという。秀行は家中内紛と地震のためか、この地震の翌年5月14日に30歳で死去した。 跡を継いだのは秀行と振姫の間に生まれた長男の忠郷で、忠郷は寛永元年(1624年)に将軍家光(従兄弟)、大御所秀忠を江戸屋敷に招くなど幕府との関係を強化した。一方、会津領内の産金は蒲生家再封時代に全盛期を迎え、280万両の採掘が行なわれた。 しかし忠郷は寛永4年(1627年)に25歳で若くして急死する。忠郷には子がおらず会津蒲生家は改易となったが、母が徳川家康の娘であるため、同母弟で出羽上山藩主の忠知を当主として伊予松山へ24万石で減封されて蒲生家の存続は許された。しかし忠知もこの7年後に子が無いまま30歳で急死している。 寛永4年(1627年)、忠知と入れ替わりで伊予松山から加藤嘉明が倍の加増の40万石で入部した。嘉明は豊臣秀吉の下で賤ヶ岳の七本槍の1人に数えられ、朝鮮出兵では水軍の将として活躍し、関ヶ原の戦いでは本戦で東軍の将として武功を立てた勇将である。この抜擢は縁戚の蒲生家に代わる奥羽の鎮守に信頼に足る人物は誰かと迷っていた大御所秀忠が最初は藤堂高虎を選ぼうとしたが、高虎が辞退して嘉明を推挙したため、秀忠は嘉明を会津に加増して入れたという。ただし所領が倍増されたとはいえ、既に嘉明は65歳の高齢の上、伊予松山で藩政の基礎を固めていたことに加えて、温暖な瀬戸内から寒冷の会津盆地への移封はうれしいことではなかったといわれる。 嘉明は積極的に藩内の整備を行ない、白河街道の整備、蒲生氏郷が名づけた日野町、火玉村を「火」を連想させることから甲賀町、福永村と改名するが、道半ばで寛永8年(1631年)に死去した。 第2代藩主は嫡子の明成が継ぐ。だが寛永13年(1636年)の江戸城手伝い普請における堀の開削費用、蒲生秀行時代の地震で傾いていたままだった自らの居城若松城の天守を5層へ改める工事、出丸工事など多額の出費が相次ぎ、加藤家の財政は逼迫した。このため加藤家は領民にかける年貢を厳しく取り立て、寛永19年(1642年)から翌年にかけて飢饉が藩を襲った際、農民2000人が土地を捨てて他藩に逃げる騒動にまで発展した。また明成は、その激しい気性から嘉明の時代からの家老である堀主水との対立を引き起こし、寛永16年(1639年)4月には堀が一族300余人を引き連れて若松城に向けて発砲し、橋を焼き、芦野原の関所を突破して出奔して激怒した明成が血眼になって主水を追うという御家騒動(会津騒動)にまで発展した。主水は幕府に嘆願してまで高野山に逃げ込んだ。明成は主水の身柄引き渡しを求め、寛永18年(1641年)進退に窮した主水は高野山を下りて3月に江戸に赴き、城の無断改築や関所の勝手な新設など7か条を挙げて、明成を幕府に訴えでた。しかし将軍家光自らの裁断により、主に非があるのは認めたが、それを諌めずあるいは自らの生命をもって諫死せず、主家に叛いて訴え出るのは義に外れており、非は主水にあるとして、主水の身柄は明成に引き渡され、激しい拷問が行なわれて主水は殺害された。 寛永20年(1643年)5月、明成は幕府に会津40万石を返上し、幕府はこれを受けて加藤家から所領を没収して改易としたが、明成の嫡子明友に石見吉永藩1万石を与えて家の存続は許した。この際に加藤家の支藩二本松藩も改易されており、幕府は会津騒動や悪政が原因で改易したとされている。 加藤家改易後の寛永20年(1643年)、出羽山形藩より3万石加増の23万石で保科正之が入部し、以後会津藩は会津松平家(保科家)の支配が定着する。会津松平家は幕末までに内高は40万石を突破して、表高より内高が下回ることすらあった徳川御三家の水戸藩より実収入が多い藩となり、藩の軍事力もこれを上回っていた。また、南山御蔵入領5万石も預かり地として任されたが、実質的には会津藩領同様に扱われており、実質28万石といってよかった(28万石では御三家の水戸藩を超えてしまうことからの配慮のためであるとされる)。 保科正之は第2代将軍徳川秀忠の落胤で、第3代将軍家光の異母弟である。家光の信頼を受けて幕政に重きをなした。家光没後、11歳の嫡子家綱が第4代将軍になると、正之は叔父として後見を務めた。正之は大老として江戸で幕政を統括したため、会津に帰国したのは正保4年(1647年)と晩年の数年間のみであった。この間、正之は幕政において明暦の大火における対策で敏腕を発揮しているが、藩政でも手腕を発揮して正之の時代に会津藩の藩政はほぼ確立された。なお、正之は山形藩主時代に保科家の家宝類を保科家の血を引く保科正貞に譲って、徳川一門として認められており、正之は幕府より葵紋の使用と松平姓を称することを許されていたが、正之は保科家の恩義と家臣に対する心情を思いやって辞退した。 正之の没後、藩主の座は子の正経、そしてその弟の正容が継いだ。正容の時代に姓を松平に改めて葵紋の使用も許され、名実共に徳川一門としての会津松平家が誕生した。この時、歴代藩主の通字も保科家の「正」から「容」に改められることになった。家格は親藩・御家門で、家紋は会津葵を用いた。旗印は漢字1文字で「會」である。 第4代藩主の容貞の時代である寛延2年(1749年)に、不作と厳しい年貢増徴を原因として会津藩最大の百姓一揆が勃発する。藩は鎮定する代わりに年貢減免、首謀者の処刑と入牢などを行っている。宝暦年間における会津藩の財政事情は借金が36万4600両であり、毎年4万2200両の返済を迫られていたが財政的に返済は困難であり、藩は農政改革や年貢を定免法に改定するなどして対応するが財政は好転せず、かえって藩の借金を40万両に増やすことになった。明和4年(1767年)には財政再建を任されていた井深主水が俸禄や借金問題から藩を捨てて逃亡するという事件まで起こっており、その後も手形の発行などを繰り返すという自転車操業状態で藩の借金は総額57万両にも及び、会津の藩財政は実質的に破綻しているに近かった。 第5代藩主容頌は財政危機に対処するため、家老の田中玄宰を登用した。玄宰は保科正之の名家老と称された田中正玄から数えて6代目にあたる人物である。玄宰は殖産興業政策の導入と農村復興、教育の革新による有為な人材の登用や役人の不正の処罰、教化主義による刑罰制度の改正など大規模な藩政改革を断行して成功させた。 田中玄宰の晩年、彼を用いた容頌の死後、跡を継いだ容住が早世し、わずか3歳の容衆が第7代藩主になるという事態になった。玄宰は自らも老齢で容衆を見守ることはできず、また容衆が夭折することで会津松平家が断絶することを恐れ、水戸徳川家の出身で美濃高須藩の養子になった松平義和の三男等三郎を容住の側室の子として貰い受けることで対処した。容衆は玄宰の死から14年後に20歳で嗣子に恵まれずに死去したため、玄宰により生前に万一の事態のために用意されていた等三郎が容敬として第8代藩主を継ぐこととなった。このため保科正之の血統は断絶したが、会津藩は断絶の危機を免れた。なお、容敬も継嗣に恵まれなかったため、甥の容保を婿養子にして跡を継がせている。 第8代容敬は養子藩主であったが、英明な藩主で親政して改革を行ない、幕末における会津藩の基礎を築き上げている。容敬は嘉永5年(1852年)2月に死去し、容保が第9代藩主を継いで 幕末の動乱期を迎えた。安政6年(1859年)、北方警備のため徳川幕府から根室・紋別を譲渡される。 文久2年(1862年)閏8月に容保は京都守護職となり、更に新撰組を麾下に置いて(新撰組は、その後会津戦争まで会津藩の隷下にあった)会津藩士ともども尊攘派志士の取り締まりや京都の治安維持を担った。文久3年、友好関係にあった薩摩藩と連携して、朝廷に強い影響力を持っていた長州藩を八月十八日の政変で追放する。その後に行われた参預会議では、薩摩藩の国父・島津久光が提案する公武合体論に賛同するなどしたが、久光と将軍後見職・徳川慶喜の対立によって会議は瓦解した。 当時、容保は京都守護職を退いていたが、会議崩壊後に復職し、容保の実弟で京都所司代に任命された松平定敬(桑名藩主)、禁裏御守衛総督に任命された徳川慶喜と連携して、政局を動かすほどの立場となった(一会桑政権)。一方で、西南雄藩の国政参加も阻止した為、これまで友好関係にあった薩摩藩とも対立するようになった。元治元年8月、昨年追放された長州藩が挙兵した為、会津藩も出陣して京都で睨み合いとなる(禁門の変)。会津藩は蛤御門で長州藩兵と戦い、敵の突破を阻止した。後に容保は、会津藩を頼りとしている旨が記された「御宸翰」を孝明天皇より賜った。 変後、長州藩の処分を求めて、二度の長州征伐を主導した。完全な武力討伐となった第二次長州征伐では京都の守備を担当する。しかし、出兵した幕府軍は各地で長州軍に撃破され、さらに将軍徳川家茂が大阪城で病没する事態に見舞われる。不利を判断した徳川慶喜によって停戦となったが、征討側の城と領土が逆に占領されるなど事実上の敗戦となった。慶応2年12月(1867年1月)に孝明天皇が崩御、慶応3年10月14日の大政奉還により、江戸幕府が消滅。 慶応3年12月9日には薩摩藩・尾張藩・越前藩・土佐藩・芸州藩の五藩による政変が起こり、王政復古の大号令が発令されて新政府が誕生した。従来の親幕府派であった公家が排除され、王政復古前に復権した長州藩が新政府に加わるなど、今度は会津藩が追放される形となり、大阪城に退いた。そのやり方は皮肉にも、かつて長州藩を追放する為に起こした八月十八日の政変と同じ物であった。 慶応4年、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発すると、桑名藩や旧幕府軍とともに薩長を中心とする新政府軍と戦ったが敗北。この戦の結果、朝廷は会津藩を「朝敵」とした。その後の東北戦線において、会津藩は奥羽越列藩同盟の支援を受け、庄内藩と会庄同盟を結ぶなどして新政府軍に抵抗したが、会津若松城下での戦い(会津戦争)に敗北して降伏した。近年では、列藩同盟総裁中将の役職に松平容保が就いていたとする説もある。 なお、戊辰戦争の直前及び交戦中には庄内藩とともに、当時のプロイセン王国に対して、駐日代理公使マックス・フォン・ブラントを通じて蝦夷地(北海道)に持つ所領の割譲を提案し、その見返りとして兵器・資金援助や軍事介入を得ようとしていたことが分かっている。普仏戦争の直前で余裕がなかったことからオットー・フォン・ビスマルクによって1度は拒否されたが、3週間後に一転して認可された。しかし既に会津藩の降伏から6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。 降伏により、会津藩領は会津松平家から没収された。藩主の容保は鳥取藩預かりの禁錮刑となった。 明治2年(1869年)9月28日に容保の嫡男慶三郎(容大)は家名存続が許され、華族に列せられるとともに、3万石を陸奥国内に改めて下賜された。明治3年(1870年)5月15日、容大は陸奥国斗南(現在:青森県むつ市)の斗南藩の知藩事とされた。また藩士数名は、アメリカ合衆国カリフォルニア州に移住した。 一方、廃藩置県を前に、会津藩の旧領は明治政府民政局による直轄地とされ、若松城下に明治政府民政局が設置された。明治4年7月14日(1871年新暦8月29日)の廃藩置県では、会津地方は若松県となったものの、明治9年(1876年)8月21日には福島県1876年以前(旧の二本松藩など)と磐前県(旧の磐城平藩と中村藩)と合併され、福島県に入れられた。 容保の家系からは初代参議院議長の松平恒雄・雍仁親王妃勢津子父子、福島県知事の松平勇雄や、徳川宗家第18代当主徳川恒孝が出ている。元白虎隊兵士の 山川健次郎は戦後にアメリカへの国費留学生に選抜され、 イェール大学で物理学の学位を取得して帰国している。帰国後に日本人として初の物理学教授になった後に東京帝国大学(東京大学の前身)に登用された。その後に理科大学長・総長、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、私立明治専門学校(九州工業大学の前身)総裁、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校(武蔵中学校・高等学校の前身)校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任するなど重用された。 会津藩は日本初となる老齢年金制度を創設した藩であった。開始されたのは寛文3年(1663年)で保科正之の時代であり、正之は藩内の90歳以上の老人に対して金銭ではなく米で1日5合、年間では約1石8斗、米俵で4俵半(約270キログラム)を支給した。当時の会津藩で90歳以上の高齢者は町人で男子は4人、女子は7人、村方では140人と合計すると155人以上おり決して少ない負担ではない。また正之は支給すべき者が高齢なため、歩行できたりする健常者は自ら支給を受け取りに来るよう命じたが、健常者でない者は子や孫が受け取りに来ることも認めていた。 保科正之は凶作による飢饉に備えて明暦元年(1655年)に社倉制度を開始した。これは藩で米を7000俵余り買い入れて各代官に預け、翌年から通常よりかなり低率の2割の利子で困った百姓に貸し付け、その利子で年々蓄えるべき米を増やして凶作の備えとしたのである。また実際に飢饉が起こり、病人や工事人足、新田開発者や火災被害者などには無償で提供する例もあった。保科正之は各村に社倉と呼ばれる倉を創設して収納し、備蓄米は最大で5万俵になり、領内の23箇所に社倉が建設された。 91万9千石(1590年 - 1598年) 120万石(1598年 - 1601年) 外様 - 60万石(1601年 - 1627年) 外様 - 40万石 (1627年 - 1643年) 親藩 - 23万石(1643年 - 1868年) 会津藩では家老を出す家柄を三家(北原、内藤、田中)、六家(簗瀬、西郷、高橋、小原、井深、三宅+梶原)と呼称する。 斗南藩(となみはん)は、明治2年(1869年)11月3日に松平容保の嫡男・容大に家名存続が許されて成立した、七戸藩を挟む形で現青森県の東部にあった藩である。容大が知藩事に正式に任命されたのは明治3年(1870年)5月15日である。 会津藩を没収された会津松平家は、改めて元盛岡藩(南部藩)領に設置された旧三戸県5万2,339石の内、北郡・三戸郡・二戸郡内に3万石を与えられて立藩した(旧三戸県の残部は江刺県に編入)。斗南藩に与えられた村数、石高は、明治4年に青森県から大蔵省へ送られた文書によると以下の通りである。 ただし、旧会津藩士4700名余が謹慎を解かれたのは翌年の明治3年(1870年)1月5日のことである。当初は三戸藩と称していたが、明治3年6月4日付の七戸藩宛書簡に「猶々藩名斗南藩と唱ヘ候間、以来ハ右藩名ニ而及御懸合候」とあり、名称を斗南藩と改めた。柴五郎によると「斗南」は漢詩の「北斗以南皆帝州」(北斗星より南はみな帝の治める州)からとったもので、この説が広く受け入れられているが、該当する古典漢詩が存在せず、会津藩士秋月悌次郎が慶応元年(1865年)に蝦夷へ左遷された際に詠んだ「唐太以南皆帝州」との類似が指摘されている。一方、当時斗南藩の大属として藩政の中枢にいた竹村俊秀の『北下日記』には「「斗南」トハ外南部ノ謂ナリ」と記されており、当初「外南部」の略称に過ぎなかったものを大義名分に立って「北斗以南」の意義付けが行われたとも解釈される。また葛西富夫は、「南、すなわち薩長政府と斗(闘)う」という意味が隠されているという口伝を紹介している。同年4月18日、南部に移住する者の第一陣として倉沢平治右衛門 の指揮のもと第一陣300名が八戸に上陸した。松平容大は藩士の冨田重光の懐に抱かれて駕籠に乗り、五戸に向かった。旧五戸代官所が最初の藩庁になり、後に現在の青森県むつ市田名部の円通寺に移った。また北海道後志国の歌棄(うたすつ)・瀬棚・太櫓(ふとろ)及び胆振国山越の計4郡も支配地となった。実際に入植したのは50戸あまり、220余人であった。明治3年閏10月までには旧会津藩士約2万人の内、4,332戸1万7,327人が斗南藩に移住したが、若松県内で帰農した者約2,000人を始めとし、残りは族籍を平民に移した。 斗南藩の表高は3万石、内高は3万5000石であったが、藩領の多くは火山灰地質の厳寒不毛の地であり、実際の税収である収納高(現石)は7380石に過ぎなかった。森林は豊富であったものの、隣藩のように林業を有効活用することが出来なかった。また南部藩時代から元々住んでいた約6万人の領民との軋轢も生じた。とりわけ下北半島に移住した旧会津藩士は苦しい生活を強いられ、その時の体験は柴五郎によって語られている。 その後、斗南藩は明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で斗南県となり、その際斗南県少参事廣澤安任らによる明治政府への建言により、同年9月4日に弘前県・黒石県・七戸県・八戸県・館県との合併を経て青森県に編入され斗南の地名は消滅した。また、二戸郡の一部は岩手県に編入された。青森県発足時点では、会津からの移住人員1万7327人のうち3300人は既に他地域への出稼ぎで離散してしまっており、青森県内には1万4000人余の斗南藩士卒族が残留していた。その後も廃藩置県による旧藩主の上京により、移住してきた者の送籍・離散が相次ぎ、明治7年(1874年)末までには約1万人が会津に帰郷している。当地に留まった者では、明治5年(1872年)に広沢らが日本初の民間洋式牧場を開設したほか、入植先の戸長・町村長・吏員・教員となった者が多く、子孫からは、北村正哉(元青森県知事)をはじめ衆議院議員、郡長・県会議員・市町村長や青森県内の各学校長などが出ている。容大は明治17年(1884年)子爵となり、華族に列した。 文政年間の江戸藩邸は上屋敷は和田倉御門内にあり、中屋敷は源助丁海手に、下屋敷は三田綱坂にあった。また江戸での菩提寺は下谷の臨済宗大徳寺派寺院の円満山広徳寺で加賀藩や常陸国谷田部藩も江戸での菩提寺として使用していた。 上記のほか、京都守護職の役知領が河内国河内郡(8村)、讃良郡(13村)、茨田郡(1村)、交野郡(8村)、若江郡(6村)、和泉国南郡(4村)、日根郡(15村)にあり、河内国内は河内県、和泉国内は堺県に編入された。
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"paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "氏郷は黒川を若松と改め、故郷の近江日野から商人や職人を呼び寄せ、城下町の建設、武家屋敷を分離させた町割、7層の天守を持つ城を築いて現在の会津若松の基盤を築いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "文禄4年(1595年)2月7日に氏郷は死去した。嫡子の蒲生秀行(数え13歳)が跡を継ぎ、家康の娘振姫(正清院) を正室に娶わせた。だが蒲生家中で重臣間の内紛が起こるようになり、慶長3年(1598年)1月、秀吉は家中騒動を理由にして秀行を宇都宮12万石へ減封した。ただし秀行の母、すなわち氏郷の正室が美しかったため、氏郷没後に秀吉が側室にしようとしたが姫が尼になって貞節を守ったことを不愉快に思った説、秀行が家康の娘(三女の振姫(正清院))を娶っていた親家康派のため石田三成が重臣間の諍いを口実に減封を実行したとする説もある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "代わって越後春日山から上杉景勝が入部した。領地は蒲生旧領と出羽庄内に佐渡を加えた120万石であった。景勝は戦国時代に「軍神」の異名をとった上杉謙信の養子(実は甥、生母が謙信の姉仙桃院)である。しかし入部から間もない8月18日に秀吉が死去し、次の覇権を狙って徳川家康が台頭する。これに対抗しようと豊臣家五奉行の石田三成は上杉家の家老である直江兼続に接近し、直江は景勝と慶長4年(1599年)8月に会津に帰国すると、領内の山道を開き、武具や浪人を集め、28の支城を整備するという軍備増強に出た。景勝・兼続主従は慶長5年(1600年)2月から若松城に代わる新たな城として、若松の北西およそ3キロの地点に位置する神指村に神指城の築城を開始した。しかしこの軍備増強は隣国越後の堀秀治や出羽の最上義光らにより家康に報告され、また上杉家中でも和平を唱える藤田信吉が出奔して江戸に落ち延びたため、家康は景勝に弁明を求める使者を出したが景勝は拒絶し、家康は諸大名を集めて会津征伐を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "神指城築城は6月まで続けられたが、家康率いる討伐軍が江戸にまで来たため中止し、白河城の修築が急がれた。7月、下野小山で石田三成らの挙兵を知った家康は、次男の結城秀康や娘婿の蒲生秀行らを宇都宮城に牽制として残し、8月に西上を開始した。直江兼続は家康を追撃しようとしたが、上杉領の北に位置する最上義光や伊達政宗らの攻勢もあって追撃は断念した。9月15日、関ヶ原の戦いで石田三成の西軍は壊滅したため、家康ら東軍の圧勝に終わった。景勝は11月に家康と和睦するために重臣の本庄繁長を上洛させて謝罪させ、自らも慶長6年(1601年)8月8日に結城秀康に伴われて伏見城において家康に謝罪した結果、8月17日に家康は上杉家の存続を許したが、会津など90万石を没収して出羽米沢30万石へ減封した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "慶長6年(1601年)8月24日、景勝に代わって関ヶ原の戦いで東軍に与した蒲生秀行が60万石で入部した。この加増は東軍の中ではトップクラスであり、正室が家康の娘ということが作用したといわれる。一説には景勝の謝罪の遅れに加え、その旧領に武田信吉を入れる構想もあり、会津に誰を入れるかで纏まらなかったが、信吉の病気と景勝の入部経緯から秀行に対して会津を与えられることになったという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "秀行は執政に津川城代2万石の岡重政を任命したが、これが原因で以前から続いていた家中内紛が再燃した。特に三春城代の蒲生郷成に至っては、岡と激しく対立して、遂には出奔するほどだった。しかし、その岡も秀行が死ぬと未亡人となった振姫と対立し、その父である徳川家康の意向によって処刑され、郷成らが呼び戻されることになる(ただし、郷成自身は帰国途中で病死)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "慶長16年(1611年)8月21日には会津地震が藩内を襲った。震源地は柳津町滝谷付近でマグニチュードは7と推定、若松城天守の石垣が崩れ、天守は傾き、城下町では2万戸余が倒壊、死者は3700名に上り、山崩れのために23の村が没したという。秀行は家中内紛と地震のためか、この地震の翌年5月14日に30歳で死去した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "跡を継いだのは秀行と振姫の間に生まれた長男の忠郷で、忠郷は寛永元年(1624年)に将軍家光(従兄弟)、大御所秀忠を江戸屋敷に招くなど幕府との関係を強化した。一方、会津領内の産金は蒲生家再封時代に全盛期を迎え、280万両の採掘が行なわれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "しかし忠郷は寛永4年(1627年)に25歳で若くして急死する。忠郷には子がおらず会津蒲生家は改易となったが、母が徳川家康の娘であるため、同母弟で出羽上山藩主の忠知を当主として伊予松山へ24万石で減封されて蒲生家の存続は許された。しかし忠知もこの7年後に子が無いまま30歳で急死している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "寛永4年(1627年)、忠知と入れ替わりで伊予松山から加藤嘉明が倍の加増の40万石で入部した。嘉明は豊臣秀吉の下で賤ヶ岳の七本槍の1人に数えられ、朝鮮出兵では水軍の将として活躍し、関ヶ原の戦いでは本戦で東軍の将として武功を立てた勇将である。この抜擢は縁戚の蒲生家に代わる奥羽の鎮守に信頼に足る人物は誰かと迷っていた大御所秀忠が最初は藤堂高虎を選ぼうとしたが、高虎が辞退して嘉明を推挙したため、秀忠は嘉明を会津に加増して入れたという。ただし所領が倍増されたとはいえ、既に嘉明は65歳の高齢の上、伊予松山で藩政の基礎を固めていたことに加えて、温暖な瀬戸内から寒冷の会津盆地への移封はうれしいことではなかったといわれる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "嘉明は積極的に藩内の整備を行ない、白河街道の整備、蒲生氏郷が名づけた日野町、火玉村を「火」を連想させることから甲賀町、福永村と改名するが、道半ばで寛永8年(1631年)に死去した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "第2代藩主は嫡子の明成が継ぐ。だが寛永13年(1636年)の江戸城手伝い普請における堀の開削費用、蒲生秀行時代の地震で傾いていたままだった自らの居城若松城の天守を5層へ改める工事、出丸工事など多額の出費が相次ぎ、加藤家の財政は逼迫した。このため加藤家は領民にかける年貢を厳しく取り立て、寛永19年(1642年)から翌年にかけて飢饉が藩を襲った際、農民2000人が土地を捨てて他藩に逃げる騒動にまで発展した。また明成は、その激しい気性から嘉明の時代からの家老である堀主水との対立を引き起こし、寛永16年(1639年)4月には堀が一族300余人を引き連れて若松城に向けて発砲し、橋を焼き、芦野原の関所を突破して出奔して激怒した明成が血眼になって主水を追うという御家騒動(会津騒動)にまで発展した。主水は幕府に嘆願してまで高野山に逃げ込んだ。明成は主水の身柄引き渡しを求め、寛永18年(1641年)進退に窮した主水は高野山を下りて3月に江戸に赴き、城の無断改築や関所の勝手な新設など7か条を挙げて、明成を幕府に訴えでた。しかし将軍家光自らの裁断により、主に非があるのは認めたが、それを諌めずあるいは自らの生命をもって諫死せず、主家に叛いて訴え出るのは義に外れており、非は主水にあるとして、主水の身柄は明成に引き渡され、激しい拷問が行なわれて主水は殺害された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "寛永20年(1643年)5月、明成は幕府に会津40万石を返上し、幕府はこれを受けて加藤家から所領を没収して改易としたが、明成の嫡子明友に石見吉永藩1万石を与えて家の存続は許した。この際に加藤家の支藩二本松藩も改易されており、幕府は会津騒動や悪政が原因で改易したとされている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "加藤家改易後の寛永20年(1643年)、出羽山形藩より3万石加増の23万石で保科正之が入部し、以後会津藩は会津松平家(保科家)の支配が定着する。会津松平家は幕末までに内高は40万石を突破して、表高より内高が下回ることすらあった徳川御三家の水戸藩より実収入が多い藩となり、藩の軍事力もこれを上回っていた。また、南山御蔵入領5万石も預かり地として任されたが、実質的には会津藩領同様に扱われており、実質28万石といってよかった(28万石では御三家の水戸藩を超えてしまうことからの配慮のためであるとされる)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "保科正之は第2代将軍徳川秀忠の落胤で、第3代将軍家光の異母弟である。家光の信頼を受けて幕政に重きをなした。家光没後、11歳の嫡子家綱が第4代将軍になると、正之は叔父として後見を務めた。正之は大老として江戸で幕政を統括したため、会津に帰国したのは正保4年(1647年)と晩年の数年間のみであった。この間、正之は幕政において明暦の大火における対策で敏腕を発揮しているが、藩政でも手腕を発揮して正之の時代に会津藩の藩政はほぼ確立された。なお、正之は山形藩主時代に保科家の家宝類を保科家の血を引く保科正貞に譲って、徳川一門として認められており、正之は幕府より葵紋の使用と松平姓を称することを許されていたが、正之は保科家の恩義と家臣に対する心情を思いやって辞退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "正之の没後、藩主の座は子の正経、そしてその弟の正容が継いだ。正容の時代に姓を松平に改めて葵紋の使用も許され、名実共に徳川一門としての会津松平家が誕生した。この時、歴代藩主の通字も保科家の「正」から「容」に改められることになった。家格は親藩・御家門で、家紋は会津葵を用いた。旗印は漢字1文字で「會」である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "第4代藩主の容貞の時代である寛延2年(1749年)に、不作と厳しい年貢増徴を原因として会津藩最大の百姓一揆が勃発する。藩は鎮定する代わりに年貢減免、首謀者の処刑と入牢などを行っている。宝暦年間における会津藩の財政事情は借金が36万4600両であり、毎年4万2200両の返済を迫られていたが財政的に返済は困難であり、藩は農政改革や年貢を定免法に改定するなどして対応するが財政は好転せず、かえって藩の借金を40万両に増やすことになった。明和4年(1767年)には財政再建を任されていた井深主水が俸禄や借金問題から藩を捨てて逃亡するという事件まで起こっており、その後も手形の発行などを繰り返すという自転車操業状態で藩の借金は総額57万両にも及び、会津の藩財政は実質的に破綻しているに近かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "第5代藩主容頌は財政危機に対処するため、家老の田中玄宰を登用した。玄宰は保科正之の名家老と称された田中正玄から数えて6代目にあたる人物である。玄宰は殖産興業政策の導入と農村復興、教育の革新による有為な人材の登用や役人の不正の処罰、教化主義による刑罰制度の改正など大規模な藩政改革を断行して成功させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "田中玄宰の晩年、彼を用いた容頌の死後、跡を継いだ容住が早世し、わずか3歳の容衆が第7代藩主になるという事態になった。玄宰は自らも老齢で容衆を見守ることはできず、また容衆が夭折することで会津松平家が断絶することを恐れ、水戸徳川家の出身で美濃高須藩の養子になった松平義和の三男等三郎を容住の側室の子として貰い受けることで対処した。容衆は玄宰の死から14年後に20歳で嗣子に恵まれずに死去したため、玄宰により生前に万一の事態のために用意されていた等三郎が容敬として第8代藩主を継ぐこととなった。このため保科正之の血統は断絶したが、会津藩は断絶の危機を免れた。なお、容敬も継嗣に恵まれなかったため、甥の容保を婿養子にして跡を継がせている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "第8代容敬は養子藩主であったが、英明な藩主で親政して改革を行ない、幕末における会津藩の基礎を築き上げている。容敬は嘉永5年(1852年)2月に死去し、容保が第9代藩主を継いで 幕末の動乱期を迎えた。安政6年(1859年)、北方警備のため徳川幕府から根室・紋別を譲渡される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "文久2年(1862年)閏8月に容保は京都守護職となり、更に新撰組を麾下に置いて(新撰組は、その後会津戦争まで会津藩の隷下にあった)会津藩士ともども尊攘派志士の取り締まりや京都の治安維持を担った。文久3年、友好関係にあった薩摩藩と連携して、朝廷に強い影響力を持っていた長州藩を八月十八日の政変で追放する。その後に行われた参預会議では、薩摩藩の国父・島津久光が提案する公武合体論に賛同するなどしたが、久光と将軍後見職・徳川慶喜の対立によって会議は瓦解した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "当時、容保は京都守護職を退いていたが、会議崩壊後に復職し、容保の実弟で京都所司代に任命された松平定敬(桑名藩主)、禁裏御守衛総督に任命された徳川慶喜と連携して、政局を動かすほどの立場となった(一会桑政権)。一方で、西南雄藩の国政参加も阻止した為、これまで友好関係にあった薩摩藩とも対立するようになった。元治元年8月、昨年追放された長州藩が挙兵した為、会津藩も出陣して京都で睨み合いとなる(禁門の変)。会津藩は蛤御門で長州藩兵と戦い、敵の突破を阻止した。後に容保は、会津藩を頼りとしている旨が記された「御宸翰」を孝明天皇より賜った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "変後、長州藩の処分を求めて、二度の長州征伐を主導した。完全な武力討伐となった第二次長州征伐では京都の守備を担当する。しかし、出兵した幕府軍は各地で長州軍に撃破され、さらに将軍徳川家茂が大阪城で病没する事態に見舞われる。不利を判断した徳川慶喜によって停戦となったが、征討側の城と領土が逆に占領されるなど事実上の敗戦となった。慶応2年12月(1867年1月)に孝明天皇が崩御、慶応3年10月14日の大政奉還により、江戸幕府が消滅。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "慶応3年12月9日には薩摩藩・尾張藩・越前藩・土佐藩・芸州藩の五藩による政変が起こり、王政復古の大号令が発令されて新政府が誕生した。従来の親幕府派であった公家が排除され、王政復古前に復権した長州藩が新政府に加わるなど、今度は会津藩が追放される形となり、大阪城に退いた。そのやり方は皮肉にも、かつて長州藩を追放する為に起こした八月十八日の政変と同じ物であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "慶応4年、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が勃発すると、桑名藩や旧幕府軍とともに薩長を中心とする新政府軍と戦ったが敗北。この戦の結果、朝廷は会津藩を「朝敵」とした。その後の東北戦線において、会津藩は奥羽越列藩同盟の支援を受け、庄内藩と会庄同盟を結ぶなどして新政府軍に抵抗したが、会津若松城下での戦い(会津戦争)に敗北して降伏した。近年では、列藩同盟総裁中将の役職に松平容保が就いていたとする説もある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "なお、戊辰戦争の直前及び交戦中には庄内藩とともに、当時のプロイセン王国に対して、駐日代理公使マックス・フォン・ブラントを通じて蝦夷地(北海道)に持つ所領の割譲を提案し、その見返りとして兵器・資金援助や軍事介入を得ようとしていたことが分かっている。普仏戦争の直前で余裕がなかったことからオットー・フォン・ビスマルクによって1度は拒否されたが、3週間後に一転して認可された。しかし既に会津藩の降伏から6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "降伏により、会津藩領は会津松平家から没収された。藩主の容保は鳥取藩預かりの禁錮刑となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "明治2年(1869年)9月28日に容保の嫡男慶三郎(容大)は家名存続が許され、華族に列せられるとともに、3万石を陸奥国内に改めて下賜された。明治3年(1870年)5月15日、容大は陸奥国斗南(現在:青森県むつ市)の斗南藩の知藩事とされた。また藩士数名は、アメリカ合衆国カリフォルニア州に移住した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "一方、廃藩置県を前に、会津藩の旧領は明治政府民政局による直轄地とされ、若松城下に明治政府民政局が設置された。明治4年7月14日(1871年新暦8月29日)の廃藩置県では、会津地方は若松県となったものの、明治9年(1876年)8月21日には福島県1876年以前(旧の二本松藩など)と磐前県(旧の磐城平藩と中村藩)と合併され、福島県に入れられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "容保の家系からは初代参議院議長の松平恒雄・雍仁親王妃勢津子父子、福島県知事の松平勇雄や、徳川宗家第18代当主徳川恒孝が出ている。元白虎隊兵士の 山川健次郎は戦後にアメリカへの国費留学生に選抜され、 イェール大学で物理学の学位を取得して帰国している。帰国後に日本人として初の物理学教授になった後に東京帝国大学(東京大学の前身)に登用された。その後に理科大学長・総長、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、私立明治専門学校(九州工業大学の前身)総裁、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校(武蔵中学校・高等学校の前身)校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任するなど重用された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "会津藩は日本初となる老齢年金制度を創設した藩であった。開始されたのは寛文3年(1663年)で保科正之の時代であり、正之は藩内の90歳以上の老人に対して金銭ではなく米で1日5合、年間では約1石8斗、米俵で4俵半(約270キログラム)を支給した。当時の会津藩で90歳以上の高齢者は町人で男子は4人、女子は7人、村方では140人と合計すると155人以上おり決して少ない負担ではない。また正之は支給すべき者が高齢なため、歩行できたりする健常者は自ら支給を受け取りに来るよう命じたが、健常者でない者は子や孫が受け取りに来ることも認めていた。", "title": "福祉" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "保科正之は凶作による飢饉に備えて明暦元年(1655年)に社倉制度を開始した。これは藩で米を7000俵余り買い入れて各代官に預け、翌年から通常よりかなり低率の2割の利子で困った百姓に貸し付け、その利子で年々蓄えるべき米を増やして凶作の備えとしたのである。また実際に飢饉が起こり、病人や工事人足、新田開発者や火災被害者などには無償で提供する例もあった。保科正之は各村に社倉と呼ばれる倉を創設して収納し、備蓄米は最大で5万俵になり、領内の23箇所に社倉が建設された。", "title": "危機管理" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "91万9千石(1590年 - 1598年)", "title": "江戸時代以前の若松城主" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "120万石(1598年 - 1601年)", "title": "江戸時代以前の若松城主" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "外様 - 60万石(1601年 - 1627年)", "title": "歴代藩主" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "外様 - 40万石 (1627年 - 1643年)", "title": "歴代藩主" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "親藩 - 23万石(1643年 - 1868年)", "title": "歴代藩主" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "会津藩では家老を出す家柄を三家(北原、内藤、田中)、六家(簗瀬、西郷、高橋、小原、井深、三宅+梶原)と呼称する。", "title": "家老" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "斗南藩(となみはん)は、明治2年(1869年)11月3日に松平容保の嫡男・容大に家名存続が許されて成立した、七戸藩を挟む形で現青森県の東部にあった藩である。容大が知藩事に正式に任命されたのは明治3年(1870年)5月15日である。", "title": "斗南藩" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "会津藩を没収された会津松平家は、改めて元盛岡藩(南部藩)領に設置された旧三戸県5万2,339石の内、北郡・三戸郡・二戸郡内に3万石を与えられて立藩した(旧三戸県の残部は江刺県に編入)。斗南藩に与えられた村数、石高は、明治4年に青森県から大蔵省へ送られた文書によると以下の通りである。", "title": "斗南藩" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ただし、旧会津藩士4700名余が謹慎を解かれたのは翌年の明治3年(1870年)1月5日のことである。当初は三戸藩と称していたが、明治3年6月4日付の七戸藩宛書簡に「猶々藩名斗南藩と唱ヘ候間、以来ハ右藩名ニ而及御懸合候」とあり、名称を斗南藩と改めた。柴五郎によると「斗南」は漢詩の「北斗以南皆帝州」(北斗星より南はみな帝の治める州)からとったもので、この説が広く受け入れられているが、該当する古典漢詩が存在せず、会津藩士秋月悌次郎が慶応元年(1865年)に蝦夷へ左遷された際に詠んだ「唐太以南皆帝州」との類似が指摘されている。一方、当時斗南藩の大属として藩政の中枢にいた竹村俊秀の『北下日記』には「「斗南」トハ外南部ノ謂ナリ」と記されており、当初「外南部」の略称に過ぎなかったものを大義名分に立って「北斗以南」の意義付けが行われたとも解釈される。また葛西富夫は、「南、すなわち薩長政府と斗(闘)う」という意味が隠されているという口伝を紹介している。同年4月18日、南部に移住する者の第一陣として倉沢平治右衛門 の指揮のもと第一陣300名が八戸に上陸した。松平容大は藩士の冨田重光の懐に抱かれて駕籠に乗り、五戸に向かった。旧五戸代官所が最初の藩庁になり、後に現在の青森県むつ市田名部の円通寺に移った。また北海道後志国の歌棄(うたすつ)・瀬棚・太櫓(ふとろ)及び胆振国山越の計4郡も支配地となった。実際に入植したのは50戸あまり、220余人であった。明治3年閏10月までには旧会津藩士約2万人の内、4,332戸1万7,327人が斗南藩に移住したが、若松県内で帰農した者約2,000人を始めとし、残りは族籍を平民に移した。", "title": "斗南藩" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "斗南藩の表高は3万石、内高は3万5000石であったが、藩領の多くは火山灰地質の厳寒不毛の地であり、実際の税収である収納高(現石)は7380石に過ぎなかった。森林は豊富であったものの、隣藩のように林業を有効活用することが出来なかった。また南部藩時代から元々住んでいた約6万人の領民との軋轢も生じた。とりわけ下北半島に移住した旧会津藩士は苦しい生活を強いられ、その時の体験は柴五郎によって語られている。 その後、斗南藩は明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で斗南県となり、その際斗南県少参事廣澤安任らによる明治政府への建言により、同年9月4日に弘前県・黒石県・七戸県・八戸県・館県との合併を経て青森県に編入され斗南の地名は消滅した。また、二戸郡の一部は岩手県に編入された。青森県発足時点では、会津からの移住人員1万7327人のうち3300人は既に他地域への出稼ぎで離散してしまっており、青森県内には1万4000人余の斗南藩士卒族が残留していた。その後も廃藩置県による旧藩主の上京により、移住してきた者の送籍・離散が相次ぎ、明治7年(1874年)末までには約1万人が会津に帰郷している。当地に留まった者では、明治5年(1872年)に広沢らが日本初の民間洋式牧場を開設したほか、入植先の戸長・町村長・吏員・教員となった者が多く、子孫からは、北村正哉(元青森県知事)をはじめ衆議院議員、郡長・県会議員・市町村長や青森県内の各学校長などが出ている。容大は明治17年(1884年)子爵となり、華族に列した。", "title": "斗南藩" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "文政年間の江戸藩邸は上屋敷は和田倉御門内にあり、中屋敷は源助丁海手に、下屋敷は三田綱坂にあった。また江戸での菩提寺は下谷の臨済宗大徳寺派寺院の円満山広徳寺で加賀藩や常陸国谷田部藩も江戸での菩提寺として使用していた。", "title": "藩邸および江戸での菩提寺" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "上記のほか、京都守護職の役知領が河内国河内郡(8村)、讃良郡(13村)、茨田郡(1村)、交野郡(8村)、若江郡(6村)、和泉国南郡(4村)、日根郡(15村)にあり、河内国内は河内県、和泉国内は堺県に編入された。", "title": "領地" } ]
会津藩は、陸奥(後の岩代)会津郡を中心に現在の福島県西部と新潟県および栃木県の一部を治めた藩。藩は若松城(会津若松市)。最大版図は後の陸奥国北会津郡全域と耶麻郡、河沼郡の大部分、大沼郡の一部及び安積郡の一部、越後国東蒲原郡、下野国塩谷郡の一部(三依村)。後の南会津郡全域と河沼郡の一部及び大沼郡の大部分は南山御蔵入領と呼ばれる天領であったが預地として実質的に統治した。別途越後国内にも領地が点在していた(後述の『領地』を参照)。
[[ファイル:March 2011 The Aizu-Wakamatsu Castle.jpg|thumb|200px|若松城]] {{読み仮名|'''会津藩'''|あいづはん}}は、[[陸奥国|陸奥]](後の[[岩代国|岩代]])[[会津郡]]を中心に現在の[[福島県]]西部と[[新潟県]]および[[栃木県]]の一部を治めた[[藩]]。藩は[[若松城]]([[会津若松市]])。最大版図は後の陸奥国[[北会津郡]]全域と[[耶麻郡]]、[[河沼郡]]の大部分、[[大沼郡]]の一部及び[[安積郡]]の一部、[[越後国]][[東蒲原郡]]、[[下野国]][[塩谷郡]]の一部([[三依村]])。後の[[南会津郡]]全域と河沼郡の一部及び大沼郡の大部分は[[南山御蔵入領]]と呼ばれる[[天領]]であったが[[預地]]として実質的に統治した。別途越後国内にも領地が点在していた([[#領地|後述の『領地』を参照]])。 == 歴史 == === 戦国時代 === [[ファイル:Gamō Ujisato (Saikōji Nishiazu).jpg|thumb|200px|会津の基礎を作った蒲生氏郷]] [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、[[会津]]地方は後の[[会津若松市|会津若松]]である'''黒川'''を本拠とする戦国大名の[[蘆名氏|蘆名家]]の領国であった。蘆名氏は会津守護を自称して勢威をふるったが、後継者争いや家臣団の権力闘争など内紛を繰り返して次第に衰微し、[[天正]]17年([[1589年]])6月5日に[[蘆名義広]]が[[摺上原の戦い]]で[[伊達政宗]]に大敗して{{Sfn|野口|2005|p=10}}、義広は実家の[[常陸国|常陸]][[佐竹氏|佐竹家]]を頼って落ち延び、ここに蘆名家は滅亡して会津は政宗の支配下に入り{{Sfn|野口|2005|p=11}}、政宗は黒川を新たな本拠とした。 天正18年([[1590年]])7月に[[小田原征伐]]で[[後北条氏|北条家]]を滅ぼした[[豊臣秀吉]]は、8月9日に会津黒川に入って[[奥州仕置]]を行なう。政宗は小田原征伐に参陣していたものの、前年の合戦が秀吉の出した[[惣無事令]]違反と見なされて会津地方及び周辺地域は政宗から没収された{{Sfn|野口|2005|p=12}}。秀吉は仕置において検地や[[刀狩]]、寺社政策など諸事を定めて帰洛し{{Sfn|野口|2005|p=12}}、会津には[[蒲生氏郷]]が42万石で入部することとなった{{Sfn|野口|2005|p=14}}。後に検地と加増で氏郷は92万石{{Sfn|野口|2005|p=14}}を領有することになる。 氏郷は[[織田信長]]にその非凡な才能を評価されて信長の次女・[[相応院 (蒲生氏郷正室)|相応院]]を正室に迎えることを許され、信長没後は秀吉に従い[[伊勢国|伊勢]]松坂に12万石の所領を得ていた人物である{{Sfn|野口|2005|p=13}}。秀吉も氏郷の才能を認め、[[東北地方|東北]]の伊達政宗や[[関東地方|関東]]の[[徳川家康]]を抑える枢要の地に大領を与えて入部させたのである{{Sfn|野口|2005|p=14}}。 氏郷は黒川を'''若松'''と改め<ref group="注釈">氏郷が出世の端緒となった伊勢松ヶ島(松坂)以来、「松」は縁起の良い字として採用された。</ref>、故郷の[[近江国|近江]]日野から商人や職人を呼び寄せ{{Sfn|野口|2005|p=15}}、城下町の建設、武家屋敷を分離させた町割、7層の[[天守]]を持つ城を築いて現在の会津若松の基盤を築いた{{Sfn|野口|2005|p=15}}<ref group="注釈">会津[[若松城]]は鶴ヶ城ともいわれるが蒲生家の家紋は舞鶴紋であるため名づけられた。</ref>。 [[文禄]]4年([[1595年]])2月7日に氏郷は死去した{{Sfn|野口|2005|p=16}}。嫡子の[[蒲生秀行 (侍従)|蒲生秀行]](数え13歳)が跡を継ぎ、家康の娘振姫([[正清院]]) を正室に娶わせた{{Sfn|野口|2005|p=17}}。だが蒲生家中で重臣間の内紛が起こるようになり、[[慶長]]3年([[1598年]])1月、秀吉は家中騒動を理由にして秀行を[[宇都宮藩|宇都宮]]12万石へ減封した{{Sfn|野口|2005|p=17}}{{Sfn|坂本|2011|p=13}}{{Sfn|糠澤|2011|p=12}}。ただし秀行の母、すなわち氏郷の正室が美しかったため、氏郷没後に秀吉が側室にしようとしたが姫が尼になって貞節を守ったことを不愉快に思った説{{Sfn|野口|2005|p=17}}{{Sfn|坂本|2011|p=13}}、秀行が家康の娘(三女の振姫([[正清院]]))を娶っていた親家康派のため[[石田三成]]が重臣間の諍いを口実に減封を実行したとする説{{Sfn|坂本|2011|p=13}}もある。 === 上杉家の時代 === [[ファイル:Uesugi Kagekatsu.jpg|thumb|200px|上杉景勝]] 代わって[[越後国|越後]][[春日山城|春日山]]から[[上杉景勝]]が入部した{{Sfn|野口|2005|p=19}}。領地は蒲生旧領と[[出羽国|出羽]]庄内に[[佐渡国|佐渡]]を加えた120万石であった{{Sfn|糠澤|2011|p=13}}。景勝は戦国時代に「軍神」の異名をとった[[上杉謙信]]の養子(実は甥、生母が謙信の姉[[仙桃院]])である{{Sfn|野口|2005|p=19}}。しかし入部から間もない8月18日に秀吉が死去し{{Sfn|野口|2005|p=19}}、次の覇権を狙って徳川家康が台頭する。これに対抗しようと[[豊臣氏|豊臣家]][[五奉行]]の[[石田三成]]は[[上杉氏|上杉家]]の[[家老]]である[[直江兼続]]に接近し、直江は景勝と慶長4年([[1599年]])8月に会津に帰国すると、領内の山道を開き、武具や浪人を集め、28の支城を整備するという軍備増強に出た{{Sfn|野口|2005|p=20}}。景勝・兼続主従は慶長5年([[1600年]])2月から若松城に代わる新たな城として、若松の北西およそ3キロの地点に位置する神指村に[[神指城]]の築城を開始した{{Sfn|野口|2005|p=21}}。しかしこの軍備増強は隣国[[越後国|越後]]の[[堀秀治]]や[[出羽国|出羽]]の[[最上義光]]らにより家康に報告され、また上杉家中でも和平を唱える[[藤田信吉]]が出奔して[[江戸]]に落ち延びたため、家康は景勝に弁明を求める使者を出したが景勝は拒絶し、家康は諸大名を集めて[[会津征伐]]を開始した{{Sfn|野口|2005|p=21}}。 [[ファイル:Naoe Kanetsugu02.jpg|thumb|200px|上杉家家老の直江兼続]] 神指城築城は6月まで続けられたが、家康率いる討伐軍が江戸にまで来たため中止し、[[白河城]]の修築が急がれた{{Sfn|野口|2005|p=22}}。7月、[[下野国|下野]][[小山城 (下野国)|小山]]で石田三成らの挙兵を知った家康は{{Sfn|野口|2005|p=22}}、次男の[[結城秀康]]や娘婿の蒲生秀行らを[[宇都宮城]]に牽制として残し、8月に西上を開始した{{Sfn|野口|2005|p=23}}。直江兼続は家康を追撃しようとしたが、上杉領の北に位置する最上義光や伊達政宗らの攻勢もあって追撃は断念した{{Sfn|野口|2005|p=23}}。9月15日、[[関ヶ原の戦い]]で石田三成の西軍は壊滅したため、家康ら東軍の圧勝に終わった{{Sfn|野口|2005|p=23}}。景勝は11月に家康と和睦するために重臣の[[本庄繁長]]を上洛させて謝罪させ、自らも慶長6年([[1601年]])8月8日に結城秀康に伴われて[[伏見城]]において家康に謝罪した結果、8月17日に家康は上杉家の存続を許したが、会津など90万石を没収して出羽[[米沢藩|米沢]]30万石へ減封した{{Sfn|野口|2005|p=23}}。 [[ファイル:Kouzashi castle site.JPG|thumb|200px|神指城跡周辺]] === 蒲生家の時代 === 慶長6年(1601年)8月24日、景勝に代わって関ヶ原の戦いで東軍に与した蒲生秀行が60万石で入部した{{Sfn|野口|2005|p=24}}。この加増は東軍の中ではトップクラスであり、正室が家康の娘ということが作用したといわれる{{Sfn|野口|2005|p=24}}。一説には景勝の謝罪の遅れに加え、その旧領に[[武田信吉]]を入れる構想もあり、会津に誰を入れるかで纏まらなかったが、信吉の病気と景勝の入部経緯から秀行に対して会津を与えられることになったという{{Sfn|尾下|2021|pp=206-208}}。 秀行は執政に[[津川城]]代2万石の[[岡重政]]を任命したが、これが原因で以前から続いていた家中内紛が再燃した{{Sfn|野口|2005|p=24}}。特に[[三春城]]代の[[蒲生郷成]]に至っては、岡と激しく対立して、遂には出奔するほどだった{{Sfn|野口|2005|p=25}}。しかし、その岡も秀行が死ぬと未亡人となった振姫と対立し、その父である徳川家康の意向によって処刑され、郷成らが呼び戻されることになる(ただし、郷成自身は帰国途中で病死){{Sfn|尾下|2021|pp=256-257}}。 慶長16年([[1611年]])8月21日には[[会津地震]]が藩内を襲った{{Sfn|野口|2005|p=25}}。[[震源]]地は柳津町滝谷付近でマグニチュードは7と推定、若松城天守の石垣が崩れ、天守は傾き、城下町では2万戸余が倒壊、死者は3700名に上り、山崩れのために23の村が没したという。秀行は家中内紛と地震のためか、この地震の翌年5月14日に30歳で死去した{{Sfn|野口|2005|p=26}}。 跡を継いだのは秀行と振姫の間に生まれた長男の[[蒲生忠郷|忠郷]]で、忠郷は[[寛永]]元年([[1624年]])に将軍[[徳川家光|家光]](従兄弟)、[[大御所 (江戸時代)|大御所]][[徳川秀忠|秀忠]]を[[江戸]]屋敷に招くなど幕府との関係を強化した{{Sfn|野口|2005|p=26}}。一方、会津領内の産金は蒲生家再封時代に全盛期を迎え、280万両の採掘が行なわれた{{Sfn|野口|2005|p=27}}。 しかし忠郷は寛永4年([[1627年]])に25歳で若くして急死する{{Sfn|野口|2005|p=27}}。忠郷には子がおらず会津蒲生家は[[改易]]となったが{{Sfn|糠澤|2011|p=14}}、母が徳川家康の娘であるため、同母弟で出羽[[上山藩]]主の[[蒲生忠知|忠知]]を当主として[[伊予松山藩|伊予松山]]へ24万石で減封されて蒲生家の存続は許された{{Sfn|野口|2005|p=27}}。しかし忠知もこの7年後に子が無いまま30歳で急死している{{Sfn|野口|2005|p=27}}。 === 加藤家の時代 === [[ファイル:Katō Yoshiaki.jpg|thumb|right|200px|加藤嘉明]] 寛永4年(1627年)、忠知と入れ替わりで[[伊予松山藩|伊予松山]]から[[加藤嘉明]]が倍の加増の40万石で入部した{{Sfn|野口|2005|p=27}}{{Sfn|糠澤|2011|p=15}}。嘉明は豊臣秀吉の下で[[賤ヶ岳の戦い#賤ヶ岳の七本槍|賤ヶ岳の七本槍]]の1人に数えられ、[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]では水軍の将として活躍し、関ヶ原の戦いでは本戦で東軍の将として武功を立てた勇将である。この抜擢は縁戚の蒲生家に代わる奥羽の鎮守に信頼に足る人物は誰かと迷っていた大御所秀忠が最初は[[藤堂高虎]]を選ぼうとしたが、高虎が辞退して嘉明を推挙したため、秀忠は嘉明を会津に加増して入れたという。ただし所領が倍増されたとはいえ、既に嘉明は65歳の高齢の上、伊予松山で藩政の基礎を固めていたことに加えて、温暖な瀬戸内から寒冷の会津盆地への移封はうれしいことではなかったといわれる{{Sfn|野口|2005|p=28}}。 嘉明は積極的に藩内の整備を行ない、[[白河街道]]の整備、蒲生氏郷が名づけた日野町、火玉村を「火」を連想させることから甲賀町、福永村と改名するが、道半ばで寛永8年([[1631年]])に死去した{{Sfn|野口|2005|p=28}}。 第2代藩主は嫡子の[[加藤明成|明成]]が継ぐ{{Sfn|野口|2005|p=28}}。だが寛永13年([[1636年]])の[[江戸城]]手伝い普請における堀の開削費用、蒲生秀行時代の地震で傾いていたままだった自らの居城若松城の天守を5層へ改める工事、出丸工事など多額の出費が相次ぎ、加藤家の財政は逼迫した{{Sfn|野口|2005|p=29}}。このため加藤家は領民にかける年貢を厳しく取り立て、寛永19年([[1642年]])から翌年にかけて飢饉が藩を襲った際、農民2000人が土地を捨てて他藩に逃げる騒動にまで発展した{{Sfn|野口|2005|p=29}}。また明成は、その激しい気性から嘉明の時代からの[[家老]]である堀主水との対立を引き起こし、寛永16年([[1639年]])4月には堀が一族300余人を引き連れて若松城に向けて発砲し、橋を焼き、芦野原の関所を突破して出奔して激怒した明成が血眼になって主水を追うという御家騒動([[会津騒動]])にまで発展した{{Sfn|野口|2005|p=30}}。主水は幕府に嘆願してまで[[高野山]]に逃げ込んだ。明成は主水の身柄引き渡しを求め{{Sfn|野口|2005|p=30}}、寛永18年([[1641年]])進退に窮した主水は高野山を下りて3月に江戸に赴き、城の無断改築や関所の勝手な新設など7か条を挙げて、明成を幕府に訴えでた{{Sfn|野口|2005|p=31}}。しかし将軍家光自らの裁断により、主に非があるのは認めたが、それを諌めずあるいは自らの生命をもって諫死せず、主家に叛いて訴え出るのは義に外れており、非は主水にあるとして、主水の身柄は明成に引き渡され、激しい拷問が行なわれて主水は殺害された{{Sfn|野口|2005|p=31}}。 寛永20年([[1643年]])5月、明成は幕府に会津40万石を返上し、幕府はこれを受けて加藤家から所領を没収して改易としたが、明成の嫡子[[加藤明友|明友]]に[[石見国|石見]][[吉永藩]]1万石を与えて家の存続は許した{{Sfn|野口|2005|p=31}}{{Sfn|糠澤|2011|p=23}}。この際に加藤家の支藩[[二本松藩]]も改易されており、幕府は会津騒動や悪政が原因で改易したとされている{{Sfn|糠澤|2011|p=23}}。 === 会津松平家の時代 === [[ファイル:Hoshina Masayuki.jpg|thumb|180px|会津松平家初代の保科正之]] ==== 保科正之の時代 ==== 加藤家改易後の寛永20年([[1643年]])、[[出羽国|出羽]][[山形藩]]より3万石加増の23万石で[[保科正之]]が入部し{{Sfn|野口|2005|p=34}}{{Sfn|野口|2005|p=40}}、以後会津藩は[[会津松平家]](保科家)の支配が定着する。会津松平家は幕末までに[[内高]]は40万石を突破して、表高より内高が下回ることすらあった徳川御三家の[[水戸藩]]より実収入が多い藩となり、藩の軍事力もこれを上回っていた。また、南山御蔵入領5万石も預かり地として任されたが、実質的には会津藩領同様に扱われており{{Sfn|野口|2005|p=41}}、実質28万石といってよかった(28万石では御三家の水戸藩を超えてしまうことからの配慮のためであるとされる){{Sfn|野口|2005|p=34}}。 保科正之は第2代将軍徳川秀忠の落胤で、第3代将軍[[徳川家光|家光]]の異母弟である{{Sfn|野口|2005|p=35}}。家光の信頼を受けて幕政に重きをなした。家光没後、11歳の嫡子[[徳川家綱|家綱]]が第4代将軍になると、正之は叔父として後見を務めた{{Sfn|野口|2005|p=43}}。正之は[[大老]]として江戸で幕政を統括したため、会津に帰国したのは[[正保]]4年([[1647年]])と晩年の数年間のみであった{{Sfn|野口|2005|p=43}}。この間、正之は幕政において[[明暦の大火]]における対策で敏腕を発揮しているが{{Sfn|野口|2005|p=47}}、藩政でも手腕を発揮して正之の時代に会津藩の藩政はほぼ確立された。なお、正之は山形藩主時代に保科家の家宝類を保科家の血を引く[[保科正貞]]に譲って、徳川一門として認められており{{Sfn|野口|2005|p=40}}、正之は幕府より葵紋の使用と松平姓を称することを許されていたが、正之は保科家の恩義と家臣に対する心情を思いやって辞退した{{Sfn|野口|2005|p=57}}。 ==== 保科から松平への改姓 ==== 正之の没後、藩主の座は子の[[保科正経|正経]]、そしてその弟の[[松平正容|正容]]が継いだ{{Sfn|野口|2005|p=56}}。正容の時代に姓を松平に改めて葵紋の使用も許され、名実共に徳川一門としての会津松平家が誕生した。この時、歴代藩主の通字も保科家の「正」から「容」に改められることになった{{Sfn|野口|2005|p=56}}。家格は[[親藩]]・[[御家門]]で、家紋は[[会津葵]]を用いた。旗印は漢字1文字で「會」である。 ==== 財政危機 ==== 第4代藩主の[[松平容貞|容貞]]の時代である[[寛延]]2年([[1749年]])に、不作と厳しい年貢増徴を原因として会津藩最大の百姓一揆が勃発する{{Sfn|野口|2005|p=87}}。藩は鎮定する代わりに年貢減免、首謀者の処刑と入牢などを行っている{{Sfn|野口|2005|p=88}}。[[宝暦]]年間における会津藩の財政事情は借金が36万4600両であり、毎年4万2200両の返済を迫られていたが財政的に返済は困難であり{{Sfn|野口|2005|p=88}}、藩は農政改革や年貢を[[定免法]]に改定するなどして対応するが財政は好転せず、かえって藩の借金を40万両に増やすことになった{{Sfn|野口|2005|p=89}}。[[明和]]4年([[1767年]])には財政再建を任されていた井深主水が俸禄や借金問題から藩を捨てて逃亡するという事件まで起こっており{{Sfn|野口|2005|p=91}}、その後も手形の発行などを繰り返すという[[自転車操業]]状態で藩の借金は総額57万両にも及び{{Sfn|野口|2005|p=92}}、会津の藩財政は実質的に破綻しているに近かった。 ==== 田中玄宰の藩政改革 ==== 第5代藩主[[松平容頌|容頌]]は財政危機に対処するため、家老の[[田中玄宰]]を登用した。玄宰は保科正之の名家老と称された[[田中正玄]]から数えて6代目にあたる人物である{{Sfn|野口|2005|p=86}}。玄宰は殖産興業政策の導入と農村復興、教育の革新による有為な人材の登用や役人の不正の処罰、教化主義による刑罰制度の改正など大規模な藩政改革を断行して成功させた。 ==== 会津松平家の血の変遷 ==== 田中玄宰の晩年、彼を用いた容頌の死後、跡を継いだ[[松平容住|容住]]が早世し、わずか3歳の[[松平容衆|容衆]]が第7代藩主になるという事態になった{{Sfn|野口|2005|p=112}}。玄宰は自らも老齢で容衆を見守ることはできず、また容衆が夭折することで会津松平家が断絶することを恐れ、[[水戸徳川家]]の出身で[[美濃国|美濃]][[高須藩]]の養子になった[[松平義和]]の三男等三郎を容住の側室の子として貰い受けることで対処した{{Sfn|野口|2005|p=112}}。容衆は玄宰の死から14年後に20歳で嗣子に恵まれずに死去したため、玄宰により生前に万一の事態のために用意されていた等三郎が[[松平容敬|容敬]]として第8代藩主を継ぐこととなった{{Sfn|野口|2005|p=113}}。このため保科正之の血統は断絶したが、会津藩は断絶の危機を免れた{{Sfn|野口|2005|p=113}}。なお、容敬も継嗣に恵まれなかったため、甥の[[松平容保|容保]]を婿養子にして跡を継がせている{{Sfn|野口|2005|p=157}}。 ==== 戊辰戦争 ==== [[ファイル:Matudaira Katamori.jpg|thumb|180px|松平容保]] [[File:Flag of Aizu early Meiji Bakumatsu.svg|right|thumb|180px|会津藩の軍旗にある會文字]] 第8代容敬は養子藩主であったが、英明な藩主で[[親政]]して改革を行ない{{Sfn|野口|2005|p=153}}、幕末における会津藩の基礎を築き上げている。容敬は[[嘉永]]5年([[1852年]])2月に死去し、容保が第9代藩主を継いで{{Sfn|野口|2005|p=153}}{{Sfn|野口|2005|p=157}} 幕末の動乱期を迎えた。[[安政]]6年([[1859年]])、北方警備のため徳川幕府から[[根室]]・[[紋別]]を譲渡される。 [[文久]]2年([[1862年]])閏8月に容保は[[京都守護職]]となり{{Sfn|野口|2005|p=159}}、更に[[新撰組]]を麾下に置いて(新撰組は、その後会津戦争まで会津藩の隷下にあった)会津藩士ともども尊攘派[[志士]]の取り締まりや京都の治安維持を担った。文久3年、友好関係にあった薩摩藩と連携して、朝廷に強い影響力を持っていた[[長州藩]]を[[八月十八日の政変]]で追放する。その後に行われた参預会議では、薩摩藩の国父・[[島津久光]]が提案する公武合体論に賛同するなどしたが、久光と[[将軍後見職]]・[[徳川慶喜]]の対立によって会議は瓦解した。 当時、容保は京都守護職を退いていたが、会議崩壊後に復職し、容保の実弟で[[京都所司代]]に任命された[[松平定敬]](桑名藩主)、[[禁裏御守衛総督]]に任命された徳川慶喜と連携して、政局を動かすほどの立場となった([[一会桑政権]])。一方で、西南雄藩の国政参加も阻止した為、これまで友好関係にあった薩摩藩とも対立するようになった。[[元治]]元年8月、昨年追放された長州藩が挙兵した為、会津藩も出陣して京都で睨み合いとなる([[禁門の変]])。会津藩は蛤御門で長州藩兵と戦い、敵の突破を阻止した。後に容保は、会津藩を頼りとしている旨が記された「{{ルビ|御[[宸翰]]|ごしんかん}}」を孝明天皇より賜った{{Sfn|野口|2005|p=162}}。 変後、長州藩の処分を求めて、二度の[[長州征伐]]を主導した。完全な武力討伐となった第二次長州征伐では京都の守備を担当する。しかし、出兵した幕府軍は各地で長州軍に撃破され、さらに将軍[[徳川家茂]]が大阪城で病没する事態に見舞われる。不利を判断した徳川慶喜によって停戦となったが、征討側の城と領土が逆に占領されるなど事実上の敗戦となった。慶応2年12月(1867年1月)に[[孝明天皇]]が崩御、慶応3年10月14日の[[大政奉還]]により、江戸幕府が消滅。 慶応3年12月9日には薩摩藩・尾張藩・越前藩・土佐藩・芸州藩の五藩による政変が起こり、[[王政復古 (日本)|王政復古の大号令]]が発令されて新政府が誕生した。従来の親幕府派であった公家が排除され、王政復古前に復権した長州藩が新政府に加わるなど、今度は会津藩が追放される形となり、大阪城に退いた。そのやり方は皮肉にも、かつて長州藩を追放する為に起こした八月十八日の政変と同じ物であった。 慶応4年、[[鳥羽・伏見の戦い]]([[戊辰戦争]])が勃発すると、桑名藩や旧幕府軍とともに薩長を中心とする新政府軍と戦ったが敗北。この戦の結果、[[朝廷 (日本)|朝廷]]は会津藩を「[[朝敵]]」とした。その後の東北戦線において、会津藩は[[奥羽越列藩同盟]]の支援を受け、[[庄内藩]]と会庄同盟を結ぶなどして新政府軍に抵抗したが、会津若松城下での戦い([[会津戦争]])に敗北して降伏した。近年では、列藩同盟総裁中将の役職に松平容保が就いていたとする説もある<ref>会津若松市観光公社『えっ!?会津が首都??』。</ref>。 なお、戊辰戦争の直前及び交戦中には[[庄内藩]]とともに、当時の[[プロイセン王国]]に対して、駐日代理[[公使]][[マックス・フォン・ブラント]]を通じて[[蝦夷地]](北海道)に持つ所領の割譲を提案し、その見返りとして兵器・資金援助や軍事介入を得ようとしていたことが分かっている。普仏戦争の直前で余裕がなかったことから[[オットー・フォン・ビスマルク]]によって1度は拒否されたが、3週間後に一転して認可された。しかし既に会津藩の降伏から6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた<ref>2011年2月7日の朝日新聞朝刊10面</ref><ref>「戊辰戦争中の会津、庄内両藩 蝦夷地所領 プロイセンに提示 資金か軍隊派遣と引き換えに」『[[読売新聞]]』朝刊2017年5月17日文化面</ref>。 降伏により、会津藩領は会津松平家から没収された。藩主の容保は[[鳥取藩]]預かりの禁錮刑となった。 明治2年([[1869年]])9月28日に容保の嫡男[[松平容大|慶三郎(容大)]]は家名存続が許され、[[華族]]に列せられるとともに、3万石を陸奥国内に改めて下賜された<ref name="katamori">{{アジア歴史資料センター|A15071356400|松平容保城地ヲ没シ実子慶三郎ニ高三万石ヲ賜ヒ華族ニ列ス}}</ref>。明治3年([[1870年]])5月15日、容大は陸奥国斗南(現在:[[青森県]][[むつ市]])の[[#斗南藩|斗南藩]]の[[知藩事]]とされた{{Sfn|野口|2005|p=197}}<ref name="katahirohanchiji">{{アジア歴史資料センター|A15070262300|松平容大ヲ以テ斗南藩知事ニ任ス}}</ref>。また藩士数名は、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]]に[[移住]]した。 一方、[[廃藩置県]]を前に、会津藩の旧領は明治政府民政局による直轄地とされ、若松城下に明治政府民政局が設置された。明治4年7月14日(1871年新暦[[8月29日]])の廃藩置県では、会津地方は[[若松県]]となったものの、明治9年([[1876年]])[[8月21日]]には[[福島県]]1876年以前(旧の[[二本松藩]]など)と[[磐前県]](旧の[[磐城平藩]]と[[相馬中村藩|中村藩]])と合併され、福島県に入れられた。 === 廃藩置県後 === 容保の家系からは初代[[参議院議長]]の[[松平恒雄]]・[[雍仁親王妃勢津子]]父子、[[福島県知事一覧|福島県知事]]の[[松平勇雄]]や、徳川宗家第18代当主[[徳川恒孝]]が出ている。元白虎隊兵士の [[山川健次郎]]は戦後に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]への国費留学生に選抜され、 [[イェール大学]]で[[物理学]]の学位を取得して帰国している。帰国後に日本人として初の物理学教授になった後に東京帝国大学(東京大学の前身)に登用された。その後に理科大学長・総長、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、私立明治専門学校(九州工業大学の前身)総裁、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校(武蔵中学校・高等学校の前身)校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任するなど重用された<ref>『「明治150年」を強調』朝日新聞2018年1月23日 </ref>。 == 福祉 == 会津藩は日本初となる老齢[[年金]]制度を創設した藩であった{{Sfn|野口|2005|p=45}}。開始されたのは[[寛文]]3年([[1663年]])で保科正之の時代であり、正之は藩内の90歳以上の老人に対して金銭ではなく米で1日5合、年間では約1石8斗、米俵で4俵半(約270キログラム)を支給した{{Sfn|野口|2005|p=45}}。当時の会津藩で90歳以上の高齢者は町人で男子は4人、女子は7人、村方では140人と合計すると155人以上おり決して少ない負担ではない{{Sfn|野口|2005|p=45}}。また正之は支給すべき者が高齢なため、歩行できたりする健常者は自ら支給を受け取りに来るよう命じたが、健常者でない者は子や孫が受け取りに来ることも認めていた{{Sfn|野口|2005|p=45}}。 == 危機管理 == 保科正之は凶作による飢饉に備えて明暦元年([[1655年]])に社倉制度を開始した{{Sfn|野口|2005|p=44}}。これは藩で米を7000俵余り買い入れて各代官に預け、翌年から通常よりかなり低率の2割の利子で困った百姓に貸し付け、その利子で年々蓄えるべき米を増やして凶作の備えとしたのである{{Sfn|野口|2005|p=44}}。また実際に飢饉が起こり、病人や工事人足、新田開発者や火災被害者などには無償で提供する例もあった{{Sfn|野口|2005|p=44}}。保科正之は各村に社倉と呼ばれる倉を創設して収納し、備蓄米は最大で5万俵になり、領内の23箇所に社倉が建設された{{Sfn|野口|2005|p=44}}。 == 江戸時代以前の若松城主 == === 蒲生家 === 91万9千石(1590年 - 1598年) {| class="wikitable" border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="3" |- style="background:#eee" ! 代 ! 氏名 ! よみ ! 官位・官職 ! 在任期間 ! 備考 |- ! style="background:#eee"|1 |[[蒲生氏郷|氏郷]] |うじさと |[[正四位|正四位下]]<br>[[参議]] |[[天正]]18年 - [[文禄]]4年<br>[[1590年]] - [[1595年]] | |- ! style="background:#eee"|2 |[[蒲生秀行 (侍従)|秀行]] |ひでゆき |[[従三位]]<br>[[飛騨国|飛騨守]]・[[侍従]] |文禄4年 - [[慶長]]3年<br>1595年 - [[1598年]] |先代の次男 |} === 上杉家 === 120万石(1598年 - 1601年) {| class="wikitable" border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="3" |- style="background:#eee" ! 代 ! 氏名 ! よみ ! 官位・官職 ! 在任期間 ! 備考 |- ! style="background:#eee"|1 |[[上杉景勝|景勝]] |かげかつ |[[従三位]]<br>[[参議]] |[[慶長]]3年 - 慶長6年<br>[[1598年]] - [[1601年]] | |} == 歴代藩主 == === 蒲生家 === [[外様大名|外様]] - 60万石(1601年 - 1627年) {| class="wikitable" border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="3" |- style="background:#eee" ! 代 ! 氏名 ! よみ ! 官位・官職 ! 在任期間 ! 前藩主との続柄・備考 |- ! style="background:#eee"|1 |[[蒲生秀行 (侍従)|秀行]] |ひでゆき |[[従三位]]<br>[[参議]] |[[慶長]]6年 - 慶長17年<br>[[1601年]] - [[1612年]] |再封 |- ! style="background:#eee"|2 |[[蒲生忠郷|忠郷]] |たださと |従三位<br>参議 |慶長17年 - [[寛永]]4年<br>1612年 - [[1627年]] |先代の長男 |} === 加藤家 === 外様 - 40万石 (1627年 - 1643年) {| class="wikitable" border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="3" |- style="background:#eee" ! 代 ! 氏名 ! よみ ! 官位・官職 ! 在任期間 ! 前藩主との続柄・備考 |- ! style="background:#eee"|1 |[[加藤嘉明|嘉明]] |よしあき |[[従四位|従四位下]]<br>[[馬寮|左馬頭]] |[[寛永]]4年 - 寛永8年<br>[[1627年]] - [[1631年]] | |- ! style="background:#eee"|2 |[[加藤明成|明成]] |あきなり |従四位下<br>[[式部省|式部少輔]]・[[侍従]] |寛永8年 - 寛永20年<br>1631年 - [[1643年]] |先代の長男 |} === 会津松平(保科)家 === [[親藩]] - 23万石(1643年 - 1868年) {| class="wikitable" border="1" frame="box" rules="all" cellspacing="0" cellpadding="3" |- style="background:#eee" ! 代 ! 氏名 ! よみ ! 官位・官職 ! 在任期間 ! 前藩主との続柄・備考 |- ! style="background:#eee"|1 |[[保科正之|正之]] |まさゆき |[[正四位|正四位下]]<br>[[肥後国|肥後守]] |[[寛永]]20年 - [[寛文]]9年<br>[[1643年]] - [[1669年]] | |- ! style="background:#eee"|2 |[[保科正経|正経]] |まさつね |[[従四位|従四位下]]<br>[[筑前国|筑前守]] |寛文9年 - [[天和 (日本)|天和]]元年<br>1669年 - [[1681年]] |先代の四男 |- ! style="background:#eee"|3 |[[松平正容|正容]] |まさかた |正四位下<br>肥後守 |天和元年 - [[享保]]16年<br>1681年 - [[1731年]] |先代の弟<br>初代正之の六男<br>'''松平'''に改姓 |- ! style="background:#eee"|4 |[[松平容貞|容貞]] |かたさだ |従四位下<br>肥後守 |享保16年 - [[寛延]]3年<br>1731年 - [[1750年]] |先代の三男 |- ! style="background:#eee"|5 |[[松平容頌|容頌]] |かたのぶ |正四位下<br>肥後守 |寛延3年 - [[文化 (元号)|文化]]2年([[享保]]元年)<br>1750年 - [[1805年]] |先代の長男 |- ! style="background:#eee"|6 |[[松平容住|容住]] |かたおき |従四位下<br>肥後守 |文化2年<br>1805年 |[[松平容詮]]の長男 |- ! style="background:#eee"|7 |[[松平容衆|容衆]] |かたひろ |従四位下<br>肥後守 |文化3年 - [[文政]]5年<br>[[1806年]] - [[1822年]] |先代の次男 |- ! style="background:#eee"|8 |[[松平容敬|容敬]] |かたたか |正四位下<br>肥後守 |文政5年 - [[嘉永]]5年<br>1822年 - [[1852年]] |[[美濃国|美濃]][[高須藩|高須藩主]][[松平義和]]の三男 |- ! style="background:#eee"|9 |[[松平容保|容保]] |かたもり |[[正三位]]<br>[[参議]] |嘉永5年 - [[慶応]]4年<br>1852年 - [[1868年]] |先代の甥<br>美濃高須藩主[[松平義建]]の六男 |- ! style="background:#eee"|10 |[[松平喜徳|喜徳]] |のぶのり |従四位下<br>若狭守 |慶応4年<br>1868年 |水戸藩主・徳川斉昭の十五男、徳川慶喜の実弟 |} == 家老 == === 会津松平家時代 === 会津藩では家老を出す家柄を三家(北原、内藤、田中)、六家(簗瀬、西郷、高橋、小原、井深、三宅+梶原)と呼称する。 === 三家 === *北原家(北原妥女家 2800石) - 北原光次は保科正光、正之に仕えた。一説に正光の庶子といわれる。 *[[内藤氏|内藤家]](内藤介右衛門家 2200石) - [[内藤昌月]]<ref group="注釈">保科正俊の子で、系譜上は正之の大叔父にあたる。</ref>の孫の自卓は、保科正之に仕えた。子孫は武川姓を名乗り、後に本家は内藤姓を名乗る。当主の[[仮名 (通称)|仮名]]は源助、介右衛門。 *田中家(田中三郎兵衛家 会津藩内2000石) *:[[田中正玄]]…[[田中玄宰|玄宰]]…玄良-[[田中玄清|玄清]] === 六家 === *簗瀬家(梁瀬三左衛門家 2200石) - 梁瀬正真(柳瀬正真)は元[[最上家]]家臣で、最上家改易後に正之に仕えた。 *[[西郷氏#三河西郷氏|西郷家]](西郷頼母家 1700石・藩主一門) - 称:保科姓 *:保科正勝([[保科正俊]]の次男) *:-正近-正長=[[西郷近房]]([[西郷元次]]の次男・正近の外孫) *:近方-近張-近致=近義-近寧-[[西郷近光|近光]]-[[西郷近思|近思]]-[[西郷頼母|保科近悳(西郷頼母)]]=[[西郷四郎]](会津藩士・志田貞二郎の三男) *高橋家(高橋外記家 1300石) - 元[[鳥居忠政]]の家臣で、鳥居家改易後に正之に仕える。 *小原家(小原五郎右衛門家 1200石) - 小原俊胤は保科正俊の娘を娶り保科家に仕えた。俊胤の曾孫の光俊は正之に仕える。 *井深家(井深茂右衛門家 1000石) - 井深重吉は保科家譜代の家臣で、[[甲州征伐]]の際に[[武田勝頼]]の人質となっていた保科正光を救出した。孫の重光は正之に仕える。 *三宅家(三宅孫兵衛家 1400石) - 三宅重直は元鳥居忠政の家臣で、鳥居家改易後に正之に仕える。 *梶原家(梶原平馬家 1000石) - 甲斐武田家の浪人だった梶原景信は貧しく親を養えず、弟にキリシタンだと嘘の訴えをさせ報奨金を得ようとした。この評判を聞いた正之に召抱えられる。 *[[神保氏|神保家]](重臣) - 徳川家に仕えた[[神保氏張]]の子・長利は、上杉家、最上家、鳥居家に仕えた後に正之に仕えた。幕末の神保利孝(神保内蔵助)は子孫。 *:[[神保内蔵助]] - [[神保修理|修理]] *[[横山氏|横山家]] - 横山光定は九・六騒動により本多家を浪人し、その子常定は会津藩に仕えた。常定の娘[[栄光院 (松平正容継室)|栄光院]] が、3代藩主正容の寵愛を受けたため横山家も取り立てられた。 *:横山常元=[[横山常守#養父・常徳|常徳]](横山常明の二男・常元の甥)=[[横山常守|常守]](常徳の養子・常道の遺子) *[[諏訪氏|諏訪家]](誠訪大四郎家 1700石) - [[諏訪頼忠]]の孫重光は高遠城主の保科正光に仕えた。父は頼定。 == 斗南藩 == '''斗南藩'''(となみはん)は、[[明治]]2年([[1869年]])11月3日に松平容保の嫡男・容大に家名存続が許されて成立した、[[盛岡藩#七戸藩(盛岡新田藩)|七戸藩]]を挟む形で現青森県の東部にあった藩である。容大が知藩事に正式に任命されたのは明治3年([[1870年]])5月15日である<ref name="katahirohanchiji" />。 会津藩を没収された[[会津松平家]]は、改めて元[[盛岡藩]](南部藩)領に設置された旧[[三戸県]]5万2,339石の内、[[北郡]]・三戸郡・二戸郡内に3万石を与えられて立藩した(旧三戸県の残部は[[江刺県]]に編入)<ref>[http://opac.ndl.go.jp/recordid/00001094242/jpn/ 野口信一著『会津えりすぐりの歴史』平成22年6月歴史春秋社]</ref>。斗南藩に与えられた村数、石高は、明治4年に青森県から大蔵省へ送られた文書によると以下の通りである。 {|class="wikitable sortable" style="text-align:right;font-size:small" |+斗南藩の石高<ref>『青森県史 第8巻』 161頁</ref> !郡名 !村数 !石高(石.斗升合) |- |align=left|二戸郡||12||3,969.416 |- |align=left|三戸郡||50||22,048.680 |- |align=left|北郡||46||8,729.369 |-style="background:lightgrey;" |align=left|総計||108||34,747.465 |- |} ただし、旧会津藩士4700名余が謹慎を解かれたのは翌年の明治3年([[1870年]])1月5日のことである。当初は三戸藩と称していたが、明治3年6月4日付の七戸藩宛書簡に「猶々藩名斗南藩と唱ヘ候間、以来ハ右藩名ニ而及御懸合候」とあり、名称を斗南藩と改めた。[[柴五郎]]によると「斗南」は漢詩の「北斗以南皆帝州」(北斗星より南はみな帝の治める州)からとったもので、この説が広く受け入れられているが、該当する古典漢詩が存在せず、会津藩士[[秋月悌次郎]]が慶応元年(1865年)に蝦夷へ左遷された際に詠んだ「唐太以南皆帝州」との類似が指摘されている。一方、当時斗南藩の大属として藩政の中枢にいた竹村俊秀の『北下日記』には「「斗南」トハ外南部ノ謂ナリ」と記されており、当初「外南部」の略称に過ぎなかったものを大義名分に立って「北斗以南」の意義付けが行われたとも解釈される<ref>『野辺地町史 通説編第二巻』 48頁</ref>。また葛西富夫は、「南、すなわち[[明治政府|薩長政府]]と斗(闘)う」という意味が隠されているという口伝を紹介している<ref>[http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001212250/jpn/ 葛西富夫著『斗南藩史』昭和46年8月斗南会津会]</ref>。同年4月18日、南部に移住する者の第一陣として倉沢平治右衛門<ref>[http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001209430/jpn/ 『五戸町誌下巻』五戸町誌刊行委員会]</ref> の指揮のもと第一陣300名が八戸に上陸した。松平容大は藩士の冨田重光の懐に抱かれて駕籠に乗り、[[五戸]]に向かった。旧五戸代官所が最初の藩庁になり、後に現在の[[青森県]][[むつ市]]田名部の[[円通寺 (むつ市)|円通寺]]に移った。また[[北海道 (令制)|北海道]][[後志国]]の[[歌棄郡|歌棄]](うたすつ)・[[瀬棚郡|瀬棚]]・[[太櫓郡|太櫓]](ふとろ)及び[[胆振国]][[山越郡|山越]]の計4[[郡#日本の郡|郡]]も支配地となった。実際に入植したのは50戸あまり、220余人であった。明治3年閏10月までには旧会津藩士約2万人の内、4,332戸1万7,327人が斗南藩に移住したが、若松県内で帰農した者約2,000人を始めとし、残りは族籍を平民に移した。 斗南藩の表高は3万石、内高は3万5000石であったが、藩領の多くは[[火山灰]]地質の厳寒不毛の地であり、実際の税収である収納高(現石)は7380石に過ぎなかった<ref>『秩禄処分顛末略』 229頁</ref>。森林は豊富であったものの、隣藩のように林業を有効活用することが出来なかった。また南部藩時代から元々住んでいた約6万人の領民との軋轢も生じた。とりわけ下北半島に移住した旧会津藩士は苦しい生活を強いられ、その時の体験は[[柴五郎]]によって語られている。 <!--旧会津藩士は着替える服もなく、みすぼらしい格好で[[シラミ]]がわき、草の根や木の皮までも食していたことから、下北地方では「会津のゲダガ(毛虫)」と侮蔑されていた。下北半島では、斗南藩士の子[[柴五郎]]が凄絶な言葉で叱咤されたことを記憶している。「ここは戦場なるぞ。戦場なれば犬肉なりとて食らうものぞ。やれやれ会津の乞食藩士ども下北に餓死して絶えたるよと。薩長の下郎武士どもに笑わるるぞ!生き抜け!生きて残れ!会津の国辱雪ぐまでは生きてあれよ!ここはまだ戦場なるぞ!」と。こうして犬肉を手にしたが、食料に事欠いていた他の斗南藩士に分けてくれと泣きつかれ、肉の半分を持ち帰らせた。犬の肉は塩茹でにして食したものの、四、五日もすると臭いが鼻につき、喉を通らなくなるが、他に食べるものはない。我慢して20日ほど食い続けたら、兄嫁は頭髪が抜け落ち、薄禿げになったという。 斗南藩士の妻娘はさらに悲惨であった。病臥の家族を養うため、売春婦や妾として糊口をしのいだが、仲間から糾弾され「生活の糧に肉体は売っても、魂までは売りませぬ」と慟哭したという。--> その後、斗南藩は明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で斗南県となり、その際斗南県少参事[[広沢安任|廣澤安任]]らによる明治政府への建言により、同年9月4日に[[弘前藩|弘前県]]・[[弘前藩#黒石藩|黒石県]]・[[盛岡藩#七戸藩(盛岡新田藩)|七戸県]]・[[盛岡藩#八戸藩|八戸県]]・[[松前藩#館藩|館県]]との合併を経て青森県に編入され斗南の地名は消滅した。また、二戸郡の一部は[[岩手県]]に編入された。青森県発足時点では、会津からの移住人員1万7327人のうち3300人は既に他地域への出稼ぎで離散してしまっており、青森県内には1万4000人余の斗南藩士卒族が残留していた<ref>『会津若松史』 240頁</ref>。その後も廃藩置県による旧藩主の上京により、移住してきた者の送籍・離散が相次ぎ、明治7年(1874年)末までには約1万人が会津に帰郷している。当地に留まった者では、明治5年(1872年)に広沢らが日本初の民間洋式牧場を開設したほか、入植先の戸長・町村長・吏員・教員となった者が多く、子孫からは、[[北村正哉]](元青森県知事)をはじめ衆議院議員、郡長・県会議員・市町村長や青森県内の各学校長などが出ている。明治17年(1884年)の華族爵制の開始に伴い、容大は[[子爵]]に叙された。 *藩主:[[松平容大]](まつだいら かたはる)〔従五位 知藩事〕 == 藩邸および江戸での菩提寺 == [[ファイル:KITLV - 89891 - Beato, Felice - Houses Shimabara family at Edo in Japan - presumably 1863-1865.tif|サムネイル|三田[[綱坂]]にあった江戸の下屋敷(写真左側)]] [[文政]]年間の[[江戸藩邸]]は上屋敷は和田倉御門内にあり、中屋敷は源助丁海手に、下屋敷は三田綱坂にあった。また江戸での菩提寺は下谷の[[臨済宗大徳寺派]]寺院の円満山[[広徳寺 (練馬区)|広徳寺]]<ref group="注釈">現在は練馬区へ移転している。</ref>で[[加賀藩]]や[[常陸国]][[谷田部藩]]も江戸での菩提寺として使用していた。 == 領地 == === 会津藩(幕末) === * [[陸奥国]]([[岩代国]]) ** [[河沼郡]] - 181村(ほか[[天領|幕府領]]67村を預かる) ** [[会津郡]] - 309村(ほか幕府領157村を預かる) ** [[大沼郡]] - 57村(ほか幕府領104村を預かる) ** [[耶麻郡]] - 242村(ほか幕府領68村を預かる) ** [[安積郡]]のうち - 11村 * [[下野国]] ** [[塩谷郡]]のうち - 6村([[真岡知県事]]に編入) * [[越後国]] ** [[魚沼郡]]のうち157村(ほか幕府領79村を預かる。[[柏崎県]]に編入) ** [[三島郡 (新潟県)|三島郡]]のうち4村(柏崎県に編入) ** [[蒲原郡]]のうち221村(一部を[[越後府|新潟県]]、[[村上県]]、[[黒川県]]、[[三日市県]]、[[新発田県]]、[[村松県]]に分割編入) ** [[岩船郡]]のうち59村(村上県に編入) * [[蝦夷地|東蝦夷地]]([[根室国]]。いずれも[[開拓使]]直轄領に編入) ** ネモロ場所([[目梨郡]]) ** ネモロ場所([[標津郡]]) * [[蝦夷地|西蝦夷地]]([[北見国]]。いずれも開拓使直轄領に編入) ** モンベツ場所([[紋別郡]]) ** モンベツ場所([[常呂郡]]) ** シャリ場所([[斜里郡]]) 上記のほか、京都守護職の役知領が[[河内国]][[河内郡 (大阪府)|河内郡]](8村)、[[讃良郡]](13村)、[[茨田郡]](1村)、[[交野郡]](8村)、[[若江郡]](6村)、[[和泉国]][[南郡]](4村)、[[日根郡]](15村)にあり、河内国内は[[河内県 (日本)|河内県]]、和泉国内は[[堺県]]に編入された。 === 斗南藩(廃藩時) === * [[陸奥国]] ** [[二戸郡]] - 16村 ** [[三戸郡]] - 67村 ** [[北郡]] - 48村 * [[後志国]] ** [[太櫓郡]] ** [[瀬棚郡]] ** [[歌棄郡]] * [[胆振国]] ** [[山越郡]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{reflist|3}} == 参考文献 == * [[阿部猛]]・[[西村圭子]]編『戦国人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9。 * {{Cite book|和書|author=村山和夫|authorlink=村山和夫|title=高田藩|series=シリーズ藩物語|publisher=現代書館|date=2008-03|isbn=978-4-7684-7112-8}} * {{Cite book|和書|author=野口信一|authorlink=野口信一|title=会津藩|series=シリーズ藩物語|publisher=現代書館|date=2005-06|isbn=4-7684-7102-1|ref={{SfnRef|野口|2005}}}} * {{Cite book|和書|author=糠澤章雄|authorlink=糠澤章雄|title=二本松藩|series=シリーズ藩物語|publisher=現代書館|date=2010-04|isbn=978-4-7684-7120-3|ref={{SfnRef|糠澤|2011}}}} * {{Cite book|和書|author=坂本俊夫|authorlink=坂本俊夫|title=宇都宮藩・高徳藩|series=シリーズ藩物語|publisher=[[現代書館]]|date=2011-09|isbn=978-4-7684-7128-9|ref={{SfnRef|坂本|2011}}}} * [[児玉幸多]]・[[北島正元]]監修『藩史総覧』[[新人物往来社]]、[[1977年]] *『別冊歴史読本㉔ 江戸三百藩 藩主総覧 歴代藩主でたどる藩政史』 新人物往来社、1977年 * {{Citation|和書|last=尾下|first=成敏|chapter=蒲生氏と徳川政権|editor=谷徹也|series=シリーズ・織豊大名の研究 第九巻|title=蒲生氏郷|publisher=戒光祥出版|year=2021|isbn=978-4-86403-369-5}}/初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年。 == 関連項目 == {{Commonscat|Aizu Domain}} * [[白虎隊]] * [[玄武隊]] * [[朱雀隊]] * [[青龍隊]] * [[幼少隊]] * [[日新館]] * [[什 (会津藩)]] * [[会津藩の北方警備]] * [[溝口派一刀流]]・[[大東流合気柔術]] - 会津藩ゆかりの武術 * [[若松コロニー]] - [[アメリカ合衆国]]最初の日本人のコロニーだったといわれる場所 * [[松平保男#稚松会]] - 稚松会は会津藩ゆかりの高等武官の団体 * [[会津武家屋敷]] == 外部リンク == * {{kotobank|会津藩}} * {{kotobank|斗南藩}} * {{国立公文書館デジタルアーカイブ|M1000000000000000464|天保国絵図陸奥国会津|type=L}} * [http://codh.rois.ac.jp/bukan/book/200018823/019/ 会津(松平肥後守容頌) | 大名家情報 - 武鑑全集] * [https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0535/aizuwakamatsu/history/grave.html 横須賀に会津藩士のお墓があるのはなぜ?] - [[横須賀市]] {{s-start}} {{s-bef|before=([[陸奥国]])|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷|years=[[1590年]] - [[1869年]]|years2=会津藩}} {{s-aft|after=[[若松県]]|表記=次}} {{s-bef|before=[[盛岡藩]]の一部|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷|years=1869年 - [[1871年]]|years2=斗南藩→斗南県}} {{s-aft|after=[[青森県]]|表記=次}} {{end}} {{江戸時代の藩}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=斗南藩 |1-1=明治時代に成立した藩 |1-2=会津藩 |1-3=陸奥国の藩 (1869-) |1-4=会津松平家 |1-5=むつ市の歴史 }} {{デフォルトソート:あいつはん}} [[Category:会津藩|*]] [[Category:藩]] [[Category:陸奥国の藩|あいつ]] [[Category:蒲生飛騨守家|藩]] [[Category:加藤左馬助家|藩]] [[Category:保科肥後守家|藩]] [[Category:会津松平家|藩]] [[Category:福島県の歴史]] 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多神教
多神教(たしんきょう、英: polytheism)は、神や超越者(信仰、儀礼、畏怖等の対象)が多数存在する宗教。対義語に一柱の神のみを信仰する一神教がある。 その名のとおり多神教では多くの神々が崇拝され、それゆえに同じ宗教の中での信仰形態も多様である。また、特定の一神(主神)が最も高位にあると考え、主神を崇拝の中心とするものを、多神教的一神教と呼ぶことがある。例えば岩田慶治は、これを「カミと神」という言葉で区別する。かつてはエドワード・バーネット・タイラーのように、多神教は一神教への発展中途にある信仰だという主張が公然となされてきたが、現在ではそのような進化論的な議論がされることは少ない。 多神教のうち現存するものとして、民族的要素の強い日本の神道やアイヌの信仰、中国の道教、インドのヒンドゥー教などがある。現存しないものとしては、古代エジプトやメソポタミア、古代ギリシャの神々、中南米のメソアメリカ文明やアンデス文明で信仰されていた神々などがある。仏教も多神教だという見解もあるが、汎神論または無神論的な宗教であるとする見解もあり、議論が分かれるところである。 環境を ecology と認識するのは、19世紀半ばのドイツのヘッケルの主張にさかのぼる。アンナ・ブラムウエルはヘッケル以来のエコロジーの歴史を詳述している。それによれば、エコロジーに多神教の一翼をなすアニミズム的要素を認めている。エコロジーはドイツで生まれた一つの考え方である。ゲルマン民族がキリスト教化される前の自然との付き合い方への郷愁と言った側面もある。ドイツでは、18世紀になって英国の影響を受けた啓蒙主義からカント、ヘーゲルのドイツ観念論が展開して、ドイツの近代化の思想的根拠となった。しかし、近代化は現在で言うとグローバル化のようなもので、民族的深層意識を満足させないので、ヘーゲル以降ゲルマン的回帰と結びつくような思想運動が生じた。自然と親しむワンダーフォーゲル運動とも精神的な親近性がある。このようなことは、実は世界各地で見られることである。つまり、一神教が多神教の進化形態で優れているといった主張よりも、現代思想にも一神教的な考え方と多神教的な考え方のそれぞれが適合する面が生きており、新約聖書が「人はパンのみにて生きるにあらず」と喝破したように、人類のもつ一見合理性がないと思われるかもしれないが実は必要な活動にも支持をあたえつづけている。
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多神教は、神や超越者(信仰、儀礼、畏怖等の対象)が多数存在する宗教。対義語に一柱の神のみを信仰する一神教がある。
{{複数の問題 | 出典の明記 = 2011-1 | 独自研究 = 2011-1 }} '''多神教'''(たしんきょう、{{lang-en-short|polytheism}})は、[[神]]や[[超越者]]([[信仰]]、[[儀礼]]、[[畏怖]]等の対象)が多数存在する[[宗教]]。対義語に一柱の[[神]]のみを[[信仰]]する[[一神教]]がある。 == 概要 == その名のとおり多神教では多くの神々が[[崇拝]]され、それゆえに同じ宗教の中での信仰形態も多様である。また、特定の一神(主神)が最も高位にあると考え、主神を崇拝の中心とするものを、[[単一神教|多神教的一神教]]と呼ぶことがある。例えば岩田慶治は、これを「カミと神」という言葉で区別する。かつては[[エドワード・バーネット・タイラー]]のように、多神教は[[一神教]]への発展中途にある信仰だという主張が公然となされてきたが、現在ではそのような進化論的な議論がされることは少ない。 多神教のうち現存するものとして、民族的要素の強い日本の[[神道]]や[[アイヌ]]の信仰、中国の[[道教]]、インドの[[ヒンドゥー教]]などがある。現存しないものとしては、[[古代エジプト]]や[[メソポタミア文明|メソポタミア]]、[[古代ギリシャ]]の神々<ref>古代ギリシャの信仰は久しく途絶えていたが近年復興運動がある</ref>、中南米の[[メソアメリカ文明]]や[[アンデス文明]]で信仰されていた神々などがある。[[仏教]]も多神教だという見解もあるが、[[汎神論]]または[[無神論]]的な[[宗教]]であるとする見解もあり、議論が分かれるところである。 == 多神教の宗教・神話 == * [[日本神話]]・[[神道]] * [[琉球神道]] * [[道教]] * [[仏教]] * [[中国神話]] * [[ヒンドゥー教]] * [[インド神話]] * [[ギリシア神話]] * [[ローマ神話]] * [[北欧神話]] * [[ケルト神話]] * [[エジプト神話]] * [[ハワイ神話]] == 現代思想との関連性 == [[環境]]を ecology と認識するのは、19世紀半ばの[[ドイツ]]の[[ヘッケル]]の主張にさかのぼる。アンナ・ブラムウエル<ref>アンナ・ブラムウエル『エコロジー 起源とその展開』[[河出書房]]出版、[[1992年]]。</ref>はヘッケル以来の[[エコロジー]]の歴史を詳述している。それによれば、エコロジーに多神教の一翼をなす[[アニミズム]]的要素を認めている。エコロジーはドイツで生まれた一つの考え方である。ゲルマン民族がキリスト教化される前の自然との付き合い方への郷愁と言った側面もある。[[ドイツ]]では、[[18世紀]]になって英国の影響を受けた啓蒙主義から[[カント]]、[[ヘーゲル]]のドイツ観念論が展開して、ドイツの近代化の思想的根拠となった。しかし、近代化は現在で言うとグローバル化のようなもので、民族的深層意識を満足させないので、ヘーゲル以降ゲルマン的回帰と結びつくような思想運動が生じた。自然と親しむ[[ワンダーフォーゲル]]運動とも精神的な親近性がある。このようなことは、実は世界各地で見られることである。つまり、一神教が多神教の進化形態で優れているといった主張よりも、現代思想にも一神教的な考え方と多神教的な考え方のそれぞれが適合する面が生きており、[[新約聖書]]が「人はパンのみにて生きるにあらず」と喝破したように、人類のもつ一見合理性がないと思われるかもしれないが実は必要な活動にも支持をあたえつづけている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[汎神論]] * [[偶像崇拝]] - アブラハムの宗教からみた多神教 * [[アニミズム]] * [[ウイッカ]] * [[アニマティズム]] * [[二元論]] * [[付喪神]]、[[八百万の神]]、[[自然霊]]、[[動物霊]]、[[妖怪]] * [[ジン (アラブ)]] * [[一神教]] - 対語 * [[多神教優位論]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{宗教}} {{Reli-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たしんきよう}} [[Category:各種の宗教]] [[Category:多神教|*]]
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クルド人
クルド人(クルドじん、クルド語: Kurd, 英語: Kurds)は、中東クルディスタンに住むイラン系山岳民族。 同じイラン系民族だがイラン・イスラム共和国の主要民族たるペルシア人とは区別される。 トルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する。人口は3,500万~4,800万人といわれている。中東ではアラブ人・トルコ人・ペルシャ人(イラン人)の次に多い。宗教はその大半がイスラム教に属する。一方、宗派については、イスラム教のスンニ派(トルコのクルド人のあいだではスンナ派シャーフィー法学派が多数)、アレヴィー派の順に多く、ヤズィーディー(Yazidi)やアフレ・ハック(英語版)(ペルシア語:Ahl-e Haqq、あるいはヤルサン クルド語:Yârsân とも)なども存在し、他にも少数だがキリスト教(en:Kurdish Christians)、ユダヤ教(en:History of the Jews in Kurdistan)、ゾロアスター教に属しているクルド人もいる。クルド人のキリスト教徒の起源は元々アルメニア人かアッシリア人だとされており、クルド人の大半は中世にイスラム教を採用したが、イスラム教が広まった後も、クルド人の中にはキリスト教に改宗し、キリスト教に改宗したクルド人の多くは東方教会に属したとされている。近年でも一部のイスラム教徒のクルド人がキリスト教に改宗した者もいる。ゾロアスター教は2016年にゾロアスター教公式の火の寺院がイラク北部のクルド人自治地域のスレイマニヤに建てられ、多くのクルド人がゾロアスター教に戻ってきた。クルド人のユダヤ教徒の大半がイスラエルに住んでいるが、イラク北部のクルド人自治地域にも400から730のクルド人ユダヤ教徒の家族がいるとされている。クルド人は異なる宗教と信条を支持しており、伝統的にクルド人は世俗主義で慣行に自由を持っているとされている。言語的にはインド・ヨーロッパ語族イラン語派のクルド語に属する。主な生業は牧畜で、この地のほかの民族と同じく遊牧民として生活する者が多かったが、近年トルコ等を中心に都市へ流入し、都市生活を送る割合も相当数存在する。アイユーブ朝の始祖サラーフッディーン(サラディン)はクルド人の出自と見られている。 クルド人女性(en:Kurdish women)は、20世紀と21世紀にクルド人社会で進歩的な重要な役割を果たし、女性の自由や解放、権利と平等に力を入れ改善を勝ち取った。また北部及び東部シリア自治行政区(ロジャヴァ)のクルド人民防衛隊には女性の防衛部隊があり、ISILとの戦いで戦果を挙げている。 クルド人の居住地は中世から近世にかけて広大な版図を保ったオスマン帝国の領内にあった。 第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、本来ならば旧オスマン領にクルド自治区がセーヴル条約に基づき建設される予定であったが、これを認めないアンカラ政府が成立。連合国は新たにローザンヌ条約の締結を求められクルド自治区構想は取り消された。その後サイクス・ピコ協定に基づきフランスとイギリスとロシアによって引かれた恣意的な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断された。 1922年から1924年まではクルディスタン王国(英語版)が存在した。 1946年、現在のイラン北西部に、クルディスタン共和国(英: Republic of Kurdistan、1月22日 - 12月15日)が、ソヴィエト連邦の後押しによって一時的に樹立された。 20世紀後半になると文化的な圧力の元で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱えるトルコやイラクでは分離独立を求め、長年居地元政府との間で武力闘争を展開するといった様々な軋轢を抱えている。近年では、各国の枠組みの中でより広範な自治権獲得を目指したり、当事者間による共存のための対話を模索する動きもある。一方でこれらの地域を離れ、欧米などへの移民となるケースも増加している。 クルド人口が最も多いのはトルコで、ザザ人を含めると、約1,144万5千~1,500万人が居住する。ヒツジの飼育と農業を生業とする半遊牧生活を送る。定住生活を営むようになってからの歴史は浅い。伝統的な居住地は、トルコ南東部および東部であったが、オスマン帝国後期に、コンヤ、アンカラ、クルシェヒール、アクサライなどの内陸アナトリア地方に移住させられた部族もあり、これらは、今日、中部アナトリア・クルド人 (トルコ語:Orta Anadolu Kürtleri、クルド語: Kurdên Anatoliya Navîn)と呼ばれている。また、共和国期には、経済的、社会的な理由による自発的な移住のほか、反乱の結果としての強制移住も行われ、クルディスタン労働者党による武装闘争の開始後、特に1990年代、治安悪化を理由に、イスタンブール、イズミル、アンカラ、アダナ、メルスィンなどのトルコ国内の大都市や国外に移住するもの数は増加した。今日、トルコで最大のクルド人口を抱える都市はイスタンブールであり、2007年の時点で約190万のクルド系住民が居住している。 オスマン帝国の主たる後継国家であるトルコでは、共和人民党政権が単一民族主義をとったため、最近までクルド語をはじめとする少数民族の放送・教育が許可されてこなかったが、これがクルド人としての統一したアイデンティティを覚醒させることとなり、クルド人独立を掲げるクルド労働者党(クルディスタン労働者党)(PKK。トルコ及び日本政府はテロ組織と見なしている)はゲリラ攻撃を行なったので、1995年にトルコ軍が労働者党施設などを攻撃、イラク領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。イラクもこれに賛同して、自国のクルド人自治区に侵攻したが、武装解除問題を抱えていたことから、米軍の攻撃を受けることとなる。 しかし、欧州連合 (EU) 加盟を念願するトルコに対して、EU側がクルド人の人権問題を批判して難色を示したことより、トルコが軟化してトルコ国内のクルド人の扱いはやや好転しつつある。ただし、トルコ軍への徴兵を拒否しているクルド人の良心的兵役拒否を認めず、軍刑務所へ収監されるなどしており、欧州連合や欧州評議会、欧州人権裁判所から非難されている。 2006年5月24日、イスタンブールのアタテュルク国際空港貨物用施設で大規模な火災が発生した。原因は漏電と伝えられている。翌日、クルド人の独立派武装組織「クルド解放のタカ」が犯行声明を出した。この組織はクルド労働者党との関係があると指摘されている。 2007年の国会総選挙では、定数550に対し、クルド人候補は過去最高の20~30議席前後を獲得した。 2009年12月11日、憲法裁判所は、クルド人中心の民主社会党(DTP)の活動禁止を決定した。そして、党首を含む二人のDTP 議員を国会から追放するなどの措置をとった。この決定直後に、欧州連合(EU)は公党の禁止措置は有権者の権利を奪うものだと主張、当局の民主的な対応を求めた。14日、同国のエルドアン首相は、「問題があるのであれば、個人を罰するべきで、党そのものを禁止してはいけない」と憲法裁判所の決定を批判した。 17日、トルコ政府は、上記の憲法裁判所の決定にもかかわらず、国内のクルド人の権利拡大政策を継続することを明らかにした。 2015年6月の総選挙では、エルドアン大統領系与党政党が過半数をとれず258議席にとどまった。一方、クルド系の国民民主主義党(HDP)が世俗派のトルコ市民、リベラル派、左派からも支持を得て全体の10%以上の79議席を獲得した。 イラクはトルコに次いでクルド人が多く居住しており、北部をクルディスタン地域としている。サッダーム・フセイン大統領により、少数民族クルド人は長らく迫害を受けてきた。クルド文化を否定するためクルド人は外部からの移住者と教育、クルドの遺跡発掘、調査を禁じた。 特に、イラン・イラク戦争では、敵国に荷担したという疑いから、クルド人に対して化学兵器で攻撃したとして、国際的な非難を浴びた(ハラブジャ事件)。一方で、ベルゼンジ部族といったクルド独立闘争を行っていたムッラー・ムスタファ・バルザーニー(英語版)が属するバルザーニ部族と対立していた部族は政権に協力した。 2003年からのイラク戦争によってフセイン政権が崩壊すると、クルド人は米軍駐留を歓迎した。その後、更なる独立権限を持った自治政府設立を占領当局に呼びかけているが、当局は自国内にクルド人を抱えるトルコに遠慮して実現の見通しは立っていない。2005年、イラク移行政府では、クルド愛国同盟を率いたジャラール・タラバーニを大統領に選出し、副大統領には、シーア派などから選出したことで、国内の民族バランスが図られた。とはいえ、クルドは政権内で少数派であることには変わりない。クルド人初のイラク大統領として、クルドの運命をどの様に導くのか未知数である。また2017年9月25日には国際社会が反対する中、独立住民投票が自治政府により実施されている。イラクのクルド人地区については、クルディスタン地域も参照のこと。 イラク国内でのクルド人は家族が宗教に反する行為を行った場合に激しく虐待行為を行い殺害まで至っているとして、国際連合(国連)が懸念の声を上げている。2007年4月7日にはイラク北部地域でムスリムの男性と駆け落ちするためにヤズディ教からイスラム教に改宗したとして、17歳の少女が家族らによってリンチを受け虐殺されている映像がインターネット上に公開され、問題となった(名誉の殺人#批判を参照)。 北部に少数が在住。2011年から続くシリア内戦の長期化によってアサド政権の影響力が低下し、ロジャヴァ(西クルディスタン地域)を中心に活動するクルド人民防衛隊(YPG)を含めた各武装勢力の活動が活発化している。2013年よりロジャヴァは事実上のクルド人独立地域になっているが、YPGがアサド政権打倒を目指す反体制派に与せず中立的な立場を維持する戦略を採ったため、シリア政府もアルカイーダ系反政府勢力やIS(イスラム国)との戦闘を優先し、事実上黙認している状態である。2014年以降はシリア北東部でIS(イスラム国)が急速に支配地域を拡大したことにより、コバニ(アイン・アル=アラブ)では反乱勢力(自由シリア軍)と、カーミシュリーやハサカなどではシリア軍(アサド政権)との共闘が見られている。 2015年以降はアメリカや英仏独を後ろ盾とするシリア民主軍に参加するも、シリア内戦最大の激戦となったアレッポの戦い (2012-)では欧米が支援する反体制派ではなくアサド政権側に協力するなど、欧米とアサド政権(及びその後ろ盾であるロシア)双方との関係維持を目指す独自の動きを見せていたが、2017年後半から2018年前半にかけてイスラム国の崩壊やアサド政権によるダマスカス近郊及び南部地域の反体制派制圧などが相次ぎ、主要な戦闘地域がイドリブを中心としたシリア北部に移るとクルド人を巡る状況にも大きな変化が訪れた。 クルド人勢力の影響力拡大を嫌うトルコがシリアに対する本格的な越境攻撃を繰り返す一方、クルド人の後ろ盾であった欧米はトルコの軍事行動を黙認。2018年末にはトランプ大統領がアメリカのシリアからの撤退を示唆するに至り、YPGはアサド政権に軍事支援を要請。国土の南西部で反体制派制圧を成功させ戦力に余力が出来ていたアサド政権もYPGの要請に応え援軍の派遣を決定した事でクルド人勢力とアサド政権が急速に接近しつつあり、それに伴いロシアを仲介してYPGが制圧した反体制派支配地域のアサド政権への移譲とその見返りにPYDによるロジャヴァの自治承認を求める交渉が進められている。 2019年8月にはシリア北部に安全地帯を設けることを目指すとアメリカとトルコが合意。しかし10月6日、アメリカ政府はYPGを標的にしたトルコによる越境軍事作戦について関与しないと声明。YPGを支援するためシリアに駐留していたアメリカ軍は撤退を開始した。10月9日、トルコ軍は国境を超えシリアに侵攻し、クルド人に対する軍事攻撃を開始した。 難民として多くのクルド人を受け入れた。知識人層が多かったためスウェーデン社会への順応力が高かった。約10万人おり人口の1%ほど。クルド語の教育も受けられクルド系の議員も生まれている。アンデション政権発足の際にはイラン出身のクルド系で元ゲリラのアミネ・カカバベがキャスティングボートを担った。 クルド人のY-DNAは、Jが40%、R1bが16.8%、Iが16.8、R1aが11.6%、E1b1bが7.4%、Gが4.2%である。
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Anatoliya Navîn)と呼ばれている。また、共和国期には、経済的、社会的な理由による自発的な移住のほか、反乱の結果としての強制移住も行われ、クルディスタン労働者党による武装闘争の開始後、特に1990年代、治安悪化を理由に、イスタンブール、イズミル、アンカラ、アダナ、メルスィンなどのトルコ国内の大都市や国外に移住するもの数は増加した。今日、トルコで最大のクルド人口を抱える都市はイスタンブールであり、2007年の時点で約190万のクルド系住民が居住している。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "オスマン帝国の主たる後継国家であるトルコでは、共和人民党政権が単一民族主義をとったため、最近までクルド語をはじめとする少数民族の放送・教育が許可されてこなかったが、これがクルド人としての統一したアイデンティティを覚醒させることとなり、クルド人独立を掲げるクルド労働者党(クルディスタン労働者党)(PKK。トルコ及び日本政府はテロ組織と見なしている)はゲリラ攻撃を行なったので、1995年にトルコ軍が労働者党施設などを攻撃、イラク領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。イラクもこれに賛同して、自国のクルド人自治区に侵攻したが、武装解除問題を抱えていたことから、米軍の攻撃を受けることとなる。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "しかし、欧州連合 (EU) 加盟を念願するトルコに対して、EU側がクルド人の人権問題を批判して難色を示したことより、トルコが軟化してトルコ国内のクルド人の扱いはやや好転しつつある。ただし、トルコ軍への徴兵を拒否しているクルド人の良心的兵役拒否を認めず、軍刑務所へ収監されるなどしており、欧州連合や欧州評議会、欧州人権裁判所から非難されている。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": 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"paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "特に、イラン・イラク戦争では、敵国に荷担したという疑いから、クルド人に対して化学兵器で攻撃したとして、国際的な非難を浴びた(ハラブジャ事件)。一方で、ベルゼンジ部族といったクルド独立闘争を行っていたムッラー・ムスタファ・バルザーニー(英語版)が属するバルザーニ部族と対立していた部族は政権に協力した。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "2003年からのイラク戦争によってフセイン政権が崩壊すると、クルド人は米軍駐留を歓迎した。その後、更なる独立権限を持った自治政府設立を占領当局に呼びかけているが、当局は自国内にクルド人を抱えるトルコに遠慮して実現の見通しは立っていない。2005年、イラク移行政府では、クルド愛国同盟を率いたジャラール・タラバーニを大統領に選出し、副大統領には、シーア派などから選出したことで、国内の民族バランスが図られた。とはいえ、クルドは政権内で少数派であることには変わりない。クルド人初のイラク大統領として、クルドの運命をどの様に導くのか未知数である。また2017年9月25日には国際社会が反対する中、独立住民投票が自治政府により実施されている。イラクのクルド人地区については、クルディスタン地域も参照のこと。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "イラク国内でのクルド人は家族が宗教に反する行為を行った場合に激しく虐待行為を行い殺害まで至っているとして、国際連合(国連)が懸念の声を上げている。2007年4月7日にはイラク北部地域でムスリムの男性と駆け落ちするためにヤズディ教からイスラム教に改宗したとして、17歳の少女が家族らによってリンチを受け虐殺されている映像がインターネット上に公開され、問題となった(名誉の殺人#批判を参照)。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "北部に少数が在住。2011年から続くシリア内戦の長期化によってアサド政権の影響力が低下し、ロジャヴァ(西クルディスタン地域)を中心に活動するクルド人民防衛隊(YPG)を含めた各武装勢力の活動が活発化している。2013年よりロジャヴァは事実上のクルド人独立地域になっているが、YPGがアサド政権打倒を目指す反体制派に与せず中立的な立場を維持する戦略を採ったため、シリア政府もアルカイーダ系反政府勢力やIS(イスラム国)との戦闘を優先し、事実上黙認している状態である。2014年以降はシリア北東部でIS(イスラム国)が急速に支配地域を拡大したことにより、コバニ(アイン・アル=アラブ)では反乱勢力(自由シリア軍)と、カーミシュリーやハサカなどではシリア軍(アサド政権)との共闘が見られている。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2015年以降はアメリカや英仏独を後ろ盾とするシリア民主軍に参加するも、シリア内戦最大の激戦となったアレッポの戦い (2012-)では欧米が支援する反体制派ではなくアサド政権側に協力するなど、欧米とアサド政権(及びその後ろ盾であるロシア)双方との関係維持を目指す独自の動きを見せていたが、2017年後半から2018年前半にかけてイスラム国の崩壊やアサド政権によるダマスカス近郊及び南部地域の反体制派制圧などが相次ぎ、主要な戦闘地域がイドリブを中心としたシリア北部に移るとクルド人を巡る状況にも大きな変化が訪れた。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "クルド人勢力の影響力拡大を嫌うトルコがシリアに対する本格的な越境攻撃を繰り返す一方、クルド人の後ろ盾であった欧米はトルコの軍事行動を黙認。2018年末にはトランプ大統領がアメリカのシリアからの撤退を示唆するに至り、YPGはアサド政権に軍事支援を要請。国土の南西部で反体制派制圧を成功させ戦力に余力が出来ていたアサド政権もYPGの要請に応え援軍の派遣を決定した事でクルド人勢力とアサド政権が急速に接近しつつあり、それに伴いロシアを仲介してYPGが制圧した反体制派支配地域のアサド政権への移譲とその見返りにPYDによるロジャヴァの自治承認を求める交渉が進められている。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2019年8月にはシリア北部に安全地帯を設けることを目指すとアメリカとトルコが合意。しかし10月6日、アメリカ政府はYPGを標的にしたトルコによる越境軍事作戦について関与しないと声明。YPGを支援するためシリアに駐留していたアメリカ軍は撤退を開始した。10月9日、トルコ軍は国境を超えシリアに侵攻し、クルド人に対する軍事攻撃を開始した。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "難民として多くのクルド人を受け入れた。知識人層が多かったためスウェーデン社会への順応力が高かった。約10万人おり人口の1%ほど。クルド語の教育も受けられクルド系の議員も生まれている。アンデション政権発足の際にはイラン出身のクルド系で元ゲリラのアミネ・カカバベがキャスティングボートを担った。", "title": "各国での居住状況" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "クルド人のY-DNAは、Jが40%、R1bが16.8%、Iが16.8、R1aが11.6%、E1b1bが7.4%、Gが4.2%である。", "title": "遺伝子" } ]
クルド人は、中東クルディスタンに住むイラン系山岳民族。 同じイラン系民族だがイラン・イスラム共和国の主要民族たるペルシア人とは区別される。
{{Infobox 民族 |民族=クルド人 |民族語名称 = Kurd |画像=<div style="background:black;"> [[Image:Diyarbekir shepherd, Mardin Kurd, Aljazeera Kurd, 1873.jpg|62px]]|註= |人口=約4600万人 |居住地={{flagcountry|Turkey}} 約2480万人 <ref>http://www.milliyet.com.tr/2007/03/22/guncel/agun.html</ref><br /> {{flagcountry|Iran}} 約480~660万人<br/> {{flagcountry|Iraq}} 約400~600万人<br/> {{flagcountry|Syria}} 約90~280万人<br/> {{flagcountry|Germany}} 約50~80万人<br/> {{flagcountry|Afghanistan}} 約20万人<br/> {{flagcountry|Azerbaijan}} 約15万人<br/> {{Flag|France}} 約12万人<br/> {{flagcountry|Sweden}} 約10万人<br/> {{flagcountry|Israel}} 約10万人<br/> {{flagcountry|Lebanon}} 約8万人<br/> {{flagcountry|Netherlands}} 約7万人<br/> {{flagcountry|Japan}} 約2千人(埼玉県) |言語=[[クルド語]]、等 |宗教=[[イスラム教]][[スンナ派]]、[[アレヴィー派]]、[[ヤズィーディー]]、[[キリスト教]]、[[ユダヤ教]]、[[ゾロアスター教]] |関連= |flag=File:Flag of Kurdistan.svg|flag_caption=クルド人の旗}} '''クルド人'''(クルドじん、[[クルド語]]: Kurd, [[英語]]: Kurds)は、[[中東]][[クルディスタン]]に住む[[イラン系民族|イラン系]]山岳民族。 同じイラン系民族だがイラン・イスラム共和国の主要民族たる[[ペルシア人]]とは区別される。 == 概要 == {{出典の明記|date=2020年4月|section=1}} [[File:A group of Kurdish men with traditional clothing at Hawraman, Kurdistan.jpg|thumb]] [[ファイル:Kurdish Jew by Albert Kahn.jpg|サムネイル|ユダヤ系クルド人の女性。1910年代]] [[トルコ]]・[[イラク]]北部・[[イラン]]北西部・[[シリア]]北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する。人口は3,500万~4,800万人といわれている。[[中東]]では[[アラブ人]]・[[トルコ人]]・[[ペルシャ人]](イラン人)の次に多い。[[宗教]]はその大半が[[イスラム教]]に属する。一方、宗派については、イスラム教の[[スンナ派|スンニ派]](トルコのクルド人のあいだではスンナ派[[シャーフィイー学派|シャーフィー法学派]]が多数)、[[アレヴィー派]]の順に多く、[[ヤズディ教|ヤズィーディー]](Yazidi)や{{仮リンク|アフレ・ハック|en|Ahl-e Haqq}}([[ペルシア語]]:{{lang|fa|Ahl-e Haqq}}、あるいはヤルサン [[クルド語]]:{{lang|ku|Yârsân}} とも)なども存在し、他にも少数だが[[キリスト教]]([[:en:Kurdish Christians]])、[[ユダヤ教]]([[:en:History of the Jews in Kurdistan]])、[[ゾロアスター教]]に属しているクルド人もいる。クルド人のキリスト教徒の起源は元々[[アルメニア人]]か[[アッシリア人]]だとされており、クルド人の大半は中世にイスラム教を採用したが、イスラム教が広まった後も、クルド人の中にはキリスト教に改宗し、キリスト教に改宗したクルド人の多くは[[アッシリア東方教会|東方教会]]に属したとされている。近年でも一部のイスラム教徒のクルド人がキリスト教に改宗した者もいる。ゾロアスター教は2016年にゾロアスター教公式の火の寺院がイラク北部のクルド人自治地域の[[スレイマニヤ]]に建てられ、多くのクルド人がゾロアスター教に戻ってきた。クルド人の[[ユダヤ教]]徒の大半が[[イスラエル]]に住んでいるが、イラク北部のクルド人自治地域にも400から730のクルド人ユダヤ教徒の家族がいるとされている。クルド人は異なる宗教と信条を支持しており、伝統的にクルド人は[[世俗主義]]で慣行に自由を持っているとされている。[[言語]]的には[[インド・ヨーロッパ語族]][[インド・イラン語派|イラン語派]]の[[クルド語]]に属する。主な生業は[[牧畜]]で、この地のほかの民族と同じく[[遊牧民]]として生活する者が多かったが、近年トルコ等を中心に都市へ流入し、都市生活を送る割合も相当数存在する。[[アイユーブ朝]]の始祖[[サラーフッディーン]](サラディン)はクルド人の出自と見られている。 クルド人女性([[:en:Kurdish women]])は、20世紀と21世紀にクルド人社会で進歩的な重要な役割を果たし、女性の自由や解放、権利と平等に力を入れ改善を勝ち取った。また北部及び東部シリア自治行政区([[ロジャヴァ]])の[[クルド人民防衛隊]]には[[クルド女性防衛部隊|女性の防衛部隊]]があり、[[ISIL]]との戦いで戦果を挙げている。 == 歴史 == {{出典の明記|date=2020年4月|section=1}} {{main|{{仮リンク|クルド人の歴史|en|History of the Kurdish people}}}} クルド人の居住地は[[中世]]から[[近世]]にかけて広大な版図を保った[[オスマン帝国]]の領内にあった。 [[第一次世界大戦]]でオスマン帝国が敗れ、本来ならば旧オスマン領にクルド自治区が[[セーヴル条約]]に基づき建設される予定であったが、これを認めない[[アンカラ政府]]が成立。連合国は新たに[[ローザンヌ条約]]の締結を求められクルド自治区構想は取り消された。その後[[サイクス・ピコ協定]]に基づき[[フランス]]と[[イギリス]]と[[ロシア帝国|ロシア]]によって引かれた恣意的な国境線により、[[トルコ]]・[[イラク]]・[[イラン]]・[[シリア]]・[[アルメニア]]などに分断された。 [[1922年]]から[[1924年]]までは{{仮リンク|クルディスタン王国|en|Kingdom of Kurdistan}}が存在した。 [[1946年]]、現在のイラン北西部に、[[マハバード共和国|クルディスタン共和国]]({{lang-en-short|Republic of Kurdistan}}、[[1月22日]] - [[12月15日]])が、[[ソヴィエト連邦]]の後押しによって一時的に樹立された。 [[20世紀]]後半になると文化的な圧力の元で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱える[[トルコ]]や[[イラク]]では分離独立を求め、長年居地元政府との間で武力闘争を展開するといった様々な軋轢を抱えている。近年では、各国の枠組みの中でより広範な自治権獲得を目指したり、当事者間による共存のための対話を模索する動きもある。一方でこれらの地域を離れ、欧米などへの移民となるケースも増加している。 ==各国での居住状況== ===トルコ=== {{main|北クルディスタン|{{仮リンク|トルコのクルド人|en|Kurds in Turkey}}}} クルド人口が最も多いのはトルコで、[[ザザ人]]を含めると、約1,144万5千~1,500万人が居住する。[[ヒツジ]]の飼育と[[農業]]を生業とする半[[遊牧]]生活を送る。定住生活を営むようになってからの歴史は浅い。伝統的な居住地は、トルコ南東部および東部であったが、オスマン帝国後期に、コンヤ、アンカラ、クルシェヒール、アクサライなどの内陸アナトリア地方に移住させられた部族もあり、これらは、今日、中部アナトリア・クルド人 (トルコ語:Orta Anadolu Kürtleri、クルド語: Kurdên Anatoliya Navîn)と呼ばれている。また、共和国期には、経済的、社会的な理由による自発的な移住のほか、反乱の結果としての強制移住も行われ、クルディスタン労働者党による武装闘争の開始後、特に1990年代、治安悪化を理由に、[[イスタンブール]]、イズミル、アンカラ、アダナ、メルスィンなどのトルコ国内の大都市や国外に移住するもの数は増加した<ref>Christopher Houston, "Creating a Diaspora within a Country: Kurds in Turkey", in ''Encyclopedia of Diasporas'', Part II, ISBN 978-0-306-48321-9, pp. 403-404. </ref>。今日、トルコで最大のクルド人口を抱える都市はイスタンブールであり、2007年の時点で約190万のクルド系住民が居住している<ref>Bekir Ağırdır, [http://www.radikal.com.tr/Radikal.aspx?aType=RadikalDetayV3&CategoryID=104&ArticleID=913650 Kürtlerin nüfusu 11 milyonda İstanbul"da 2 milyon Kürt yaşıyor],''Radical'', 21 Aralık 2008.</ref>。 [[オスマン帝国]]の主たる後継国家であるトルコでは、[[共和人民党]]政権が単一民族主義をとったため、最近までクルド語をはじめとする少数民族の放送・教育が許可されてこなかったが、{{要出典範囲|これがクルド人としての統一した[[アイデンティティ]]を覚醒させることとなり|date=2012年1月}}、クルド人独立を掲げる[[クルディスタン労働者党|クルド労働者党(クルディスタン労働者党)]](PKK。トルコ及び日本政府は[[テロリズム|テロ組織]]と見なしている)はゲリラ攻撃を行なったので、[[1995年]]に[[トルコ軍]]が労働者党施設などを攻撃、[[イラク]]領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。イラクもこれに賛同して、自国の[[クルド人自治区]]に侵攻したが、[[イラク武装解除問題|武装解除問題]]を抱えていたことから、[[アメリカ合衆国軍|米軍]]の攻撃を受けることとなる。 しかし、[[欧州連合]] (EU) 加盟を念願するトルコに対して、EU側がクルド人の[[人権問題]]を批判して難色を示したことより、トルコが軟化してトルコ国内のクルド人の扱いはやや好転しつつある。{{要出典範囲|ただし、[[トルコ軍]]への[[徴兵]]を拒否しているクルド人の[[良心的兵役拒否]]を認めず、[[軍刑務所]]へ収監されるなどしており、[[欧州連合]]や[[欧州評議会]]、[[欧州人権裁判所]]から非難されている|date=2020年8月}}。 [[2006年]]5月24日、イスタンブールの[[アタテュルク国際空港]]貨物用施設で大規模な火災が発生した。原因は漏電と伝えられている。翌日、クルド人の独立派武装組織「クルド解放のタカ」が犯行声明を出した。この組織はクルド労働者党との関係があると指摘されている。 [[2007年]]の国会総選挙では、定数550に対し、クルド人候補は過去最高の20~30議席前後を獲得した。 [[2009年]][[12月11日]]、憲法裁判所は、クルド人中心の民主社会党(DTP)の活動禁止を決定した。そして、党首を含む二人のDTP 議員を国会から追放するなどの措置をとった。この決定直後に、[[欧州連合]](EU)は公党の禁止措置は有権者の権利を奪うものだと主張、当局の民主的な対応を求めた。14日、同国の[[エルドアン]]首相は、「問題があるのであれば、個人を罰するべきで、党そのものを禁止してはいけない」と憲法裁判所の決定を批判した<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091212-00000047-mai-int 2009年12月12日、毎日新聞]</ref>。 17日、トルコ政府は、上記の憲法裁判所の決定にもかかわらず、国内のクルド人の権利拡大政策を継続することを明らかにした<ref>しんぶん赤旗 2009年12月19日(土曜日)</ref>。 [[2015年]]6月の総選挙では、エルドアン大統領系与党政党が過半数をとれず258議席にとどまった<ref>http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87857230Z00C15A6000000/</ref><ref>http://www.asahi.com/articles/ASH681PPKH68UHBI001.html</ref>。一方、クルド系の国民民主主義党(HDP)が世俗派のトルコ市民、リベラル派、左派からも支持を得て全体の10%以上の79議席を獲得した<ref>http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87727800V00C15A6000000/</ref>。 ===イラク=== [[ファイル:Zakho Kurds by Albert Kahn.jpg|サムネイル|200px|イラク、[[ザーホー]]のクルド人。1910年代]] {{main|クルディスタン地域|{{仮リンク|イラクのクルド人|en|Kurds in Iraq}}|{{仮リンク|第一次クルド・イラク戦争|en|First Kurdish–Iraqi War}}|{{仮リンク|第二次クルド・イラク戦争|en|Second Kurdish–Iraqi War}}}} [[イラク]]はトルコに次いでクルド人が多く居住しており、北部を[[クルディスタン地域]]としている。[[サッダーム・フセイン]]大統領により、少数民族クルド人は長らく迫害を受けてきた。クルド文化を否定するためクルド人は外部からの移住者と教育、クルドの遺跡発掘、調査を禁じた。 特に、[[イラン・イラク戦争]]では、敵国に荷担したという疑いから、クルド人に対して[[化学兵器]]で攻撃したとして、国際的な非難を浴びた([[ハラブジャ事件]])。一方で、ベルゼンジ部族といったクルド独立闘争を行っていた[[ムッラー]]・{{仮リンク|ムスタファ・バルザーニー|en|Mustafa Barzani}}が属するバルザーニ部族と対立していた部族は政権に協力した<ref>{{Cite web |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/240508 |title=「サダムが処刑され、復讐がかなった」フセインに弾圧されたクルド人が今恐れるのはトルコ軍 |access-date=2023年4月2日 |publisher=東京新聞}}</ref>。 [[2003年]]からの[[イラク戦争]]によってフセイン政権が崩壊すると、クルド人は米軍駐留を歓迎した。その後、更なる独立権限を持った自治政府設立を[[連合国暫定当局|占領当局]]に呼びかけているが、当局は自国内にクルド人を抱えるトルコに遠慮して実現の見通しは立っていない。[[2005年]]、[[イラク移行政府]]では、[[クルディスタン愛国同盟|クルド愛国同盟]]を率いた[[ジャラル・タラバニ|ジャラール・タラバーニ]]を大統領に選出し、副大統領には、シーア派などから選出したことで、国内の民族バランスが図られた。とはいえ、クルドは政権内で少数派であることには変わりない。クルド人初のイラク大統領として、クルドの運命をどの様に導くのか未知数である。また2017年9月25日には国際社会が反対する中、[[2017年クルディスタン地域独立住民投票|独立住民投票]]が自治政府により実施されている。イラクのクルド人地区については、[[クルディスタン地域]]も参照のこと。 イラク国内でのクルド人は家族が宗教に反する行為を行った場合に激しく[[虐待]]行為を行い殺害まで至っているとして、[[国際連合]](国連)が懸念の声を上げている。[[2007年]][[4月7日]]にはイラク北部地域で[[ムスリム]]の男性と駆け落ちするために[[ヤズィーディー|ヤズディ教]]からイスラム教に改宗したとして、17歳の少女が家族らによって[[私刑|リンチ]]を受け虐殺されている映像がインターネット上に公開され、問題となった([[名誉の殺人#批判]]を参照)。 ===シリア=== [[File:シリア相関図2019年10月.png|thumb|2019年10月時点での国内相関図]] {{main|ロジャヴァ|{{仮リンク|シリアのクルド人|en|Kurds in Syria}}}} 北部に少数が在住。[[2011年]]から続く[[シリア内戦]]の長期化によって[[バッシャール・アル=アサド|アサド]]政権の影響力が低下し、[[ロジャヴァ]](西クルディスタン地域)を中心に活動する[[クルド人民防衛隊]](YPG)を含めた各武装勢力の活動が活発化している。2013年よりロジャヴァは事実上のクルド人独立地域になっているが、YPGがアサド政権打倒を目指す[[反体制派 (シリア 2011-)|反体制派]]に与せず中立的な立場を維持する戦略を採ったため、シリア政府も[[アルカイーダ]]系反政府勢力や[[ISIL|IS]](イスラム国)との戦闘を優先し、事実上黙認している状態である。[[2014年]]以降はシリア北東部でIS(イスラム国)が急速に支配地域を拡大したことにより、[[コバニ]]([[アイン・アル=アラブ]])では反乱勢力([[自由シリア軍]])と、[[カーミシュリー]]や[[ハサカ]]などでは[[シリア軍]]([[バッシャール・アル=アサド|アサド]]政権)との共闘が見られている<ref>[http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20130220_074701.html シリアのPKK系PYD、反政府派と共同戦線]</ref>。 [[2015年]]以降はアメリカや英仏独を後ろ盾とする[[シリア民主軍]]に参加するも、シリア内戦最大の激戦となった[[アレッポの戦い (2012-)]]では欧米が支援する反体制派ではなくアサド政権側に協力するなど、欧米とアサド政権(及びその後ろ盾であるロシア)双方との関係維持を目指す独自の動きを見せていたが、2017年後半から2018年前半にかけてイスラム国の崩壊やアサド政権によるダマスカス近郊及び南部地域の反体制派制圧などが相次ぎ、主要な戦闘地域がイドリブを中心としたシリア北部に移るとクルド人を巡る状況にも大きな変化が訪れた。 クルド人勢力の影響力拡大を嫌うトルコがシリアに対する本格的な越境攻撃を繰り返す一方、クルド人の後ろ盾であった欧米はトルコの軍事行動を黙認。2018年末にはトランプ大統領がアメリカのシリアからの撤退を示唆するに至り、YPGはアサド政権に軍事支援を要請。国土の南西部で反体制派制圧を成功させ戦力に余力が出来ていたアサド政権もYPGの要請に応え援軍の派遣を決定した事でクルド人勢力とアサド政権が急速に接近しつつあり、それに伴いロシアを仲介してYPGが制圧した反体制派支配地域のアサド政権への移譲とその見返りにPYDによるロジャヴァの自治承認を求める交渉が進められている。 2019年8月にはシリア北部に安全地帯を設けることを目指すとアメリカとトルコが合意。しかし10月6日、アメリカ政府はYPGを標的にしたトルコによる越境軍事作戦について関与しないと声明。YPGを支援するためシリアに駐留していたアメリカ軍は撤退を開始した<ref>{{Cite news|title=米軍、シリア北部の撤退開始 クルド人を切り捨てる形に|url=https://www.asahi.com/articles/ASMB74TBDMB7UHBI00K.html|work=朝日新聞デジタル|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2019-10-08|accessdate=2019-10-11}}</ref>。10月9日、トルコ軍は国境を超えシリアに侵攻し、クルド人に対する軍事攻撃を開始した<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3248768|title=トルコ軍、対クルド作戦でシリア侵攻 民間人に死者|work=AFPBB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2019-10-10|accessdate=2019-10-11}}</ref>。 * [[クルド民主統一党]] (Partiya Yekitiya Demokrat、'''PYD''') * [[クルド人民防衛隊]] (Yekineyen Parastina Gel、'''YPG''') * [[クルド人民防衛隊]](Women's Protection Units)'''YPJ''') * [[シリア民主軍]] (Syrian Democratic Forces、'''SDF''') ===イラン=== {{main|東クルディスタン|{{仮リンク|イランのクルド人|en|Kurds in Iran}}}} ===ジョージア=== {{main|{{仮リンク|ジョージアのクルド人|en|Kurds in Georgia}}}} {{Seealso|[[:en:Aslan Usoyan]]|[[:en:Kurdish–Turkish conflict]]}} ===レバノン=== {{main|{{仮リンク|レバノンのクルド人|en|Kurds in Lebanon}}}} ===アルメニア=== {{main|{{仮リンク|アルメニアのクルド人|en|Kurds in Armenia}}}} ===アゼルバイジャン=== {{main|[[アゼルバイジャンのクルド人]]}} ===ロシア=== {{main|[[ロシアのクルド人]]}} === スウェーデン === 難民として多くのクルド人を受け入れた。知識人層が多かったためスウェーデン社会への順応力が高かった。約10万人おり人口の1%ほど。クルド語の教育も受けられクルド系の議員も生まれている。アンデション政権発足の際にはイラン出身のクルド系で元ゲリラのアミネ・カカバベがキャスティングボートを担った<ref>{{Cite web |url=https://jp.wsj.com/articles/swedens-nato-bid-rattles-kurdish-diaspora-11654729745 |title=スウェーデンのクルド人動揺 NATO加盟申請で |access-date=2023年4月2日 |publisher=ウォール・ストリート・ジャーナル}}</ref>。 ===日本=== {{Main|[[在日クルド人]]及び[[蕨市]]、[[川口市]]}} ==遺伝子== クルド人の[[Y染色体ハプログループ|Y-DNA]]は、[[ハプログループJ (Y染色体)|J]]が40%、[[ハプログループR1b (Y染色体)|R1b]]が16.8%、[[ハプログループI (Y染色体)|I]]が16.8、[[ハプログループR1a (Y染色体)|R1a]]が11.6%、[[ハプログループE (Y染色体)#E1b1b系統|E1b1b]]が7.4%、[[ハプログループG (Y染色体)|G]]が4.2%である<ref name = "Nebel2001" >{{cite journal2 | vauthors = Nebel A, Filon D, Brinkmann B, Majumder PP, Faerman M, Oppenheim A | title = The Y chromosome pool of Jews as part of the genetic landscape of the Middle East | journal = American Journal of Human Genetics | volume = 69 | issue = 5 | pages = 1095-1112 | date = November 2001 | pmid = 11573163 | pmc = 1274378 | doi = 10.1086/324070 }}</ref>。 == 参考文献 == ''[[クルディスタン#脚注・出典・参考文献]]も参照'' *[[朝日新聞社]]『クルドの肖像―もうひとつのイラク戦争』[[彩流社]]、2003年、ISBN 978-4882028598 *[[イスマイル・ベシクチ]]『クルディスタン=多国間植民地』[[柘植書房]]、1994年、ISBN 978-4806803508 *[[S.C.ペレティエ]]『クルド民族―中東問題の動因』[[亜紀書房]]、1991年、ISBN 978-4750591018 *[[勝又郁子]]『クルド・国なき民族のいま』[[新評論]]、2001年、ISBN 978-4794805393 *[[川上洋一]]『クルド人もうひとつの中東問題』[[集英社]]、2002年、ISBN 978-4087201499 *[[クルド人難民二家族を支援する会]]『難民を追いつめる国―クルド難民座り込みが訴えたもの』[[緑風出版]]、2005年、ISBN 978-4846105112 *[[小島剛一]]『トルコのもう一つの顔』[[中央公論社]]、1991年、ISBN 978-4121010094 *[[鈴木崇生]]『今日も病院に銃弾の雨が降る―クルディスタンはちゃめちゃ医療奮闘記』亜紀書房、1999年、ISBN 978-4750599151 *[[高崎通浩]]『民族対立の世界地図 アジア/中東篇』中央公論新社、2002年、ISBN 978-4121500427 *[[高橋和夫 (国際政治学者)|高橋和夫]]『アメリカのイラク戦略―中東情勢とクルド問題』[[角川書店]]、2003年、ISBN 978-4047041264 *[[中川喜与志]]『レイラ・ザーナ―クルド人女性国会議員の闘い』[[新泉社]]、2005年、ISBN 978-4787705006 *中川喜与志『クルド人とクルディスタン―拒絶される民族』[[南方新社]]、2001年、ISBN 978-4931376595 *[[中島由佳利]]『新月の夜が明けるとき―北クルディスタンの人びと』新泉社、2003年、ISBN 978-4787703125 *[[ヒネル・サレーム]]『父さんの銃』[[白水社]]、2007年、ISBN 978-4560027639 *[[松浦範子]]『クルディスタンを訪ねて―トルコに暮らす国なき民』新泉社、2003年、ISBN 978-4787703002 *[[渡辺悟]]『クルド、イラク、窮屈な日々―戦争を必要とする人びと』[[現代書館]]、2005年、ISBN 978-4768469019 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references/> == 関連項目 == *[[キルクーク油田]] *[[クルディスタン労働者党]] (PKK) - トルコ *{{仮リンク|クルド自由民主議会|fr|Congrès pour la liberté et la démocratie au Kurdistan}} (KADEK) - トルコ *[[クルディスタン民主党]] (KDP) - イラク *[[ペシュメルガ]]・・・陸海空軍 *アサイシ・・・治安軍 *{{仮リンク|パラスティン|en|Parastin}}・・・諜報部 *[[ヤズディ教]] *[[剣の舞]] *[[安彦良和]]「{{仮リンク|クルドの星|tr|Kurudo no Hoshi}}」 *[[船戸与一]]「[[砂のクロニクル]]」 *[[アララト山]] - クルドのシンボルとされる高峰 *[[マハバード共和国]] *[[ノウルーズ|ネブローズ]] - 新年の祭りで3月21日に世界各地で開かれる。 *[[:en:Early Kurdish nationalism]] == 外部リンク == {{Commons category|Kurdish people}} *[http://www2.jiia.or.jp/report/keyword/key_0303_matsumoto.html クルド人問題] - [[日本国際問題研究所]] *[http://jpn-krd.org/ 一般社団法人日本クルド友好協会] *[https://www.politicalresources.net/kurdistan.htm Links to different Kurdish political sites] - 立場が異なるクルド政治サイトのリンク集(英語) *[http://www.globalsecurity.org/military/world/war/kurdistan-maps.htm Kurdistan Maps] - [[GlobalSecurity.org]] <!--http://kurdistanobserver.servehttp.com/ Kurdistan Observerはスパム防止フィルターに引っ掛る--> {{イラン系民族}} {{Authority_control}} {{DEFAULTSORT:くるとしん}} [[Category:クルド人|*]] [[Category:中東の民族|くると]] [[Category:イラン系諸族]] [[Category:イスラエルの民族]] [[Category:レバノンの民族]] [[Category:ヨルダンの民族]]
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ヤズィーディー
ヤズィーディー(Yazidi、ヤジーディー、ヤズィード、ヤジディ、Sharfadin)は、中東のイラク北部などに住むクルド人の一部において信じられている民族宗教。日本語ではヤジディ教、ヤズディ教とも書かれる。ヤズディの方が、本来の発音に近い。ヤジド教、ヤジド派ともいう。 ヤズィーディー教徒の教義は基本的に口承による。創世記にあたる『ミスヘファ・レシ(英語版)』 (Mishefa Reş) や黙示録にあたる『キテバ・ジルウェ(英語版)』 (Kitêba Cilwe) の2つの聖典を持つが、これらは20世紀はじめに作られたものと考えられている。ミスラ信仰等のイスラーム化する以前の諸宗教の系譜を引く、クルド人の宗教と言われるが、元来山岳部が信仰の中心ということもあり、未だ明らかにされていない部分も多い。イラクだけでなく、周辺のシリア、ロシア、アルメニア等にも見られる。イラクの中では、ニーナワー県のシンジャール地方に最も多くのヤズィーディーの信者が住む。創始者の聖廟のあるイラク北部のラーリーシュ(英語版)を聖地とし、信者は地球の中心だと考えられており、神殿の地下にあるザムザムの泉で洗礼を受ける ヤズィーディーは一神教であり、ゾロアスター教とメソポタミアの伝統儀式が入り混じるほか、キリスト教、ユダヤ教、スーフィー、イスラム教などの影響を受けており、七大天使、就中、孔雀天使マラク・ターウースを信じ、太陽に祈りを捧げる。一説にはミトラ教や古代ペルシャの宗教の影響もあるとされ、様々な宗教の影響を受けたシンクレティズムと呼ばれるものの一つであり、12世紀にスーフィーの指導者アディー・イブン・ムサーフィル(英語版)が作ったイスラム教とゾロアスター教の要素を合わせたコミュニティから、今の形になったという説がある。ヤズィーディーの伝承によれば、スルターン・エズィードと呼ばれる人物により創始され、アディー・イブン・ムサーフィルによって改革されて成立したと考えられている。このエズィードは、ウマイヤ朝二代目カリフヤズィード1世との見解もある(この説はヤズィーディーからは否定されている)。 ヤズィーディーは、信者への改宗を禁じるのと同時に、ヤズィーディーから生まれた者しかヤズィーディーになれないという考えがあるため、他宗教の信者がヤズィーディーに入信することも拒む。周辺のイスラム教徒やキリスト教徒と結婚することも禁じられている。布教活動も行われていない。新年は1月ではなく4月に始まり、元日にあたる日(紅の水曜日と呼ばれる)には墓参りを行う。信仰や教義は、地域によって違うものが複数伝わっている。 歴史的に見ればスーフィズムの影響から始まったように見られるが、輪廻転生を教義に持ち、イスラムの教義体系からは逸脱が目立つ。バラモン教にも見られるようなカースト的な階級制度を持つ(主要なカーストは三つある)。ほかにも、天使マラク・ターウースの伝えられる描写は、ムスリムからすると悪魔シャイターンに重なる部分も多い。そのため、ムスリム(イスラム教徒)から邪教扱いを受けることがあるとされる。イスラーム過激派は、キリスト教徒より、「邪教」であるヤズィーディーの信者に激しい憎悪を向けるとされる。過激派組織の1つISILは、ヤズィーディーは多神教であるとし、ジズヤやイスラーム改宗の対象外とするなど、いわゆる啓典の民であるキリスト教徒やイスラム教徒とはその扱いを差別化した。 クルディスタン地域の議会には、少数ながらヤズィーディーの議員枠の割り当てがある。 教徒の居住区はイラク北部に広がり、周辺の宗教勢力、武装勢力との対抗上、比較的アメリカ寄り立場を取るため、しばしばイスラム系武装勢力の攻撃対象となる。
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ヤズィーディー(Yazidi、ヤジーディー、ヤズィード、ヤジディ、Sharfadin)は、中東のイラク北部などに住むクルド人の一部において信じられている民族宗教。日本語ではヤジディ教、ヤズディ教とも書かれる。ヤズディの方が、本来の発音に近い。ヤジド教、ヤジド派ともいう。
{{Pathnav|クルド人|frame=1}} {{wikisourcelang|en|Mishefa Reş}}{{wikisourcelang|en|Kitêba Cilwe}} [[File:Roj.png|thumb|right|250px|ヤジディ教のシンボルマーク。[[ミスラ|ミスラ信仰]]で、太陽を神の象徴としている]] [[File:Yezidis of Mount Sinjar.jpg|thumb|250px|山岳部のヤジディ教信者、イラクとシリアの国境にて、1920年代]] [[File:Yazidism08.jpg|thumb|ヤジディ教信者の男性]] '''ヤズィーディー'''('''Yazidi'''、ヤジーディー、ヤズィード、ヤジディ、'''Sharfadin''')は、[[中東]]の[[イラク]]北部などに住む[[クルド人]]の一部において信じられている[[民族宗教]]。[[日本語]]では'''ヤジディ教'''、'''ヤズディ教'''とも書かれる。ヤズディの方が、本来の発音に近い<ref name="asiapress01075719">{{cite news |title=イラクのヤズディ教徒たち |newspaper=[[アジアプレス・インターナショナル|アジアプレス・ネットワーク]] |date=2014-9-1 |url=https://www.02.asiapress.org/apn/2014/09/iraq/post_5341/ |accessdate=2022-9-23 |author=玉本英子 |author2=坂本卓}}</ref>。'''ヤジド教'''、'''ヤジド派'''ともいう。 == 概要 == ヤズィーディー教徒の教義は基本的に口承による。創世記にあたる『{{仮リンク|ミスヘファ・レシ|en|Yazidi Black Book}}』 (Mishefa Reş) や黙示録にあたる『{{仮リンク|キテバ・ジルウェ|en|Yazidi Book of Revelation}}』 (Kitêba Cilwe) の2つの聖典を持つが、これらは20世紀はじめに作られたものと考えられている<ref>{{cite web|url=http://www.iranicaonline.org/articles/yazidis-i-general-1|author={{en|Christine Allison}}|title={{en|YAZIDIS i. GENERAL}}|publisher={{en|Encyclopaedia Iranica}}|date=2004-07-20|accessdate=2015-04-10}}</ref>。[[ミスラ]]信仰等の[[イスラーム]]化する以前の諸宗教の系譜を引く、クルド人の[[宗教]]と言われるが、元来山岳部が信仰の中心ということもあり、未だ明らかにされていない部分も多い。イラクだけでなく、周辺の[[シリア]]、[[ロシア]]、[[アルメニア]]等にも見られる。イラクの中では、[[ニーナワー県]]のシンジャール地方に最も多くのヤズィーディーの信者が住む<ref name="asiapress01075719"/>。創始者の聖廟のあるイラク北部の{{仮リンク|ラーリーシュ|en|Lalish}}を聖地とし、信者は地球の中心だと考えられており、神殿の地下にあるザムザムの泉で洗礼を受ける<ref>ラッセル(2017)p85</ref> == 歴史 == [[ファイル:Yezidi Chief in Bachiqua by Albert Kahn.jpg|サムネイル|イラクのバシカ(バスチカ、[[:en:Bashiqa]])村の[[ヤズディ教]]首領。1910年代]] ヤズィーディーは[[一神教]]であり、[[ゾロアスター教]]と[[メソポタミア]]の伝統儀式が入り混じるほか、[[キリスト教]]、[[ユダヤ教]]、[[スーフィー]]、[[イスラム教]]などの影響を受けており、七大天使、就中、孔雀天使[[マラク・ターウース]]を信じ、[[太陽]]に祈りを捧げる<ref>{{cite news |title=イラク、聖地を追われるヤジディ教徒|newspaper=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |date=2014-09-04 |url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9678/?ST=m_news |accessdate=2016-06-12|author=Rania Abouzeid }}</ref>。一説には[[ミトラ教]]や[[ペルシア帝国|古代ペルシャ]]の宗教の影響もあるとされ、様々な宗教の影響を受けた[[シンクレティズム]]と呼ばれるものの一つであり、[[12世紀]]に[[スーフィー]]の指導者{{仮リンク|アディー・イブン・ムサーフィル|en|Sheikh Adi ibn Musafir}}が作ったイスラム教とゾロアスター教の要素を合わせたコミュニティから、今の形になったという説がある<ref name="nationalgeographic20140811002">{{cite news |title=イラクで迫る危機、ヤジディ教徒とは |newspaper=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |date=2014-08-11 |url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9574/?ST=m_news |accessdate=2016-06-12|author=Avi Asher-Schapiro }}</ref>。ヤズィーディーの伝承によれば、スルターン・エズィードと呼ばれる人物により創始され、アディー・イブン・ムサーフィルによって改革されて成立したと考えられている。このエズィードは、ウマイヤ朝二代目カリフ[[ヤズィード1世]]との見解もある(この説はヤズィーディーからは否定されている)<ref>ラッセル(2017)p111</ref>。 ヤズィーディーは、信者への改宗を禁じるのと同時に、ヤズィーディーから生まれた者しかヤズィーディーになれないという考えがあるため、他宗教の信者がヤズィーディーに入信することも拒む。周辺のイスラム教徒やキリスト教徒と[[結婚]]することも禁じられている。布教活動も行われていない<ref name="asiapress01075719"/>。[[正月|新年]]は[[1月]]ではなく[[4月]]に始まり、[[元日]]にあたる日(紅の水曜日と呼ばれる)には[[墓]]参りを行う<ref name="asiapress01075719"/>。信仰や教義は、地域によって違うものが複数伝わっている<ref name="asiapress01075719"/>。 歴史的に見れば[[スーフィズム]]の影響から始まったように見られるが、[[輪廻転生]]を教義に持ち、イスラムの教義体系からは逸脱が目立つ。[[バラモン教]]にも見られるようなカースト的な階級制度を持つ(主要なカーストは三つある<ref>ラッセル(2017)p95</ref>)。ほかにも、天使[[マラク・ターウース]]の伝えられる描写は、[[ムスリム]]からすると[[悪魔]][[サタン|シャイターン]]に重なる部分も多い<ref name="nationalgeographic20140811002" />。そのため、[[ムスリム]](イスラム教徒)から[[邪教]]扱いを受けることがあるとされる。[[イスラーム過激派]]は、キリスト教徒より、「邪教」であるヤズィーディーの信者に激しい憎悪を向けるとされる<ref name="asiapress01075719"/>。過激派組織の1つ[[ISIL]]は、ヤズィーディーは多神教であるとし、[[ジズヤ]]やイスラーム改宗の対象外とするなど、いわゆる[[啓典の民]]であるキリスト教徒やイスラム教徒とはその扱いを差別化した。 [[クルディスタン地域]]の議会には、少数ながらヤズィーディーの議員枠の割り当てがある<ref name="asiapress01075719"/>。 == 他宗教との対立、迫害 == 教徒の居住区はイラク北部に広がり、周辺の宗教勢力、武装勢力との対抗上、比較的[[アメリカ合衆国|アメリカ]]寄り立場を取るため、しばしばイスラム系武装勢力の攻撃対象となる。 *[[サッダーム・フセイン]]の政権下では、村落破壊と強制移住が強いられた。ただし、サッダームはヤズィーディー、ムスリムを問わず、クルド人全てを迫害した<ref name="asiapress01075719"/>。 *2007年8月14日:[[ニーナワー県]]のヤズィーディー教徒が多く住む二つの村でトラックによる同時自爆攻撃が発生。死者は400人以上。当時、イラク駐留していた[[アメリカ軍]]は、[[アルカイーダ]]による自爆テロとの見解を表明。後日、同年9月3日に行った[[空爆]]で、自爆テロを計画、指揮した首謀者を殺害したと発表した<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2280114?pid=2118120 |title=イラク開戦以降で最悪の自爆テロの首謀者が死亡、米軍が発表|work=AFPBBNews|publisher=フランス通信社|date=2007-09-10|accessdate=2014-08-12}}</ref>。 *2014年8月8日:イラク政府及びクルド人自治区に激しい攻撃を加えていた[[ISIL]]に対し、アメリカ軍が限定的な空爆を実施。併せてISILの攻撃により、イラク北部のシンジャルの山地へ避難していたヤズィーディー教徒に対しても支援物資の空輸が行われた<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3022712|title=米軍、イラク北部の「イスラム国」に空爆 2011年の撤退後初|work=AFPBBNews|publisher=フランス通信社|date=2014-08-09|accessdate=2014-08-12}}</ref>。 *2014年10月15日:拘束したヤズィーディー教徒の女性を戦闘員に分配していたISILは、[[奴隷制]]の復活を宣言した<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/world/news/141015/wor1410150042-n1.html|title=イスラム国、「奴隷制の復活」宣言 イラク、シリアで進撃続く|work=産経ニュース|newspaper=産経新聞社|date=2014-10-16|accessdate=2014-10-16}}</ref>(イスラム社会における奴隷制度については[[イスラームと奴隷制]]の項も参照のこと)。 * 前述通り、ヤズィーディーは、ヤズィーディー以外との結婚を拒む。2007年には、[[スンニ派]]の[[ムスリム]]と結婚し、[[イスラム教|イスラーム]]に改宗した女性(本当に改宗したかどうかは不明)がヤズィーディーである一族から殺害されるという[[名誉の殺人]]が起こった。上述した8月14日の事件はムスリム側からの報復として行なわれた<ref>ラッセル(2017)p129</ref>。背景には、ヤズィーディーの排他性や保守性以外にも、[[武装イスラム集団|イスラム武装組織]]がヤズィーディーを狙って起こした数々の大量殺人事件がある<ref name="asiapress01075719" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * ジェラード・ラッセル『失われた宗教を生きる人々-中東の秘教を求めて』亜紀書房 2017 ISBN 978-4750514444 == 関連項目 == {{Commonscat|Yazidism}} *[[クルド人]] *[[クジャク]] - 神聖視している *[[シンクレティズム]] *[[マラク・ターウース]] *[[ナーディーヤ・ムラード]] *[[アマール・スロエフ]] *[[ロマン・アモヤン]] *[[ヤジディ教徒の虐殺]] {{イラン系民族}} {{Reli-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:やすいいていい}} [[Category:イラクの宗教]] [[Category:イランの宗教]] [[Category:クルド人]] [[Category:一神教]] [[Category:アジアの宗教的シンクレティズム]] [[Category:イラクの民族]] [[Category:イランの民族]] [[Category:トルコの民族]] [[Category:ロシアの民族]] [[Category:シリアの民族]]
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ムスリム
ムスリム(アラビア語: مسلم、英語: Muslim)とは、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラーム教を信仰する人びとを指す。 キリスト教圏ではムハンマド教徒(英: Mohammedan 等)とも呼ばれ、日本でもかつては一部でこの語を用いた。女性形はムスリマ(アラビア語: مسلمة)だが、アラビア語社会以外では基本的には区別しない。また、中世キリスト教世界では、イシュマエル人、カルデア人、モーロ人、サラセン人などあたかも民族集団であるかのような名称でも呼ばれた。 ムスリムになるためには、証人となるムスリムの前で信仰告白(シャハーダ)の手続きを取ることが必要である。ムスリムは、神(アッラーフ)を常に身近に感じるように、五行を実践することが建前である。父親がムスリムであるものは自動的にムスリムとなるとされている。 かつて、イスラム教はキリスト教よりはるかに多様な民族の間で信仰されていた。しかし、近代以降になって西方のキリスト教会が世界中に布教を行いその分布を広げたため、イスラム教を信仰する民族は限られるようになった。 サハラ砂漠以北の世界に限って言うと、イスラム教を信仰する民族はかなり限定的で、アラブ系、ペルシア系、インド系、テュルク系、マライ系の五つの系統の民族でほぼ全ムスリムの95%以上を占めている。残りの数%に関しても、東ヨーロッパ・バルカン半島のボシュニャク人、アルバニア人などのムスリム(かつてヨーロッパにおいては、イベリア半島のスペイン・ポルトガルで多くのムスリムが存在した)、コーカサスの諸民族、中国領内の中国系ムスリム、モンゴル系ムスリムなど、やはり限られた民族の間で信仰されている。 日本国内においては、東京などの首都圏にイスラム教圏出身外国人の過半数が居住するが、明治以降の近代日本で最初にイスラム礼拝所ができたのは愛知県名古屋市だった。1931年3月に結成された「名古屋回教徒団」により日本初のモスクが設立されたという記録が残る。この戦前に建てられたモスクは一旦空襲により焼失するが、現在では名古屋市中村区に「名古屋モスク」が再建されている。戦前からイスラム教徒のコミュニティがあった流れを汲んで名古屋市や岐阜市など東海地方諸都市には、今でもイスラム教徒の集住コミュニティがある。現代では移民によって、北米や西ヨーロッパでムスリムが増加している。 一方、それに対してサハラ以南のアフリカでは実に多様な民族の間でイスラムは信仰され、今もその勢力を拡大させている。サハラ以南のアフリカの場合、民族でムスリムか、非ムスリムかを判定することは困難である。 ムスリムとは、宗教的概念である。ところが、これは民族的概念だと意識されることが多い。 中国、ネパール、スリランカ、ブルガリア、旧ユーゴスラビア諸国などの非イスラム教国には現地の言語や文化、形質などに同化しているムスリムの集団が見られる。例えば、日本人のキリスト教徒や、アメリカ人の仏教徒が別の民族として扱われることが無い様に、本来は単なる「〜人のイスラム教徒」として扱われるはずである。 ところが上記の国ではそれぞれ回族、ムスリム人、ムーア人、ポマク人などと別の民族として扱われたり、別の統計に表れたりする。 この意識は内外双方に見られ、ムスリムの側も外部と自分たちは別の民族だと言う意識を持ち、外部の民族もムスリムを自分たちとは、たとえ同じ言語を用い、同じ形質的な人種であっても、同じ民族だとはみなさない場合が多い。 ムスリムの使用する言語で最も使用人口が多いのはアラビア語で、約2億8,000万人ほどの話者人口がある。ただし、これには互いに通じない多様な方言を含んでいる(標準アラビア語を公用語として使用するものと考えた場合である)。 次に使用人口が多いのはインドネシア語の約2億人である。ただし、インドネシア語の使用人口の大半は公用語としての使用人口であり、母語者のみに限定した場合は2,000万人ほどである。マレーシア語とはほとんど同じ言語であり、両者を同じ言語であるムラユ語(マレー語)と規定した場合、使用人口は2億2,000万人ほどとなる。 3番目に使用人口が多いのがウルドゥー語の約1億8,000万人である。これもインドネシア語同様、第2言語としての使用人口であり、母語話者はやはり2,000万人ほどだと言われている。インドにはヒンディー語を母語とするムスリムも5,000万人以上存在すると見られる。ウルドゥー語とヒンディー語を同じ言語であるヒンドゥスターニー語と規定した場合、この言語を使用するムスリム人口は2億3,000万人ほどとなり、ムラユ語とほぼ同規模となる。 4番目にムスリムの使用人口が多い言語はベンガル語である。ベンガル語を使用するムスリムの人口は1億6,000万人ほどである。(ただしベンガル語にはヒンドゥー教徒などの話者も多く、総話者人口は2億2,000万人ほどである。) ジャワ語とパンジャーブ語のムスリム話者がそれぞれ8,000万人ほどである。ただし両者は同時に、インドネシア語、ウルドゥー語の話者でもある。パンジャーブ語には他に、シーク教徒やヒンドゥー教徒の話者も多く、総話者人口は1億人を超える。 ペルシア語の話者が約7,500万人存在する(母語話者は4,000万人ほど)。これに実質同じ言語である、ダリー語とタジク語の使用人口を加えると1億1,000万人ほどとなる。 トルコ語の話者が7,500万人存在する。 ヒンディー語の総使用人口は約5億人だが、そのうち5,000万人近くがムスリムである。ムスリムの使用するヒンディー語はアラビア語ペルシア語由来の外来語の占める割合が高く、ウルドゥー語との境界線が曖昧である。 パシュトー語の話者総数は約4,000万人である。ただし東西の方言差は大きい。 ハウサ語は話者総数約4,000万人、(うち母語話者数は2,500万人ほどである。) そのほか、2,000万人以上のムスリムの話者人口を持つ言語が、アゼルバイジャン語、ウズベク語、クルド語、ダリー語、スンダ語、スワヒリ語(話者は非イスラム教徒の方が多く、総話者人口は1億人に達する。話者の大半が第二言語としての使用である。)、ソマリ語などである。 1,000万人規模のムスリムの話者人口を持つのが、シンド語、フラニ語、カザフ語、オロモ語(エチオピア正教徒などの話者も多い。総話者人口は2,500万人以上)、マドゥラ語、マレーシア語(非イスラム教徒が多い、華人系やインド系のマレーシア人も公用語として使用する。総話者人口は2,000万人強)、ヨルバ語(ムスリムは30%ほど。総話者人口は3,000万人以上)、タジク語、中国語(回族の話者)、ウイグル語などである。 日本では、文部科学省文化庁が宗教年鑑などの各宗教の人口統計を発表している。しかし、その統計は各宗教団体の自己申告の信者数を単純に合算したものに過ぎず、正確な統計とはいえない面がある。そのため、日本国内のムスリムの正確な人数を算出することは難しい。 文化庁が取りまとめた「宗務時報」によれば、歴史上のムスリム人口は、1931~1945年の戦中期の滞日ムスリム人口は500人から700としている。1953年に日本人ムスリムによって結成された日本ムスリム協会の創立時会員数は47名、1969年の外国人ムスリム人口は約1500人、1984年の滞日ムスリム人口は、約8000人という数字を上げている。「宗務時報」では、2010年末の滞日ムスリム人口は約11万人としている。ピュー・リサーチ・センターの調査では、2010年の滞日ムスリム人口は、約18万5千としている。 国籍からみると、ムスリムが多数を占める国からの移民、定住者数は、比較的多いのがインドネシア人(約25000人)、マレーシア人(非イスラム教徒の中国系のマレーシア人の来日者も多いため、来日者に占めるムスリム比率は不明)、バングラデシュ人(約11000人)、パキスタン人(約9000人)、スリランカ人(スリランカ自体はイスラム教徒は少数派の国であるため、来日者に占めるムスリムの比率は不明)、イラン人(約5000人)、トルコ人(約2500人)、エジプト人(約1500人)、中国国籍回族(約3500人)、ウイグル人(約700人)である。 それ以外の国からの移民もおり、その出身国は、中東、東アジア、東南アジア、南アジア、中央アジア、アフリカと多岐に渡る。イスラム教徒の比率が、80%前後以上の比率の国家からの来日者数を合計すると、約58000人となる。それ以外の国家からの来日者にもムスリムは存在するため、実際はそれ以上の人口となることが予想される。しかし、前述のとおり、日本では日本人、外国人を問わず、各宗教、宗派の人口統計が存在しないため、正確な数は不明である。 アジアの非イスラム教国の多くには自国民のムスリムの集団が存在する。中国新疆ウイグル自治区等や、タイ南部、フィリピン南部、ミャンマー西部、モンゴル西部などには、隣接するイスラム圏から延長された、ムスリム民族の多数派地域が存在する。カンボジアやベトナムにはムスリム民族の飛び地が存在し、中国や、南アジア諸国には現地の言語や文化、民族に同化したムスリムの集団が存在する。 日本の全ての都道府県にモスク、もしくは何らかの礼拝所が存在し、イスラム教徒の専用の食品や肉、調味料を扱う店やレストランなどが併設されている所もある。 日本に住むムスリムの悩ませる問題に墓地問題がある。日本全国でイスラム墓地は2020年時点、10カ所ある。日本最大級の面積を誇るイスラム墓地は静岡県静岡市にある清水霊園イスラーム霊園である。勝澤洋(かつざわ ひろし)が2010年にムスリムと話し合いコンクリート構造のイスラム埋葬墓地のシステムを考案し、日本で初めて施工したとされる。
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ムスリムとは、「(神に)帰依する者」を意味するアラビア語で、イスラーム教を信仰する人びとを指す。
{{For|ユーゴスラビアにおいて「ボシュニャク人」を指していた民族の呼称|ムスリム人}} {{複数の問題 | 出典の明記 = 2018年12月 | 独自研究 = 2018年12月 }} {{Islam}} [[file:Kaaba mirror edit jj.jpg|thumb|254px|[[カアバ]]と[[タワーフ]]をするムスリム]] [[File:Prayer in Cairo 1865.jpg|thumb|254x254px|[[カイロ]]でのムスリムの祈り]] '''ムスリム'''({{lang-ar|'''مسلم'''}}、{{lang-en|Muslim}})とは、「([[神]]に)[[帰依]]する者」を意味する[[アラビア語]]で、[[イスラーム教]]を信仰する人びとを指す。 ==概要== [[キリスト教]]圏ではムハンマド教徒({{lang-en-short|[[:en:Mohammedan|Mohammedan]]}} 等)とも呼ばれ、日本でもかつては一部でこの語を用いた。[[性 (文法)|女性形]]は'''ムスリマ'''({{lang-ar|مسلمة}})だが、アラビア語社会以外では基本的には区別しない。また、中世キリスト教世界では、[[イシュマエル人]]、[[カルデア人]]、[[モーロ人]]、[[サラセン人]]などあたかも民族集団であるかのような名称でも呼ばれた。 ムスリムになるためには、証人となるムスリムの前で信仰告白([[シャハーダ]])の手続きを取ることが必要である。ムスリムは、神([[アッラーフ]])を常に身近に感じるように、[[五行 (イスラム教)|五行]]を実践することが建前である。[[父親]]がムスリムであるものは自動的にムスリムとなるとされている。 ==分布== かつて、[[イスラム教]]はキリスト教よりはるかに多様な[[民族]]の間で信仰されていた。しかし、[[近代]]以降になって西方のキリスト教会が世界中に[[布教]]を行いその分布を広げたため、イスラム教を信仰する民族は限られるようになった。 [[サハラ砂漠]]以北の世界に限って言うと、イスラム教を信仰する民族はかなり限定的で、[[アラブ系]]、[[ペルシア系]]、[[インド系]]、[[テュルク系]]、[[マライ系]]の五つの系統の民族でほぼ全ムスリムの95%以上を占めている。残りの数%に関しても、[[東ヨーロッパ]]・[[バルカン半島]]の[[ボシュニャク人]]、[[アルバニア人]]などのムスリム(かつてヨーロッパにおいては、[[イベリア半島]]の[[スペイン]]・[[ポルトガル]]で多くのムスリムが存在した)、[[コーカサス]]の諸民族、[[中華人民共和国|中国]]領内の[[:Category:中国の民族|中国系]]ムスリム、[[モンゴル系民族|モンゴル系ムスリム]]など、やはり限られた民族の間で信仰されている。 [[日本]]国内においては、[[東京都|東京]]などの[[首都圏 (日本)|首都圏]]にイスラム教圏出身外国人の過半数が居住するが、[[明治]]以降の近代日本で最初にイスラム礼拝所ができたのは[[愛知県]][[名古屋市]]だった。[[1931年]][[3月]]に結成された「名古屋回教徒団」により日本初の[[モスク]]が設立されたという記録が残る。この戦前に建てられたモスクは一旦空襲により焼失するが、現在では名古屋市[[中村区]]に「名古屋モスク」が再建されている。戦前からイスラム教徒のコミュニティがあった流れを汲んで[[名古屋市]]や[[岐阜市]]など東海地方諸都市には、今でもイスラム教徒の集住コミュニティがある。現代では移民によって、[[北アメリカ|北米]]や[[西ヨーロッパ]]でムスリムが増加している。 一方、それに対してサハラ以南の[[アフリカ]]では実に多様な民族の間でイスラムは信仰され、今もその勢力を拡大させている。サハラ以南のアフリカの場合、民族でムスリムか、非ムスリムかを判定することは困難である。 ==概念== ムスリムとは、宗教的概念である。ところが、これは民族的概念だと意識されることが多い。 中国、[[ネパール]]、[[スリランカ]]、[[ブルガリア]]、旧[[ユーゴスラビア]]諸国などの非イスラム教国には現地の言語や文化、形質などに同化しているムスリムの集団が見られる。例えば、日本人のキリスト教徒や、アメリカ人の仏教徒が別の民族として扱われることが無い様に、本来は単なる「〜人のイスラム教徒」として扱われるはずである。 ところが上記の国ではそれぞれ[[回族]]、[[ムスリム人]]、[[ムーア人]]、[[ポマク]]人などと別の民族として扱われたり、別の統計に表れたりする。 この意識は内外双方に見られ、ムスリムの側も外部と自分たちは別の民族だと言う意識を持ち、外部の民族もムスリムを自分たちとは、たとえ同じ言語を用い、同じ形質的な人種であっても、同じ民族だとはみなさない場合が多い。 ==言語== ムスリムの使用する[[言語]]で最も使用[[人口]]が多いのは[[アラビア語]]で、約2億8,000万人ほどの話者人口がある。ただし、これには互いに通じない多様な[[方言]]を含んでいる([[標準アラビア語]]を[[公用語]]として使用するものと考えた場合である)。 次に使用人口が多いのは[[インドネシア語]]の約2億人である。ただし、インドネシア語の使用人口の大半は公用語としての使用人口であり、[[母語]]者のみに限定した場合は2,000万人ほどである。[[マレーシア語]]とはほとんど同じ言語であり、両者を同じ言語であるムラユ語([[マレー語]])と規定した場合、使用人口は2億2,000万人ほどとなる。 3番目に使用人口が多いのが[[ウルドゥー語]]の約1億8,000万人である。これもインドネシア語同様、第2言語としての使用人口であり、母語話者はやはり2,000万人ほどだと言われている。[[インド]]には[[ヒンディー語]]を母語とするムスリムも5,000万人以上存在すると見られる。ウルドゥー語とヒンディー語を同じ言語である[[ヒンドゥスターニー語]]と規定した場合、この言語を使用するムスリム人口は2億3,000万人ほどとなり、ムラユ語とほぼ同規模となる。 4番目にムスリムの使用人口が多い言語は[[ベンガル語]]である。ベンガル語を使用するムスリムの人口は1億6,000万人ほどである。(ただしベンガル語にはヒンドゥー教徒などの話者も多く、総話者人口は2億2,000万人ほどである。) [[ジャワ語]]と[[パンジャーブ語]]のムスリム話者がそれぞれ8,000万人ほどである。ただし両者は同時に、インドネシア語、ウルドゥー語の話者でもある。パンジャーブ語には他に、シーク教徒やヒンドゥー教徒の話者も多く、総話者人口は1億人を超える。 [[ペルシア語]]の話者が約7,500万人存在する(母語話者は4,000万人ほど)。これに実質同じ言語である、[[ダリー語]]と[[タジク語]]の使用人口を加えると1億1,000万人ほどとなる。 [[トルコ語]]の話者が7,500万人存在する。 ヒンディー語の総使用人口は約5億人だが、そのうち5,000万人近くがムスリムである。ムスリムの使用するヒンディー語はアラビア語ペルシア語由来の[[外来語]]の占める割合が高く、ウルドゥー語との境界線が曖昧である。 [[パシュトー語]]の話者総数は約4,000万人である。ただし東西の方言差は大きい。 [[ハウサ語]]は話者総数約4,000万人、(うち母語話者数は2,500万人ほどである。) そのほか、2,000万人以上のムスリムの話者人口を持つ言語が、[[アゼルバイジャン語]]、[[ウズベク語]]、[[クルド語]]、[[ダリー語]]、[[スンダ語]]、[[スワヒリ語]](話者は非イスラム教徒の方が多く、総話者人口は1億人に達する。話者の大半が第二言語としての使用である。)、[[ソマリ語]]などである。 1,000万人規模のムスリムの話者人口を持つのが、[[シンド語]]、[[フラニ語]]、[[カザフ語]]、[[オロモ語]](エチオピア正教徒などの話者も多い。総話者人口は2,500万人以上)、[[マドゥラ語]]、[[マレーシア語]](非イスラム教徒が多い、華人系やインド系のマレーシア人も公用語として使用する。総話者人口は2,000万人強)、[[ヨルバ語]](ムスリムは30%ほど。総話者人口は3,000万人以上)、[[タジク語]]、[[中国語]](回族の話者)、[[ウイグル語]]などである。 ==日本人とムスリム== [[File:Yamaoka Mitsutaro.png|thumb|初めてメッカ巡礼をした日本人ムスリム[[山岡光太郎]]]] {{see also|日本の宗教|日本のイスラム社会}} 日本では、[[文部科学省]][[文化庁]]が宗教年鑑などの各宗教の人口統計を発表している。しかし、その統計は各宗教団体の自己申告の信者数を単純に合算したものに過ぎず、正確な統計とはいえない面がある。そのため、日本国内のムスリムの正確な人数を算出することは難しい。 文化庁が取りまとめた「宗務時報」によれば、歴史上のムスリム人口は、1931~1945年の戦中期の滞日ムスリム人口は500人から700としている。1953年に日本人ムスリムによって結成された日本ムスリム協会の創立時会員数は47名、1969年の外国人ムスリム人口は約1500人、1984年の滞日ムスリム人口は、約8000人という数字を上げている<ref name="shumujiho119jiho" />。「宗務時報」では、2010年末の滞日ムスリム人口は約11万人としている<ref name="shumujiho119jiho">{{Cite web|和書|title=宗務時報 No119 |url=https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/shuppanbutsu/shumujiho/pdf/119jiho.pdf|accessdate=2018-9-3 | publisher=[[文化庁]]文化部宗務課| format=PDF }}</ref>。[[ピュー研究所|ピュー・リサーチ・センター]]の調査では、2010年の滞日ムスリム人口は、約18万5千としている<ref>{{Cite web|和書|title=イスラーム教徒人口の推計 2013年 |url=http://imemgs.com/document/20150714mij.pdf|accessdate=2018-9-3 | publisher=店田廣文[[早稲田大学]][[教授]] | format=PDF }}</ref>。 国籍からみると、ムスリムが多数を占める国からの移民、定住者数は、比較的多いのが[[インドネシア]]人(約25000人)、[[マレーシア]]人(非イスラム教徒の中国系のマレーシア人の来日者も多いため、来日者に占めるムスリム比率は不明)、[[バングラデシュ]]人(約11000人)、[[パキスタン]]人(約9000人)、[[スリランカ]]人(スリランカ自体はイスラム教徒は少数派の国であるため、来日者に占めるムスリムの比率は不明)、[[イラン]]人(約5000人)、[[トルコ]]人(約2500人)、[[エジプト]]人(約1500人)、[[中華人民共和国|中国]]国籍[[回族]](約3500人)、[[ウイグル人]](約700人)である。 それ以外の国からの[[移民]]もおり、その出身国は、[[中東]]、[[東アジア]]、[[東南アジア]]、[[南アジア]]、[[中央アジア]]、[[アフリカ]]と多岐に渡る。イスラム教徒の比率が、80%前後以上の比率の国家からの来日者数を合計すると、約58000人となる。それ以外の国家からの来日者にもムスリムは存在するため、実際はそれ以上の人口となることが予想される。しかし、前述のとおり、日本では日本人、外国人を問わず、各宗教、宗派の人口統計が存在しないため、正確な数は不明である。 アジアの非イスラム教国の多くには自国民のムスリムの集団が存在する。[[中華人民共和国|中国]][[新疆ウイグル自治区]]等や、[[タイ南部]]、[[フィリピン]]南部、[[ミャンマー]]西部、[[モンゴル国|モンゴル]]西部などには、隣接するイスラム圏から延長された、ムスリム民族の多数派地域が存在する。[[カンボジア]]や[[ベトナム]]にはムスリム民族の[[飛び地]]が存在し、中国や、[[南アジア]]諸国には現地の言語や文化、民族に同化したムスリムの集団が存在する。 日本の全ての[[都道府県]]に[[モスク]]、もしくは何らかの礼拝所が存在し、イスラム教徒の専用の食品や肉、調味料を扱う店や[[レストラン]]などが併設されている所もある。 ==世界のムスリム== {| class="wikitable sortable" |- valign=top ! 国および地域 ! ムスリム人口(2009) ! ムスリムの比率 ! 主な宗派、学派 !主な民族 ! 主な言語 |- |- |〇[[西アジア]] |style="text-align:right;"| |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|AFG}} |style="text-align:right;"|28,072,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99.7 |style="text-align:center;"|[[ハナフィー派]]、[[12イマーム派]]、[[イスマーイール派]] |style="text-align:center;"|[[パシュトゥーン人]]、[[ハザーラ人]]、[[タジク人]]、[[ウズベク人]]、[[トルクメン人]] |style="text-align:center;"|[[パシュトー語]]、[[ダリー語]](ペルシア語)、[[ウズベク語]]、[[トルクメン語]] |- |{{flag|BHR}} |style="text-align:right;"|642,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|81.2 |style="text-align:center;"|12イマーム派 |style="text-align:center;"|[[アラブ人]]、[[ペルシア人]]、[[インド人]] |style="text-align:center;"|[[アラビア語]]、[[ペルシア語]]、[[ウルドゥー語]] |- |{{flag|CYP}} |style="text-align:right;"|198,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|22.7 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[トルコ人]] |style="text-align:center;"|[[トルコ語]] |- |{{flag|IRN}} |style="text-align:right;"|73,777,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99.4 |style="text-align:center;"|12イマーム派 |style="text-align:center;"|ペルシア人、[[アゼルバイジャン人]]、[[クルド人]]、アラブ人、[[バルーチ人]] |style="text-align:center;"|ペルシア語、[[アゼルバイジャン語]]、[[クルド語]]、アラビア語、[[バルーチ語]] |- |{{flag|IRQ}} |style="text-align:right;"|30,428,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99 |style="text-align:center;"|12イマーム派、ハナフィー派 |style="text-align:center;"|アラブ人、クルド人 |style="text-align:center;"|アラビア語、クルド語 |- |{{flag|ISR}} |style="text-align:right;"|1,194,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|16.7 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |{{flag|JOR}} |style="text-align:right;"|6,202,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|98.2 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |{{flag|KWT}} |style="text-align:right;"|2,824,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|95 |style="text-align:center;"|[[マーリキ派]] |style="text-align:center;"|アラブ人、ペルシア人、インド人 |style="text-align:center;"|アラビア語、ペルシア語、ウルドゥー語 |- |{{flag|LBN}} |style="text-align:right;"|2,504,000 |style="background:#FFCC66; text-align:center;"|59.3 |style="text-align:center;"|ハナフィー派、12イマーム派 |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |{{flag|OMN}} |style="text-align:right;"|2,494,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|87.7 |style="text-align:center;"|[[イバード派]] |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |{{flag|PSE}} |style="text-align:right;"|4,173,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|98 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |{{flag|QAT}} |style="text-align:right;"|1,092,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|77.5 |style="text-align:center;"|[[ハンバリー派]] |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |{{flag|SAU}} |style="text-align:right;"|24,949,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|97 |style="text-align:center;"|ハンバリー派 |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |{{flag|SYR}} |style="text-align:right;"|20,196,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|92.2 |style="text-align:center;"|ハナフィー派、[[アラウィー派]] |style="text-align:center;"|アラブ人、クルド人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |{{flag|TUR}} |style="text-align:right;"|73,619,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|98 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|トルコ人、クルド人、アラブ人 |style="text-align:center;"|トルコ語、クルド語、アラビア語 |- |{{flag|ARE}} |style="text-align:right;"|3,504,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|76.2 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人、ペルシア人、インド人 |style="text-align:center;"|アラビア語、ペルシア語、ウルドゥー語 |- |{{flag|YEM}} |style="text-align:right;"|23,363,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99.1 |style="text-align:center;"|[[シャーフィイー派]]、[[ザイド派]] |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |〇[[アジア]]<br>([[南アジア]]以東) |style="text-align:right;"| |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|BGD}} |style="text-align:right;"|145,312,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|89.6 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[ベンガル人]] |style="text-align:center;"|[[ベンガル語]] |- |{{flag|BTN}} |style="text-align:right;"|7,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.0 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[ネパール人]] |style="text-align:center;"|[[ネパール語]] |- |{{flag|BRN}} |style="text-align:right;"|269,000 |style="background:#FFCC66; text-align:center;"|67.2 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[マレー人]] |style="text-align:center;"|[[マレー語]] |- |{{flag|KHM}} |style="text-align:right;"|236,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.6 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|[[チャム人]] |style="text-align:center;"|[[チャム語]] |- |{{flag|CHN}} |style="text-align:right;"|21,667,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.6 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[回族]]、[[ウイグル人]]、[[カザフ人]] |style="text-align:center;"|[[中国語]]、[[ウイグル語]]、[[カザフ語]] |- |{{flag|TLS}} |style="text-align:right;"|43,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|3.8 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[ジャワ人]] |style="text-align:center;"|[[インドネシア語]] |- |{{flag|HKG}} |style="text-align:right;"|80,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|回族、インド系、インドネシア系 |style="text-align:center;"|中国語 |- |{{flag|IND}} |style="text-align:right;"|160,945,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|13.4 |style="text-align:center;"|ハナフィー派、シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[インド人]]ムスリム |style="text-align:center;"|ウルドゥー語、ヒンディー語、[[カシミール語]]、[[カンナダ語]]、[[テルグ語]]、[[タミル語]]、[[マラヤーラム語]]、ベンガル語 |- |{{flag|IDN}} |style="text-align:right;"|202,867,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|88.2 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|ジャワ人、[[スンダ人]]、[[マドゥラ人]]、[[ミナンカバウ人]]、[[ブギス人]] |style="text-align:center;"|インドネシア語、[[ジャワ語]]、[[スンダ語]]、[[マドゥラ語]]、[[ミナンカバウ語]]、[[ブギス語]] |- |{{flag|LAO}} |style="text-align:right;"|2,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|< 0.1 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|チャム人 |style="text-align:center;"|チャム語 |- |{{flag|MAC}} |style="text-align:right;"|200 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|0.03 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|回族 |style="text-align:center;"|中国語 |- |{{flag|MYS}} |style="text-align:right;"|16,581,000 |style="background:#FFCC66; text-align:center;"|60.4 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|マレー人、インド系ムスリム |style="text-align:center;"|マレー語 |- |{{flag|MDV}} |style="text-align:right;"|304,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|98.4 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[モルジブ人]] |style="text-align:center;"|[[ディベヒ語]] |- |{{flag|MNG}} |style="text-align:right;"|133,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|5.0 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|カザフ人、[[ホトン人]](回族) |style="text-align:center;"|カザフ語、中国語 |- |{{flag|MMR}} |style="text-align:right;"|1,889,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|3.8 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[ロヒンジャー]](ベンガル人)、ビルマ人ムスリム、回族([[パンデー]]) |style="text-align:center;"|ベンガル語、[[ビルマ語]]、中国語 |- |{{flag|NPL}} |style="text-align:right;"|1,231,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|4.2 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|ネパール人ムスリム |style="text-align:center;"|ネパール語 |- |{{flag|PAK}} |style="text-align:right;"|174,082,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|96.3 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[パンジャーブ人]]、[[シンド人]]、パシュトゥーン人、バルーチ人、[[ブラーフーイー人]] |style="text-align:center;"|ウルドゥー語、[[パンジャーブ語]]、[[シンディー語]]、パシュトー語、バルーチ語、[[ブラーフーイー語]] |- |{{flag|PHL}} |style="text-align:right;"|4,654,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|5.1 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[モロ人]](マラナオ人、マギンダナオ人、タウスグ人、サマル人) |style="text-align:center;"|[[マラナオ語]]、[[マギンダナオ語]]、[[タウスグ語]]、[[サマル語]] |- |{{flag|SGP}} |style="text-align:right;"|706,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|14.9 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|マレー人 |style="text-align:center;"|マレー語 |- |{{flag|LKA}} |style="text-align:right;"|1,711,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|8.5 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[スリランカ・ムーア|スリランカ・ムーア人]]、マレー人 |style="text-align:center;"|タミル語、マレー語 |- |{{flag|中華民国}}<br>([[台湾]]) |style="text-align:right;"|23,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|< 0.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|回族、インドネシア系 |style="text-align:center;"|中国語 |- |{{flag|THA}} |style="text-align:right;"|3,930,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|5.8 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|マレー人、タイ人ムスリム、回族(パンデー) |style="text-align:center;"|マレー語、[[タイ語]]、中国語 |- |{{flag|VNM}} |style="text-align:right;"|157,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|0.2 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|チャム人 |style="text-align:center;"|チャム語 |- |〇[[北アフリカ]] |style="text-align:right;"| |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|DZA}} |style="text-align:right;"|34,199,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|98.0 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人、[[カビール人]]、[[トゥアレグ人]] |style="text-align:center;"|アラビア語、[[カビル語]]、[[トゥアレグ語]] |- |{{flag|DJI}} |style="text-align:right;"|838,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|96.9 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[アファル人]]、[[ソマリ人]] |style="text-align:center;"|[[アファル語]]、[[ソマリ語]] |- |{{flag|EGY}} |style="text-align:right;"|78,513,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|94.6 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|アラブ人、[[ヌビア人]] |style="text-align:center;"|アラビア語、[[ヌビア語]] |- |{{flag|ERI}} |style="text-align:right;"|1,854,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|36.5 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|アファル人、ソマリ人 |style="text-align:center;"|アファル語、ソマリ語、アラビア語 |- |{{flag|ETH}} |style="text-align:right;"|28,063,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|33.9 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[オロモ人]]、ソマリ人、アファル人 |style="text-align:center;"|[[オロモ語]]、ソマリ語、アファル語 |- |{{flag|LBY}} |style="text-align:right;"|6,203,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|96.6 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人、トゥアレグ人 |style="text-align:center;"|アラビア語、トゥアレグ語 |- |{{flag|MRT}} |style="text-align:right;"|3,261,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99.1 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人、[[ウォロフ人]] |style="text-align:center;"|アラビア語、[[ウォロフ語]] |- |{{flag|MAR}} |style="text-align:right;"|31,993,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人、[[ベルベル人]] |style="text-align:center;"|アラビア語、[[ベルベル語]] |- |{{flag|SOM}} |style="text-align:right;"|8,995,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|98.5 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|ソマリ人 |style="text-align:center;"|ソマリ語 |- |{{flag|SDN}} |style="text-align:right;"|30,121,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|71.3 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人、[[ベジャ人]]、[[フール人]]、ヌビア人 |style="text-align:center;"|アラビア語、[[ベジャ語]]、[[フル語]]、ヌビア語 |- |{{flag|TUN}} |style="text-align:right;"|10,216,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99.5 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |[[ファイル:Flag of the Sahrawi Arab Democratic Republic.svg|border|25x20px]] [[西サハラ]] |style="text-align:right;"|510,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99.4 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人 |style="text-align:center;"|アラビア語 |- |〇[[アフリカ]]<br>([[サブサハラアフリカ|サハラ以南]]) |style="text-align:right;"| |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|AGO}} |style="text-align:right;"|190,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|BEN}} |style="text-align:right;"|2,182,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|24.4 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|[[フラニ人]]、[[ヨルバ人]]、[[ソンガイ人]] |style="text-align:center;"|[[フラニ語]]、[[ヨルバ語]]、{{仮リンク|ソンガイ語|en|Songhay languages}} |- |{{flag|BFA}} |style="text-align:right;"|9,292,000 |style="background:#FFCC66; text-align:center;"|59.0 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|[[モシ人]]、フラニ人、ソンガイ人他 |style="text-align:center;"|[[モシ語]]、フラニ語、ソンガイ語他 |- |{{flag|BDI}} |style="text-align:right;"|180,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|2 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|[[スワヒリ語]] |- |{{flag|CMR}} |style="text-align:right;"|3,498,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|17.9 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|フラニ人、[[ハウサ人]] |style="text-align:center;"|フラニ語、[[ハウサ語]] |- |{{flag|CPV}} |style="text-align:right;"|1,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|< 1 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|CAF}} |style="text-align:right;"|395,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|8.9 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|[[マバ人]] |style="text-align:center;"|[[マバ語]] |- |{{flag|TCD}} |style="text-align:right;"|6,257,000 |style="background:#FFCC66; text-align:center;"|55.8 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|アラブ人、[[テダ人]]、[[ダザ人]] |style="text-align:center;"|アラビア語、{{仮リンク|テダ語|en|Teda language}}、[[ダザ語]] |- |{{flag|COM}} |style="text-align:right;"|664,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|98.3 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|[[コモロ人]] |style="text-align:center;"|[[コモロ語]] |- |{{flag|COD}} |style="text-align:right;"|943,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.4 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|スワヒリ語 |- |{{flag|GNQ}} |style="text-align:right;"|7,600 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.0 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|GAB}} |style="text-align:right;"|140,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|9.5 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|ガンビア}} |style="text-align:right;"|1,625,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|95 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|[[マンディンカ人]] |style="text-align:center;"|[[マンディンカ語]] |- |{{flag|GHA}} |style="text-align:right;"|3,787,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|15.9 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|ハウサ人 |style="text-align:center;"|ハウサ語 |- |{{flag|ギニア}} |style="text-align:right;"|8,502,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|84.4 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|[[スス人]]、フラニ人、マンディンカ人 |style="text-align:center;"|[[スス語]]、フラニ語、マンディンカ語 |- |{{flag|GNB}} |style="text-align:right;"|680,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|42.2 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|フラニ人、マンディンカ人 |style="text-align:center;"|フラニ語、マンディンカ語 |- |{{flag|CIV}} |style="text-align:right;"|7,745,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|36.7 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|マンディンカ人 |style="text-align:center;"|マンディンカ語 |- |{{flag|KEN}} |style="text-align:right;"|2,793,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|7.0 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"|オロモ人、ソマリ人 |style="text-align:center;"|オロモ語、ソマリ語、スワヒリ語 |- |{{flag|LBR}} |style="text-align:right;"|483,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|12.2 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|マンディンカ人 |style="text-align:center;"|マンディンカ語 |- |{{flag|マダガスカル}} |style="text-align:right;"|215,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.1 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|スワヒリ語 |- |{{flag|MWI}} |style="text-align:right;"|1,955,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|12.8 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|スワヒリ語 |- |{{flag|MLI}} |style="text-align:right;"|12,040,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|92.5 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|マンディンカ人、ソンガイ人、フラニ人、トゥアレグ人 |style="text-align:center;"|マンディンカ語、ソンガイ語、フラニ語、トゥアレグ語 |- |{{flag|MOZ}} |style="text-align:right;"|5,224,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|22.8 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|スワヒリ語 |- |{{flag|NER}} |style="text-align:right;"|15,075,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|98.6 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|ハウサ人、ソンガイ人、トゥアレグ人、フラニ人 |style="text-align:center;"|ハウサ語、ソンガイ語、トゥアレグ語、フラニ語 |- |{{flag|NGA}} |style="text-align:right;"|78,056,000 |style="background:#FFCC66; text-align:center;"|50.4 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|ハウサ人、ヨルバ人、フラニ人、[[カヌリ人]]、ソンガイ人 |style="text-align:center;"|ハウサ語、ヨルバ語、フラニ語、[[カヌリ語]]、ソンガイ語 |- |{{flag|COG}} |style="text-align:right;"|59,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.6 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|RWA}} |style="text-align:right;"|182,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.8 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|スワヒリ語 |- |{{flag|SEN}} |style="text-align:right;"|12,028,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|96.0 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|ウォロフ人、マンディンカ人、フラニ人 |style="text-align:center;"|ウォロフ語、マンディンカ語、フラニ語 |- |{{flag|SLE}} |style="text-align:right;"|4,059,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|71.3 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|[[テムネ人]]、[[メンデ人]]、マンディンカ人 |style="text-align:center;"|[[テムネ語]]、[[メンデ語]]、マンディンカ語 |- |{{flag|TZA}} |style="text-align:right;"|13,218,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|30.2 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派、イバード派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|スワヒリ語 |- |{{flag|TGO}} |style="text-align:right;"|809,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|12.2 |style="text-align:center;"|マーリキ派 |style="text-align:center;"|ハウサ人 |style="text-align:center;"|ハウサ語 |- |{{flag|UGA}} |style="text-align:right;"|3,958,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|12.1 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|スワヒリ語 |- |{{flag|ZMB}} |style="text-align:right;"|58,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|0.4 |style="text-align:center;"|シャーフィイー派 |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"|スワヒリ語 |- |〇[[独立国家共同体|CIS]]諸国<br>(旧[[ソビエト連邦|ソ連]]構成国) |style="text-align:right;"| |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|ARM}} |style="text-align:right;"|1,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|< 0.1 |style="text-align:center;"|12イマーム派、ハナフィー派 |style="text-align:center;"|アゼルバイジャン人、クルド人 |style="text-align:center;"|アゼルバイジャン語、クルド語 |- |{{flag|AZE}} |style="text-align:right;"|8,765,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|99.2 |style="text-align:center;"|12イマーム派 |style="text-align:center;"|アゼルバイジャン人、[[レズギン人]] |style="text-align:center;"|アゼルバイジャン語、[[レズギ語]] |- |{{flag|BLR}} |style="text-align:right;"|19,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|< 0.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[タタール人]] |style="text-align:center;"|[[タタール語]] |- |{{flag|EST}} |style="text-align:right;"|2,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|0.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|タタール人 |style="text-align:center;"|タタール語 |- |{{flag|GEO}} |style="text-align:right;"|423,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|9.9 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[アブハズ人]]、[[アジャール人]]、アゼルバイジャン人 |style="text-align:center;"|[[アブハズ語]]、[[グルジア語]]、アゼルバイジャン語 |- |{{flag|KAZ}} |style="text-align:right;"|8,822,000 |style="background:#FFCC66; text-align:center;"|56.4 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|カザフ人、ウズベク人、[[東干人]](回族) |style="text-align:center;"|カザフ語、ウズベク語、[[東干語]](中国語) |- |{{flag|KGZ}} |style="text-align:right;"|4,734,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|86.3 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|キルギス人、ウズベク人、東干人 |style="text-align:center;"|キルギス語、ウズベク語、東干語 |- |{{flag|LVA}} |style="text-align:right;"|2,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|< 0.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|タタール人 |style="text-align:center;"|タタール語 |- |{{flag|LTU}} |style="text-align:right;"|3,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|0.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|タタール人 |style="text-align:center;"|タタール語 |- |{{flag|MDA}} |style="text-align:right;"|17,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|0.5 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|タタール人 |style="text-align:center;"|タタール語 |- |{{flag|RUS}} |style="text-align:right;"|16,482,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|11.7 |style="text-align:center;"|ハナフィー派、12イマーム派 |style="text-align:center;"|タタール人、アゼルバイジャン人、[[チェチェン人]]、[[バシキール人]]、[[アバール人]]、[[チェルケス人]] |style="text-align:center;"|タタール語、アゼルバイジャン語、[[チェチェン語]]、[[バシキール語]]、[[アバール語]]、{{仮リンク|チェルケス語|en|Circassian language}} |- |{{flag|TJK}} |style="text-align:right;"|5,848,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|84.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派、イスマーイール派 |style="text-align:center;"|タジク人、ウズベク人 |style="text-align:center;"|[[タジク語]]、ウズベク語 |- |{{flag|TKM}} |style="text-align:right;"|4,757,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|93.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|トルクメン人、ウズベク人 |style="text-align:center;"|トルクメン語、ウズベク語 |- |{{flag|UKR}} |style="text-align:right;"|456,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|1.0 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|タタール人 |style="text-align:center;"|タタール語 |- |{{flag|UZB}} |style="text-align:right;"|26,469,000 |style="background:#CC6633; text-align:center;"|96.3 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|ウズベク人、タジク人、カザフ人、[[カラカルパク人]] |style="text-align:center;"|ウズベク語、タジク語、カザフ語、[[カラカルパク語]] |- |〇[[ヨーロッパ]]<br>([[バルカン半島]]) |style="text-align:right;"| |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |{{flag|ALB}} |style="text-align:right;"|2,522,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|79.9 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[アルバニア人]] |style="text-align:center;"|[[アルバニア語]] |- |{{flag|BIH}} |style="text-align:right;"|1,522,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|40 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[ムスリム人]] |style="text-align:center;"|[[セルボクロアチア語]] |- |{{flag|BGR}} |style="text-align:right;"|920,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|12.2 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|[[ポマク]]人、トルコ人 |style="text-align:center;"|[[ブルガリア語]]、トルコ語 |- |{{flag|HRV}} |style="text-align:right;"|18,000 |style="background:#FFFFFF; text-align:center;"|< 0.1 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|ムスリム人 |style="text-align:center;"|セルボクロアチア語 |- |{{flag|GRC}} |style="text-align:right;"|310,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|3 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|トルコ人、アルバニア人 |style="text-align:center;"|トルコ語、アルバニア語 |- |{{flag|コソボ}} |style="text-align:right;"|1,999,000 |style="background:#FF9966; text-align:center;"|89.6 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|アルバニア人 |style="text-align:center;"|アルバニア語 |- |{{flag|MKD}} |style="text-align:right;"|680,000 |style="background:#FFCC33; text-align:center;"|33 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|ムスリム人、アルバニア人 |style="text-align:center;"|セルボクロアチア語、アルバニア語 |- |{{flag|MNE}} |style="text-align:right;"|111,000 |style="background:#FFFF99; text-align:center;"|17.7 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|ムスリム人、アルバニア人 |style="text-align:center;"|セルボクロアチア語、アルバニア語 |- |{{flag|SRB}} |style="text-align:right;"|244,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|3.2 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|ムスリム人、アルバニア人 |style="text-align:center;"|セルボクロアチア語、アルバニア語 |- |{{flag|SVN}} |style="text-align:right;"|49,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|2.4 |style="text-align:center;"|ハナフィー派 |style="text-align:center;"|ムスリム人 |style="text-align:center;"|セルボクロアチア語 |- |〇非[[イスラム世界|イスラム圏]]で<br>主に[[移民]]のムスリムが顕著な国家と地域 |style="text-align:right;"| |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |style="text-align:center;"| |- |- |{{flag|AUT}} |style="text-align:right;"|353,000 |style="background:#FFFFCC; text-align:center;"|4.2 |style="text-align:center;"| 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マルセイユ版タロット
マルセイユ版タロット(マルセイユばんタロット、仏:Tarot de Marseille)は、16世紀から18世紀頃のヨーロッパで、大量生産されていたカードの絵柄の総称。またはその絵柄を踏襲したタロットカードの名称。「マルセイユ版」「マルセイユ系」などと略される。 一般的には「グリモー版」のタロットカードを指して呼称する場合が多い。 歴史上、タロットカード自体のルーツを遡ると15世紀のイタリアへと辿ることができ、当時プレイングカードとして主にカードゲームなどに使われていたものが、そのままヨーロッパ各地へと伝わり、後に「何らかの要因」によって占い等の神秘的・秘教的意味合いを持つものとなっていったと見られている(タロットの項も参照)。 フランスの歴史に於いて、文献等に初めてタロットを含む「プレイングカード」に関わる言及が見られたのは1482年とされている。また、明確に「タロット」に関わる文献としてフランス最古のものは、フランソワ・ラブレーによる著書『ガルガンチュワとパンタグリュエル』であり、その第一之書に「tarau」という形で記述されている。なお、出版年は1534年となっている。その後、フランスでカードゲームが一般的なものとなるにつれて、遅くとも16世紀末頃にはリヨンやルーアンを中心としてタロットの製造が行われるようになっていた。カードの製造、即ち印刷・製紙業は地理的環境から次第に地中海沿岸部の都市でも生産が始まるようになる。地中海沿岸の都市は、当時、さまざまな情報の行き交う港町として発展しており、アジア・アフリカなど他国の文化をいち早く吸収できる環境にあった。その為、木版印刷・銅版印刷に関わる技術についても他の地方に比べ高いものを誇っており、17世紀頃にはマルセイユを始め、トゥーロン、ボルドーなどの地中海沿岸部を始め、フランスの各所でもカードが製造されるようになっていた。 フランス最古のものとして現存するタロットカードは、1557年のリヨンにてケイトリン・ジョフロイという人物によって作成されたものと見られている。このケイトリン・ジョフロイによるタロットのスートは、今日に見られるタロットのスートとは異なり、当時のトランプ(プレイングカード)のスートと共通する3種類が確認されているため、その絵柄のデザインとともに「マルセイユ版タロット」と直接共通する点は少ないとされている。歴史上遡ることのできる範囲において初めて「マルセイユ版タロット」の絵柄が確認されるのは、マルセイユではなく17世紀後半(1650年頃とされている)のパリにおいてである。ジャン・ノブレによって作成されたタロットカードが「マルセイユ版タロット」の絵柄をもつ最も古いデッキとして有力視されている。このデザインが、後にタロットカードのデザインとして一般的なものとなり、これを元にした様々なバリエーションのカードがフランス各地で生産されることとなった。それらがマルセイユ版と呼ばれるようになったのは20世紀に入ってからのことで、ニコラ・コンヴェルという18世紀のマルセイユのカードメイカーの作ったタロットを、1930年代にグリモー社が「マルセイユのタロット」の名で復刻したことに始まる。 一方、1854年のパリにおいて一人の人物が一冊の本を出版した。「エリファス・レヴィ」、本名「アルフォンス・ルイ・コンスタン」の書き記した『高等魔術の教理と祭儀』がそれである。やがてこの本に書かれたオカルティズムに基づく神秘思想は当時のパリを席巻することとなり、19世紀半ばから20世紀に至る魔術復興・オカルト思想を象徴する存在となった。同書はタロットについての解説書でもあったので、以後現代に至るまで世界各地でタロット解釈の解説書の定番の一冊とされてきた。この流れを受け、タロットにも神秘主義・カバラ思想に基づく解釈が取り入れられ、それまで製作されていたカードにも同書の解釈が当てはめられることとなった。やがてイギリスへと飛び火したタロットの神秘的解釈は、20世紀初頭の1910年、アーサー・エドワード・ウェイトによるタロットカード、すなわち黄金の夜明け団の教義に基づくカバラ思想・神秘的象徴をふんだんに取り入れた「ウェイト版タロット」として結実し、このデッキが出版されたのを皮切りに、世界中で神秘的解釈に依拠したタロットカードが製作されることとなった。 こうした流れの中、マルセイユ版タロットはその歴史、象徴体系の部分から様々な研究が進められており、一部では「マルセイユ版こそ、本来のタロットカードの姿である」といった主張が生まれるなど、他のタロットとの差別化を図ろうとする動きも出てきている。 木版画調のラフな絵柄が特徴的なカードで、現在広く用いられているウェイト版タロットとは大アルカナの配列順序が異なっている。 また、その歴史の長さなどから様々なバリエーションのものが出回っている。以下、代表的なものの一部。 この他にも、多種多様にデザインの異なるマルセイユ版タロットが作成されている。
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マルセイユ版タロットは、16世紀から18世紀頃のヨーロッパで、大量生産されていたカードの絵柄の総称。またはその絵柄を踏襲したタロットカードの名称。「マルセイユ版」「マルセイユ系」などと略される。 一般的には「グリモー版」のタロットカードを指して呼称する場合が多い。
[[画像:Jean_Dodal_Tarot_trump_01.jpg|thumb|160px|マルセイユ版(ジャン・ドーダル版)タロットの魔術師]] '''マルセイユ版タロット'''(マルセイユばんタロット、[[フランス語|仏]]:''Tarot de Marseille'')は、[[16世紀]]から[[18世紀]]頃のヨーロッパで、大量生産されていたカードの絵柄の総称。またはその絵柄を踏襲した[[タロット|タロットカード]]の名称。「マルセイユ版」「マルセイユ系」などと略される。 一般的には「グリモー版」のタロットカードを指して呼称する場合が多い。 == 歴史 == === 起源とフランスへの伝来 === 歴史上、[[タロット|タロットカード]]自体のルーツを遡ると[[15世紀]]の[[イタリア]]へと辿ることができ、当時[[トランプ|プレイングカード]]として主に[[カードゲーム]]などに使われていたものが、そのまま[[ヨーロッパ]]各地へと伝わり、後に「何らかの要因」によって占い等の神秘的・秘教的意味合いを持つものとなっていったと見られている([[タロット]]の項も参照)。 [[フランス]]の歴史に於いて、文献等に初めてタロットを含む「プレイングカード」に関わる言及が見られたのは[[1482年]]とされている<ref>「古フランス語の辞書」に『「[[トライアンフ]]」という言葉が「カードゲーム」に使用され始めた』とある。トライアンフとは、後に「タロット」を指す言葉としても使用されるが、この時点では「トランプ」を指す言葉か「タロット」を指す言葉かは意見が分かれる。</ref>。また、明確に「タロット」に関わる文献としてフランス最古のものは、[[フランソワ・ラブレー]]による著書『[[ガルガンチュワとパンタグリュエル]]』であり、その第一之書に「'''tarau'''」という形で記述されている。なお、出版年は[[1534年]]となっている。その後、フランスでカードゲームが一般的なものとなるにつれて、遅くとも16世紀末頃には[[リヨン]]や[[ルーアン]]を中心としてタロットの製造が行われるようになっていた。カードの製造、即ち印刷・製紙業は地理的環境から次第に地中海沿岸部の都市でも生産が始まるようになる。地中海沿岸の都市は、当時、さまざまな情報の行き交う港町として発展しており、アジア・アフリカなど他国の文化をいち早く吸収できる環境にあった。その為、木版印刷・銅版印刷に関わる技術についても他の地方に比べ高いものを誇っており、[[17世紀]]頃にはマルセイユを始め、[[トゥーロン]]、[[ボルドー]]などの地中海沿岸部を始め、フランスの各所でもカードが製造されるようになっていた。 === マルセイユ・タロットの出現とオカルティズムの影響 === [[Image:Eliphas Levi 1862.jpg|thumb|120px|[[エリファス・レヴィ]]の肖像。1862年当時のもの。]] フランス最古のものとして現存するタロットカードは、[[1557年]]の[[リヨン]]にて'''ケイトリン・ジョフロイ'''という人物によって作成されたものと見られている<ref>現存する38枚のみが、[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]の「クンストハンドヴェルク博物館」に所蔵されている。なお、現存するもののみに限られるが、カードに振り分けられた番号は、現在のマルセイユ版と同様のものとなっている。</ref>。このケイトリン・ジョフロイによるタロットの[[スート]]は、今日に見られるタロットのスートとは異なり、当時の[[トランプ]](プレイングカード)のスートと共通する3種類が確認されているため、その絵柄のデザインとともに「マルセイユ版タロット」と直接共通する点は少ないとされている。歴史上遡ることのできる範囲において初めて「マルセイユ版タロット」の絵柄が確認されるのは、マルセイユではなく[[17世紀]]後半([[1650年]]頃とされている)の[[パリ]]においてである。'''ジャン・ノブレ'''によって作成されたタロットカードが「マルセイユ版タロット」の絵柄をもつ最も古いデッキとして有力視されている<ref>これより以前に、[[イタリア]]において「[[月 (タロット)|月]]」をはじめとする数種のカードと酷似するタロットが発見されている([[イェール大学]]の[[図書館|ライブラリー]]所蔵)が、カード全ての絵柄のデザインの類似性、各カードに与えられた番号の順番が同一であるといった部分から、ジャン・ノブレの作品が実質的に「マルセイユ版タロット」の原型であると考えられている。「[[フランス国立図書館]]」所蔵。</ref>。このデザインが、後にタロットカードのデザインとして一般的なものとなり、これを元にした様々なバリエーションのカードがフランス各地で生産されることとなった。それらがマルセイユ版と呼ばれるようになったのは20世紀に入ってからのことで、ニコラ・コンヴェルという18世紀のマルセイユのカードメイカーの作ったタロットを、1930年代にグリモー社が「マルセイユのタロット」の名で復刻したことに始まる<ref>[[鏡リュウジ]] 『タロットの秘密』 講談社〈講談社現代新書〉、2017年、58頁。</ref>。 一方、[[1854年]]のパリにおいて一人の人物が一冊の本を出版した。「'''[[エリファス・レヴィ]]'''」、本名「アルフォンス・ルイ・コンスタン」の書き記した『高等魔術の教理と祭儀』がそれである。やがてこの本に書かれた[[神秘学|オカルティズム]]に基づく[[神秘]]思想は当時のパリを席巻することとなり、[[19世紀]]半ばから[[20世紀]]に至る[[魔術]]復興・[[オカルト]]思想を象徴する存在となった。同書はタロットについての解説書でもあったので、以後現代に至るまで世界各地でタロット解釈の解説書の定番の一冊とされてきた。この流れを受け、タロットにも神秘主義・[[カバラ]]思想に基づく解釈が取り入れられ<ref>それ以前の[[1781年]]に「[[クール・ド・ジェブラン]]」の著書『原始世界』によって[[エジプト]]神秘学と結びつけた解釈が行われ、[[1789年]]には歴史上初めてのタロット占い師とされている[[エッティラ]](本名・ジャン・バプティスト・アリエッテ)によってカードも作成されている。</ref>、それまで製作されていたカードにも同書の解釈が当てはめられることとなった。やがて[[イギリス]]へと飛び火したタロットの神秘的解釈は、[[20世紀]]初頭の[[1910年]]、[[アーサー・エドワード・ウェイト]]によるタロットカード、すなわち[[黄金の夜明け団]]の教義に基づくカバラ思想・神秘的象徴をふんだんに取り入れた「[[ウェイト版タロット]]」として結実し、このデッキが出版されたのを皮切りに、世界中で神秘的解釈に依拠したタロットカードが製作されることとなった。 こうした流れの中、マルセイユ版タロットはその歴史、象徴体系の部分から様々な研究が進められており、一部では「マルセイユ版こそ、本来のタロットカードの姿である」といった主張が生まれるなど、他のタロットとの差別化を図ろうとする動きも出てきている。 == 主な特徴と代表的なマルセイユ版タロット == 木版画調のラフな絵柄が特徴的なカードで、現在広く用いられている[[ウェイト版タロット]]とは大アルカナの配列順序が異なっている。 * マルセイユ版:カード番号'''8は「正義」'''、'''11は「力」'''。 * ウェイト版:カード番号'''8は「力」'''、'''11は「正義」'''。 また、その歴史の長さなどから様々なバリエーションのものが出回っている。以下、代表的なものの一部。 ; ''Ancien Tarot de Marseille'' : [[1848年]]にバプティスト・ポール・グリモー(Baptiste Paul Grimaud)が創業したフランスのカードメーカー、フランス・カルタ社のタロットカード。俗に言う「グリモー版」。 ; ''Universal Tarot of Marseille'' : イタリアのLO SCARABEO社から発行されているタロットカード。下記のクラウド・バーデルのデザインを現代風に復刻したものである。 ; ''Tarot Classic'' : [[1751年]]にクラウド・バーデル(Claude Burdel)によって作成された木版タロットカードの復刻版。[[スイス]]のAGM社やイタリアのLO SCARABEO社などから発行されている。 ; ''Tarot Vieville'' : [[1650年]]頃のパリにてジャック・ヴィエヴィル(Jack Vieville)によって作成された木版タロットカードの復刻版。「[[#歴史|歴史]]」に記載されているジャン・ノブレのものと同時期に作成されたものであり、そのデザイン等から様々な研究の対象となっている<ref>ジャック・ヴィエヴィルのデザインでは「[[吊るされた男]]」が現在のものとは上下逆(つまり頭が上方にある為「首吊り男」のようになっている)であったり、「[[世界 (タロット)|世界]]」に描かれる人物が男性の様であったりと、現在で一般的とされているデザインと相違する部分が随所に見られる。なお、この相違点を神秘的・象徴的に解釈するものもあれば、単なるミスプリントと解釈するものもある。</ref>。 ; ''Ancient Tarots of Marseilles'' : [[1760年]]にニコラ・コンヴェル(Nicolas Conver)によって作成された木版タロットカードの復刻版。なお、このデザインの木版を所有するカモワン社によって[[カモワン・タロット]]が作成されている。 この他にも、多種多様にデザインの異なるマルセイユ版タロットが作成されている。 == 参考図版 == <center> <gallery> ファイル:Jean Dodal Tarot trump Fool.jpg|[[愚者]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 01.jpg|[[魔術師 (タロット)|魔術師]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 02.jpg|[[女教皇]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 03.jpg|[[女帝 (タロット)|女帝]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 04.jpg|[[皇帝 (タロット)|皇帝]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 05.jpg|[[教皇 (タロット)|教皇]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 06.jpg|[[恋人 (タロット)|恋人]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 07.jpg|[[戦車 (タロット)|戦車]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 08.jpg|[[正義 (タロット)|正義]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 09.jpg|[[隠者 (タロット)|隠者]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 10.jpg|[[運命の輪]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 11.jpg|[[力 (タロット)|力]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 12.jpg|[[吊された男]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 13.jpg|[[死神 (タロット)|死神]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 14.jpg|[[節制 (タロット)|節制]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 15.jpg|[[悪魔 (タロット)|悪魔]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 16.jpg|[[塔 (タロット)|塔]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 17.jpg|[[星 (タロット)|星]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 18.jpg|[[月 (タロット)|月]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 19.jpg|[[太陽 (タロット)|太陽]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 20.jpg|[[審判 (タロット)|審判]] ファイル:Jean Dodal Tarot trump 21.jpg|[[世界 (タロット)|世界]] </gallery> </center> == 脚注 == <div class="references-small"><references/></div> == 参考文献 == * 伊泉龍一『タロット大全』ISBN 9784314009645 == 関連項目 == * [[タロット]] * [[大アルカナ]] {{Tarot}} {{デフォルトソート:まるせいゆはんたろつと}} [[Category:タロットデッキ]] [[Category:マルセイユの文化|たろつと]]
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ウェイト版タロット
ウェイト版タロット(ウェイトばんタロット、Rider Waite Tarot)とは、アーサー・エドワード・ウェイトが黄金の夜明け団の解釈に基づいてデザインし、パメラ・コールマン・スミスに描かせたタロットの通称。1909年にロンドンのライダー社から発売されたことから、ライダー版とも呼ばれる。 アール・ヌーヴォー調の親しみやすい絵柄で大ブームとなる。以後、イギリスでタロットと言えば、ほとんどこれを指すほどになった。 このタロットカードは、当時アーサー・エドワード・ウエイトが所属していた魔術結社「黄金の夜明け団(ゴールデン・ドーン)」の内部文書や「Tの書」などを元に作られており、絵はコールマン・スミスが担当。 黄金の夜明け団が教義の中心に据えていたカバラ的見地に基づいて整理・調整され、大アルカナのみならず、本来数札である小アルカナまで、全てが絵で表されているのが特徴。カードの順番も、黄金の夜明け団の西洋占星術的解釈に基づいて『力』と『正義』のカードが、従来の並び方と入れ替わっている。 しかし、タロットと同時に著された解説書には、団内文書やクロウリーの残した「777の書」などと違い、古くから一般的に使われてきた「逆位置解釈」が盛り込まれている。現代でも魔術結社の多くが逆位置解釈を採用していない事から見ても、団内の知識が安易に流出する事を避けたのではないかと思われる。 それ以外にも、カードの絵に使われている色彩が、実際のカード対応色と違っているものが78枚の内に数枚あると研究者は語っている。この色彩に関しては、戦後、印刷技術の発達や、商品としての美しさを求めてかなり改変されていることは明らかで、現在では本来の色彩を復刻したオリジナル版が発売されている。
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ウェイト版タロットとは、アーサー・エドワード・ウェイトが黄金の夜明け団の解釈に基づいてデザインし、パメラ・コールマン・スミスに描かせたタロットの通称。1909年にロンドンのライダー社から発売されたことから、ライダー版とも呼ばれる。 アール・ヌーヴォー調の親しみやすい絵柄で大ブームとなる。以後、イギリスでタロットと言えば、ほとんどこれを指すほどになった。
{{double image|right|RWS Tarot 10 Wheel of Fortune.jpg|140|RWS Tarot 21 World.jpg|140|ウェイト版タロット}} '''ウェイト版タロット'''(ウェイトばんタロット、Rider Waite Tarot)とは、[[アーサー・エドワード・ウェイト]]が[[黄金の夜明け団]]の解釈に基づいてデザインし、[[パメラ・コールマン・スミス]]に描かせた[[タロット]]の通称。[[1909年]]にロンドンのライダー社から発売されたことから、ライダー版とも呼ばれる。 [[アール・ヌーヴォー]]調の親しみやすい絵柄で大ブームとなる。以後、イギリスでタロットと言えば、ほとんどこれを指すほどになった。 ==主な特徴== *[[小アルカナ]]を含めて全てのカードが絵札で[[占い]]に使いやすい。 *[[大アルカナ]]の「[[正義 (タロット)|正義]]」と「[[力 (タロット)|力]]」のカード番号(8と11)が入れ替わっている。 :すなわち、[[マルセイユ版タロット]](旧来の順番):カード番号8は「正義」、11は「力」。一方、このウェイト版:カード番号8は「力」、11は「正義」。 *大アルカナの「[[愚者]]」のカードに0の番号が与えられている。 ==逸話== このタロットカードは、当時アーサー・エドワード・ウエイトが所属していた魔術結社「[[黄金の夜明け団]](ゴールデン・ドーン)」の内部文書や「Tの書」などを元に作られており、絵はコールマン・スミスが担当。 黄金の夜明け団が教義の中心に据えていた[[カバラ]]的見地に基づいて整理・調整され、大アルカナのみならず、本来数札である小アルカナまで、全てが絵で表されているのが特徴。カードの順番も、黄金の夜明け団の[[西洋占星術]]的解釈に基づいて『力』と『正義』のカードが、従来の並び方と入れ替わっている。 しかし、タロットと同時に著された解説書には、団内文書や[[アレイスター・クロウリー|クロウリー]]の残した「777の書」などと違い、古くから一般的に使われてきた「逆位置解釈」が盛り込まれている。現代でも魔術結社の多くが逆位置解釈を採用していない事から見ても、団内の知識が安易に流出する事を避けたのではないかと思われる。 それ以外にも、カードの絵に使われている色彩が、実際のカード対応色と違っているものが78枚の内に数枚あると研究者は語っている。この色彩に関しては、戦後、[[印刷]]技術の発達や、商品としての美しさを求めてかなり改変されていることは明らかで、現在では本来の色彩を復刻したオリジナル版が発売されている。 == 関連項目== * 『[[タロット図解]]』 (''The Pictorial Key to the Tarot'') == 大アルカナ == <center> <gallery> File:RWS Tarot 00 Fool.jpg|0 – [[愚者]] File:RWS Tarot 01 Magician.jpg|I – [[魔術師 (タロット)|魔術師]] File:RWS Tarot 02 High Priestess.jpg|II – [[女教皇]] File:RWS Tarot 03 Empress.jpg|III – [[女帝 (タロット)|女帝]] File:RWS Tarot 04 Emperor.jpg|IV – [[皇帝 (タロット)|皇帝]] File:RWS Tarot 05 Hierophant.jpg|V – [[教皇 (タロット)|教皇]] File:TheLovers.jpg|VI – [[恋人 (タロット)|恋人]] File:RWS Tarot 07 Chariot.jpg|VII – [[戦車 (タロット)|戦車]] File:RWS Tarot 08 Strength.jpg|VIII – [[力 (タロット)|力]] File:RWS Tarot 09 Hermit.jpg|IX – [[隠者 (タロット)|隠者]] File:RWS Tarot 10 Wheel of Fortune.jpg|X – [[運命の輪]] File:RWS Tarot 11 Justice.jpg|XI – [[正義 (タロット)|正義]] File:RWS Tarot 12 Hanged Man.jpg|XII – [[吊された男]] File:RWS Tarot 13 Death.jpg|XIII – [[死神 (タロット)|死神]] File:RWS Tarot 14 Temperance.jpg|XIV – [[節制 (タロット)|節制]] File:RWS Tarot 15 Devil.jpg|XV – [[悪魔 (タロット)|悪魔]] File:RWS Tarot 16 Tower.jpg|XVI – [[塔 (タロット)|塔]] File:RWS Tarot 17 Star.jpg|XVII – [[星 (タロット)|星]] File:RWS Tarot 18 Moon.jpg|XVIII – [[月 (タロット)|月]] File:RWS Tarot 19 Sun.jpg|XIX – [[太陽 (タロット)|太陽]] File:RWS Tarot 20 Judgement.jpg|XX – [[審判 (タロット)|審判]] File:RWS Tarot 21 World.jpg|XXI – [[世界 (タロット)|世界]] </gallery> </center> == 小アルカナ == === [[ワンド (タロット)|ワンド]] === <center> <gallery> File:Wands01.jpg|[[ワンドのエース|エース]] File:Wands02.jpg|2 File:Wands03.jpg|3 File:Wands04.jpg|4 File:Wands05.jpg|5 File:Wands06.jpg|6 File:Wands07.jpg|7 File:Wands08.jpg|8 File:Tarot Nine of Wands.jpg|9 File:Wands10.jpg|10 File:Wands11.jpg|ペイジ File:Wands12.jpg|ナイト File:Wands13.jpg|クイーン File:Wands14.jpg|キング </gallery> </center> === [[カップ (タロット)|カップ]] === <center> <gallery> File:Cups01.jpg|エース File:Cups02.jpg|2 File:Cups03.jpg|3 File:Cups04.jpg|4 File:Cups05.jpg|5 File:Cups06.jpg|6 File:Cups07.jpg|7 File:Cups08.jpg|8 File:Cups09.jpg|9 File:Cups10.jpg|10 File:Cups11.jpg|ペイジ File:Cups12.jpg|ナイト File:Cups13.jpg|クイーン File:Cups14.jpg|キング </gallery> </center> === [[コイン (タロット)|コイン]] === <center> <gallery> File:Pents01.jpg|エース File:Pents02.jpg|2 File:Pents03.jpg|3 File:Pents04.jpg|4 File:Pents05.jpg|5 File:Pents06.jpg|6 File:Pents07.jpg|7 File:Pents08.jpg|8 File:Pents09.jpg|9 File:Pents10.jpg|10 File:Pents11.jpg|ペイジ File:Pents12.jpg|ナイト File:Pents13.jpg|クイーン File:Pents14.jpg|キング </gallery> </center> === [[ソード (タロット)|ソード]] === <center> <gallery> File:Swords01.jpg|エース File:Swords02.jpg|2 File:Swords03.jpg|3 File:Swords04.jpg|4 File:Swords05.jpg|5 File:Swords06.jpg|6 File:Swords07.jpg|7 File:Swords08.jpg|8 File:Swords09.jpg|9 File:Swords10.jpg|10 File:Swords11.jpg|ペイジ File:Swords12.jpg|ナイト File:Swords13.jpg|クイーン File:Swords14.jpg|キング </gallery> </center> == 外部リンク == * [http://trionfi.com/0/s/ Tarot Museum] {{Tarot}} {{DEFAULTSORT:うえいとはんたろつと}} [[Category:タロットデッキ]] [[Category:魔術系タロット]] [[Category:ヘルメス的カバラ]]
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ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット
ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット(ヴィスコンティ・スフォルツァばんタロット、Visconti Sforza Tarocchi)とは、15世紀後半にミラノ公のフランチェスコ・スフォルツァなどが、画家に描かせた、様々な博物館、図書館、そして世界中の個人コレクションに散らばる、約15デッキのタロットを総称したものである。 現存する最古のタロットとして知られ、現在標準とされているマルセイユ版とは絵柄などにかなりの違いが見られる。 また、悪魔、塔が欠落しており、最初から無かったのか、散逸したのかをめぐって研究家の間でも意見が分かれている。 完全なデッキは残されていないが、コレクションによっては、同一のカードで構成された、多くの絵札が残されているものもある。 最も有名な三大コレクションについては、以下で詳細に説明する。 1967年にイェール大学図書館に寄贈されたキャリー家のカードゲームのコレクションにあった事から、このデッキはキャリー・イェール版と呼ばれる。またこれはヴィスコンティ・ディ・モドローネ版としても知られ、少なくとも1466年に遡るとされている。またフィリッポ・マリア・ヴィスコンティの注文によるセットという学説もあり、このデッキが最古である可能性もある。学者ジョルダーノ・ベルティ(en:Giordano Berti)の学説によれば、このデッキは1442年と1447年の間に製作されたとされる。キャリー・イェール版は通常の大アルカナの他に「信仰」「希望」「慈善」の三枚のカードが加えられている(それぞれ「教皇」「星」「女教皇」の替りに入れられたとみる説もある)。また、通常の人物札(王・女王・騎士・ペイジ)の他に、「女騎士」と「メイド」が加えられている。よって制作時には86枚で構成されていたと考えられる。現在は11枚の大アルカナ、17枚の人物札、金貨の3を除いた数札39枚の、計67枚が現存する。札のサイズは 189 × 90 mm。 すべての大アルカナと人物札の背景は金箔で装飾されている。また、すべての数札の背景は銀で装飾されている。 1909年、ヴェネツィアでこのデッキを取得したジョヴァンニ・ブランビラの名前にちなみ名付けられた。1971年にはイタリアのミラノにあるブレラ美術館の目録に乗っていた。 1463年にフランチェスコ・スフォルツァ の注文でボニファチオ・ベンボ(en:Bonifacio Bembo)(1447 年-1477年活躍)によって描かれた。 現在48枚が現存している。そのうち大アルカナは皇帝と運命の輪の2枚が現存するのみである。札のサイズは180 × 90 mm。すべての大アルカナと人物札の背景は金箔で装飾されている。また、すべての数札の背景は銀で装飾されている。金貨の4を除く全数札と、杯の騎士とペイジ、金貨の騎士とペイジ、棒の女王と騎士とペイジが現存している 別名コッレオーニ・バリオーニ版ともフランチェスコ・スフォルツァ版とも呼ばれる。このデッキは、1451年前後に制作された。 もともとは78枚で構成されていたと考えられる。現在では20枚の大アルカナ、15枚の人物札、そして39枚の数札の、合計74枚が残る。このデッキのうち35枚をモルガン・ライブラリーが所蔵している。アッカデミア・カッラーラ美術館が26枚を所蔵。残りの13枚を、ベルガモ地方のコッレオーニ家が個人所蔵している。大アルカナの悪魔と塔のカードが欠落している。大アルカナと人物札は背景に金箔が使用されている。数札の背景はクリーム色をベースに花と蔓をモチーフにした装飾が施されている。全てのカードに青い縁取りが装飾されている。札のサイズは173 × 87 mm。 上記のイェール大学には他にも1450年頃の、以下の16枚が残るデッキが所蔵されている。ただし、これは所謂「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」ではなく、エステ家のタロットである。 画像はBeinecke Rare Book & Manuscript Libraryを参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット(ヴィスコンティ・スフォルツァばんタロット、Visconti Sforza Tarocchi)とは、15世紀後半にミラノ公のフランチェスコ・スフォルツァなどが、画家に描かせた、様々な博物館、図書館、そして世界中の個人コレクションに散らばる、約15デッキのタロットを総称したものである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "現存する最古のタロットとして知られ、現在標準とされているマルセイユ版とは絵柄などにかなりの違いが見られる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "また、悪魔、塔が欠落しており、最初から無かったのか、散逸したのかをめぐって研究家の間でも意見が分かれている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "完全なデッキは残されていないが、コレクションによっては、同一のカードで構成された、多くの絵札が残されているものもある。 最も有名な三大コレクションについては、以下で詳細に説明する。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1967年にイェール大学図書館に寄贈されたキャリー家のカードゲームのコレクションにあった事から、このデッキはキャリー・イェール版と呼ばれる。またこれはヴィスコンティ・ディ・モドローネ版としても知られ、少なくとも1466年に遡るとされている。またフィリッポ・マリア・ヴィスコンティの注文によるセットという学説もあり、このデッキが最古である可能性もある。学者ジョルダーノ・ベルティ(en:Giordano Berti)の学説によれば、このデッキは1442年と1447年の間に製作されたとされる。キャリー・イェール版は通常の大アルカナの他に「信仰」「希望」「慈善」の三枚のカードが加えられている(それぞれ「教皇」「星」「女教皇」の替りに入れられたとみる説もある)。また、通常の人物札(王・女王・騎士・ペイジ)の他に、「女騎士」と「メイド」が加えられている。よって制作時には86枚で構成されていたと考えられる。現在は11枚の大アルカナ、17枚の人物札、金貨の3を除いた数札39枚の、計67枚が現存する。札のサイズは 189 × 90 mm。", "title": "キャリー・イェール版(Cary-Yale)" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "すべての大アルカナと人物札の背景は金箔で装飾されている。また、すべての数札の背景は銀で装飾されている。", "title": "キャリー・イェール版(Cary-Yale)" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1909年、ヴェネツィアでこのデッキを取得したジョヴァンニ・ブランビラの名前にちなみ名付けられた。1971年にはイタリアのミラノにあるブレラ美術館の目録に乗っていた。", "title": "ブレラ・ブランビラ版(Brera-Brambilla)" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1463年にフランチェスコ・スフォルツァ の注文でボニファチオ・ベンボ(en:Bonifacio Bembo)(1447 年-1477年活躍)によって描かれた。", "title": "ブレラ・ブランビラ版(Brera-Brambilla)" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "現在48枚が現存している。そのうち大アルカナは皇帝と運命の輪の2枚が現存するのみである。札のサイズは180 × 90 mm。すべての大アルカナと人物札の背景は金箔で装飾されている。また、すべての数札の背景は銀で装飾されている。金貨の4を除く全数札と、杯の騎士とペイジ、金貨の騎士とペイジ、棒の女王と騎士とペイジが現存している", "title": "ブレラ・ブランビラ版(Brera-Brambilla)" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "別名コッレオーニ・バリオーニ版ともフランチェスコ・スフォルツァ版とも呼ばれる。このデッキは、1451年前後に制作された。 もともとは78枚で構成されていたと考えられる。現在では20枚の大アルカナ、15枚の人物札、そして39枚の数札の、合計74枚が残る。このデッキのうち35枚をモルガン・ライブラリーが所蔵している。アッカデミア・カッラーラ美術館が26枚を所蔵。残りの13枚を、ベルガモ地方のコッレオーニ家が個人所蔵している。大アルカナの悪魔と塔のカードが欠落している。大アルカナと人物札は背景に金箔が使用されている。数札の背景はクリーム色をベースに花と蔓をモチーフにした装飾が施されている。全てのカードに青い縁取りが装飾されている。札のサイズは173 × 87 mm。", "title": "ピアポント・モルガン・ベルガモ版(Pierpont-Morgan-Bergamo)" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "上記のイェール大学には他にも1450年頃の、以下の16枚が残るデッキが所蔵されている。ただし、これは所謂「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」ではなく、エステ家のタロットである。", "title": "参考" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "画像はBeinecke Rare Book & Manuscript Libraryを参照。", "title": "参考" } ]
ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロットとは、15世紀後半にミラノ公のフランチェスコ・スフォルツァなどが、画家に描かせた、様々な博物館、図書館、そして世界中の個人コレクションに散らばる、約15デッキのタロットを総称したものである。 現存する最古のタロットとして知られ、現在標準とされているマルセイユ版とは絵柄などにかなりの違いが見られる。 また、悪魔、塔が欠落しており、最初から無かったのか、散逸したのかをめぐって研究家の間でも意見が分かれている。 完全なデッキは残されていないが、コレクションによっては、同一のカードで構成された、多くの絵札が残されているものもある。 最も有名な三大コレクションについては、以下で詳細に説明する。
[[ファイル:Sforzawheel.jpg|thumb|ヴィスコンティ・スフォルツァ版の[[運命の輪]]]] '''ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット'''(ヴィスコンティ・スフォルツァばんタロット、'''Visconti Sforza Tarocchi''')とは、[[15世紀]]後半に[[ミラノの支配者一覧|ミラノ公]]の[[フランチェスコ・スフォルツァ]]などが、画家に描かせた、様々な博物館、図書館、そして世界中の個人コレクションに散らばる、約15デッキの[[タロット]]を総称したものである。 現存する最古のタロットとして知られ、現在標準とされている[[マルセイユ版タロット|マルセイユ版]]とは絵柄などにかなりの違いが見られる。 また、[[悪魔 (タロット)|悪魔]]、[[塔 (タロット)|塔]]が欠落しており、最初から無かったのか、散逸したのかをめぐって研究家の間でも意見が分かれている。 完全なデッキは残されていないが、コレクションによっては、同一のカードで構成された、多くの絵札が残されているものもある。 最も有名な三大コレクションについては、以下で詳細に説明する。 ==キャリー・イェール版(Cary-Yale)== 1967年に[[イェール大学]]図書館に寄贈されたキャリー家のカードゲームのコレクションにあった事から、このデッキはキャリー・イェール版と呼ばれる。またこれはヴィスコンティ・ディ・モドローネ版としても知られ、少なくとも'''1466年'''に遡るとされている。またフィリッポ・マリア・ヴィスコンティの注文によるセットという学説もあり、このデッキが最古である可能性もある。学者ジョルダーノ・ベルティ([[:en:Giordano Berti]])の学説によれば、このデッキは'''1442年と1447年の間'''に製作されたとされる。キャリー・イェール版は通常の大アルカナの他に「信仰」「希望」「慈善」の三枚のカードが加えられている(それぞれ「教皇」「星」「女教皇」の替りに入れられたとみる説もある)。また、通常の人物札(王・女王・騎士・ペイジ)の他に、「女騎士」と「メイド」が加えられている。よって制作時には86枚で構成されていたと考えられる。現在は11枚の大アルカナ、17枚の人物札、金貨の3を除いた数札39枚の、計67枚が現存する。札のサイズは 189 × 90 mm。 すべての大アルカナと人物札の背景は金箔で装飾されている。また、すべての数札の背景は銀で装飾されている。 ==ブレラ・ブランビラ版(Brera-Brambilla)== 1909年、ヴェネツィアでこのデッキを取得したジョヴァンニ・ブランビラの名前にちなみ名付けられた。1971年には[[イタリア]]の[[ミラノ]]にある[[ブレラ美術館]]の目録に乗っていた。 '''1463年'''に[[フランチェスコ・スフォルツァ]] の注文でボニファチオ・ベンボ([[:en:Bonifacio Bembo]])(1447 年-1477年活躍)によって描かれた。 現在48枚が現存している。そのうち大アルカナは皇帝と運命の輪の2枚が現存するのみである。札のサイズは180 × 90 mm。すべての大アルカナと人物札の背景は金箔で装飾されている。また、すべての数札の背景は銀で装飾されている。金貨の4を除く全数札と、杯の騎士とペイジ、金貨の騎士とペイジ、棒の女王と騎士とペイジが現存している ==ピアポント・モルガン・ベルガモ版(Pierpont-Morgan-Bergamo)== 別名コッレオーニ・バリオーニ版ともフランチェスコ・スフォルツァ版とも呼ばれる。このデッキは、'''1451年前後'''に制作された。 もともとは78枚で構成されていたと考えられる。現在では20枚の大アルカナ、15枚の人物札、そして39枚の数札の、合計74枚が残る。このデッキのうち35枚を[[モルガン・ライブラリー]]が所蔵している。[[アッカデミア・カッラーラ]]美術館が26枚を所蔵。残りの13枚を、ベルガモ地方のコッレオーニ家が個人所蔵している。大アルカナの悪魔と塔のカードが欠落している。大アルカナと人物札は背景に金箔が使用されている。数札の背景はクリーム色をベースに花と蔓をモチーフにした装飾が施されている。全てのカードに青い縁取りが装飾されている。札のサイズは173 × 87 mm<ref>[http://www.themorgan.org/collections/collections.asp?id=92 The Morgan Library & Museum]</ref>。 == 参考 == 上記のイェール大学には他にも'''1450年頃'''の、以下の16枚が残るデッキが所蔵されている。ただし、これは所謂「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」ではなく、エステ家のタロットである。 * 剣の王・女王・騎士 * 棒の王・騎士・ペイジ * 金貨の王 * カップの女王 * 魔術師・教皇・節制・星・月・太陽・世界・愚者 画像は[http://brbl-dl.library.yale.edu/vufind/Search/Results?lookfor=%22ITA+103%22&type=CallNumber&view=grid Beinecke Rare Book &amp; Manuscript Library]を参照。 ==代表的な3デッキの比較表== ===大アルカナ=== {| class="wikitable" style="text-align: center; width: 48%; clear: both;" !width="25%"| デッキ !width="25%"| キャリー・イェール版 !width="25%"| ブレラ・ブランビラ版 !width="25%"| ピアポント・モルガン・ベルガモ版 |- ! colspan="4" | 通常の大アルカナ |- !''愚者'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Bembo-Visconti-tarot-arcanum-fool.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''魔術師'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Magician visconti.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''女教皇'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Bonifacio Bembo.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''女帝'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Empress cary yale.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Dama di spade.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''皇帝'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - The Emperor.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck BBV-05.jpg|70px]]<br><small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Re di spade.jpg|70px]]<br /><small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''教皇'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. The Hierophant.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''恋人'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - The Lovers.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. lovers.jpg|70px]]<br><small>モルガン図書館</small> |- !''戦車'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Chariot.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. The Chariot.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''正義'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#f2f2ac"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. Justice.jpg|70px]]<br /><small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''隠者'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Hermit Visconti-Sforza tarot.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''運命の輪'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#60bbea"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck 10.jpg|70px]]<br><small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Sforzawheel.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''剛毅'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Strength.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#42cc99"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. Strength.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''吊られた男'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. The Hanged Man.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''死'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Death.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. Death.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''節制'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#42cc99"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. Temperance.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''悪魔'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |- !''塔'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |- !''星'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#e6e6a1"| [[File:Star visconti-sforza.jpg|70px]]<br /><small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''月'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#e6e6a1"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. moon.jpg|70px]]<br><small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''太陽'' |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#42cc99"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. Sun.jpg|70px]]<br><small>モルガン図書館</small> |- !''審判'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Judgement.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. Judgement.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''世界'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - World.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| 消失 |bgcolor="#e6e6a1"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck. The World.jpg|70px]]<br /><small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- ! colspan="4" | 通常版にはない大アルカナ |- !''信仰'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Faith.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''希望'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Hope.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''慈善'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Charity.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |} ===小アルカナ(数札)=== {| class="wikitable" style="text-align: center; width: 48%; clear: left; float: left" !colspan="4"| 金貨 |- !width="25%"| デッキ !width="25%"| キャリー・イェール版 !width="25%"| ブレラ・ブランビラ版 !width="25%"| ピアポント・モルガン・ベルガモ版 |- !''王'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - King of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''女王'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Queen of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Queen of Coins - Visconti-Sforza.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''騎士'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Knight of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''女騎士'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Horsewoman of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''ペイジ'' |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''メイド'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Damsel of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''10'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Ten of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''9'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Nine of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''8'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Eight of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''7'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Seven of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Sette di denari.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''6'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Six of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''5'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Five of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''4'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Four of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''3'' |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''2'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Two of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''1'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Ace of Coins.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |} {| class="wikitable" style="text-align: center; width: 48%; clear: right; float: right" !colspan="4"| 剣 |- !width="25%"| デッキ !width="25%"| キャリー・イェール版 !width="25%"| ブレラ・ブランビラ版 !width="25%"| ピアポント・モルガン・ベルガモ版 |- !''王'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - King of Sword.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''女王'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Queen of Swords.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| [[File:Bonifacio bembo, regina di spade.jpg|70px]]<br /><small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Queen of Swords sforza-viscoti.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''騎士'' |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#f2f2ac"| [[File:Visconti-Sforza tarot deck..jpg|70px]]<br><small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''女騎士'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Horsewoman of Swords.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''ペイジ'' |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''メイド'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Damsel of Swords.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''10'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Ten of Sword.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''9'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Nine of Spades.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''8'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Eight of Swords.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''7'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Seven of Swords.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''6'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Six of Swords.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''5'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Five of Spades.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |- !''4'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Four of Spades.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''3'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Three of Spades.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| [[File:Tre di spade.jpg|70px]]<br /><small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''2'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Two of Spades.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''1'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Ace of Spades.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |} {| class="wikitable" style="text-align: center; width: 48%; clear: left; float: left" !colspan="4"| 杯 |- !width="25%"| デッキ !width="25%"| キャリー・イェール版 !width="25%"| ブレラ・ブランビラ版 !width="25%"| ピアポント・モルガン・ベルガモ版 |- !''王'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - King of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''女王'' |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''騎士'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Knight of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| [[File:Bonifacio bembo, cavaliere di coppe.jpg|70px]]<br /><small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Dama a cavallo.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |- !''女騎士'' |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''ペイジ'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Knave of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| [[File:Bonifacio bembo, fante di coppe.jpg|70px]]<br /><small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''メイド'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Damsel of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''10'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Ten of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''9'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Nine of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''8'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Eight of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''7'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Seven of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''6'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Six of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''5'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Five of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''4'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Four of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''3'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Three of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''2'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Two of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''1'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Ace of Cups.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| [[File:Ace of Cups - Visconti-Sforza.jpg|70px]]<br /><small>モルガン図書館</small> |} {| class="wikitable" style="text-align: center; width: 48%; clear: right; float: right" !colspan="4"| 棒 |- !width="25%"| デッキ !width="25%"| キャリー・イェール版 !width="25%"| ブレラ・ブランビラ版 !width="25%"| ピアポント・モルガン・ベルガモ版 |- !''王'' |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館版</small> |- !''女王'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Queen of Staves.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''騎士'' |bgcolor="#fabdbd"| &mdash; |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| [[File:Knight of Clubs - Visconti-Sforza.jpg|70px]]<br /><small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''女騎士'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Horsewoman of Staves.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''ペイジ'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Knave of Staves.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''メイド'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Damsel of Staves.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |bgcolor="#FFFFFF"| &mdash; |- !''10'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Ten of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''9'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Nine of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''8'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Visconti Tarot (24).jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''7'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Seven of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''6'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Six of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''5'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Five of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''4'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Four of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館</small> |- !''3'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Three of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#f2f2ac"| <small>アッカデミア・カッラーラ</small> |- !''2'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Two of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#ffa1e2"| <small>コッレオーニ コレクション</small> |- !''1'' |bgcolor="#eed9a5"| [[File:Cary-Yale Tarot deck - Ace of Arrows.jpg|70px]]<br /><small>イェール大学バイネッキ図書館</small> |bgcolor="#60bbea"| <small>ブレラ美術館</small> |bgcolor="#45d8a2"| <small>モルガン図書館版</small> |} {{-}} ==脚注== <references /> ==参考文献== *Giordano Berti. ''Storia dei tarocchi: verità e leggende sulle carte più misteriose del mondo'', Mondadori, 2007, ISBN 8-804-56596-9, ISBN 978-8-804-56596-3, 241 pages. *Michael Dummett. ''The Visconti-Sforza Tarot Cards'', G. Braziller, 1986, ISBN 0-807-61141-7, ISBN 978-0-807-61141-8, 141 pages. *Gertrude Moakley. ''The Tarot Cards. Painted by Bonifacio Bembo for the Visconti-Sforza Family. An Iconographic and Historical Study'', New York P.L. publishing, 1966. *S. R. Kaplan. ''The Encyclopedia of Tarot'', 2 volumes, New York: U.S. Games Systems, 1979-1986. *Giordano Berti & Tiberio Gonard. ''Visconti Tarot'', Llewellin - Lo Scarabeo, Minneapolis - Torino , 2002. *Laurie Watts-Amato. ''Tarot Insights'', AuthorHouse, 2004, ISBN 1-418-48330-3, ISBN 978-1-418-48330-2, 304 pages. *[[Robert M. Place]]. ''The Tarot: History, Symbolism, and Divination'', New York: Jeremy P. Tarcher/Penguin, 2005, ISBN 1-585-42349-1, ISBN 978-1-585-42349-1, == 外部リンク == {{Commonscat|Visconti-Sforza tarot deck|ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット}} *[https://web.archive.org/web/20090626102844/http://trionfi.com/0/s/ Tarot Museum] *[http://trionfi.com/tarot-history/ Tarot History] *[http://beinecke.library.yale.edu/digitallibrary/visconti.html Tarocchi Cary-Yale alla Beinecke Rare Book and Manuscript Library at Yale University] {{Uranai-stub}} {{デフォルトソート:ういすこんていすふおるつあはんたろつと}} [[Category:タロットデッキ]] [[Category:フランチェスコ・スフォルツァ]]
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アラブ世界
アラブ世界(アラブせかい、العالم العربي, al-ʻālam al-ʻarabi)は、アラビア語を話す人々であるアラブ人が主に住む地域。 現代政治的にはアラブ連盟の加盟諸国とみなされることが多く、アラブ諸国とも言う。ただし、アラブ連盟加盟国の中には、ジブチ・ソマリアなどアラブ人が少数派を占めるにすぎない国もある。 アラブ世界は東西2つに分けることができ、イラクからエジプトまでをマシュリク(太陽が昇るところ)、リビアからモロッコまでをマグリブ(太陽が没するところ)と呼ぶ。これら2つの地域は歴史的にあまり強い関係性を持たず、それぞれが別個の発展を遂げた。 はアラブ連盟の加盟国。
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アラブ世界は、アラビア語を話す人々であるアラブ人が主に住む地域。 現代政治的にはアラブ連盟の加盟諸国とみなされることが多く、アラブ諸国とも言う。ただし、アラブ連盟加盟国の中には、ジブチ・ソマリアなどアラブ人が少数派を占めるにすぎない国もある。 アラブ世界は東西2つに分けることができ、イラクからエジプトまでをマシュリク(太陽が昇るところ)、リビアからモロッコまでをマグリブ(太陽が没するところ)と呼ぶ。これら2つの地域は歴史的にあまり強い関係性を持たず、それぞれが別個の発展を遂げた。
{{Infobox 地名 |地名=アラブ |画像= |座標= |面積= |周囲= |標高= |最高峰= |最大都市= |大陸・島=[[アラビア半島]]周辺の[[ユーラシア大陸]]から[[アフリカ大陸]]にかけての一帯 |海域= |国={{UAE}}<br />{{DZA}}<br />{{YEM}}<br />{{IRQ}}<br />{{EGY}}<br />{{OMN}}<br />{{QAT}}<br />{{KWT}}<br />{{SAU}}<br />{{SYR}}<br />{{SUD}}<br />{{TUN}}<br />{{ESH}}<br />{{PLE}}<br />{{BHR}}<br />{{MAR}}<br />{{JOR}}<br />{{LBY}}<br />{{LEB}} }} [[Image:Arab world.png|right|thumb|336px| 緑色はアラブ諸国とされる主な国々。<!--アラブ連盟加盟国。うち {{legend|#00CC00|アラブ人地域}} {{legend|#8AFF8A|非アラブ人地域}} 斜線の国([[ジブチ]]・[[ソマリア]]・[[モーリタニア]])ではアラブ人は[[少数民族]]である。-->]] '''アラブ世界'''(アラブせかい、{{lang|ar|العالم العربي}}, {{transl|ar|ISO 233|al-ʻālam al-ʻarabi}})は、[[アラビア語]]を話す人々である[[アラブ人]]が主に住む地域。 現代政治的には[[アラブ連盟]]の加盟諸国とみなされることが多く、'''アラブ諸国'''とも言う。ただし、アラブ連盟加盟国の中には、[[ジブチ]]・[[ソマリア]]などアラブ人が少数派を占めるにすぎない国もある。 アラブ世界は東西2つに分けることができ、[[イラク]]から[[エジプト]]までを'''[[マシュリク]]'''(太陽が昇るところ)、[[リビア]]から[[モロッコ]]までを'''[[マグリブ]]'''(太陽が没するところ)と呼ぶ。これら2つの地域は歴史的にあまり強い関係性を持たず、それぞれが別個の発展を遂げた<ref>{{Cite book ja-jp|和書 |author = [[大塚和夫]] |title = アラブ |year = 2007 |chapter = 砂漠、都市、農地、そしてイスラーム |publisher = 農文協 |series = 世界の食文化 |editor = [[石毛直道]] |isbn = 9784540060038 |ref = harv }} pp.20-28</ref>。 == アラブ人が住む国と地域 == [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] は[[アラブ連盟]]の加盟国。 === 多数民族として === *{{UAE}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{DZA}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{YEM}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{IRQ}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{EGY}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{OMN}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{QAT}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{KWT}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{SAU}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{SYR}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{SUD}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{TUN}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{ESH}} *{{PSE}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{BHR}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{MRT}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{MAR}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{JOR}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{LBY}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{LEB}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] === 少数民族として === *{{ISR}} *{{IRN}} *{{ERI}} *{{COM}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{DJI}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{SOM}} [[File:Flag of the Arab League.svg|22px]] *{{Flagicon|Somaliland}} [[ソマリランド]] *{{TCD}} *{{NER}} *{{MLI}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[イスラム世界]] * [[汎アラブ主義]] * [[ペルシア]] * [[中東]] - [[北アフリカ]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あらふせかい}} [[Category:アラブ世界|*]] [[Category:中東]] [[Category:アジアの地域]] [[Category:アフリカの地域]] [[Category:文化圏]]
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薔薇十字団
薔薇十字団(、独: Rosenkreuzer、ローゼンクロイツァー)は、17世紀の初頭にドイツで宣言書を発表した友愛組織。この宣言書では、クリスチャン・ローゼンクロイツという謎の人物によって15世紀に創設された秘密の組織であるとされている。宣言書の主旨は、ヨーロッパの学者と統治者に宛てた改革の訴えであり、秘密の知識を公開することを申し出ていた。その内容には、キリスト教神秘主義、新プラトン主義、パラケルススの思想の影響が見られる。宣言書の作者は、テュービンゲン大学で神学、医学、哲学を研究していた若手の集団であり、その中心人物はヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ(1586-1654)であると推測される。この宣言書は当時の人々に大きな衝撃を与え、ヨーロッパ中に熱狂と論争が巻き起こった。 1614年、神聖ローマ帝国(ドイツ)のカッセルで刊行された著者不明の怪文書『全世界の普遍的かつ総体的改革』とその付録『友愛団の名声』(Fama Fraternitatis、ファーマ・フラテルニタティス)で初めてその存在が語られ、一気に全ヨーロッパで知られるようになる。ただし、この『友愛団の名声』の原文は、正式出版前の1610年頃から出回っていたとされる。そこには、人類を死や病といった苦しみから永遠に解放する、つまり不老不死の実現のために、120年の間、世界各地で活動を続けてきた「薔薇十字団」という秘密結社の存在や、それを組織した創始者「R・C」あるいは「C・R・C」、「クリスチャン・ローゼンクロイツ」と呼ばれる人物の生涯が克明に記されていた。 1615年、同じくカッセルで、『友愛団の信条』(Confessio Fraternitatis、コンフェッシオ・フラテルニタティス)が出版される。それはドイツ語ではなくラテン語によって書かれ、『友愛団の名声』によって宣言された「教皇制の打破による世界改革」を、さらに強調するものであった。 1616年、小説『化学の結婚』がシュトラースブルクで出版される。著者はヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエだといわれている。そこには深遠な錬金術思想が書かれており、この文書に登場するクリスチャン・ローゼンクロイツこそ、先の2つの文書に書かれていた創始者「C・R・C」(クリスチャン・ローゼンクロイツ)であると考えられた。 フランセス・イェイツによれば、これらの背景には薔薇すなわちイングランド王家をカトリック、ハプスブルク皇帝家の支配からの救世主として迎え入れようとする大陸諸小国の願望があったという。なお、前述の怪文書の刊行から4年後の1618年にドイツを舞台とした宗教戦争である「三十年戦争」が勃発している。 1623年には、フランスはパリの街中に、「我ら薔薇十字団の筆頭協会の代表は、賢者が帰依する、いと高き者の恩寵により、目に見える姿と目に見えない姿で、当市内に滞在している。われらは、本も記号も用いることなく滞在しようとする国々の言葉を自在に操る方法を教え導き、我々の同胞である人類を死のあやまちから救い出そうとするものである。──薔薇十字団長老会議長」という意味不明な文章が書かれた貼紙が一夜にして貼られるが、結局、犯人は不明であった。 薔薇十字団は、始祖クリスチャン・ローゼンクロイツの遺志を継ぎ、錬金術や魔術などの古代の英知を駆使して、人知れず世の人々を救うとされる。起源は極めて曖昧だが中世とされ、錬金術師やカバラ学者が各地を旅行したり知識の交換をしたりする必要から作ったギルドのような組織の1つだとも言われる。 薔薇十字団の存在はやがて伝説化し、薔薇十字団への入団を希望する者だけでなく、薔薇十字団員に会ったという者や、薔薇十字団員を自称するカリオストロやサンジェルマン伯爵などの人物が現れた。また、18世紀にはフリーメーソンの内部とその周辺において、19世紀から現在までは神秘学と秘教の分野において、薔薇十字団を名乗る団体と「バラ十字の伝統」を継承していると述べる団体が多数現れている。 この流れのほかにも人智学から派生した「薔薇十字団」が南ドイツに現在でも存在している。本家からは完全に独立し、ある村の片田舎で毎週日曜日の午前中にはキリスト教のミサや礼拝に似た儀式を独自に繰り広げている。 18世紀の後半には、「薔薇十字の位階」と呼ばれる段位がフランスのフリーメーソンの制度の中に現れた。これは当時のフリーメーソンの思想に薔薇十字思想が影響を与えていたことを示している。 薔薇十字団は様々なフィクション作品で取り扱われている。 ラプソディー・オブ・ファイアの元ギタリスト、ルカ・トゥリッリ(英語版)が結成した第二のラプソディであるLuca Turilli's Rhapsody(英語版)の2ndアルバムにクリスチャン・ローゼンクロイツを題材にした曲「Rosenkreuz (The Rose And The Cross)」がある。
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薔薇十字団(ばらじゅうじだん、は、17世紀の初頭にドイツで宣言書を発表した友愛組織。この宣言書では、クリスチャン・ローゼンクロイツという謎の人物によって15世紀に創設された秘密の組織であるとされている。宣言書の主旨は、ヨーロッパの学者と統治者に宛てた改革の訴えであり、秘密の知識を公開することを申し出ていた。その内容には、キリスト教神秘主義、新プラトン主義、パラケルススの思想の影響が見られる。宣言書の作者は、テュービンゲン大学で神学、医学、哲学を研究していた若手の集団であり、その中心人物はヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエであると推測される。この宣言書は当時の人々に大きな衝撃を与え、ヨーロッパ中に熱狂と論争が巻き起こった。
[[File:templeofrosycross.png|right|thumb|250px|『薔薇十字の目に見えない学院』(The Temple of the Rose Cross),テオフィルス・シュヴァイクハルト,1628年]] {{読み仮名|'''薔薇十字団'''|ばらじゅうじだん|{{lang-de-short|Rosenkreuzer}}、ローゼンクロイツァー}}は、17世紀の初頭にドイツで宣言書を発表した友愛組織。この宣言書では、[[クリスチャン・ローゼンクロイツ]]という謎の人物によって15世紀に創設された秘密の組織であるとされている。宣言書の主旨は、ヨーロッパの学者と統治者に宛てた改革の訴えであり、秘密の知識を公開することを申し出ていた。その内容には、キリスト教[[神秘主義]]、[[新プラトン主義]]、[[パラケルスス]]の思想の影響が見られる。宣言書の作者は、[[テュービンゲン大学]]で[[神学]]、[[医学]]、[[哲学]]を研究していた若手の集団であり、その中心人物は[[ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ]](1586-1654)であると推測される。この宣言書は当時の人々に大きな衝撃を与え、ヨーロッパ中に熱狂と論争が巻き起こった。 == 概要 == [[File:Fludd_summum_bonum.jpg|250px|thumb|'''The Rose and the Cross''': 薔薇が象徴的に描かれた薔薇十字文書『至高善』の扉絵]] [[1614年]]、[[神聖ローマ帝国]]([[ドイツ]])の[[カッセル]]で刊行された著者不明の怪文書『[[全世界の普遍的かつ総体的改革]]』とその付録『[[友愛団の名声]]』(Fama Fraternitatis、ファーマ・フラテルニタティス)で初めてその存在が語られ、一気に全ヨーロッパで知られるようになる。ただし、この『友愛団の名声』の原文は、正式出版前の[[1610年]]頃から出回っていたとされる。そこには、人類を死や病といった苦しみから永遠に解放する、つまり不老不死の実現のために、120年の間、世界各地で活動を続けてきた「薔薇十字団」という秘密結社の存在や、それを組織した創始者「R・C」あるいは「C・R・C」、「[[クリスチャン・ローゼンクロイツ]]」と呼ばれる人物の生涯が克明に記されていた。 [[1615年]]、同じくカッセルで、『[[友愛団の信条]]』(Confessio Fraternitatis、コンフェッシオ・フラテルニタティス)が出版される。それは[[ドイツ語]]ではなく[[ラテン語]]によって書かれ、『友愛団の名声』によって宣言された「[[教皇]]制の打破による世界改革」を、さらに強調するものであった。 [[1616年]]、小説『[[化学の結婚]]』が[[ストラスブール|シュトラースブルク]]で出版される。著者は[[ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ]]だといわれている。そこには深遠な[[錬金術]]思想が書かれており、この文書に登場する[[クリスチャン・ローゼンクロイツ]]こそ、先の2つの文書に書かれていた創始者「C・R・C」(クリスチャン・ローゼンクロイツ)であると考えられた。 [[フランセス・イェイツ]]によれば、これらの背景には[[バラ|薔薇]]すなわち[[イングランド]]王家を[[カトリック教会|カトリック]]、[[ハプスブルク家|ハプスブルク皇帝家]]の支配からの救世主として迎え入れようとする大陸諸小国の願望があったという。なお、前述の怪文書の刊行から4年後の[[1618年]]にドイツを舞台とした[[宗教戦争]]である「[[三十年戦争]]」が勃発している。 [[1623年]]には、[[フランス]]は[[パリ]]の街中に、「'''我ら薔薇十字団の筆頭協会の代表は、賢者が帰依する、いと高き者の恩寵により、目に見える姿と目に見えない姿で、当市内に滞在している。われらは、本も記号も用いることなく滞在しようとする国々の言葉を自在に操る方法を教え導き、我々の同胞である人類を死のあやまちから救い出そうとするものである。──薔薇十字団長老会議長'''」という意味不明な文章が書かれた貼紙が一夜にして貼られるが、結局、犯人は不明であった。 薔薇十字団は、始祖[[クリスチャン・ローゼンクロイツ]]の遺志を継ぎ、[[錬金術]]や[[魔術]]などの古代の英知を駆使して、人知れず世の人々を救うとされる。起源は極めて曖昧だが[[中世]]とされ、錬金術師や[[カバラ]]学者が各地を旅行したり知識の交換をしたりする必要から作った[[ギルド]]のような組織の1つだとも言われる。 薔薇十字団の存在はやがて[[伝説]]化し、薔薇十字団への入団を希望する者だけでなく、薔薇十字団員に会ったという者や、薔薇十字団員を自称する[[カリオストロ]]や[[サンジェルマン伯爵]]などの人物が現れた。また、18世紀にはフリーメーソンの内部とその周辺において、19世紀から現在までは[[神秘学]]と[[秘教]]の分野において、薔薇十字団を名乗る団体と「バラ十字の伝統」を継承していると述べる団体が多数現れている。 この流れのほかにも[[人智学]]から派生した「薔薇十字団」が南ドイツに現在でも存在している。本家からは完全に独立し、ある村の片田舎で毎週日曜日の午前中には[[キリスト教]]の[[ミサ]]や[[礼拝]]に似た儀式を独自に繰り広げている。 18世紀の後半には、「薔薇十字の位階」と呼ばれる段位がフランスのフリーメーソンの制度の中に現れた。これは当時のフリーメーソンの思想に薔薇十字思想が影響を与えていたことを示している<ref>{{Cite book|title=薔薇十字の覚醒|date=|year=1986|publisher=工作舎|author=フランセス・A・イエイツ|pages=294-295}}</ref>。 == フィクション上の薔薇十字団 == 薔薇十字団は様々なフィクション作品で取り扱われている。 === 登場する作品 === ==== 漫画作品 ==== ; [[ゴルゴ13]](著:[[さいとう・たかを]]) : 1968年頃に発表された初期作品では、[[ゴルゴ13 (架空の人物)|ゴルゴ13]]を狙う暗殺集団として捉えられている。作品中の記述には「1968年以降活動の記録は無い」とある。 ; [[ヴァイスクロイツ#ヴァイスクロイツ グリーエン|Weiß kreuz Glühen/ヴァイス クロイス グリーエン]](原案:[[子安武人]]) : Weißを狙う暗殺集団だけがシュワルに倒される。 ; [[D.Gray-man]](作者:[[星野桂]]) : 作品内の[[エクソシスト]]たちが属している[[D.Gray-man#「黒の教団」関連|教団]]のモデル ; [[メタルK]](作者:[[巻来功士]]) : 遺伝子操作による[[キメラ]]「人間兵器(ウエポノイド)」による世界征服を目指していると思われる組織。 ; [[ミステリオン]](作者:[[あずみ椋]]) : クリスチャン・ローゼンクロイツの死の原因になった主人公を時代や国を越えて追う。 ; [[ローゼンメイデン]](作者:[[PEACH-PIT]]) : 詳しくは[[ローゼンメイデンの登場人物一覧#ローゼン|ローゼンメイデンの登場人物一覧]]を参照。 ; [[パタリロ!]](著:[[魔夜峰央]]) : 白魔術師の結社として登場。占い師ザカーリと[[タマネギ部隊]]の「霊感青年」こと44号を輩出している。 ; [[ファイブスター物語]](著:[[永野護]]) : 惑星ボォスの秘密結社「ローゼンクロイツ(薔薇十字団)」という麻薬取引などを行う組織が登場。 ; [[13月の悲劇]](著 [[美内すずえ]]) : [[1971年]]に『[[別冊マーガレット]]』に掲載された。主人公の少女が転校させられた全寮制の「聖バラ十字学校」。規律の厳しい学校だと思われたが、実は悪魔崇拝を行い、学校のシスターや卒業生も魔女で、世界中に影響力を持っていた。 ; [[ヒミツの薔薇十字団]](著:[[英貴]]) : ローゼン・クロイツ(作中では女性)の生まれ変わりとされる女子高校生を主人公に、現代に残る薔薇十字団と遺された「Mの書」を巡る物語。 ; [[東京ミュウミュウあ・ら・もーど]](作者:[[征海未亜]]) :作中に登場する謎の組織『聖薔薇騎士団』(セントローズクルセイダーズ)のモデルだと思われる描写がある。 ==== 小説作品 ==== ; [[弾丸少年]](著:[[小林弘利]])- [[ジュブナイル]] : 構成員の中で最も優れていたとされる死者[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H.G.ウェルズ]]を蘇生装置でたたき起こして首魁として担ぎ上げ、その意志のまま世界の滅亡を企む組織として描かれる。本来の目的は「世界を治癒」することだったが、その目的は無理矢理蘇生されたヴェルヌのために歪み「世界は治癒が不可能なまでに歪んでしまった」と判断。全てを滅ぼしてゼロにすることを目論む。その真の首魁は[[パラケルスス]]であったとされる。 ; [[狂科学ハンターREI]](著:[[中里融司]])- [[ライトノベル]] : 「黄金の薔薇」という組織名で[[疑似科学]]を「秘宝科学」と呼称し、その技術を用いて人間を更なる次元に導く(要は世界を支配する)事を目的としている。 ; [[トリニティ・ブラッド]](著:[[吉田直]]) : [[テロ]]組織「薔薇十字騎士団(ローゼンクロイツオルデン)」。通称「世界の敵(コントラ・ムンディ)」と呼ばれる。「我ら、炎によりて世界を更新せん」というスローガンのもと、各地で行動している。目的は世界の速やかなる終焉。 ; [[とある魔術の禁書目録]] : 第一巻での禁書目録の発言。 : 新約22巻リバースにてメンバーの一部が判明。 ==== アニメ作品 ==== ; [[機動戦士Ζガンダム]] : [[ジャミトフ・ハイマン]]の提唱によりジオン軍残党の掃討を名目に設立された地球連邦軍の特殊部隊「[[ティターンズ]]」は、ローゼンクロイツと繋がりが有るとされている<ref>[[ラポート]]デラックス『機動戦士Ζガンダム大辞典』(復刻版、1999年、ISBN 978-4897993928)P.168</ref>。 ; [[アキハバラ電脳組]] : 創設者のクリスチャン・ローゼンクロイツが黒幕的な役回りで登場。本編の鍵となるパタPi・ディーヴァを開発。 ==== 音楽作品 ==== ; 薔薇十字教団の最初の思想(1891)、「星たちの息子」への3つの前奏曲(1891)、薔薇十字教団のファンファーレ(1892) : [[エリック・サティ]]がモンマルトルの文学酒場「黒猫」のピアニストをしていたころ、[[ジョセファン・ペラダン]]という神秘小説家と出会った。ペラダンの主宰する秘密結社「聖堂と聖杯のカトリック・薔薇十字教団」の公認の作曲家として書いたのがこれら3つの作品である。しかしペラダンの専横ぶりに耐えられず、2年たらずでサティはこの教団と決別することになる。 [[ラプソディー・オブ・ファイア]]の元ギタリスト、{{仮リンク|ルカ・トゥリッリ|en|Luca Turilli}}が結成した第二のラプソディである{{仮リンク|Luca Turilli's Rhapsody|en|Luca Turilli's Rhapsody}}の2ndアルバムにクリスチャン・ローゼンクロイツを題材にした曲「Rosenkreuz (The Rose And The Cross)」がある。 == 関連書籍 == *クリストファー・マッキントッシュ(Christopher McIntosh) 『薔薇十字団』 **吉村正和訳、平凡社 1990年/[[ちくま学芸文庫]] 2003年 ISBN 978-4480087461 ==脚注== {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Wayback|url=http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/barajuuji.htm |title=薔薇十字団運動とアンドレーエ |date=20030428133642}} * {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/bhermes001/rosenkreuz.html |title=薔薇十字の覚醒 |date=20190330042311}} * [https://wiki3.jp/occult_/page/266 薔薇十字団の名声] * [http://www.rosicrucianis.org/html/home-en.html Ancient Order of the Rosicrucians] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はらしゆうしたん}} [[Category:クリスチャン・ローゼンクロイツ]] [[Category:薔薇十字団|*]] [[Category:秘密結社]] [[Category:ドイツの伝承]] [[Category:神聖ローマ帝国]] [[Category:ヨーロッパの都市伝説]] [[Category:陰謀論]] {{history-stub}}
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大正駅 (大阪府)
大正駅(たいしょうえき)は、大阪府大阪市大正区三軒家東一丁目および同区三軒家西一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅である。駅番号は、JR西日本がJR-O16、Osaka MetroがN11。 大正区唯一の駅。JR西日本大阪環状線と、当駅を起点とするOsaka Metro長堀鶴見緑地線との乗換駅となっている。 現在の大阪環状線のうち境川信号場 - 今宮駅間は、関西本線貨物支線(大阪臨港線)として1928年に開通していた区間だが、旅客線化は33年後の大阪環状線成立時である。それまでの大正区付近の足は大阪市の公営渡船・大阪市電・大阪市バスだけであった。 相対式ホーム2面2線を有する高架駅で、分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。改札口は1階にあり、コンコースの中央に設けられている駅務室を挟んで2か所にある。 2011年3月12日に行われたダイヤ改正により、全ての快速列車の停車駅となった。それ以前は、関空/紀州路快速・大和路快速は当駅を通過していたが、京セラドームでのイベント開催時に臨時停車することがあった。 新今宮駅が管理する直営駅であり、アーバンネットワークエリアに入っている。また、JRグループの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。また、ICOCAの利用が可能である(相互利用対象ICカードはICOCAの項を参照)。 長らくのりば番号が存在しなかったが、2006年10月中にのりば番号が付与された。 1997年の大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)完成にあわせてJR西日本の駅の中では、1997年3月から自動改札機「Jスルー」が導入されていた。また、自動改札機が導入後しばらくは、それまで改札で切符を切っていた駅員が「立ち止まらないでください」と案内をする様子が見られた。かつてホームの壁には『大阪ドーム最寄り駅』と表記された看板が存在していたが、現在は撤去されている。 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」が発車メロディとして使用されている。当駅周辺には沖縄県からの移住者が多く住んでおり、沖縄文化色の濃いまちのイメージに因んでいる。 島式ホーム1面2線を持つ地下駅。改札口は心斎橋寄りの1か所のみである。 当駅はドーム前千代崎管区駅に所属しており、同管区駅長が、当駅、西大橋駅、ドーム前千代崎駅を管轄する。 長堀鶴見緑地線は将来鶴町方面へ延伸の予定が大阪市交通局より示されている。 駅のデザインテーマは、川に囲まれた大正区を表す「川面の交歓(かわものこうかん)」。 この駅での列車折り返しは、駅直前まで単線シールドトンネルになっているため引き上げ線方式となっている。到着した上り列車は2番線に入線して乗客を降ろした後、その先にある3本の引き上げ線にて折り返しを行い、門真南方面行きとして1番線に入線する。但し、同じ方式のコスモスクエア駅とは異なり、2番線ホームの駅名標にも次駅名が書かれている。 各年度の1日乗降・乗車人員数は下表の通り。 大正区は交通が不便であるため、高等学校生徒が自転車を駅付近に駐輪し、大正区外へ通学する様子が見られる。 大正区には3つの高等学校があり、通学利用が多い駅である。バスや車で送迎してもらい鉄道を利用する人もいる。 普段の駅は通勤通学時以外は閑散としていて利用者が少ないが、京セラドーム大阪でのイベント時は大変混雑する。 大正区には沖縄県出身者のコミュニティがあり、駅周辺には沖縄料理店が点在する。 駅の北東で、木津川と道頓堀川が合流し、木津川と尻無川(岩崎運河)に分かれる。 以下はバスを利用。 大阪シティバスが運行しており、主に大正通を経由して大正区各方面へ運行されている。最寄り停留所は大正橋停留所。バス乗り場は多数あり、詳しくはこちらを参照。 2014年11月1日からは大阪シティバス(旧大阪市営バスの民営化前)の自主路線としてIKEA鶴浜⇔梅田・大正 Express バスも運行されている。 1998年10月の調査結果では、大正橋停留所の1日の乗車人員(平日)は12,630人である。これは、大阪市営バス(当時)の停留所中、2位である。
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大正駅(たいしょうえき)は、大阪府大阪市大正区三軒家東一丁目および同区三軒家西一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道の駅である。駅番号は、JR西日本がJR-O16、Osaka MetroがN11。 大正区唯一の駅。JR西日本大阪環状線と、当駅を起点とするOsaka Metro長堀鶴見緑地線との乗換駅となっている。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{出典の明記|date=2016年5月}} {{駅情報 |社色 = |文字色 = |駅名 = 大正駅 |画像 = |pxl = |画像説明 = |よみがな = たいしょう |ローマ字 = Taisho |地図 = {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|type2=point|zoom=15|frame-align=center|frame-width=300|marker=rail|marker2=rail-metro |coord={{coord|34|39|55.87|N|135|28|47.91|E}}|title=JR 大正駅 |coord2={{coord|34|39|58.03|N|135|28|44.59|E}}|title2=Osaka Metro 大正駅 |marker-color=0072bc|marker-color2=33328b}} |所属事業者 = [[西日本旅客鉄道]](JR西日本・[[#JR西日本|駅詳細]])<br />[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro・[[#大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)|駅詳細]]) |所在地 = [[大阪市]][[大正区]] |乗換 = |備考 = }} '''大正駅'''(たいしょうえき)は、[[大阪府]][[大阪市]][[大正区]][[三軒家東]]一丁目および同区[[三軒家西]]一丁目にある、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)・[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)の[[鉄道駅|駅]]である。駅番号は、JR西日本が'''JR-O16'''、Osaka Metroが'''N11'''。 大正区唯一の駅。JR西日本[[大阪環状線]]と、当駅を起点とする[[Osaka Metro]][[Osaka Metro長堀鶴見緑地線|長堀鶴見緑地線]]との乗換駅となっている。 == 歴史 == 現在の大阪環状線のうち境川信号場 - [[今宮駅]]間は、[[関西本線]]貨物支線([[大阪臨港線]])として[[1928年]]に開通していた区間だが、旅客線化は33年後の大阪環状線成立時である。それまでの大正区付近の足は[[大阪市の公営渡船]]・[[大阪市電]]・[[大阪シティバス|大阪市バス]]だけであった。 === 年表 === * [[1961年]]([[昭和]]36年)[[4月25日]]:[[日本国有鉄道]]の[[西九条駅]] - 境川信号場間開業による大阪環状線成立に合わせ、同線の大正駅が境川信号場 - 天王寺駅間に新設開業。 * [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の駅となる。 * [[1997年]]([[平成]]9年) ** [[3月1日]]:JR西日本の駅がリニューアルされ、自動改札機と内外両ホームに車いす対応エスカレーターを設置<ref>{{Cite news |title=大和路線郡山駅 橋上駅舎が完成 JR西日本、27日から使用 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1997-02-25 |page=3 }}</ref>。 ** [[8月29日]]:[[大阪市営地下鉄]]長堀鶴見緑地線の大正駅が開業。 * [[2003年]](平成15年)[[11月1日]]:JR西日本で[[ICカード]]「[[ICOCA]]」の利用が可能となる<ref>[https://web.archive.org/web/20040803184954/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030820a.html 「ICOCA」いよいよデビュー!〜平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします〜](2004年8月3日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日</ref>。 * [[2009年]](平成21年)[[10月4日]]:[[運行管理システム (JR西日本)#大阪環状・大和路線システム|大阪環状・大和路線運行管理システム]]導入。 * [[2010年]](平成22年)[[7月]]:大阪市営地下鉄で[[ホームドア|可動式ホーム柵]]の使用を開始<ref>[http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/barriar_free_top/barriar_free_info/platform__screen_doors.html 可動式ホーム柵] - 大阪市交通局</ref>。 * [[2011年]](平成23年)[[3月12日]]:[[ダイヤ改正]]に伴い、JR西日本の快速列車停車駅になる<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20110124215220/http://www.westjr.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2010/12/17/20101217_kinki.pdf 平成23年春ダイヤ改正について]}}(2011年1月24日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年12月17日</ref>。[[エレベーター]]が設置された。 * [[2015年]](平成27年)[[3月22日]]:JR西日本に[[発車メロディ]]を導入。曲は[[沖縄音楽|沖縄民謡]]の「[[てぃんさぐぬ花]]」。 * [[2018年]](平成30年) ** [[3月17日]]:JR西日本に[[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始する。 ** [[4月1日]]:[[大阪市交通局]]の民営化により、長堀鶴見緑地線の駅は[[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro)の駅となる。 == 駅構造 == === JR西日本 === {{駅情報 |社色 = #0072bc |文字色 = |駅名 = JR 大正駅 |画像 = JRWest Taishou Station.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 駅舎(2007年5月) |よみがな = たいしょう |ローマ字 = Taish&#333; |前の駅 = JR-O15 [[弁天町駅|弁天町]] |駅間A = 1.8 |駅間B = 1.2 |次の駅 = [[芦原橋駅|芦原橋]] JR-O17 |電報略号 = タセ |駅番号 = {{駅番号s|black|white|JR-O16}} |所属事業者 = [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) |所属路線 = {{JR西路線記号|K|O}} [[大阪環状線]] |キロ程 = 17.7 |起点駅 = [[天王寺駅|天王寺]] |所在地 = [[大阪市]][[大正区]][[三軒家東]]一丁目8番18号 |座標 = {{Coord|34|39|55.87|N|135|28|47.91|E|type:railwaystation_region:JP-27|display=inline,title}} |駅構造 = [[高架駅]] |ホーム = 2面2線<ref name="zeneki02">{{Cite book|和書 |title =週刊 JR全駅・全車両基地 |publisher = [[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume =02号 大阪駅・神戸駅・鶴橋駅ほか77駅 |date =2012-08-12 |page =28 }}</ref> |開業年月日 = [[1961年]]([[昭和]]36年)[[4月25日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = 17,983 |乗降人員 = |統計年度 = 2020年 |乗換 = |備考 = [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]<br />[[みどりの窓口]] 有<br />[[File:JR area HAN.png|15px|阪]] [[特定都区市内|大阪市内]]駅 }} [[相対式ホーム]]2面2線を有する{{R|zeneki02}}[[高架駅]]で、[[分岐器]]や[[日本の鉄道信号#主信号機|絶対信号機]]がない[[停車場#停車場の定義|停留所]]に分類される。改札口は1階にあり、コンコースの中央に設けられている駅務室を挟んで2か所にある。 2011年3月12日に行われたダイヤ改正により、全ての快速列車の停車駅となった。それ以前は、関空/紀州路快速・大和路快速は当駅を通過していたが、京セラドームでのイベント開催時に臨時停車することがあった。 [[新今宮駅]]が管理する[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]であり、[[アーバンネットワーク]]エリアに入っている。また、JRグループの[[特定都区市内]]制度における「大阪市内」に属する駅である。また、[[ICOCA]]の利用が可能である(相互利用対象[[ICカード]]はICOCAの項を参照)。 ==== のりば ==== <!--方面表記は、JR西日本(JRおでかけネット)の「構内図」の記載に準拠--> {| class="wikitable" !のりば<!-- 事業者側による呼称。JR西日本は「○番のりば」と表現 -->!!路線!!方向!!行先 |- !1 |rowspan="2"|{{JR西路線記号|K|O}} 大阪環状線 |style="text-align:center;"|内回り |[[新今宮駅|新今宮]]・[[天王寺駅|天王寺]]・[[鶴橋駅|鶴橋]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0620505">{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/eki/premises?id=0620505|title=大正駅|構内図:JRおでかけネット|publisher=西日本旅客鉄道|accessdate=2023-10-19}}</ref> |- !2 |style="text-align:center;"|外回り |[[西九条駅|西九条]]・[[大阪駅|大阪]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0620505" /> |} 長らくのりば番号が存在しなかったが、2006年10月中にのりば番号が付与された。 1997年の大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)完成にあわせてJR西日本の駅の中では、1997年3月から[[自動改札機]]「[[Jスルーカード|Jスルー]]」が導入されていた<ref>[https://web.archive.org/web/19970208162558/http://www.westjr.co.jp:80/new/1press/press11.html 自動改札システムの導入について]([[インターネットアーカイブ]]) - 西日本旅客鉄道、1996年11月18日。</ref><ref>[https://web.archive.org/web/19970603155830/http://www.westjr.co.jp/jrtozai/guide/0g_jframe.html ご利用ガイド JR東西線・学研都市線・大正駅から3月8日スタートです。](インターネットアーカイブ) - 西日本旅客鉄道</ref>。また、自動改札機が導入後しばらくは、それまで改札で切符を切っていた駅員が「立ち止まらないでください」と案内をする様子が見られた{{要出典|date=2016年5月}}。かつてホームの壁には『大阪ドーム最寄り駅』<ref>JR西日本での最寄り駅。</ref>と表記された看板が存在していたが、現在は撤去されている。 <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> 大正駅ホーム.JPG|ホーム(2010年9月) </gallery> ==== 発車メロディ ==== 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から[[沖縄音楽|沖縄民謡]]の「[[てぃんさぐぬ花]]」が[[発車メロディ]]として使用されている<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/03/page_6940.html 『大阪環状線改造プロジェクト』進行中 大阪環状線発車メロディ全駅曲目決定!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2015年3月16日</ref>。当駅周辺には[[沖縄県]]からの移住者が多く住んでおり、沖縄文化色の濃いまちのイメージに因んでいる。 === 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro) === {{駅情報 |社色 = #33328b |文字色 = |駅名 = Osaka Metro 大正駅 |画像 = Osaka Metro Taisho Station.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 3番出入口 |よみがな = たいしょう |ローマ字 = Taisho |隣の駅 = |前の駅 = |駅間A = |駅間B = 0.6 |次の駅 = [[ドーム前千代崎駅|ドーム前千代崎]] N12 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号s|#a9cc51|#000|N11}} |所属事業者 = [[大阪市高速電気軌道]](Osaka Metro) |所属路線 = {{color|#a9cc51|●}}[[Osaka Metro長堀鶴見緑地線|長堀鶴見緑地線]] |キロ程 = 0.0 |起点駅 = 大正 |所在地 = [[大阪市]][[大正区]][[三軒家西]]一丁目2番1号 |座標 = {{Coord|34|39|58.03|N|135|28|44.59|E|type:railwaystation_region:JP-27}} |駅構造 = [[地下駅]] |ホーム = 1面2線 |開業年月日 = [[1997年]]([[平成]]9年)[[8月29日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = 5,662 |乗降人員 = 10,187 |統計年度 = 2020年 |乗換 = |備考 = }} [[島式ホーム]]1面2線を持つ[[地下駅]]。改札口は心斎橋寄りの1か所のみである。 当駅は[[ドーム前千代崎駅|ドーム前千代崎管区駅]]に所属しており、同管区駅長が、当駅、[[西大橋駅]]、[[ドーム前千代崎駅]]を管轄する。 長堀鶴見緑地線は将来鶴町方面へ延伸の予定が大阪市交通局より示されている。 駅のデザインテーマは、川に囲まれた大正区を表す「川面の交歓(かわものこうかん)」。 ==== のりば ==== <!--方面表記は、Osaka Metroの「駅構内図」の記載に準拠--> {| class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称。大阪メトロは「○番線」と表現 -->!!路線!!行先 |- !1 |rowspan="2"|[[File:Osaka Metro Nagahori Tsurumi-ryokuchi line symbol.svg|15px|N]] 長堀鶴見緑地線 |[[心斎橋駅|心斎橋]]・[[森ノ宮駅|森ノ宮]]・[[京橋駅 (大阪府)|京橋]]・[[門真南駅|門真南]]方面<ref>{{Cite web|和書|url=https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/N/n11/index.php|title=大正|Osaka Metro|publisher=Osaka Metro|accessdate=2023-01-18}}</ref> |- !2 |降車専用ホーム |} この駅での列車折り返しは、駅直前まで単線シールドトンネルになっているため[[引き上げ線]]方式となっている。到着した上り列車は2番線に入線して乗客を降ろした後、その先にある3本の引き上げ線にて折り返しを行い、門真南方面行きとして1番線に入線する。但し、同じ方式の[[コスモスクエア駅]]とは異なり、2番線ホームの駅名標にも次駅名が書かれている。 <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> 地下鉄大正駅コンコース.JPG|コンコースと改札口 Underground platform of Taishō Station.JPG|プラットホーム(ホームドア設置後) </gallery> {{clear}} == 利用状況 == * '''JR西日本''' - 2020年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''17,983人'''で、JR西日本の駅では第44位である<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2021_11.pdf データで見るJR西日本2021]}}</ref>。 * '''Osaka Metro''' - 2020年11月10日に行われた交通調査によると、1日'''乗降'''人員は'''10,187人'''(乗車人員:5,662人、降車人員:4,525人)である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.osakametro.co.jp/company/library/100331_research/20201110_subway_nt.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210402111627/https://www.osakametro.co.jp/company/library/100331_research/20201110_subway_nt.pdf|title=路線別乗降人員(2020年11月10日 交通調査)|archivedate=2021-04-02|accessdate=2021-04-08|publisher=Osaka Metro|format=PDF|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。 各年度の1日乗降・乗車人員数は下表の通り。 * JR西日本のデータは'''1日平均'''乗車人員である。 * Osaka Metroのデータは交通調査に基づく'''特定日'''の乗降・乗車人員である。 {|class="wikitable" style="text-align:right" !rowspan="3"|年度 !style="text-align:center"|JR西日本 !style="text-align:center" colspan="3"|Osaka Metro<ref group="注">2017年度までは大阪市営地下鉄。</ref> !rowspan="3"| 出典 |- !style="text-align:center" rowspan="2"|1日平均<br/>乗車人員 !style="text-align:center" colspan="3"|特定日 |- !style="text-align:center"|調査日 !style="text-align:center"|乗降人員 !style="text-align:center"|乗車人員 |- |1997年||33,313||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084997/tn1998n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成10年)]}}</ref> |- |1998年||27,772||11月10日||8,722||4,955 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085083/tn1999n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成11年)]}}</ref> |- |1999年||26,379||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085215/tn2000n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成12年)]}}</ref> |- |2000年||25,258||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076905/tn01n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成13年)]}}</ref> |- |2001年||25,234||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076904/tn02n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成14年)]}}</ref> |- |2002年||24,084||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076903/tn03n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成15年)]}}</ref> |- |2003年||23,546||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076902/tn04n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成16年)]}}</ref> |- |2004年||23,105||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076901/tn05n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成17年)]}}</ref> |- |2005年||23,250||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076900/tn06n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成18年)]}}</ref> |- |2006年||23,320||colspan="3" style="text-align:center"| - |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074421/tn07n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成19年)]}}</ref> |- |2007年||23,061||11月13日||10,795||5,851 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074418/tn08n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成20年)]}}</ref> |- |2008年||23,732||11月11日||11,191||6,037 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00064556/tn09n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成21年)]}}</ref> |- |2009年||20,969||11月10日 ||10,889||5,909 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00071058/tn10n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成22年)]}}</ref> |- |2010年||20,299||11月{{0}}9日||10,537||5,723 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00093411/tn2011n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成23年)]}}</ref> |- |2011年||21,242||11月{{0}}8日||10,486||5,690 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00121073/tn2012n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成24年)]}}</ref> |- |2012年||21,569||11月13日||10,987||5,901 |<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00144873/tn2013n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成25年)]}}</ref> |- |2013年||22,297||11月13日||10,486||5,720 |<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00180638/tn2014n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成26年)]}}</ref> |- |2014年||22,891||11月11日||10,885||5,893 |<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00211004/tn2015n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成27年)]}}</ref> |- |2015年||23,592||11月17日||11,552||6,232 |<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00242803/tn2016n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成28年)]}}</ref> |- |2016年||23,838||11月{{0}}8日||11,597||6,334 |<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00281833/9-all.pdf 大阪府統計年鑑(平成29年)]}}</ref> |- |2017年||24,292||11月14日||11,806||6,519 |<ref>{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00319513/n2018-09-2.pdf 大阪府統計年鑑(平成30年)]}}</ref> |- |2018年||24,776||11月13日||11,756||6,471 |<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00357824/n2019-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和元年)]}}</ref> |- |2019年||25,357||11月12日||11,750||6,469 |<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00387493/n2020-09-01~31.pdf 大阪府統計年鑑(令和2年)]}}</ref> |- |2020年||17,983||11月10日||10,187||5,662 | |} == 駅周辺 == [[ファイル:Kizugawa&Doutonbori.jpg|thumb|木津川と道頓堀川の合流(大正橋から)]] 大正区は交通が不便であるため、高等学校生徒が自転車を駅付近に駐輪し、大正区外へ通学する様子が見られる。 大正区には3つの高等学校があり、通学利用が多い駅である。バスや車で送迎してもらい鉄道を利用する人もいる。 普段の駅は通勤通学時以外は閑散としていて利用者が少ないが、[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]でのイベント時は大変混雑する。 大正区には[[沖縄県]]出身者のコミュニティがあり、駅周辺には[[沖縄料理]]店が点在する。 駅の北東で、[[木津川 (大阪府)|木津川]]と[[道頓堀川]]が合流し、木津川と[[尻無川 (大阪府)|尻無川]]([[岩崎運河]])に分かれる。 * 京セラドーム大阪(西区) - 北へ700m * [[大阪瓦斯]] ドームシティガスビル(西区) * 大正区観光案内所 * [[日本郵便]] ** [[大正郵便局 (大阪府)|大正郵便局]] ** 大正三軒家郵便局 * [[近畿労働金庫]]大正支店 * [[ほくとクリニック病院]] * [[大阪市立三軒家西小学校]] * 大正橋公園 * [[大正橋 (大阪市)|大正橋]]([[大地震両川口津浪記]]) * [[岩松橋]] * [[岩崎橋 (大阪市)|岩崎橋]] * [[大浪橋]] 以下はバスを利用。 * [[大阪府立大正高等学校]] * [[大阪府立泉尾高等学校]] * [[大阪市立泉尾工業高等学校]] == バス路線 == <!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。--> [[大阪シティバス]]が運行しており、主に[[大正通]]を経由して大正区各方面へ運行されている。最寄り停留所は'''大正橋'''停留所。バス乗り場は多数あり、詳しくは[https://bus.osakametro.co.jp/bus_stop/index.php こちら]を参照。 2014年11月1日からは[[大阪シティバス]](旧[[大阪市営バス]]の民営化前)の自主路線として[[IKEA]]鶴浜⇔梅田・大正 Express バスも運行されている。 1998年10月の調査結果では、大正橋停留所の1日の乗車人員(平日)は12,630人である。これは、大阪市営バス(当時)の停留所中、2位である。 {| class="wikitable" style="font-size:80%;" !乗り場!!運行事業者!!系統・行先 |- !1 |rowspan="13" style="text-align:center;"|大阪シティバス |[[大阪シティバス鶴町営業所#87号系統|'''87号系統''']]:鶴町四丁目<br />[[大阪シティバス鶴町営業所#98号系統|'''98号系統''']]:大正区役所 |- !2 |[[大阪シティバス鶴町営業所#71号系統|'''71号系統''']]・[[大阪シティバス鶴町営業所#90号系統|'''90号系統''']]・[[大阪シティバス鶴町営業所#91・91急号系統|'''91号系統''']]:鶴町四丁目 |- !3 |[[大阪シティバス鶴町営業所#70・70急号系統|'''70急号系統''']]:西船町<br />[[大阪シティバス鶴町営業所#94号系統|'''94号系統''']]:鶴町四丁目 |- !4 |'''70号系統''':西船町<br />'''91急号系統''':鶴町四丁目 |- !5 |[[大阪シティバス住之江営業所#76号系統|'''76号系統''']]:[[住之江公園駅|地下鉄住之江公園]] |- !6 |'''98号系統''':[[大阪ドーム|ドーム前千代崎]] |- !7 |'''71号系統'''・'''87号系統''':[[難波|なんば]] |- !8 |'''90号系統''':[[野田阪神駅|野田阪神]]前 |- !9 |'''70号系統'''・'''70急号系統'''・'''76号系統'''・'''91急号系統'''・'''94号系統''':ドーム前千代崎 |- !10 |[[大阪シティバス酉島営業所#51号系統|'''51号系統''']]・[[大阪シティバス鶴町営業所#60号系統|'''60号系統''']]:天保山 |- !11 |'''51号系統''':ドーム前千代崎<br />'''60号系統''':なんば |- !{{Color|skyblue|★}} |'''IKEA↔梅田・大正Express''':IKEA鶴浜 |- !{{Color|white|★}} |'''IKEA↔梅田・大正Express''':[[大阪駅]]前 |} == その他 == * [[熊本県]]には[[平成駅]]、[[神奈川県]]には[[昭和駅]]、[[長崎県]]にも[[大正駅 (長崎県)|大正駅]]がある。かつては[[北海道]]にも[[大正駅 (北海道)|大正駅]]があった。 ** かつては北海道の大正駅と区別するため、乗車券類には[[特定都区市内|大阪市内]]発着となるものを除いて「(環)大正」と印字していた。 * [[2019年]][[4月29日]]には、「'''平成'''最後の[[昭和の日|'''昭和'''の日]]に'''大正'''駅で'''[[明治 (企業)|明治]]'''の「[[明治ヨーグルトR-1|R-1]]」(R1='''令和'''元年)を飲む」という言葉遊びにかけて、当駅で「R-1」を初めとする明治製品を撮影することが相次ぎ、[[Twitter]]においてはトレンド1位を取るなど話題となった<ref>{{Cite news |和書|title=「平成最後の昭和の日、大正駅で明治飲んだ」 |newspaper=読売新聞 |date=2019-04-30 |author= |url=https://www.yomiuri.co.jp/kaigen/news/20190430-OYT1T50116/ |accessdate=2019-04-30}}</ref><ref>{{Cite news |和書|title=JR大正駅がトレンド1位 平成最後の昭和の日に同駅で「明治R-1」を手に撮影 |newspaper=デイリースポーツ |date=2019-04-29 |author= |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2019/04/29/0012286775.shtml |accessdate=2019-04-30}}</ref>。 == 隣の駅 == ; 西日本旅客鉄道(JR西日本) : {{JR西路線記号|K|O}} 大阪環状線 :: {{Color|#00a497|■}}大和路快速・{{Color|#ff6600|■}}関空快速・{{Color|#ff6600|■}}紀州路快速・{{Color|#ff6600|■}}快速 ::: [[弁天町駅]](JR-O15)- '''大正駅(JR-O16)'''- [[新今宮駅]](JR-O19) :: {{Color|#00a497|■}}区間快速・{{color|#476f8b|■}}直通快速・{{Color|#999|■}}普通 ::: 弁天町駅(JR-O15)- '''大正駅(JR-O16)'''- [[芦原橋駅]](JR-O17) ::* [[2007年]][[5月20日]]まで、貨物支線([[大阪臨港線]])への分岐点として、弁天町駅 - 当駅間に[[境川信号場]]があった。 ; 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro) : [[File:Osaka Metro Nagahori Tsurumi-ryokuchi line symbol.svg|15px|N]] 長堀鶴見緑地線 ::: '''大正駅(N11)'''- [[ドーム前千代崎駅]](京セラドーム大阪)(N12) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat}} * [[日本の鉄道駅一覧]] == 外部リンク == {{座標一覧}} * {{外部リンク/JR西日本駅|0620505|大正}} * [https://subway.osakametro.co.jp/station_guide/N/n11/index.php 大正駅] - Osaka Metro {{大阪環状線・桜島線}} {{大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線}} {{DEFAULTSORT:たいしよう}} [[Category:大阪市の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 た|いしよう]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:西日本旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:大阪市高速電気軌道の鉄道駅]] [[Category:1961年開業の鉄道駅]] [[Category:大阪環状線]] [[Category:大正区の交通|たいしようえき]] [[Category:大正区の建築物]] [[Category:大阪市交通局の鉄道駅]]
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アラブ連盟
アラブ連盟(アラブれんめい、جامعة الدول العربية、Jāmi'a al-Duwal al-'Arabīya、League of Arab States)は、アラブ世界の政治的な地域協力機構。第二次世界大戦末期の1945年3月22日創設。本部はカイロにある。加盟は22(21カ国と1機構)。 参加各国の代表からなる理事会が最高決定機関で、その下に実行機関である事務総局や常任委員会、共同防衛理事会、社会経済理事会、ほかパレスチナ問題総本部やイスラエル・ボイコット本部などの部局や専門の諸機関がある。理事会は1年に2回開催されるほか、加盟二か国または通常理事会の要請によって緊急理事会を開くことができる。また、上記の組織とは別に、1963年から開催されているアラブ首脳会議は、2000年に正式にアラブ連盟の会議となった。首脳会議は年に一度加盟国の都市に集まって行われる。理事会が閣僚レベルの各国代表で構成されるのに対し、首脳会議は各国の元首が集合して議論を行うため、首脳会議の重要性は高まってきている。 本部がカイロにあり、また歴代の7人の事務局長が、エジプト追放期のチュニジア人一人を除いて全員エジプト人であるように、エジプトの主導権が強く、サウジアラビアなどを中心に反発もあり、サウジアラビアがイスラム諸国会議機構の設立に積極的であった理由のひとつともされる。1979年3月にはエジプトとイスラエルの単独和平によって盟主であったエジプトが連盟から追放され、本部は一時チュニジアのチュニスに移っていたが、1989年5月にエジプトが連盟に復帰すると、本部もカイロへと戻った。 当初は1945年当時のアラブ独立国7か国で発足した連盟であるが、アラブ諸国が次々と独立していくにつれて加盟国数も拡大し、さらに1973年にモーリタニアが加盟したのを皮切りに、それまでアラブ諸国とはみなされていなかったジブチやソマリア、コモロなどの加盟が認められていった。 連盟発足後すぐに勃発したイスラエルとの対立とそれによる数度の中東戦争によって連盟は結束して行動したものの、連盟自体の強制力は小さなものであり、しばしば足並みの乱れや内部対立が起こっているため、連盟はそれほど強力な政治力を持っているとは言い難い。最近ではアラブ連盟の政治的役割はますます低下しており、実質的には中東の政治問題の解決にほとんど有効な手段を取ることができていない。地域統合でも湾岸協力会議やアラブ・マグレブ連合など、より狭い地域での統合を目指す動きの方が進展が見られる。 イスラエルとは同国建国以来緊張関係にあり、イスラエルおよびその主要取引先に対する経済制裁である「イスラエル・ボイコット」も行っており、イスラエルにアラブ和平イニシアティブ(英語版)の受け入れを要求している。 20世紀にはいると、アラブ民族主義の高まりを受けて、アラブ諸国家間の地域協力機構の設立が叫ばれるようになった。第二次世界大戦が始まると、アラブ諸国が枢軸国側につくことを避けるために1941年5月29日からイギリスのアンソニー・イーデンがこの構想を主張しはじめた。この時はアラブ各国の支持を受けられなかったものの、イーデンは1943年2月に再度同様の呼びかけを行い、これにアラブ各国が積極的な賛同を示したことで、この構想は一気に具体化した。とはいえ、この機構に対する各国の反応はまちまちだった。エジプトのムスタファ・エル・ナハス首相は積極的な賛成を示し、連盟設立の主導権を握ったが、エジプトの立場はこの機構を緩やかな国家間の協力機構にとどめるものだった。トランスヨルダンとシリアはともに大シリア(シリア・ヨルダン・レバノン・パレスチナ)の統合を主張し、そのうえでアラブの連合を求める考えを示していたが、ヨルダンはハーシム家による君主制を、シリアは共和制を構想していた。イラクはこれにイラクを加えた統合構想を持っていたが、イラクとヨルダンは各国家の完全な統合までには踏み込まず、やや統制の強い国家連合を志向していた。これに対しシリアはアラブ統一に最も積極的であり、創設7か国中で唯一主権放棄にも応じる姿勢を示していた。こうした積極派の諸国に対し、サウジアラビアとレバノンは主権の移譲に強い抵抗を示していた。レバノンは前述の大シリアに含まれる地域ではあったが、他地域とは違いキリスト教のマロン派が主導権を握っており、大シリアが統合された場合周囲のスンニ派に飲み込まれる恐れがあったために、どのような主権移譲の動きにも強い抵抗を示していた。サウジアラビアはもともと孤立主義的な傾向が強く、連盟の設立自体に懐疑的であり、イエメンもこれに追随した。こうした中でエジプトが主体となって妥協が行われ、どのような強制力も持たない緩やかな地域協力機構にとどめることで消極派諸国をつなぎとめ、連盟が設立されることとなった。こうして1945年3月22日にアレキサンドリア議定書の発効によって、当時のアラブ7カ国が加盟してアラブ連盟が結成された。 アラブ連盟が作成した「アラブ人権憲章」は、1994年に初期版が作成されたが、批准した国はなかった。2004年に作成された最新版は、より大きな成功を収め、必要な数の加盟国の批准を経て2008年に施行された。 アラブ憲章で正式に記されている規範の多くはイスラム原理に基づいており、前文では「高貴なイスラム教によって神聖なものとされた[...]永遠の原理を[...]推進するもの」とされている。アラブ憲章が施行された4年後、当時の国連人権高等弁務官ルイーズ・アルブール氏は、アラブ憲章が他の国際人権条約と相いれないことを公に強調して反論した。 発足したアラブ連盟がまず最初に取り組んだ問題は、パレスチナ地方におけるアラブ人とユダヤ人の対立、すなわちパレスチナ問題であった。すでに連盟結成前からパレスチナ問題はこの地域における一大政治問題となっており、アラブ連盟は一貫してアラブ人の権利を主張した。1947年11月に国際連合においてパレスチナ分割決議が採択されると、アラブ連盟はこれに反対した。このころになるとすでにパレスチナは内乱状態となっており、1948年5月14日にイギリス軍がパレスチナを撤退すると、同日この地域のユダヤ人がイスラエルの独立を宣言したため、レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトのアラブ連盟5か国もこれに反応してイスラエルに即日宣戦を布告し、パレスチナになだれ込んだ。第一次中東戦争である。アラブ連盟諸国は兵力的には優位だったものの共同歩調を取ることができず、やがてイスラエルに反撃され、1949年には事実上の敗北という形で停戦協定を結ばざるを得なくなった。 敗戦後のアラブ諸国では、第一次中東戦争で連帯を強めることができなかった経験を踏まえ、アラブ連盟内でより強い統合を求める動きが始まった。この動きによって1950年、共同防衛理事会とその補助を行う常任軍事委員会が連盟に設立され、加盟国間での軍事連携が深まることになった。また創設以来連盟はイスラエルに対するボイコットを行ってきたが、1951年にはダマスカスにイスラエル・ボイコット事務局が設立され、イスラエルとの貿易をはじめイスラエルと取引のある企業との契約をも禁止するボイコット運動が開始された。1956年に起こったスエズ危機において、連盟はエジプトを全面的に支持し、英仏とイスラエルに対抗した。エジプトが軍事的に敗北したものの政治的に勝利を収めると、エジプト大統領のガマール・アブドゥル=ナーセルの威信が高まり、彼の提唱によりアラブ民族主義(汎アラブ主義)に基づくアラブ世界の統一を目指したアラブ連合構想が各地で実現したものの、基本的にエジプトばかりかサウジアラビア、シリア、イラクがそれぞれアラブ圏での主導権を握ろうとし、互いに従属することを嫌ったためにいずれも頓挫した。 1959年に国際石油資本が産油国の了承を得ることなく石油公示価格の引き下げを発表すると、同年4月、アラブ連盟は第1回アラブ石油会議をカイロで開催し、この措置に抗議した。この会議にはアラブ諸国のみならず大産油国であるイランおよびベネズエラも招かれ、この会議を発端に産油国間の協調体制が整うようになり、1960年の石油輸出国機構の結成へとつながっていくこととなった。1963年からはナセルの提唱によってアラブ首脳会議が行われるようになり、1982年以降一時中断したものの2000年に復活し、2012年現在も継続している。第一回アラブ首脳会議が1963年に開かれたが、アラブ連盟はパレスチナ解放のための機関としてパレスチナ解放機構(PLO)の設立に同意し、翌年に実現した。 中東戦争では引き続き連携し、1967年の第三次中東戦争でアラブ側がイスラエルに大敗し、軍事的劣勢に立たされた際には、同年9月のアラブ首脳会議において、イスラエルに対し「和平せず、交渉せず、承認せず」を決議した。この第三次中東戦争の大敗はアラブ諸国にとって衝撃的であり、それまで英雄とされていたナセルの政治的威信は失墜、アラブ世界の統合の動きは衰退していくことになった。またヨルダン川西岸地区をめぐって、あくまでこの地区の奪還を目指すPLOとイスラエルとの妥協を志向するヨルダンの対立は激化し、1970年には両者の間にヨルダン内戦が勃発した。この内戦においてアラブ連盟はPLOとヨルダンの仲介に立ち、PLOは本部をヨルダンの首都アンマンからレバノンの首都ベイルートへと移転させることとなった。 1973年に第四次中東戦争では、エジプトとシリア両国がイスラエルを攻撃した。連盟はエジプト・シリアを支援したものの、緒戦の敗北から立ち直ったイスラエルは両国への逆襲に成功し、最終的にはイスラエル優勢で戦争は終結した。しかし緒戦でイスラエルが敗北したことが、イスラエルはその軍事的威厳を落とすことになり、またアラブ諸国の結束の機運を一時的に高めることとなった。アラブ連盟の動きに呼応したアラブ石油輸出国機構(OAPEC)は非友好国への石油供給削減を行い、さらにこれに石油輸出国機構が同調したことで石油価格が高騰し、第一次石油危機が勃発した。この結束の機運に乗ってPLOはアラブ連盟との関係を強めていき、1974年のアラブ首脳会議においてPLOはパレスチナ唯一の代表となり、1976年には正式に連盟に加盟してその一員となった。レバノン内戦においては1976年に平和維持活動を決定した。また、1973年にはモーリタニアが加盟し、アラブ連盟が伝統的にアラブとされている領域から拡大するきっかけとなった。 こうした一連の協調を対立関係に変えてしまったのが1978年3月のキャンプ・デービッド合意である。この合意においてアラブ側の中心国家であり、4度の中東戦争において唯一アラブ側ですべての戦争に参加していたエジプトのサダト大統領とイスラエル首相のメナヘム・ベギンの間で、両国の停戦と相互承認が締結されたことは、アラブ諸国に激震をもたらした。アラブ連盟の対イスラエル共通政策である「和平せず、交渉せず、承認せず」に違反したとしてエジプトは強い批判にさらされ、同年11月にイラクのバグダッドで行われた1978年アラブ首脳会議(英語版)で主導国であるにもかかわらずアラブ連盟を追放されてしまう。同時にアラブ連盟の本部もブルギーバ政権下のチュニジアのチュニスへと移転した。この会議を主催してエジプト追放に成功したイラクはエジプトに代わってアラブの盟主になることも目論み、後にイラン・イラク戦争を引き起こす原因の1つになったともされる。 1980年から1988年まで続いたイラン・イラク戦争では、イラクが連盟内の国家でありイランがそうでなかったこと、およびこの前年の1979年に起きたイラン革命によって成立したイスラム共和制に対し殆どの加盟各国が強い警戒心を抱いたことから一貫してイラクを支持し続けた。1987年にパレスチナで起こった第1次インティファーダについては支援を行う決議を採択した。またこの間エジプトが加盟各国との関係改善に努めた結果、1989年5月にエジプトが連盟に復帰して本部も再びカイロへと戻った。 エジプトが復帰してアラブ連盟は再び以前の状態に戻ったものの、この時アラブ連盟は深刻な内部対立に悩まされていた。イラン・イラク戦争で疲弊していたイラクは原油価格の引き上げによってこの苦境を乗り越えようとしていたが、アラブ諸国が主導権を握る石油輸出国機構がこれを認めなかったうえ、クウェートをはじめとするアラブの数か国がOPECの産油量割り当てを越えて増産を続け、原油の値崩れを招いていたからである。イラクは抗議を行ったがクウェートは全く聞き入れず、やがて国境上にあるルマイラ油田をめぐって両国は深刻な対立に陥った。 1990年3月に議長国となったイラクはバグダッドでアラブ連盟の首脳会議を主催し、1990年8月2日、イラク軍はクウェート侵攻を行いクウェート全土を支配下におさめた。このクウェート侵攻をめぐって、アラブ連盟は同年8月9日にカイロ国際会議場に緊急サミットを開き、エジプトの主導でイラク非難決議を採択した。この決議にイラクはもとよりPLOとリビアがイラク側に完全に立って反対し、さらにイエメンが態度保留、ヨルダンも棄権してイラク寄りの姿勢を保った。アラブ連盟には深刻な亀裂が走ったものの、主流派はイラク反対派であることは変わらず、湾岸諸国やサウジアラビアをはじめとする多くの国が1991年の湾岸戦争において対イラク攻撃に参戦した。湾岸戦争はイラクの敗北とクウェートの解放によって終結したものの、この戦争によって連盟内部の深刻な亀裂と弱体さが明るみに出、これ以降連盟の求心力はさらに弱まった。 1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構の間で合意されたオスロ合意については承認を行っている。2003年に起きたイラク戦争においては、アメリカ・イギリス軍の即時撤退要求をクウェート以外のすべての国家の賛成によって議決している。 2009年3月30日、31日の両日、カタールの首都ドーハで第21回アラブ連盟首脳会議が開かれた。会議には21カ国と1機構、国連の事務総長、イスラム諸国会議機構 (OIC) の事務局長が参加。エジプトのムバーラク大統領は欠席を表明。最終宣言では、中東和平、イラク、スーダンの国内情勢、中東非大量破壊兵器地帯創設などの課題解決のために参加国の努力を確認した。中東非大量破壊兵器地帯創設では、核兵器保有のイスラエルに対し、核不拡散条約 (NPT) に調印し、国際原子力機関 (IAEA) の監視を受けるよう国際社会が圧力をかけることを求めた。中東和平問題では、最近のパレスチナ自治区のガザ地区に対する攻撃を「野蛮な侵略」と非難した。討議でヨルダンのアブドゥッラー2世国王は、スーダン情勢について、国際刑事裁判所 (ICC) がオマル・アル=バシール大統領に対して逮捕状を発行したことを非難した。 2011年におこったアラブの春においては当初は慎重な姿勢だったが、徐々に改革派寄りの姿勢に立つようになった。これを示すのが、以下のシリア内戦に対する姿勢である。2011年10月30日カタール(ドーハ)で外相会議が開かれ、シリア内戦を論議した。31日には、アラビ事務局長が、シリア政府の反政府デモに対する武力弾圧を終了させるためのロードマップを明らかにした。11月2日には暴力行為停止などの調停案受け入れでシリアと合意したが弾圧は続き、11月16日をもってシリアは加盟資格が停止された。 2011年11月16日、モロッコ・ラバトで外相会議を開き、シリア問題について話し合った。同会議は、シリア政府に対し3日以内に弾圧を停止するよう求め、これに応じなければ経済制裁を科することを決定した。 11月27日、カイロで外相会議を開き、シリアに対する制裁措置を19ヵ国(22ヵ国・機構加盟)の賛成で承認した。制裁措置は、アラブ諸国とシリア政府との関係の断絶、シリアへのアラブ各国政府の投資の禁止、アラブ各国にあるシリア資産の凍結、シリア政府高官の渡航禁止、シリアへの民間航空の乗り入れ禁止などから成っている。12月3日には、ドーハ(カタール)で閣僚級会合を開きシリアへの制裁について協議した。 2015年3月29日、地域の不安定化の拡大に対応するため合同軍の創設で原則的に合意した。 シリアがロシアとイランを後ろ盾に内戦で軍事的優位を固めたこともあり、2023年5月7日に臨時の加盟国外相会合でシリアの復帰を決議した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アラブ連盟(アラブれんめい、جامعة الدول العربية、Jāmi'a al-Duwal al-'Arabīya、League of Arab States)は、アラブ世界の政治的な地域協力機構。第二次世界大戦末期の1945年3月22日創設。本部はカイロにある。加盟は22(21カ国と1機構)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "参加各国の代表からなる理事会が最高決定機関で、その下に実行機関である事務総局や常任委員会、共同防衛理事会、社会経済理事会、ほかパレスチナ問題総本部やイスラエル・ボイコット本部などの部局や専門の諸機関がある。理事会は1年に2回開催されるほか、加盟二か国または通常理事会の要請によって緊急理事会を開くことができる。また、上記の組織とは別に、1963年から開催されているアラブ首脳会議は、2000年に正式にアラブ連盟の会議となった。首脳会議は年に一度加盟国の都市に集まって行われる。理事会が閣僚レベルの各国代表で構成されるのに対し、首脳会議は各国の元首が集合して議論を行うため、首脳会議の重要性は高まってきている。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "本部がカイロにあり、また歴代の7人の事務局長が、エジプト追放期のチュニジア人一人を除いて全員エジプト人であるように、エジプトの主導権が強く、サウジアラビアなどを中心に反発もあり、サウジアラビアがイスラム諸国会議機構の設立に積極的であった理由のひとつともされる。1979年3月にはエジプトとイスラエルの単独和平によって盟主であったエジプトが連盟から追放され、本部は一時チュニジアのチュニスに移っていたが、1989年5月にエジプトが連盟に復帰すると、本部もカイロへと戻った。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "当初は1945年当時のアラブ独立国7か国で発足した連盟であるが、アラブ諸国が次々と独立していくにつれて加盟国数も拡大し、さらに1973年にモーリタニアが加盟したのを皮切りに、それまでアラブ諸国とはみなされていなかったジブチやソマリア、コモロなどの加盟が認められていった。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "連盟発足後すぐに勃発したイスラエルとの対立とそれによる数度の中東戦争によって連盟は結束して行動したものの、連盟自体の強制力は小さなものであり、しばしば足並みの乱れや内部対立が起こっているため、連盟はそれほど強力な政治力を持っているとは言い難い。最近ではアラブ連盟の政治的役割はますます低下しており、実質的には中東の政治問題の解決にほとんど有効な手段を取ることができていない。地域統合でも湾岸協力会議やアラブ・マグレブ連合など、より狭い地域での統合を目指す動きの方が進展が見られる。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "イスラエルとは同国建国以来緊張関係にあり、イスラエルおよびその主要取引先に対する経済制裁である「イスラエル・ボイコット」も行っており、イスラエルにアラブ和平イニシアティブ(英語版)の受け入れを要求している。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "20世紀にはいると、アラブ民族主義の高まりを受けて、アラブ諸国家間の地域協力機構の設立が叫ばれるようになった。第二次世界大戦が始まると、アラブ諸国が枢軸国側につくことを避けるために1941年5月29日からイギリスのアンソニー・イーデンがこの構想を主張しはじめた。この時はアラブ各国の支持を受けられなかったものの、イーデンは1943年2月に再度同様の呼びかけを行い、これにアラブ各国が積極的な賛同を示したことで、この構想は一気に具体化した。とはいえ、この機構に対する各国の反応はまちまちだった。エジプトのムスタファ・エル・ナハス首相は積極的な賛成を示し、連盟設立の主導権を握ったが、エジプトの立場はこの機構を緩やかな国家間の協力機構にとどめるものだった。トランスヨルダンとシリアはともに大シリア(シリア・ヨルダン・レバノン・パレスチナ)の統合を主張し、そのうえでアラブの連合を求める考えを示していたが、ヨルダンはハーシム家による君主制を、シリアは共和制を構想していた。イラクはこれにイラクを加えた統合構想を持っていたが、イラクとヨルダンは各国家の完全な統合までには踏み込まず、やや統制の強い国家連合を志向していた。これに対しシリアはアラブ統一に最も積極的であり、創設7か国中で唯一主権放棄にも応じる姿勢を示していた。こうした積極派の諸国に対し、サウジアラビアとレバノンは主権の移譲に強い抵抗を示していた。レバノンは前述の大シリアに含まれる地域ではあったが、他地域とは違いキリスト教のマロン派が主導権を握っており、大シリアが統合された場合周囲のスンニ派に飲み込まれる恐れがあったために、どのような主権移譲の動きにも強い抵抗を示していた。サウジアラビアはもともと孤立主義的な傾向が強く、連盟の設立自体に懐疑的であり、イエメンもこれに追随した。こうした中でエジプトが主体となって妥協が行われ、どのような強制力も持たない緩やかな地域協力機構にとどめることで消極派諸国をつなぎとめ、連盟が設立されることとなった。こうして1945年3月22日にアレキサンドリア議定書の発効によって、当時のアラブ7カ国が加盟してアラブ連盟が結成された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "アラブ連盟が作成した「アラブ人権憲章」は、1994年に初期版が作成されたが、批准した国はなかった。2004年に作成された最新版は、より大きな成功を収め、必要な数の加盟国の批准を経て2008年に施行された。 アラブ憲章で正式に記されている規範の多くはイスラム原理に基づいており、前文では「高貴なイスラム教によって神聖なものとされた[...]永遠の原理を[...]推進するもの」とされている。アラブ憲章が施行された4年後、当時の国連人権高等弁務官ルイーズ・アルブール氏は、アラブ憲章が他の国際人権条約と相いれないことを公に強調して反論した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "発足したアラブ連盟がまず最初に取り組んだ問題は、パレスチナ地方におけるアラブ人とユダヤ人の対立、すなわちパレスチナ問題であった。すでに連盟結成前からパレスチナ問題はこの地域における一大政治問題となっており、アラブ連盟は一貫してアラブ人の権利を主張した。1947年11月に国際連合においてパレスチナ分割決議が採択されると、アラブ連盟はこれに反対した。このころになるとすでにパレスチナは内乱状態となっており、1948年5月14日にイギリス軍がパレスチナを撤退すると、同日この地域のユダヤ人がイスラエルの独立を宣言したため、レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトのアラブ連盟5か国もこれに反応してイスラエルに即日宣戦を布告し、パレスチナになだれ込んだ。第一次中東戦争である。アラブ連盟諸国は兵力的には優位だったものの共同歩調を取ることができず、やがてイスラエルに反撃され、1949年には事実上の敗北という形で停戦協定を結ばざるを得なくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "敗戦後のアラブ諸国では、第一次中東戦争で連帯を強めることができなかった経験を踏まえ、アラブ連盟内でより強い統合を求める動きが始まった。この動きによって1950年、共同防衛理事会とその補助を行う常任軍事委員会が連盟に設立され、加盟国間での軍事連携が深まることになった。また創設以来連盟はイスラエルに対するボイコットを行ってきたが、1951年にはダマスカスにイスラエル・ボイコット事務局が設立され、イスラエルとの貿易をはじめイスラエルと取引のある企業との契約をも禁止するボイコット運動が開始された。1956年に起こったスエズ危機において、連盟はエジプトを全面的に支持し、英仏とイスラエルに対抗した。エジプトが軍事的に敗北したものの政治的に勝利を収めると、エジプト大統領のガマール・アブドゥル=ナーセルの威信が高まり、彼の提唱によりアラブ民族主義(汎アラブ主義)に基づくアラブ世界の統一を目指したアラブ連合構想が各地で実現したものの、基本的にエジプトばかりかサウジアラビア、シリア、イラクがそれぞれアラブ圏での主導権を握ろうとし、互いに従属することを嫌ったためにいずれも頓挫した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1959年に国際石油資本が産油国の了承を得ることなく石油公示価格の引き下げを発表すると、同年4月、アラブ連盟は第1回アラブ石油会議をカイロで開催し、この措置に抗議した。この会議にはアラブ諸国のみならず大産油国であるイランおよびベネズエラも招かれ、この会議を発端に産油国間の協調体制が整うようになり、1960年の石油輸出国機構の結成へとつながっていくこととなった。1963年からはナセルの提唱によってアラブ首脳会議が行われるようになり、1982年以降一時中断したものの2000年に復活し、2012年現在も継続している。第一回アラブ首脳会議が1963年に開かれたが、アラブ連盟はパレスチナ解放のための機関としてパレスチナ解放機構(PLO)の設立に同意し、翌年に実現した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": 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アラブ連盟は、アラブ世界の政治的な地域協力機構。第二次世界大戦末期の1945年3月22日創設。本部はカイロにある。加盟は22(21カ国と1機構)。
{{Infobox Geopolitical organisation |native_name = {{big|جامعة الدول العربية}}<br>''{{transl|ar|Jāmiʻat ad-Duwal al-ʻArabiyya}}'' |conventional_long_name =<span style="line-height:1.33em;">アラブ連盟</span> |linking_name = アラブ連盟 |image_flag = Flag of the League of Arab States.svg |flag_caption = 連盟旗 |image_map = Arab League (orthographic projection) updated.svg |map_width = 250px |symbol_type = 連盟章 |image_symbol = Emblem of the Arab League.svg |membership = 21ヶ国<br>{{flag|Algeria}}<br>{{flag|Bahrain}}<br>{{flag|Comoros}}<br>{{flag|Djibouti}}<br>{{flag|Egypt}}<br>{{flag|Iraq}}<br>{{flag|Jordan}}<br>{{flag|Kuwait}}<br>{{flag|Lebanon}}<br>{{flag|Libya}}<br>{{flag|Mauritania}}<br>{{flag|Morocco}}<br>{{flag|Oman}}<br>{{flag|State of Palestine|name=パレスチナ}}<br>{{flag|Qatar}}<br>{{flag|Saudi Arabia}}<br>{{flag|Somalia}}<br>{{flag|Sudan}}<br>{{flag|Tunisia}}<br>{{flag|United Arab Emirates}}<br>{{flag|Yemen}}<br>{{flag|Syria}} |admin_center_type = 本部 |admin_center = [[カイロ]] |established_event1 = 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4750338443</ref>ように、エジプトの主導権が強く、[[サウジアラビア]]などを中心に反発もあり、サウジアラビアが[[イスラム諸国会議機構]]の設立に積極的であった理由のひとつともされる。[[1979年]]3月にはエジプトとイスラエルの単独和平によって盟主であったエジプトが連盟から追放され、本部は一時[[チュニジア]]の[[チュニス]]に移っていたが、[[1989年]]5月にエジプトが連盟に復帰すると、本部もカイロへと戻った<ref>『イスラーム世界事典』p73 片倉もとこ、後藤明、中村光男、 加賀谷寛編、明石書店、2002年3月25日</ref><ref>{{Cite book|和書|title=世界がわかるデータブック 世界国勢図会|date=2005年9月1日|year=2005|publisher=財団法人 矢野恒太記念会}}</ref>。 当初は1945年当時のアラブ独立国7か国で発足した連盟であるが、アラブ諸国が次々と独立していくにつれて加盟国数も拡大し、さらに[[1973年]]に[[モーリタニア]]が加盟したのを皮切りに、それまでアラブ諸国とはみなされていなかった[[ジブチ]]や[[ソマリア]]、[[コモロ]]などの加盟が認められていった<ref>「アラブの人々の歴史」p437 アルバート・ホーラーニー著 湯川武監訳 阿久津正幸編訳 第三書館 2003年12月31日初版発行</ref>。 連盟発足後すぐに勃発したイスラエルとの対立とそれによる数度の中東戦争によって連盟は結束して行動したものの、連盟自体の強制力は小さなものであり、しばしば足並みの乱れや内部対立が起こっているため、連盟はそれほど強力な政治力を持っているとは言い難い。最近ではアラブ連盟の政治的役割はますます低下しており、実質的には中東の政治問題の解決にほとんど有効な手段を取ることができていない。地域統合でも[[湾岸協力会議]]や[[アラブ・マグレブ連合]]など、より狭い地域での統合を目指す動きの方が進展が見られる。 [[イスラエル]]とは同国建国以来緊張関係にあり、イスラエルおよびその主要取引先に対する経済制裁である「イスラエル・ボイコット」も行っており、イスラエルに{{仮リンク|アラブ和平イニシアティブ|en|Arab Peace Initiative}}の受け入れを要求している。 == 歴史 == === 創設 === 20世紀にはいると、アラブ民族主義の高まりを受けて、アラブ諸国家間の地域協力機構の設立が叫ばれるようになった。[[第二次世界大戦]]が始まると、アラブ諸国が[[枢軸国]]側につくことを避けるために1941年5月29日からイギリスの[[アンソニー・イーデン]]がこの構想を主張しはじめた。この時はアラブ各国の支持を受けられなかったものの、イーデンは1943年2月に再度同様の呼びかけを行い、これにアラブ各国が積極的な賛同を示したことで、この構想は一気に具体化した。とはいえ、この機構に対する各国の反応はまちまちだった。エジプトのムスタファ・エル・ナハス首相は積極的な賛成を示し、連盟設立の主導権を握ったが、エジプトの立場はこの機構を緩やかな国家間の協力機構にとどめるものだった。トランスヨルダンとシリアはともに大シリア(シリア・ヨルダン・レバノン・パレスチナ)の統合を主張し、そのうえでアラブの連合を求める考えを示していたが、ヨルダンは[[ハーシム家]]による[[君主制]]を、シリアは[[共和制]]を構想していた。イラクはこれにイラクを加えた統合構想を持っていたが、イラクとヨルダンは各国家の完全な統合までには踏み込まず、やや統制の強い国家連合を志向していた。これに対しシリアはアラブ統一に最も積極的であり、創設7か国中で唯一主権放棄にも応じる姿勢を示していた。こうした積極派の諸国に対し、サウジアラビアとレバノンは主権の移譲に強い抵抗を示していた。レバノンは前述の大シリアに含まれる地域ではあったが、他地域とは違い[[キリスト教]]の[[マロン派]]が主導権を握っており、大シリアが統合された場合周囲の[[スンニ派]]に飲み込まれる恐れがあったために、どのような主権移譲の動きにも強い抵抗を示していた。サウジアラビアはもともと孤立主義的な傾向が強く、連盟の設立自体に懐疑的であり、イエメンもこれに追随した。こうした中でエジプトが主体となって妥協が行われ、どのような強制力も持たない緩やかな地域協力機構にとどめることで消極派諸国をつなぎとめ、連盟が設立されることとなった<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p55-65 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。こうして1945年3月22日にアレキサンドリア議定書の発効によって、当時のアラブ7カ国が加盟してアラブ連盟が結成された。 アラブ連盟が作成した「アラブ人権憲章」は、1994年に初期版が作成されたが、批准した国はなかった。2004年に作成された最新版は、より大きな成功を収め、必要な数の加盟国の批准を経て2008年に施行された[https://aucegypt.summon.serialssolutions.com/#!/search?bookMark=eNqNjMkKwjAURYNUsA7_8MBtC42xQ5ZSFAXdaBfuSiyvGgmJZvh_2z8Q7uZwD2dOIm00TkhMc8bSqqDbiMQZK8uUU36fkblz7yzLNjTnMembF0Jtgu6kAtODH_CM4hlwpJ0VD7h54dElcEVnVPDSaBg2iuOdnqxAJYeG7pXsfAL1TlqTAKNwEbZ7AeW8XJJpL5TDFYm8Dbgg68O-qY_px5pvQOfbtwlWD0ZLc1oxzouKsf-sH3SdRkE 。] アラブ憲章で正式に記されている規範の多くはイスラム原理に基づいており、前文では「高貴なイスラム教によって神聖なものとされた[…]永遠の原理を[…]推進するもの」とされている。アラブ憲章が施行された4年後、当時の国連人権高等弁務官ルイーズ・アルブール氏は、アラブ憲章が他の国際人権条約と相いれないことを公に強調して反論した。[https://aucegypt.summon.serialssolutions.com/#!/search?bookMark=eNp9kM1OwzAQhC1UJNrCnQuSXyDgjZ3YOVYVf1IFiNJzlDjrkirYle0c-vYkLeLAgePuNzO7mhmZWGeRkGtgtwBS3jEGTPFcQpZDqkRxRqYgcpbwvIAJmY44GfkFmYWwY4xlEvIp2S1CwBBau6XxE2lrTdej1UidOS7eMeydDW3ddm080Ojom3cRdaTOHgWbF7pG3fuRLl1vddvRZhh_Ahe-qul6P86X5NxUXcArMom-xznZPNx_LJ-S1evj83KxSoDLIibIFa9RCm2aSivIC1MpobVkHDIphRAsZco0kHLTNBw4FCaTQlWqVnmKDPicsFOu9i4Ej6Ycrn9V_lACK8eqyr9VDZbkZAnVFsud670dHv1Pf3PS70J0_jdfqGzgRca_AXYudBE] === 中東戦争への対処 === 発足したアラブ連盟がまず最初に取り組んだ問題は、パレスチナ地方におけるアラブ人とユダヤ人の対立、すなわち[[パレスチナ問題]]であった。すでに連盟結成前からパレスチナ問題はこの地域における一大政治問題となっており、アラブ連盟は一貫してアラブ人の権利を主張した。1947年11月に[[国際連合]]において[[パレスチナ分割決議]]が採択されると、アラブ連盟はこれに反対した。このころになるとすでにパレスチナは内乱状態となっており、1948年5月14日にイギリス軍がパレスチナを撤退すると、同日この地域のユダヤ人が[[イスラエル]]の独立を宣言したため、レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトのアラブ連盟5か国もこれに反応してイスラエルに即日宣戦を布告し、パレスチナになだれ込んだ。[[第一次中東戦争]]である。アラブ連盟諸国は兵力的には優位だったものの共同歩調を取ることができず、やがてイスラエルに反撃され、1949年には事実上の敗北という形で停戦協定を結ばざるを得なくなった。 敗戦後のアラブ諸国では、第一次中東戦争で連帯を強めることができなかった経験を踏まえ、アラブ連盟内でより強い統合を求める動きが始まった。この動きによって[[1950年]]、共同防衛理事会とその補助を行う常任軍事委員会が連盟に設立され、加盟国間での軍事連携が深まることになった<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p12-13 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。また創設以来連盟はイスラエルに対するボイコットを行ってきたが、1951年には[[ダマスカス]]にイスラエル・ボイコット事務局が設立され、イスラエルとの貿易をはじめイスラエルと取引のある企業との契約をも禁止するボイコット運動が開始された<ref>https://www.jetro.go.jp/world/middle_east/sa/trade_02.html 「サウジアラビア-貿易管理制度」ジェトロ 2017年4月16日閲覧</ref>。[[1956年]]に起こった[[スエズ危機]]において、連盟はエジプトを全面的に支持し、英仏とイスラエルに対抗した。エジプトが軍事的に敗北したものの政治的に勝利を収めると、エジプト大統領の[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]の威信が高まり、彼の提唱により[[アラブ民族主義]](汎アラブ主義)に基づくアラブ世界の統一を目指した[[アラブ連合]]構想が各地で実現したものの、基本的にエジプトばかりかサウジアラビア、シリア、イラクがそれぞれアラブ圏での主導権を握ろうとし、互いに従属することを嫌ったためにいずれも頓挫した。 [[1959年]]に[[国際石油資本]]が[[産油国]]の了承を得ることなく石油公示価格の引き下げを発表すると、同年4月、アラブ連盟は第1回アラブ石油会議をカイロで開催し、この措置に抗議した。この会議にはアラブ諸国のみならず大産油国である[[イラン]]および[[ベネズエラ]]も招かれ、この会議を発端に産油国間の協調体制が整うようになり、[[1960年]]の[[石油輸出国機構]]の結成へとつながっていくこととなった<ref>「岩波講座 現代 別巻1 各国別世界の現勢Ⅰ」p124 1964年9月14日第1刷 岩波書店</ref>。1963年からはナセルの提唱によってアラブ首脳会議が行われるようになり<ref>佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 p.501</ref>、1982年以降一時中断したものの2000年に復活し、[[2012年]]現在も継続している。第一回アラブ首脳会議が1963年に開かれたが、アラブ連盟はパレスチナ解放のための機関として[[パレスチナ解放機構]](PLO)の設立に同意し、翌年に実現した<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p80 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。 [[中東戦争]]では引き続き連携し、[[1967年]]の[[第三次中東戦争]]でアラブ側がイスラエルに大敗し、軍事的劣勢に立たされた際には、同年9月のアラブ首脳会議において、イスラエルに対し「和平せず、交渉せず、承認せず」を決議した<ref>「サウジアラビア現代史」p165 岡倉徹志 文春新書 平成12年6月20日第1刷</ref>。この第三次中東戦争の大敗はアラブ諸国にとって衝撃的であり、それまで英雄とされていたナセルの政治的威信は失墜、アラブ世界の統合の動きは衰退していくことになった。またヨルダン川西岸地区をめぐって、あくまでこの地区の奪還を目指すPLOとイスラエルとの妥協を志向するヨルダンの対立は激化し、[[1970年]]には両者の間に[[ヨルダン内戦]]が勃発した。この内戦においてアラブ連盟はPLOとヨルダンの仲介に立ち、PLOは本部をヨルダンの首都[[アンマン]]からレバノンの首都[[ベイルート]]へと移転させることとなった。 [[1973年]]に[[第四次中東戦争]]では、エジプトとシリア両国がイスラエルを攻撃した。連盟はエジプト・シリアを支援したものの、緒戦の敗北から立ち直ったイスラエルは両国への逆襲に成功し、最終的にはイスラエル優勢で戦争は終結した。しかし緒戦でイスラエルが敗北したことが、イスラエルはその軍事的威厳を落とすことになり、またアラブ諸国の結束の機運を一時的に高めることとなった。アラブ連盟の動きに呼応した[[アラブ石油輸出国機構]](OAPEC)は非友好国への石油供給削減を行い、さらにこれに石油輸出国機構が同調したことで石油価格が高騰し、第一次[[石油危機]]が勃発した。この結束の機運に乗ってPLOはアラブ連盟との関係を強めていき、[[1974年]]のアラブ首脳会議においてPLOはパレスチナ唯一の代表となり、1976年には正式に連盟に加盟してその一員となった<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p92 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。[[レバノン内戦]]においては[[1976年]]に[[平和維持活動]]を決定した。また、[[1973年]]にはモーリタニアが加盟し、アラブ連盟が伝統的にアラブとされている領域から拡大するきっかけとなった。 === エジプトの追放と復帰 === こうした一連の協調を対立関係に変えてしまったのが[[1978年]]3月の[[キャンプ・デービッド合意]]である。この合意においてアラブ側の中心国家であり、4度の中東戦争において唯一アラブ側ですべての戦争に参加していたエジプトの[[アンワル・アッ=サーダート|サダト]]大統領とイスラエル首相の[[メナヘム・ベギン]]の間で、両国の停戦と相互承認が締結されたことは、アラブ諸国に激震をもたらした。アラブ連盟の対イスラエル共通政策である「和平せず、交渉せず、承認せず」に違反したとしてエジプトは強い批判にさらされ、同年11月に[[イラク]]の[[バグダッド]]で行われた{{仮リンク|1978年アラブ首脳会議|en|1978 Arab League summit}}で主導国であるにもかかわらずアラブ連盟を追放されてしまう<ref>Tucker, Spencer C.; Roberts, Priscilla (12 May 2008). The Encyclopedia of the Arab-Israeli Conflict: A Political, Social, and Military History [4 volumes]: A Political, Social, and Military History. ABC-CLIO. ISBN 9781851098422.</ref>。同時にアラブ連盟の本部も[[ハビーブ・ブルギーバ|ブルギーバ]]政権下のチュニジアのチュニスへと移転した。この会議を主催してエジプト追放に成功したイラクはエジプトに代わってアラブの盟主になることも目論み<ref>Claudia Wright, "Iraq: New Power in the Middle East," Foreign Affairs 58 (Winter 1979-80)</ref>、後に[[イラン・イラク戦争]]を引き起こす原因の1つになったともされる。 [[1980年]]から[[1988年]]まで続いたイラン・イラク戦争では、イラクが連盟内の国家でありイランがそうでなかったこと、およびこの前年の[[1979年]]に起きた[[イラン革命]]によって成立した[[イスラム共和制]]に対し殆どの加盟各国が強い警戒心を抱いたことから一貫してイラクを支持し続けた<ref>Lesch page = 85, David W. (2001). 1979: The Year That Shaped the Modern Middle East. Westview Press</ref>。[[1987年]]にパレスチナで起こった[[第1次インティファーダ]]については支援を行う決議を採択した<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p104 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。またこの間エジプトが加盟各国との関係改善に努めた結果、[[1989年]]5月にエジプトが連盟に復帰して本部も再びカイロへと戻った。 === 湾岸戦争 === エジプトが復帰してアラブ連盟は再び以前の状態に戻ったものの、この時アラブ連盟は深刻な内部対立に悩まされていた。イラン・イラク戦争で疲弊していたイラクは原油価格の引き上げによってこの苦境を乗り越えようとしていたが、アラブ諸国が主導権を握る[[石油輸出国機構]]がこれを認めなかったうえ、クウェートをはじめとするアラブの数か国がOPECの産油量割り当てを越えて増産を続け、原油の値崩れを招いていたからである。イラクは抗議を行ったがクウェートは全く聞き入れず、やがて国境上にある[[ルマイラ油田]]をめぐって両国は深刻な対立に陥った。 1990年3月に議長国となったイラクはバグダッドでアラブ連盟の首脳会議を主催し、1990年8月2日、イラク軍は[[クウェート侵攻]]を行いクウェート全土を支配下におさめた。このクウェート侵攻をめぐって、アラブ連盟は同年8月9日にカイロ国際会議場に緊急サミットを開き<ref>{{cite web|title=Cairo International Convention Centre|publisher=7awalaya|accessdate=2018-07-29|url=http://7awalaya.com/stores/details/48/Cairo-International-Convention-Centre---CICC}}</ref>、エジプトの主導でイラク非難決議を採択した。この決議にイラクはもとよりPLOとリビアがイラク側に完全に立って反対し、さらにイエメンが態度保留、ヨルダンも棄権してイラク寄りの姿勢を保った<ref>「パレスチナ紛争史」p74 横田勇人 集英社新書 2004年5月19日第1刷</ref>。アラブ連盟には深刻な亀裂が走ったものの、主流派はイラク反対派であることは変わらず、湾岸諸国やサウジアラビアをはじめとする多くの国が[[1991年]]の[[湾岸戦争]]において対イラク攻撃に参戦した。湾岸戦争はイラクの敗北とクウェートの解放によって終結したものの、この戦争によって連盟内部の深刻な亀裂と弱体さが明るみに出、これ以降連盟の求心力はさらに弱まった。 [[1993年]]にイスラエルとパレスチナ解放機構の間で合意された[[オスロ合意]]については承認を行っている<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p108 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。[[2003年]]に起きた[[イラク戦争]]においては、アメリカ・イギリス軍の即時撤退要求をクウェート以外のすべての国家の賛成によって議決している<ref>「国際機構 第四版」p270 家正治・小畑郁・桐山孝信編 世界思想社 2009年10月30日第1刷</ref><ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p115 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。 [[2009年]]3月30日、31日の両日、カタールの首都ドーハで第21回アラブ連盟首脳会議が開かれた。会議には21カ国と1機構、国連の事務総長、[[イスラム諸国会議機構]] (OIC) の事務局長が参加。エジプトの[[ホスニー・ムバーラク|ムバーラク大統領]]は欠席を表明。<br/>最終宣言では、中東和平、イラク、スーダンの国内情勢、中東非大量破壊兵器地帯創設などの課題解決のために参加国の努力を確認した。中東非大量破壊兵器地帯創設では、核兵器保有のイスラエルに対し、[[核不拡散条約]] (NPT) に調印し、[[国際原子力機関]] (IAEA) の監視を受けるよう国際社会が圧力をかけることを求めた。中東和平問題では、最近のパレスチナ自治区のガザ地区に対する攻撃を「野蛮な侵略」と非難した。<br/>討議でヨルダンの[[アブドゥッラー2世]]国王は、スーダン情勢について、[[国際刑事裁判所]] (ICC) が[[オマル・アル=バシール]]大統領に対して逮捕状を発行したことを非難した。 === アラブの春 === 2011年におこった[[アラブの春]]においては当初は慎重な姿勢だったが、徐々に改革派寄りの姿勢に立つようになった。これを示すのが、以下のシリア内戦に対する姿勢である。2011年10月30日カタール(ドーハ)で外相会議が開かれ、[[シリア内戦]]を論議した。31日には、アラビ事務局長が、シリア政府の反政府デモに対する武力弾圧を終了させるためのロードマップを明らかにした。11月2日には暴力行為停止などの調停案受け入れでシリアと合意したが弾圧は続き、11月16日をもってシリアは加盟資格が停止された<ref>{{Cite news |url=https://web.archive.org/web/20111115023148/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111112-OYT1T00833.htm |title=アラブ連盟、シリアの資格停止…制裁へ |work=YOMIURI ONLINE |newspaper=[[読売新聞]] |date=2011-11-12 |accessdate=2011-11-12 }}</ref>。 2011年11月16日、モロッコ・ラバトで外相会議を開き、シリア問題について話し合った。同会議は、シリア政府に対し3日以内に弾圧を停止するよう求め、これに応じなければ経済制裁を科することを決定した。 11月27日、カイロで外相会議を開き、シリアに対する制裁措置を19ヵ国(22ヵ国・機構加盟)の賛成で承認した。制裁措置は、アラブ諸国とシリア政府との関係の断絶、シリアへのアラブ各国政府の投資の禁止、アラブ各国にあるシリア資産の凍結、シリア政府高官<ref>精鋭部隊の共和国防衛隊を率いるアサド大統領の弟マーヘル等シリア要人19人</ref>の渡航禁止、シリアへの民間航空の乗り入れ禁止<ref group="注釈">50%削減</ref>などから成っている。12月3日には、ドーハ(カタール)で閣僚級会合を開きシリアへの制裁について協議した<ref>[http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY201111270446.html アラブ連盟、シリアへの経済制裁決定 在外資産を凍結] 朝日新聞 2011年11月28日</ref><ref>[http://mainichi.jp/select/world/mideast/archive/news/2011/11/28/20111128ddm007030146000c.html アラブ連盟:シリア経済制裁] 毎日新聞 2011年11月28日</ref><ref>[http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-24363820111128 アラブ連盟がシリア制裁決定、資産凍結や投資打ち切りへ] ロイター 2011年 11月 28日</ref>。 2015年3月29日、地域の不安定化の拡大に対応するため合同軍の創設で原則的に合意した<ref>{{cite news |language = | author = | url =http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NLZSLV6S972901.html| title=アラブ連盟:合同軍の創設で原則合意-首脳会議で | publisher =| date= 2015-03-30| accessdate =2015-04-03}}</ref>。 シリアが[[ロシア]]と[[イラン]]を後ろ盾に内戦で軍事的優位を固めたこともあり、2023年5月7日に臨時の加盟国外相会合でシリアの復帰を決議した<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20230508-HY6E6M4DSFICRCALJMNCVZFL7Y/|title=シリア、アラブ連盟に復帰 7日付で全会議に参加可|newspaper=産経新聞|date=2023-05-08|accessdate=2023-05-08}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://jp.reuters.com/article/arabs-syria-idJPKBN2WY0EQ|title=シリアのアラブ連盟復帰、加盟国外相会合が決議|newspaper=ロイター|date=2023-05-08|accessdate=2023-05-08}}</ref>。 == アラブ連盟加盟国(加盟順) == === 原加盟国 === [[ファイル:Arab League History.svg|thumb|right]] * {{EGY}}(1979年3月に[[イスラエル]]との[[エジプト・イスラエル平和条約|平和条約]]締結を理由に加盟資格停止。[[1989年]]5月に復帰) * {{SYR}}(2011年11月16日に[[シリア内戦|内戦]]での反政府派への武力弾圧を理由に加盟資格停止。2023年5月に復帰) * {{IRQ}} * {{JOR}} * {{LIB}} * {{KSA}} * {{YEM}}(加盟時は{{NYE}}) === 追加加盟国・機構 === * [[1953年]] - {{LBA}} * [[1956年]] - {{SUD}} * [[1958年]] - {{MAR}}、{{TUN}} * [[1961年]] - {{KWT}} * [[1962年]] - {{ALG}} * [[1971年]] - {{UAE}}、{{BHR}}、{{QAT}}、{{OMA}} * [[1973年]] - {{MTN}} * [[1974年]] - {{SOM}} * [[1976年]] - {{PLE}} * [[1977年]] - {{DJI}} * [[1993年]] - {{COM}} === 旧加盟国 === * [[1967年]] - {{SYE}}({{NYE}}との合併に伴い消滅) == アラブ連盟事務局長 == {| class="wikitable sortable" ! 代 ! 氏名 ! 肖像 ! 生没年 ! 就任日 ! 退任日 ! 出身国 |- ! 1 | {{ill2|アブドゥル・ラフマーン・ハサン・アッザーム|en|Abdul Rahman Hassan Azzam}}<br />Abdul Rahman Hassan Azzam | [[File:Replace this image JA.svg|100px]] | 1893-1976 | 1945年3月22日 | 1952年9月 | {{Flagu|Egypt}} |- ! 2 | {{ill2|アブドル・ハーレク・ハッスーナ|en|Mohamed Abdul Khalek Hassouna}}<br />Mohamed Abdulkhalek El Sayed | [[File:Replace this image JA.svg|100px]] | 1898-1992 | 1952年9月 | 1972年6月1日 | {{Flagu|Egypt}} |- ! 3 | {{ill2|マフムード・リヤード|en|Mahmoud Riad}}<br />Mahmoud Riad | [[File:Mahmoed Riad (1969).jpg|100px]] | 1917-1992 | 1972年6月1日 | 1979年3月 | {{Flagu|Egypt}} |- ! 4 | {{ill2|シャドリ・クリービー|en|Chedli Klibi}}<br />Chedli Klibi | [[File:Chadli klibi.JPG|100px]] | 1925-2020 | 1979年3月 | 1990年9月 | {{Flagu|Tunisia}} |- ! 代行 | アサド・アル=アサド<br />Assad al-Assad | [[File:Replace this image JA.svg|100px]] | 1920- | 1990年9月 | 1991年5月15日 | {{Flagu|Lebanon}} |- ! 5 | {{ill2|アフマド・アスマト・アブデルマギード|en|Ahmed Asmat Abdel-Meguid}}<br />Ahmed Asmat Abdel-Meguid | [[File:Ahmed_Esmat_Abd-El-Magid.jpg|100px]] | 1924-2013 | 1991年5月15日 | 2001年5月15日 | {{Flagu|Egypt}} |- ! 6 | [[アムル・ムーサ]]<br />Amr Moussa | [[File:Amr Moussa at the 37th G8 Summit in Deauville 054.jpg|100px]] | 1936- | 2001年5月15日 | 2011年7月1日 | {{Flagu|Egypt}} |- ! 7 | [[ナビール・エル=アラビー]]<br />Nabil ElarabyAhmed Aboul Gheit | [[File:Nabil el-Araby 2005.jpg|100px]] | 1935- | 2011年7月1日 | 2016年7月3日 | {{Flagu|Egypt}} |- ! 8 | {{ill2|アハマド・アブルゲイト|en|Ahmed Aboul Gheit}}<br />Ahmed Aboul Gheit | [[File:Msc 2005-Saturday, 16.00 - 18.00-AboulGheit.jpg|100px]] | 1942- | 2016年7月3日 | 現職 | {{Flagu|Egypt}} |} * 出典:[https://www.rulers.org/intorgs1.html#al rulers.org - Arab League] ==アラブ首脳会談(アラブ連盟サミット)== ===定例サミット=== [[File:Arab League Summit Logo.png|right|thumb|350px|2013年アラブ連盟サミットのロゴ]] {| class="wikitable sortable" |- ! 回 !! 開催日 !! 開催国!!開催都市 |- | 1 || 1964年1月13日-17日 || {{flag|Egypt|1958}} ||[[カイロ]] |- | 2 || 1964年9月5日-11日 || {{flag|Egypt|1958}} ||[[アレキサンドリア]] |- | 3 || 1965年9月13日-17日 || {{flag|Morocco}} ||[[カサブランカ]] |- | 4 || 1967年8月29日 || {{flag|Sudan}} ||[[ハルツーム]] |- | 5 || 1969年12月21日-23日 || {{flag|Morocco}} ||[[ラバト]] |- | 6 || 1973年11月26日-28日 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]] |- | 7 || 1974年10月29日 || {{flag|Morocco}} ||[[ラバト]] |- | 8 || 1976年10月25-26日 || {{flag|Egypt|1972}} ||[[カイロ]] |- | 9 || 1978年11月2-5日 || {{flag|Iraq|1963}} ||[[バグダード]] |- | 10 || 1979年11月20–22日 || {{flag|Tunisia}} ||[[チュニス]] |- | 11 || 1980年11月21–22日 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]] |- | 12 || 1982年9月6日-9日 || {{flag|Morocco}} ||[[フェズ]] |- | 13 || 1985年 || {{flag|Morocco}} ||[[カサブランカ]] |- | 14 || 1987年 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]] |- |15 || 1988年6月 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]] |- | 16 || 1989年 || {{flag|Morocco}} ||[[カサブランカ]] |- | 17 || 1990年 || {{flag|Iraq|1963}} ||[[バグダード]] |- | 18 || 1996年 || {{flag|Egypt}} ||[[カイロ]] |- | 19 || 2001年3月27日–28日 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]] |- | 20 || 2002年3月27日–28日 || {{flag|Lebanon}} ||[[ベイルート]] |- | 21 || 2003年3月1日 || {{flag|Egypt}} ||[[シャルムエルシェイク]] |- | 22 || 2004年5月22日-23日 || {{flag|Tunisia}} ||[[チュニス]] |- | 23 || 2005年3月22日-23日 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]] |- | 24 || 2006年3月28日-30日 || {{flag|Sudan}} ||[[ハルツーム]] |- | 25 || 2007年3月27日–28日 || {{flag|Saudi Arabia}} ||[[リヤド]] |- |26 || 2008年3月29日–30日 || {{flag|Syria}} ||[[ダマスカス]] |- | 27 || 2009年3月28日-30日 || {{flag|Qatar}} ||[[ドーハ]] |- | 28 || 2010年3月27日–28日 || {{flag|Libya|1977}} ||[[スルト]] |- | 29 || 2012年3月27日–29日 || {{flag|Iraq}} ||[[バグダード]] |- |30 || 2013年3月21日-27日 || {{flag|Qatar}} ||[[ドーハ]]<ref>[http://qatarconferences.org/arableaguesummit2013/ Arab League Summit 2013]. Qatarconferences.org (2013-03-27). Retrieved on 2014-04-28.</ref> |- | 31 || 2014年3月25日・26日 || {{flag|Kuwait}} ||[[クウェート市]]<ref>[http://www.aljazeera.com/indepth/features/2014/03/arab-league-summit-hit-new-rifts-201432173625331320.html Arab League summit hit by new rifts - Features]. Al Jazeera English. Retrieved on 2014-04-28.</ref> |- | 32 || 2015年3月28日・29日 || {{flag|Egypt}} ||[[シャルムエルシェイク]]<ref>[http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2014/03/opposition-fail-get-syria-arab-league-seat-2014326144447997621.html Opposition fail to get Syria Arab League seat - Middle East]. Al Jazeera English. Retrieved on 2014-04-28.</ref> |- | 33 || 2016年7月20日 || {{flag|Mauritania}} ||[[ヌアクショット]] |- | 34 || 2017年3月23–29日 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]]<ref>[https://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/2016/11/02/%D8%A7%D9%84%D8%A3%D8%B1%D8%AF%D9%86-%D9%8A%D8%B3%D8%AA%D8%B6%D9%8A%D9%81-%D8%A7%D9%84%D9%82%D9%85%D8%A9-%D8%A7%D9%84%D8%B9%D8%B1%D8%A8%D9%8A%D8%A9-%D9%81%D9%8A-%D9%85%D8%A7%D8%B1%D8%B3.html]</ref> |- | 35 || 2018年4月15日 || {{flag|Saudi Arabia}} ||[[ダーラン]] |- | 36 || 2019年3月31日 || {{flag|Tunisia}} ||[[チュニス]]<ref> https://www.egypttoday.com/Article/1/47928/Tunisia-to-host-next-Arab-summit</ref> |- | 37 || 2022年11月1日 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]] |- | 38 || 2023年5月19日 || {{flag|Saudi Arabia}} ||[[ジェッダ]] |} ===緊急サミット=== {| class="wikitable sortable" |- ! 回 !! 開催日 !! 開催国!!開催都市 |- | 1 || 1970年9月21日-27日 || {{flag|Egypt|1958}}|| [[カイロ]] |- | 2 || 1976年10月17日-28日 || {{flag|Saudi Arabia}} ||[[リヤド]] |- | 3 || 1985年9月7日-9日 || {{flag|Morocco}}|| [[カサブランカ]] |- | 4 || 1987年11月8日-12日 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]] |- | 5 || 1988年6月7日-9日 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]] |- | 6 || 1989年6月23日-26日 || {{flag|Morocco}} ||[[カサブランカ]] |- | 7 || 1990年3月28日-30日 || {{flag|Iraq|1963}} ||[[バグダード]] |- | 8 || 1990年8月9日-10日 || {{flag|Egypt}}|| [[カイロ]] |- | 9 || 1996年6月22日-23日 ||{{flag|Egypt}}|| [[カイロ]] |- | 10 || 2000年10月21日-22日 || {{flag|Egypt}}|| [[カイロ]] |- | 11 || 2016年1月7日 || {{flag|Saudi Arabia}}|| [[リヤド]] |} == 加盟各国の人口統計 == {| style="font-size:95%; text-align:right;" class="wikitable sortable" |- ! 順位 !! 国 !! 人口 !! 人口密度 (/km<sup>2</sup>) !! 人口密度 (sq mi) !! 注 |- | 1 || align=left|{{flag|Egypt}} || 92,519,544 || {{convert|{{#expr:(81650212 + 4241 * {{Age in days|2006|11|11}}) / 1001449 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>[http://www.msrintranet.capmas.gov.eg/pls/fdl/tst12e?action=1&lname=%201 Official Egyptian Population clock] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20121030052148/http://www.msrintranet.capmas.gov.eg/pls/fdl/tst12e?action=1&lname=%201 |date=30 October 2012 }}</ref> |- | 2 || align=left|{{flag|Algeria}} || 37,100,000 || {{convert|{{#expr: 37100000 / 2381741 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 3 || align=left|{{flag|Iraq}} || 37,056,169 || {{convert|{{#expr: (32487860 + 923 * {{Age in days|2009|7|1}}) / 446550 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>http://www.hcp.ma Official Moroccan Population clock</ref> |- | 4 || align=left|{{flag|Morocco}} || 32,064,173 || {{convert|{{#expr: 31234000 / 438317 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 5 || align=left|{{flag|Sudan}} || 30,894,000 || {{convert|{{#expr: 30894000 / 1886068 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>http://www.cbs.gov.sd 2008 Sudanese census</ref> |- | 6 || align=left|{{flag|Saudi Arabia}} || 28,146,658 || {{convert|{{#expr: 25721000 / 2149690 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 7 || align=left|{{flag|Yemen}} || 23,580,000 || {{convert|{{#expr: 23580000 / 527968 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 8 || align=left|{{flag|Syria}}* || 21,906,000 || {{convert|{{#expr: 21906000 / 185180 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 9 || align=left|{{flag|Tunisia}} || 10,673,800 || {{convert|{{#expr: 10673800 / 163610 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>{{cite web|url=http://www.ins.nat.tn/indexen.php|title=National Statistics Institute of Tunisia|publisher=|accessdate=20 November 2014}}</ref> |- | 10 || align=left|{{flag|Somalia}} || 11,400,000 || {{convert|{{#expr: 11400000 / 637657 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 11 || align=left|{{flag|United Arab Emirates}} || 8,264,070 || {{convert|{{#expr: 8264070 / 83600 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>{{cite web|url=http://www.alittihad.ae/details.php?id=31500&y=2011 |title=المركز الوطني للإحصاء: المواطنون 947.9 ألفاً - جريدة الاتحاد |publisher=Alittihad.ae |date= |accessdate=16 August 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110719221110/http://www.alittihad.ae/details.php?id=31500&y=2011| archivedate= 19 July 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref> |- | 12 || align=left|{{flag|Libya}} || 6,733,620 || {{convert|{{#expr: 6733620 / 1789540 round 1}}|/km2|1|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/><ref>{{cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ly.html|title=The World Factbook|work=cia.gov |accessdate=2017年3月18日}}</ref> |- | 13 || align=left|{{flag|Jordan}} ||6,332,000 || {{convert|{{#expr: 6316000 / 89342 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 14 || align=left|{{flag|Palestine}} || 4,550,368 || {{convert|{{#expr: 4550368 / 6020 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>{{cite web|title=Estimated Population in the Palestinian Territory Mid-Year by Governorate,1997-2016 |accessdate=8 June 2014 |website=Palestinian Central Bureau of Statistics |url=http://www.pcbs.gov.ps/Portals/_Rainbow/Documents/gover_e.htm |archive-url=https://web.archive.org/web/20140608204943/http://www.pcbs.gov.ps/Portals/_Rainbow/Documents/gover_e.htm |archive-date=8 June 2014 |publisher=State of Palestine |deadurl=no |df=dmy }}</ref> |- | 15 || align=left|{{flag|Lebanon}} || 4,224,000 || {{convert|{{#expr: 4224000 / 10452 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop>{{cite journal| url=http://www.un.org/esa/population/publications/wpp2008/wpp2008_text_tables.pdf| title=World Population Prospects, Table A.1| page=17| version=2008 revision| format=PDF| publisher=[[United Nations Department of Economic and Social Affairs]]| year=2009| accessdate=22 September 2010}}</ref> |- | 16 || align=left|{{flag|Kuwait}} || 3,566,437 || {{convert|{{#expr: 3566437 / 17818 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 17 || align=left|{{flag|Mauritania}} || 3,291,000 || {{convert|{{#expr: 3291000 / 1025520 round 1}}|/km2|1|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 18 || align=left|{{flag|Oman}} || 2,845,000 || {{convert|{{#expr: 2845000 / 309500 round 1}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 19 || align=left|{{flag|Qatar}} || 1,699,435 || {{convert|{{#expr: 1699435 / 11000 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 20 || align=left|{{flag|Bahrain}} || 1,234,596 || {{convert|{{#expr: 1234596 / 750 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>[http://www.census2010.gov.bh/results_en.php Bahraini Census 2010 - تعداد السكــان العام للبحريــن 2010]. Census2010.gov.bh. Retrieved on 2014-04-28.</ref> |- | 21 || align=left|{{flag|Djibouti}} || 864,000 || {{convert|{{#expr: 864000 / 23200 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- | 22 || align=left|{{flag|Comoros}} || 691,000 || {{convert|{{#expr: 691000 / 2235 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/> |- |- class="sortbottom" | '''総計''' || align=left|{{flag|Arab League}} || ''' 356,398,918 ''' || '''{{#expr: 400625486 / 13181059 round 1}}''' || '''{{convert|{{#expr: 400625486 / 13181059 round 1}}|/km2|/sqmi|1|disp=output number only}}''' | |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[イスラム諸国会議機構]] * [[南米・アラブ諸国首脳会議]] == 外部リンク == {{commons|League of Arab States}} * [http://www.lasportal.org The League of Arab States](公式サイト) * [http://www.worldstatesmen.org/International_Organizations.html#Arab%20League World Statesmen - Arab League] * {{Kotobank}} {{地域統合}} {{現行の軍事同盟・安全保障条約・集団安全保障}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:あらふれんめい}} [[Category:アラブ連盟|*あらふれんめい]] [[Category:国際機関]] [[Category:国際連合総会オブザーバー]] [[Category:アラブ世界]] [[Category:汎アラブ主義]] [[Category:中東]] [[Category:1945年設立の組織]] [[Category:アンソニー・イーデン]]
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大阪城公園駅
大阪城公園駅(おおさかじょうこうえんえき)は、大阪府大阪市中央区大阪城にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線の駅である。第4回近畿の駅百選に選定されている。駅番号はJR-O07。駅シンボルフラワーは「瓢箪」である。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。駅舎の改札外にはエレベーターが設置されておらず、1番内回りホームに外に通じるスロープが設置されており車いす利用者は駅員を呼び出してそこから出入りすることができる。駅とペデストリアンデッキで直結しているJO-TERRACE OSAKAにエレベーターがありそちらの利用も可能であるがやや離れた箇所にある。ホームは8両編成に対応している。分岐器や絶対信号機がないため、停留所に分類される。当駅は大阪環状線で唯一の地上駅となっているが、当駅周辺にはかつて大阪砲兵工廠が置かれていた。そのため当駅付近を高架化した場合、軍事機密が漏洩する可能性があったため、旧陸軍は高架化を認めなかったとされている。長らくのりば番号が存在していなかったが、2006年秋頃にのりば番号が付与された。 京橋駅が管理している直営駅。みどりの窓口は存在しないが、みどりの券売機プラス(稼働時間:6時30分から23時)が設置されている。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCAを利用することができる(相互利用対象ICカードはICOCAの項を参照)。改札口付近の上には、小説家の司馬遼太郎が開業を祝って書いた詩を写したもの1面と、日本画家の西山英雄の絵を写した3面の陶板レリーフが設置されている。 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から大坂の陣にちなんだオリジナル曲「法螺貝」が発車メロディとして使用されている。 2020年(令和2年)度の1日平均乗車人員は6,893人であり、大阪環状線の快速停車駅の中で乗車人員が最も少ない駅である。前年度より約50%減であり、前年度はやや上回っていた快速通過駅の野田駅(9,816人)を下回った。環状線各駅でも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による影響で大きく減少しているが、大阪城ホール最寄り駅である当駅ではイベント開催減により特に影響が大きかったと推測される。 近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。 以下は当駅外回りホームの奥にある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大阪城公園駅(おおさかじょうこうえんえき)は、大阪府大阪市中央区大阪城にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線の駅である。第4回近畿の駅百選に選定されている。駅番号はJR-O07。駅シンボルフラワーは「瓢箪」である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。駅舎の改札外にはエレベーターが設置されておらず、1番内回りホームに外に通じるスロープが設置されており車いす利用者は駅員を呼び出してそこから出入りすることができる。駅とペデストリアンデッキで直結しているJO-TERRACE OSAKAにエレベーターがありそちらの利用も可能であるがやや離れた箇所にある。ホームは8両編成に対応している。分岐器や絶対信号機がないため、停留所に分類される。当駅は大阪環状線で唯一の地上駅となっているが、当駅周辺にはかつて大阪砲兵工廠が置かれていた。そのため当駅付近を高架化した場合、軍事機密が漏洩する可能性があったため、旧陸軍は高架化を認めなかったとされている。長らくのりば番号が存在していなかったが、2006年秋頃にのりば番号が付与された。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "京橋駅が管理している直営駅。みどりの窓口は存在しないが、みどりの券売機プラス(稼働時間:6時30分から23時)が設置されている。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCAを利用することができる(相互利用対象ICカードはICOCAの項を参照)。改札口付近の上には、小説家の司馬遼太郎が開業を祝って書いた詩を写したもの1面と、日本画家の西山英雄の絵を写した3面の陶板レリーフが設置されている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から大坂の陣にちなんだオリジナル曲「法螺貝」が発車メロディとして使用されている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2020年(令和2年)度の1日平均乗車人員は6,893人であり、大阪環状線の快速停車駅の中で乗車人員が最も少ない駅である。前年度より約50%減であり、前年度はやや上回っていた快速通過駅の野田駅(9,816人)を下回った。環状線各駅でも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による影響で大きく減少しているが、大阪城ホール最寄り駅である当駅ではイベント開催減により特に影響が大きかったと推測される。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "以下は当駅外回りホームの奥にある。", "title": "駅周辺" } ]
大阪城公園駅(おおさかじょうこうえんえき)は、大阪府大阪市中央区大阪城にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)大阪環状線の駅である。第4回近畿の駅百選に選定されている。駅番号はJR-O07。駅シンボルフラワーは「瓢箪」である。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{駅情報 |社色 = #0072bc |文字色 = |駅名 = 大阪城公園駅 |画像 = Osakajokoen Sta01s4s3200.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 駅全景(2010年3月) |よみがな = おおさかじょうこうえん |ローマ字 = &#332;sakaj&#333;k&#333;en |副駅名 = |前の駅 = JR-O06 [[森ノ宮駅|森ノ宮]] |駅間A = 0.9 |駅間B = 0.8 |次の駅 = [[京橋駅 (大阪府)|京橋]] JR-O08 |電報略号 = オシ |駅番号 = {{駅番号s|black|white|JR-O07}}{{sfn|双葉社|2021|p=80}} |所属事業者 = [[西日本旅客鉄道]](JR西日本) |所属路線 = {{JR西路線記号|K|O}} [[大阪環状線]] |キロ程 = 5.7 |起点駅 = [[天王寺駅|天王寺]] |所在地 = [[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]大阪城3 |地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|34|41|18.88|N|135|32|4.13|E}}}} |緯度度 = 34 |緯度分 = 41 |緯度秒 = 18.88 |経度度 = 135 |経度分 = 32 |経度秒 = 4.13 |駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]]) |ホーム = 2面2線 |開業年月日 = [[1983年]]([[昭和]]58年)[[10月1日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = 6,893 |乗降人員 = |統計年度 = 2020年 |乗換 = |備考 = [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]<br />[[指定席券売機#アシストマルス|みどりの券売機プラス]]設置駅<br />[[File:JR area HAN.png|15px|阪]] [[特定都区市内|大阪市内]]駅 |備考全幅 = }} '''大阪城公園駅'''(おおさかじょうこうえんえき)は、[[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]大阪城にある、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[大阪環状線]]の[[鉄道駅|駅]]である。第4回[[近畿の駅百選]]に選定されている。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''JR-O07'''{{sfn|双葉社|2021|p=80}}。駅シンボルフラワーは「[[ヒョウタン|瓢箪]]」である。 == 歴史 == * [[1983年]]([[昭和]]58年)[[10月1日]]:[[大阪環状線]]の[[森ノ宮駅]] - [[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]間に国鉄の駅として開業<ref name="nikkei20151003">{{Cite news|url = https://www.nikkei.com/article/DGXMZO92132660W5A920C1AA1P00/|title = 大阪環状線 大阪城公園周辺、高架化されず(謎解きクルーズ)|newspaper = 日本経済新聞|date = 2015-10-03|accessdate = 2022-02-09}}</ref>。[[大阪築城400年まつり]]・大阪城博覧会開催に合わせて開業した。 * [[1984年]](昭和59年)[[3月12日]]:改札口付近に陶板レリーフが設置される<ref name="交通84">{{Cite news |title=見事なレリーフ除幕 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1984-03-15 |page= 1}}</ref>。 * [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の駅となる{{sfn|双葉社|2021|p=88}}。 * [[1997年]]([[平成]]9年)[[9月24日]]:[[自動改札機]]を設置し、供用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1998-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '98年版 |chapter=JR年表 |page=185 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-119-8}}</ref>。 * [[2003年]](平成15年)[[11月1日]]:[[乗車カード|ICカード]]「[[ICOCA]]」の利用が可能となる<ref>[https://web.archive.org/web/20040803184954/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030820a.html 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜]([[インターネットアーカイブ]]) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日</ref>。 * [[2009年]](平成21年)[[10月4日]]:[[運行管理システム (JR西日本)#大阪環状・大和路線システム|大阪環状・大和路線運行管理システム]]導入。 * [[2010年]](平成22年)[[9月26日]]:[[大阪市交通局]](当時、現在の[[大阪市高速電気軌道]])[[森之宮検車場]]で発見された不発弾処理のため、京橋 - 鶴橋 - 天王寺間で区間運休となる。 * [[2015年]](平成27年)[[3月22日]]:[[発車メロディ]]を導入<ref name="jrpress20150316">{{Cite press release|和書|url = https://www.westjr.co.jp/press/article/2015/03/page_6940.html|title = 『大阪環状線改造プロジェクト』進行中 大阪環状線発車メロディ全駅曲目決定!|publisher = 西日本旅客鉄道|date = 2015-03-16|accessdate = 2022-02-09}}</ref><ref name="nori20150316">{{Cite web|和書|url = https://trafficnews.jp/post/38789|title = 大阪環状線、全駅の発車メロディ決定 天王寺は和田アキ子、新今宮はドヴォルザーク|website = 乗りものニュース|date = 2015-03-16|accessdate = 2022-02-09}}</ref>。曲はオリジナル曲の「法螺貝」<ref name="jrpress20150316"/><ref name="nori20150316"/><ref name="nikkei20200915">{{Cite news|url = https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63814850U0A910C2AA1P00/|title = 大阪・環状線発車音、笑い誘う 森ノ宮は「くまさん」|newspaper = 日本経済新聞|date = 2020-09-15|accessdate = 2022-02-09}}</ref>。 * [[2018年]](平成30年)[[3月17日]]:[[駅ナンバリング]]が導入される。 * [[2019年]](平成31年・[[令和]]元年) ** [[1月31日]]:この日を以て[[みどりの窓口]]が営業終了。 ** [[2月1日]]:[[指定席券売機#アシストマルス|みどりの券売機プラス]]が稼働開始。 == 駅構造 == [[プラットホーム|相対式ホーム]]2面2線{{sfn|双葉社|2021|p=78}}を有する[[地上駅]]で、[[橋上駅|橋上駅舎]]を有している。駅舎の改札外には[[エレベーター]]が設置されておらず、1番内回りホームに外に通じるスロープが設置されており車いす利用者は駅員を呼び出してそこから出入りすることができる。駅と[[ペデストリアンデッキ]]で直結している[[JO-TERRACE OSAKA]]にエレベーターがありそちらの利用も可能であるがやや離れた箇所にある。ホームは8両編成に対応している。[[分岐器]]や[[日本の鉄道信号#主信号機|絶対信号機]]がないため、[[停車場#停車場の定義|停留所]]に分類される。当駅は大阪環状線で唯一の地上駅となっているが<ref group="注">[[天王寺駅]]は[[上町台地]]の掘割部分にホームがあるため、厳密には地平駅ではない。</ref><ref name="nikkei20151003"/>、当駅周辺にはかつて[[大阪砲兵工廠]]が置かれていた<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.ktv.jp/news/feature/20200814/|title = 終戦前日の大空襲…標的となった「東洋一の兵器工場」【戦後75年の記憶】|website = [[報道ランナー]]|archiveurl = https://web.archive.org/web/20210119144503/https://www.ktv.jp/news/feature/20200814/|date = 2020-08-14|archivedate = 2021-01-19|accessdate = 2022-02-09}}</ref>。そのため当駅付近を高架化した場合、軍事機密が漏洩する可能性があったため、[[大日本帝国陸軍|旧陸軍]]は高架化を認めなかったとされている<ref name="nikkei20151003"/>。長らくのりば番号が存在していなかったが、[[2006年]]秋頃にのりば番号が付与された。 [[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]が管理している[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]。[[みどりの窓口]]は存在しないが、[[指定席券売機#アシストマルス|みどりの券売機プラス]](稼働時間:6時30分から23時)が設置されている。[[アーバンネットワーク]]エリアに属しており、[[ICOCA]]を利用することができる([[交通系ICカード全国相互利用サービス|相互利用対象ICカード]]はICOCAの項を参照)。改札口付近の上には、小説家の[[司馬遼太郎]]が開業を祝って書いた詩を写したもの1面と、日本画家の[[西山英雄]]の絵を写した3面の陶板レリーフが設置されている{{R|交通84}}<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/kikaku/002/16.htm ひと駅ひと物語 大阪環状線めぐり] - [[読売新聞]]</ref>。 === のりば === <!--方面表記は、JR西日本(JRおでかけネット)の「構内図」の記載に準拠--> {| class="wikitable" !のりば<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先 |- !1 |rowspan="2"|{{JR西路線記号|K|O}} 大阪環状線 |style="text-align:center;"|内回り |[[ユニバーサルシティ駅|ユニバーサルシティ]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610515">{{Cite web|和書|url=https://www.jr-odekake.net/eki/premises?id=0610515|title=大阪城公園駅|構内図:JRおでかけネット|publisher=西日本旅客鉄道|accessdate=2023-01-17}}</ref> / [[京橋駅 (大阪府)|京橋]]・[[大阪駅|大阪]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610515" /> |- !2 |style="text-align:center;"|外回り |[[鶴橋駅|鶴橋]]・[[天王寺駅|天王寺]]方面<ref name="jr-odekake-premises?id=0610515" /> |} <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> JRW Osaka Park Station.jpg|駅正門(2008年3月) Osakajo-Park Station3.jpg|改札口(2005年10月、上には司馬遼太郎の詩がある) Osakajokoen Station platform 20210627051554.jpg|ホーム(2021年6月) Osakajo-Park Station2.jpg|コンコース(2005年10月、切符売場) </gallery> === 発車メロディ === 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2015年3月22日から[[大坂の陣]]にちなんだオリジナル曲「法螺貝」が[[発車メロディ]]として使用されている<ref name="jrpress20150316"/><ref name="nori20150316"/><ref name="nikkei20200915"/>。 == 利用状況 == [[2020年]](令和2年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''6,893人'''であり、大阪環状線の快速停車駅の中で乗車人員が最も少ない駅である。前年度より約50%減であり、前年度はやや上回っていた快速通過駅の[[野田駅 (JR西日本)|野田駅]](9,816人)を下回った。環状線各駅でも[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]による影響で大きく減少しているが、[[大阪城ホール]]最寄り駅である当駅ではイベント開催減により特に影響が大きかったと推測される。 近年の1日平均'''乗車'''人員の推移は以下の通りである。 {|class="wikitable" style="text-align:right;" |+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[http://www.pref.osaka.lg.jp/toukei/nenkan/index.html 大阪府統計年鑑] - 大阪府</ref><ref group="統計">[https://www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000164566.html 大阪市統計書] - 大阪市</ref> !年度 !1日平均<br />乗車人員 !出典 |- |1990年(平成{{0}}2年) |15,203 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088143/tn1991n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成3年)]}}</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年) |15,399 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00088083/tn1992n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成4年)]}}</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年) |15,907 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085641/tn1993n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成5年)]}}</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) |15,646 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085625/tn1994n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成6年)]}}</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) |15,098 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085578/tn1995n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成7年)]}}</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) |15,305 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085307/tn1996n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成8年)]}}</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) |15,283 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084805/tn1997n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成9年)]}}</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) |14,371 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00084997/tn1998n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成10年)]}}</ref> |- |1998年(平成10年) |13,723 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085083/tn1999n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成11年)]}}</ref> |- |1999年(平成11年) |13,279 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00085215/tn2000n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成12年)]}}</ref> |- |2000年(平成12年) |13,317 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076905/tn01n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成13年)]}}</ref> |- |2001年(平成13年) |13,183 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076904/tn02n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成14年)]}}</ref> |- |2002年(平成14年) |12,583 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076903/tn03n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成15年)]}}</ref> |- |2003年(平成15年) |12,482 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076902/tn04n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成16年)]}}</ref> |- |2004年(平成16年) |12,717 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076901/tn05n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成17年)]}}</ref> |- |2005年(平成17年) |12,296 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00076900/tn06n110.pdf 大阪府統計年鑑(平成18年)]}}</ref> |- |2006年(平成18年) |12,184 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074421/tn07n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成19年)]}}</ref> |- |2007年(平成19年) |12,377 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00074418/tn08n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成20年)]}}</ref> |- |2008年(平成20年) |11,708 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00064556/tn09n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成21年)]}}</ref> |- |2009年(平成21年) |11,545 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00071058/tn10n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成22年)]}}</ref> |- |2010年(平成22年) |10,667 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00093411/tn2011n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成23年)]}}</ref> |- |2011年(平成23年) |10,975 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00121073/tn2012n090.pdf 大阪府統計年鑑(平成24年)]}}</ref> |- |2012年(平成24年) |11,068 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00144873/tn2013n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成25年)]}}</ref> |- |2013年(平成25年) |11,210 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00180638/tn2014n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成26年)]}}</ref> |- |2014年(平成26年) |11,587 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00211004/tn2015n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成27年)]}}</ref> |- |2015年(平成27年) |11,537 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00242803/tn2016n09.pdf 大阪府統計年鑑(平成28年)]}}</ref> |- |2016年(平成28年) |12,246 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00281833/9-all.pdf 大阪府統計年鑑(平成29年)]}}</ref> |- |2017年(平成29年) |12,999 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00319513/n2018-09-2.pdf 大阪府統計年鑑(平成30年)]}}</ref> |- |2018年(平成30年) |12,878 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00357824/n2019-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和元年)]}}</ref> |- |2019年(令和元年) |13,531 |<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00387493/n2020-09-01~31.pdf 大阪府統計年鑑(令和2年)]}}</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年) |6,893 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/3355/00422997/n2021-09.pdf 大阪府統計年鑑(令和3年)]}}</ref> |} == 駅周辺 == * [[大阪城公園]] ** [[大坂城]] - 最寄の[[虎口]]は青屋口となる。 ** [[大阪城ホール]] - 駅とまっすぐな道で直結しており、駅の正門前からホールが見える。 ** [[COOL JAPAN PARK OSAKA]] * [[JO-TERRACE OSAKA]]<ref>{{Cite web|和書|url = https://dentsu-ho.com/articles/5269|title = 大阪城公園に「JO-TERRACE OSAKA」開業!緑に包まれた新名物スポット|website = 電通報|date = 2017-06-23|accessdate = 2022-02-09}}</ref> - 駅より[[ペデストリアンデッキ]]にて直結。 * [[大阪ビジネスパーク]] ** [[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]本社 - 2016年5月31日に閉館した[[シアターBRAVA!]]の跡地に建設。2019年1月に竣工、同年9月1日午前6時にここからの放送を開始。 * [[ホテルニューオータニ大阪]] * [[関西みらい銀行]] 本店 * [[住友生命保険]] 本社ビル * [[大阪ビジネスパーク駅]]([[Osaka Metro長堀鶴見緑地線|地下鉄長堀鶴見緑地線]]) - 北西へ約600m。 * [[水上バス]]のりば 以下は当駅外回りホームの奥にある。 * 西日本旅客鉄道 [[吹田総合車両所]]森ノ宮支所(旧[[森ノ宮電車区]]){{sfn|双葉社|2021|p=78}} * [[大阪市高速電気軌道]] [[森之宮検車場]] * [[大阪市立森之宮小学校]] == 備考 == {{出典の明記|date=2022年2月|section=1}}<!-- 出典を提示できない記述は、削除される場合がありますので留意願います --> * 大阪城ホールのJRにおける最寄駅であるため、コンサート終了後は激しく混雑することがある。 ** 当駅にはその旨を示す掲示板が常備されており、コンサート開催日には歌手名や入場者数、混雑が予想される時間帯を記入して使用する。なお、同様の掲示板は[[大正駅 (大阪府)|大正駅]]([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]のJRにおける最寄駅)にも設置されている。 ** また、コンサート終了後は当駅の混雑を避けるため、京橋駅や森ノ宮駅まで歩く乗客も散見される。なお、大阪城ホール側では、京橋駅や森ノ宮駅からのアクセスも案内している。 * 朝ラッシュ時には、当駅を始発とする外回り列車が設定されている。 == 隣の駅 == ; 西日本旅客鉄道(JR西日本) : {{JR西路線記号|K|O}} 大阪環状線 :: {{Color|#00a497|■}}大和路快速・{{Color|#00a497|■}}区間快速・{{Color|#ff6600|■}}関空快速・{{Color|#ff6600|■}}紀州路快速・{{Color|#ff6600|■}}快速・{{color|#476f8b|■}}直通快速・{{Color|#999|■}}普通 ::: [[森ノ宮駅]] (JR-O06) - '''大阪城公園駅 (JR-O07)''' - [[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]] (JR-O08) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 記事本文 === ==== 注釈 ==== {{Reflist|group="注"}} ==== 出典 ==== {{Reflist|2}} === 利用状況 === {{Reflist|group="統計"}} ; 大阪府統計年鑑 {{Reflist|group="*"|22em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|title = 都市鉄道完全ガイド 関西JR編 2021-2022年版|publisher = [[双葉社]]|date = 2021-06-22|isbn = 978-4-575-45881-7|ref = {{sfnref|双葉社|2021}} }} == 関連項目 == {{Commonscat}} * [[日本の鉄道駅一覧]] == 外部リンク == * {{外部リンク/JR西日本駅|0610515|大阪城公園|大阪府}} * {{Wayback|url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/kikaku/002/16.htm |title=ひと駅ひと物語 大阪環状線めぐり 大阪城公園駅(17) |date=20021001071901}} - [[読売新聞]] * {{Wayback|url=http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/burari/burari050626.html |title=鉄道沿線ぶらり旅 大阪城公園駅 |date=20080403142630}} - [[大阪日日新聞]] {{大阪環状線・桜島線}} {{近畿の駅百選}} {{DEFAULTSORT:おおさかしようこうえん}} [[Category:大阪市中央区の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 お|おさかしようこうえん]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:西日本旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:1983年開業の鉄道駅]] [[Category:大阪環状線|おおさかしようこうえんえき]] [[Category:大阪城|おおさかしようこうえんえき]]
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漫画情報誌
漫画情報誌()は、漫画に関する記事を主体とする雑誌のこと。漫画を掲載することを主体とする漫画雑誌とは異なる。
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{{複数の問題 |出典の明記 = 2020年4月1日 (水) 14:13 (UTC) |特筆性 = 2020年4月1日 (水) 14:13 (UTC) }} {{読み仮名|'''漫画情報誌'''|まんがじょうほうし}}は、[[漫画]]に関する記事を主体とする[[雑誌]]のこと。漫画を'''掲載すること'''を主体とする[[漫画雑誌]]とは異なる。 == 主な漫画情報誌 == *[[ぱふ]](過去) *[[コミック・ファン]] *[[ふゅーじょん ぷろだくと]] *[[コミックボックス]](過去) *[[Comnavi]] *[[プータオ]] *[[コミッカーズ]](過去) *[[コミックジャンキーズ]] {{Manga-stub}} {{デフォルトソート:まんかしようほうし}} [[Category:漫画情報誌|*]]
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コミックボックス
『コミックボックス』は、ふゅーじょんぷろだくとより発行されていた日本の漫画情報誌。 旧『コミックボックス』刊行中に、姉妹誌として創刊された。創刊準備号を通巻1号と数えたため、初期にはVOLよりも通巻の方が1号多い。最も号数が混乱している時期は、次のようになっている。 VOL.25~27の3冊分の間には、VOL記載の無い通巻26号があるだけである。ここでVOLと通巻の差が逆転するはずが、通巻27号も存在しないため、VOL.28=通巻28号となっている。しかし、なぜかVOL.29は通巻30号であり、VOL.30が通巻29号である。その上、通巻29号の次は一度使った番号の通巻30号になっている。VOLが通巻より1号多い形は長く続いたが、1992年に両者は同じ号数となり、現在に至っている。VOLの欠番については増刊扱いで別雑誌を出した例があるらしい。 1980年代後半、編集長の才谷遼の方針から、原子力発電所の建設や運用に反対する姿勢を誌面に明確に打ち出した。1988年8月号は『まんが・危険な話』(タイトルは広瀬隆の著書から)と題して反原発特集号の様相を呈し、手塚治虫が原発反対のコメントを寄せる一方、関西電力の新聞PR広告に出た松本零士がインタビュアーからその意図を厳しく問われる記事も掲載された。付録には青森県 六ヶ所村での核燃料再処理工場建設への反対署名用紙がつけられた。他の月の通常の号でも反原発記事が掲載されていた。再処理工場の誘致を進める当時の青森県知事・北村正哉の顔写真に落書きをしたものを掲載して読者から批判されることもあり、編集方針は時に非常に過激なものであった。さらに、編集後記を書くべき才谷が反原発デモに参加して逮捕されたため、後記が書けない号もあった。 また、宮崎駿を積極的に取り上げたことでも知られ、1986年には宮崎のアニメ業界を憂えたインタビューを全文掲載している(アニメ雑誌では『月刊OUT』が抄録を掲載したのみ)。手塚治虫の追悼特集となった1989年5月号では、「手塚治虫に「神の手」を見たとき、ぼくは彼と訣別した」と題した宮崎のインタビューが掲載され、「だけどアニメーションに関しては(略)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです」とアニメ作家の立場から批判を行なったことが読者の間で論議を呼んだ。 このほか、呉智英が石子順の漫画評論を批判する文章を掲載したときには、石子からの反論が寄せられ、数度にわたって両者の応酬が掲載された。
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『コミックボックス』は、ふゅーじょんぷろだくとより発行されていた日本の漫画情報誌。
{{出典の明記|date=2018-01-19}} 『'''コミックボックス'''』は、[[ふゅーじょんぷろだくと]]より発行されていた[[日本]]の[[漫画情報誌]]。 == コミックボックス(旧) == * 発行:[[ふゅーじょんぷろだくと]] * 判型:A5判 * 雑誌コード:03963(8号より) === 歴史 === * [[1982年]]9月号:創刊号 8月1日発行(裏表紙)/9月1日発行(奥付) * [[1983年]]10月号:隔月刊化 * [[1984年]]5・6月号:この号をもって休刊 == コミックボックス(新) == * 発行:ふゅーじょんぷろだくと * 雑誌コード:03959(創刊号より) === 歴史 === * 1983年:『COMIC BOX JR』創刊準備号 4月1日発行(奥付)。B5判中綴じ * 1983年9月号:創刊号 8月1日発行(奥付)/9月1日発行(裏表紙) * 1985年8月号:『COMIC BOX』に改題。VOL.19(通巻20号) 8月1日発行(裏表紙) * 1985年9月号:AB判中綴じに * 1986年9月号:B5判平綴じに * 1989年:AB判平綴じに * 1991年:増刊として『COMIC BOX Jr.』(新)創刊 * 199?年:A4変形判平綴じに * 2000年:休刊<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000043177-00 Comic box = コミックボックス (ふゅーじょんぷろだくと): 1982|書誌詳細|国立国会図書館サーチ]</ref> 旧『コミックボックス』刊行中に、姉妹誌として創刊された。創刊準備号を通巻1号と数えたため、初期にはVOLよりも通巻の方が1号多い。最も号数が混乱している時期は、次のようになっている。 <TABLE class="wikitable"> <TR> <TH align="center">VOL</TH> <TH>通巻</TH> <TH align="center">年</TH> <TH>月号</TH> </TR> <TR> <TD align="center">24</TD> <TD align="center">25</TD> <TD>1986</TD> <TD align="center">1・2</TD> </TR> <TR> <TD align="center">無</TD> <TD align="center">26</TD> <TD>1986</TD> <TD align="center">3・4</TD> </TR> <TR> <TD align="center">28</TD> <TD align="center">28</TD> <TD>1986</TD> <TD align="center">5</TD> </TR> <TR> <TD align="center">29</TD> <TD align="center">30</TD> <TD>1986</TD> <TD align="center">6</TD> </TR> <TR> <TD align="center">30</TD> <TD align="center">29</TD> <TD>1986</TD> <TD align="center">7</TD> </TR> <TR> <TD align="center">31</TD> <TD align="center">30</TD> <TD>1986</TD> <TD align="center">8</TD> </TR> </TABLE> VOL.25~27の3冊分の間には、VOL記載の無い通巻26号があるだけである。ここでVOLと通巻の差が逆転するはずが、通巻27号も存在しないため、VOL.28=通巻28号となっている。しかし、なぜかVOL.29は通巻30号であり、VOL.30が通巻29号である。その上、通巻29号の次は一度使った番号の通巻30号になっている。VOLが通巻より1号多い形は長く続いたが、[[1992年]]に両者は同じ号数となり、現在に至っている。VOLの欠番については増刊扱いで別雑誌を出した例があるらしい。 [[1980年代]]後半、編集長の才谷遼の方針から、[[原子力発電所]]の建設や運用に反対する姿勢を誌面に明確に打ち出した。1988年8月号は『まんが・危険な話』(タイトルは[[広瀬隆]]の著書から)と題して反原発特集号の様相を呈し、[[手塚治虫]]が原発反対のコメントを寄せる一方、[[関西電力]]の新聞PR広告に出た[[松本零士]]がインタビュアーからその意図を厳しく問われる記事も掲載された。付録には[[青森県]] [[六ヶ所村]]での[[六ヶ所再処理工場|核燃料再処理工場]]建設への反対署名用紙がつけられた。他の月の通常の号でも反原発記事が掲載されていた。再処理工場の誘致を進める当時の[[青森県知事]]・[[北村正哉]]の顔写真に落書きをしたものを掲載して読者から批判されることもあり、編集方針は時に非常に過激なものであった。さらに、編集後記を書くべき才谷が反原発デモに参加して逮捕されたため、後記が書けない号もあった。 また、[[宮崎駿]]を積極的に取り上げたことでも知られ、1986年には宮崎のアニメ業界を憂えたインタビューを全文掲載している(アニメ雑誌では『[[月刊OUT]]』が抄録を掲載したのみ)。手塚治虫の追悼特集となった1989年5月号では、「手塚治虫に「神の手」を見たとき、ぼくは彼と訣別した」と題した宮崎のインタビューが掲載され、「だけどアニメーションに関しては(略)これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです」とアニメ作家の立場から批判を行なったことが読者の間で論議を呼んだ。 このほか、[[呉智英]]が[[石子順]]の漫画評論を批判する文章を掲載したときには、石子からの反論が寄せられ、数度にわたって両者の応酬が掲載された。 === 掲載作品 === * [[鶏頭樹]] == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/19991008052550/http://www.ask.ne.jp/~comicbox/index.html 公式ホームページ] * [http://www.comicbox.co.jp/ 株式会社ふゅーじょんぷろだくと] {{Manga-stub}} {{DEFAULTSORT:こみつくほつくす}} [[Category:漫画情報誌]] [[Category:1982年創刊の雑誌]] [[Category:2000年休廃刊の雑誌]] [[Category:日本の雑誌 (休廃刊)]]
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分子間力
分子間力(、英: intermolecular force)は、分子同士や高分子内の離れた部分の間に働く電磁気学的な力である。 力の強い順に並べると、次のようになる。 これらの力はいずれも静電相互作用に基づく引力である。イオン間相互作用、水素結合、双極子相互作用は永続的な陽と陰との電気双極子により生じるが、ファンデルワールス力は電荷の誘導や量子力学的な揺らぎによって生じた一時的な電気双極子により生じる。永続的な電荷により引き起こされる引力や斥力は古典的なクーロンの法則で示されるように距離の逆二乗と電荷の量により決定づけられる。前3者の相互作用の違いは主に関与する電荷量の違いであり、イオン間相互作用は、整数量の電荷が関与するため最も強い。水素結合は電荷の一部だけが関与するため、1ケタ弱い。双極子相互作用はさらに小さな電荷によるため、さらに1ケタ弱い。 非常におおざっぱに捉えると、力の大きさは以下のようになるだろう。 イオン間相互作用とは、帯電したイオンの間で生じる相互作用である。同種の電荷は反発し、異なる電荷は引き合う。 水素結合は、フッ素や酸素や窒素、など電気陰性度の高い原子に水素が共有結合している場合に起こる。この場合、極性分子が生じる。水素原子は1よりも小さな正電荷に帯電し、その結果、付近の別の分子に含まれる酸素など負に帯電した原子と相互作用を起こすのである。この結果、二つの分子を結びつける安定した結合が生じる。重要な例として水分子を挙げる。 水素結合は自然界の至る所に見つかる。水素結合のために、水は奇妙な性質(訳注:酸素以外の他の16属元素の水素化物と比較した場合の水の異常に高い沸点、氷の特別な結晶構造など)を帯びるようになり、地球上の生命が存続できる。 水素原子と窒素原子の間の水素結合によって、DNA分子内の2つのらせん構造同士が結び付いている。 双極子相互作用は、永久双極子となっている二つの分子間で働く力である。水素結合は、双極子相互作用の特に強いものと考えることもできる。1921年にウィリアム・ヘンドリック・ケーソム(Keesom)が最初に数学的に記述したことから、ケーソム相互作用とも呼ばれている。 双極子相互作用は、イオン間相互作用と同じ理由で生じるが、電荷の一部だけが影響を及ぼすため、力が弱い。双極子相互作用の例として塩化水素がある。 電荷的に中性な原子や分子においても分子間力が作用する。気体が冷却されて液体や固体になるのは、分子間力が存在するためである。水滴がガラスに付いたり接着剤がものをくっつけたりするときの力も分子間力であるから、単に分子の間の力に限定するのも好ましくはない。分子間力は最初にオランダのファン・デル・ワールスによって、相転移の研究のために導入された。そのため、分子間力自体をファンデルワールス力と呼ぶこともある。 ファンデルワールス力の発生原因は1つではなく、静電誘導により励起される一時的な電荷の偏り〈誘導双極子〉や量子力学的な基底状態の揺らぎにより仮想的に発生する電荷による引力ロンドン分散力などによって発生する。一時的な電荷により生じるファンデルワールス力は静電相互作用に起因していてもクーロンの法則のように距離の逆二乗に比例しない。 分極化による誘導双極子は極性分子によって起こる場合があり次に塩素の水溶液の例を示す。 あるいはロンドン分散力で励起した双極子が他の分子を励起する例は塩素分子に見られる。 古典的な電磁気学では電荷的に中性な物質が自発的に分極するという現象は説明できない。一方、量子力学的には基底状態にあっても揺らぎが発生することが期待される。すなわち量子力学的には電子の分布も揺らぎが発生することが期待される。この様な量子力学的な揺らぎにより電荷が誘導されることがフリッツ・ロンドンにより理論的に示された。それゆえ量子力学による励起双極子を原因とするファンデルワールス力〈分子間力〉はロンドン分散力と呼ばれる。 分子間の万有引力(重力)は上記ロンドン分散力に比べてもはるかに弱く、分子間重力は無視できる。重力を考慮する必要があるとすれば地球ー分子間の重力である。物理化学は地球上の環境を特別視しないが有機化学・無機化学では地球上の化学反応が重要となるため地球の重力場の影響を考慮する必要がある。
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分子間力(ぶんしかんりょく、は、分子同士や高分子内の離れた部分の間に働く電磁気学的な力である。
{{出典の明記|date=2020年6月}} {{読み仮名|'''分子間力'''|ぶんしかんりょく|{{lang-en-short|intermolecular force}}}}は、[[分子]]同士や[[高分子]]内の離れた部分の間に働く[[電磁気学]]的な[[力 (物理学)|力]]である。 ==分類== 力の強い順に並べると、次のようになる。 * [[イオン間相互作用]] * [[水素結合]] * [[磁気双極子相互作用|双極子相互作用]] * [[ファンデルワールス力]] これらの力はいずれも[[静電相互作用]]に基づく引力である。イオン間相互作用、水素結合、双極子相互作用は永続的な陽と陰との電気双極子により生じるが、ファンデルワールス力は電荷の誘導や[[量子力学]]的な揺らぎによって生じた一時的な電気双極子により生じる。永続的な電荷により引き起こされる引力や斥力は古典的な[[クーロンの法則]]で示されるように距離の逆二乗と[[電荷]]の量により決定づけられる。前3者の相互作用の違いは主に関与する電荷量の違いであり、イオン間相互作用は、整数量の電荷が関与するため最も強い。水素結合は電荷の一部だけが関与するため、1ケタ弱い。双極子相互作用はさらに小さな電荷によるため、さらに1ケタ弱い。 非常におおざっぱに捉えると、力の大きさは以下のようになるだろう。 イオン間相互作用 1000 水素結合 100 双極子相互作用 10 ロンドン分散力 1 分子間の万有引力  10<SUP>-35</SUP>(参考) == イオン間相互作用 == {{Main|イオン間相互作用}} イオン間相互作用とは、帯電した[[イオン]]の間で生じる相互作用である。同種の電荷は反発し、異なる電荷は引き合う。 == 水素結合 == {{Main|水素結合}} 水素結合は、[[フッ素]]や[[酸素]]や[[窒素]]、など[[電気陰性度]]の高い原子に水素が[[共有結合]]している場合に起こる。この場合、[[極性分子]]が生じる。水素原子は1よりも小さな正電荷に帯電し、その結果、付近の別の分子に含まれる酸素など負に帯電した原子と相互作用を起こすのである。この結果、二つの分子を結びつける安定した結合が生じる。重要な例として[[水]]分子を挙げる。 H | O←---→H-O-H | H 水素結合は自然界の至る所に見つかる。水素結合のために、水は奇妙な性質(訳注:酸素以外の他の16属元素の水素化物と比較した場合の水の異常に高い沸点、氷の特別な結晶構造など)を帯びるようになり、地球上の生命が存続できる。 水素原子と窒素原子の間の水素結合によって、[[デオキシリボ核酸|DNA]]分子内の2つのらせん構造同士が結び付いている。 == 双極子相互作用 == 双極子相互作用は、[[永久双極子]]となっている二つの分子間で働く力である。[[水素結合]]は、双極子相互作用の特に強いものと考えることもできる。[[1921年]]に[[ウィリアム・ヘンドリック・ケーソム]](Keesom)が最初に数学的に記述したことから、ケーソム相互作用とも呼ばれている。 双極子相互作用は、イオン間相互作用と同じ理由で生じるが、電荷の一部だけが影響を及ぼすため、力が弱い。双極子相互作用の例として[[塩化水素]]がある。 (+)(-) (+)(-) H-Cl-----H-Cl == ファンデルワールス力 == {{Main|ファンデルワールス力}} 電荷的に中性な原子や分子においても分子間力が作用する。[[気体]]が冷却されて[[液体]]や[[固体]]になるのは、分子間力が存在するためである。水滴が[[ガラス]]に付いたり[[接着剤]]がものをくっつけたりするときの力も分子間力であるから、単に分子の間の力に限定するのも好ましくはない。分子間力は最初に[[オランダ]]の[[ファン・デル・ワールス]]によって、[[相転移]]の研究のために導入された。そのため、分子間力自体をファンデルワールス力と呼ぶこともある。 ファンデルワールス力の発生原因は1つではなく、[[静電誘導]]により励起される一時的な電荷の偏り〈誘導双極子〉や量子力学的な基底状態の揺らぎにより仮想的に発生する電荷による引力[[ロンドン分散力]]などによって発生する。一時的な電荷により生じるファンデルワールス力は静電相互作用に起因していてもクーロンの法則のように距離の逆二乗に比例しない。 分極化による誘導双極子は極性分子によって起こる場合があり次に塩素の水溶液の例を示す。 (+)(-)(+) (-)(+) (永久双極子)H-O-H-----Cl-Cl(誘発双極子) あるいはロンドン分散力で励起した双極子が他の分子を励起する例は塩素分子に見られる。 (+)(-) (+)(-) (ロンドン分散力)Cl-Cl------Cl-Cl(誘発双極子) == ロンドン分散力 == {{Main|ロンドン分散力}} 古典的な[[電磁気学]]では電荷的に中性な物質が自発的に分極するという現象は説明できない。一方、[[量子力学]]的には基底状態にあっても揺らぎが発生することが期待される。すなわち量子力学的には電子の分布も揺らぎが発生することが期待される<ref>量子力学的な電子の揺らぎが[[ロンドン分散力]]であり、場の揺らぎによる引力が[[カシミール効果]]である。</ref>。この様な量子力学的な揺らぎにより電荷が誘導されることが[[フリッツ・ロンドン]]により理論的に示された。それゆえ量子力学による励起双極子を原因とするファンデルワールス力〈分子間力〉はロンドン分散力と呼ばれる。 == 万有引力(重力) == 分子間の万有引力(重力)は上記ロンドン分散力に比べてもはるかに弱く、分子間重力は無視できる。重力を考慮する必要があるとすれば地球ー分子間の重力である。物理化学は地球上の環境を特別視しないが有機化学・無機化学では地球上の化学反応が重要となるため地球の重力場の影響を考慮する必要がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}}{{Reflist}} {{化学結合}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふんしかんりよく}} [[Category:分子]] [[Category:力 (自然科学)]]
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火縄銃
火縄銃(ひなわじゅう、英: Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃のうち、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものを大筒と称する。 マッチロック式は、板ばね仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である。 火縄銃は、15世紀前半にヨーロッパで発明され、特にドイツにおいて発展した。最古の記録は1411年のオーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる。また1430年代に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている。 現代の日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するのにも登録が必要である。 それ以前の銃器は、火門(銃身に開けられた点火口)へ火種(火縄など)を手で押し付ける方式(タッチホール式)であった(宋の「突火槍」、明の「手銃」、モンゴル帝国及びモンゴルに支配された現ロシアや中近東の「マドファ」など)ことから、扱いが難しく命中精度も低かった。この欠点を補うため、ドイツで火縄をS字型金具(サーペンタイン)ではさんで操作するサーペンタインロック式が考案され、さらに銃床など構造面の整備が進み火縄銃が完成した。最初期の火縄銃はそれまでのタッチホール式の筒に単純なS字型金具をつけただけの原始的なものであった。しかし15世紀半ばにはシア・ロック式(sear lock)とスナッピング式が発明された。ヨーロッパではシア・ロック式が主流になり、日本にはスナッピング式が伝わりさらに独自に改良された。火縄銃の最古の分解図(1475年)はシア・ロック式のものである。 マッチロック式は命中精度と射程の向上など銃の性能を大きく向上させた。その一方で、火種・火縄を常に持ち歩く携帯性の悪さ、火縄が燃焼する臭いや光が敵にこちらの位置を教えてしまう、構造上再装填に時間のかかる先込め式しか利用できない、雨天に弱い等、改善すべき点はまだ多かった。ヨーロッパではこれらを緩和し命中精度と操作性を悪化させた、回転する鋼輪(ホイール)に黄鉄鉱片を擦り付けて着火する方式(鋼輪式ホイールロック式)や、燧石(火打ち石:フリント)を鉄片にぶつけて着火する方式(フリントロック式)が開発された。 博物館などで目にすることができる日本の火縄銃と、現代のライフルなどを比較すると、グリップ付近の形状が大きく異なる。そのため、現代のいわゆるライフル銃のように台尻を肩に当てて、脇を締めて発射することはできず、弓を番えるように肘を外に張って射撃するスタイルで使用されていた。一方でヨーロッパの火縄銃は、クロスボウの影響を受けた肩当ストック型のものの方が多い。中近東や北アフリカなど他の地域においても肩当ストック型が主流で、短床型が普及したのは現在のインドネシアから日本にかけての東南アジア・東アジア地域であった。 黒色火薬を使用し、滑腔銃身で鉛製の丸玉を撃つ火縄銃は、ライフリングを持ち完全被甲弾を使用する近代的な小銃と比べると、長距離での弾道特性、命中率、対物威力では不利な構造となる。 しかし、火縄銃は現代の小銃や散弾銃と比べると口径が大きいため弾丸が重く、滑腔銃身から発射される鉛の丸玉はソフトポイント弾に似た効果を発揮するので、人や動物に対する殺傷力は高い。「火縄銃の殺傷力が低い」という誤解は、幕末期に施条式洋式銃を装備した洋式軍隊の前に、火縄銃を装備した旧式部隊が敗北し、兵制の洋式化が進んだことが民衆に強く印象づけられた経緯が影響していると考えられる。また、泰平の世となり実戦で具足が使われる機会がなくなった江戸時代には、具足職人が自らの作った具足を火縄銃で撃ち、防御力を誇示する「試し胴」と称する実演が各地で催され、「火縄銃を防いだ具足」が各地に文化財として遺されていることなども、この誤解への影響が大きいと言われる。 正規の薬量・弾頭重量を用いた火縄銃で、戦国期当時の一般的な足軽向けの具足を射撃した実験では、直撃すれば厚い鋼板を用いた胴体正面部分でも簡単に撃ち抜くことができ、硬い鋼板に当たって砕けた鉛弾が内側で飛散して背中側の鋼板も貫いていることから、「たとえ完全装備の具足をまとっていたとしても、火縄銃がまともに胴体に命中すれば撃たれた兵はまず助からないであろう」と結論づけている。上述の「試し胴」で具足を貫通していない例については、「銃弾を防げる」という点を強調するために、火縄銃の構造を利用して弾丸の重量や火薬量を減らしていたり、具足を木の枝などにつり下げた状態で撃ったために、銃弾を受け流す格好になったのが原因だと考えられている。 1981年頃に行われた別冊Gun誌の実験では、三匁筒で重さ174グレインの弾丸を発射した場合、初速は330m/s程度、銃口エネルギーは現代の実包に換算すると.38ショートコルトと.38ロングコルトのほぼ中間である。この実験では50m離れた厚さ3cmの合板を完全に貫通している。 また、19世紀初頭の国友筒で弾丸を米国の射撃場で何度か発射して弾速を計測したところ、1550フィート秒(毎秒472.44メートル)から1590フィート秒(毎秒484.632メートル)までで安定していた。この約480m/s程度という弾速は音速(約340m/s)の1.4倍である。使用した火縄銃は全長130センチ、銃身長100センチと日本の火縄銃としては標準的なサイズで、「二重ゼンマイからくり」という上等な機関部を備え、銃腔内の状態も最高であった。 歴史群像編集部および日本前装銃射撃連盟会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた実験では、口径9mm、火薬量3グラムの火縄銃は距離50mで厚さ48mmの檜の合板に約36mm食い込み、背面に亀裂を生じさせた。また厚さ1mmの鉄板を貫通した。鉄板を2枚重ねにして2mmにしたものについては、貫通こそしなかったものの内部に鉄板がめくれ返ったことから、足軽の胴丸に命中した時には深刻な被害を与えたのではないかとしている。さらに距離30mではいずれの標的も貫通している。 この実験では、火縄銃に対する盾としてよく用いられた青竹による竹束についても、直径4cm・長さ1m程度のものを31本束ね直径77cm、重量14.3kgとしたものに対して射撃実験を行っている。距離28.8mで10匁玉(直径18.4mm)を撃った時には青竹を6本貫通し、竹束そのものも貫通する威力を見せた。6匁玉(直径15.5mm)の場合は青竹4本の貫通で収まり竹束全体は貫通しなかったものの、当たり所が悪ければ全て貫通する場合もあるという結果が得られた。同書では火縄銃の有効射程を200m程度としており、ヒトを模した身長160cmの静止した的に対して、30mで5発全てが胸部に着弾、50mでも5発中4発が着弾するという好成績を収めている。 距離が遠かった、弾かれやすい角度で命中したなどの条件で鎧が銃弾を受け止めた実例はあり、成瀬吉正所用の南蛮胴のように、実戦での弾痕を残した鎧が現存している。ヨーロッパ製の甲冑は厚さを増して銃弾を防いだものも存在するが、それと引換に重量が増したため、全身の防御をあきらめ、胸甲として胸部のみの防御に留めている。 従来、『鉄炮記』の記述により日本への鉄砲伝来は1543年(天文12年)の種子島より始まるとされてきた。しかし、近年では、東南アジアに広まっていた火器が1543年(天文12年)以前に倭寇勢力により日本の複数の地域に持ち込まれたとする説が有力である(宇田川説)。いずれにせよ複雑な発射機構の無い鉄砲自体は遅くとも16世紀初頭に伝わっていた事が文献に残っている。伝来後に日本において引き金にばねを用いる改良がおこなわれ、それまでにはなかった瞬発式火縄銃となり命中率が向上した。すなわち、火縄の火力を瞬時に火薬に点火させるため、引き金に連動する毛抜き式弾梯の点火装置をともない、火挟みのなかの火縄を引き金とともに瞬時に点火する仕組みである。それに対し、当時のヨーロッパ製の銃は毛抜き式弾梯がなく、引き金が火挟みに連結する緩発式火縄銃である。ヨーロッパで瞬発式が採用されるのは17世紀初頭から1630年代までの時期に燧石式発火装置が考案されて以降のことである。 銃身においても、日本の筒部は錬鉄を鍛造したものをベースとしており、中国のように鋳銅を利用したものとは異なっていた。日本の火縄銃は鉄板をマキシノという棒芯に延引させて捲くことにより真部をつくり、それにリボン状の鉄板を巻いて鍛接した双層交錯法によってつくられており、幅広の錬鉄を心軸のまわりに捲きつけてその継ぎ目を溶接するヨーロッパの単捲法とも異なっていた。したがって、戦国時代の日本では、瞬発力においても火薬の爆発力においてもヨーロッパ製のものより高性能のものが用いられていた。 鉄砲伝来以降、日本では近江の国友と日野、紀州の根来、和泉の堺などが鉄砲の主要生産地として栄え、多くの鉄砲鍛冶が軒を連ねた。根来のみ織田信長・豊臣秀吉による紀州攻めの影響で桃山期以降衰退したが、国友・日野・堺はその後も鉄砲の生産地として栄え、高い技術力を誇った。また城下町において、鉄砲足軽や鉄砲鍛冶が集中して居住した場所は「鉄砲町」と呼ばれ、現代でも地名に残っている。五葉山のような火縄の原料となるヒノキが豊富な山は藩直轄の「御用山」として保護されるようになった。 鉄砲が伝来した当初は、高価な武器であったため武士が用いたが、普及率が高まるにつれ足軽の主要武器の一つになっていったという説がある。 文禄・慶長の役では日本軍は火縄銃の集団使用で明軍を手こずらせた。明軍は日本軍の瞬発式火縄銃は命中率が高く飛ぶ鳥を落とすくらいだとして特に鳥銃と呼んで恐れた。のち趙士禎が『神器譜』(1598年(慶長3年)から1603年(慶長8年)以降にかけて成立)を執筆する。 また、築城技術でも火縄銃の性能を活かした横矢掛かり(これ自体はすでに存在していた)などが発達し、赤穂城などに応用された。 大坂の陣では塹壕戦が第一次世界大戦前に起きていたため日本には相当火縄銃が出回っていたことになる。 日本の銃器が伝来から幕末までの永きに渡り火縄銃の構造から進歩しなかった理由には以下があげられる。 まず江戸時代に入り、徳川綱吉によって諸国鉄砲改めによる百姓の狩猟及び銃の原則所持禁止、銃器の移動制限がなされた ことや、鎖国の影響による技術進歩の停滞という通説が存在する。 しかしながら、外国で発達した燧発式の技術が当時の鉄砲鍛冶に受け入れられている。試作品も現存し、また応用技術としてその機構を流用したライターも製造されている。また、各大名諸藩で極秘裏に様々な銃器が研究されており、そのバリエーションは多岐にわたる。 燧発式が日本では流行しなかったのは、日本では良質の燧石が産出せず大量生産ができなかったことや、燧発式は機構の不具合による不発率が火縄式よりも高かったことや、平穏な時代が長く続いたため、天候に影響されにくく、密集射撃が可能であるなどの燧発式の長所が理解、あるいは必要とされなかったことが理由として挙げられる。ほか、すべての武術と同じく鉄炮術も一種の競技的な要素を含んで流派形式で継承されたため、その結果必然的に器具類の改変は避けられた、という要素も大きい。燧発式の欠点として、火縄式に比べ強力なばねが装着されており、撃鉄作動時の衝撃が大きく、引金を引いてから一瞬遅れて装薬に着火する機構のため銃身がぶれ、命中率が悪く火縄銃よりも命中率が劣ることが挙げられる。当然ながら実戦よりも競技となった鉄炮術においては、この欠点は大きな問題となる。そのため江戸時代を通してほとんどの銃器が火縄式のままであった。 一方で火縄銃は、鳥獣被害対策のための実用の農具として、農村に普及し、売買され、所有されていた。もちろん、一揆への警戒などの理由から、農民の農具としての火縄銃のさらなる性能向上は、全く考えられなかった。 幕末期には新式銃が渡来したが、諸藩ではこの時期、海外事情も考慮してパーカッションロック式の銃器などを模造、試作した。皿を3つ付けたものや、ペッパーボックスピストルのように複数の銃身を持ち、回転しながら次々に着火させるものなどが作られた。ほかにも三連発の火縄銃や水平二連式短銃など、様々なものが試製されていた。これらは実用の可能性があるか疑わしいものが多く、結局は新式銃が輸入され、広く普及した。しかしながら、火縄銃の打ち金を雷管式のハンマーに変換し滑空式雷管銃に改造した新発銃の製造も、改造の容易さから盛んに行われ、ゲベール銃と同じ二戦級の銃器として扱われた。 明治維新以降は洋式銃や村田銃等の新式銃におされ、国友を初めとする伝統的な火縄銃職人集団と共に、日本から火縄銃は急速に廃れていった。しかし、マタギなど民間の狩猟家の間では、依然中古品の火縄銃に大きな需要があり、火縄銃職人の一部も大正から昭和初期ごろまで細々と火縄銃の製造を続けていたとされる。これらは昭和初期に軍払い下げ(もしくは民間メーカーのライセンス生産品)の村田銃が普及すると姿を消した。 なお、太平洋戦争最末期に、旧日本軍が本土防衛師団へ配備するため、簡素な町工場でも大量生産が可能な「国民簡易小銃」として火縄銃の量産配備を検討し、実際に開発を行っていたという記録が試作品の僅かな写真と共に残されている。 引き金を引くと火をつけた火縄が、あらかじめ黒色火薬を盛りつけておいた火皿と呼ばれる部品を叩く。火は火皿の口薬(くちぐすり)と呼ばれる微粉末黒色火薬に引火する。火皿内部に切られた導火孔の中の口薬は燃焼を続けて薬室内部へ到達すると思われているが、実際は、導火孔に火薬が詰まった状態にある場合、引火がゆっくりと進み引金をひいてからの時間差が生じて遅発となってしまって命中しないため、導火孔は空洞に保つようにして、火花を通し易くしておく。薬室内部には(胴薬)(どうぐすり)または玉薬(たまぐすり)と呼ばれる装薬があらかじめ充填されており、火が伝わるとそこで一気に燃焼(爆燃)、込められた弾丸を射出する仕組みになっていた。方式としては瞬発式火縄銃と緩発式火縄銃とがある。 なお、日本における火縄銃が頬付け形に終始し、肩付け形の銃床にならなかった理由には、戦国期においては戦闘に従事する兵士が、足軽から大将まで大なり小なり鎧を装着しており、物理的に銃床を肩に効率的にあてがう事ができないという銃床射撃に適さない装備であり、鉄砲狭間からの射掛けにおいて邪魔であるという用兵上の事情や、泰平期においては流儀による形態・射法の継承による硬直化等が指摘されているが、従来からあった弓矢の番え方(和弓特有の引いた弦を頬に付ける方式)をそのまま火縄銃に応用した結果、頬付け型になったという見方もあり、そのことがいち早く日本国内での火縄銃の普及に繋がった向きも充分考えられる。世界的に見ても、日本のように重装な甲冑を装備する兵士が、銃器を恒常的に使用する用兵を用いる国も珍しく、これらの理由から、頬付け型の長銃を長期に主力装備として使用した日本の火縄銃のデザインは、世界的に見ても極めて珍しい意匠となっている。 火縄銃の次弾発砲までには以下の行程が必要となる。「銃身内の火薬残滓を洗い矢で拭う」(数発撃つと銃腔にカーボンがこびり付き、弾が入らなくなるため、槊杖の先に水に湿らせた布を付けて拭う)「火穴にせせり(弄り・ヴェントピック)を通す」「銃身を冷やす」(但し、1分間に1発程度のペースで発砲するのであればこの必要は全くない)などである。一般には次弾装填の際に行うべき事は多いとみなされている。 実際にはこの作業を1発ごとに行う必要はなく、数発に一度行えばよい。関流砲術では、7発位撃つと弾が入り難くなると伝えている。また、「劣り玉」と呼ばれる、適合弾より若干径が小さい弾を使用すれば、目標への集弾性は低下するものの、10発以上の連続発射が可能である。(江戸時代の射的で一般的な、射距離15間(約27m)では劣り玉でも命中率はほとんど変わらない。ただし30間(約55m)を超えると集弾率の低下が見られる)また銃腔内や火皿の清掃は頻繁に行う必要はなく、弾が込め難い等の異常を感じたら行えば済む。その方法も、黒色火薬が水に溶けやすい特性から、洗矢の先に水で湿らせた布切れを付けたものを銃口から差込み1 - 2往復させれば完了する。昭和末期の実験では、熟練した者が操作した場合、第1弾発砲から18 - 20秒後に次弾発射が可能であった。とはいえ、現代の銃に比して先込め銃は単体では連射に向かないものであることは上記のプロセスなどからも容易にうかがえる。 この「次弾発射までに時間がかかる」という先込め式最大の問題点を改善するため、火縄銃が用いられた戦国時代の日本では、「早合」(はやごう。装填を簡便にするための弾薬包で、弾と火薬をセットにして紙で包んだもの)「複数人でチームを組む」「銃身を複数設置する」など、様々な(時には奇天烈な)発想がなされている。 歴史群像編集部および日本前装銃射撃連盟会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた発射速度を測定する実験では、初弾が既に装填された状態から開始した時、初弾射撃直後から計測を開始し一人で初弾および5発、計6発を射撃し終わるのに要した時間は100秒(1発あたり約20秒)だったが、早合を用いた場合はそれが44秒にまで短縮された(ただし早合の実験は弾丸を含めなかったため不発が多く、必ずしも正確ではないようだ)。また3人が各々の火縄銃を持ち合計3丁を交替に発射するかたちの三段撃ちでは33秒、3人に2丁を用意し射手が射撃を行っている間に後方で二人がかりで装填を行うという手法では39秒という結果が得られ、チームを組んだり早合を利用したりすれば戦力が向上するとされた。 火縄銃は、戦国時代中期以降、足軽の主要武器の一つとしてその比重を増していった。日本の戦国時代から江戸時代においては備ひとつに対し、鉄砲組(20 - 50名)を1、2組配しているのが基本である。戦闘開始時や、勢いに乗り突進してくる敵兵に対し一斉射撃を浴びせ進撃を止まらせるときなどに使用された。兵士同士が密集したか否かについては議論がある。火の粉が飛び散る中で火薬を使用するので暴発しかねず、相互に安全な距離を取ったという見解がある。 1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、根来衆の得意とする戦術であった。石山合戦で本願寺側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。 この射撃手・助手を分業する射撃運用法を烏渡しの法と上杉流軍学では称したと伝えられ、また後世紀州徳川家においては薬込役という、御庭番の前身である職名にその痕跡を残している。 火薬は唐代(618年 - 907年)の中国で発明された。当時書かれた「真元妙道要路」には硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には黒色火薬が発明されていた可能性がある。 1250年代、モンゴル帝国がイラン侵攻した際、中国人技術者が操作する投石機で、火薬弾が投げられている。1280年には、地中海東部のマルクス・グラエクスとシリアのハッサン・アッ・ラムマが中国の火器、火槍について記述している。 また、イスラム文明圏のシリア、マムルーク朝でも火薬情報は豊富であった。 1288年当時の青銅製の銃身が発掘されたことで、モンゴル支配下の中国が火槍から銃へ装備を変えたことが明らかになり、さらにこれまで銃は西欧発明と考えられてきたが、銃はモンゴル帝国を通じてヨーロッパへ伝わったとされる。1326年のスウェーデンにおける壷型の銃も発見されているが、これはモンゴル帝国に支配されていた南ロシアから伝わった銃が変形したものと考えられている。同1326年にはフィレンツェで大砲が開発され、以後、ヨーロッパでは大砲が発達する。イベリア半島では1330年代までには銃だけでなく大砲も使用されていた。 ドイツ南部諸都市において火縄銃が発達した理由は、小規模な自治都市にとって安価で城の防御には小型の火縄銃が適していたからである。また初期においては火縄銃の点火には時間がかかり危険性も高く野戦には不向きであった。最初に大々的に使用したのはハンガリー王マティアス・コルヴィヌスである。イタリア戦争においてスペインは、長槍(パイク)の密集方陣の進撃に際し、四周に随伴した銃兵が相手方の方陣と至近距離まで接近し、接触寸前になった時点で発砲して第一次打撃を期待する運用法を定めた。これはテルシオと呼ばれた。この戦術は銃剣の発明以前のものであり、発砲を終えた銃兵は有効な戦力とならず、退避行動を取ったとされる。実際の戦闘はパイク兵が主体であった。射撃手の前後交替の発想が見られるものとしては、騎兵のカラコール戦術が対テルシオ戦法として用いられたことが挙げられる。これは概ね1530年代頃からである。 1440年代にはイェニチェリがハンガリーからマッチロック式を導入したともされるが、正規に用いられるようになるのは16世紀以降である。オスマン帝国では野戦隊形における集中射撃法が実用化された。 火縄銃の再装填には時間と防御上の弱点が生じた。これを解決する手段として、縦列で行進する銃兵の最前者が発砲し、発砲後直ちに最後尾に駆け戻って装填作業をしながら行進を続行するという方式が考え出された。また、マウリッツは個別の兵種がそれぞれ独自に機能を発揮するのではなく、歩騎砲の三兵が連動して機動戦術を採ることを発案した。彼はこれをアイデアにとどめず可能とした軍事家として評価されている。ただし、この縦列交替法が大きな効果を発揮した記録はなく、またこの運動方式には鈍重さが宿命的に付きまとったため、マウリッツ自身の戦死の原因をそこに求める考え方もある。 実際に前後交替射撃法が実用化されるのは燧石式に移行してからであり、燧石式の機能改善もそれに相当の貢献をしたと考えられる。また銃剣の登場もこれに大きく寄与していると考えられるが、同時にこの時代は大砲の運用が飛躍的に改良されており、銃兵の交替射撃のみが戦線の状況を変革させたと論じるのは未だ大きな検討を要するであろう。これらは概ね17世紀末から18世紀初頭の現象である。 火縄銃は装填その他に伴う初期銃の弱点が存在する。これを補うため、障壁、城壁、障害物あるいは特殊な地形等によって防御された場所から、機動してくる野戦軍を射撃しようという試みは早くから行われた。 西欧の戦いにおいて著名な例は、1503年第一次イタリア戦役中、スペイン軍人ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバが行った戦法であった。これは急造の堀とその残土を利用した土手に、二千名と推定されるアルケブス銃兵を配置し、銃火によって押し寄せたフランス重騎兵団を粉砕したものである。この戦闘はスペインの覇権確立の重要な要因となった。この戦いに続く1522年、第二次イタリア戦役においても、同じくスペイン軍の傭兵隊長コロンナがミラノ郊外ビコッカにおいて、地形と急造塁壁を利用したアルケブスの反復射撃戦法で、押し寄せたスイス槍兵集団を粉砕した。 一般に(アルケブス)もしくは同音のなまったものがよく知られている。燧石式銃については(スナップハンス)(ミュクレット)(フリントロック)などの名称が知られ形式上の分別とされているが、その発祥は火縄銃同様明確な記録はない。 恐らくは両方が混在しつつ、俗称通称化したものであろう。 中国大陸へは、明朝時代の15世紀に火縄銃が伝来し、東南アジア経由で伝来した南蛮系(スペイン、ポルトガル)の緩発式のもの(頬付けの短床形)と、西域経由で伝来したオスマン帝国系の緩発式のもの(肩付け形の銃床を有する)の二つの系統があった。日本から瞬発式に改良された火縄銃が伝来するとその命中率の高さから鳥銃あるいは鳥槍と呼ばれ、オスマン系の銃は特に露密銃と呼ばれた。明朝時代、秀吉の朝鮮征伐に朝鮮を救援する為に出兵した際、日本軍による火縄銃の集団使用の洗礼を受け威力を認識し、軍の装備に採り入れられることとなった。続く清朝においても八旗・緑営の装備として引き続き採用されている。 清代には、大砲を補完する装備として抬槍(たいそう)と呼ばれる大型の火縄銃も採用された。口径・銃身長のいずれも通常の火縄銃より拡大したもので、全長約3m、重量約12-18kgとされ、射撃の際は銃身を三脚架または射手以外の兵士の肩に依託して使用された。兵士2名程度で担いで移動することができる。大砲の移動が困難な山間部や水郷地帯での使用のために開発されたもので、後年の清仏戦争・日清戦争期の頃まで使用された。日本の狭間筒(後述)とも類似性のある銃器である。 日本における火縄銃の分類として、弾丸重量によるものと製作地・流派によるものの二つに大別される。火縄銃の弾丸は鉛の球弾であり、鉛の重さが決まればその玉の直径は常に同じとなることから、弾丸の重さによって口径を示す方法が広く用いられていた。 主な違いとして、銃身の外形(丸、角筒)、肉厚、長さ、銃床の形状、カラクリ(内外カラクリ)、目当などがあげられる。以下に記するもの以外にも多数あり。 など、上記は製作地名を冠したもの。 日本各地に鉄砲隊と称し、イベント時に火縄銃で空砲を撃つ団体が多数できた。これは伝承砲術によっているものであるが、日本では幕末維新期に兵制・武器の西欧化が急速に行われたため、流派の直接伝承はすべていったん途絶えている。現存する流派は伝来した古文書などを解読して後世再興したものである。古式銃団体の性格は、 の3種が大まかに分類できる。 諸外国では火縄銃による射撃競技が盛んに行われ、また競技以外にも日本の鉄砲隊と同様、あるいはそれ以上無数と言ってよいほど多数のリエナクターによるボランティアインファントリー(義勇歩兵隊)が存在する。アメリカでは、南北戦争を記念する行事でそれら歩兵隊等による大規模な南軍北軍の模擬戦闘が行われることがある。この場合、安全な現代ガンメーカーの手によるレプリカが多く使用される(日本のミロク社も米国等へレプリカの古式銃を輸出している)。同時に歴史的な前装大砲も大切に保存され、毎日空包発射をするものや、青年の体育訓練として野砲を分解して運搬する障害物レースを行い最後に組み立て空包装填して先に発射した方が勝ちというイベントなどもある。 ヨーロッパや北米などでは盛んに火縄銃も含むマズルローダー射撃競技(前装銃射撃競技)がおこなわれている(日本からも世界選手権と環太平洋選手権大会に選手を派遣している)。日本国内では日本ライフル射撃協会傘下に日本前装銃射撃連盟があり、射撃競技が行なわれている。ただし銃刀法や火薬類取締法などに基づく各種規制があるため、競技人口は極めて少ない。しかし日本製の火縄銃は高精度に製造されており、制約の多い環境下ながら日本の選手は国際大会で上位入賞することも多く、欧米の多くの選手も火縄銃種目では日本製または日本型レプリカの火縄銃を使って参加している。アジア地域で国際前装銃連盟に加盟しているのは日本のみである。 日本でおこなわれる競技は以下の通りである。「種子島銃立射」と「種子島銃膝射」では、国際ルールと同じく射距離50メートルで「日本公式種子島標的(黒点径40cm)」を使用する。「中筒(侍筒)」では、同標的で十匁玉筒(10匁の重さの弾を使用する銃)を自由姿勢にて射撃する。「ベッテリー」は「フリーピストル標的」を使用する50メートル競技で、前装銃であれば銃種を問わない(火縄銃でなくても使用でき、千葉県ライフル射場で開催される競技会に限って行われる)。他、同標的で25メートル、短筒を片手撃ちで競う「短筒」が存在する。 日本独自の競技として、古式に則った、8寸角板に4寸黒丸の「和的(江戸時代規格の標的)」を狙い、27メートル(江戸時代は15間)の距離で命中の優劣を競う「古式勝ち抜き」及び、5分間に10発撃つ「早撃ち」がある。 火縄銃の実弾射撃は指定された射撃場でしか認められない。2005年(平成17年)現在、公営射撃場としては神奈川県伊勢原市の県営伊勢原射撃場、千葉市若葉区の千葉県総合スポーツセンター射撃場、和歌山県海南市の和歌山県営射場、の以上3ヶ所(また他にも私立の射場で可能な所がある。その他、茨城県営真壁ライフル射撃場は、法制上では火縄銃の射撃が認められている。ただし射場管理者が火縄銃の使用を断っているため使用できない) 銃刀法に定める範囲の古式銃の所持は、現代銃と異なり属人的な免許・許可ではなく、属物的な登録制で、登録は都道府県教育委員会の所管(かつては文化財保護委員会であった)である。登録は日本刀などと同じく銃に対してなされ、登録を受けた銃器は誰でも所持・所有できるが、実際に実弾・空包の発砲及び火薬の入手所持消費に関しては、その都度(実弾射撃を許可された者は、火薬購入については1年間、また消費は6ヶ月間限定の)所轄の警察署を通じて公安委員会の別途の許可を受ける必要がある。 古式銃とは主に前装式銃砲のことを言うが、初期の後装銃も佐賀藩の主力銃であったスペンサー銃(のちにウインチェスター銃の祖形となった)をはじめ、普仏戦争の主要銃であったシャスポー銃(後に村田式の開発の淵源となった)やドライゼ銃(ツンナール)など類種のものも相当数輸入されていた。ただこれらは維新後に訓練銃などとして使用されたり、外国に売却されたりして、現在国内残存数は比較的少ない。日本の法律では現在のところ、古式銃とは1867年の時点で国内に存在したことが個別に証明できた国産または外国製の歴史遺物銃器の実物である(したがって実物に忠実に作られたものであってもレプリカは認められない。これは古式銃の登録制度が歴史史料及びその美術価値の保存を目的としていて、射撃に使用することを想定して制定されたものでないことによる)ということになっている。ただし真正の古式銃であっても明治以後に新式又は現代の弾薬が使用できるように改造されたもの、あるいは現用の弾薬(装弾)が使用できる可能性のあるもの(もっとも顕著な例は坂本龍馬が使用したと言われるSW・Mk1、Mk2リボルバー)などは(現代銃に準ずる機能を有するもの)として登録審査時に排除され、したがって所有できないものがある。真正の歴史遺物の国産火縄銃であれば、たとえ外国から里帰りしたものであってもほとんどはそれらの問題は無い。競技用として、また空包用として使用されているものは国産火縄銃がほとんどで、すべて歴史遺物に限られる。 なお、国内で古式銃登録をされている火縄銃(即ち、火縄銃競技などで使用する目的で購入できる銃)は前述の通り1867年(慶応3年)以前に製造された物とされているが、近年こうした古式銃の中に明治期以後から現在に掛けて贋作師によって違法に製造されたと思われる「贋物」の火縄銃が存在する事例が研究者やコレクターによって狩猟専門誌などに報告されている。 古式銃を展示している博物館として設楽原歴史資料館や金山城 伊達・相馬鉄砲館などがある。イベントで空砲が撃てるように整備した銃を保管する場所としても機能している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "火縄銃(ひなわじゅう、英: Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃のうち、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものを大筒と称する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "マッチロック式は、板ばね仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "火縄銃は、15世紀前半にヨーロッパで発明され、特にドイツにおいて発展した。最古の記録は1411年のオーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる。また1430年代に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "現代の日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するのにも登録が必要である。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "それ以前の銃器は、火門(銃身に開けられた点火口)へ火種(火縄など)を手で押し付ける方式(タッチホール式)であった(宋の「突火槍」、明の「手銃」、モンゴル帝国及びモンゴルに支配された現ロシアや中近東の「マドファ」など)ことから、扱いが難しく命中精度も低かった。この欠点を補うため、ドイツで火縄をS字型金具(サーペンタイン)ではさんで操作するサーペンタインロック式が考案され、さらに銃床など構造面の整備が進み火縄銃が完成した。最初期の火縄銃はそれまでのタッチホール式の筒に単純なS字型金具をつけただけの原始的なものであった。しかし15世紀半ばにはシア・ロック式(sear lock)とスナッピング式が発明された。ヨーロッパではシア・ロック式が主流になり、日本にはスナッピング式が伝わりさらに独自に改良された。火縄銃の最古の分解図(1475年)はシア・ロック式のものである。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "マッチロック式は命中精度と射程の向上など銃の性能を大きく向上させた。その一方で、火種・火縄を常に持ち歩く携帯性の悪さ、火縄が燃焼する臭いや光が敵にこちらの位置を教えてしまう、構造上再装填に時間のかかる先込め式しか利用できない、雨天に弱い等、改善すべき点はまだ多かった。ヨーロッパではこれらを緩和し命中精度と操作性を悪化させた、回転する鋼輪(ホイール)に黄鉄鉱片を擦り付けて着火する方式(鋼輪式ホイールロック式)や、燧石(火打ち石:フリント)を鉄片にぶつけて着火する方式(フリントロック式)が開発された。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "博物館などで目にすることができる日本の火縄銃と、現代のライフルなどを比較すると、グリップ付近の形状が大きく異なる。そのため、現代のいわゆるライフル銃のように台尻を肩に当てて、脇を締めて発射することはできず、弓を番えるように肘を外に張って射撃するスタイルで使用されていた。一方でヨーロッパの火縄銃は、クロスボウの影響を受けた肩当ストック型のものの方が多い。中近東や北アフリカなど他の地域においても肩当ストック型が主流で、短床型が普及したのは現在のインドネシアから日本にかけての東南アジア・東アジア地域であった。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "黒色火薬を使用し、滑腔銃身で鉛製の丸玉を撃つ火縄銃は、ライフリングを持ち完全被甲弾を使用する近代的な小銃と比べると、長距離での弾道特性、命中率、対物威力では不利な構造となる。", "title": "火縄銃の威力" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "しかし、火縄銃は現代の小銃や散弾銃と比べると口径が大きいため弾丸が重く、滑腔銃身から発射される鉛の丸玉はソフトポイント弾に似た効果を発揮するので、人や動物に対する殺傷力は高い。「火縄銃の殺傷力が低い」という誤解は、幕末期に施条式洋式銃を装備した洋式軍隊の前に、火縄銃を装備した旧式部隊が敗北し、兵制の洋式化が進んだことが民衆に強く印象づけられた経緯が影響していると考えられる。また、泰平の世となり実戦で具足が使われる機会がなくなった江戸時代には、具足職人が自らの作った具足を火縄銃で撃ち、防御力を誇示する「試し胴」と称する実演が各地で催され、「火縄銃を防いだ具足」が各地に文化財として遺されていることなども、この誤解への影響が大きいと言われる。", "title": "火縄銃の威力" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "正規の薬量・弾頭重量を用いた火縄銃で、戦国期当時の一般的な足軽向けの具足を射撃した実験では、直撃すれば厚い鋼板を用いた胴体正面部分でも簡単に撃ち抜くことができ、硬い鋼板に当たって砕けた鉛弾が内側で飛散して背中側の鋼板も貫いていることから、「たとえ完全装備の具足をまとっていたとしても、火縄銃がまともに胴体に命中すれば撃たれた兵はまず助からないであろう」と結論づけている。上述の「試し胴」で具足を貫通していない例については、「銃弾を防げる」という点を強調するために、火縄銃の構造を利用して弾丸の重量や火薬量を減らしていたり、具足を木の枝などにつり下げた状態で撃ったために、銃弾を受け流す格好になったのが原因だと考えられている。", "title": "火縄銃の威力" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1981年頃に行われた別冊Gun誌の実験では、三匁筒で重さ174グレインの弾丸を発射した場合、初速は330m/s程度、銃口エネルギーは現代の実包に換算すると.38ショートコルトと.38ロングコルトのほぼ中間である。この実験では50m離れた厚さ3cmの合板を完全に貫通している。", "title": "火縄銃の威力" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "また、19世紀初頭の国友筒で弾丸を米国の射撃場で何度か発射して弾速を計測したところ、1550フィート秒(毎秒472.44メートル)から1590フィート秒(毎秒484.632メートル)までで安定していた。この約480m/s程度という弾速は音速(約340m/s)の1.4倍である。使用した火縄銃は全長130センチ、銃身長100センチと日本の火縄銃としては標準的なサイズで、「二重ゼンマイからくり」という上等な機関部を備え、銃腔内の状態も最高であった。", "title": "火縄銃の威力" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "歴史群像編集部および日本前装銃射撃連盟会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた実験では、口径9mm、火薬量3グラムの火縄銃は距離50mで厚さ48mmの檜の合板に約36mm食い込み、背面に亀裂を生じさせた。また厚さ1mmの鉄板を貫通した。鉄板を2枚重ねにして2mmにしたものについては、貫通こそしなかったものの内部に鉄板がめくれ返ったことから、足軽の胴丸に命中した時には深刻な被害を与えたのではないかとしている。さらに距離30mではいずれの標的も貫通している。", "title": "火縄銃の威力" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "この実験では、火縄銃に対する盾としてよく用いられた青竹による竹束についても、直径4cm・長さ1m程度のものを31本束ね直径77cm、重量14.3kgとしたものに対して射撃実験を行っている。距離28.8mで10匁玉(直径18.4mm)を撃った時には青竹を6本貫通し、竹束そのものも貫通する威力を見せた。6匁玉(直径15.5mm)の場合は青竹4本の貫通で収まり竹束全体は貫通しなかったものの、当たり所が悪ければ全て貫通する場合もあるという結果が得られた。同書では火縄銃の有効射程を200m程度としており、ヒトを模した身長160cmの静止した的に対して、30mで5発全てが胸部に着弾、50mでも5発中4発が着弾するという好成績を収めている。", "title": "火縄銃の威力" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "距離が遠かった、弾かれやすい角度で命中したなどの条件で鎧が銃弾を受け止めた実例はあり、成瀬吉正所用の南蛮胴のように、実戦での弾痕を残した鎧が現存している。ヨーロッパ製の甲冑は厚さを増して銃弾を防いだものも存在するが、それと引換に重量が増したため、全身の防御をあきらめ、胸甲として胸部のみの防御に留めている。", "title": "火縄銃の威力" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "従来、『鉄炮記』の記述により日本への鉄砲伝来は1543年(天文12年)の種子島より始まるとされてきた。しかし、近年では、東南アジアに広まっていた火器が1543年(天文12年)以前に倭寇勢力により日本の複数の地域に持ち込まれたとする説が有力である(宇田川説)。いずれにせよ複雑な発射機構の無い鉄砲自体は遅くとも16世紀初頭に伝わっていた事が文献に残っている。伝来後に日本において引き金にばねを用いる改良がおこなわれ、それまでにはなかった瞬発式火縄銃となり命中率が向上した。すなわち、火縄の火力を瞬時に火薬に点火させるため、引き金に連動する毛抜き式弾梯の点火装置をともない、火挟みのなかの火縄を引き金とともに瞬時に点火する仕組みである。それに対し、当時のヨーロッパ製の銃は毛抜き式弾梯がなく、引き金が火挟みに連結する緩発式火縄銃である。ヨーロッパで瞬発式が採用されるのは17世紀初頭から1630年代までの時期に燧石式発火装置が考案されて以降のことである。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "銃身においても、日本の筒部は錬鉄を鍛造したものをベースとしており、中国のように鋳銅を利用したものとは異なっていた。日本の火縄銃は鉄板をマキシノという棒芯に延引させて捲くことにより真部をつくり、それにリボン状の鉄板を巻いて鍛接した双層交錯法によってつくられており、幅広の錬鉄を心軸のまわりに捲きつけてその継ぎ目を溶接するヨーロッパの単捲法とも異なっていた。したがって、戦国時代の日本では、瞬発力においても火薬の爆発力においてもヨーロッパ製のものより高性能のものが用いられていた。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "鉄砲伝来以降、日本では近江の国友と日野、紀州の根来、和泉の堺などが鉄砲の主要生産地として栄え、多くの鉄砲鍛冶が軒を連ねた。根来のみ織田信長・豊臣秀吉による紀州攻めの影響で桃山期以降衰退したが、国友・日野・堺はその後も鉄砲の生産地として栄え、高い技術力を誇った。また城下町において、鉄砲足軽や鉄砲鍛冶が集中して居住した場所は「鉄砲町」と呼ばれ、現代でも地名に残っている。五葉山のような火縄の原料となるヒノキが豊富な山は藩直轄の「御用山」として保護されるようになった。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "鉄砲が伝来した当初は、高価な武器であったため武士が用いたが、普及率が高まるにつれ足軽の主要武器の一つになっていったという説がある。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "文禄・慶長の役では日本軍は火縄銃の集団使用で明軍を手こずらせた。明軍は日本軍の瞬発式火縄銃は命中率が高く飛ぶ鳥を落とすくらいだとして特に鳥銃と呼んで恐れた。のち趙士禎が『神器譜』(1598年(慶長3年)から1603年(慶長8年)以降にかけて成立)を執筆する。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "また、築城技術でも火縄銃の性能を活かした横矢掛かり(これ自体はすでに存在していた)などが発達し、赤穂城などに応用された。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "大坂の陣では塹壕戦が第一次世界大戦前に起きていたため日本には相当火縄銃が出回っていたことになる。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "日本の銃器が伝来から幕末までの永きに渡り火縄銃の構造から進歩しなかった理由には以下があげられる。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "まず江戸時代に入り、徳川綱吉によって諸国鉄砲改めによる百姓の狩猟及び銃の原則所持禁止、銃器の移動制限がなされた ことや、鎖国の影響による技術進歩の停滞という通説が存在する。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "しかしながら、外国で発達した燧発式の技術が当時の鉄砲鍛冶に受け入れられている。試作品も現存し、また応用技術としてその機構を流用したライターも製造されている。また、各大名諸藩で極秘裏に様々な銃器が研究されており、そのバリエーションは多岐にわたる。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "燧発式が日本では流行しなかったのは、日本では良質の燧石が産出せず大量生産ができなかったことや、燧発式は機構の不具合による不発率が火縄式よりも高かったことや、平穏な時代が長く続いたため、天候に影響されにくく、密集射撃が可能であるなどの燧発式の長所が理解、あるいは必要とされなかったことが理由として挙げられる。ほか、すべての武術と同じく鉄炮術も一種の競技的な要素を含んで流派形式で継承されたため、その結果必然的に器具類の改変は避けられた、という要素も大きい。燧発式の欠点として、火縄式に比べ強力なばねが装着されており、撃鉄作動時の衝撃が大きく、引金を引いてから一瞬遅れて装薬に着火する機構のため銃身がぶれ、命中率が悪く火縄銃よりも命中率が劣ることが挙げられる。当然ながら実戦よりも競技となった鉄炮術においては、この欠点は大きな問題となる。そのため江戸時代を通してほとんどの銃器が火縄式のままであった。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "一方で火縄銃は、鳥獣被害対策のための実用の農具として、農村に普及し、売買され、所有されていた。もちろん、一揆への警戒などの理由から、農民の農具としての火縄銃のさらなる性能向上は、全く考えられなかった。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "幕末期には新式銃が渡来したが、諸藩ではこの時期、海外事情も考慮してパーカッションロック式の銃器などを模造、試作した。皿を3つ付けたものや、ペッパーボックスピストルのように複数の銃身を持ち、回転しながら次々に着火させるものなどが作られた。ほかにも三連発の火縄銃や水平二連式短銃など、様々なものが試製されていた。これらは実用の可能性があるか疑わしいものが多く、結局は新式銃が輸入され、広く普及した。しかしながら、火縄銃の打ち金を雷管式のハンマーに変換し滑空式雷管銃に改造した新発銃の製造も、改造の容易さから盛んに行われ、ゲベール銃と同じ二戦級の銃器として扱われた。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "明治維新以降は洋式銃や村田銃等の新式銃におされ、国友を初めとする伝統的な火縄銃職人集団と共に、日本から火縄銃は急速に廃れていった。しかし、マタギなど民間の狩猟家の間では、依然中古品の火縄銃に大きな需要があり、火縄銃職人の一部も大正から昭和初期ごろまで細々と火縄銃の製造を続けていたとされる。これらは昭和初期に軍払い下げ(もしくは民間メーカーのライセンス生産品)の村田銃が普及すると姿を消した。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "なお、太平洋戦争最末期に、旧日本軍が本土防衛師団へ配備するため、簡素な町工場でも大量生産が可能な「国民簡易小銃」として火縄銃の量産配備を検討し、実際に開発を行っていたという記録が試作品の僅かな写真と共に残されている。", "title": "日本での火縄銃史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "引き金を引くと火をつけた火縄が、あらかじめ黒色火薬を盛りつけておいた火皿と呼ばれる部品を叩く。火は火皿の口薬(くちぐすり)と呼ばれる微粉末黒色火薬に引火する。火皿内部に切られた導火孔の中の口薬は燃焼を続けて薬室内部へ到達すると思われているが、実際は、導火孔に火薬が詰まった状態にある場合、引火がゆっくりと進み引金をひいてからの時間差が生じて遅発となってしまって命中しないため、導火孔は空洞に保つようにして、火花を通し易くしておく。薬室内部には(胴薬)(どうぐすり)または玉薬(たまぐすり)と呼ばれる装薬があらかじめ充填されており、火が伝わるとそこで一気に燃焼(爆燃)、込められた弾丸を射出する仕組みになっていた。方式としては瞬発式火縄銃と緩発式火縄銃とがある。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "なお、日本における火縄銃が頬付け形に終始し、肩付け形の銃床にならなかった理由には、戦国期においては戦闘に従事する兵士が、足軽から大将まで大なり小なり鎧を装着しており、物理的に銃床を肩に効率的にあてがう事ができないという銃床射撃に適さない装備であり、鉄砲狭間からの射掛けにおいて邪魔であるという用兵上の事情や、泰平期においては流儀による形態・射法の継承による硬直化等が指摘されているが、従来からあった弓矢の番え方(和弓特有の引いた弦を頬に付ける方式)をそのまま火縄銃に応用した結果、頬付け型になったという見方もあり、そのことがいち早く日本国内での火縄銃の普及に繋がった向きも充分考えられる。世界的に見ても、日本のように重装な甲冑を装備する兵士が、銃器を恒常的に使用する用兵を用いる国も珍しく、これらの理由から、頬付け型の長銃を長期に主力装備として使用した日本の火縄銃のデザインは、世界的に見ても極めて珍しい意匠となっている。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "火縄銃の次弾発砲までには以下の行程が必要となる。「銃身内の火薬残滓を洗い矢で拭う」(数発撃つと銃腔にカーボンがこびり付き、弾が入らなくなるため、槊杖の先に水に湿らせた布を付けて拭う)「火穴にせせり(弄り・ヴェントピック)を通す」「銃身を冷やす」(但し、1分間に1発程度のペースで発砲するのであればこの必要は全くない)などである。一般には次弾装填の際に行うべき事は多いとみなされている。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "実際にはこの作業を1発ごとに行う必要はなく、数発に一度行えばよい。関流砲術では、7発位撃つと弾が入り難くなると伝えている。また、「劣り玉」と呼ばれる、適合弾より若干径が小さい弾を使用すれば、目標への集弾性は低下するものの、10発以上の連続発射が可能である。(江戸時代の射的で一般的な、射距離15間(約27m)では劣り玉でも命中率はほとんど変わらない。ただし30間(約55m)を超えると集弾率の低下が見られる)また銃腔内や火皿の清掃は頻繁に行う必要はなく、弾が込め難い等の異常を感じたら行えば済む。その方法も、黒色火薬が水に溶けやすい特性から、洗矢の先に水で湿らせた布切れを付けたものを銃口から差込み1 - 2往復させれば完了する。昭和末期の実験では、熟練した者が操作した場合、第1弾発砲から18 - 20秒後に次弾発射が可能であった。とはいえ、現代の銃に比して先込め銃は単体では連射に向かないものであることは上記のプロセスなどからも容易にうかがえる。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "この「次弾発射までに時間がかかる」という先込め式最大の問題点を改善するため、火縄銃が用いられた戦国時代の日本では、「早合」(はやごう。装填を簡便にするための弾薬包で、弾と火薬をセットにして紙で包んだもの)「複数人でチームを組む」「銃身を複数設置する」など、様々な(時には奇天烈な)発想がなされている。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "歴史群像編集部および日本前装銃射撃連盟会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた発射速度を測定する実験では、初弾が既に装填された状態から開始した時、初弾射撃直後から計測を開始し一人で初弾および5発、計6発を射撃し終わるのに要した時間は100秒(1発あたり約20秒)だったが、早合を用いた場合はそれが44秒にまで短縮された(ただし早合の実験は弾丸を含めなかったため不発が多く、必ずしも正確ではないようだ)。また3人が各々の火縄銃を持ち合計3丁を交替に発射するかたちの三段撃ちでは33秒、3人に2丁を用意し射手が射撃を行っている間に後方で二人がかりで装填を行うという手法では39秒という結果が得られ、チームを組んだり早合を利用したりすれば戦力が向上するとされた。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "火縄銃は、戦国時代中期以降、足軽の主要武器の一つとしてその比重を増していった。日本の戦国時代から江戸時代においては備ひとつに対し、鉄砲組(20 - 50名)を1、2組配しているのが基本である。戦闘開始時や、勢いに乗り突進してくる敵兵に対し一斉射撃を浴びせ進撃を止まらせるときなどに使用された。兵士同士が密集したか否かについては議論がある。火の粉が飛び散る中で火薬を使用するので暴発しかねず、相互に安全な距離を取ったという見解がある。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、根来衆の得意とする戦術であった。石山合戦で本願寺側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "この射撃手・助手を分業する射撃運用法を烏渡しの法と上杉流軍学では称したと伝えられ、また後世紀州徳川家においては薬込役という、御庭番の前身である職名にその痕跡を残している。", "title": "日本における運用方法" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "火薬は唐代(618年 - 907年)の中国で発明された。当時書かれた「真元妙道要路」には硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には黒色火薬が発明されていた可能性がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1250年代、モンゴル帝国がイラン侵攻した際、中国人技術者が操作する投石機で、火薬弾が投げられている。1280年には、地中海東部のマルクス・グラエクスとシリアのハッサン・アッ・ラムマが中国の火器、火槍について記述している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "また、イスラム文明圏のシリア、マムルーク朝でも火薬情報は豊富であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1288年当時の青銅製の銃身が発掘されたことで、モンゴル支配下の中国が火槍から銃へ装備を変えたことが明らかになり、さらにこれまで銃は西欧発明と考えられてきたが、銃はモンゴル帝国を通じてヨーロッパへ伝わったとされる。1326年のスウェーデンにおける壷型の銃も発見されているが、これはモンゴル帝国に支配されていた南ロシアから伝わった銃が変形したものと考えられている。同1326年にはフィレンツェで大砲が開発され、以後、ヨーロッパでは大砲が発達する。イベリア半島では1330年代までには銃だけでなく大砲も使用されていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ドイツ南部諸都市において火縄銃が発達した理由は、小規模な自治都市にとって安価で城の防御には小型の火縄銃が適していたからである。また初期においては火縄銃の点火には時間がかかり危険性も高く野戦には不向きであった。最初に大々的に使用したのはハンガリー王マティアス・コルヴィヌスである。イタリア戦争においてスペインは、長槍(パイク)の密集方陣の進撃に際し、四周に随伴した銃兵が相手方の方陣と至近距離まで接近し、接触寸前になった時点で発砲して第一次打撃を期待する運用法を定めた。これはテルシオと呼ばれた。この戦術は銃剣の発明以前のものであり、発砲を終えた銃兵は有効な戦力とならず、退避行動を取ったとされる。実際の戦闘はパイク兵が主体であった。射撃手の前後交替の発想が見られるものとしては、騎兵のカラコール戦術が対テルシオ戦法として用いられたことが挙げられる。これは概ね1530年代頃からである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1440年代にはイェニチェリがハンガリーからマッチロック式を導入したともされるが、正規に用いられるようになるのは16世紀以降である。オスマン帝国では野戦隊形における集中射撃法が実用化された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "火縄銃の再装填には時間と防御上の弱点が生じた。これを解決する手段として、縦列で行進する銃兵の最前者が発砲し、発砲後直ちに最後尾に駆け戻って装填作業をしながら行進を続行するという方式が考え出された。また、マウリッツは個別の兵種がそれぞれ独自に機能を発揮するのではなく、歩騎砲の三兵が連動して機動戦術を採ることを発案した。彼はこれをアイデアにとどめず可能とした軍事家として評価されている。ただし、この縦列交替法が大きな効果を発揮した記録はなく、またこの運動方式には鈍重さが宿命的に付きまとったため、マウリッツ自身の戦死の原因をそこに求める考え方もある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "実際に前後交替射撃法が実用化されるのは燧石式に移行してからであり、燧石式の機能改善もそれに相当の貢献をしたと考えられる。また銃剣の登場もこれに大きく寄与していると考えられるが、同時にこの時代は大砲の運用が飛躍的に改良されており、銃兵の交替射撃のみが戦線の状況を変革させたと論じるのは未だ大きな検討を要するであろう。これらは概ね17世紀末から18世紀初頭の現象である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "火縄銃は装填その他に伴う初期銃の弱点が存在する。これを補うため、障壁、城壁、障害物あるいは特殊な地形等によって防御された場所から、機動してくる野戦軍を射撃しようという試みは早くから行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "西欧の戦いにおいて著名な例は、1503年第一次イタリア戦役中、スペイン軍人ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバが行った戦法であった。これは急造の堀とその残土を利用した土手に、二千名と推定されるアルケブス銃兵を配置し、銃火によって押し寄せたフランス重騎兵団を粉砕したものである。この戦闘はスペインの覇権確立の重要な要因となった。この戦いに続く1522年、第二次イタリア戦役においても、同じくスペイン軍の傭兵隊長コロンナがミラノ郊外ビコッカにおいて、地形と急造塁壁を利用したアルケブスの反復射撃戦法で、押し寄せたスイス槍兵集団を粉砕した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "一般に(アルケブス)もしくは同音のなまったものがよく知られている。燧石式銃については(スナップハンス)(ミュクレット)(フリントロック)などの名称が知られ形式上の分別とされているが、その発祥は火縄銃同様明確な記録はない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "恐らくは両方が混在しつつ、俗称通称化したものであろう。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "中国大陸へは、明朝時代の15世紀に火縄銃が伝来し、東南アジア経由で伝来した南蛮系(スペイン、ポルトガル)の緩発式のもの(頬付けの短床形)と、西域経由で伝来したオスマン帝国系の緩発式のもの(肩付け形の銃床を有する)の二つの系統があった。日本から瞬発式に改良された火縄銃が伝来するとその命中率の高さから鳥銃あるいは鳥槍と呼ばれ、オスマン系の銃は特に露密銃と呼ばれた。明朝時代、秀吉の朝鮮征伐に朝鮮を救援する為に出兵した際、日本軍による火縄銃の集団使用の洗礼を受け威力を認識し、軍の装備に採り入れられることとなった。続く清朝においても八旗・緑営の装備として引き続き採用されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "清代には、大砲を補完する装備として抬槍(たいそう)と呼ばれる大型の火縄銃も採用された。口径・銃身長のいずれも通常の火縄銃より拡大したもので、全長約3m、重量約12-18kgとされ、射撃の際は銃身を三脚架または射手以外の兵士の肩に依託して使用された。兵士2名程度で担いで移動することができる。大砲の移動が困難な山間部や水郷地帯での使用のために開発されたもので、後年の清仏戦争・日清戦争期の頃まで使用された。日本の狭間筒(後述)とも類似性のある銃器である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "日本における火縄銃の分類として、弾丸重量によるものと製作地・流派によるものの二つに大別される。火縄銃の弾丸は鉛の球弾であり、鉛の重さが決まればその玉の直径は常に同じとなることから、弾丸の重さによって口径を示す方法が広く用いられていた。", "title": "日本における分類" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "主な違いとして、銃身の外形(丸、角筒)、肉厚、長さ、銃床の形状、カラクリ(内外カラクリ)、目当などがあげられる。以下に記するもの以外にも多数あり。", "title": "日本における分類" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "など、上記は製作地名を冠したもの。", "title": "日本における分類" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "日本各地に鉄砲隊と称し、イベント時に火縄銃で空砲を撃つ団体が多数できた。これは伝承砲術によっているものであるが、日本では幕末維新期に兵制・武器の西欧化が急速に行われたため、流派の直接伝承はすべていったん途絶えている。現存する流派は伝来した古文書などを解読して後世再興したものである。古式銃団体の性格は、", "title": "歴史としての火縄銃" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "の3種が大まかに分類できる。", "title": "歴史としての火縄銃" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "諸外国では火縄銃による射撃競技が盛んに行われ、また競技以外にも日本の鉄砲隊と同様、あるいはそれ以上無数と言ってよいほど多数のリエナクターによるボランティアインファントリー(義勇歩兵隊)が存在する。アメリカでは、南北戦争を記念する行事でそれら歩兵隊等による大規模な南軍北軍の模擬戦闘が行われることがある。この場合、安全な現代ガンメーカーの手によるレプリカが多く使用される(日本のミロク社も米国等へレプリカの古式銃を輸出している)。同時に歴史的な前装大砲も大切に保存され、毎日空包発射をするものや、青年の体育訓練として野砲を分解して運搬する障害物レースを行い最後に組み立て空包装填して先に発射した方が勝ちというイベントなどもある。", "title": "歴史としての火縄銃" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ヨーロッパや北米などでは盛んに火縄銃も含むマズルローダー射撃競技(前装銃射撃競技)がおこなわれている(日本からも世界選手権と環太平洋選手権大会に選手を派遣している)。日本国内では日本ライフル射撃協会傘下に日本前装銃射撃連盟があり、射撃競技が行なわれている。ただし銃刀法や火薬類取締法などに基づく各種規制があるため、競技人口は極めて少ない。しかし日本製の火縄銃は高精度に製造されており、制約の多い環境下ながら日本の選手は国際大会で上位入賞することも多く、欧米の多くの選手も火縄銃種目では日本製または日本型レプリカの火縄銃を使って参加している。アジア地域で国際前装銃連盟に加盟しているのは日本のみである。", "title": "歴史としての火縄銃" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "日本でおこなわれる競技は以下の通りである。「種子島銃立射」と「種子島銃膝射」では、国際ルールと同じく射距離50メートルで「日本公式種子島標的(黒点径40cm)」を使用する。「中筒(侍筒)」では、同標的で十匁玉筒(10匁の重さの弾を使用する銃)を自由姿勢にて射撃する。「ベッテリー」は「フリーピストル標的」を使用する50メートル競技で、前装銃であれば銃種を問わない(火縄銃でなくても使用でき、千葉県ライフル射場で開催される競技会に限って行われる)。他、同標的で25メートル、短筒を片手撃ちで競う「短筒」が存在する。", "title": "歴史としての火縄銃" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "日本独自の競技として、古式に則った、8寸角板に4寸黒丸の「和的(江戸時代規格の標的)」を狙い、27メートル(江戸時代は15間)の距離で命中の優劣を競う「古式勝ち抜き」及び、5分間に10発撃つ「早撃ち」がある。", "title": "歴史としての火縄銃" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "火縄銃の実弾射撃は指定された射撃場でしか認められない。2005年(平成17年)現在、公営射撃場としては神奈川県伊勢原市の県営伊勢原射撃場、千葉市若葉区の千葉県総合スポーツセンター射撃場、和歌山県海南市の和歌山県営射場、の以上3ヶ所(また他にも私立の射場で可能な所がある。その他、茨城県営真壁ライフル射撃場は、法制上では火縄銃の射撃が認められている。ただし射場管理者が火縄銃の使用を断っているため使用できない)", "title": "歴史としての火縄銃" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "銃刀法に定める範囲の古式銃の所持は、現代銃と異なり属人的な免許・許可ではなく、属物的な登録制で、登録は都道府県教育委員会の所管(かつては文化財保護委員会であった)である。登録は日本刀などと同じく銃に対してなされ、登録を受けた銃器は誰でも所持・所有できるが、実際に実弾・空包の発砲及び火薬の入手所持消費に関しては、その都度(実弾射撃を許可された者は、火薬購入については1年間、また消費は6ヶ月間限定の)所轄の警察署を通じて公安委員会の別途の許可を受ける必要がある。", "title": "所持と分類" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "古式銃とは主に前装式銃砲のことを言うが、初期の後装銃も佐賀藩の主力銃であったスペンサー銃(のちにウインチェスター銃の祖形となった)をはじめ、普仏戦争の主要銃であったシャスポー銃(後に村田式の開発の淵源となった)やドライゼ銃(ツンナール)など類種のものも相当数輸入されていた。ただこれらは維新後に訓練銃などとして使用されたり、外国に売却されたりして、現在国内残存数は比較的少ない。日本の法律では現在のところ、古式銃とは1867年の時点で国内に存在したことが個別に証明できた国産または外国製の歴史遺物銃器の実物である(したがって実物に忠実に作られたものであってもレプリカは認められない。これは古式銃の登録制度が歴史史料及びその美術価値の保存を目的としていて、射撃に使用することを想定して制定されたものでないことによる)ということになっている。ただし真正の古式銃であっても明治以後に新式又は現代の弾薬が使用できるように改造されたもの、あるいは現用の弾薬(装弾)が使用できる可能性のあるもの(もっとも顕著な例は坂本龍馬が使用したと言われるSW・Mk1、Mk2リボルバー)などは(現代銃に準ずる機能を有するもの)として登録審査時に排除され、したがって所有できないものがある。真正の歴史遺物の国産火縄銃であれば、たとえ外国から里帰りしたものであってもほとんどはそれらの問題は無い。競技用として、また空包用として使用されているものは国産火縄銃がほとんどで、すべて歴史遺物に限られる。", "title": "所持と分類" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "なお、国内で古式銃登録をされている火縄銃(即ち、火縄銃競技などで使用する目的で購入できる銃)は前述の通り1867年(慶応3年)以前に製造された物とされているが、近年こうした古式銃の中に明治期以後から現在に掛けて贋作師によって違法に製造されたと思われる「贋物」の火縄銃が存在する事例が研究者やコレクターによって狩猟専門誌などに報告されている。", "title": "所持と分類" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "古式銃を展示している博物館として設楽原歴史資料館や金山城 伊達・相馬鉄砲館などがある。イベントで空砲が撃てるように整備した銃を保管する場所としても機能している。", "title": "所持と分類" } ]
火縄銃は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃のうち、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものを大筒と称する。 マッチロック式は、板ばね仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である。 火縄銃は、15世紀前半にヨーロッパで発明され、特にドイツにおいて発展した。最古の記録は1411年のオーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる。また1430年代に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている。 現代の日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するのにも登録が必要である。
{{出典の明記|date=2022年9月}} [[image:Edo period rifles.jpg|thumb|300px|火縄銃(江戸時代)]] [[ファイル:Arquebus.jpg|thumb|300px|種子島火縄銃([[2005年日本国際博覧会|愛知万博]]の[[ポルトガル]]館展示物)]] [[ファイル:Hinawajyu(Himejijo).jpg|thumb|300px|火縄銃([[姫路城]]天守閣蔵)]] '''火縄銃'''(ひなわじゅう、{{lang-en-short|Matchlock gun / Arquebus}})は、初期の[[火器]](火砲)の形態のひとつで、[[黒色火薬]]を使用し、[[前装式]]で[[滑腔砲|滑腔銃身]]の[[マスケット銃]]のうち、'''マッチロック式'''(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを[[鉄砲]]、大型のものを[[大筒]]と称する。 マッチロック式は、板ばね仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である<ref>歴史を動かした兵器・武器の凄い話 (KAWADE夢文庫)132頁</ref>。 火縄銃は、[[15世紀]]前半に[[ヨーロッパ]]で発明され、特に[[ドイツ]]において発展した<ref> {{Cite book |last = Elgood |first = Robert |title = Firearms of the Islamic World: in the Tared Rajab Museum, Kuwait |date = 1995-11-15 |publisher = I. B. Tauris; First Edition edition |language = 英語 |isbn = 978-1850439639 |asin = 185043963X |page = 33 |ref = FIW }}</ref><ref> {{Cite book |last = Hall |first = BertS |title = Weapons and Warfare in Renaissance Europe: Gunpowder, Technology, and Tactics (Johns Hopkins Studies in the History of Technology) |date = 1997-05-12 |publisher = The Johns Hopkins University Press |language = 英語 |isbn = 978-0801855313 |asin = 0801855314 |page = 212 |ref = EERE }}</ref>。最古の記録は[[1411年]]の[[オーストリア]]写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型の[[サーペンタインロック式]]が見られる<ref>Early Firearms: 1300-1800 (Shire Library) p.6</ref>。また[[1430年代]]に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている<ref name=hand>[http://homepages.ihug.com.au/~dispater/handgonnes.htm HANDGONNES AND MATCHLOCK]</ref>。 現代の日本では[[銃砲刀剣類所持等取締法]](銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するのにも登録が必要である。 == 概説 == [[画像:Tepu4.jpg|thumb|250px|火縄銃]] [[画像:Tepu9.jpg|thumb|250px|火縄銃]] [[画像:Tepu5.jpg|thumb|250px|火縄銃]] それ以前の銃器は、火門(銃身に開けられた点火口)へ火種(火縄など)を手で押し付ける方式([[タッチホール式]])であった([[宋 (王朝)|宋]]の「'''[[突火槍]]'''」、[[明]]の「'''[[手銃]]'''」、[[モンゴル帝国]]及びモンゴルに支配された現[[ロシア]]や[[中近東]]の「'''[[マドファ]]'''」など)ことから、扱いが難しく命中精度も低かった。この欠点を補うため、ドイツで火縄をS字型金具(サーペンタイン)ではさんで操作するサーペンタインロック式が考案され、さらに[[銃床]]など構造面の整備が進み火縄銃が完成した。最初期の火縄銃はそれまでのタッチホール式の筒に単純なS字型金具をつけただけの原始的なものであった。しかし15世紀半ばにはシア・ロック式(sear lock)と[[スナップ・マッチロック|スナッピング式]]が発明された。ヨーロッパではシア・ロック式が主流になり、[[日本]]にはスナッピング式が伝わりさらに独自に改良された。火縄銃の最古の分解図([[1475年]])はシア・ロック式のものである<ref name=hand />。 マッチロック式は命中精度と射程の向上など銃の性能を大きく向上させた。その一方で、火種・火縄を常に持ち歩く携帯性の悪さ、火縄が燃焼する臭いや光が敵にこちらの位置を教えてしまう、構造上再装填に時間のかかる先込め式しか利用できない、雨天に弱い等、改善すべき点はまだ多かった。ヨーロッパではこれらを緩和し命中精度と操作性を悪化させた、回転する鋼輪(ホイール)に[[黄鉄鉱]]片を擦り付けて着火する方式(鋼輪式[[ホイールロック式]])や、[[燧石]]([[火打ち石]]:フリント)を鉄片にぶつけて着火する方式([[フリントロック式]])が開発された。 [[博物館]]などで目にすることができる日本の火縄銃と、現代の[[ライフル銃|ライフル]]などを比較すると、グリップ付近の形状が大きく異なる。そのため、現代のいわゆる[[ライフル銃]]のように台尻を肩に当てて、脇を締めて発射することはできず、[[弓 (武器)|弓]]を番えるように肘を外に張って射撃するスタイルで使用されていた。一方でヨーロッパの火縄銃は、[[クロスボウ]]の影響を受けた肩当ストック型のものの方が多い。中近東や北アフリカなど他の地域においても肩当ストック型が主流で、短床型が普及したのは現在のインドネシアから日本にかけての東南アジア・東アジア地域であった。 <gallery widths="180px" heights="150px"> Hinawajyu-1a.jpg|[[明治神宮]]例祭奉納 [[森重流砲術]](2012年11月2日撮影) JapaneseMatchlockGunsVolley HinawaJuu.jpg|彦根城における、火縄銃釣瓶打の演武 </gallery> == 火縄銃の威力 == 黒色火薬を使用し、滑腔銃身で[[鉛]]製の丸玉を撃つ火縄銃は、[[ライフリング]]を持ち[[弾丸|完全被甲弾]]を使用する近代的な[[小銃]]と比べると、長距離での弾道特性{{Refnest|group="注釈"|回転を与えられていない弾丸は、弾道が落下しやすい。}}、命中率、対物威力では不利な構造となる。 しかし、火縄銃は現代の小銃や散弾銃と比べると口径が大きいため弾丸が重く、滑腔銃身から発射される鉛の丸玉はソフトポイント弾に似た効果{{Refnest|group="注釈"|人体や狩猟鳥獣などの柔らかい目標に命中すると、弾丸が大きく変形して短距離で運動エネルギーを消費し、単純に貫通するよりも傷口を大きく損傷させる。}}を発揮するので、人や動物に対する殺傷力は高い。「火縄銃の殺傷力が低い」という誤解は、幕末期に施条式洋式銃を装備した洋式軍隊{{Refnest|group="注釈"|幕府はフランス式伝習隊や幕府歩兵隊を組織し、後に新政府軍の主力となった雄藩諸隊もまた洋式軍隊を組織した。}}の前に、火縄銃を装備した旧式部隊{{Refnest|group="注釈"|第二次征長戦争時の幕府軍や、宇都宮戦争時の新政府軍の装備銃は火縄銃であった。}}が敗北し、兵制の洋式化が進んだことが民衆に強く印象づけられた経緯が影響していると考えられる。また、泰平の世となり実戦で[[具足]]が使われる機会がなくなった[[江戸時代]]には、具足職人が自らの作った具足を火縄銃で撃ち、防御力を誇示する「試し胴」と称する実演が各地で催され、「火縄銃を防いだ具足」が各地に文化財として遺されていることなども、この誤解への影響が大きいと言われる。 正規の薬量・弾頭重量を用いた火縄銃で、戦国期当時の一般的な足軽向けの具足を射撃した実験<ref> {{Cite web|和書 |author=須川薫雄 |date=2009年(平成21年) |url=http://www.日本の武器兵器.jp/archives/82 |title=威力の実験-はたして鎧は鉄砲に対抗できたか- |work=日本の武器兵器 JapaneseWeapons.Net |accessdate=2011-12-03 }}</ref>では、直撃すれば厚い鋼板を用いた胴体正面部分でも簡単に撃ち抜くことができ、硬い鋼板に当たって砕けた鉛弾が内側で飛散して背中側の鋼板も貫いていることから、「たとえ完全装備の具足をまとっていたとしても、火縄銃がまともに胴体に命中すれば撃たれた兵はまず助からないであろう」と結論づけている。上述の「試し胴」で具足を貫通していない例については、「銃弾を防げる」という点を強調するために、火縄銃の構造{{Refnest|group="注釈"|現代の[[実包]]のように弾丸と装薬が一体になっているわけではなく、さらに弾丸の寸法の正確さも現代の火器ほどには求められない。}}を利用して弾丸の重量や火薬量を減らしていたり、具足を木の枝などにつり下げた状態で撃ったために、銃弾を受け流す格好になったのが原因だと考えられている{{誰|date=2020年2月22日 (土) 08:05 (UTC)}}。 1981年頃に行われた別冊[[Gun (雑誌)|Gun]]誌の実験では、三匁筒で重さ174[[グレーン|グレイン]]の弾丸を発射した場合、初速は330m/s程度、銃口エネルギーは現代の[[実包]]に換算すると.38ショートコルトと.38ロングコルトのほぼ中間である<ref>『素晴らしいGUNの世界』200-201頁。「火縄銃」実射レポート。</ref>。この実験では50m離れた厚さ3cmの合板を完全に貫通している。 また、19世紀初頭の国友筒で弾丸を米国の射撃場で何度か発射して弾速を計測したところ、1550フィート秒(毎秒472.44メートル)から1590フィート秒(毎秒484.632メートル)までで安定していた。この約480m/s程度という弾速は音速(約340m/s)の1.4倍である。使用した火縄銃は全長130センチ、銃身長100センチと日本の火縄銃としては標準的なサイズで、「二重ゼンマイからくり」という上等な機関部を備え、銃腔内の状態も最高であった<ref>[http://日本の武器兵器.jp/part1/archives/39 日本の武器兵器.jp/part1/archives/39] 閲覧日:2021年8月20日</ref>。 [[歴史群像]]編集部および[[日本前装銃射撃連盟]]会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた実験では、口径9mm、火薬量3グラムの火縄銃は距離50mで厚さ48mmの[[檜]]の合板に約36mm食い込み、背面に亀裂を生じさせた{{sfn|歴史群像|2005| p = pp.96-97}}。また厚さ1mmの鉄板を貫通した{{sfn|歴史群像| 2005 | p = pp.96-97}}。鉄板を2枚重ねにして2mmにしたものについては、貫通こそしなかったものの内部に鉄板がめくれ返ったことから、足軽の[[胴丸]]に命中した時には深刻な被害を与えたのではないかとしている{{sfn|歴史群像|2005| p = pp.96-97}}。さらに距離30mではいずれの標的も貫通している{{sfn|歴史群像|2005 | p = pp.96-97}}。 この実験では、火縄銃に対する盾としてよく用いられた[[青竹]]による[[竹束]]についても、直径4cm・長さ1m程度のものを31本束ね直径77cm、重量14.3kgとしたものに対して射撃実験を行っている{{sfn|歴史群像|2005| p = pp.96-97}}。距離28.8mで10匁玉(直径18.4mm)を撃った時には青竹を6本貫通し、竹束そのものも貫通する威力を見せた{{sfn|歴史群像|2005 | p = pp.96-97}}。6匁玉(直径15.5mm)の場合は青竹4本の貫通で収まり竹束全体は貫通しなかったものの、当たり所が悪ければ全て貫通する場合もあるという結果が得られた{{sfn|歴史群像|2005| p = pp.96-97}}。同書では火縄銃の有効射程を200m程度としており{{sfn|歴史群像|2005|p=pp.96-97}}、ヒトを模した身長160cmの静止した的に対して、30mで5発全てが胸部に着弾、50mでも5発中4発が着弾するという好成績を収めている{{sfn|歴史群像|2005|p=pp.94-95}}。 距離が遠かった、弾かれやすい角度で命中したなどの条件で鎧が銃弾を受け止めた実例はあり、[[成瀬吉正]]所用の[[南蛮胴]]のように、実戦での弾痕を残した鎧が現存している。ヨーロッパ製の甲冑は厚さを増して銃弾を防いだものも存在するが、それと引換に重量が増したため、全身の防御をあきらめ、[[胸甲騎兵#装備|胸甲]]として胸部のみの防御に留めている。 == 日本での火縄銃史 == === 鉄砲と戦国時代 === {{Main|鉄砲伝来}} [[ファイル:Tepu3.jpg|thumb|250px|火縄銃/尼信博物館所蔵]] 従来、『[[鉄炮記]]』の記述により[[日本]]への[[鉄砲伝来]]は1543年(天文12年)の種子島より始まるとされてきた。しかし、近年では、[[東南アジア]]に広まっていた火器が1543年(天文12年)以前に[[倭寇]]勢力により日本の複数の地域に持ち込まれたとする説が有力である([[宇田川武久|宇田川]]説)。いずれにせよ複雑な発射機構の無い鉄砲自体は遅くとも16世紀初頭に伝わっていた事が文献に残っている。伝来後に日本において[[引き金]]に[[ばね]]を用いる改良がおこなわれ、それまでにはなかった[[瞬発式火縄銃]]となり命中率が向上した<ref name="nishigaya294">[[#西ヶ谷|西ヶ谷(1995)pp.294-297]]</ref>。すなわち、火縄の火力を瞬時に火薬に点火させるため、引き金に連動する毛抜き式弾梯の点火装置をともない、火挟みのなかの火縄を引き金とともに瞬時に点火する仕組みである<ref name="nishigaya294" />。それに対し、当時のヨーロッパ製の銃は毛抜き式弾梯がなく、引き金が火挟みに連結する[[緩発式火縄銃]]である<ref name="nishigaya294" />。ヨーロッパで瞬発式が採用されるのは17世紀初頭から1630年代までの時期に燧石式発火装置が考案されて以降のことである<ref name="nishigaya294" />。 銃身においても、日本の筒部は錬鉄を鍛造したものをベースとしており、中国のように鋳銅を利用したものとは異なっていた<ref name="nishigaya294" />。日本の火縄銃は鉄板をマキシノという棒芯に延引させて捲くことにより真部をつくり、それにリボン状の鉄板を巻いて鍛接した双層交錯法によってつくられており、幅広の錬鉄を心軸のまわりに捲きつけてその継ぎ目を溶接するヨーロッパの単捲法とも異なっていた<ref name="nishigaya294" />。したがって、戦国時代の日本では、瞬発力においても火薬の爆発力においてもヨーロッパ製のものより高性能のものが用いられていた<ref name="nishigaya294" />{{Refnest|group="注釈"|[[西ヶ谷恭弘]]は、[[スイス国立武器博物館]]や[[大英博物館]]、[[ロンドン塔]]武器館などを見学したときの自身の記憶として、銃コレクションの良質なものの大半は和銃だったと記している<ref name="nishigaya294"/>。}}。 鉄砲伝来以降、日本では[[近江国|近江]]の[[国友]]と[[日野町 (滋賀県)|日野]]、[[紀伊国|紀州]]の[[根来寺|根来]]、[[和泉国|和泉]]の[[堺]]などが鉄砲の主要生産地として栄え、多くの[[鉄砲鍛冶]]が軒を連ねた。根来のみ[[織田信長]]・[[豊臣秀吉]]による[[紀州征伐|紀州攻め]]の影響で[[安土桃山時代|桃山]]期以降衰退したが、国友・日野・堺はその後も鉄砲の生産地として栄え、高い技術力を誇った。また城下町において、鉄砲足軽や鉄砲鍛冶が集中して居住した場所は「[[鉄砲町]]」と呼ばれ、現代でも地名に残っている。[[五葉山]]のような[[火縄]]の原料となる[[ヒノキ]]が豊富な山は藩直轄の「御用山」として保護されるようになった。 鉄砲が伝来した当初は、高価な武器であったため武士が用いたが、普及率が高まるにつれ足軽の主要武器の一つになっていったという説がある<ref>渡辺信吾『歴史群像 2019年6月号 武器と甲冑 』学習研究社、19ページ</ref>。 [[文禄・慶長の役]]では日本軍は火縄銃の集団使用で明軍を手こずらせた。明軍は日本軍の瞬発式火縄銃は命中率が高く飛ぶ鳥を落とすくらいだとして特に鳥銃と呼んで恐れた。のち[[趙士禎]]が『[[神器譜]]』([[1598年]](慶長3年)から[[1603年]](慶長8年)以降にかけて成立)を執筆する<ref>藤井宏の説によれば、1598年から1603年以降にかけて四度にわたって成立し、四版が国立公文書館所蔵の五巻本『神器譜』である。日本大百科全書(小学館)矢澤利彦 筆</ref>。 また、築城技術でも火縄銃の性能を活かした横矢掛かり(これ自体はすでに存在していた)などが発達し、[[赤穂城]]などに応用された。 大坂の陣では塹壕戦が第一次世界大戦前に起きていたため日本には相当火縄銃が出回っていたことになる。 {{-}} === 江戸期以降 === [[File:Gunsmith Storefront in Sakai Osaka by Akisato Rito 1796.jpg|thumb|250px|大阪堺の[[鉄砲鍛冶]]の様子]] 日本の銃器が伝来から幕末までの永きに渡り火縄銃の構造から進歩しなかった理由には以下があげられる。 まず江戸時代に入り、[[徳川綱吉]]によって諸国鉄砲改めによる[[百姓]]の狩猟及び銃の原則所持禁止、銃器の移動制限がなされた<ref> {{Cite journal ja-jp |author = [[塚本学]] |year = 1974年(昭和49年) |title = 綱吉政権の鉄砲改めについて--その幕政史上の意義 |journal = 徳川林政史研究所研究紀要 |issue = 1974-03 |publisher = 徳川黎明会 |issn = 0386-9032 |ref = 鉄砲改め }}</ref> <ref> {{Cite journal ja-jp |author = 馬場弘臣 |year = 1988年(昭和63年) |title = 天保期の幕府鉄砲改めについて―小田原藩領を事例として― |url = https://docs.google.com/viewer?url=http%3A%2F%2Fwww.ihmlab.net%2Fpdf%2F198812_tenpo_teppoaratame.pdf |format = PDF |journal = 湘南史学 |issue = 10 |publisher = 東海大学大学院日本史学友会 |issn = 0288-5948 |pages = 194-209 |ref = 天保鉄砲改め }}</ref><ref>[http://sito.ehoh.net/noumin1.03.01.06.html 江戸と座敷鷹 - 生類憐れみの令とは?]</ref>ことや、[[鎖国]]の影響による技術進歩の停滞という通説が存在する。 {{要出典範囲|date=2020年4月|しかしながら、外国で発達した[[フリントロック式|燧発式]]の技術が当時の鉄砲鍛冶に受け入れられている。試作品も現存し、また応用技術としてその機構を流用した[[ライター]]も製造されている。また、各[[大名]]諸藩で極秘裏に様々な銃器が研究されており、そのバリエーションは多岐にわたる}}。 {{要出典範囲|date=2020年4月|燧発式が日本では流行しなかったのは、日本では良質の[[燧石]]が産出せず大量生産ができなかったことや、燧発式は機構の不具合による不発率が火縄式よりも高かったことや、平穏な時代が長く続いたため、天候に影響されにくく、密集射撃が可能であるなどの燧発式の長所が理解、あるいは必要とされなかったことが理由として挙げられる。ほか、すべての[[武術]]と同じく鉄炮術も一種の競技的な要素を含んで流派形式で継承されたため、その結果必然的に器具類の改変は避けられた、という要素も大きい。燧発式の欠点として、火縄式に比べ強力なばねが装着されており、[[撃鉄]]作動時の衝撃が大きく、引金を引いてから一瞬遅れて装薬に着火する機構のため銃身がぶれ、命中率が悪く火縄銃よりも命中率が劣ることが挙げられる。当然ながら実戦よりも競技となった鉄炮術においては、この欠点は大きな問題となる。そのため江戸時代を通してほとんどの銃器が火縄式のままであった}}。 一方で火縄銃は、鳥獣被害対策のための実用の農具として、農村に普及し<ref> {{Cite book ja-jp |author = [[塚本学]] |year = 1993年(平成5年) |title = 生類をめぐる政治―元禄のフォークロア |publisher = [[平凡社]] |isbn = 978-4582760187 |asin = 458276018X |ref = 生類}}</ref>、売買され、所有されていた<ref> {{Cite book ja-jp |author = [[武井弘一]] |year = 2010年(平成22年) |title = 鉄砲を手放さなかった百姓たち 刀狩りから幕末まで |publisher = 朝日新聞出版 |isbn = 978-4022599681 |asin = 4022599685 |ref = 鉄砲百姓 }}[https://sicambre.seesaa.net/article/201108article_30.html 『鉄砲を手放さなかった百姓たち』][[武井弘一]]</ref><ref> {{Cite journal ja-jp |author = 阿部英樹 |year = 2002年(平成14年) |title = 幕末瀬戸内農村における鉄砲売買の実態と特質 : 広島藩領安芸国賀茂郡黒瀬組の「鉄炮商事」を事例として(楠恭雄教授退職記念号) The Characteristics of the Gun Trade at Setouchi (瀬戸内) in Later Edo Period : Case Study of Kamo-gun (賀茂郡) "Kurose-gumi" (黒瀬組) in the Hiroshima-han (広島藩)(In Honor of Professor Emeritus Yasuo Kusunoki) |url = https://docs.google.com/viewer?url=http%3A%2F%2Fwww.econo.chukyo-u.ac.jp%2Fcer%2Fcer200203_No13_04.pdf |format = PDF |journal = 中京大学経済学論叢 |issue = 13 |publisher = 中京大学 |issn = 0915-2555 |naid = 110006604574 |pages = 49-78 |ref = 幕末 }}</ref>。もちろん、[[一揆]]への警戒などの理由から、農民の農具としての火縄銃のさらなる性能向上は、全く考えられなかった。 {{要出典範囲|date=2020年4月|幕末期には新式銃が渡来したが、諸藩ではこの時期、海外事情も考慮して[[パーカッションロック式]]の銃器などを模造、試作した。皿を3つ付けたものや、[[ペッパーボックスピストル]]のように複数の銃身を持ち、回転しながら次々に着火させるものなどが作られた。ほかにも三連発の火縄銃や水平二連式短銃など、様々なものが試製されていた。これらは実用の可能性があるか疑わしいものが多く、結局は新式銃が輸入され、広く普及した。しかしながら、火縄銃の打ち金を雷管式のハンマーに変換し滑空式雷管銃に改造した[[新発銃]]の製造も、改造の容易さから盛んに行われ、[[ゲベール銃]]と同じ二戦級の銃器として扱われた}}。 {{要出典範囲|date=2020年4月|[[明治維新]]以降は洋式銃や[[村田銃]]等の新式銃におされ、国友を初めとする伝統的な火縄銃職人集団と共に、日本から火縄銃は急速に廃れていった。しかし、[[マタギ]]など民間の狩猟家の間では、依然中古品の火縄銃に大きな需要があり、火縄銃職人の一部も大正から昭和初期ごろまで細々と火縄銃の製造を続けていたとされる。これらは昭和初期に軍払い下げ(もしくは民間メーカーのライセンス生産品)の村田銃が普及すると姿を消した}}。 なお、[[太平洋戦争]]最末期に、[[旧日本軍]]が本土防衛師団へ配備するため、簡素な町工場でも大量生産が可能な'''「国民簡易小銃」'''として火縄銃の量産配備を検討し、実際に開発を行っていたという記録が試作品の僅かな写真と共に残されている<ref>[http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage71.html 歩兵兵器研究部 小銃]</ref>。 == 日本における運用方法 == === 射法 === [[ファイル:Hiyawajyu01.jpg|thumb|250px|稲富流砲術秘伝書/大阪城天守閣所蔵]] # 火縄に着火しておく。複数の着火した火縄を準備することが多い。また、火縄の両端に火をつけ、それを二つ折りにして火口を左手の指に挟み持って待機する「二口火(ふたくちび)」という方法もある。 # 銃口へ発射薬である胴薬と弾丸を装填する(後に[[早合]]が発明されると装填の手間は大幅に軽減された)。火薬と弾丸は[[槊杖]](カルカともいう)で銃身の奥へ押し固める。 # [[火皿]]に点火薬である口薬を入れ、火蓋を閉じ、火の点いた火縄先を火挟(ひばさみ)に挟む。この口薬の容器は長さ5 - 8cmの水筒型が定番であり、火薬を注いだ後、手を放すと自然に腰にぶら下がり、キャップが注ぎ口に被さる仕組みになっている。これを腰にぶら下げるのが典型的な銃兵のスタイルである。 # 目標を見定め火蓋を切る(パンカバーを開ける) # 構えて狙いを付ける。標的の体に当る可能性を高める為に胴体の中心を狙う。距離は標的の目の白黒が見える位、とされた。 # 引き金を引き発射。 # 再装填。 引き金を引くと火をつけた火縄が、あらかじめ黒色火薬を盛りつけておいた[[火皿]]と呼ばれる部品を叩く。火は火皿の[[口薬]](くちぐすり)と呼ばれる微粉末黒色火薬に引火する。火皿内部に切られた導火孔の中の口薬は燃焼を続けて薬室内部へ到達すると思われているが、実際は、導火孔に火薬が詰まった状態にある場合、引火がゆっくりと進み引金をひいてからの時間差が生じて遅発となってしまって命中しないため、導火孔は空洞に保つようにして、火花を通し易くしておく。薬室内部には(胴薬)(どうぐすり)または玉薬(たまぐすり)と呼ばれる[[装薬]]があらかじめ充填されており、火が伝わるとそこで一気に燃焼([[爆発|爆燃]])、込められた[[弾丸]]を射出する仕組みになっていた。方式としては[[瞬発式火縄銃]]と[[緩発式火縄銃]]とがある。 なお、日本における火縄銃が頬付け形に終始し、肩付け形の[[銃床]]にならなかった理由には、[[戦国時代 (日本)|戦国期]]においては戦闘に従事する兵士が、足軽から大将まで大なり小なり鎧を装着しており、物理的に銃床を肩に効率的にあてがう事ができないという銃床射撃に適さない装備であり、鉄砲狭間からの射掛けにおいて邪魔であるという用兵上の事情や、泰平期においては流儀による形態・射法の継承による硬直化等が指摘されているが、従来からあった弓矢の番え方(和弓特有の引いた弦を頬に付ける方式)をそのまま火縄銃に応用した結果、頬付け型になったという見方もあり、そのことがいち早く日本国内での火縄銃の普及に繋がった向きも充分考えられる。世界的に見ても、日本のように重装な甲冑を装備する兵士が、銃器を恒常的に使用する用兵を用いる国も珍しく、これらの理由から、頬付け型の長銃を長期に主力装備として使用した日本の火縄銃のデザインは、世界的に見ても極めて珍しい意匠となっている。 === 発射速度 === [[File:Douran cartridge box.JPG|thumb|250px|江戸期の胴乱。内部に弾丸、火薬を収納した]] [[ファイル:Hiyawajyu02.jpg|thumb|250px|[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]図屏風(攻城戦鉄砲隊部分の拡大図)]] 火縄銃の次弾発砲までには以下の行程が必要となる。「銃身内の火薬残滓を洗い矢で拭う」(数発撃つと銃腔に[[すす|カーボン]]がこびり付き、弾が入らなくなるため、槊杖の先に水に湿らせた布を付けて拭う)「火穴にせせり(弄り・ヴェントピック)を通す」「銃身を冷やす」(但し、1分間に1発程度のペースで発砲するのであればこの必要は全くない)などである。一般には次弾装填の際に行うべき事は多いとみなされている。 実際にはこの作業を1発ごとに行う必要はなく、数発に一度行えばよい。[[関流砲術]]では、7発位撃つと弾が入り難くなると伝えている。また、「劣り玉」と呼ばれる、適合弾より若干径が小さい弾を使用すれば、目標への集弾性は低下するものの、10発以上の連続発射が可能である。(江戸時代の射的で一般的な、射距離15[[間]](約27[[メートル|m]])では劣り玉でも命中率はほとんど変わらない。ただし30間(約55m)を超えると集弾率の低下が見られる)また銃腔内や火皿の清掃は頻繁に行う必要はなく、弾が込め難い等の異常を感じたら行えば済む。その方法も、黒色火薬が水に溶けやすい特性から、洗矢の先に水で湿らせた布切れを付けたものを銃口から差込み1 - 2往復させれば完了する。昭和末期の実験では、熟練した者が操作した場合、第1弾発砲から18 - 20秒後に次弾発射が可能であった。とはいえ、現代の銃に比して先込め銃は単体では連射に向かないものであることは上記のプロセスなどからも容易にうかがえる。 この「次弾発射までに時間がかかる」という先込め式最大の問題点を改善するため、火縄銃が用いられた戦国時代の[[日本]]では、「[[早合]]」(はやごう。装填を簡便にするための弾薬包で、弾と火薬をセットにして紙で包んだもの{{sfn|歴史群像|2005| p = p.92}})「複数人でチームを組む」「銃身を複数設置する」など、様々な(時には奇天烈な)発想がなされている。 [[歴史群像]]編集部および[[日本前装銃射撃連盟]]会長小野尾正治らによって2005年頃に行われた発射速度を測定する実験では、初弾が既に装填された状態から開始した時、初弾射撃直後から計測を開始し一人で初弾および5発、計6発を射撃し終わるのに要した時間は100秒(1発あたり約20秒)だったが{{sfn|歴史群像|2005 | p = pp.98-99}}、早合を用いた場合はそれが44秒にまで短縮された(ただし早合の実験は弾丸を含めなかったため不発が多く、必ずしも正確ではないようだ){{sfn|歴史群像|2005| p = pp.98-99}}。また3人が各々の火縄銃を持ち合計3丁を交替に発射するかたちの三段撃ちでは33秒、3人に2丁を用意し射手が射撃を行っている間に後方で二人がかりで装填を行うという手法では39秒という結果が得られ{{sfn|歴史群像|2005 | p = pp.98-99}}、チームを組んだり早合を利用したりすれば戦力が向上するとされた。 === 兵士の配置 === [[画像:Strings for night firing.jpg|thumb|250px|一列に並んで立射を行う[[足軽]]。射手の帯に通した縄を銃の先端と台尻に結び付けて張るように描写されており、射撃姿勢を安定させる工夫がうかがえる。]] 火縄銃は、戦国時代中期以降、[[足軽]]の主要武器の一つとしてその比重を増していった。日本の戦国時代から江戸時代においては[[備]]ひとつに対し、鉄砲組(20 - 50名)を1、2組配しているのが基本である。戦闘開始時や、勢いに乗り突進してくる敵兵に対し一斉射撃を浴びせ進撃を止まらせるときなどに使用された。兵士同士が密集したか否かについては議論がある。火の粉が飛び散る中で火薬を使用するので暴発しかねず、相互に安全な距離を取ったという見解がある。 * 二段撃ち:2列横隊に並び、前列が片膝をつき、後列が直立して射撃する。[[佐々成政]]が考案したという記録が残っているが、実際に採用されていたのか、上記の議論上問題がある。 * 三段撃ち:[[長篠の戦い]]で織田軍が採用したという著名な配置。[[雑賀衆]]が遅くとも[[1568年]]([[永禄]]11年)あたりまでにはすでに実戦で用いていたという説もある。この三段撃ちについても大議論がある。[[中国]][[明]]末の[[崇禎]]11年([[1638年]])刊行の[[畢懋康]]『軍器図説』に収められた「輪流放銃図・輪流進銃図・輪流装銃図」には15人の人物が5人3列に並び、三段撃ちをしている図が描かれている。16世紀までの明の軍学書に同様の記載が見られないことから、[[文禄・慶長の役]]で日本軍と戦った明軍が日本の火縄銃を大量に鹵獲するとともに投降した日本人(降倭)から運用法を学び、[[楊応龍の乱]]平定などの実戦機会を経て、三段撃ち等の日本式火器使用法を取り入れていったのではないかとの見方もある<ref> {{Cite book ja-jp |author = 久芳崇 |year = 2010年(平成22年) |title = 東アジアの兵器革命 十六世紀中国に渡った日本の鉄砲 |publisher = [[吉川弘文館]] |origyear = 1991 |isbn = 978-4642081498 |asin = 4642081496 |ref = higasi }}</ref>。 * 繰り出し:三段撃ちの要領で、さらに銃列を前進させる戦術。[[薩摩国|薩摩]]の[[島津氏]]が用いて、[[関ヶ原の戦い]]で中央突破に成功している。 1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、[[根来衆]]の得意とする戦術であった。[[石山合戦]]で[[本願寺]]側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。 この射撃手・助手を分業する射撃運用法を[[烏渡しの法]]と上杉流軍学では称したと伝えられ、また後世[[紀州徳川家]]においては薬込役という、[[御庭番]]の前身である職名にその痕跡を残している。 == 歴史 == ;前史 [[火薬]]は[[唐]]代([[618年]] - [[907年]])の中国で発明された。当時書かれた「真元妙道要路」には[[硝石]]・[[硫黄]]・炭を混ぜると[[燃焼]]や[[爆発]]を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には黒色火薬が発明されていた可能性がある。 [[1250年]]代、[[モンゴル帝国]]がイラン侵攻した際、中国人技術者が操作する投石機で、火薬弾が投げられている<ref name=sennen> {{Cite book ja-jp |author = アーノルド・パーシー |translator = 林武 監、東玲子 |year = 2001年(平成13年) |title = 世界文明における技術の千年史―「生存の技術」との対話に向けて |publisher = 新評論社 |origyear = 1991 |isbn = 978-4794805225 |asin = 4794805225 |ref = sennen }}</ref>。[[1280年]]には、地中海東部のマルクス・グラエクスとシリアのハッサン・アッ・ラムマが中国の火器、火槍について記述している<ref name=sennen />。 また、イスラム文明圏のシリア、マムルーク朝でも火薬情報は豊富であった<ref name=sennen />。 [[1288年]]当時の[[青銅]]製の銃身が発掘されたことで、モンゴル支配下の中国が火槍から銃へ装備を変えたことが明らかになり、さらにこれまで銃は西欧発明と考えられてきたが、銃はモンゴル帝国を通じてヨーロッパへ伝わったとされる<ref name=sennen />。[[1326年]]の[[スウェーデン]]における壷型の銃も発見されているが、これはモンゴル帝国に支配されていた南ロシアから伝わった銃が変形したものと考えられている。同1326年には[[フィレンツェ]]で大砲が開発され、以後、ヨーロッパでは大砲が発達する。[[イベリア半島]]では[[1330年代]]までには銃だけでなく大砲も使用されていた<ref name=sennen />。 === 火縄銃の登場による陣形の変遷 === ドイツ南部諸都市において火縄銃が発達した理由は、小規模な[[自治都市]]にとって安価で城の防御には小型の火縄銃が適していたからである。また初期においては火縄銃の点火には時間がかかり危険性も高く野戦には不向きであった<ref>bert S.hall "weapons&warfare" p.100.132</ref>。最初に大々的に使用したのはハンガリー王[[マーチャーシュ1世 (ハンガリー王)|マティアス・コルヴィヌス]]である<ref>Rázsó, Gyula (1982). "The Mercenary Army of King Matthias Corvinus". In J. M. Bak and B. K. Kirily p.125-140</ref>。イタリア戦争においてスペインは、長槍([[パイク]])の密集方陣の進撃に際し、四周に随伴した銃兵が相手方の方陣と至近距離まで接近し、接触寸前になった時点で発砲して第一次打撃を期待する運用法を定めた。これは[[テルシオ]]と呼ばれた。この戦術は銃剣の発明以前のものであり、発砲を終えた銃兵は有効な戦力とならず、退避行動を取ったとされる。実際の戦闘はパイク兵が主体であった。射撃手の前後交替の発想が見られるものとしては、[[騎兵]]の[[カラコール]]戦術が対テルシオ戦法として用いられたことが挙げられる。これは概ね[[1530年代]]頃からである。 [[1440年代]]には[[イェニチェリ]]が[[ハンガリー]]からマッチロック式を導入したともされるが<ref>デイヴィッド・ニコル「イニチェリ」、しかし遺物や図などの記録は定かではない</ref>、正規に用いられるようになるのは[[16世紀]]以降である<ref>roger pauly "firearms" p.34</ref>。オスマン帝国では野戦隊形における集中射撃法が実用化された。 火縄銃の再装填には時間と防御上の弱点が生じた。これを解決する手段として、縦列で行進する銃兵の最前者が発砲し、発砲後直ちに最後尾に駆け戻って装填作業をしながら行進を続行するという方式が考え出された。また、[[マウリッツ (オラニエ公)|マウリッツ]]は個別の兵種がそれぞれ独自に機能を発揮するのではなく、歩騎砲の三兵が連動して機動戦術を採ることを発案した。彼はこれをアイデアにとどめず可能とした軍事家として評価されている。ただし、この縦列交替法が大きな効果を発揮した記録はなく、またこの運動方式には鈍重さが宿命的に付きまとったため、マウリッツ自身の戦死の原因をそこに求める考え方もある。 実際に前後交替射撃法が実用化されるのは燧石式に移行してからであり、燧石式の機能改善もそれに相当の貢献をしたと考えられる。また[[銃剣]]の登場もこれに大きく寄与していると考えられるが、同時にこの時代は[[大砲]]の運用が飛躍的に改良されており、銃兵の交替射撃のみが戦線の状況を変革させたと論じるのは未だ大きな検討を要するであろう。これらは概ね[[17世紀]]末から[[18世紀]]初頭の現象である。 === 障害物に拠る火縄銃の運用 === [[File:Ashigaru using shields (tate).jpg|thumb|250px|火縄銃の一斉射撃を行う[[足軽]]部隊。身を守るために、[[盾]]を用いている。]] 火縄銃は装填その他に伴う初期銃の弱点が存在する。これを補うため、障壁、城壁、障害物あるいは特殊な地形等によって防御された場所から、機動してくる野戦軍を射撃しようという試みは早くから行われた。 西欧の戦いにおいて著名な例は、[[1503年]][[イタリア戦争|第一次イタリア戦役]]中、スペイン軍人[[ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ]]が行った戦法であった。これは急造の堀とその残土を利用した土手に、二千名と推定されるアルケブス銃兵を配置し、銃火によって押し寄せたフランス重騎兵団を粉砕したものである。この戦闘はスペインの覇権確立の重要な要因となった。この戦いに続く[[1522年]]、[[イタリア戦争|第二次イタリア戦役]]においても、同じくスペイン軍の傭兵隊長コロンナがミラノ郊外ビコッカにおいて、地形と急造塁壁を利用したアルケブスの反復射撃戦法で、押し寄せたスイス槍兵集団を粉砕した。 <!-- (火縄銃とは全く関係ないのでコメントアウト) 最も古い例としてドイツで発生した[[フス戦争]]([[1419年|1419]] - [[1436年]])において、フス派信徒が円陣配置した荷車を防壁にして射撃するという戦法を採ったとされている。 何れの戦いにおいても交替制で射撃したとされるが、号令方式などによる統制交替射撃が行われたとする根拠はない。これら一連の戦いに共通する要素は # 比較的格闘戦能力に劣る部隊もしくは少数部隊が、 # 自然もしくは人工の障害と飛び道具を利用して防戦態勢をとり、 # 押し寄せる強力な伝統的野戦軍を破った。 がある。 この原型は[[中世]]から[[近世]]初期にかけての軍事知識として、英仏[[百年戦争]]における[[クレシーの戦い]]([[1346年]])が著名である。この戦いは火砲の使用が初めて記録された戦いとしても有名であり、また馬防柵を急造設置したらしい痕跡が現在発掘調査で明らかになりつつあると言われているが、火砲は使用されたとしても極少数であり、使用の事実及び効果に付いてはまだ今後の研究を待つ所が大きい。しかしながら、この戦いは丘陵地形を利用した弓兵集団の集中射撃によって、これまで無敵とされた重武装[[騎士]]の集団突撃を阻止粉砕するという戦果を残した。さらに同戦争末期、[[アジャンクールの戦い]]([[1415年]])において、全く同様なことが繰り返された。この時には火砲の使用に記録はないが、馬防用の先端のとがった杭の携行については、英国王[[ヘンリー5世 (イングランド王)|ヘンリー5世]]の命令が記録されている。これも弓兵集団と[[騎士団]]の戦闘で騎士団が全滅した戦いの例である。 これらの知識が新しく登場した特長と弱点を併せ持つ鉄砲の運用に応用された成功したのは、まず間違いはないであろう。日本において、信長周辺にこれらヨーロッパ軍事知識がどのように伝わっており、長篠の戦闘などに応用されたという可能性は興味深く、今後の研究が待たれる。--> {{-}} === 火縄銃の名称 === 一般に(アルケブス)もしくは同音のなまったものがよく知られている。燧石式銃については(スナップハンス)(ミュクレット)(フリントロック)などの名称が知られ形式上の分別とされているが、その発祥は火縄銃同様明確な記録はない。 # (アルケビュス)については一つの説として、さらに初期の手砲の一形式に棒の先につけた金属筒に鉤状の突起を設け、発射時は鉤を委託物に引っかけ棒を地上に押さえ付けて発射した形式があり、これを[[ドイツ語]]系で(ハーケン・ビュクセ=鉤付筒)と呼んだのが語源で、[[フランス語]]系で類似した(アーケン・ビュッス→アルケブス)と発音が訛化したのであろうという説がある。 # さらに別の説にフランス語系の(アルク・ビュッス=筒形弓)を起源とする説もある。 恐らくは両方が混在しつつ、俗称通称化したものであろう。 === 中国大陸における火縄銃 === 中国大陸へは、[[明]]朝時代の15世紀に火縄銃が伝来し、東南アジア経由で伝来した南蛮系(スペイン、ポルトガル)の緩発式のもの(頬付けの短床形)と、西域経由で伝来した[[オスマン帝国]]系の緩発式のもの(肩付け形の[[銃床]]を有する)の二つの系統があった<ref name=shinoda>篠田耕一 『武器と防具 中国編』 新紀元社、1992年、229-233頁。</ref>。日本から瞬発式に改良された火縄銃が伝来するとその命中率の高さから'''鳥銃'''あるいは'''鳥槍'''と呼ばれ、オスマン系の銃は特に'''露密銃'''と呼ばれた<ref name=shinoda/>。明朝時代、[[文禄・慶長の役|秀吉の朝鮮征伐]]に[[朝鮮]]を救援する為に出兵した際、日本軍による火縄銃の集団使用の洗礼を受け威力を認識し、軍の装備に採り入れられることとなった。続く[[清]]朝においても[[八旗]]・[[緑営]]の装備として引き続き採用されている<ref name=shinoda/>。 清代には、大砲を補完する装備として'''抬槍'''(たいそう)と呼ばれる大型の火縄銃も採用された。口径・銃身長のいずれも通常の火縄銃より拡大したもので、全長約3m、重量約12-18kgとされ、射撃の際は銃身を三脚架または射手以外の兵士の肩に依託して使用された<ref name=shinoda/>。兵士2名程度で担いで移動することができる。大砲の移動が困難な山間部や水郷地帯での使用のために開発されたもので、後年の[[清仏戦争]]・[[日清戦争]]期の頃まで使用された<ref name=shinoda/>。日本の狭間筒(後述)とも類似性のある銃器である。 <gallery widths="180px" heights="150px"> Ming musketeers.jpg|[[明]]朝における[[銃兵]]による陣形 A Manchu Soldier from the North of China Wellcome L0040986.jpg|[[清]]朝における[[八旗]]の火縄銃兵(19世紀後期) Chinese soldiers with gingals.jpg|抬槍を運用する清朝・[[緑営]]の兵士(19世紀中頃) </gallery> == 日本における分類 == 日本における火縄銃の分類として、弾丸重量によるものと製作地・流派によるものの二つに大別される。火縄銃の弾丸は鉛の球弾であり、鉛の重さが決まればその玉の直径は常に同じとなることから、弾丸の重さによって[[口径]]を示す方法が広く用いられていた。 === 弾丸重量・銃身長による分類 === {| class="wikitable" style="float:right" |+ !style="width:4em;"|重量 !style="width:5em;"|口径(mm) |- |2匁半||11.79 |- |6匁||15.79 |- |13匁||20.48 |- |20匁||23.58 |- |30匁||26.99 |- |50匁||33.04 |} ; 小筒 : 弾丸重量が二匁半程度のものを指す。威力は低いが安価で反動が少ない為、猟銃や動員兵への支給銃として用いられた。また、鉄砲による戦闘に不慣れな明・朝鮮の兵の防具は、鉄砲に対する防御力が弱く、小筒でも十分な威力を持っていた為、[[文禄・慶長の役|朝鮮の役]]では大量に用いられた(『図説・日本武器集成』『鉄炮伝来』)。 ; 中筒 : 弾丸重量が六匁程度のものを指す。小筒に比べて威力が増大するが、扱いが難しい上に高価なので、臨時雇いでなく継続して主人に仕える足軽が用いる銃とされた。[[当世具足]]や[[竹束]]などの火縄銃に対応した防御装備が広まった結果、小筒に替わり主に用いられる様になった(『図説・日本武器集成』)。 ; 士筒(さむらいづつ) : 弾丸重量が十匁程度のものを指す。威力は絶大だが非常に高価で、さらに銃身が長く重量も重く、発射時は大きな反動があるなど扱いが難しい為、十分な鍛錬と財力を持つ侍のみが用いることができた。彼らはこの侍筒を[[武家奉公人]]に持たせ、必要に応じて用いた(『図説・日本武器集成』『雑兵物語』)。 ; 馬上筒 : [[騎兵銃]]として用いられた。後世の騎兵銃と比べ銃身がより短く、拳銃に近い(実際、ヨーロッパの[[胸甲騎兵]]が用いた拳銃と、同程度のサイズである)。火縄銃は後世の銃よりも重量があったため、馬上で用いるには著しく小型化する必要があった。また、ライフリングが施されていない火縄銃は元より命中率が高くないため、ここまで短くしても命中率への影響は大きく無かったからである。両手で扱う。 ; 短筒 : 火縄銃版の[[拳銃]]。片手で扱うために馬上筒よりもさらに銃身を短くしている。馬上筒と同じく、騎兵銃として用いられた。火縄に常に火を点す必要上、懐に隠すのは困難であり、後世の拳銃のような護身用、携帯用としての使用は困難であったと考えられる。 ; 大鉄砲 : 二十匁以上の弾丸重量を有するものでは、百匁クラスのものも存在する。こうした火器は、通常の弾丸の他に[[棒火矢]]([[ロケット弾]])<ref>[[新紀元社]] 『武器事典』 304頁。</ref>などを射出し、[[攻城戦]]・[[海戦]]で構造物を破壊・炎上する為に用いられた。大鉄砲は[[大筒]]や[[石火矢]]との定義が明確に区別されていないため、しばしば三者が用語上混用される<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=仙台、相馬両藩の鉄砲ずらり 宮城・丸森に資料館オープン |url=https://kahoku.news/articles/20220917khn000029.html |website=河北新報オンラインニュース |date=2022-09-18 |access-date=2022-09-19 |language=ja}}</ref>。傾向としては抱え大筒とも言われ、銃床とカラクリを用いた火縄銃の体裁を持つものを指すことが多い。射撃する場合、差火点火式・地上設置型である通常の大筒と異なり、反動は強烈であり、射手は射撃時に自ら転がることで反動を吸収する程であった。そのため命中の確実を期す場合は、地面に据えて[[擲弾筒]]のように撃ったり、射台に据えて用いた。 ; 狭間筒 : 通常の筒に比べ、弾丸重量のわりに銃身が長いものを指す。城や船舶の鉄砲[[狭間]]([[銃眼]])に依託して射撃する用途の筒。有効射程は2-300mに及ぶとされる<ref>[http://www.japaneseweapons.com/hinawajyu/shurui/index.htm JapaneseWeapons.net-火縄銃の種類とサイズ]</ref>。 <gallery widths="180px" heights="150px"> 10 monme Japanese matchlock and teppo bukuro.jpg|侍筒(十匁筒) Bajou zutsu.jpg|馬上筒 Bronze barreled Japanese matchlock pistol.jpg|短筒 Antique Japanese (samurai) tanegashima (matchlock) rifles 11.jpg|大鉄炮(五十匁筒) Antique Japanese (samurai) long tanegashima.jpg|狭間筒(一番下) </gallery> === 製作地・流派による分類 === [[ファイル:Himeji Oshiro Matsuri August09 075.jpg|thumb|250px|火縄銃を構える岡山城鉄砲隊の隊員。]] 主な違いとして、銃身の外形(丸、角筒)、肉厚、長さ、銃床の形状、カラクリ(内外カラクリ)、目当などがあげられる。以下に記するもの以外にも多数あり。 * 国友筒 * 堺筒 * 日野筒 * 備前筒 * 土佐筒 * 薩摩筒 * 仙台筒 など、上記は製作地名を冠したもの。 * 南蛮筒:海外より伝来した火縄銃を指す。それを手本に国内で製造されたものは'''異風筒'''と呼ばれる。 * 稲富筒:[[稲富祐直|稲富流]]の仕様に基づいて製作された鉄砲。 * 関流筒:[[関流砲術]]参照。 == 歴史としての火縄銃 == ; 現代の日本におけるデモンストレーション [[ファイル:Japanese_classic_rifle.ogv|thumb|250px|五匁火縄銃による模擬射撃。ひめじお城まつりにて撮影。]] 日本各地に鉄砲隊と称し、イベント時に火縄銃で空砲を撃つ団体が多数できた。これは伝承[[砲術]]によっているものであるが、日本では幕末[[明治維新|維新]]期に兵制・武器の西欧化が急速に行われたため、流派の直接伝承はすべていったん途絶えている。現存する流派は伝来した古文書などを解読して後世再興したものである。古式銃団体の性格は、 * [[伝書]]などに準拠し純歴史学的に再興したもの(但し1、2の流派で明治以降も祭礼等で細々と伝承されたものもある)。 * 地域に伝わった鉄炮衆などの由来に基づき地域の特色ある武術の再現として研究されたもの。 * それ以外のもの。 の3種が大まかに分類できる。 ;火縄銃による射撃競技 諸外国では火縄銃による射撃競技が盛んに行われ、また競技以外にも日本の鉄砲隊と同様、あるいはそれ以上無数と言ってよいほど多数の[[リエナクター]]によるボランティアインファントリー(義勇歩兵隊)が存在する。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、[[南北戦争]]を記念する行事でそれら歩兵隊等による大規模な南軍北軍の模擬戦闘が行われることがある。この場合、安全な現代ガンメーカーの手による[[レプリカ]]が多く使用される(日本のミロク社も米国等へレプリカの古式銃を輸出している)。同時に歴史的な前装大砲も大切に保存され、毎日空包発射をするものや、青年の体育訓練として野砲を分解して運搬する障害物レースを行い最後に組み立て空包装填して先に発射した方が勝ちという[[イベント]]などもある。 ===火縄銃射撃競技=== ====国際競技 ==== [[ヨーロッパ]]や[[北アメリカ|北米]]などでは盛んに火縄銃も含む[[マズルローダー]]射撃競技(前装銃射撃競技)がおこなわれている(日本からも世界選手権と環太平洋選手権大会に選手を派遣している)。日本国内では[[日本ライフル射撃協会]]傘下に日本前装銃射撃連盟があり、[[射撃]]競技が行なわれている。ただし[[銃砲刀剣類所持等取締法|銃刀法]]や火薬類取締法などに基づく各種規制があるため、競技人口は極めて少ない。しかし日本製の火縄銃は高精度に製造されており、制約の多い環境下ながら日本の選手は国際大会で上位入賞することも多く、欧米の多くの選手も火縄銃種目では日本製または日本型レプリカの火縄銃を使って参加している。[[アジア]]地域で国際前装銃連盟に加盟しているのは日本のみである。 日本でおこなわれる競技は以下の通りである。「種子島銃立射」と「種子島銃膝射」では、国際ルールと同じく射距離50メートルで「日本公式種子島標的(黒点径40cm)」を使用する。「中筒(侍筒)」では、同標的で十匁玉筒(10[[匁]]の重さの弾を使用する銃)を自由姿勢にて射撃する。「ベッテリー」は「フリーピストル標的」を使用する50メートル競技で、前装銃であれば銃種を問わない(火縄銃でなくても使用でき、千葉県ライフル射場で開催される競技会に限って行われる)。他、同標的で25メートル、短筒を片手撃ちで競う「短筒」が存在する。 ====日本独自の競技==== 日本独自の競技として、古式に則った、8寸角板に4寸黒丸の「和的(江戸時代規格の標的)」を狙い、27メートル(江戸時代は15[[間]])の距離で命中の優劣を競う「古式勝ち抜き」及び、5分間に10発撃つ「早撃ち」がある。 火縄銃の実弾射撃は指定された射撃場でしか認められない。2005年(平成17年)現在、公営射撃場としては[[神奈川県]][[伊勢原市]]の[[神奈川県立伊勢原射撃場|県営伊勢原射撃場]]、[[千葉市]][[若葉区]]の千葉県総合スポーツセンター射撃場、[[和歌山県]][[海南市]]の和歌山県営射場、の以上3ヶ所(また他にも私立の射場で可能な所がある。その他、茨城県営真壁ライフル射撃場は、法制上では火縄銃の射撃が認められている。ただし射場管理者が火縄銃の使用を断っているため使用できない) == 所持と分類 == 銃刀法に定める範囲の古式銃の所持は、現代銃と異なり属人的な免許・許可ではなく、属物的な登録制で、登録は[[都道府県]][[教育委員会]]の所管(かつては[[文化財保護委員会]]であった)である。登録は[[日本刀]]などと同じく銃に対してなされ、登録を受けた銃器は誰でも所持・所有できるが、実際に実弾・空包の発砲及び火薬の入手所持消費に関しては、その都度(実弾射撃を許可された者は、火薬購入については1年間、また消費は6ヶ月間限定の)所轄の[[警察署]]を通じて[[公安委員会]]の別途の許可を受ける必要がある。 古式銃とは主に前装式銃砲のことを言うが、初期の後装銃も[[佐賀藩]]の主力銃であったスペンサー銃(のちに[[ウィンチェスター・リピーティングアームズ|ウインチェスター銃]]の祖形となった)をはじめ、[[普仏戦争]]の主要銃であった[[シャスポー銃]](後に村田式の開発の淵源となった)や[[ドライゼ銃]](ツンナール)など類種のものも相当数輸入されていた。ただこれらは維新後に訓練銃などとして使用されたり、外国に売却されたりして、現在国内残存数は比較的少ない。日本の法律では現在のところ、古式銃とは[[1867年]]の時点で国内に存在したことが個別に証明できた国産または外国製の歴史遺物銃器の実物である(したがって実物に忠実に作られたものであってもレプリカは認められない。これは古式銃の登録制度が歴史史料及びその美術価値の保存を目的としていて、射撃に使用することを想定して制定されたものでないことによる)ということになっている。ただし真正の古式銃であっても[[明治]]以後に新式又は現代の弾薬が使用できるように改造されたもの、あるいは現用の弾薬(装弾)が使用できる可能性のあるもの(もっとも顕著な例は[[坂本龍馬]]が使用したと言われる[[スミス&ウェッソン|SW]]・Mk1、Mk2リボルバー)などは(現代銃に準ずる機能を有するもの)として登録審査時に排除され、したがって所有できないものがある。真正の歴史遺物の国産火縄銃であれば、たとえ外国から里帰りしたものであってもほとんどはそれらの問題は無い。競技用として、また空包用として使用されているものは国産火縄銃がほとんどで、すべて歴史遺物に限られる。 なお、国内で古式銃登録をされている火縄銃(即ち、火縄銃競技などで使用する目的で購入できる銃)は前述の通り1867年([[慶応]]3年)以前に製造された物とされているが、近年こうした古式銃の中に明治期以後から現在に掛けて贋作師によって違法に製造されたと思われる「贋物」の火縄銃が存在する事例が研究者やコレクターによって{{要出典|date=2022年3月|狩猟専門誌などに報告されている}}。 古式銃を展示している博物館として[[設楽原歴史資料館]]や[[関流砲術|金山城 伊達・相馬鉄砲館]]などがある<ref name=":0" />。イベントで空砲が撃てるように整備した銃を保管する場所としても機能している<ref name=":0" />。 == 慣用句 == ; 火蓋を切る : 「[[火蓋を切る]]」は、物事を開始するという意味で用いられる。由来には以下の説がある。 # 射撃を始めるにあたって、火蓋を切る( = あける)ことから<ref>[[広辞苑]]第五版、成語林(旺文社)による</ref>。 # 装填したあと火蓋を縛っておいた[[こより]]を戦闘の際に切る動作に由来する。 <!--;見当をつける、目当てがある : 照準器のうち照門や照尺のことを見当と言い、照星を(さきのめあて)照門を(まえのめあて)と呼んだ。 : 「見当をつける」は、位置を見極めるという意味で用いられ、照準を定める動作から、位置を見極めることにひろがったと思われる。早い時期から木版印刷の複数の彫板の位置併せのマークを(見当)と呼ぶことに援用され、こちらの方が広く知られることになった。 : 「目当てがある」は、心積もりがあるという意味で用いられ、照準を合わせることで的に当たる期待、獲物に当たる期待が生じることから、期待できる状態を(目当てがある)(あてがある)と称する使われ方にひろがったと思われる。 : 「見当違い・見当はずれ・見当がつかない」も同義の否定的状態を示したものである。 ; 目星をつける、図星(ずぼし) : 「星」は我が国においては標識としての黒点の意味がある。江戸期以降火縄銃の射的に使用された木製の標的板の中央の黒点を「星」と呼ぶ習慣があった。また碁盤・将棋盤の位置見当のための黒点も「星」と呼ばれている。 : 「目星をつける」とは目視して中心となる事物を判別することで、標的の「星」を目視・確認する動作から来ている。「めぼしい」という形容詞もまたこれが由来である説がある。 : 「図星」とは「星を正確に指す」意味でこれも射的から生じた。 : 警察用語に「ホシ=容疑者」という隠語がある。古い刑事用語で(目星)の上略語とされ、古くには「ホシをつける=容疑者を推定する。ホシがつく=容疑が固まる」などの用法もあった<ref>隠語辞典・東京堂出版</ref>。 --> == 日本における火縄銃関連人物一覧 == === 鍛冶師(鉄砲鍛冶、銃匠、ガンスミス)=== * [[国友藤兵衛能當]]、[[国友丹波大堟橘宗俊]]、[[国友善兵衛]]:[[長浜市|長浜]] * [[芝辻清右衛門]]([[芝辻仙斎]]):[[雑賀崎|雑賀]] * [[八板金兵衛]]([[八板清定]]):[[鹿児島市|鹿児島]] * [[和田治太夫]]、[[和田太一郎]]:[[日野町 (滋賀県)|日野]] * [[国友丈右エ門久義]]:二本松 === 砲術家 === * [[田付景澄]]:[[田付流]] * [[稲富一夢]]:[[稲富流]] * [[杉之坊照算]]([[自由斎]]):[[自由斎流]] * [[津田算長]]:[[津田流]] * [[井上正継]]:[[外記流]] * [[唐人親広]]:[[岸和田流]] * [[柘植清広]]:[[威風流]](柘植流) === 鉄砲隊 === <!--鉄砲隊は何のリストか説明文を--> {{Col-begin}} {{Col-5}} * [[明智光秀]] * [[岡吉正]] * [[織田信長]] {{Col-5}} * [[鈴木孫一|雑賀孫一]] * [[杉谷善住坊]] * [[鈴木重意]](鈴木佐大夫) {{Col-5}} * [[鈴木重秀]] * [[鈴木重兼]] * [[鈴木重朝]] {{Col-5}} * [[滝川一益]] * [[種子島時尭]] * [[種子島久時]] {{Col-5}} * [[伊達政宗]] * [[土居清良]] * [[橋本一巴]] * [[田公高家]] * [[妻鳥采女]] {{Col-end}} ==登場作品 == {{main|種子島銃に関連する作品の一覧}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 参考文献 == * {{citation|author=[[西ヶ谷恭弘]]|year=1995|month=12|chapter=日本人が完成させた火縄銃|title=歴史と旅 平成7年12月号|publisher=[[秋田書店]]|ref=西ヶ谷}} *{{Cite book ja-jp|author = ノエル・ペリン|translator = 川勝平太|year = 1991年(平成2年)|title = 鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮|publisher = [[中央公論社]]|origyear =1984|isbn = 978-4122018006 |asin = 4122018005|ref = sennen}} * {{citation |author=歴史群像| year = 2005 | chapter = 鉄砲 異国より伝来し戦場を一変させた飛び道具の革命 | title = 決定版 図説・日本武器集成 | publisher = [[学習研究社]] | isbn = 4-05-604040-0 |ref=歴史群像}} - 当該部は協力・日本前装銃射撃連盟会長 小野尾正治。 <!-- == 関連図書 == {{参照方法|date=2022年9月|section=1}} * [[鈴木眞哉]]『鉄砲隊と騎馬軍団』真説・長篠合戦 新書y086、[[洋泉社]] ISBN 4-89691-727-8 * 鈴木眞哉『鉄砲と日本人』ちくま学芸文庫、[[筑摩書房]] ISBN 4-480-08576-9 * [[洞富雄]]『鉄砲・伝来とその影響』、[[思文閣]] ISBN 4-7842-0657-4 * [[名和弓雄]]『絵で見る時代考証百科1火縄銃他』[[新人物往来社]] * 名和弓雄、『長篠・設楽が原合戦の真実』、[[雄山閣出版]] ISBN 4-639-01540-2 * [[須川薫雄]]『日本の火縄銃 (1)』、光芸出版 ISBN 4-7694-0084-5 * 須川薫雄『日本の火縄銃 (2)』、光芸出版 ISBN 4-7694-0093-4 * 須川薫雄『日本の火縄銃 (3)』、電子版 [http://www.日本の武器兵器.jp/ www.日本の武器兵器.jp] * 湯次行孝『国友鉄炮の歴史』、サンライズ ISBN 4-88721-429-4 * [[安斎実]]『砲術家の生活』、雄山閣 ISBN 4-639-00892-9 * 安斎実『砲術図説』、日本ライフル射撃協会 * [[宇田川武久]]『江戸の炮術』、[[東洋書林]] ISBN 4-88721-429-4 * 宇田川武久『鉄炮伝来』兵器が語る近世の誕生 [[中公新書]]、[[中央公論社]] ISBN 4121009622 * 宇田川武久『鉄砲と石火矢』日本の美術第390号、[[至文堂]] ISBN 4-7843-3390-8 * 宇田川武久『鉄砲と戦国合戦』、[[吉川弘文館]] ISBN 4-642-05546-0 * 宇田川武久『真説 鉄砲伝来』、平凡社 ISBN 978-4582853469 * 種子島開発センター『鉄砲伝来前後』、[[有斐閣]] ISBN 4-641-19902-7 * 平山武章『鉄砲伝来記』、八重垣書房 * 岩堂憲人『世界銃砲史(上)』、[[国書刊行会]] * 岩堂憲人『世界銃砲史(下)』、国書刊行会 ISBN 4-336-03765-5 * 佐々木稔編、『火縄銃の伝来と技術』、吉川弘文館 ISBN 4642033831 * 所荘吉編『中島流炮術管き録(江戸科学叢書)』、恒和出版 * 所荘吉『火縄銃』、雄山閣 ISBN 4-639-00800-7 * 所荘吉『図解古銃事典』、雄山閣出版 ISBN 4-639-00641-1 * 奥村正二『火縄銃から黒船まで』 [[岩波新書]]G63、[[岩波書店]] ISBN 4-00-416063-4 * ノエル・ペリン『鉄炮を捨てた日本人』、[[紀伊国屋書店]] ISBN 4-314-00432-0 * 津野瀬光男『銃器火薬実用事典』、狩猟界社 3575-3063 ISBN 4915091023 * 正野雄三編『日野鉄砲』、日野町歴史民俗資料館「近江日野商人館」 * 鉄砲と日本人―「鉄砲神話」が隠してきたこと 洋泉社 ISBN 978-4896912760 * 逆説の日本史〈9〉戦国野望編―鉄砲伝来と倭寇の謎 小学館 ISBN 978-4093794206 * 雑賀孫市―信長と戦った鉄砲大将 PHP研究所 ISBN 978-4569570174 * 戦国鉄砲・傭兵隊―天下人に逆らった紀州雑賀衆 平凡社 ISBN 978-4582852363 * 佐山二郎『小銃 拳銃 機関銃入門』光人社NF文庫、2008年。ISBN 978-4-7698-2284-4 * ドイツ中世の日常生活、刀水書店、ISBN 4-88708-179-0 * 温州文献双書、上海社会科学学院出版社、ISBN 7-80681-840-5 * 国際出版 別冊[[Gun (雑誌)|GUN]]『素晴らしいGUNの世界』 昭和56年(1981年)1月1日。 --> == 関連項目 == * [[鉄砲伝来]] * [[武器]] * [[マスケット銃]] * [[チョハ]] - コーカサスの民族服であり軍服。火縄銃用の弾薬類を納めるポケットを持つ。 *[[設楽原歴史資料館]] == 外部リンク == {{Commonscat}} * [http://www.fhaj.jp 日本銃砲史学会] * [http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hiboko/tutu.html 種子島=火縄銃] * [http://www7b.biglobe.ne.jp/~houjyou/mukashi0101.html 骨董・古美術品の研究・修理 火縄銃の研究] * [http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/kikaku/hinawa/index2.htm 千葉県立博物館のデジタルミュージアム 火縄銃] * [http://www.日本の武器兵器.jp/part1/{{urlencode:火縄銃}} 日本の武器兵器 火縄銃] * {{NHK for School clip|D0005310070_00000|火縄銃}} * [http://www.mlaic.org/ Muzzle Loaders Associations International Committee] - M.L.A.I.C.(前装銃射撃競技の国際団体) {{小火器}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひなわしゆう}} [[Category:火縄銃|*]] [[Category:小火器の種類]] [[Category:射撃]] [[Category:戦国時代 (日本)]] [[Category:南蛮文化]] [[Category:銃の構造・部品]] [[category:兵器の歴史]]
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鉄砲伝来
鉄砲伝来()とは、16世紀にヨーロッパから東アジアへ火縄銃(鉄砲、鐵炮)が伝わったこと、狭義には日本の種子島(当時大隅国、現鹿児島県)に伝来した事件を指す。現物の火縄銃のほか、製造技術や射撃法なども伝わった。年代については諸説ある。 『鉄炮記』によれば、天文12年(1543年)8月25日、大隅国の種子島、西村の小浦(現・前之浜)に一艘の船が漂着した。100人余りの乗客の誰とも言葉が通じなかったが、西村時貫(織部丞)はこの船に乗っていた明の儒者・五峯と筆談してある程度の事情がわかったので、この船を島主・種子島時堯の居城がある赤尾木まで曳航するように取り計らった。 船は8月27日に赤尾木に入港した。時堯が改めて法華宗の僧・住乗院に命じて五峯と筆談を行わせたところ、この船に異国の商人の代表者が2人いて、それぞれ牟良叔舎(フランシスコ)、喜利志多佗孟太(キリシタ・ダ・モッタ)という名だった。時堯は2人が実演した火縄銃2挺を買い求め、家臣の篠川小四郎に火薬の調合を学ばせた。時堯が射撃の技術に習熟したころ、紀伊国根来寺の杉坊某もこの銃を求めたので、津田監物に1挺持たせて送り出した。さらに残った1挺を複製するべく金兵衛尉清定ら刀鍛冶を集め、新たに数十挺を作った。また、堺からは橘屋又三郎が銃の技術を得るために種子島へとやってきて、1、2年で殆どを学び取った。 なお、このころ平戸や五島列島を拠点に活動していた倭寇の頭領・王直の号は五峰という。山冠の「峯」は山偏の「峰」の異体字であり(山部)、『鉄炮記』で筆談相手となった明の儒者・「五峯」の名は王直の号と同じである。 一方、アントニオ・ガルヴァオ(英語版)の著した『新旧世界発見記(葡: Tratado dos Descobrimentos, antigos e modernos)』には、『鉄炮記』の記述の前年にあたる1542年に、フランシスコとダ・モッタが日本に漂着したと書かれている。 このほか、ジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』にも1542年、フェルナン・メンデス・ピントの『東洋遍歴記』は1544年の主張があり、伝来に関して言及が見られる代表的な史料としては以下のものがある。 上記の他にも鄭瞬功が記した『日本一鑑』(1565年)や、ジョヴァンニ・ピエトロ・マッフェイ(イタリア語版)が記した『中国情報』(1582年)など、複数の史料に、鉄砲伝来及び日本列島に関する言及が見られ、その年代は1541年から1544年の間とされている。 これらの史料はいずれも発見の当事者ではなく、伝聞によって間接的に得た情報を元に後年になって記されたものであり、確定し得るものではないが、後年の歴史家によってさまざまな検証・考証がなされ、坪井九馬三が著書『鉄砲伝来考』(1892年)で『鉄炮記』の説を採用し、1946年にゲオルグ・シュールハーメルらが『鉄炮記』説を支持したことから今日の1543年に落ち着いた。現代において、この年代を見直す動きはあるものの、当時の欧州人の東アジア進出の速度を鑑みた場合、この時代に日本列島がヨーロッパ人によって発見されるのは必然であり、今後新しい史料によりその年代に差異が生じたとしても、それが近代史に与えた画期的意義に差異は生じないことなどから、大きな論争には至っていない。 ヨーロッパでは、マルコ・ポーロが『東方見聞録』で「黄金の国ジパング」という名で日本国の存在を伝えて以降、その未知の島は旧来のヨーロッパに伝わる宝島伝説と結び付けられ、多くの人の関心を惹きつけた。しかし、この東洋の未知の島はその後約250年に渡って未知の島であり続け、天文年間にポルトガル人によってその発見が成されるまで、ヨーロッパで発行される世界地図や地球儀の太平洋上をあちらこちらへと浮動しながら描かれた。 中国で宋代に生まれた火器はトルコ・イラン系の火薬帝国や欧州へと広まり、各地の戦争で大量に使用された。東アジアでは、この火器普及の第一の波の影響で、先進的な火器を持つ大陸アジア(アッサム・東南アジア北部・明清中国・朝鮮)が海域アジア(低地ビルマ・アユタヤ・コーチシナ・南ヴェトナム・台湾・日本)を優越し封じ込めていた。大陸アジアである明が海洋アジアであるベトナムの胡朝を滅亡させた第四次北属期や、東南アジア諸国へと遠征した鄭和の大航海もこの時期であり、いずれも火器が重要な役割を果たした。ところが、大航海時代に入って海域アジアにはヨーロッパ、とりわけポルトガルからより先進的な火器がもたらされ、軍事的な優劣が逆転した。日本への鉄砲伝来は東アジアにおける火器普及の第二の波の時期に相当し、海域アジアでは戦乱が激化する一方で、例えば豊臣秀吉が朝鮮出兵するなど、大陸アジアへの侵攻を可能とするほどの軍事力を持つことになった。 実戦での最初の使用は、薩摩国の島津氏家臣の伊集院忠朗による大隅国の加治木城攻めであるとされる。 遅くとも天文18年(1549年)までに、種子島の本源寺から堺の顕本寺に鉄砲が届けられており、当時、足利幕府の管領だった細川晴元が、鉄砲献上に対する礼状を、両寺を仲介した法華宗の総本山である本能寺に宛てて出している(『本能寺文書』)。さらに、『言継卿記』の天文19年7月14日(1550年8月26日)には、京の東山で行われた細川晴元と三好長慶の戦闘(中尾城の戦い)で、銃撃により三好側に戦死者が出たことが記されている。 鉄砲伝来はねじの技術も日本にもたらしたとする通説がある。それまで日本ではねじは知られていなかったが、鉄砲の後ろの銃身を塞ぐ部品におねじ(ボルト)とめねじ(ナット)が使われており、八板金兵衛清定がこれを複製したのが日本におけるねじの使用の始まりであるとされる。鉄砲製造とそれに必要なねじの技術を学んだ。ねじは鉄砲の部品以外に日本の工業技術では広まらず、幕末の文明開化でようやく普及した。 種子島以前の鉄砲伝来については長沼賢海の鉄砲研究をはじめ、諸説ある。長沼は『日本文化史之研究』(教育研究会、1937年)をはじめとする重要な研究を残したが、現在九州大学に保存される蒐集史料(写本)「神器秘訣」「菅流大蜂窼」「鳥銃記」「異艟舩法火攻泉之巻」といった砲術書の研究は今後の課題である。 長沼は海外文化の「消化」「征服」を「国民性」「民族性」とする日本人が積極的に鉄砲を導入しなかったはずがないという前提のもとに、火薬の爆発力で何らかの物体をとばす器械をすべて「鉄砲」とみなしたうえで(鉄砲=小銃とする一般的理解とは異なる)、「天文以前」(1543年以前)に中国―琉球ルートおよび朝鮮ルートで中国式銃・朝鮮式銃が伝来したことを主張した。また、「鉄砲記」の記述の信頼性を批判し、西洋式小銃の伝来経路が種子島だけではないことを主張した。長沼のこうした見解には批判もあったが、「天文以前東アジア式火器伝来説」には支持者もいる。 東アジアから東南アジアにおいて、15世紀には中国の明が海禁政策を行い、また日本の室町幕府との日明貿易(勘合貿易)が途絶した事などにより倭寇(後期倭寇)による私貿易、密貿易が活発になっていた。日本や琉球王国においても原始的な火器は使用されていて、火器は倭寇勢力等により日本へも持ち込まれていた可能性を指摘するむきも多い。 ほかにも、鉄砲の伝来は、初期の火縄銃の形式が東南アジアの加圧式火鋏を持った鳥銃に似ている事や東南アジアにおいても先行して火縄銃が使われていた事などから、種子島への鉄砲伝来に代表されるようなヨーロッパからの直接経由でなく倭寇などの密貿易によって東南アジア方面から持ち込まれたとする宇田川武久らの説がある。しかし欧米や日本の研究者の中には、欧州の瞬発式メカが日本に伝えられて改良発展したものが、オランダによって日本から買い付けられて東南アジアに輸出され、それらが手本となって日本式の機構が東南アジアに広まったとする説をとる者も少なくなく、宇田川説を否定的にみる意見も多い。 また、荒木和憲は、「鉄砲伝来の「第一波」が1542年または1543年の種子島へのマラッカ銃(アルケブス銃)の伝来であることはたしかであるが、そのあとに「第二波」「第三波」・・・がそのほかの地域(とくに九州地方)におしよせたのではないか。たしかに種子島へのマラッカ銃の伝来とその国産化があたえた歴史的なインパクトとはくらべるべくもないのであるが、さまざまな種類の銃がたんなる商品の輸入というかたちで伝来していた可能性はある」との見解を提出している。 カリフォルニア州立大学の孫来臣 (Laichen Sun) は、およそ1390年から1683年にかけて、東アジアで「火器の時代」があったことを論じている。火器の時代が始まったとされる1390年には、中国の火器技術はすでに朝鮮や、東南アジア北部に伝播し、また鄭和の遠征により、東南アジア海域部にも拡散したという。アジアにおける中国による最初の火器技術の波は、改良されたヨーロッパの火器技術がアジアに広がり、ヨーロッパによる第二の技術波及が始まった、16世紀初頭まで続いた。この時代には、中国由来の火器がアジア史において重要な役割をはたし、全般的な趨勢としては、大陸アジア(中国・朝鮮・東南アジア北部)が、海洋アジア(日本・台湾・チャンパ・東南アジア海域部)を押さえ込んでいた。 『北条五代記』に、関八州に鉄炮はじまる事、という記述がある。ここでは、1510年(永正7年)に唐(中国)から渡来したという。 大久保忠教の『三河物語』では、松平清康が、熊谷実長が城へ押し寄せた際に、四方鉄砲を打ち込むと記載されている。1530年(享禄3年)のこととされる。また、今川殿の名代として、北条早雲が松平方の西三河の岩津城を攻撃した際に、四方鉄砲を放つとある、出版社の欄外の解説には、この役は、1506年(永正3年)のことで、鉄砲はこのときないとして、『鉄炮記』の記述を支持している。
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鉄砲伝来とは、16世紀にヨーロッパから東アジアへ火縄銃(鉄砲、鐵炮)が伝わったこと、狭義には日本の種子島(当時大隅国、現鹿児島県)に伝来した事件を指す。現物の火縄銃のほか、製造技術や射撃法なども伝わった。年代については諸説ある。
{{読み仮名|'''鉄砲伝来'''|てっぽうでんらい}}とは、[[16世紀]]に[[ヨーロッパ]]から[[東アジア]]へ[[火縄銃]](鉄砲、鐵炮)が伝わったこと、狭義には[[日本]]の[[種子島]](当時[[大隅国]]、現[[鹿児島県]])に伝来した事件を指す。現物の火縄銃のほか、製造技術や射撃法なども伝わった。年代については諸説ある。 == 種子島への伝来 == [[ファイル:Tanegashima Tokitaka.JPG|thumb|upright|[[種子島時尭|種子島時堯]]の像([[西之表市]])]] === 『鉄炮記』の内容 === {{See also|鉄炮記}} 『[[鉄炮記]]』によれば、[[天文 (元号)|天文]]12年([[1543年]])[[8月25日 (旧暦)|8月25日]]、[[大隅国]]の種子島、西村の小浦(現・前之浜)に一艘の船が漂着した。100人余りの乗客の誰とも言葉が通じなかったが、[[西村時貫]](織部丞)はこの船に乗っていた[[明]]の[[儒者]]・五峯と[[筆談]]してある程度の事情がわかったので、この船を島主・[[種子島時尭|種子島時堯]]の居城がある[[赤尾木]]まで曳航するように取り計らった。 船は8月27日に赤尾木に入港した。時堯が改めて[[法華宗]]の僧・住乗院に命じて五峯と筆談を行わせたところ、この船に異国の商人の代表者が2人いて、それぞれ牟良叔舎(フランシスコ)、喜利志多佗孟太(キリシタ・ダ・モッタ)という名だった。時堯は2人が実演した火縄銃2挺を買い求め、家臣の篠川小四郎に火薬の調合を学ばせた。時堯が射撃の技術に習熟したころ、[[紀伊国]][[根来寺]]の[[津田妙算|杉坊某]]もこの銃を求めたので、[[津田算長|津田監物]]に1挺持たせて送り出した。さらに残った1挺を複製するべく[[八板金兵衛|金兵衛尉清定]]ら[[刀鍛冶]]を集め、新たに数十挺を作った。また、[[堺]]からは[[橘屋又三郎]]が銃の技術を得るために種子島へとやってきて、1、2年で殆どを学び取った<ref>{{Cite wikisource|title=鉄炮記|author=[[南浦文之]]|wslanguage=ja}}</ref>。 なお、このころ[[平戸]]や[[五島列島]]を拠点に活動していた[[倭寇]]の頭領・[[王直]]の号は[[五峰]]<ref>{{cite wikisource|wslanguage=zh|title=殊域周咨錄 卷二 日本國|wslink=殊域周咨錄/卷二|quote=先是王直者,徽州歙縣人。... 稱為'''五峰'''}}</ref>という。山冠の「[[wikt:峯|峯]]」は山偏の「[[wikt:峰|峰]]」の[[異体字]]であり([[山部]])、『鉄炮記』で筆談相手となった明の儒者・「五峯」の名は王直の号と同じである。 ===外国の記録と年代の整合性=== 一方、{{仮リンク|アントニオ・ガルヴァオ|en|António Galvão}}の著した『新旧世界発見記({{Lang-pt-short|Tratado dos Descobrimentos, antigos e modernos}})』には、『鉄炮記』の記述の前年にあたる[[1542年]]に、フランシスコとダ・モッタが日本に漂着したと書かれている。 {{quotation|{{pt|No anno de 1542 achandose Diogo de freytas no Reyno de Syam na cidade Dodra capitam de hũ nauio, lhe fogiram tres Portugueses em hũ junco q' hia pera a China, chamauãse Antonio da mota, Francisco zeimoto, & Antonio pexoto. Hindo se caminho p'a tomar porto na cidade de Liampo, q' está em trinta & tãtos graos daltura, lhe deu tal tormenta aa popa, q' os apartou da terra, & em poucos dias ao Leuãte viram hũa ylha em trinta & dous graos, a q' chamam os Japoes, que parecem ser aquelas Sipangas de que tanto falam as escripturas, & suas riquezas: & assi estas tambem tem ouro, & muyta prata, & outras riquezas.}}<br/> 西暦1542年、[[タイ王国|シャム]]王国のドドラに停泊していた船の船長・ディエゴ・デ・フレイタスの下から3人のポルトガル人が脱走し、[[ジャンク船]]で中国へと出航した。3人の名はアントニオ・ダ・モッタ、{{仮リンク|フランシスコ・ゼイモト|pt|Francisco Zeimoto}}とアントニオ・ペショトで、北緯30度あたりにある[[寧波]]に進路を取った。しかし、嵐に見舞われ陸から離れてしまったところ、北緯32度で東に島を見つけた。その名は日本であり、まさに物語で語られる富貴の島[[ジパング]](Sipangu)そのものであるらしく、金銀と豪華なものが溢れていた。|António Galvão<ref>{{Cite web |url= https://archive.org/details/discoveriesofwor00galvrich|title= The discoveries of the world, from their first original unto the year of Our Lord 1555|accessdate=2017-10-25}}</ref>}} このほか、[[ジョアン・ロドリゲス]]の『日本教会史』にも1542年、[[フェルナン・メンデス・ピント]]の『東洋遍歴記』は[[1544年]]の主張があり、伝来に関して言及が見られる代表的な史料としては以下のものがある。 {| class="wikitable sortable" style="font-size: small" |- ! 著者 !! 国 !! 著書 !! 言及年 !! 発行年 |- | {{仮リンク|アントニオ・ガルヴァオ|en|António Galvão}} || ポルトガル || 『新旧世界発見記』 || 1542年 || 1563年 |- | [[フェルナン・メンデス・ピント]] || ポルトガル || 『{{仮リンク|東洋遍歴記|pt|Peregrinação (livro)}}』 || 1544年 || 1614年 |- | [[ジョアン・ロドリゲス]] || ポルトガル || 『日本教会史』 || 1542年 || 1634年 |- | [[ディオゴ・デ・コート]] || ポルトガル || 『アジア誌』 || 1542年 || 1612年 |- | [[ガルシア・デ・エスカランテ・アルバラード]] || スペイン || 『ビーリャロボス艦隊報告』 || 1542年 || 1548年 |- | [[南浦文之]] || 日本 || 『[[鉄炮記]]』 || [[1543年]][[9月23日]] || 1606年 |} 上記の他にも[[鄭瞬功]]が記した『日本一鑑』(1565年)や、{{仮リンク|ジョヴァンニ・ピエトロ・マッフェイ|it|Giovanni Pietro Maffei}}が記した『中国情報』(1582年)など、複数の史料に、鉄砲伝来及び日本列島に関する言及が見られ、その年代は1541年から1544年の間とされている。 これらの史料はいずれも発見の当事者ではなく、伝聞によって間接的に得た情報を元に後年になって記されたものであり、確定し得るものではないが、後年の歴史家によってさまざまな検証・考証がなされ、[[坪井九馬三]]が著書『鉄砲伝来考』(1892年)で『鉄炮記』の説を採用し、1946年に[[ゲオルグ・シュールハーメル]]らが『鉄炮記』説を支持したことから今日の1543年に落ち着いた<ref name="iwao" /><ref>{{Cite journal |和書 |author=東光博英 |title=西欧人との出会い470 周年 |journal=GAIDAI BIBLIOTHECA 図書館報 |url=https://warp.ndl.go.jp/collections/content/info:ndljp/pid/12300016/www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl200/pdf/200-12.pdf |issue=200 |publisher=京都外国語大学付属図書館 |date=2013-04-01 |page=12 |issn=02852004 |ref=}}</ref>。現代において、この年代を見直す動きはあるものの、当時の欧州人の東アジア進出の速度を鑑みた場合、この時代に日本列島がヨーロッパ人によって発見されるのは必然であり、今後新しい史料によりその年代に差異が生じたとしても、それが近代史に与えた画期的意義に差異は生じないことなどから、大きな論争には至っていない<ref name="iwao" />。 [[File:ArquebusClipAndColor.jpg|thumb|[[愛知万博]]で展示された種子島の火縄銃]] ===ポルトガルから伝来したことの意義=== ヨーロッパでは、[[マルコ・ポーロ]]が『[[東方見聞録]]』で「黄金の国ジパング」という名で日本国の存在を伝えて以降、その未知の島は旧来のヨーロッパに伝わる宝島伝説と結び付けられ、多くの人の関心を惹きつけた。しかし、この東洋の未知の島はその後約250年に渡って未知の島であり続け、天文年間に[[ポルトガル人]]によってその発見が成されるまで、ヨーロッパで発行される世界地図や地球儀の太平洋上をあちらこちらへと浮動しながら描かれた<ref name="iwao">{{Cite book|和書|author=岩生成一|year=1966|title=日本の歴史14-鎖国|publisher=|isbn=4124002947|pages=6-16}}</ref>。 中国で[[宋代]]に生まれた[[火器]]はトルコ・イラン系の[[火薬帝国]]や欧州へと広まり、各地の戦争で大量に使用された。[[東アジア]]では、この火器普及の第一の波の影響で、先進的な火器を持つ大陸アジア(アッサム・東南アジア北部・明清中国・朝鮮)が海域アジア(低地ビルマ・アユタヤ・コーチシナ・南ヴェトナム・台湾・日本)を優越し封じ込めていた。大陸アジアである[[明]]が海洋アジアであるベトナムの[[胡朝]]を滅亡させた{{仮リンク|第四次北属期|en|Fourth Chinese domination of Vietnam}}や、東南アジア諸国へと遠征した[[鄭和の大航海]]もこの時期であり、いずれも火器が重要な役割を果たした。ところが、[[大航海時代]]に入って海域アジアにはヨーロッパ、とりわけポルトガルからより先進的な火器がもたらされ、軍事的な優劣が逆転した。日本への鉄砲伝来は東アジアにおける火器普及の第二の波の時期に相当し、海域アジアでは戦乱が激化する一方で、例えば[[豊臣秀吉]]が[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]するなど、大陸アジアへの侵攻を可能とするほどの軍事力を持つことになった<ref>{{Cite journal|和書|author=孫来臣, 中島楽章[訳] |date=2006-04 |url=https://doi.org/10.15017/25835 |title=東部アジアにおける火器の時代 : 1390-1683 |journal=九州大学東洋史論集 |ISSN=0286-5939 |publisher=九州大学文学部東洋史研究会 |volume=34 |pages=1-10 |doi=10.15017/25835 |id={{CRID|1390853649694113792}} |hdl=2324/25835 |naid=120005158709 |accessdate = 2023-06-26}}</ref>。 === 実戦での使用 === 実戦での最初の使用は、[[薩摩国]]の[[島津氏]]家臣の[[伊集院忠朗]]による大隅国の[[加治木城]]攻めであるとされる。 遅くとも天文18年([[1549年]])までに、種子島の[[本源寺 (西之表市)|本源寺]]から[[堺]]の[[顕本寺 (堺市)|顕本寺]]に鉄砲が届けられており、当時、[[足利幕府]]の[[管領]]だった[[細川晴元]]が、鉄砲献上に対する礼状を、両寺を仲介した[[法華宗]]の総本山である[[本能寺]]に宛てて出している(『本能寺文書』)<ref>{{Cite journal|和書|author=天野忠幸 |date=2004-09 |url=https://doi.org/10.24544/ocu.20171213-199 |title=大阪湾の港湾都市と三好政権 : 法華宗を媒介に |journal=都市文化研究 |ISSN=1348-3293 |publisher=大阪市立大学大学院文学研究科 : 都市文化研究センター |volume=4 |pages=87-97 |doi=10.24544/ocu.20171213-199 |id={{CRID|1390290699896278656}}}}</ref>。さらに、『[[言継卿記]]』の天文19年7月14日([[1550年]][[8月26日]])には、京の[[東山 (京都府)|東山]]で行われた細川晴元と[[三好長慶]]の戦闘([[中尾城の戦い]])で、銃撃により三好側に戦死者が出たことが記されている。{{Quotation|從[[一条通|一條]]至[[五条通|五條]]取出、[[細川晴元|細川右京兆]]人數[[足軽|足輕]]百人計出合、[[野伏]]有之、[[三好長虎|きう介]][[与力|與力]]一人鐵〓に當死、云々}} === ねじ === 鉄砲伝来は[[ねじ]]の技術も日本にもたらしたとする通説がある<ref>[https://www.onoue1950.co.jp/nejichishiki/nihontoneji/3118/ ねじが日本に初上陸!種子島の鉄砲伝来とともに…]<br />{{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.2355/tetsutohagane1955.66.3_430 |title=自動設計雑談/日本におけるねじの起源 |author=林 国一, 山本 晃 |journal=鉄と鋼 |year=1980 |volume=66 |issue=3 |pages=430-437 |doi=10.2355/tetsutohagane1955.66.3_430 |publisher=日本鉄鋼協会}}</ref>。それまで日本ではねじは知られていなかったが、鉄砲の後ろの銃身を塞ぐ部品におねじ(ボルト)とめねじ(ナット)が使われており、[[八板金兵衛]]清定がこれを複製したのが日本におけるねじの使用の始まりであるとされる。鉄砲製造とそれに必要なねじの技術を学んだ。ねじは鉄砲の部品以外に日本の工業技術では広まらず、幕末の文明開化でようやく普及した。 == 種子島以外に伝来していたとする説 == === 天文以前東アジア式火器伝来説 === 種子島以前の鉄砲伝来については[[長沼賢海]]の鉄砲研究をはじめ、諸説ある。長沼は『日本文化史之研究』(教育研究会、1937年)をはじめとする重要な研究を残したが、現在[[九州大学]]に保存される蒐集史料(写本)「神器秘訣」「菅流大蜂窼」「鳥銃記」「異艟舩法火攻泉之巻」といった砲術書の研究は今後の課題である<ref name="araki">荒木和憲「九州帝国大学教授長沼賢海氏の「鉄砲」研究―九州大学九州文化史研究所所蔵「長沼文庫」の紹介をかねて―」{{Cite web|和書|url=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9105289/www.l.u-tokyo.ac.jp/maritime/newsletter/20060117sympo.html |title= 第9回講演会「火器技術から見た海域アジア」 |accessdate=2023-07-15}}文部科学省特定領域研究:東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成、九州大学、2006年</ref>。 長沼は海外文化の「消化」「征服」を「国民性」「民族性」とする日本人が積極的に鉄砲を導入しなかったはずがないという前提のもとに、火薬の爆発力で何らかの物体をとばす器械をすべて「鉄砲」とみなしたうえで(鉄砲=小銃とする一般的理解とは異なる)、「天文以前」(1543年以前)に中国―琉球ルートおよび朝鮮ルートで中国式銃・朝鮮式銃が伝来したことを主張した。また、「鉄砲記」の記述の信頼性を批判し、西洋式小銃の伝来経路が種子島だけではないことを主張した。長沼のこうした見解には批判もあったが、「天文以前東アジア式火器伝来説」には支持者もいる<ref>[[春名徹]]ら。</ref>。 東アジアから[[東南アジア]]において、15世紀には中国の[[明]]が[[海禁]]政策を行い、また日本の[[室町幕府]]との[[日明貿易]](勘合貿易)が途絶した事などにより[[倭寇]](後期倭寇)による私貿易、密貿易が活発になっていた。日本や[[琉球王国]]においても原始的な火器は使用されていて、火器は倭寇勢力等により日本へも持ち込まれていた可能性を指摘するむきも多い。 ほかにも、鉄砲の伝来は、初期の火縄銃の形式が[[東南アジア]]の加圧式火鋏を持った[[鳥銃]]に似ている事や東南アジアにおいても先行して火縄銃が使われていた事などから、種子島への鉄砲伝来に代表されるようなヨーロッパからの直接経由でなく倭寇などの密貿易によって東南アジア方面から持ち込まれたとする[[宇田川武久]]らの説がある<ref>[[宇田川武久]]『真説鉄砲伝来』平凡社、2006年</ref>。しかし欧米や日本の研究者の中には、欧州の瞬発式メカが日本に伝えられて改良発展したものが、[[オランダ]]によって日本から買い付けられて東南アジアに輸出され、それらが手本となって日本式の機構が東南アジアに広まったとする説をとる者も少なくなく、宇田川説を否定的にみる意見も多い。 === 多重伝播説 === また、荒木和憲は、「鉄砲伝来の「第一波」が1542年または1543年の種子島へのマラッカ銃(アルケブス銃)の伝来であることはたしかであるが、そのあとに「第二波」「第三波」・・・がそのほかの地域(とくに九州地方)におしよせたのではないか。たしかに種子島へのマラッカ銃の伝来とその国産化があたえた歴史的なインパクトとはくらべるべくもないのであるが、さまざまな種類の銃がたんなる商品の輸入というかたちで伝来していた可能性はある」との見解を提出している<ref name="araki" />。 === 東アジアにおける「火器の時代」説 === [[カリフォルニア州立大学]]の孫来臣 (Laichen Sun) は、およそ1390年から1683年にかけて、東アジアで「火器の時代」があったことを論じている。火器の時代が始まったとされる1390年には、中国の火器技術はすでに朝鮮や、東南アジア北部に伝播し、また[[鄭和]]の遠征により、東南アジア海域部にも拡散したという。アジアにおける中国による最初の火器技術の波は、改良されたヨーロッパの火器技術がアジアに広がり、ヨーロッパによる第二の技術波及が始まった、16世紀初頭まで続いた。この時代には、中国由来の火器がアジア史において重要な役割をはたし、全般的な趨勢としては、大陸アジア(中国・朝鮮・東南アジア北部)が、海洋アジア(日本・台湾・チャンパ・東南アジア海域部)を押さえ込んでいた。 === 軍記物 === {{Wikisource|北条五代記/巻第三#三-三|北条五代記|原文「関八州に鉄炮はじまる事」}} 『北条五代記』に、[[関八州]]に鉄炮はじまる事、という記述がある。ここでは、[[1510年]](永正7年)に唐(中国)から渡来したという。 {{Quotation|見しは昔、相州小田原に玉瀧坊と云て年よりたる山伏有。愚老若き頃、其山臥物 語せられしは、我関東より毎年大峯へのぼる。[[享禄]]はじまる年、[[和泉国|和泉]]の[[堺]]へ下りしに、あらけなく鳴物の声する、是は何事ぞやととへば、鉄炮と云物、唐国より永正七年に初て渡りたると云て、目当とてうつ。我是を見、扨も不思議奇特 成物かなとおもひ、此鉄炮を一挺買て、関東へ持て下り、屋形[[北条氏綱|氏綱]]公へ進上す。(中略)[[北条氏康|氏康]]時代、堺より国康といふ鉄炮張りの名人をよび下し給ひぬ。扨又根来法師に、杉房・二王坊・岸和田などといふ者下りて、関東をかけまはつて鉄炮ををしへしが、今見れば人毎に持し、と申されし}} [[大久保忠教]]の『[[三河物語]]』では、[[松平清康]]が、[[熊谷実長]]が城へ押し寄せた際に、四方鉄砲を打ち込むと記載されている。[[1530年]](享禄3年)のこととされる。また、今川殿の名代として、[[北条早雲]]が松平方の西三河の[[岩津城]]を攻撃した際に、四方鉄砲を放つとある、出版社の欄外の解説には、この役は、[[1506年]](永正3年)のことで、鉄砲はこのときないとして、『鉄炮記』の記述を支持している。 == 脚注 == {{Reflist}} == 文献情報 == * {{Cite journal|和書|author=中島楽章 |date=2005-03 |url=https://doi.org/10.15017/3701 |title=ポルトガル人の日本初来航と東アジア海域交易 |journal=史淵 |ISSN=03869326 |publisher=九州大学大学院人文科学研究院 |volume=142 |pages=33-72 |doi=10.15017/3701 |hdl=2324/3701 |id={{CRID|1390009224835615488}} |naid=110006263242 |ref=harv}} * {{Cite journal|和書|author=久芳崇 |date=2006-09 |url=https://spc.jst.go.jp/cad/literatures/1127 |title=東アジア火器史研究の現状と課題- -ワークショップ「火器技術から見た海域アジア史」をめぐって |journal=満族史研究 |ISSN=13474669 |publisher=満族史研究会 |issue=5 |pages=131-136 |id={{CRID|1522825129696843264}} |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=佐々木稔 |title=火縄銃の伝来と技術 |publisher=吉川弘文館 |year=2003 |NCID=BA61630061 |ISBN=9784642033831 |url=https://id.ndl.go.jp/bib/000004081712 |id={{全国書誌番号|20392082}} |ref=harv}} == 関連作品 == *映画「[[鉄砲伝来記]]」(1968年(昭和43年)[[大映]]、監督:[[森一生]]) == 関連項目 == *[[鉄炮記]] *[[南蛮貿易]] *[[倭寇]] *[[火縄銃]] *[[ねじ]] == 外部リンク == * {{NHK for School clip|D0005403060_00000|鉄砲伝来}} * [http://www.furusato-tanegashima.net/teppou/teppou-menu.html 鉄砲伝来ストーリー] {{デフォルトソート:てつほうてんらい}} [[Category:室町時代]] [[Category:室町時代の外国人|*てつほうてんらい]] [[Category:日本の戦国時代の事件]] [[Category:日本の軍事史]] [[Category:大航海時代]] [[Category:大隅諸島の歴史]] [[Category:日葡関係]] [[Category:南蛮文化]] [[Category:1543年の日本]] [[Category:火縄銃]]
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1534年
1534年(1534 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1534年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1534}} {{year-definition|1534}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲午]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天文 (元号)|天文]]3年 *** [[宝寿]]2年([[私年号]]) ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2194年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[嘉靖]]13年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[中宗 (朝鮮王)|中宗]]29年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3867年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[莫朝]] : [[大正 (莫朝)|大正]]5年 ** [[黎朝|後黎朝]] : [[元和 (黎朝)|元和]]2年 * [[仏滅紀元]] : 2076年 - 2077年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 940年 - 941年 * [[ユダヤ暦]] : 5294年 - 5295年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1534|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[8月15日]] - [[イグナチオ・デ・ロヨラ]]他7名によって[[イエズス会]]が結成。 * 11月 - [[国王至上法]]制定。[[イングランド国教会]]が成立。 * 第220代[[教皇|ローマ教皇]][[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウルス3世]]即位。 * [[デンマーク]]で[[伯爵戦争]]勃発(~[[1536年]]) == 誕生 == {{see also|Category:1534年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[6月3日]](天文3年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]])- [[細川幽斎]]<ref>{{Kotobank|細川幽斎}}</ref>、[[武将]]・[[歌人]](+ [[1610年]]) * [[6月23日]](天文3年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]) - [[織田信長]]{{要出典|date=2021-03}}、[[織田政権]]を率いた戦国大名(+[[1582年]]) == 死去 == {{see also|Category:1534年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1534}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1534ねん}} [[Category:1534年|*]]
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1582年
1582年(1582 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、平年。 ※10月4日(天正10年9月18日)まではユリウス暦による日付
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1582年は、西暦(グレゴリオ暦)による、平年。
{{年代ナビ|1582}} {{Year-definition|1582}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬午]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天正]]10年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2242年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[万暦]]10年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[宣祖]]15年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3915年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[莫朝]] : [[延成]]5年 ** [[黎朝|後黎朝]] : [[光興 (黎朝)|光興]]5年 * [[仏滅紀元]] : 2124年10月8日 - 2125年10月7日 * [[ヒジュラ暦]] : 989年12月6日 - 990年12月5日 * [[ユダヤ暦]] : 5342年5月8日 - 5343年4月6日 * [[ユリウス暦]] : 1582年1月1日 - 1582年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1582|表題=可視}} == できごと == * [[2月24日]] - 教皇[[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]が勅書「{{仮リンク|インテル・グラウィッシマス|en|Inter gravissimas}}(最も重大なる懸念の内に)」を出した。これは、[[グレゴリオ暦]]の導入を依頼、勧告もしくは推奨するものだった{{Sfn|クリスチャンソン|2018|p=58|ps=「グレゴリウス暦(インテル・グラウィッシマス)」}}。 * 10月4日 - 歴史学においてはこの日までを[[ユリウス暦]]で表記することが多く、[[Wikipedia:表記ガイド]]でもそれに従っている。 * [[10月15日]] - ユリウス暦に代わって[[グレゴリオ暦]]の使用が開始される。歴史学においてもこの日以降はグレゴリオ暦で表記することが多く、Wikipedia:表記ガイドでもそれに従っている。 === 日本 === ※[[10月4日]](天正10年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]])まではユリウス暦による日付 * [[1月24日]](天正10年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[安土城]]に諸将ら多数が参賀、人の重みで[[石垣]]が崩れ死者が出る。[[織田信長]]自ら見物料を取り、本丸・御幸(みゆき)の間などを一般公開。 * [[2月13日]](天正10年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[宇喜多秀家]]が[[宇喜多氏|宇喜多家]]の家督を相続する。 * [[2月20日]](天正10年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]) - [[天正遣欧少年使節]]が長崎を出航。 * [[2月25日]](天正10年[[2月3日 (旧暦)|2月3日]]) - 織田信長、武田攻めの陣触れ。 * [[3月24日]](天正10年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[佐久間盛政]]らが[[加賀一向一揆]]最後の拠点[[能美郡]]の山内庄([[鳥越城]])を制圧。 * [[4月3日]](天正10年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[武田勝頼]]らが自害し、[[武田氏|武田家]]が滅亡([[天目山の戦い]])。 * [[6月21日]](天正10年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - 織田信長が[[明智光秀]]に攻められ自害([[本能寺の変]])。 * [[7月2日]](天正10年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]が明智光秀を討つ([[山崎の戦い]])。 * [[7月4日]](天正10年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - 安土城炎上。 * [[7月5日]] - [[7月8日|8日]](天正10年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]] - [[6月19日 (旧暦)|19日]])- [[北条氏直]]・[[北条氏邦|氏邦]]が[[滝川一益]]を破る([[神流川の戦い]])。 * [[7月16日]](天正10年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]])- [[清洲会議]]。 * [[7月27日]](天正10年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]]) - 羽柴秀吉が[[山城国]]で指出[[検地]]に着手する。 * [[9月14日]](天正10年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[長宗我部元親]]が[[十河存保]]を破る([[中富川の戦い]])。 * [[9月27日]](天正10年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[柴田勝家]]が[[お市の方]]に織田信長の百日忌を京都の[[妙心寺]]で執行させる。 * [[11月10日]](天正10年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - 秀吉が[[大徳寺]]で織田信長の葬儀を執行。 == 誕生 == {{see also|Category:1582年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[小早川秀秋]]、[[岡山藩|岡山藩主]](+ [[1602年]]) == 死去 == {{see also|Category:1582年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月25日]](天正10年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[仁科盛信]]、[[武将]]、[[武田信玄]]の五男(* [[1557年]]) * [[4月3日]](天正10年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[武田勝頼]]、[[甲斐国|甲斐]]の武将・[[戦国大名]]、武田信玄の子(* [[1546年]]) * 4月3日(天正10年3月11日) - [[武田信勝]]、武田勝頼の嫡男(* [[1567年]]) * 4月3日(天正10年3月11日) - [[土屋昌恒]]、[[武田氏]]の家臣(* [[1556年]]) * [[4月16日]](天正10年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[小山田信茂]]、武田氏の家臣(* [[1539年]]) * [[4月25日]](天正10年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[快川紹喜]]、[[臨済宗]]の[[僧]](生年不詳) * [[6月21日]](天正10年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[織田信長]]{{要出典|date=2021-03}}、[[織田政権]]を率いた戦国大名(* [[1534年]]) * 6月21日(天正10年6月2日) - [[織田信忠]]、織田信長の嫡男(* [[1557年]]) * 6月21日(天正10年6月2日) - [[森成利|森蘭丸]]、織田信長の家臣(* [[1565年]]) * 6月21日(天正10年6月2日) - [[穴山信君]]、織田信長の家臣(* [[1541年]]) * [[6月23日]](天正10年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[清水宗治]]、[[備中国]][[高松城 (備中国)|高松城]]主(* [[1537年]]) * [[6月24日]](天正10年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]) - [[津田信澄]]、[[織田信行|織田信勝]]の子(* [[1555年]]) * [[7月2日]](天正10年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[明智光秀]]、戦国武将(* [[1528年]]) * [[7月4日]](天正10年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[明智秀満]]、明智光秀の重臣(* [[1537年]]) * [[7月6日]](天正10年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]) - [[斎藤利三]]、明智光秀の[[家老]](* [[1534年]]) * [[12月28日]](天正10年[[12月4日 (旧暦)|12月4日]]) - [[土岐頼芸]]、[[美濃国|美濃]]の[[守護大名]](* [[1502年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} === 注釈 === {{Notelist}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp |author={{仮リンク|スコット・クリスチャンソン|en|Scott Christianson}} |year=2018 |title=図説 世界を変えた100の文書 |publisher=創元社 |isbn=978-4-422-21530-3 |ref={{Sfnref|クリスチャンソン|2018}}}}<!-- 2018年6月20日第1版第1刷 発行 --> == 関連項目 == {{Commonscat|1582}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1582ねん}} [[Category:1582年|*]]
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1555年
1555年(1555 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1555年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1555}} {{year-definition|1555}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天文 (元号)|天文]]24年、[[弘治 (日本)|弘治]]元年10月23日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2215年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[嘉靖]]34年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[明宗 (朝鮮王)|明宗]]10年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3888年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[莫朝]] : [[光宝]]2年 ** [[黎朝|後黎朝]] : [[順平]]7年 * [[仏滅紀元]] : 2097年 - 2098年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 962年 - 963年 * [[ユダヤ暦]] : 5315年 - 5316年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1555|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[5月4日]] - [[ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]が出版 * [[5月29日]] - [[アマスィヤの講和|アマスィヤ条約]] * [[9月25日]] - [[アウクスブルクの和議]]が成立。神聖ローマ帝国がルター派を容認。 === 日本 === * [[5月10日]]([[天文 (元号)|天文]]24年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[織田信長]]が叔父の[[織田信光]]とともに[[織田信友]]の[[尾張国|尾張]][[清洲城]]を攻める。信友は殺害され、[[坂井大膳]]は[[今川義元]]のもとに逃れる。信長は尾張[[那古野城]]から清洲城に本拠を移す。 * [[8月6日]](天文24年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]) - [[武田信玄|武田晴信]]と[[上杉謙信|長尾景虎]]が[[犀川 (長野県)|犀川]]で激突する。([[川中島の戦い]](2回目)) * [[10月16日]]([[天文 (元号)|天文]]24年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[厳島の戦い]] * [[11月7日]](天文24年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]) - [[改元]]して[[弘治 (日本)|弘治]]元年 * [[11月28日]](弘治元年[[閏]][[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - 武田晴信と長尾景虎が今川義元の仲介で和睦が成立し、撤退する。 == 誕生 == {{see also|Category:1555年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月10日]](嘉靖34年[[1月19日 (旧暦)|1月19日]]) - [[董其昌]]、[[書家]]、[[画家]](+ [[1636年]]) * [[4月21日]] - [[ルドヴィコ・カラッチ]]、画家、[[版画家]](+ [[1619年]]) == 死去 == {{see also|Category:1555年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月10日]]([[天文 (元号)|天文]]24年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[織田信友]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[大名]]、[[尾張国|尾張]]下四郡の[[守護代]](* 生年不詳) * [[8月28日]]([[天文 (元号)|天文]]24年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]) - [[相良晴広]]、戦国時代の大名、[[肥後国|肥後]][[人吉城]]主(*[[1513年]]) * [[9月23日]](天文24年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[朝倉宗滴]]、戦国時代の[[武将]](* [[1477年]]) * [[10月16日]](天文24年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[陶晴賢]]、戦国時代の武将、[[周防国|周防]][[大内氏]]の[[重臣]](* [[1521年]]) * [[11月23日]](弘治元年[[10月10日 (旧暦)|閏10月10日]]) - [[太原雪斎]]、[[駿河国|駿河]]の[[禅僧]]で[[今川氏]]の家臣(*[[1496年]]) * [[12月12日]](弘治元年[[10月29日 (旧暦)|閏10月29日]]) - [[武野紹鴎|武野紹鷗]]、[[和泉国|堺]]の豪商で[[茶人]](*[[1502年]]) * [[12月18日]](弘治元年[[11月6日 (旧暦)|11月6日]]) - [[諏訪御料人]]、[[武田信玄]]の[[側室]]で[[武田勝頼]]の生母(* 生年不詳) <!--== 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1555}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1555ねん}} [[Category:1555年|*]]
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QuickTime
QuickTime(クイックタイム)は、かつてAppleが開発していたマルチメディア技術である。音楽、動画、画像、テキストデータなどを取り扱うことができる。 なお、Mac OS X v10.6に搭載されているQuickTime XはiOSのマルチメディア技術をベースに作られたもので、従来のQuickTimeとは基本的に別物のシステムである。詳細はQuickTime Xを参照。 後継技術は、AVFoundationである。 QuickTimeを広義の意味で使うと、マルチメディアの技術に加えて、メディアプレーヤーはQuickTime Player(旧Movie Player)、メディアデータの編集、変換、保存が行えるソフトウェアはQuickTime Player Pro(旧Movie Player Pro)も含まれる。なお、QuickTime Playerは無料で利用できるが、QuickTime Proにアップグレードする場合は有料となる。なおQuickTime本体は通常版、Proとも全く同等のモジュールベースであるため、自らプログラミングを行なえばPro相当の機能が使えるほか、macOSであればAppleScriptからも制限なく機能を利用できる。iLifeでも利用されている。ただし、無料配布であってもライセンス料が発生する特許技術(AACなど)に関しては、Proからでないと利用できない。 狭義の意味では冒頭で示した通り、技術そのものを指す。 QuickTime自体はライブラリであり、AppleのソフトウェアであるiTunesやFinal Cut Proといったマルチメディア系アプリケーションの動作の中核を担っている。その他、デジタルカメラやデジタルビデオカメラは、写真や動画の撮影や再生にQuickTimeを使用しているものも多い。QuickTimeのファイル(movコンテナ)は、トラックと呼ばれるレイヤー構造により、動画・音声のみならず、テキストトラック、チャプタトラックなどを含むことができるが、この構造はMPEG-4のファイルフォーマットであるMP4やJPEG 2000のファイルフォーマットであるJP2などに採用され、そのベースとなっている。 1991年12月2日、Macintoshを中心とした展示会であるMACWORLD EXPOで、当時のAppleのCEOジョン・スカリーの基調講演で発表される。同時にQuickTimeコーデックを採用したアプリケーションとして、Adobe Premiereも発表された。 1998年リリースのQuickTime 3ではストリーミング再生の機能を加え、1999年に登場したQuickTime 4からはMP3 フォーマットに対応したほか、QuickTime for Javaが加わり、Java アプリケーションからQuickTimeの機能を使えるようになった。2000年にリリースされたQuickTime 5では、Macromedia Flashのサポートを加えた。 2002年にリリースされたQuickTime 6以降、QuickTimeをもととした国際標準の採用により、よりオープンな規格へと方針を変更している。QuickTime 6ではMPEG-4が採用され、QuickTime 7ではH.264が新たに採用されており、圧縮効率でも標準化の側面でも大幅な進化を遂げている。また、QuickTime 6.3では3GPP、QuickTime 6.5では3GPP2に対応しており、かつての第三世代携帯電話向けコンテンツの標準ツールの一つであった。 Mac OS X v10.2への対応は、QuickTime 6.5.3まで、Mac OS X v10.3への対応はQuickTime 7.5まで、Mac OS X v10.4への対応はQuickTime 7.6.6までである。 macOS 10.15 CatalinaではQuickTime 7フレームワークと32ビットアプリケーションはサポートされないため、QuickTime Player 7を使用することはできない。 2016年4月、QuickTime Windows版のセキュリティアップデート提供が終了したことが明らかになった。2016年4月16日、米国コンピュータ緊急事態対策チーム (US-CERT) は、AppleによるQuickTime Windows版のセキュリティアップデート提供終了に伴うアンインストール推奨情報を発表した。2016年4月20日AppleはQuickTime 7 for Windowsのサポート終了を告知した。 尚、Windows 95への対応はQuickTime 5.0.5まで、Windows 98及びMeへの対応はQuickTime 6.5.2まで、Windows NT 4.0への対応はQuickTime 6.1まで、Windows 2000への対応はQuickTime 7.1.6までである。2015年、Windows XPに対してはQuickTime 7.7.6をもって対応終了となった。 macOSではClassic Mac OSから移植・整理されたAPI、Carbonで構築、提供されている。WindowsへのQuickTimeの移植は、幾重ものバージョンアップにともない混沌としていたQuickTimeライブラリのAPIが整理されたことで簡潔になり、移植に大きく貢献した。 QuickTimeは旧Mac OS系の技術であり、OPENSTEPのAPIの流れをくむCocoaでのオブジェクト指向プログラミングとの親和性が課題になっていたが、macOSでのプログラミングの幅を広げるため、QuickTime 7 よりCocoaでQuickTimeライブラリを参照するためのQuickTime Kit (QTKit) が提供されるようになった。これによりソフトウェア開発者は1行のコードも書くことなく、強力なCocoa APIでQuickTimeを利用できる。QTKit導入後はCarbonアプリケーションを含めてQTKitを利用することが推奨されていた。 Mac OS X v10.6で導入されたQuickTime XはCocoaベースで作られたものでQuickTimeとは異なる技術であるが、QTKitを使っている限りQuickTime XとQuickTime双方に同じAPIでアクセスでき、プログラマーは両者の違いを意識する必要はない。 特筆すべき点は、トラックによるファイル構造の柔軟性であり、movファイルといえど、ビデオトラックのみを含むもの、音声トラックのみを含むものといったものが作成可能な点である。例えば、既存のmovファイルにヒントトラックを追加するだけでストリーミング配信が可能になる。トラックは認識さえ出来れば、JPEGでもDivX、WMA、H.264(一部別途プラグイン)が含まれていても、同じコンテナ上で再生出来る。また、どんなコンテナであっても認識さえできれば同じコーデックで再生できる。 QuickTimeにおいてムービーの様々なトラックは、画像におけるレイヤーと同じように利用できる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "QuickTime(クイックタイム)は、かつてAppleが開発していたマルチメディア技術である。音楽、動画、画像、テキストデータなどを取り扱うことができる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "なお、Mac OS X v10.6に搭載されているQuickTime XはiOSのマルチメディア技術をベースに作られたもので、従来のQuickTimeとは基本的に別物のシステムである。詳細はQuickTime Xを参照。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "後継技術は、AVFoundationである。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "QuickTimeを広義の意味で使うと、マルチメディアの技術に加えて、メディアプレーヤーはQuickTime Player(旧Movie Player)、メディアデータの編集、変換、保存が行えるソフトウェアはQuickTime Player Pro(旧Movie Player Pro)も含まれる。なお、QuickTime Playerは無料で利用できるが、QuickTime Proにアップグレードする場合は有料となる。なおQuickTime本体は通常版、Proとも全く同等のモジュールベースであるため、自らプログラミングを行なえばPro相当の機能が使えるほか、macOSであればAppleScriptからも制限なく機能を利用できる。iLifeでも利用されている。ただし、無料配布であってもライセンス料が発生する特許技術(AACなど)に関しては、Proからでないと利用できない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "狭義の意味では冒頭で示した通り、技術そのものを指す。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "QuickTime自体はライブラリであり、AppleのソフトウェアであるiTunesやFinal Cut Proといったマルチメディア系アプリケーションの動作の中核を担っている。その他、デジタルカメラやデジタルビデオカメラは、写真や動画の撮影や再生にQuickTimeを使用しているものも多い。QuickTimeのファイル(movコンテナ)は、トラックと呼ばれるレイヤー構造により、動画・音声のみならず、テキストトラック、チャプタトラックなどを含むことができるが、この構造はMPEG-4のファイルフォーマットであるMP4やJPEG 2000のファイルフォーマットであるJP2などに採用され、そのベースとなっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1991年12月2日、Macintoshを中心とした展示会であるMACWORLD EXPOで、当時のAppleのCEOジョン・スカリーの基調講演で発表される。同時にQuickTimeコーデックを採用したアプリケーションとして、Adobe Premiereも発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1998年リリースのQuickTime 3ではストリーミング再生の機能を加え、1999年に登場したQuickTime 4からはMP3 フォーマットに対応したほか、QuickTime for Javaが加わり、Java アプリケーションからQuickTimeの機能を使えるようになった。2000年にリリースされたQuickTime 5では、Macromedia Flashのサポートを加えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2002年にリリースされたQuickTime 6以降、QuickTimeをもととした国際標準の採用により、よりオープンな規格へと方針を変更している。QuickTime 6ではMPEG-4が採用され、QuickTime 7ではH.264が新たに採用されており、圧縮効率でも標準化の側面でも大幅な進化を遂げている。また、QuickTime 6.3では3GPP、QuickTime 6.5では3GPP2に対応しており、かつての第三世代携帯電話向けコンテンツの標準ツールの一つであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "Mac OS X v10.2への対応は、QuickTime 6.5.3まで、Mac OS X v10.3への対応はQuickTime 7.5まで、Mac OS X v10.4への対応はQuickTime 7.6.6までである。", "title": "対応するOS" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "macOS 10.15 CatalinaではQuickTime 7フレームワークと32ビットアプリケーションはサポートされないため、QuickTime Player 7を使用することはできない。", "title": "対応するOS" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2016年4月、QuickTime Windows版のセキュリティアップデート提供が終了したことが明らかになった。2016年4月16日、米国コンピュータ緊急事態対策チーム (US-CERT) は、AppleによるQuickTime Windows版のセキュリティアップデート提供終了に伴うアンインストール推奨情報を発表した。2016年4月20日AppleはQuickTime 7 for Windowsのサポート終了を告知した。", "title": "対応するOS" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "尚、Windows 95への対応はQuickTime 5.0.5まで、Windows 98及びMeへの対応はQuickTime 6.5.2まで、Windows NT 4.0への対応はQuickTime 6.1まで、Windows 2000への対応はQuickTime 7.1.6までである。2015年、Windows XPに対してはQuickTime 7.7.6をもって対応終了となった。", "title": "対応するOS" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "macOSではClassic Mac OSから移植・整理されたAPI、Carbonで構築、提供されている。WindowsへのQuickTimeの移植は、幾重ものバージョンアップにともない混沌としていたQuickTimeライブラリのAPIが整理されたことで簡潔になり、移植に大きく貢献した。", "title": "API" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "QuickTimeは旧Mac OS系の技術であり、OPENSTEPのAPIの流れをくむCocoaでのオブジェクト指向プログラミングとの親和性が課題になっていたが、macOSでのプログラミングの幅を広げるため、QuickTime 7 よりCocoaでQuickTimeライブラリを参照するためのQuickTime Kit (QTKit) が提供されるようになった。これによりソフトウェア開発者は1行のコードも書くことなく、強力なCocoa APIでQuickTimeを利用できる。QTKit導入後はCarbonアプリケーションを含めてQTKitを利用することが推奨されていた。", "title": "API" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "Mac OS X v10.6で導入されたQuickTime XはCocoaベースで作られたものでQuickTimeとは異なる技術であるが、QTKitを使っている限りQuickTime XとQuickTime双方に同じAPIでアクセスでき、プログラマーは両者の違いを意識する必要はない。", "title": "API" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "特筆すべき点は、トラックによるファイル構造の柔軟性であり、movファイルといえど、ビデオトラックのみを含むもの、音声トラックのみを含むものといったものが作成可能な点である。例えば、既存のmovファイルにヒントトラックを追加するだけでストリーミング配信が可能になる。トラックは認識さえ出来れば、JPEGでもDivX、WMA、H.264(一部別途プラグイン)が含まれていても、同じコンテナ上で再生出来る。また、どんなコンテナであっても認識さえできれば同じコーデックで再生できる。", "title": "QuickTimeの特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "QuickTimeにおいてムービーの様々なトラックは、画像におけるレイヤーと同じように利用できる。", "title": "QuickTimeの特徴" } ]
QuickTime(クイックタイム)は、かつてAppleが開発していたマルチメディア技術である。音楽、動画、画像、テキストデータなどを取り扱うことができる。 なお、Mac OS X v10.6に搭載されているQuickTime XはiOSのマルチメディア技術をベースに作られたもので、従来のQuickTimeとは基本的に別物のシステムである。詳細はQuickTime Xを参照。 後継技術は、AVFoundationである。
{{出典の明記|date=2018年10月}} {{Infobox_Software | 名称 = QuickTime | ロゴ =[[File:QuickTime_Logo.svg|100px]] | 開発元 = [[Apple]] | discontinued = 終了 | 最新版 = macOS版7.6.6<ref>[https://support.apple.com/ja-jp/HT201288 Mac に QuickTime Player 7 をインストールする]</ref><br>Windows版7.7.9 | 最新版発表日 = {{Release_date|2016|01|07}}([[太平洋標準時|PST]]) | 対応OS = [[Mac OS X]] [[Mac OS X v10.6|v10.6.3]] / [[Mac OS X Lion|v10.7]]<br />[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]] / [[Microsoft Windows 7|7]] | 対応プラットフォーム = [[IA-32]] | サポート状況 = Windows版は終了<ref name="jvn2016win">{{Cite web|和書|url=http://jvn.jp/ta/JVNTA92371676/ |title=JVNTA#92371676: QuickTime for Windows に複数のヒープバッファオーバフローの脆弱性 |accessdate=2016-04-15}}</ref><ref name="AppleWinFin2016">{{Cite web|和書|author= |title=Apple、「QuickTime for Windows」のサポートを終了、アンインストールを推奨 |url=https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/753400.html |date=2016-04-15 |publisher=Internet Watch |accessdate=2016-4-15}}</ref><ref name="TA16-105A">{{Cite web|url=https://www.us-cert.gov/ncas/alerts/TA16-105A|language=en|title=Apple Ends Support for QuickTime for Windows; New Vulnerabilities Announced|date=2016-04-16|accessdate=2016-04-19}}{{en icon}}</ref><ref name="qt4win-eol">{{Cite web|和書|url=https://support.apple.com/ja-jp/HT201175|title=QuickTime 7 や QuickTime 7 Pro についてわからないことがある場合|date=2016-04-20|publisher=Apple|accessdate=2016-05-14|quote=Additional information / Apple では、QuickTime 7 for Windows のサポートを終了いたしました。}}</ref> | 種別 = [[マルチメディア]][[アプリケーションフレームワーク|フレームワーク]] | ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | 公式サイト = [http://www.apple.com/jp/quicktime/ Apple - QuickTime]| }} {{Infobox Software | 名称 = QuickTime Player | ロゴ = [[File:QuickTimeXlogo.png|100px]] | 開発者 = Apple | 最新版 = 10.6 | 対応OS = [[macOS Catalina]] | エンジン = [[AVFoundation]] | サポート状況 = 継続中 | ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | 公式サイト = [https://support.apple.com/ja-jp/guide/quicktime-player/welcome/mac QuickTime Player ユーザガイド] }} {{Infobox file format | name = QuickTime Movie | icon = | logo = | screenshot = | caption = | extension = .mov .qt | mime = video/quicktime | type code = MooV | uniform type = com.apple.quicktime-movie | magic = MOVImoov****mvhd<br />MOVImoov****cmov<br />MOVImdat | owner = [[Apple]] | genre = [[コンテナフォーマット|メディアコンテナ]] | container for = [[動画]]、[[音声]]、[[テキスト]] | contained by = | extended from = | extended to = | standard = }} '''QuickTime'''(クイックタイム)は、かつて[[Apple]]が開発していた[[マルチメディア]]技術である{{Sfn|中原|1997|p=135}}。[[音楽]]、[[動画]]、[[画像]]、[[テキスト]]データなどを取り扱うことができる。 なお、[[Mac OS X v10.6]]に搭載されている[[QuickTime X]]は[[iOS]]のマルチメディア技術をベースに作られたもので、従来のQuickTimeとは基本的に別物のシステムである。詳細は[[QuickTime X]]を参照。 後継技術は、[[AVFoundation]]である<ref>{{Cite web|title=Technical Note TN2300: Transitioning QTKit Code to AV Foundation|url=https://developer.apple.com/library/archive/technotes/tn2300/_index.html|website=developer.apple.com|accessdate=2020-01-22}}</ref>。 == 概要 == QuickTimeを広義の意味で使うと、マルチメディアの技術に加えて、メディアプレーヤーはQuickTime Player(旧Movie Player)、メディアデータの編集、変換、保存が行えるソフトウェアはQuickTime Player Pro(旧Movie Player Pro)も含まれる。なお、QuickTime Playerは無料で利用できるが、QuickTime Proにアップグレードする場合は有料となる。なおQuickTime本体は通常版、Proとも全く同等のモジュールベースであるため、自らプログラミングを行なえばPro相当の機能が使えるほか、[[macOS]]であれば[[AppleScript]]からも制限なく機能を利用できる。[[iLife]]でも利用されている。ただし、無料配布であってもライセンス料が発生する特許技術(AACなど)に関しては、Proからでないと利用できない。 狭義の意味では冒頭で示した通り、技術そのものを指す。 QuickTime自体は[[ライブラリ]]であり、Appleのソフトウェアである[[iTunes]]や[[Final Cut Pro]]といったマルチメディア系アプリケーションの動作の中核を担っている。その他、デジタルカメラやデジタルビデオカメラは、写真や動画の撮影や再生にQuickTimeを使用しているものも多い。QuickTimeのファイル([[コンテナフォーマット#マルチメディアコンテナ|movコンテナ]])は、トラックと呼ばれるレイヤー構造により、動画・音声のみならず、テキストトラック、チャプタトラックなどを含むことができるが、この構造は[[MPEG-4]]の[[ファイルフォーマット]]である[[MP4]]や[[JPEG 2000]]のファイルフォーマットであるJP2などに採用され、そのベースとなっている。 ==歴史== 1991年12月2日、[[Macintosh]]を中心とした展示会である[[Macworld|MACWORLD EXPO]]で、当時のAppleのCEO[[ジョン・スカリー]]の基調講演で発表される。同時にQuickTimeコーデックを採用したアプリケーションとして、[[Adobe Premiere]]も発表された。 1998年リリースのQuickTime 3では[[ストリーミング]]再生の機能を加え、1999年に登場したQuickTime 4からはMP3 フォーマットに対応したほか、QuickTime for Javaが加わり、[[Java]] アプリケーションからQuickTimeの機能を使えるようになった。2000年にリリースされたQuickTime 5では、[[Macromedia Flash]]のサポートを加えた。 2002年にリリースされたQuickTime 6以降、QuickTimeをもととした国際標準の採用により、よりオープンな規格へと方針を変更している。QuickTime 6では[[MPEG-4]]が採用され、QuickTime 7では[[H.264]]が新たに採用されており、[[圧縮効率]]でも標準化の側面でも大幅な進化を遂げている。また、QuickTime 6.3では[[3GPP]]、QuickTime 6.5では[[3GPP2]]に対応しており、かつての[[第三世代携帯電話]]向けコンテンツの標準ツールの一つであった。 == 対応するOS == [[Mac OS X v10.2]]への対応は、QuickTime 6.5.3<ref>[http://www.apple.com/jp/ftp-info/reference/quicktime653formacosx1028.html QuickTime 6.5.3 for Mac OS X 10.2.8]</ref>まで、[[Mac OS X v10.3]]への対応はQuickTime 7.5<ref>[http://www.apple.com/support/downloads/quicktime75forpanther.html QuickTime 7.5 for Panther]</ref>まで、[[Mac OS X v10.4]]への対応はQuickTime 7.6.6<ref>[http://support.apple.com/downloads/QuickTime_7_6_for_Tiger QuickTime 7.6 for Tiger]</ref>までである。 [[macOS Catalina|macOS 10.15 Catalina]]ではQuickTime 7フレームワークと32ビットアプリケーションはサポートされないため、QuickTime Player 7を使用することはできない。 2016年4月、QuickTime Windows版のセキュリティアップデート提供が終了したことが明らかになった<ref name="jvn2016win"/><ref name="AppleWinFin2016"/>。2016年4月16日、[[アメリカ合衆国国土安全保障省#情報分析および社会基盤(インフラ)の保護|米国コンピュータ緊急事態対策チーム]] (US-CERT) は、[[Apple]]によるQuickTime Windows版のセキュリティアップデート提供終了に伴うアンインストール推奨情報を発表した<ref name="TA16-105A" />。2016年4月20日[[Apple]]はQuickTime 7 for Windowsのサポート終了を告知した<ref name="qt4win-eol" /><ref>{{Cite news|url=https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/755761.html|title=Apple、QuickTime for Windowsのサポート終了を正式に告知していたことが判明|newspaper=INTERNET Watch|publisher=[[インプレス]]|date=2016/4/28|accessdate=2016-05-04}}</ref>。 尚、[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]への対応はQuickTime 5.0.5まで、[[Microsoft Windows 98|Windows 98]]及び[[Microsoft Windows Millennium Edition|Me]]への対応はQuickTime 6.5.2まで、[[Microsoft Windows NT 4.0|Windows NT 4.0]]への対応はQuickTime 6.1まで、[[Microsoft Windows 2000|Windows 2000]]への対応はQuickTime 7.1.6<ref>{{Cite web|url=http://www.apple.com/jp/ftp-info/reference/quicktime716forwindows.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110330161149/http://www.apple.com/jp/ftp-info/reference/quicktime716forwindows.html|archivedate=2011/03/30|title=QuickTime 7.1.6 for Windows|accessdate=2016-04-19}}</ref>までである。2015年、[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]に対してはQuickTime 7.7.6をもって対応終了となった。 == API == [[macOS]]では[[Classic Mac OS]]から移植・整理された[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]、[[Carbon (API)|Carbon]]で構築、提供されている。WindowsへのQuickTimeの移植は、幾重ものバージョンアップにともない混沌としていたQuickTimeライブラリのAPIが整理されたことで簡潔になり、移植に大きく貢献した。 QuickTimeは旧Mac OS系の技術であり、[[OPENSTEP]]のAPIの流れをくむ[[Cocoa (API)|Cocoa]]での[[オブジェクト指向プログラミング]]との親和性が課題になっていたが、macOSでのプログラミングの幅を広げるため、QuickTime 7 よりCocoaでQuickTimeライブラリを参照するための[[QuickTime Kit]] (QTKit) が提供されるようになった。これによりソフトウェア開発者は1行のコードも書くことなく、強力なCocoa APIでQuickTimeを利用できる。QTKit導入後はCarbonアプリケーションを含めてQTKitを利用することが推奨されていた。 Mac OS X v10.6で導入されたQuickTime XはCocoaベースで作られたものでQuickTimeとは異なる技術であるが、QTKitを使っている限りQuickTime XとQuickTime双方に同じAPIでアクセスでき、プログラマーは両者の違いを意識する必要はない。 == QuickTimeの特徴 == ; フォーマット : QuickTimeフォーマット(.mov)やMP4フォーマットのほか、[[Audio Video Interleave|AVI]]フォーマットや[[Adobe Flash]]も再生できる。ただし、[[コーデック]]によっては互換性がなく、プラグインが別途必要になる場合がある。 ; グラフィック : [[JPEG 2000]]や[[Tagged Image File Format|TIFF]]、[[Portable Network Graphics|PNG]]など、最新のフォーマットをサポート。[[Adobe Photoshop|Photoshop]]のレイヤーも読み込める。 ; オーディオ : [[MP3]]、[[AAC]]や[[Apple Lossless]]の採用によりさらに高音質・高圧縮を実現。 ; ムービー : [[H.261]]、[[H.263]]、[[MPEG-4]]、[[H.264]]、3GPP/3GPP2、[[Pixlet]]にも対応し、高画質ながらもコンパクトに保存。 : [[macOS High Sierra]]では、[[H.265|HEVC]]にも対応している<ref>{{Cite news|title=Apple 製のデバイスで HEIF/HEVC メディアを扱う|url=https://support.apple.com/ja-jp/HT207022|accessdate=2018-04-01|language=ja-JP|work=Apple Support}}</ref>。 ; 参照ムービー : ムービーのリンクと再生範囲を記録したものである。ムービーにおける[[ソフトリンク|エイリアス、ショートカット、シムリンク]]である。 ; ヒントトラック : [[QuickTime Streaming Server|QTSS]]でのストリーミングを行うためのトラック。[[パケット]]ごとの区切りを示す。おおよそ元ムービーの5~8割の容量になる。 ; インタラクティブ : ユーザーの操作に応答するインタラクティブなコンテンツを再生できる。 ; Virtual Reality(仮想現実) : {{仮リンク|QuickTime VR|en|QuickTime_VR}}により、360度パノラマムービーの作成/再生が可能。{{仮リンク|Cubic VR|en|QuickTime VR#Panoramas}}(360度パノラマだけでなく、上下方向の表示も可能)や{{仮リンク|Object VR|en|QuickTime_VR#Objects}}(立体物を周囲から見回すようなVRムービー)も構築可能。 ; モバイル : 3GPP、3GPP2の採用により、携帯電話とパソコン間でのマルチメディアコンテンツの相互通信を実現。[[EZムービー|AMC]]フォーマットも作成/再生可能。 ; インターネット : 無償のストリーミングサーバソフトウェア、'''QuickTime Streaming Server'''によりマルチメディアコンテンツを配信。'''QuickTime Broadcaster'''を用いれば、簡単に生中継を配信可能、'''QuickTime Streaming Server'''のオープンソース版である'''Darwin Streaming Server'''はLinux、[[Microsoft Windows|Windows]]などでも運用出来る。 ; 拡張性 : 拡張性があり、新しいファイルフォーマットにもすぐに対応する。QuickTimeコンポーネントを用いれば、[[MPEG-2]]や[[DivX]]、iPIX、[[On2VP3]]、[[ZyGoVideo]]、[[Windows Media Video|WMV]]などの再生・作成も可能。 ; クロスプラットフォーム : WindowsにもQuickTimeが提供されている。 ; [[AltiVec]]対応 : [[PowerPC]]版Mac OS Xでは、[[SIMD]]演算機能である'''Velocity Engine''' (AltiVec) に対応し、PowerPC G4/G5の能力を引き出すことができる。 ; [[ストリーミングSIMD拡張命令]] (SSE) 対応 : [[インテル]]版macOSでは、[[SIMD]]演算機能である'''SSE'''に対応し、Intel Core, Core 2の能力を引き出すことができる。 特筆すべき点は、トラックによるファイル構造の柔軟性であり、movファイルといえど、ビデオトラックのみを含むもの、音声トラックのみを含むものといったものが作成可能な点である。例えば、既存のmovファイルにヒントトラックを追加するだけでストリーミング配信が可能になる。トラックは認識さえ出来れば、JPEGでもDivX、WMA、H.264(一部別途プラグイン)が含まれていても、同じ[[コンテナフォーマット|コンテナ]]上で再生出来る。また、どんなコンテナであっても認識さえできれば同じコーデックで再生できる。 QuickTimeにおいてムービーの様々なトラックは、画像におけるレイヤーと同じように利用できる。 == QuickTime Playerの再生可能なファイル形式 == *音声ファイル:mp3, mov, aiff, wav .flac *動画ファイル:mov, avi, 3gpp, 3gpp2 *画像ファイル:jpeg == その他 == ; イースターエッグ : QuickTime をインストールしたマックを、コマンドキー、optionキー、Qキー、Tキーを押しながら立ち上げると、起動画面のアイコン列にQuickTimeが加わる瞬間、開発スタッフの写真がQuickTimeムービーで表示される{{Sfn|中原|1997|p=138}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === <references /> == 参考文献 == * {{Cite book|和書 | author= 中原晃司、梶浦正規著 | title= マッキントッシュ礼賛 | year=1997 | date=1997-6-1 | publisher=[[株式会社カットシステム]]|isbn = 4-906391-45-1|ref={{Sfnref|中原|1997}}}} == 関連項目 == * [[iTunes]] * [[H.264|H.264/MPEG-4 AVC]] * [[AAC]] * [[H.265|H.265/HEVC]] == 外部リンク == {{Commons|QuickTime}} * [http://www.apple.com/jp/quicktime/ Apple - QuickTime]:右隅の「QuickTimeを拡張する」からProのライセンスキーが購入可能。 {{MacOS}} {{圧縮フォーマット}} {{DEFAULTSORT:QuickTime}} [[Category:Appleのソフトウェア]] [[Category:Mac OS]] [[Category:動画ファイルフォーマット]] [[Category:メディアプレーヤーソフト]] [[Category:ソフトウェア開発キット]] [[Category:1991年のソフトウェア]]
2003-04-01T20:25:19Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/QuickTime
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アレルギー
アレルギー(独: Allergie)とは、免疫反応が特定の抗原に対して過剰に起こることをいう。過敏反応とも呼ばれる。免疫反応は、外来の異物(抗原)を排除するために働く、生体にとって不可欠な生理機能である。語源はギリシア語の allos(変わる)と ergon(力、反応)を組み合わせた造語で、疫を免れるはずの免疫反応が有害な反応に変わるという意味である。 アレルギーが起こる原因は解明されていないが、生活環境のほか、抗原に対する過剰な曝露、遺伝などが原因ではないかと考えられている。アレルギーを引き起こす環境由来抗原を特にアレルゲンと呼ぶ。ハウスダスト、ダニ、花粉、米、小麦、酵母、ゼラチンなど、実に様々なものがアレルゲンとなる。 喘息をはじめとするアレルギーの治療に関して、欧米の医師と日本の医師との認識の違いの大きさを指摘し、改善可能な点が多々残されていると主張する医師もいる。 自己免疫疾患はアレルギーと異なり、自己の持つ抗原に対して免疫反応が起こる疾患である。内因性のアレルゲンによるアレルギー反応が病態となっている点が異なるが、その仕組みは、ほぼ同じである。 医学の父と呼ばれるヒポクラテスが「牛乳が嘔吐、下痢、じんま疹を起こす」という言葉を残し、食物アレルギーついて記述がある。 戦後にアレルギーが増加した理由は工業化の大気汚染や人工的なスギの植林も影響している。 最近では先進国で患者が急増しており、日本における診療科目・標榜科のひとつとしてアレルギーを専門とするアレルギー科がある。 アレルギーは、その発生機序により大きく I から V 型に分類される。 IgEというタイプの免疫グロブリンが肥満細胞(マスト細胞)や好塩基球という白血球に結合し、そこに抗原が結合するとこれらの細胞がヒスタミン、セロトニンなどの生理活性物質を放出する。これにより、血管拡張や血管透過性亢進などが起こり、浮腫、掻痒などの症状があらわれる。この反応は抗原が体内に入るとすぐに生じ、即時型過敏と呼ばれ、アレルギー性鼻炎、気管支喘息、蕁麻疹等の症状を伴う。また、反応が激しく、全身性のものをアナフィラキシーと呼び、さらに急速な血圧低下によりショック状態を呈したものをアナフィラキシーショックという。また、この種のアレルギー症状は、10分前後で現れてくる。 代表的な疾患としては、蕁麻疹、PIE症候群、食物アレルギー、花粉症、アレルギー性鼻炎、気管支喘息、アトピー性皮膚炎、アナフィラキシーショックがあげられる。 IgGというタイプの免疫グロブリンが、抗原を有する自己の細胞に結合し、それを認識した白血球が細胞を破壊する反応である。代表的にはB型肝炎やC型肝炎などのウイルス性肝炎が挙げられる。ウイルスを体内から除去しようとする結果、肝細胞が破壊されるため症状を来している。ペニシリンアレルギーも、II型アレルギーの一種である。この種のアレルギーの有無は、クームス試験などの検査によって調べる。 代表的な疾患としては自己免疫性溶血性貧血(AIHA)、不適合輸血、特発性血小板減少性紫斑病(ITP)、悪性貧血、リウマチ熱、グッドパスチャー症候群、重症筋無力症、橋本病、円形脱毛症があげられる。 免疫反応により、抗原・抗体・補体などが互いに結合した免疫複合体が形成される。この免疫複合体が血流に乗って流れた先で、周囲の組織を傷害する反応である。免疫複合体の傷害する部位が限局的な部位にとどまる反応をアルサス型反応といい、全身にわたるものを血清病と呼ぶ。過敏性肺臓炎はアルサス型反応の、全身性エリテマトーデスや溶血性連鎖球菌感染後糸球体腎炎は血清病の代表例である。この種のアレルギーは、2~8時間で、発赤や浮腫となって現れる。 代表的な疾患としては血清病、全身性エリテマトーデス(ループス腎炎)、急性糸球体腎炎、関節リウマチ、過敏性肺臓炎、リウマチ性肺炎、多発性動脈炎、アレルギー性血管炎、シェーグレン症候群があげられる。 抗原と特異的に反応する感作T細胞によって起こる。抗原と反応した感作T細胞から、マクロファージを活性化する因子などの様々な生理活性物質が遊離し、周囲の組織傷害を起こす。薬物アレルギー、金属アレルギーなどがある。他のアレルギー反応がすべて液性免疫であるのに対し、IV型アレルギーだけは細胞性免疫がかかわり、リンパ球の集簇(しゅうそう、むらがってあつまること)・増殖・活性化などに時間が掛かるため、遅延型過敏症と呼ばれる。ツベルクリン反応、接触性皮膚炎などがある。この種のアレルギーの皮内反応は、24~48時間後、発赤、硬結となって現れる。 代表的な疾患としては接触性皮膚炎(いわゆる「ウルシかぶれ」は「アレルギー性接触皮膚炎」の一種である。)ツベルクリン反応、移植免疫、金属アレルギー、腫瘍免疫、シェーグレン症候群、感染アレルギー、薬剤性肺炎、ギラン・バレー症候群があげられる。 近年、免疫学の進歩により細胞性免疫によるIV型アレルギーも責任免疫細胞によって細分類されることがある。しかし細分類してもマネジメントは変化しない。 受容体に対する自己抗体が産生され、その自己抗体がリガンドと同様に受容体を刺激することで、細胞から物質が分泌され続けるために起こるアレルギー。基本的な機序はII型アレルギーと同じであり、刺激性という点だけが異なる。代表的疾患はバセドウ病。 遅延型過敏反応(delayed type)は上述の通り、感作T細胞から放出されたサイトカインにより誘発されるIV型アレルギー反応であり抗体に依存しないのに対し、遅発反応(late response)はアルゲン負荷後数時間を経てマスト細胞とIgE抗体に依存して誘発されるI型アレルギー反応である。 アレルギー疾患のマネージメントを行うには、アレルギー疾患の鑑別のための問診、アレルゲン曝露から発症までの時間経過、症状の持続時間、全身性に症状があるのか、局所のみなのか、既往歴や家族歴があるのかといった点に注目すると整理しやすいといわれている。 もしアレルギー疾患を疑うのならば、まずはI型アレルギーによるものかそれ以外(非I型アレルギー)によるものかを区別すると診断にたどり着きやすくなる。I型アレルギーによるものならば、即時型アレルギーといわれるようにアレルゲン曝露をしてから5分から90分以内に発症することが多いといわれている。I型アレルギーで特に救急医学で重要視されているのがアナフィラキシーショックである。重度のI型アレルギー反応においては早期のアドレナリン投与がもっとも重要であるといわれている。早期にボスミン0.3mgの筋注を行うことで死亡率の減少がみられるだけではなく、数時間後に起こるといわれている第二相反応の防止効果もあるといわれている。再発ともいえる第二相反応のリスクがあるために蜂に刺されたなどの理由でアナフィラキシーを起こした人がERに来た場合は5時間ほど安静にするか、リスクを十分に説明しておく必要がある。アドレナリンの投与方法は大腿前外側部の筋注がすすめられている。 アレルギー疾患であると診断がついたとき、最も基本となる治療は原因抗原の回避と除去である。接触などは比較的容易に防げそうだが決して簡単ではない。例えば、ハウスダストや猫などに対するアレルギーの場合、アレルギー症状が起こりにくいレベルまで吸入抗原の濃度を減少させるのに数か月を要することも少なくないからである。またアレルゲンには交差反応という現象も知られており、ラテックスとバナナ、白樺花粉とリンゴといった、一見関係のないように思える物質でも症状を誘発することがありえる。 アレルギー疾患の頻度は年齢によって大きく異なることが知られており、非典型的な年齢において発症した場合は他の疾患を念頭に置いた方が良い場合がある。例えば成人発症のアトピー性皮膚炎を疑う場合は、鑑別としてT細胞性の悪性リンパ腫も考える必要がある。 例えば気管支喘息と副鼻腔炎など、アレルギー性疾患は合併しがちなことが知られる。特に呼吸器系のアレルギー性疾患は合併率が非常に高く、one airway one diseaseという考え方が提唱されている。この場合、喘息と副鼻腔炎を同時に治療することで双方の治療に効果を及ぼす。 アレルギー疾患を調べるための検査としては血清TARC、RAST、プリックテスト、経口誘発試験、リンパ球幼若化試験やリンパ球刺激試験、パッチテストなどが知られている。 TARCは病勢を反映して変動するため、重症度判定や治療効果判定に用いられることもある。プリックテストやRASTはI型アレルギーに対する試験であり、それ以外の機序で起こるアレルギーである、接触性皮膚炎、薬剤熱、血小板減少症、スティーブンジョンソン症候群などでは全く役に立たない。さらにRASTは陽性であっても臨床的な症状と一致しないことが多いため注意が必要である(関係のない項目のRASTを行うと逆に混乱する)。 リンパ球幼若化試験(LTT)やリンパ球刺激試験(LST)は主に薬物アレルギーを調べるための試験でありI型アレルギー以外の機序の場合も有効である。 パッチテストはIV型アレルギーを調べるための検査である。染髪の際に行うのが最も有名である。
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"もしアレルギー疾患を疑うのならば、まずはI型アレルギーによるものかそれ以外(非I型アレルギー)によるものかを区別すると診断にたどり着きやすくなる。I型アレルギーによるものならば、即時型アレルギーといわれるようにアレルゲン曝露をしてから5分から90分以内に発症することが多いといわれている。I型アレルギーで特に救急医学で重要視されているのがアナフィラキシーショックである。重度のI型アレルギー反応においては早期のアドレナリン投与がもっとも重要であるといわれている。早期にボスミン0.3mgの筋注を行うことで死亡率の減少がみられるだけではなく、数時間後に起こるといわれている第二相反応の防止効果もあるといわれている。再発ともいえる第二相反応のリスクがあるために蜂に刺されたなどの理由でアナフィラキシーを起こした人がERに来た場合は5時間ほど安静にするか、リスクを十分に説明しておく必要がある。アドレナリンの投与方法は大腿前外側部の筋注がすすめられている。", "title": "アレルギー疾患のアプローチ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "アレルギー疾患であると診断がついたとき、最も基本となる治療は原因抗原の回避と除去である。接触などは比較的容易に防げそうだが決して簡単ではない。例えば、ハウスダストや猫などに対するアレルギーの場合、アレルギー症状が起こりにくいレベルまで吸入抗原の濃度を減少させるのに数か月を要することも少なくないからである。またアレルゲンには交差反応という現象も知られており、ラテックスとバナナ、白樺花粉とリンゴといった、一見関係のないように思える物質でも症状を誘発することがありえる。", "title": "アレルギー疾患のアプローチ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "アレルギー疾患の頻度は年齢によって大きく異なることが知られており、非典型的な年齢において発症した場合は他の疾患を念頭に置いた方が良い場合がある。例えば成人発症のアトピー性皮膚炎を疑う場合は、鑑別としてT細胞性の悪性リンパ腫も考える必要がある。", "title": "アレルギー疾患のアプローチ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", 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アレルギーとは、免疫反応が特定の抗原に対して過剰に起こることをいう。過敏反応とも呼ばれる。免疫反応は、外来の異物(抗原)を排除するために働く、生体にとって不可欠な生理機能である。語源はギリシア語の allos(変わる)と ergon(力、反応)を組み合わせた造語で、疫を免れるはずの免疫反応が有害な反応に変わるという意味である。 アレルギーが起こる原因は解明されていないが、生活環境のほか、抗原に対する過剰な曝露、遺伝などが原因ではないかと考えられている。アレルギーを引き起こす環境由来抗原を特にアレルゲンと呼ぶ。ハウスダスト、ダニ、花粉、米、小麦、酵母、ゼラチンなど、実に様々なものがアレルゲンとなる。 喘息をはじめとするアレルギーの治療に関して、欧米の医師と日本の医師との認識の違いの大きさを指摘し、改善可能な点が多々残されていると主張する医師もいる。
{{Otheruses|ヒトまたは動物における抗原に対する過剰な免疫反応|日本のロック・バンド|ALLERGY|[[嵐 (グループ)|嵐]]の曲「アレルギー」|ARASHI No.1〜嵐は嵐を呼ぶ〜#収録曲|植物における感染拡大防止機構|過敏感反応}} {{医学の情報源|date=2021年6月}} {{Infobox disease | Name =アレルギー | Image =Hives2010.JPG | Caption = アレルギー疾患のひとつ、[[蕁麻疹]]の様子。 | Field = | DiseasesDB = 33481 | ICD10 = {{ICD10|T|78|4|t|66}} | ICD9 = {{ICD9|995.3}} | MedlinePlus = 000812 | eMedicineSubj = med | eMedicineTopic = 1101 | MeshID = D006967 | ICPC2 = A92 }} '''アレルギー'''({{Lang-de-short|Allergie}})とは、[[免疫]]反応が特定の[[抗原]]に対して過剰に起こることをいう。'''過敏反応'''とも呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|title=アレルギー疾患およびアトピー性疾患の概要 - 12. 免疫学;アレルギー疾患 |url=https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/12-%E5%85%8D%E7%96%AB%E5%AD%A6%EF%BC%9B%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E7%96%BE%E6%82%A3/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E6%80%A7%EF%BC%8C%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%85%8D%E7%96%AB%EF%BC%8C%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E9%81%8E%E6%95%8F%E6%80%A7%E7%96%BE%E6%82%A3/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E7%96%BE%E6%82%A3%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%94%E3%83%BC%E6%80%A7%E7%96%BE%E6%82%A3%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81 |website=MSDマニュアル プロフェッショナル版 |access-date=2023-07-09 |language=ja-JP}}</ref>。[[免疫応答|免疫反応]]は、外来の異物([[抗原]])を排除するために働く、生体にとって不可欠な生理機能である。語源はギリシア語の ''allos''(変わる)と ''ergon''(力、反応)を組み合わせた造語で、疫を免れるはずの免疫反応が有害な反応に変わるという意味である<ref>[[多田富雄]]、萩原清文『好きになる免疫学』講談社、2001年、81頁。</ref>。 アレルギーが起こる原因は解明されていないが、生活環境のほか、[[抗原]]に対する過剰な曝露、[[遺伝]]などが原因ではないかと考えられている。アレルギーを引き起こす環境由来抗原を特に[[アレルゲン]]と呼ぶ。[[ハウスダスト]]、[[ダニ]]、[[花粉]]、[[米]]、[[小麦]]、[[酵母]]、[[ゼラチン]]など、実に様々なものがアレルゲンとなる。 喘息をはじめとするアレルギーの治療に関して、欧米の医師と日本の医師との認識の違いの大きさを指摘し、改善可能な点が多々残されていると主張する医師もいる<ref>{{Cite web|和書|title=Japanese Journal of Allergology |url=http://jja.jsaweb.jp/am/view.php?pubdate=20101025&dir=2010a&number=10a_ts001TS1-0 |publisher= 社団法人 日本アレルギー学会 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170318082619/http://jja.jsaweb.jp/am/view.php?pubdate=20101025&dir=2010a&number=10a_ts001TS1-0 |archiveservice=Internet Archive |archivedate=2017-3-18 |deadlinkdate=2017-8-30 }}</ref>。 == アレルギー疾患と自己免疫疾患 == [[自己免疫疾患]]はアレルギーと異なり、自己の持つ[[抗原]]に対して[[免疫]]反応が起こる疾患である。内因性のアレルゲンによるアレルギー反応が病態となっている点が異なるが、その仕組みは、ほぼ同じである。 ;アレルギー疾患 : 外部からの抗原に対し、免疫反応が起こる疾患。ただしその抗原は通常生活で曝露される量では無害であることが多く(たとえば春先の花粉そのものが毒性を持っているわけではない)、不必要に不快な結果をもたらす免疫応答が起こっているといえる。'''アレルギー性疾患'''とも言う。 :代表的な疾患としては [[アトピー性皮膚炎]]、[[アレルギー性鼻炎]]([[花粉症]])、[[アレルギー性結膜炎]]、 [[アレルギー性胃腸炎]]、[[気管支喘息]]、[[小児喘息]]、[[食物アレルギー]]、[[薬物アレルギー]]、[[蕁麻疹]]があげられる。また、最近になって柑橘類の匂いや、ガムなどの[[香料]]の匂い程度で喘息、顔面紅潮などの1型アレルギー症状を示す病態が注目されている。 ;自己免疫疾患 : 自己の体を構成する物質を抗原として、免疫反応が起こる疾患。特定の臓器や部位の障害、[[炎症]]をもたらしたり、全身性の症状を呈する場合がある。 :代表的な疾患としては[[関節リウマチ]]といった[[膠原病]]や[[円形脱毛症]]があげられる。 :(詳細は「[[自己免疫疾患]]」を参照) == 歴史 == 医学の父と呼ばれる[[ヒポクラテス]]が「牛乳が嘔吐、下痢、じんま疹を起こす」という言葉を残し、食物アレルギーついて記述がある<ref>https://www.erca.go.jp/yobou/zensoku/sukoyaka/column/202208_1/#:~:text=50%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AF,%E9%80%B8%E8%A9%B1%E3%81%8C%E4%BC%9D%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82</ref>。 戦後にアレルギーが増加した理由は工業化の大気汚染や人工的なスギの植林も影響している<ref>https://toyokeizai.net/articles/-/169816</ref>。 最近{{いつ|date=2023年2月}}では[[先進国]]で患者が急増しており、日本における[[診療科目]]・[[標榜科]]のひとつとしてアレルギーを専門とする'''アレルギー科'''がある。 == 分類 == アレルギーは、その発生機序により大きく I から V 型に分類される。 ;クームス分類 {| class="wikitable" style="text-align:left" |+アレルギー反応の分類(GellとCoombs)<ref>[https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/kenkou/ryumachi/dl/jouhou01-17.pdf 平成22年度リウマチ・アレルギー相談員養成研修会テキスト 第1章 アレルギー総論] 厚生労働省</ref> ! 反応型 !! 同義語 !! 抗体 !! 抗原 !! メディエーターサイトカイン !! 受身伝達 !! 皮膚反応 !! 代表疾患 |- | {{math|I}}型反応 || 即時型<br />[[アナフィラキシー]]型 | IgE<br />IgG4(?){{信頼性要検証|date=2019年9月27日 (金) 13:52 (UTC)}} | 外来性抗原 * [[ハウスダスト]]、[[ダニ]]、[[花粉]]、[[真菌]]、TDI、TMA([[ハプテン]])、薬剤(ハプテン) | ヒスタミン<br />ECF-A<br />ロイコトリエン<br />PAFなど | [[血清]] || 即時型 15-20分で最大の発赤と膨疹 | アナフィラキシーショック、アレルギー性鼻炎、[[結膜炎]]、[[気管支喘息]]、[[蕁麻疹]]、アトピー性皮膚炎(?){{信頼性要検証|date=2019年9月27日 (金) 13:52 (UTC)}} |- | {{math|II}}型反応 || 細胞障害型<br />細胞融解型 | IgG<br />IgM | 外来性抗原(ハプテン) * ペニシリンなどの薬剤 自己抗原 * 細胞膜・基底膜抗原 | 補体系 | 血清 || | 不適合輸血による溶血性貧血、自己免疫性溶血性貧血、[[特発性血小板減少性紫斑病]]、薬剤性溶血性貧血、顆粒球減少症、[[血小板減少症]]、[[グッドパスチャー症候群]] |- |style="white-space:nowrap"| {{math|III}}型反応 || 免疫複合体型<br />Arthus型([[アルサス反応]]) | IgG<br />IgM | 外来性抗原 * 細菌、薬剤、異種蛋白 自己抗原 * 変性IgG、DNA | 補体系<br />リソソーム酵素 | 血清 || 遅発型 3-8時間で最大の紅斑と浮腫 | 血清病、[[全身性エリテマトーデス|SLE]]、[[リウマチ]]、[[糸球体腎炎]]、[[過敏性肺炎]](III+IV ?){{信頼性要検証|date=2019年9月27日 (金) 13:52 (UTC)}}、ABPA(I+III+IV ?){{信頼性要検証|date=2019年9月27日 (金) 13:52 (UTC)}} |- |style="white-space:nowrap"| {{math|IV}}型反応 || 遅延型<br />細胞性免疫<br />ツベルクリン型 | 感作T細胞 | 外来性抗原 * 細菌、真菌 自己抗原 | リンホカイン<br />IL-2<br />IFN-r<br />サイトカイン | T細胞 || 遅発型 24-72時間で最大の紅斑と硬結 | 接触性皮膚炎、アレルギー性脳炎、アトピー性皮膚炎(?){{信頼性要検証|date=2019年9月27日 (金) 13:52 (UTC)}}、過敏性肺炎(III+IV?){{信頼性要検証|date=2019年9月27日 (金) 13:52 (UTC)}}、移植拒絶反応、結核性空洞、類上皮細胞性肉芽腫 |} === I型アレルギー === [[免疫グロブリンE|IgE]]というタイプの[[抗体|免疫グロブリン]]が[[肥満細胞]](マスト細胞)や[[好塩基球]]という[[白血球]]に結合し、そこに[[抗原]]が結合するとこれらの[[細胞]]が[[ヒスタミン]]、[[セロトニン]]などの[[生理活性物質]]を放出する。これにより、血管拡張や血管透過性亢進などが起こり、[[浮腫]]、[[掻痒]]などの症状があらわれる。この反応は[[抗原]]が体内に入るとすぐに生じ、即時型過敏と呼ばれ、[[アレルギー性鼻炎]]、[[気管支喘息]]、[[蕁麻疹]]等の症状を伴う。また、反応が激しく、全身性のものを[[アナフィラキシー]]と呼び、さらに急速な[[血圧]]低下により[[ショック]]状態を呈したものを[[アナフィラキシーショック]]という。また、この種のアレルギー症状は、10分前後で現れてくる。 代表的な疾患としては、[[蕁麻疹]]、[[PIE症候群]]、[[食物アレルギー]]、[[花粉症]]、[[アレルギー性鼻炎]]、[[気管支喘息]]、[[アトピー性皮膚炎]]、[[アナフィラキシーショック]]があげられる。 === II型アレルギー === [[免疫グロブリンG|IgG]]というタイプの[[抗体|免疫グロブリン]]が、[[抗原]]を有する自己の細胞に結合し、それを認識した[[白血球]]が細胞を破壊する反応である。代表的には[[B型肝炎]]や[[C型肝炎]]などの[[ウイルス性肝炎]]が挙げられる。ウイルスを体内から除去しようとする結果、肝細胞が破壊されるため症状を来している。[[ペニシリン]]アレルギーも、II型アレルギーの一種である。この種のアレルギーの有無は、[[クームス試験]]などの検査によって調べる。 代表的な疾患としては[[自己免疫性溶血性貧血]](AIHA)、[[不適合輸血]]、[[特発性血小板減少性紫斑病]](ITP)、[[悪性貧血]]、[[リウマチ熱]]、[[グッドパスチャー症候群]]、[[重症筋無力症]]、[[橋本病]]、[[円形脱毛症]]があげられる。 === III型アレルギー === 免疫反応により、[[抗原]]・[[抗体]]・[[補体]]などが互いに結合した免疫複合体が形成される。この免疫複合体が血流に乗って流れた先で、周囲の組織を傷害する反応である。免疫複合体の傷害する部位が限局的な部位にとどまる反応を[[アルサス反応|アルサス型反応]]といい、全身にわたるものを[[血清病]]と呼ぶ。[[過敏性肺臓炎]]はアルサス型反応の、[[全身性エリテマトーデス]]や溶血性連鎖球菌感染後糸球体腎炎は血清病の代表例である。この種のアレルギーは、2~8時間で、発赤や浮腫となって現れる。 代表的な疾患としては[[血清病]]、全身性エリテマトーデス([[ループス腎炎]])、[[急性糸球体腎炎]]、[[関節リウマチ]]、[[過敏性肺臓炎]]、リウマチ性肺炎、多発性動脈炎、アレルギー性血管炎、[[シェーグレン症候群]]があげられる。 === IV型アレルギー === [[抗原]]と特異的に反応する感作[[T細胞]]によって起こる。[[抗原]]と反応した感作[[T細胞]]から、[[マクロファージ]]を活性化する因子などの様々な[[生理活性物質]]が遊離し、周囲の組織傷害を起こす。薬物アレルギー、金属アレルギーなどがある。他のアレルギー反応がすべて[[液性免疫]]であるのに対し、IV型アレルギーだけは[[細胞性免疫]]がかかわり、[[リンパ球]]の集簇(しゅうそう、むらがってあつまること)・増殖・活性化などに時間が掛かるため、遅延型過敏症と呼ばれる。ツベルクリン反応、接触性皮膚炎などがある。この種のアレルギーの皮内反応は、24~48時間後、発赤、硬結となって現れる。 代表的な疾患としては[[接触性皮膚炎]](いわゆる「[[ウルシ#ウルシかぶれ|ウルシかぶれ]]」は「アレルギー性接触皮膚炎」の一種である。)[[ツベルクリン]]反応、[[移植免疫]]、[[金属アレルギー]]、[[腫瘍免疫]]、[[シェーグレン症候群]]、[[感染]]アレルギー、[[薬剤性肺炎]]、[[ギラン・バレー症候群]]があげられる。 近年、免疫学の進歩により細胞性免疫によるIV型アレルギーも責任免疫細胞によって細分類されることがある。しかし細分類してもマネジメントは変化しない。 ;IVa型 :[[Th1細胞]]と[[マクロファージ]]による反応であり、[[ツベルクリン反応]]、[[接触性皮膚炎]]がこれに含まれる。 ;IVb型 :[[Th2細胞]]と[[好酸球]]による反応であり、[[気管支喘息]]、[[アレルギー性鼻炎]]、蛋白誘発性腸炎が含まれる。 ;IVc型 :[[CD8]]+[[T細胞]]による反応であり、接触性皮膚炎が含まれる。 ;IVd型 :[[T細胞]]と[[好中球]]による反応であり、[[ベーチェット病]]などが含まれる。 === V型アレルギー === [[受容体]]に対する自己抗体が産生され、その自己抗体が[[リガンド]]と同様に受容体を刺激することで、細胞から物質が分泌され続けるために起こるアレルギー。基本的な機序はII型アレルギーと同じであり、刺激性という点だけが異なる。代表的疾患は[[バセドウ病]]。 === 遅延型過敏反応と遅発反応 === 遅延型過敏反応(delayed type)は上述の通り、感作T細胞から放出されたサイトカインにより誘発されるIV型アレルギー反応であり抗体に依存しないのに対し、遅発反応(late response)はアルゲン負荷後数時間を経てマスト細胞とIgE抗体に依存して誘発されるI型アレルギー反応である<ref>{{Cite journal|author=斎藤博久|year=2005|title=アレルギー用語の世界統一案解説|url=http://nrichd.ncchd.go.jp/imal/Publication/0508SaitoAllergy_ShonikaShinryo.pdf|journal=小児科診療|volume=68|issue=8|page=1379-1383}}</ref>。 == アレルギー疾患のアプローチ == アレルギー疾患のマネージメントを行うには、アレルギー疾患の鑑別のための問診、アレルゲン曝露から発症までの時間経過、症状の持続時間、全身性に症状があるのか、局所のみなのか、既往歴や家族歴があるのかといった点に注目すると整理しやすいといわれている。 もしアレルギー疾患を疑うのならば、まずはI型アレルギーによるものかそれ以外(非I型アレルギー)によるものかを区別すると診断にたどり着きやすくなる。I型アレルギーによるものならば、即時型アレルギーといわれるようにアレルゲン曝露をしてから5分から90分以内に発症することが多いといわれている。I型アレルギーで特に[[救急医学]]で重要視されているのが[[アナフィラキシーショック]]である。重度のI型アレルギー反応においては早期の[[アドレナリン]]投与がもっとも重要であるといわれている。早期にボスミン0.3mgの筋注を行うことで死亡率の減少がみられるだけではなく、数時間後に起こるといわれている第二相反応の防止効果もあるといわれている。再発ともいえる第二相反応のリスクがあるために蜂に刺されたなどの理由でアナフィラキシーを起こした人がERに来た場合は5時間ほど安静にするか、リスクを十分に説明しておく必要がある。アドレナリンの投与方法は大腿前外側部の筋注がすすめられている。 アレルギー疾患であると診断がついたとき、最も基本となる治療は原因抗原の回避と除去である。接触などは比較的容易に防げそうだが決して簡単ではない。例えば、[[ハウスダスト]]や[[ネコ|猫]]などに対するアレルギーの場合、アレルギー症状が起こりにくいレベルまで吸入抗原の濃度を減少させるのに数か月を要することも少なくないからである。またアレルゲンには[[交差反応]]という現象も知られており、[[ラテックス]]と[[バナナ]]、[[シラカンバ|白樺]]花粉と[[リンゴ]]といった、一見関係のないように思える物質でも症状を誘発することがありえる。 アレルギー疾患の頻度は年齢によって大きく異なることが知られており、非典型的な年齢において発症した場合は他の疾患を念頭に置いた方が良い場合がある。例えば成人発症のアトピー性皮膚炎を疑う場合は、鑑別としてT細胞性の[[悪性リンパ腫]]も考える必要がある。 === アレルギー疾患の合併 === 例えば[[気管支喘息]]と[[副鼻腔炎]]など、アレルギー性疾患は合併しがちなことが知られる。特に[[呼吸器]]系のアレルギー性疾患は合併率が非常に高く、one airway one diseaseという考え方が提唱されている。この場合、喘息と副鼻腔炎を同時に治療することで双方の治療に効果を及ぼす。 == アレルギー疾患の検査 == アレルギー疾患を調べるための検査としては血清TARC、[[RAST]]、[[プリックテスト]]、経口誘発試験、リンパ球幼若化試験やリンパ球刺激試験、パッチテストなどが知られている。 TARCは病勢を反映して変動するため、重症度判定や治療効果判定に用いられることもある。プリックテストやRASTはI型アレルギーに対する試験であり、それ以外の機序で起こるアレルギーである、[[接触性皮膚炎]]、薬剤熱、[[血小板減少症]]、[[スティーブンス・ジョンソン症候群|スティーブンジョンソン症候群]]などでは全く役に立たない。さらにRASTは陽性であっても臨床的な症状と一致しないことが多いため注意が必要である(関係のない項目のRASTを行うと逆に混乱する)。 リンパ球幼若化試験(LTT)やリンパ球刺激試験(LST)は主に[[薬物アレルギー]]を調べるための試験でありI型アレルギー以外の機序の場合も有効である。 パッチテストはIV型アレルギーを調べるための検査である。[[染髪]]の際に行うのが最も有名である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 参考文献 == {{参照方法|date=2021年6月|section=1}} 岡田正人『レジデントのためのアレルギー疾患診療マニュアル』[[医学書院]] ISBN 4-260-00145-0 == 関連項目 == {{Wikinews|結核菌ワクチンが花粉症を抑える仕組みを理研などが解明|アレルギー発症に関与する新物質 発見|乳酸菌にあるアレルギー抑制効果、メカニズムの一部解明}} * [[免疫学]] - [[分子生物学]] - [[生化学]] * [[セリアック病]] * [[慢性活動性EBウイルス感染症]] * [[医療識別票]] - アレルギーや病歴、服用中の薬などの情報を伝えるタグ * [[アトピービジネス]] - アトピー性皮膚炎などアレルギー疾患の患者をターゲットとした[[悪徳商法]] * {{ill2|仮性アレルギー|en|Pseudoallergy}} ‐ ヒスタミンなどのアレルギーを発症させた際に過剰分泌される化学伝達物質を過剰摂取した場合に起きるアレルギー類似症状。直接アレルギーの化学伝達物質を摂取するため、アレルゲン耐性に関係なく過剰摂取した人全員にアレルギーと同様の症状が現れる。仮性アレルギーを起こす物質は、仮性アレルゲンという。 * [[交差反応性]] - クラゲに刺されまくると納豆アレルギーに、ダニなどに噛まれると[[Alpha-gal アレルギー]](肉アレルギー)になりやすい。 * [[衛生仮説]] - [[幼少期]]における特定の[[微生物]](例えば[[腸内細菌叢]]や[[蠕虫]]など)への曝露が[[免疫系]]の発達につながり、結果としてアレルギー性疾患から身を守るという仮説。 {{-}} == 外部リンク == * [https://www.jsaweb.jp/ 一般社団法人 日本アレルギー学会] * [https://web.archive.org/web/20150325131026/http://teeet.com/allergie/ アレルギーの病気と対策☆総合館] * [https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/15-免疫の病気/アレルギー反応およびその他の過敏性疾患/アレルギー反応の概要 アレルギー反応の概要] - [[MSDマニュアル]] * {{Kotobank}} {{アレルギー}} {{呼吸器疾患}} {{Autoimmune diseases}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あれるきい}} [[Category:アレルギー疾患|*]] [[Category:免疫病]] [[Category:症候]] [[Category:公害]] [[Category:診断と治療]] [[Category:ドイツ語の語句]] [[Category:免疫学]] [[Category:呼吸器疾患]] [[Category:免疫系]]
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アレルゲン
アレルゲン(ドイツ語: Allergen)とは、アレルギー疾患を持っている人の抗体と特異的に反応する抗原のこと。一般には、そのアレルギー症状を引き起こす原因となる物質を言う。感作はされているが具体的な症状があるわけではない人においても、その抗体と反応する抗原についてもアレルゲンと呼ぶ。さらに広義には、それに対するアレルギー患者が多いなど、アレルギーの原因によくなり得る物質のこと。「アレル原」や「アレル源」と誤記されることもある。 正確には抗体と反応してアレルギーを引き起こす物質(抗原)そのものを指すが、その抗原を含んだ物質(食品など)を指すことも多い。たとえばスギ花粉症におけるアレルゲンは Cry j 1(クリジェイワン)などの花粉に含まれるタンパク質が同定されているが、一般にはスギ花粉症のアレルゲンはスギ花粉として認識されている。 アレルギー物質ともいう(とくに、上記の「アレルギーの原因によくなり得る物質」のことや、「アレルゲンを含んだ物質」の意でそう呼ばれる)。 免疫反応のひとつである抗原抗体反応における抗体をアンチボディ (antibody)、抗原をアンチゲン (antigen) というが、アレルゲンとはアンチゲンとアレルギーとを合成した造語である。アレルギーという疾患(メカニズム)の提唱者であるオーストリアの小児科医フォン・ピルケーがそのように呼んだ。 アレルギーとアレルゲンの関係は次の様に I から V 型に分類される。 これらのうちで代表的なものは、花粉症の原因となる花粉、通年性アレルギー性鼻炎や気管支喘息、アトピー性皮膚炎の原因となる室内塵(ハウスダスト)などである。とくに気管支喘息においては真菌も重要である。アナフィラキシーショックを起こしやすいなど深刻な状態になりやすいのは、食品アレルギーにおける蕎麦や、蜂(の毒)などがよく知られている。 アレルゲンとしてよく知られたものでなくとも、職業上の事情などにより、その物質と長期間接するなどすれば、だんだんと感作が進み、いずれアレルギーを発症することもあるという。 しかしながら、アレルゲンとなるのは上記のような物質中に含まれるタンパク質または糖タンパクであることがほとんどで、それが人体を構成するタンパク質とは異質(異種タンパク質と呼ぶ)であるため、排除の原理が働いて抗体が産生され、それによって過剰な免疫反応であるアレルギー症状を起こすと考えられている。その意味では、体内に入っても異物として認識され得ないものは、アレルゲンにもなり得ないと考えられている。たとえば水や塩などは抗原にもアレルゲンにもなり得ない(下記のハプテンになり得るものは除く)。 食物アレルギーでは、牛肉、大豆、ピーナッツなど多様である。日本での調査では、全年齢の食物アレルギーの原因食物は鶏卵38.7%、牛乳20.9%、小麦12.1%、ピーナッツ4.8%、魚卵4.3%、果物4%、甲殻類3.9%、魚類2.5%、ソバ2.4%、木の実1.7%、大豆1.5%であり、0歳児では卵55.6%、牛乳27.3%、小麦9.6%で大半を占めるがその後耐性を獲得することも多く、20歳では小麦23.3%、甲殻類22.2%、果物類18.9%、魚類12.2%とその内容は変化する。 アレルギー疾患患者においては、こうした環境中のアレルゲンを排除するなどして、できるだけ接触しないようにすることが重要とされている。感作はしていても実際にアレルギーの発症を起こしていないならば無理に避ける必要はないともいわれるが、予防原則の立場からは若干の議論が残るところではある。 たとえば各種のイネ科植物の花粉においては、含まれる抗原の特徴がきわめて似ているため、1種類の花粉のみに感作されていても、同種のイネ科花粉にアレルギー反応を起こすことが知られている。こうしたことを交差反応という。すなわち、異なる抗原もアレルゲンになり得る。交差抗原性があるという。 また、そうした花粉症患者のうち、花粉ではないものに反応する患者もいる。カバノキ科花粉症患者によくみられる口腔アレルギー症候群がそれで、リンゴやモモなどバラ科の果物を食べるとかゆみやしびれなどを感じる。これら果物で症状がないうちは問題ないと思われるが、かゆみ等出てきた場合ひどくなると呼吸困難等に至りアナフィラキシーショックを起こすこともあるので注意が必要である。医療機関で果物のアレルギー検査もできる。業務上ゴム製品に接することの多い人にみられるラテックス(ゴム)アレルギーがあるが、これはアボカド、バナナ、クリなどの食品と交差抗原性がある。ラテックス・フルーツ症候群という。 アレルゲンそのものではないが、アレルギー発症のメカニズムに関与するケミカルメディエーターと同様な物質を含むなどにより、多く摂取すると症状を悪化させ得ると考えられている物質を仮性アレルゲンと呼ぶ。とくに食物アレルギーにおいて、以下のようなものがあると考えられている(鮮度によって異なる場合があるので、不必要に恐れぬこと)。食物アレルギー以外にはほとんど影響しないと考えられている。実際の症状への影響において、これらを避けることを疑問視する見方もあるが、アレルギー患者ではなくとも鮮度の落ちた食材によってヒスタミン中毒などの食中毒を起こすことはある。 分子量が小さいために新たにそれに対する抗体を作ることはないとされているが、既存の抗体と反応する物質がある。こうした物質をハプテンと呼ぶ。不完全抗原・部分抗原ともいう。アレルギー発症にかかわるメカニズムとしては、タンパク質と結びつくことが考えられており、こうした働きをするタンパク質をキャリアと呼ぶ。一部の金属アレルギーにおいて、その金属とタンパク質とが結び付くことによってアレルゲンとなり、アレルギーを発症するメカニズムが考えられている。 また、アレルゲンのアレルゲン性を高める、すなわちI型アレルギーであればIgEの産生能力を高める作用を持つ物質もあると考えられており、それをアジュバントと呼ぶ。くわしいメカニズムは明らかになっていない。広義ではアレルギー症状を増悪させ得る物質のことをもアジュバントと呼ぶことがあるが、広義すぎるきらいがある。増悪物質、刺激物質などと考えるべきであろう。 上記のようにアレルゲンの多くはタンパク質であり、その性質からいって加熱すると構造が変化し、アレルゲン性を失ったり弱くなったりすることがある。たとえば卵は生よりも加熱調理したもののほうがアレルギーを引き起こす力が弱いことが知られている。果物なども同様であり、口腔アレルギー症候群の患者において、生のリンゴは食べられないが加熱したり缶詰などであれば症状を起こさないなどのこともある。しかしながら、こうした感受性は個人により異なるので、注意は必要である。 現在では、食品衛生法にもとづき、食品のパッケージの原材料表示に、アレルギー物質として卵、乳、小麦、えび、かに、そば、落花生が含まれる場合、使用している旨を表示しなくてはならないように定められている。詳細は、特定原材料を参照。
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アレルゲンとは、アレルギー疾患を持っている人の抗体と特異的に反応する抗原のこと。一般には、そのアレルギー症状を引き起こす原因となる物質を言う。感作はされているが具体的な症状があるわけではない人においても、その抗体と反応する抗原についてもアレルゲンと呼ぶ。さらに広義には、それに対するアレルギー患者が多いなど、アレルギーの原因によくなり得る物質のこと。「アレル原」や「アレル源」と誤記されることもある。 正確には抗体と反応してアレルギーを引き起こす物質(抗原)そのものを指すが、その抗原を含んだ物質(食品など)を指すことも多い。たとえばスギ花粉症におけるアレルゲンは Cry j 1(クリジェイワン)などの花粉に含まれるタンパク質が同定されているが、一般にはスギ花粉症のアレルゲンはスギ花粉として認識されている。 アレルギー物質ともいう(とくに、上記の「アレルギーの原因によくなり得る物質」のことや、「アレルゲンを含んだ物質」の意でそう呼ばれる)。 免疫反応のひとつである抗原抗体反応における抗体をアンチボディ (antibody)、抗原をアンチゲン (antigen) というが、アレルゲンとはアンチゲンとアレルギーとを合成した造語である。アレルギーという疾患(メカニズム)の提唱者であるオーストリアの小児科医フォン・ピルケーがそのように呼んだ。
{{出典の明記|date=2011年5月}} '''アレルゲン'''({{Lang-de|Allergen}})とは、[[アレルギー]]疾患を持っている人の[[抗体]]と特異的に反応する[[抗原]]のこと。一般には、そのアレルギー症状を引き起こす原因となる物質を言う。感作はされているが具体的な症状があるわけではない人においても、その抗体と反応する抗原についてもアレルゲンと呼ぶ。さらに広義には、それに対するアレルギー[[患者]]が多いなど、アレルギーの原因によくなり得る物質のこと。「アレル原<ref>{{Cite web |url=https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/49 |title=きょうの直し「アレル原」 |access-date=2023-11-26 |publisher=毎日新聞 |author=毎日新聞 校閲センター |date=2018-07-04 |website=毎日ことばplus}}</ref>」や「アレル源」と誤記されることもある。 正確には抗体と反応してアレルギーを引き起こす物質(抗原)そのものを指すが、その抗原を含んだ物質(食品など)を指すことも多い。たとえば[[スギ花粉症]]におけるアレルゲンは Cry j 1(クリジェイワン)などの花粉に含まれる[[タンパク質]]が同定されているが、一般にはスギ花粉症のアレルゲンはスギ花粉として認識されている。 '''アレルギー物質'''ともいう(とくに、上記の「アレルギーの原因によくなり得る物質」のことや、「アレルゲンを含んだ物質」の意でそう呼ばれる)。 [[免疫]]反応のひとつである[[抗原抗体反応]]における[[抗体]]をアンチボディ (''antibody'')、抗原をアンチゲン (''antigen'') というが、アレルゲンとはアンチゲンとアレルギーとを合成した造語である。アレルギーという疾患([[メカニズム]])の提唱者である[[オーストリア]]の小児科医[[フォン・ピルケー]]がそのように呼んだ。 == 種類・分類 == アレルギーとアレルゲンの関係は次の様に I から V 型に分類される。 {| class="wikitable" style="text-align:left" |+アレルギー反応の分類(GellとCoombs)<ref>{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/kenkou/ryumachi/dl/jouhou01-17.pdf 平成22年度リウマチ・アレルギー相談員養成研修会テキスト 第1章 アレルギー総論] 厚生労働省}}</ref> ! 反応型 !! 同義語 !! 抗体 !! 抗原 !! ディエーターサイトカイン !! 受身伝達 !! 皮膚反応 !! 代表疾患 |- | I型反応 || 即時型<br />アナフィラキシー型 | IgE<br />IgG4(?) | 外来性抗原 * [[ハウスダスト]]、[[ダニ]]、[[花粉]]、[[真菌]]、TDI、TMA([[ハプテン]])、薬剤(ハプテン) | ヒスタミン<br />ECF-A<br />ロイコトリエン<br />PAFなど | [[血清]] || 即時型 15-20分で最大の発赤と膨疹 | アナフィラキシーショック、アレルギー性鼻炎、結膜炎、気管支喘息、蕁麻疹、アトピー性皮膚炎(?) |- | II型反応 || 細胞障害型<br />細胞融解型 | IgG<br />IgM | 外来性抗原(ハプテン) * ペニシリンなどの薬剤 自己抗原 * 細胞膜・基底膜抗原 | 補体系 | 血清 || | 不適合輸血による溶血性貧血、自己免疫性溶血性貧血、特発性血小板減少性紫斑病、薬剤性溶血性貧血、顆粒球減少症、血小板減少症、[[グッドパスチャー症候群]] |- | III型反応 || 免疫複合体型<br />Arthus型([[アルサス反応]]) | IgG<br />IgM | 外来性抗原 * 細菌、薬剤、異種蛋白 自己抗原 * 変性IgG、DNA | 補体系<br />リソソーム酵素 || 遅発型 3-8時間で最大の紅斑と浮腫 | 血清病、[[全身性エリテマトーデス|SLE]]、[[リウマチ]]、糸球体腎炎、過敏性肺炎(III+IV ?)、ABPA(I+III+IV ?) |- | IV型反応 || 遅延型<br />細胞性免疫<br />ツベルクリン型 | 感作T細胞 | 外来性抗原 * 細菌、真菌 自己抗原 | リンホカイン<br />IL-2<br />IFN-r<br />サイトカイン | T細胞 || 遅発型 24-72時間で最大の紅斑と硬結 | 接触性皮膚炎、アレルギー性脳炎、アトピー性皮膚炎(?)、過敏性肺炎(III+IV?)、移植拒絶反応、結核性空洞、類上皮細胞性肉芽腫 |} これらのうちで代表的なものは、[[花粉症]]の原因となる花粉、通年性[[アレルギー性鼻炎]]や[[気管支喘息]]、[[アトピー性皮膚炎]]の原因となる室内塵([[ハウスダスト]])などである。とくに気管支喘息においては真菌も重要である。[[アナフィラキシーショック]]を起こしやすいなど深刻な状態になりやすいのは、食品アレルギーにおける[[蕎麦]]や、[[ハチ|蜂]](の[[毒]])などがよく知られている。 アレルゲンとしてよく知られたものでなくとも、職業上の事情などにより、その物質と長期間接するなどすれば、だんだんと感作が進み、いずれアレルギーを発症することもあるという。 しかしながら、アレルゲンとなるのは上記のような物質中に含まれる[[タンパク質]]または[[糖]]タンパクであることがほとんどで、それが人体を構成するタンパク質とは異質(異種タンパク質と呼ぶ)であるため、排除の原理が働いて抗体が産生され、それによって過剰な免疫反応であるアレルギー症状を起こすと考えられている。その意味では、体内に入っても異物として認識され得ないものは、アレルゲンにもなり得ないと考えられている。たとえば[[水]]や[[塩]]などは抗原にもアレルゲンにもなり得ない(下記のハプテンになり得るものは除く)。 食物アレルギーでは、牛肉、大豆、ピーナッツなど多様である。日本での調査では、全年齢の食物アレルギーの原因食物は鶏卵38.7%、牛乳20.9%、小麦12.1%、ピーナッツ4.8%、魚卵4.3%、果物4%、甲殻類3.9%、魚類2.5%、ソバ2.4%、木の実1.7%、大豆1.5%であり、0歳児では卵55.6%、牛乳27.3%、小麦9.6%で大半を占めるがその後耐性を獲得することも多く、20歳では小麦23.3%、甲殻類22.2%、果物類18.9%、魚類12.2%とその内容は変化する<ref>厚生労働科学研究事業「{{PDFlink|[http://www.foodallergy.jp/manual2011.pdf 食物アレルギーの発症要因の解明および耐性化に関する研究]}}」p.3</ref>。 アレルギー疾患患者においては、こうした環境中のアレルゲンを排除するなどして、できるだけ接触しないようにすることが重要とされている。感作はしていても実際にアレルギーの発症を起こしていないならば無理に避ける必要はないともいわれるが、予防原則の立場からは若干の議論が残るところではある。 == 交差反応 == たとえば各種のイネ科植物の花粉においては、含まれる抗原の特徴がきわめて似ているため、1種類の花粉のみに感作されていても、同種のイネ科花粉にアレルギー反応を起こすことが知られている。こうしたことを[[交差反応]]という。すなわち、異なる抗原もアレルゲンになり得る。交差抗原性があるという。 また、そうした花粉症患者のうち、花粉ではないものに反応する患者もいる。[[カバノキ]]科花粉症患者によくみられる[[口腔アレルギー症候群]]がそれで、[[リンゴ]]や[[モモ]]など[[バラ]]科の果物を食べるとかゆみやしびれなどを感じる。これら果物で症状がないうちは問題ないと思われるが、かゆみ等出てきた場合ひどくなると呼吸困難等に至りアナフィラキシーショックを起こすこともあるので注意が必要である。医療機関で果物のアレルギー検査もできる。業務上ゴム製品に接することの多い人にみられる[[ラテックス]]([[ゴム]])アレルギーがあるが、これは[[アボカド]]、[[バナナ]]、[[クリ]]などの食品と交差抗原性がある。[[ラテックスアレルギー|ラテックス・フルーツ症候群]]という。 == 仮性アレルゲン == アレルゲンそのものではないが、アレルギー発症のメカニズムに関与する[[ケミカルメディエーター]]と同様な物質を含むなどにより、多く摂取すると症状を悪化させ得ると考えられている物質を仮性アレルゲンと呼ぶ。とくに[[食物アレルギー]]において、以下のようなものがあると考えられている(鮮度によって異なる場合があるので、不必要に恐れぬこと)。食物アレルギー以外にはほとんど影響しないと考えられている。実際の症状への影響において、これらを避けることを疑問視する見方もあるが、アレルギー患者ではなくとも鮮度の落ちた食材によって[[ヒスタミン]]中毒などの食中毒を起こすことはある。 *[[ヒスタミン]]を含むもの([[ニワトリ|鶏]]肉、[[ウシ|牛]]肉、[[エノキタケ]]など) *[[セロトニン]]を含むもの([[トマト]]、[[キウイフルーツ]]、[[バナナ]]など) *[[アセチルコリン]]を含むもの([[クワイ|くわい]]、[[ナス|なす]]、[[タケノコ|たけのこ]]など) *[[トリメチルアミンオキサイド]]を含むもの([[カレイ]]、[[タラ]]、[[スズキ (魚)|スズキ]]など) *[[ノイリン]]を含むもの(冷蔵のタラ、[[サンマ]]など) == ハプテンとアジュバント == 分子量が小さいために新たにそれに対する抗体を作ることはないとされているが、既存の抗体と反応する物質がある。こうした物質をハプテンと呼ぶ。不完全抗原・部分抗原ともいう。アレルギー発症にかかわるメカニズムとしては、[[タンパク質]]と結びつくことが考えられており、こうした働きをするタンパク質をキャリアと呼ぶ。一部の金属アレルギーにおいて、その金属とタンパク質とが結び付くことによってアレルゲンとなり、アレルギーを発症するメカニズムが考えられている。 また、アレルゲンのアレルゲン性を高める、すなわちI型アレルギーであればIgEの産生能力を高める作用を持つ物質もあると考えられており、それを[[アジュバント]]と呼ぶ。くわしいメカニズムは明らかになっていない。広義ではアレルギー症状を増悪させ得る物質のことをもアジュバントと呼ぶことがあるが、広義すぎるきらいがある。増悪物質、刺激物質などと考えるべきであろう。 == アレルゲンの失活 == 上記のようにアレルゲンの多くはタンパク質であり、その性質からいって加熱すると構造が変化し、アレルゲン性を失ったり弱くなったりすることがある。たとえば卵は生よりも加熱[[調理]]したもののほうがアレルギーを引き起こす力が弱いことが知られている。[[果物]]なども同様であり、口腔アレルギー症候群の患者において、生のリンゴは食べられないが加熱したり缶詰などであれば症状を起こさないなどのこともある。しかしながら、こうした感受性は個人により異なるので、注意は必要である。 == 補足 == 現在では、[[食品表示法|食品衛生法]]にもとづき、食品の[[パッケージ]]の原材料表示に、アレルギー物質として えび、かに、くるみ、小麦、そば、卵、乳、落花生(ピーナッツ)が含まれる場合、使用している旨を表示しなくてはならないように定められている。詳細は、[[特定原材料]]を参照。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[アレルギー]] * [[花粉症]] * [[アトピー性皮膚炎]] * [[喘息]] == 外部リンク == * [https://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/07/s0723-12.html アレルギー物質を含む食品に関する表示について] 厚生労働省 平成16年7月23日 * 高井敏朗、「[https://doi.org/10.15036/arerugi.61.930 アレルゲンの3つの顔]」『アレルギー」 61巻 (2012) 7号 p.930-940, {{doi|10.15036/arerugi.61.930}} * 藤澤隆夫、「[https://doi.org/10.15036/arerugi.57.803 アレルギー学の原点「アレルゲン」をめぐって(専門医のためのアレルギー学講座,IV.アレルゲンから見たアレルギー疾患)]」『アレルギー』 57巻 (2008) 7号 p.803-806, {{doi|10.15036/arerugi.57.803}} * {{Kotobank}} {{Medical-stub}} {{Immune system}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:あれるけん}} [[Category:医学用語]] [[Category:免疫学]] [[Category:ドイツ語の語句]]
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アルトゥーロ・トスカニーニ
アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867年3月25日 - 1957年1月16日)は、イタリア出身の指揮者。 スカラ座やメトロポリタン等の音楽監督を歴任し、20世紀前半を代表する指揮者とされている。ロマン主義のスタイルを脱却した演奏法は音楽演奏における新即物主義に分類され、ライバルのフルトヴェングラーと対極をなした。速く正確なテンポ、統一したアンサンブル等は戦後の演奏法の規範となった。徹底した楽譜至上主義ともいわれているが、しばしば部分的にオーケストレーションを改編することもあった。楽譜至上主義・即物主義的スタイルはカラヤンをはじめ多くの指揮者に多大な影響を与えた。レパートリーは膨大で、イタリア・オペラやレスピーギなどのイタリアの管弦楽作品のみならず、バイロイト音楽祭においてワーグナーを振り(ドイツ系以外の指揮者としては初登場)、ベートーヴェンやブラームスといったドイツ音楽やチャイコフスキーなども得意とした。大指揮者があまり手がけないような通俗名曲、小品も好んで録音している。ブルックナーやマーラーはほとんど手掛けていないが、当時は彼らは作曲家としては中欧以外では高い評価を得ていない時代であり、イタリア出身の指揮者が手掛けないのは特に不思議なことではない。 『ワリー(英語版、イタリア語版)』や『トゥーランドット』等の重要なイタリア・オペラを初演している。戦後はNBC交響楽団を起用し数多くのレコーディングを行った。また、リハーサルの厳しさで知られ、駄目出しの多さからトスカノーノとあだ名された(後述)。 トスカニーニは極度の近視であり、譜面台に置いた楽譜が見えなかったため本番もリハーサルも暗譜で指揮するのが常であった。しかし、1954年4月4日の演奏会(オール・ワーグナー・プログラム・コンサート。その時に演奏していた曲目は「タンホイザー」序曲とバッカナーレ)での記憶障害により指揮を一時止めてしまった。 そしてこの演奏会の直後にトスカニーニの引退が発表された(引退は演奏会の前に計画されていた)。引退に際し公開された引退表明の手紙(同年3月25日付)には以下の一文も含まれる。 特記なき場合はNBC交響楽団。 雑誌『レコード芸術(第56巻第12号)』2007年12月号(音楽之友社)には三田晴久編の極めて詳細なディスコグラフィが収載されている。 すべてNBC交響楽団。 定期的に国際指揮コンクールを開催している。国際作曲コンクールも以前は行われていたが、予算難で休会。
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アルトゥーロ・トスカニーニは、イタリア出身の指揮者。
{{参照方法|date=2010年6月}} {{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--> | Name = アルトゥーロ・トスカニーニ<br />Arturo Toscanini | Img = Toscanini5.jpg | Img_capt = アルトゥーロ・トスカニーニ | Img_size = 250px<!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | Background = classic | Birth_name = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> | Alias = | Blood = <!-- 個人のみ --> | School_background = <!-- 個人のみ --> | Born = {{生年月日と年齢|1867|3|25|no}} | Died = {{死亡年月日と没年齢|1867|3|25|1957|1|16}}<br/>{{USA1912}} [[ニューヨーク]] | Origin = {{ITA1861}} [[パルマ]] | Instrument = 指揮・[[チェロ]] | Genre = [[クラシック音楽]] | Occupation = [[指揮者]]・チェロ奏者 | Years_active = 1886 - 1954 | Label = [[RCAレコード|RCA]] | Production = | Associated_acts = | Influences = | URL = | Notable_instruments = }} {{Portal クラシック音楽}} [[ファイル:Arturo Toscanini and Giacomo Puccini 1910.jpg|サムネイル|トスカニーニと[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]](1910年頃)|358x358ピクセル]] '''アルトゥーロ・トスカニーニ'''(Arturo Toscanini, [[1867年]][[3月25日]] - [[1957年]][[1月16日]])は、[[イタリア]]出身の[[指揮者]]。 == 概要 == スカラ座やメトロポリタン等の音楽監督を歴任し、20世紀前半を代表する指揮者とされている。ロマン主義のスタイルを脱却した演奏法は音楽演奏における[[新即物主義]]に分類され、ライバルの[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー]]と対極をなした。速く正確なテンポ、統一したアンサンブル等は戦後の演奏法の規範となった。徹底した楽譜至上主義ともいわれているが、しばしば部分的に[[管弦楽法|オーケストレーション]]を改編することもあった。楽譜至上主義・即物主義的スタイルは[[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]をはじめ多くの指揮者に多大な影響を与えた。レパートリーは膨大で、イタリア・オペラや[[オットリーノ・レスピーギ|レスピーギ]]などのイタリアの管弦楽作品のみならず、[[バイロイト音楽祭]]において[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]を振り(ドイツ系以外の指揮者としては初登場)、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]や[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]といったドイツ音楽や[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]なども得意とした。大指揮者があまり手がけないような通俗名曲、小品も好んで録音している。[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]や[[グスタフ・マーラー|マーラー]]はほとんど手掛けていないが、当時は彼らは作曲家としては[[中欧]]以外では高い評価を得ていない時代であり、イタリア出身の指揮者が手掛けないのは特に不思議なことではない。 『{{仮リンク|ワリー|en|La Wally|it|La Wally}}』や『[[トゥーランドット]]』等の重要なイタリア・オペラを初演している。戦後はNBC交響楽団を起用し数多くのレコーディングを行った。また、[[リハーサル]]の厳しさで知られ、駄目出しの多さからトスカノーノとあだ名された(後述)。 トスカニーニは極度の[[近視]]であり、[[譜面台]]に置いた[[楽譜]]が見えなかったため本番もリハーサルも[[暗譜]]で指揮するのが常であった。しかし、1954年4月4日の演奏会(オール・[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]・プログラム・コンサート。その時に演奏していた曲目は「[[タンホイザー]]」序曲とバッカナーレ)での記憶障害により指揮を一時止めてしまった<ref>ここで完全に演奏が止まったとの説明も広く流布しているが、山田治生『トスカニーニ 大指揮者の生涯とその時代』 2009年、では各種録音や文献との対比検証から、演奏上のトラブルと指揮の一時停止はあったものの、演奏自体は止まることなく指揮は再開され、演奏会自体は失敗というほどではなく終えられたとの説を支持している</ref>。 そしてこの演奏会の直後にトスカニーニの引退が発表された(引退は演奏会の前に計画されていた<ref>Sachs, H.(1978), ''Toscanini'', pp. 304-309.その他</ref>)。引退に際し公開された引退表明の手紙(同年3月25日付)には以下の一文も含まれる<ref>Sachs, H. (editor), ''The Letters of Arturo Toscanini'', Knopf, 2002. p. 445.</ref>。 {{Quotation|"... the sad time has come when I must reluctantly lay aside my baton and say goodbye to my orchestra, ...." 「我が指揮棒を不本意ながら置き、なおかつ我がオーケストラに別れを告げねばならぬ悲しい時が来てしまった」。}} == 来歴 == {{年譜のみの経歴|date=2016年6月17日 (金) 06:29 (UTC)}} * 1867年 3月25日、イタリア北部の町[[パルマ]]のオルトレトレンテ(労働者階級が住む地域)ボルゴ・サン・ジャコモ(現ボルゴ・ロドルフォ・タンツィ)13番で生まれる。父クラウディオは仕立屋。母パオラ(パオリーナ、旧姓はモンターニ)は裁縫師。アルトゥーロは第1子で、唯一の男児。(子供は計4名。) * 1871年 初めて歌劇場に連れて行かれ[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]の「[[仮面舞踏会 (ヴェルディ)|仮面舞踏会]]」を聴く。 * 1876年 パルマ王立音楽学校に入学。当初は通学生。後に寮生となる。 * 1885年 9年間の厳しい教育の後、[[チェロ]]と作曲で最高の栄誉を得て首席で卒業。([[ピアノ]]も最高点。)巡業歌劇団と首席チェロ奏者・副合唱指揮者の契約を結ぶ。18歳の若者にとってこれは名誉な事であった。 * 1886年 6月30日、歌劇団のブラジル [[リオ・デ・ジャネイロ]]公演において、ヴェルディの「[[アイーダ]]」の指揮者として突然デビューすることとなる。帰国後の11月4日、トリノのカリニャーノ劇場で[[アルフレード・カタラーニ|カタラーニ]]の「エドメア」でプロ指揮者としてデビュー。 * 1887年 2月5日、[[ミラノ・スカラ座]]におけるヴェルディの「[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]」初演で第2チェロ奏者を務める。以降10年間、地方歌劇場を回って指揮をする。 * 1892年 ミラノ ダル・ヴェルメ劇場で[[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ|レオンカヴァッロ]]の「[[道化師 (オペラ)|道化師]]」を初演。ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場でフランケッティの「クリストフォロ・コロンボ」を指揮。(なおこれはヴェルディがトスカニーニの指揮を聴いた唯一の機会であった。) * 1895年 トリノ レージョ劇場の首席指揮者に就任。[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]]の「[[神々の黄昏 (楽劇)|神々の黄昏]]」をイタリア初演。 * 1896年 2月1日、レージョ劇場で[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]の「[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ラ・ボエーム]]」初演。3月20日、トリノで自身初の管弦楽演奏会を行う。 * 1897年 6月21日、ミラノでカルラ・デ・マルティーニと結婚。 * 1898年 3月21日、トリノで第1子となる息子ヴァルテル誕生。ヴェルディの「[[聖歌四編]]」のうち3つをイタリア初演。31歳でスカラ座芸術監督に任命され、12月26日、「[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]」でシーズン初日を飾る。 * 1899年 スカラ座でヴァーグナーの「[[ジークフリート (楽劇)|ジークフリート]]」をイタリア初演。 * 1900年 1月16日、長女ヴァッリ誕生。スカラ座で[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]の「[[エフゲニー・オネーギン (オペラ)|エフゲニー・オネーギン]]」をイタリア初演。ミラノ・リリコ劇場でレオンカヴァッロの「ザザ」を初演。プリマドンナの{{仮リンク|ロジーナ・ストルキオ|it|Rosina Storchio}}と恋に落ちる。 * 1901年 1月、ミラノでヴェルディが死去。トスカニーニはその後の追悼演奏会などで指揮。9月28日、次男ジョルジョ誕生。この年以降1906年まで4回にわたり、アルゼンチン ブエノス・アイレスのオペラ座で指揮。(ベルリオーズ「ファウストの劫罰」、プッチーニ「蝶々夫人」、[[フランチェスコ・チレア|チレア]]「[[アドリアーナ・ルクヴルール]]」など) * 1903年 4月を以てスカラ座芸術監督を辞任。原因は聴衆や新しい運営委員会との不和。 * 1906年 父クラウディオ、死去。6月10日、次男ジョルジョが[[ジフテリア]]のため死去。スカラ座に復帰。[[リヒャルト・シュトラウス]]の「[[サロメ (オペラ)|サロメ]]」イタリア初演をめぐり作曲者といざこざ。 * 1907年 トスカニーニの主張に従った新しいオーケストラピットが完成し、「神々の黄昏」で披露となる。12月5日、次女ヴァンダ誕生。 * 1908年 スカラ座にて[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]の「[[牧神の午後への前奏曲]]」イタリア初演。スカラ座と再び不和が生じ、辞任。インプレサリオ ガッティ・カザッツァを連れてニューヨーク市のメトロポリタン歌劇場に移り、[[グスタフ・マーラー]]と共に首席指揮者となる。11月16日、[[エンリコ・カルーソー|カルーソー]]を配した「アイーダ」で米国での初指揮。 * 1910年 パリにてメトロポリタン歌劇場引っ越し公演を行う。(プッチーニ「[[マノン・レスコー (プッチーニ)|マノン・レスコー]]」フランス初演など)12月10日、プッチーニの「[[西部の娘]]」初演。 * 1912年 夏期にブエノスアイレスの[[テアトロ・コロン|コロン劇場]]で指揮。  * 1913年 メトロポリタン歌劇場にて管弦楽指揮者としての米国デビュー。3月13日、[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]の「[[ボリス・ゴドゥノフ (オペラ)|ボリス・ゴドゥノフ]]」米国初演。ヴェルディの出生地ブッセートで行われた生誕100年記念祭にて指揮。 * 1915年 メトロポリタン歌劇場を辞任。原因は仕事上の数多くの幻滅や不和と女性問題(ソプラノ歌手兼女優の[[ジェラルディン・ファーラー]])。[[第1次世界大戦]]が始まり、帰国。以降1918年までは、イタリア国内での慈善演奏のみに出演。 * 1917年 バンドを率い前線にて慰問演奏。戦火の中の勇気に対し勲章を授与される。 * 1919年 ミラノ議会選挙で、[[ベニート・ムッソリーニ]]が党首を務める[[イタリア戦闘者ファッシ]](後の[[ファシスト党]])の候補者名簿に名を連ねる。 * 1920年 スカラ座管弦楽団を再編成し、(イタリアでの演奏も含む)北米演奏旅行を行う。その際、[[ニュージャージー州]][[カムデン (ニュージャージー州)|キャムデン]]で[[ビクタートーキングマシン|ビクター]]のために初めてのレコード制作を行う。公社となったスカラ座より総監督に指名される。 * 1921年 12月26日、1917年以降定期公演が途絶えていたスカラ座でシーズンを再開する。演目はヴェルディの「[[ファルスタッフ]]」であった。 * 1922年 [[ローマ進軍]]によりムッソリーニが権力を掌握。[[クーデター]]で権力を奪取したムッソリーニに幻滅したトスカニーニはこの新たな独裁者に対する抵抗を始める。   * 1924年 スカラ座にて[[アッリーゴ・ボーイト|ボイト]]の「ネローネ」初演。母パオラ、死去。 * 1926年 [[ニューヨーク・フィルハーモニック]]を初指揮。スカラ座にてプッチーニの「[[トゥーランドット]]」初演。 * 1927年 [[ウィレム・メンゲルベルク]]と共に[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]の常任指揮者に指名される。同フィルを指揮して初めてのラジオ演奏会を行う。 * 1929年 ウィーンとベルリンでスカラ座の引っ越し公演を行い歴史的成功を収めるが、直後にスカラ座を辞任。理由は、ムッソリーニがスカラ座を政治的に利用しようとしていることを察知したため。8月16日、ミラノで初孫(ヴァルテルの息子)ヴァルフレード誕生。 * 1930年 ニューヨーク・フィルを率いて欧州演奏旅行を行う。[[バイロイト音楽祭]]で非ドイツ系指揮者として初めて指揮。(「[[タンホイザー]]」と「[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]」)ニューヨーク・フィルの首席指揮者に指名される。 * 1931年 演奏会前にファシスト党歌「ジョヴィネッツァ」の演奏を拒否したとして、ボローニャで暴漢に襲われる。ファシスト政権下のイタリアでは演奏しないと決意。バイロイトで指揮。(「タンホイザー」と「[[パルジファル]]」) * 1933年 [[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]に初客演。以降、1937年まで客演を続ける。ドイツにおけるヒトラーの支配が強まったため、バイロイトでの指揮を拒否。6月19日、2人目の孫(ヴァッリの娘)エマヌエラ・ディ・カステルバルコ誕生。 * 1934年 10月2日、3人目の孫(ヴァンダの娘)ソーニャ・ホロヴィッツ誕生。 * 1935年 [[BBC交響楽団]]を指揮し、英国デビュー。(1937~39年にも客演。)[[ザルツブルク音楽祭]]で初指揮。(「[[フィデリオ]]」と「ファルスタッフ」)当地はファシストと無関係の音楽的中心地であった。 * 1936年 [[ニューヨーク・フィルハーモニック|ニューヨーク・フィル]]を辞任。ザルツブルクで「マイスタージンガー」等を指揮。パレスティナ交響楽団(現在の[[イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団|イスラエル・フィル]])の結成演奏会を指揮するためパレスティナに自費で初渡航。 * 1937年 ザルツブルクにて「[[魔笛]]」等を上演。舞台演出を伴うオペラ全曲上演としてはこれが最後となる。12月25日、[[NBC交響楽団]]の首席指揮者としてラジオ演奏会を開始。 * 1938年 [[オーストリア]]政府がドイツの[[ナチ]]政権と妥協する気配を察し、予定されていたザルツブルク音楽祭をキャンセル。ファシズムを逃れてきた演奏家によるコンサートをスイス [[ルツェルン]]にて開催(現在の[[ルツェルン音楽祭]])。パレスティナに再渡航し演奏会を行う。 * 1939年 義理の息子(ヴァンダの夫)[[ヴラディーミル・ホロヴィッツ]]をソリストとしてルツェルンで演奏会を行う。以後、第2次大戦終結まで欧州では演奏しなかった。 * 1940年 NBC響を率いて南米演奏旅行。 * 1941年 春、NBC響をいったん辞任。1941~42年のシーズンはNBC響と契約を交わさず、[[フィラデルフィア管弦楽団]]などに客演。 * 1943年 9月、[[ライフ (雑誌)|雑誌「ライフ」]]に公開書簡『米国民の皆さんへ』を掲載。12月、「諸国民の賛歌」を指揮するトスカニーニの姿を中心とした戦意高揚のための短編映画が製作される。 * 1944年 ニューヨーク市 [[マディソン・スクエア・ガーデン]]にて[[赤十字]]慈善演奏会を行う。 * 1946年 [[欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)#イタリアの終戦|1945年のイタリアの終戦]]によってムッソリーニが失脚しファシズムが打倒されたイタリアに帰国し、5月11日、爆撃で破壊されたスカラ座の再開演奏会を指揮。イタリアでの選挙と[[1946年王政廃止に関するイタリアの国民投票]]に参加。 * 1948年 3月20日、NBC響との演奏会が初めてテレビ中継される。6月10日、スカラ座でボイトの2作品の一部を上演。舞台演出を伴うオペラ上演はこれが最後となった。 * 1950年 NBC響を率いて米国演奏旅行。 * 1951年 6月23日、妻カルラ死去。73歳。 * 1952年 スカラ座でお別れ演奏会を行う。英国 [[フィルハーモニア管弦楽団]]に客演。これらが欧州での最後の指揮となる。 * 1954年 4月4日、[[カーネギー・ホール]]でNBC響と最終演奏会を行い、68年間に及ぶ指揮者人生を終える。(6月に録音作業のため2度指揮する。)夏に帰国。 * 1955年 2月28日、米国に戻り、以後帰国しなかった。自宅で息子ヴァルテルらと共に発売可能な録音の選定等を行う。 * 1957年 元日早朝に[[脳血栓]]の発作を起こし、1月16日、ニューヨーク市 [[リバーデイル]]の自宅にて死去。{{没年齢|1867|3|25|1957|1|16}}。ミラノの家族墓地に埋葬される。 == 逸話 == {{出典の明記|date=2015年9月11日 (金) 15:19 (UTC)}} * [[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]の遺作オペラ『[[トゥーランドット]]』の初演に際し、[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]臨席のもとで演じることが決められていたが、[[ファシスト党]]政権に反発するトスカニーニは、国歌と扱われていた党歌「青春の歌」の演奏を拒んだ。このためにムッソリーニは初演に立ち会っていない。 *未完に終わった「トゥーランドット」をプッチーニの弟子[[フランコ・アルファーノ|アルファーノ]]が補作したが、トスカニーニは補作のフィナーレの直前で演奏を止め「巨匠は、ここで筆を絶ちました」と言って指揮台を降り、公演はそこで終了した。トスカニーニが公演中に声を発したのは、この時のみである(スカラ座やメトロポリタン歌劇場で聴衆と口論をしたとのエピソードも残っているが、これは非常時の出来事に近かった)。トスカニーニはオペラピットを去り、場内の照明が灯り、聴衆も静かに帰ったという。 * オーケストラをリハーサルで徹底的に鍛え、妥協を許さない専制的な指揮者であった。こうした態度はオーケストラのみならずオペラ歌手にまで及んだ(それまでのオペラ上演は歌手中心で、トップ歌手は指揮者の統制を受けないのが普通だった)。 * 暗譜能力は驚異的であり、合奏曲約250曲の全パート、オペラ約100曲の譜面と歌詞、更に多くの小品を完璧に覚えていたという。 * 元来、トスカニーニはパルマ音楽院では作曲科の学生であった。ところが学生のときワーグナーの楽劇『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』を観覧し作曲家になることを断念{{要出典|date=2023年4月29日 (土) 06:53 (UTC)}}、そのままチェロ科に移ってしまった。 * 演奏家としてのトスカニーニは作曲者が第一という考え方をしており、フルトヴェングラー(後述)や[[ウィレム・メンゲルベルク|メンゲルベルク]]、[[レオポルド・ストコフスキー|ストコフスキー]]など自己主張の強いタイプの芸風に対しては否定的で、個人的に親しくなることもなかった。 * [[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]の「[[ボレロ (ラヴェル)|ボレロ]]」を指揮した際、興奮した会場の聴衆の拍手に、作曲者同席の際の慣例に従ってトスカニーニはラヴェルを立たせて巻き起こる拍手を作曲者に向けようとしたが、テンポの解釈の違いからラヴェルは自分の席に座ったままで、聴衆の拍手には応えようとしなかったという。この行動はすぐに新聞紙上で騒がれるなど一時は音楽界格好の話題となったが、後にラヴェルはトスカニーニへの手紙の中で、この事件が実は誤解に基づくものであることを説明している{{要出典|date=2023年4月29日 (土) 06:53 (UTC)}}。 * 非常に短気であり、オーケストラのリハーサルの際には怒鳴り声を発することは頻繁にあった。戦前に出演した[[バイロイト音楽祭]]では、オーケストラが一音出すたびに「ノー、ノー!」と怒鳴るので「トスカノーノ」というあだ名を付けられていた。トスカニーニの癇癪も計算の内で、弛緩した雰囲気に喝を入れるのが目的であった。オーケストラが指示通りに演奏すると怒ることはなく、リハーサルは極めて短時間で終わった。 * [[リハーサル]]中に激怒すると、[[指揮棒]]を折る、[[総譜|スコア]]を破く、インク瓶や懐中時計を地面に投げつける、[[譜面台]]を壊したりするということもよくあり、[[コンサートマスター]]の指を指揮棒で刺してしまい、裁判沙汰になったこともあった。しかし一通り暴れ終わった後は平然とした顔で「それではリハーサルを始めましょう」と何喰わぬ顔でリハーサルを始めた。また、いかにもイタリア人らしく激しく怒っても翌日には忘れてしまい、まったく後に引くということがなかった。翌日も怒りが残る[[ジョージ・セル]]とは対極をなし、常日頃からオーケストラの団員との会話を図るなどして人間関係の維持には心を砕いたので憎まれるようなことはなかったという{{要出典|date=2023年4月29日 (土) 06:53 (UTC)}}。 * オーケストラ団員から非常に恐れられていたが、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団|ウィーン・フィル]]は別であった。ある時トスカニーニがウィーン・フィルとのリハーサル中に激しく怒り、スコアを両手で持って地面に叩きつけると、高名なチェロ奏者フリードリッヒ・ブックスバウム([[ロゼー弦楽四重奏団]]のメンバー)は自分のパート譜をそっとスコアの隣に置いたという{{要出典|date=2023年4月29日 (土) 06:53 (UTC)}}。しかし、トスカニーニはこの優れたオーケストラに一目置き、リハーサルで憤激することも非常に稀になり良好な関係を保っていた。 * 大変な好色家で、共演者の歌手との浮名を流すこともしばしばであった。また、トスカニーニが怒り狂った時にそれをなだめるため、若い女性があてがわれていた。それについて妻は常に悩んでいたという。しかし家族愛は強く家族の人数分のハートを彫刻した腕輪をはめていたり、孫のソニア(娘ワンダと娘婿[[ウラディミール・ホロヴィッツ|ホロヴィッツ]]との間の娘)を溺愛し、結果的に断られたものの一時は養子にしてくれるように頼んだことも知られている。臨終の際、ソニアが見舞いに来たときトスカニーニは、「おお、ソニア、ソニア。来てくれたのか。おじいちゃん、もうすぐ死ぬからな」と言ったという{{要出典|date=2023年4月29日 (土) 06:53 (UTC)}}。 * [[ジークフリート・ヴァーグナー|ジークフリート・ワーグナー]]の死後、相性が合わなかった[[未亡人]]の[[ヴィニフレート・ヴァーグナー|ヴィニフレート]]が[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]に接近すると、トスカニーニは「全てが変わらん限り私は帰らない!」と叫んで[[バイロイト音楽祭]]から身を引いた。さらに[[1937年]]、[[ザルツブルク]]の路上でフルトヴェングラーと会い口論となった。両者は前年の[[ニューヨーク・フィルハーモニック|ニューヨーク・フィル]]の引き継ぎをめぐって感情のしこりがあったが、フルトヴェングラーがドイツに留まっていることに対し、トスカニーニは彼が[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の言いなりであると解釈しており、双方は険悪な関係となっていた。「あなたはナチだから出ていけ!自由な国と奴隷化された国の双方では指揮する資格はない」、「あなたにまかせるなら出て行きます。でも音楽家にとって自由な国も奴隷化された国もない。演奏するのがたまたまヒトラーの国といって、ヒトラーの部下とは限らない。偉大な音楽こそナチスの敵ではないですか!」、「[[第三帝国]]で指揮する者は全てナチスだ!」といった内容で喧嘩別れした。以後、2人が会うことはなかったといわれる。ただし、[[1948年]]に[[シカゴ交響楽団]]がフルトヴェングラーを招聘しようとした際、米国の音楽家たちの多くが反対の意思を示した一件の時の反対の署名の中にトスカニーニの名前は存在しない([[ブルーノ・ワルター|ワルター]]も署名していない)。バイロイト音楽祭との絡みで、トスカニーニは最も敬愛するヴェルディのためにヴェルディの出身地[[ブッセート]]でバイロイトのワーグナー祭を模したヴェルディ祭を開催する願望を抱いていたが、これは結局実現に至っていない。 == 主要な録音 == === モノラル録音 === 特記なき場合はNBC交響楽団。 *J.S.バッハ:G線上のアリア(1946) *J.シュトラウスII世:トリッチ・トラッチ・ポルカ(1941)、美しく青きドナウ(1941&1942) *R・シュトラウス:楽劇「サロメ」~[[7つのヴェールの踊り]](1939)、交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(1952)、交響詩「ドン・キホーテ」(1953)、交響詩「ドン・ファン」(1951)、交響詩「死と変容」(1952)、同(フィラデルフィア管弦楽団、1942) *アンゲラー:おもちゃの交響曲(1941) *ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲(1951)、歌劇「オベロン」序曲(1952)、歌劇「魔弾の射手」序曲(1945)、同(1952)、舞踏への招待(1951)、同(BBC交響楽団、1938) *ヴェルディ:カンタータ「諸国民の賛歌」(1943)、テ・デウム(1954)、レクイエム(1951)、歌劇「アイーダ」(1949)、歌劇「オテロ」(1947)、歌劇「オテロ」~バレエ音楽(1948)、歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲(1942)、「ナブッコ」~合唱「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」(1943)、「ファルスタッフ」(1950)、「リゴレット」~第3幕(1944)、「ルイザ・ミラー」~アリア「穏やかな夜には」(1943)、「ルイザ・ミラー」序曲(1943)、「運命の力」序曲(1945)、「運命の力」序曲(1952)、「仮面舞踏会」(1954)、歌劇「十字軍のロンバルディア人」~ここに体を休めよ(1943)、「椿姫」(1946)、「椿姫」~第1幕への前奏曲(ニューヨーク・フィル、1929)、同(1941)、「椿姫」~第3幕への前奏曲(1941)、同(ニューヨーク・フィル、1929) *エルガー:エニグマ変奏曲(1951) *エロール:歌劇「ザンパ」序曲(1952) *ガーシュイン:パリのアメリカ人(1945) *カタラーニ:歌劇「ローレライ」~水の精の踊り(1952)、歌劇「ワリー」~第4幕への前奏曲(1952) *カバレフスキー:「コラ・ブルニョン」序曲 *グリンカ:スペイン序曲第1番「ホタ・アラゴネーサ」(1950)、幻想曲「[[カマリンスカヤ]]」(1940) *グルック:歌劇「アウリスのイフィゲニア」序曲(1952)、歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」第2幕~精霊の踊り(1946)、同(ニューヨーク・フィル、1929)、「オルフェオとエウリディーチェ」第2幕(1952) *グローフェ:組曲「大峡谷」(1945) *ケルビーニ:交響曲(1952)、レクィエム(1950)、歌劇「アナクレオン(又は「束の間の恋」)序曲」(1953)、歌劇「アリ・ババ」序曲(1949)、歌劇「メデア」序曲(1950) *コダーイ:組曲「ハーリ・ヤーノシュ」(1947) *サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」(1952)、「死の舞踏」(1950) *シベリウス: 交響曲第2番ニ長調(1940)、 トゥオネラの白鳥(1944)、交響詩「フィンランディア」(1952)、交響詩「ポヒョラの娘」(1940) *シューベルト:交響曲第5番変ロ長調(1953)、交響曲第8(7)番ロ短調「未完成」(1950)、交響曲第9番ハ長調「ザ・グレイト」(1947)、同(1953)、同(フィラデルフィア管弦楽団、1941) *シューマン:交響曲第3番変ホ長調「ライン」(1949)、劇音楽「マンフレッド」(1946) *ショスタコーヴィチ:交響曲第1番ヘ短調(1944)、交響曲第7番「レニングラード」(1942) *スーザ:カピタン行進曲(1945)、星条旗よ永遠なれ(1945) *スッペ:「詩人と農夫」序曲(1943) *ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)~第1場「謝肉祭の市場」/第4場「謝肉祭の市場」夕方(1940) *スミス::星条旗(1942) *スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲(1946)、交響詩「わが祖国」~「モルダウ」(1950) *チマローザ:歌劇「計略結婚」序曲(1949)、歌劇「秘密の結婚」序曲(1943) *チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(1947)、同(フィラデルフィア管弦楽団、1942)、交響曲「マンフレッド」(1949)、バレエ「くるみ割り人形」組曲(1951)、ピアノ協奏曲第1番変ロ短調(ヴラディーミル・ホロヴィッツ(P)、1941)、ピアノ協奏曲第1番変ロ短調(ホロヴィッツ、1943)、幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1946) *デュカス:「魔法使いの弟子」(1950)、同(ニューヨーク・フィル、1929) *ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」(1953) *ドニゼッティ:歌劇「ドン・パスクァーレ」序曲(1951) *ドビュッシー:交響詩「海」(1950)、同(フィラデルフィア管弦楽団、1942)、牧神の午後への前奏曲(1953)、管弦楽のための「映像」~イベリア(1950)、同(フィラデルフィア管弦楽団、1941)、夜想曲~雲/祭り(1948) *トマ:歌劇「ミニョン」序曲(1942)、同(1952) *バーバー:弦楽のためのアダージョ(1942) *ハイドン:交響曲第88番「V字」(1938)、交響曲第94番「驚愕」(1953)、交響曲第98番(1945)、交響曲第99番(1949)、交響曲第101番「時計」(1946〜1947)、同(ニューヨーク・フィル、1929)、協奏交響曲(1948) *パガニーニ:常動曲(1939) *ビゼー:「カルメン」組曲より(1952)、「アルルの女」組曲より(1952) *プッチーニ:歌劇「ボエーム」(1946)、歌劇「マノン・レスコー」~間奏曲(1949) *ブラームス:交響曲第1番(1941)、同(1951)、同(フィルハーモニア管弦楽団、1952)、交響曲第2番(1952)、同(フィルハーモニア管弦楽団、1952)、交響曲第3番(1952)、同(フィルハーモニア管弦楽団、1952)、交響曲第4番(1951)、同(フィルハーモニア管弦楽団、1952)、大学祝典序曲(1948)、悲劇的序曲(1953)、同(BBC交響楽団、1937)、同(フィルハーモニア管弦楽団、1952)、ハイドンの主題による変奏曲(1952)、同(ニューヨーク・フィル、1936)、同(フィルハーモニア管弦楽団、1952)、ハンガリー舞曲第1,17,20,21番(1953)、ピアノ協奏曲第2番(ホロヴィッツ〈ピアノ〉、1940)、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲(ミッシャ・ミシャコフ(Vn),フランク・ミラー(Vc)、1948)、セレナード第2番(1942)、ワルツ集「愛の歌」(1948)、運命の女神たちの歌(1948)、 *フランク:交響曲(1940&1946)、交響詩「プシュケ」~第4曲「プシュケとエロス」(1952) *プロコフィエフ:交響曲第1番「古典交響曲」(1951) *フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲(1952) *ベートーヴェン:交響曲第1番(1951)、同(BBC交響楽団、1939)、交響曲第2番(1949&1951)、交響曲第3番「英雄」(1939)、同(1949)、同(1953)、交響曲第4番(1951)、同(BBC交響楽団、1939)、交響曲第5番(1939)、同(1952)、交響曲第6番「田園」(1952)、同(BBC交響楽団、1937)、交響曲第7番(1951)、同(ニューヨーク・フィル、1936)、交響曲第8番(1939)、同(1952)、交響曲第9番「合唱」(1952)、「プロメテウスの創造物」序曲(1944)、序曲「コリオラン」(1945)、「レオノーレ」序曲第1番(BBC交響楽団、1939)、「レオノーレ」序曲第2番(1939)、「レオノーレ」序曲第3番(1939)、同(1945)、序曲「献堂式」(1947)、ヴァイオリン協奏曲(ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn)、1940)、ピアノ協奏曲第1番(アニア・ドーフマン(P)、1945)、ピアノ協奏曲第3番(アルトゥール・ルービンシュタイン(P)、1944)、ピアノ協奏曲第4番(ルドルフ・ゼルキン(P)、1944)、ミサ・ソレムニス(1953)、歌劇「フィデリオ」(1944)、歌劇「フィデリオ」第1幕~悪者よ、どこへ急ぐのだ(1945)、劇音楽「エグモント」序曲(1939)、同(1953)、弦楽四重奏曲第16番~第2・3楽章(1938)、七重奏曲(1951) *ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」(1947)、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」~マブ女王のスケルツォ(1951)、同(フィラデルフィア管弦楽団、1942)、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」~第2部(1947)、交響曲「イタリアのハロルド」(1953)、序曲「ローマの謝肉祭」(1953)、劇的物語「ファウストの劫罰」~ラコッツィ行進曲(1945) *ボイト:歌劇「メフィストーフェレ」~プロローグ(1954) *ポンキエルリ:歌劇「ジョコンダ」~時の踊り(1952) *ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」(1953) *メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調「イタリア」(1954)、交響曲第5番ニ長調「宗教改革」(1953)、劇音楽「真夏の夜の夢」(抜粋)、同(フィラデルフィア管弦楽団、1942)、劇音楽「夏の夜の夢」~スケルツォ(1946)、同(ニューヨーク・フィル、1926)、同(ニューヨーク・フィル、1926)、弦楽八重奏曲~スケルツォ(1945)、八重奏曲(1947) *モーツァルト:交響曲第35番ニ長調「ハフナー」(1946)、同(ニューヨーク・フィル、1929)、交響曲第39番変ホ長調(1948)、交響曲第40番ト短調(1938&1939)、同(1950)、交響曲第41番ハ長調「ジュピター」(1945&1946)、ディヴェルティメント第15番(1947)、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲(1941)、歌劇「フィガロの結婚」序曲(1947)、歌劇「魔笛」序曲(BBC交響楽団、1938)、同(1949)、ファゴット協奏曲(1947) *ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲(1949) *リャードフ:キキモラ(1952) *レスピーギ:交響詩「ローマの祭り」(1949)、同(フィラデルフィア管弦楽団、1941)、交響詩「ローマの松」(1953)、交響詩「ローマの噴水」(1951) *ロッシーニ:歌劇「絹のはしご」序曲(BBC交響楽団、1938)、歌劇「アルジェのイタリア女」序曲(1950)、同(ニューヨーク・フィル、1936)、歌劇「ウィリアム・テル」~6人の踊り(1945)、歌劇「ウィリアム・テル」序曲(1939)、同(1953)、歌劇「コリントの包囲」序曲(1945)、歌劇「シンデレラ(チェネレントラ)」序曲(1945)、歌劇「セビリャの理髪師」序曲(1945)、同(ニューヨーク・フィル、1929)、歌劇「セミラーミデ」序曲(1951)、同(ニューヨーク・フィル、1936)、歌劇「どろぼうかささぎ」序曲(1945)、歌劇「ブルスキーノ氏」序曲(1945) *ワーグナー:ジークフリート牧歌(1946)、同(1952)、同(ニューヨーク・フィル、1936)、歌劇「タンホイザー」~序曲とヴェヌスベルクの音楽(1952)、歌劇「ローエングリン」~第1幕への前奏曲(1941)、同(1951)、同(ニューヨーク・フィル、1936)、歌劇「ローエングリン」~第3幕への前奏曲(1951)、同(ニューヨーク・フィル、1936)楽劇「ジークフリート」~森のささやき(1951)、楽劇「トリスタンとイゾルデ」~愛の死(1942)、楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死(1952)、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~第1幕への前奏曲(1946)、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~第3幕への前奏曲(1951)、楽劇「ワルキューレ」~ワルキューレの騎行(1946)、同(1952)、楽劇「ワルキューレ」第1幕~第3場(1941)、楽劇「神々の黄昏」~「夜明けとジークフリートのラインへの旅」(1941)、楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートのラインへの旅(1941)、楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートの死と葬送行進曲(1941)、同(1952)、楽劇「神々の黄昏」~ブリュンヒルデとジークフリートの二重唱(1941)、楽劇「神々の黄昏」~ブリュンヒルデの自己犠牲(1941)、楽劇「神々の黄昏」~夜明け(1941)、楽劇「神々の黄昏」~夜明けとジークフリートのラインへの旅(1949)、序曲「ファウスト」(1946)、舞台神聖祝典劇「パルジファル」~聖金曜日の音楽(1949)、舞台神聖祝典劇「パルジファル」~第1幕への前奏曲(1949) *ワルトトイフェル:スケーターズ・ワルツ(1945) *「イギリス国歌」(フィルハーモニア管弦楽団、1952) 雑誌『レコード芸術(第56巻第12号)』2007年12月号(音楽之友社)には三田晴久編の極めて詳細なディスコグラフィが収載されている。 === ステレオ録音 === すべてNBC交響楽団。 *ヴェルディ:レクイエム(ヘルヴァ・ネッリ〈ソプラノ〉、フェドーラ・バルビエーリ〈メゾ・ソプラノ〉、ジュゼッペ・ディ・ステーファノ〈テノール〉、チェーザレ・シエピ〈バス〉、ロバート・ショウ合唱指揮ロバート・ショウ合唱団、1951年1月27日) **1951年のRCAレコードのモノラル盤と同一の演奏。ただ、この時にはRCA社がモノラルで録音していたのと同時に、カーネギー・ホールも別のマイクを立ててモノラル録音をおこなっていた。こうした偶然の結果として、マイク位置が異なる2種の録音が残された。そこで、この2種の音源をコンピューターで合成してステレオ録音としたもの。 *ワーグナー:『ローエングリン』~第1幕前奏曲・『ジークフリート』~森の囁き・『神々の黄昏』~ジークフリートのラインへの旅・『タンホイザー』~序曲とバッカナール・『マイスタージンガー』~第1幕前奏曲(以上、1954年4月4日) **トスカニーニの最後の公開演奏会のライヴ録音 *ロッシーニ:「セヴィリャの理髪師」序曲(1954年3月21日) *チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(ただし第3楽章最後が欠落)(1954年3月21日) == 映像記録 == *『Arturo Toscanini The Original Ten Televised Concerts 1948-1952 with NBC Symphony Orchestra アルトゥーロ・トスカニーニ TVコンサート』(DVD5枚組)東芝EMI、 2002 *:トスカニーニの演奏会中、テレビ中継された10回分のDVD化。モノクロ映像。モノーラル録音。収録時間約600分。英語音声(日本語字幕)。以前レーザーディスクとして発売されていた。 *“Toscanini: The Maestro” BMG Music, 2004. *:映像で見るトスカニーニ略伝。収録時間約98分。英語音声(日本語字幕)。さまざまな資料映像や関係者へのインタビューを交え、トスカニーニの生涯と業績を概観できる。NBC響のメンバーや共演した歌手アルバネーゼ、ネッリらの証言は(特に日本では)見る機会が稀である。トスカニーニ家のホームビデオ映像(カラー)も含まれる。トスカニーニの演奏を抜粋したCDを同梱。なお、このDVDはRCAから発売されたトスカニーニ全集にも含まれている。 *“Toscanini: In His Own Words”, Medici Arts International, 2009. *:「引退後のトスカニーニ家での会話」という設定の会話劇。引退した年である1954年の大晦日にトスカニーニ家に家族や知人が集まり、思い出話をするというもの。収録時間約70分。英語(独・仏)音声(日本語の音声・字幕はない)。俳優が演じているが完全なフィクションではなく、隠し録りされたトスカニーニの実際の発言や手紙を元にした「再現ドラマ」である。話題は家族のことからベートーヴェン、ヴァーグナー、ヴェルディ、他の指揮者、マリア・カラスなど音楽関係、さらに影響を受けた過去の出来事(イタリア独立運動、ヒトラー、ムッソリーニなど)まで多岐にわたる。関連する資料映像も見ることができる。[[ハーヴェイ・サックス]]が脚本・監修を担当している。 == 関連図書 == *タウブマン, H.(1966)『トスカニーニ 生涯と芸術』(渡辺暁雄訳)東京創元社 :トスカニーニ存命中に出版された伝記の抄訳。タウブマンはニューヨークタイムズ紙の音楽評論家。トスカニーニ本人とも親しく、1950年のNBC響全米ツアーにも同行した。 *グレーラー, L.(1985)『ヴァイオリンはやさしく音楽はむずかしい 20世紀楽壇の逸話集』(暮良結子訳)全音楽譜出版社 :グレーラーはヴァイオリニスト。NBC交響楽団に在籍し、その後来日して日本フィルハーモニーなどで活躍した。 *ブルクハウザー, H.(1986)『ウィーンフィルハーモニー ファゴットは語る トスカニーニとの出会い』(芹沢ユリア訳)文化書房博文社 :ブルクハウザーはウィーン・フィルのファゴット奏者であり、楽団長も務めた。20世紀前半のウィーンフィル逸話集だが、実際はかなりの分量がトスカニーニ関連の内容に当てられている(トスカニーニがウィーン・フィルに客演したのは、ザルツブルク音楽祭を含めても5年間のみ)。トスカニーニ客演時のエピソードや当時の欧州楽壇の雰囲気などを記述。 *諸石幸生(1989)『トスカニーニ その生涯と芸術』音楽之友社 :巻末の詳細なディスコグラフィー(三田晴久編)もある。 *サックス, H.(1995)『トスカニーニの時代』(高久暁訳)音楽之友社 :ハーヴェイ・サックスは、トスカニーニの伝記の著者。この本はその「副読本」に当たる。伝記では個々のトピックの考察に紙幅を割いていないが、この本ではトピックごとに章を立てて考察している。諸石の著作の巻末ディスコグラフィーの補遺を収載。 *山田治生(2009)『トスカニーニ 大指揮者の生涯とその時代』(叢書・20世紀の芸術と文学)アルファベータ :未翻訳のトスカニーニ関係文献を含め、現時点で入手可能なトスカニーニに関する情報が網羅的に盛り込まれている。巻末にはメトロポリタン歌劇場時代の演奏記録等を収載。 == トスカニーニ財団 == 定期的に国際指揮コンクールを開催している。国際作曲コンクールも以前は行われていたが、予算難で休会。 == 関連項目 == * [[NBC交響楽団]] * [[イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団]] * [[アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団]] * トスカニーニ 愛と情熱の日々[[:en:Young Toscanini|(英語版、Young Toscanini)]][[:it:Il giovane Toscanini|(イタリア語版、Il giovane Toscanini)]](1988年の映画) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈・出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *Freeman, J. W., et al. (1987), ''Toscanini: Portraits of Greatness'', Treves Puglishing Company. p. 75. *Sachs, H. (1978), ''Toscanini'', Weidenfeld and Nicolson. *Arturo Toscanini [http://www.toscaninionline.com official website] *[http://www.allmusic.com/artist/arturo-toscanini-mn0000196439 アルトゥーロ・トスカニーニ] - [[Allmusic]] *{{findagrave|1198}} * [http://www.wyastone.co.uk/nrl/pvoce/7858c.html Toscanini's reforms at La Scala] *[http://www.classicalrecordings.org/znbc/index.html Toscanini and the History of the NBC Symphony plus Live WWII broadcast] == 外部リンク == * [http://www.toscaninionline.com/ Toscanini Online] (in Englisch) * {{Wayback|url=http://www2u.biglobe.ne.jp/~toshome/main/TOSCA.html |title=The Art of Arturo Toscanini(日本語・英語) |date=20020606165104}} {{先代次代|[[レージョ劇場 (トリノ)|レージョ劇場]]<br />音楽監督|1895年 - 1898年|[[カルロ・ペドロッティ]]|[[ヴィットリオ・グイ]]}}{{ミラノ・スカラ座音楽監督}}{{メトロポリタン歌劇場指揮者}} {{ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督}} {{NBC交響楽団常任指揮者}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とすかにいに あるとうろ}} [[Category:イタリアの指揮者]] [[Category:アメリカ合衆国の指揮者]] [[Category:ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者]] [[Category:パルマ出身の人物]] [[Category:1867年生]] [[Category:1957年没]]
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仕掛人・藤枝梅安
『仕掛人・藤枝梅安』(しかけにん ふじえだばいあん)は、池波正太郎の娯楽時代小説シリーズ。鍼医者・藤枝梅安の、暗殺稼業「仕掛人」としての活躍を描く。『小説現代』で1972年(昭和47年)から1990年(平成2年)の間に発表した全20篇の連作時代小説であり、『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ著者の代表作である。テレビドラマ化や漫画化もされており、必殺シリーズの翻案元としても知られる。 連載中に池波が他界したことによる未完の『梅安冬時雨』が、結果として最終巻となった。 1972年(昭和47年)『小説現代』3月号に掲載された『おんなごろし』から、1990年(平成2年)『小説現代』4月号で作者の死去によって中断するまで連載された連作娯楽時代小説シリーズである。 「仕掛人」と呼ばれる江戸時代の暗殺者の活躍を描くものであるが、この「仕掛人」を主題に据えた作品自体は1971年(昭和46年)に『小説新潮』11月号で発表された短編『殺しの掟』が初出である。後述する『必殺仕掛人』との並行もあって、『殺しの掟』を下敷きに江戸は品川台町に居を構える鍼医者・藤枝梅安を主人公として連載を始めたのが本作である。 江戸は品川台町で評判の診療所を開き、貴賎の別なく治療を施す鍼医者の藤枝梅安は、裏稼業として金で殺しを請け負う仕掛人でもあった。梅安は蔓(依頼者より殺しを請け負い仲介する者のこと)より殺しの依頼を受けると、表稼業の道具でもある鍼を武器に、何の痕跡もなく標的を暗殺していく。 本作では仲介者を経て金の受け渡しをする殺人請負のシステムを「仕掛け」と呼び、それを実行する殺し屋を「仕掛人」と呼ぶ。 依頼は必ず蔓と呼ばれる仲介者を経由しなければならないなど、基本的に以下の順番を経る。 頼み料は難易度や事情によっても異なるが、梅安の場合では最高で300両、最低で20両。概ねは50両から150両の間で推移していた。この内、半分を蔓が取り、残り半分が仕掛人の報酬となる。ただし、この半分もさらに前金と後金の半分にされ、依頼の達成によって全額が払われる仕組みとなっている。また、仕事を請けて前金を受け取った場合、原則として降りることはできず、死んでもやりとげねばならない。 また、仕掛けの定法として仕掛けに必要なこと以上の情報は仕掛人に伝えないというものがあり、基本的に仕掛人はその依頼の背景や頼み人も知らず、ただ教えられた標的を殺害するだけである。このため、その依頼が妥当かどうかは蔓の信用の高さや、仕掛人と蔓の信頼関係の厚さにより、作中でもしばしばテーマになる。作中に登場して梅安に依頼する蔓は、梅安が理不尽な殺しを嫌うことを前提としており、そのような殺しの依頼はしないか、そもそも引き受けない。このため、蔓が騙して理不尽な殺しをさせようとしたり、調査に手抜かりがあって危うく誤った人物を殺害しそうになるなど、両者の関係を破壊するようなことが発覚した場合、蔓が処断されることもある(『梅安晦日蕎麦』など)。 本作では『鬼平犯科帳』の盗人用語のように、作者の池波による造語が登場する。 本作の時代設定は江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の治世下である1799年(寛政11年)から始まり、最終作となる『梅安冬時雨』では1806年(文化3年)となっている。 他の作品と比較すると、田沼時代がメインとなる『剣客商売』(安永6年(1777年)から天明4年(1784年))や、長谷川平蔵が火付盗賊改役であった期間である『鬼平犯科帳』(天明7年(1787年)から寛政期(1789年から1801年))のやや後の時代となっている。 共通する人物として秋山小兵衛の親友・牛堀九万之助や金子孫十郎がおり、小杉十五郎は、牛堀九万之助の弟子で、牛掘亡き後の後継者争いに巻き込まれることとなる。『鬼平犯科帳』などで盗人用語として良く知られる作者の造語は本作でもよく用いられ、反対に「仕掛人」や「蔓」といった本作特有の造語も、他作品でしばしば用いられている。『剣客商売』で秋山小兵衛が「仕掛人」について否定的なコメントをするなど、仕掛人自体の存在もおぼろげながら知られている設定になっている。また、両作品と比較すると実在の人物や実在のできごとが引き合いに出されることは少ない。 作者の死去により未完。 フジテレビの『時代劇スペシャル』枠で放送された。タイトルは原作と同じく、中黒「・」を用いる。 原作にある中黒「・」は用いない。 原作にある中黒「・」は用いない。 1981年公開の日本映画。主演:萬屋錦之介、監督:降旗康男。製作、東映・東映太秦映画村、配給、東映。タイトルは「仕掛人梅安」で、「・藤枝」を省いている。萬屋錦之介、最後の映画主演作(最後の出演映画は、1989年の『千利休 本覺坊遺文』)。併映『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』。 企画は岡田茂東映社長。当初は1981年の正月映画として公開を構想し、岡田が池波正太郎に会い製作を決めた。萬屋錦之介も映画化を希望。岡田と錦之介は、岡田が京都撮影所長時代に外様の鶴田浩二を中心とした製作スケジュールを組んだことに錦之介が感情的になり、ここから仲違いするようになって、錦之介が自分のグループを作ったことが俳優クラブに発展し、会社とグループの板挟みに遭い東映退社に追い込まれたというシコリがあった。岡田社長が、岡田にとっても錦之介にとっても弟分、親友である当時フリーだった沢島忠に「久しぶりに東映で監督しろ」と声をかけていたが、池波が、「沢島という監督はしらない。代えてくれ」とクレームを付け、監督は池波の希望する降旗康男に交代した。若き日には岡本喜八らと並び称され、今なお時代劇ファンには高く評価されている沢島だが、大作経験が殆どないまま映画界を退いていたこともあり、洋画中心の映画ファンである池波の記憶に残っていなかった。また、少し前に映画化された「雲霧仁左衛門」「闇の狩人」の出来栄えに池波が怒りに近い不満を抱き、人選に神経質になっていたことも沢島には災いした。 1981年の正月興行は東映内部で紛糾し(『青春の門)』参照』)、本作は宣伝部から「やや地味」と評価され、製作発表では正月第二弾と発表されたが、後ろに押し出され、岡田社長は2月公開に変更し、1981年に原作ものを連打してダッシュを図ろうという目論み、講談社の時代もので一番売れていた池波正太郎の原作を映画化し、出版社と宣伝もガッチリ組んで売り込むというプランを立てていた。また併映作『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』と合わせ、6月封切りの大作『魔界転生』との流れで、うまく絡めて売り込めば時代劇への新しい興味を刺激できると期待した。しかしこの2月公開予定もさらに後ろに延ばされ、1980年12月に東映本社であった番組予定発表では、1981年4月4日公開と発表された。 降旗の監督起用は必須条件となったが、降旗は1980年9月に『駅 STATION』の挨拶で有楽町東宝本社に松岡功社長を訪ね、その足で近所である銀座東映本社の岡田社長に挨拶に行った。東映育ちの降旗が初めて東宝で映画を撮ることになり、当時はフリーになっていたが、仁義を通すための挨拶だったが、岡田から見れば「カモネギ状態」。しかし降旗はこの年12月のクリスマスイブに北海道札幌で『駅 STATION』のクランクインが決まっていたため、制作期間が充分でないことから最初は「ムリ」と断ったが「『駅 STATION』に入る前に終わらせるようにするから」と説得され引き受けた。しかしホン直しが上手くいかず、岡田社長の部屋で、「やめよう」という話になり、降旗が「じゃあ僕は明日から東宝へ行きますので」と部屋を出た。1階降りた企画製作部に寄ると、そこで酒盛りをやっていて一緒に1時間ぐらい飲んでいた。降旗は東映の監督では「東の降旗、西の山下耕作」と呼ばれた酒豪。岡田社長から「ちょっと社長室に来てくれ」と呼び戻され、「どうしてもやらなければならない事情があるから頼むよ」と言われた。1965年の組合騒動と岡田が時代劇映画の製作中止を決めたことで、岡田と錦之介は袂を分かったが、錦之介にとって岡田は育ててくれた恩人で、兄貴分とも叔父貴分ともいえる存在に変わりなかった。錦之介が社長を務める『中村プロダクション』に岡田は資金援助もしていた。降旗は「そのまま(企画製作部に)立ち寄らず帰っていたら監督を引き受けてなかったと思う」と話している。結局、本来『駅 STATION』の準備に企てなければいけない期間に本作の撮影をさせられた。降旗は『駅 STATION』のスタッフとの顔合わせも出来ず。ロケハンにも全く参加出来ず、ロケハンは田中寿一プロデューサーと木村大作、高倉健の3人でやり、撮影準備は木村がほとんどやったという。 1980年11月11日、東映本社8階会議室で、岡田東映社長、池波正太郎、降旗康男、萬屋錦之介、伊丹十三、小川真由美、真行寺君枝らが列席し、製作発表会見が行われた。降旗は「私を選んで貰い、大変光栄だ。西部劇のようなダイナミックなアクションを盛り込んだ痛快なものになれば」と話し、萬屋は「チャンバラは昔から興味があったので梅安を演じることに誇りと感謝の気持ちでいっぱいだ。梅安の昼と夜とガラリと変る性格に挑む。映画のために10キロ減量した」などと話した。梅安の敵役に扮する伊丹十三は「悪役を演じられるということは俳優として全てのものを発揮できるということで、非常に嬉しい。時代劇が少なく寂しく思っていた。父も時代劇を撮り続けていたので、私も時代劇に出るからには、面白いものにしたい」と話した。伊丹十三と中村嘉葎雄は降旗が希望したキャスティング。本作は小川真由美、真行寺君枝、宮下順子と主要キャストに三人の女優が出演するが、小川が「私のが一番悪い女なんですよ。だから何回も代えて下さいと(プロデューサーに)頼んだのに代えてもらえなかった」と恨みごとを言った。小川と中村兄弟は歌舞伎座の舞台で共演してから7年ぶりの、映画では初共演であったが、舞台での共演の際、小川と中村嘉葎雄が親しくなり、それを錦之介が注意したことがあり、以後、敬遠しあっていた。会見の最後に梅安に扮する錦之介の断髪式が行われ、池波の鋏で見事な坊主頭を披露した。 萬屋錦之介のスケジュールも押し迫り、慌ただしくホン直しや撮影準備に入った。撮影に充てられた日数は20日間程度。キャメラの宮島義勇は錦之介が連れてきたもので、降旗は宮島だと20日で撮影するのは難しいと力説したが、錦之助が強引で、降旗も新人の頃、宮島に世話になっていたため受け入れた。宮島は当時71歳で体も少し弱っていたが、東映の若い撮影・照明スタッフに自身の技術を伝えようと実地授業を行いながら撮影をするため撮影が押した。本作は名キャメラマン・宮島義勇の劇場公開映画としては最後の撮影作品である。12月23日にあと1日撮影が残る状況になったが、宮島が「あとは俺たちで撮るから行けよ」と言うので、降旗は京都から急ぎ札幌に行った。その後降旗は『駅 STATION』のスケジュールを縫って『仕掛人梅安』の音楽録りやダビングを行った。錦之介は撮影前に長崎で舞台をやっていて、降旗は錦之介と1回しか打ち合わせが出来ず、梅安をどのように演出するのかはっきりしないまま撮影に入り、降旗は納得のいかない出来になってしまったと述べている。 岡田東映社長は1981年の東映ラインナップとして、原作ものを連打し、4月に本作『仕掛人梅安』、夏に伊藤左千夫原作・松田聖子主演で『野菊の墓』、秋には徳間康快から提携申し入れがあった勝目梓原作・村川透監督の『獣たちの熱い眠り』、同じ秋に1981年初めに既に研究準備中だった宮尾登美子原作・五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』を並べたいというプランを述べていた。東映宣伝部は「やや地味」という評価で、併映の『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』が意外に引き合いが多く、『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』とのセットで売り込んだ。 大コケ。1981年の東映は正月の『青春の門』のヒット以降は、『ダンプ渡り鳥』など大ゴケ続きで、6月の『魔界転生』でようやく大ヒットが出た。 2021年3月12日に、帝国ホテルにて同じく池波原作の『鬼平犯科帳』と共同で製作発表が行なわれた。河毛俊作が監督、豊川悦司が主演をそれぞれ務める。2022年1月から3月にかけて2部作を同時撮影し、2023年2月3日と4月7日にそれぞれ公開。 パンフレットは2作分を1冊にまとめたものが発売された。 2001年、リイド社の漫画誌『増刊コミック乱』7月号(創刊号)にて、さいとう・たかを作画、北鏡太脚色のもと連載が開始された。タイトルは『仕掛人 藤枝梅安』で、原作にある中黒「・」は用いない。連載開始当初は1回80ページであった。同誌上で16話連載後、2003年に『増刊コミック乱』が『コミック乱ツインズ』と改称して改めて創刊、本作も第17話から同誌に掲載され、以後同誌の看板作品としてたびたび巻頭カラーを飾り、2015年1月号まで連載された。全142話。前後編の挿話が11話、3部作が1話あるため、連載回数は計155回(連載末期には1回40ページとなっていた)。中心人物の一人である小杉十五郎が松平定信に召抱えられる、鍼医としての梅安の弟子となる芳太郎の登場など、独自改変も加えられている。 掲載誌の看板作品として、池波の原作全てを劇画化した後も連載が続き、「原案・池波正太郎」と明記の上で、脚本家によるオリジナルストーリーを劇画化する形式に移行した。脚色は長く北が一手に執筆してきたが、単行本第26巻収録話以降、山田誠二が加わり、さらに會川昇(第27巻収録話より)、粕谷秀夫(第34巻収録話より)も加入、連載末期には北を中心に4人の脚本家がいた(26巻以降、最新35巻まで毎巻担当話を掲載しているのは北のみ)。 単行本はリイド社発行(「SPコミックス」レーベル)で、2016年(平成28年)8月時点で第35巻まで刊行されている。その他、約2か月ごとに掲載誌の増刊として、掲載誌と同じB5判で“雑誌判総集編”も発行(1号に5-6話収録)、また不定期にコンビニコミック(「SPコミックスポケットワイド」レーベル)も多数発行されている。 21世紀におけるさいとうの執筆活動は、本作と『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』3作の長期連載を柱としていたが、本作は3作の中で唯一、さいとう存命中に連載を終了することになった。これは本作の作画の主担当であったチーフアシスタントの武本サブローが2008年3月、同じくゴルゴ13や鬼平犯科帳の作画を担当していたチーフアシスタントの石川フミヤスが2014年11月に死去したことが一因となって、さいとうの作業量が石川死去後に増加し、さいとうの高齢(石川死去時にさいとうは78歳)による体力的な負担などから、3作品連載の同時進行が困難となったことによる。そのため本作は2015年2月から一旦休載する形となり、掲載誌同年3月号で読者に長期休載が告知された。休載告知時には、作者の負担軽減のための休載であり近日中に連載を再開する意向が記されていたが、約1年の休載を経て2016年4月号にて、作者の体力的な限界から連載再開を断念、正式に連載を終了することが告知された(告知文ではさいとうによる文章で「『梅安』は僕にとって大事な作品」とも記されている)。 上記の経緯で連載終了となり、物語としては未完であることもあって、連載終了時点で単行本に収録されたのは2014年11月号掲載分までで、同年12月号、2015年1月号に掲載された最終掲載分2話は2023年に入っても単行本には未収録のままであるが、SPコミックスポケットワイド『仕掛人 藤枝梅安 梅安無惨針』(2016年8月29日発売)に収録されており、掲載号の入手以外でも読むことは可能となっている。 『コミック乱ツインズ』では2016年6月号から、武村勇治の作画による『仕掛人 藤枝梅安』がさいとう版に代わって連載された。さいとう版の連載終了は前々号の同年4月号で告知されたが、次の5月号で新たに武村版『仕掛人 藤枝梅安』を連載する旨が告知され、同時に本作についてのさいとうと武村との対談記事も掲載された。連載開始号表紙には“梅安 新生”と銘打たれた。第1話は原作、さいとう版同様に「おんなごろし」。さいとう版では結末までを1話で80ページ一挙に描いたが、武村版は1回のページ数が約半分のため、7月号までの前後編構成となった。武村版の作者表示は、漫画・武村勇治/原作・池波正太郎 のみで、脚色者名表示はない。その後約5年連載されて池波の絶筆「梅安冬時雨」までが描かれ、2021年12月号にて最終回を迎えた。物語構成としてはさいとう版と異なり、原作準拠で進行し、原作を全て劇画化した事で完結となった。基本的には原作に忠実だったため、武村版独自のアレンジは控えめだったが、アレンジとしては、終盤で小杉十郎太が変名として西村左内(『殺しの掟』の登場人物で、ドラマ必殺シリーズで藤枝梅安と共闘した若い浪人)を名乗るなどが挙げられる。 また、同じ雑誌でグルメスピンオフ作品『仕掛人 めし噺 ~藤枝梅安歳食記~』を2022年4月号から2023年3月号にかけて連載している。 本作が原作となっており梅安が登場するが、タイトルが異なり、また大きくアレンジされている作品がある。 ※梅安役別に示す。
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STATION』に入る前に終わらせるようにするから」と説得され引き受けた。しかしホン直しが上手くいかず、岡田社長の部屋で、「やめよう」という話になり、降旗が「じゃあ僕は明日から東宝へ行きますので」と部屋を出た。1階降りた企画製作部に寄ると、そこで酒盛りをやっていて一緒に1時間ぐらい飲んでいた。降旗は東映の監督では「東の降旗、西の山下耕作」と呼ばれた酒豪。岡田社長から「ちょっと社長室に来てくれ」と呼び戻され、「どうしてもやらなければならない事情があるから頼むよ」と言われた。1965年の組合騒動と岡田が時代劇映画の製作中止を決めたことで、岡田と錦之介は袂を分かったが、錦之介にとって岡田は育ててくれた恩人で、兄貴分とも叔父貴分ともいえる存在に変わりなかった。錦之介が社長を務める『中村プロダクション』に岡田は資金援助もしていた。降旗は「そのまま(企画製作部に)立ち寄らず帰っていたら監督を引き受けてなかったと思う」と話している。結局、本来『駅 STATION』の準備に企てなければいけない期間に本作の撮影をさせられた。降旗は『駅 STATION』のスタッフとの顔合わせも出来ず。ロケハンにも全く参加出来ず、ロケハンは田中寿一プロデューサーと木村大作、高倉健の3人でやり、撮影準備は木村がほとんどやったという。", "title": "映画(1981年)" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1980年11月11日、東映本社8階会議室で、岡田東映社長、池波正太郎、降旗康男、萬屋錦之介、伊丹十三、小川真由美、真行寺君枝らが列席し、製作発表会見が行われた。降旗は「私を選んで貰い、大変光栄だ。西部劇のようなダイナミックなアクションを盛り込んだ痛快なものになれば」と話し、萬屋は「チャンバラは昔から興味があったので梅安を演じることに誇りと感謝の気持ちでいっぱいだ。梅安の昼と夜とガラリと変る性格に挑む。映画のために10キロ減量した」などと話した。梅安の敵役に扮する伊丹十三は「悪役を演じられるということは俳優として全てのものを発揮できるということで、非常に嬉しい。時代劇が少なく寂しく思っていた。父も時代劇を撮り続けていたので、私も時代劇に出るからには、面白いものにしたい」と話した。伊丹十三と中村嘉葎雄は降旗が希望したキャスティング。本作は小川真由美、真行寺君枝、宮下順子と主要キャストに三人の女優が出演するが、小川が「私のが一番悪い女なんですよ。だから何回も代えて下さいと(プロデューサーに)頼んだのに代えてもらえなかった」と恨みごとを言った。小川と中村兄弟は歌舞伎座の舞台で共演してから7年ぶりの、映画では初共演であったが、舞台での共演の際、小川と中村嘉葎雄が親しくなり、それを錦之介が注意したことがあり、以後、敬遠しあっていた。会見の最後に梅安に扮する錦之介の断髪式が行われ、池波の鋏で見事な坊主頭を披露した。", "title": "映画(1981年)" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "萬屋錦之介のスケジュールも押し迫り、慌ただしくホン直しや撮影準備に入った。撮影に充てられた日数は20日間程度。キャメラの宮島義勇は錦之介が連れてきたもので、降旗は宮島だと20日で撮影するのは難しいと力説したが、錦之助が強引で、降旗も新人の頃、宮島に世話になっていたため受け入れた。宮島は当時71歳で体も少し弱っていたが、東映の若い撮影・照明スタッフに自身の技術を伝えようと実地授業を行いながら撮影をするため撮影が押した。本作は名キャメラマン・宮島義勇の劇場公開映画としては最後の撮影作品である。12月23日にあと1日撮影が残る状況になったが、宮島が「あとは俺たちで撮るから行けよ」と言うので、降旗は京都から急ぎ札幌に行った。その後降旗は『駅 STATION』のスケジュールを縫って『仕掛人梅安』の音楽録りやダビングを行った。錦之介は撮影前に長崎で舞台をやっていて、降旗は錦之介と1回しか打ち合わせが出来ず、梅安をどのように演出するのかはっきりしないまま撮影に入り、降旗は納得のいかない出来になってしまったと述べている。", "title": "映画(1981年)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "岡田東映社長は1981年の東映ラインナップとして、原作ものを連打し、4月に本作『仕掛人梅安』、夏に伊藤左千夫原作・松田聖子主演で『野菊の墓』、秋には徳間康快から提携申し入れがあった勝目梓原作・村川透監督の『獣たちの熱い眠り』、同じ秋に1981年初めに既に研究準備中だった宮尾登美子原作・五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』を並べたいというプランを述べていた。東映宣伝部は「やや地味」という評価で、併映の『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』が意外に引き合いが多く、『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』とのセットで売り込んだ。", "title": "映画(1981年)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "大コケ。1981年の東映は正月の『青春の門』のヒット以降は、『ダンプ渡り鳥』など大ゴケ続きで、6月の『魔界転生』でようやく大ヒットが出た。", "title": "映画(1981年)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2021年3月12日に、帝国ホテルにて同じく池波原作の『鬼平犯科帳』と共同で製作発表が行なわれた。河毛俊作が監督、豊川悦司が主演をそれぞれ務める。2022年1月から3月にかけて2部作を同時撮影し、2023年2月3日と4月7日にそれぞれ公開。", "title": "映画(2023年)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "パンフレットは2作分を1冊にまとめたものが発売された。", "title": "映画(2023年)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2001年、リイド社の漫画誌『増刊コミック乱』7月号(創刊号)にて、さいとう・たかを作画、北鏡太脚色のもと連載が開始された。タイトルは『仕掛人 藤枝梅安』で、原作にある中黒「・」は用いない。連載開始当初は1回80ページであった。同誌上で16話連載後、2003年に『増刊コミック乱』が『コミック乱ツインズ』と改称して改めて創刊、本作も第17話から同誌に掲載され、以後同誌の看板作品としてたびたび巻頭カラーを飾り、2015年1月号まで連載された。全142話。前後編の挿話が11話、3部作が1話あるため、連載回数は計155回(連載末期には1回40ページとなっていた)。中心人物の一人である小杉十五郎が松平定信に召抱えられる、鍼医としての梅安の弟子となる芳太郎の登場など、独自改変も加えられている。", "title": "劇画" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "掲載誌の看板作品として、池波の原作全てを劇画化した後も連載が続き、「原案・池波正太郎」と明記の上で、脚本家によるオリジナルストーリーを劇画化する形式に移行した。脚色は長く北が一手に執筆してきたが、単行本第26巻収録話以降、山田誠二が加わり、さらに會川昇(第27巻収録話より)、粕谷秀夫(第34巻収録話より)も加入、連載末期には北を中心に4人の脚本家がいた(26巻以降、最新35巻まで毎巻担当話を掲載しているのは北のみ)。", "title": "劇画" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "単行本はリイド社発行(「SPコミックス」レーベル)で、2016年(平成28年)8月時点で第35巻まで刊行されている。その他、約2か月ごとに掲載誌の増刊として、掲載誌と同じB5判で“雑誌判総集編”も発行(1号に5-6話収録)、また不定期にコンビニコミック(「SPコミックスポケットワイド」レーベル)も多数発行されている。", "title": "劇画" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "21世紀におけるさいとうの執筆活動は、本作と『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』3作の長期連載を柱としていたが、本作は3作の中で唯一、さいとう存命中に連載を終了することになった。これは本作の作画の主担当であったチーフアシスタントの武本サブローが2008年3月、同じくゴルゴ13や鬼平犯科帳の作画を担当していたチーフアシスタントの石川フミヤスが2014年11月に死去したことが一因となって、さいとうの作業量が石川死去後に増加し、さいとうの高齢(石川死去時にさいとうは78歳)による体力的な負担などから、3作品連載の同時進行が困難となったことによる。そのため本作は2015年2月から一旦休載する形となり、掲載誌同年3月号で読者に長期休載が告知された。休載告知時には、作者の負担軽減のための休載であり近日中に連載を再開する意向が記されていたが、約1年の休載を経て2016年4月号にて、作者の体力的な限界から連載再開を断念、正式に連載を終了することが告知された(告知文ではさいとうによる文章で「『梅安』は僕にとって大事な作品」とも記されている)。", "title": "劇画" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "上記の経緯で連載終了となり、物語としては未完であることもあって、連載終了時点で単行本に収録されたのは2014年11月号掲載分までで、同年12月号、2015年1月号に掲載された最終掲載分2話は2023年に入っても単行本には未収録のままであるが、SPコミックスポケットワイド『仕掛人 藤枝梅安 梅安無惨針』(2016年8月29日発売)に収録されており、掲載号の入手以外でも読むことは可能となっている。", "title": "劇画" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "『コミック乱ツインズ』では2016年6月号から、武村勇治の作画による『仕掛人 藤枝梅安』がさいとう版に代わって連載された。さいとう版の連載終了は前々号の同年4月号で告知されたが、次の5月号で新たに武村版『仕掛人 藤枝梅安』を連載する旨が告知され、同時に本作についてのさいとうと武村との対談記事も掲載された。連載開始号表紙には“梅安 新生”と銘打たれた。第1話は原作、さいとう版同様に「おんなごろし」。さいとう版では結末までを1話で80ページ一挙に描いたが、武村版は1回のページ数が約半分のため、7月号までの前後編構成となった。武村版の作者表示は、漫画・武村勇治/原作・池波正太郎 のみで、脚色者名表示はない。その後約5年連載されて池波の絶筆「梅安冬時雨」までが描かれ、2021年12月号にて最終回を迎えた。物語構成としてはさいとう版と異なり、原作準拠で進行し、原作を全て劇画化した事で完結となった。基本的には原作に忠実だったため、武村版独自のアレンジは控えめだったが、アレンジとしては、終盤で小杉十郎太が変名として西村左内(『殺しの掟』の登場人物で、ドラマ必殺シリーズで藤枝梅安と共闘した若い浪人)を名乗るなどが挙げられる。", "title": "劇画" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "また、同じ雑誌でグルメスピンオフ作品『仕掛人 めし噺 ~藤枝梅安歳食記~』を2022年4月号から2023年3月号にかけて連載している。", "title": "劇画" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "本作が原作となっており梅安が登場するが、タイトルが異なり、また大きくアレンジされている作品がある。", "title": "アレンジ作品" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "※梅安役別に示す。", "title": "アレンジ作品" } ]
『仕掛人・藤枝梅安』は、池波正太郎の娯楽時代小説シリーズ。鍼医者・藤枝梅安の、暗殺稼業「仕掛人」としての活躍を描く。『小説現代』で1972年(昭和47年)から1990年(平成2年)の間に発表した全20篇の連作時代小説であり、『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ著者の代表作である。テレビドラマ化や漫画化もされており、必殺シリーズの翻案元としても知られる。 連載中に池波が他界したことによる未完の『梅安冬時雨』が、結果として最終巻となった。
{{Infobox animanga/Header | タイトル = 仕掛人・藤枝梅安 | ジャンル = }} {{Infobox animanga/Novel | 著者 = [[池波正太郎]] | イラスト = | 出版社 = [[講談社]] | 他出版社 = | 掲載誌 = [[小説現代]] | レーベル = | 開始 = [[1972年]] | 終了 = [[1990年]] | 巻数 = 全7巻 | 話数 = 全20篇 | その他 = 作者の死去により未完 }} {{Infobox animanga/Manga | タイトル = 仕掛人 藤枝梅安 | 作者 = 池波正太郎 | 作画 = [[さいとう・たかを]] | 出版社 = [[リイド社]] | 他出版社 = | 掲載誌 = 増刊コミック乱<br />[[コミック乱ツインズ]] | レーベル = SPコミックス | 開始日 = 2001年 | 終了日 = 2014年(未完) | 巻数 = 既刊35巻 | 話数 = | その他 = }} {{Infobox animanga/Manga | タイトル = 仕掛人 藤枝梅安 | 作者 = 池波正太郎 | 作画 = [[武村勇治]] | 出版社 = [[リイド社]] | 他出版社 = | 掲載誌 = [[コミック乱ツインズ]] | レーベル = SPコミックス | 開始号 = 2016年6月号 | 終了号 = 2021年12月号 | 巻数 = 全10巻 | 話数 = | その他 = }} {{Infobox animanga/Manga | タイトル = 仕掛人 めし噺 ~藤枝梅安歳食記~ | 作者 = 池波正太郎 | 作画 = 武村勇治 | 出版社 =リイド社 | 他出版社 = | 掲載誌 = コミック乱ツインズ | レーベル = | 開始号 = 2022年4月号 | 終了号 = 2023年3月号 | 巻数 = 全1巻 | 話数 = | その他 = }} {{Infobox animanga/Footer | ウィキポータル = [[Portal:文学|文学]] }} 『'''仕掛人・藤枝梅安'''』(しかけにん ふじえだばいあん)は、[[池波正太郎]]の娯楽[[時代小説]]シリーズ。[[鍼医|鍼医者]]・藤枝梅安の、暗殺稼業「仕掛人」としての活躍を描く。『[[小説現代]]』で[[1972年]]([[昭和]]47年)から[[1990年]]([[平成]]2年)の間に発表した全20篇の連作時代小説であり、『[[鬼平犯科帳]]』『[[剣客商売]]』と並ぶ著者の代表作である。テレビドラマ化や漫画化もされており、[[必殺シリーズ]]の翻案元としても知られる。 連載中に池波が他界したことによる未完の『梅安冬時雨』が、結果として最終巻となった。 == 概要 == 1972年(昭和47年)『小説現代』3月号に掲載された『おんなごろし』から、1990年(平成2年)『小説現代』4月号で作者の死去によって中断するまで連載された連作娯楽時代小説シリーズである。 「仕掛人」と呼ばれる江戸時代の暗殺者の活躍を描くものであるが、この「仕掛人」を主題に据えた作品自体は[[1971年]](昭和46年)に『[[小説新潮]]』11月号で発表された短編『殺しの掟』が初出である。後述する『[[必殺仕掛人]]』との並行もあって、『殺しの掟』を下敷きに江戸は品川台町に居を構える鍼医者・藤枝梅安を主人公として連載を始めたのが本作である。 == 内容 == 江戸は品川台町で評判の診療所を開き、貴賎の別なく治療を施す鍼医者の藤枝梅安は、裏稼業として金で殺しを請け負う仕掛人でもあった。梅安は蔓(依頼者より殺しを請け負い仲介する者のこと)より殺しの依頼を受けると、表稼業の道具でもある鍼を武器に、何の痕跡もなく標的を暗殺していく。 == 登場人物 == {{main|仕掛人・藤枝梅安の登場人物|||5=}} ; 藤枝梅安 : 主人公。腕の良い鍼医者で、凄腕の仕掛人。 ; 彦次郎 : 梅安の親友兼相棒。腕の立つ楊枝職人で仕掛人。 ; 小杉十五郎 : 若い剣客。ある一件で梅安や彦次郎と知己の仲となる。 === 仕掛人の設定 === 本作では仲介者を経て金の受け渡しをする殺人請負のシステムを「仕掛け」と呼び、それを実行する殺し屋を「仕掛人」と呼ぶ。 依頼は必ず蔓と呼ばれる仲介者を経由しなければならないなど、基本的に以下の順番を経る。 # 起こりと呼ばれる依頼人が蔓に代金と標的、事情を話し、殺しを依頼する # 蔓はその話の内容から仕事として成り立つかを見極める # 蔓は難易度や状況など、依頼に合った仕掛人に対して依頼を持ちこむ # 依頼を受けた仕掛人は前金(半金)を受け取る # 標的を暗殺する # 蔓は仕掛人に後金(半金)を払う 頼み料は難易度や事情によっても異なるが、梅安の場合では最高で300両、最低で20両。概ねは50両から150両の間で推移していた。この内、半分を蔓が取り、残り半分が仕掛人の報酬となる。ただし、この半分もさらに前金と後金の半分にされ、依頼の達成によって全額が払われる仕組みとなっている<ref>例えば、頼み料が100両であれば、50両を蔓が受け取り、もう50両を仕掛人に提示する。仕掛人が依頼を受ければ前金として25両を受け取り、依頼完了後に残りの25両を受け取る</ref>。また、仕事を請けて前金を受け取った場合、原則として降りることはできず、死んでもやりとげねばならない。 また、仕掛けの定法として仕掛けに必要なこと以上の情報は仕掛人に伝えないというものがあり、基本的に仕掛人はその依頼の背景や頼み人も知らず<ref>しかし、標的の身辺調査をしている段階で概ね判る場合が多い。</ref>、ただ教えられた標的を殺害するだけである。このため、その依頼が妥当かどうかは蔓の信用の高さや、仕掛人と蔓の信頼関係の厚さにより、作中でもしばしばテーマになる。作中に登場して梅安に依頼する蔓は、梅安が理不尽な殺しを嫌うことを前提としており、そのような殺しの依頼はしないか、そもそも引き受けない<ref>起こりの動機が不純でも標的が死ぬことが世のためになるならこの限りではない。</ref>。このため、蔓が騙して理不尽な殺しをさせようとしたり、調査に手抜かりがあって危うく誤った人物を殺害しそうになるなど、両者の関係を破壊するようなことが発覚した場合、蔓が処断されることもある(『梅安晦日蕎麦』など)。 === 用語 === 本作では『鬼平犯科帳』の盗人用語のように、作者の池波による造語が登場する。 ; 仕掛け・仕掛人(しかけ・しかけにん) : 暗殺の隠語。本作では仲介者を経て金の受け渡しをする殺人請負を仕掛けと呼び、これを行う暗殺者を仕掛人と呼ぶ。『おんなごろし』では「仕掛屋」と呼ぶ場合もあると説明されている(作中、使用例無し)。 ; 蔓(つる) : 頼み人(起こり)から殺しの依頼を引き受け、仕掛人との仲介を行う者。その内容だけに香具師の元締や暗黒街の顔役など、大物が務めていることが多く、単に「元締」とも呼ばれることも多い。蔓は頼み金の半金を受け取り、起こりが適切なものであることを保証し、場合によっては仕掛けの準備なども行い、仕掛人をサポートする。 ; 起こり(おこり) : 仕掛けを依頼する人。依頼人の素性や依頼理由は様々である。 == 時代設定と他の池波作品との関係 == 本作の時代設定は江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の治世下である1799年(寛政11年)から始まり、最終作となる『梅安冬時雨』では1806年(文化3年)となっている。 他の作品と比較すると、[[田沼時代]]がメインとなる『剣客商売』([[安永 (元号)|安永]]6年([[1777年]])から[[天明]]4年([[1784年]]))や、[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]が火付盗賊改役であった期間である『鬼平犯科帳』(天明7年([[1787年]])から[[寛政]]期([[1789年]]から[[1801年]]))のやや後の時代となっている。 共通する人物として秋山小兵衛の親友・牛堀九万之助や金子孫十郎がおり、小杉十五郎は、牛堀九万之助の弟子で、牛掘亡き後の後継者争いに巻き込まれることとなる。『鬼平犯科帳』などで盗人用語として良く知られる作者の造語は本作でもよく用いられ、反対に「仕掛人」や「蔓」といった本作特有の造語も、他作品でしばしば用いられている。『剣客商売』で秋山小兵衛が「仕掛人」について否定的なコメントをするなど、仕掛人自体の存在もおぼろげながら知られている設定になっている。また、両作品と比較すると実在の人物や実在のできごとが引き合いに出されることは少ない。 == 仕掛人・藤枝梅安シリーズ == *殺しの四人(短編集) - [[1973年]]([[昭和]]48年)3月刊 **おんなごろし **殺しの四人 **秋風二人旅 **後は知らない **梅安晦日蕎麦 *梅安蟻地獄(短編集) - [[1974年]](昭和49年)5月刊 **春雪仕掛針 **梅安蟻地獄 **梅安初時雨 **闇の大川橋 *梅安最合傘(短編集) - [[1977年]](昭和52年)10月刊 **梅安鰹飯 **殺気 **梅安流れ星 **梅安最合傘 **梅安迷い箸 **さみだれ梅安 *梅安針供養(長編) - [[1979年]](昭和54年)8月刊 **銀杏落葉 **白刃 **あかつきの闇 **その夜の手紙 **地蔵堂の闇 **寒鯉 *梅安乱れ雲(短編+長編) - [[1983年]](昭和58年)5月刊 **梅安雨隠れ(短編) **梅安乱れ雲(長編) ***寒鴉 ***凶刃 ***東海道の雲 ***瀬戸川団子 ***薬湯と白飴 *梅安影法師(長編) - [[1987年]](昭和62年)5月刊 **殺気の闇 **三人の仕掛人 **稲妻 **春雷 **逆襲 **菱屋の黒饅頭 *梅安冬時雨(長編) - [[1990年]]([[平成]]2年)6月刊 **鰯雲 **師走の闇 **為斎・浅井新之助 **左の腕 **襲撃 作者の死去により未完。 == テレビ時代劇 == === 必殺仕掛人 === {{Main|必殺仕掛人}} === 時代劇スペシャル 仕掛人・藤枝梅安 === フジテレビの『[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]]』枠で放送された。タイトルは原作と同じく、[[中黒]]「・」を用いる。 *サブタイトルと放送日(2時間枠、全7本) #梅安蟻地獄([[1982年]](昭和57年)[[1月22日]]) #梅安流れ星(1982年[[4月16日]]) #梅安迷い箸(1982年[[10月15日]]) #梅安晦日蕎麦([[1983年]](昭和58年)[[1月7日]]) #梅安針供養(1983年[[4月15日]]) #梅安岐れ道(1983年[[7月15日]]) #梅安乱れ雲(1983年[[11月3日]]) *[[フジネットワーク|フジテレビ系列]] *制作:[[東宝]] *監督:[[児玉進]]、[[小野田嘉幹]] *脚本:[[安倍徹郎]]、[[星川清司]]、保利吉紀、櫻井康裕 *音楽:[[渡辺岳夫]] *出演 **藤枝梅安:[[小林桂樹]] **彦次郎:[[田村高廣]] **音羽の半右衛門:[[中村又五郎 (2代目)|中村又五郎]] **小杉十五郎:[[柴俊夫]] **おもん:[[神崎愛]] **おせき:[[賀原夏子]] **ナレーター:[[芥川隆行]] === 仕掛人 藤枝梅安(水曜夜8時の時代劇枠) === 原作にある中黒「・」は用いない。 *サブタイトルと放送日と視聴率<ref>「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ。</ref>(2時間枠、スペシャル2本を含む、全7本) #(サブタイトル無)([[1990年]](平成2年)[[12月26日]])(13.9%) #壱 梅安二人旅([[1991年]](平成3年)[[10月9日]])(16.3%) #弐 梅安仕掛針(1991年[[10月16日]])(17.3%) #参 梅安流れ星(1991年[[10月23日]])(15.2%) #四 梅安迷い箸(1991年[[10月30日]])(13.9%) #五 さみだれ梅安(1991年[[11月6日]])(15.2%) #対決([[1993年]](平成5年)[[10月6日]])(13.0%) *フジテレビ系列 *制作:[[国際放映]] *企画:[[能村庸一]]、香取雍史 *監修:[[市川久夫]] *プロデューサー:[[鈴木哲夫]]、古屋克征 *監督:杉村六郎、三村晴彦、[[吉田啓一郎]] *脚本:[[安倍徹郎]]、[[古田求]] *音楽:[[桜庭伸幸]] *選曲:[[合田豊]] *殺陣:[[宇仁貫三]] *スタジオ:[[東宝ビルト]]、[[生田スタジオ]] *大道具:[[ケイエッチケイアート]] *MA:[[東宝サウンドスタジオ|東宝サウンドクリエイティブスタジオ]] *現像・テレシネ:[[ソニーPCL]] *出演 **藤枝梅安:[[渡辺謙]] **彦次郎:[[橋爪功]] **音羽の半右衛門:[[田中邦衛]] **小杉十五郎:[[阿部寛]](TVシリーズ以降)、[[中村橋之助 (3代目)|中村橋之助]](1990年のスペシャルのみ) **おもん:[[美保純]] **おせき:[[園佳也子]](1990年のスペシャルのみ)、[[五月晴子]](TVシリーズ以降) **ナレーター:[[仲谷昇]](TVシリーズ以降)、[[北村和夫]](1990年のスペシャルのみ) {{フジテレビ水曜20時枠の時代劇}} === 土曜プレミアム『仕掛人 藤枝梅安』 === 原作にある中黒「・」は用いない。 *放送日時:[[2006年]](平成18年)[[11月4日]] 21:00~22:54 *原作タイトル:「梅安蟻地獄」「闇の大川橋」 *フジテレビ系列 *制作:[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[松竹]] *監督:[[林徹 (演出家)|林徹]] *脚本:田村惠 *音楽:[[石田勝範]] *美術監修:[[西岡善信]] *殺陣:[[宇仁貫三]] *製作協力:[[松竹京都映画]] *企画:[[能村庸一]]、武田功 *プロデュース:[[保原賢一郎]]、足立弘平 *出演 **藤枝梅安:[[岸谷五朗]] **彦次郎:[[小日向文世]] **近江屋佐兵衛:[[本田博太郎]] **小杉十五郎:[[原田龍二]] **おもん:[[高岡早紀]] **おせき:[[鷲尾真知子]] **豊治郎:[[山崎銀之丞]] **お吉:[[小松みゆき]] **作蔵:[[音尾琢真]] **金蔵:[[木下ほうか]] **吾平:[[本城丸裕]] **お仲:[[中山忍]] **小村万衛門:[[菅原大吉]] **田口十蔵:[[隆大介]] **安部主税之助:[[浜田学]] **菊之助:[[吹越満]] **安部長門守:[[石橋蓮司]] **音羽の半右衛門:[[藤田まこと]] **ナレーター:[[平泉成]] **その他:[[かとうあつき]]、[[渋谷天外 (3代目)|渋谷天外]](与助) == 映画(1981年) == {{Infobox Film |作品名=仕掛人梅安 |原題= |画像= |画像サイズ= |画像解説= |監督=[[降旗康男]] |企画= |製作総指揮= |製作=[[高岩淡]]<br />佐藤雅夫<br />豊島泉<br />巽治郎 |脚本=[[田中陽造]]<br />[[志村正浩]] |出演者=[[萬屋錦之介]]<br />[[中村嘉葎雄]]<br />[[五代高之]]<br />[[伊丹十三]]<br />[[小川眞由美|小川真由美]] |音楽=[[渡辺茂樹]] |主題歌= |撮影=[[宮島義勇]] |編集=[[市田勇]] |製作会社=[[東映]]<br />[[東映太秦映画村]] |配給={{Flagicon|JPN}} 東映 |公開={{Flagicon|JPN}} [[1981年]][[4月11日]] |上映時間=100分 |製作国={{JPN}} |言語=[[日本語]] |制作費= |興行収入= |前作= |次作= }} [[1981年の日本公開映画|1981年公開の日本映画]]。主演:[[萬屋錦之介]]、監督:[[降旗康男]]。製作、[[東映]]・[[東映太秦映画村]]、配給、東映。タイトルは「'''仕掛人梅安'''」で、「・藤枝」を省いている。萬屋錦之介、最後の映画主演作(最後の出演映画は、1989年の『[[千利休 本覺坊遺文]]』)。併映『[[ちゃんばらグラフィティー 斬る!]]』。 === スタッフ === *監督:[[降旗康男]] *企画:[[高岩淡]]、佐藤雅夫、豊島泉、巽治郎 *脚本:[[田中陽造]]、[[志村正浩]] *音楽:[[渡辺茂樹]] *制作:[[東映]] === キャスト === *藤枝梅安:[[萬屋錦之介]] *彦次郎:[[中村嘉葎雄]] *小杉十五郎:[[五代高之]] *近江屋佐兵衛:[[伊丹十三]] *お園:[[小川眞由美|小川真由美]] *お咲:[[真行寺君枝]] *おもん:[[宮下順子]] *安部長門守:中村勘五郎 *安部主税之助:[[中尾彬]] *土屋主水:[[御木本伸介]] *山城屋伊八:[[柴田侊彦]] *井坂権八郎:[[岩尾正隆]] *宮部数馬 :津田和彦 *音羽屋半右衛門:[[藤田進]] === 製作 === ==== 企画 ==== 企画は[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]東映社長<ref name="週刊映画19801115">{{Cite news |author= |title = 青春アニメ/チャンバラ まったく毛色の変わった会見 |date = 1980年11月15日 |newspaper = 週刊映画ニュース |publisher = 全国映画館新聞社 |page = 1 }}</ref>。当初は1981年の正月映画として公開を構想し<ref name="週刊映画19801115"/>、岡田が池波正太郎に会い製作を決めた<ref name="週刊映画19801115"/>。[[萬屋錦之介]]も映画化を希望<ref name="roadshow8011" >{{cite journal | 和書 |author = | journal = [[ロードショー (雑誌)|ロードショー]] | volume = 1980年11月号| title = 邦画界トピックス | publisher = [[集英社]] | page = 243 }}</ref><ref>{{cite journal | 和書 |author = | journal = ロードショー| volume = 1981年5月号 | title = 邦画マンスリー 『仕掛人梅安』| publisher = 集英社 | page = 221 }}</ref>。岡田と錦之介は、岡田が[[東映京都撮影所|京都撮影所]]長時代に[[外様]]の[[鶴田浩二]]を中心とした製作スケジュールを組んだことに錦之介が感情的になり<ref name="近代映画196509">{{cite journal | 和書 |author = | journal = 近代映画 | volume = 1965年9月号 | title = 吹き荒れる日本映画界の内幕その後、錦之介の俳優クラブ、大映解体、映倫問題などはどうなったか……!ノイローゼになった錦之介?| publisher = [[近代映画社]] | page = 205-206 }}</ref>、ここから仲違いするようになって<ref name="近代映画196509"/>、錦之介が自分のグループを作ったことが俳優クラブに発展し<ref name="近代映画196509"/>、会社とグループの板挟みに遭い東映退社に追い込まれたというシコリがあった<ref name="近代映画196509"/>。岡田社長が、岡田にとっても錦之介にとっても弟分、親友である<ref>{{Cite book | 和書 | author=岡田茂|authorlink=岡田茂 (東映) | title = 悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年 | chapter = 対談:岡田茂×澤島忠×深作欣二 | publisher = 財界研究所 | year = 2001 | id = ISBN 4-87932-016-1 | pages = 262-283 }}{{Cite journal | 和書 | author = |date = 2011年7月上旬号 | title = 欲望する映画 カツドウ屋、岡田茂の時代 岡田茂さんへー最後の言葉 大恩人を偲ぶ 澤島忠 | journal = [[キネマ旬報]] | publisher = [[キネマ旬報社]] | pages = 56 - 57 }}{{Cite journal | 和書 | author = 金澤誠 |date =1997年6月上旬号 | title = 萬屋錦之介 追悼と再発見 沢島正継監督、萬屋錦之介を語る | journal = キネマ旬報 | publisher = キネマ旬報社 | pages = 111 - 117 }}</ref>当時フリーだった[[沢島忠]]に「久しぶりに東映で監督しろ」と声をかけていたが<ref name = "キネ旬199792" >「萬屋錦之介 <small>追悼と再発見</small>」 『キネマ旬報』1997年6月下旬号、117頁。</ref>、池波が、「沢島という監督はしらない。代えてくれ」とクレームを付け、監督は池波の希望する[[降旗康男]]に交代した<ref name="週刊映画19801115"/><ref name = "キネ旬199792" /><ref name="jidaigekimagazine">{{cite journal | 和書 |author = |date = 2006年2月20日 | journal = 時代劇マガジン | volume = 14 | title = 映画『仕掛人梅安』監督 降旗康男インタビュー | publisher = [[辰巳出版]] | pages = 54-55 }}</ref>。若き日には岡本喜八らと並び称され、今なお時代劇ファンには高く評価されている沢島だが、大作経験が殆どないまま映画界を退いていたこともあり、洋画中心の映画ファンである池波の記憶に残っていなかった。また、少し前に映画化された「雲霧仁左衛門」「闇の狩人」の出来栄えに池波が怒りに近い不満を抱き、人選に神経質になっていたことも沢島には災いした。 1981年の正月興行は東映内部で紛糾し(『[[青春の門#1981年・1982年版|青春の門]])』参照』)、本作は宣伝部から「やや地味」と評価され<ref name="映画時報198102">{{Cite journal|和書 |author = |title = 東映30周年記念特集 ―'81年に邁進する経営の全貌150億の悲願成るか |journal = 映画時報 |issue = 1981年2月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 8 }}</ref>、製作発表では正月第二弾と発表されたが<ref name="週刊映画19801115"/><ref name = "キネ旬1980122">「仕掛人梅安 製作発表」 『[[キネマ旬報]]』1980年12月下旬号、216頁。</ref>、後ろに押し出され、岡田社長は2月公開に変更し<ref name="roadshow8011" />、1981年に原作ものを連打してダッシュを図ろうという目論み<ref name="映画界のドン149" >{{Cite book |和書 |editor=文化通信社|editor-link=新文化通信社 |title =映画界のドン 岡田茂の活動屋人生 | publisher =[[ヤマハミュージックメディア]] | year =2012 |isbn=978-4-636-88519-4 |pages = 149-150 }}</ref>、[[講談社]]の[[時代小説|時代もの]]で一番売れていた池波正太郎の原作を映画化し、[[出版社]]と[[宣伝]]もガッチリ組んで売り込むというプランを立てていた<ref name="映画界のドン149" />。また併映作『[[ちゃんばらグラフィティー 斬る!]]』と合わせ、6月封切りの大作『[[魔界転生#映画|魔界転生]]』との流れで、うまく絡めて売り込めば[[時代劇]]への新しい興味を刺激できると期待した<ref name="映画界のドン149" />。しかしこの2月公開予定もさらに後ろに延ばされ、1980年12月に東映本社であった番組予定発表では、1981年4月4日公開と発表された<ref name="週刊映画19801206">{{Cite news |author= |title = 東映恒例となった懇談会で散発発表の製作品封切日程 |date = 1980年12月6日 |newspaper = 週刊映画ニュース |publisher = 全国映画館新聞社 |page = 1 }}</ref>。 ==== 降旗監督の起用 ==== 降旗の監督起用は必須条件となったが<ref name="高倉健の背中">{{Cite book|和書|author=大下英治|authorlink=大下英治|year=2017|title=高倉健の背中 監督・降旗康男に遺した男の立ち姿|publisher=[[朝日新聞出版]]|isbn=978-4-02-251417-2|pages=41–42}}</ref>、降旗は1980年9月に『[[駅 STATION]]』の挨拶で[[有楽町]][[東宝|東宝本社]]に[[松岡功]]社長を訪ね、その足で近所である[[銀座]][[丸の内TOEI|東映本社]]の岡田社長に挨拶に行った<ref name="高倉健の背中"/>。東映育ちの降旗が初めて東宝で映画を撮ることになり、当時はフリーになっていたが、仁義を通すための挨拶だったが、岡田から見れば「[[鴨#鴨が使われる語句|カモネギ状態]]」<ref name="高倉健の背中"/>。しかし降旗はこの年12月の[[クリスマスイブ]]に[[北海道]][[札幌市|札幌]]で『駅 STATION』の[[撮影#映像撮影|クランクイン]]が決まっていたため<ref name="jidaigekimagazine"/><ref name="高倉健の背中"/>、制作期間が充分でないことから最初は「ムリ」と断ったが「『駅 STATION』に入る前に終わらせるようにするから」と説得され引き受けた<ref name="jidaigekimagazine"/><ref name="高倉健の背中"/>。しかしホン直しが上手くいかず、岡田社長の部屋で、「やめよう」という話になり、降旗が「じゃあ僕は明日から東宝へ行きますので」と部屋を出た<ref name="jidaigekimagazine"/>。1階降りた企画製作部に寄ると、そこで酒盛りをやっていて一緒に1時間ぐらい飲んでいた<ref name="jidaigekimagazine"/><ref name="高倉健の背中"/>。降旗は東映の監督では「東の降旗、西の[[山下耕作]]」と呼ばれた[[酒豪]]<ref name="高倉健の背中"/>。岡田社長から「ちょっと社長室に来てくれ」と呼び戻され、「どうしてもやらなければならない事情があるから頼むよ」と言われた<ref name="jidaigekimagazine"/><ref name="高倉健の背中"/>。1965年の[[労働争議|組合騒動]]と岡田が時代劇映画の製作中止を決めたことで<ref name="仁義なき日本沈没">{{Cite book|和書|author=春日太一|authorlink=春日太一|title=仁義なき日本沈没 東宝VS.東映の戦後サバイバル|publisher=[[新潮社]]|year=2012|isbn=978-4-10-610459-6|pages=102-104}}</ref><ref name="私の東映30年">{{Cite book |和書 |title = 私の東映30年 |author = 渡邊達人 | year = 1991 |publisher = |id = |pages = 142-143 }}</ref>、岡田と錦之介は袂を分かったが<ref name="私の東映30年"/><ref>{{Cite book |和書 |author= 高岩淡|authorlink=高岩淡 |title = 銀幕おもいで話 |publisher = [[双葉社]] |year = 2013 |id = ISBN 4-5757-14-01-1 |pages = 61-62 }}{{Cite journal | 和書 | author = 編集部 |date =1965年7月上旬号 | title = トピック・ジャーナル 地労委へ提訴した"錦之介"組合 | journal = キネマ旬報 | publisher = キネマ旬報社 | pages = 42-43 }}{{Cite journal | 和書 | author = 井沢淳・[[日高真也]]・高橋英一他、編集部 |date =1965年9月上旬号 | title = トピック・ジャーナル 考えさせられる錦之介の行動 映画界の動き 東映俳優クラブ組合解散| journal = キネマ旬報 | publisher = キネマ旬報社 | page = 18、101頁 }}{{Cite journal | 和書 | author = [[大黒東洋士]] |date =1965年9月上旬号 | title = 再出発する中村錦之介君へ | journal = キネマ旬報 | publisher = キネマ旬報社 | page = 31 }}{{Cite journal | 和書 |author = | journal = 近代映画 | volume = 1965年9月号| title = 吹き荒れる日本映画界の内幕 | publisher = [[近代映画社]] | pages = 204-206 }}</ref><ref name="週刊明星790513" >{{Cite journal | 和書 | author = 由原木七郎 | date = 1979年5月13日号 | title = 由原木七郎の日本映画スケッチ(82) (秘)エピソードでつづるあの男優この女優 萬屋錦之介 その四 東映"城"との対決| journal = [[週刊明星]] | publisher = [[集英社]] | pages = 168-167 }}{{Cite journal|和書|journal=映画情報|volume=40|issue=3|publisher=[[国際情報社]]|date=1975-03-01|pages=65}}{{NDLJP|10339889/65}}{{Cite journal|和書|title=写真でみるスターの歴史(1)萬屋錦之介(前) / 由原木七郎|journal=映画情報|volume=45|issue=7|publisher=[[国際情報社]]|date=1980-07-01|pages=36 - 41}}{{NDLJP|2343756/36}}</ref>、錦之介にとって岡田は育ててくれた恩人で<ref name="クロニクル">{{Cite book | 和書 | title = クロニクル東映:1947-1991 | volume = Ⅰ | author = | publisher = 東映 | year = 1992 | id = | page = 283}}</ref>、兄貴分とも叔父貴分ともいえる存在に変わりなかった<ref name="クロニクル"/><ref>{{Cite book|和書|author=萬屋錦之介|authorlink=萬屋錦之介|title=わが人生(みち) 悔いなくおごりなく|year=1995|publisher=[[中日新聞東京本社#出版部門|東京新聞出版局]]|isbn=4-8083-0542-9|page=206}}</ref>。錦之介が社長を務める『中村プロダクション』に岡田は資金援助もしていた<ref>{{Cite journal | 和書 | author = | date = 1982年3月27日号 | title = | journal = [[週刊宝石]] | publisher = [[光文社]] | pages = 188-190 }}{{Cite journal | 和書 | author = | date = 1982年3月11日号 | title = | journal = [[週刊新潮]] | publisher = [[新潮社]] | page = 13 }}</ref>。降旗は「そのまま(企画製作部に)立ち寄らず帰っていたら監督を引き受けてなかったと思う」と話している<ref name="jidaigekimagazine"/><ref name="高倉健の背中"/>。結局、本来『駅 STATION』の準備に企てなければいけない期間に本作の撮影をさせられた<ref name="高倉健の背中"/>。降旗は『駅 STATION』の[[映画スタッフ|スタッフ]]との顔合わせも出来ず<ref name="高倉健の背中"/>。[[ロケーション・ハンティング|ロケハン]]にも全く参加出来ず、ロケハンは[[田中寿一]][[映画プロデューサー|プロデューサー]]と[[木村大作]]、[[高倉健]]の3人でやり<ref name="高倉健の背中"/>、撮影準備は木村がほとんどやったという<ref name="高倉健の背中"/>。 ==== 製作発表 ==== 1980年11月11日、東映本社8階会議室で、岡田東映社長、池波正太郎、降旗康男、萬屋錦之介、[[伊丹十三]]、[[小川眞由美|小川真由美]]、[[真行寺君枝]]らが列席し、製作発表会見が行われた<ref name="週刊映画19801115"/><ref name = "キネ旬1980122"/>。降旗は「私を選んで貰い、大変光栄だ。[[西部劇]]のようなダイナミックなアクションを盛り込んだ痛快なものになれば」と話し、萬屋は「チャンバラは昔から興味があったので梅安を演じることに誇りと感謝の気持ちでいっぱいだ。梅安の昼と夜とガラリと変る性格に挑む。映画のために10キロ減量した」などと話した<ref name="週刊映画19801115"/><ref name="w-gendai801127">{{Cite journal | 和書 |author = | journal = [[週刊現代]] | volume = 1980年11月27日号| title = 〈ルック今週の話題・人と事件〉 錦之介兄弟と小川真由美の困った因縁| publisher = [[講談社]] | page = 49 }}</ref>。梅安の敵役に扮する伊丹十三は「悪役を演じられるということは俳優として全てのものを発揮できるということで、非常に嬉しい。時代劇が少なく寂しく思っていた。父も時代劇を撮り続けていたので、私も時代劇に出るからには、面白いものにしたい」と話した<ref name = "キネ旬1980122"/><ref name="w-gendai801127"/>。伊丹十三と[[中村嘉葎雄]]は降旗が希望したキャスティング<ref name="jidaigekimagazine"/>。本作は[[小川眞由美|小川真由美]]、[[真行寺君枝]]、[[宮下順子]]と主要キャストに三人の女優が出演するが、小川が「私のが一番悪い女なんですよ。だから何回も代えて下さいと(プロデューサーに)頼んだのに代えてもらえなかった」と恨みごとを言った<ref name="w-gendai801127"/>。小川と中村兄弟は[[歌舞伎座]]の舞台で共演してから7年ぶりの、映画では初共演であったが、舞台での共演の際、小川と中村嘉葎雄が親しくなり、それを錦之介が注意したことがあり、以後、敬遠しあっていた<ref name="w-gendai801127"/>。会見の最後に梅安に扮する錦之介の[[断髪式]]が行われ、池波の鋏で見事な[[丸刈り|坊主頭]]を披露した<ref name="週刊映画19801115"/><ref name = "キネ旬1980122"/>。 ==== 撮影 ==== 萬屋錦之介のスケジュールも押し迫り、慌ただしくホン直しや撮影準備に入った。撮影に充てられた日数は20日間程度。キャメラの[[宮島義勇]]は錦之介が連れてきたもので<ref name="jidaigekimagazine"/>、降旗は宮島だと20日で撮影するのは難しいと力説したが、錦之助が強引で、降旗も新人の頃、宮島に世話になっていたため受け入れた。宮島は当時71歳で体も少し弱っていたが、東映の若い撮影・照明スタッフに自身の技術を伝えようと実地授業を行いながら撮影をするため撮影が押した<ref name="jidaigekimagazine"/>。本作は名キャメラマン・宮島義勇の劇場公開映画としては最後の撮影作品である。12月23日にあと1日撮影が残る状況になったが、宮島が「あとは俺たちで撮るから行けよ」と言うので、降旗は京都から急ぎ札幌に行った<ref name="jidaigekimagazine"/>。その後降旗は『駅 STATION』のスケジュールを縫って『仕掛人梅安』の音楽録りやダビングを行った。錦之介は撮影前に[[長崎県|長崎]]で舞台をやっていて、降旗は錦之介と1回しか打ち合わせが出来ず、梅安をどのように演出するのかはっきりしないまま撮影に入り、降旗は納得のいかない出来になってしまったと述べている<ref name="jidaigekimagazine"/>。  === 興行 === 岡田東映社長は1981年の東映ラインナップとして、原作ものを連打し、4月に本作『仕掛人梅安』、夏に[[伊藤左千夫]]原作・[[松田聖子]]主演で『[[野菊の墓 (映画)|野菊の墓]]』、秋には[[徳間康快]]から提携申し入れがあった[[勝目梓]]原作・[[村川透]]監督の『[[獣たちの熱い眠り#劇場映画|獣たちの熱い眠り]]』、同じ秋に1981年初めに既に研究準備中だった[[宮尾登美子]]原作・[[五社英雄]]監督の『[[鬼龍院花子の生涯]]』を並べたいというプランを述べていた<ref name="映画界のドン149" />。東映宣伝部は「やや地味」という評価で<ref name="映画時報198102"/>、併映の『[[ちゃんばらグラフィティー 斬る!]]』が意外に引き合いが多く<ref name="映画時報198102"/>、『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』とのセットで売り込んだ<ref name="映画時報198102"/>。 === 興行成績 === 大コケ<ref name="e–jyouhou198108" >{{Cite journal|和書|title=雑談えいが情報 / 視根馬雷太|journal=映画情報|volume=46|issue=8|publisher=[[国際情報社]]|date=1981-08-01|pages=39|id={{NDLJP|2343769/39}}}}</ref>。1981年の東映は正月の『[[青春の門#1981年・1982年版|青春の門]]』のヒット以降は、『[[ダンプ渡り鳥]]』など大ゴケ続きで、6月の『[[魔界転生#映画|魔界転生]]』でようやく大ヒットが出た<ref name="e–jyouhou198108" />。 === エピソード === *降旗は本来、受けるつもりのなかった本作の監督を引き受けたため、『[[駅 STATION]]』の準備がほとんど出来なかった<ref name="kinejun2017051" >{{Cite journal | 和書 | dauthor = 前野裕一 |date =2017年5月上旬号 | title = 『追憶』特集 木村大作(撮影)インタビュー | journal = キネマ旬報 | publisher = キネマ旬報社 | page = 43 }}</ref>。このため『駅 STATION』の撮影・[[木村大作]]が降旗に「俺の位置を聞かせて下さい」と聞いたら、当時の[[読売ジャイアンツ]]の[[藤田元司]]監督、[[王貞治]]助監督、[[牧野茂 (野球)|牧野茂]]ヘッドコーチによる「[[トロイカ体制#転用|トロイカ体制]]」を倣い、降旗が「王助監督でお願いします」と答え、「分かりました」と木村が[[ロケハン]]など前準備を全部して『駅 STATION』クランクインから即、撮影に入れた。『駅 STATION』は、降旗と木村の打ち合わせはほぼなしで、木村が「このシーンはここで撮ります」と言ってどんどん現場を進めていき、降旗はずっと後ろから見ている状態で、以降のコンビ作品もこの感じの撮影方法だという<ref name="kinejun2017051" />。 {{降旗康男監督作品}} === 備考 === * 本作の劇中音楽は全て[[渡辺茂樹]]の手に依るものだが、後にこの劇中音楽のほとんどが、やはり渡辺茂樹が劇中音楽を手掛けていた『[[服部半蔵・影の軍団#影の軍団II|影の軍団II]]』以降の『影の軍団』シリーズ全作に流用される形で使用されている(最終作の『[[服部半蔵 影の軍団#影の軍団 幕末編|幕末編]]』まで)。 == 映画(2023年) == {{Infobox Film | 作品名 = 仕掛人・藤枝梅安 | 原題 = | 画像 = | 画像サイズ = | 画像解説 = | 監督 = [[河毛俊作]] | 脚本 = [[大森寿美男]] | 原案 = | 原作 = [[池波正太郎]] | 製作 = [[吉條英希]]<br />田倉拓紀<br />高橋剣 | 製作総指揮 = [[宮川朋之]] | ナレーター = | 出演者 = [[豊川悦司]]<br />[[片岡愛之助 (6代目)|片岡愛之助]]<br />[[菅野美穂]]<br />[[小野了 (俳優)|小野了]]<br />[[高畑淳子]]<br />[[小林薫]]<br />[[早乙女太一]]<br />[[柳葉敏郎]]<br />[[天海祐希]]<br />[[一ノ瀬颯]]<br />[[椎名桔平]]<br />[[佐藤浩市]] | 音楽 = [[川井憲次]] | 主題歌 = | 撮影 = 南野保彦 | 編集 = 野澤瞳 | 制作会社 = [[東映京都撮影所]] | 製作会社 = 「仕掛人・藤枝梅安」時代劇パートナーズ | 配給 = [[イオンエンターテイメント]] | 公開 ={{Flagicon|JPN}} [[2023年]][[2月3日]](第一作)<br />{{Flagicon|JPN}} 2023年[[4月7日]](第二作) | 上映時間 = 134分(第1作)<br />119分(第2作) | 製作国 = {{JPN}} | 言語 = [[日本語]] | 製作費 = | 興行収入 = | 配給収入 = | 前作 = | 次作 = }} 2021年3月12日に、[[帝国ホテル]]にて同じく池波原作の『[[鬼平犯科帳]]』と共同で製作発表が行なわれた。[[河毛俊作]]が監督、[[豊川悦司]]が主演をそれぞれ務める。2022年1月から3月にかけて2部作を同時撮影し、2023年2月3日と4月7日にそれぞれ公開<ref>{{Cite news|url=https://eiga.com/news/20210312/22/|title=「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」映画化、主演は松本幸四郎&豊川悦司|newspaper=映画.com|publisher=エイガ・ドット・コム|date=2021-03-12|accessdate=2021-04-04}}</ref>。 パンフレットは2作分を1冊にまとめたものが発売された。 === キャスト(2023年) === * 藤枝梅安:[[豊川悦司]] * 彦次郎:[[片岡愛之助 (6代目)|片岡愛之助]] * おもん:[[菅野美穂]] * 与助:[[小野了 (俳優)|小野了]] * おせき:[[高畑淳子]] * 津山悦堂:[[小林薫]] ==== 第一作ゲスト ==== * 石川友五郎:[[早乙女太一]] * 羽沢の嘉兵衛:[[柳葉敏郎]] * おみの:[[天海祐希]] * お千絵:[[井上小百合]] * お美代:[[朝倉ふゆな]] * 嶋田大学:[[板尾創路]] * 伊藤彦八郎:[[石丸謙二郎]] * お香:[[中村ゆり]] * 善四郎:[[田山涼成]] * 善達和尚:[[若林豪]] ==== 第二作ゲスト ==== * 佐々木八蔵:[[一ノ瀬颯]] * 峯山又十郎、井坂惣市:[[椎名桔平]] * 井上半十郎:[[佐藤浩市]] * おるい:[[篠原ゆき子]] * 白子屋菊右衛門:[[石橋蓮司]] * 村木勝蔵:[[金井勇太]] * お芳:[[小林綾子]] * お崎:[[高橋ひとみ]] * 長谷川平蔵:[[松本幸四郎 (10代目)|松本幸四郎]] === スタッフ(2023年) === * 原作:[[池波正太郎]]『仕掛人・藤枝梅安』([[講談社文庫]]刊) * 監督:[[河毛俊作]] * 脚本:[[大森寿美男]] * 音楽:[[川井憲次]] * 製作:[[石原隆]]、米倉英一、小林智、浅田靖浩、松下幸生、小川悦司、戸辺久之、飯田義典、小川泰、坂本裕寿、雑賀和美、高見洋平、近藤豐和、一瀬文秀、小野剛、深川辰巳、加藤光淑、中西一雄、齊藤哲人、石塚真人、[[林寛子 (作家)|林寛子]]、齋藤秋水、田野口希、前田俊広、山本耕、細井俊介、吉村俊造、門野隆弘、稲木甲二、青柳洋治 、尾谷牧夫、嶋田充郎、河津延雄、川原泰博、若松誠、川上伸一、大澤徹也、宮崎昌治、桑田一郎、外山衆司、酒井美樹男、横山淳 * エグゼクティブ・プロデューサー:[[宮川朋之]] * プロデューサー:[[吉條英希]]、田倉拓紀、高橋剣 * アソシエイトプロデューサー:菅谷和紀 * 協力プロデューサー:芦田淳也 * 撮影:南野保彦 * 美術:吉澤祥子 * 照明:奥田祥平 * 録音:松本昇和 * 編集:野澤瞳 * 殺陣:清家三彦 * 装飾:三木雅彦 * 記録:堤眞理子 * 監督補:山本一男 * VFXシニアスーパーバイザー:[[尾上克郎]] * VFXプロデューサー:[[結城崇史]] * VFXスーパーバイザー:田中貴志、[[進威志]] * 料理監修:[[野崎洋光]]、吉田忠康 * 衣装デザイン:[[宮本まさ江]] * DIT:山口哲史 * 宣伝プロデューサー:田倉拓紀 * グラフィックデザイン:[[青木克憲]]、豊島恵輔、土屋佳太 * コピーライター:[[前田知巳]] * 宣伝:日比野知子、榎本まりな、永富康太郎、宮田美帆、西原美幸、増川直美、太田佳喜 * 宣伝協力:Yagi Rock、吉村麻美 * 予告編制作:[[樋口真嗣]]、Throne Inc. * スチール:江森康之 * 製作主任:田中千穂子 * プロデュース補:見戸夏美 * 製作担当:谷敷裕也 * 企画協力:オフィス池波、石塚晃都、鶴松房治、[[講談社]] * 配給:[[イオンエンターテイメント]] * 製作プロダクション:[[東映京都撮影所]] * 製作:「仕掛人・藤枝梅安」時代劇パートナーズ([[時代劇専門チャンネル]]、[[スカパーJSAT|スカパー!]]、[[NTTドコモ]]、イオンエンターテイメント、[[クオラス]]、[[関西テレビ放送]]、[[朝日新聞社]]、[[中日新聞社]]、[[BSフジ]]、[[読売新聞東京本社|読売新聞社]]、[[京都新聞]]、講談社、[[産業経済新聞社|産経新聞社]]、[[西日本新聞社]]、[[毎日新聞社]]、[[東海テレビ放送]]、アシスト、[[カルチュア・エンタテインメント]]、[[リイド社]]、[[秋田テレビ]]、[[石川テレビ放送]]、[[岩手めんこいテレビ]]、[[岡山放送]]、[[鹿児島テレビ放送]]、[[岐阜放送]]、[[京都放送|KBS京都]]、[[サガテレビ]]、[[サンテレビジョン]]、[[仙台放送]]、[[千葉テレビ放送]]、[[テレビ愛媛]]、[[テレビ神奈川]]、[[テレビ熊本]]、[[テレビ埼玉]]、[[テレビ静岡]]、[[テレビ新広島]]、[[テレビ長崎]]、[[テレビ西日本]]、[[テレビ北海道]]、[[長野放送]]、[[福井テレビジョン放送]]、[[福島テレビ]]) == 劇画 == === さいとう・たかを版 === 2001年、[[リイド社]]の漫画誌『増刊コミック乱』7月号(創刊号)にて、[[さいとう・たかを]]作画、北鏡太脚色のもと連載が開始された。タイトルは『'''仕掛人 藤枝梅安'''』で、原作にある中黒「・」は用いない。連載開始当初は1回80ページであった。同誌上で16話連載後、2003年に『増刊コミック乱』が『[[コミック乱ツインズ]]』と改称して改めて創刊、本作も第17話から同誌に掲載され、以後同誌の看板作品としてたびたび巻頭カラーを飾り、2015年1月号まで連載された。全142話。前後編の挿話が11話、3部作が1話あるため、連載回数は計155回(連載末期には1回40ページとなっていた)。中心人物の一人である小杉十五郎が[[松平定信]]に召抱えられる、鍼医としての梅安の弟子となる芳太郎の登場など、独自改変も加えられている。 掲載誌の看板作品として、池波の原作全てを劇画化した後も連載が続き、「原案・池波正太郎」と明記の上で、脚本家によるオリジナルストーリーを劇画化する形式に移行した。脚色は長く北が一手に執筆してきたが、単行本第26巻収録話以降、山田誠二が加わり、さらに[[會川昇]](第27巻収録話より)、粕谷秀夫(第34巻収録話より)も加入、連載末期には北を中心に4人の脚本家がいた(26巻以降、最新35巻まで毎巻担当話を掲載しているのは北のみ)。 単行本はリイド社発行(「SPコミックス」レーベル)で、[[2016年]](平成28年)8月時点で第35巻まで刊行されている。その他、約2か月ごとに掲載誌の増刊として、掲載誌と同じB5判で“雑誌判総集編”も発行(1号に5-6話収録)、また不定期に[[コンビニコミック]](「SPコミックスポケットワイド」レーベル)も多数発行されている。 21世紀におけるさいとうの執筆活動は、本作と『[[ゴルゴ13]]』『[[鬼平犯科帳]]』3作の長期連載を柱としていたが、本作は3作の中で唯一、さいとう存命中に連載を終了することになった。これは本作の作画の主担当であったチーフアシスタントの[[武本サブロー]]が2008年3月、同じくゴルゴ13や鬼平犯科帳の作画を担当していたチーフアシスタントの[[石川フミヤス]]が2014年11月に死去したことが一因となって、さいとうの作業量が石川死去後に増加し、さいとうの高齢(石川死去時にさいとうは78歳)による体力的な負担などから、3作品連載の同時進行が困難となったことによる。そのため本作は2015年2月から一旦休載する形となり、掲載誌同年3月号で読者に長期休載が告知された。休載告知時には、作者の負担軽減のための休載であり近日中に連載を再開する意向が記されていたが、約1年の休載を経て2016年4月号にて、作者の体力的な限界から連載再開を断念、正式に連載を終了することが告知された(告知文ではさいとうによる文章で「『梅安』は僕にとって大事な作品」とも記されている)。 上記の経緯で連載終了となり、物語としては未完であることもあって、連載終了時点で単行本に収録されたのは2014年11月号掲載分までで、同年12月号、2015年1月号に掲載された最終掲載分2話は2023年に入っても単行本には未収録のままであるが、SPコミックスポケットワイド『仕掛人 藤枝梅安 梅安無惨針』(2016年8月29日発売)に収録されており、掲載号の入手以外でも読むことは可能となっている。 === 武村勇治版 === 『コミック乱ツインズ』では2016年6月号から、[[武村勇治]]の作画による『'''仕掛人 藤枝梅安'''』がさいとう版に代わって連載された。さいとう版の連載終了は前々号の同年4月号で告知されたが、次の5月号で新たに武村版『仕掛人 藤枝梅安』を連載する旨が告知され、同時に本作についてのさいとうと武村との対談記事も掲載された。連載開始号表紙には“梅安 新生”と銘打たれた。第1話は原作、さいとう版同様に「おんなごろし」。さいとう版では結末までを1話で80ページ一挙に描いたが、武村版は1回のページ数が約半分のため、7月号までの前後編構成となった。武村版の作者表示は、漫画・武村勇治/原作・池波正太郎 のみで、脚色者名表示はない。その後約5年連載されて池波の絶筆「梅安冬時雨」までが描かれ、2021年12月号にて最終回を迎えた<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/453246|title=池波正太郎の絶筆小説を武村勇治がコミカライズした「仕掛人 藤枝梅安」が完結|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-11-12|accessdate=2021-11-12}}</ref>。物語構成としてはさいとう版と異なり、原作準拠で進行し、原作を全て劇画化した事で完結となった。基本的には原作に忠実だったため、武村版独自のアレンジは控えめだったが、アレンジとしては、終盤で小杉十郎太が変名として西村左内(『殺しの掟』の登場人物で、ドラマ必殺シリーズで藤枝梅安と共闘した若い浪人)を名乗るなどが挙げられる。 また、同じ雑誌でグルメスピンオフ作品『'''仕掛人 めし噺 ~藤枝梅安歳食記~'''』を2022年4月号から2023年3月号にかけて連載している<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/469459|title=池波正太郎×武村勇治「仕掛人 藤枝梅安」の江戸グルメを描くスピンオフが連載開始|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-03-14|accessdate=2023-01-26}}</ref>。 == アレンジ作品 == 本作が原作となっており梅安が登場するが、タイトルが異なり、また大きくアレンジされている作品がある。 ※梅安役別に示す。 * [[緒形拳]] ** テレビドラマ『[[必殺仕掛人]]』[[1972年]](昭和47年)[[9月2日]] - [[1973年]](昭和48年)[[4月14日]](全33回) ** 映画『必殺仕掛人 梅安蟻地獄』1973年(昭和48年)[[9月29日]]公開 ** 映画『必殺仕掛人 春雪仕掛針』[[1974年]](昭和49年)[[2月16日]]公開 * [[田宮二郎]] ** 映画『[[必殺仕掛人 (映画)|必殺仕掛人]]』1973年(昭和48年)[[6月9日]]公開 == 脚注 == {{reflist|2}} == 関連項目 == * [[必殺仕掛人]] * [[必殺仕掛人 (映画)]] * [[仕掛人・藤枝梅安の登場人物]] == 外部リンク == * [https://baian-movie.com/ 映画「仕掛人・藤枝梅安」公式サイト] * {{Twitter|jdigk_partners|映画「仕掛人・藤枝梅安」時代劇パートナーズ}} * {{Allcinema title|147578|仕掛人梅安}} * {{Kinejun title|17035|仕掛人梅安}} * {{IMDb title|0227486|仕掛人梅安}} {{必殺シリーズ}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |header=この記事は以下のカテゴリでも参照できます |redirect1=仕掛人梅安 |1-1=時代劇映画 |1-2=1981年の映画 |1-3=江戸時代を舞台とした映画作品 |1-4=降旗康男の監督映画 |1-5=東映製作の映画作品 |1-6=小説を原作とする映画 |1-7=池波正太郎原作の映画作品 }} {{DEFAULTSORT:しかけにんふしえたはいあん}} [[Category:時代小説]] [[Category:小説現代]] [[Category:池波正太郎の小説]] [[Category:絶筆作品の小説]] [[Category:未完の文学作品]] [[Category:江戸時代を舞台とした小説]] [[Category:暗殺者を主人公とした小説]] [[Category:医師を主人公とした小説]] [[Category:日本の小説のシリーズ]] [[Category:フジテレビの時代劇]] [[Category:フジテレビ水曜8時枠の連続ドラマ]] [[Category:国際放映作品]] [[Category:1982年のテレビドラマ]] [[Category:松竹製作のテレビ番組]] [[Category:1990年のテレビドラマ]] [[Category:1991年のテレビドラマ]] [[Category:土曜プレミアム]] [[Category:2006年のテレビドラマ]] [[Category:江戸時代を舞台としたテレビドラマ]] [[Category:暗殺者を主人公としたテレビドラマ]] [[Category:医師を主人公としたテレビドラマ]] [[Category:漫画作品 し|かけにんふしえたはいあん]] [[Category:コミック乱]] [[Category:2001年の漫画]] [[Category:小林桂樹]] [[Category:未完の漫画作品]]<!--さいとう版--> [[Category:2016年の漫画]] [[Category:時代劇漫画]] [[Category:江戸時代を舞台とした漫画作品]] [[Category:医師を主人公とした漫画作品]] [[Category:さいとう・たかをの漫画作品]] [[Category:渡辺謙]] [[Category:2023年の映画]] [[Category:池波正太郎原作の映画作品]] [[Category:時代劇映画]] [[Category:医師を主人公とした映画作品]] [[Category:暗殺者を主人公とした映画作品]] [[Category:江戸時代を舞台とした映画作品]] [[Category:川井憲次の作曲映画]] 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イロコイ連邦
イロコイ連邦(イロコイれんぽう、英: Iroquois Confederacy)またはホデノショニ連邦(英: Haudenosaunee Confederacy)は、北アメリカのアメリカ合衆国ニューヨーク州オンタリオ湖南岸とカナダにまたがった保留地を持つ、6つのインディアン部族により構成される部族国家集団をいう。今日ではシックス・ネーションズ(英: Six Nations)の別名で呼ばれることもある。 この連邦の成立は、14世紀ごろと民族学者の間では推測されている。成立当初から、6部族で構成されていたのではなかった。「大いなる法(英語版)」などの呼称で伝わる起源伝承によれば、17世紀に5部族の連合として、今日「イロコイ連邦」として知られる連邦国家が成立した。 イロコイ連邦はアメリカ独立戦争(1775年 - 1783年)に巻き込まれ、パリ講和条約(1783年)後のスタンウィックス砦条約(1784年)で独立した地位(主権性)をほぼ喪失した。 「大いなる法(英語版)」などの呼称で伝わる起源伝承によれば、17世紀に、ワイアンドット族(ヒューロン族とも、Huron)のデガナウィダと、モホーク族のハイアワサの調停によって、互いに戦争状態にあった五大湖湖畔のカユーガ族(英語版)、モホーク族、オナイダ族(英語版)、オノンダーガ族(英語版)、セネカ族(英語版)の5つの部族が同盟し、「ホデノショニ 」という今日「イロコイ連邦」として知られる5部族連合の連邦国家が成立した。デガナウィダによって設計されたこの部族連合は、18世紀前半にタスカローラ族(英語版)が加わって6部族連合となったのち、アメリカ独立戦争ごろまで強固な結束を保った。5部族の和平を結び連邦の成立を成し遂げたデガナウィダとハイアワサは、「グレート・ピースメーカー (Great Peace Maker)」 として知られている。 イロコイ連邦はヨーロッパ人の到来以前から機能しており、実際の連邦の成立は14世紀半ばまでさかのぼるとする研究もある。また、その成立過程は5か国が一度に結集したわけではなく、モホークとオナイダとオノンダーガの3か国が先に連邦を形成し、のちにカユーガ、セネカが参加したと考えられている。 「イロコイ」の名称は、ワイアンドット族が「イリアコイ(黒い蛇)」と呼んだ通称に、フランス入植者が「ois」を語尾に付け、「イロコワ (Iroquois)」と呼んだのが由来である。彼ら自身は「オングワノシオンニ(我ら長い小屋に住む者)」と自称する。 アメリカ独立戦争(1775年 - 1783年)に巻き込まれたイロコイ連邦は、イギリス本国(王党派)側に立った陣営と13植民地独立派側に立った陣営に分断されて6部族連合の結束が崩れ、互いに敵として戦い合うことになった(初戦はオリスカニーの戦い)。独立派にとってニューヨーク邦内のイロコイとの戦いは、イギリス側に立つ先住民勢力の制圧という当面目標の達成のみにとどまらず、イロコイの抵抗力を取り除いてその土地を獲得するという長期目標を叶える機会でもあった。 独立戦争が始まるとイロコイ連邦は、イギリス側と独立派の双方から交渉を持ち掛けられて駆け引きの対象となり、注目を受けた。そして、戦闘へ参加するイロコイの集団も現れる。 イングランド国教会の信徒であったジョゼフ・ブラントからの説得を受け入れたモホーク族に、「伝統宗教」的立場をとったセネカ族はイギリス側の陣営として立ち、局外中立を当初目指したオノンダーガ族およびカユーガ族も独立派に襲撃を受けるとイギリス側への協力に回った。プロテスタントの信徒が多かったオナイダ族のほか、タスカローラ族は独立派側の陣営として立った。 モホーク族戦士の長ジョゼフ・ブラントとイギリスの共同部隊は、ゲリラ戦を仕掛けて独立派集落に襲撃を繰り返し、独立派に打撃と恐怖を与えた(コブルスキルの戦いやジャーマンフラッツへの攻撃、チェリーバレー虐殺など)。とりわけ、ブラントを除くインディアン諸族の兵とイギリス兵の共同部隊による「ワイオミングの虐殺」は、1778年の夏ごろに戦争全体での優勢を確立しつつあった独立派へ大きな衝撃をもたらした。そうした中、独立派の大陸軍最高司令官であるジョージ・ワシントンはニューヨーク邦内のイロコイ勢力掃討を計画して大陸会議の許可を受け、1779年6月に根拠地の破壊と無力化を目的としたジョン・サリバン少将の遠征が実行された。9月まで行われたこのサリバン遠征でブラントらの部隊が壊滅させられることはなかったが(ニュータウンの戦い)、イロコイの居住地は徹底した破壊を受けて焦土化された。これは、オナイダ族を除くほとんどのイロコイ連邦諸族を明らかに敵として扱うものであった。ブラントは自身に賛同した他のイロコイ連邦諸族の一部も引き連れ、英領カナダを拠点として独立派に対するゲリラ戦を続けた(ラフリーでの一方的な勝利など)。 独立戦争に勝利したのは独立派、アメリカ合衆国であった。パリ講和条約(1783年)では、イロコイ族を含むインディアン諸族は顧みられることなく、イギリスにミシシッピ川以東の地域を米国の司法権下へ引き渡された。イロコイ連邦は内部対立を収拾できないまま、スタンウィックス砦条約の会議に立たされる。1784年のスタンウィックス砦条約はアメリカ合衆国のイロコイ連邦に対する講和条約としての性質があり、イロコイは米国へ領土(ペンシルバニア州域北西部とニューヨーク州域西部の大半)の割譲を強いられ、その独立した地位(主権性)もほぼ喪失する。同条約の会議でイロコイ連邦は、以前まで有していた支配権の譲渡をアメリカ合衆国に対して原則的には受容しなければならない地位にあるということを認めることになった。強いられたこの条約をイロコイ側は批准しなかったが、そのことはもはや米国側によるイロコイからの土地獲得の障害にはならなかった。 独立派に与したオナイダ族とタスカローラ族も、1785年のハーキマー砦条約で土地の譲り渡しを州政府に強いられた。イロコイの諸族は以後も、1788年にオノンダーガ族とオナイダ族、1789年にカユーガ族、1797年にモホーク族が、州政府との個別条約で土地の譲り渡しを強いられていった。しかし、それらの条約はアメリカ連邦政府の承認が明確になっておらず、原則として合法性が疑われるものであった。 イロコイ連邦に所属する国は母系社会であり、クラン・マザー(氏族の母)をはじめとする女性たちが合議し、連邦を運営する男性の首長たちを推挙・解任する。特定の家系の男子のみが首長に選出される資格を持ち、その資格は母系で継承されていくという世襲制にある。首長は連邦全体で50名の男性で構成され、モホーク9名、オナイダ9名、オノンダーガ14名、カユーガ10名、セネカ8名と決まっている。首長にはそれぞれに称号があり、次代の男性首長へと継承される。その中にはワンパムの保管など特別な役目をもつ称号もある。首長は平時においても戦時においても他の氏族員に対して権利においては優越せず、氏族全体の意思と、罷免権を持つ女性の意思を尊重せねばならない。 年に6度の宗教祭(楓祭・植付祭・漿果祭・青トウモロコシ祭・収穫祭・新年祭)を執行する「信仰の番人」は、単なる宗教職ではない「人民の悪業を種族会議に報告する権力を有する人民の監察官」であり、これには首長とともに女性たちも選ばれている。 首長は年に一度オノンダーガ領内にある「中央の炎」と呼ばれる場所に集まり、連邦全体に関わる問題を討議した。連邦のうち、モホークとオノンダーガ、セネカは「年上の兄弟」、カユーガとオナイダは「年下の兄弟」と呼ばれるグループに分かれる。ある議題を論議する場合、まず年下の兄弟のあいだで討議し、その議論を年上の兄弟たちは傍聴する。次に年上の兄弟たちが同じ議題について議論し、年下の兄弟で出た結論と同じ結論になればそれで可決となる。結論が異なった場合、議論は振り出しに戻る。全体が納得するまで議論する仕組みから、結論が出るまでに1年以上かかることも珍しくなかった。 重要な決まりごとはワムパム・ベルト(英語版)という貝殻ビーズの織物に幾何学模様で記録する。19世紀になると、白人たちがでたらめな模様のワムパム・ベルトを作って売り買いしたため、これを正規物と誤解したインディアン部族間の戦争まで起こった。現在も部族の法を記録したこの織物は大切に保持されている。 イロコイ連邦は女が農耕をおこない、男は戦士を務める軍事国家だった。彼らは周辺のインディアン部族に戦いを挑み、敵部族の捕虜に対して両側から棒で殴られる中を走らせるガントレットの儀式で試し、これに耐えた戦士を新しい血、公式な部族員として迎えた。イロコイの戦士の苛烈さは他部族のみならず白人入植者を震え上がらせた。彼らは敵部族に拷問を行う風習も持っていた。また、彼らは敵部族を征服し傘下とすると、安全保障条約を結び、その部族に代わって他の部族と戦った。 こういった獰猛な戦士の姿から、イロコイ連邦の部族に「蛇」をイメージするインディアン部族は多かった。オジブワ族は彼らを「ナドワ(毒蛇)」と呼んだ。これは「スー族(ナドウェズスー=小さい毒蛇)」と同じ由来である。オタワ族は彼らを「マッチェナウトワイ(悪い蛇)」と呼んだ。 イロコイ社会における女性 下記のようにイロコイの女性が書いている: イロコイ族は歴史的に母権制に従ってきました。男性と女性は伝統的に別々の役割を果たしてきましたが、どちらも国家で実際的権力を保持しています。土地を「所有する」権利は誰にもありませんが、創造主は女性を土地の管理人に任命したと考えられています。伝統的に、クランマザーが子供を育ててきていて、他の人たちよりも高い評価を受けているため、リーダーを任命します。同様にして、リーダーが健全であることを証明しない場合、腐敗した場合、または人々の言うことを聞かない場合は、氏族の母親は彼のリーダーシップを剥奪する力を持っています。氏族の長は、その氏族の女性長老の評議会によっていつでも解任され得ます。首長の姉妹には歴史的に彼の後継者を指名する責任がありました。氏族の母親、各氏族の年配の女性は非常に尊敬されています。 イロコイ族は伝統的に母系制に従っており、先祖伝来のリーダーシップが女性側の血統上を、つまり母親から、子供へと受け継がれてきています。伝統的な結婚の子供たちは自分の母親の氏族に属し、彼女の社会的地位を通して自分の社会的地位を獲得します。彼女の兄弟たちは子供たちにとって重要な教師であり良き指導者であり、特に男の子に男性の役割と社会を紹介しています。カップルが別れた場合、伝統的に女性がその子供を養います。イロコイ族では母系の氏族内で結婚することは近親相姦と見なされているが、父系の同じ氏族の出の誰かと結婚することは受け入れられると考えられている。 歴史的に、女性は住居、馬、農地を所有しており、結婚前の女性の財産は、夫の財産と混ざることなく所有されていました。女性の手によって生じた成果は、女性がそれが適切だと思うように取り扱われるべきであり、女性のものなのです。 歴史的に、結婚時に、若いカップルは妻の家族のロングハウスに住んでいました(妻方居住)。ぐうたらな、あるいは何か満足のいかない夫と離婚することを選択した女性は、自分の所有物を持って住居を出て行くように彼に頼むことができます。 近現代 選挙に基づいた自治制度がアメリカやカナダの政府によって導入されて、政府公式の自治議会とイロコイ「伝統」の自治議会が併存している地域がある。そうした地域では、双方の対立という問題も見られる。20世紀末以降には、特定の家系からのみ首長が選出される制度に対して、当該家系外の部族民から「『特権』的な政治継承の原理」という意見も一部ではなされている。 ロングハウスという、数家族が同居する住居(右図)を伝統住居とし、トウモロコシや豆、カボチャ(スクワッシュ)を栽培する農耕を行った。この三種の作物が人のために生まれてきたことを感謝し、「三姉妹、我々を維持する食べ物」とイロコイ族は呼ぶ。彼らの伝統的な作付けは、これらの種を同じ場所に撒き、トウモロコシに豆が絡みつき、その根元をカボチャが覆う、というものである。トウモロコシと豆を共に栽培するのは、労力の節約のほかに土壌から失われる窒素を豆で補う効果もあった。 1日に一度、朝と昼の中間の時間に正餐をとり、野禽のロースト、魚介類、サラダやベイクドパンプキン、ベイクドスクワッシュ、ヘーゼルナッツのケーキなどを食した。これらはニューイングランド地方の古典的な料理であるクラムチャウダー、ボストン・ブラウン・ブレッド、クランベリー・プディングなどの原型となった。 連邦政府が公認した全米500以上に上るインディアン部族は、インディアン事務局 (BIA) の監視・管理下にある「部族会議」を設置してFederally recognized tribesが集まる「首長制」となっている。しかしイロコイ連邦は当初から、連邦政府=BIAの干渉を拒絶してこの種の「首長制」が強制される「部族会議」などの組織は持たず、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。これがアメリカ合衆国政府との条約によって保障された保留地 (Reservation) の本来の姿ということになる。 イロコイ・パスポート(ホデノショニ・パスポート)という鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行しており、使用を連邦政府と相手国側に認められる場合もある。2005年に国際宗教学宗教史学会の東京大会へ招かれたオノンダーガ族パネリストの一団が来日する際、このパスポートの使用について日本政府側の承認があった(オノンダーガ・ネーションの公表による)。2010年の国際スポーツ大会において、イロコイのラクロスチームはアメリカ国務省からの承認を受けたものの、イギリス政府側はその使用を承認しなかった。 2009年9月21日にニューヨーク州のセネカ・ネーションは、その名の下で自らの部族民に西半球旅行の身分証明書を発行するために、合衆国国土安全保障省と開発協定の約定書に調印した。発行がされるようになれば、証明カードで合衆国の国境を越えて国外と行き来できることになる。 「ウーンデッド・ニー占拠」(1973年)の指導者の一人で連邦政府から訴追されたデニス・バンクスが、1983年にFBIから逃れるためニューヨーク州の部族国家オノンダーガへ亡命して話題となった。FBIは自治権の強さで知られるオノンダーガ・ネーションに入れず、バンクスに手が出せなかった。イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言を最初に承認した。 イロコイ影響論とは、アメリカ合衆国の建国者(建国の父)たちや合衆国憲法起草にイロコイ連邦の諸要素が大きな影響を及ぼしたとする説。イロコイ影響論では、「自由」や「民主主義」といったイロコイ連邦の政治システムが新国家アメリカの基礎になったと歴史を認識している。イロコイを研究分野とする人類学者および憲法研究の権威と評価されている史学者のほとんどは、イロコイ影響論に強く反対している。影響論は、イロコイ族以外のインディアン部族を要因として挙げるものも含めて広くは受け入れられていない。 影響を及ぼした可能性についての提起は19世紀から時折あったが、1980年代にイロコイ影響論が主張されたとき大きく注目された。イロコイ影響論の賛同者は、包括的な議論提起および証拠提示を行った学者のブルース・E・ジョハンセン(アメリカ先住民学)とドナルド・A・グリンデ・ジュニア(アメリカ学)の研究成果を、インディアンをアメリカ史へ好意的に受容したものと見なしている。 1988年、アメリカ合衆国議会両院で「合衆国憲法へのイロコイ連邦の貢献」を認定した決議が可決され成立した。前年には上院議員ダニエル・イノウエの提案した同様の別決議が、上院で可決のみはされていた。イロコイ影響論をアメリカ先住民や教育界の多文化主義者の多くは好意的に迎え入れていたが、学界内の多数は影響論の裏付けとなる証拠やその論理について信頼のできないものとして見続けている。 アメリカ合衆国へイロコイ連邦の諸要素が及ぼした影響についてのコンセンサスは、 とするのが、バランスのとれた見方とされている。 イロコイの連邦制度がアメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、13植民地がアメリカ合衆国として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法制定にも影響を与えたとする研究者もいる。ジョハンセンは、イロコイはベンジャミン・フランクリン(→1754年オールバニ会議の連合案)や、トーマス・ジェファーソン(→インディアン使節団への1802年演説)に影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていたとしている。 このイロコイ連邦(六部族連合)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンやトマス・ペイン)は、ロングハウスでの大協議会に参加し、外交についての授業を受けている。イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示(→1744年には「連合を形成すべきと忠告」)している。 ハクトウワシの米国国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由や信教の自由、選挙や弾劾、独立州の連合としての「連邦制」に、「安全保障条約」などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。 人類学者のエリザベス・トゥッカーは、新国家アメリカと異なった原理でイロコイの政治システムが構築されていたと説明する。合衆国憲法で採用された連邦制度と比べて、イロコイ連邦の連合方式は中央集権的要素が見られないものだった。50人の首長たちは選挙で選ばれるのではなくクラン・マザー(氏族の母)たちの推挙で決められ、首長数の連合参加各国への割り当ては連合のしきたりとしてある各国へ付けられた序列に則っていた。 13植民地入植者社会には、インディアンの言語に対する理解が不十分なうちから民主的制度が見られる。法制史学者のジャック・N・レイコウブは、ニューイングランド地方におけるタウンミーティングの民主的自治や、新大陸初の議会とされるバージニア議会(英語版)(1619年開設)を例示している。さらに連邦主義的制度は、イロコイとの接触以前から見られる。政治学者のサミュエル・B・ペインは、ニューイングランド連合(1643年 - 1684年)の「連合規約」と呼ばれる近世の憲法の例を挙げている。この連合について、連合参加各植民地の対内主権は連合の力や主権と協同しており、連合体として実際に機能していたと説明する。1744年の「連合を形成すべきとの“忠告”」、イロコイ族にニューイングランド入植者が接触する1677年、それらの30年以上前に、イギリス人入植者が連合という仕組みに慣れていたことをペインは指摘している。 アメリカ独立革命以前と以後の重要な政治的概念の全ては、ヨーロッパの前例を明らかに参照していた。参政権の平等主義について、レイコウブはこう指摘する。結局のところ17世紀のイギリス社会に端緒があり、特にイングランド内戦およびイングランド共和国の時代とその時代に生じた出来事、貴族院および君主制の廃止、パトニー討論や平等派といった急進的な政治感情とその実践に関係があった。 アメリカ合衆国の建国者(建国の父)たちは、ヨーロッパの事例を参考としたことを明らかにしている。 アメリカおよびカナダの六部族。 「インディアン・カジノ」は、保留地と連動したアメリカ連邦政府との連邦条約規定に基づくインディアン部族の権利である。貧困にあえぐインディアン部族にとってこれは、「現代のバッファロー」と呼ばれる最後の切り札である。イロコイ連邦では現在、3部族が以下のカジノを運営している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "イロコイ連邦(イロコイれんぽう、英: Iroquois Confederacy)またはホデノショニ連邦(英: Haudenosaunee Confederacy)は、北アメリカのアメリカ合衆国ニューヨーク州オンタリオ湖南岸とカナダにまたがった保留地を持つ、6つのインディアン部族により構成される部族国家集団をいう。今日ではシックス・ネーションズ(英: Six Nations)の別名で呼ばれることもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "この連邦の成立は、14世紀ごろと民族学者の間では推測されている。成立当初から、6部族で構成されていたのではなかった。「大いなる法(英語版)」などの呼称で伝わる起源伝承によれば、17世紀に5部族の連合として、今日「イロコイ連邦」として知られる連邦国家が成立した。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "イロコイ連邦はアメリカ独立戦争(1775年 - 1783年)に巻き込まれ、パリ講和条約(1783年)後のスタンウィックス砦条約(1784年)で独立した地位(主権性)をほぼ喪失した。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「大いなる法(英語版)」などの呼称で伝わる起源伝承によれば、17世紀に、ワイアンドット族(ヒューロン族とも、Huron)のデガナウィダと、モホーク族のハイアワサの調停によって、互いに戦争状態にあった五大湖湖畔のカユーガ族(英語版)、モホーク族、オナイダ族(英語版)、オノンダーガ族(英語版)、セネカ族(英語版)の5つの部族が同盟し、「ホデノショニ 」という今日「イロコイ連邦」として知られる5部族連合の連邦国家が成立した。デガナウィダによって設計されたこの部族連合は、18世紀前半にタスカローラ族(英語版)が加わって6部族連合となったのち、アメリカ独立戦争ごろまで強固な結束を保った。5部族の和平を結び連邦の成立を成し遂げたデガナウィダとハイアワサは、「グレート・ピースメーカー (Great Peace Maker)」 として知られている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "イロコイ連邦はヨーロッパ人の到来以前から機能しており、実際の連邦の成立は14世紀半ばまでさかのぼるとする研究もある。また、その成立過程は5か国が一度に結集したわけではなく、モホークとオナイダとオノンダーガの3か国が先に連邦を形成し、のちにカユーガ、セネカが参加したと考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「イロコイ」の名称は、ワイアンドット族が「イリアコイ(黒い蛇)」と呼んだ通称に、フランス入植者が「ois」を語尾に付け、「イロコワ (Iroquois)」と呼んだのが由来である。彼ら自身は「オングワノシオンニ(我ら長い小屋に住む者)」と自称する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "アメリカ独立戦争(1775年 - 1783年)に巻き込まれたイロコイ連邦は、イギリス本国(王党派)側に立った陣営と13植民地独立派側に立った陣営に分断されて6部族連合の結束が崩れ、互いに敵として戦い合うことになった(初戦はオリスカニーの戦い)。独立派にとってニューヨーク邦内のイロコイとの戦いは、イギリス側に立つ先住民勢力の制圧という当面目標の達成のみにとどまらず、イロコイの抵抗力を取り除いてその土地を獲得するという長期目標を叶える機会でもあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "独立戦争が始まるとイロコイ連邦は、イギリス側と独立派の双方から交渉を持ち掛けられて駆け引きの対象となり、注目を受けた。そして、戦闘へ参加するイロコイの集団も現れる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "イングランド国教会の信徒であったジョゼフ・ブラントからの説得を受け入れたモホーク族に、「伝統宗教」的立場をとったセネカ族はイギリス側の陣営として立ち、局外中立を当初目指したオノンダーガ族およびカユーガ族も独立派に襲撃を受けるとイギリス側への協力に回った。プロテスタントの信徒が多かったオナイダ族のほか、タスカローラ族は独立派側の陣営として立った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "モホーク族戦士の長ジョゼフ・ブラントとイギリスの共同部隊は、ゲリラ戦を仕掛けて独立派集落に襲撃を繰り返し、独立派に打撃と恐怖を与えた(コブルスキルの戦いやジャーマンフラッツへの攻撃、チェリーバレー虐殺など)。とりわけ、ブラントを除くインディアン諸族の兵とイギリス兵の共同部隊による「ワイオミングの虐殺」は、1778年の夏ごろに戦争全体での優勢を確立しつつあった独立派へ大きな衝撃をもたらした。そうした中、独立派の大陸軍最高司令官であるジョージ・ワシントンはニューヨーク邦内のイロコイ勢力掃討を計画して大陸会議の許可を受け、1779年6月に根拠地の破壊と無力化を目的としたジョン・サリバン少将の遠征が実行された。9月まで行われたこのサリバン遠征でブラントらの部隊が壊滅させられることはなかったが(ニュータウンの戦い)、イロコイの居住地は徹底した破壊を受けて焦土化された。これは、オナイダ族を除くほとんどのイロコイ連邦諸族を明らかに敵として扱うものであった。ブラントは自身に賛同した他のイロコイ連邦諸族の一部も引き連れ、英領カナダを拠点として独立派に対するゲリラ戦を続けた(ラフリーでの一方的な勝利など)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "独立戦争に勝利したのは独立派、アメリカ合衆国であった。パリ講和条約(1783年)では、イロコイ族を含むインディアン諸族は顧みられることなく、イギリスにミシシッピ川以東の地域を米国の司法権下へ引き渡された。イロコイ連邦は内部対立を収拾できないまま、スタンウィックス砦条約の会議に立たされる。1784年のスタンウィックス砦条約はアメリカ合衆国のイロコイ連邦に対する講和条約としての性質があり、イロコイは米国へ領土(ペンシルバニア州域北西部とニューヨーク州域西部の大半)の割譲を強いられ、その独立した地位(主権性)もほぼ喪失する。同条約の会議でイロコイ連邦は、以前まで有していた支配権の譲渡をアメリカ合衆国に対して原則的には受容しなければならない地位にあるということを認めることになった。強いられたこの条約をイロコイ側は批准しなかったが、そのことはもはや米国側によるイロコイからの土地獲得の障害にはならなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "独立派に与したオナイダ族とタスカローラ族も、1785年のハーキマー砦条約で土地の譲り渡しを州政府に強いられた。イロコイの諸族は以後も、1788年にオノンダーガ族とオナイダ族、1789年にカユーガ族、1797年にモホーク族が、州政府との個別条約で土地の譲り渡しを強いられていった。しかし、それらの条約はアメリカ連邦政府の承認が明確になっておらず、原則として合法性が疑われるものであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "イロコイ連邦に所属する国は母系社会であり、クラン・マザー(氏族の母)をはじめとする女性たちが合議し、連邦を運営する男性の首長たちを推挙・解任する。特定の家系の男子のみが首長に選出される資格を持ち、その資格は母系で継承されていくという世襲制にある。首長は連邦全体で50名の男性で構成され、モホーク9名、オナイダ9名、オノンダーガ14名、カユーガ10名、セネカ8名と決まっている。首長にはそれぞれに称号があり、次代の男性首長へと継承される。その中にはワンパムの保管など特別な役目をもつ称号もある。首長は平時においても戦時においても他の氏族員に対して権利においては優越せず、氏族全体の意思と、罷免権を持つ女性の意思を尊重せねばならない。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "年に6度の宗教祭(楓祭・植付祭・漿果祭・青トウモロコシ祭・収穫祭・新年祭)を執行する「信仰の番人」は、単なる宗教職ではない「人民の悪業を種族会議に報告する権力を有する人民の監察官」であり、これには首長とともに女性たちも選ばれている。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "首長は年に一度オノンダーガ領内にある「中央の炎」と呼ばれる場所に集まり、連邦全体に関わる問題を討議した。連邦のうち、モホークとオノンダーガ、セネカは「年上の兄弟」、カユーガとオナイダは「年下の兄弟」と呼ばれるグループに分かれる。ある議題を論議する場合、まず年下の兄弟のあいだで討議し、その議論を年上の兄弟たちは傍聴する。次に年上の兄弟たちが同じ議題について議論し、年下の兄弟で出た結論と同じ結論になればそれで可決となる。結論が異なった場合、議論は振り出しに戻る。全体が納得するまで議論する仕組みから、結論が出るまでに1年以上かかることも珍しくなかった。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "重要な決まりごとはワムパム・ベルト(英語版)という貝殻ビーズの織物に幾何学模様で記録する。19世紀になると、白人たちがでたらめな模様のワムパム・ベルトを作って売り買いしたため、これを正規物と誤解したインディアン部族間の戦争まで起こった。現在も部族の法を記録したこの織物は大切に保持されている。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "イロコイ連邦は女が農耕をおこない、男は戦士を務める軍事国家だった。彼らは周辺のインディアン部族に戦いを挑み、敵部族の捕虜に対して両側から棒で殴られる中を走らせるガントレットの儀式で試し、これに耐えた戦士を新しい血、公式な部族員として迎えた。イロコイの戦士の苛烈さは他部族のみならず白人入植者を震え上がらせた。彼らは敵部族に拷問を行う風習も持っていた。また、彼らは敵部族を征服し傘下とすると、安全保障条約を結び、その部族に代わって他の部族と戦った。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "こういった獰猛な戦士の姿から、イロコイ連邦の部族に「蛇」をイメージするインディアン部族は多かった。オジブワ族は彼らを「ナドワ(毒蛇)」と呼んだ。これは「スー族(ナドウェズスー=小さい毒蛇)」と同じ由来である。オタワ族は彼らを「マッチェナウトワイ(悪い蛇)」と呼んだ。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "イロコイ社会における女性", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "下記のようにイロコイの女性が書いている:", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "イロコイ族は歴史的に母権制に従ってきました。男性と女性は伝統的に別々の役割を果たしてきましたが、どちらも国家で実際的権力を保持しています。土地を「所有する」権利は誰にもありませんが、創造主は女性を土地の管理人に任命したと考えられています。伝統的に、クランマザーが子供を育ててきていて、他の人たちよりも高い評価を受けているため、リーダーを任命します。同様にして、リーダーが健全であることを証明しない場合、腐敗した場合、または人々の言うことを聞かない場合は、氏族の母親は彼のリーダーシップを剥奪する力を持っています。氏族の長は、その氏族の女性長老の評議会によっていつでも解任され得ます。首長の姉妹には歴史的に彼の後継者を指名する責任がありました。氏族の母親、各氏族の年配の女性は非常に尊敬されています。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "イロコイ族は伝統的に母系制に従っており、先祖伝来のリーダーシップが女性側の血統上を、つまり母親から、子供へと受け継がれてきています。伝統的な結婚の子供たちは自分の母親の氏族に属し、彼女の社会的地位を通して自分の社会的地位を獲得します。彼女の兄弟たちは子供たちにとって重要な教師であり良き指導者であり、特に男の子に男性の役割と社会を紹介しています。カップルが別れた場合、伝統的に女性がその子供を養います。イロコイ族では母系の氏族内で結婚することは近親相姦と見なされているが、父系の同じ氏族の出の誰かと結婚することは受け入れられると考えられている。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "歴史的に、女性は住居、馬、農地を所有しており、結婚前の女性の財産は、夫の財産と混ざることなく所有されていました。女性の手によって生じた成果は、女性がそれが適切だと思うように取り扱われるべきであり、女性のものなのです。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "歴史的に、結婚時に、若いカップルは妻の家族のロングハウスに住んでいました(妻方居住)。ぐうたらな、あるいは何か満足のいかない夫と離婚することを選択した女性は、自分の所有物を持って住居を出て行くように彼に頼むことができます。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "近現代", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "選挙に基づいた自治制度がアメリカやカナダの政府によって導入されて、政府公式の自治議会とイロコイ「伝統」の自治議会が併存している地域がある。そうした地域では、双方の対立という問題も見られる。20世紀末以降には、特定の家系からのみ首長が選出される制度に対して、当該家系外の部族民から「『特権』的な政治継承の原理」という意見も一部ではなされている。", "title": "統治" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ロングハウスという、数家族が同居する住居(右図)を伝統住居とし、トウモロコシや豆、カボチャ(スクワッシュ)を栽培する農耕を行った。この三種の作物が人のために生まれてきたことを感謝し、「三姉妹、我々を維持する食べ物」とイロコイ族は呼ぶ。彼らの伝統的な作付けは、これらの種を同じ場所に撒き、トウモロコシに豆が絡みつき、その根元をカボチャが覆う、というものである。トウモロコシと豆を共に栽培するのは、労力の節約のほかに土壌から失われる窒素を豆で補う効果もあった。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1日に一度、朝と昼の中間の時間に正餐をとり、野禽のロースト、魚介類、サラダやベイクドパンプキン、ベイクドスクワッシュ、ヘーゼルナッツのケーキなどを食した。これらはニューイングランド地方の古典的な料理であるクラムチャウダー、ボストン・ブラウン・ブレッド、クランベリー・プディングなどの原型となった。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "連邦政府が公認した全米500以上に上るインディアン部族は、インディアン事務局 (BIA) の監視・管理下にある「部族会議」を設置してFederally recognized tribesが集まる「首長制」となっている。しかしイロコイ連邦は当初から、連邦政府=BIAの干渉を拒絶してこの種の「首長制」が強制される「部族会議」などの組織は持たず、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。これがアメリカ合衆国政府との条約によって保障された保留地 (Reservation) の本来の姿ということになる。", "title": "アメリカ連邦政府との関わり" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "イロコイ・パスポート(ホデノショニ・パスポート)という鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行しており、使用を連邦政府と相手国側に認められる場合もある。2005年に国際宗教学宗教史学会の東京大会へ招かれたオノンダーガ族パネリストの一団が来日する際、このパスポートの使用について日本政府側の承認があった(オノンダーガ・ネーションの公表による)。2010年の国際スポーツ大会において、イロコイのラクロスチームはアメリカ国務省からの承認を受けたものの、イギリス政府側はその使用を承認しなかった。", "title": "アメリカ連邦政府との関わり" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2009年9月21日にニューヨーク州のセネカ・ネーションは、その名の下で自らの部族民に西半球旅行の身分証明書を発行するために、合衆国国土安全保障省と開発協定の約定書に調印した。発行がされるようになれば、証明カードで合衆国の国境を越えて国外と行き来できることになる。", "title": "アメリカ連邦政府との関わり" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "「ウーンデッド・ニー占拠」(1973年)の指導者の一人で連邦政府から訴追されたデニス・バンクスが、1983年にFBIから逃れるためニューヨーク州の部族国家オノンダーガへ亡命して話題となった。FBIは自治権の強さで知られるオノンダーガ・ネーションに入れず、バンクスに手が出せなかった。イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言を最初に承認した。", "title": "アメリカ連邦政府との関わり" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "イロコイ影響論とは、アメリカ合衆国の建国者(建国の父)たちや合衆国憲法起草にイロコイ連邦の諸要素が大きな影響を及ぼしたとする説。イロコイ影響論では、「自由」や「民主主義」といったイロコイ連邦の政治システムが新国家アメリカの基礎になったと歴史を認識している。イロコイを研究分野とする人類学者および憲法研究の権威と評価されている史学者のほとんどは、イロコイ影響論に強く反対している。影響論は、イロコイ族以外のインディアン部族を要因として挙げるものも含めて広くは受け入れられていない。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "影響を及ぼした可能性についての提起は19世紀から時折あったが、1980年代にイロコイ影響論が主張されたとき大きく注目された。イロコイ影響論の賛同者は、包括的な議論提起および証拠提示を行った学者のブルース・E・ジョハンセン(アメリカ先住民学)とドナルド・A・グリンデ・ジュニア(アメリカ学)の研究成果を、インディアンをアメリカ史へ好意的に受容したものと見なしている。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1988年、アメリカ合衆国議会両院で「合衆国憲法へのイロコイ連邦の貢献」を認定した決議が可決され成立した。前年には上院議員ダニエル・イノウエの提案した同様の別決議が、上院で可決のみはされていた。イロコイ影響論をアメリカ先住民や教育界の多文化主義者の多くは好意的に迎え入れていたが、学界内の多数は影響論の裏付けとなる証拠やその論理について信頼のできないものとして見続けている。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国へイロコイ連邦の諸要素が及ぼした影響についてのコンセンサスは、", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "とするのが、バランスのとれた見方とされている。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "イロコイの連邦制度がアメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、13植民地がアメリカ合衆国として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法制定にも影響を与えたとする研究者もいる。ジョハンセンは、イロコイはベンジャミン・フランクリン(→1754年オールバニ会議の連合案)や、トーマス・ジェファーソン(→インディアン使節団への1802年演説)に影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていたとしている。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "このイロコイ連邦(六部族連合)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンやトマス・ペイン)は、ロングハウスでの大協議会に参加し、外交についての授業を受けている。イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示(→1744年には「連合を形成すべきと忠告」)している。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ハクトウワシの米国国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由や信教の自由、選挙や弾劾、独立州の連合としての「連邦制」に、「安全保障条約」などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "人類学者のエリザベス・トゥッカーは、新国家アメリカと異なった原理でイロコイの政治システムが構築されていたと説明する。合衆国憲法で採用された連邦制度と比べて、イロコイ連邦の連合方式は中央集権的要素が見られないものだった。50人の首長たちは選挙で選ばれるのではなくクラン・マザー(氏族の母)たちの推挙で決められ、首長数の連合参加各国への割り当ては連合のしきたりとしてある各国へ付けられた序列に則っていた。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "13植民地入植者社会には、インディアンの言語に対する理解が不十分なうちから民主的制度が見られる。法制史学者のジャック・N・レイコウブは、ニューイングランド地方におけるタウンミーティングの民主的自治や、新大陸初の議会とされるバージニア議会(英語版)(1619年開設)を例示している。さらに連邦主義的制度は、イロコイとの接触以前から見られる。政治学者のサミュエル・B・ペインは、ニューイングランド連合(1643年 - 1684年)の「連合規約」と呼ばれる近世の憲法の例を挙げている。この連合について、連合参加各植民地の対内主権は連合の力や主権と協同しており、連合体として実際に機能していたと説明する。1744年の「連合を形成すべきとの“忠告”」、イロコイ族にニューイングランド入植者が接触する1677年、それらの30年以上前に、イギリス人入植者が連合という仕組みに慣れていたことをペインは指摘している。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "アメリカ独立革命以前と以後の重要な政治的概念の全ては、ヨーロッパの前例を明らかに参照していた。参政権の平等主義について、レイコウブはこう指摘する。結局のところ17世紀のイギリス社会に端緒があり、特にイングランド内戦およびイングランド共和国の時代とその時代に生じた出来事、貴族院および君主制の廃止、パトニー討論や平等派といった急進的な政治感情とその実践に関係があった。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国の建国者(建国の父)たちは、ヨーロッパの事例を参考としたことを明らかにしている。", "title": "「イロコイ影響論」という異説" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "アメリカおよびカナダの六部族。", "title": "六部族連合を構成する六部族" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "「インディアン・カジノ」は、保留地と連動したアメリカ連邦政府との連邦条約規定に基づくインディアン部族の権利である。貧困にあえぐインディアン部族にとってこれは、「現代のバッファロー」と呼ばれる最後の切り札である。イロコイ連邦では現在、3部族が以下のカジノを運営している。", "title": "インディアン・カジノ" } ]
イロコイ連邦またはホデノショニ連邦は、北アメリカのアメリカ合衆国ニューヨーク州オンタリオ湖南岸とカナダにまたがった保留地を持つ、6つのインディアン部族により構成される部族国家集団をいう。今日ではシックス・ネーションズの別名で呼ばれることもある。 この連邦の成立は、14世紀ごろと民族学者の間では推測されている。成立当初から、6部族で構成されていたのではなかった。「大いなる法」などの呼称で伝わる起源伝承によれば、17世紀に5部族の連合として、今日「イロコイ連邦」として知られる連邦国家が成立した。 イロコイ連邦はアメリカ独立戦争に巻き込まれ、パリ講和条約(1783年)後のスタンウィックス砦条約(1784年)で独立した地位(主権性)をほぼ喪失した。
{{脚注の不足|date=2020年5月}} [[Image:Flag of the Iroquois Confederacy.svg|thumb|right|250px|[[:en:Flag of the Iroquois Confederacy|イロコイ連邦の旗]]。イロコイの「大いなる法」を記録した{{仮リンク|ワムパム・ベルト|en|Wampum}}を意匠としている。]]<!--脚注皆無の参考文献: モルガン、エンゲルス、横須賀、星川--> '''イロコイ連邦'''(イロコイれんぽう、{{lang-en-short|Iroquois Confederacy}})または'''ホデノショニ連邦'''({{lang-en-short|Haudenosaunee Confederacy}})は{{Efn2|「イロコイ」は、「イロクォイ」とも。イロコイ諸族の部族国家連合体については、「[[連合]]<ref name="Iro名_連合_集" />」「連邦<ref name="Iro名_連邦_集" />」「[[連盟]]<ref name="Iro名_連盟_集" />」「[[同盟]]<ref name="Iro名_同盟_集" /><ref name="kb_Iro同_日百" />」などとする例が主として見られる。{{lang|iro|Haudenosaunee}} を日本語へ[[転写 (言語学)|転写]]した表記はさまざまであり、当記事ではどの表記が有力か判断を下すことはせず、「ホデノショニ」を用いた。同様に「ホデノショニ連邦{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」も用いた。}}、[[北アメリカ]]の[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]][[オンタリオ湖]]南岸と[[カナダ]]にまたがった[[インディアン居留地|保留地]]を持つ、6つの[[インディアン]]部族により構成される[[部族]]国家集団をいう。今日では'''シックス・ネーションズ'''({{lang-en-short|Six Nations}})の別名で呼ばれることもある{{sfn|木村|2005|pp=72–83}}。 この連邦の成立は、14世紀ごろと[[民族学]]者の間では推測されている{{sfn|木村武史|2004|p=8}}。成立当初から、6部族で構成されていたのではなかった。「{{仮リンク|大いなる法|en|Great Law of Peace}}」などの呼称で伝わる起源伝承によれば、17世紀に5部族の連合として、今日「イロコイ連邦」として知られる[[連邦]]国家が成立した{{sfn|木村|2005|pp=72–83}}。 イロコイ連邦は[[アメリカ独立戦争]](1775年 - 1783年)に巻き込まれ{{sfn|渡辺公三|2006|p=122}}、[[パリ条約 (1783年)|パリ講和条約(1783年)]]後の[[スタンウィックス砦条約#1784年のスタンウィックス砦条約|スタンウィックス砦条約(1784年)]]で[[独立]]した地位([[主権|主権性]])をほぼ喪失した<ref name="kb_S砦条約_bri" />。 == 歴史 == [[image:Iroquois western goods.jpg|thumb|right|150px|フランス人からの交易品を身につけるイロコイ族(1722年)]] [[Image:Iroquois 5 Nation Map c1650.png|thumb|left|200px|1650年のイロコイ連邦の領土]] [[Image:Iroquois 6 Nations map c1720.png|thumb|left|200px|18世紀にタスカローラ族が同盟し、6部族連合となった。]] 「{{仮リンク|大いなる法|en|Great Law of Peace}}」などの呼称で伝わる起源伝承によれば{{sfn|木村|2005|pp=72–83}}、17世紀に、[[ワイアンドット族]](ヒューロン族とも、{{lang|en|Huron}})の[[デガナウィダ]]と、[[モホーク族]]の[[ハイアワサ]]の調停によって、互いに戦争状態にあった五大湖湖畔の{{仮リンク|カユーガ族|en|Cayuga people}}、モホーク族、{{仮リンク|オナイダ族|en|Oneida people}}、{{仮リンク|オノンダーガ族|en|Onondaga people}}、{{仮リンク|セネカ族|en|Seneca people}}の5つの部族が同盟し、「ホデノショニ 」{{Efn2|{{lang|iro|Haudenosaunee}}、「ロングハウスを建てる人々」の意。 {{harv|木村武史|2004|p=1}}}}という今日「イロコイ連邦」として知られる5部族連合の連邦国家が成立した。デガナウィダによって設計されたこの部族連合は、18世紀前半に{{仮リンク|タスカローラ族|en|Tuscarora people}}が加わって6部族連合となったのち{{sfn|木村武史|2004|p=3}}、アメリカ独立戦争ごろまで強固な結束を保った。5部族の和平を結び連邦の成立を成し遂げたデガナウィダとハイアワサは、「グレート・ピースメーカー ({{lang|en|Great Peace Maker}})」 として知られている。 イロコイ連邦はヨーロッパ人の到来以前から機能しており、実際の連邦の成立は14世紀半ばまでさかのぼるとする研究もある{{sfn|木村|2005|pp=72–83}}。また、その成立過程は5か国が一度に結集したわけではなく、モホークとオナイダとオノンダーガの3か国が先に連邦を形成し、のちにカユーガ、セネカが参加したと考えられている。 「イロコイ」の名称は、ワイアンドット族が「イリアコイ(黒い蛇)」と呼んだ通称に、フランス入植者が「{{lang|fr|ois}}」を語尾に付け、「イロコワ ({{lang|fr|Iroquois}})」と呼んだのが由来である。彼ら自身は「オングワノシオンニ(我ら長い小屋に住む者)」と自称する。 === アメリカ独立戦争と失われていった独立 === [[アメリカ独立戦争]](1775年 - 1783年)に巻き込まれたイロコイ連邦は、[[ジョージ3世 (イギリス王)|イギリス本国]]([[ロイヤリスト|王党派]])側に立った陣営と[[パトリオット (アメリカ革命)|13植民地独立派]]側に立った陣営に分断されて6部族連合の結束が崩れ、互いに敵として戦い合うことになった(初戦は[[オリスカニーの戦い]])。独立派にとって[[ニューヨーク州の歴史#アメリカ独立戦争|ニューヨーク邦]]内のイロコイとの戦いは、イギリス側に立つ先住民勢力の制圧という当面目標の達成のみにとどまらず、イロコイの抵抗力を取り除いてその土地を獲得するという長期目標を叶える機会でもあった。{{sfn|渡辺公三|2006|p=122. 一、|ps=注は段落。}} 独立戦争が始まるとイロコイ連邦は、イギリス側と独立派の双方から交渉を持ち掛けられて駆け引きの対象となり、注目を受けた。そして、戦闘へ参加するイロコイの集団も現れる。{{sfn|渡辺公三|2006|p=122. 一、|ps=注は段落。}} {{Main|カナダ侵攻作戦#背景|カナダ侵攻作戦#モントゴメリー遠征隊|シーダーズの戦い}} [[イングランド国教会]]の信徒であった[[ジョゼフ・ブラント]]からの説得を受け入れた{{sfn|木村武史|2004|p=5}}モホーク族に、「伝統宗教」的立場をとった{{sfn|木村武史|2004|p=5}}セネカ族はイギリス側の陣営として立ち、局外[[中立#国際法上の中立|中立]]を当初目指したオノンダーガ族およびカユーガ族も独立派に襲撃を受けるとイギリス側への協力に回った。[[プロテスタント]]の信徒が多かった{{sfn|木村武史|2004|p=5}}オナイダ族のほか、タスカローラ族は独立派側の陣営として立った。{{sfn|渡辺公三|2006|p=122. 二、|ps=注は段落(別注付き記述除く)。}} モホーク族戦士の長ジョゼフ・ブラントとイギリスの共同部隊は、[[ゲリラ]]戦を仕掛けて独立派集落に襲撃を繰り返し、独立派に打撃と恐怖を与えた([[コブルスキルの戦い]]や[[ジャーマンフラッツへの攻撃]]、[[チェリーバレー虐殺]]など)。とりわけ、ブラントを除くインディアン諸族の兵と[[イギリス軍|イギリス兵]]の共同部隊による「[[ワイオミングの戦い|ワイオミングの虐殺]]」は、1778年の夏ごろに戦争全体での優勢を確立しつつあった独立派へ大きな衝撃をもたらした。そうした中、独立派の[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]最高司令官である[[ジョージ・ワシントン]]はニューヨーク邦内のイロコイ勢力掃討を計画して[[大陸会議]]の許可を受け、1779年6月に根拠地の破壊と無力化を目的とした[[ジョン・サリバン]]少将の遠征が実行された。9月まで行われたこの[[サリバン遠征]]でブラントらの部隊が壊滅させられることはなかったが([[ニュータウンの戦い]])、イロコイの居住地は徹底した破壊を受けて[[焦土作戦|焦土化]]された。これは、オナイダ族を除くほとんどのイロコイ連邦諸族を明らかに敵として扱うものであった。ブラントは自身に賛同した他のイロコイ連邦諸族の一部も引き連れ、[[カナダの歴史#英領カナダ|英領カナダ]]を拠点として独立派に対するゲリラ戦を続けた([[ラフリーの敗北|ラフリーでの一方的な勝利]]など)。{{sfn|渡辺公三|2006|pp=122–124|ps=. 注は段落。}} {{Main|サラトガ方面作戦#セントリージャーの遠征隊|北部戦線 (アメリカ独立戦争のサラトガ以降)#フロンティアでの戦い}} 独立戦争に勝利したのは独立派、アメリカ合衆国であった。[[パリ条約 (1783年)|パリ講和条約(1783年)]]では、イロコイ族を含むインディアン諸族は顧みられることなく、イギリスに[[ミシシッピ川]]以東の地域を米国の司法権下へ引き渡された{{sfn|渡辺公三|2006|p=124}}。イロコイ連邦は内部対立を収拾できないまま、[[スタンウィックス砦条約#1784年のスタンウィックス砦条約|スタンウィックス砦条約]]の会議に立たされる{{sfn|渡辺公三|2006|p=125}}。1784年のスタンウィックス砦条約はアメリカ合衆国のイロコイ連邦に対する[[平和条約|講和条約]]としての性質があり、イロコイは米国へ領土([[ペンシルバニア州]]域北西部と[[ニューヨーク州]]域西部の大半)の[[割譲]]を強いられ、その[[独立]]した地位([[主権|主権性]])もほぼ喪失する<ref name="kb_S砦条約_bri" />。同条約の会議でイロコイ連邦は、以前まで有していた支配権の譲渡をアメリカ合衆国に対して原則的には受容しなければならない地位にあるということを認めることになった{{sfn|渡辺公三|2006|p=125}}。強いられたこの条約をイロコイ側は[[批准]]しなかったが、そのことはもはや米国側によるイロコイからの土地獲得の障害にはならなかった{{sfn|渡辺公三|2006|p=125}}。 独立派に与したオナイダ族とタスカローラ族も、1785年のハーキマー砦条約で土地の譲り渡しを[[アメリカ合衆国の州|州]]政府に強いられた。イロコイの諸族は以後も、1788年にオノンダーガ族とオナイダ族、1789年にカユーガ族、1797年にモホーク族が、州政府との個別条約で土地の譲り渡しを強いられていった。しかし、それらの条約は[[アメリカ合衆国連邦政府|アメリカ連邦政府]]の承認が明確になっておらず、原則として合法性が疑われるものであった。{{sfn|渡辺公三|2006|pp=122, 124, 126|ps=. 注は段落。}} == 統治 == イロコイ連邦に所属する国は[[母系制|母系社会]]であり、クラン・マザー([[氏族]]の母)をはじめとする女性たちが[[合議制|合議]]し、[[連邦]]を運営する男性の[[首長]]たちを推挙・解任する{{sfn|木村|2005|pp=72–83}}{{Efn2|イロコイは事実上、最も初期から女性が[[女性参政権|参政権]]を持っていた集団<ref>『Iroquois Culture & Commentary』(Doug George-Kanentiio、Clear Light Pub、2000年)</ref>のひとつとされる。(近代以前の女性参政権については「[[:en:Women's suffrage#History]]」も参照)}}。特定の家系の男子のみが首長に選出される資格を持ち、その資格は母系で継承されていくという世襲制にある{{sfn|木村武史|2004|p=4}}。首長は連邦全体で50名の男性で構成され{{sfn|木村武史|2004|p=9}}、モホーク9名、オナイダ9名、オノンダーガ14名、カユーガ10名、セネカ8名と決まっている。首長にはそれぞれに[[称号]]があり、次代の男性首長へと継承される。その中にはワンパムの保管など特別な役目をもつ称号もある。首長は平時においても戦時においても他の氏族員に対して権利においては優越せず、氏族全体の意思と、罷免権を持つ女性の意思を尊重せねばならない<ref name="江守">{{cite book|和書|title= 母権と父権|author= [[江守五夫]]|publisher= 1973|pages= 149-151}}</ref>。 年に6度の宗教祭(楓祭・植付祭・漿果祭・青トウモロコシ祭・収穫祭・新年祭)を執行する「信仰の番人」は、単なる宗教職ではない「人民の悪業を種族会議に報告する権力を有する人民の監察官」であり、これには首長とともに女性たちも選ばれている<ref name="江守"/>。 首長は年に一度オノンダーガ領内にある「中央の炎」と呼ばれる場所に集まり、連邦全体に関わる問題を討議した{{sfn|木村|2005|pp=72–83}}。連邦のうち、モホークとオノンダーガ、セネカは「年上の兄弟」、カユーガとオナイダは「年下の兄弟」と呼ばれるグループに分かれる。ある議題を論議する場合、まず年下の兄弟のあいだで討議し、その議論を年上の兄弟たちは傍聴する。次に年上の兄弟たちが同じ議題について議論し、年下の兄弟で出た結論と同じ結論になればそれで可決となる。結論が異なった場合、議論は振り出しに戻る。全体が納得するまで議論する仕組みから、結論が出るまでに1年以上かかることも珍しくなかった。 重要な決まりごとは{{仮リンク|ワムパム・ベルト|en|Wampum}}という貝殻ビーズの織物に幾何学模様で記録する。19世紀になると、白人たちがでたらめな模様のワムパム・ベルトを作って売り買いしたため、これを正規物と誤解したインディアン部族間の戦争まで起こった。現在も部族の法を記録したこの織物は大切に保持されている。 [[image:DHNY-v1-p-007-fig-A-F.png|thumb|200px|敵の頭の皮を手土産に、捕虜を連行するイロコイ戦士(1849年)]] イロコイ連邦は女が農耕をおこない、男は戦士を務める軍事国家だった。彼らは周辺のインディアン部族に戦いを挑み、敵部族の捕虜に対して両側から棒で殴られる中を走らせる[[ガントレット (刑罰)|ガントレットの儀式]]で試し、これに耐えた戦士を新しい血、公式な部族員として迎えた。イロコイの戦士の苛烈さは他部族のみならず白人入植者を震え上がらせた。彼らは敵部族に拷問を行う風習も持っていた。また、彼らは敵部族を征服し傘下とすると、安全保障条約を結び、その部族に代わって他の部族と戦った。 こういった獰猛な戦士の姿から、イロコイ連邦の部族に「蛇」をイメージするインディアン部族は多かった。[[オジブワ族]]は彼らを「ナドワ(毒蛇)」と呼んだ。これは「[[スー族]](ナドウェズスー=小さい毒蛇)」と同じ由来である。[[オタワ族]]は彼らを「マッチェナウトワイ(悪い蛇)」と呼んだ。 '''イロコイ社会における女性''' 下記のようにイロコイの女性が書いている: イロコイ族は歴史的に母権制に従ってきました。男性と女性は伝統的に別々の役割を果たしてきましたが、どちらも国家で実際的権力を保持しています。土地を「所有する」権利は誰にもありませんが、創造主は女性を土地の管理人に任命したと考えられています。伝統的に、クランマザーが子供を育ててきていて、他の人たちよりも高い評価を受けているため、リーダーを任命します。同様にして、リーダーが健全であることを証明しない場合、腐敗した場合、または人々の言うことを聞かない場合は、氏族の母親は彼のリーダーシップを剥奪する力を持っています。氏族の長は、その氏族の女性長老の評議会によっていつでも解任され得ます。首長の姉妹には歴史的に彼の後継者を指名する責任がありました。氏族の母親、各氏族の年配の女性は非常に尊敬されています。 イロコイ族は伝統的に母系制に従っており、先祖伝来のリーダーシップが女性側の血統上を、つまり母親から、子供へと受け継がれてきています。伝統的な結婚の子供たちは自分の母親の氏族に属し、彼女の社会的地位を通して自分の社会的地位を獲得します。彼女の兄弟たちは子供たちにとって重要な教師であり良き指導者であり、特に男の子に男性の役割と社会を紹介しています。カップルが別れた場合、伝統的に女性がその子供を養います。イロコイ族では母系の氏族内で結婚することは近親相姦と見なされているが、父系の同じ氏族の出の誰かと結婚することは受け入れられると考えられている。 歴史的に、女性は住居、馬、農地を所有しており、結婚前の女性の財産は、夫の財産と混ざることなく所有されていました。女性の手によって生じた成果は、女性がそれが適切だと思うように取り扱われるべきであり、女性のものなのです。 歴史的に、結婚時に、若いカップルは妻の家族のロングハウスに住んでいました(妻方居住)。ぐうたらな、あるいは何か満足のいかない夫と離婚することを選択した女性は、自分の所有物を持って住居を出て行くように彼に頼むことができます。 '''近現代''' [[選挙]]に基づいた自治制度がアメリカやカナダの政府によって導入されて、政府公式の自治[[議会]]とイロコイ「伝統」の自治議会が併存している地域がある。そうした地域では、双方の対立という問題も見られる。20世紀末以降には、特定の家系からのみ首長が選出される制度に対して、当該家系外の部族民から「『特権』的な政治継承の原理」という意見{{Efn2|2004年3月25日以前に、既に見られる。 ({{harvnb|木村武史|2004|ps=, 発行日}})}}も一部ではなされている。{{sfn|木村武史|2004|pp=4–5|ps=. 注は段落。}} == 文化 == [[Image:Theiroquoislonghouse.png|thumb|right|150px|[[:en:Longhouses of the indigenous peoples of North America|ロングハウス]]]] [[image:Iroquois women work.JPG|thumb|left|150px|粉を挽き、干した果物を砕くイロコイ族の女性(1664年)]] === 農耕 === [[:en:Longhouses of the indigenous peoples of North America|ロングハウス]]という、数家族が同居する住居(右図)を伝統住居とし、[[トウモロコシ]]や[[豆]]、[[カボチャ]](スクワッシュ)を栽培する農耕を行った。この三種の作物が人のために生まれてきたことを感謝し、「三姉妹、我々を維持する食べ物」とイロコイ族は呼ぶ{{sfn|木村武史|2004|p=16}}。彼らの伝統的な作付けは、これらの種を同じ場所に撒き、トウモロコシに豆が絡みつき、その根元をカボチャが覆う、というものである。トウモロコシと豆を共に栽培するのは、労力の節約のほかに土壌から失われる窒素を豆で補う効果もあった。 === 食文化 === 1日に一度、朝と昼の中間の時間に正餐をとり、野禽のロースト、魚介類、サラダやベイクドパンプキン、ベイクドスクワッシュ、ヘーゼルナッツのケーキなどを食した。これらは[[ニューイングランド]]地方の古典的な料理である[[クラムチャウダー]]、ボストン・ブラウン・ブレッド、クランベリー・プディングなどの原型となった<ref>[[東理夫]] 『クックブックに見るアメリカ食の謎』 45頁</ref>。 == アメリカ連邦政府との関わり == [[File:Iroquois passport.png|thumb|150px|[[:en:Iroquois passport|イロコイ・パスポート]](ホデノショニ・パスポート)。最初期の部族パスポート構想は1923年から始まった。]] [[アメリカ合衆国連邦政府|連邦政府]]が公認した全米500以上に上るインディアン部族は、[[インディアン事務局]] (BIA) の監視・管理下にある「部族会議」を設置して[[:en:List of federally recognized tribes in the United States|Federally recognized tribes]]が集まる「首長制」となっている。しかしイロコイ連邦は当初から、連邦政府=BIAの干渉を拒絶してこの種の「首長制」が強制される「部族会議」などの組織は持たず、「調停者」の[[合議制]]による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。これがアメリカ合衆国政府との条約によって保障された[[インディアン居留地|保留地]] ({{lang|en|Reservation}}) の本来の姿ということになる<ref>『聖なる魂』(デニス・バンクス、[[森田ゆり]]、[[朝日文庫]]1993年)</ref>。 [[:en:Iroquois passport|イロコイ・パスポート]](ホデノショニ・パスポート)という鷲の羽根を使った独自の[[パスポート]]を発行しており、使用を連邦政府と相手国側に認められる場合もある。2005年に国際宗教学宗教史学会の東京大会へ招かれたオノンダーガ族パネリストの一団が来日する際<ref name="IAHR05東京_表" />、このパスポートの使用について日本政府側の承認があった([[:en:Onondaga Reservation|オノンダーガ・ネーション]]の公表による)<ref name=ON_Gonyea050601 />。2010年の国際スポーツ大会において、イロコイの[[ラクロス]]チームは[[アメリカ合衆国国務省|アメリカ国務省]]からの承認を受けたものの<ref name=SDUT100714_GS />、イギリス政府側はその使用を承認しなかった<ref name=GN100715 /><ref name=NYT100716_TK />。 2009年9月21日に[[:en:Seneca Nation of New York|ニューヨーク州のセネカ・ネーション]]は、その名の下で自らの部族民に[[西半球]]旅行の身分証明書を発行するために、[[アメリカ合衆国国土安全保障省|合衆国国土安全保障省]]と開発協定の約定書に調印した。発行がされるようになれば、証明カードで合衆国の国境を越えて国外と行き来できることになる<ref>『[[w:Indian Country Today|Indian Country Today]]』(2009年9月21日記事、Gale Courey Toensing)</ref>。 「[[ウンデット・ニー#ウンデッド・ニー占拠事件|ウーンデッド・ニー占拠]]」(1973年)の指導者の一人で連邦政府から訴追された[[w:Dennis Banks|デニス・バンクス]]が、1983年に[[連邦捜査局|FBI]]から逃れるため[[ニューヨーク州#インディアン部族|ニューヨーク州の部族国家]]オノンダーガへ亡命して話題となった。FBIは自治権の強さで知られるオノンダーガ・ネーションに入れず、バンクスに手が出せなかった。イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・[[スー族]]の独立国家宣言を最初に承認した<ref>『OJIBWA WARRIOR』([[w:Dennis Banks|Dennis Banks]]&[[w:Richard Erdoes|Richard Erdoes]]、[[:en:University of Oklahoma Press|University of Oklahoma Press]]、2004年)</ref>。 == 「イロコイ影響論」という異説 == イロコイ影響論{{Efn2|{{lang-en-short|Iroquois influence theory}}。あるいは、イロコイ影響論文({{lang-en-short|Iroquois influence thesis}})。}}とは、[[アメリカ合衆国建国の父|アメリカ合衆国の建国者(建国の父)]]たちや[[アメリカ合衆国憲法|合衆国憲法]]起草にイロコイ連邦の諸要素が'''大きな影響'''を及ぼしたとする説{{sfn|Levy|1995|pp=vi, 2}}。イロコイ影響論では、「[[自由]]」や「[[民主主義]]」といったイロコイ連邦の政治システムが新国家アメリカの基礎になったと[[歴史]]を認識している{{sfn|Levy|1995|pp=vi, 2}}。イロコイを研究分野とする[[人類学]]者および[[憲法]]研究の権威と評価されている[[史学]]者のほとんどは、イロコイ影響論に強く反対している<ref name=Graeber07C_18 />。影響論は、イロコイ族以外のインディアン部族を要因として挙げるものも含めて広くは受け入れられていない<ref name=Miller15_32 />。 影響を及ぼした可能性についての提起は19世紀から時折あったが、[[1980年代]]にイロコイ影響論が主張されたとき大きく注目された<ref name=Graeber07C_18 />。イロコイ影響論の賛同者は、包括的な議論提起および証拠提示を行った学者の[[w:Bruce E. Johansen|ブルース・E・ジョハンセン]](アメリカ先住民学)と[[w:Donald A. Grinde Jr.|ドナルド・A・グリンデ・ジュニア]](アメリカ学)の研究成果{{Efn2|2人の共著 {{lang|en|''Exemplar of Liberty: Native America and the Evolution of Democracy''}}(1991年、序文: [[ヴァイン・デロリア・ジュニア]])までに、ドナルド・A・グリンデ・ジュニアは1977年の {{lang|en|''The Iroquois and the Founding of the American Nation''}} で、ブルース・E・ジョハンセンは1982年の {{lang|en|''Forgotten Founders: How the American Indian Helped Shape Democracy''}} で、イロコイ影響論を説いている。 {{harv|Levy|1995|pp=2–3}}}}を、インディアンを[[アメリカ合衆国の歴史|アメリカ史]]へ好意的に受容したものと見なしている{{sfn|Levy|1995|pp=2–3}}。 1988年、[[アメリカ合衆国議会]]両院で「合衆国憲法へのイロコイ連邦の貢献」を認定した[[決議]]が可決され成立した{{sfn|Jensen|2017|pp=232, 234}}<ref name="gt_88米下院決議331" />。前年には上院議員[[ダニエル・イノウエ]]の提案した同様の別決議が、[[アメリカ合衆国上院|上院]]で可決のみはされていた{{sfn|Levy|1995|p=5}}<ref name="gt_87米上院決議76" />。イロコイ影響論を[[アメリカ先住民]]<ref name=Graeber07C_18_h />や教育界の[[多文化主義]]者の多くは好意的に迎え入れていたが、学界内の多数は影響論の裏付けとなる証拠やその論理について信頼のできないものとして見続けている{{sfn|Levy|1995|p=5}}{{Efn2|イロコイ連邦の仕組みが、アメリカ合衆国憲法における[[連邦]]制の基礎となったという確証はないとされる<ref name="kb_Iro同_日百" />。}}。 アメリカ合衆国へイロコイ連邦の諸要素が及ぼした影響についてのコンセンサスは、 * (18世紀の)[[英領アメリカ|英領北アメリカ]]植民者は、イロコイの政治システムにあった[[国家連合]]の側面を'''確かに知っていた'''。 * (建国者たちの構想が)「イロコイに影響を受けた結果として存在する」とは'''明らかにされていない'''。 とするのが、バランスのとれた見方とされている<ref name=LaCroix10_229 />。 === 異説の見解 === イロコイの[[連邦]]制度がアメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、[[13植民地]]が[[アメリカ合衆国の独立|アメリカ合衆国として独立]]する際に、イロコイ連邦が協力して[[大統領制]]を始めとする[[アメリカ合衆国憲法|合衆国憲法]]制定にも影響を与えたとする研究者もいる<ref> Fadden, John Kahionhes. The ''Tree of Peace.'' </ref>{{出典無効|date=2020-05-06|title=この記述には出典として誤ってイラスト「The Tree of Peace (Copyright (c) 1991, by John Kahionhes Fadden)」が示されており、有効ではありません。この出典情報は ID:32685515 の版で記載されました。}}<ref name=danile_usner_1992>{{cite book | last = Armstrong | first = Virginia I. | title = I Have Spoken: American History Through the Voices of the Indians | publisher = Swallow Press| page = 14 | isbn= 0-8040-0530-3 | year = 1971}}</ref>{{出典無効|date=2020-05-06|title=この記述へ出典として本書(ISBN:0-8040-0530-3)の14ページを提示していますが、当該ページには合衆国憲法やその大統領制などについての内容がありません。この出典情報は ID:66087969 の版で記載されました。}}。ジョハンセンは、イロコイは[[ベンジャミン・フランクリン]](→1754年[[オールバニ会議]]の[[w:Albany Plan|連合案]])や、[[トーマス・ジェファーソン]](→インディアン使節団{{Efn2|name="TJ演説1802"}}への1802年演説{{sfn|Johansen|Grinde|1991|p=156}})に影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていたとしている<ref>『Debating Democracy: Native American Legacy of Freedom』([[w:Bruce E. Johansen|Bruce E.Johnson]]、Clear Light Books、1998年)</ref>。 このイロコイ連邦(六部族連合)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンや[[トマス・ペイン]])は、ロングハウスでの大協議会に参加し、[[外交]]についての授業を受けている。イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示(→1744年には「連合を形成すべきと忠告{{sfn|Johansen|Grinde|1991|pp=94–96}}」{{Efn2|name=Canasatego}})している<ref>“World Geophysical Year Science Forum”、1952年</ref>{{Full citation needed|date=2020年5月|title=文献を特定する詳細な情報として発表者名や発表タイトルが求められています。この出典情報は ID:35911564 の版で記載されました。}}。 [[ハクトウワシ]]の[[アメリカ合衆国の国章|米国国章]]はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、{{独自研究範囲|date=2020年5月|合衆国憲法そのものも}}、[[言論の自由]]や[[信教の自由]]、[[選挙]]や[[弾劾]]、独立州の連合としての「連邦制」に、{{独自研究範囲|date=2020年5月|「安全保障条約」}}などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。 === 通説の見解 === 人類学者のエリザベス・トゥッカーは、新国家アメリカと異なった原理でイロコイの政治システムが構築されていたと説明する。[[アメリカ合衆国憲法|合衆国憲法]]で採用された[[連邦]]制度と比べて、イロコイ連邦の連合方式は[[中央集権]]的要素が見られないものだった。50人の首長たちは選挙で選ばれるのではなくクラン・マザー(氏族の母)たちの推挙で決められ、首長数の連合参加各国への割り当ては連合のしきたりとしてある各国へ付けられた序列に則っていた。<ref name=TAH24099_Pearson /> {{Main|アメリカ法#歴史|イロコイ連邦#統治}} [[13植民地]]入植者社会には、インディアンの言語に対する理解が不十分なうちから[[民主主義|民主]]的制度が見られる<ref name=HNN_Rakove050721 />。[[法制史]]学者の[[w:Jack N. Rakove|ジャック・N・レイコウブ]]は、[[ニューイングランド]]地方における[[タウンミーティング]]の民主的自治や、[[バージニア州の歴史#1619年:転換点の年|新大陸初の議会]]とされる{{仮リンク|バージニア州議会|en|Virginia General Assembly|label=バージニア議会}}(1619年開設{{Efn2|[[ジェームズタウン (バージニア州)|イギリス初の永続的北米植民地]]の創設は1607年。}})を例示している<ref name=HNN_Rakove050721 />。さらに[[連邦主義]]的制度は、イロコイとの接触以前から見られる。[[政治学]]者のサミュエル・B・ペインは、[[ニューイングランド連合]](1643年 - 1684年)<ref name="kb_NE連_bri" />の「連合規約」{{Efn2|{{lang-en-short|''Articles of Confederation''}}、同名だが[[大陸会議]]で採択された[[連合規約]](1777年)とは別のもの。}}と呼ばれる[[コンスティチューション_(法学)#近代的なコンスティチューション|近世の憲法]]の例を挙げている{{sfn|Payne|1996|pp=611–612}}。この連合について、連合参加各植民地の対内主権は連合の力や主権と協同しており、連合体として実際に機能していたと説明する{{sfn|Payne|1996|pp=611–612}}。1744年の「連合を形成すべきとの“忠告”」{{Efn2|name=Canasatego}}、イロコイ族にニューイングランド入植者が接触する1677年、それらの30年以上前に、イギリス人入植者が連合という仕組みに慣れていたことをペインは指摘している{{sfn|Payne|1996|pp=612–613}}。 [[アメリカ合衆国の独立|アメリカ独立革命]]以前と以後の重要な[[政治]]的概念の全ては、ヨーロッパの前例を明らかに参照していた<ref name=HNN_Rakove050721 />。[[参政権]]の平等主義について、レイコウブはこう指摘する。結局のところ[[17世紀]]のイギリス社会に端緒があり、特に[[イングランド内戦]]および[[イングランド共和国]]の時代とその時代に生じた出来事、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]および[[イギリスの君主|君主]]制の廃止、[[パトニー討論]]や[[平等派]]といった[[急進主義|急進]]的な政治感情とその実践に関係があった<ref name=HNN_Rakove050721 />。 {{Main2|[[信教の自由]]の成立過程と背景|アメリカ合衆国における政教分離の歴史}} [[アメリカ合衆国建国の父|アメリカ合衆国の建国者(建国の父)]]たちは、ヨーロッパの事例を参考としたことを明らかにしている。 * [[ジェームズ・マディソン]](「合衆国憲法の父」)は、バージニア会議での合衆国憲法[[批准]]に際しての演説で[[ネーデルラント連邦共和国]]と[[スイス連邦]]を挙げて称賛していた。憲法批准を訴えた論文集『[[ザ・フェデラリスト]]』の18編 - 20編でもイロコイについて触れておらず、マディソンは前記2国と[[アカイア同盟]]([[古代ギリシア]])、[[ポーランド・リトアニア共和国|ポーランド]]、[[神聖ローマ帝国]]について書いていた。{{sfn|Payne|1996|p=618|ps=. 注は段落。}} * [[ジョン・アダムズ]](のちの第2代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]])は、1787年の『アメリカ諸邦憲法擁護論』{{Efn2|{{lang-en-short|''A Defence of the Constitutions of Government of the United States of America''}}、『アメリカ合衆国統治制度擁護論』とも。}}全3巻で古代のギリシア人から近代のイングランド人までの歴史上存在した[[国制]]を挙げて詳細に分析した。また、本書でインディアンを参照事例として挙げたのは全3巻中6つのみであると、アメリカ[[歴史考古学]]者の[[:en:Philip Levy|フィリップ・レビー]]は指摘している。{{sfn|Levy|1995|pp=25–26|ps=. 注は段落。}} ; 外交上の目的 : S・B・ペインは1744年の「連合を形成すべきとの“忠告”」{{Efn2|name=Canasatego|ランカスター条約([[1744年]]、{{lang-en-short|Treaty of Lancaster}})でのオノンダーガ族首長[[:en:Canasatego|カナサテゴ]]による演説。 {{harv|Johansen|Grinde|1991|pp=94–96}} {{harv|Levy|1995|pp=8–9}}}}について、単に[[北米植民地戦争|フランスとの戦い]]においてイギリスと同盟関係{{Efn2|[[北米植民地戦争]]の「[[ジョージ王戦争]]」(1744年 - 1748年)も参照。}}にあったイロコイが、イギリス領の北米植民地を自身の強力な同盟者にする目的で行った助言と解釈すべきだとする。[[大陸会議]]の時期にアメリカ側がイロコイ側との接触を求めた理由についても、対英独立戦争への協力を求める外交上の都合によるものでイロコイの政治システムに対する尊敬からではなかったとし、この時にあえて1744年の助言を役立つものと見なす理由がなかったと指摘している。{{sfn|Payne|1996|p=616|ps=. 注は段落。}} ==== 異説が指摘する個別の事例 ==== * [[ベンジャミン・フランクリン]]は[[オールバニ会議]](1754年)の[[w:Albany Plan|連合案]]についてイロコイを参考にしたとは書き記しておらず、S・B・ペインは連合案の内容に関しても、約20年後の大陸会議時代にフランクリンが各[[アメリカ合衆国の州|邦]]の連合のために提案したものとは大幅に異なっていたと指摘する{{sfn|Payne|1996|pp=612–613}}。 * [[トーマス・ジェファーソン]]がインディアンの使節団{{Efn2|name="TJ演説1802"|「{{lang|en|Captain Hendrick, The Delawares, Mohiccons, and Munries}}」の一団。 {{harv|Levy|1995|p=21}}}}にした演説(1802年)は、実際には「あなた方は私たちの法がこれ〔人身と財産の保護〕を果たすのに優れていると気付くことでしょう。あなた方はそれら〔法と判事(という制度)〕の下で生きたいと思うことでしょう…」と同演説中にも述べていた。演説としては、ヨーロッパ的様式を取り入れさせてインディアンたちを[[アングロアメリカ|アングロ・アメリカ]]に[[同化政策|同化]]させようとしたジェファーソンの考え([[ヨーロッパ中心主義]])が表れており、レビーは全体を通して見ればイロコイ文化に対する尊敬が読み取れないことを強調している。{{sfn|Levy|1995|p=21–23|ps=. 注は段落。}} == 六部族連合を構成する六部族 == [[image:Onondaga Village Allen.jpg|thumb|right|200px|オノンダーガ族の村(17世紀、[[サミュエル・ド・シャンプラン]]画)]] アメリカおよびカナダの六部族。 * {{仮リンク|セネカ族|en|Seneca people}} オノドワーガ Onodowohgah(「大きな丘の人々{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」)ともいう。「西の戸{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」であり、「六兄弟の“長兄”」。 * [[モホーク族]] カニエンケハカ Kanienkehaka(「火打ち石を持つ人々{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」)ともいう。「東の戸{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」。 * {{仮リンク|オノンダーガ族|en|Onondaga people}} オヌンダガオノ Onundagaono(「丘の人々{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」)「炎の守り手{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」であり、「六兄弟の“兄”」 * {{仮リンク|オナイダ族|en|Oneida people}} オナヨテカオノ Onayotekaono(「立ち石の人々{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」)ともいう。「中央の炎を守るもの」であり、「六兄弟の“弟”」。 * {{仮リンク|カユーガ族|en|Cayuga people}} グヨーコーニョ Guyohkohnyo(「湿地の人々{{sfn|木村武史|2004|p=3}}」)ともいう。「聖なるパイプを守るもの」であり、「六兄弟の“弟”」。 * {{仮リンク|タスカローラ族|en|Tuscarora people}} スカルレン Ska Ru ren(「麻を採る人たち」)ともいう。 18世紀初頭に加わった「六兄弟の“弟”」。 == インディアン・カジノ == 「インディアン・カジノ」は、保留地と連動したアメリカ連邦政府との連邦条約規定に基づくインディアン部族の権利である。貧困にあえぐインディアン部族にとってこれは、「現代のバッファロー」と呼ばれる最後の切り札である。イロコイ連邦では現在、3部族が以下のカジノを運営している。 ;セネカ族 :「セネカ・アレガニー・カジノ」 :「セネカ・ゲーミング・エンターテインメント」 - 二か所で営業 :「セネカ・ナイアガラ・カジノ」 :「レイクサイド・ゲーミング」 :「バッファロー渓流カジノ」 ;モホーク族 :「アクウェサスネ・モホーク・カジノ」 :「モホーク・ビンゴ・パレス」 :「モホーク・モンチセロ競馬場&カジノ・リゾート」 - 競馬場も併設した娯楽リゾート :「モホーク・山岳カジノ・リゾート」 ;オナイダ族 :「曲がり角の石のカジノ・リゾート」 == 各部族の代表的な首長 == [[Image:1914 Panoramic View of Iroquois.jpg|500px|thumb|center|[[バッファロー (ニューヨーク州)]]での集合写真(1914年)]] ;セネカ族 : [[レッド・ジャケット]](ソゴイェワファ Sogoyewapha)セネカ族の英雄 : {{仮リンク|コーンプランター|en|Cornplanter}}(カイイオントワコン Kaiiontwa'kon)セネカ族首長 : {{仮リンク|ハンサム・レイク|en|Handsome Lake}}(ガネオディヨ Ganeodiyo) セネカ族首長 ;モホーク族 : [[ハイアワサ]](Hiawatha) モホーク族の戦士。17世紀に[[ワイアンドット族]]の[[デガナウィダ]]とともにイロコイ連邦を創設した英雄。 : [[ジョセフ・ブラント]](タイイェンダナゲア Thayendanagea) モホーク族首長 : {{仮リンク|ヘンドリック・テヤノギン|en|Hendrick Theyanoguin}}(チヤノガ Tiyanoga) モホーク族首長 == 影響を与えた事柄 == *[[ベル・ヘリコプター|ベル]]社のヘリコプター「[[UH-1 (航空機)|UH-1 イロコイ]]」の名前は本イロコイ族に由来している。 *1992年、イギリスの音楽バンド「[[ジャミロクワイ]]」が「イロコイ」を考慮してバンド名を造語した。リーダーの[[ジェイソン・ケイ|ジェイ・ケイ]]が子供の頃[[ベトナム戦争]]について調べた時、戦争で使用された上記ヘリコプターの名前の由来が印象に残っており、先住民や迫害された人種を考慮してイロコイをバンド名に織り交ぜた<ref name=":16">{{Citation|title=Jamiroquai - The Lost J Wave Interview|url=https://www.youtube.com/watch?v=yiiZuIvtt5k|language=en-EN|access-date=2022-10-29}}</ref>。詳細は[[ジャミロクワイ]]の「[[ジャミロクワイ#バンド名|バンド名]]」参照。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist | refs= <ref name="Iro名_連合_集">◇ {{harvnb|渡辺公三|2006|p=122}}。 ◇ {{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%A2%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF-1601076#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|accessdate=2021-08-04|title=モホークとは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=[[日本大百科全書]]|author=[[富田虎男]]}} ◇ {{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%A4%E9%80%A3%E5%90%88-1271441#sekai_refs|accessdate=2021-08-04|title=イロコイ連合とは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=[[世界大百科事典]] 第2版}}</ref> <ref name="Iro名_連邦_集">◇ {{harvnb|木村武史|2004|p=3}}。 ◇ {{Citation|和書|author1=ブルース・E・ジョハンセン|author1-link=:en:Bruce E. Johansen|author2=ドナルド・A・グリンデ・ジュニア|author2-link=:en:Donald A. Grinde, Jr.|translator=[[星川淳]]|year=2006|date=2006-01-23|title=アメリカ建国とイロコイ民主制|publisher=[[みすず書房]]|isbn=978-4-622-07186-0}}</ref> <ref name="Iro名_連盟_集">◇ {{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%A4%E9%80%A3%E7%9B%9F-32564#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8|accessdate=2021-08-04|title=イロコイ連盟とは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典}} ◇ [[三省堂]]『[[大辞林]] 第2版 スーパー大辞林』「イロコイ」。 ◇ [[研究社]]『[[リーダーズ英和辞典]] 第3版』「Iroquois League [Confederacy]」。</ref> <ref name="Iro名_同盟_集">◇ {{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%A4%E8%AB%B8%E6%97%8F-818602#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88|accessdate=2021-08-04|title=イロコイ諸族とは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=[[世界大百科事典]] 第2版}} ◇ {{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%AF%E3%82%B5-112654#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8|accessdate=2021-08-04|title=ハイアワサとは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典}} ◇ {{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%A4%E6%97%8F-32563#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8|accessdate=2021-08-04|title=イロコイ族とは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=精選版 [[日本国語大辞典]]}} ◇ {{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%A4-436720#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89|accessdate=2021-08-04|title=イロコイとは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=デジタル[[大辞泉]]}}</ref> <ref name=Graeber07C_18>{{Citation|last=Graeber|first=David|author-link=:en:David Graeber|year=2007|date=2007-01-09|title=Possibilities: Essays on Hierarchy, Rebellion, and Desire|publisher=[[:en:AK Press|AK Press]]|isbn=978-1904859666|chapter=There Never Was a West: Or, Democracy Emerges From the Spaces In Between|chapter-url=https://theanarchistlibrary.org/library/david-graeber-there-never-was-a-west#toc7|accessdate=2021-08-04}}350頁、351頁 (章PDF: 18頁)、Part IV 「The "Influence Debate"」節。</ref> <ref name=Graeber07C_18_h>アメリカ先住民の多くは好意的に迎え入れていた。 (脚注「{{Harvnb|Graeber|2007}}」参照)</ref> <ref name=LaCroix10_229>Alison L. LaCroix『The Ideological Origins of American Federalism』[[:en:Harvard University Press|Harvard University Press]]、2010年、ISBN 9780674048867。229頁。</ref> <ref name=Miller15_32>{{Citation|last=Miller|first=Robert J.|year=2015|date=2015-03|title=American Indian Constitutions and Their Influence on the United States Constitution|periodical=[[:en:Proceedings of the American Philosophical Society|Proceedings of the American Philosophical Society]]|volume=159|issue=1|pages=32–56|doi=10.2139/ssrn.2739936|accessdate=2021-08-04}}。32頁、33頁。</ref> <ref name="kb_Iro同_日百">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%A4%E5%90%8C%E7%9B%9F-1271440#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29|accessdate=2021-08-04|title=イロコイ同盟(いろこいどうめい)とは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=[[日本大百科全書]]|author=[[富田虎男]]}}</ref> <ref name="kb_NE連_bri">和訳名、存在期間。{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E9%80%A3%E5%90%88-110395#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8|accessdate=2021-08-04|title=ニューイングランド連合(ニューイングランドれんごう)とは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典}}</ref> <ref name="kb_S砦条約_bri">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E6%9D%A1%E7%B4%84-123518#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8|accessdate=2021-08-04|title=フォート・スタンウィックス条約(フォート・スタンウィックスじょうやく)とは - コトバンク|publisher=[[朝日新聞社]]、[[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING (CARTA HOLDINGS)]]|work=[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典}}</ref> <ref name="gt_87米上院決議76">{{cite web|url=https://www.govtrack.us/congress/bills/100/sconres76|title=S.Con.Res. 76 (100th)|accessdate=2021-08-04|author=100th Congress (1987)|date=September 16, 1987|work=Legislation|website=[[:en:GovTrack|GovTrack.us]]|publisher=Civic Impulse|quote=A concurrent resolution to acknowledge the contribution of the Iroquois Confederacy of Nations to the ...}}</ref> <ref name="gt_88米下院決議331">{{cite web|url=https://www.govtrack.us/congress/bills/100/hconres331|title=H.Con.Res. 331 (100th)|accessdate=2021-08-04|author=100th Congress (1988)|date=July 11, 1988|work=Legislation|website=[[:en:GovTrack|GovTrack.us]]|publisher=Civic Impulse|quote=A concurrent resolution to acknowledge the contribution of the Iroquois Confederacy of Nations to the ...}}</ref> <ref name=SDUT100714_GS>{{cite news|url=https://www.sandiegouniontribune.com/sdut-us-allowing-iroquois-lacrosse-team-to-travel-to-uk-2010jul14-story.html|title=US allowing Iroquois lacrosse team to travel to UK|last=Samantha|first=Gross|agency=[[AP通信]]|date=July 14, 2010|work=[[:en:The San Diego Union-Tribune|San Diego Union-Tribune]]|accessdate=2021-08-04}}</ref> <ref name=GN100715>{{cite news|url=https://www.goshennews.com/news/uk-won-t-let-iroquois-lacrosse-team-go-to-tourney/article_ca14872e-0983-5c95-92c9-e73e99963020.html|title=UK won't let Iroquois lacrosse team go to tourney|agency=[[AP通信]]|date=July 15, 2010|work= [[:en:The Goshen News|Goshen News]]|accessdate=2021-08-04}}注は文単位。</ref> <ref name=NYT100716_TK>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/2010/07/17/sports/17lacrosse.html|title=Iroquois Defeated by Passport Dispute|date=July 16, 2010|work=[[ニューヨーク・タイムズ]]|last=Kaplan|first=Thomas|accessdate=2021-08-04}}注は文単位。</ref> <ref name=HNN_Rakove050721>{{cite web|url=http://hnn.us/articles/12974.html|accessdate=2021-08-04|title=Did the Founding Fathers Really Get Many of Their Ideas of Liberty from the Iroquois? &#124; History News Network|date=2005-07-21|publisher=[[ジョージ・ワシントン大学]]|last=Rakove|first=Jack|author-link=:en:Jack N. Rakove|_archiveurl=https://web.archive.org/web/20191223120530/http://hnn.us/articles/12974.html|_archivedate=2019-12-23}}</ref> <ref name=TAH24099_Pearson>{{cite web|url=https://teachinghistory.org/history-content/ask-a-historian/24099|accessdate=2021-08-04|title=Iroquois and the Founding Fathers|website=[[:en:Teachinghistory.org|Teachinghistory.org]]|publisher=[[:en:RRCHNM|Roy Rosenzweig CHNM]] ([[ジョージ・メイソン大学]])|last=Pearson|first=Ellen Holmes|_archiveurl=https://web.archive.org/web/20200227202353/https://teachinghistory.org/history-content/ask-a-historian/24099|_archivedate=2020-02-27}}注は段落。[該当の詳細文献 - ◇ {{Citation|last=Tooker|first=Elisabeth|year=1988|date=1988, Autumn|title=The United States Constitution and the Iroquois League|periodical=[[:en:Ethnohistory (journal)|Ethnohistory]]|volume=35|issue=4|pages=305–336|issn=0014-1801}}。 ◇ {{Citation|last=Tooker|first=Elisabeth|year=1990|date=1990, Summer|title=Rejoinder to Johansen|periodical=[[:en:Ethnohistory (journal)|Ethnohistory]]|volume=37|issue=3|pages=291-297|issn=0014-1801}}。]</ref> <ref name="IAHR05東京_表">{{Cite web|和書|url=https://www.l.u-tokyo.ac.jp/iahr2005/program_final.html#s_no_12|accessdate=2021-08-04|title=IAHR 2005 Tokyo Academic Programme ver02.22|publisher=第19回国際宗教学宗教史会議世界大会実行委員会}}</ref> <ref name=ON_Gonyea050601>{{cite web |url=https://www.onondaganation.org/news/2005/onondaga-communications-reports-on-19th-world-congress-of-the-international-association-for-the-history-of-religions/ |title=Onondaga Communications Reports on 19th World Congress of the International Association for the History of Religions |publisher=Onondaga Nation |last=Gonyea |first=Wendy |date=June 1, 2005|accessdate=2021-08-04}}</ref> }} ==参考文献== *[[ルイス・ヘンリー・モーガン|L.H.モルガン]]「古代社会 上巻」([[岩波文庫]]) *[[フリードリヒ・エンゲルス|フリードリッヒ・エンゲルス]]「家族・私有財産・国家の起源―ルイス・H・モーガンの研究に関連して」(岩波文庫) *[[w:Dennis Banks|デニス・バンクス]]、[[森田ゆり]]「聖なる魂」([[朝日文庫]]) *横須賀孝弘「北米インディアン生活術」([[青泉社|グリーンアロー出版社]]) *[[星川淳]]「魂の民主主義」([[築地書館]]) *[[w:Dennis Banks|Dennis Banks]]&[[w:Richard Erdoes|Richard Erdoes]]「OJIBWA WARRIOR」([[:en:University of Oklahoma Press|University of Oklahoma Press]]) * {{Citation|和書|author=木村武史|year=2004|date=2004-03-25|title=ホデノショニ (イロクォイ) 社会の「宗教」|periodical=アメリカ研究|volume=2004|issue=38|issn=0387-2815|doi=10.11380/americanreview1967.2004.1|accessdate=2021-08-04}} * {{Cite book ja-jp|和書 |author = 木村武史 |title = クラブが創った国 アメリカ |year = 2005 |chapter = ネイティブの諸結社 |series = 結社の世界史 |publisher = [[山川出版社]] |editor = [[綾部恒雄]] |isbn = 463444450X |ref = harv }} * {{Citation|和書|author=渡辺公三|author-link=渡辺公三|year=2006|date=2006-02|title=アメリカ人類学の発生現場を検証する ―モーガンとインディアン「土地問題」へのメモ―|periodical=立命館言語文化研究|volume=17|issue=3|pages=115–130|url=https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/17-3.htm|accessdate=2021-08-04}} * {{Citation|last1=Johansen|first1=Bruce E.|author1-link=:en:Bruce E. Johansen|last2=Grinde|first2=Donald A.|author2-link=:en:Donald A. Grinde, Jr.|year=1991|title=Exemplar of liberty: native America and the evolution of democracy|publisher=American Indian Studies Center, University of California, Los Angeles|isbn=978-0-935626-35-3}} * {{Citation|last=Levy|first=Philip A.|author-link=:en:Philip Levy|year=1995|title=Exemplars of Taking Liberties: The Iroquois Influence Theory and the Problem of Evidence|series=Dissertations, Theses, and Masters Projects|id=Paper 1539625994|publisher=W&M ScholarWorks ([[ウィリアム・アンド・メアリー大学]])|doi=10.21220/s2-sh3t-py92|accessdate=2021-08-04}} * {{Citation|last=Payne|first=Samuel B.|year=1996|date=1996-07|title=The Iroquois League, the Articles of the Confederation, and the Constitution|periodical=[[:en:William and Mary Quarterly|William and Mary Quarterly]]|volume=53|issue=3|pages=605–620|issn=0043-5597}} * {{Citation|last=Jensen|first=Erik M.|year=2016|date=2016-04-16|title=The Harvard Law Review and the Iroquois Influence Thesis|periodical=[[:en:British Journal of American Legal Studies|British Journal of American Legal Studies]]|volume=6|issue=2|pages=225–240|issn=2049-4092|doi=10.1515/bjals-2017-0011|accessdate=2021-08-04}} == 関連項目 == * [[自治行政区画]]、[[独立主張のある地域一覧]] * [[ヌーベルフランス]]、[[アカディア]] ** [[ビーバー戦争]]([[17世紀]])、[[:en:Great Peace of Montreal]] *** [[ラ・サールの探検]]([[1669年]] - [[1687年]]) - イロコイ連邦の妨害にさらされながら諸部族との交易を開拓。 *** [[ラシーヌの虐殺]]([[1689年]]) ** [[北米植民地戦争]]([[17世紀]]から[[18世紀]]) *** [[ウィリアム王戦争]]([[1689年]] - [[1697年]]) **** [[:en:Schenectady massacre]]([[1690年]]) *** [[アン女王戦争]]([[1702年]] - [[1713年]]) **** [[ディアフィールド奇襲]]([[1704年]]) *** [[フレンチ・インディアン戦争]]([[1754年]] - [[1763年]]) * アメリカ・インディアンの国家 ** {{仮リンク|ワバナキ連邦|en|Wabanaki Confederacy}}([[1689年]] - [[1862年]]) - [[1993年]]に部族連合を再建。 *** [[アベナキ族]] ** [[マスコギー国]]([[1799年]] - [[1803年]]) *** [[クリーク族]]、[[セミノール|セミノール族]] ** {{仮リンク|グレート・スー・ネーション|en|Great Sioux Nation}}([[1868年]] - )、[[ラコタ共和国]]([[ミクロネーション]]) *** [[スー族]] * [[アメリカインディアン運動]] * [[ウィリアム・ジョンソン (初代準男爵)]] - 18世紀中葉、イロコイ連邦の代理人や兵士の指揮官を務めた。 * [[ルイス・ヘンリー・モーガン]] - 19世紀の[[文化人類学]]者。イロコイを主題とした著書がある。 * [[アンジェリーナ・ジョリー]] - 女優。イロコイ族(ワイアンドット族)の血も引く。 * [[ジャミロクワイ]] - 音楽バンド。前述「影響を与えた事柄」参照。 == 外部リンク == {{Commons category|Iroquois}} *[https://www.haudenosauneeconfederacy.com/ Haudenosaunee Confederacy]{{en icon}} - ホデノショニ連邦の公式サイト *[https://www.iroquoismuseum.org/ Iroquois Indian Museum]{{en icon}} *[http://www.canadiangenealogy.net/aboriginal/iroquois.htm Canadian Genealogy (The Iroquois)]{{en icon}} *[http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/FranklinListens.htm ポーラ・アンダーウッド/星川淳(共著)『小さな国の大いなる知恵』、翔泳社、1999年] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いろこいれんほう}} [[Category:北アメリカ]] [[Category:アメリカ合衆国の先住民族]] [[Category:インディアン戦争]]
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5,895
1794年
1794年(1794 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
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1794年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1794}} {{year-definition|1794}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲寅]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛政]]6年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2454年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]59年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]18年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4127年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[西山朝]] : [[景盛]]2年 * [[仏滅紀元]] : 2336年 - 2337年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1208年 - 1209年 * [[ユダヤ暦]] : 5554年 - 5555年 * [[ユリウス暦]] : 1793年12月21日 - 1794年12月20日 * [[フランス革命暦]] : II年雪月12日 - III年雪月11日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1794}} == できごと == * [[2月4日]] - フランス共和国で奴隷制が廃止。 * [[2月11日]] - [[アメリカ合衆国]]上院の第1回会期が一般に公開される。 * [[3月14日]] - イーライ・ホイットニーが綿織機の特許を取得する。 * [[3月24日]]〜 - [[ポーランド=リトアニア共和国|ポーランド=リトアニア]]で、[[プロイセン王国|プロイセン]]、[[ロシア帝国|ロシア]]に対する蜂起が起こる。[[第二次ポーランド分割]]に対する抗議。 * [[6月10日]] - [[フランス革命]]:[[プレリアール22日法]]が制定。 * [[7月27日]] - フランス革命 : [[テルミドールのクーデター]] * [[9月10日]] - 米国[[テネシー州]][[ノックスビル_(テネシー州)|ノックスビル]]にて[[テネシー大学]]が創設。 * [[プロイセン一般ラント法]] ([[:de:Allgemeines Landrecht für die Preußischen Staaten]], ALR) * [[フィヒテ]]、『全知識学の基礎』出版。 == 誕生 == {{see also|Category:1794年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月5日]] - [[ジャック・バビネ]]、[[物理学者]](+ [[1872年]]) * [[3月31日]] - [[トマス・マッキーン・トンプソン・マッケナン]]、第2代[[アメリカ合衆国内務長官]](+ [[1852年]]) * [[4月9日]] - [[テオバルト・ベーム]]、[[発明家]](+ [[1881年]]) * [[4月10日]] - [[マシュー・ペリー]]、[[アメリカ海軍]]の[[提督]](+ [[1858年]]) * [[4月11日]] - [[エドワード・エヴァレット]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1865年]]) * [[4月22日]] - [[ヘルマン・フリードリヒ・ヒンリヒス]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1861年]]) * [[4月23日]]([[寛政]]6年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]])- [[毛利斉元]]、第12代[[長州藩|長州藩主]](+ [[1836年]]) * [[5月23日]] - [[イグナーツ・モシェレス]]、作曲家(+ [[1870年]]) * [[5月24日]] - [[ウィリアム・ヒューウェル]]、[[科学哲学|科学哲学者]](+ [[1866年]]) * [[5月27日]] - [[コーネリアス・ヴァンダービルト]]、[[実業家]](+ [[1877年]]) * [[5月29日]] - [[アントワーヌ・ビュシー]]、[[化学者]](+ [[1882年]]) * 5月29日 - [[ヨハン・ハインリッヒ・メドラー]]、[[天文学者]](+ [[1874年]]) * [[7月6日]] - [[ヴィルヘルム・ヘンゼル]]、[[画家]](+ [[1861年]]) * [[7月7日]](寛政6年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]])- [[井伊直亮]]、[[大老]]、第12代[[近江国|近江]][[彦根藩]]主(+ [[1850年]]) * [[7月12日]] - [[クリスティアン・パンダー (動物学者)|クリスティアン・パンダー]]、[[動物学者]](+ [[1865年]]) * [[7月19日]](寛政6年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]])- [[水野忠邦]]、[[大名]]・[[老中]](+ [[1851年]]) * [[7月29日]] - [[トマス・コーウィン]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1865年]]) * [[8月15日]] - [[エリーアス・フリース]]、[[菌類]]・[[植物学|植物学者]](+ [[1878年]]) * [[10月26日]] - [[コンスタンチン・トーン]]、[[建築家]](+ [[1881年]]) * [[11月9日]](寛政6年[[10月17日 (旧暦)|10月17日]])- [[山内豊資]]、第12代[[土佐藩|土佐藩主]](+ [[1872年]]) == 死去 == {{see also|Category:1794年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月16日]] - [[エドワード・ギボン]]、イギリスの[[歴史家]] (* [[1737年]]) * [[3月29日]] - [[コンドルセ]]、[[数学者]]・[[哲学者]] (* [[1743年]]) * [[4月27日]] - [[ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)|ウィリアム・ジョーンズ]]、[[言語学者]]・[[裁判官]](* [[1746年]]) * [[5月8日]] - [[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]、[[化学者]](* [[1743年]]) * [[6月24日]] - [[シャルル・バルバルー]]、[[フランス革命]]期の政治家(* [[1767年]]) * [[7月28日]] - [[マクシミリアン・ロベスピエール]]、[[政治家]](* [[1758年]]) * 7月28日 - [[サン・ジュスト]]、フランスの政治家 (* [[1767年]]) * [[11月28日]] - [[チェーザレ・ベッカリーア]]、イタリアの[[法学者]] (* [[1738年]]) == フィクションのできごと == * スーザン、イアン、バーバラが拘束されギロチン刑とされる。初代ドクターが救出。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1794}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1794ねん}} [[Category:1794年|*]]
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5,896
1000年
1000年(1000 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。月曜日から始まる。10世紀最後の年である。
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1000年は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。月曜日から始まる。10世紀最後の年である。
{{Otheruses|西暦1000年|時間の単位|ミレニアム|「千年」の名称|千年}} {{年代ナビ|1000}} {{year-definition|1000}}月曜日から始まる。[[10世紀]]最後の年である。 == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[庚子]](かのえ ね) * [[日本]] ** [[長保]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1660年 * [[中国]] ** [[北宋]] : [[咸平]]3年 ** [[遼]] : [[統和]]18年 ** [[大理国]] : [[明治 (大理)|明治]]4年 * [[朝鮮]] ** [[高麗]] : [[穆宗 (高麗王)|穆宗]]3年 * [[ベトナム]] ** [[前黎朝]] : [[応天 (前黎朝)|応天]]7年 * [[仏滅紀元]] : 1542年〜1543年 * [[ヒジュラ暦]] : 390年1月15日〜391年1月25日 * [[ユダヤ暦]] : 4760年4月16日〜4761年4月25日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1000|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[12月25日]] - [[イシュトヴァーン1世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン1世]]が戴冠式を行い、[[ハンガリー王国]]が成立([[1001年]][[1月1日]]説も有り)。 * [[グリーンランド]]に住む[[ノルマン人]]([[ヴァイキング]])の[[レイフ・エリクソン]]、[[ヴィンランド]]([[ニューファンドランド島]]説が有力)に到達して帰還。[[アメリカ大陸]]から帰還した最初の[[ヨーロッパ]]人となる。 * [[アイスランド]]で、全島国民が[[キリスト教]]へ改宗することを[[アルシング]]において決定する。 === 日本 === * [[4月2日]](長保2年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[円融天皇]]の[[皇后]]・[[藤原遵子]]が[[皇太后]]、[[一条天皇]]の[[中宮]]・[[藤原定子]]が皇后、[[女御]]・[[藤原彰子]]が中宮になる(一帝二后の初例)。 * 国宝、[[長保寺]]の創建。 * 日本現存最古の飲食店「[[一文字屋和輔]](一和)」が創業される。 == 誕生 == {{see also|Category:1000年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月1日]]([[長保]]元年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]) - [[藤原威子]]、第68代[[後一条天皇]][[中宮]]、[[摂政]][[藤原道長]]の四女(+ [[1036年]]) * [[覚源]]、[[平安時代]]後期の[[真言宗]]の[[僧]]、[[花山天皇]]の皇子(+ [[1065年]]) * [[コンスタンティノス9世モノマコス]]、[[東ローマ帝国]][[マケドニア王朝 (東ローマ)|マケドニア王朝]]の[[皇帝]](+ [[1055年]]) * [[佐々木義経]]、平安時代の[[武将]](+ [[1058年]]) * [[藤原兼経]]、平安時代の[[公卿]](+ [[1043年]]) == 死去 == {{see also|Category:1000年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月10日]](長保元年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]])- [[昌子内親王]]、第61代[[朱雀天皇]]第一皇女、第63代[[冷泉天皇]][[中宮]](* [[950年]]) * [[9月9日]]? - [[オーラヴ1世 (ノルウェー王)|オーラヴ1世]]、[[ノルウェー]]王(* [[960年]]代) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1000}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=10|年代=900}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1000ねん}} [[Category:1000年|*]]
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5,900
Linuxクラスター
Linuxクラスター(リナックスクラスター)は、Linuxを利用しているコンピュータ・クラスターである。一般に疎結合クラスターで、対称型マルチプロセッシング (SMP) が、CPUとメモリをより密に繋いでいるのに比べると、クラスターの結合は疎である。クラスターの各要素は、完全に独立したコンピュータとして動作しており、高速なLANなどを利用してお互いに接続されている。 要素となるマシンはLinuxないしGNU/Linuxを搭載したコンピュータである。 Linuxを動作させるために必要なハードウェアは、ごく一般的なパーソナルコンピュータでよいため、手軽にスーパーコンピュータを作り始められることが特徴である。また、Linuxはスケーラビリティに優れ、高速のコンピュータ上でも動いている。このため、低速な環境でシステムを構築してから、徐々に高速なコンピュータ環境に向かって進化させることが出来る。 また、各コンピュータを繋ぐのには標準的なLANを使っているため、接続のハードウェアや技術、ソフトウェアは、従来の物を使うことが出来る。ハードウェアの製作やメンテナンスに特別な部品や技術を使う必要はない。 Linuxは、オペレーティングシステム (OS) のソースコードを始め全ての必要なソフトウェアをソースコードも含めて無料で手にいれることができる。そのため、利用者や研究者が必要に応じてあらゆる部分に手を加えることが出来るのが大きな特徴である。また、使用に当たってコンピュータ毎に支払うOSのライセンス料もない。したがって投資に必要なのはハードウェアなどの物理的な資源と人件費だけということになる。参照:フリーソフトウェア、コピーレフトなソフトウェア。 Linuxクラスターを作る目的としては、 などの場合があり、目的に応じて使われる技法も異なる。 ごく普通のパーソナルコンピュータを多数(場合によっては数百から数千)、高速のネットワークで繋いで、いわゆるスーパーコンピュータとしての性能を出せることから、場合によっては通常のスーパーコンピュータの性能を10分の1以下の予算で作ることができる。また、研究者が自分達でも作れることから結構流行した。 マイクロプロセッサの進歩により高速のコンピュータが作られ、高速のイーサネットによりごく一般的なネットワークの手法でコンピュータ間を接続できることが、Linuxクラスターをもたらした。また、高速のイーサネットを更に複数並行して接続し更に高速なLANを構築する技法も完成されている。現状では転送速度がギガビット/秒のイーサネットが使われることが多い。 非常に高速な処理をする専用のクラスターを構成する場合は、以下の例で示す Beowulf の技法を使って実現されることが多い。 要素になるコンピュータを個人用のデスクトップや他の目的のサーバにも使い、その余剰の計算能力をお互いにわかちあうような場合には、以下の例で示す MOSIX を使う場合がある。 ウェブサーバなど、インターネット全体から大量の要求が同時に発生し、秒のオーダーで結果を返す必要がある。 このための技法には多くの例がある。以下の例で述べる MOSIX もその目的で使うことが出来る。 ちなみに、世界最大のコンピュータ・クラスターを保有すると言われているインターネットの検索エンジンのグーグルは、Linuxクラスターでできている。Googleのコンピュータ・クラスターを参照。 この場合は、複数のコンピュータが同じ処理をして、結果を比較しあって異常な結果が出ることを防いだり、通常は別の処理をしているコンピュータの集合から一台が異常になっても、自動的に他の残りのコンピュータが処理を補うような場合である。 普通のパーソナルコンピュータで作ることができ、必要なソフトウェアはソースコードも含めて全て無料で手に入り、作るのに必要な情報はほとんどウェブ上で即座に無料で手にいれることが出来るフリーソフトウェアまたはコピーレフトのソフトウェアである。 実際にハードウェアを使って作る場合と、クラスター用ソフトウェアの構築や開発のために仮想コンピュータ上に構築する場合がある。 単にソフトウェアの構築の実験や開発をするだけなら、Linux用の仮想コンピュータを利用できる。仮想コンピュータは一台の実際に存在するコンピュータを使って、その中に複数のコンピュータを作り出すことが出来る。利用する側から見ると(感じると)全く複数のコンピュータが存在するように見える。実際のコンピュータの資源が許す限り何台でも仮想コンピュータを作ることが出来る。 また、特にi386系のLinuxに限るならば、Linux上で複数の仮想のLinux環境を作り出すためのソフトウェアがカーネルの一部を含め、ユーザーモードLinux (UML - User Mode Linux)として提供されている。UMLの一部は既に一般のLinuxに含まれて配付されているため、UMLのソフトウェアを手にいれたら手間を必要とせずに即座に複数の仮想環境を用意することが出来る。UMLもやはり無料でソースコードを手にいれることができる。 また、VMwareなど商用の仮想機械ソフトウェアも用意されている。 以下の例の中に構成するのに必要なソフトウェアや手順が紹介されているので、UML上でクラスターの構築の実験が出来る。(作ったらレポートはウィキペディア日本語版に報告されるのが標準的な方法だと主張される場合もある)。
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Linuxクラスター(リナックスクラスター)は、Linuxを利用しているコンピュータ・クラスターである。一般に疎結合クラスターで、対称型マルチプロセッシング (SMP) が、CPUとメモリをより密に繋いでいるのに比べると、クラスターの結合は疎である。クラスターの各要素は、完全に独立したコンピュータとして動作しており、高速なLANなどを利用してお互いに接続されている。 要素となるマシンはLinuxないしGNU/Linuxを搭載したコンピュータである。 Linuxを動作させるために必要なハードウェアは、ごく一般的なパーソナルコンピュータでよいため、手軽にスーパーコンピュータを作り始められることが特徴である。また、Linuxはスケーラビリティに優れ、高速のコンピュータ上でも動いている。このため、低速な環境でシステムを構築してから、徐々に高速なコンピュータ環境に向かって進化させることが出来る。 また、各コンピュータを繋ぐのには標準的なLANを使っているため、接続のハードウェアや技術、ソフトウェアは、従来の物を使うことが出来る。ハードウェアの製作やメンテナンスに特別な部品や技術を使う必要はない。 Linuxは、オペレーティングシステム (OS) のソースコードを始め全ての必要なソフトウェアをソースコードも含めて無料で手にいれることができる。そのため、利用者や研究者が必要に応じてあらゆる部分に手を加えることが出来るのが大きな特徴である。また、使用に当たってコンピュータ毎に支払うOSのライセンス料もない。したがって投資に必要なのはハードウェアなどの物理的な資源と人件費だけということになる。参照:フリーソフトウェア、コピーレフトなソフトウェア。
{{複数の問題 | 出典の明記 = 2018年4月2日 (月) 03:18 (UTC) | 脚注の不足 = 2018年4月2日 (月) 03:18 (UTC) }} '''Linuxクラスター'''(リナックスクラスター)は、[[Linux]]を利用している[[コンピュータ・クラスター]]である。一般に[[疎結合クラスター]]で、[[対称型マルチプロセッシング]] (SMP) が、CPUとメモリをより密に繋いでいるのに比べると、クラスターの結合は疎である。クラスターの各要素は、完全に独立したコンピュータとして動作しており、高速なLANなどを利用してお互いに接続されている。 要素となるマシンは[[Linux]]ないし[[GNU/Linux]]を搭載した[[コンピュータ]]である。 [[Linux]]を動作させるために必要な[[ハードウェア]]は、ごく一般的な[[パーソナルコンピュータ]]でよいため、手軽に[[スーパーコンピュータ]]を作り始められることが特徴である。また、Linuxはスケーラビリティに優れ、高速のコンピュータ上でも動いている。このため、低速な環境でシステムを構築してから、徐々に高速なコンピュータ環境に向かって進化させることが出来る。 また、各コンピュータを繋ぐのには標準的な[[Local Area Network|LAN]]を使っているため、接続のハードウェアや技術、[[ソフトウェア]]は、従来の物を使うことが出来る。ハードウェアの製作やメンテナンスに特別な部品や技術を使う必要はない。 Linuxは、[[オペレーティングシステム]] (OS) の[[ソースコード]]を始め全ての必要なソフトウェアをソースコードも含めて無料で手にいれることができる。そのため、利用者や研究者が必要に応じてあらゆる部分に手を加えることが出来るのが大きな特徴である。また、使用に当たってコンピュータ毎に支払うOSの[[ライセンス料]]もない。したがって投資に必要なのはハードウェアなどの物理的な資源と人件費だけということになる。参照:[[フリーソフトウェア]]、[[コピーレフト]]なソフトウェア。 == クラスターの目的 == Linuxクラスターを作る目的としては、 *高速な計算処理 *大量の処理要求への対応 *安定性や信頼性 などの場合があり、目的に応じて使われる技法も異なる。 === 高速な計算処理を目的とする場合 === ごく普通の[[パーソナルコンピュータ]]を多数(場合によっては数百から数千)、高速の[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]で繋いで、いわゆる[[スーパーコンピュータ]]としての性能を出せることから、場合によっては通常のスーパーコンピュータの性能を10分の1以下の予算で作ることができる。また、研究者が自分達でも作れることから結構流行した{{いつから|date=2018年4月2日 (月) 03:18 (UTC)}}。 [[マイクロプロセッサ]]の進歩により高速のコンピュータが作られ、高速の[[イーサネット]]によりごく一般的なネットワークの手法でコンピュータ間を接続できることが、Linuxクラスターをもたらした。また、高速のイーサネットを更に複数並行して接続し更に高速なLANを構築する技法も完成されている。現状では転送速度が[[ギガ]]ビット/秒のイーサネットが使われることが多い。 非常に高速な処理をする専用のクラスターを構成する場合は、以下の例で示す [[Beowulf]] の技法を使って実現されることが多い。 要素になるコンピュータを個人用のデスクトップや他の目的のサーバにも使い、その余剰の計算能力をお互いにわかちあうような場合には、以下の例で示す [[MOSIX]] を使う場合がある。 === 大量の要求への対応を目的とする場合 === [[Webサーバ|ウェブサーバ]]など、[[インターネット]]全体から大量の要求が同時に発生し、秒のオーダーで結果を返す必要がある。 このための技法には多くの例がある。以下の例で述べる [[MOSIX]] もその目的で使うことが出来る。 ちなみに、世界最大の[[コンピュータ・クラスター]]を保有すると言われている[[インターネット]]の[[検索エンジン]]の[[Google|グーグル]]は、Linuxクラスターでできている。[[Googleのコンピュータ・クラスター]]を参照。 === 安定性や信頼性を目的とする場合 === この場合は、複数のコンピュータが同じ処理をして、結果を比較しあって異常な結果が出ることを防いだり、通常は別の処理をしているコンピュータの集合から一台が異常になっても、自動的に他の残りのコンピュータが処理を補うような場合である。 :この章は全くのスタブです。 == Linuxクラスターの作り方 == 普通の[[パーソナルコンピュータ]]で作ることができ、必要な[[ソフトウェア]]は[[ソースコード]]も含めて全て無料で手に入り、作るのに必要な情報はほとんど[[World Wide Web|ウェブ]]上で即座に無料で手にいれることが出来る[[フリーソフトウェア]]または[[コピーレフト]]のソフトウェアである。 実際に[[ハードウェア]]を使って作る場合と、クラスター用ソフトウェアの構築や開発のために[[仮想機械|仮想コンピュータ]]上に構築する場合がある。 === 実ハードウェア上の構築 === :{{節スタブ|date=2018年4月2日 (月) 03:18 (UTC)}}この章は全くのスタブです。 === 仮想コンピュータ上の構築 === 単にソフトウェアの構築の実験や開発をするだけなら、Linux用の[[仮想機械|仮想コンピュータ]]を利用できる。仮想コンピュータは一台の実際に存在するコンピュータを使って、その中に複数のコンピュータを作り出すことが出来る。利用する側から見ると(感じると)全く複数のコンピュータが存在するように見える。実際のコンピュータの資源が許す限り何台でも仮想コンピュータを作ることが出来る。 また、特に[[Intel 80386|i386]]系の[[Linux]]に限るならば、Linux上で複数の仮想のLinux環境を作り出すための[[ソフトウェア]]が[[カーネル]]の一部を含め、[[ユーザーモードLinux]] (UML - User Mode Linux)として提供されている。UMLの一部は既に一般のLinuxに含まれて配付されているため、UMLのソフトウェアを手にいれたら手間を必要とせずに即座に複数の仮想環境を用意することが出来る。UMLもやはり無料で[[ソースコード]]を手にいれることができる。 また、[[VMware]]など商用の[[仮想機械]]ソフトウェアも用意されている。 以下の例の中に構成するのに必要なソフトウェアや手順が紹介されているので、UML上でクラスターの構築の実験が出来る。(作ったらレポートは[[ウィキペディア日本語版]]に報告されるのが標準的な方法だと主張される場合もある)。 == 使用するソフトウェアや技法の例 == ;[[Beowulf]](方式):Linuxを使った[[コンピュータ・クラスター]]として有名。[[Linux]]以外の[[カーネル]]の[[ソースコード]]が公開されているフリーの[[UNIX]]でも作られる。クラスターを構成する[[コンピュータ]]はクラスターとしての処理だけに使われる。各コンピュータは高速の専用のネットワークで接続される。"Beowulf"と呼ばれるソフトウェアパッケージはなく、Beowulfを構成するに当たってそれぞれ使うソフトウェアは異なり特に必要な要素となるソフトウエアの部品はない。[http://www.beowulf.org/] *bproc (Beowulf Distributed Process Space) [http://bproc.sourceforge.net/]Beowulfクラスター上でリモートプロセスを起動するためのツール群。マスターノード上で起動された[[プロセス]]がVMADumpによりスレーブノードにコピーされる。スレーブノードはカーネルと必要最小限の[[ライブラリ]]のみをブート時にダウンロードするディスクレス構成。[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]のBeowulfプロジェクトで開発され、現在はロスアラモス国立研究所のクラスターPink(2048CPU)[http://www.lanl.gov/projects/pink/]にも採用されている。 ;[[SCore]](方式/ソフトウェア):BeowulfがアメリカのNASA主導で策定され、検証された方式/プロジェクトであった様に、1992年から[[通商産業省]]主導による[[新情報処理開発機構]](RWCP)にて開発されたクラスター計算機用超並列プログラム実行環境を含むクラスター方式。 ;[[MOSIX]](ソフトウェアパッケージ):Beowulfクラスターではない。一般の[[デスクトップコンピュータ]]も時間を制限してクラスターの一部として参加させることが出来る。プロセス単位で走る通常のLinux用ソフトウェアを改造なしてクラスター上で処理させることが出来る。参加するコンピュータは[[x86]]系のCPUを使っていれば、まちまちの仕様のコンピュータでも構わない。[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]レベルの処理はサポートしていない。[http://www.mosix.org/] ;[[グリッド・コンピューティング]]:[[インターネット]]などの広域で共有された[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]上でコンピュータ資源(処理能力、記憶能力)を共有する仕組み。模索中であるが、商用のサービスが行われ始めている。[[Globus]]ツールキットが事実上の標準になりつつある。特に[[Linux]]とは限定していない。 == 関連項目 == *[[スーパーコンピュータ]] *[[並列コンピュータ]] *[[コンピュータ・クラスター]] == 外部リンク == *[https://atmarkit.itmedia.co.jp/flinux/index/indexfiles/clusterindex.html 連載記事 Linuxクラスタリングへの招待(@IT)] {{Computer-stub}} {{DEFAULTSORT:Linuxくらすた}}{{Linux}}{{並列コンピューティング}} [[Category:Linux]] [[Category:スーパーコンピュータ]]
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Tagged Image File Format
TIFF (ティフ、Tagged Image File Format)は、ビットマップ画像の符号化形式の一種である。タグと呼ばれる識別子を使うことによって、様々な形式のビットマップ画像を柔軟に表現できる。 TIFFフォーマットは、1986年にマイクロソフトおよびAldus(1994年、アドビに合併)によって開発された画像データフォーマット。画像データを、解像度や色数、符号化方式が異なるものでも様々な形式で一つのファイルにまとめて格納できるため、アプリケーションソフトに依存することがあまり無いフォーマットであると言える。何度かの改訂によって拡張が行われているが、その多くはタグの追加という形を取っており、過去に作られたデータとの互換性に配慮されている。現在主流となっているのはTIFF Revision 6.0(以下TIFF6.0)だが、後に発行されたAdobe PageMaker 6.0 Technical NotesおよびAdobe Photoshop Technical Notesなどにより若干の追加および変更がなされている。 かつてFM TOWNS、Macintosh、NeXTでよく利用され、Windows 3.0でDIB (BMP) が標準になるまではWindowsでも標準の画像フォーマットの形式とされていた。白黒2値、グレースケール、および様々なカラー形式(RGB/CMYK)に対応している。しかしあまりにも自由度の高い表現が可能なので、完全な互換性を保つことが難しくなっている。TIFFの規約もすべてのタグをサポートする必要はないと明記し、互換性の問題を低減するためのサブセットが提案されるが、必ずしもその基準は守られない。 TIFFでは、非圧縮、LZW圧縮、ZIP圧縮、連長圧縮の一種であるPackBitsなど様々な圧縮方法が使用可能である。そのほとんどは可逆圧縮法だが、TIFF6.0以降、JPEG圧縮もサポートされた。ファイルサイズを重視する用途では、白黒2値にはG4 (MMR) 圧縮、それ以外にはJPEG圧縮やLZW圧縮が使われることが多い。またDTPや印刷用途などでは非圧縮が使われることもある。LZW圧縮は、GIFと同じく特許上の問題により自由に使えない時期があった(日本では2004年6月20日まで)。 ウェブブラウザではInternet Explorerのバージョン9からTIFFの表示に対応している。 TIFFは画像を編集する中間段階で用いることが下記のような理由で効果的である。 TIFF6.0で導入されたJPEG圧縮については、仕様上の不備が指摘されており、後に発行されたAdobe Photoshop Technical Notesによって大幅な変更が加えられた。この変更では、従来のTIFF6.0でJPEG圧縮のために定義されていたCompression=6および関連タグを廃止し、代わりに新しくCompression=7およびそれに関連するタグが導入されている。これによって様々な問題点がクリアされ実装も容易になったことから徐々にこの形式への移行が進んでいるが、互換性などの問題から従来のCompression=6も引き続き使われている。なおCompression=6ではタグの記述方法が難解なことなどから、TIFF6.0の仕様にさえも準拠せず独自の解釈でエンコード/デコードを行うアプリケーションソフトウェアも少なくない。そのため、JPEG圧縮のTIFFファイルの中には著しく互換性の低いものがある。 ひとつのファイルの中に複数の画像を格納したマルチページファイルを構成できるのもTIFFの特徴のひとつである。タグ情報はページごとに独立して管理されるため、ページごとに画像のサイズ、圧縮方法、カラー形式などを独立して決めることができる。ページ数自体に制限はないが、あまりにもページ数が多いとTIFFの理論的な上限サイズである4GBに達することがあるため注意が必要である。またアプリケーションソフトウェアによっては2GBまでしかサポートしないものもあるため、2GBを実質的な上限サイズと考えた方がより安全である。 マルチページファイルは、各ページが持っている「次のページ」の先頭へのポインタによって連結された線形リストとして実現されている。ここでいうポインタとは、ファイル先頭から数えたバイト数のことである。同様のポインタは、ファイル上の様々なデータの位置を表すためにも使われている。したがって、複数のTIFFファイルを単純に連結しただけではマルチページファイルにはならないし、逆にマルチページファイルの一部を単純に切り出しても正常なTIFFファイルにはならない。 TIFFフォーマットには、ファクシミリ (FAX) のデータを表現するために、TIFF-Fと呼ばれるプロファイルが RFC 2306 (Tag Image File Format (TIFF) - F Profile for Facsimile) で定義されている。FAX送受信の際に用いる圧縮形式であるMH、MR、MMRなどの符号化方式に対応しているため、送受信データとの間では最小限の変換処理を行うだけでファイル化できる。また、前述したマルチページファイルの機能を利用して、複数ページを1ファイルで表現できるほか、他の多くのイメージファイル形式では表現が困難な、ピクセル縦横比の異なる画像を表現できることなどが利点として挙げられる。 InternetFAX規格のひとつである T.37では、送受信ファイル形式として TIFF-Fを使用することが明示されており、Windows FAX サービスや、その他の T.37ゲートウェイ装置は、TIFFファイルの添付された電子メールメッセージとして受信FAXを転送する。 いっぽう、クラウド利用型のファクシミリ・サービスでは対応が分かれている。日本のNTT東西地域会社が提供する「FAXお知らせメール」サービスではお知らせメールへのファクシミリ・データ添付は行われず、内容を確認するにはブラウザでログインしてTIFFファイルをダウンロードし、TIFFファイルの表示に対応したビューワアプリを利用して閲覧する方式となっている。eFaxではTIFFではなく、PDFファイルを添付したメールとしてFAXを転送する。NTT東日本の提供する「ひかりFAX」アプリ(公開終了)では、受信内容をページ毎に分かれた複数のJPEGファイルに変換して端末内に保存する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "TIFF (ティフ、Tagged Image File Format)は、ビットマップ画像の符号化形式の一種である。タグと呼ばれる識別子を使うことによって、様々な形式のビットマップ画像を柔軟に表現できる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "TIFFフォーマットは、1986年にマイクロソフトおよびAldus(1994年、アドビに合併)によって開発された画像データフォーマット。画像データを、解像度や色数、符号化方式が異なるものでも様々な形式で一つのファイルにまとめて格納できるため、アプリケーションソフトに依存することがあまり無いフォーマットであると言える。何度かの改訂によって拡張が行われているが、その多くはタグの追加という形を取っており、過去に作られたデータとの互換性に配慮されている。現在主流となっているのはTIFF Revision 6.0(以下TIFF6.0)だが、後に発行されたAdobe PageMaker 6.0 Technical NotesおよびAdobe Photoshop Technical Notesなどにより若干の追加および変更がなされている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "かつてFM TOWNS、Macintosh、NeXTでよく利用され、Windows 3.0でDIB (BMP) が標準になるまではWindowsでも標準の画像フォーマットの形式とされていた。白黒2値、グレースケール、および様々なカラー形式(RGB/CMYK)に対応している。しかしあまりにも自由度の高い表現が可能なので、完全な互換性を保つことが難しくなっている。TIFFの規約もすべてのタグをサポートする必要はないと明記し、互換性の問題を低減するためのサブセットが提案されるが、必ずしもその基準は守られない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "TIFFでは、非圧縮、LZW圧縮、ZIP圧縮、連長圧縮の一種であるPackBitsなど様々な圧縮方法が使用可能である。そのほとんどは可逆圧縮法だが、TIFF6.0以降、JPEG圧縮もサポートされた。ファイルサイズを重視する用途では、白黒2値にはG4 (MMR) 圧縮、それ以外にはJPEG圧縮やLZW圧縮が使われることが多い。またDTPや印刷用途などでは非圧縮が使われることもある。LZW圧縮は、GIFと同じく特許上の問題により自由に使えない時期があった(日本では2004年6月20日まで)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ウェブブラウザではInternet Explorerのバージョン9からTIFFの表示に対応している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "TIFFは画像を編集する中間段階で用いることが下記のような理由で効果的である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "TIFF6.0で導入されたJPEG圧縮については、仕様上の不備が指摘されており、後に発行されたAdobe Photoshop Technical Notesによって大幅な変更が加えられた。この変更では、従来のTIFF6.0でJPEG圧縮のために定義されていたCompression=6および関連タグを廃止し、代わりに新しくCompression=7およびそれに関連するタグが導入されている。これによって様々な問題点がクリアされ実装も容易になったことから徐々にこの形式への移行が進んでいるが、互換性などの問題から従来のCompression=6も引き続き使われている。なおCompression=6ではタグの記述方法が難解なことなどから、TIFF6.0の仕様にさえも準拠せず独自の解釈でエンコード/デコードを行うアプリケーションソフトウェアも少なくない。そのため、JPEG圧縮のTIFFファイルの中には著しく互換性の低いものがある。", "title": "JPEG圧縮" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ひとつのファイルの中に複数の画像を格納したマルチページファイルを構成できるのもTIFFの特徴のひとつである。タグ情報はページごとに独立して管理されるため、ページごとに画像のサイズ、圧縮方法、カラー形式などを独立して決めることができる。ページ数自体に制限はないが、あまりにもページ数が多いとTIFFの理論的な上限サイズである4GBに達することがあるため注意が必要である。またアプリケーションソフトウェアによっては2GBまでしかサポートしないものもあるため、2GBを実質的な上限サイズと考えた方がより安全である。", "title": "マルチページ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "マルチページファイルは、各ページが持っている「次のページ」の先頭へのポインタによって連結された線形リストとして実現されている。ここでいうポインタとは、ファイル先頭から数えたバイト数のことである。同様のポインタは、ファイル上の様々なデータの位置を表すためにも使われている。したがって、複数のTIFFファイルを単純に連結しただけではマルチページファイルにはならないし、逆にマルチページファイルの一部を単純に切り出しても正常なTIFFファイルにはならない。", "title": "マルチページ" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "TIFFフォーマットには、ファクシミリ (FAX) のデータを表現するために、TIFF-Fと呼ばれるプロファイルが RFC 2306 (Tag Image File Format (TIFF) - F Profile for Facsimile) で定義されている。FAX送受信の際に用いる圧縮形式であるMH、MR、MMRなどの符号化方式に対応しているため、送受信データとの間では最小限の変換処理を行うだけでファイル化できる。また、前述したマルチページファイルの機能を利用して、複数ページを1ファイルで表現できるほか、他の多くのイメージファイル形式では表現が困難な、ピクセル縦横比の異なる画像を表現できることなどが利点として挙げられる。", "title": "ファクシミリでの利用" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "InternetFAX規格のひとつである T.37では、送受信ファイル形式として TIFF-Fを使用することが明示されており、Windows FAX サービスや、その他の T.37ゲートウェイ装置は、TIFFファイルの添付された電子メールメッセージとして受信FAXを転送する。", "title": "ファクシミリでの利用" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "いっぽう、クラウド利用型のファクシミリ・サービスでは対応が分かれている。日本のNTT東西地域会社が提供する「FAXお知らせメール」サービスではお知らせメールへのファクシミリ・データ添付は行われず、内容を確認するにはブラウザでログインしてTIFFファイルをダウンロードし、TIFFファイルの表示に対応したビューワアプリを利用して閲覧する方式となっている。eFaxではTIFFではなく、PDFファイルを添付したメールとしてFAXを転送する。NTT東日本の提供する「ひかりFAX」アプリ(公開終了)では、受信内容をページ毎に分かれた複数のJPEGファイルに変換して端末内に保存する。", "title": "ファクシミリでの利用" } ]
TIFF は、ビットマップ画像の符号化形式の一種である。タグと呼ばれる識別子を使うことによって、様々な形式のビットマップ画像を柔軟に表現できる。
{{複数の問題 |出典の明記=2011年6月 |言葉を濁さない=2016年10月 }} {{画像提供依頼|TIFFファイルの例|date=2023年12月}} {{Infobox file format | name = Tagged Image File Format | screenshot = <!--Tif.tif--> | caption = <!--TIFFの例(線が細くて不鮮明?date=2023-12)--> | extension = <code>.tiff</code>、<code>.tif</code> | mime = <code>image/tiff</code>、<code>image/tiff-fx</code> | type code = TIFF | uniform type = public.tiff | magic = <code>'MM' 00 2a</code>([[エンディアン#ビッグエンディアン|ビッグエンディアン]])<br /><code>'II' 2a 00</code>([[エンディアン#リトルエンディアン|リトルエンディアン]]) | owner = [[Aldus]]({{いつ範囲|現在|date=2016年10月}}は[[アドビ]]) | genre = [[画像フォーマット]] | container for = | contained by = | extended from = | extended to = [[Exchangeable image file format|Exif]]、[[Design rule for Camera File system|DCF]]、[[Tag Image File Format / Electronic Photography|TIFF/EP]] | standard = }} '''TIFF''' (ティフ、'''<span dir="ltr" lang="en">Tagged Image File Format</span>''')は、[[ビットマップ画像]]の符号化形式の一種である。タグと呼ばれる識別子を使うことによって、様々な形式の[[ビットマップ画像]]を柔軟に表現できる。 == 概要 == TIFFフォーマットは、[[1986年]]に[[マイクロソフト]]および[[Aldus|<span dir="ltr" lang="en">Aldus</span>]](1994年、[[アドビ]]に合併)によって開発された画像データフォーマット。画像データを、解像度や色数、符号化方式が異なるものでも様々な形式で一つのファイルにまとめて格納できるため、アプリケーションソフトに依存することがあまり無いフォーマットであると言える。<!--{{いつ範囲|現在|date=2016年10月}}はアドビが仕様の著作権を保有している。--><!--仕様書は著作権の対象だが、仕様そのものは(ライセンス等でそう主張してある例はいくらもあるかもしれないが、法律では(著作権法によれば))著作権の対象ではない-->何度かの改訂によって拡張が行われているが、その多くはタグの追加という形を取っており、過去に作られたデータとの互換性に配慮されている。{{いつ範囲|現在|date=2016年10月}}主流となっているのはTIFF Revision 6.0(以下TIFF6.0)だが、後に発行された<span dir="ltr" lang="en">Adobe PageMaker 6.0 Technical Notes</span>および<span dir="ltr" lang="en">Adobe Photoshop Technical Notes</span>などにより若干の追加および変更がなされている。 <!--{{いつ範囲|現在|date=2016年10月}}では汎用の画像データ交換用ファイルフォーマットとして広く普及しているが、-->かつて[[FM TOWNS|<span dir="ltr" lang="en">FM TOWNS</span>]]、[[Macintosh|<span dir="ltr" lang="en">Macintosh</span>]]、[[NeXT|<span dir="ltr" lang="en">NeXT</span>]]でよく利用され、[[Microsoft Windows|<span dir="ltr" lang="en">Windows</span>]] 3.0でDIB ([[Windowsビットマップ|BMP]]) が標準になるまでは<span dir="ltr" lang="en">Windows</span>でも標準の画像フォーマットの形式とされていた。白黒2値、[[グレースケール]]、および様々なカラー形式(RGB/CMYK)に対応している。しかしあまりにも自由度の高い表現が可能なので、完全な互換性を保つことが難しくなっている。<!--NOR,あいまい : FM TOWNSではTIFFのタグのルールを無視していたのでよく物議を醸した。-->TIFFの規約もすべてのタグをサポートする必要はないと明記し、互換性の問題を低減するためのサブセットが提案されるが、必ずしもその基準は守られない。 TIFFでは、非圧縮、[[Lempel–Ziv–Welch|LZW]]圧縮、[[ZIP (ファイルフォーマット)|ZIP]]圧縮、[[連長圧縮]]の一種である[[連長圧縮#PackBits|<span dir="ltr" lang="en">PackBits</span>]]など様々な圧縮方法が使用可能である。そのほとんどは[[可逆圧縮]]法だが、TIFF6.0以降、[[JPEG]]圧縮もサポートされた。ファイルサイズを重視する用途では、白黒2値にはG4 (MMR) 圧縮、それ以外には[[JPEG]]圧縮やLZW圧縮が使われることが多い。また[[DTP]]や印刷用途などでは非圧縮が使われることもある。LZW圧縮は、[[Graphics Interchange Format|GIF]]と同じく[[GIF#特許問題とその顛末|特許上の問題]]により自由に使えない時期があった(日本では2004年6月20日まで)。 ウェブブラウザでは[[Internet Explorer|<span dir="ltr" lang="en">Internet Explorer</span>]]のバージョン9からTIFFの表示に対応している。 TIFFは画像を編集する中間段階で用いることが下記のような理由で効果的である。 * たいていの編集用ソフトはTIFFフォーマットに対応している * [[JPEG]]圧縮を使わない限り、保存を繰り返しても基本的に画質が劣化しない * 色に関する制約が非常に少ない(チャンネルあたりの色数として、1/2/4/8/10/12/14/16/32ビット[[整数]]や16/32/64ビット[[浮動小数点数]]などもサポートしている) == JPEG圧縮 == {{出典の明記|section=1|date=2016年10月}} TIFF6.0で導入された[[JPEG]]圧縮については、仕様上の不備が指摘されており、後に発行された<span dir="ltr" lang="en">Adobe Photoshop Technical Notes</span>によって大幅な変更が加えられた。この変更では、従来のTIFF6.0で[[JPEG]]圧縮のために定義されていた<code>Compression=6</code>および関連タグを廃止し、代わりに新しく<code>Compression=7</code>およびそれに関連するタグが導入されている。これによって様々な問題点がクリアされ実装も容易になったことから徐々にこの形式への移行が進んでいるが、互換性などの問題から従来の<code>Compression=6</code>も引き続き使われている。なお<code>Compression=6</code>ではタグの記述方法が難解なことなどから、TIFF6.0の仕様にさえも準拠せず独自の解釈で[[エンコード]]/[[デコード]]を行う[[アプリケーションソフトウェア]]も少なくない。そのため、JPEG圧縮のTIFFファイルの中には著しく互換性の低いものがある。 == マルチページ == ひとつのファイルの中に複数の画像を格納した'''マルチページファイル'''を構成できるのもTIFFの特徴のひとつである。タグ情報はページごとに独立して管理されるため、ページごとに画像のサイズ、圧縮方法、カラー形式などを独立して決めることができる。ページ数自体に制限はないが、あまりにもページ数が多いとTIFFの理論的な上限サイズである4GBに達することがあるため注意が必要である。また[[アプリケーションソフトウェア]]によっては2GBまでしかサポートしないものもあるため、2GBを実質的な上限サイズと考えた方がより安全である。 マルチページファイルは、各ページが持っている「次のページ」の先頭への[[ポインタ (プログラミング)|ポインタ]]によって連結された[[線形リスト]]として実現されている。ここでいうポインタとは、[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]先頭から数えた[[バイト (情報)|バイト]]数のことである。同様のポインタは、ファイル上の様々なデータの位置を表すためにも使われている。したがって、複数のTIFFファイルを単純に連結しただけではマルチページファイルにはならないし、逆にマルチページファイルの一部を単純に切り出しても正常なTIFFファイルにはならない。 == ファクシミリでの利用 == TIFFフォーマットには、[[ファクシミリ]] (FAX) のデータを表現するために、TIFF-Fと呼ばれるプロファイルが {{IETF RFC|2306}} (<span dir="ltr" lang="en">Tag Image File Format (TIFF) - F Profile for Facsimile</span>) で定義されている。FAX送受信の際に用いる圧縮形式であるMH、MR、MMRなどの符号化方式に対応しているため、送受信データとの間では最小限の変換処理を行うだけでファイル化できる。また、前述したマルチページファイルの機能を利用して、複数ページを1ファイルで表現できるほか、他の多くのイメージファイル形式では表現が困難な、ピクセル縦横比の異なる画像を表現できることなどが利点として挙げられる。 [[InternetFAX|<span dir="ltr" lang="en">InternetFAX</span>]]規格のひとつである [[T.37]]では、送受信ファイル形式として TIFF-Fを使用することが明示されており、Windows FAX サービスや、その他の T.37ゲートウェイ装置は、TIFFファイルの添付された電子メールメッセージとして受信FAXを転送する。 いっぽう、クラウド利用型のファクシミリ・サービスでは対応が分かれている。日本のNTT東西地域会社が提供する「FAXお知らせメール」サービス<ref>[https://flets.com/hikaridenwa/service/fax.html ひかり電話 FAXお知らせメール]</ref>ではお知らせメールへのファクシミリ・データ添付は行われず、内容を確認するにはブラウザでログインしてTIFFファイルをダウンロードし、TIFFファイルの表示に対応したビューワアプリを利用して閲覧する方式となっている。[[eFax]]ではTIFFではなく、PDFファイルを添付したメールとしてFAXを転送する<ref>[https://www.efax.co.jp eFax]</ref>。[[NTT東日本]]の提供する「ひかりFAX」アプリ(公開終了<ref name="hikariFaxEOL">{{Cite web|和書|url=https://www.ntt-east.co.jp/info/detail/170417_01.html|title=「ひかりFAX」の提供終了について|date=2017-04-17|publisher=[[NTT東日本]]|accessdate=2018-07-19}}</ref>)では、受信内容をページ毎に分かれた複数の[[JPEG]]ファイルに変換して端末内に保存する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Reflist|group="注釈"}} '''出典''' <!-- 文献参照ページ --> {{Reflist}} '''参考文献''' <!-- 実際に参考にした出典文献一覧 --> == 関連項目 == {{commonscat|Tagged Image File Format}} * [[Digital Negative|DNG]] * [[JPEG XR]]([[HD Photo]]) * [[文書管理システム]] == 外部リンク == * [https://www.adobe.io/open/standards/TIFF.html TIFF仕様書など](アドビ) * [https://bb.watch.impress.co.jp/cda/bbword/15780.html Broadband Watch--BBっとWORDS 「TIFFの特徴」] {{圧縮フォーマット}} [[Category:ラスターグラフィックス・ファイルフォーマット]] [[Category:メタデータ]]
2003-04-02T21:21:23Z
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[ "Template:IETF RFC", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite web", "Template:複数の問題", "Template:出典の明記", "Template:Reflist", "Template:Commonscat", "Template:圧縮フォーマット", "Template:Infobox file format", "Template:いつ範囲" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Tagged_Image_File_Format
5,902
Windows bitmap
BMP(ビーエムピー、Microsoft Windows Bitmap Image)またはDIB(ディーアイビー、Device Independent Bitmap、デバイス独立ビットマップ)は、マイクロソフトとIBMがWindowsとOS/2にわかれる前のOSを共同で開発していた頃に作られた画像ファイル形式。圧縮の方法についても定義されているが、Windowsが標準では無圧縮のファイルを生成するため、他のアプリケーションにおいても無指定時は、圧縮はされていない場合が多い。 ファイル形式の細部の変更が何度か行われており、その結果としてWindowsとOS/2で多少ファイル形式が異なることがある。 機械独立のファイル形式として設計されたため、実際に存在する画像表示装置(ディスプレイ)や印刷装置(プリンター)が、画像を上方から処理するものがほぼ全てであるにもかかわらず、幾何学的なX軸、Y軸方向に座標を指定する形式となっている。その結果、画像を下から上に向かって記録するボトムアップ形式 (bottom-up) となっていることが特徴であるが、後に高さに負の値を指定することでその他大多数の画像ファイル形式と同じように画像を上から下へ向かって記録するトップダウン形式 (top-down) を使用することもできるようになった。しかし互換性の面からProgramming Windowsではトップダウン形式のビットマップの作成を推奨していない。また、トップダウン形式では後述の圧縮をすることができない。 なお、ビットマップという呼称は画像データの表現方式のひとつであり、本項で述べているマイクロソフト独自のファイル形式を必ずしも指すわけではない。 ビットマップファイルは、以下のブロックに分かれている。 14バイトからなる、ビットマップファイルのファイルヘッダである。 参考URL OS/2 2.xで使用されたファイルヘッダ。BITMAPFILEHEADERを拡張したものだがサイズは同じ。 このブロックは、アプリケーションが画像を描画するための画像の詳細な情報が書かれており、14バイト目から始まる。 14-17 (eh-11h) バイト目は、ヘッダのサイズが書かれている。最大値は、 OS/2のビットマップで使われる情報ヘッダで、12バイトある。coreヘッダと呼ばれる。 参考URL (スパムフィルターに引っかかるためアドレスに@を入れています。@を除くこと) Windowsのビットマップで使われる情報ヘッダで、40バイトある。多くのビットマップがこの形式で保存されている。infoヘッダと呼ばれる。 参考URL OS/2 V2以降対応した情報ヘッダである。サイズは可変であり、最大64バイト。Windowsでは対応していない。 各フィールドの解説を、infoヘッダとの比較を交えながら行う Adobe Photoshopで使用されていた情報ヘッダ。infoヘッダにRGBとα成分のカラーマスクを取り込んだ56バイトのヘッダで、便宜上V3ヘッダと呼ばれる。 また、infoヘッダにRGB成分のカラーマスクを取り込んだ52バイトの情報ヘッダも存在し、こちらは便宜上V2ヘッダと呼ばれる。 Adobe社によると、V2ヘッダ及びV3ヘッダの仕様は、過去にMicrosoftから取り寄せた文書に記載されていたそうである。 Windows 95、Windows NT 4.0から対応した情報ヘッダ。V4ヘッダと呼ばれる。 参考URL Windows 98、Windows 2000から対応した情報ヘッダ。V5ヘッダと呼ばれる。 参考URL 過去に、EGAやVGAディスプレイカードで使われていた概念で、現在は全く使われない。 この概念が使われていた頃は、実際の色深度を「1ピクセルあたりのビット数×プレーン数」で算出する必要があった。 ※1 数値と定義されている圧縮形式の関係は以下の通り 上記以外の圧縮形式は以下の通り 画像の表示に適したデバイスの解像度を指定する。この値を設定することで、例えばソフトウェアが画面の解像度に合った最適なサイズの画像を選択できるようになる。 V4ヘッダで、'Win 'と'sRGB'が使用できるというドキュメントが存在する。 カラーマスクはビットフィールド形式が使用されているビットマップから各色成分を取り出す際に使用されるデータである。赤成分、緑成分、青成分の順で書かれており、それぞれ4バイト、合計12バイトである。Windows CEで圧縮形式に「アルファチャンネル付きビットフィールド」を使用した場合は、この後ろにα成分のカラーマスクが置かれ合計16バイトになる。 カラーマスクブロックは、情報ヘッダがINFOヘッダかつビットフィールド形式が使用されている場合に必ず存在する。V4、V5ヘッダの場合は、ヘッダ内に値が格納されるためこのブロックは置く必要がない。 1ピクセルあたりのビット数とカラーマスクの組み合わせが以下である場合は、圧縮形式を非圧縮に設定し、カラーマスクブロックを省略できる。 このブロックは、画像内で使用される色を定義している。上述の通り、ビットマップ画像はピクセルごとに保存されている。各ピクセルは、1バイト以上を使用して値を保持している。したがって、各値と実際の色の関係を、アプリケーションに教えることがカラーパレットの目的である。 典型的なビットマップファイルはRGBカラーモデルを使用している。このモデルにおいて、色は赤 (R)、緑 (G)、青 (B) のそれぞれの強さ (0-255) で表される。 1色3バイトで表記する形式。情報ヘッダがcoreヘッダの場合のみ使用される。 参考: 1色4バイトで表記する形式、OS/2ビットマップにおけるRGB2もこちらに相当する。 参考: このブロックは、イメージを各ピクセルごとに記述する。ピクセルは通常、左下から右下へ、これを下から上に向かって保存する。各ピクセルは1バイト以上で記述されている。直接RGBデータが置かれる場合のデータ順は、上項カラーパレットに準ずる。水平方向のバイト数が4の倍数ではないときは、0x00で埋めて4の倍数にする。 このブロックは、情報ヘッダの「色空間」が'LINK'の場合はカラープロファイルデータのファイルパスが、'MBED'の場合はデータそのものが格納される。 ファイルヘッダの「オフセット」の値によってはビットマップデータよりも前に格納することも出来る。 プログラムでBMP画像を平易に扱うためのライブラリも数多く存在している。 サードパーティ製のライブラリに関しての各詳細は、外部リンクの項に記載している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "BMP(ビーエムピー、Microsoft Windows Bitmap Image)またはDIB(ディーアイビー、Device Independent Bitmap、デバイス独立ビットマップ)は、マイクロソフトとIBMがWindowsとOS/2にわかれる前のOSを共同で開発していた頃に作られた画像ファイル形式。圧縮の方法についても定義されているが、Windowsが標準では無圧縮のファイルを生成するため、他のアプリケーションにおいても無指定時は、圧縮はされていない場合が多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ファイル形式の細部の変更が何度か行われており、その結果としてWindowsとOS/2で多少ファイル形式が異なることがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "機械独立のファイル形式として設計されたため、実際に存在する画像表示装置(ディスプレイ)や印刷装置(プリンター)が、画像を上方から処理するものがほぼ全てであるにもかかわらず、幾何学的なX軸、Y軸方向に座標を指定する形式となっている。その結果、画像を下から上に向かって記録するボトムアップ形式 (bottom-up) となっていることが特徴であるが、後に高さに負の値を指定することでその他大多数の画像ファイル形式と同じように画像を上から下へ向かって記録するトップダウン形式 (top-down) を使用することもできるようになった。しかし互換性の面からProgramming Windowsではトップダウン形式のビットマップの作成を推奨していない。また、トップダウン形式では後述の圧縮をすることができない。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "なお、ビットマップという呼称は画像データの表現方式のひとつであり、本項で述べているマイクロソフト独自のファイル形式を必ずしも指すわけではない。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ビットマップファイルは、以下のブロックに分かれている。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "14バイトからなる、ビットマップファイルのファイルヘッダである。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "参考URL", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "OS/2 2.xで使用されたファイルヘッダ。BITMAPFILEHEADERを拡張したものだがサイズは同じ。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このブロックは、アプリケーションが画像を描画するための画像の詳細な情報が書かれており、14バイト目から始まる。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "14-17 (eh-11h) バイト目は、ヘッダのサイズが書かれている。最大値は、", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "OS/2のビットマップで使われる情報ヘッダで、12バイトある。coreヘッダと呼ばれる。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "参考URL", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "(スパムフィルターに引っかかるためアドレスに@を入れています。@を除くこと)", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "Windowsのビットマップで使われる情報ヘッダで、40バイトある。多くのビットマップがこの形式で保存されている。infoヘッダと呼ばれる。", "title": 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"title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "過去に、EGAやVGAディスプレイカードで使われていた概念で、現在は全く使われない。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "この概念が使われていた頃は、実際の色深度を「1ピクセルあたりのビット数×プレーン数」で算出する必要があった。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "※1 数値と定義されている圧縮形式の関係は以下の通り", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "上記以外の圧縮形式は以下の通り", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "画像の表示に適したデバイスの解像度を指定する。この値を設定することで、例えばソフトウェアが画面の解像度に合った最適なサイズの画像を選択できるようになる。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "V4ヘッダで、'Win 'と'sRGB'が使用できるというドキュメントが存在する。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "カラーマスクはビットフィールド形式が使用されているビットマップから各色成分を取り出す際に使用されるデータである。赤成分、緑成分、青成分の順で書かれており、それぞれ4バイト、合計12バイトである。Windows CEで圧縮形式に「アルファチャンネル付きビットフィールド」を使用した場合は、この後ろにα成分のカラーマスクが置かれ合計16バイトになる。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "カラーマスクブロックは、情報ヘッダがINFOヘッダかつビットフィールド形式が使用されている場合に必ず存在する。V4、V5ヘッダの場合は、ヘッダ内に値が格納されるためこのブロックは置く必要がない。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1ピクセルあたりのビット数とカラーマスクの組み合わせが以下である場合は、圧縮形式を非圧縮に設定し、カラーマスクブロックを省略できる。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "このブロックは、画像内で使用される色を定義している。上述の通り、ビットマップ画像はピクセルごとに保存されている。各ピクセルは、1バイト以上を使用して値を保持している。したがって、各値と実際の色の関係を、アプリケーションに教えることがカラーパレットの目的である。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "典型的なビットマップファイルはRGBカラーモデルを使用している。このモデルにおいて、色は赤 (R)、緑 (G)、青 (B) のそれぞれの強さ (0-255) で表される。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1色3バイトで表記する形式。情報ヘッダがcoreヘッダの場合のみ使用される。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "参考:", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1色4バイトで表記する形式、OS/2ビットマップにおけるRGB2もこちらに相当する。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "参考:", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "このブロックは、イメージを各ピクセルごとに記述する。ピクセルは通常、左下から右下へ、これを下から上に向かって保存する。各ピクセルは1バイト以上で記述されている。直接RGBデータが置かれる場合のデータ順は、上項カラーパレットに準ずる。水平方向のバイト数が4の倍数ではないときは、0x00で埋めて4の倍数にする。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "このブロックは、情報ヘッダの「色空間」が'LINK'の場合はカラープロファイルデータのファイルパスが、'MBED'の場合はデータそのものが格納される。 ファイルヘッダの「オフセット」の値によってはビットマップデータよりも前に格納することも出来る。", "title": "ファイル構造" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "プログラムでBMP画像を平易に扱うためのライブラリも数多く存在している。", "title": "BMPを取り扱うプログラムライブラリ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "サードパーティ製のライブラリに関しての各詳細は、外部リンクの項に記載している。", "title": "BMPを取り扱うプログラムライブラリ" } ]
BMPまたはDIBは、マイクロソフトとIBMがWindowsとOS/2にわかれる前のOSを共同で開発していた頃に作られた画像ファイル形式。圧縮の方法についても定義されているが、Windowsが標準では無圧縮のファイルを生成するため、他のアプリケーションにおいても無指定時は、圧縮はされていない場合が多い。 ファイル形式の細部の変更が何度か行われており、その結果としてWindowsとOS/2で多少ファイル形式が異なることがある。 機械独立のファイル形式として設計されたため、実際に存在する画像表示装置(ディスプレイ)や印刷装置(プリンター)が、画像を上方から処理するものがほぼ全てであるにもかかわらず、幾何学的なX軸、Y軸方向に座標を指定する形式となっている。その結果、画像を下から上に向かって記録するボトムアップ形式 (bottom-up) となっていることが特徴であるが、後に高さに負の値を指定することでその他大多数の画像ファイル形式と同じように画像を上から下へ向かって記録するトップダウン形式 (top-down) を使用することもできるようになった。しかし互換性の面からProgramming Windowsではトップダウン形式のビットマップの作成を推奨していない。また、トップダウン形式では後述の圧縮をすることができない。 なお、ビットマップという呼称は画像データの表現方式のひとつであり、本項で述べているマイクロソフト独自のファイル形式を必ずしも指すわけではない。
{{Infobox file format | name = Windows bitmap | icon = | extension = .bmp, .dib<ref>[http://e-words.jp/w/DIB.html DIB(Device Independent Bitmap)とは - IT用語辞典 e-Words]</ref><ref>例えば[[Microsoft Paint]]のファイルダイアログの拡張子フィルターでは.bmpのほかに.dibもサポートしている。</ref> | mime = image/bmp<ref>[https://datatracker.ietf.org/doc/html/rfc7903#section-4 Windows Bitmap Media Type Registration Application]</ref> | type code = <tt>'BMP '</tt><br /><tt>'BMPf'</tt><br /><tt>'BMPp'</tt> | uniform type = com.microsoft.bmp | magic = BM | owner = [[マイクロソフト]] | genre = [[ビットマップ]][[画像]] | container for = | contained by = | extended from = | extended to = | standard = }} '''BMP'''(ビーエムピー、Microsoft Windows '''B'''it'''m'''a'''p''' Image)または'''DIB'''(ディーアイビー、'''D'''evice '''I'''ndependent '''B'''itmap、デバイス独立ビットマップ)は、[[マイクロソフト]]と[[IBM]]が[[Microsoft Windows|Windows]]と[[OS/2]]にわかれる前の[[オペレーティングシステム|OS]]を共同で開発していた頃に作られた[[画像]]ファイル形式。[[データ圧縮|圧縮]]の方法についても定義されているが、Windowsが標準では無圧縮のファイルを生成するため、他のアプリケーションにおいても無指定時は、[[データ圧縮|圧縮]]はされていない場合が多い。 ファイル形式の細部の変更が何度か行われており、その結果としてWindowsとOS/2で多少ファイル形式が異なることがある。 機械独立のファイル形式として設計されたため、実際に存在する画像表示装置([[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]])や印刷装置([[プリンター]])が、画像を上方から処理するものがほぼ全てであるにもかかわらず、[[幾何学]]的なX軸、Y軸方向に座標を指定する形式となっている。その結果、画像を下から上に向かって記録するボトムアップ形式 (bottom-up) となっていることが特徴であるが、後に高さに負の値を指定することでその他大多数の画像ファイル形式と同じように画像を上から下へ向かって記録するトップダウン形式 (top-down) を使用することもできるようになった。しかし互換性の面からProgramming Windowsではトップダウン形式のビットマップの作成を推奨していない。また、トップダウン形式では後述の圧縮をすることができない。 なお、[[ビットマップ画像|ビットマップ]]という呼称は画像データの表現方式のひとつであり、本項で述べている''マイクロソフト独自のファイル形式''を必ずしも指すわけではない<ref>より一般的な意味合いについては[[ビットマップ画像]]の項を参考。</ref>。 == ファイル構造 == ビットマップファイルは、以下のブロックに分かれている。 ;ファイル[[ヘッダ (コンピュータ)|ヘッダ]] :ビットマップファイルについての一般的な情報が格納されている。 ;情報ヘッダ :ビットマップイメージについての詳細な情報が格納されている。 ;カラーマスク :ビットフィールド形式のビットマップで使用されるデータが格納される。 ;カラーパレット :[[インデックスカラー]]ビットマップの場合に使用される色の定義が格納されている。 :[[ダイレクトカラー]]ビットマップの場合は減色時に優先される色が格納される。 ;ビットマップデータ :実際のイメージが[[ピクセル]]ごとに格納されている。 ;[[カラープロファイル]] :[[ICCプロファイル]]データそのものか、プロファイルデータのファイルパスが格納される。 [[File:BMPfileFormat.svg|thumb|427px|Diag. 1 – Windows BMP形式の画像の構造]] === 主な構造 === ==== OS/2 ==== {| class="wikitable" !1.1 !2.x |- |BITMAPFILEHEADER構造体 |BITMAPFILEHEADER2構造体 |- |BITMAPCOREHEADER構造体 |BITMAPINFOHEADER2構造体 |- |カラーパレット(RGBTRIPLE構造体) |カラーパレット(RGB2構造体) |- | colspan="2" |画像データ |} ==== Windows ==== {| class="wikitable" |+ !3.0以降 !95以降 !98以降 |- | colspan="3" |BITMAPFILEHEADER構造体 |- |BITMAPINFOHEADER構造体 |BITMAPV4HEADER構造体 |BITMAPV5HEADER構造体 |- |カラーマスク (ビットフィールド形式のみ) | colspan="2" |カラーパレット(RGBQUAD構造体) |- |カラーパレット(RGBQUAD構造体) | colspan="2" |画像データ |- |画像データ |N/A |カラープロファイル |} === ファイルヘッダ === ==== BITMAPFILEHEADER ==== 14バイトからなる、ビットマップファイルのファイルヘッダである。 {| class="wikitable" !オフセット!!サイズ!!格納する情報!!値・備考 |- |0x0000||2[[バイト (情報)|バイト]]||ファイルタイプ||常に'''BM (0x42, 0x4d)'''([[マジックナンバー (フォーマット識別子)|マジックナンバー]]) |- |0x0002||4バイト||ファイルサイズ||ビットマップファイルのサイズを格納する(単位はバイト)。 |- |0x0006|| rowspan="2" |2バイト||予約領域1|| rowspan="2" |常に0 |- |0x0008||予約領域2 |- |0x000a||4バイト||オフセット||ファイルヘッダの先頭アドレスからビットマップデータの先頭アドレスまでのオフセット(単位はバイト)。 |} 参考URL * [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/wingdi/ns-wingdi-bitmapfileheader BITMAPFILEHEADER (wingdi.h) - Win32 apps | Microsoft Docs] ==== BITMAPFILEHEADER2 ==== OS/2 2.xで使用されたファイルヘッダ。BITMAPFILEHEADERを拡張したものだがサイズは同じ。 {| class="wikitable" !オフセット!!サイズ!!格納する情報!!値・備考 |- |0x0000||2[[バイト (情報)|バイト]]||ファイルタイプ||'''BM (0x42, 0x4d)'''(ビットマップ)<br>'''IC (0x49, 0x43)'''(モノクロアイコン)<br>'''CI (0x43, 0x49)'''(カラーアイコン)<br>'''PT (0x50, 0x54)'''(モノクロポインタ)<br>'''CP (0x43, 0x50)'''(カラーポインタ) |- |0x0002||4バイト||ヘッダサイズ||ファイルヘッダと情報ヘッダの合計サイズを格納する。単位はバイト。 |- |0x0006|| rowspan="2" |2バイト||ホットスポットx||ポインタのホットスポットのx座標 |- |0x0008||ホットスポットy||ポインタのホットスポットのy座標 |- |0x000a||4バイト||オフセット||ファイルヘッダの先頭アドレスからビットマップデータの先頭アドレスまでのオフセット。単位はバイト。 |} * モノクロアイコン、モノクロポインタは1bitモノクロ画像のみサポートしている。 * カラーアイコン、カラーポインタは1ファイル内に透過位置を示す1bitモノクロ画像とカラー情報を表す画像を併せ持つ特殊なファイル構造をしている。 <!-- ==== BITMAPARRAYFILEHEADER ==== OS/2 2.xで使用されていた、1ファイル内に複数の画質の異なる画像を持たせる為のヘッダ。アレイヘッダを使用し複数の画像を持たせることで、ディスプレイの性能に合わせた最適な画像が表示されるようになる。サイズ14Byteでファイルヘッダと同じである。 {| class="wikitable" !オフセット!!サイズ!!格納する情報!!値・備考 |- |0x0000||2[[バイト (情報)|バイト]]||ファイルタイプ||常に'''BA (0x42, 0x41)'''(ビットアレイ) |- |0x0002||4バイト||ヘッダサイズ||このセクションのアレイヘッダとファイルヘッダ、情報ヘッダの合計サイズを格納する。単位はバイト。 |- |0x0006||4バイト||オフセット||ファイルの先頭アドレスから次のアレイヘッダの先頭アドレスまでのオフセット。最後のアレイヘッダである場合は0を格納する。 |- |0x000a||2バイト||ビットマップの横幅||このセクションのビットマップの幅。単位はピクセル。 |- |0x000c||2バイト||ビットマップの縦幅||このセクションのビットマップの高さ。単位はピクセル。 |} --> === 情報ヘッダ === このブロックは、アプリケーションが画像を描画するための画像の詳細な情報が書かれており、14バイト目から始まる。 14-17 (eh-11h) バイト目は、ヘッダのサイズが書かれている。最大値は、 * 40 - Windows V3 * 108 - Windows V4 * 124 - Windows V5 * 12 - OS/2 V1 * 64 - OS/2 V2 ==== BITMAPCOREHEADER ==== OS/2のビットマップで使われる情報ヘッダで、12バイトある。coreヘッダと呼ばれる。 {| class="wikitable" !オフセット!!サイズ!!格納する情報!!値・備考 |- |0x000e||4[[バイト (情報)|バイト]]||ヘッダサイズ||12 |- |0x0012|| rowspan="4" |2バイト||ビットマップの横幅|| rowspan="2" |単位はピクセル |- |0x0014||ビットマップの縦幅 |- |0x0016||プレーン数||常に1 |- |0x0018||1ピクセルあたりのビット数||1,4,8,24 |} 参考URL * [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/wingdi/ns-wingdi-bitmapcoreheader BITMAPCOREHEADER (wingdi.h) - Win32 apps | Microsoft Docs] * http://[email protected]/mb/graphics/148346/152845/re-planes/?S=B20000 (スパムフィルターに引っかかるため[[Uniform Resource Locator|アドレス]]に[[@]]を入れています。@を除くこと) ==== BITMAPINFOHEADER ==== Windowsのビットマップで使われる情報ヘッダで、40バイトある。多くのビットマップがこの形式で保存されている。infoヘッダと呼ばれる。 {| class="wikitable" !オフセット!!サイズ!!格納する情報!!値・備考 |- |0x000e|| rowspan="3" |4[[バイト (情報)|バイト]]||ヘッダサイズ||40 |- |0x0012||ビットマップの横幅||単位はピクセル |- |0x0016||ビットマップの縦幅||単位はピクセル。値が負の場合はトップダウン画像となる |- |0x001a|| rowspan="2" |2バイト||プレーン数||常に1 |- |0x001c||1ピクセルあたりの[[ビット]]数||0,1,4,8,16,24,32 |- |0x001e|| rowspan="6" |4バイト||圧縮形式||0,1,2,3,4,5 ※1 |- |0x0022||画像データサイズ||単位はバイト |- |0x0026||水平方向の解像度|| rowspan="2" |単位はピクセル/m |- |0x002a||垂直方向の解像度 |- |0x002e||使用する色数||ビットマップで実際に使用するカラーパレット内のカラーインデックスの数。 |- |0x0032||重要な色数||ビットマップを表示するために必要なカラーインデックスの数。 |} 参考URL * [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/api/wingdi/ns-wingdi-bitmapinfoheader BITMAPINFOHEADER (wingdi.h) | Microsoft Docs] ==== BITMAPINFOHEADER2 ==== OS/2 V2以降対応した情報ヘッダである。サイズは可変であり、最大64バイト。Windowsでは対応していない。 [http://www.warpspeed.com.au/cgi-bin/inf2html.cmd?..%5Chtml%5Cbook%5CToolkt40%5CMMREF3.INF+899] {| class="wikitable" !オフセット!!サイズ!!格納する情報!!値・備考 |- |0x000e|| rowspan="3" |4[[バイト (情報)|バイト]]||ヘッダサイズ||16~64(可変長) |- |0x0012||ビットマップの横幅|| rowspan="2" |単位はピクセル |- |0x0016||ビットマップの縦幅 |- |0x001a|| rowspan="2" |2バイト||プレーン数||常に1 |- |0x001c||1ピクセルあたりのビット数||1,4,8,24 |- |0x001e|| rowspan="6" |4バイト||圧縮形式||0(非圧縮),1(8bit [[連長圧縮|RLE]]),2(4bit RLE),3(1bit[[ハフマン符号]]圧縮),4(24bit RLE) |- |0x0022||画像データサイズ||単位はバイト。非圧縮の場合は0を入れても良い |- |0x0026||水平方向の解像度||単位は「解像度の単位」で指定される |- |0x002a||垂直方向の解像度|| |- |0x002e||使用する色数||ビットマップで実際に使用するカラーパレット内のカラーインデックスの数。 |- |0x0032||重要な色数||ビットマップを表示するために必要なカラーインデックスの数。 |- |0x0036|| rowspan="4" |2バイト||解像度の単位||0(ピクセル/m) |- |0x0038||予約領域||常に0 |- |0x003a||記録方式||0(ボトムアップ) |- |0x003c||ハーフトーンの方式||0(ハーフトーンなし), 1(誤差拡散法), 2(PANDA), 3(Super Circle) |- |0x003e|| rowspan="4" |4バイト||ハーフトーン時のパラメータ1|| |- |0x0042||ハーフトーン時のパラメータ2||誤差拡散法の場合は無視される |- |0x0046||符号化方式||0(RGB2、RGBQUADに相当) |- |0x004a||識別子||アプリケーションが独自に使用してもよい領域 |} =====各フィールドの詳細===== 各フィールドの解説を、infoヘッダとの比較を交えながら行う ;ヘッダサイズ :16~64の可変長である。64未満の場合、後ろは0で埋められているとして扱われる。40の場合はinfoヘッダとほぼ同じとして扱える。 ;ビットマップの縦幅 :infoヘッダではトップダウンとして扱われる負の値(-1~-2147483648)が、こちらでは正の値(4294967295~2147483648)として扱われる。記録する方向は「記録方式」で指定できるが、デフォルトの「ボトムアップ」以外は用意されなかった。 ;圧縮形式 :infoヘッダとは3~4の圧縮形式が異なるが、ビット深度を求めることにより判別は可能である。 ;水平方向の解像度 ;垂直方向の解像度 :単位は「解像度の単位」で指定するが、デフォルトの「ピクセル/m」以外は用意されなかった。 ;符号化方式 :カラーパレットの形式を指定する。ただし、デフォルトの「RGB2(RGBQUADと同等)」以外は用意されなかった。 {{節スタブ}} ==== BITMAPV3INFOHEADER ==== [[Adobe Photoshop]]で使用されていた情報ヘッダ。infoヘッダにRGBとα成分のカラーマスクを取り込んだ56バイトのヘッダで、便宜上'''V3ヘッダ'''と呼ばれる。 また、infoヘッダにRGB成分のカラーマスクを取り込んだ52バイトの情報ヘッダも存在し、こちらは便宜上'''V2ヘッダ'''と呼ばれる。 Adobe社によると、V2ヘッダ及びV3ヘッダの仕様は、過去にMicrosoftから取り寄せた文書に記載されていたそうである<ref>[https://forums.adobe.com/message/3272950 Invalid BMP Format with Alpha channel]</ref>。 ==== BITMAPV4HEADER ==== Windows 95、Windows NT 4.0から対応した情報ヘッダ。V4ヘッダと呼ばれる。 {| class="wikitable" !オフセット!!サイズ!!格納する情報!!値・備考 |- |0x000e|| rowspan="3" |4[[バイト (情報)|バイト]]||ヘッダサイズ||108 |- |0x0012||ビットマップの横幅||rowspan="10" valign="top"|infoヘッダと同等 |- |0x0016||ビットマップの縦幅 |- |0x001a|| rowspan="2" |2バイト||プレーン数 |- |0x001c||1ピクセルあたりのビット数 |- |0x001e|| rowspan="11" |4バイト||圧縮形式 |- |0x0022||画像データサイズ |- |0x0026||水平方向の解像度 |- |0x002a||垂直方向の解像度 |- |0x002e||使用する色数 |- |0x0032||重要な色数 |- |0x0036||赤成分のカラーマスク|| |- |0x003a||緑成分のカラーマスク|| |- |0x003e||青成分のカラーマスク|| |- |0x0042||α成分のカラーマスク|| |- |0x0046||色空間||0(ヘッダ内で定義) |- |0x004a||36バイト||CIEXYZTRIPLE構造体||色空間が0の場合のみ有効 |- |0x006e|| rowspan="3" |4バイト||赤成分のガンマ値||rowspan="3" valign="top"|色空間が0の場合のみ有効<br>16.16の固定小数点数 |- |0x0072||緑成分のガンマ値 |- |0x0076||青成分のガンマ値 |} 参考URL * [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/api/wingdi/ns-wingdi-bitmapv4header BITMAPV4HEADER (wingdi.h) | Microsoft Docs] ==== BITMAPV5HEADER ==== Windows 98、Windows 2000から対応した情報ヘッダ。V5ヘッダと呼ばれる。 {| class="wikitable" !オフセット!!サイズ!!格納する情報!!値・備考 |- |0x000e|| rowspan="3" |4[[バイト (情報)|バイト]]||ヘッダサイズ||124 |- |0x0012||ビットマップの横幅||rowspan="10" valign="top"|infoヘッダと同等 |- |0x0016||ビットマップの縦幅 |- |0x001a|| rowspan="2" |2バイト||プレーン数 |- |0x001c||1ピクセルあたりのビット数 |- |0x001e|| rowspan="11" |4バイト||圧縮形式 |- |0x0022||画像データサイズ |- |0x0026||水平方向の解像度 |- |0x002a||垂直方向の解像度 |- |0x002e||使用する色数 |- |0x0032||重要な色数 |- |0x0036||赤成分のカラーマスク||rowspan="4" valign="top"|V4ヘッダと同等 |- |0x003a||緑成分のカラーマスク |- |0x003e||青成分のカラーマスク |- |0x0042||α成分のカラーマスク |- |0x0046||色空間||0(ヘッダ内で定義), 0x73524742('sRGB'), 0x57696e20('Win '), 0x4c494e4b('LINK'), 0x4d424544('MBED') |- |0x006a||36バイト||CIEXYZTRIPLE構造体||rowspan="4" valign="top"|V4ヘッダと同等 |- |0x006e|| rowspan="7" |4バイト||赤成分のガンマ値 |- |0x0072||緑成分のガンマ値 |- |0x0076||青成分のガンマ値 |- |0x007a||レンダリングの意図||1,2,4,8 |- |0x007e||プロファイルデータのオフセット||情報ヘッダの先頭アドレスからプロファイルデータの先頭アドレスまでのオフセット。単位はバイト |- |0x0082||プロファイルデータのサイズ||単位はバイト |- |0x0086||予約領域||常に0 |} 参考URL * [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/api/wingdi/ns-wingdi-bitmapv5header BITMAPV5HEADER (wingdi.h) | Microsoft Docs] ==== 各フィールドの詳細 ==== ===== プレーン数 ===== 過去に、EGAやVGAディスプレイカードで使われていた概念で、現在は全く使われない。 この概念が使われていた頃は、実際の色深度を「1ピクセルあたりのビット数×プレーン数」で算出する必要があった。 <!-- ===== 1ピクセルあたりのビット数 ===== Windows CEでは2も使用可能。但し拡張子は.2bpを用いる。 圧縮形式によっては平均値を格納する。 --> ===== 圧縮形式 ===== ※1 数値と定義されている圧縮形式の関係は以下の通り<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/openspecs/windows_protocols/ms-wmf/4e588f70-bd92-4a6f-b77f-35d0feaf7a57 &#x5B;MS-WMF&#x5D;: Compression Enumeration | Microsoft Docs]</ref> {| class="wikitable" !# ! !識別子 |- |0 |無圧縮 |BI_RGB |- |1 |8ビット/ピクセル [[連長圧縮|RLE]] |BI_RLE8 |- |2 |4ビット/ピクセル RLE |BI_RLE4 |- |3 |ビットフィールド |BI_BITFIELDS |- |4 |[[JPEG]]画像 |BI_JPEG |- |5 |[[Portable Network Graphics|PNG]]画像 |BI_PNG |} 上記以外の圧縮形式は以下の通り {| class="wikitable" !# ! !OS・環境 !識別子 |- |3 |1ビットハフマン符号化 | rowspan="2" |OS/2 2.x |BCA_HUFFMAN1D |- |4 |24ビット/ピクセル RLE |BCA_RLE24 |- |6 |アルファチャンネル付きビットフィールド |[[Windows CE 5.0]] |BI_ALPHABITFIELDS |- |7 |詳細不明 |[[Windows CE]] |BI_FOURCC |- |11 |無圧縮CMYK | rowspan="3" |? |BI_CMYK |- |12 |8ビット/ピクセル RLE CMYK |BI_CMYKRLE8 |- |13 |4ビット/ピクセル RLE CMYK |BI_CMYKRLE4 |- |0x8000 |これは画像の回転角が送信先と同じであるというフラグ情報であり、圧縮形式ではない。 |Windows CE 5.0 |BI_SRCPREROTATE |- | |[[FourCC]]による指定 |[[DirectX]]など | |} ===== 水平・垂直方向の解像度 ===== 画像の表示に適したデバイスの解像度を指定する。この値を設定することで、例えばソフトウェアが画面の解像度に合った最適なサイズの画像を選択できるようになる。 ===== 色空間 ===== V4ヘッダで、'Win 'と'sRGB'が使用できるというドキュメントが存在する。 === カラーマスク === カラーマスクはビットフィールド形式が使用されているビットマップから各色成分を取り出す際に使用されるデータである。赤成分、緑成分、青成分の順で書かれており、それぞれ4バイト、合計12バイトである。Windows CEで圧縮形式に「アルファチャンネル付きビットフィールド」を使用した場合は、この後ろにα成分のカラーマスクが置かれ合計16バイトになる。 カラーマスクブロックは、情報ヘッダがINFOヘッダかつビットフィールド形式が使用されている場合に必ず存在する。V4、V5ヘッダの場合は、ヘッダ内に値が格納されるためこのブロックは置く必要がない。 1ピクセルあたりのビット数とカラーマスクの組み合わせが以下である場合は、圧縮形式を非圧縮に設定し、カラーマスクブロックを省略できる。 {| class="wikitable" !カラーマスク ! 16ビット !! 32ビット |- | 赤成分 || 0x00007C00 || 0x00FF0000 |- | 緑成分 || 0x000003E0 || 0x0000FF00 |- | 青成分 || 0x0000001F || 0x000000FF |- | α成分 || 0x00000000 || 0x00000000 |} === カラーパレット === このブロックは、画像内で使用される色を定義している。上述の通り、ビットマップ画像はピクセルごとに保存されている。各ピクセルは、1バイト以上を使用して値を保持している。したがって、各値と実際の色の関係を、アプリケーションに教えることがカラーパレットの目的である。 典型的なビットマップファイルは[[RGB]]カラーモデルを使用している。このモデルにおいて、色は[[赤]] (R)、[[緑]] (G)、[[青]] (B) のそれぞれの強さ (0-255) で表される。 ==== RGBTRIPLE ==== 1色3バイトで表記する形式。情報ヘッダがcoreヘッダの場合のみ使用される。 {| class="wikitable" !バイト数!!情報!!値・備考 |- | rowspan="3" |1バイト||青|| rowspan="3" |0-255 |- |緑 |- |赤 |} 参考: * [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/wingdi/ns-wingdi-rgbtriple RGBTRIPLE (wingdi.h) - Win32 apps | Microsoft Docs] ==== RGBQUAD ==== 1色4バイトで表記する形式、OS/2ビットマップにおけるRGB2もこちらに相当する。 {| class="wikitable" !バイト数!!情報!!値・備考 |- | rowspan="4" |1バイト||青|| rowspan="3" |0-255 |- |緑 |- |赤 |- | colspan="2" |予約領域 |} 参考: * [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/wingdi/ns-wingdi-rgbquad RGBQUAD (wingdi.h) - Win32 apps | Microsoft Docs] === ビットマップデータ === このブロックは、イメージを各ピクセルごとに記述する。ピクセルは通常、左下から右下へ、これを下から上に向かって保存する。各ピクセルは1バイト以上で記述されている。直接RGBデータが置かれる場合のデータ順は、上項カラーパレットに準ずる。水平方向のバイト数が[[4]]の[[倍数]]ではないときは、0x00で埋めて4の倍数にする。 === カラープロファイル === このブロックは、情報ヘッダの「色空間」が'LINK'の場合はカラープロファイルデータのファイルパスが、'MBED'の場合はデータそのものが格納される。 ファイルヘッダの「オフセット」の値によってはビットマップデータよりも前に格納することも出来る。 == BMPを取り扱うプログラムライブラリ == <!-- Visual Studio 2012/.NET 4.5以降の日本語版MSDNライブラリのページは機械翻訳されているため、あまり参考にならない。したがって、Visual Studio 2010/.NET 4のページを使っている。 --> プログラムでBMP画像を平易に扱うためのライブラリも数多く存在している。 * [[Windows API]] ([[Graphics Device Interface|GDI]]), HBITMAP<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/WinProg/windows-data-types Windows Data Types - Windows applications | Microsoft Docs]</ref> : ビットマップデータを管理するオブジェクトハンドル。BMP形式画像をファイルやリソースから読み込んでHBITMAPを生成することのできる各種[[C言語]]形式関数が用意されている。Windowsデスクトップアプリケーション専用。 * [[Microsoft Foundation Class]] (MFC), CBitmapクラス<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/cpp/mfc/reference/cbitmap-class CBitmap Class | Microsoft Docs]</ref> : マイクロソフトが提供している開発環境である[[Visual C++]]に付属する、ビットマップ操作クラス。Win32 APIのラッパー。Windowsデスクトップアプリケーション専用。 * [[Active Template Library]] (ATL), ATL::CImageクラス<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/cpp/atl-mfc-shared/reference/cimage-class CImage Class | Microsoft Docs]</ref> : マイクロソフトが提供している開発環境である[[Visual C++]]に付属する、ビットマップ操作クラス。Win32 APIおよびGDI+のラッパー。Windowsデスクトップアプリケーション専用。 * [[GDI+]], Gdiplus::Bitmapクラス<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/desktop/api/gdiplusheaders/nl-gdiplusheaders-bitmap Bitmap (gdiplusheaders.h) | Microsoft Docs]</ref> : [[Windows SDK]]に付属する、[[C++]]言語専用のビットマップ操作クラス。Windowsデスクトップアプリケーション専用。 * [[Windows Imaging Component]] (WIC) : [[Component Object Model|COM]]ベースの画像ライブラリ。Windowsデスクトップアプリケーション/[[Windowsストア]]アプリから利用可能。 * [[.NET Framework]], System.Drawing<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/dotnet/api/system.drawing System.Drawing Namespace | Microsoft Docs]</ref> : GDI+のマネージラッパー。Windowsデスクトップアプリケーション専用。 : [[Mono (ソフトウェア)|Mono]]にも互換実装が存在する<ref>[https://www.mono-project.com/docs/gui/drawing/ Drawing | Mono]</ref>。 * [[.NET Framework]], System.Windows.Media.Imaging<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/dotnet/api/system.windows.media.imaging System.Windows.Media.Imaging Namespace | Microsoft Docs]</ref> : WICのマネージラッパー。Windowsデスクトップアプリケーション/[[Windowsストア]]アプリから利用可能。 サードパーティ製のライブラリに関しての各詳細は、外部リンクの項に記載している。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == * [[ファイルフォーマット]] * [[ビットマップ画像]] == 外部リンク == * [http://doscoy.github.io/libbmp24 libbmp24] C++で書かれたオープンソースライブラリ。1つのヘッダーファイルのみで構成されており組み込みが容易。 * [http://imager.perl.org/ Imager] [[Perl]]用モジュール。ほとんどの画像形式に対応しており、他ライブラリとの依存も少なく高速に動作する画像ライブラリ。 {{圧縮フォーマット}} {{Graphics file formats}} [[Category:画像ファイルフォーマット]] [[Category:ラスターグラフィックス・ファイルフォーマット]]
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パルス符号変調
パルス符号変調(パルスふごうへんちょう、PCM、英語: pulse code modulation)とは音声などのアナログ信号を、アナログ-デジタル変換回路により、デジタル信号に変換(デジタイズ)する変調方式の一つである。 アナログ信号に対して標本化および量子化を行い、数列として出力する。サンプリング周波数が高く量子化ビット数が多いほど高音質(変換前に近い)となるが、データサイズが非常に大きくなるという問題がある。PCMの実用化は古く、1943年から1946年まで運用されたSIGSALYで人類史上初めて実用化された。 量子化の方式の違いにより、様々な種類のPCMが存在する。ほとんどの場合、現代に用いられているPCMはサンプリング周波数が一定である。PCMには非圧縮のものと圧縮されたものが存在するが、圧縮されたPCMは音質の劣化を抑えつつデータ量を削減している。圧縮を掛けていないリニアPCMが最もエンコード,デコードが簡単であり、回路やソフトウェアに掛かるコストの問題から、通信帯域が狭いあるいは記録容量が少ないなどの場合以外はリニアPCMが採用されることがほとんどである。但し、21世紀に入ってからは、圧縮する場合でも単に量子化の方法を工夫するよりは、MP3やAACやFLACなど、音声スペクトル分析やチャンネル間相関分析や予測などの様々な技法を駆使するデータ圧縮方式が多くなった。 変調時、以下のノイズおよび歪みが発生する。 標本化雑音。周波数スペクトルで見るとサンプリング周波数の半分(ナイキスト周波数という)の周波数を折り目にして折り返したように現れることから折り返し雑音ともいう。 標本化定理により、最低でも音声に含まれる最も高い周波数成分の2倍以上のサンプリング周波数を持たない限り、高音の信号が折り返され、偽信号として現れる。このため、サンプリング周波数はより高いほどより高音を再現できる。 また、再生時には同様にして原信号を折り返したような偽信号が発生し、ノイズとなる。オーバーサンプリング方式では、最初に元信号をデジタルフィルタで数倍のサンプリング周波数に変換することで折り返し雑音を高周波数帯域に移動させ、その後にアナログ変換とローパスフィルタ回路による折り返し雑音の除去を行っている。 原理上、量子化によってアナログ量からデジタル値にする際の端数処理による誤差(量子化誤差という)のため、歪み(量子化歪み)が発生する。また、これによる雑音を量子化雑音という。これを抑えるためには、量子化ビット数を増やす必要がある。 録音時などに、音量が可聴領域(量子化できる最大音量)を超えてしまった部分の波形が切り落とされる処理(クリッピング)により発生するノイズ。これを防ぐには、音声記録時に音量を下げる必要がある。ただし、可聴領域の幅に対して音量が極端に小さい場合は量子化歪みで波形が潰れてしまうため、適切な音量で記録を行うことが大切である。 音割れを修復する作業をデクリッピングなどと呼ぶ場合があるが、この作業で得られる波形はあくまで予測によるものであり、本来のものと大きくずれている可能性がある。 1チャネル当たりの基本速度が64kbpsの場合、24チャネルで1.544Mbpsになる。 アナログビデオテープレコーダーと組み合わせ、音声をデジタル信号で記録する装置。アナログ-デジタル変換回路とデジタル-アナログ変換回路を備える。業務用と家庭用の製品が発売され、従来のテープレコーダーを上回る高音質の記録が可能な機器として利用された。コンパクトカセットが普及していたことから、家庭への導入はオーディオマニアなどの極僅かな事例のみに留まり、業務用レコーディングのデジタル化を中心に導入された。 PCMデータをDA変換装置によって変換することで音を再生する装置をPCM音源という。サンプラー、サンプリング音源と呼ばれることもある。 アプリケーションソフト側から見ると、任意の個数・性能の仮想PCM音源を鳴らす形となっていて、それらをPCM再生ハードウェアに向けてミキシングして送り出す機能を持つソフトウエアがあり、ソフトウェアミキサーという。近年CPUの大幅な処理速度向上により、よりリッチな表現が可能になった。DirectXで音声データに音階を付与する機能、ソフトウェアMIDI音源などはいずれもこの技術によって成り立っている。家庭用ゲーム機でこれを利用しているものの代表として、ゲームボーイアドバンスが挙げられる。一方、これをほとんど利用しないゲーム機にはPlayStation 2などがある。これはPSやPS2において、ハードウェアPCMまたはストリーミング再生というスタイルがほぼ確立しているためである。 PCM音源を持たないゲーム機では、CPUでサンプリングデータを順次DACに送信してPCMを再生したものがある。ネオジオポケットや光速船などが単独でDACを搭載していたほか、メガドライブやPCエンジンは音源の一部をDACとして使うことができ、それを使ってPCMを再生していた。 ハードウェア制御を細かに行うことにより、発声が可能なハードウェアをDACに見立て、音声を再生する手法も存在している。ビープ音用のハードウェアでパルス幅変調を行ったり、矩形波の出力をDACに見立てPSGによるPCM再生を行う試みや、同様にX68000ではOPMに音色として矩形波を定義し、8チャンネルの出力ポートを利用することで、最大でモノラルでは50kHz前後、ステレオで25kHz前後のサンプリング周波数の再生を可能にしたソフトウェアも存在する。DACとしては非線形指数的の特徴を持つなど、元々想定していないハードウェアであるため、再生の音質は想定した設計のものと比較し、低くなりがちである。 また、波形メモリ音源では、制御する側で1周期ごとに波形を更新してPCMを再生したソフトウェアも存在する。 マイクロフォンからの入力をADCによりデジタイズしてCPUレジスターやメモリーへ書き込み、時限的なソフトウェア割込などで、ネットワークに流す手法が一般化している。プログラミング言語で比較的容易にコーディングが行え、ビデオ会議アプリケーションやサイマル・ラジオ、サイマル・テレビなどの完成されたアプリケーションを利用することで遅延はあるものの技術的な内容を意識することがなく使われている。
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パルス符号変調とは音声などのアナログ信号を、アナログ-デジタル変換回路により、デジタル信号に変換(デジタイズ)する変調方式の一つである。
{{出典の明記|date=2015年10月}} {{redirect|PCM}} {{otheruses|変調方式|デジタルシンセサイザーの音源方式|PCM音源}} {{変調方式}} [[File:Pcm.svg|250px|thumb|right|4ビットPCMによる信号の標本化及び量子化の例。赤い線がアナログ信号であり、青い点が標本化及び量子化後のデータである。]] '''パルス符号変調'''(パルスふごうへんちょう、'''PCM'''、{{lang-en|pulse code modulation}})とは音声などの[[アナログ信号]]を、[[アナログ-デジタル変換回路]]により、[[デジタル信号]]に変換([[デジタイズ]])する[[変調方式]]の一つである。 == 概要 == アナログ信号に対して[[標本化]]および[[量子化 (情報科学)|量子化]]を行い、[[数列]]として出力する{{Sfn|沖村|高橋|1991|p=110}}。[[サンプリング周波数]]が高く量子化[[ビット]]数が多いほど変換前に近い高品質なデータになるが、データサイズが非常に大きくなるという問題がある。PCMの実用化は古く、[[1943年]]から[[1946年]]まで運用された[[SIGSALY]]で人類史上初めて実用化された。 == 種類 == 量子化の方式の違いにより、様々な種類のPCMが存在する。ほとんどの場合、現代に用いられているPCMはサンプリング周波数が一定である。PCMには非圧縮のものと[[データ圧縮|圧縮]]されたものが存在するが、圧縮されたPCMは音質の劣化を抑えつつデータ量を削減している{{efn2|[[マスキング効果]]とも[[ヴェーバー‐フェヒナーの法則]]とも解釈できる。}}。圧縮を掛けていないリニアPCMが最も[[エンコード]],[[デコード]]が簡単であり、回路やソフトウェアに掛かるコストの問題から、通信帯域が狭いあるいは記録容量が少ないなどの場合以外はリニアPCMが採用されることがほとんどである。但し、[[21世紀]]に入ってからは、圧縮する場合でも単に量子化の方法を工夫するよりは、[[MP3]]や[[AAC]]や[[FLAC]]など、音声スペクトル分析やチャンネル間相関分析や予測などの様々な技法を駆使するデータ圧縮方式が多くなった。 ; リニアPCM(線形PCM) : 線形量子化を用いたもの。例としては、[[CD-DA]]、[[DVD-Audio]]、一部の[[DVD-Video]]、[[BDMV|BD-Video]]、[[PlayStation 3]]用ゲームソフトなどで採用されている。 ; [[ADPCM]](適応差分PCM) : [[差分符号化]]と量子化幅の適応的制御により、品質をあまり落とさずにデータ量を圧縮するPCM。例としては、[[1990年代]]の[[アーケードゲーム]]などで採用された。 ; [[差分パルス符号変調|DPCM]](差分PCM) : 差分符号化のみを用いて、データ量を圧縮するPCM。例としては、[[ファミリーコンピュータ]]の[[音源]]チップの1機能として採用された。 ; 折線量子化を用いたPCM : 初期の[[PCMプロセッサー]]([[1977年]]発売の[[ソニー]]PCM-1など)や[[デジタルマイクロカセット|NT]]で採用されているダイナミックレンジ圧縮のための量子化方式。3折線,5折線など、製品ごとに考慮する折線の本数に差異があり、ダイナミックレンジ伸長後の相当bit数も異なる(考慮する折線の本数が多いほどダイナミックレンジは改善するが、折線が多い分だけコストも高く付く)。 ; 対数量子化を用いたPCM : [[電話網]]([[Μ-lawアルゴリズム|μ-law]]や[[A-lawアルゴリズム|A-law]])や[[DAT]]のLPモードなどで採用されている。[[デジタル]]版の[[コンパンディング]]である。 ; [[浮動小数]]を使用して量子化されたPCM : 浮動小数点数を用いたPCM。可聴領域を-1.0~1.0と定めているが、その外部領域(-∞~-1.0、1.0~∞)の波形も潰さずに保持することが可能となっている。そのため、適切な場所で使用することで、クリッピングノイズ(音割れの一種)を防ぐことができる場合がある。また、[[非正規化数]]という例外を除き[[有効桁数]]が常に一定であることから、音量の大小で量子化歪みによる潰れ易さが変わらないという利点もある。例えば、[[メディアプレーヤー]]の内部処理や、[[デジタル・オーディオ・ワークステーション|DAW]]の内部処理と作業途中のプロジェクトファイルではこの形式が採用されることが多い。 == ノイズと歪み == 変調時、以下の[[ノイズ]]および[[歪み (電子機器)|歪み]]が発生する。 === サンプリングノイズ === 標本化雑音。[[周波数スペクトル]]で見ると[[サンプリング周波数]]の半分([[ナイキスト周波数]]という)の周波数を折り目にして折り返したように現れることから[[折り返し雑音]]ともいう。 [[標本化定理]]により、最低でも音声に含まれる最も高い周波数成分の2倍以上のサンプリング周波数を持たない限り、高音の信号が折り返され、偽信号として現れる。このため、サンプリング周波数はより高いほどより高音を再現できる。 また、再生時には同様にして原信号を折り返したような偽信号が発生し、ノイズとなる。オーバーサンプリング方式では、最初に元信号を[[デジタルフィルタ]]で数倍のサンプリング周波数に変換することで折り返し雑音を高周波数帯域に移動させ、その後に[[デジタル-アナログ変換回路|アナログ変換]]と[[ローパスフィルタ]]回路による折り返し雑音の除去を行っている。 === 量子化歪み === [[File:Quanterr.png|thumb|right|300px|上のグラフは元の信号(青)とそれを量子化した信号(赤)を示している。下のグラフは量子化誤差(2つの信号の差分)を示している。]] 原理上、量子化によって[[アナログ]]量から[[デジタル]]値にする際の[[端数処理]]による[[誤差]]([[量子化誤差]]という)のため、歪み(量子化歪み)が発生する。また、これによる雑音を[[量子化雑音]]という。これを抑えるためには、量子化ビット数を増やす必要がある。 === クリッピングノイズ === 録音時などに、音量が可聴領域(量子化できる最大音量)を超えてしまった部分の波形が切り落とされる処理(クリッピング)により発生するノイズ。これを防ぐには、音声記録時に音量を下げる必要がある。ただし、可聴領域の幅に対して音量が極端に小さい場合は量子化歪みで波形が潰れてしまうため、適切な音量で記録を行うことが大切である。 音割れを修復する作業をデクリッピングなどと呼ぶ場合があるが、この作業で得られる波形はあくまで予測によるものであり、本来のものと大きくずれている可能性がある。 == 用途 == ; CD-DA(音楽CD) : [[コンパクトディスク]]で採用された。サンプリング周波数44.1kHz、量子化ビット数16bit、2chステレオ。 ; DVD-Video : 非必須。量子化ビット数16/20/24bit、サンプリング周波数は48/96kHzまで対応している。[[ビットレート|転送レート]]は最大1.5Mbps、チャンネル数は2chステレオが上限である。そのため、DVDビデオでは多くのソフトが、[[ドルビーデジタル]]を用いて[[5.1chサラウンド]]に対応している。 ; DVD-Audio : [[DVD-Audio]]は、次世代CD規格の1つであったが、音楽配信が普及した事で既に生産が行われなくなっている。サンプリング周波数は最大192kHz、量子化24bit。チャンネル数は2chステレオのものが一般的である。 ; BD-Video (BDMV) : サンプリング周波数は48/96/192kHz、量子化ビット数24bit、チャンネル数は7.1chサラウンド{{efn2|192kHz時のみ5.1chサラウンド。}}が上限だが、2008年現在ではほとんどのソフトウェアが5.1chサラウンドである。最高[[ビットレート|転送レート]]は27.4M[[ビット毎秒|bps]]で固定式(比較対象として[[HD DVD]]では5.1chサラウンド、13.5Mbpsが上限)。圧縮を行わない分、可逆圧縮音声である[[ドルビーデジタル|ドルビーTrueHD]]や[[DTS (サウンドシステム)|DTS-HDマスターオーディオ]]と比べて計算([[エンコード]]・[[デコード]])は簡単になるが、使用帯域は増えることになる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.dolby.co.jp/consumer/technology/dolby_truehd.html|title=HDサラウンドサウンド向けのロスレスオーディオ、ドルビーTrueHD|publisher=ドルビーラボラトリーズ|accessdate=2021-06-20|archiveurl=https://archive.is/GNinv|archivedate=2013-05-01}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.stereosound.co.jp/news/article/2007/05/25/1340.html|title=次世代サラウンド規格に完全対応。オンキョーのAVセンターTX-SA805に注目!|newspaper=Stereo Sound ONLINE|publisher=ステレオサウンド|date=2007-05-25|accessdate=2021-06-20}}</ref>。再生には、リニアPCMでのサラウンド出力に対応した[[BDプレーヤー]]と再生に対応した[[AVアンプ]]の[[HDMI端子]]ケーブルでの接続が必須となる。そのため、[[DVDプレーヤー]]で一般的であった[[光デジタル]]音声端子ケーブルでのリニアPCM音声出力は、2chステレオまでとなる。なお、[[PlayStation 3]]ではシステムソフトウェアバージョン3.30以降に搭載された音声出力設定のビットストリーム(ミックス)機能を使うことにより、リニアPCMで収録されたサラウンド音声を[[DTS (サウンドシステム)|DTS]]、または[[ドルビーデジタル]]のサラウンド音声にダウンコンバートし、これら2規格のうちいずれかが再生可能な機器であれば、光デジタル音声端子ケーブルで接続した機器でもサラウンドを再生させることが可能になっている(一度はDTSないしドルビーデジタルに変換しているため、音質は劣化する)。 === ゲームソフト === ; PlayStation 3用ゲームソフト : 最高で7.1ch (48kHz/16bit) にまで対応している。最近のPS3用ソフトはリニアPCM5.1chとドルビーデジタル5.1chのサウンドを収録したものが多く、規格上マルチチャンネルサラウンドにおいてはドルビーデジタル5.1chにしか対応していないXbox 360用ソフトに対するアドバンテージとなっている。7.1ch収録のものは特にサウンド面にこだわったソフトの場合が多く、その多くはSCE製品であることが多い。 ; [[Xbox 360]]用ゲームソフト : 最高で2chステレオにまで対応している。ドルビーデジタル5.1chでゲームサウンドを収録していないXbox 360用ソフトは、全てリニアPCM2chでのサウンド収録であると推察される。ドルビーデジタル2chである可能性は低い。 === IP電話 === 1チャネル当たりの基本速度が64kbpsの場合、24チャネルで1.544Mbpsになる。 == PCMプロセッサー == {{main|PCMプロセッサー}} アナログ[[ビデオテープレコーダー]]と組み合わせ、音声を[[デジタル信号]]で記録する装置。[[アナログ-デジタル変換回路]]と[[デジタル-アナログ変換回路]]を備える。業務用と家庭用の製品が発売され、従来の[[テープレコーダー]]を上回る高音質の記録が可能な機器として利用された。[[コンパクトカセット]]が普及していたことから、家庭への導入はオーディオマニアなどの極僅かな事例のみに留まり、業務用レコーディングのデジタル化を中心に導入された。 == PCM音源 == PCMデータを[[DA変換]]装置によって変換することで音を再生する装置を[[PCM音源]]という。[[サンプラー]]、[[サンプリング]]音源と呼ばれることもある。 == ソフトウェア技術 == === ソフトウェアミキサー === アプリケーションソフト側から見ると、任意の個数・性能の仮想PCM音源を鳴らす形となっていて、それらをPCM再生ハードウェアに向けて[[ミキシング]]して送り出す機能を持つソフトウエアがあり、ソフトウェアミキサーという。近年CPUの大幅な処理速度向上により、よりリッチな表現が可能になった{{efn2|2008年現在、環境にもよるがCPU占有率1%未満。}}。[[DirectX]]で音声データに音階を付与する機能、ソフトウェア[[MIDI音源]]などはいずれもこの技術によって成り立っている。[[家庭用ゲーム機]]でこれを利用しているものの代表として、[[ゲームボーイアドバンス]]が挙げられる。一方、これをほとんど利用しないゲーム機には[[PlayStation 2]]などがある。これは[[PlayStation (ゲーム機)|PS]]やPS2において、ハードウェアPCMまたは[[ストリーミング]]再生というスタイルがほぼ確立しているためである。 === 非PCM音源によるPCMデータの再生 === PCM音源を持たない[[ゲーム機]]では、CPUで[[ポーリング (情報)|サンプリングデータを順次DACに送信]]してPCMを再生したものがある。[[ネオジオポケット]]や[[光速船]]などが単独でDACを搭載していたほか、[[メガドライブ]]や[[PCエンジン]]は音源の一部をDACとして使うことができ、それを使ってPCMを再生していた。<!-- 出典がリンク切れだったのでキャッシュを拾ってみましたが、個人サイトだったので除去しました。 --> ハードウェア制御を細かに行うことにより、発声が可能なハードウェアを[[デジタル-アナログ変換回路|DAC]]に見立て、音声を再生する手法も存在している。[[ビープ音]]用のハードウェアで[[パルス幅変調]]を行ったり、矩形波の出力をDACに見立て[[Programmable Sound Generator#PSGによるPCM再生|PSGによるPCM再生]]を行う試み<ref>[[Oh!FM]] 1990年4月号「しゃべるんどすえ」{{要ページ番号|date=2021年6月}}</ref><ref>[[Oh!X]] 1995年12月号 BREEZE{{要ページ番号|date=2021年6月}}</ref>や、同様に[[X68000]]では[[YM2151|OPM]]に音色として矩形波を定義し、8チャンネルの出力ポートを利用することで、最大でモノラルでは50[[キロヘルツ|kHz]]前後、ステレオで25kHz前後のサンプリング周波数の再生を可能にしたソフトウェア<ref>Oh!X 1999年夏号「内蔵音源を駆使した高品位ステレオ PCM 再生」{{要ページ番号|date=2021年6月}}</ref>も存在する。DACとしては非線形[[指数関数|指数的]]の特徴を持つなど、元々想定していないハードウェアであるため、再生の音質は想定した設計のものと比較し、低くなりがちである。 また、[[波形メモリ音源]]では、制御する側で1周期ごとに波形を更新してPCMを再生したソフトウェアも存在する。 === インターネット === マイクロフォンからの入力をADCによりデジタイズしてCPUレジスターやメモリーへ書き込み、時限的なソフトウェア割込などで、ネットワークに流す手法が一般化している。プログラミング言語で比較的容易にコーディングが行え、ビデオ会議アプリケーションやサイマル・ラジオ、サイマル・テレビなどの完成されたアプリケーションを利用することで遅延はあるものの技術的な内容を意識することがなく使われている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{Refbegin}} * {{Cite book|和書|last=沖村|first=浩史 |last2=高橋|first2=清 |title=エレクトロニクス概論 |series=機械工学選書 |publisher=裳華房 |date=1991 |isbn=4785365072|ncid=BN07023779|ref=harv}} {{Refend}} == 関連項目 == * [[量子化 (情報科学)]] * [[標本化定理]] - [[シャノン=ハートレーの定理]] * [[符号化方式]] * [[誤り検出訂正]] * [[パルス変調]] * [[差分パルス符号変調]] (DPCM) * [[適応的差分パルス符号変調]] (ADPCM) * [[PCMプロセッサー]] * [[DAT]] * [[音声符号化]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はるすふこうへんちよう}} [[Category:通信工学]] [[Category:音声処理]] [[Category:変調方式]]
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AAC
Advanced Audio Coding(略称: AAC、先進的音響符号化)は、不可逆のデジタル音声圧縮を行う音声符号化規格のひとつである。1997年にISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Group (MPEG) において規格化された。MP3の後継フォーマットとして策定され、一般的にAACは同程度のビットレートであればMP3より高い音声品質を実現している。 AACはISOとIECにより、MPEG-2およびMPEG-4仕様の一部として標準化された。MPEG-4 Audio内のHE-AACとして知られるAACの一部は、DAB+やDigital Radio Mondiale、モバイルテレビジョン規格のDVB-やATSC-M/Hのようなデジタル無線規格においても採用されている。 AACは一つのストリームに、48の全帯域幅(最大96kHz)音声チャンネルを持たせることができ、さらに、16の低周波効果音(LFE、120Hzまで)チャンネルと16の対話チャンネル、および16のデータストリームも含めることができる。ステレオの音質は96kbpsのジョイントステレオモードで適度な要件を満たすことができるが、Hi-Fi透明性(低雑音性)のためには、少なくとも128kbpsのデータレート(VBR)が必要である。MPEG-4 Audioによる検証では、AACが128kbpsのステレオおよび320kbpsの5.1チャンネルオーディオにおいてITUが「透明的」として規定している要件を満たしていることが示されている。 AACはYouTube、iPhone、iPod、iPad、Nintendo DSi、Nintendo 3DS、iTunes、DivX Plus Web Player、PlayStation 3、ノキアのSeries 40携帯電話における既定もしくは標準の音声フォーマットである。PlayStation Vita、Wii、 ソニーのウォークマンMP3シリーズとその後継機種でもサポートされている。AACはインダッシュの車載オーディオシステムのメーカによってもサポートされている。 MP3等のMPEG-1 Audioや、MPEG-2 Audio BC (Backward Compatible) を超える高音質・高圧縮を目的に標準化された方式である。 MPEG-2 Audio BCとは異なり、符号化アルゴリズムにおいてMPEG-1 Audioとの互換性はない。ファイルに格納した場合の拡張子は、「*.mov,*.mp4,*m2ts,*.m4a,*.m4b,*.m4p,*.3gp,*.3g2」または「*.aac」。なお、放送ではADTS (Audio Data Transport Stream) と呼ばれるヘッダ形式で伝送されることが多い。サンプリング周波数はMP3が最大48kHzまでだったのに対し、AACは最大96kHzまで対応している。 AACにはMPEG-2 AAC (ISO/IEC 13818-7) とMPEG-4 AAC (ISO/IEC 14496-3, Subpart 4) とが存在する。MPEG-4 AACは、MPEG-2 AACにPNSやLTPといった追加技術を利用可能としたものであるが、基本的なアルゴリズム自体に違いはなく、追加技術を使用しなければヘッダの一部分が1ビット異なるだけであり、通常の使用では区別する必要はほとんどない。 AACにも拡張機能が使用可能かどうかによって幾つかの種類があるが、一般的に利用されているのはAAC-LC (AAC Low Complexity) と呼ばれる基本機能だけを用いるものである。 さらにMPEG-4 AAC-LTP(後述)をプロファイルに数える場合がある。 MPEG-4 AAC v3においては、SBR (Spectral Band Replication) やパラメトリックステレオ (Parametric Stereo) 技術によって64 kbpsを下回るような超低ビットレートにおける品質を改善するHE-AAC (High-Efficiency AAC) が追加承認されている (AAC-LC, HE-AAC (aacPlus, AAC+SBR), HE-AAC Version 2 (aacPlus Version 2, Enhanced aacPlus, AAC+SBR+PS))。 MPEG-2 AACは主に日本のBS/110度CS 2Kデジタル放送と地上デジタル波放送のISDB規格やSD-AudioのAACフォーマット、ヨーロッパ圏のDVDなどで利用できる。北米や日本のDVDでは、AACではなくAC-3やDTSが採用されている。 MPEG-4 AACはiPodなどのデジタルオーディオプレーヤー、PlayStation PortableやDSiなどのゲーム機、日本のBS/110度CS 4K/8Kデジタル放送、携帯電話等、多くの機器やソフトウェアがサポートしている。また、第三世代携帯電話用の動画フォーマットである3GPPや3GPP2の音声圧縮方式としても採用されている。 音楽配信サービスでは、パソコン、iPod向けのiTunes Storeや携帯電話向けの着うたでAACが採用されている。ただし、これらのファイルの一部にはDRMが導入され、同じAACであるが互換性がないものがある。デジタルオーディオプレーヤーの代表格であるiPodおよびiTunes(標準でAACを使用する)がAACに対応していることもあり、以前はAACに対応していなかったソニーやパナソニック、ケンウッド(現・JVCケンウッド)などのデジタルオーディオプレーヤーも現在ではAACに対応している。 またアップルでは前述のiTunesでの音楽配信のほか、ワイヤレスイヤホンマイクAirPods・スマートスピーカーHomePodや、FaceTime(AAC-ELD系)などで使用している。 AAC (AAC-LC) の符号化処理は以下の流れで行われる。 AACはドルビーラボラトリーズも共同開発の一員で、AACロゴはドルビーラボラトリーズの登録商標である(日本国特許庁商標登録番号:第4693750号)。AACにはドルビーのほかAT&T、Fraunhofer IIS、ソニー、ノキアの特許技術が使用されているためソフトウェアメーカーなどから納付されたライセンス料はこれらの企業に分配されている。また、ライセンス管理はドルビーの子会社Via Licensingが行っている。 なおMPEG-4 AACが含まれるMPEG-4 AudioのカテゴリにはNTTサイバースペース研究所が開発したTwinVQが存在するが、これはAACとは別物である。 AACやHE-AACは下記に採用されており、実際に利用されている。
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Advanced Audio Codingは、不可逆のデジタル音声圧縮を行う音声符号化規格のひとつである。1997年にISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Group (MPEG) において規格化された。MP3の後継フォーマットとして策定され、一般的にAACは同程度のビットレートであればMP3より高い音声品質を実現している。 AACはISOとIECにより、MPEG-2およびMPEG-4仕様の一部として標準化された。MPEG-4 Audio内のHE-AACとして知られるAACの一部は、DAB+やDigital Radio Mondiale、モバイルテレビジョン規格のDVB-やATSC-M/Hのようなデジタル無線規格においても採用されている。 AACは一つのストリームに、48の全帯域幅(最大96kHz)音声チャンネルを持たせることができ、さらに、16の低周波効果音(LFE、120Hzまで)チャンネルと16の対話チャンネル、および16のデータストリームも含めることができる。ステレオの音質は96kbpsのジョイントステレオモードで適度な要件を満たすことができるが、Hi-Fi透明性(低雑音性)のためには、少なくとも128kbpsのデータレート(VBR)が必要である。MPEG-4 Audioによる検証では、AACが128kbpsのステレオおよび320kbpsの5.1チャンネルオーディオにおいてITUが「透明的」として規定している要件を満たしていることが示されている。 AACはYouTube、iPhone、iPod、iPad、Nintendo DSi、Nintendo 3DS、iTunes、DivX Plus Web Player、PlayStation 3、ノキアのSeries 40携帯電話における既定もしくは標準の音声フォーマットである。PlayStation Vita、Wii、 ソニーのウォークマンMP3シリーズとその後継機種でもサポートされている。AACはインダッシュの車載オーディオシステムのメーカによってもサポートされている。
{{Otheruses|音声圧縮の方式|その他の用法|AAC (曖昧さ回避)}} {{複数の問題 |出典の明記=2015年10月4日 (日) 04:41 (UTC) |独自研究=2015年10月4日 (日) 04:41 (UTC) }} {{Infobox file format | name = AAC | icon = | logo = | extension = .3gp .3g2 .aac .avi .m2ts .m4a .m4b .m4p .m4r .mov .mp4 .wav .mkv .mka | mime = audio/aac, audio/aacp, audio/3gpp, audio/3gpp2, audio/mp4, audio/MP4A-LATM, audio/mpeg4-generic | type code = | uniform type = | magic = | owner = | type = [[非可逆圧縮]] | container for = | contained by = [[AVI]] [[MP4]] [[MPEG-2システム]] [[QuickTime|MOV]] [[WAV]] [[Matroska]] | extended from = | extended to = | standard = ISO/IEC 13818-7, [[MPEG-4|ISO/IEC 14496-3]] }} '''Advanced Audio Coding'''(略称: '''AAC'''、先進的音響符号化)は、不可逆のデジタル[[音声圧縮]]を行う音声符号化規格のひとつである。[[1997年]]に[[ISO/IEC JTC 1]]の[[Moving Picture Experts Group]] (MPEG) において規格化された。[[MP3]]の後継フォーマットとして策定され、一般的にAACは同程度のビットレートであればMP3より高い音声品質を実現している。 AACは[[国際標準化機構|ISO]]と[[国際電気標準会議|IEC]]により、[[MPEG-2]]および[[MPEG-4]]仕様の一部として標準化された。MPEG-4 Audio内の[[HE-AAC]]として知られるAACの一部は、[[DAB]]+や[[デジタル・ラジオ・モンディエール|Digital Radio Mondiale]]、モバイルテレビジョン規格の[[デジタルビデオブロードキャスティング|DVB]]-や[[ATSC#ATSC-M/H|ATSC-M/H]]のようなデジタル無線規格においても採用されている。 AACは一つのストリームに、48の全帯域幅(最大96kHz)音声チャンネルを持たせることができ、さらに、16の低周波効果音(LFE、120Hzまで)チャンネルと16の対話チャンネル、および16のデータストリームも含めることができる。ステレオの音質は96kbpsのジョイントステレオモードで適度な要件を満たすことができるが、[[Hi-Fi]]透明性(低雑音性)のためには、少なくとも128kbpsのデータレート([[VBR]])が必要である。MPEG-4 Audioによる検証では、AACが128kbpsのステレオおよび320kbpsの5.1チャンネルオーディオにおいて[[国際電気通信連合|ITU]]が「透明的」として規定している要件を満たしていることが示されている。 AACは[[YouTube]]、[[iPhone]]、[[iPod]]、[[iPad]]、[[ニンテンドーDSi|Nintendo DSi]]、[[ニンテンドー3DS|Nintendo 3DS]]、[[iTunes]]、[[DivX]] Plus Web Player、[[PlayStation 3]]、[[ノキア]]のSeries 40携帯電話における既定もしくは標準の音声フォーマットである。[[PlayStation Vita]]、[[Wii]]、 [[ソニー]]の[[ウォークマン]]MP3シリーズとその後継機種でもサポートされている。AACはインダッシュの車載オーディオシステムのメーカによってもサポートされている。 == 概要 == [[MP3]]等の[[MPEG-1#オーディオ|MPEG-1 Audio]]や、[[MPEG-2#オーディオ|MPEG-2 Audio BC (Backward Compatible)]] を超える高音質・高圧縮を目的に標準化された方式である。 MPEG-2 Audio BCとは異なり、[[符号化]][[アルゴリズム]]においてMPEG-1 Audioとの互換性はない。ファイルに格納した場合の[[拡張子]]は、「*.mov,*.mp4,*m2ts,*.m4a,*.m4b,*.m4p,*.3gp,*.3g2」または「*.aac」。なお、放送ではADTS (Audio Data Transport Stream) と呼ばれるヘッダ形式で伝送されることが多い。[[サンプリング周波数]]はMP3が最大48kHzまでだったのに対し、AACは最大96kHzまで対応している。また、[[ビットレート]]はMP3が最大320kbpsなのに対し、AACは最大((チャンネル数)×(サンプリングレート)×6<ref>AACの仕様では1024サンプル当たり最大6144bpsと決められているので、1サンプル当たり6144÷1024=6bpsという計算になる。</ref>)bpsである<ref>例えばCD音質の場合、最大2×44100×6=529200bps=529.2kbpsである。</ref>。 == 種類 == {{See also|MPEG-4 Part 3}} === MPEG-2 AACとMPEG-4 AAC === AACには[[MPEG-2]] AAC (ISO/IEC 13818-7) と[[MPEG-4]] AAC (ISO/IEC 14496-3, Subpart 4) とが存在する。MPEG-4 AACは、MPEG-2 AACにPNSやLTPといった追加技術を利用可能としたものであるが、基本的なアルゴリズム自体に違いはなく、追加技術を使用しなければヘッダの一部分が1ビット異なるだけであり、通常の使用では区別する必要はほとんどない。 ; PNS (Perceptual Noise Substitution) : [[PNS]]は、エンコード時に低減されたノイズを記録する追加技術である。 ; LTP (Long Term Prediction/長期予測) : LTPは、低周波帯域の波形を記録する追加技術である。 === AACプロファイルと追加技術 === ==== プロファイル ==== AACにも拡張機能が使用可能かどうかによって幾つかの種類があるが、一般的に利用されているのは'''AAC-LC''' (AAC Low Complexity) と呼ばれる基本機能だけを用いるものである。 ; MPEG-2/4 AAC-Main : メインのAACとして開発された方式。AAC-LCと比べると、圧縮率は高いものの演算量が多く、再生負荷が大きい。 :[[ウェブブラウザ|WEBブラウザ]]である[[Google Chrome]]<ref>{{Cite web|title=Audio/Video - The Chromium Projects|url=https://www.chromium.org/audio-video|website=www.chromium.org|accessdate=2021-05-29}}</ref>が対応してるものの、[[Microsoft Windows|Windows]]<ref>{{Cite web|url=https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/medfound/aac-decoder|title=Supported Media Formats in Media Foundation, AAC Decoder|accessdate=2021-05-29|publisher=[[Microsoft]]}}</ref>、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]<ref>{{Cite web|和書|title=サポートされているメディア形式 {{!}} Android デベロッパー|url=https://developer.android.com/guide/topics/media/media-formats?hl=ja|website=Android Developers|accessdate=2021-05-29|language=ja}}</ref>、[[iOS]]<ref>{{Cite web|和書|title=[iPhone/iPad]再生できる音楽ファイル形式を教えてください。 {{!}} よくあるご質問(FAQ) {{!}} サポート|url=https://www.softbank.jp/support/faq/view/|website=ソフトバンク|accessdate=2021-05-29|language=ja}}</ref>といったプラットフォームでは標準では対応しておらず(もしくはMainプロファイルについての情報が公開されていない)、あまり普及してるとは言えない。 ; MPEG-2/4 AAC-LC (Low Complexity) : AAC-Mainから後方予測 (backward prediction) の機能を除いた方式。AAC-Mainよりも音質は劣化するが、再生負荷が小さい。 ; MPEG-2/4 AAC-SSR (Scalable Sample Rate) : 周波数によって4つのブロックに分解し、それぞれを符号化する方式。 さらにMPEG-4 AAC-LTP(後述)をプロファイルに数える場合がある。 ==== 追加技術 ==== MPEG-4 AAC v3においては、[[Spectral Band Replication|SBR]] (Spectral Band Replication) や[[MPEG-4 Part 3#パラメトリックオーディオ符号化|パラメトリックステレオ]] (Parametric Stereo) 技術によって64 kbpsを下回るような超低ビットレートにおける品質を改善する'''[[HE-AAC]]''' (High-Efficiency AAC) が追加承認されている (AAC-LC, HE-AAC (aacPlus, AAC+SBR), HE-AAC Version 2 (aacPlus Version 2, Enhanced aacPlus, AAC+SBR+PS))。 ; MPEG-2/4 HE-AAC (High-Efficiency AAC) : AAC-LCにSBRの機能を追加したもの。SBRは高周波域の波形を補完するツールである。SBRを利用することで低ビットレートでも中~高音質の再生を可能としている。 : バージョン2が開発されて以降、区別のため、名前の後ろに”version 1”などを付ける場合がある。 ; MPEG-2/4 HE-AAC v2 (High-Efficiency AAC version 2) : AAC-LCにSBRとPSの機能を追加したもの。PS (Parametric Stereo) はモノラルの音声を擬似的にステレオに復元するツールであり、HE-AACよりもさらに低いビットレートで中 - 高音質の再生を行えるようにする。 ; MPEG-4 xHE-AAC (eXtended High-Efficiency AAC) : AAC-LCにSBRとPS、USACの機能を追加したもの。USAC (Unified Speech and Audio Coding) は声と音楽のどちらの音質にも重きが置かれるよう作られたツールであり、HE-AAC v2より低いビットレートでもある程度の音質が確保される。 ; MPEG-4 AAC-LTP : AACにLTPの機能を追加したもの。LTPはすべてのMPEG-4 AACに付加することが可能である。 ; MPEG-4 AAC-LD (Low Delay) : エンコードなどによる延滞時間を減少させたAAC。テレビ電話などで使用することを目的としている。 ; MPEG-4 AAC-ELD (Enhanced Low Delay) ; MPEG-4 AAC-ELD v2 (version 2) : AAC-LDを改良した方式。 ; [[MPEG-4 SLS]] (Scalable Lossless Coding) : MPEG-4の[[可逆圧縮]]の一種。AACと組み合わせたものを'''HD-AAC'''と呼ぶ場合がある。 == 利用状況 == MPEG-2 AACは主に日本の[[衛星放送|BS/110度CS 2Kデジタル放送]]と[[デジタル放送の一覧|地上デジタル波放送]]の[[ISDB]]規格や[[SD-Audio]]のAACフォーマット、ヨーロッパ圏の[[DVD]]などで利用できる。北米や日本のDVDでは、AACではなく[[ドルビーデジタル|AC-3]]や[[デジタル・シアター・システムズ|DTS]]が採用されている。 MPEG-4 AACはiPodなどの[[デジタルオーディオプレーヤー]]、[[PlayStation Portable]]や[[ニンテンドーDSi|DSi]]などのゲーム機、日本のBS/110度CS 4K/8Kデジタル放送、[[携帯電話]]等、多くの機器やソフトウェアがサポートしている。また、第三世代携帯電話用の動画フォーマットである[[3GPP]]や[[3GPP2]]の[[音声圧縮]]方式としても採用されている。 音楽配信サービスでは、パソコン、iPod向けの'''[[iTunes Store]]'''や携帯電話向けの'''[[着うた]]'''でAACが採用されている。ただし、これらのファイルの一部には[[デジタル著作権管理|DRM]]が導入され、同じAACであるが互換性がないものがある<ref>例えばiTunes Storeでは以前、拡張子が .m4p のAACが配信フォーマットとして用いられていたが、これにはiTunes Store独自の[[FairPlay]]というDRMが付加されていたため携帯電話で再生することができなかった。2009年にはiTunes Storeにおいて大半の曲がDRMフリーでリリースされた。ただし一部のメタ情報やデータコンテナの相違から、そのままのオーディオファイルを使用する場合に非互換性が残る場合がある。</ref>。デジタルオーディオプレーヤーの代表格であるiPodおよびiTunes(標準でAACを使用する)がAACに対応していることもあり、以前はAACに対応していなかったソニーや[[パナソニック]]、[[ケンウッド]](現・[[JVCケンウッド]])などのデジタルオーディオプレーヤーも現在ではAACに対応している。 またアップルでは前述のiTunesでの音楽配信のほか、ワイヤレスイヤホンマイク[[AirPods]]・[[スマートスピーカー]][[HomePod]]や、[[FaceTime]](AAC-ELD系)<ref>海上忍「いまさら聞けないiPhoneのなぜ [https://news.mynavi.jp/article/20160125-iphone_why/ 格安SIMでもFaceTimeオーディオは快適に使える?]」『マイナビニュース』 マイナビ、2016年1月25日 </ref>などで使用している。 == 符号化アルゴリズム == AAC (AAC-LC) の符号化処理は以下の流れで行われる。 # [[修正離散コサイン変換|MDCT]]による[[直交行列|直交変換]] #* 入力は窓長 2048 もしくは 256 のMDCTを用いてそれぞれ 1024 点 (long block)、128 点 (short block) の[[周波数領域]]のデータに変換される。MP3が一旦時間領域のフィルタで 32 サブバンドに分割した後にMDCTを行っていたのに対し、AACでは入力サンプルに対してそのままMDCTが行われる。 #* 変換長は、入力信号の性質によって切り替えられる(アタック音など時間領域で急峻な変化を見せる信号にはshort blockが使われる)。long blockが576点相当(32 サブバンド × 18 点)、short blockが 192 点相当(32 サブバンド × 6 点)であったMP3と比較してlong blockをより長くすることで周波数解像度の向上による符号化効率の改善がshort blockをより短くする事で時間解像度の向上によるプリエコー抑制力の改善がなされている。 # TNS #* 周波数領域の信号を、時間軸のものと見なした[[線形予測法|線形予測]]を行う。 #* 周波数領域での[[ARモデル]]化は[[時間領域]]でのノイズ特性を持ち、人間の聴覚の持つ継時マスキング特性を再現するのに都合が良い。 #* この処理は省く事ができる。 # ステレオ・コーディング #* 入力信号がステレオの場合は、ステレオ特有の性質を利用した符号化が行われる。 #* なおステレオ・コーディングはサブバンド毎に利用しなかったり、どちらか片方だけを利用したりすることができる。両方同時に使用することはできない。 ## インテンシティ・ステレオ ##* 左右の信号を、単一の信号と定位情報のみに削減して符号化する。 ## MSステレオ ##* 左右の信号を和/差信号とする。 # [[量子化]] #* 聴覚心理モデルで決定した許容[[量子化雑音]]エネルギーと量子化雑音エネルギーが比例するようにスケールファクタ・バンド(近い周波数のMDCT係数をまとめたグループ)毎に量子化を行う。long blockのスケールファクタ・バンドの数は49 (44.1kHz) であり、21 であったMP3と比較して細かい制御が可能になっている。 # [[ハフマン符号]]化 #* 量子化された値を固定ハフマン符号化する。符号帳は 11 種類の中からサブバンド毎に選択される。 == コンテナ対応 == * [[Audio Video Interleave|AVI]], [[QuickTime|MOV]], [[MP4]], [[Matroska]], [[MPEG-2システム#トランスポートストリーム|MPEG-2 TS]] == 備考 == AACは[[ドルビーラボラトリーズ]]も共同開発の一員で、AACロゴはドルビーラボラトリーズの登録商標である(日本国特許庁商標登録番号:第4693750号)。AACにはドルビーのほか[[AT&T]]、[[フラウンホーファー協会|Fraunhofer IIS]]、[[ソニー]]、[[ノキア]]の特許技術が使用されている<ref>{{Cite web|和書|title=米Dolby、音声圧縮技術「MPEG-4 AAC」特許の一括ライセンスプログラムを開始 |url=https://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2002/0327/mpeg4.htm |accessdate=2002-3-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020404012339/http://www.watch.impress.co.jp/internet/www/article/2002/0327/mpeg4.htm |archiveservice=Internet Archive |archivedate=2002-4-4 |deadlinkdate=2019-3-5 }}</ref>ためソフトウェアメーカーなどから納付されたライセンス料はこれらの企業に分配されている。また、ライセンス管理はドルビーの子会社[[Via Licensing]]が行っている。 なおMPEG-4 AACが含まれるMPEG-4 AudioのカテゴリにはNTTサイバースペース研究所が開発した[[TwinVQ]]が存在するが、これはAACとは別物である。 == 利用例 == AACやHE-AACは下記に採用されており、実際に利用されている。 * [[HTML5オーディオ]] - HE-AAC v2まで対応 ** [[YouTube]] ** [[Dailymotion]] ** [[radiko]] ** [[NHKネットラジオ らじる★らじる]] **[[:en:AccuRadio|AccuRadio]] * [[Media Player Classic]], [[VLC Media Player]] * [[iTunes]], [[iTunes Store]], [[QuickTime]], [[FaceTime]] * [[iPod]], [[iPhone]], [[iPad]] * [[PlayStation Portable|PSP]], [[PlayStation Vita|PS Vita]],[[PlayStation 3|PS3]],[[PlayStation 4|PS4]] * [[ニンテンドーDSi|DSi]](DSiサウンド), [[Wii]]([[写真チャンネル]]) - v1.1から対応。 * [[Blu-ray Disc]] ([[BDAV]]) * Bluetoothイヤホン - [[AirPods]]など * [[スマートスピーカー]] - [[HomePod]], [[Google Home]], Google Home対応スピーカーの一部機種 * [[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]] * [[デジタル放送の一覧|BSデジタル放送]] * [[スカパー!プレミアムサービス]] * [[着うたフルプラス]] - [[KDDI]]および[[沖縄セルラー電話]]の一部の[[Au (携帯電話)|au携帯電話]]向け音楽配信サービス。 * [[SD-Audio]] * [[リキッドオーディオジャパン|Liquid Audio]] * [[Nero Digital]] * [[mora]] - ソニーグループの音楽配信サービス。2012年10月よりAACによる配信を開始(それ以前は[[ATRAC|ATRAC3]]による配信)。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[ウォークマン]] * [[D-snap]] * [[Zune]] * [[FairPlay]] - [[デジタル著作権管理]]技術 * [[日本における衛星放送]] * [[MP4]] * [[データ圧縮]] * [[RealAudio]] * [[SD-Audio]] * [[D-dock]] == 外部リンク == === 解説サイト === * [http://www.audiocoding.com/ AudioCoding.com] * [http://www.rarewares.org/aac.html AAC関連ツール (RareWares)] * [http://www.apple.com/jp/mpeg4/aac アップル AACオーディオ] * [https://bb.watch.impress.co.jp/cda/bbword/16246.html Broadband Watch--BBっとWORDS 「AACの特徴」] {{圧縮フォーマット|音声}} {{Normdaten}} [[Category:コーデック]] [[Category:音声ファイルフォーマット]] [[Category:非可逆圧縮アルゴリズム]] [[Category:MPEG]]
2003-04-02T22:22:07Z
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朝鮮半島エネルギー開発機構
朝鮮半島エネルギー開発機構(ちょうせんはんとうエネルギーかいはつきこう、英語: Korean Peninsula Energy Development Organization, KEDO)は、米朝枠組み合意に基づいて、北朝鮮に核拡散の恐れの低い軽水炉2基と完成までの期間の重油燃料を、日本と韓国の費用負担により無償で提供することによって、北朝鮮が保有する黒鉛減速型炉と核兵器開発計画を放棄させることを目的として設立された組織である。 日本・アメリカ・韓国の共同組織。主要事業であった軽水炉建設計画が続行不可能となったため、2005年に解散。 北朝鮮は、ソ連より黒鉛減速型原子炉の提供を受け、その条件として1985年12月12日NPTに加盟。国際社会に対して核兵器の製造、譲渡をしないことを約束した。 しかし北朝鮮は、その NPT(核拡散防止条約)を遵守せず、核兵器の開発を極秘に開始。1993年2月、IAEAが未申告の核関連疑惑施設への「特別査察」を要求して条約に違反した核兵器の開発が露見すると、1994年にはIAEAからの即時脱退を宣言。使用済み核燃料からのプルトニウムの抽出を強行した。 1994年10月、北朝鮮はアメリカ大統領のビル・クリントンとの枠組み合意(October 1994 Agreed Framework)締結により、IAEAからの即時脱退を撤回。再度、核兵器の開発を凍結し最終的に解体することを約束する。 この見返りとして、アメリカは以下の事項に合意した。 この枠組み合意によって、1995年3月に日本、韓国、アメリカが共同で朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)を発足させ、建設費の30%を日本、70%を韓国が負担して、北朝鮮にプルトニウムの抽出が難しい軽水炉を提供することとなった しかし、この合意も暗礁に乗り上げ、IAEAによる査察を拒否。アメリカの調査によりウラン濃縮による核開発を続行していることが明るみに出ると、北朝鮮はIAEAの査察チームを国外退去としてIAEAの脱退を宣言した。 1998年8月31日、北朝鮮は弾道ミサイル、テポドン1号を発射、日本上空を通過し太平洋に着弾する。 2003年1月 北朝鮮、NPTからの即時脱退を宣言。 2003年11月21日 朝鮮半島エネルギー開発機構は、北朝鮮への軽水炉供与事業を12月1日から1年間凍結すると発表。 2005年11月22日 朝鮮半島エネルギー開発機構はニューヨークで理事会を開き、清算を決定。軽水炉建設事業を廃止することで合意した。
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朝鮮半島エネルギー開発機構は、米朝枠組み合意に基づいて、北朝鮮に核拡散の恐れの低い軽水炉2基と完成までの期間の重油燃料を、日本と韓国の費用負担により無償で提供することによって、北朝鮮が保有する黒鉛減速型炉と核兵器開発計画を放棄させることを目的として設立された組織である。 日本・アメリカ・韓国の共同組織。主要事業であった軽水炉建設計画が続行不可能となったため、2005年に解散。
'''朝鮮半島エネルギー開発機構'''(ちょうせんはんとうエネルギーかいはつきこう、{{lang-en|Korean Peninsula Energy Development Organization, '''KEDO'''}})は、[[米朝枠組み合意]]に基づいて、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に核拡散の恐れの低い[[軽水炉]]2基と完成までの期間の[[重油]]燃料を、日本と韓国の費用負担により無償で提供することによって、北朝鮮が保有する[[黒鉛炉|黒鉛減速型炉]]と[[核兵器]]開発計画を放棄させることを目的として設立された組織である。 [[日本]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[大韓民国|韓国]]の共同組織。主要事業であった軽水炉建設計画が続行不可能となったため、[[2005年]]に解散。 == 歴史 == === ソ連の技術供与 === 北朝鮮は、[[ソビエト連邦|ソ連]]より黒鉛減速型原子炉の提供を受け、その条件として[[1985年]]12月12日[[核拡散防止条約|NPT]]に加盟。国際社会に対して[[核兵器]]の製造、譲渡をしないことを約束した。 === 条約違反の核兵器開発 === しかし北朝鮮は、その NPT(核拡散防止条約)を遵守せず、核兵器の開発を極秘に開始。[[1993年]]2月、[[国際原子力機関|IAEA]]が未申告の核関連疑惑施設への「特別査察」を要求して条約に違反した核兵器の開発が露見すると、[[1994年]]にはIAEAからの即時脱退を宣言。使用済み核燃料からの[[プルトニウム]]の抽出を強行した。 === 米朝枠組み合意 === 1994年10月、北朝鮮は[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]]の[[ビル・クリントン]]との[[米朝枠組み合意|枠組み合意]]({{en|October 1994 Agreed Framework}})締結により、IAEAからの即時脱退を撤回。再度、核兵器の開発を凍結し最終的に解体することを約束する。 この見返りとして、アメリカは以下の事項に合意した。 *北朝鮮に韓国標準型の軽水炉2基を供与する *軽水炉が完成するまでの間、毎年50万tの[[重油]]を供与する この枠組み合意によって、1995年3月に日本、韓国、アメリカが共同で朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)を発足させ、建設費の30%を日本、70%を韓国が負担して、北朝鮮にプルトニウムの抽出が難しい軽水炉を提供することとなった === 核兵器開発の続行 === しかし、この合意も暗礁に乗り上げ、IAEAによる査察を拒否。アメリカの調査により[[ウラン濃縮]]による核開発を続行していることが明るみに出ると、北朝鮮はIAEAの査察チームを国外退去としてIAEAの脱退を宣言した。 [[1998年]]8月31日、北朝鮮は[[弾道ミサイル]]、[[テポドン1号]]を発射、[[日本列島|日本]]上空を通過し[[太平洋]]に着弾する。 [[2003年]]1月 北朝鮮、NPTからの即時脱退を宣言。 === 清算 === 2003年11月21日 朝鮮半島エネルギー開発機構は、北朝鮮への軽水炉供与事業を12月1日から1年間凍結すると発表。 [[2005年]]11月22日 朝鮮半島エネルギー開発機構は[[ニューヨーク]]で理事会を開き、清算を決定。軽水炉建設事業を廃止することで合意した。 == 関連項目 == * [[朝鮮半島]] * [[北朝鮮核問題]] * [[北朝鮮の核実験]] * [[北朝鮮関係記事の一覧]] == 外部リンク == * [http://www.kedo.org/ KEDO] * [https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/kedo/index.html 朝鮮半島エネルギー開発機構 (KEDO)]([[外務省]]) {{北朝鮮の核問題}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちようせんはんとうえねるきいかいはつきこう}} [[Category:北朝鮮核問題]] [[Category:かつて存在した原子力関連組織]] [[Category:2005年廃止の組織]]
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11月4日
11月4日(じゅういちがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から308日目(閏年では309日目)にあたり、年末まであと57日ある。
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{{カレンダー 11月}} '''11月4日'''(じゅういちがつよっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から308日目([[閏年]]では309日目)にあたり、年末まであと57日ある。 == できごと == [[File:Teatro San Carlo large view.jpg|thumb|140px|[[イタリア]]・[[ナポリ]]の[[サン・カルロ劇場]]開場(1737)。現役の[[歌劇場]]としては最古]] [[File:The Moment Carter Opens the Shrine.jpg|thumb|140px|[[ツタンカーメン]]王墓の入口発見(1922)。[[ハワード・カーター]]が[[玄室]]の扉を開けようとしている]] {{multiple image | image1 = Flag of UNESCO.svg | width1 = 120 | caption1 = [[国際連合教育科学文化機関|国連教育科学文化機関]](ユネスコ)発足(1946)。日本は[[1951年]][[7月2日]]に加盟 | alt1 = ユネスコ | image2 = Omachi Dam park Sakamoto Tatsuhiko cenotaph.jpg | width2 = 120 | caption2 = [[坂本堤弁護士一家殺害事件]](1989)。画像は[[長野県]][[大町市]]にある慰霊碑 | alt2 = 慰霊碑 }} [[File:Obama08acceptance.jpg|thumb|140px|[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙]](2008)。[[グラント・パーク (シカゴ)|グラント・パーク]]で勝利宣言をする[[バラク・オバマ]]]] * [[1598年]]([[慶長]]3年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]・[[第二次蔚山城の戦い]]終結:[[蔚山城]]近郊に布陣していた[[明]]・[[朝鮮]]軍が退却する{{要出典|date=2021-04}}。 * [[1737年]] - [[サン・カルロ劇場]]が開場。 * [[1783年]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の『[[交響曲第36番 (モーツァルト)|交響曲第36番]]』が初演。この日の演奏会のために4日間で作曲。 * [[1852年]] - [[カミッロ・カヴール]]が[[サルデーニャ王国]]首相に就任。 * [[1869年]] - イギリスの総合[[学術誌]]『[[ネイチャー]]』が創刊。 * [[1887年]] - [[大阪府]]から分離して[[奈良県]]を再置。 * [[1918年]] - [[第一次世界大戦]]: [[イタリア戦線 (第一次世界大戦)|イタリア戦線]]の停戦協定が発効し、[[イタリア]]が[[オーストリア・ハンガリー帝国]]に勝利。 * [[1919年]] - [[ギリシャ王国|ギリシャ]]国王[[アレクサンドロス1世 (ギリシャ王)|アレクサンドロス1世]]が平民の娘[[アスパシア・マノス]]と結婚し、パリへ駆け落ち。 * [[1921年]] - [[原敬暗殺事件]]。 * 1921年 - [[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]の[[突撃隊]] (SA) が発足。 * [[1922年]] - [[ハワード・カーター]]が[[ツタンカーメン]]王の墓の入口を発見。 * [[1924年]] - 前知事夫人の[[ネリー・ロス]]が[[ワイオミング州知事]]選挙に当選。アメリカ初の女性州知事となる。 * [[1946年]] - [[国際連合教育科学文化機関憲章|ユネスコ憲章]]が発効し、[[国際連合教育科学文化機関|国連教育科学文化機関]](ユネスコ)発足。 * 1946年 - [[中華民国の歴史|中華民国]]外交部長[[王世杰]]、条約司司長王化成と、アメリカの駐華大使{{仮リンク|ジョン・レイトン・スチュアート|label=スチュアート|en|John Leighton Stuart}}、総領事スミスが中米友好通商航海条約(中米商約)を[[南京]]で締結する。 * [[1948年]] - [[京都市]]内で[[ジフテリア]][[予防接種]]を受けた者が次々と発熱する[[医療事故]]が発生。死者68人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=71|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1950年]] - [[人権と基本的自由の保護のための条約]]が[[欧州評議会]]により採択される。 * [[1952年]] - [[アメリカ国家安全保障局]]設立。 * 1952年 - [[1952年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]が当選。 * [[1955年]] - 第二次世界大戦中に爆撃で破壊された[[ウィーン国立歌劇場]]が再建。 * [[1956年]] - [[ハンガリー動乱]]: ソ連軍が首都・[[ブダペスト]]を制圧し、親ソ派の[[カーダール・ヤーノシュ|カダル]]政権が成立。 * [[1962年]] - [[島倉千代子]]援護会事務所に爆発物が届き1人負傷。一連の[[草加次郎事件]]の最初の事件。 * [[1970年]] - アメリカで、13歳まで部屋に監禁されていた[[ジーニー (隔離児)|ジーニー]]が発見される。 * [[1979年]] - [[イランアメリカ大使館人質事件]]が発生。1981年1月に人質が解放。 * 1979年 - プロ野球[[1979年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で[[広島東洋カープ]]が[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]を破り、初の日本一に。([[江夏の21球]]) * [[1980年]] - [[1980年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の[[ロナルド・レーガン]]が当選。 * 1980年 - [[読売ジャイアンツ]]の[[王貞治]]が現役引退。 * [[1988年]] - アメリカに[[国立生物工学情報センター]]設立。 * [[1989年]] - [[オウム真理教]]による[[坂本堤弁護士一家殺害事件|坂本弁護士一家殺害事件]]。 * [[1993年]] - [[中華航空605便オーバーラン事故]]。 * [[1995年]] - [[イスラエル]]の[[テルアビブ]]で[[イツハク・ラビン]]首相が暗殺。 * [[1996年]] - [[大川寺遊園]]([[富山県]][[富山市]])の営業が終了。 * [[2000年]] - [[宮城県]]の[[上高森遺跡]]などで発掘された石器が捏造であったことが発覚。([[旧石器捏造事件]]) * [[2002年]] - [[中華人民共和国|中国]][[国務院総理]][[朱鎔基]]が[[プノンペン]]の第六次[[首脳会談]]で[[東南アジア諸国連合|ASEAN]]10ヶ国とともにACFTA([[ASEAN自由貿易地域#ASEAN・中国FTA(AC-FTA)|中国ASEAN自由貿易協定]])を締結する。 * [[2003年]] - 1976年の観測開始以来最大の[[太陽嵐|太陽フレア]]が発生。[[人工衛星]]や[[宇宙探査機]]などに影響が出る。 * [[2008年]] - [[2008年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[バラク・オバマ]]が[[アフリカ系アメリカ人]]初の[[アメリカ合衆国大統領]]に当選。 * [[2016年]] - 気候変動に関する[[パリ協定 (気候変動)|パリ協定]]が発効する<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol150/ パリ協定 - 歴史的合意に至るまでの道のり] 外務省 (2017年1月25日) 2020年11月15日閲覧。</ref>。 * [[2017年]] - [[サウジアラビア]]、推計1000億ドル(約11兆3000億円)に上る横領と汚職の嫌疑で王子11人を含む数十人あまりを拘束<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3149325|title=サウジの汚職対策委員会、王子や大臣ら拘束 反皇太子派を封じ込めか|publisher=AFPBB NEWS|accessdate=2017-11-6|date=2017-11-5}}</ref>。 == 誕生日 == [[File:Guido reni, san sebastiano.JPG|thumb|200px|[[17世紀]]前半、[[ボローニャ派]]に属する[[イタリア]]の[[画家]]、[[グイド・レーニ]](1575-1642)誕生。画像の《[[セバスティアヌス|聖セバスチャン]]の殉教》(1615) は[[三島由紀夫]]『[[仮面の告白]]』で有名]] [[File:Gerrit van Honthorst - Adoration of the shepherds.jpg|thumb|220px|「ゲラールド・デッラ・ノッテ(夜のゲラールド)」の異名を持った[[オランダ]]の画家、[[ヘラルト・ファン・ホントホルスト]](1592-1656)誕生。画像は《羊飼いの礼拝》(1622)]] [[File:Izumi Kyoka.jpg|thumb|120px|[[小説家]]、[[泉鏡花]](1873-1939)誕生]] [[File:Yi Bangja.jpg|thumb|120px|[[大韓帝国]]皇太子[[李垠]]妃、[[李方子]](1901-1989)誕生]] [[File:Luis Figo.jpg|thumb|140px|[[サッカーポルトガル代表]]選手、[[ルイス・フィーゴ]](1972-)誕生。[[レアル・マドリード]][[銀河系軍団]]の1人として[[2001年]][[FIFA最優秀選手賞]]受賞]] * [[1470年]] - [[エドワード5世 (イングランド王)|エドワード5世]]、イングランド王(+ [[1483年]]) * [[1575年]] - [[グイド・レーニ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Guido-Reni Guido Reni Italian painter] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[画家]](+ [[1642年]]) * [[1592年]] - [[ヘラルト・ファン・ホントホルスト]]、画家(+ [[1656年]]) * [[1648年]]([[慶安]]元年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]])- [[分部嘉高]]、第3代[[大溝藩|大溝藩主]](+ [[1667年]]) * [[1650年]]([[慶安]]3年[[10月11日 (旧暦)|10月11日]])- [[池田仲澄]]、初代[[鹿奴藩|鹿奴藩主]](+ [[1722年]]) * [[1675年]]([[延宝]]3年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]])- [[島津吉貴]]、第4代[[薩摩藩|薩摩藩主]](+ [[1747年]]) * [[1782年]]([[天明]]2年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]])- [[南部利敬]]、第10代[[盛岡藩|盛岡藩主]](+ [[1820年]]) * [[1791年]]([[寛政]]3年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]])- [[本多忠升]]、第5代[[神戸藩|神戸藩主]](+ [[1859年]]) * 1791年(寛政3年10月9日)- [[稲葉正盛]]、第3代[[館山藩|館山藩主]](+ [[1820年]]) * [[1839年]](寛政3年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]])- [[阿部正恒]]、第8代[[佐貫藩|佐貫藩主]](+ [[1899年]]) * [[1841年]] - [[カール・タウジヒ]]、[[ピアニスト]](+ [[1871年]]) * [[1873年]] - [[泉鏡花]]、[[小説家]](+ [[1939年]]) * 1873年 - [[ボビー・ウォレス]]、[[プロ野球選手]](+ [[1960年]]) * [[1878年]] - [[ジュゼッペ・アダーミ]]、[[劇作家]](+ [[1946年]]) * [[1901年]] - [[李方子]]、元[[大韓帝国]]皇太子[[李垠]]妃(+ [[1989年]]) * [[1902年]] - [[上村松篁]]、[[日本画家]](+ [[2001年]]) * [[1906年]] - [[スターリング・ノース]]、小説家、『[[あらいぐまラスカル]]』の原作者(+ [[1974年]]) * [[1908年]] - [[ジョセフ・ロートブラット]]、[[物理学者]](+ [[2005年]]) * [[1911年]] - [[清水脩]]、[[作曲家]](+ [[1986年]]) * [[1913年]] - [[ギグ・ヤング]]、[[俳優]](+ [[1978年]]) * [[1918年]] - [[アート・カーニー]]、俳優、[[コメディアン]](+ [[2003年]]) * 1918年 - [[桜井七之助]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * [[1923年]] - [[福田平]]、[[法学者]] (+ [[2019年]]) * [[1926年]] - [[小松方正]]、俳優(+ [[2003年]]) * [[1930年]] - [[ディック・グロート]]、元プロ野球選手、プロバスケットボール選手(+ [[2023年]]) * [[1932年]] - [[志生野温夫]]、フリーアナウンサー * [[1933年]] - [[池内淳子]]、女優(+ [[2010年]]) * [[1935年]] - [[木村東道]]、[[書家]](+ [[2007年]]) * [[1936年]] - [[斎藤悠子]]、元アナウンサー * 1936年 - [[前田正二]]、元高校教諭、アナウンサー(+ [[2016年]]) * [[1939年]] - [[宮田征典]]、元プロ野球選手(+ [[2006年]]) * [[1940年]] - [[宮寺勝利]]、元プロ野球選手 * 1940年 - [[森瑤子]]、小説家(+ [[1993年]]) * [[1942年]] - [[阿部正俊]]、政治家(+ [[2020年]]) * 1942年 - [[田邊哲人]]、[[スポーツチャンバラ]]の創始者 * [[1943年]] - [[横光克彦]]、元俳優、政治家 * [[1946年]] - [[ロバート・メイプルソープ]]、[[写真家]](+ [[1989年]]) * 1946年 - [[ミシェル・ブラス]]、[[料理人]] * [[1947年]] - [[西田敏行]]、[[歌手]]、俳優 * 1947年 - [[アレクセイ・ウラノフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1948年]] - [[栗田博憲]]、[[調教師]] * 1948年 - [[アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ]]、[[マリ共和国]]大統領 * 1948年 - [[安木祥二]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[赤出川浩道]]、俳優 * [[1951年]] - [[岡本一光]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[スロッビング・グリッスル|コージー・ファニ・トゥッティ]]、パフォーミング・アーティスト([[スロッビング・グリッスル]]) * [[1952年]] - [[ジェフ・ローバー]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]] * [[1954年]] - [[清水秀彦]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、解説者 * [[1955年]] - [[深見敏男]]、[[馬主]] * [[1956年]] - [[荒川太朗]]、[[声優]](+ [[2012年]]) * [[1956年]] - [[ジョーダン・ルーデス]]、[[キーボーディスト]] * [[1957年]] - [[アレクサンドル・トカチェフ]]、[[体操競技]]選手 * 1957年 - [[永井龍雲]]、[[シンガーソングライター]] * [[1958年]] - [[井上祐美子]]、[[作家]] * 1958年 - [[ウーベ・ベーベルスドルフ]]、フィギュアスケート選手 * [[1961年]] - [[福田治男]]、高校野球指導者 * 1961年 - [[ラルフ・マッチオ]]、俳優 * [[1963年]] - [[NOKKO]]、[[歌手]] * 1963年 - [[リリー・フランキー]]、[[イラストレーター]]、[[エッセイスト]]、俳優 * 1963年 - [[小池均]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[オラシオ・エリソンド]]、[[サッカー審判員]] * [[1964年]] - [[高杉亘]]、俳優 * 1964年 - [[水谷優子]]、声優(+ [[2016年]]<ref name="oricon">[https://www.oricon.co.jp/news/2071912/full/ 声優・水谷優子さん、乳がんで死去 『ちびまる子ちゃん』お姉ちゃんなど],ORICON STYLE,2016年5月19日</ref>) * 1964年 - [[元祖爆笑王]]、[[構成作家]] * [[1965年]] - [[PATA]]、[[ギタリスト]]([[X JAPAN]]) * 1965年 - [[橋上秀樹]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[水谷ケイコ]]、声優 * 1965年 - [[ジェフ・スコット・ソート]]、ヴォーカリスト([[イングヴェイ・マルムスティーン]]) * [[1967年]] - [[浅倉大介]]、[[作曲家]] * 1967年 - [[中山裕章]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[ライアン・トンプソン]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[後藤圭二]]、[[アニメーター]] * 1968年 - [[名倉潤]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[ネプチューン (お笑いトリオ)|ネプチューン]]) * 1968年 - [[山下てつお]]、[[漫画家]] * [[1969年]] - [[出山知樹]]、[[アナウンサー]] * 1969年 - [[池津祥子]]、女優 * 1969年 - [[ショーン・コムズ]]、[[MC (ヒップホップ)]] * 1969年 - [[マシュー・マコノヒー]]、俳優、プロデューサー * [[1971年]] - [[メルビン・バンチ]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[土屋武士]]、[[レーシングドライバー]] * 1972年 - [[ルイス・フィーゴ]]、元サッカー選手 * [[1974年]] - [[ルイーズ・ナーディング]]、歌手 * 1974年 - [[山本未來]]、女優 * 1974年 - [[マーズ・ヴォルタ|セドリック・ビクスラー・ザヴァラ]]、ヴォーカリスト([[マーズ・ヴォルタ]]) * [[1975年]] - [[マクシミリアーノ・フェラーロ]]、政治家 * [[1976年]] - [[小谷美紗子]]、[[シンガーソングライター]] * 1976年 - [[玉田誠]]、[[オートバイ|バイク]]レーサー * 1976年 - [[松本龍 (アナウンサー)|松本龍]] 、アナウンサー * [[1977年]] - [[林田暢明]]、[[思想家]] * [[1977年]] - [[ラリー・ビグビー]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[マーカス・グウィン]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[ソ・ジソブ]]、俳優 * [[1978年]] - [[阿部哲子]]、元アナウンサー * 1978年 - [[ジョン・グラボウ]]、プロ野球選手 * [[1979年]] - [[鳥谷部健一]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[水田圭介]]、元プロ野球選手 * [[1981年]] - [[尾野真千子]]、女優 * 1981年 - [[夢咲こよい]]、[[AV女優]] * 1981年 - [[脇谷亮太]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[宮地静香]]、クリケット選手<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.new-road-media.com/article/article-2458/|title=日本人初!宮地静香選手がプロクリケット選手として海外リーグと契約|author=三河賢文|work=New Road|publisher=ネットワークコミュニケーションズ|accessdate=2022-05-18}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://m.espncricinfo.com/ci/content/player/486909.html|title=Shizuka Miyaji|publisher=Cricinfo|accessdate=2022-05-18}}</ref> * [[1982年]] - 石田香奈、[[モデル (職業)|モデル]]、女優 * 1982年 - [[エバン・マクレーン]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[トラビス・ブラックリー]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[村主千香]]、元[[フィギュアスケート|フィギュアスケーター]] * 1983年 - [[竹本貴志]]、元[[騎手]](+ [[2004年]]) * 1983年 - [[渡辺蘭]]、タレント * [[1985年]] - [[是永美記]]、[[フットサル]]プレイヤー * 1985年 - [[石塚麻畝]]、元[[グラビアアイドル]] * [[1986年]] - [[伊原正樹]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[安藤永倫]]、元プロサッカー選手 * [[1987年]] - [[浅倉結希]]、元グラビアアイドル * 1987年 - [[福田亮太]]、元タレント * 1987年 - [[ベルマン・エスピノサ]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[T.O.P]]、歌手([[BIGBANG]]) * 1987年 - [[チャオズ箕輪]]、プロボクサー * 1987年 - [[wowaka]]、ミュージシャン(+ [[2019年]]<ref name="died20190408">[https://www.sonymusic.co.jp/artist/hitorie/info/505751 インフォメーション | ヒトリエ | ソニーミュージック オフィシャルサイト]</ref>) * [[1988年]] - [[畠山智妃]]、歌手、タレント(元[[SDN48]]) * [[1989年]] - [[宮本佳那子]]、歌手、女優 * 1989年 - [[小林実希]]、空手家<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.joc.or.jp/int_games/asia/2010/pdf/member/28_karatedo.pdf |title=空手道 |publisher=[[日本オリンピック委員会]] |date=2010 |format=PDF |accessdate=2014-09-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140915140020/http://www.joc.or.jp/int_games/asia/2010/pdf/member/28_karatedo.pdf |archivedate=2014-09-15}}</ref> * 1989年 - [[小田裕也]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[井領雅貴]]、元プロ野球選手 * [[1990年]] - [[又吉克樹]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[渡辺ゆい (女優)|渡辺ゆい]]、女優 * 1990年 - [[西口諒]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[勝武士幹士]]、大相撲力士(+ [[2020年]]<ref name="nikkan200513">{{Cite news|date=2020-05-13|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202005130000226.html|title=大相撲・三段目の勝武士がコロナ感染死 28歳|newspaper=ニッカンスポーツ・コム|agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate=2020-10-31}}</ref>) * [[1992年]] - [[笠松将]]、俳優 * 1992年 - [[ベリーウィリアム]]、アイドル(元[[ジャニーズJr.]]) * 1992年 - [[牧場みのり]]、元プロレスラー * [[1993年]] - [[吉持亮汰]]、元プロ野球選手 * [[1995年]] - [[長浜浩江]]、元プロレスラー * 1995年 - 森絵莉加、アイドル(元[[Especia]]) * 1995年 - [[玉村祐典]]、元プロ野球選手 * [[1996年]] - [[安樂智大]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[小笹椋]]、[[陸上競技選手]] * 1996年 - [[ケイトリン・ホワイエク]]、フィギュアスケート選手 * [[1997年]] - 小笠原裕子、アイドル(元[[JK21]]) * [[1999年]] - [[金久保優斗]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - 理緒奈、アイドル([[ピコピコ☆レボリューション]]) * 2000年 - [[阿部寿世]]、声優、歌手([[fripSide]]) * [[2002年]] - 川又あん奈、元アイドル(元[[STU48]]) * [[2010年]] - [[澤井梨丘]]、女優 * 生年不明 - [[菅原雅芳]]、声優 * 生年不明 - [[千葉優輝]]、声優 == 忌日 == {{multiple image | footer = [[第一次世界大戦]]を題材にした[[イギリス]]の[[詩人]]、[[ウィルフレッド・オーエン]](1893-1918)休戦一週間前に戦死{{Squote|畜殺されし者たちに いかなる弔鐘を鳴らすのか<br>ただ猛り狂った銃声のみ<br>ガタガタ響くライフル音のみ<br>彼らのせわしき祈りの声とならん――『死すべき定めの若者のための賛歌』}} | image1 = Wilfred Owen 2.png | width1 = 110 | alt1 = オーエン | image2 = Ors Communal Cemetery - Wilfred Owen.JPG | width2 = 90 | alt2 = オーエンの墓 }} {{multiple image | footer = 第19代[[内閣総理大臣]]、[[原敬]](1856-1921)暗殺。右は[[東京駅]]の襲撃現場 | image1 = Takashi Hara posing.jpg | width1 = 100 | alt1 = 原敬 | image2 = The scene of Hara Takashi assassination.jpg | width2 = 130 | alt2 = 襲撃現場 }} {{multiple image | footer = [[オスロ合意]]でアラブ陣営との和平を目指した[[イスラエルの首相|イスラエル首相]]、[[イツハク・ラビン]](1922-1995)暗殺。右は[[テルアビブ]]の襲撃現場 | image1 = Flickr - Israel Defense Forces - Life of Lt. Gen. Yitzhak Rabin, 7th IDF Chief of Staff in photos (11).jpg | width1 = 100 | alt1 = ラビン | image2 = Kikar rabin.jpg | width2 = 130 | alt2 = 襲撃現場 }} * [[1157年]] - [[マファルダ・デ・サボイア (ポルトガル王妃)|マファルダ・デ・サボイア]]、[[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|ポルトガル王アフォンソ1世]]の妃(* [[1125年]]) * [[1674年]]([[延宝]]2年[[10月7日 (旧暦)|10月7日]])- [[狩野探幽]]、[[狩野派]]絵師(* [[1602年]]) * [[1847年]] - [[フェリックス・メンデルスゾーン]]、[[作曲家]](* [[1809年]]) * [[1856年]] - [[ポール・ドラローシュ]]、[[画家]](* [[1797年]]) * [[1869年]] - [[ジョージ・ピーボディ]]、[[企業家]]、[[慈善家]](* [[1795年]]) * [[1875年]] - [[ローベルト・フォン・モール]]、[[法学者]](* [[1799年]]) * [[1894年]] - [[フィリップ・ギルバート・ハマトン]] ([[:en:Philip Gilbert Hamerton|Philip Gilbert Hamerton]])、[[美術評論家]](* [[1834年]]) * [[1918年]] - [[ウィルフレッド・オーエン]]、[[詩人]](* [[1893年]]) * [[1920年]] - [[ルドヴィッヒ・シュトルーベ]]、[[天文学者]](* [[1858年]]) * [[1921年]] - [[原敬]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/172/|title=原敬 | 近代日本人の肖像 : 作品情報|publisher=国立国会図書館|accessdate=2020-12-08}}</ref>、政治家、第19代[[内閣総理大臣]](* [[1856年]]) * 1921年 - [[リーヴァイ・メイエール]]、プロ野球選手(* [[1849年]]) * [[1924年]] - [[ガブリエル・フォーレ]]、作曲家(* [[1845年]]) * [[1928年]] - [[アーノルド・ロススタイン]]、[[賭博師]](* [[1882年]]) * [[1930年]] - [[秋山好古]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[大将]](* [[1859年]]) * [[1940年]] - [[壷井宇乃子]]、競泳選手(* [[1917年]])<ref>{{Cite news |和書|title= 壷井宇乃子女史|newspaper= 読売新聞【朝刊】|date= 1940-11-05|author= |url= |agency=読売新聞社|page=7|accessdate=2021-05-02}}</ref> * [[1946年]] - [[徳川義恕]]、[[大正天皇]]の[[侍従]](* [[1878年]]) * [[1950年]] - [[ピート・アレクサンダー]]、プロ野球選手(* [[1887年]]) * 1950年 - [[石渡荘太郎]]、政治家、[[大蔵大臣]]、[[宮内大臣]](* [[1891年]]) * [[1955年]] - [[サイ・ヤング]]、プロ野球選手(* [[1867年]]) * [[1959年]] - [[レフティ・ウィリアムズ]]、プロ野球選手(* [[1893年]]) * [[1960年]] - [[山脇敏子]]、洋画家、[[服飾]][[手芸]]家・[[教育者]](* [[1887年]]) * [[1961年]] - [[坂東三津五郎 (7代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1882年]]) * [[1967年]] - [[野上彰 (文学者)|野上彰]]、作家(* [[1909年]]) * [[1969年]] - [[カルロス・マリゲーラ]]、[[マルクス主義]]運動家(* [[1911年]]) * [[1974年]] - [[バート・パテナウデ]]、[[サッカー選手]](* [[1909年]]) * 1974年 - [[落合英二 (薬学者)|落合英二]]、[[薬学者]](* [[1898年]]) * [[1980年]] - [[長浜忠夫]]、[[アニメーション]]監督(* [[1932年]]) * [[1982年]] - [[ドミニク・ダン]]、[[俳優|女優]](* [[1959年]]) * [[1985年]] - [[カス・ダマト]]、[[ボクシング]]トレーナー(* [[1925年]]) * [[1987年]] - [[阪田清春]]、元[[プロ野球選手]](* [[1924年]]) * [[1989年]] - [[隆慶一郎]]、小説家(* [[1923年]]) * [[1991年]] - [[小此木彦三郎]]、[[政治家]](* [[1928年]]) * [[1993年]] - [[萩原昭]]、元プロ野球選手(* [[1927年]]) * [[1994年]] - [[サム・フランシス]]、[[画家]](* [[1923年]]) * [[1995年]] - [[イツハク・ラビン]]、[[イスラエルの首相|イスラエル首相]](* [[1922年]]) * 1995年 - [[ジル・ドゥルーズ]]、[[哲学者]](* [[1925年]]) * [[1997年]] - [[青田昇]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]](* [[1924年]]) * [[2003年]] - [[大沢紀三男]]、元プロ野球選手(* [[1926年]]) * [[2005年]] - [[高橋ひろ]]、[[シンガーソングライター]](元[[チューリップ (バンド)|チューリップ]])(* [[1964年]]) * [[2006年]] - [[ネルスン・ボンド]]、[[SF作家]]、[[ファンタジー]]作家(* [[1908年]]) * 2006年 - [[清水キョウイチ郎]]、[[お笑いタレント]](* [[1965年]]) * [[2007年]] - [[萩原英雄]]、画家(* [[1913年]]) * 2007年 - [[小野義一郎]]、[[実業家]](* [[1918年]]) * [[2008年]] - [[レナート・ベルゲリン]]、[[テニス]]選手(* [[1925年]]) * 2008年 - [[マイケル・クライトン]]、[[小説家]]、[[脚本家]](* [[1942年]]) * [[2009年]] - [[スタニスワフ・フラネク]]、[[サッカー]]選手(* [[1919年]]) * 2009年 - [[イワン・ビアコフ]]、[[バイアスロン]]選手(* [[1924年]]) * 2009年 - [[武藤嘉文]]、[[総務庁]]長官(* [[1926年]]) * 2009年 - [[朴容旿]]、[[実業家]](* [[1937年]]) * 2009年 - [[アイヴァン・アラン]]、[[調教師]](* [[1941年]]) * 2009年 - [[渡辺好明 (美術家)|渡辺好明]]、現代美術家(* [[1955年]]) * 2010年 - [[スパーキー・アンダーソン]]、[[メジャーリーグ]]監督(* [[1934年]]) * [[2013年]] - [[根來泰周]]、[[弁護士]]、[[検察官]]、[[僧侶]](* [[1932年]]) * [[2016年]] - [[ジャン=ジャック・ペリー]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://amass.jp/80500/|title=電子音楽のパイオニア、ジャン=ジャック・ペリーが死去|work=amass|date=2016-11-06|accessdate=2021-01-06}}</ref>、[[電子音楽]]の音楽家(* [[1929年]]) * [[2018年]] - [[坂本剛二]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S13756417.html|title=坂本剛二さん死去|publisher=朝日新聞デジタル|date=2018-11-06|accessdate=2020-10-30}}</ref>、[[政治家]](* [[1944年]]) * [[2020年]] - [[土屋嶢]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20201104-OYT1T50233/|title=前大垣共立銀行頭取の土屋氏、新型コロナによる急性呼吸不全で死去|publisher=読売新聞オンライン|date=2020-11-04|accessdate=2020-11-04}}</ref>、[[銀行|銀行家]](* [[1946年]]) == 記念日・年中行事 == * ユネスコ憲章記念日 *: [[1946年]]11月4日に[[ユネスコ憲章]]が発効し、[[国際連合教育科学文化機関|国連教育科学文化機関]](ユネスコ)が発足したことに由来。 * 国家統一と陸軍の日({{ITA}}) *: [[1918年]]のこの日、[[第一次世界大戦]]・[[イタリア戦線 (第一次世界大戦)|イタリア戦線]]の停戦協定([[ヴィラ・ジュスティ休戦協定]])が発効し、[[イタリア]]が[[オーストリア・ハンガリー帝国]]に勝利したことを記念。 * {{仮リンク|国民団結の日 (ロシア)|en|Unity Day (Russia)|label=国民団結の日}}({{RUS}}) *: [[1612年]]のこの日、[[ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年)|ロシア・ポーランド戦争]]でロシア国民軍がポーランド軍からモスクワを解放したことを記念。 * [[国旗の日]]({{PAN}}) *: [[1925年]]のこの日に[[パナマの国旗]]が制定されたことを記念。 * [[国士舘大学]](国士舘義塾)創立記念日 *: [[大正]]6年([[1917年]])11月4日 * [[芝浦工業大学]](東京高等工商学校)創立記念日 *: [[昭和]]2年([[1927年]])11月4日 * いい推しの日 *: [[岐阜県]][[中津川市]]付知町の株式会社ゴシンボクが制定。日付が「いいおし」と読む語呂合わせから、いちばん応援している相手(推し)について語り合う日とした<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=186|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * [[文化放送]]の日([[11月3日]]に引き続き、2日連続で) *: 周波数1134kHzにちなんで制定。また、当日が文化の日でもある。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1104|date=2011年7月}} * [[2009年]] - 渋谷ニュージェネレーションの狂気の第七の事件(アニメ版では第六の事件)「DQNパズル」と呼ばれる殺人事件が発生。(ゲーム・アニメ『[[CHAOS;HEAD]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1965年]] - [[トリックの登場人物#上田次郎|上田次郎]]、テレビドラマ『[[トリック (テレビドラマ)|トリック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=日本科学技術大学教授 上田次郎のどんと来い、超常現象 2010|publisher=学研パブリッシング|year=2010|page=21|isbn=978-4-05-404578-1}}</ref> * [[1989年]] - 鼓田ミナレ、漫画・アニメ『[[波よ聞いてくれ]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|title=波よ聞いてくれ|url=https://www.worldcat.org/oclc/1107493144|location=|isbn=978-4-06-521107-6|last=|date=|year=2020|publisher=講談社〈アフタヌーンKC〉|author=沙村広明|authorlink=沙村広明|volume=8巻|quote=表紙カバー下}}</ref> * [[宇宙世紀]]0063年 - [[アムロ・レイ]]、[[テレビアニメ]]『[[機動戦士ガンダム]]』及び[[アニメーション映画|劇場版アニメ]]『[[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]]』の主人公、『[[機動戦士Ζガンダム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.gundam.info/news/cafe-food/01_6008.html |title=ガンダムカフェ「ハッピーバースデー アムロ・レイ」&「シャア・アズナブル」11月1日より開催! |access-date=2022-09-15 |publisher=GUNDAM.INFO |date=2021-10-29}}</ref> * 生年不明 - 剣崎真琴(キュアソード)、アニメ『[[ドキドキ!プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kamikitafutago|1059212523142955009}}</ref><ref name="sbs15">GakkenMookドキドキ!プリキュアオフィシャルコンプリートブック</ref> * 生年不明 - 定山渓泉美、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/jozankei_izumi |title=北海道 定山渓泉美 |access-date=2022-09-15 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=温泉むすめ}}</ref> * 生年不明 - 角田悟、漫画・アニメ『[[SLAM DUNK]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=井上雄彦|authorlink=井上雄彦|title=[[SLAM DUNK]]|volume=23巻|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=1995|page=47|isbn=4-08-871843-7}}</ref> * 生年不明 - カシ神、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Kashigami.html |title=カシ神 |access-date=2022-09-15 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - 大和祐大、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1455913925317435405}}</ref> * 生年不明 - 雀部長次郎、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2006|page=192|isbn=4-08-874079-3}}</ref> * 生年不明 - リシャウロン・クーファン、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.j-bleach.com/chara/03/shawlong.html |title=リシャウロン・クーファン |access-date=2022-09-15 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=BLEACH.com}}</ref> * 生年不明 - 丸山一喜、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2017|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-881194-9|quote=|date=|volume=27巻|page=64}}</ref> *生年不明 - 糸色望、漫画・アニメ『[[さよなら絶望先生]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|title=さよなら絶望先生 第4集|date=2006年6月16日|year=2006|publisher=講談社|isbn=4-06-363703-4|author-link=久米田康治|page=21頁|author=久米田康治}}</ref><ref group="注釈">逆算すると[[クリスマス]]に着床したことになるので、作中でネタにされている。</ref> * 生年不明 - 大久保直也、漫画・アニメ『[[ケンガンアシュラ]]』に登場するキャラクター *生年不明 - [[らき☆すたの登場人物#峰岸あやの|峰岸あやの]]、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』に登場するキャラクター<ref>『ら・ら・ら らき☆すた ファンブック』([[月刊コンプエース]]2007年9月号付録)[[角川書店]]、2007年、8頁。</ref> *生年不明 - 美袋命、アニメ・漫画『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sunrise-inc.co.jp/my-hime/web/character/chara/mikoto.html |title=美袋 命(みなぎ みこと) |access-date=2022-09-15 |publisher=[舞-HiME] 風華学園オフィシャルWeb}}</ref> * 生年不明 - 月皇海斗、アニメ・漫画『[[スタミュ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hstar-mu.com/character/tsukigami.html |title=月皇海斗 |access-date=2022-09-15 |publisher=ひなた凛/スタミュ製作委員会}}</ref> * 生年不明 - ラッキー、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m11.html |title=住民名簿 11月 ラッキー |access-date=2022-09-15 |publisher=[[任天堂]] |work=どうぶつの森}}</ref> * 生年不明 - 天草シオン、ゲーム・アニメ『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|heavens_staff|926692283189047296}}</ref> * 生年不明 - 亞璃亞、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave|閃乱カグラNewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/aria.php |title=亞璃亞 |access-date=2022-11-06 |publisher=Marvelous Inc. |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref> * 生年不明 - 山條ぎん、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|529579646078033920}}</ref> * 生年不明 - アマノ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=10&cate=name&cont=Amano |title=アマノ |access-date=2022-09-15 |publisher=G CREST |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 桜庭ローラ、ゲーム・アニメ『[[アイカツスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.aikatsu.net/aikatsustars_02/character/chara_rola.html |title=桜庭 ローラ |access-date=2022-09-15 |publisher=アイカツスターズ!}}</ref><ref>{{Cite book|和書|editor=バンダイナムコピクチャーズ|title=アイカツスターズ!アイドル名かん(テレビ超ひゃっか ぷっちぐみ|publisher=小学館|year=2016|pages=12-13|isbn=978-4-09-750418-4}}</ref> * 生年不明 - 今大路峻、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_matori.html |title=マトリ 今大路峻 |accessdate=2022-09-15 |publisher=coly/SMHP |website=TVアニメ『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 雨宮響也(ヒビヤ)、メディアミックス『[[カゲロウプロジェクト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|mekakushidan|926764910394011648}}</ref> <!-- * 生年不明 - マックス・クレーマー(マックス・レイナー)、漫画『[[はみだしっ子]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年11月3日 (土) 14:30 (UTC)}} * 生年不明 - シェムハザ、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年11月3日 (土) 14:30 (UTC)}} 2022年9月時点で、3年半以上要出典のためコメントアウト --> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} === 注釈 === {{Notelist}} == 関連項目 == {{commonscat|4 November}} {{新暦365日|11|3|11|5|[[10月4日]]|[[12月4日]]|[[11月4日 (旧暦)|11月4日]]|1104|11|04}} {{1年の月と日}}
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11月5日
11月5日(じゅういちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から309日目(閏年では310日目)にあたり、年末まであと56日ある。
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{{カレンダー 11月}} '''11月5日'''(じゅういちがついつか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から309日目([[閏年]]では310日目)にあたり、年末まであと56日ある。 == できごと == [[File:1966 Toyota Corolla 01.jpg|thumb|180px|[[トヨタ・カローラ]]販売開始(1966年)]] [[File:Daibosatsu touge.jpg|thumb|140px|[[共産主義者同盟赤軍派|赤軍派]]の一斉検挙となった[[大菩薩峠事件]](1969)。弱体化した赤軍派は[[連合赤軍]]を結成する]] [[File:Japanese conservative holds a placard on pro-sengoku38 01.jpg|thumb|140px|[[尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件]](2010)。映像投稿者「sengoku38」擁護のプラカード]] <!-- 1605年の[[火薬陰謀事件]]はユリウス暦。グレゴリオ暦では11月15日 --> <!-- ユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月15日 →グレゴリオ暦で。 * [[1688年]] - オランダ統領ウィレム(後のイギリス王[[ウィリアム3世 (イングランド王)|]])]がオランダ軍を率いて[[イギリス]]南岸の{{仮リンク|ブリクスハム|en|Brixham}}に上陸。[[名誉革命]]が始まる。 --> *[[紀元前333年]] - [[イッソスの戦い]]。[[アレクサンドロス大王]]が[[ダレイオス3世]]率いるペルシア軍10万を破る。{{要出典|date=2021年3月}} * [[1517年]]([[永正]]14年[[10月22日 (旧暦)|10月22日]]) - [[毛利元就]]率いる[[毛利氏|毛利]]、[[吉川氏|吉川]]連合軍が[[武田元繁]]を討ち取り、[[武田氏#安芸武田氏|安芸武田家]]の襲来を撃退。([[有田中井手の戦い]]){{要出典|date=2021-02}} * [[1598年]]([[慶長]]3年[[10月7日 (旧暦)|10月7日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]・[[順天城の戦い]]:[[順天城]]を包囲していた[[明]]・[[朝鮮]]陸軍撤退する{{要出典|date=2021-03}}。 * [[1757年]] - [[七年戦争]]: [[ロスバッハの戦い]]{{要出典|date=2021-04}}。 * [[1854年]] - [[クリミア戦争]]: {{仮リンク|インカーマンの戦い|en|Battle of Inkerman}}。 * [[1838年]] - [[中米連邦]]から[[ホンジュラス]]が分離。 * [[1889年]] - [[パリ]]の[[自由の女神像]]の除幕式が行われる。 * [[1911年]] - [[曹洞宗]]大本山[[總持寺]]が能登から[[鶴見区 (横浜市)|鶴見]]に移転。 * [[1922年]] - [[ハワード・カーター]]が[[ツタンカーメン]]王墓の封印を解く。 * [[1923年]] - [[伊勢神宮]]で最も新しい別宮である[[倭姫宮]]が創建される。 * [[1937年]] - [[ナチス・ドイツ]]の[[総統官邸]]において秘密会議が開かれ、[[アドルフ・ヒトラー]]が陸海軍司令官に対外進出構想を明らかにする([[ホスバッハ覚書]])。 * [[1940年]] - [[1940年アメリカ合衆国大統領選挙|アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[フランクリン・ルーズベルト]]が当選。アメリカ史上初の三選。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: 日本の[[御前会議]]で「[[帝国国策遂行要領]]」を決定。対米交渉2案と、交渉決裂の場合は12月初旬に武力行使することを決定する。 * [[1943年]] - [[東京]]で[[大東亜会議]]が開催される。 * [[1945年]] - [[コロンビア]]が[[国際連合]]に加盟。 * [[1953年]] - [[徳島ラジオ商殺し事件]]。 * [[1959年]] - [[汐留駅 (国鉄)|汐留]] - [[梅田信号場|梅田]]間に日本初の[[日本のコンテナ輸送#鉄道コンテナ|コンテナ]]専用列車「[[たから (列車)|たから号]]」運行開始。 * [[1962年]] - 歌手・[[美空ひばり]]と俳優・[[小林旭]]が結婚。 * [[1964年]] - [[1944年]]に処刑された[[リヒャルト・ゾルゲ]]に[[ソ連邦英雄|ソ連邦英雄勲章]]が授与される。 * [[1966年]] - [[トヨタ自動車]]、[[トヨタ・カローラ|カローラ]]を発売<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/vehicle_lineage/car/id60003154/ |title=トヨタ企業サイト|accessdate=2013-08-12}}</ref>。 * [[1968年]] - [[1968年アメリカ合衆国大統領選挙|アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[リチャード・ニクソン]]が当選。 * [[1969年]] - [[大菩薩峠事件]]。[[警視庁]]が[[共産主義者同盟赤軍派|赤軍派]]53名を逮捕。 * [[1972年]] - [[恩賜上野動物園|上野動物園]]で[[ジャイアントパンダ]]・カンカンとランランの一般公開を開始。 <!-- * [[1974年]] - [[甲斐バンド]]が[[シングル]]『バス通り』で[[レコード]]デビュー。 --> <!-- * [[1978年]] - [[杏里]]がシングル『[[オリビアを聴きながら]]』で[[歌手]]デビュー。 --> * [[1985年]] - [[北海道]]最古の鉄道路線の一部である[[日本国有鉄道|国鉄]][[手宮線]](旧[[北海道鉄道 (初代)|北海道鉄道]])が廃止。<!-- 最終運転日は前日 --> * [[1989年]] - [[フォーミュラ1|F1]][[1989年オーストラリアグランプリ|オーストラリアGP]]で、[[中嶋悟]]が日本人初の[[ファステストラップ]]を記録する。 * [[1991年]] - [[宮澤内閣|宮澤喜一内閣]]が発足。 * [[1994年]] - [[ロナルド・レーガン]]元[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の[[アルツハイマー型認知症|アルツハイマー病]]が公表される。 * 1994年 - [[ボクシング]]の[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[国際ボクシング連盟|IBF]][[ヘビー級]]タイトルマッチで45歳9か月の挑戦者[[ジョージ・フォアマン]]が勝ち、史上最年長のチャンピオンとなる。 * [[1996年]] - 汚職などのスキャンダルにより[[パキスタン]]首相[[ベーナズィール・ブットー]]が解任される。 * 1996年 - [[1996年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の[[ビル・クリントン]]が再選。 * [[2001年]] - [[野田聖子]]ら[[自由民主党 (日本)|自民党]]有志、選択的[[夫婦別姓]]法案賛同署名を提出。 * [[2006年]] - 元[[イラク]]大統領[[サッダーム・フセイン]]に対し死刑判決。 * [[2007年]] - [[中華人民共和国]]初の月探査機「[[嫦娥1号]]」が[[月]]の軌道に投入。 * [[2010年]] - 尖閣諸島問題で、中国漁船衝突映像が流出。([[尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件]]) * [[2015年]] - [[ブラジル]][[ミナスジェライス州]]で[[鉱滓ダム]]が決壊。死者17人<ref>{{Cite web|和書 |date=2017-08-09 |url=https://www.nikkeyshimbun.jp/2017/170809-22brasil.html |title= サマルコ社鉱滓ダム崩壊事故裁判=15年発生の未曾有の環境破壊事故で刑事訴訟手続き中断|publisher= |accessdate=2019-02-02}}</ref>。 * [[2017年]] - [[アメリカ合衆国大統領]]の[[ドナルド・トランプ]]が日本を訪問<ref>{{Cite web|和書 |date=2017-11-05 |url=http://www.bbc.com/japanese/41875333 |title=トランプ米大統領、訪日 米国の決意強調 |publisher=BBC |accessdate=2017-11-06}}</ref>。 * 2017年 - [[センター・フォー・パブリック・インテグリティ#国際調査報道ジャーナリスト連合|国際調査報道ジャーナリスト連合]](ICIJ)と加盟報道機関、[[タックス・ヘイヴン]]取引に関する約1340万件の電子文書群を公開([[パラダイス文書]])。 * [[2018年]] - [[アメリカ航空宇宙局]](NASA)の[[ボイジャー2号]]が [[太陽圏]](ヘリオスフィア)を離脱して[[宇宙空間|恒星間空間]]に達した。 * [[2023年]] - [[阪神タイガース]]が[[2023年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で38年ぶり2度目のシリーズ制覇。 == 誕生日 == [[File:Hans Sachs.jpg|thumb|120px|[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の楽劇『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』のモデルとなった[[マイスタージンガー]](職匠歌人)、[[ハンス・ザックス]](1494-1576)誕生]] {{multiple image | image1 = Dazai Syundai.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[経世論]]を提唱した[[儒学者]]、[[太宰春台]](1680-1747)誕生{{Squote|天下国家ヲ治ルヲ経済ト云。世ヲ経シテ民ヲ済フト云義也――『経済録』}} | alt1 = 太宰春台 | image2 = EllaWheelerWilcox.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[アメリカ合衆国]]の女流[[詩人]]、[[エラ・ウィーラー・ウィルコックス]](1850-1919)誕生{{Squote|貴方が笑えば、世界は貴方と共に笑う。貴方が泣くとき、貴方は一人で泣く――『情熱の詩』(1883)より『Solitude』}} | alt2 = ウィルコックス }} {{multiple image | image1 = KotokuShusui.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[アナキズム]]の影響を受けた[[ジャーナリスト]]、[[幸徳秋水]](1871-1911)誕生{{Squote|盛なる哉所謂帝国主義の流行や、勢ひ燎原の火の如く然り。世界萬邦皆に其膝下に慴伏し、之を賛美し崇拝し奉持せざるなし――『帝国主義』(1901)}} | alt1 = 幸徳秋水 | image2 = Haldane.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[トランスヒューマニズム]]の先駆者とされる[[生物学者]]、[[J・B・S・ホールデン]](1892-1964)誕生{{Squote|科学は未だ幼少期にあります。未来のものは未来のことを予期することはできません。 信念も、価値も、制度も安全ではないということです――『ダイダロス、あるいは科学と未来』(1923)}} | alt2 = ホールデン }} [[File:PRR GG1 4890 at NRM, Green Bay, 20040426.jpg|thumb|120px|[[インダストリアルデザイン]]の草分けとなった[[フランス]]のデザイナー、[[レイモンド・ローウィ]](1893-1986)誕生。画像は[[ペンシルバニア鉄道GG1形電気機関車|GG1形電気機関車]]]] [[File:Chogoro Kaionji Scan10037.JPG|thumb|120px|[[歴史小説]]家、[[海音寺潮五郎]](1903-1977)誕生]] [[File:Vivien Leigh in Gone With the Wind trailer-9.jpg|thumb|120px|[[俳優|女優]]、[[ヴィヴィアン・リー]](1913-1967)誕生。画像は『[[風と共に去りぬ (映画)|風と共に去りぬ]]』(1939)]] {{multiple image | image1 = Art-Garfunkel.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[歌手]]、[[アート・ガーファンクル]](1941-)誕生 | alt1 = ガーファンクル | image2 = Tomino Yoshiyuki "The World of Gundam" at Opening Ceremony of the 28th Tokyo International Film Festival (22417922672).jpg | width2 = 120 | caption2 = [[アニメ監督]]、[[富野由悠季]](1941-)誕生 | alt2 = 富野由悠季 }} [[File:Bryan Adams Guadalajara 2006 dsc02673.jpg|thumb|120px|[[カナダ]]の[[ミュージシャン]]、[[ブライアン・アダムス]](1959-)誕生]] {{multiple image | image1 = RobertPatrickOct09.jpg | width1 = 110 | caption1 = 『[[ターミネーター2]]』[[T-1000]]役で知られる[[俳優]]、[[ロバート・パトリック]](1959-)誕生 | alt1 = パトリック | image2 = Tilda Swinton at the Deauville Film Festival.jpg | width2 = 100 | caption2 = 『[[ナルニア国物語/第1章: ライオンと魔女]]』で白い魔女を演じた[[イギリス]]の女優、[[ティルダ・スウィントン]](1960-)誕生 | alt2 = スウィントン }} {{multiple image | image1 = Baruto Kaito 2008 May.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[エストニア]]出身の[[大相撲]]元[[大関]]、[[把瑠都凱斗]](1984-)誕生 | alt1 = 把瑠都凱斗 | image2 = BoA FanSigningEvent2010.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[大韓民国]]の[[歌手]]、[[BoA]](1986-)誕生 | alt2 = BoA }} * [[1494年]] - [[ハンス・ザックス]]、[[歌手]]、[[劇作家]](+ [[1576年]]) * [[1615年]] - [[イブラヒム (オスマン帝国)|イブラヒム]]、第18代[[オスマン帝国]][[皇帝]](+ [[1648年]]) * [[1662年]]([[寛文]]2年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[織田長清]]、第4代[[大和国]][[戒重藩]]主、初代[[大和国]][[芝村藩]]主(+ [[1722年]]) * [[1680年]]([[延宝]]8年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[太宰春台]]、[[儒学者]](+ [[1747年]]) * [[1755年]]([[宝暦]]5年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[酒井忠徳]]、第5代[[出羽国]][[庄内藩]]主(+ [[1812年]]) * [[1772年]]([[宝暦]]5年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]]) - [[浅野斉賢]]、第8代[[安芸国]][[広島藩]]主(+ [[1831年]]) * [[1810年]] - [[アルフォンソ・タフト]]、第31代[[アメリカ合衆国陸軍長官]]、第33代[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1891年]]) * [[1850年]] - [[エラ・ウィーラー・ウィルコックス]]、[[詩人]]、[[作家]](+ [[1919年]]) * [[1854年]] - [[ポール・サバティエ]]、[[化学者]](+ [[1941年]]) * [[1855年]] - [[レオン・ティスラン・ド・ボール]]、[[気象学者]](+ [[1913年]]) * [[1857年]] - [[イーダ・ターベル]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1944年]]) * [[1871年]]([[明治]]4年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]) - [[幸徳秋水]]、ジャーナリスト、[[思想家]](+ [[1911年]]) * [[1873年]] - [[エドウィン・フラック]]、[[陸上競技選手]](+ [[1935年]]) * [[1874年]] - [[市村羽左衛門 (15代目)]]、[[歌舞伎役者]](+ [[1945年]]) * [[1885年]] - [[石川一郎]]、[[経営者]]、[[財界人]](+ [[1970年]]) * [[1888年]] - [[林家正蔵]] (6代目)、[[落語家]](+ [[1929年]]) * [[1890年]] - [[矢代幸雄]]、[[美術史家]]、[[美術評論家]](+ [[1975年]]) * [[1892年]] - [[J・B・S・ホールデン]]、[[生物学者]](+ [[1964年]]) * [[1893年]] - [[レイモンド・ローウィ]]、[[工業デザイナー]](+ [[1986年]]) * [[1894年]] - [[ハロルド・イニス]]、[[経済学者]]、[[社会学者]](+ [[1952年]]) * [[1895年]] - [[ヴァルター・ギーゼキング]]、[[ピアニスト]](+ [[1956年]]) * [[1897年]] - [[木村亀二]]、[[刑法学者]](+ [[1972年]]) * [[1898年]] - [[平野力三]]、農民運動家、[[政治家]](+ [[1981年]]) * [[1901年]] - [[海音寺潮五郎]]、[[作家]](+ [[1977年]])※戸籍上は3月13日生まれ * 1901年 - [[ウィリアム・ジョセフ・シーボルド]]、外交官(+ [[1980年]]) * [[1905年]] - [[入江泰吉]]、[[写真家]](+ [[1992年]]) * [[1906年]] - [[フレッド・ホイップル]]、[[天文学者]](+ [[2004年]]) * [[1911年]] - [[琴糸路]]、[[俳優|女優]](+ [[1956年]]) * 1911年 - [[入江稔夫]]、[[水泳選手一覧|水泳選手]](+ [[1974年]]) * [[1913年]] - [[ヴィヴィアン・リー]]、女優(+ [[1967年]]) * 1913年 - [[初村滝一郎 (1913年生)|初村滝一郎]]、政治家(+ [[2005年]]) * [[1914年]] - [[猪木正道]]、[[政治学者]](+ [[2012年]]) * [[1918年]] - [[今久留主淳]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1986年]]) * [[1919年]] - [[フェリックス・ガイヤール]]、政治家(+ [[1970年]]) * [[1920年]] - [[ダグラス・ノース]]、[[経済学者]](+ [[2015年]]) * [[1921年]] - [[ジョルジュ・シフラ]]、ピアニスト(+ [[1994年]]) * 1921年 - [[西銘順治]]、政治家(+ [[2001年]]) * [[1923年]] - [[佐藤愛子 (作家)|佐藤愛子]]、[[小説家]] * 1923年 - [[トマス・フラナガン]]、小説家、[[文学者|文学研究者]](+ [[2002年]]) * [[1925年]] - [[石川六郎]]、経営者、財界人(+ [[2005年]]) * [[1926年]] - [[祖父江孝男]]、人類学者(+ [[2012年]]) * [[1927年]] - [[喜味こいし]]、漫才師(+ [[2011年]]) * 1927年 - [[赤池弘次]]、数理[[統計学者]](+ [[2009年]]) * [[1928年]] - [[平良とみ]]、女優(+ [[2015年]]) * 1928年 - [[松尾昭典]]、[[映画監督]](+ [[2010年]]) * 1928年 - [[山本富雄]]、政治家(+ [[1995年]]) * [[1930年]] - [[福元一義]]、[[漫画家]](+ [[2016年]]) * [[1931年]] - [[赤瀬川隼]]、作家(+ [[2015年]]) * 1931年 - [[アイク・ターナー]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2007年]]) * 1931年 - [[チャールズ・マーグレイヴ・テイラー|チャールズ・テイラー]]、[[政治哲学]]者 * [[1932年]] - [[スタンレー橋本]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]]) * [[1935年]] - [[ウーヴェ・ゼーラー]]、元[[サッカー選手]](+ [[2022年]]) * 1935年 - [[レスター・ピゴット]]、元[[騎手]](+ [[2022年]]) * [[1936年]] - [[伊藤明彦]]、ジャーナリスト(+ [[2009年]]) * 1936年 - [[泉井純一]]、実業家 * [[1937年]] - [[青空はるお]]、元[[漫才師]]、[[レポーター]](+ [[没年不明]]) * 1937年 - [[三升家小勝 (7代目)]]、[[落語家]](+ [[1992年]]) * 1937年 - [[川口真]]、[[作曲家]](+ [[2021年]]) * [[1938年]] - [[セサル・ルイス・メノッティ]]、元サッカー選手、指導者 * [[1940年]] - [[ヒデ夕樹]]、[[歌手]](+ [[1998年]]) * 1940年 - [[エルケ・ソマー]]、女優 * [[1941年]] - [[アート・ガーファンクル]]、ミュージシャン * 1941年 - [[富野由悠季]]、[[アニメーション監督]] * [[1942年]] - [[リッチー・シェーン]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]]) * 1942年 - [[岡田幸喜]]、元プロ野球選手 * [[1943年]] - [[サム・シェパード]]、[[劇作家]]、[[俳優]](+ [[2017年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/fd52c63e8cbec0647f426ef55dcb7d514fe808c8|title=サム・シェパードが死去。ライター、カウボーイ、真の意味での愛国主義者|publisher=Yahoo!ニュース|date=2017-08-01|accessdate=2020-11-13}}</ref>) * [[1945年]] - [[ペーター佐藤]]、[[イラストレーター]](+ [[1994年]]) * 1945年 - [[自見庄三郎]]、元政治家 * [[1946年]] - [[安藤裕康 (天文学者)|安藤裕康]]、天文学者 * 1946年 - [[グラム・パーソンズ]]、ミュージシャン(+ [[1973年]]) * 1946年 - [[ジム・エバンス]]、元メジャーリーグ審判 * [[1947年]] - [[片岡新之介]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[クイント・デイヴィス]]、フェスティバル・プロデューサー * 1947年 - [[金子準一]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[ピーター・ハミル]]、ミュージシャン * 1948年 - [[ウィリアム・ダニエル・フィリップス]]、[[物理学者]] * 1948年 - [[真鍋安政]]、プロ野球選手(+ [[2016年]]) * [[1951年]] - [[天地真理]]、元アイドル歌手 * 1951年 - [[竹田泰典]]、政治家 * [[1952年]] - [[永本裕章]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[オレグ・ブロヒン]]、元サッカー選手、指導者 * 1952年 - [[ヴァンダナ・シヴァ]]、物理学者、[[環境科学|環境科学者]]、[[平和運動家]] * [[1954年]] - [[アレハンドロ・サベーラ]]、元サッカー選手、指導者(+ [[2020年]]) * [[1955年]] - [[クリス・ジェンナー]]、タレント * 1955年 - [[はしもとみつお]]、漫画家 * 1955年 - [[ブラザー・コーン]]、ミュージシャン([[バブルガム・ブラザーズ]]) * [[1956年]] - [[山村美智]]、女優、アナウンサー * 1956年 - [[若林仁 (野球)|若林仁]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[今井清隆]]、舞台俳優 * 1957年 - [[遠藤伸久]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[小林明子]]、歌手 * [[1959年]] - [[ブライアン・アダムス]]、ミュージシャン * 1959年 - [[荒川美奈子]]、声優 * 1959年 - [[ロバート・パトリック]]、俳優 * 1959年 - [[ロイド・モスビー]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[ティルダ・スウィントン]]、女優 * 1960年 - [[テレサ・モウ]]、女優 * [[1961年]] - [[登静江]]、女優 * [[1962年]] - [[深谷かほる]]、漫画家 * [[1963年]] - [[テータム・オニール]]、俳優 * 1963年 - [[ジャン=ピエール・パパン]]、元サッカー選手 * [[1965年]] - [[真下有紀]]、俳優 * 1965年 - [[ファムケ・ヤンセン]]、女優 * [[1966年]] - [[春畑道哉]]、ミュージシャン([[TUBE]]) * [[1967年]] - [[榎本ナリコ]]、漫画家 * 1967年 - [[ブライアン・ラービー]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[松村高明]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[サム・ロックウェル]]、俳優 * [[1969年]] - [[小池亜希子]]、声優 * [[1970年]] - [[春風亭柳太郎]]、落語家 * 1970年 - [[宮本慎也]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[ジョニー・グリーンウッド]]、ミュージシャン([[Radiohead]]) * 1971年 - [[西澤洋介]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[吉田浩 (野球)|吉田浩]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[上野高広]]、[[全日本プロドリフト選手権|D1]]ドライバー * [[1972年]] - [[きみおたまこ]]、漫画家 * [[1973年]] - [[斎藤守也]]、ミュージシャン([[Les Freres]]) * 1973年 - [[ジョニー・デイモン]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[宮原亜友子]]、元アナウンサー * [[1974年]] - [[アンジェラ・ゴソウ]]、ミュージシャン([[アーチ・エネミー]]) * 1974年 - [[ライアン・アダムス]]、[[シンガーソングライター]] * 1974年 - [[ホセ・サンティアゴ]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[伊藤大輔 (レーサー)|伊藤大輔]]、レーシングドライバー * 1975年 - [[滝下毅]]、声優(+ [[2013年]]) * 1975年 - [[井上敬一]]、実業家 * [[1976年]] - [[しゅくはじめ]]、お笑いタレント * 1976年 - [[本柳和也]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[すしお]]、[[アニメーター]] * 1976年 - [[井上謙二]]、元レスリング選手、指導者、[[陸上自衛官]] * [[1977年]] - [[谷口賢志]]、俳優 * 1977年 - [[花森ぴんく]]、漫画家 * [[1978年]] - [[YUKINARI (DA PUMP)|YUKINARI]]、ミュージシャン(元[[DA PUMP]]、[[琉-UNIT]]) * 1978年 - [[ルイス・ガルシア (1978年生の内野手)|ルイス・ガルシア]]、プロ野球選手 * [[1979年]] - [[YUKKE]]、ミュージシャン([[MUCC|ムック]]) * 1979年 - [[ルディ・レジェス]]、野球選手 * 1979年 - [[レオナルド・ナム]]、俳優 * [[1980年]] - [[クリストフ・メッツェルダー]]、元サッカー選手 * [[1981年]] - [[ジャレット・グルーベ]]、プロ野球選手 * 1981年 - [[嘉藤貴行]]、元騎手、調教師 * [[1982年]] - [[末永安佳梨]]、アナウンサー * 1982年 - [[中川晃教]]、歌手、舞台俳優 * 1982年 - [[ハン・ジミン]]、女優 * 1982年 - [[ブライアン・ラヘア]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[真太郎]]、ミュージシャン([[UVERworld]]) <!-- 特筆性は? * 1983年 - MAYA、ミュージシャン([[midnightPumpkin]]) --> * 1983年 - [[フアン・モリーヨ]]、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[清水明実]]、タレント * 1984年 - [[把瑠都凱斗]]、元[[大相撲力士]] * 1984年 - [[肥後ノ城政和]]、元大相撲力士 * 1984年 - [[金井健雄]]、ラグビー選手 * [[1985年]] - [[Heartbeat (歌手)|Heartbeat]]、ミュージシャン * 1985年 - [[田中聖]]、ミュージシャン(元[[KAT-TUN]]) * 1985年 - [[丹内祐次]]、騎手 * 1985年 - [[西川可奈子]]、女優 * [[1986年]] - [[BoA]]、ミュージシャン * 1986年 - [[カスパー・シュマイケル]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[大和 (野球)|大和]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[O・J・メイヨ]]、バスケットボール選手 * 1987年 - [[鈴木環那]]、将棋棋士 * [[1988年]] - [[原紗友里]]、[[声優]](元[[LISP (声優ユニット)|LISP]]) * [[1989年]] - [[中村晃 (野球)|中村晃]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[ラモン・カブレラ (野球)|ラモン・カブレラ]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - オカモトコウキ、ミュージシャン([[OKAMOTO'S]]) * [[1991年]] - [[阿部友保]]、ファッションモデル * 1991年 - [[正代直也]]、大相撲力士 * 1991年 - [[リュボーフィ・イリュシェチキナ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1992年]] - [[甲斐拓也]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[マルコ・ヴェッラッティ]]、サッカー選手 * 1992年 - [[渡辺翔太]]、アイドル([[Snow Man]]) * 1992年 - [[オデル・ベッカム]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * [[1993年]] - [[多和田任益]]、俳優、モデル * 1993年 - [[ジェイコブ・ワゲスパック]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[宇山玲加]]、声優、女優 * [[1995年]] - [[岩沼佑亮]]、元子役 * [[1996年]] - [[サビーナ・アルシンベコバ]]、バレーボール選手 * 1996年 - [[鈴木このみ]]、歌手 * 1996年 - [[世古口凌]]、俳優 * [[1998年]] - [[小片リサ]]、歌手、[[アイドル]](元[[つばきファクトリー]]) * 1998年 - [[小倉由菜]]、[[AV女優]] * 1998年 - [[冨安健洋]]、[[サッカー選手]] * 1998年 - [[西山和弥]]、陸上選手 * [[1999年]] - [[星野希]]、元グラビアアイドル * 1999年 - [[まるぴ]]、グラビアモデル * [[2000年]] - [[くしなあゆ]]、女優、アイドル(元mai mai) * [[2001年]] - [[寺本莉緒]]、女優、タレント * [[2002年]] - [[山﨑夢羽]]、アイドル([[BEYOOOOONDS]]) * [[2003年]] - [[ナルハワールド]]、アイドル([[GANG PARADE]]、[[GO TO THE BEDS]]) * 2003年 - [[深沢鳳介]]、プロ野球選手 * [[2005年]] - [[林芽亜里]]、ファッションモデル * 生年不詳 - [[白兎夕季]]、声優 * 生年不明 - [[鈴木渢]]、声優 * 生年不明 - [[有栖川ゆき]]<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.mikipro.co.jp/talent/arisugawa.html |title=プロフィール |publisher=三木プロダクション |accessdate=2021-1-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090524012826/http://www.mikipro.co.jp/talent/arisugawa.html |archivedate=2009-05-24}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[里卓哉]]、声優 * 生年不明 - [[テラシマユウカ]]、アイドル(GANG PARADE、GO TO THE BEDS) == 忌日 == * [[1559年]]([[永禄]]2年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]])- [[狩野元信]]、[[狩野派]]の[[絵師]](* [[1476年]]) * [[1576年]]([[天正]]4年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]])- [[畠山高政]]、[[戦国大名]](* [[1527年]]) * [[1600年]]([[慶長]]5年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]) - [[長束正家]]、[[豊臣政権]][[五奉行]]のひとり(* [[1562年]]?) * [[1660年]] - [[アレクサンドル・ドゥ・ロード]]、[[イエズス会]][[宣教|宣教師]](* [[1591年]]) * [[1705年]]([[宝永]]2年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]])- [[板倉重種]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[坂木藩|坂木藩主]](* [[1641年]]) * [[1736年]]([[元文]]元年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]])- [[近衛家熙]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](* [[1667年]]) * [[1801年]]([[享和]]元年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]])- [[本居宣長]]、[[国学|国学者]](* [[1730年]]) * [[1807年]] - [[アンゲリカ・カウフマン (画家)|アンゲリカ・カウフマン]]、[[画家]](* [[1741年]]) * [[1879年]] - [[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]、理論[[物理学者]](* [[1831年]]) * [[1888年]] - [[狩野芳崖]]、日本画家(* [[1828年]]) * [[1908年]] - [[アンドリュー・グラハム]]、[[天文学者]](* [[1815年]]) * [[1914年]] - [[アウグスト・ヴァイスマン]]、[[動物学|動物学者]](* [[1834年]]) * [[1918年]] - [[島村抱月]]、[[文芸評論家]]、[[演出家]](* [[1871年]]) * [[1930年]] - [[クリスティアーン・エイクマン]]、[[医学者]](* [[1858年]]) * [[1933年]] - [[片山潜]]、国際共産主義運動指導者(* [[1859年]]) * 1933年 - [[ヘルマン・ヘラー]]、[[法学者]](* [[1891年]]) * [[1934年]] - [[カール・シャーリエ]]、天文学者(* [[1862年]]) * 1934年 - [[櫛田民蔵]]、[[経済学者]](* [[1885年]]) * 1934年 - [[フルダ・ガルボルグ]]、[[作家]]、[[舞踏家]](* [[1862年]]) * [[1937年]] - [[木下尚江]]、[[社会主義]]運動家、[[小説家]](* [[1869年]]) * [[1942年]] - [[清浦奎吾]]、第23代[[内閣総理大臣]](* [[1850年]]) * [[1944年]] - [[アレクシス・カレル]]、医学者(* [[1873年]]) * [[1951年]] - [[レジー・ウォーカー]]、[[陸上競技]]選手(* [[1889年]]) * 1951年 - [[アグリッピナ・ワガノワ]]、[[バレエ]]ダンサー(* [[1879年]]) * [[1955年]] - [[モーリス・ユトリロ]]、[[画家]](* [[1883年]]) * [[1966年]] - [[勝田香月]]、[[詩人]](* [[1899年]]) * [[1970年]] - 初代[[昔々亭桃太郎]]、[[落語家]](* [[1911年]]) * [[1972年]] - [[岡田勢一]]、元[[運輸大臣]](* [[1892年]]) * [[1976年]] - [[ヴィリー・ヘニッヒ]]、[[動物学者]](* [[1913年]]) * [[1981年]] - [[渡辺邦男]]、[[映画監督]](* [[1899年]]) * [[1982年]] - [[ジャック・タチ]]、映画監督、[[俳優]](* [[1908年]]) * [[1987年]] - [[小田秀臣]]、[[ヤクザ]](* [[1930年]]) * [[1989年]] - [[ウラディミール・ホロヴィッツ]]、[[ピアニスト]](* [[1903年]]) * [[1990年]] - [[メイル・カハネ]]、[[ユダヤ教]]の[[ラビ]]、[[ユダヤ防衛同盟]]創設者(* [[1932年]]) * [[1991年]] - [[フレッド・マクマレイ]]、俳優(* [[1908年]]) * [[1992年]] - [[ヤン・オールト]]、天文学者、[[天体物理学|天体物理学者]](* [[1900年]]) * [[1995年]] - [[アーネスト・ゲルナー]]、[[社会学者]](* [[1925年]]) * [[1996年]] - [[安田伸]]、[[サクソフォーン]]奏者、[[コメディアン]]、俳優(* [[1932年]]) * [[1997年]] - [[アイザイア・バーリン]]、[[政治哲学|政治哲学者]]、[[思想家]](* [[1909年]]) * [[1998年]] - [[河内桃子]]、[[俳優|女優]](* [[1932年]]) * [[2000年]] - [[高野光]]、元[[プロ野球選手]](* [[1961年]]) * 2000年 - [[牛山善政]]、実業家(* [[1922年]]) * [[2002年]] - [[范文雀]]、女優(* [[1948年]]) * [[2005年]] - [[ジョン・ファウルズ]]、[[小説家]](* [[1926年]]) * 2005年 - [[ロッド・ドナルド]]、元[[緑の党 (ニュージーランド)|ニュージーランド緑の党]]副代表(* [[1957年]]) * [[2006年]] - [[ビュレント・エジェヴィト]]、元[[トルコの首相|トルコ首相]](* [[1925年]]) * [[2011年]] - [[西岡武夫]]、[[政治家]](* [[1936年]]) * [[2012年]] - [[猪木正道]]、[[政治学者]](* [[1914年]]) * [[2013年]] - [[増本豊]]、[[調教師]](* [[1946年]]) * [[2019年]] - [[安田範]]<ref name="ASAHI">{{Cite web|和書|title=安田範さん死去:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14247335.html|website=朝日新聞デジタル|date=2019-11-07|accessdate=2020-11-05|language=ja}}</ref>、政治家(* [[1927年]]) * [[2022年]] - [[YOSHI (歌手)|YOSHI]]、歌手、俳優(* [[2003年]])<ref>{{Cite web|和書|title=歌手で俳優のYOSHIとして活動、19歳佐々木嘉純さんが大型バイク運転中に事故死|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202211050001852.html|website=日刊スポーツ|date=2022-11-06|accessdate=2020-11-06|language=ja}}</ref> == 記念日・年中行事 == * [[ガイ・フォークス・ナイト]]({{GBR}}) *: [[1605年]]11月5日([[グレゴリオ暦]]では[[11月15日]])、[[ガイ・フォークス]]らによるイングランド王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]爆殺計画が実行直前に発覚した([[火薬陰謀事件]])ことを記念。「救助を神に感謝する日」として[[花火]]や[[焚火]]などで祝う。 * 雑誌広告の日({{JPN}}) *: 日本雑誌広告協会が[[1970年]]に制定。 * いい[[リンゴ|りんご]]の日({{JPN}}) *: [[青森県]]が[[2001年]]に制定。「いい(11)りんご(5)」の語呂合せ。 * 縁結びの日({{JPN}}) *: [[島根県]]の「神話の国・縁結び観光協会」が制定。[[旧暦10月]](新暦11月ごろ)に[[出雲大社]]に全国の神が集まり縁結びなどの会議をするとされていること([[神無月]]を参照)と、「いい(11)ご(5)えん」(いいご縁)の語呂合せから。 * いい5世代家族の日({{JPN}}) *:製薬会社[[ノバルティスファーマ]]が制定。「いい(11)ご(5)せだい」の語呂合せ。 * [[津波対策の推進に関する法律|津波防災の日]]({{JPN}})、世界津波の日(World Tsunami Awareness Day {{UN}}) *: 津波防災の日は[[2011年]]に制定。世界津波の日は[[2015年]]に制定<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM05H19_V01C15A2NNE000/ |title=国連、11月5日を「世界津波の日」に制定 日本が提案 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=2015-12-12}}</ref>。1854年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]](旧暦、グレゴリオ暦では[[12月24日]])に[[安政南海地震]]が発生し、[[濱口梧陵#稲むらの火|稲むらの火]]で人命が救われた日から<ref>[http://www.data.jma.go.jp/svd/eew/data/nc/kunren/2014/tsunamibosai.html 11月5日は「津波防災の日」]</ref><ref>[https://www.sankei.com/article/20151205-OJPLVGA5UVMV5EPNCK2YORT5HI/ 日本提案で「世界津波の日」制定へ 国連委で決議 「稲むらの火」ちなみ11月5日]</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASHD5045ZHD4UTFK01K.html 11月5日が世界津波の日に 日本提案、国連が決議採択]</ref><ref>[https://www.iza.ne.jp/article/20151205-M5KJ4EVLDZKQTMRYA3TXZHHRBI/ 岸田外相「世界中で津波対策が進むことを希望」 世界津波の日採択]</ref><ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151205/k10010330551000.html 11月5日を「世界津波の日」に 決議採択]</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b722260cde5bde031dcfcf63306b4bef3ce77712|title=津波防災の日 11月5日は「津波被害があった日」ではなく「津波被害を軽減できた日」|publisher=Yahoo!ニュース|date=2021-11-15|accessdate=2022-04-05}}</ref>。 * [[電報]]の日({{JPN}}) *: 電報を申し込むときの[[電話番号]]が115であることから。 * Burn ALL GIFs day(全てのGIFを焼き尽くす日) *: 画像フォーマット[[Graphics Interchange Format|GIF]]の[[Graphics Interchange Format#特許問題とその顛末|LZW特許問題]]に関連して、GIFの使用をとりやめて[[Portable Network Graphics|PNG]]や[[JPEG]]等への置き換えを推奨する日として[[1999年]]から実施されていたが、アメリカで[[2003年]]6月、日本で[[2004年]]にLZWの特許が失効したことから、この頃以降は活動が行われていない。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1105|date=2011年7月}} * [[1867年]] - [[アメリカ海軍|米海軍]]の[[フリゲート|フリゲート艦]]エイブラハム・リンカーン号が、日本沿岸で潜水艦[[ノーチラス号]]と接触。リンカーン号に乗艦していたピエール・アロナックスら3名が海に投げ出され、浮上したノーチラス号に収容される。(小説『[[海底二万里]]』) * [[1955年]] - エメット・L・ブラウン博士が自宅トイレの床で滑って転び、便器で頭を打ったショックで[[タイムマシン]]の原理(次元転移装置)を思いつく。同時に30年後の未来からマーティという少年(マーティ・マクフライ)が現れる。(映画『[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1987年]] - [[茂野吾郎|本田(茂野)吾郎]]、 漫画・アニメ『[[MAJOR]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=満田拓也|authorlink=満田拓也|title=Major―Dramatic baseball comic|volume=24巻|publisher=[[小学館]]|year=1999|page=107|isbn=978-4-09-125504-4}}</ref><ref group="注">[[佐藤寿也]]の妹の美穂が[[1990年]]生まれであるから(コミックス59巻より)。</ref> * [[1993年]] - 亜豆美保、漫画・アニメ『[[バクマン。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]]|title=バクマン。キャラクターブック キャラマン。|publisher=[[集英社]]|year=2011|page=34|isbn=978-4-08-874849-8}}</ref> * [[2004年]] - [[MEIKO]]、ボーカル音源のキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://pjsekai.sega.jp/character/virtualsinger/meiko/index.html |title=VIRTUAL SINGER MEIKO |access-date=2022-09-05 |publisher=プロジェクトセカイ}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://blog.piapro.net/2014/11/z1411051-1.html |title=知らせ 【プレゼント企画】本日11月5日はMEIKOさんの誕生日★祝!10周年(*≧ω≦) |access-date=2022-09-05 |publisher=初音ミク 公式ブログ |date=2014-11-05}}</ref> * [[2074年]] - ミュリア・ティオニセス、ゲーム『[[スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=67|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - 水沢愛佳、アニメ・ゲーム『[[プラオレ!〜PRIDE OF ORANGE〜]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |title=水沢 愛佳 |url=https://puraore.com/character/manaka_mizusawa |website=TVアニメ「プラオレ!~PRIDE OF ORANGE~」公式サイト |access-date=2022-09-05 |publisher=puraore.com}}</ref> * 生年不明 - フィッシャー・タイガー、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Fisher_Tiger.html |title=フィッシャー・タイガー |access-date=2022-09-05 |publisher=ONE PIECE.com}}</ref> * 生年不明 - 風の国の大名、漫画『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year = 2002|title = NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher = 集英社 |series = ジャンプ・コミックス |isbn = 4-08-873288-X|page = 59 }}</ref> * 生年不明 - M・ハルハータ、漫画『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/tenipuri_staff/status/1324004744474537985 |url=https://twitter.com/tenipuri_staff/status/1324004744474537985 |website=Twitter |access-date=2022-09-05 |language=ja}}</ref> * 生年不明 - [[史上最強の弟子ケンイチの登場人物#岬越寺秋雨|岬越寺秋雨]]、漫画・アニメ『[[史上最強の弟子ケンイチ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=松江名俊|authorlink=松江名俊|year = 2014 |title = 史上最強の弟子ケンイチ 公式ガイドブック 史上最強の秘伝書|page = 58 |publisher = 小学館 |series = [[少年サンデーコミックス]] |isbn = 978-4-09-125016-2 }}</ref> * 生年不明 - [[史上最強の弟子ケンイチの登場人物#吉川将吾|吉川将吾]]、漫画・アニメ『史上最強の弟子ケンイチ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=松江名俊|year=2014|title=史上最強の弟子ケンイチ 公式ガイドブック 史上最強の秘伝書|page=212|publisher=小学館|series=少年サンデーコミックス|isbn=978-4-09-125016-2}}</ref> * 生年不明 - 丸山シルヴィア、漫画・アニメ『[[陸上防衛隊まおちゃん]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 中村希、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>マウンテンプクイチ 『球詠』2巻 株式会社[[芳文社]].2017年.カバー裏</ref> * 生年不明 - 佐曽塚瑛士、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=2022-09-05}}</ref> * 生年不明 - 長谷部波瑠加、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/hasebe.html |title=登場キャラクター|長谷部波瑠加 |accessdate=2022-09-05 |work=ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編 |publisher=衣笠彰梧・KADOKAWA刊}}</ref> * 生年不明 - 闇†林檎様、メディアミックス『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/yami-ringosama/ |title=青森県 闇†林檎様 |access-date=2022-09-05 |publisher=MAGES. アイドル事変製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 葛城、ゲーム・アニメ『[[閃乱カグラ -少女達の真影-|閃乱カグラ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://senrankagura.marv.jp/shinovishoujyo/chara/?katsuragi&mode=1 |title=葛城 |access-date=2022-09-05 |publisher=Marvelous Inc.HONEY PARADE GAMES Inc. |work=閃乱カグラ シノビ少女図鑑}}</ref> * 生年不明 - 辻野あかり、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20106 |title=辻野 あかり |access-date=2022-09-05 |publisher=THE IDOLM@STERARアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 草刈ルナ、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/kusakari |publisher=八月のシンデレラナイン公式サイト |title=草刈 ルナ|キャラクター |accessdate=2022-09-05}}</ref> * 生年不明 - ジェイド・リーチ、ゲーム『[[ディズニー ツイステッドワンダーランド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/jade |title=ジェイド・リーチ |access-date=2022–09-05 |publisher=DISNEY TWISTED WONDRLAND}}</ref> * 生年不明 - フロイド・リーチ、ゲーム『ディズニー ツイステッドワンダーランド』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://twisted-wonderland.aniplex.co.jp/character/floyd |title=フロイド・リーチ |access-date=2022-09-05 |publisher=DISNEY TWISTED WONDERLAND}}</ref> * 生年不明 - 輝イブ、ゲーム・アニメ『[[ワッチャプリマジ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|prettyseriespr|1324124515933278213}}</ref> * 生年不明 - 梶隆臣、漫画『噓喰い』に登場するキャラクター === 忌日(フィクション) === * [[2004年]] - [[L (DEATH NOTE)|L]](エル・ローライト)、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター(アニメでは[[2007年]]<ref>{{Cite book|和書|author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]]|title=DEATH NOTE/A アニメーション公式解析ガイド|publisher=[[集英社]]|year=2007|page=6|isbn=978-4-08-874197-0}}</ref>)(* [[1979年]])<ref name="read">{{Cite book|和書|author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]]|title=DEATH NOTE HOW TO READ 13|publisher=[[集英社]]|[[ジャンプ・コミックス]]|year=2006|ISBN=4-08-874095-5}}</ref> * 2004年 - レム、漫画『DEATH NOTE』に登場するキャラクター<ref name="read"/> * 2004年 - ワタリ(キルシュ・ワイミー)、漫画・アニメ『DEATH NOTE』に登場するキャラクター(アニメでは2007年<ref>{{Cite book|和書|author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]]|date=2007-09-04|title = DEATH NOTE/A アニメーション公式解析ガイド|series=[[ジャンプコミックス]]|publisher = [[集英社]]|isbn = 978-4-08-874197-0|page = 11 }}</ref>)(* [[1933年]])<ref name="read"/> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === <references /> == 関連項目 == {{commonscat|5 November}} {{新暦365日|11|4|11|6|[[10月5日]]|[[12月5日]]|[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]|1105|11|05}} {{1年の月と日}}
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11月6日
11月6日(じゅういちがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から310日目(閏年では311日目)にあたり、年末まであと55日ある。
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{{カレンダー 11月}} '''11月6日'''(じゅういちがつむいか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から310日目([[閏年]]では311日目)にあたり、年末まであと55日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[共和党 (アメリカ)|共和党]]初の大統領選出となった[[1860年アメリカ合衆国大統領選挙]]。北部と西部の赤色が[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン]]の獲得した州 | image1 = Abraham Lincoln O-26 by Hesler, 1860 (cropped).jpg | width1 =100 | alt1 = リンカーン | image2 = ElectoralCollege1860.svg | width2 = 140 | alt2 = 選挙結果 }} [[File:AizuCastle.jpg|thumb|140px|[[会津戦争]]が終結(1868)。損傷した[[会津若松城]]]] [[File:Hokuriku Tunnel Tsuruga side 20081025.jpg|thumb|140px|30人が死亡した[[北陸トンネル火災事故]](1972)。[[北陸トンネル]]敦賀側坑口にある慰霊碑]] * [[1815年]] - [[ウィーン工科大学]]が創設。 * [[1860年]] - [[1860年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の[[エイブラハム・リンカーン]]が当選。南部9州が連邦離脱を宣言し、[[南北戦争の原因]]となる。 * [[1868年]]([[明治]]元年[[9月22日 (旧暦)|9月22日]]) - [[戊辰戦争]]: [[会津藩]]が降伏し、[[会津戦争]]が終結。 * [[1880年]] - [[シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン]]が[[マラリア]]患者の[[血液]]から[[マラリア原虫]]を発見。 * [[1888年]] - [[1888年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、[[ベンジャミン・ハリソン]]が当選。 * 1888年 - [[東京薬科大学]]の前身である私立薬学校が設立。 * [[1900年]] - [[1900年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、[[ウィリアム・マッキンリー]]が再選。 * [[1913年]] - [[アルザス地域圏|エルザス州]]の地域紙が[[ツァーベルン事件]]に発展するきっかけとなった[[プロイセン王国|プロイセン]]軍将校によるエルザス人侮蔑発言を報ずる。 * [[1928年]] - [[1928年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、[[ハーバート・フーヴァー]]が当選。 * [[1937年]] - [[日独防共協定]]に[[イタリア]]が参加し、[[日独伊防共協定]]に拡大。 * [[1945年]] - 持株会社解体令。[[三井財閥|三井]]、[[三菱財閥|三菱]]、[[住友財閥|住友]]、[[安田財閥|安田]]の四大[[財閥]]を[[財閥解体|解体]]するという政府案を[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が承認。 * [[1947年]] - 現存する世界最長寿の番組『[[ミート・ザ・プレス]]』が[[NBC]]で放送開始。 * [[1956年]] - [[1956年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]が再選。 <!-- * [[1958年]] - 詩人の[[山之口貘]]が34年振りに沖縄に帰郷。 --> * [[1968年]] - [[1968年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[リチャード・ニクソン]]が再選。 * [[1972年]] - [[北陸本線]]の[[北陸トンネル]]で列車火災事故が発生。([[北陸トンネル火災事故]]) * 1972年 - [[東京国際空港|羽田空港]]発[[福岡空港]]行きの[[日本航空|日航]]機が[[ハイジャック]]される。([[日本航空351便ハイジャック事件]]) * [[1974年]] - [[猿払事件]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]][[大法廷]]判決。[[国家公務員法]]および[[人事院規則]]による[[政治的行為]]の禁止は合憲とする判決。 * [[1975年]] - [[西サハラ問題]]: [[緑の行進]]。[[モロッコ]]市民が[[西サハラ]]国境を越えるデモ行進。 * [[1984年]] - [[1984年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、[[ロナルド・レーガン]]が再選。 * [[1985年]] - [[コロンビア]]で[[最高裁判所]]が[[ゲリラ]]に占拠され、[[国会議員]]ら500人以上が人質となる。([[コロンビア最高裁占拠事件]]) * [[1986年]] - [[アレックス・ファーガソン]]が[[マンチェスター・ユナイテッド]]の監督に就任。 * [[1987年]] - [[竹下内閣|竹下登内閣]]が発足。 * [[1994年]] - [[ナリタブライアン]]が[[菊花賞]]で勝利し、[[シンボリルドルフ]]以来10年ぶり、日本競馬史上5頭目の[[三冠 (競馬)|三冠馬]]となる。 * [[1999年]] - [[オーストラリア]]で[[共和制]]移行の是非を問う[[1999年オーストラリア国民投票|国民投票]]が行われ、移行反対が多数を占める。 * [[2001年]] - [[サベナ・ベルギー航空]]が破綻。 * [[2005年]] - [[瀬川晶司]]が61年ぶりの将棋のプロ編入試験に合格。同日付でプロ四段。 == 誕生日 == [[File:EmperorSuleiman.jpg|thumb|120px|[[オスマン帝国]]最盛期を築いた第10代[[オスマン帝国の君主|皇帝]][[スレイマン1世]](1494-1566)誕生]] {{multiple image | image1 = BEL-200f-anv.jpg | width1 = 120 | caption1 = [[サクソフォーン]]を考案した[[ベルギー]]の楽器製作者、[[アドルフ・サックス]](1814-1894)誕生 | alt1 = サックス | image2 = Charles Henry Dow.jpg | width2 = 102 | caption2 = 経済アナリスト[[チャールズ・ダウ]](1851-1902)誕生。[[ダウ平均株価]]を提唱 | alt2 = ダウ }} [[File:JohnPhilipSousa-Chickering.LOC.jpg|thumb|120px|[[アメリカ]]の[[作曲家]][[ジョン・フィリップ・スーザ]](1854-1932)誕生。{{audio|Washington Post.ogg|行進曲“ワシントン・ポスト”を聴く}}]] {{multiple image | image1 = James Naismith with a basketball.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[バスケットボール]]を考案した[[カナダ]]の教育者、[[ジェームズ・ネイスミス]](1861-1939)誕生 | alt1 = ネイスミス | image2 = Aikawa Yosuke.jpg | width2 = 100 | caption2 = 実業家[[鮎川義介]](1880-1967)誕生。[[日産自動車]]の礎を築く | alt2 = 鮎川義介 }} {{multiple image | image1 = Walter Johnson 1924.jpg | width1 = 100 | caption1 = 最初の[[野球殿堂]]5人の1人である417勝の豪腕投手、[[ウォルター・ジョンソン]](1887-1946)誕生 | alt1 = ジョンソン | image2 = Yutaka Tani.png | width2 = 100 | caption2 = マレーで諜報員として活躍した[[盗賊]]“ハリマオ”こと[[谷豊]](1911-1942)誕生。 | alt2 = 谷豊 }} {{multiple image | image1 = Glenn Frey.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[イーグルス]]リーダー、[[グレン・フライ]](1948-2016)誕生 | alt1 = フライ | image2 = Jerry Yang.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[ジェリー・ヤン]](1968-)誕生。[[デビッド・ファイロ]]と[[Yahoo!]]を創業した | alt2 = ヤン }} * [[15年]] - [[小アグリッピナ]]{{要出典|date=2021-03}}、[[ローマ皇帝]][[ネロ]]の母(+ [[59年]]) * [[1494年]] - [[スレイマン1世]]、[[オスマン帝国]]第10代[[君主]](+ [[1566年]]) * [[1771年]] - [[アロイス・ゼネフェルダー]]、[[俳優]]、[[劇作家]](+ [[1834年]]) * [[1814年]] - [[アドルフ・サックス]]、[[楽器製作者]](+ [[1894年]]) * [[1851年]] - [[チャールズ・ダウ]]、[[ジャーナリスト]]、[[経済]]アナリスト(+ [[1902年]]) * [[1854年]] - [[ジョン・フィリップ・スーザ]]、[[作曲家]](+ [[1932年]]) * [[1861年]] - [[ジェームズ・ネイスミス]]、[[バスケットボール]]考案者(+ [[1939年]]) * [[1880年]] - [[鮎川義介]]、[[実業家]]、[[日産コンツェルン]]創始者(+ [[1967年]]) * 1880年 - [[ロベルト・ムージル]]、[[小説家]](+ [[1942年]]) * [[1882年]] - [[馮玉祥]]、軍人、[[政治家]](+ [[1948年]]) * [[1883年]] - [[林平馬]]、政治家(+ [[1972年]]) * [[1887年]] - [[星島二郎]]、政治家、第47代[[衆議院議長]](+ [[1980年]]) * 1887年 - [[ウォルター・ジョンソン]]、プロ野球選手(+ [[1946年]]) * [[1889年]] - [[三神吾朗]]、[[野球選手]](+ [[1958年]]) * [[1901年]] - [[楊開慧]]、女性革命家、政治活動家(+ [[1930年]]) * 1901年 - [[キャスリーン・メアリー・ドリュー=ベーカー]]、[[藻類学|藻類学者]](+ [[1957年]]) * [[1903年]] - [[今日出海]]、[[小説家]]、[[評論家]](+ [[1984年]]) * [[1904年]] - [[小唄勝太郎]]、[[歌手]](+ [[1974年]]) * [[1906年]] - [[江上波夫]]、[[考古学|考古学者]](+ [[2002年]]) * [[1910年]] - [[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木俊一]]、政治家 (+ [[2010年]]) * [[1911年]] - [[谷豊]](ハリマオ)、諜報員(+ [[1942年]]) * 1911年 - [[薗部儀三郎]]、男性[[長寿]]日本一 * [[1915年]] - [[岩田次男]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * [[1918年]] - [[藤原てい]]、[[作家]](+ [[2016年]]) * 1918年 - [[岡村信夫]]、元プロ野球選手 * [[1924年]] - [[ウィリアム・オールド]]、[[詩人]](+ [[2006年]]) * [[1925年]] - [[桂米朝 (3代目)]]、[[落語家]](+ [[2015年]]) * [[1928年]] - [[松木ひろし]]、[[脚本家]](+ [[2016年]]) * [[1930年]] - [[ポール・ホイタック]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]]) * [[1931年]] - [[マイク・ニコルズ]]、[[映画監督]](+ [[2014年]]) * [[1932年]] - [[佐藤純彌]]、映画監督(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM2K4RWWM2KUCLV002.html|title=映画監督の佐藤純彌さん死去 「新幹線大爆破」「敦煌」|publisher=朝日新聞デジタル|date=2019-02-17|accessdate=2020-10-30}}</ref>) * [[1934年]] - [[古賀磯次]]、ヤクザ、[[道仁会]]初代会長(+ [[2009年]]) * 1934年 - [[森本達幸]]、高校野球指導者(+ [[2023年]]) * [[1935年]] - [[佐藤恒晴]]、政治家 * [[1940年]] - [[石井紘基]]、政治家(+ [[2002年]]) * [[1941年]] - [[富恵一]]、元プロ野球選手(+ [[1974年]]) * [[1943年]] - [[バーリー・ドハーティ]]、小説家、詩人、脚本家 * [[1946年]] - [[サリー・フィールド]]、[[俳優|女優]] * [[1947年]] - [[広瀬正志]]、声優 * 1947年 - [[エドワード・ヤン]]、映画監督(+ [[2007年]]) * 1947年 - [[ラリー・ジェームズ]]、[[陸上競技]]選手(+ [[2008年]]) * 1947年 - [[クリス・アーノルド]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[丁宗鐵]]、医師 * [[1948年]] - [[グレン・フライ]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[イーグルス]])(+ [[2016年]]) * 1948年 - [[クリスティアーヌ・ヘッド]]、[[調教師]] * 1948年 - [[高垣義広]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[松枝三男]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[アルトゥーロ・サンドヴァル]]、[[ジャズ]][[トランペット]]奏者 * [[1951年]] - [[上薄淳一]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[マイケル・カニンガム]]、[[小説家]] * [[1956年]] - [[土屋正勝]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[カム・クラーク]]、声優、歌手 * 1957年 - [[佐川宣寿]]、財務官僚 * [[1958年]] - [[白石真澄]]、政治家 * 1958年 - [[ウース・フローラー]]、元[[自転車競技]]選手 * [[1959年]] - [[飛田展男]]<ref name="goo">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/飛田展男/|title=飛田展男|work=goo人名事典|accessdate=2020-11-06}}</ref>、声優 * 1959年 - [[太田哲也]]、元レーシングドライバー * [[1960年]] - [[中西親志]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[富士乃真司]]、元大相撲力士、年寄19代[[陣幕 (相撲)|陣幕]] * [[1963年]] - [[荒木香衣]]、声優 * 1963年 - [[伊原剛志]]、[[俳優]] * 1963年 - [[鳥海勝美]]、声優、俳優 * [[1964年]] - [[依田政彦]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[ブライアン・ギブンス]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[ポール・ギルバート]]、ミュージシャン * [[1967年]] - [[瀧本富士子]]、声優 * 1967年 - [[松岡修造]]、元プロ[[テニス]]選手 * 1967年 - [[レベッカ・シェイファー]]、女優(+ [[1989年]]) * [[1968年]] - [[ジェリー・ヤン]]、実業家 * [[1969年]] - [[范志毅]]、元プロサッカー選手 * [[1970年]] - [[イーサン・ホーク]]、俳優 * [[1971年]] - [[平塚哲二]]、プロゴルファー * [[1972年]] - [[遠藤あど]]、ダンサー、女優 * 1972年 - [[マット・スクルメタ]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[大山顕]]、フリーライター * [[1973年]] - [[宍戸留美]]、声優、[[歌手]] * [[1974年]] - [[尾関茂雄]]、実業家 * [[1975年]] - [[新谷真弓]]、女優、声優 * 1975年 - [[福山理子]]、タレント * 1975年 - [[町田昌弘]]、ミュージシャン * 1975年 - [[松林慎司]]、俳優 * [[1976年]] - [[ロブソン・ポンテ]]、元[[サッカー]]選手 * 1976年 - [[よなは徹]]、[[歌手]]、[[三線]]奏者 * [[1977年]] - [[デミアン・マイア]]、[[柔術]]家、[[総合格闘家]] * 1977年 - [[永井佑一郎]]、お笑いタレント * [[1978年]] - [[小田茜]]、女優 * 1978年 - [[右松健太]]、[[アナウンサー]] * [[1979年]] - [[稲田直人]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[アダム・ラローシュ]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[大山裕]]、シンガーソングライター * [[1981年]] - [[窪塚俊介]]、俳優 * 1981年 - [[イ・ドンウク]]、俳優 * 1981年 - [[カスパルス・ゴルクシュス]]、元サッカー選手 * [[1982年]] - [[Sowelu]]、歌手 * 1982年 - [[渡辺大輔 (俳優)|渡辺大輔]]、俳優 * [[1983年]] - [[山本匠馬]]、俳優 * 1983年 - [[山本芳彦]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[濱家隆一]]、お笑いタレント([[かまいたち (お笑いコンビ)|かまいたち]]) * 1983年 - [[出田奈々]]、アナウンサー * [[1984年]] - [[リッキー・ロメロ]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[安藤桂子]]、アナウンサー * 1984年 - [[ロビー・ウィドランスキー]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[大谷秀和]]、サッカー選手 * [[1985年]] - 金ちゃん、お笑いタレント([[鬼越トマホーク]]) * 1985年 - [[松本浩代]]、[[プロレスラー]] * 1985年 - [[日高薫]]、ファッションモデル * [[1986年]] - [[チェン・チュー]]、元タレント(元[[SDN48]]) * 1986年 - [[いしいすぐる]]、元子役 * [[1987年]] - [[アナ・イバノビッチ]]、プロテニス選手 * 1987年 - [[栗原貴宏]]、バスケットボール選手 * 1987年 - [[コーリー・ラスムス]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[ケイレブ・コーザム]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[エマ・ストーン]]、女優 * [[1989年]] - [[ジョジー・アルティドール]]、サッカー選手 * 1989年 - [[マチェイ・ノヴァーク]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1990年]] - [[アンドレ・シュールレ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ウー・イーファン]]、俳優、歌手(元[[EXO]]) * 1990年 - [[大矢真那]]、タレント(元[[SKE48]]) * [[1991年]] - [[倉持由香]]、[[グラビアアイドル]] * 1991年 - [[ポール・ポワリエ]]、フィギュアスケート選手 * 1991年 - [[円野つくし]]、ミュージカル俳優 * 1991年 - [[愛甲千笑美]]、ファッションモデル * [[1993年]] - [[シュテファン・オルテガ]]、サッカー選手 * [[1995年]] - [[張常寧]]、バレーボール選手 * [[1996年]] - [[前田桜茄]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[野澤佑斗]]、元プロ野球選手 * [[1998年]] - [[佐竹のん乃]]、元アイドル(元[[=LOVE]]) * 1998年 - [[平岡映美]]、女優 * [[2001年]] - [[関桃子]]、元プロ野球選手 * 2001年 - [[松尾実李果]]、タレント * 生年不明 - [[疋田高志]]<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[ぷろだくしょんバオバブ]]|url=http://www.pro-baobab.jp/men/hikida_t/|title=疋田高志のプロフィール|accessdate=2021-01-21}}</ref>、声優 == 忌日 == {{multiple image | footer = [[関ヶ原の戦い]]で敗れ、京都[[六条河原]]で処刑 | image1 = Ishida Mitsunari.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[石田三成]](1560-1600) | alt1 = 石田三成 | image2 = Daimyo Konishi Yukinaga Ukiyo-e.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[小西行長]](1558-1600) | alt2 = 小西行長 | image3 = Kubizuka of Ankokuji Ekei 130109.JPG | width3 = 120 | caption3 = [[安国寺恵瓊]](1539?-1600) | alt3 = 安国寺恵瓊 }} [[File:Charles X of France 1.PNG|thumb|120px|[[フランス復古王政]][[ブルボン朝]]最後の王、[[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]](1757-1836)、[[七月革命]]で再度亡命し、ゲルツ(現[[ゴリツィア]])で客死]] {{multiple image | footer = 作曲家[[ピョートル・チャイコフスキー]](1840-1893)没 | image1 = Porträt des Komponisten Pjotr I. Tschaikowski (1840-1893).jpg | width1 = 100 | alt1 = チャイコフスキー | image2 = Некрополь мастеров искусств 063.jpg | width2 = 100 | alt2 = チャイコフスキーの墓 }} [[File:Tobu Asaka Sta south place.jpg|thumb|122px|[[本田美奈子.]](1967-2005)没。[[東武東上線]][[朝霞駅]]前にある記念碑]] * [[1003年]] - [[ヨハネス17世 (ローマ教皇)|ヨハネス17世]]、[[教皇|ローマ教皇]](* 生年不明) * [[1231年]]([[寛喜]]3年[[10月11日 (旧暦)|10月11日]]) - [[土御門天皇]]、第83代[[天皇]](* [[1196年]]) * [[1406年]] - [[インノケンティウス7世 (ローマ教皇)|インノケンティウス7世]]、ローマ教皇(* [[1336年]]頃) * [[1600年]]([[慶長]]5年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[石田三成]]、大名、[[五奉行]]の1人(* [[1560年]]) * 1600年([[慶長]]5年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[小西行長]]、大名(* [[1558年]]) * 1600年([[慶長]]5年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[安国寺恵瓊]]、[[臨済宗]]の僧侶、[[毛利氏]]の外交僧(* [[1539年]]?) * [[1614年]]([[慶長]]19年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]) - [[教如]]、[[真宗大谷派]]の祖(* [[1558年]]) <!-- ユリウス暦*[[1632年]] - [[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ・アドルフ]]、[[スウェーデン]]国王(''ユリウス暦'')(* [[1594年]])--> * [[1656年]] - [[ジャン=バチスト・モラン]]、[[天文学者]](* [[1583年]]) * 1656年 - [[ジョアン4世 (ポルトガル王)|ジョアン4世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1604年]]) * [[1672年]] - [[ハインリッヒ・シュッツ]]、[[作曲家]](* [[1585年]]) * [[1707年]]([[宝永]]4年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[服部嵐雪]]、[[俳諧師]](* [[1654年]]) * [[1771年]] - [[ジョン・ベヴィス]]、天文学者(* [[1693年]]) <!-- ユリウス暦* [[1796年]] - [[エカチェリーナ2世]]、[[ロシア]][[皇帝]](* [[1729年]])--> * [[1822年]] - [[クロード・ルイ・ベルトレー]]、[[化学者]](* [[1748年]]) * [[1836年]] - [[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]]、[[フランス王国|フランス]]国王(* [[1757年]]) * [[1893年]] - [[ピョートル・チャイコフスキー]]、作曲家(* [[1840年]]) * 1893年 - [[ユリウス・フレーベル]]、[[地質学|地質学者]]、[[政治家]](* [[1805年]]) * [[1901年]] - [[ケイト・グリーナウェイ]]、[[挿絵]][[画家]]、[[絵本作家]](* [[1846年]]) * [[1918年]] - [[出口なお]]、宗教家(* [[1836年]]) * [[1922年]] - [[モーガン・バークリー]]、[[ナショナルリーグ]]会長(* [[1837年]]) * [[1925年]] - [[啓定帝]]、[[ベトナム]]皇帝(* [[1885年]]) * [[1931年]] - [[ジャック・チェスブロ]]、プロ野球選手(* [[1874年]]) * [[1935年]] - [[ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン]]、[[古生物学|古生物学者]]、地質学者(* [[1857年]]) * [[1941年]] - [[モーリス・ルブラン]]、[[小説家]](* [[1864年]]) * [[1959年]] - [[ホセ・ラウレル]]、第3代[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]](* [[1891年]]) * [[1960年]] - [[エーリヒ・レーダー]]、[[ドイツ海軍]]の[[元帥]](* [[1876年]]) * [[1964年]] - [[ハンス・フォン・オイラー=ケルピン]]、化学者(* [[1873年]]) * [[1965年]] - [[エドガー・ヴァレーズ]]、作曲家(* [[1883年]]) * [[1968年]] - [[シャルル・ミュンシュ]]、[[指揮者]](* [[1891年]]) * 1968年 - [[チャールズ・B・マクベイ3世]]、[[アメリカ海軍]]の士官(* [[1898年]]) * [[1983年]] - [[金子正次]]、[[俳優]](* [[1949年]]) * [[1984年]] - [[ジョージ・ゲイロード・シンプソン]]、古生物学者(* [[1902年]]) * [[1986年]] - [[リリー・クラウス]]、[[ピアニスト]](* [[1903年]]) * [[1989年]] - [[松田優作]]、[[俳優]](* [[1949年]]) ※戸籍上は1950年生まれ * [[1991年]] - [[ジーン・ティアニー]]、女優(* [[1920年]]) * [[1998年]] - [[今井勇]]、元[[厚生大臣]](* [[1919年]]) * 1998年 - [[ニクラス・ルーマン]]、[[社会学者]](* [[1927年]]) * [[2000年]] - [[L・スプレイグ・ディ=キャンプ]]、[[SF作家]]、[[ファンタジー]]作家(* [[1907年]]) * [[2001年]] - [[アンソニー・シェーファー]]、作家(* [[1926年]]) * [[2004年]] - [[原健三郎]]、政治家、第65代衆議院議長(* [[1907年]]) * [[2005年]] - [[本田美奈子.]]、[[歌手]]、[[俳優|女優]](* [[1967年]]) * [[2008年]] - [[ラリー・ジェームズ]]、陸上選手(* [[1947年]]) * [[2011年]] - [[ゴードン・ベック]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]]、作曲家(* [[1934年]]) * [[2014年]] - [[種村直樹]]、作家、[[随筆家]]、[[評論家]](* [[1936年]])<ref>{{Cite news|title=鉄道作家の種村直樹さん死去…「鉄道ジャーナル」などで活躍|url=https://response.jp/article/2014/11/09/236939.html|date=2014-11-09|newspaper=[[Response.]]|accessdate=2021-11-06}}</ref> * [[2015年]] - [[青木薪次]]、政治家、第61代[[労働省|労働大臣]](* [[1926年]]) * 2015年 - [[松浦輝夫]]、[[登山家]](* [[1934年]]) * [[2017年]] - [[中村鋭一]]、[[フリーアナウンサー]]、[[タレント]]、政治家(* [[1930年]]) * 2017年 - [[奥村貢]]、[[作詞家]]、[[作曲家]](* [[1929年]]) * [[2018年]] - [[後藤哲夫]]、声優(* [[1950年]]) * [[2022年]] - [[エドワード・プレスコット]]、[[経済学者]](* [[1940年]]) == 記念日・年中行事 == * [[戦争と武力紛争による環境搾取防止のための国際デー]] *: [[2001年]]11月の国連総会で制定された[[国際デー]]の一つ。 * [[憲法記念日]]({{DOM}}) *: [[1844年]]のこの日、最初のドミニカ共和国憲法が採択された。 * 憲法記念日({{TJK}}) *: [[1994年]]のこの日、タジキスタン憲法が採択された。 * [[アパート]]記念日({{JPN}}) *: [[1910年]]のこの日、東京・上野に日本初の木造アパート「上野倶楽部」<ref>{{Cite web|和書|url=https://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu119.php|title=第119回常設展示 日本の集合住宅 -アパート、マンションに見る20世紀|publisher=国立国会図書館|accessdate=2020-11-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tamahome-r.jp/blog/entry-137036/|title=日本初の高層アパート「上野倶楽部」を知っていますか?|publisher=タマホーム不動産|date=2018-12-13|accessdate=2020-11-06}}</ref>が完成したことに由来<ref>{{Cite web|和書|url=https://kids.yahoo.co.jp/today/1106|title=11月6日 (金)アパート記念日|work=yahoo!きっず|publisher=yahoo|accessdate=2020-11-06}}</ref>。 * [[お見合い]]記念日({{JPN}}) *: [[1947年]]のこの日、東京の[[多摩川]]河畔で集団お見合いが行われたことに由来。結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、[[第二次世界大戦|戦争]]のために婚期を逃した男女386人が参加した。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1106|date=2011年7月}} * [[2022年]] - 13:00、VRMMORPG「ソードアート・オンライン」正式サービス開始。(小説・マンガ・アニメ『[[ソードアート・オンライン]]』)<ref>{{Twitter status2|1=sao_anime|2=1589105295325896704|3=|4=アニメ ソードアート・オンライン 公式 2022年11月6日13時00分のツイート|5=2022-11-07}}</ref> === 誕生日(フィクション) === * [[1504年]] - カタリーナ・エランツォ、ゲーム『[[大航海時代II]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=フクザワ・エイジ|title=大航海時代IIハンドブック|publisher=光栄|date=1993年6月|page=165|isbn=4-87719-011-2}}</ref> * 生年不明 - [[ポケットモンスターSPECIALの登場人物#カロス地方|エックス]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』の主人公のひとり<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1324563728566661121}}</ref> * 生年不明 - 烈子、[[サンリオキャラクター]]『[[アグレッシブ烈子]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=烈子 |url=https://www.sanrio.co.jp/character/aggressiveretsuko/ |access-date=2022-11-06 |publisher=[[サンリオ]] |work=『アグレッシブ烈子』}}</ref> * 生年不明 - 三朝歌蓮、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/misasa_karen |title=鳥取 三朝 歌蓮 |access-date=2022-11-06 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=温泉むすめ}}</ref> * 生年不明 - [[石田雨竜]]、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|year=2006|title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|page=66|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-874079-3}}</ref> * 生年不明 - [[ゆるゆり#ごらく部|吉川ちなつ]]、漫画・アニメ『[[ゆるゆり]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=TVアニメーション ゆるゆり公式ファンブック |publisher=[[一迅社]] |year=2011 |page=30 |isbn=978-4-7580-1248-5}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=なもり |authorlink=なもり |title=ゆるゆりファンブック |publisher=一迅社 |series=[[コミック百合姫#百合姫コミックス|百合姫コミックス]] |year=2013 |page=29 |isbn=978-4-7580-7258-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=なもり |title=なもり画集 ゆるなもり |publisher=一迅社 |year=2013 |page=144 |isbn=978-4-7580-7260-1}}</ref> * 生年不明 - 京塚志温、漫画・アニメ『[[スロウスタート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://slow-start.com/#character |title=Character 京塚志温 |publisher=[[篤見唯子]]・[[芳文社]]/スロウスタート製作委員会 |accessdate=2022-11-06 |work=『スロウスタート』}}</ref> * 生年不明 - 間中美里、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20155 |title=間中 美里(まなか みさと) |access-date=2022-11-06 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 畑山政子、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130816_209384/ |title=【ガールフレンド(仮)通信94】イケメン大好き肉食系ガール 畑山政子先生 |access-date=2023-01-26 |publisher=ファミ通App}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#周防桃子|周防桃子]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30015 |title=周防 桃子(すおう ももこ) |access-date=2022-11-06 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ウェディ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=27&cate=name&cont=Vedy |title=ウェディ |access-date=2022-11-06 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 石田三成、ゲーム・アニメ『[[イケメン戦国◆時をかける恋]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|cyikemen|1059460788275105792}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|6 November}} {{新暦365日|11|5|11|7|[[10月6日]]|[[12月6日]]|[[11月6日 (旧暦)|11月6日]]|1106|11|06}} {{1年の月と日}}
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11月7日
11月7日(じゅういちがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から311日目(閏年では312日目)にあたり、年末まであと54日ある。
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{{カレンダー 11月}} '''11月7日'''(じゅういちがつなのか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から311日目([[閏年]]では312日目)にあたり、年末まであと54日ある。 == できごと == [[ファイル:Demonstration in support of the Russian Constituent Assembly, 1918.jpg|thumb|(ユリウス暦10月25日)[[10月革命]]が成立(1917)|180x180ピクセル]] [[ファイル:Japanese Diet Hall Dedication Ceremony.jpg|thumb|[[国会議事堂]]落成(1936)|180x180ピクセル]] [[ファイル:Tacoma Narrows Bridge Falling.png|thumb|180x180px|[[タコマナローズ橋]]落橋(1940)]] [[ファイル:HopeDiamond1.JPG|192x192px|thumb|[[ホープダイヤモンド]]がスミソニアン協会に寄贈(1958)]] [[ファイル:2015 Ma–Xi Meeting 08.jpg|180x180px|thumb|中台分断後では初めてとなる[[中台首脳会談|首脳会談]](2015)]] * [[680年]] - [[第3コンスタンティノポリス公会議]]が始まる。 * [[1492年]] - [[フランス]]に[[エンシスハイム隕石]]が落下。 * [[1598年]]([[慶長]]3年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]・[[順天城の戦い]]終結:[[順天城]]を包囲していた[[明]]・[[朝鮮]]水軍が古今島に撤退する。 * [[1665年]] - 現存する世界最古の[[新聞]]『オックスフォード・ガゼット』(現在の[[ロンドン・ガゼット|The London Gazette(ロンドン・ガゼット)]])が創刊<ref>{{Cite web |url=https://transit.ne.jp/2023/11/002518.html |title=#今日は何の日? 世界最古の新聞が創刊した日! 11月7日 |access-date=5 Dec 2023 |publisher=euphoria-factory |website=TRANSIT |date=7 Nov 2023}}</ref>。 * [[1837年]] - [[チリ]]中部で大地震([[マグニチュード|M]]8.4、60名死亡)。 * [[1848年]] - [[1848年アメリカ合衆国大統領選挙]]で[[ザカリー・テイラー]]が選出。 * [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[ベルモントの戦い]] * [[1908年]] - [[西部開拓時代]]: [[ガンマン]]の[[サンダンス・キッド]]と[[ブッチ・キャシディ]]が高飛びした先の[[ボリビア]]で隠れ家を包囲され射殺される。 * [[1914年]] - [[第一次世界大戦]]: [[青島市|青島]]のドイツ軍守備隊が降伏し、[[青島の戦い]]が終結。 * [[1916年]] - [[ジャネット・ランキン]]が女性初のアメリカ下院議員に選出。 * [[1917年]]([[ユリウス暦]][[10月25日]]) - [[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]率いるボリシェヴィキにより[[十月革命|ロシア10月革命]]が成立。 * [[1918年]] - [[スペインかぜ]]: [[サモア|西サモア]]で[[インフルエンザ]]が始まり、年末までに人口の2割の7,542人が死亡。 * [[1919年]] - シャルロッテンブルク・ドイツ歌劇場(現在の[[ベルリン・ドイツ・オペラ]])が開場。 * [[1921年]] - イタリア戦闘者ファッシが[[ファシスト党]]に改称。 * [[1929年]] - [[ニューヨーク近代美術館]](MoMA)が開館。 * [[1931年]] - [[中華ソビエト共和国]]建国。 * 1931年 - [[大坂城|大阪城]][[天守閣]]再建、[[大阪城公園]]開園。 * [[1936年]] - 日本の[[国会議事堂]]が落成。 * [[1940年]] - [[アメリカ合衆国]][[ワシントン州]]の[[タコマナローズ橋]]が強風により落橋。 * [[1944年]] - [[ソビエト連邦]]指導者[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]が革命記念日の演説で日本を侵略国と名指しで批判。 * 1944年 - [[1944年アメリカ合衆国大統領選挙]]の結果、[[フランクリン・ルーズベルト]]が4選。 * 1944年 - [[ゾルゲ事件]]:[[リヒャルト・ゾルゲ]]・[[尾崎秀実]]が処刑。 * [[1949年]] - [[コスタリカ]]で、[[軍隊|常備軍]]の保持を禁止する[[憲法]]を公布。 * [[1950年]] - [[高知県]]で[[国鉄バス]][[大栃線]]の車両が[[物部川]]に転落。死者33人。 * [[1951年]] - 戦後[[日本初]]、独自の研究組織を有する、[[公益法人]]では日本最大の民間[[シンクタンク]]、[[電力中央研究所]]が発足。 * [[1953年]] - 競艇の[[全日本選手権競走]]第1回記念大会が[[若松競艇場]]で開催される。 * [[1954年]] - [[1954年の日本シリーズ|プロ野球日本シリーズ]]で[[中日ドラゴンズ]]が[[埼玉西武ライオンズ|西鉄ライオンズ]]を4勝3敗で下し、初の日本一。 * [[1958年]] - [[ホープダイヤモンド]]が[[スミソニアン協会本部|スミソニアン協会]]に寄贈。 * [[1970年]] - [[仙台臨海鉄道|仙台臨海鉄道株式会社]]設立。 * [[1983年]] - [[奈良県]][[明日香村]]の[[キトラ古墳]]で、彩色[[壁画]]の中に[[玄武]]が発見される<ref>{{Cite web |url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20231015-OYT1T50051/ |title=キトラ古墳の極彩色壁画「玄武」発見から40年、感動色あせず…一般公開始まる |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[讀賣新聞]]オンライン |date=15 Oct 2023}}</ref>。 * [[1985年]] - [[コロンビア]]の[[最高裁判所]]を占拠した[[ゲリラ]]に対し、政府軍が突入し、人質115人が犠牲となる。([[コロンビア最高裁占拠事件]]) * [[1987年]] - [[シンガポール]]の[[マス・ラピッド・トランジット]](MRT)が開業 * [[1989年]] - [[ニューヨーク市]]の106代市長に[[デイヴィッド・ディンキンズ]]が当選。ニューヨーク市初の黒人市長。 * [[1990年]] - [[アイルランドの大統領]]選挙で[[メアリー・ロビンソン]]が当選。アイルランド初の女性大統領。 * [[1996年]] - [[第2次橋本内閣]]が発足。 * 1996年 - アメリカの[[火星探査機]]「[[マーズ・グローバル・サーベイヤー]]」が打ち上げ。 * [[2000年]] - [[2000年アメリカ合衆国大統領選挙|米大統領選]]の投票日。[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ]]と[[アル・ゴア]]で大接戦となり、後に[[フロリダ州]]の票の再集計をめぐって訴訟事件([[ブッシュ対ゴア事件]])に発展する。 * [[2006年]] - [[北海道]][[佐呂間町]]で竜巻が発生。9人が死亡し、23人が負傷。([[北海道佐呂間町竜巻災害]]) * [[2010年]] - [[千葉ロッテマリーンズ]]が[[中日ドラゴンズ]]を破り、史上初のシーズン3位から[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]優勝。 * [[2015年]] - [[中華人民共和国]]と[[中華民国]]([[台湾]])が分断されてから初めてとなる[[中台首脳会談|首脳会談]]が[[シンガポール]]で行われる。 * [[2019年]] - ボクシング4団体の世界王者らによる[[World Boxing Super Series|WBSS]]バンタム級トーナメント決勝で、[[井上尚弥]]が5階級制覇王者の[[ノニト・ドネア]]を判定で下し優勝<ref>{{Cite web |url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2019/11/08/110092/ |title=WBSS優勝! 井上尚弥が独占インタビューで語っていた強さの秘密 |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[集英社]] |website=週プレNEWS}}</ref>。 == 誕生日 == [[ファイル:Marie Curie 1903.jpg|thumb|255x255px|[[ポーランド立憲王国|ポーランド]]出身の[[物理学者]]、キュリー夫人こと[[マリ・キュリー]](1867-1934)誕生]] [[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-R15068, Leo Dawidowitsch Trotzki.jpg|thumb|267x267px|[[革命家]]、[[レフ・トロツキー]](1879-1940)誕生]] [[ファイル:Sir CV Raman.JPG|thumb|270x270px|[[ラマン効果]]を発見し、アジア人初の[[ノーベル物理学賞]]を受賞した[[インド]]の物理学者、[[チャンドラセカール・ラマン]](1888-1970)誕生]][[ファイル:Konrad Lorenz.JPG|thumb|198x198px|動物の[[刷り込み]]を研究した[[オーストリア]]の[[動物行動学]]者、[[コンラート・ローレンツ]](1903-1989)誕生]] [[ファイル:Ken Uehara in The Sound of the Mountain.jpg|thumb|248x248px|戦前戦後の日本映画界を代表する[[二枚目]][[俳優]]、[[上原謙]](1909-1991)誕生]] [[ファイル:Albert Camus, gagnant de prix Nobel, portrait en buste, posé au bureau, faisant face à gauche, cigarette de tabagisme.jpg|thumb|180px|[[フランス]]の[[小説家]]、[[アルベール・カミュ]](1913-1960)誕生]] [[ファイル:Morgan Spurlock at the Tribeca Film Festival.jpg|thumb|260x260px|[[ドキュメンタリー映画]]『[[スーパーサイズ・ミー]]』を監督した、[[モーガン・スパーロック]](1970-)誕生]] * [[1598年]] - [[フランシスコ・デ・スルバラン]]<ref>{{Cite web |title=Francisco de Zurbarán {{!}} Spanish Painter |url=https://www.britannica.com/biography/Francisco-de-Zurbaran |access-date=5 Dec 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[画家]](+ [[1664年]]) * [[1645年]]([[正保]]2年[[9月19日 (旧暦)|9月19日]]) - [[前田利広]]、[[上野国]][[七日市藩]]主(+ [[1693年]]) * [[1746年]]([[延享]]3年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]) - [[小笠原忠苗]]、[[豊前国]][[小倉藩]]主(+ [[1808年]]) * [[1799年]] - [[ジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ]]、[[劇作家]](+ [[1875年]]) * [[1810年]] - [[フェレンツ・エルケル]]、作曲家(+ [[1893年]]) * [[1818年]] - [[エミール・デュ・ボア=レーモン]]、生理学者(+ [[1896年]]) * [[1828年]] - [[ポール・ボードリー]]、画家(+ [[1886年]]) * [[1838年]] - [[オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン]]、作家(+ [[1889年]]) * [[1839年]] - [[ヘルマン・レーヴィ]]、[[指揮者]](+ [[1900年]]) * [[1846年]] - [[イグナーツ・ブリュル]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](+ [[1907年]]) * [[1851年]] - [[クリス・フォン・デア・アーエ]]、[[メジャーリーグ]]監督、オーナー(+ [[1913年]]) * [[1855年]] - [[エドウィン・ホール]]、物理学者(+ [[1938年]]) * [[1867年]] - [[マリ・キュリー]]、[[物理学者]](+ [[1934年]]) * [[1874年]] - [[可児徳]]、[[体育学者]]<ref>{{cite journal|和書|author=今村嘉雄|date=1950-01|title=学校体育に寄與した人々(六)―可兒 德―|journal=学校体育|publisher=日本体育社|volume=3|issue=1|page=12-15|naid=40000490225}}</ref>(+ [[1966年]]) * [[1879年]]([[ユリウス暦]]10月26日) - [[レフ・トロツキー]]、革命家(+ [[1940年]]) * 1879年 - [[野口兼資]]、能楽師(+ [[1953年]]) * [[1885年]] - [[ザビーナ・シュピールライン]]、精神分析家(+ [[1942年]]) * [[1886年]] - [[アロン・ニムゾヴィッチ]]、[[チェス]]選手(+ [[1939年]]) * [[1888年]] - [[チャンドラセカール・ラマン]]、[[物理学者]](+ [[1970年]]) * [[1889年]] - [[久保田万太郎]]、[[小説家]]、[[劇作家]](+ [[1963年]]) * [[1897年]] - [[クインシー・ポーター]]、[[作曲家]]、[[ヴィオリスト]](+ [[1966年]]) * [[1902年]] - [[北条秀司]]、[[劇作家]]、[[著述家]](+ [[1996年]]) * [[1903年]] - [[コンラート・ローレンツ]]、動物行動学者(+ [[1989年]]) * 1903年 - [[ディーン・ジャガー]]、[[俳優]](+ [[1991年]]) * [[1905年]] - [[ウィリアム・オルウィン]]、[[音楽家]](+ [[1985年]]) * [[1906年]] - {{仮リンク|ジャン・ルレー|en|Jean Leray}}、数学者(+ [[1998年]]) * [[1909年]] - [[上原謙]]、俳優(+ [[1991年]]) * 1909年 - [[山中貞雄]]、[[映画監督]](+ [[1938年]]) * [[1910年]] - [[飯島藤十郎]]、[[実業家]]、[[ヤマザキパン]]創業者(+ 1989年) * [[1911年]] - [[高田浩吉]]、俳優、[[歌手]](+ [[1998年]]) * [[1913年]] - [[アルベール・カミュ]]、[[小説家]](+ [[1960年]]) * [[1917年]] - [[清原初男]]、元[[プロ野球選手]] * [[1918年]] - [[村瀬一三]]、元プロ野球選手(没年不明) * 1918年 - [[茅野秀三]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * [[1921年]] - [[ギュンター・ヨステン]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[2004年]]) * [[1922年]] - [[中埜肇 (哲学者)|中埜肇]]、[[哲学者]](+ [[1997年]]) * [[1925年]] - [[ユリアン・シトコヴェツキー]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1958年]]) * [[1927年]] - [[山内溥]]、[[任天堂]]相談役(+ [[2013年]]) * 1927年 - [[森山眞弓]]、政治家(+ [[2021年]]) * [[1930年]] - [[阪脩]]、[[声優]] * 1930年 - [[加藤一昭]]、元プロ野球選手 * [[1932年]] - [[ディック・スチュアート]]、元プロ野球選手(+ [[2002年]]) * [[1938年]] - [[貝塚ひろし]]、[[漫画家]] * 1938年 - [[青山二三]]、政治家 * 1938年 - [[ジム・カート]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[赤羽昇]]、実業家(+ [[2020年]]) * 1939年 - [[ウーリッヒ・ヘルマン]]、[[教育学者]] * 1939年 - [[バーバラ・リスコフ]]、[[計算機科学]]研究者 * [[1941年]] - [[クラレンス・ジョーンズ (野球)|クラレンス・ジョーンズ]]、元プロ野球選手 * [[1942年]] - [[チャーリー浜]]、[[コメディアン]](+ [[2021年]]) * 1942年 - [[寺田農]]、[[俳優]] * [[1943年]] - [[ジョニ・ミッチェル]]、[[アーティスト]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、[[画家]]、[[写真家]] * [[1944年]] - [[松平定知]]、[[アナウンサー]] * 1944年 - [[ジョー・ニークロ]]、元プロ野球選手(+ [[2006年]]) * [[1947年]] - [[福本豊]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[塩崎恭久]]、政治家 * [[1951年]] - [[高千穂遙]]、[[SF作家]] * 1951年 - [[河埜和正]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[阪口忠昭]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[中尾明生]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[笑福亭笑瓶]]、[[タレント]](+ [[2023年]]) * 1956年 - [[菊村徳用]]、元プロ野球選手 * [[1958年]] - [[王立誠]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]] * [[1959年]] - [[樋口章憲]]、実業家 * [[1960年]] - [[トミー・セイヤー]]、ギタリスト([[キッス|KISS]]) * [[1961年]] - [[棚田徹]]、[[アナウンサー]] * 1961年 - [[田中彰伯]]、[[料理人]] * 1961年 - [[種ともこ]]、[[シンガーソングライター]] * 1961年 - [[セルゲイ・アレイニコフ]]、サッカー選手 * [[1962年]] - [[中村修 (棋士)|中村修]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]] * [[1963年]] - [[松村雄基]]、俳優 * 1963年 - [[ジョン・バーンズ (サッカー選手)|ジョン・バーンズ]]、サッカー選手 * 1963年 - [[色川京子]]、[[声優]] * [[1964年]] - [[ダナ・プラトー]]、女優(+ [[1999年]]) * [[1965年]] - [[篠原保]]、[[キャラクターデザイナー]]、[[イラストレーター]] * [[1966年]] - [[カルヴィン・ボレル]]、[[騎手]] * [[1967年]] - [[伊集院光]]、[[タレント]] * 1967年 - [[デヴィッド・ゲッタ]]、DJ * 1967年 - [[平野俊隆]]、声優 * [[1968年]] - [[山﨑武司]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[西川将人]]、政治家、元[[旭川市]]長 * 1968年 - [[ラス・スプリンガー]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[井上貴子 (プロレスラー)|井上貴子]]、プロレスラー * 1969年 - [[エレーヌ・グリモー]]、[[ピアニスト]] * 1969年 - [[柏木ハルコ]]、漫画家 * [[1970年]] - [[トリーネ・レイン]]、歌手 * 1970年 - [[マルク・ロセ]]、プロテニス選手 * 1970年 - [[モーガン・スパーロック]]、映画監督 * [[1971年]] - [[源石和輝]]、アナウンサー * [[1972年]] - [[銭場一浩]]、元野球選手 * 1972年 - [[雅姫 (ファッションデザイナー)|雅姫]]、[[ファッションモデル]]、[[ファッションデザイナー]] * [[1973年]] - [[戸次重幸]]、俳優、タレント([[TEAM NACS]]) * 1973年 - [[早川健一郎]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[松村玲郎]]、アナウンサー * [[1974年]] - [[高橋利信]]、元野球選手 * 1974年 - [[クリス・ベンソン]]、元プロ野球選手 * [[1975年]] - [[金本和起]]、ミュージカル俳優 * [[1976年]] - [[レス・ウォーランド]]、プロ野球選手 * 1976年 - [[マーク・フィリプーシス]]、テニス選手 * 1976年 - [[常昊]]、囲碁棋士 * [[1977年]] - [[小林寛子]]、[[ファッションモデル]] * 1977年 - [[小比類巻貴之]]、[[格闘家]] * 1977年 - [[三遊亭王楽]]、落語家 * [[1978年]] - [[長瀬智也]]、俳優、ミュージシャン(元[[TOKIO]]) * 1978年 - [[リオ・ファーディナンド]]、元サッカー選手 * 1978年 - [[モハメド・アブトレイカ]]、元サッカー選手 * 1978年 - [[ヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンク]]、元サッカー選手 * [[1979年]] - [[ウィリー・コラーゾ]]、プロ野球選手 * 1979年 - [[フアン・ブリトー]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[古橋達弥]]、サッカー選手 * 1980年 - [[セルヒオ・ベルナルド・アルミロン]]、サッカー選手 * 1980年 - [[ヘルバシオ・デフェル]]([[:en:Gervasio Deferr|Gervasio Deferr]])、体操選手 * [[1981年]] - [[内山理名]]、女優 * 1981年 - [[中山悟志]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[片瀬那奈]]、女優、歌手 * 1981年 - [[立花胡桃]]、[[作家]]、元タレント、プロデューサー * 1981年 - [[小島ミカ]]、[[グラビアアイドル]]、女優 * 1981年 - [[TAMATE BOX]]、歌手、シンガーソングライター * [[1982年]] - [[山口絵里奈 (1982年生)|山口絵里奈]]、元グラビアアイドル * [[1983年]] - [[八木智哉]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[セルゲイ・バラノフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1983年 - [[ソフィア・グリーンウッド]]、モデル * 1983年 - [[中村真崇]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[エスメルリング・バスケス]]、プロ野球選手 * [[1984年]] - [[糸数敬作]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[アメリア・ベガ]]、ミス・ユニバース * [[1985年]] - [[山田一統]]、元[[子役]] * [[1986年]] - [[チェレステ・ボニン]]、元[[ボディビルダー]]、プロレスラー * [[1987年]] - [[佐藤渚]]、アナウンサー * 1987年 - [[原江里菜]]、[[ゴルファー]] * 1987年 - [[十亀剣]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[山下達也]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[金彩華]]、フィギュアスケート選手 * 1988年 - [[タイニー・テンパー]]、ラッパー * 1988年 - [[アレクサンドル・ドルゴポロフ]]、テニス選手 * 1988年 - [[武藤雄樹]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[江畑幸子]]、バレーボール選手 * 1989年 - はら、お笑い芸人([[ゆにばーす]]) * 1989年 - [[清都ありさ]]、声優 * 1989年 - [[ソニー・グレイ]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[ダニー・サンタナ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[ダビド・デ・ヘア]]、サッカー選手 * 1990年 - [[崔賢美]]、プロボクサー * 1990年 - [[韓英恵]]、女優 * [[1991年]] - [[フェリックス・ローゼンクヴィスト]]、[[レーシングドライバー]] * 1991年 - [[黒田絢子]]、元タレント、元女優、元アーティスト * [[1992年]] - [[村上友梨]]、元グラビアアイドル、女優 * 1992年 - [[紀真耶]]、アナウンサー * [[1993年]] - [[大木梓彩]]、タレント、女優 * [[1994年]] - 内田由麻、歌手(元[[キャナァーリ倶楽部]]) * 1994年 - [[飯窪春菜]]、モデル、アイドル(元[[モーニング娘。]]) * 1994年 - [[村上佳菜子]]、タレント、元フィギュアスケート選手 * 1994年 - [[西山雄介]]、陸上選手 * [[1995年]] - [[夏居瑠奈]]、元モデル * 1995年 - [[雅雀り子]]、アイドル([[ZOC (アイドルグループ)|ZOC]]) * 1995年 - [[吉岡茉祐]]、声優([[Wake Up, Girls! (声優ユニット)|Wake Up, Girls!]]) * 1995年 - [[馬場雄大]] 、バスケットボール選手 * 1995年 - [[髙橋遥人]] 、プロ野球選手 * [[1996年]] - [[ロード (歌手)|ロード]]、シンガーソングライター * 1996年 - [[萩谷慧悟]]、タレント([[7ORDER]]、元[[ジャニーズJr.]]、元[[Love-tune]]) * 1996年 - [[岡部麟]]、アイドル([[AKB48]]) * [[1997年]] - [[岡田奈々 (1997年生のアイドル)|岡田奈々]]、女優、YouTuber、元アイドル(元AKB48、元[[STU48]]) * 1997年 - ディエイト、アイドル([[SEVENTEEN (音楽グループ)|SEVENTEEN]]) * 1997年 - [[中島怜利]]、元陸上選手 * [[1998年]] - [[才木浩人]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - 山本花織、女優、タレント([[CROWN POP]]) * 2001年 - [[山下幸輝 (俳優)|山下幸輝]]、俳優、ダンサー * [[2002年]] - [[伊藤小春]]、ファッションモデル、アイドル(元[[原宿駅前パーティーズ|ふわふわ]]) * [[2004年]] - [[小田柚葉]]、女優、歌手、[[ダンサー|パフォーマー]]([[Girls2]]) * 2004年 - [[星乃夢奈]]<ref>{{Cite web |url=https://vaz.tokyo/talent/yuna/ |title=星乃夢奈(ゆな) |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[VAZ|VAZ Inc.]] |website=VAZタレントポータル}}</ref>、ファッションモデル、[[YouTuber]]、女優 * 2004年 - [[村瀬心椛]]、[[スノーボード|スノーボーダー]] * [[2006年]] - RYUHEI、アイドル ([[BE:FIRST]]) * 生年不明 - [[田丸裕臣]]、声優 * 生年不明 - 霧島若歌、歌手([[Mia REGINA]]) == 忌日 == === 人物 === * [[1202年]]([[建仁]]2年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]])- [[源通親]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[1149年]]) * [[1391年]]([[元中]]8年/[[明徳]]2年[[10月11日 (旧暦)|10月11日]])- [[佐々木高秀]]、[[室町時代]]の[[守護大名]](* [[1328年]]) * [[1658年]]([[万治]]元年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]]) - [[前田利常]]、第3代[[加賀藩|加賀藩主]](* [[1594年]]) * [[1766年]] - [[ジャン=マルク・ナティエ]]、[[画家]] (* [[1685年]]) * [[1769年]]([[明和]]6年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]])- [[阿部正福]]、[[備後福山藩|備後福山藩主]](* [[1700年]]) * [[1859年]] - [[カール・ゴットリープ・ライシガー]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1798年]]) * [[1862年]] - [[バハードゥル・シャー2世]]、[[ムガル帝国|ムガル皇帝]](* [[1775年]]) * [[1901年]]([[光緒]]27年[[9月27日 (旧暦)|9月27日]])- [[李鴻章]]、[[清]]の廷臣(* [[1823年]]) * [[1913年]] - [[アルフレッド・ラッセル・ウォレス]]、[[生物学者]](* [[1823年]]) * [[1916年]] - [[桃中軒雲右衛門]]、[[浪曲]]師(* [[1873年]]) * [[1922年]] - [[サム・トンプソン]]、プロ野球選手(* [[1860年]]) * [[1930年]] - [[大木戸森右エ門]]、[[大相撲]]第23代[[横綱]](* [[1878年]]) * [[1944年]] - [[リヒャルト・ゾルゲ]]、[[スパイ]](* [[1895年]]) * 1944年 - [[尾崎秀実]]、[[ゾルゲ事件]]首謀者のひとり(* [[1901年]]) * [[1950年]] - [[ヨーゼフ・ハシッド]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1923年]]) * [[1959年]] - [[ヴィクター・マクラグレン]]、[[俳優]](* [[1886年]]) * 1959年 - [[アルベルト・ゲレーロ]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]](* 1886年) * [[1960年]] - [[松村松年]]、[[昆虫学|昆虫学者]](* [[1872年]]) * [[1962年]] - [[エレノア・ルーズベルト]]、[[フランクリン・ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]の妻、人権活動家(* [[1884年]]) * 1962年 - [[長崎惣之助]]、第3代[[日本国有鉄道]]総裁(* [[1896年]]) * [[1967年]] - [[ジョン・N・ガーナー]]、[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1868年]]) * [[1972年]] - [[小林英三]]、[[厚生大臣]](* [[1892年]]) * [[1978年]] - [[ジーン・タニー]]、[[プロボクサー]](* [[1897年]]) * [[1980年]] - [[越路吹雪]]、女優、[[歌手]](* [[1924年]]) * 1980年 - [[スティーブ・マックイーン]]、俳優(* [[1930年]]) * [[1983年]] - [[ジェルメーヌ・タイユフェール]]、作曲家(* [[1892年]]) * [[1990年]] - [[ロレンス・ダレル]]、[[作家]](* [[1912年]]) * [[1992年]] - [[アレクサンデル・ドゥプチェク]]、政治家(* [[1921年]]) * [[1999年]] - [[藤田圭雄]]、[[児童文学者]](* [[1905年]]) * [[2000年]] - [[吉村公三郎]]、[[映画監督]](* [[1911年]]) * [[2001年]] - [[左幸子]]、女優(* [[1930年]]) * [[2004年]] - [[ハワード・キール]]、俳優、歌手(* [[1919年]]) * 2004年 - 出射厚、[[FD (ファイル管理ソフト)|FD]]の作者(* [[1948年]]) * 2004年 - [[玉井たけし]]、[[漫画家]](* [[1960年]]) * [[2005年]] - [[今津光男]]、元[[プロ野球選手]](* [[1938年]]) * 2005年 - [[長谷川信彦]]、[[卓球]]選手(* [[1947年]]) * [[2007年]] - [[平野敬一]]、[[イギリス文学者|英文学者]](* [[1924年]]) * [[2008年]] - [[筑紫哲也]]、[[ニュースキャスター]]、[[ジャーナリスト]](* [[1935年]]) * [[2009年]] - [[胡美芳]]、歌手(* [[1926年]]) * 2009年 - [[岩澤重夫]]、[[日本画家]](* [[1927年]]) * [[2010年]] - [[西崎義展]]、[[プロデューサー]](* [[1934年]]) * [[2011年]] - [[隆の里俊英]]、[[大相撲]]第59代[[横綱]](* [[1952年]]) * [[2015年]] - [[ガンナー・ハンセン]]、[[俳優]](* [[1947年]]) * 2015年 - [[宇江佐真理]]、[[作家]](* [[1949年]]) * [[2016年]] - [[荒戸源次郎]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://mainichi.jp/articles/20161108/k00/00m/040/044000c |title=訃報:荒戸源次郎さん70歳=映画製作「どついたるねん」 |publisher=[[毎日新聞]] |date=7 Nov 2016 |accessdate=5 Dec 2023}}</ref>、映画プロデューサー(* [[1946年]]) * 2016年 - [[レナード・コーエン]]<ref>{{Cite web |url=https://jp.reuters.com/article/leonard-cohen-dies-idJPKBN13609J/ |title=レナード・コーエン氏が死去、伝説的歌手で詩人 |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=11 Nov 2016}}</ref>、シンガーソングライター、詩人(* [[1934年]]) * [[2017年]] - [[ロイ・ハラデイ]]、元プロ野球選手(* [[1977年]]) === 人物以外(動物など) === * 2005年 - [[ナリタトップロード]]、[[競走馬]](* [[1997年]]) == 記念日・年中行事 == * [[立冬]]({{JPN}}、[[2009年]]・[[2010年]]・[[2012年]]・[[2016年]]) *: [[二十四節気]]の一つ。太陽[[黄経]]が225度のときで、初めて[[冬]]の気配が現れてくる日。 * [[鍋料理|鍋]]の日({{JPN}}) *: 食品メーカー・[[ヤマキ]]が制定。この日が立冬になることが多いことから。「いい(11)な(7)べ」の語呂合わせ。 *知恵の日({{JPN}}) *: [[朝日新聞社]]が[[1988]]年、『[[知恵蔵|朝日現代用語 知恵蔵]]』発刊時に制定<ref>{{Cite web |url=https://www.pref.niigata.lg.jp/m/sec/syogaigakushu/1297022479065.html |title=11月7日【知恵の日】知恵と知識は違う! |access-date=5 Dec 2023 |publisher=新潟県 教育庁生涯学習推進課}}</ref>。 *[[ココア]]の日({{JPN}}) *: 2016年に制定。[[森永製菓]]により申請され、一般社団法人[[日本記念日協会]]に登録された。 * [[紀伊国|紀州]]山の日({{JPN}} [[和歌山県]]) *: [[和歌山県]]が[[1994年]]に制定。紀州の山村ではかつて[[11月7日 (旧暦)|旧暦11月7日]]に[[山の神]]に感謝する祭が行われていたことから。山林に対する理解を深め、人と山が共生する山村作りを啓発するための活動が行われる。 * 御所の[[たらいうどん]]の日({{JPN}} 2015年-) *:[[1931年]]([[昭和6年]])、[[徳島県]][[板野郡]][[御所村 (徳島県)|御所村]](現在の[[阿波市]])を訪れた当時の徳島県知事の[[土居通次]]が、飯盆(はんぼう{{Refnest|group="注釈"|寿司桶などに使用される、たらいのような形状の容器。地方によって呼び名が違う。「はんぼん」、「はんぼ」とも。}})に入ったうどんを振る舞われた際、その見た目に対し「たらいの様な器に入ったうどんを食べてうまかった」と感想を述べたことが名の由来<ref>{{Cite web|和書 |date=2020-03 |url=https://www.city.awa.lg.jp/docs/2011040100283/file_contents/JPN-awacity_kankopanfu.pdf |title=2019年度版 阿波市移住ナビ |format=PDF |publisher=阿波市 産業経済部 商工観光課 一般社団法人 阿波市観光協会 |accessdate=5 Dec 2023 |page=5}}</ref>。後に、その日が11月7日であると判断したことから、11月7日を「御所のたらいうどんの日」と制定した<ref>{{Cite web|和書 |date=6 Nov 2015 |url=https://www.topics.or.jp/articles/-/7562 |title=11月7日「たらいうどんの日」 徳島・御所地区の専門店制定 |publisher=[[徳島新聞]] |accessdate=5 Dec 2023}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title=1931年「うまかった」と知事が言ったから 11月7日は「たらいうどんの日」 郷土史料ヒントに 地元産小麦使い催し 阿波・御所地区 |date=2015-11-04 |newspaper=朝日新聞 |page=21}}</ref>。 *[[ロシア革命]]記念日(正式名称:偉大な10月社会主義革命記念日)({{SSR}}) *: [[1917年]]11月7日(ロシア暦10月25日)に、ロシア[[十月革命]]でソビエト政権が樹立されたことに由来。 * [[共産主義]]犠牲者の国民的記念日({{USA}} 2017年-) *:ロシア革命から100周年を記念し[[ドナルド・トランプ|トランプ]]大統領が[[2017年]]11月7日制定<ref>{{Cite web |title=National Day for the Victims of Communism – The White House |url=https://trumpwhitehouse.archives.gov/briefings-statements/national-day-victims-communism/ |access-date=5 Dec 2023 |publisher=The White House}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1107|date=Dec 2023}} * 本編の7年前に警視庁警備部機動隊 爆発物処理班の萩原健二が、3年前に警視庁爆発物処理班から捜査一課に異動しばかりの松田陣平が、同一の爆破犯により爆死。殉職する。(漫画『[[名探偵コナン]]』およびアニメ映画『[[名探偵コナン ハロウィンの花嫁]]』) * [[1987年]] - ピート・タイラーが交通事故死。娘ローズが歴史を書き換えたため、歴史を修正する怪物リーパーが出現し宇宙消滅の危機。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) * [[1994年]] - 外場村が焼失する。( - [[11月8日|8日]])(小説・漫画『[[屍鬼]]』) * [[2000年]] - 「ケンヂ一派」のアジトに警察の強制捜査が入る。(映画『[[20世紀少年 (映画)|20世紀少年 第1章 終わりの始まり]]』) * [[2024年]] - SAO事件解決・フルダイブ[[バーチャルリアリティ|VR]][[MMORPG]]「ソードアート・オンライン」がクリアされる。(小説・アニメ『[[ソードアート・オンライン]]』) * 2024年 - フルダイブVRMMORPG「ソードアート・オンライン」内で重大なシステムエラーが発生。(ゲーム『[[ソードアート・オンラインのゲーム作品|ソードアート・オンライン-インフィニティモーメント-]]』) * 2024年 - 上記のシステムエラーの影響によりプレイヤーであるフィリアがホロウエリアに飛ばされる。(ゲーム『[[ソードアート・オンラインのゲーム作品|ソードアート・オンライン-ホロウフラグメント-]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - [[地球連邦軍]]がオデッサ作戦を開始。( - [[11月9日|9日]])(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1997年]] - 島田真夢、漫画・アニメ『[[Wake Up, Girls!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://wakeupgirls.jp/character.html |title=島田 真夢 |access-date=5 Dec 2023 |work=『Wake Up, Girls!』 |publisher=Green Leaves Wake Up, Girls!製作委員会}}</ref> * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#湯ノ花幽奈|湯ノ花幽奈]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』のヒロイン<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2017|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=5巻|page=125|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-881025-6}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=127|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - アリサ・ミハイロヴナ・九条(アーリャ)、小説・漫画・アニメ『[[時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|roshidere|1721848818722066486}}</ref> * 生年不明 - 住之江あこ、漫画・アニメ『[[kiss×sis]]』のヒロインのひとり * 生年不明 - 住之江りこ、漫画・アニメ『kiss×sis』のヒロインのひとり * 生年不明 - 霧島黒恵、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/kirishima_kuroe |title=鹿児島 霧島 黒恵 |access-date=5 Dec 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref> * 生年不明 - 地走星ゴーゴンのオクス、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=90 |title=地走星(ちそうせい)ゴーゴンのオクス |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[車田正美]] |work=『聖闘士星矢』 |website=MUSEUM聖闘士博物館}}</ref> * 生年不明 - [[地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物#ぬ〜べ〜の仲間|ゆきめ]]、漫画・アニメ『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=週刊少年ジャンプ特別|editor-link=週刊少年ジャンプ|year=1997|title=地獄先生ぬ~べ~大百科|page=100|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス デラックス]]|isbn=4-08-858883-5}}</ref> * 生年不明 - オジイ、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1324729536148344833}}</ref> * 生年不明 - ジェリー、漫画『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|title=D.Gray-man|volume=2巻|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2004|page=62|isbn=4-08-873760-1}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|year=2008|page=99|isbn=978-4-08-874248-9}}</ref> * 生年不明 - 奥田愛美、漫画・アニメ『[[暗殺教室]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=松井優征|authorlink=松井優征|title=暗殺教室|volume=3巻|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2013|page=150|isbn=978-4-08-870633-7}}</ref> * 生年不明 - 南沢海、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1324729514673491975}}</ref> * 生年不明 - 泡瀬洋雪、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group02/02-07/ |title=泡瀬洋雪 |work=『僕のヒーローアカデミア』 |accessdate=5 Dec 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会}}</ref> * 生年不明 - スナイプ、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group04/04-09/ |title=スナイプ |work=『僕のヒーローアカデミア』 |accessdate=5 Dec 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 家入硝子、漫画・アニメ『[[呪術廻戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|jujutsu_pr|1721542965095522654}}</ref> * 生年不明 - 椎名黒子、漫画『[[アホガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ヒロユキ|authorlink=ヒロユキ|year=2015|title=アホガール|volume=6巻|page=152|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社コミックス]]|isbn=978-4-06-395393-0}}</ref> * 生年不明 - リューネ、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=若木民喜|authorlink=若木民喜|title=神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック|year=2013|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-124451-2|page=160}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |date=9 Nov 2013 |url=http://blog.wakakitamiki.coolblog.jp/?eid=1311121 |title=11/09:神のみガイドブックの訂正部分です。」 |accessdate=5 Dec 2023 |publisher=[[若木民喜]] |website=HoneyDipped}}</ref> * 生年不明 - 犬神初音、漫画・アニメ『[[絶対可憐チルドレン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zetchil_kousiki|1324873584842481664}}</ref> * 生年不明 - ヴォルクス=ハウンド、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ(監修)|authorlink=東まゆみ|title=EREMENTAR GERAD オフィシャルガイド|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|year=2005|page=62|isbn=4-86127-152-5}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ(監修)|authorlink=東まゆみ|title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|year=2009|page=48|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref> * 生年不明 - 仲沢利央、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」|publisher=[[主婦と生活社]]|year=2008|page=53|isbn=978-4-391-62643-8}}</ref> * 生年不明 - 小鍛治健夜、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場する キャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=小鍛治 健夜(こかじ すこや) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref><ref>『咲-Saki-阿知賀編』[[Blu-ray Disc|BD]]第3巻特典プロ麻雀せんべいカード。</ref> * 生年不明 - 臼杵鷲帆、ボカロ歌唱『[[ACTORS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|actors_info|927552383093055488}}</ref> * 生年不明 - 伏見猿比古、アニメ『[[K (アニメ)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://k-project-1st.jpn.com/character/ |title=CHARACTER 伏見 猿比古 |publisher=GoRA・[[GoHands]]/k-project [[キングレコード|King Record.Co.,Ltd.]] |accessdate=5 Dec 2023 |work=『K』}}</ref> * 生年不明 - 竹見幸助、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate=5 Dec 2023}}</ref> * 生年不明 - まきこ、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=講談社|editor-link=講談社|title=Tamagotchi iD らくらく育て方ガイド|year=2010|page=46|isbn=978-4-06-364814-0}}</ref><ref>{{Cite book|和書|others=[[ウィズ (玩具)|ウィズ]]、[[バンダイ]](監修)|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|publisher=[[小学館]]|year=2011|page=19|isbn=978-4-09-751048-2}}</ref> * 生年不明 - 長岡志保、ゲーム・漫画・小説・アニメ『[[To Heart]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://aquaplus.jp/th/chr_prof.html |title=登場人物 長岡志保 |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[アクアプラス|AQUAPLUS]] |work=『ToHeart』}}</ref> * 生年不明 - 宗像美冴、ゲーム『[[君がいた季節]]』および『[[マブラヴ オルタネイティヴ]]』に登場するキャラクター<ref>『マブラヴ オルタネイティヴ メモリアルアートブック』、[[アスキー・メディアワークス]]、64頁。</ref> * 生年不明 - [[鷺澤美咲]]、ゲーム 『[[D.C. 〜ダ・カーポ〜]]』 に登場するキャラクター<ref>『コンプティーク』2003年11月号、[[角川書店]]、26頁。</ref> * 生年不明 - ヒビキ=コハク、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/hibiki.html |title=ヒビキ=コハク |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS]] |accessdate=5 Dec 2023 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#八神マキノ|八神マキノ]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20175 |title=八神 マキノ(やがみ まきの) |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 広瀬こはる、ゲーム『[[オルタナティブガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://lp.alterna.amebagames.com/character/ |title=CHARACTER ”IRIS CAT” 広瀬こはる |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[QualiArts|QualiArts, Inc.]] [[サイバーエージェント|CyberAgent, Inc.]] |work=『オルタナティブガールズ2』}}</ref> * 生年不明 - メイ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-180 |title=メイ |publisher=Vespa Inc. |accessdate=5 Dec 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163719/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=180 |archivedate=4 Nov 2021 |work=『キングスレイド』}}</ref> * 生年不明 - 蘇我馬子、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1192275479174234114}}</ref> * 生年不明 - 籠目深沙希、ゲーム『[[アリス・ギア・アイギス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|colopl_alice|1457181014762180609}}</ref> * 生年不明 - 山本幸大、メディアミックス『[[告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://honeyworks.jp/special/#character |title=山本幸大 |publisher=[[HoneyWorks]] |accessdate=5 Dec 2023 |work=『告白実行委員会〜恋愛シリーズ〜』}}</ref> * 生年不明 - 安田和奈、メディアミックス『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://idoljihen.jp/character/yasuda-kazuna/ |title=茨城県 安田 和奈 |access-date=5 Dec 2023 |publisher=[[MAGES.]] アイドル事変製作委員会 |work=『アイドル事変』}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|7 November}} {{新暦365日|11|6|11|8|[[10月7日]]|[[12月7日]]|[[11月7日 (旧暦)|11月7日]]|1107|11|07}} {{1年の月と日}}
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11月8日
11月8日(じゅういちがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から312日目(閏年では313日目)にあたり、年末まであと53日ある。
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{{カレンダー 11月}} '''11月8日'''(じゅういちがつようか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から312日目([[閏年]]では313日目)にあたり、年末まであと53日ある。 == できごと == {{multiple image | image1 = Stockholm Bloodbath.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[ストックホルムの血浴]](1520)。クリスチャン2世が行なったスウェーデン人に対する粛清 | alt1 = ストックホルムの血浴 | image2 = Schlacht am Weißen Berg C-K 063.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[ハプスブルク家]]が[[ボヘミア]]の[[プロテスタント]]諸侯を破った[[白山の戦い]](1620)。 | alt2 = 白山の戦い }} {{multiple image | image1 = First medical X-ray by Wilhelm Röntgen of his wife Anna Bertha Ludwig's hand - 18951222.gif | width1 = 90 | caption1 = [[X線]]発見(1895)。[[ヴィルヘルム・レントゲン|レントゲン]]の妻アンナの[[X線写真]] | alt1 = X線写真 | image2 = Convention of retrocession of the Liatung Peninsula 8 November 1895.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[三国干渉]]による[[遼東半島]]の返還(1895)。これを契機に列強諸国は清の分割統治に乗り出す | alt2 = 三国干渉 }} {{multiple image | image1 = Bundesarchiv Bild 146-2007-0003, Soldaten bei der Verhaftung von Stadträten.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[ミュンヘン一揆]]勃発(1923) | alt1 = ミュンヘン一揆 | image2 = So-ya.jpg | width2 = 90 | caption2 = 第1次[[南極地域観測隊|南極観測隊]]出発(1956) | alt2 = 第1次南極観測隊 }} {{multiple image | image1 = Hakata sinkhole 20161109.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[博多駅前道路陥没事故|福岡市地下鉄七隈線陥没事故]](2016) | alt1 = 陥没事故 | image2 = Donald Trump Victory Speech.webm | width2 = 90 | caption2 = [[2016年アメリカ合衆国大統領選挙]](2016)。勝利宣言をする[[ドナルド・トランプ]] | alt2 = トランプ }} * [[1519年]] - [[スペイン]]の探検家[[エルナン・コルテス]]が[[アステカ]]帝国の首都[[テノチティトラン]]に進軍。メキシコ征服を開始。 * [[1520年]] - [[ストックホルムの血浴]]。[[スウェーデン]]の[[カルマル同盟]]からの独立運動を鎮圧した国王[[クリスチャン2世 (デンマーク王)|クリスチャン2世]]が、[[スウェーデン人]]の反乱指導者ら100名以上を捕え、翌日処刑。 * [[1620年]] - [[三十年戦争]]: [[白山の戦い]]。 * [[1745年]] - [[ジャコバイト]]蜂起: [[チャールズ・エドワード・ステュアート|若僭王チャールズ]]が[[スコットランド]]から[[イングランド]]に侵攻。([[カロデンの戦い]]の前哨戦) * [[1853年]] - [[ジョン・ハインド]]が[[小惑星]]「[[エウテルペ (小惑星)|エウテルペ]]」を発見。 * [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[トレント号事件]]起こる。 * [[1864年]] - 北部の24州のみで[[1864年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、[[エイブラハム・リンカーン]]が再選。 * [[1889年]] - [[モンタナ準州]]が州に昇格し、[[アメリカ合衆国]]41番目の州・[[モンタナ州]]となる。 * [[1892年]] - [[1892年アメリカ合衆国大統領選挙]]の[[投票]]が行われ、前職の[[グロバー・クリーブランド]]が現職の[[ベンジャミン・ハリソン]]を破って返り咲きを果たす。 * [[1895年]] - [[ヴィルヘルム・レントゲン]]が[[X線]]を発見。 * 1895年 - [[三国干渉]]: 日本と清との間で「[[遼東半島]]還付条約」に調印。 * [[1896年]] - [[神宮司庁]]蔵版『[[古事類苑]]』の刊行開始。 * [[1898年]] - 日本で[[山縣有朋]]が第9代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第2次山縣内閣]]が発足。 * [[1923年]] - [[ミュンヘン]]の[[ビアホール]]「ビュルガーブロイケラー」で[[アドルフ・ヒトラー]]率いる[[ナチス]]一派が[[バイエルン州|バイエルン]]首脳部を拘束、[[ミュンヘン一揆]]が起こる。 * [[1932年]] - [[1932年アメリカ合衆国大統領選挙]]が行われ、[[フランクリン・ルーズベルト]]が現職の[[ハーバート・フーヴァー]]を破って初当選。 * [[1933年]] - [[アフガニスタン]]国王[[ムハンマド・ナーディル・シャー]]が暗殺され、[[ザーヒル・シャー]]が即位。 * 1933年 - [[東京競馬場]]が開場<ref>{{Cite web|和書 |url=https://uma-furi.com/tokyo-yuchi/ |title=夢と現実の折り合い 「東京競馬場誘致」の行間を読む |access-date=25 Jul 2023 |publisher=競馬コラム&ニュース「ウマフリ」 |date=May 27 2019}}</ref>。 * [[1939年]] - 大日本映画協会設立。 * [[1939年]] - [[ゲオルク・エルザー]]による[[ヒトラー暗殺計画#諸計画|ヒトラー暗殺未遂事件]]が起こる。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[トーチ作戦]]開始。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[カサブランカ沖海戦]]。 * [[1947年]] - [[道路交通法]]の前身である道路交通取締法が公布。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]: 米軍のジェット戦闘機[[F-80 (戦闘機)|F-80]]が北朝鮮軍の[[MiG-15 (航空機)|MiG-15]]を撃墜。史上初のジェット機戦。 * [[1956年]] - [[南極観測船]]「[[宗谷 (船)|宗谷]]」により、日本初の[[南極地域観測隊|南極観測隊]](南極地域観測予備隊)が[[南極]]に向け晴海ふ頭から出航<ref>{{Cite web|和書 |url=https://funenokagakukan.or.jp/soya/history/the1th_nankyokukannsoku |title=宗谷の歴史(南極観測船“宗谷”発進!) |access-date=25 Jul 2023 |publisher=[[船の科学館]]}}</ref>。 * [[1957年]] - [[パンアメリカン航空007便失踪事故]]。 * [[1957年]] - [[イギリス]]による初めて成功した多段階熱核反応兵器実験。([[:en:Operation Grapple#Grapple X|グラップル X]]) * [[1960年]] - [[1960年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、史上最年少となる43歳の[[ジョン・F・ケネディ]]が[[リチャード・ニクソン]]を破って当選。 * [[1962年]] - [[平壌放送]]において[[金日成放送大学]]の放送開始。 * [[1965年]] - [[イギリス領インド洋地域]]が成立。 * 1965年 - 『[[11PM]]』([[日本テレビ系列]])放送開始。 * [[1972年]] - 世界的ペイチャンネル、『[[HBO]]』開局。 * 1972年 - 当時[[フランス]]で非合法とされた[[人工妊娠中絶|堕胎]]を補助した成人4名の裁判が行われた。[[ジゼル・アリミ]]弁護士を代理人としたこの裁判は[[ヴェイユ法]]成立の布石となった。([[ボビニー裁判]]) * [[1987年]] - [[岡本綾子]]が[[全米女子プロゴルフ協会|LPGAツアー]]で初のアメリカ人以外の賞金女王となる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51886610X01C19A1EAC000/ |title=11月8日 岡本綾子、米賞金女王に ゴルフ米選手以外で初 |access-date=25 Jul 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=7 Nov 2019}}</ref>。 * [[1988年]] - [[1988年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]が初当選。 * [[2000年]] - [[ハーグ事件]]で国際手配になっていた[[日本赤軍]]最高幹部の[[重信房子]]が逮捕。 * [[2002年]] - [[イラク戦争]]・[[イラク武装解除問題]]: [[国際連合安全保障理事会|国連安保理]]で[[イラク]]の武装解除を求める[[国際連合安全保障理事会決議1441|安保理決議1441]]が採択。 * [[2004年]] - イラク戦争・[[ファルージャの戦闘]]: 米軍による[[ファルージャ]]市街掃討作戦「新たな夜明け」が始まる。 * [[2009年]] - [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[ジェフユナイテッド市原・千葉]]が前身の[[古河電気工業サッカー部|古河電工サッカー部]]時代を含め、クラブ史上初のJ2降格。 * [[2011年]] - [[オリンパス]]が1990年代からの約20年間に亘る[[粉飾決算|損失隠し]]を発表し、巨額不正経理問題に発展([[オリンパス事件]])。副社長・[[森久志]]が解任される。 * 2011年 - 23時28分 (UTC) に、直径400メートルの308635番[[小惑星]][[(308635) 2005 YU55|2005 YU<sub>55</sub>]]が地球から32万5000キロメートルのところを通過。観測史上初めて、直径が100メートルを超える小惑星が月の軌道の内側に入り込んだ。 * [[2013年]] - [[フィリピン]]に[[平成25年台風第30号|台風30号]]が上陸し、甚大な被害が出る。 * [[2016年]] - [[福岡市]][[博多区]]で、[[博多駅]]付近の[[福岡市道路愛称|はかた駅前通り]]下でトンネル工事中に[[博多駅前道路陥没事故|陥没事故]]が発生<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161108/k10010759511000.html/ |title=博多駅前で道路大きく陥没 周辺では停電も |access-date=25 Jul 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20161110072954/http://www3.nhk.or.jp:80/news/html/20161108/k10010759511000.html/ |archive-date=Nov 10 2016}}</ref>。 * 2016年 - [[2016年アメリカ合衆国大統領選挙]]の投票が行われ、[[ドナルド・トランプ]]が初当選。 * [[2018年]] - アメリカ・[[カリフォルニア州]]で大規模な山火事が発生<ref>{{Cite web|和書 |title=米カリフォルニア州山火事(2018年11月8日) | 災害カレンダー |url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/393/ |website=Yahoo!天気・災害 |date=19 Oct 2021 |access-date=25 Jul 2023 |publisher=[[Yahoo!Japan]]}}</ref>。 * [[2020年]] - [[読売ジャイアンツ]]・[[坂本勇人]]が[[NPB]]史上2番目の年少記録(右打者としては最年少)となる31歳11ヶ月で通算2000本安打を達成。 * [[2022年]] - [[2022年11月8日の月食|皆既月食と天王星食が同時]]に観測される。 {{-}} == 誕生日 == {{multiple image | caption1 = [[小説家]][[ブラム・ストーカー]](1847-1912)誕生。『[[吸血鬼ドラキュラ]]』の作者 | image1 = Dracula1st.jpeg | width1 = 90 | alt1 = ドラキュラ | caption2 = [[分析哲学]]の始祖[[ゴットロープ・フレーゲ]](1848-1925)誕生 | image2 = Young frege.jpg | width2 = 90 | alt2 = ゴットロープ・フレーゲ }} {{multiple image | image1 = Hermann Rorschach c.1910.JPG | width1 = 90 | caption1 = [[心理療法家]][[ヘルマン・ロールシャッハ]](1884-1922)誕生 | alt1 = ロールシャッハ | image2 = Royal portraits - 005 02.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[タイ王国]]最後の[[絶対君主]]、[[ラーマ7世]](1893-1941)誕生 | alt2 = ラーマ7世 }} {{multiple image | image1 = Bucky Harris dugout.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[メジャーリーグベースボールの監督一覧|野球監督]]として2度の[[ワールドシリーズ]]を制した、[[バッキー・ハリス (内野手)|バッキー・ハリス]](1896-1978)誕生。 | alt1 = バッキー・ハリス | image2 = Margaret Mitchell NYWTS.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[小説家]][[マーガレット・ミッチェル]](1900-1949)誕生。『[[風と共に去りぬ]]』の作者 | alt2 = マーガレット・ミッチェル }} {{multiple image | image1 = Patti Page.JPG | width1 = 90 | caption1 = [[歌手]][[パティ・ペイジ]](1927-2013)誕生。代表曲は『[[テネシーワルツ]]』(1950) | alt1 = パティ・ペイジ | image2 = Ayako Wakao.01.jpg | width2 = 90 | caption2 = [[俳優|女優]][[若尾文子]](1933-)誕生 | alt2 = 若尾文子 }} {{multiple image | image1 = Alain Delon Cannes.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[映画俳優]][[アラン・ドロン]](1935-)誕生 | alt1 = アラン・ドロン | image2 = Kazuo Ishiguro by Kubik.JPG | width2 = 90 | caption2 = [[小説家]][[カズオ・イシグロ]](1954-)誕生 | alt2 = カズオ・イシグロ }} {{multiple image | image1 = JSP 0799.JPG | width1 = 90 | caption1 = [[サッカーブラジル代表|サッカー元ブラジル代表]]、[[ルイス・ファビアーノ・クレメンチ|ルイス・ファビアーノ]](1980-)誕生 | alt1 = ルイス・ファビアーノ | image2 = Kazuchika Okada 2016.JPG | width2 = 90 | caption2 = [[プロレスラー]][[オカダ・カズチカ]](1987-)誕生 | alt2 = オカダ・カズチカ }} * [[1675年]]([[延宝]]3年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]]) - [[榊原政邦]]、[[姫路藩]]初代[[藩主]](+ [[1726年]]) * [[1737年]] - [[ブルニー・ダントルカストー]]、[[探検家]](+ [[1793年]]) * [[1749年]]([[寛延]]2年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - [[稲葉正諶]]、[[淀藩]]第7代[[藩主]](+ [[1806年]]) * [[1760年]] - [[アセンシオ・フリア]]、[[画家]](+ [[1832年]]) * [[1838年]]([[天保]]9年[[9月22日 (旧暦)|9月22日]]) - [[板倉勝弘]]、[[庭瀬藩]]第11代[[藩主]]・[[子爵]](+ [[1909年]]) * 1838年(天保9年9月22日) - [[京極高陳]]、[[峰山藩]]第12代[[藩主]](+ [[1893年]])? * [[1840年]] - [[ナサニエル・ロスチャイルド (初代ロスチャイルド男爵)|初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド]]、[[銀行家]]、[[政治家]](+ [[1915年]]) * [[1847年]] - [[ブラム・ストーカー]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Bram-Stoker |title=Bram Stoker|Irish writer |access-date=25 Jul 2023|publisher=Britannica }}</ref>、[[小説家]](+ [[1912年]]) * [[1848年]] - [[ゴットロープ・フレーゲ]]、[[数学者]]、[[論理学|論理学者]]、[[思想家]](+ [[1925年]]) * [[1869年]] - [[フェリックス・ハウスドルフ]]、数学者(+ [[1942年]]) * [[1872年]] - [[イェオリ・シュネーヴォイクト]]、[[指揮者]]、[[チェリスト]](+ [[1947年]] * [[1881年]] - [[ロベール・エスノー=ペルトリ]]、[[飛行機]]設計者(+ [[1957年]]) * 1881年 - [[アルベール・グレーズ]]、[[画家]](+ [[1953年]]) * [[1882年]] - [[大海原重義]]、元内務省神社局長、元山梨県・岡山県・京都府知事(+[[1940年]]) * [[1884年]] - [[ヘルマン・ロールシャッハ]]、精神病理学者(+ [[1922年]]) * [[1885年]] - [[山下奉文]]、[[陸軍大将]](+ [[1946年]]) * 1885年 - [[田波御白]]、[[歌人]](+ [[1913年]]) * [[1892年]] - [[神戸眞]]、政治家(+[[1967年]]) * 1892年 - [[平林初之輔]]、[[作家]](+ [[1931年]]) * [[1893年]] - [[ラーマ7世]]、[[タイ王国|タイ]]・[[チャクリー王朝]]第7代国王(+ [[1941年]]) * [[1896年]] - [[バッキー・ハリス (内野手)|バッキー・ハリス]]、[[プロ野球選手]](+ [[1978年]]) * [[1900年]] - [[マーガレット・ミッチェル]]、[[小説家]](+ [[1949年]]) * [[1909年]] - [[アルベルト・エレーデ]]、[[指揮者]](+ [[2001年]]) * [[1913年]] - [[団藤重光]]、[[刑法]]学者、[[東京大学]]名誉教授、元[[最高裁判所判事]](+ [[2012年]]) * 1913年 - [[鈴木芳太郎]]、プロ野球選手(+ [[1978年]]) * [[1916年]] - [[ハンス・バイスヴェンガー]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1943年]]) * 1916年 - [[ペーター・ヴァイス]]、[[小説家]]、[[劇作家]]・美術作家(+ [[1982年]]) * [[1917年]] - [[ミハイル・ゴルトシュタイン]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1989年]]) * [[1918年]] - [[ヘルマン・ツァップ]]、[[書体デザイナー]](+ [[2015年]]<ref>{{cite web |url=https://www.theguardian.com/artanddesign/2015/jul/01/hermann-zapf |title=Hermann Zapf obituary |publisher=Guardian News & Media Limited |accessdate=25 Jul 2023 |work=The Guardian}}</ref>) * [[1920年]] - [[三橋敏雄]]、俳人(+[[2001年]]) * [[1922年]] - [[鈴木圭一郎]]、プロ野球選手(+ [[2011年]]) * [[1923年]] - [[ジャック・キルビー]]、電子技術者(+ [[2005年]]) * [[1927年]] - [[パティ・ペイジ]]、[[歌手]](+ [[2013年]]) * 1927年 - [[浦井洋]]、政治家(+ [[2015年]]) * [[1928年]] - [[寺村輝夫]]、[[児童文学作家]](+ [[2006年]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.ehonnavi.net/style/148/1/ |title=「王さま」シリーズの生みの親 寺村輝夫さんってどんな人? |access-date=25 Jul 2023 |publisher=Ehon navi Corporation |date=Jun 10 2016 |work=絵本ナビ}}</ref>) * [[1930年]] - 喜早哲、歌手([[ダークダックス]])(+ [[2016年]]) * [[1931年]] - [[川村たかし]]、児童文学作家(+ [[2010年]]) * 1931年 - [[ジョージ・マチューナス]]、[[現代美術家]](+ [[1978年]]) * [[1933年]] - [[若尾文子]]、[[俳優|女優]] * 1933年 - [[神田昌男]]、元プロ野球選手 * [[1934年]] ー 谷道夫、歌手(元[[デューク・エイセス]]) * [[1935年]] - [[アラン・ドロン]]、元[[俳優]] * [[1937年]] - [[樺美智子]]、学生運動家(+[[1960年]]) * [[1940年]] - [[横手丘二]]、[[撮影技師]]、映画カメラマン * 1940年 - [[鷲澤正一]]、政治家、実業家(+[[2022年]]) * [[1942年]] - [[岡本章生]]、[[トランペット奏者]](岡本章生とゲイスターズ) * [[1943年]] - [[路加奈子]]、歌手、女優 * 1943年 - [[マーティン・ピータース]]、サッカー選手 (+ [[2019年]]) * [[1945年]] - [[渚ゆう子]]、歌手 * 1945年 - [[橋本克彦]]、ノンフィクション作家 * [[1946年]] - [[フース・ヒディンク]]、元[[サッカー選手]]、[[サッカー]]指導者 * [[1947年]] - [[尾高忠明]]、[[指揮者]] * [[1949年]] - [[大田垣耕造]]、アマチュア野球指導者 * [[1950年]] - [[清乃華玉誉]]、元力士 * 1950年 - [[高田和子]]、三味線奏者、箏曲家、三絃奏者(+[[2007年]]) * [[1951年]] - [[稲葉実]]、[[声優]] * 1951年 - [[北川知克]]、政治家(+ [[2018年]]) * [[1952年]] - [[ジョン・デニー]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[堺正幸]]、[[フリーアナウンサー]] * [[1953年]] - [[島田裕巳]]、[[宗教学者]]、小説家 * [[1954年]] - [[カズオ・イシグロ]]、小説家 * [[1955年]] - [[高宮俊介]]、声優 * [[1958年]] - [[三好和義]]、写真家 * 1958年 - 渡辺敏之、元アナウンサー * [[1959年]] - [[森田美由紀]]、NHKアナウンサー * 1959年 - [[ジェームス小野田]]、歌手、俳優([[米米CLUB]]) * [[1960年]] - [[池田さとみ]]、[[漫画家]] * [[1962年]] - [[笠浩二]]、ミュージシャン([[C-C-B]])(+ [[2022年]]) * 1962年 - [[平田オリザ]]、[[劇作家]]、[[演出家]] * [[1963年]] - [[藤本博史 (内野手)|藤本博史]]、元プロ野球選手、監督 * 1963年 - [[雪野智世]]、フリーアナウンサー * [[1964年]] - [[高橋のぼる]]、[[漫画家]] * [[1965年]] - [[貴山侑哉]]、俳優 * 1965年 - [[増田俊也]]、小説家、ノンフィクション作家 * [[1966年]] - [[平井光親]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[古賀豪紀]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[ゴードン・ラムゼイ]]、[[シェフ]] * [[1967年]] - [[エリック・アンソニー]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[ダイアナ・キング]]、歌手 * [[1971年]] - [[日暮愛葉]]、歌手(日暮愛葉 and LOVES!、[[SEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER]]) * 1971年 - [[ケニー・ハリソン (野球)|ケリー・ハリソン]]、[[野球選手]] * 1971年 - [[安田周一郎]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[清水順二]]、俳優、殺陣師 * [[1973年]] - [[時津海正博]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄16代[[時津風 (相撲)|時津風]] * 1973年 - [[濱野谷憲吾]]、[[競艇]]選手 * 1973年 - [[エドガルド・アルフォンゾ]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[磯崎亜紀子]]、元女優 * 1973年 - [[神谷和宏 (評論家)|神谷和宏]]、教育者、評論家 * 1973年 - [[芝幸太郎]]、[[実業家]] * [[1974年]] - [[岸本斉史]]、[[漫画家]] * 1974年 - [[岸本聖史]]、漫画家 * 1974年 - [[中越豊光]]、元騎手 * [[1975年]] - [[金子誠]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[木村茂 (野球)|木村茂]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[坂口憲二]]、俳優 * 1975年 - [[神野崇]]、俳優 * [[1976年]] - [[安藤亮司]]、俳優 * 1976年 - [[香坂あかね]]、アナウンサー * [[1977年]] - [[佐分千恵]]、フリーアナウンサー * 1977年 - [[天野香寿美]]、フリーアナウンサー * 1977年 - [[ニック・プント]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[岸田健作]]、[[タレント]] * 1978年 - [[イワン・ディネフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1979年]] - [[エレーナ・イワノワ]]、フィギュアスケート選手 * 1979年 - [[笹川隆]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[アーロン・ヒューズ]]、サッカー選手 * 1979年 - [[ブランドン・フォーサイス]]、フィギュアスケート選手 * 1979年 - [[ダニア・ラミレス]]、女優 * [[1980年]] - [[前田真理子]]、元アナウンサー * 1980年 - [[ビクトル・マルテ]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[上本達之]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[ルイス・ファビアーノ・クレメンチ|ルイス・ファビアーノ]]、サッカー選手 * [[1981年]] - [[ジョー・コール]]、元サッカー選手 * [[1982年]] - [[清水千浪]]、車いすバスケットボール選手 * 1982年 - [[阮經天]]、俳優 * 1982年 - [[仙波恵理]]、女優 * [[1983年]] - [[天谷宗一郎]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[金子千尋]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[パヴェル・ポグレブニャク]]、サッカー選手 * [[1984年]] - [[三津谷葉子]]、女優、[[グラビアアイドル]] * 1984年 - [[三好絵梨香]]、女優、歌手、アイドル(元[[美勇伝]]) * 1984年 - [[海野紀恵]]、フリーアナウンサー、僧侶 * 1984年 - [[池原シーサー久美子]]、元プロボクサー * [[1985年]] - [[ダーウィン・バーニー]]、元プロ野球選手 * [[1986年]] - [[植田豊]]、総合格闘家 * 1986年 - [[永森大智]]、騎手 * 1986年 - [[堀雅哉]]、[[グルメリポーター]] * 1986年 - [[志摩夕里加|DJ SHIMA☆YURI]]、DJ、タレント * 1986年 - [[パオロ (タレント)|パオロ]]、タレント * [[1987年]] - [[オカダ・カズチカ]]、[[プロレスラー]] * 1987年 - [[小林崇志]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]] * 1987年 - [[高橋メアリージュン]]、モデル、女優 * 1987年 - [[松本育代]]、元[[野球選手]] * [[1988年]] - [[高宮まり]]、[[雀士#プロ雀士|プロ雀士]] * 1988年 - [[田島穂奈美]]、女優 * 1988年 - [[ヤズマニ・グランダル]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[小林涼子]]、女優、モデル * 1989年 - [[高橋周也]]、サッカー選手 * 1989年 - [[ジャンカルロ・スタントン]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[村上瑠美奈]]、アイドル(元[[predia]]) * [[1990年]] - [[川内鮮輝]]、陸上競技選手 * 1990年 - [[紫村仁美]]、陸上競技選手 * 1990年 - [[ケイトリン・グッド]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[広野あさみ]]、スノーボード選手 * 1990年 - [[SZA]]、シンガーソングライター * [[1991年]] - [[森岡千晴]]、タレント、歌手 * 1991年 - 男澤寛太<ref>{{Cite web|和書 |url=https://saikouisen.com/members/otokozawa-kanta/ |title=男澤 寛太 |access-date=25 Jul 2023 |publisher=一般社団法人 最高位戦日本プロ麻雀協会}}</ref>、雀士 * [[1992年]] - 森詩織、アイドル(元[[PASSPO☆]]) * 1992年 - [[たかだすみれ]]、シンガーソングライター * [[1993年]] - [[宮崎唯]]、声優 * 1993年 - イ・ジアン、アイドル([[IMFACT (音楽グループ)|IMFACT]]) * 1993年 - [[シネイド・ジャック]]、バレーボール選手 * [[1994年]] - [[吉野恭平]]、サッカー選手 * 1994年 - [[長坂拓海]]、フットサル選手 * 1994年 - [[富永勇也]]、俳優 * 1994年 - [[ジョアン・タバーレス]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[肥川彩愛]]、元NMB48 * [[1995年]] - [[渡邊佑樹]]、プロ野球選手 * 1995年 - [[長谷川凌汰]]、元プロ野球選手 * 1995年 - [[若杉好輝]]、サッカー選手 * 1995年 - [[オナイウ阿道]]、サッカー選手 * 1995年 - [[藤井千帆]]、女優 * 1995年 - [[桃月なしこ]]、コスプレイヤー、女優 * 1995年 - 都築里佳、アイドル(元[[SKE48]]) * [[1996年]] - [[小林陵侑]]、[[スキージャンプ]]選手 * 1996年 - [[塩尻和也]]、陸上競技選手 * 1996年 - [[馬場有加]]、女優 * 1996年 - 岡美都希、プロ野球選手 * [[1997年]] - 二五田大輔、バレーボール選手 * 1997年 - [[川﨑一輝]]、サッカー選手 * 1997年 - [[知念哲矢]]、サッカー選手 * 1997年 - [[大西広樹]]、プロ野球選手 * 1997年 - キム・チェウォン、アイドル(元[[APRIL (韓国の音楽グループ)|Aplil]]) * [[1998年]] - [[藤武剛]]、サッカー選手 * [[1999年]] - [[伊藤稜]]、プロ野球選手 * 1999年 - [[日下太平]]、[[ラグビーフットボール|ラグビー]]選手 * 1999年 - 大塚大雅、モデル、タレント * 1999年 - 真下華穂、アイドル([[NGT48]]) * [[2000年]] - [[福田愛依]]、タレント * 2000年 - [[来栖りん]]、アイドル(元[[26時のマスカレイド]]) * 2000年 - ミユキエンジェル、アイドル([[豆柴の大群]]) * 2000年 - [[倉野尾成美]]、アイドル([[AKB48]]) * 2000年 - [[水野舞菜]]、アイドル(元[[ラストアイドル]]) * [[2001年]] - 日向奈央、VRアイドル([[えのぐ]]) * [[2002年]] - [[山本愛梨]]、アイドル、歌手([[×純文学少女歌劇団]]、元ラストアイドル) * 2002年 - [[熊田胡々]]、元[[子役]] * 2002年 - 高田優音、タレント * 2002年 - 岐津舞、女優 * [[2004年]] - [[中尾壮位]]、俳優 * [[2006年]] - [[佐藤ひなた]]、モデル * 生年不明 - [[霜月紫]]、俳優、声優、タレント * 生年不明 - [[秋吉徹]]、声優 * 生年不明 - [[紫月杏朱彩]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=12993 |title=紫月 杏朱彩 |publisher=[[俳協]] |accessdate=25 Jul 2023}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[牧野天音]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.artsvision.co.jp/talent/3819/ |title=牧野 天音 |accessdate=25 Jul 2023 |publisher=[[アーツビジョン|株式会社アーツビジョン]]}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[大橋勇人]]、声優 * 生年不明 - [[越智千文]]、漫画家、イラストレーター * 生年不明 - [[犬 (漫画家)|犬]]、漫画家 == 忌日 == * [[1226年]] - [[ルイ8世 (フランス王)|ルイ8世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1187年]]) * [[1246年]] - [[ベレンゲラ (カスティーリャ女王)|ベレンゲラ]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ女王]](* [[1180年]]) * [[1308年]] - [[ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス]]、[[神学者]]、[[哲学者]](* [[1266年]]?) * [[1494年]] - [[メロッツォ・ダ・フォルリ]]、[[画家]](* [[1438年]]頃) * [[1517年]] - [[フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス]]、[[スペイン]]の[[摂政]]、[[枢機卿]](* [[1436年]]) * [[1584年]]([[天正]]2年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]) - [[蘆名盛隆]]、[[陸奥国]]の[[戦国大名]](* [[1561年]]) * [[1599年]] - [[フランシスコ・ゲレーロ]]、[[作曲家]](* [[1528年]]) * [[1674年]] - [[ジョン・ミルトン]]、[[詩人]](* [[1608年]]) * [[1830年]] - [[フランチェスコ1世 (両シチリア王)|フランチェスコ1世]]、[[両シチリア王国|両シチリア王]](* [[1777年]]) * [[1877年]] - [[カレル・サビナ]]、作家、ジャーナリスト(* [[1813年]]) * [[1879年]] - [[マーガレット・オニール・イートン]]、[[ジョン・ヘンリー・イートン]]の夫人(* [[1799年]]) * [[1887年]] - [[ドク・ホリデイ]]、[[ガンマン]]、[[賭博師]](* [[1851年]]) * [[1890年]] - [[セザール・フランク]]、作曲家(* [[1822年]]) * [[1894年]] - [[仮名垣魯文]]、[[戯作|戯作者]](* [[1829年]]) * 1894年 - [[キング・ケリー]]、[[プロ野球選手]](* [[1857年]]) * [[1908年]] - [[ウィリアム・エドワード・エアトン]]、[[物理学者]](* [[1847年]]) * [[1923年]] - [[大森房吉]]、[[地震学者]](* [[1868年]]) * [[1924年]] - [[セルゲイ・リャプノフ]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]](* [[1859年]]) * [[1933年]] - [[上原勇作]]、[[陸軍軍人]]、[[元帥 (日本)|元帥]](* [[1856年]]) * [[1941年]] - [[瀬戸口藤吉]]、[[大日本帝国海軍]]軍楽師、作曲家(* [[1868年]]) * [[1944年]] - [[ヴァルター・ノヴォトニー]]、パイロット(* [[1920年]]) * [[1952年]] - [[ハロルド・イニス]]、[[経済学者]]、[[社会学者]](* [[1894年]]) * [[1953年]] - [[イヴァン・ブーニン]]、[[小説家]](* [[1870年]]) * [[1962年]] - [[ウィリス・オブライエン]]、[[SFX]]作家(* [[1886年]]) * [[1964年]] - [[三遊亭金馬 (3代目)]]、[[落語家]](* [[1894年]]) * [[1968年]] - [[黒田チカ]]、[[化学者]](* [[1884年]]) * 1968年 - [[箕作祥一]]、[[遺伝学|植物遺伝学者]]、元[[日本大学]]教授(* [[1920年]]) * [[1969年]] - [[ヴェスト・スライファー]]、[[天文学者]](* [[1875年]]) * [[1970年]] - [[ナポレオン・ヒル]]、[[自己啓発書]]作家(* [[1883年]]) * [[1977年]] - [[バッキー・ハリス (内野手)|バッキー・ハリス]]、プロ野球選手(* [[1896年]]) * [[1978年]] - [[ノーマン・ロックウェル]]、[[画家]](* [[1894年]]) * [[1985年]] - [[ジャーク・ヒニズドフスキー]]、[[画家]]、[[版画家]]、[[彫刻家]]、[[装幀家]](* [[1915年]]) * [[1986年]] - [[ヴャチェスラフ・モロトフ]]、政治家、[[ソビエト連邦]][[外務大臣 (ロシア)|外務人民委員]](* [[1890年]]) * [[1991年]] - [[シャーロット・モーマン]]、[[チェリスト]]、パフォーマンス・アーティスト(* [[1933年]]) * [[1997年]] - [[ラム・チェンイン]]、[[俳優]]、[[スタントマン]](* [[1952年]]) * [[1998年]] - [[ジャン・マレー]]、俳優(* [[1913年]]) * [[2000年]] - [[向坂松彦]]、[[アナウンサー]](* [[1933年]]) * [[2001年]] - [[青木宥明]]、プロ野球選手(* [[1937年]]) * 2001年 - [[横山隆一]]、[[漫画家]]、[[アニメーション]]作家(* [[1909年]]) * [[2005年]] - [[桂吉朝]]、落語家(* [[1954年]]) * [[2007年]] - [[津田文吾]]、[[神奈川県知事一覧|神奈川県知事]]、[[テレビ神奈川]]会長(* [[1918年]]) * 2007年 - [[濱尾文郎]]、[[カトリック教会]]枢機卿(* [[1930年]]) * 2007年 - [[石野見幸]]、[[ジャズ]][[歌手]](* [[1972年]]) * [[2008年]] - [[相馬雪香]]、[[社会運動家一覧|社会活動家]]、[[特定非営利活動法人|NPO法人]][[難民を助ける会]]会長(* [[1912年]]) * [[2010年]] - [[ジョー樋口]]、元[[プロレスラー]]、元[[NWA (プロレス)|NWA]]公認[[レフェリー (プロレス)|レフリー]]、(* [[1928年]]) * [[2013年]] - [[島倉千代子]]、歌手(* [[1938年]]) * [[2015年]] - [[梶原しげよ]]、[[詩人]](* [[1920年]]) * [[2021年]] - [[菅沼孝三]]、[[ドラマー]]、[[音楽家|ミュージシャン]](* [[1959年]]) * 2021年 - [[細木数子]]、[[宗教家]]、[[占い|占い師]](* [[1938年]]) * [[2023年]] - [[田淵義久]]、実業家、[[野村證券]]第7代代表取締役社長(* [[1932年]]) == 記念日・年中行事 == *[[レポーター]]の日({{PRC}}) *[[立冬]]({{JPN}}、[[2007年]]・[[2011年]]・[[2015年]]・[[2019年]]) *: [[二十四節気]]の一つ。太陽[[黄経]]が225度のときで、初めて[[冬]]の気配が現れてくる日 * 火焚祭({{JPN}}) *: 京都の11月は多くの神社やお寺で「お火焚(ひたき)」の神事が行われていることから「火のお祭り月」とも呼ばれている<ref name=":0">{{Cite web|和書 |url=https://tenki.jp/suppl/yasukogoto/2015/11/08/7561.html |title=11月8日≪鞴(ふいご)祭り≫は、鍛冶屋、刀工、鋳物師など鉄と炎の匠たちのおまつり |access-date=25 Jul 2023 |publisher=[[日本気象協会]] ALiNKインターネット |date=8 Nov 2015}}</ref>。なかでも全国に3万社ほどある稲荷神社の総本宮「[[伏見稲荷大社]]」の「火焚祭」は最大規模を誇る。火焚祭は、祭神・[[稲荷神|稲荷大神]]へ秋の豊穣を感謝する神事で、本殿祭終了後、神苑祭場に設けられた3基の火床では、大祓詞が奉唱される中、全国から奉納された十数万本もの火焚串が焚き上げられる。夕刻、本殿前庭上では雅楽の調べに乗せた古雅な御神楽が行われる<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=5001 |title=火焚祭【伏見稲荷大社】 |access-date=25 Jul 2023 |publisher=京都市観光協会 |date=8 Nov 2022 |website=京都観光Navi}}</ref>。 * [[ボイラー]]デー({{JPN}}) *: [[日本ボイラ協会]]が制定。[[刀鍛冶]]が[[11月8日 (旧暦)|旧暦11月8日]]に鍛冶場の[[鞴]]の[[火の神]]を祀る「鞴祭」を行っていたことにちなみ<ref name=":0" />、[[1936年]]にボイラ協会の前身である汽缶協会が「汽缶祭」として制定した。[[1949年]]にボイラーデーに改称した。 * [[信楽焼#狸の置物|信楽たぬきの日]]({{JPN}}) *: 商売繁盛の[[縁起物]]、[[信楽焼]]の狸の置物の産地、[[滋賀県]][[甲賀市]][[信楽町]]の観光協会が定めた記念日。全国各地の店先で、日頃立ちっ放しで頑張っている狸たちに感謝しようと設けられ、「いい月」の語呂から「11月」、信楽狸の置物に備わる八つの[[縁起物]]の八相縁起から8日とした。 * [[刃物の日]]({{JPN}}) *: [[岐阜県]][[関市]]の岐阜県関刃物産業連合会の提案により制定。「いい(11)刃(8)」の語呂合せ。刃物に感謝する日として関市では刃物供養が行なわれる。 * [[いい歯の日]]({{JPN}}) *: [[1993年]]に[[日本歯科医師会]]が制定。「いい(11)は(8)」の語呂合せ<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jda.or.jp/enlightenment/poster/iiha.html |title=いい歯の日(11月8日) |publisher=公益社団法人 日本歯科医師会 |accessdate=25 Jul 2023}}</ref>。 * いい歯ならびの日({{JPN}}) *: [[日本矯正歯科学会]]が[[2005年]]に制定。「いい(11)は(8)ならび」の語呂合せ。 * 梱包の日({{JPN}}) *: 日本梱包工業組合連合会が[[2009年]]に制定。「いい(11)パック(8)」の語呂合わせ。 * [[八ヶ岳]]の日({{JPN}}) *: 118(いいやつ)の語呂合わせから、「八ヶ岳の日制定準備委員会」が制定。 *[[世界都市計画の日]] *: [[アルゼンチン]]の[[都市計画家]]・都市計画学者・[[カルロス・パオレーラ]]が、世界都市計画機構設立の理想を掲げて[[1949年]]に提唱。日本では[[都市計画協会]]が[[1965年]]から日本集会を開いて公演など行っている。 * レントゲンの日({{JPN}}) *: [[1895年]]のこの日に[[ドイツ]]の[[物理学者]][[ヴィルヘルム・レントゲン]]が[[X線]]を発見したことから<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.radiology.jp/public/day_of_radiology.html |title=レントゲンの日 |access-date=25 Jul 2023 |publisher=公益社団法人日本医学放射線学会}}</ref>。 *火焚祭({{JPN}}) *: [[京都市]][[伏見区]]の[[伏見稲荷大社]]で毎年この日に行われる神事。祭神[[稲荷神|稲荷大神]]へ秋の豊穣を感謝する祭典で、本殿の祭典終了後、神苑斎場で、全国の崇敬者から奉納された数十万本の火焚串が焚きあげられる。夕方には、本殿前庭上で雅楽の調べに乗せた御神楽が行われる<ref>{{Cite web |url=https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=5001 |title=火焚祭【伏見稲荷大社】 |access-date=3 Oct 2023 |publisher=京都市観光協会 |website=京都観光Navi}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1108|date=Jul 2023}} * [[2005年]] - 機界最強7原種、GGGオービットベースに襲来。最終的には、月面上でZX-13肝臓原種を除く合体原種を倒すが、ZX-07腕原種とZX-11腸原種を除く5人が、護と戒道によって浄解された。(アニメ『[[勇者王ガオガイガー]]』) * [[2006年]] - アイビーイマジンが現れる。電王アックスフォームに倒される。(特撮『[[仮面ライダー電王]]』) === 誕生日(フィクション) === * 2142年 - ジョウ(JOE)、小説・アニメ『[[クラッシャージョウ]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.crusher-joe.net/character/ |title=ジョウ(JOE) |access-date=25 Jul 2023 |publisher=高千穂&[[スタジオぬえ]]・[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]}}</ref> * 生年不明 - 藤宮周、小説・アニメ『[[お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件]]』の主人公<ref>{{Twitter status|tenshisama_ga|1589637888228327424}}</ref> * 生年不明 - 蠍座(スコーピオン)のミロ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=36 |title=蠍座(スコーピオン)のミロ |access-date=25 Jul 20238 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館 |work=『聖闘士星矢』 |author=[[車田正美]]}}</ref> * 生年不明 - カルー、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Karoo.html |title=カルー |access-date=25 Jul 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - 北園寿葉、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1457363478679805955}}</ref> * 生年不明 - アラン・ホプキンス、漫画・アニメ『テニスの王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1192457951853862913}}</ref> * 生年不明 - サソリ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1192457106844053509}}</ref> * 生年不明 - 降旗光樹、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1457365615736352770}}</ref> * 生年不明 - 鎌先靖志、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2013|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-870666-5|quote=|date=|volume=6巻|page=26}}</ref> * 生年不明 - 相澤消太、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group04/04-02/ |title=相澤消太 |work=『僕のヒーローアカデミア』 |accessdate=25 Jul 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会}}</ref> * 生年不明 - カーチャン、漫画・アニメ『[[戦勇。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im2998883?manga_user |title=戦勇キャラの誕生日 |access-date=25 Jul 2023 |publisher=ニコニコ静画 |author=[[春原ロビンソン]]}}</ref> * 生年不明 - 柴田秋良、漫画・アニメ『[[HIGH SCORE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatedenden|663250131949477888}}</ref> * 生年不明 - 関羽雲長、漫画・ゲーム・アニメ『[[一騎当千 (漫画)|一騎当千]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.marv.jp/product/ikki_eb/character/kannu/ |title=関羽雲長 |publisher=[[塩崎雄二]]・[[少年画報社]]/真・一騎当千パートナーズ [[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |accessdate=25 Jul 2023 |work=『一騎当千エクストラバースト』}}</ref> * 生年不明 - 柊木秋、漫画『[[犬神さんと猫山さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=くずしろ|authorlink=くずしろ|title=犬神さんと猫山さん|volume=1巻|publisher=[[一迅社]]|series=[[コミック百合姫#百合姫コミックス|百合姫コミックス]]|year=2013|page=63|isbn=978-4-7580-7224-3}}</ref> * 生年不明 - 坂井理奈、漫画・アニメ『[[桜Trick]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=まんがタイムきらら編集部|editor-link=まんがタイムきらら|title=桜Trick TVアニメ公式ガイドブック 〜ヒミツのシラバス〜|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムきらら#まんがタイムKRコミックス|まんがタイムKRコミックス]]|year=2014|page=41|isbn=978-4-8322-4438-2}}</ref> * 生年不明 - 荒城幸音(ユキネ)、アニメ『[[W'z《ウィズ》]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://wz-anime.net/character/ |title=CHARACTER ユキネ |access-date=25 Jul 2023 |publisher=GoHands,Frontier Works/W'z-Project |work=『W'z《ウィズ》』}}</ref> * 生年不明 - 岸沼良樹、ゲーム・漫画・アニメ『[[コープスパーティー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|corpesbest|530935542788026368}}</ref> * 生年不明 - 中ノ島妙、ゲーム『[[ぶらばん! -The bonds of melody-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 相楽エミ、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gf_kari_music|795641988146073601}}</ref> * 生年不明 - 東雲荘一郎、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sidem-gs.idolmaster-official.jp/idol/soichiro/ |title=東雲 壮一郎 |access-date=25 Jul 2023 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER SIDE M GROWING STARS』}}</ref> * 生年不明 - 緋ノ宮二穂、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/niho.html |title=緋ノ宮 二穂 CV:木戸 衣吹 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=25 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - 樋口聖華、ゲーム『[[ヘブンバーンズレッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heaven-burns-red.com/character/31b/higuchi-seika/ |title=樋口聖華 |website=『ヘブンバーンズレッド』 |publisher=[[WFS (企業)|WFS Developed by WRIGHT FLYER STUDIOS]] [[ビジュアルアーツ|VISUAL ARTS]]/[[Key (ゲームブランド)|Key]] |accessdate=25 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - [[桔梗凛生]]、メディアミックス『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://argo-bdp.com/character/argonavis/ |title=桔梗 凛生(Key) |access-date=25 Jul 2023 |publisher=ARGONAVIS project. [[ブシロード|bushiroad]] |work=『from ARGONAVIS』}}</ref> * 生年不明 - 龍眞コウガ、メディアミックス『[[PROJECT SCARD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://project-scard.com/character/ |title=龍眞 コウガ |access-date=25 Jul 2023 |publisher=PROJECT SCARD GoHands, Frontier Works/Praeter-Project |work=『PROJECT SCARD』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|8 November}} {{新暦365日|11|7|11|9|[[10月8日]]|[[12月8日]]|[[11月8日 (旧暦)|11月8日]]|1108|11|08}} {{1年の月と日}}
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11月12日
11月12日(じゅういちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から316日目(閏年では317日目)にあたり、年末まであと49日ある。
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11月12日(じゅういちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から316日目(閏年では317日目)にあたり、年末まであと49日ある。
{{カレンダー 11月}} '''11月12日'''(じゅういちがつじゅうににち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から316日目([[閏年]]では317日目)にあたり、年末まであと49日ある。 == できごと == {{multiple image | footer = [[第三次ソロモン海戦]](1942)。[[戦艦]][[比叡 (戦艦)|比叡]](左、13日)、[[霧島 (戦艦)|霧島]](左、15日)らを失う | image1 = Japanese Battleship Hiei.jpg | width1 = 140 | alt1 = 比叡 | image2 = Kirishima Sasebo 1915.jpg | width2 = 140 | alt2 = 霧島 }} [[File:IMTFE defendants.jpg|thumb|180px|[[極東国際軍事裁判]]判決(1948)]] [[File:November 1970 Bhola Cyclone.jpg|thumb|140px|[[1970年のボーラ・サイクロン|ボーラ・サイクロン]](1970)。[[バングラデシュ]]独立の契機となった]] [[File:Crescent Saturn as seen from Voyager 1.jpg|thumb|140px|[[ボイジャー1号]]が[[土星]]に最接近(1980)。530万kmの距離から撮影された土星]] * [[1028年]] - [[東ローマ帝国|東ローマ皇帝]][[コンスタンティノス8世]]の娘[[ゾエ (東ローマ女帝)|ゾエ]]が元老院議員[[ロマノス3世アルギュロス|ロマノス]]と結婚。3日後にコンスタンティノス8世が死去し、ロマノスが即位{{要出典|date=2021-04}}。 * [[1793年]] - [[フランス革命]]: [[パリ・コミューン (フランス革命)|パリ・コミューン]]初代市長[[ジャン=シルヴァン・バイイ]]が処刑。 * [[1893年]] - [[イギリス領インド帝国]]と[[アフガニスタン]]が[[デュアランド・ライン]]条約に調印。 * [[1918年]] - [[第一共和国 (オーストリア)|オーストリア第一共和国]]が発足。 * [[1920年]] - [[イタリア王国]]とセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国([[ユーゴスラビア]])の間で[[ラパッロ条約 (1920年)|ラパッロ条約]]が締結。 * [[1921年]] - [[ワシントン会議 (1922年)|ワシントン会議]]が始まる。 * [[1926年]] - [[福岡連隊差別事件]]への抗議運動をしていた[[全国水平社]]幹部が一斉検挙。 * [[1933年]] - 現中国[[新疆ウイグル自治区]]、南西部のカシュガルで(第一次)[[東トルキスタン共和国#第1次東トルキスタン共和国|東トルキスタン・イスラーム共和国]]独立宣言。 * 1933年 - ドイツで[[1933年11月ドイツ国会選挙|国会選挙]]。[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)のみが出馬し、全議席を占める。 * 1933年 - ヒュー・グレイが「[[ネッシー]]」の写真を初めて撮影。 * [[1936年]] - [[サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ]]が開通。 * [[1937年]] - 俳優の林長次郎([[長谷川一夫]])が東宝京都撮影所で顔を切りつけられる。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[第三次ソロモン海戦]]が始まる。 * 1942年 - [[松竹]]より映画『[[愛国の花]]』公開。 * [[1944年]] - [[新疆ウイグル自治区]]、北部のイリで(第二次)[[東トルキスタン共和国#第2次東トルキスタン共和国|東トルキスタン共和国]]独立宣言。 * 1944年 - 第二次世界大戦: [[ドイツ海軍]]の戦艦「[[ティルピッツ (戦艦)|ティルピッツ]]」が[[イギリス空軍]]の12,000ポンド爆弾「[[トールボーイ]]」を使用した爆撃を受け沈没。 * [[1945年]] - [[二又トンネル爆発事故]]、[[アメリカ軍]]の杜撰な[[火薬]]処理により[[爆発]]事故が発生。死者147人、負傷者149人の大惨事。 <!-- * 1945年 - [[逓信省|逓信院]](当時)貯金課の職員とアメリカ軍の[[電子計算機]]オペレーターが、[[東京宝塚劇場|アーニー・パイル劇場]]で計算勝負。[[そろばん]]を使った逓信院職員が勝利。 --> * [[1948年]] - [[極東国際軍事裁判]]で、25人の戦犯に対し[[東條英機]]ら7人の[[死刑|絞首刑]]を含む有罪判決。 * [[1949年]] - [[香川県]][[小豆島]]沖合で八千代汽船の貨客船「美島丸」(138トン)が沈没。乗員・乗客57人のうち行方不明47人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=75 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1951年]] - [[京大天皇事件]]が起こる。 * [[1955年]] - [[ドイツ連邦軍]]発足により[[西ドイツ]]の[[再軍備]]が始まる。 * [[1956年]] - [[モロッコ]]・[[スーダン]]・[[チュニジア]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[1964年]] - [[アメリカ海軍]]の原子力潜水艦「[[シードラゴン (原子力潜水艦)|シードラゴン]]」が佐世保に初寄港。 * [[1967年]] - [[羽田事件#第二次羽田事件|第二次羽田事件]]。[[佐藤栄作]]首相訪米に反対する学生デモと警官隊が[[東京国際空港|羽田空港]]で衝突。 * [[1968年]] - [[赤道ギニア]]が国連に加盟。 * [[1969年]] - [[ベトナム戦争]]: アメリカの[[調査報道]]記者[[シーモア・ハーシュ]]が前年3月の[[ソンミ村虐殺事件]]を暴露。 * [[1970年]] - [[1970年のボーラ・サイクロン|ボーラ・サイクロン]]が[[バングラデシュ|東パキスタン]]に上陸。30万から50万人が死亡。 * [[1975年]] - [[コモロ]]が国連に加盟。 * [[1980年]] - アメリカの無人惑星探査機「[[ボイジャー1号]]」が[[土星]]に最接近。 * [[1981年]] - [[STS-2]]で[[スペースシャトル]]「[[スペースシャトル・コロンビア|コロンビア]]」が2度目の飛行。史上初の人間を乗せて一度宇宙へ出た宇宙船の再利用。 * [[1982年]] - [[ユーリ・アンドロポフ]]が[[ソビエト連邦共産党]][[ソビエト連邦共産党書記長|書記長]]に就任。 * [[1986年]] - [[福岡市営地下鉄箱崎線]]延長部([[箱崎九大前駅]] - [[貝塚駅 (福岡県)|貝塚駅]]間)が開業し、全通。 * [[1990年]] - [[上皇明仁|明仁天皇]]の[[即位礼正殿の儀]]を挙行。 * [[1991年]] - [[サンタクルス事件]]。[[東ティモール]]・[[ディリ]]で独立を求めるデモ行進中の市民に対し[[インドネシア国軍]]が無差別発砲。 * [[1993年]] - [[カザフスタン]]で、それまでの[[ルーブル]]に代えて新通貨[[テンゲ]]の使用を開始。 * [[1996年]] - [[ニューデリー空中衝突事故]]が起こる。 * [[2001年]] - [[アメリカン航空587便墜落事故]]が起こる。 * 2001年 - [[花咲風力発電所]]が完成。 * [[2006年]] - 日本で最後の[[灯台守]]が勤務していた[[女島灯台]]がこの日から自動化される。<!-- 翌月[[12月5日]]からは無人灯台となり日本から灯台守が消えた。 --> * [[2008年]] - [[ガンバ大阪]]が[[AFCチャンピオンズリーグ]]初優勝。 * [[2014年]] - [[欧州宇宙機関]](ESA)の宇宙探査機[[ロゼッタ (探査機)|ロゼッタ]]が着地機[[フィラエ]]を[[チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星]]に着地させる。 * [[2017年]] - [[イラク]]と[[イラン]]の国境でMw 7.3の地震。400人以上が死亡。([[イラン・イラク地震]])<ref>{{Cite web|url=http://www.aljazeera.com/news/2017/11/northern-iraq-rocked-72-magnitude-earthquake-171112184114150.html|title=Northern Iraq rocked by 7.2 magnitude earthquake|work=Al Jazeera English|access-date=27 October 2020}}</ref> * 2017年 - [[ペルー]]、[[ベンタロン遺跡]]施設で火災。米大陸最古の壁画などが損傷<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cnn.co.jp/world/35110374.html|title=遺跡で火災、4000年の歴史持つ壁画も損傷 ペルー|publisher=CNN|accessdate=2017-11-15|date=2017-11-14}}</ref>。 * [[2018年]] - [[大谷翔平]]が[[アメリカンリーグ]][[最優秀新人選手賞 (MLB)|最優秀新人選手賞]]に選出される<ref>{{Cite news|url=https://www.iza.ne.jp/article/20181113-DTUN43DWBNL2RPB2PMATHYMSHY/|title=大谷が新人王、2位に大差をつける“圧勝”|newspaper=産経新聞社|date=2018-11-13|accessdate=2018-11-13}}</ref>。 * [[2020年]] - [[PlayStation 5]]が発売。 == 誕生日 == [[File:Scharnhorst (Hannover).jpg|thumb|120px|[[プロイセン参謀本部]]の礎を築いた[[ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト]](1755-1813)誕生]] [[File:Borodin.jpg|thumb|120px|[[アレクサンドル・ボロディン]]、[[作曲家]] (1833-1887)誕生]] {{multiple image | footer = [[彫刻家]]、[[オーギュスト・ロダン]](1840-1917)誕生。右は[[但陽信用金庫会館]]の《青銅時代》(1877) | image1 = Auguste Rodin 1893 Nadar.jpg | width1 = 100 | alt1 = ロダン | image2 = Tanyo Shinkin bank Hall02bs2700.jpg | width2 = 160 | alt2 = 青銅時代 }} [[File:Oyama Iwao.jpg|thumb|120px|[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]][[元帥]]、[[大山巌]](1842-1916)誕生]] [[File:Sunzhongshan 2.JPG|thumb|120px|中国革命の父、[[孫文]](1866-1925)誕生]] {{multiple image | image1 = Yachiyo Kasugano1954.jpg| | width1 = 90 | caption1 = [[宝塚歌劇団]]屈指の男役[[俳優]]、[[春日野八千代]](1915-2012)誕生 | alt1 = 春日野八千代 | image2 = Grace Kelly MGM photo.jpg | width2 = 120 | caption2 = [[モナコ]]大公妃となった[[アメリカ合衆国]]の[[俳優|女優]]、[[グレース・ケリー]](1929-1982)誕生 | alt2 = ケリー }} [[File:Ny-ottawa-jul-2006.jpg|thumb|120px|[[カナダ]]の[[シンガーソングライター]]、[[ニール・ヤング]](1945-)誕生]] [[File:Nadia Comaneci 1977.jpg|thumb|120px|[[ルーマニア]]の[[体操]]選手、[[ナディア・コマネチ]](1961-)誕生]] [[File:Sosa swinging2.jpg|thumb|120px|[[ドミニカ共和国]]の[[野球]]選手、[[サミー・ソーサ]](1961-)誕生。[[マーク・マグワイア]]との[[1998年のMLBシーズン最多本塁打記録対決]]で有名]] {{multiple image | image1 = Anne Hathaway 2014 (cropped).jpg | width1 = 120 | caption1 = 女優、[[アン・ハサウェイ]](1982-)誕生 | alt1 = ハサウェイ | image2 = Kiyotake Hiroshi.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[サッカー日本代表]]、[[清武弘嗣]](1989-)誕生 | alt2 = 清武弘嗣 }} * [[1683年]]([[享保]]19年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[松平忠雅]]、初代[[桑名藩|桑名藩主]]、(+ [[1746年]]) * [[1734年]]([[享保]]19年[[10月17日 (旧暦)|10月17日]]) - [[小笠原貞顕]]、第3代[[小倉新田藩|小倉新田藩主]]、(+ [[1802年]]) * [[1755年]] - [[ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト]]、[[プロイセン参謀本部|プロイセン参謀総長]](+ [[1813年]]) * [[1762年]]([[宝暦]]12年[[9月27日 (旧暦)|9月27日]]) - [[松平義裕]]、第6代[[高須藩|高須藩主]]、(+ [[1795年]]) * [[1814年]]([[文化 (元号)|文化]]11年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[水野忠央]]、第9代[[新宮藩|新宮藩主]]、(+ [[1865年]]) * [[1817年]] - [[バハーウッラー]]、[[バハイ教]]の祖(+ [[1892年]]) * [[1833年]] - [[アレクサンドル・ボロディン]]、[[作曲家]](+ [[1887年]]) * [[1840年]] - [[オーギュスト・ロダン]]、[[彫刻家]](+ [[1917年]]) * [[1842年]]([[天保]]13年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]]) - [[大山巌]]、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の[[元帥]](+ [[1916年]]) * [[1866年]] - [[孫文]]、[[革命家]](+ [[1925年]]) * [[1890年]] - [[クロンベルガー・リリー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1974年]]) * [[1891年]] - [[カール・メイズ]]、[[プロ野球選手]](+ [[1971年]]) * [[1896年]] - [[牧野信一]]、[[小説家]](+ [[1936年]]) * [[1897年]] - [[宇野弘蔵]]、[[経済学者]](+ [[1977年]]) * 1897年 - [[内村祐之]]、プロ野球コミッショナー(+ [[1980年]]) * [[1903年]] - [[木部シゲノ]]、最初期の女性[[パイロット (航空)|飛行家]](+ [[1980年]]) * [[1904年]] - [[安西正夫]]、[[実業家]](+ [[1972年]]) * [[1908年]] - [[アーモン・ゲート]]、[[ナチス・ドイツ]][[クラクフ・プワシュフ強制収容所]]の所長(+ [[1946年]]) * [[1909年]] - [[ラクシュミ・プラサド・デヴコタ]]、詩人、劇作家、小説家(+ [[1959年]]) * [[1910年]] - [[華羅庚]]、数学者(+ [[1985年]]) * [[1911年]] - [[チャド・ヴァラー]]、[[いのちの電話]]設立者(+ [[2007年]]) * [[1915年]] - [[ロラン・バルト]]、[[思想家]](+ [[1980年]]) * 1915年 - [[串田孫一]]、[[詩人]]、[[哲学|哲学者]]、[[随筆家]](+ [[2005年]]) * 1915年 - [[春日野八千代]]、[[宝塚歌劇団]]女優(+ [[2012年]]) * [[1917年]] - [[ギュンター・シャック]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[2003年]]) * [[1922年]] - [[キム・ハンター]]、[[俳優|女優]](+ [[2002年]]) * [[1923年]] - [[片山博]]、元プロ野球選手 * [[1927年]] - [[谷山豊]]、[[数学者]](+ [[1958年]]) * [[1929年]] - [[グレース・ケリー]]、女優、[[モナコ]]大公妃(+ [[1982年]]) * 1929年 - [[小林彰太郎]]、[[自動車評論家]](+ [[2013年]]) * 1929年 - [[ミヒャエル・エンデ]]、[[作家]](+ [[1995年]]) * 1929年 - [[ピーター・ラモント]]、映画プロダクション・デザイナー、[[美術監督]](+ [[2020年]]) * [[1930年]] - [[俵孝太郎]]、[[ニュースキャスター]] * [[1933年]] - [[ジャラル・タラバニ]]、[[イラク]]第四共和政初代[[イラクの大統領|大統領]](+ [[2017年]]<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20171004-PPHPFXA57VKMNMES777JE2TMHM/|title=イラク・タラバニ前大統領死去 クルド民族自決に尽力|work=産経ニュース|newspaper=[[産経新聞]]|date=2017-10-04|accessdate=2020-10-27}}</ref>) * [[1934年]] - [[チャールズ・マンソン]]、[[カルト]]グループのリーダー(+ [[2017年]]<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3151815|title=無差別殺人犯のC・マンソン受刑者、死去 83歳|work=AFPBB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2017-11-20|accessdate=2020-11-23}}</ref>) * [[1935年]] - [[中島丈博]]、[[脚本家]] * 1935年 - [[中村修一郎]]、元プロ野球選手(+ [[2009年]]) * [[1936年]] - [[ルシア・ベルリン]]、[[作家]](+ [[2004年]]) * [[1937年]] - [[花井幸子]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2022年]]) * [[1939年]] - [[ルチア・ポップ]]、声楽家(+ [[1993年]]) * [[1940年]] - [[上月景正]]、[[実業家]]、[[コナミ]]創業者 * [[1943年]] - [[イアン・ブラック]]、[[調教師]] * 1943年 - [[ウォーレス・ショーン]]、[[俳優]]、[[劇作家]] * 1943年 - [[ブライアン・ハイランド]]、[[歌手]] * [[1944年]] - [[大渕絹子]]、政治家 * 1944年 - [[天本光]]、元プロ野球選手 * [[1945年]] - [[ニール・ヤング]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1945年 - [[谷木恭平]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[とりいかずよし]]、[[漫画家]]、[[大学教授]](+ [[2022年]]) * [[1947年]] - [[太田治子]]、[[小説家]] * 1947年 - 海原かなた、漫才師([[海原はるか・かなた]]) * 1947年 - [[吉田照哉]]、実業家、[[社台ファーム]]代表 * 1947年 - [[加護野忠男]]、経営学者 * [[1948年]] - [[銀河万丈]]、[[声優]] * 1948年 - [[黒姫山秀男]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄12代[[武隈 (相撲)|武隈]](+ [[2019年]]<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/26/kiji/20190426s00005000274000c.html 「デゴイチ」黒姫山の田中秀男氏死去…昨年3月に脳梗塞で倒れ] - Sponichi Annex 2019年4月26日</ref>) * [[1950年]] - [[田中秀幸 (声優)|田中秀幸]]、声優 * 1950年 - [[由美かおる]]、女優 * [[1952年]] - [[福井保夫]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[大塚栄三郎]]、元[[騎手]]、[[調教助手]] * [[1954年]] - [[津森千里]]、[[ファッションデザイナー]] * [[1955年]] - [[レスリー・マッコーエン]]、ミュージシャン( 元[[ベイ・シティ・ローラーズ]])(+ [[2021年]]) * [[1956年]] - [[山川恵津子]]、[[作曲家]]、[[編曲家]] * 1956年 - [[平忠彦]]、元[[オートバイ]]・[[ロードレース (オートバイ)|ロードレース]]ライダー * [[1957年]] - [[高野文子]]、[[漫画家]] * 1957年 - [[チェルシア・チャン]]、歌手、女優 * [[1958年]] - [[岩崎宏美]]、[[歌手]] * [[1959年]] - [[佐橋俊彦]]、[[作曲家]] * 1959年 - [[松本ちえこ]]、[[タレント]]、女優(+ [[2019年]]<ref>[https://dot.asahi.com/articles/-/102732?page=1 松本ちえこさん死去 70年代を象徴する記憶に残るアイドルだった]AERA dot. (アエラドット) 2019年12月6日</ref><ref>[https://www.jprime.jp/articles/-/16710 女優・松本ちえこさんが逝去、60歳『バスボン』のCMで大ブレイク] - 週刊女性PRIME 2019年12月6日</ref>) * [[1961年]] - [[石川寛美]]、女優、[[声優]] * 1961年 - [[長嶋清幸]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[グレッグ・ギャグニー]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[エンソ・フランチェスコリ]]、元[[サッカー選手]] * 1961年 - TOM、ミュージシャン(元[[TOM★CAT]]) * 1961年 - [[ナディア・コマネチ]]、元[[体操選手]] * [[1962年]] - [[金子正彦]]、騎手 * 1962年 - [[麻木久仁子]]、[[タレント]]、キャスター * [[1963年]] - [[三代目魚武濱田成夫]]、[[詩人]] * 1963年 - [[寺島進]]、俳優 * [[1964年]] - [[アーサー・ウィリアムス]]、[[プロボクサー]] * 1964年 - [[河野景子]]、[[アナウンサー]] * [[1967年]] - [[高木琢也]]、元[[サッカー選手]]、監督 * 1967年 - [[マイケル・モーラー]]、[[プロボクサー]] * 1967年 - [[高橋有紀子]]、バレーボール選手 * [[1968年]] - [[久川綾]]<ref name="towerrecordsprof">{{Cite web|和書 |url = https://tower.jp/artist/280767/%E4%B9%85%E5%B7%9D%E7%B6%BE|title = アーティスト詳細 久川綾 |publisher = [[タワーレコード]] |accessdate = 2020-11-03 }}</ref>、声優 * 1968年 - [[今拓哉]]、[[ミュージカル]]俳優 * 1968年 - [[サミー・ソーサ]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[ジェームズ・ブッチェリ]]、野球選手 * [[1969年]] - [[金親和憲]]、元大相撲力士 * [[1970年]] - [[トーニャ・ハーディング]]、[[フィギュアスケート]]選手、プロボクサー * [[1971年]] - [[一式まさと]]、漫画家 * [[1973年]] - [[ラダ・ミッチェル]]、女優 * [[1974年]] - [[藤井みほな]]、漫画家 * 1974年 - [[エノルベル・マルケス=ラミレス]]、プロ野球選手 * 1974年 - [[宇都隆史]]、[[政治家]]、[[自衛官]] * 1974年 - [[西浦克拓]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[ミルコ・ミュラー]]、フィギュアスケート選手 * 1974年 - [[富士たくや]]、俳優 * [[1975年]] - [[鑑田幸代]]、[[ファッションデザイナー]] * 1975年 - [[ダリオ・シミッチ]]、サッカー選手 * [[1976年]] - [[リンゼイ・グーリン]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[ダリーン・カーティス]]、[[プレイメイト]] * 1977年 - [[ベネディクト・マッカーシー]]、サッカー選手 * 1977年 - 泉健太郎、ミュージシャン(元[[セカイイチ]]) * [[1978年]] - [[ダニー・ミランダ]]、野球選手 * 1978年 - [[中澤輝]]、アナウンサー * [[1979年]] - [[水波風南]]、漫画家 * 1979年 - [[ルーカス・グローバー]]、ゴルファー * [[1980年]] - [[ライアン・ゴズリング]]、俳優 * 1980年 - [[小泉恵未]]、[[フリーアナウンサー]] * 1980年 - [[松島竜太]]、元サッカー選手 * [[1981年]] - [[星野大介]]、[[総合格闘家]] * 1981年 - [[アルセニー・マルコフ]]、フィギュアスケート選手 * [[1982年]] - [[黒木奈々]]、フリーアナウンサー(+ [[2015年]]) * 1982年 - [[高橋浩司]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[中尾敏浩]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[アン・ハサウェイ]]、女優 * [[1983年]] - [[甲藤啓介]]、元プロ野球選手 * 1983年 - 中野聡子、お笑い芸人([[日本エレキテル連合]]) * 1983年 - [[チャーリー・モートン (投手)|チャーリー・モートン]]、プロ野球選手 * [[1984年]] - [[ベンジャミン・オコルスキー]]、フィギュアスケート選手 <!-- 年の出典が不明 * 1984年 - [[さぁさ]]、[[シンガーソングライター]] --> * 1984年 - [[寺川綾]]、元競泳選手 * 1984年 - [[シーザー・ヒメネス]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[黛弘人]]、騎手 * [[1986年]] - [[箱崎みどり]]、[[ニッポン放送]]アナウンサー * [[1987年]] - [[高良健吾]]、俳優 * 1987年 - [[会一太郎]]、声優、[[落語家]] * [[1988年]] - [[ラッセル・ウェストブルック]]、バスケットボール選手 * 1988年 - [[愛葉悠]]、[[AV女優]] * 1988年 - HAYAMI、ミュージシャン([[オレスカバンド]]) * [[1989年]] - [[清武弘嗣]]、サッカー選手 * 1989年 - [[吉住 (お笑い芸人)|吉住]]、お笑いタレント * [[1990年]] - [[浅村栄斗]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[大和田健介]]、俳優 * 1990年 - [[ハルメート・シン]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ジェームス・マッカーシー]]、サッカー選手 * 1990年 - [[マーセル・オズナ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[ニコラ・リゴーニ]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[田本清嵐]]、俳優 * [[1992年]] - [[今井華]]、モデル、タレント * 1992年 - [[上原亜衣]]、タレント、元AV女優 * 1992年 - [[三井莉穂]]、ミュージカル俳優 * [[1994年]] - [[アンナ・フニチェンコワ]]、フィギュアスケート選手 * [[1995年]] - [[ナナヲアカリ]]、ミュージシャン * 1995年 - [[織田梨沙]]、女優 * [[1996年]] - [[社本悠]]、声優 * 1996年 - [[広瀬うみ]]、元AV女優 * [[1997年]] - [[守屋茜]]、女優、元アイドル(元[[櫻坂46]]) * [[1998年]] - [[嘉島陸]]、俳優 * 1998年 - [[平祐奈]]、女優 * 1998年 - [[谷口めぐ]]、アイドル([[AKB48]]) * [[1999年]] - シェン・シャオティン、アイドル ([[Kep1er]]) * [[2001年]] - [[ラフィー・キャシディ]]、女優 * 2001年 - [[中村柚葉]]、野球選手 * [[2003年]] - [[畠山紬]]、元女優 * 2003年 - [[村山亮介]]、プロ野球選手 * 生年不明 - [[さらちよみ]]<ref>{{Cite web |title=::: MELROSE'S ::: |url=http://sarachi.net/|work=|publisher=|accessdate=2021-01-21}}</ref>、イラストレーター、漫画家 * 生年不明 - [[林大地 (声優)|林大地]]、声優 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Knut der Große cropped.jpg | width1 = 100 | caption1 = 三国の王となり[[北海帝国]]を築き上げた、[[クヌート1世 (イングランド王)|クヌート1世]](995-1035)没 | alt1 = クヌート1世 | image2 = John Hawkins.JPG | width2 = 100 | caption2 = [[イングランド]]の[[私掠船]]船長にして[[イギリス海軍|海軍]][[提督]]、[[ジョン・ホーキンス]](1532-1595)没。従兄弟の[[フランシス・ドレーク]]とともに活躍 | alt2 = ホーキンス | image3 = Thomas Fairfax.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[清教徒革命]]に続く[[イングランド内戦]]で[[円頂党|議会派]]軍を率い活躍した、[[トーマス・フェアファクス (第3代フェアファクス卿)|トーマス・フェアファクス]](1612-1671)没 | alt3 = フェアファクス }} {{multiple image | footer = [[フランス革命]]期の[[パリ]]市長、[[ジャン=シルヴァン・バイイ]](1736-1793)、[[シャン・ド・マルスの虐殺]]の責で刑死 | image1 = Jean Silvain Bailly Garneray David Alix BNF Gallica.jpg | width1 = 100 | alt1 = バイイ | image2 = Death of Bailly.jpg | width2 = 90 | alt2 = バイイの処刑 }} [[File:Khnopff Memories.jpg|thumb|200px|[[ベルギー]][[象徴主義|象徴派]]の[[画家]]、[[フェルナン・クノップフ]](1858-1921)没。画像の《記憶》(1889)はすべて妹のマルグリットがモデル]] {{multiple image | image1 = Percival Lowell 1900s2.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[冥王星]]の存在を予測した[[アメリカ合衆国]]の[[天文学者]]、[[パーシヴァル・ローウェル]](1855-1916)没 | alt1 = ローウェル | image2 = LiuShaoqi Colour.jpg | width2 = 100 | caption2 = 第2代[[中華人民共和国主席]]、[[劉少奇]](1898-1969)没。走資派と批判され失脚し、幽閉された末の非業なる死であった | alt2 = 劉少奇 }} [[ファイル:Holden-portrait.jpg|110px|サムネイル|1981年のこの日にウィリアム・ホールデンが死去]] * [[607年]] - [[ボニファティウス3世 (ローマ教皇)|ボニファティウス3世]]、[[教皇|ローマ教皇]] * [[1035年]] - [[クヌート1世 (イングランド王)|クヌーズ2世]]、[[デンマーク]]・[[イングランド王国|イングランド]]・[[ノルウェー]]王(* [[995年]]) * [[1094年]] - [[ダンカン2世 (スコットランド王)|ダンカン2世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* [[1060年]]?) * [[1434年]] - [[ルイ3世・ダンジュー]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]](* [[1403年]]) * [[1595年]] - [[ジョン・ホーキンス]]、軍人、[[私掠船]]船長(* [[1532年]]) * [[1671年]] - [[トーマス・フェアファクス (第3代フェアファクス卿)|トーマス・フェアファクス]]、軍人(* [[1612年]]) * [[1712年]]([[正徳 (日本)|正徳]]2年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]) - [[徳川家宣]]、[[江戸幕府]]第6代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1662年]]) * [[1793年]] - [[ジャン=シルヴァン・バイイ]]、[[パリ]]市長(* [[1736年]]) * [[1865年]] - [[エリザベス・ギャスケル]]、[[小説家]](* [[1810年]]) * [[1869年]] - [[エイモス・ケンドール]]、第11代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1789年]]) * 1869年 - [[ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック]]、[[画家]](* 1789年) * [[1893年]] - [[アレクサンダー・フォン・バッハ]]、[[政治家]](* [[1813年]]) * [[1898年]] - [[ジョン万次郎]]、漂流民、[[通訳]]、[[教員|教師]](* [[1827年]]) * [[1915年]] - 津田米次郎、[[羽二重]][[織機]]の開発者(* [[1862年]]) * [[1916年]] - [[パーシヴァル・ローウェル]]、[[天文学者]](* [[1855年]]) * [[1921年]] - [[フェルナン・クノップフ]]、画家(* [[1858年]]) * [[1939年]] - [[ノーマン・ベチューン]]、[[医師]](* [[1890年]]) * [[1940年]] - [[ジョー・クイン]]、プロ野球選手(* [[1864年]]) * [[1941年]] - [[エイブ・レルズ]]、[[ニューヨーク]]の[[ギャング]](* [[1906年]]) * [[1948年]] - [[ウンベルト・ジョルダーノ]]、[[作曲家]](* [[1867年]]) * [[1964年]] - [[フレッド・ハッチンソン]]、プロ野球選手(* [[1919年]]) * [[1966年]] - [[クインシー・ポーター]]、[[作曲家]]、[[ヴィオリスト]](* [[1897年]]) * [[1967年]] - [[由比忠之進]]、[[弁理士]]、 [[エスペランティスト]](* [[1894年]]) * [[1969年]] - [[劉少奇]]、政治家、第2代[[中華人民共和国主席|国家主席]](* [[1898年]]) * [[1974年]] - [[菊池正士]]、[[物理学者]](* [[1902年]]) * [[1976年]] - [[ウォルター・ピストン]]、作曲家(* [[1894年]]) * [[1981年]] - [[ウィリアム・ホールデン]]、[[俳優]](* [[1918年]]) * [[1984年]] - [[チェスター・ハイムズ]]、小説家(* [[1909年]]) * 1986年 - [[島尾敏雄]]、小説家(* [[1917年]]) * 1986年 - [[リア・ファルク]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1922年]]) * [[1988年]] - [[草野心平]]、[[詩人]](* [[1903年]]) * [[1990年]] - [[和中道男]]、[[プロ野球選手]](* [[1927年]]) * [[1993年]] - [[ビル・ディッキー]]、プロ野球選手(* [[1907年]]) * [[1994年]] - [[ウィルマ・ルドルフ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1940年]]) * [[1996年]] - [[石垣綾子]]、[[評論家]](* [[1903年]]) * [[1997年]] - [[カルロス・スリナッチ]]、作曲家(* [[1915年]]) * [[1999年]] - [[蓬茨霊運]]、[[天文学者]](* [[1935年]]) * [[2000年]] - [[フランク・プゥルセル]]、[[イージーリスニング]]の[[バンドマスター]](* [[1913年]]) * [[2002年]] - [[ラウル・ディアニュ]]、サッカー選手(* [[1910年]]) * [[2003年]] - [[ジョナサン・ブランディス]]、俳優(* [[1976年]]) * [[2007年]] - [[アイラ・レヴィン]]、[[推理作家]](* [[1929年]]) * 2007年 - 上田政雄、京都大名誉教授(* [[1922年]]) * [[2009年]] - [[アンリ・セランドゥール]]、[[国際オリンピック委員会]]委員、[[水球]]選手(* [[1937年]]) * [[2013年]] - [[干場一夫]]、元プロ野球選手(* [[1924年]]) * [[2015年]] - [[江森陽弘]]、[[ジャーナリスト]](* [[1932年]]) * [[2018年]] - [[スタン・リー]]、[[漫画原作者]](* [[1922年]]) * 2018年 - [[加治屋義人]]、政治家(* [[1938年]]) * 2018年 - [[天野健太郎]]、翻訳家(* [[1971年]]) * [[2019年]] - [[田口光久]]<ref>{{Cite news2 |url= https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/201911120001069.html|title=元代表GK田口光久さんが死去「生ダラ」でも人気|newspaper= ニッカンスポーツ・コム |date= 2019-11-12 |agency=日刊スポーツ新聞社|accessdate= 2020-11-05}}</ref>、元サッカー選手(* [[1955年]]) * [[2020年]] - [[小柴昌俊]]、[[物理学者]]、[[天文学者]]、東京大学[[特別栄誉教授]]、[[ノーベル物理学賞]]受賞者(* [[1926年]]) * 2020年 - [[坂田藤十郎_(4代目)]]<ref>{{Cite news2|title= 上方歌舞伎の坂田藤十郎さん死去|url= https://web.archive.org/web/20201114124829/https://this.kiji.is/700326513320166497|newspaper= 共同通信|date= 2020-11-14|accessdate= 2020-12-23|publisher= 共同通信社}}</ref>、[[歌舞伎役者]](* [[1931年]]) * [[2021年]] - [[古葉竹識]]、元プロ野球選手、監督(* [[1936年]]) * [[2023年]] - [[KAN]]、シンガーソングライター(* [[1962年]]) == 記念日・年中行事 == * [[憲法記念日]]({{AZE}}) *: [[1995年]]のこの日、[[アゼルバイジャン]]で憲法が採択された。 * [[洋服]]記念日({{JPN}}) *:[[1872年]]([[明治]]5年)[[11月12日 (旧暦)|旧暦11月12日]]に「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出されことに由来。全日本洋服協同組合連合会が[[1972年]]に制定。 * [[皮膚]]の日({{JPN}}) *: 日本臨床皮膚科医会が[[1989年]]に制定。「い(1)い(1)ひ(1)ふ(2)」の語呂合わせ。 *HipHopの記念日 *:1973年11月12日に[[アフリカ・バンバータ]]が{{仮リンク|The Universal Zulu nation|en|Universal Zulu Nation}}を結成。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1112|date=2011年8月1日 (月) 22:12 (UTC)}} * [[1955年]] - 午後10時4分ヒルバレーの時計台に落雷があり、以後時計は止まったままとなる。マーティ・マクフライが、エメット・L・ブラウン博士の助力によりこの落雷を利用して1985年に戻る事に成功する。またヒル・バレー高校で「魅惑のダンスパーティ」が開催される。(映画『[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]』) * 2482年 - [[東京]]で、レオナ・宮津が[[エアカー]]から墜落死するが、最新科学の治療で復活する。(漫画『[[火の鳥 (漫画)|火の鳥]]』) * 不明 - [[魚雷ガール]]が感激した日という理由から[[祝日]]「魚雷の日」に制定された。(漫画『[[ボボボーボ・ボーボボ]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1988年]] - 長瀬楓、[[漫画]]・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=赤松健|authorlink=赤松健|title=魔法先生ネギま!|volume=2巻|publisher=[[講談社]]|year=2003|page=42|isbn=978-4-06-363276-7}}</ref> * 生年不明 - 椿野佑、漫画・アニメ『[[WIND BREAKER (漫画)|WIND BREAKER]]』のキャラクター<ref>{{Twitter status|winbre_sakura|1591085743149285377}}</ref> * 生年不明 - 十六夜リコ、アニメ『[[魔法つかいプリキュア!]]』に登場するキャラクター<ref>[http://www.asahi.co.jp/precure/maho/character/curemagical.html 魔法つかいプリキュア!|キャラクター|キュアマジカル|朝日放送]</ref> * 生年不明 - 川嵜一生、漫画『迷想区閾』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=方條ゆとり|authorlink=方條ゆとり|title=迷想区閾|volume=1巻|publisher=[[エニックス]]|series=[[月刊ガンガンWING#ガンガンウイングコミックス|ガンガンウイングコミックス]]|year=2002|isbn=4-7575-0804-2}}</ref> * 生年不明 - 倉川灯 / リミュエル、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=若木民喜|authorlink=若木民喜|title=神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック|year=2013|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-124451-2|page=94}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#城ヶ崎美嘉|城ヶ崎美嘉]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref name="名前なし-1">ゲーム内のプロフィールより。</ref> * 生年不明 - テムダン=ロウン、漫画『[[ふしぎ遊戯 玄武開伝]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年11月3日 (土) 00:25 (UTC)}} * 生年不明 - 猫柳キリオ、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref name="名前なし-1"/> * 生年不明 - 花小路クララ、ゲーム『[[豪血寺一族]]』シリーズに登場するキャラクター{{要出典|date=2018年11月3日 (土) 00:25 (UTC)}} * 生年不明 - 名取周一、漫画『[[夏目友人帳]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年11月3日 (土) 00:25 (UTC)}} * 生年不明 - メナト、ゲーム『[[ストリートファイターV]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=キャラ図鑑237:メナト {{!}} キャラ図鑑 {{!}} 活動報告書 |url=https://game.capcom.com/cfn/sfv/column/131971 |website=CAPCOM:シャドルー格闘家研究所 |access-date=2022-04-13 |language=ja |last=CAPCOM}}</ref> * 生年不明 - トトリ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=108&cate=name&cont=Totori |title=トトリ |access-date=2022-07-18 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 東雲彰人、ゲーム『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク|プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://pjsekai.sega.jp › character › unite03 › akito |title=東雲彰人 | Vivid BAD SQUAD | CHARACTER |access-date=2022年11月12日 |publisher=SEGA}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{commonscat|12 November}} {{新暦365日|11|11|11|13|[[10月12日]]|[[12月12日]]|[[11月12日 (旧暦)|11月12日]]|1112|11|12}} {{1年の月と日}}
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11月13日
11月13日(じゅういちがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から317日目(閏年では318日目)にあたり、年末まであと48日ある。
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{{カレンダー 11月}} '''11月13日'''(じゅういちがつじゅうさんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から317日目([[閏年]]では318日目)にあたり、年末まであと48日ある。 == できごと == [[File:Okinawa Rail.jpg|thumb|180x180px|[[ヤンバルクイナ]]発見(1981)]] [[File:Armero Lahar.jpg|thumb|180x180px|[[コロンビア]]、[[ネバドデルルイス火山]]が[[噴火]](1985)。[[ラハール|泥流]]に飲み込まれた[[アルメロ (コロンビア)|アルメロ]]の街]] [[File:Montage2-attentats-13-11-15-France.JPG|thumb|180x180px|[[パリ同時多発テロ事件]](2015)]] * [[1002年]] - [[聖ブリスの日の虐殺]]。[[イングランド王国|イングランド]]王[[エゼルレッド2世 (イングランド王)|エゼルレッド2世]]が国内に侵入した[[デーン人]]全員の殺害を命令。 * [[1720年]]([[享保]]5年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]) - 紙屋治兵衛と紀伊国屋小春とが心中。[[心中天網島]]のモデルとなる。 * [[1904年]] - 日本で初めて翻訳された[[共産党宣言]]が[[平民新聞]]に掲載される。 * [[1918年]] - [[第一次世界大戦]]: [[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]軍が[[オスマン帝国]]の首都・[[コンスタンティノープル]]を占領。([[:en:Occupation of Constantinople]]) * [[1921年]] - 日本で[[高橋是清]]が第20代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[高橋内閣]]が発足。 * [[1938年]] - [[長沙大火]]。人口50万人の[[湖南省]][[長沙市|長沙]]が[[中国国民党]]軍の放火により壊滅。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[イギリス海軍]]の[[航空母艦|空母]]「[[アーク・ロイヤル (空母・初代)|アーク・ロイヤル]]」がドイツの潜水艦[[U81 (潜水艦・2代)|U-81]]の雷撃を受ける。翌日沈没。 * [[1944年]] - [[日本野球連盟 (プロ野球)|日本野球報国会]]が活動終了、プロ野球の休止を宣言。 * [[1947年]] - [[ソビエト連邦]]で[[アサルトライフル]]「[[AK-47]]」が開発される。 * [[1950年]] - [[ベネズエラの大統領|ベネズエラ大統領]][[カルロス・デルガード・チャルバウド]]が暗殺される。 * [[1956年]] - [[モンゴメリー・バス・ボイコット事件]]: [[合衆国最高裁判所|アメリカ連邦最高裁判所]]が[[アラバマ州]][[モンゴメリー (アラバマ州)|モンゴメリー]]の人種隔離政策に対して[[違憲判決]]。 * [[1966年]] - [[全日空松山沖墜落事故]]。[[全日本空輸|全日空]]機が[[松山空港]]沖に墜落。50名全員死亡<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.ehime-np.co.jp/special/series/matsuyama_ys11_acsident50rensai |title=鉛色の海 松山沖YS11墜落事故50年 |access-date=17 May 2023 |publisher=[[愛媛新聞]]}}</ref>。 * [[1969年]] - [[東京都営地下鉄]][[泉岳寺駅]]、[[営団地下鉄]][[銀座駅]]で学生が[[火炎瓶]]を投擲する[[テロ]]が発生。通行人や乗客16人が火傷などで重軽傷<ref>学生ゲリラ 火炎ビン市民を巻添え『朝日新聞』1969年(昭和44年)11月14日朝刊 12版 15面</ref>。 * [[1973年]] - ソ連に亡命していた女優・[[岡田嘉子]]が34年ぶりに日本に帰国。 * [[1974年]] - 不可解な[[放射能汚染]]を受けていた[[カレン・シルクウッド]]が[[オクラホマ州]]で謎の事故死。 * 1974年 - [[ロナルド・デフェオ・ジュニア]]が、[[ニューヨーク州]]アミティヴィルの自宅([[オーシャン・アベニュー112番地]])で両親と4人の弟妹全員を射殺(『[[悪魔の棲む家]]』のモデルとなった「デフェオ一家殺害事件」)。 * [[1981年]] - [[沖縄本島]]の[[与那覇岳]]で日本において約100年ぶりに新種の鳥が発見され、「[[ヤンバルクイナ]]」と命名される。 * [[1982年]] - [[ワシントンD.C.]]に[[ベトナム戦争戦没者慰霊碑]]が完成。 * [[1983年]] - [[ミスターシービー]]が[[菊花賞]]で勝利し、[[シンザン]]以来19年ぶり、日本競馬史上3頭目の[[三冠 (競馬)|三冠馬]]となる。 * [[1985年]] - [[南アメリカ|南米]][[コロンビア]]の[[ネバドデルルイス火山]]が[[噴火]]。[[ラハール|火山泥流]]で死者2万5千人。[[オマイラ・サンチェス]]の悲劇が世界に衝撃を与えた。 * [[1989年]] - 島根医科大学(現:[[島根大学]]医学部)にて日本で初めて生体肝移植がおこなわれる。執刀は永末直文医師。 * [[1990年]] - [[新潟少女監禁事件]]: [[新潟県]][[三条市]]で[[三条市立西鱈田小学校|市立西鱈田小学校]]4年生の女児(当時9歳)が下校途中に[[行方不明]]になり、[[新潟県警察]]により[[失踪事件]]として捜査が行われる<ref>『[[毎日新聞]]』1990年11月15日東京朝刊第14版第一社会面31頁「新潟・三条 小4女児が丸1日行方不明」([[毎日新聞東京本社]]) - [[新聞縮刷版|縮刷版]]603頁。</ref>。この少女は9年2か月後の[[2000年]][[1月28日]]に同県[[柏崎市]]の民家で保護されるまで(当時19歳)、この民家の住人である男によって[[誘拐]]・[[監禁]]されていたことが後に判明する<ref>『[[朝日新聞]]』2000年2月12日東京朝刊第一総合面1頁「37歳無職の男を逮捕 未成年者略取などの容疑 新潟女性監禁事件」([[朝日新聞東京本社]])</ref>。 * [[1991年]] - [[宮沢りえ]]の[[ヌード]][[写真集]]『[[Santa Fe]]』が発売。150万部のベストセラーに。 * [[1997年]] - [[北陸自動車道]]が計画路線延伸後の全線開通。 * [[2001年]] - [[アフガニスタン]]の首都[[カーブル]]が[[北部同盟]]により制圧。[[ターリバーン]]政権が事実上崩壊。 * [[2002年]] - [[イラク武装解除問題]]: [[イラク]]が[[国際連合安全保障理事会決議1441|国連安保理決議1441]]を受託。 * [[2004年]] - [[大牟田4人殺害事件]]の犯人の1人である男([[2011年]]に[[日本における死刑|死刑]][[確定判決|確定]])が取り調べを受けていた[[福岡地方検察庁]]久留米支部の仮庁舎([[福岡県]][[久留米市]])から[[脱獄|逃走]]、約3時間後に[[熊本県]][[荒尾市]]で身柄を確保される事件が発生<ref>『西日本新聞』2004年11月14日朝刊第19版一面1頁「大牟田4人殺害 K3容疑者が一時逃走 地検で警官監視中 久留米から熊本・荒尾へ 3時間後に確保 タクシー乗り込む」(西日本新聞社)</ref>。 * [[2008年]] - 史上初の直接撮影された[[太陽系外惑星]]である[[フォーマルハウトb]]、[[HR 8799 b]]、[[HR 8799 c]]、[[HR 8799 d]]の発見が発表される。 * [[2009年]] - [[バラク・オバマ]]米大統領が日本を初訪問。[[鳩山由紀夫]]首相との日米首脳会議を行う。 * [[2015年]] - [[パリ同時多発テロ事件]]が発生、120人以上が死亡<ref>{{Cite web|和書 |title=パリ同時テロ、120人死亡 劇場など銃撃・爆発 - 日本経済新聞 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM14H2A_U5A111C1MM0000/ |access-date=17 May 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=14 Nov 2015}}</ref>。 * [[2019年]] - 香港のデモで、香港中文大など複数の大学がデモ激化のため授業の停止を発表。香港政府も、香港全域の小中学校や幼稚園などを14日は休校とすると発表。抗議活動が本格的に始まった同年6月以降、全校休校は初めて<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.bbc.com/japanese/50414421 |title=香港、デモ激化で教育機関を休校へ 大学構内で衝突も |access-date=12 Aug 2023 |publisher=[[BBC]] NEWS JAPAN |date=14 Nov 2019}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://lee.hpplus.jp/column/2512808/area04/ |title=香港民主化を望んだ学生たちと警察の息詰まる攻防の内側。『理大囲城』の匿名映像チームインタビュー |access-date=12 Aug 2023 |publisher=[[集英社]] |date=27 Dec 2022 |website=LEE}}</ref>。 * [[2021年]] - 将棋の[[藤井聡太]]三冠(王位、叡王、棋聖)が、[[豊島将之]]竜王に挑戦した[[第34期竜王戦|第34期竜王戦七番勝負]]で4連勝を飾り、竜王のタイトルを獲得。19歳3か月で、史上最年少四冠を達成した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20211113-OYT1T50161/ |title=藤井聡太三冠、4連勝で竜王獲得…史上最年少で四冠達成 |access-date=12 Aug 2023 |publisher=[[讀賣新聞]]オンライン |date=13 Nov 2021}}</ref>。 * [[2022年]] - [[ダラス航空ショー空中衝突事故]]が発生、乗員6人全員死亡<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2022111300156&g=int |title=航空ショーで空中衝突、2機墜落 第2次大戦時の軍用機―米テキサス州 |access-date=17 May 2023 |publisher=[[時事通信社]] |date=13 Nov 2022}}</ref>。 == 誕生日 == [[File:Sandro Botticelli 050.jpg|thumb|277x277px|[[キリスト教]][[教父]]、[[アウグスティヌス]](354-430)誕生]] [[File:EdwardIII-Cassell.jpg|thumb|199x199px|[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]](1312-1377)誕生。[[ガーター騎士団]]を創立した]] {{multiple image | footer = [[イギリス]]の[[小説家]]、[[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]](1850-1894)誕生。『[[宝島]]』(1883)、『[[ジキル博士とハイド氏]]』(1886)の作者 | image1 = Robert Louis Stevenson Knox Series.jpg | width1 = 94 | alt1 = スティーヴンソン | image2 = Treasure Island-Scribner's-1911.jpg | width2 = 86 | alt2 = 宝島 }} [[File:Nobusuke Kishi.jpg|thumb|232x232px|第56・57代[[内閣総理大臣]]、[[岸信介]](1896-1987)誕生]] {{multiple image | image1 = Whoopi Comic Relief cropped.jpg | width1 = 97 | caption1 = [[アメリカ合衆国]]の[[俳優|女優]]、[[ウーピー・ゴールドバーグ]](1955-)誕生 | alt1 = ゴールドバーグ | image2 = Gerard Butler (Berlin Film Festival 2011).jpg | width2 = 83 | caption2 = [[イギリス]]の[[俳優]]、[[ジェラルド・バトラー]](1969-)誕生 | alt2 = バトラー }} {{multiple image | image1 = Hiroshi Tanahashi 2016.jpg | width1 = 85 | caption1 = [[プロレスラー]]、[[棚橋弘至]](1976-)誕生 | alt1 = 棚橋弘至 | image2 = Kumi Koda Con 2005.jpg | width2 = 95 | caption2 = [[歌手]]、[[倖田來未]](1982-)誕生 | alt2 = 倖田來未 }} * [[354年]] - [[アウグスティヌス]]<ref>{{Cite web |title=St. Augustine|Christian bishop and theologian |url=https://www.britannica.com/biography/Saint-Augustine |access-date=17 May 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、キリスト教の聖人(+ [[430年]]) * [[1312年]] - [[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Edward-III-king-of-England |title=Edward III|king of England |access-date=17 May 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[イングランド王国|イングランド]]王(+ [[1377年]]) * [[1760年]]([[乾隆]]25年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]) - [[嘉慶帝]]、清朝第7代[[皇帝]](+ [[1820年]]) * [[1767年]] - [[ベルンハルト・ロンベルク]]、[[チェリスト]]、[[作曲家]](+ [[1841年]]) * [[1850年]] - [[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]、[[小説家]](+ [[1894年]]) * [[1861年]] - [[武内桂舟]]、[[挿絵]][[画家]](+ [[1942年]]) * [[1866年]] - [[エイブラハム・フレクスナー]]、化学者、 [[教育学|教育家]] (+ [[1959年]]) * [[1874年]] - [[マルグリット・ロン]]、[[ピアニスト]](+ [[1966年]]) * [[1880年]] - [[布施辰治]]、[[弁護士]]、社会運動家(+ [[1953年]]) * 1880年 - [[野村芳亭]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](+ [[1934年]]) * [[1886年]] - [[太田正孝]]、[[政治家]](+ [[1982年]]) * [[1893年]] - [[望月春江]]、画家(+[[1979年]]) * [[1896年]] - [[岸信介]]、政治家、第56・57代[[内閣総理大臣]](+ [[1987年]]) * [[1899年]] - [[水野成夫]]、[[実業家]]、元[[経済団体連合会|経団連]]理事(+ [[1972年]]) * [[1906年]] - [[久保喬]]、[[児童文学作家]](+ [[1998年]]) * 1906年 - [[滝沢修]]、[[俳優]]、[[演出家]](+ [[2000年]]) * [[1907年]] - [[ソラーシュ・ラースロー]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1980年]]) * [[1912年]] - [[久美京子]]、女優、宝塚歌劇団20期生(+[[1980年]]) * [[1913年]] - [[ロン・ノル]]、政治家(+ [[1985年]]) * [[1914年]] - [[三淵嘉子]]、裁判官、弁護士(+[[1984年]]) * [[1921年]] - [[三輪八郎]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1944年]]) * [[1922年]] - [[オスカー・ウェルナー]]、俳優(+ [[1984年]]) * 1922年 - [[エディ・ラダ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ 没年不明) * 1922年 - [[馬渕健一]]、[[実業家]]、[[マブチモーター]]創業者(+ [[2005年]]) * [[1924年]] - [[木村資生]]、集団[[遺伝学]]者(+ [[1994年]]) * [[1925年]] - [[鳥飼欣一]]、物理学者(+[[2006年]]) * [[1929年]] - [[朝潮太郎 (3代)]]、[[大相撲]]第46代[[横綱]](+ [[1988年]]) * [[1931年]] - [[坂本由英]]、俳優(+[[1998年]]) * [[1932年]] - [[伊藤幸子 (女優)|伊藤幸子]]、女優、声優 * [[1935年]] - [[有町昌昭]]、元プロ野球選手 * [[1936年]] - [[中村胤夫]]、実業家、元[[三越]]社長 * [[1938年]] - [[ジーン・セバーグ]]、[[俳優|女優]](+ [[1979年]]) * [[1939年]] - [[ウェス・パーカー]]、元プロ野球選手 * 1939年 - [[カレル・ブリュックナー]]、元サッカー選手、[[監督]] * [[1940年]] - [[ソール・クリプキ]]、哲学者(+ [[2022年]]) * [[1942年]] - [[江藤漢斉]]、俳優 * [[1944年]] - [[大口昭彦]]、弁護士 * [[1945年]] - [[下村栄二]]、元プロ野球選手 * 1945年 - [[長谷見昌弘]]、[[レーシングドライバー]] * [[1946年]] - [[大原麗子]]、女優(+ [[2009年]]) * 1946年 - [[由紀さおり]]、[[歌手]] * 1949年 - [[鳴瀬喜博]]、[[ベーシスト]]([[カシオペア (バンド)|カシオペア]]) * [[1951年]] - [[伊勢正三]]、歌手 * 1951年 - [[ジョン・海山・ネプチューン]]、尺八奏者、作曲家 * 1951年 - [[ラリー・ハーロー]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[野村将希]]、俳優 * 1952年 - [[吉田潤一]]、化学者(+[[2019年]]) * [[1953年]] - [[チャールズ・ティックナー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1954年]] - [[松永真理]]、[[編集者]]、[[iモード]]の生みの親 * [[1955年]] - [[ウーピー・ゴールドバーグ]]、女優 * 1955年 - [[内田周作]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[クリストフ・コッホ]]、[[神経科学者]] * [[1957年]] - [[櫻井哲夫]]、ベーシスト(元カシオペア) * [[1960年]] - [[清水和音]]、ピアニスト * [[1961年]] - [[長谷川雄啓]]、[[ラジオパーソナリティ]]、音楽ライター * [[1962年]] - [[本田雅人]]、[[ミュージシャン]]、[[サクソフォーン|サックス]]奏者(元[[T-SQUARE]]) * 1962年 - [[山本文緒]]、[[作家]](+ [[2021年]]) * [[1963年]] - [[眠田直]]、[[漫画家]]、作家 * 1963年 - [[斉藤絵里]]、女優 * [[1965年]] - [[小野和義]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[安蒜豊三]]、アナウンサー * 1965年 - [[たまさぶろ]]、[[随筆家]]、[[バー (酒場)|バー]][[評論家]] * [[1966年]] - [[見栄晴]]、[[タレント]] * [[1967年]] - [[山本かおる]]、[[フリーアナウンサー]] * 1967年 - [[植松恵美子]]、政治家 * 1967年 - [[ジミー・キンメル]]、[[司会者]]、[[コメディアン]] * [[1968年]] - [[野口薫]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1968年 - [[高木稟]]、俳優 * 1968年 - [[パット・ヘントゲン]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[奥野僚右]]、元[[プロサッカー選手]]、サッカー指導者 * [[1969年]] - [[高橋恭市]]、政治家 * 1969年 - [[伊藤渉]]、政治家 * 1969年 - [[ジェラルド・バトラー]]、俳優 * 1969年 - [[浅野まゆみ]]、[[声優]] * 1969年 - [[リゴ・ベルトラン]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[中橋かおり]]、元アナウンサー * [[1971年]] - [[豊島圭介]]、映画監督 * [[1972年]] - [[ガンビーノ小林]]、[[お笑いタレント|お笑い芸人]] * 1972年 - [[木村拓哉]]、歌手、俳優、タレント(元[[SMAP]]) * 1972年 - [[小島弘章]]、お笑い芸人([[オーケイ]]) * 1972年 - [[正津英志]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[サマンサ・ライリー]]、水泳選手 * [[1975年]] - [[小山恵生]]、元ラグビー選手 * 1975年 - [[三須亜希子]]、アナウンサー * 1975年 - [[マリア・ペトロバ]]、元[[新体操]]選手 * 1975年 - [[ジョアキン・シルヴァ|キム]]、サッカー選手 * [[1976年]] - [[棚橋弘至]]、[[プロレスラー]] * 1976年 - [[平田忠則]]、[[競艇選手]] * 1976年 - [[眞島秀和]]、俳優 * 1976年 - [[佐々木成三]]、犯罪コメンテーター、元警察官 * [[1977年]] - [[黄暁明]]、俳優 * [[1978年]] - [[許瑋倫]]、女優(+ [[2007年]]) * 1978年 - 山本貴之、お笑い芸人([[すずらん (お笑い)|すずらん]]) * 1978年 - [[申雪]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1979年]] - [[大西ライオン]]、お笑い芸人 * 1979年 - [[KICK☆|キック]]、お笑い芸人 * 1979年 - [[佐藤麻衣]]、タレント * 1979年 - [[ジェラルド・レアード]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[松永智充]]、[[プロレスラー]] * 1980年 - [[木下菜穂子]]、俳優、声優 * [[1981年]] - [[吉川輝昭]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[髙谷裕亮]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[倖田來未]]、歌手 * 1982年 - [[清塚信也]]、[[ピアニスト]] * 1982年 - [[石井雅登]]、俳優、歌手 * 1982年 - [[ネルソン・パヤノ]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[稲葉雅人 (プロレスラー)|稲葉雅人]]、プロレスラー * [[1984年]] - 橋本小雪、お笑い芸人([[日本エレキテル連合]]) * 1984年 - [[ルーカス・バリオス]]、サッカー選手 * 1984年 - [[樋口智透]]、声優 * 1984年 - マナミ、シンガーソングライター([[Play.Goose]]) * [[1985年]] - [[アズドルバル・カブレラ]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[木尾陽平]]、お笑い芸人(元[[シンクロック]]) * 1985年 - [[佐藤広大]]、歌手、[[ラジオパーソナリティ]] * [[1986年]] - [[原田大輔]]、元[[プロレスラー]] * 1986年 - [[横山悠衣]]、元バスケットボール選手 * 1986年 - [[戸塚祥太]]、タレント、俳優([[A.B.C-Z]]) * 1986年 - [[川崎真央]]、元女優 * 1986年 - [[斉藤佑圭]]、声優 * 1986年 - ムン・チェウォン、女優 * [[1987年]] - [[ティファニー・ポーター]]、陸上競技選手 * 1987年 - [[ダナ・ボルマー]]、競泳選手 * 1987年 - [[松嶋初音]]、タレント、元[[グラビアアイドル]] * 1987年 - [[西島尊大]]、[[音楽作家]] * [[1988年]] - [[豊田大樹]]、ラグビー選手 * [[1989年]] - [[三澤樹知]]、新体操選手 * [[1990年]] - [[玉木璃子]]、女優、グラビアモデル * 1990年 - [[アローディス・ビスカイーノ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[クリス・デベンスキー]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[登里享平]]、サッカー選手 * 1990年 - [[佐々木寛文]]、陸上選手 * [[1991年]] - [[秋乃みずき]]、グラビアアイドル * 1991年 - [[マット・ベネット]]、俳優 * 1991年 - [[中村ナツ子]]、女優、ラジオパーソナリティー * 1991年 - [[ローガン・ウェイド]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[米村美咲]]、[[ファッションモデル]]、女優 * 1992年 - [[井口ゆい|有末ゆい]]<ref>{{Cite web|和書 |url=http://ameblo.jp/aslight-as/ |title=みんにゃ(Profile) |work=「てけてけゆいたん★」 |accessdate=17 May 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110413174337/http://ameblo.jp/aslight-as/ |archivedate=13 Apr 2011 |date=11 Apr 2011 |website=井口ゆいオフィシャルブログ}}</ref>、元グラビアアイドル * [[1993年]] - [[華優希]]、女優 * 1993年 - [[服部勇馬]]、陸上競技選手 * [[1995年]] - [[肘井竜蔵]]、元プロ野球選手 * [[1996年]] - [[真野しずく]]、グラビアアイドル * 1996年 - [[東李苑]]、タレント、元[[アイドル]](元[[SKE48]]) * [[1997年]] - 岡田美紅、[[YouTuber]]、元アイドル(元SKE48) * 1997年 - [[船橋勇真]]、サッカー選手 * 1997年 - [[河村一輝]]、陸上選手 * 1997年 - [[中村福之助 (3代目)]]、歌舞伎役者 * [[1999年]] - [[林琴奈]]、[[バレーボール]]選手 * 1999年 - [[髙橋明日香]]、バドミントン選手 * [[2000年]] - [[24kGoldn]]、[[ラッパー]] * [[2001年]] - 太陽、アイドル([[ライスボール (アイドル)|ライスボール]]) * [[2003年]] - MAYUKA、アイドル([[NiziU]]) * [[2004年]] - [[安西叶翔]]、プロ野球選手 * 生年不明 - [[内野明音]]、声優 * 生年不明 - [[高橋裕吾]]、声優 * 生年不明 - [[田尻ひろゆき]]、声優 * 生年不明 - チョン・ジェミン、アイドル([[KOKOON]]) * 生年不明 - [[天原]]、漫画家 * 生年不明 - [[花妃舞音]]、女優 == 忌日 == [[File:Malcum Camnoir.jpg|thumb|245x245px|[[スコットランド王国|スコットランド王]][[マルカム3世 (スコットランド王)|マルカム3世]](左)(1031-1093)戦死]] [[File: Tenkai.jpg |thumb|428x428px|[[天台宗]]中興の祖[[天海]](1536-1643)示寂。(諡号は慈眼大師)]] {{multiple image | image1 = ToyodaShiro.jpg | width1 = 180 | caption1 = 文芸映画の巨匠、[[豊田四郎]](1906-1977)没 | alt1 = 豊田四郎 }} {{multiple image | image1 = Shiso Kanaguri 1924.jpg | width1 = 90 | caption1 = [[マラソン]]選手、[[金栗四三]](1891-1983)没 | alt1 = 金栗四三 | image2 = Eddie WrestlemaniaRevenge.JPG | width2 = 90 | caption2 = “ラティーノ・ヒート”[[エディ・ゲレロ]](1967-2005)急死 | alt2 = ゲレロ }} * [[790年]]([[延暦]]9年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]) - [[佐伯今毛人]]、[[奈良時代]]の貴族(* [[719年]]) * [[923年]]([[延長 (元号)|延長]]元年[[9月27日 (旧暦)|9月27日]])- [[平貞文]]、[[歌人]](* [[872年]]?) * [[1093年]] - [[マルカム3世 (スコットランド王)|マルカム3世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* [[1031年]]) * [[1143年]] - [[フールク・ダンジュー]]、[[エルサレム王国|エルサレム王]](* [[1089年]]または[[1092年]]) * [[1314年]] - [[アルブレヒト2世 (マイセン辺境伯)|アルブレヒト2世]]、[[マイセン辺境伯]](* [[1240年]]) * [[1359年]] - [[イヴァン2世]]、[[モスクワ大公国|モスクワ大公]](* [[1326年]]) * [[1460年]] - [[エンリケ航海王子]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の王族(* [[1394年]]) * [[1619年]] - [[ルドヴィコ・カラッチ]]、[[画家]]、[[版画家]](* [[1555年]]) * [[1643年]]([[寛永]]20年[[10月2日]])- [[天海]]<ref>{{Kotobank|天海}}</ref>、[[天台宗]]の[[僧]](* [[1536年]]) * [[1647年]]([[正保]]4年[[10月17日 (旧暦)|10月17日]])- [[酒井忠勝 (出羽国庄内藩主)|酒井忠勝]]、[[庄内藩|庄内藩主]](* [[1594年]]) * [[1713年]]([[正徳 (日本)|正徳]]3年[[9月26日 (旧暦)|9月26日]])- [[荻原重秀]]、[[江戸幕府]][[勘定奉行]](* [[1658年]]) * [[1770年]] - [[ジョージ・グレンヴィル]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1712年]]) * [[1779年]] - [[トーマス・チッペンデール]]、[[家具]]職人、[[デザイナー]](* [[1718年]]) * [[1868年]] - [[ジョアキーノ・ロッシーニ]]、[[作曲家]](* [[1792年]]) * 1868年 - [[デイヴィッド・トッド (政治家)|デイヴィッド・トッド]]、第25代[[オハイオ州知事]](* [[1805年]]) * [[1903年]] - [[カミーユ・ピサロ]]、[[画家]](* [[1830年]]) * [[1910年]] - [[小林富次郎]]、[[実業家]]、[[ライオン (企業)|ライオン]]創業者(* [[1852年]]) * [[1928年]] - [[エンリコ・チェケッティ]]、[[バレエ]]ダンサー、[[教育者]](* [[1850年]]) * [[1943年]] - [[モーリス・ドニ]]、画家(* [[1870年]]) * [[1951年]] - [[ニコライ・メトネル]]、作曲家、[[ピアニスト]](* [[1880年]]) * [[1954年]] - [[ジャック・ファット]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1912年]]) * [[1958年]] - [[中川紫郎]]、[[映画監督]](* [[1892年]]) * [[1962年]] - [[木村時子]]、[[歌手]]、女優、[[声優]](* [[1896年]]) * [[1967年]] - [[ハリエット・コーエン]]、ピアニスト(* [[1895年]]) * [[1968年]] - [[銭村健一郎]]、[[野球選手]](* [[1900年]]) * [[1972年]] - [[築地俊龍]]、野球選手(* [[1904年]]) * [[1973年]] - [[エルザ・スキャパレッリ]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1890年]]) * 1973年 - [[サトウハチロー]]、[[詩人]](* [[1903年]]) * 1973年 - [[ブルーノ・マデルナ]]、作曲家、[[指揮者]](* [[1920年]]) * [[1974年]] - [[ヴィットリオ・デ・シーカ]]、[[映画監督]](* [[1901年]]) * [[1975年]] - [[ロバート・C・シェリフ]]、[[劇作家]]、[[脚本家]]、[[小説家]](* [[1896年]]) * [[1976年]] - [[上田穣]]、[[天文学者]](* [[1892年]]) * [[1977年]] - [[豊田四郎]]、映画監督(* [[1906年]]) * [[1983年]] - [[金栗四三]]<ref>{{Cite web|和書 |title=金栗四三さんの足跡 |url=https://www.city.tamana.lg.jp/q/aview/112/2193.html##ashiato |access-date=17 May 2023 |publisher=[[玉名市]] |date=23 Jan 2021}}</ref>、[[マラソン]]選手、[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]創始者(* [[1891年]]) * [[1988年]] - [[アンタル・ドラティ]]、指揮者(* [[1906年]]) * [[1990年]] - [[ボビー・マルカーノ]]、元[[プロ野球選手]](* [[1951年]]) * [[1992年]] - [[モーリス・オアナ]]、作曲家(* [[1913年]]) * [[1993年]] - [[タチアナ・ニコラーエワ]]、[[ピアニスト]](* [[1924年]]) * [[1994年]] - [[木村資生]]、[[遺伝学|遺伝学者]](* 1924年) * 1994年 - [[ウラジーミル・イワシコ]]、[[ソビエト連邦共産党]]副書記長(* [[1932年]]) * [[1997年]] - [[江戸英雄]]、実業家(* [[1903年]]) * 1997年 - [[アンドレ・ブクレシュリエフ]]、作曲家(* [[1925年]]) * [[1998年]] - [[レッド・ホルツマン]]、[[バスケットボール]]選手(* [[1920年]]) * 1998年 - [[貝塚爽平]]<ref>{{Kotobank|貝塚爽平}}</ref>、地形学者(* [[1926年]]) * [[2002年]] - [[小山正孝]]、[[詩人]]、(* [[1916年]]) * [[2003年]] - [[富田朝彦]]、[[宮内庁]]長官(* [[1920年]]) * 2003年 - [[中園康夫]]、[[社会福祉|社会福祉学者]](* [[1928年]]) * [[2004年]] - [[カルロ・ルスティケッリ]]、映画音楽作曲家(* [[1916年]]) * 2004年 - [[オール・ダーティー・バスタード]]、[[ヒップホップ]][[ミュージシャン]](* [[1968年]]) * [[2005年]] - [[エディ・ゲレロ]]、[[プロレスラー]](* [[1967年]]) * 2005年 - [[ショパン猪狩]]、[[お笑いタレント]](東京コミックショウ)(* [[1917年]]) * [[2006年]] - [[西村進一]]、プロ野球選手(* [[1919年]]) * [[2007年]] - [[稲尾和久]]、元プロ野球選手、元[[プロ野球監督]](* [[1937年]]) * 2007年 - [[ロバート・テイラー (陸上選手)|ロバート・テイラー]]、[[陸上競技]]選手(* [[1948年]]) * [[2008年]] - [[マルチェロ・フォンダート]]、[[脚本家]]、映画監督(* [[1924年]]) * 2008年 - [[佐藤栄太郎]]、教育者、学校法人[[佐藤栄学園]]創設者(* [[1928年]]) * [[2009年]] - [[田英夫]]、政治家、[[ニュースキャスター]](* [[1923年]]) * [[2013年]] - [[相生千恵子]]、女優、声優(* [[1934年]]) * [[2014年]] - [[アレクサンドル・グロタンディーク]]、[[数学者]](* [[1928年]]) * [[2016年]] - [[レオン・ラッセル]]、[[シンガーソングライター]]、[[ミュージシャン]](* [[1942年]]) * [[2018年]] - [[成田賢]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201811130000367.html |title=009「誰がために」の成田賢さん肺炎死去 73歳 |access-date=17 May 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=13 Nov 2018}}</ref>、シンガーソングライター、歌手(* [[1945年]]) * 2018年 - [[片山広明]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://chitei-records.jp/blog/article/%e6%9c%ac%e6%97%a5%e3%83%86%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%81%ae%e7%89%87%e5%b1%b1%e5%ba%83%e6%98%8e%e3%81%8c%e4%ba%a1%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8a%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%82%e3%81%94%e5%86%a5%e7%a6%8f.html|title=本日テナーの片山広明が亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。|publisher=地底レコード|date=13 Nov 2018|accessdate=17 May 2023}}</ref>、[[サクソフォーン|サックス]]奏者、ミュージシャン(* [[1951年]]) * [[2019年]] - [[滝口幸広]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.oricon.co.jp/news/2148784/full/ |title= 俳優・滝口幸広さん死去 34歳 共演者“仲間”たちが続々追悼「早すぎるって」 |publisher=[[ORICON NEWS]]|date=15 Nov 2019|accessdate=17 May 2023}}</ref>、[[俳優]](* [[1985年]]) * [[2020年]] - [[窪寺昭]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2176761/full/|title=俳優・窪寺昭さん死去 43歳 事務所「現実を受け止めることすらできない」|publisher=[[ORICON NEWS]]|date=14 Nov 2020|accessdate=17 May 2023}}</ref>、俳優(* [[1977年]]) == 記念日・年中行事 == * 空也忌({{JPN}}) *:この日、平安中期の僧[[空也|空也上人]]が、東国教化のため出寺した。「寺を出る日を以て忌日とせよ」といい残して東国に向かったことからこの日が忌日とされている。[[醍醐天皇]]の第5皇子とも伝えられる空也上人は、諸国を巡り常に市井にあって諸人に念仏をすすめ市聖・阿弥陀聖などと呼ばれた。現在、京都の空也堂では、毎年11月の第2日曜日に、開山忌(空也忌)の法要が営まれている<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ja.kyoto.travel/tourism/single02.php?category_id=9&tourism_id=166 |title=空也堂 |access-date=23 Jul 2023 |publisher=Kyoto City Tourism Association |website=京都観光Navi}}</ref>。 * [[漆|うるし]]の日({{JPN}}) *:[[平安時代]]に[[文徳天皇]]の第一皇子・[[惟喬親王]]が[[京都]]の[[法輪寺 (京都市西京区)|法輪寺]]に参詣した時に「うるしの製法」や「[[漆器]]の製法」を[[虚空蔵菩薩]]から伝授されたという伝説から、その満願の日である11月13日を「うるしの日」に制定した<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/142534 |title=きょうは何の日 11月13日 |access-date=17 May 2023 |publisher=[[東京新聞]] |date=13 Nov 2021}}</ref>。 * 茨城県民の日({{JPN}} {{flag|茨城県}}) *:[[1871年]][[12月24日]]([[明治]]4年[[11月13日 (旧暦)|旧暦11月13日]])、[[廃藩置県]]によって「茨城県」の名称が初めて使われたことにちなみ、茨城県が[[1968年]]に制定<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/kenminnohi/h30kenmin/h30kenmin-day.html |title=11月13日は茨城県民の日 |access-date=17 May 2023 |publisher=[[茨城県]] |date=28 Oct 2022}}</ref>。 * [[チーかま]]の日({{JPN}}) *:かまぼこを基調にチーズを混ぜ合わせた「チーかま」を、多くの人に味わってもらおうと製造者の[[丸善 (食品メーカー)|丸善]]が制定。日付けは[[11月11日]]がチーズの日、[[11月15日]]がかまぼこの日と言われていることから、その中間の11月13日にした<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=207|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * いいひざの日({{JPN}}) *:[[ゼリア新薬工業|ゼリア新薬工業株式会社]]がひざ関節痛の治療や予防を広く呼びかけるために制定。日付けは11と13で、「いいひざ」と読む語呂合わせから<ref name=nov13>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=208|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * 消費者が作ったシャンプー記念日({{JPN}}) *:自分たちの髪の悩みから、消費者にしかできない商品(シャンプー)作りに取り組む[[熊本市]]にある株式会社ネイチャー生活倶楽部が制定。日付けは11と13で、「いいかみ(髪)」と読む語呂合わせから<ref name=nov13/>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1113|date=2023年5月}} * [[宇宙世紀]]0083年 - [[デラーズ・フリート]]が[[スペースコロニー]]を北米大陸に落下させる。これをもって「星の屑作戦」が完了。(アニメ『[[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY]]』) * [[2047年]] - 「鬼」の世界でレウウィス大公により人間農園を廃止、ムジカ女王即位。全食用児が解放され人間の世界へ渡る。(漫画『[[約束のネバーランド]]』)<ref name="TPNl">{{Cite book|和書|author1=白井カイウ|authorlink1=白井カイウ|author2=出水ぽすか|authorlink2=出水ぽすか|year=2020 |title=シークレットバイブル 約束のネバーランド 0 MYSTIC CODE |publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|page=238|isbn=978-4-08-882462-8}}</ref> === 誕生日(フィクション) === * [[1905年]] - ロベリア・カルリーニ、ゲーム・アニメ『[[サクラ大戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://sakura-taisen.com/archives/game/3ps2/chara_roberia.html |title=ロベリア・カルリーニ |accessdate=17 May 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]]|work=『サクラ大戦3~巴里は燃えているか』}}</ref> * 生年不明 - 美山椿芽、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』のエピソード1の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/tsubame.html |title=美山 椿芽 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=17 May 2023}}</ref> * 生年不明 - 田村崎緑、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[海賊 (ONE PIECE)|キングデュー]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/kingdew.html |title=キングデュー |work=『ONE PIECE』 |accessdate= 17 May 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 東仙要、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.j-bleach.com/chara/03/tosen.html |title=東仙 要 |access-date= 17 May 2023 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=『BLEACH』}}</ref><ref>{{Cite book |和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|date=2006-02-03|title=BLEACH―ブリーチ― OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|page=159|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088740799}}</ref> * 生年不明 - 磯貝悠馬、漫画・アニメ『[[暗殺教室]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ansatsu_k|1591445716240453632}}</ref> * 生年不明 - 内田孝昭、漫画・アニメ『[[SKET DANCE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 杉崎綾乃、漫画・アニメ『SKET DANCE』に登場するキャラクター * 生年不明 - 毛原長昌、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://heroaca.com/character/chara_group09/09-04/ |title=毛原長昌 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |accessdate= 17 May 2023 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - 御幣島すばる、漫画・アニメ『[[双星の陰陽師]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - イゴール・ネイガウス、漫画・アニメ『[[青の祓魔師]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aoex_official|1326902690769727490}}</ref> * 生年不明 - 七海麻美、漫画・アニメ『[[彼女、お借りします]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|miyajimareiji|1591577833637380096}}</ref> * 生年不明 - スレイマン、漫画・アニメ『[[将国のアルタイル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://project-altair.com/special/04_twitter.html |title=11/13 スレイマン バースデー壁紙&SNS用アイコンプレゼント |access-date=17 May 2023 |publisher=[[カトウコトノ]]・[[講談社]]/将国のアルタイル製作委員会 |work=『将国のアルタイル』}}</ref> * 生年不明 - 黒木泰則、漫画・アニメ・ドラマ『[[のだめカンタービレ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|Nodame_Official|1591445965029998592}}</ref> * 生年不明 - 折原梢、漫画・アニメ『[[カオスヘッド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kagakuadv|797760239072256000}}</ref> * 生年不明 - 沖浦清花、漫画・アニメ『[[こばと。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 大庭月夜、漫画・アニメ『[[スケッチブック (漫画)|スケッチブック]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 竹井久、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=小林立|authorlink=小林立|date=2010-01-29|title=咲 Saki ラブじゃん♥ マホちゃんの必殺技完成!(Guide Book)|page=44|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|isbn=978-4757526341}}</ref> * 生年不明 - 虹野美晴、漫画・アニメ『[[こみっくがーるず]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ザギヴ・ディンガル、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - マーク・クルーガー、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/2/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=2 |accessdate= 17 May 2023 }}</ref> * 生年不明 - サイス、ゲーム『[[ファイナルファンタジー零式]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jp.square-enix.com/ff_reishiki/sp/character/sice.html |title=サイス |access-date= 17 May 2023 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『FINAL FANTASY零式HD』}}</ref> * 生年不明 - 岸部彩華、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20045 |title=岸部 彩華(きしべ あやか) |access-date= 17 May 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - れっぱにょ、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.showbyrock.com/character/LB033.html |title=ゼロティックホリック れっぱにょ(Key) |access-date= 17 May 2023 |publisher=[[サンリオ|SANRIO CO.,LTD.]] SP-M|work=『SHOW BY ROCK!!』}}</ref> * 生年不明 - [[ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル#天王寺璃奈|天王寺璃奈]]、ゲーム『[[ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://lovelive-as.bushimo.jp/member/rina/ |title=天王寺 璃奈 |work=『ラブライブ! School Idol Festival ALL STARS』 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] [[ブシロード|bushiroad]] |accessdate=17 May 2023}}</ref> * 生年不明 - 桃川紗々、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/sasa.html |title=桃川 紗々 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=17 May 2023}}</ref> * 生年不明 - テイリー、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-2769 |title=テイリー |publisher=Vespa Inc. |work=『キングスレイド』 |accessdate=17 May 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=2769 |archivedate=1 Nov 2021}}</ref> * 生年不明 - 直江太結、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/naoe |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title=直江 太結 |accessdate= 17 May 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref> * 生年不明 - 花山栄美、ゲーム・アニメ『八月のシンデレラナイン』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hachinai.com/character/hanayama |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title= 花山 栄美 |accessdate= 17 May 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref> * 生年不明 - 結城心、ゲーム・アニメ『[[フットサルボーイズ!!!!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|futsal_boys|1459174154045853696}}</ref> === 忌日(フィクション) === * [[2047年]] - イザベラ、漫画・アニメ『[[約束のネバーランド]]』に登場するキャラクター(アニメ版では生存)(* [[2014年]])<ref name="TPNl" /> * 2047年 - ピーター・ラートリー、漫画・アニメ『約束のネバーランド』に登場するキャラクター(* [[2016年]])<ref name="TPNl" /> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|13 November}} {{新暦365日|11|12|11|14|[[10月13日]]|[[12月13日]]|[[11月13日 (旧暦)|11月13日]]|1113|11|13}} {{1年の月と日}}
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11月14日
11月14日(じゅういちがつじゅうよっか、じゅういちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から318日目(閏年では319日目)にあたり、年末まであと47日ある。
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11月14日(じゅういちがつじゅうよっか、じゅういちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から318日目(閏年では319日目)にあたり、年末まであと47日ある。
{{カレンダー 11月}} '''11月14日'''(じゅういちがつじゅうよっか、じゅういちがつじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から318日目([[閏年]]では319日目)にあたり、年末まであと47日ある。 == できごと == * [[1305年]] - [[クレメンス5世 (ローマ教皇)|クレメンス5世]]が[[フランス]]の[[リヨン]]にあるサン=ジュスト教会(現存せず)にて戴冠された。教皇への選出、就任は[[1305年]][[6月5日]]。 * [[1690年]]([[元禄]]3年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]) - [[水戸藩]]の[[徳川光圀]]が隠居。 * [[1860年]] - [[清]]と[[ロシア帝国]]が[[北京条約]]に調印。 * [[1868年]]([[明治]]元年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[戊辰戦争]]: [[弘道館戦争]]。 * [[1875年]] - [[明六雑誌]]が停刊。 <!-- 11月16日 * [[1876年]] - 東京女子師範学校附属幼稚園(現在の[[お茶の水女子大学附属幼稚園]])が開設。初の官立幼稚園。 --> * [[1888年]] - パリに[[パスツール研究所]]が設立。 * [[1889年]] - [[ネリー・ブライ]]が[[八十日間世界一周]]の旅に出発。72日6時間11分14秒で達成。 * [[1897年]] - ドイツ軍が[[山東半島]]南西岸の[[膠州湾]]を占領([[膠州湾租借地]])。 * [[1901年]] - [[カール・ラントシュタイナー]]が[[ABO式血液型]]を発表。なお、この時点では血液型がA型、B型、C型(後にO型に改称)の3つであるとされた。 * [[1907年]] - [[日本統治時代の台湾|日本統治下の台湾]]で[[北埔事件]]おこる。 * [[1910年]] - [[ユージン・バートン・イーリー]]が史上初の艦上からの飛行機の離陸に成功。 * [[1918年]] - [[チェコスロバキア]]の革命国民議会で共和国宣言。 * 1918年 - [[武者小路実篤]]が[[宮崎県]][[木城町]]に「[[新しき村]]」を建設。 * [[1922年]] - [[英国放送協会|BBC]]が[[ラジオ]]放送を開始。 * [[1930年]] - [[濱口雄幸]]首相が[[東京駅]]で右翼青年[[佐郷屋留雄]]に狙撃され重傷。 * [[1940年]] - {{仮リンク|コヴェントリー空襲|en|Coventry Blitz}}。[[ドイツ空軍]]が[[イギリス]]の[[コヴェントリー]]を空襲する。 * [[1951年]] - [[天野貞祐]]文相が、[[教育勅語]]に代わる国民道徳の基本として国民実践要領大綱を発表。言論界や教育界から猛反発を受け27日に撤回。 * [[1952年]] - [[ニュー・ミュージカル・エクスプレス]]誌がイギリス初の[[シングル]][[チャート]]を掲載。 <!-- 確認できず * [[1955年]] - [[日米原子力協定]]に調印 。 --> * [[1955年]] - [[石川県]]の[[北陸鉄道松金線]]がこの日の運転をもって廃止。 * [[1957年]] - [[ニューヨーク州]]アパラチンに[[マフィア]]幹部が集結して[[アパラチン会議]]が行われる。 * [[1961年]] - [[通商産業省|通産省]]が、岡山県[[水島地域|水島]]と山口県[[徳山市|徳山]]に[[コンビナート|石油化学コンビナート]]第1号の設立を認可。 * [[1965年]] - [[ベトナム戦争]]: [[イア・ドラン渓谷の戦い]]が始まる。 * [[1965年]] - [[鹿児島県]]の[[鹿児島交通知覧線]]が廃止。 <!-- 確認できず * [[1966年]] - [[全国遊戯業協同組合]]が発足。 --> * [[1968年]] - [[皇居]]新宮殿が落成。 * [[1969年]] - アメリカの2機目の有人月宇宙船「[[アポロ12号]]」が打ち上げ。 * 1969年 - [[浦和地方裁判所]]が[[狭山事件]]の裁判に抗議する男らに一時占拠される<ref>浦和地裁を一時占拠 「部落解放」叫ぶ若い5人『朝日新聞』昭和44年(1969年)11月14日夕刊、3版、1面</ref>。 * [[1970年]] - [[ソビエト連邦]]が[[国際民間航空機関]] (ICAO) に加盟。[[ロシア語]]がICAOの第4の[[公用語]]になる。 * 1970年 - [[東京都]][[渋谷]]で日本初の[[ウーマン・リブ]]の大会が開かれる。 * [[1971年]] - アメリカの[[火星探査機]]「[[マリナー9号]]」が[[火星]]周回軌道に到達。初の地球以外の惑星を回る人工衛星となる。 * 1971年 - [[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]が渋谷で暴動を起こし、警官1人が死亡。([[渋谷暴動事件]]) * 1971年 - [[青函トンネル]]で[[北海道]]側の本坑の起工式。 * [[1973年]] - [[関門海峡]]をまたぐ[[関門橋]]が開通。 * [[1982年]] - [[浜松基地]]で行われた航空祭で展示飛行していた[[ブルーインパルス]]に所属している[[T-2 (航空機・日本)|T-2練習機]]のうち1機(4番機)が「下向き空中開花」演技中に墜落、パイロット1名が死亡し、周辺住民12名が負傷。 * [[1983年]] - 日本の3代目の[[南極観測船]]「[[しらせ (砕氷艦・初代)|しらせ]]」が就役。 <!-- * [[1985年]] - 東京地方[[労働委員会]]が[[日本プロ野球選手会]]を[[労働組合]]に認定{{要出典|date=2012年11月|title=日本プロ野球選手会のページでは労働組合認定日が11月5日とされており不釣り合いが生じているため}}。 --> * [[1986年]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、人気[[刑事ドラマ]]『[[太陽にほえろ!]]』が終了、14年4ヶ月の歴史に幕(全718回)。 * [[1989年]] - 前年7月の[[なだしお事件|潜水艦なだしお衝突事故]]で、[[なだしお (潜水艦)|なだしお]]の艦長が衝突時の航海日誌の改竄をしていたことが判明。 * [[1990年]] - [[ドイツ]]・[[ポーランド]]両国が、[[オーデル・ナイセ線]]が両国の国境であることを確認する[[ドイツ・ポーランド国境条約]]に調印。 * [[1991年]] - [[カンボジア]]の[[ノロドム・シハヌーク]]元国王が13年間の[[亡命]]を終え首都[[プノンペン]]に戻る。 * [[1994年]] - [[イギリス]]・[[フランス]]海峡下の[[ユーロトンネル]]で[[ユーロスター]]が営業運転を開始。 * [[2003年]] - 小惑星[[セドナ (小惑星)|セドナ]]が発見される。 * [[2006年]] - [[新潟県神林村男子中学生自殺事件]]が発生。 * [[2007年]] - [[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]が[[AFCチャンピオンズリーグ|アジアチャンピオンズリーグ]]で日本勢初優勝。 * [[2009年]] - [[釜山射撃場火災]]。15人が死亡。 * <!-- 「11月14日」に特記する情報ですか? [[2017年]] - [[日馬富士公平]]が[[日馬富士公平暴行事件|暴行事件]]を起こしたスクープを[[スポーツニッポン]]が飛ばし、相撲界を巻き込む騒動へと発展する。 --> * [[2019年]] - [[令和]]の[[大嘗祭]]の中心となる儀式「大嘗宮の儀」が15日にかけて執り行われる<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO52171230U9A111C1MM8000/ 大嘗祭 厳かに 皇居に510人参列] 日本経済新聞 朝刊 (2019年11月15日) 2020年8月29日閲覧。</ref>。 == 誕生日 == [[File:Claude Monet 011.jpg|thumb|upright|[[クロード・モネ]](1840-1914)誕生。画像は《パラソルを差す女》(1875)]] {{multiple image | image1 = Leo Hendrik Baekeland, 1916.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[フェノール樹脂|ベークライト]]を発明した[[アメリカ合衆国]]の[[発明家]]、[[レオ・ベークランド]](1863-1944)誕生 | alt1 = ベークランド | image2 = Jnehru.jpg | width2 = 100 | caption2 = 初代[[インドの歴代首相|インド首相]]、[[ジャワハルラール・ネルー]](1889-1964)誕生 | alt2 = ネルー }} {{multiple image | image1 = F. G. Banting 1923.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[インスリン]]を発見した[[カナダ]]の[[医師]]、[[フレデリック・バンティング]](1891-1941)誕生 | alt1 = バンティング | image2 = Astrid Lindgren 1924.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[スウェーデン]]の[[児童文学]][[作家]]、[[アストリッド・リンドグレーン]](1907-2002)誕生。『[[長くつ下のピッピ]]』、『[[山賊のむすめローニャ]]』の作者 | alt2 = リンドグレーン }} {{multiple image | image1 = Park Chung-hee.jpg | width1 = 100 | caption1 = 第5-9代[[大統領 (大韓民国)|大韓民国大統領]]、[[朴正煕]](1917-1979)誕生 | alt1 = 朴正煕 | image2 = Boutros Boutros-Ghali in Davos.JPG | width2 = 100 | caption2 = 第6代[[国際連合事務総長|国連事務総長]]を務めた[[エジプト]]の[[国際法|国際法学者]]、[[ブトロス・ブトロス=ガーリ]](1922-2016)誕生 | alt2 = ガーリ }} [[File:Rikidouzan.jpg|thumb|120px|[[力道山]](1924-1963)誕生]] {{multiple image | image1 = Narciso Yepes.jpeg | width1 = 120 | caption1 = 映画『[[禁じられた遊び]]』の音楽で知られる[[スペイン]]の[[ギタリスト]]、[[ナルシソ・イエペス]](1927-1997)誕生。画像は12歳時 | alt1 = イエペス | image2 = Jp endo.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[化学者]]、[[遠藤章 (農芸化学者)|遠藤章]](1933-)誕生。血中[[コレステロール]]を低下させる[[スタチン]]を発見、開発した | alt2 = 遠藤章 }} {{multiple image | image1 = Prince Charles 2012.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[イギリス]]王[[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]](1948-)誕生 | alt1 = チャールズ | image2 = Condoleezza Rice.jpg | width2 = 100 | caption2 = 第66代[[アメリカ合衆国国務長官]]、[[コンドリーザ・ライス]](1954-)誕生 | alt2 = ライス }} * [[1650年]] - [[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]、[[イングランド君主一覧|イングランド王]](+ [[1702年]]) * [[1665年]]([[寛文]]5年[[10月8日 (旧暦)|10月8日]]) - [[保科正賢]]、第5代[[飯野藩|飯野藩主]](+ [[1715年]]) * [[1741年]]([[寛保]]元年[[10月7日 (旧暦)|10月7日]]) - [[土井利貞]]、第4代[[大野藩|大野藩主]](+ [[1807年]]) * [[1759年]]([[宝暦]]9年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[植村家利]]、第8代[[高取藩|高取藩主]](+ [[1785年]]) * [[1765年]] - [[ロバート・フルトン]]、[[発明家]](+ [[1815年]]) * [[1771年]] - [[マリー・フランソワ・クサヴィエ・ビシャ]]、医学者(+ [[1802年]]) * [[1778年]] - [[ヨハン・ネポムク・フンメル]]、[[作曲家]](+ [[1837年]]) * [[1782年]] - [[ジョン・ブランチ]]、[[アメリカ合衆国海軍長官]](+ [[1863年]]) * [[1797年]] - [[チャールズ・ライエル]]、地質学者(+ [[1875年]]) * [[1825年]]([[文政]]8年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]) - [[亀井茲監]]、第11代[[津和野藩|津和野藩主]](+ [[1885年]]) * [[1829年]] - [[カール・ヴィルヘルム・フォン・クッパー]]、[[解剖学者]](+ [[1902年]]) * [[1831年]] - [[フランツ・フォン・ヤウナー]]、演出家(+ [[1900年]]) * [[1840年]] - [[クロード・モネ]]、[[画家]](+ [[1926年]]) * [[1844年]] - [[松本重太郎]]、実業家(+ [[1913年]]) * [[1863年]] - [[レオ・ベークランド]]、化学者(+ [[1944年]]) *[[1864年]] - [[田中隆三 (政治家)|田中隆三]] 、[[政治家]](+[[1940年]]) <!-- 特筆性は? * [[1864年]] - [[小澤碧童]]、俳人(+ [[1941年]]) --> * [[1877年]] - [[ノーマン・ブルックス]]、テニス選手(+ [[1968年]]) * [[1879年]] - [[菊池契月]]、画家(+ [[1955年]]) * [[1881年]] - [[田子一民]]、[[政治家]](+ [[1963年]]) * [[1884年]] - カミーユ・ガット ([[:en:Camille Gutt|Camille Gutt]])、政治家(+ [[1971年]]) * [[1889年]] - [[ジャワハルラール・ネルー]]、政治家、初代[[インドの歴代首相|インド首相]](+ [[1964年]]) * [[1891年]] - [[フレデリック・バンティング]]、医師、[[インスリン]]の発見者(+ [[1941年]]) * [[1892年]] - [[デュドネ・コスト]]、パイロット(+ [[1973年]]) <!-- 特筆性は? * [[1893年]] - [[矢部良策]]、[[創元社]]創業者(+ [[1973年]]) --> * [[1895年]] - [[杉本勝次]]、政治家(+ [[1987年]]) * [[1900年]] - [[アーロン・コープランド]]、作曲家(+ [[1990年]]) * [[1901年]] - [[仁木他喜雄]]、作曲家、[[編曲家]](+ [[1958年]]) * [[1907年]] - [[アストリッド・リンドグレーン]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[2002年]]) * 1907年 - [[ウィリアム・スタイグ]]、[[漫画家]]、児童文学作家(+ [[2003年]]) * [[1908年]] - [[南條範夫]]、[[作家]](+ [[2004年]]) * [[1910年]] - [[エリー・ボール]]、プロゴルファー(+ [[2014年]]) * [[1911年]] - [[井関尚栄]]、法医学者(+ [[1986年]]) * [[1912年]] - [[今福祝]] 、元NHKアナウンサー(+ [[1978年]]) * [[1915年]] - ディグビー・ボルツェル ([[:en:E. Digby Baltzell|E. Digby Baltzell]])、[[社会学者]](+ [[1996年]])<!--enwpでは誕生日の記載なし--> <!-- 特筆性は? * 1915年 - [[宮原龍雄]]、[[推理作家]](+ [[2008年]]) --> * [[1917年]] - [[朴正煕]]、政治家、5 - 9代[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]](+ [[1979年]]) * 1917年 - [[五味芳夫]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1988年]]) * [[1921年]] - [[山根敏子]]、[[外交官]](+ [[1956年]]) * [[1922年]] - [[ブトロス・ブトロス=ガーリ]]、第6代[[国際連合事務総長|国連事務総長]](+ [[2016年]]) * 1922年 - [[安田武]]、社会評論家(+ 1986年) * [[1924年]] - [[力道山|力道山光浩]]、[[プロレスラー]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[1963年]]) * 1924年 - [[鈴木登紀子]]、[[料理研究家]](+ [[2020年]]) * [[1925年]] - [[伊賀貞雪]]、政治家 * [[1926年]] - [[武智文雄]]、元プロ野球選手(+ [[2013年]]) * 1926年 - [[関本忠弘]]、経営者(+ [[2007年]]) * 1926年 - レオニー・リザネック ([[:en:Leonie Rysanek|Leonie Rysanek]])、オペラ歌手(+ [[1998年]]) * [[1927年]] - [[ナルシソ・イエペス]]、ギター奏者(+ [[1997年]]) * [[1928年]] - [[曽根康治]]、[[柔道]]家(+ [[1981年]]) * [[1930年]] - [[エドワード・ホワイト]]、宇宙飛行士(+ [[1967年]]) * [[1932年]] - [[普久原恒勇]]、作曲家(+ [[2022年]]) * 1932年 - [[八木正生]]、作曲家(+ [[1991年]]) * 1932年 - [[横田滋]]、[[横田めぐみ]]の父、[[北朝鮮による拉致被害者家族連絡会]]設立者、[[日本銀行]]職員(+[[2020年]]) * [[1933年]] - [[遠藤章 (農芸化学者)|遠藤章]]、化学者 * 1933年 - [[梶原拓]]、政治家、元[[岐阜県知事一覧|岐阜県知事]](+ [[2017年]]) * 1933年 - [[フレッド・ヘイズ]]、宇宙飛行士 * [[1934年]] - [[東陽一]]、映画監督 * 1934年 - [[デイヴ・マッケイ (サッカー選手)|デイヴ・マッケイ]]、[[プロサッカー選手]](+ [[2015年]]) * [[1935年]] - [[フセイン1世]]、[[ヨルダン]]国王(+ [[1999年]]) * 1935年 - [[南野知惠子]]、参議院議員 * [[1936年]] - アントニオ・ガデス ([[:en:Antonio Gades|Antonio Gades]])、舞踊家(+ [[2004年]]) * 1936年 - [[山本正司]]、騎手(+ [[2016年]]) * 1936年 - [[キャリー・ベル]]、[[ハーモニカ]]奏者(+ [[2007年]]) * [[1938年]] - [[島崎春荷]]、[[書家]] * 1938年 - [[白石太一郎]]、[[考古学者]] * [[1939年]] - {{仮リンク|武田和命|de|Kazunori Takeda}}、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1939年 - [[尾岸孝雄]]、政治家(+ [[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/3602nakazawa.html|title=名誉町民 故 尾岸孝雄の生涯|accessdate=2020-10-27|publisher=上富良野町}}</ref>) * [[1940年]] - [[岸本光造]]、政治家(+ [[2002年]]) * [[1941年]] - [[毛綱毅曠]]、建築家(+ [[2001年]]) * [[1942年]] - [[中村勝行]]、脚本家(+ [[2022年]]) * 1942年 - [[ナターリヤ・グートマン]]、[[チェリスト]] * [[1943年]] - [[鈴木克昌]]、政治家 * 1943年 - [[ピーター・ノートン]]、コンピューター技術者 * 1943年 - [[四方章人]]、作曲家 * 1943年 - [[安田南]]、歌手 * [[1944年]] - [[城野昭]]、アナウンサー <!-- 特筆性は? * [[1945年]] - [[秋定典江]]、声楽家 --> * [[1945年]] - [[サトル・サトウ]]、[[画家]]、[[造形作家]] * [[1946年]] - [[丸山孝彦]]、元[[大相撲]][[力士]] <!-- 特筆性は? * 1946年 - [[桂南八]]、落語家(+ [[2007年]]) --> * 1946年 - [[阿藤快]]、俳優(+ [[2015年]]) * [[1947年]] - [[バックウィート・ザディコ]]、[[アコーディオン]]奏者(+ [[2016年]]) * 1947年 - [[仁井谷俊也]]、作詞家 * [[1948年]] - [[チャールズ3世 (イギリス王)|チャールズ3世]]、イギリス国王 * 1948年 - [[梶田信一郎]]、[[内閣法制局長官]] * 1948年 - [[笹倉明]]、小説家 * 1948年 - [[青葉城幸雄]]、元大相撲[[関脇]]、年寄11代[[不知火 (年寄名跡)|不知火]] <!-- 特筆性は? * 1948年 - [[山崎行夫]]、プロボウラー --> * [[1949年]] - [[西城隆詞]]、アニメデザイナー * 1949年 - [[速水亮]]、俳優 * 1949年 - [[ピエール・ブヨヤ]]、政治家、[[軍人]](+ [[2020年]]) <!-- 特筆性は? * 1949年 - [[高岡けい子]]、歌手 --> * [[1950年]] - [[楠橋高幸]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[安永徹]]、ミュージシャン * [[1952年]] - [[小林繁]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]]) * 1952年 - [[すわ親治]]、タレント * 1952年 - [[クリス・ヌーナン]]、映画監督、脚本家 <!-- 特筆性は? * 1952年 - [[中野秀之]]、コンピュータ工学者 --> * [[1953年]] - [[西川廣人]] 、実業家 * 1953年 - [[ドミニク・ド・ビルパン]]、政治家、[[外交官]]、18代[[フランス]][[首相]] * 1953年 - [[イゴール・ボブリン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1953年 - [[渡辺省吾 (野球)|渡辺省吾]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[コンドリーザ・ライス]]、[[アメリカ合衆国国務長官]] * 1954年 - [[ベルナール・イノー]]、自転車プロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]選手 * 1954年 - [[ウィリー・ヘルナンデス]]、元野球選手(+ [[2023年]]) * [[1955年]] - [[中野浩一]]、元[[競輪選手]]、[[タレント]] * 1955年 - [[早野宏史]]、[[サッカー選手]]、監督 * 1955年 - [[河岡義裕]]、医学者 * [[1956年]] - [[小山裕史]]、ボディビルダー <!-- 特筆性は? * [[1959年]] - [[マダムレイ]]、歌手 --> * [[1960年]] - [[阿部公江]]、アナウンサー * [[1961年]] - [[横見浩彦]]、トラベル[[著作家|ライター]] * [[1962年]] - [[田中敦子 (声優)|田中敦子]]<ref name="mausu">{{Cite web|和書|url=https://mausu.net/talent/tanaka-atsuko.html|title=田中 敦子|所属タレント|マウスプロモーション|accessdate=2020-11-04}}</ref>、声優 * 1962年 - [[小野瀬雅生]]、ミュージシャン([[クレイジーケンバンド]]) * 1962年 - [[こおろぎさとみ]]、声優 * [[1963年]] - [[あめくみちこ]]、[[俳優|女優]] * 1963年 - [[山本幸二]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[古溝克之]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[平仲明信]]、ボクサー <!-- 特筆性は? * 1963年 - [[吉利治美]]、女優 --> * [[1964年]] - [[久保こーじ]]、作曲家 * [[1965年]] - [[立見里歌]]、タレント * 1965年 - [[宇仁菅真]]、俳優 * [[1966年]] - [[白沢みき]]、[[ジャーナリスト]] * 1966年 - [[カート・シリング]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[ティム・スコルド]]、[[ギタリスト]]、[[プロデューサー]]([[マリリン・マンソン]]) * 1966年 - [[森本里菜]]、漫画家 * 1966年 - [[谷川明美]]、アナウンサー(+ [[2007年]]) * 1966年 - [[松本卓也 (野球)|松本卓也]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[木内九二生]]、プロ野球審判員 * [[1967年]] - [[手倉森浩]]、元サッカー選手 * 1967年 - [[手倉森誠]]、元サッカー選手 * 1967年 - [[ニーナ・ゴードン]]、ミュージシャン * [[1968年]] - [[雫井脩介]]、作家 * [[1969年]] - [[沢木美佳子]]、[[タレント]]、[[アナウンサー]] * 1969年 - [[鈴木英哉]]、ミュージシャン([[Mr.Children]]) * 1969年 - 西川弘剛、ミュージシャン([[GRAPEVINE]]) * 1969年 - [[塚本善之]]、元プロ野球選手 * [[1970年]] - [[パトリック・ハーラン]]、タレント([[パックンマックン]]) <!-- 特筆性は? * 1970年 - [[石山智恵]]、アナウンサー --> <!-- 特筆性は? * 1970年 - [[TRICERATOPS|吉田佳史]]、ミュージシャン、[[TRICERATOPS]] --> * [[1971年]] - [[上坂都子]]、女優 * 1971年 - [[森崎博之]]、俳優、タレント([[TEAM NACS|TEAM-NACS]]) * [[1972年]] - [[ジョシュ・デュアメル]]、俳優 * [[1973年]] - [[川上テルヒサ]]、[[パンク・ロック|パンク]][[演歌]][[シンガーソングライター]] * 1973年 - [[朱門みず穂]]、女優 * 1973年 - [[大沢さやか]]、女優 * 1973年 - [[枝松順一]]、元アナウンサー * 1973年 - [[ルーベン・リベラ]]、プロ野球選手 * 1973年 - [[斉藤瑞樹]]、声優(+ [[2015年]]<ref>[https://twitter.com/chattergang1/status/639801553038147584 訃報御通知] 演劇部隊chattergang Twitter 2015年9月4日</ref>) * [[1974年]] - 鈴康寛、俳優 * 1974年 - [[三遊亭金翔]]、落語家 * 1974年 - [[吉田統彦]]、政治家、[[衆議院議員]] <!-- 特筆性は? * [[1975年]] - [[サンタラ|砂田和俊]]、[[ミュージシャン]]([[サンタラ]]) --> * [[1975年]] - [[ガブリエラ・サボー]]、[[陸上選手]] * 1975年 - [[立川こしら]]、[[落語家]]、[[落語立川流]] * 1975年 - [[トラヴィス・バーカー]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ドラマー]] * 1975年 - [[吉村玉緒]]、女優 <!-- 特筆性は? * 1975年 - [[フロントページ (お笑いコンビ)|益田博隆]]、[[放送作家]]、元[[お笑い芸人]]([[フロントページ (お笑いコンビ)|フロントページ]]) --> * [[1976年]] - [[大嶋記胤]]、プロボクサー * [[1977年]] - [[南周平]]、俳優 * 1977年 - [[オービー・トライス]]、[[ラッパー]] * 1977年 - [[ブライアン・ディーツェン]]、俳優 * 1977年 - [[サラ・ジェイ]]、ポルノ女優 * [[1978年]] - [[鈴木洋美]]、元ビーチバレー選手 * 1978年 - [[横須賀ゆめな]]、元[[歌手]] * 1978年 - Cherry、ミュージシャン([[Baby Boo]]) <!-- 特筆性は? * 1978年 - [[小寺武大]]、スケート選手 --> * 1978年 - [[劉芙豪]]、プロ野球選手 * 1978年 - [[ゼイビア・ネイディ]]、元プロ野球選手 <!-- 出典が不明 * [[1979年]] - [[江崎友香]]、元[[レースクイーン]] --> * [[1979年]] - [[デュアネル・サンチェス]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[鈴木サチ]]、[[ファッションモデル]] * 1979年 - [[仁井山征弘]]、ミュージシャン * 1979年 - [[にわつとむ]]、俳優 <!-- 特筆性は? * 1979年 - [[万善香織]]、女優 --> * 1979年 - [[オスレイディス・メネンデス]]、陸上競技選手 <!-- 特筆性は? * 1979年 - [[ジューシーズ#メンバー|児玉智洋]]、[[お笑い芸人]]([[ジューシーズ]]) --> * 1979年 - [[スティーブ・リトル (俳優)|スティーブ・リトル]]、俳優 * [[1980年]] - [[木村由姫]]、元[[歌手]] * 1980年 - [[カルロス・カベサス]]、[[バスケットボール選手]] * 1980年 - 桑原康伸、ミュージシャン([[ガガガSP]]) * 1980年 - [[坂本直子 (陸上選手)|坂本直子]]、元マラソン選手 <!-- 出典が不明 * 1980年 - [[藤村春菜]]、タレント --> * 1980年 - [[近藤浩徳]]、声優 * 1980年 - [[前原智子]]、キャスター、元[[アナウンサー]] * 1980年 - [[スヴェトラーナ・クリコワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 <!-- 出典が不明 * [[1981年]] - [[原科あい]]、[[グラビアアイドル]]、[[レースクイーン]] --> * [[1981年]] - [[大久保藍子]]、声優 * [[1982年]] - [[ミリアム・シュタイネル]]、[[フィギュアスケート]]選手 <!-- 特筆性は? * 1982年 - [[UNCHAIN|谷川正憲]]、ミュージシャン([[UNCHAIN]]) --> * 1982年 - [[アンヘル・カストロ]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[倪福徳]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[ローラ・ラムジー]]、女優 * [[1983年]] - 秋山良人 、お笑いタレント([[あきげん]]) * 1983年 - [[くどうこずえ]]、タレント * 1983年 - [[高田梢枝]]、歌手 <!-- 特筆性は? * 1983年 - [[野見山晴可]]、タレント --> * 1983年 - [[ギジェルモ・モスコーソ]]、プロ野球選手 <!-- 特筆性は? * [[1984年]] - [[SPYAIR#メンバー|MOMIKEN]]、ベーシスト([[SPYAIR]]) --> * [[1984年]] - [[フェリックス・ペレス (野球)|フェリックス・ペレス]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[ヴィンチェンツォ・ニバリ]]、[[自転車競技]]ロードレース選手 * 1984年 - [[孫芸]]、柔道選手 * [[1985年]] - [[トーマス・フェルメーレン]]、サッカー選手 * 1985年 - [[江藤愛]]、アナウンサー * 1985年 - [[田中太郎 (声優)|田中太郎]]、元声優 <!-- 出典が不明 * 1985年 - [[園田未来子]]、ファッションモデル --> * [[1986年]] - [[片岡安祐美]]、野球選手、監督 * 1986年 - [[江柄子裕樹]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[森安加代子]]、タレント * [[1987年]] - [[ソフィア・アセファ]]、陸上競技選手 * 1987年 - [[翁長舞]]、アナウンサー * 1987年 - [[ヌール・エル=レファイ]]、女優 * 1987年 - [[ブリン・タイラー]]、ポルノ女優 * 1987年 - [[ダニエル・サンチェス (野球)|ダニエル・サンチェス]]、野球選手 * [[1988年]] - [[杉林沙織]]、タレント * 1988年 - [[千代大龍秀政]]、大相撲力士 * 1988年 - [[星井七瀬]]、タレント * 1988年 - [[大野拓朗]]、俳優、タレント * 1988年 - [[瀬尾茜]]、フィギュアスケート選手 * [[1989年]] - [[いずみ唯]]、元[[グラビアアイドル]] * 1989年 - [[フレディ・ガルビス]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[赤谷奈緒子]]、ファッションモデル * 1990年 - [[松本直晃]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[赤間謙]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[渡辺ゆい (女優)|渡辺ゆい]]、女優 * 1990年 - [[七海れん]]、元タレント * 1990年 - [[ヤズマニー・トマス]]、プロ野球選手 * [[1991年]] - [[平松可奈子]]、タレント(元[[SKE48]]) * 1991年 - [[細田智也]]、政治家 * [[1992年]] - [[越川真美 ]]、ファッションモデル * 1992年 - [[蜂谷由梨奈]]、ミヤギテレビアナウンサー * [[1993年]] - [[野村周平]]、俳優 * 1993年 - [[大鶴佐助]]、俳優 * 1993年 - [[サミュエル・ユムティティ]]、サッカー選手 * 1993年 - [[ベンドラメ礼生]]、バスケットボール選手 * 1993年 - [[マネル・ケイプ]]、[[総合格闘家]] * 1993年 - [[涼川絢音]]、女優、元[[AV女優]] * [[1994年]] - [[栂野理紗子]]、タレント * 1994年 - [[佐野隼平]]、ミュージカル俳優 * 1994年 - [[平松賢人]]、俳優、タレント([[BOYS AND MEN]]) * 1994年 - [[佐藤宏樹]]、アナウンサー <!-- 特筆性は? * [[1995年]] - [[内山命]]、SKE48 --> * [[1995年]] - [[北村桂香]]、[[女流棋士 (将棋)|将棋棋士]] * 1995年 - [[新海美優]]、プロゴルファー * 1995年 - [[霜月めあ]]、コスプレイヤー * [[1996年]] - [[大原洋人]]、サーファー * 1996年 - [[西口直人]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[植田ひかる]]、声優 * 1996年 - つぶら<ref>{{Cite web|和書|url=https://youngjump.jp/gravure/2018/1863/3.html|title=No.13 巻末グラビア つぶら 美しい昆虫図鑑|accessdate=2023-08-20|publisher=講談社}}</ref>、モデル * [[1997年]] - [[甲斐翔真]]、俳優 * 1997年 - [[木戸衣吹]]、声優 * 1997年 - [[松倉海斗]]、アイドル ([[Travis Japan]]) * 1997年 - [[和田あき]]、将棋棋士 * [[1998年]] - [[小池美波]]、アイドル([[櫻坂46]]) * 1998年 - [[畠山紫音]]、俳優 * [[2001年]] - [[香月杏珠]]、グラビアアイドル * [[2003年]] - 星野蒼良、元アイドル(元[[ばってん少女隊]]) * [[2005年]] - [[内田未来]]<ref>[https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=W13-1115 内田未来|日本タレント名鑑]</ref>、女優 * 2005年 - 水瀬めいか、アイドル(iNTOYOU) * 生年不明 - [[こばやしひよこ]]、[[漫画家]] * 生年不明 - [[工藤雅久]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.axl-one.com/talent/kudo.html|title=工藤 雅久|タレント|アクセルワン|accessdate=2021-01-21}}</ref>、声優 == 忌日 == {{multiple image | image1 = Meister von San Vitale in Ravenna.jpg | width1 = 100 | caption1 = 旧[[ローマ帝国]]領を回復し、「不眠不休の皇帝」と称された[[東ローマ皇帝]]、[[ユスティニアヌス1世]](483-565)没 | alt1 = ユスティニアヌス | image2 = Fujiwara-Kamatari.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[藤原氏]]始祖、[[藤原鎌足]](614-669)没 | alt2 = 藤原鎌足(中臣鎌足) }} {{multiple image | image1 = Song Taizu.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[北宋]]初代[[皇帝]]、[[趙匡胤]](927-976)没 | alt1 = 趙匡胤 | image2 = 1967 CPA 3589.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[北方十字軍]]や[[ドイツ騎士団]]との戦いに勝利した[[ウラジーミル・スーズダリ大公国|ウラジーミル大公]]、 [[アレクサンドル・ネフスキー]](1220-1263)没。[[ソビエト連邦]]時代に英雄視された | alt2 = ネフスキー }} [[File:Steller - Abbildung aus Beschreibung von sonderbaren Meerthieren.jpg|thumb|120px|[[ヴィトゥス・ベーリング|ベーリング]]の探検に同行した[[ゲオルク・シュテラー]](1709-1746)、帰路で病没。彼の観察日記が[[ステラーカイギュウ]]絶滅の原因となった]] {{multiple image | image1 = King Miguel I of Portugal & Wife.jpg | width1 = 102 | caption1 = 進歩的立憲主義者との[[ポルトガル内戦]]の果てに王位を追われた[[ミゲル1世 (ポルトガル王)|ミゲル1世]](1802-1866)、32年の亡命生活の末に客死 | alt1 = ミゲル1世 | image2 = 《载湉读书像》.jpg | width2 = 102 | caption2 = 第11代[[清]]皇帝、[[光緒帝]](1871-1908)、翌日に崩御する伯母・[[西太后]]に先立って崩御。遺骨から毒殺が判明している | alt2 = 光緒帝 }} [[File:Hector Hugh Munro.jpg|thumb|120px|イギリスの[[小説家]]、[[サキ (小説家)|サキ]](1870-1916)、[[第一次世界大戦]]で戦死{{Squote|若者は決して実現しない願望を抱き、老人は起こりもしなかったことを回想する。自分の限界を本当に知っているのは中年だけだ――『レジノルド』(1904)}}]] * [[565年]] - [[ユスティニアヌス1世]]、[[東ローマ皇帝]](* [[483年]]) * [[669年]]([[天智天皇]]8年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]]) - [[藤原鎌足]]、[[飛鳥時代]]の廷臣、[[藤原氏]]始祖(* [[614年]]) * [[871年]]([[貞観 (日本)|貞観]]13年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]) - [[藤原順子]]、[[仁明天皇]]女御(* [[809年]]) * [[976年]]([[開宝]]9年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]) - [[趙匡胤]]、[[北宋]]の初代[[皇帝]](* [[927年]]) * [[1007年]]([[寛弘]]4年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[敦道親王]]、[[平安時代]]の[[皇族]](* [[981年]]) * [[1263年]] - [[アレクサンドル・ネフスキー]]、[[ウラジーミル・スーズダリ大公国|ウラジーミル大公]](* [[1220年]]) * [[1274年]]([[文永]]11年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[平景隆]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]] * [[1282年]]([[弘安]]5年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[日蓮]]、[[日蓮宗]]各派の祖(* [[1222年]]) * [[1612年]]([[慶長]]17年[[10月22日 (旧暦)|10月22日]]) - [[六角義治]]、[[近江国]]の[[戦国大名]](* [[1545年]]) * [[1614年]](慶長19年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]]) - [[清水義親]]、[[武将|戦国武将]](* [[1582年]]) * [[1687年]] - [[ネル・グウィン]]、[[チャールズ2世 (イングランド王)|イングランド王チャールズ2世]]の愛人(* [[1650年]]) * [[1691年]]([[元禄]]4年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[土佐光起]]、[[絵師]](* [[1617年]]) * [[1716年]] - [[ゴットフリート・ライプニッツ]]、[[数学者]](* [[1646年]]) * [[1726年]]([[享保]]11年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]) - [[伏見宮邦永親王]]、[[江戸時代]]の皇族(* [[1676年]]) * [[1734年]] - [[ルイーズ・ケルアイユ]]、イングランド王チャールズ2世の愛人(* [[1649年]]) * [[1746年]] - [[ゲオルグ・ヴィルヘルム・シュテラー]]、[[探検家]]、[[博物学|博物学者]](* [[1709年]]) * [[1798年]]([[寛政]]10年[[10月7日 (旧暦)|10月7日]]) - [[安島直円]]、[[和算|和算家]](* [[1732年]]) * [[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年[[9月26日 (旧暦)|9月26日]]) - [[樺山久言]]、[[薩摩藩]][[家老]](* [[1776年]]) * [[1825年]] - [[ジャン・パウル]]、[[小説家]](* [[1763年]]) * [[1829年]] - [[ルイ=ニコラ・ヴォークラン]]、[[化学者]](* [[1763年]]) * [[1831年]] - [[イグナツ・プライエル]]、[[作曲家]](* [[1757年]]) * 1831年 - [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Georg-Wilhelm-Friedrich-Hegel Georg Wilhelm Friedrich Hegel German philosopher] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[哲学|哲学者]](* [[1770年]]) * [[1832年]] - [[ラスムス・ラスク]]、[[言語学|言語学者]](* [[1787年]]) * [[1847年]] - [[ヨセフ・ユングマン]]、言語学者、詩人(* [[1773年]]) * [[1866年]] - [[ミゲル1世 (ポルトガル王)|ミゲル1世]]、[[ポルトガル|ポルトガル王]](* [[1802年]]) * [[1871年]]([[明治]]4年[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]) - [[斎藤弥九郎]]、[[剣術|剣客]](* [[1798年]]) * [[1886年]] - [[ベギエ・ド・シャンクルトワ]]、[[地質学|地質学者]]、[[鉱物学|鉱物学者]](* [[1820年]]) * [[1897年]] - [[ジュゼッピーナ・ストレッポーニ]]、ソプラノ歌手(* [[1815年]]) * [[1898年]] - 4代目[[橘家圓太郎]]、[[落語家]](* [[1845年]]) * [[1905年]] - ロバート・ホワイトヘッド ([[:en:Robert Whitehead|Robert Whitehead]])、機械技術者、魚型魚雷を発明(* [[1823年]]) * [[1908年]]([[光緒]]34年[[10月21日 (旧暦)|10月21日]])- [[光緒帝]]、第11代[[清]]皇帝(* [[1871年]]) * [[1915年]] - [[テオドル・レシェティツキ]]、[[ピアニスト]]、[[教育者]](* [[1830年]]) * [[1916年]] - [[サキ (小説家)|サキ]]、小説家(* [[1870年]]) <!-- 特筆性は? * [[1920年]] - [[原月舟]]、[[俳人]](* [[1889年]]) --> * [[1922年]] - [[カール・ミヒャエル・ツィーラー]]、作曲家(* [[1843年]]) * [[1923年]] - [[島田三郎]] 、第18代[[衆議院議長]](* [[1852年]]) * [[1929年]] - [[アマラとカマラ|カマラ]]、[[野生児]](* 生年不詳) * 1929年 - [[ジョー・マクギニティ]] 、プロ野球選手(* [[1871年]]) * [[1930年]] - [[楊開慧]]、革命家、政治活動家(* [[1901年]]) * [[1937年]] - [[東宮鉄男]]、軍人(* [[1892年]]) * [[1938年]] - [[ハンス・クリスチャン・グラム]]、[[細菌学|細菌学者]](* [[1853年]]) * [[1941年]] - [[阪谷芳郎]] 、政治家、[[大蔵大臣]](* [[1863年]]) * [[1944年]] - [[フレッシュ・カーロイ]]、[[ヴァイオリニスト]]・教育者(* [[1873年]]) * [[1946年]] - [[マヌエル・デ・ファリャ]]、作曲家(* [[1876年]]) * [[1949年]] - [[松平恒雄]] 、外交官、政治家、[[参議院議長]](* [[1877年]]) * [[1956年]] - [[田中好]]、政治家(* [[1886年]]) * 1956年 - [[三輪寿壮]]、[[法律家]]、政治家(* [[1894年]]) * [[1957年]] - ジェイ・マクリーン([[:en:Jay McLean]])、[[医学者]]、[[ヘパリン]]の発見者(*1890年) * [[1966年]] - [[吉田善吾]]、[[海軍大臣]]、[[連合艦隊司令長官]](* [[1885年]]) * 1966年 - [[亀井勝一郎]]、[[文芸評論|文芸評論家]](* [[1907年]]) <!-- 特筆性は? * [[1967年]] - [[館山一子]]、歌人 (* [[1896年]]) --> * [[1969年]] - [[ファニー・ローゼンフェルド]]、[[陸上競技]]選手(* [[1903年]]?) * [[1971年]] - [[金田一京助]]、言語学者(* [[1882年]]) * [[1974年]] - [[池田敏雄]]、コンピュータ技術者(* [[1923年]]) * 1974年 - [[堀久作]]、経営者(* [[1900年]]) * [[1975年]] - [[倉石武四郎]]、中国文学者(* [[1897年]]) * [[1977年]] - [[リチャード・アディンセル]]、作曲家(* [[1904年]]) * [[1985年]] - [[顧維鈞]]、[[外交官]](* [[1888年]]) * 1985年 - [[ドミトリ・ベリャーエフ]]、[[遺伝学者]](* [[1917年]]) * [[1986年]] - [[円地文子]]、小説家(* [[1905年]]) * [[1988年]] - [[三木武夫]]、政治家、第66代[[内閣総理大臣]](* [[1907年]]) * [[1991年]] - [[依田義賢]]、[[脚本家]](* [[1909年]]) * 1991年 - [[トニー・リチャードソン]]、[[映画監督]](* [[1928年]]) * [[1992年]] - [[エルンスト・ハッペル]]、[[サッカー]]選手(* [[1925年]]) * 1992年 - [[ジョージ・アダムズ (ミュージシャン)|ジョージ・アダムス]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン|サックス]]奏者(* [[1940年]]) * [[1993年]] - [[野坂参三]]、[[日本共産党]]の指導者(* [[1892年]]) * [[1995年]] - [[向井潤吉]]、[[洋画家]](* [[1901年]]) * [[1997年]] - [[斎藤清 (版画家)|斎藤清]]、版画家(* [[1907年]]) * [[1999年]] - [[守住有信]]、政治家(* [[1924年]]) * [[2000年]] - [[東野英心]]、[[俳優]](* [[1942年]]) * [[2001年]] - [[緑川洋一]]、[[写真家]](* [[1915年]]) <!-- 特筆性は? * [[2003年]] - [[清水閏]]、[[ミュージシャン]](* [[1928年]]) --> * [[2004年]] - [[ミシェル・コロンビエ]]、[[音楽プロデューサー]]、[[キーボーディスト]](* [[1939年]]) * [[2005年]] - [[小山昭晴]]、元[[プロ野球選手]](* [[1960年]]) * [[2006年]] - [[渡辺謙太郎]]、[[アナウンサー]](* [[1930年]]) * [[2008年]] - [[ツベタンカ・フリストワ]]、[[円盤投]]選手(* [[1962年]]) * 2008年 - [[大塚弥寿男]]、元プロ野球選手(* [[1943年]]) * [[2009年]] - [[大浦みずき]]、女優(* [[1956年]]) * 2009年 - [[日高敏隆]]、[[動物行動学]]者(* 1930年) * [[2011年]] - [[土屋隆夫]]、[[小説家]]、[[推理作家]](* [[1917年]]) * [[2015年]] - [[ニック・ボックウィンクル]]、[[プロレスラー]](* [[1934年]]) * 2015年 - [[阿藤快]]、[[俳優]](* [[1946年]]) * [[2016年]] - [[高井研一郎]]、[[漫画家]](* [[1937年]]) * [[2017年]] - [[塩見孝也]]、[[新左翼]]活動家、元[[赤軍派]]議長、最高指導者(* [[1941年]]) * [[2018年]] - [[佐山雅弘]]<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20181114-BKNRWKKYXJMTZC7POKFCMRTF2E/|title=ジャズピアニスト、佐山雅弘さん死去|publisher=産経ニュース|date=2018-11-14|accessdate=2020-11-23}}</ref>、[[ジャズ]][[ピアニスト]]、作曲家(* [[1953年]]) * [[2019年]] - [[木村汎]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52197350V11C19A1000000/|title=木村汎氏が死去 ロシア研究家|publisher=日本経済新聞|date=2019-11-15|accessdate=2020-12-23}}</ref><ref>{{Cite news2 |url= https://www.sankei.com/article/20191114-PFTZNYIRLZOIVMA3DYELMUKHLQ/|title=木村汎さん死去、83歳 ロシア研究、正論大賞|newspaper= 産経ニュース |date= 2019-11-14 |agency=産業経済新聞社|accessdate= 2020-11-03}}</ref>、[[政治学者]](* [[1936年]])    * [[2022年]] - [[梁田清之]]<ref>{{Cite web|和書 |title=スラダン赤木役 梁田清之さん訃報 関係者「がん療養中の急逝」11月14日に他界 家族葬営まれた - スポニチ Sponichi Annex 芸能 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/11/22/kiji/20221122s00041000353000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-11-22 |language=ja}}</ref>、[[声優]](*[[1965年]]) == 記念日・年中行事 == * [[世界糖尿病デー]] *: [[国際デー]]の一つ。インスリンを発見したカナダ人医師、[[フレデリック・バンティング]]の誕生日。国際糖尿病連合と[[世界保健機関]]が実施していた記念日であったが、2006年12月の国連総会で「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議」が採択され、あわせて世界糖尿病デーが国連の記念日と定められた<ref>東京新聞2021年11月14日朝刊「今日は何の日」</ref>。 * [[パチンコ]]の日({{JPN}}) *: 全国遊技業協同組合連合会(現 [[全日本遊技事業協同組合連合会]])が[[1979年]]に制定。[[1966年]]のこの日に同会が通産省から正式に認可を受けたことを記念。「パチパチ」の語呂合せで8月8日にするという案もあったが、8月は2月とともに「ニッパチ月」と呼ばれて客の数が減る月であるため、ボーナス期を控え客の増加が見込まれる11月を記念日とした。<!-- 確認中→ [[1930年]]11月14日に、[[名古屋市]]でパチンコ店第1号の営業が許可されたことに由来。 -->日本遊技機工業組合が制定したパチンコの日は8月8日である。 * 人生100年時代の日({{JPN}}) *:[[アサヒ飲料|アサヒ飲料株式会社]]が制定。人生100年時代を迎えるにあたり、自分の健康を見つめ直す日とし、同社の健康飲料を生活の中に取り入れてもらうことで、より多くの人の健康をサポートするのが目的。日付は、「11(いい)14(とし)」の語呂合わせ<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=208|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 * いい石の日({{JPN}}) *:[[山梨県]]石材加工業協同組合が[[1992年]]に制定<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.stone-ono.co.jp/blog/entry-3660/|title=本日は、いい(11)石(14)の日! 山梨県石材加工業協同組合が1992年に制定。|accessdate=2021-2-11|website=株式会社小野石材店}}</ref>。「いい(11)石(14)」の語呂合せと、石工職人が尊ぶ[[聖徳太子]]の命日にちなんで決められた。 * [[抗老化医学|アンチエイジング]]の日({{JPN}}) *:NPO法人アンチエイジングネットワークが[[2007年]]に制定。「いい(11)年(14)」の語呂合せ。 * [[埼玉県民の日]]({{flag|埼玉県}}) *:[[明治]]4年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]に[[廃藩置県]]によって埼玉県が誕生したことに由来し、その100年後にあたる[[1971年]]に埼玉県が制定。[[東武鉄道]]等の[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]を除く埼玉県を通る各鉄道では、この日にあわせ「[[埼玉県民の日フリー乗車券 (東武鉄道)|埼玉県民の日フリーきっぷ]]」を発売している。 * 大分県民の日({{flag|大分県}}) *:明治4年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]に廃藩置県によって大分県という名称が初めて用いられたことに由来し、「大分県あすをつくる県民運動推進協議会総会」で決議。 * 医師に感謝する日({{JPN}}) *: 医療施設支援事業を展開する株式会社Dプラスが2009年に制定。 *: お世話になっている主治医に感謝の気持ちを込めてハンカチを贈ろうと提案している。 *: 日付は「人(患者)と人(医師)を結ぶ医師の日」の語呂合わせ。(11が人と人。14が医師) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1114|date=2014年10月9日 (木) 10:26 (UTC)}} *1941年 - [[ナチス]]占領下の[[英国]]、[[スコットランドヤード]]のハリー・ウッズ[[巡査部長]]が「[[ヒムラー]]が[[ジョージ6世 (イギリス王)|国王]]を[[ロンドン塔]]に監禁している」と上司のダグラス・アーチャー[[警視]]に話しかける。(小説『[[SS-GB]]』冒頭) === 誕生日(フィクション) === * [[1982年]] - 警察官A、アニメ『[[ゾンビランドサガ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://zombielandsaga.com/character/9.php |title=警察官A |access-date=2023-02-03 |publisher=ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会 |work=『ゾンビランドサガ』}}</ref> * [[1990年]] - [[妹尾あいこ]]、アニメ『[[おジャ魔女どれみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatedenden|665436972404600832}}</ref> * 生年不明 - 奈良田愛、漫画・アニメ『[[かげきしょうじょ!!|かげきしょうじょ‼︎]]』に登場するもうひとりの主人公<ref>{{Twitter status|psy93|1327584556111646720}}</ref> * 生年不明 - 四万治佳、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/shima_haruka |title=群馬 四万治佳 |access-date=2022-09-15 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref> * 生年不明 - 天傷星マンドレイクのヒョードル、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|teshi_kuro413|1591989392616607744}}</ref> * 生年不明 - 室橋裕子、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=室橋 裕子(むろはし ひろこ) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2023-02-03 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref> * 生年不明 - 丸瀬紀子、漫画・アニメ『咲-Saki-』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=丸瀬 紀子(まるせ のりこ) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2023-01-24 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref> * 生年不明 - 澄楚琴子、漫画・アニメ『[[ぼくのとなりに暗黒破壊神がいます。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|akiarata|930317643659206656}}</ref> * 生年不明 - 立花梓馬、アニメ『[[リーマンズクラブ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://rymansclub.com/character/tomari/ |title=立花梓馬 |access-date=2023-02-03 |publisher=Team RMC/サンライトビバレッジ広報部 |work=『リーマンズクラブ』}}</ref> * 生年不明 - 不破晃士郎、小説・アニメ『[[ツルネ -風舞高校弓道部-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://tsurune.com/character/ |title=Character 辻峰高校弓道部 不破晃士郎 |access-date=2023-02-03 |publisher=綾野ことこ・[[京都アニメーション]]/ツルネⅡ製作委員会 |work=『ツルネ -つながりの一射-』}}</ref> * 生年不明 - 原田美世、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20129 |title=原田 美世(はらだ みよ) |access-date=2023-02-03 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 新田萌果、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130806_204208/ |title=【ガールフレンド(仮)通信86】綺麗な花には毒がある 新田萌果ちゃん(CV:村田知沙) |access-date=2022-09-15 |publisher=ファミ通App}}</ref> * 生年不明 - 雪代マリ、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター'''<ref>{{Cite web|和書 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]] |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/mari.html |title=雪代 マリ CV:田野 アサミ |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=2023-01-24}}</ref>''' * 生年不明 - 七種茨、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ensemble-stars.jp/characters/saegusa_ibara/ |title=七種 茨(さえぐさ いばら) |accessdate=2023-02-03 |publisher=Happy Elements |website=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref> <!-- * 生年不明 - [[ときめきメモリアル2の登場人物#メインキャラクター|佐倉楓子]]、ゲーム『[[ときめきメモリアル2]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 堂本翔、漫画『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 長山ひろし、漫画『[[ディーふらぐ!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - マリア・サントス、ゲーム『[[サンパギータ]]』に登場するキャラクター --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|14 November}} {{新暦365日|11|13|11|15|[[10月14日]]|[[12月14日]]|[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]|1114|11|14}} {{1年の月と日}}
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11月15日
11月15日(じゅういちがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から319日目(閏年では320日目)にあたり、年末まであと46日ある。
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11月15日(じゅういちがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から319日目(閏年では320日目)にあたり、年末まであと46日ある。
{{カレンダー 11月}} '''11月15日'''(じゅういちがつじゅうごにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から319日目([[閏年]]では320日目)にあたり、年末まであと46日ある。 == できごと == [[File:Fawkes arrest2.jpg|thumb|140px|[[火薬陰謀事件]](1605)。捕縛される[[ガイ・フォークス]]]] [[File:Bundesarchiv Bild 102-00238, Vernichtung von Papiergeld.jpg|thumb|140px|[[レンテンマルク]]発行(1923)。旧[[パピエルマルク]]との交換レートは1:1兆]] [[File:LDP launching conventin.jpg|thumb|140px|[[保守合同]]による[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の発足(1955)。[[55年体制]]が成立]] [[File:Intel 4004.jpg|thumb|140px|世界初の商用[[マイクロプロセッサ]]、[[Intel 4004]]発売(1971)]] [[File:ブルーリボンバッジ.jpg|thumb|140px|[[横田めぐみ]][[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致事件]](1977)画像はブルーリボンバッジ]] [[File:MiharaMountain.JPG|thumb|140px|[[伊豆大島]]、[[三原山]]噴火(1986)]] * [[1533年]] - [[フランシスコ・ピサロ]]の一行が[[インカ帝国]]の首都[[クスコ]]に入城。 * [[1605年]]([[ユリウス暦]][[11月5日]]) - [[火薬陰謀事件]]。[[ガイ・フォークス]]らが[[イギリス]]国王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]らの爆殺を企てるも失敗。 * [[1777年]] - [[大陸会議]]において[[13植民地]]が[[連合規約]]を採択。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: 北軍の[[ウィリアム・シャーマン]]将軍が[[海への進軍]]を開始。 * [[1874年]] ‐ [[犬吠埼灯台]]竣工<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.kaiho.mlit.go.jp/03kanku/choshi/inubo/140th/index.html |title=犬吠埼灯台点灯140周年! |access-date=29 Mar 2023 |publisher=銚子海上保安部}}</ref>。 * [[1889年]] - [[ブラジル帝国]]で[[デオドロ・ダ・フォンセカ]]らによる軍事クーデター。ブラジル皇帝[[ペドロ2世 (ブラジル皇帝)|ペドロ2世]]を廃位させ共和制を宣言。 * [[1903年]] - 『[[萬朝報]]』を退社した[[幸徳秋水]]らが設立した[[平民社]]が『平民新聞』を発刊。 * [[1911年]] - [[東京市]]が芝と浅草に職業紹介所を開設。日本初の[[公共職業安定所|公共職業紹介所]]。 * [[1920年]] - [[ジュネーヴ]]で[[国際連盟]]の第1回総会が開催。 * [[1923年]] - [[ドイツ]]で[[ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション|ハイパーインフレ]]からの経済立て直しのため、臨時通貨[[レンテンマルク]]を発行。 * [[1926年]] - アメリカのラジオ放送ネットワーク[[NBC]]で最初のラジオが放送される<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/topic/National-Broadcasting-Co-Inc |title=National Broadcasting Co., Inc.|American corporation |access-date=29 Mar 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。 * [[1935年]] - [[マニュエル・ケソン]]が[[フィリピン自治領]]の初代[[フィリピンの大統領|大統領]]に就任。 * [[1942年]] - [[関門トンネル (山陽本線)|関門鉄道トンネル]]が旅客営業開始。[[1942年11月15日国鉄ダイヤ改正|大規模ダイヤ改正]]をそれに伴い実施。 * 1942年 - [[第三次ソロモン海戦]]第二夜戦で、アメリカ戦艦[[ワシントン (BB-56)]]の砲撃を受け日本海軍の[[霧島 (戦艦)|戦艦霧島]]が沈没<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0060024 |title=太平洋戦争80年 アーカイブスでたどる 終戦までの道 1942年11月14日(土)~15日(日)第3次ソロモン海戦(第2夜戦) |access-date=29 Mar 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]]}}</ref>。 * [[1945年]] - [[ベネズエラ]]が[[国際連合]]に加盟。 * 1945年 - [[台北帝国大学]]が[[中華民国]]に接収され、[[国立台湾大学|台湾大学]]となる。 * [[1948年]] - [[イギリス連邦]]史上最長の3期22年にわたり[[カナダ首相]]を務めた[[ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング]]に代わり、{{仮リンク|ルイ・サンローラン|en|Louis St. Laurent}}が就任。 * [[1950年]] - [[朝鮮戦争]]の最中、元山沖でアメリカ軍の大型曳船LT636号が[[機雷|触雷]]して沈没、徴用の形でアメリカ軍に労務提供をしていた日本人船員27人中22名が死亡<ref>朝鮮戦争に邦人「戦死者」極秘、27年目に明かす 元神奈川県職員『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月18日、13版、23面</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.nids.mod.go.jp/publication/mh_tokushu/pdf/mh001_05.pdf |title=朝鮮戦争と日本の関わり ―忘れ去られた海上輸送― |access-date=29 Mar 2023 |publisher=[[防衛省]] [[自衛隊]] |page=15(47) |format=[[PDF]]}}</ref>。 * [[1955年]] - [[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]と[[日本民主党]]が合併し、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]が誕生。([[保守合同]]) * [[1959年]] - [[ドイツ社会民主党]]が[[ゴーデスベルク綱領]]を採択。 * [[1964年]] - [[シンザン]]が[[菊花賞]]で勝利し、[[セントライト]]以来23年ぶり、日本競馬史上2頭目の[[三冠 (競馬)|三冠馬]]となる。 * [[1968年]] - 都営地下鉄1号線([[都営地下鉄浅草線|浅草線]])が全線開通。 * [[1969年]] - [[バレンツ海]]でソ連とアメリカの原子力潜水艦、「[[K-19 (原子力潜水艦)|K-19]]」と「[[ガトー (原子力潜水艦)|ガトー]]」が衝突。 * [[1970年]] - 沖縄で復帰に向けた[[国政参加選挙]]の投票が行われる<ref>一票に28年の思い込め 雨中、予想外の出足 「これで心から日本人」『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月16日朝刊 12版 23面</ref>。 * [[1971年]] - [[インテル]]が世界初の[[マイクロプロセッサ]][[Intel 4004|4004]]の発売を開始。 * [[1975年]] - [[第1回先進国首脳会議]](サミット)が[[フランス]]の[[ランブイエ]]で開催。[[11月17日]]まで。 * [[1977年]] - 新潟市で[[横田めぐみ]]が下校途中に[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の工作員に[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致]]される。 * 1977年 - 大阪万博跡地に[[国立民族学博物館]]が開館。 * [[1982年]] - [[上越新幹線]]の[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] - [[新潟駅]]間が開通。[[1982年11月15日国鉄ダイヤ改正|大規模ダイヤ改正]]を同時実施。 * [[1983年]] - [[キプロス紛争]]: [[北キプロス・トルコ共和国]]が独立を宣言。 * [[1986年]] - [[三井物産マニラ支店長誘拐事件]]: [[三井物産]][[マニラ]]支店長が誘拐される<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jiji.com/jc/v2?id=sufferings_19 |title=三井物産マニラ支店長誘拐事件 |access-date=29 Mar 2023 |publisher=[[時事通信社]] |website=JIJI.COM}}</ref>。 * 1986年 - [[日米繊維交渉]]が決着。 * 1986年 - [[伊豆大島]]の[[三原山]]が12年ぶりに噴火<ref>{{Cite web|和書 |url=https://gendai.media/articles/-/68366 |title=11月15日 伊豆大島の三原山が大噴火(1986年) |access-date=29 Mar 2023 |publisher=[[講談社]] |work=サイエンス365days |date=15 Nov 2020}}</ref>。 * [[1988年]] - [[パレスチナ問題]]: [[パレスチナ民族評議会]]で独立国家[[パレスチナ国]]の樹立を宣言。 * 1988年 - 「ソ連版[[スペースシャトル]]」と呼ばれるソ連の宇宙船「[[ブラン (オービタ)|ブラン]]」が最初で最後の打ち上げ。 * [[1999年]] - [[H-IIロケット8号機]]により[[MTSAT|運輸多目的衛星MTSAT-1]]を打ち上げ。ロケットの制御不能により海上で爆破。 * [[2000年]] - [[高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律|交通バリアフリー法]]施行。 * [[2001年]] - [[マイクロソフト]]が[[北米]]で[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]を発売。 * [[2004年]] - 人口5人の[[ワイ公国]]が建国。 * [[2006年]] - [[千島列島沖地震 (2006年)|千島列島沖地震]]が発生。M7.9の地震で最大震度は北海道・東北地方で震度2。津波は広い範囲で観測され、伊豆諸島の三宅島坪田で最大の高さ84cmを観測。 * [[2007年]] - [[サイクロン・シドル]]が[[バングラデシュ]]西部に上陸。約5000人が死亡。 * [[2013年]] - [[PlayStation 4]]が[[アメリカ合衆国]]と[[カナダ]]で発売<ref>{{Cite web|和書 |date=15 Nov 2013 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD150KI_V11C13A1TJ1000/ |title=プレステ「4」を米・カナダで先行発売 SCE、日本は2月 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=29 Mar 2023}}</ref>。 * [[2017年]] - [[2017年ジンバブエクーデター]]: ジンバブエ国軍が首都[[ハラレ]]で国営放送局など主要施設を占拠。[[ロバート・ムガベ]]大統領を自宅軟禁下に置く<ref>{{Cite web|和書 |date=16 Nov 2017 |url=https://www.cnn.co.jp/world/35110491.html |title=軍が首都掌握、ムガベ大統領を自宅軟禁に ジンバブエ |publisher=Cable News Network. A Warner Bros. Discovery Company. |accessdate=29 Mar 2023 |website=CNN.co.jp}}</ref>。 * 2017年 - [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の[[油彩画]]、『[[サルバトール・ムンディ]]』がオークションにかけられ、4億ドル(手数料などを除く)で落札<ref>{{Cite web|和書 |date=16 Nov 2017 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2353993016112017000000/ |title=ダビンチの謎多き油絵、過去最高の510億円で落札 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=29 Mar 2023}}</ref>。 * 2017年 - [[浦項地震]]: [[大韓民国|韓国]]、[[浦項市]]でM5.4の地震<ref>{{Cite web|和書 |date=16 Nov 2017 |url=http://japanese.joins.com/article/481/235481.html |title=<浦項地震>韓国南東部でM5.4の地震…大学修能試験が1週間延期に |publisher=[[中央日報]] |accessdate=29 Mar 2023}}</ref>。 * [[2020年]] - [[東アジア地域包括的経済連携|RCEP(東アジア地域包括的経済連携)]]に15ヶ国が署名。自由貿易経済圏が誕生。 * [[2022年]] - [[世界人口]]が80億人を突破<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221115/k10013891361000.html |access-date=29 Mar 2023 |title=世界の人口 80億人突破へ インドやアフリカなどで増加が顕著に |publisher=[[日本放送協会|NHK]]}}</ref>。 {{-}} == 誕生日 == [[File:William Pitt, 1st Earl of Chatham after Richard Brompton cropped.jpg|thumb|226x226px|植民地争奪戦に勝ち抜き、[[大英帝国]]覇権の礎を築いた大ピットこと[[ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)|ウィリアム・ピット]](1708-1778)誕生]] [[File:William Herschel01.jpg|thumb|214x214px|[[天王星]]を発見した[[イギリス]]の[[天文学者]]、[[ウィリアム・ハーシェル]](1738-1822)誕生]] {{multiple image | caption1 = [[小説家]]、[[岡本綺堂]](1872-1939)誕生。『[[半七捕物帳]]』の作者 | image1 = Kido okamoto.jpg | width1 = 100 | alt1 = 岡本綺堂 | caption2 = 星の和名の収集研究で知られる[[随筆家]]、[[野尻抱影]](1885-1977)誕生 | image2 = Nijiri Hoei.jpg | width2 = 100 | alt2 = 野尻抱影 }} [[File:Hitoshi Ashida.jpg|thumb|246x246px|第47代[[内閣総理大臣]]、[[芦田均]](1887-1959)誕生]] [[File:Blue-green.jpg|thumb|209x209px|[[20世紀]][[アメリカ合衆国]]を代表する女性[[画家]]、[[ジョージア・オキーフ]](1887-1986)誕生。画像は《Blue and Green Music》(1921)]] [[File:Manuel II of Portugal.jpg|thumb|241x241px|[[ポルトガル]]最後の国王、[[マヌエル2世 (ポルトガル王)|マヌエル2世]](1889-1932)誕生]] [[File:Erwin Rommel.jpg|thumb|264x264px|[[ドイツ国|ドイツ]]の[[軍人]]、[[エルヴィン・ロンメル]](1891-1944)誕生]] * [[1316年]] - [[ジャン1世 (フランス王)|ジャン1世]]、フランスの国王(+ [[1316年]]) * [[1397年]] - [[ニコラウス5世 (ローマ教皇)|ニコラウス5世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1455年]]) * [[1498年]] - [[レオノール・デ・アウストリア]]、ポルトガル、フランスの王妃(+ [[1558年]]) * [[1511年]] - ヨハネス・セクンドゥス ([[:en:Johannes Secundus|Johannes Secundus]])、詩人(+ [[1536年]]) * [[1559年]] - [[アルブレヒト・フォン・エスターライヒ (1559-1621)|アルブレヒト・フォン・エスターライヒ]]、ネーデルランド総督(+ [[1621年]]) * [[1607年]] - {{仮リンク|マドレーヌ・ド・スキュデリ|en|Madeleine de Scudéry}}、作家(+ [[1701年]]) * [[1688年]] - {{仮リンク|ルイ・ベルトラン・カステル|en|Louis Bertrand Castel}}、数学者(+ [[1757年]]) * [[1698年]] ([[元禄]]11年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]])- [[堀直為]]、第4代[[村松藩|村松藩主]] (+ [[1743年]]) * [[1708年]] - チャタム伯[[ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)|ウィリアム・ピット]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1778年]]) * [[1737年]] ([[元文]]2年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]])- [[池田政員]]、第3代[[生坂藩|生坂藩主]] (+ [[1767年]]) * [[1738年]] - [[ウィリアム・ハーシェル]]、天文学者(+ [[1822年]]) * [[1741年]] - [[ヨハン・カスパー・ラヴァーター]]、哲学者、詩人(+ [[1801年]]) * [[1754年]] ([[宝暦]]4年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]])- [[松平直行]]、第5代[[母里藩|母里藩主]] (+ [[1829年]]) * [[1757年]] - [[ジャック・ルネ・エベール]]、[[フランス革命]]のジャコバン派内エベール派リーダー(+ [[1794年]]) * [[1769年]] ([[明和]]6年[[10月18日 (旧暦)|10月18日]])- [[森快温]]、第5代[[三日月藩|三日月藩主]] (+ [[1801年]]) * [[1778年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニ]]、[[探検家]](+ [[1823年]]) * [[1784年]] - [[ジェローム・ボナパルト]]、[[ヴェストファーレン王国|ヴェストファーレン王]](+ [[1860年]]) * [[1815年]]([[文化 (元号)|文化]]12年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]])- [[田崎草雲]]、[[南画|南画家]](+ [[1898年]]) * 1815年(文化12年10月15日)- [[稲葉正巳]]、第4代[[館山藩|館山藩主]] (+ [[1879年]]) * [[1834年]] - [[宇都宮三郎]]、軍学者(+ [[1902年]]) * [[1852年]] - [[タウフィーク]]、[[ムハンマド・アリー朝]]エジプト副王(+ [[1892年]]) * [[1862年]] - [[ゲアハルト・ハウプトマン]]、[[劇作家]](+ [[1946年]]) * [[1872年]]([[明治]]5年10月15日) - [[岡本綺堂]]、[[小説家]](+ [[1939年]]) * [[1874年]] - [[アウグスト・クローグ]]、生物学者(+ [[1949年]]) * 1874年 - [[チャールズ・メリアム]]、[[政治学者]](+ [[1953年]]) * 1874年 - [[ディミトリオス・ゴレミス]]、陸上選手(+ [[1941年]]) * [[1877年]] - [[ウィリアム・H・ホジスン]]、小説家(+ [[1918年]]) * [[1875年]] - [[宇野哲人]]、漢文学者(+ [[1974年]]) * [[1882年]] - [[フェリックス・フランクファーター]]、法学者(+ [[1965年]]) * [[1884年]] - [[中野武二]]、[[野球選手]](+ [[1947年]]) * [[1885年]] - [[野尻抱影]]、随筆家(+ [[1977年]]) * [[1886年]] - [[ルネ・ゲノン]]、作家(+ [[1951年]]) * [[1887年]] - [[芦田均]]、[[政治家]]、第47代[[内閣総理大臣]]、[[法学者|法学博士]](+ [[1959年]]) * 1887年 - [[ジョージア・オキーフ]]、[[画家]](+ [[1986年]]) * [[ファイル:Olga1910.jpg|サムネイル|231x231ピクセル|[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の第一皇女、[[新致命者]][[オリガ・ニコラエヴナ (ニコライ2世皇女)|オリガ・ニコラエヴナ]](1895-1918)誕生]][[1889年]] - [[マヌエル2世 (ポルトガル王)|マヌエル2世]]、ポルトガル王(+ [[1932年]]) * [[1890年]] - [[富田砕花]]、詩人、歌人(+ [[1984年]]) * [[1891年]] - [[エルヴィン・ロンメル]]、[[軍人]](+ [[1944年]]) * 1891年 - [[W・アヴェレル・ハリマン]]、外交官、[[ニューヨーク州知事]](+ [[1986年]]) * 1891年 - [[市岡忠男]]、[[野球選手]](+ [[1964年]]) * [[1893年]] - [[中山歌子]]、女優(+ [[1928年]]) * [[1895年]] - [[オリガ・ニコラエヴナ (ニコライ2世皇女)|オリガ・ニコラエヴナ]]、[[ロシア帝国|ロシア皇帝]][[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の第一皇女、[[新致命者]](+ [[1918年]]) * [[1896年]] - [[大下宇陀児]]、探偵小説家(+ [[1966年]]) * [[1897年]] - [[アナイリン・ベヴァン]] 、政治家(+ [[1965年]]) * [[1903年]] - [[星野立子]]、[[俳人]](+ [[1984年]]) * 1903年 - [[玉錦三右エ門]]、力士(+ [[1938年]]) * [[1905年]] - [[原民喜]]、小説家、[[詩人]]、[[童話]]作家(+ [[1951年]]) * 1905年 - [[マントヴァーニ]]、編曲者、指揮者(+ [[1980年]]) * 1905年 - [[浪越徳治郎]]、指圧師(+ [[2000年]]) * [[1906年]] - [[久保為義]]、映画監督、脚本家(+ [[1942年]]) * 1906年 - [[カーチス・ルメイ]]、軍人(+ [[1990年]]) * 1906年 - [[野々村一男]]、[[彫刻家]](+ [[2008年]]) * [[1907年]] - [[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]]、軍人(+ [[1944年]]){{multiple image | caption1 = [[イージーリスニング]]の第一人者、[[イギリス]]の[[編曲家]]にして[[指揮者]]、[[マントヴァーニ]](1905-1980)誕生 | image1 = Annunzio Paolo Mantovani (1970).jpg | width1 = 110 | alt1 = マントヴァーニ | caption2 = [[指圧]]療法創始者、[[浪越徳治郎]](1905-2000)誕生 | image2 = Namikoshi tokujiro 20150503.jpg | width2 = 100 | alt2 = 浪越徳治郎 | caption3 = [[ABBA]][[ボーカル]]、フリーダ・リングスタッドこと[[アンニ=フリッド・リングスタッド]](1945-)誕生 | image3 = Frida Lyngstad Schiphol 1976.jpg | width3 = 100 | alt3 = フリーダ }} * 1907年 - [[松平一郎]]、[[銀行家]](+ [[1992年]]) * [[1913年]] - [[宮口精二]]、俳優(+ [[1985年]]) * [[1921年]] - [[渡辺絢吾]]、元[[プロ野球選手]] * [[1922年]] - [[フランチェスコ・ロージ]]、[[映画監督]](+ [[2015年]]) * [[1923年]] - [[池田善蔵]]、元プロ野球選手 * [[1925年]] - [[ハワード・H・ベーカー・ジュニア]]、政治家(+ [[2014年]]) * 1925年 - [[ユーリー・ダニエリ]]、作家(+ [[1988年]]) * [[1927年]] - [[森三平太]]、[[俳優]](+ [[2006年]]) * [[1929年]] - [[エドワード・アズナー]]、俳優(+ [[2021年]]) * [[1930年]] - [[J・G・バラード]]、SF作家(+ [[2009年]]) * 1930年 - [[笹沢左保]]、小説家(+ [[2002年]]) * [[1931年]] - [[ムワイ・キバキ]]、[[ケニア]]第3代[[ケニアの大統領|大統領]](+ [[2022年]]) * 1931年 - [[パスカル・リスバ]]、コンゴ共和国大統領(+ [[2020年]]) * [[1932年]] - [[ペトゥラ・クラーク]]、女優、作曲家 * 1932年 - [[チア・シム]]、政治家(+ [[2015年]]) * 1932年 - [[クライド・マクファター]]、歌手(+ [[1972年]]) * [[1933年]] - [[セオドア・ローザック]]、歴史学者、作家 (+ [[2011年]]) * [[1934年]] - [[内田康夫]]、[[推理作家]] (+ [[2018年]]) * [[1935年]] - [[肝付兼太]]、[[声優]](+ [[2016年]]<ref name="oricon1024">{{Cite web|和書 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2080417/full/ |title=声優の肝付兼太さん死去 『ドラえもん』初代スネ夫役 |accessdate=29 Mar 2023 |date=24 Oct 2016 |publisher=[[ORICON NEWS]]}}</ref>) * 1935年 - [[小林久三]]、[[小説家]](+ 2006年) * [[1936年]] - [[ヴォルフ・ビーアマン]]、詩人 * [[1938年]] - [[並木輝男]]、元プロ野球選手(+ [[1988年]]) * 1938年 - [[醍醐猛夫]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]) * [[1939年]] - [[ヤフェット・コットー]]、俳優(+ [[2021年]]) * 1939年 - [[加藤みどり]]、声優 * 1939年 - [[神田川俊郎]]、[[日本料理]]人 (+ [[2021年]]) * 1939年 - [[しのだひでお]]、[[漫画家]](+ [[2022年]]) * 1939年 - [[内藤国雄]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]] * [[1940年]] - [[サム・ウォーターストン]]、俳優 * 1940年 - [[ロベルト・カバリ]]、[[ファッションデザイナー]] * [[1942年]] - [[ダニエル・バレンボイム]]、[[指揮者]]、[[ピアニスト]] * [[1943年]] - [[床寿]]、大相撲元特等[[床山]](+ [[2019年]]) * [[1944年]] - [[飛松五男]]、元警察官 * [[1945年]] - [[ボブ・ガントン]]、俳優 * 1945年 - [[ロジャー・ドナルドソン]]、映画監督 * 1945年 - [[アンニ=フリッド・リングスタッド]]、ボーカリスト([[ABBA]]) * [[1947年]] - [[ビル・リチャードソン]]、[[ニューメキシコ州]]知事(+ [[2023年]]) * 1947年 - [[ボヤン・クライツァ]]、[[チェス]]選手 * [[1948年]] - [[ラビア・カーディル]]、人権運動家 * 1948年 - [[平松邦夫]]、元アナウンサー、元[[大阪市長]] * [[1950年]] - [[遠藤ミチロウ]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[ミュージシャン]] (+ [[2019年]]) * 1950年 - [[乗替寿好]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[ビヴァリー・ダンジェロ]]、歌手、女優 * 1951年 - [[間柴茂有]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[ランディ・サベージ]]、プロレスラー(+ [[2011年]]) * [[1953年]] - [[二宮至]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[中島啓江]]、[[オペラ]]歌手(+ [[2014年]]) * [[1958年]] - [[三浦リカ]]、[[俳優|女優]] * 1958年 - [[堀井恒雄]]、元プロ野球選手 * 1958年 - [[幾米]](ジミー・リャオ)、[[絵本作家]]、[[イラストレーター]] * [[1959年]] - [[及川浩司]]、元レーシングドライバー * [[1961年]] - [[高木完]]、[[ヒップホップ]][[ミュージシャン]]、DJ、プロデューサー * 1961年 - [[小早川毅彦]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[三宅正治]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]] * [[1963年]] - [[大豊泰昭]]、元プロ野球選手(+ [[2015年]]) * 1963年 - [[北久保弘之]]、アニメーション監督 * [[1964年]] - [[土門秀明]]、ギタリスト、[[大道芸|バスカー]] * 1964年 - [[長谷川達栄]]、元プロ野球選手 * [[1965年]] - [[松原秀典]]、アニメーター * 1965年 - [[秋山嘉子]]、[[声優]]、俳優 * [[1967年]] - [[米倉紀之子]]、女優 * 1967年 - [[グスタボ・ポジェ]]、元サッカー選手、指導者 * 1967年 - [[フランソワ・オゾン]]、映画監督、脚本家 * [[1968年]] - [[福井晴敏]]、小説家 * 1968年 - [[オール・ダーティー・バスタード]]、ラッパー(+ [[2004年]]) * 1968年 - [[式守勘太夫 (12代)|12代式守勘太夫]]、大相撲幕内格行司 * [[1969年]] - [[長野正実]]、アナウンサー * 1969年 - [[栃乃藤達之]]、元大相撲力士、[[若者頭]] * [[1970年]] - [[パトリック・エムボマ]]、元[[サッカー選手]] * 1970年 - [[平山祐介]]、俳優、[[ファッションモデル]] * [[1971年]] - [[ダグラス・ホワイト]]、[[騎手]] * 1971年 - [[シライシ紗トリ]]、[[ミュージシャン]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[音楽プロデューサー]] * [[1972年]] - [[ダーウィン・クビアン|ダーウィン]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[ジョニー・リー・ミラー]]、女優 * 1972年 - [[中村靖日]]、俳優 * [[1973年]] - [[清水直樹 (レーサー)|清水直樹]]、[[モーターサイクル]]レーサー * 1973年 - [[木村美穂]]、お笑いタレント([[阿佐ヶ谷姉妹]]) * 1973年 - [[シドニー・ターミア・ポワチエ]]、女優 * 1973年 - [[戸賀崎智信]]、元[[AKB48]]グループカスタマーセンター長 * [[1974年]] - [[セルジオ・コンセイソン]]、サッカー選手 * 1974年 - [[チャド・クルーガー]]、ボーカリスト、ギタリスト([[ニッケルバック]]) * 1974年 - [[松本秀樹]]、お笑いタレント、グッドドッグライフプランナー * 1974年 - [[やついいちろう]]、お笑い芸人([[エレキコミック]]) * 1974年 - [[ジルベルト・メンデス]]、元野球選手{{multiple image | caption1 = [[サッカー]]元[[カメルーン]]代表、[[パトリック・エムボマ]](1970-)誕生。日本でも[[ガンバ大阪]]などで活躍 | image1 = Ancien du PSG Patrick Mboma.jpg | width1 = 100 | alt1 = エムボマ | caption2 = ロックバンド[[ニッケルバック]]のボーカル、[[チャド・クルーガー]](1974-)誕生 | image2 = Chad Kroeger solo.jpg | width2 = 100 | alt2 = クルーガー }} * [[1975年]] - [[大南敬美]]、陸上選手([[マラソン]]) * [[1976年]] - [[ヴィルジニー・ルドワイヤン]]、女優 * [[1977年]] - [[増田みのり]]、アナウンサー * 1977年 - [[ショーン・マーレイ (俳優)|ショーン・マーレイ]]、俳優 * 1977年 - [[CIMA (プロレスラー)|CIMA]]、プロレスラー * [[1978年]] - [[ひびき玲音]]、イラストレーター * [[1979年]] - [[名和秋]]、[[プロボウラー]] * 1979年 - [[ホセ・ミゲル・ゴンサレス・レイ|ホセミ]]、サッカー選手 * 1979年 - [[ブレット・ランカスター]]、自転車選手 * [[1980年]] - [[竹仲絵里]]、シンガーソングライター * [[1981年]] - [[ロレーナ・オチョア]]、元[[プロゴルファー]] * 1981年 - [[二階堂亜樹]]、プロ雀士 * 1981年 - [[ヴィクトリア・マキシウタ]]、フィギュアスケート選手 * [[1982年]] - [[久保田祐佳]]、元アナウンサー * {{multiple image | caption1 = [[DRAGON GATE]]旗揚げからの中心選手である[[プロレスラー]]、[[CIMA (プロレスラー)|CIMA]](1977-)誕生 | image1 = CIMA2016.jpg | width1 = 100 | alt1 = CIMA | caption2 = [[AKB48]]、[[峯岸みなみ]](1992-)誕生 | image2 = AKB48 20090704 Japan Expo 14.jpg | width2 = 120 | alt2 = 峯岸みなみ }}1982年 - [[白石みき]]、[[タレント]] * 1982年 - [[平井理央]]、タレント、アナウンサー * 1982年 - [[久志麻理奈]]、元アイドル(元[[チェキッ娘]]) * 1982年 - [[黒岩司]]、俳優 * [[1983年]] - [[ヨニー・ハイティンハ]]、サッカー選手 * 1983年 - [[フェルナンド・ベルダスコ]]、テニス選手 * 1983年 - [[ローラ・スメット]]、女優 * 1983年 - [[森田交一]]、作曲家 * [[1985年]] - [[デュアン・ビロウ]]、プロ野球選手 * 1985年 - [[小林祐三]]、サッカー選手 * [[1986年]] - [[サニア・ミルザ]]、テニス選手 * 1986年 - [[福田悠太]]、アイドル([[ふぉ〜ゆ〜]]) * 1986年 - [[浅井未来]]、プロウェークボードライダー * 1986年 - [[飯泉学]]、俳優 * 1986年 - [[霜月はるか]]、歌手 * 1986年 - 辻、お笑いタレント([[ニッポンの社長]]) * [[1987年]] - [[イサイア・オズボーン]]、サッカー選手 * 1987年 - [[ウエスP]]、お笑い芸人 * [[1988年]] - [[園原みか]]、元[[AV女優]] * 1988年 - [[小島慎也]]、[[チェスプレーヤーの一覧|チェスプレーヤー]] * 1988年 - [[B.o.B]]、[[MC (ヒップホップ)|ラッパー]]  * [[1989年]] - [[上脇結友]]、女優 * [[1990年]] - [[本郷奏多]]、俳優 * 1990年 - [[もこう]]、YouTuber * 1990年 - [[谷澤恵里香]]、元タレント、元アイドル(元[[アイドリング!!! (アイドルグループ)|アイドリング!!!]]) * 1990年 - [[アデバヨ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ルカシュ・クルパレク]]、柔道選手 * [[1991年]] - [[南登千明]]、シンガーソングライター、元子役 * 1991年 - [[シャイリーン・ウッドリー]]、女優 * 1991年 - [[山本大貴 (サッカー選手)|山本大貴]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[峯岸みなみ]]、タレント、アイドル(元[[AKB48]]) * 1992年 - [[ディラン・バンディ]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[紗綾]]、タレント、女優、元[[グラビアアイドル]] * 1993年 - [[ニコライ・モロシュキン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1993年 - [[パウロ・ディバラ]]、サッカー選手 * [[1994年]] - [[早乙女萌]]、元グラビアアアイドル * [[1995年]] - [[泉ひかり]]、タレント、[[パルクール]]選手 * 1995年 - [[カール=アンソニー・タウンズ]]、バスケットボール選手 * [[1996年]] - [[渡部香生子]]、[[競泳]]選手 * 1996年 - [[山川晃司]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[秋本帆華]]、アイドル([[TEAM SHACHI]]) * 1997年 - [[森唯菜]]、アナウンサー * [[1998年]] - [[渋野日向子]]、プロゴルファー * 1998年 - [[太田龍]]、プロ野球選手 * [[1999年]] - [[平良海馬]]、プロ野球選手 * 1999年 - [[富田美憂]]、声優 * 1999年 - [[髙橋優斗]]、アイドル([[ジャニーズJr.]]、[[HiHi Jets]]) * 1999年 - 岡谷柚奈、シンガーソングライター([[703号室]]) * [[2000年]] - [[山下航汰]]、元プロ野球選手 * [[2002年]] - ジェイク、アイドル([[ENHYPEN]]) * [[2003年]] - [[延命杏咲実]]、タレント、元子役、元アイドル(元[[ラストアイドル]]) * 生年不明 - [[福崎正之]]、声優 * 生年不明 - [[河内実加]]<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.asahi-net.or.jp/%7Erj4m-kwc/prof2.html |title=自己紹介 河内実加(かわち みか)Kawachi Mica |accessdate=29 Mar 2023}}</ref>、漫画家 * 生年不明 - [[野中友]]<ref>{{Twitter status|u_nonaka|930548649162977280}}</ref>、漫画家、[[同人作家]] == 忌日 == * [[625年]] - [[マロ (聖人)|マロ]]、[[キリスト教]][[聖人]] * [[1280年]] - [[アルベルトゥス・マグヌス]]、キリスト教[[神学者]](* [[1193年]]頃) * [[1426年]]([[応永]]33年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]])- [[細川満元]]、[[室町幕府]]の[[管領]](* [[1378年]]) * [[1630年]] - [[ヨハネス・ケプラー]]、[[天文学者]]、[[数学者]](* [[1571年]]) * [[1649年]]([[慶安]]2年[[10月11日 (旧暦)|10月11日]])- [[近衛信尋]]、[[江戸時代]]の[[関白]](* [[1599年]]) * [[1670年]] - [[コメニウス]]、[[宗教家]]・教育家(* [[1592年]]) * [[1679年]]([[延宝]]7年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]])- [[飛鳥井雅章]]、江戸時代の[[大納言|権大納言]](* [[1611年]]) * [[1708年]]([[宝永]]5年[[10月4日 (旧暦)|10月4日]])- [[安藤直名]]、[[紀州藩]][[家老|付家老]](* [[1680年]]) * [[1722年]]([[享保]]7年[[10月7日 (旧暦)|10月7日]])- [[織田長清]]、第4代[[芝村藩|戒重藩主]](* [[1662年]]) * [[1781年]] - [[トゥパク・カタリ]]、[[アイマラ]]の指導者(* [[1750年]]) * [[1787年]] - [[クリストフ・ヴィリバルト・グルック]]、[[作曲家]](* [[1714年]]) * [[1802年]] - [[ジョージ・ロムニー (画家)|ジョージ・ロムニー]]、[[画家]](* [[1734年]]) * [[1807年]]([[文化 (元号)|文化]]4年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]])- [[黒田長舒]]、第8代[[秋月藩|秋月藩主]](* [[1765年]]) * [[1819年]] - [[ダニエル・ラザフォード]]、[[化学者]]、[[物理学者]](* [[1749年]]) * [[1832年]] - [[ジャン=バティスト・セイ]]、[[経済学者]](* [[1767年]]) * [[1835年]] - [[ヨハン・ビュルグ]]、[[天文学者]](* [[1766年]]) * [[1839年]] - [[ウィリアム・マードック]]、[[技術者]]、[[発明家]](* [[1754年]]) * [[1848年]]([[嘉永]]元年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]])- [[阿部正定]]、第5代[[白河藩|白河藩主]](* [[1823年]]) * [[1853年]] - [[マリア2世 (ポルトガル女王)|マリア2世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]・[[ブラガンサ王朝]]の女王(* [[1819年]]) * [[1867年]]([[慶応]]3年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]])- [[林忠旭]]、初代[[請西藩|請西藩主]](* [[1805年]]) * [[1888年]] - [[マクシミリアン・ヨーゼフ・イン・バイエルン]]、[[バイエルン王国|バイエルン]]の王族(* [[1808年]]) * [[1908年]]([[光緒]]34年[[10月22日 (旧暦)|10月22日]])- [[西太后]]、[[清]]・[[咸豊帝]]の皇后(* [[1835年]]) * [[1915年]] - [[ブッカー・T・ワシントン]]、教育家(* [[1856年]]) * [[1916年]] - [[ヘンリク・シェンキェヴィチ]]、[[小説家]](* [[1846年]]) * [[1917年]] - [[エミール・デュルケーム]]、社会学者、人類学者(* [[1858年]]) * [[1919年]] - [[アルフレッド・ウェルナー]]、[[化学者]](* [[1866年]]) * 1919年 - [[松平忠敬]]、第5代[[忍藩|忍藩主]](* [[1855年]]) * [[1921年]] - [[ジェームズ・ヘンリー・ジョンソン]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1874年]]) * [[1941年]] - [[小川琢治]]、[[地質学|地質学者]]、[[地理学者]](* [[1870年]]) * [[1954年]] - [[ライオネル・バリモア]]、[[俳優]](* [[1878年]]) * [[1959年]] - [[チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン|チャールズ・ウィルソン]]、[[物理学者]](* [[1869年]]) * [[1963年]] - [[フリッツ・ライナー]]、[[指揮者]](* [[1888年]]) * [[1966年]] - [[ウィリアム・ゾラック]]、[[彫刻家]](* [[1887年]]) * [[1968年]] - [[チャールズ・ベーコン]]、陸上競技選手(* [[1883年]]) * [[1969年]] - [[伊藤整]]、小説家(* [[1905年]]) * 1969年 - [[ビリー・サウスワース]]、元プロ野球選手(* [[1893年]]) * [[1971年]] - [[ルドルフ・アベル]]、[[ソビエト連邦]]の[[スパイ|諜報員]](* [[1903年]]) * [[1976年]] - [[ジャン・ギャバン]]、俳優(* [[1904年]]) * [[1978年]] - [[マーガレット・ミード]]、[[文化人類学|文化人類学者]](* [[1901年]]) * [[1980年]] - [[エミリオ・プジョル]]、[[ギタリスト]]、作曲家(* [[1886年]]) * [[1981年]] - [[ヴァルター・ハイトラー]]、[[物理学者]](* [[1904年]]) * [[1991年]] - [[ロバート・マッコール]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1958年]]) * [[1993年]] - [[ジャッキー・カルーラ]]、[[プロボクサー]](* [[1917年]]) * [[1996年]] - [[アルジャー・ヒス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の官僚、ソビエト連邦の諜報員(* [[1904年]]) * [[1997年]] - [[ワグナー・ナンドール]]、[[彫刻家]](* [[1922年]]) * [[1999年]] - [[友納武人]]、元[[千葉県知事一覧|千葉県知事]]、[[自由民主党 (日本)|自民党]][[衆議院議員]](* [[1914年]]) * [[2002年]] - [[孫基禎]]、男子[[マラソン]]選手、[[ベルリンオリンピック|ベルリン五輪]][[金メダル|金メダリスト]](* [[1912年]]) * [[2006年]] - [[石川賢 (漫画家)|石川賢]]、漫画家 (* [[1948年]]) * 2006年 - [[アナ・カロリナ・レストン]]、[[ファッションモデル]](* [[1985年]]) * [[2007年]] - [[ジョー・ナックスホール]]、元プロ野球選手(* [[1928年]]) * [[2008年]] - [[藤田大五郎]]、[[能楽|能楽師]](* [[1915年]]) * 2008年 - [[アイヴァン・サウスオール]]、[[児童文学]]作家(* [[1921年]]) * [[2010年]] - [[星野哲郎]]、[[作詞家]](* [[1925年]]) * 2010年 - [[松本友里]]、元[[タレント]](* [[1968年]]) * [[2012年]] - [[三宅久之]]、[[評論家|政治評論家]]、元[[毎日新聞]]記者(* [[1930年]]) * 2012年 - [[荒川太朗]]、[[声優]](* [[1956年]]) * [[2016年]] - [[藤原てい]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.sankei.com/article/20161118-RL3TZ5A6DZLODLG2CC2NKCUNGQ/ |title=作家の藤原ていさんが死去 「流れる星は生きている」 |access-date=29 Mar 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=18 Nov 2016}}</ref>、[[作家]](* [[1918年]]) * [[2018年]] - [[藤川孝幸]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20181120/865807.html |title=元V川崎のGK藤川孝幸氏が逝去…56歳、胃がんからの“完全復活”叶わず |publisher=サッカーキング |date=20 Nov 2020 |accessdate=29 Mar 2023}}</ref>、元[[サッカー選手]]、指導者(* [[1962年]]) *[[2020年]] - [[よのひかり]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://hochi.news/articles/20201120-OHT1T50100.html?page=1 |title=声優でナレーターのよのひかりさん死去 「セーラームーン」「プラダを着た悪魔」など出演 |access-date=29 Mar 2023 |publisher=[[スポーツ報知]] |date=20 Jul 2020}}</ref><ref>{{Twitter status|PikaYono|1329674570484248576}}</ref>、声優(* [[1974年]]) *[[2023年]] - [[池田大作]]、[[宗教家]]、[[創価学会]]名誉会長・[[創価学会インタナショナル|創価学会インタナショナル(SGI)]]初代会長(* [[1928年]]) == 記念日・年中行事 == * 独立宣言記念日({{PLE}}) *: [[1988年]]、[[パレスチナ]]で前年に始まった第一次インティファーダの最中、パレスチナ民族評議会で独立国家パレスチナ国の樹立が宣言されたことを記念。 * 共和制宣言記念日({{BRA}}) *: [[1889年]]のこの日に[[ブラジル]]で軍事クーデターが起き、皇帝[[ペドロ2世 (ブラジル皇帝)|ペドロ2世]]が廃位され、共和制への移行が宣言されたことを記念。 * [[ドイツ語共同体]]の祝日({{BEL}}) * [[七五三]]({{JPN}}) *: 数え年で男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の時に子の成長を祝い、神社や寺院に参詣する行事。15日になっている理由は7+5+3=15であるため。 *[[コンブ|昆布]]の日({{JPN}}) *:「[[七五三]]」のお祝いにあたるこの日に、昆布を食べ元気に育って欲しいという願いを込めて、社団法人[[日本昆布協会]]が[[1982年]]に制定。 * きものの日({{JPN}}) *: 全日本きもの振興会が[[1966年]]に制定。七五三の日に、家族そろって着物で出かけてほしいとの願いから。 * [[蒲鉾|かまぼこ]]の日({{JPN}}) *: 全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会が[[1983年]]に制定。蒲鉾が初めて文献に登場したのが[[永久 (元号)|永久]]3年([[1115年]])の祝宴の膳の図に描かれていたものとされていることから、1115年の数字の並びから11月15日を記念日とした<ref name="odawara">{{Cite web|和書 |url=http://www.kamaboko.or.jp/saijiki.html |title=かまぼこ歳時記 11月15日は『かまぼこの日』 |publisher=小田原蒲鉾協同組合 |accessdate=29 Mar 2023}}</ref>。七五三に際して子供の成長を祈って紅白のかまぼこを供したことも理由としている<ref name="odawara" />。 * [[生コンクリート]]記念日({{JPN}}) *: 全国生コンクリート工業組合連合会が制定。[[1949年]]のこの日に生コンクリートが初めて市場に出荷されたことを記念。 * 目師会([[日蓮正宗]]) *: [[日目]]の祥月命日にあたるため、総本山[[大石寺]]をはじめ、全ての日蓮正宗寺院において報恩の法要が営まれる。かぶが好きだったことから仏前にかぶを供える。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1115|date=2023年3月}} === 誕生日(フィクション) === * [[1965年]] - 南方仁、漫画・ドラマ『[[JIN-仁-]]』の主人公<ref group="注">原作で坂本竜馬が(旧暦の)11月15日に暗殺されたことについて「自分と同じ誕生日に竜馬が暗殺された」ことを学生時代に興味を持った回想が語られている。</ref> * [[1969年]] - 春日恭介、漫画・アニメ『[[きまぐれオレンジ☆ロード]]』の主人公<ref name=kimagure>{{Cite book |和書|author=まつもと泉|authorlink=まつもと泉|date=1986-12-10|title=きまぐれ☆オレンジロード|volume=10巻|page=148|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=408-8517202}}</ref> * [[1971年]] - 檜山ひかる、漫画・アニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』に登場するキャラクター<ref name=kimagure/> * [[1977年]] - 大佐(敷島大佐)、漫画・アニメ『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://v-storage.bnarts.jp/sp-site/akira/character/ |title=大佐 |work=『AKIRA』4Kリマスター |accessdate=29 Mar 2023 |publisher=[[バンダイナムコフィルムワークス]] マッシュルーム/アキラ製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 琴座のオルフェ、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=28 |title=琴座(ライラ)のオルフェ |author=[[車田正美]] |work=『聖闘士星矢』 |accessdate=29 Mar 2023 |publisher=MUSEUM聖闘士博物館}}</ref> * 生年不明 - 夢火、漫画『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2002-07-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=21|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088732886}}</ref> * 生年不明 - リン、漫画『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2005-04-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=164|publisher= [[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088737348}}</ref> * 生年不明 - 銀城空吾、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.j-bleach.com/chara/04/ginjyo.html |work=『BLEACH』 |title=銀城空吾 |accessdate=29 Mar 2023 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]]}}</ref> * 生年不明 - ノエル・シルヴァ、漫画・アニメ『[[ブラッククローバー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://bclover.jp/character/ |title=Character 黒の暴牛 ノエル・シルヴァ |publisher=[[田畠裕基]]/[[集英社]]・[[テレビ東京]]・ブラッククローバー製作委員会 |accessdate=29 Mar 2023 |work=『ブラッククローバー』}}</ref> * 生年不明 - 前原しのぶ、漫画・アニメ『[[ラブひな]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://king-cr.jp/special/ova_hina/character/cha_shinobu.html |title=前原しのぶ |work=『らぶひなagain』 |accessdate=29 Mar 2023 |publisher=[[キングレコード|King Record.Co.,Ltd.]]}}</ref> * 生年不明 - 仁科恭子、漫画・アニメ『[[月は東に日は西に]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://august-soft.com/hani/chara.htm#kyouko |title=仁科恭子 |work=『月は東に日は西に ~Operation Sanctuary~』 |accessdate=29 Mar 2023 |publisher=[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]]}}</ref> * 生年不明 - 東聡莉、漫画・アニメ『[[BAMBOO BLADE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 海凪小春、漫画・アニメ『[[スローループ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://slowlooptv.com/chara2.html |title=海凪小春 |access-date=29 Mar 2023 |publisher=[[うちのまいこ]]・[[芳文社]]/スローループ製作委員会 |work=『スローループ』}}</ref> * 生年不明 - 岬珊瑚、小説・ゲーム・アニメ『[[Re:ステージ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|rst_project|1327627356068925440}}</ref> * 生年不明 - アマノ・カズミ、アニメ『[[トップをねらえ!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - おりょう、アニメ『[[ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|garupan_app|1459898924332830727}}</ref> * 生年不明 - 南川朝陽、アニメ『[[ミュークルドリーミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{YouTube|62K57rUwqvs|南川朝陽<ミュークルドリーミー>}}</ref> * 生年不明 - 杉山遼仁、アニメ『ミュークルドリーミー』に登場するキャラクター<ref>{{YouTube|gwpr-j-ewP0|杉山遼仁<ミュークルドリーミー>}}</ref> * 生年不明 - しぐれひめっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|date=2011-11-01|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|page=30|publisher=[[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|editor1-first=|editor1-last=ウィズ|editor1-link=ウィズ (玩具)|editor2-first=|editor2-last=バンダイ|editor2-link=バンダイ|isbn=978-4097510482}}</ref> * 生年不明 - [[ときめきメモリアルの登場人物#鏡魅羅|鏡魅羅]]、ゲーム『[[ときめきメモリアル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|date=1996-04-01|title=ときめきメモリアルオフィシャルイラスト集|page=58|publisher=[[徳間書店]]|series=TIM MOOK|isbn=978-4198251123}}</ref> * 生年不明 - 三科栄吉(ミッシェル)、ゲーム『[[ペルソナ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|p_kouhou|1459898928057368584}}</ref> * 生年不明 - 大石蔵人、ゲーム・アニメ『[[ひぐらしのなく頃に]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|higu_anime|1460064567665463299}}</ref> * 生年不明 - 上条沙耶、ゲーム・アニメ『[[はぴねす!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://windmill.suki.jp/product/6th/index.htm |title=キャラクター紹介 上条沙耶 |work=『はぴねす!』 |publisher=[[ういんどみる]] |accessdate=29 Mar 2023}}</ref> * 生年不明 - アマネ=ニシキ、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/amane.html |title=アマネ=ニシキ |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS]] |accessdate=29 Mar 2023 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref> * 生年不明 - ターシャ・ロマノフスキー、ゲーム・アニメ『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|t7s_staff|1327808540765929474}}</ref> * 生年不明 - 月川ちり、ゲーム・アニメ『[[プリパラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|idolland_arts|1460019713501769735}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{commonscat|15 November}} {{新暦365日|11|14|11|16|[[10月15日]]|[[12月15日]]|[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]|1115|11|15}} {{1年の月と日}}
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11月17日
11月17日(じゅういちがつじゅうななにち、じゅういちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から321日目(閏年では322日目)にあたり、年末まであと44日ある。 毎年この日ごろしし座流星群が観測できる。
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{{カレンダー 11月}} '''11月17日'''(じゅういちがつじゅうななにち、じゅういちがつじゅうしちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から321日目([[閏年]]では322日目)にあたり、年末まであと44日ある。 毎年この日ごろ[[しし座流星群]]が観測できる。 == できごと == * [[1183年]]([[寿永]]2年閏[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[治承・寿永の乱]]: [[水島の戦い]]。 * [[1292年]] - [[ジョン・ベイリャル (スコットランド王)|ジョン・ベイリャル]]が[[スコットランド王国|スコットランド]]国王として即位。 * [[1558年]] - [[イングランド王国|イングランド]]女王[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]が死去し、妹の[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]が即位。[[エリザベス朝]]が始まる。 * [[1659年]] - [[ピレネー条約]]締結。[[スペイン]]と[[フランス]]の[[国境]]が[[ピレネー山脈]]に画定。 * [[1775年]] - [[クオピオ]]市が、スウェーデンの[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世]]により正式に設立される<ref> [https://www.kuopio.fi/historia クオピオ:ヒストリア]{{fi icon}}</ref>。 * [[1796年]] - [[ナポレオン戦争]]・[[イタリア戦役 (1796-1797年)|イタリア戦役]]: [[アルコレの戦い]]。フランス軍がイタリアで[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]を破る。 * [[1800年]] - [[アメリカ合衆国]]・[[ワシントンD.C.]]では初の[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]が開会。 * [[1845年]] - [[ヴィクトル・ユーゴー]]が『レ・ミゼール』(のちの『[[レ・ミゼラブル]]』)の執筆を始める。 * [[1855年]] - [[デイヴィッド・リヴィングストン]]がヨーロッパ人で初めてモシ・オ・トゥニャ滝に到達し、[[ヴィクトリアの滝|ヴィクトリア滝]]と命名。 * [[1858年]] - [[ユリウス通日|修正ユリウス日]]の起点となる日。 * [[1869年]] - [[スエズ運河]]が開通。 * [[1871年]] - [[全米ライフル協会]]設立。 * [[1876年]]([[ユリウス暦]][[11月5日]]) - [[ピョートル・チャイコフスキー]]の『[[スラヴ行進曲]]』が[[モスクワ]]で初演。 * [[1878年]] - [[イタリア王国|イタリア国王]][[ウンベルト1世]]の[[暗殺]]未遂事件。 * [[1903年]] - [[ロシア社会民主労働党]]が[[ボリシェヴィキ]]と[[メンシェヴィキ]]に分裂。 * [[1905年]] - [[第二次日韓協約]]に調印。 * [[1922年]] - 前[[オスマン帝国]]皇帝[[メフメト6世]]がイタリアへ亡命。 * [[1933年]] - [[アメリカ合衆国]]が[[ソビエト連邦]]を[[国家の承認|承認]]。 * [[1939年]] - [[チェコスロバキア]]に侵攻していたドイツ軍が学生のデモ行進を鎮圧し、教授2人と学生9人を殺害([[国際学生の日]])。 * [[1950年]] - [[ダライ・ラマ14世|テンジン・ギャツォ]]が第14代[[ダライ・ラマ]]に即位。 * [[1952年]] - [[日本放送協会|NHK]]の[[ラジオ番組]]『[[ひるのいこい]]』の放送が開始される。 * [[1961年]] - [[ニューギニア島|ニューギニア]]・[[イリアンジャヤ]]の部族を研究していた[[民族学|民族学者]]の[[マイケル・ロックフェラー]]([[ネルソン・ロックフェラー]]の息子)が行方不明となる。 * [[1964年]] - [[公明党]]が結党大会。 * [[1965年]] - [[日本野球機構|プロ野球]]の[[1965年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|第1回ドラフト会議]]が開かれる。 * [[1969年]] - [[冷戦]]: [[アメリカ合衆国]]と[[ソビエト連邦]]の代表団[[ヘルシンキ]]で会合。[[第一次戦略兵器制限交渉]] (SALT I) が始まる。 * [[1970年]] - ソ連の無人[[月探査機]]「[[ルナ17号]]」が月面に着陸。世界初の[[月面車]]による探査を開始する。 * 1970年 - [[ダグラス・エンゲルバート]]が[[マウス (コンピュータ)|マウス]]の特許を取得。 * [[1971年]] - 衆議院沖縄返還協定特別委員会で自民党が[[沖縄返還|沖縄返還協定]]を強行採決。 * [[1974年]] - [[別府3億円保険金殺人事件]]。 * [[1986年]] - フランスの自動車メーカー・[[ルノー|ルノー公団]]総裁のジョルジュ・バスが暗殺される。 * [[1989年]] - [[チェコスロバキア]]・[[プラハ]]で[[チェコスロバキア共産党|共産党]]に抗議する学生デモが鎮圧される([[12月29日]]まで)。[[ビロード革命]]の始まり。 * [[1990年]] - [[長崎県]]の[[雲仙普賢岳]]の山頂部で[[水蒸気爆発]]が起こり、198年ぶりに[[噴火]]。 * [[1997年]] - [[ルクソール事件]]。[[エジプト]]・[[ルクソール]]の[[ハトシュプスト葬祭殿]]の前でイスラム過激派7人が外国人観光客ら61人を殺害。 * 1997年 - [[北海道拓殖銀行]]が経営破綻。戦後初の都市銀行破綻となる。 * [[2000年]] - 来日中の[[ペルー]]大統領[[アルベルト・フジモリ]]が大統領辞任の意をペルー政府に伝え、日本に亡命。 * [[2001年]] - [[Apple]]が携帯音楽プレイヤー[[iPod classic|iPod]]を発売。 * [[2004年]] - [[奈良小1女児殺害事件]]発生。 * [[2005年]] - [[構造計算書偽造問題]]: [[国土交通省]]が千葉県の建築事務所が[[マンション]]、[[ホテル]]の[[構造計算書]]を偽造していたと公表。 * [[2013年]] - ロシアのカザン空港で[[タタールスタン航空363便墜落事故]]が発生し50人が死亡<ref>{{Cite news|url=https://www.rt.com/news/passenger-plane-crash-kazan-866/|title=50 dead as passenger jet crashes in central Russia (PHOTOS,VIDEO)|language=en|newspaper=RT World News|date=2013-11-17|accessdate=2021-01-30}}</ref>。 * [[2018年]] - フランスで燃料税引き上げ反対の抗議活動が発生([[黄色いベスト運動]])<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37910550Y8A111C1000000/|title=仏燃料税抗議デモ28万人に 1人死亡、230人負傷|newspaper=[[日本経済新聞]]|publisher=[[日本経済新聞社]]|date=2018-11-18|accessdate=2021-01-30}}</ref>。 * <!-- 「11月17日」に特記する様な情報ですか? [[2020年]] - [[日経平均株価]]が26,000円を超える(終値は26,014円)。 --> == 誕生日 == [[ファイル:Statue of Vespasian (Archaeological Museum Narona).jpg|thumb|120px|[[ローマ皇帝]]、[[ウェスパシアヌス]](9-78)誕生]] [[ファイル:Angelo Bronzino - Venus, Cupid, Folly and Time - National Gallery, London.jpg|thumb|180px|[[フィレンツェ]]・[[マニエリスム]]期の[[画家]]、[[アーニョロ・ブロンズィーノ]](1503-1572)誕生。画像は《愛の勝利の寓意》(1545)]] {{multiple image | image1 = Zhu Zhi-Yu.jpg | width1 = 100 | caption1 = 日本に渡来し、漢籍文化を伝来した[[明]]の[[儒学]]者、[[朱舜水]](1600-1682)誕生 | alt1 = 朱舜水 | image2 = Alembert.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[フランス]][[百科全書派]]知識人の中心人物、[[ジャン・ル・ロン・ダランベール]](1717-1783)誕生 | alt2 = ダランベール | image3 = August Ferdinand Möbius.jpg | width3 = 100 | caption3 = [[メビウスの帯]]で知られる[[ドイツ]]の[[数学者]]、[[アウグスト・フェルディナント・メビウス]](1790-1868)誕生 | alt3 = メビウス }} [[ファイル:Yorozu Tetsugoro - Motarete tatsu hito.jpg|thumb|180px|[[洋画家]]、[[萬鉄五郎]](1885-1927)誕生。画像は《もたれて立つ人》(1917)]] {{multiple image | image1 = Isamu Noguchi.jpg | width1 = 110 | caption1 = [[彫刻家]]、[[イサム・ノグチ]](1904-1988)誕生 | alt1 = ノグチ | image2 = Honda Souichiro zaikai 1964.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[本田技研工業]]創立者、[[本田宗一郎]](1906-1991)誕生 | alt2 = 本田宗一郎 }} {{multiple image | image1 = Martin Scorsese by David Shankbone.jpg | width1 = 100 | caption1 = [[映画監督]]、[[マーティン・スコセッシ]](1942-)誕生 | alt1 = スコセッシ | image2 = Sophie Marceau taularde 2016 5.jpg | width2 = 100 | caption2 = [[フランス]]の[[俳優|女優]]、[[ソフィー・マルソー]](1966-)誕生 | alt2 = マルソー }} * [[9年]] - [[ウェスパシアヌス]]、[[ローマ皇帝]](+ [[79年]]) * [[64年]] - [[ユリア・フラウィア]]、[[ローマ皇帝]][[ティトゥス]]の娘(+ [[91年]]) * [[1503年]] - [[アーニョロ・ブロンズィーノ]]、[[画家]](+ [[1572年]]) * [[1587年]] - [[ヨースト・ファン・デン・フォンデル]]、[[詩人]]、[[劇作家]](+ [[1679年]]) * [[1600年]]([[万暦]]28年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]]) - [[朱舜水]]、[[儒教|儒学者]](+ [[1682年]]) * [[1602年]] - [[アニエス・ド・ランジャック]]、カトリック教会・ドミニコ会の修道女、福者(+ [[1634年]]) * [[1612年]] - [[ドルゴン]]、後金から清初の皇族(+ [[1650年]]) * [[1650年]]([[慶安]]3年[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]) - [[島津綱貴]]、[[島津氏]]第20代当主、第3代[[薩摩藩]]主(+ [[1704年]]) * [[1717年]] - [[ジャン・ル・ロン・ダランベール]]、[[数学者]]、[[思想家]](+ [[1783年]]) * [[1729年]] - [[マリーア・アントニア・ディ・スパーニャ]]、サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世の妃(+ [[1785年]]) * [[1749年]] - [[ニコラ・アペール]]、食品加工業者(+ [[1841年]]) * [[1753年]]([[宝暦]]3年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]) - [[五島盛運]]、第8代[[福江藩]]主(+ [[1809年]]) * 1753年 - [[ヘンリー・アーネスト・ミューレンバーグ]]、ルーテル教会の聖職者、植物学者(+ [[1815年]]) * [[1755年]] - [[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]]、[[フランス王国|フランス]]国王(+ [[1824年]]) * [[1790年]] - [[アウグスト・フェルディナント・メビウス]]、数学者(+ [[1868年]]) * [[1797年]]([[寛政]]9年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]]) - [[仙石政美]]、第6代[[出石藩]]主(+ [[1824年]]) * [[1877年]] - [[菅野経三郎]]、[[政治家]](+ [[1956年]]) * [[1885年]] - [[萬鉄五郎]]、[[洋画家]](+ [[1927年]]) * [[1897年]] - [[坂口謹一郎]]、応用微生物学者(+ [[1994年]]) * [[1901年]] - [[リー・ストラスバーグ]]、[[俳優]](+ [[1982年]]) * [[1902年]] - [[森本孝順]]、[[律宗]]の[[僧侶]]、第81世[[唐招提寺]]長老(+ [[1995年]]) * [[1904年]] - [[イサム・ノグチ]]、[[彫刻家]](+ [[1988年]]) * [[1905年]] - [[ロドルフォ・ウシグリ]]、[[劇作家]]、[[脚本家]]、[[小説家]](+ [[1979年]]) * [[1906年]] - [[本田宗一郎]]、[[実業家]]、[[本田技研工業]]の創業者(+ [[1991年]]) * [[1911年]] - [[鹿内信隆]]、実業家(+ [[1990年]]) * [[1922年]] - [[スタンリー・コーエン (生化学者)|スタンリー・コーエン]]、[[生化学者]](+ [[2020年]]) * [[1925年]] - [[森田浩一郎]]、[[医学博士]](+ [[2017年]]) * 1925年 - [[ロック・ハドソン]]、俳優(+ [[1985年]]<ref>{{cite news |url = http://www.guardian.co.uk/fromthearchive/story/0,,1054321,00.html |title = Film star Rock Hudson, victim of Aids, dies aged 59 |publisher = [[ガーディアン]] |date = 1985-10-3 |accessdate = 2021-2-9 |language = 英語}}</ref>) * [[1926年]] - [[ケーケシ・アンドレア]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1928年]] - [[アルマン (美術家)|アルマン]]、彫刻家、[[画家]]、[[現代美術|現代美術家]](+ [[2005年]]) * [[1929年]] - [[五島勉]]、[[作家]]、[[ルポライター]](+ 2020年) * 1929年 - [[納谷悟朗]]、俳優、[[声優]]、[[演出家]](+ [[2013年]]) * [[1932年]] - [[青木雨彦]]、[[コラムニスト]]、[[評論家]](+ [[1991年]]) * [[1933年]] - [[岩岡保宏]]、元[[プロ野球選手]] * [[1934年]] - [[服部茂次]]、元プロ野球選手(+ [[1967年]]) * [[1935年]] - [[トニー・ザイラー]]、[[スキー]]選手(+ [[2009年]]) * [[1936年]] - [[井川比佐志]]、俳優 * 1936年 - [[山口崇]]、俳優、テレビ[[司会者]] * 1937年 - [[西原恭治]]、元プロ野球選手 * [[1938年]] - [[茂木忠之]]、元プロ野球選手(+ [[2002年]]) * [[1939年]] - [[内田裕也]]、[[音楽家|ミュージシャン]]、俳優(+ [[2019年]]<ref name="スポニチ">{{cite news|和書|date=2019-03-18|title=内田裕也さん逝く 79歳 希林さんの死から半年 もう聞けない“ロケンロール" - スポニチ Sponichi Annex 芸能|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/03/18/kiji/20190318s00041000047000c.html|newspaper=[[スポーツニッポン]]|publisher=[[スポーツニッポン新聞社]]|accessdate=2020-11-18}}</ref>) * [[1942年]] - [[マーティン・スコセッシ]]、[[映画監督]]、[[脚本家]] * [[1944年]] - [[トム・シーバー]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]]) * [[1946年]] - [[金田留広]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]]) * 1946年 - [[ペトラ・ブルカ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1947年]] - [[伊藤祐一郎]]、政治家、元[[鹿児島県知事一覧|鹿児島県知事]] * 1947年 - [[萩原康弘]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[星ルイス]]、[[漫才]]師(+ [[2005年]]) * [[1949年]] - [[安原義人]]、声優 * 1949年 - [[三浦政基]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[渡辺一夫 (野球)|渡辺一夫]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[小林一夫]]、元プロ野球選手 * [[1951年]] - [[妹尾和夫]]、演劇俳優 * 1951年 - [[ひさうちみちお]]、[[漫画家]]、[[イラストレーター]]、[[エッセイスト]] * [[1953年]] - [[春日祥之輔]]、元プロ野球選手 * 1953年 - [[川原昭二]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[佐々木隆 (ミュージシャン)|佐々木隆]]、[[ドラマー]] * [[1959年]] - [[小野みゆき]]、女優 * [[1962年]] - [[西村基史]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[武野功雄]]、俳優 * [[1964年]] - [[マリナ・チェルカソワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1964年 - [[ミッチ・ウィリアムス]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[杉本沙織]]、声優(+ [[2021年]]) * [[1965年]] - [[川崎ヒロユキ]]、[[脚本家]] * 1966年 - [[ソフィー・マルソー]]、女優 * [[1967年]] - [[安田和博]] 、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[デンジャラス (お笑いコンビ)|デンジャラス]]) * [[1968年]] - [[岡田圭右]] 、お笑い芸人([[ますだおかだ]]) * 1968年 - [[牧田衞活]]、[[アナウンサー]] * 1968年 - [[大浦龍宇一]]、俳優 * [[1969年]] - [[置鮎龍太郎]]<ref name="アニメイトタイムズ">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=632|title=置鮎龍太郎のアニメキャラ・最新情報まとめ|publisher=アニメイトタイムズ|accessdate=2020-11-10}}</ref>、声優 * 1969年 - [[ジャン=ミッシェル・セイブ]]、卓球選手 * 1969年 - [[木村一八]]、俳優 * 1969年 - [[柳田勝]]、ライフル射撃選手 * [[1970年]] - [[城島茂]]、タレント、ミュージシャン([[TOKIO]]) * 1970年 - [[チェ・ジニョン]]、俳優、歌手(+ [[2010年]]) * [[1973年]] - [[アレクセイ・ウルマノフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1973年 - [[民秋貴也]]、ものまねタレント * [[1974年]] - [[落合健太郎]]、ラジオDJ * [[1975年]] - [[池田渉]]、[[ラグビーユニオン]]選手 * 1975年 - [[ユンソナ]]、[[タレント]] * 1975年 - [[江口桃子]]、 アナウンサー * [[1976年]] - [[菊タロー]]、[[プロレスラー]] * [[1977年]] - [[アレックス・グラマン]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[堂珍嘉邦]]、[[歌手]]([[CHEMISTRY]]) * 1978年 - [[ヴァル・パスクチ]]、プロ野球選手 * 1978年 - [[レイチェル・マクアダムス]]、女優 * [[1979年]] - [[柴田勝頼]]、プロレスラー * 1979年 - [[里村明衣子]]、プロレスラー * 1979年 - [[渕上紘行]]、アナウンサー * 1979年 - [[横手直子]]、元バレーボール選手 * [[1981年]] - [[長尾麻由]]、タレント、元[[グラビアアイドル]] * 1981年 - [[サラ・ハーディング]]、ミュージシャン([[ガールズ・アラウド]]) * [[1982年]] - [[早川大史]]、元プロ[[バスケットボール選手]] * [[1983年]] - [[水谷さくら]]、グラビアアイドル、タレント * 1983年 - [[ライアン・ブラウン (外野手)|ライアン・ブラウン]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[林泉水]]、元[[AV女優]]、元[[ストリッパー一覧|ストリッパー]] * 1983年 - [[ジョディ・ヘンリー]]、[[競泳]]選手 * 1983年 - [[ライアン・ブラッドレイ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1983年 - [[ルイス・アルベルト・サントス・ドス・サントス|ルイス・アルベルト]]、サッカー選手 * [[1984年]] - [[佐藤めぐみ]]、女優 * 1984年 - [[葉山いくみ]]、[[声優]] * [[1986年]] - [[ルイス・カルロス・アルメイダ・ダ・クーニャ|ナニ]]、サッカー選手 * 1986年 - [[亀田興毅]]、元[[プロボクサー]] * 1986年 - [[ブラボー!橋本]]、お笑いタレント、ものまねタレント * 1986年 - [[エバース・カブレラ]]、元プロ野球選手 * [[1987年]] - 海野裕二、お笑い芸人([[ジェラードン]]) * [[1989年]] - [[上福元直人]]、サッカー選手 * 1989年 - [[秦瑞穂]]、タレント、グラビアアイドル * 1989年 - [[山本憲二]]、陸上選手 * [[1990年]] - [[中村絢香]]、女優 * [[1994年]] - [[ラクエル・カストロ]]、女優 * 1994年 - [[前田直輝]]、サッカー選手 * 1994年 - [[福山翔大]]、俳優 * 1994年 - ゆめっち、お笑い芸人([[3時のヒロイン]]) * [[1995年]] - [[小池亮介]]、俳優 * [[1996年]] - [[頓宮裕真]]、プロ野球選手 * 1996年 - [[篠原まりあ]]、 ゴルファー * [[1997年]] - [[やねすけ]]、YouTuber、タレント([[バンカラジオ]]) * [[1998年]] - ひゅうが、YouTuber([[コムドット]]) * 1998年 - [[佐々木希 (野球)|佐々木希]]、元プロ野球選手 * [[2000年]] - [[峰島こまき]]、アイドル([[ナナランド]]) * [[2001年]] - [[鈴木ちなみ (野球)|鈴木ちなみ]]、野球選手 * [[2005年]] - [[田中杏奈]]、ファッションモデル * 生年不明 - [[勝田治美]]<ref>{{Cite book|和書|title=声優名鑑|page=72|publisher=[[成美堂出版]]|year=1999|isbn=978-4-415-00878-3}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[園山ひかり]]<ref>{{Cite web|和書|url = http://swallow-p.com/actor/va_sonoyama.html|title = 園山ひかり 公式プロフィール|accessdate = 2021-01-08}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[クロマツテツロウ]]、漫画家 == 忌日 == * [[375年]] - [[ウァレンティニアヌス1世]]、[[ローマ帝国]]皇帝(* [[321年]]) * [[474年]] - [[レオ2世 (東ローマ皇帝)|レオ2世]]、[[東ローマ帝国]]皇帝(* [[467年]]?) * [[594年]] - [[トゥールのグレゴリウス]]、[[聖職者]]、[[歴史家]](* [[538年]]) * [[641年]](舒明天皇13年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[舒明天皇]]、第34代[[天皇]](* [[593年]]?) * [[1231年]] - [[エルジェーベト (ハンガリー王女)|エルジェーベト]]、[[テューリンゲンの君主一覧|テューリンゲン方伯]][[ルートヴィヒ4世 (テューリンゲン方伯)|ルートヴィヒ4世]]の妃(* [[1207年]]) * [[1494年]] - [[ピコ・デラ・ミランドラ]]、人文主義者(* [[1463年]]) * [[1558年]] - [[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]、[[イングランド王国|イングランド]]女王(* [[1516年]]) * 1558年 - [[レジナルド・ポール]]、[[枢機卿]]、[[カンタベリー大司教]](* [[1500年]]) * [[1562年]] - [[アントワーヌ (ヴァンドーム公)|アントワーヌ]]、[[ナバラ王国|ナバラ]]王(* [[1518年]]) * [[1600年]]([[慶長]]5年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]]) - [[九鬼嘉隆]]、[[武将|戦国武将]](* [[1542年]]) * [[1624年]] - [[ヤーコプ・ベーメ]]、[[神秘主義]][[思想家]](* [[1575年]]) * [[1720年]] - [[ジョン・ラカム]]、[[海賊|海賊船]]船長 * [[1768年]] - ニューカッスル公[[トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公)|トマス・ペラム=ホールズ]]、元[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1693年]]) * [[1794年]] - [[ジャック・フランソワ・デュゴミエ]]、[[フランス]]の[[軍人]](* [[1738年]]) * [[1796年]] - [[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]、[[ロマノフ朝]]第8代[[ロシア帝国]]皇帝(* [[1729年]]) * [[1815年]] - [[ジョセフ・ハーバーシャム]]、第6代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1751年]]) * [[1856年]]([[安政]]3年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]) - [[二宮尊徳]]、農政家(* [[1787年]]) * [[1858年]] - [[ロバート・オウエン]]、[[空想的社会主義]]思想家・[[運動家]](* [[1771年]]) * [[1893年]] - [[アレクサンダル (ブルガリア公)|アレクサンダル]]、[[ブルガリア公国|ブルガリア]]公(* [[1857年]]) * [[1905年]] - [[アドルフ (ルクセンブルク大公)|アドルフ]]、[[ルクセンブルク大公]](* [[1817年]]) * [[1912年]] - [[リチャード・ノーマン・ショウ]]、[[建築家]](* [[1831年]]) * [[1913年]] - [[弘世助三郎]]、[[実業家]]、[[日本生命]]創業者(* [[1843年]]) * [[1917年]] - [[オーギュスト・ロダン]]、[[彫刻家]](* [[1840年]]) * [[1929年]] - [[ハーマン・ホレリス]]、[[発明家]](* [[1860年]]) * [[1936年]] - [[エルネスティーネ・シューマン=ハインク]]、[[アルト]]歌手(* [[1861年]]) * [[1937年]] - [[貴志康一]]、[[音楽家]](* [[1909年]]) * [[1939年]] - [[田中智學]]、[[日蓮宗]]思想家、[[国柱会]]創設者(* [[1861年]]) * [[1940年]] - {{仮リンク|エリック・ギル|en|Eric Gill}}、彫刻家、[[タイポグラファー]]、[[版画家]](* [[1882年]]) * [[1945年]] - [[フリードリヒ・フランツ4世 (メクレンブルク=シュヴェリーン大公)|フリードリヒ・フランツ4世]]、[[メクレンブルク=シュヴェリーン大公国|メクレンブルク=シュヴェリーン大公]](* [[1882年]]) * [[1952年]] - [[弘田龍太郎]]、[[作曲家]](* [[1892年]]) * [[1956年]] - [[ジョン・エヴァシェッド]]、[[天文学者]](* [[1864年]]) * [[1958年]] - [[谷山豊]]、[[数学者]](* [[1927年]]) * 1958年 - [[モート・クーパー]] 、プロ野球選手(* [[1913年]]) * [[1959年]] - [[エイトル・ヴィラ=ロボス]]、作曲家(* [[1887年]]) * 1959年 - 堀米[[日淳]]、[[僧侶]]、[[大石寺]]第65代法主(* [[1898年]]) * [[1961年]] - [[森田素夫]]、[[小説家]](* [[1911年]]) * 1961年 - [[ベニー・カウフ]] 、プロ野球選手(* [[1890年]]) * [[1963年]] - [[近藤平三郎]]、[[薬学|薬学者]](* [[1877年]]) * 1963年 - [[メリト・アコスタ]] 、プロ野球選手(* [[1896年]]) * [[1964年]] - [[森谷克己]]、[[経済学者]](* [[1904年]]) * [[1965年]] - [[蔭山和夫]]、[[プロ野球選手]](* [[1927年]]) * [[1968年]] - [[二見甚郷]]、元[[宮崎県知事一覧|宮崎県知事]]、[[参議院議員]](* [[1888年]]) * 1968年 - [[マーヴィン・ピーク]]、[[ファンタジー]]作家(* [[1911年]]) * [[1969年]] - [[徳川圀順]]、第7代[[貴族院議長 (日本)|貴族院議長]]、第7代[[日本赤十字社]]社長(* [[1886年]]) * [[1970年]] - [[広瀬謙三]]、プロ野球公式記録員(* [[1895年]]) * [[1972年]] - [[ウジェーヌ・ミンコフスキー]]、[[精神医学|精神科医]](* [[1885年]]) * 1972年 - [[トーマス・C・キンケイド]]、[[アメリカ海軍]]の提督(* [[1888年]]) * [[1973年]] - [[浜田廣介]]、[[童話]]作家(* [[1893年]]) * 1973年 - [[楢橋渡]]、元[[運輸大臣]](* [[1902年]]) * [[1977年]] - [[ロジャー・ペキンポー]] 、プロ野球選手(* [[1891年]]) * [[1982年]] - [[エドゥアルド・トゥビン]]、作曲家(* [[1905年]]) * 1982年 - [[レオニード・コーガン]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1924年]]) * [[1985年]] - [[ロン・ノル]]、[[カンボジア]]の指導者(* [[1913年]]) * [[1986年]] - [[木村義雄 (棋士)|木村義雄]]、[[将棋]][[棋士 (将棋)|棋士]](* [[1905年]]) * [[1987年]] - [[川口浩 (俳優)|川口浩]]、[[俳優]]、[[探検家]](* [[1936年]]) * [[1988年]] - [[辻嘉一]]、[[料理人]](* [[1907年]]) * [[1990年]] - [[ロバート・ホフスタッター]]、[[物理学者]](* [[1915年]]) * [[1991年]] - [[エイドリアン・クイスト]]、[[テニス]]選手(* [[1913年]]) * [[1992年]] - [[路遥]]、[[小説家]](* [[1949年]]) * [[1995年]] - [[平岡一郎]]、プロ野球選手(* [[1945年]]) * [[1997年]] - [[今澄勇]]、元[[民社党]][[衆議院議員]]、[[経済評論家]](* [[1913年]]) * [[1998年]] - [[コルネリア・ボウマン]]、テニス選手(* [[1903年]]) * [[2000年]] - [[ルイ・ネール]]、物理学者(* [[1904年]]) * [[2001年]] - [[保井浩一]]、プロ野球選手・[[プロ野球監督|監督]](* [[1921年]]) * [[2002年]] - [[アバ・エバン]]、元[[イスラエル]]外相(* [[1915年]]) * [[2003年]] - [[江見俊太郎]]、俳優(* [[1923年]]) * [[2006年]] - 六代目[[神田伯龍]]、[[講談師]](* [[1926年]]) * 2006年 - [[フェレンツ・プスカシュ]]、[[サッカー選手]](* 1927年) * 2006年 - [[ルース・ブラウン]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]歌手(* [[1928年]]) * [[2012年]] - [[牧野エミ]]、女優(* [[1959年]]) * [[2013年]] - [[山口定]]、[[政治学者]](* [[1934年]]) * [[2014年]] - [[納谷六朗]]、[[声優]](* [[1932年]]) * 2014年 - [[宮近幸逸]]、[[機械工学者]](* [[1953年]]) * [[2017年]] - [[サルヴァトーレ・リイナ]]、イタリアの[[マフィア]](マフィオーソ)のボス(* [[1930年]]) * [[2018年]] - [[吉田剛 (脚本家)|吉田剛]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20181119-WKHV2U4JPVKAXE3ONA45FAD3AI/|title=「必殺シリーズ」の脚本家、吉田剛氏死去|publisher=産経ニュース|date=2018-11-19|accessdate=2020-11-23}}</ref>、[[脚本家]](* [[1935年]]) * 2018年 - [[近藤基彦]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S13776402.html|title=近藤基彦さん死去|publisher=朝日新聞デジタル|date=2018-11-20|accessdate=2020-11-17}}</ref>、政治家(* [[1954年]]) * [[2019年]] - [[松本ちえこ]]<ref>[https://dot.asahi.com/articles/-/102732?page=1 松本ちえこさん死去 70年代を象徴する記憶に残るアイドルだった]AERA dot. (アエラドット) 2019年12月6日</ref><ref>[https://www.jprime.jp/articles/-/16710 女優・松本ちえこさんが逝去、60歳『バスボン』のCMで大ブレイク] - 週刊女性PRIME 2019年12月6日</ref>、[[タレント]]、女優(* [[1959年]]) == 記念日・年中行事 == * {{仮リンク|国際学生の日|en|International Students' Day|preserve=1}} *: [[学生運動]]の記念日。[[1939年]]のこの日、[[チェコスロバキア]]に侵攻していたドイツ軍が学生のデモ行進を鎮圧し、教授2人と学生9人を殺害した。[[1942年]]のこの日、ワシントンに世界各国の学生の代表が集まってその犠牲者を追悼し、この日を記念日とすることを宣言した。 * 自由と民主主義のための闘争の日({{CZE}}・{{SVK}}) *: [[1989年]]のこの日の[[ビロード革命]]開始を記念。 * [[肺がん撲滅デー]] *: [[2000年]]9月に東京で開催された[[国際肺癌学会]]で制定。アメリカで11月第3週が「たばこ警告週間」となっていることから。 * [[世界早産児デー]] *: 2011年から。紫を公式カラーとして、[[早産]]についての啓発活動が国際的に行われる。 * [[将棋の日]]({{JPN}}) *:[[日本将棋連盟]]が[[1975年]]に制定。江戸時代、<!--[[将棋]]好きであった★ソースなし★-->[[徳川吉宗]]が毎年[[旧暦11月17日]]を「[[将棋所#御城将棋|お城将棋]]、および、[[御城碁]]の日」とし、'''御城将棋'''、'''御城碁'''を行っていたことによる<ref>東京新聞2021年11月17日朝刊「今日は何の日」</ref>。 * 島原防災の日({{JPN}} [[長崎県]][[島原市]]) *: [[1990年]]のこの日、[[雲仙岳|雲仙普賢岳]]が約200年ぶりに噴火したことにちなむ。 * [[蓮根]]の日({{JPN}}) *: [[茨城県]][[土浦市]]で[[1994年]]のこの日に全国の蓮根産地が集まって開催された「蓮根サミット」で、この日を記念日とすることが決められた。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1117|date=2011年8月1日 (月) 22:20 (UTC)}} * [[1968年]] - 希望ヶ丘小学校で運動会が開催される。(アニメ『[[魔法使いサリー]]』第102話「負けるな! 三人娘」) === 誕生日(フィクション) === * [[1988年]] - 龍宮真名、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=赤松健|authorlink=赤松健|title=魔法先生ネギま!|volume=10巻|page=94|publisher=[[講談社]]〈[[講談社コミックス]]〉|isbn=978-4-06-363529-4|date=2005-05-17}}</ref> * [[宇宙世紀]]0059年 - [[シャア・アズナブル]]、[[テレビアニメ]]『[[機動戦士ガンダム]]』及び『[[機動戦士Ζガンダム]]』、[[アニメーション映画|劇場版アニメ]]『[[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.gundam.info/news/cafe-food/01_6008.html |title=ガンダムカフェ「ハッピーバースデー アムロ・レイ」&「シャア・アズナブル」11月1日より開催! |access-date=2022-09-15 |publisher=GUNDAM.INFO |date=2021-10-29}}</ref> * [[ギルガメス]]暦2301年 - ジャン・ポール・ロッチナ、アニメ『[[装甲騎兵ボトムズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |year = 1987 |title = 完全版資料集 装甲騎兵ボトムズ |page = 22 |publisher = [[ムービック]] |isbn = 4-943966-04-7 }}</ref> * 生年不明 - 法条正義(凄苦残念)、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター<ref>『こちら葛飾区亀有公園前派出所』170巻「「改名くん」の巻」</ref> * 生年不明 - 志摩金造、漫画・アニメ『[[青の祓魔師]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aoex_official|1328352235634376705}}</ref> * 生年不明 - 黒尾鉄朗、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://haikyu.jp/chara/nekoma/1.html |title=音駒高校 黒尾 鉄朗 |publisher=[[古舘春一]]/[[集英社]]・「ハイキュー!!」製作委員会・[[毎日放送|MBS]] |accessdate=2022-10-16}}</ref> * 生年不明 - 御幸一也、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|666275391829512192}}</ref> * 生年不明 - 橘真琴、アニメ『[[Free! (アニメ)|Free!]]』『Free!-Eternal Summer-』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://1st.iwatobi-sc.com/character/makoto.html |title=橘 真琴 |access-date=2022-10-16 |publisher=おおじこうじ・[[京都アニメーション]]/岩鳶高校水泳部 |work=TVアニメ『Free!』公式サイト}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=TVアニメーションFree!公式ガイドブック|publisher=株式会社京都アニメーション京アニ出版部|date=2013-7-3|page=14|isbn=978-4-907064-05-1}}</ref> * 生年不明 - 糸見沙耶香、アニメ・ゲーム『[[刀使ノ巫女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tojitomo|1063579344008708097}}</ref> * 生年不明 - 小松伊吹、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20066 |title=小松 伊吹(こまつ いぶき) |access-date=2022-09-15 |publisher=窪岡俊之 [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=THE IDOLM@STERアイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 神無月ほとり、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|799085302270672896}}</ref> * 生年不明 - ユア、ゲーム『[[消滅都市]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shoumetsutoshi|1195944656619462656}}</ref> <!-- * 生年不明 - 心宿(なかご)、漫画『[[ふしぎ遊戯]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年11月16日 (金) 14:54 (UTC)}} * 生年不明 - グレイス、ゲーム『[[ファイティングバイパーズ]]』に登場するキャラクター{{要出典|date=2018年11月16日 (金) 14:54 (UTC)}} 2022年9月、ほぼ4年要出典のためコメントアウト --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|17 November}} {{新暦365日|11|16|11|18|[[10月17日]]|[[12月17日]]|[[11月17日 (旧暦)|11月17日]]|1117|11|17}} {{1年の月と日}}
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